いぬがみっ! (ポチ&タマ)
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第?部 IFルート
第01話「繋がる世界」


 とあるゲームに感銘を受け、このような話を書いてしまいました。

 IFルートで使われる設定はすべてこのルートで完結していますので、本編にまったく関係がありませんし影響もありません。
 本編とは別の話と思ってください。



 

【くそ、くそ、最悪だ……。知らなければ良かった。知るべきじゃなかった】

 

【現実だと思ってた世界が、実は作り物だったなんて……。なんで、そんな馬鹿げた話……くそっ】

 

【俺はこの偽りの世界で何を信じて生きればいいんだ……。そもそも、俺は一体、なんなんだ……?】

 

【なんでこんなことに、こんなことが知りたかったわけじゃないのに……!】

 

【どうして、なんで? 何がいけなかった? 知ってしまったからか?】

 

【嗚呼……出来ることなら、過去の世界に戻って、やり直したい……】

 

 

 ――以上が川平邸より発見した手記Aの一部です。なお、これ以上有用な情報はない模様。手記Bには彼らとの私生活が記録されており、情報の有用性は皆無なため報告記録には上げませんでした。

 

 ――ええ、そうですね……。

 

 ――……了解。引き続き情報の捜索を継続します。通信終了。

 

 

 

 1

 

 

 

 そもそもの始まりは、この日だった。

 普段は意識の外にあった倉庫の存在を思い出したこと。その部屋の中を整理しようと考えたこと。それが、そもそもの始まりだったと思う。

 それらの考えは間違いなく、自発的に思いついた川平啓太()の考えだ。思考だ。しかし、それを客観的に証明する術がない以上、この考えが本当に俺のものなのか分からない。もしかしたら、見えざる者の意思(・・・・・・・・)が絡み、そう促したのかもしれない。

 なんにせよ、この日、すべての歯車が狂ったのは確かだった。

 

 

 

 その日、普段使っていない地下の倉庫室の存在を思い出した俺は、折角だからその部屋の中にある物を整理することにした。

 仕事関係で手に入ってしまった曰く付きの品や、使わなくなった家具、不要な置物、どこで手に入れたのか忘れた骨董品などを倉庫にまとめて押し込んである。一応危険物とそうでないものの区分だけはしてあったが、中は結構カオスなことになっていた。

 

「……これは、一人はきつい」

 

 助っ人がいるな。なでしこたちにも手伝ってもらうか。

 一度部屋を出て、自室にいるなでしこの元へ向かう。どうぞ、との声に扉を開くとなでしこはテーブルに着いて何かを読んでいるところだった。

 優しい微笑を浮かべて静かにページを捲っている。何を読んでいるのか聞くと彼女は目を落としながら「日記です」と言った。

 

「……日記? なでしこ、日記つけてた?」

 

「ええ、少し前からですけど。ようやく【絶望の君】を倒すことが出来て啓太様の周りも落ち着いてきたので。これを機に書くのもいいかなと思いまして」

 

 あー、確かにここ最近はずっと忙しかったからなぁ。【絶望の君】は刺客を送ってくるは本人も襲撃してくるわ、薫も厄介なもの背負ってるわ、解決したと思ったらまた面倒な事態を招くやらでてんてこ舞い状態だった。

 日記かぁ。これでゆっくりする時間も出来ることだろうし、俺も書いてみようかな。

 

「それはそうと、啓太様? なにかお話があるのでは?」

 

 おっと、それはともかくとして本来の用事を伝えないと。

 

「……地下室の倉庫、整理する。手伝ってくれる?」

 

「ああ、そういえば物で溢れかえってますものね。確かにそろそろ整理しないといけませんね。わかりました。ようこさんもですか?」

 

「ん。この後、伝えに行く」

 

「でしたらようこさんには私から伝えておきますので、啓太様は先に倉庫の方へ」

 

「……そう? んじゃ、よろ」

 

 なでしこの部屋を出た俺は汚れてもいいようにティーシャツと短パンに着替え、先に地下へ向かった。

 旧名「保管庫」である倉庫室は地下の二階に位置する。スイッチを入れると明かりが点いた。部屋の中は二十畳ほどの広さで壁際には物を保管する保管ラックが並んでいる。大きなサイズのものに関しては床の空いたスペースに置いていた。

 やっぱ、パッと見てカオスだなこれ。なんでツタンカーメンの置物があるんだよ。マーライオンっぽいのもあるし。自分が入手したとは思えないものもある始末だ。

 

「……とりあえず、始めるか」

 

 まずはいるものといらないものを分けないと。ツタンカーメンはいらん。マーライオンはネタとして使えそうだから保管しておこう。

 スペースを取っている大きな物から分別を始めていると、なでしことようこが援軍に駆けつけてくれた。数枚の雑巾に水の入ったバケツ、ハタキなどを装備している。さすがです。

 

「手伝うよケイタ~」

 

「ん、助かる」

 

「では私は汚れを取っていきますね。これからは定期的にお掃除しないと」

 

「頼む」

 

 三人で手分けして整理整頓をしていく。いる物いらない物に分けて綺麗にラックの中に収納していくと、段々ごっちゃになっていた空間が片付いていき、空きスペースが出来ていく。

 一時間ほど経つと随分と片付き、綺麗になった。

 なんだか、一度始めるととことんやりたくなるな。次いでだから壁も少し汚れてるし、ここも出来る限り綺麗にするか。

 そう思い、手にした雑巾で白地の壁を水拭きしようとしたときだった。壁の一部に違和感を覚えたのだ。

 

「……?」

 

 壁紙の色が、微妙に違う?

 同じ白地の壁紙だけれど、一部分だけ色褪せているように見えた。なんだろう?

 そして、その少しだけ色褪せた壁に手を添えると、再び違和感。もしやと思い、コンコンと壁をノックしてみる。

 

「啓太様?」

 

 不思議そうな顔をするなでしこたち。口に人差し指を当て、静かにするようにジェスチャーを送った。

 色褪せているほうの壁は。

 

 ――コンコン。

 

 その隣の白い壁は。

 

 ――ゴンゴン。

 

「音が違う?」

 

 やはりだ。なでしこの言う通り、色褪せているほうの壁が若干高い音だ。

 ということは、この先は空洞になっているってことだよな?

 この空洞部分が気になった俺はハンマーを創造して、試しに壁を壊してみることにした。

 なでしこたちが静止する間もなく鈍器を壁に叩きつける!

 

「……え?」

 

「穴? いや、階段……だね」

 

 呆然とした様子のなでしことようこ。

 壁を取り壊してみたら、その先には直径三メートルほどの穴が開いており階段が続いていた。周りは崩れないようにコンクリートで補強されていて、階段は地下へと続いている……。

 なんなんだ、この階段は――。

 

「啓太様、これって一体……?」

 

「なんなのこの階段! 明かりがないから真っ暗だし、恐いよケイタぁ……!」

 

 ホラーなど怖いものが苦手なようこが俺にしがみつき、早くも泣きべそを掻き始めた。

 突如現れた謎の階段。ものすごい怪しいし、どことなく不穏な空気も感じられる。

 しかし、見つけてしまった以上見て見ぬ振りは出来ない。俺の家の中で見つかったのだし、危険がないか確認しないと。

 

「……下りてみる」

 

「えぇっ! ここ行くの!?」

 

 とはいえホラー全般御免なようこには厳しいか。ようこにはいつぞやの廃病院の時のように照明を担当してもらいたかったけど、無理強いは出来んな。

 なので、ようことなでしこには家で待っていてもらうように言うが、彼女たちは首を強く横に振った。

 

「ケイタは行くんでしょ? なら、怖いけど我慢する」

 

「啓太様の行くところになでしこあり、です」

 

 本当に可愛い奴らだな! くしゃくしゃと二人の頭を撫でた俺は念のため、仕事道具が入ったカバンとウエストポーチを持っていくことにする。必要ないとは思うけど、万一があるかもしれないからな。

 準備が整った俺たちはようこに点してもらった火を照明代わりして、暗いコンクリートの階段を下っていった。

 階段の幅は狭く大人二人分のスペースで、そこそこ急な勾配になっている。真っ直ぐ地下へと向かっており、コンクリートで出来た道が延々と続いた。

 

「うぅ、まだ着かないの……?」

 

 俺にしがみついたようこが泣きの入った声で呟く。腕時計を見ると、下り始めてすでに十分は経過している。かなり長い階段だ。

 

「……なでしこ、ようこ、大丈夫?」

 

 今のところ特に変わった気配や雰囲気は感じられないが、こういう暗闇の中に長時間いるのは精神的にとても厳しいものがある。しかも延々と同じ光景が続いているのだから、精神的負担は結構なものと見ていいだろう。俺はまだ大丈夫だが、彼女たちの身が心配だった。

 

「私は、まだなんとか」

 

「うー、わたしもなんとか、なんとか大丈夫……」

 

 そういうなでしこだけど、少し疲労の色が見て取れた。ようこは傍目から見ていっぱいいっぱいだと分かるし。

 

「……もうちょっと進んで、まだ続くようなら一旦引き上げる。もうちょっと頑張って」

 

「はい」

 

「うん……」

 

 それから階段を下り続けること五分。ようやく終わりが見えてきた。

 

「やっと着いたー……!」

 

 ようこが安堵したように言う。延々と階段が続いていたから俺もホッとしたわ。

 しかし、たどり着いた先にある物を見て思わず愕然とする。

 

「扉、ですね」

 

「だねぇ……」

 

 行き着いた先には大きな扉が存在していた。壁に埋め込まれているそれは横二メートル、縦三メートルほどの巨大な扉。銀で出来ているのか分からないが、扉全体が銀色で全面に紋様のような彫刻が彫られている。古代の遺跡や神殿にありそうな扉だ。なぜ家の地下にこんなものがあるのだろうか……。

 ドアノブは見当たらない。一般的な蝶番状で開閉する扉ではないな。恐らくスライドするタイプの扉か。かといって電動式にも見えないし、もちろんスイッチのようなものも見当たらない。

 謎の階段の先には謎の扉か。一体なんなんだろうなこれ。後でケイの家に電話してセバスチャンから話を聞いてみるか。

 

「ぬぐぐぐっ~! ……ダメ、力尽くじゃ開かないみたい。鍵穴もないし、どうやって開くんだろ?」

 

 ようこが力尽くで押し開けようとするが扉はビクともしない。その後ろではなでしこが厳しい顔でぶつぶつと呟いていた。

 

「――これは、空間ごと隔離している? いえ、似ているようだけど違う……もしかして、時空に干渉しているの? 魔術による術でも結界でもない。時空そのものに干渉して空間を断絶して隔離するなんて。一体なんでこんなものが……」

 

「……空間ごと隔離してるのこれ?」

 

 この中で一番の年長者であるなでしこ。培った知識は相当なもので魔術などの神秘にも詳しい。

 そんな彼女の意味深な呟き。関心を寄せないわけがない。

 

「はい。どうやらかなり強力な術式が施されているようです。正直これほどまで強力な術式は聞いたこともありません」

 

「赤道斎なら出来る?」

 

 変態が服を着ているような奴だが、魔術に関してはあいつの右に出る奴はいない。赤道斎なら空間隔離くらいできるんじゃないか?

 

「……いえ。恐らく、赤道斎でも無理ですね。空間隔離くらいならともかく時空間に干渉するのは厳しいと思います。いわば世界そのものに干渉するということですから」

 

 マジか。ていうことは赤道斎以上の術者がこれを作ったってことか?

 赤道斎以上の魔導士か、想像つかないわ。

 

「……なんだろうねホント。これなんて雷っぽいマークだし」

 

 扉の中央に刻まれた雷マーク。それに触れた途端――。

 

 ――ゴゴゴゴッ

 

 重々しい音を立てながら扉が持ち上がっていったのだ。

 なでしこがビックリした顔をしていた。俺は拍子抜けした顔をしているけど。触れたら開くなんて、どこの漫画だよ!

 

「け、ケイタ様? 一体どうやって開けたんですか?」

 

「……いや、触れただけ」

 

 ホント、何で開いたんでしょうね?

 疑問は尽きないけど、折角開いたんだ。先に進んでみるか。

 後々考えれば、この時が狂い始めた歯車が噛み合わなくなった決定的瞬間なのかもしれない。普段の俺ならまず一旦地上に戻るという選択を取ったはずなのだから。

 

 

 

 2

 

 

 

「なに、ここ?」

 

「なにかの研究所ですか?」

 

 扉の先は廃棄された研究所のような施設に繋がっていた。全体的に白い造りとなっており廊下の壁があちこち崩れ、タイルのような床の一部が抜けているところもある。

 電気は活きているようで電灯は点いている。しかし、ところどころに設置されている何かの機械はどれも壊れているようだ。

 

「ねぇケイタ……。なんだか、イヤな感じがするよ……」

 

「なんでしょう。とても寒気のようなものを感じますね……」

 

 ようことなでしこがそう訴えてくる。俺も言葉では言い表せない感覚に襲われていた。不安や恐怖といった明確に表現できるものではない。ようこの言う“イヤな感じ”というのが一番的を得ているかもしれん。

 人の気配はまるで感じられない。霊的な気配も今のところないし、本当に無人のようだ。

 

「……進んでみる」

 

 ここが何なのか確認しないと。とりあえず周囲を警戒しながらこの研究施設のような場所を探索することにした。

 内部はかなり広い。映画とかに登場する研究所のようで、廊下は大人四人が並んで歩けるほどのスペースだ。崩落しそうな天井や壁、抜け落ちそうな床に注意して進んでいく。

 なんの部屋だか分からないがオペレータールームのような空間にはパソコンのようなモニターや巨大スクリーンがあったり。巨大な機械が並んでいる部屋などもあった。しかしどの部屋の機械もすべて故障しているようで、なんの反応も示さない。いつぞやの廃病院のような怪奇現象もないし。

 ただ不思議なのは、文字が見当たらないのだ。普通、こういう施設なら各部屋に"○○○室"といったプレートのようなものがあるはずなのだが、それらしきものはどこの部屋にもない。また、数々の機器が設置されているけれど、その機械にも文字がないのだ。キーボードなら番号や記号が割り振られているのに、黒いボタンだけが並列されていたりなど。まるで、文字などありとあらゆる記号が一切使われていないかのよう。

 もちろん資料や記録用紙などもないし。本当なんなんだろうねこの施設。不気味さすら感じるよ。

 なでしこたちも気味の悪さを感じているのか、いつしか言葉数が少なくなりいつの間にか俺にピッタリと寄り添うようにして歩いている。俺の腕を掴んでいるようこなんて携帯のバイブレーションのように震えてるし。

 

「……お? あの扉だ」

 

 通路を進んだ先に、例の扉がまたあった。パッと見て扉に刻まれた紋様は同じみたいだし、ここが出口なのか?

 中央の雷マークに触れてみると、やはりというか。重い音を響かせながらゆっくりと扉が持ち上がっていった。

 

「また階段?」

 

 扉の先には来た時と同様に、コンクリートの階段がお目見えした。今度は地上へ向かっているということは、この先に何かあるんだな。恐らく、この施設に関係する何かが。

 

「……行こう」

 

 俺たちはその長い階段を上ることにした。恐らくこの階段も下りの時と同様に長いんだろうな。

 ようこが照らしてくれる火を頼りに一つ一つ階段を上っていく。

 今度は長いだろうなと予め予想していたから、上ることはそんなに苦ではなかった。やはり十五分ほど上り続けると、ようやく出口が見えてくる。

 

「……光? てことは、外?」

 

 出口には光が差し込んでいた。どうやら建物の中ではなく外に繋がっているらしい。はたさて、どこに辿り着くのやら。

 そして俺たちは長い階段を上り詰めた。外に出た俺たちを待ち受けていたのは、想像を絶する光景だった。思わず大きく息を呑んでしまう。

 

「――は?」

 

「なによ、これ……」

 

 知らず知らずそのような当惑した声が漏れ出た。同じ景色を見たようこも絶句しており、なでしこは言葉も出ない様子だ。

 山の一角に出た俺たち。目の前には変わり果てた世界が待ち受けていた。

 ビルや家、店などの建築物が壊れている。いくつか原型が残っている建物もあるが、その多くが一部崩壊していた。まるで、退廃した世界。建物だけでなく、木々や草木といった自然も枯れ果てている。緑は一つもない。この山に生えていたであろう木々も、全て枯れていた。

 そして、人が一人も出歩いていない。全員家に篭っているのだろうか、それとも――。

 平成の世とは思えない光景。世界の終わりが訪れたような、本当に退廃した世界にやってきたような、そんな気分。しかし、これは紛れもない現実。

 しかし、どこか見覚えがある景色なんだが……。

 

「……!」

 

 言葉を失いながら呆然と廃れた景色を見ていると、不意にあることに気がついた。

 

「啓太様!?」

 

「どうしたのケイタっ」

 

 間違いであってくれと思いながら駆け出すと慌ててなでしこたちが後を追ってくる。

 枯れた木々の間を縫うように走りながら山道を一気に駆け抜ける。街の中を走っていて気がついたが、そこら辺りの建物の中から人の気配が感じられた。人はちゃんといるようだとその点では安心する。

 三十分ほど走り続けてようやく目的地にたどり着いた。後を追っていたなでしこたちも立ち止まる。

 そこには二つの石の柱のようなものが建っていた。本来ならここにあるべきものが掛かっていたのだが、そこには何もない。見る影もなくなっている……。

 視線を下げると、綺麗な水が流れていた川はすっかり枯れていて、水路の跡だけが見て取れる。

 

「啓太様? ここが一体……」

 

「……河童橋」

 

「え?」

 

 石の柱に指を向ける。

 

「……ここ、河童橋」

 

 そこには"河童橋"と彫られていた。

 

「うそ……! ここがあのカッパ橋!? じゃあ――」

 

 驚愕の声を上げるようこに頷く。この橋と、その下に流れていた川を見て確信した。

 道りで見覚えがある景色だと思った。間違いない。ここは……この地区は……!

 

「ここが、吉日市だって言うの!?」

 

 俺が住んでいる地域、吉日市なのだから!

 

 

 

 3

 

 

 

 衝撃の事実に全員言葉もない。初めに正気を取り戻したのはなでしこだった。

 

「……ここが吉日市だとして、私たちがあの階段を下り初めてから然程、一時間も経っていません。こんな短時間でこれほどまでの被害を出せるものですか? 見たところ、かなり時間が経過して風化しているところもありますし」

 

「じゃあ、どういうことなの? 現に街が滅んでるじゃないっ」

 

「私も、そこまでは……。とにかく、調べてみる必要があります。啓太様、一度家に戻りましょう。家がどうなっているのか心配です」

 

 だな。俺もそれが気になっていた。

 うちの家はこの近くにある土手を越えた先だ。急いで自宅へと向かった。

 

「……ケイタケイタ! 人がいるよ!」

 

 自宅に向かう途中、人を見かけた。パッと見て二十代の青年だ。ちょっと声を掛けてみるか。

 

「……あの、すみません」

 

「やあ、ここは吉日町だよ」

 

「え?」

 

 突然何を言い出すんだこの人は。ていうか、ここは吉日市であって町じゃないし。

 怪訝な顔で青年を見るが、彼は笑顔を浮かべたまま壊れたレコーダーのように同じ言葉を繰り返した。

 

「やあ、ここは吉日町だよ。やあ、ここは吉日町だよ。やあ、ここは吉日町だよ。やあ、ここは吉日町だよ。やあ、ここは吉日町だよ。やあ、ここは吉日町だよ」

 

「な、なにこの人」

 

 ようこが気味の悪そうな顔をする。俺もまったくの同感だった。ちょっと近づきたくない。

 距離を取ってもその人は、そこに俺がいるかのように目の前の空間に同じ言葉を投げかけ続けた。な、なんなんだあの人は……認知症か?

 

「あ、啓太様、あそこにも人が」

 

 今度はなでしこの声。振り返ると、人のよさそうなお婆さんが瓦礫に腰をかけて休んでいた。あの人なら大丈夫そうだな。

 試しになでしこが声を掛けてみる。

 

「あの、すみません」

 

「はい。今日縲√ユ繧ュ繧ケは繝医r諢いい丞峙縺励天気↑縺です枚蟄励ね」

 

「……え? なに? なんて言ってるの」

 

 お婆ちゃんの言葉がよく聞き取れなかったようこ。俺もなんて言ってるのかさっぱりだ。

 もう一度よく聞こうと耳に意識を向ける。

 

「そう繝シ繝峨〒隱ュ縺ソ霎そシ繧薙う□蝣エこの霎シ繧前ま薙□蝣たエ蜷医矢口さん↓逋コ逕が溘@縺セね縺吶」

 

 ――ダメだ、分からん。どっかの方言かな? たまにあるよね、聞き取れないほど訛ってる方言って。

 お婆ちゃんにバイバイと手を振って先を進むと、件の土手が見えてきた。

 土手の芝生も枯れているため、ただの盛り上がった土になっている。そこを超えると家が見えるのだが――。

 

「そんな、わたしたちの家が……」

 

 地上三階建ての邸宅は見るも無残に倒壊していた。入り口は瓦礫で塞がれていて入れそうにない。

 前庭の一角に植えていた花はなでしこがお世話をしていた。その綺麗に咲いていた花も無残に散ってしまっており、なでしこは悲しそうな顔で花々を見つめている。

 変わり果てた我が家の姿に言葉を失っていると、不意になでしこが声を上げた。

 

「……なでしこ?」

 

 ふわっと浮き上がったなでしこはそのまま空を飛び、二階の窓に近づいていく。確か、あそこはなでしこの部屋だ。

 割れた窓ガラスの隙間に手を入れると何かを持ち出し、やがて降りてくる。

 なでしこが持ってきたもの、それは一冊の本だった。

 

「……それは?」

 

「私がつけていた日記です。これが外から見えたもので」

 

 そういえば少し前からつけてるって言っていたな。ぺらぺらと日記を捲っていたなでしこだが、不意に「えっ?」と声を上げた。

 

「どうしたのなでしこ?」

 

 なでしこの後ろからひょいと顔を覗かせたようこ。なでしこは驚愕の表情で呟くように言った。

 

「日記に、覚えのないことが書いてあるんです……。これは、確かに私の字。でも、私こんなの知らない……」

 

 なでしこに許可を貰い、その日記を読んでみる。中身が気になるのか、なでしこたちも日記を覗き込むようにして見た。

 

 

 

【2020年6月17日(日記形式なので数字は半角で書きます)】

 

 とうとうあの【絶望の君】に勝つことが出来た。これを期に今日から日記を書くことにする。

 一日でも多く、啓太様との楽しい日々を記録できるように。

 ようやく啓太様はあの死神の(くさび)から開放された。これで少し周りも落ち着けばいいのだけど。

 

 

 

【2020年11月25日】

 

 ついに宗家から啓太様との婚約を許された! これまでは忙しい激動の日々だったので、そう言う話を満足に行えなかったからとても嬉しい!

 結婚は啓太様が高校を卒業し、大学に入学してからということになった。私も異論はない。啓太様もやりたいお仕事が見つかりましたし、妻として夫の足を引っ張る真似は避けなくては!

 

 

 

【2021年12月24日】

 

 今年もクリスマスがやってきた。啓太様やようこさんと毎年祝うこの日ですが、今年は【絶望の君】を倒した記念ということで少しメニューを豪華にしてみた。七面鳥の丸焼きは流石に調理したことなかったけれど、上手くできたと思う。啓太様もようこさんも喜んで食べてくれたし、よかった。

 そして、嬉しいことに啓太様から私とようこさんに婚約指輪をプレゼントとして頂いた。この時は嬉しすぎて私もようこさんも、思わず泣いちゃった。私がプレゼントしたのは手編みのセーター。今日は大切な宝物が増えた、良いクリスマスイブだ。

 

 

 

「……」

 

「ふふっ」

 

「えへへ……」

 

 なんか、改めてこう書かれると恥ずかしいな……。なでしことようこも照れてるし。

 でもよかった、喜んでくれて。大切にしてくれているのは知っていたけど、まさか宝物にランクインするとは思わなかった。

 さて、なでしこの話だと本来はここまでしか書いていないようなのだが――。

 ページを捲る。

 

 

 

【2022年3月20日】

 

 

 

「三月……!?」

 

「え、え? 三月って、今二月だよね」

 

 そこに書かれていた日付に驚く。三月って、一ヶ月先じゃん。

 まさかと思ってなでしこを見るけど、彼女は全力で首を振って否定した。よかった、妄想日記じゃなくて……。

 とりあえず、読んでみよう。

 

 

 

【2022年3月20日】

 

 今日は啓太様が志望した大学の合格発表日。K大学は難関な大学として有名なところだけど、啓太様はそこを見事一発で合格。流石は私の主様にして旦那様です!

 大学は自宅から比較的近い距離で、電車で約三十分で通える距離にあるとのこと。楽しい学校生活が送れるといいですね。

 そして、啓太様が大学に無事進学できたということは、いよいよ私たちも結婚することができるということ。

 その日が待ち遠しい……!

 

 

 

 うそ、あの大学入れたの俺!? この間、入試試験受けたばっかりで、正直合格率は半々で手応えも微妙だったんだけど!

 よかったぁ、という思いとともに、ということは日記に書いてある通り、いよいよなでしことようことの結婚かぁ。うわっ、すげぇ楽しみ!

 

 

 

【2022年3月23日】

 

 今日、結婚式の日程が決まった。式は五月十日。それも私とようこさんの同時結婚式。

 この提案をしたのは宗家で早いほうがいいだろうと、会場の手配や関係者の招待など手配をしてくれた。宗家には本当に頭が上がらない。

 ようこさんと同時に結婚式を挙げる。一番の親友と一緒に愛する人と式を挙げることができるなんて。私はすごい幸せ者だ。

 

 

 

「ようこさんと一緒に結婚式!?」

 

「うそ、なでしこも一緒なの!?」

 

 驚きの声を上げるなでしことようこ。そりゃ、二人同時に式を挙げるなんて聞いたことないから驚くよな。それとも一夫多妻が認められている海外ではあるのかな?

 あ、そういえば戸籍とかどうするんだろう。まあ仮名さんやお婆ちゃんが何か手を回しそうだけれど。

 

 

 

【2022年5月10日】

 

 今日、ついに私は啓太様の妻となった。ようやく、ようやく夫婦になることができたのだ。

 結婚初夜ということで啓太様も興奮されているのか、いつもより深く、そして熱く愛してもらい、私のお腹に命が宿ったと確信にも似た予感が過ぎった。

 もちろん検査をする必要があるけれど、私は間違いないと思う。

 啓太様との赤ちゃん。とても嬉しい……。

 啓太様と夫婦になれたその日に赤ちゃんを授かるなんて、なんて幸せなんだろうか。

 

 

 

「……赤ちゃん」

 

「赤ちゃん……」

 

「いいなぁ、なでしこ」

 

 顔が熱くてなでしこの方が見れません。

 この先も気になるところではあるけれど、ちょっと飛ばそう。日記の最後はいつなんだ?

 

 

 

【2024年7月22日】

 

 

 

 二年も先なのか……! 肝心の内容はどうなってるんだ!?

 

 

 

【2024年7月22日】

 

 世界各地で起こっている異変はついに日本でも発生した。

 横浜や大阪などは早くも壊滅してしまった。東京も尋常じゃない被害を受けているし、ここ吉日市でも異変が見られるようになった。

 ここも危ないかもしれない。啓太様は相変わらず様子が可笑しいままだし、私たちは一体どうなるのだろうか……。

 

 

 

 日記はここで終わっていた。

 

「……異変?」

 

 世界規模で異変が起きていて、それが日本でも発生した。吉日市も巻き込まれ、それが原因でこの現状なのか?

 それに、俺の様子が可笑しいって、どういうことだ?

 ダメだ、不可解な点が多すぎる。

 なでしこもまったく理解が追いついていないようで、難しい顔で首を傾げている。そんな中――。

 

「……あ、わたし分かったかも」

 

 唐突にようこがそんなことを言った。

 

「ほら、前にテレビでやってたやつあるじゃん。あれだよきっと! えっと、へー……へー」

 

「ようこさん?」

 

「へーなんちゃらせかいってやつ!」

 

 へーなんとかせかい? 平行世界?

 

「……平行世界のこと?」

 

「そう、それだよそれ! そのへーこー世界ってのじゃない?」

 

 顔を見合わせる俺となでしこ。地下の倉庫室にあった謎の階段と扉。僅かな時間で世界が変貌するほどの変化が生じたこと。そして、未来の内容が書かれたこの日記。確かに、ここが平行世界なら辻褄が合う。

 もし、ここが平行世界なら――。

 

「戻りましょう啓太様!」

 

「ん!」

 

 一も二もなく頷いた俺たちはあの扉があった山まで戻ることにした。念のためなでしこの日記だけ回収し、全力で駆け出す。

 山道を風のごとく駆け上がり、例の階段を駆け下りる。扉は……開いたままだ!

 扉を潜り抜け、その先にある不思議な研究施設のような場所を駆け抜ける。

 そして、入り口と思われる扉を抜けて、コンクリートの階段を駆け上がった。

 

「はっ、はっ……」

 

 いつしか息が上がっていた。このくらいの運動で息を切らすことがない俺がだ。思いのほか、精神的に追い詰められていたのかもしれない。

 ようやく長い階段を抜ける。果たしてそこは――。

 

「――戻って、きた?」

 

 駆け上がったその先は、整理整頓したばかりの見慣れた倉庫室だった。

 戻ってこれた、そう実感したのだろう。ようこもなでしこも大きく息をついた。

 

「はぁぁ~、よかったよぉぉぉ~~」

 

「ふぅ……、流石に色々あって疲れましたね」

 

「……だな。俺も疲れた……」

 

 だが、そうも言ってられない。なんで家の倉庫室が平行世界と繋がているのか知らんが、繋がりっぱなしっていうのは間違いなくやばいだろう。しかも扉は開いたままで閉める方法知らないし。まさかとは思うが一度開いたら開けっ放しなんてことはないよな?

 なにはともあれ、至急お婆ちゃんたちに連絡する必要があるな……。

 

 




 IFルートは全部で三話くらいになると思います。
 本来なら裏設定は明かさないんですが、このルートは三話で完結するので、すべて書いた後にあとがきで補足説明させていただきます。


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第■2話「侵■され■■界」

 

 

 なでしこたちを休ませてあげたいところだが、早急に動かなければならない。彼女たちには悪いが、もう少しだけ頑張ってもらおう。

 直ぐにはけと連絡を取る。ものの数分で白装束を着たはけがリビングに現れた。相変わらずフットワーク軽いっすね。今はすごくありがたい。

 はけにお婆ちゃんを大至急こっちに連れて来るようお願いをすると、驚いた表情を浮かべる。

 

「宗家を? 今からですか?」

 

「ん。今すぐ」

 

 訝しげに首を傾げていたはけだったが、俺たちの切羽詰った様子からただ事じゃないと悟ってくれたのだろう。真剣な顔で頷いてくれた。

 

「――分かりました。すぐにこちらへお連れいたします」

 

「頼んだ」

 

 静かに一礼すると虚空に消えるようにしてその場を去るはけ。それを見届けた俺は次いで仮名さんと連絡を取るべく、携帯電話を開いた。

 一昨日聞いた話だと今日は非番のはず。予定がなければいいけれど。

 二度コールが鳴ると電話が繋がる。

 

『もしもし』

 

「仮名さん。川平だけど」

 

『おお、川平か。どうした?』

 

「……大変なことが起こった。すぐこっちに来てほしい」

 

『大変なこと?』

 

「お婆ちゃんも呼んだから、みんな揃ったら説明する。とにかくヤバい」

 

 口じゃ説明し難いし、二度手間だ。みんな揃ってから改めて話したほうがいいだろう。

 それに直接見てもらうのが一番だ。

 

『……宗家もお呼びしたとなると、ただ事じゃなさそうだな。わかった、直ぐに向かおう』

 

「助かる。それと赤道斎いる? いたら連れてきてほしい」

 

 あいつがいれば何か分かるかもしれない、そう思い聞いてみたんのだが。

 

『赤道斎は不在だ。なんでも新たなロマンの予感がするとかで昨日旅立ったぞ』

 

 こんな時になに旅に出てるんだよアイツは! つっかえねぇぇぇ!

 いないものは仕方ない、仮名さんだけでも来てもらおう。

 

「……仕方ない。仮名さんだけでも来て」

 

『分かった。三十分ほどでそちらに到着する予定だ』

 

「了解。待ってる」

 

 おばあちゃんがこっちに来るのに、大体二時間くらいかな。全員集まるまで時間があるな。

 その間、少しだけ仮眠を取ろう。なでしことようこにもそう伝えると彼女たちも頷いた。やっぱり疲れてるよね。

 仮眠は一時間ずつ。最初になでしことようこ、次に俺という順番になった。

 

「んじゃあ、ちょっと寝てくるねぇ~……お休みぃぃぃ」

 

「すみません啓太様、お先に失礼しますね。お休みなさい」

 

「……うぃ。お休み」

 

 ようこがふらふらと自室へ向かっていくとなでしこもその後を追った。二人が二階へ向かうのを見届けた俺は革張りのソファーに背中を預け、大きく息をつく。

 それにしても、この短時間で色んなことがありすぎて精神的に疲れた。なんだよ平行世界とか。しかも家の地下から見つかるとか、あり得ないって。徳川の埋蔵金が見つかったほうが良かったわ。

 とりあえず、お婆ちゃんと仮名さんが来たら事情を説明して、その後その目で見てもらったほうがいいな。何気に【絶望の君】との最終決戦よりラスボス感あるんだけど、どういうこと? なんか決戦前夜みたいだし。そんなことないよね?

 その後、三十分経つと時間丁度に仮名さんがやってきた。本当に几帳面だよねこの人。

 

「来たぞ川平」

 

「……ん。ありがとう。お婆ちゃんはあと一時間ちょっと掛かると思う。来たら説明するから、それまで寛いでて」

 

「では、そうさせてもらおうかな。そういえばなでしこくんとようこくんが見えないが?」

 

 仮名さんにお茶を出す。なでしこやようこなら急須から淹れられるけど、俺は無理なんで作り置きで勘弁ね。

 

「なでしこたちは寝てる。俺もこの後少しだけ寝る予定。色々あって疲れた」

 

「そ、そうか。たしかにどことなく生気がない顔をしているな……。大丈夫か?」

 

 え、マジッすか? あー、厄介なもの見つけちゃったから責任感じてるのかね。わっかんね。

 

「……大丈夫。それに、仮名さんも何れこうなる」

 

 問答無用でな。

 

「ん? おいちょっと待て、それは一体どういう――」

 

「……お茶菓子持ってくる~」

 

「おい待て川平っ」

 

 あー、聞こえない聞こえないー。

 その後も仮名さんをからかって遊んでいると、一時間経ったのかようこたちが二階から降りてきた。うん、ちゃんと寝れたみたいだな。顔色もよくなってる。

 

「いらっしゃいませ仮名さん」

 

「あ、仮名さんだ。いらっしゃ~い」

 

「ああ、お邪魔しているよ」

 

 んじゃあ俺も寝てくるかね。あ、そうだ……!

 普通にベッドで寝るよりも確実に安眠が取れる方法が思い浮かんだ。ナイスアイディアだ俺!

 と、いうことで。なでしこー、枕になって~。

 

「えっ?」

 

 驚いた顔をするなでしこ。なでしこ枕希望!

 

「ええっと……ですけど、ここには仮名さんもいらっしゃいますし」

 

 なでしこは困惑した様子で俺と仮名さんを見比べる。

 

「コホン。あー、君たちは婚約者同士なのだから、別にいいのではないかね? 私が邪魔だというならしばらく席を外すが」

 

 出来る男の仮名さんは、空気を読むのにも長けていた!

 仮名さんがこう言ってるんだからいいじゃん。それになでしこの方が普通のベッドより気持ちよく寝れるんだし。

 

「……はぁ。もう、本当に困ったお方です。では、準備しますのでお二人とも目を瞑っていてください」

 

「うぃ」

 

「あ、ああ、枕ってそういうことか……。わかった」

 

 仮名さんと一緒に回れ右をする。後ろで衣擦れの音が聞こえ、パサッと衣服が落ちたのが分かった。

 そして、ぱしゅっと霊力が放出され、穏やかな風がリビングの中を吹き抜ける。

 背後を振り返ると、本来の姿である犬の化生に戻ったなでしこがそこにいた。美しい灰色の毛並みはふっさふっさで我が子を見守る母のような慈愛の篭った眼差し。しなやかな肢体だが、その実、全てを包み込む柔らかさを兼ねておりまるで外敵から身を挺して守る母の姿を幻視しそうで彼女に抱きつくとまさに母の腕の中にいるような安心感がある。いぬかみって犬の化生と聞いたけど、ぶっちゃけ犬の神なんじゃないかと本気で思うよマジで。ほら、漢字で書くと犬神だし。そうだよねきっと。じゃあなでしこたちは犬の神様なんだやっふー!

 眠りやすいように横たわったなでしこに早くも抱きつく。ああ、このもふもふ感がええんじゃあ~。ほんのり感じる体温といい、なんとも言えない安らぎが…………zzz……zzz……。

 

 

 

 1

 

 

 

「なんて姿勢で寝るんだ川平……」

 

 ケモノの姿に戻ったなでしこに抱きつき、そのまま眠りについてしまった啓太を見て苦笑する仮名。

 本性に戻ったなでしこは美しい毛並みを持つ艶やかな犬だ。約三メートルの体長は大型犬では納まりきれない大きさだ。絨毯の上に横たわり、そのお腹に啓太が抱きついた状態で眠っている。寄り添うように抱きつくのではなく、飛び掛るように手を伸ばした状態のため、Tの字のようにも見える。

 

「その状態でよく寝れるね、ケイタ……」

 

 ようこも苦笑いしている。彼女はそっと啓太の腕を外すと、優しく仰向けにしてなでしこのお腹に頭を乗せてあげた。次いで、しゅくちでタオルケットを引き寄せると啓太の体に掛けてあげる。なでしこのお腹を枕にして眠る。これが啓太お気に入りの“なでしこ枕”である。ちなみに亜種として“ようこ枕”も存在する。

 自分のお腹を枕代わりにしてすやすやと眠る主を優しい目で見つめるなでしこ。起こさないようにそっと舌で啓太の頬を舐めた。

 

「ごめんね仮名さん。ちょっと色々あって、ケイタ疲れてるの。少し眠らせてあげて」

 

 良妻っぷりを見せたようこは申し訳なさそうに仮名へ頭を下げた。それを見て仮名は慌てて手を振る。

 

「いや、構わないよ。川平の様子からただ事じゃなさそうなのは承知していたからな。刀自が来るまでゆっくり寝かせよう」

 

「うん」

 

 その後は最近の出来事など話したり、はけとようこで雑談をして過ごすこと一時間。ようやく宗家たちが到着した。なでしこの代わりにようこが出迎えに行く。

 

「お婆ちゃん、はけ! いらっしゃい!」

 

「おお、ようこ。久しぶりじゃな」

 

 元気なようこの姿に皺のある頬を緩める宗家。はけも穏やかな顔でようこを眺めていた。

 

「さ、入って入って!」

 

「うむ。ではお邪魔するぞい」

 

「失礼しますね」

 

 ようこに促されて家に上がる。リビングに促された二人は自分たちの他に仮名がいることに驚いた。啓太がこれまでに何度か宗家と仮名を家に招くことがあったが、いずれも非常事態と言っていい切羽詰った状況だったからだ。今回も面倒な事件に巻き込まれたのではと話を聞く前から疑うのも仕方ないだろう。

 

「仮名様」

 

 はけの声に顔を上げる仮名。

 

「おお、刀自にはけ。到着したんですね」

 

「うむ。仮名くんも呼ばれたようじゃな。啓太からは何か聞いているかの?」

 

「いえ。皆が集まってから説明するとのことです」

 

「なるほど。して、その啓太はどこじゃ? なでしこもいないようじゃが――」

 

「ああ、それなら――」

 

 首を傾げる宗主に苦笑した仮名が窓の方へ顔を向ける。

 そこには啓太の枕になっているなでしこが、なんとも言えない顔で宗主たちを見ていた。

 

「――ここです……」

 

 啓太を起こさないように小声で己の存在を知らせるなでしこ。犬神を枕にして眠る孫の姿に宗主は額に手を当てた。

 

「こやつめ……まったく、仕方のないやつじゃな。ほれ、起きんか啓太!」

 

「ん、んぅ…………あ、来たんだ。ふぁぁ、よく寝た……。ありがと、なでしこ」

 

「よく寝れたのならよかったです」

 

「……快眠だった」

 

 枕になってくれたなでしこを労い、彼女の頭をよしよしと撫でる。

 気持ちよさそうに目を細めて受け入れるなでしこだが、宗家は呆れたような顔をしていた。

 

「まったく。相変わらずじゃなお前は」

 

「……もち。さて」

 

 なでしこが着替えのためリビングから出る。啓太はざっと場を見回し、全員揃ったのを確認した。

 やがて人化したなでしこが戻ってくると、宗家が早速が本題に入った。

 

「それで? わしらを呼んだ理由を聞こうかの。仮名くんまで呼んだんじゃ。重大な話なんじゃろ?」

 

 宗家の言葉に全員の視線が啓太に集中する。緩んでいた気持ちを引き締めた啓太は重々しく頷いた。

 数時間前に起こった出来事を時系列順に語る。倉庫を整理していた時に壁の色が一部違うことに気がついたこと。試しに壊してみると、その奥からコンクリートで出来た階段があり延々と地下へ続いていたこと。その先には巨大な扉があり何故か啓太が触れると開いたこと。扉の先は研究所のような施設に繋がっていたこと。その先の退廃した世界のこと。なでしこの日記を見つけ、そこには未来の出来事が書かれていたこと。

 啓太が語った内容は正直、理解の範疇を超えるもので作り話のような荒唐無稽と言ってもいい話だった。よその人が聞けばふざけていると思われても仕方ないだろう。

 しかし、この場にいる者たちは啓太がそのような嘘や冗談を無意味に口にするような人間ではないと知っている。それになでしこも補足するように説明したり、ようこも真剣な表情で頷いているため、真実を語っているのだと理解した。

 全てを聞き終えた宗家が難しい顔で腕を組む。仮名もことの重大さを理解したようで一緒になって腕を組んだ。

 

「俄かには信じられない話ですが、これは……」

 

「ううむ、平行世界のぅ。俗にいうパラレルワールドというやつじゃな。流石のわしもそんな話聞いたこともないの」

 

「しかし、本当にそこが平行世界で今も繋がっているとなると大変な事態を招かねんぞ。下手をすれば世界同士が干渉し合って消滅するかもしれん」

 

「……ん。だからお婆ちゃんたちの意見も聞きたかった」

 

 そう言って啓太が取り出したのは向こうで回収してきたなでしこの日記。薄汚れたピンク色の日記帳だ。

 

「これがそうなのか?」

 

「ん。平行世界のなでしこがつけていた日記。未来のことが書かれている」

 

 仮名の言葉に頷く啓太。宗家が読んでもいいかとなでしこに尋ねると、彼女は真剣な顔で頷いた。

 

「では失礼して――」

 

 仮名がページを開き、周りに聞こえるように声に出して読む。許可を出したとはいえ自分の日記を音読で読まれる羞恥になでしこは顔を真っ赤にした。啓太とようこがそんな彼女を慰めるように頭を撫でる。

 初めは微笑ましい内容に仮名や宗家、はけも表情を柔らかくしていたが、未来の話になったあたりで顔つきが厳しくなる。仮名が読んでいるところは丁度、未来で異変が起き始めたと書かれたページだった。

 静けさに包まれるリビングの中、仮名の声だけが響き渡る。皆、真剣な顔で話を聞いていた。

 そして、最後のページを読み終える。しばしの沈黙が場に下りた。

 

「…………なるほどの。啓太が言うところの平行世界とやらをまだ見ておらんからまだ何とも言えんが、そちらではそのような異変があったのじゃな」

 

「しかし、世界規模の異変ですか。そんなことが……」

 

 宗家とはけが難しい顔で何かを考える。仮名は想像を絶する内容に絶句していた。

 日記に書かれていた内容によると、二〇二四年の四月十五日。この日、世界中で不可思議な現象が同時に観測されたらしい。

 初めに観測されたのはアメリカとロシアだった。首都のワシントンとモスクワが突如、謎の空間によって包まれた。その空間内にあったもの――建物や植物などはすべてモザイク状のブロックに変異してしまったらしい。この現象は空間そのものに作用するらしく、ブロックはその場に残り続け移動することが出来ない。つまりは研究所などに持ち帰り解析することが出来ないのだ。この謎の現象によりワシントンとモスクワは一夜にして滅んでしまったのだ。この一報は世界中に衝撃を与え、科学者たちはこの謎の現象を浸食現象、侵食された空間を浸食空間と名付けた。

 しかも、この現象の恐ろしいところは、人間や動物などの生物が被害にあった場合――浸食空間に取り残されてしまうと、それらはモザイク状のブロックにはならず、まったく未知の何かに変異するのだ。その未知の何かというのは実際に目にしていないからよく分からないが、なでしこの日記には生物のような形をした何からしい。

 ワシントンとモスクワで初めて観測されたのを切っ掛けに、世界中で浸食現象が多発。不思議なことにアメリカやロシア、中国、ドイツ、フランス、イギリスなど世界に影響を及ぼす国の首都では大規模な浸食現象が発生している。

 ある学者の話だと浸食されたブロックは現在の科学では解明できないようで、通常兵器でも破壊は困難。そのため、瞬く間に世界は混乱に陥り、世界中の人々がいつ発生するか分からない未知の現象に怯えた。しかし、その浸食現象以上に人々が恐れている存在が――。

 

「浸食体、か……」

 

 ぽつりと呟く仮名に、皆深刻な顔で押し黙る。

 そう、浸食現象に巻き込まれた人たちや動物が厄介なのだ。浸食体と名付けられた彼らは非常に攻撃的で他の生き物を見ると問答無用で襲い掛かってくるらしい。彼らの攻撃で傷を受けるとまるでウイルスに罹患するかのように被害者も同じ浸食体へと変貌してしまう。ネズミ算式で際限なく増えていくのだ。その上、彼らは恐ろしいほどに耐久力があり、通常の重火器では傷を負わせられない。対戦車ライフル並みの威力がある攻撃でようやく倒せるらしい。これを読んだとき思ったね。向こうの世界、完全にオワタ、と。

 

「ここに書かれている、啓太様の様子がおかしくなったというのも気になりますね」

 

 それな。向こうの俺に一体何が起きたし。

 日本で初めて観測された浸食現象は大阪と横浜だった。その時、向こうの俺は丁度横浜にいたらしい。幸いなことに現場と少し離れたところにいたらしく、浸食現象の餌食にはならないで済んだようだが、なでしこの日記ではこの日を境に様子がおかしくなったのだとか。

 血走った目でぶつぶつと独り言を呟いたり、突然錯乱して意味不明なことを叫んだりと。何度か病院に通って検査を受けたがどこにも異常は見られなかったらしい。日記を読むと即なでしこに定期的に病院に通うように懇願されたもの。

 

「確かに、この川平の様子も気になるところではあるな」

 

「錯乱するケイタなんて想像できないよ。一体何があったんだろう……」

 

「わかりませんが、相当なことが起きたのでしょうね。すでに異常な事態ですから」

 

 そう言う仮名、ようこ、なでしこ。

 

「……実際に見てみない分には何とも言えんが、そのような者が存在している世界と繫がっているとなると、本当に世界の危機だぞ」

 

 仮名の言葉に宗家が重々しく頷く。

 

「うむ、これは一刻を争う事態じゃな。啓太よ、すぐにその平行世界とやらに案内してくれ」

 

「ん」

 

 祖母の言葉に頷いた啓太は立ち上がり、皆を地下の倉庫室へ案内した。

 延々と続く階段を前に皆の顔が引き締まる。

 

「では、皆の衆。覚悟はよいな?」

 

 宗家の声に皆が頷く。それを見て宗家も重々しく頷いた。

 

「では行くぞっ」

 

 

 

 2

 

 

 

 お婆ちゃんたちを先導する形で再び長い階段を下っていく。ようこが照らしてくれる火が唯一の光源だ。

 

「……ここが、話にあった研究所か。確かに研究施設のように見えるの」

 

「施設全体が脆くなっていますね。どの機器も損傷が激しい」

 

 開けっ放しになっている扉を超えて研究所エリアに突入する。話には聞いていたが、階段の先に未知の研究施設があって皆驚いているようだ。崩れ落ちそうな天井や床、壁などに注意しながら進む。広い施設で一見すると迷いそうな感じがするけど、意外と通れる場所って少ないんだよね。瓦礫で道が塞がっていたり、床が抜け落ちていたりしていて。

 ほぼ一方通行の研究施設を進んでいくと出口が見えてきた。ここも扉が開いたままだ。

 

「……この先。ここも同じくらいの距離」

 

 予めこの階段がどのくらいの距離なのか伝えておく。知っていると知らないとじゃ全然違うからな。

 

「わしもまだまだ現役なんじゃが、やはり歳には勝てんのぅ……。さすがに体力が持たんわい」

 

「無理はなさらないでくださいよ」

 

 降りるのは大丈夫だったお婆ちゃんも流石に上りはきついようで、はけにおぶってもらっている。ここまで自分の足で来れるだけでも十分すごいと思うよ。もうすぐ九十だよね?

 それでも年寄りと思われたくないのか「わしはまだまだ現役じゃからな?」としつこく口にしていた。

 そんな祖母の姿に苦笑しながら階段を上ること約十五分。出口に差し込む光が見えてきた。

 

「ついたようだな」

 

「ん。ここが平行世界の吉日市」

 

 仮名さんと言葉を交わしながら出口に向かう。

 そして――。

 

「……え?」

 

 山の一部に出た俺たちであるが、そこから見える光景に思わずそんな声が出た。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 仮名さんが絶句する。その隣ではけの背中から降りたお婆ちゃんも、目の前に広がる光景に目を大きく見開いていた。あの冷静沈着なはけでさえ大きく息を呑んでいる。

 一度来ている俺たちでさえ言葉がない。なんだよ……なんだよ、これ……!

 

「ここが、平行世界……」

 

 緑は枯れ果て、多くの建物が倒壊し崩壊していた敗退の世界。その、およそ半分以上が浸食現象によりモザイク状のブロックへと変質していた。

 三分の二以上がモザイク状のブロックとなったビル。屋根だけがモザイク状のブロックになった民家。地面も、なにもない空間も、そして空でさえ、所々が浸食現象によりモザイク状のブロックに変異してしまっている。

 まさに世界が終わろうとしてるかのような、そんな光景。ゾッと背筋に冷たいものが走った。

 俺たちが元の世界に帰ってからまだ二時間ちょっとしか経過していないのに、もうここまで浸食されたっていうのかよ……! 明日には世界のすべてが浸食されたと言われてもおかしくないぞ!

 

「……啓太、お前が来たときは浸食現象とやらは見られなかったんだね?」

 

 お婆ちゃんの言葉に頷く。俺たちが最初に来た時は退廃してはいたものの、どこにも侵食空間は見られなかった。祖母は厳しい顔で沈黙するなか、はけが鋭い視線をとある方向へ向ける。遅れて、俺もその気配を感じた。

 

「皆、隠れてくださいっ」

 

 はけの言葉に全員が物陰に隠れる。そっと顔を覗かせると、そこには人の形をしたナニかが徘徊していた。

 

「なんだ、あれは……」

 

 困惑した声を漏らす仮名さん。その人型は全体的に黒く、赤い筋のようなものが体の所々を毛細血管のように張り巡っている。体長は三メートルほどで、手足が異様に長く手のひらが大きい。妖ではないだろう。というか、生物なのかあれは?

 生き物の理から外れたような、明らかに異質な空気を纏っている。そいつは牛歩のような速度でのったらのったらと歩いていた。俺たちには気が付いていないようだ。

 

「啓太様、もしかするとアレが浸食体というのでは?」

 

「……だと思う」

 

 十中八九そうだろう。浸食現象に巻き込まれるとああいう風になるのか……。

 

「無闇な戦闘は避けたほうがよいじゃろう。日記に記述してある通りであればアレに手傷を負わされたらお終いじゃ」

 

 そうだな。自ら危険に飛び込まなくてもいいだろう。全員同じ意見なのか異論はなかった。

 しばらく物陰に隠れて浸食体が去るのを待つ。やがて人型のソレは視界から消えていった。

 もしあれが跋扈しているとなると、地上は危険だ。ここは空から行った方がいいな。そう提案するとお婆ちゃんやはけも頷く。

 

「そうじゃな。気づかれる可能性はあるが、地上を歩くよりは安全じゃろう」

 

「では」

 

 はけが本性に戻り、ケモノの姿になる。はけのその姿は久しぶりに見たな。基本、化生に戻った犬神は皆似たような姿をしているが、それでも差異というものはある。主くらいでないと気が付かないくらい些細な点だけれど。はけは透き通った灰色の毛並みが特徴的で、なでしこは全体的に女性的な柔らかい印象があるといった感じだ。

 はけの背に乗るお婆ちゃん。そういえば、はけ服着たまま戻ったけど、大丈夫なんか? なに、霊力で出来てる? なにそれ初耳なんだけど。

 俺はなでしこ、仮名さんはようこに乗せてもらうことになった。

 一先ず目をつむり、着替えるのを待つ。いいですよと声が掛かり目を開けると、美しい灰色の毛並みを持つなでしこと金色の毛色のようこがケモノ姿でお座りしていた。

 早速それぞれの背中に乗る。

 

「では、行きますよっ」

 

 はけに続いてなでしこ、そしてようこが飛び立った。徐々に高度を上げていき、やがて高層マンション並みの高さまで上る。

 空から見下ろすと、吉日市の状態がよく分かる。

 

「これは酷いな……」

 

「話には聞いておったが、ここまでとは……」

 

 仮名さんとお婆ちゃんが痛ましそうにつぶやく。俺もまったくの同感だ。

 まるで大災害が起きた後のような有様なのにその上、浸食現象というわけの分からない現象のせいで混沌と化している。空から見下ろすとよく分かるが、地上には十数体ほどの浸食体がうろついていた。見下ろす限りでは人の姿は見られない。家の中に隠れているのか、それともここからすでに避難しているのか。

 

「あれが啓太様のご自宅ですね。確かに酷い有り様だ……」

 

 はけの言葉に視線を下げる。丁度、俺の家の上空を通過したところだった。幸いと言っていいか分からないが、浸食現象の餌食にはなっていない様子。改めて倒壊した自分の家を見ると、こう胸にくるものがあるな……。

 

「……一度、わしの家に向かおう。こちらの世界のわしらが現在どうなっているのか分からんが、この目で確かめねばならん」

 

 お婆ちゃんの提案に頷く。こっちの皆はどうなっているのか心配だ。

 静岡の実家へ向かおうとする。その時、一瞬、気になる光景が視界に過った。

 

「――っ! ちょっと待つ!」

 

 咄嗟にそう呼びかけると先頭を飛んでいたはけがその場に留まった。

 

「む? どうしたんじゃ?」

 

「啓太様?」

 

 なでしこの訝し気な声。俺は目を凝らし、視界に映ったその場所をジッと見つめる。

 ――うん、恐らく間違いない。

 

「なでしこ、あそこに寄って」

 

 指で示す方向をなでしこたちも見る。街の外れにある広い敷地の場所。上空からだと小さな点がまばらに散りばめられている。

 

「あそこは……?」

 

 なでしこの問いに、俺は呟くような声量でこう答えた。

 

「……おそらく、墓地」

 

 街外れというのもあってか、浸食体の姿は確認されなかったため一度地上に降りた。

 広い空き地。学校のグランドほどのスペースがあるそこには、十字に組まれた木の枝が地面に立てられていた。広い空き地の一面に、ずらりと。その数は優に三百を超えている。

 それは、明らかに墓標だった。十字架を模して造られた木の枝が等間隔で地面に立てられている。遺体を地面に埋めて、十字架の代わりに木の枝で組んだ墓標を立てた、即席の墓地。

 それが、校庭のグランドほどのスペースがある空間を埋め尽くしているのだ。あまりの凄惨な光景に皆の言葉が失われる。

 

「これほどの死者が出たというのか……」

 

 消え入りそうな声でそう呟く仮名さん。

 なでしこやようこは痛ましそうな顔で視線を反らした。

 お婆ちゃんとはけは真っ直ぐ墓地を見つめている。まるで、これが現実なんだと受け止めるように。

 そして、俺は――。

 

「……? 啓太様?」

 

 ふらふらと歩き出した俺の跡をなでしこたちが追ってくる。

 覚束ない足取りで歩み寄った先には一つの風変りな墓標が立っていた。木の枝で作られた墓標に紛れて、ここだけ一緒に刀が地面に突き刺さっているのだ。

 

「刀? ここの人の持ち物だろうか?」

 

 訝し気な顔で呟く仮名さん。なでしこが何かに気が付いたように大きく目を見開いた。

 

「も、もしかして、その刀は……っ」

 

 その刀から感じる霊力。それは紛れもなく、俺自身のものだった。

 墓標にはこんな文字が刻まれている。

 

【川平啓太、ここに眠る】

 

「ケイタの、お墓……」

 

 どうやら、この世界の俺はこの下で眠っているらしい。

 

「――あぁ……」

 

「しっかりなさいなでしこっ」

 

 ふらっとなでしこの巨体がふらつき、その体をはけが自分の体で支える。ようこが泣きそうな声で言った。

 

「うそ……。こっちのケイタ、死んじゃったの……?」

 

「――どうやら、亡くなったのは啓太だけではないようじゃぞ」

 

 お婆ちゃんの声に振り向く。厳しい表情の祖母は顎で隣の墓標を見るように促した。

 無言の催促に俺たちは隣に立つ墓標を見る。

 そこには――。

 

「……っ! 私の名前……」

 

「うそ、私のお墓まであるの……!?」

 

 なでしことようこの墓標が並んでいた。

 あの世でも家族三人でいられるようにと、そう願うように。

 

 



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■■■話「■■る■■」


IFルートラスト。
二話目を投稿してましたw


 

 

 平行世界の俺となでしこ、そしてようこが亡くなっていたという事実に衝撃を隠せない。墓標という目に見える形で現実を突きつけられ、その場に重い空気が流れた。

 平行世界のこととはいえ、俺たちが死ぬなんて。なんとも言えない気持ち悪さを感じる……。

 

「…………いつまでもここに居てもしかたあるまい。行くぞい」

 

 お婆ちゃんの言葉に皆無言のまま頷いた。嫌な空気を引きずりながら再び空を行く。

 今度こそお婆ちゃんの家に向かうのだ。

 

「それにしても、本当に酷い光景だな……」

 

 仮名さんの言う通り、見渡す限り一つも緑が無い。現代での建造物の多くにはコンクリートが使用されている。そのため、コンクリートの欠片や土砂などが風に乗って飛ばされている。まるで海外で見かけるような荒野のように砂埃がすごい。こんな環境じゃ生きにくいだろうな。

 そして、侵食現象がいたるところで発生しているのがわかった。道路や建物、森、地面などところどころがモザイク上のブロックに変質してしまっており、何も無い空間や空にまで波及している。まさに世界規模の虫食いだ。

 上から見下ろすと広範囲に亘って侵食体が生息しているのもよくわかる。同じ侵食体同士では争わないのか、何をすることもなくその辺をうろついているだけだが。

 こうして見ると色々な固体がいるんだな。人のような形をしたものもいれば犬のような形をしたものもいるし、中には円盤に足がついたようなものや、正方形のようなものもいた。共通点としては全体的に真っ黒であり、赤い筋が体の一部に張り巡らされている。

 いくつか山を越え、侵食空間を避けながら空を飛び続けること十分弱。お婆ちゃんの家が見えてきた。

 

「――予想はしておったが、こりゃ酷いのお……」

 

 お婆ちゃんの家は大きな武家屋敷だ。立派な佇まいで、幼少の頃住んでいた俺も強い思い入れがある実家。

 そんな大切な思い出が詰まった家が丸ごと侵食空間になっていた。数百メートルに亘ってドーム上のブロックが、本来あった家を飲み込んでしまっている。

 平行世界とはいえ変わり果てた家の姿。さらにはその裏手にある俺たち川平家にとって馴染み深い山――通称犬神の山も枯れて、山肌がむき出しになっていた。生物の気配は、まるでない。

 実家には必ず誰か人がいたし、犬神の山もそこに住む犬神や動物たちの気配があったのに、生命の息吹がまるで感じられない。 

 

『……』

 

 これにははけたちも堪えたようで沈痛な面持ちで、自分たちが暮らしていた山を見下ろしている。

 しばし、上空から無残に変わり果てた光景を眺めていた俺たちであったが、お婆ちゃんが消え入りそうな声量で呟いた。

 

「皆の者、今すぐこの場を去るぞい。今後、この世界に足を踏み入れることまかりならん」

 

「……そうですね。私たちの世界にどのような影響を与えるか検討もつきません。もう少し探索したいところではありますが、深入りは危険でしょう」

 

 お婆ちゃんとはけの言葉に頷く。すでに侵食空間が拡大しているのだから、これ以上ここに留まるのは危ない。

 それは皆、同じ意見なのだろう。全員神妙な顔で頷いた。

 そうして来た道を引き返す俺たちであったが――。

 

「くそっ、空を飛ぶタイプのやつもいるのか!」

 

 道中、鳥型の侵食体に見つかってしまった。渡り鳥のような外見だが、この侵食体もやはり全身真っ黒で、血管のような赤い筋が頭の側面から腹部にかけて張り巡っていた。この侵食体は群れで行動するタイプのようで、無数の仲間とともに統一された動きで追ってくる。群れは大体、三十体ほどか。

 

「……皆、迎撃する!」

 

「うむ!」

 

「はい!」

 

 お婆ちゃんとはけが左に、俺たちは右に進路を変えた。二手に分かれてやつらを分散させればやり易くなるだろう。

 狙い通り、侵食体たちは二手に分かれて追ってきた。

 

「ようこ」

 

「うん!」

 

 ようこが反転し、特大の炎を見舞う。直系一メートルほどの炎の塊を次々と生み出しては打ち出した。

 炎の砲撃は侵食体に直撃し、その身を燃やしていく。しかし、これで終わりではない。

 

「なでしこ」

 

「天津風よ!」

 

 なでしこの霊力が風を生み出す。突風となったそれは渦を巻き始め、侵食体を飲み込んだ。ようこの炎と絡み合い灼熱の竜巻へと変わる。

 炎の竜巻に身を焼かれていく侵食体は一体、また一体と地面に落ちていく。

 

「よし」

 

 俺たちのほうに向かってきたのは全滅した。お婆ちゃんの方はというと――。

 

「終わったようじゃな」

 

「……さすが」

 

 すでに倒した後だったようね。さすがは川平最強。まだまだ現役だな。

 

「まずいぞ川平。先の戦いで地上にいるやつらが気付き始めた」

 

「……マジか」

 

 仮名さんの言葉に俺も下を見てみる。確かに地上にいる侵食体がわらわらと俺たちの元に集まってきているのが見えた。飛べないようだけれど、すぐに移動したほうがいいな。

 お婆ちゃんたちと頷き合い、すぐにその場を離れる。

 しかし、元の世界に戻ってもこの世界と繋がっていては駄目だよな。もちろん通路は塞ぐけれど世界が繋がっているようじゃ意味がないし。なんとかして、あの扉を閉じないと。

 山を越え、空を飛ぶこと数十分。再び吉日市に戻ってきた。ここに来た数十分の間でも、侵食空間が拡大してきている。すでに吉日市内はブロックで埋め尽くされており、いつこの山にも侵食現象が発生するかわからない状況だ。

 

「急ぐのじゃ!」

 

 焦燥感に駆られながら山に降り立つと、急いで階段がある場所へ向かう。

 

「……っ! くそっ、こんな時に!」

 

 すると、行く手を塞ぐように一体の侵食体が俺たちの前に現れた。手足が長い人型の侵食体。こいつは、俺たちが始めて遭遇した侵食体か! あれからずっと山の中をうろついていたのか。扉へ続く階段はもう目の前だっていうのに!

 致し方ない、リスクはあるが強行突破するか! そう考えて刀を創造し構える。仮名さんもホーリー・ブレイドを構えた。

 

『……』

 

 しかし、そいつはただボーっとそこに突っ立っているだけで動かない。なでしこの未来日記だと生物を見かければ問答無用で襲ってくると書いてあったのだけれど。ここにくる途中で見かけた侵食体も、俺たちを見るやこっちにやって来たし。

 もしかして、見えてないのか? のっぺらぼうというか、顔がないから見えていない?

 もしそうなら、戦闘を避けて通ることができるかも。お婆ちゃんたちに音を立てないようにジェスチャーを送り、そろそろと迂回しながらゆっくり歩く。耳が聞こえるかどうかはわからないが、念のため足音を立てないように。

 侵食体の背後に回った。後もう少しで抜けることができる、と思ったその時――。

 

『――かわひら、けいた……』

 

 ぐるんと振り返った侵食体が俺の名前を口にした。

 こいつ、喋るのかよ!

 

「……っ」

 

 喋ると思っていなかったし、まさか名前まで呼ばれるとは思わなかった。思わず声を漏らしそうになる俺たちだが、その侵食体は体の向きを変えただけでその場を動かない。

 驚き固まる俺たちだが、そいつは擦れたような声で再び俺の名前を口にした。

 

『かわひら、けいた……』

 

 こいつは、俺を知っているのか? となると、もしかして俺の知り合いだった人?

 警戒するなでしこたちを手で制しながら、意を決して話しかけてみる。

 

「……誰?」

 

 しかし、そいつは俺の言葉が聞こえていないのか。独白するように呟いた。

 

『……忘れる、な』

 

「……?」

 

『その、物語の、主人公は、お前、だ。かわひら、けいた。お前が、主人公だ……』

 

 何を言ってるんだこいつは?

 何が言いたいのか理解できず困惑する俺たちだが、そいつは構わず言葉を続ける。

 

『お前が、主人公で、なければ……ならない、のだ。忘れるな。で、ないと……そっちも、同じ、ことになる』

 

「……お主は一体何者なのじゃ?」

 

 お婆ちゃんがそう問いかけるが、やはりそいつは何も答えない。

 そして――。

 

『もう、ここには、来る、な』

 

 それだけ言い残し、そいつは去っていった。

 最後までよくわからない奴だったな。何か忠告をしてくれたみたいだったけど。俺が主人公? なんの? 駄目だ意味わからん。

 俺もおばあちゃんも仮名さんも首を傾げるなか、なでしことようこの様子がおかしいことに気がついた。目を大きく見開き、さっきまで侵食体が立っていた場所を見つめている。

 

「……どうした?」

 

「う、うん。あの子なんだけど……ちょっとだけだけど、ケイタの匂いがしたの」

 

「俺の?」

 

「うん。でも本当に微かだったから、もしかしたら勘違いかもしれない」

 

 自分でそう言いつつも、その言葉を信じていないような表情を浮かべるなでしこ。おいおい、それって――。

 

「いえ、勘違いではないと思います。私も、ようこさんと同じく、あの侵食体から啓太様と同じ匂いを感じました……」

 

 マジか。だとすると……いや、でも……ああ、もう! わけ分からん!

 色々と分からないことだらけだが、一旦それは脇に置いてとにかく今は先を急ごう!

 特殊な術式を彫った刀――爆心刀を創造し、それを等間隔で天井に突き刺しながら階段を下っていく。

 やがて見えてきた研究施設の出入り口。さて、問題はここの扉だな。どうやって閉じればいいのか。

 ボタンでもあればな、と思いながらペチペチと扉に隣接した壁を叩いた時だった。

 

 ――ゴゴゴゴゴゴゴッ!

 

 

 うおっ、マジかよ!

 重たい音を伴いながら徐々に持ち上がっていた扉が下りていく!

 もしかして俺が触ればそれでいいんか!?

 

「急げ!」

 

 扉が閉まりきる前に潜り抜ける。全員潜り抜けたところで地響きとともに扉が閉まった。間一髪だ……。

 

「どうやら啓太が扉の鍵になっているようじゃな」

 

「……解せぬ」

 

 本当に解せぬ。

 しかし、扉の閉め方が分かったのは幸いだった。

 研究所を駆け抜けて、元の世界に存在していた扉も同様に触れるだけで閉じた。

 倉庫室からリビングに戻る。軽く外を見たが、侵食現象や空間は見当たらない。どうやら俺たちが不在の間こっちの世界には影響を及ぼさなかったようだ。その点では安心した。

 リビングに戻り一息つく。やっぱりあっちの世界に行くとドッと疲れるわ。

 

「……分かっているとは思うが、今回の件はわしらの胸の内に秘めておくのじゃぞ」

 

 そりゃ当然ですわ。平行世界の存在が他所に知られたらどうなることやら。こればかりは本当に想像もつかないが唯一つだけ、絶対碌なことにはならないことだけは分かっている。

 

「はぁ、寿命が十年は縮まったわい」

 

 ごめんねお婆ちゃん。今日はゆっくりしていって頂戴。仮名さんもね。

 

 

 

 1

 

 

 

 翌日、念のため俺はあの世界がどうなったのか確認するべく、再び地価に降りて閉じた扉を今一度開けてみた。

 

「……」

 

 扉の先はあの廃棄された研究所のような施設ではなく、コンクリートの壁で覆われていただけだった。

 もしかしたら、あの世界は消えてしまったのかもしれない。だから、扉の先はどこにも繋がっていないのかも。

 なんにせよ、これで今回の一件に区切りがついたと見ていいだろう。扉を閉めてようやく安堵の吐息を零したのだった。

 

 




 ちょっと書いていてアンニュイな気分になりました。
 明日の零時に今年最後の更新をします。今度は本編です。
 それと、今回のIFルートの説明(設定?)をあとがきの方でします。もし興味があればご覧ください。


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第一部
第一話「転生」


 

 

「ぴゃえっ!?」

 

 バチンッ! となにかのスイッチが入ったかのような、とても重くて大きな音が頭の中で響いた。

 それと同時に膨大な量の情報が頭痛となって襲ってくる。

 頭痛に耐え切れなかったのか、知らず知らず泣き喚いたら意識がフェードアウトしていくのを感じた。

 意識が途切れる寸前に感じたのは、やけに自分の声が高いなということであった。

 

 

 

 1

 

 

 ――夢の中、なのだろう。

 気がついたら白い何もない空間に漂っていた。

 右も左も上も下もなにもない。

 なにこれと首をかしげていると、唐突に目の前に大きなスクリーンが映し出された。

 そこでは知らない男の一生が描かれていた。

 ここではないどこか。見覚えのない顔の男。まるで映画のフィルムのようにコマ送りとなって情景が次々と変わっていく。

 それに呼応するかのように、自身の中に着々と知識と記憶が築かれていくのを感じた。

 この映像によく出ている人物は恐らく自分なのだろう。それも得た知識――蘇った知識によると『前世の』という単語が頭につくが。

 前世の自分はよくわからない人物だった。それが自分だというのは直感で理解したが、肝心の名前や家族構成、育った環境、仕事内容など自身に関する情報の八割近くが抜けていた。

 蓄積していく記憶は前世の自分に関するものを取り除いたものばかり。それは歴史の内容だったり、どこぞの店の料理が美味しいだったり、戦闘技術だったり、どこかの機密情報だったりと色々だ。

 ぼへー、と呆けながら目の前のスクリーンを眺めていると、プツンと画面が途切れた。それと同時に間欠泉のようにボコボコと沸き上がっていた前世の記憶の方も終着を見せていた。どうやらインストールは完了したらしい。

 再び意識が遠のき始める。

 夢の中で意識を失うとは、これいかに?

 

 

 

 2

 

 

 

 目が覚めた。おはようございます。

 夢の中での出来事はきちんと覚えている。前世と思わしき記憶と情報の数々もしっかりと覚えている。

 うーむ、どうやら俺は本当に二度目の生を受けたようだ。だって俺いま赤子だし。

 ちっちゃな手の平サイズのミニハンドを眺めそう結論付ける。

 すると、俺の視界に突如、ぬぅっと大きな顔が割り込んできた。

 

「啓太、大丈夫かい?」

 

 眉をハの字にして心配そうに声を掛けてきたのは今世の祖母だった。その後ろにはひっそりと佇むナイスガイな偉丈夫がいる。

 俺、川平啓太はとりあえず大丈夫だとアピールするため、ベビーベッドから祖母に向けて両手を振った。

 

「あうあうあ~」

 

「おお、よしよし。その様子だと大丈夫そうだね。いきなり大声で泣き出したときはビックリしたよ」

 

「おむつは濡れていませんし、お腹が空いたのでしょうか」

 

「そうかもしれないね。どれ、ご飯を持ってこようかね」

 

「では私は啓太様を見ています」

 

 ナイスガイな青年はその場に残り、祖母は部屋をあとにした。

 

「啓太様、失礼します」

 

 一言断ってから青年は手を伸ばし俺を抱き上げる。こんな赤子にまで敬語を使うとは、この青年かなり生真面目だな。

 というか、この青年の名前はなんて言うんだろう。いつまでも青年じゃ青年が可愛そうだし。

 祖母がよく口にしていた記憶はあるんだが、なんだったか。喉まで出掛かっているんだけど。

 確か『は』から始まって二、三文字の名前だったような……。

 

「は、は……」

 

「……? どうしました啓太様?」

 

「は……はふー」

 

 ダメだ分からん。すまんな青年。君は青年だ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。どうでもよくはいいが現状打開策がないのだから仕方ない。

 改めて青年を見やる。

 結構大きい。身長一八〇近くはあるんじゃないだろうか。それでいて美形だ。イケメンだ。

 濃紫色の髪は右目を隠すほどの長さがあり、露出している目はとても涼しげである。

 声もバリトンが聞いていてとても耳に良い。子宮に響く声とはこういうものなのだろうか。まあ俺男だからわからないけど。

 白を基調にした着物がとてもよく似合っている。

 以上の点から、彼はとても女性にモテるだろうと推測できる。なんとも妬ましいことだ。イケメン爆ぜろ!

 

「ど、どうしましたか? なにか睨んでいるような……」

 

 困惑した様子の青年に正気を取り戻す。

 ――落ち着け俺。赤子が殺意を帯びた目をするべきではない。be coolだ。赤子は純真無垢であるべきなんだ。

 祖母の顔を思い浮かべた。なぜか胸がほっこりした。

 

 

 



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第二話「鍛錬(笑)」

 ご指摘を受けまして、以下の内容を修正しました。
・3歳で歩けるようになるのを1歳半に修正。
・それに伴い、歩けるようになった当時の様子を追加。
・身体のスペックを上方修正。
・発音を修正。


 

 皆さま、こんにちは。相変わらず前世の名前が思い出せない川平啓太です。

 おかげ様ですくすくと育ちまして、ただ今一歳半でございます。

 さて、前世の記憶が戻ってからの話をざっくりと説明しましょうかね。

 まず、俺が最初にしたのは自身を取り巻く環境の確認だった。

 家族構成から始まり、両親の職業、川平家について、度々耳にする犬神についてなどなど。

 

 家族構成は両親に祖母の三人。だが、両親は俺が生まれて間もない頃に海外へ向かったらしい。父の仕事に母がついていったのだとか。帰国予定は不明とのこと。

 これって軽く育児放棄じゃね?と思ったのが両親に感じた第一印象。実家に預ければいいとでも思ったのだろう。

 なので、今世の両親の顔は祖母に見せてもらった写真越しでしか知らない。

 不思議とこの両親に対しては何も思うところはなかった。もっと構って欲しかっただとか、両親の愛情を感じたかっただとかそういった感情は一切なく、あったのは驚くまでの無関心。

 むしろ感じた俺がビックリするくらい関心が沸かなかった。写真を見ても「ふーん」の一言で終わり、お婆ちゃんとはけは人知れず涙した。その意味までは分からないが。

 次に両親の職業。これは川平家に関わる話で、ぶっちゃけていえば退魔師の家系らしい。古くから犬神という犬の化生を使役して破邪顕正の下、人にあだなす魔を祓う。

 んで、犬神というのは前世で知られる犬神とは違い、人の姿をとることも出来る巨大な犬の化生。川平家が掲げる破邪顕正に深く共感し、当家と盟友関係にあるのだとか。

 犬神の存在を知った俺の反応は「イヌミミ娘キター!(心の雄叫び)」だったが、はけという実物を見てリアルで膝を突くことになる。なにせ彼、イヌミミがないんだもん。

 今世初の挫折はそんなどうしようもない内容だったが、数分後には立ち直った。精神年齢およそ二十代後半を舐めんな!

 ちなみに我が家、川平本家は武家屋敷のような和風家屋だ。まだ一人で出歩けないので、家の全貌は明らかになっていないが、はけに抱き上げられて外から見た感想は「超デケェ!」だった。

 

 ……まあいい。話が脱線してしまったから戻そうか。

 そして、次に確認したのが前世の情報と今世の情報の齟齬を調べることだった。

 現在は二○××年。日本であることから前世の歴史と共通している部分があるのではと思い、レッツ情報収集。

 お婆ちゃんの犬神であるハケ――あのナイスガイなイケメン偉丈夫――におねだりして資料室に突撃。身長的な問題で本棚に手が届かなかったのでハケに手伝ってもらい片っ端から本を開いていった。

 結果、分かったことといえば共通している点もあれば違う点もあるということ。大きな歴史の流れは前世の頃と変わりはないが、細かなところで相違点があった。歴代の総理大臣とか大災害があった日付けや内容とか。

 アメリカ合衆国の大統領が今年になってオーバーマン大統領になったと聞いて、耳を疑い、テレビで見て確信する。

 ここは平行世界、パラレルワールドなのだと!

 だってあのオバマの顔で名前がオーバーマンとか、もうそれしかないでしょ。

 この結論に至ったとき、なぜか胸の内がすごくすっきりしたのを覚えている。

 ……それはさておき、なんの話だったか。ああ、そうだ。前世と今世の知識の差異だったな。

 

 でだ、あらかた情報を収集し終え、ここがパラレルワールドだと当たりをつけた俺が次に始めたのは将来を見据えての鍛錬だった。

 川平の家系が退魔を生業とするのはこの一年でいやというほど分かった。日常会話で除霊云々だとか、どこぞの悪霊がうんたらかんたらだとか仕事の話が頻繁に飛び交う。まあ、これも俺が四六時中祖母やはけと一緒にいるからだろうが。

 将来的に俺も川平の一員としてこの退魔の世界に浸かるのだろう。犬神使いとやらになるのが一番現実的か。

 というわけで俺も近い将来荒事に身を置きそうなので、今から鍛えて有事に備えようというわけだ。鍛え方などは前世の謎知識があるため問題ない。本当なんなんだろうな、この知識……。

 とはいえ、俺もまだ一歳半。流石にそんな激しい運動は……やろうと思えば出来るが、将来のマイボディに影響を及ぼすので自重する。

 このマイボディかなりのスペックを秘めているらしくすでに結構な速さで走ることすらできる。だが、流石にそれは早熟では片付けられないので周囲にはようやく歩けるようになったレベルと認識してもらっている。

 お婆ちゃんの目の前でいきなり走り出したらあの人も驚くだろう。歳が歳なのだから心臓にいらぬ負担を掛けたくないし。はけは恐らく絶句を通り越して気絶すると思う。あの犬神なんか気炎を上げて俺の育児に取り掛かるからな。気に入られているのかすごい猫可愛がりしてくるし。

 ちなみに歩けるようになった当時のお婆ちゃんたちの反応ときたら、まあ凄くて凄くて。

 当時を簡単に振り返ると。

 

『……おばあ、みえ』

 

『うん? どうした、けい、た』

 

 お婆ちゃんに向かって、てとてと。

 

『あうけるようになった。……おばあ?』

 

『……はけぇぇぇぇ! 啓太が、啓太がーーーー!!』

 

『どうされました主ッ! ……っ!?』

 

『あ、はげ』

 

 に向かって、てとてと。

 

『……はぅ』

 

『はけ、失神するな! 啓太の一大事じゃぞ! 失神しとる場合か! おお、啓太や。もう歩けるようになったんじゃな』

 

 今日は宴会じゃー! とテンション高げに騒ぐお婆ちゃんと未だに目を回す。

 そんなカオスのような光景が広がったのだった。

 なので鍛錬は祖母たちが寝静まってからそっと部屋を抜け出して裏庭で行っている。気配を消す鍛錬にも繋がり一石二鳥だ。

 そして、今日も俺は鍛錬に精を出す。

 

 

 1

 

 

「んしょ……んしょ……」

 

 時刻は深夜一時。昼間は色んな人が出入りしていた川平家も今では虫の声が聞こえるほどシンと静まり返っている。

 俺は祖母と同じ部屋を使っているため、まず彼女を起こさないようにベビーベッドから抜け出すことから始まる。言わば第一の試練だ。

 柵をよじ登り慎重に降りる。

 チラッとお婆ちゃんの方を見ると豪快にいびきをかいて寝ていた。惚れ惚れする眠りっぷりだ。とても七十代の眠り方とは思えない。

 しかし油断は禁物。そんなお婆ちゃんだが彼女は川平最強とまで言われているらしい。小さな気配を察知してもおかしくない。

 そろりそろりと祖母の前を通り襖をそっと開ける。

 …………。

 うん、問題ない。

 ささっと出る。さて、ここからが問題だ。

 第二の試練、はけである。

 彼は犬神であり普段は祖母の側に控えているが、就寝の際は別の部屋で眠るらしい。主大好き青年が何故別々の部屋で眠るかは知らないが、これが一番の問題なのだ。

 彼がどこの部屋で眠っているのかが分からない上に、霊体化という反則技まで使えるのだ。こちらからは見えないため、どこにはけが潜んでいるのかが分からない。

 ここから裏庭までの距離は大体二十メートルちょっと。今日も見つからないことを祈りながら恐々と歩を進める。

 …………。

 うん。どうやら大丈夫なようだ。

 裏庭に出て周囲を確認。人気なし!

 では鍛錬を始めよう。

 

「まじゅは、じゅうにゃんから」

 

 軽く汗ばむまで念入りに体を解す。急な運動は身体も驚くからね。

 股関節、肩関節、手関節、足関節と順に解していき、ちょっと息を切らせたところでようやく鍛錬を始める。

 まだ身体が出来上がっていないため成長に妨げない程度の筋トレを行う。

 

「いち……にー……しゃん……」

 

 大体、腕立て十回、腹筋十回、スクワット十回の一セット。

 

「りょきゅ……にゃにゃ……はち……」

 

 一歳児半ではおそらく腕立ての一回もできないと思うが、この身体のスペックはなんと十五回まで出来る。以前限界まで挑戦してみたら十五回だったのだ。

 まあ翌朝は筋肉痛に襲われたけど。

 

「……じゅう。はふー」

 

 腕立て終わり。次は腹筋だ。

 ちなみに筋トレは縁側で行っている。さすがに地べたでやるわけにはいかないからな。汚れるし。

 腹筋とスクワットが終わるとちょっと休憩。さすがのマイボディもここまでいくと息を切らせる。

 

「ふぅ……よし」

 

 さて、次は突きの鍛錬だ。

 

「えい」

 

 肩幅に足を開き腰を落として右の突きを放つ。

 

「えい」

 

 今度は左の突き。

 重心がぶれないように意識しながら、一定のリズムで一つ一つ丁寧に突く。

 動作の一つ一つを確認しながら丁寧に突く。

 突く。

 

「えい……はふー」

 

 二十回ほど繰り返すと肩が上がり始めた。ちょっと一休み。

 呼吸を整えたら今度は蹴りの鍛錬。

 これも重心がぶれないように気をつけながら回し蹴りを放つ。

 

「やあ、たあ」

 

 左右二十回終えてようやく今日の鍛錬は終了。

 時間にして十分にも満たない鍛錬だが、まあ本格的に鍛える前の準備運動といったところだ。

 持ってきていたタオルで汗を拭く。

 さて、見つかっちゃう前に戻るとしよう。

 そしてまたこそこそと気配を殺しながら部屋へと戻る。

 ……早く大きくなりたいな。

 

 



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第三話「試験前日」

 感想や評価お待ちしております!

 ご指摘を頂きまして、以下を修正します。
・3歳 → 5歳
・啓太の容姿の詳細を追加。

 前話にて以下を修正しました。
・3歳で歩けるようになるのを1歳半に修正。
・それに伴い、歩けるようになった当時の様子を追加。



 

「むーん」

 

 姿見に映る自分をジッと見つめる。鏡の中の自分も無表情でジッとこちらを見つめ返してくる。

 に、ニコッ。

 そんな自分に微笑みかけるが、鏡の向こうの自分はギ、ギギギギ、とぎこちなく頬を引き攣らせた。

 

「……はぁ」

 

 ため息が出る。即座に無表情へと戻る自分に再びため息が漏れた。

 あ、どうも川平啓太です。時が経つのは早いもので先月五歳になりました。

 さて、活発に動き回れる年齢となった俺ですが、今現在ある悩み事に頭を痛めています。

 その悩みですが……。

 私、超無愛想な男の子のようです。

 と、いうのもこのマイフェイス、感じた喜怒哀楽を表に出すのが苦手のようで、もう無表情がデフォルトになってしまっているのだ。

 まるで表情筋はストライキして三叉神経は仕事をサボっているのではと勘繰ってしまうほど表情が乏しい。

 しかも喋ろうにも何故か短文ばかりで長文は息継ぎしないと喋れないという制限つき。

 無口無表情で同年代の子たちとは遊ばず、書斎の本を読んでいることから、本家の人たちからは薄気味悪く思われていたりする。お婆ちゃんやには心配をかけれしまっているし。

 なんてこった……俺、軽くコミュ症じゃねえか!

 新たな事実に愕然とした俺はコミュ症を改善するべく、こうして鏡の前で笑顔を作る練習をしているのだ。

 

「……ニコッ」

 

 ちっ、口で出してもダメか。

 あかんよあかんよ。このままじゃ友達出来へんよ。ぼっちになってまうがな!

 こんなコミュ症に憑こうと思う犬神なんかいないだろうし、そうなったら犬神使いになれないかも!

 

「うばー……!」

 

 ……ぬぁぁぁぁ! そんな最悪な未来を想像しちまった!

 ちくしょう! なんとしてもコミュ症を脱しなければ俺に未来はない!

 

「……」

 

 改めて鏡に移る自分の容姿を眺める。

 お婆ちゃんの犬神であるはけいわく、若かりし頃の主とそっくりの姿らしいこの身体。

 耳を隠す長さまである薄茶の髪に焦げ茶色の瞳。中性的な顔立ちはそれっぽい格好をすれば女の子に見えなくもない。まだ五歳だからと自分に言い聞かせる始末。大きくなったらタバコが似合うナイスガイになるんだ……。

 目指せバンダナ蛇男。

 しっかし、結構鍛錬で身体を鍛えているのに肉体的変化はあまり感じられないんだが。

 筋肉がついていないのはまだいい。ただ、なぜ未だに俺の肌はスベスベなんだ?

 ファン○ーションとか使ってないぞ??

 

「啓太様? どうされました?」

 

「……はげ」

 

 いつの間にか背後にお婆ちゃんの犬神であるはけがひっそりと立っていた。

 彼は俺の言葉に少しだけ顔を歪める。何故かはけの名前だけ正しく発音出来ないのだ。

 

「啓太様、はけです」

 

「はげ」

 

「……まあいいでしょう。それよりどうされました?」

 

「ん。なんでもない」

 

「左様ですか。では、主が呼んでいますので参りましょう」

 

「ん」

 

 はけと手を繋ぎとてとて歩く。

 彼に手を引かれるまま大広間へと向かう。あ、どうもこんにちは。

 すれ違う女中さんたちが頭を下げるので、俺もペコッと会釈する。無口無表情なのだからせめて愛想よくいかないとな。

 見れば女中さんたちが持つお盆のは湯飲みが複数ある。ということは、今日は誰か来てるのかな?

 ばいばいと手を振って先に進む。

 大広間の前まで来ると、扉越しにわいわいと賑やかな声が聞こえてきた。

 

「失礼。啓太様をお連れしま――」

 

「なんだと貴様! もう一度言ってみろっ!」

 

 襖をあけると怒声が出迎えた。

 なんだなんだ喧嘩か? いいぞもっとやれ!

 外面は涼しげな顔だが内心野次馬根性丸出しで騒ぎの中心を見てみる。

 騒いでるのは錫杖を握り締めた禿頭のお坊さんだった。怒りからか顔に血を上らせたその姿はまさに茹で蛸のようだった。

 お坊さん姿のオッサンが怒りを向けているのは何故かつなぎ姿の青年。彫りの深い顔が妙に渋い……。

 あー、このオッサンか。また騒いでんのかこの人は。

 もう一人の方は初めて見る顔だがオッサンはよく川平家に出入りするためか、何度か見かけた覚えがある。

 

「ああ、何度でも言ってやろう。刀自に大見得切って半ば無理やり依頼を横取りしたくせに悪霊を払えずおめおめと逃げ帰った自称霊媒師くん。どの面下げてここに来たのかな?」

 

「貴様……ッ、何度も言っているであろうが。あれは俺が逃げ出したのではなく、後輩に譲ってやったのだ! ベテランの俺が倒してしまっては将来有望の若者の成長の機会を奪ってしまうからな」

 

「ほう、成長の機会をねぇ。私が聞いた話では威勢よく向かったがまったく歯が立たず、連れていた後輩とやらに押し付けて自分はその背中に隠れていたとあるが。今時はこういうのを後輩に譲るというのかな?」

 

「だ、黙れ黙れ黙れ! さっきから黙って聞いていれば貴様、俺を誰だと心得る! 俺は京都にその人ありとまで言われた『不殺の天山』だぞ!」

 

「不殺ね。この話を聞いた後じゃ、その異名も真正面から受け止められないな。どうせ倒せなかったから不殺になったんじゃないのか?」

 

「き、ききき貴様ぁぁぁ~!!」

 

 おうおう、言うねぇあのつなぎのおっちゃん。ていうか逃げ帰ったのかよ。それでまあよくここに帰ってこれたもんだ。

 ただまあ、いつまでもこの言い争いを聞いてたら時間の無駄になるしな。さっさとお婆ちゃんの元に向かうか。

 の手から離れ、一人上座で瞑目するお婆ちゃんの元に向かう。

 

「お婆ちゃん、きた――」

 

「おや、啓太殿ではないですか!」

 

「……うあー」

 

 なんかオッサンの標的になっちまったんだけど。

 俺の姿を目にしたオッサンが何故かこちらにやってくる。というか、さっきまでの言い合いはどうしたお前。

 こちらに近づいてきたオッサンは勝手に俺の手を握りぶんぶんと上下させる。

 

「お久しぶりですな。自分、京都で霊媒師をやっております天山といいます。啓太殿の噂は前々から耳にしておりまして、是非――」

 

 うわー、始まったよ。まったく下心見え見えなんだけど。

 川平は裏の業界では名の知れた家系らしく、様々な業界の要人とパイプを持っている。そのため、川平の人間と強いパイプを持とうとする人間は多々居り、このオッサンもそのうちの一人だ。

 しかも俺は川平家の血筋に生まれた上に祖母の孫のためか、俺に取り入ろうとする輩が少なからずいる。酷い場合は子供だからと自分の傀儡にしようと画策する奴もいる。

 

「……ちっ、なんの反応もなしかよ、人形が」

 

 俺の反応が芳しくないためか、舌打ちとともに小さく罵言を口にする。

 うは、なんかここまでくると、もう怒りや呆れを通り越して笑えてくるな!

 ちなみに人形とは俺のことである。無口無表情だから人形みたいなんだとさ。もっぱら川平に悪意を持っている三流霊能者たちが好んで使う言葉なんだけどね。

 さて、俺がこういう奴らに言う言葉はただ一つだ。

 

「うっさい、つるっぱげ」

 

「な、なななっ」

 

 怒りのあまり戦慄くオッサン。そんな彼にベーっと舌を出して見せた。

 

「こ、このガキ……! 人形風情が舐めた口を聞きおって!」

 

 オッサンが錫杖を持つ手に力を込めた時だった。

 音もなく背後に忍び寄ったの、冷たい氷のような声が耳に届いたのは。

 

「そこまでです。それ以上啓太様に無礼を働くようなら強制的に退室させます」

 

 はけの身体から霊力が立ち上る。普段から冷静沈着のはけがここまで怒りを露にするとはちょっと意外だ。

 だけど、その心遣いは嬉しい。

 

「ちっ! こんなところ二度と来んわ!」

 

 はけの無言のプレッシャーと周囲の視線に晒されたオッサンは最後の最後まで悪態をつきながらも去って行った。

 

「はげ」

 

「はい」

 

「ありがとう」

 

「……いえ、当然のことをしたまでです」

 

 恭しく頭を下げるはけ。……これからははけと呼べるように発音の練習をするとしよう。

 何事もなかったかのようにお婆ちゃんの元に向かう。

 

「お婆ちゃん、きたよ」

 

「おお、突然呼び出してすまなかったね。色々と言われていたようだけど、大丈夫かい?」

 

「ん。問題ない」

 

「そうかい。さて、ここに啓太を呼んだのはね、明日啓太には基礎霊力を測る試験を受けてもらうためじゃ」

 

 どよめく会場。口々についに来たか、との言葉が聞こえる。

 はて、基礎霊力を測る試験というと……。

 

「……漬け物石?」

 

「おや、よく知ってるね」

 

 確か書斎の本で読んだ内容だと、漬け物石に霊力をぶつけてその損傷具合で保有霊力を数値化する試験、だったな。

 漬け物石を使うユニーク内容だったためよく覚えている。

 

「明日?」

 

「そうじゃ。啓太のほかにも受けてもらう子供たちがいるから、全員で十人たらずじゃな。これを機に友達を作りなさい」

 

「……頑張る」

 

「うむ。明日は寝坊しないようにの」

 

 基礎霊力を測る試験ね。さて、どうするべきか……。

 

 



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第四話「試験当日」

 連投で一日一話お送りします。
 連投一日目。

 ご指摘を頂きましたので、以下を修正しました。
・年齢を3歳 → 5歳に変更。
・一部描写を修正。



 

 

「ではこれより、基礎霊力測定試験を行う! 名前を呼ばれたものは前に出るように!」

 

 どうも皆さんおはようございます、まだ眠気が取れない川平啓太です。

 とうとう基礎霊力を測る試験が迫って参りました。

 時刻は午前九時。裏庭にはドンッ!と一メートル程の漬け物石が鎮座しており、その前に俺を含めた十二人の子供たちと試験官の男が集合している。

 つか漬け物石でかっ!なんて感想を人知れず抱いていると、次々と名前を呼ばれた子供達が漬け物石にアタックをかましていく。

 どうやらこの漬け物石は特殊な術式が施されており、霊力を付与した攻撃でないとダメージを与えられないんだと。

 しかも、その込められた霊力が直接ダメージに換算されるため、たとえ筋骨隆々の大男が大剣を全力で叩きつけても、それが蝋燭の火程度の霊力しか籠っていなかったら微々たる傷しか残せないらしい。

 目の前には各々のやり方で漬け物石に攻撃する子供達の姿がある。

 ある子は霊力を込めた符を投げつけ、またある子は棍棒のようなものを叩きつけたりと様々だ。それをボード版を持った試験官が紙に結果を記入していく。

 

「大島夢、一〇〇漬け物石! 次、山城琢磨、前へ!」

 

 しかし、霊力の単位なんとかなんないのかねぇ。漬け物石って……そのまんまやん。

 

「たくまさん、がんばってください!」

 

「おう! ……はぁー!」

 

 子分のような子供に声援を送られた琢磨少年は手にしていた木刀に霊力を込めると、気合一つ叩きつけた。

 そこそこ大きい音を出しながら漬け物石の一部を破壊する。

 

「……山城琢磨、五〇〇漬け物石!」

 

「やりましたね、たくまさん!」

 

「おうよ! まっ、オレさまにかかればざっとこんなもんよ!」

 

「さすがたくまさんだ!」

 

 うはー、典型的なガキ大将かよ。なんかス○オとジャイ○ンを彷彿させるんだけど。

 面倒そうだし、関わらないようにしよっと。

 

「次、川平薫、前へ!」

 

「はい」

 

 川平薫? ということはあの子が俺の従弟か。

 髪は耳を隠す長さまであり、中性的な顔立ちをしたその子はパッと見たら女の子のようだ。

 

「いきます。やっ!」

 

 薫少年は懐から一枚の符を取り出すと一瞬の瞑目の後、俊敏な動作で投げつけた。

 先ほどの琢磨少年とは比べ物にならないほどの轟音が鳴る。

 なんと、漬け物石は三分の一ほど破砕されていた。

 

「川平薫……九一〇漬け物石!」

 

 試験官の驚いたような顔から察するに、この歳では結構な数値なのだろう。

 

「九〇〇!?」

 

「すごーい!」

 

「キャー!」

 

「た、たくまさん……」

 

「ちっ」

 

 薫少年は結果に驚くことなく優雅な一礼をしてみせると元の場所へ下がっていった。

 うは、あの歳で大人びてるなぁ。もっと喜んでもいいだろうに。

 

「いま直すからちょっと待ってろ。~~!」

 

 試験官が呪文らしき言葉を唱えると、青白く発光した漬け物石が独りでに修復されていく。

 修復機能付きかよ……。漬け物石のくせに高性能だなオイ。

 

「よし。次、川平啓太、前へ!」

 

 お、いよいよ俺の番か。

 

 前に出ると子供達のひそひそ声が聞こえた。

 

「あれがけいたくん……」

 

「パパが人形っていってたよ? ねえどーいういみ?」

 

「しらないわよ。お人形さんが好きなんじゃないの?」

 

「けいたくんもかおるくんと同じくらいなのかなぁ」

 

 おおう。子供たちの注目を浴びるぜ。無垢な瞳が突き刺さる。

 

 ふと強い視線を感じた。

 

「あの人が、啓太くん……」

 

 見れば薫少年がジッと俺を見つめていた。目が合っちゃったため一応手を振っとく。

 ビックリした顔をした薫少年を尻目に漬け物石と向かい合った。

 

「武器は使わないのか?」

 

 俺が何も持ってきていないのが不思議に思ったのだろう。尋ねてきた試験官に頷き返す。

 

「……男の武器は拳」

 

「そ、そうか。見た目に寄らず男気溢れる言葉だな。では始めなさい」

 

「ん」

 

 右手を引き正拳突きの構えを取る。

 想定した結果を明確にイメージして、それに必要な霊力を生成する。

 確固たる意志のもと、毛の先ほどの油断も過信もかなぐり捨てて。

 これは試験であり、鍛錬である。

 持てる技量のすべてを費やし、この一撃に!

 

「せい!」

 

 大きく踏み込み、拳を放つ。

 大地に根を張った大樹のような重い感触が拳を伝わり返ってきた。

 結果は……。

 

「……川平啓太、一〇〇漬け物石!」

 

 試験官の報告に場がどっと沸く。

 

「一〇〇?」

 

「ぼくは三〇〇だったー!」

 

「夢ちゃんと同じだー!」

 

「ぼく知ってるよ! こういうのを落ちこぼれっていうんだって!」

 

 落ちこぼれー、落ちこぼれーと楽しそうに連呼する子供たち。こういうので騒ぐのはもっぱら男の子だ。

 しかし女の子たちの視線も可愛そうな子を見る目で地味に傷ついたりする。

 まあ俺は喜びで一杯なんだがな!

 

「うっし」

 

 思わずガッツポーズを取る俺に試験官の呆れたような視線が返ってくる。

 

「この結果になんでガッツポーズが取れるんだ君は……」

 

「望んでいた結果」

 

「変な奴だな」

 

 うん、自覚あります。

 恐らく二年前から地道に鍛錬を重ねてきた俺が本気で事に望んだら、それこそ薫と同等かそれ以上の結果を残してしまうだろう。

 そうなればただでさえハイエナのようにしつこい連中が、さらに執拗に迫るのは目に見えている。

 そんなの御免こうむるばい!

 ということで、いっそのこと落ちこぼれと思われればいいんじゃねとの結論に達した俺は思いっきり手を抜くことにした。

 だが、ただ手を抜いたのでは味気ない。そこで霊力のコントロールの鍛錬と思って挑んだのだ。

 今回の目標は小指程度の大きさの傷を残すこと。そのために必要な霊力だけを生み出すことに意識を向けた。

 結果は想像通り、パーフェクト!

 落ちこぼれ認定も受けたことだし。大満足だ。

 

「……ハッ!」

 

 ちょっと待てよ? そうなると、わざわざ落ちこぼれと親しくなろうと思う奴なんていないんじゃ……。

 そうなると、もう一つの目的である『友達を一人作ろう!』が達成できなくなってしまう!

 なんてこった! 策士策に溺れるとはこのことかッ!

 はぁ、今日も友達が出来ませんでした……。

 んじゃ、帰んべ。いつまでもここにいても仕方ないし。

 

「待ってください!」

 

 背後から俺を引き止める声が。

 

「あ、あの、ぼく薫と言います」

 

 薫少年だった。

 緊張しているのか、少し身体が硬くなっているのが分かる。

 

「……啓太。よろしく」

 

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

「ん。それで、なに?」

 

「あの、一つ聞いていいですか?」

 

「ん」

 

「さっき、なんでガッツポーズをしたのかなって……」

 

 あー、アレね。というか見られてたのね、お恥ずかしい。

 

「他のみんなに落ちこぼれなんて言われてるのに、一人だけガッツポーズしていたので気になって」

 

「簡単。嬉しかったから」

 

「えっ?」

 

「力を示しすぎてもよくない。なにごとも程々が一番」

 

「程ほど、ですか……」

 

「ん。これでバカどもに纏わり付かれない。安心」

 

「えっ?」

 

「なんでもない」

 

 いけね。いらんこと言っちまったぜ。

 薫少年は満足したのか微笑んだ。

 

「……面白い人ですね、啓太くんって」

 

 お、おお?これはもしかして、チャンス到来なのではなかろうか。

 よ、よし!ここは押すべきだ。いくぞ、いっちゃうぞ……!

 

「なら友達になって」

 

 内心どきどきしながら、されど外面は涼しげに、さらっとなんでもないように言う。

 薫少年はポカンとした顔で一瞬呆けると、腹を抱えて笑い出した。

 

「あ、あはははは!」

 

「むー。なにがおかしい?」

 

「い、いえ、すみません……ふふっ」

 

 目尻についた涙を拭うと手を差し出してくる。

 こ、これは……!

 

「はい。こちらこそよろしくおねがいしますね、啓太くん」

 

 キター!

 啓太。この歳で初めての友達が出来ました!

 

「ん。よろしく」

 

 しっかりと握り返し返事をする。

 自然と顔が綻んだのが分かった俺であった。

 

 




 感想や評価くれるとすっっごく嬉しいです。
 モチベーションにも繋がりますので、よろしくお願いします!


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第五話「試験後日」

 連投二日目。



 

 皆さんこんにちは。お婆ちゃんから呼び出しを食らった川平啓太です。

 霊力測定試験から翌日。結果は既に報告されているだろうから、恐らくそのことなのだろう。

 渋面で手を組んだお婆ちゃんは厳しい目で俺を睨みつけた。

 

「啓太。なぜ呼ばれたか分かるかい?」

 

「ん。昨日の測定試験」

 

「うむ。報告を聞いたら、お前さんの霊力は一〇〇とあるんじゃが」

 

「違いない」

 

「……」

 

 ジーッと俺を見つめてくる。無言の圧力につい視線を逸らしてしまった。

 大きくため息をつく。

 

「啓太。お前、昨日の試験では手を抜いたね?」

 

 その言葉に首を横に振る。

 

「全力」

 

「全力でこの数字かい? 馬鹿言っちゃいけないよ。お婆ちゃんの目は誤魔化せないよ」

 

 違う、そうじゃない!

 

「全力で手を抜いた」

 

 脱力するお婆ちゃん。

 

「なんで手を抜いたんじゃ?」

 

「……全力でやったら面倒になる」

 

「ふむ……まあ、啓太にもなにか考えがあるんだろうが」

 

 おいおい、五歳児だぞ俺。ちょっと信用しすぎじゃないか?

 お婆ちゃんにとって俺がどう映っているのかすごく気になるんだけど。

 ――このお婆ちゃん、好きやわ~。

 

「……もう一回計る?」

 

「うーむ、だがなぁ……」

 

「お婆ちゃんとはげなら、いいよ?」

 

「むぅ。本来は計り直しはしないのだが、まあ実際のところの霊力は気になるしのぉ。だが、記録外として計ることになるがよいか?」

 

「ん。むしろ、公式ダメ」

 

 ま、ほんとのところは自身の霊力がどの程度なのか、俺も気にならないといったら嘘になるしな。

 記録として残らないなら、全力も出せる。

 それに、お婆ちゃんとはげは信頼できるから、この二人なら実力を知られてもまあいいかなと思う。

 

「よし、なら早速向かうかの。はけや、準備のほうを頼む」

 

「わかりました」

 

 音もなくお婆ちゃんの背後に現れたはけはそのまま、スッと空気に溶け込むように消えた。

 んじゃ、俺たちも裏庭に向かうかね。

 

 

 

 1

 

 

 

 さて、やって参りました第二回霊力測定試験。

 第一回との相違点は参加者が俺だけで、ギャラリーがお婆ちゃんとはけの二人だ。

 おっと、測定の前にやることがあったな。

 

「結界張って」

 

「結界ですか?」

 

「ん。たぶん、おっきい音がする」

 

「なるほど、わかりました」

 

 大きく頷いたはけは懐から扇子を取り出した。

 

「破邪結界二式・紫刻柱」

 

 扇子を一閃。俺たちを中心に結界が張られる。

 紫色の結界は長方形の形をしており、縦に伸びていた。

 

「この結界は防壁のほかに防音の効果もありますので、安心して下さい」

 

「グッジョブ」

 

 親指を立てると苦笑が返ってくる。解せぬ。

 さてと。

 漬け物石の前に向き直り目を閉じる。お婆ちゃんたちは離れたところに立っていた。

 

「すぅぅ……」

 

 目を瞑りながら心を沈め、丹田から霊力を練り上げる。

 

「はぁぁ……」

 

 練り上げた霊力は血流に沿って全身を巡る。

 

「すぅぅぅぅぅ……」

 

 全身を巡る霊力は次第に均一化され。

 

「はぁぁぁぁぁ……」

 

 凪いだ海のような静けさが内なる世界に訪れる。

 瞑っていた目を薄く開く。

 全身に分散していた霊力を一点に集中。

 まるで渦に巻き込まれるかのようなイメージで以って、右手の拳に霊力を集める。

 さらに集めた霊力を圧縮。

 圧縮…………。

 圧縮……。

 圧縮。

 

「むっ」

 

「これは……」

 

 拳を引き、腰溜めに構える。

 狙うは漬け物石のど真ん中。

 そこめがけて、打ち抜く……ッ!

 

「……っ!」

 

 踏み込みと同時に放った全力の一撃は確かな感触を拳に残した。

 一瞬の拮抗はすぐに破れ、拳を中心に衝撃が漬け物石全体に広がるのが分かる。

 地を轟かす爆音。

 漬け物石は無数の小さな破片となって砕け散った。

 一メートル程の大きさの漬け物石が。

 跡形もなく。

 

「……あれ?」

 

 まさかの結果に思わず呆然としてしまった。

 いや、精々薫と同じくらいの結果ないしはちょっと良いかな的なものだと思ったのに……あれー?

 そうだ。お婆ちゃんたちのコメントを頂こう!

 お婆ちゃん川平最強だし。こんくらいわけないよね!

 

「……」

 

「……」

 

 しかし、その二人も呆然とした様子で絶句していた。

 

「……まさか、これほどとは」

 

「これは、恐らく過去最高記録なのは間違いないでしょうね……」

 

 えっ? えっ? 過去最高記録??

 ヘイ、お婆ちゃん! 俺の霊力はいくつなんだい!?

 

「お婆ちゃん。結果」

 

「う、うむ。まず間違いなく儂より上だろう。……恐らく三千くらいじゃな」

 

 …………三千?

 

「確か、ここ数年は二千以上の数字を叩き出した人はいないはずです。中央からそのような話もありませんし。と、なりますと啓太様の名前は火がつく勢いで広まることでしょうね」

 

 おいー! なんだよその「お前がナンバー一だ。富士山だ!」的な発言は!

 やめれ~! 俺は面倒事が嫌いなんじゃー!

 

「お婆ちゃん。他言無用」

 

「……うむ。確かにこれは軽々しく口に出来ない内容じゃな。……っ! そうか、だから……」

 

 ……なに? その、これを懸念してのことだったのか的な目は。確かにそうだけど、度合いが違うからね。俺もここまでとは思ってなかったし。

 まあいい。どうせこれは非公式の試験。記録に残らないのだから。

 

「ということで。落ちこぼれです」

 

 そのコメントし難そうな顔、ごちそうさまです。

 

 



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第六話「志望動機」

 連投三日目。

 以下を修正しました。
・一部描写の追加。


 

 どうも、こんにちは。先週お婆ちゃんの犬神から「お前が富士山だ!」的なお言葉をもらった川平啓太です。

 さてさて、今のところ不自由なく健やかな毎日を送れている。

 これもお婆ちゃんたちが俺の秘密――霊力全開がやばい結果に――を他言せずに胸の内に秘めてくれているからだ。

 おかげさまであの測定試験から晴れて川平家の落ちこぼれの称号を貰い、狙い通りハイエナどもの魔の手から逃れることが出来た。

 万事上手くいっている。

 

「よう啓太。ちょっとサンドバッグになれよ」

 

 そう。同年代の子供たちからちょっとした暴行を受けても上手くいっているのだ。

 

「た、たくまさん! おれもいいですか!?」

 

「おうやれやれ。いい練習台になるぞ」

 

「はい! てりゃー!」

 

 拳を握り締め、右の頬を殴ってくる。

 続いて腹に膝を数発。

 

「よーし。今度は俺様の番だ、ぜっ!」

 

 側頭目掛けて回し蹴り。勢いがあるため、そこそこの衝撃が走った。

 

「オラオラどうした! やられっぱなしかよ人形ちゃんよォ!」

 

 滅多打ちに攻撃してくる二人。俺はただ、されるが儘だ。

 なにせ。

 これといったダメージがないもの。

 

「ハハハッ! サンドバッグにゃ丁度いいな!」

 

 喜悦の声を上げて攻め手の速度を上げるが、平然と受け止め続ける。

 顔色一つ変えずに何の抵抗も見せない俺に、次第と当惑した様子を見せ始めた。

 

「た、たくまさん……? コイツ、なんでここまでして平気な顔してるんですか?」

 

「お、俺様が知るかよ! くそっ、これならどうだ!」

 

 霊力を込めた拳で腹を殴打するが、結果は変わらず。

 ちょっと強かったかな、程度の問題だ。

 

「な、なんなんだよコイツ……」

 

 一方的に殴っている少年たちの方が、逆に恐れおののく。

 さて、少年たちの霊力を纏った攻撃は一般の大人の一撃と変わらない効果を発揮する。

 そんな攻撃を身構えもせずに無抵抗で受け続け無傷なのはちゃんとした理由がある。

 そう、鍛錬の成果という理由がなっ!

 苦節二年。柔軟性の向上から始まり、基礎体力や筋力トレーニング、よく分からない知識に基づいた体の運用法等々、様々な鍛錬に時間を費やした。

 その中にはもちろん霊力を扱う鍛錬も行っている。

 偶然書斎で発見したある人物の手記にその鍛錬方法が書かれていたのだ。

 その筆者は霊力にあまり恵まれていないため、試行錯誤して霊力をコントロール術を身につけたとあった。

 この筆者を心の師とし、ひたすら霊力の扱い方というのを学んでいった。

 その結果!

 なんと、身体に霊力を流せば、なぜか耐久性が向上するという意味不明な現象を引き起こすことが出来るようになったのだ!

 その他にも筋力向上や、部分的に集中させれば五感を向上させることも可能!

 霊力とそれらの関係性にかなりの疑問を感じるが、まあ細かいことは気にしないことにする。

 結果がすべて! もともと考えるのは苦手だしな。

 

「たくまさん、コイツ変ですよ……も、もしかして化け物なんじゃ――」

 

「啓太くん!?」

 

 おっと、第三者のお出ましのようだ。

 声のした方に目を向ければ、驚いた表情で我が唯一の友である薫が立ち竦んでいる。

 

「やべっ、薫だ! 逃げろ!」

 

「あっ、待ってくださいよたくまさーん!」

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げ出す琢磨たち。

 それと入れ替わるように慌てて駆け寄ってくる。

 

「啓太くん大丈夫!? また苛められてたの?」

 

「大丈夫」

 

 そう、琢磨たちにちょっかいを掛けられるのは今に始まったことではない。

 度々大人たちの目を盗んではメンチを切ってくるのだ。

 

「もういい加減宗家に報告しよ? さすがに目に余るよ」

 

「子供のすること。放っておいて大丈夫」

 

「でも……やっぱり納得できないよ」

 

「大丈夫。それに、もうちょっかいかけてこない」

 

 あの様子じゃあね。

 それに終わったことをぐちぐち掘り返すのも面倒だし。

 第一、子供のすることに一々お婆ちゃんに報告するのも馬鹿らしい。

 

「それより遊ぼ」

 

「うーん、いいのかなぁ?」

 

 細かいことは気にするな。

 

「最近嵌ってるのがあるの」

 

「なに?」

 

「大道芸」

 

 

 

 1

 

 突然だが、俺は動物が好きだ。

 中でも犬や猫、狐などが大好きだ。

 あの尖った耳が好きだ。垂れた耳が好きだ。ふわふわの耳が好きだ。

 愛くるしい姿は保護欲を誘い、擦り寄られたらもうたまらない。

 ぶんぶん振る尻尾は構ってと訴えているようで、もう心の底から構いたくなり。

 滑らかな毛触りには感動すら覚える。

 そう、だから……。

 俺がはけの尻尾に現を抜かしていても、なんらおかしくないのだ。

 

「うみゅう~」

 

 行儀良く正座したはけの濃紫色の尻尾。

 猫じゃらしのようにぶんぶんっと振られたそれに釣られ、畳の上をゴロゴロしながらじゃれつく。

 ああ、こんなの俺のキャラじゃないのに……。

 頭の隅の隅には「まるで猫みたいじゃねぇか」とか「つか、うみゅうってなんだ」だとか突っ込む俺がいるのだが。

 この魔性の尻尾には無力。

 絹のような滑らかでありながらふさふさした尻尾。

 猫? いいじゃないか気持ちいいんだから。うみゅう? 仕方ないじゃないか勝手に出るんだから。

 嗚呼、このままずっとじゃれていたい……。

 

「……啓太様にこのような一面があったとは」

 

「うみゅう~」

 

「なんとも可愛らしい……」

 

 目を弓のように細めたはけもデレデレしてる。

 うむっ、これぞウインウインの関係ですな!

 

「……はけ」

 

「――ハッ!」

 

「お主はこんな婆より啓太がいいんじゃな……。そうよな、時の流れには逆らえぬ。老いた者より若い者がいいんじゃな……」

 

「主!?」

 

「いいんじゃよいいんじゃよ。なんならこのまま啓太のいぬかみになっても」

 

「そんな! お待ちください主!」

 

「うみゅ~……う?」

 

 おや、動かなくなってしまった。……ん? なんだ修羅場か?

 ふんふん、なるほど。

 

「お婆ちゃん。からかいすぎ」

 

「ほっほっほ。まあ、たまにはいいじゃろうて」

 

 楽しそうに笑い飛ばすお婆ちゃんに深いため息を零すはけ。

 

「まったく、心臓に悪いですよ主」

 

「いや、すまぬすまぬ。しかし啓太がこうまで機嫌がよくなるとは驚きじゃな。……啓太や、犬神は好きかい?」

 

 どういった意図での質問かは分からない。

 が、まだ尻尾の余韻に引かれていた俺は深く考えずに答えた。

 

「好き」

 

「それは何故?」

 

「尻尾もふもふ」

 

 ぽかんと口を半開きにしたお婆ちゃんは次の瞬間には声を上げて笑った。

 

「はっはっは! そうか、もふもふか!」

 

「ん。もふもふは正義」

 

「そうじゃな、確かにはけの尻尾はもふもふじゃな」

 

「啓太様……」

 

 なんともコメントし難いといった顔で困惑するはけ。

 お婆ちゃんは愉快な答えを貰ったとでもいうように一笑した。

 

「お主は良い犬神使いになれるじゃろうな」

 

「当然」

 

 その言葉に胸を張って答える。

 

「お婆ちゃんの孫だもの」

 

 そして犬神使いになって一日中もふるんだ!

 いや、犬神の本来の姿は大きな犬の化生とあるから、人化を解かせてお腹をもふるのもいいかも。

 うは、夢が広がるな!

 また一つ、犬神使いにならなければいけない理由が出来た俺であった。

 

 




 犬っ娘の尻尾や耳っていいですよね。


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第七話「出会い その一」

 連投四日目。


 

 

 どうもこんにちは。太陽が燦々と輝いていてちょっと熱いこの頃に殺意を覚える川平啓太です。

 そういえば六歳になりました。はけが本気を出して作ったケーキの完成度がやばかったです。そういう大会に入賞できるのではと思うほどの出来でした。

 

「ふふふふんふん~♪ ふふん~♪」

 

 数日前にふと前世で聞いたことのある曲を思い出し、何気に鼻歌で歌ったらすっかり嵌ってしまった。

 肝心の歌詞は覚えていないためサビの部分だけ。

 歌手もタイトルも思い出せないんだけどね。

 

「ふんふ~ふ、ふんふ~ふ、ふんふ~ふ、ふんふ~ふ♪」

 

 さて、俺が今どこにいるかというと、犬神たちが住まう山へ来ている。

 川平が所有しているこの山には犬神たちが住んでいる。入っちゃ駄目とかの注意も聞いていないし、立ち入り禁止の看板もなかったから散歩に来ているというわけだ。

 別名、犬神の山とも呼ばれているからそこらかしこに居るのかなと思ったが、意外や意外。一匹も見当たりません。もう少し奥まったところに居るのかね。

 

「ふんふ~ん♪ ふんふふふ~ん♪ ふんふふふ~ん♪」

 

 しかしこうして見るとただの山だな。物珍しいものはなにもない。

 まあ当然か。これでセブンイレブンでもあったほうがビックリするわ。

 と、そうこうしている間に山頂に辿り着いてしまった。

 

「ん?」

 

 山頂にある大樹。そこに一人の女性が佇んでいるのが見えた。

 淡い桃色という目に優しくない髪色の女性は憂いを帯びた表情で山頂から街並みを見下ろしている。

 割烹着とエプロンドレス姿から恐らくうちの女中さんか。

 女中さんがこんなところでどうしたのだろうか。

 

「どうしたの?」

 

「えっ?」

 

 慌てて振り返るお姉さん。綺麗というより可愛い系の整った顔立ちは驚きの表情を浮かべている。

 

「えっと、あなたは……?」

 

「?」

 

 俺の姿を認めると何故か困惑した顔になる。

 なんだ、俺がここに居たらおかしいのか? それともやっぱりここって入っちゃ駄目な山だった?

 

「ええっと、川平の方ですよね?」

 

 頷く。

 

「こんなところでどうしました?」

 

 しゃがんで目線を合わせて優しい声音で尋ねてくる。まるで子供を相手にしているかのような対応だ。

 あ、俺子供だった。

 

「散歩」

 

「散歩って……ここまで?」

 

 再度頷く。

 少しだけ目を見張ったお姉さんに今度はこちらが尋ねる?

 

「どうしたの?」

 

 こてんと首を傾げる俺の質問の意図を正確に読んだのだろう。お姉さんは立ち上がると再び町並みを見下ろした。

 その横顔は何故だかとても悲しげで。

 顔では穏やかだが、きっと心では泣いているんだなと直感的に感じた。

 数秒の沈黙。

 やがて、独白するように小さな声で言葉を紡ぎ始めた。

 

「……私は昔、罪を犯してしまいました」

 

 まるで懺悔するかのように、かつての過ちを語りだす。

 

「それはとてもいけないこと。もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにと心に誓いました」

 

 静かに目を落とす彼女。ふと、深海の海に抱かれている幻を視た気がした。

 

「でも、時々思うのです。私はちゃんと変われたのかな、て」

 

 悲しげな顔でそうひとりごちるお姉さんの言葉を黙して聞いていた。

 

「ふふ、ちょっと難しかったですね」

 

 暗い雰囲気を払うように明るい声と柔らかい笑みを向けてくる。

 俺はその顔をジッと見つめ。

 

「え?」

 

 無言で袖を引っ張った。

 くいくいと袖を引っ張り、大樹の根元まで誘導する。

 

「えっと、どうしました?」

 

 そのまま腰を下ろし、隣をぱんぱんと叩く。

 

「座る」

 

「えっ?」

 

「座る」

 

「えっと……」

 

 困惑した顔で立ち尽くすお姉さん。

 埒が明かないので、袖を引っ張り強引に腰を下ろさせた。

 

「あの――」

 

「お姉さんの過去は知らない」

 

「……」

 

「でもお姉さんは反省してる。なら大丈夫」

 

「え?」

 

 たとえ過去がどうであれ、それを悔いているのであれば。

 

「人は変わる生き物。変われる生き物」

 

 そう。人は変われる生き物。 

 

「変わろうとする意志があるなら、大丈夫」

 

「そう、ですよね。大丈夫ですよね……?」

 

 小さく頷いたお姉さんの横顔をジッと見つめる。

 少しだけ元気が出たみたいだった。

 

 

 

 1

 

 

 

「ふんふんふんふ~ん♪ ふんふんふんふ~ん♪」

 

 お姉さんの隣で足を投げ出すようにして座りながら鼻歌を歌う。

 今度は前世の曲ではなく、即興で作ったものだ。

 隣では俺の拙い鼻歌に耳を傾けるお姉さんの姿。

 正座して目まで閉じて傾聴している。ちょっと恥ずい。

 

「ふんふふふんふ~ん♪ ふふんふ~ん♪ ふ~んふふんふん♪」

 

 約四分も続いた鼻歌はお姉さんの拍手で以って幕を閉じた。めっちゃ恥ずい。

 なにこのお遊戯会で頑張った我が子に送る拍手みたいなの。超恥ずかしいんだけど。

 なので、照れ隠しに長座位から背臥位へと移り、そのままゴロゴロと転がる。

 床の上を転がる鉛筆の如くコロコロと遠ざかっていく俺をあらあらなどと微笑みながらついてくるお姉さん。

 なにこれ、超カオスなんだけど……。

 斜面に突入しそうだったから転がるのをやめて起き上がる。服についた葉っぱなどを払い、お姉さんの手を取って再び元の場所へ。

 で、仲良くお座り。

 

「啓太さんにとって、犬神とはなんですか?」

 

 不意にお姉さんがそんなことを聞いてきた。

 今までとは違い真剣な口調だった。

 だから俺も真剣に応えた。

 

「もふもふ」

 

「えっ?」

 

 いけない、真剣に応え過ぎた。

 

「んー」

 

 俺にとっての犬神か。というか、俺って犬神ははけしか知らないんだよなぁ。

 となると、俺にとってのはけとなる。 

 俺にとってのはけ。

 …………。

 

「家族」

 

 うん。これだな。

 犬神と犬神使いの関係は隣人だとか盟友だとか色々あるが、俺にはこれが一番しっくり来る。

 なのでしっかりと胸を張って言った。

 

「大切な家族」

 

「……そうですか」

 

 俺の答えに満足したのか柔和な笑みが返ってきた。

 うむむー、なんだか無性に胸の内がサワサワするぜ。

 なんというかこう、叫びたいというか。走りたいというか。

 ……あー、気恥ずかしい!

 

「帰る」

 

 なんだかんだで一時間はいるし。そろそろ帰んべ。

 むくっと起き上がりお姉さんがなにか言う前に別れの言葉を。

 

「ばいばい」

 

 そのまま脱兎の如く駆け出す。

 急じゃないかって? 羞恥心に負けたのさ。言わせんなよ恥ずかしい。

 

 




 というわけで、フラグ建築の話です。
 ちょっと強引すぎましたかね?


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第八話「異能」


 連投最終日。



 

 

 どうも皆さんこんにちは。最近鍛錬で伸び悩んでいる川平啓太です。

 ただ今俺は中庭ではけと組み手をしている。

 ここ最近独りでの鍛錬に限界を感じていた俺ははけに頼み組み手の相手をしてもらっている。

 はけなら結界を張れる上に戦闘経験も豊富だ。さらに俺の保有霊力量も知っているから気兼ねなく相手として最適でもある。

 

「しっ!」

 

 霊力で強化した身体能力を遺憾なく発揮し、両手に持つ二本の刀を振るう。

 対してはけも扇子で上手く刀をいなし、あるいは受け止めて凶刃からするすると逃れる。

 

「破邪接破一式・凶刻」

 

 扇子を振るうと左右から霊力で出来た刃が襲い掛かった。

 刃の挟撃。

 身体を独楽のように回転させてそれらを叩き斬る。 

 

「やりますね、啓太様!」

 

「そっちも。ふっ!」

 

 逆手に持ち直した刀を二本とも全力で投擲。

 危なげなく結界で防がれるが、僅かな隙を逃さず接近する。

 新たに生み出した刀を右手に把持して。

 

「霊力の物質化でしたか。ここまで厄介なものとは!」

 

「お財布にも優しい」

 

 そう。この刀も、先ほど投げた刀も、すべて俺の霊力で出来ている。

 鍛錬の中で偶然発見することが出来た能力。それは霊力を明確にイメージした形に形成して外界へ固定するという規格外な力。

 それが、二年前に発見した俺の能力『霊力を物質化する力』だ。

 逆袈裟懸けの一撃を扇子で受け止める。

 はけの持つ扇子も霊力か何かで強化しているのか、破損する様子なく両者の力が拮抗した。

 

「しかしっ、物質化する速度が速くなってきましたね!」

 

「超頑張った!」

 

 俺の『霊力を物質化する力』も万能というわけでなく制限というか、欠点がある。

 それは物質化する対象を明確にイメージしないと、生み出せたとしてもひどく脆い質と構造になってしまうという点。

 そのため、刃物などのイメージしやすい構造ならまだしも、銃器の類など内部構造がよく分からないものは物質化できない。

 そしてもう一つ、物質化に費やす霊力量によって、対象の物質化有効時間が左右するという点だ。

 例えば物質化するのに十の霊力を費やした場合、数十秒後物質化した対象は霧散してしまう。が、百の霊力を費やした場合、霧散するまで数時間の猶予があるのだ。

 また、一度物質化したものは時間経過で霧散するか破壊しない限りその場に在り続ける。逆に言うと、いつでも出したりしまったりが出来ないのでちょっと勝手も悪い。

 この力で作り出した武器を扱えるように、武器の鍛錬も開始した。また、迅速かつ明確に武器をイメージできるように空いた時間では武器大全集のようなものを読んでいる。

 ちなみに武器大全集を読んでいるところを偶然侍女に見られた際、彼女の顔が「啓太様も男の子なのですね」と微笑ましいものを見る目だったのは記憶に新しい。

 

「――ハッ!」

 

 上手く力をいなされ、刀を頭上に持っていかれる。

 がら空きになった腹にはけの蹴りが襲う。

 

「くっ」

 

 間一髪、刀を戻して剣腹で受け止めることが出来た。

 しかし踏ん張ることが出来ず後方へ蹴り飛ばされてしまう。

 咄嗟に地面を蹴ることで衝撃を逃すが、その分間合いが開いてしまった。

 

「破邪接破三式・風刃過流」

 

 扇子を一閃。十枚もの刃が弧を描くようにして接近してくる。

 自身が渦の中心にいるかのように、バラバラに放たれた刃の群れが時計回りに周回しながら近づいてくる。

 幾重にも張り巡らされた刃の檻はまるで結界だ。

 さて、どうしようか。

 強行突破……何枚かはいけるだろうが突破は無理そう。

 襲い来る刃をすべて叩き斬る……いけるだろうがリスクが大きい。

 頭上から脱出……足場があればいけるか?

 足場になる最適な武器は……槍および大剣、長剣。

 結界の有効範囲はざっと目測五メートル。

 物質化できる槍は全部で三本。長剣は五本。

 その中で最適なものを選択する。

 

「創造開始」

 

 生み出すものはグレートソードと呼ばれる一振りの大剣

 身の丈を超える巨大な剣は見た目相応の長さと重量を誇る。

 霊力で強化した腕力で持ち上げ、大地に突き刺す。

 少し離れてから助走をつけて跳躍し、大剣の柄を足場に跳ぶ。

 強化脚力の補助もあり、風の檻から脱出することに成功した。

 

「お見事です啓太様」

 

 はけの隣に着地すると柔和な笑みが出迎える。

 そんな彼に俺はジト目を送った。

 

「やり過ぎ」

 

「啓太様ならと判断しての行動ですよ。それに無理そうでしたら解除するつもりでした」

 

「むー」

 

 なんか上手くやりこまれた気がするが。

 今日はここまでにしましょうとの言葉に頷く。そろそろ昼時だしね。

 お腹減った。

 

 

 

 1

 

 

 

「どうしたんだい啓太くん?」

 

 上京していた親戚のおじさんがこっちにやってきたので挨拶に来た。

 この人とは何度か話したことがあり、ハイエナの親戚共とは違い朗らかで人当たりの良い人だ。

 四十代を過ぎており、特徴的なのはなんといってもその頭。

 見事なまでのハゲ頭なのだ。

 前に会ったときは太陽光を反射していて思わず吹きそうになったほどだ。

 俺は次ぎに会ったら必ずしようと思っていたことがある。

 それを今やろうと思う。

 さあ、有限実行だ。

 

「……? マジックがどうかしたのかな?」

 

 ポケットから取り出したのは一本のポ○カ。色は赤。

 水生ペンのため洗えば落ちます。マ○キーにしようか迷ったが、流石に油性は可愛そうだ。

 そして、まずキャップを取ります。

 次に屈んでもらいます。

 

「屈めばいいのかな?」

 

 ジェスチャーで屈んでもらう。

 次に見えないように手で目隠しをします。片手だと覆いきれないので前腕も使うのがコツです。

 

「これじゃあ何も見えないよ啓太くん」

 

 人が良いおじさんはされるがままです。騙す様で心苦しいでしょうが、心を鬼にして望みましょう。

 そして、最後の仕上げです。

 

【はげ】

 

 額にひらがなを二文字。すばやく書き上げる。

 うん。すばらしい出来だ。

 

「完璧」

 

 大きく頷く。有限実行できたことだし余は大満足だ。

 

「啓太くん? なにをしたのかなぁ?」

 

 ニコニコ顔のおじさんだが、こめかみに血管が浮かんでいるのが見える。

 はい。激おこですね。わかります。

 

「よく似合う」

 

 そんな彼に親指を立て言ったのだった。

 ピキッとさらに血管が浮き出るおじさん。大きく息を吸うのに合わせ、ポケットから取り出した耳栓で耳を塞いだ。

 

「啓太ァァァァァ!!」

 

 怒り心頭のおじさんから逃げる。

 

「待ぁてぇぇぇぇぇぇい!!」

 

 こんなのも俺の日常の一コマである。

 

 





 啓太の能力はぶっちゃけト○ース。ただし作り出せるのは普通の武器に限る。
 感想や評価、お待ちしております!


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第九話「日常」

 ふと小説情報を見たらいつの間にかUAとお気に入りが跳ね上がっていた。
 ファ! なにがあった!?
 お気に入り登録と評価、ありがとうございます。 〃 ̄∇)ゞアリガトォーーーーーーーーーーーーーーー♪



 

 

 どうもこんにちは。七歳になっても相変わらず友達が薫だけの川平啓太です。

 親戚の子供たちからは化け物認定を受けたため、アクションを働きかけてもビクつきが返ってきます。解せぬ。

 女の子とは比較的良好なんだけどなぁ。よくおままごととかで一緒に遊んでるし。

 それでも友達ではないんだけどね。そこにいるから人数合わせで入れてあげる的なニュアンスがピンピンするし。

 さて、いま俺は薫と寂しく二人鬼ごっこをしている。

 薫のほうで人を集めてくれようとしたけど、参加者に俺がいると知った途端に回れ右をする人が続出したため二人きりだ。

 二人だけだと盛り上がりに欠けるから、勝負は一本限りで敗者は勝者の言うことを可能な限り遂行するという罰ゲームを設けた。つまり逃走者は鬼から逃げ切れば勝ちということである。

 これならちょっとは楽しめるだろう。

 

「じゃあ鬼を決めようか」

 

「ん。その前に飴あげる」

 

「ありがとう?」

 

 ポケットから取り出した飴を握らせる。

 右手で握ったのを確認してすかさず、じゃーんけーん、ぽん!

 

「あっ!」

 

「ふふふ……」

 

 薫が出した手はグー。そして俺はパー。

 頭の回転が速い薫でも流石にこれには引っ掛かったか。

 

「啓太くんずるいよ~!」

 

「ずるくない。飴をあげただけ」

 

 引っ掛かるほうが悪いのだよ!

 むすー、と頬を膨らませる薫を放って数歩分距離を開ける。

 

「というわけで、薫が鬼。制限時間は十分」

 

「はぁ……わかったよ。範囲は裏庭だけだよ?」

 

「ん。委細承知」

 

 物分かりが良くて大変よろしい。

 ほどなく十秒数えた薫が勢いよく駆け出す。

 距離はあまり離れていないため、すぐに追いついた。

 

「啓太くん、つかまえた!」

 

「おっと」

 

 一直線に伸ばしてきた右手を避ける。

 脇を通り過ぎた薫はすかさず手を伸ばしてくるが。

 

「ほい」

 

 それもするっと逃れる。

 手を伸ばせば届く距離を維持しながら上体の動きと足捌きだけで避け続ける。

 

「くっ、この!」

 

 近距離なのに捕まえることが出来ないことに業を煮やしてきたのか、段々とむきになってくる。

 しかし、いくら薫といえどそう簡単に捕まるわけにはいかない。

 日々鍛錬を重ねてきた俺が同い年の子供に遅れを取るなど許されない。

 そう、これはプライドの問題だ。

 

「もう! なんで捕まってくれないんですか啓太くんっ!」

 

「無茶言うな」

 

 至近距離での攻防。

 当事者は真剣だが、外から見ればさぞ可笑しな光景かもしれない。

 あっという間に十分が過ぎる。もちろん俺は捕まってなどいない。

 

「時間切れ。薫の負け」

 

「はぁ、はぁ……け、啓太くん凄すぎ。なんであれだけ動いて平気なの……?」

 

 そういう薫は膝に手を当てて息を切らせている。

 基礎体力の差がこんなところで顕れたのだった。

 

「お待ちかねの、罰ゲーム」

 

 なににしようかな?

 

「お、お手柔らかにね」

 

 引き攣った顔で釘を刺す薫。なに、出来ないことは言わんさ。

 

「じゃあ、大道芸の定番、ジャグリング。いってみよう」

 

 ばっちり宴会芸、仕込んでやるからな!

 

 

 

 1

 

 

 

「ほれ、王手」

 

「うー……!」

 

 暖かな日差しが窓辺から室内を照らす中、ぐぬぬと盤面を睨むように見下ろす。

 薫の罰ゲームが終わり、今はお婆ちゃんの部屋で将棋を指している。

 お婆ちゃんやはけとはたまに将棋を指すことがある。

 途中まではいい感じだったのだが、気がついたらウチの王が追い詰められてるし……。

 

「…………根性で逃げる」

 

「なに堂々と反則してるんじゃ!」

 

 ひょいっと何気なく王様を遠くに逃がそうとしたらお婆ちゃんに頭を叩かれた。流石に無理かぁ。

 

「……これが、年の功……か」

 

「まだまだ若い者には負けんよ」

 

「むぅ……。なら、今度は五目並べ」

 

 これなら前世で散々やってきたから多少自信があるぜ。

 某オンラインゲームでは神様の称号を掴んだことすらあるしな!

 

「随分とマイナーなものをチョイスしたのぉ」

 

 そうかぁ? 俺的に碁盤で遊ぶゲームっていったら囲碁か五目並べだぞ。

 脇においてあった碁盤を持ってきてさっそく遊ぶ。あっ、俺白ね~。

 ……あー、このパチン!ていう音と感覚。やっぱイイわ~。

 囲碁といい将棋といい、癖になるよねコレ。覚せい剤とかより中毒性あるって。なにより安全かつ合法で脳にもよさそうだし。

 そうこうしているうちに、早くも五分が経過する。

 

「むぅ……!」

 

 盤上を今度はお婆ちゃんが難しい顔で睨む。

 パッと全体的に見た感じだと、黒が固まり、白が分散している。

 一見お婆ちゃんが優勢に見えるが……。

 

「ここに置くと、禁じ手になる……だが、置かないと上がりに……。お前さん、意地が悪いぞ」

 

 そう、禁じ手である三・三になるように誘導したのだ。

 ぽっかりと空いた空間を埋めれば三・三の禁じ手で負け。逃すと白が四になるのでこれまた負け。

 これを、つむと言うのだよ!

 

「俺の勝ちー」

 

 アイムウイナー! と一人高く手を上げる。

 俺と同じで負けず嫌いなお婆ちゃんはもう一度勝負を挑むのだった。

 

 



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第十話「破邪顕正」

 明けましておめでとうございます。
 感想の多くに「いぬかみ懐かしい」のコメントを貰います^^
 原作開始前はさらっと流していますので結構時間の流れが速いです。

 ご指摘を頂きまして以下を修正します。
・誤字を修正。


 

 おっす! オラ、川平啓太! 前世の記憶持ちの八歳児だ!

 今、俺は薫と一緒にお婆ちゃんの部屋にいる。なんでも大切な話があるとのことで呼び出されたのだ。

 なんだろう。内緒でお婆ちゃんが大切に食べていた饅頭を一気食いしたことじゃないよな? バレてないよな?

 内心ドキドキしながらいつもの涼しげフェイスを保つ。

 対面に座るお婆ちゃんは難しい顔で腕を組み、隣には緊張した面持ちの薫がいる。

 

「もう八歳になったんじゃな。時が経つのは早いのぅ」

 

「……ボケた?」

 

「啓太くん失礼だよ!」

 

 首を傾げる俺を諌める薫。

 そんな俺たちに苦笑したお婆ちゃんは静かに語り始めた。

 

「お主らも我ら犬神使いの本懐を知っていような?」

 

 犬神使いの本懐っていうと、アレだよな。はじゃけんしょーだっけ?

 

「破邪顕正ですね」

 

「うむ。この意味はちゃんと分かっておるか?」

 

「……テメーの考えは間違ってる。俺が正義だ?」

 

「いや、まあ大雑把に言えばそうなのじゃが、もう少し言い方というものがあるじゃろう……」

 

 ため息を吐くとお婆ちゃん。薫や、その苦笑いはやめい。

 

「破邪顕正は仏教用語の一つでな、川平の開祖慧海様が掲げていた考えじゃ。破邪、つまりは邪道や邪説を打ち破り、正義を成すことを意味する」

 

 ああ、川平さん家の慧海さんね。たしか旅のお坊さんだったな。

 この辺の話はずっと昔から聞かされていた。

 犬神が住まう地で暴れていた大妖怪。当時の犬神たちではとてもではないが太刀打ちできず、そんな絶望的な中で現れたのが旅人の慧海だった。

 慧海は恐るべきカリスマ性で犬神たちを纏め上げ、彼の指揮のもと見事大妖怪を封印することに成功。

 その後、再び旅に出るところを慧海に心酔した犬神たちによって引き留められ、彼らの懇請を容れてこの地に住み着く。そんな話だ。

 

「しかし、残念なことに最近の犬神使いたちは頭が堅くての。正義は一つだと、己が正しいのだと妄信しておる」

 

 あー、親戚連中にそういう奴らたくさん居そうだわ。

 

「よいか啓太、薫。正義とは一つではない。お前たちからしてみれば悪に見えても、相手からしてみればそれが正義なのじゃ。世にはそんな話が山ほどある」

 

 なるほどな。その考えは俺も理解できる。

 例え話をするなら、その日を生き抜くのにも厳しい子供が盗みを働く。多くの人は盗みは罪であり悪だと言うだろう。

 確かに盗むのはよくないことだ。しかし生死が掛かっている少女からすれば形振り構っていられない状況である。また表に出来ない事情がある故、他に選択がなかったのかもしれない。

 また、違う例でたとえるなら、友人が納豆を食べていたとする。

 納豆を食べると早死にする! そんな迷信を信じていたとして、本人は友人に納豆を食べるのをやめさせようとする。これは本人からすれば自分の行いは正義だ。

 しかし、友人からすれば大好物の納豆を根拠の欠片もない迷信を理由に取り上げようとする。そんな彼こそが悪である。

 そんな話か。

 

「遠くない未来、お主たちも犬神使いになるじゃろう。なにが正義でなにが悪か、それを常に考えることじゃ。状況によってはこの二つの関係は逆転することもある。世の中に絶対という言葉は存在しないのじゃ」

 

 まあ犬神使いだけに限った話ではないがのう。最後にそう締めくくったお婆ちゃんははけが淹れた茶で一息を淹れる。

 

「……わかりました。僕、今の話を絶対に忘れないようにします」

 

 なにやら薫さんが感銘を受けたようです。まあ子供からしてみれば目から鱗の話だったかもしれないな。真面目な薫からしてみれば特に。

 俺? 俺は一つ頷いただけさ。

 

 

 

 

 1

 

 

 

 お婆ちゃんのありがたいお話を聞き終え、お昼も過ぎていたことから昼食にすることにした。

 ただ、今日は天気がいいから犬神の山でピクニックでもしようと思う。独りでな!

 薫も誘ったのだが、生憎この後は用事があるとのこと。お婆ちゃんも仕事関係で家を離れ、はけはその付き添い。

 と、いうわけで独り淋しくピクニックさ。大丈夫、独りなのは慣れてるし淋しくなんかないやい!

 もしかしたら、この間の女中さんがいるかもしれないし……いたらいいなぁ。いないだろうけど。

 あの後、女中さんとは会うことがなかった。家でも見かけなかったし、ホント誰だったんだろうか……。

 弁当が入ったリュックを背負い、険しい山道を歩く。

 ぐぅ〜とお腹の音が響いた。

 腕時計に目を落とすと時刻は一時過ぎ。

 

「んー……食べるか」

 

 こんなこともあろうかと、おむすびを二つ作っておいたのだ。

 山頂まであと十分くらいだし、ここで少し休憩を取ろう。

 適当な座れる場所を探して腰を下ろす。

 リュックから笹の葉に包まれたおむすびを取り出した。

 

「……おむすびにはやっぱり、沢庵」

 

 おむすびの横にはちょこんと沢庵が二つ。

 おむすびといったらやっぱり沢庵だよな! またはしば漬けでも可!

 

「……ん?」

 

 大口を開けてかぶりつこうとしたところで、不意に人の声が聞こえた気がした。

 耳を澄ますと、どこかで聞き覚えのある声が。

 

「楽しみっすね琢磨さん!」

 

「おう! 捕まえたらいくらで売れっかな?」

 

 おや? 誰かと思えば琢磨少年と子分ではないか。久々に見たなー。

 あのイジメ以来俺を避けるようになった二人。こうして姿を目にするのは久しぶりだ。

 琢磨少年は一抱えするほどの大きさのケージを持っている。

 

「……怪しい」

 

 非常に怪しい。怪しさ満点だ。

 なのでこっそりと跡をつけることに。

 彼らは茂みの奥へと向かっていった。

 

「あっ! いましたよ琢磨さん!」

 

「ははっ、引っ掛かってやんの!」

 

 木の影からこっそり様子をうかがうと、信じられない光景が目に入った。

 なんとトラップに掛かった動物を手にしたケージに入れようとしていたのだ。

 これはただ事ではない!

 慌てて飛び出した俺は勢いそのまま、暴れる動物をケージに入れようとしている琢磨を殴り飛ばした。

 

「……なにやってる、この馬鹿ども」

 

「ぶはっ!?」

 

 口より先に手が出るとはこのことか。それはともかく、激情に駆られてつい殴り飛ばしてしまった。反省も後悔もしていない。

 

「琢磨さん!」

 

 勢い良く吹き飛ぶ琢磨。すかさず隣で唖然としている子分に足払いをかけて、うつ伏せになったところを足で踏みつけた。

 

「くぅッ……! 離せぇ!」

 

「喋るな」

 

「ああああぁぁ!!」

 

 抵抗する子分を強く踏みつける。今の俺は激おこぷんぷん丸なんだ。

 脳内は相変わらず愉快なことになってるけど、マジおこモードだから気をつけろよ?

 

「――いってぇ……なんだぁ?」

 

 茂みから吹き飛ばされた琢磨が現れる。

 奴は俺の姿を認めると顔を引き攣らせた。

 

「なっ、て、テメェは……」

 

「おい」

 

 足の下でジタバタもがく子分を無視して琢磨少年を睨む。

 ヒッ、と声なき悲鳴を漏らした。

 

「お前、なにやってる?」

 

 罠に掛かった動物に目をやる。

 その子はどうやら狐のようで、前足から血が流れていた。

 可愛いもふもふ動物。それも狐。怪我。罠。

 色々な単語が浮かんでは消える。

 ……許さん。

 

「なにやってる?」

 

「お、俺は――」

 

 子分の背に乗せていた足をどかして琢磨少年に接近。腹に拳をぶち当てる。

 膝を突いて悶絶しているがそれに構わず、背中を蹴り飛ばして強制的に腹這いにさせてから逃げられないように足を乗せる。

 

「この子を捕まえてなにする?」

 

 言え。さもなくば死ね。

 殺しはしないが半殺しにはするつもりで殺気を浴びせる。

 

「ヒィっ!? わ、わかった、言う! 言うよ!」

 

 それから語った琢磨少年の話はなんとまあ。この心境をどう言い表せばいいのか悩む。

 どうやら犬神を捕まえて好事家に売り飛ばし、金を作ろうとしたようだ。そのため罠を仕掛けて捕獲しようとしたのだが、引っ掛かったのが犬神ではなく狐であり、まあそれでもいっかと思って捕まえようとしたと。

 八歳の子供が考えることではないし、ましてや犬神とともにある川平の人間にとって禁忌に値する内容だ。

 大事になる前に見つけることが出来てよかったが、かといって小事として扱っていい問題でもない。

 冷めていく怒りを感じながら人知れずため息をつくのだった。

 

 



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第十一話「出会い その二」

 狐の鳴き声って「コンコン」じゃないんですね。
 なんか「キューン」のような犬みたいな声でした。

 以下を修正しました。
・啓太の台詞の一部を修正。


 

 どうも。人間の汚い所を再確認した川平啓太です。

 とりあえず、このファッキン野郎共は後でお婆ちゃんに差し出すとして、今は気絶させておこう。

 頚動脈を絞めて落とす。淡々と気絶させていく姿に少年の怯えた視線が突き刺さる。

 程なくして二人の意識が落ちたのを確認した俺は霊力を物質化する力で頑丈な鎖を作り出し、雁字搦めにして放った。

 

「さて……」

 

 問題はこの狐ちゃんだ。俺を警戒しているのか低い呻り声を上げながら威嚇している。

 ――追い込まれた狐はジャッカルより強暴だ!

 

「……?」

 

 なんだろう、一瞬前世の記憶が電波を受信したような……気のせいか?

 まあいい。今はこの子をなんとかしないと。

 目線を下げてあまり刺激を与えないように、そろそろ~っと手を伸ばす。

 

「キュァーッ!」

 

 うおっ、歯を剥いたぞ!

 思わずビクッと手を引いてしまったが、そんなことでへこたる俺ではない。

 もふもふの前にはこんな恐怖、飼い慣らしてくれるわー!

 などと威勢よく心の中で叫んだは良いが、結局そろそろ~っと手を出す。噛まれるかもと思ったら、ね。反射的に、ね。

 

「キュゥゥゥ……ッ!」

 

 差し出した手に噛み付く狐。

 反射的に身体強化で肉体の耐久性を上げたおかげで痛みはそんなに感じなかった。

 ……そうだよな。罠をかけられて危うく売り飛ばされそうになったんだから、そりゃ警戒するよな。

 ここは距離を置いて刺激を与えないのがベストなのかもしれないが、俺には出来そうにない。

 

「……大丈夫」

 

 優しく、優しく、傷ついた心を癒すように。慈愛の気持ちを込めながら触れるように頭を撫でる。

 俺は敵じゃない。ここにキミを脅かす存在はいない。

 

「怖くない」

 

 時間にして十秒くらいだろうか。

 荒れた心を宥めるように撫でていると、呻り声が止む。

 

「キューン……」

 

 それどころか、か細い声を上げて噛み付いた手を舐めた。

 ペロペロと舐めるその姿から、ごめんね、ごめんね、と声なき声が聞こえてきそうだ。

 表情を緩ませた俺は少し強めに頭を撫でた。

 

「大丈夫。気にしない」

 

 そういえばと、狐の足を見る。

 相変わず忌々しいトラップが狐の足に噛み付いていた。

 

「外すから。ちょっと痛むかも」

 

「キュゥ~」

 

 なるべく痛みを与えないようにそっと罠を解除する。

 前世の謎知識はトラップの解除方法まで知っていた。久々に役に立ったな謎知識。

 ちなみにトラップの種類はトラバサミと呼ばれるものである。

 

「ん……よし。良く頑張った。偉い偉い」

 

 相当痛むであろうに大人しくしていた狐を褒める。

 刃はそこまで食い込んでおらず、傷もそんなに深くなかったのが幸いだった。

 本当はこのまま治療に移りたいんだけど、生憎手元には消毒液も包帯もない。

 仕方がないので服の袖を破って包帯の代わりにする。あとは自然治癒に期待するしかないだろう。

 一通りの処置も終えて、ようやく一息つける。

 

「……ん?」

 

 狐ちゃんがマイリュックに顔を寄せてスンスンしているではないか。

 食べ物の匂いに釣られたのかな?

 食べようとしていたおむすびを取り出すと案の定。おむすびをガン見してきた。

 右に左にと持っていくと同じように顔が動く。やばい超可愛い……。

 

「一緒に食べよう」

 

 幸いおむすびは二つある。それに知らん振りできるほど性根が腐ってるつもりはないし、こんな可愛い生き物をシカト出来るほど俺の精神は強くない。

 取り出したおむすびをあげると鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。その後、大きく喰らいついた。

 

「おー。良い食べっぷり」

 

 あぐあぐと一心不乱に口を動かす。

 俺ものんびりとおむすびをぱくついた。

 

 

 

 1

 

 

 

 名残惜しそうに「キューン」と鳴く狐と別れる。

 そのまま頂上を目指したいところだが、この馬鹿二人をお婆ちゃんの元に届けないといけないから戻らないと。

 ということで、馬鹿二人を担いで来た道を戻りお婆ちゃんの所へ向かう。

 

「おばーちゃん」

 

「ん? なんだい啓太……なにやってんだい?」

 

 両手がふさがっているため行儀悪く足で襖を開ける。お婆ちゃんは両肩に担いだ荷物に目を丸くしていた。

 ぺいっ、と乱雑に荷物を放り捨てる。

 

「啓太っ、そんな乱暴にするんじゃないよ!」

 

「お婆ちゃん。こいつら……ファッキン野郎」

 

「は?」

 

 こいつらが山でなにをしようとしていたのかを説明すると、お婆ちゃんの目がスッと細まった。

 

「……啓太。それは本当かい?」

 

「ん。そう言ってたし、現行犯逮捕した」

 

「……そうか。はぁ、この子たちは前から色々と問題を起こしてきたが、まさか犬神を売るなんて大それたことをするとは……」

 

「たぶん、本人たちは白を切る」

 

「だろうね。それで、啓太はどうしたいんじゃ?」

 

 流石お婆ちゃん話が分かる。

 ニヤッと顔を歪めた――実際は少しだけ目が細まった――俺は胡乱な目を向けるお婆ちゃんを見据えた。

 

「口を割らす。お婆ちゃんは口を出さないで」

 

「……本来なら止めるべきなのじゃが、事が事だしのぉ。あまりやりすぎるなよ?」

 

「大丈夫だ。問題ない」

 

 さて。話もついたことだし、早速ご本人たちに説明してもらいましょうかね。

 おらっ、起きんかい!

 鎖を解いて気付けの一発を放つ。

 

「――げほっごほっ!」

 

「――……うぅ、なんなんっすかぁ?」

 

 どうやら目が覚めたようだなファッキン野郎ども。

 まだ目覚めたばかりで状況がよく理解できていない二人の前に立つ。

 

「あの山に入って、何しようとした?」

 

「な、なんもしてねぇよ! テメェ……覚悟しろよ。このことは母ちゃんに言うからな!」

 

「なんにもしてないなんてウソ。見てたよ。犬神捕まえて売ろうとしてたでしょ」

 

「知らねぇよそんなの! そうまで言うなら証拠出してみろよ!」

 

 し、白々しいなこいつ。親の顔が見てみたいぜ……。

 まあそう言うならそれはそれでいいよ? 聞きだす方法なんて無数にあるんだから。

 

「……ならいい」

 

「あぁ?」

 

「言いたくないならいい」

 

 琢磨少年の両足を掴み、股の間に足を差し込む。

 

「身体に聞く」

 

 そのままガガガッと股間に振動を加えた。

 俗にいう電気アンマだ。

 

「おおおおおおぉぉぉッ!?」

 

「た、琢磨さん!」

 

 子分がこちらに寄ってこようとするが、お婆ちゃんの睨みと俺の殺気に腰を落とした。

 お前も後で味わうんだから今は大人しく見ておけ。

 

「て、てて、テメェェェ! ききききたねぇぞぉぉぉおおおおおお!?」

 

「なにしようとしたー?」

 

「ぐぐぐぐぐっ! こ、これしきのことでぇぇぇ……ッ!」

 

「啓太がギアを二つ上げた件について」

 

「おおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼッ!?」

 

 ほれー、ほれー。このままじゃ生殖機能に障害が生じるぞー?

 将来困ったことになるぞー?

 男としての尊厳を失うぞー?

 

「わわ、分かった! 言う! 言うからっ!」

 

「言いたくなって言ったから、言わなくていい」

 

「あああああ!! 言いますッ! 言わせてくださいお願いしますっ!!」

 

 なんだもう終わりか。根性無しめ。

 最後に一際強く蹴り「あふんっ!?」電気アンマを終了する。

 あとで入念に足を洗わないと。

 

「なら言う。誤魔化したり言い淀んだら……分かってるね?」

 

「はぃぃぃ……」

 

「た、琢磨さん……」

 

 ポロポロと大粒の涙を零しながら『計画』を喋り出す琢磨。

 そんな彼の変わり果てた姿を子分は震えながら呆然と眺めていた。

 

 

 

 2

 

 

 

「はぁ……頭が痛いわい」

 

 あの後すべての話を聞いたお婆ちゃんは至急二人の両親を呼び、此度の事件を説明。

 これは川平の者として。否、犬神使いとして決してやってはならないことであり、それがたとえ子供であったとしても罪は重い。

 よって、二人は犬神使いの資格なしとして今後、裏の世界と関わらないことを言い渡す。また、子の責任を取るため、二人の両親は川平と縁を切ることになった。

 ちなみに琢磨少年とその子分は両親から勘当を言い渡されたらしい。まあ自業自得だが、この先二人はどうするのかねぇ。聞いた話では親戚の家に厄介になるらしいが、肩身が狭いだろうな。まあ、俺にはもう関係ない話か。

 今回の話は内々に処理され、事件を知っているのは当事者のみ。

 お婆ちゃんお疲れ様だね。

 

「あの二人には可愛そうなことになったが、こればかりは仕方が無い話じゃ……」

 

「元気出す」

 

 お婆ちゃんは人が良いからなぁ。気に病んでいる祖母にお茶を淹れてあげる。

 

「おお、ありがとう啓太や」

 

 ずずっと一息ついたお婆ちゃんは何かを思い出したのか勢いよく顔を上げた。

 

「そうだ忘れておった。啓太や、来週から仙界に行ってもらうから」

 

「……ん? 仙界?」

 

「毎年この時期になると仙界と繋がる道が開かれていてな。八歳になったら仙界で修行を積み、仙人と契約してもらう慣わしなんじゃ」

 

「お婆ちゃんも?」

 

「ああもちろん。儂も啓太と同じくらいの歳に修行に向かい契約したよ。これは犬神使いとして必要なことなんじゃ」

 

「なるほど」

 

 仙界……仙界かぁ。どんなところなのかな?

 仙人ってやっぱり白髪が生えたお爺ちゃんで霞を食べてるのかな。

 なにはともあれ、来週から仙界に向かうことになりました。

 

 




あ、あれ? なんか、なでしこよりようこの方にフラグが立ってしまったような……。
感想や評価お待ちしております!


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第十二話「仙人契約」

 ようやく納得のできる話になりました。
 逆位契約云々の設定をすべて書き換えます。



 

 

 どうもこんにちは。毎日生傷が絶えない生活を送っている川平啓太です。

 踏みしめられるほどの硬さを持つ白い雲の上。

 雲面の上をしっかりと立ちながら眼前にあるゲートを見上げた。

 

「……思い返せばもう三年か。長かった」

 

 この仙界と呼ばれる異境へ修行に来てからもうそんなに経つ。初めて仙界に足を踏み入れた時の感動を今でも昨日のように思い出せる。

 見るものすべてが新鮮で、関心が沸いた。また、思い浮かべていた仙人像と実物がまったく異なっていたのにも驚いた。

 

「……霞を食べないことに一番驚いたっけ」

 

 ここ仙界は彼ら仙人たちにとっての流刑地だ。

 天界で罪を犯した仙人たち――本当は神仙と言うらしい――はこの地に落とされ、刑期が満たされるまで収容される。

 犯した罪は大小様々。大罪と言えるものから人間の感覚からすれば罪の範疇に入らないものまである。

 そして、仙人がこの地から解放されるには刑期を満たす他にもう一つ。地上から修行場としてやってくる人間と個人契約を結び、力を貸す代わりに刑期を軽くするというものだ。

 そのため、ここにいる多くの仙人たちは人間と契約を結んでもらおうと、あの手この手でアピールしてくる。

 

「……お婆ちゃんたち、どうしてるかな」

 

 この地で修行を初めて三年。当初の予定では一年で終えるはずが俺本人の希望で滞在期間を今日まで延ばしてきた。

 色々な収穫があった。

 知の仙人から教わった数々の知識、真理を探究する仙人から叩き込まれた様々な魔術、武の仙人から鍛えてもらった武術と肉体。餞別としてもらった数々のアイテム。

そして、掛け替えのない友人たち。

 そう、俺はもうボッチじゃない! 薫以外にも友達が出来たんだ!!

 そして、少しだけ長く話せるようになったんだ!

 人知れず涙を流していると、背後に気配が。

 

「……白山か」

 

「ケロケロ」

 

 振り返ればこの仙界で一番の仲良しであり友達である白山名君の姿があった。

 彼はカエルの仙人である。容姿もまさにカエルが人の形をした彼はケロケロ言いながら俺の隣に立った。

 

「……もう行っちゃうケロ?」

 

「ん。もうそろそろ行こうかなって思ってる」

 

「そうケロか……。淋しくなるケロ~」

 

 涙を浮かべる友の肩を優しく叩く。

 スンスンと鼻を鳴らしながら彼は俺の目を真っ直ぐ見つめた。

 

「本当によかったケロ? やっぱり今からでも契約を――」

 

「これでいい。大丈夫」

 

「ケロケロ~……。でも、それじゃあ啓太くんがあんまりケロ」

 

 悲しそうにケロケロ鳴いてくれる白山。俺のために悲しんでくれるのが不謹慎だけど嬉しかった。

 そんな彼の悲しみを散らすように白山の方を強く叩く。

 

「納得してのことだから、大丈夫。それに、白山の力が無くても大丈夫。強くなったから」

 

 でも、ありがとう。俺のために泣いてくれて。

 そう言うと、彼はさらに大きな声で泣きながら俺を抱きしめた。

 泣き虫なところは相変わらずだな。

 自然と頬が緩んだ俺は彼の背を優しく叩いた。

 

「――もう行くのね」

 

 抱き合う俺たちに新たな声が掛けられる。

 振り返るとお世話になった仙人たちがいた。

 

「姐さん、師匠……」

 

「誰が姐さんよっ! まったく、啓太のその呼び方だけは変えられなかったか。それだけが心残りね」

 

 俺が姐さんと呼んでいる仙人、好天玄女。この仙界の統括者だ。

 彼女からは徹底的に基礎体力や精神修行を仕込まれた。今の俺の肉体の半分は彼女によって改造されたといっても過言ではない。

 

「アタシの課す鍛錬は動けなくなるくらい疲労するのに、啓太だけよ? 鍛錬のあとで更に自主練するのって。今まで多くの修行僧や霊能者を見てきたけど、啓太ほどタフでマイペースな人は見たことないわ」

 

「褒められた。照れる」

 

「褒めてない! まったく……まあ、アンタが居たこの三年は賑やかで退屈しなかったわ。あっちに行っても元気でね」

 

「ん。お世話になりました」

 

 顔を背ける姐さん。その目に光るものがあったが、見なかったことにした。

 彼女と入れ替わるように一人の老人が前に出る。

 

「お前さんがここに来て、もう三年になるんじゃな。長いようでいて短い期間じゃった」

 

「師匠……」

 

 腰が曲がったこのお爺さんは東方神鬼。武の仙人であり俺の師匠だ。

 

「お前さんが儂の元にやってきた日を今でも昨日のように思い出せる」

 

 白い髭を撫でながら遠い目をする師匠。

 俺も三年前のあの日を思い浮かべる。

 

「突然儂の元にやってきては弟子にしてくれと土下座をしてきたな。何度も断ったのに毎日やってくるもんじゃからつい聞いてしまったわ」

 

「……確か、なぜ強くなりたい、だっけ?」

 

「うむ。それに対してお前さんは『将来に向けてとりあえず強くなりたい』と言いよったんじゃ。今まで多くの者が儂の元にやってきたが、あんな返答を返したのはお前さんが初めてじゃ」

 

「師匠、大笑いしてた」

 

「そりゃ笑いもするじゃろう。じゃが、有事に備えて力を身につけること、そしてありが儘の自分を偽りなく見せること。それが儂の心を動かしたんじゃ」

 

「でも教えてくれたのは、身体操法だけだった」

 

「当たり前じゃ。武とは自身で培うもの。儂の武は儂だけしか扱えん。無理に覚えようとしてもそれはただの物真似じゃ。言ったであろう? 身体操法こそが武の根底にして原点と」

 

「ん。でもまだまだ」

 

「当たり前じゃ。たかだか三年で極められてたまるものかい。儂ですら三百年掛かったんじゃからな。……まあ、地上に戻っても修行だけは怠らんようにな」

 

 そう言って頭を撫でてくれる師匠。

 師匠との修行の日々は心が折れかけたけど、俺の血となり確かな糧となっている。

 

「師匠……今までありがとうございました」

 

「うむ。壮健でな」

 

 最後にもう一度、師匠に大きく頭を下げる。

 

「啓太くん」

 

「白山……」

 

 白山は目に涙を浮かべながらも懸命に笑顔を作ろうとしていた。

 いかん、釣られて俺も涙が出てくるし……。

 

「また、会えるケロね?」

 

「ん。また会おう」

 

 微笑み合い、握手する。

 

「またな、白山」

 

「またね、啓太くん」

 

 そして、俺は光り輝く輪――ゲートを潜った。

 向かうは地上、蓮伯寺。

 

 

 

 1

 

 

 

「おお、戻られましたか」

 

 地上に戻った俺を出迎えたのは蓮伯寺の和尚だった。

 彼はこのゲートを管理する者であり、川平でもよくお世話になっている人物である。

 

「おかえりなさい啓太くん。少し見ぬ間に大きくなりましたね」

 

「和尚」

 

 柔和な笑みを浮かべた和尚は頭からつま先まで視線を走らせると、大きく頷いた。

 

「ふむ……。それに随分と力をつけたようだ。此度の修行に得るものがあったようですな」

 

「はい。多くのものを得ました」

 

「それは重畳。お婆様には私から連絡を入れておきますので、もう戻られたほうがよいでしょう」

 

 一つ頷いた俺は感謝の言葉を述べて寺を後にした。

 電車と新幹線を乗り継ぎ、ようやく懐かしの我が家に辿り着く。

 時刻は午後の八時を回ったところだった。

 すれ違う女中の驚いた顔に出迎えられ、お婆ちゃんの部屋に一直線。

 

「お婆ちゃん、帰ったー」

 

 これお土産ー、とお饅頭が入った紙袋を差し出す。

 パソコンをしていたお婆ちゃんはきょとんとした目をしていた。

 

「お、おお。おかえり啓太。連絡はもらっていたが、何事もないように入ってきたのぉ」

 

「おかえりなさいませ啓太様」

 

「ただいま、はけ」

 

 涼しげな笑みを浮かべたはけからお茶を受け取る。

 すでにお茶の用意をしていたとは流石ははけ。パネェ。

 

「それで、ちゃんと契約は出来たんじゃろうな?」

 

「ん、……一応」

 

 左の袖を捲る。二の腕あたりに小さなアルファベットのような模様が刻まれている。

 仙人と契約を交わす際にはその証を授かる。それは指輪だったり、ネックレスだったり、変わり者だと令○のような魔方陣だったりと様々だ。

 俺の場合この文字のようなものが白山と契約した証だ。

 

「契約はした。だけど白山の力、使えない」

 

「というと?」

 

「白山、力弱い仙人。恩恵を与えるほど、格強くない」

 

 本来なら自分が契約した人間にその仙人の力が分け与えられる。

 例えば、風を司る鴉の仙人は風を操る力を、土を司るモグラの仙人は土を操る力をといった具合だ。

 本来であれば俺も白山からなにかしらの力を与えられるはずなのだが、生憎彼の仙人としての格は非常に低く。もともと持っている力もそこまで強いものでもない。

 したがって契約しても、契約者に与えられるほど力がないということだ。

 彼と契約して受けたメリットは、ぶっちゃけない。

 

「それは、なんとまあ……」

 

「それで、なぜお主はその仙人と契約したんじゃ? 契約する前に説明を受けんかったのか?」

 

 それは当然受けた。白山は何度も何度も確認してきたし、最初の方は向こうが断ってきた。

 だが、俺が契約した理由はメリットデメリットを度外視したところにある。

 なにせ、白山さんは俺の――。

 

「友達だから。能力、二の次」

 

 そう、友達だから。単純に力が欲しいのならその辺の強そうな奴と契約を交わした。

 だが、あいつは俺の二番目にできた友達であり、そんな友人を救いたかったから契約したのだ。

 それに能力を貰えなくてもやっていけるほど、この三年間に渡り徹底的に鍛えてきた。

 

「……そうか。なんともまあ、啓太らしい」

 

「啓太様は本当に優しい方ですね」

 

 お、おいおい。そんな優しい目で見るなよ。照れるだろうがコンチクショー。

 

「お前さんが納得してのことなら、わしが口を挟む話ではない。それに向こうでは随分と修行に励んだようだしの」

 

「……もち。今の俺、啓太改」

 

 パワーアップして帰ってきたのフレーズが生で使えますが、なにか?

 むんっ、と力こぶをつくって見せる俺に二人は生暖かい目を向けたのだった。




 カエルを入れないようにしつつ、尚且つ契約できる内容を考えた結果こうなりました。
カエルには悪いが、弱小仙人のポジについてもらいます。
 逆位契約? なにそれ??


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第十三話「理由」

 20日に投稿予定でしたが、前話のダメダメっぷりが悔しかったので頑張って二日で仕上げました。
 これでようやく六千文字か……一万まで長いな。

 ご指摘を頂きまして、以下を修正します。
・一部描写の変更。


 

 うへぃ! 仙人と契約が結べなかったということで落ちこぼれにランクダウンしました川平啓太です。

 契約をしたはいいが、その仙人の力を使えないのなら失敗なのでは、という訳の分からんお言葉を受けました。まあお婆ちゃんの鶴の一声で批判は止んだけど。

 なので、お婆ちゃんに強く言えない親戚連中は俺に対する風当たりをさらに強めた。

その結果、親戚連中からは「契約に失敗したため宗家に庇ってもらった」なんて言われ、川平きっての落ちこぼれなんて陰で言われて いたりする。

 ん? 前は人形だったから、この場合はランクアップなのか?? まあ、どちらにせよあまり良く思われていないことには変わりないんだけどね!

 ありがたいことに女中さんなどの一般人は軽蔑の視線を向けないでくれている。そういった蔑んだ目で見てくるのは親戚やその子供たちだ。

 まあ、他人の評価なんて気にもならないから別にいいんだけどね。なんだって。ただお婆ちゃんには悪いことをしたかなとは思う。

 ――俺、大きくなったら祖母孝行するんだ……。

 そうそう。それと大きなニュースが一つ。というか、俺的にはこっちの方が大ニュースだ。

 なんと、初めての友達である薫くんなのだが、昨年から海外へと引っ越したらしい。

 詳しい話は俺もわからないが、親戚の人と一緒に出国したとのこと。行き先はフランスだかイタリアだか、まあその辺だ。

 ああ、悲しきかな……。せめて最後の挨拶だけはしたかった。

 今度、エアメールを送ろうと思う。

 

「むぅぅー……!」

 

 さて、いま俺は裏庭である技の練習中だ。

 超高速での反復横跳びから成る残像。それらに霊力と気を織り交ぜて作る分身の術。これを習得するための練習である。

 師匠はホッホッホ、なんて笑いながら軽く三十人に分身して見せたなぁ。身体操法を極めれば俺もあそこまで出来るのだろうか……。

 

「うぅー、やっぱりダメか……」

 

 切らした息を整える。まあ必ずしも習得しなければいけないわけじゃないんだけどね。あれば便利というか、宴会芸や大道芸に使えるかなと思っただけだし。

 

「やっぱり難い、身体操法」

 

 身体操法とは読んで字の如く身体――脳、神経、筋肉――を自由自在に操る方法である。

 霊力や気、呼吸法、集中法、自己暗示など様々な手法を駆使して脳を細部まで活性化、また神経系を強化させる。

 これにより脳のリミッターを外したり、記憶力を強化したり、筋肉を個別に動かしたり、反応速度を向上させたりと人体が行っている様々な現象を意識的に発現、向上させることが可能。らしい。

 それって、もしかして某漫画に出てくるような、特殊な呼吸により生み出したエネルギーを用いた技術とかも再現できるの? と以前師匠に聞いてみたら、似たようなことは出来るらしい。マジかよ師匠パネェ。というか師匠も知ってたんだねその漫画。

 まあ、習い始めて三年、しかも基本中の基本しか教わっていない俺はいわば初心者。師匠いわく極めるには最低でも三百年は掛かるみたいだしな。

 ま、気長にやっていきますよー。いまの俺に出来ることといったら、精々脳のリミッターを数段階に分けて解除するのと、全身の筋肉を意図的に動かせるくらいだしな。

 身体操法を習ったおかげで無駄のない身体の動かし方というのも分かってきたし。

 ……今の俺の実力ってぶっちゃけどのくらいなんだろうね?

 

「――すぅ……」

 

 一瞬の精神統一。一秒に満たない時間で集中力をマックスにまで引き上げる。

 流れる風に運ばれ、舞う木の葉。視界に移るそれらを一枚一枚数えていく。

 十……二十三……五十一……一二三……二一〇……。

 枚数の確認を終えた俺は徐に右足を振り上げる。

 風圧により地面に落ちた木の葉が再び舞い上がり、それら一枚一枚に拳を走らせる。

 

「……すぅぅぅ……こぉぉぉ……すぅぅぅ……こぉぉぉ……」

 

 呼吸はコンマ数秒でもズレがあってはいけない。この呼吸法と集中法で身体のポテンシャルを引き出しているのだから。

 一五〇枚すべてに拳を当てた俺は残心をとり、高ぶった気を鎮める。

 

「……ふぅ」

 

 持ってきていたタオルで汗を拭く。集中を切らすとドッと汗が吹き出るんだよなぁ。

 さて、次は武器での鍛錬だ。

 

「創造開始」

 

 生み出すのは一振りの刀。

 四尺半の長刀。美しい曲線を描く刀身は木漏れ日に照らされて鋭い光を放っている。

 込めた霊力は約二〇〇。大体、十数時間かそこらはもつだろう。

 

「せいっ」

 

 刀を上段に構えて振り下ろす。

 まずは素振りの鍛錬から。上段、中段、下段を各三〇〇回ずつ。

 太刀筋にブレがないように意識しながら、一定のリズムを刻む。

 刀というのは鉄製のため重い。この物質化した刀も重さを再現したため重い。 

 そのため、振り下ろした刀を静止させるときに結構筋力を使うのだが、身体操法を習得した俺は刀を静止させるのに必要な筋肉だけを使うことができる。

 まあその分疲労も強くなるが、それも筋肉を意図的に緩和させて血液の循環を速くすれば回復も早くなる。

 てか、この方法で鍛錬してたら、一部の筋肉だけ発達するよな……。バランスよく筋トレしないと将来がヤバイな。

 

「創造開始」

 

 素振りを終えたら今度は投擲の練習。

 投擲用の刀を八本創り出す。

 投擲用の刀は無骨の直刀。飾りは一切なく鍔もない、刀身と柄のみの刀だ。

 直径七十センチの刀をそれぞれ指に挟み、腕をクロスさせる。

 

「……はっ」

 

 気合一閃。腕を大きく開き、すべての刀を投擲する。

 宙を裂く刀は的の大木に突き刺さった。

 

「んー。八本中、六本かぁ」

 

 残りの二本は的から外れて地面に突き刺さっていた。

 的中した刀もそこまで深く突き刺さっていない。せめて刀身の半分は埋めたいな。

 投擲の鍛錬は最近になって始めたものだ。

 当初はまったく突き刺さらず、刺さったとしても角度が甘かったりと満足できるものではなかった。

 それを思えば結構上達したのではなかろうか。

 まあ、俺の心の師匠である某メガネが似合う神父に比べればまだまだひよっこだがな。いつかあの人のように音速の投擲術を習得して、強化ガラスを破砕できるくらいの技量になるんだ!

 ちなみに込める霊力が五〇〇を超えると物質化した物は霧散することなく何故か残り続ける。

 初めて霊力を千込めた木刀なんて四年間も在り続けてるしな。今は実家の倉庫に眠ってるけど!

 

 

 

 1

 

 

 

 俺の目的は強くなることである。

 では何故、強くなるのか。無論将来のためである。

 この先、犬神使いとして悪霊や妖怪などという魑魅魍魎たちとドンパチをすることになるだろう。

 科学という学問が広く普及し浸透している現代に妖怪である。幽霊である。

 科学的に証明できない――もしかしたらされているかもしれないが、明るみになっていない――奴らが自重しろと言いたくなるくらい関わってくるのである。

 生憎、俺の頼もしい味方である前世の謎知識は糞ほどの役にも立たない。

 どこぞの国家の機密情報やら大統領のプライベート情報、世界的に有名な暗殺事件の真相など、なぜ知ってるんだと思えるような情報を持っているくせに、妖怪などの非科学的な情報はまったく無い。

 たぶん、前世の俺はそういった世界とかかわりの無い人生を送っていたか、はたまた妖怪などがいない世界のどちらなんだろうな。何分、記憶の中で自分に関することの一切が抜けているので関連性がまったく分からないのだ。だから謎知識と呼んでいるんだが……。

 まあいい。というわけで、霊能者としてやっていくにはそれなりの実力が求められるのだ。

 当然、危険な仕事もあるだろう。中には命に関わる仕事もあるかもしれない。

 死にたくない。

 そう、死にたくないのだ……。

 二度目の人生を送っているからか、俺は死というものにひどく臆病なのだろう。だからこんなにも強くあろうとする。

 ついでに痛い思いなんてしたくない。極力怪我なんてしたくないし。

 なので、俺は死なないために強くなる。欲を言えば怪我をしないくらいの実力を身につけたい。

 

「と、いうわけで……」

 

 道場破りなのでごわす!

 今、俺は静岡のとある空手道場に来ている。

 顔には縁日にあるようなピ○チュウの仮面をつけて、万が一にも顔がばれないようにしてある。

 なぜ、ここにきて道場破りなのか?

 それはある日、鍛錬をしていて気がついたのだ。

 ――俺には圧倒的に実戦経験が足りないのだと。

 強くなるには実戦経験が必要不可欠!

 犬神使いになっての初仕事で躓くかもしれないし。早め早めにやれることはやっておきたい。

 しかし、実戦経験を積むとはいったものの仕事なんて出来るわけない。

 ヤンキーやチンピラなんかじゃないんだから、その辺の人を相手に喧嘩を売るわけにもいかないし。しかも、そこそこ強い人が相手でないと意味がないときた。

 これ、詰んだんじゃね? と思った俺だったが、ふと謎知識にある情報があったのを思い出したのだ。

 それは某漫画の話なのだが、若かりし頃に強くなるための修行と称して手当たり次第に道場に顔を出し、看板を潰していったという人がいた。また世直しの旅とか言って全国を回りながら紛争地帯や、強者とバトッてたなぁ。

 流石に世直しのたびは出来ないが、道場破りならどうだろうか?

 しかし、今時道場破りなんかあるのだろうか。そう疑問に感じた俺はパソコンで“道場破り”で検索をしてみたのだが。何件か道場破りにあいましたといった話が上がっていたのだ。

 よし、ならこれで行こう! 翌日、顔がばれないようにお面を購入して電車に揺られてこの道場にやってきたというわけだ。

 通常の対人戦闘が犬神使いとして役に立つのかという疑問はあるが、まあやって損は無いだろう。

 なにせ俺の対人経験ははけと師匠しかいないのだから。

 

「たのもー」

 

 玄関をガラガラと開けての一言が館内に響いた。

 中では汗をかきながら稽古に勤しむ人たち。パッと見た感じ十歳以下が十人、十~二十代あたりが十五人、三十代が十人いる。道場にしては少ないようだ。

 突然の乱入者に動きを止める人たち。目を丸くしてなんだなんだとこっちを見てくる。

 

「えーと、なんの用かな? 入門希望者?」

 

 道場主と思わしき青年がやってきた。空手の道場主のイメージ通りながっしりとした体つき。

 黒帯には羽山と刺繍されている。

 

「道場破り、希望」

 

 シュッシュッとその場でシャドーする。

 漲るこの熱い血に道場主はキョトンとした顔になると破顔一笑した。

 

「はっはっは! 道場破りか。面白い子だな」

 

 入門希望なら今度お母さんかお父さんと一緒に来な。

 そう言って道場主はキャンディーを一つ渡すと俺の頭を乱雑に撫でた。

 初道場破り、子供扱いされて終わる。

 

 

 

 2

 

 

 

 前回の失敗を活かし、今度こそ道場破りをしてみせる!

 あの道場はあれだ。道場主がいい人だったのがいけないんだ。

 そりゃそうだ。いきなり十歳くらいの子が道場破りに来たと言っても信じてくれないだろう。

 冗談として捉えあんなにも紳士に応えてくれて逆にこっちが赤面ものだ。

 と、いうわけで。今度は評判が悪い道場をピックアップ。

 その道場は実践形式に近い空手を教えており、力の上下関係が明確な場所だ。

 指導という名のイジメがあり、過剰な暴力でも力こそすべてという言葉に許容してしまう、そんな道場。

 ここなら門前払いを食らうこともないし、こっちも思いっきりやれるだろう。と、思ったらまさに魂胆通り。

 

「たのもー」→「ぬうっ、何奴! 道場破りか!」→「小童の癖に道場破りとは生意気な奴め……お前ら、一丁もんでやれ!」→「うっす!」

 

 こんな感じで当事者の俺が唖然とするほどトントン拍子に話が進み、気がつけば回りを門下生で囲まれるハメに。

 一応、一対一という形らしく、相手は見上げるほどの身長差があるお兄さん。つーか、道場破りする俺が言うのもアレだけど、十一歳の子供に大学生はないだろう……。

 なんてブラックな道場なんだ。一人戦いていると、審判である道場主が間に立った。

 

「時間無制限! 禁じ手なし! 投げ技、寝技、関節技あり! 気絶、または降参により敗北と見なす! では、始め!」

 

「へっへっへ、楽な試合だぜ。粋がった自分に後悔しな!」

 

 死ねぇ! と威勢よく拳を突き出す大学生。

 しかし、その突きは師匠の拳に比べれば止まっているようなもので、はけの扇子と比較すればあまりにも遅い。

 なんなく躱す俺に大学生は驚いたように表情を歪めた。

 

「ほぉ、今のをよく避けたな。ガキにしてはやるじゃないか。はぁ!」

 

 重心の傾きと筋肉の緊張具合いから上段回し蹴り。

 一呼吸先に安全圏へと踏み出し、俺も上段の回し蹴りで迎え打つ。

 狙うは股間――だと可愛そうだから蹴り足のふくらはぎ。

 

「ぐぉ! うぁっ!」

 

 相手の蹴り足を回し蹴りで迎撃。下から救い上げるような形のため、体制を崩して勢いそのまま転倒。

 禁じ手もないこの試合はいわばバーリトゥード。なので、関節技で仰向けに倒れた大学生の動きを封じつつ靭帯を責める。

 

「ぐぅぅぅっ!!」

 

 十秒ほど粘った大学生だが、結局体勢を覆すことができず降参した。

 

「やるな少年! だが次の相手は手強いぞ?」

 

「俺が相手だ」

 

 前に出てきた男は見上げるほどの巨漢。この道場一の門下生らしい。

 ここに来てナンバー二かよ! 思わず心の中で突っ込んだ俺は悪くない。

 

「そのふざけたお面、バッキバキにしてやる」

 

 そう息巻き、始めという合図とともに踏み込んできた。

 

「ふんっ!」

 

 正拳突きを外側に踏み出すことで躱し、回し蹴りをしゃがんで回避する。

 

「ちぇあ!」

 

 喉を狙った抜き手。体を開いて躱し、抜き手を把持。

 流れに逆らわず、前下方に引いて力を誘導。相手の体勢が崩れたところで軸足を右足で払い、うつ伏せに潰れる相手の顎目掛けて左の膝を立てる。

 

「がふっ」

 

 ガチン! と歯が鳴る。

 立てた膝の上に顎が落ち、強制的に閉口。ついでに少々脳を揺さぶったようだ。

 平衡感覚を狂わせている隙に男の背後を取り、手足を固めつつ頚動脈を絞める。

 

「……っ」

 

 ぽんぽんと手を叩かれる。降参の合図。

 手を緩めて拘束を解く。

 

「……馬鹿め!」

 

 待ってましたとでもいうように肘打ちが襲い掛かる。

 外側に転がり回避すると同時に肘に腕を絡め、転がる勢いを使って相手の体勢を崩す。

 

「なっ――ぐぁああああっ!」

 

 気がつけば違う関節技の完成。激痛に苦悶する男は今度こそ降参の声を上げた。

 

「むぅ、このままでは我が道場の威信が落ちる……かくなる上は。お前ら、全員でかかれぇ!」

 

「おいおい」

 

「ふはははは! ルールには反してないからな! やってしまえ!」

 

 道場主の合図に門下生達が一斉に襲ってくる。中には木刀や棍、ヌンチャクなどの武器を手にしている者もいた。

 なら、俺も相応の対応を取らせてもらいましょうか!

 今までは身体強化・弱で挑んでいたが、ここに来て出力を中に上げる。

 まっ、多対一もいい経験になるさ!

 

「うぉおおおおお!」

 

 木刀を振りかぶって襲い掛かる少年。その隣から同じく木刀を手にした門下生が目に入った。

 少年の木刀を持つ手に腕を絡ませて力を誘導し、そのまま隣の男が振り下ろす木刀を受け止める。

 男の腹に前蹴りを食らわせて吹き飛ばし、少年の膝裏を軽く踏んで体勢を崩したところを地面に引き倒す。

 背後から気配。後頭部を狙った攻撃を反転すると同時に先手で制す。虚を狙った一撃は相手の脳を揺さぶりダウン。

 正面から薙刀での横薙ぎ。屈んで回避すると同時に回転し足払い。立ち上がりつつ尻餅をつく相手の胸を強く踏み込む。

 胸部を押さえてもがき苦しむ男は放置。横でヌンチャクを無茶苦茶に振り回している男を視認。

 何かしてくる前に先手を取る。喉に抜き手を放ち、膝に蹴りを入れる。

 ヌンチャクを落とす男の後ろから二人突出。

 右の男の回し蹴りを踏み込んで回避し、がら空きとなった股間に蹴りを入れる。間髪いれず隣の男の正拳突きを片手で逸らしつつボディーブロー。

 くの字になる男の背の上を転がって立ち位置を変えて、襲いかかろうとしてきた門下生たちに苦しむ男を突き飛ばす。

 たじろいでいる隙に飛び蹴り。

 乱戦でのコツはとにかく動きを止めないことだ。目まぐるしく動いて相手をかく乱し、一撃一倒を心がける。

 

「そ、そんな馬鹿な……」

 

 気がつけば三十はいた門下生たちは例外なく地に沈んでいた。

 身体強化をしている俺はこのくらいでは息も切らせない。というか、この程度で息を乱したら仙界での地獄の鍛錬についていけないし。

 

「く、クソがぁぁぁ!!」

 

 どこから持ち出したのか、日本刀を抜き放ちながら振りかぶってくる道場主。

 無造作に剣腹を払って軌道を逸らし、反対の拳で顔面を殴り飛ばす。

 道場主の驚愕した顔が印象的だった。

 こうしてピ○チュウのお面をかぶりながら悪徳道場を回っていったのだった。

 

 




悪徳道場はぶっちゃけ存在自体がネタです。
また道場破り云々はあくまで作者のイメージです。関節技云々は深く突っ込まないでください!
その場の雰囲気をお楽しみくださいませ(笑)

次回、いよいよ犬神選抜の儀です!
感想や評価お待ちしております!


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第十四話「犬神選抜の儀」

難産でした……すごく難産でした……。
友人にこの話を読ませたら致命的な爆弾を指摘され、再構成に頭を悩ませました。

タグ欄に以下のタグを追加、修正しました。
・半オリ主タグ消去、オリ主タグ追加。
・デレデレようこタグ追加。
・原作とは別物タグ追加。


 

 どうも皆さんこんばんは。ただいま憂鬱な気分に襲われている川平啓太です。

 十三歳に、なりました。なってしまいました。

 十三歳は俺の人生におけるターニングポイントだ。なにせ、十三歳になるということは、犬神選抜の儀を受ける年なのだから。

 そして、選抜の儀はいつだと思う?

 あ・し・た・だ・よ!

 もう就寝時間だというのに緊張で目が冴えちゃって眠れません。

 俺ってこんなにプレッシャーに弱かったけ……? 新たな自分を発見して泣きそうです。

 しかし、眠らなければ。意地でも眠らなければ!

 試験当日に寝不足とか冗談じゃねぇぞ。最悪なコンディションで迎えるわけにはいかないんだ。

 目を閉じて無理やり眠ろうとする。

 ……そうだ、羊数えよう!

 一匹二匹と牧場に羊がやってくる光景を思い浮かべる。

 三千八百辺りで牧場が満帆になり、溢れかえった羊たちが戦列を組んで前進し始めてようやく、眠りにつけたのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

 夢を、見ました。選抜の儀を受ける夢を。

 夢の中の俺はなぜか声高々に労働条件を叫びつつ、山のなかを走っていた。

 結果、俺の前に現れてくれた犬神は一匹もおらず、誰も憑いてくれないという異例を作ってしまう。

 絶望にうちひしがれる俺へと追い討ちをかけるように親戚の奴らの口撃を浴び、泣く泣く家を出る嵌めになる。

 行く宛もない俺は川辺にどこからか調達したテントを張って生活を始め、なぜか河童と仲良くなり――そこで、目が覚めた。

 ということで、起きてからも憂鬱な俺です。

 なんか夢の内容が生々し過ぎて、俺の未来を案じているのではと思えて仕方がない。

 あぁ……俺、今まで犬神使いになることを前提に考えていたけど、なれなかったことを想定してなかったな……。

 なれなかったら……どうしようか。まったくビジョンが浮かばないや……。

 あぁ、あかん。思考がどんどんネガティブな方向に進んでる。

 こんなテンションで選抜の儀当日を迎えるなんて、最悪だ……。

 

「うー……」

 

 しかし、無情にも時間は過ぎていき、ついに選抜の儀が始まる。

 内容はいたって簡単。犬神たちが住む裏山に入り頂上を目指す。その道中に犬神が姿を現して俺の犬神になる意思を示したら成功。

 制限時間は一時間。この時間内にどれだけ多くの犬神に憑かれるかが、犬神使いとしてのステータスに繋がる。

 お婆ちゃんに激励を貰った俺だが、まだ気分は暗い。

 って、ダメだダメだ! こんなんじゃ成功するものも失敗するぞ!

 頬を叩き渇を入れる。

 

「……よし」

 

 さあ、いざ行かん!

 裏山の頂上までは徒歩だと約二十分。時間的には十分余裕がある。

 なるべく優雅に見えるように意識しながら歩く。間違っても走ってはダメだ。夢のように。

 犬神たちは歩く姿勢や仕草などから自分が仕えるに値するか見ているらしい。優秀な犬神使いはそういった何気ない所作でも犬神を惹き付けるのだそうだ。

 大体三分の一ほど歩いたが、まだ犬神には遭遇しない。

 一応、道中で何度か視線を感じたのだが、それだけだ。

 少し時間が経ってもうすぐで三分の二ほど踏破するが、まだ現れない。結構シャイなんだなと自分に言い聞かせないと、どうにかなってしまいそうだ……。

 ……そして、ついに。

 ついに頂上にたどり着いてしまった……。

 結局、俺の前に姿を現してくれた犬神は一匹もおらず、視線は何度か感じたもののそれで終わった。

 あかん、目から汗が出てきてもうた……。

 滲む視界。グッと堪えるように空を見上げた。

 ああ……空はあんなにも青いのに、俺の心は曇り空だ……。

 白山、薫……君たちに会いたいよ。

 

「……あの」

 

 仙界にいるカエルの仙人と来月帰国してくる予定の従兄に思いを馳せていると、背後から草を踏む音とともに可愛らしい声が聞こえた。

 振り返るとそこには――。

 

「……? キミは……」

 

 いつぞやの女仲さん。

 この裏山で一度だけ会ったことのある女中だった。

 

「……お久しぶりです、啓太様」

 

 あ、うん。お久しぶりです。

 少々面食らいながらもお辞儀をする女中さんに頭を下げる。

 

「どうしてここに……?」

 

 今、犬神選抜の儀の最中だけど、こんなところにいていいの? 怒られるよ?

 

「いえ……少し、お聞きしたいことがありまして……」

 

 はぁ、そうっすか。でもそれって後でもいいんじゃ……?

 もしかして、清楚な佇まいをしていながら中身は残念な娘なんじゃ、と思い始めていると、女中さんは真剣な表情で切り出した。

 

「啓太様は……なぜ、犬神使いになりたいんですか?」

 

「……ん?」

 

 俺が、犬神使いになりたい理由?

 言われてポンと直ぐに思い浮かんだのは二つ。

 

「んー。理由はいくつかある」

 

「お聞きしてもよろしいですか……?」

 

 女中さんの言葉にコクンと頷く。

 

「一つは、生き抜くため。この先色んな困難、待ち受けてる。俺一人じゃダメ。犬神たちの手助けが必要」

 

 死なないため、生き抜くためには彼ら、彼女らの助けがいる。

 

「もう一つ。犬神たちと一緒にいたいから」

 

「……?」

 

 可愛らしく小首を傾げる女中さん。あら可愛い。

 しかしやっぱ長文を話すのは疲れるぜ。だがあともう少しだ。頑張れ俺!

 

「……犬神たちと一緒にいる。きっと楽しい」

 

 騒がしく賑やかな生活になるだろう。あらたな環境は俺に活力と潤いをもたらすに違いない。

 もふもふ万歳。

 

「楽しい、ですか……」

 

 キョトンとした顔の女中さん。しかし何にツボったのかわ分からないが、次の瞬間にはクスクスと笑い声を漏らしていた。

 

「ふふ、面白い人ですね。性格は全然違うのに、まるであの方のよう……」

 

「……?」

 

 しばらく目を瞑っていた女仲さんは小さく頷いた。

 その顔はどこか晴れ晴れとしていて、少しだけ見惚れてしまった俺がいた。

 

「申し遅れました。私、なでしこと言います」

 

 よろしければ、私をあなた様の犬神にして下さいませんか……?

 その言葉に一瞬意識が吹っ飛んだ俺は悪くない。

 

 

 

 2

 

 

 

 俺が女中さんだと思っていた人って、実は犬神だったんだ!

 な、なんだってー!

 そんなやり取りでしたはい。嘘ですごめんなさい。要点は間違っていませんがはしょりました。

 しかし一瞬意識が飛んだのは本当だ。超ビックリした。ビックリしすぎて耳がでっかくなっちゃうくらいビックリした。

 いかん、まだ混乱してる。落ち着くんだ俺。

 呼吸法と集中法を持ち要りようやく平常心を取り戻した。

 

「俺の、犬神に……?」

 

「はい。ダメ、でしょうか……」

 

 残念そうな、というより端から見て気落ちしていると分かるくらい肩を落とし、上目使いで見つめてくる。

 うっ、そんな捨てられた子犬のような目で見られたら、ダメって言えないじゃまいかー!

 言うつもりなんて更々ないけど超ウェルカムだけどー!

 もふもふっ娘最高ー! フォー!!

 心の中の俺が喜悦の雄叫びを上げるなか、そっと彼女――なでしこさんの手を取る。

 

「ダメじゃない。全然、ダメじゃない」

 

 その言葉にホッと表情を緩めるもすぐに不安そうな顔になる。

 

「あの、それでですね……。一つ、言っておかなければいけないことがあるんです」

 

「なに?」

 

 なーに? もうなんでも言っていいよ。

 

「実は私、戦うことができないんです。それ以外でしたらなんでも致します。そんな私でも契約、していただけますか……?」

 

「……? なに言ってる?」

 

「そう、ですよね。戦えない犬神なんて……」

 

「なでしこさん戦わないの当たり前。戦うの俺の仕事」

 

「えっ? でもそれでは――」

 

「第一、こんなに可愛い娘に戦わせるなんてダメ。許しません。プンプン」

 

 もふもふっ娘であるなでしこさんに怪我でもされたら、俺は自分の首を絞めるぞ。そして相手は黄泉地へと送る。全力で。

 しかし、そうなるとなでしこさんは何が出来るのだろうか。女中さんの格好だから家事全般?

 もしそうだったら俺はこの出会いに運命を感じるね。俺、家事からっきしだし。絶望に落ちる寸前だった俺を救ってくれたし。

 

「なでしこさん家事できる?」

 

「は、はい。一通り心得ておりますが……」

 

「……女神」

 

 思わずなでしこさんの手を取りキラキラした視線を飛ばす。運命というのを信じた瞬間であった。

 

「これからよろしく……」

 

「……はい。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 自然と目尻が下がる俺に優しく微笑み返すなでしこさん。

 ほんわかとした温かい空気が流れたその時だった。

 

「なによ、それ……」

 

 第三者の声。なんだなんだとそちらを見ると、見たことのない女の子が涙目でこちらを――正確にはなでしこを睨んでいた。

 明るい桜色の着物を着た少女は感情を爆発させるように叫んだ。

 

「ようやくケイタと会えたのに……なんでなでしこがケイタの犬神になってるの? なでしこはわたしの気持ち知ってるでしょう!?」

 

「ようこさん……」

 

 ん? この娘、なんで俺の名前知ってるんだ? どうやら犬神のようだが、初対面だよな……。

 半ば唖然としながら少女を眺めていると、俺の視線にハッとした表情を浮かべ取り繕うように笑顔を出した。

 

「あ、あははは。は、初めまして! わたしようこって言います!」

 

「ん……。川平啓太です」

 

「あのあのっ、わ、わたしケイタ様の犬神にどうしてもなりたくて! それでえっと、あの……っ」

 

 わたわたとテンパった様子で早口にまくし立てるようこさん。

 そんな彼女の空気を片手を突き出すことで一旦納め、静かに語りかけた。

 

「落ち着く。ちゃんと聞くから」

 

「う、うん」

 

 すー、はー。数回深呼吸したようこさんは気を取り直して姿勢を正した。

 

「初めましてケイタ様。わたし、ようこといいます。ケイタ様の犬神になりたくてやってきました。どうかあなた様の犬神にしてください」

 

 お願いします。そう言って頭を下げるようこさん。

 その姿だけで彼女がどれだけの思いで俺の犬神になろうしてくれるのかが伝わってくるようだった。

 チラッと隣にいる初めての犬神であるなでしこさんを見る。

 彼女は複雑そうな目で頭を下げ続けるようこさんを見つめていた。

 

「……頭あげて。俺の犬神になってくれるのは嬉しい」

 

「……! じ、じゃあ……!」

 

「でも、俺には既になでしこさんがいる。彼女と仲良くやっていける?」

 

「……そう、よね。なでしこがケイタの……」

 

「ようこさん……」

 

 複雑な目を向けるなでしこさんと、瞳になにやら暗い色を灯すようこさん。

 彼女は真剣な表情でなでしこさんに切り出した。

 

「ねえなでしこ。ケイタをわたしにちょうだい?」

 

「……っ」

 

「お……?」

 

 ようこさんの言葉に驚くなでしこさん。俺もまさかそんな言葉が出てくるとは思いもしなかったため、目を丸くした。

 というか、やっぱり二人は知己の関係か。

 

「ね? いいでしょ? なにもケイタじゃなくても違う人と契約すればいいじゃない」

 

「……ごめんなさい、ようこさん。私はやっぱり、啓太様の犬神になりたいんです……」

 

「……なによ。なによなによなによ! どうしてそんなこと言うのよ。私がどんな思いで今日まで過ごしたかなでしこなら知ってるでしょ?」

 

「ようこさん……」

 

「ヤダヤダヤダ! ケイタはわたしのなの! わたしだけのケイタなのっ!」

 

「……ようこさんには申し訳なく思います。本当にごめんなさい。これがようこさんを裏切る行為であることも重々承知しています……私は、ズルイ女です……。それでも、私は啓太様と一緒にいたいんです。もう二度と、こんな出会いはないでしょうから……」

 

 癇癪を起こした子供の如くわめき散らすようこさんに、なでしこさんは申し訳ない顔をしながらも譲れない色を瞳に宿す。

 あばばば。な、なんでこうなったのか皆目検討がつかんばい。

 あたふたする俺を他所に事態はさらにヒートアップする。

 

「そんなこと言うなでしこなんて嫌いっ」

 

「……っ、ようこさん、私は――」

 

「イヤイヤ! 聞きたくない!」

 

 耳を塞いでその場にしゃがみ込むようこさん。

 そんな彼女の姿になでしこさんがおろおろする。

 ……はぁ。これってやっぱり俺が原因だよなあ、どう見ても。

 なら、他ならない俺が収集つけんと。

 

「……ようこさん」

 

「……っ! ケイタ……」

 

 もう呼び方はケイタで確定なのね。

 いや、今はそれよりもだ。

 

「なでしこさんと仲良くする。それが条件。駄目なら、俺の犬神にはできない」

 

 本当にごめんなさいだが、彼女よりも俺を救ってくれたなでしこさんの方が大切なんだ。

 ようこさんはハッと顔を上げると俺の足に縋りついた。

 零れんばかりの涙を浮かべて必死に言葉を浮かべる。

 

「ご、ごめんなさい、ちょっと困らせてみたかっただけなの! もうわがまま言わない! お願いだから嫌いにならないで……!」

 

「……じゃあ、なでしこと仲良くする?」

 

「それは……」

 

 言い淀むようこさん。そんな彼女に優しく語りかけた。

 

「俺を思ってくれるのは嬉しい。だけど、俺より優秀な主人はたくさん居る」

 

「え……?」

 

「俺以外の主人の元へ向かうのも一つの道」

 

 目を大きく見開いたようこさんは切羽詰ったように訴えてきた。

 

「ち、違う! わたし、ケイタ以外の人間の犬神になる気なんてない! わたしはケイタの犬神になりたいの!」

 

「そう言ってくれるのは嬉しい。だけど――」

 

「…………わかった。なでしこがいても我慢する」

 

「……本当にいい? 後悔しない?」

 

 俺自身彼女の申し出を嬉しく思うし、無碍にしたくない。

 その表情から不本意なのは丸分かりだが、折角妥協してくれたのだ。

 最後の確認を取ると、しぶしぶながらだが、しっかりと頷き返した。

 

「ん。わかった。……なでしこさんも、いい?」

 

 傍らで口を挟まずに佇んでいたなでしこさんにも確認をとる。

 

「はい」

 

 彼女はどこか覚悟を感じさせる顔で神妙に頷いた。

 んー、やっぱりこの二人にはよくわからないが複雑な何かがあるみたいだな。

 はぁ……時間が解決してくれるのを待つしかないのかねぇ。下手に介入してややこしくしたら本末転倒だし。

 

「じゃあ、契約する」

 

 さっさと主従の契約を済ませましょ。なんか今日は沈んだり絶望したり浮かれたりあたふたしたりと、色々あって疲れたばい……。

 主従の契約では互いの持ち物を交換して、犬神が主人にお手をすることで完了する。犬と主人だからお手なのだろうが、もっと他にやりようは無かったのだろうか?

 まあいい。まずは互いの持ち物を交換しないと。パッと見た感じ、なでしこさんもようこさんも持ち合わせはないみたいだ。

 ま、やりようはいくらでもあるがね。ようは交換さえ出来ればいいのだし。

 

「なでしこさん」

 

「は、はい」

 

 緊張した面持ちで前に出るなでしこさん。薄っすらと頬が色づいた彼女に優しく微笑みかけた。

 

「俺の犬神に、なってくれる?」

 

「……はい。私を啓太様の犬神にしてください」

 

 霊力を物質化する力で契約の証であるネックレスを創造する。

 込める霊力は八〇〇。なでしこさんを見て感じたイメージ、月を模したネックレス。柔らかでいて優しく夜を照らす月。どこか儚げな印象を持つ彼女にピッタリなイメージだ。

 それを彼女の首に掛けてあげる。

 どこからともなく取り出したことに目を丸くするなでしこさん。

 そんな彼女を尻目に隣でそわそわと落ち着きなく体を揺らすようこさんの名を呼んだ。

 

「ようこさん」

 

「うんっ!」

 

 嬉しそうに俺の前に出る。段々彼女の性格が分かってきた俺は苦笑を一つ漏らした。

 

「俺の犬神に、なってくれる?」

 

「もちろん! わたしをケイタの犬神にして?」

 

 彼女に与えるネックレスは太陽を模したもの。コロコロと表情を変える彼女にはこれが相応しいだろう。

 込める霊力は同じく八〇〇。なでしこさんと同じく彼女の首に掛けてあげると嬉しそうに破顔した。

 続いて、今度は俺用の物を創造する。同じネックレスじゃなきゃダメという決まりはないし、無難にブレスレッドでいいかな。

 限界まで霊力を振り絞り、なんとか二つのブレスレッドを創造する。どちらも込めた霊力は七〇〇だ。

 飾りは一切無い金色と銀色の無骨のブレスレッド。リング状のそれらを二人に渡し、彼女たちの手から再び受け取る。

 そして、仕上げのお手。

 恥ずかしそうにちょこんと手を乗せるなでしこさんと、ニコニコ笑顔で手を乗せるようこ。対照的な二人の態度が面白かった。

 ちなみにこれらのネックレスとブレスレッドは込めた霊力が五○○以上のため、霧散することなく残り続ける。耐久性は市販のものより少し丈夫くらいだがな。

 こうして俺は二人の犬神を迎え、犬神選抜の儀を乗り越えることが出来たのだった。

 

 




と、いう感じでようやく犬神を迎えることが出来ました。長かった……。
あと数話で原作一巻辺りに突入します。


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第十五話「条件」

 皆さんの暖かいお言葉を励みに頑張って仕上げました。

 結構原作に引かれる人が多いですね(汗)
 一応、改めて説明します。当作品は原作の設定をかなり弄っており、原作とは異なった点が多々あります。ですので、原作とは別物として捉えた上で読んで頂ければと思います。

 設定を弄ったという話だけで、読者の皆様にこの辺も理解されているものだと勝手に解釈していました。深くお詫び致します。m( __ __ )m

 以下を修正します。
・啓太の台詞を一部修正。


 

 どうも皆さんこんにちは。晴れて犬神使いになりました川平啓太です。

 もう当初はなれないのではないかと不安で心配で絶望に染まり掛けた俺だったが、どうにかこうにかやっていけるようになった。もう、なでしこやようこには足を向けて寝れないな。

 二人には呼び捨てで言いと言われたので呼び捨てにしている。彼女たちは相変わらず“啓太様”と“ケイタ”の呼び方で固定されているが。

 さて、犬神に二匹憑かれた俺だが、犬神使いとしてのステータスは……まあ可もなく不可もなくといったところだ。

 落ちこぼれと呼ばれている俺が犬神を二匹従えることができたため、家中では落ちこぼれ以上普通以下のよく分からんやつという意味不明な称号をつけられた。解せぬ。

 で、目下、避けられない問題と直面しているわけで――。

 

「うーむ。ようこが啓太の犬神になるのはのぉ……」

 

 渋い顔で腕を組むお婆ちゃん。その後ろではなにを考えているのかまったく分からない無表情でようこをジッと見つめるはけが控えている。

 問題というのはようこさんだ。

 そう、お前だよお前。宙に浮きながらなにが楽しいのか俺の頭をパシパシ叩いてるお前だよっ!

 後ろに控えたなでしこがどうすればいいのかわからず困った顔をしているぞ。なでしこの制止を振り切ったからなお前。

 なにがしたいのかまったくわからん……。

 

「ようこはちと問題を抱えておってな、まだまだ犬神として半人前なのじゃ」

 

「問題?」

 

「うむ。まあ、この辺りは追々話すとしよう。それでじゃが」

 

「ん?」

 

「正直、このまま啓太の犬神にするのは時期尚早なのじゃが、しかし既に契約を済ませておる。さすがに破棄しろとは言えん。そこでじゃ」

 

「……」

 

「ようこにはしばらくここで犬神としての修行を積んでもらい、お主の下で働けるとわしが判断したときに禁を解こうと思う」

 

 そう厳かに言うお婆ちゃんにようこが柳眉を上げた。

 

「それじゃあ啓太と一緒にいられないの?」

 

「うむ。まだまだお前さんは犬神として未熟じゃ。しばらくわしの下で修行を積みなさい」

 

「……せっかく啓太と一緒になれると思ったのに! ヤダヤダヤダ! 啓太と一緒にいたい、離れたくないっ!」

 

 俺の頭をギュッと抱きしめてイヤイヤと首を振る。

 足まで絡めて全身で拒絶を表していた。

 

「ようこ。あまり我侭を言うものではないですよ」

 

「なによ、はけはずっとお婆ちゃんといれるからそんなこと言えるのよ! わたしも啓太とずっと一緒にいたいもんっ」

 

 キッと睨むようこに難しい顔をするはけ。

 んー、困った。なんか怪しい方向に話が進んでいってるぞ。

 俺自身、俺の犬神になってくれたばかりのようこと離れるのは少し淋しいしなぁ。

 とりあえず気になったことを聞いてみることにする。

 

「お婆ちゃん。犬神の修行ってなに?」

 

「そうさなぁ、ようこに限って言えば犬神としての在り方や心構えじゃな。……そんな目で見るでない。この子はちと特殊でな。その辺りが犬神としてまだ未熟なんじゃ」

 

 犬神なのに犬神としての在り方や心構えを説くってお前……。思わず可愛そうな子を見る目をしちゃったじゃないか。

 しかし、特殊ねぇ。何か訳ありだとは思ったが。

 ま、そういうことなら話は早いわな。

 

「なら、提案」

 

「うん?」

 

「俺の下、暮らしながら修行する。なでしこいるから修行、見てもらう」

 

「むっ……」

 

「えっ? 私が、ようこさんの……?」

 

 突然自分の名前が挙がりビックリした顔をするなでしこをシャーッと猫のように威嚇するようこ。

 折角お前さんのために交渉してんだから大人しくしてなさい!

 ぺしんっ、とようこの頭を叩き、なでしこを手招く。

 隣にやってきたなでしこの手を軽く握った。頭の上からあーっとの声が聞こえるが無視する。

 

「なでしこに頼みたい。お願いしてもいい?」

 

「ですがようこさんが…………いえ。わかりました。不肖ながらようこさんのお手伝いをさせて頂きます」

 

 一瞬何かを言いそうになったなでしこだったが、目を閉じて軽く頷くと応諾してくれた。

 その目の奥には決意を秘めた色が宿っている、そんな気がした。

 

「……犬神が起こした問題は主人である啓太に責任を問われる。啓太、お主にその覚悟があるか?」

 

 真剣な表情で俺を直視する。その心の奥底までも見極めようとする視線を正面から受け止め、はっきりと頷き返した。

 

「ようこもなでしこも、俺の犬神」

 

「……そうか」

 

「啓太様……」

 

 おいはけ。なんだ、その立派になられてとでも言いたげな視線は。

 なでしこも嬉しそうに微笑むな、照れるだろコンニャロ!

 

「ケイタ……ケイタはやっぱりケイタだっ」

 

 おいおい嬉しいからってそんな抱きつくな。お前の大きい双丘が顔に……ハッ! どこからか殺気が!

 視線だけを向けると、そこには先ほどと同じニコニコ顔なのにどこか恐怖を感じさせる笑顔を浮かべたなでしこさんがいた。

 人知れずガクブルしていると、そんな俺たちを眺めていたお婆ちゃんが感慨深そうに言った。

 

「そこまで言うのならようこをしっかりと教育することを条件に特例として認めるとしようかの。……しかし、あのようこがすごい懐きっぷりじゃのぉ」

 

「そうですね。失礼ですが我が目を疑うばかりです」

 

 そういえばと、今更のように思ったことを口にする。

 本当に今更だけど。

 

「そういえば、お婆ちゃん。ようこ、知ってる?」

 

「……うむ。まあ知ってるには知ってるが……」

 

 チラとようこを一瞥するお婆ちゃん。なんか、そこはかとない不安を感じるのですが。

 おいお前、なにか失礼なことしてないよな?

 

「あっ、言っちゃダメ言っちゃダメ! ケイタには言わないで!」

 

「しかしケイタはお前の主じゃから知る義務があるぞ?」

 

「そうだけど……っ、これは自分から言いたいの。時間がきたらちゃんと言うから!」

 

「ううむ……まあ犬神使いになったばかりのケイタでは荷が重い話ではあるか。あい、わかった。ちゃんと自分で言うんじゃぞ?」

 

「うん! ありがとうお婆ちゃん!」

 

 ……当事者を置いてきぼりにして話を進めないで欲しいんだけど。

 というか、ようこさん。ホントになんもしてないよね? ね?

 なでしこに視線向けると困った笑顔が返ってきた。うん、なんかごめんね。

 

「まあよい、話を進めるぞ。ようこがお主の犬神になるのはまあ条件つきではあるが認めよう。が、それだとこの家に置くことができん」

 

 今まで通りここに住む予定であった俺だが、当然犬神である彼女たちも一緒に住まう。

 しかし、聞くところによると、ブラックな何かを抱えているようこは他の犬神使いや犬神たちに疎まれているらしく、この家に置くことができないらしい。まあ親戚連中とかその犬神がよく来るしね。

 と、いうことで家を出なければいけないために居住と資金の確保が必要になったと。うん、超急な話だよねこれ。

 

「すまんのぉ。住まわせてやりたいのは山々なんじゃが……」

 

「……ま、仕方ない」

 

 お婆ちゃんに無理を言うわけにはいかんか。唯でさえこの人には苦労を掛けてるんだから。

 住まいはお婆ちゃんが紹介してくれるらしい。アパートになるがそこの大家さんとは知り合いらしく、裏の世界も知ってるから色々とフォローしてくれるだろうとのこと。

 いやもう、本当にありがとうございます。当分の資金も一緒にくれるとのことだし、もう大好きだわこのお婆ちゃん。

 

「んー。で、どうしよ?」

 

 その後の資金確保は俺自身でしなくちゃいけないため、仕事を紹介してほしいのだが。

 

「うーむ。普通なら高校生になる十六歳から仕事を紹介するんじゃが」

 

「俺たち、異例」

 

「そうよな。じゃが、若すぎる。中学校に入ったばかりの者に責任ある仕事を任せることはできん」

 

 そう、俺が若すぎる。これが非常にネックとなっているのだ。

 お婆ちゃんは俺に定期的に資金を送るとに言ってくれるのだが、ここまで好意に甘えてそれの上に胡坐をかくわけにはいかない。

 なんとか自分で稼ぐ方法を模索しているのだが……。

 

「いいたいことは、わかる。だけど、仕事に対する責任わかってるつもり」

 

「ですが啓太様。啓太様は中学校に入学したばかりですよね? それでお仕事受けるのはちょっと……」

 

 控えめに意見を述べてくれるなでしこに頷く。

 確かに、今年になって最寄の中学に入学した。しかし、学業と仕事を両立させることはできると思う。

 

「なにも社会人と同じとは言わない。初対面の人に信用されない、わかってる」

 

 こんな中学校入りたての子供に依頼を任せられる依頼主はいないだろう。

 しかし、こんな時に役立つ心強い味方が俺にはいるだ!

 出でよ、謎知識~!

 

「そこで、依頼主とはメールでのやり取り。直に会うの、なでしこ。俺の代理」

 

「ふむ……なるほどのぉ。依頼主には一切顔を明かさないと。それならば依頼詳細はメール、ないしはなでしこが聞けばよいし。解決した後に報酬を指定した口座に振り込んでもらえればよい。しかし、相手が直接顔を見せるようにいったらどうするんじゃ? 依頼主も同行というケースもあるぞ?」

 

「そのとき考える」

 

 ま、そのときはその時だ。

 

「ふぅむ……」

 

「あの、啓太様。本当に啓太様がお仕事をされるんですか?」

 

 背後に控えたなでしこが心配そうな顔で尋ねてくる。

 もう、なでしこさんは心配性だなぁ~。

 

「なでしこは反対?」

 

「そう、ですね。啓太様はまだ十三歳なのですから、今は学業に集中なされて、そういった話は正規の年齢になってからでもとは思います」

 

「いいたいことわかる。でもこれ以上、お婆ちゃんの好意に甘えるのよくない」

 

「ですが、啓太様はまだ子供です。素直に甘えてもよいのでは?」

 

 確かに普通の純粋な子供ならそうだろう。しかし、なんの因果か俺には前世の知識なんてものを持ち、精神年齢が同い年より異常に発達しているのだ。

 中身は大人な俺からすれば良心が痛むのだよ。

 

「試しに依頼受ける。駄目なら甘える。これじゃ、ダメ?」

 

 どっちにしろ、依頼を受けれないようなら援助を受けざるを得ない。

 なでしこはふぅと息を吐くと、小さく微笑んだ。

 

「……わかりました。そこまで言われるのでしたら」

 

「ん。ごめんね。でも、ありがとう」

 

「いいえ。私は啓太様の犬神ですから……。私の方こそ出すぎた真似を致しました」

 

「問題ない。俺を思ってのこと、嬉しかった」

 

 顔を赤くして俯くなでしこさん。そのお尻から生えた尻尾がふっさふっさと波打った。

 やべぇ、超可愛い。うちのなでしこさん超可愛いんだけど。もふりたい……。

 だが、今は我慢だ。自重だ。契約を結んだからといってお互いそんなに親しいわけではないんだ。

 もふるのは親睦を深めてからでも遅くはないさ。もふもふは逃げない。

 

「……儂らの前でラブコメしないで欲しいんじゃが」

 

「ラブ……っ」

 

「よいではありませんか。見ていて微笑ましいですよ」

 

 ぷしゅー、と頭から湯気が出るほど顔を赤くするなでしこさんに、人知れず悶える俺。

 そんな俺たちを半眼で眺めたお婆ちゃんは苦笑を漏らすと大きく頷いた。

 

「まあ、ここは啓太の意志を尊重するかね。近々仕事を紹介するからやってみるとええ」

 

「ん。ありがとう、お婆ちゃん」

 

 よし、これでなんとか繋ぐことができたぞ。あとは上手く切り抜けて依頼を完遂すればいい。

 なにはともあれ、すべては依頼次第だな。

 

「すぴー……」

 

 ――そういえば、やけにようこが大人しいと思ったら。寝てたんかいお前さん。

 ホント、フリーダムな奴だなお前……。

 




原作ようこに比べてちょっと素直で甘えん坊な感じがしますね。
少し、設定に無理があるような気もしますが、色々とやりくりした結果こうなりました。


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第十六話「お引越し」

 引っ越し~♪ 引っ越し~♪ さっさと引っ越し~♪
 さすがに古いか(笑)

 前書きに書いた感想での注意事項ですが、多くの方に不快な思いをさせてしまうとのことなので、あらすじに移動しました。
 読者の皆様には大変不愉快な思いをさせてしまい、真に申し訳ございませんでした。

 ご指摘を頂きまして、以下を修正します。
・LDK → 1LDK(脱字)
・買い物の描写を一部修正。


 お婆ちゃんが紹介してくれたアパートがある神奈川へと向かった俺たち。

 大家さんには事前に連絡してある。

 

「ここが今日から住むお家なんですね」

 

「ケイタケイタ! ここに住むの~?」

 

 アパートを見上げて感慨深そうに目を細めるなでしこと、キラキラした目ではしゃぐようこ。

 俺もこれからお世話になる我が家を見上げた。

 どこにでもあるような普通の二階立てアパート。外壁には亀裂もツタもなく結構綺麗な外観をしているだ。

 さて、まずは挨拶をしないと。

 

「大家さん、挨拶いく」

 

「そうですね。これからお世話になりますから」

 

 なでしこの言葉に頷き、事前に聞いていた号室へ。

 インターホンを鳴らす。

 

「はーい」

 

 大家さんは中年のおばさんだった。

 中肉中背のパンチパーマのおばさん。噂好きの主婦のような感じだ。

 しかし、表情は柔らかくパッと見の印象は悪くない。

 大家さんはなでしこを見て、となりに立つようこに視線を移し、最後に俺へと目を向けた。

 

「あら、もしかして?」

 

「はい。今日からお世話になります。川平啓太です」

 

 ぺこっと頭を下げる。

 大家さんはパァっと顔を輝かせた。

 

「君が啓太くんね! お婆様から話は聞いてるわ。私が大家の高松順子です」

 

「よろしくお願いします。彼女たちは僕の犬神、なでしことようこです」

 

 俺の紹介になでしこがうやうやしく頭を下げる。

 

「なでしこです。主ともどもよろしくお願い致します」

 

「あらあら、ご丁寧にどうも。それじゃあ早速案内するからついて来て」

 

 簡単に挨拶を済ませ、大屋さんに先導してもらう。

 階段を上った一番手前が俺たちの部屋だそうだ。

 

「さ、入ってちょうだい」

 

 促されて部屋に入る。

 

「おー」

 

 中は思っていたより結構広い。

 部屋は1LDKのI字型で広さは二十畳。襖を境に八畳の和室と繋がっている。

 トイレと浴室は別々。和室の奥側にはベランダがあり、日差しが差し込んでいる。

 部屋は広いし日当たりもいい。エアコンも完備してあるのは嬉しいね。

 予想以上の好物件だ。

 

「いい部屋ですね」

 

 部屋の中をざっと確認したなでしこも好印象。ようこはふ~んと言いながらキョロキョロ見回している。

 

「気に入った。感謝」

 

「気に入ってくれたようなら嬉しいわ」

 

 大家さんも俺たちの反応にニコニコ笑顔だ。

 その後、ゴミ出しの曜日や家賃、アパートのルールなどを教えてもらった。

 

「――とりあえずはそんなところかしらね。なにかあったら遠慮なく相談しなさい」

 

「はい」

 

「ご丁寧にありがとうございます」

 

 さて、大家さんを見送った俺たちだが、まずは買い物をしないと。

 

「では近辺の地理の確認も含めてお買い物に行きましょう」

 

「ん。色々と入用。テレビ、冷蔵庫……」

 

「流石に一度には買えませんよ? 持ち帰るのが大変ですからね」

 

「あ、そか。じゃあなに買う?」

 

「ケイター、ねえねえ遊ぼうよ!」

 

 ねーねーといいながら抱きついてくるようこ。

 ふむ。時間も丁度昼時だし、腹ごしらえからするかな。

 

「……食べに行くか」

 

「そうですね。確か駅前にファミリーレストランがありましたね」

 

「……? ふぁみりーれすとらん?」

 

 可愛らしく小首を傾げる。犬神だからそういったところに行ったことないのかな?

 

「美味しい食べ物、たくさんあるところ」

 

「ホント! おむすびもあるの!?」

 

「おむすび?」

 

 多分ないんじゃないかなぁ。つか、なぜおむすび?

 と、そうだ。その前になでしことようこの服を買わないと。

 今二人が着ているのは前に見た割烹着と着物だ。流石にこの格好で食事にはいけない。

 んじゃあ、まずはデパートからだな。

 

 

 

 2

 

 

 

「ねーねーケイタ! あれなーにー?」

 

「……自販機」

 

「じゃああれは~?」

 

「……郵便、ポスト」

 

「あっ、あれいい匂いする~!」

 

「ふらふら、行かない」

 

 さっきそれで勝手に売り物に手を出したんでしょうがお前さんは。

 見るものすべてが新鮮らしく、あっちにふらふら、こっちにふらふら。

 しかも社会の常識にも疎く、美味しそうな食べ物を見るとひょいっとつまみ食い感覚で手を伸ばす。本人には悪気がないというか、叱ると『なんで?』と純粋な目で見てくるからたちが悪い。

 でも、なでしこはその辺の常識は大丈夫なんだよなぁ。単純にようこがアレなだけか? この辺りもちゃんと教えていかないとダメだな……。

 

「……」

 

 それにしても視線を集めるな、この二人は。

 街中を歩いていると男たちの視線がなでしこたちに集まり、次いで俺に視線が向い「なんだあの男は?」と殺気をこめて睨まれる。

 中には同じ女性でありながら見惚れる人が出てくるんだから、改めて彼女たちの容姿が抜群に秀でているのだなと再認識した。

 ピンと背筋を真っ直ぐ伸ばして楚々と歩くなでしこ。桃色という目に優しくない髪はいわゆるショートボブ。両端だけ肩の高さまで伸びている。

 翡翠色の眼は柔らかく優しげな色を浮かんでいる。 

 対してスキップなど躍動感溢れた動きでうろちょろするようこ。彼女は緑色というある種のファンタジーを感じさせる髪でお尻の高さまである。長髪だからさぞかし洗いにくいだろうなぁ。

 紅緋の眼は好奇心に満ち溢れ、本人の明るい性質が色濃く表れている。

 どちらも整った顔立ちをしており、テレビの向こう側でも十分通用するレベルだろう。そこいらのアイドルよりよっぽど可愛いと思う。

 可愛い系美少女のなでしこと綺麗系美少女のようこ。タイプは違えどどちらも美少女な上に二人とも着物を着ているんだから視線が集まって当然か。

 ていうか、何気に三人歩いていて気がついたんだが、この中で一番俺が身長低いんだよね……。

 現在一五〇センチの俺だが、彼女たちの方が目線が若干上なのだ。たぶん一六〇辺りはあるんじゃなかろうか。二人はそんなに差はないようだけど。

 いいさいいさ。成長期で育ち盛りだからすぐに追い抜かしてやるもんねー。

 

「買うもの買った。ご飯行こう」

 

「そうですね。荷物はようこさんのおかげで自宅に運べましたし、このままお食事にしましょう」

 

「ん。ようこ、頑張った。なんでも食べていい」

 

「ホント!? じゃあじゃあ、わたしおむすび十個食べたい!」

 

 だから、ファミレスにおむすびないって。帰りにコンビニ寄るからそれまで我慢しなさい。

 デパートでは取り合えず着替えや食器、食材などを買い、冷蔵庫や電子ジャーなどの家電製品、家具などは後日にしようと思っていたが、ようこのおかげで良い方向に予定が狂わされた。

 なんでも『しゅくち』という周囲のものを瞬間移動させる技が使えるようこ。その技を遺憾なく発揮してもらい買ったものを片っ端から自宅に転送してもらったのだ。

 人前で『しゅくち』を使うと目立つが、そこは俺。周囲に気を配り人目がつかないように事を済ませ、気がつけば大体のものを購入し終えていた。後はテレビなど契約が必要なものを買うだけだ。

 いやー、宅配という概念に喧嘩を売るような能力だわ。ようこ様様。

 出会ってから極めて短い時間のなかで何度も俺を困らせてきた問題娘だったが、今なら如何なる悪事を働いても仏の心で赦せそうだ。

 ということで、大活躍したようこさんには特別にメニューのものを何でも頼んでもいい権利を与えたのだ。

あ、なでしこも遠慮しないでね? なでしこのお陰で買えたんだから。

いざ買おうとしたとしたところでふと思ったのだが、電製品どころか家具一つ買えないのではと気がついた。

なら前世でも大変お世話になったネット通販で購入するしかないかなと、そっち方向に手を伸ばそうと思ったが、そこで待ったをかけたのがなでしこだったのだ。

ネット通販ではなく実際に目で見ないとサイズなどが正確に分からない、目で見て手で触れるからこその買い物なのだと懇切丁寧に説明。支払いは代わりにしてくれるとの話なので代金を持たせて代わりに買ってもらった。

なのでなでしことようこ、二人がいてくれたからこそ今回の買い物というミッションは成功したのだ。で、あればなんらかの形で報いなければならない。まあ、早い話がありがとうということだ。

 ちなみに今二人が着ている服だが、ようこの方だけTシャツにスカートという服装に着替えてもらっている。なでしこは今のままでいいとのことなので、一応数着買いはしたが自宅行きだ。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 ファミレスに入ると元気な店員さんの声が出迎えた。

 昼時だからそこそこ人がいるな。あ、禁煙席で。

 ウエイトレスさんに四人掛けの席へ案内してもらいメニューを貰う。

 席はなでしことようこ。向かいに俺という形だ。

 

「人間の食べ物ってどれも美味しそうね~!」

 

 熱心にメニューに目を走らせるようこ。その隣ではなでしこが微笑みながらメニューに目を落としている。

 

「啓太様は何になさいますか?」

 

「オムライス」

 

「わたしこのお肉!」

 

「ん。なでしこは?」

 

「あ、はい。私はこの和風定食セットにします」

 

 ようこはハンバーグでなでしこは和風定食セットね。というか、なでしこさんの和風定食セット、白ご飯と味噌汁、焼き魚、サラダ、漬け物って、まんま朝ごはんのメニューやん。これで納豆と卵焼きもあれば完璧だな。

 ようこはハンバーグにご飯もつける? はいはい。

 ウエイトレスさんに注文する。あとは待つだけだ。

 

「啓太様はオムライスがお好きなんですか?」

 

「んー。まあまあ好き。なでしこは? なにが好き?」

 

 そういえば俺、なでしこのこと全然知らないんだよな。好きな食べ物や嫌いな食べ物とか。

 

「私ですか?そうですね……特にこれといったものはありませんね」

 

「そうなの? じゃあ嫌いなのは?」

 

「私、好き嫌いがないんですよ」

 

 密かな自慢なんです、とはにかむなでしこに驚く。

 好き嫌いなし!? そいつはすげぇ!

 俺なんて口に入れるだけで拒絶反応を起こすものとかあるのに。好き嫌いな意味で。

 

「ケイタ! わたしにも聞いて聞いて!」

 

 それまでメニューを熱心に眺めていたようこが顔を上げた。

 といっても、お前さんの好物なんて……。

 

「……おむすび?」

 

「すごーい! よくわかったねケイタ!」

 

 わからいでか。

 

「おむすびはね、わたしの思い出の味なんだ」

 

 そう言って俺の目をジッと見つめる。なんだ、そんなに見つめて。

 しばしジッと見つめ合う俺たちだが、ようこが嘆息とともに視線を切って終わった。解せぬ。

 

「啓太様は嫌いな食べ物ってありますか?」

 

 俺の嫌いな食べ物? たくさんあるよ。

 

「ブロッコリー、ピーマン、カボチャ、ニンジン、インゲン、セロリ、ナス、トマト……」

 

「た、たくさんありますね」

 

 ぶっちゃけ緑黄色野菜全般です。あ、キュウリとレタスとキャベツは大丈夫。

 

「この辺りは改善していかないとダメね……。わかりました。私がなんとか食べられるように工夫しますので、一緒に頑張りましょうね!」

 

 おうふ。そんな頑張りはいらないです……。

 キラキラした目で見ないで。

 

 

 

 3

 

 

 

「おいしー!」

 

 ハンバーグを食べたようこの感想がこれだった。

 目をキラキラ輝かせている。何気にこれがようこにとって初のハンバーグだな。

 

「おいしい?」

 

「うん! あのねあのねっ、食べたらお肉がジュッてなってブワーッて!」

 

 身振り手振りで感動を分かち合おうと表現してくれるが、擬音ばかりでさっぱりだ。

 だが、本人はとても満足しているのは確か。よかったよかった。

 綺麗に食べつくしたようこは満足そうにお腹を撫でる。

 隣ではなでしこが上品にナフキンで口元を拭いていた。

 

「デザートにする」

 

「でざーと?」

 

 ……とりあえずようこはチョコレートケーキでも食べとけ。

 甘いものが好きな女の子でこれが嫌いな子はあまり見ないし。

 

「なでしこ、なににする?」

 

「私は大丈夫です」

 

 微笑みながら優しく断るなでしこ。んー、やっぱりまだどこか遠慮してるところがあるっぽいなぁ。

 どうしたもんか、と内心では首を捻りながら俺はクリーム餡蜜にする。

 さほど待つことなく届くデザート。

 

「ケイタ。これがちょこれーと?」

 

「ケーキ」

 

「ふーん。確かに甘い匂いがするね」

 

 ま、一口食べてみ。

 フォークで小さく切り分け、その小さな口の中へと消える。

 瞬間、フォークを加えたままピシッと石のように固まった。……あ、あれ? もしかして口に合わなかった?

 とりあえず口直しに俺の食べさせるか。

 そう思いスプーンを掬おうとするが、石化が解けたようこはでれっと顔を蕩けさせた。

 その反応で十分だった。

 

「……おいしい?」

 

 喋るのも億劫というようにコクコクと無言で頷く。

 そっすか。まあ気に入ってくれたのならよかったよ。

 なでしこはそんなようこの反応を微笑ましそうに眺めていた。

 

「なでしこ」

 

「はい?」

 

「……あーん」

 

 俺たちだけデザートを食べるのもあれだしな。

 お裾分けとスプーンを差し出すと、ポカンとした顔のなでしこは顔を赤らめた。

 

「あ、あー……」

 

 小さく口を開ける。恥らうその顔めっさ可愛ええ……。

 なんか、俺まで恥ずかしくなってきちまったじゃねぇかコンチクショウ!

 何食わぬ顔で食べさせた俺だったが、少しは顔に熱を持っているかもしれない。とりあえずさっさと食べようと、再びクリーム餡蜜を口に運ぼうとすると。

 

「……」

 

 なでしこの視線がスプーンに向けられているのに気がついた。

 恥ずかしそうに俯きながらチラチラとスプーンをチラ見している。

 ――ハッ! これは、もしかしなくても間接キスになるじゃまいか!

 どうしよう。新しくスプーンを取り替えるのも言外に意識してますよと言ってるようなものだし、ここは気づかない振りをするべきか?

 チラッとようこを見る。大丈夫、チョコレートケーキを食すのに夢中でこちらの微妙な空気には気づいていない。

 

「……」

 

 結局、そ知らぬ顔でクリーム餡蜜を食べました。空調が利いてるはずなのに顔が熱いです。

 恥ずかしくてなでしこの顔が見れません。クリーム餡蜜? さあ、美味しかったんじゃないの!?

 




アパートが神奈川なのは特に意味はありません。実家からほど遠い場所ということでそうなりました。


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第十七話「依頼」


 友達から聞いた小二~大二病の定義。
・小二病「なにがなんだかわからないけど、とにかくスゲー!」
・中二病「ひたすら格好良さを求める」
・高二病「シリアスなところに魅かれる」
・大二病「ある種の悟りを開く。諦観?(例:世界は所詮こうなんだから……)」

 なお、友達いわく大二病は小二病に進展することもあるらしい。人によってはループするのだとか。(例:世界は所詮こうなんだから……だが、だからこそそれがイイ!)
 さて、皆さんは何病かな? ちなみに作者は友達いわく小二と中二の間らしい。



 

「ふんはぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 とある山奥に存在する滝つぼ。天から落ちる龍のような、凄まじい勢いと迫力で流れ落ちる水流。

 そこへ一人の男が拳を突き刺す。

 間髪入れず拳を引き、逆の突きを放つ。

 正拳突きと呼ばれる動作。

 一瞬、水を穿つも流れ落ちる水が瞬く間に穴を塞ぎ、そして再び新たな穴を穿つ。

 何度も。

 何度も。

 

「ぜいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 男は筋骨隆々という言葉がピッタリな風貌をしていた。

 鍛え上げられた筋肉はムキッと盛り上がりを見せ、赤銅色の肌が水滴を弾く。

 ナイフで刺すような冷たい水に膝まで浸かり、もう何時間もここで拳を振るっているためか、身体から濛々と湯気が立ち昇っている。

 鬼気迫る、まさに鬼のような形相。親の敵が相手でもここまでの形相はしないだろうと思えるくらい凄みのある顔つきだ。

 身に着けているのは赤い褌一丁。

 己のすべてを出し切り、自然へと挑むその姿はまさしく一人の武道家。

 

「しゃぁりゃああああああああああッッ!!」

 

 男が振り上げた足が滝の一部を割った。会心の一撃に男の顔に笑みが浮かぶ。

 

「ぬわっ」

 

 しかし、男は足元を滑らせて重心を崩してしまう。水中に転倒するそんな男をあざ笑うかのように、割れた滝が元の勢いを取り戻した。

 

「……未熟ッ!」

 

 バネ仕掛けの人形のようにすぐさま起き上がる男。全身ずぶ濡れなのを気にも留めず、先ほどよりも幾分か増した形相で己を責めた。

 

「未熟未熟未熟ゥゥゥ! なんたる様かッ!!」

 

 鼻息荒く近くにあった岩場に歩み寄り、唐突にヘッドバッドを執拗に打ち出す。

 ガンガンガンッ! ととても肉体が奏でる音とは思えない音を響かせながら、ついには岩を粉砕した。

 

「ぶるぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッッ!!!」

 

 何かに目覚めてしまったのか。はたまた、頭の打ちすぎで脳が逝かれてしまったのか。

 男は天へ届けといわんばかりの雄叫びを上げると走り出した。

 山を離れ、岩をよじ登り、すれ違う人に絶叫され、当てもなくただ本能と何かに拳を叩きつけたい衝動に従い駆ける。

 ひたすら駆け、ようやく男は自分の中に巣くう衝動をぶつける相手を見つけた。

 

「だっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 巨大な岩。何かをまつっているのか、しめ縄がされた岩に男は拳ではなく頭を叩き付けた。

 飛び散る岩の破片とわずかな鮮血。

 この男の行動が、後にある少年と少女たちが関わる原因となる。

 

 

 

 1

 

 

 

「――ん……んぅ……」

 

 カーテンの隙間から零れる朝日。まどろむ意識が覚醒へと向かう。

 小鳥のさえずりが耳に心地よく、小さく身じろぎをした。

 

「んー……?」

 

 ごろんと寝返りを打つと、ぱふんっと顔面に柔らかなものが納まる。

 芳香な香りが鼻腔をくすぐった。

 なんだ、この柔らかいのは……。

 顔面を柔らかく圧迫する物体。それでいていい匂いがする。

 まだ脳が正常に覚醒していないなか、謎の物体を掴んでみる。

 

「やぁん♪」

 

 謎の物体は手の中でくにくにと形を変え、柔らかな弾力で押し返してきた。

 ついでに、なにやら艶かしい声も返ってきた。

 ――…………!?

 

「もー。ケイタって意外とエッチなんだね♪」

 

 ようやく脳が起き出し、現状を把握することが出来た。

 何故か隣で添い寝しているようこの胸を揉んでいる、そんな現状が。

 

「……!? な、なにっ?」

 

 慌てて転がるようにして距離をとる。

 昨日は三人分の布団を敷いて、別々で寝たはずだ。なでしことようこはリビング、俺は和室としっかり男女で分けた。

 ようこもちゃんと自分の布団で寝た。

 それなのになぜお前さんが隣で寝てる!? 昨日別々の布団で寝たよね!?

 障子によって隔てられた室内には俺とようこのみ。

 時計を見てみると時刻は七時を回ったところだった。

 

「なん、なんで隣、寝てる?」

 

「ん? 啓太と一緒に寝たかったから。だってわたし、啓太の犬神だもん♪」

 

「その理屈、おかしい」

 

 思わず突っ込んでしまったが、深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。

 ……まったく、朝から変な汗かかせやがって。

 なにが楽しいのか上機嫌に笑いながら、四つん這いでにじり寄ってくる。

 

「失礼します啓太様。朝食の支度が整い――」

 

「ケイタ、わたしのおっぱい気持ちよかった?」

 

 スッと襖が開かれ、なでしこが姿を見せる。

 それと同時にようこが豊満な胸を自分で揉みながら、爆弾を投下しやがった……!

 

「……啓太さま?」

 

 あ、あれ? なんでそんなに笑顔が硬いのかな??

 おい、なんだその背後に視えるものは……! なでしこさん、アンタ一体いつからスタ○ドに目覚めたんだ!?

 

「んー、いい匂い! お腹すいたぁ~」

 

 おいちょっと待て。なにしれっとわたし関係ないもんとでも言いたげにリビングに向かうんだお前。

 おい元凶! カムバック!!

 内心狼狽する俺であったが、無情にもデフォルメされた可愛らしい子犬が前足を振り上げた。

 

 

 

 2

 

 

 

「まったく。ようこさんもあまりからかってはダメですよ?」

 

「からかってないもん。ケイタになら触られてもいいもーん」

 

「ダメです。女性が無闇に殿方へ肌を許してはいけません」

 

 ……どうも、皆さんおはようございます。朝から理不尽な仕打ちを受けました川平啓太です。

 なんとか誤解を解いたが朝から無駄に疲れたぜ……。甘い卵焼きがしょっぱく感じるのは何故だろう。

 ズズッと味噌汁を啜る。んー、美味。

 ちゃぶ台の上には白米と味噌汁、シャケの塩焼き、卵焼きが人数分並んでいる。

 これらはすべてなでしこが用意してくれたものだ。

 契約の時に一通り家事は出来ると言ってくれた通り、素晴らしい出来栄え。いや、想像以上の腕前だ。

 シャケの焼き加減がなんとも絶妙。味噌汁も延々と飲めるくらい美味しい。

 ぶーたれたようこを尻目に味わいながら食べていると、なでしこがどうでしょうと不安そうに聞いてきた。

 どうでしょうって、そんなアンタ……。

 

「美味い」

 

 この一言に尽きるでしょうに。

 グルメレポーターのような表現力がない俺には多くの思いを込めてそう言うしかない。

 

「そうですか。お口に合ってなによりです」

 

 ホッと安心したように一息ついたなでしこは自分も朝食を食べ始めた。

 

「へいは、ひょうははにふふほ~?」

 

「ようこさん、食べながら喋るのはお行儀が悪いですよ」

 

「ん。まずは飲み込め」

 

 ご飯粒を飛ばしながらガツガツと勢い良く食べ、口に入れたまま喋るようこを嗜める。

 

「もぐもぐもぐ……ごっくん。ケイタ今日はなにするの?」

 

「んー。今日は―ー」

 

「失礼します」

 

 虚空からすぅっと浮き出るように表れた一匹の犬神。

 濃紫色の髪で片目を隠した男はお婆ちゃんの犬神であるはけだ。

 はけは食事中の俺らを見ると朗らかに微笑んだ。

 

「お食事中失礼します」

 

「ん。いらっしゃい。食べてく?」

 

「いえ、大変魅力的ではありますが、今日のところは遠慮します。我が主からです」

 

「ん」

 

 差し出されたファイルを受け取る。

 内容は以前話していた仕事の紹介についてだった。

 ざっと目を通した俺ははけに大きく頷いた。

 

「……ん。お婆ちゃんに分かったって伝えといて」

 

「承知しました。……それにしても良い部屋ですね。昨日の今日でもうこんなにも家具を揃えたのですか」

 

 部屋を見回したはけが感嘆のため息をついた。

 俺も一緒になって部屋を改めて見回す。

 リビングには茶色を基調とした絨毯が敷かれ、ちゃぶ台がど真ん中を占領している。壁側にはテレビを置くためのスペースを作り、テレビ台はすでに設置済み。

 キッチンの方には食器棚と冷蔵庫、電子レンジ、電子ジャー。

 和室にはタンスとクローゼット、それと小さな収納棚。

 後はテレビと電話機を揃えるだけだ。幸い、お婆ちゃんから貰った資金はまだ余裕がある。その辺の管理はなでしこにお任せだけどね。

 依頼をたくさんこなして金を稼がないと。この家の大黒柱は俺なのだから。

 

「わたしが頑張ったんだよ!」

 

 ふんすと鼻息強めで胸を張るようこ。確かにこれらはお前さんの手柄だな。

 頭を撫でると「えへー」と相好を崩す。ちっ、可愛らしいじゃねぇか。

 ふと視線を感じた。なでしこの方を見ると「別に私、気にしてませんよ?」とでも言いたげに食事を続けているが、チラチラと撫でられているようこを――というより、撫でている手をチラ見していた。

 ああ、もう! 可愛いなぁ!

 食卓には三角形になるように座っているのでなでしこも手が届く距離にいる。なのでそちらにも手を伸ばし頭を撫でてやった。

 

「あ、はぅ……」

 

 顔を赤くして少し俯く。照れたときに俯くのが癖なのかな?

 左手には艶々した手触りのようこの髪。右手にはサラサラした手触りのなでしこの髪。

 同じ女の子でもこうも質感が違うのかー、などと考えていると、はけの小さな笑い声が聞こえた。

 

「ふふ……失礼。安心したのですよ。なでしこもようこも、啓太様と良い関係を築けているようで」

 

「当然」

 

 むしろ、もっともっと仲良くなってやるさ。

 

「では私はこの辺りで失礼します」

 

「ん。お婆ちゃんによろしく」

 

 やって来たときと同じく、すぅっと虚空に溶け込むように消えていくはけを見送り、改めてファイルに目を落とす。

 初仕事だ。気合を入れねば。

 

 




 滝つぼの場所は原作だと川の近くらしいですけど、当作では山になりました。
 次話はついになでしこ視点での話です。ちなみに過去最長文です。


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第十八話「初仕事 / なでしこから見た世界(上)」

 初なでしこ視点です。
 長いので上下に分けます。これで約九千か……。
 本当は一万まで行きたかったですが、キリがよかったので一旦ここで区切ります。

 以下を修正します。
・大柄な男の服装を変更。

 新作諸説を執筆する予定なので、匿名を解除しました。
 よろしければ活動報告をご覧ください。


 

「ワホ、ワホホホホホホホホッ!」

 

「こちょこちょー」

 

 赤い褌だけを身に着けた大柄な男の人が奇妙な笑い声を上げながら床の上を転がっていく。

 大男といっても差し支えのない風貌。厳めしいとも思える外見と裏腹に屈託のない笑顔で転げ回っています。

 そんな見た目と現実の落差に戸惑う私を他所に、あの人は容赦なく手を動かしていく。

 

「……むっ、こことみた」

 

「――! ワホホホホホホホホーン!」

 

 男の人の胸にまるで蝉のよう張り付き、執拗に脇を擽る。

 その度に、男の人は声を大にして笑いこけます。

 

「……」

 

 そんな光景に私――なでしこはどのような顔をすればいいのか分からず、引き攣った笑みでそっと事態を見守っていました。

 私のご主人様である啓太様の顔はいつもの無表情でありながら、どことなく楽しげな雰囲気を醸し出しています。案外、あれでご本人は楽しんでいるのかもしれません。

 

(ようこさんもいれば、一緒になって遊ぶのでしょうね)

 

 俗世に疎く、ある事情により他の犬神たち交流がない彼女はいわば純粋な子供がそのまま大人になったようなもの。

 自分の好奇心が向かうところ、興味があるものには目がないようこさんにとって、啓太様という存在はこの世の何よりも輝いて見えるでしょう。

 そんな彼女がこのような場面を目の前にして、大人しくしていられるとは到底思えない。

 じゃれ合う二人を傍らで見守りながら、数年前にようこさんが言っていた言葉を思い出した。

 

「おむすびの人、か……」

 

 

 

 1

 

 

 

 私が啓太様という方を知ったのは今から八年前のこと。彼が五歳のときでした。

 人里に下りていた犬神がご主人様と一緒に帰郷してきた時、偶然啓太様の名前が上がったのです。

 人形、と。当時の川平の縁者は啓太様のことをそう呼び、陰口を叩いていたらしいです。

 無口で無表情。何を考えているのかさっぱり分からず、とても五歳児とは思えない。

 人形のような生気の無い少年。故に、人形。

 それを聞いたときに感じた啓太様に対する印象は、変な子供がいるというものでした。

 私もそこそこの年数を生きる女。多くの人間をこの目で見てきました。

 その中には、啓太様のような生気の無いまさに『人形』のような表情をした子供も目にしたことがあります。

 なのでそれを聞いて、気持ち悪いとは思いませんでした。ただ、今時珍しくはありましたから、変な子と思ったのです。

 

(まあ、私には関係の無い話ですが……)

 

 川平家と盟友となり数百年。ただの一度も主を迎えたことの無い私にとって、それは取るに足らない情報でした。

 私は犬神たちの中でも特殊な立ち位置にいます。

 それは、私が過去一度も主を迎えたことが無い『いかずのなでしこ』であり。

 自ら戦うことが出来ない牙を抜かれた獣である『やらずのなでしこ』だから。

 これらの二つ名を持つ私は犬神という輪の中では浮いた存在でした。

 犬の化身である私たち犬神は主を迎えることに喜びを感じます。

 主と一緒に生活し、一緒に遊び、一緒に生きる。主と一緒に何かをするということにどうしようもない喜びを覚えるのです。

 そんな犬神である私が主を迎えていない。そして、主を守る立場の私が戦えない。故に、私は周囲の犬神たちの輪に入れないでいました。

 そして、私自身もそれを理解しているからこそ、積極的に輪に入ろうとしなかった。

 犬神として主に仕えることは誰もが感じる共通の喜び。それを得られ感じられる皆が羨ましい。

 しかし、私は戦えない。戦えない自分をわざわざ犬神にしてくれる主がいるはずもない。

 決して犯してはいけない過ちを犯してしまった私。そんな自分に対する戒めとしての誓いが今の私を形作っている。

 遠い昔に誓った記憶が、私の身体を縛っているかのようなそんな錯覚を覚えたこともありました。

 

 そして、後の私が出会いの日と名づけた日。

 ついに出会ったのです。私の生涯のご主人様となるあの方と。

 

 その日、私の気分は非常によくないものでした。

 久しく見なかったあの夢。私が犯した過ちの光景。

 目覚めてから気分が優れなかった私は山頂へ向かいました。

 山の上から街並みを見下ろし、誓いを今一度思い出します。

 誓いを立ててから数百年。今でもあの頃と思いは変わりません。しかし、ふとした時に思うのです。

 

(私は、ちゃんと変われたの……?)

 

 それを確かめる術はない。故に、変われたのか、そうでないのかが自分でも分からない。

 変えることが出来たのならそれでいい。しかし、もし――。

 もし、変えることができなかったとしたら……。

 

「……どうしたの?」

 

「えっ?」

 

 思考の渦に呑まれていた意識を引き戻したのは子供の声でした。

 振り返ると一体いつからいたのか、人間の子供が至近距離から私を見上げていました。

 

「えっと、あなたは……?」

 

「?」

 

 見慣れない顔だが、恐らく川平の者。

 薄茶色の髪に幼き頃の宗家とよく似た顔立ち。

 無表情で首を傾げるその姿に一人、心当たりがありました。

 

(この子が、川平啓太様……)

 

 なるほど、こうして見ると確かに生気をあまり感じさせない。

 が、しかし――。

 

(この子の霊力、なんて優しい色なのだろう……)

 

 内に秘めた霊力の力強さと、優しく包み込む柔らかさ。

 今までに感じたことのない類いの霊力の波動を感じました。

 

「ええっと、川平の方ですよね?」

 

 念のため尋ねるとしっかりと頷き返してきました。

 私も目線を合わせます。

 

「こんなところでどうしました?」

 

 なるべく優しく怖がらせないように話しかけると、子供は「散歩」と一言返しました。

 

「散歩って……ここまで?」

 

 確かにこの山は小さいけれど、子供が山頂のここまで登るのには相当苦労するはず。

 なのに、この子は大したことではないとでも言うように軽く頷きました。

 

(散歩でここまで来るなんて、一体どんな体力をしているの……?)

 

「どうしたの?」

 

 小さく首を傾げる子供。先ほどと同じ台詞。

 私は立ち上がり、再び街並みを見下ろしました。

 

「……私は昔、罪を犯してしまいました」

 

(……こんなこと、言ってもいいのでしょうか)

 

 相手は子供。こんなこと言われてもなんのことだか判らないでしょう。

 しかし、今は誰かに聞いて欲しかった。

 

「それはとてもいけないこと。もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにと心に誓いました。でも、時々思うのです。私はちゃんと変われたのかな、て……」

 

 塊根の念が過ぎるが、ジッと私を見上げる子供の視線に気付き、取り繕うように笑いかけました。

 

「ふふ、ちょっと難しかったですね――え?」

 

「……」

 

 子供は何を思ったのか、私の手を取り歩き出しました。

 子供に手を引かれまま大樹の根元まで向かうと、今度は座り込み自分の隣をぱんぱんと叩きます。

 

「座る」

 

「えっ?」

 

「座る」

 

「えっと……」

 

 突然の要求に唖然としていると、子供は袖を引っ張り隣に座らせました。

 

「あの――」

 

「お姉さんの過去は知らない」

 

 ピシャッと第一声でそう言い切られ、思わず顔を俯けそうになりました。

 抑揚の無い声が、まるでお前のことなんて知ったことかと言ってるようにも聞こえ。

 少々、胸が痛みます。

 

「……」

 

「でもお姉さんは反省してる。なら大丈夫」

 

「え?」

 

 落としていた視線を上げると自分の顔を一心に見つめる子供と目が合いました。

 どこにでもある焦げ茶色の瞳。しかし、なにかその瞳の中にキラキラと光るものがあるような、一瞬そんな錯覚を覚えました。

 

「人は変わる生き物。変われる生き物。……変わろうとする意志があるなら、大丈夫」

 

 そう言って子供は小さく微笑みました。

 微笑むといっても口の端を少し吊り上げるだけの微々たる笑み。

 しかし、初めて目にするこの子の笑顔に、小さく心を揺さぶられました。

 子供の言葉がすぅっと心に染み渡るかのように入り込んできます。

 まるで重い鉛が退かされたような、雁字搦めに巻かれていた鎖が緩んだ、そんな気分でした。

 

(変わろうとする意志があるなら大丈夫……)

 

 不思議なものです。

 その言葉には子供の言うこと、と一笑に付すことが出来ない不思議な力が宿っていました。

 

「そう、ですよね。大丈夫ですよね……?」

 

 この子が言うことなら大丈夫。そんな気さえ覚えます。

 時間にしてたったの一時間にも満たない邂逅。

 それなのにいつの間にか、啓太様に対して今までに感じたこの無い気持ちを抱くようになりました。

 この人のことをもっと知りたい。そんなどうしようもない欲求が胸の内に巣くったのです。

 

 

 

 2

 

 

 

 それからというもの。毎日とまではいきませんが、たまに啓太様と出会った山の頂まで足を運びました。

 また会いたい。そんな欲求に従っての行動です。

 しかし残念ながら、啓太様の姿をお目にすることはありませんでした。

 実際に啓太様の姿を見ることが出来たのはあれから七年後のことでした。

 

 その前に一つ、重大なお話をしなければなりませんね。

 ある晴れの日のこと。今日も今日とて犬神たちの輪に入ることなく、独りでお花のお世話をしていたときでした。

 私の数少ない友達である彼女がやってきたのです。

 

「なでしこっ! 聞いて聞いて! わたしね、おむすびの人と会ったんだ!」

 

 緑色の髪を揺らしながら私の元に走りよってきたのはようこさん。

 ある理由で犬神たちから蔑まれている()()()()()

 私ははしゃぐようこさんに驚きました。

 彼女がここまで喜びを表に出したところを見たことが無かったからです。いえ、冷笑以外の喜びに満ちた笑顔という表情を見たのも初めてす。

 驚き固まっている私を余所に、ようこさんは独りでに喋り出しました。

 聞けば、人間に捕まって売られそうになったところを助けてくれた人がいたとの話です。しかも、相手は子供であり威嚇する自分に臆することなく傷の手当てをしてくれたとか。

 その時におむすびをくれて一緒に食べたとのことらしい。だから、おむすびの人なのね。

 名前を知ることができなかったと悔しそうに地団駄を踏むようこさんの姿に、やはり驚きを隠せません。

 今まで表情らしい表情を浮かべず、他者と積極的に関わってこなかったようこさんがこうも感情を露にしている。

 前から交流があり、親しい私ですらこうなのです。彼女を知る者なら誰しも目を疑うことでしょう。それほどまでの変化なのです。

 しかも驚くのはこれだけではありません。

 なんと、ようこさんの話を聞いていくうちに、彼女を助けてくれた子供がどうやら啓太様らしいということが判明しました。

 無表情で淡々と話すというのなら恐らく啓太様で間違いないでしょう。

 嬉しそうに、楽しそうに啓太様を話すようこさんを見ているうちに、段々と自分の中で感じたことのない気持ちが湧き上がってくるのが分かりました。

 

(こうまでようこさんを変えるなんて……)

 

 あのようこさんをこうまで変えた啓太様に対する驚愕、尊敬。そして、嬉しそうに私に報告するようこさんに対する、言いようのない気持ち。

 ようこさんが羨ましいと、思いました。私はあれから一度もお会いすることがないのに、あの方と触れ合い、声を掛けられ、食べ物まで恵んで貰えただなんて。

 

「わたしね決めた! おむすびの人のいぬかみになる!」

 

「啓太様の、犬神に……?」

 

「おむすびの人ってケイタって言うの? そっかぁ、ケイタって言うんだ~」

 

 幸せそうに手を組んで思いを馳せるその姿にまた、心がざわめきました。

 そして一瞬、こんなことを思いました。

 

(私もあの方の……啓太様の犬神になれれば)

 

 しかし、私は『いかずのなでしこ』。今まで主を迎えてこなかった理由としては戦えないというのもありますが、この人ではないと直感的に感じたのが大きいです。

 本当はそんな直感に従い続けるのは間違っているのかもしれません。だけど、初めてなんです。

 初めて、自分からこの人の犬神になりたいと思ったのは。

 いえ、厳密に言えば初めてではないですね。この気持ちはあの人、慧海様以来――。

 

「ねえなでしこ。わたし、ケイタのいぬかみになれるかな?」

 

 嬉しそうに、楽しそうにそう聞いてくるようこさん。

 私は胸の内に感じるものに蓋をしながら頷きました。

 この時、ちゃんと笑えていたかは……定かではありません。

 

 そして月日は流れ。運命の日。

 犬神選抜の儀がやってきました。

 

 犬神の山はこの日、いつにも増して賑わっていました。

 

「どんな人が来るんだろうね?」

 

「いい主だといいな~」

 

「いまりとさよかは? 誰か狙ってる人とかいるの?」

 

「ん~? 私たちはそうだねぇ。イケメンで面白くて、性格もよくて、お金持ちがいいなぁ」

 

「そんな完璧超人いるか!」

 

「そうですよ。これは神聖な儀なのですから、ちゃんとした態度で臨みなさい」

 

「なによー。せんだんだっていつにも増してめかし込んでるじゃん。そのドレスなんて言っとくけど、ここだと場違いだよ?」

 

「ななな! い、言うに事欠いてなんてことを……!」

 

「なんだー、自覚してんじゃん」

 

「見栄っ張りなせんだーん」

 

「きーっ! お待ちなさいお二人とも!」

 

 楽しそうな声があちらこちらから聞こえる。私はそっとその場を離れました。

 だから、後ろの方で続いた会話は耳に入りませんでした。

 

「そういえばあの子も参加するんだってね」

 

「だれだれ?」

 

「ほら、あの人形とか言われてる子」

 

「あー。たしか川平啓太だっけ」

 

「アンタどうする?」

 

「あたしはパスかな。実際見てみないとわかんないだろうけど、聞いてる限りいい話は聞かないし」

 

「あ、やっぱり? 火の無いところに煙は立たないっていうしね。あたしもパスかなー」

 

「たぶんみんなパスだろうけど、これで超優秀だったりしてね」

 

「あはは! だったらあたしら超大損じゃん!」

 

 

 

 3

 

 

 

 喧騒から一人そっと離れた私の元にはけ様がやって来ました。

 

「やはり儀式の日は騒がしいですね」

 

「仕方ありません。みんな願っていた日ですから」

 

 苦笑するはけ様に同じく微笑み返す。

 

「そういうなでしこはどうするのです? 今回も儀式を見送るのですか?」

 

「いえ。今回は儀式に参加しようと思います……」

 

 私の言葉におや、と眉を上げるはけ様。

 今まで儀式に参加しなかった私が今回突然参加するといったのだから驚いて当然でしょう。

 

「……そうですか。あなたに何があったかは知りませんが、良い変化だと思いますよ」

 

「はけ様……」

 

 ふと思いついたことを聞いてみることにしました。

 

「はけ様は、今回の儀式で注目している方はいらっしゃいますか?」

 

「私ですか? そうですね。一人、心当たりが在ります」

 

「それは……?」

 

 空を見上げたはけ様は慈しむようにその名を口にしました。

 

「我が主のお孫様である、啓太様ですよ」

 

 

 

 

 4

 

 

 

 そして儀式が始まりました。やってくる子供を木の陰から眺めていましたが、やはりこれという人はいません。

 一人、二人と、他の犬神たちが憑いていく中、私は変わらずその場を動きませんでした。

 そしてとうとう、あの方がやって来ました。

 啓太様は優雅な姿勢と歩き方で黙々と山の中を歩いていきます。

 その姿は犬神使いとして破格なものであると本能で感じました。

 うずうずと身体の奥底から湧き上がってくる衝動。今すぐにでもあの方の元に向かいたい気持ちに駆られるからです。

 しかし、それらを理性で押し殺しあの方の後をそっとついて行きました。

 頂上に向かって歩く中、他の犬神と遭遇する気配はありません。

 

(この歩く姿を見るだけでも犬神使いとしてかなりのものをお持ちだと判るはずなのに、なぜ他の皆は憑こうとしないの……?)

 

 まだまだ未契約の犬神たちは大勢いるはず。しかし、啓太様の前に現れる犬神は未だ一匹もいませんでした。

 頂上にたどり着いた啓太様。やはり一匹も姿を見せなかったのはご本人も相当心にきたのか、落ち込んでいるご様子でした。

 なんだかいてもたってもいられなくなった私は隠れるのを止めて啓太様の前に姿を見せました。

 

「あの……」

 

「……? キミは……」

 

「お久しぶりです、啓太様……」

 

 口の中で小さく呟いた「あの時の……」という言葉が聞こえます。

 覚えていてくれた。それが嬉しかった。

 

「どうしてここに……?」

 

「いえ……少し、お聞きしたいことがありまして……」

 

 変わらずの無表情ですが、どこか困ったような様子の啓太様。

 私はどうしても聞きたいこと、聞かなければならないことがありました。

 

「啓太様は……なぜ、犬神使いになりたいんですか?」

 

 それが第一の質問。

 犬神使いになって何がしたいのか、どうなりたいのか。

 もし、もしも。

 私の本当の姿を目にした時にどのような行動を取るのか、それが知りたかった。

 

「んー。理由はいくつかある」

 

「お聞きしてもよろしいですか……?」

 

「ん。一つは生き抜くため。この先色んな困難、待ち受けてる。俺一人じゃダメ。犬神たちの手助けが必要」

 

 生き抜くため。

 なるほど。確かに犬神使いは危険な生業ですからね。そのために私たちの助けが必要と。

 

「もう一つ。犬神たちと一緒にいたいから」

 

「……?」

 

 仰っている意味がよく分からないのですが……。

 

「……犬神たちと一緒にいる。きっと楽しい」

 

「楽しい、ですか……」

 

 思わずオウム返しで返してしまいました。

 しかしそれほど、その言葉は意外でした。

 そういえば以前、初めてお会いしたときにも私たち犬神のことを家族と呼んでくれましたね。

 今の犬神使いの中でそんなことを仰ってくれる人が果たして何人いるのでしょうか。聞くところによると、中でも酷いところでは体の良い道具や奴隷のような扱いを受けている者もいると聞きます。

 

(楽しい、私たちと一緒にいることが……ですか)

 

 その言葉を聞いてふと、遠い昔のことを思い出しました。

 川平の開祖。慧海様がご存命の頃の話です。

 あの方はいつも笑顔でいて、笑っていました。

 私たち化生を友と呼び。気さくに声をかけてくれた人間。

 そんな慧海様に「貴方はなぜいつも楽しそうに笑っているのですか?」と訪ねたことがありました。

 

「そりゃお前さん。楽しいからに決まってんだろ。お前たちと一緒にいると楽しいんだよ!」

 

 カカッと笑い飛ばして大きな掌で頭を撫でてくれた。

 そんな慧海様と啓太様が一瞬、被って見えました。 

 

「――ふふ、面白い人ですね。性格は全然違うのに、まるであの方のよう……」

 

 豪放磊落な雰囲気の慧海様と、静謐な森林のような雰囲気の啓太様。

 二人の性格も真逆と言ってもいいでしょうに、似通っているとすら思えました。

 やはり、この人だ。この人で間違いない。

 心が訴えるまま、素直な気持ちを表そう。

 

「申し遅れました。私、なでしこと言います。よろしければ、私をあなた様の犬神にして下さいませんか……?」

 

「俺の、犬神に……?」

 

 驚いた顔をする啓太様。

 

「はい。ダメ、でしょうか……」

 

 むくむくと不安が鎌首をもたげてくる。

 今まで『いかずのなでしこ』と呼ばれてきた私だ。心に決めた人の犬神になれないかもしれないというのが、こんなにも不安になるだなんて……。

 不安を抱える私の手をそっと握った啓太様は力強く断言してくれました。

 

「ダメじゃない。全然、ダメじゃない」

 

 よかった。安堵の吐息が漏れそうになるが、問題はここからでした。

 

「あの、それでですね……。一つ、言っておかなければいけないことがあるんです」

 

「なに?」

 

「実は私、戦うことができないんです。それ以外でしたらなんでも致します。そんな私でも契約、していただけますか……?」

 

 そう。私は誓いのため戦うことが出来ない。

 犬神として致命的な欠点を抱える私。

 しかし、啓太様は不思議そうな顔で首を傾げました。

 

「……? なに言ってる?」

 

「そう、ですよね。戦えない犬神なんて……」

 

「なでしこさん戦わないの当たり前。戦うの俺の仕事」

 

 信じられない思いでした。まさかと。

 断られて当然なのに、戦えない私を肯定してくれなんて。

 もしかして、私は夢を見ているのではないのでしょうか……。

 

「なでしこさん家事できる?」

 

「は、はい。一通り心得ておりますが……」

 

 家事は好きなので満足いただけると思います。

 

「……女神」

 

 無表情なのに瞳の中にキラキラしたものを宿して手を取る啓太様。

 

「これからよろしく……」

 

「……はい。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 一生、この方についていこう。

 啓太様の犬神として……。

 

「なによ、それ……」

 

 そう心に決めた私に冷たい声が降りかかりました。

 よく知る声。私の数少ないお友達の声。

 振り返るとそこには涙目で私を睨む、ようこさんの姿がありました。

 

 

 

 5

 

 

 

「ようこさん……」

 

 ようこさんが口にする数々は正しく正当性のある言葉で、私は言い返せないでいました。

 彼女が啓太様に寄せる思いは懸想かどうかは定かではありませんが、それに近しい感情であるとは察していました。

 毎日を退屈そうに過ごしていたようこさんがあんなに生き生きとした姿で啓太様のことを語っていたのです。

 私は、彼女の思いを肯定していました……。

 

「ねえなでしこ。ケイタをわたしにちょうだい?」

 

 普通に考えたら友達の恋を横取りするような立場であるのは明白です。身を引くべき、なのでしょう。

 ですが、ようこさんに言われたその一言が、私の心を深く穿ちました。

 

(せっかく、せっかく出会えたご主人様を……啓太様を、渡す?)

 

 これ以上の出会いは無い。コレを逃したら、次は無い。

 確信にも似た予感が私にはあったのです。

 だから、一瞬の迷いは決意と覚悟によって振り切りました。

 

「……ごめんなさい、ようこさん。私はやっぱり、啓太様の犬神になりたいんです……」

 

 私はずるい女。最低な女。

 友達の恋を応援していながら、その相手を渡したくないだなんて考えている。どうしようもなく、ずるい女。

 ようこさんとの友情より啓太様を取った。それなのに、私は――。

 

(ようこさんとも変わらず仲良くいたいだなんて、そんな虫の良すぎることを考えてる……)

 

 なんて自分勝手で都合のいい話だろうか。

 だけど、これは私の紛れも無い本心。

 これを現実にするのは並ならない苦労と時間が必要でしょう。

 ですが、叶えて見せます。私は、ようこさんも好きなのですから……。

 たとえ嫌われても、殴られても、罵詈雑言を浴びせられても。

 この利己的な考えを貫き通す。三人が笑って過ごせる関係を作る。

 それが、私の決意と覚悟です――。

 

 




 冷静に考えてみると、結構なでしこって酷い立場にいるんですよね。元からようこのケイタに対する思いは知っていたにも関わらず、友情より恋愛を取ったんですから。
 ですが、私は一見バカバカしい考えやエゴに満ちた思想でも、それを貫き通せば力になると考えます。
 ですので、今回は茨の道とわかっていながらそれでもなお突き進もうとする、なでしこの決意を書いてみました。


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第十九話「初仕事 / なでしこから見た世界(下)」


 ようやく一万文字達成!

 新作を書く予定ですので、興味がありましたら活動報告をご覧ください。



 

 啓太様の仲介を経て、ようこさんと一緒にあの方の犬神になることが出来ました。

 これから色々と大変でしょうが頑張ります!

 

「いかずの名は返上ですね」

 

「はけ様」

 

 啓太様の後に従い、宗家様のお部屋を退出しようとすると、はけ様が声をかけて来ました。

 はけ様はいつもの柔和な微笑を浮かべていらっしゃいます。

 

「いかずのなでしこと言われたあなたが良き主と巡り合えるかどうか不安でしたが、それも取り越し苦労でしたね」

 

「今までご心配をお掛けしました……」

 

 はけ様には本当に心配をかけました。

 昔からなにかと気にかけて下さり、本当に感謝の言葉もありません。

 

「いいんですよ。ようこも一緒というのが不安に思わなくも無いですが、啓太様のことです。なんだかんだであのじゃじゃ馬を御すことでしょう」

 

 目を細め笑むはけ様。私も不思議と心配はしていませんでした。

 

「それに、啓太様ならあなたの心の闇をきっと払ってくれると信じてます。あの方はそう信じさせる何かをお持ちですから」

 

 私の闇。あの忌わしき記憶。

 救ってくれる? 啓太様が……?

 言葉が出ない私はただ無言で頭を下げた。

 

 

 

 1

 

 

 

 中学生の啓太様が仕事につく。

 半ば止むを得ない話ではありますので頷いてしまいましたが。学業を疎かにしないことと、困ったことがあったらすぐに相談するように後ほど約束してもらいました。

 これから暮らす新しいお家は三人で住むには少し狭く感じますが、清潔感があって非常に良いです。台所回りも使いやすそうですし、これから毎日腕を振るえるんですね。

 毎日、啓太様に手料理を食べてもらえる……。

 ――ハッ! いけませんいけません。ふしだらな想像をしていては啓太様に失礼です!

 ざっと部屋の中を確認したら、今度は生活に必要なものを買い揃えないといけません。ついでに周辺の地理も確認しておきましょう。

 家電製品などの機械については一通り見知りおいています。犬神の山にも一台だけですが、テレビがありますし情報は収集済みです。

 なので啓太様? ねっとしょっぴんぐとやらで済ませようとしないでくださいね。いいですか? 買い物というのはですね、自分の目で見て手で触れて……。

 

 ――それから三十分経過。

 

 ……こほん。失礼しました。

 途中、ようこさんが予期せぬ問題などを起こしたりして時間を食ってしまいましたが、なんとかデパートに着きました。

 まずは食器と食材を買うようです。

 これらは問題なく購入することが出来ました。途中、売り物に手を出したようこさんが啓太様に叱られましたが、なんとか事なきを得ることができました。

 そして、次は家電製品の購入です。

 本来は今日購入する予定ではなかったのですが、ようこさんが機転を利かせてくれたおかげで買うことが出来ました。……こしてみると、ようこさんのしゅくちって便利ですね。

 しかし、驚きました。今の家電製品ってこんなにも進歩しているんですね。

 パンを作る機能を持つ電子ジャーに 蒸気で蒸し焼きにするスチーム式の電子レンジ。なぜそのような機能がついているのかちょっと分かりませんが、人間の発想には驚くばかりです。

 一番驚いたのがテレビでした。

 私が知るテレビというのは箱の形をしていて、頭にアンテナがついており、画面の横にダイヤルがあるものでした。

 しかし、今はほとんどのテレビが薄い板のようなもので、画面も驚くほど鮮明に映るのです。なにより、アンテナとダイヤルがないのに一番驚きました。

 リモコンという機械で遠隔操作をするそうですが、それをなくしてしまったらどうするのでしょうか。もう使えなくなるのですか?

 

 ……話が脱線してしまいましたね。

 啓太様の外見ではお支払ができない恐れがあるとのことなので、お金だけもらい私が代わりに清算させていただきました。

 そしてようこさんに部屋まで荷物を送ってもらい、他に買うものはないかと思ったのですが、今度は私たちの服を買ってくれると言います。

 申し出はすごく嬉しいのですが、正直この服装に慣れてしまい、今時の洋服を着るのは少々ためらいがありました。たぶん、私のような古い女には似合わないでしょうし……。

 なので数着だけ買ってもらい――どれがいいかだなんてよく分かりませんので、啓太様に選んでいただきました――ようこさんに送ってもらいました。

 ですが、これからは家事を担う身として、啓太様のお洋服などを選ぶのに分からないでは済ませられないですね。今は若者の服装や流行などはさっぱりですが、これからいろいろと勉強していく所存です。

 お洋服を買い、一通り買い物を済ませたらお食事です。

 近場のファミレスに入り、啓太様はオムライス、ようこさんはハンバーグ、私は和風定食セットを頼みます。

 迷わずオムライスを頼んだため、これが啓太様の好きな食べ物なのかと聞いてみればまあまあ好きとの返事が返ってきました。

 台所を預かる身なのですから、啓太様の好きな食べ物、嫌いな食べ物を今のうちに把握しておきたいです。なので丁度良い機会ですので啓太様の好き嫌いを聞いてみましたが。

 

「ブロッコリー、ピーマン、カボチャ、ニンジン、インゲン、セロリ、ナス、トマト……」

 

 啓太様の口からすらすらと単語が出てきました。あまりお喋りが得意ではないのに、このときばかりは流暢に言葉を口にします。

 それにしても予想以上の多さです。啓太様には是非、好き嫌いを無くして――無理そうでしたら減らして――いただきたいので、これからは色々と工夫をして料理をしなければなりませんね。腕が鳴ります。

 初めて食べる料理の数々に感動を覚えるようこさんを尻目に、食事はつつがなく終わりを迎えました。

 途中、啓太様の手で食べさせていただく事態に遭遇しましたが。ええ、マンガで読んだことはありますが、あれが噂の「はい、あーん」なのですね。確かによいもので……いえっ、なんでもありません!

 ……人目があるので尻尾を消していますが、もし出ていたらはしたなく振っていたでしょう。それほどまでの幸福感がありました。

 

 

 

 2

 

 

 

「行ってきます」

 

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 

「いってらっしゃーい。早く帰ってきてねケイタ!」

 

 その日は平日ですので、啓太様は学校へ行っています。

 必然的に私とようこさんのふたりっきりになました。

 

「……」

 

「……」

 

 それまでの空気が一掃されて重々しい空気が流れます。

 その発生源は、ようこさん。

 彼女が纏っていた無邪気で明るい空気が、鋭利で冷たい氷のようなソレに一変したのです。

 理由は……分かっています。先日の儀式のことでしょう。

 同じ主を持つ者同士仲良くすること。ようこさんが啓太様の犬神になるに当たっての条件です。

 渋々了承したようこさんでしたが、本意でないことは明らかでした。

 ようこさんは目を合わせることなく、部屋から出て行こうとします。

 

「あ、あのっ……ようこさん、どちらへ?」

 

「……あんたには関係ないでしょ」

 

 取り付くしまもなく拒絶の言葉を放つようこさん。振り返りもせずに投げかけた言葉は言外に関わるなと云っている。

 

「ですが……っ」

 

「わたしはね」

 

 強い言葉で被せられました。

 出鼻を挫かれた私は大人しくようこさんの言葉を聞きます。

 

「まだあんたを認めてないから。ケイタが困るでしょうし表面上は仲良くしてあげる。でもわたしとあんたは敵同士だから」

 

「……」

 

「別にあんたとやりあってもいいけど、それだとケイタに嫌われちゃうかもしれないし。啓太の前では仲良くしてあげる。それでいいでしょ?」

 

 冷めた目で一瞥する。その瞳の中にメラメラと静かに燃える炎を垣間見た気がしました。

 ふんと鼻を鳴らし、ようこさんはそのまま部屋を出て行かれました。

 思わず重いため息が零れてしまいます。まだまだ先は長いです……。

 ですが諦めません。いつか二人で心から笑い会えると信じて。

 

 

 

 3

 

 

 

「んー……」

 

 啓太様がパソコンの前で唸っています。

 今日は例の依頼のことで総家様の元へとやって来ました。

 依頼内容はめぇるに書かれているようで、先ほどから無表情でジーっとパソコンの画面に噛り付いています。

 ふよふよと寝そべるような体勢で浮いているようこさんが尋ねました。

 

「ねえねえケイタ。お仕事ってどんな内容なの?」

 

 それは私も気になっていました。

 初めてのお仕事ですが、なるべく危なくない内容であって欲しいです。

 パソコンの画面から目を離した啓太様は宙を見ながら説明しました。

 

「ん。お寺の住職さんからの依頼。除霊の依頼みたい。犬の霊だとか」

 

「除霊ですか。それならそこまで難しい話ではないですね」

 

 むしろ簡単な仕事の範疇に入ります。

 少し前まで啓太様は周りの者から落ちこぼれと呼ばれていました。

 なので、このお仕事で啓太様は出来るんだぞ、というところを見せてやりたいです。私も全面的にお手伝いいたします。

 

「い、犬……! ケイタ、このお仕事って犬が出てくるの!?」

 

 唇を戦慄かせたようこさんの顔は真っ青でした。

 

(そういえば、ようこさんは犬が苦手でしたね……)

 

 たとえ獅子が相手でも不敵に笑って倒してしまうようこさんですが、相手が犬であるなら話は別です。子犬が相手でもプルプルと震えて無力と化してしまいます。

 彼女の唯一の弱点が今回の仕事に大きく関わるようです。

 

「ん。そうだけど?」

 

「……わ、わたし、家で待ってるね! ケイタは強いから大丈夫だもんね! わたしは家でどーんと構えてるからっ」

 

 早口でそう捲くし立てたようこさんはピューッと風のように去っていきました。

 後に残されたのは呆気に取られた私と啓太様だけです。

 

「……?」

 

 よくわからず首を傾げるご主人様。

 

「ようこさん、犬が苦手なんです……」

 

「……なるほど?」

 

 顔を見合わせて思わず二人して笑ってしまいました。

 啓太様の無表情以外の表情を久しぶりに見ました。

 

「……ん。先方とは連絡取れた。明日向かう」

 

「かしこまりました」

 

 それから翌日。午前十時。

 啓太様は口がすっぱくなるほどようこさんに大人しく家に居るようにと言い聞かせました。二時間ほど。

 最後のほうだと辟易した様子のようこさんはコクコクと静かに頷いていました。

 場所は愛知県のようで電車で向かうことになりました。

 

「行ってくる」

 

「行ってきますね、ようこさん」

 

「いってらっしゃーい。お土産よろしくね~」

 

 ようこさんに見送りされた私たちは電車に揺られながら愛知県へと向かいました。

 乗り換えは一本のようで、片道は大体四時間のようです。

 四人掛けの椅子に座った私は啓太様に魔法瓶から注いだお茶を渡して流れる景色を眺めます。

 紅葉の季節に近づいているためか、綺麗な紅葉が山々を彩っています。

 

「よろしいですかな?」

 

 登山用の装備を整えた老夫婦が相席を求めました。

 ご丁寧に帽子を取って向かいの席に座る啓太様と私に確認を取ってきます。

 

「……どうぞ」

 

 チラッと老夫婦を見上げた啓太様は向かいの席に置いていた荷物を上の網棚に移動しようとします。

 

「…………なでしこ」

 

 大きなリュックを片手でひょいと持ち上げる姿に老夫婦が目を丸くしますが、身長の問題で若干届かない様子に顔を綻ばせました。

 ご主人様の微笑ましい姿に目を細める老夫婦と同じく私も微笑みながら、リュックを変わりに乗せてあげます。

 

「これはご丁寧に」

 

 小さく頭を下げた老夫婦は向かいの席に腰を下ろしました。

 お昼の時間になったのでお弁当を食べ始める啓太様。その頬についたご飯粒を取ると、旦那様がこんなことを尋ねてきました。

 

「失礼ですが、お二人はご姉弟ですかな?」

 

「ん? ……んー」

 

 私たちの関係を一般の方に説明しても分からないでしょう。

 啓太様もどう説明したものかと首をかしげていると、奥様が旦那様を嗜めていました。

 

「いやだわお父さんったら。ごめんなさいねぇ。恋人同士なのに姉弟呼ばわりしてしまって」

 

「こ、恋人同士……」

 

 思わず顔を俯けてしまいます。

 本当は訂正しなくてはいけない。ですが、周囲にそう見られているということが私の心を弾ませました。

 

「……」

 

 そして、啓太様も否定しなかったというのも、私に小さな喜びを感じさせてくれました。

 こんな些細で小さな出来事が、とても嬉しかったのです。

 

 

 

 4

 

 

 

「ここが大道寺、ですか」

 

 駅を降りて歩くこと二十分。ようやく依頼主がいるお寺に到着しました。

 この付近では大道寺の他に法明寺という飼い猫の供養を専門にしたお寺があるようです。

 そのためか町興しの一環として猫に関するものが広く出回っているとのことでした。

 ここに来る途中でも猫の絵が描かれた旗やチラシ、カレンダー、さらには『にゃんにゃん定食』や『猫饅頭』といった食べ物にまで浸透しているようです。

 

(しかし、なんでしょう。なにか胸騒ぎがします……)

 

 ここに来る途中でも不可解なことがありました。

 大道寺までの道を尋ねると、必ずといっていいほど良い反応が返ってこないのです。中には出て行けといって塩を撒く人までいました。

 そこはかとない不安がこみ上げてきます。

 

「なでしこ。行く」

 

「あ、はい」

 

 中に入ると住職さんがいました。軽く挨拶を交わし本堂へ案内されます。

 住職さんはなぜか両腕に包帯を巻いていました。頬には大きな湿布が張ってあります。

 猫背で疲れが身体に出ているのか、あまり覇気というものが感じられませんでした。

 住職さんはお茶の用意をするため席を外しました。

 キョロキョロと周囲を見回す啓太様。私も一緒になって見回します。

 高い柱に黒ずんだ床、染みの浮かんだ天井。毛羽立った畳。

 本堂は少々、年季を感じさせる佇まいをしていました。

 ですが、なんでしょう。

 特別、妖気や霊気を感じるわけでもないのに、先ほどからひどく胸騒ぎがします……。

 

「啓太様……」

 

「ん?」

 

 言い知れない不安に、思わず啓太様へ身を寄せてしまいました。

 

「いやいや、お待たせしました」

 

 襖を開けて住職さんが戻ってきます。

 一瞬。

 一瞬、襖の向こうに何かがいる気配を感じました。

 

「私がこの大道寺の住職をしております。此度はよく来てくださいました」

 

 そう言うと、住職さんは啓太様の手を取りました。

 

「本当に、よく……!」

 

 絆創膏だらけの手で啓太様の手を包むように取り、額に押し付けます。

 感極まった声に啓太様もたじたじの様子です。

 

「……僕に依頼を任せて、本当によろしいですか?」

 

 啓太様の容姿を懸念して確認でしょう。

 しかし住職さんは啓太様の視線を真正面から受け止め、大きく頷かれました。

 

「勿論ですとも! 確かに貴方はお若いですが、犬神使いにそれが当て嵌まるとは私は思いません。彼女がそうなのでしょう?」

 

 住職さんの視線が私に向かいました。

 

「はい。啓太様の犬神のなでしこと申します。此度は主の補佐を任されておりますので、よろしくお願い致します」

 

「こちらこそよろしくお願いします。もう、あなた方に縋るしかないのです……!」

 

 その言葉にはどれほどの重いが込められているのでしょう。

 住職さんは唇を震わせながら大きく頭を下げました。

 

「……頭を上げてください。受けた依頼は完遂します。犬神使いの名に賭けて」

 

「おおっ! よろしくお頼み申す、犬神使い殿!」

 

 

 

 5

 

 

 

 お茶を啜り一息つく啓太様。私はその隣でお話の邪魔にならないように控えていました。

 

「……ところで、ここに来る途中、色々な話を付近の人から聞きました。近隣の人から、結構苦情がきているとか」

 

「散歩がどうしても必要なもので……。近隣の衆には本当に申し訳ないことをしました」

 

「……随分とヤンチャ、のようですね」

 

 住職さんの怪我を見ての言葉。それを聞いて住職さんの額から一筋、汗が流れ落ちます。

 

「ええ、何分……手を焼かれております」

 

 スッと啓太様の視線が襖へ向けられます。

 ――襖の向こうから、カリカリと音が聞こえ出しました。

 住職さんの発汗の量が増えます。

 ……私の不安も大きくなります。

 

「……今回の依頼は犬の霊の除霊、と伺っておりますが。憑き物の除霊、ですね?」

 

「そ、それは……」

 

「住職?」

 

 顔を伏せた住職さんは小さく息を吐きました。

 その顔はなにかを諦めたような、そんな諦観の表情。

 

「申し訳ない。このことを話せば、あなたもこの依頼を断ると、そう思っておりました」

 

「……他にも霊能者へ?」

 

「ええ、四人ばかり。うち二人は今も病院に。幸い命に別状はありませんが、今も昏睡状態にある者もおります。それ以来、他の霊能者の方に依頼を出してもアレの存在を知ると、皆断る始末で」

 

「……なるほど。ですが、一度受けた依頼を投げ出すつもりはありません」

 

「本当ですか?」

 

 胡乱な目で啓太様を見る住職さん。そんな彼の視線を真正面から受け止め大きく頷かれました。

 しばらくジッと見つめていた住職さんですが、心が定まったのか頷き返しました。

 

「わかりました。犬神使い殿を信じましょう」

 

 ――襖の向こうが騒がしくなります。

 

「あれは……」

 

 ――ばーんと、大きな音とともに襖が倒れ。

 

「あんどれあのふ、ダメじゃあああああああ――――――!!」

 

 大柄な男性が四つん這いの姿勢で駆けてきました。

 禿頭に逞しく鍛えられた身体。赤い褌のみを身に着けた大柄な男性は嬉しそうな表情で四つん這いで駆けてくると、啓太様に飛び掛りました。

 啓太様をお守りしなくてはいけないのに、私はあまりの事態に思わず固まってしまっていました。

 大柄な男性は啓太様に伸し掛かると、顔をペロペロと舐め回します。

 そう、まるで犬のように……。

 

「あんどれあのふ、メ――――ッ!」

 

「くぅ~ん」

 

 住職さんが叱ると野太い声で鳴きながらとぼとぼと彼の元に戻ります。

 私は伸し掛かられたまま仰向けに倒れる啓太様を急いで抱き起こしました。

 

「啓太様っ! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 

「……? ……??」

 

 啓太様はきょとんとした顔で私を見返しました。

 

「なでしこ? どうしたの?」

 

 ……どうやらあまりの衝撃に記憶が数瞬飛んでしまっていたようです。

 啓太様をあまり刺激しないように優しく背中を撫で続けました。

 啓太様の視線が住職の隣で大人しく座って待機している男性に向かい、小さく柳眉が上がりました。

 

「……なるほど。彼が憑き物にあったんですね」

 

 私ももう一度、男性をよく視てみます。

 ……たしかに、男性の背後には可愛らしい子犬の霊がちょこんと行儀よくお座りしていました。

 

「はい……この子、あんどれあのふは生前飼い主に遊んでもらえなかった子犬。この子の無念を晴らして欲しいのです」

 

 そう言って住職さんはこの事件の発端を話してくださいました。

 

「法明寺が猫を供養するのに対し、我が大道寺は犬の供養を専門にしてましてな。ここから少し離れたところに犬供養の鎮魂岩があるのですが、修行に来ていたとある武道家がそれを割ってしまいましての……」

 

「……で、これですか」

 

 どうか! そう言って大きく頭を下げる住職さんを男性――アンドレアノフ、さんが心配そうに頬を摺り寄せました。

 わかってはいるのですが、その光景に寒気を感じざるを得ません。

 確かに、この方に襲われたら普通の人なら病院へ行くことになってもおかしくないでしょう。

 

(啓太様はどうするのでしょうか……)

 

 いくらお仕事のためとはいえ、男性に擦り寄られ、顔を舐められ、もみくちゃにあうのはちょっと……。

 それに啓太様も病院のお世話にならないとは言い切れません。この状況だと余計に。

 何事もなく、一日が終わりますように。

 

「むぅ……。さすがに除霊(物理)をするわけにはいかない、か……」

 

 啓太様も子犬の霊を視て困惑しているようでした。

 しばらく目を瞑り黙考していましたが、考えがまとまったのか小さく頷きます。

 

「……分かりました」

 

「おおっ、分かっていただけましたか!」

 

「……ええ。満足いくまで遊んであげましょう」

 

 ただし、俺流で。

 そう言うと徐に立ち上がり、その場で身体を解し始めました。

 キョトンとした目の住職さんを尻目に尋ねます。

 

「あの、啓太様?」

 

「なでしこはそこで見てて。なに、ただ子犬と遊ぶだけ」

 

 上着を脱ぎ、身軽な格好になった啓太様は少し離れた位置まで歩くと軽く周りを見回します。

 

「――ん、この広さなら大丈夫か。じゃあ、来な。アンドレアノフ。遊んであげる」

 

 アンドレアノフ、さんをちょいちょいと手招くと彼は目を輝かせて啓太様目掛けて突進しました。

 そのまま勢いを殺さず飛び掛ります、が――。

 

「……ほい」

 

 啓太様はしゃがんで回避しました。

 頭上を飛び越えたアンドレアノフさんは危なげなく着地すると再び跳躍します。

 

「ほっ」

 

 しかし啓太様は外側へ一歩踏み込むとすれ違い様にアンドレアノフさんの手を取り、そのまま投げ飛ばしました。

 

「えっ?」

 

「な……!」

 

 綺麗に宙を一回転したアンドレアノフさんは足から着地します。何が起きたのかわからないのかキョトンとした目をしていました。

 子犬――見た目は大柄な男性――を投げ飛ばした。その事実に住職さんが血相を変えました。

 

「犬神使い殿! 一体何を……!」

 

「ん? 遊んでるだけですけど」

 

「遊ぶって、そんな投げ飛ばして! あんどれあのふが怪我をしたらどうするんですのじゃっ」

 

「大丈夫。そんなへまはしません。傷一つ付けませんよ」

 

「しかし、これを遊ぶとは……」

 

 住職さんの仰ることも分かりますが、肝心のアンドレアノフさん本人はこの『遊び』をいたく気に入ったのか、顔を輝かせて啓太様に飛びつきました。

 それを先ほどと同じように避け、または投げ飛ばしてあしらいます。投げる際も絶妙な力加減と誘導で、怪我をしないように上手く制御しています。床が畳というのも大きいでしょう。

 その光景は飼い主にじゃれつく犬の姿そのものでした。

 

「お、おお……これは」

 

 住職さんも嬉しそうに、そして楽しそうに啓太様とじゃれ合うアンドレアノフさんを見て驚愕の表情を浮かべました。

 

「ほっ、と……よ……はっ」

 

「わふっ、わふっ!」

 

 しゃがんで避け、踏み込んで擦れ擦れのところで避け、投げることで避けと多彩な動きでアンドレアノフさんを翻弄する。

 私から見てもまったく無駄のない動きで躱し続ける啓太様に必死に飛びつこうとアンドレアノフさんも動き回ります。 

 投げ飛ばした啓太さまはアンドレアノフさんの胸にしがみつくと、今度は擽り始めました。

 

「ワホ、ワホホホホホホホホッ!」

 

「こちょこちょー」

 

 奇妙な笑い声を上げて畳の上を転がるアンドレアノフさんに容赦なく呵責の手を加えていきます。

 

「……むっ、こことみた」

 

「――! ワホホホホホホホホーン!」

 

 目に涙を浮かべてまで笑い転げる姿に、住職さんは嬉し涙を流していました。

 

「おおっ……あんどれあのふがあそこまで喜ぶとは……。よかったのぉ、あんどれあのふや」

 

 確かに涙ぐましいお話なのでしょう。

 ですが、実際は褌一丁の男性が嬉々とした顔で中学生の男の子に飛び掛っている図。

 啓太様に危害は無いので言われた通り控えていますが、自然と困った顔になってしまいます。

 

「……? アンドレアノフ?」

 

 不意にそれまで活発に動き回っていたアンドレアノフさんがパタリと仰向けに倒れました。

 その顔はなにかやり遂げたような満足げな表情です。

 彼に憑いていた子犬は……いませんでした。

 

「……そうか。逝ったか」

 

 啓太様に遊んでいただいて満足したのでしょう。

 啓太様もそれに気がつき少しだけ目を細めました。

 住職さんはアンドレアノフさんの名前を呼びながら号泣しています。

 

「……向こうではいっぱい遊んでもらいな」

 

「ありがとうございました、犬神使い殿。あなたのおかげであんどれあのふも満足して昇天できましたのじゃ」

 

「ん」

 

 一時はどうなるかと思いましたが、啓太様の見事な手腕で乗り越えることが出来ました。

 私は何も出来ることがなかったのは少し心残りではありますが、今は啓太様の無事と依頼達成に喜びましょう。

 

「これなら他の子たちも安心して任せられますのじゃ」

 

「……ん?」

 

「はい?」

 

 なにか、よくない言葉を聞いたような気が……。

 

「実はあんどれあのふ……この方は大学の空手部主将のようでしてな」

 

「……」

 

「強化合宿なのか団体でいらしてまして、幸か不幸か部員二十名。そして、鎮魂岩に祀られていた犬も二十匹と丁度数が合いましての」

 

「……もしかして?」

 

 冷や汗をかいた啓太様の言葉に住職さんは満面の笑みで応えました。

 

「はい~。そちらのほうの除霊もお願いしますのじゃ」

 

 その言葉を合図に、開けた襖からその部員さんたちがすごい勢いでやってきました。

 我先に遊んで、遊んでと純粋な目で駆け寄ってくるその姿。

 アンドレアノフさんと同じ褌姿、じゃーじというお洋服、胴着。

 皆、共通して言えるのは、全員ムキムキで筋肉質な大柄の男性という点でした。

 絶句する啓太様に飛び掛る男性。反射的に避けて先ほどと同じように投げ飛ばす啓太様。

 

「ワホホーイ!」

 

 遊んでくれていると実感しているのでしょう。

 嬉しげな声を上げてぼくもぼくも、と皆一斉に啓太様に飛びつきます。

 

「さすが犬神使い殿ですじゃ。初見であれほど懐かれるとは、さすがはワシが見込んだお方ですじゃ」

 

 もみくちゃに合うのを必死に捌いているその様子に満足げに頷く住職さん。

 流石に啓太様の手に余るのではと私もお手伝いしようと申し出ました。

 

「大丈夫っ。ちょっとみんなで遊ぶだけ、だから……!」

 

 ……なんてことでしょう。

 四方八方から飛び掛ってくる男性たちを巧みに足捌きや上体の動き、さらには投げたりして捌き続けています。

 この場を支配しているのは間違いなく啓太様ご本人。

 そして、非常に珍しいことに、啓太様の口が小さく吊り上っていました。

 

(啓太様、あなたは本当に優しい方なのですね……)

 

 見た目は大柄な男性でも中身は子犬。

 それが分かっているからこそ、啓太様は本質を直視し子犬たちと遊んであげています。

 そして、それが楽しいのでしょう。

 視れば、子犬たちも皆楽しげでいて嬉しそうな顔で啓太様とじゃれ合っています。

 それに気がついた私は自然と強張った表情がほぐれ、微笑むことが出来ました。

 それから小一時間。啓太様は皆が満足するまで遊んであげて、無事依頼を遂行することができました。

 

 




 何気に、啓太結構喋った回。
愛知県はテキトーに決めました。
 アンドレアノフとの遊びは合気道の乱捕りのようなイメージです。

 まだ感想書いてないぜ!という方。よろしければ感想をお願いします。
 もれなくポチのテンションが上がり、執筆意欲向上という副次効果が現れます。


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第二十話「初仕事(裏)」


 皆さんがくれた感想パワーでやっつけました!
 感想を下さりありがとうございます。届いた件数が倍に増えてやる気も増し増しです^^

 なんか日間ランキング三位に入ってました……。
 こんな思いつきで書いた話を評価してくださってありがとうございます!


 2月9日。第十二話の元「逆位契約」の話を大幅変更しました。
 逆位契約を廃止しましたので、よければお読みください。



 

 初仕事だぜっ! やっふぅ――――!

 しかも除霊の仕事だぜ! イージー過ぎて欠伸が止まらねぇZE!

 ケイタ知ってるよ! 除霊って「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前! キエェェェェイ!」って言って九字をきればいいんだよね!

 

 ――おっと、失礼。テンションが上がりすぎて電波を受信してしまった川平啓太(喜)です。

 さてはて、ついに依頼がやって参りました。

 メールによると愛知県にお住まいの住職さんからの依頼で、犬の霊の除霊をお願いしたいそうです。

 文面には『なにとぞ』が三つも使われているから余程除霊したいのでしょうね。

 もちろんこちらとしては断る理由は無い。実践はともかく除霊の仕方は復習済みだ。

 なのでメールに是非承らせて頂きますと書き、送信。

 程なくして届いたメールには感謝の言葉が述べてあった。

 

「さて、日程はと……」

 

 ふむふむ。いつでも大丈夫だが、なるべく早くがいいと。なら明日伺っても大丈夫ですかね? あ、大丈夫だった。

 と、いうことで住職さんの依頼を受けることになった俺は明日愛知県へ向かうことになった。の、だが――。

 

「……わ、わたし、家で待ってるね! ケイタは強いから大丈夫だもんね! わたしは家でどーんと構えてるからっ」

 

 ようこさんはお留守番をするらしい。

 聞くところによると、ようこは犬が大の苦手なようで。なんでも子犬が相手でも腰を抜かすだとか。

 なんやねんそれ……犬神なのに犬がダメって。お前さんツッコミどころありすぎやで。

 まあいい。苦手ならしかたない。

 なので今回の依頼には俺となでしこの二人で向かうことになった。

 ――ああ、そうだ。お留守番をするならちゃんと言い聞かしておかないと。なに仕出かすか分からんからな。

 

「いい? ガスの元栓には触らないこと。……知らない人が来たら居留守すること。……おやつは三時に食べること。……ご飯は冷蔵庫に入ってるから。それから……」

 

「あーうー……大丈夫だよケイタ。わたしもう子供じゃないもん!」

 

 そうは言うがな、お前さん中身はまんま子供やん。

 やっぱりここはちゃんと言い聞かせないと。問題が起こってからじゃ遅いんだ!

 と、いうことで二時間ほど耳にたこが出来るほど言い聞かせた。最後の方はなんかグロッキーになってたけど、これくらい言えば大丈夫だよな。

 

 

 

 1

 

 

 

 さて、翌朝。時刻は十時。

 晴天が俺を祝福しているようだ。いい仕事日和だぜ。

 茶色のジャケットに船橋市のマスコットキャラがプリントされたTシャツ、ジーパンというラフな服装の俺は弁当などが入ったリュックを背負い、玄関で見送りに来たようこに片手を上げた。

 

「行ってくる」

 

「行ってきますね、ようこさん」

 

「いってらっしゃーい。お土産よろしくね~」

 

 ちゃっかりしてんな。まあ留守番してもらってるんだからそれくらいいか。

 いつもの割烹着のような和服姿のなでしこを伴い駅へ向かう。向こうまで片道四時間弱だから十時三十五分の電車に乗れば丁度いい時間につくだろう。

 さすがに二度目のため慣れたのかスムーズに切符を買いホームに並ぶなでしこ。ここに来た時は初めて電車を目にして驚いた顔をしていたな。

 ジェネレーションギャップか……。おっと、女性の年齢に関することを考えると雷が落ちると前世の記憶さんも仰ってるから、このくらいにしよう。くわばらくわばら。

 電車に乗り込み四人掛けの席に座る。平日で時間も昼前ということもあり車内は比較的空いていた。

 なでしこからお茶を貰いつつ流れる景色を目で追う。

 山々には紅葉で真っ赤に色づいている。

 

(紅葉かぁ……今度三人でピクニックに行くのもいいかもな)

 

 一人ボーっと黄昏ていると、通路のほうからお爺さんお婆さんの老夫婦が相席を求めてきた。

 登山用の装備を身に着けている。健康そうでなにより。

 向かいの席に置いていたリュックを網棚に移そうとするが……。

 

(と、届かないだと……!?)

 

 なんたることだ。こんなところで身長差の弊害が表れるとは。まことに大変遺憾だが、泣く泣くなでしこに運んでもらいました。

 丁寧に頭を下げるお爺さん。紳士だなー。

 むっ、もう十二時か。ではお待ちかねの駅弁タイムだ。

 俺の駅弁は……すき焼き風駅弁だー!

 ふっふっふ、残り一つしか売ってなかったから迷わず購入したぜ。絶対美味しいに決まってる。

 ガツガツ食べてると、頬に触れる感触が。多分なでしこだろうから気にしない。俺はお弁当を食す。

 しばらくすると駅に着いた。老夫婦と別れて目的地の大道寺へ向かう。

 この地域は猫に関するものが広く出回っているようだ。猫の絵が描かれた旗やチラシ、カレンダー、猫饅頭、猫の絵柄のペットボトルなどあちこちで見かける。

 そこの出店なんかは『にゃんにゃん弁当』とやらが千円で売ってた。てか高けぇ。

 

「んー……」

 

 地図とにらめっこしながら歩き続けるが、なかなかお寺に辿り着けない。

 法明寺とやらは分かりやすいところにあるのになんで大道寺は山の中にあるんだよ。

 仕方ないからその辺のお婆さんに道を尋ねるが。

 

「お主ら、もしやあの寺の関係者か? きええぇぇぇぇい! この罰当たりめっ! 去ねっ、去ねっ!」

 

 うおっ、ちょ、どっから取り出したその塩!?

 それまでにこやかな顔だったお婆さんは大道寺という言葉を聞くと表情を一変。どこからともなく取り出した塩を撒いてきた。

 とても話が出来る状況じゃないからさっさと離れる。まったく、なんなんだあのババアは……。認知症か?

 四苦八苦しながらようやく目的地に到着。時間に余裕を持って出てよかった。丁度十五分前に着いたよ。

 

「ここが大道寺、ですか」

 

 大道寺は山の小道を進んだ先にあった。目印らしいものも特に見当たらないため探すのに酷く苦労した。

 なでしこと一緒にお寺を見上げる。

 大道寺はなんというか、年季を感じさせる佇まいだった。ぶっちゃけて言えば、ボロい。

 屋根の瓦は所々がボロボロだし、一部の柱は朽ちている部分が見られる。

 それになっていうか、お寺全体的から負のオーラというか、陰気な雰囲気が漂っていた。時刻が夜だったら立派なホラースポットと化しているだろう。

 

「……なでしこ、行く」

 

「あ、はい」

 

 ちょっと近寄りたいとは思えないお寺だが、ここに依頼主がいるのだから仕方が無い。小さな覚悟を決めて境内へと踏み込んだ。

 出迎えてくれたのは依頼主である住職さん。全身のいたるところに包帯を巻いた痛々しい姿をしていた。

 本堂へ案内してもらい、用意された座布団に座る。住職さんはお茶の用意のため部屋を出たので、その間にざっと周りを見回した。

 外観も年季を年季を感じさせる佇まいだったが、中も相応だ。

 高い柱に黒ずんだ床、染みの浮かんだ天井。毛羽立った畳。

 ここに来る途中にチラッと見たほう法明寺とは百八十度趣きが異なる印象だ。

 

「啓太様……」

 

「ん?」

 

 不意になでしこが身を寄せてきた。心なしか少し震えている気がする。

 声をかけようとしたタイミングで住職さんが戻ってきた。

 

「いやいや、お待たせしました」

 

 開けられた襖の奥。一瞬だけ、なにか赤い目が見えたような……。

 

「私がこの大道寺の住職をしております。此度はよく来てくださいました」

 

 枯れた木のように痩せこけた住職さんは絆創膏だらけの両手で俺の手を掴み、自分の額に押し当てた。

 

「本当に、よく……!」

 

 若干震えた声が相当追い込まれているのだなと感じさせる。

 しかしまずは確認を取らなければいけない。本当に中学生の俺に任せていいのか。

 

「……僕に依頼を任せて、本当によろしいですか?」

 

 しかし住職さんは俺の視線を真正面から受け止め、大きく頷き返した。

 

「勿論ですとも! 確かに貴方はお若いですが、犬神使いにそれが当て嵌まるとは私は思いません。彼女がそうなのでしょう?」

 

 住職さんの視線が隣で控えるなでしこに向けられる。

 

「はい。啓太様の犬神のなでしこと申します。此度は主の補佐を任されておりますので、よろしくお願い致します」

 

「こちらこそよろしくお願いします。もう、あなた方に縋るしかないのです……!」

 

 そこまで言ってくださるのなら是非もない。

 期待に応えて全力で取り掛からせてもらいましょう。

 

「……頭を上げてください。受けた依頼は完遂します。犬神使いの名に賭けて」

 

「おおっ! よろしくお頼み申す、犬神使い殿!」

 

 そう言って再び俺の手を握る住職に深く頷き返した。

 

 

 

 2

 

 

 

 さて、本題に入る前に少し聞いておかなければいけないことがある。

 近隣の人の態度。大道寺という名前だけであそこまで過敏に反応するのだから、きっと今回の依頼にも関わっているはずだ。

 

「……ところで、ここに来る途中、色々な話を付近の人から聞きました。近隣の人から、結構苦情がきているとか」

 

「散歩がどうしても必要なもので……。近隣の衆には本当に申し訳ないことをしました」

 

「……随分とヤンチャ、のようですね」

 

「ええ、何分……手を焼かれております」

 

 目を細め、先ほどから気配を放っている襖の方へ向けた。

 カリカリカリ、と爪でなにかを引っかく音が聞こえる。

 住職さんの額からダラダラと汗がにじみ出る。

 

「……今回の依頼は犬の霊の除霊、と伺っておりますが。憑き物の除霊、ですね?」

 

 あの襖の奥から覗いた赤い目。一瞬だったがあれは人の目だった。

 

「そ、それは……」

 

「住職?」

 

 顔を伏せた住職さんは小さく息を吐く。

 

「申し訳ない。このことを話せば、あなたもこの依頼を断ると、そう思っておりました」

 

「……他にも霊能者へ?」

 

「ええ、四人ばかり。うち二人は今も病院に。幸い命に別状はありませんが、今も昏睡状態にある者もおります。それ以来、他の霊能者の方に依頼を出してもアレの存在を知ると、皆断る始末で」

 

「……なるほど。ですが、一度受けた依頼を投げ出すつもりはありません」

 

「本当ですか?」

 

 当然だとも。こちとら前世では社会人だったんだ。仕事に対する誠意がいかに大切かよく知っている。

 それに、中学生にも関わらず全面的に信じて依頼を出してくれたんだ。それに応えなくちゃ男じゃない。

 

「――わかりました。犬神使い殿を信じましょう」

 

 大きく頷いた住職さんは重々しく口を開く。と、同時に襖の向こう側の音が大きくなっていく。

 

「あれは……」

 

 ――ばーんと、大きな音とともに襖が倒れ。

 

「あんどれあのふ、ダメじゃあああああああ――――――!!」

 

 ハゲの大男が四つん這いでこっちに突進してきた。犬のように舌を出し、ハッハッと息を切らせて飛び掛ってくる。

 俺は奇襲にあった際、冷静に状況を観察して打破できるように心掛けている。そして、持ち前の反射神経がこの時アダとなった。

 反射的に迎撃しようと男を視界に入れ、冷静にその姿を観察してしまったのだ。

 禿頭、厳つい顔、筋肉ムキムキ、大柄、褌一丁、ほぼ裸。

 それらの情報を処理してしまい、脳は……考えることを止めた。

 

「啓太様っ! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 

「……? ……??」

 

 気がつけばなでしこに抱き起こされている俺がいた。

 目の端に涙を浮かべたなでしこを見て驚く。

 

「なでしこ? どうしたの?」

 

 え? え?? ちょ、待っ、なんで泣いてんの!?

 状況を把握しようと周囲を見回し、住職の隣でちょこんと犬座りしている男の存在に気がついた。

 禿頭になぜか褌一丁という変態姿。隆起した筋肉は鍛えたそれであると分かる。

 おいちょっと待て! こっちにはうら若き乙女のなでしこがいるんだぞ! それ、思いっきりセクハラに該当するじゃねぇか!

 つか、なでしこに汚いもん見せんなっ!

 文句言ってやろうと口を開き――気付いた。

 男の背後に同じくちょこんとお座りしている子犬の姿に。

 

「…………なるほど。彼が憑き物にあったんですね」

 

「はい……この子、あんどれあのふは生前飼い主に遊んでもらえなかった子犬。この子の無念を晴らして欲しいのです」

 

 聞けば、大道寺は元々犬の供養を専門にした寺。ここから少し離れたところに供養した犬の鎮魂岩が安置されているのだが、どこかの馬鹿がそれを割ってしまったのだと。

 うわー、超はた迷惑やん、それ。

 ぶっちゃけ男の方は自業自得だが、住職さんはそうも言ってられないしなぁ。

 一番いいのは肉体にダメージを与えて霊を追い込み、強制的に除霊する方法なんだが……。

 

「むぅ……。さすがに除霊(物理)をするわけにはいかない、か……」

 

 あんなつぶらな瞳で見てくる子犬にそんな仕打ちできません。え? 男の方は? まあ自業自得だからそれくらいは我慢してもらわないと。つか迷惑料払えって話しだし。

 仕方ない。ここは穏便且つ正攻法でいこう。

 ようは遊んであげればいいんだべ。だべだべ。

 しかし俺にはオッサンと遊ぶ趣味は無い。つーか、犬なんだからあの姿で犬のように飛び掛ってくるんだよな……?

 もし人懐っこかったら舐めてくるかもしれん。うお、鳥肌が!

 さて、どうやって俺の精神を防衛しながら遊ぶか。

 

 そして、ピキュィーンと天啓のような案が思い浮かんだのだった。

 

「……分かりました」

 

「おおっ、分かっていただけましたか!」

 

「……ええ。満足いくまで遊んであげましょう」

 

 ただし、俺流でな!

 ジャケットを脱ぎその場でストレッチを始める。

 ある程度解れたらその場から少し離れた。

 

「あの、啓太様?」

 

「なでしこはそこで見てて。なに、ただ子犬と遊ぶだけ」

 

 心配そうな目で見つめてくるなでしこに微笑み返し――実際は一ミリたりとも表情筋は動いていないが――ざっと本堂を見回す。

 本堂内は結構広く動き回る分には支障はなさそうだ。床も畳だし心置きなくやれる。

 

「――ん、この広さなら大丈夫か。じゃあ、来な。アンドレアノフ。遊んであげる」

 

 くいくいと男――アンドレアノフを手招くと彼は嬉々とした表情で飛び出した。

 その肉体のバネを存分に活かした駆け出し、瞬く間に距離を潰したアンドレアノフは伸し掛かるように飛びついてくる。

 

「……ほい」

 

 が、動きは単調。難なくしゃがんで避ける。

 頭上を飛び越えたアンドレアノフが再び跳躍する。

 踏み込んで回避した俺はすれ違い様にアンドレアノフの手首を掴み、素早く下方に捻って投げた。

 

「えっ?」

 

「な……!」

 

 ぐるんっと一回転する褌一丁の男。すかさず掴んでいた手を引き上げて勢いをコントロールし、足から着地させる。

 アンドレアノフは何が起きたのかよく分かっていない様子で、キョトンとした目をしていた。

 住職さんが慌てて止めに入ろうとする。

 

「犬神使い殿! 一体何を……!」

 

「ん? 遊んでるだけですけど」

 

「遊ぶって、そんな投げ飛ばして! あんどれあのふが怪我をしたらどうするんですのじゃっ」

 

「大丈夫。そんなへまはしません。傷一つ付けませんよ」

 

「しかし、これを遊ぶとは……」

 

 そうは言うが、アンドレアノフはこの『遊び』を気に入ったようだぞ?

 さらに目を輝かせて駆け出すアンドレアノフ。

 ぬぉぉぉぉぉ! オッサンが、オッサンが迫ってくるぅぅぅ!

 これは俺とアンドレアノフの真剣勝負。遊びという名のガチな戦いだ。

 捕まればオッサンのペロペロで俺の負け。逃げ切ればいろんな意味での純潔を守りぬいた俺の勝ち。

 そう、これはある種の綱渡りのゲームなのだ。

 

「ほっ、と……よ……はっ」

 

「わふっ、わふっ!」

 

 目まぐるしく立ち位置を変えて魔の手から逃れ続ける。

 捕まったら最後。アンドレアノフの調子からいって絶対に顔舐められる。

 ファーストキスだってまだだってのに、オッサンの顔舐めとかあり得ねぇって!

 まあ、これが? きゃわいい女の子だったら? 俺も満更じゃないけど?

 そうだなぁ、このオッサンがなでしこのような可愛い女の子だったらなぁ。

 なでしこも犬の化生である犬神だからあながち的外れじゃないし――ってうおぉぉぉぉぉ!? いまかすった! かすったぞ!? ごめんなさい、邪念を抱いてましたぁぁぁ!

 一旦、邪な思考を放棄しこの『遊び』に全力で向かい合う。

 投げ飛ばして体勢を崩した隙を狙い今度はこっちが飛び掛る。

 脇をくすぐってK.O.狙いだ。

 

「ワホ、ワホホホホホホホホッ!」

 

「こちょこちょー」

 

(ぬぁぁぁ! オッサンの、オッサンの胸に飛びついてるぅぅぅ!)

 

 俺、この依頼を終えたら目一杯なでしことようこに癒してもらうんだ……。

 転げ回るアンドレアノフ。しばらくくすぐり攻撃を続けているとぐったりと身体の力を抜いた。

 

「……? アンドレアノフ?」

 

 笑いすぎて酸欠になったか?

 ……いや、どうやら違うようだ。

 視れば彼に憑いていたアンドレアノフはいなくなっていた。

 その顔には満足そうな表情が浮かんでいる。

 

「……そうか。逝ったか」

 

 と、いうことはこの地獄の綱渡りゲームを無事乗り越えることが出来たんだな……。

 

「……向こうではいっぱい遊んでもらいな」

 

 そして来世ではこんなオッサンじゃなくてきゃわいい女の子に憑きなさい。

 

「ありがとうございました、犬神使い殿。あなたのおかげであんどれあのふも満足して昇天できましたのじゃ」

 

「ん」

 

 本当、一時はどうなるかと思ったが、なんとか乗り切ることが出来た。

 まあ、結果よければすべてよし。無事依頼を達成することが出来たし、よかったよかった――。

 

「これなら他の子たちも安心して任せられますのじゃ」

 

「……ん?」

 

「はい?」

 

 あ、あれ? なんか意味不明な日本語を聞いたような……。

 

「実はあんどれあのふ……この方は大学の空手部主将のようでしてな」

 

「……」

 

「強化合宿なのか団体でいらしてまして、幸か不幸か部員二十名。そして、鎮魂岩に祀られていた犬も二十匹と丁度数が合いましての」

 

「……もしかして?」

 

 自然と頬が引き攣る俺に住職は満面の笑みを浮かべやがった。

 

「はい~。そちらのほうの除霊もお願いしますのじゃ」

 

 その言葉を合図に、襖の向こうからその部員とやらが駆け出してくる。

 あのアンドレアノフが憑いた主将と同じ筋骨隆々の男。褌一丁、ジャージ、胴着と服装はまちまちだが皆、汗臭そう。

 俺の危機管理能力が警報を鳴らし、反射的に身体操法で肉体を強化。

 一番最初に辿り着いた男を容赦なく投げ飛ばす。中身は子犬だから怪我をしないようにだが。

 

「ワホホーイ!」

 

 野太い声で歓声を上げた彼に続き、我先にと他の部員が襲い掛かってくる。

 なにこの地獄……。

 

(ハッ――! いや待て、逆に考えるんだ。いかにも武道家ですというような奴らが十九人も一斉に襲い掛かってくる……。これを修行と思えば?)

 

 スピードもそこそこある。ぶっちゃけ昔によく回った悪徳道場の奴らよりよっぽど動ける。

 捕まったら最後という条件は変わらない。なら、この状況をむしろ逆手に取って修行の一環としてしまえ。

 一気に高まる集中力。そして、気合と覚悟。

 

(今回は基本的な動きでどこまで無駄を排除できるかでいこう!)

 

 そうと自分の中で定めた瞬間、頭の片隅にあったスイッチが入った。

 

「啓太様……!」

 

 こちらに駆け寄ろうとするなでしこが目に留まった。

 大丈夫、心配するな。こいつらでちょっと遊ぶ(修行する)だけだから。

 身体操法で少しずつ無駄の無い動きというのを身体に学習させていく。

 すれ違う男を合気道の要領で投げ飛ばし。左右から迫る男たちを上体の動きと足捌きで躱し、正面から飛び掛る男を巴投げで投げ飛ばす。

 するとどうだろう。

 捕まったら精神的に死ぬという状況が俺を追い込んでいるからか、徐々にだが動きが滑らかになっていくではないか。

 微かな手応えが実感できて笑みが浮かぶ。

 もっとだ、もっともっと無駄を省く……。

 それから小一時間。心置きなく遊び回った犬たちは皆、満足して昇天した。そして俺も、この修行を通じて手応えを感じ満足したのだった。

 

 




 次回の投稿は一週間後を予定しております。
 感想および評価お待ちしております。


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閑話その一「黄色い悪魔」


 ヒャア! もう待てねぇ連投だー!
 一日早いフライングですが、一日一話お送りします。

 おかげさまでUAが十万突破しました。
 ありがとうございます。今後も「いぬがみっ!」をよろしくお願いします。

 十二話の内容を大幅変更しました。逆位契約の話です。
 再度、お読みいただければと思います。



 

 ――とあるブログより抜粋。

 

 皆さんも都市伝説という言葉を聞いたことがあると思う。

 都市伝説とは大辞林によると「口承される噂話のうち、現代発祥のもので根拠が曖昧、または不明瞭であるもの」とされている。

 呪われたCM、赤く染まるプール、暗い日曜日、口裂け女など、皆さんも聞き覚えのあるものがあるかと思う。

 そして最近、また新しい都市伝説が生まれたのをご存じだろうか?

 静岡の清水市で生まれた都市伝説、その名も「黄色い悪魔」。

 一体どんな都市伝説なのか。そしてなぜ、ただのブロガーである私がそこまで気になっているのか、それを少しだけ語ろうと思う。

 

 そもそもの発祥は今から二年前、静岡県の清水市にあるとある空手道場だった。今はもう潰れてしまったその道場は前々から悪評を買い、黒い噂話が絶えなかったらしい。

 そんな道場にある日、黄色い悪魔がやってきた。悪魔は道場にいる人間を全員叩き潰し、血に塗れた姿で道場看板を叩き割ったという。

 そして、またある道場でも同じく黄色い悪魔が現れた。悪魔は道場主を頭から丸かじりした後、口から鮮血を滴らせながら看板を潰した。

 また、他の道場では苛められっ子だった少年に武道の手ほどきをして、いじめっ子を返り討ちにする実力を付けさせた後、ある意味悪魔の教え子でもあるその子を八つ裂きにして臓腑を喰らった。

 このような似た話が道場を中心に出回り、今ではある種の都市伝説と化したらしい。

 これらで共通しているのは『黄色い悪魔は道場に現れる』、『現れる道場は評判がよくない所』、『絶対的な力で道場の者たちを叩きのめす』、『必ず看板を叩き潰す』という点だ。

 ここから分かることは、この悪魔はベラボーに強いということ。そして、私を驚愕させたのはこれだけではなかった。

 

 黄色い悪魔はどうやら子供らしい。一五〇センチにも満たない小柄な体型で外見的にはとくに特筆するようなところもないどこにでもいるような子供の姿。それが、大の男を投げ飛ばし、殴り飛ばし、蹴り飛ばしと外見には似つかわしくない行動を起こすとの話だ。

 顔はお面で隠れているため誰も確認できた人はいない。しかもそのお面が縁日に売っているようなピ○チュウであるため、黄色い悪魔と呼ばれているのだとか。

 もし、この都市伝説とされている黄色い悪魔が人間の少年であるなら、今の年齢でこれほどまでの実力を持っているのなら将来格闘界でどれほどの功績を残すのであろうか。うすら寒いものを感じた。

 しかし、この黄色い悪魔。二年前までは頻繁に目撃例があったようだが、ここ一年前からはすっかり鳴りを潜めている。評判の悪い道場にも出現したという話を聞かない。

 そこで私は実際に黄色い悪魔と対面したことがある人物たちから話を聞けないかと思い、潰れた道場の元門下生たちとコンタクトを取ることにした。

 今回、快く取材に応じてくれたのは三人。この場を借りて今一度お礼を申し上げる。

 

 

 

 1

 

 

 

・山本信吾さん(20)【空手道場柳沢館・愛の道、門下生(元:空手道場亜苦意館、門下生)】

 

Q.黄色い悪魔とはいつ対面しましたか?

 二年前の十月です。とても寒い日だったのを覚えてます。

 その日いつものように稽古をしていたら突然奴が……奴が、現れたんです。

 

Q.黄色い悪魔と戦ったことはありますか?

 はい、館長の言葉で先鋒を命じられました。

 私自身その頃はまだまだ精神的にも未熟でして。道場破りなんて初めてだったもので、しかも相手がまだ子供でピ○チュウのお面を付けてたこともあり、馬鹿にされてると思いましてね。

 それで一丁揉んでやろうという気持ちで悪魔の前に立ちました。

 

Q.黄色い悪魔は噂どおりの強さでしたか?

 もう手も足も出ませんでしたね。その時は館長が審判をしたんですけど、はじめの合図を聞いた後記憶が無いんですよ。

 聞いた話だと開始と同時に腹に一撃をもらったようで、それで気絶したとか。腹部の一撃で気絶とか普通ありえないですよ。

 それ聞いたとき悔しいとかの気持ちより笑いがこみ上げてきましたもの。

 

Q.それ以降、黄色い悪魔を見たことは?

 ないですね。奴は評判が悪い道場にしか現れないようなんで、あれ以降ここの空手道場に通ってます。ここは評判もいいですから。

 当時は俺も不良で悪い意味で目立ちたがり屋でしたけど、あの一件で見事心を入れ替えさせられました。今じゃもうひっそりと堅実に生きてますよ。

 

 

 

 2

 

 

 

・篠田雄二さん(25)【空手道場白鯨館、指導員(元:空手道場武神館、門下生)】

 

Q.黄色い悪魔とはいつ対面しましたか?

 二年前の冬の頃だ。いつものように新入りの後輩に個人指導してたときに……。

 

Q.黄色い悪魔と戦ったことはありますか?

 馬鹿言うなッ! 誰が好き好んであの化け物と戦えってんだッ!! ……いや、すまん。気が動転しちまった。悪いな、怒鳴っちまって……。

 それで、なんだっけ? ああ、アイツと戦ったことがあるかって話だったな。いや、情けない話なんだが、もうアイツの強さというか暴力に完全にブルッちまってよ。

 隅っこでガタガタ震えてることしか出来なかったんだわ。

 

Q.見逃してもらったのですか?

 ああ。館長も含めて俺以外の奴ら全員叩きのめした後、俺の前に立ったんだソイツ。

 だけど俺ぁもう怖くて怖くてよ……泣きながら許してくれって懇願してな。今だからこそ笑える話なんだが、その時の俺しょんべんちびってたんだぜ?

 そしたらソイツ、仮面の向こうで小さく鼻で笑ってな、見逃してくれたんだよ。

 

Q.黄色い悪魔は噂どおりの強さでしたか?

 いや、むしろ噂のほうが大人しい印象があったな。あん時の俺のアイツに対するイメージなんだと思う。人間災害だぜ?

 本当アイツは災害みたいなものだ。過ぎ去るのをジッと待つのが得策なんだよ。間違っても逆らったり立ち向かっちゃいけねぇ。

 知ってるか? 人間って縦に回転しながら吹き飛ぶんだぜ……?

 

Q.それ以降、黄色い悪魔を見たことは?

 ねぇな。つか見たことあったら今頃俺はここにいないね。

 もうアレ以降、怖くてイジメなんてできねぇよ。それに……改心した今じゃ俺、ちびっ子にお兄ちゃんなんて呼ばれてるんだぜ?

 あの頃じゃまずありえない光景だわな。まあ、こんなのも悪くないさ。

 

 

 

 3

 

 

 

・新藤進さん(19)【小林柔道教室、門下生(元:神明柔道クラブ、会員生)】

 

Q.黄色い悪魔とはいつ対面しましたか?

 うっす。一年前の春だった気がします。

 

Q.一年前というと黄色い悪魔が姿を消す年ですね。

 うっす。その頃の道場は結構ピリピリしてまして、~に悪魔が現れたと知ったらすぐに他の道場に連絡を回してました。

 あれ以降そういった連絡を聞いていないので、多分ボクんところが最後だったのかなぁ?

 

Q.黄色い悪魔と戦ったことはありますか?

 うっす。あります。

 まあ速攻で投げられちゃいましたけどね。いやぁ、あの時に食らった一本背負い。今でも思い出せますけど、食らってても気持ちが良かったなぁ~。

 

Q.黄色い悪魔は噂どおりの強さでしたか?

 うっす。もちろんです! 実はボク、昔から気が弱くて、心を鍛えるために柔道を始めたんです。でも、そう簡単に心なんて目に見えないものを鍛えられるわけが無くて、その道場でもすぐに先輩たちや同い年の人たちに目をつけられたんです……。

 毎日新技の練習台にさせられました。もういやだって思って、柔道をやめようとしたときに、あの子が現れたんです!

 なんでピ○チュウのお面をつけてるかは分からないですけど、特徴的だったのであの子が黄色い悪魔って呼ばれてる子供だとすぐに分かりました。

 それで先輩たち、その子を倒せば有名になれるって挑んだんですけど……。

 

Q.それで、どうなりましたか?

 うっす。もう圧巻の一言でした!

 先輩たちはみんな背も高くて身体も大きいのに、そんなのものともしないでみんな投げ飛ばしちゃったんです! しかも中には黒帯もいたんですよ!

 寝技や絞め技を使ってもすぐに返してきて逆に関節技をかけてきますし。

 自分より大きい大人を投げ飛ばすその姿を見て、ボクもああなりたいって心から思ったんです……。

 あの子はボクのヒーローなんですよ。

 

Q.それ以降、黄色い悪魔を見たことは?

 うっす。残念ながらないです。看板を潰したらすぐにいなくなっちゃいまして……。

 今どうしてるんだろうなぁ~。

 

 

 

 4

 

 

 このように貴重な話を聞けた。

 黄色い悪魔が今どこで何をしているのかわからないが、その子供がいたおかげで年々、悪評のある道場は減っているという。

 黄色い悪魔はもしかしたら世直しの一環としてこのような行動に出たのかもしれない。

 彼が表舞台に立つかどうか分からないが、もし表に出るのなら、彼は生ける伝説になると私は思う。

 願わくば、私も彼に会ってみたいものだ。 

 

 




 ……これ、都市伝説?
 後半のインタビューが書きたかった。ただそれだけ。

 感想や評価、お願いします。


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第二十一話「つかの間の休息」


 連投二日目。

 始めてアニメ版のいぬかみを見ました。
 駄目だしするほどではなかったですが、正直う~んな感想でした。声もイメージしていたのと違ったし、なによりあのこてこてした絵が個人的に合わない。



 

 どうもこんにちは。なんとか明日を迎えることができました川平啓太です。

 もう先日の依頼は地獄のようだった。誰だよ簡単とか言ってたの! 俺ですねすみませんっ!

 長いようでいて短い濃密な時間を過ごした俺は帰宅早々に布団にもぐりこんだ。帰宅した時刻は夜の八時を回っていた。

 ようこがお土産お土産うるさかったが、もう寝かせてくれ。ご飯食べる気力もないし……。

 一晩寝ることでなんとか最低限の気力が回復した俺であったが、まだ昨日の依頼で負ったダメージは抜けていない。

 幸い今日は日曜日。もう今日は丸一日使って心身ともに癒そう。療養だ療養。今決めた、そう決めた!

 

「ねーケイター! お土産はお土産~!」

 

 時刻は朝の九時。さてどうしようか。

 朝日を浴びながら、ぬぼーっと光合成しているとようこが背中に引っ付いてきた。

 キッチンからお茶を淹れて来たなでしこが苦笑する。

 

「ようこさん、あまり啓太様を困らせてはいけないですよ」

 

「ふーんだ。あんたはいいよね。昨日ケイタと二人っきりで出かけてさ。そういうのをでーとって言うんだよね? ねーねーケイタ~、わたしともでーとしてよ、でーえーとー」

 

 ガクガクと首を揺すってくる。ていうか昨日留守番したのはお前から言い出したんだろうが。

 

「……やめい」

 

「きゃん……!」

 

 気持ち悪くなってきたのでズビシッとチョップを食らわせる。

 怯んだその隙に立ち上がりようこから離れる。

 

「まったく……。ちょっと待って」

 

 なでしこから熱いお茶を受け取り、啜りながら冷蔵庫を開ける。

 取り出したのは小さな箱。

 

「うー……。……? なあにそれ?」

 

 頭をさすっていたようこが手にした箱を見る。

 ちゃぶ台に置き、箱を開けると。

 

「……わぁ~! ちょこれーとけーきだー!」

 

 現れたのは三ピースのチョコレートケーキ。

 しかも限定品の『にゃんにゃんケーキ』九八〇円(税抜き)だ。

 一応帰りが遅くなってしまったからお土産を買ってきたのだ。ようこのことだからおむすびにしようか迷ったが、なでしこの分も考えてチョコレートケーキにした次第である。

 

「ケイタケイタ! 食べてもいい!?」

 

「ん。ちゃんといただきます、するんだよ?」

 

「うんっ! いただきまーす! あむっ」

 

 小皿に分けてあげると待ちきれないといわんばかりにフォークを突き刺す。

 頬に手を当てて全身で喜びを味わうその食べっぷりに思わず苦笑した。

 隣に座ったなでしこにも小皿を出す。

 

「……食べようか」

 

「はい」

 

 ……ふむ。にゃんにゃんケーキって言うから猫の顔の形でもしているのかと思ったら、表層に突き刺さってるチョコに猫の絵が描いてあるだけか。

 これで約千円とか、ぼったくりじゃね? まあ美味しいけど。

 早速、全部食べきったようこが物欲しそうな目を向けている。そんなようこになでしこが自分の分のケーキを半分分けてあげた。

 

「はい、ようこさん」

 

「……お礼なんていわないから」

 

「コラ、ようこ」

 

「いいんですよ啓太様。私があげたかっただけですから」

 

 そうは言うがな……はぁ。

 仕方ないから自分のケーキを半分に切り分け、なでしこの小皿に片方を乗せる。

 

「啓太様?」

 

「俺はこれで十分。多いから食べて」

 

 なでしこの顔を見ずにそういうと横からようこが厚かましくもフォークを伸ばしてきた。

 

「じゃあわたしが食べるー!」

 

「お前は自分のがあるでしょ」

 

 ペシンと手を叩き落とし、さっさと食べるようにジェスチャーすると、申し訳なさそうでありながら嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「ありがとうございます、啓太様……」

 

「ん?」

 

「いえ、いただきますね」

 

「あー!」

 

 可愛らしく小口を開けて食べるとようこが悲鳴を上げる。

 お前、もう少し自重ってのを覚えろ……。

 

 

 

 1

 

 

 

 昼頃。お昼ごはんも食べ終わった俺はお婆ちゃんの家に言って依頼の報告と報酬をメールで確認したところだった。

 報酬金額は十万円。まあ、まずまずといったところか。お金はお婆ちゃんが用意してくれた講座に振り込んでくれるとのことなので、お礼の言葉を返信する。

 お婆ちゃんも依頼主の住職からお礼の言葉を貰ったようで機嫌がいい。

 

(やっぱりパソコン必要だな~。明日あたり学校終わったら買いに行くか)

 

 さて帰んべ。

 

「帰る」

 

「おお、気をつけて帰るんじゃぞ。また啓太に任せられそうな依頼があったら紹介するわい」

 

「ん、よろしく」

 

 お婆ちゃんの家を出て家に帰る。

 帰宅途中、ふとペットショップが目に入った。

 

「そういえば……」

 

(まだアレ、買ってなかったな)

 

 財布の中身を確認。大丈夫、諭吉さんが光臨している。

 ペットショップに入りささっと目当てのものを数個購入。色々種類があったけど、とりあえず店員さんに聞いて一番人気のものを買った。

 なでしこたちの喜ぶ顔を思い浮かべると自然と機嫌がよくなる。

 軽い足取りで歩行者通りを歩いていった。

 

「ただいま」

 

「おかえりー!」

 

「おかえりなさいませ、啓太様」

 

 出迎えてくれる犬神たち。

 ああ、お帰りって言われるのっていいなぁ。なんてサラリーマンのパパさんのようなことを考えつつ部屋に上がる。

 

「それでどうでしたか?」

 

「ん。なかなか良い反応だった。お金も結構な額、振り込んでくれた」

 

 この調子でなんとかやっていきたいものだ。

 

「あら? そちらは」

 

 手に持っていたビニール袋を不思議そうに見るなでしこ。

 それにニヤリと――心の中で――笑みを浮かべた。

 

「……気持ちいいもの」

 

 さて、栄えある第一号(実験台)はようこだな。

 

「ようこ、来る」

 

「ん~? なにケイター」

 

 絨毯の上でゴロゴロしながら漫画を読んでいたようこも呼び出す。

 そしてペットショップから購入したものを取り出した。

 

「……手入れの時間」

 

 ――右手に毛梳きブラシ、左手に爪きり。

 それらをヒュンッと手の中で回しながらシャキーンと構えた。

 そう、ペットショップで購入したのは犬用の毛梳きブラシと爪きりである。

 なぜ毛梳きブラシ? なぜ爪きり? と疑問に思うひともいるだろう。甘い、ココアのような甘ちゃんである!

 なでしこたち犬神は犬の化身。普段は隠しているが当然尻尾もある。

 犬神たちの尻尾は犬のそれと同じく千差万別。ようこはもっさもっさした大きい尻尾。対してなでしこはスラッとしたスマートな尻尾。

 定期的に手入れをしないと小さな悪魔(ノミ)が住み着くのだ。

 それにお婆ちゃんから聞いたところ、犬神たちも主人とのスキンシップを好む傾向があり、主人に触れてもらうとことのほか喜ぶとか。

 はけもブラッシングや爪きり、頭や背中を撫でたりなどは犬神たちにとって格別のご褒美になるとか言ってたし、もうまんま犬だなと思いましたはい。

 なので定期的にブラッシングや爪きりなどをしたり遊んであげるといいとのありがたいアドバイスを貰いました。

 要はあれだなあれ。犬がされて喜ぶことは犬神たちも嬉しいということだな。まあ犬の化身だしあながち間違いではないのかも。

 今回の依頼ではなでしこにも苦労をかけたし、ようこも一人で問題を起こすことなくお留守番できたから、俺の精神回復の意味も込めて初スキンシップを図ろうかと、まあそういうことだ。

 

「わぁ♪ お手入れしてくれるの!?」

 

 ようこもやっぱり嬉しいのか目を輝かせてドロンと狐色の尻尾を出すと、それを膝の上に乗せた。

 なでしこも後ろで「いいなぁ、ようこさん」と言いたげな目で見ている。

 苦笑した俺はなでしこにも後でやってあげると声を掛けると、彼女も嬉しそうに小さく微笑んだ。ドロンと出したスマートな尻尾が小さく波打っている。

 なでしこですらこうなのだから本当に犬神たちはスキンシップを好むんだなと改めて感じた。

 

「ねえケイタ! 早く早く♪」

 

「……はいはい」

 

 ちなみになぜようこが最初なのかというと、彼女の尻尾がなでしこより大きいというのと、多少失敗してもコイツなら許される気がするというゲスい思考によるものだったりする。

 まあ爪きりならともかくブラッシングで失敗もクソもないと思うが一応な。

 

「じゃ、早速……」

 

 購入した毛梳きブラシは今一番売れ行きがいいもの。製品名ファー○ネーターというパッと見、髭剃りのような形をしているブラシだ。というかター○ネーターみたいな名前だな。

 毛を梳く部分はステンレススチールの刃になっており尖っていてちょっと痛そう。というか肌に押し当ててみるとちょっと痛いし。

 これは気をつけて使わないといけないな。毛を梳きました、血だらけになりましたじゃ話にならん。

 

「えーと……」

 

 説明書と睨みっこする。

 なになに、まず傷の有無の確認? うむ、もっふもっふしていて大丈夫だな。

 本品のグリップを軽く握ってステンレス刃を直角(九十度)に当てて軽く梳くと。

 

「……おおっ」

 

 面白いくらい梳けるな!

 こんなに大きいんだから毛の絡まりや引っ掛かりがあるかと思ったが、まったく抵抗なく刃が通る。

 あ、なんかこれクセになりそう。

 さり気にもふりつつブラシを動かしていく。

 

「~~♪」

 

 ようこも気持ちよさそうだ。

 ようこの毛はもっさもっさしているが触り心地はそんなに悪くない。

 サラサラしたような質感ではないが、毛深いため弾力がある。

 

「……それにしても、ようこの尻尾、大きい」

 

 まさしくもふりがいがあるってものだぜ。

 俺的には褒め言葉に近い好意的な意味で言ったのだが、それを聞いたようこはなぜかショックを受けた顔をした。

 ふわりと、尻尾が手の平から離れていく。

 

「大きすぎるの、いや……?」

 

 お、おいおいおいおい。なんだよその反応。

 恥ずかしそうに俯きながら、不安そうにチラチラこっちみちゃってさ。

 くそ、ようこにこういう態度を取られると調子が狂うな……。

 

「そんなことない。健康そうでなにより」

 

「そう……よかった」

 

 ホッと吐息を漏らすようこ。しかし、ここで終わらないのがようこがようこたる所以だった。

 

「じゃあ、啓太は大きいのと小さいの――ううん、わたしの尻尾となでしこの尻尾、どっちが好き?」

 

「え?」

 

 突然自分が引き合いに出され、素っ頓狂な声を上げるなでしこ。そんな彼女を余所にニマニマと悪戯っ子の笑みを浮かべて聞いてくる。

 よくある漫画や小説に出てくる主人公ならここで慌てふためき、どっちもなんて優柔不断な言葉を述べることだろう。

 しかしこの啓太、そんな心にも無いことを述べることなぞせぬ!

 自分に素直に、正直に! たとえ相手がそれで傷ついても言葉に偽り無くはっきりと明言する。

 なので、素直になでしこと言いました、はい。

 

「なっ……!」

 

「えっ……?」

 

 二度目のガーンを喰らい、ショックを受けるようこ。その後ろでは方向性が真逆な衝撃を受けながらも恥ずかしそうにもじもじするなでしこの姿があった。

 だってねぇ。大きい尻尾もいいけれど、なでしこくらいの尻尾のほうがスマートでいいと思うし。

 それにそんなに大きいと夏は地獄ですよ? なでしこの尻尾は触っていて気持ちいいもの。

 まあようこの尻尾も好きだけどね。冬には快適だと思います。

 というか、俺がもふもふで妥協するとでも思ったかー!

 

「……ポチっとな」

 

 ある程度梳いたらブラシの突起を押し込む。すると、刃に溜まった抜け毛を取り除ける仕様になっている。

 これはいいな。二千円でこの使い勝手はお買い得じゃないか?

 一通り毛を梳き終わると、ようこはぐでんぐでんのタレようこと化していた。そんなに気持ちよかったんかい。

 さて、お次はそこで座りながらモジモジと膝を揺すっているなでしこさんだ。なんかトイレを我慢しているように見えるからお止めなさい。

 膝に乗った尻尾をペイっと払うと、勢いに任せてそのままくてんと倒れるようこ。そんな彼女の隣で開いた膝を軽く叩く。

 

「……次、なでしこ。おいで」

 

「はい……」

 

 やめて、そんな恥ずかしそうにしないで。俺も恥ずかしくなるから。

 

「……なでしこ。ちょっとスカート、上げる」

 

「はぅ……はい」

 

 なでしこが着る和服はスカートの丈が長いから、尻尾の大半が隠れてしまう。そのためスカートを上げてもらわないとちゃんと梳けないのだ。

 

(というか、いつも思うがなでしこの服って和製メイド服だよなぁ……)

 

 羞恥で頬を薄く朱に染めながら殿部のスカートを上げる。

 一瞬下着が見えそうになるが、見えるか見えないかのギリギリのラインを保つ。ふっ、さすがはなでしこ、自然と男心を巧みにくすぐる。

 なでしこの尻尾は綺麗な銀灰色をしている。ようこの狐色の尻尾といい、どういう基準でそういう色になっているのだろうか……。

 そっと膝の上に乗せた尻尾を軽く握ると、ビクンッと身体を震わせるなでしこ。それを見て俺もビクンッと驚く。

 

「な、なに? 痛かった?」

 

「い、いえ、すみません……! 少し驚いてしまいました」

 

 そ、そうっすか。じゃあ気を取り直して。

 なでしこの尻尾は片手に納まるサイズだ。ようこのは両手でがっちり握れる太さだからな。

 質感もなでしこの髪と同じくサラサラで、撫でていて非常に気持ちが良い。

 

「あっ……ん、ふっ……」

 

 ついつい素手でシュッシュッとしごくように撫でていると、なでしこさんの口から艶かしい声が出てきました。

 おうふ……。これ以上は俺の理性がガリガリ削れるから自重しよう。惜しいがな!

 スチャッとファー○ネーターを構え銀灰色の尻尾を優しく梳く。

 

「ん……これはいいですね」

 

「そう? 気に入ってもらえたなら、よかった」

 

 気持ちよさそうに目を閉じて毛を通す感覚に身を任せる。

 俺も朗らかな気持ちでブラシを動かした。

 一通りブラッシングが終わる。さすがにようこのようにぐでんぐでんにはならないが、それでもいつもより表情が柔らかい。

 

「……じゃあ、次は爪きり。ほらようこ。寝てたら先に、なでしこからやるよ?」

 

「待って~! わたしからわたしから!」

 

 慌てて起き上がるようこに苦笑する。

 今日は良い一日になりそうだ。

 

 




 ファー○ネータはアマゾンで調べたら出てきました。

 啓太の口調ですが、普段は短文または単語しか喋りません。
 しかし依頼や社交辞令など必要に駆られればそれなりに喋ります。
 なでしこやようこなど家族、もしくは気の許した相手でもそれなりにしゃべります……が、やはり短文が多いです。
 ちなみに長文を喋ろうとすると以下のようになります。

「今日お隣さんの家からカレーをお裾分けしてもらったから夕飯はカレーにしよう」

 ↓

「今日、お隣さんの家からお裾分けしてもらった。カレー。夕飯はカレー」

 このように句読点で区切るか、言葉を入れ替えないと喋れない仕様になっております。


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第二十二話「教育方針」


 連投三日目。
 先日、15000円したマウスを買いました。
 ケンジントンの「スリムブレイドトラックボール」という初めて見るタイプのものだったので、つい買ってしまいました。
 使い心地は抜群にいいんですが、慣れるまで時間が掛かりそうです。


 

 人気のない夜の公園。街灯がほんのりと暗闇を照らす空間を鋭い剣戟の音が木霊する。

 俺の前には全身に切り傷と火傷を負った上半身人間、下半身蛇の蛇女が満身創痍の姿でありながら、未だ敵意の衰えない目で睨んでくる。

 両手に把持した刀をしっかりと握りしめながら、敵意の込めた視線を睨み返した。

 

「憎い……憎い憎い憎い憎い憎い……! 私を捨てた男も、私を邪魔するお前も、なにもかもが憎いッ!!」

 

 蛇の癖してなかなか速い動きで迫り、鋭く尖った爪を向けてくる。

 それを刀で受け止め、弾き返し、返す一閃で手首を両断した。

 

「ぎゃあああああ! 私の手がぁぁぁ!」

 

 斬り落とされた手首を押えながら離れる蛇女。その隙を突き、今度はこちらから間合いを詰めて無防備な胸に刀を突き刺す。

 

「がっ……!」

 

「ようこ!」

 

 バックステップで離れながら相棒の一人である犬神の名を叫ぶと。

 

「任せてケイタ!」

 

 じゃえん、という言葉とともに蛇女が炎に包まれた。

 

「創造開始」

 

 何千、何万と繰り返してきた刀の想像にして創造。

 一秒にも満たないわずかな時間で投擲用の刀を六本創り出し、鋭い呼気とともに投擲。

 寸分の狙い違わず、すべての刀が蛇女に突き刺さった。

蛇女は今度こそ未練の言葉を残す間もなくこの世を去った。

後に残ったのは長い髪の燃えカスのようなもの。

 

「……ふぅ。依頼完遂」

 

「やったねケイタ!」

 

 空からふよふよ降りてきたようこがそのまま俺の肩に抱きついてくる。

 心地よい疲労と重みを感じながら今回の功労者の一人の頭を撫でた。

 

「ん……。ようこも頑張った。偉い偉い」

 

「んふー♪」

 

 満足そうな鼻息を零しながらぐりぐりと額をこすりつけてくる。

 今回はとある男性からの依頼。

 内容は「最近変な女が付きまとってくるんです。引っ越したばかりで誰も知らない家の電話番号を知っていたり、呪ってやるなんて手紙が届いたり、なんかすごく気味が悪くて最近じゃまともに夜も眠れません。もしかしたら悪霊か何かかもしれないです。お願いですから祓って下さい」というもの。

 依頼料はなんと五十万。どこかの社長さんらしくポンと大金を出してくれた。

もうすぐさま飛びついた俺は実際に話を聞くべく依頼主とコンタクトを取ることにした。

 とはいっても相手が俺だと依頼主も不安だろうから、俺の使いとしてなでしこを向かわせた。

 待ち合わせ場所はカフェテリアのため、なでしこたちの後ろの席に俺が座り、依頼主たちの話を聞きながら、その都度、風玉という遠くに言葉を運ぶ零法でなでしこに指示を出し、詳細を聞き出したというわけだ。

 もっぱら最近では、依頼主とのコンタクトが必要な時はこのような方法で聞き出している。相手も俺が犬神使いであることを知っているため不審に思うことなく喋ってくれるからありがたい。

 そして聞き出した情報だと、もう粘着質なストーカーだとわかった。勝手にかかってくる電話や手紙なんてまさにそれでしょう。

 ただ二つ気になったのは、その依頼主の話で実際に目撃したことがあるようなのだが、次の瞬間には姿が消えていたらしい。

 そしてもう一つが、依頼主に微々たる気配だが霊力が付着していたのだ。

 以上の点から相手は人間ではなく魑魅魍魎の類いのストーカーだと当たりをつけて捜査を開始。

 依頼主が住まう地域の周辺を歩き調べ、霊力が強い場所をいくつかピックアップ。そのうち一番霊力が強い場所をようこと二人で待ち伏せていたのだ。

 なでしこには依頼主を遠目から監視してもらい、もしストーカーが出たら連絡をくれるように伝えてある。

 そして山を張ること三日。結構あっさりと見つかりました。

 呪うだとか憎いだとか連呼してたしもう一目見て悪霊だと分かった。なので早速除霊タイム(物理)と洒落込み、つい先ほどあの世へ送ったというわけだ。

 いやー、さすが蛇だけあってしぶといわー。なにあのタフネス。斬っても焼いてもその都度立ち向かってくるとか、軽くホラーなんだけど。いや存在自体がホラーなんだけどさ。

 まあいいや。蛇女も倒したことだし依頼完了ってことで後に依頼主にメールを送るかな。というか新しく手に入ったパソコンがインターネットよりメールを開く回数の方が多いってどういうことだろう?

 そうして俺はようこを連れて家で待つなでしこの元へ帰ったのだった。

 

 

 

 1

 

 

 どうも皆さんこんにちは。寒さには意外と強い川平啓太です。

 季節は冬。テレビの予報だと今年は例年になく一番冷えるらしい。

 もうすぐクリスマスだ。今までだとお婆ちゃんやはけなどの身内だけで祝っていたが、今年は俺の犬神になってくれたなでしことようこの三人で迎えるつもりだ。

 

(クリスマスプレゼントも用意しなくちゃな……)

 

 男の俺が女性が好むものをチョイスするのは些かハードルが高いが、頑張る。いざとなったらはけにも助けてもらおう、うん。

 

(幸いなことに予算はあるからな)

 

 俺が依頼を受け持つようになってから早二か月。先日の蛇女の件を含めると七件目の依頼を達成した。

 結構まずまずな感じで熟せていると思う。今のところ全部の依頼を達成できているし、依頼主も満足してもらっているから今後リピーターも増えていくことだろう。そうあると願いたい。

 なので今のところ資金も順調に稼げている。ちなみに自分で稼いでおきながら毎月、我が家の家計を担っているなでしこにお小遣いを貰らっているけど。月五千円だ。

 貯金は全額で三万円。これならそう高いものでなければ十分良いプレゼントを買えるだろう。

 なでしこやようことの関係も良好だし、すべていい感じで回っている。

 

「……うーん」

 

 さて、いま俺はなでしことようこの三人でドコノショップに来ている。というのはそろそろ俺たちも携帯を持ち歩いたほうがいいと思ったからだ。

 本当ならパソコンの購入で大金が飛ぶから携帯はもう少しあとにしようと思っていた。しかし運がいいことに、学校のとある先輩が最新のパソコンを購入したため一昔前のバージョンのノートパソコンを譲ってくれたのだ。

 その人とはとある事件を切っ掛けに知り合ったのだが、ぶっちゃけ学校でも俺は無口無表情、さらには実家が霊能関係であるため不思議ちゃんで通っている。まあクラスの人たちとはそれなりに受け入れられているから孤立はしていないのだが……。

 そんなこともあり、その人――河原崎先輩になぜか気に入られている俺はそれなりの付き合いをさせてもらっている。先輩や学校での話はまたの機会にしよう。

 

 閑話休題。

 そういうことで依頼も順調だし、お金にも余裕が出てきてたから三人分の携帯を購入しようと思ったわけだ。

 とりあえず、近くのドコノショップに来た俺たちはなにかいいものが無いかと物色しているのだが。

 

「えーと、どれも同じに見えますね」

 

「ケイター。ケイタイってなぁに?」

 

 そう。どう違いがあるのかさっぱり分からんのです。

 いやね、携帯は知ってるよ? ガラケーとかスマホだとか。基本的な機能も一応知ってるよ?

 だけど、ぶっちゃけ仕事やプライベートでしか使わないから、通話とメール機能さえあればいいんだよね。てか、スマートフォン高ぇな! こんなのが六万もするのかよ!

 いらねいらね。使いこなす自身はあるけど必要性がない。ガラケーで十分だ。お、ゼロ円携帯あるじゃん。

 

「……決めた。これにする」

 

 俺はゼロ円携帯の黒いガラケーにした。

 こういう電子機器に弱いなでしことようこにそれぞれどういう機能があり、どんなことが出来るのか説明するが、結局俺と同じゼロ円携帯で良いと言い出した。

 

「……いいの? ちゃんとしたのでも、いいよ?」

 

 なにもこんな一昔前の古びた携帯にしなくても……。まあ俺も同じだけど。

 困ったような顔でなでしこが首を傾げた。

 

「いえ、私には無用な長物になると思いますから、それなら啓太様と同じ物のほうが」

 

「わたしもわたしもー! ケイタとお揃い~♪」

 

 さいですか。ていうかようこ、お前さん携帯がどういうものなのかちゃんと理解できたか?

 まあいいや。本人達の意思を無視して押し付けるのもあれだし。なでしこは白いガラケー、ようこは赤いガラケーを購入した。

 三人の契約名義は俺。同意書は保護者であるお婆ちゃんに名前を書いてもらった。

 

「やった、やった、やったった~♪ ケイタとお揃い~!」

 

 帰路に着くとようこはご機嫌な様子で笑顔を浮かべた。

 なでしこも嬉しそうに微笑みながら隣を歩いている。

 帰ったら番号の登録や設定しないとな。

 

「これでいつでもケイタとお話できるんだよね?」

 

「いつでも無理。授業中ダメ」

 

 ようこのことだから授業中だろうがお構いなしで掛けてきそうだな。ちゃんとマナーモードの設定もしておかないと。

 

「……まあ、気軽に電話かけてきていい。なでしこも」

 

「はい、啓太様」

 

 なでしこはなでしこで遠慮して緊急時以外掛けてこなそうなイメージが……。いや、むしろ「今日のご飯は何になさいますか?」とか献立のことで掛けてくるかも。

 帰宅早々、早速携帯を取り出す三人。

 俺は前世の謎知識の助けもあり、ちゃちゃっと設定を完了させた。

 

「うーん……うぅ、うわぁぁん! わかんないよ~!」

 

「申し訳ありません啓太様。その……」

 

 説明書を読むことなく携帯を弄っていたようこだったが、早速ギブアップ。

 その隣でなでしこも申し訳なさそうな顔をしながら小さく手を上げた。

 

「……はいはい」

 

 苦笑した俺はなでしことようこの携帯の設定も済ませて、ついでに俺の番号とアドレスを登録。俺の携帯にも二人の番号を登録した。

 

「……はい。もしメールもするなら、アドレスは自分で考える」

 

 こんな感じねと俺のアドレスを見せると、ようこは首を傾げ、なでしこは難しそうな顔で画面と睨めっこした。

 

「これが、アドレスですか? なにやら暗号のようなのですが……」

 

「暗号の様なもの。その文字を正しく入力する。じゃないと送れない」

 

 でもメールは必ずしも覚えなくちゃいけないわけではないから。通話の掛け方と出方はちゃんと覚えてね。

 まあ、しっかりと覚えるまでちゃんと教えるから。だからようこ、説明書を千切って遊ぶのはやめなさい。

 誰が掃除すると思ってるんだまったく。……はい、なでしこさんお願いします。

 

 

 

 2

 

 

 

 時刻は十時を回った。

 俺となでしこは和室で正座をして向かい合っていた。ちなみにようこはすでに夢の中である。

 

「それで啓太様、大切な話というのは?」

 

「ん。ようこのこと」

 

「ようこさん、ですか。彼女がなにか……」

 

 心配そうな不安げな目で俺を見つめる。ようこにあんな態度を取られながらも心配できるとは、本当に友達思いなんだな。

 本人は隠せているつもりだろうが、この狭い空間の中だ。さらにはいつも一緒に居るから、ようこがなでしこを邪険に扱っているのは知っている。

 が、俺が口を挟むところではないだろう。まだ全部理解しちゃいないが、なにやら複雑な前後関係があるようだし。

 

「ようこの修行について。お婆ちゃんからの条件。犬神の修行って?」

 

「そうですね……。私たち犬神は主人に尽くし、従い、敬います。ようこさんの場合これらが少々弱い印象がありますので、これらを学習していければと思います。それと、いささか人間社会の常識や倫理というものが欠けていらっしゃいますので、その辺りのお勉強も必要ですね」

 

「ん……最後の方は超同意」

 

 俺の言葉に苦笑したなでしこは優しい表情を浮かべた。

 

「ですが、ようこさんの啓太様へ向ける思いは本物です。ちょっと騒がしく思慮に欠ける行動を取るかもしれませんが、そこだけは疑わないで上げてください」

 

 たしかにようこは目を離すとすぐに売り物に手を出そうとするし、人の物を勝手に取るし、時たま俺をからかって遊ぶし、道徳や倫理というのが欠けている。

 が、あいつが俺に向ける笑顔は曇り一つなく、それが混じり気のない純粋な好意であることくらい分かっている。

 

「……大丈夫。疑ったことは一度も無い」

 

 まあバカな子ほど可愛いっていうしな。アイツの場合見た目は綺麗だけど、社会常識がないからバカに見える!

 

「……それで、どうしよっか。ようこの修行」

 

「そうですね……。正直、私なんかにようこさんの修行の監修が勤まるのか不安ではありますが……」

 

「ん。一緒に頑張ろ」

 

「……はい」

 

 さすがに犬神の心得なんかは分からないが、一般常識とかなら俺も教えられるし。あ、そっか!

 一般常識や社会常識を俺がメインで教えて、犬神に関する内容はなでしこが教えればいいんだ! ようは役割分担だな。

 どうよこれ?

 

「そうですね、私も自信を持って一般常識に答えられるか少し自信が無いので、そうしていただくと助かります。それなら何を教えればいいのか明確になりますし」

 

 よし決まり。

 じゃあようこを立派な犬神にすべく頑張りましょう!

 

「……これからもよろしく」

 

「え? えっと、はい。こちらこそ?」

 

 今後、同じ苦労を分かち合うことになるであろう。

 一緒に色々な意味で頑張りましょうと、握手を交わした。

 

 

 

 3

 

 

 

「啓太様、総家様からお電話です」

 

 ようこの教育方針が決まった次の日。お婆ちゃんから一通の電話が届いた。

 いつも用事がある時ははけを通じて知らせてくるため、こうして電話をかけてくるのは珍しいケースだ。

 

「……? もしもし」

 

『おお、啓太か。すまんのいきなり』

 

「大丈夫。で?」

 

『うむ。ちとお前さんに頼みたい仕事があるんじゃが』

 

 ほう、仕事ですか。

 まだまだ俺の知名度は低いため、こうしてお婆ちゃんから依頼を紹介してもらっている。

 いつか依頼主から直接、依頼を貰いたいものだ。

 

「……依頼?」

 

『うむ、そうなんじゃが……。あー、今回は少々特殊な依頼でな……』

 

「……?」

 

 珍しいな、お婆ちゃんが言い淀むだなんて。

 特殊な依頼とは一体なんぞ?

 

『……正直、これをお前さんに紹介していいものなのか、わしにも判断に迷うところなんじゃが……まあ、何事も経験あるのみじゃ。依頼主には啓太を紹介しておいたからの』

 

「ふーん。ま、いいけど……。で、依頼主は?」

 

『――仮名史郎。特命霊的捜査官という鎮霊局の者じゃ』

 

 お婆ちゃんが紹介した名前が今後の人生に大きく関わってくると、この時の俺には夢にも思わなかった。

 

 




 ついに変態という名の運命に翻弄される男、変態特命捜査官が登場!

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第二十三話「特命霊的捜査官」

 連投四日目。
 新作小説がもう少しで投稿できそうです。詳しくは活動報告をご覧ください。


 

 

 とある正午のカフェテラス。ある席では現在進行形で注目を集めていた。

 割烹着のような和服を着た美少女が優雅に紅茶を飲んでいたからだ。割烹着という出で立ちでも目立つのに、それを着ている少女が中々お目に掛かれないほどの美少女なのだから、さらに人の目を奪っている。

 誰もが少女とお近付きになろうとするが、その場にいる男たちも皆同じ考えなのか、互いに牽制し合って変な膠着状態が続いていた。

 そんなある種の冷戦は唐突に終わりを告げる。

 トレンチコートを来た一人の男が少女が座る席に歩み寄ったからだ。

 しかも、その男の姿に気がついた少女が柔和な笑みを浮かべたではないか。

 まるで、待ち合わせていた人が来たかのような――。

 

「仮名史郎様、ですね。お待ち申し上げておりました」

 

 一旦席を立ち、低頭する少女に男が驚いた声を上げる。

 

「随分早いな。まだ二十分前だというのに」

 

「主人はいつもこのくらい前には着いているようにとの言明ですので」

 

「なかなか几帳面な主人のようだな」

 

 男の言葉に困ったような笑顔を浮かべた少女は再度小さく頭を下げた。

 

「申し送れました。我が主人、川平啓太様の名代として参りました犬神のなでしこと申します。以後お見知りおきを」

 

「丁寧な挨拶痛み入る。私は仮名史郎。鎮霊局の者だ」

 

 そこで男の視線が少女――なでしこを通り越して、後ろの席に座る客へ向かう。

 その客は薄い茶髪の少年で、何故かサングラスとマスクという格好をしていた。

 

「君の名前も教えて欲しいのだがな、川平啓太」

 

 男の言葉に振り返る少年。

 少年――啓太はサングラスとマスクを外しつつ、どこかジト目を感じさせる無表情という味のある顔で呟いた。

 

「……もう言ってる。名前」

 

 

 

 1

 

 

 

 どうもこんにちは。現在依頼主と対面している川平啓太です。

 席を替えてなでしこの隣に付く。四人掛けの丸テーブルのため、あと一つ空席が開いている状態だ。

 依頼主の仮名史郎は席につくと、虚空に語り掛けた。

 

「さて、そこの君も出てきたまえ」

 

「――へぇ、わたしが視えるんだ」

 

「ああ」

 

 虚空から漂っていたようこが姿を見せる。突然現れた少女にギョッと目を剥く客がいたが、そんなのお構い無しとでもいうように話は進んでいった。

 とりあえずようこを空いた席に座らせる。これですべての席が埋まった。

 やってきた店員さんにコーヒーとココア、オレンジジュース、ウーロン茶を頼む。

 

「さて、私はこういう者だ」

 

 仮名史郎が差し出した名刺には『特命霊的捜査官 仮名史郎』という文字と生真面目な顔写真が書かれていた。

 それを財布の中に入れつつ、仮名史郎――仮名さんを見上げる。

 白いトレンチコートにスーツ姿の仮名さんはかなりの長身だ。一八〇はあるだろう。

 濡れたような黒髪をオールバックにしている。彫りの深い端整な顔立ちだが、眉間に寄った皺が気難しい印象を与えていた。

 ほどなくして届いた飲み物が全員に行き渡る。

 俺はウーロン茶、仮名さんはコーヒー、なでしこはココア、ようこはオレンジジュース。

 一口飲んで喉を潤し、早速本題に入った。

 

「……俺を指名とのことだけど」

 

「うむ。留吉を知っているか?」

 

「留吉……?」

 

 留吉。なんだろうどこかで聞き覚えがあるんだが……。

 どこだったかなー、とない頭を捻って思い出そうとしているとなでしこが助け船を出してくれた。

 

「以前、依頼でお知り合いになったあの渡り猫ではないでしょうか」

 

「……おお。猫」

 

 ああ、思い出した。確か以前に依頼で知り合ったはその子と。

 二足歩行する言葉が達者な礼儀正しい猫だったな。探し物をしているとかで全国を旅している渡り猫だとか。

 尻尾が二つあったからてっきり猫股だと最初勘違いしてたんだっけ。

 

「うむ、猫だな。その猫から君を推薦された」

 

「……どういう関係?」

 

 あの渡り猫とこの捜査官の関係性が今一つ把握できないんだが。

 

「彼とは友人関係だ」

 

 あら意外。だけどまあ、種族を超えた友情っていいよね。

 俺の脳裏にイイ笑顔を浮かべて手を振っているカエルの仙人が浮かんだ。

 

「……そう。それで、内容は?」

 

「ターゲットは栄沢汚水」

 

 懐から取り出した電子手帳のような端末。そのディスプレイを読み上げていく。

 

「去年のクリスマスに車に撥ねられ死亡。栄沢に身寄りや縁者はおらず、記録によると軽犯罪の常習犯だったらしい」

 

「……軽犯罪?」

 

「うむ。深夜、素っ裸にコート一枚だけを着て街を徘徊し、出会う女性に己の……ごほん、まあ提示して悦に浸っていたらしい。ようは変態だな」

 

「変態か……」

 

 というか露出狂かよ。しかも常習犯とか。

 なにを想像したのか、なでしこの顔が少しだけ赤くなってる。

 

「彼は生前、カップルに対し羨望を通り越して鮮烈な憎しみを抱いていたらしく、死後悪霊となってまでカップルを恨んでいるらしい」

 

 モテない男の妬みが怨霊と化したか。どんだけ憎んでたんだソイツ……。

 リア充爆発しろは言ってただろうな。

 しかし、ただの悪霊程度なら仮名さんでも倒せるんじゃ? 特命霊的捜査官って言うほどだし、自力で退治できる力量は持ってるはずだ。

 

「……? そのくらいなら、仮名さんでも倒せるんじゃ?」

 

「いや、事はそう単純ではないのだよ」

 

 はあ、と思い溜息を吐く。どうやらその辺に俺に依頼した理由がありそうだ。

 ディスプレイが見えるように差し出した。

 覗き込んでみると、画面には一冊の古びた書物が映し出されている。

 表紙には月と朽ちかけた骸骨が三体刻まれていた。

 

「……なかなか、悪趣味な本」

 

 とりあえずセンスは感じされないな。

 

「うむ、その意見には全面的に同意する。これは和製の魔術書『月と三人の娘』だ」

 

 なんでもその魔術書は書いてある手順を踏むと誰でも魔王になれる書物で、あまりの危険性に世界魔術防衛機構がAランクで封印指定している魔術書らしい。

 なにがどう魔王になるのかは分からんが危険な代物というのは理解した。あやしい匂いがぷんぷんするぜ……。

 

「私は専門でこの本を追っかけていてな、栄沢は偶然この本を手にしてしまい……死ぬ直前に最後の一線を踏み越えたらしい」

 

「……魔王?」

 

 その変態が魔王級の力を手にしてしまったと。確かにそれは厄介だな。色んな意味で。

 

「魔王になる素質は強力な念。奴は生前、カップルに対して壮絶な妬みを持っていた。恨みの念だ。さらに奴の趣味であるストーキング。この二つが見事合致してしまい、今ではカップルにひたすら嫌がらせを繰り返し、裸で街を徘徊する変態魔王に成り果ててしまったのだ……ッ!」

 

 ……ちょっと、俺が想像していた魔王の斜め上をいくんだけど。

 なでしこは事態は深刻と見なしたのか、真剣な表情で質問した。いや、確かに深刻だけどさ……。

 あれー?

 

「その魔術書は押収したのですか?」

 

「ああ、奴の部屋から押収してある」

 

「でも、その人どうやってその本を手に入れたの?」

 

 ようこのもっともな疑問に対し、仮名さんはため息を返した。

 

「児童館の絵本コーナーだ。流石の我々も盲点だった」

 

 うん。それは仕方ない。

 

「なんとしても止めねばなるまい。そこで川平、君の出番だ」

 

「……なぜ、俺?」

 

 そう。その話なら別に俺である必要性は感じられない。俺より腕の立つ霊能者なんてごまんといるだろうし。

 その質問に対し、仮名さんはコーヒーを呷ると指を三本立てた。

 

「一つは先ほども言ったとおり、留吉の推薦だからだ。彼の人を見る眼には私も信を置いている。そしてもう一つ、カップルだからだ」

 

「……カップル?」

 

 想定外の言葉に思わず首を傾げた。隣では嬉しそうにはしゃぐようこと、恥ずかしそうに頬を染めるなでしこ。

 あー、なるほど。読めてきた。

 こんな美少女を二人も侍らせている俺は奴にとっては最大の敵というわけで。

 

「囮?」

 

「うむ、頭の回転が速いな川平。その通り。そして三つ目だが、君が犬神使いだからだ。破邪顕正の名のもと悪を下すのは、君の使命だろう?」

 

「……こういう悪なら喜んで」

 

 満足そうに頷く仮名さん。じゃあ、依頼を受けるに当たって報酬の話に入ろうか。

 

「……依頼料は後払い。いくら?」

 

「うむ。百出そう。場合によってはボーナスをつけてもいい」

 

「……受けた。変態撲滅する」

 

 変態、栄沢汚水よ。俺の()となれ。

 ふと見れば申し訳なさそうな目で俺を見ているなでしこに気がついた。その心中を察した俺は頭を撫でる。

 

「大丈夫。俺とようこの仕事」

 

「申し訳ありません、啓太様……」

 

「誤らなくていい。戦闘は俺の仕事。そういう契約」

 

 戦闘において俺とようこは意外と相性がいいから、恐らく大丈夫だろう。

 だから気にするなと頭をくしゃくしゃすると、少しだけなでしこの頬が緩んだ。

 つまらない顔をしてそっぽを向くようこの頭も同じく撫でる。

 

「いつも通り、俺とようこでいく。頼むぞ?」

 

「うんっ」

 

 あっという間に機嫌を直し相好を崩すようこに苦笑する。

 それを見ていた仮名さんが意外そうな顔をしていることに気がついた。

 

「……どうしたの?」

 

「いや、なんでもない。なでしこは戦わないのか?」

 

「ん。なでしこ戦えない。だから戦うの俺、ようこの二人」

 

 大丈夫さ。仮名さんは大船に乗ったつもりでいてくれ。

 

「そうか……。ではこれより作戦終了まで君たちは私の指揮下に入る。作戦名は『サイレントナイト・オペレーション』だ。決行は五日後のクリスマスイブ。異論はないな?」

 

「……意義あり。作戦名変更を希望」

 

「むっ、結構いい名前だと思ったのだが……ではなにか希望はあるか?」

 

「変態撲滅作戦」

 

「なんだそれは……。それだったら私のサイレントナイト・オペレーションの方がいいだろう」

 

「ふっ。厨二乙」

 

 結局、作戦名が決まったのはそれから三十分後の話だった。

 ちなみに多数決で仮名さんの作戦名が採用された。俺以外満場の一致という結果に一人心の中で泣いたのだった。

 

 




 なでしことようこには作戦名の良さが分かってもらえなかった模様です。
 感想や評価、お待ちしております。


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第二十四話「変態の慟哭」

 連投最終日。
 栄沢汚水、このキャラも結構濃かったなぁ……。
 ただ原作に比べてこっちの方が変態度は濃いです。



 

 

 十二月二十四日。今年もクリスマスイブが訪れた。

 街は浮き立ち、世のカップルはイエス・キリストの聖誕祭など知ったことかとばかりに謳歌していた。

 中央通りでは木々にイルミネーションが施されて、夜の街を優しく照らしている。

 街のいたるところではカップルや家族連れが楽しそうに、幸せそうに各々の時間を過ごしていた。

 待ち合わせ場所としてよく活用される街時計の前で一人の少年が壁に寄りかかっていた。

 黒のジャケットに白のカッターシャツ、ジーパンという出で立ちをしている。

 歳は十三歳くらいだろうか。まだ少し幼さい顔付きをしているが、十分美形で通る顔立ち。薄茶の髪は柔らかい風に揺られ、一五二センチという自分の身長を気にしているのか、身長差のあるカップルを目撃すると目が若干細まる。無表情なため少しだけ近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 腕時計に目を落とす少年。時刻は午後七時を回るところだ。

 待ち合わせ時刻まであともう少し。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 そんな少年の前に一人の女性が走り寄ってきた。

 女性は美少女だった。

 桃色の髪は耳を隠す長さで両端だけ伸び、走ってきたのか頬が少しだけ朱く色付いている。

 割烹着のような和服姿の少女に気がついた少年は無表情のまま片手を上げた。

 

「やあ」

 

 表情に反して声は少しだけ柔らかかった。

 

「ごめんなさい……っ、待ちましたか?」

 

「ん、大丈夫。待ってない。……違った。いま来たところ」

 

 少年の言葉に少女は小さくはにかんだ。

 

「優しいですね……。でも、たまには怒ってもいいんですよ? そうしないと私、きっとどこまでも貴方に、あ、あ、甘えちゃう……から」

 

 喋っていて何故か顔を赤くする少女。

 並んで立つと少女のほうが拳一つ分、背が高いことが分かった。

 それを確認した少年は小さく眉根を寄せた。

 しかし、すぐにハッと無表情に戻ると少女の唇に指を押し当てる。

 

「ノン。怒ることなんて不可能。……君はボクのためお洒落した。嬉しい」

 

「そんなの、当たり前です。だって、あ、貴方と過ごす特別な日だから……」

 

 少女はポケットからプレゼントを取り出した。

 

「――受け取ってください。私の素直な気持ちが込められてます……」

 

 少年も無表情で拳大ほどの大きさのプレゼントを取り出す。丁度、指輪が入るくらいの大きさだ。

 

「……ならボクも。素直な気持ちを、キミに」

 

 少女は微笑み、プレゼントを受け取る。大切に胸に手を押し当てた。

 少年は眉根を小さく寄せると耳に手を当ててそっぽを向いた。

 小さく口が動いている。

 

「…………この後どうする。抱き寄せてキス? ……ん? ようこ??」

 

 誰かと連絡を取っているようだ。少女は隣で微笑みながら、小さく首を傾げる少年を見つめた。

 連絡を終えた少年が改めて少女と向き直る。

 

「どうしましたか?」

 

「……ん、なんでも」

 

 一歩踏み込む。互いの吐息が感じられるほど距離が狭まる。

 小さく瞳が揺れる少女を真っ向から見据え、その腰に手を回した。

 

「……えっ? け、啓太様?」

 

「静かに……」

 

 真剣な目が自分に向けられている。ドキドキと鼓動が高鳴るのを感じた。

 しかし、そんな少女に冷や水を浴びせかける第三者が乱入してきた。

 

「ちょっと、人の男に何をしているのかしら?」

 

 いつから居たのか。一メートルほど離れたところにまた別の女性が立っていた。

 お尻の高さまである緑色の長髪を三つ編にして、暖かそうなファーに身を包んでいる。

 紅緋色の瞳は挑発的な色を放ちながら、少年と抱き合う少女を睥睨していた。

 

「ようこさん!?」

 

 慌てて少年から離れる少女。その隙を突き歩み寄った緑髪の女性は少年の腕を抱き寄せて見せた。

 

「まったく。人のいない隙に男を掠め取るだなんて、イイ趣味してるわね。この泥棒猫」

 

「なっ、そんなことしません……!」

 

 ぷんぷんと激昂する少女をふんっと鼻で笑った緑髪の女性は一転して甘えるような声を出しながら少年にしな垂れかかった。

 

「ねぇ、ケイタ? そんな泥棒猫なんかのプレゼントより、わたしのプレゼントを受け取ってよ」

 

 うりうりと白魚のような指で少年の胸をぐりぐりする女性。

 もちろん、プレゼントはわ・た・し、との言葉に少女が柳眉を上げた。

 

「ようこさん、それは台本にないですよ? そもそもようこさんは私の後のはずでは?」

 

「人生台本だけで生きていけないわよなでしこ。時にはあどりぶも必要なんだから」

 

 さきほどまでの甘い雰囲気は何処へやら。キャーキャー騒ぐ少女たちを余所に少年――川平啓太は小さくため息をついた。

 

「……仮名さん、どうする?」

 

『うーむ。まさかここでようこくんが出て行くとは思ってもみなかった。これでは昼ドラになってしまう』

 

 耳に当てた小型イヤホンから渋い男性の声が返ってきた。

 ここから少し離れたところで事態を見守っている仮名史郎からの返事だ。

 

「……そもそも、これ。なに?」

 

『むっ、妹から借りた少女漫画をいくつか参考にしたのだが、何か変だったか?』

 

「……展開、ベタ」

 

『べ、ベタ……』

 

 未だキャーキャー言い合う少女たちからこっそりと離れる。

 コホンと、小さく咳払いする声がイヤホンの向こうから聞こえた。

 

『まあいい。とりあえずこのままデートを続けるんだ。ターゲットを補足したら知らせてくれ』

 

「……了解」

 

 通信を終了した啓太は小さく白いと息を零した。

 

 

 

 1

 

 

 

「……結局、こうなったか」

 

 俺の左には腕を絡めて豊満な胸を押し付けるようこ。右には恥ずかしそうにちょこんと手を繋いで楚々と歩くなでしこ。

 世の男性が見たらさぞかし顰蹙を買う光景が広がっていた。

 どうも皆さんこんばんは。美少女の板ばさみに合い、現在進行形で怨嗟の視線を集めています川平啓太です。

 男一人と女二人のデート。こういうのをダブルデートというのだろうか。生憎、前世の謎知識にはこういったデートを経験したという記憶はないから名称が不明だ。

 いやね。俺もデートしたことあるよ? 前世でだけど。一対一の普通のデートだけど。

 何この修羅場を招くようなデート。まるで俺がプレイボーイみたいじゃないか!

 本来なら最初になでしこ、次にようこと一人ずつデートをして変態魔王、栄沢汚水をおびき寄せる作戦だった。

 しかし、なでしことのデート中に何故かようこが乱入した結果、このような一対二の変則デートになってしまった。

 うぅ、やらせとは言え、何気に今世で初めてのデートだったのに……。ちょっと残念に思う俺が居ます。

 まあこの状況を役得だと感じる俺もいますがね!

 

「ねえケイタ。この後ってどうするの?」

 

 俺の腕を抱きしめながら甘えるように身を寄せてくるようこ。

 

「私は啓太様が行くところでしたら、どこでも……」

 

 それに対抗するように、反対側のなでしこも握った手にキュッと力を込め、少しだけ距離を縮めた。

 右に可愛い系美少女なでしこ。左に綺麗系美少女ようこ。

 まさに両手に花の状況に男たちの視線が一層強まる。彼女持ちの男でさえなでしこたちに視線が吸い寄せられ、自分の恋人に頬を抓られているのだ。

 今はこの無表情がありがたい。もし人並みに表情豊かだったら間違いなく、だらしない顔をしているだろう。

 人生で初めて自分の表情筋に感謝の念を寄せた時だった。

 

「妬ましい……世のカップルどもが。世のリア充どもが妬ましい……」

 

 突然、強い風が吹いたかと思うと、一人の男が宙に浮かんでいた。

 黒いマントで身を包んだ男は血走った目で眼下を睥睨している。街の人たちはまだ男の存在を認知していなかった。

 ――きたか……!

 

「……ターゲットらしき男、出現」

 

『今顔を確認した。あの男が栄沢汚水で間違いない。早速頼めるか?』

 

「ん……撲滅する」

 

 なでしこを逃がし、ようこと二人で変態を撲滅しようとする。が――。

 

「貴様ら……リア充どもなんてみんな消えればいいんだあああああああ――――――ッ!!」

 

 バッ! と男がマントを全開にすると、その下から紛うことなき裸体が姿を見せる。

 

「きゃあー!」

 

 男のシンボルを直視してしまったなでしこが手で顔を抑え俯いた。

 

「うぅ……」

 

 あのようこも頬を上気させて視線を反らした。

 栄沢の汚物を見ないように視線を外す二人を見て、俺の中でふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。

 ――うちの犬神にセクハラするとは、いい度胸じゃねぇか……。

 その汚ならしい○○○を削ぎ落とし、滅殺してやる!

 いつものように刀を創造しようとするが、数瞬先に栄沢が次の手を打ってきた。

 

「世のリア充どもに、聖夜の導きよ――!」

 

 そして、栄沢の股間が突如輝き出した!

 

「うわぁ、なんだ!?」

 

「きゃぁぁぁー!」

 

 股間から発した光に当てられた男たちの服が消失し、素っ裸になる。

 突然、彼氏が裸になり悲鳴を上げる声がそこらかしこで発生した。

 

「……むぅ。なんて悪趣味な」

 

 幸いここまで光が届かなかったから俺の服は無事だが。

 しかし、街は男の奇行に阿鼻叫喚と化している。それまでのクリスマスムードが木っ端微塵に砕けた瞬間でもあった。

 とりあえず、なでしこを遠くに避難させる。涙目でこくこくと頷いた彼女は早足でこの場を離脱した。

 もう一人の相棒であるようこはその場に留まっている。

 

「……いける?」

 

「う、うん。大丈夫」

 

 まだ少し頬は赤いがようこがうなずく。 頼もしい限りだが、ようこも女の子。あの変態を相手にするのは酷というものだろう。

 どうしても助太刀が必要な時以外は俺メインでいこう。

 

「川平!」

 

 なでしこと入れ違いで仮名さんがやってきた。右手にはメリケンサックのようなものが嵌められている。

 

「あれが栄沢汚水か。聞きしに勝る変態だな」

 

「ん。同感」

 

 栄沢は哄笑の声を上げながら股間を輝かせている。

 

「いやぁぁぁー!」

 

「うわぁ! こっち来んなぁ!」

 

 さっさと変態を駆除して事態を収拾しないと。

 

「ふはははは! 惨めに逃げ惑え愚民共! 神は貴様らの裸を所望している!」

 

「神の意志を勝手に捏造するな馬鹿者。お前の悪行はそこまでだ」

 

 変態の前に立ち塞がる仮名さん。地に足をつけた栄沢がゆらりと振り向いた。

 俺とようこは離れたところで待機している。まずは敵の戦力を見極めないと。

 

「むっ。何者だ?」

 

「栄沢汚水。お前の悪逆非道な行い、断じて許すわけには行かない。すべての祝祭を祝う恋人に代わってこの仮名史郎が成敗する!」

 

「ほう。この露出卿の我に真っ向から挑むと? 面白い、なかなか脱がしがいのある者が出てきたではないか」

 

 仮名さんがメリケンサックを構えた。

 

「いくぞっ、エンジェル・ブレイド!」

 

 メリケンサックの親指の方から白い霊力で構成された刃が伸びた。

 光り輝くその刃を構え、栄沢に突貫した。

 

「聖なる力で魔を払え! 必殺、ホーリー・クラァァァッシュ!」

 

「ふん。たかだかその程度で、この我の怨念を払えるかッ! 収束せよ、股間ブレイド!」

 

 ……信じられないことに、栄沢の股間から放たれていた光が一点に収束し、縦に伸びた。

 まるで剣のような形をしたその光は仮名さんのホーリー・ブレイドと拮抗してみせる。

 こ、股間から伸びた光で斬り合うとか、絵ずらが……。

 酷い光景だ。

 

「ちっ! なんてふざけたような力だ……っ!」

 

「ふはははは! ぬるい、ぬるすぎる! その程度の力で露出卿たる我に歯向かおうなど、百億万年早いわっ!」

 

「ぐっ!」

 

 栄沢が大きく股間を動かし剣を振るうと、その勢いに負けて弾き飛ばされる。

 その隙を突き、股間の剣の一部から射出された光が一本の矢のように仮名さんへと放たれた。

 

「うおっ!」

 

 間一髪跳ね起きて回避する。光の矢はサンタコスチュームで飾り付けされたカー○ルサ○ダースに突き刺さり、マネキンを素っ裸に変えた。

 そのおぞましい光景に俺も仮名さんも息を呑む。

 

「あの光を受けたら裸にされるのか……」

 

「はははは! さあ、お前も我の仲間になるのだ」

 

「誰がなるかぁ――!」

 

 叫び跳躍する仮名さん。

 大体、敵の強さも分かってきたことだし、俺も参戦するか!

 

「ようこ、そこにいる。援護が必要なとき、合図する」

 

「うん!」

 

「ん。変態撲滅する」

 

 仮名さんの跳躍しての振り下ろしの一撃を股間の剣で迎え撃つ栄沢。

 その隙を突き、創造した刀を三本投擲する。

 

「ぬっ!? ちぃっ!」

 

 転がって回避した栄沢は俺が居る方向を睨みつけた。

 

「この露出卿たる我に土をつけさせるとは……何者だ!」

 

「……貴様に名乗る名前、ない。変態撲滅」

 

 両手に刀を一本ずつ把持して栄沢の前に姿を躍り出る。

 

「川平か!」

 

「ん。ここから参戦」

 

「助かる」

 

 刀を構える俺を凝視する栄沢。

 その熱視線になぜか背筋が震えた。

 風にたなびくマントがやけに目に付いた。

 

「な、なんだこの気持ちは……まさか、露出卿の我がそんな……っ」

 

 なんか知らんが狼狽している今のうちに!

 先手必勝、とばかりに刀を強く握り斬りかかる。

 

「くっ」

 

 右の袈裟斬りを股間の剣で受ける。しかし、左の逆袈裟斬りを防ぐ手段がない。

 栄沢は上体を限界まで反らし斜め下からの斬撃をやり過ごすが、胸に小さな傷を残した。

 傷口から黒い瘴気がわずかに零れる。

 

「くらえっ」

 

「ちぃっ!」

 

 背後から仮名さんが上段で振りかぶる。

 それを大きく跳躍して回避し、再び宙に浮かんで空へ逃げた。

 

「ふ、ふふふははははは……まさか、まさかな。こんなことが起こるなんて……」

 

 突然一人笑い出す変態。あおの尋常ではない様子に仮名さんが目を細めた。

 

「なんだ?」

 

「……さあ?」

 

 一人笑い声を上げていた栄沢はピタッと止まると、上空から真っ直ぐ俺を見つめてきた。

 その視線にまたもやゾクゾクっと背筋が震えた。

 

「少年、感謝するぞ。貴様のおかげで我はまた一つ、露出の扉を開いた」

 

 そう言い、何故か――何故か頬を赤らめて俺に熱視線を送った。

 

「まさか……我にショタの属性があるとはな!」

 

 背筋があわ立った。

 

「さあ、貴様も露出の良さを知るがいい!」

 

「川平っ!」

 

「ケイタ!」

 

 変態の股間から伸びた光が俺を貫く。それはすなわち俺の裸を意味する、が。

 俺の姿を見て、奴は唇を戦慄かせた。

 驚愕に染まる表情で目を見開く。

 

「ば、馬鹿な……! なぜ、なぜ我の力が利かないんだ!?」

 

 そう。俺の服装はまったく変わっていなかった。

 仮名さんが説明を求める目を向けてきたので一言。

 

「……俺の能力」

 

「……っ! そうか、君の霊力物質化能力で脱がされた途端、服を創造したのか」

 

 そう。奴の服を剥ぎ取る力は地味に脅威。羞恥心を押さえながら戦うというのは、理性ある者ではなかなか出来ないからだ。

 いくら俺でも素っ裸で叩けるほど神経が太くない。

 服を剥ぎ取られたら戦力が激減する。ではどうするか?

 考えた俺はある言葉を思い出したのだった。

 偉人は言った。パンがなければケーキを食べればいいじゃない、と。

 そして閃いたのだ。

 ――服がなければ服を作ればいいじゃない。

 なので、仮名さんが戦闘している最中、必死になって俺と仮名さんとようこの三人の服装のイメージを繰り返していたのだ!

 

「ようこ……ッ!!」

 

 自分の変態能力が利かないことに驚くその隙に、ようこへ合図を送った。

 

「くっ! ならば繰り返し、少年に露出の良さを教え――」

 

「じゃえん!」

 

「ぐああ――――っ!」

 

 変態の身を赤い炎が包み込む。間髪入れず、俺自身もありったけの刀を創造し次々と投擲する。

 殺さねば。今すぐ殺さねば。血一滴、髪の毛一本すら残さず滅殺せねば!

 じゃないと、俺の貞操が激ヤバなんじゃぁぁぁぁぁ――!!

 感じる寒気を怒気に、殺気を乗せて計十八本の刀を全力で投擲した。

 

「ぐぅぅ……! ま、負けるものかっ! 我は、我は誇り高き露出卿なんだ……! 負ける、ものかあああああああ~~~~!!」

 

 炎を散らし、全身のいたるところに刀を突き刺しながらも、なお股間から強い光を発する変態。

 それを見て、俺は自重するのを止めた。

 こいつはここで必ず殲滅しないと。世のため人のため。

 そしてなにより、俺のため――。

 

「ようこ……! 俺を、奴の後ろに……!」

 

「……! うん! しゅくち!」

 

 ようこの物質転送能力『しゅくち』で変態の背後に瞬間移動する。

 

「なっ!?」

 

「……堕ちろ!」

 

全霊力を循環させて身体能力を劇的に向上させた俺は変態の背中を蹴り飛ばし、地上へ落とした。

 

「創造開始! ……フッ!」

 

 さらに五百の霊力を込めた刀を四本創造し投擲する。それらは奴の四肢に突き刺さり地面へと縫い止めた。

 

「仮名さん、今……!」

 

「応! 栄沢汚水、覚悟っ! 必殺、ホーリー・クラッシュ!」

 

「ぐああああああ!!」

 

 四肢を縫いとめられて身動きが取れない変態を聖なる光が斬りかかる。

 断末魔の悲鳴を上げる変態だったが、途中不気味な笑い声を上げた。

 

「ふ、ふふふ……我は不死身…………何度でも、よみがえ――」

 

「うっさい。粗チン」

 

 脂汗を流しながらも不敵な笑みを浮かべていた変態だったが、俺の一言が奴を凍りつかせた。

 止まっていた時間が動き出す。変態はかすれる様な声で言った。

 

「わ、我の逸物は、大き――」

 

「短小」

 

 変態の目から滂沱の涙が流れ出る。

 ――女の子で駄目なら、君に一言大きいって、言って欲しかった……。

 それが変態の最期の言葉だった。栄沢汚水は泣き笑いのまま、すぅっと消えていった。

 天に昇った変態に一言。

 

「寝言は寝て言う」

 

 ばっさりと切り落とした俺の隣で仮名さんが肩をすくめた。

 

 

 

 2

 

 

 

「見た目にそぐわず結構辛らつだな……」

 

「変態に掛ける慈悲なし」

 

 奴が残していったマントを拾い、刀で細切れにする。それをようこが燃やし灰にした。

 汚物は消毒しないとな。この場合は焼毒か?

 

「なにはともあれ、これで任務完了だな」

 

「ん。依頼料」

 

「銀行振り込みでいいか?」

 

「ん」

 

「少々色を足けておく、期待しているといい」

 

「ん! 楽しみにしてる」

 

 どちらともなく笑い合い、手を差し出して硬く握り合う。

 男だからこそ分かり合えたような、心地よい空気が流れた。

 

「では、私はこれで失礼する。また会おう、川平」

 

「ん。また」

 

 くるりと背を向けて去っていく仮名さん。最後まで振り向かず歩み去っていくその背中を見送り、俺も振り返った。

 少し先で心配そうにこちらを見つめる犬神の姿を認め、フッと微笑む。

 

「……帰ろ。なでしこ、ようこ」

 

 いつぞやの時のように左腕をようこが抱きしめ、右手をなでしこが握る。

 あー、折角のクリスマスイブだったのに、変態のせいで台無しになっちゃったな。明日はちゃんと祝おうな。

 ん? おお、それはいいな。じゃあ夜は家でクリスマスパーティーをするか!

 それじゃあ、明日の昼はパーティーの買い出しだな。なでしことようこも一緒に行くよな?

 仲良く歩きながら会話に花を咲かせる。

 街燈の明かりが三人で寄り添う影を作った。

 

 




 ちょ、ちょっとやり過ぎましたかね?
 感想や評価、お待ちしております。


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第二十五話「クリスマスパーティ」

 前回の連投で燃え尽きたぜ……。
 時期的にはバレンタインの話ですけど、本編ではクリスマスなのでこちらを書きました。
 お試しで感想をログイン以外で設定します。

 タグの一部を変更しました。
・ヒロインをメインとサブに分離。



 

 

「ほー……」

 

 流石は仮名さん。いい支払いっぷりだ……。

 あ、どうもおはようございます。昨夜はどこぞの変態のせいで折角のクリスマスイブを潰された川平啓太です。

 たった今、仮名さんからメールが届き、依頼料の支払いが完了したとの報告があった。

 後日、明細が届くがメールには依頼料の百万に色をつけて十万プラスしてくれたようだ。この人とはまた一緒に仕事したいものだな。

 

「啓太様、準備が出来ました」

 

「ケイター! 早く行こっ」

 

「ん。じゃあ、行くか」

 

 パソコンをスリープ状態にしてから立ち上がる。なでしこが取ってくれたジャンバーを羽織った。

 えーと……鍵よし、財布よし、ガスの元栓よし、と。

 んじゃあ、行きますか。

 外に出ると寒気が押し寄せてくる。寒い寒い言いながらようこが左腕を取り自分の腕と絡め、なでしこが右手をきゅっと握った。

 最近、三人で出かけるともっぱらこのポジションを取りますね、お二人とも。

 

「ねえねえ、くりすますぱーてぃってなに食べるの?」

 

 ようこが無邪気な声で聞いてくる。

 そう、今日は十二月二十五日。俗にいうクリスマス。

 昨夜のクリスマスイブは依頼であまり二人に構ってあげることができなかったから、今日はパーティーでもして祝おうと思う。

 そのための材料の買い出しに来ていた。

 

「んー。特に決まったものはない。けど、豪華なものが一般的」

 

 まあ、無難に手羽先やローストビーフとかでいいかな。

 料理はなでしこにお任せだ。ここ数か月で家電製品を使いこなし料理の腕を伸ばしているなでしこは今やスーパー家政婦さんへと変貌していた。

 家のことでわからないことなどまずない。トイレットペーパーの数からティッシュの数まですべて把握しているのだ。

 最初の頃は慣れない家電製品とかに戸惑った様子を見せていたが、今ではそこらの主婦よりもうまく使いこなせている気がする。なでしこの女子力には驚かされる一方だ。

 こんな家事万能少女が俺の犬神だなんて、もう幸せ者だな。しかも甲斐甲斐しく尽くしてくれて犬神使い冥利に尽きるというものだ。

 

「ん……」

 

 ヒューッと凍てつく風が吹き、なでしこの身体が震えた。

 

「……足、寒い?」

 

「え、ええ、まあ少し。この格好なので仕方ないですけどね」

 

 なでしこの綺麗な足を見て、やはり寒そうだなと心の中で頷いた。

 割烹着のような和服なため裾も膝下あたりまでしかない。

 また、靴の代わりに草履を吐いているから、足の甲などが冷たいのだろう。

 

(やっぱりプレゼントにあれを選んで正解だったな)

 

 プレゼントを受け取った時の反応が楽しみだ。

 デパートに着き、早速地下の食品売り場へ向かった。

 

「啓太様はなにか食べたいものはありますか?」

 

 カートを押しながら食材を吟味していたなでしこがそう尋ねてきた。

 食べたいものか……。

 

「……肉?」

 

「お肉ですか。となると、ローストビーフ辺りかしら。サラダも作りますからしっかりお野菜も食べましょうね」

 

「……えー」

 

「駄目ですよ啓太様。好き嫌いは少ないほうがいいんですから」

 

「……ぶー、ぶー」

 

 なでしこもあの手この手でなんとか野菜を食べさせようとしてくれるが、未だ俺の身体は受け付けぬ。

 サラダならドレッシングがあるから辛うじて食べられるが、それ以外だとどのように調理しても大抵は無理。正直せっかく作ってくれたものを残すのはかなり心苦しいのだが、以前それで無理して食べて気絶したからなぁ。

 さすがに野菜を食べて気絶するとは思いもよらなかった。

 再び主婦顔負けの真剣な表情で食材を吟味するなでしこ。そういえばもう一匹の犬神がいないなと、辺りを見回すと。

 

「ケイタ~、見て見てー」

 

 ようこがナニカの角を頭につけて戻って来た。

 見覚えのある角の形に口の端が引き攣りそうになる。

 

「……それ、なに?」

 

「あっちのほうにあったから持ってきたの」

 

 そう言って指をさした方向にはケンタッキーのコーナー。カー○ルさんの隣にちょこんと、クリスマスコスチュームを来たトナカイの姿が。

 何故か、その頭部にあるはずの角が力ずくで折られたような形跡があるが。

 無言でようこが持ってきた角を取り上げ、元の場所に戻す。……応急処置として接着剤を創造しよう。

 

「……ようこ、メッ」

 

「あいたっ」

 

 ズビシッとチョップを食らわせる。器物破損で訴えられるでしょうが!

 涙目で頭をさするようこにもう何度目になるかわからない説教をした。

 食材も買い終わり、ある意味買い物のメインであるケーキ売り場へ足を運ぶ。

 ショーケースの中には色とりどりのケーキが綺麗に陳列されていて、ようこの目を輝かせた。

 

「わぁ~♪ 見て見てケイタっ、チョコレートケーキがこんなに一杯!」

 

 やはり真っ先に視線が向かったのはチョコレートケーキのようだ。

 そういえば、なでしこの好きなケーキってなんだろう。疑問に思った俺は素直に尋ねてみた。

 

「なでしこ、何のケーキ好き?」

 

「私ですか? そうですね……どのケーキも好きですけど、強いて言うなら果物が載ったケーキでしょうか」

 

「……ふむふむ。なる」

 

 なでしこはフルーツケーキが好きなのか。

 じゃあ今日はフルーツにするかな。いつもはようこの好きなチョコ系だし。

 

「……ようこ。今日はフルーツ」

 

「チョコレートケーキは買わないの?」

 

「また今度」

 

 頬を膨らませるようこを宥め、フルーツが一杯盛り合わせたケーキをワンホール購入した。

 両手に買い物袋を引っ提げて帰宅。女の子に重い荷物を持たせるマネなんて出来ませんよ。

 料理はなでしこにお任せだが、俺も簡単な手伝いを申し出た。ようこは一人テレビを見ている。

 拙い手つきで食材を切っていく。刀の扱いは得意なのに、なぜ包丁だと上手く切れないのだろうか……。

 想像していたようなスパッとした切り口にならず一人首を傾げていると、なでしこが背後に回りこんだ。

 

「そうじゃありませんよ啓太様。包丁を持つときはこう――」

 

 そのまま抱きつくようにして包丁を持つ手に手を重ねる。

 フローラルな香りが鼻孔を擽り、温かな体温が触れる掌から伝わる。

 犬神といえど見た目はただの女の子。密着した姿勢に否応なく鼓動が高鳴った。

 

「押し潰すのではなく、手前に引いて――啓太様?」

 

「……え? あ、うん。……大丈夫、聞いてる」

 

 本当は何を言っていたか、七割がた右の耳から左の耳へ通り抜けていたが。

 なでしこの動きを真似して無心で切っていった。たぶん背後を意識したら手元が狂う。

 クリスマス料理が血の味とか、どんなホラーだよ。

 

 

 

 1

 

 

 

 完成したのは白米、味噌汁、ローストビーフ、鳥の手羽先、コーンポタージュ、サラダ。

 どれも筆舌に尽くし難く、まさに絶品ともいうべき味だった。ローストビーフのタレとか超上手いんだけど! なでしこの料理スキルにマジ脱帽。

 なでしこの味付けはさっぱりした薄味でしつこくなく、後味がいい。はけのも薄味だがなんだろう、何かが違うんだよな。たとえで言うなら、鰹出汁かほん出汁か。

 もともと俺は濃い味付けが好みだったんだが、ここ最近はなでしこの味付けが好みになってきている。

 

「どうですか、お味は?」

 

「ん。美味」

 

 味噌汁を飲んでホッとひと息つく。最近、俺の中での家庭の味というか、お袋の味がなでしこの料理になってきているんだけど。いや、お袋とか生で見たことないけど。

 今までははけの料理が俺の中でのお袋の味だったが、ついにそのポジションが奪られたな。ん? となると、はけのは親父の味か?

 ……いや、止めとこう。想像の中とはいえ、うちのなでしことはけが夫婦関係だなんて軽く死ねる。そんな日が訪れたしまいには俺とはけでの全面戦争が勃発するぞ。

 うちのなでしこは渡さんっ!

 

「啓太様?」

 

「――ハッ」

 

 なでしこの声に妄想の世界から帰還する。いかんいかん、そんなありもしないIFの出来事なんか考えてしまった。

 テレビの向こうではお笑い芸人が茶の間を笑わせようと一生懸命だ。

 くすりともしないが、テレビの笑い声があると和やかな雰囲気になる。

 なでしこたちと談笑しながらの食事は進み、あっという間にデザートのケーキタイムに突入する。

 三人分に切り分けると、早速ようこが一口頬張った。

 

「ん~~~~!」

 

 ふるふる震えると喜びを表すように俺の背中をパシパシ叩き、また一口。

 

 ――ふるふる、パシパシ!

 ――ふるふる、パシパシ!

 

 ああ、うん。うぜー。もうわかったからやめなさい。アームロック食らわせますよ?

 なでしこも好物のケーキにご満悦の様子だ。

 俺も一口食べる。

 

(へぇ、美味いな)

 

 タルトの表面には色とりどりのフルーツが乗っかり、その上を薄くゼリーでコーティングされている。

 生地のサクサクとしたクッキーのような食感にずっしり詰まったクリームが絶妙にマッチしている。

 あまりフルーツケーキの類いは食べない俺だったが、これはもう一度買おうと思わせる味だった。

 

「あー、美味しかった」

 

「ごちそうさまでした」

 

「……ごちそうさま」

 

 ケーキも綺麗に食べ終わりごちそうさまをする。

 ――さて……。

 

「なでしこ、ようこ、ちょっと待つ」

 

「なんですか?」

 

「なに~?」

 

 なでしこたちにその場に留まってもらい、一人和室へと向かう。

 押入れの襖をあけて、奥のスペースに顔を突っ込んだ。

 

「…………あった」

 

 取り出したものを手に持ち、再びリビングへ。

 

「……お待たせ。はい」

 

 なでしこには長方形の大きな箱。ようこには平たい正方形の箱。

 どちらもクリスマスラッピングで包装されている。

 

「啓太様、これは?」

 

 驚いた顔のなでしこ。ん? 察してもらえなかったかな?

 

「俺からの、クリスマスプレゼント」

 

 開けてみてと促す。

 恐る恐るといった動きで包み紙を剥がす。

 

「これは……長靴ですか?」

 

 現れたそれを見て目を丸くするなでしこに苦笑する。

 

「ん。ブーツっていう」

 

 なでしこって草履しか持っていないからね。今の季節は寒いだろうし、足の保護も兼ねて編み上げブーツを買ってみたのだ。

 目を丸くして驚いていたなでしこだったが、次第に柔らかい表情で微笑んだ。

 大切そうに胸に抱き花が咲いたような笑顔を見せてくれる。

 

「ありがとうございます、啓太様……」

 

「ん」

 

「ケイター! ねえねえ似合う!?」

 

 ようこが抱きついてくる。

 その首にはオレがプレゼントした赤色のマフラーが巻かれていた。

 

「ん。似合う似合う」

 

「えへへー。ケイタも一緒に温まろっ♪」

 

 何を思ったのか、ようこはマフラーの一部を解くとそれを俺の首に巻きつけた。

 ちょっと長めのマフラーを選んだから長さ的にはギリギリ足りるが、その分密着した姿勢になる。

 すぐ横にようこの顔がある。少し、顔が熱く感じた。

 

「えへー♪ 温かいね、ケイタ♪」

 

 そうですね。でもなでしこの視線が痛いのでこの辺でお暇しますね。

 なでしこは申し訳なさそうに眉をハの字にした。

 

「申し訳ございません。こんな素敵な贈り物を頂いたのに、なにもお返しするものを用意していなくて……」

 

 来年は啓太様があっと驚くものを用意して見せます、と豪語するなでしこに微笑み返す。

 まあ、楽しみにして待ってますよ。

 




 感想や評価、お待ちしております。


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第二十六話「渡り猫」

 今回の話は少し難産でした。


 

 うー、今日も寒いな……。どうもこんばんは、川平啓太です。

 クリスマスも終わりもうすぐ大晦日を迎える、ある日の夜。

 時刻は九時を回っている。

 今夜は吹雪。外は轟々とつめたい雪風が吹雪いている。

 なでしこは洗い物を、ようこは漫画を、そして俺はパソコンで調べものをしていた時だった。

 ――ほとほとほと。

 

「……ん?」

 

 なにかを叩く音が聞こえた。

 パソコンの画面から顔を上げる。なでしこも聞こえたのか、布巾で手を拭いながら首を傾げていた。

 

「なんでしょう?」

 

「さあ……」

 

 ――ほとほとほと。

 また聞こえた。なにやら玄関のほうから聞こえてくる。

 はて、と内心首を傾げながら腰を上げた。

 

「……はい」

 

 新聞なら間に合ってるし、セールスはお断りやでー。

 扉を開けると、そこには思わず人物が。

 

「お、お久しぶりです、啓太さん……」

 

 俺の腰の高さまでしかない身長に艶やかな手入れの行き届いた毛並み。ピコピコと反応する可愛らしい猫耳。

 二つの尻尾がゆらっと揺いでいる。

 元気に二本の足で立ち、黒色の帽子に空色のマントといった大正ロマンな格好をした人語を解す三毛猫。

 確か、名を――。

 

「……猫?」

 

「留吉ですよ啓太さん」

 

 いい加減覚えてくださいよー、と苦笑する猫。

 見た目猫又、その実渡り猫という意味不明な妖怪。

 全国を歩き回る健脚の持ち主、渡り猫の留吉がやってきた。

 

「大丈夫?」

 

「は、はい。強行軍だったものですから」

 

 留吉を家に招きいれた途端、ぺちゃりとその場に潰れた。

 慌てて抱き起こしストーブに火を入れる。何が入っているのか知らないが、大きな風呂敷を抱えていた。

 

「突然お邪魔してすみません」

 

 なでしこが淹れたお茶を渡す。

 背負っていた風呂敷を置き、マントと帽子を脱いだ留吉は申し訳なさそうな顔で低頭した。

 

「ん、大丈夫。今日はどうした?」

 

「いえ、過日のお礼をと思いまして。忙しかったものでついついご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 

 そう言って持ってきていた風呂敷を解き、中身を差し出す。

 和菓子だった。

 花を模した煉切と呼ばれるそれらは和菓子特有の美しさを見事に表している。

 食べるのがもったいないくらいだ。

 皆さんで食べてくださいと言葉を続ける留吉。それに対し、俺は困った顔を浮かべながら頭をかいた。

 

「……猫って、生真面目?」

 

「はい?」

 

「別に、ここまでしなくていい。猫、律儀すぎ」

 

「す、すみません」

 

「謝んなくていい。その気持ち、すごく嬉しい」

 

 なでしこに人数分の食器を持ってこさせる。

 

「今日は泊まってく。今からご飯」

 

「え? でもそんな、悪いですよ」

 

「外、吹雪。こんな中帰すほど、鬼じゃない。いいから泊まってく」

 

「そうですよ留吉さん。ゆっくりしていってください」

 

 なでしこの言葉にようこも頷く。

 留吉も流石にこの吹雪は厳しいのか、密かに安堵した様子だった。

 今日の夕食は鮭のムニエル、水菜と竹輪のお浸し、肉じゃが、えのきの味噌汁だ。

 ちゃぶ台の上に並んだ料理に留吉が感嘆のため息を漏らす。

 

「うわ~、すごく美味しそうですね~」

 

「ん、当然。なでしこの料理だもの」

 

 フンスッ、と俺が胸を張って答えると台所からやってきたなでしこが恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「もう、啓太様ったら……。留吉さん、一杯食べていってくださいね」

 

「ねーねー留吉。まだアレ集めてるの?」

 

 早くも鮭のムニエルに手を伸ばしたようこが尋ねた。こらっ、いただきますしてからでしょうが!

 ペシンッとようこの手を叩き落とし、留吉を見る。

 

「……仏像だっけ?」

 

「はい。この後は横須賀に行く予定です。とある骨董屋に仏像が一体あるとの情報を入手しまして」

 

 骨董屋……。

 その言葉を聞き思わず渋面を作ってしまう。

 

「……大丈夫?」

 

「僕にも協力者が居ますから今度こそ大丈夫ですよ! ……たぶん」

 

 本当に大丈夫かなぁ。

 なでしこの料理に舌鼓を打ちながら、留吉と出会った頃のことを思い浮かべた。

 

 

 

 1

 

 

 

 今から二ヶ月ほど前。とある骨董屋で彼と出会った。

 その日、店主からの依頼により下見に来ていた俺は店内をざっと見回し、霊力の残滓などを確認する。

 

「……特にない、か」

 

 依頼の内容は夜間に度々出現する妖怪を退治して欲しいというもの。

 店主の話によると、小さな毛むくじゃらの化け物の姿を目撃した客が数名おり、徐々に客足が遠のいて困っているらしい。

 成功報酬は八万。今回で三回目の依頼だ。何が何でも依頼を達成する気概で挑んだ。

 ようことなでしこを伴い一通り店内を見て回った俺は小さく息を吐いた。

 

「目撃した時間帯もまちまちなんですね」

 

「ん。それらしい骨董があれば、ヤマを張れるけど。特にない」

 

 なんらかの曰くつきの骨董なんかがあれば、もしかしたら妖怪はそれを狙って出現しているのかもしれない。

 しかし、ここにはそれらしい品はなく、あるのは普通の骨董品だけだった。

 

「……徹夜、だな」

 

 店主には影を掴むために閉店後も滞在しても良いと許可を貰っている。店の鍵も預かってるしな。

 なので三日ほど居座ってそれらしい者が出現しないか見張っていよう。

 なでしこにその場に残ってもらい、ようこを連れて周辺を視て回る。

 特に怪しい場所や、霊力が淀んだ場所もなかった。

 時刻は瞬く間に過ぎて行き、閉店時間である二十時になった。

 

「――! ケイタケイタ……っ!」

 

 暗い店内で怪しい人影が出ないか待ち伏せをすること三時間。

 これ地味に辛いなと思いながら欠伸をかみ締めていた時だった。

 ふいに何かに気がついたようこが肩を叩いた。

 指を差す方向に目を凝らす。

 

「……?」

 

 怪しい人影があった。誰かいることは事実だが、人にしては小さい。

 だ、誰だ……?

 骨董品をごそごそと漁っている怪しい影。灯りをつける。

 パッと照明が灯り、店内が明るくなる。

 怪しい人影。その正体を目の当たりにし、三人とも目を丸くした。

 

「猫……?」

 

 空色のマントを羽織った大正ロマンの格好をした三毛猫。それが二本足で立ちなぜか仏像を手にしていた。

 なんかジ○リに出てきそうなのがいるー!

 

「あ、あの、えっと~……こ、こんばんは?」

 

 パチクリ、と目を瞬かせた猫は困ったような顔をして頬をかき、なぜか挨拶をしてきた。

 

「猫……犯人、確保」

 

 どっからどう見ても犯人以外の何者でもないでしょ。

 ガシッと肩を掴む。

 さあ、楽しい尋問タイムだよ?

 

「……で、猫は」

 

「あの、留吉です」

 

「……猫は、なにしてたの?」

 

 猫こと留吉。二又に分かれた尻尾をお持ちなのに渡り猫という種族の彼。

 そんな猫又じゃないのかよ! と突っ込みたい猫を事務所らしき場所に連行し、お話を聞いていた。

 

「僕たち渡り猫は全国を回ってある仏像を探してるんです」

 

「ぶつぞー……」

 

 骨董品集めが趣味の種族なのか。なんというか、ニッチでレトロで渋い趣味をお持ちですな……。

 

「どうして仏像を?」

 

 なでしこの当然な質問に留吉は困ったように頬をかいた。

 理解してもらえないでしょうが、と前置き説明してくれる。

 

「それが僕たち渡り猫の使命なんです。語れば長いお話なんですが、江戸中期までとあるお寺に一〇八体の仏像が保管されていました」

 

「うんうん」

 

 ようこの相槌に微笑み続きを話す。

 

「そのお寺の和尚さんはその仏像をとても大事にしていまして、何事にも代え難い至宝でした。ですが、ふとしたことからこれが散逸してしまいまして」

 

「まあ……」

 

 気の毒にと言いたげななでしこ。

 そんなに大事にしていたものが急に無くなったらショックだわな。

 

「和尚が亡くなるまで、その仏像は一体も戻ってきませんでした。和尚は死ぬ間際まで失った仏像を気に病んでおられまして、そんな和尚に恩を返すために僕のご先祖様は無くなった仏像を探す決意をしたんです。

 僕のご先祖様は和尚にとても可愛がってもらっていました。ここで恩を返さなければ猫が廃る。そう決意したご先祖様は厳しい修行を経て力を蓄え、妖力を持つ猫――渡り猫になりました。副次的に尻尾ももう一本生えちゃったんですけどね」

 

「……なるほど。それで、亡くなった和尚の代わりに、仏像を?」

 

「はい。全国を旅しながら回収して回っています。ここに来たのもその仏像があるとの話を風の噂で耳にしまして」

 

 なるほどな。

 鶴の恩返しならぬ猫の恩返し、か。……いい猫じゃないか!

 

「そうでしたか……それではなぜこそこそと?」

 

「はい。お金も在りますし買いたいんですけど、僕ってこんな姿じゃないですか。人間さんを怖がらせてしまいますし、だからといって盗むのは悪いことで……」

 

「……それで、どうしたらいいかと、ずっと悩んでうろちょろしてた、と?」

 

「はい……」

 

 ぶわっ。

 なんていい子なんや! 心の中の俺が滂沱の涙を流した!

 ……ん? それにしては人間の俺には普通に接してくるね?

 

「あ、それはですね、お隣さんのお姉さんたちから僕たちと同じ妖怪の匂いがしましたので」

 

 あ、さいですか。

 しかしまあ、それなら話は早い。

 これがただの妖怪なら、んなの知ったことか!とばかりに除霊(物理)するが、良い猫だそうだからどちらも得する方法で穏便に解決しようじゃまいか!

 

「……猫、話がある」

 

 

 

 2

 

 

 

 

「それで、啓太さんは仏像を購入して僕に渡してくれた。啓太さんがいなければ、今もずっとあそこにいたかもしれませんね」

 

 あれから一時間。ついつい思い出話に華が咲いてしまった。

 留吉の言う通り、あのあと目当ての仏像を購入した俺はそれを留吉に渡し、以後ここには来ないように言い含めた。

 お目当てのものを手にすることが出来た留吉は恐縮した様子で何度も頷き、俺は店主に妖怪を退治したと報告。

 留吉、仏像を無事入手。俺、依頼を無事達成。これぞまさにウインウインな関係という奴だ。

 

「啓太さんには感謝してもしきれません。恩人さんです」

 

「……大げさ。お返しは貰った」

 

 ほれ、ジュースでも飲みなさい。

 空いたコップにオレンジジュースを注ぐ。

 俺はアイスココアだ。何気にジュースの中では一番の好物だったりする。もちろん、ココアはバンホーテン。

 

 そこから話がどう捻じれたのか、いつの間にか仏像がいかに素晴らしいかという話になり、留吉のマシンガントークが止まらない。

 ――こいつ、酔ってんのか? オレンジジュースだぞ。

 酔っているもの特有の据わった目で仏像の良いところ十八点目を語る猫。

 テキトウに相槌を打つ傍ら、ようこはすでに夢のなかへ旅立ち、なでしこは微笑みながらお茶を啜っていた。

 

(なにこのカオス……)

 

 川平家は今日も平常運転であった。

 




 最近感想が少ない、ちょっと寂しい……。
 みんなー! オラに感想()を分けてくれー!

 次回、薫の犬神(ハーレム)登場。


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第二十七話「招待状」


 お気に入り登録数2000突破!
 ありがとうございます! 今後もよろしくお願いします(* ̄∇ ̄*)

 今回はある意味では啓太のキャラが崩壊しているところがあります。



 

 ――事の発端はあるサイトでのやり取りだった。

 

 とあるアパートの一室。女の子二人と男の子一人が暮らすその家では現在、女性陣はリビングで仲良く布団を敷き、すやすやと寝息を立てていた。

 八畳の暗闇の和室では一人の少年がカタカタとキーボードを叩いている。

 パソコンのモニターの明かりが少年の顔を照らしていた。

 

「んー……」

 

 ジッと画面を眺めていた少年は小さく呻ると、再びカタカタとタイピングし始める。

 

『ケータ:依頼は無事達成。とるに足らない雑魚悪霊だった』

 

 そんな文章がMS明朝で画面に浮かび上がる。

 少年が立ち上げているのは満月亭というサイトだった。

 青白い夜空を背景に満月の前で山犬が月に向かって吠えている図がレイアウトされている。

 なにを隠そう、このサイトは世界中に散らばる犬神使いたちがネット上で情報交換を行う場所である。利用しているのは犬神使いたちがメインだが、今ではその関係者も頻繁に訪れるようになってきた。

 もちろんアドレスは一般には非公開だし、ネットの検索でもまず引っ掛からない。直接アドレスを入力しないと辿り着けない仕組みになっていた。

 完全会員制のため、ホーム画面の赤い鳥居の下に六文字以上のパスワードを入力しないとログインできない。

 ちなみにこのサイトの管理者は少年の祖母であり、自らがHTMLの入門書を片手に一月かけて作成した。機械に強い老人もここまでパソコンに堪能なのはそう居まい。

 サイトのコンテンツは掲示板とチャットである。シンプルだが利便性が高い。

 少年はチャットの方に書き込んでおり、他にも三人メンバーがログインしていた。

 

『婆:お疲れ様。問題はなかったろうね?』

 

『ケータ:当然。依頼主とは握手して別れた』

 

『川平宗吾:仕事は上々のようだな。もうすぐ駆け出しの称号も取れるんじゃないか?』

 

『房江:啓太ちゃん今中学生よね? それでこの首尾とか……なんで他の人たちから悪く言われてるのか分からないわ』

 

『川平宗吾:まだ啓太を無能やら落ちこぼれと罵っている馬鹿どもがいるからな。まったく、そやつらより啓太のほうが何倍も優秀だというに』

 

『ケータ:言いたい奴らは言わせておけばいい。弱い犬が吠えてるだけだ』

 

 ――KAORUさんがログインしました。

 

 右下の画面に流れたテロップ。

 懐かしきハンドルネームに少年の頬が緩む。

 

『KAORU:お久しぶりです皆さん』

 

『婆:おお、久しぶりじゃな。元気にしとったか?』

 

『川平宗吾:久しぶり』

 

『房江:お久しぶりね。犬神ちゃんたちは元気?』

 

『KAORU:はい。皆様もご壮健でなによりです』

 

『ケータ:薫、お久~』

 

『KAORU:啓太さんもお久しぶりです^^』

 

『KAORU:ざっと見ましたけど、啓太さんって相変わらず文面がアレですね(笑)』

 

『ケータ:アレってなんぞや』

 

『房江:あー分かる分かる! 啓太ちゃんってほらクールっていうか、普段からあまり喋るタイプじゃないでしょう? 砕けたこともあまり話さないじゃない』

 

『川平宗吾:文章だと結構砕けているな。冗談も通じるし。普段からもうちょっと表に出しても良いんじゃないか?』

 

『ケータ:ヤダ、めんどい』

 

『川平宗吾:めんどいってお前……』

 

『KAORU:あはは……啓太さんも変わらないですね』

 

『婆:こう見えて意外と面倒くさがり屋じゃからな、啓太は』

 

『房江:はあ、あの啓太ちゃんがねぇ……』

 

『川平宗吾:そういえば話は変わるが、この間犬神たちだけで仕事をしたのって薫のところか?』

 

 新たに書き込まれた文章に、おっと注目する。

 そういえば薫のところの犬神はまだ見たことなかったなと独白した。

 少年が薫と最後に会ったのは彼が仙界で修行を積む前だから、もうかれこれ五年も顔を合わせていない。

 それ以来会っていないため当然、薫の犬神を目にしたことがなかった。噂では九匹という破格の数に憑かれたとか。九人憑きは川平家の歴史でも極めて稀なケースであり、従弟としては鼻高々である。

 

『KAORU:ええ、そうですよ。自分たちだけでやってみたかったそうです(笑)』

 

『婆:薫のところは個性豊かな犬神が多いからのぅ』

 

『ケータ:薫のところの犬神か。そういえばお互いまだ顔合わせしてなかったよな』

 

『KAORU:そうですね。ちょっとこちらはドタバタしていたものですから』

 

『ケータ:今度会うか? その時にお互い顔合わせしよう』

 

『KAORU:いいですね。丁度、こちらも落ち着いてきたので今度、我が家の招待状を送りますね』

 

『ケータ:おお、楽しみにしてる。確か新しい家に引っ越したんだっけ?』

 

『KAORU:ええ、前の家はこの人数ですと狭いですから』

 

『川平宗吾:十人だからな』

 

『房江:ハーレムってやつね!』

 

『婆:爛れた生活は送るでないぞ?』

 

 薫をからかい始める面子たち。ちゃっかり祖母も乗っかっていた。

 回線越しに慌てたような感覚があった。

 

『KAORU:そんなのではないですよ』

 

『ケータ:その歳でパパにだけはなるなよ?』

 

『KAORU:もうっ、啓太さんまで!』

 

 早いレスポンスにククッと喉の奥で笑う少年。

 からかった時の反応は昔から変わらないようだ。

 それから少年が床につくまでの間、満月亭は愉快なチャットで賑わった。

 

 

 

 1

 

 

 

「――クスッ……。相変わらずだなぁ、啓太さんは」

 

 とある西洋風の館。

 豪邸と呼ぶに相応しい館の一室で、その家の主である少年は昨夜のネットでのやり取りを思い出して小さく笑んだ。

 少年――川平薫は用意されていた洋服に着替え、皆が待つ食堂へと足を向けた。

 食堂に入ると薫以外は全員指定の席に着いている様子だった。

 

『おはようございます、薫様!』

 

「おはよう、みんな」

 

 主の入室に気がついた犬神たちが声を揃えて挨拶をする。そんな彼女たちに薫も柔和な笑顔を浮かべて挨拶をした。

 食堂の中央には長テーブルが置かれており、その上には純白のテーブルクロスが掛けられている。

 人数分の椅子にはセンスを感じさせる洒落た彫刻が施されており、そこそこ高価なものだと察することが出来る。

 天井には小さなシャンデリアが吊り下げられて、優しい光を放っていた。

 

「薫様っ、こっちこっち!」

 

 とてとてとて、と席を立って薫の下にやってきた一人のようじ――少女。

 小学校低学年を地でいく身長の彼女は何が嬉しいのか、楽しそうに主の袖を引っ張って席に誘導する。

 

「そんなに慌てなくても自分で行けるよ、ともはね」

 

 そんな彼女に苦笑する薫はそれでも引かれるがまま。

 用意された席の隣に座っていた少女が薫のために椅子を引く。

 

「ありがとう、てんそう」

 

「……いえ」

 

 漫画家が被るようなベレー帽を頭に乗せた女性は恥ずかしそうに俯き、そのまま自分の席に座りなおした。

 

「どーぞ、薫様♪」

 

 巫女装束を着た金髪の女性がワゴンを押してやってくる。ワゴンの上には温かい料理が載せられていた。

 

「今日はシンプルな目玉焼き定食ですよ~」

 

「ありがとう。フラノが作ったの?」

 

「はい~。ごきょうやちゃんも一緒に作ったんですよ~?」

 

「お口に合えばいいんですが……」

 

 薫の正面に座った白衣を着た女性が不安そうに口ごちた。

 一番端に座った豪奢なフリル付きのドレスを着た女性が手を叩く。

 

「皆さん、お喋りはここまでにしていただきましょう。さあ、薫様」

 

「うん、そうだね。それじゃあ、いただきます」

 

『いただきます!』

 

 薫の号令に続くと皆、思い思いに喋りながら箸を動かし始めた。

 その様子を微笑みながら眺め、自分も食事を始めた。

 ここにいる少女たちはすべて薫に忠誠を誓った犬神だ。

 その数、九名。一人の犬神使いに複数の犬神が憑くのは珍しくはないが、ここまで集まるのは稀である。

 

 赤い巻き髪が特徴のお嬢様的な風貌の女性、序列第一位のせんだん。

 濃緑の髪を三つ編にしてメガネを掛けた気弱な雰囲気の少女、序列第二位のいぐさ。

 ショートボブの栗色の髪に若干つり目なボーイッシュの少女、序列第三位のたゆね。

 首筋までの高さの銀髪を外側へ跳ねた白衣を着た女性、序列第四位のごきょうや。

 背中まで届く茶色の長髪に掛かった前髪で目線を隠した女性、序列第五位のてんそう。

 金髪のボブに星マークが刺繍された巫女服を着た女性、序列第六位のフラノ。

 薄紫色の髪を片側に束ねた瓜二つの容姿を持つ双子の少女、序列第七位のいまり、第八位のさよか。

 薄茶色の髪を後頭部で二又に分けたこの中で一番若い少女、序列九位のともはね。

 

 彼女たちこそが薫の宝であり、大切な家族なのである。

 そういえばと、伝えておかなければいけない話を思い出し、食事の手を止めた。

 

「皆、食べながらでいいからちょっといいかい?」

 

「なんでしょうか薫様」

 

 それまで思い思いに談笑しながら食事をしていた皆が、なんだなんだと薫に顔を向けてくる。

 皆の顔を一通り眺めた薫は昨夜決まった話を切り出した。

 

「実は啓太さんたちを我が家に招待しようと思っていてね」

 

「啓太さん、というのは川平啓太様のことでしょうか?」

 

「うん、そうだよせんだん。今までバタバタしてたからなかなか会えなかったけど、ここ最近になって落ち着いてきたからね。みんなの紹介も含めて招待しようかなって」

 

「――川平啓太っていうと」

 

「――ほらあれだよ。あのなでしこが憑いたっていう人」

 

「――確か人形とか言われてあまり良い噂を聞かなかったよね? しかも、アイツまで憑いたって聞いてるし」

 

「――大丈夫なのでしょうか~……?」

 

「――啓太様、か……」

 

「――……? ごきょうやどうした?」

 

「――いや、なんでもないんだ。どんな方なのかなと思ってな」

 

 そこらかしこで小声で話し合い、ざわめく食堂。

 せんだんが咳払いをすると皆騒ぐのを止めて傾聴の姿勢を取った。

 この集団の中では実質的リーダーである彼女は背筋を伸ばすと主の顔を見つめた。

 

「――かしこまりました。それが薫様の意志であるならわたくしたち一同に異議はございません。精一杯のお出迎えをさせて頂きますわ」

 

「うん、頼んだよせんだん。それでなんだけど、啓太さんの元に招待状を届けたいんだ。良ければ誰か行ってくれる人はいないかな?」

 

 そう言って取り出した招待状。封にはシンプルに招待状の三文字が書かれている。

 普段なら我先にと挙手をする彼女たちだが、今回ばかりは誰も手を上げようとしない。

 噂を信じている者、信じていなくとも火のないところに煙は立たない理論で何かしらあるだろうと思っている者、どうでもいいかなと思っている者、後ろめたい罪悪感を抱いている者。

 個々が感じている思いは様々だが、彼女たちにとって川平啓太に対する印象は出会ってないにも拘らず悪いものだった。

 

「はい!」

 

 しかしそんな中で真っ先に小さな手を上げた犬神がいた。

 少女というより幼女で通る容姿をしている犬神、ともはねだった。

 

「あたしが啓太様に届けます!」

 

「そう。ありがとう、ともはね」

 

 安心した様子で微笑む薫にともはねもにぱっと明るい笑顔を返した。

 しかし、薫は知らなかった。

 なぜ、誰も手を上げない中で彼女だけが手を上げたのか、その心中を。

 

 ――事態は静かに加速していく。

 




 しばらく更新頻度は大体このくらいのペースになると思います。一週間辺りに一話のペースですね。
 感想と評価、お願いします!

 活動報告に次話投稿予定日を記載しました。


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第二十八話「小さな訪問者」


 すみません、今回は結構短いです。
 次回はいつも通りの文字数になるので(汗)



 

「本当に大丈夫? ちゃんと一人で行ける?」

 

「寄り道するなよ」

 

「知らない人についていっちゃ駄目ですよ~」

 

「お菓子を貰っても断るんだぞ」

 

 招待状を持ってこれから川平啓太の元に向かおうとするあたしに掛けられた言葉がそれだった。

 玄関まで見送りに着てくれた皆が口々にそう言う。

 

「もうっ、子供じゃないんだから大丈夫だよ!」

 

 まったく失礼しちゃう。もうでんぐり返しも出来るんだから!

 プンプンと怒ると苦笑いした薫様が一歩前に出て頭を撫でてくれた。

 

「気をつけるんだよ。啓太さんによろしくね」

 

「はい薫様! いってきまーす!」

 

 薫様の話だとお家から大体歩いて一時間くらいの距離みたい。

 地図を片手に招待状が入ったリュックを背負い、元気よく駆け出した。

 

 

 

 1

 

 

 あたしの名前はともはね。薫様の犬神で序列第九位の女の子!

 みんなの中では一番若いんだ!

 今日はね、薫様のしょうたいじょーを川平啓太に届けるの。

 なんでも川平啓太は薫様のお友だちでお互いの犬神を紹介しようとのこと。なでしこと会えるのは嬉しいけど……。

 川平啓太。実際にあたしは見たことも会ったこともないけど、あまりいい話は聞かない。

 どんな人か分からないけど、あたしが会って見極めてやるんだから! 悪い人だったらあたしたちが薫様を守らないと!

 

「ここでいい、のかな……?」

 

 途中道に迷って人に聞きながら歩くこと一時間半、なんとか辿り着いた。

 ここに川平啓太がいる。小さなアパートなのに、なんかゴゴゴ……と醸し出す負のオーラが見えそう。

 こ、怖くなんかないんだから。あれよ、むしゃぶるいってやつだから!

 ええっと、確か二階の一番手前……あっ、あった!

 さあ、いくよ……!

 

「ん~……!」

 

 ぴ、ピンポーンに届かない~! くっ、これも川平啓太のいんぼー!?

 仕方ないから扉をノック。中からはーい、と女の人の声が返ってきた。

 

「あら?」

 

 扉を開けて出てきたのは一匹の犬神。なでしこだった。

 なでしこはあたしの姿に気がつくとニコッと笑顔を浮かべた。

 

「久しぶりね、ともはね」

 

「なでしこ! 久しぶり~!」

 

 なでしこのお腹に抱きつく。なでしこもギュッと抱き返してくれた。

 

「今日はどうしたの?」

 

「あのね――」

 

 ここに来た目的を話そうとすると、なでしこの後ろから男の子がやってきた。

 なでしこより拳一つほど背が低いその子は小さく首を傾げた。

 

「……お客さん?」

 

「あ、啓太様」

 

 ――っ! この人が、川平啓太……!

 薄い茶髪に、整った顔立ち。無表情でこちらをジーッと見つめる視線に居心地の悪さを感じた。

 ちょっと怖いかも……。

 生気を感じさせない目が少し怖かった。

 

「あの、川平啓太様ですか?」

 

「ん」

 

 こくんと頷く川平啓太。表情が乏しいだけでなく口数も少ないみたい。

 みんなが川平啓太を『人形』とか言っていてその時はなんのことだかわからなかったけど、直に会ってみるとなるほどと頷けた。

 これは確かに、人形みたいだ。

 

「あたし、薫様の犬神のともはねって言います。今日は薫様から啓太様宛てにこれを届けるようにと言われて来ました!」

 

 リュックからしょーたいじょーを取り出し川平啓太に渡す。

 しょーたいじょーをチラッと一瞥した川平啓太はなるほどと呟きうんうん頷いた。

 

「……あがる」

 

「え?」

 

「……なでしこ、お茶」

 

「はい啓太様」

 

 そう言って川平啓太はスタスタと奥に引っ込んでしまった。もうっ、声も小さくて何を言ってるのか全然分かんないよ!

 

「さあ、靴を脱いであがりなさい。お茶とお菓子の用意もしますから」

 

 なでしこに促されて川平啓太の家にお邪魔することになった。

 川平啓太という人間性を確かめたかったから、渡りに船ね。

 でも、それはそれとして――。

 

「あの、なでしこ? ようこは……」

 

「ようこさんでしたら、お外で猫さんたちと遊んでますよ。なんでも集会に出席するのだとか」

 

 ね、猫? 集会? なんのことだかよく分からないけど、ようこが居ないと聞いてホッとした。

 さすがのあたしもあんなきょうぼーな獣と一緒に居たら寿命が縮んじゃう。べ、べつに怖くなんかないけどね!

 頭丸かじりされても抵抗してやるんだから!

 

「さあ、どうぞ」

 

 リビングに通されたあたしになでしこがお茶とクッキーを出してくれる。

 ポリポリと食べているあたしの視線の先には薫様からのしょうたいじょーを読む川平啓太の姿が。

 一通り読み終わった川平啓太はズズッとお茶を啜ると改めてあたしに視線を向けた。

 思わず背筋が伸びる。

 

「……話は分かった。日時は指定の日でいい。十二時にそっちに着くようにする。薫によろしく言っておいて」

 

「わかりましたっ」

 

 こくんと一つ頷いた川平啓太はあたしの目をジッと眺めると、唐突にこんなことを聞いてきた。

 

「……ともはね、だっけ?」

 

「そうですよ啓太様」

 

「ともはねは薫のこと、好き?」

 

 その質問に目がキョトンとなる。多分、今のあたしはかなり間抜けな顔をしていると思う。

 だって、あまりにも当然のことを聞かれたから。

 なのであたしは、笑顔で元気よく答えた。

 

「もちろんですっ!」

 

 あたしの言葉を聞いた川平啓太は少しだけ目を細めた。

 

「……そう。薫のこと、よろしくね」

 

 その後少しだけお話してから川平啓太の家を後にした。

 今日、実際に会って話をしてみたわけだけど、結局川平啓太の人となりはよく分からなかった。

 表情が乏しくて口数も少なく、みんなが言うように『人形』みたいであるけれど。

 悪い人じゃない、のかな?

 んー、まだよく分かんない。結論を出すにはまだまだ調べる必要があるね!

 

 




 ともはね、意外と口調が難しいです。女言葉は使わないし……。
 次回はちょっと時間をいただいて、四月三日あたりの投稿になりそうです。


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第二十九話「顔合わせ」

 お待ちどうさまです。
 ちょっと長いので二つに分けます。



 

 

 どうも皆さんこんにちは。最近になってようやくお手玉が五ついけるようになりました川平啓太です。次は大玉の上で挑戦しようと思います。

 さてはて、今日は待ちに待った薫邸訪問の日。今日という日が待ち遠しく、前日はなかなか寝付け……たな、うん。ぐっすりだった。

 薫と顔を合わせるのも実に久しぶりだ。最後に顔を見たのが俺が仙界へ修行しに行った頃だったから、もう五年も会ってないのか。

 当時から美形だった薫のことだ。成長した今ではさぞイケメンになっているに違いない。チッ、爆ぜろ。

 

「大きいですねー……」

 

 半ば唖然とした様子で目の前の洋館を眺めていたなでしこがそうポツリと呟いた。

 薫の家は高級住宅街の少し先に位置していた。

 両扉の門の向こうには広い前庭があり、その奥に白亜の洋館が存在している。

 本人は見れば分かると言っていたが、なるほど。確かに見れば分かるわ。

 周りは慎ましやかに家が建ってるのに、薫の家だけデーンと存在感を示しているもん。

 軒並みを合わせないというかなんというか、自己主張が激しい印象を持ちました、はい。

 

「ケイタ、ここでいいの? なんというか、ウチと大違いだね」

 

 黙らっしゃい! 食い扶持がなにをほざいてやがる!

 お前さんのせいで我が家のエンゲル係数は右肩上がりなんだぞ!

 まったく、最近食に目覚めやがって。太っても知らんからな。

 そんな大物芸能人が所有してそうな洋館をホゲーっと阿呆のように眺めていると、奥から一人の女性がやってきた。

 まだ少し距離があるが、俺の視力はばっちり彼女の姿を捉えていた。ちなみに両目とも二・〇だ。生まれてこの方下回ったことがないのが密かな自慢だったりする。

 豪奢なフリル付きドレスを来た女性は門の前までやって来ると鍵を開けた。

 

「ようこそお出で下さいました、川平啓太様」

 

 赤髪の巻き毛が特徴的な彼女は優雅に頭を下げると微笑した。

 

「わたくし、薫様の犬神のせんだんと申します。以後お見知りおき下さい」

 

「ん。川平啓太。今日はよろしく」

 

 ほうほう。やはりこのゴージャスロールの女性も薫の犬神だったか。

 せんだんは俺の背後にいるなでしこたちに視線を移す。

 

「久しぶりね。なでしこ、ようこ」

 

「ええ、久しぶり。元気そうでよかった」

 

 二人の様子から見るに知己の間柄であるようだ。

 微笑み返すなでしこだが、一方のようこは我関せずのスタイルで俺にじゃれてくる。

 

「……? どしたの?」

 

 ジッと見ていたことに気がついたようこが小首をかしげる。

 なんでもないと首を振り、俺たちはせんだんの案内を受けた。

 

「それにしてもよくこんな豪邸に住めたわね。確かあなたたちの主の薫様も中学二年生よね?」

 

「……あ。それ、俺も疑問」

 

 どうやってこの家を確保したのかもそうだが、九人もの犬神たちを養うには相応の金が必要だ。

 婆ちゃんからは俺と同じく少し前から依頼を紹介していると聞いているが、それでもこんな豪邸を建てられるほどの金を稼げるとは思えない。

 アイツの両親は薫が物心つく前に亡くなっているらしいが……。

 

「詳しい話は薫様からご説明があるでしょうから省かせてもらいますが、お金に強い犬神がいるのです」

 

 ……金に強い犬神。

 わっけわかんねー! 文明の利器に驚いていたり、かと思ったら今度は金に強い犬神!? 犬神ってなんなの!?

 俺の中での犬神っていったら幼い頃から身近にいたはけだし、なでしこもその範疇の中にいる。

 しかし、このゴージャスロールの女性といい、その金に強い犬神といい。そのうちサラリーマンのように背広を着た犬神が出てきても違和感を感じなくなるぞ。

 一人、脳内で頭を変えているといつの間にか玄関の前に到着していた。

 

「どうぞ、お入り下さい」

 

 せんだんが両扉を片方だけ開けて促してくる。

 そんじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しますかね。

 

「うわー、ひろーい」

 

 ようこが中をぐるっと見回してそう感想を呟いた。せやね。

 ここはロビーだろうか、かなりの広さだ。

 天井にはなんかシャンデリアっぽいのが吊るされてるし。ていうか初めて見たんだけどシャンデリア……。

 玄関から入って正面と左右に通路があり、正面の通路を挟むようにして階段が二階へと続いている。

 煌びやかではないが、なかなか上品なロビーだ。

 

「啓太さん」

 

 二階からこの館の主が姿を見せた。

 耳を覆い隠す長さの黒い髪を揺らしながら階段を下りてくる。

 柔和な顔立ちと琥珀色の目は記憶にある優しげな色を浮かべている。

 ワイシャツと黒いズボンの姿の薫は俺たちの前までやってくると、それだけで女を堕とせるような天使のごとく微笑を浮かべた。

 

「お久しぶりです、啓太さん」

 

「ん、久しい。元気してた?」

 

「はい。啓太さんも変わりないようですね」

 

「……身長?」

 

 それはあれか、背のことか? ちゃっかり俺より追い越したことを遠回しに自慢したいのか、ああん?

 最近の子供はやけに発育がいいのかその歳で一七〇センチを超える子が増えてると聞く。 薫もその例に漏れず、パッと見たところ俺より頭一つ分ずば抜けている。一七〇センチはあるだろう。

 ちくしょうっ、俺はまったく背が伸びないというのにッ!

 薫はなぜか嬉しそうに微笑んだ。ええいっ、やはり貴様見下しているな!?

 

「そういうところがですよ。さあ、こんなところで立ち話もなんですし、中へどうぞ。そちらの子も」

 

「失礼します」

 

「お邪魔するね~」

 

 薫の後に続き、廊下を歩く。壁には絵画が飾ってあったり、日当たりの良い場所に花がいけてあったりとオシャレな感じがした。

 

「まずは食堂です。みんなはすでに集まっていますので、まずは紹介から」

 

「ん。異議なし」

 

 薫に促されて食堂の中へ入る。

 食堂の中は想像通り広かった。二十メートル四方はあるだろう。床は赤い敷物が引かれている。

 食堂に入ってまず目に飛び込んできたのは部屋の真ん中にある長方形の長テーブル。

 等間隔に椅子が並び、机の中心には燭台が三つ置かれていた。

 次いで、その向こうに並ぶ少女たちへと視線が移る。

 その数は八。薫に付き従うゴージャスロールの女性も含めれば九人。

 その数字と少女たちの気配から、彼女たちが薫の犬神であると察することが出来た。

 俺たちが中へ入ると少女達は一斉に背筋を伸ばした。せんだんも彼女たちの輪へと加わっていく。

 

「さて、これで全員集まったね」

 

 俺たちは少女たちと向かい合う位置へ、薫は互いを見渡せる位置へ移動した。

 図にすると丁度こんな感じだ。

 

       薫

       □

     薫 □ 俺

     の □ た

     犬 □ ち

     神 □

       □

 

「それじゃあ紹介するね。彼が川平啓太さん」

 

「ん。川平啓太。よろしく」

 

 ぺこっと小さく頭を下げる。歓迎の意を表す拍手や声が掛かることなく、食堂はシーンと静まり返っていた。

 え? なにこれ? もしかして俺、歓迎されてない?

 まあ犬神選抜の儀でふった相手がやってきたのだから心中穏やかじゃないだろうけど、表面上は受け入れてくれると思ったんだけど……。

 初っ端から前途多難か?

 

「……え、それだけ?」

 

 どうしたものかと内心困った顔をしていると、ポツリとそんな呟きが聞こえた。

 本来なら聞き取れないほどの声量だが、場が静まり返っているため反って大きく聞こえた。

 ……なに? これ以上なにを言えと?

 そもそも今回の顔合わせは薫と久しぶりに親睦を深めるのとなでしこたち犬神たちのためのもの。俺は顔を覚えておいてね的なおまけ要素に過ぎない。

 趣味? 特技? スリーサイズ?? それとも好きなタイプでも言えばいいのだろうか。

 一応、特技アンド趣味は大道芸と答えておきましたハイ。

 ええい、俺のことはどうでもいいんじゃい! さっさとなでしこたちの紹介に移ろう。

 

「こっちがなでしこ。その隣がようこ」

 

「なでしこです。皆さん、改めましてよろしくお願いします」

 

「ようこだよー」

 

 なでしこが恭しく頭を下げるのに対し、ようこは軽く手を振る。

 なでしこは楚々とした佇まいや落ち着いた雰囲気から淑女という感じだが、ようこテメェはダメだ!

 女子学生じゃないんだからその軽い感じで挨拶するのは止めなさい!

 

「……ようこ、ちゃんと挨拶する」

 

「えー」

 

「……チョコレートケーキ」

 

「ケイタの犬神のようこです! よろしくお願いしますっ」

 

 ばっと勢いよくお辞儀するようこを尻目に深く頷く。

 よしよし。ちゃんとしつけ――ちょうきょ――教育できてるな。

 初めの頃ならたとえケーキで釣っても流すだけだったろうし。

 そんなようこを薫の犬神たちは呆然とした様子で眺めていた。

 

あの(・・)ようこが、大人しくいうことを聞いた……?」

 

「ほえ~、本当に啓太様の犬神になったんですねぇ……」

 

 なんか信じられんものを見る目でみられているぞ。お前、ホント向こうではどんな生活送ってたんだよ……。

 こちらの紹介が終わり、今度は薫サイドのターン。

 

「じゃあ、今度は僕たちの番だね。僕は川平薫。啓太さんとは子供の頃からの付き合いになるのかな。趣味は犬神たちと遊ぶことです。彼女たちともどもよろしくお願いしますね」

 

 そう締めくくり最後に微笑む。

 くっ、薫の自己紹介を聞いた後だと自分のダメ具合を如実に感じる。まさに手本のような自己紹介だ……!

 薫の挨拶が終わり犬神たちの紹介に移る。

 

「僕の自慢の犬神を紹介しますね。啓太さんから見て一番右端の彼女はせんだん。皆のリーダーで僕の補佐も勤めてもらっています」

 

「ご紹介に預かりました、せんだんと申します。皆のまとめ役として序列第一位を預かっていますわ。以後見知りおきくださいませ」

 

 ゴージャスロールの女性、せんだんが一歩前に出ると、手にした羽付き扇子で口元を隠しながらドレスの裾をつまみ優雅にお辞儀した。

 背丈はなでしこたちと同じくらいだろうか。パッと見た感じ一六〇センチくらいの身長だ。

 外見年齢は大体二十代前半といったところ。綺麗系な顔たちでさらに釣り目であるため、少しきつそうな印象がある。

 その見た目やしぐさからどっからどうみてもお嬢様系のお人にしか見えない。素で「おーほっほっほっほっ!」とか言うに違いない。というか言ってほしい。キャラ的に。

 というか、今何気に気になるワードが出てきたんだけど……。

 

「……序列?」

 

 やっぱり犬だから位付けとかあるのか?

 

「僕は気にしないんですけどね、彼女たちの中では譲れないらしくて」

 

 あははと困った顔で笑いながら頬をかく。

 薫の話によると序列の順位は主への貢献度や犬神たちのステータスなどを考慮した上で決めるらしい。主に犬神たちが。

 この順位付けに一騒動あったようだが、それについては触れないほうがいいようだな。なんだか愛想笑いに力がないし。

 しかし序列か……。ウチもつけようか?

 

「……序列、つける?」

 

 半ば冗談のつもりでそう言うと、ようこは豊満な胸を揺らしながら胸を張った。

 

「もちろんわたしが一位ね!」

 

 得意げにドヤ顔で胸を張るようこを見ると無性に張り倒したくなるのは何故だろう。取り合えず突っ込み待ちと勝手に解釈した俺は、どこからともなく創り出したハリセンでその残念な頭を叩いた。

 きゃんっ、と可愛らしい悲鳴を零すバカを無視してとりあえずこれだけ入っておく。

 

「……少なくとも、ようこが一位、ない」

 

「がーん!」

 

 いや、がーんってお前……。

 第一、順位を決める基準が主への“貢献度”だぞ。お前、貢献するどころか問題ばかりじゃねぇか。

 まあ最初の頃に比べれば大分マシになってきたけど、それでもまだまだだ。知ってんだぞ、近所の子供とお菓子の取り合いして泣かせたの。誰が親御さんに頭下げたと思ってんだ……。

 まあ、うちは二人しかいないから順位をつける必要はないか。

 

「次に、その隣がいぐさ」

 

「じ、序列二位のい、いぐさです……。その……よ、よろしくお願いします」

 

 

 薫の紹介に俯き加減で小さく頭を下げる女の子。濃緑の髪を三つ編にして丸い眼鏡をかけている。

 セーラー服のような格好のその子は人見知りする正確なのか一向に視線を合わせてくれない。

 そんな彼女の姿に苦笑いした薫がすかさずフォローを入れた。

 

「すみません、彼女少し人見知りをする性格でして。ですが、彼女のおかげで僕たちはこの家に住むことが出来たんですよ」

 

 見た目相応の文化系ないぐさはコンピュータや計算など頭を使う作業が得意らしい。また金銭感覚も非常に優れていて、オンライントレードで資金を稼ぐという離れ業をやってのけた。

 今では薫の資金は仕事の依頼料といぐさのオンライントレードで支えているのだとか。

 と、トレードっすか。そりゃまた、随分な趣味をお持ちですね。

 いや、純粋にすごいわ。俺自身そこまで言うほど頭が良いわけじゃないから、トレードで金を稼ぐなんて到底無理だ。よほど頭がいいんだろうな。

 ウチで言うならなでしこ辺りが出来るかな。……うん、なんだかんだで卒なくこなせそうだわ。

 

「なんですか?」

 

「……いや」

 

 可愛らしく小首を傾げるなでしこさんから視線を反らす。

 これ以上は止めておこう。いらんことを言って更に負担をかけたくないし。

 ただでさえ家事全般にようこの指導なんかしてもらってるんだ。いつの間にかお母さんもしくは面倒見の良いお姉ちゃんポジションになってるのに、これ以上進化したら――。

 

「啓太様?」

 

 イエスマム、お口チャック。くわばらくわばら。

 ……時々なでしこの笑顔が怖いです。知ってた? 笑顔って動物の間では威嚇に使われるんだぜ?

 なでしこも犬の化生だからその笑顔の意味は……あわわわわわ。

 

「次に、その隣がたゆね」

 

「……序列三位のたゆね。よろしく」

 

 言葉少なめで頭を下げる少女。

 たゆねと呼ばれた少女は短めな栗色の髪のボーイッシュな雰囲気をしている。どことなく不機嫌そうにむすっとした顔だ。

 よくわからんが、あまり機嫌がよくないっぽい。

 

「彼女はこの中で一番の力を持っていてね、いつも先陣を切って活躍してくれるんです」

 

「……へぇ」

 

 ほうほう、この子がねぇ。

 しかし、こう言っちゃアレだが、この子からはあまり強者が発するようなオーラを感じないんだけど……。

 俺が知る強者といえば、師匠やハケ、姐さんだ。その人たちは自然と身構えてしまうようなある種の凄みともいえるオーラを放っている。

 ハケは普段は静謐なオーラを、そして師匠にいたっては『ゴゴゴ』と擬音が視覚化できるほどだ。アレは正直ビビる。

 たゆねを凝視していると、キッと睨まれた。なんて悪い目つきなんだ。

 まあ所詮女の子の眼力。さして怖くはありませんが、それとなく視線を外した。いや、ジロジロ見るのはマナーに反しますからね。

 

「そしてその隣がごきょうや。見ての通りお医者さんを目指していて、皆の体調管理を任せています」

 

「序列四位を任れています、ごきょうやと申します。啓太様、どうぞよろしくお願いします」

 

 タートルネックのセーターの上に白衣を羽織り、首から聴診器を下げた女性。

 クールな表情で頭を下げたごきょうやは顔を上げると、まぶしそうに俺を見つめた。

 な、なんだ?

 その目にあるのは……懐かしさ?

 しかし俺と彼女は初対面のはずだ。俺の記憶にはないし……。

 

「……どこかで、会った?」

 

「――いえ」

 

 俺の言葉にごきょうやは目を閉じると、消え入るような声で呟いた。

 

「初対面です」

 

 次に目を開いたときには目の色は消えていた。

 んー? 俺の勘違い、か?

 

「その隣がてんそう。彼女は画家でね、絵がすごく上手なんですよ」

 

 前髪で目元を隠した女性はさっきから天井辺りをヌボーっと見ている。スケッチブックを胸に抱えて反応らしい反応をしない。

 なんというか、前世の謎知識の中にある曲でダー〇ベー〇ーのテーマ曲をウクレレやリコーダーで再現したものがある。

 非常に気が抜ける曲なのだが、それをてんそうのBGMに使用したい。そんな感じの彼女。

 漫画化が被るような帽子を頭に載せたてんそうは天井を見上げていた顔を戻すと、ぼーっと俺を見つめた。

 

「序列五位のてんそう」

 

 てんそうは手にしていたスケッチブックをめくると物凄い勢いで鉛筆を走らせた。

 ものの十秒足らずで書き終えると、紙を切り取り手渡してくる。

 

「お近付きの印に」

 

 そこに書かれていたのは、俺だった。

 うん、これはすごい。まんま俺だわ。

 しかもこれを十秒くらいで書ききるとは……。

 

「……すごい。さすが、画家だな」

 

 いや、純粋に尊敬しますわ。俺、画力壊滅的だし、美術の成績二だし。

 

「ありがとうございます」

 

 ぼそぼそっと呟き、また天井あたりをヌボーっと眺める。

 

「あらあら、てんそうちゃんよかったね~」

 

 その隣に立っている巫女服の女性がほんわかした笑顔を浮かべながらてんそうに抱きついた。

 てんそうは抱きつかれたまま変わらずヌボーっとしている。なるほど、これがてんそうの平常運転か。

 

「こんにちわ啓太様~♪ 特技は未来視、心のケアはばっちりがモットーのフラノですー。序列はてんそうちゃんの一つ下の六位です。えっへん!」

 

 金髪をボブカットにした女性、フラノ。なぜか巫女服を着た彼女は何が楽しいのか、からから笑っている。

 

「――と、いうことで、彼女がフラノ。フラノの未来視による占いは百パーセントを誇ってまして、いざと言うときにすごく頼りになるんです」

 

「いざという時はこのフラノにお任せです~」

 

 陽気だねぇ。

 しかし未来視か。それまた稀有な能力だな。しかも占い的中率が百パーセントかよ。

 これは俺も占ってもらうしかねぇべ!

 

「よければ啓太様も占ってみましょうか~?」

 

 おおぅ! まさか向こうから誘ってくれるとは。

 

「……お願いします」

 

「はいはい~。フラノにお任せですよ~」

 

 席を立ったフラノは俺のところまで来ると、間近でジロジロと眺め始めた。

 つうか近っ! 息が当たるんですけど!

 

「ふむふむ……ほほぉー……なんと、これはっ……むむむ」

 

「……あの?」

 

「はい~。啓太様の未来が分かっちゃいましたよ~」

 

 パッと離れたフラノは、にぱ~っと笑顔を浮かべた。

 お、おお……! これは良い結果っぽい予感!

 

「えーっとですね。啓太様は近い未来、男の人と熱く抱き合いますね。しかも、頬と頬をくっつけるほど熱く!」

 

 ……え゛?

 

 




 次回もしくはその次辺りでイタチなのかフェレットなのかよく分からない生物、マロチン登場します。
 誤字脱字がありましたら報告お願いします。


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第三十話「語らい(男)」


 もう三十話か。なんかあっという間に感じます。
 タイトル通り男女に分けて話を進めます。



 

 どーも、川平啓太です。そんなこんなでフラノこと金髪巫女のねーちゃんに占ってもらいました。

 薫曰く、フラノの能力である未来視を使った占いは的中率百パーセントを誇るらしい。それ、どこの銀座のママさん?

 そんで占ってもらった結果が……。

 

「……抱き合う?」

 

「はい~」

 

「……頬、くっつけて?」

 

「です~」

 

「…………」

 

 なんじゃそりゃぁぁぁぁぁ!!

 いあいやいやいや、どんな未来だよそれ! いったい何があったの未来の俺!?

 そんなBでLな展開とか、なにがなんでも全力で回避するしかない!

 幸先不安だなぁ……。

 なんともいえない空気が流れる。こほんと薫がそんな空気を入れ替えるように努めて明るい声を出した。

 

「次はいまりとさよかですね。見ての通り彼女たちは双子で髪を右で束ねているほうがいまり、左がさよかです」

 

「いまりです!」

 

「さよかです!」

 

『啓太様、よろしくお願いします!』

 

 元気よく挨拶する双子の姉妹。

 薄紫色の髪を片側に束ねており、可愛らしい顔立ちをしている。

 双子というだけあってそっくりさんだ。正直髪を解いたら見分けが付かない。

 

「あたしたち植物の栽培をしてるんです!」

 

「啓太様も今度いらして下さいね!」

 

 菜園かー。そういえばチラッと敷地内にガラスハウスのような建物が見えたような。もしかしてあれか?

 そして、最後はちびっ子のともはね。

 元気よく手を上げて自己紹介をする。

 

「そしてあたしが序列九位のともはねですっ、よろしくお願いします!」

 

「ん。この間ぶり」

 

 ともはねとは二度目の邂逅だ。元気そうでなにより。

 ともはねは小学生低学年、下手したら幼稚園児でも通ってしまうほど幼い容姿をしている。

 薄茶色の髪は後頭部で左右に分かれている。

 精神年齢も見た目相応で犬神の中でもかなり若いらしい。薫の犬神の中では言わずもがな。

 互いに自己紹介も終わり、薫がぱんぱんと手を叩く。

 

「さて、僕は少し啓太さんとお話しすることがあるから、みんなはなでしこさんたちと親睦を深めてね。これから長い付き合いになるだろうから仲良くなるに越したことはないしね」

 

「かしこまりました、薫様」

 

 せんだんが代表して返答する。扇子で口元を隠すのはデフォルトなのかな?

 

「……なでしこ、後は任せた」

 

「はい、啓太様」

 

「ケイター、わたしは~?」

 

「……良い子にするように」

 

「ぶーぶー! わたしだっていつもいつも問題起こしてるわけじゃないもんっ」

 

 む、これは俺の失言だな。

 そうだな。ようこもなんだかんだで成長しているし、俺も相応の態度で返さないと失礼か。

 

「……悪かった。みんなと仲良くな」

 

 軽く頭を撫でてからなでしこに目配せをする。心得たとばかりに頷くなでしこに頷き返す。

 ようこと犬神たちとの間には何かしらの溝があるようだからな、万一の時にはフォローしてやってな。

 なでしこたちを食堂に残し、俺たちは薫の部屋に移動する。

 薫の部屋は館の二階にあるようだ。

 

「……しかし、本当に広いな」

 

 廊下だけでも人が五人横に並べる広さだし。

 装飾品もなんか高級っぽいし。

 

「ウチは大人数ですからね。普通のアパートやマンションだと全員で住めないんですよ」

 

「いぐさ、だっけ。眼鏡の女の子。彼女の力で?」

 

「はい。パソコンに興味を示していたので試しに使わせてみたらいたく気に入りまして。あっという間にマスターしてしまいました。しかも気がつけばトレードで資金を増やしてるんですから、ビックリですよ」

 

「……トレードをこなす、パソコンに強い犬神、か。色んなのがいるな、犬神って」

 

「ええ。みんな魅力的で自慢の犬神ですよ」

 

 そうこうしているうちに薫の部屋に到着した。

 

「さあどうぞ」

 

 なんというか、薫の部屋は想像していた通りのものだった。

 軽く俺の部屋の倍はある面積。照明は当然の如くシャンデリアで寝台は天蓋付きベッド。

 サイドテーブルには水差しが置かれており、大型のプラズマ液晶テレビの前にはこれまた高そうなソファーがコの字型で配置されている。

 見ればパソコンも今年の春に発売したばかりの最新式モデルだった。

 

 いいないいなー。俺もこんな部屋に住みたいなー。

 別に環境の差を妬むほど残念な思考はしていないが、純粋にこんなお家に住んでみたいとは思う。

 俺もこういう豪邸に住めるように頑張らないと。それにはもっと大きな仕事が取れるようにならないとな。

 思わぬところでやる気と気合が入った。帰ったら依頼のチェックしよう。

 ふんす、と独り意気込む俺を不思議そうな目で眺めた薫は小型冷蔵庫から飲み物を取り出した。

 

「啓太さんはオレンジジュースとコーラ、どちらがいいですか?」

 

「……コーラで」

 

 たまに炭酸が飲みたくなるのです。

 俺はソファに、薫はベッドに腰掛け、しばらくゆったりとした時間を楽しんだ。

 

「……そういえば、どうだった? 向こうの生活」

 

「それはもう大変でしたよ。最初の頃は英語なんて話せなかったものですから身振り手振りで意志の疎通を図りましたね。案外何とかなるようですよ?」

 

「……どこだったけ。フランス?」

 

「イギリスです。啓太さんも一度行ってみるのをお勧めしますよ。ビッグベンやタワーブリッジとか観光名所がいっぱいありますから」

 

「……時計塔は見てみたい」

 

 いつか皆で旅行に行きたいな。

 ていうか、もしかして英語ペラペラ?

 

「まあ日常会話に困らない程度には。流石に流暢に話すことは出来ませんけどね」

 

「……それでも、すごい。俺なんて、英語まったくダメ」

 

 英語の成績は三。この間の英語のテストは三十点だった。

 あのテスト用紙をなでしこに見られるのが滅茶苦茶恥ずかしかった。というか、なでしこって学校での話とかよく聞いてくるから必然とテストのこととかも話してるんだよね。

 いやぁ、テスト用紙を親に見せずに隠すもしくは捨てる学生の気持ちがよく分かったわ。あれは恥ずい。

 知識はあるが、それを理解するのとはまた別なのだと思い知らされた次第。しかも俺の英語に関する知識って日常的に使用するものばかりだからなぁ。

 あれだ、日本人が日本語を完璧に理解していないあれと同じだ。ん? 少し違うか? まあニュアンスは伝わるだろう。

 

「……仕事はお婆ちゃんから?」

 

「はい。本当は僕も規則に則って高校生になってからの予定でしたが、見ての通り大所帯ですからね。啓太さんという前例もあるしいいだろうとのことで、案外すんなり話は通りましたよ」

 

 薫もお婆ちゃんから資金を援助してもらってはいるようだが、それにはあまり手をつけずに依頼やいぐさのトレードで稼いでいるようだ。

 

「啓太さんはもう何件も依頼を受けてるんですよね。どんな感じですか? 生憎、僕はまだ片手で数える程度しか受けていないので」

 

「ん? んー……まあ、大体は除霊だな」

 

 物理的にだけど。

 あとは迷子のペットを探したり、彼氏の浮気を確かめるべく隠し撮りして証拠を掴んだり、お祓いしたり、痴漢を撃退したり、パンツ泥棒を捕まえたり。まあ色々あるな、うん。

 

「なんか、なんでも屋みたいですね……」

 

 というか、ぶっちゃけオカルト関連に比重を置いたなんでも屋です。

 それはともかくとして、先ほどから気になる点があるのだが。

 

「……それ、契約の証?」

 

「あ、これですか? そうです、みんなとの契約の証ですよ」

 

 薫の両手の指には銀のリングが嵌められていた。

 九人と契約したため左手の小指以外のすべてが埋まっている。

 なんか、ホストみたいだ。それも一昔前の売れないタイプ。

 

「啓太さんのはどれですか?」

 

「ん」

 

 両手首に嵌められた無骨のブレスレットがなでしこたちとの契約の証だ。

 なでしこは左手の銀色の、ようこのが右手の金色のブレスレッドとなっている。

 霊力物質化能力で作った自前のため、装飾は一切ない。

 

「綺麗ですね。啓太さんによく似合うと思いますよ」

 

「ん、ありがと。……ところで」

 

 オレンジジュースで喉を潤してから言葉を続ける。

 

「誰が本命?」

 

「え?」

 

「……こんだけ可愛い女の子、囲まれてる。本命の一人や二人、いるはず」

 

 これは絶対にしようと思っていた定番の話題。

 中高の修学旅行のような気分でずずいっと切り出した。

 男同士、腹を割って話し合おうじゃまいか!

 

「いえ、そんな……。確かにみんな可愛いし魅力的な女性ですけど」

 

「魅かれる人はいない? 一人も?」

 

「……」

 

 顔を赤くしたまま固まってしまう薫。ふっ、まだまだ青いな。

 馬鹿にするつもりはないが笑ってしまったのが鼻についたのだろう。むっとした顔で珍しく反論してきた。

 

「そ、そういう啓太さんはどうなんですか? なでしこさんもようこさんも、どちらもすごくお綺麗な女性ですけど」

 

「……やらんよ?」

 

「いりませんっ」

 

 からかうと顔を赤くしてシャウトする。この辺りは昔から変わらないなぁ。

 まあそれはそれとして、俺の気になる女性ねぇ。

 

「……んー。なでしこ、かな?」

 

「……」

 

「……以外?」

 

「正直。まさか本当に答えてくれるとは思っていませんでした」

 

「……失礼な。けど、これが恋愛か家族愛か、よくわからない」

 

 初恋もまだだしね。

 綺麗、可愛いなど外見に惹かれたことはあるし、いいなぁと思った女性は今までに何人かいたが、はっきりと恋してると自覚できるほど強く意識したことはない。

 強いて言えばなでしこがそうか。ただ、彼女に向けるこの気持ちも家族愛なのか、はたまた友愛なのか、それとも恋心なのか区別が付かない。

 容姿は好みだし、結構仕草にドキッとしたりするけど。

 前世の謎知識は『知識』として恋というのはどういうものなのか記憶されているが、そういうのとはちょっと違うしなぁ。

 なにげに俺って結構遅れてね? 中二で恋したことないとか、意外とヤバイ?

 

「なるほど。意外ですが、そうだったんですね……」

 

 まあ、ようこにも似たような気持ちを抱いてるけどね。なんていうか、バカな子ほど可愛いっていうか。

 

「――じゃあ、ちょっと恥ずかしいですけど、啓太さんだけ言ってもらうのもなんですし……」

 

 室内には他に誰もいないにも関わらずキョロキョロと辺りを見回すと、小さな声で呟いた。

 

「その、せんだんが少し気になって……」

 

「……ほほぅ」

 

 その話、詳しく聞かせてもらいましょうか。

 

「まあちょっと色々とありまして、気がつけば彼女の姿を探していたり、目で追うことがしばしば……」

 

 薫は若干頬を朱色に染め、照れた様子を見せた。

 青春してんなぁ。

 

「……泣かせる真似だけは、しないでな」

 

「そういう啓太さんもね」

 

 おうよ。なでしこであれようこであれ、俺が彼女たちに流させる涙は嬉し涙と前から決めてるんだ。

 くだらない話や世間話なども交えながら、しばし男二人で語りあい旧交を深めていると。

 

「啓太さんの携帯ですね」

 

 携帯が鳴った。取り出してみると、表示されているのは最近になって登録した名前だ。

 出てもいいかと目で問うと頷き返してきたので、とりあえず電話に出る。

 

「……もしもし?」

 

『おお川平かっ、よかった! 実は折り入って頼みがある……!』

 

 そう切羽詰った声で仮名さんは叫んだ。

 

 




 誤字脱字がありましたらご指摘お願いします。


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第三十一話「語らい(女)」


 注意!
 今回の話では薫ハーレムの皆さんは結構辛らつなことを口にします。
 イラッとするかもしれませんが、少しの間だけ辛抱してください!



 

 啓太様と薫様が部屋から退室するのを見送ると、シーンと部屋が静まりかえる。

 みんなは遠巻きにこちらを見ていて、どこかぎこちない空気が流れました。

 みんなとは顔見知りだけど、元々私たちの間の交流は皆無といっていいです。

 恐らくどう接すればいいのか分からないのでしょう。私も少し気圧されて二の足を踏みそうになるが、この中では一番お姉さんなのだしこちらから話しかけないと。

 そう思って一歩踏み出そうとしたときでした。

 

「改めて、久しぶりですわね二人とも」

 

 優雅に微笑みながら私たちの元にせんだんがやってきました。

 

「ごめんなさい、まだ皆緊張しているみたいで。貴女たちとはこうして話したこともあまりなかったものだから」

 

「気にしないで、せんだん。今まで歩み寄ろうとしなかった私がいけないの。でもこれからは仲良くしていきたいわ」

 

 時間はいっぱいあるのだから。

 今の気持ちを余すことなく正直に伝えると、せんだんは驚いたように目を見張っていました。

 そして、フッと目尻を和らげます。

 

「あなた……変わりましたわね」

 

「そう?」

 

「ええ。貴女って付き合いやすそうに見えて心の壁は結構分厚いから、たとえ主の意向でも近寄ろうとしなかったですもの。いつも一歩引いた位置にいたでしょう?」

 

 笑顔で余所を寄せ付けない貴女がこんなに素直に言うものだから、一瞬本人か疑ってしまいましたわ。

 そう言葉を続けたせんだんは可愛らしく微笑みました。

 確かに、彼女の言うとおり、昔の私は他の皆と群れなかった。みんなが嫌いというわけではなく、ある出来事から一緒にいるのに躊躇いを覚えたからです。

 しかし、啓太様の犬神をさせていただくことになり、あの人の元で生活をして、人と触れ合い、日々を過ごしていって、私自身知らず知らずのうちに何かが変わってきたのかもしれません。

 ようこさんですら絶大な影響を与える啓太様だ。そう考えるとなんら不思議でもない気がしました。

 

「それに、あの『いかずのなでしこ』が主を持ったって、山では結構噂になってますわよ」

 

「そうなの?」

 

「ええ。長老なんて『あのなでしこが!?』と目をカッと見開きましてね。貴女、今ではちょっとした時の人ですわよ」

 

「そんなことで時の人になっても……」

 

 あの物静かで、いつも目を細めて飄々としている長老様が、そんな反応をするなんて……。

 こういうときはどう返せばいいのでしょう。結局困った顔で微笑みます。

 

「それで? 一体どういう心境の変化なのかしら。いい加減教えてくださらない?」

 

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら近づいてくるせんだん。

 その妙な迫力に押され後ずさると、それまで遠巻きにこちらを眺めていた他の皆が近くまで寄っていたことに遅まきながら気がつきました。

 その目は好奇心でキラキラと輝いており、皆も関心を寄せているのだと察するのは難しくないです。

 視線でようこさんに助けを求めるが、彼女はともはねの遊び相手に夢中で気がついてもらえませんでした。

 

「さあ、観念して白状なさい」

 

「いえ、そんな……。聞いて面白い話しではないし、大した理由でもないのよ?」

 

「それを決めるのはわたくしたちですわ。それに貴女の口から直接聞くというのが重要なの」

 

「たしかにあの(・・)なでしこが憑いたって聞いたときは驚いたねー」

 

「だねー。どんな優秀な人や美形の人にも憑かなかったから、一体どんなすごい人に憑いたのかって話題になったよね~」

 

「確かに驚きを禁じ得なかったな」

 

 いまりとさよかが同じ声で呟き、ごきょうやが白衣のポケットに手を突っ込んだまま重々しく頷きます。

 

「でも、まさか川平啓太、様に憑くなんてな」

 

「あら~、フラノはいいと思いますよ~? なんかお似合いですし~」

 

 渋い顔のたゆねにほんわかした顔のフラノ。

 私は気がつけば自然と輪を組んで会話をしていました。こうして皆と談話をしたのはいつ以来だったか。

 

「でもさー、なんで川平啓太様だったの?」

 

 話が内容が『なぜ私が啓太様に憑いたのか?』という流れになります。

 不思議そう、というより怪訝な顔でいまりが聞いてきます。

 それに追随する形でさよかやたゆねもなんで、と尋ねてきました。

 

「あー、それあたしも思った! 顔はまあまあ良い方だけど、超絶イケメンってほどでもないし」

 

「聞いた話だと、川平啓太様の基礎霊力って百らしいよ」

 

「百!? 薫様の九分の一じゃん!」

 

「それに表情らしい表情が全然ないしねー。一緒にいても居心地悪いだけじゃない?」

 

「なんか落ちこぼれとか無能だとか言われてるみたいだし。よくそんな人に憑こうと思ったよねー」

 

「――」

 

 いまりとさよかの遠慮のない声。

 そこには悪意などなく、純粋な疑問の色しかなく。

 それが……とても心に刺さる。

 

「薫様も友達を作るなら相手を選んで欲しいよな。なんだって『人形』なんかと友好を深めるんだか」

 

 舌打ちするたゆね。

 忌々しいとでもいうような口調に、心がズキッと痛みました。

 

「滅多なことは言うものではないですわよ!」

 

「そんなこと言っても気になるんだもん~」

 

「そうそう。正直、こうして実際に会ってみても魅力なんて感じられないし」

 

「ふん。わたしは元より軟弱な奴なんて興味ないね」

 

 せんだんが諌めるがいまりとさよか、そしてたゆねはどこ吹く風。

 他の犬神たち――いぐさ、ぎょうや、てんそう、フラノは啓太様を誹謗しません。しかし、それぞれ思うところはあるのか苦い顔をしているだけで止めようとはしません。

 

「……ッ! あなたたちっ、いい加減にしなさ――」

 

「――やめて」

 

 ぽろっと、喉の奥から搾り出したような声が漏れました。

 声に籠っる熱はなく、心はどこまでも冷めていって。

 胸の奥で何かが沸騰するかのようにぐつぐつと煮立ったような、熱く、それでいて冷たい二律相反の感情がこみ上げてきます。

 

「啓太様を――私のご主人様を悪く言うのは、お願いだからやめて……」

 

 自然と俯いていた私は肩を震わせながら、懇願するようにそう言いました。

 皆、口をつぐみ重い空気が流れます。

 

「……みんなは知らないだろうし、分からないかもしれない」

 

 俯いたまま、ぽつぽつと小さな声で喋ります。

 皆の視線が集中するのが分かりました。

 

「啓太様は、あの方は本当は落ちこぼれでも、無能でも、ましてや『人形』なんかでもない……。

 たくさんの依頼主に感謝されて、妖に変な偏見も持たず交友関係もあって、悪いことしたらちゃんと って、いいことしたら褒めてくれて。とても、優しくて……。

 啓太様の悪口はやめてください……! あの方を悪く言わないでください……っ!」

 

『……』

 

 最後のほうは情けなくも涙声になってしまったけれど、心の内を吐き出すように言葉を続けました。

 いまりとさよか、たゆねはばつの悪そうな顔で押し黙ります。

 重い空気がしばしの間、食堂を支配しました。

 




 当初の予定では本当に親睦を深めるだけの予定なのに、気がついたらこんな流れに。
 どうしてこうなった……!


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第三十二話「飛び込む依頼」


 大変お待たせしました。



 

 

『実は折り入って頼みがある……!』

 

 切羽詰った声が携帯の向こうから聞こえた。

 急ぎの話と判断した俺は気を引き締めて電話に意識を集中した。

 

「……緊急?」

 

『ああ、少々厄介な事件が発生した。ついては川平、君に依頼を頼みたい。無論報酬は払う』

 

「ん。内容は?」

 

 お得意さんの仮名さんは支払いも良いし、色んな依頼を持ってきてくれる。

 彼の手助けなら積極的に引き受けていこうと思っている。

 

『助かる! 今からそちらに向かうから内容は直接説明する』

 

「ん、わかった。今友人の家にいる。だから外で落ち合う」

 

 流石に薫の家へ勝手に仮名さんを呼ぶわけにはいかないからな。場所は通いの喫茶店でいいか。

 不意に薫が肩を叩いてきた。視線で問うと小声で話しかけてくる。

 

「仮名さんからですか?」

 

 おや? 薫の口からまさかの仮名さんの名前が出てくるとは。

 意外な気持ちで頷くと、薫は家に呼んでもいいと言ってきた。

 

「ん。仮名さん、ちょっと待ってて。……いいの?」

 

 電話口をふさいで小声で確認を取ると、薫は朗らかに笑いながら頷いた。

 

「ええ。実は仮名さんとは交友関係がありまして。どうぞ」

 

「ん。ありがと。――仮名さん? うん。今、薫の家にいる。それで薫が家に来ていいって。……ん、わかった」

 

 待ち合わせ時間を決めてから電話を切る。

 場所を提供してくれた薫に頭を下げた。

 

「いいんですよ、このくらい」

 

 笑顔で快諾する薫、マジイケメン。

 

 

 

 1

 

 

 

 仮名さんが薫の家にやってきたのはそれから一時間後のことだった。

 グレーのスーツにこの世のすべてが不満だと言いたげなぶっちょう面。頭にコカコーラの缶を乗せて、銀色の鈍い輝きを放つアタッシュケースとケージを手にしてやってきた。

 薫の部屋へと移動した俺たちは高級そうなソファーに座って話を聞く。ちなみに俺と薫が隣合わせで座り、ガラステーブルを挟んで仮名さんと対面する形だ。

 秘書のように俺の背後にはなでしこが、薫の後ろにはせんだんが控えている。

 しばらく無言でお茶を啜っていたが、やはりどうしても気になって仕方がなかった俺は思い切って訊ねることにした。薫も何事もないように優雅にお茶を飲んでるけど、チラチラとそこに視線を向けてるし。なでしこもせんだんもなんとも形容し難い顔をしているし。

 

「仮名さん……。そのファッション、どうかと思う」

 

「これはファッションではない!」

 

 じゃあそのコーラの缶はなんなのさ……。

 というかよく落ちないね。なに、接着剤でも使ってんの?

 

「これには訳があるのだ……。今回の依頼にも関係する」

 

 隣でお茶を啜っていた薫が小さく手を上げた。

 

「あの、僕にも聞いてほしいとのことですけど」

 

「うむ。できれば川平薫にも協力を願いたい。もちろん報酬は出そう」

 

「……俺と薫の二人。おおごと?」

 

 通常は一人に依頼するものだ。複数人に依頼するとなるとそれ相応の案件ということになる。

 さてはて、できることなら危険性が少ないものであってほしいな。

 

「実は現在、とあるムジナの妖怪を捜索している」

 

 アタッシュケースから取り出したのは一枚の資料だった。

 寄越されたその資料に目を落とすと、件のムジナのカラー写真が目に映った。

 可愛らしい小動物がカメラ目線で写っている。

 

「これが?」

 

「うむ。全長二十二センチ、体重五百グラム、体毛は白色のムジナ妖怪だ」

 

「……ムジナ?」

 

「うむ、ムジナだ」

 

 というかムジナってアナグマの別名ですよ? もっと胴はずんぐりしてて顔も大きいんですよ?

 いや、どっからどう見てもイタチかフェレットですよこれ。

 隣から身を乗り出して資料を見ていた薫もなんとも微妙そうな味のある顔をしていた。

 

「……で? このイタチが?」

 

「いやムジナだ。そのムジナだが、犬神たちのかかる疫病の『むじなしゃっくり』の防疫に使われている医療動物で、毎年この時期になると天地開闢医局で保護して『むじなしゃっくり』の治療に協力してもらい血を少々頂戴するのだが」

 

 はい読めたー。読めましたー。

 

「……脱走?」

 

「うむ、察しがいいな。なんでも待遇が気に入らないとのことらしい。置き手紙にはそうあった。とはいえムジナがいなければ『むじなしゃっくり』の治療が出来ない。そのため現在脱走したムジナを捜索しているのだ」

 

「また捕まえるのは?」

 

「それが非常に難しい。ムジナは小柄で素早く、頭も回る。天地開闢医局の局員では手が回らず、こうして私にもお鉢が回ってきたのだ」

 

「なるほど……で、その頭は?」

 

「うむ……」

 

 仮名さんは重いため息を吐くと、徐に缶に手を伸ばし引っ張った。

 しかし、缶は頭にぴったり頭にとくっ付いてしまっているようで微動だにしなかった。

 

「ぐっ、むっぐぐぐぐ……ッ!」

 

「取れない?」

 

「くっ……うむ。これがムジナの厄介な能力なのだ」

 

 聞くところによると、そのイタチ――ムジナは物と物をくっ付ける力を持っているらしい。しかも厄介なことに素材や大きさ、重さに関係なく結合させることが出来るとのことだ。しかも複数の対象に能力を発動させることも可能らしい。

 仮名さんの頭の缶は捕獲に失敗してゴミ箱ごと転倒した際に能力を使われ、たまたま頭に乗っかった空き缶を引っ付けられてしまったとのこと。

 それって、地味に強力じゃん。車とくっついたらヤベェじゃん……。

 

「……ん。話はわかった。そのムジナ、捕まえればいい?」

 

「うむ。捕獲用の道具はここにある」

 

 そういってアタッシュケースから取り出したのは――三節棍?

 三つに折りたたまれた棒だった。先端には楕円状の白い球体のようなものがあり、その周りを透明な袋が被さっている。袋越しに触れてみるとパン生地のような弾力があった。

 仮名さんはその三節棍のようなもの組み立てて一本の長い棒にすると、どこぞのアクション映画のように流麗な動作で振り回し、腋に挟んだ。

 

「……仮名さん。段持ち?」

 

「うむ、棍術が三段、ヌンチャクが二段だ――っと、そんなことはどうでもいい。この棒の先端は天地開闢医局謹製のトリ餅で金色蜘蛛の糸とハスの実を混入して作られている。ムジナ捕獲専用で作られたトリ餅のためムジナ以外引っ付くことはない。これで捕獲するのだ」

 

「ふーん……。わかった。その依頼、受ける」

 

「おお、そうか! ありがたい。それとムジナは霊気の高い人間にとり憑く傾向があるようだ。また酒類に目がないとの情報も上がっている」

 

 酒に目がないとか、飲んだくれなのか?

 そういえば薫はどうするんだろうか。

 

「薫は?」

 

「うーん、協力したいのは山々なのですが、この後仕事が入っていますので」

 

「そうか……。川平薫の犬神たちにも協力を得られれば心強いのだが、仕方あるまい。話し合いの場を設けてくれて感謝する」

 

「いえいえ。……あっ、そうだ。せんだん、ちょっと」

 

「はい」

 

 ちょっとごめんなさい。一言断って席を立った薫はせんだんを連れて部屋の隅に移動すると、小声で話し始めた。

 

「……から……すれば……」

 

「ですが……あの子……」

 

「……そこは……はね……」

 

 うーん、何を話してるんだろうね。盗み聞きしたいところだけど、さすがにそれはまずいしなぁ。

 二分ほど話し合っていた二人だが、なにかしら折り合いがついたのか戻ってきた。

 そして、薫から意外な提案が出される。

 

「ともはねを?」

 

「はい。彼女は知ってのとおり犬神の中では最年少です。まだまだ経験も浅く精神的にも幼い。ですので少しでも彼女に経験の場を与えてあげたいのです」

 

「ふむ」

 

「幸いともはねの『能力』は仮名さんの依頼と相性が良いですから、力になれると思います。もちろん依頼料は要りません。啓太さんの邪魔になるようでしたら断っていただいても構いません」

 

「……どうする川平。こちらとしてはともはねくんの協力は願ってもいないことだから彼の提案には賛成だ」

 

「んー、ともはねに経験積ませる……か」

 

 確かにともはねは幼いし、見た感じそこまで強い力は持っていなさそうだ。魑魅魍魎が跋扈する世界では弱者からすぐに食われていく。

 俺も知り合いが、それもあんな小さな子供が死んでいくのは本意じゃない。

 それにともはねの能力が何なのかは知らんが、薫の口ぶりからすると期待して良いみたいだしな。

 と、いうことで。

 

「ん、わかった。俺も異存はない」

 

 あ、でも肝心のともはねは了承してくれるかな?

 

「大丈夫ですよ。あの子ならむしろ喜ぶと思います」

 

 あっそう? ならいいんだけど……。

 話も終わり、では具体的な打ち合わせをしようという流れになった。

 その前にお茶でのどを潤して――。

 

「ケイタケイター! 見てみて変なの拾ったー!」

 

 今までお外で遊んでいたようこが何かを抱えて部屋に突撃してきた。

 胸の前で抱えられたそれは可愛らしいイタチであり。

 

『ぶぅぅ――――ッッ!?』

 

 先ほど見せてもらった資料に載っていたカラー写真上の生き物だった。

 思わず俺と仮名さんがお茶を噴き出し、薫はお茶が気管に入ってしまい咽ているなか、そいつは可愛らしく小首をかしげた。

 

「きょろきょろきゅう~?」

 

 ……可愛らしい鳴き声ですね。

 

 





 長らくお待たせしましてすみません!
 正直、今の今まで執筆意欲が沸かなかったです。
 この話、何気に落としどころが難しかった……。


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第三十三話「ムジナ野郎(上)」

 なんか文章がパッとしない。
 スランプかな……?



 

 

 俺たちのあずかり知らぬところでターゲットを捕獲したようこ。

 こんな簡単に済んでいいのだろうかと、よくわからない釈然とした気持ちに襲われながらもようこに説明を求めた。

 

「……ようこ。それ、どうした?」

 

「ん? なんかね、お外で遊んでたら見つけたの。捕まえて持ってきちゃった」

 

 持ってきちゃったってお前。犬猫拾ってきた感覚で言わないで……。

 まあ何はともあれ、これで依頼達成、なのか? というかこれはマジでどうなんだろう?

 ま、まあとりあえず知らずのうちに多大な貢献をしたようこを褒めないと。信賞必罰、信賞必罰。

 くいくいと手招きしてようこを呼ぶ。

 

「なぁにケイタ?」

 

「でかした」

 

 イタチを抱えたまま近寄ってきたようこの頭を撫でる。

 絹のような滑らかな肌触りが心地よい。ようこは少し強めに"くしゃっ"て撫でられるのが好きなようだ。逆になでしこの場合だと優しいタッチで撫で下ろすように撫でられるのが好きらしい。

 なぜ撫でられているのか分からず、きょとんとしているようこだが、嬉しそうに相好を崩した。ようこの大きい尻尾がぱたぱたと元気よく振られている。

 なんか、後方から思いっきり視線を感じるんですが。刺すような冷たい視線を。これ絶対なでしこですよね。むくれてますよね。

 後でご機嫌とりしないといけないなぁ。彼方を立てたら此方が立たず。この二人はまさにそんな感じだ。

 二人が打ち解け合えるのもまだまだ先の話か。

 

「なんだか思わぬところで事態が収束してしまったが、これで「むじなしゃっくり」の治療が行える。ありがとう、ようこくん」

 

「……? なんだかよくわからないけど、どういたしまして!」

 

「では、そのムジナをこちらに――」

 

「きゅう~っ!」

 

「あっ」

 

 仮名さんがムジナを納めるケージを開くと、ようやく事態を把握したのか暴れだすムジナ。

 ようこの手から逃れると脱兎の如く部屋から飛び出した。

 

「ちっ……追う。なでしことようこも来る」

 

「はい!」

 

「うんっ」

 

 薫もせんだんに言伝を頼み、捜索してくれるようだった。

 

「仮名さん早く」

 

「う、うむ。……くっ、今度はケージと手がくっ付いてしまったようだ」

 

 見れば仮名さんの右手とケージの蓋がくっ付いていた。すぐさま俺は小刀を創造するとケージの蓋を切り離した。

 パキッと刀身を折って小刀を霧散させる。

 

「行く」

 

「うむ。すまんな」

 

 部屋を出た俺たちは薫たちと別れて行動することにした。

 二階は大きく円を描くような構造となっているため俺が右回りで、薫たちが左回りで捜索する。仮名さんは俺たちと一緒に行動することになった。

 二階はそんなに捜索範囲は広くないからすぐに終わりそうだな。部屋も基本的には閉じているから室内に侵入することは出来ないし。

 調度品の置物などに注意を払いながら進んで行く。

 

「なでしこたち、臭いで分かる?」

 

「すみません。全体的に強い臭いが漂っているので、ムジナだけを特定するのはちょっと……」

 

「あたしもだね。なんか薫の犬神の臭いとか、食べ物のにおいとか、あと植物? の臭いとかする~」

 

 植物? よくわからんが強い臭いがするため弱い臭いは嗅ぎ取れないということだけ分かった。

 となると、やっぱり地道に探して行くしかないか。

 

「ムジナ、どこー?」

 

「きょろきょろきゅう~」

 

 試しに呼んでみると律儀に返事が帰ってきた。

 声の出所は――上!

 

「なぜいるし」

 

「というよりどうやって登ったのだ……?」

 

 仮名さんの呟きに肩をすくめた。

 ムジナはシャンデリアの上に乗っかって眼下を見下ろしていた。

 まあ、あれなら動けないだろう。バカは高いところが好きなのだろうか?

 

「ようこ。しゅくち」

 

「あ、うん。しゅく――」

 

「きゅう~!」

 

 ようこが指を差してしゅくちを発動させようとするが、それよりも早くムジナが行動に出た。

 

「飛んだ!?」

 

 驚愕の声を漏らす仮名さん。確かに驚くのも無理は無いぜ……。

 高所から飛び降りたムジナは長い尻尾をプロペラのように回し、ゆっくりと下降していった。

 無事地面に降り立つと再びダッシュした。

 な、なんて無駄にスペックが高い奴なんだ……。

 

「――はっ! いかん、後を追わなければ!」

 

 そうだった。つい呆然としていた。

 ムジナの後を追いかけようとするが――。

 

「危ない啓太様っ!」

 

 突然のなでしこのタックル。無警戒だったため避けることも踏ん張ることも出来ず勢いに負けて押し倒された。

 そして一泊おいて、背後からガシャンとガラスの割れる音が聞こえた。

 なでしこの肩越しに見ると、そこには無残にシャンデリアが砕けた姿があった。

 

(あ、危なかった……。なでしこに助けてもらわなかったらあのまま激突してたな……)

 

 シャンデリアが落ちた場所に俺が立っていたのだから、血を見るはめになっただろう。。

 

「大丈夫か川平、なでしこくんっ!」

 

「ケイタ大丈夫!?」

 

 慌てて駆け寄ってくる仮名さんたちに手を上げる。

 俺の上から退いたなでしこが心配そうな顔で見つめてきた。

 

「大丈夫ですか啓太様? お怪我は?」

 

「大丈夫。なでしこのおかげで助かった。ありがとう」

 

「いえ。お怪我がなければそれで」

 

 差し出してきた手を取り起き上がる。まったく、ムジナの野郎め……。

 

「あら……?」

 

「ん? どしたの?」

 

 不思議そうに自分の手を見つめるなでしこ。その視線を辿ると、繋がれた手に行き着いた。

 って、いつまで掴んでるつもりだ俺!

 慌てて手を離そうとする。けど……。

 

「……あれ?」

 

「離れません、ね……」

 

 俺となでしこの手は磁石でくっ付いてしまったかのように離れなかった。

 これって、もしかして。いや、もしかしなくても……。

 

「きょろきょろきゅう~」

 

 廊下の角から顔だけ出したムジナの姿があった。その瞳が緑色に輝いている。

 ――む、ムジナの野郎めぇぇぇぇぇ!!

 

 

 

 1

 

 

 

 ムジナの能力で強制的になでしことお手手をつなぐことになりましたとさまる

 って、あの糞ムジナめぇぇぇっ! やってくれおったな!

 意図せずお手手を繋ぐはめになっちゃったから俺の心臓バクバクしてるぞ! こういう類の不意打ちに弱いんだよ。

 なでしこも意識してるのか恥ずかしそうに顔を俯けてチラチラ繋がれた手を見てるし。隣では怒り顔のようこがガミガミ文句言ってるし。

 こりゃ早くムジナを捕まえないと。このままというのは行動に支障を来たすから良くない。

 手にケージの蓋を引っ付けた仮名さんが気の毒そうな目を向けてきた。というか、その「早速やられたな」的な目でこっち見んな!

 

「どうしましょう……」

 

「……どうしようもない。このまま行くしかない」

 

 頬を薄く染めたなでしこが困ったように聞いてきたけど、本当どうしようもないよこれ。

 俺たちの右手は強力な磁石のようにガッチリ繋がれているため、力尽くでは解けそうにない。というか無理に引き剥がそうとすると俺かなでしこに負担が掛かる。

 

「むぅぅっ、なでしこばかり良い思いして。ずるい!」

 

 いやそういう問題じゃないからね、これは。

 

「とにかく先を急ぐぞ! この通りムジナは離れた場所からでも物をくっ付けることが出来る!」

 

 それ、先に言ってほしかった。

 

「行こう」

 

 ムジナの後を追って廊下を走る。角を曲がった先は一階に繋がる階段があった。

 先に一階に降りていた薫が手招きしている。どうやらムジナは一階に移動したらしい。

 トリ餅でめちゃくちゃ引っ付けてやる。もう顔面から引っ付けてやるもんね。

 一階に移動すると案の定、薫の視線が俺たちの手に向けられた。

 

「啓太さん、それは?」

 

「早速やられた」

 

「それはなんというか……」

 

 うん、なにも言わないで。そっとしておいてくれるのも優しさだよ。

 

「ムジナは?」

 

「開いた窓から外へ逃げ出しました。このまま僕たちも外へ向かいたいところですが、生憎仕事の時間が来てしまいまして」

 

「そう。仕方ない」

 

「すみません。ともはねには既に事情を説明しています。本人から了承は得ていますので」

 

 薫の隣にいたともはねが元気よく頭を下げた。

 

「よろしくお願いします、啓太様!」

 

「ん。よろしく」

 

 ぽんぽんと、ともはねの頭を叩くように撫でると、はにかむような笑顔が返ってきた。

 むっ、可愛いじゃないか。純粋な子供って俺の周りにはいないんだよなぁ。

 ようこは頭の中は子供だけど外見だけで言えば成熟しつつある女の子だし。なでしこは大和撫子の女の子でスタイル良いし。

 おっと、いかんいかん。思考が逸れてた。

 

「ともはねの力、役立つって聞いたけど」

 

「はい! あたしの特技はともはねすぺしゃるです!」

 

「……はい?」

 

 ピッとリングを嵌めた親指を立てて良い笑顔を浮かべるともはね。

 なにその子供が考えそうな必殺技。あ、子供だったね。

 よくわからんが、薫が大丈夫っていうならそうなのだろう。あまり悠長にしていられないからとりあえずムジナを探しに外に出よう。

 なでしこにようこ、仮名さん、そしてともはねを連れて正面玄関から外へ出た。

 今日は日が照っているためアスファルトからは陽炎が立ち、辺りの景色がゆがんで見える。

 なんでこんな暑いなか捜索しにゃならんのだ。これも全部ムジナ野郎が悪い。

 見渡す限りムジナの姿は見えないため、早速レンタル犬神の力を借りることにした。

 

「……じゃあともはね。頼んだ」

 

「まかせてください! 破邪走行・発露×1、ともはねぇぇぇすぺしゃるっ!」

 

 ともはねがリングの嵌った親指を立てると、パタッとある方向に倒れた。

 

「こっちです啓太様!」

 

 倒れた方向に向かって走るともはね。

 なるほど、ともはねの能力は【探知】か。それにしても、なんか頼りない方法だな!

 しかし今はつべこべ言っていられない。ともはねを信じて小さな犬神の後を追った。

 

 

 

 2

 

 

 

「本当にこっち……!?」

 

「そうですー!」

 

 住宅街を出て商店街も抜けた俺たちはともはねに先導されながら人ごみの間を縫うように進む。

 少年少女、プラス空き缶を頭に乗せた大人の集団が一塊になって走る姿はさぞ異様に見えるだろう。なにせ、なでしこを横抱きにして爆走してるし俺。

 なでしこの歩調に合わせていたら見失う可能性があるため、失礼ながらお姫様抱っこをしてムジナを追跡している。本人は恥ずかしいのか顔を真っ赤にして俯いているけど。

 

「は、恥ずかしいです啓太様……!」

 

「我慢」

 

「ぐぬぬぬ……なでしこばかり、なでしこばかりぃ~~」

 

 俺も涼しげな顔してるけど、めっちゃ恥ずかしいんだからな! ただマイフェイスが俺の心境とマッチしていないだけであって。そしてようこ、他意はないんだからぐぬぐぬ言わない。

 往く人が振り返り無遠慮な視線を向けられるが、それをすべて無視して走る。

 何度かともはねが【探知】を掛け直して場所を特定していった。

 

「こんなところ、逃げ込んだのか……」

 

 どうやら大型スーパーに逃げ込んだらしい。ともはねの指はビンビンにスーパーを指している。

 スーパーの正面には駐車場が広がっており車はまばらだ。

 中に入ると食品売り場に出た。どうやら今日は大セールを実施しているようで、スイカや夏野菜などが入ったワゴンに『半額!』『大特価!』の大文字がプリントされた黄色い紙が張られてある。天井にもセールを告知している旨が書かれたプリントが等間隔で張られていた。

 セールだからか人もそれなりにいる。

 一旦なでしこを降ろすと、なにやら爛々と輝いた目で売り場を見つめていた。

 

「セール……半額……大特価……」

 

 ……なでしこさんの目が売り場に釘付けなんですけど。なんか獲物を狙うような目をしてるし。

 

「なでしこ、我慢」

 

「あ、はい。いけませんね私ったら」

 

 恥ずかしそうに微笑むなでしこ。はい後ろ、キーキー奇声を発しない。

 ぶれないようこの隣ではともはねが【探知】を行っていた。

 

「破邪走行・発露×1、ともはねすぺしゃる!」

 

 ぱたっと倒れる親指。その先を辿ると――。

 

「あっ、いた~~~~!」

 

 何かの景品なのか、ピラミット状に積み上げられた缶ビールの山の上で白い生き物が嬉しそうに飛び跳ねていた。

 そういえばあいつ、酒類が好きって資料にあったな……。

 酒好きのムジナからしてみれば、ここは宝の山に見えるだろう。

 

「きょろきょろきゅう~~♪」

 

 ムジナは缶ビールの山の頂に腰を下ろすと、缶の一つを抱え込みブルタブに爪を引っ掛けた。

 器用にブルタブを開けるとそのまま持ち上げて、こくこくと喉を鳴らす。

 

「ぷはぁ!」

 

 満足そうに吐息を出した。

 幸いなことに客はまだ気がついていない。頷きあった俺たちは仮名さんから受け取ったトリ餅付き棍を片手にそろそろと近づいていった。

 馬鹿なムジナはビールを飲むのに夢中でこちらに気がついていない。死角から回り込めばいけるはずだ……!

 なでしこにジェスチャーで静かにするように指示を出し、出来る限り気配を殺して背後から回り込んでいく。

 片手で棍を構えて慎重に動く。まだだ、まだ間合いに入ってない。落ち着け俺。

 そして慎重に近づきいよいよ、奴を射程圏内に納めた時――。

 

「あのー、お客様? 何をされて……」

 

 背後から店員に話しかけられた。振り返れば怪訝そうな顔でこちらを見ている。完全に不審者を見る目つきだ。

 店員の声に反応してムジナが振り返る。

 

「きゅ?」

 

「ちぃっ!」

 

 咄嗟に手にした棍を突き出し、ムジナを狙う。

 

「きょろきょろきゅう~~~~!」

 

 ムジナは手にしていた缶ビールを投げ捨て転がり落ちるようにして棍を回避した。

 

「ちっ!」

 

「きゃっ」

 

 転がった衝撃でピラミット状に形作られた缶ビールの山が崩れる。

 なでしこの手を引いて腰に抱えるように持ち上げて大きく跳び退った。女の子にする持ち上げ方じゃないが緊急事態だから見逃してくれ。

 辺り一面が阿鼻叫喚と化す。

 怒声を上げる店員。散乱したビール缶に足を取られ転び、荷物をぶちまける主婦、転ばないようにバランスを取るも運悪く隣の客と衝突してしまい陳列棚に倒れ込むサラリーマン。

 二次災害が炎のように瞬く間に広がる。売り物の野菜が床に落ち、缶詰が床に散乱し、補充用のをカートを押していた店員がすっ転ぶ。カートに入っていた大量のサラダ油が床にぶちまけられ、それに足を取られ転ぶ客が多数出現した。

 

(くそ……っ、ムジナの野郎は!?)

 

 いた! 見ればきょろきょろきゅう~、なんて声を上げながらぴょんぴょん跳ねて出口に向かっていた。

 

「逃がさない……っ」

 

 小刀を三本創造し投擲する。矢の如く放たれた三本の小刀は空気を切り裂きながら進み、ムジナの間近を通り抜けて進行方向に突き刺さった。

 びっくりしたのかムジナがひっくり返った。その隙になでしこの手を引いて走り出す。

 

「仮名さん! 挟み撃ち!」

 

「応っ!」

 

 素早く進路上に回り込んだ仮名さんが大きく腕を広げて腰を落とした。

 

「ここは通さん!」

 

 凛々しく、そして雄雄しく立ち塞がる仮名さんからはなんとも不思議な威圧感が感じられた。頼もしい姿だ。

 仮名さんが尻餅をついたままのムジナに手を伸ばす。

 しかし立ち直ったムジナは驚異的な反射速度で避わすと、腕に飛び乗り駆け上った。

 

「きょろきょろきゅう~~~~!」

 

「おっ? おっ? おっ?」

 

 ムジナはそのまま仮名さんの頭上まで上り背後に回った。仮名さんが間抜けな声を上げて振り返る。

 なでしこを連れて駆け寄った俺は回り込んだムジナを捕獲しようと手を伸ばすが。

 

「あっ……!?」

 

 運の悪いことに、こぼれていたサラダ油で足を取られてバランスを崩してしまった。俺一人なら問題ないが右手がなでしこと繋がれているため上手くバランスを取ることができない。

 必然的になでしこも足を滑らせてしまった。

 そして、傍には仮名さんの姿が。

 

「仮名さんっ、避ける!」

 

「ぬ? うおっ!?」

 

 振り返った仮名さんと激突してしまった。勢いもあったためそのまま押し倒すようにして倒れ込む。

 なんとかなでしこだけは守ろうと体を捻って抱き留めた。

 

「ぐぁっ!」

 

「くっ!」

 

「きゃぁ!」

 

 仮名さん、俺、なでしこの順番で三段重ねの状態になってしまった。潰れた蛙のような鳴き声を上げた仮名さんも心配だが、まずなでしこだ。怪我はないと思うけど……。

 てか、く、首が……首捻った……。

 

「だ、大丈夫です……。啓太様は?」

 

「ん……なんとか。仮名さんは?」

 

「……どいてくれ」

 

 苦しそうな声。それもそうかと思い直ぐに退こうとするが――。

 

「きょろきょろきゅう~~♪」

 

 そいつは俺たちの目の前で楽しそうに跳ねると瞳を緑色に瞬かせた。

 そしてぴょんぴょんと跳ねながら去っていくムジナ。

 もしかして、今のは……。

 

「あっ! 啓太様、手が!」

 

 立ち上がったなでしこが自分の手を見て嬉しそうに声を上げた。

 見れば繋がれていた手が解けている。どうやら効力を失ったようだ。

 よかったと思い、立ち上がろうとするが。

 

「……え?」

 

「むっ……?」

 

 起き上がれない。どうやら俺の背中と仮名さんの腹、さらには頬同士までくっ付いてしまっている様だった。

 ……どうしよう。

 

 





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第三十四話「ムジナ野郎(下)」


 添削添削。
 改めて読み直してみると、結構誤字が出てくるんですよね。

 ご指摘を頂きまして以下の内容を修正しました。
・背と腹の密着に対する対処法の変更。



 

 

 あたしの名前はともはね! 今日は薫様の頼みで川平啓太の仕事の『お手伝い』をしているの。

 川平啓太はあまり良い噂を聞かない犬神使いで、よく【人形】なんて言われている。

 実際に会ってみると確かに人形みたいに生気はないし表情もないから噂通りの人なのかなって思ったけど、話してみると意外とそうでもないみたい? 冗談も言うし分かりにくいけど表情も動く。少なくても心がないわけじゃないみたいね。

 でも油断は禁物。もし川平啓太が悪だったら私たちが薫様をお守りしなくちゃいけないんだから。しっかり見極めないと!

 だから今回の『お手伝い』は渡りに船だった。あたしの能力は探し物に向いてるから薫様のご期待にも応えられる。そしてあたしは川平啓太の近くで彼を見極めることができる。どちらも美味しいまさに『ウインウイン』な関係ってやつね!

 そして今、仮名さんが探しているムジナ妖怪を追ってスーパーに来ているんだけど、ちょっとトラブルがあって逃げられちゃったの。

 しかも、その時に仮名さんと川平啓太の体がくっ付いちゃって……。この物と物をくっ付けるのがムジナさんの力みたい。

 すぐにムジナさんを追って外に出たけど、ここでまた問題が出てきた。

 それが――。

 

「むぅ……仮名さん、もうちょっとしゃがむ」

 

「しかし、この姿勢は地味にキツイぞ」

 

 川平啓太の背中と仮名さんのお腹がくっ付いていたけど、服がくっ付いていただけだから川平啓太が着ていたシャツを切り裂くことでどうにか対応できた。どこから取り出したのか分からないナイフで、こうズバッ!と。

 それだけだと仮名さんの服に川平啓太の服がデローンってくっ付いちゃってるのが見えちゃうからナイフでくっ付いている部分を切り離した。

 換えの服はなでしこが三階の服売り場から買ってきたのを着てる。背中に可愛らしいカエルの絵が描かれているボタンで留めるタイプのシャツのやつ。

 残る問題は川平啓太と仮名さんの頬。頬同士がくっ付いちゃってるから、歩くときは仮名さんが少ししゃがまないといけない。仮名さんと川平啓太は身長差があるから、どうしても川平啓太に合わせないといけないみたい。

 だから仮名さんが少し腰を落として、まるで二人三脚をするみたいにくっ付いて歩いてるんだけど……やっぱり無理があるよね、これ。

 なにかいいのないかなぁ……。

 

「あっ、あれ!」

 

 その時、ふと目に入ったのがおもちゃ屋さんだった。

 そこの売られているある物に目がついた私はなでしこの手を引いた。

 

「ともはね?」

 

「ねえねえなでしこ! あれなんて使えるんじゃないかな!」

 

 あたしの声にみんなが一斉に指差した場所を見た。

 

「啓太様、ちょっと寄ってもいいですか?」

 

「んー……いいよ」

 

 あたしの言葉に頷いた川平啓太は――頬がくっ付いてるから仮名さんも頷いた――おもちゃ屋さんに足を運んだ。

 そしてある物を取って川平啓太たちに見せた。

 

「これなら啓太様にちょうどいいんじゃないかな?」

 

「……竹馬?」

 

 あたしが持ってきたのは一組の竹馬だった。

 これなら川平啓太の背も高くなって仮名さんの身長と釣り合うんじゃないかな。

 あたし的には名案だと思うんだけど、みんなの反応は――。

 

「うーん、これはちょっと……」

 

「邪魔にならないか?」

 

「そういえば、わたし竹馬で遊んだことない!」

 

 なでしこが苦笑いした隣で仮名さんが疑問を浮かべる。ようこは無視。なんか聞いてたのよりずっと子供じゃない。あたしの方が断然大人ね!

 でも確かに、言われてみたらすごくくっ付いた状態で竹馬を動かすのは少し無理があるかも。

 いい案だと思ったんだけどなぁ……。

 

「……いや。いける」

 

 だけど、川平啓太だけは違った。

 ジッと竹馬を眺めていると一つ頷き、手にとって実際に乗ってみた。

 どうやってるのか、普通に立っているときと同じように立ってみせた。

 

「……ん。高さも丁度いい。上手く操作すればいける」

 

「しかしこうも密着した状態だとバランスを取るのも一苦労だぞ。歩調も合わせねばなならん」

 

「……多分、大丈夫。とりあえず買う」

 

 仮名さんの言葉を聞き流した川平啓太はお財布と竹馬をなでしこに渡しちゃった。

 自分でススメておいてなんだけど、本当に大丈夫なのかなぁ。

 

「ともはね」

 

「はい?」

 

「……いいアイディア。ありがとう」

 

 なでなで。

 川平啓太は急にあたしの頭を撫でた。思わずキョトンとしちゃって川平啓太の顔を見上げた。

 いつもの無表情だけど、不思議と目が優しい光を放っているように見えたのは……気のせいかな。

 

 

 

 1

 

 

 

 驚くことに実際に竹馬を使って歩いてみると、そんなに悪そうには見えなかった。いや、むしろ良いかも。

 竹馬を自在に操る川平啓太は何度か仮名さんと歩く練習をすると、すぐに直すべき点を見つけていく。

 持ち手の竹馬を胸の高さまで斬っただけで、十分後にはもう歩くどころか走れるくらいには上達していた。

 

「一度作戦を練ろう」

 

「ん……賛成」

 

 仮名さんの言葉に頷く川平啓太。

 それにしても――。

 

「すごく、見てますね」

 

 道往く人たちが必ず振り返るくらいすごく注目を浴びちゃってる。中にはケータイで写真を取ってる人もいるくらいだ。

 あたしの言葉に仮名さんが肩をすくめた。

 

「無理もないが、気にしないことだ」

 

 いや、無理ですよこれ。

 だって、男二人がすごく密着しながら歩いてるんですよ? 二人三脚みたいに。しかも一方は竹馬使ってますし。

 カッカッカッカッ、て竹馬が地面を叩く音が意外とすごく響いた。

 なでしこが苦笑いしながらあたしの頭を撫でた。

 無言でただ撫でるその姿が「ああ、なでしこも苦労してるんだな……」って思わせた。

 

「啓太様、あちらの喫茶店で一休みされてはいかがでしょうか」

 

 なでしこが指し示した先には喫茶店【レ・ザルブル】があった。あたしたちもよく薫様と一緒にド○ールへ行く。

 ドアを開けるとベルのカランカランって音が鳴った。

 ウエイトレスの女の子がやってきた。可愛らしい女の子だ。あたしよりは年上ね。

 

「いらっしゃいま……せ……」

 

 可愛らしい笑顔を浮かべてたんだけど、川平啓太たちを見た途端、笑顔が固まった。

 それも当然だ。入店してきたのが頬をくっ付けている男なんだから。これ以上ないくらい顔を寄せ合って。しかも川平啓太は竹馬に乗ってるし。

 引きつった顔をしているウエイトレスさんに川平啓太が人数を知らせた。

 

「……五人。禁煙で」

 

「あっ、は、はい! ただいまご案内します!」

 

 引きつった顔のまま席へ案内するウエイトレスさんの後ろから川平啓太たちが続く。カニのように横ばいになりながら。竹馬の地面を叩く音が店内に響いた。

 客がすごい顔でこっちを見てくる。カウンターにいたサラリーマンがコーヒーを吹いたのが見えた。

 

「こ、こちらの席でよろしいでしょうか?」

 

「うむ。案内感謝する」

 

「ありがとう」

 

「で、ではごゆっくり!」

 

 あーあー。ウエイトレスさん逃げるように行っちゃった。

 

「……あの人、すごい勢いで素っ飛んでったね」

 

「うむ……。警察に通報されないことを我らの神に祈ろう」

 

「俺、無神論者」

 

 仮名さんと川平啓太がタイミングを合わせて腰を下ろす。その動作だけでどこかのテーブルから何かを吹き出した音がした。

 あたしたちは川平啓太たちの正面の席に座る。あたし、なでしこ、ようこの順番だ。

 座ってるだけなのにすごい顔をくっ付けている。事情を知っているあたしでも、気を抜くと笑い出しちゃいそうで困る。

 ホモカニ。どこかの席でそう呟いたのが聞こえた。

 

「ぷぷっ」

 

 思わず笑っちゃったあたしに正面からジトッとした目を向けられた。

 

「笑うとは、不謹慎……」

 

「そうだぞともはね。こちらは伊達や酔狂でこのようなことをしているのではないのだぞ」

 

 そう言うけど、その顔を二つ一緒に突きつけないで……!

 

「くすっ」

 

「あははっ、ケイタたち面白ーい!」

 

 身をよじって耐えてると、なでしことようこも笑い声を漏らした。

 なでしこたちでもやっぱり面白おかしく見えるのね。あたしだけじゃないんだ。

 ようこも一緒になって笑ってるのは意外だけど。

 

「あ、あのご注文は……」

 

 注文を取りにきたウエイトレスさんが笑いを堪えたような顔でピクピクしながら聞いてきた。

 

「アイスコーヒーを」

 

「アイスココア」

 

「私もアイスココアをお願いします」

 

「あたしこのチョコレートケーキ!」

 

 仮名さんがアイスコーヒー、川平啓太となでしこがアイスココア、ようこがチョコレートケーキを頼む。

 あたしはどれにしようかなぁ。でも喫茶店のメニューってどれも高いよね。

 うぅ、お金足りるかなぁ……。

 

「なんでも頼んでいい。おごる」

 

 メニューを前にうんうん唸っていると、そんなことを川平啓太が言ってきた。

 がばっと顔を上げる

 

「え? いいんですか!?」

 

「当然。ともはねには頑張ってもらってるから、なんでもいい」

 

 そういってフッと吐息を零す川平啓太。

 

(……川平啓太って本当はいい人なのかも?)

 

 って、いけないいけない。こんな簡単にかいじゅうされるわけにはいかないわ。あたしは安い女じゃないのよ!

 

「じゃあ、あたしはチョコレートサンデー!」

 

 思わず笑顔で注文しちゃったけど、まだ大丈夫!

 

「か、かしこまりました……! くっ……」

 

 ウエイトレスさんは我慢の限界に達したのか、注文を繰り返さないでそのまま早足で厨房のほうへ行っちゃった。

 そんなウエイトレスさんに川平啓太と仮名さんがぷりぷり怒ってる。

 

「失礼な店員」

 

「まったくだ。接客指導が行き届いていないな」

 

 顔を顰める仮名さんと無表情だけど頬を少しだけ膨らませた川平啓太。

 まったく同時にうんうんと頷いたその姿を見て、とうとう声を上げて笑っちゃった。

 

 

 

 2

 

 

 

「……で、どうするの?」

 

 全員のメニューが行き届いてしばらくすると、川平啓太がそう切り出した。

 

「むぅ、どうにかして奴を追い詰めたいところだが」

 

 なまじ小柄ですばしっこいから見つけるのにも一苦労よね。

 みんなでうんうん唸る。

 

「ねえねえムジナってお酒とかが好きなんだよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「それで寒い場所も好きなんでしょ。じゃあさ、この二つを使っておびき出したらいいんじゃない?」

 

 チョコレートケーキを食べ終わってオレンジジュースをストローでチューって吸っていたようこが意見を出した。

 それまで子供のような姿しか見せなかったようこが初めてまともなことを言った! あたしの体によくわからないしょうげきが走った。

 それは他の人も同じようで、川平啓太なんか目をすごい見開いていた。

 

「あのようこが……まともなことを言った。びっくり……」

 

「ちょっとー、それは酷いんじゃない?」

 

「ん、ごめん。でもそのくらいびっくりした」

 

 ぽりぽりと頭をかく川平啓太。その隣で難しい顔をした仮名さんが大きく頷いた。あ、動きにつられて川平啓太がジュースこぼした。

 

「ふむ、案外いけるかもしれんな。寒い場所を好む反面暑さには弱い。今日は日差しも強く気温も高いから寒い場所を求めて行動するやもしれん」

 

「それではこちらで誘導するのはどうでしょうか。確かこの近くにスケート場があったはずです」

 

「ほう、スケート場か。うむ、ではこちらの方でそこを貸しきりに出来るように手配しておこう。後はどうやってそこに誘導するかだが……」

 

「それは俺が。みんな携帯持ってるから、指示出して上手く連携を取る」

 

「なるほど、それはいいかもしれんな。しかしそうなると司令塔となる川平は遂次状況を分析して的確に指示を出さねばならんが、大丈夫か?」

 

 仮名さんのもっともな意見。薫様でさえ九匹もの犬神に的確に指示を出すなんて難しいのに、大丈夫なのかな……。

 だけど川平啓太は自信満々な顔で言った。

 

「本来、犬神使いは司令塔。俺の本領発揮」

 

 そう力強く口にした川平啓太の顔はいつもの無表情なのにどことなくキリッとして見えた。

 なでしこが呆然と川平啓太の顔に見入っているその隣で、ようこがチョコレートケーキのおかわりを頼んでいた。

 お会計を済ませて喫茶店を出る。最後の最後までウエイトレスさんは笑いそうになるのを必死に堪えていた。

 太陽が真上に来ていた。今日、一番暑い時間帯じゃないかな。

 これならムジナさんも暑さに参っちゃうよね。

 簡単な作戦を仮名さんから説明された。ちゃんと覚えておかないと。

 ムジナを直接追いかけるのは川平啓太と仮名さん。ようことなでしこは川平啓太の指示に従って動くように言われている。

 あたしは川平啓太たちと一緒に行動するみたい。

 

「ともはね、頼む」

 

「はい! 破邪走行・発露×1、ともはねすぺしゃるっ!」

 

 ムジナさんの居場所を探るために『ともはねすぺしゃる』を使う。

 霊力を込めた親指がピクピクッと動き、パタンと倒れた。

 

「……そっちか。よし、行く」

 

 竹馬に乗った川平啓太が調子を確かめるようにカンカンと竹馬で足踏みすると、いっせーのでタイミングを合わせて走り出した。

 カンカンカンカンカンッ!

 すごい勢いで竹馬がアスファルトを叩く音が鳴る。周りの人がなんだなんだとこっちを見ていた。

 注目を浴びる二人だけど、そんなこと知ったものかと言わんばかりに歩道を走る。人々が自然と道を開けていた。

 

「それにしても、すごいね啓太様……」

 

 本来なら使いにくいはずの竹馬をあんなに自由自在に操って。しかもすごい頬がくっ付いた状態なのにバランスを保ちながら仮名さんの足も踏まずに走っている。

 感心したような呆れたようなよくわかんない気持ちでそう言うと、隣を走っていたなでしこがにっこり笑った。

 

「啓太様ですから」

 

 いや、それ理由になっていないんですけど。

 

「いたぞ!」

 

 仮名さんの声。

 見ればムジナさんは休憩中なのか、自販機の缶を取り出すところに入っていた。

 ぐったりというか、力を抜いて縁に顔を乗せている。すごくほにゃほにゃしてる。

 

「きょろきょろきゅう~~~~」

 

 ふと近づいてくる音に気がついて顔を上げた。

 

「待てぇぇいっ!」

 

「待つ、超待つ、すごい待つ、そして捕まる」

 

 ――カンカンカンカンカンカンッッ!!

 

 すごい勢いで走り寄ってくる川平啓太たちの姿にムジナさんの毛が一瞬逆立ったように見えた。

 ホモと言われるくらい顔をくっ付けて鬼のような形相で追っかけてくるのだ。しかも片方は竹馬を操りすごいスピードで走っている。

 ムジナさんでなくても怖い。あたしでも怖いかも。うん、ちょっとだけだけど……。

 

「きょろきょろきゅう~~っ」

 

 慌てて逃げ出すムジナさん。川平啓太は前を向いたまま声を大にして言った。

 

「なでしこは右、ようこは左に行く! 散開っ」

 

「はい!」

 

「うん!」

 

 なでしことようこがその場を離れ、それぞれ十字路を曲がった。

 仮名さんたちの隣を走りながら尋ねる。

 

「どうするんですか……?」

 

「仮名さんにこの辺りのマップを開いてもらってる。それを見ながら遂次指示を出す」

 

「川平、開いたぞ! 衛星写真を使った3Dマップだ! GPS機能も付いてる!」

 

「3Dは処理速度を食う、2D! 俯瞰画面で!」

 

「了解した!」

 

 ムジナさんは一直線に歩道を走っていた。その後ろを追いながら川平啓太の携帯を受け取った仮名さんがボタンを操作して電話を繋げた。

 竹馬の操作で両手が塞がっているため、仮名さんが携帯を川平啓太の耳に当てた。

 そして、犬神のあたしでも――ううん、犬神だからこそ、背筋がぞくっとするような光景が待っていた。

 

「なでしこ、一つ先の路地!」

 

「ようこ、二つ先……いや、三つ先の十字路を右! そこで待つ!」

 

「今そっちに誘導する! なでしこはそこの先にある路地入って右! ようこは二つ先の道路を右、進んで一つ先のコンビニの前! ……あっ、行き過ぎ!」

 

「仮名さん、スケート場は?」

 

「既に連絡を入れた! 貸しきり状態だ」

 

「ナイス。距離は?」

 

「…………あと五百メートルほどだ!」

 

「よし。今ここにいて、なでしこが此処……ようこが此処だから……。ムジナは――左に曲がった。仮名さん、マップ。……ん。ようこの方が近い。ようこ、そこをまっすぐ進んで十字路を左。三つ目の右の路地に入る」

 

 ムジナさんの進行方向から遂次マップと照らし合わせてなでしこたちに指示を送る。

 薫様でも出来ないようなことを川平啓太は涼しげな顔でなんでもないようにやって遂げていた。

 あたしは指示を出す川平啓太とマップを動かす仮名さんの隣で、心臓が早くなるのを感じた。

 

(せんだん、みんな……違うよ。全然違う……)

 

 確かにみんなが言ってたように何を考えてるのか分からないところがあるし、無表情で生気がないように見える。あたしも人形みたいだと思った。

 だけどこの人は――川平啓太は……。言われていたような無能なんかじゃない。

 むしろすごい人なのかもしれない。

 この時から、あたしの中で川平啓太を見る目が変わり始めたのだった。

 

 





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第三十五話「暴走する彼女」

 

「ようやく、追いつめた……!」

 

 仮名さんの携帯に表示されたマップアプリで現在地と周辺を確認しつつ、その都度なでしこたちに指示を出してムジナ野郎をスケート場まで誘導する。

 しかしこれ、言うは易く行うは難しだ。前世の謎知識にあった諜報活動のノウハウを活かしてみたけど、ぶっちゃけ上手くことが運んだのは半分以上運だよ。同じことをもう一度やれって言われたらここまで綺麗に事は運ばないだろう。

 ムジナがスケート場に入っていったのを確認した俺たちはその場に留まった。

 間もなくしてなでしこたちと合流する。

 

「ムジナはどうなりましたか?」

 

「予定通りだ。先ほど場内に入ったのを確認した」

 

 仮名さんの言葉に安堵の吐息を零すなでしこ。

 ここまでは順調だ。後は仕上げに掛かるのみ。

 

「仮名捜査官殿!」

 

 仮名さんを呼ぶ声が聞こえた。振り返ると黒いスーツにサングラスを掛けたどこぞのSPのような男がこちらに向かって走って来きている。

 黒服の男は俺たちの前まで来ると敬礼した。

 

「宮間一等捜査員であります。ご要望の品をお持ちいたしました」

 

「おお、助かる」

 

 仮名さんと同じ部署の人なのか、両手で持っていた大型のアタッシュケースを受け取った。

 中にはトリ餅付き三節棍が四つ入っていた。

 

「人数分要請しておいたのだ」

 

 黒服の男は再び敬礼をするとその場を離れた。

 

「では諸君。それぞれトリ餅を持ってくれ」

 

 仮名さんから全員に組み立てた三節棍を手渡される。

 全員に行き渡ったのを確認し、これからの打ち合わせをした。

 

「……少し待つ?」

 

「そうだな。この炎天下の中あれだけ走り回っていたのだ。ムジナ自身そうとう参っているだろう」

 

「で、スケートリングで涼んで気が抜けたところ。捕獲」

 

「そうだな。それでいこう」

 

 頷きあった俺たちはなでしこたちを連れてスケート場に入る。

 民間のスケートリング場は小さな建物の中にあった。床一面に張られた氷は冷気を漂わせ、通路を隔てる壁がリングを囲んでいる。

 無人のリング。そのど真ん中でムジナはきゅうきゅう嬉しそうに鳴きながら氷の床に頬ずりしていた。

 俺たちの気配に気付いた様子はない。完全に油断しきっているようだ。

 トリ餅付き棍を片手に装備しスケートシューズに履き換えた俺は氷の上では邪魔になる竹馬を壁に立てかけた。

 

「……覚悟は出来たか、ムジナ。俺は出来てる」

 

「行くぞ川平。気づかれないようにな」

 

 仮名さんの言葉に頷き、静かに通路を移動し始めた。

 

 

 

 1

 

 

 

「きゅう~! きゅう~! きょろきょろきゅう~~♪」

 

 白い毛並みを持つムジナ――ムジ太郎は氷で覆われた床の上を転がり回っていた。

 執拗に追ってくる忌々しい人間どもから逃げ続け、辿り着いたのがここだった。熱に弱いムジナにとってここは金銀財宝にも勝る場所だ。

 きゅうきゅう鳴いて氷の上を滑りながらふと思う。

 もし、あのまま檻の中を抜け出していなければ。あの建物から逃げ出していなければ、今頃自分はどうしていたのだろうと。

 六年前にも一度、人間たちからの懇願で捕まったことがある。その当時はかなり贅沢な待遇を受けたものだった。

 一日中冷房の効いた小屋の中で過ごし、好きなときに氷を初めとした好物が食べられる。お酒は毎日、有名なブランド物を気前よく振舞ってくれた。

 血を抜かれるといってもほんの数滴だけだし、担当する人間の技術も高いのか痛みはまったく感じない。死ぬほど暑い外に比べればまさに天国のような環境だった。

 しかし――。

 しかしだ。

 それでも一つ、ムジ太郎には許せないことがあった。他者からすればどうでもいいような小さなこと。しかしムジ太郎にとってはどうしても我慢ならなかった。

 故に脱走を図った。定期的に様子を見てきた人間が入室してきた隙を見計らい逃走したのだ。

 

 影から影へ逃げながら、涼しい場所を求めて逃げ回った。すぐに追っ手がやってきたが撒いてやった。所詮は愚鈍な人間。小柄で足も速く、術にも長けているムジ太郎にとって造作もないことだった。

 ムジナは総じてプライドが高い傾向があるが、ムジ太郎は特にそれが顕著だった。

 白い雪のような毛並みにアイドル顔負けの整った顔立ち。駆け足も里の中では速かったし、術の速さも正確さも範囲もムジ太郎が一番だった。単純な腕っ節も強い。

 皆がムジ太郎をちやほやした。生みの親である両親が率先してちやほやした。

 故にムジ太郎には矜持があった。ムジナとしての、エベレストより高くマリアナ海溝より深い矜持が。

 一匹の誇り高きムジナとして、人間如きに捕まるわけにはいかなかった。

 

 その日もムジ太郎は冷気と酒を求め街中をうろうろしていた。そんなムジ太郎を捕まえるため、また懲りずに人間がやってくる。

 しかし、そのやって来た大きな人間は今までの奴らとは少し違っていた。撒いても撒いてもしつこく追いかけてくる。能力を使って物とくっつけても、懲りずに何度も何度も。

 しかもそれだけではない。その大きな人間だけでなく、さらには小さな人間や女たちもやってきたのだ。

 そいつらはしつこかった。すごくしつこかった。何度も撒いても、どうやってか必ず場所を見つけて追いかけてくる。しかもあの忌々しいトリ餅を持って。

 二足歩行できないからって。

 ムジナだからって。

 人間の言葉も大体分かるのに――。

 それを、有無を言わさずにケモノのようにトリ餅で捕まえてくるのだ!

 

 あの人間たちは驚くような行動力を有していた。お互いの体をくっつけてやったのに、それでも執拗に追いかけてきたのだ。しかも片方の人間は棒のようなものに乗っかって。

 カンカンカンッ、と甲高い音を響かせながら猛スピードで追ってくるその姿にムジ太郎は恐怖した。

 どこまでもどこまでも、それこそ地獄の果てまで追ってくるような、そんな気がしたのだ。

 行く先々で女たちが立ち塞がる。ムジ太郎と同じ妖怪なのに、彼女たちは人間に協力しているようだった。

 あの人間たちは妖怪まで操る術を持っているのか!

 人間なら強行突破できるだろうが、妖怪なら話は別だ。同じ妖怪として彼女たちが自分とは比べ物にならないほどの力を有しているのだと本能で感じ取っていた。

 どのくらい走っただろうか。蒸し暑い太陽もムジ太郎を殺す気でいるのだと半ば本気で思った。

 そして、ついに辿り着いたのがこの床一面氷が張られた場所。なんの建物か知らないがそんなことムジ太郎にとってどうでもよかった。

 振り返る。人間たちは追ってこない。どうやらようやく撒けたようだった。

 疲れた体と心を癒すため、ムジ太郎はこうして氷を体全体で堪能して満喫しているのだった。

 

「きょろきょろきゅう~~~~♪」

 

 足を組みながら寝転び、すい~っと氷の上を滑っていく。

 ああ、ここは天国だ……。

 極楽浄土はここにあったのだ。

 だらけきった表情のムジ太郎であったが、急に背筋があわ立った。本能が警報を鳴らしている。

 ムジ太郎は本能に従い、急いでその場を飛びのいた。

 

「……ちっ。勘のいい」

 

 なんと、あの人間たちがそこにいた。

 いつの間にやってきたのか、直ぐそばにあの人間たちが立っていたのだ。靴の中心に鉄の棒が付いた妙なものを履いていた。

 小さい方の人間はあの変な棒に乗っていない。そのためか大きいほうの人間が腰を落とした不恰好な姿勢だった。

 気がつけば右にも左にも、そして後ろにもあの妖怪たちがいる。そして、前には人間たち。

 囲まれていた。

 

「捕まえる。覚悟する」

 

「観念して投降しろ!」

 

 ブンブンブンっと小さい方の人間が片手でトリ餅を回転させながら言う。

 大きいほうの人間が指を差してそう言ってきた。

 大きい人間が肩に、小さい人間が腰に手を回すと、せーのっと声を合わせて氷の上を滑ってきた。

 一瞬、ムジ太郎は呆気に取られた。見たことのない移動方法だった。しかも他の妖怪たちも同じように氷の上を滑って距離を詰めてきている。

 

「きょろきょろきゅう――――――っ!」

 

 ムジ太郎は慌てて逃げ出した。爪を立てているため転ぶことはないが、速度は向こうのほうが圧倒的に上だった。

 

「捕まってください!」

 

「ムジナ捕まえたぁ~!」

 

「えーい!」

 

 妖怪たちも手にしたトリ餅を向けて襲ってくる。

 四方八方から手当たり次第に伸びてくるトリ餅。ムジ太郎はかつてないほどの集中力を発揮しそれら魔の手から逃げる。

 

「あっ、わわわっ……! きゃん!」

 

 子供の妖怪がバランスを崩して壁に激突した。その隙を見計らい、その子の右手と壁を固定する。

 そして出来た隙間を縫うようにして、なんとか包囲網から逃げ出すことに成功した。

 

「逃がさないっ……」

 

「逃がさんぞ!」

 

 あの人間たちが追いかけてくる。

 いい加減、しつこい!

 ムジ太郎の目が怪しく光った。能力から解放された人間たちがバランスを崩す。

 このままもつれ合ってしまえ! そうしたらまたくっつけてやる!

 

「なん……のッ!」

 

 しかし、驚くことにムジ太郎の予想は裏切られた。

 ギラッと小さいほうの人間の目が光る。手の中のトリ餅をクルッと回転させると反対側を大きな人間の服に引っ掛け、投げ飛ばしたのだった。

 しかもムジ太郎に向けて。

 

「うぉぉぉおおおおお!」

 

 投げ飛ばされた大きい人間は放物線を描きながら空中で姿勢を整えて、トリ餅を構える。

 

「食らえぃっ!」

 

「きょろきょろきゅう――!?」

 

 慌てて避ける。ムジ太郎が立っていた場所にトリ餅が勢いよく叩きつけられた。

 パキッ、と乾いた音が鳴った。

 

「あっ」

 

 呆然とした男の声。見れば男が持っていたトリ餅が見事に折れていた。

 

「……仮名さん、なにしてる?」

 

 勢いよく氷の上を転んだ小さい人間が顔を顰めながら立ち上がる。その言葉に大きい人間が頭を掻いた。

 

「いや、面目ない」

 

「……まあいいけど。でも、これでやり易くなった」

 

 調子を確かめるように身体を捻る人間。その言葉にムジ太郎は恐怖した。

 そうだ、ムジ太郎の能力を食らってあれだけの動きを見せたのだ。本調子になったらどうなることだろう。

 私はまだ二段階変身を残していると言われたようなものだった。

 

「うぅぅぅ~~~~っ」

 

 どこからともなく獣の唸り声のような者が聞こえた。

 緑髪の妖怪の女が髪をくしゃくしゃっと掻き毟った。

 

「ううううぅぅぅぅ~~~~っ! ああっもう~っ、イライラする! いい加減捕まれぇぇえええ!」

 

 緑髪の女はウガーッと叫ぶとムジ太郎に向かって突進してきた。

 慌てて避ける。避けられた女はそのまま氷の上を滑っていくが、床に爪を突き立てて半回転した。

 ガガガガッと氷が削れる音がする。

 女は獰猛に牙を剥くと再び襲いかかってきた。

 殺される。

 冗談でもなんでもなく、自分の命を狙ってきている……!

 

「きゅう~~~~っ!」

 

 もう形振り構っていられなかった。

 とにかく逃げなければ。

 ムジ太郎は生き延びることを優先して走り出す。

 

「逃がすかァァァアアアアア!」

 

「待てようこっ!」

 

「ようこさん!」

 

 人間たちの声が聞こえたが、それでも女は止まらなかった。

 逃げなければ。誰の手も届かないような場所へ、逃げなければ……!

 ムジ太郎は遮二無二になって場内を走り回った。後ろから女が追ってくる気配がする。ムジ太郎にとって幸いなことにあの妙な靴は氷の上でないと走りにくいのか、すぐに追いつかれることはないようだった。

 

「きゅう!」

 

 逃げ回っていると少しだけ開いたドアを見つけた。

 重たそうな鉄製の扉には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれていた。人間の言葉は理解できるが文字までは分からないムジ太郎にとってどうでもいい情報だった。

 僅かに開いた隙間から滑り込むようにして中へと入り、階段を登る。

 背後でバンッと重たい音が聞こえた。どうやらあの女が力任せに扉を開いたようだった。捕まったら最後という言葉が頭に浮かんだ。

 どこをどう登ったのか覚えていない。気が付けばムジ太郎は天井付近の作業用通路にまで来ていた。

 通路の脇には色々な照明装置が設置されている。幅は狭い。遥か下のリング上では人間たちと、妖怪二人がこちらを見上げていた。何かを叫んでいる様子だがここまで声が届かなかった。

 

「見ぃつけた……」

 

「きゅっ!?」

 

 地獄の底から這い上がるような恐ろしい声が聞こえた。

 振り返れば、あの恐怖の女がそこにいた。もう逃げられないと確信しているのか、勝者の笑みを浮かべている。

 鋭利な爪がキラッと光った。

 

「さあ……観念しなさぁぁぁいっ!」

 

「きょろきょろきゅう~~!」

 

 鋭利な爪を伸ばした女が跳びかかってくる。辛うじて凶刃から逃れることが出来たムジ太郎であったが、その時――不吉な音が耳に入った。

 パキンッと何かが壊れる音。

 

「……え?」

 

「きゅう?」

 

 不思議そうな顔で眺める女の先には、土台が壊され今にも落ちそうになっていた照明装置があった。

 グラッと照明装置が傾き、重力に従い落下する。

 落下したその先には――。

 

「……っ! ともはね!」

 

 女の張りつめた声が響いた。

 

 

 

 2

 

 

 

「う~ん! 取れないよぉ~!」

 

「ともはね大丈夫?」

 

 ムジナさんの力であたしの右手と壁がくっついちゃったよぉ! どれだけ力を入れても手が痛くなるだけで全然取れる気配がなかった。

 ムジナさんは今ようこが追いかけてる。いつまで経っても捕まえられないから痺れを切らしちゃったのか、ウガーって声を上げて。

 あの目、完全に獲物を狙う目だった。ムジナさん大丈夫かなぁ……。

 って、それよりあたしは早く外れるようにしないと。でもこれ、あたしの力だけじゃ到底無理だよぉ~! ムジナさん早く外して~!

 なでしこが心配そうに見てくる。けど、なでしこ自身どうしようもない様子だった。

 

 ――パキンッ。

 

 不意に何かが折れるような乾いた音が聞こえた。そして、ようこがこっちに向かって何かを叫んでいる。

 なんだろうと思って見上げると。

 

「……え?」

 

 大きな照明器具が降ってきた。しかも、このままだとあたしに当たる!

 慌てて逃げようとするけど、アタシの手は壁にくっついたままで離れられない。

 上を見るとすぐそこまで迫ってきていた。

 

(あ、死んだ……)

 

 呆然とそれを眺めながらそんなことを思った。

 薫様の顔や皆の顔が頭に浮かんだ……。

 

「ともはねっ!」

 

 なでしこがあたしを抱きしめる。

 

「ダメ……。ここにいたらなでしこも死んじゃうよ……!」

 

 ここにいたら巻き添えを食らっちゃう。なでしこが危ない……!

 でもなでしこはきつくあたしを抱きしめたまま叫ぶように言葉を叩きつけてきた。

 

「大切な仲間を見捨てられるはずないじゃない!」

 

 あたしたちの頭上を影が覆った、その時――。

 

「――チェェェストオオオオッ!!」

 

 すごい轟音が響いたかと思うと、頭上に迫っていた鉄塊が吹き飛ばされた。

 くるんっと一回転して危なげなく着地したのは――川平啓太。

 通路の方には吹き飛んだ照明装置があった。

 目を凝らして見てみると、側面に小さな丸い凹みが出来ていた。どうやら飛び蹴りで蹴り飛ばしたらしい。

 

「二人とも、無事っ?」

 

 川平啓太が心配そうな目で駆け寄ってきた。

 いつの間にか、壁にくっ付いていた手は解けていた。

 

(た、助かったの……?)

 

 今頃になってようやく助かったんだって理解できた。

 

「……う、うぅ……うぁぁ! うわああぁぁぁああぁああん!」

 

 気づいてたら泣いていた。

 これでもかってくらい泣いていた。

 なでしこに抱きついてその服を涙で濡らす。なでしこは「大丈夫。もう大丈夫だから」と優しく声を掛けながら抱きしめてくれた。

 

「……間に合ってよかった」

 

 川平啓太の安心した声。それを聞いた途端、さらに涙が出た。

 

「ごべんなざいぃぃぃ! びええぇぇぇぇんッ!」

 

 なでしこに頭を撫でられても涙は止まらない。

 今まで川平啓太を――啓太さまを変な目で見てごめんなさい。

 人形みたいで不気味だって思ってごめんさい。

 良くしてくれてたのに警戒しちゃってごめんなさい。

 そして、助けてくれてありがとうございます――!

 

「びえええぇぇぇぇええぇぇええええええん――――――ッッ!!」

 

 




 Q:ムジナが逃げた理由は?
 A:缶ビールがなかったから。


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第三十六話「一歩前へ」

 スランプが抜け出せないんじゃぁ!

 携帯アプリのfate/grand orderに嵌ってしまった。寝る前にアプリを見つけてしまったため、気がつけば朝の七時を過ぎていたでござる。
 十連ガチャ二度回した。ほとんど概念礼装だった。あまった石で四度回した。全部礼装だった。
 ……SSRも当たったし、SRも結構出たから良いんだけど、良いんだけどォォォ! これ求めてたのとなんかちゃうっ!
 せめてSR鯖一枚くらいほしい。



 

 

(なでしこたちに怪我がなくてよかった……)

 

 無事な二人の姿が確認できて心の底から安堵した。

 二人の頭上に照明装置が落ちてきたのを見たときはマジで一瞬呼吸が止まったからな!

 身体強化して運よく蹴り飛ばせたからよかったものの、後一瞬遅かったらと思うと――。

 はぁ……すげぇ焦ったわ。

 

「捕獲したぞ。まったく迷惑なムジナだ」

 

 仮名さんがトリ餅で捕獲したムジナを戦利品の如く見せてきた。

 どうやら大人しく自分から捕まりに来たらしい。こいつも反省したということでいいのだろうか?

 まあ、今はそんなことよりもだ……。

 

「ようこ」

 

「……っ」

 

 自分でもビックリするくらい抑揚のない冷めた声が出た。

 呼ばれた本人はビクッと肩を跳ね上げて恐る恐る近づいてくる。

 

 ――パンッ!

 

 乾いた音がリング場に響いた。

 振り抜いた手を戻し、横顔を向けたまま呆然としているようこに一言告げる。

 

「よく考えろ」

 

 しばらく呆けていたようこはぷるぷる震えながら紅緋色の目に大粒の涙を浮かべると、感情を爆発させたかのように泣きながら走り出した。

 

「うわああぁぁぁぁぁんっ」

 

「ようこさん!」

 

 なでしこが心配そうな目でようこが出て行った方角を見る。次いで俺を見た。

 その目が何を意味しているのか悟った俺は小さく頷いた。

 一礼するとようこを追うべく駆け足でこの場を離れる。

 その後ろ姿を見送りながら人知れずため息をついた。

 

「……まったく」

 

 今まで頭を叩くことはあっても頬はなかったが、今回ばかりは本気で怒っている。

 考え知らずのようこに対してもそうだが、なにより自分に対して腹が立った。

 

(今まで俺は何をしてたんだろう……)

 

 人間社会の常識や倫理などようこに教えるべき事柄はたくさんある。なでしこと一緒になってこれらをようこに教えてきたつもりだった。

 だが、俺は教えた気でいただけではないだろうか。ちゃんとようこが理解していたか――いや、そもそもようこの考えというものを理解しようと俺から歩み寄っただろうか……?

 ただ一方的に【勉強】を押し付けていただけではないだろうか。

 もっと俺自身が理解を示せば――。

 

「いや、違うな……」

 

 なでしこと、ようこ。彼女たちと一緒に、足並みを揃えて一歩ずつ進めばよかったんだ。

 

(焦ってたのかもしれない……)

 

 よくよく思い返せばどうだ。勉強の時間、ようこの態度や反応。退屈そうにしていなかったか? 理解できないことを一方的に教えられていたように見えなかったか?

 半人前のようこを一人前の犬神にする。人間社会の常識やその他もろもろを教えなければと気が急いていなかったか?

 

(俺も反省するべきだ)

 

 ようこのフォローはなでしこに任せよう。多分そのほうが良いと思う。

 そして話し合おう。ようこの話をしっかり聞いて、俺の話も聞いてもらって。少しずつ前に。

 でも、頬を叩いたのはやりすぎだったかな? いや、あそこは叩かないといけない気がしたし。ちゃんとようこに怒ってるんだぞって知ってほしかったし……。でも、ようこすごい泣いてたよなぁ。大泣きだった。

 

「あの、啓太様?」

 

 不意に裾を小さく引っ張られた。

 見ればともはねが不安そうな面持ちで見上げていた。

 仮名さんもいつになく渋面な顔をしている。

 

「大丈夫か川平」

 

 どうやら叱った俺を心配しているらしい。そこはようこじゃないんだなと小さく笑った。

 

「……ん、大丈夫。ようこのフォローはなでしこに頼んだ。俺も後でよく話し合う」

 

「そうか……。まあ、なんだ。君たちなら大事にならないだろうと勝手ながら思っている」

 

「ん。ありがとう」

 

 本当に仮名さんって良い人だな。今度飲みに誘ってみようかな……。

 教育の話とか相談に乗ってもらったりしてな。

 

「あの、啓太様……? その、ごめんなさい!」

 

「……ん?」

 

 がばっと勢いよく頭を下げるともはねに面食らう俺。

 いや、急に謝られても困るんだけど。どしたの?

 

「だって、あたしのせいでようことケンカしちゃったじゃないですか……」

 

「あー……」

 

 俺に助けられたのをまだ気にしてるのかな。

 少しでも不安が消えるようにと、ともはねの頭を優しく撫でた。撫で方としてはようこにするように"くしゃっ"とする感じだ。

 

「気にするな」

 

「でも……っ」

 

「大丈夫。喧嘩じゃないし、このくらいでどうこうならない」

 

 お互いそれくらいの信頼関係は築けているつもりだしな。

 というか謝るのは俺のほうだ。薫から借りた大切な子に傷を負わせるところだったのだから。

 他所の子を預かっている以上責任は俺にある。

 

「巻き込んじゃってごめん。それと、手伝ってくれてありがとう」

 

 そう言うと、ともはねは何故か驚いた表情を浮かべた。

 

「あ……笑った」

 

「ん?」

 

「いえ……啓太様がちゃんと笑ったところ初めて見ました」

 

 おいおい俺だって笑いくらいするぜ? まあ経験則からして、笑ったといっても精々頬が緩んで口角が上がったくらいだと思うけどな!

 にぱーっと素敵な笑顔を浮かべるともはね。くっ、子供スマイルが眩しいZE……。

 

「さて……」

 

 最後にポンポンと軽く頭を叩き、ともはねから手を退かした俺は仮名さんの元に向かった。

 トリ餅にくっ付いたまま、ぶらーんとぶら下がっているムジナ野郎の顔をガッと掴む。

 

「きゅっ!?」

 

 驚いた声を上げるがそんなのお構いなしに、ぬぅっと顔を近づけた。

 そして、至近距離から特大の殺気を込めて睨みつける。

 

「次はない」

 

 ドスの利いた声にぷるぷるとムジナが震えた。

 よし。恐怖は植えつけた。これでもう妙なマネは出来ないだろう。

 まあ、次に脱走なんかしたら……フフッ。

 

「きょろきょろきゅう~~~~」

 

「川平、気持ちはわかるがその辺にしてやれ……泣いてるぞムジナ」

 

「あはは……。啓太様って怒らせると怖いんですね……」

 

 緊張していた空気が緩和した。

 ――そういえば、この照明器具誰が弁償するんだろう。……えっ、なんでもこっち見てんの?

 

 

 

 1

 

 

 

「すんすん……」

 

 ビルの屋上にあった丸いやつの上で膝を抱えたわたしは一人鼻をすすっていた。

 ケイタに嫌われた。その変えようのない現実がわたしの心に重たく圧し掛かっていた。

 

「ケイタ、すごく怒ってた……ぶった……」

 

 今までも怒られたことあったけど、ぶたれたことはなかった。

 目もすごく冷たくて、まるでわたしに興味がなくなったかのような目だった。ケイタのあんな目、見たことない。昔のケモノだったわたしがよく浮かべていたソレと似た目をしてた……。

 

「うぅ……悲しいよ、苦しいよぉ……」

 

 ケイタに嫌われたらと思うと、胸が裂かれたような痛みが走る。

『お前なんか嫌いだ』『こっち来るな』『出て行け』そんなありもしない言葉が浮かんでは消えた。

 違う! ケイタはそんなこと言わない!

 

(でも、わたしのこと嫌いになったら……)

 

 ……。

 わたし、どうやって生きていけばいいんだろう……。

 

 ビルの上から街並みを見下ろす。

 街には色んな人間たちが住んでいる。色んな不思議なものが存在している。色んなもので溢れかえっている。

 車、テレビ、ショーウィンドウ、ビル、お店。全部こっちに来てから知ったものだった。

 街にはわたしの『こーきしん』を刺激するようなものが一杯だった。

 だからケイタの犬神になった当初は様々なものに興味が湧いた。『こーきしん』を満たすためだったらなんだってするつもりだった。人間の迷惑だなんて知ったことじゃない。わたしが満足すればそれでいい。わたしを飽きさせないでくれればそれでいい。

 だけど。

 ケイタと一緒に過ごすうちに――なでしこも一緒だけど――そんなことどうでもよくなった。ううん、正確に言えばそれよりも優先することが増えた。

 

 それが、ケイタと一緒に遊ぶこと。ケイタにかまってもらうこと。

 

 人間たちをおもちゃにして遊ぶよりも、モノを壊して遊ぶよりもずっとずっと何十倍も楽しかった。

 ケイタと触れ合ううちに、もっともっと彼のことが好きになった。

 好きになれば好きになるほど、ケイタに夢中になった。

 

 ――もっとわたしを見て! もっとわたしにかまって! 遊んで!

 

 今思えば結構困らせちゃったと思う。なにせケイタの都合なんてまったく考えないで行動していたから。

 でも、ケイタは嫌な顔一つしないでわたしのわがままに付き合ってくれた。

 嬉しかった。

 山で嫌われ者だったわたしにかまってくれた人なんて、なでしこかはけ、おじいちゃんくらいだったから。

 だから怖かった。ケイタに嫌われるのが。

 嫌われたらわたし、絶対おかしくなっちゃうから。普通じゃいられなくなるのはなんとなく分かっていたから。

 だから、ケイタが嫌がることは――本当に嫌がることはしなかったし、嫌われそうになるようなこともしなかった。人間たちにも手を出さなかったし、街のもので遊ぶこともしなかった。したらケイタが悲しむと思ったから。

 だけど――。

 

「うぅぅぅ……! ケイタに嫌われちゃったよぉ」

 

 わたしの瞳からまた涙が出てくる。くしくしと目をこすっても止まらなかった。

 

「ようこさん、こんなところにいましたか!」

 

 私の上からよく知った声が降ってきた。見上げると虚空からふわりとなでしこが現れた。

 わたしの隣に降り立ったなでしこはホッと吐息を漏らすと心配そうに眉を寄せた。

 

「探しましたよ……。さあ、帰りましょう?」

 

「……」

 

「ようこさん?」

 

 黙りこむわたしを不思議そうに見るなでしこ。その顔を見てると、胸のそこからドロドロとしたものがこみ上げてきたのを感じた。

 気がつけば、こんな言葉を口走っていた。

 

「……どうせ」

 

「え?」

 

「どうせ、いい気味だと思ってるんでしょ……?」

 

 わたしとなでしこは恋敵だ。ケイタを巡る恋のライバル。

 今まで主を取らなかったなでしこ。そんななでしこがケイタを唯一の主として認めたんだから、その想いは相当なものだ。

 そんななでしこにとって、わたしは邪魔な存在なはず。

 だって、わたしはなでしこの敵だから――。

 

「ケイタに嫌われたわたしを笑いにでも来たの?」

 

「そんな、私は……」

 

「いいわよね、なでしこは」

 

 ――これで、邪魔者がいなくなったんだから。

 

「……っ」

 

 乾いた音が鳴った。さっきとは反対の頬に走る、今日二度目の衝撃。

 ケイタのそれと比べて全然力が入っていなかったけど、わたしは呆然と頬を押さえてなでしこを見た。

 

「……!」

 

 泣いていた。

 あのなでしこが、お淑やかでいつも余裕のあるなでしこが。

 泣いていた……。

 

「ようこさんは……! 邪魔なんかじゃありませんっ!」

 

 悲鳴のような声。

 身を裂くような叫び声。

 なでしこのこんな声を聞いたのも初めてだった。

 

「確かに、ようこさんには軽率なところがあります! 向こう見ずで考えなしなところがあります! 何度、ようこさんの行動に冷や冷やさせられたか、数えたらきりがないくらいです! でも――!」

 

 ――お友達を邪魔だなんて思ったことは一度もありません!

 

 目から一筋の涙を零しながら、叫ぶように言葉を叩きつける。

 今まで一度も聞いたことがない、なでしこの心の声だった。

 

「でも、わたしたちはケイタを巡る恋敵で……」

 

「私は一度もようこさんのことを敵だなんて思ったことないですっ」

 

 私の声に被せるようになでしこが言った。

 その翡翠色の目は真っ直ぐわたしのめを射抜いている。いつもはふんわりとした垂れ気味の目が吊り上り、キッとわたしを睨みつけていた。

 もう、なにも言えなかった――。

 

「私は、ようこさんのことを今も昔もずっとお友達だと思っています。啓太様に関して色々とありましたしお互い対立するようなことがあったのも事実ですが、それでも私はようこさんのことを敵だと思ったことは一度もないですし、今でも仲良くやっていけたらと思います」

 

 凛とした顔で思いを口にするなでしこ。その真剣な表情から本気でそう思っているのだと解かった。

 

「それに、今回のことは私にだって非があります」

 

「えっ?」

 

「私は……ただ見ているだけでなにも出来ませんでした。むしろ啓太様やようこさんの足を引っ張っているだけで、お仕事に貢献することも出来ない使えない女です……」

 

 懺悔するように呟いたその言葉に驚いた。

 今まで弱音一つ吐かなかった、いつも微笑んでいたなでしこの弱弱しい姿。

 なでしこが、そんなことを思っていただなんて……。

 

「でも、あんたは戦えないから仕方ないんじゃ」

 

「それでも。なにかお手伝い出来たはずなんです……。だけど、実際は啓太様に貢献できることなんて何もなくて、ただのお荷物になるだけでした。ようこさんの時だって、もしかしたら止めることが出来たのかもしれないのに……」

 

「……」

 

「止めようとしなかった――いえ、止めようとする努力を放棄していた私にも罪があります。ようこさんだけじゃないんです」

 

「なでしこ……」

 

「だから、ようこさんの失敗は私の失敗でもあります。……ふふっ、これで同罪ですね?」

 

 最後にそう茶化すように冗談を口にするなでしこ。

 締め付けられていたような空気がふわっと緩んだ気がした。

 

「でも、わたしケイタに嫌われちゃった……」

 

 ずーん、と膝を抱えるわたしをそっと抱きしめてくれる。

 優しい言葉がすんなり耳に入った。

 

「大丈夫です。啓太様はこんなことでようこさんを嫌いになりませんよ。あの方のことはようこさんもよくご存知でしょう?」

 

「……うん」

 

「大丈夫、大丈夫です……。私と一緒に謝りましょう。啓太様もきっと分かってくれます」

 

「そうかな……?」

 

「そうですよ」

 

 ……うん。ちょっと元気出たかも。

 まだちょっと怖いけど、頑張ってケイタにごめんなさいしないといけないよね。頑張れようこ!

 よしっ、と自分を元気付けた私は勢いよく立ち上がった。なでしこが離れる。

 

「……帰ろ、なでしこ!」

 

「はい、ようこさん」

 

 二人で一緒に夜の街へ飛び降りた。

 啓太が待っている家に……私の家に帰ろう。そして、ちゃんとごめんなさいって言うんだ!

 

 ――あの、ね……なでしこ。

 

 ――何ですかようこさん?

 

 ――その……ありがと。それと、今まで意地悪してごめん……。

 

 ――…………ふふっ、はい! 許しちゃいます♪

 

 

 

 2

 

 

 

 ようこたちの帰りを新聞を読みながら待つ。時刻は夜の十時を過ぎたところだ。

 ……さっきから全然活字が目に入らない。

 

(ようこたち遅いけど大丈夫か? まさか迷子になったりとか……)

 

 どうしよう。俺も探しに行ったほうがいいか? それよりも一一〇番か??

 一時間ほど同じ新聞記事を見ながら悶々としていると。

 

「ただいま!」

 

「ただいま帰りました」

 

 天井をすり抜けてようこたちが帰宅した。

 

「ケイタ!」

 

 ようこはソファーに座る俺の前まで来ると、なにやら覚悟を決めた兵士のような眼差しを向けながら絨毯の上に正座した。

 その妙な気迫に呆気に取られていると、ようこは両手を地面につけて――。

 

「勝手なことして、ごめんなさいっ!」

 

 思いっきり頭を下げた。完璧な土下座だった……。

 しばらく呆然とようこのつむじを見ていた俺だったが、なでしこの強い視線に正気を取り戻した。

 新聞をテーブルにおいてようこと正面から向き合う。

 

「……ようこ、頭を上げる」

 

「はい」

 

 神妙な顔――というか姿勢なようこ。こんなようこ初めて見た。

 真剣な顔で真っ直ぐ俺を見上げてくる。俺も表情を引き締めてようこの顔を真っ直ぐ見つめ返した。

 

「なんで怒られたか、理解してる?」

 

「うん……。ケイタの言葉も聞かずに勝手に動いて、ともはねたちを危険な目に合わせたから」

 

「そう。だけど、それは結果論。問題は自身の行動がどう影響するか、考えなかったこと。考えなしで動いた。その結果、ともはねたちが大怪我しそうになった。だから怒った」

 

「はい……」

 

「ちゃんと反省してる?」

 

「うん。これからはよく考えて行動する。今すぐは無理かもしれないけど、頑張る」

 

 そう言い切ったようこの顔は今まで見たことがないくらい真剣な表情だった。

 その言葉に嘘偽りはないと理解できる。

 なら、これ以上俺が言うことはなにもない。

 

「そう……わかった。許す」

 

「……っ! ありがとうケイタ!」

 

 ガバッと抱きついてくるようこ。おいおい、そんなことしたら犬型天使なでしこさんが降臨しちゃうぞ!

 

「って、あれ?」

 

 恐る恐るなでしこの方を見れば、なぜか含みなしのにこにこ顔で微笑ましげに見守っている。

 なんだ、一体どうしたというんだなでしこは……。いつもなら殺し屋もかくやという威圧感を放つニコニコ顔を浮かべるというのに!

 そこはかとない恐怖を感じる俺ではあるが、まだやるべきことが残っている。気持ちを切り替え、ようこに抱擁を解いてもらった。

 

「……ようこ。俺からも言うことがある」

 

「なにケイタ?」

 

 首をかしげるようこ。その後ろでなでしこも不思議そうな顔をしていた。

 俺はそんな二人を見ながら、絨毯の上で膝を整え両手を地面につけて深く頭を下げた。

 

「すまなかった」

 

「え? え?」

 

「啓太様?」

 

 混乱している二人に構わず、言葉を続ける。

 

「俺は……ようこのことをよく考えていなかった。とにかくようこを一人前の犬神にすることに拘ってた。ようこ自身のことをちゃんと見ていなかった……」

 

「ケイタ……」

 

「……啓太様」

 

 神妙な顔をする二人に俺は今一度大きく頭を下げた。

 

「すまない」

 

 嫌な静寂が場を包み込む。

 ジッと頭を床につけていると、俺の肩に何かが触れる感触があった。

 

「頭を上げてケイタ」

 

 言われたとおり頭を上げる。

 そこには俺の肩に手を置いたようこの優しげな眼差しがあった。

 今まで、ようこのこんな優しい目は見たことがない。

 

「わたし、頑張るから。頑張って良い犬神になるから。だから、また勉強……教えてくれる?」

 

「ようこ……」

 

 なでしこが微笑みながら頷く。

 俺も頷き、顔を引き締め再び大きく頷いた。

 

「……ああ、もちろん。一緒に頑張ろう。俺も頑張る」

 

 フッと空気が緩む。ようこの笑い声となでしこの微笑みを前に、俺の顔も緩んだ。

 ようこたちの仲も改善されたようだし、みんなと少しでも分かり合うことが出来た。

 今日は良い日だ。

 

 




 今回は結構悩んだ。賛否両論あるかもしれないけど、まあ教育者である啓太にも責任があるということで。
 次回、はっちゃけます!

 没ネタとして芸人のバンビーノネタを書きたかったんだけど、多分書いちゃだめだよね?


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閑話その二「HANZOU!」

 変態度↑↑↑

 ご指摘を頂きまして一部の描写および設定を変更、誤字脱字を修正しました。

・地の文および台詞での言い回しを変更
・五十センチセンチの鉄骨 → 二十センチの鉄骨
・ステージ踏破時の時間 21秒→ 30秒


 

 

 ようことなでしこの仲が爆発的に良くなったあの夜から三日。

 大量のレシートを見ながら家計簿に記入しているなでしこを見て、ふと思った。

 

「……なでしこ」

 

「はい、なんでしょうか啓太様?」

 

「お金、足りてる?」

 

「はい?」

 

 一応そこそこ依頼はこなせているし、それなりに稼げているつもりではあるが、そういえば我が家の貯金は今どうなっているのだろうと思ったのだ。

 いやね、通帳や印鑑とかなでしこに預けてるし我が家の金銭管理は思いっきり彼女に丸投げしている状態でして、口座に今どれだけ貯まってるのか正直知らないんだよね。

 なでしことようこ、そして俺の三人分の食費や生活費なども馬鹿には出来ない額だろうし、もしギリギリのところでやり繰りしているのだったら俺ももっと頑張らないといけない。大黒柱なんだから。

 なでしこたちも自分で好きに使えるお金はもっとあったほうがいいだろうし。ようこなんて最近おしゃれとかに目覚めてきているようだしね。

 そういう意味で聞いてみた。今の稼ぎで大丈夫、と。

 

「はい、大丈夫ですよ。啓太様とようこさんが頑張ってくださるお陰で川平家のお財布事情は問題ないです。私も無駄遣いしないように節約を心がけていますし、結構やり繰りすれば浮くんですよ」

 

 そういって微笑むけど、節約とかお金のやり繰りしないといけないんだから結構カツカツなんじゃ……。

 ……お金はあったほうがいいよね?

 

「そうですね。あって困るものではありませんし。あ、でもだからといって無理はしないでくださいね? 私は今のままでも十分満足していますから」

 

 うーむ、そうは言うがなぁ。やっぱりもっと稼いだほうがいいかな。

 でも今のところ依頼はほぼすべて受けてるから、これ以上稼ぐとなると単純に依頼の数を多くこなす必要があるし。それこそ今すぐどうこうなる話じゃない。

 あーあー、なにか手っ取り早く大金稼ぐ方法ないかなぁ。

 

「ねーねーケイタ~、これなぁに?」

 

 煎餅を食べながらテレビを見ていたようこが頭の上にハテナマークを乱舞させながらテレビ画面を指差した。

 

『さあ、再びこの日がやってきました、HANZOUッ! 今回はファイナルステージに挑戦する猛者たちが熱い血潮を燃やして挑みます! 出場者は三十七名。予選ではその五倍近くの出場者が集い、今日! この赤坂スタジアムで優勝者が決まります!』

 

 画面の向こうには巨大なフィールドアスレチックが存在していた。純粋な身体能力のみを要求され、様々な試練が待ち受けているエリアを突破しタイムを競い合う番組。

 用意されたコースを突っ走り、どれだけ早くゴールに置かれたボタンを押すか。その持ち前の身体能力を試されるため、見ていて手汗握る白熱した展開を見せてくれる。しかもなんといってもこの番組の目玉はある団体による妨害だ。見ていて本当に飽きない。

 広大な池の上に作られているため、水没、コースアウト、タイムアウトになるとその場でリタイアとなる。

 たしか、優勝者には賞金が出るとか。

 

『――優勝者には賞金百万円が送られます!』

 

「……ほう」

 

 実況アナウンサーの言葉を聞いて俺の目がキラッと光った。気分でいた。

 

「ねーねーケイタ~、この人たちなんでこんなことしてるの~?」

 

 ねぇったら~! と俺の肩をがくがく揺すってくるようこに番組の趣旨を説明しながら、頭の中である計画を立て始めていた。

 

 

 

 1

 

 

 

「……あれ? ケイタは?」

 

 夜、夕食の支度をしているとようこさんの声が聞こえました。

 振り返るときょろきょろと啓太様の姿を探しています。

 

「啓太様は出かけていますよ。なんでも外せない用事があるとか。夜ご飯もお外で食べてくるようなので、今夜は二人だけでいただきましょう」

 

「ふ~ん? あ、そうだ! 確か今日ってHANZOUの日だったよね。なでしこも一緒に見ようよ!」

 

「ふふっ、はい。もう少し待ってくださいね。今お料理持って行きますので」

 

「今日のご飯はなに~?」

 

「鯖の味噌煮に大根のサラダ、厚揚げ卵ですよ。デザートにプリンもありますからね」

 

「プリン!」

 

 嬉しそうに目を輝かせるようこさんを見て、私の顔も自然と綻ぶのが分かりました。

 ようこさんとこのように親しい会話を交わしたのは久しいです。啓太様の犬神になったのが八月の初頭でしたので、約半年振りになりますね。

 山にいたあの頃のように屈託ない笑顔を見せてくれることが何よりも嬉しかったです。

 

「あっ! なでしこ始まるよ!」

 

 ようこさんの声に意識をテレビに向けます。

 ようこさんが好きな番組はいくつかありまして、この【HANZOU】もお気に入りの番組の一つです。他にも恋愛ドラマや動物番組(犬以外)、アクション映画などを好んで見ていますね。

 私は……お恥ずかしながら、恋愛系統の番組を少々――。

 こほん、そんなことより今はテレビに集中です。私も【HANZOU】は好きな部類に入りますね。色んな人が出場していますので見ていて純粋に面白いです。それになんといいますか、熱い男たちの戦いというような感じがして少し胸が熱くなります。

 

『さあ今回も始まりました、HANZOU! 実況はわたくしコメット山田が生中継でお伝えいたします!』

 

 アナウンサーさんの声に会場からすごい歓声が上がりました。熱気が画面越しで伝わってくるかのようです。

 

『今回は三周年記念として特別スペシャル企画! 特別仕様のファイナルステージをご用意しました! サードステージを突破した猛者たちは全部で六十八人。一体何人がこのステージをクリアすることが出来るのでしょうか! そして今回は優勝者だけでなく、見事クリアした選手全員に賞金の百万円が贈呈されます!』

 

 アナウンサーさんの隣にいた六人のゲストを紹介していき、いよいよ本選が始まります。

 ようこさんはパクパクとご飯を食べながら目はテレビに釘付けでした。

 

『――では! 今回のステージを紹介いたします!』

 

 カメラアングルが切り替わり俯瞰する視点で全体を映し出しました。

 出場者が登場するスタート地点から難所が全部で五つ。

 第一の関門【霧の道】。七メートルはある池には直径三十センチの垂直の棒が等間隔で設置されています。全部で十個ある足場が、個別に動いています。棒の下部は霧に覆われていて池は見えません。もちろん踏み外したら霧の中の池にドボンです。

 第二の関門【滑り坂】。粘性の高い液体が塗られた坂道を駆け上がらなければいけません。塗られていない場所も結構あるようですが、坂の上から障害ブツが滑り下りてきますので注意が必要です。

 第三の関門【地獄棒】。水平にセットされた太い鉄筋の下を渡る試練です。腕と指の力のみで移動する上にここでも障害ブツがあるため気が抜けません。

 第四の関門【亡者の池】。十メートルはある鉄筋の上を慎重に渡らなくてはいけません。下には亡者たちが待ち構えており、出場者たちの精神をじわじわ締め付けてきます。

 第五の関門【蜘蛛の糸】。高さ百メートルから垂らした綱を上っていく関門です。しかも下からは罪人たちが選手を追ってくるのでまさに『蜘蛛の糸』にふさわしい試練です。

 

『なお、今回は特別スペシャル企画ということで難易度がぐんっと上がっております! 突発的な難易度の変更は【HANZOU】において珍しい話ではありません! 制限時間九十秒という限られた時間の中で、果たして何名がゴールに辿り着けることができるのでしょうか!

 それでは時間になりましたので、さっそく選手入場していただきましょう! エントリーナンバー一番、山岸豊選手ですっ!』

 

 入り口から白いモヤモヤが勢いよく噴出され、奥から出場者が姿を現しました。大柄の男性は岩のような硬い筋肉で覆われています。いかにも【HANZOU】に出場するような選手という感じがしました。

 

『元陸上自衛隊員、山岸選手三十五歳! 前回はセカンドステージの【奥山】を前に惜しくも敗れてしまいましたが、今回は意地でもこのステージに立って見せた! いざ、スタートですっ!』

 

 ブザーが鳴ると同時に選手が走り出しました。

 

『まず最初のエリア【霧の道】です。七メートルという距離の池にわずか三十センチの足場となる棒が動いています。その数は十。各ラインごとに分かれていますのでどの棒へ移動するかが鍵となります』

 

 霧で池を覆ったステージに突出した棒が十本ありました。手前から奥にかけてバラバラに並ぶそれらは一定の速度で動いています。

 そして、選手からは見えませんが私たちテレビにはその光景がばっちり写っていました――。

 

「出た、筋肉!」

 

 ようこさんが手を叩いてはしゃいでいます。

 棒を動かしているのは機械ではありません。人力によるものです。

 そして、その棒を動かしている人たちこそが、この番組の人気に火をつけている張本人たちなのです。

 

『霧の中に蠢く陰の姿! 皆さんもご存知、我らが【HANZOU】の人気者、拳漢大学の空手部――マッチョ隊の方たちです! 元気よく筋肉を盛り上げて棒を動かしております! 果たして山岸選手はこの霧の道を突破できるでしょうか!』

 

 褌一丁の大柄な男性たちが丸太のような棒を抱えながら移動しています。選手からは霧で見えませんが横からのカメラではその光景がバッチリ写っているのです。

 なぜか、この番組には選手を妨害するマッチョなスタッフが登場するのです。彼らの行動が面白おかしいと視聴者の方々は色よい反応をもらっているようですが……。

 山岸選手は動く棒が止まる僅かな瞬間を見計らい、棒へと飛び乗ります。そしてテンポよく棒から棒へと移動。三十センチしかない足場になんの躊躇いもなく飛び移れるなんて、すごい集中力です。

 

『山岸選手、軽快な動きで難なく棒を渡っていくっ! もう向こう岸は直ぐそこだ! このまま突破できるのか!?』

 

 山岸選手が大きく跳躍し棒に片足を乗せます。ここを踏み越えればこの【霧の道】はクリアです。

 そして――。

 

『山岸選手、大きくジャンプっ! 棒に飛び移った――と、思ったらそのまま突き上げられて大きく弾き飛ばされたぁぁぁッ!』

 

 飛び乗った瞬間、棒を支えていた赤い褌をつけた男性が大きく抱えていた棒を上空へ向けて突き上げたのです。

 突き上げられた勢いのまま大きく弾き飛ばされた山岸選手は、そのまま池の中へ落ちてしまいました。

 

『山岸選手っ【霧の道】最後の難関、マッチョ隊の上原に破れ、苦しくも脱落ぅぅぅ! マッチョ隊の上原が操る棒に乗ると、上原渾身の突き上げが襲うようだ! 普段タクシーの運転手を務める上原もここでは一人の修羅へと成り変わる!』

 

 紹介された上原さんはカメラ目線でムキッと筋肉を盛り上げてくれました。ようこさんは大笑いしていますが、それを見て少し気分が悪くなったのは内緒です。

 リタイアとなった山岸選手は悔しそうな顔で場外へ去っていきました。可哀想ですが次回挑戦してください。

 それからというもの次から次へと挑戦者が【霧の道】へ挑みましたが、全員上原さんを突破することは敵いませんでした。

 しかし、十人目の板倉さんが、なんとか第一関門を抜け出すことが出来たのです。

 

『板倉がっ! 板倉がぁぁぁっ、やってくれました! 見事【霧の道】を突破! 続く第二関門【滑り坂】に挑みますっ』

 

 急斜面となった坂は頂上まで十メートルほどの距離があります。坂のいたるところにヌルヌル滑るろーしょんなるものが塗られているため、上るのは想像以上に難しいでしょう。

 

『おおっと、ここでもまた出てきた! 我らがマッチョ隊っ! 全身にオイルを塗ったブーメランパンツ姿で登場だぁぁぁぁぁっ!』

 

 坂の頂上から全身をテカらせたマッチョさんたちが、ぼでぃーびるで見るポーズを決めてやってきました。

 その姿に板倉選手が顔色を悪くします。

 

『顔面を蒼白にする板倉選手。そんな板倉選手にお構いなく、今……マッチョ隊が坂を滑り落ちてくるぅぅっ!』

 

『くそぅ……!』

 

 大きく悪態をついた板倉選手が坂を上り始めます。しかしろーしょんで滑る足場に遅々として前に進むことが出来ません。

 

「いたくらがんばれー!」

 

 ようこさんの声援。しかし、そんな板倉選手をあざ笑うかのようにポーズをとったまま滑り落ちてきたマッチョさんにぶつかり、もつれ合うようにして池へと落ちてしまいました。

 

『ああーっと! 板倉選手、健闘するもマッチョ隊のボディーアタックを前に敗れてしまったぁぁぁ! 衝突したマッチョ隊の染田さん、イイ笑顔のままフェードアウトしていきます!』

 

 続く選手たちも、やはり【霧の道】を突破してもこの【滑り坂】に足を取られてしまうようです。

 

『まだ、この第二関門を突破した猛者はいません! 果たして誰が最初に突破するのでしょうか! さあ、続いての出場者の入場です!」

 

「わたし、トイレ行ってくる!」

 

 ようこさんが早足でトイレに向かいました。

 どうやらずっと我慢していたようです。

 私はすっかり冷めてしまったお茶を啜っていると一瞬、ふと気になるものを見つけました。

 歓声が上がる会場内。出場者が控える場所に小柄な男性がいたからです。

 その男性は背中を向けて靴紐を結んでいるようですが、なぜかその後姿に見覚えがある気がしました。

 その違和感を探る間もなく画面が切り替わります。

 

『おぉ!? これは行けるか、行けるか!? エントリー番号三十四番宮間選手っ、【滑り坂】で脚を取られながらも爆走しています! 迫り来るマッチョ隊たちをなんと避わしながら少しずつ少しずつ前へ進んでいます! ……そして、ついに坂を上りきったぁぁぁ! 天晴れ宮間! 漢の意地を見せてくれましたッ』

 

 上りきった宮間選手は肩で息をしながらも誇らしげに顔を上げました。背後の坂の下でマッチョさんたちも拍手を送っています。

 見ていて私も思わず歓声を上げてしまいました。

 

『しかし宮間選手、時間がない! 残り時間一分を切っております! 呼吸を整える間も無く次の関門へ向かう! 待ち受けるは黒光りする鉄骨っ【地獄棒】だぁぁぁ!』

 

 頭上にセットされた鉄骨がずっと先へと続いています。足場はなく、一本の鉄骨のみが向こう側へと繋ぐ橋になっているのです。

 

「……あっ、場所変わってる!」

 

「今、突破した方が現れたところですよ」

 

 おトイレから戻ってきたようこさんがスサササッと元の位置に戻りました。

 二人してテレビ画面に集中します。

 

『【地獄棒】は鉄骨を腕と指の力のみで渡る難所です! 下一面は池が広がっており、落ちれば即リタイアとなります! 果たしてこの難所を乗り越えることが出来るのでしょうか! 今、宮間選手、ゆっくりと鉄骨に指をかけた!』

 

 鉄骨を横にしているため断面はカタカナの【エ】になっています。選手はこの下の横棒に指をかけ、慎重かつ素早く鉄骨を渡っていきます。

 滴り落ちる汗が、選手たちの苦しみを物語っていました。

 

『この日に備えて、近所の公園で日々懸垂を三百回繰り返して鍛え続けてきた男、宮間幸造二十八歳! 足がつかないこの場所で、練習の成果を発揮している! ……んっ? おおっと……! どうやらここでも、この漢たちが邪魔をするようだ!』

 

 アナウンサーの言葉に呼応するようにセットされた鉄筋の上をあのマッチョさんたちが歩いてきた。

 

『ここでも妨害するマッチョ隊! 今度は一体何をするというのかっ! ……ッ! なんと、鉄骨の上で踊りだしたぁぁぁ! スローテンポな曲を流す巨大なラジカセを肩に、軽快な踊りを披露するぅぅぅ! 観客のボルテージが再び上昇する! この光景っ、これが【HANZOU】だああああぁぁぁ!!』

 

『くぅぅっ! 振動が……!』

 

『おぉぉっと! 間宮選手苦しい! マッチョ隊の踊りが鉄骨を直に伝い、振動が間宮選手を襲う! 指が少しずつ、少しずつ離れていく! ここで終わるのか!? 間宮幸造二十八歳、ここで終わってしまうのか!?』

 

『くっ……そぉぉぉッ!!』

 

『なんと! 持ちこたえたっ! 間宮選手、持ちこたえたあぁぁ! 一度は離れた手が再び鉄骨を掴んだ! 間宮選手、まだ終わらない! 終わるわけにはいかないっ!』

 

 一度は落ちそうになりましたが、なんとか持ちこたえることが出来ました。

 ようこさんと一緒に思わず安堵の息が漏れてしまいます。

 しかし――

 

『……あ、ああぁぁぁあああっと! なんということでしょう! マッチョ隊の卯月、誤って間宮選手の指を踏んでしまったぁぁぁ! 持ちこたえた際、鉄骨の上部を掴んでしまったのか! 本来は起こりえないアクシデントが起きてしまったぁぁ! あー! 間宮選手、いま池の中に――! そして、なんだ!? マッチョ隊の卯月も苦悶の表情とポーズを浮かべて自ら飛び降りた! 自責の念に駆られての行動か、潔い卯月ッ! しかし残念なことに、間宮選手はリタイア判定となってしまいました!』

 

「……こんなことってあるんだね」

 

「そう、ですね……」

 

 ぱちぱち、と思わず目を瞬いてしまいました。しかし、このようなあくしでんとも【HANZOU】の醍醐味なのでしょう。本人は気の毒ですが。

 

【さあ、残るは二十人。未だ全関門を突破した猛者はおらず! 流石に今回ばかりは厳しい模様です!】

 

 アナウンサーは手元の紙をめくり、出場者の説明を始めました。

 

【続いての出場者の登場です! ……皆さんお待ちかねっ、あの男がやってきました! 今大会最年少の出場者にして初出場! 年齢制限がある本会場では本来出場できないはずではありますが、予選で見せたその高い身体能力に審査員が思わずOKを出したあの男です! こういう特例がたまにあるから面白い! さあ、登場してもらいましょう! エントリーナンバー三十五番――】

 

 入り口を白いモヤモヤが覆います。そして、その向こうから現れたのは。

 

【ピ○チュウゥゥゥゥゥ――――!】

 

 黄色い電気鼠のお面をつけた、中学生くらいの男の子でした。

 

 

 

 2

 

 

 

「……っ! けほ、けほ……っ!」

 

 その姿を見た途端、思わずむせてしまいます。横を見ればようこさんがぽかーんと口を開けた唖然とした表情を浮かべていました。

 おそらく私も似たような表情を浮かべているでしょう。

 お面で隠れてはいますが、あの背丈に容姿、そして極めつけの両手首に嵌められた二つのブレスレット。

 それは、どこからどう見ても――。

 

「ねえ、あれってケイタだよね?」

 

「おそらくは……。いえ、間違いないと思います」

 

「だよね。……ケイタが【HANZOU】に出てる!?」

 

 なにを考えてるのでしょうか、あの人は……。

 呆然とテレビ越しに私たちのご主人様を見ているなかで、もう間も無くスタートを切ろうとしています。

 

『さあ、ピ○チュウ選手、十四歳中学二年生。今、スタートを切った! まずは最初の関門【霧の道】です! ここで脱落した選手も多いが、どうだ!』

 

 啓太様は――ピ○チュウのお面をつけていますが絶対啓太様です――大きく助走をつけて走り出します。

 そして【霧の道】を前にすると。

 

『なんでしょう? 一瞬体が沈んだかと思ったら――……! な、なんと! 跳んだ……! 大きく跳んだっ! ピ○チュウ選手、信じられないくらいの大ジャンプだ!』

 

 助走をつけた啓太様は体を沈めると大きく跳躍しました。あっという間に大半の棒を飛び越え、その先にある棒に――赤い褌をつけたあの上原さんが抱える棒に飛び移ります。

 落下する勢いもあり一瞬腰を落とした上原さんですが、歯を食いしばってなんとか耐えると筋肉を盛り上げて啓太様を大きく突き上げました。

 

『信じられない大ジャンプを見せたピ○チュウ選手! あっ、落下する場所はあのマッチョ上原が抱える棒だ! ……っ、どうなる!? ぁぁああああっと! 上原、渾身の力でピ○チュウ選手を突き上げ――、空を舞うピ○チュウ選手っ、体勢を整えて華麗に着地したぁぁぁ! 早い、速い、はやいっ! とんでもない早さで第一関門【霧の道】を突破したぁ! 二秒も掛かっていませんッ! ここでもやってくれましたピ○チュウゥゥゥッ! 恐ろしい中学生だ!』

 

「そりゃケイタだもんね」

 

「ええ。啓太様ならこのくらい造作もないです」

 

 彼の犬神である私たちでさえ驚かされるような身体能力を持っていますからね。単純な戦闘もそこらの犬神たちより強いと思います。

 なんとも言えない心境で、しかし私たちの主が褒められて悪い気はしません。ようこさんなんてさっきから嬉しそうな顔で尻尾をふっていますし。私も、控えめに尻尾が動いてしまうのを止められないんですけどね。

 あっという間に【霧の道】を突破した啓太様は足を止めずに走り、続いて第二関門の【滑り坂】に辿り着きました。

 坂の上には例の如く、オイルで体をテカらせたマッチョさんたちが筋肉を強調させるポーズを取りながら待ち構えていました。

 

『さあ続いては魔の坂道【滑り坂】。上にはすでにマッチョ隊の方々がスタンバイしています。坂は特性ローションで滑る斜面、この難所をどう乗り切るのでしょうか! いま、マッチョ隊が怪しいポーズを取りながら、滑り降りたぁっ! そして、ピ○チュウ選手も走り出す! 滑る坂を前に、どう――っ! な、なんと!』

 

 走り出し跳躍した啓太様は滑り落ちてくるマッチョさんの肩に飛び乗ると、次いで違うマッチョさんの肩へと飛び移りました。

 驚くことに一度も地面に足をつけず、次から次へとマッチョさんを踏み台にして坂を上って行きます!

 

『なんとピ○チュウ選手、滑り落ちてくるマッチョ隊を踏み台にして坂を上っていくっ! こんな攻略、今まで見たことありません! なんという身体能力でしょうか! ……あぁっと、飛び乗られたマッチョ隊が次々と池へ落ちていく! 飛び移る時の反動でバランスを崩していくぅぅ! そして、ついに上りきったぁぁぁっ! なんなんだ、なんなんだこの男! このピ○チュウ! 普通じゃないぞォォォォォ!』

 

 アナウンサーの叫び声に観客たちもすごい歓声を上げています。見れば控えにいた選手たちも拍手をしていました。

 

『さあ歓声を一身に浴びるスーパー中学生! 第三関門【地獄棒】に突入だぁ! 今度は何を見せてくれるんだ!?』

 

 第三関門に辿り着いた啓太様。しかし身長さからか、少しセットされている鉄骨が高いようです。

 ジャンプをして鉄骨に掴まります。そして体を引き上げて、足も鉄骨に駆けました。

 そのままシャカシャカシャカと、鉄骨を渡っていきます。

 

『その方法があったか! 鉄骨に抱きついた姿勢のピ○チュウ選手、すごい早さで渡っていきます! 後方からマッチョ隊が踊りを披露しながら後を追いますが、まったく追いつけずにいる!』

 

「あ、これ見たことある! よくお水かけてる人たちが練習してるよね」

 

「お水……ああ、消防隊ですか。確かに似ていますね」

 

 そのまま難なく渡りきった啓太様は危なげなく着地すると直ぐに移動しました。

 

『あとは第四の関門【亡者の池】と最後の関門【蜘蛛の糸】のみです! ここまで辿り着いたのはピ○チュウ選手が初めてだ! しかもここまでのタイム、わずか二十秒! まさか一分切らずにこのまま突っ走ってしまうのか!?』

 

 第四関門【亡者の池】は先ほどの【地獄棒】と同じく、セットされた十メートルの鉄骨を渡っていくというものです。しかし、今度は鉄骨の上を渡ります。

 下には筋肉が蠢くマッチョさんたちが池の中から手を伸ばしていました。まさに亡者の池にふさわしい関門です。

 こんなところに落ちてしまったらと思うと毛が逆立ってしまいます……!

 

『いよいよ第四関門【亡者の池】に挑みます! 横幅二十センチの鉄骨、両足を揃えたらスペースが埋まってしまう僅かな空間を突破しなければなりません! 下には亡者となったマッチョ隊の皆さんが誘い込むように手を伸ばしています! 果たして無事に突破することができるのでしょうか! ピ○チュウ選手、いま鉄骨に、足を……かけた!』

 

 鉄骨の上を慎重に歩く啓太様は、慣れてきたのか次第に速度を上げていきます。

 

『はやいはやい! 鉄骨の上を駆けるピ○チュウ選手、まったくものともしません! 亡者どもの魔の手から逃げ切り……いま! 渡りきったァァァァァッ!! 残るは最後の関門【蜘蛛の糸】

のみ! 初出場にして初優勝になるか!? スーパー電気鼠、最後の関門へ向かいます!」

 

 そしてやってきた最後の関門【蜘蛛の糸】。高さ百メートルの上空から垂れた一本の綱を上りきれば、ゴールです。

 時間はまだ一分二十秒あります。啓太様ならできるはず!

 固唾を呑んで見守る中、啓太様が綱を握りました……!

 

『ピ○チュウ選手、上る上る! スルスルとすごい速さで上っていく! しかしこの綱は百メートルあります、果たして上りきることが出来るのでしょうか! おっとぉぉぉぉ! ここでやって来ましたこの漢たちっ! 行かせるものかとマッチョ隊の方々がピ○チュウ選手を追って綱を上り始めています! 両者の距離はまだありますが、このまま追いつかれてしまうのでしょうか!?』

 

 マッチョさんたちは鬼のようなすごい形相で啓太様を追ってきます。

 そして――。

 

『なっ――! な、なんと! マッチョ隊、山を作りながら上っていく……ッ! 綱を上るマッチョをさらにマッチョが上り、そのマッチョをマッチョが上る! 泉の如く次から次へと湧いてくるマッチョたち! このときのためにスタンバイしていたのか!? 綱の下は小さな山が出来上がっています! このままではっ! このままではマッチョたちの重みで縄が切れてしまう!』

 

「ああ……! 頑張って、頑張ってケイタ!」

 

「あともうちょっとです! 負けないでください啓太様っ」

 

 画面の向こうでは遮二無二上る啓太様。お面でその顔は見えません。

 この思いよ届けと、両手を組んで祈るように画面を見つめました。

 

『綱から嫌な音が聞こえる! 綱が悲鳴を上げているぅぅぅ! このまま切れてしまうのか!? このまま蜘蛛の糸のように切れてしまうのか!? 後もうちょっと、後もうちょっとでゴールに辿り着くっ! 頑張れピ○チュウ! 希望の光はすぐそこだっ!』

 

 彼我の距離が段々埋まっていきます。このままでは――!

 懸命に両手を動かす啓太様。啓太様を行かせるものかと追いかけるマッチョさんたち。

 そして、先頭のマッチョさんの手が啓太様へと伸びて……!

 

『――上りきった! 上りきったぁぁぁぁぁっ!! ピ○チュウ選手、罪人たちの魔の手から逃れ、今……地獄から生還しましたぁぁぁ! そして流れるようにボタンを押した! やりました、やってくれましたピ○チュウ選手ッ! 見事、ファイナルステージを突破したぁぁぁぁぁ! まさかわたくし自身ここまでやってくれるとは思ってもみませんでした!! スーパー中学生ピ○チュウ選手! 見事【HANZOU】完全制覇ですッ!! タイムは……一分ジャスト! 電光掲示板には一分とあります! なんと完全制覇しただけでなく、タイムを一分も余してクリアしました! もうわたくし、興奮のあまり言葉が出ません!』

 

「きゃー! やったやったよなでしこ~!」

 

「はい! 啓太様すごいです!」

 

 ようこさんと手を取り合って我がことのように喜びます! この方が私たちのご主人様なんだと誇らしい気持ちで一杯です!

 その後、ゴールまで辿り着いたのは僅か三名のみでした。啓太様を含めて四人だけが完全制覇したということです。どれだけ過酷な戦いだったのかが窺えます。

 しかも他の三人のタイムに比べて三十秒以上大きく差を開けています。文句なしの優勝です!

 賞金である百万円を受け取った啓太様はマイクを向けられ感想を求められていました。

 

『見事、最年少初出場で完全制覇したピ○チュウ選手です! この【HANZOU】はいかがでしたか?』

 

『……憧れの【HANZOU】に出れて嬉しく、また楽しかったです。僕自身楽しませてもらいました』

 

 裏声のような高い声でそう短く感想を述べた啓太様は冷めない歓声の中、静かに退出しました。

 私たちのご主人様は本当にすごい方です。

 ですが、帰ってきたら少しお話しする必要がありますね。こんな大事なことを私たちに内緒にしていたのですから……。

 番組が終わって二時間後、何事もないように帰って来た啓太様を迎えた私は、懇々とお説教をしました。

 啓太様の初テレビ、録画し損ねたではないですか! 次からは前以て言ってほしいです!

 

 ちなみに賞金の百万円は有事の際の貯金として銀行に預けました。

 

 




 Q:これってSA○○KEじゃないの?
 A:いいえ、HANZOUです。

 次の投稿は2~3週間ほどお時間をいただきます。


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第二部
第三十七話「武藤田高校」



 次話までの繋ぎとして書いたら六千文字いっていた。
 知ってた? まだ啓太って原作時の年齢に達していないんだ……。

 きりがいいので章別に区分けします。


 

 

「おはようございますっ!」

 

「おはようございます兄貴!」

 

「兄貴、はざーっす!」

 

「おう、おはよう」

 

 同級生の男子たちが俺を見ると頭を下げる。

 強面の奴らがどこぞの舎弟のように一斉に低頭するその光景を見て、他の学生たちが恐々と離れていった。

 まるで番長のような扱いにため息が出そうになったが、慌てて口元に力を入れる。

 

(なんでこうなっちまったんだ……)

 

 日々、頭を抱えたくなる思いが強まる。悩ましいとはこのことだ。

 俺の名は三島剛三郎、十六歳独身。

 高校一年にして一八〇センチを超える身長に趣味の筋トレで鍛えたがたいの良い体。自身のコンプレックスでもある厳つい顔。

 わかる。客観的に見て近寄りがたいのはわかる。番長のように威圧感があるのもわかる。

 だが――、俺は生まれてこの方一度も喧嘩をしたこともなければ問題を起こしたこともない!

 勤勉を自負しているから成績はいつも上位だったし、こう見えて英検二級だ! 両親が共働きのため妹にいつも料理を作っているから家事も得意だ!

 そんな俺がなぜ、なぜこうも生徒たちに怖がられなければいけないんだ……。俺が何をしたというんだ……!

 というか、なぜこいつらは俺の舎弟のような立場にいるんだ! 名前すら知らんのに!

 どこぞのアイドルが綺麗だの、どこぞの中学の女の子が可愛いだの、頼んでもいない情報を寄越して来る男子たちを引き連れて自分のクラスへ向かった。

 教室の前まで来ると自称舎弟どもが頭を下げてそれぞれの教室へ戻る。もう来るな。といっても、また来るんだろうけどな……。

 

「おはよう」

 

 ガラッと扉を開けて挨拶を口にする。挨拶はコミュニケーションにおいて基本中の基本だ。日々これを欠かしたことはない。

 

「お、おはようございます、三島さん……」

 

 入り口から一番近い場所にいた女子が引きつった笑顔を浮かべていた。まるでゴリラに挨拶されたような反応。

 そんなリアクションをもらう度に人知れず落ち込んでしまうが――。

 

「ひっ! ご、ごめんなさい……!」

 

 俺の顔を見て顔面を蒼白にした女子が早足にその場を離れた。

 

(俺ってそんなに怖い顔してるか……?)

 

 心の中で滂沱の涙を流しながら重い足取りで自分の席に着く。俺の席は真ん中の列の最後尾だ。

 教科書が詰まった鞄を机に置くだけで、前席の男子がビクッと肩を跳ね上げた。

 痛む心に気がつかない振りをしながら椅子に深く腰掛ける。

 はぁ、今日も憂鬱な一日が始まりそうだ……。

 

「あ、川平くん! おはよう!」

 

「川平くーん! 今日もカワイイねっ」

 

 扉を開けて一人の男子がやって来た。その男子を見た途端、女子たちが黄色い声を上げて愛想を振りまく。

 男子の名前は川平啓太。華奢な矮躯。女のようにも見える中性的な顔立ち。俺とは真逆な容姿をしているクラスメイトだ。

 川平は女子たちを一瞥するといつもの硬い声で短く挨拶をした。

 

「……おはよう」

 

 ただ返事をしただけなのにキャイキャイ歓声を上げる女子たち。

 川平はそんな彼女たちの反応など気にした風もなく素通りした。

 

「よう川平」

 

「おっす」

 

「啓太ー、今日の宿題やった?」

 

 周りにいた男子たちも次々と川平に声を掛ける。話しかけられた川平も邪険に扱うでなく抑揚のない声で返事をした。

 川平はその容姿も特徴的だが、なによりもその雰囲気だろう。いつも無表情で口数も少なく、ぶっちゃけ何を考えてるのか分からない。

 だけど話しかければ返事をする。あんな見た目で冗談も言うし、意外とノリも良い。

 入学した当初はその雰囲気から皆とっつき難そうだったが、一月経った今では不思議ちゃんならぬ『不思議くん』としてクラスのマスコットと化してしまったのだ。

 しかも、ここ二組だけでなく他のクラスでも人気があるらしく、特に女子にはその女のような顔たちと『不思議くん』というキャラから非常に受けが良い。

 男子も嫉妬するどころか川平を不思議キャラとして受け入れている。あの無表情で普通に冗談や馬鹿騒ぎに乗ってくれるから重宝しているそうだ。まあ一部男子からは異様に熱い目で見られているようだが。

 俺は――俺は、あの川平が憎い。

 なぜあいつばかりが女子たちにチヤホヤされているんだ。俺なんて……俺なんて女っ気の欠片もないどころか、むさ苦しい自称舎弟どもばかりが寄ってくるのにっ!

 

「お、おい見ろよ……。三島のやつすごい顔してるぞ」

 

「あぁ、まるで親の敵を目の当たりにしてるかのようだ。近づいただけで殺されそうだ……」

 

 血の涙を出さんばかりにギリギリと歯軋りをしていた。

 

 

 

 1

 

 

 

「おはよー川平くん」

 

「……おはよ」

 

 すれ違う生徒たちと挨拶を交わしながら自分のクラスへ向かう。

 今日も学業に励むため学生鞄を片手に学校へやってきました。人生二度目の学校です。子供っていいよねっ、お勉強超楽しいです!

 

 先月、中学を卒業し地元の高校へ進学しました。卒業式にはようこになでしこ、婆ちゃんの代わりにはけが参列してくれた。はけがカシャカシャと最新式のデジカメでシャッターを押しまくっていたのが地味にウザかったけど。

 俺が入学した学校は県立武藤田高校。生徒の自主性を重んじている校風で結構過ごしやすいと聞いている。学校も自宅から徒歩三十分と結構近い。

 中学の頃は学ランだったが、ここではブレザーだ。灰色の学生服で左胸には校章が自己主張している。ネクタイは赤と青のストライプで、ズボンは灰色の生地にチェックが入ったものだ。ちなみにこの学生服、派手でなければ改造オッケーである。

 俺も改造制服に袖を通したかったけどなでしこが許してくれませんでした。ネクタイを外してループタイにしたかっただけなのに。ループタイ、格好いいのに……。

 ちなみに一番派手な改造制服ではブレザーの背中に好きなキャラクターの絵を張った猛者がいたりする。

 

 俺が所属するクラスは一年二組。地元のためかクラスメイトも中学時代の顔見知りが多く、打ち解け合うのに差して時間は掛からなかった。

 この学校は――というよりこの地域に住む人たちは聖人と呼べるような善人が多い。学校に着くと男女問わず色んな生徒が話しかけてくれるし、遊びにも誘ってくれる。非常にありがたく人間の温かみを感じます。

 そういえば小、中学と最初の頃は結構距離置かれてたんだけど、いつの間にか親しくしてくれていた。なんでだろうな? 俺の人間性が知れ渡ったのか、こんな無口無表情キャラでも心温かく接してくれます。武藤田の生徒マジ天使。生徒会選挙では投票に悩む。

 

「あ、川平くん! おはよう!」

 

「川平くーん! 今日もカワイイねっ」

 

 ドアを開けるとすぐ傍の席で雑談していた女子たちが挨拶をしてくれた。

 女子に挨拶をされる。ただそれだけのことなのに顔が綻びそうになる。どの世界もどの時代も、男は単純な生き物なのだなと実感させられた。

 浮かれる心とは正反対で一ミリたりとも動かない表情筋に感謝しつつ軽く挨拶を交わし、自分の席へ向かう。

 

「よう川平」

 

「おっす」

 

「啓太ー、今日の宿題やった?」

 

 男子たちの声にも適当に返事を返しながら俺の席である窓際の真ん中の席に座った。

 今日の授業は現国、化学、英語、体育、音楽、社会の六教科。宿題は全部済ませてあるし、今日は四日だから授業で俺が当てられることもない。平和な一日が送れそうだ。

 使用する教科書を机の中に仕舞い、男子たちの会話に混ざり時間を潰していると、背後から強烈な視線を向けられたのを感じた。

 この焼き焦がすような熱烈な視線。強い殺気にも似た負の感情が背中に伸し掛かっているように感じられた。

 強い敵意のような何か。思わず反射的に振り返りそうになるのを堪え、慎重に背後へ視線を向けた。

 

(……うわぁ、番長がこっち睨んでるよ)

 

 振り返らなければよかったとちょっとだけ後悔した。

 あまり不良がいないクリーンな高校なのに番長の異名で知られる生徒、三島剛三郎。とても同い年とは思えないほど強面で老けた顔、新品の制服が今にもはち切れんばかりの筋肉質な体格、いつまで経っても一六〇センチに届かない俺からすれば非常に羨ましい見上げんばかりの高身長な体躯。

 総じていえば、お前本当に高校生? と言いたくなるようなクラスメイトだ。

 

 そんな番長に睨まれる俺。今のところ三島くんと接点らしきものは持っていないはずなのに、なぜ睨まれているのでしょうか。とんと見当がつかぬ。

 特に武道を齧っているような形跡は見られないから戦えば恐らく俺が勝つとは思うけど、何故か三島くんからは言い知れぬ気迫を感じられる。もちろんこちらから手を出すつもりはないし、大事を起こす気も更々ないが、彼と事を構えれば只ではすまないとよく分からない勘が囁いていた。

 これが番長というものなのか……。前世の謎知識には番長に関する情報はないため、初めてそういう人種に出会った俺であった。

 

「な、なあ川平。三島くんがなんかこっちを睨んでるような気がするんだけど……」

 

「お前なにかやったか?」

 

「……心当たりはない」

 

 川島くんの敵意に気が付いた男子たちが小声で囁いてくるが、本当に知らないんだ。いや、ホントホント。

 気になるところではあるけど、とりあえず無視しておこう。いつまで気にしていたって仕方のないことだし。

 

「うーい、お前らチャイム鳴ったぞー。席につけーい」

 

 無精髭を生やした三十代の担任が出席簿を片手にやってきた。

 スーツを着くずれしたいつもの姿。だらしない格好のはずなのにこの人がするとなぜか違和感がないように見える。

 眠そうに半開きにした目でグルッと教室を見回し、大きく欠伸をしてから出席を取る。

 

「小川ー」

 

「はい」

 

「小野-」

 

「はい」

 

「川平ー」

 

「……はい」

 

 今日も平和な一日が始まった。

 一度は習ったであろう分野。現国や数学、化学などは俺が知るそれと変わりないが、歴史にはちょいちょい差異がある。歴代総理大臣や戦争が終結した日付など本当に細かいところだが。

 そのため、大半の授業は楽に過ごせる。俺が持ち合わせている知識と齟齬がないのは助かる。授業を受ける上では大きなアドバンテージだ。活かせてるとは思えないけどな!

 苦手な英語の授業が終わり、今度は体育。教室は女子が着替えに使うため、男子たちは更衣室に移動する必要がある。

 ロッカーが並ぶ教室の半分ほどの空間で体操服に着替えていると、隣の山田くんが驚きの声を上げた。

 

「川平くんすごいね! 腹筋超割れてるじゃん!」

 

 山田くんの声になんだなんだと周りの男子どもが近寄ってきた。

 

「うぉっ、すげぇ! シックスパックだ!」

 

「腹筋すごい硬いね。いいなぁ」

 

「結構引き締まった体してるんだなぁ。見た目からじゃ全然わからんわ」

 

 皆が寄って集ってマイボディーを触ってくる。気持ちは分からんでもないが止めぃ! 啓太くんは擽りに弱いんだから!

 身をよじりたくなるのを鉄の意志で我慢しつつ、ささっと体操服に着替える。後ろの残念そうな声なんか無視だ無視! ていうか男が男を触ってなにが楽しいんだよ。ア゛ー!な空間なぞごめんだね。

 馬鹿な男子どもを置き去りにして早足で体育館へ向かった。

 体育館では男女たちが別れてわいわいと会話に興じていた。まだ始業時間前だからね。俺も混ぜてー。

 適当に馬鹿騒ぎをしていると体育教師の新田先生がやってきた。筋骨隆々のいかにも体育教師って風貌の先生だ。だけどそれでいて暑苦しさはあまり感じられない。いや、暑苦しいには暑苦しいのだが、悪い意味ではなく良い意味での暑苦しさというべきか。なんというか、青春に涙を流す教師と生徒の教師の方かな?

 デフォルトである首に下げたホイッスルを吹いて授業の始まりを知らせる。

 

「よぅし、全員いるな。今日は男子がバスケ、女子がバトミントンだ。基本的な練習をしたあと軽く試合もする予定だぞー」

 

 体育館の真ん中をネットで遮り男女に分かれた。

 ふむふむ、バスケかー。バスケなー。俺身長低いからバスケはあまり好きじゃないんだけどなー。

 バスケってほら、競技柄背が高い人が多いでしょ。あの知らず知らずして相手を見下した視線が気になるんだよね。いや、相手にその意識がないのは分かってるんだけどさ。まあ中には本当に見下してるやつもいるけど。うわ、こいつ小っちぇ!って感じの目で見てくるし。

 まあいい。バスケはあまり好かないが得意じゃないかといえばそうでもない。こう見えても中学では『ディフェンスのケイちゃん』の愛称で親しまれていたからな。オフェンスじゃなければ真価を発揮してあげようではないか。

 ドリブルやシュート、レイアップなどを軽く練習して体を温める。ドリブルはともかくシュート関係は無理だ俺。まず身長が足りないからレイアップというよりジャンプシュートになるし、シュートもボールが狙った方向から思いっきり逸れる。

 

「川平、お前シュートは相変わらずなのな」

 

「……うっさい」

 

 中学時代からの級友である山田くんが苦笑いを浮かべていた。

 言い訳させてもらえばバスケットボールが大きいのがいけないんだ。思いっきり手からはみ出してんじゃん!

 ちなみに投擲は得意である。戦闘では投擲専用の刀による物量攻撃が戦闘スタイルだし、野球など手のひらサイズで収まるものならある程度コントロールを利かせることが出来る。そのためまったくボールの扱いに慣れていないわけではないのだ。だからバスケットボールが悪い!

 あ、ちなみにパスは得意である。え? シュートが苦手なのになんでパスはできるんだって? パスとシュートは別物だからさ。

 そんなくだらない上に大人気ないことを胸中でぶつぶつ呟いていると、一通り練習が終わり簡単な試合をすることになった。

 赤と白のチームに分かれての試合。白のゼッケンを着た俺は早くも試合に出る羽目になった。あ? 俺がジャンプボール? 冗談にもほどがあるぞ山田くん。

 

 試合は順調に進み接戦が続く。今のところ赤チームが一点、白チームがゼロ点とリードされていた。

 ボールをパスされた赤チームの根岸くんがドリブルをしながらこっちにやってきた。バスケット部に入っているだけあって様になっている。

 このままだとこちらの奥まで侵入を許すな。

 ゴール付近に陣取っていた俺は前に出ることにした。迫り来る我がチームメイトを華麗に抜いていく根岸くん。そんな彼の障害として立ち塞がる。

 

「いけっ、川平ー!」

 

「ディフェンスのケイちゃんの力、見せてやれ!」

 

 味方からの熱い声援。腰を落として立ち塞がった俺に厳しい目が向けられる。

 

「いくら川平といえど、俺を止めることは出来ない!」

 

「……抜けてみる」

 

 出来ればの話だけどな!

 熱い燃えるような目をしてどうにか突破しようとこちらを窺う根岸くんの前である技を披露する。

 

「なっ、ぶ、分身しただと!?」

 

「出たー! 啓太の十八番、分身の術だー!」

 

 その場で超反復横とびをして残像を生み出す。さらには残像に気と霊力を込めて、残像から分身へと昇華する。

 これぞ、我が十三の宴会芸が一つ、分身の術!

 

「な、なんてスピードだ……! 本当に分身しているように見えるっ」

 

 キュキュキュキュキュキュッ、とワックスが掛かった床をシューズが擦る。

 俺の芸術的な技を前に呆然と佇む根岸くん。その隙を狙い、あっさりとボールを奪還した。

 あっと声を漏らす間も無く近くにいた近藤くんにパスをする。

 受け取った近藤くんはそのままドリブルをして敵陣を目指すが、結局これまたあっさりボールを奪われてしまった。

 そして、時間は過ぎ去り、二対一で赤チームの勝ちとなる。

 ……赤チームにバスケ部員が三人いる時点で終わってると思うんだよね。

 

 





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第三十八話「お弁当騒動」

 

 

「あ、しまった……」

 

「ん? どうした川平」

 

 体育が終わり教室に戻った俺はいつものグループに混じって昼飯を食おうとしていた。比較的仲の良い山田くん、佐藤くん、吉田くんの三人グループだ。

 この三人は幼馴染で大抵一緒にいる。明るく陽気な奴らで付き合いやすいし、そこそこ馬鹿な話しもするから結構居心地が良い。

 そんなグループに混じって昼飯を食おうと鞄を漁っていた、のだけれど――。

 

「……弁当、忘れた」

 

 可愛らしいウサギさんがプリントされた巾着袋に入っているお弁当箱。

 なでしこ特性の『ガンバってください弁当』の姿がなかった。

 もしかして、もしかしなくても忘れてきちゃった……?

 

「あらら、そりゃ五愁傷様だな。どうする? 購買に行くか、それとも食堂に行くか?」

 

 そう山田くんが提案してくれるけど、どうしよう。

 ちなみにこの学校には大きな食堂が一階に存在する。全校生徒の半分が入れるようにと広くスペースが作られており、メニューも和洋中と豊富。そして美味い!

 なんでもどこぞの元高級料理店で板前やシェフを務めていたスーパーコックが料理長をやっているとか。風の噂では校長とは旧知の仲のようでコックの育成も兼ねて包丁を振るっているとか。なんたる聖人、さすがは武藤田高校。

 ということで、まさに『安い!』『早いかもしれない!』『美味い!』の三拍子が揃った学食は結構人気があり、毎回多くの人で席の半数が埋まっている。これも武藤田高校の人気の一つとして上げられるな。

 余談だが俺が食堂を利用した回数は片手を数えるくらいである。だって、俺には可愛い犬神お手製の弁当があるしー。

 さすがに毎日作ってくれる弁当を平らげて学食を利用するのは物理的に胃が受けつけない。

 

「んー。どうしよう」

 

 というかお金あったっけ?

 

「おい見ろよあれ!」

 

「うわ、すげぇ美人……」

 

 財布を開こうとしたら廊下からざわめきが聞こえた。

 多くの男子たちが廊下に顔を出し、何かに注目している。呆然とした表情で何かに見惚れている様子だった。

 次第に大きくなる喧騒。顔を見合わせた俺たちも廊下に出てみる。何か話題の足しになればいいと思って。

 

「……うお! なんだあの美女!」

 

「うわぁ、すごい綺麗な人だねぇ」

 

「ていうかメイド服だよな、あれ」

 

 他の生徒ら同様に盛り上がる山田くんたち。

 廊下の先には淡い桃色というファンタジー溢れる髪を揺らしながらキョロキョロと辺りを見回している女性がいた。

 いつもなら落ち着き払っている少し垂れ気味なその目は好奇心で輝いているように見える。

 緑色のワンピースに白いフリルのついたエプロンが一体となったエプロンドレス。もはや私服と化しているメイド服――本当はメイド服じゃないがそれっぽいからもうメイド服と呼んでいるそれを着こなし、手には小さなバスケットかごを握っていた。

 余談だが、彼女が持っている服には部屋着の割烹着に余所行きのエプロンドレスの二種類と、特別な日に着ていく洋服がある。

 

 はい、どこからどう見てもうちの犬神さんですね。本当にありがとうございました。

 ――って、なんでなでしこが学校に来てんのー!?

 

「あっ、啓太様~!」

 

 ざわっ!

 顔を輝かせたなでしこの一言が周囲の空気を一変させた。

 そこらの低級妖怪より余程鋭く強烈な殺気を一斉に向けてくる男子生徒たち。そして「あの人と一体どんなカンケイが!?」と言いたげに頬を赤らめて興味津々な目を向けてくる女子生徒たち。

 隣の山田くんたちも興味深げな顔で俺を見ていた。

 早足で駆け寄ってきたなでしこが手にしたバスケットを渡してきた。

 

「啓太様、お弁当忘れていましたよ」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

「いいえ。せっかく作ったお弁当ですし、啓太様にしっかり食べて頂きたかったので」

 

 そう淑やかに微笑むなでしこを見てさらにヒートアップしていく外野。騒ぎを聞きつけ野次馬がどんどん増えてきた。

 

「おいおいおいおい、なんなんだあの美女?」

 

「あの人、川平のこと様付けで呼んでたよな?」

 

「どういう関係なんだ!?」

 

「そんなの恋人同士に決まってるでしょ」

 

「ねー。姉弟っていうには距離が近いし、やっぱり恋人じゃないかしら?」

 

「お似合いのカンケイね! いいなー、あたしも彼氏欲しいな~!」

 

「でも、自分の彼女に様付けで呼ばせるなんて、川平くんってああ見えて結構……」

 

「キャー! 俺様な川平くんもそれはそれでアリねっ」

 

 なんかカオスになってきた。

 

「なでしこ、こっち」

 

 このままではあかんと直感が告げている。なので、なでしこの手を取って避難することにした。

 

「あ、川平のやつ逃げたぞ!」

 

「追えー! リア充を決して逃がすなー!」

 

「キャー! 愛の逃避行よ!」

 

 外野が騒いでいるのを無視して屋上へと逃げ込んだ。

 高いフェンスで囲まれた屋上は生徒たちも立ち入りが許されている。真ん中と四方に花壇があり、数箇所にベンチも設置されている。

 日当たりもいいため、女子やカップルなどがよくここでお弁当を広げいる光景を目にする。

 今日もまばらだが、数組の女子とカップルたちがベンチで思い思いに昼食を取っていた。

 空いているベンチに腰掛け、ふぅと一息。

 

「あの、啓太様?」

 

「あ」

 

 不思議そうな顔で首を傾げるなでしこを見て思わず呟いてしまった。

 しまった。ついなでしこを連れてきちゃった。

 というか、なでしこさんはどうやってここまで辿り着いたのでしょうかね?

 

「道を教えていただきました。啓太様がいらっしゃる教室にも親切な方が教えてくれまして」

 

「ん。……そういえば、来客カードは?」

 

 外部の人が校内に入るには受付で名前を記入して来客カードを受け取る必要があるんだが。もし、貰ってなかったら受付まで行かないと。

 なでしこはエプロンドレスのポケットからカードホルダーを取り出した。よく外回り中のサラリーマンが首からかけているカード入れがあるが、まんまアレだ。

 しかし流石なでしこ、そつが無い。

 

「ならいい。しかし、なでしこ。結構こっちの文化に慣れたみたい?」

 

「そうですね。今は昔と違って調べようと思えば簡単になんでも調べることが出来ますので」

 

 パソコンはまだ苦手ですけどね、と可愛らしく微笑む。確かに貴女、キーボードを凝視しながら人差し指で打ってますものね。

 さて、せっかく持ってきてくれたのだから食べますか。聞けばなでしこも昼飯はまだのようだ。なら一緒に食べんべ。

 

「それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせたなでしこがバスケットの中からお弁当を取り出す――って。

 

「サンドイッチ?」

 

「はい。たまにはこういう軽食も良いかと思いまして。あ、他にもポテトや唐揚げ、ウインナーもありますからね。タコさんウインナーです♪」

 

 三角型のサンドイッチにポテト、唐揚げ、蛸足ウインナー。お弁当だと思ってたらピクニックで食べるような軽食ランチだったでござる。

 しかもこの量、とても一人で食べきれる量ではない。他の男子は知らんが、生憎俺のストマックは根性がないから食べきれない。いや、無理すればいけなくもない、か?

 でも、この量……明らかに一人前じゃ――。

 

(はっ! もしや、この状況を作り出すためにあえて二人前にしたのか?)

 

 だとすれば、朝俺がお弁当を忘れたのもうっかりではなく、故意!?

 くっ、なんて野郎――女郎だ! そこまでして俺と食事がしたいだなんて。しかも学校でだと!? なんて可愛らしい性格をしてるんだキミは!

 あぁもう! 俺やっぱりなでしこ好きかもしれないなぁ!

 

 そういえばなでしことようこの仲が改善された三ヶ月経つが、あれからなでしこの態度が少しだけ変わったような気がする。

 あのムジナ大脱走事件でようこが良い子になり、今まで以上にストレートに愛情を伝えてくるようになってからだ。まるでようこに感化されたかのように、なでしこも露骨――とまではいかないが、それでも素直に好意を伝えてくるようになった気がする。

 これまでも好意を寄せてくれていたのはそれとなく分かっていたし感じていたが、なんだか手段が直接的になっているような感じがするんだよなぁ。この前なんてテレビを見てて、気がついたらすごい近距離で一緒に見てたし。古風ななでしこにしては赤面ものの距離感だった。実際、顔赤くしてたし。肩軽く触れ合ってたし。

 そんななでしこにまたようこが対抗するから、気を抜くとカオスになりそうで恐い。

 ――まあ、それはともかくとして。

 そこまで露骨に愛情を表現されると、鈍感ではないと自負してる俺からすれば当然伝わるわけでして、もう嬉しいやら恥ずかしいやら。訳も分からず叫び転がりたい衝動にか駆られるのも一度や二度じゃない。

 俺自身、自分のこの『胸焦がれるような熱く切ない気持ち』にもいい加減察しがついてきているし。

 でもなー、俺が出した答えだと恐らく一人女の子泣かせることになると思うんだよなぁ。仕方のないことだと頭ではわかっているんだが、なかなかどうして踏ん切りがつかないものだ。

 それに、伝えるにしてもタイミングというものがあるし。夕焼けの見えるベンチでロマンチックに、とか? ……ガラじゃないな。

 

「啓太様?」

 

 おっと、手が止まってた。一旦思考を止めて、今は昼飯に集中しよう。

 

「はい、啓太様」

 

 あの、なでしこさん? なんでサンドイッチを僕に向けてくるんでしょうか?

 

「……? 食べないんですか?」

 

 いや食べるよ、食べるけどさ! なにこれ、もしかして狙ってやってるの!?

 結局なでしこが手を下ろすことはありませんでした。周りのカップルからは生暖かい目で見られ、グループに分かれた女子たちはキャイキャイ騒がれながらも全部「あーん」で食べさせられました。

 顔から火が出るほど恥ずかしかったけど、まあなでしこが満足しているようだからいいか。

 食後に魔法瓶から出してくれたお茶を啜っていると、そういえばもう一人の犬神がいないなと今更ながら思い出した。

 

「……ところで、ようこは?」

 

「近所の野良猫さんたちの定例集会だそうです」

 

「あ、そう」

 

 もうなにも突っ込まんぞ。

 

 

 

 1

 

 

 

(川平の奴めぇ~~! あんな美女に啓太『様』って呼ばせているだと!? なんて羨まけしからん奴だ!)

 

 廊下が騒がしいから来てみれば、アイドル顔負けの超絶美女が柔和な笑みを浮かべながら川平と親しくしていた。

 しかも『啓太様』だと!? 聞くところによるとあの女の人とはかなり親しい間柄のようだが、様付けで呼んでもらえるなんて!

 こっちはむさ苦しい男どもから『兄貴』『親分』呼ばわりなのにっ、なんて羨ましい!

 俺も一度でいいから気軽に『剛三郎くん』なんて呼ばれたい!

 

「ひゃ~、すげえ美人ですね兄貴」

 

「相変わらず川平の奴モテてますねぇ。今時はあんな弱弱しい奴がモテんすかねぇ」

 

 勝手に集まってきた子分AとBが口々にそういうが、俺も頷ける話だ。

 だが、あんななりをしているが意外とあいつって運動神経は抜群なんだよなぁ。今日も高速反復横とびで分身作ってたし。

 うーむ、あのくらい運動神経が良ければモテるんだろうか。俺も分身作れるくらい頑張らないとダメなのか。

 

「おや、そこにいるのは三島ではないか!」

 

「ん? おお、河原崎か」

 

 明るい声に振り向くとそこには友人の河原崎直己の姿が。

 こいつは県内ではそれなりに有名な資産家の息子であり自他共に認める筋金入りのオタクだ。その熱意は思わずこちらがたじろいでしまうほどで妙なカリスマ性を持った変人でもある。オタクに貴賓無しを地で行く奴だから俺のような人間にも分け隔てなく接することができるらしい。

 ブレザーの背中には河原崎の萌えキャラがプリントされており、額には『ニャンニャンしちゃうにゃん♪』の文字とイラストが入った特性ハチマキを巻いていた。

 相変わらずのオタクっぷりだ。

 

「この騒ぎはいったい何事だ?」

 

 瓶底メガネを輝かせた河原崎に今し方の出来事を聞かせると。

 

「ほう、あの川平に春がきたか。うむ、良いことだ」

 

「んぁ? お前川平と知り合いだったのか?」

 

「うむ。中学では先輩後輩の仲であり俺の友人の一人だ。あれでいてなかなか語れる口を持つ」

 

「へぇ……」

 

 河原崎が認めると言うことはあいつもそっち方向に理解があるということか。なんというか、意外だな。

 ちなみに俺も萌えキャラは好きなほうだ。オタクとまではいかないがな。

 

「おお、そういえば例のアレはどうなったんだ?」

 

 真剣な顔で唐突にそんなことを聞いてきた。すぐにそれが何を指しているのか気がついた俺はつい渋面を作ってしまう。

 そんな俺の顔を見て河原崎は得心がいったとでもいうように首肯してみせた。

 

「やはりそうか」

 

「事が事だからな。気軽に相談できる相手もいねぇ。そういうのを専門にしている奴らに相談したこともあるが大抵はパチモノだった」

 

「なるほど。であれば、この俺が良い奴を紹介してやろう」

 

「いい奴?」

 

「うむ。その道のエキスパートだ。俺が知る中では断トツの腕利きだ」

 

 自信満々に頷く河原崎だが、俺はあまり信用ができない。

 そいつもどうせ同じような偽者じゃないか?

 

「安心しろ、あやつはパチモノではないさ。なにせこの河原崎が信を置く奴だからな」

 

 そう断言する河原崎。それを見て俺の考えも少々改まった。

 こいつの人を見る目は確かだ。こいつがここまで自信を持って推す奴なら信用できるかもしれない。

 

「……わかった。お前がそこまで言うなら多分、そいつはデキる奴なんだろう。で、誰なんだ?」

 

 俺の言葉に河原崎はニヤリと口元を歪めた。

 

「川平啓太。話題に挙がった人物さ」

 

 





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第三十九話「級友(上)」

 

 

「川平、ちょっといいか」

 

 あの嬉し恥ずかしの昼飯の後、なでしこを見送って教室に戻ると当然ながら待ち構えていた生徒たちから質問責めにあった。

 一々相手にしていたらきりがない上、野次馬根性丸出しのこいつらに付き合うのもなんだかなーと思い適当にはぐらかし、午後の授業を終えて今は放課後。

 さあ帰るべ、と鞄を持って立ち上がると、出鼻を挫くかのように大男が俺の元にやってきた。

 強持ての顔に鷹のような鋭い眼光。岩のようにゴツゴツした筋肉でブレザーがはちきれんばかりにピッチピチ。その風貌で学ランではなくブレザーなのが違和感を感じる。

 重苦しく感じるほどの低い声で話しかけてきたその男。

 三島剛三郎。番長、お呼びじゃないのにここに降臨。

 

「……ん」

 

 予期せぬ番長の登場に内心動揺してしまったがそれを微塵も表に出さず、ただ頷いて肯定の意を表す。

 

「そうか。ちと付き合ってくれ」

 

「ん」

 

 顎でしゃくり移動を促してくるため素直に後に続いた。

 とぼとぼと番長の後をついていく俺に周りがざわめいた。

 

「番長が川平を人気のない場所に連れ込むぞ」

 

「ついにか……」

 

「もしかして、リンチ?」

 

「校舎裏?」

 

「川平ヤバイんじゃないか? 先生に知らせたほうがよくない?」

 

 え? 俺ピンチ? 校舎裏でボコられちゃうの?

 このまま素直についていって大丈夫なのだろうか。それとなく危機感を抱いていると急に三島くんが振り返った。

 な、なんだ? もしかしてこんなところで殺るつもりか!? お、おお俺も黙って殺られないぞ! 徹底抗戦の構えを見せるぞっ!

 

「……警戒してんのか?」

 

「……」

 

「安心しろ。川平に危害を加えるつもりはねぇ。第一これから向かう先は屋上だ」

 

 そう言うと再び歩き出す三島くん。それだけじゃ安心できないんですけどー!

 本人曰く、危害を加えるつもりはないとのこと。一応最低限の警戒だけは怠らないで素直についていこう。

 向かった先は確かに屋上だった。一日に二度もここに来るなんてとは思ったけど。

 

(ん? あれは……)

 

 昼休みとは違い放課後になると屋上はほぼ無人となる。この日も無人かなと思ったが、一人だけ見知った人がいた。

 ベンチに座って薄い本を読んでいたその人は屋上にやって来た俺たちを見ると本を閉じる。

 

「おお、来たか!」

 

「……先輩?」

 

 俺の数少ない友人の一人であり、中学時代からよくしてもらっている人――河原崎先輩だった。

 先輩はこの学校でまず知らない人はいないほどの知名度を誇っており、戦うオタクという二つ名を持っている。その名から分かると思うが、変態という意味で知られているのだ。

 一七八センチという高身長に華奢な体つき。長い髪を無造作に後ろで縛り、瓶底メガネがキラッと太陽光を反射して輝いている。

 ブレザーの下にはもはや定番と化している萌えキャラがプリントされたシャツを着込んでいた。

 ん? んん? 先輩が俺に用があるのか?

 頭の中がハテナマークで一杯になる。

 

「急にすまん、こんな場所に連れてきて。あまり人に聞かれたくねぇ話なんだ」

 

 振り返った三島くんが申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

 その姿に失礼ながら意外性を感じつつも用件を聞く。ついでになんで先輩がここにいるのかも。

 

「まあそう焦るな川平。腰を据えて話すためにも一旦ベンチに落ち着こうではないか」

 

 先輩に促されベンチに座る。俺、三島くん、先輩というよく分からない順番で。

 

「…………川平は、聞くところによるとオカルト方面に明るいと聞いているが、本当か?」

 

 急にそんなことを聞いてくる三島くん。その横顔は真剣でジッと前を見据えていた。

 どうやら大切な話らしい。俺は素直に頷いた。

 そうか、と小さく呟いた川島くんはしばらく口を閉じた。言葉を捜しているようだった。

 生唾を飲み込みながら辛抱強く口を開くのを待った。経験からしてこういう時はこっちから聞きだしてはダメなのだ。

 

「河原崎が、紹介してくれたんだ。こういう話は川平に相談するのがうってつけだと」

 

 なるほど。確かにこの人は俺の素性というか、そっち関係に明るいことを知っているな。

 三島くんは俺に向き合うと大きく頭を下げた。

 

「……頼む川平っ! 俺の妹を助けてくれ!」

 

 番長と呼ばれている剛の者が頭を下げている。大柄なその体に見合わず、今は不思議と小さく見えた。

 霊能者として手相や運勢、恋愛占いをはじめ色々な相談事を受けてきた。中には急を要するその手の相談を持ちかけられたことも何度かあったが、ここまで切羽詰った感じの相談者はいなかった。

 俺も仕事スイッチを入れて、学生としてではなく『犬神使い』の川平啓太として話を聞く。

 

「ここ二週間前から、妹の様子が変なんだ……」

 

 三島くんには小学三年生の沙耶ちゃんという妹がいるらしい。

 物静かで本を読むのが大好きな女の子だが、時々性格が変貌したのではないかと思うほど狂ったように笑い、周囲の物を壊すような行動を取るようになるとか。

 大体五分ほど暴れまわるとバタリと電池が切れたおもちゃの様に唐突に動かなくなりそのまま眠りにつくという。そして本人はその時のことを覚えていないと。

 

「お袋と親父は研究者で今は海外にいるからこっちに来れねぇ、少なくともあと一ヶ月は無理だ。俺も昼は学校、夜はバイトがあるから日頃から沙耶のことをちゃんと見てやることが出来なかった。こうなっていたのに気がついたのも、つい二週間前のことなんだ。もしかしたらもっと前からそういう兆候があったかもしれねぇ」

 

「……学校から、何か連絡は?」

 

「いや、幸い学校で何か問題を起こしたとかそういう話は聞いてない。沙耶の友達にもそれとなく聞いてみたが普段通りって話だ」

 

「……」

 

「一度病院に連れて行ったんだが、異常はなく健康体だと言われた。じゃあ何かオカルト関係、幽霊か何かに憑かれたんじゃないかと思って霊媒師のところにも向かったんだ。そしたら案の定だった……。しかもそいつが言うには沙耶に取り付いた幽霊、悪霊っていうのか? かなり強力な奴らしくてその霊媒師じゃどうにも出来ないって話だったんだ」

 

 確かに世に出ている霊媒師にもピンからキリまで色々いる。中にはその人の手に余るような奴も出てくるだろう。俺は幸いなことにまだそういう案件に出くわしたことはないが。

 力なく項垂れ、弱弱しい声を出す三島くん。もう普段の覇気に満ちた番長の姿は見る影もなかった。

 

「沙耶も、なんとなく異変に勘付いているようだった……。おかしくなったのかって泣いてた。……くそっ! どこの糞幽霊だか知らねぇがうちの妹を泣かせやがって! ちくしょうが……っ」

 

 三島くんは立ち上がると床に膝をついた。

 

「なあ頼む川平! どうか、どうか俺の妹を助けてやってくれ! この通りだ……っ!」

 

「川平、俺からも頼む。三島家とは家同士の付き合いがあり、沙耶ちゃんも俺にとって妹分のようなものだ。川平なら沙耶ちゃんを任せられる」

 

「頼む川平……! もちろん報酬は払う! 俺に出来ることならなんだってする! だから、妹を……っ」

 

 河原崎先輩も真剣な表情で頼み込んできた。三島くんも何度も頭を下げている。

 ていうか、俺受けないなんて一言もいってないんだけど。これじゃあ俺が悪者みたいじゃないか!

 まったく失敬しちゃうぜ。この川平啓太、そんな女の子を見捨てられるような畜生じゃないわー!

 

「頭上げる」

 

 俺の言葉に恐る恐る頭を上げる三島。そんな不安そうな顔しなさんなって。

 

「もちろん受ける。だから安心する」

 

「……っ、川平ぁ! お前って奴は……!」

 

 なんか三島くんの目からぶわっと滝のような涙が出てるんだけど――って、ちょ! 抱きつくなぁぁぁ!

 あ、暑苦しい! 俺の思っていた三島くん像となんか違う!

 

「うむうむ。川平なら快く引き受けてくれると思っていたぞ」

 

 そこのオタク先輩、なにしたり顔で頷いてるんだ! さっさとこの熱血漢をどうにかしやがれ!

 結局その後、満足いくまで抱きしめられる嵌めになった。

 

 

 

 1

 

 

 

「じゃあ、一度うちに来るんだな?」

 

「ん。実際に見れば、ある程度判ると思う」

 

「なるほど、わかった。俺はいつでもいいが」

 

「なら今日。なるべく早いほうがいい」

 

「それは助かるぜ。じゃあこの後直接うちに行くか」

 

 とんとん拍子で話が纏まった。

 どうやら悪霊が取り付いているとのことだし、聞く限りだと結構な頻度で表に出てきている。あまり悠長に構えてはいられない。

 なので、もうこの後三島くんの家にお邪魔して直接妹ちゃんを視てみようという話になった。

 ようこにも連絡を入れて来てもらわないとな。

 

「……あ、ようこ? うん。ちょっと急な仕事が入った。そう。すぐ来れる? ……わかった。学校前で待ってる」

 

「今のは?」

 

 電話を切ると三島くんたちが不思議そうにこちらを見ていたから助手を連れてくるとだけ言っておいた。

 助手がいるのか、と驚きや関心が返ってきたが、この辺りは詳しい説明は省かせてもらおう。

 ところで、先輩も来るのか?

 

「当然。さっきも言ったが沙耶ちゃんは俺にとっても妹のようなものなのだ。妹の身を案じるのは兄として当然のこと!」

 

 はいはい、さいですか。なんとも妹想いなお兄ちゃんなことで。実の兄も隣で重々しく頷くな。こいつらホント、シスコンだわ……。

 なんかもう三島くんのイメージがガラッと変わったわ。話してみれば結構普通な男子だし。

 って、あ――!

 

「うん? どうした川平」

 

 不思議そうな目でこっちを見る河原崎先輩だが、やっべぇぇぇ! この人のことすっかり忘れてたわ!

 もしこの人にようこたちの本性が知られたら……うん、間違いなく興味持たれるな。

 仕事中はどうにかして本性を知られないように振舞わせないと。絶対この人のことだから面倒なことになるわ、うん。

 

「ケイタ~!」

 

「……はぁ。さっそく、か」

 

 空から笑顔でようこが降ってきた。重力を感じさせない動きでそのままふわっと俺に抱きつく。

 そうだった。緊急って言っちゃったから急いでくるよな。浮遊移動だと走るより早いよね。うん、これは完璧俺の落ち度だわ。

 これはさっそくミスったか? 透明化してるから一般人の三島には見えていない様子だが、霊視体質の先輩は見えてるだろうし。

 一応、尻尾は出てないけど……。

 

「川平、そちらのお嬢さんは? なにやら空から降ってきたが……」

 

「は? なに言ってるんだ河原崎?」

 

 ようこを視認できる先輩が目を丸くして――瓶底メガネで見えないけど!――いるのに対し、三島はキョトンとしている。やっぱり三島は霊視できないようだ。

 今のうちにようこに小声で注意を呼びかけた。

 

「ようこ。仕事中は尻尾出さないで……」

 

「え? なんで?」

 

「ちょっと面倒なことになる」

 

「んー。ケイタがそういうなら」

 

 聞き分けのいい子は好きです。

 透明化を解かせて二人に紹介した。

 

「俺の助手のようこ。こう見えて結構力のある子」

 

「なるほど、さっきのは霊能力か何かか。霊能者は空も飛べるんだな……」

 

 なんか勝手に勘違いしてくれた先輩。とりあえず放っておこう。薮蛇をつつかないでもいいだろうしな、うん。

 

「ケイタの助手のようこです。よろしくね!」

 

 にこやかにお辞儀をするようこに三島くんは何故かテンパっていた。

 

「あ、ええっと……その、三島剛三郎です! あの、よろしくおねがいしますッ!」

 

「……なんで焦ってる?」

 

「ばっ……! あ、焦ってねぇし! 俺はいたって普通だ、うん」

 

 いやいやどう見ても普通じゃないから。まるで異性を意識しまくってる童貞くんが美人なお姉さんに話しかけられたかのような反応だからね。

 って、そういえば俺はもう見慣れちゃったけど、ようこもなでしこもメッチャ美人でしたね……。三島くんもその歳でオトナになってるわけじゃないだろうし。

 てことは、え? 本当に照れてるのか?

 

「くっくっく……。三島よ、お前がまともに女子と会話をしたのは数年ぶりだな」

 

「河原崎っ、てめ――」

 

「俺は河原崎直己という。川平とは友人関係でただのオタクだ。まあ、そこの初心な奴ともどもよろしく頼む」

 

「うん! よろしくね~」

 

 完全におちょくられてるな。なんとなく二人の関係がわかった気がするわ。

 三島くんの家は歩いて大体三十分くらいの距離らしい。俺の家とは反対方向でお隣さんが先輩のお宅だとか。

 なんでも二人のご両親が学生時代の友人らしく、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあったとか。

 

「ここだ。もうこの時間なら沙耶も帰っていると思う」

 

 三島くんの家は高級住宅街の一角に建てられていた。二階建ての大きな家だ。小さいながらも立派な庭がついている。

 隣には小さなマンション並みの高さがある一戸建て。こっちが先輩の家か。薫邸とは違った方面での豪華さがある。

 今度絶対突撃しようと心に決め、川島家にお邪魔した。

 

「……お邪魔します」

 

「おじゃましまーす!」

 

「邪魔をするぞ」

 

 うん。見た目相応に中も広いな。家具もそこはかとなく品をがありセンスを感じる。家主は粋な人だな!

 薫の豪邸もいいけどこんな家もいいなー。こっちは家庭的な明るさというか、アットホームな感じがするし。

 

「沙耶ー、いるかー?」

 

 二階に向かって呼びかけると、フローリングを歩く軽い音が聞こえてきた。

 二階から女の子がひょこっと顔を出す。

 

「お帰りお兄ちゃん。……お客さん?」

 

 女の子は川島くんを見て、次いで先輩に視線を移し、そして俺とようこに目を向けて小さく首をかしげた。あら可愛らしい……。

 とことことこ、と降りてきた女の子は三島くんの服をきゅっと握ると、兄を盾にしながら俺たちを盗み見た。

 内気な子だな。恥ずかしがり屋かな?

 

「……お兄ちゃんの、お友だち?」

 

「ああ、兄ちゃんの友達の川平だ。今日は沙耶に会いに来てくれたんだぞ」

 

「沙耶に会いに?」

 

 こてんと首を傾げる妹ちゃん。

 同じ目線になるように腰を落とした俺はなるべく威圧感を与えないように、努めて表情と声を緩めた。

 

「……こんにちは。三島くんのお友達の川平啓太だ」

 

「……三島沙耶です」

 

「……」

 

「……」

 

 しばし見つめ合う俺と妹ちゃん。

 兄の陰から出てきた妹ちゃんは俺の前まで来るとジーと穴が開くくらい凝視してきた。

 俺も身じろぎ一つしないでジーと妹ちゃんの顔を見つめる。

 そして――。

 

『よろしく』

 

 硬く握手を交わした。

 数秒で打ち解けた俺と妹ちゃんに三島くんたちが驚いている。

 いやー、なんかこの子とは波長が合うというか、シンパシーを感じるわー。

 妹ちゃんも幾分か緊張を――警戒を解いたようだ。リラックスした様子でボーっと俺たちを眺めていた。なるほど、この意識が彼方に飛んでるような空気が妹ちゃんのデフォなんだな。

 ま、それはいいとして。

 

「……今日は沙耶ちゃんに会いに来た。最近、意識が無くなるって聞いたけど、本当?」

 

「うん……。数分だけだけど、沙耶覚えてないの」

 

 やはり不安なのか瞳が揺れている。

 俺は安心させるように肩に手を置いた。

 

「そう、大丈夫。お兄ちゃんはそれをなんとかしに来た」

 

「……っ! 本当?」

 

「うん。こう見えてお兄ちゃん、すごい人だから。ささっと治してあげる。だから、もう怖がらなくていい。安心して」

 

 結構精神的に追いつめられていたのだろう。妹ちゃんは三島くんに抱きつくと小さく肩を震わせた。

 三島くんは声を殺しながら泣く妹ちゃんの優しく背中を叩いた。

 こりゃなんとしても退治せねばな。妹ちゃんのためにも、妹想いな川島くんのためにも。

 しかし――。

 

「……どうだ川平。なにか分かったか?」

 

 先輩が小声で聞いてきたのに対し軽く頷いた。

 

「悪霊の仕業なのは間違いない。沙耶ちゃんの体に霊力の残滓がある。けれど、どうやら今は沙耶ちゃんから離れてるみたい」

 

 妹ちゃんの体には僅かな負の霊力が付着していたから、変貌の原因が悪霊なのはまず間違いないだろう。しかし、その肝心の悪霊が妹ちゃんの体から離れてどこかに行っているようだった。

 恐らく常時取り憑いているのではなく、その時々に憑いているのだろう。

 稀なケースだがこういうタイプの霊はいる。大抵の場合憑く対象の近くに隠れているものなのだが――。

 

「……ようこ。見つかった?」

 

「ううん、ダメ。この家全体調べてみたけどそれらしい気配はなかったよ」

 

 透明化して家内を捜索していたようこが首を振った。

 やっぱりか。それらしい気配がまったく感じられないからもしやと思ったけど。

 隠密性の高い悪霊とか、メンドくさい奴が出てきたなぁ……。

 

 




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第四十話「級友(下)」


 H.28 12/19 仙界で術関係を学んだ仙人の名前を変更。【探耽究求】は名前だけ灼眼のシャナから拝借しました。



 

 

 今回の悪霊は隠密性に優れているようだ。

 普通の悪霊と比較するとちょいと面倒な相手だが、まあそれならそれでやりようはある。

 兄に縋っていた妹ちゃんが落ち着いたてきた頃を見計らい、いくつか質問をした。

 

「いつから変だなって思った?」

 

「一週間くらい前から……」

 

「なんで変だなって思った?」

 

「時々記憶がないの。起きたら物がこわれてて……。病気じゃないかなってお医者さんに行ったんだけど、変なところはないって」

 

「なるほど。いつ頃記憶が無くなる? 昼間? それとも夜?」

 

「う~ん、夜……かな?」

 

「記憶が無くなる前に気がついたこととかある?」

 

「……そういえば。少し寒気がする、かな? でも沙耶の勘違いかもしれない」

 

「そう……わかった。ありがとう」

 

 それじゃあ今度は三島くんだな。ヘイ、お兄ちゃん! ちょっと話を聞かせてくれよ!

 本人に聞かれないように妹ちゃんから少し距離を取る。あ、ようこは妹ちゃんの相手をしてあげて。

 

「どのくらいの頻度で悪霊がくる?」

 

「そうだな……ここ最近だと頻繁だな。前に沙耶がおかしくなったのが一昨日だった」

 

「ん……。三島くんから見て、今日悪霊は来ると思う?」

 

「……多分、来るな。最近は一日置きで暴れまわるから、恐らく今日か明日辺りにでも」

 

 ふむふむ、なるほどね。だとすれば結構早く解決できるかもしれんな。

 俺がいる日に悪霊が出てきてくれる。いくら隠密性に優れていようが向こうからやってくるのなら祓うのはさして難しい話ではない。問題なのはどうやって居場所を特定するか、だったからな。

 まさに飛んで火にいる夏の虫。

 やっこさんも退魔師がいるなかで憑依しようとは思わんだろうから、ようこには奴が来るまで離れていてもらって、俺も霊力を抑えておこう。

 よしよし。だいぶプランが固まってきたぞ。

 

「それで川平。結局沙耶ちゃんの変貌は悪霊の仕業なのか?」

 

 おっといけない。その辺りのことを詳しく説明してなかったな。

 先輩の問いに肯定し、詳しい説明を始めた。

 

「……間違いない。本人の体に霊力の残滓が残ってた」

 

「霊力?」

 

「……まあ、指紋のようなもの。指紋が人それぞれ違うのと同じ。霊力の質も人それぞれ違う。ましてや負の霊力、悪霊以外考えられない」

 

「そうか、やっぱり霊の仕業なんだな……。それで、その悪霊はまだ沙耶に取り憑いているのか?」

 

 妹の身が心配なのだろう。不安そうな面持ちを浮かべていた。

 

「大丈夫。今は沙耶ちゃんの体から離れている」

 

「そうか!」

 

「でも――」

 

 ぱあっと花が咲いたかのように顔を輝かせる三島くんを遮って、言葉を続けた。

 喜んでるところごめんね。でもこれを言わないとぬか喜びさせちゃうから。

 

「このままだとまた同じことになると思う。肝心の悪霊を退治しないとダメ」

 

「ちっ、そうか……。その悪霊がどこにいるのか分かるか?」

 

「そこまでは。かなり隠密性に優れてる。見つけるのは難しい」

 

「マジかよ……」

 

 肩を落とし落胆の色を隠せない。しかしそんな三島くんを安心させるように先輩が肩を叩いた。

 

「安心しろ。川平ならなんとかしてくれるさ。なあ川平!」

 

 うっ、正直そんなに期待を寄せられるのも困りものなんですけど。まあなんとかしますけどね!

 任せろと言外に頷き返し、固めていたプランを提示した。

 俺の説明を受けていた三島くんは段々と顔を輝かせ、やがて獰猛に笑った。

 

「なるほどな。それならどうにかできそうだ」

 

「問題は奴が現れるか、だな」

 

「腰を据えて挑む」

 

 二人は小さく首肯して俺のプランに賛成してくれた。

 さて、後は妹ちゃんにも協力してもらうために簡単に説明しないと。インフォームドコンセント、インフォームドコンセント。

 不安を与えないように説明するのって結構頭を使うんだよな、こういうのって。

 膳は急げと言うことでようこにある道具を自宅から取りに行ってもらっているうちに、妹ちゃんの協力を得るための説明をする。不安を抱かせないように所々ぼかしながら五分、なんとか了承を得ることができた。

 

「ケイタ持ってきたよ~。これでいいの?」

 

「ん。ありがとう」

 

 ようこが持って来てくれた鞄を受け取り、軽く頭を撫でる。なんかお使いばかり任せてすまんな。

 一応、鞄を開けて中身をチェック。入れっぱなしだったから多分大丈夫だとは思うが……うん、ちゃんとあるな。

 数点ある道具のうち筆と墨汁を取り出した。

 

「習字?」

 

「ん……。書くのは文字じゃないけど」

 

 習字道具のそれをセット。霊力を注いだ墨に筆を浸す。

 さて、と。

 

「じゃあ、お願いできる?」

 

「……うん、恥ずかしいけど。こっち見ないでね?」

 

 頬を紅潮させた妹ちゃんが上着に手をかけたのを見て男衆は回れ右。背後で衣擦れの音がする中、小さく「……いいよ」と声が掛かった。

 振り返ると羞恥で顔を染めながら真っ白い背中を晒している妹ちゃんの姿が。上着で体の前面を隠しているとはいえ、やはり肌を晒すのは女の子にとってはとても恥ずかしいのだろう。

 妹ちゃんのためにも一秒でも早く済ませよう。さもないと、大魔王お兄さんが降臨しちゃう。

 殺気が鋭利な刃物となって背中にグサグサ刺さる中、墨汁が染みた筆を手に取った。

 

「始める。くすぐったいだろうけど、我慢して」

 

「う、うん。がんばる」

 

 では――。

 背中の中央ライン、肩甲骨の高さ――第五胸椎あたりに筆を置き、大きく円を描く。

 

「ん……!」

 

 続いて円の内側にもう一つ円を。円と円の間に出来たスペースを神代文字というアルファベットのような文字で埋めていく。

 次に円の中心に五芒星を描き、これまた神代文字をちょこちょこと付け足していく。

 

「ひぅっ……、んっ、ふぅっ……」

 

 しかし、仙界(向こう)で習った知識って意外と役立つんだよなぁ。俺の戦闘スタイルは後方支援じゃないからあまり使わないと思ってたけど。

 神言文字に楔形文字、梵字などどこの考古学で習うのこれって言いたくなるものを教わり、術の理念を習い、数々の術を構成している文字や記号の意味を叩き込まれたあの地獄の日々。前世の謎知識は糞ほどの役にも立たず、毎日知恵熱を出してたなぁ。まあそんなコンディションで師匠の修行や体作りに励んでた俺も俺だけどね!

 探耽究求の教授、教えてくれてありがとうございます! 当時は超スパルタだったからマジ泣きそうだったけど習った術、結構使えますよ!

 

「ん。これでよし」

 

「……できた?」

 

 妹ちゃんの背中に特性の墨を走らせた俺は完成したそれを見て満足げに頷いた。

 肌を筆でくすぐられて身をよじるのを我慢していた妹ちゃんは大きく息をついた。いやー、我慢してもらっちゃってゴメンネ!

 妹ちゃんの背中には魔方陣のような紋様と呪文が中央に描かれている。特性の墨に霊力を宿して書いたものだから乾けば肌と同化して墨が見えなくなるし、お風呂に入っても落ちることはない優れものである。

 前を服で隠していた妹ちゃんに礼を言い、上着を着てもらう。

 事が終わるのを傍でじっと見守っていた三島くんが近づいてきた。

 

「これで大丈夫なんだな?」

 

「ん。その道のプロから教わった術式だから、問題ない」

 

 まあ術の類はあまり得意ではないけどね。

 

「そうか……。じゃあ後は仕掛けをして待つだけだな」

 

「ん。早速準備する」

 

 鞄の中から拳大ほどの水晶玉をリビングに、等間隔になるように六つセットする。

 あまり活用する機会がなかった商売道具だ。今回は大いに活躍してもらおう。

 起動鍵を設定して……と。

 よし、これで準備OK。あとは獲物が引っかかるのを待つだけだ。

 

 俺の考えた作戦はいたってシンプルだ。

 まず悪霊対策その一として、リビングの四隅に水晶玉を設置。こいつを起動させると簡易結界を張ることができるため妹ちゃんには今日、明日となるべくこのリビングで生活してもらう。

 恐らく悪霊が活動を始めるのは夜だ。なので就寝の際もリビングで寝てもらい、悪霊をこのリビングへ誘い出す。もちろん一人だと怖いだろうから、寝るときは三島くんも一緒です。

 そして、妹ちゃんの背中には悪霊対策その二として俺手製の術式が書いてある。効果は悪意ある者の干渉を防ぐというもの。要は「こっちくんなっ」だ。

 これで悪霊が妹ちゃんに憑依しようとしても弾き出される。そして弾かれたところに結界を発動させて袋の鼠にするのだ。妹ちゃんたちにはすぐさま後退してもらい俺が盾となるため身の安全性もばっちり。某セキュリティ会社顔負けのディフェンス能力を見せ付けてやるぜ。

 悪霊がやってくるのは今日か明日と睨んでいる。そのため俺とようこは明日まで三島くんの家に泊めてもらうことになっている。

 まあ要約するとだ。

 

 妹ちゃんに干渉妨害の術式を施し、リビングに結界を張れるアイテム設置。

 ↓

 悪霊、そうと知らずノコノコやって来ては妹ちゃんに憑依しようとするも失敗する。

 ↓

 混乱している隙に乗じて結界発動。貴様はもう逃げられない!

 ↓

 バーカバーカ、悪霊のばぁぁぁかっ、絶望を抱いて溺死しろ!

 

 と、こんな感じのプランである。俺たちが滞在しているときに来てくれればあり難いんだけどなぁ。

 まあ気長に待ちますか。来ないなら来ないでまた考えればいいし。

 

 その日の夜は三島くんの手料理をご馳走になりました。

 うちのなでしこと負けず劣らずの料理だった。なんでも仕事の都合上両親が不在がちなため妹ちゃんの料理は三島くんが作っているらしい。だからエプロンがよく似合うんですね。

 妹ちゃん想いな上に熱い性格、家事も得意で料理は絶品。

 ……やべぇよ。もう今日だけで三島くんのイメージが完璧に砕け散ったよ。もう粉々。

 なんでこんな人が番長だなんて呼ばれてるんだろうか。

 疑問に思った俺は湯船に漬かりながら聞いてみた。え? 今どこかって? お風呂だよ。お・ふ・ろ!

 なんか知らんが今日一日でめっちゃ仲良くなった俺たちは親睦を深めるという名目で裸のお付き合いをすることになった。発案者はオタク先輩である。

 ようこも妹ちゃんと一緒にお風呂に入った。まあ護衛が必要だからね。きゃいきゃい楽しそうな声が聞こえてきましたよ。

 

「ああそれな。俺が一番知りたいわ」

 

「クックックッ、川島が番長とは……。まあ確かに頷ける見た目はしているがな」

 

 そして語られる番長秘話。その真実を聞き、俺は無言で湯船に沈んだ。

 

 

 

 1

 

 

 

 その時はなんの前触れもなくやってきた。

 夜十時を回ると、妹ちゃんは眠たそうに船をこいでいたため俺たちも早めに寝ようと布団を出した。とはいえ寝るのは俺とようこを除いた皆。俺たちは寝ずの番をするつもりだ。

 一日の徹夜くらいどうってことはない。修行時代は精神修行と称して七日間不眠で座禅を組んだこともあったし。

 ちょっとしたお泊り会のような浮かれた空気が流れるなか、そろそろ寝ようかと照明を切ろうとした時だった。

 

 ――空間からにじみ出るように黒いもやが出現した。

 

 それらは一箇所に集まり人魂のような形を取ると、キヒキヒ気持ち悪い思念を漏らしながら、ふらふら~と妹ちゃんの下に向かった。

 妹ちゃんは突然現れたそいつを見て身体を凍り付かせている。三島くんたちも硬直してしまい身動きが取れない様子だった。

 そいつは何事もないように妹ちゃんの中に入っていき――。

 

『キヒッ!?』

 

 バチッと電気が流れるような音が響き、強制的に弾かれた。拒絶の術式は思惑通りの結果をもたらしてくれたようだ。

 

封鎖結界起動(バイタルク・リ・ディアンテ)!」

 

 リビングの六ヶ所にセットした水晶玉を起動させる。淡い光を灯した水晶玉がそれぞれに光の筋を結び、リビングを囲う六芒星を形成。

 簡易結界が張られ、リビングと外界を切り離した。

 急に現れた魔法陣に驚く三人を手招き、俺の後ろへ。

 よーし。これで思い通りの状況に持っていくことが出来たぞ。

 

『キヒヒヒヒッ』

 

 悪霊はキヒキヒと訳の分からん声を上げながら俺たちと対面した。

 そいつの外観は一般的な人魂を少し大きくしたものだ。大体、人の頭くらいの大きさである。

 全体的に淀んだ黒。瘴気のようなモヤを漂わせおり、二つの鋭い眼光が灯っている。

 ようやく罠に嵌められたと気がついたらしい。リビングから出られないと悟るや否や、こちらを睨みつけてきた。

 どうやら俺たちを敵と認識したようだ。

 

『キヒッ、キヒヒッ』

 

「……気持ち悪い奴。さっさと片付ける。――ようこ、じゃえんはなしで」

 

「うん!」

 

 三人を背中に庇いながら短刀を一本創造する。他所のお宅で暴れ回るのはご法度だからな。

 突然取り出した刃物に三島兄妹が目を丸くした。凄いんだか凄くないんだか微妙な手品を見たような反応は止めてください。

 弁解するわけじゃないけど。弁解するわけじゃないけど! 背後を一瞥してボソッと一言呟いた。

 

「……霊能力」

 

「そ、そうなのか」

 

「すごいね……」

 

 だからその気遣うような目は止めなさいって!

 ええい、もういい! お前らは大人しく庇われていなさい!

 

『キヒッ!』

 

 悪霊はその身体から炎の玉のようなものを飛ばしてきた。

 難なく爪でなぎ払ったようこは一気に接近して凶爪を振るう。鉄すら切り裂く爪だ。食らえばひとたまりもないだろう。

 だがまあ、この程度でやられるわけが――。

 

『キヒィィィィィッ――――!』

 

 避けるか防ぐか、なにかしらの行動を起こすと思っていたのだが、悪霊は素直にようこの爪をその身で受けた。

 断末魔の悲鳴を上げながら切り裂かれる悪霊。今の一撃は悪霊にとって致命傷だったのか、負の霊力を辺りに撒き散らしながらやがて消滅した。

 は……? もしかして本当にこれで終わり? ……えー、なにこの消化不良ー。

 戦闘力、たったの五だよ! ゴミ虫だよ!

 なんか俺の中でこれじゃない感がすごいあるんだけど……。まあでも、これで妹ちゃんの生活と平和が守られたのならよかったんだよね?

 はぁ、なんか無駄に疲れた。

 最後の後始末として残留した負の霊力を浄化してと。うん、これでよし。

 

「終わったのか……?」

 

「ん、終わった。もう大丈夫」

 

「思いのほか呆気なかった気がするんだが川平」

 

「同感。でも、沙耶ちゃんに付いてた負の霊力も一緒に消えたから。これで解決」

 

 妹ちゃんにも、もう大丈夫だと告げると大きく表情を緩めた。安心したようで、ふにゃふにゃに腰が抜けてる。三島くんも安堵の吐息を零し礼を言ってきた。

 ああ、いいのよいいのよ。これが俺のお仕事なんだから。

 もう大丈夫だとは思うけど今日はこのまま泊まっていくとしよう。ないとは思うが、悪霊違いなんてことも考えられるし。

 ん? ああ、報酬ね。お金は要らないよ。別にクラスメイトからお金を無心するほど性悪じゃないつもりだし。

 そうだなぁ~。まあ考えておくさ。

 

「ん……。ようこ、よくやった。えらい」

 

「えへへ~。ケイタの撫で撫でって気持ちいいから好きっ」

 

 悪霊を退治したようこの頭を撫でる。ようこも頬を緩ませて機嫌よさそうに尻尾を振っていた。

 ……ん? 尻尾を振っていた?

 

「――お、おおおお、おじょ、おじょう……ッ」

 

 ハッと反射的に振り返る。

 そこにはこれでもかと目を大きく見開き、口をあわあわさせた先輩の姿があった。

 先輩の目はある一点に釘付けになっている。

 その場所を辿ると、やはり嬉しそうにブンブンと振られた大きな尻尾。

 

「ぉぉぉぉおおおお嬢さんんんんんんンン――――ッ!!」

 

「ひゃあっ! な、なに!?」

 

 異様なまでに目を輝かせた先輩は俊敏な動きで背後に回りこみ、至近距離からようこの尻尾を凝視した。俺の目でも一瞬追いきれなかったとは、やはりこの人侮れない。

 

「おおおぉぉ……! この大きさ、この動き……! 明らかに作り物のそれと一線を画している……まさに本物ッ!」

 

「な、なっ、なっ……」

 

 ようこの今日の服装はカジュアルな半袖のTシャツとスカート。スカートは膝上数センチと少し短めのものだ。

 尻尾を隠しているときは問題ないが今は露出させて、しかも上機嫌に振られているとなると、その分スカートは捲れるわけでして。

 そしてそして、尻尾を凝視しているということはすなわち、お尻を凝視しているのと同義で。

 

「本物の『猫娘変化』だァァァァァ!!」

 

「しんじゃえ変態! しゅくちっ! だいじゃえんっ!」

 

 顔を真っ赤にしたようこは指先に霊力を集めて周囲のものを瞬間移動させる能力【しゅくち】を発動。先輩を庭に移動させると特大の炎を生み出しオタクを丸焦げにした。

 あれでもちゃんと火加減はしているみたいだ。黒焦げになりながらもピクピクと痙攣している。

 ま、まあ正当防衛ということでスルーするか。今のはどう考えても先輩が悪いんだし。

 あぁ、しかしまあやっぱり先輩にはバレてしまったか。大の獣娘好きなオタクだから、これから面倒なことになるんだろうなぁ……。

 

 

 

 2

 

 

 

「は? 本当にそれでいいのか?」

 

 翌日の放課後。昨日と同じく俺たちは屋上でダベっていた。

 すでに三島くんに向ける姿勢や考えは百八十度異なり、旧知の仲のような気軽さで以って接することができる。この威圧的な外見も中身を知った今となれば、ギャップとして好意的に受け止めることができた。

 あれから妹ちゃんの様子を聞いて、特に異常はないと判断。このまま経過を見て問題が出なければ、この依頼は達成となる。

 と、なると次に話し合わなければいけないのは依頼の報酬について。

 三島くんはバイト代から出せるだけ出してくれると申し出てくれるのだが、流石にそれを受け取るわけにはいかない。

 ということで、足りない頭をフル回転させて出した答えが――。

 

「だけど、友達になることが報酬だなんて……。いくらなんでも割に合わないぞ」

 

「大丈夫。他ならない俺が納得してる」

 

「そりゃそうだが……」

 

 急に赤ん坊を預けられた子育て経験のないパパさんのように太目の眉を寄せて困った顔を披露する三島くん。

 

「うぅむ……」

 

 腕を組んで難しい顔をするが、そこまで考え込まなくてもいいのに。

 

「俺、友達少ない。新しい友達は歓迎」

 

「それで報酬として俺と友人になると?」

 

「ん。なにか問題でも?」

 

 そう言うと、一瞬キョトンとした顔を浮かべた三島くんは豪快に笑い出した。

 大気が震えるような大きな声だった。

 

「ハッハッハッ! 確かに、なにも問題はねぇな! わかった。今日から俺と川平は友達だ!」

 

「ん。よろしく」

 

「おうっ、こちらこそよろしくな!」

 

 友好の証として硬く握手をする。三島くんの手は見た目相応に大きくゴツゴツして、そして温かかった。

 

「……そういえば、なんで時々睨む?」

 

「お前がモテない男子の敵だからだよ!」

 

 なにその理不尽。

 まあいいや。これでまた一人友達が増えたんだし。やったね啓太!

 

「かわひらあああぁぁぁぁぁぁぁ――――――っ、けいたあああぁぁぁぁぁぁ――――――っ!!」

 

 ああ、また来ましたか……。

 屋上の扉を蹴り開けてやってきたのはオタク先輩、河原崎直己。

 予想通り先日のようこの一件以来、付き纏ってきた。

 ようこに合わせろようこに合わせろと五月蝿い。

 正直無視してもいいのだが先輩には恩があるし、なによりこの人がケモノ娘に向ける情熱は純粋なものと理解しているから断ろうにも断れずにいる。

 だけどなー、肝心のようこがなー。あれ以来先輩のこと毛嫌いしているというか、警戒してるからなー。

 さて、どうしたものか。ようこさんともう一度会わせてくれと、肩を揺さぶられる。

 とりあえず先輩の頭にチョップを入れておいた。

 

 




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第四十一話「もふもふもふもふもふ」


本日二度目の投稿。



 

 

 今日もパソコンを立ち上げ、流れるようにメールアプリを起動させる。

 ずらっと並ぶ未読のメールマーク。よくわからん広告や迷惑メールを除き、それらの一つ一つを確認から川平啓太の一日が始まる。

 

「いい風ですね~」

 

「だね~」

 

 テーブルに座ったなでしことようこが気持ちよさそうに風に当たっていた。

 窓から拭きぬける五月の風が首筋を優しく撫でる。気持ちの良い朝で気分も穏やかだ。

 メールの送り主のほとんどは依頼主によるもの。その後の様子や近況報告だったり、今度は遊びに来てくださいね的な話だったり、中には新規の方でこういうことがあって困ってますメールだったりと内容は様々だ。

 マウスのホイールをスクロールさせて全て読む。未読はたったの十二通だからものの十分で返信を終えた。

 

「……ふむ」

 

 次に自前のサイトをチェック。

 あなたのオカルト的な悩みを真摯に受け止め、適切なアドバイスをいたします。退魔が必要の場合は管理人である『ケータ』が直ちに出撃いたしますのでご安心ください。という謳い文句から始まる俺の仕事専用サイト。

 流石にメールだけで済ませるのは色々と不便があると婆ちゃんからアドバイスを貰い、ならばと開設したのがここオカルト専門相談室【月と太陽】だ。

 完全会員制であり、ホーム画面には太陽と月をイメージした二人の少女が背中合わせで座っている図がレイアウトされている。その下にログイン画面が存在する。

 サイトのコンテンツは掲示板。利用者は掲示板で簡単に相談内容を書き込み、その場でアドバイスできるようなら管理人が返信。込み入った内容になりそうなら利用者が登録したアドレスにメールを送る仕組みになっている。

 このサイトの強みは【満月亭】と同じく、利用者たちによる情報共有にある。こういうことがありました、ああいうことがありました。色んな霊的事件を見聞きすることで見聞を広めることができる。また、他で似たような悩みを抱えた人に対してアドバイスを送ることも可能だ。

 さらには口コミとしてこのサイトの存在を広く周知されれば俺も利用者も嬉しい。まさにウインウインな関係だ。

 サイトを開設したのが昨年の九月であり、今ではそこそこ利用者が増えてきている。

 会員数は六十九名。内三十三人の方が現在も悩みを抱えている。悩みを解決できたら解約するか、それとも会員のままでいるかは本人の自由である。

 とはいえ時間は有限。こちらにも都合というものがあるため出張が必要な場合は先立って予約を入れる必要がある。そのため俺のスケジュール帳には三ヶ月先までみっちり予定が埋まっていた。

 この辺のスケジュール管理はなでしこが一任してくれており、彼女の管理能力は極めて高い。無駄を省きかつ余裕を持ち、緻密にスケジュールを立てるため、仕事においてはまるで秘書のような振る舞いをしてくれる。本当になでしこには頭が下がる思いだ。

 

「新規は、二名様……と」

 

 カチカチッと小気味良いクリック音が鳴る。

 よし。取りあえず一通りのチェックは終わり、と。

 しかし僅か半年ちょっとでアクセス数八万弱か……。昨日のアクセス数が五百四人。多いのか少ないのかよくわからんな。

 

「終わりましたか啓太様?」

 

「ん」

 

「それではご飯にしましょうか。昨日は良い鯵を頂いたので塩焼きにしました」

 

 ほほう、鯵の塩焼きか。シンプルで美味しそうだ。

 なでしこの腕もメキメキと育ち、とどまるところを知らない。今ではようこに簡単な料理を教えているようで、よく二人仲良くキッチンに立っているのを見かける。

 鯵の身を解しながら絶妙な塩加減を堪能していると、ふとようこの箸使いが目についた。

 少し覚束ないが、それでも当初の頃に比べれば綺麗な箸使いだ。ここに引っ越してきた頃はグーで握り締めて器用に食べてたからな。

 それを指摘するとようこは恥ずかしそうに笑った。

 

「頑張ったんだよ? ケイタもなでしこも綺麗に食べるから、わたしもそうしよって」

 

「ん。いいこと。えらいえらい」

 

 良いことをしたら褒める。良いことしなくてもとりあえず褒める。悪いことしたらちゃんと叱る。うちの教育方針である。

 なので手を伸ばし、ようこの頭を強めに撫でた。

 

「えへへ……」

 

 くすぐったそうに首をすくめるようこ、マジ可愛い。そしてそんなようこを穏やかな眼差しで眺めるなでしこ。

 まるで自分の娘が褒められた母親のような目だ。いつから貴女ようこの母親になったんですか。

 ようこもそうだが、なでしこも結構変わったよな。以前ならこうするだけですぐにあの威圧感溢れる笑顔を浮かべてたんだから。

 

「啓太様、いつまで撫でているんですか?」

 

 物思いに耽っていた俺はなでしこの硬い声を聞き我に返った。

 俺の左手はオートでようこの頭をこれでもかと撫でていた。なでしこさんのニコ顔、久しぶりに見ましたはい。

 手を退けてもしばらくなでしこのニコ顔は治まらず、ようこはエデンに意識を飛ばしたままだった。

 

 

 

 1

 

 

 

「……っ!」

 

「啓太様?」

 

「どうしたのケイタ~」

 

 麗らかな日和の午後。

 土曜日で学校は休み。仕事の予定も入っていないため家でのんびり日に当たって過ごしていた俺は、ふと頭に過ぎったある事実を目の当たりにして飛び起きた。

 一緒に日向ぼっこをしていたようこが寝ぼけ眼で身体を起こす。一人ちくちくと編み物をしていたなでしこも、鳩が豆鉄砲を食らったかのような驚きの表情を浮かべていた。その頭とお尻にピンと立った耳と尻尾を視た気がした。やはりそうなのかもしれない……。

 しかしどうしよう。自覚した今となっては結構重大だぞこれ。おぉ、禁断症状が……!

 プルプル震える手を押さえ、苦悩する俺になでしこたちが眉をハの字にして、こちらの身を案じる気遣った目を向けてきた。もっぱら頭の残念な人を見るような目にも見えて地味にダメージを負ったけど。

 

(いや、今はそんなことより……!)

 

 今まで滅多に見せたことがない真剣な顔。それこそ最終決戦に挑む兵士のような顔つきでなでしこたちと向き直った。

 何か感じ入るものがあったのか、なでしこたちも居ずまいを正した。

 重々しくなりがちな声をなんとか取り繕い、努めて雰囲気を暗くしないように心がける。

 こほん、と咳払いをして改めて二人の顔を見た。

 真剣に俺を見つめ返してくる犬神たち。

 心は決まった――。

 

「……二人には、言わなければいけないことがある」

 

「なんでしょうか?」

 

 なでしこが優しく聞いてくる。俺に負担をかけないように配慮してくれているのだと分かった。

 今はその心遣いが嬉しい。幾分か心が軽くなったのを自覚しながら、俺は重大な事実を二人に明かした。

 

「俺は…………もふもふが、好きなんだ」

 

 しばし、静寂が世界を包んだ。

 ようこは目を瞬かせ、なでしこは笑顔が凍りついた。

 なんともいえない気まずい空気が流れる。

 

「えーと……はい?」

 

 なんと反応を返せばいいのか困っているなでしこたちに一から説明する。

 もともと俺は動物などもふもふした生き物に目がないこと。特に尻尾をもふるのが大好きで実家にいた頃はよくはけの尻尾をもふらせてもらっていたこと。ここに引っ越してきてからは全然もふっていないこと。最近は色々と忙しく生活に潤いというか癒しが足りていないのではと思い始めたこと。

 そんな思考の渦に呑まれ、行き着いた先が。

 

 ――I need more MOHUMOHU…….

 

 正直、引かれるかなーと思わなくもないが、実際結構切実な問題なのだ。俺の中では。

 なので、彼女たちに頭を下げて頼み込んでいるのだ。真摯に、真剣に。

 もふらせてください、と。

 

「ええっと……」

 

 突然の告白とお願いに当惑するなでしこ。ようこはそこまで深く考えていないのか、ふーんとむしろ興味深げにしていた。

 やっぱり引かれたか?

 

「……だめ?」

 

 いやね分かってるよ? 分かってますよ? なでしこもようこも女の子だもん。こんなことを突然言われたら普通なに言ってんだコイツって思うよ。

 尻尾をもふるだけで他意はないけど場合によってはセクハラで訴えられてもおかしくないもの。

 だけどね、それでもだ。自覚した今、啓太さんの心は非常に癒しを求めております。もふらせてはくれないのでしょうか?

 自然と上目遣いになり懇願する主になでしこさんが苦笑する。

 変な要求をされた近所の子供を相手にしているお姉さんのような顔だった。

 

「もう、仕方ないですね啓太様は。そんなに、その……尻尾が好きなんですか?」

 

「大好き」

 

 というより、もふもふが好きです。

 

「ふーん、もふもふが好きなんだ。いいよ、ケイタ。わたしの尻尾もふもふさせてあげる!」

 

 どろん、と大きな尻尾を出して俺の前に置くようこ。

 ようこの尻尾は狐色で全体的にもっさもっさしている。ギュッと握れば小さな束が出来るほど毛深い。

 それでいてさわり心地も悪くなく、確かな弾力を返してくる。なでしこの尻尾を『さらさら』とすれば、ようこの尻尾は『もっもっ』とした感じだ。分からない? 安心しろ、ニュアンス百パーセントだから俺も分からん。

 ようこなでしこも、週に最低一度はコミュニケーションの一環としてブラッシングを行っているため、彼女たちの尻尾の触り心地は既に身体に刻み込んでいる。しかしやはりブラッシングという名目があるため露骨かつ長時間触れることが出来なかったのが辛かった。……辛かった。

 お腹を空かせているのに、目の前に大好物の肉を置かれて『待て』をされた犬の気持ちがわかるというものだ。

 しかし今、そのようこさん本人からお許しをもらえたのだから、もう我慢しなくてもいいよね。

 でも、一応念のためもう一度確認しておこう、うん。

 

「……本当に、いいの?」

 

「いいよ。ケイタ、わたしの尻尾……たくさんもふもふして?」

 

 俺は自重を止めるぞぉぉぉぉぉ――――!

 晴れてお許しをもらった俺はタガが完全に外れたのを自覚した。

 もう自分を抑えることはできない。否、する必要がない。だって……。

 ――桃源郷はここにあったんだから。

 

「もふもふ……」

 

 ようこの尻尾を握り、まずは弾力を確かめるようにギュッギュッと力を入れる。間違えても力を込めすぎてはいけない。痛がるしせっかくのもふもふを痛めてしまうからね。

 発明した新薬の効力をサンプルで確認する医学者の如く真剣な面持ちで尻尾をもふる。

 

「もふもふもふ……」

 

 にぎにぎすると尻尾がピクンと反応し、それが面白くまたにぎにぎしてしまう。

 一旦手を離すとぶんぶんと掌の中で尻尾が往復した。どうやらようこも尻尾を可愛がられて嬉しいようだ。その動作もまた愛らしく再びもふもふしてしまう。

 やはりもふもふは素晴らしい。心の潤い、オアシスだ。

 

「もふもふもふもふ……」

 

「やぁん、ケイタったら。手つきがエッチー」

 

 ようこが身体をくねらせて何か言っているが、まったく耳に入らないし気にならない。今はそんなことよりも尻尾をもふもふするのに集中する。

 

「もふもふもふもふもふもふ……もふー」

 

 もふー!

 

 

 

 2

 

 

 

「もふもふもふもふもふもふ……もふー」

 

 啓太様が夢中になってようこさんの尻尾をにぎにぎ握っていると、唐突にそんな奇声――鳴き声? を発しました。

 それまで正座をしてようこさんの尻尾を堪能していたのですが、啓太様の中で何かが振り切れたのか上体を投げ出し、尻尾に抱きついたのです。

 

「ひゃあんっ! け、ケイタ?」

 

「もふもふ~」

 

 普段の啓太様からは考えられない姿。ここまで誰かに甘える啓太様は見たことありません。表情ははっきりと判るほど緩んでいます。

 珍妙な鳴き声を上げながら尻尾に抱きつき頬ずりしています。一見して普通の精神状態ではないと判りますが、ここまで楽しそうだと邪魔をするのも憚れるというものです。

 それに――。

 

「け、ケイタ! そこはダメっ、やん……! な、なんでこんなにっ、尻尾触るの上手なの……!?」

 

 快感、なのでしょうか。

 啓太様に尻尾を弄られるたびにようこさんの身体がビクッと反応し、艶かしい甘い吐息を零しています。

 私たちもようこさんも尻尾は特別敏感な場所ではないのですが。なんだか、見ているだけで胸がドキドキしますね……。

 でも、ようこさんばかりズルイです。

 

「あの、啓太様? その……」

 

「もふ?」

 

「わ、私の尻尾も……もふもふ、しませんか?」

 

 ああっ、言ってしまいました! わ、私ったらなんてはしたないことを!

 啓太様、引いてませんよね? 卑しい女だと思われてませんよね……?

 

「もふー」

 

 よかった大丈夫のようです。

 普段は隠している尻尾を出すと啓太様は歓声を上げました。ゴロゴロゴロと畳みの上を転がりようこさんから離れると、そのまま私の尻尾に飛び込んできます。

 

「きゃっ」

 

「んふ~」

 

 尻尾に顔を埋めて頬ずりしてきます。バタバタと楽しそうに足をバタつかせるのは良いですが、これはちょっと恥ずかしいです!

 しかし啓太様は私の葛藤などお構いなしで尻尾に夢中になっています。

 

「あっ、ふぅ……くぅぅっ、ひぅっ」

 

 知らず内に私の口からそんな声が漏れ出てしまいました。これは確かに、変な気持ちよさがありますね……!

 

「どう、なでしこ? ケイタって結構てくにしゃんじゃない?」

 

「てくにしゃんかどうかは分かりませんが、これは確かに癖になってしまいそうですね……! ひゃんっ! け、啓太様、そこはもっと優しく握ってくださいっ」

 

 私の声が聞こえているのかいないのか、もふもふ言いながら尻尾を弄る手が止まりません。

 ご主人様に構ってもらえて私自身喜びを禁じ得ない。なので、自然と抱いている感情が尻尾に表れてしまうのは仕方ないのです。

 啓太様は猫のように揺れる尻尾にじゃれついていました。普段の物静かで知的な雰囲気が木っ端微塵になっていますが、これはこれで可愛らしく見えるのは私の色眼鏡でしょうか。

 

「ケーイタっ、こっちにももふもふあるよ? ほらほら~」

 

「もふもふー」

 

 ようこさんが横から尻尾を差し込んできました。新たな『もふもふ』に啓太様も大喜びです。

 相変わらず啓太様の相好が崩れることはありませんが、それでも愉悦に浸っていると分かる程度には表情が和らいでいます。

 そんな啓太様を見ていると、なんだか胸のうちが温かく感じました。母性が擽られて仕方ありません。

 この可愛らしいご主人様を愛でたい。そんな欲求に駆られます。

 気がついたら私はようこさんの尻尾に抱きついている啓太様を背後から抱きしめていました。

 

「もふ?」

 

「あー! なでしこズルイ! わたしもケイタをぎゅってしたいのに!」

 

 ようこさんが騒いでいますがこれくらいは許してほしいです。啓太様に尻尾とはいえ抱きしめられているのですから。

 半年前なら気恥ずかしさが勝りこのような行動もなかなか取れずにいました。ですが、今は素直にこうして啓太様に甘えることが出来ます。

 これもあの夜、ようこさんと腹を割って話し合い、私のなかで何かが変わった――いえ、変わっていたことに気がついたからでしょう。

 啓太様に抱いていたこの気持ち。ようこさんを通して気がつくことが出来たのは見えざる何かが働いていたのでしょうか。

 なんにせよ、胸のうちにある気持ちに気が付くことができた私はようこさんを見習い、少しだけ自分の心に正直になりました。まだ気恥ずかしさを覚えますけどそれは仕方ありません。

 頑張って啓太様と心の距離を縮めようとする試行錯誤の日々。ほとんどがテレビを見たり、本を読んだり、ねっとで調べたりしながら得た情報を元にしていますけどね。

 ですが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいですね……。

 こうして啓太様の温もりを直接肌で感じ、ほのかなお日様の匂いをかいでいると、多幸感でいっぱいになります。

 

「なでしこ離れろ~っ、わたしもケイタをぎゅってするーっ」

 

「もう少し、もう少しこのままで……」

 

 なでしこは、いつでも貴方様のそばに――。

 いつまでも……貴方様の隣に――。

 

 




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第四十二話「ボール遊びと執念」


 お久しぶりです。



 

 

 おかしい。なんだかようことなでしこの様子がおかしい。

 昨夜からこっちを見ては恥ずかしそうに視線を切らすの繰り返しだ。昨日の昼辺りから記憶が飛んでいるのだが、それとなにか関係しているのか?

 どうも前後の記憶もあやふやだ。覚えているのは昼飯でつけ麺を食べたくらいか。夕飯ではすでに二人ともあの状態だったからなぁ。何があったし。

 一日経った今でも調子が戻らないようで。まあ切羽詰った様子ではないから放っているんだけど。なんでしょうね?

 

 今日は日曜日。御祓いの依頼を済ませてきたばかりだ。スムーズに祓うことができたため予定よりも早く終えることが出来たのは幸いだった。

 家に帰って来た俺は未だにどこか様子がおかしいなでしこに出迎えられながらそんなことを考えていた。

 いくら考えても答えは出ないから、一旦このことは置いておくか。明日になれば流石に元に戻ってるべ。

 

「啓太さま、こんにちは~!」

 

 家に上がろうとすると背後から声を掛けられた。

 

「……ともはね」

 

「えへへ~、遊びに来ちゃいました!」

 

 薫さん家のともはねだ。片手に小さな箱を手にして輝かんばかりの笑顔を浮かべている。

 三ヶ月前にある事件を通じて知り合った薫の犬神。あれ以降、俺たちに懐いてくれたともはねは時たまこうして遊びに来てくれている。

 なでしことも元々仲が良く、ようこともここ三ヶ月で友達と呼べるくらいには距離が縮まったようだ。子供は深く考えずにずかずかと踏み込んでいけるから、ある意味凄いと思う。

 なので我が家の犬神ともども良くしてくれているともはねちゃん。もちろん遊びに来たのなら歓迎しよう。

 

「入る」

 

「はい! お邪魔しまーす!」

 

 子供らしく元気よく声を上げて中に入る。

 急須でお茶を入れていたなでしこが軽く驚いていた。

 

「あら、ともはね? 今日はどうしたの?」

 

「遊びにきたよ! これお土産。薫さまがよろしくって」

 

「あら。美味しそうなケーキね。ありがとうともはね」

 

「……ありがと」

 

 わざわざお土産を持ってきたのか。なんて出来たお子様なんだ!

 感謝の気持ちも込めてわしゃわしゃと髪をかき混ぜると、キャーっと可愛らしい悲鳴を上げた。

 中は苺のショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、抹茶のケーキだった。綺麗に彩られたそれを見てなでしこの頬が緩む。意外と貴女も甘いものが好きでしたね。

 

「チョコレートケーキ!」

 

 匂いを嗅ぎつけてきたのか、奥のほうから目を輝かせたようこがヒュンッとやって来た。

 箱の中身を見て瞳をキラキラさせる。

 

「わぁ~! 美味しそう! ありがとうね、ともはねっ!」

 

「わわっ! ようこ離して~っ」

 

 ともはねを抱き上げてくるくる回り出す。テンション高いなー。

 取りあえずようこさんや、降ろしてあげなさい。

 

「はーい」

 

「もうっ、目が回っちゃったじゃない」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 それじゃあ、ありがたく頂きましょうかね。ともはねから選んでいいよ。

 

「それじゃあ~、あたしは苺のショート!」

 

「わたしチョコレート!」

 

 はいはい。なでしこは?

 

「私はどちらでも。啓太様は?」

 

「んー。じゃあモンブラン」

 

 モンブラン食べたことないんだよね。

 みんなの元に行き渡り、楽しく談笑しながらケーキを食べる。へぇ、モンブランっていかにも『栗っ!』って感じだと思ってたんだが、結構上品な味だな。栗風味って感じか?

 俺となでしこは味わうようにゆっくりと食べる中、ようことともはねは競い合うようにケーキにフォークをぶっ刺していった。余談だが、真っ先に苺から食べたところからともはねは好きなものは先に食べるタイプと見た。ちなみに俺は最後に食べる派だ。そして食べたらしばらく口の中に入れておく派だ。

 

「啓太さま! またこれで遊んでください!」

 

 ケーキが食べ終わると、ともはねがサッカーボールほどの大きさのゴムボールを持ってきた。二股に分かれた尻尾が勢いよく振られている。

 よく家に遊びに来るともはねだが、その都度遊ぶ内容はころころ変わる。漫画を読んだりゲームをしたりゴロゴロしたりと様々だ。今日はボール遊びを御所望らしい。

 このボールはようこやなでしこと遊ぶときに使うアイテムで柔らかなゴムで作られている。これを使った遊びは非常に人気があり、あの淑やかを地でいくなでしこも密かに嵌っている。やっぱりボール遊びは犬全般にウケるのだろう。

 前回、ともはねが遊びに来たときに試しにボールを使って相手をしたのだが、これを見るとものの見事に嵌ったようだ。

 

「啓太さま啓太さま! 早く早くっ」

 

「ケイタ、わたしも遊んで!」

 

「はいはい」

 

 ボールを受け取るとようこも飛びついてきた。ともはねと同様に大きく振られた尻尾が期待感を露にしている。

 チラッとなでしこを見た。ササッと目を逸らされた。

 尻尾は……控えめに振られていた。

 

「……遊ぶ?」

 

「い、いえっ。私はまたの機会にでも! 啓太様はともはねとようこさんのお相手をなさってください!」

 

 そんなに焦らんでもいいのに。まったく可愛ええなぁ……。

 それにしても、これは遊びというのか?

 

「どうぞ啓太さま!」

 

 がっちりとボールを掴んだともはねが合図を送ってくる。

 ふぅ、と一つ息を吐き、ボールの空いたスペースを掴んだ。

 

「……ほい」

 

 掴んで離さないともはねの重心をボール越しに操り、コロンと仰向けにひっくり返す。そして人体の構造上、力が入りにくい姿勢へと持っていきボールを奪還した。

 目を輝かせたともはねが再びボールに捕まる。今度は下方に引き、重心が前方に移動したところを捻って崩す。

 正座をしている俺の前でコロンと一回転した。

 

「あははっ! 楽しいですね啓太さま~!」

 

 そうですか。それはなによりです。

 だけど、経験上そろそろなんだよなぁ。同じ要領で重心を崩して柔らかい絨毯の上に転がすと、段々熱が入ってきたのかともはねの目がギラギラしてきた。

 そして――。

 

「うー! がぶっ」

 

 体全体でボールに捕まると、小さな口でボールを握る手に噛み付いてきたのだった。

 噛まれた場所は手首のちょい手前。そこまで歯は食い込んでいないとはいえ、ちょっとチクッとした。

 

「はい終了~、ともはね失格ー。次はわたしの番ね!」

 

「うぅ~! やっぱり我慢できないよ~!」

 

 このボール遊びのルールは至ってシンプル。ボールに捕まったようこたちを俺が巧みに操り体勢を崩し、本能に負けて噛み付いたらようこたちの負け。ボールを奪うことが出来れば勝ちだ。

 なお、このゲームはようこたちが噛み付くか飽きるまで延々と続きます。なでしこは本人的に『噛み付く』という行動が恥ずかしいようなので、彼女の場合は違った遊びになるけど。

 なので今のところ、ようことともはねだけがこのルールの適応となる。

 

「お子ちゃまはそこで見てなさい。わたしが華麗なはんてぃんぐというものを見せてあげるわ!」

 

 そう気炎を上げるようこだったが、三回絨毯の上を転がしてあげると素直に本能に従っていた。

 カミカミと夢中になって腕に甘噛みしていたようこは、しばらくすると正気に戻った。

 

「……はっ!」

 

「ふふーん、ようこだってすぐ噛み付いた。人のこと言えないねっ」

 

「ふん。わたしは三回ももったわ。ともはねはたったの二回じゃない」

 

「むっ、二回も三回も同じじゃない」

 

「いいえ違うわ。二と三。そこには確かな超えられないかくさがあるのよ!」

 

「むーっ! じゃあ今度はあたし四回はもってやるんだから」

 

「おーほっほっほっ。やってごらんなさぁい! まあわたしの三回は超えられないでしょうけどね」

 

 手の甲を口の端に当てて高笑いするようこと、ぐぬぬぬっと歯軋りするともはね。なにこの茶番。

 ていうかようこ、お前さんどこでそんな仕草を覚えたんだ……。

 

「……その、先日のワイドショーで」

 

「ああ……」

 

 ぼそっとなでしこが説明してくれた。うん、納得。この子影響受けやすいからね。

 もう一回、もう一回と騒ぐ二人をなだめすかし、再びボールを手に取る。これ、操る側は延々と同じことを要求されるから地味に辛いんだけどね……。

 

(まあ喜んでくれるならいいか)

 

 ボールを指先に乗せてバスケットボールを回す要領で回転させる。おおっ、とようこたちが驚嘆の声を上げた。

 それから一時間ほどようこたちの相手をすると、そろそろ帰宅時間だと告げるともはねを玄関まで見送った。

 

「クッキー焼いたから、皆さんで食べて」

 

 なでしこが自家製クッキーを手渡した。大き目の袋に入ったそれを抱えて、にぱっと笑顔を見せるともはね。

 

「ありがとうー!」

 

「またね~、ともはね」

 

「うん、ようこもバイバイ!」

 

「……気をつけて帰る」

 

「はい! 啓太さまもさようなら~!」

 

 ともはねは元気よくブンブンと大きく手を振りながら走っていった。

 

「……ともはね、いい子」

 

 明るく素直で、まさに天真爛漫という言葉が似合う子だ。

 遠ざかる背中を見送りながらそんなことを呟いた俺に、隣で小さく手を振っていたなでしこが笑顔のまま振り返る。

 

「ええ。あの性格なので山でも色んな人に可愛がられてましたよ」

 

「まあ子供っぽ過ぎるのがたまにきずだけどね~」

 

「あら、ようこさんも人のこと言えませんよ?」

 

「ちょっと、それどういう意味!?」

 

 なでしこたちがキャイキャイと戯れる。本当に仲良くなったものだ。

 ところで、あのクッキーってまだあるかな?

 

 

 

 1

 

 

 

 ピンポ~ン、と軽快なベルが鳴る。

 

「あら、誰かしら? はーい」

 

 サボテンに水をあげていたなでしこが腰を上げた。

 ようこはソファーに寝転びながら少女漫画を読んでいる。面白いと話題の漫画らしく、モテない男子とモテない女子同士の学園恋愛ものらしい。

 漫画はいいぞー。面白いし色んな知識を仕入れることができる。そして人生のなにかを豊かにしてくれる。お前さんも色んな漫画を読んで良い影響を受けなさい。

 俺は適当にネットサーフィン。いつもの小説サイトなどを巡回して更新されていないかチェック。あ、この小説更新されてる……。作者生きてたのか。

 他になにか面白い小説ないかなー、と日刊ランキングコーナーを見ていた時だった。

 玄関のほうからなでしこが「啓太様ー」と手招きしてきた。

 

「……ん? 勧誘?」

 

 変な勧誘だったら断っていいよ。

 

「啓太様のご学友がいらっしゃいましたよ」

 

 ご学友? 誰だろう。剛三郎か?

 重い腰を上げて玄関に向かう。すると、そこには――。

 

「やあ川平。闘うオタクこと河原崎直己だ。愛しのようこさんに会いに来たよ」

 

 大きな花束を抱えたオタク先輩だった。

 リビングのほうからガタッと大きな音が響いた。ようこがソファから落ちたのかもしれない。

 なでしこに戻るように言いつけ、俺と先輩は玄関先で対峙した。

 

「……先輩、いい加減にする。やってることストーカー」

 

「そんなことは百も承知だ。正直ようこさんに悪いと思わないでもない。だがしかしっ、長年追い求めてきた『猫娘変化』のヒロイン、こね子ちゃんに匹敵するインパクトを持ったケモノ娘が現実に存在し、そこにいるのだぞ! 俺のオタク魂は止められないんだッ!」

 

「猫娘変化、ね……」

 

「うむ。俺が敬愛する作者、近藤八五郎先生が生み出した至高の漫画だ。川平は俺が先生に憧れてオタクになり、『猫娘変化』の同人誌を書いているのは知っているな?」

 

「……まあ」

 

 中学時代では何度も何冊も読まされたし。

 漫画家である近藤八五郎。彼の書いた【猫娘変化】はその名の通り、猫耳と尻尾を生やした獣人の女の子が主人公の漫画。

 猫耳メイドとスクール水着を常用する天使な女の子で語尾が『ぱにゃ』。典型的な萌えキャラの作品で河原崎先輩は初めてこの漫画を読んだときかつてない衝撃を受けたらしい。

 

「ここから……『猫娘変化』からすべてが始まったのだ。俺のオタク道は。敬愛して止まない近藤八五郎先生に近づきたいと切に願い、猫娘変化の同人を書き始めたのは。先生は登場人物になりきるために常日頃から猫耳を着用して生活していたらしい。語尾の『ぱにゃ』を必ず忘れなかったのは今では軽く伝説とかしているくらいだ。残念なことに急性心筋梗塞でお亡くなりになられたが、最期の最期まで猫耳は外さず、登場人物になりきり逝かれた……。俺は、彼を神だと思っているよ。実際【猫娘変化】という一つの世界を作り出してしまったのだからあながち間違いではない」

 

 死の間際でもキャラを貫き通したのか。それは純粋にすごいな。

 先輩は遠い目をしながらしんみりと語った。

 

「俺はな、川平。近藤八五郎先生の衣鉢を継ごうと思ったんだ。先生が描いた、作り上げたあの世界を終わらしてはならないと。未熟ながらそれが俺に課せられた使命にも思えたんだ。だから俺はどこまでも探求する! 追い求める! 猫娘変化を形作るケモノ娘を! しかしっ、まことに遺憾ながら俺の書くヒロインたちには何かが足りないんだ……ッ!」

 

 いや知らんがな。

 

「夏コミも冬コミも毎度出展している。多くの同士たちからも熱い支持をもらっている。おかげさまでこの界隈ではちょっとした有名人だ。だがしかしっ、まだ俺が追い求めるケモノ娘にあらずっ!」

 

 グッと拳を握り、そう熱く語る。

 背後のほうから「うわぁ……」とどこか引いたような声が聞こえた。

 

「故に川平! 俺にようこさんをスケッチさせてくれッ! 本物のケモノ娘と会えるなんてまたとないチャンスなんだ!」

 

「えー」

 

「頼む川平、この通りだ!」

 

 大きく頭を下げる先輩。その必死に低頭する姿勢や熱い語らいから邪な念は一切伝わってこなかった。

 本当にただ純粋にそのケモノ娘を追い求めてるんだな……。

 そのストーカー地味た手段はともかくとして、俺としては先輩に協力してやりたい気がある。大変お世話になったし、一つのものを純粋に追い求める姿は見ていて美しいと感じたからだ。

 だけどなー、肝心のようこがねぇ……。

 

「……まあ、とりあえず上がる」

 

「おお、それでは失礼して」

 

 先輩を家に上げてリビングに向かうと、すでになでしこが人数分のお茶を用意してくれていた。

 困った顔で正座するなでしこを楯にようこは「うぅぅ……」と獣のような唸り声を出して威嚇している。

 玄関でのやり取りが聞こえたのだろう。警戒しているようだった。

 

「おおっ、愛しのミューズよ! また会えたね」

 

「わたしは会いたくない!」

 

「ハッハッハッ、なかなかお茶目な冗談を言うお方だ」

 

 うん。全然言葉のキャッチボールが出来てないね。

 先輩はようこからなでしこに視線を移すと不思議そうに首を傾げた。

 

「そちらの可憐なお嬢さんはもしや、一昨日我が校に来たという美女か? なんだ川平、もう同棲してるのか。結婚式には是非呼んでくれ」

 

「同棲……結婚……」

 

 恥ずかしそうに俯くなでしこさん、非常にキュート。

 ここは一度、ちゃんと二人のことを紹介したほうがいいな。

 

「紹介する。彼女はなでしこ、後ろのはようこ。二人とも俺の犬神」

 

「犬神……というと、以前川平が言っていた?」

 

 中学時代に俺の家系や犬神のことを説明したことがあるが、どうやら覚えていたようだ。

 驚いた顔で二人を見る先輩に首肯した。

 

「ん。その犬神。だから一緒に住んでる」

 

「なるほど、そうだったのか。……んんっ!? 待てよ、ということは……なでしこさんもケモノ娘なのか!?」

 

 くわっと目を見開いた先輩がなでしこを凝視した。その穴が開きそうなほど強い眼力になでしこの笑顔が少しだけ引きつる。

 

「えっと……」

 

「…………ふぅ。しかたない。なでしこ、お願い」

 

「は、はぁ……」

 

 どろん、とその綺麗な灰色の尻尾を露にする。

 先輩の目が輝いた。

 

「ふぉぉぉぉぉぉっ! ケモノ娘だ!」

 

 一瞬でなでしこの背後に回り込んだ先輩は至近距離からしげしげと尻尾を観察し始めた。

 小さく悲鳴を上げたようこが慌てて飛び退り、なでしこは固まる。

 

「ふむふむ。ようこさんのと比べて随分スマートな尻尾をしているんだな。同じ犬神とやらでも個人差があるということか……。うむ! これはこれで素晴らしい!」

 

「……っ」

 

 バッとスカートを押さえたなでしこが早足で俺の後ろに回りこみ裾を小さく握ってきた。微笑みは絶やさないでいるが明らかに硬い笑みだと分かる。

 うん、どうやらもう一人の犬神にも嫌われたようですな。フォローしようにも出来ませぬ。

 

「……先輩、なでしこにも嫌われた」

 

「ばかなっ!?」

 

 いや自分の行いを冷静に振り返ってみろよ。

 その後、一生懸命頭を下げてスケッチをしてきた先輩だったが、二人の態度は軟化しなかった。

 泣く泣く家を出る先輩を見送る俺の後ろでは、なでしこがファ○リー○を部屋中に吹きかけ、ようこが花束をゴミ箱に突っ込んでいた。

 お、女って怖えぇ……。

 

 





 どうもお久しぶりです。今の今まで執筆意欲が中々沸かなかったので、ここまで掛ってしまいました。
 亀更新になると思いますが、細々とやっていきます。

 最近、便秘気味で昨日は血便が出る始末。大腸ガンじゃないか心配です……(´・ω・`)


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第四十三話「木彫りのニワトリ」

 長らくお待たせしましたm(_ _)m



 

 

 衝撃的な先輩の訪問があった翌日。涼やかな風が吹く過ごしやすい日のことだった。

 テーブルの上に置いてあった携帯のランプが点滅し、着信音が鳴った。大体俺の携帯に着信を入れる人は限られており、五割以上は仮名さんだ。

 今回もまた何かの依頼かなと思いながら携帯を手に取る。

 

「……ん? 猫?」

 

 着信相手は渡り猫の留吉からだった。そういえばあいつも携帯持ってたね。名義とかどうなってるんだろう? でも電話を掛けてくるなんて珍しい。

 取りあえず通話ボタンをポチッと。そういえば高校ではみんな携帯ってスマホとかなんだよなぁ。俺もそういうの買わないとダメかね?

 

「……もしもし?」

 

『助けてください!』

 

 おおう、なんという穏やかじゃない返事。

 聞き捨てならない言葉に意識を集中させる。

 

「……どうした、猫」

 

『それが、そのぉ……』

 

 留吉の声と重なって奇妙な鳴き声のようなものも聞こえる。何を言っているのか聞き取れないが、しきりに留吉に何かを呼びかけているかのようだった。

 

「猫、なにかに追われてる……?」

 

「どうしました啓太様?」

 

 キッチンのほうからなでしこがやって来た。

 ソファーで寝そべりながら漫画を読んでいたようこも顔を上げた。

 片手を上げて静かにするように促す。

 

「……よくわからん。何がどうなってる? 猫、今どこ?」

 

『その……今、啓太さんのお家の前です』

 

「……なに?」

 

 家の前? そこまで来てるのなら来ればいいじゃない。もしかして遠慮してる?

 

「……よくわからんが、遠慮してないで来る」

 

『は、はい。ですが、あの――』

 

「さっさと来る」

 

「わ、わかりました……。今からそちらに行きますので。で、でも僕を見ても絶対に笑わないでくださいよ? 絶対ですからねっ」

 

 そう言い電話が切れた。結局何が言いたかったんだ? まあこっちに来るらしいからその時に聞けばいいか。

 なでしこたちも訝しげな顔をしていた。そんな顔をされても困る。

 それから五分もしないうちに、ほとほとほと、と玄関を叩く音が聞こえてきた。なでしこが向かおうとするのを止めて俺が出迎える。

 扉を開けると丸い何かが転がり込むようにして中に入ってきた。

 

「それで猫。一体なに、が……」

 

 扉に鍵を掛け直して振り返り、猫を視界に納めて思わず絶句してしまった。

 

「かわいい~~!」

 

「あらあら」

 

 ようこが手を組んで歓声を上げ、一瞬目を丸くしたなでしこも微笑ましそうに頬を緩めた。

 二人の反応を見聞きした途端、猫の双眸から滝のように涙が溢れ出た。

 

「うえ~~ん! 啓太さぁぁん!」

 

 留吉は仏様の格好をしていた。

 ローブのような余裕のある法衣を着込んで胸元を肌蹴させ、神々しい後光を背負っている。リアルで。

 光という意味ではなく、リアルで。リング状の丸型蛍光灯のように輪っかの形をして留吉の背後に顕現していた。

 額には黒子が一つ。

 なかなかクオリティが高いコスプレだ。

 

「……趣味が高じてコスプレ? よく似合う」

 

 うん、なかなか可愛らしいぞ?

 

「違いますよぉ~! これには訳が――」

 

 とてとてと俺の元まで駆けてきた留吉は背後に隠れた。

 そして次の瞬間、窓を突き破って何かが飛び込んできた。

 

「ひぃっ! き、きたぁー!」

 

「留吉さんっ、こちらへ!」

 

 なでしこが怯える留吉を避難させる。

 ようこが鋭い声を上げた。

 

「ケイタ!」

 

 俺も窓ガラスが割れたと同時に行動を起こしていた。

 意識を戦闘モードに切り替え拳を硬く握り、振り向くと同時に薙いだ。

 ようこも指先に炎を纏わせて手刀を振り下ろす。

 

「ふっ!」

 

「えいっ!」

 

 大気を唸らせながら拳が走る。

 わざとようことのタイミングをずらし、異なる軌道での攻撃。ようことともにこなしてきた戦闘の数々がこうした阿吽の呼吸を生み出した。

 しかし、飛来してきた何かは軽やかかつ最小限の動きでこれら二つの攻撃を回避した。

 勢い余って前方へ体勢が崩れるようこの身体を肩で支え、その反動を利用し再び伸び上がるように爪を突き出す。

 直上へ串刺しにする勢いで爪を繰り出すようこ。俺も飛び上がり右足を鞭のようにしならせた回し蹴りを放つ。

 だが――。

 

「……ちっ」

 

 標的はさら上方へ移動し、これらの攻撃も避わした。

 電光石火の如く俊敏な動きで部屋の中を飛び回り、エアコンの上に止まる。

 

「タイヘンケッコー、コケコッコ―――――――!」

 

 そいつは両手を大きく広げながら甲高い声でそう叫んだ。

 その場にいた皆が唖然とする。俺も一瞬思考が停止した。

 窓を突き破るというダイナミック溢れるやり方で侵入してきたそいつは、木彫りのニワトリだった。

 

「ブツゾウケッコウ! タイヘンケッコウ――――!」

 

「もういいですよぉ~!」

 

「コケ――――ッ!」

 

(また濃いのが出たなぁ……)

 

 留吉のべそをかいたような声にニワトリが大きく羽を広げると――。

 

「……え?」

 

 どろん、と大きな音とともに白い煙が立ち上り部屋を包み込む。誰かの呆然とした声が聞こえた。

 煙はすぐに消えたが、部屋の中には確かな変化が生じていた。

 留吉以外の皆が目をぱちくりさせる。なでしこもようこも開いた口が塞がらなかった。

 しかし、唖然とするのも一瞬。状況を把握すると、笑いの渦が巻き起こる。

 ようこが俺を指差し腹を抱えて笑い出す。なでしこも衝動に耐え切れず、くすくすと声を押し殺すように笑った。

 

「け、ケイタ……! なんて格好してんのよ! あはははははっ! ダメ……、お腹痛い……っ!」

 

「くす、くすくす……っ! 啓太様、よくお似合いですよ?」

 

「……二人も人のこと言えない」

 

 反論したいけれども悔しいことに言い返せないでいるため憮然とした態度で抗議した。

 あの一瞬の煙幕で何が起きたのかまったく理解できないが、変えられない事実がそこにあった。

 

「ケイタが、スク水って……! しかも結構似合ってるし……!」

 

 そう。なぜか煙が晴れると、俺はスクール水着――俗にいうスク水に着替えていたんだ。なにが起きたのかさっぱり分からない……。

 紺色の生地の典型的なスク水。筋肉質な男がスク水って誰得だよこれ。

 体毛は薄く少ないほうだから脛とか醜いことにはなっていないけど、それでも男がスク水って……。

 ご丁寧に胸元には『にねんしいぐみ かわひらけいた』という文字がひらがなで書かれているし。頭には水中眼鏡があるし。

 そしてなにより一番意味不明なのが――。

 

「なぜ、猫耳? 尻尾もあるし……」

 

 頭部には三角形の大きな耳が二つひょこひょことついていた。触れてみると柔らかく手触りも良い。そして、触れた感じが確かにした。

 お尻には白い尻尾がにゅっと出ている。これも握ってみると尾てい骨辺りが痺れる感じがした。これも直接生えているらしい。

 姿見で確認すると、見事な真っ白い猫耳と尻尾が生えてたんだ……。

 試しに猫耳に意識を集中させると、ペタンと伏せることができた。尻尾にも意識を向けると、意図通りにくねっと先端が曲がった。ある程度自分の意志で動かせるみたい。これはこれで面白いかも……って違う!

 なんで俺が猫耳スク水なんて着てるんだー!

 

「ちょっと恥ずかしいですね……。ようこさんもお似合いですよ」

 

「そう? なでしこも似合ってるよ」

 

 はいそこ! 暢気に話し合わない!

 犬神たちにも同様に異変が起こっていた。

 ようこはステッキを持った魔法少女の姿。ふわふわのミニエプロンドレスに胸元にはチャームポイントである大きなリボンがつけられている。

 すらりと伸びた足は純白のニーソックスに包まれ、同じく純白のブーツを履いていた。魔法少女とは結構マニアックな姿だ。俺ほどじゃないが。

 

 そして、なでしこ。なでしこはナース姿だった。そこらの病院に行けば居そうなほどナースさんをしていた。

 純白の白ではなくピンクのナース服。頭にはナース帽を被り、左胸には『なでしこ』と印字されたネームプレートがある。ご丁寧に首には聴診器をかけていた。

 そして、ようことは違い何故か黒のストッキング。魅惑のナースさんという単語が頭に浮かんだ。すごく、色っぽいです。なでしこは王道マニアックだな。俺ほどじゃないが。

 二人は時と場所さえ間違わなければ、かなり映える格好だ。着ている人も美人だしよく似合っている。秋葉原なら違和感もそんなにないだろう。

 しかし、ここは秋葉原ではない。神奈川だ!

 

「あ、あの……啓太さん?」

 

 恐る恐る伺うように俺を見る留吉。

 

「猫……」

 

「は、はい!」

 

「……なにが、起きてる」

 

 誰か、教えて……。

 

 

 

 1

 

 

 

「あれがなんなのか、本当に僕もよくわからないんです……。ただ仏像を探しているときに偶然見つけちゃって」

 

 渡り猫の留吉は寂れた寺から散失した百八体の仏像を回収する使命を背負い、全国を旅して回る健脚の猫又だ。他にも何匹かいる同族と協力し合いあっちこっちを歩き回っている。

 留吉たちは情報を収集する諜報部隊と、仏像を回収する実行部隊で別れ互いに連絡を取り合っているらしい。

 ある日、目利きの古美術館や骨董品屋などの店先を定期巡回していた諜報部隊の猫又がとある情報を入手した。立ち話を盗み聞きしたり、手紙やパソコンなどを人知れず盗み見たりなどして情報を収集した猫又は実行部隊へ連絡。実行部隊に所属している留吉はその情報を頼りに準備を整えて意気揚々とその地へ赴いた。

 しかし、どこでなにをミスったのか道に迷ってしまい、途切れ途切れだった山道も見失ってしまったらしい。困り果てたそんな留吉を助けてくれたのが、ある親子のたぬきだった。

 

「……タヌキ?」

 

「はい、たぬきさんです」

 

「タヌキ……」

 

 なんか童話でありそう。こういう話。

 現れた大小の親子はまだ化けたりできるほど霊験はないものの、困っていた留吉に手を差し伸べて目的地まで案内してくれた。

 案内された場所は瓦葺の屋根の家が立ち並ぶ、昔ながらの村だったらしい。その仲でも一際大きな家の前まで案内された留吉は丁寧にお礼を言い、親子のタヌキと別れた。

 霊力を使い不可視の姿を取っていたが、念には念を入れて慎重に物陰に隠れながら忍び込んだ。幸い家主や厄介な犬類の姿はなく、無事に倉の中に侵入できたらしい。

 意外なことに倉の中は綺麗に整理されており、日本刀や掛け軸、陶器、鎧や兜、さらには古めかしいコインのようなものまであったと言う。

 しかし、肝心の捜し求めている仏像の姿はなく、あったとしても仏像違いだったらしい。

 

「見つけた場合ってどうなさるんですか? 留吉さんのことですから手癖の悪いことはしないと思いますが」

 

「当然ですよ! 僕たち渡り猫は善の妖怪なんですから! もちろん発見した場合は家主と交渉して買い取るつもりでした。同族の友達が株をやっていまして、少しならお金もあるんですよ」

 

 株……。薫さんの家の犬神を思い出すな。

 仏像の探索に使用する宝ぐ――いや、針のない羅針盤にも反応しなかったことから骨折り損だと分かってはいた。が、一縷の望みを込めてさらに奥へと進んで行った。

 仏像探しをしている内にいつしか骨董品にかけてちょっとした目利きになっていた留吉は、いつの間にか好奇心を前面に押し出し物色していたらしい。

 

「……使命そっち退け」

 

「仕方ないんですよぉ! 美術品を観賞するのも僕の楽しみのうちの一つなんですから!」

 

 自分の使命を忘れて美術品を愛でていた留吉はある箱を見つける。埃が被った木箱で蓋には古ぼけたお札が貼られていた。

 あきらかに曰くつきのヤバそうな物。留吉もこれは見なかったことにしようと一瞬思ったが、結局は好奇心に負けて蓋を開けてしまった。

 

「……それでこうなった、と」

 

「はい……。開けたらこのニワトリさんが眠ってまして、目が覚めたらコケコケ暴れ始めたんです。それでその結果がこれです……」

 

 うえーん、と泣き声を上げる留吉。だが、泣きたいのはとばっちりを受けたこっちのほうじゃい!

 はぁぁぁぁ~……、と深い溜息が自然と出た。

 ようこはエアコンの上に乗っかっているニワトリのほうに浮かび上がり、小さく指を振っていた。その動きに合わせ首をしきりに傾けながらコッコッと鳴いている。

 

「もう分かったと思いますけど、あのニワトリさん人の衣装を変える能力を持ってまして。しかも一度変えたらニワトリさんが能力を解いてくれない限り脱ぐことができないんです。脱いでもすぐに同じ服に変化しちゃうので」

 

「……マジか」

 

 てことは、俺ずっとこの格好なの?

 

「逃げても嫌がっても、全然言うこと聞いてくれなくて。それで止む無く、啓太さんのところに……。ごめんなさい、啓太さんには本当にご迷惑をかけてしまって申し訳なく思います。でも仮名さんにも連絡を取ったんですけど繋がらないんです」

 

 それを聞き俺も携帯を取り出して仮名さんに電話を掛けてみる。

 コール音が四回、五回と続き『ただいま電話に出られません』という本人が吹き込んだ応答メッセージが流れた。

 

「……しかし、なにアレ?」

 

「さあ……。僕もよくわからないです」

 

「お茶をどうぞ留吉さん」

 

「あ、どうもお構いなく」

 

 だよねー。というかなでしこさん。貴女全然動じてませんね。

 魅惑のナース姿でいつものようにお茶を入れるなでしこの姿に疑問を抱いた。

 すると彼女は。

 

「確かに変わった子ですけど危険な子ではないようですし。それに変わったお洋服が着れてちょっと楽しかったりしますよ?」

 

 そう言って微笑む。そういえば貴女って結構お茶目なところがありますよね。

 

「ケイター。この子結構大人しいよ?」

 

 ようこが木彫りのニワトリを抱っこしながら降りてきた。ニワトリは大人しく抱かれ暴れる様子はない。

 思わず目を丸くする俺と留吉にようこがカラカラと笑った。

 

「すっかり仲良くなっちゃった。ねー、ニワトリさん」

 

「コケッ」

 

 ニワトリが満足そうに鳴く。あのムジナ事件もそうだったけど、ようこってあまり相手を警戒させないで近づくことができるよな。近所の野良猫とも仲が良いみたいだし。

 なにはともあれ、これで一件落着なのか? ならさっさとこの格好を元に戻してもらうとしよう。

 

「……鶏、元に戻す」

 

 さもなくば貴様は焼き鳥の刑だ。

 

「コケン?」

 

 こてんと首を傾げる鶏。

 言葉は通じないか。ちっ、所詮ただの鶏か。

 

「……でも、ホント変わった鶏」

 

 見たところただの木彫りの鶏だ。魔力が宿ってるから妖怪なのかな。

 となると、九十九神の一種だろうか。

 

「でも変な魔力だよねー」

 

 目を細めながら鶏の頭を撫でるようこ。大人しく抱きかかえられながら、コッコッコッと喉を鳴らす鶏。

 よじよじと俺の肩によじ登ってくる猫の重みを感じながら、記憶の糸を手繰っていった。

 この魔力、どこか覚えがあるような……。

 

「あの啓太様。この魔力、以前仮名様から要請があった依頼で同じ気質の魔力を感じたことがありますけど」

 

「んー? ……あぁ」

 

 仮名さんというとあの変態事件か!

 確かに栄沢汚水という変態が起こした事件でこれと似た魔力を感じたことがある。

 もし俺の予想が当たっているなら――。

 

「……あった!」

 

 嫌がって身じろぎする鶏をなだめながら背中を上にすると、そこには三体の骸骨と月の模様が刻まれていた。

 

「なんですかこれ」

 

 初めて見た模様に猫がきょとんと目を丸くしている。

 

「詳しいことは、よくわからない。でも魔導書の一種で、仮名さんが探してる物の一つ」

 

「はあ、そうなんですか。これを仮名さんが……」

 

 しげしげと木彫りの鶏を眺める猫を尻目に携帯電話を取り出す。

 電話帳から仮名さんの番号を呼び出しプッシュ。

 しかし、応答したのは留守番電話の自動音声だった。

 

「……留守か」

 

「やっぱり……」

 

 とりあえず伝言を残しておこう。

 

「……仮名さん? 川平。仮名さんが探してる魔導書? 見つけた。連絡ほしい」

 

 仮名さんはこれでよし、と。

 さて、あとは仮名さんが来るまで鶏を確保していればオッケーだな。この服はさっさと着替えたいところだけど外に出るわけじゃないから、今は我慢我慢……。

 

 ――ピンポーン♪ ピンポーン♪

 

『よ~うこさーん、あっそびましょ~~っ!』

 

 軽快なインターホンの音とともに外から先輩の声が聞こえてきた。

 ある意味先輩らしい頭の悪い言葉にようこの毛が逆立ち、なでしこの顔から一瞬笑顔が消えた。

 

「……」

 

 に、鶏さん、ボクの服を戻してください……!

 

 




 次話は11月末までには仕上げる予定です。
 感想および評価募集中!


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第四十四話「逃走」

お待たせしました。9話分ストックできたので投稿します。
一日一話でお送りします。


 

 

「あっはっはっはっはっはっ! か、川平、お前なんて格好してるんだっ、俺を笑い殺す気か……!」

 

 軽くイラッとするような声を上げて笑う先輩を冷めた目で見上げる俺氏。扉を開けての第一声がこれだったから怒ってもいいと思うんだよね。

 萌えキャラがプリントされたシャツに黒のズボン姿の先輩。いつも大体こういう格好だから、先輩の普段着が俺の中で定着してしまっている。多分女の子とのデートでも萌えキャラシャツ着てくると思うよ。そんなシチュエーション、まず来ないと思うけれど。

 居間に通すと早速ようこにラブコールを送る先輩を制するように、なでしこがおもてなしの心を見せた。猫には一応クローゼットの中に隠れてもらっている。

 

「すみません、今ちょうどお茶を切らせていまして。こんなものでよければどうぞ」

 

 そういってなでしこが出したのは――お茶漬けだった。

 ……あれ? 来客にお茶漬け出すのって、確か京都では『帰れ』を意味していたと思うんだけど。

 しかし先輩はその隠された意図を察することなく暢気にお茶漬けを受け取った。

 

「いやいやお構いなく。俺、お茶漬け好きなんで。ずずっ……うまっ!」

 

 そして遠慮なく食べ始める。この人の感覚は本当に分からん。

 見ればなでしこも唖然と口を開いていた。まさか素直に受け取ってそのまま食べるとは思わなかったのだろう。

 なでしこの後ろではニワトリを抱えながら尻尾の毛を猫のように逆立てているようこ。

 そんな簿妙な空気を感じ取れないのか、それとも感じ取った上で無視しているのか、先輩は気にした様子を微塵も見せずお茶漬けを完食した。

 何事もない顔で手を合わせる先輩。その辺は礼儀正しいんだよなぁ。非常にもったいないと思います。

 

「……なでしこ、お買い物行ってくる」

 

「あ……。はい、わかりました。では行ってきますね」

 

 流石に清純ななでしこに先輩の相手をさせるのは気が引ける。

 夕飯の買出しという名目で変態から逃がすと、聡いなでしこはすぐに意図を察してくれた。パッと明るい表情になると、ものの五秒で支度を済ませて出て行った。ようこの恨めしそうな視線が突き刺さる。後でなにかお詫びしないといけないな……。

 先輩が絡むと大抵碌なことがない。まあ根はいい人だし、何かと世話にもなっているのだけれども。

 

「って、なでしこ……。あの格好で行った?」

 

 確かなでしこさんはニワトリの力で服装をナース服に変えられており、そのままだったはず。あれで外に出たら――。

 やはりというか、その数秒後。顔を真っ赤にしたなでしこさんがユーターンしてきましたとさ。

 

 

 

 1

 

 

 

「ところで川平、今更なんだがその格好はなんなのだ? ふむ、お前は女顔だから意外と似合ってるぞ。もちろん、愛しのミューズも!」

 

「みゅーず言うな!」

 

「あちちちちちちっ!?」

 

 なでしこさんのお茶目な一面にほっこりしてしばらく、先輩のこの発言が場の空気を壊した。クルッと回った先輩は王女に告白する王子様のように片膝をつくと、懐からバラの花束を取り出して見せる。

 何気に結構な手品を披露して見せた先輩であったが、ようこさんにとってはどうでもいいらしく、花束もろとも彼女の得意技である『じゃえん』で燃やしてしまった。

 妖力で出来ている炎は自然のそれとは違いようこの意のままに操ることが出来る。普通なら室内で燃やせば周囲に火が燃え移るが、絶妙なコントロールで先輩のみを、それも表皮と髪の毛、服の一部だけを燃やすという離れ業をやってみせた。もしかしたら漫画で見るような燃やされて丸焦げになるギャグの実態はこういうことなのかもしれない。

 

「……まあ、色々あって。主にコレのせい」

 

「うん? これは木彫りかね。よく出来ているではないか」

 

 ようこからニワトリをもらい先輩に渡す。受け取った先輩は目の前までニワトリを持ち上げ、ひっくり返したりなどして繁々と眺めた。

 擽ったい――感覚があるのか分からんが――のかコケコケと身を捩るニワトリ。木彫りのニワトリがまるで生きているかのように動き、鳴いたことに驚いた先輩は牛乳瓶の底のような分厚いレンズに隠された目を丸くした。

 

「おおっ!? 動く……動くぞこいつ!」

 

 驚いてはいるが取り乱してはいない先輩。意外と肝が据わってる人なんだよな。

 

「もしや川平、お前やようこさんが着ている服は……このニワトリが原因か?」

 

「……そう」

 

 先輩は手の中でバタバタするニワトリと俺の顔を見比べると、にやっと嫌な笑顔を浮かべた。

 これはくだらないことを思いついたときに浮かべる笑顔だ。まるで鴨が来たと悟った時に浮かべる賭博師のような笑みに警戒する。

 

「おい、木彫りのニワトリよ。お前、川平たちの服を自在に変えることができるのだな?」

 

「コケン?」

 

「そうであるなら、川平の……」

 

 俺たちから隠れるように背中を向けて内緒話をする先輩と一羽。

 怪訝な思いで話が終わるのを待っていると先輩が振り向き、両手に持っていたニワトリを突き出してきた。

 

「――よし、やれ!」

 

「コケー!」

 

 両の翼を大きく広げたニワトリが一鳴きすると、どろん。

 嫌な、とても嫌な音が聞こえ、次いでどこからともな立ち昇った煙幕が俺を包んだ。

 諦めにも似た心境で白い煙が晴れるのを待つ。

 そして――。

 

「ぷっ、ぶわーぁっはっはっはっはっはっ! か、川平っ、お前似合いすぎるぞ……!!」

 

「……」

 

「キャー! ケイタかわいいー♡」

 

「……」

 

 なにかツボに入ったのか、腹を抱えて笑い転げる先輩。先輩の手から離れたニワトリが羽ばたき、俺の頭上を旋回し出した。

 背後から目にハートマークを浮かべたようこが抱きついて来る。

 俺は、自分の姿を見下ろした……。

 

「タイヘンケッコー! マホウショウジョ、タイヘンケッコー!」

 

 ピンクを基調とした可愛らしい白のフリル付きの服で、襟元には紺色のリボンが付いていた。マントの先端は四つに分かれており、両端の先には十字架が取り付けられている。

 ブーツとストッキングが何故か一体となっており、これまた同色のピンク。ブーツのくるぶしに当たる部位には何かの羽のような飾りつけが施されており、手には二の腕まで覆う白のハンドグローブ。

 そして、いつの間にか握られていた魔法少女的なステッキ。赤い柄、錫状頭部分には大きな星が嵌められており、これまた両サイドに羽のようなものが三つずつ並んでいる。

 どこからどう見ても立派な魔法少女ですね。大変ありがとうございました!

 頭と耳には相変わらず猫耳と尻尾がついてるし! 一部のマニアには需要が高そうですね!

 

「いやー、まさか川平にここまでのポテンシャルがあるとは、この戦うオタクこと河原崎直己の目をもってしても見抜けなかったぞ!」

 

「これでケイタとお揃いー♪」

 

 どこからともなく取り出した一眼レフのカメラでシャッターを切り始める先輩。様々なアングルからの眩いフラッシュが俺を照らす。

 服装は違うがお揃いの魔法少女という点に喜びを見出したようこが嬉しそうに抱きついたまま、すりすりと顔をこすり付けてくる。ブンブンと振られている尻尾がその喜びを如実に表していた。

 

「素晴らしいっ、見えそうで見えないこの絶妙なチラリズム! ピコピコ動いては保護欲を誘う猫耳! やはり今度の新作はイ○ヤたんをモチーフにしたキャラを出さねば!」

 

「…………先輩。コレ……なに?」

 

「む? 川平は知らんのか? 今巷で人気急上昇中のプリ○マイ○ヤ。その主人公のイ○ヤたんの魔法少女カ○イドルビー・プリ○マイ○ヤたんバージョンだ」

 

 知らんがな! あと「そんな常識も知らないのか?」って顔で言うな!

 まるで初めて地動説を唱えたニコラウス・コペルニクス。当時の民衆は彼の正気を疑うような目で向けていたようだが、まさにそのような視線を向けてくる先輩であった。

 そして。

 

「……で? それは?」

 

「うん、これか? これは『猫娘変化』に登場する姉キャラクター、みおちゃんの格好だ」

 

 どこぞのカメラマンのようにシャッターを切る先輩も、それまで着ていた萌えキャラのシャツにズボンというマニアックでラフな格好から一転し、セーラー服にハイソックスという出で立ちだった。

 驚いたことに、それが結構似合っていた。女顔とまではいかないが端正な顔立ちをしている上、女子にも負けず劣らずの白い肌。髪も普段は後ろで無造作に縛ってあるが、解けばさらさらと長い髪が一層女子のように見える。

 体つきも華奢なほうであり、一七八センチの高身長も相まってクールな印象を持つ女子高生のようだ。全然美少女で通る。まず一目見て男だと看破するのは非常に困難だろう。

 まあ、唯一その瓶底メガネが美少女っぷりを台無しにしているが。

 

「ふむ……。自分が『猫娘変化』のキャラに扮したことはなかったが、存外いけるものだな」

 

 体を捻ってみたりして自分の姿を確認している先輩は一仕事終えたとでもいうようにゆったり羽を休めているニワトリを抱き上げた。

 

「うむ! 良い仕事をしたな鶏――いや、こけ子よ! 君の仕事は実にクールでパーフェクトだ!」

 

「コケー!」

 

 褒められているのが分かるのか、嬉しそうに羽をバタつかせるニワトリ。そして微笑ましそうにニワトリを抱き上げる先輩。

 和気藹々とした空気がそこだけ流れているけれど、生憎とこっちは空気がどんよりと淀んでいるのだよ。主に俺だけ。

 さて、そろそろ怒ってもいいよね……?

 

「…………ニワトリ、二度は言わない。さっさと戻す」

 

 高ぶった感情に呼応するように体から霊力が立ち昇る。ギラギラとした目ですべての元凶であるニワトリを睥睨した。

 

「コケ?」

 

 ニワトリは俺を見ては首をコテンと傾げ。

 

「マホウショウジョ、タイヘンケッコー!」

 

 貴様は選択を誤ったッ!

 デストロイの時間ですよゴラあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ!!

 ぶちっと堪忍袋の緒が切れると同時に霊力を体内で高速循環。強く畳を蹴った。

 ニワトリを掴み取ろうと一直線に伸ばす手。常人では反応できない速度での出来事。

 しかし、先輩は――この戦うオタクこと河原崎先輩は、常人の枠から外れていた。

 

「ふんぬ!」

 

「……っ!」

 

 なんとニワトリを胸に抱き寄せながら体を反らし、そのまま見事な後方宙返りで距離を取る。

 ちゃぶ台の上に着地した先輩は陸上選手も真っ青な瞬発力を発揮し、すかさずジャンプ。

 窓ガラスを突き破って二階から飛び降りた。

 沸き起こる往来での悲鳴。突然アパートの二階から人が窓を突き破って落ちてきたのだから当然だろう。たとえそれが猫耳をつけたセーラー服姿の男でなくても普通は驚く。女装野郎なら尚更拍車をかけること間違いない。

 悲鳴を上げて逃げ出す人の中、先輩は華麗に空中で姿勢を整えて受身をとった。

 さながら一流のアクションスターのような無駄のない動き。

 思わぬ先輩の行動に俺もようこも絶句していると、完璧な受身で衝撃を和らげた彼は爽やかな笑顔を浮かべて手を上げた。

 

「弁償金は後で必ず払うと約束しよう! それと、しばしこけ子を借りるからな川平! では、アディオス! ふはははははははー!」

 

 そして、颯爽と走っていく。徐々に遠ざかる先輩の背中を見送りながら、強くサッシを握り締めた。

 嫌な音とともに、少しだけサッシが歪んだ。

 

「……逃がさない」

 

 上等じゃボケぇぇぇぇぇ! サーチアンドデストロイじゃあああああああ――!!

 

 




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第四十五話「追跡」

二話目


 

 

 逃がすかくそボケがぁー!

 先輩たちを追うためすぐに行動を開始。

 とはいってもこんな格好で外に出てば人目を集めるのは必須。しかも近所の人たちとは顔馴染みだし、学校の生徒も多く住んでいる。俺がこんなコスプレをしてるなんて知られたら、一瞬にして灰色の学校生活を送る破目になるだろう。それはアカン!

 ――顔を隠すなら何か被るか? ピカ○ュウ?

 頭の中でピカ○ュウのお面を被った魔法少女の姿が脳裏を過った。なぜかステッキを天に掲げていて、背景に集中線がある姿だけど。

 いや、なんか知らんけど、それは駄目な気がする。うん、なんか「それはいけない!」って空耳が聞こえてきたくらいだし。

 と、なると純粋に人の目につかないように行動しないといけないということか。スニーキングミッションみたいだな!

 

「追う。ようこ、猫連れてくる」

 

「はいは~い」

 

窓枠に足をかけて跳躍。電柱を足場に三角跳びの要領で蹴り、アパートの屋根に飛び乗った。

さて、先輩とニワトリは、と。……いた。

ニワトリを小脇に抱えながら往来の中を猛ダッシュしていた。なまじ運動神経がいいだけに陸上選手もビックリな速度で走っている。本当に立ちが悪い。

 

「どうするのケイタ?」

 

「無論。追いかける」

 

 ふわふわ浮かびながら隣にやってきたようこに返事を返す。

 強く屋根を蹴って宙に身を躍らせた俺は空気を切り裂きながら建物の側壁、電柱、信号機などを足場に跳躍を繰り返す。

 いくら運動神経抜群の先輩であろうと、こっちは霊力の高速循環で身体能力を底上げしているのだ。

 彼我の距離はどんどん縮まっていくのは当然のこと。

「……ん?」

 

 視線の先で爆走していた先輩だが、角を曲がったところで通行人とぶつかってしまったようだ。

 さほど体重のない先輩のほうが跳ね飛ばされ相手は二、三歩よろけた。

 相手は強面の顔に筋肉質で大柄な男だ。パンチパーマを掛けたチンピラ風な男はぶつかった相手である先輩に対し凄味ながらいちゃもんをつけている。周りに人はいない。

 耳に霊力を集中させて聴力を強化。これにより、俺の耳は先輩たちのやり取りを鮮明に聞き取った。

 

「おうおう姉ちゃん、痛いじゃねぇの。俺だからよかったものの普通なら怪我しちまうところだぜ。まあ、詫びにちょとっと付き合ってもらうがな」

 

「あー、すまない。付き合ってやりたいのも山々なんだが、今は取り込み中でな。連絡先を教えてくれれば後日、喜んで付き合おう」

 

「あー? ……て、てめっ! 男なのか!?」

 

「うん? ああ、この格好か。これは『猫娘変化』に登場するみおちゃんの姿だ。中々のものだと自負しているのだが、どうかね?」

 

「ふざけんなばっきゃろー!」

 

 チンピラが先輩の胸倉を掴み上げる。足が地面から離れるほどの力で持ち上げられるが、先輩は慌てることなく相手をなだめた。

 

「落ち着きたまえ。短気は損気という言葉を知らないのかね?」

 

「知るかっ! いいか。俺はな……俺はなぁ……!」

 

 ふるふると拳を震わせるチンピラ。そして、ダバーッと堰を切ったかのように涙を流し始めた。

 

「女装した男が大っ嫌いなんだよぉぉぉ!」

 

「そうなのか。他人の過去を詮索する気はないが、過去に何かあったのかね?」

 

「てめぇに俺の初恋が無残に散った痛みが分かるものかぁ――――!!」

 

 血涙を出す勢いで悲痛な叫び声を上げたチンピラは握りしめた拳を振り上げた。

 先輩はやれやれと首を振るとスッと目を細めた。

 

「短気は損気と言ったばかりなのだがな……。こけ子や、やっておしまいなさい」

 

「コケー!」

 

「うわっ、なんだ!?」

 

 どろん、とお馴染みの白い煙。

 白い煙が晴れ、チンピラは己の姿を見下ろすと、力の限り叫んだ。

 

「なんじゃこりゃぁぁぁああぁぁぁぁあああああああ!!」

 

 なんということでしょう。匠な仕事人によりパンチパーマを掛けたチンピラはブルマと猫耳というマニアックなんて言葉では済まされない姿になってしまった!

 余程ショックだったのか、へなへなとその場に崩れ落ちる。服装が影響しているのか、女の子座りというキモイ姿だ。

 これ以上犠牲者を出すわけにはいかない!

 丁度先輩に追いついた俺は頭上から魔法少女的なステッキを振り上げながら落下した。

 

「……魔法少女、あたぁーっく」

 

 ステッキの錫杖頭部分でぶっ叩くという物理攻撃。体重と落下速度も加味されているためクリティカルヒット間違いなし。

 先輩は背を向けているから不意打ちでの形になるが、このくらいは許されるだろう。何気にハイスペックの持ち主だから大事には至らない。はず!

 

「むっ、川平か! なんのこれしき……っ!」

 

 気配で察知したのか、それとも自身を覆う影で分かったのか。なんにせよ振り下ろしたステッキが当たることはなかった。直撃する寸前で俺に気が付いた先輩は驚異的な反射速度で避けてみせたのだ。

 地面を転がって回避する先輩。振り下ろしたステッキはチンピラの目の前を通り抜けた。

 豪っと唸る風。ひぃっ、と悲鳴を上げて尻もちをつくチンピラ。

 躱されてしまい、つい舌打ちをしてしまう。

 

「ちっ、外した……」

 

 スカートの汚れを掃い立ち上がった先輩はムカつくほど涼しげな顔で手を上げた。

 

「やあ川平。もう追いつくとは流石鍛えているだけあるな。だが、この河原崎直己、そう易々と捕まるわけにはいかない!」

 

 そう言うとポケットから球体を取り出す。スーパーボールほどの大きさのそれを地面に叩きつけた。

 

「ふははははははっ! さらだばー!」

 

 叩きつけられたボールからもくもくと煙が立ち上り、瞬く間に辺り一帯を覆っていく。

 なんでそんな物を持ってるんだよあの人は!

 煙が晴れた頃には先輩の姿はなく、真っ白な顔で燃え尽きている猫耳ブルマのチンピラだけが残されていた。

 

「あらら、逃げられちゃったね」

 

 猫を抱えたようこが空からふよふよと降りてきた。あまり乗り気ではないようなので今回は猫のお守りをさせている。

 くすくすと笑いながらからかってくるようこ。ぴきっとこめかみに一筋、血管が浮かんだ気がした。

 

 ――あんのファッキン女装野郎ォォォォォォ!!

 

 

 

 1

 

 

 

 もう容赦しない。もともと容赦するつもりはなかったけど、ちょっとは手心を加えようかなと思ってたのに。しかし、奴は自分からそのチャンスをふいにしたのだ。

 サーチアンドデストロイ、サーチアンドデストロイだ! ニワトリは絶対に燃やすっ!

 明日のジョーのように燃え尽きたチンピラをその場に残し、先輩の後を追った。跳躍を繰り返し、すぐに人の目につかないようにアパートほどの高さまで跳び上がる。チラッと後方を見ると騒ぎを聞きつけた人たちがチンピラの元に集まってきていた。なんか見世物みたいになっちゃってゴメンね!

 ふと隣に視線を向けるとぴゅーっと空を滑るようにようこがついてきていた。結構な速度でビルや建物の間を飛び回っているが、ちゃんと遅れずについてこれている。腕に抱かれている猫は目を白黒させていた。

 

「……あっちか」

 

 先輩の後を追うのは比較的簡単だった。なにせ見た目女子高生が木彫りの鶏を小脇に抱えてもうダッシュしているのだから。

 すれ違う人たちが必ず後ろを振り返って先輩を見ているため、行き交う人たちの反応を注意して見れば、おのずと向かった先が分かるということだ。

 その反応を追っていると、どうやら一軒の建物の中に入ったようだ。

 正方形の建物でパッと見、五階建てのビルに相当する高さだ。

 オフィスビルの屋上に着地した俺は遠目に見える建物の表札を見た。距離にして約三百メートルほどあるが、強化した目はしっかり表札に刻まれた文字を読むことができた。

 表札には【吉日市文化市民会館】と書かれており、建物の入り口では多くの人が出入りしていた。目を凝らすと、多くの人が二十代の若者に見えた。

 何かのイベントか? ちょっと入ってみるか。

 

「んー、ほっ……よっ、と」

 

 ビルのビルから飛び移り、歩道機を足場にまた跳躍。まさに忍者になったつもりで人目を忍び目的地へ移動する。

 とりあえず屋上から内部に侵入した俺たちは三階の関係者区域と書かれているテープを潜り、なにやら作業場のようなスペースを抜けて、人の気配がしたら物陰に隠れ、非常扉のところまでやってきた。

 中央が吹き抜けになっているため三階の非常扉の前からでも一階の様子が見てとれる。

 

「うわー、すごい人の数だねケイタ」

 

「なにをしてる人たちなのでしょうか?」

 

 やはり何かのイベントを行っているようで、一階には多くの人で賑わっていた。行き交う人たちの様子を見ていると、この会場で何が行われているのかが分かってきた。

 どうやら同人誌の即売会らしい。あちらこちらに長テーブルが設置されていて、その上には商品と思わしき本が陳列している。売り子と思われる女の子が客を呼び止めたり、せわしなく動き回っているスタッフなどが見て取れた。

 長テーブルの前に長蛇の列が出来上がっているのもちらほら。中央に設置された巨大スクリーンには宣伝用PVと思われる動画がループ再生されている。

 初めて見る同人誌即売会の様子に驚いているようこと猫。俺も初めて見た。噂には聞いていたが、すごい人の数だ。熱気がここまで伝わってきそうだもの。

 見ればコスプレをしてる人も少なからずいるようだ。

 なるほど、木を隠すなら森の中か。だが、それはこっちも同じなんだぜ?

 ここなら堂々と人前に出れるからな!

 

「ようこ、降りる」

 

 それだけ言って非常階段を降り始める。降りる際にカンカンカン、と金属製の階段を踏む音が鳴るが一階からの騒音で掻き消されるため、気に留める人はいないだろう。

 

「ねーケイタケイタ、この人たち何を売ってるの?」

 

 一階に降りるとようこが近くのサークルで展示されている同人誌をしげしげと眺め首を傾げた。最近はドラマや映画、漫画などを嗜むようになったようこだが、流石に同人誌は知らないらしい。

 簡単に同人誌の説明をすると「ほへぇ~」と感心したような顔をした。

 

「人間ってすごいねー。好きって気持ちだけでこんなものまで作っちゃうなんて」

 

 展示品であるガン○ムに登場するような機体をポンポンと叩く。人とほぼ同じ高さのそれはかなりのクオリティを誇っており、とても手作りとは思えない出来栄えだ。スタッフに聞くと彼らは理工学部に所属する大学生で、趣味が高じてロボットのモビ○スーツを作ってしまったらしい。まじパネェ。

 チカチカ光るビームサーベルを感心しながら見ていると、背後から声を掛けられた。

 振り返ると、何かのキャラクターと思わしきコスプレをした二人組の女の子が目を輝かせてこっちを見ていた。

 

「あのあの! それってプリ○ムイ○ヤのコスプレですよね!」

 

「その猫耳と尻尾もアレンジも違和感がなくて可愛いし、すごいクオリティ! あの、これって手作りですか!?」

 

 並みならぬ熱意を向けてくるコスプレっ娘たち。勢いに押されて一歩後ずさると、ようこの方でも人に囲まれているのが目に入った。

 

「これって【猫娘変化】のリリカちゃんのコスチュームでしょ?」

 

「すごい肌触り。まるで本物の猫耳みたい!」

 

「キャーこの猫可愛いー! 仏像のコスプレしてる!」

 

 ちょっとした人垣が出来上がると、中にはこんな要望をしてくる男が出てくるわけで――。

 

「ちょっと写真いいですか?」

 

 とか。

 

「あ、こっちもお願いしまーす!」

 

 とかとか。

 

「目線お願いします。あとこういうポーズを――」

 

 とかとかとか。

 カメラ小僧のようにマイカメラを構える男たちに最初は戸惑っていたようこだが、ちやほやされるうちに段々と調子に乗っていき、はしゃぎ始めた。撮影者の注文に応じてポーズを取ったり、満面の笑顔でピースサインを浮かべたりしている。

 女の子のカメラマンやコスプレイヤーも加わり場は一層盛り上がりをみせた。

 俺? 応じるわけないだろ。写真という物的証拠が流出したら色々と終わるわ!

 

「……ようこ、任せた」

 

 この場は任せた!

 まるで敵に追われる空軍パイロットのように、ようこというデコイを放ち、人垣という名のミサイル軍から逃れる。

 ようこ(デコイ)は立派に任務を全うした……。

 もうデコイは使えないからカメラマンには捕まらないように気をつけないと。

 

「啓太さーん!」

 

 よろよろと人垣から猫が出てきた。もみくちゃにされて少し参っているようだ。

 猫はようこに預けていた携帯を差し出してきた。

 

「仮名さんから電話ですよ!」

 

「待ってた……!」

 

 待ちわびていた仮名さんからの着信! と同時に先輩の後ろ姿を捉えた!

 猫を抱き上げた俺は耳元に携帯を当ててもらい、電話に出た。

 

「仮名さん……っ」

 

『川平だな?』

 

 電話の向こうは何やらざわついているようで声が少し遠い。

 

『留守電を聞かせてもらったが、まだ状況を理解しきれていない。三体の骸骨に月の絵、間違いないんだな?』

 

「間違いない、ちゃんとあった。木彫りのニワトリでコケコケ鳴く。服装を変える能力があるみたい」

 

『木彫りのニワトリか、了解した。いいかよく聞くんだ。それが確かに彼の魔道書なら前と同じように人の強力な念に反応するはずだ。とにかくそいつを念が強そうな人に近づけるな。私も急いでそちらに向かっている』

 

 無茶な注文をオーダーしてくる仮名さん。超危険人物に渡っちゃっているよ!

 

「……すでに手遅れかも。超強力な念の持ち主に確保されてる」

 

「くっ、そうか……! なるたけ急いで着くようにする。できる限り被害を抑えるんだ!」

 

 はい、頑張ってみまーす。

 さて、いい加減先輩を捕まえないとな!

 霊気の高速循環による身体強化を施した俺は大きく屈みこんだ。バネを限界まで圧縮するように、ぐっと大腿四頭筋に力を込める。

 ミチッと膨れ上がった筋肉でストッキングが悲鳴を上げた。

 そして、限界まで抑え込んだ力を解放し、床を踏み抜く勢いで駆け出した。

 

 

 

 2

 

 

 

 啓太たち一行が市民会館にやってくるちょっと前。河原崎は持ち前の健脚を活かし、人ごみの中を縫うように走っていた。

 今日、同人誌即売会が市民い会館で行われることはもちろん知っていた。出店側としてこの日のために【猫娘変化】の新刊も仕上げてある。サークルメンバーの同志たちが今頃販売しているだろう。

 啓太から逃れるために人ごみに紛れながら、オタクとして買うものは買う河原崎であった。

 不意に入り口付近の売り場で歓声が上がった。振り返ってみると啓太たちが売り子やコスプレイヤー、男性客たちに囲まれている。どうやら写真の許可を頼んでいるようだった。

 さもありなん。彼らの容姿は並以上であり、着ているキャラクターのコスチュームも面妖なニワトリの力によるもの。商業品として売り出せるほどのクオリティだ。

 啓太が着ているプリ○マイ○ヤは本来女性が着る服なのだが、元々中性的な顔だちをしているため、然程違和感なく着込めている。

 三階にやってきた河原崎はチェックしていたサークルの最新刊を購入すると、何かに気がついたように苦笑した。

 

「もう追いついたのか。まったく、川平の身体能力は出鱈目だな。霊能力者というのは皆ああなのか?」

 

「コケー!」

 

「さっきからどうしたのだ。具合でも悪いのか?」

 

 河原崎の肩の上ではニワトリが興奮したようにコッコッコッ、と鳴いている。

 先ほどからどうも様子がおかしい。不自然に目がキョロキョロ動いてはバサバサと羽を動かしたりとせわしない。

 思えばこの建物に入ってから様子がおかしくなり始めたようだった。不思議に思うが、オカルトには疎い河原崎では見当もつかない。

 

「か、河原崎さん? どうしたんですかその恰好!?」

 

 不意に聞こえてきた声に顔を上げる。そこには彼を師匠と崇めるサークル仲間の少年が呆気にとられた顔で眺めていた。

 どうやらいつの間にか河原崎が所属するサークルのエリアに来ていたらしい。他のメンバーはまだ河原崎の姿に気が付いておらず、忙しそうに動き回っている。

 

「まあ色々あってな。それよりどうだ? 新刊の売れ行きは」

 

「それはもう好調ですよ。すでに部数は完売しました」

 

「それは重畳。ようこさんにも是非、この場所を見てもらいたいものだ」

 

 なにやら遠い目でそう呟く河原崎。

 そして、その言葉に応えるようにどこからともなく啓太が降ってきた。

 ダンッと着地した際の音が鳴り響く。周囲の人は空から魔法少女のコスプレをした男が降ってきて軽くざわついていた。

 

「ようこじゃなくて俺が来た。追いついた……ニワトリ渡す」

 

 ピッと犯人を指さす名探偵のように手にしたステッキを突きつける。

 河原崎は涼やかな表情のまま髪をかき上げた。

 

「さすがだな川平。だが、この河原崎直己。河原崎流柔術を嗜む身の上。そうそう貴様に後れは取らないつもりだ」

 

「やる気? 先輩に勝ち目はない」

 

「勝負は時の運。やってみないとわからんさ。男らしく腕っ節で勝負しようじゃないか」

 

 河原崎の言葉に啓太の表情が動く。ピクリと眉が小さく上がると、口元が少しだけ緩んだ。

 

「面白い。その話、乗った」

 

「では決まりだな。お前が勝ったら大人しくこけ子は返そう。ただし約束しろ。決してこけ子に危害を加えるな! この子は俺の理想を読んで体現してくれただけだ。この子自身に罪はない。すべてはこの俺、河原崎直己に罪がある!」

 

「……お前が勝てば俺を煮るなり焼くなり好きにすればいい。だが、こけ子は壊さないでやってくれ!」

 

 河原崎の真摯な嘆願にしばらく黙考していた啓太だったが、やがて小さく頷いた。

 

「……封印はするかもしれないが、破壊はしないと約束する」

 

「それしか方法がないというなら仕方ない」

 

 河原崎は肩に乗っかっていたこけ子をそばにいたサークルメンバーの少年に渡した。受け取った少年は「えっ? えっ?」と困惑した様子で佇んでいる。

 互いに距離をとる。

 

「だが川平よ、これだけは言っておく。こういうイキモノを滅することだけがオカルトじゃないはずだ。お前も霊能者ならば最善を尽くせ! 異形であるものたちを生かし、より良い未来へと繋いでみせろ!」

 

 その魂の雄叫びのような言葉に啓太は目をぱちくりさせると、ふっと微笑んだ。

 

「……その考え、嫌いじゃない」

 

「それはなによりだ」

 

 啓太は手にしていたステッキを手の内でクルクルっと回し、順手で持つと半身になって構えた。ステッキが体に隠れて見えず、まるで刀を扱っているかのような構えだ。

 対して河原崎は背筋をスッと伸ばすと手を垂直に開いた。見た目は合気道の開手の構えに似ている。

 沈黙が流れる。二人の緊張感に呑まれ、周りにいる人も固唾を呑んで見守っていた。

 そしてーー。

 

 




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第四十六話「確保」

三話目


 

 

 最初に動いたのは啓太だった。

 上体が傾き地面に倒れこんでいく。体が沈んだ落下速度と体重移動を利用して、伸び上がるように駆けた。

 まるで地を駆ける狼のように一瞬で河原崎の間合いに侵入すると、体の陰に隠してあったステッキを振り下ろす。下弦の月のような軌道。

 徒手空拳もさることながら、刀を始めとした武具の扱いに長けている啓太はステッキを短刀に見立てて振るう。

 対する河原崎は薄目を開けて迎え撃った。一歩外側に踏み込むと同時に手の甲で滑らすようにしてステッキを逸らす。そしてステッキを持った手を絡ませ、クルッと回転すると投げ飛ばした。

 啓太の勢いと体重を利用した投げ技。

 猫のように空中で姿勢を整えて難なく着地する啓太。着地した反動を利用して弾丸のように飛び出した。

 逆手に持ち替えたステッキで河原崎の首を狩る。

 半歩踏み出し、ステッキの軌道と同調する形で反時計回りに回転した河原崎はステッキを持つ手を掴むと足を引っ掛け、ケイタに寄りかかる形で倒れ込んだ。

 

「くっ……」

 

 前方に体重が移動している上に勢いもあるため、抗うことが出来ず倒れ込む。右手の関節を取られた形で押さえ込まれてしまった。

 

「勝負ありだな、川平」

 

 関節を決めた河原崎は上体を起こして逃げられないように肩甲骨の辺りを膝で押さえる。

 勝ち誇った顔で見下ろす河原崎。

 しかし、絶対的不利なはずの啓太は涼しげな顔で言い返した。

 

「……それはどうかな?」

 

「なっ!」

 

 自由な左手で右肩の辺りを掴むとパキッと軽い音が鳴った。何をしたのか悟った河原崎が驚きの表情を浮かべる。

 その一瞬の隙をつき、上体を思いっきり捻った。明らかに関節を決められている右肩が可動域以上の範囲で動いているが、啓太は表情一つ変えずに河原崎の胴を左肘の内側で捉え、投げた。

 ワックスの効いた床の上を転がり距離を取る河原崎。立ち上がった啓太はダランと垂れた右手の上腕を掴むと勢いよく垂直に持ち上げた。

 がぽんっと鈍い音が響き、周りで固唾を呑んでいた女の子の一人が「ひっ」と声を漏らした。

 

「……自ら関節を外して逃れるとは、恐ろしいことを平気でやってのけるな」

 

「もちろんからくりはある」

 

 聞けば霊力で肩周辺の筋肉(ローテータカフ)を保護していたとのこと。それにより脱臼によるくせをカバーできるらしい。

 科学的根拠もくそもない超絶理論だが、啓太自身はどこ吹く風で霊力万能説とブイサインしていた。

 

「だけど、意外。先輩、なにかやってる?」

 

「うちは代々当主が修めなければならない必須の武術があってな。それが河原崎流柔術だ」

 

「そういえばさっき、柔術がなんとかって言ってた。金持ちって大変」

 

「ああ、意外にな」

 

 本人たちはなにやら男らしい笑顔を微笑みを浮かべながらジリジリと間合いを測っている中、外野の人たちは意外な成り行きで始まった戦いを前に言葉を失っていた。

 女子高生の姿に猫耳をつけた女装男子、方や魔法少女の格好にこれまた猫耳をつけた女装男子。コスプレを来た男子二人がすさまじい体捌きで攻防を繰り広げている。

 コスプレをしている男たちがアクション映画顔負けの戦いをしている、とうわさが広まり、気がつけば啓太たちを取り囲むようにして人垣が出来上がってしまっていた。

 男たち二人はどこか楽しそうに互いの立ち位置を換えて殴り、蹴り、投げる。

 不意に啓太が抜き手を放ちながら、大きな声で話しかけた。

 

「そういえば……! もし先輩が勝ったらっ、どうするのっ?」

 

「そうだな! そのときはっ、ようこさんと一日デートなんかはどうだっ!」

 

「それは、本人に聞くこと……! でも、俺は邪魔しないっ」

 

「それもそうだな! では、これに勝ってから、申し込むとしようっ!」

 

「はっ! 勝てたらの話、だけど……!」

 

 そして、互いの拳が交差して――

 

 

「なに人で賭け事してるか――――!!」

 

 

 人垣からズンズンと歩み寄って来たようこが二人の頭を鷲掴みにすると、思いっきり地面にたたきつけた。

 ぶべっ、と蛙が踏みつけられたような気の抜ける声が漏れる。

 辺り一体がシーンと静まり返る。

 まるで時が止まってしまったかのようなそんな雰囲気の中、自分の主の胸倉を掴み持ち上げるようこ。そして、ガクガクと前後に揺さ振りながら唾を飛ばす勢いで捲くし立てた。

 

「……お、落ち着く。デート云々はようこ次第。それに負けるつもりもない」

 

「でも断らなかったじゃないの! ぜーったいデートなんてしないんだからぁー!」

 

「うぅ……酔ってきた……」

 

 顔を少しだけ顰める啓太。仙界での修行で三半規管も鍛えたため平衡感覚は優れている啓太だが、流石にこの揺すり方は堪えたらしい。

 いい加減止めようとした時だった。

 

「うわぁ!」

 

 突如上がった叫び声。なんだなんだと全員の視線がそちらに集中する。

 啓太やようこ、河原崎も振り返る。

 叫んでいたのは河原崎からニワトリを受け取ったサークルメンバーの少年だった。先ほどまで着ていたラフなTシャツ姿ではなく、大きな丸メガネに紺色のウエイトレス服を着ていた。おまけに後ろ髪が三つ編みになっている。

 

「うぉ! なんだ!?」

 

 今度は違う所から声が。

 見ると、スキンヘッドの強持ての青年は黒と白のコントラストが映えるメイド服姿になっていた。たくましい胸板が胸元を押し広げ、黒いニーソックスにはくっきりと腓腹筋が浮き出ている。

 足と腕には濃い体毛があり、見苦しい印象を一層強くしていた。頭に乗せられたフリル付きメイドカチューシャの存在が冗談のように思える。

 そして、騒ぎが拡大していく。

 真っ白い煙幕があちこちから立ち昇り、煙に包まれた人は何らかの変身を遂げていく。巫女服を着た大学ラグビー部の男性、スク水を着た小学生男子、ウルトラマンのコスチュームを着たギャル、園児服を着た脛に傷持つ厳つい男性。

 未知な現象で服が変化していく様に場は騒然となった。と、いうより煙に包まれたら変態的な格好になるという点に恐怖を覚えているようだ。

 そんな中、この騒ぎの元凶であるニワトリはピョンピョンと宙を跳ねていた。

 

「コケー! コケ――――!」

 

 明らかに様子がおかしい。

 狂ったように叫びながらふらふらと宙を移動し、テーブルの上に着地する。すると、携帯のバイブレーションのように震動してテーブルから落ち、その衝撃で再び鳴き喚く。

 白い煙があちらこちらで立ち昇り、その度に騒ぎが大きくなる。火事だと勘違いした一般人が火災報知機を鳴らし、スタッフが大声で落ち着いて避難するように呼びかける。

 叫ぶ者、転ぶ者、突き飛ばされる者。ただでさえ密集したスペースだったのに変態的な服を着ているからたまったものではない。混乱に拍車がかかり収集がつかなくなる。

 啓太は咄嗟に留吉を頭に乗せてようこの肩を掴むと抱き寄せた。そのまま端の壁のほうへ寄る。

 突然啓太に抱き寄せられたようこは顔を赤く染めた。

 こうも入り乱れた状態だと河原崎やニワトリの姿も確認できない。

 

「……まいった。どうするか」

 

 小さく舌打ちをする啓太の頭をポフポフと留吉が肉球で叩いた。

 

「啓太さんいました! ベランダのほうに行きますよ!」

 

 留吉が前足で示す方向には血相を変えた河原崎がベランダの方へ走っていた。その前方にはコケコケと鳴きながらピョンピョン飛び跳ねている。

 啓太もすぐに後を追った。ようこも急いで後に続く。

 

 

 

 1

 

 

 

「コケー」

 

 ニワトリは力なく鳴きながら宙をふらふら飛んでいた。最初の頃の素早い動きは見る影もない。

 

「こけ子ー!」

 

「コケコケー」

 

「こけ子ぉぉぉぉぉ――ッ!」

 

 ニワトリの後を必死な形相で追う河原崎。

 彼の声が聞こえないはずがなかった。

 三百年と長い間、狭い箱の中に封じられ、ニワトリの存在を知る者は時間の流れとともに消えていき、感情や思考、自我も薄れて、創造主の魔力さえ失われていく中。

 やっと、やっとの思いで待ち続けた、自分を認めてくれる存在。求めてくれる存在。

 己が今なにをしているのかも分からず色々なものが消えていき、無へと還っていく中で、ニワトリは確かに彼の存在を――彼の暖かな心を感じ取った。

 くるっと振り返り、自分に向かって必死に手を伸ばしている少年を見つめ、笑った。

 

「コケ――!」

 

 多くの心が渦巻くこの場所で、やはりこの少年の心が一番心地よかった。

 激しく情熱に満ちていて、それでいてどこまでも純粋で真っ直ぐな、そんな心。己に正直でどんな障害も真正面からぶち破る気概を持つ少年。物作りとしては少し未熟なれど、その情熱は何よりも勝り、常に前を見据えている。

 人の心に寄り添う存在として彼の心は非常に心地よく、大好きだった。

 しかし、もう。

 魔力の底が尽きかけている。

 

「コケン……」

 

 三百年も稼動していたニワトリの魔力がついに尽きた。

 ニワトリは最後に一言そう呟いて、力なく落ちていった。

 ベランダの手すりの、その向こうへ――。

 

「こけ子ぉぉぉおおおおおおお――――ッ!!」

 

 後三歩というところで間に合わなかった河原崎は喉よ張り裂けろと言わんばかりに叫んだ。

 彼の視線の先にはどこか満足そうな顔をしたニワトリが手すりの向こうで落ちていく。ここ三階から落ちれば破壊は免れない。

 

「ぉぉぉぉおおぉぉおおおおお――っ!」

 

 雄叫びを上げながら河原崎はさらに加速し、手すりに足を掛け、飛び降りた。

 手すりを蹴ることで加速度が増し、ニワトリを受け止めることに成功する。だが、勢いよく飛び出したため地面に激突した際の衝撃は計り知れないだろう。

 河原崎は空中で体を捻り地面に背を向けると、ニワトリを胸の前で抱き締めた。強く歯を食いしばる。

 

「河原崎流柔術最終奥義――受け身っ!!」

 

 来たる衝撃に備え全神経を集中させる。

 そして――。

 

「……やれやれ」

 

 地面に衝突する瞬間、そんな言葉を聞いた気がした。

 

 

 

 2

 

 

 

 先輩が飛び降り自殺をしたでござる! 何を言ってるのか分からんだろうが俺も何が起きてるのか分からねぇ!

 とにかく、先輩はニワトリを追いかけて手すりの向こうへ飛び出して行ったんだ!

 

「本当に世話焼ける……っ!」

 

 どうする。分銅か何かで巻き取るか? いや、上からじゃ下方に投げることになるから上手く巻きつけない。

 刀で服と壁を縫いとめる? 先輩の位置から縫いとめられる壁がないから無理。

 俺も飛び降りる? 飛び降りたところで出来ることはないし怪我人が増えるだけ。むしろ落下の衝撃が上乗せされるから却下。

 なら、ようこなら? ようこは――。

 

「そうだ、しゅくち……! ようこ、二人をしゅくちする!」

 

「うん、わかった!」

 

 後ろで追いかけていたようこに指示を出すと、彼女は大きく頷き人差し指を立てた。

 そして、指先に霊力が宿る。

 

「しゅくちっ!」

 

 術を発動すると、バルコニーの中央にニワトリを胸に抱いた先輩が虚空からパッと現れた。その場で尻もちをつく。

 何が何だか分からず目を丸くしている先輩にようこが「しゅくちだよ♪」とウインクして見せた。

 しばらくボーっとしていた先輩だったが「そうだ、こけ子は!?」とバネ仕掛けの人形のように起き上がり、手元のニワトリを見た。

 

「こけ子! おい、起きろ! こけ子っ!」

 

 目を瞑ったまま微動だにしないニワトリ。そんなニワトリの頬を小さくぺしぺしと叩く先輩。

 

「嘘だろおい……目を開けろよ! 俺は信じないぞ! こんな終わり方なんて、クソゲー以下の展開なんて認めないからなっ!」

 

 先輩の目に涙が浮かぶ。

 そして、ひしっとニワトリを掻き抱いた。

 

「うわぁぁぁぁ――! 神様なんて大嫌いだぁぁぁぁぁああああああ――――っ!!」

 

 留吉がもらい泣きをして思わずハンカチを取り出す。

 いつの間にか、俺たちの服装はコスプレ前の普段着に戻っていた。

 俺はなんて声を掛けていいかわからず、ようこの方を見た。

 ようこはこの状況下の中で一人、笑っていた。

 面白そうに、おかしそうに、くすくすと。

 

「ニンゲンってバカ。でも、面白いね」

 

「……ようこ、不謹慎。先輩は本気で悲しんでる」

 

 笑っていることを咎めはしないが、それでもその発言はいただけない。

 軽く小声で注意すると、ようこも小声で囁き返してきた。

 

「でも面白いんだもん。だってあの子」

 

 先輩と猫のすんすんと鼻を啜る音だけがする中。

 

「ただの魔力切れで死んだわけじゃないのにね」

 

 ようこの一言が、シリアスな空気をぶち壊した。

 

「えっ、えっ? 魔力切れ? 死んだわけじゃないんですか?」

 

 留吉が目を白黒させている。先輩はガバッと振り返り、視線で説明を求めてきた。

 小さくため息をついた俺は先輩と、先輩の胸の中で死んだように眠るニワトリを眺めた。

 

「……ようこが言った通り、ただ魔力を切らしただけ。別に壊れたわけじゃない」

 

「そ、そうなのか!? なら、その魔力とやらをなんとかすれば、こけ子は元に戻るんだな!」

 

 希望の光を見つけたとでもいうように目に活力が宿る先輩。

 随分気に入ったんだなと微笑ましい気持ちで先輩の言葉に頷いた。

 

「けど、まずはここを出る」

 

 遠くから聞こてくるサイレンの音。それを聞いて先輩たちもようやく気がついたのか、あっという顔をした。

 

「捕まるのはご免」

 

 直接的に俺は悪くないし! むしろ被害者だし! でもバリバリ関係者なんだよね!

 まあ、あれだ。バレなきゃいいの精神で行こうぜ。人生一つや二つ、隠し事があるものさ!

 

 

 

 3

 

 

 

『――それで、どうなったんだね?』

 

「んー? どうやらあのニワトリ、霊力を魔力に変換できるみたい。んで、試しに霊力分けてみたら、元通りになった」

 

『そうか。すまないな、結局間に合わなかった。せめて事後処理はこちらに任せてくれ』

 

「ん、お願い」

 

『それで、今そのニワトリはどうしているんだね?』

 

「あー……。なんか、先輩に懐いちゃったみたい。今は結構大人しくしてる」

 

 俺の家で仮名さんと電話しながら先輩のほうを見る。

 先輩は復活したニワトリを頭に乗せて、ようこをからかって遊んでいた。ニワトリは楽しそうにコケコケ鳴いている。

 

「イヤ! 絶対にイヤなんだから!」

 

「そんな、一回でいいんです! どうか、どうか! ようこさんのその素晴らしい尻尾を、是非魚拓に取らせてください!」

 

「イヤー! このヘンタイ~!」

 

「タイヘンケッコウ、コケッコッコー!」

 

 ようこもようこで今回の一件を通じ、先輩の人と成りがなんとなくわかったようで、以前のように邪険にはしていない。相変わらず尻尾を触られるのは嫌なようだけれど。

 

『そうか、それはよかった。ならすまないんだが、しばらくの間川平の家に置いておいてもらえないか? 無理やり封印するのを是とするのは確かにどうかと思う。幸い君にも懐いてくれているのだろう?』

 

「まあ、ね」

 

 そう、何故かニワトリは先輩に次いで俺にまで懐いてしまったのだ。もちろん懐き具合で言えば先輩のほうが断然上なんだけど。

 でもまあ、頼めばちゃんと言うこと聞いてくれるし、実害があるわけでもない。今回の騒動は例外と見ていいだろう。

 と、いうことで。仮名さんの頼みを二つ返事で受けることになった。

 ここまで聞けばハッピーエンドで終わっただろう。

 ここまで、聞けば。

 

「――お話は終わりましたか啓太様?」

 

「……はい」

 

 俺の目の前には正座をしたニコニコ顔のなでしこさんが。普段の見ていて安心するような優しいニコニコ顔ではなく、能面のような、貼り付けたニコニコ顔だ。

 はい、怒ってます。とても怒ってます。

 それはそうだよねー。買い出しを頼まれて帰って来たら誰もおらず、しかも窓ガラスは破れたまんま。

 何か事件があったのではないかとハラハラしながら待つこと五時間。ようやく帰ってきたと思ったら先輩を連れてのご帰宅。

 そりゃ、怒るよねー。まあ、心配させちゃった俺が悪いんだけど。

 

「聞いてますか啓太様!」

 

「……はい、聞いてます」

 

「大体啓太様は仕事などで生傷が絶えない生活を送っているのですから普段くらいはゆっくり健やかに過ごしていただきたいのですなのに貴方様はどこからともなくやってきたトラブルに自分から巻き込まれに行って仕える身として不安で不安で仕方ないのですよいつか大怪我したらどうしようってそれなのに啓太様はどこ吹く風で――」

 

 ……実家にいるおばあちゃん。

 最近、なでしこさんに説教癖がついてきた気がするのですが僕の気のせいでしょうか?

 そして、この説教はいつになったら終わるのでしょうか?

 息継ぎしないでそんなに喋って苦しくないのでしょうか?

 ネットサーフィンに目覚めたおばあちゃん、どうか教えてください……。

 

 





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第四十七話「遠き日の記憶」

四話目


 

 

 涼やかな風が吹く、少し肌寒い日のことだった。

 薄い霧のような(もや)がかかる早朝。とある山奥で鬱蒼と茂る木々の間を縫って一匹の狸が全力で疾駆していた。

 まだ子供なのか体は小さく、その短い手足を一生懸命動かしている。

 どこか焦燥感に似た、まさに『必死』という形容詞がつくほどの様子。なりふり構わず、落ち葉を蹴りつけながら、前へ前へと駆けていた。

 恐怖に駆られた顔で後ろを振り返る。

 そこには、自分の命を狙う異形の者が口から涎を垂らしながら追いかけていた。

 

「タヌキ、エサ、タヌキ、エサ」

 

 異形の者は奇怪なデカイ顔をしており、パッと見て体の三倍近くはありそうだった。ギザギザの歯をカチンカチンと鳴らしながら口の端から涎を零し、追いかけてくる。

 アンバランスな体なのに何故か異様なまでに足が速い。重心の関係から転んでもおかしくないのに、ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!と気色の悪い声を上げながら、正確にタヌキの後を追っていた。

 タヌキは後悔していた。最近、この山に異形の者が住み着いたかもしれないから決して遠くに行ってはいけないと、あれほど親タヌキに口すっぱく言われていたのに。ドングリ拾いに夢中になっていると、いつの間にか異形の者の住処に近寄っていた。

 嗅いだことのない変な臭いに気がついて顔を上げたら、すぐそばにあの異形の者が自分を見つめていたのだ。エサを見つけた狩人のような目で。

 ゾワッと全身に悪寒が走り、毛が逆立った。

 本能が今すぐ逃げろ、殺されるぞと全力で訴えてくる。

 タヌキは走った。走って走って、心臓が張り裂けそうなほど走り続けた。しかし、生き物には体力というものがある。

 ついに体力の限界が近づいたタヌキは足をもつれさせて転んでしまった。絨毯のように敷き詰められた落ち葉が衝撃で宙を舞う。

 慌てて振り返る。異形の者はもうすぐそばにいた。

 走ろうとするが体が上手く動かない。

 

「タヌキ、エサ、タヌキ、エサ!」

 

 異形の者が歪な笑みを浮かべて近寄ってくる。

 ガクガクと震えながらタヌキは心の中で叫んだ。

 ――お父さんお母さん、言うこと聞かなくてごめんなさい!

 

「エサッ、エサッ、エサッ!」

 

 異形の者が手を伸ばしてくる。キュッと目を瞑り、食べられるのを覚悟したその時だった。

 どこからともなく何かが飛来してきた。

 それらは空気を鋭く切り裂きながら一直線に飛び、異形の者の両足に突き刺さる。

 

「ギギィィィィィ――ッ!」

 

 あまりの痛みに膝をつく。足に突き刺さっていたのは無骨な刀だった。

 刀を抜こうと手を伸ばす。が、木々の向こうから次から次へと刀が飛来すると、異形の者の腕に、胴に、そして顔面に突き刺さっていく。

 聞くに堪えない悲鳴を上げる異形の者。

 そして――。

 

「……よいしょっ、と」

 

 空から人間が降ってきた。

 人間は手にしていた長いものを垂直に立てて、無数の刀が突き刺さった異形の者の上空から落下していた。

 手にしていた長いもの――槍を異形の者の脳天に突き刺す。槍は顎を貫通して地面に突き刺さった。

 他の生物同様脳が弱点だったのか、異形の者は槍にもたれるようにして力尽きた。

 霧散していく異形の者を見届けた人間が振り返る。

 驚いたことに彼は少年だった。色素の薄い茶髪に焦げ茶色の目をしている。

 

「……まさか、ランニングコースに現れるとは。まあ、悪妖の類だから、いっか」

 

 そこで初めて少年はタヌキの存在に気がついた。驚いたように目を見開いた少年は動けないタヌキをそっと抱き上げる。

 

「……タヌキ」

 

 顔の前まで持ち上げられジッと見つめられる。無表情な顔でジーッと一心に見つめてくる少年にタヌキは改めて恐怖を感じた。

 今更ながら震えがこみ上げてくる。まだこの少年が味方だと決まったわけではないのだ。もしかしたら、この無表情の奥ではどう調理してやろうか考えているのかもしれない。

 

「……」

 

「……(フルフル)」

 

「…………かわいい」

 

 少年は小さくそう呟くと、タヌキをそっと地面に降ろした。

 

「……一人で帰れる?」

 

 少年の言葉にタヌキが頷く。まさか反応が返ってくるとは思わなかったのだろう、驚いた顔をした少年は小さく笑った。

 

「そう。なら、帰る。もう悪妖に狙われないように」

 

 そして最後に頭を優しく撫でてくれる。

 そうして少年は駆け出し、朝靄の中へと消えていった。

 その後姿を見送っていたタヌキはこの時になって初めて気がつく。少年はなぜかランニングシャツを着て、首に白いタオルを掛けていたことに。

 まるで河辺をジョギングするかのようなラフな格好だ。

 ――なんでこんな山奥にいるんだろう? ここって木こりも滅多に来ない場所なのに……。

 それ以降、タヌキが少年と出会うことはなく、その疑問は終ぞ解決されることはなかった。それが、三年前の出来事である。

 

 

 

 1

 

 

 

「――それで、その時の少年がついに見つかったのだな?」

 

 長老が長い顎鬚を撫で擦りながら問うと、目の前で正座している少年タヌキが威勢よく頷いた。

 タヌキがあの恩人に命を救われること三年。小さかった体も成長し立派なタヌキに育った。おどおどして頼りなかった性格もすっかりなりを顰め、はきはきと物を言えるようになった。

 彼らはタヌキの中でも霊験高い化けタヌキであり、人に化けたり化かしたりすることができる。彼ら化けタヌキは人間に対して友好的な種族で、受けた恩は必ず返すのが彼らの矜持なのだ。

 なんとしても少年に恩を返すため同胞のタヌキや多くの友達に聞き込みを行い、ようやく彼の人のありかを聞きつけることが出来た。

 いよいよ恩返しをする時がきたと、長老に旅立ちの報告をしにやってきたのだった。

 

「実は道に迷ってる猫又さんがいて、その方を里まで送ってあげたんですけど、なんとその猫又さんが恩人さんとお知り合いだったんです! 自分の恩人さんは色んな武器を使う犬神使いさんっす!」

 

「ほっほっほ、そうかそうか。お主の恩人が見つかったてよかったのう。分かっているとは思うが――」

 

「はいっす! 犬神使いさんに恩を返すまで帰ってくるな、ですね! もちろんそのつもりっす!」

 

「うむ。ちゃんと分かっておるな。恩を仇で返すのは人間だけじゃ。我らタヌキは受けた恩は必ず返さねばならん。して、どのような形で御礼をするんじゃ?」

 

「これっす!」

 

 そう言ってタヌキが掲げたのは一本のボトルだった。中には琥珀色の液体が入っており、揺らすとちゃぷんと音が鳴る。

 目を輝かせているタヌキを眺めながら長老は渋い顔で考えた。確かにアレならお礼の品として十分だろう。その筋の人に見せれば全財産を叩いてでも買いたいと思うに違いない。それほどの品だ。

 故に長老は危惧していた。使う人間の心次第では悲惨な事態を招くことになるやもしれぬ、と。

 タヌキにそこまでの機微を理解できるとは思えない。が、すぐに首を横に振っていらぬ考えを追い出した。

 タヌキがこうまでやる気を見せているのだ。長老はタヌキの判断を信じることにした。

 

「あい、わかった。ではそれを持っていくがよい。しっかりと恩を返してくるのだぞ」

 

「はいっす! ボク、恩人さんにちゃんとお礼して、一人前のタヌキになって戻ってくるっす。じゃあ、行ってくるっす!」

 

 そばに置いてあった風呂敷を首に巻いたタヌキは長老にぺこっと頭を下げると、長年暮らしていた山を下った。

 母をたずねて三千里、ならぬ恩人を目指して三千里。実際のところ、タヌキが暮らす静岡から恩人である啓太が住む神奈川までは大体一六五キロほど離れているため、計算すると四一二里になるが。

 どちらにせよ、静岡から神奈川。人間でもかなりきつい距離だが、タヌキはふんすと気合いを入れて、恩人の住む家へと向かったのだった。

 

 

 

 2

 

 

 

 麗らかな日差しが降り注ぐ昼下がり。

 珍しくその日の俺は自宅で日向ぼっこをしていた。

 普段の俺ならパソコンを開いたり、本を読んだり、鍛錬をしたりと何かしら行っているが、今日は天気もいいからリビングの窓側で日差しに当たりながらうたた寝。

 ようこは俺の右隣で少女漫画を読み、なでしこは左側で編み物をしている。先日からうちの新たな一員になったニワトリも俺の膝の上で気持ち良さそうに陽に当たっていた。

 ――ああ、なんて贅沢な時間の使い方だろうか……。

 両隣には美少女を侍らせ、膝に愛猫ならぬニワトリを乗せてただ無駄に時間を使う。生傷絶えない仕事をしていると、ホントこういう何気ない日常がいかに貴重で大切な時間なのか身に染みて感じる。

 最近は色々と忙しかったからなぁ。三島くんの妹に憑いた悪霊を払ったり、ニワトリの騒動に巻き込まれたり、舞い込んだ依頼を立て続けに片付けたり、ようこと模擬戦をやったりと。

 俺はそのうち過労で死んじゃうんじゃないか? 生命保険に入っておかなきゃっ!

 まあ、そんなことになったらなでしこたちが悲しむから死なないけどねー。ていうか、俺が死んだらなでしこやようこも一緒に心中しそうでそれが一番怖いんだけどねー。

 でもまあ、ここ最近は本当に忙しかったからな。あまりなでしこやようこにも構ってあげられなかったし、今度近い日に温泉とかにでも行こうかなー。

 

「なでしこ、ようこ。温泉って好き?」

 

「温泉ですか? いいですね、私は好きですよ?」

 

 穏やかな雰囲気のなか赤い毛糸で編み物を編んでいたなでしこが微笑んだ。尻尾も緩やかに動いている。

 少女マンガを読んでいたようこも顔を上げる。

 

「わたしも好き! なになに、温泉行くの!?」

 

 行きたい温泉っ、超行きたい~! 足をバタバタさせて強請るようこ。こらこら、スカートなんだから足をバタつかせないの。

 こほん、と咳払いしてようこのスカートから視線を外し、ニワトリを撫でる。木で出来ているため滑らかな肌さわりで結構気持ちよかったりするんだよね。

 ちなみにニワトリはここ最近ずっと寝ていたりする。なに、冬眠?

 

「……そうだな。ここ最近は忙しかったし、近い日に行くか」

 

 この辺で温泉といったらやっぱり熱海とか湯河原になるか? お婆ちゃんに聞けば秘湯の一つや二つ知ってそうだし、今度聞いてみようかな。

 

「やった! 温泉だ温泉~!」

 

「温泉なんていつぶりかしら。ありがとうございます啓太様♪」

 

 ようこもなでしこも嬉しそうだ。純粋に喜んでくれる彼女たちを見ると俺まで嬉しくなる。

 和やかな空気のまま俺たちは温泉に行ったらあれがしたい、これがしたいと楽しげに話をしていると、かちかちかち、と火打石を叩き合わせているような音が聞こえてきた。

 なでしこたちと顔を見合わせて首を傾げる。今の音はなんだろう?

 そして再び聞こえてくる、かちかちかち。

 玄関の方からか?

 奇妙な音は玄関の方から聞こえてくるようだった。

 

「あのー、すみませんっす。こちらは川平啓太さんのお宅でよろしいっすか~?」

 

 外から幼い少年の声が聞こえてきた。声代わりがまだな点から子供のようだ。

 

「……そう。今開ける」

 

 はいはい、啓太さんのお宅でよろしいっすよ~。

 ガチャっとドアをオープン。するとそこには――。

 

「……タヌキ?」

 

 そこにいたのは赤いちゃんちゃんこを着て風呂敷を首に巻いたタヌキが立っていた。

 思わぬ珍客に目を丸くしていると、奇妙なタヌキはどこか緊張した様子でペコッと頭を下げた。

 

「か、川平啓太さん! お、お久しぶりっす! ずっとずっとお会いしたかったっす! その節は本当にお世話になりましたっす!」

 

 なんか急にお礼を言われたんだけど、どう反応すればいいわけ……。

 とりあえず、こんなところで動物相手に会話してたら良からぬ噂が立ってしまう。

 

「……とりあえず、入る」

 

「は、はいっす! 失礼しまっす!」

 

 恐縮しているのか、ぎこちない動きで家に入るタヌキ。

 周囲に誰もいなかったのを確認してから俺も家に戻った。

 リビングに戻るとタヌキは我が犬神から歓迎を受けているところだった。

 

「なにこの子!? かーわーいーいー!」

 

「タヌキさんですか、可愛らしいですね~」

 

「はわわっ、苦しいっす~」

 

 キャーッとテンション高めなようこに抱き締められ、微笑を浮かべたなでしこに頭を撫でられている。ようこの意外と大きいお胸様に顔を挟まれているタヌキ。健全な男子高校生として少し羨ましく思ってしまうのも無理はないことだと思う。

 でも俺紳士な高校生! 性欲丸出しな下品な行動なんてしない!

 だからそろそろ、なでしこたちにばれない様に爆弾を処理しないと。制限時間つきだから放っておいたら爆発しちゃうし。

 そんなことになったらなでしこたちにどんな目で見られることか! ああ、想像しただけでガクブルなんじゃ~!

 

「……それで? お世話になったとか言ってたけど」

 

「はいっす! 自分、三年前に実家の山で悪妖に食べられそうだったところを、啓太さんに助けられたっす! あの時、啓太さんに助けられていなかったら、今の自分はいないっす。啓太さんは命の恩人っす!」

 

 そう言ってペコッと頭を下げるタヌキ。

 三年前……山……悪妖に食べられそうだったタヌキ……。

 

「……おお」

 

 思い出した。確かに三年前にこのタヌキを助けてたわ!

 ちょっと実家に用があったから、その日の前日から婆ちゃんの家に泊まっていたのだ。そんで翌日、毎日の日課であるランニングで近くの山を通った時に偶然、悪妖に食べられそうだったタヌキがいたものだから助けたんだよね。

 ていうか化けタヌキだったんだな。

 

「あのタヌキか。懐かしい……元気だった?」

 

「はいっす! おかげさまで元気一杯っす!」

 

「そう。それはよかった。もしかして、お礼をするために?」

 

「そうっす! 受けた恩を返さないとあったらタヌキの恥っすからね」

 

 はー、律儀なタヌキだねぇ。わざわざご苦労さまです。

 

「ねーケイタケイタ。なんの話~?」

 

「タヌキさん、お茶をどうぞ」

 

 ようこが背中に圧し掛かって肩にちょこんと顎を乗せてくる。

 お茶を入れてきたなでしこがタヌキに湯飲みを渡した。中に氷が入っているのか、カランと涼やかな音が鳴った。動物であるのを配慮してのことだろう。

 タヌキは恐縮した様子で前足で挟むようにして湯飲みを受け取り、器用に口をつけて飲んでいく。

 なでしこは楚々とした所作で俺の横に座った。なんか右隣がなでしこの定位置になりつつあるんだけど。不満? ないですとも!

 

「……はぁ、美味しいっす。ええっとですね、三年前のことなんですけど。啓太さんに悪妖に食べられそうになったところを助けてもらったんっす。あの悪妖はすごく食欲旺盛で凶暴なヤツで、正直かなりやばかったっす」

 

「でも、よく啓太の家が分かったね」

 

「あ、それについては猫股さんに教えてもらったっす。留吉くんって言って、啓太さんとも仲がいいって聞いてるっす」

 

「……猫?」

 

 意外なヒトの名前が出てきた。動物同士なんらかのネットワークがあるのだろうか。

 そこでタヌキがチラチラとなでしことようこに視線を向けているのに気がついた。

 

「あの、啓太さん。こちらの別嬪さん方は、啓太さんの奥さん達っすか?」

 

 聞いていいのかなこんなこと、とでも言いたげな様子でそんなことを聞いてくるタヌキ。

 その言葉を聞いて気色ばむ犬神たち。

 

「奥さん!」

 

「奥さん……っ」

 

 ようこは純粋に嬉しそうな顔で喜び。ふっさふっさとその太い尻尾で喜びを表現している。

 一方のなでしこは、初心な乙女のように照れていた。手を頬に当てて顔を赤らめている。非常にかわゆいです。

 そして、むずかゆく感じる俺。彼女たちの好意をうすうす感じている身としては背中を思いっきり掻きたいです。

 こほん、と咳払いで気持ちを切り替える。この切り替えの早さも身体操法で身につけた技法の一つだ。

 

「……違う。俺の犬神たち。猫から聞いてない?」

 

「あ、なるほど~! あなた方が犬神さんなんですね。……あれ? そちらの方も?」

 

 不思議そうなにタヌキが首を傾げる。視線の先には俺の肩に顎を乗せたようこがいた。

 ようこはむっと顔を顰めると不機嫌な声で言い返す。

 

「……なによ。わたしが犬神で悪い?」

 

「い、いえいえいえ! 悪くないっす悪くないっす!」

 

 ぶんぶんぶんと首を振るタヌキ。そして、あっと声を上げた。

 

「でも、犬神さんでも女の子は女の子っすよね?」

 

「そうよー。ピッチピチの三六四歳なんだから!」

 

 そう言って胸を張る。

 ちょっと待ておい、なに何気なく言っちゃってんの!? 初耳なんですけど!

 突然のカミングアウトに思わず我が耳を疑ってしまった。犬の化生なのだから見た目不相応だとは思っていたけど、まさか三百超えだとは……。

 俺、軽くショックなんですけど……。

 

「……それは、ピッチピチなのか?」

 

「あはは……。まあ、ようこさんですから」

 

「……ところで、なでしこは?」

 

 ようこが三百超えなんだから、もしやなでしこも――。

 そう思って隣を見てみると。

 

「啓太様?」

 

「……はい」

 

 完璧のニコニコ顔が待ってました。

 なでしこの背中に炎が見える。なんか【ゴゴゴゴゴ……】と擬音が聞こえてきそうで、非常に圧迫感を感じますですはい。

 なでしこはどこまでも優しい声で語りかけてきました。

 

「女性の歳を尋ねるのはマナーに反しますよ、啓太様?」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

 その笑顔には逆らえませんです。

 まあ今のは俺が悪かった。婦女子にする話じゃなかったな。反省反省。

 でも、やっぱり女の子は年齢を気にするんだね。

 

「あー、でもこれは犬神さんに対してはまずいっすかねぇ」

 

「ん?」

 

「あ、いえ。実は啓太さんのお礼としてこんなものを用意してきまして」

 

 そう言ってタヌキは首に巻いていた風呂敷を降ろし、中をがさごそすると一本のボトルを取り出した。

 ワインなどに使われるような細長いボトルだ。ラベルは貼っておらず、瓶全体は琥珀色をしており、ちゃぷっと水音が聞こえた。

 

「……お酒?」

 

「いえ、女の人を惹きつける薬っす」

 

 タヌキが軽い口調で液体の正体を明かした瞬間、三人の時間がピタッと止まった。

 なでしこもようこも表情が固まってしまっている。俺もまったく予想だにしなかった代物だったため、一瞬思考が停止していた。

 そして、時が動き出す。

 ようこはギンッとこっちを睨みつけ、言外に「啓太、判ってんでしょうねぇ~」と訴えかけ。なでしこは例のニコニコ顔で無言のプレッシャーを掛けてきた。

 二人の意思を正確に読み取った俺は大きく頷き――。

 

「……頂戴します」

 

 丁寧に両手で受け取った。

 

「――って、違うでしょうがぁ!」

 

 どこからともなく取り出したハリセンで俺の頭をスパーンと叩くようこ。本当にどこから取り出したんだお前! そしていつ用意した!

 なでしこは静かに正座をしながら一言。

 

「……啓太様?」

 

【ゴゴゴゴゴ……】

 

「冗談です、はい……」

 

 深く深くなでしこ様に低頭したのだった。

 横では俺たちのやり取りを不思議そうな顔で見ているタヌキ。

 うん。動物には分からないかな、このやり取り!

 

 




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第四十八話「タヌキの恩返し」

五話目


 

 

【背景、お婆さま。

 まだ肌寒い日が続く今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 こちらでは只今、鶴の恩返しならぬ狸の恩返しが発生しています。

 なにかのイベントでしょうか。彼が持ち込んだ「異性を惹き付ける薬」というTHE・惚れ薬のお陰で、現在ボクは犬神たちに怒られています。こればかりはボクが悪いわけじゃないと思うのですが、彼女らにとっては馬の耳に念仏。まったく関心を寄せません。

 何がいけないのでしょうか。この世の中でしょうか?

 今日も強く生きていこうと思います。

 あなたの孫、川平啓太。敬具】

 

 

「ちょっとケイタ! 聞いてるの!?」

 

 ――はっ! 一瞬思考が飛んでいた。

 ようこの怒声に意識が戻る。

 ちょっとした好奇心と男の抗えない(さが)につい手を伸ばしてしまったのだった。

 それを見たようことなでしこは、もうぷんぷん。ようこはおれの肩に噛み付いて耳元でガミガミと怒り、なでしこはただただ横で俺の顔をジッと見つめるだけ。一言も話さず、ニコニコ笑顔で。……一番なでしこが怖いです。

 俺たち三人のある意味じゃれ合いのような光景を不思議そうに見ていたタヌキは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「やっぱり、マズかったっすか? 啓太さんのような男の方は皆欲しがるものだと聞いてたんっすけど」

 

 うん、間違いではない。というか正解だ。

 俺もぶっちゃけ欲しくはないかと言われたら欲しいし。まあ正直、服用しないで好事家に売り飛ばす目的で欲しいし。ぐへへへ、金がたんまり入るぜ……。

 おっといけないいけない。邪なものが溢れ出てしまったぜ。

 まあ、なでしこさんたちからお許しいただけないだろうから、断念するけど。

 

「……気にしない。その心遣いだけでも嬉しい」

 

 落ち込むタヌキにフォローを入れる。いや、マジでその気持ちは嬉しいからね。

 しかし、それが返ってタヌキの気合を入れてしまったようで。

 

「いえ! ここで恩を返さないとあっちゃタヌキの名折れ! 待ってくださいっす! 他にも色々と実家から持ってきたのがあるので!」

 

 そう言って再び風呂敷をガサゴソ。

 取り出したのは先ほどの惚れ薬と同じようなボトルだった。

 こちらは濃緑色のボトルで中央にはラベルが張ってあり、タヌキの肉球がポンッとハンコのように押されていた。

 

「啓太さんはお酒好きっすか?」

 

「酒? まあ、嫌いじゃない」

 

「ならよかったっす! これは超高級のお酒で、数年に一本しか作られないプレミア物っす!」

 

 ほう! それはプレミア感半端ないな!

 幼少の頃から実家の宴会などで酒を嗜んできたから、そこそこ強いし好きだ。

 これならなでしこたちも文句はあるまい!

 

「……仕方ないですね。本当はお酒は二十歳になってからなんですよ?」

 

 キラキラした目でなでしこを見ると彼女は苦笑しながら頷いてくれた。大丈夫! 俺、法律に縛られない男だから!

 

「ケイタケイタ! 私も飲みたい!」

 

 ようこも目を輝かせてお酒の入ったボトルを見つめている。もちろん、飲ませてあげますとも。幸せは分かち合おう!

 

「じゃあ、飲んでみるっすか?」

 

「是非」

 

「はいっす!」

 

「ねーねーケイタ! わたしが最初に飲んでみていい?」

 

 珍しくおむすびとチョコレートケーキ以外で強い関心を示すようこ。なでしこはそんなようこを軽く嗜めていた。

 

「いいよ。じゃあ、味見は任せる」

 

「任された! なでしこも飲も!」

 

「ええ? でもそれは……」

 

 困った顔でこちらを見てくる。でも貴女もさっきからお酒をチラ見してるよね。

 うちにやって来た当初はあまり我侭というか、俺やようこに合わせて自分というものを出さないなでしこだったけれど。そう考えれば大分打ち解けてくれていると思う。

 いつまでも仲の良いパートナでありたいな。

 食器棚からコップを持ってきたようこが自分となでしこのそれにお酒を注いでいく。

 

「……タヌキ、ありがとうな」

 

「いえいえ、啓太さんに喜んでもらえるなら嬉しいっす!」

 

 なんて善いタヌキなんだ。

 お酒からは良い匂いが香る。形容しがたいがとても美味しそうな匂いだ。

 

「うわー良い匂い。じゃあ頂くね!」

 

「ではすみません啓太様、タヌキさん。お先にいただきますね」

 

 一口飲む。どんな味なんだろうか。

 ようこもなでしこも「おっ?」と軽く驚いた顔で手にしたコップに視線を落とした。

 どうなん? 美味しいの? プレミア感あるの?

 

「すごく美味しいです……。ここまで美味しいお酒は初めてなので、少し驚きました」

 

「美味しい~! これすごく美味しいよケイタ! ありがとうねタヌキ!」

 

 なでしこたちが絶賛を送るとタヌキは嬉しそうに頭を掻いた。

 あっという間にコップを空にする。なでしこたちがここまで絶賛するならメッチャ美味しいに違いない。これは楽しみだな!

 さて、俺も頂きましょう!

 

「……じゃあ、タヌキ。ありがたく頂く」

 

「はいっす!」

 

 タヌキに一言断りを入れて、マイコップにお酒を注いでいく。

 やはり良い香りだ。まるでお酒が飲んで飲んでと囁いているかのようだ。

 一口、飲む。すっと喉に入っていく。

 

「おぉ……」

 

 まず最初に感じたのは口当たりのよさ。すっきりとした味わいで非常に飲みやすい。

 そして不思議に思ったのが、アルコール特有の味が全然しないことだ。まるで味のついた水のようにすいすい飲める。プレミアな酒というのはアルコールの味がしないのだろうか?

 しかし、これは本当に美味しいな。しつこくなくて何本も飲めちゃうよ。

 タヌキが緊張した様子でコップを空けるのを見つめていた。

 

「ど、どうっすか?」

 

「……すごく美味しい」

 

「本当っすか! はぁ~、よかったっす」

 

 安堵したように胸を撫で下ろすタヌキ。なんか所作がいちいち人間染みてるな。

 タヌキにもお酒を注いであげる。酒だけだと味気ないから何かつまみになるのを用意するかな。

 なでしこにつまみをお願いする。俺は料理からっきりだし、家のことは家主の俺よりなでしこのほうが詳しいからね。

 

「なでしこ、ごめん。つまみか何かお願い」

 

「はい。わかりひっく、ました」

 

 ん? 今のってしゃっくり?

 なでしこのしゃっくりなんて初めて聞いたぞ。

 当の彼女は口元に手を当てて目を丸くしている。恥ずかしそうに俯くその姿はとても可愛らしい。

 聞かなかったことにしよう。それが出来る男というもの。

 ようこはケラケラ笑いながらなでしこを指差した。

 

「あははは! なでしこのしゃっくり初めてひっく、聞いた~」

 

 そういうお前さんもしゃっくりしとるやないかい!

 びっくりした顔で固まるようこ。くすくすとなでしこが笑った。

 そして、二人のしゃっくりのペースが段々早くなる。

 確かにしゃっくりって止まりにくいけど、このペースは異常じゃないか……?

「け、ケイターひっく! しゃっくりが止まんないよぉひっく」

 

 止まらない恐怖からか泣きべそをかくようこ。なでしこも困った顔で口元を隠しているが止まる兆しを中々見せない。

 ど、どうしよう? なにか民間療法でいいからしゃっくり止める手段ってないんか?

 記憶を探ると、一つ有力な情報が出てきた。最近は俺自身存在を忘れがちになっている謎知識。その知識に頷いた状態で水を飲むと良いとあるけど、本当に効果あるんかこれ?

 まあいいや、とりあえず試してみよう。

 食器棚から新たにコップを取り出して水を注ぎ、なでしこたちに手渡す。

 そして、しゃっくりを止める民間療法を教えようとしたその時だった。

 

「ああーっ!し、しまったっす!」

 

 タヌキがお酒の入ったボトルのラベルを見て血相を変えていた。

 なんだか嫌な予感がするんだけど……。

 

「……どうした?」

 

「啓太さぁん、お酒と間違えてとんでもないもの持ってきてしまったっす……」

 

 そう涙目で言ってくるタヌキ。そうこうしている間にもしゃっくりのペースが凄いことになってきた。息できないんじゃないのって思うペースだ。

 

「…………なに?」

 

「これ、お酒じゃなくて退化水でしたっす……」

 

 退化水? なにそれ?

 不意にようこたちのしゃっくりがピタリと止まった。

 おお、ようやく止まったかと後ろを振り返るとそこには――。

 

「けーた」

 

「けーたしゃまぁ」

 

 だぶだぶの服を着た幼女が二人、女の子座りをしながら俺を見上げていたのだった。

 

 




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第四十九話「幼女」

 六話目
 書いてて楽しかった(笑)


 

 

 あぐらをかいた俺の膝の上には二人の幼女が腰掛けている。

 腰まである濃緑色のストレートヘアのようこ似の幼女。膝の上に座って身動ぎせず、ジッと前を見据えている。

 両端だけ肩に掛かった桃色のショートボブのなでしこ似の幼女。こちらは落ち着きがなさそうにキョロキョロ周りを見回している。

 二匹の犬神と非常によく似た幼女。そして、姿を消したなでしこたち。

 はい、状況を見てどう考えてもこの幼女が当人ですね。なんでこうなっちまったんだ!

 

「……それで、なでしこたちがこうなったのは、その退化水のせいってこと?」

 

「はいっす。元々退化水はボクたちタヌキが求愛する時に少量顔に塗って使うっす。人間とさんでいうところの香水のようなものっすね。ただ成分にヤコバ草っていうのを使ってまして、これを食べると一時的に体が小さくなっちゃうんっすよ。それで退化水も同じ効能がありまして、これを飲むと小さくなっちゃうだけでなく、知能も幼くなっちゃうんっす」

 

マジか。なんてこった……プレミアなお酒だと思ったら幼女になる水だったなんて!

あれ? でも俺はなんともないけど。

 

「あー、それはっすね、人間さんには効かないんっす。効能があるのは妖怪だけなんっすよ。だから犬神さんも効果が出てしまったわけでして」

 

 本当に申し訳ありませんっす!

 土下座する勢いで深く頭を下げてくるタヌキ。とりあえず頭を上げるように言った。

 

「こうなったものは仕方ない。効果が切れるまでどのくらい?」

 

「コップ一杯分くらいなら大体一日っすね」

 

 一日か、よかった。これで半年や一年って言われた時はどうしようかと思ったよ。

 一日くらいならなんとかなるだろう。ようこたちの世話くらい。幸い今日は依頼入っていないし。

 しかし、なでしこたちが幼女化するとは思ってもみなかったけど、可愛いなぁ。二人ともそのまま幼くした感じで。カメラがあったら絶対に撮ってたわ。あとで怒られるとしても。

 

 でも意外や意外。正確は今の彼女たちとは全然違うんだな。

 なでしこは内向的でちょっと怖がりな感じ。さっきから俺の服を掴んでは部屋の中を見回したり、タヌキが喋るとビクッと体を震わせたりしている。

 そして、ようこ。意外と言えばこの子が一番意外だった。

 俺の膝に座ってからまったく身動ぎ一つしないんだ。あまりに動かないから寝てるんじゃないかと顔を覗き込めば、ちゃんと反応して見上げてくる。

 だけど、その目に感情らしい色があまりないんだよね。表情も無表情だし。

 まるで昔の俺を見ているかのようだ。今でこそ少し表情を動かせるようになった俺だが、昔はそれこそ表情筋ストライキ起こしてるのと言いたくなるくらいまったくの無表情だったから。

 今のようこが丁度そんな感じ。無表情を素にした感じで。よく親戚連中に人形と揶揄されていた俺だけど、俺以上に人形っぽいんだもの。

 

 不意にようこが動いた。

 それまでジッと前を見ていた彼女は振り返ってこちらを見上げると、幼い声でこう言った。

 

「けーた、だっこ」

 

 んっ、と無表情で手を差し伸べてくる。ああ、こういう甘えん坊なところは大して変わっていないのね。

 こう言ったら変だが、ようこがちゃんとようこしていることに少し安堵を覚えた俺だった。

 

「はいはい……」

 

 一旦なでしこを膝から降ろし、立ち上がりようこを抱き上げる。幼女化したから非常に軽い。

 ようこはかすかに頷くと俺の首に腕を回してきた。

 俺は子供をあやすようにぽんぽんと背中を軽く叩いた。

 

「……満足?」

 

「うん」

 

 ならよかった。

 ズボンを引っ張られる感覚に下を見る。そこにはもう一人の幼女、なでしこが泣きそうな顔で俺を見上げていた。って、泣きそうな顔!?

 ど、どうした! おなか痛いのか? それともトイレか!?

 

「けーたしゃまぁ……なでしこもだっこぉ」

 

 ――ズギューンッ、と。俺のハートを何かで射抜かれた……。

 思わずなでしこを抱き締めたくなる、が――。

 

「……ぐっ」

 

 そんな邪悪な欲求を唇を噛んで耐え、鋼の精神で自粛する。

 大きく深呼吸を一つ。そこでようやく、本来の精神状態に戻ることが出来た。

 ――危ないところだった。あやうくキャラ崩壊を起こすところだった。

 なんだろう。なでしこだと、ともはねや幼女化したようこにも感じない保護欲――父性のようなものが沸き起こってくる。

 この子は魔性の子や! 幼いながらにして魔性の子なんや!

 脳内でそんなくだらないログを流していると、無視されていると勘違いしたなでしこが目に涙を溜めはじめたぁぁぁぁぁ!

 

「ぐすっ……だっこぉぉ……」

 

「今すぐ」

 

 ようこを一旦降ろし、今度はなでしこを抱き上げる。

 キョトンとした顔のなでしこは何が起きたのか理解すると、にぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべギュッと首に抱きついてきた。

 非常に上機嫌なようで、尻尾がパタパタと揺れている。なでしこは抱っこが好きだったんだな……。

 大人になったなでしこもそうなのかしら? 今度試してみたい。多分無理だろうけど!

 

「けーたしゃま、けーたしゃま」

 

「……ん?」

 

 頬をぺちぺちされてなでしこに視線を向ける。

 至近距離から翡翠色の瞳が真っ直ぐ俺を見つめていて、不覚にも一瞬ドキッとしてしまった。

 

「あのね? えっと、なでしこね?」

 

 なにやらもじもじし出す。恥ずかしそうに頬を赤らめたその姿は幼女といえど女の子なんだな、と感じさせられた。そういえば、幼い女の子と書いて幼女だったね。

 ぼんやりした目でなでしこを見ていると、もじもじしている彼女はギュッと目を瞑り「えいっ」と可愛らしい掛け声を上げて。

 

"チュッ♪"

 

 と、頬に唇を落としてきた。

 ――……な、なでしこにキスされたぁぁぁぁぁぁ!?

 ビックリした顔で彼女を見ると、なでしこは「えへへ……」と可愛らしい笑顔を向けてきましたよこんちくしょう!

 

「なでしこ、けーたしゃまのことすきっ」

 

「ようこも」

 

 下から幼い声が。見下ろすと俺のズボンを小さな手で掴んだようこが紅緋色の目でこちらを見上げていた。

 抑揚のない声でありながら、純粋な気持ちが篭った言葉を投げかけてくれる。

 

「よーこも、けーたのことすき」

 

 嬉しいやら気恥ずかしいやら、なんとも言えない感情がこみ上げてくる。

 ようこはそのまま透明な目でこちらを見上げながら。

 

「だから、よーこもけーたにちゅーする」

 

「……それはちょっと待つ、うん」

 

 ちなみにタヌキは、なでしこがキスしてきたあたりでずっと目を塞いでました。ボク見てませんよー、とでも言いたげにな。

 

 

 

 1

 

 

 

 とりあえず、今日一日なんとか乗越えればいいんだ。

 だぼだぼな服から、至急幼女服のワンピースを創造してそれに着替えさせた俺。

 子供向けのテレビ番組を例の如くなでしこたちを膝の上に乗せた状態で一緒に見ながら、今日一日の予定を頭の中で整理していた。

 お昼はすでに食べたから夕食を外で済ませて――あ、タヌキがいるから無理か。じゃあ出前でも頼むか。

 んで、学校の宿題を済ませて、二人を風呂に入れて、寝かしつけて一日終わりか。

 何気に子守りをするのって初めてだな。親戚の子供は殆んど同年代だし、幼い子を相手にしたのはともはねくらいだ。

 テレビではお姉さんが子供たち相手に紙芝居をしている。大人しくテレビを見ていたようこがこんなことを聞いてきた。

 

「けーた。あかちゃんってどこからくるの?」

 

 ……おうふ。

 子供に聞かれたら困る質問ベスト三に入る話じゃないですかやだー。

 見た目相応に知能も低下しているため、こういう子供特有の質問とかしてくる。先ほども「なんで空は青いの?」と聞かれたばかりだ。

 なでしこも興味があるのか、無垢な目で見上げてくる。

 どうしよう、なんて答えようか。めしべとおしべの話をしても分からないだろうし、やっぱりメジャーなキャベツ畑やこうのとりの話が無難か?

 世のお父さんお母さんも苦労して答えてるんだなぁ。

 寝転がっていたタヌキもにょきっと顔を上げた。

 

「……あー、あれだ。コウノトリが運んでくる」

 

「こうのとり? とりがあかちゃんはこんでくるの?」

 

「そう。赤ちゃんが欲しいって神様に頼む。コウノトリが赤ちゃん運んでくる」

 

 まあ、そのためにはコウノトリをおびき寄せるための餌を庭にまかないといけないがな!

 

「……? かみしゃまにたのめばきてくれるの? なでしこもたのむ!」

 

 はいはーい! と手を上げるなでしこ。

 幼少期のなでしこは内向的だけど打ち解けたら活発になるタイプなのか。それだけ心を許してくれているということなのかな。

 あの大和撫子を体現したようななでしこにこんな時期があったと思うと感慨深いなぁ。

 微笑ましい気持ちになりながら優しく聞いた。

 

「……なでしこ。赤ちゃん欲しいの?」

 

「うん! あのね、あかちゃんがきたらね? なでしこがおねえちゃんになるの!」

 

 そっかー、赤ちゃんが来たらお姉ちゃんになるのかー。

 非常にほっこりしました。

 

「よーこも」

 

「ん?」

 

「よーこもあかちゃんほしい。……なでしこよりはやく」

 

 何故かなでしこに対抗するようにようこが食いつく。

 お子様の対抗発言になでしこがむっと顔をしかめた。

 

「なでしこのほうがはやいもんっ」

 

「よーこのほうがはやい」

 

「なでしこ!」

 

「よーこ」

 

「むーっ」

 

「(・ε・) 」

 

 こらこら喧嘩しないの。ようこも無表情で唇だけ尖らせない。

 味のある顔をするようこに苦笑すると、タヌキが要らぬことを口にした。

 

「でも子供が欲しいならまずは(つがい)にならないといけないっすね」

 

『つがい?』

 

 この頃のなでしこたちは(つがい)とは何か、よく知らないようだ。

 

「そうっす。お父とお母になるんすよ。人間でいうところの結婚をするんっす」

 

「けっこん」

 

「けっこん……」

 

 感情のよく読めない顔で「けっこん」と口ずさむようこ。意味を分かっているのだろうか。

 なでしこは頬を赤くして軽く俯いている。こっちは意味を理解しているようだ。

 こくこくと頷いたようこが顔を上げた。そして、これまた厄介な爆弾を投げかけてくる。

 

「よーこ、けーたとけっこんする」

 

「むっ……!」

 

「そうすればあかちゃん、とりがはこんでくる」

 

 可愛らしいことを言ってくれる。

 しかし、なでしこは看過できないのか、再びようこに食ってかかった。

 幼いなでしこは結構負けず嫌いなんだな。それとも同じ犬神のようこに対抗意識があるのかな? いるよね、やけに対抗意識を持ってる子って。

 

「なでしこも! なでしこもけーたしゃまとけっこんしゅる!」

 

 そういって抱きついてくるなでしこ。よーこも無言で身を寄せてきた。

 幼女に挟まれる俺。子供は体温が高いから熱い。でも嬉しいっす。

 もう二人ともテレビそっちのけだね。

 

「ううん。よーこがけっこんする」

 

「なでしこだもんっ」

 

「よーこ」

 

「なでしこ!」

 

 そして勃発する第二次幼女大戦。お互いに睨み合うだけで掴みあいにならないぶん平和的だ。

 このままだと俺まで飛び火しそうだから、そうそうに話題を変えないと。なにか二人の気を逸らすものはないかな……。

 そこで思い出したのが、昨日コンビニで買ってきたアイスだった。

 

「……アイスあるけど、食べる?」

 

 二人の目が輝く。

 

「あいすっ」

 

「食べる!」

 

 喧嘩していたことなど忘れ、二人は冷蔵庫に向かって掛けて行った。

 みんな大好きスーパーカップのバニラ味をなでしこ、抹茶味をようこに渡しテーブルにつく。

 二人してシャキーン!と右手にスプーンを構えた。

 

「あむあむ……」

 

「おいしー!」

 

 スプーンごとアイスを口の中であむあむし、ゆっくり溶かして食べるようこ。

 ひょいっ、ぱく、ひょいっ、ぱく、ひょいっ、ぱく、と一定のリズムで淀みなくスプーンを口に運ぶなでしこ。

 アイスを食べる姿だけでも二人の性格がよく現れていた。

 ちなみにタヌキはアイスが食べれないようなので、たまたまあった饅頭を渡してる。

 アイスも食べ終え、そろそろ飯時なので出前を頼むことに。とはいってもなでしこたちだけでなくタヌキもいるからな。何を頼もうか。

 

「……タヌキ、ピザって食べれる?」

 

「ピザッすか? 大好物っす! 滅多に食べれないっすから」

 

 食べれるのかよ。化けタヌキの生態は普通のタヌキとは違うのかね。

 

「……なでしこ、ようこ。ピザでいい?」

 

「うん」

 

「ちーずとろとろ~!」

 

 二人も大丈夫なようだ。

 じゃあ普通のマルゲリータピザと子供に受けそうなハワイアンデライトとやつにしようかね。

 ピ○ーラに出前を頼み、幼女の相手をしながら待つこと三十分。

 注文したピザが到着した。

 

「……ようこ、なでしこ。皿出して」

 

「うん」

 

「はーい!」

 

 なでしこたちに食器を出すように頼み、ピザをテーブルの中央に置く。

 外箱を開けると、ピザ特有の芳ばしい香りが漂ってきた。

 

「いい匂い~」

 

 なでしこがうっとりと目を閉じて匂いをかぐ。パタパタと尻尾が揺れていた。

 自分となでしこ、ようこ、そしてタヌキの分とピザを取り分ける。

 

「すみません啓太さん。ボクまでご馳走になって」

 

「気にしない」

 

「でも、犬神さんがこうなったのもボクのせいですし。御礼をするはずだったのに、ご迷惑をかけてしまうようじゃタヌキ失格っす……」

 

 そう言って俯くタヌキ。悔し涙なのか、目から透明の雫がぽろぽろと落ちた。

 なでしこたちが幼女化してから元気がないなと思ったけど、やっぱりまだ気にしていたのか。

 こうして三年も前の出来事の礼をしにわざわざうちまで来たのだ。責任感が強いタヌキだからこそ余計に塞ぎ込んでいるのだろう。

 なでしこたちには悪いがぶっちゃけ俺からすれば、この状況は十分お礼に値するんだけどな。彼女たちの幼少期には前々から興味があったし、これがこんな形で叶うとは思ってもみなかった。

 人形みたいに無愛想だけど愛嬌があるようこや、今の姿からは想像がつかない天真爛漫ななでしこ。俺の知らない彼女たちの一面を知ることができただけで、十分恩返しを受けたと思っている。

 席を立ったなでしことようこは悲しむタヌキの頭を撫でて慰めた。

 

「たぬき、かなしいの? いいこいいこしてあげる」

 

「たぬきさんなかないで? なでしこもかなしくなっちゃうよ」

 

 幼女二人に慰められるタヌキの図。ああ、本当にカメラを持っていないことが悔やまれる!

 俺も出来るだけ柔らかい声で落ち込むタヌキに語りかけた。

 

「……本当に気にしなくていい。失敗は誰でもある。御礼の気持ちだけでも本当に嬉しい」

 

「うぅ、啓太さん……犬神さん……! ボク、一人前のタヌキになったら、絶対に啓太さんに恩返ししに来るっす!」

 

 また恩返しする気かいな! 今度はなんの恩だ!?

 でもまあ、元気が出たようだから水を差すのもなんだし、ここは曖昧に頷いておこう。

 

「……楽しみにしてる。じゃあ食べる。……いただきます」

 

 いただきますを唱和した俺たちは、熱々のピザに手を伸ばした。

 タヌキの足じゃ流石に取れないようだったから、結局俺が食べさせるハメになったけどな!

 どうやってピザを食べてきたんだこいつ等は……。

 

 

 

 2

 

 

 

 お子様の夜は早いと言うことでお決まりの絵本やお話で寝かしつけ、俺もなでしこたちの隣で寝た。三人で川の字になるようにだな。ちなみにタヌキは俺の枕元である。

 んで、翌朝。昨夜は就寝が早かったこともあり、五時前に起床。

 どことなく圧迫感を覚えたから隣を見ると、ようこが見慣れた美少女姿で俺に抱きつく形で寝ていたのだ。

 左腕に感じる柔らかな胸の感触や女の子の匂いなどを全神経を働かせて意識の彼方へ飛ばし、ようこの奥のほうを見る。

 ようこの奥で眠るなでしこも、ちゃんと大人の姿に戻っていた。

 どうやらタヌキの言うとおり、一日限りの効果だったらしい。

 なんだかんだで気疲れしていたのか、ようやく日常が戻ったと深く息を吐き出す。幼女に合わせて創造した服も今の二人に合う様に大きくなってたけど残念とか思ってない。俺は紳士だから!

 

 ――そういえば、昨日の記憶ってどうなってるんだ……?

 

 不意にその考えに気がついた。

 もし、記憶にあるようなら。我が犬神たちは地獄を見るかもしれない――。

 とばっちりを受ける覚悟は、してた方がいいかも……?

 

「ん、んん……ふぁぁ」

 

 最初に目を覚ましたのはやはりというか。我が家で家事を担当するなでしこだった。

 上体を起こし小さく欠伸をしたなでしこは、隣で眠るようこを見て、その隣で彼女に抱きつかれている俺を見て――固まった。

 

「えっ……え、えっ?」

 

 思考が働かないようで意味のない音が漏れる。

 なるべく刺激しないように、優しく声をかけた。

 

「……おはよう」

 

「お、おはようございます、啓太様……。えっ? ええっ? えっと……どういう状況でしょう?」

 

「……昨日のこと、覚えていない?」

 

「昨日ですか……?」

 

 これは一種の賭けだが、どうだ……?

 なでしこは記憶を遡るようにしばし目を閉じていたが、やがて小さく首を振った。

 

「……ダメです、覚えていません。昨日何があったんですか啓太様?」

 

「んー、なに朝ぁ……?」

 

 ようこも目が覚めたようで俺の体を解放し、もぞもぞと起き上がる。

 そして、彼女も俺となでしこ、そして自分を見下ろし、きゃっと可愛らしく口元に手を当てた。

 

「ケイタのエッチー。同時に相手するつもりなの?」

 

「なんの話だ……」

 

「あいた」

 

 平常運転でからかってくるようこの頭をぺしっと叩き、彼女たちに軽く説明する。

 昨日はタヌキが三年前の恩返しにやってきて、そのお礼として持って来てくれたお酒を飲んで酔ってしまったこと。

 二人とも早々に酔いつぶれてしまったため同じ布団に寝かせ、自分も軽く酔いが回ったから一緒に寝たこと。

 そう説明すると、なでしこは頭を下げてきた!

 ええぇぇぇ! なんで頭下げんのぉぉぉ!?

 

「すみません啓太様。昨夜はお手間をお掛けしてしまって。それにしても私が酔いつぶれてしまうなんて……長らくお酒を飲まなかったからでしょうか?」

 

「気にしない。俺もあまり覚えてないし」

 

「うー、わたしも全然覚えてないわ」

 

 首を傾げるようこ。

 とりあえず、二人とも昨日の記憶はないようだ。

 よかったよかった、なのかな?

 

「すぴー……」

 

 そして一匹だけ気持ち良さそうに鼻ちょうちんを膨らませているタヌキ。

 動物の朝って早いんじゃないの?

 

 




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第五十話「薫邸にお泊り(上)」

七話目。
意外と長いお話になりましたw


 

 

 しばらく見聞を広めるために旅をすると言い、家を出たタヌキを見送り、川平家にいつもの日常が戻った。

 こけ子は暇があると寝てばかりいて、もう半ば置物と化している。

 幼女になっていたことを知らないなでしこたち。やはり成長した普段の姿を目にしていると、とても幼少期の性格は想像できない。ようこが超大人しいとか、なでしこが天真爛漫な子だったなんて誰が想像できようか。

 テーブルについたなでしこは昨日の編み物の続きを行い、あみあみと赤い毛糸を編んでおり。ようこは昼ドラを見ている。

 俺はなでしこの向かいでパソコンを開いてメールをチェック。我がオカルト専門相談室【月と太陽】は順調に知名度が広がっている。会員数も今では五百人を超え、除霊依頼や相談も日に日に増えてきている。仕事も順調だし、経済的にも安定した収入を確保できるようになった。一般的なサラリーマンの年収より稼いでいると思う。

 メールには「管理人さんのお陰で悩みが解決しました」という感謝の言葉が綴っているのもあり、利用者に喜んでもらえて純粋に嬉しく思う。こういう喜びの声を聞くと活力に繋がるからいいよね。

 

「……ん、薫?」

 

 ずらっと並ぶ広告や利用者さんのメールの中に友人から一通届いていた。

 あいつからメールなんて珍しいなと思いつつメールを開く。

 MSゴシック体で書かれた文字の羅列を目で追うと、その内容に小さな驚きを覚えた。

 

「どうしました啓太様?」

 

 表情が動いたのを察したなでしこが編み物の手を止めて聞いてくる。

 

「薫から。仕事の都合上、家を空ける。留守番する犬神の面倒を頼みたいらしい」

 

「そうなんですか。またせんだんたちと会えるんですね」

 

 ふわっと花が咲くような笑顔を浮かべるなでしこ。前回の会合ではせんだんと交友を深めたようで、久しぶりに友達と会えるのが嬉しいみたい。

 そういえば、ようこの方は誰か仲良くなった子はいるのかな? ともはねと親しいのは知ってるけど。

 

「……ようこー」

 

「んー? なにケイタ~」

 

「薫の家に近々行くことになる。薫のところと仲良くなった子、いる?」

 

「んー、ともはねくらいかな。わたし、アイツらあまり好きじゃないのよねー。……ケイタのこと悪く言うし」

 

 ありゃ、そうなんか。

 好きじゃない理由を聞くのはちょっと憚れるから、詳しくは聞かないけど、どうしよう。メールにあった頼み事は受けるつもりだから、当然ようこたちも連れて行くことになるんだけど。気まずい思いをするんじゃないか?

 俺なら絶対に気まずくなるから辞退するけど……。

 

「……どうする? 嫌なら無理について来なくてもいい」

 

 流石に無理強いするつもりはない。ようこの意思を尊重します。

 

「ん。いいよ、わたしもついてく。ケイタの犬神だしね」

 

 そう言って朗らかに微笑むようこに胸が熱くなった。

 ちゃんと成長してるんだな! いっちょまえに犬神の自覚を持ちやがって……! てやんでぇ、泣けるじゃねぇか!

 思わぬところで彼女の成長っぷりを知ることが出来て、目頭が熱くなる。

 手招きして近寄ってきたようこを後ろから抱き締め、力いっぱい撫でてあげた。

 

「やぁん! ちょっとなにケイター、くすぐったいってばぁ! うふふふふ!」

 

 やぁんやぁん、と黄色い声を上げながら体を捩るようこ。

 いつもならニコニコ顔で割って入るなでしこも、今回ばかりは優しい顔で見守っている。ようこの頑張り具合いは同僚のなでしこが一番よくわかっているのだろう。

 撫でられて嬉しそうにはしゃぐようこと、優しいニコニコ顔でスキンシップを図る俺たちを見守るなでしこ。

 今日も川平家は至って平和です。

 

 

 

 1

 

 

 

 大きな洋館の食堂。そこに九人の少女たちが集められていた。

 この場に霊能者が居れば、少女たち全員から人ならざる者の気配を感じることが出来るだろう。

 そう、彼女たちは人ではない。犬の化生――犬神だ。

 食堂に集められた少女たちは皆、一様に不安げな面持ちをしていた。彼女たちの纏め役であるリーダー的存在の少女、せんだんは何も語らず優雅に紅茶を飲んでいるだけ。

 長テーブルに序列一位のせんだんを筆頭に七人の少女たちが序列順に席についている。空席が一つだけあるが、そこに座る予定の少女は現在、所用で席を外していた。

 せんだんが何も話さないため、他の少女たちは困ったように顔を見合わせている。何かあるのか、と質問しても「もう少し待ちなさい」の一点張りで取り付く島もない。

 広い食堂には、壁時計の秒針を刻む音だけが鳴っている。

 

「――お待たせ、せんだん。用意できました」

 

 不意に一人の少女が食堂にやってきた。彼女も同じ犬神であり、丸眼鏡を掛けた線の細い少女である。

 空いていた席につく少女にせんだんが微笑んでねぎらう。

 

「ご苦労様、いぐさ」

 

 いぐさの隣に座る白衣を着た少女――ごきょうやが静かな口調で尋ねた。

 

「いぐさは何か知っているのか?」

 

「さあ、それが私も何が何だかさっぱり」

 

「そうか……」

 

 困った顔でそういう同僚にごきょうやは小さく頷いた。

 この会話を区切りに少女たちが思い思いに話し出す。

 

「あたし、さっき風呂場の掃除を命じられたんだけど」

 

「あたしは予備の水着を用意させられた」

 

「私は玄関の掃除だな」

 

 皆が思い思いに話をするなか、序列最下位で最年少の幼女――よもはねがぷぷぷっと堪え切れないように笑った。

 それを見た双子の少女――いまりとさよかが幼女の頬を軽く引っ張った。

 

「ともはね、さては何か知ってるな~?」

 

「言えー、何を知ってるの~」

 

「ひぇなひよぉ~(言えないよ~)」

 

 少女たちの中で実の妹のように可愛がられているともはねは嬉しそうに首を振っている。なんとしても口を割らそうと、いまりたちが「こいつめっ、こいつめっ」と拳で軽くぐりぐりとするが、それでもともはねは楽しそうに、そして嬉しそうに笑うだけだった。

 せんだんが小さくため息をつく。

 そこへ――

 

「お待たせ」

 

 少女たちの主である少年が朗らかな顔で入室してきた。

 

『薫様!』

 

 少女たちが一斉に立ち上がるのを手で制し、座るように促す。

 全員着席したのを確認した少年――川平薫は少女たち全員から見える位置、中央の席に座った。

 

「みんな、集まってもらってすまないね。実は仮名さんと僕である怨霊の除霊を頼まれてね、この後出発するんだけど三人だけついて来てほしいんだ」

 

「三人ですか? 皆ではなくて?」

 

 ざわめく少女たちを代表してせんだんが至極当然の疑問を口にする。

 せんだんの問いに薫は軽く頷いた。

 

「そんなに強い怨霊じゃないようだからね。それに仕事の都合上三人くらいがベストなんだ」

 

「なるほど」

 

「はいはい! ボク行きたいですっ!」

 

 静かに頷くせんだんの向かいで序列第三位のたゆねが元気よく手を上げた。

 他の少女たちも口々について行きたい旨を口にしながら手を上げた。

 何故か特命霊的捜査官の仮名史郎と二人きりで仕事をすることが多い薫。そのため、常々薫の犬神たちは主の役に立ちたいと思っているが、連れて行って貰えていないのが現状だった。

 唯一、せんだんといぐさ、たゆねが一回ずつついて行っただけである。

 選ばれれば当然自尊心が擽ぐられる。仮名史郎絡みの仕事は一種のステータスになっており、彼女たちの気がはやるのも無理はない話だった。

 

「自薦だと限がないので、ここは公平にくじ引きで決めましょう」

 

 いつの間にか用意していたのか、細長い紐のくじを握って拳を突き出した。少女たちが一斉にわっと群がり、祈るような気持ちでくじを引いていく。

 そして、見事当たりを引いたのは――。

 

「……おや、私か」

 

「わ~い! フラノも当たりです~。あ、てんそうちゃんもですかー? 三人で薫様のお仕事についていけるなんて、フラノたち運がいいですね~」

 

「……」

 

 ごきょうやはクールな顔で当たりマークである先端が赤い紐を見る。

 フラノは仲の良い二人と一緒なのが嬉しいのか、笑顔でてんそうに抱きついている。抱きつかれたてんそうは相変わらずぼーっとした顔で虚空を見つめていた。

 はずれを引いて人知れずため息を零していたいぐさは、ふとあることに気がついた。

 くじを握っているせんだん以外でくじを引こうとしない子がいるのだ。ともはねである。

 ――変ね……。いつものともはねなら真っ先にくじを引くはずなのに……。

 

「くふふ……」

 

 ともはねは相変わらずなにが面白いのか、拳を口に当てて小さく笑っている。正直不気味だ。

 

「せんだんとフラノ、てんそうの三人だね。よろしく。早速で悪いけどすぐに発つから荷造りをしてくれるかな?」

 

『はい』

 

 みなの羨望の眼差しを一身に受け止めながら、荷造りのため食堂を後にする三人。

 外れくじを引いて意気消沈する少女たちを見回した薫は小さく苦笑した。

 ――帰って来たら皆どんな顔をしているか、見ものかな……?

 

「皆さん、薫様からまだお話がありますわよ。しゃんとなさい」

 

 注意を喚起するせんだんに皆の姿勢が姿勢を正す。ただ一人、ともはねだけはそわそわしていた。

 せんだんに軽く微笑みかけた薫は本題(・・)を話し始めた。

 

「皆も知ってると思うけど、最近ここ一帯で霊現象が活発化しています。僕が居ない間、ハケやお婆さまから依頼が来ると思います」

 

 双子の一人であるいまりが呟いた。

 

「そういえば、最近なにかと事件が多いね」

 

「あー確かに。なんか多いね」

 

「でも薫様が居ないなか、私たちだけで依頼をこなすの?」

 

「いいじゃないか! その時こそが、きっと留守番を任されたボクらの使命だよ!」

 

 同調するさよかに不安な顔を隠せないいぐさ。ぐっと握りこぶしを作ったたゆねが力強く言い切った。

 

「静まりなさい! 薫様のお話はまだ終わっていませんわよ」

 

 せんだんの一喝。再び静まり返る食堂に薫の声が行き届く。

 

「もちろん僕が居なくても皆なら大丈夫だと信じてます。けど不測の事態というのはつきものです。また、最近街のほうでは、不審な男が女性の家に忍び込んで下着を盗んだり、私生活の一部を覗き見るといった事案が多数発生しているとのことです。皆も犬神といえど一人の女性ですので、僕が留守をしている間、目を光らせる男性がいないのは心許ないと思います」

 

 薫が何を言いたいのか分からない少女は首をかしげ、察しの良い少女は小さく驚く。

 今のところ、察することができた少女はせんだんといぐさの二人のみだった。

 

「もしかして……」

 

「ええ……」

 

 囁きあう二人を横目に言葉を続ける。

 

「そこで、僕が居ない間皆の面倒を見てもらうために、彼に来てもらいました。どうぞ入ってください!」

 

 ガチャっと開く扉。

 一斉に振り返る少女たち。

 苦笑する薫。

 そして――。

 

「……ども」

 

「こんにちは、お邪魔しますね」

 

「やっほー」

 

「コケー!」

 

 ラフな格好をした従兄弟の川平啓太がバックを肩から下げて入ってきた。

 その後ろには彼の犬神たちの姿がある。

 なでしこはいつものように緑色のワンピースと白いフリル付きエプロンのエプロンドレスを着たメイド服姿。両サイドだけ肩にかかった桃色の髪は日ごろの手入れの賜物か、絡まることなくさらさらである。

 服の中に隠れて見えないが、契約の証である月を模したネックレスに毎朝毎晩、おはようとおやすみのキスをこっそりするのが日課だったりする。

 ようこは鼠色のセーターとチェック柄のスカートを穿いており、風に靡くストレートヘアーが絵になるほど綺麗で、主である啓太も見とれることがしばしば。

 彼女はなでしこと違って契約の証のネックレスを目に見えるように首にかけている。今一番の宝物らしい。

 啓太はブイネックのシャツに黒のジャケット、白のズボンというラフな姿だ。なでしこがセレクトする服は啓太の嗜好に沿いかつ今の流行に則ったものが多いため、彼の私服はどれもよく似合う。両腕のブレスレッドと相まって少し背伸びをしている感があるが、中性的な顔立ちの啓太だと可愛いで済まされてしまうのが世の不公平なところだ。

 長い睡眠から目が覚めた木彫りのニワトリはようこに抱えられている。

 

 予想外の客人の訪問に唖然とする少女たち。

 いち早く動いたのは、先ほどからそわそわしていたともはねだった。

 

「わーい! 啓太様~っ!」

 

「……ともはね。久しぶり」

 

「えへへ、お久しぶりですっ」

 

 啓太の腰に抱きつき満面の笑顔を見せてくれるともはね。そんな彼女の頭を撫でて薫に視線を向ける。

 

「……二泊三日、だっけ?」

 

「ええ、そう予定しています。すみませんがその間、よろしくお願いします」

 

「……ん、了解」

 

 話がついた啓太は未だ固まっている少女たちと対面すると、きっちり四十五度で頭を下げた。

 

「……川平啓太。二日間、お世話になる」

 

 

 

 2

 

 

 

 薫からのお願いで薫邸にやってきました。

 なでしことようこに加え、睡眠から目が醒めたニワトリを連れての訪問です。

 いやー、友達の家に泊まるのって初めてだから、なんだか緊張しちゃうなぁ!

 

「いらっしゃい啓太さん、ようこさん、なでしこさん。よく来てくれました」

 

「……久しぶり、薫」

 

「お久しぶりです薫様」

 

「久しぶり~」

 

 薫邸に辿りつくと薫自ら出迎えてくれた。

 久しぶりに会う従兄弟と固く握手を交わす。

 今日、薫の家にやってきたのはなにも俺がお泊りがしたかったからではない。薫本人からの要望である。

 仕事の都合で家を二日間空けるらしく、その間留守番をする犬神の面倒を頼みたいとのこと。最近は霊現象が多発してるし、街の方ではなにやら下着泥棒や覗き間、露出狂など変態たちによる騒ぎや被害が発生していると聞くし、年頃の犬神を持つ者としては不安だよな。

 うちも気をつけないと。被害があった場所ってうちから最短約十キロだって聞くし。

 そういうことで薫の要望を二つ返事で承諾したのだった。

 薫に先導され、全員の換えの下着や服などが入ったバックを背負った啓太、なでしこ、ようこが続く。

 一階の食堂前にやってきた俺たちは薫に少し待つように言われ廊下で待機することに。

 

「薫様のご自宅に訪れるのは二度目になりますね。まさかその二度目でお泊りをすることになるとは思いませんでしたけど」

 

「まあ、その点は俺もビックリ」

 

「でもこの家広いからわたし結構楽しみなんだ~」

 

 確かに友達の家に泊まるのって楽しみだよな。俺もわくわくしてるし。

 扉が開くと白衣を着た少女、巫女服っぽいものを着た少女、なんか画家っぽい少女が現れた。

 確か――ごきょうや、フラノ、てんそうだったか。

 

「おや、これは啓太様。ご無沙汰しております」

 

「あっ、啓太様~。お久しぶりです~」

 

「こんにちは」

 

 啓太たちに気がついた三人が丁寧に頭を下げる。俺も軽く手を上げた。

 

「申し訳ありません啓太様。すぐに館を発たないといけませんので」

 

「積もる話はまた今度ですね~」

 

「失礼します」

 

 忙しそうに早足で立ち去る三人を見送る。もうちょっと話をしたかったけど、まあ仕方ないか。

 相変わらず壁には高そうな絵画が飾られている。美術系には興味がない俺には誰の作品なのかさっぱり分からないが。

 

「――どうぞ入ってください!」

 

 おっ、薫に呼ばれたな。

 重厚な扉を開けて室内に入ると、薫の犬神たちが一斉に振り返った。

 久しぶりに見る顔がずらっと並んでいる。お、ともはねだ。

 とりあえず挨拶しないと。

 

「……ども」

 

「こんにちは、お邪魔しますね」

 

「やっほー」

 

「コケー!」

 

 川平啓太一同、ぺこり。

 唖然としている少女たちの中から飛び出す一つの影。

 腰目掛けてラグビー選手ばりのタックルを仕掛けてくる少女を真っ向から受け止めた。鍛え抜いた体は小柄な少女の体躯くらいではビクともしない。

 

「わーい! 啓太様~っ!」

 

「……ともはね。久しぶり」

 

「えへへ、お久しぶりですっ」

 

 にぱっと眩い笑顔を浮かべるともはね。輝かしい笑顔に心が浄化されそうです。

 

「……二泊三日、だっけ?」

 

「ええ、そう予定しています。すみませんがその間、よろしくお願いします」

 

「……ん、了解」

 

 俺もその期間中に薫のところの犬神さんたちと交流を深めてみますか。

 なんかあまり良い感情は持たれていないみたいだけど、今後も付き合いが長くなっていくだろうし。

 

「……川平啓太。二日間、お世話になる」

 

 そう言ってきっちり四十五度の角度で頭を下げる。挨拶は社会の常識ですから。

 薫はすぐに出発するようで折角だからせんだんたちと一緒に玄関まで見送りに行った。

 ごきょうやたち三人の犬神を連れた薫は居残り組と向き合う。

 

「じゃあ行ってくるね。もしなんらかの問題があったりハケから依頼があれば啓太さんの指揮に従ってね。啓太さん、せんだんたちのことお願いします」

 

 優雅に微笑むせんだんは主の不安を払拭するように力強く言った。

 俺も頷いてみせる。

 

「委細承知しておりますわ。薫様もお気をつけ下さいまし。貴女たちも気をつけてね」

 

「ん、任された。仮名さんによろしく」

 

 行ってらっしゃーい。お土産よろ~。

 四人の背中が見えなくなるまで手を振った俺たちだが、薫たちがいなくなると途端に会話がなくなる。少し気まずい空気が流れた。

 気まずい雰囲気の中でポリポリと頭をかく。

 やっぱ、まだ受け入れられてないかー。まあ仕方ないんだけど。

 

「さて、改めて。薫が帰ってくるまでよろしく。あまり皆のこと知らないから、少しでも仲良くなれれば嬉しい」

 

 やましい気持ちはなく、純粋な友達になろうよ的なニュアンスで。

 

「よろしくお願いします啓太様。わたくしどもも啓太様と親睦を深められればと思います」

 

 皆のリーダーせんだんは空気を読んで話を合わせてくれた。お世辞でも嬉しいです。

 

 

 

 3

 

 

 

 丁度、夕食時だったため皆で晩御飯となった。

 長テーブルにはなでしことせんだんが作ってくれた料理が人数分並べられていて、食欲を誘う香りが漂っている。

 天井から吊るされたシャンデリアとテーブルの中央に等間隔で設置されたキャンドルが灯りを灯していた。テーブルマナーは大丈夫だけど、貴族の晩餐会のようで少し緊張する。

 夕食には俺となでしこ、ようこ、ニワトリ(置物化)の啓太一家。そして薫一家はせんだんとともはねの二人のみ。

 他の少女たち、いぐさとたゆね、いまり、さよかの四人は姿を消していた。

 

「あの、啓太様……。その、なんと申し上げて良いやら」

 

 気まずそうにそう声を掛けてくるせんだんに首を振ってみせる。

 まだそんなに親しくないのに夕食をともにするのはキツイかな、と思った俺はせんだんたちに「一緒に食べても良いという子は食堂に残って欲しい」とお願いした。その結果、残ったのはせんだんとともはねの二人だけという。

 現実を突きつけられた感じで、軽いショックを覚えたのは仕方ないと思う。うん、そんな気はしてたけど、改めてね。うん……。

 

「……気にしない。俺が犬神に人気ないのは、契約の時から知ってたし」

 

「啓太様……」

 

 なでしこが心配そうな顔で見つめてくる。大丈夫、と軽く頷き返した。俺のハートは耐熱ガラスだから。ちょっとやそっとの衝撃じゃ割れないから。

 

「……ま、気長にやってく」

 

 こっちは初めから長期戦の構えだし。

 そして始まる夕食会。

 ともはねはようこや俺に趣味である漫画やゲームなどの話を嬉々として教えてくれて、またせんだんも少女漫画などを嗜むようでようこと共通の漫画の話で意外と盛り上がっていた。

 なでしこは聞き手に回り、朗らかに微笑みながら相槌を打っている。

 俺も基本的には聞く側に立っていた。あまり喋る方ではないし、女の子とするような話題なんてそんなにもっていないからな。

 デザートの葡萄のシャーベットを食べていると不意に視線を感じた。

 顔は上げずに視線を動かすと、妙に真面目な目をしたせんだんがジッと俺を見つめていた。何かを推し量るような真剣な眼差しで、ちょいと居心地が悪い……。

 

「お味のほうはどうでしたか啓太様?」

 

 なでしこが食後のお茶を汲み、微笑みとともに渡してくれる。

 

「ん。とても美味しかった。また腕を上げた?」

 

「そう言っていただけるととても嬉しいです。でも私の腕なんてまだまだですよ。せんだんもすごいテキパキとしていましたし」

 

 そう言って微笑むなでしこの隣でせんだんは呆れたような顔をした。

 

「謙遜することないわよ。貴女のほうが断然上なのですから」

 

「せんだんも手際がよかったじゃない。ハケ様直伝の炒め料理には敵わないわ」

 

 あのパエリアは確かに美味しかった。

 そういえば実家に住んでいた頃はよくハケが作ってくれた料理を食べたなぁ。炒め物が得意でチャーハンとかは本当に絶品だった。最初は料理をする犬神ということで非常に驚いたけど、すぐに馴染んで違和感を感じなくなったっけ。エプロンをつけてた姿が妙に似合っているんだもの。

 

「……せんだんのパエリア、美味しかった」

 

 お店に出せるレベルだったよ。料理が出来る女の子っていいよね。

 せんだんは優雅に微笑み返してくる。

 

「ありがとうございます」

 

 いえいえ、ご馳走様でした。

 

 

 

 4

 

 

 

 食事が終わると、館の中を案内してもらうことに。案内人はともはねとせんだん。

 トイレや居間、中庭などに案内してもらい、今はともはねの部屋に来ていた。

 

「ここがあたしの部屋だよ!」

 

 せんだんたちは二人一組で部屋を割り当てられているらしく、ともはねはごきょうやと共同の部屋だ。

 中は意外と整理整頓されていて、ともはねとごきょうやの私空間は中央のテープを境に区切られているようだ。

 きっちりしてそうなイメージのごきょうやはともかく、お子様なともはねは基本ごちゃっとしている印象がある。しかし乱雑ではなく、単に物で溢れ返っているような感じだ。

 ごきょうや側の壁には薬品棚や書棚が並べられていて、いかにも『~を専門に扱っている人の部屋』といった雰囲気がある。本人が居ないなかジロジロ見るつもりはないからすぐに視線を切ったけど、ちらっち医学書が目に入った。

 ともはねの方は壁一面に棚が設置されていて、蒼白く光る石や乾燥した食虫植物、何の液体なのか検討もつかないものなどが小瓶に入れられ、ラベルとともに並べてある。机の上には漫画やゲーム、分厚い書物、筆記用具などがごちゃっと置かれており、第三者からすればどこに何があるのか分からないが、本人は完璧に配置を理解している、そんな置き方に似ていた。

 

「こう見えてあたし、お薬作るのが趣味なんですよ」

 

 すごいでしょ、えっへん! と胸を張るともはね。確かに意外な趣味だ。

 

「……すごい。将来は何になる?」

 

 薬剤師? それとも学者?

 

「うーん、まだ考えてないです。やりたいものはいっぱいあるし」

 

「そう。……先は長い。焦らずじっくり考える」

 

 人とは違って強制的に社会に出る必要はないしな。子供なんだからのんびり考えていけばいいさ。

 次に案内されたのはせんだんの部屋だった。

 

「こちらがわたくしの部屋ですわ」

 

 せんだんは皆のリーダーということもあって一人部屋を与えられているらしい。

 中は赤い絨毯が敷き詰められ、豪奢なシャンデリアが吊り下げられていた。ともはねのところは普通の電球だったのに……。

 壁には絵画が飾られていて、大きな書棚には洋書のようなものがずらっと並んでいた。

 そして、部屋に入って一番目を惹いたのは窓際にデンッ!と鎮座する天蓋付きベッド。まさしく全体的にお嬢様の部屋といった内装で、正直軽く目を瞠った。なでしこも少しだけ驚いているようだし。

 

「このベッドすごい弾むよ!」

 

 天蓋付きベッドにダイブしたようこはポンポンと弾んで遊ぶ。せんだんが慌てた顔で止めに入った。

 

「ちょっ、止めなさいようこ! 特注ベッドが壊れてしまうじゃない!」

 

「……ようこ、ハウス」

 

 お前ってやつは、人の家にお邪魔してるのに相変わらずの傍若無人っぷりだな! あとでお仕置きだべ!

 ようこの頭を強制的に下げながら、主として俺も一緒に謝る。

 

「……ようこがごめん、せんだん」

 

「ごめんなさい」

 

 謝られたせんだんは驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに苦笑で塗りつぶした。

 

「わかりましたから、頭を上げてください。ようこも、もういいわよ」

 

「……ありがとう」

 

 八人もの犬神を束ねるだけはあって、せんだんは心が広いな。

 オカンの如く心の広いせんだんに感謝の念を抱きながら、彼女の部屋を後にする。

 廊下を歩きながら窓の外を見ると、中庭に綺麗な花が植えられているのが見えた。咲き誇った花を見るだけで、小まめに世話をしていることが窺える。

 芝生も手入れをされているようで、この広大な敷地の隅々まで手を入れるとなると相当大変だろう。お抱えの庭師でも抱えてるのかもしれないな。

 しかし、本当に広いなこの館は。二階建ての洋館で広い敷地もあるとかどんだけだよ。でもさすがに借家だよな?

 どうやって金を捻出したのだろうか。ご両親はすでに亡くなっているのは知っているけど、遺産か何かかな?

 試しにそのことを尋ねてみると、せんだんとともはねは顔を見合わせくすっと笑った。

 

「……?」

 

「いえ、失礼しました。質問ですが、啓太様から見てわたくしたち九人の中で、一番強いのは誰だと思いますか?」

 

 これは予想外な質問が来たな。

 順当に考えれば序列一位のせんだんだろうけど、違うのか?

 

「せんだんじゃないの? あんた、じょれつ一位なんでしょ?」

 

 ようこも同じ考えに至ったのか、不思議そうな顔で尋ねた。

 せんだんが、ふっと微笑む。ともはねが楽しそうに答えた。

 

「ぶっぶー。リーダーも強いけど、一番はたゆねなんだ~!」

 

「えー、たゆねがぁ~?」

 

 まさかぁ~、と信じきっていない様子のようこだが、静かに話を聞いていたなでしこが「そういえば」と思い出したように言った。

 

「山にいた頃からあの子だけ人一倍強い霊力を持っていたわね。ハケ様に次ぐ霊力の高さで、皆から注目されていたわ」

 

 へー、ハケに次ぐって結構なものじゃないか。

 たゆねというと、確か序列三位でショートカットの髪型をしたボーイッシュな印象の子だったな。

 感知できる霊力は他の子たちとそんなに差がない感じだったけど。

 

「そうね、直接的な強さで言うとたゆねが一番よ。あの子の霊力の強さは別格だわ。だけど、一番薫様のお役に立っているという意味ではいぐさなの」

 

「……いぐさ。眼鏡の子か」

 

 そういえば以前、ここに着たときに薫が言ってたな。パソコンに強くてトレードをしている犬神が居るって。確かその子の名前がいぐさだった気がする。

 

「はい。実はこの建物を買ったのはいぐさなんですよ」

 

 聞くと、この館は元々修道院であり、何が理由か知らないが閉鎖してしまったらしい。その修道院のオーナーから格安で購入したとのこと。

 薫が購入を決意した背景には、いぐさの非凡な才能が深く関わっている。その才を遺憾なく発揮し、トレードや株などで資金を増やし、金銭的後押しがあったため購入する決意が出来たのだとか。今も薫といぐさ名義の二つで資産を増やし続けているらしい。

 話には聞いてたけど、改めて聞くととんでもないな。マジ、薫超セレブじゃん。

 別に対抗意識とかはないけど、俺もなでしこやようこに軽い贅沢をさせられるくらいは稼ぎたいぜ……。

 

 





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第五十一話「薫邸にお泊り(中)」

八話目


 

 

「こちらが客間になります。啓太様にはこちらでお泊り頂く予定です」

 

 そう言って通されたのは今日泊まる部屋である客間。

 十五畳ほどの広さで、中央に大きいベッドと丸テーブルが置かれ、薄型のテレビが設置されている。

 天井も高く、壁際には胡蝶蘭がずらりと並んでいて、ほのかに甘い香りが部屋中に漂っていた。クーラーと小型冷蔵庫も完備されているから、快適に過ごせるのは間違いない。

 他にもお菓子やフルーツなどが盛ってある小皿がテーブルに置かれていて、ブルーベリーを一つまみしたようこが口をもぐもぐ動かしながらぐるっと部屋を見回した。

 

「へー、いい部屋じゃない」

 

 俺もベッドに腰掛けて部屋を見回す。ホテルの一室と言ってもいい感じだ。

 

「そちらにハーブティーがございますので、お休み前にどうぞ」

 

 ティーポッドとティーカップ、茶葉の一式が盆に載った状態で置かれていた。枕が変わって眠れない神経質な人でも安眠が取れそうだ。

 

「……いい部屋。ありがとう」

 

「いいえ、お気に召して頂けたならなによりです。なでしことようこは同室で隣の客間になるわ」

 

「えー? わたしもケイタと一緒の部屋がいいー」

 

 当然ながら部屋は女子と男子に分かれている。

 しかしようこは不満なのか、俺が腰掛けているベッドに自分もダイブしてぶーぶー言い出した。

 なでしこが小さい子にするように、めっと叱る。

 

「ようこさん、わがまま言わないでください。ここはお家じゃないんですよ?」

 

「そう。あまり迷惑かけない」

 

「ぶー……。はぁーい」

 

 これじゃ、ともはねの方が大人だな。

 幼女といっても差し支えがない少女を思い浮かべて苦笑すると、扉の向こうからタッタッタッと廊下を駆ける音が聞こえてきた。

 扉を開け放ち、今しがた思い浮かべていた少女がやってきた。胸の前に大きな機器を抱えている。

 

「啓太様、一緒にゲームしましょう!」

 

 そう言って抱えていたものを見せてくる。黒光りする箱型の機械は世界に広く普及されている家庭用ゲーム機、プレ○テー○ョン3だ。

 

「これ、とっても面白いんですよ~」

 

「こ、こら、ともはね! いけません!」

 

 手にしたソフト――格闘ゲームを突きつけて明るく言い放つともはねをせんだんが注意する。

 けれど、俺もゲームは好きだし、久しくやっていなかったから快諾した。

 なんのゲームだか知らんがこの俺に勝負を挑むとはいい度胸じゃないか。俺はことゲームに関しては男女差別をしない主義だぜ?

 

「まったく、仕方ありませんわね。一時間だけですよ?」

 

「やったー! ささ、やりましょう♪」

 

 テキパキと部屋のテレビにコードを繋げてセッティングしていくお子様。淀みのない動きから遊びなれていることが窺えた。

 電源を入れるホーム画面が現れソフトを起動する。ともはねはコントローラを受け取った俺の腕の中に潜りこみ、すっぽりと懐の中に収まった。

 わくわくした顔のともはね。俺の両隣をいつの間にかなでしことようこが占領して興味深そうにゲーム画面を見つめていった。ベッドの上に腰掛ける俺となでしこ、ようこ。俺の上にともはねという形である。せんだんはテレビが見える位置に置かれたソファーに腰掛けていた。

 

「ふーん、これがゲームっていうやつね」

 

「すごい綺麗ですね……。作り物とは思えないくらいです」

 

 何気に初めてゲームを視聴するなでしこたち。そういえばうちにはゲーム機置いてなかったね。買った方がいいかねプレ○テとか。

 今回プレイする格闘ゲーム?はギル○ィ○ア。シリーズものでその中でもかなり古い部類に入るソフトだ。シャー○リ○ードである。

 

「手かげんはなしですよ啓太様!」

 

「……了解」

 

 ともはねはカ○か。なら俺はネタキャラのロボ○イにするか。

 画面の向こうでは野太い声のナレーターが勝負の始まりの合図を告げた。

 さて、ご要望にお応えして手加減なしでいくかね。

 始まりと同時に下段攻撃で先制を仕掛けた我がロボ○イはそのまま華麗な連続技コンボに移行して、瞬く間にともはねのキャラを壁際に追い詰めた。

 

「むむむぅ! あー!? ダメー!」

 

「ふっふっふっ……」

 

 壁際に追い詰めてからの連続コンボ。科学の力でカ○をぼっこぼこにするロボ○イ。脱出不可能な状況にともはねは呆気なく敗れてしまった。

 

「啓太様、本当にお上手ですね~。このゲームは初めてですよね?」

 

 尊敬したような目で見てくる幼女。両隣からもなにやら熱い視線を感じる。

 

「まあ、ね。一通り動きを確認すれば、結構簡単」

 

「それに操作方法が薫様とよく似てる。あの壁コンボは薫様もよく使う手なんですけど、コンボの繋げ方とかまったく一緒でした」

 

 まあそりゃそうでしょ。あいつにゲームというのを教えたのは俺だし。

 そう答えると、せんだんが反応を示す。

 

「薫様とは昔から遊ばれていたのですか?」

 

「うん。あいつが海外に行くまで。よく一緒に遊んだ」

 

 懐かしいなぁ。宴会芸として大道芸を仕込んだり、二人鬼ごっこをやったり、囲碁や将棋なんかもしたっけ。あいつジャグリングがめっちゃ上手いんだよなぁ。興じ過ぎてクラブから刃物に変えようとしたから流石に止めたっけ。意外とノリノリだったな。

 それからしばらく、薫の昔話で盛り上がったのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

 同時刻。

 不穏な影が薫邸に近づいていた。森の小道を抜けた二つの影は館を囲む鉄柵を軽々と乗り越え、人目を忍んで館の裏口にあたる場所まで移動した。

 茂みに身を隠しながら、二つの影は様子を窺うように館のほうをじっと眺めている。

 頭上には赤黄色い満月が照り輝いていた。

 

「では、健闘を祈る」

 

「そちらも」

 

「応よ」

 

 影が頷き合うとまるで忍者のように、しゅばっと散開した。

 風で茂みが揺れる。

 不穏な影が啓太たちに迫っていた。

 

 

 

 2

 

 

 

 さらに時同じくして。

 薫邸の上空を不定形の靄のようなものが流れていた。

 ゆらゆらと漂いながら、おろろーんと鳴き声のようなものを発している。

 生き物、ではない。半透明の靄のようなそれは俗に邪霊や雑霊と呼ばれる存在である。

 ただ、その邪霊は生まれたばかりであるため明確な【個】というのが存在していない。おろろーんと鳴きながら意味もなく宙を漂い、彷徨っているだけである。

 ただただ風に乗って、北西から南西へたゆたう存在。しかし、そんな邪霊も食事をしなければお腹がすき、餓死してしまう。

 産まれてまだ一度も霊力の補給(食事)をしていない邪霊は空腹に襲われており、落下傘のようにゆらゆら落ちつつあった。

 落下する先には、白亜の洋館。

 

 

 

 3

 

 

 

 ともなねとの遊びも一段落し、各々リラックスして過ごしていた。

 なでしことようこは就寝するまでこっちにいるようなので、自宅から持ってきた犬用の毛梳きブラシで二人をブラッシング。もふもふの尻尾を梳くことが出来て俺は心が洗われ、なでしこもブラッシングされて夢心地。これぞまさしくウインウインの関係ですな。

 なでしこが終わり、ようこの太くて健康的な尻尾を梳いていると、側で見ていたともはねが自分もと強請ってきた。

 

「啓太様啓太様! あたしにもしてください!」

 

 そう言ってドロン、と顕現させたのは二股の尻尾。ふりふりと尻尾を振りながら胡坐をかく俺の膝に手を置き、身を乗り出してきた。

 気持ちよさそうに至福の一時を満喫していたようこがむっとした顔でともはねを見た。

 

「ちょっと、今わたしの番なんだけど。第一ともはねは薫にして貰えばいいじゃない!」

 

「えー、ようこやなでしこばかりズルイ~! あたしも啓太様にブラシしてほしいです!」

 

「ダメ! 啓太はわたしのなんだから!」

 

 おいおい、いつお前のものになったんだ?

 大分ブラシを掛けたため、もう一梳きしてからぺいっと尻尾を膝上から退ける。ぶーぶー言うようこをなだめて、ともはねに自分の膝を叩いてみせた。

 

「わーい!」

 

 歓声をあげて膝の上に乗るともはね。お約束かい!とつい突っ込んでしまいそうになった。

 苦笑してともはねを膝から下し、尻尾だけを乗せる。そして、ブラシをかけた。

 ともはねのような尻尾は初めてだ。二股に別れているのもそうだが、全体的に尻尾が短い。ウェルシュコーギーの尻尾をもっと太くした感じかな。

 手触りとしてはさらさらというより、ようこのようにもふっもふっの感じに近い。ただようこ程弾力があるわけではなく、触ると尻尾の芯を感じられる。

 なでしこやようこでもないまた新しい感覚。これはこれで良いものだ。

 

「啓太様のブラシ、優しくて気持ちいいですね~」

 

 心地よさそうな顔で尻尾を委ねるともはね。その言葉に俺のブラシの腕を一番よく知っている二人は大きく頷いてみせた。

 

「そうよね。ケイタのブラシってなんか、こう……安心?する感じなのよね」

 

「確かにようこさんの言う通り、私も啓太様にしていただくと、とても心が落ち着きます。こう、お日様に当たっているような、胸が温かくなる感じがするんですね」

 

 なんか俺、べた褒めである。ここまで賞賛されるとちょっと恥ずかしい。

 

「……そう? ありがとう」

 

 なるべく反応を見せないように心を無にしてブラシに専念していると、コンコンとノックをする音が聞こえた。

 

「失礼します。啓太様、お風呂の準備が出来ましたが、いかがでしょうか?」

 

 お風呂か。それはもちろん入りますとも。

 

「うちのお風呂は大きくて広いんですよ~! 泳ぐと気持ちいいんです!」

 

 ともはねが自慢げに話す。

 風呂好きの俺としてはそれを聞いて期待感が高まった。

 

「それではこちらへどうぞ」

 

 すぐに入れるとのことなので、お風呂場まで案内してもらう。

 館から一旦出ると、舗装された道を通りガラス張りの建物に入った。

 中に入ると熱気が伝わってくる。熱帯の花や果物などがところ狭しに植えられ、中央には掘り込み式の巨大浴槽があった。

 まるでジャングルのような風呂だ。ライオンを模したオブジェから熱い湯が絶え間なく吐き出されている。

 想像の斜め四十五度をいくジャングル式お風呂を前に呆気にとられた。ようこやなでしこもビックリした顔でお風呂を眺めている。

 

「どうです、すごいでしょー!」

 

 我がことのように胸を張るともはね。うん、これは自慢していいわ……。

 

「温泉を引き込んでいるのです。その熱を利用して果物や植物をいまりとさよかの双子が栽培しているのですよ」

 

「これは、すごいですね……」

 

 感動した様子で周りを見回すなでしこ。ようこも熱心にうなずいていた。

 

「更衣室はこちらですので、着替えはそちらでお願いします」

 

「ん」

 

 サウナのような作りの部屋が更衣室のようだ。サウナとは違って中はクーラーで適温に管理されている。

 なでしこたちは後から入るようなので先に使わせてもらうことになった。

 大浴場とまではいかないが、こんな広くて豪華な風呂に入ることが出来るとは、なんて贅沢なのだろうか。

 さっと掛け湯をしてから湯船に浸かる。ガラス張りだから上を見上げると済んだ夜空を眺めることができた。まるで貴族にでもなったような気分だな。

 澄んだ鳥の鳴き声。周りを見回すと樹木に南米に居そうなインコが数羽止まっていて、綺麗な声を聞かせてくれている。

 

「あー……極楽」

 

 湯船に浸かりながら体中の筋肉を弛緩させると、リラックスしていくのが分かる。筋肉とともに気分が解れて、心が洗われるようだ。風呂は心の洗濯とはよく言ったものだ。

 こんな思いできるんだから、薫には感謝だなー。

 今頃、仮名さんと一緒に仕事に励んでいるであろう友人の姿を思い浮かべ感謝の念を飛ばす。届くか分からんけど。

 

「……ん?」

 

 不意に少し離れたところから"ガチャっ"と扉が開く音が聞こえた気がした。誰か来たのか?

 俺が入ってることを知らないのだろうか。別に俺が女の子の入浴を見るわけではないけど、この状況ヤバくね?

 いぐさだったら卒倒するんじゃなかろうか、と少しだけ危機感を抱いていると段々気配が近づいてきて、木陰の向こうから姿を現した。

 

「し、失礼します啓太様……」

 

「お邪魔するねケイター」

 

「啓太様ー、お湯加減どうですかー?」

 

 現れたのは――うちの犬神と幼女だった。

 恥ずかしそうに俯き加減のなでしこは手を前のほうで組み、ようこは元気一杯といったように軽い足取りでやって来た。

 二人とも布地の面積が少ない衣服――水着を着て。

 

「――え……えっ……?」

 

 突然現れた訪問者に一瞬で頭の中がパニックになる。

 なんで水着? いや、なんでなでしこたちがここにいんの!? と、とりあえずタオル腰に巻かないと!

 ていうか、なでしこもようこも色白やなっ、肌メッチャ綺麗やん! 胸でっか! 足もすらっとしとる!

 

「お、お背中を流しに来ました」

 

「わたしとなでしこで洗ってあげる。どう、嬉しいでしょ?」

 

 羞恥心で顔を赤くしているなでしこが可愛いです。ようこの言う通り超嬉しいです。本当にありがとうございます。

 なでしこはその心を表しているかのような純白の水着。しかも、意外なことにビキニ! ホルターネックと呼ばれるビキニで、首の後ろで結ぶタイプのものだ。胸元の結び目がとてもチャーミングで非常に可愛らしい。

 ようこは水色の水着で、なでしこと同じビキニ! 三角ビキニと呼ばれるタイプのもので、胸のふくらみが強調されていてとてもセクシーです。意外と凶悪的なボディを誇るこいつがこういうのを着ると色々とヤバイ。マジで。

ともはねは生意気にもセパレーツ型の水着だ。子供らしい健全な可愛らしさがそこにある。

 今まで胸はようこの方が大きいと思っていたけど、こうして見てみるとどちらも同じくらいの大きさなんだな。なでしこは着やせするタイプだったのか……。

 つい、少女たちの水着姿を目に焼き付けていると、もじもじしながらなでしこが聞いてきた。ゴメンネ、じろじろ見ちゃって! でも仕方ないよね、だって男の子だもん!

 

「あの、啓太様? そんなにジッと見られると、さすがに恥ずかしいです……。どうですか、この水着。せんだんから貸していただいたのですけど、変じゃないですか?」

 

「全然。すごく似合ってる。……かわいい」

 

 いや、本当に。見蕩れちゃったもの。

 

「ほっ、よかった」

 

 安心したように微笑む。いつも見慣れている笑顔なのに、状況が状況だからか、ドキッと胸が高鳴った。

 

「ケイタケイタ、わたしはどう? ほら、みやこちゃんのポーズ。うっふ~ん」

 

 ようこが対抗するように前に出てくる。グラビアモデルのように手を頭の後ろに回し、くねっとポーズを取る。

 ぷるんと揺れる柔らかそうな果実に一瞬目が奪われた。

 

「ふふ、ケイタも男の子なんだね。目がおっぱいにくぎ付けだよ?」

 

「啓太様……」

 

 ジトーッとした目を向けてくるなでしこ。いや、仕方ないでしょこれは。健全な男の子ってことで許してください。

 

「……私もそこそこあるのに」

 

 なでしこが確認するように自分のおっぱいをむにむに揉む。

 いやいやいや! 何してるんですかなでしこさん! 男が目の前にいるんですけど! 俺は男として見ていないっていうメッセージですか!?

 

「さ、背中流してあげるからお風呂から上がって。こんな美少女に洗ってもらえるなんて、ケイタは幸せ者だね」

 

 俺の手を取って湯船から立ち上がらせようとしてくる。なでしこもタオルを手に背中を洗う準備を整えていた。ともはねは既に自分の場所を確保して、タオルにボディーソープをつけている。

 修行や鍛錬で様々な苦行を乗越えてきた俺だが、水着姿の美少女ふたりに体を洗ってもらうという、新たな苦行を無事乗り切ることが出来るだろうか……。

 少し不安を覚えながらも、意を決して湯船から立ち上がった。

 

 

 

 4

 

 

 

 啓太がなでしこたちに背中を現れているその頃。

 啓太たちのいる温室に三つの影が近づいていた。

 

「な、なあ。本当にこの格好で行くのか?」

 

 風呂場へと続くガラス戸を前にショートカットの少女――たゆねが顔を赤く染めて振り返った。

 たゆねは可愛らしいパレオの水着を着ている。本人も非常に可愛らしく、美少女と言っても差し支えのない容姿をしているが、ボーイッシュな印象のたゆねが可愛らしいものを着ると、数倍可愛いく見えるのはギャップマジックによるものだろうか。

 傍では違うタイプの水着を着ている双子の少女――いまりとさよかが、当然とでも言いたげに頷いた。

 

「もちろん。せーっかくこんな立派なもの持ってるんだからさ、これで川平啓太も『しんぼーたまら~んっ』て襲い掛かってくるから!」

 

「そうしたら、あの人を追い出せるし。きちっと川平啓太にはセクハラしてもらわないと、追い出せないでしょ?」

 

「そうだけどさぁ……」

 

 両手で胸の前を隠し、羞恥心で涙目になっているたゆね。パレオを巻いた彼女とは違い、いまりとさよかはワンピースの水着だった。

 川平に縁のある人のケイタに対する印象は好ましくなく、あることないこと噂が飛び交い、ケイタの評価というのは酷いものだった。その噂を犬神の山に居た頃聞いていた三人は、啓太に対してマイナスイメージを抱えているのも無理はない。

 いくら主の命令だからといって、不信感を抱いている相手を家に置くことは賛成できない。そう思っていた三人は薫の命令に背くと判っていながらも、啓太を追い出そうと画策していた。

 そんな時、啓太がお風呂に入ると聞き、チャンス到来と一計を案じる。それは、劣情を誘うような格好で入浴中の啓太の背中を洗い、彼に襲い掛かってもらおうという魂胆だ。なお、たゆねの案である。

 川平家親戚の男子のほとんどが助平な点から、男は皆スケベだと信じてやまないたゆね。もちろん啓太も迫られれば性欲丸出しで襲い掛かってくるに違いないと思っていた。

 そうすれば、啓太を追い出すことができる。完璧な作戦だ。

 

「ほら、行くよたゆね」

 

 そして三人は風呂場に場に続くガラス戸を開いた。

 石畳の床を裸足で歩いていた三人が足を止める。三人とも驚いた顔でとある方向を眺めていた。

 そこには既に先客であるせんだんが木に寄り掛っていたのだ。薄青い浴衣姿で優美に足を組んでいるため、細長い足が露出してしまっている。どこか色気を感じさせる立ち姿だった。

 せんだんは木に背中を預けながら手持ち無沙汰な様子で腕を組んでいる。

 

「り、リーダー?」

 

「あら、貴女たちも来たのね」

 

 水着姿の三人を見て軽く目を細めるせんだん。

 いまえいとさよかの双子が不思議そうに聞いた。

 

「リーダーはどうしてここに?」

 

「んー。啓太様の背中を流しに、かしら」

 

『えっ!?』

 

 驚くたゆねたちに苦笑する。

 

「ま、本当は啓太様の様子を見に来たのよ。あの子たちが向かったからね」

 

 そう言ってお風呂場の方を指差す。

 たゆねたちもそちらに視線を向けると、件の啓太が椅子に腰掛けて体を洗っていた。

 なでしこたち、少女の手によって。

 

「な、なな、なんてハレンチな! 主であるからって無理強いしたんだなアイツ!」

 

「うわ、サイテー」

 

「やっぱ噂通りの男なんだね」

 

 義憤を募らすたゆねと冷めた目で啓太を見るいまりたち。側で話を聞いていたせんだんは首を傾げた。

 

「何を言ってるの? あれはあの子たちから言い出したのよ」

 

「えっ、そうなの!?」

 

 心底驚いたとでもいうように目を丸くするたゆねたち。鷹揚に頷いたせんだんは腕を洗われて僅かに頬を染めている啓太に目を細めた。

 

「ここだけの話、わたくしも最初は反対だったのよ。いくら薫様のご友人だからといって噂に聞く啓太様と関わるのは。でも、以前初めて顔を合わせたじゃない。その時から不思議に思ってたのよね。本当に噂通りの人なのかって」

 

 啓太にまつわる噂は数あるが、中でもよく耳にするのは『無口無表情で何を考えているのか分からない』『人形のように精気のない子供』『感情のない少年』『子供を血祭にあげたことがあるらしい』『悪魔のような子』という聞いていて良い感情を抱かない噂ばかりだった。

 しかし、以前薫と啓太の犬神を顔合わせする際に初めて、啓太と対面して違和感を感じたのだ。

 直に会い、会話を交わしその違和感はますます強くなっていく。せんだんの目に入った確かに無表情で口数も少ないが、どこにでもいる普通の少年のように見えたのだ。

 噂通りの少年なら、あのようこやいかずのなでしこが憑き、ここまで慕うだろうか?

 そう考えたせんだんは今回の一件を好機とみた。

 

「だからこうして啓太様の人となりを見極めようとしているのです」

 

「ははぁ、だからやけに川平啓太の側に控えてるんだ」

 

 せんだんの言葉に納得したように頷くいまり。たゆねは面白くなさそうな顔で腕を組んだ。

 

「……噂通りに決まってるじゃないか」

 

「だから、それを確かめるためにこうして啓太様のお背中を流しにきたのよ。そういう貴女たちは何しにここへ?」

 

 鋭い目で双子の少女たちを見るせんだんにいまりたちは本来の目的を捏造して伝えた。流石にリーダーには逆らえないらしい。

 

「えっ!? あー、あはは……あー、あたしたちも啓太様の背中を流しにきたの!」

 

「そうそう! あれでも薫様のご友人だしね!」

 

「お前たち……」

 

 あっさり百八十度態度を改める双子の少女にたゆねがジト目を送った。

 一旦更衣室で水着に着替え直したせんだんはたゆねたちとともに啓太の元へ向かった。

 木製の椅子に座った啓太の背中をナイロンタオルで洗うなでしこ。ようこは啓太の頭を洗っていた。

 甲斐がいしく泡立ったスポンジで主の体を洗う二人。啓太は緊張からか、若干体が強張り顔を赤くしていた。

 

「あれ? せんだんじゃない」

 

「あら、それにたゆねにいまりとさよかまで。どうしたの?」

 

「お邪魔するわね」

 

 微笑むせんだん。リーダーの陰に隠れるように縮こまったたゆねも小さくお邪魔しますと口にした。

 

「あたしたちも啓太様と親睦を深めたいと思ってたんですよぉ」

 

「そうそう。裸のお付き合いとかしてねっ」

 

 悪戯っ子のような笑顔を浮かべるいまりとさよか。

 目を瞑るっていた啓太の体が二人の言葉に少しだけ固くなった。

 瞼を開ければ六人の美少女がそこにいるという現実に尚更、目を開けることが出来なくなる。彼女たちの水着を見たらどうなるか分からないからだ。鋼の精神がいつまで持つか分からないのだ。

 

「……え? せんだん? マジ??」

 

 泡だらけの背中と頭を流してもらいながら目を瞑った啓太が顔を上げる。

 

「はい。わたくしどもも啓太様と親睦を深めようと思いまして」

 

「……マジか。まあ、いいけど」

 

「啓太様、湯船につかりますか?」

 

「ん」

 

 なでしこの言葉に頷いた啓太はようこに腕を取られ、浴槽まで誘導してもらった。

 啓太たちが浴槽に向かうのを見てともはねも入りたがるが、まだ頭を洗っていないため入浴できない。

 

「ケイタ、目を開けちゃダメだからね。せんだんたちを見るの禁止!」

 

 独占欲丸出しでそう強く言うようこ。啓太も小さく頷いた。

 湯船に入る。腰を下した啓太の隣をなでしことようこが、向かい側でたゆねといまり、さよか、せんだんが湯につかる。

 

「ふぅー、いいお湯ですね……」

 

「気持ちいぃ~♪」

 

 肩まで湯につかりほっこりした顔でリラックスするなでしこたち。そして楽しそうにお喋りを始めた。

 初めての混浴。しかも六人の美少女との混浴だ。相変わらず固く目を瞑っている啓太はよく分からない熱でダラダラと汗を掻いていた。

 そんな啓太をジッと観察するせんだん。たゆねは啓太のほうを警戒しながらお湯に身を沈め、いまりとさよかは楽しそうに会話に興じていた。

 その双子の話を聞いていた啓太は不意に顔を上げると、いまりたちのほうへ振り向いた。

 

「……そういえば、ここの花。君たちが育ててる? 確か、いまりとさよか」

 

『……え?』

 

 突然名前を呼ばれて驚く双子。目を瞑った状態で双子のほうに顔を向けている啓太は、フッと頬を緩ませた。

 

「せんだんから聞いた。ここの温室の管理、花の世話。全部キミたちがやってるって」

 

「え、ええ。まあ」

 

「そうです、けど」

 

「大したもの」

 

 いきなり褒められ、その上初めて見る啓太の微笑にいまりとさよかは時が止まったように動かなかった。

 いや、いまりたちだけではない。

 いつの間にか髪を洗う手を止めていたともはね。明後日のほうを向いていたたゆねはポカンと口を開けて啓太の方を見つめている。

 なでしことようこはお喋りを止め、せんだんも黙って啓太を見ていた。

 全員の視線が集中する中、啓太自身はまったくそのことに気づかず、珍しく饒舌に喋り続けた。

 

「……実際、人間でも園芸が上手い人ってそんなにいない。花の知識はもちろん、最適な栽培時期や土作り、毎日のまめな手入れ。……継続してやっていくのは、中々できるものじゃない。

 さすが、薫。いぐさといい、いまりたちといい……九人もの個性をしっかり見抜いて、個性を伸ばしている。ここに来て、驚いてばかり……」

 

 まるで熱に浮かれたように賛辞を呈する啓太に、いまりとさよかは照れていた。

 

「い、いやぁ~」

 

「お恥ずかしいです、園芸は奥が深くてまだまだ」

 

 我を忘れて啓太の顔を見つめていたたゆねが、はっと正気に戻り双子の脇を肘でつついた。言外に『なに仲良くなってるんだよっ』と訴えている。

 なでしこは優しい顔で啓太を見つめ、ようこは上機嫌で風呂の中を泳ぎ始めた。

 ともはねは再び頭を洗い始める。

 興味深げに啓太を見るせんだん。

 ほっこりと場が和んだその時だった。

 

「――た、大変です!」

 

 ロングコートを着たいぐさが慌てた様子でやってきた。

 そして、すべての少女にとってゾッとする話が舞い込んできた。

 

「下着が……家中の下着がなくなってるんですっ!!」

 

 一瞬、呆気に取られる少女たち。

 そして――。

 

『ええー!?』

 

 少女たちの叫びが爆発した。

 

 




 次回、あの変態たちが登場です。


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第五十二話「薫邸にお泊り(下)」

ラスト。
はい、変態の入場です。


 

 

 やべぇ、流石にのぼせる……。

 なでしことようこに背中を洗ってもらっていたら、何か知らんがせんだんたちまで乱入してきて、頭の中が一瞬パニックになった。

 なでしこたちだけでも一杯一杯なのに、ここでタイプの違う美少女たちがやって来たらもうどうなるか分からない。直感的にそう感じた俺は固く目を瞑り、煩悩という名のライバルと戦うことになったのだ。

 そして、ようこに手を引かれてもう一度湯船に浸かり、初の大混浴を意図せず体験。

 お湯の熱と、美女との混浴から来るよくわからない熱に苛まされていると、双子の姉妹の声が聞こえたので、気を逸らす意味も込めて感じていたことを喋った。

 

「……そういえば、ここの花。君たちが育ててる? 確か、いまりとさよか」

 

『……え?』

 

 驚いた感じの声。家庭菜園の延長みたいなものかな。結構、女子力高そうな感じがするし。

 そう考えると、自然と頬が緩む。

 

「せんだんから聞いた。ここの温室の管理、花の世話。全部キミたちがやってるって」

 

「え、ええ。まあ」

 

「そうです、けど」

 

「大したもの」

 

 ああ、ちょっと意識が少しぼんやりしてきたな……。

 どこか他人事のように自身の状態を感じ取りながら、口は未だかつてないほど絶好調。スラスラっと言葉が出てきた。

 

「……実際、人間でも園芸が上手い人ってそんなにいない。花の知識はもちろん、最適な栽培時期や土作り、毎日のまめな手入れ。……継続してやっていくのは、中々できるものじゃない。

 さすが、薫。いぐさといい、いまりたちといい……九人もの個性をしっかり見抜いて、個性を伸ばしている。ここに来て、驚いてばかり……」

 

 毎日小まめに手入れするとか俺には無理。なでしこならやれるだろうけど。

 

「い、いやぁ~」

 

「お恥ずかしいです、園芸は奥が深くてまだまだ」

 

 謙遜したような声。いやいや、本当に大したものだって。

 再び口を開こうとした時だった。

 

「――た、大変です!」

 

 どこか切羽詰った声が響いてきて――。

 

「下着が……家中の下着がなくなってるんですっ!!」

 

『ええー!?』

 

 なんか大変なことになってるっぽいな……。

 そして、一転して静まり返る。なにやら視線が肌に突き刺さっているんですけど、もしかしなくても疑われてる?

 まあ、盗みそうなのって男の俺しかいないから仕方ないかー。

 

「ケイタ! ケイタが盗んだの!?」

 

 ようこの怒りの声。

 

「やっぱり、男はみんなケダモノなんだ……っ!」

 

「うわ、サイテー」

 

「ちょっと見直したと思ったのに」

 

 たゆねたちの冷ややかな声。

 

「そんな、啓太様……」

 

 大きなショックを受けたようななでしこの声。

 俺、無実なんだけど……。

 

「落ち着きなさい貴女たち! いぐさ、詳しく話しなさい!」

 

 混乱を極める中で最初に冷静を取り戻したのはせんだんだった。

 

「私、ランドリールームに用があったんですけど、今朝洗濯紐に干していたはずの下着が一枚も見当たらないんです。それで、慌ててワードローブに戻ったんですけど、私の仕舞っておいたものもなくて……。失礼ですけど、せんだんやたゆねのも調べたけどなかったわ」

 

 ガヤガヤとざわめく場。また向けられる視線。

 

「……一応言っておくが、俺じゃない」

 

「確かに、啓太様はずっとわたくしやなでしこたちの誰かといましたし、一人抜け出して下着を盗むとは考え難いですわね」

 

「じゃあ一体誰がやったのさ?」

 

 せんだんがフォローしてくれる。客観的に見てくれてありがとう。信じてたよ。

 もっともな疑問の声を上げるたゆねに一同首を捻った。

 

「あ、そういえば」

 

 何かを思い出したようにいぐさが声を上げる。

 

「なぜかともはねの下着だけは綺麗に畳んだ状態で残っていたわ」

 

「――ワシは蕾には手を出さねぇ」

 

 突然聞こえてきた、やけに低く渋い声。

 聞いたことのない声に目を開く。ヤシの木の陰からゆらっと姿を見せたのはダンディな男。

 黒の着流し着物、藁色の雪駄、白髪の混じった黒髪をオールバックにした職人のような男だ。

 なぜか背中に大きな風呂敷を背負った職人風の男。どこからどう見ても超怪しい。

 男は一流の職人のような風格を漂わせながら、その道の心得のような何かを語り始めた。

 

「蕾に手を出すヤツぁ半人前よ。職人の矜持にかけて蕾には手を出さねぇ。長い目で開花するのを待つのが通ってものよ」

 

「えっと、どなたですか?」

 

 困り顔のせんだん。急に変な男が現れたら固まっちゃうよね。

 俺も含めて八人もの視線を集めている男は鼻を鳴らすと、いまりを指差した。

 

「ワシはただの職人よ。人はワシを親方と呼ぶがな。……おい、そこのお前。お前さんにルディは十年早ぇ。スウィート系のものを身に着けたいなら精々アキュートにしとけ。ワシのオススメは製品番号BOE441だな。こいつはキープリボン構造で作られていて、定感のある土台付きパターンを使っている。お前さんに合う色は水色だな」

 

 そう言って、懐に手を入れると無造作に女性ものの下着――ブラジャーを取り出した。本当に、自然な動きで。

 

「は……えっ……?」

 

 なにが起こっているのかわからないいまりたちが目を白黒させている。

 そんな周囲の様子なんか知ったことかとでも言うように、その隣のたゆねに指を向けた。

 

「お前さんは九十七年スーパー今丸製のやつを愛用しているようだな。製品番号A1869は丈夫な生地として定評はあるが、いかんせん色落ちが早いのが難点だ。そうだな、お前さんに合うのはこのあたりか」

 

 そう言って、ぬっと下着を懐から出す男――自称親方。なんか真剣な表情で専門的なこと言ってるから、その道の職人に教えを伝授されているような錯覚を受ける。

 だけど、言っていることは「君の下着はそれよりこっちの方が似合う」ていうことだよな。セクハラな上に変態じゃん!

 皆も段々状況が飲み込めてきたのか、非常に冷めた目で親方を見始めた。いぐさにいたっては卒倒しそうだった。

 

「もしかして……?」

 

「もしかしなくても……?」

 

「こいつが、犯人だっ!」

 

 いまりとさよか、たゆねが立ち上がり親方に飛び掛る。親方は素早く飛び退ると中腰になって身構えた。

 

「おいおい! いきなり襲い掛かるたぁどういう了見でぃ!」

 

「うっさい変態! ボクらの下着を盗んだのってお前だろ!?」

 

 たゆねの確信をつく一言に親方はむしろ胸を張って見せた。

 

「おうよ! ワシはランジェリーアーティスト(下着専門泥棒)だからな。ブツがあってこそのワシ、ワシがあってこそのブツよ。……って、いけねぇいけねぇ。うっかり忘れちまうところだった」

 

 全員体を守るように手で胸などを隠すなか、親方はどこまでも真面目な表情を浮かべている。

 

「ワシは本来人前に出ることは決してないんだが、その信条を曲げてまで、こうして忠告に来たんだ」

 

 確かに、こいつが下着泥棒の犯人だったら、リスクを犯して俺たちの前に現れる必要というのがある。

 一体何を言い出すのかと、全員身構えた。

 親方は背後を指差し大真面目な顔で。

 

「――さっき、そこにすっごく怪しいヤツがいたぞ」

 

『お前が一番怪しい!』

 

 少女たち全員の突っ込みが入ったのだった。

 

「ちょ、ちょっと待て! ワシは――」

 

 慌てた様子で何かを言おうとするが、ようこ、たゆね、いまり、さよかの四人にフルボッコにされ言葉にならない。

 職人風の自称親方という下着泥棒は少女たちの怒りに触れ、手当たり次第にものを投げられ、殴られ、蹴られた。

 その結果、親方の顔全体が腫れ上がり、手足も変な方向に曲がるという奇妙なオブジェと化したのだった。口から泡を吹いて気絶しているけれど、まあ下着泥棒だしいっか。

 

「う……やば……。ちょっとふらつく……」

 

 頭がボーっとしてきて思考が纏まり難い。いい加減ヤバイかなと感じた俺は湯船から上がり、浴槽の縁に腰掛けた。これで少しは楽になるだろう。

 周りの女の子たちはそれぞれ親方が盗んだ下着を回収してるから、あまり注目されていないし。

 

「啓太様、大丈夫ですか?」

 

 俺の体調の変化に気がついたなでしこが心配そうに聞いてくる。

 軽く湯当たりしただけだし、少し涼めば問題ないだろう。

 

「うぅ、これもう着れないよぉ……」

 

 悲痛な声を上げながら盗まれた下着を握る少女たち。あー、何されたか判らないもんね。

 下着泥棒の被害者女性もその下着を処分してるんだろうなぁ。気持ち悪くて着れないもんな。

 

「そういえば怪しい奴がいるって言ってたけど、どうするの?」

 

「うーん、怪しいヤツにそんなこと言われてもねぇ」

 

 ようこの言葉にいまりが腕を組む。

 せんだんが思慮深く頷いた。

 

「とりあえず警戒したほうがよさそうね。水着は相手を喜ばすだけでしょうから、まず着替えましょう」

 

 その意見に皆、頷き返す。

 一先ず普段着に着替えてから親方を警察に引き渡すという話になり、せんだんたちが更衣室で着替えている間、親方の監視を頼まれた。

 異論はないので頷き、せんだんたちが着替え終わるまで浴槽の縁に腰掛けながら涼むことにした。

 少し熱は取れたようだけど、まだぼーっとしてるな……。

 

「もしアイツと同じような変態だったら、ギッタンギッタンにやっつけてやるんだから!」

 

「ええ、女の敵には容赦する必要ないわ」

 

 気炎を上げながら更衣室に向かうようことせんだん。彼女たちの後ろをいまりとさよか、たゆね、なでしこ、いぐさが続いた。

 卒倒しかけたいぐさはなんとか自力で歩けるくらいには回復したようだ。皆とは少し遅れて更衣室に向かっていた。

 

「……? そういえば、さっきから静か……」

 

 それまで温室で飼われていた鳥が忙しなく鳴いていたが、今はしんと静まり返っている。

 何かがおかしい。

 そう直感的に感じた俺は感覚を研ぎ澄ました。

 

「――っ! ちっ、なんで気付かなかった……!」

 

 気配は弱いが、温室のまさに上空に邪霊の気配。

 熱で朦朧とした頭では上手く感知できなかったようだ。ここまで接近を許すなんて普段では考えられない失態だ。

 その邪霊は無定形の靄のようなもので、アメーバー状に広がった状態で落下してきている。

 落下先には、いぐさがいた。

 

「いぐさ! 危ないっ!」

 

 俺の声に反応して振り返り、邪霊の存在に気がつく。

 凍りつくいぐさ。せんだんたちも邪霊に気がつき、攻撃しようとしているが、僅かに遅い。

 俺も助けるために刀を創造しようとするが、朦朧とした頭のせいで上手く想像できなかった。

 決断は一瞬だった。

 創造が出来ないと感じた俺はすぐさま霊力で身体能力を高める。万全の状態に比べれば拙い霊力コントロールだが、今はこれで十分だ。

 

「おろろ~ん」

 

 奇妙な鳴き声を上げて落下してくる邪霊。

 

「――ぉおッ!!」

 

 気合いの声を上げて石畳の床を強く踏み抜き、

 いぐさの前に躍り出た。

 そして、自身を楯にする。

 

「ぐぅ……!」

 

 邪霊と衝突し、じゅっと肌が焼ける痛みが背中を襲う。

 強い邪気に触れた際に起こる霊的反応。

 軽い火傷のようなものだ。

 

「啓太様!」

 

「ぁ……」

 

 なでしこの叫び声。口を押さえたいぐさが呆然と佇んでいた。

 

「ケイタっ! っこんのぉ――!」

 

「おろろ~ん」

 

 血相を変えたようこが伸ばした爪で邪霊を切り裂いた。

 断末魔の声を上げながら霧散していく邪霊。すぐにようこやなでしこ、せんだんたちが駆け寄ってきた。

 じくじくする鋭い痛みに顔を歪める。そこまで大事には至っていないと思うが、背中全体に熱傷があるだろう。

 あまり女の子に見せないほうがいいだろうけど、傷を覆い隠すようなものがない。

 

「大丈夫ですか啓太様! 背中を見せてください!」

 

「ケイタ大丈夫!?」

 

 いつになく真剣な顔のなでしこが傷の具合を見る。その隣ではようこが不安そうな顔でおろおろしていた。

 せんだんやともはね、いまり、さよかが心配そうに顔を覗かせている。たゆねも腕を組みながらチラチラと視線を寄せてきていた。

 

「……よかった、傷は浅いようです」

 

「あ、あの、私、あの」

 

 安心したように吐息を漏らすなでしこの後ろで、目に涙を溜めたいぐさが縮こまっていた。

 とりあえず傷は大したことなさそうだし、安心させないと。

 

「……大丈夫。このくらい平気」

 

「で、でも! わた、私のせいで」

 

 涙目のいぐさ。どうやら責任を感じてしまっているようだ。

 俺は大きく首を振った。

 

「……そんなことない。いぐさが無事でよかった」

 

 ぶっちゃけいぐさに傷を負わせてたら自責の念に押し潰されちゃってたよ。それだったら俺が変わりに受けた方がまだ数倍ましだ。

 それに、男は女の子を守ってナンボだしな。

 全力でニコッと笑う――実際は口角が少し上がる程度だが――とようやく安心したのか、今にも消え入りそうな声でお礼を言ってきた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 いつものデフォルト顔で親指を立てると、ともはねがぷっと小さく笑った。

 そこでようやく、空気が和らぐ。

 前に出たせんだんが深々と頭を下げてきた。

 

「啓太様、いぐさを助けていただいてありがとうございます。それと、お怪我を負わせてしまい、まことに申し訳なく」

 

「……いい。好きでやったこと。不測の事態は仕方ない」

 

 だから頭上げてー! 女の子に頭下げられるとか、むずがゆくて仕方ないんじゃ~!

 ぽりぽりと頭をかいた俺は熱傷を隠すためになでしこからパーカーを受け取った。着替える前に邪霊が出現したからなでしこたちは水着姿で、俺はタオルを腰に巻いた状態なのだ。

 傷が痛むのを我慢しながらパーカーを羽織ると、ようこが唐突に大きな声を上げた。

 

「あー!」

 

「ようこさん? どうしましたの大声を上げて」

 

 せんだんが尋ねるとようこはとある場所を指差した。

 

「あの変態! いなくなってる!」

 

『えっ?』

 

 親方のほうを見るが、誰もいない。

 周囲を見回しても、ボロ雑巾のようになった親方の姿が確認できなかった。

 あの怪我で逃げたのか? 自力で?

 せんだんとなでしこ、いぐさを除くようこたちが躍起になって探しているなか、首を捻っていると。

 

「――親方でしたらここにおりますよ、マドモワゼル」

 

 新たな第三者の声が聞こえてきた。

 場の視線が一点に集中する。

 一体いつから居たのだろうか。そこにはシルクハットを被ったタキシード姿の紳士がいた。

 口髭を蓄えた銀髪の紳士は一見すると、貴族のパーティなどに出席していそうな外見をしており、温和な表情からは優しそうなイメージのおじさんに見える。

 しかし、彼の肩には親方が担がれていた。

 

「変態の仲間!?」

 

 ようこの的確な言葉に紳士はチッチッと指を振ってみせる。

 

「ノン。私も彼も変態などではないですよマドモワゼル。私も彼も自由への飛翔者にして、羞恥心の超越者。ただ、この世の中の仕組みが私たちに追いついていない、ただそれだけのことです」

 

 口髭を蓄えた銀髪の紳士は親方を一旦地面に降ろすと、バサッと裏地が真紅のマントを払い優雅に一礼した。

 

「私の名はドクトル。悲しき透明人間、ガラスの距離からの恋に終始する人」

 

 これは、ほんのお近づきの印です。そういって手首のスナップのみで何かを放つ紳士――ドクトル。

 シュルシュル回転しながら樹木に刺さったそれは、名刺だった。

 海の上に黄色い満月が浮かんでいるレイアウト。裏にはピンクのバラが文様としてあしらわれ、そこに。

 

【いつもあなたの傍に。ドクトル、ここに参上】

 

 コマーシャルか何かのキャッチコピーのフレーズのようなものが書いてあった。

 

「では、近いうちにまた会いましょう。アデュー! ムッシュー川平! マドモワゼル、ナデシコ! マドモワゼル、ヨウコ!」

 

 ドクトルは懐から何かを取り出すとそれをアンダースローで投げてきた。

 カランカランと硬い音を鳴らしながら転がってきたのは先端が鉤状になっている円柱状のもので――。

 

「……っ! フラッシュバン!」

 

「きゃあ!」

 

「キャー!」

 

「きゃっ!」

 

「ぎゃぁぁぁぁ!」

 

 そう認識すると同時に、大きな音とともに眩い光が世界を真っ白に染めた。

 キーンという耳鳴りが鳴り響き、視界は真っ白。

 少女たちの悲鳴は辛うじて聞き取れた。

 しばらくジッとして視覚と聴覚が回復するのを待つ。

 ようやく視界が回復して周囲を見回すと、ほとんどの少女たちが気絶していた。辛うじて意識があるのはなでしことせんだんの二人のみのようだ。

 当然ながら、ドクトルと親方は既にいない。

 

「……なでしこ、せんだん。大丈夫?」

 

「す、少しふらふらしますが、なんとか大丈夫です」

 

「わたくしも、同じく……。啓太様は?」

 

「……俺も、似たようなもの。他の皆はダメみたい、だな」

 

 取りあえず着替えないといけない。大変だろうけど、なでしこたちには気絶してる少女たちの着替えをお願いし、その間俺は周囲の警戒にあたった。逃げたとはいえ、まだ潜んでいる可能性もあるからな。

 その後、十数分かけて着替えを終えたなでしこたち。温室の中はくまなく調べたがそれらしい影は見当たらなかった。

 素早く着替えた俺はようこ、なでしこにはともはねを背負ってもらい、それぞれの部屋へと運ぶ。

 俺たちがいない間、気を失っているいぐさたちが無防備になるためせんだんに見守りを頼み、その後は俺が少女たちを背負って館と風呂場を往復することになった。

 無事全員、それぞれのベッドに運び終えた頃には精神的な疲れもあり、なでしこに包帯を巻いてもらってからすぐに布団へダイブしたのだった。

 ――親方とドクトル、次に会ったら……覚えとけよぉ…………すやー。

 

 





連投終了。
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人物紹介その1


要望にありましたので、ネタバレしない程度に情報を明かします。
啓太、なでしこ、ようこの順です。


 

 

【川平啓太の基本情報】

 

 年齢:16歳。

 身長:157センチ

 体重:53キロ

 視力:2.0

 血液型:O型

 生年月日:7月22日(かに座)

 髪型:薄い茶髪で短髪

 目型:こげ茶、若干つり目

 輪郭:若干ショタ風

 肌:白

 一人称:俺

 服装:白黒のシンプルなシャツにズボン

    プリントシャツ、ジーパン

    ジャケット、カッターシャツ、ジーンズなど

 保有霊力:3000漬け物石。原作啓太の約3.5倍、祖母の1.5倍

 所有能力:霊力を物質化する力

 契約仙人:白山名君(逆位契約)

 契約の証:左の二の腕に小さなアルファベットのような模様

 犬神契約:なでしこ、ようこ

 契約の証:右手に金、左手に銀のブレスレット

 家族構成:自身の犬神(父、母は海外、祖母は本家)

 所持している携帯:0円携帯の黒いガラケー。折りたたみ式

 居住:アパートの一室

 所属:武藤田高校の1年2組。

 好きな食べ物:なでしこの手料理、ナタデココ、お菓子

 好きな飲み物:ココア(特にバンホーデン)

 嫌いな食べ物:苦い物、ブロッコリー、ピーマンなど

 趣味:読書(小説・漫画問わず)、散歩、鍛練

 特技:暗記

 学業成績:中の上。座学・運動ともに中だが目立ちたくないため手を抜いている。

 クラスでの立ち位置:マスコット。女子はその外見や仕草が小動物チックで可愛らしく母性をくすぐられる。男子からは外見とは別に人当たりがよく頼れる存在。

 クラスメイトの印象:女子は可愛い、弟にしたい、お持ち帰りしたい。男子は頼りになるクラスメイト、良い友達、一部男子はウホッの気あり。

 先生方の印象:霊的事件では心強く、受け答えも良いため好印象。

 

 

 

【概要】

 

 幼少の頃から大人しく、本ばかり読んで人とあまり関わらなかったため消極的な子と思われていた。普段から接していたのは祖母とはけのみ。

 啓太の才能に気がついている人は祖母などの一部のみ。実力を表に出すことはなく、一握りの人たちのみ啓太の実力を認識している。

 仙人との契約を行う修行で契約した仙人がいないことから無能と評価されるが、犬神選抜の儀では二匹のいぬかみと契約したことから落ちこぼれに変わる。

 

 

 

【性格】

 

 冷静沈着で基本、無口無表情。

 人並みに感受性はあり、内面では若者らしいノリのある受け答えをしているが何故か表に出すことが出来ない。

 言葉数も少なく表情もあまり変化することがないため、第一印象では冷たい、またはとっつきにくい印象があるが、接してみると結構人当たりがよくノリもいい。

 まったくの無表情ではなく親しい人の前では表情を崩す。なでしことようこの前では苦笑を浮かべることが多い。

 自分の容姿が一般的に見てある程度整っていると自覚はしているが、その程度と思っている。そのため結構自身の容姿に対して無頓着なところが見られる。また若干天然。

 自身に対する嫌味や妬みなどの誹謗中傷などはまったく気にしないが、親しい人への暴言は許さない。意外と口より先に手が出る。その後口が出る。

 お酒には強いが一定以上のアルコールを摂取すると記憶をなくす。記憶がなくなっている間、何が起きていたのか。何故か誰も語らない。

 怒る時は静かに怒る。絶対零度のような目で凍てつく殺気を放ちながら心境を雄弁に行動で示す。

 子どもっぽいところもあり思いつきで悪戯をすることがある。また子ども扱いされたりからかわれたりすると、ジト目で講義。またはそっぽを向いて拗ねる。

 幼少の頃から祖母に懐いているためお婆ちゃんっ子。祖母には人には話さない自身のことなどを報告したりもする。数少ない理解者の一人。

 

 

 

【原作の啓太】

 

 原作での啓太は明るく自由奔放で極度のスケベ。犬神契約の儀式では雇用契約を大声で周知しながら走ったため、契約数ゼロという前代未聞の数値をたたき出す。しかし、高校一、二年生あたりでようやく啓太の犬神になりたいと志願したもの(ようこ)が現れ、晴れて犬神使いとなる。

 仙人契約ではカエルの仙人である白山名君と契約したため、カエルの消しゴムを投擲し、爆破させる術を使用。また中国拳法を少々齧っており、発勁という中国の妙技を習得していたりする。

 ようことの契約では尻に敷かれ、犬の首輪を契約の証として着用。

 本人の意思とは無関係で変態的事件に巻き込まれ、頻繁に裸体を晒すことから、変態仲間からは『裸王』として知られる。後に変態たちのリーダー的立場を確立させるなど波乱万丈な運命が待ち受けている。

 

 

 

【戦闘方法】

 

 霊力を物質化する力で武器を顕現して戦う。主に使用する武器は日本刀。一刀流、二刀流を場合によって使い分ける。また、刀による投擲を一番得意としており、投擲専用の刀を瞬時に創造し、遠距離から投げまくることもある。

 接近戦では霊力で高めた身体能力で立体的に動き回り隙をつく。また体術も高レベルで収めており我流の体術と剣術を織り成した戦いを得意とする。

 

 

 

【能力】

 

 霊力を物質化する力は込める霊力とイメージに左右される。あやふやなイメージでは固定化されず数秒で霧散し、込める魔力が少ないとそれに比例して物質化できる時間が少なくなる。

 また、込める霊力が一定量を超えた場合完璧に固定化されるため、時間経過とともに霧散することなくその場に在り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【なでしこの基本情報】

 

 年齢:外見20歳(実年齢?歳)

 身長:160cm

 体重:42kg

 視力:2.0

 血液型:A型

 生年月日:2月22日

 スリーサイズ:B92、W61、H88

 髪型:両端だけ肩に掛かったショートボブ

 髪色:薄い桃色

 目型:垂れ目より

 目色:翡翠色

 輪郭:可愛い系

 肌:白

 一人称:私

 服装:メイド服(緑色のワンピースと白いフリルのついたエプロンのエプロンドレス)

    ワンピースなど

 保有霊力:???漬物石

 家族構成:啓太、ようこ

 居住:川平啓太の家

 契約者:川平啓太

 宝物:契約証のネックレス

 好きな食べ物:甘味全般(特に和菓子)

 嫌いな食べ物:なし

 趣味:家事全般

 特技:料理(和食)

 

 

 

【概要】

 

 啓太に仕えるまでは誰にも憑いた事がなく、そのため同族の犬神たちから『いかずのなでしこ』や『行かず後家』と言われ距離を置かれていた。

 主である啓太に絶対の忠誠を誓っている。また、決して表には出さないが啓太への思慕と同様に独占欲も強く、啓太が自分の主であると同時に「ようこの主」であることには内心で複雑な思いを抱いている。が、決して表に出すことはない。

 常に啓太の傍らに寄り添って心の支えとなるなど、良妻賢母っぷりを発揮する。

 

 

 

【性格】

 

 非常に温厚で温和。お淑やかで従順、炊事洗濯掃除その他なんでもござれの、ハイスペックな犬神。若干、古い感性や価値観を見せることがある。

 普段は母性愛に溢れ、物静かでおとなしい大和撫子のような女性であるが、怒らせると物凄く怖く、その恐怖はレベルによって跳ね上がる。

 LV.1:恐ろしいほどのプレッシャーを笑顔を浮かべながら無言で発してくる。

 LV.2:LV.1に加え、プロレスラーのように椅子でお仕置きしてくる。

 LV.3:詳細は不明だが、深層意識んみ恐怖を刷り込まされ、無意識の内に丁寧語で話す、一定範囲内に近づくと手足が震えるなどの症状が出る。

 

 ようことは犬神の山にいた頃から旧知の仲で、初期の頃はようこの唯一の「友人」として、家事や常識などを教えるなど世話を焼いていた。

 過去になんらかの事件を起こし、それが切っ掛けで戦えなくなった。そのため『やらすのなでしこ』と揶揄される。

 

 

 

【原作のなでしこ】

 

 原作では薫の犬神となっており、序列は第二位。しかし、本作品では作者のエゴにより啓太の犬神となった。

 薫の犬神になったことから判る通り、薫に対して恋慕の情を抱いている。それでいて、原作ではなにかと不透明な点が多い薫を影から支え、サポートに徹するという良妻賢母っぷりを発揮。

 また、犬神選抜の儀式ではようこに気を使い啓太の犬神にはならなかったが、なでしこ自身啓太に惹かれているところがあり、運命が違えば啓太の犬神になっていた可能性もあった。そのため、薫の犬神になったあとも何かと啓太の世話を焼くことも。本人は弟のように思っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ようこの基本情報】

 

 年齢:外見20歳(実年齢?歳)

 身長:162cm

 体重:43kg

 視力:2.0

 血液型:A型

 生年月日:5月2日

 スリーサイズ:B86、W59、H87

 髪型:腰まであるさらさらのストレート

 髪色:緑色

 目型:つり目と垂れ目の中間

 目色:紅緋色

 輪郭:美形

 肌:白

 一人称:わたし

 服装:カーディガン、シャツ、スカート

    ノースリーブなど

 保有霊力:3600漬け物石

 所有能力:物体転送能力のしゅくち

      発火能力のじゃえん

 家族構成:父(詳細は本編で)、啓太、なでしこ

 居住:川平啓太の家

 契約者:川平啓太

 好きな食べ物:おむすび、チョコレートケーキ

 嫌いな食べ物:苦いもの、まずいもの

 趣味:啓太と遊ぶこと

 特技:誰とでも仲良くなれること(本人無自覚)

 

 

 

【概要】

 

 犬神の山でとある事情から忌み嫌われていた存在。誰もようこの相手をしないなか、唯一なでしこだけが普通に接してくれていたため、彼女は対等の友人として認めている。

 過去に川平の親族の子供に捕らわれ好事家に売られそうになったところ、幼少期の啓太に助けられる。それが切っ掛けで彼に恋し、彼の犬神になることを決意する。また、この時に啓太からもらったおむすびは、ようこの大好物となった。

 なでしこが自分と同じく啓太の犬神になったことで一時期互いの関係がギクシャクしたが、現在は修復され友人でありながら恋のライバルと認識している。

 

 

 

【性格】

 

 外見不相応で中身は子供っぽい。また我侭で好奇心旺盛。それでいて悪戯好きで嫉妬深く、甘えん坊。また破壊好き。

 啓太に心底惚れているため、彼の困った顔とかを見るのが好き。そのためよく悪戯して意図的に困った顔を見たり、気を引こうとする。

 なでしこには同じ啓太を好く者として認めているが、それ以外の女が彼に好意を寄せているのを知ると嫉妬する。たとえそれが啓太からアプローチしなくても嫉妬する。

 気を許した相手には甘えた姿勢を見せるが、啓太が相手だとそれが顕著。身体的接触なんて普通でよく抱きついたりする。

 

 

 

【原作のようこ】

 

 原作では啓太唯一の犬神にしてメインヒロイン。本作品でのメインヒロインはなでしこに奪われ、サブヒロインと化した。

 とある理由から長年、犬神の山に幽閉されていた少女。幼少期の啓太に一目惚れし、彼のために犬神になると決意し、頑張って啓太の犬神となる。ちなみに啓太の犬神選抜の儀式ではなでしこも含む犬神が数名名乗りを上げたそうだが、啓太を独占するために力づくで排除した。そのため啓太に犬神が憑かなかったのはようこのせいである。

 性格は本作品より精神的に幼く、自己中心的。当初は啓太の気を惹きたいがためにトラブルを起こすという小学生男子のような思考をしている。人間社会の常識も持ち合わせていないため、金を払わずにものを食べたり、無意味に車を破壊してみたりと啓太に相当の苦労をかけた。

 しかし啓太の懸命な教育により、段々犬神としての自覚や社会常識などを覚えていき精神的にも成熟していく。物語の終盤では「こいつ誰?」と言いたくなるほど良い女っぷりを発揮する。正直、最終形態のようことなでしこの女子力は拮抗していたと思う。

 

 

 

【戦闘方法】

 

 主に鋭く伸びた爪での切り裂きと、能力のじゃえんを使用して戦う。犬の化生だけあって素の身体能力が高く、ようこ個人の戦闘力も相当なもの。原作では薫たちの犬神たちと九対一で戦い、圧勝する経歴を持つ。

 武道的な動きは出来ないが獣のような俊敏な動きで敵を翻弄し、爪で切り裂く。または遠距離からじゃえんで相手を燃やしたり、爪に炎を纏わせて敵を切り裂くなど。

 

 





 結構ギリギリの開示。
 疲れた……次回の投稿まで少々お時間頂きます。


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第五十三話「ようこの変調」

 とりあえず五話だけ書けたので、この分だけ投稿します。


 

 

 薫の家に泊まって二日目。

 昨日は色々と疲れた。色々と……。

 朝食の前。なでしこに包帯を変えてもらってから、ようこたちを連れて食堂へ向かった。

 食堂にはすでにせんだんたちが席につき、俺たちの到着を待っていたようだった。

 

『おはようございます啓太様!』

 

 唱和されるおはようコール。はきはきした声に少したじろいだ俺は遅れて挨拶を返した。

 

「……おはよう」

 

「おはようございます」

 

「おはよー」

 

 席に向かうと、なぜかせんだんがスッと椅子を引いてくれる。

 

「どうぞ啓太様」

 

「ありがとう……?」

 

 座るといぐさが料理を運ぶ台車――サービスワゴンに乗ってるトレーを持って来て、俺の前に置いてくれた。

 

「き、今日の朝食になります」

 

「……ありがとう?」

 

 男が苦手で一定の距離を保っていたのに、こんなに接近して大丈夫なのか?

 いまりとさよかがコップにジュースを注いでくれる。

 芳醇な葡萄の香りが漂ってきた。

 

「これ、あたしたちが育てた葡萄から搾った葡萄ジュースなんですよ」

 

「美味しいですから是非啓太様も飲んでみてください!」

 

 やたらと親身に話しかけてくる双子の少女。

 いや、彼女に限らずせんだんを始めとした女の子たち全員がやたらと親切なんだけど!

 一体どうした!?

 

「あの、せんだん? みんな啓太様に対する態度が少し違っているようだけど……」

 

「うんうん。いぐさたちとかケイタと距離取ってたのにね」

 

 そうだよね。いぐさはもちろん、いまりとさよかもこんなに距離近くなかったよな。

 突然の豹変、というまでではないが変化に戸惑いを覚える俺たち。

 苦笑するせんだん、愛想笑いを浮かべるいまりとさよか、赤くなった顔を俯かせるいぐさ、鼻を鳴らしてそっぽを向くたゆね。

 そして、一人嬉しそうに笑うともはね。

 こうまで態度が変わると何かあるのではと勘ぐってしまうよ!

 

「昨夜の啓太様がね」

 

「うん」

 

「身を挺していぐさを守ってくれた姿を見てしまったら、ね。認めざるを得ないわよ。結局、わたくしたちは噂に踊らされていたのね」

 

 あ。やっぱり俺、認められていなかったのね。

 それならあの距離感も腑に落ちるわ。

 

「あの、啓太様……? お背中は大丈夫ですか?」

 

 不安そうに顔色を窺ってくるいぐさ。

 軽く頷いてみせるとホッと一息ついた。

 

「啓太様」

 

 朝食が終わるとせんだんに呼び止められた。

 振り返るとせんだんたちがずらっと横一列になって並んでいる。

 何事だろうか。首を捻っていると、少女たちが一斉に低頭した。

 

「今まで数々のご無礼、大変申し訳ございませんでした」

 

『申し訳ございませんでした!』

 

 唱和される申し訳ございませんコール。え、なに? 本当何事!?

 呆気にとられていると、せんだんが理由を話してくれた。

 その話によれば、せんだんたちは犬神の山で俺に纏わる噂を聞いていたらしく、俺を噂通りの人間だと思っていたらしい。

 そのため、今日の今日までずっと俺を認めず、どこか舐めていたのだと。

 そうだったのか。俺としてはあまり接点がなかったからだと思っていたんだけど。まさか、そんなふうに思われていたとはつゆも知らなかった。

 出来れば知りたくなかった事実だなぁ~。

 なでしこが心配そうな顔で見上げてきて、ようこが「どうするの?」と言いたげな目で見てきた。

 

「……頭上げる」

 

 俺の言葉に頭を上げるせんだんたち。真剣な顔でこちらを見つめるその姿はどこか、すべてを受け入れた死刑囚のような覚悟が見てとれた。

 

「……そもそも怒ってない。謝らなくていい」

 

「ですが」

 

「……それに、これから仲良くすればいい」

 

 仲良く、前向きでやっていこうぜ!

 

 

 

 1

 

 

 

 それからは非常に穏やかな時間が流れた。

 ともはねの相手をしたり、いまりとさよかに花の話を聞いたり、せんだんからここ最近の薫の話を聞いたりと非常に有意義な時間を送れた。

 なでしこたちのブラッシングをすればともはねやいまり、さよか、せんだんまでもが体験してみたいとマイブラシを持って来て。

 午後は日課である各種筋トレやランニング、仮想敵とのシャドーで汗を流していると、遠くでたゆねがうずうずさせた顔でこちらを見ていたり。

 当初の目的であるせんだんたちとの交流は順調に進んでいった。

 そして、昨夜とは一転して全員集まり賑やかな夕食を迎える。

 そんなこんなで、あっという間に時は流れ、薫は無事に帰宅。

 俺たち啓太一家は薫一家に見送られながら、薫邸を後にしたのだった。

 

「楽しかったねー!」

 

「ええ、ちょっとした騒ぎはありましたけど、楽しかったですね」

 

「……だな。せんだんたちとも仲良くなれたし。よかった」

 

「そうですね」

 

 朗らかな笑顔を見せてくれるなでしこ。なんだかんだあったけど、みんなと仲良くなれてよかったよかった。

 それからは学校と仕事を両立させながら普段通りの日常を送った。

 仕事があればようことともに出かけて霊的事件を解決し、家に帰ればなでしこに出迎えられ温かい食事が待っている。

 依頼のない休日はなでしことようこの相手をして一緒に過ごし、時たま起こるようこのトラブルに頭を悩ます、そんな日々。

 これは、何気ない日常の一コマで起きった小さな出来事。

 

 

 

 2

 

 

 

「……ただいま」

 

 学校から帰ってきた俺は、出迎えがないことに気が付き首を傾げた。

 いつもならなでしこやようこが出迎えに来てくれる。手が離せなくても『お帰りなさい』の一言くらいはあるはずだった。

 靴はあるから二人とも家にいるはずだけど、どうしたんだろう?

 すると、少し遅れて奥のほうからパタパタとスリッパを鳴らす音が聞こえてきた。

 やってきたのはなでしこで品行方正の彼女にしては珍しく廊下を走っている。

 

「……なでしこ?」

 

「た、大変です啓太様!」

 

 そんなに慌ててどうしたんだろう。

 そして、暢気に構えていた俺の思考を一瞬で吹き飛ばす話がなでしこの口から語られた。

 

「ようこさんが倒れましたっ!」

 

 ――ホワッツ!?

 慌ててリビングに向かう。そこにはぐったりとソファーで横になったようこの姿があった。

 苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、額には大量の汗が滴となって浮かんでいる。

 着ているシャツも汗でぐっしょり濡れていた。

 試しに額に手を乗せてみると。

 

「あ、いけませんっ」

 

「熱っ!」

 

 じゅっと肉の焼ける音とともに鋭い痛みが走った。思わず手を引く。

 手の平が軽い火脹れを起こしていた。

 すごい熱だ。

 

「……どうなってる?」

 

 水道で手を冷やしながらようこの様子を見る。熱に浮かれているが意識はあるようで、潤んだ目でこちらを見ていた。

 

「けいたぁ……あつい、あついよぉ……」

 

 うわ言のように呟くようこ。側に控えたなでしこがようこの頭に水で濡らしたタオルを乗せる。

 ジュッという音とともに水蒸気が上り、タオルが乾いた。

 薄目を開けたようこがなでしこに訴えかけてくる。

 

「あつい、あついよなでしこぉ……とけるぅぅ」

 

 そして、力尽きたように気絶した。

 

「とりあえず、ようこさんを冷やさないといけません。啓太様、ようこさんをお風呂場まで運ぶので手伝っていただけますか?」

 

「わかった」

 

 意図を察した俺は強く頷き、ようこの脇の下に手を通す。さっきの二の舞になるので、霊力で手を保護するのも忘れない。なでしこには足を持ってもらい、一、二の三で持ち上げた。そのままようこを風呂場まで運ぶ。

 そっとタイルの上に寝かしたらシャワーを全開にして直接水をぶっかけた。

 途端にもうもうと水蒸気が沸き上がる。

 

「あぁううぅぅぅ」

 

「ようこさん、しっかり!」

 

 少しだけ意識が戻ったようこだったが、まだ上の空。必死に呼びかけているなでしこの声にも反応できないでいた。

 俺はなでしこにシャワーをかけ続けてもらい一旦リビングへ戻る。そしてバケツに水を貯めると風呂場へ戻り、浴槽を一杯にする作業に没頭した。

 十数往復してようやく浴槽に水が溜まると、ようこを抱え上げてその中に浸かす。

 じゅわっと大量の水蒸気が立ち上る。改めてようこの額に手を置くと、先程よりは熱が引いているようだった。

 そのまましばらく様子を見てみる。

 大分、呼吸も楽になり様態も安定したようだった。

 

「……とりあえず、大丈夫そうだな」

 

「はい」

 

 ホッと安堵の吐息を漏らす俺となでしこ。

 しかし、一体何が原因なんだ?

 

「……なでしこは、原因わかる?」

 

「ええ、まあ」

 

 どこか歯切れの悪い様子を見せる。

 その訳を聞こうとしたその時、背後から聞き覚えのある声がした。

 

「――やはり発熱しましたか」

 

「……はけ?」

 

「はけ様」

 

 そこにはお婆ちゃんの犬神であり、幼少期から面倒を見てもらっていた親代わりのようなヒトが立っていた。犬神のはけだ。

 いつものように白装束に身を包み涼しげな顔で立っていたはけはようこの額に手を置き、次いでジッとようこの顔を見つめる。

 そして何か得心が行ったのか、鷹揚に頷いてみせた。

 

「的確な処置です。このまま冷やし続ければようこの熱も一晩で取れるでしょう」

 

「……そう、よかった」

 

 とりあえずは一安心かな。

 

「さっき、やはりって言った。はけもなにか知ってる?」

 

「……わかりました。お話ししましょう」

 

「はけ様!」

 

 なでしこが咎めるように鋭い声を上げた。

 そんな彼女を静かな目で見つめ返し、諭すような静かな口調で言う。

 

「なでしこ、あなたの気持ちもわかります。ですが、本来啓太様は知る義務があります。いつまでもはぐらかす訳にはいかないのです」

 

「……」

 

 苦痛に耐えるように顔を歪めるなでしこ。沈黙が下りる中、ようこの規則正しい呼吸音だけが聞こえる。

 俺と向き直ったはけはいつになく真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。

 

「聡い啓太様のことです。ようこについてずっと疑問に思っていたでしょう? 彼女がなんなのかを、どのような存在なのかを。まずは、今までずっとはぐらかしてきたことを詫びなければいけません。申し訳ございませんでした。ですが、我らは決して啓太様を軽視していたわけではなく――」

 

「……いい。わかってる」

 

 俺だって別に馬鹿じゃない。ようこがなんなのか、なんとなく見当もついている。

 お婆ちゃんやはけがそのことを俺に知らせなかったのも、恐らくそれを知ることでようこを見る目が変わるのを忌避してのことだろう。二人の愛情を今まで疑ったこともない。

 ――ん? と、いうことは、もし俺が考えている通りならようこの熱って、そういうことなのか……?

 

「……犬神の山に張られた結界。あれ、外からの侵入じゃなく、内からの脱走を防ぐもの。中に住んでいる犬神たちですら、外に出るには契約者が必要。それほど強力な結界を張る理由。それを考えればおのずと判る」

 

「左様、ですか」

 

「……」

 

 神妙な顔で頷くはけと沈痛な面持ちで黙するなでしこ。

 そんな二人の様子をチラッと横目で見て、静かに寝息を立てるようこの額をそっと撫でた。

 

「……最近、邪気が増しているせいか、仕事が増えてきている。それに比例するように、ようこの力も格段に増した。普通、こんな短期間で力が増すなんて、ありえないのに」

 

 そう、霊力や妖力といった無形の力は筋肉とは違い鍛えれば鍛えるほど力が増すという、そんな単純なものではない。

 仙界で学んだ知識によると、霊力などの力というのは魂の輝きに比例するらしい。上手く言葉に出来ないが、持って生まれた魂の形が霊力の強さに繋がるのだ。それはすなわち、生まれ持った資質に左右されるということ。

 そのため、一般的には霊力の絶対量を増やすことは出来ないと言われている。

 その霊力が、妖力が増えるということは、魂になんらかの変化が生じているということになる。

 

「…………ようこの妖力が高まって、炎の力が制御できなくなった。そういうこと?」

 

「ええ、その通りです。ただこれは病気ではなく、あくまで一過性のものです」

 

「……そう。ならいい」

 

 それまで沈黙を保っていたなでしこが顔を上げた。

 言いたいけど言ってはいけない。そんんな相反する感情に悩まされているような顔。

 

「啓太様……。ようこさんは、その……」

 

「いい。その時が来たら本人に聞く」

 

 なでしこの言葉を遮って小さく首を振った。

 念を押すようにはけが聞いてくる。

 

「……よろしいのですか? 本当はすべての犬神使いが正式な契約を結んだ段階で知らされるのです。彼女と彼の者のことを」

 

 心の底までも見通すような深い目で見つめてくるはけに頷いてみせる。

 

「ようこはまだ話したくないと思ってる。だから話さない。なら話したくなるまで待つ。それまで俺は無知でいい」

 

 それに、本人の知らないところで聞くのはフェアじゃないしな。

 こう見えて、ようこのことはなでしこと同じくらい信頼してるんだぜ?

 

 

 

 3

 

 

 

 翌朝、麗らかな日差しが差し込む早朝。

 窓から入り込む冷たい風に身動ぎしたようこは、ゆっくり目を覚ました。

 

「ん……んん……けいた? なでしこ……?」

 

 いつの間にか白いネグリジェに着替えて布団に横になっている。しかも両隣にはなでしこと啓太が小さな寝息を立てて眠っていた。

 傍には水が入ったコップが置いてあり、一口飲んで喉を潤したようこは昨夜の出来事を思い出した。

 

「あ、そっか……。わたし、熱出して倒れたんだっけ」

 

「ん……ようこさん?」

 

 ようこの声に反応したのか、なでしこが起き出す。

 すっかり体調が良くなったようこの姿にホッと一息ついた。

 

「よかった。すっかり熱が引いたみたいですね」

 

「うん。ありがとね、なでしこ」

 

「んぅ……」

 

 話し声に起こされたのか、のろのろと啓太が起床した。

 ふあ、と小さく欠伸をした啓太は目を覚ましているようこに気がつくと、唐突に彼女の額に手を当てる。

 突然、額に触れられてどぎまぎするようこ。頬が薄っすら赤く色づいていた。

 

「……ん。もう大丈夫そうだな」

 

「う、うん。……ケイタ、そ、その手」

 

 触れていた右手が包帯で巻かれていることに気がついたようこはその手を取り、まじまじと見つめた。

 

「これ、わたしに触ったから、だよね。熱かった? 痛かった? ごめんね。ごめんね」

 

 何度もごめんねを繰り返しながらぽろぽろと涙を零すようこ。鼻水まで出て、とても美少女がする顔には見えない。

 空いた左手でぽりぽりと頬を掻いた啓太は、自分の右手を握って離さないようこを抱き寄せた。

 そして、ぽふっと胸の内に納まったようこの頭を撫でる。

 無言の啓太だが、その思いを直に感じ取ったようこは声を上げて泣き出した。

 どこか困った顔でようこの頭を撫でる啓太。そんな啓太とようこを抱き締めるように、なでしこも身を寄せてきた。

 全員無言でようこの鳴き声だけが聞こえるが、心温まる時間が緩やかに流れる。

 スズメの、チュンチュンと鳴く声が聞こえてきた。

 

 





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第五十四話「一縷の望みに縋る者」

 二話目。
 ようやくここまで来ました……。
 犬神の話を書こうと思った切っ掛けの話になります。


 

 

 闇が覆う地上を、空に浮かぶ三日月がわずかな月明かりを照らしてくれる夜。分厚い雲が風に乗って流れ、光源の月を覆い隠した。

 西地区の丘にそびえる大邸宅。地平線には山脈が見え、大邸宅から少し離れた場所には小さな湖もある。自然に囲まれ空気も美味しいこの地域は【隠居生活はどこがいい?】というアンケートでもっとも回答数が多かった場所でもある。

 世界有数の建築家が建てたその豪邸は数キロに渡る敷地も含めると数十億円はくだらない。

 そんな豪邸の二階にあるバルコニーから美しい音色の旋律が、風に乗って流れている。

 歌を紡いでいるのは、小学生ないしは中学生のような外見の少女。

 くせのあるウェーブの掛かった黄土色の髪を風に靡かせ、古ぼけたクマのぬいぐるみを抱き締めながら歌っている。

 聞くだけで胸を締め付けられるような歌だ。

 どうしようもない死が、避けようのない死の気配が近づく。戦争で、災害で、事故で。

 深い安らぎをもって巨大な死に皆呑まれていく。薄明るい諦念と共に生の執着を断ち切って。すべては無にかえっていく。

 抗うことができないのであれば、すべて受け入れてしまおう。そうすれば傷つくことがないのだから。

 これは、そういう歌だった。

 抗えない死を受け入れる、そういう歌だった――。

 

 一階の大広間に集められた新堂家のメイドたち。集めた本人はこの屋敷を取り仕切る巨漢の執事だ。

 その執事は階段の上で懐中時計に視線を落とし身動き一つとらない。

 バルコニーから聞こえる歌を耳にしたメイドたちが小さく囁きあう。

 

「……お嬢様の歌、今日も一段と暗いわね」

 

「こういう夜に聞くと結構気が滅入るわ。お嬢様の"死にたい歌"……」

 

 隣にいた同僚の女性が鋭い小声で注意した。

 

「しっ!」

 

 注意された二人は、はっ!と口を押さえ、そろ~っと上目遣いで階段の方を見た。

 執事は時計に目を落としたまま動かない。どうやら耳に入らなかったらしい。

 ほっと安堵の息をつく二人。

 幾ばくかの時間が流れた後、ふと二階のバルコニーから流れていた透明感のある美しい歌声が止んだ。

 それと同時に大広間の柱時計がポーン、ポーンと二回鳴る。

 時刻が二十一時を回った。

 その場にいた十人のメイドと執事が一斉に広間の入り口の方へ振り返る。

 この時間に訪れる予定の客人を待って。

 しかしー―。

 

「は……」

 

 ドアが開く気配はなかった。客人は、来ないのだ。

 意気消沈しガクッと肩を落とす執事。メイドたちが執事になんと声を掛ければいいかと顔を見合わせた。その時――。

 

「私にそのような出迎えは一切不要ですよ」

 

 いきなり執事の背後から澄んだ声が聞こえてきた。

 慌て驚いた執事は階段を転がり落ちそうになる。メイドも目を丸くしていた。

 何時からそこにいたのか。いつの間にか階段の踊り場に白装束に身を包んだ偉丈夫が佇んでいた。

 濃紫色の髪で片目を隠し、もう片方の目は優しい光を浮かべている。この世のものとは思えないほど美しく、どこか妖艶な雰囲気を纏っていた。

 誰も彼の存在に気がつかなかった。まるで虚空から現れたようになんの前触れもなくやってきた偉丈夫は涼しげな目元を和らげ、丁寧な物腰で腰を折る。

 

「夜分遅くに失礼します。私は犬神のはけと申します」

 

「あ、あなたは川平の……。その、使者の方でしょうか?」

 

 ようやく正気に戻った執事が掠れた声で尋ねた。

 その壮絶な美貌と、身を凍らすような冷たい気配に圧倒されていた。

 はけは優雅な足取りで階段を下り、頷く。

 

「はい。宗家のお返事をお持ちしました。返答は"受諾"。お嬢様の一件、我ら川平一族が確かにお受けいたします、とのことです」

 

「お、おお……!」

 

 喜び勇む執事を制するようにはけは言葉を続けた。

 

「ですが、一つだけお聞かせください。なぜ、もっと早くに我らの許を訪れなかったのですか?」

 

「む、それは申し訳ない」

 

 執事は複雑そうな表情を浮かべた。

 

「率直に申し上げると存じ上げなかった、というのが本当のところです。元々私どもは一刀流除霊術の幻斎先生を訪れてこの地に参ったわけですから……。ただ、その幻斎先生が持病の椎間板ヘルニアが悪化したというのと、星の回りが悪いとのことで、今になってどうしても支障が出たと仰られて」

 

 はけの顔に明らかな冷笑が浮かんだ。

 

「ああ、あの『言い訳とハッタリの達人』幻斎らしいですね。ですが、結果的にはよかったかもしれません。何しろ相手が相手ですから」

 

「そ、それで、どなたが来て下さるのですか? 名高い宗主直々に来て頂けるのでしょうか?」

 

 一縷の望みを前に咳き込みながら尋ねる執事に、はけは首を振った。

 

「残念ながら、宗主は事情があり今おられる場を離れるわけには参りません。ですが、ご安心ください。川平が出せるおよそ最良の人材を紹介しましょう」

 

「そ、それは?」

 

「名を川平啓太。私が知る限り、宗主に次ぐ最高の犬神使いです」

 

 そう言ってはけは微笑んだ。

 

 

 

 1

 

 

 

 ある休日の昼下がり。玄関で靴を履き終えて準備が整うと振り返った。

 そこには律儀に見送りに来た犬神のなでしこがいつものメイド服姿で佇んでいた。柔和な笑顔を浮かべている彼女の隣では、同じく犬神のようこが立っていた。ラフなTシャツにスカートという出で立ちだ。

 

「……じゃ、行って来る」

 

「はい。お帰りは何時ごろになりますか?」

 

「……二、三時間くらいしたら戻る。遅くなりそうだった連絡する」

 

「わかりました。気をつけて行ってらっしゃい」

 

「行ってらっしゃーい。お土産よろしくね~」

 

「はいはい」

 

 なでしことようこに見送られて自宅を出る。

 八月も終わりに近づき、まだまだ暑い日々が続く。

 ラフなTシャツに半ズボン姿の俺は手提げかばんを片手に軽く周囲を見回して目的地へ向かう。

 電車に揺られ二十分もすると、目当ての場所に到着した。色々な店舗が混在する大規模な商業施設、ショッピングモール。

 駅から徒歩数分にあるこのショッピングモールは近日オープンしたばかり。そのため多くの来客で賑わっている。今日は休日だからかいつもより多い人混みだ。

 ここに来るのは二度目だ。

 店内マップから目当てのものを扱っているだろう店を探し、そちらに向かった。

 

「……あればいいけど。いいの」

 

 エスカレーターに乗りながらそう独り言ちる。

 いつもならなでしこやようこと一緒に外出することが多い俺が、なぜ独りでここにやってきたかというと、その犬神たちへの贈り物を探すためである。

 以前、薫の家に泊まりへ行ったときにせんだんから聞いた話なのだが、薫が休みの日や誕生日になるとよく一緒に遊びに出かけたり、プレゼントをしてくれているらしい。

 それを聞いた時は神妙な顔で頷き、相槌を打っていたが内心大きなショックを受けていた。

 そういえば俺、出かけには行くし遊ぶけど、プレゼントって全然したことねぇ!

 俺がなでしこたちにプレゼントをした日といえば、クリスマスや誕生日くらいだし……。あれ、もう三年も一緒にいるのに、ろくに贈り物を贈ってないとかヤバイんじゃね!?

 なぜか無性に焦りを覚えた俺は、丁度明日がなでしこたちと契約を結んだ日というのもあり、その記念品として形に残るものを贈ろうと決めたのだ。

 俺も今後は薫を見習って、もうちょっと小まめに贈り物をあげよう。うん、流石に甘えすぎた。なでしこたちに愛想つかされたら俺、生きていける気しないし。

 と、いうこと日頃の感謝の気持ちも込めて何か贈ろうとやってきたわけだが、何を贈ればいいのだろうか?

 なでしことようこが喜びそうなもの……。

 

「……なんでも喜びそう」

 

 なでしこはそれこそ、花やぬいぐるみ、洋服、果ては食べ物でも喜びそうだし。ようこも――ようこはおむすびかチョコレートケーキか? まあ、でも出来れば形に残るものにしたいなぁ。

 取り合えず、二回のアクセサリー売り場にやってきました。女の子が身に着けそうな煌びやかなネックレスや指輪、ブレスレットなんかも置いてある。

 ネックレスだと被っちゃうな。二人とも既に身につけてるし。契約証のやつ。

 なら指輪とかどうだろうと、ショーケースを見てみる。けれど、これもこれで何か違う感じがする。

 色々な光物がついていてやたらとゴテゴテしてそうな指輪や大きい宝石がついた高級指輪などがあるが、どれもようこやなでしこに合わない気がした。

 なでしこはあまり派手なヤツとか好きじゃないしな。どちらかといえばシンプルなやつかな。ようこもあれでファッションやお洒落系の雑誌とか読んでるし、あまり好みからかけ離れていても困るし。

 

「……あ、なでしこ、家事してるから指輪外しそう」

 

 盲点だった。じゃあ、指輪はダメだな。ていうか、なでしこの場合、大切そうに仕舞いそう。

 それもいいけど、できれば身につけていてほしいなぁ。

 結局、それからというものアクセサリー店を見て周り、ぬいぐるみ店を見て回り、洋服店を見て回るなどして二時間かけ、ようやく決めることが出来た。

 

「……喜んでくれるかな」

 

 ちょっと不安だ。

 最終的に選んだのは、なでしこには純白のリボン。ようこには真紅の髪飾りに決めた。

 リボンなら家事をしていても邪魔にならないだろうし、日常的に使ってもらえるだろう。ようこも髪が長いし綺麗だから、髪飾りが似合うと思ってのチョイスだ。

 サプライズという形で渡し、なでしこたちの喜ぶ顔が見たい。

 せっかく綺麗にラッピングしてもらったのだから、外装を傷つけないように注意しないと。

 再び電車に揺られ地元に返ってきた。駅ビルの地下にあるスウィート専門店でチョコレートケーキをホールで買い帰路に就く。

 ようこへのお土産というのもあるが、一日早いお祝いという意味合いの方が大きい。

 

「……んん?」

 

 自宅前に着いた俺であるが、アパートの前に止めてある場違いな車に目を丸くした。

 高級車の中でも知名度の高いリムジンが止めてあるのだ。

 黒塗りの高級車に往来を行く人もチラチラと視線を向けている。

 この辺りは普通の住宅だから、こういう高級車を持ってそうな人はいないと思うけど。資産家の生まれである先輩の家はベンツだし。

 訝しげに見ながらも、まあ俺には関係ないかと思い、階段を上った。

 

「……ただいま」

 

 扉を開けて、ん?と眉をひそめる。

 玄関には見慣れない靴が二足並んでいたのだ。大きなサイズの革靴と、可愛らしいブーツだ。

 誰が来たんだ?

 

「あ、啓太様。おかえりなさい。啓太様にお客様ですよ」

 

 リビングからなでしこが出迎えてくれる。

 俺に客?

 なでしこを連れてリビングに向かうと、テーブルについてお茶を啜るようこがいた。

 そして、ようこと向かい合う形でテーブルについているのが俺の客人だろう。タキシードに身を包んだ筋骨隆々の巨漢と、可愛らしい少女の二人組だ。

 とりあえずケーキを冷蔵庫に入れて彼らの元に向かうと、巨漢が鋭い目を向けてきた。

 

「あなたが、川平啓太さんですかな?」

 

 無言で頷くと、巨漢の彼はぬっと立ち上がった。

 一八〇センチ以上あるだろう。まるで巨大な岩のような圧迫感を感じる。

 

「家主が不在の中お邪魔させていただき申し訳なく。また唐突でぶしつけな訪問をご容赦願いたい」

 

 そう言うとスキンヘッドにちょび髭という彼は胸に手を当てて一礼した。

 

「私の名前はセバスチャン・合田剛太郎。新堂家にお仕えする執事をしております」

 

「川平啓太。……セバスチャン?」

 

 えっ、マジでそんな名前なん?

 セバスチャンは苦笑して首を振った。

 

「いえ、これは執事としての職業名です」

 

 あ、そうなんだ。そうだよね、そんなドキュンな名前付ける親とか、いないよね。

 って、ん? 新堂??

 

「……新堂って、あの新堂? 新堂グループの」

 

「左様です」

 

「まあ……」

 

 なでしこも驚いている。新堂グループといえば日本有数の財閥だ。その知名度は海外でも轟いており、とくに日本の家電製品の顔として広く知られている。○菱と同等もしくはそれ以上の組織といえば何となくわかるだろう。

 そんな化け物企業の直系の人がやってきたのだ。なでしこが驚くのも無理はない。

 

「そして、こちらが新堂ケイ様です」

 

「どうも」

 

 そっけなく言うお嬢様。うん、この子ツンデレやな。

 癖のある黄土色の髪はウェーブが掛かり、瑠璃色の目はどこか眠そうだ。

 水色のブラウスを着た少女の胸元には、いかにも高級っぽいブローチがついていて、服装だけ見たら深窓の令嬢と呼んでも差し支えはないだろう。

 美少女と言える容姿のお嬢様だ。ただ、その薄く閉じた眠たげな目と無気力そうな表情が美少女感を台無しにしていた。

 

「どうぞ、粗茶ですが」

 

「これはどうもかたじけなく」

 

「ありがとう」

 

 なでしこが人数分のお茶を持ってきてくれた。やっぱなでしこが淹れる茶はうめぇや。

 ずずっと啜る俺の後ろに座る。その隣にようこも控えた。

 

「……それで、俺に何か?」

 

 俺の元に来たということは十中八九、霊的案件だろうけど。

 こほんと咳払いしたセバスチャンが背筋を伸ばす。隣ではお嬢様がなにやら不満げな顔をしていた。

 

「……無理よこんなの。わたしの問題はこの子じゃ明らかに荷が重すぎると思うわ」

 

「お嬢様。私はお嬢様がなんと言おうと、この犬神使いさんに賭けているのです。あのはけ殿が最良のお方と紹介してくださったのですから」

 

 はけの紹介か。ということは、そこそこ難易度が高い案件だな。

 はけを通じてお婆ちゃんからちょくちょく依頼を紹介されることがある。そのほとんどが無傷で帰るのは難しいような高難易度の依頼だ。

 恐らく今回の依頼も厄介な類のやつなんだろうなぁ、と推測していると、立ち上がったセバスチャンは何故かその場で服を脱ぎ始めた。

 

「さて、説明をさせていただく前に……申し訳ありませんが少し試させていただきます」

 

「……?」

 

 蝶ネクタイを緩め、上着を脱ぐ。ボタンを外し、シャツまで脱いだ。

 なにが始まるのか分からない俺たちは、頭上にハテナマークを浮かべながらその様子を見ている。ただ一人、お嬢様だけがため息をついていた。

 

「川平さん、失礼ながらそう呼ばせていただきますぞ」

 

 こきんこきん、と野太い首を鳴らしながら鷹のように鋭い目を向けてくる。

 

「自分はこれでも新堂家に仕える前まではプロレスラーをしていましてな。執事となった今でも鍛錬は欠かしていませんし、技のキレも衰えていないと自負しております」

 

 ズボンを脱ぎ、黒のビキニパンツだけを履いた姿になったマッチョのセバスチャン。

 鍛え抜かれた赤銅色の体は岩のようにゴツゴツしている。確かにプロレスやってそうな体格してますもんね。

 なにか非常に嫌な予感がしてきましたよ!

 

「……申し訳ないが」

 

 そして。

 

「一切の手加減なしで、いきますぞ!」

 

 マッチョが跳んだ。

 

 




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第五十五話「命を狙う影」

 三話目。


 

 

 突然始まった訳の判らない戦い。意味不明な超展開に置いてきぼりを食らった俺は、まともにセバスチャンのボディプレスを受けてしまった。

 

「うぶっ……!?」

 

 赤銅色をした鋼のような肉体に下敷きになる。跳躍してのボディプレスだから、かなりの衝撃だ。

 家全体が大きく揺れる。ようこたちの悲鳴が聞こえた。

 

「啓太様!?」

 

「ケイタっ!」

 

 立ち上がったセバスチャンはうつ伏せのままでいる俺の襟を掴み持ち上げると、へその辺りでガッチリと腕を組む。

 そして、とてつもない重力が一気に頭部に加わり。

 

「そいやっ!」

 

 ジャーマンスープレックスを叩き込まれた。

 あまりの威力に畳がくの字に折れる。

 咄嗟に両手で頭部を守ったが、衝撃までは逃しきれなかった。

 

「この……! ケイタになにするのよっ!」

 

「待って」

 

 前に出ようとしたようこを新堂ケイが制する。

 その目は真剣でジッと俺たちの一方的な戦いを見据えていた。

 

「これはテストなの」

 

「テスト、ですか?」

 

 訝しげな顔で問うなでしこ。

 そう、と頷き新堂ケイは言葉を続けた。

 

「最低限の実力があるのか見定める、テストなのよ」

 

 ふーん、へー、ほー。

 テストねぇ。まあ依頼をする側にしたらちゃんと実力を備えているのか不安になるのはわかるし、テスト自体は問題はない。

 問題なのは――。

 

「……唐突すぎるッ!」

 

 セバスチャンが俺の頭を掴み持ち上げようとする。その隙をついて足で手を払うと、全身をバネのように使い一気に跳躍した。

 空中で体を捻りながら体勢を整え、セバスチャンの首の上に着地する。丁度、肩車の前後逆バージョンだ。

 

「むっ!」

 

「うそ、跳んだ!?」

 

 セバスチャンと新堂ケイの驚いた声。

 身体強化をしてるからこのくらいの跳躍は余裕余裕。

 両肩の上に正面から座った俺は太ももでセバスチャンの顔を固定。そのまま思いっきり後方へ体を倒し、セバスチャンを投げた。

 メキシカンプロレスの技の一つで、ウルカン・ラナ・インベルティダという。本来なら相手を投げることで姿勢を入れ替え、マウントポジションを取るのだが、俺のは特別性だ。

 強化した脚力を遺憾なく発揮し、畳に思いっきり叩きつけた。あまりの衝撃に先ほどの俺のように畳を折って顔を埋没させた。

 

「ああ……! 折角綺麗にしたのに~!」

 

「……」

 

 ようこの悲鳴が聞こえる。安心しろ、すぐ終わらせるから。

 しかし、プロレス技は始めて使ったけど爽快だな! いきなりプロレス技で来たから俺もつい応戦しちゃったぜ。

 ダメージはそんなにないのだろう。

 すぐに起き上がったセバスチャンは好戦的な笑みを浮かべていた。

 

「驚きましたな。まさかインベルティダを使ってくるとは。川平さんもプロレスを齧っていたので?」

 

「まさか。ちょっとした真似事」

 

「それは末恐ろしいですな。川平さんでしたらこの業界でもやっていけるでしょうに」

 

「その予定はない」

 

 お互いに構えを取りながらじりじり間合いを詰めていく。

 そして――。

 

「んぶっ!?」

 

「ぶぺっ!」

 

 無言で立ち上がったなでしこが木製の椅子を片手で持ち上げると、ニコニコと笑顔のままで振り下ろしてきた。

 場外乱闘の際にパイプ椅子で攻撃するプロレスラーのように、俺とセバスチャンを交互に、そして無言の笑顔で椅子を叩きつけてくる。

 

「な、なでしこ……! ごめん、ごめんなさい! 謝るから、許して……!」

 

「すみませぬ、少々調子に乗りすぎました! 怒りをお収めくだされ!」

 

 なでしこが手を上げてくるなんて相当お怒りの証拠だ。

 俺たちは先ほどの戦いなんてなかったかのように一緒になって一心で謝罪を続けた。

 

 

 

 1

 

 

 

 なでしこがここまで怒りを覚えるのにはもちろん訳がある。

 それは新堂ケイとセバスチャンが自分の主、川平啓太の許を訪れに来る二時間近く前のこと。

 啓太が出かけてくると言って家を後にした時にまで遡る。

 

「よーし! お掃除タイムね!」

 

 主を見送ったようこは袖を捲くりながら、ふんすと気合を入れた。

 

「なでしこは見ててね」

 

「はい。厳しくチェックしていきますからね」

 

「上等よ!」

 

 啓太の犬神として日々、なでしこから料理や洗濯、掃除など家事を教わっていた。

 まだまだ拙く、料理などは食卓に並べられるほどの出来ではないが、なでしこの的確なアドバイスもあり、確かに腕を上達させている。

 最近ではなでしこと一緒に家事を分担して任されるほどにまで成長した。

 今日は掃除のテスト。ようこ一人で全室の掃除を行い、なでしこに採点してもらう実力テストだ。

 

「くふふふ、それじゃ~」

 

 クルッと回ったようこが腰に差したハタキを刀のように抜き、天に掲げた。

 にっと微笑む。

 

「お掃除かいし♪」

 

 ふんふ~ん♪ と大河ドラマのオープニング曲を鼻歌で歌いながら、ハタキをタクトのように振るい埃を落としていく。

 クルッとダンサーのように華麗なターン。スカートがふわっと広がった。

 ぱっぱっと見る間に辺りのゴミや埃、チリなどが掻き消え、音を立てて隅のほうに置かれたゴミ箱の中へ落ちていく。

 

「ふんふんふん~♪」

 

 しゅくちを扱える彼女ならではの掃除方法。

 ようこは実に楽しそうに掃除をしていき、見る間に部屋の中を綺麗にしていく。

 ゴミ袋を縛り、魔法を掛ける魔法使いのように指を一振り。

 

「しゅくち♪」

 

 アパートの近くにあるゴミ置き場へ直接転移。

 続いて新体操選手のようにホップ・ステップ・ジャンプで移動しながら落ちていたタオルを拾い上げ、前転。てきぱきと綺麗にタオルを折りたたみ収納場所へしゅくち。

 布団のシーツを転がり自身の体に巻きつけていく。そして、そのシーツを洗濯機の中へ投げ捨て、代えのシーツを張り替える。四つん這いになりながら妙に官能的な手つきでシーツを伸ばし、唐突に猫のポーズ。

 

「にゃーん♪」

 

 うきうきと踊るような足取りで本棚に移動すると、本をきっちりサイズ別に並べた。

 そして、花瓶に一輪の向日葵を刺し、ぱちんっと指を鳴らした。

 

「お掃除終了♪」

 

 なでしこの行き届いた管理のおかげでそこまで散らかっていたわけではないが、電球の裏やエアコンの上など、埃が溜まりやすい場所が綺麗に掃除されている。

 啓太の犬神になった当初は家事はなでしこの仕事と言わんばかりに散らかしていた張本人とは思えない仕事ぶりだ。

 しかし、家事のスペシャリストなでしこの目つきは厳しい。

 事件現場に残された証拠を探す鑑識官のように鋭い視線で部屋中の隅々まで調べていく。

 そして、一通り見終わると、優しい声で七十点と伝えた。

 

「七十点かぁー」

 

「掃除も上手になってきましたね。でも、細かなところの埃や塵まで取りきれていませよ。こういうところまで出来れば百点ですね」

 

 なでしこが指摘した通り、ようこの掃除は目に見える範囲の埃や塵だけ取り、窓枠やふすまの僅かな溝など細かなところが疎かになっていた。

 見逃しやすいところを一つ一つ指摘しながら手にした雑巾で綺麗にふき取っていく。

 

「まだまだ教えることが一杯ありますからね。これからも一緒に頑張りましょう」

 

「もちろん。早く一人前になってやるんだから!」

 

「その意気ですよ、ようこさん」

 

 啓太が返ってくるまでまだ一時間半以上ある。洗濯物はすでに済ませてあり、夕飯の支度にはまだ早い。

 ようこが戸棚からお茶菓子の煎餅を持ってくると丸テーブルの上に置き、なでしこが二人分のお茶をこぽこぽ淹れた。

 はむっ、としょうゆ味の煎餅を幸せそうに口に咥え、どろんと尻尾を出すようこ。なでしこもリラックスした様子で尻尾を出し、お茶を飲む。

 ポチッとリモコンの電源を押すと、丁度ニュース番組がやっていた。二人はまるで一仕事を終えた主婦のようにテレビを見る。

 ニュースでは最近になって不倫が発覚した国会議員が国会の場で追及されている映像が流れていた。

 デブと言っても差し支えのない太った議員が執拗に追及され、脂汗を垂らしている。しきりにハンカチで額の汗を拭いているのが印象的だ。

 

『それでは、大住議員はあくまでも不倫ではないと仰るのですね?』

 

『そうです。何度も申しましている通り、これはくだらない三流マスコミの不当な憶測に基づく噂に過ぎず、私は潔白です』

 

 あくまでも白を切る議員にようこは眉を顰めた。

 ぱりっと煎餅を噛み砕く小気味良い音が鳴る。

 

「まあ、悪い男ね!」

 

 隣のなでしこも小さく憤慨する。

 

「ですね。隣に寄り添うお方がいらっしゃるのに不貞を働くなんて不誠実です」

 

「だよねー。男の人ってみーんな浮気よくするって聞くけど、女からしてみればたまったものじゃないわよねぇ」

 

 胡乱な眼差しで弁明を続ける議員を見ながら、不意にようこがこんなことを聞いてきた。

 

「ねえねえ、もしもの話だけど。もし、ケイタが浮気したら……アンタどうする?」

 

「啓太様が浮気、ですか?」

 

 きょとんとした顔のなでしこ。普段の啓太を知るなでしこは彼が浮気をしているところを想像できないでいた。

 そもそも浮気というからには、本命の相手がちゃんといるわけで。こんなことを聞いてくるということは、その相手が自分というわけで。

 啓太の後ろを楚々と歩く自分を想像しまい思わず顔を赤くする。敏感になでしこの変化を感じ取ったようこがジト目を送った。

 

「ちょっとなに考えてんのよスケベ」

 

「す、スケ……っ! そんなんじゃありませんっ」

 

「ふーん? まあいいけど。で、どうなの? やっぱりなでしこでも許せない?」

 

「そうですねー……。もちろん怒ると思いますし悲しいですけど、やっぱりなんだかんだ最後は許しちゃうと思います」

 

 困った顔でそう言うなでしこ。

 へー、感心した顔のようこが続けて質問する。

 

「じゃあ、それでも浮気されたら? 一度や二度じゃなくて何度も何回も」

 

「そんな事態はあまり考えたくはないですけど……。それでもその人のことを本当に愛しているなら、やっぱり許しちゃうと思います。何度も不貞を働くということは私自身に何か問題があるのかもしれませんし。なので、自分を磨いて実力で奪い返しますね」

 

 そう困ったような顔で微笑む。同僚の意外な言葉にようこは目を丸くした。

 淑やかで、大和撫子を地でいく彼女から「実力で奪い返す」なんて発言を聞くとは思ってもみなかったからだ。

 それを聞いたようこは、にっと笑った。

 

「わたしもだよ。自分の男を取られて大人しく引き下がれないもん」

 

 テレビでは不倫を働いた議員が動かぬ証拠を突きつけられ、窮地に追いやられていた。

 ほんわかした空気が流れる中、チャイムが鳴る。

 

「あら? 誰かしら?」

 

 なでしこが玄関に向かった。

 扉を開いた先にいたのは、タキシードを着込んだ巨漢の執事と可愛らしい少女の二人組。

 男性が厳つい顔を和らげながら丁寧に尋ねてきた。

 

「失礼、こちらは川平啓太さんのご自宅でよろしいですかな?」

 

 

 

 2

 

 

 

「わかりましたか? ようこさんが頑張ってお掃除をしたのに、それをお二人は滅茶苦茶にしたんです。ちゃんと反省してください」

 

「……はい」

 

「重ねてお詫び申し上げる。まことに申し訳なく」

 

 静かに走る黒塗りのリムジンの中で、俺とセバスチャンはなでしこに叱られていた。

 折角ようこが掃除してくれたのに俺たちが暴れ回ってしまったせいで、酷い有様になってしまったからだ。

 広々としたリムジンには俺とセバスチャン、お嬢様の順で座り、向かいになでしことようこが座っている。運転席にはメイドさんが座っている。

 

「ひっく、くすん」

 

 なでしこの隣ではようこが悲しそうに鼻を啜っていて、そんな彼女をなでしこが慰めていた。

 さすがにばつが悪いな……。

 ようこの隣に移動した俺は彼女の頭を優しく撫でた。申し訳ない気持ちを込めて。

 

「……ようこ、ごめんね?」

 

「……おむすびとチョコレートケーキ」

 

「……ん、わかった」

 

 それで許してくれるなら安いものだ。

 

「いや、本当に申し訳ない。家主や行政には新堂家が対応致しますし、家財道具の費用はすべてこちらで弁償させていただきます」

 

 当然だ! そもそもあんたが仕掛けてきたんだからな!

 

「……それで、試すって言ってたけど」

 

「その前に一つ。川平さんは本当にプロレスを習っていないのですか?」

 

 ようことなでしこ、お嬢様の視線が向けられる。

 

「……あれは前にテレビで見た技。それを真似ただけ。川平の犬神使い、犬神と契約できるようになるまで、特定の人に師事。そこで体術や法術を習う。俺も師事した」

 

 仙界のことだ。

 川平の犬神使いは八歳になると仙界と呼ばれる場所に出向き、そこで一年間過ごして犬神使いとして必要な心技体を学ぶのだ。

 俺が師事したヒトは東方神鬼というお爺さん。武の仙人で身体操法という技術を教わり、徹底的に叩き込まれた。

 そのため、俺が扱う体術は完全我流だ。

 

「なるほど。それで犬神というのが」

 

 はい、この美少女のお二人です。

 にっと笑ったようこはこれ見よがしに尻尾を出し、セバスチャンの肩にこすり付けた。

 

「わぁ、本当に犬なのね」

 

 セバスチャンの額に汗が浮かび、お嬢様は純粋に驚いている。まあ一般の人が化生と触れ合う機会なんてそうそうないもんな。

 

「もしや、そちらの方も?」

 

「はい。啓太様にお仕えしている犬神のなでしこです」

 

 なでしこが微笑む。

 

「むぅ……。実は私、妖というのを初めて目にしまして。てっきり普通のお嬢さんだとばかり……いや、失礼」

 

「いえ、皆さん最初は驚かれますから」

 

 まあ、セバスチャンのこの反応も無理はない。犬神と聞いて、それが少女の姿をしているなんて普通は想像つかないだろう。まあ、人化しているだけで本性は犬の化生だけど。

 でも一部、人化しきれていないのもいるよな。ともはねとかいつも尻尾出しているし。薫から聞いた話だと仕舞えるには仕舞えるらしいが、かなりギリギリらしい。

 

「わたしも。一般の人の暮らしはそこそこ理解しているつもりだったから、川平君に使用人がいて驚いたけど。そういうことだったのね」

 

「はい。好きで啓太様のお世話をしていますので」

 

 そう言って俺の方を向き、ニコッと笑顔を見せてくれる。

 やめてくれ、顔が熱くなるじゃねぇか!

 熱を帯び始めた顔を逸らし、強引に話を戻した。

 

「……それで? そろそろ話を聞きたい」

 

「そうですな。私たちは長年、強い霊能者や格闘家を探しておりました」

 

 神妙な顔でセバスチャンが話し始めると、お嬢様はきゅっと唇を噛み、暗い顔で俯いた。

 

「それも、最凶最悪の存在と渡り合える猛者を長年捜し求めてきました。今まで幾人もの格闘家や著名な霊能者にお頼みしたが、全員返り討ちにされてしまい、中には今でも病院から出られない方もいる始末です」

 

「……」

 

「その最凶最悪の存在って?」

 

 真剣な表情で話を聞くなでしこの隣でようこが尋ねる。

 セバスチャンはどこかその名を口にするのを躊躇うように、しばし無言を貫いていたが。

 隣のお嬢様がどこか他人事のように呟いた。

 

「死神よ……。それがわたしの命を狙っているやつの正体」

 

 川平啓太、生まれて初めて神と戦うようです。

 

 




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第五十六話「大仕事」

 四話目。
 11/24 死神の台詞を修正しました。


 

 

 メイドさんの運転するリムジンに乗ること一時間。

 目的地に到着した俺たちは目の前の豪邸を呆然と見上げていた。

 お嬢様のご自宅は丘の上にそびえる大邸宅だった。玄関は開放感溢れる吹き抜け式で、両サイドにはずらっとメイドさんが並び低頭している。

 なにこの絵に書いたようなお出迎え。薫の家も大分豪邸してたけど、ここはその比じゃねぇし。

 もはや日本語も怪しくなってしまうほどのチッリ感、いやリッチ感。数億すると言っても納得しそうな洒落たシャンデリアが眩しいです。

 

「それでは、私どもも少々着替えて参りますので。後ほど食事の席でお会いしましょう」

 

 そう言って一礼したセバスチャンはお嬢様と共にどこかへ去っていってしまった。

 メイドさんの一人が進み出て客室へ案内してくれる。

 本職のメイドってメイド喫茶にいるような人と違っておばちゃんが多いって謎知識にあるけど、そんなことないんやね。案内してくれる人も含めてここのメイドさんメッチャ美人じゃん。謎知識も当てにならないことがあるんやね。

 

「どうぞごゆるりとおくつろぎ下さいませ」

 

「うわぁ、すごぉい!」

 

 案内された客室の中を見て回り、目を輝かせるようこ。

 予想通り客室も豪華な作りになっていて、ここに篭っても生活が成り立つように必需品が一式揃っている。

 リビング、キッチン、トイレ、風呂、冷蔵庫、電子レンジ、寝室。他にも遊具室やパソコンルームなどもあり、本当に客室なのかと突っ込みたくなるような部屋だ。

 一泊数十万と言われても安く感じるような部屋を自由に使っていいと言われても、気後れしちゃうよこれ。ようことなでしこは気に入っているようだけど。

 

「お客様のご要望にはすべてお応えするように申し付かっております。なんなりと遠慮なく」

 

 あ、ハイ。

 

 

 

 1

 

 

 

 その頃、お嬢様である新堂ケイは彼女専用の浴室でバスタブに身を沈めていた。

 お湯を掬って顔に水をかける。次にシトラスの芳香剤を入れて泡立ててから、丁寧に体を洗い始めた。

 

「ふぅ……」

 

 顎先まで湯船に浸かりながら、セバスチャンと戦った啓太の姿を思い浮かべる。

 

「強いね彼」

 

 子供と大人といったら大げさだが、明らかに身長差と体格差があるのに、あのセバスチャンと正面から渡り合ったのだ。物心ついた頃から強い人間を見てきたケイには判る。

 けれど――。

 

「アイツほどじゃない」

 

 新たな希望を嘲笑するように力なく首を振る。希望を持ったところで無駄に終わるのは経験上、目に見えていた。

 もはや慣れ親しんだ虚無感が胸の内を満たしていく。どうせ明日になったらすべてが終わるのだから。

 ケイはいつもの歌を歌いだした。

 いつしか自然と思いつき、歌い始めたあの歌。

 死を誘う歌、死と戯れる歌を――。

 

 

【時を運ぶ縦糸、命を運ぶ横糸。その糸を紡ぐ手は死の運び手。

 

 彼は冥府の支配者、うたかたのごとく消える命を輪廻の輪に乗せて。

 

 潤い消えた乾いた心は砂のようにサラサラと、形崩し無に還る。

 

 ただただ、泡沫(ほうまつ)がごとく。すべては泡沫(うたかた)の夢だから。

 

 ただただ、泡沫(ほうまつ)がごとく。すべては泡沫(うたかた)の夢だから。

 

 いつしか醒める夢がやってきた。ただただ、それだけのことだから】

 

 

 さざ波を立てていた心が落ち着いてきた。

 

「ふぅ」

 

 湯船から立ち上がる。啓太を自分の都合に巻き込んではいけない。あの少年と少女たちには今日だけここに泊まってもらって明日御礼をしよう。

 たとえセバスチャンがなんと言おうと、明日の朝には送り返す。そう決めた。

 ケイは風呂から上がると濡れた体を拭きもせずに浴室の外へ出た。風邪などの心配は十年も前にとっくに止めていた。

 浴室の隣はケイの私室となっている。高い天井に広い部屋。大きいベッドが壁際に置かれていて、大きなプラズマテレビがあるだけで、お嬢様の部屋にしては酷く殺風景だった。

 数年前にこの屋敷に越してきてからというもの、ケイは私物を増やそうとしなかった。セバスチャンが花瓶や家具などを置こうとしてもすぐに拒絶した。

 一日中点けっぱなしにしているテレビにはケイの好きな動物番組がやっていた。電源は切っているためシャンデリアが灯ることはない。テレビが唯一の光源だった。

 ベッドに腰掛ける。ベッドにはケイが唯一持っている玩具、クマのぬいぐるみが座っていた。

 少女と何年も共にしてきたため古ぼけている。

 ケイはたった一人のお友達であるクマのぬいぐるみを抱き上げ、優しく頭を撫でた。

 

「お前ともお別れだね。いままでありがとう。明日からはあの子の元に行きなさい」

 

 キュッと抱き締める。

 涙は出なかった。

 

 

 

 2

 

 

 

 時間は流れ夕方。メイドさんの手により高級スーツに身を包んだ俺。なでしこたちもメイドさんたちがチョイスしたドレスを着込み、いつもより色っぽさを醸し出していた。

 晩餐に呼ばれ二階の食堂に連れてこられた俺たち。広々とした食堂の壁際にはメイドさんとシェフたちがずらりと並んでいた。

 長テーブルの上には豪華な食事の数々が並べられていた。

 極薄皮の小籠包、蟹肉入りフカヒレスープ、広東風海鮮チャーハン、アワビの干し物のステーキ、北京ダックなどなど。

 食欲を誘う絶品料理が次から次へと、追加されていく。

 始めて目にする高級料理の数々に目を奪われる庶民派の俺。ようこも涎を流さんばかりの顔で料理を凝視している。あのなでしこですら少し落ち着きがない顔をしていた。

 

「さあどうぞ。遠慮せずお召し上がりくだされ」

 

 再び執事服に着替え直したセバスチャンに促され、高級料理の数々に手を伸ばす。

 俺とようこは会話も忘れて料理に夢中となり、ただただ食事に専念した。なでしこは一つ一つ味わうように食べ、その都度コック帽を被ったシェフに尋ねている。まさかこの料理の数々を覚えるつもりですかなでしこさん!? 出来るのならよろしくお願いします!

 

「はぁ~、美味しかったぁ。お腹いっぱ~い」

 

「……なるほど、そのタイミングで隠し味にイチゴジャムを。大変勉強になります」

 

 デザートのゆずシャーペットまでぺろっと平らげたようこは満足そうにお腹を擦っていた。その隣ではなでしこがメモ帳に料理の手順やコツを書き留めている。

 俺も大変満足だ。いやぁ、美味しかった。

 

「……美味しかった。大変美味」

 

「お気に召していただけたようでなによりです」

 

 にこっと微笑むセバスチャン。そして、手をぱんぱんと叩くと、壁際に並んでいたメイドさんやシェフたちが次々と退出していった。

 どうやら、いよいよ本題に入るらしい。

 空気が変わるのを敏感に感じ取ったなでしこたちも背筋を伸ばす。

 

「察しがいいですな」

 

 真顔で話を聞く姿勢を取る俺たちを見てセバスチャンが不敵の笑みを浮かべた。

 

「……そりゃね。普通、こんなもてなしされたら、はいさよならって帰れない」

 

 それが心理操作というやつだ。

 にこっと微笑んだセバスチャンは手元のブリーフケースから紙切れを取り出すと、万年筆でサラサラと何かを書き出した。

 

「こちらは新堂家の資産を管理している顧問弁護士ともきちんと相談しております。私の一存ではないのでご安心ください」

 

 そう言って紙切れを手渡してくる。

 なんじゃらほいと受け取ってみると、そこには――。

 

「今回依頼を受けて下さるにあたり、手付金として川平さんに五千万をお渡ししましょう。私がこれからお願いする依頼を受けてくださるのなら無条件でお渡しします」

 

「……五千万?」

 

「ごせん、まん……っ」

 

 あまりの額にオウム返しで聞いてしまった。金銭管理を任せているなでしこが目を見開いて絶句している。

 ようこは今一つピンとこないのか首を傾げていた。

 

「ごせんまんえんって、どのくらい? おむすび千個くらい食べられるの?」

 

「おむすびでしたら大体五十万個、チョコレートケーキはホールで二万五千個くらいですよ、ようこさん! まさかこんな大きいお仕事が来るなんて!」

 

「ご、ごご、ごじゅうまんっ!? チョコレートケーキが、にまんって……ええぇぇぇぇぇ!?」

 

 酷く庶民的な例えで驚くようこ。こんな大仕事が舞い込んできて、なでしこも我が事のように喜んでくれた。

 ていうか、計算速いななでしこさん! さすがです。

 

「さらに、これが成功報酬です」

 

 そう言ってセバスチャンは同じ紙切れ――小切手に五千万の文字を書き、渡してきた!

 合わせて一億っすか! 小切手を見たなでしこさんがショックのあまり固まっちゃいましたよ!

 

「それだけではありませんよ川平さん。これは副賞ですが、見事依頼を成功してくだされば、もれなくこの邸宅を丸々、土地付きでお渡ししましょう!」

 

 バナナを叩き売る店主のようにブリーフケースから土地の権利書、契約書、その他もろもろの書類をテーブルの上に載せた。

 もう止めて! なでしこのライフはもうゼロよっ!

 達成報酬の豪華さになでしこが気絶しそうだよ!

 

「――ですが、これからお話しする依頼はそう簡単なものではありません。場合によっては死を覚悟していただく可能性もあります」

 

 それまでと一転して、重々しい口調で言うセバスチャン。

 浮かれていた気持ちが一瞬で引き締まった。気絶しかかっていたなでしこも、ハッと正気を取り戻す。

 そうだよな。こんな美味しい話なんだから相応のリスクがあって然るべきだ。

 

「絶対死んじゃうと思うけどね、わたしは。この依頼を受けたら明日があなたの命日よ。彼、あなたたちのご主人様なんでしょ? 悪いこと言わないわ、止めておきなさい」

 

 かなり真剣な表情でそう忠告してくる。どうやらお嬢様は良心からそう言ってくれているようだ。

 こりゃ、かなりヤバイ依頼っぽいなぁ。軽く聞いた話だと死神が絡んでるっぽいし。

 

「……詳しく聞く」

 

「そうですね、まずは新堂家の成り立ちを話しましょうか」

 

 重々しい口調でセバスチャンは大企業、新堂グループを率いる新堂家の成り立ちを語り始めた。

 新堂家は元々武家の家柄で、不況に次ぐ大不況や信頼していた者の裏切りなど不幸が続き、お嬢様の祖父は貧窮を極めるほどにまで追いつめられたらしい。

 なんとか家を再興したい、そう考えた祖父は手を出してはならない領域、踏み越えてはいけない一線を越えてしまった。

 

「……それが死神?」

 

「はい。お譲様のお祖父様はこの世ならざるモノと契約を結ぶことで、家名を盛り返すことにしたのです。その結果、新堂家は巨額の富を得ることができました。しかし、その代償があまりも大きかった……それが――」

 

「契約その一『毎年、新堂家の人間に恐怖を与える』。契約その二『二十歳になると新堂家の者は必ず命を奪われる』。契約その三『二十歳になると新堂家の者に関わるすべての者の命を奪うことが出来る』。契約その四『二十歳になるまでは新堂家の者に関わるすべての者の命を奪うことはできない』。誕生日になるとね、アイツがやってくるのよ」

 

 セバスチャンの言葉を遮るようにお嬢様が喋りだす。自分の頭に手を置いた。

 

「こう頭に手を置くと、そこから恐怖が流れてくるの。その後、実験動物を見るように私の顔をジッと見るのよ。まるで観察するように」

 

 その恐怖を思い出したのか、かすかに体を震わせるお嬢様。

 

「そして、アイツは毎回こう言うわ。『もっともっと恐怖を覚え、絶望せよ』って」

 

「酷い……」

 

 なでしこが呟く。

 セバスチャンの話だと、その死神は絶望と恐怖を司る存在のようで、自分の力に絶対の自信があるらしい。そのため、毎年新堂家の人間に恐怖を与えては心が絶望に染まり、それがすくすく育つのを待っているのだと。

 そして新堂家にやって来る傍ら、自分を倒そうとする格闘家や霊媒師の存在を許し、返り討ちにしてさらなる絶望を促す。

 お嬢様のお母さんの代から名のある強者を何人も集めて迎え撃とうとしたが。

 

「結局、誰一人としてあいつに敵わなかった。ただのかすり傷さえ負わすことも出来なかったのよ」

 

「……」

 

 セバスチャンが俯く。恐らく、彼はその頃から仕えていたのだろう。

 

「だから、あなたもきっと同じよ」

 

 そう言い残して席を立つ。

 小さなその肩にとてつもなく重いものが乗っかっているんだな……。

 

「それと一応言っておくけど、手付金欲しさに挑むならやめておいたほうがいいわよ。明日がわたしの二十回目の誕生日。すなわち、依頼を受けるということは契約であなたも死ぬということだから」

 

 薄く笑うお嬢様の言葉を聞き、愕然とした。

 ショックのあまり開いた口が塞がらない。ようこも驚いた顔でお嬢様を見ていた。なでしこだけは表情を変えず、俺の顔を見ている。

 

「……なん、だと」

 

「うそ……」

 

「明日はわたしに関わる者すべての命日。残念だったわね」

 

 俺たちの反応に諦念の笑顔を浮かべて頷くお嬢様。

 

「これで分かったでしょ? 川平くんは確かにその歳の割りに強いかもしれない。でも今回ばかりは相手が悪いわ。こんなことで命を無駄にしないで。あなたを必要としてくれている女の子が二人もいるんでしょ?」

 

 その言葉に、俺は力なく俯いた。

 まさか、まさか――。

 

「……中学生、ないしは小学生だとばかり」

 

「は?」

 

 訝しげの視線を向けてくるお嬢様。

 

「……その容姿で、二十歳……。俺とあまり身長、変わらないのに……」

 

「わたし、てっきりともはねに毛が生えた程度だと思った」

 

「……それは言い過ぎ」

 

 精々中学生だろ。それがまさか俺より年上で、しかも成人直前だなんて!

 くそっ! 発育不足はまだ目を瞑るとしても童顔にもほどがあるだろ! 俺と同じ身長なのに向こうは成人するとか、余計俺のちっこさが目立つじゃねぇか!

 相変わらず俺の背は伸びないってのに! まさか、もう成長期終わったの俺の体!?

 はっ! 閃いた! 身体操法で成長ホルモンとか体の発達を促すホルモンを過剰分泌させればいいんじゃね!?

 

「って、そうじゃないでしょ! なんでわたしが成人することに驚くのよ! この依頼を受けたらあなた死んじゃうのよ!?」

 

「くっくっく……」

 

「セバスチャン! なにあなたも笑ってんのよ!?」

 

「いや、くっ、もうしわけない」

 

 口元を押さえなんとか笑いを堪えるセバスチャン。

 お嬢様はそんなセバスチャンの襟を掴み、涙目になりながら強く揺すぶった。

 おお、そんな顔もできるのか。

 

「――まあ、こんな豪勢な料理、ご馳走してもらった。その分の働きはする」

 

「お、おぉ……、で、では……!」

 

 期待に震えるセバスチャンに頷き返す。

 

「……その依頼、正式に受ける。死神上等」

 

 もちろん死ぬつもりなんてない。これでも場数を踏んでるし、こっちにはようこもいる。俺だって強くなった。

 それに美少女が困ってるんだ、ここで立ち上がらなくてなにが男か。

 死神がなんぼのもんじゃい! 死神上等! 神殺しじゃあー!

 

「あ、あなたなに考えてるの!? 死んじゃうのよ!?」

 

 慌てた様子でそういうお嬢様。そんな彼女の心配を笑い飛ばすように、トンと軽やかな動きで床を蹴ったようこが俺の頭に飛び乗るようにして抱きついてきた。

 

「だいじょ~ぶ! なんていったってケイタにはわたしが憑いてんだから。だから、おーふなに乗ったつもりでいなさい、シンドウケイ♪」

 

「……」

 

 自身満々でそういうようこにお嬢様が言葉をなくす。

 ふとなでしこの様子が少しおかしいことに気がついた。

 先ほどから一言も喋らず、ただ不安げな顔で俺をずっと見つめていた。

 死神と戦うことに危惧しているのだろうか?

 なでしこに話しかけようと口を開いた、その時だった――。

 

「ん?」

 

「えっ? なに、なに?」

 

 突如、天井に吊るされていたシャンデリアの灯りが消え、テーブルの上に置かれていた燭台の火も一斉に掻き消えた。

 停電だと燭台の火まで消えるわけがないし、なんだ?

 

「そんな、なんで……!」

 

 顔面を蒼白にしたお嬢様が恐怖で震えていた。

 セバスチャンも「馬鹿な、まだ一日早いはずなのに……ッ!」と青白い顔で動揺していた。

 そして、頭を掻き毟り半狂乱になって叫ぶ。

 

「いや……いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

「啓太様! 何か来ますっ、気をつけてください!」

 

 食堂の入り口付近の空間が歪むと、まるで闇を具現化したような漆黒の渦が出現した。

 次第にその渦は黒い稲妻を放ちながら徐々に拡大していき、やがて渦巻きの中から人影が現れる。

 すらりと背の高い男だ。

 黒いローブのようなものを纏ったそいつは閉じていた目を開ける。銀色の輝きを放つ凍るように美しい目だ。

 背中まで伸びた黒髪をうなじ辺りで縛りっており、全体的に線の細い印象を受ける。

 突如、現れた男は自分の体を抱き締めて恐怖で歯の根が合わなくなってしまっているお嬢様の元まで歩み寄った。

 

「一年ぶりだな新堂ケイ」

 

 そう言って、男は冷笑を浮かべた。

 

 




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第五十七話「絶望と恐怖を司る者」

 ラスト。
 11/24 死神の性格に思うところがあったので、台詞を大幅修正しました。


 

 

「契約履行の時間だ。キミの魂をもらっていくぞ」

 

 ローブを着た男は美しい声でそう言い、お嬢様に近づいていく。

 ひょろひょろとした線の細い男だが、その体から禍々しい力を感じる。悪意や憎悪などこの世の負のエネルギーを凝縮したようなおぞましい気配。

 只者じゃないのは一目瞭然だった。

 コツコツと足音を鳴らしながら近づいてきた男は俺たちの存在に気が付くと、眉を顰めた。

 

「ん? なんだキミたちは。……ああ、わかったぞ。新堂ケイを守護する者だな。やれやれ、私も暇ではないのだがな」

 

 溜息をついた男は面倒くさそうに振り向く。

 

「致し方ない。さっさと用事を済ませてしまおう。煩わしいのは嫌いだからな」

 

「……」

 

 なんか独り言が多いなこの男。

 俺たちはそいつに警戒しながら訪ねた。

 

「……二つ聞く」

 

「なんだね?」

 

「……あなたが、死神? 新堂ケイを狙っている」

 

「その通りだ。私は絶望の君、恐怖を愛し絶望を食らう者だ。これから死に逝く者に無駄なやり取りは不要だろう。さっさと殺されたまえ」

 

 口の悪さは一旦、目を瞑るとして、予想通りこの男が死神のようだ。しかし人ならざるモノとの契約は絶対順守されるはずなのに、なぜ誕生日前日にやって来たんだ?

 それが腑に落ちなかった俺は直接聞いてみることにした。

 

「……なんで来た?」

 

「うん? おかしなことを聞くなキミは。二十歳になったその時、新堂家の人間の命を奪いにいく、そういう契約だ。故にただ一人の血族である新堂ケイの命を奪いに来たのだが」

 

「……誕生日、明日なのに?」

 

「なに?」

 

「……新堂ケイの誕生日、明日。二十歳になるの、明日」

 

「……」

 

 固まる死神。シンと静まり返る食堂。

 恐怖に震えるお嬢様、顔を引きつらせながら主を背にするセバスチャン。

 ようこは警戒した様子で身構え、なでしこはお嬢様たちの元に避難してもらっていた。

 

「……ふむ。今日は八月二十日ではなかったかね?」

 

「今日は十九日ですが……」

 

「……」

 

「……」

 

 セバスチャンの指摘に黙り込む死神。しばらく目を瞑って黙考していたが、やがてポンッと手を叩いた。

 

「うむ、どうやら日にちを勘違いしていたようだ」

 

 おぃぃぃ! 死神それで大丈夫なんか!

 お前のうっかりのせいでお嬢様が無駄に怯えてるんだぞー!!

 死神はマイペースに「誰だって失敗はするもの。それは人間も死神も同じなのだ」なんてのたまってやがる。

 イメージしてた死神と実物があまりにもかけ離れていて戸惑いを覚えるんだけど……。

 

「では私は出直すとしよう。さらばだ新堂ケイ、セバスチャン、少年少女たちよ」

 

 そう言って再び闇の渦に巻かれ消えようとする死神。

 セバスチャンとお嬢様はホッと一息ついていたが、俺にはある考えがあった。

 帰ろうとしている死神を呼び留める。

 

「……待つ。そのまま帰るのも味気ない。ちょっと遊んでいく」

 

「うん? それはこの私が誰だか知っての発言かね?」

 

「……当然。レッツバトル」

 

 シュッシュッとシャドーのまねをする。

 お嬢様には悪いがこれはグッドタイミングだ。契約によれば『二十歳になるまでは新堂家の者に関わるすべての者の命を奪うことはできない』らしい。

 だから勝負を挑んでも死ぬことはないし、なにより死神の実力を肌で感じることが出来る。そして、可能ならこのまま倒せばいいし、仮に負けたとしても手の内が分かれば対策を立てられる。

 

「ふむ。聞けば勝てぬと分かっていながら立ち向かうというのも人間の特徴であるらしいな。これもその例の一つか。私には理解できん思考だな」

 

 最初から勝てないと分かり切っているような口調がやけにウザったい。

 上等じゃねぇか。その自信、粉々に打ち砕いてやんよ!

 身体能力を強化した状態で臨戦態勢を取る俺。隣に舞い降りたようこも体に炎を纏い、いつでも仕掛けられるように姿勢を低くしていた。

 

「まあ、余興に興ずるのもたまにはいいか」

 

 死神がパチンっと指を鳴らす。

 すると、瞬間的に景色が入れ替わり、いつの間にか外に出ていた。

 夜空に黄色い月が浮かび、冷たい夜風が吹くなか、十メートルほど先にはローブをはためかせている死神が佇んでいた。

 どうやら館の屋上にいるようだ。こんな開けた空間があったのか。

 俺とようこの他にも、なでしこ、お嬢様、セバスチャンもいる。

 瞬間転移? ようこのしゅくちのようなものか? テレポート出来んのかよこの死神……。

 

「あそこはいささか戦いの場に相応しくなかったのでね。こちらに移動させてもらったよ」

 

 突然、景色が変わって驚いているお嬢様たち。は彼女たちはなでしこに頼もう。

 なでしこに視線を向けると意図を察してくれたのか、真剣な表情で頷いてくれた。

 

「啓太様にようこさん、お気をつけて。あの死神、並みの者ではありません」

 

「ん。お嬢様のこと、任せた」

 

「はい。くれぐれも無理をなさらないでくださいね」

 

 頷き返す俺。お嬢様とセバスチャンが真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「川平さん! こんなこと私が言える立場ではありませんが、どうか! どうか、お嬢様をお助け下さいっ!!」

 

 どこか縋るような目に力強く頷く。お嬢様は複雑そうな表情を浮かべていた。

 そして、なでしこにお嬢様とセバスチャンの二人を館から連れ出すように指示を出す。

 俺とようこが進み出るのを見て不敵な笑みを浮かべる死神。

 

「我は絶望の君。恐怖を愛し、絶望を食らい、死を誘う負の化身。一応、名前を聞いておこうか、小さき守護者とその従者よ」

 

 小さい言うな!

 

「……川平啓太。ただの犬神使い」

 

「その犬神のようこ!」

 

 両手にいつもの刀を創造。二振りの刃が月の光に当たり、鈍い光を放つ。

 

「いく……!」

 

 クルッと回転させて逆手に持ち帰るとオーバースローで投擲する。それに合わせようこもピッと人差し指を突きつけた。

 銀色の目を細めた死神はまるで受け入れるように両手を広げる。

 避けない? 余裕のつもりか? なら遠慮なくいかせてもらう!

 

「……三、五、八、十、十一、十四、十八、二十三ッ!」

 

「じゃえん! 大じゃえん! 大じゃえん改っ!」

 

 投擲した瞬間に新たに刀を創造し、次々と刀を投げつける。身体操法で集中力を最大限引き出すことで、同時に最大四本創造することができる、俺が一番得意としている戦法。

 怒涛の勢いで創造した刀を投擲しながら、投げた刀の数を数える。三秒で二十三本か、なかなかの記録だな。

 ようこの巨大な火柱(特大版じゃえん)が死神を呑み込み、投擲した刀が次々と襲う。

 渦を巻く紅蓮の火柱が死神のいた場所の床を黒く焦がした。熱風が離れた場所にいる俺のところまでやってきて、その威力を雄弁に物語っている。

 

「やった!?」

 

 ようこの歓声の声。それを人はフラグというんだよ!

 

「……いや、まだ」

 

 予想していた通り、死神は先ほどと同じ場所に佇んでいた。

 自身を取り巻く炎をものともせずに涼しげな顔で立っている。周囲の地面には焼け焦げた刀が散らばっていた。

 俺の刀はまだしも、ようこのあの炎でもダメージゼロか!

 

「ふむ、なかなかの火力だが、生憎とこの身には届かないな。私に熱傷を負わせたかったら、今の十倍の火力で来たまえ」

 

 埃を払うような軽い動作で炎を消し飛ばした。

 防御力半端ないな。どうやって攻撃を届かせるか……。

 こりゃ、お嬢様には悪いけど、館を壊す勢いでいかないとヤバイかもしれない。様子見なんて言ってられないな!

 

「……ようこ、全力でいく。館の人間、全員しゅくちで遠くに避難」

 

「だね……。みんなごめんね、しばらくどっか行っててね!」

 

 ようこが地面に両手をつける。その体から妖力が立ち昇るとともに、ぶわっと濃緑色の髪が浮き上がった。

 

「とくだ~い、しゅくちっ!」

 

 館にあった微かな気配が一斉に消える。これで一般人は全員避難させたから、館のことを気にせず戦える。

 ようこの隣に歩み寄った俺は、死神から目を離さず小声で囁いた。

 

「……ようこ、気をつける。あの死神、恐らく俺たちより強い」

 

「うん、わかってる」

 

「遠距離がダメなら近接。ようこの爪ならいける」

 

 ぐっと腰を落とし、脚に力を入れる。

 ようこも爪を伸ばし、獰猛に牙を見せた。

 

「――ようこの力、見せてやれ!」

 

「おっけぇ!」

 

 そして、同時に駆け出す。

 床を踏み抜く勢いで弾丸のごとく飛び出す。ようこもトンと床を蹴った。

 身体強化を施した全力のダッシュは十メートルもの間合いを瞬時に零にする。

 容易に間合いに入ると想像していた武器を一振り創造した。

 

「おぉぉ……っ!」

 

「でぇぇぇいっ!」

 

 生み出すは鋼の大剣。飾りの一切を外し、ただ敵を斬り潰すことだけを目的にした無骨の大剣だ。

 身の丈以上ある分厚い刃を強化した筋力で無理矢理持ち上げる。

 ダッシュした勢いも加え、腰を最大限捻り、運動エネルギーをそのまま大剣に乗せて叩きつける様に振るう。

 回避行動を取ろうとしない死神は横薙ぎの一撃をまともに浴びた。さらには背後に回ったようこの鋭い爪が無防備な背中を切り裂く。

 確かな手応えを感じた。腰の高さで剣が体に沈み、分断するべく横切る。

 

「せぇやっ……!」

 

 確実に葬るため、剣の勢いを殺さずにそのまま一回転。そして剣の軌道を修正し、今度は袈裟懸けで振り下ろした。

 肩に背負うような形で振り下ろされた分厚い刃は、最初の一撃で上下に分断された死神を今度は斜めに分断する。

 斬ッ!と四つのパーツに切り離された死神。これは致命傷だろう!

 

「――ふむ。もう終わりかね?」

 

「……っ」

 

「うそ……」

 

 確かに手応えを感じた。それなのに、やつは何事もなかったかのように立っていやがった……!

 四つに分断したはずの体は血の一滴も流さず、元通りに修復されている。再生能力もあるのかよ! ていうか、修復時間早くねぇか!?

 ローブまでも修復されているのを見て言葉をなくす俺とようこ。

 その決定的な隙を逃すはずがなかった。

 

「勝負の最中にそのような隙を見せるとは、愚かと言わざるをえないな」

 

 はっと正気に戻った時にはすでに奴の指が目と鼻の距離にあった。

 人差し指を丸めた死神は、溜めた力を一気に解放する。

 パァンっ!と拳銃のような乾いた破裂音が響いた――。

 

「が……っ!?」

 

 頭が跳ね上がる。凄まじい衝撃が脳を揺さ振り、意識が一瞬持っていかれそうになった。

 デコピンというにはあまりにも次元が違う。

 吹き飛ばされる俺。数回バウンドしながら床の上を転がっていく。

 ようこの悲鳴のような声が聞こえた。

 

「ケイタ! っく……この! この!」

 

「うむ、元気があって結構なことだ」

 

 頭を振って意識をしっかり持ち直す。顔を上げると、凶爪を振るうようこの攻撃を死神は後退しながら軽やかに避わしていた。

 

「だが、いささか雅に欠ける」

 

 喉を狙った一閃を顎を反らすだけで回避した死神は、その場で旋回。鞭のようにしならせた脚で回し蹴りを放った。

 

「あぁ……っ!」

 

 腹部を蹴られ、俺の場所まで吹き飛ばされるようこ。なんとか彼女を受け止めることに成功するが、かなりのダメージを負ったようで、苦痛で顔を歪ませていた。

 

「……大丈夫、ようこ」

 

「う、うん。なんとか……」

 

 いたた、とお腹を押さえながら起き上がる。

 しかし、予想の数倍強いぞこいつ。師匠に匹敵するレベルじゃないか……?

 やべぇ、どうしようか?

 

「……とにかく猛攻をしかけるしかない、か。俺が近接で攻め続ける。ようこは遠距離でフォロー」

 

「わかった」

 

 作戦と呼べるほどではないが、お互いの役割を決めて頷き合う。

 その間、死神は攻撃もせずに興味深そうに俺たちを見ていた。

 余裕の表れか? 実際そのくらい実力差があるからな……。

 

「啓太様! ようこさん!」

 

 お嬢様とセバスチャンを避難させていたなでしこが戻ってきた。地面に膝をつく俺とようこを見て息を呑む。

 死神の視線がなでしこへ向けられた。

 

「うん? 確かキミも川平啓太の犬神だったかな? 今度はキミが相手をしてくれるのかね。よかろう、どこからでも掛かってきたまえ」

 

「わ、私は……」

 

 色を失った顔で狼狽するなでしこ。彼女は戦えないのだ。

 

「……ふむ。戦意はないとみえる。主が窮地に追いやられているというのに牙を見せないか。キミから神を傷つける牙の気配を感じたと思ったのだが、私の思い過ごしかね?」

 

「……っ」

 

「まあよい。戦わぬというのであれば、そこで主が敗北する瞬間を見届けるのだな。主の敗北に絶望を知る、それもまた一興」

 

 そう言って死神は興味が失ったかのようになでしこから視線を外した。

 なでしこは酷く悲しいような悔しいような、色々な感情がないまぜになったような顔で俯く。

 しかし、本来なでしこがそんな顔をする必要はない。

 なでしこが悲しむ必要なんて、これっぽちっもないのだ……!

 

「……なでしこが、戦う必要ない。それは俺の役目……。もとより、そういう約束」

 

 大剣を支えに立ち上がる。闘志でギラついた目を死神に向ける。

 うちのなでしこちゃんに、なにイチャモンつけてくれてんだっ!

 

「ここは危ない。なでしこも避難する」

 

 俺がそう言うと、俯いていたなでしこが顔を上げる。そこには何かを決意したような、毅然とした表情を浮かべていた。

 

「……いえ、私もここに居ます! 戦えない私ですけど、ここで啓太様とようこさんの戦いを見届けますっ! 私も、啓太様の犬神ですから!」

 

 嬉しいこと言ってくれるなぁ。こりゃ、頑張んないと格好つかないな!

 

「まだ立ち向かうか。うむ、大変結構。この程度で戦意を喪失されてはこちらも興醒めだからな」

 

 余裕の表情の死神。

 絶望と恐怖を司る、か。確かにこの力の差を見せ付けられたら、普通は戦意喪失して絶望するかもしれない。

 だが、生憎と俺は負けず嫌いな性格なんでね。そう簡単に敗北を認めるわけにはいかないのよ。

 女の子たちが見てる前では尚更な!

 

「いくぞ、ようこ」

 

「うん!」

 

 使い慣れた刀を二本、顕現させる。順手で柄を強く握り締めた。

 霊力を循環させて身体能力を向上させる。今の俺が出来る全力の強化。

 そして、床を思いっきり踏み抜き、稲妻のごとく跳び出した。

 ドンっと床が大きく陥没し、放射状にひび割れる。それと同時に空気の波が衝撃波のように発生する。

 

「ほぅ」

 

 瞬きよりも短い時間で接近した俺は気合の声を上げながら、両手の刀を縦横無尽に走らせた。

 斬っても斬っても再生するのなら、再生できなくなるまで斬り続けてやる。そんな熱情を刀に注ぎこみながら、息もつかぬ連撃を繰り広げた。

 やはり死神は無抵抗。防御姿勢も取らず襲い掛かってくる凶刃にその身を晒している。

 袈裟懸け、横薙ぎ、振り下ろし、斬り上げ、逆袈裟懸け。ステップを刻むように立ち位置を変え、怒涛の勢いで切り刻む。

 二十、三十と瞬く間に斬撃を積み重ねていき、有酸素運動から無酸素運動へ切り替わる。無意識の内に小さく雄叫びを上げていた。

 俺の実力は師匠のような超人の域には程遠い。音を置き去りにするような斬撃なんて放てないし、剣圧を飛ばして相手を斬るなんて不可能だ。

 そんな俺が持つ唯一の強み。それは、俺の能力である【霊力を物質化する力】にあると思う。

 霊力を元にした武器の創造。それは俺の手数の多さに直結する。

 屈むと同時に死神の両足を刀で突き刺し、転がって距離を取る。

 

「大じゃえんっ!」

 

 ようこの支援。死神の体を紅蓮の炎が包み込んだ。

 その隙に次の武器を創造。

 

「創造開始」

 

 生み出すは一本の槍。刺突を目的とした長柄の武器。

 鋭く尖った菱形状の穂先を死神に向け、全力で踏み込むと同時に突く。

 刀や剣などが線での攻撃なら、槍は点での攻撃だ。

 大気をボッと穿ち、死神の腹部、脇腹、心臓、喉に穴が開いた。

 今の俺が出来る全力の突きは一秒で四発。突く速度と槍を引く速度はほぼ同じ。

 十数回、死神の体に穴を開けた後、クルッと槍を回転させて刃と逆の先天部分である石突きで膝を叩く。

 人体の構造上、膝の真横を叩かれると力が抜ける。ガクッと膝が抜けたところを狙い、クルッと回して軌道を修正した石突きで足を掬うように打った。

 足を固定していた刀が砕け、スパァンッ、と足元を掬われて宙に浮く死神。一回転させて遠心力を加えた石突きを無防備な腹に向けて思いっきり振り下ろした。

 轟音とともに床が大きくひび割れ、破片が飛び散る。

 呻き声一つ漏らさない死神の口角は小さく上がっていた。

 

「まだまだ……っ!」

 

 膝を曲げて大きくその場でジャンプ。身体強化を施した跳躍は十メートルほど跳び上がることができた。

 片手で持った槍を大きく振りかぶると、渾身の力を込めて真下に投擲。

 死神の腹を貫いた槍は床に半ばまで突き刺さった。

 

「……ようこ!」

 

「うん……っ! くらえ! とくだ~い、大じゃえん改っ!!」

 

 ピッとようこが指差すと、槍で床に縫いとめられていた死神が巨大な火柱に包まれた。その炎は上空にいた俺の元まで達するほど。

 あらかじめ想像してあった、体がすっぽりと隠れるほど大きな楯を創造して炎から身を守る。

 身を守ることに成功したはいいが、流石に熱い!

 熱気までやり過ごすことは出来ないから、そこは我慢だ。

 渦巻く炎をやり過ごしたらすぐに楯を投げ捨て、先ほど創造した大剣を再び作り出す。

 そして、両手で強く握り締めた無骨の大剣を大上段から斬り下ろした。

 

「はぁぁ……っ!」

 

 体重と落下速度も加えた一撃は無数の煙の筋を上げる死神を一刀のもと両断にする。

 爆音を響かせながら床ごと盛大に斬り裂いた。

 斬撃の爪痕が残った床に仰向けの状態で横になっている死神。その体は見事に左右で分断されていた。

 今度はすぐ修復される様子は見られない。いい加減ダメージが通ったようだ。

 しかし、喜びもつかの間。

 両断された状態の死神はくっくっく、と喉の奥で押し殺すように笑い始めた。

 

「――まさかこの私を幾度となく分断するとは。人間とは脆く弱い生き物だと思っていたが、少し認識を改める必要があるか」

 

 左右に両断された状態でどうやって喋っているのか判らないが、死神の体が磁石のように引かれ合い、ピタッと切断面を合わせた。

 断面がすぅっと消えていく。焼け焦げ、破れたローブも元通りに修復されてしまった。

 

「しかし、種族の垣根を越えることはできない」

 

 ゆっくりと立ち上がり、コキッと首を鳴らす。

 その姿はまったくのノーダメージで、この程度の攻撃は屁でもないと言外に示しているかのようだった。

 

「人間にしてはなかなかやる方だが、その程度では私にダメージを負わせることは不可能だ。なに、嘆くことはない。これは当然の結果だ」

 

 俺の隣にやってくるようこ。後ろを振り向くと、両手を祈るように胸の前で組んだなでしこが不安そうな顔で見つめている。いつの間にか、なでしこを背にする形の立ち位置になっていた。

 

「どれ、一つ絶対的な力の差というのを教えてあげようか」

 

 死神は俺たちと向き合うと、静かに右手をかざした。

 そして――。

 

拡散せし波動の再収束(イグナイト・パリング)

 

 死神の手から無形の波動が放たれる。

 音波のように放たれた無数の波動には気が遠くなるほど膨大な力が宿っていて、俺たちの鼓膜が悲鳴を上げた。

 キィーン、と耳鳴りが響くなか立っていられず床に膝をつけた。平衡感覚が狂わされたのだ。

 

「あぁ……っ!」

 

「耳が、痛い……!」

 

 耳を押さえたなでしことようこも、たまらず膝をつけていた。

 波動が伝わった床も大きくひび割れていく。

 一秒だったかもしれないし、十秒だったかもしれない。

 気が遠くなる時間のなか、不意に波動が収まる。

 その途端――。

 凄まじい轟音と衝撃が辺り一面を襲った。

 

 




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第五十八話「死にたがりの少女」


 ストック完成! 第二部エンディングに向けて投稿します!
 前話で死神の台詞を変更しています。思うところがあって、性格もちょっと変えました。



 

 

 突如襲った途方もない衝撃に意識を持っていかれてしまった。

 数秒あるいは数分なのか判らないが、意識が戻った時には信じられない光景が目の前に広がっていた。

 美しい景色を作り出していた山々。その一角が見るも無残に崩れていたのだ。一体何があったのか、山頂付近から数キロに渡りごっそり削り取られ、山肌がむき出しになっている。

 建物も端のほうが崩壊を起こしていて、パラパラと壁の素材の一部が落ちている。

 大邸宅が半壊していた。

 

「これほどとは……」

 

「うそ、なによこれ……」

 

 意識を取り戻したなでしことようこも、目の前の光景に絶句していた。

 

「う……くっ……」

 

 先ほどの衝撃で体が上手く動かない。指くらいは動くけど、立ち上がることもままならなかった。

 床に座りこんだ姿勢で動けずにいる俺たち。そんな俺たちの前で、この光景を作り出した張本人の死神は小さく頷いた。

 

「ふむ……。まあ三割の出力なら大体このようなものか」

 

「……っ」

 

 これで、三割の力だと!?

 なら全力を出したら一体どうなるんだ……。

 死神の力を目の当たりにして戦くと、死神は満足そうに頷いた。

 

「うむ、どうやら私とキミたちの力量の差を正しく認識できたようだな」

 

 きびすを返した死神は現れた時と同様に闇の渦に巻かれていく。

 ごうっ、と風の音が鳴るなか、死神の冷たい声が当たりに響いた。

 

「なに、当然の結果だ。嘆くことはない。では、明日会おう。新堂ケイに連なる者たちよ」

 

 そう言い残し、死神は去っていった。

 今まで無敗を誇り、受けた依頼は完璧にこなしてきた。死神が相手でも、全力を尽くせば勝機はあると思っていた。

 しかし、実際はまったく歯が立たなかった。どれだけ力を振り絞っても、どれだけ猛攻を仕掛けても、死神は表情の一つ変えることなく受けきって見せて。

 まるで大人と子供のような圧倒的な力の差を感じた。

 

「……くっ」

 

 知らず知らず手に力が入る。爪が皮膚に食い込み血が出るほど強く、強く。

 俺とようこが初めて敗れた瞬間だった。

 

 

 

 1

 

 

 

 小学生になるまで、死神という存在はわたし――新堂ケイにとってあまり重要な存在ではなかった。

 なぜか知らないけれど一年に一度家にやってきては、とても恐い思いをさせてくる人。もちろん子供だったわたしは恐いことをする死神が嫌いだったし、苦手だった。

 あの実験動物を見るような目でジーッとわたしの顔を見る死神が、とても恐ろしく感じた。

 しかし、当時のわたしは死神という存在をよく理解できなかったし、与えられた恐怖も時間がたてば自然と癒える。注射やお化け、嫌いなピーマンの方が当時のわたしにとっては切実な問題だった。

 しかし物心つくようになって、ふと疑問に思うようになった。

 それは、わたしには両親がいないということ。そして、友達を誕生日に呼んではいけないということだ。 

 周りの友達にはいるのにわたしにだけいない。わたしはよくセバスチャンに「なんでお母様もお父様もいないの?」と聞いては彼を困らせていたのを覚えている。

 友達をお誕生日会に呼んでもいけなかった。誕生日に友達を呼んではたくさん遊んだという友達の自慢話を聞いては羨ましく感じた。

 子供が抱くそんな素朴な疑問を尋ねるたびにセバスチャンは苦悶の表情を浮かべ。

 

「お嬢様は私が必ずお守りします。このセバスチャンが命に代えても」

 

 そう悲しそうに微笑んだ。

 しかし、わたしのこの疑問も、大きくなるに連れて自然と分かっていった。それと同時に新堂家が抱える闇――わたしの運命も。

 誰もが迎える誕生日。本来なら祝福と笑顔に満ちた楽しい日。

 わたしが生まれた日は、一般のそれとは真逆で恐怖、悲鳴、怒号で満ちていた。

 主役であるわたしを祝福するように現れる死神。そしてわたしを守るために集められた男の人たち。

 多くの人が挑み、敗れ、傷ついていく。恐くて動けないでいるわたしの頭に手を置く死神。流れ込む恐怖感と絶望感、喪失感、不安感。

 心が壊れそうになるくらい注がれると、あの冷たい目でジッと見つめてくる。

 もはや恒例行事と化すくらい回数を重ねてしまうと、その頃にはわたしの心もぼろぼろになっていた。

 私の誕生日には多くの人が不幸になる。わたしを守るために、傷ついてしまう。

 それを見るのが辛かったわたしはいつしか、自分から人を遠ざけるようになった。自分が傷つくのはいい。怖いし、辛いけど、なんとか我慢できる。でも他の人が傷ついたら。しかもわたしのせいでとなると、とても耐えられない。

 仲の良かった友達とも別れた、雇用していた使用人も退職金と新しい仕事先を斡旋した。そうやって一人、また一人と人を遠ざけ、いつしかわたしの周りにはセバスチャンと十数人の使用人だけが残った。

 唯一の友達は、いつも一緒にいる熊のぬいぐるみだけ。

 そして、九歳の誕生日の日。その日はボクシング世界王者の黒人や、不思議な術が使える高名な霊媒師、戦場帰りの傭兵といった強者を呼び挑んだ。

 しかし、例年通りその人たちも一蹴されてわたしの身を守ってくれていたセバスチャンも一撃で気絶させられた。

 いつものように恐怖を刷り込まれそうになったわたしは一度だけこんなことを尋ねたのだった。

 

 ――なんでこんなことするの? わたしにお父様とお母様がいないのも、あなたのせいなの?

 

 わたしから初めて話しかけられた死神は目を細めると、凍てついたような声で、しかし柔らかい口調で語った。

 

「ふむ? そういえばキミには話していなかったかな? 私としたことがうっかりしていた」

 

 そう言うと死神はわたしの頭に手を置いた。

 

「では教えてあげよう。愚かなる先祖が何を求め、何を差し出したのか。これまでのログの一端を見せてあげよう」

 

 死神の手が淡く光、わたしの意識も混濁していく。

 

「そして知れ。愚かな人間の醜態を」

 

 その言葉を合図に、情報が怒涛のごとく脳に送り込まれてきた。

 そして、理解したのだ。

 死神との契約を。

 わたしが二十歳の誕生日で死ぬ運命であることを。

 お母様も同じ運命を辿ったことを。

 お父様はお母様を守って死んだことを。

 当事の映像が直接脳に叩き込まれる。飛び交う怒号に悲痛な叫び声、飛び交う血飛沫、絶望に染まる人々に楽しげに死を誘う死神。

 これでもかと、今まで辿ってきた新堂家の運命を突きつけられ。

 わたしの目から一筋の涙が流れ、膝から崩れ落ちた。

 死神は喉の奥で押し殺すように笑いながら、闇に溶け込むようにして消えていった。

 駆け寄ってくるセバスチャン。茫然自失になりながらポツリと呟いた。

 

「ああ、そうだったんだ……そうだったんだね……。ようやく分かったよ、セバスチャン」

 

 その日以降、わたしは未来に希望を持つことを止めた。

 なによりも、生きる意味を失った。

 わたしに未来はない。

 生きる意味もない。

 わたしには、なにもない――。

 

 いつの日か【死にたい歌】を歌うようになっていた。

 わたしの中に自然と生まれた歌詞をそのままメロディに乗せて、気ままに歌うと、寂寥で満ちた心が安定した。

 静かな水面のように揺れることのない心。

【死にたい歌】を歌うと精神が安定するから、心が揺れた時に歌うようにしている。

 そう、丁度今のような時に――。

 

「時を運ぶ縦糸、命を運ぶ横糸。その糸を紡ぐ手は死の運び手。

 

 彼は冥府の支配者、うたかたのごとく消える命を輪廻の輪に乗せて。

 

 潤い消えた乾いた心は砂のようにサラサラと、形崩し無に還る。

 

 ただただ、泡沫(ほうまつ)がごとく。すべては泡沫(うたかた)の夢だから。

 

 ただただ、泡沫(ほうまつ)がごとく。すべては泡沫(うたかた)の夢だから。

 

 いつしか醒める夢がやってきた。ただただ、それだけのことだから」

 

 死神が去った後、家に戻ったわたしとセバスチャン。

 屋上の一部が崩壊して屋根がなくなったバルコニーに出たわたしは、夜風に当たりながらいつもの歌を歌っていた。

 ただただ無心に。明日訪れる死を前に心を安らげる。

『死にたい』それがわたしの口癖。生きることに絶望した、あきらめの言葉。

 生きる意味なんてないのだから――。

 

「……ふぅ」

 

 歌い終わって一息つくと、背後から小さな拍手が聞こえてきた。

 振り返るとそこには、普段着に着替えた川平くんが立っていた。

 

 

 

 2

 

 

 

 死神が去ったのを確認した俺は避難させていたお嬢様とセバスチャンを呼び戻した。

 セバスチャンは心配そうに俺たちの体を気遣ってくれるなか、お嬢様が二階に上がっていく。

 その横顔に少し引っ掛かるのを覚えた俺はお嬢様の後を追って二階へ上った。

 お嬢様はバルコニーにいた。死神のあの桁外れな一撃でバルコニーの天井が崩れ、壁も一部崩壊している。

 虚ろな目。なにも映っていないような感情を置き去りにした目で外を見ている。美しい山脈の一部がごっそり消滅していて、絶大な破壊力を物語っていた。

 お嬢様は透き通るような声で歌い始めた。

 美しい歌声が奏でるその歌はひどくもの悲しく、どこまでもネガティブな歌詞だ。

 歌い終わり、一息つくお嬢様。その歌声に惜しみない賞賛の拍手を送った。

 

「川平くん?」

 

 振り返るときょとんとした目で見てきた。

 そして、虚ろな笑みを浮かべる。

 

「まだいたのね」

 

「……もちろん」

 

 帰るとでも思ったのだろうか?

 

「早く帰りなさい。あなたたちは良くやってくれたわ。わたしからお礼が出来ないのが残念だけど、セバスチャンに口座番号を聞いて適当にお金を持っていって」

 

「……いいの?」

 

「ええ。本来無関係なあなたたちを巻き込んでしまったんだから、せめてこのくらいのお詫びはさせてちょうだい。実際に、あなたたちは今まで雇ってきた男たちの中で一番強かった。相応の報酬を払えなくて申し訳ないんだけどね」

 

「違う」

 

 そうではない。

 すべてを諦めたお嬢様の目を正面から見つめて再び問う。

 

「……それで、本当にいいの?」

 

 このまま、運命に身を委ねていいのか。

 このまま、死を待つだけでいいのか。

 このまま、人生を狂わせた死神の思惑通りでいいのか。

 ――生きたくはないのか。

 

「……ええ、もちろんよ。わたし、疲れたの。もうなにもかも。誰かが傷つくのも、誰かが死んじゃうのも、もう見たくない」

 

「……」

 

「そうだ。わたしの最期のお願い聞いてくれる?」

 

「……なに?」

 

「セバスチャンからお金を受け取ったら、彼を殴り倒してどこかに監禁して。きっと、最後までわたしの側にいたがるでしょうから」

 

「……」

 

「あんな良い人、わたしなんかと一緒に死ぬのは勿体無いわ。セバスチャンにも幸せになってほしいから」

 

 そう言ってお嬢様は微笑む。

 それまで浮かべていた虚ろな笑みではなく、優しい笑顔。

 手を取ってお願いするお嬢様に俺は――。

 

「……えー、やだ」

 

 お嬢様人生最後の嘆願をケロっと断った。

 断られると思っていなかったのか一瞬呆気に取られたお嬢様だったが、次第に目尻を吊り上げていった。

 

「ちょっと、そこは普通話を聞いてくれるところでしょう!? なんで断っちゃうのよ!」

 

 おっ、ちょっとは元気出たか?

 いやー、わたしもう生きるの諦めました的な雰囲気漂わせてたから、マジで焦ったぜ。遺言みたいなことも言ってくるし、お嬢様ちょっと見切りつけるの早過ぎじゃありませんかね!?

 

「……まだ依頼達成してない。だから帰れない」

 

「依頼達成って……あなた本気で言ってるの? 貴方もあの子たちも、誰もあの死神に勝てないのよ!? あなたたちだって負けたじゃない!」

 

 むっ、これは痛いところを。

 

「……次は負けない。リベンジ」

 

 たった一度の敗北で挫ける啓太さまではないわーっ!

 仙界では師匠に負けっぱなしの毎日だったし。むしろ負けん気に火がついたわ!

 

「無理よ! 誰もあいつには敵わない! あなたも身をもって知ったでしょう!? 死ぬの! 死んじゃうのよ!」

 

「今度は勝つ」

 

「どうやってよ! 頭おかしいんじゃないの!? わたしは覚悟を決めたの! もう死にたいのよ!」

 

 それは魂の慟哭。

 お嬢様が初めて、心の内を吐露した瞬間だった。

 感情が爆発したように声を荒げる。

 

「大丈夫、絶対に助かる、そう言って誰もがあいつに挑んだ。そして死んでいった。もうこれ以上わたしに期待させないでっ!」

 

 そして――。

 

「もう死にたいのに! わたしなんかもう死んでいいのに! 死にたいのにいぃぃぃ!!」

 

「お嬢様ぁっ!」

 

 悲痛な叫びを聞きつけたセバスチャンが、勢いよく駆け寄ってきた。

 

 




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第五十九話「希望の光」

 二話目。


 

 

 夜の帳が下り、暗闇が辺りを支配する。

 ひっそりと静まり返った大邸宅は半壊しているのも相まって、不気味な雰囲気を醸し出していた。

 なでしことようこは所々罅が入った廊下を歩いていた。二人の間に会話はなく、どちらも沈んだ表情を浮かべている。

 啓太は新堂ケイの後を追った。しばらく二人にしてほしいとのことなので、宛もなくぶらついていると、大柄な執事が立っているのに気が付いた。

 

「セバスチャン?」

 

「おお、お二人とも。良い月が出ていますな」

 

 セバスチャンは上着を脱いだ状態で額に汗を浮かべていた。汗でシャツも張り付いている。

 

「なにしてたの?」

 

「いえ、日課のトレーニングを少々。一日でも休めば取り戻すのに十日は掛かりますからな」

 

 そう言って笑うセバスチャンだが、空元気なのは誰の目から見ても明らかだった。痛々しくも見えるその姿に辛そうに顔を伏せるなでしこ。

 純粋な疑問を感じたようこはタオルで汗を拭うセバスチャンに尋ねた。

 

「なんでそんなに頑張るの?あいつはあなたじゃ勝てない。それなのになんでそこまでするの?」

 

 勝てないと分かっているのに挑もうとする人間。ようこからすれば命を差し出すような、ある種の自殺のようにも見えた。

 なんでそこまでして戦うの? 死ぬかもしれないのに、なんでそこまで出来るの?

 

「ようこさんっ」

 

 遠慮のない質問になでしこが注意しようするが、セバスチャンは悲しそうな目で微笑んだ。

 

「いいのです。ようこさんの仰る通り、私程度の実力ではあの死神の足元にも及ばない。例え命を捨てたとしてもきっと勝てないでしょう」

 

 セバスチャンは分かっていた。自分の力では絶対に死神を打倒することができないのを。二十年前のあの日から身に染みて感じていた。

 変えようのない現実に気付いている、理解している。なでしことようこが小さく目を見開いた。

 

「では、なぜ……?」

 

 なでしこの問いにセバスチャンは静かな口調で言った。

 

「……自分は逃げたくないのです。臆病者になりたくないのですよ」

 

「セバスチャンは逃げてないよ?」

 

「いいえ、逃げたのです。今から二十年前、奥様の前から」

 

 それから語られたのは、懺悔の話だった。

 取り返しのつかない過ちを犯してしまった、後悔しても後悔しきれない当時の話。

 

「今から二十年前、当時レスラーだった私は他の武道家や霊能者とともに奥様の誕生日に集った者の一人でした。破格の報酬に惹かれた私は、死神なんてわけの分からない奴は俺がぶっ飛ばしてやるぜ!と息巻いていました。呼ばれてもないのにのこのこと、勝手に押しかけて……本当にバカでした。真っ向からプロレス技を仕掛けた私をまったく同じ技で返してきて、しかも私よりキレのある技の数々で手足を折られ、自信を砕かれました。恐怖と絶望を頭に流されて、震える私にやつが言って来たのです」

 

『勇猛と無謀は違うぞ小さき者よ。キミも新堂ユキを守る者か? であるならばその命、絶望に染めて摘み取ろう。否と言うのであれば尻尾を巻いて逃げるがよい』

 

 セバスチャンの背中が大きく震える。

 

「私は……その時、私は……っ!」

 

「セバスチャンさん、もういいですよ」

 

 なでしこの声が聞こえていないのか、わなわなと震える自分の手をみつめ、顔を覆った。

 一八〇センチを超える巨体が小さく見える。

 自身を責めるように、悲痛な声で叫んだ。

 

「自分は! 奴に懇願したのですッ!! 許してくれと! 見逃してくれとッ!!」

 

「もういいんですよっ」

 

「裏切ったのですッ!!」

 

「セバスチャンさん!」

 

 なでしこの声にセバスチャンは大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。

 そして、これまでの口調と一転して静かに喋りだす。

 

「レスラーとして、なにより男としての矜持も捨て、みっとも無く惨めに懇願しました。ですが奥様は、そんな私を笑って許してくれたのです。まだ二十歳の少女なのに、『いいんですよ』と笑って……。ごく普通の青年だった旦那様は勇敢に戦われていたのに、他の皆は歯を食い縛って立ち上がっていたのに、自分だけ隅のほうで震えていました……。

 私は、そんな自分が許せない。悔しくて惨めで、卑怯な自分が何よりも許せないのです」

 

 いつの間にか大粒の涙が零れ落ちていた。

 小刻みに震えているのは怒りと羞恥、屈辱によるものだろうか。

 ようこがそっとセバスチャンの背を撫でた。

 

「悔しくて……体を鍛え直して何度挑戦しても勝てなくて、勝てなくて……。体を鍛えて、心を鍛えてきたはずなのに、奴に一太刀も浴びせられないのが悔しい! なにより、お嬢様を守れないのが悔しいっ!」

 

 歯を食いしばり、大粒の涙を零すセバスチャン。

 強く握り締めた手から血が流れ落ちた。

 

「私はっ、ただお嬢様を守れればそれでいい! それでいいんですっ! もうそれだけでいいのに……ッ!!」

 

「セバスチャンさん……」

 

「セバスチャン……」

 

 痛ましい表情でかける言葉を失うなでしこ。

 言葉にならない嗚咽を漏らしながら啜り泣くセバスチャンを見て、ようこが小さく頷いた。

 

「そっか、ようやく分かったよ」

 

 優しい目でセバスチャンを見つめながら、小さく震える彼の頭を撫る。

 

「あなたも、ご主人様のことが大切なんだね……。でもね、きっと大丈夫だよ」

 

 そして、自慢げに胸を張る。

 まるで我がことのように誇る小さな子供のように。

 

「ケイタがきっとなんとかしてくれるから。ケイタはね、やる時はやる、すっご~い人なんだから!」

 

 もちろん、わたしもいるしね!

 そう言ったようこは不安など微塵も感じていない笑顔で、にっと歯を見せた。

 そんなようこの姿をなでしこが不安気な顔で見つめていると――。

 

『どうやってよ! 頭おかしいんじゃないの!? わたしは覚悟を決めたの! もう死にたいのよ!』

 

 どこからともなく、悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 それはセバスチャンが仕える新堂ケイのもので、声の出所は廊下の先を行ったバルコニーからだった。

 ハッとセバスチャンが勢いよく振り向いた。なでしこたちも一斉にバルコニーのほうへ顔を向ける。

 

『もう死にたいのに! わたしなんかもう死んでいいのに! 死にたいのにいぃぃぃ!!』

 

「お嬢様ぁっ!」

 

 悲痛な叫び声を聞き、すぐに反応を示したセバスチャンが駆ける。なでしこたちも慌てて後に続いた。

 バルコニーに出ると、無気力で自分の生死にすら無関心であったあの新堂ケイが感情をむき出しにしていた。

 自分たちの主である啓太に詰め寄り、大きく顔を歪めていた。

 

「お嬢様っ、お願いですから、そのような悲しいことを仰いますな……っ!」

 

「セバスチャンまでなによ! あなたもわかってるでしょ? わたしはもう、死ぬしかないってこと!」

 

 腰を下ろし、新堂ケイの肩に手を置いたセバスチャンは悲しそうな目で語った。

 

「……あなたのお母様が、二十年前に何をなさったか分かりますか? 戦ったのです。あの死神を相手に剣を取り、旦那様と一緒に戦ったのです。その奥様の娘であるあなたが、そのような悲しいことを仰いますな」

 

 当事のことを思い出したのか再び涙を流すセバスチャン。

 それを聞いた新堂ケイも一瞬言葉を詰まらせたが、必死で手を振るった。

 

「……っ、でも無駄だったじゃない……! 戦っても、結局は死んじゃったじゃない! なら無駄だったってことでしょ!?」

 

 悲痛な叫びが夜空を駆ける。

 心の底からの叫びを上げながら、新堂ケイはセバスチャンの胸倉を掴んだ。

 透明な雫が目から溢れてくる。

 

「ねえ答えてよセバスチャン!どれだけ抵抗してもお母様は殺された! お母様に恋をしたお父様も死んじゃった! 生まれて来たわたしも明日死ぬ! ねえなんでわたし生まれて来たの!? 全部無駄だったのに、どうして生まれて来たの!? 結局すべてが無駄になるのにっ! ねえ答えてよセバスチャンっ!!」

 

 十九歳の少女が上げるとは思えない叫び声。否、本来は上げてはいけない叫び声。

 なぜ生まれてきたのか、存在意義を問う主にうまく言葉が出なかった。

 なでしこもようこも、少女が抱える重い十字架にかける言葉が見つからない。

 無言の空白が、生まれるその時――。

 

「……無駄なんかじゃない」

 

 ぽつりと呟き声が聞こえた。

 全員そちらを見る。

 啓太が静かな眼差しを新堂ケイに向けていた。

 

 

 

 1

 

 

 

 お嬢様の――ケイの慟哭を聞いて思わず声に出てしまっていた。

 しかし、抱いた思いは紛れもなく本心。

 悲観に暮れて希望を見出せない少女を正面から見据え、言ってやった。

 

「……生まれてくる命は皆、祝福されるべき。意味のない人生なんて、きっとない」

 

 人は皆いつか死ぬ。命ある限り、それは誰もが背負う宿命だ。

 だけど、生まれてくる命が定めを背負って生きるなんて、そんなの悲しいだろ。

 死神なんてわけの分からん奴に狂わされた人生を歩むなんて、悔しいだろ。

 生まれたことを後悔しながら生きる人生なんて、虚しいだろ。

 俺のこの気持ちは単なるエゴかもしれない。いや、無関係の立場なんだから間違いなくエゴだろう。

 だが……ああ、まったく気に入らない。まったくもって気に入らないね!

 

「……ケイのお母さんは、命を繋いだ。自分の代は無理でも、娘の代ならきっと死神に勝てる。勝てる人が出る。そう思ってケイに託した。そう思う」

 

 娘の不幸を望む親なんていないだろ。いるとすればきっと糞みたいな奴だけだ。

 しかし、ケイの母親は違う。聞いてる限り、きっと優しく芯の強い女性だったのだろうと想像できる。

 ならば、そんな母親が娘に望むとしたら、希望を託すこと。

 自分は無理でもきっと娘なら、この呪縛から解放される。そう信じて。

 

「……だから、天国にいるお母さん安心させる。俺がきっちり、ぶっ飛ばしてあげるから」

 

 根拠もない自信に満ちた顔でそう言いきると、セバスチャンが小さく息を呑んだ。

 ケイが口元に手を押し当てた。

 

「どうして……? なんで、そこまで……」

 

 不幸になると分かってる女の子を見捨てられるわけがない。危険なのは百も承知だし、あいつの実力を考えると勝率は一割にも満たないかもしれないけれど。

 やっぱ男としては、ここで叶えてあげないといけないだろ?

 そういい照れくさそうに笑うと、ケイは一瞬思考が麻痺したように表情を無くした。

 そして、大粒の涙がケイの目から溢れ――。

 

「う、うぁぁ……うぁぁあ…………うわああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁ――――――っ!」

 

 堪えてきた感情が一気に溢れ出した。

 ずっと固く閉じ込めていた心が露になり、むき出しの感情が迸る。

 まるで、生まれたばかりの赤子のようにケイは大声を上げて泣いた。

 

「……今まで、よく頑張った。後は俺たちに任せる」

 

「うわあああぁぁぁぁぁあぁあああああ――――――っ! あああぁぁぁああああ――――! ああああぁぁぁぁぁ――――――っ!!」

 

 今まで溜め込んできた想いを涙と叫び声とともに解き放っていく。

 その声が、俺にはどこか『生きている』『生きたい』と訴えているように感じた。

 遠くからポーン、ポーンと時計の鳴る音が聞こえた。

 

「……誕生日、おめでとう。ケイ」

 

 涙を隠すようにそっと抱き寄せ、その背中を優しく撫でる。

 ケイの泣き声がいつまでも夜空に響いた。

 

「うぅ……ケイ、よかったねぇ……っ」

 

「ええ、本当によかったですね……」

 

 もらい泣きしたようこがハンカチで目元を押さえる。隣ではなでしこも目元を潤わせていた。

 そんな二人よりもさらに目から涙を流しているのが、セバスチャンである。

 

「お嬢様ぁぁぁぁぁぁ! うおぉぉぉおおおん!!」

 

 まさに大号泣といった有様で男泣きしていた。

 その姿に苦笑していると、大泣きして幾分か落ち着きを取り戻したお嬢様が、腕の中で小さく身動ぎをした。

 泣き顔を見られた恥ずかしさからか、はたまた今の状況に羞恥を覚えているのか。お嬢様は顔を朱に染めていた。

 

「あの、川平くん? その、もう大丈夫だから……」

 

「ん」

 

 素直に解放する。恥ずかしがってるお嬢様には失礼だけど、見た目は小中学生の女の子だから抱擁程度は問題なくできる。これが歳相応の見た目だったら難しいだろうけど。

 でも、ちゃんと泣けてよかったよかった。泣けないというのは心が麻痺しているようなものだからな。

 

 

 

 2

 

 

 

 死神と戦った屋上に上がった俺は景色を一望しながら夜風に当たっていた。

 泣き疲れてしまったのか、お嬢様はあの後すぐに眠ってしまい、セバスチャンはそんな主に付き添った。

 ようことなでしこは俺の少し後ろに控えている。

 冷たい夜風に当たりながらなんの気もなしに空を見上げた。

 光化学スモック一つない綺麗な夜空。千切れ雲がぽつぽつと浮かび、その向こうには星々が散りばめられている。

 

「……いい夜。そう思わない?」

 

「――ええ、本当によい夜ですね」

 

 俺の言葉を返す声。

 振り返ると虚空からにじみ出るようにして姿を現したはけがすとん、と傍に降り立つところだった。

 その表情はいつもの柔和なものでなく、どことなく厳しいものだった。

 

「啓太様、申し訳ありません。まさかこれほどの力を持つ死神だとは。私がもっと詳しく調べていれば……。これは、私が想定していた実力を大きく上回っています」

 

「ん」

 

 傷跡を残す景色を見て、顔を顰めるはけ。

 難しそうな顔で、こう続けた。

 

「これほどの爆発的な霊力を持つ者は数名ですがおります。私とようこの条件が揃えばあるいは……。そして、犬神でも一人だけ、心当たりがおります」

 

 ちらっと、なでしこたちのほうに視線を向けるはけ。

 しかしそれも一瞬で、すぐに視線を元に戻した。

 

「ですが……啓太様たちを無傷で、手加減してとなると――」

 

「……」

 

「……それでも、引かないおつもりですか?」

 

 真剣な声で聞いてくるはけ。やはりはけの目から見ても、あの死神――【絶望の君】の力は段違いなのだろう。

 しかし、それでも……逃げるわけにはいかない。

 ここで引いてしまったら、俺が俺である大切なものを失う気がするから。

 

「……はけ。俺ね、初めて負けたんだ」

 

 師匠以外に敗北したのは生まれて初めて。しかも、仕事というガチの戦いで敗北。

 

「……うん。生まれて初めて負けた」

 

 すまし顔で見下している死神の顔を思い浮かべると、ムカムカする。

 ああ、本当に……こんな気分になったのは初めてだよ。

 

「……俺。こう見えて、負けず嫌いみたい」

 

 振り返り、ギラギラした目で笑う俺にはけが大きく息を呑んだ。

 見るとようことなでしこも驚いた顔をしている。えっ、なに? 負けず嫌いなのがそんなに意外ですか?

 はけは何やら懐かしそうに目を細めていた。微かに震える体を抑えている。

 

「その目……やはり血は争えませんね。若かりし頃の宗主と同じ目をされています」

 

 え? 若い頃のお婆ちゃん?

 

「ケイタもそんな目できるんだね。獲物を前にしたケモノっぽいっていうか、すっごい格好いいよ!」

 

 それは褒めているんですかようこさん?

 

「ワイルドな啓太様もステキだと思います」

 

 うん、ありがとう。でも素直に喜べないのはなんでだろうね?

 はけは沸き起こる震えを押し殺すようにして、努めて冷静に呟いた。

 

「いえ、どうかご命令を。そう申したかっただけです、啓太様」

 

 そう言って片膝をつく。まるで主に忠誠を誓う従者のような真摯さが感じられた。

 はけの隣に俺の犬神であるなでしことようこが並ぶ。

 

「……これは俺のわがまま。俺のせいで、なでしこたちを危険に晒すことになる。それでも、三人の命……俺にくれる?」

 

 傲慢な俺の問いかけに三人は一瞬の躊躇いなく即答した。

 

「ええ、この命。啓太様に捧げましょう」

 

 そう言っていつもの柔和な微笑を浮かべるはけ。

 

「もちろん。一緒にあの死神をぎゃふんって言わせようっ」

 

 ようこは悪戯っ子が浮かべるような笑みを浮かべ、力強いことを言ってくれる。

 

「はい。どこまでも、あなた様とともに」

 

 見るものを安心させるような優しい微笑を浮かべたなでしこ。

 俺の我侭のために命を預けてくれる三人。もし、俺が負けるとしても、お嬢様たちとこいつらだけは守らないと。

 そのためには万全の状態で迎えないといけない。

 人生を左右する戦いに備えるために、はけに家からとある物を持ってくるようにお願いしたのだった。

 

 




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第六十話「リベンジ(上)」

 三話目


 

 

 翌日、決戦の日。

 昨夜は熟睡できたため頭は冴え渡っている。昨日の戦闘での疲労や痛みもまったくないし、コンディションもオーケー。

 気持ちがはやる様子もなく、心も落ち着いている。これも仙界での修行で培った精神修行の賜物か。師匠にも「休息が必要な時に焦ってもどうしようもない。そういう時は何も考えず開き直ったように休むのじゃ」って頻繁に言われたなぁ。

 現在、俺たちは新堂宅の半壊した屋上で早めの夕食を取っていた。

 俺はスーツではなく普段着であるガラのTシャツにスラックス。そして黒のジャケット。ようこはお気に入りの洋服でなでしこはいつものメイド服に着替えていた。

 今晩のメニューは庶民はみんな大好きハンバーガー。もちろん大手企業マク○ナル○のやつだ。

 俺はビック○ックとてりやき、エビフィレオ。ようこはダブルチーズバーガーのセット。なでしこはフィレオフィッシュとサラダ、ポテトといったメニューだ。

 毎日なでしこの美味しい手料理を食べているからここ数年はこういうファーストフードを食べる機会がなかったけど、やっぱこういうジャンクフードもいいな。たまに無性に食べたくなる時があるし。

 

「このような粗末なものしか出せなくて申し訳ない」

 

 タキシードに身を包んだセバスチャンが申し訳なさそうな顔で言ってきた。

 思いっきりジャンクフードを堪能していた俺は思いっきり首を振る。

 

「……そんなことない。すごく満足」

 

「そう言っていただけると助かります」

 

 微笑むセバスチャン。

 すでにシェフやメイドは避難させており、現在館にいるのは俺たち啓太一家とはけ、お嬢様、セバスチャンの六人のみ。

 例年通りであれば死神は大体二十一時にやって来るという。現在の時刻は十七時を回ったところで死神がやって来るまで四時間はある。それまでに準備を済ませておかないと。

 

「ところで川平くん。その中に何が入っているの?」

 

 少しだけ元気を取り戻したお嬢様が腰につけたウエストポーチを見てそう聞いてきた。

 このポーチははけに頼んで家から持ってきてもらったものだ。この中には死神対策となる代物が眠っている。

 セバスチャンやようこたちも興味深そうに見ていた。

 

「俺のとっておき」

 

「ふぅん。よく分からないけど、期待していいんだよね?」

 

 まだ不安色が残る表情のお嬢様に大きく頷いてみせた。

 しかし、まさかこれら(・・・)も持ってくるとは思わなかった。いや、カバンに入ってるもの全部って言ったのは俺なんだけどね。

 

「……はけ、あいつには?」

 

「ええ、すでに連絡済みです。彼から一言『任された』と」

 

「……了解」

 

 快く引き受けてくれたあいつには頭が上がらない思いだ。貸しが出来ちゃったな。

 食べ終わった俺は腰のポーチから紙切れを二枚取り出し、お嬢様とセバスチャンにそれぞれ渡した。

 お札サイズの紙には梵字に似た神言文字がとても綺麗に書かれている。神言文字は仙界で習ったから俺も一応書けるけど、ここまで綺麗な文字は書けない。

 

「……それ、誰でも使える護符。結界を張るから、しばらくは安全」

 

 超お手軽な護符です。しかも大妖クラスの攻撃もシャットアウトする優れもの。

 合言葉は急々如律令だよ!

 

「……死神が来たら、特殊な結界で隔離する。逃がすつもりはないけど、万一も考えられる」

 

「なるほど、いざとなったらこれで身を守ればよろしいのですな」

 

「ん」

 

 あの結界は特殊なものだから、いくら絶大な力を持つ死神でも逃げられないとは思うけれど。

 

「……だから、死神が来たら二人を転移させる。転移した先に仲間がいるから、安心する」

 

「なにからなにまで、ありがとう存じます」

 

 低頭するセバスチャン。

 

「……いい。万全を尽くすのは当然」

 

 お嬢様は渡された札を胸元にギュッと胸に抱きしめ、かすれた声で呟いた。

 

「あ、ありがとう……」

 

 セバスチャンも、なでしこも、はけも。皆が微笑みを浮かべた。まるで子供を見守る大人のような優しい目だ。

 満面の笑みを浮かべたようこがお嬢様に抱き着く。

 ほっこりした空気が流れる。

 しかし、そんな空気を無粋な乱入者が乱した。

 

「……来た」

 

 突如、渦を巻いた漆黒の闇が床に現れた。

 まるで渦潮のように出現した闇の渦。その中央からズズズ、と招かれざる者が姿を見せる。

 烏の濡れ羽色のような髪に銀色の瞳。整った顔には涼し気な笑みが浮かび、漆黒のローブのようなものを纏っている。

 今回の依頼の討伐対象。長年、お嬢様たちを苦しめ続けた張本人。

 絶望と恐怖を支配する者。その名を【絶望の君】。

 死神と呼ばれる死を誘う神だ。

 

「契約を果たしに来たぞ、新堂ケイよ」

 

 死神はなぜか、玉座のような椅子に座ってやってきた。

 高い背もたれ。肘掛の先端にはそれぞれ宝玉のようなものが埋め込まれている。特殊な椅子なのか、それとも自身の力なのか、床から数センチ浮いていた。

 気丈にも睨み返すお嬢様の姿に一瞬眉を跳ね上げた死神は、その前に立ちふさがった俺たちに視線を向ける。

 

「ん? キミたちは昨日の少年少女たちではないか。今宵この場にいるということは、新堂ケイを守護するものと認識してよいのだな?」

 

「……当然」

 

「……絶対的力を見せつけられてなお、私の眼前に立ち塞がる、か。絶望どころか恐怖もしていない。……わからん。私にはまったくもって理解できないな」

 

 不可解な生物を見るような目を向けてくる死神。こいつに俺の心を理解できるとも思えないし、されたいとも思えない。

 死神はまあいい、と言葉を続けるとあの冷徹な微笑みを浮かべた。

 

「死に急ぐのであれば望み通り死を与えようではないか。恐怖に震え、絶望を抱き死んで逝くがいい」

 

 絶対的支配者ならではの態度。己の勝ちは揺るがないと確信しているが故の、傲慢な笑み。

 俺は無言でポーチに手を突っ込んだ。ようこにお嬢様たちをしゅくちでとある場所に飛ばすように指示を出す。

 その時、背後からお嬢様の張り上げた声が聞こえた。

 

「川平くん……! お願いっ、あいつを倒して! そして、絶対に生きて帰ってきてっ! 絶対よっ!」

 

「頼みましたぞ、川平さん!」

 

 その言葉に背を向けたまま親指を立てて見せた。

 

「ようこ」

 

「しゅくちっ」

 

 ようこがお嬢様たちをとある場所に転移させる。

 それを確認した俺は椅子に座ったままでいる死神を見据えた。

 

「追いかけない?」

 

「妨害者であるキミたちを排除してからでも遅くはあるまい。逃げたウサギを追う程度、大した労力ではないからな」

 

 なるほど。それはかえって好都合。

 それじゃあ、邪魔者はいなくなったし、決戦に相応しい舞台に行くとするか!

 改めてポーチに手を突っ込み、目当ての物を取り出した。

 

 

 

 1

 

 

 

 ケイとセバスチャンが転移した先には森の中の開けた空間だった。闇に包まれた空間を松明の灯りが照らしている。

 そこにはすでに啓太の協力者と思わしき人たちがいた。九人の女性と一人の男性だ。

 男性は柔和な微笑を浮かべながらやわらかい物腰で頭を下げた。

 

「お待ち申し上げておりました。新堂ケイさんとお連れの方ですね」

 

「あ、あなたは?」

 

 恐る恐る問いかけるケイに男性はにこっと微笑む。

 

「僕は川平薫。ここからは啓太さんに代わり僕らがお二人をお守りします」

 

 両手の指に嵌めた九つの指輪が、松明の炎で鈍い光を放った。

 

 

 ケイと薫が合流した頃、死神は啓太の取り出したものを見て眉を顰めた。

 啓太が取り出した物、それは手のひらに収まるサイズの水晶玉だった。

 透明なガラスの中には赤、黄、青、緑などの粒子が渦巻いており、見るものを魅了するような幻想的な光景だ。

 明らかに一般で販売されてる代物ではない。どこか神々しさすら感じさせる、その水晶を手にした啓太は。

 それを思いっきり、地面に叩きつけた。

 水晶が硬質な音を立てて砕け、中に閉じ込めてあった光の粒子が放散していく。光の粒子が虚空に溶けて消えると、周囲に異変が生じ始めた。

 なんと、空間にひびが生じ始め、剥がれ落ちていくのだ。

 剥がれ落ちた空間の先には、元の空間と同じ光景が広がっている。ひびは空、地面、空間全域に広がり、やがて世界が剥がれ落ちた。

 ようことなでしこが唖然とした顔で周囲を見回している。予め啓太から話を聞いていた二人ですらこの反応なのだから、なんの予備知識もない人がこの場に居合わせていたら世界が崩落したと勘違いしてもおかしくない。

 玉座に座った死神が感心した顔で呟いた。

 

「ほぅ、裏世界か。なかなか珍しい物を持っているな」

 

 崩落した世界の先には現世と瓜二つの世界が広がっていた。半壊した大邸宅、一部が崩れ抉れた山脈、美しい湖、空を流れる雲に星の数々。まるで世界そのものを模倣したかのような場所だ。

 しかし、そこには絶対的な違いが存在していた。

 それが、色。この模倣された世界は白と黒の二色のみで構成されており、さながらモノクロの世界だ。

 ここは通称、裏世界と呼ばれる場所。世界の裏側に存在する、もう一つの世界だ。

 

「……異空間のここなら、そう簡単に脱出できない」

 

「ふむ……確かに空間を超えるには私でも少々時間がかかるな。私を閉じ込めるという意味では最適解といえる」

 

 死神は辺りを見回しながら冷静に状況を分析する。死神にとっては不測の事態であるにも拘らず、その表情に変化はない。

 啓太は屈伸運動をして体を解し始めた。はけが懐から扇子を取り出す。

 

「……それに、ここなら被害の心配皆無。全力で戦える」

 

 全力を出せるという啓太の発言を聞き、死神の眉が一瞬跳ね上がった。

 

「全力か。昨日も全力だったと思うが?」

 

「違う。あれは本気。本当の意味で、全力じゃない」

 

「ほう。あれ以上のステージがあると? それは楽しみだ。精々、私を飽きさせないでくれたまえ」

 

 死神は椅子に座ったまま薄ら笑いを浮かべた。体を解し終わった啓太は振り返り、唯一戦えないなでしこに下がっているように告げる。

 黙って頷いたなでしこが端へと寄った。

 啓太は大きく深呼吸を繰り返す。

 そして、瞼を開くと、獰猛なケモノのような目で眼前の敵を睥睨した。

 

「……ようこっ、はけっ! まずは、あの椅子から叩き落す!」

 

「うんっ!」

 

「はい!」

 

 啓太の合図にまずようこが飛び出した。鋭く伸ばした爪が死神を狙う。

 

「鬼ごっこかね? よかろう」

 

 玉座のような椅子の肘掛、その先端部に埋め込まれた宝玉が光り出すと、椅子そのものが滑らかに動き出した。

 まるでカートのような駆動。床から数センチの高さを維持しながら椅子が高速で移動し、ようこの爪を避けていく。

 本人ではなく椅子を動かして攻撃を避ける死神。そのふざけたような態度にようこの頭に血が上るが――。

 

「……ようこ、冷静に!」

 

 啓太の鋭い声にハッと正気に戻った。そして、鋭い目で死神を睨みつけながら、再び爪を振るう。

 そのようこをサポートするため、後方でははけが扇子を片手に舞っていた。

 見るものを魅了するような、優雅な舞踊。しかし、所作の一つ一つに意味があり、扇子を振るうたびに霊力が増していく。

 そして、舞が終わると閉じていた目を開き、バリトンがきいた声で呟いた。

 

「破邪結界二式・紫刻柱」

 

 高速移動していた椅子の進路上に紫色の結晶が現れた。分厚く大きい結晶は半円状に展開されており、軌道を修正してはようこの爪に捕まってしまう。

 椅子の肘掛に埋められた宝玉が一瞬輝き、一筋の光線を放った。しかし、それは結晶の表面を十数センチ削っただけに留まる。

 予想以上の強度だ。絶望の君が愛用する【冥府の玉座】に備わったレーザーは厚さ数十センチの鉄鋼を容易に貫通できる。そのレーザーでさえ結晶を貫くことが出来ない。

 ならばと、死神は右手から神力の塊を放った。砲弾のように放たれたエネルギーの塊は結晶に直撃すると、今度は粉々に撃ち砕く。

 

「……あれを砕きますか」

 

 かなりの防御力を誇る結界術を力尽くで打ち破られたはけは顔を顰めた。

 そんなはけに何でもないような顔で啓太が告げる。

 

「……想定内。準備にちょっと時間掛かる。一分、持たせて」

 

「はい、わかりました」

 

 了解の言葉を聞いた啓太は目を瞑り、その場で蹲った。

 身体操法で、体の隅々を随意的に動かせるように、意識の糸を伸ばしていく。

 そんな啓太の様子を尻目に、はけは再び舞い始める。

 舞いながら、じゃえんを組み合わせて神を追いかけるようこへ声を掛けた。

 

「ようこっ、合わせなさい!」

 

「……っ! おっけぇ~!」

 

 はけの意図を察したようこは準備が整うまで猛攻を仕掛ける。炎を纏わせた爪を振るい、炎の爪撃を放った。

 

「新技、じゃえんそうっ!」

 

 半円を描くように高速移動する椅子に座りながら、笑みを濃くする。

 

「ほう、少なからず成長しているようだな。だが無意味だ」

 

 宝玉から放たれる数条の光。

 光の筋は炎の爪を散らし、進路上にある建物の壁を穿った。

 ポッカリ穴が開いた壁には見向きもせず、再び爪に炎を纏わせて身構えるようこ。

 その時、後方からはけの声が聞こえてきた。

 

「いきますよ、ようこ! 破邪結界二式・紫刻柱」

 

「うんっ! くらえ、大じゃえん!」

 

 死神を取り囲むように結晶の壁が出現。

 そして、完全に逃げ場がなくなった死神を炎の渦が包み込んだ。四方を結晶の壁が取り囲んでいるため、必然的に炎の逃げ道は上空となる。

 空に伸びた結晶の壁の中から炎の柱が噴き出た。

 

「やった! これで椅子は黒コゲでしょ!」

 

 会心の笑みを浮かべるようこ。しかし、はけの表情は厳しいままだった。

 炎の勢いが弱まり、囲っていた結晶が役目を終えて砕け散る。

 もうもうと立ち込める煙が晴れると、そこには変わらず椅子に座った死神がいた。

 球状に展開された半透明の結界が椅子ごと死神を守ったのだ。

 

「この【冥府の玉座】は私のお気に入りでね。座り心地はもちろんのこと、このように自動で障壁を張ってくれるのだよ。私には無縁の機能だが、なかなか便利であろう?」

 

 椅子を囲っていたバリアが消える。椅子には焦げどころか、煤一つ見当たらなかった。

 悔しそうに歯軋りするようこ。はけも目を細め、どう動くべきか考え始める。

 

「もう終わりかね? では、今度はこちらが鬼となろう。さあ、逃げ惑え」

 

 肘掛に埋められた宝玉が一際強く輝き出す。

 そして、椅子が再び加速する、まさに初動の時。

 一陣の風が吹き抜けた――。

 

「……な、に?」

 

 大じゃえんを放つため妖力を溜めていたようこも、破邪結界の奥義を視野に入れたはけも、離れたところで手を組んで戦いの趨勢を見守っていたなでしこも。

 そして、圧倒的な力を持つ死神本人ですらも、その風を認識することはできなかった。

 風が吹き抜けると同時に椅子ごと、死神の体に無数の線が入る。

 一瞬の間を挟み、死神と椅子はバラバラに分割された。

 

「ケイタ……?」

 

 死神がいた場所の遥か後方。

 一振りの刀を手にした啓太が佇んでいる。しかし、その姿は普段と少しだけかけ離れていた。

 まず肌の色が全体的に赤銅色に変わっている。実践的に鍛えられたしなやかな筋肉も普段より浮き彫りになっていた。

 変貌したと言っても差し支えのない代わり映え。戸惑いを隠せないようこの声に啓太が振り返る。

 その目は、真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 2

 

 

 

 赤銅色に染まった肌。彫刻のように浮き彫りになった筋肉。そして、充血により染まった真っ赤な目。

 変身、または変貌を遂げた啓太にようこたちは戸惑いを隠せないでいた。

 自身に起こった変化を説明しようとする啓太を遮る形で、絶望の君が納得したように喋った。

 

「――なるほど、それがキミの言う全力というやつかね? この私も視認できない速度で近づき、一瞬で細切れにするとは。いささか驚いたぞ、川平啓太よ」

 

 十八のパーツに分割して首も両断されているのにどうやって喋っているのか、啓太たちは見当もつかない。

 血の一滴も流れない体が独りでに動き出し、元の形に復元していった。

 ダメージが通らないのは予想済みであったのか、啓太は特に反応を示さない。とりあえず、自分の変化を説明することにした。

 

「……身体操法による、脳内リミッターの解除。膂力の大幅な上昇、治癒力の促進、脳内物質の分泌で、恐怖心の除去、その他もろもろの効果」

 

 まあ肉体に掛かる負荷が半端ないけど、と言葉を締めくくる。

 身体操法とは武の仙人である東方神鬼が生み出した技法である。その名の通り、体――すなわち、神経、筋肉、内臓など体そのものを意のままに操ることに終始しており、極めれば超常現象さえも発生させることが出来る。

 仙界で東方神鬼に師事をした啓太はこの技法の基礎的な知識と技術を教わり、過酷な修行を経てある一定の領域にまで足を踏み入れることに成功した。

 しかし、そのリスクはあまりにも大きく、師である東方神鬼から「引けぬ戦い以外使用を禁ずる」と言明された。

 そのリスクを有する領域というのが、脳内リミッターの解除による身体能力の強化。

 リミッターは全部で五つあり、一つでも解除すれば一時的にではあるが超人的な肉体を得ることができるのだ。リミッターを多く解除すれば、それに比例して身体能力も強化されていく。

 しかし、これは諸刃の剣であり、強化の度合いに応じて肉体的負担も半端ない。なにせ、筋力が強すぎるが故に骨が耐えられないのだから。

 膂力を強化すると同時に自然治癒も極限まで向上しているため、動くたびに骨が折れ、修復されていく。

 今の啓太は生物の限界に挑んでいる、いわば極限の状態。

 脳内リミッターを解除した今の姿を『極限体』という。

 

「……見せてやる。俺の全力を」

 

 脳内リミッターの二番まで解放した啓太は創造した刀を下段に構えた。

 この刀も霊力の半分以上を消費して創った特別製。リミッターを外した爆発的な膂力でも耐えられる強度を誇る。

 

「ふっ、威勢がいいな。大言を吐くのもいいが、精々飽きさせないでくれたまえ」

 

 玉座が解体された死神が降り立つ。いつぞやのように屋上で対面する啓太と絶望の君。

 最初に動いたのは啓太だった。

 一歩踏み込んだ。ただそれだけの動作。

 爆音を轟かせて、啓太が立っていた場所から後方の床が反動により吹き飛んだ。

 音を置き去りにして死神の真横に移動した啓太はさらに一歩踏み込み、美しい波紋が刻まれた刀を横薙ぎに振るう。

 ピッ、と空気を切る音とともに、銀の残光が軌跡として残った。死神の腰に一筋の線が生まれる。

 返す刀で数ミリ下の位置を同じく斬る。

 再び数ミリ下げて刀を一閃。

 もう一度返す刀で数ミリ下を輪切りに。

 何度も何度も。

 そして、傍目からすると、啓太が最初の一刀を振るい終わると同時に。

 死神の腰から下が薄くスライスされていった。往復した回数、およそ五十七回。それを一息で行ったのだ。

 あまりの早業に斬られた本人である死神も反応できなかった。気がつけば腰から下が輪切りにされていたという認識が正しいだろう。

 おや、と自分の体に違和感を感じ目線を下げる死神。その一瞬の隙をつき。

 

「……ふんっ!」

 

 啓太の回し蹴りが放たれた。ぶちぶちっと大腿四頭筋の筋繊維が断裂するが、お構いなしに振り抜く。

 残像を生む右足が絶望の君の胸部にクリーンヒットすると、轟音を響かせて死神の上半身が一瞬で消し飛んだ。

 輪切りにされた下半身をその場に残したままで。

 建物から数百メートル離れたところで重い衝突音が鳴り、土煙が発生した。啓太の回し蹴りを食らい、死神の上半身がそこまで吹き飛んだのだ。

 あまりの威力に呆気にとられるようことなでしこ。はけも驚いた表情で啓太を見ていた。

 

「……はけ、ようこ。大丈夫?」

 

「あ、はい。大丈夫です。少々驚いただけで」

 

「う、うん」

 

「……驚くのも無理はない。でも今は戦いに集中する」

 

 啓太の言葉に神妙な顔で頷いた。

 残された死神の下半身が液状に溶け、消えていく。その様子を見ていた啓太たちは身構えた。

 数百メートル先、死神の上半身があるであろう場所が一瞬光った、刹那。

 極大の光線が迫ってきた。ダークブルー色の光の本流は建物を呑み込むほどの大きさを持つ。

 

「ケイタっ!」

 

「こっちは大丈夫っ」

 

 ようこの言葉に頷いた啓太はその場で横っ飛びをする。極限体での横っ飛びは一瞬で啓太の体を屋外へと放り出した。

 ようことはけ、そしてなでしこも空を飛び、光線の射線上から逃れる。

 全員が射線の上から回避すると、極大の光線が大邸宅を呑み込んだ。

 ダークブルー色の光の本流はまさに魔砲。モノクロの邸宅は跡形もなく消し飛んでしまった。

 啓太は空中で体を捻り体勢を整えると、着地の姿勢を取る。五階建ての建物と同等の高さから飛び降りたにもかかわらず、着地に成功した。

 ズドンッ、と重々しい音が鳴り、地面が陥没する。同時に大腿骨が折れるが直ぐに修復された。

 はけとようこも遅れて啓太の隣に降り立った。なでしこのみ、離れた場所に着地する。

 

「うわぁ……。ケイのお家、跡形もなくなっちゃった」

 

 振り返り、ケイの家があった邸宅を見て呆然とつぶやくようこ。

 邸宅が建っていた場所には建物の基礎である下部構造の跡が見てとれた。

 そして、破壊の痕は楕円状に削れた地面が直線となって地平線の彼方へと続いていた。森や林、山なども光線が通ったところだけ綺麗に無くなっているのだ。

 明後日の方角から上半身だけの死神が宙を浮いてやってくる。

 ふよふよ宙を漂う死神は漆黒のローブをはためかしながら、上空から啓太たちを見下ろした。

 

「なかなかの身体能力だ、川平啓太よ。では、今度はこちらも攻撃するとしよう」

 

 切断面から下。下半身に相当する部位に闇が渦巻き、体を形成していく。

 ものの数秒で元の姿に戻った死神が大きく両手を広げると、自身を取り巻くようにダークブルー色の球体が複数出現した。

 

 拳大ほどの球体は死神から離れて独りでに空中を飛び交い始める。

 

「踊り狂うがいい。一夜の狂宴(リバティ)!」

 

 そして、球体から直径一センチほどのレーザーを射出し始めた。

 無秩序に飛び交う球体に合わせ、レーザーも無茶苦茶な軌道を描く。そのため、予測は困難だ。

 啓太たちは散開して地面に線状の焦げ跡を残すレーザー群から逃れる。

 ようこは走り、しゃがみ、ジャンプしてケモノのように俊敏な動きでレーザーを回避。

 はけは自分に当たるレーザーだけを最小の動きで紙一重で避け続け。

 啓太はというと。 

 

「……しゃらくさいっ!」

 

 眼球の動きを司る動眼、滑車、外転神経や反射神経も強化しているからか。それとも外眼筋の強化によるものか。はたまたこの二つが合わさった結果なのか。

 見切れるはずのないレーザーを目で追い、手にした刀で切り払っていく。

 そして、跳躍し無秩序に動き回る球体を切り裂いた。

 瞬く間に二つ、三つとレーザーを射出し続ける球体を斬り落としていった。

 

 

 

 3

 

 

 

 はけは胸の奥から沸き起こる感情に、ぶるっと体を震わせた。

 彼の主であり啓太の祖母でもある川平(かやの)以外の指揮下に入ったのは今回が初めてだった。

 自分が望み啓太の指揮下に入ったとはいえ、初めての、しかも土壇場での戦い。息が合うのか、コンビネーションはどうするのか、配置など不安要素はあった。

 しかし、いざ啓太の指揮の下、戦ってみればどうだ。

 それまでの不安要素はすべて消し飛び、ただ一つの感情に捕らわれてしまった。

 楽しい。啓太とともに戦うのが、ただただ楽しい!

 我を見失うのではないかと危惧してしまうほどの高揚感に包まれる。

 自分がここまで気分を高揚させるなど一体何年ぶりだろうか。まだ彼の主が年端もいかない少女だった頃にまで遡らないと思い出せない、それほど久しいことだった。

 

「破邪接破二式・紫弾時雨」

 

 開いた扇子を使い舞うと、はけの周囲に結晶の塊が形成されていく。

 その数、二十。直径五十センチほどの結晶は弾丸の如く放たれ、宙に浮かぶ死神を狙う。

 死神は空を自由自在に飛び回り、結晶を次々と回避していくが、そこにようこも加勢してきた。

 

「じゃえん、連射ば~じょん!」

 

 小さな炎の塊を次から次へと射ち出していく。

 はけの結晶とようこの炎が合わさり、空間を瞬く間に埋めて弾幕を作り出した。

 

「避けれぬなら打ち破るまで。相反する螺旋の妙法(ライドロイド・リムーバー)!」

 

 両の手の平の上に一メートルほどの球体を生み出した。

 ダークブルーの球体をそれぞれ打ち出すと、二つは互いに絡み合い、螺旋の軌道を描きながら紫と赤の弾幕へ飛んでいく。

 雨あられのような妖術に飲み込まれた二つの球体はやがて大爆発を起こし、周囲の弾幕を飲み込み消し飛ばしてしまう。

 爆風が辺りの木々や土砂、アスファルトの破片を吹き飛ばした。

 

「くっ、予想はしていましたが、これは厳しい戦いですね……」

 

 厳しい表情のはけ。

 これまでの激しい攻防で、美しく整備された土地がまるで更地のような変貌を遂げてしまっている。

 

「しかし、才はあると思っていましたが、まさかこれほどの資質だとは……。血、ですかね」

 

 そう独白する。

 初めて啓太の指揮下に入ったはけは彼の非凡な才能を肌で感じていた。

 犬神使いには二つの能力を求められる。一つは指揮する者としての力。客観的に分析し、状況に応じて臨機応変に戦うことができる司令塔の能力。

 犬神使いを目指す多くの者がなぜ、強靭な肉体を作るのか。なぜ死ぬ思いをしてまで自らの肉体を、そして技を磨くのか。啓太と戦えばその答えを嫌というほど体感できるだろう。

 犬神使いと聞いて多くの者が後衛だと、犬神が前衛だと勘違いする。犬神を潰せば指揮官である犬神使いは無力化される、そう勘違いするのだ。故に、犬神使いは前衛を倒したことで油断するその隙を狙い、体術で不意を突く。そして犬神使いのペースに巻き込むという戦法を取る場合が多い。それも間違いではない、犬神使いとしての一つのあり方だろう。

 だが、啓太は違う。彼は後衛であると同時に前衛なのだ。

 司令塔である自分からあえて突撃する。そのため多くの者が後方支援に徹するとばかり踏んでいたがために虚を突かれ、接近を許してしまう。

 霊力で強化した身体能力、そして身体操法による最適な体の動かし方の学習。だめ押しとばかりに先天的な異能である【霊力を物質化する力】での武器の創造。その三つが合わってようやく、啓太の前衛としての力が発揮されるのだ。

 自分から接近戦を持ちかけて縦横無尽に駆け回り、攻撃を仕掛け、隙を作る。その決定的な隙を逃さず、犬神に指示を出す。それが、啓太の犬神使いとしての戦い方であり、司令塔としての才能だった。

 

 そして、もう一つ犬神使いに要求される能力というのが犬神の力――ポテンシャルを引き出すという点。

 はけが犬神たちの中で最強に近いとされている理由の一つが結界術による絶対的な防御力だ。しかし、はけの能力を最大限引き出すことができるのは、彼の本来の主である榧ただ一人。

 川平最強と謳われる宗主の圧倒的な攻撃力。矛があって初めて盾も輝く。故に絶対的な防御力を誇る盾も、矛の役を担う宗主がいないと力が半減してしまうのだ。

 だが、今はどうだ。半減するどころか上がっているではないか。

 先ほど放った紫弾時雨も本来なら一センチほどの結晶のはず。それが本来の五十倍の大きさで作り出せたのだ。

 まるで自分の力が際限なく引き出されていくような、そんな信じられないような感覚。歳が若返って行くかのような、そんな荒々しい、猛るような感情が自分を支配している。

 この感覚はそう、初代の下で大妖狐と戦ったあの日以来だ。

 

 まるで二人が一つになったかのような錯覚。心が触れ合っているようなそんな感覚。言葉にするなら一心同体、以心伝心といったところか。

 啓太は決して細かな指示を出さない。ただようこ、はけと名前を呼ぶだけ。しかし、それだけで彼が何を考え何を望んでいるのかが手にとるように分かる。指先で、体のゆらぎで、目の動きで、声のトーンで、攻撃や防御のタイミングを逐次犬神たちへ伝えているのだ。

 死神はそれに全く気付かない、いや気づくことなどできないほどの小さな動き。だがそのすべてをようことはけは感じ取り、その意を酌み取る。

 それが啓太の犬神使いとしての力。天賦の才だった。

 

「ふっ、ようこが羨ましいですね」

 

 過激にして苛烈な啓太の指揮。それを毎回味わっていると考えると少しだけ、ようこが羨ましかった。

 

「あなたも、早く啓太様の下で戦える日が来るといいですね。そんな日が来るのを願っていますよ」

 

 はけが向けた視線の先には、離れたところから祈るように啓太たちを見つめているもう一人の犬神の姿がいる。

 

「人間にしてはなかなか粘るではないか。ならば――」

 

 宙に浮かんでいる絶望の君は更なる試練を与える神のように次の攻撃を繰り出そうとする。

 

「させない! ようこっ」

 

「まかせて! しゅくち!」

 

 ぴっと指を立てたようこが啓太を死神の背後へ転移させた。

 一瞬で背後を取った啓太は引き絞った右足で思いっきり、無防備な背中を蹴りつけた。 

『極限体』での爆発的な蹴り。

 

「ぬぅっ」

 

 弾丸のように地面へ加速していく死神を強烈な空気抵抗が襲う。

 轟音を響かせて、地面に激突。

 まるで隕石が落下した跡のように大地が窪み、うつ伏せの状態で死神が埋まっている。

 しかし、啓太の攻撃はまだ終わらない。

 

「はけっ」

 

「はい!」

 

 はけが扇子を一閃すると、啓太の背後に小さな結晶が出現した。

 それを足場として利用し、真下に向けて加速する。

 一筋の流星と化した啓太は拳を強く握り締め、うつ伏せの状態でいる死神の背中に突き刺した。

 衝突に耐え切れなかった拳の骨が砕け、前腕の骨が折れる。だが、すでに痛覚を遮断しているため痛みは感じない。極限まで促進させた治癒力がすぐに骨を修復していく。

 衝撃が死神を基点に波紋のように広がり、地面がところどころ大きく隆起した。

 圧倒的な破壊力だ。人間が出せる力とは到底思えない。

 これまでの攻防ですでに建物は消滅し、地面は抉れ、焼け焦げ、隆起していた。自然破壊と呼んでも差し支えのない光景が広がっているが、ここは裏世界。

 いくら被害を出そうが、自然を破壊しようが、現実世界にはなんの影響も及ばないモノクロの世界だ。

 

 




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第六十一話「リベンジ(中)」

四話目


 

 

 地中に埋没していた死神が辺りの土やコンクリートを吹き飛ばして姿を現した。

 胸部には拳二周りほどの穴がポッカリ開いていて、向こう側の景色が覗いて見える。

 穴がゆっくりゆっくり塞がっていく。絶望の君が土埃で汚れた黒のローブを脱いだ。

 

「下等な人間風情が、この私に土を着けさせるとは……!」

 

 初めてローブを脱いだ絶望の君。その姿は少々異様なものだった。

 体幹と上肢。首から下の上半身を余すことなく黒い包帯で覆われていたのだ。何重にも巻かれた姿はまるでミイラや重症患者のようにも見える。

 そして、その表情にも変化が見受けられた。それまで余裕の笑みを浮かべていた絶望の君だが、今はその余裕も消えている。どうやら遊び(・・)は終わりのようだ。

 

「貴様らはただでは殺さん。泣いて許しを乞い、己の運命を呪いながら苦痛にまみれて死ね!」

 

 パチンと指を鳴らすと地面に直径三メートルほどの魔方陣が浮かぶ。

 ダークブルー色の魔方陣が輝くと、中央からナニかが這い出てきた。

 

「紹介しよう。私の眷属マグルアントリオのポチだ」

 

 それは異形の生物だった。見上げるほど大きな体は一軒家ほどの高さ。鋭い目から獰猛な気配が窺え、びっしりと生え揃っている牙で咬まれたら一たまりもないだろう。

 分厚い二本の足で立ってはいるが、どっしりしているため俊敏な動きをするとは思えない。大きな尻尾は根元から先端にかけて円錐状に狭まっている。

 ぱっと見た感じの第一印象は二足歩行する小ぶりの怪獣。ゴ○ラをもう少し人型にしたような感じか。

 死神はその鋭い目で啓太たちを睥睨していながら、意外と大人しくしている眷属の足を撫でた。

 

「マグルアントリオは冥府の最下層に住み着いているモンスターでね。声帯が異なるため話すことはできないが、人間並みの知能を持っている。この図体で魔法も使えるのだぞ?」

 

 自慢げに自分のことを話してくれる主人に眷属のポチは咆哮を上げた。喜びからくる咆哮なのだろうが、その巨体で発せられる声は一種の攻撃である。

 声、というよりは音による衝撃が啓太たちを襲った。吹き飛ばされそうになるのをぐっと堪え、両手で耳をふさぐ。

 

「貴様ら程度が相手ではいささか過剰戦力となるが、まあよい。」

 

 圧倒的優位を確信しているのか余裕を見せる絶望の君。そんな死神を視界に入れながら、はけは小声で啓太たちに話しかけた。

 

「啓太様。この状況で戦力が強化されるのはあまり望ましくないでしょう。なので、あの者は私が引き付けます」

 

 三人でようやく拮抗していた中、はけが抜けるということは単純に戦力が減少するということ。必然的に厳しい戦いを強いられることだろう。

 しかし、はけの言葉ももっともだった。見ただけで攻撃特化なのは分かるし、何より魔法も使ってくるとなると、同時に相手をするのは下策。

 そう考えた啓太はただ一言だけ聞いた。

 

「……大丈夫?」

 

 自身の身を案じてくれる啓太に柔らかな微笑を浮かべたはけは力強く頷いて見せた。

 

「ええ、もちろん」

 

「……気をつけて」

 

「はい、啓太様も。ようこ、頼みましたよ」

 

「うん。はけも気をつけてね」

 

 ようこの言葉に微笑み返したはけは巨大な生物の前まで歩み寄った。

 小さな獣がやってきたのを見てジロッと睨むポチ。自分を前に余裕の表情を浮かべている小さな獣を見て、ポチは内心イライラした。

 冥府にいた頃は誰もが自分を恐がっていた。自分を恐れなかったのは己より強者であった主のみ。

 ポチは今すぐこの無礼な獣を自慢の爪で切り裂いてやりたかった。しかし、まだ主の命令は下されていないため大人しく待機を続ける。ポチは主の忠臣なのだ。

 無謀にも一人で眷族の前に立ったはけを見てポチに命令を下す、それよりも早く。

 

「申し訳ないですが、あなたには私に付き合ってもらいますよ。破邪結界四式・孤月荘!」

 

 はけが扇子を一閃すると、激しく結晶が吹雪く。あっという間に視界を遮り、一体と一人を結晶の風が飲み込んでしまった。

 そして、結晶の吹雪が止むと、二つの影はすでに居なくなっていたのだ。どうやら転移の術で別の場所へ移動したらしい。

 眷属が転移するのを見た死神が顔を歪める。思惑が外れてしまい激昂しているようだ。

 

「下等生物が、どこまで私を不快にしてくれるな……っ! よほど死に急いでいるとみえる」

 

 死神の体から凍てついた霊力が立ち上る。それと同時に威圧感も感じられるようになった。

 啓太たちの動きを阻害するほどの威圧感ではないが、明らかに死神の態度が変わった。

 それまでは啓太たちを格下の相手としてみて舐めてかかっていたが、ここにきてようやく敵と認識し直したのだ。

 神族至上主義である絶望の君にとって、人間は明らかに種族として劣っている下等の生物だ。死を運ぶ者として多くの人間を見てきた絶望の君は人間がいかに脆く、醜く、弱い存在だというのを知っていた。

 そのため、下等な種族である人間に初めて虚仮にされた絶望の君は腸が煮えくり返る思いに襲われていた。

 

「……ようこ、気張っていくぞ!」

 

「うんっ!」

 

 はけが抜けて厳しい戦いが強いられるなか、気合を入れ直した啓太は刀を強く握りしめた。

 地面を陥没させて弾丸のごとく飛び出す啓太。風を纏いながら一瞬で背後を取った啓太は、無防備な背中に向けて刀を横薙ぎに振るった。

 圧倒的な強さを誇る絶望の君だが、『極限体』のスピードには追いつけないことが分かっている。

 予想通り、刀が死神の体を切り裂くが――。

 

「……残像っ」

 

 刀が通過すると死神の体が揺らぎ、掻き消えてしまった。 

 それが死神の残像であると気がついた啓太は咄嗟に振り返りつつ、刀を立てた。

 

「ぬん!」

 

「……っ!」

 

 啓太の背後に回りこんでいた死神が無造作に右ストレートを放つ。

 間一髪のところ刀でガードすることに成功した啓太であったが、押し負け、弾かれたように吹き飛んだ。

 アスファルトを砕き、土煙を巻き上げながら地面の上をバウンドしていく。

 

「ケイタっ!?」

 

「貴様も主とともに逝くがいい」

 

「きゃあ!」

 

 瞬間移動並みの速さでようこに接近した絶望の君は彼女の頭を鷲掴みにすると、啓太の許に投げつけた。

 砂煙を上げて啓太のそばに転がる。お気に入りの洋服が汚れ、破けてしまっていた。

 死神は右手の平を天に掲げた。

 手のひらに闇が集い始め球体を形成していくと、やがて直径五メートルほどにまで膨れ上がった。

 宙に浮かび、自身の身長以上ある球体を啓太たちへと向ける。

 そして――。

 

「消し飛べ下等生物どもっ、身の程を弁えよ! 破滅に導く死の光(ニュートリノ・レーザーカノン)!」

 

 巨大な球体が一回り小さくなると中央から極大の光線が射出された。

 バチバチとスパークしながら放たれた光線は間違いなく、ケイの邸宅を消し飛ばしたやつだ。

 啓太は転がっていたようこを抱き起こすと直ぐにその場を離れた。

 超人的な脚力で空高く跳び上がり、数十メートル先の大木の枝に飛び移る。

 自分たちが少し前までいた場所を光の本流が駆け抜けるのを見届けた啓太たちは、その惨状を目にして厳しい顔つきになった。

 

「……アレはまずい」

 

「うん。あんなの食らったら一溜まりもないよ」

 

 啓太たちの視線の先には、進路上の木々などを消し飛ばして出来た新たな道が延々と続いていた。

 そう、山脈を穿ち、地平線の彼方まで。

 ここが現実世界に影響を及ぼさない裏世界だからよかったものの、もし向こうの世界だったらと考えると、相当の被害が発生したことだろう。

 山をくり貫いたかのように貫通してしまっているのだから、人の目をごまかすのにも限界がある。

 つくづく、この場所を選んでよかったと、改めてそう感じた啓太であった。

 

 

 

 1

 

 

 

 啓太たちと死神の戦いを離れた場所で見守っていたなでしこは強烈な葛藤に苛んでいた。

 啓太の切り札と思われる技には驚いたし、変貌した姿に戸惑いはしたけれど、それに見合う力が今の啓太にはある。間違いなく、今の啓太は人類最強に近い存在へとなっているといえる。

 しかし、相手は大地を抉り、山々を消し飛ばして風景すら変えてしまうほどの破壊力を持つ死神。一撃でも受けてしまえば、いくら啓太といえども一溜まりもないだろう。人間である以上、肉体が耐え切れるわけがないのだから。

 主とともに戦場を駆ける同僚の顔を見ると、今すぐ飛び込んで行きたい気持ちに駆られる。

 ――ケイタと一緒に戦うのが楽しい! ケイタとならどこまでもいける!

 そう全身で喜びと楽しみを表現しているかのようだった。

 

 ――今すぐ駆けつけたい。ようこさんと並んで、啓太様と一緒に戦いたい!

 

 そう思う一方、脳裏を過ぎるのは遠い記憶。

 苦い過去の出来事と、その時の誓いが今のなでしこを見えない鎖で縛り上げていた。

 

 

 三百年前、その頃のなでしこは今とは違い、少々活発な少女だった。犬神の中でも抜きん出た力と才を持って生まれ、ひまわりのような明るい笑顔をよく見せていた。

 そして、なにより戦うのが大好きだった。一種の戦闘狂。しかし、犬神の山で自分より強い相手はいないため、全力で戦うような機会はなかった。

 奴が現れるまでは。

 当時から『犬神の山』に住み着いていた犬神たちの許にとある妖が手ぶらでやってきたのだ。

 そして、まるで近所に挨拶をしに来たようなノリでこう言った。

 

『気に入った! 今日からここを俺の縄張りにするから!』

 

 身勝手かつ子供のような理論で犬神たちと敵対したのだ。

 もともと犬神は力のある妖であり、犬神の山には数十匹という同胞たちが暮らしていた。さらには盟友である川平一族の助力もあることから、たかが敵一人追い出すのは容易だと誰もが考えていた。

 しかし、その考えはあっさりと打ち砕かれる。この敵が大妖と呼ばれる妖の中でも別格の存在だったのだ。

 活発だった少女のなでしこも、この大妖と戦った。

 犬神の中でトップの実力者だった当時のなでしこは、自分と互角に戦える敵が現れたことに心を躍らせていたのだ。

 

 ――この人、すごく強い!

 ――楽しい! 戦うの楽しい!

 ――もっともっと、戦いたい!

 

 自分の力を惜しみなく振るう快感。戦闘による高揚感。これらすべてがなでしこにとって麻薬のような効果をもたらした。

 いつしか戦いに夢中になり、周囲の被害も省みずに暴れ狂った。この時の彼女は周りのことが見えておらず、ただただ戦うのに溺れていた。

 その結果、近くにあった人間の村を巻き添えにしかけたのだ。

 自分が放った攻撃を受け止めてくれたのは、皮肉にも敵対していた大妖だった。

 大妖は身を盾にして人間たちの村を守ると、なでしこを「なに考えてるんだ、バカ!」と叱った。

 そこにきてようやく自分が何を仕出かしたのか理解した。

 周りを見れば山や森が破壊され、仲間は巻き添えをくらって怪我をしている。

 そして今、危うく本来守るべきはずの人間の村を自分の手で壊すところだった。

 

 生まれて初めて、なでしこは自分の力に恐怖を感じた瞬間だった。

 一旦戦いを始めてしまうと没頭してしまう、戦闘狂としての性。それをようやく理解したなでしこは自責の念にとらわれた。

 そして、誓ったのだ。もう二度とこの力は使わないと。誰かを不幸にする力はあってはならないと思うから。

 なでしこは自分の力を封じて、それを手の届かない場所――天に預けた。

 これが、なでしこが『ならず』である理由である。

 

 

「啓太様……ようこさん……っ」

 

 どこか泣きそうな顔で見つめる視線の先には、激戦を繰り広げている主と友達の姿がある。

 破壊の化身と称してもおかしくないほど、圧倒的な力を振るう死神。一撃でも当たればすべてが終わってしまう状況の中、啓太とようこは果敢に戦っていた。

 その驚異的な身体能力で敵を翻弄し、攻撃を確実に入れる。そして時にはわざと隙を作って相手を誘導させ、ようこに攻めさせる。

 まるで神話の戦いを再現したかのような、そんな光景が広がっていた。

 

「――人間風情が、図に乗るなぁッ!!」

 

「ぐぁは……っ!」

 

 厳しい猛攻の嵐の中、とうとう死神の放った一撃が啓太を捕らえた。

 啓太は強烈なボディブローを叩き込まれ、くの字に折れ曲がる。あまりの威力に呼気がすべて漏れた。

 そして、無防備な背中へ向けて組んだ両手を鉄槌のごとく叩きつけた。

 すでに限界ギリギリで戦っていたのか、地面に激突して『極限体』の状態が解けてしまった。赤銅色だった肌が普段の肌色に戻り、筋肉も萎んでいつものしなやかな肉体へと変わる。

 地面に埋まって動かない啓太を見て、ようこの表情が一変した。

 

「この……っ、よくもケイタを!」

 

「吠えるな、うっとうしいっ」

 

「きゃぁ!」

 

 激昂するようこの攻撃を正面から受け止め、殴り飛ばす。

 重い音とともに吹き飛んだようこは大木に激突すると、力なくずるずると腰を落としていった。

 

「いや、いやぁ……っ」

 

 なでしこは涙目になりながらその様子を眺めていた。

 自分は何をしているのだろうか。なんで何もせずにジッと眺めているだけなのか。

 己の在り方がひどく歪に感じてしまう。

 このままだと、このままだと取り返しのつかないことになる。

 三百年前の、あの日以上の後悔を背負うことになる――!

 

「ふん、下等生物風情が手こずらせおって。苦しみを与えられないのが残念だが、せめてもの慈悲だ。このまま送ってやろう」

 

 宙に浮かんだ絶望の君は頭上に球体を形成し始めた。

 徐々に徐々に大きくなる球体は、やがて数十メートルという巨大なサイズへと成長していく。

 あんなのが降ったらここら一体が吹き飛んでしまう。啓太もようこも気を失っているから、避けられない!

 

「では、さらばだ。少年少女たちよ」

 

 最後の別れを告げて、巨大な球体を落下させる。

 なでしこは震える体を叱咤していた。

 

 ――動け、動きなさいなでしこ! 啓太様たちを見殺しにするつもりなの!?

 

 震えるだけでなかなか動こうとしない体。まるで自分の体じゃないかのような錯覚を覚え、焦りばかりが募る。

 

 ――せっかく出来たお友達なのに! せっかく出会えた主様なのに!

 

 もう一人の自分に語りかけるように、必死に心の中で声を張り上げ続ける。

 

 ――あなたは、最愛の人と親友を、こんなつまらないわがまま(・・・・)で失うつもりなの……っ!?

 

「……っ」

 

 そこまで自問自答してようやく、なでしこは気がついた。

 なぜ自分がここまで頑なに戦おうとしないのか、その理由を。

 体の主導権を取り戻したなでしこは、桃色の髪を揺らして飛び出した。

 必死に足を動かして、一秒でも早く、主人たちの許へ。

 そして――。

 

 すべてを破壊し尽くすダークブルーの球体が啓太たちを飲み込む直前で、その華奢な体を滑り込ませることに成功した。

 

 カッ、と目も開けられないほどの眩い光が辺りを飲み込み、一拍遅れて鼓膜を揺るがすほどの大爆発を巻き起こす。

 地面を、木々や森を、湖を。すべてを吹き飛ばす勢いで破壊の光が円球に広がり飲み込んでいく。

 まるで、この世界を消し飛ばしてしまうかのようなそんな圧倒的な破壊力がそこにはあった。

 やがて光は止み、収束へ向かっていく。

 球体が落下した爆心地はもちろん、跡形もなく消し飛び――。

 

「な……っ! なん、だと……!?」

 

 いや、そこには人影があった。

 両手をかざして、絶対的な破壊から愛すべき主と友を守った一匹の犬神、なでしこが。

 ありえない光景に絶句する絶望の君。

 そんな彼を余所に、なでしこは背後を振り返り、守りたかった人たちの安否を確認する。

 気絶をしてはいるがなんの変わりもない。守りきれたのだ。

 安堵の吐息を零したなでしこは啓太を抱き上げ、ようこのそばに下ろしてあげた。

 二人仲良く大木に身を委ねて眠る姿に微笑む。

 そして、笑顔を消すと、改めて振り返り、絶望の君と対面した。

 普段の柔和な表情からは想像もつかない、冷たい顔。

 絶望の君の背中に嫌な汗が流れた。

 

 ――この私が、気圧されているだと……?

 

 意味不明の現象に戸惑いを覚える死神を見つめながら、なでしこは静かに口を開いた。

 

「私は……醜い女です。許されない罪を犯し、そしてまた同じ過ちを犯そうとしているのですから。そしてなにより、私のわがままで……啓太様たちを見殺しにするところでした」

 

 なでしこが頑なに戦いを拒んだ理由。それはなんてことのない、ただの小さなわがままだった。

 ただ、己の本性を啓太に知られたくない。戦い狂う破壊の権化に成り下がる醜い姿を愛する人に見られたくない。

 知られることで、見られることで、啓太に嫌われて拒絶されることが何よりも恐かった。

 そんなちっぽけで自分勝手な願い。つまらないわがまま。

 目を閉じ、啓太たちとの日々を振り返る。

 啓太と初めて出会って十年。彼の犬神になり、憑かえることになって三年。

 毎日が賑やかで楽しく、充実した時間を過ごしてきた。

 決して裕福だったとは言えないけれど、お金なんてなくても幸せだった。

 初めて憑いた人に、生まれて初めて恋をして。

 ちょっとすれ違った時もあったけれど、かけがえのない友達と一緒にお仕えすることが出来て。

 本当に、幸せだった。

 

 それを壊してしまうのが怖かった。無くなってしまうのが怖かった。

 啓太に嫌われてしまったら、怯えられてしまったら、捨てられてしまったら。

 きっと、自分が自分でなくなってしまう。そんな確信にも似た思いがあった。そんな事態になるのなら、自分は死んでもいいとさえ思う。

 だけど、そんな私のつまらないわがままで、啓太様たちを死なせることになったら……それこそ死んでも死にきれない!

 本性を見られてもいい。嫌われてもかまわない。

 それでも、大切な人を――愛する人に死んでほしくない。死なせたりしない!

 

「ですが、たった一つの願いを叶えてくださるのなら。私は今一度、喜んで罪を犯しましょう」

 

 ――啓太様を守るためなら、私は……。

 なでしこは禁断の言葉を紡ぐ。三百年間、決して口にしなかった、己を縛る鎖を解く言霊を。

 

「<破壊の槌よ。全てを滅ぼす万物の力よ。私は再びたった一つのことを望みます>」

 

 




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第六十二話「リベンジ(下)」


五話目

なでしこ「ここからはずっと私のターン!」
死神「ばんなそかなっ!」

処刑用BGM「The Battle Is To The Strong」



 

 

「<破壊の槌よ。全てを滅ぼす万物の力よ。私は再びたった一つのことを望みます>」

 

 右手を天に翳したなでしこが禁断の言霊を口にした瞬間、現実世界で不可解な現象が発生した。

 空から一筋の青白い光が地上に向けて降ってきたのだ。

 地球の外から雲を蹴散らし、まるでレーザービームのように一直線に、日本の関東のとある地方へ降りた。

 半壊した邸宅に降り下りた青白い光の筋は、屋上の一角の空間へと吸い込まれるように消えていく。

 空から光の柱が降ってきている様子は離れた場所にいる新堂ケイたちも確認できた。

 

「川平くん……」

 

 渡された護符をきゅっと握り締めたケイが祈るような気持ちで光の柱を見つめる。

 そんなお嬢様の様子にセバスチャンは掛けるべき言葉を見つけられないでいたが、その場に居合わせたもう一人の男性は軽い調子でのほほんと言った。

 

「大丈夫ですよ啓太さんなら」

 

 はっとした顔で振り向くケイ。そこには柔和な表情を浮かべている川平薫が立っていた。

 確信に満ちた声でそう言う薫は見るものを安心させるような顔で微笑んだ。

 

「彼は、やる時はやる男ですから」

 

 薫がどや顔で決め台詞を口にした頃。

 光の筋は空間を越えて、啓太たちのいる裏世界にやってきた。

 天から降る光の奔流が手を翳しているなでしこの下へ降り下りてきて、彼女の体を優しく包み込む。

 大地が揺れ、天が鳴動する。まるで天変地異のような現象。

『ゴゴゴゴゴ……』と重い音を伴いながら、なでしこの髪が、服が揺れ動く。

 閉じていた目を開け、その奥の翡翠色の瞳を露にすると、青白い光の照射が止む。

 辺りが、不気味なくらいの静けさに包まれた。

 己の力に絶対の自信があるあの絶望の君が、無意識のうちに唾を飲み込む。

 

「貴様は、一体……」

 

 絶望の君にとって、なでしこは取るに足らないただの犬の妖だったはず。自身の体に傷を負わせることが出来るくらいの牙は隠し持っていると分かっていたが、戦意の欠片も持ち合わせていないヘタレの犬だと。

 それが、どうだ。体に傷を負わせることが出来るくらいの牙? いいや、違う! これはそんなちゃちなものじゃない!

 これは、この身に感じる圧倒的な存在感は、まさしく神殺しにたり得る牙!

 なでしこから感じられる力の気配に戦慄する死神。しかし、そんな彼の様子など無視して、なでしこは静かな口調で言った。

 

「我が身に宿るは破滅の力。一切の容赦なく、あなたを深遠と絶望の彼方へ導きましょう」

 

 ――そして、私はこの後、死にましょう。もう生きている意味がないのだから。

 啓太様のいない世界なら、死んだほうがマシ。

 

 ――だけど、あなたも殺しましょう。生かす価値がないのだから。

 啓太様に仇なす者を、私は許さない。

 

 普段のなでしこからは考えられない、能面のように冷たい表情と乾いた声。

 死神は己を奮い立たせるかのように声を荒げた。

 

「殺す? 導く? ケモノの分際で誰にものを言っている小娘!」

 

 空からなでしこを見下ろしながら大きく両手を開くと、再びダークブルーの球体が現れた。

 数メートルはある巨大な球体を空間に固定する。

 

「我は絶望の君! 絶望と恐怖を司る至高の一柱なり! ケモノ風情が調子に乗るなぁ! 破滅に導く死の光(ニュートリノ・レーザーカノン)!」

 

 巨大な球体から射出されるのは極大の光線。

 啓太たちの身を二度遅い、自然を破壊するほどの威力を持つ必殺の光だ。

 しかし、それをなでしこは手の甲で、蚊を払うような軽い動作で捻じ曲げた。

 軽く街の一区画を消し飛ばす威力を秘めた光線が、そんな何気ない動きの一つで払い除けられたのだ。

 理解し難い現象に絶望の君はうろたえた。

 

「馬鹿な……っ! 万物を滅する破壊の光だぞ! それを、こんな――」

 

 言葉を続けることが出来なかった。

 いつの間にか眼前に立っていたなでしこが、強く拳を握り締めて振りかぶっていたのだから。

 手のひらが真っ白になるほど強く握り締めた拳を、無慈悲に振り下ろす。

 ぼっと大気に穴が開き、強烈なチョッピングライト(打ち下ろしの右)が絶望の君の頬に突き刺さった。

 

「ぶはっ!!」

 

 首から上が吹き飛んでしまうくらいのとてつもない威力。空気の壁を打ち破ることで円状の衝撃波が発生した。

 宙に浮かんでいた死神は流星のように地上へ落下。

 そして、落下速度よりも速く回り込んだなでしこは再度拳を引いて待ち構えていた。

 再びの右ストレート。今度はわき腹に命中。

 ゴキゴキッ、と嫌な音を立てて体はくの字に折れ曲がり、地面と水平に吹き飛んだ。

 また、進行方向に回り込むなでしこ。

 

「がはっ、ま、待て、げふっ、ふごっ!」

 

「ほらほら、どうしました? この程度凌げなくて何が死神ですか?」

 

 決して地面に落とすことなく殴り飛ばし、蹴り飛ばして、絶望の君を暴力の嵐から逃さない。

 殴られ蹴られるたびに、死神の体に青い痣ができ、顔が腫れ、骨が砕け、手足が明後日の方向へ捻じ曲がる。

 まるでピンボールのように空間の中を跳ね返りながら見る間にボロボロになっていった。

 止めの回し蹴りで大地に叩き付けられた絶望の君はよろよろと立ち上がった。

 不思議なことに、いくら時間が経っても体の傷は一向に癒されない。

 

「まさか、奴の攻撃が私の修復力を上回っているとでも言うのか……?」

 

 そんな考えが浮かぶがすぐに首を振って否定した。

 そんなことあるはずがない。相手はたかがケモノ一匹だ。いくら強くてもこの私が負けるはずがない。

 

「そう、だな。どこか調子が悪いのかもしれん」

 

 なでしこが直ぐそばに降り立つ。その冷たい目で見つめられると、不思議と体が硬直してしまった。

 目が泳ぐ。冷や汗が止まらない。

 なんだ、この感情は……。なんなんだ、この焦燥感は……!?

 わからない。知らない。こんな感情、私の知識に存在しないぞ!

 

「驚いた。お前でも一丁前に恐怖を覚えるのね」

 

「恐怖……?」

 

 この震えがそうなのか?

 絶望と恐怖を司る存在でありながら、今まで一度たりとも恐怖を覚えたことがない絶望の君。そのため絶望や恐怖が実際にどのような感情なのか、理解していなかった。

 それを、与えられる側の存在から教えられる。なんとも皮肉な話だった。

 

「私が恐怖するだと? この絶望の君が? ありえん。ありえんありえんありえんありえん……っ!」

 

 そんなことなど、あるはずがない。自分は絶対的強者である神の種族。下等な生物に後れを取り、あまつさえ恐怖心を抱くなど、あってはならないのだ!

 絶望の君はあるはずのない恐怖心を振り払うように大術を繰り出すことに決めた。

 死神として誇りを持つ本来の彼なら、劣っている種族である犬神や人間ごときに見せていいほど安い術ではない。そんなことさえ判らなくなってしまうほど追い詰められていることに、本人は気がついていないのだった。

 宙高く浮かび上がった絶望の君は上半身を覆っている黒の包帯を無造作に掴み、破いた。

 包帯の裏側には曼陀羅のような記号がびっしりと書かれている。包帯をすべて破いた途端に、絶望の君の体から途方もない霊力が沸き起こった。

 

「この包帯は私の潜在神力を封じ込めるための、いわば枷だ。これを外すことで、私は今まで以上の力を発揮することが出来る!」

 

 なでしこと同じく自身の霊力――神界用語では神力を封じていた絶望の君。封印を解いた今、その体に宿る霊力はなでしこと同等の気配を感じさせた。

 なでしこの霊力と絶望の君の霊力。強大な二つの力が干渉し合い、空間が軋みを上げる。

 最初に動いたのは絶望の君だった。

 

「貴様にはこいつで死を賜ってやる! 絶望に打ちひしがれて死ねぃッ!」

 

 自身の頭上に魔方陣が浮かび上がる。キロ単位の巨大な魔方陣はダークブルー色に発光しながらゆっくり回転をし始めた。

 

世界の終焉と破滅への落日(アンチ・ネメシス)ッ!」

 

 魔方陣の中央に描かれた八芒星から巨大な球体が姿を現す。

 いままでの球体はコバルトブルーに輝くだけの光の球だったが、これはそれまでのと違い球体の表面に幾何学模様が描かれていた。

 回転しながらゆっくり降りてくるのは、さながら世界の終焉を告げる爆弾。

 自身の術の中で最上位に位置する、文字通りの取っておきのカードだ。

 絶望の君に勝利を確信した笑みが広がる。

 

「こんなもの……!」

 

 なでしこは空高く飛び上がると、自分から落下する球体へ近づいていった。

 霊力を込めた拳を握り締め、一直線に打ち出す。

 球体をバスケットボールに見立てるとなでしこはゴマ粒ほどの大きさだ。誰が見ても覆せない明らかな差がある。

 しかし、その常識や固定観念を打ち砕くかのように、なでしこの拳は球体を迎え撃った。

 そして。

 天地を轟かせるような爆音を響かせて、なでしこの小さな拳が球体を吹き飛ばしたのだった。

 ゴマ粒がバスケットボールに打ち勝ち、さらには世界にも影響を与える。

 それまでの攻防や絶大な霊力の衝突などで、この裏世界も悲鳴を上げていた。その中で、今回のだめ出しの一撃である。

 世界にひびが入り、乾いた音を立てて崩壊するのは当然の帰結といえよう。

 裏世界が崩壊したことにより、強制的に現実世界に戻されたなでしこたち。

 切り札の一枚を力ずくで捻じ伏せられた絶望の君は、すでに理解の範疇を超えていた。

 

「ば、馬鹿な……そんな、あ、ありえない。こんな、こんなこと……っ!」

 

「ここは、帰ってきたのね。……あら、もう終わり? じゃあ今度は、こちらの番ね」

 

 モノクロからカラーの世界に帰ってきたなでしこは辺りを見回して、状況を把握する。

 そして、再び冷笑を浮かべて死の宣告に等しい言葉を口にした。

 

「お前は、簡単には殺さない。苦しみ抜いて絶望に抱かれて死になさい」

 

 絶望の君が宙に舞った。拳による力任せの一撃。しかし、その威力は高速で激突したトラックにも勝る。

 なでしこと同じように封印を解除したはずなのに、彼女の速度と威力の前に絶望の君は反応すらできない。

 唯一判るのは、ただ自分が殴られたという事実だけ。それを躱すことも、反撃することも許さず、なでしこは絶対的な力を見せつける。

 

「がっ!?」

 

 死神の腹部に華奢な拳が突き刺さる。それは先ほど、死神本人が啓太に向けた一撃と同じボディブローだった。

 しかし、威力はなでしこの方が圧倒的に上。死神のボディブローをトラックに例えるなら、なでしこのそれはロケット。

 拳に伝わる感触から絶望の君の内部を完全に破壊したことを悟る。間違えるはずがない、忘れるはずがない。これは相手を、獲物を破壊した時の感触だ。

 圧倒的な膂力を前に死神の体が上空へ向かって勢いよく吹き飛んでいった。もはや絶望の君に意識はなかった。先の一撃で完全に意識を断たれたのだ。

 しかし――。

 

「お前には楽を与えない」

 

 なでしこが遥か上空に先回りした。雲を突き抜けて弾丸のごとく飛来する死神を迎え撃つために。

 エプロンドレスのスカートがめくれるのも構わず、なでしこはその細い脚を天へ振り上げた。ぴんと伸ばされた足の向きを死神に向ける。

 そして、振り下ろされた脚はどんぴしゃのタイミングで飛来してきた絶望の君の顔面を捉えた。美しい顔に踵がめり込み、いま来たばかりの道を強制的に帰される。

 絶望の君はピンボールのように吹き飛ばされ、再び地面へと。

 轟音を響かせて地面に激突する死神。辺りを粉塵が覆い隠した。

 なでしこが地面に降り立つ頃には粉塵は消え、そこには無残にも体をボロボロにした一柱の神が倒れていた。

 衝撃で意識を取り戻したのか、半目を開いて信じられない表情を浮かべている。

 体の所々が捻れ、折れ曲がり、打撲による痣で体中が内出血していた。臨界値を超えてしまったのだろう、自慢の修復能力はまったく役に立たない。

 なでしこを見るその目には、隠しきれない恐怖の色が見られた。もはや神としての威厳は微塵も感じられない。

 

 これがなでしこの力。『最強の犬神』と歌われた少女の実力。かつて大妖をあと一歩まで追い詰めた存在。その力の前には死神ですら全くの無力だった。

 そしてここに勝敗は決した。誰の目にもそれは明らかだった。

 だが――。

 

「ぶべっ!」

 

 静かに歩み寄ったなでしこは、すでに戦意が消失している絶望の君をまたぐと、再び拳を作り、振り下ろした。

 何度も何度も、返り血で手が真っ赤になっても、エプロンが血に染まっても、なでしこは止める気配を見せない。

 

「や、止め、もう止め……ぶっ!」

 

 まるで獲物を嬲って遊ぶケモノのように、なでしこは拳を振り下ろし続けた。三百年ぶりの全力によって体が軋みを上げるのにも構わず。

 

「は」

 

 なでしこの口に笑みが広がる。それは愉悦からか、ケモノとしての本性に戻った喜びからか。

 

「あは、あははは」

 

 拳を振り下ろし続けながら、なでしこは感じていた。自分が喜んでいるのを。暴力を振るう行為に快感を覚えているのを。満たされていくのを。

 なんの惜しげもなく力を振るえる。戦える。どうしようもないケモノとしての本能。隠すことが出来ない、消すことが出来ないケモノの性。今まで抑えてきたそれが喜んでいる。

 

「あははははは、はははははははははははは!」

 

 なでしこは笑い続ける。その衝動に、自らが行っている、晒しているその姿を自嘲するように。

 

 ――そう、これが私の本当の姿。今はもう数少ない犬神しか知らない、私の本性。

 戦いになると周りが見えなくなる。ただ戦いにのみに没頭し、相手を倒し、嬲ることしかできない穢れた私。

 そのせいでわたしは犯した。ケモノの本性に囚われて、周りの被害を鑑みずに好き勝手に暴れて、危うく人間の村を破壊するところだった。

 もう二度と同じ過ちを繰り返さないため、自分自身への戒めのために頑張ってきた。

 それなのに――。

 

「ああ……」

 

 なのに自分はまた同じことをしようとしている。それをやめるために三百年間、戒めを守ってきたのに。なのに自分はあの時から何も変わっていない。

 

「あ、ああ………」

 

 タノシイ、その感情を抑えることができない。それはケモノの私。切り離すことができない、消し去ることができないもの。

 カナシイ、その感情を抑えることができない。それはヒトの私。これまで守ってきた、大切なものがなくなっていくことに耐えられない。

 

「あ、ああ、あああ………」

 

 二人の私がせめぎ合う。もう顔は涙でぐちゃぐちゃだった。泣いているのか、笑っているのか、もう自分でも分からない。ただ分かることは、これが私なのだということ。

 初めて啓太と出会ったあの頃を思い出す。小さな少年は過去の過ちに苦しみ悩む私にこう言ってくれた。

 

『人は変わる生き物、変われる生き物。変わろうとする意志があるなら、大丈夫』

 

 そう言ってくれた。けれども。

 どんなに取り繕っても、誤魔化しても、私は決して変わることが出来なかった。

 けれど、そんな私でも、こんな中でも消えないたった一つの想いがある。

 こんな私を犬神にしてくれた、信じてくれた、最初で最後の主。

 愛する男性を守りたい。

 

「ああああああああああああああああああ――――――!!」

 

 ――それだけは、絶対に、守って見せる……!

 

 なでしこは最後の拳を放つため、思いっきり振り上げた。たった一つ、本性に――本能に飲み込まれながらも、たった一つの願いを胸に抱きながら。

 それがこの永きに渡る戦い。なでしこの贖罪、三百年の末に得た、答えだから。

 

 

 

 1

 

 

 

 大切な人の泣き声を聴いた気がした。

 闇に埋もれていた俺の意識が浮上する。この泣き声を止ませないといけない。そんな使命感にも似た考えのもと、俺の意識が覚醒する。

 夜の帳が下りた満天の星空が視界に飛び込んできた。見れば、いつの間にか元の世界に戻ってきてしまっているらしい。あの結界は術者じゃないと解くことは出来ないんだけど、どうやって戻ってきたんだろうか?

 そこでようやく、俺はいままでの出来事を思い出した。

 そうか、タイムリミットがきて、そのまま気絶しちゃってたのか……。

 

 大木に背を預けた状態だった俺は隣にようこがいることに気がついた。死んだように眠っているその姿に慌てて脈を取り、命があることにホッと息をつく。

 そういえば、アイツはどうしたんだ!?

 飛び起きようとするが体がまったく言うことをきかない。

 それもそのはずだ。切り札の一つである身体操法『極限体』を活用したことで、全身の筋肉の活動量が低下してしまい、しばらくは動けないのだ。さらに脳内リミッターを二番まで開放した影響もあって、先ほどから脳は熱いし、頭はガンガン痛む。

 けれど、死神を放っておくわけにはいかない。なでしこの身も心配だ。

 幸い痛覚は遮断しているから、筋肉痛や肉体負荷による痛みに苦しまないで済む。

 なんとか身体操法で神経と筋肉を繋ぎ、比較的損傷の少ない筋肉を動かそうとしたところで――。

 ようやく、その影に気がついた。

 

 影は二つあった。至近距離で密着しているから一つにも見える。

 寝そべった人影と、その人に跨っている人影。跨っている方はしきりに何かをしていた。

 しかし、人影は霞んで見えて、音もよく聞き取れない。

 

 ――駄目だ、五感も酷使したからよく見えん。

 

 とりあえず応急処置として視力を一時的に戻し、呼吸法で雑音を払って耳をクリアにする。

 そして、改めて人影を見て――愕然とした。

 寝そべっているのは絶望の君で、跨ってるのはなでしこだったんだ!

 しかもなでしこさん、拳に返り血べったりついてらっしゃいますし、白いエプロンも赤にカラーチェンジしちゃってますよ!?

 軽くホラーじゃんか! 何があった一体!?

 あまりの光景に一瞬パニックになりかけた俺であったが、すぐになでしこの様子がおかしいことに気がついた。

 戦いを嫌うなでしこが暴力を振るっている現状にも違和感を覚えるけれど、それよりもっと根本的な部分。

 上手く口に出来ないけれど、なでしこの様子がおかしいのは間違いない。大切な犬神の変化に気がつかないわけがないのだから。

 

「……なで、しこ?」

 

 啓太の小さな呟きにピクンっ、と反応したなでしこはゆっくり振り返った。

 何かを恐れているような、そんな怯えの表情。

 なんでそんな顔をするんだ?

 

「……っ! 啓太、さま……私……」

 

 親とはぐれた子供のような不安気な表情。

 今すぐ駆けつけたいけど、上手く体が動かせない。

 なでしこが何かを言おうと口を開いた、その時だった――。

 

「まだ、だ。まだ私は終わっては、いない……!」

 

 なでしこに馬乗りにされていた絶望の君が闇に包まれたかと思うと、いつの間にか俺の隣に移動していた!

 上半身裸のその体はボロ雑巾のようにひどくボロボロで、今にも倒れそうなくらい満身創痍だった。

 これを、あのなでしこがやったのか。まさかこれほどだとは……。

 ていうか、俺やばくね!? 体動かないし! 動け俺の体ぁぁぁ!

 

「我が矜持に反するためこのようなことはしたくなかったが、ここで終焉を迎えるよりは……っ!」

 

「なに、を……」

 

 死神の輪郭がブレて黒いもやのような形状に変化すると俺の体を包んだ。

 それと同時に、何か嫌な感覚が、まるで無理やり体のなかを弄くり回されているかのような、そんな気持ち悪さを感じた。

 

「啓太様から離れなさい!」

 

 俺でも視認出来ない速度でやって来たなでしこが手を翳すと、黒いもやが剥がれる。

 それは俺たちから数メートル離れたところで絶望の君の姿に戻った。

 奴はくひひ、と不気味な笑い声を出している。

 

「啓太様に何をしたんですか!」

 

 あなたも何をしてたんですか!? エプロンドレスめっちゃ真っ赤ですけど!

 厳しい表情で問いかけるなでしこに、絶望の君は愉快とでもいうように口の端を吊り上げた。

 

「くははは……契約を交わしたのだよ。我ら死神だけが執行できる権利、一方契約を。これを使えば、他の契約は結べない上に、上層部の精査を受けることになるが、致し方ない……」

 

「……けい、やく?」

 

 えっ、うそ? 一方的に契約結ばれたのか!? なにそれズルイ!

 理不尽な契約とかだったらどうすればいいんだよ。神々の世界に弁護士とかいないの!?

 

「契約その一『私を殺せる存在は川平啓太のみである』契約その二『川平啓太が死なない限り、私は外部エネルギーの補給ができない』

 契約解消のためには契約者が直接相手を殺さないと解除できないのが、一方契約だ。この契約に従い、私を殺せる者は因果律によって川平啓太のみとなったのだよ……!」

 

 そのかわり、代償として川平啓太を殺さない限り、新たに契約を結ぶことができなくなったがね。外部からエネルギーを補給できないというのは、キミたちで言うところの食事が出来ないのと同じことなのだから。

 一方的にそう説明した死神は満身創痍でありながら愉快そうに顔を歪めた。

 

「くっくっく、私に止めを刺せなくて残念だったな、ケモノの女よ。この屈辱、私は決して忘れはせんぞ……」

 

 そして、木にもたれ掛かっている俺に視線を向けてくる。

 

「人間……川平啓太。契約に従い、私は全力で貴様の命を刈りにいく。絶対にだ……! ゆめゆめ、忘れるな。キミたちは常に、私に狙われているという、ことを……っ」

 

 それだけ言い残し、死神はすうっと虚空に溶けるように姿を消した。不吉な言葉だけを残して。

 後に残ったのは、厳しい表情で死神が居た場所を見つめるなでしこと、木々にもたれる俺と、すやすや眠るようこの三人のみ。

 はけは、どうしたかな……。まあアイツのことだから大丈夫だと思うけれど。

 

 突如、なでしこの体から膨大な霊力が沸き起こり、それが一筋の柱となって天へ昇っていった。なでしこの圧倒的な力の源はあの霊力によるものか……。

 青白い光がレーザービームのように空へ昇っていく。そんな幻想的な光景に見蕩れていると、やがて光が止んでいった。

 それと同時になでしこの体がふらつき、地面へ倒れていく!

 

「くぉぉぉお……っ!」

 

 身体操法で無理やり筋肉を動かし、なけなしの霊力を使って肉体を強化!

 なんとか間一髪のところで体を滑り込ませることに成功した。

 

「ぁ……啓太、さま」

 

 血の気が引いて青白く変化してしまっているなでしこの顔。意識が朦朧としているのか、目が半開きになっていた。

 ガンガン痛む頭痛を無視して、なでしこを抱き起こす。

 パッと見た感じ返り血がすごいけれど、見える範囲で裂傷はないようだった。

 真っ白いエプロンドレスは返り血で真っ赤に染まり、白魚のような綺麗な手にも血がべっとり付着している。

 ――こんなになるまで、頑張ってくれたのか……。

 

「……啓太、さま。私……」

 

「いい。話しは後で聞くから。今はゆっくり休む」

 

「……で、も……」

 

 なにがそんなに不安なのだろうか。

 不安げな表情を隠そうとせずどこか、縋るように一心に俺を見ている。

 なるべく気持ちが楽になるように願いながら、なでしこの柔らかい桃色の髪を優しく撫でた。

 

「大丈夫。ずっとそばにいるから。何も心配しなくていい」

 

「……ほん、とう?」

 

「ん。約束」

 

 そう言うとようやく安心したのか、いつもの柔らかい微笑を見せてくれた。

 

「やくそく……です、よ……」

 

 囁くような声で呟き目を閉じると、すぐに可愛らしい寝息を立てた。

 お疲れ様、ゆっくり休んでくれ。

 

 




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第六十三話「結ばれる想い」


 六話目

 ようやく、ここまで来た……。


 

 

「ん、んぅ……。……ここは?」

 

 ふと、目が覚める。見知らぬ場所で横になっていた私は首だけ動かして辺りを見回した。

 そこは闇夜に包まれた森の中だった。そばには焚き火があって、暗闇をオレンジ色の炎が照らしている。

 焚き火の近くにはようこさんが寝ていて、気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 私の体には黒のジャケットが一枚掛けられていた。そのジャケットは啓太様が着ていた物のはずで――。

 

「……っ! 啓太様!?」

 

 がばっと起き上がる。啓太様は? 啓太様はどこに!?

 途方もない不安に襲われるなか、大切な主の姿を探していると、その探し人は森の奥からやってきた。

 木の枝を杖のように使いながら、風呂敷のように何かを包んだTシャツを手におぼつかない足取りでやって来たその人は、私の姿を認めると軽く手を上げる。

 

「……ん、起きた。気分はどう?」

 

「啓太様……っ!」

 

 思わず私は駆け寄り、啓太様の体を抱きしめた。

 ああ、よかった……。啓太様はここに居る。ここに居てくれている……。

 確かなぬくもりが、啓太様の存在を感じさせてくれる。

 今はただ、啓太様のぬくもりを感じていたかった。

 

「なでしこ……くるちぃ」

 

「……あっ、ご、ごめんなさい」

 

 慌てて啓太様を放す。

 ケホケホと咳き込んだ彼はいつもの無表情で私の体を気遣ってくれた。

 

「……体、大丈夫?」

 

「はい……。少し節々が痛みますが、このくらいならなんとか」

 

「そう。……さすがに服は交換したほうがいい」

 

 啓太様の言葉に改めて自分の格好を見下ろしました。

 いつもの普段着は先の戦闘で返り血がべっとりとついてしまっていて、使い物にならない。

 その返り血を見て、私はようやく自分が何をしたのか思い出した。

 

「あの、啓太様……っ! これは、その……」

 

 弁解しようと口を開くけれど、浮かんでくる言葉は言い訳ばかり。そんな自分が嫌になる。

 自分の手を見ると、手の甲にもべっとり返り血がついていた。私は血に塗れた、穢れた女なんだと改めて突きつけられたような気がする。

 視線を落とし、何も言えずにいる。何も言えない。

 何を言えというのだろうか。こんな血に塗れた女が口にした言葉にどんな価値があるのだ。

 俯いて顔を上げることが出来ない。今、啓太さまは一体どのようなお顔をされているのだろう。

 汚らわしい人を見る目か。

 危険な人を見る目か。

 それとも、こんな女に目を向ける価値などないのか。

 考えれば考えるほど思考が泥沼のように、底へ落ちていく。奈落のような冷たく暗い底へ。

 啓太様のふぅ、という溜息にビクンッと肩を跳ね上げ、過剰に反応してしまう。

 

「ごめん、なでしこ」

 

「……えっ?」

 

 しかし、掛けられた言葉は拒絶のそれでなく、なぜか謝罪の一言。

 思わず顔を上げると、そこには無表情ながらどこか困ったような顔で頬を掻いている啓太様がいた。

 

「……結局、なでしこに戦わせた。契約違反」

 

 そう言ってばつが悪そうに謝る啓太様。

 なぜ、そんな顔ができるのだろう。なぜ謝るのだろう。

 啓太様は見たはずだ。あの血に塗れながら、ただ本能のままに暴力を振るうケモノの姿を。隠し続けていた醜い私の姿を。本来の自分の姿を、真正面から見たはずなのに。

 

「なぜ、あなたは私を恐れないの……?」

 

 思わず出てしまった心の声。しかし本心の言葉。

 不思議そうに首を傾げた啓太様は何気なく言葉を口にする。

 本当に何気なく。私にとってはなによりの破壊力を秘めた言葉を。

 

「……なんで恐れる? なでしこ、守ってくれた。俺たちを守るため、戦ってくれた。恐れるどころか、感謝しかない」

 

 そして、啓太様は優しく微笑んだ。

 普段から無表情を崩さない主人にしては珍しい、微々たる笑み。

 

「……ありがとう、なでしこ。約束を破ってまで、助けてくれて」

 

 そう言って頭を下げてくださる啓太様。

 その言葉は、私の胸の奥にすっと入ってきた。まるで魔法のような言葉だった。

 ありがとうのただの一言。言霊でも呪声でもない、ただの言葉なのに。

 私の中にある三百年間の贖罪が赦されたような、そんな気がした――。

 自然と目から涙が溢れた。

 

「……っ! 啓太様……! 私、わたし……っ! 啓太さまのお側にいても、いいですか? これからも啓太さまにお仕えしても、いいんですか……っ?」

 

「……もちろん。むしろ、いてもらわないと困る」

 

「でも、こんな血に汚れた女ですよ……? 本当は醜くて、暴れるのが大好きな、そんな汚らしく醜い女なんですよ……!? それでも、本当に啓太様は――」

 

 心の底から出てくる言葉。それを啓太様は強引に止めた。

 正面から力強く抱きしめて下さったのだ。血で塗れたエプロンが触れるのにも構わず、強く、強く。

 そして、はっきりとした芯の通った声でこう言ってくださった。

 

「……なでしこは、汚くない。醜くもない。優しい女の子。自分のことを悪く言うのは、許さない。例えなでしこ本人でも」

 

 ――ああ。この人は、この方は、なんて器が大きいのだろうか。

 私のすべてを受け入れると、言外にそう言ってくださっているのを心で理解した。まるで啓太様の思いが直に伝わってくるような、そんな温かな気持ち。

 啓太様の力強い心音が聞こえる。闇に沈んだ心が晴れていくのを感じる。

 密着していた身体を離し、私の両肩に手を置いた啓太様は真剣な顔で私を見つめると、こう言ってくださった。

 

「……それでも不安なら、契約する。ずっと一緒にいるって、契約」

 

 啓太様は腰につけてあるポーチから何かを取り出すと、私に差し出してきました。

 可愛らしいピンクのラッピングで包装されているものです。

 開けてみて、と言われ、綺麗な包装紙を傷つけないように慎重に解きました。

 中に入っていたものを見て、思わず目を見開いてしまいます。

 そこにあったのは、純白のリボンでした。

 

「け、啓太様……これは……?」

 

 震える手でリボンを手に取り眺める。処女雪のように真っ白いリボン。

 啓太様は照れていらっしゃるのか、少しだけ目線を外して言いました。

 

「……今日、契約結んだ日。記念に何か残るもの、送りたかった。日ごろの感謝、その気持ちも込めて」

 

「……」

 

 啓太様は、この意味を知っていらっしゃるのでしょうか。女性にリボンを渡す、その意味を。

 おもむろに啓太様は私の手から、そっとリボンを取ると背後に回ります。

 そして、髪に触れて、手にしたリボンを……結んでくださいました……。

 

「……ん。うん、やっぱり、よく似合ってる」

 

 結び終えた啓太様は満足げに頷いていらっしゃいます。

 私は、こみ上げてくるものを抑えきれず、口元に手を当てて嗚咽が漏れるのを必死に堪えました。

 それでも、目からは透明の雫がぽろぽろと落ちてしまいますが、拭いません。

 だって、これは、喜びの涙ですから……!

 

「……なでしこ」

 

「は、はぃ……」

 

 啓太さまは無言で涙を流す私を優しい眼差しで見つめながら。

 

「……いたらない主人だけど、これからも、一緒にいてくれる?」

 

「はい……っ! なでしこは、常にあなた様のおそばにいます! 啓太様ぁ……っ!」

 

 感極まり啓太様の胸に飛び込む私を、そっと優しく抱きしめてくださいました。

 ――ああ、私……この方にお仕えできて、本当によかった……!

 

 私の頭に揺れる純白のリボン。それを異性に渡すという行為。そして、それを結ぶという意味。

 古の呪いの一つである祝福の儀式。それが【結び目の呪い】

【結び目の呪い】には特別な力が宿ると言われています。古来より、呪いとは儀式を意味します。リボンを結ぶということは即ち、相手を束縛するという意思表示。

 この結んだリボンの色で、その内容も多岐に渡りました。

 たとえば『赤』は、二人の仲は血よりも強い絆で結ばれているという、友情の意味。

 たとえば『青』は、家族がちゃんと家に戻ってこれるようにという、願いの意味。

 たとえば『黒』は、冥府に行っても二人が出会えるようにという、再会の意味。

 そして『白』は、終生、二人が離れ離れになることがないようにという、契りの意味。

 古では婚約の儀として使われていた白いリボンの【結び目の呪い】。そこではリボンを結び、誓いの言葉を口にするのが慣わしです。

 啓太様が渡し、結んでくださったリボン。そして、掛けてくださったお言葉。この二つが何を意味するのかなんて、雄弁に物語っていました。

 なんて、粋なことをしてくださるんですか啓太様……っ!

 

「――ふつつか者ですが、どうか末永くお側においてください。啓太様……」

 

 啓太様は何もおっしゃらずに、ただギュッと私を強く抱きしめてくださいました。

 ああ、本当に……私は幸せ者です……。

 

 

 

 1

 

 

 

 なでしこにリボンを渡す一時間ほど前。

 俺は夜の森の中で途方にくれていた。

 左隣には気絶したなでしこ、右隣にはすやすや寝息を立てるようこ。

 そして俺は、全身の筋肉裂傷やら骨が折れていたりやらで絶対安静。いや、痛覚切ってるから恐らくだけど。でも潜在感覚までは遮断してないから、体のいたるところで熱が帯びているのはわかるのよね。

 さて、どうしましょうか。死神に受けた契約云々は後日改めて考えるとして、まずは野営の準備しないと。自然に囲まれた場所だから、猪や熊とか出るかもしれないし。

 今の疲弊した俺では、そんなスライム並みの弱さの動物でもお陀仏してしまう可能性が高い。

 なので早急に光源を確保しないといけないため、死人に鞭を打つ勢いで体を酷使。

 痛覚を遮断したままで比較的損傷の少ない筋肉を動かし、なんとか体を動かす。よたよたと歩いて森の中から薪として使えそうな枝を三十分ほど掛けてかき集めた。

 火種はポーチの中に入っていた白紙の札を活用した。本来は霊力を染み込ませた特殊な墨汁を使う必要があるけれど、今は持ち合わせていないから代用として血で書いた。仙界で習った古今東西魔術講座がこんなところで役に立つとは、人生何があるか分からないな本当に。

 仙界で学んだ神言文字をちょろちょろっと書けば、発火符の出来上がりだ。あとはこの発火符を薪の下に入れて霊力を込めれば――。 

 

「……ん。即席焚き火、完成」

 

 薪に火が突き、オレンジ色の炎が暗闇の中を柔らかく照らす。薪のパチパチという音と木の焼ける匂いは何故か心が癒される。

 焚き火なんて何年ぶりだろう。仙界での修行で山に籠もった際はよく焚き火をしたなぁ。

 ああ、懐かしや懐かしや。

 

「……さて」

 

 まず、なでしことようこを運ばないと。

 抱き上げるのは今の俺ではかなり厳しいため、申し訳ないが脇の下に手を通して上半身だけ持ち上げ、そのままずるずると引きずる。

 二人を焚き火の側で寝かせ終えてようやく、俺も休憩だ。

 二人の側に俺も腰を下ろして一息入れる。

 それにしても、はけはどこにいるんだ? まさか、あいつがやられるとは思えないから、そう遠くにはいないと思うんだけど。

 

「ん……けいた、さま……」

 

 珍しく寝言を呟くなでしこ。どんな夢を見ているのか知らないが、顔を顰めて唸っていらっしゃる。

 何かを捜し求めるように手が宙をふらついている。

 俺がその手を取ってあげると、きゅっと握ってきた。

 

「行かないで、けいたさま……」

 

 悲しげな顔で切なそうに寝言を呟く。夢の中の俺は何をしているんだか。

 少なくとも、こっちの俺はどこにも行くつもりはないから、安心しろ。

 なでしこの髪を優しく梳くように撫でる。

 

「……どこにも行かない。安心する」

 

 なでしこの表情が緩んだ。それ以降、すうすうと寝息を立てて眠り続けている。

 今のうちに何か食料になりそうなもの探しておくか。山菜や木の実とかあればいいけど。

 

「……どっこい、しょぉぉぉぉ?」

 

 重い腰を上げた途端に膝がガクガクし始めたよ。思いっきりよぼよぼのお爺ちゃんみたいだし。今は身体操法で痛覚を意図的に切ってるから大丈夫だけど、こりゃ覚悟したほうがいいな。

 師匠のようなバケモノじゃないから、長時間の脳の酷使は本当にキツイ。この痛覚遮断ももって後一時間ってところか。

 着ていたジャケットをなでしこに被せてあげる。これ一枚じゃ寒いかもしれないけど無いよりはマシでしょう。それになでしこのメイド服は返り血で真っ赤だし。

 ようこは、いいか。温かそうな洋服だし。気持ちよさそうに寝てるし。

 薪を捜す途中で手ごろの枝を手に入れた俺はそれを杖代わりにしてまたよたよた歩く。仙界で培ったサバイバル知識を遺憾なく発揮し、木の実や果物、さらには小池も見つけて魚をゲット。

 入れるものが無かったから仕方なく来ていたTシャツを脱ぎ、それに包んで持ち歩く。

 ホクホク顔で戻ったら、なでしこさんが目覚めたところだった。

 

「……ん、起きた。気分はどう?」

 

「啓太様……っ!」

 

 急になでしこが抱きついてくる。迷子になった子供が親を見つけたような、そんな安堵と心細さがない交ぜになったような声だった。

 ぎゅっと頭を抱きしめてくるのはいいんですけど、身長差で俺の顔がなでしこさんのお胸様にジャストミート!

 谷間に顔がうずまり息が出来ぬ!

 幸せな状況ですけど、このままだと俺お陀仏しちゃうから、なでしこさん離してください……!

 

「なでしこ……くるちぃ」

 

「……あっ、ご、ごめんなさい」

 

 俺の状況が分かったのかすぐに開放してくれる。酸欠になりそうだったから慌てて呼吸をすると、器官に唾が入ったし! けほけほっ!

 あー、苦ちかったぁ。

 

「……体、大丈夫?」

 

「はい……。少し節々が痛みますが、このくらいならなんとか」

 

「そう。……さすがに服は交換したほうがいい」

 

 あんな膨大な量の霊力を宿してたのに、節々が痛いだけで済むとか。普通なら膨大な霊力に耐え切れず、肉体が壊れるぞ。

 さて、改めてなでしこの姿を確認する。顔色はそんなに悪くないし、軽く診たところ裂傷や捻挫なんかもなさそうだ。服がちょっとなぁ。純白のエプロンが真っ赤に染まってるし、ホラー映画に出てきそうなほどインパクトがある。ようこが見たら間違いなく泣くね。あの子ホラー系に弱いし。

 なので、いつものメイド服を創造しようとすると、なでしこは慌てふためき出した。

 

「あの、啓太様……っ! これは、その……」

 

 必死に何かを言い繕うとしている。

 何が言いたいのかは、大体察しがつく。戦いを拒んできた彼女がなぜ、戦場に立ってくれたのか。その理由も、俺の自惚れじゃなければ理解しているつもりだ。

 しかし、俺から尋ねるような真似はしない。きっとそのことは彼女にとって一番デリケートな問題なのだろうし。

 だから、一言謝った。昔、交わした契約を反故にしてしまったのだから。

 

「ごめん、なでしこ」

 

「……えっ?」

 

「……結局、なでしこに戦わせた。契約違反」

 

 仕方の無い状況だった、とは思わないし言わせない。格上と戦うにあたり、本気を超えた全力で挑んだ。そこそこ追い詰めることは出来たけど、今一歩及ばなかったのは単に俺が未熟だったからだ。

 俺がもっと力をつけていれば、なでしこの手を借りることなく勝てたかも知れない。過ぎたことをいつまで考えても詮無きことだけれど。やっぱり、俺はもっと強くならなければ。

 

「なぜ、あなたは私を恐れないの……?」

 

 不意になでしこがそんなことを聞いてきた。えっと、質問の意図がよく分からないんだけど……。

 恐れる? 俺がなでしこを??

 

「……なんで恐れる? なでしこ、守ってくれた。俺たちを守るため、戦ってくれた。恐れるどころか、感謝しかない」

 

 寧ろなでしこがいなければ俺もようこも、そしてお嬢様もセバスチャンの命も危なかった。感謝こそすれ恐れる理由なんて微塵も無い。

 だから、万感の思いを込めて頭を下げた。

 

「……ありがとう、なでしこ。約束を破ってまで、助けてくれて」

 

 今回の一軒に限らず、なでしこには普段から助けてもらっている。

 炊事、洗濯、掃除に始まり家計簿や通帳などの金銭管理も任せているから、彼女がいないと生活が成り立たなくなるのだ。いやマジで。

 ようこもここ最近なでしこから家事を習っているし、周囲の人にも良い影響を与えている。これまでの人生で一番の幸運は間違いなく、なでしこと出会えたことだろう。

 だからさ、なでしこ。お願いだから泣かないでくれよ。

 

「……っ! 啓太様……! 私、わたし……っ! 啓太さまのお側にいても、いいですか? これからも啓太さまにお仕えしても、いいんですか……っ?」

 

「……もちろん。むしろ、いてもらわないと困る」

 

「でも、こんな血に汚れた女ですよ……? 本当は醜くて、暴れるのが大好きな、そんな汚らしく醜い女なんですよ……!? それでも、本当に啓太様は――」

 

 ――ああ、そっか。なでしこはそれを気にしてたのか。

 今になってようやく、彼女が抱える闇の大きさを見ることが出来た気がした。

 なでしこは言う、自分は戦闘狂なのだと。血に汚れた女なのだと。

 まるで、自分という存在を否定してほしいように。ある種の自虐、のようなものだろうか。

 少し、頭にきた。

 

「……なでしこは、汚くない。醜くもない。優しい女の子。自分のことを悪く言うのは、許さない。例えなでしこ本人でも」

 

 戦闘狂い? いいじゃん別に。俺も戦うの好きだぜ。

 血に汚れた女? 血なんて洗い落とせば問題ないだろ。

 でも、それでも不安なのだと言うなら。万の言葉でも不安が消えないというのなら――。

 

「……それでも不安なら、契約する。ずっと一緒にいるって、契約」

 

 約束より重い、契約を結ぼう。それで、なでしこが安心するというのなら。

 腰のポーチから一つの小さな箱を取り出す。はけに頼み持ってきてもらった物の中に紛れ込んでいた、小さな箱。

 ピンク色の包装紙でラッピングをしてもらった、なでしこへ渡す予定のプレゼント。

 俺たちが契約を結んだ日から今日で丁度三年目。その記念日として買った贈り物。

 純白の高級リボン。

 

「け、啓太様……これは……?」

 

「……今日、契約結んだ日。記念に何か残るもの、送りたかった。日ごろの感謝、その気持ちも込めて」

 

「……」

 

 手にしたリボンを信じられないような驚愕の表情で見つめるなでしこ。

 優しくなでしこの手からそっとリボンを取り、背後に回る。

 そして、柔らかく手触りの良い髪に触れ、結んであげた。

 うん、やっぱ桃色の髪に白はよく映えるな。なかなか似合ってるじゃないか!

 

「……ん。うん、やっぱり、よく似合ってる」

 

 呆然としていたなでしこは、やがてこみ上げてくるものが抑えきれず、口元を手で押さえた。

 目から透明の涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 美女の泣き顔って、なんでこんなに綺麗に映るんだろうなぁ。悲しみではなく喜びからくる涙からだろうか?

 なでしこの涙が喜びによるものだと分かるくらいは主人をしているつもりだ。

 

 夜の闇を焚き火が優しく照らし、パチパチと薪がはぜる音だけが聞こえるなか、居心地の良い空気が流れる。なかなかロマンティックなシチュエーションだ。

 ――これは、流れ的に言うべきか? 告白するべきか!?

 俺の気持ちはすでに固まってるし、心の整理もついている。気持ちよさそうに寝ているようこはまだ当分起きそうにないし……あれ? これって、絶好の機会じゃね!?

 よ、よし。言うぞ! 言ってやろうじゃねぇの! 男は度胸だ!

 さあ、川平啓太。一世一代の大博打の時間だ……っ!

 

「……なでしこ」

 

「は、はぃ……」

 

 涙に濡れた目で眩しそうに俺を見つめるなでしこ。

 そんな彼女を正面から真剣な眼差しで見つめた。

 バクバクと鳴る鼓動がうるさい。口の中がからからに乾く。

 緊張でいっぱいいっぱいの中、ありったけの勇気を振り絞り、思いの丈を口にした!

 

「……いたらない主人だけど、これからも、一緒にいてくれる?」

 

 なんか考えてた告白の言葉と違ぁう! 確かにこれもそうだけど、もっとストレートに伝えるつもりだったのにっ!ああ、俺のバカ……。

 しかし、天使のなでしこはこんな駄目駄目な告白でも前向きに取ってくれた。

 

「はい……っ! なでしこは、常にあなた様のおそばにいます! 啓太様ぁ……っ!」

 

 目尻に新たな涙を溜めて、それでも笑顔で俺に抱きついてくる。

 俺も優しく迎え入れて、彼女の華奢な背中に手を回した。

 なでしこは涙に塗れた声でそっと囁く。

 

「――ふつつか者ですが、どうか末永くお側においてください。啓太様……」

 

 気恥ずかしかった俺は何も答えず、ただただ彼女を抱きしめる手に力を入れるのだった。

 

 




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第六十四話「後日談」

 ラスト。



 

 

 はけとはその後、すぐに合流できた。焚き火の灯りを見つけてくれて向こうから来てくれたのだ。

 痛覚遮断のタイムリミットが来てしまった俺は、想像を絶する全身の痛みに襲われて動くことも叶わない。というか、許容量を超えた痛みって、人間声も出せないんだね。声にならない悲鳴、というのか。そういうのをずっと叫んでいる。先ほどから。

 

「啓太様、もう少しの辛抱ですからね……! あとちょっとですから、頑張ってください!」

 

 なでしこに背負われた俺は彼女の励ましの言葉に頷き返すことしか出来ない。なるべく振動を与えないように配慮しながら夜の森を走ってくれているけど、少しの揺れでも今の俺には激痛のトリガー。

 なでしこと併走する形でははけがようこを背負っている。

 今、俺たちはお嬢様たちと合流するために合流地点へと向かっていた。お嬢様の安否は大丈夫とのことなので、一安心だ。

 はけを伝言にお嬢様が指定した場所は邸宅から十数キロ先にある別荘。

 近くにはコンビニや書店、スーパーなどもあり、駅まで徒歩三十分の距離だ。半壊した大邸宅より立地的にはこちらの方が大分いいと思う。

 なでしこたちの健脚のおかげで数十分で森を出て、獣道を走り、人目に付かないように合流場所の別荘に辿り着くことが出来た。

 その頃には長時間の揺れで、すでにグロッキー状態の俺。意識があるだけでもすごいと思う、いやマジで。麻酔なしでの手術に延々と耐えるのに等しいもの。

 別荘はあの大邸宅ほどじゃないが、それでも立派な邸宅と呼べるものだった。

 洒落た佇まいの一軒家だ。ダイ○ハ○スがCMで紹介していたのとほぼ同等のレベルである。何平米の敷地なんだろう? たぶん二百はあるんじゃないかこれ。

 門から玄関まではちょっとした庭があるし。なんか隅のほうに小型の噴水が見えた気がしたんだけど。

 なでしこに肩を貸してもらい、門を潜って別荘に入る。

 はけがインターホンを鳴らすと、大して間を置かず玄関の扉が開いた。

 

「――川平くんっ!」

 

 顔を輝かせたお嬢様が飛び出してくる。

 俺がなでしこに肩を借りているのを見ると、血相を変えた。

 

「酷い怪我! セバスチャン、どうすればいいのセバスチャン! ハッ、そうだ、救急車だわ!」

 

「落ち着いてくだされお嬢様」

 

 なんかちょっと見ない間に愉快な子になったなぁ。

 お嬢様の背後に控えていたセバスチャンが笑顔で一歩前に出てくる。

 

「川平さん、あなたなら、きっとやってくださると信じてましたぞ。さあ、いつまでもこうしてはおられません。まずは川平さんの傷の手当てをいたしましょう」

 

 そう言ってセバスチャンが俺を受け取ろうとしてくるが、それをなでしこがやんわりと断った。うん、俺もむさいおっさんに抱えられたくない。

 残念そうなセバスチャンを置いて館の中に入る。セバスチャンの案内に従い、客間に通された俺はすぐにベッドに横になった。

 部屋には俺となでしこ、ようこ、はけ。お嬢様にセバスチャン。そして、薫とせんだんがいる。

 ようこも空いているベッドに寝かされた。

 意外なことに医師免許も持っているセバスチャンが俺の体を診てくれる。

 触診が終わると難しい顔をしながら病態を告げた。

 

「全身の内出血、筋繊維断裂、単純骨折、そして神経も痛んでおられます。まず一ヶ月は絶対安静ですな」

 

「……っ! そんなになってまで戦ってくれたの……?」

 

 悲しそうな顔をするお嬢様。まあこの怪我は俺の責任なんだけどね。

 セバスチャンが夜間でも緊急外来を受け付けている病院があるため、手配しようかと聞いてくるが断った。

 骨折は転位が無いかどうか調べればいいし、なければ自然治癒で治すわ。一日寝れば酷使した脳もある程度回復するからな。治癒力を促進すればもっと早く回復するし。病院嫌いだし。

 今はとにかく寝たい。さっきから頭がガンガン悲鳴を上げてるし。

 

「……なでしこ、はけ。説明……よろ……」

 

 俺はもう寝る。お嬢様たちに簡単な説明だけしてあげて。

 掛け布団を被ったとたん、気絶するように眠りについたのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

 一ヶ月の絶対安静が必要な大怪我をしたにも関わらず、速攻で眠りについた啓太。啓太の体を案じていたなでしこたちだが、熟睡できている様子に安堵した。

 なでしこたちは啓太とようこを客室に残し、リビングへ移動。途中周囲を警戒していたいぐさたちも戻り、全員リビングに集まった。

 広い間取りのリビングは四十畳ほどの空間がある。足の高い木製のテーブルのほかに、ガラス張りの低いテーブルが別にあり、三人掛けのソファーが四つもある。壁側には大型のプラズマテレビが設置されていた。

 ソファーに各々が座り、セバスチャンとせんだん、いぐさが全員分の紅茶を入れてくる。なでしこも立ち上がろうとしたが、せんだんに「疲れてるでしょうから」と止められた。

 全員に紅茶が行き届くと、なでしこが死神との戦いについて説明を始めた。

 撃退には成功したものの、死神を退治しきれなかったこと。啓太が死神から強制的に契約を迫られたこと。その契約により、ケイの身はまず安全だろうということ。

 自分が見聞きしたことすべてをその場にいる皆に説明した。

 

「そんな、川平くんが……!」

 

「そう、ですか……川平さんが。それは、なんと申し上げればよいやら……」

 

 啓太が契約を強制的に結ばれた話を聞き、お嬢様とセバスチャンの顔色が変わる。

 薫やともはねが心配そうな表情を浮かべる中、驚きの顔でなでしこを見ている人もいた。

 はけにせんだんといった、なでしこを知る犬神たちだった。

 

「あなたが、戦ったと……?」

 

 驚愕の表情でなでしこの顔を見るはけ。なでしこは恥ずかしそうに微笑み、小さく頷いた。

 

「……はい。自分のことより、啓太様を守るのが私の使命ですから」

 

 そう言い、どこか憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔のなでしこ。

 彼女を長年苦しめていた重荷がなくなったのを察したはけは優しく微笑んだ。

 なでしこの頭に今まで無かったものを見て、何かに気がついたせんだんが、彼女にしては珍しく悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 

「なるほどね。……どうやらそのリボンも関係しているようだけれど?」

 

「あ、これはその……」

 

 なでしこは恥ずかしそうに、けれど幸せそうに微笑む。そんな彼女の姿にせんだんは自分のことのように喜んだ。

 長年、過去に犯した過ちに囚われ続けたなでしこ。本人は無自覚だろうが、心の底では「自分は幸せになってはいけないのだ」と強迫観念にも似た意識を持ち続けていたと思う。

 そんな彼女が今、こうして幸せそうに微笑みながら、頭に結ばれたリボンに触れている。せんだんの目には、それがとても尊い光景に見えた。

 話の意図が理解できないケイとセバスチャン、薫、ともはね。他の犬神たちはせんだんと同じく何かに気がついたようで、目を見開くなり、「えっ!」と声を出すなりと、各々驚きの表現でなでしこを見る。

 その視線に気がついたなでしこ。後頭部に結ばれた純白のリボンを指した、いぐさが『そういうことなの?』と目で尋ねると、笑顔のなでしこが小さく頷いて見せた。

 

「なんにせよ、おめでとうなでしこ」

 

「ありがとう、せんだん」

 

 優雅な物腰でお嬢様然としているがやはり乙女。せんだんとなでしこは手を取り合い、きゃいきゃいと喜んだ。

 薫とセバスチャン、お嬢様は話についていけず、目を白黒させているが。

 こほん、と咳払いしたはけが改めて確認する。

 

「それではなでしこ。今一度確認しますが啓太様と、あの死神との間に結ばれた契約は以下の二つでよろしいですね?

 一つ、絶望の君を倒せる存在は啓太様のみ。

 二つ、啓太様が死なない限り、絶望の君は外部エネルギーの補給ができない。

 そして、契約解消のためには契約者が直接相手を殺さないと解除できないのが、一方契約と」

 

「はい。確かにそう言っていました」

 

 ふむ、と開いた扇子で口元を隠すはけ。深く思考に耽る際に見せるはけの癖だ。

 数秒経つと扇子をパチンと閉じる。考えがまとまったようだ。

 

「この契約を聞く限り、啓太様が存命の間は彼の死神は契約が取れず、一方契約以前に交わされた契約も履行されないということ。死神にとってのエネルギー供給は契約により派生するものです。絶望の君だと、契約で生じる恐怖や絶望が、彼のエネルギー源なのでしょう」

 

 はけの言葉に全員真剣な面持ちで話を聞く。

 

「なので、先ほどなでしこが言った通り、この契約によってお嬢様の安全は確保されたとみていいでしょうね」

 

 そう言ってケイに微笑みかけるはけ。お嬢様は目に涙を溜め、その隣でセバスチャンが歓喜の表情で大きくガッツポーズした。

 

「ですが、このエネルギーを供給できないということは時間が経つにつれて弱体化していくことを意味します。絶望の君にとっては死活問題でしょう。なりふり構わず啓太様の命を狙いに来ますよ」

 

 その言葉に喜び勇んでいたケイたちは冷水を浴びせられようにハッと正気に戻った。

 そうだ、自分たちのせいで啓太は死神と契約を結ぶはめになってしまったのだ。

 ケイとセバスチャンは己を恥じた。

 しかし、そんな二人を元気つけるようになでしこが力強く、はっきりとした声で言う。

 

「ええ。ですが、啓太様には指一本触れさせません。それにしばらくは大丈夫でしょう。本気で当たりましたので、当分は傷を癒すことに専念すると思います。こちらにはようこさんもおりますし。ですから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 ケイたちにそう言って微笑みかけた。

 なでしこの言葉にはけも笑みを浮かべて頷く。

 

「……そうですね。なにせ啓太様のお側には、かつては犬神最強と謳われた、あの(・・)なでしこがいますから。心配するだけ損というものでしょう。ですが、我らも協力を惜しみませんので、いつでも声を掛けてください。決して一人で抱え込まないように」

 

 はけの何気なく口にした犬神最強発言に皆が一瞬唖然とする。そして、間を置いて場がどよめいた。

 

『犬神最強~!?』

 

 全員の上げた声がリビングの中を響き渡る。

 いつも冷静沈着で優雅な物腰であるせんだんが慌てふためいていた。

 

「お、お兄様? なでしこが最強って、どういう……!?」

 

 実の兄であるはけに尋ねる。

 せんだんを含め、この場にいる多くの犬神は若い。そのため、かつてのなでしこの姿を知るのはわずか数人だ。見た目に反して結構年がいってる金髪巫女のフラノ。そして深い医療知識を持つ犬神のごきょうやのみ。

 それ以外は『やらず』のなでしこしか知らない若い犬神なのだ。

 妹の言葉にはけは一瞬なでしこに視線を向ける。

 なでしこはただ微笑むだけだった。

 

「……まあ、いつかお前も知る時が来るでしょう。それまで待ちなさいせんだん」

 

「そんな、お兄様!」

 

「ともかく」

 

 意外と妹には厳しいはけはせんだんの言葉をぴしゃりとシャットアウトすると、真剣な表情に戻った。

 

「今後、啓太様にはあの死神の影がついて回ることになるでしょう。こちらの方でも情報を探ってみますが、くれぐれも気をつけてください」

 

「はい。お気遣いありがとうございます、はけ様」

 

 なでしこはすやすやと眠る主の代わりに頭を下げたのだった。

 啓太の身は何が何でも守る、たとえこの命と引き換えになってでも。そんな固い決意を胸に秘めて。

 

 

 

 2

 

 

 

 翌朝。

 熟睡したためか、目が覚めると幾分か頭の痛みも取れていた。

 隣のベッドを見てみると、すやすや寝ていたようこの姿はない。もう起きたようだ。

 俺はベッドに横になったままで手足の指を軽く動かしてみる。昨夜は動かすことも出来なかったけれど、今はちゃんと思い通りに動かせた。

 指を動かす程度だとすこし筋肉が痛む程度か。もっと大きい動きをしたら激痛が走るなこりゃ。

 大雑把に状態を把握した俺は、仰向けのままなでしこたちを呼ぶ。

 

「……なでしこー。ようこー」

 

 うん、大声を上げても大丈夫だな。喉は問題なしと。

 

「おはようございます啓太様。ご気分はいかがですか?」

 

 寝室の扉を開けてなでしこさんがやってくる。その後ろにはようことお嬢様、そしてセバスチャンもいるんだが……。

 

「……ん、安静にする分には大丈夫。けど……なんでようこ、むくれてる?」

 

 そう、ようこさんがなんかご立腹なのだ。可愛らしく頬を膨らませて、つーんとそっぽを向いている。

 なでしこは困ったような顔でチラッとようこを見た。

 

「その、昨夜啓太様に渡されたリボンなんですけど……」

 

「ケイタっ! なでしこだけズルイよ! わたしなにも渡されてないっ!」

 

 ああ、それでむくれてたのね。といっても君、今の今まで思いっきり熟睡してたじゃないか。

 まったく仕方ないなあ、ようこくんは。

 

「……ちゃんとようこの分もある」

 

 サイドテーブルに置かれたポーチから、ようこの分のプレゼントを取り出した。

 白い包装紙に黒のリボンがついた長方形の小箱だ。

 現金なもので、プレゼントを取り出した途端ようこの目が輝いた。

 開けていい、開けていい!? と急かすようこに頷いてあげると、慎重に包装紙を剥がす。

 

「わぁ~、綺麗な髪飾り♪」

 

 俺はよく分からないんだが、店員さんの話だと、この髪飾りは髪留めと一体になっていて人気の品であるらしい。

 ガラスのような素材で出来た鶴のくちばしの形をした髪留め。その根元に飾りとなる薔薇を模した一輪の花が咲いている。

 ようこの反応からして悪くないようだ。よかったよかった。

 

「……気に入った?」

 

「うんっ、ありがとうケイタ! これ大事に使うね!」

 

 ぱっと大輪の花が咲いたような笑顔を見せてくれる。ここまで喜んでくれると買ったかいがあるってもんだな。

 よし、まだ体動かすのキツイけど、一丁ようこのために付けてやるか。

 

「……ようこ、頭寄せる。つけてあげる」

 

「ホントっ!? つけてつけて!」

 

 喜色の笑みを浮かべたようこは「早くっ早くっ」と主人を急かす子犬のように頭を寄せてきた。

 そんな姿に苦笑しながら髪飾りを受け取り、なでしこに介助してもらいながら上体を起こすっ!

 くぁぁっ! や、やっぱ痛覚遮断してないから、めっちゃ激痛が走るな……っ!

 

「啓太様、大丈夫ですか……?」

 

「……このくらいなら、なんとか」

 

 痛みが顔に出ないのは無表情の利点だな。

 けれどいつも一緒にいるなでしこは流石に誤魔化しきれないらしい。俺の体を案じるように眉をハの字にして聞いてきた。

 やせ我慢をしながらようこのサラサラな髪に手を通し、赤い髪飾りを付けてあげる。

 左の米神あたりの髪を少しだけ掻き上げて、鶴のくちばしのような部分を通して、と。

 

「……ん。よく似合ってる」

 

「本当?」

 

「ええ。素敵ですよ、ようこさん」

 

「えへへ。なでしこのリボンもよく似合ってるよ!」

 

「ふふっ、ありがとうございます♪」

 

 うむうむ、仲良きことは美しきかな。良い友情だ。

 きゃいきゃいと手を取り合って喜ぶ女性たちを目の潤いにしていると、お嬢様たちがこちらにやってきた。

 そして、改めて頭を下げてくる。

 

「川平さん、改めてお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました! 川平さんのおかげで、お嬢様の命が救われました。 何とお礼を申し上げてよいのか、感謝の言葉もありません」

 

「本当にありがとう。川平くんがいてくれたから、今こうして笑っていられる。すべて貴方のおかげよ。本当にありがとう」

 

 俺が知るお嬢様の笑みは虚無の微笑だった。しかし、今目の前で笑んでいるお嬢様は心からのそれを浮かべている。

 綺麗な見る者すべてを見惚れさせるような美しい笑み。そんな笑顔を浮かべることができるようになった。その状況を作るのに一役買うことが出来た。そう思うと本当によかったと心からそう思う。

 女の子の未来を守ることができてえがったえがった。

 けれど、それまで笑顔を浮かべていたお嬢様はしゅんと気落ちした様子を見せた。

 

「でも、ごめんなさい。わたしのせいで今度は川平くんが……」

 

 あー、これは死神との契約のことか?

 でもそれはお嬢様は関係ないしなぁ。ぶっちゃけ、ただの押し付けだったし。

 

「……それは、お嬢様関係ない。あれは死神のせい。すべて死神のせい」

 

 そう、悪いのは全部死神のせいだ。あんの糞死神め……。今度あったらぶん殴ってやる!

 

「だから頭上げる。お嬢様が気にする必要ない。折角助かった命。笑顔でいる」

 

「……ありがとう、川平くん」

 

 顔を上げ、潤んだ目を向けてくるお嬢様。その頬が少し赤いようだけど、風邪ですか?

 

「安静にしていなければならないところ恐縮なのですが、報酬の件でご相談がありまして」

 

 セバスチャンが手にしたブリーフケースから数枚の紙切れを取り出した。

 確か依頼を受ける前の話だと、手付金五千万、成功報酬で五千万、あの大邸宅を土地付きで譲渡という話だったな。

 もうちょっと緩和してもらいたいということだろうか。ぶっちゃけかなり破格の条件だから全然いいですとも。

 報酬の相談と言うからてっきり緩和の交渉だと思ってたんだが。

 

「手付金の五千万と成功報酬の五千万は後ほど、川平さんの講座に振り込ませていただきます。ただ、あの別荘は先の戦闘で半壊してしまいましたので、あれをお譲りするというのはこちらとしては考えものだと愚考いたします」

 

 ふむふむ。

 

「ですので、当初お譲りする予定でした別荘に比べグレードが落ちてしまい申し訳ないのですが、代替案としてこの別荘をお譲りしたく存じます」

 

 ――えっ? この家を??

 いやいやいや、あの別館ですら持て余すレベルだったんだぞ! 一億ですら破格なのに、その上この邸宅を譲るとか、あんた正気か!?

 そう言うとセバスチャンは何を仰いますか!と鼻息を荒くした。

 

「もちろんですとも! 川平さんに受けた恩に比べればこの程度、雀の涙にも劣ります!」

 

「そうよ。川平くんには感謝してもしきれないほどの恩があるもの。私たち新堂グループが一生を掛けて返していくわ!」

 

「その通りです、よく言いましたお嬢様っ!」

 

 なにやら燃えておりますこの二人。死神の影が消えた途端に生き生きし始めましたね!

 庶民派の俺がセレブの仲間入りとか想像もできないんだけど。

 二人のテンションの高さになでしこは苦笑、ようこはぽかんとしていた。

 

「しかし、これだけでは心許ない。なので、一先ずはそれに合わせ、こちらを進呈させていただきたく」

 

 そう言って差し出してきたのは一枚の紙切れ。パスポートサイズの厚紙だった。

 壁に背中を預けて上体を起こしている俺は何の気なしにそれを受け取る。

 

「……雪ノ下旅館、終身無料……待遇券?」

 

「雪ノ下は新堂グループが経営している旅館です。その券を所有している人は終身そちらの旅館を無料でお過ごしいただけます。いわゆるVIP待遇というやつですな」

 

「旅館の無料待遇券ですか」

 

「旅館? 温泉もあるの!?」

 

 旅館と聞いて女性陣が食いついてきた。

 ようこの言葉に朗らかに笑いながらセバスチャンが頷く。

 

「もちろんです。雪ノ下では露天温泉が名物でしてな。景色を一望しながらの露天風呂は格別だと思いますよ」

 

「まあ、ステキ♪」

 

 想像しただけで幸せな気分に浸かっているようこ。セバスチャンから受け取ったパンフレットをなでしこも興味津々の様子で眺めていた。

 なでしこたちがこれだと、断れないじゃんか……。

 

「……でも、本当にいい? 一億だけでも破格」

 

 貰いすぎじゃないだろうか。

 仕事内容と報酬がつり合っていないんじゃないか。それが一番不安なのだ。

 そう言うと、お嬢様は微笑みながらベッドに置いた俺の手の甲に手を重ねてきた!?

 ビックリして固まっている俺を余所に、お嬢様が優しい口調で言う。

 

「さっきも言ったけど。川平くんたちには本当に、心の底から感謝してるの。今の私があるのはあなたたちのおかげなんだから。新堂グループはお金だけはあるんだから、せめてこれくらいのことはさせてちょうだい? 私たちが出来るのはこういうお礼くらいしか出来ないから」

 

 だから遠慮しないで、そう言ってお嬢様は微笑んだ。

 んー、ここまで言ってくれてるのに断るのは返って失礼か。

 それじゃあ、ちょっと貰い過ぎな気がするけど、ありがたく受け取るわ。

 

「……ありがとう」

 

「よかった。断られたらどうしようかと思ったわ」

 

 うれしそうに微笑んでくれるお嬢様だけど、あの、そろそろ手、離してくれませんかね?

 さっきからなでしこさんの視線が痛いんですけど……。

 

「……啓太様?」

 

 いえ、これ俺から握ったわけじゃないんですよ!?

 でも恐いからすぐに離れます!

 

「あ……」

 

 やんわりと、何気ないように重なった手を引き抜くと、お嬢様が残念そうな声を出した。

 なんでそこでそういう反応するの! ほら見なさい、なでしこの視線がさらに厳しくなりましたよ!

 お嬢様が無防備すぎて困ります……!

 

 




 と、いうことで第二部が終了しました。
 駆け足だったので疲れた……。
 次回の投稿までしばらく休みます。

 感想や評価お願いしまーす(´∀`)


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第三部
第六十五話「新居」


 一応ですが、完結までの大まかな道筋が決まりました。あとはそれに肉をつけるだけですね。一応、五部編成、百二十話を完結の目安としています。

 今後も「いぬがみっ!」をよろしくお願いしますm(_ _)m


 

 

 生まれて初めて格上の相手とガチバトルしてから三日。

 あの死神【絶望の君】と強制的に結ばれた契約についてははけを通じてお婆ちゃんに報告した。

 お婆ちゃんの方でも多方面から情報を仕入れてくれるとのこと。まずは体の傷を癒し、いつ襲撃があるか分からないから対応できるように心掛けろとアドバイスを受けた。

 なでしこの話だと向こうも相当のダメージを負ったから、まずは回復に努めるだろうとのことなので、そのインターバルの間は襲撃は無いだろう。多分。

 なので、その間いつ襲撃があってもいいように、出来る限りの準備をしておかないといけない。

 

「……」

 

 俺は今、セミダブルサイズのベッドの上に寝ながら、小説を読んでいた。内容はファンタジー小説で今流行の異世界召喚ものだ。読んでいて主人公意味不明なくらいチートでご都合主義だと思う。

 なでしこは買い物に出掛けていて不在で、ようこは洗濯物を畳んでいる。

 未だ俺はベッドの上の生活を強いられていた。右腕と右足はギプスで覆われており非常に不便。

 なでしこのお願いで一度病院で精密検査を受けたけれど、その結果はセバスチャンの予想通り、【全身十数か所に及ぶ筋繊維の断裂】、【数箇所の単純骨折】、【右上下肢の神経損傷】というものだった。

 重症といったら重症だけど、絶望的ではない。一箇所に負担が掛かっていたら最悪の場合、四肢の切断などもあり得たけれど、全身に拡散したお陰でこの程度で済んだ。

 なので後遺症もない。時間はかかるがリハビリなどで回復すれば、それまでと同じように動けるだろう、とは医者の言だ。

 幸いなことに脳の方も問題ない。丸一日休んだため頭の熱も取れたし、再び身体操法で治癒力を促進すれば、この程度の怪我なら一週間程度で完治できるだろう。

 なでしこたちにもそのようにしっかり説明したのだが、心配性ななでしこは過保護とも言えるほど俺の体を心配してくれる。

 やたらと俺の世話をしたがるというか。ベッドの上で安静にしてないと怒るのだ。可愛らしく、こう頬を膨らませて腰に手を当てて。

 食事の介護はもちろんのこと、移動では松葉杖で事足りるのに車椅子を勧めてくるし。風呂でも片手が骨折しているからと背中を流してくれたりとまるで介護士のように世話を焼いてくれる。恥ずかしそうにしながらもトイレの中にまでついて来られそうになったときは焦ったなぁ。

 

「……」

 

 なでしこはどことなく以前より活動的になったというか、積極的になったような気がする。やっぱり、あの夜が切っ掛けなのかね?

 なでしこが抱えている闇を垣間見たあの夜。初めて彼女の心の底に触れた夜。

 彼女が抱えていた苦しみ、悩みを聞き、受け入れた。本当の意味で主従関係が結ばれた特別な日。

 そして、告白し、受け入れてくれて。晴れて恋仲になった日でもある。

 あれ以降、なでしこの態度に目立って変わったところはない。のだが、細かなところでは変化が見られた。

 まず、なにかと一緒にいたがる。テレビを見ていれば自然な動作で隣に座るし、食事の席でも以前より少しだけ距離が近くなっている。

 それと、なにかと目がよく合うようになった。視線が重なるたびに照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑むのだ!

 その反応がもう可愛くて可愛くて! 俺も彼女を持った経験なんて無いからどう反応していいか分からんし!

 

「……」

 

 そして、大きく変わった変化といえば、なでしこも戦闘に参加できるようになったという点か。戦闘狂である自分を受け入れてくれたのが大きいのか、翌日になでしこのほうからお願いしてきた。

 何度も戦うことに不安は無いのか、本当に大丈夫なのか、と聞いたけれど、彼女の意思は固いようで。『啓太様がこんな私を受け入れてくださいましたから』と、だから大丈夫だとの一点張り。

 なので、次の依頼からはなでしこも同伴することになったのだ。ようこにもその旨を説明したら純粋に喜び歓迎してくれた。後にはけから聞いたところ、なでしこと死神との戦いも説明済みのようだったようだ。

 

 すべて順調のようだけれど、一つだけ問題がある。ようこさんに俺となでしこの関係をまだ打ち明けていない点だ。

 なでしこと俺の変化を敏感に感じ取ったのだろう。最近ジッとつぶさに俺たちの行動や反応を観察しているようで。まるで浮気調査をする探偵のように、気がつけばジィ~とこっちを見ているのだ。怪訝な目で。

 いつまでも隠し事は出来ないし、俺としてはあまりしたくない。それはなでしこも同じようだけれど彼女には彼女の考えがあるらしく、もう少しだけ待ってほしいとのことだ。

 まあ、なでしこがそれでいいのなら否は無い。なでしことようこ、二人の関係がこじれないように俺も全力を尽くすだけだ。

 

「……飽きた」

 

 パタン、と小説を閉じる。なんだか中盤あたりで中弛みしてきた。

 話の展開が俺の求めてるのと少し違ってきたんだけど。初めの設定はよかっただけに少し残念だな。

 読書は飽きた。眠気も無い。つまんない。暇だ。

 

「……手伝うか」

 

 洗濯物を畳むくらいなら俺でも出来るべ。

 ベッドの横にちょこんと置いてある車椅子へ移乗して、ようこの元へ向かった。

 

「……にしても、すごい家」

 

 言い忘れていたが、俺たちはすでに依頼の報酬でゲットした邸宅へ移り住んでいる。

 俺はこの有様だからずっとこの家で待機してたんだけど、ようこの話だとセバスチャンが手配してくれたメイド部隊となでしこが、家にある家財道具をその日のうちにすべて搬入してしまったらしい。

 十数人のメイドを率いて家財道具の配置を指示するなでしこは、まさにメイドのリーダーであるかのようだった、とはその光景を見ていたようこの言葉だ。容易に想像できてしまうのがなんとも言えないところ。なでしこさん、いつもメイド服着てるから、新堂家メイド隊の一員に見えても仕方ないよね。

 テレビやテーブル、ベッドなど、セバスチャンたちがすでに購入して配置していた家財道具については、そちらの方を使わせてもらうということで、それまで使っていたものは捨てるという流れになった。

 なので、今まで庶民感溢れる安物のテーブルは木製の高級テーブルに代わり、五千円だった液晶テレビは十万円以上の大型液晶テレビへとチェンジ。煎餅布団は今話題の低反発素材で作られたニ○リのマットレス。明らかにQOLが向上しました。

 取りあえずなでしことようこが家の説明をセバスチャンから一通り受けて、後日その彼女たちから説明をしてもらった。俺はベッドの上の住人だからその日、案内してもらえなかったのよね。

 だから、この家にお嬢様とセバスチャンの姿はもうない。死神の影に怯える必要がなくなったお嬢様は実家に帰ったのだ。けれど時々遊びに来るらしい。こっちはいつでもウェルカムです。

 ということで、利権書も貰い法的な手続きも済ませてあるため、名実ともに俺の家となったのだ。

 わずか三年でアパートから高級住宅に住まうことになるとは。これで俺も薫に負けない家を手に入れたZE!

 

「……ポチッとな」

 

 広~いこの家は、地下も合わせてなんと五階建て。地上三階、地下二階で構成されております。そのため、なんと家の中には小型のエレベータまでもが完備されていた。

 一階はリビング、キッチン、和室×ニ、洋室×ニ。

 二階は俺、なでしこ、ようこの部屋、書斎、執務室。

 三階は空き部屋が四室と物置。

 地下一階は浴室と室内プール。シアタールーム。

 地下二階は保管室、空き部屋が二つ。

 もうこの時点でなにこの豪華さと突っ込みたいところだ。ちなみにトイレは地上各階にあります。

 その上、入居者が車椅子所有者だと予見していたかのようにバリアフリー化までされていて、車椅子の生活にも不自由を感じさせない親切設計。新堂グループマジ感激。

 エレベータに乗った俺は一階を押し、ようこの元へ向かった。床は特殊な素材で作られた特性のフローリングだから車椅子の移動でも傷つかない優れもの。なので気にせず車輪を動かせるぜ。

 ようこは、奥のリビングかな?

 車輪の横についている輪っか状のハンドリムを押して車椅子を動かす。この車椅子も高級なのかね? すごい動かしやすいし、腕に全然負担が掛からないんだけど。

 

「……ようこー、いる?」

 

「あれ? ケイタどうしたの?」

 

「こけー」

 

 リビングにやってくると、ようこはソファーに座って洗濯物を畳みながらテレビを見ているところだった。隣では一緒に越してきた木彫りのニワトリが鼻ちょうちんを膨らませて寝ている。

 きょとんとした顔を向けてくるようこに、暇だから何か手伝うと言うと、彼女は困った顔で洗濯物を見た。

 

「あー、う~ん、ごめんねケイタ。もうほとんど終わっちゃって、あとは下着だけなの。あ、でもそれでも良いって言うなら……」

 

「……結構です」

 

 頬を赤く染めたようこはチラチラと何かを期待した目で見てくる。

 そこでうんと言えるほど俺のハートは強くねぇよ。

 興味はあるけれど体裁を考え辞退しました。

 そういえば引っ越してきたばかりだからまだ地理とか全然把握してないな。気晴らしもかねて散歩でもするかね。

 

「……じゃあ、散歩してくる」

 

「うん、いってらっしゃ~い。気をつけてね」

 

「……あい」

 

 ようこに見送られて車椅子で玄関に向かうと、丁度なでしこが買い物から帰ってきたところだった。

 エコバックから大根の葉っぱが見えるし。

 

「あ、啓太様。ただいま戻りました。……お出かけですか?」

 

 なでしこは外に出ようとしている俺を見て首をかしげた。

 

「……ん。ちょっとその辺散歩」

 

「でしたら私もお供します。一人では危ないですからね」

 

 おぉう、打てば響くような反応だな。まあ、ここ最近はなでしこと二人で出掛ける機会なんて無かったから良いけどね。

 ちょっと待っていてくださいね、と言い残しエコバックを手にリビングへ。少し早歩きだったのはあれかね、楽しみにしてくれてるのかね。そうだといいな。

 ものの十秒ほどで戻ってきたなでしこは明るい表情で「さあ、行きましょうか」と車椅子のハンドルを握った。

 なんというか、メイドさん姿のなでしこに押してもらうと、いいところの坊ちゃんとその専属メイドみたいだな。

 

 

 

 1

 

 

 

 新たな住居となるここは吉日市。新居は吉日市の北西に位置する。

 前の住所である難破市とは意外とそんなに離れていない。大体三駅ほどの距離だ。

 近くには河童橋という大きな橋があり、その下を籾川という澄んだ清流が流れている。ちなみに河童橋の名前の由来は河童が出ることからつけられたらしい。俺も色々な魑魅魍魎を見てきたけど、まだ河童は見たことないなぁ。

 都会というほど人が多いわけでもなければ田舎というほど閑古なわけでもなく、非常にいい感じな土地だ。近場にはコンビニやスーパー、病院、ゲームセンター、ショッピングモールなど一通り施設もある。結構暮らしやすい場所だ。

 引っ越したけど学校は変わらず武藤田高校。電車で通える距離だもの。八月も下旬でもうすぐ一年が終わるのか。

 

「どちらに行かれますか?」

 

「ん、適当に回ってみる」

 

「では近辺をぐるっと回ってみましょうか」

 

 なでしこに車椅子を押してもらい近辺を見て回ることに。

 近所の人にはすでに挨拶済みのようで、通り掛かった四十代の奥様がにこやかに声を掛けてくれた。

 

「なでしこちゃんじゃない。こんにちは」

 

「こんにちは、田中さん」

 

 主婦の奥様は車椅子に座る俺を見て、不思議そうな顔をした。

 

「あら、そちらの子は初めて見る顔ね」

 

 初対面は第一印象が大切という。ここはビシッと決めねば!

 車椅子の上から失礼。

 

「……川平啓太、です。なでしこ共々、よろしくお願いします」

 

「あらご丁寧にどうも。田中真紀子です。えっと、なでしこちゃんの旦那さんかしら? それにしては若いわね~」

 

 だ、旦那さんっすか。ちょっと嬉しいような気恥しいような。

 いかにもザ・奥様といった感じの田中さんは俺たちの関係が気になるようで、なでしこに「どうなのどうなの?」とにやけた顔で聞いてくる。

 困った顔のなでしこは、しかし嬉しさが隠し切れない様子でこう言った。

 

「いえそんな。まだそこまでの関係ではありませんよ。……ゆくゆくはと思いますが」

 

 え?

 

「啓太様は私が使える主様ですよ」

 

「主? えっ、もしかして良いところのお坊ちゃんなの?」

 

 その発言になでしこは答えずただ微笑むに止めた。

 色々と聞きたそうに目を輝かせた奥様だが、なでしこは失礼しますと一言断り車椅子を押し始めた。きっと噂好きの主婦なんだろうなぁ。

 明日からお金持ちのお坊ちゃんとしてご近所に知られてるのかしら。あながち間違いじゃないのが何とも言えないところだ。

 

「――それで、この道を真っ直ぐ行きますと、スーパーに着きます。こちらは大抵の食材が揃っているので今後重宝することになりそうですね」

 

「……なるほど」

 

 コンビニやスーパーの位置、駅までの道などを教えて貰いながら車椅子を押してもらう。すでに日常生活で使いそうな場所の道を覚えているとは、流石としか言いようがありません。

 その後、河童橋にやってきた俺たちは川岸まで降りた。綺麗な水が流れる川を眺めながら一息つく。

 それにしてもこの河童橋、家の裏手にある土手を超えたすぐそこにあるとは気が付かなかった。川魚も結構泳いでるし、たまにここで釣りをするのもいいかもな。

 

「……いい天気」

 

「そうですね。風が気持ちいです……」

 

 確かにいい風が吹いているな。日差しも気持ち良いし、いい気分だ。

 なでしこも隣にやってきて気持ちよさそうに目を閉じ、風を感じている。

 和やかな空気が流れた。

 

「――いつまでも」

 

「……ん?」

 

「いつまでも、こんな時間が続くといいですね……」

 

 それは、どのような気持ちで言った言葉なのだろうか。

 そうであってほしい、という願望か。

 そうであるといいな、という希望的観測か。

 どちらにせよ、俺が返す言葉は同じだ。

 

「……続く。いつまでもこんな時間が、ずっと」

 

 いや、ちょっと違うな――。

 

「続かせる」

 

 続くんじゃなくて、続かせる。そうあるように考え、動く。

 なに、これまで通りの生活を送ればいいだけさ。簡単だろ?

 

「……そうですね」

 

 頷き、可愛らしい笑みを向けてくれた。

 

 

 

 2

 

 

 

 散策を終えて帰宅した俺たち。なでしこが作ってくれた夕食を自力で食べ――なでしこやようこが介助したがっていたが、自力で食べれる程度には回復した――風呂に入る。

 新しい家のお風呂はそれまでのとは比較できないくらい広い。ぶっちゃけ大浴場レベルで広い。輪状に作られた埋め込み式のヒノキの浴槽は一度に十人は余裕で入れそうなほどだ。ヒノキ風呂だぞヒノキ風呂!

 同じくヒノキで作られた湯口からはお湯が止めどなく吐き出され、まるで銭湯に来ているかのような気分になる。

 右腕と右足がギプスを巻いているからまだ一人で体を洗えない。そのため介護が必要になるのだが――。

 

「なでしこばかりず~る~い~! なでしこは昨日啓太と一緒に入ったでしょ!?」

 

「ずるくないです! 入ったといっても啓太様の介護に、ですからね! それに人の体をしっかり洗うのは意外と難しいんです。ようこさんにちゃんとできるんですか?」

 

「出来るもん! ゴシゴシ洗えばいいんでしょ」

 

「それではダメです! 力強く洗っては肌を覆っている油分が取れてしまいますよ」

 

 聞いてお分かりの通り、なでしことようこが珍しく争っています。どちらが俺の体を洗うかで揉めているそうですが、腰にタオル一枚で待機している俺のことも考えてくれませんかね?

 結局二人で洗えばいいじゃないという妥協案を提出する羽目になった。どちらも引く気配がないからいつまで経っても終わりそうになかったんだもの。

 いつぞやの水着に着替えた二人はそれぞれスポンジを片手に体を洗ってくれる。なでしこが右腕を洗えば、ようこは左腕といった具合に。

 こんな些細なことでも性格がよくでているのが分かる。真面目ななでしこは優しく、細かく、丁寧に体を洗い。一方で大雑把なところがあるようこは鼻歌を歌いながらゴシゴシと力強く洗う。力加減はようこのほうが丁度いいけど、その分ストロークも長いんだよな。

 なんやかんや二人とも絶妙なコンビネーションで体を洗ってくれた。

 

「では寝ましょうか」

 

 いい感じで夜も更けてきているため、そろそろ就寝する流れになった。 時刻は十時で、普段の俺ならまだ寝るには少し早いけど、まあいっか。

 各々、二階に割り振られた自室へ戻る。俺も部屋に戻りセミダブルサイズのベッドにイン。

 ――自分の部屋が出来たのはいいけど、なんか寂しく感じるなぁ……。

 

 




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第六十六話「ようこの踊り」

 

 

 時刻は夜の十一時。もうすぐ深夜を回る頃。

 ようこは自分のベッドの中で丸まって眠っていた。

 今日はケイタの体を洗ってあげることが出来た。学校を休んでいるからいつもより多く一緒にいられたし、楽しい日だったと満足げな表情で眠る。

 しかし、不意にようこはうっすらと目を開くと、体を起こした。ん~っ、と大きく伸びをする。

 そして、表情を引き締めると部屋の片隅を鋭い目で見つめた。

 

「――はけ、いるんでしょ? 出てきなよ」

 

 そう誰もいないはずの室内で呼びかける。静まり返る室内。

 すぅっと浮かび上がるように人影が虚空から現れた。

 濃紫色の髪で右目を隠した偉丈夫。白装束に身を包んだその姿はようこも顔馴染みの人物だ。

 

「こんな時間にどうしたの?」

 

「……ようこ」

 

 普段から冷静沈着で自分の主ほどではないが、表情に乏しいはけ。いつもより無表情のはけは固い声で淡々と告げた。

 

「あの者の踊りが、そろそろ終えようとしています」

 

 それだけで何を言いたいのか分かった。

 目を細めたようこは一言「……そう」とだけ呟く。

 

「結界の綻びがかなり目立つようになりました。もうじき、あの者の踊りも終えるでしょう。その場しのぎではありますが【動物結界】で補強をします。すでに猫又や狸の方々、そして我々犬神は準備を整えています。あとは――」

 

「わたしだけ、そういうことね」

 

「はい」

 

 しばしの沈黙。ようこもはけも何も言わない。

 はけは、ゆっくりと自分の心情を語った。

 

「――嫌でしたら、断ってもいいと思います。これは私の心情ですが、ようこ。あなたはもう充分に犬神としての務めを果たしていますから」

 

 真剣な表情でそういうはけに、ようこは静かに首を振った。

 

「ううん。わたし、いくよ。たとえ誰になんて言われようとね。わたし、ここでの生活すごく気に入ってるんだ。ケイタがいて、なでしこがいる生活が。そのためなら、ようこ(・・・)としていくよ」

 

「……よいのですか?」

 

「当然。だってわたし、この場所が大事だもの」

 

 念を押すはけの言葉に、頷いてみせるようこ。

 それを見て、はけは小さく微笑み返したはけ。

 

「成長しましたね、ようこ……」

 

 それには何も返さず、ただにっと歯を見せて笑う。

 トンと小さくその場でジャンプすると、すぅっと天井を通過して夜空の下を飛んでいった。

 その後ろ姿を見届けたはけは、その涼しげな眼を部屋の扉のほうへ向ける。

 

「……と、いうことです。なでしこ、あなたはよいのですか?」

 

 扉の影からメイド服を着たなでしこが現れる。

 彼女は静かな微笑を浮かべながら首肯して見せた。

 

「ようこさんの問題に私が口を挟むべきではないと思いますから。それに――」

 

 ちらっと部屋の外――ちょうど啓太の部屋がある方向に視線を向けたなでしこは苦笑にも似た微笑を浮かべた。

 

「遅かれ早かれ、どこかの誰かさんが解決するでしょうから。私のときのように」

 

 その言葉にきょとんとした顔を見せたはけであったが、ふっと息を抜くと小さく笑った。

 

「確かに、あの方ならそうでしょうね」

 

「ええ、あの方なら」

 

 くすくすとなでしことはけは静かに笑いあった。

 

 

 

 1

 

 

 

 凍てついた風が吹く夜の街の上空を飛びながら、ようこは犬神の山へ向かっていた。

 ようこが犬神の山に立ち入るのは三年ぶりとなる。

 その犬神の山では現在【動物結界】というある事柄に関して極めて重要な儀式が執り行われているところだった。

 山奥の一角。そこには多くの人ならざる者たちが集い、赤い篝火が彼らの姿をぼんやり照らしていた。

 犬神を始めとして、猫又、化けタヌキと種族の違う妖たちが集まり儀式を行っている。

 儀式は犬神、化けタヌキ、猫又の順で執り行われていき、現在は猫又が儀式を行っていた。

 ある者は手ぬぐいを頭に被り、またある者は赤い半纏を着て、人間でいうところの盆踊りのような格好で踊り。決められた手順で手足を動かし、リズムに合わせて歌う。

 

『さあさ、歌いましょ♪ 踊りましょ♪ 今宵は我ら猫どもが、この閉じた篭のさらに外で、踊り歌い堰を築きましょ♪』

 

 声を合わせ、霊力を練っていく。

 直径二十メートルほどの円になって踊る猫たちの中心には、光り輝く繭が存在していた。光り輝く霊力の糸で紡がれた繭は金色のようにも見える。

 踊りが一段落すると、猫たちの輪から一匹の猫又が前に出る。

 

「ね、猫又の、渡り猫の留吉が名において、“結界強化”を施行する!」

 

 緊張しきった様子で前足を突き出し、裏返った声で高らかに告げると。

 ぱしゅっ、と圧縮空気が抜けるような音とともに、光り輝く繭が強く胎動した。

 

【うぉぉぉのぉれぇぇえええ~~~~! 愚劣な猫如きめがぁぁぁぁぁ~~!】

 

 その時、繭の中から強い怨嗟の声が聞こえた。それと同時に、一瞬だけ凄まじい霊力が稲妻のような光となって繭の隙間から迸る。

 

「ひゃいっ!」

 

 悲鳴を上げた渡り猫の留吉が尻餅をつき、他の猫たちも毛を逆立てて動きを止める。

 一瞬静寂に包まれる。しかし、それもほんの一瞬だった。

 

【うぉぉぉぉぉのぉぉれえええぇぇぇぇええええええ~~~~~~っ!!】

 

 迸った霊力が叫び声とともに瞬く間に繭の中へと吸い込まれていく。まるで堰き止めたダムサイズの水が一瞬で水滴サイズの水になるような、一瞬の吸収。ダイ○ンもびっくりな吸引力だった。

 ほっとした空気が辺りに流れる中、一泊置いてぽふんぽふんと気の抜ける拍手が聞こえてきた。

 

「いやぁ、お見事お見事! 見事なものじゃ。のぅ、はけよ」

 

 犬神の最長老だった。老齢のため人間に化ける必要のない最長老はケモノの尻尾と耳を出した姿だ。しかし長年の習慣からか、よれよれのねずみ色の浴衣をだらしなく着込んでいた。

 人間の老人と老犬を混同させ、体長を三メートルまで引き延ばしたような外観。高齢のため顔の皺が増え、歯はところどころ抜け落ち、額の毛も大分禿げてきたが、それでもしわがれた声には優しい威厳が残っていた。

 にこにこしながら儀式を見守っていた最長老は隣に立つ息子に声を掛けた。

 

「はい、父上。とても素晴らしい結界術でしたよ。猫又の皆さんを宴席にご案内して差し上げなさい」

 

 白装束に濃紫色の髪で右目を隠したはけも微笑む。大役を果たしてぐったりしている猫たち。そばにいた犬神たちに指示を出すと、最長老は反対側に立っていた娘のせんだんに声を掛けた。

 

「ふぅむ。せんだんよ、これで犬神、タヌキ、猫又の衆が終わったの」

 

「ええ、お父様。あと、残るは――」

 

 せんだんが言葉を終えないうちに場が静けさに包まれる。不自然なほど急に。

 その場にいた皆が一様にとある方向を見ていた。最長老やはけ、せんだんもそちらに顔を向ける。

 

「ようこ……」

 

 せんだんが掠れた声で呟いた。せんだんたちが見つめる先、そこには白い丈の着物に身を包んだ一人の少女が、篝火の中、ゆっくりと衆目に姿をさらしていた。

 細長い赤い帯を腰元に巻き、色白の綺麗な太ももがむき出しになっている。右の足首には青い足輪がついていた。

 艶のある長いストレートの緑髪を腰の辺りで束ね、頬には赤い刺青のような文様が描かれている。

 首に掛けられた太陽を模したネックレスが篝火に照らされ、鈍い光を放った。

 薄い微笑を浮かべて切れ長の目を半ば閉じているようこを見て、近くにいた犬神たちが眉を顰め、あるいは嫌悪感丸出しの顔で近くにいた者とひそひそと囁き合う。

 歩みを進めるようこが近づくと猫又やタヌキたちも慌てて距離を取る。

 モーゼが割った海のように、その場にいた者たちが左右に分かれ、彼女に道を譲った。

 その中を悠然たる態度で優美に歩く。その場に残ったのは交流のある渡り猫の留吉と化けタヌキのタヌキだけだった。

 

「ようこさん……」

 

「お、お久しぶりっす」

 

 二匹は心配そうな顔でようこを見上げる。

 ようこはそちらにチラッと視線を向けると、一瞬だけ優しく微笑んだ。しかし、言葉は掛けない。かけてはいけない。

 再び前を向くと、光り輝く繭へゆっくりと近づいていった。

 皆の視線を一身に集め、張り詰めた緊張感が場を支配する。誰かがゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 しばし、無言で繭を見上げる。いかなる思いが渦巻いているのか、その表情から読み取ることは出来ない。

 そして、ようこはゆっくり身を沈めると、舞い始めた。

 

 ――シャラン。

 

 霊気を束ね、霊力を練りながら、鮮やかに、そしてゆるやかに。トン、と軽やかに地面を蹴り、夜の空を背景にくるっと一回転。なびく緑髪が尻尾のように踊る。

 重力を感じさせない動き。地面を蹴るたびに、足輪が涼やかな音を奏でた。

 

 ――シャラン。

 

 太古のリズムで奏でられる、妖精のように美しく優美な舞い。今にも消え入りそうで幻想的な踊り。

 犬神も、猫又も、化けタヌキも。誰もがその舞いに魅せられていた。見る者すべてを魅了する、戯れる妖精のような踊り。

 その踊りを見ていたせんだんは小さく息を吐き、次いで眉を顰める。彼女の耳に悪意あるささやき声が聞こえたのだ。

 

「ふん。相変わらず踊りだけは見事なものだな」

 

「そうよな。ああやって皆の心を魅了するのだろう、まったく……。化け物娘が」

 

 せんだんはキッと声のした方向へ振り向いた。どのような感情からくる怒りなのか自分でも説明できないが、ようこが罵倒されるのを容認できなかった。

 恐れと憧憬、相反する二つの感情が綯い交ぜになり複雑な表情をする犬神たち。猫又と化けタヌキはようこの踊りをぼんやりと見ている。

 誰がようこの悪口を言ったのか、犯人を捜すせんだんだったが、遠くにいたはけの視線に気がつきそちらを見た。

 実の兄が諭すようにゆっくりと首を横に振るのを見て、不満を飲み込んだせんだんは眉を小さく顰めた。

 その時――

 

「見事! 実に見事じゃっ!」

 

 今の今まで黙って踊りを見ていた最長老が、大きく拍手を上げた。

 場違いなくらい大きな声。そして、タイミング。

 今まさに儀式の佳境に入ろうとしていたようこは踊りを止め、最長老を無表情で見た。

 しかし、最長老はその視線に気がつかないようにぼんやりと宙を見て、昔を懐かしむように独白する。

 

「いやぁ、よかったのう……。よかったよかった。初代が生きておったら、今のようこを見てなんというかのぅ。やっぱり、見事だというのかのう……。

 初代はほんに愉快な人じゃった。いささか女癖が悪く、よく災難に巻き込まれたが、一緒にいて実に楽しい人じゃった。昔はよく一緒にバカをしたものじゃ。なにより、初代は人と接するように我ら妖にも接してくれた。一緒にいて楽しく、心が休まる、日向のような方じゃった。そうさな、お主の主、川平啓太とよう似ておるわい。性格は真逆じゃが、気質や雰囲気がよう似ておる。

 のう、ようこや……。お主は主人を選ぶのがほんに上手い奴じゃのう~」

 

 ふごふご笑う最長老。ゆったりとした口調で話しながら優しい目をようこへ向けている。

 冷めた空気を溶かすような暖かみ。ようこも口元を緩めた。

 振り返り前を向くと、光り輝く繭を見据えながら両手を突きつけた。

 

「妖狐のようこの名において!」

 

 凛とした声で告げる。

 

「さらなる結界の持続を!」

 

 光の繭が眩い輝きを放つ。

 

【うぉぉぉおおおおおん~~~~! ようこぉぉぉぉぉ~~~~~! おまえまで、ひどいいいいぃぃぃぃぃぃ~~~~!】

 

 繭の中から情けない声が聞こえた。

 

【ようこぉぉぉぉぉ~~! それはだけはぁぁぁ、それだけはダメだぁぁぁぁぁぁ~~~~!】

 

 ジタバタと動き回る気配。

 

【ニンゲンとなんて、お父さんゆるしませぇぇぇぇぇぇん~~~~~~っ!】

 

 ぱしゅっ、と再び圧縮空気が抜けるような音が鳴ると、光の繭は闇に溶けるように消えていった。

 静寂と暗闇だけが残るなか、肩を落としたようこは深い吐息を吐き出す。垂れた前髪がようこの顔を隠した。

 

「――」

 

 俯きながら小さく何かを呟いたが、その声は誰にも届かない。せんだんの目には『ごめんね』と謝っているように見えた。

 犬神たちは複雑な表情でようこを眺める。嫌悪や恐れ、そしてほんのわずかの同情心。様々な感情が渦を巻き、ようこの身に向けられている。

 猫又たちはそわそわと落ち着きがなさそうに背伸びをし、化けタヌキたちはこそこそと仲間と耳打ちをし合ったりしていた。

 そんな空気の中、俯いていたようこはというと――。

 

「ぷっ、くくく……」

 

 くるっと振り向き、赤い舌を出してあっかんべーをした。

 ようこのその姿を見て可笑しそうに笑う最長老。呆気に取られた周囲の犬神たち。せんだんは苦笑を浮かべ、はけは微笑みながら頷いていた。

 向けられた憎悪、畏怖、憧憬、嫌悪、同情。それらすべてを跳ね除けてみせたのだ。これまでのようこなら俯いたまま、ひっそりと姿を消したのに。

 

「いきなさい、ようこ。お主の主人のもとへ。帰るべき場所へ」

 

 最長老が優しい眼差しとともに声をかけた。

 ふっとようこは微笑み、頭を振る。束ねていた髪が解かれ、さらさらと流れた。

 ようこは軽やかに駆け出し、トンと地面を蹴る。一瞬で闇夜に溶け込み姿を消した。

 周りで見ていた者が見惚れるほど、鮮やかな動きだった。

 

 

 

 2

 

 

 

 日が昇り、翌朝。吉日市の空は晴れ渡り、気持ちの良い風が吹いている。

 そんな秋空の下をようこは飛んでいた。

 すでに着物からいつもの私服に着替えてある。ビルの壁を蹴る度にミニスカートがひらひらと風に揺れた。

 どこか憂いを帯びた顔。いつも明るい彼女にしては珍しい沈んだ表情をしている。

 大きく跳躍してビルの屋上から民家の屋根を伝い再び跳躍。

 思い煩うような憂いに帯びた表情が、吉日市に近づくにつれて晴れていく。

 空から見下ろす彼女の視線の先。

 そこは民家の中でも一際大きい邸宅。

 その主庭で少年がハンモックに揺られていたのが見えた。日向ぼっこをしているのか、顔に文庫本を乗せている。

 そんな彼の側では緑色の生物が「くけけけっ」と鳴きながらハンモックを揺らしていた。

 

「うー、ん……それは……砂糖……食べちゃ、だめ……」

 

「くけけけけけ!」

 

 まったく起きる様子はなく寝言を言う啓太。

 なにが楽しいのか、緑色の生物はくけくけ泣きながらハンモックを揺らし続けている。

 その不思議な光景にようこはなんだか無性に嬉しくなった。

 我慢できなくなって、ぴょんっと地面に飛び降りると、ハンモックの上で眠る啓太の胸にダイブ。

 

「ぐふ……っ」

 

「ケイタ! ただいまっ!」

 

「くけけ?」

 

 無防備だったところを圧し掛かられ、少なくないダメージを負う啓太。

 突然やってきた少女に緑色の生物は「誰だこいつ」的な目を向けた。

 ようこはハンモックの上でうめく啓太に頬ずりしながら、傍らにいる緑色の生物を見た。

 緑色の肌には鱗のようなものがついており、両手と両足には水かき。頭には艶のある白いお皿が乗っかっていた。

 古来より知名度が抜群に知られている生物。この吉日市に掛けられた橋の由来となった伝説上の生き物――河童である。 

 ようこと目が合ったカッパは「くけけけ?」とつぶらな瞳で首を傾げた。

 

「ね、ねえねえケイタ」

 

「……なに……?」

 

 少し不機嫌そうな声。気持ちよさそうに寝ていたのを不意打ちで起こされたのだから、仕方ないだろう。

 しかしようこはそれに気がつかないようで、カッパを指差した。

 

「この子、どうしたの……?」

 

「……んー?」

 

 その言葉に啓太はようやく顔を上げた。傍らにカッパがちょこんといるのに気がつくと、ああと納得したように頷く。

 

「……さっき釣りしてたら、釣れた」

 

「釣れたって……河童が?」

 

「……ん。それで、キュウリ。試しにあげてみた。で、懐いた」

 

「……」

 

 ぽかんとした顔でカッパを眺めるようこ。

 とうのカッパはくけくけ鳴きながらハンモックを再び揺らし始めた。

 

「……キュウリはまた今度。そろそろ帰る。人に見つかる」

 

「くけけけけ?」

 

「ん。明日もいく。だから、いい加減帰れ」

 

 何気なく普通にカッパと会話する啓太。どうやらキュウリを強請っていたようだ。

 啓太の言葉に納得したのか、カッパはハンモックから手を離すと土手の方へのそのそ歩いて行った。途中くるっと振り向き「くけけー」と鳴く。

 啓太はただ手を振り返すだけだったが、カッパは反応してくれたことに満足したのか、そのまま土手を登り河童橋の方へ去っていった。

 

「……ふぁぁ……んー、もう少し寝るか……」

 

 まだ眠いのか、もう一度ハンモックの上に頭を乗せる啓太。伝説上の生き物と遭遇してもまったくの平常運転だった。

 ようこはなんだか無性に嬉しくなった。

 そして、我慢しきれず再び啓太に抱きつき叫ぶ。

 

「~~っ、ケイタ大好き!」

 

 眠りに入りそうだったのを邪魔された啓太は少しだけ顔を顰めながらも、ふぅと息を吐く。

 己の首に抱きつくようこの背をぽんぽんと叩いた。

 

 




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第六十七話「ようこの想い」

 

 

 実家でお過ごしのお婆さま。寒い日が続くこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 わたくし啓太は順風満帆な生活を送っております。死神と契約を結ぶという不名誉な実績は残りましたが、晴れて大金を手にしましたし、先の依頼人からオカルト関連で悩む人をこちらに紹介してくださったりと仕事も順調です。

 そして、なにより長年にわたって恋慕の情を寄せていました意中の娘とも、ついに恋仲となることができました。

 もうわたくし、幸せの絶頂期にいるかのようです。

 そんなわたくしですが、いささか――。

 

「啓太様……お体を楽にしてくださいね……」

 

「んふふふ……ケ・イ・タ♪ いーっぱい愉しもうね♪」

 

 美女二人に押し倒されているこの状況には、戸惑いを覚えます。

 可愛らしいパジャマを着たなでしこたちが何故、夜の俺の部屋にやってきて、俺をベッドに押し倒したのか。

 それを語るには、少々時間を遡らなければならない。

 

 

 

 1

 

 

 

 そもそもの始まりは早朝のことだった。

 啓太たちがこの家に引っ越してきて早五日。身体操法で治癒力を促進していることもあり、傷の方も順調に癒えてきて、現在は松葉杖での移動を可能にしている。まだ右腕右足のギプスを取ることはできないが、それでもかなり順調な経過だ。啓太本人の予想だと、あと一週間ほどで完治できると認識していた。

 朝食の時間のため、啓太たちが一階に降りて広いリビングに集まる。

 アパートにいた頃は丸テーブルだったため、それとなく自分の席というのが決められていたが、現在は長方形の足長タイプのテーブルを使っている。その上、家には啓太となでしこ、ようこの三人しか住んでいないため、決められた席などはない。各々自由に座っていいという暗黙の了解があった。

 本日の朝食は白米、合わせ味噌を使った味噌汁、目玉焼き、鯖の煮物、和え物。日本の朝食ベスト三に入るような数々の料理が人数分並べられている。

 

「……いい朝」

 

 最初に降りてきた啓太が椅子に座る。

 

「んー……ごはんごはん……」

 

 次いで、まだ寝ぼけ眼でいるようこが小さくあくびを漏らしながら降りてきた。まだパジャマのままである。

 ようこは啓太の正面に座った。

 

「もう、ようこさん。寝ぼけたままだと危ないですよ?」

 

 そして最後にエプロンを外したなでしこが、キッチンの方からやって来た。

 彼女は啓太の右隣に座る。

 大分眠気が取れてきたようこは少し違和感のようなものを感じたが、すぐに目の前の料理へ目が向いた。

 

「……? なでしこ、味噌変えた? 味が少し違う」

 

 味噌汁を一口飲んだ啓太が微妙な味の変化に気がついた。

 啓太の質問に隣のなでしこは微笑みながら頷く。

 

「はい。ちょっと配合を変えてみたんです。どうですか? お口に合うといいんですけど」

 

「……ん。美味しい。こっちの方が好きかも」

 

 その言葉を聞いたなでしこは、ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。

 両手を合わせて心底嬉しそうに微笑む。

 

「よかった。啓太様のお口に合ってなによりです」

 

 啓太たちの対面に座り、同じく味噌汁を飲んでいたようこは「ん?」と怪訝な目でなでしこたちを見た。

 何かが、何かが変だ。そう、女の勘が告げている。

 ようこの女の勘は別の食事の場面でも警報を鳴らしていた。

 啓太が目玉焼きに掛ける醤油に手を伸ばそうとした時だった。

 

「はい、啓太様♪」

 

「……ん。ありがと」

 

 啓太が手を伸ばすと同時になでしこが醤油を取ってあげた。絶妙のタイミングだった。

 目をぱちぱちさせていた啓太だったが深く考えず素直に受け取る。

 向かいでは白ご飯を食べていたようこが「んー?」と怪訝な目で二人を見ていた。

 

『ごちそうさまでした』

 

「はい、お粗末さまです♪」

 

 食事が終わりご馳走様と唱和する。なでしこが全員分の食器を流しに持っていこうと席を立ち、ようやくようこはあることに気がついた。

 ――なでしこ、いつの間に啓太の隣で食べてたの!?

 何気なく、自然な流れで啓太の隣を陣取っていたのだ。まるで元からここが自分の席だとでもいうような、疑問を感じさせない自然な動きで。

 

 

 

 食事が終わってからというもの、ようこが感じる違和感は強まる一方だった。

 その違和感はなでしこと啓太の二人から感じる。そのため、ようこは今日一日二人を観察することに決めた。

 仕事の都合上学校を休むことが多い啓太。履修できなかった授業の分を宿題と言う形で穴埋めすることで、特例として長期の休学も許可されていた。それも川平家の特色を学校側が理解してくれているところが大きいが。

 そのため、今日も啓太は宿題である国語、数学、社会のテキストと向き合っていた。

 主庭とリビングを遮るガラス窓を開けているため涼やかな風が通る。

 勉強には快適な環境のなか、窓際に面した小さなガラステーブルの上に教科書とノートを開いた啓太はカリカリとテキストに文字を刻んでいく。

 そんな彼の周りでは――

 

「啓太さん聞いてくださいよ~! 実はですね」

 

 なぜか酔っ払った渡り猫の留吉が啓太の裾を引っ張り。

 

「くけけけけけ!」

 

 何が楽しいのか、啓太の背中をカッパがげしげしと蹴り。

 

「川平さん助けてっす~!」

 

 ブルマの体操服を着たタヌキが啓太の影に隠れ。

 

「コケコケッ! コケー!」

 

 木彫りのニワトリがタヌキを追いかける。

 一言で言うと、カオスな状況だった。

 そんな状況下のなか、啓太は驚異的な集中力で宿題を片付けていく。呼吸法で集中力を高めてまで勉学に取り組む姿勢は見上げたものだが、一言彼らを注意すればいいだけの話なのではと、ソファーに座りながら普段は読まない新聞で顔を隠すようこは思った。

 ちょうど区切りがついたのだろう。シャーペンを置いた啓太は大きく伸びを一つ。そして肩の力を抜くと、首をコキコキと鳴らし。

 

「コケー!」

 

「うわぁ~ん! 助けてくださいっす~!」

 

 自分の周りをぐるぐる回る木彫りのニワトリとタヌキを見て、むんずと無造作に木製のニワトリを掴み。

 

「くけけけけけけけ!」

 

 興が乗ったのか楽しげに蹴りつけてくるカッパの顔をもう片方の手で鷲掴みにして。

 

「……うざい」

 

 という一言とともに開いた窓から庭へ向けて投げた。くけ~、と鳴きながら宙を舞うカッパの腹に間髪いれず投げつけたニワトリが直撃する。

 一匹と一体はそのまま芝生の上にぼてっと落下した。

 体操服姿のタヌキがホッと安堵の息をつく。

 

「それでですね~、曼陀羅菩薩様がその場でヨガを――」

 

 赤い顔と胡乱な目でよくわからない話しを延々とする留吉。啓太は一言「なでしこ」と口にした。

 

「はい、留吉さん。お水ですよ」

 

 キッチンからコップを持ってきたなでしこが、留吉に優しく水を飲ませる。

 おとなしく飲む留吉だが、酔いが回ったのか飲み終わるとその場で丸くなって眠ってしまった。

 その様子を見ていた啓太は「仕方ないな」とでもいうように肩を竦め、なでしこも小さく笑った。

 名前を呼ぶだけで、何を要求しているのかすぐに察する。何気なく交わされた阿吽の呼吸のようなやり取りを見てようこは「むむむ……っ!」と大きく顔を顰めた。

 

 

 

 2

 

 

 

 夕方になり、なでしこがいつものように買い物に出掛けようとすると、啓太も荷物持ちで同行すると口にした。

 

「ありがとうございます啓太様♪ ようこさんはどうしますか?」

 

 これまでも啓太となでしこが一緒に買い物することは間々あったが、その場合は大抵ようこも同行する。なのでいつものようにようこに一緒に来るかと聞いたなでしこであったが。

 

「ううん、わたしは家で留守番してるよ。たまには二人で行ってきたら?」

 

「そう、ですか? では、お留守番お願いしますね」

 

 珍しく家に残ると言ったようこに不思議そうに目をぱちくりさせるなでしこ。だが、たまにはそんなこともあるだろうと思い直した。

 

「うん、行ってらっしゃ~い」

 

 啓太と二人きりということに意識がいってしまい、若干嬉しさを隠し切れないなでしこは上機嫌のまま啓太と一緒に家を出た。

 それを笑顔で見送ったようこはすぐに自室へ戻ると、なぜか持っている地味な茶色のトレンチコートに同色の帽子、マスクを取り出し、啓太の部屋からサングラスとデジカメを拝借する。

 リビングに戻りうたた寝をしていたタヌキと留吉をたたき起こした。

 

「んにゅ? 何事っすかぁ?」

 

「んぅー……どうしたんですか、ようこさん?」

 

 ようこの異様ともいえる服装に目を丸くする留吉たち。それもそのはず。今のようこは茶色のトレンチコートに帽子を被り、サングラスとマスクで顔を隠していた。典型的な不審者の格好である。

 ようこの姿にぽかんとしている留吉たちにようこは声高に宣言した。

 まるでスクープを嗅ぎつけた新人記者のように。

 

「ケイタとなでしこが最近怪しいのよ。わたしの女の勘が叫んでるの、ぜぇ~ったい怪しいって。だから追跡して決定的瞬間を捉えるのよ!」

 

 そう言ってコンパクトサイズのデジカメを取り出す。

 最近刑事ドラマに嵌っているようこであった。

 

 

 

 家で留守番しているようこが自分たちを尾行しているなんて露も知らない啓太たちは最寄のスーパーへやって来た。

 買い物カゴを持つ啓太とその側でいろいろな食材に目を配り吟味するなでしこ。

 安いことで知られているこのスーパーは近所の主婦たちも頻繁に活用されており、この日も多くの主婦などで賑わっていた。

 食材売り場も人が多くいるため、自然と腕が触れ合うような距離で歩くことになる。互いの距離に気がついた二人は顔を見合わせると恥ずかしそうに目線を反らした。ポーカーフェイスに定評のある啓太ですら見て分かるくらいには羞恥心を感じているのだ。

 

「あの、啓太様? その、はぐれるとアレなので、その……」

 

 頬を薄っすらと朱に染めたなでしこが啓太の手をチラチラと見る。その仕草にピンと来た啓太は自分からなでしこに手を差し伸べた。

 

「……ん。はぐれると危ない」

 

「ええ、はい。はぐれると危ないですものね……!」

 

 差し出した手をきゅっと握るなでしこ。

 何気に普通の握り方ではなく、指の一本一本を絡める、恋人握りというやつだった。

 密着度が増して一瞬、びくっと肩を跳ね上げる啓太。

 意外と積極的な一面を見せたなでしこは顔を赤らめながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべている。

 

「……」

 

「♪」

 

 少しだけ目線を明後日の方角へ向けて気をそらす啓太に、ご満悦ななでしこ。見知らぬ主婦たちは二人の初々しさを微笑ましそうに見ていた。

 

「若いっていいわねぇ」

 

「あたしも昔は旦那とあんな時期を送ったんだよね~……」

 

「うふふ、微笑ましいカップルですね」

 

 周りの声を聞き、二人の顔が赤くなる。

 けれど、なでしこは幸せそうに啓太へ微笑みかけた。啓太も珍しく小さな笑みを浮かべてなでしこを見たのだった。

 

 

 

 そんな初々しいやり取りを行っているカップルを怪しい一団が遠くから眺めていた。

 変装したようこたちである。どこから仕入れたのか留吉とタヌキたちもようこと同じトレンチコートに帽子、サングラス、マスクを着用していた。

 啓太たちがいる食品売り場とは反対のお菓子売り場のコーナーから気づかれないように棚で身を隠し、動向を見守っている。啓太たちには微笑ましい視線を送っていた奥様たちも、ようこたちには不審者を見るそれを向けていた。

 

「きぃ~~! なでしこの奴ぅぅ! 啓太とあんなに密着して……! あ~! いま手繋いだ!」

 

「よ、ようこさんようこさん……! 声が大きいですよっ」

 

「そうっす……! バレちゃいますっす……」

 

 お菓子売り場のコーナーで棚に身を隠しながら、ジッととある方向を凝視しては小声で騒ぐ集団。しかもトレンチコートに帽子、サングラス、マスクという顔出しNGの見本のような格好。

 どこからどう見ても不審者にしか見えない。通りかかる客が不審そうな目で見たり、店員もチラチラと動向を気に掛けていた。

 取りあえずようこは持ってきたデジカメで手を繋いでいる様子を激写する。

 初々しくもラブラブっぷりを周囲に見せ付ける啓太となでしこ。そんな二人へカメラ越しに怨嗟の念を送っていると――。

 

「お客様、ちょっとよろしいでしょうか?」

 

 大柄なスキンヘッドの店員がにこやかな笑顔を浮かべてようこたちの背後に立っていた。

 ほうほうの体で逃げ出すようこたち。しばらくあのスーパーには顔を出さない方がいいかもしれない。

 仕方なくようこたちはスーパーの出入り口が見えるベンチに座った。そこで啓太たちが出るのを待つ作戦である。

 同じ服装の三人組がベンチに座る姿というのもまた衆目を集めることとなったが、啓太たちのことで頭一杯のようこはまったく気にならないようだ。留吉とタヌキは身を縮める思いだが。

 そして、ベンチで待機すること十分。

 

「あ、出てきた……!」

 

 ようこたちの視線の先には丁度二人が出てきたところだった。

 店内を出たというのにまだ仲良く手を繋ぎ、それぞれ別々のスーパーの袋を持っている。まるで新婚の夫婦のような姿だった。

 

「むぅー……! いいなぁなでしこ。わたしもケイタとイチャイチャしたいのに」

 

 後を追いながら仲良く手を繋いでいる姿を写真に収めていると、不意にようこが羨望の眼差しで二人を見た。

 啓太の犬神になって三年。自分なりに積極的に動いてきたと思う。しょっちゅう抱きついてるし、匂いをこすりつけているし、好きって言葉を何度も言ったし。

 けれど啓太はようこのことを異性でなく家族として見ている。

 近くで見てきたようこにもそのことは直ぐに分かったし、なんとか振り返ってもらおうと、時には色仕掛けのようなこともしてみた。

 一応、反応のようなものは返ってきたものの、こうしてなでしこと一緒にいる啓太を見ると、どうしても伝わってきてしまう。

 

 ――ああ、やっぱりケイタは……なでしこのことが好きなんだな……。

 

 分かってはいた。判ってはいたのだ。

 啓太本人が気づいていなくとも、彼に恋する自分にはすぐにわかった。啓太がもう一人の犬神に心を寄せているということを。

 そして、その犬神――なでしこも啓太のことを悪からず想っていることを。少し前から本人も啓太のことを好いていると自覚して以来、少しずつ積極的な姿勢を見せている。淑やかで大人しい性格の彼女にしては頑張っている方だ。

 でも、認めるわけにはいかない。認めてしまったら、自分の居場所が……帰るべき場所がなくなってしまうから。

 だから、ようこはあきらめない。絶対に啓太を振り向かせてみせると、後ろ向きな考えを頭の外に追い出して。

 そして気合を入れ直した時だった。不意にようこはあることに気がついた。

 

 ――あれ? わたし、なでしこにあまり嫉妬、してない……?

 

 自分の心境の変化に気がついた。

 以前のようこなら啓太となでしこの関係を認めようとせず、なでしこに一方的な敵意を向けていただろう。

 しかし、今はどうだろうか。心のどこかで認めたその上で、なんとか自分にも振り向いてもらおうと画策しているではないか。

 そう、まるで――。

 

 ――まるで、わたしが二番でいいって思ってるみたい……。

 

 そこまで思考が働き、その考えがストンと胸の中に降りた。

 互いのピースがぴったりと嵌り合うような、腑に落ちた感じ。

 

 ――ああ、そっか……そうなんだね……。

 

「わたし、とっくになでしこのこと、認めてたんだ……」

 

「ようこさん……?」

 

 口の中で何かを呟いたようこの顔を留吉が不思議そうに見上げる。そんな彼の頭を撫でたようこは「ううん、なんでもない」と明るく言った。

 

「さ、もう帰ろっか。早くしないとケイタたちが先に帰ってきちゃうしね!」

 

「あ、待ってくださいよ、ようこさーん……!」

 

「ちょ、置いてかないで下さいっす~!」

 

 どこかすっきりした顔で駆け出すようこ。

 彼女に置いて行かれない様に留吉たちも後を追った。

 

 

 

 3

 

 

 

「……上がった。お風呂、どーぞ」

 

 首にタオルを乗せた啓太がリビングに下りてきた。

 それを見てようこがなでしこへ順番を促す。

 

「なでしこ先に入ったら? わたしは後でいいから」

 

「そうですか? ではお先にいただきますね」

 

 なでしこが着替えを取りに自室へ向かうのを見届けたようこは風呂上りの牛乳を飲んでいる啓太に声を掛けた。

 

「ねえケイタ」

 

「……ん?」

 

「最近なでしことの間に、なにかあったの?」

 

 突然のようこの質問に啓太は危うく牛乳を噴き出しそうになった。

 少し咽た啓太は唇についた牛乳を手の甲でぬぐい、真剣な表情を浮かべるようこを見た。

 

「……どうした、突然」

 

「だってここ最近のケイタとなでしこ変だよ? なんていうか、お互い意識してるの丸分かりだもん。ねえ、もしかして――」

 

 すっと目を細めたようこは核心をつく言葉を口にした。

 

「なでしこと付き合ってたり、とか?」

 

 その言葉に啓太は一瞬眉を跳ね上げた。

 そして難しい顔で思い悩む。

 

「いや、それは……」

 

「……」

 

 このまま言っていいのか、それとも黙った方が良いのか。なでしこはもう少しだけ待ってほしいと言っていたため、どう返事をすれば良いのか悩む啓太。

 うーん、と腕を組みなんと返事をすればよいのか言葉を捜す啓太をジッと見つめていたようこは。

 

「――なーんてね♪」

 

「うーん……ん?」

 

 急にパッと笑顔を見せた。目をパチパチさせる啓太にようこは、えへへと舌を出して見せた。

 

「いいよ言わなくても。ケイタを困らせるつもりはないし。あ、でもケイタを好きな女の子はここにもいるんだからねっ」

 

 忘れるんじゃないぞ少年♪ 可愛らしいウインクとともに啓太の頭を人差し指でツンと押したようこは「わたしもお風呂入ろ~っと」と軽い足取りで二階へ向かった。

 一人残された啓太は呆然と立ち尽くしたまま、つつかれた額を撫でたのだった。

 

 

 

「お邪魔するよ~」

 

「きゃあっ、え、えっ? ようこさん!?」

 

 バスタオルを体に巻き、長い濃緑色の髪を結い上げたようこは風呂桶を片手に、勢いよく浴室の扉を開けた。

 ガラガラ~と扉がスライドする音とともに入ってきたようこに、体を洗っていたなでしこは反射的に胸を隠した。

 困惑するなでしこの姿にけらけら笑うようこは彼女の隣の席に腰を下ろした。巻いていたタオルを外し、シャワーで体を流す。

 

「まあまあ、女同士なんだからいいじゃんいいじゃん。それに一緒に入ったことなかったからね、たまにはこういうのも良いと思わない?」

 

「あ、そういえばそうですね。それでは、ようこさんのお背中洗いましょうか?」

 

「じゃあお願いしようかな。そしたら今度はわたしが洗ってあげる」

 

「はい、お願いしますね♪」

 

 ナイロン製のタオルを受け取ったなでしこはボディソープをつけ、ようこのきめ細かな背中を洗っていく。適度な力加減でようこもご満悦の様子だ。

 

「ん~、気持ちい~」

 

「強さはこのくらいで大丈夫ですか?」

 

「うん、大丈夫だよ~」

 

 仲睦まじい姉妹のような微笑ましい光景。初めて人に背中を洗ってもらったようこだが、想像以上の心地よさで気持ちよさそうに目を細めていた。

 ふと鏡越しになでしこを見る。

 服の上からでは分かりにくいが、なでしこの胸も負けず劣らず結構な大きさなのだ。前に見たときよりも少しだけ大きくなっているのではなかろうか。

 

「……なでしこ、あんたまた胸大きくなった?」

 

「え? そうですか? 自分じゃよくわかりませんけど」

 

「うぅ、さすがのわたしも、なでしこには負けるわ……」

 

「えーと、ようこさんも十分大きいと思いますよ?」

 

 自分の胸を持ち上げて意気消沈する。自分でも豊満な方だと自覚しているし、肌の手入れやバストを維持するための体操や筋トレなど行っていたりする。

 一方のなでしこは着やせする性質であり、俗に言う脱ぐとすごいタイプだ。豊満なようこより若干上をいっている。

 どちらも美乳と呼んでいいほど整った形だが、やはり個人差があるのか、ようこは若干前に突き出たロケット型。一方のなでしこは全体的に丸みを帯びたお椀型と呼ばれる形をしている。

 特に手入れをしてないとのことだが、それでこの体を維持できるのかと考えると、ちょっと羨ましいようこであった。

 

「はい、背中流しますね~」

 

 洗い終わった背中をシャワーで流すと、今度はようこがなでしこの体を洗う番だ。

 受け取ったタオルにボディソープをたっぷり付けると泡立て、陶器のように滑らかな肌を傷つけないように力加減をしながら、ごしごしと洗った。

 

「このくらいでいい?」

 

「はい大丈夫ですよ。とても気持ちいいです♪」

 

「わかった、このくらいだね。んっしょ、んっしょ」

 

 今時の女の子らしくガールズトークを楽しんだようこたち。

 体が洗い終わると、広い浴槽に身を沈めた。ちゃんとマナーとしてタオルを湯につけないように頭の上に乗せるのを忘れない。

 肩まで湯に浸かった二人は揃って吐息を零した。

 

「気持ちいいですね~」

 

「だねぇ~」

 

 二人揃って気の抜けた声が出る。ここまで無防備ななでしこというのも珍しい。

 ようこは「そういえば、なでしこ~」と何の気なしに声を掛けた。

 

「あんた、ケイタと付き合ってるでしょ?」

 

「………………え?」

 

 なでしこの笑顔が固まる。完全の不意打ちだった。

 振り向くと真剣な眼差しを向けるようこがいた。その目に攻撃的な色はない。

 フッ、とようこは頬を緩めた。

 

「やっぱり。そうなんだね?」

 

「……はい」

 

 言い逃れはできないと思ったのか、それともするつもりは最初から無いのか。

 ようこと真摯に向き合ったなでしこははっきり頷いた。

 それを聞き、ようこは穏やかともいえる顔で一言「そっか」と呟いた。

 

「いつからなの?」

 

「前回の死神との戦いです。撃退した夜に啓太様からお言葉をいただきました」

 

「あー、あの日かぁ。わたし思いっきりねてたからね~」

 

 そう言って苦笑するようこになでしこはどこか気遣うような色を覗かせながら、しかししっかりと自分の意思を伝えた。

 

「……ようこさん。ようこさんには申し訳ありませんが、やはり私も引くことは出来ません」

 

 なでしこの真剣な眼差しを正面から受け止めたようこはそれを聞き、にやっと笑った。

 

「……言うようになったじゃないなでしこ。でも、わたしも引かないよ。だから、一番はなでしこに譲ってあげる。でも二番はわたしがもらうから」

 

「えっ?」

 

 その宣言になでしこは目をぱちくりさせた。ようこは目を丸くするなでしこを見て、してやったりといったような笑顔を浮かべた。

 

「わたしも引かない、なでしこも引かない。そうなったらお互いが啓太の恋人になっちゃえばいいじゃない」

 

「でも、わたしが一番って……ようこさんはそれでいいんですか?」

 

 ようこが啓太の恋人になると聞いて、なでしこは不快感を示さなかった。むしろこの関係を崩さず新たな関係に踏み出せるというのは、なでしこにとって最良の選択だと思えた。

 やはりなでしこも、啓太と同じくようこのことが気がかりだったのだ。啓太からようこに話そうかと言われたとき、少し待ってくださいと口にしたのは、なでしこが自分からようこに話を伝えたかったからである。

 結局、伝える前にようこの方から聞かれてしまったが。

 啓太と恋仲になることが出来たとはいえ、ようこのことも気がかりだったなでしこは彼女の提案は魅力的だった。

 なでしこも、啓太とは違った意味でようこのことが好きだから――。

 

「わたしたち、なんだかんだあったじゃない。あの頃はケイタをなでしこに渡したくないって思ってたんだけど、今はちょっと違うんだ」

 

 お湯を掬い、手の隙間から水が流れ落ちるのを見ながら独白するように喋る。

 

「もちろんケイタを独り占めしたいって気持ちはあるけど、でもなでしこならいいかなって。わたし、なんだかんだ言ってあんたのこと認めてたみたい」

 

「ようこさん……」

 

「ケイタのことが好きって気持ちだけで、『ならず』って言われて戦えなかったなでしこが、あの強い死神をコテンパンにやっつけちゃった。戦えるようになった。それ聞いたとき思ったんだ……ああ、なでしこには敵わないなぁって」

 

 少し照れたように笑うようこ。そんな彼女をなでしこは潤んだ目で見つめた。

 

「だから、わたしは二番でいいよ。一番はなでしこに譲ってあげる。まあ、これもケイタが許してくれたらの話だけどね」

 

「ようこさん、私……」

 

 我慢できなくなったなでしこは涙を流してしまう。そんな彼女の姿に苦笑したようこはなでしこを抱き寄せた。

 

「もう、なんでなでしこが泣くのよ」

 

「だって、私……! ようこさんが認めてくれたのが、嬉しいんですよ……!」

 

「もう……。なでしこって意外と泣き虫なんだね」

 

「……なんてこと言うんですかようこさんっ」

 

 泣き笑いの表情で起こるなでしこ。

 しばらく大浴室には乙女たちの楽しげな声が響いた。

 

 




 これでようこのフラグも回収。
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第六十八話「新たな関係」

 今回は短めです。



 

 

「と、いうわけだから! 覚悟してねケイタっ」

 

 いや、どういうことだってばよ!

 

 あとはもう寝るだけだったため、なでしこたちにお休みの挨拶をしてから自室に戻り、ベッドに潜った。

 そして、二時間ほど経ち、時刻が零時を過ぎた頃だった。

 コンコンとノックの音が聞こえてきたのだ。

 こんな夜更けに部屋に尋ねてくるなんて珍しいなと思いながら入室を促すと、やってきたのはなでしことようこの二人で。

 それぞれ水色とピンクのパジャマを着た二人は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、頭の上にハテナマークを乱舞する俺の前にやってくると、突然。

 

『わたし、ケイタのことが好き! 大好きっ! なでしこの次でいいからわたしもケイタの恋人にしてよ!』

 

 と言ってようこがベッドの上に押し倒してきたのだ。

 急な展開に目を丸くしていると、ようこは俺の上に馬乗りになりながらポツポツと心情を明かしてくれた。

 ずっと俺に好意を寄せていたこと。俺はようこのことを家族としてしか見ていないこと。俺がなでしこのことを想っていること。なでしこも俺のことを想っていること。俺たちが恋仲になったのがすぐわかったこと。

 そして、自分の居場所がなくなるんじゃないかって不安に思っているということ。

 その告白を聞いて、俺は胸が締め付けられるような思いだった。

 初めて恋人が出来たことに浮かれていた。ようこのことも気に掛けてはいたが、ここまで思いつめていたとは知らなかった。

 後悔の念が顔に出たのだろう。ようこは「もう、そんな顔しないで?」と優しく俺の頬に手を当てた。

 

「別に責めてるわけじゃないんだ。ケイタとなでしこが想い合っているのは知ってたし、事実お似合いだとも思うもん。でもね、言ったでしょ。ここにもケイタのことが好きな女の子がいるって」

 

 ようこは妖艶に微笑むと頬に置いた手を輪郭をなぞる様に滑らせた。

 どこか蠱惑的な雰囲気を纏わせながら甘い声で囁いてくる。

 

「ねぇ、ケイタ。ケイタはわたしのことどう思ってるの? ただの家族? それとも、少しは女の子として見てくれてる?」

 

 ちょっ! なんかヤバイ、ヤバイって!

 ただでさえ美人なようこが好きだと告白してきたんだ。健全な一般男子としてはかなり理性に訴えてくるものがある!

 でも俺にはなでしこがいるんだ! ていうかなでしこさん、あんた止めに入んなくていいの!?

 なでしこに視線を向けると、彼女はなぜか困った顔で立っていた。

 困ってるのは俺だよぉぉぉぉぉぉぉおおおおお~~~~っ!!

 

「ケイタがわたしのことを家族として見てるって言うなら仕方ないね、今日のところは諦めるよ。でも、もしわたしのことを少しでも意識してくれてるならさ――」

 

 ――二番目でいいから、わたしのことも可愛がってよ……。

 

 耳元で囁かれた妖艶な言葉にぞくぞくと背筋に走るものがあった。

 二番でいいって、えっ? 要するに愛人になるってこと??

 

「あ、ちなみに言うと愛人とかじゃないよ? わたしをケイタの二番目の恋人にしてってこと」

 

 ああ、そういうことね。って、そんなの許されるわけないだろ!? 俺はまだしもなでしこがダメって言うに決まって――。

 

「ああ、そうそう。ついでに言うと、なでしこからも了解を取ってるから」

 

 なでしこさぁぁぁぁぁん!? 一体どういうことだってばよっ!

 もう混乱の極みに達しそうだ……。

 

「……な、なでしこはいいの? それで」

 

 困ったような微笑を浮かべたなでしこもベッドに上がると、俺の頭を持ち上げて自分の膝の上に乗せた。俗にいう膝枕というやつだ。

 なんか今日のなでしこさんも積極的ですね! いや、前にしてもらったことあるけどさ!

 なでしこは俺の頬に手を触れながら、優しい声で言った。

 

「はい。急に言われて啓太様は戸惑いかと思いますが、私もようこさんも納得の上です。もし、啓太様がお嫌でなければ、ようこさんも啓太さんの女にしてくださいませ」

 

 ま、マジっすか?

 

「私も、啓太様と同じくらいようこさんのことが好きです。もちろん、これは親愛という意味ですけど。このままようこさんだけが仲間外れになるのはどうかと思っていましたので、わたしは賛成です。もちろん啓太様がお嫌でなければ、の話ですが」

 

「どう、かな……ケイタ。わたしのこと嫌いじゃなかったら……わたしもケイタの彼女にしてください」

 

 俺の目を真剣な眼差しで見つめてそう言うようこ。改めて告白されているんだなと感じさせた。

 もちろん、ようこのことは嫌いじゃない。これまでも異性を見る目で見たことは、何度かある。

 だけど、正式になでしこを彼女として迎え入れた身としてはようこをそういう対象として捉えてはいけないという考え――倫理観があった。

 しかし、当のなでしこ本人が認め、こうして勇気を出して告白してきた女の子がいるんだ。

 これを無碍に出来るか? 出来るわけないだろ……。

 

 ――なんだかんだ、俺もようこに惹かれるところがあったのは事実だし。もう、これは男として向き合い、けじめをつけるしかないか。

 

「……ようこ……退く」

 

「ぁ……」

 

 俺の一言にようこはショックを受けたようだ。確かにこの言葉だけ聞いたら拒絶したようなものだよな。

 だけど済まん、こんな体勢じゃバシッと決めるものも決められないんだよ!

 今にも泣きそうなようこの顔を見ると罪悪感で自殺したくなるが、心を鬼にして体を起こした。

 そして、俯いて震える彼女の肩に手を置く。

 

「……え?」

 

「ようこ」

 

「は、はい……!」

 

 真剣な目でようこを見つめると、彼女は緊張した顔で背筋をピンと伸ばした。

 拒絶されるかもしれない恐怖と闘い、勇気を出して胸の内を明かしてくれたようこに応える。

 それが、主として、いや男としての責任の取り方だと思うから。

 

「……ありがとう。好きって言ってくれて嬉しい。二番でいいというけど、それは無理」

 

 確かに俺はなでしこのことが大好きだ。けれど、だからといって女の子に優劣を付けるつもりはないし。その考え自体嫌いだ。

 だから、なでしこもようこも、俺の彼女になるなら――。

 

「なでしこもようこも、大切な女の子。どちらも同じくらい大切にする」

 

「――っ! じゃ、じゃあ……?」

 

 ぱぁっと顔を輝かせるようこに頷いて見せた。

 

「……これからも、よろしく」

 

「~~っ! ケイタ、大好きっ!」

 

 抱きついてくるようこ。全身で喜びを表現してくる彼女を見ていると、なんだか俺まで嬉しくなる。

 再びようこに押し倒された俺の頭はなでしこの膝の上にライドオン。ただいま、膝よ。 

 なでしこもようこが恋人仲間になり、自分のことをように喜んでいるようだった。

 まあ、これで一件落着、かな。ところでようこさんや、いつまで人の上に乗ってるつもりですかい?

 

「んふふ……♪ ケーイーター♪」

 

 ご機嫌のようこは目をトロンとさせて猫のように頬をこすりつけてくる。

 圧し掛かることで潰れる二つの膨らみや、ようこの甘い匂いが鼻孔をくすぐり、俺の平常心を崩しにかかる。

 頭に感じるなでしこの柔らかな太ももの感覚や、この状況そのものに言いようのない興奮を覚え、理性が削れていくのが分かる。

 先程から頬に触れているなでしこの繊細な指使いも、なんだか猥らに思えてきました。

 ええ、と……なにごと?

 

「ねぇ、ケイタ? わたしもなでしこもね、今夜覚悟してケイタの部屋に来たんだよ?」

 

「……かくご?」

 

「んもう、ここまで言ってもわかんないの? ケイタのにぶちん」

 

 可愛らしくぷぅっと頬を膨らませたようこはなでしこにチラッと視線を送った。

 どこか緊張を孕んだ顔で小さく頷いたなでしこは膝から俺の頭を下すと、ようこの隣に移動する。ようこも体をずらした。丁度、俺の体を境に右にようこ、左になでしことそれぞれ添い寝をするように体を寄せてきたのだ!

 顔を赤らめながら潤んだ目で顔を見上げるなでしこ。色っぽい空気を漂わせながら、熱い吐息とともに囁いてきた。

 

「啓太様……お慕いしております……。もし、啓太様さえよろしければ、今宵……契りを交わしてくれませんか?」

 

 契りって、これはそういう意味、だよな……。

 知らず知らず、ごくりと唾を呑み込んだ。

 

「ケイタ……おねがい。ケイタの手で、わたしを女にして?」

 

 妖艶な目を向けながらようこも囁く。まるで魔性の女が男を誑かすように、頬をエロティックな手つきで撫でてくる!

 ぬぉぉぉぉ~~! 理性がぁぁ! 平常心がぁぁぁっ!

 

「啓太様……」

 

「ケイタぁ……」

 

 据え膳食わぬは男の恥。

 ドロドロに理性が溶かされた俺はその夜、一匹の獣と化した。

 

 





多分、R18版も書くと思います。そのうち。


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第六十九話「一目惚れ騒動」


 今年最後の更新。



 

 

 ようこの告白を受け入れ、彼女たちの猛烈なアタックをしのぎ、逆にベッドの上に沈めてやった翌日。

 諸々の事情で朝が遅かった俺たちは朝食兼昼食を取っていた。

 座りが悪そうななでしこたち。聞くのもちょっと野暮だと思うけれど、念のため聞いてみた。

 

「え、ええ。なんとか。そのうち痛みも引くと思います」

 

「まだケイタのが挟まってるみたいだよ~」

 

「よ、ようこさん! はしたないですよっ」

 

 うん大丈夫そうですね。なんか昨日の一件で二人の仲がさらに深まったような気がします。

 今日の昼ごはんは手軽な素麺。麺つゆが美味しくて、素麺もツルツルした触感がして喉越しがとてもよいのです。

 ちゅるちゅるちゅるちゅる素麺を啜っていると、今度はなでしこが体の調子を聞いてきた。

 

「啓太様の方はどうですか? もうそろそろ一週間経ちますが」

 

「もう一週間か、早いね~。確か包帯取ったのって三日前だよね? もう治ったの?」

 

 ようこも聞いてくる。

 一日中は無理だけど、定期的に治癒力を促進して回復に専念しているため、傷の方は大分癒えたといえる。少し体がだるいくらいか。

 一週間前は重症患者のように車いすでの生活を余儀なくされていたけれど、今やギプスも全部取っ払い、包帯も外したため健常者となんら変わらない生活を送れている。一昨日様子を見にお嬢様たちがやって来たのだが、その時の驚いた表情がすごく印象的だったな。お嬢様方には申し訳ないが、こちらとしてはひどく愉快だった。

 でも、まだ完治したわけじゃないんだよな。

 

「……大分よくなった。ほとんど治ったって言えるけど、あと二日様子を見る」

 

 日常動作も問題なく行えるし痛みもないけど、神経も痛めたからな。念のため二日ほど様子を見よう。そのあと改めて病院で検査を受ける予定だ。

 仕事も依頼者に事情を説明してキャンセル、もしくは日程をずらしてもらっているから暇なんだよな。学校も休みがちだから、そろそろ行かないと。

 取りあえず今日は何して過ごそうか。

 

「はいはい! わたしデートしたいっ」

 

 ようこが手を上げて元気よく言う。

 デートか。そういえばようことはあまり二人で出かけたことなかったな。晴れて恋人になったんだし、それもいいかな。

 どこか行きたい場所はないか尋ねようとした時、なでしこがようこの袖を引いた。

 

「ようこさんようこさん、今日は検査の日ですよ」

 

「あっ、そうだった!」

 

「……? どこか行くの?」

 

 ごめんね、と顔の前で手を合わせるようこ。

 なでしこが説明してくれる。

 

「今日は天地開闢医局で検査の予定があるんです。すみませんが、私とようこさんはそちらの方に顔を出さないといけないので」

 

 申し訳なさそうな顔で頭を下げるなでしこ。予定が入ってるんじゃ仕方ないな。いいよいいよと手を振ってみせた。

 

「……なら、デートはまた今度。医局に行くって、どこか悪い?」

 

 天地開闢医局とは妖を専門にした病院のことだ。いつぞやのムジナなど多くの妖から協力を得て、彼らが罹る病気の特効薬やワクチンなどを作ったりしている。

 俺たち犬神使いも犬神を定期健診に通わせるなどの義務などがあるため、結構お世話になっていたりする。病気講座のような勉強会も開いているため、犬神が罹患する病気などを勉強するために通っている犬神使いも中にはいるようだ。

 俺もなでしことようこの定期健診やワクチンなどで何度か訪れたことがある。しかし定期健診はまだ先だし、ワクチン接種の知らせも来ていない。

 そのため、どこか具合でも悪いのかなと思い聞いたのだけれど。

 

「……」

 

「ケイタのエッチ」

 

 何故かなでしこは顔を真っ赤にして俯いてしまい、ようこは照れたように笑った。

 おい、なんだその反応……。

 

「……よく分かんないけど、体が悪いわけじゃない?」

 

「あ、はい。それは大丈夫です」

 

 ならいい、のかな? まあ問題ないならいいか。それじゃあ俺は何して過ごそうかねぇ。

 昼飯を食べ終わり、天気もいいからまたハンモックで昼寝でもするかなと思って席を立ったときだった。

 軽快なチャイムの音が鳴った。

 

「あら、誰かしら?」

 

 壁に取り付けられたインターホンで来客を確認するなでしこ。とうとう我が家もカメラ付きのインターホンへとグレードアップしました。ア○ソック対応です。

 

「まあ、ともはね!」

 

『なでしこー! 遊びに来たよ~』

 

 画面には元気一杯のお子様、ともはねが笑顔で映っていた。

 

 

 

 1

 

 

 

「ごめんなさいね、ともはね。折角来てくれたのに」

 

「ううん、いいよいいよ。気をつけてね~」

 

 残念ながらなでしことようこは医局に行く時間ということで、ともはねと入れ替わりで家から出るところだった。

 玄関で済まなそうな顔で頭を撫でるなでしこに笑顔を見せるともはね。

 

「それでは啓太様、行ってきますね。夕方前には戻りますから」

 

 そしてなでしことようこは家を出たのだった。残されたのは俺とともはねの二人のみ。

 

「行っちゃいましたね啓太様」

 

「……ん。それにしても、よく来れた」

 

 薫の家からだと遠いだろ。三駅ほどの距離とはいえそれなりに離れてるんだし。よく迷子にならなかったな。

 そう言うと、ともはねは誇らしげにない胸を張ってみせた。見事なドヤ顔だ。

 

「えっへん! ともはねだってもう大人なんですから、一人で来れますよ! ちゃんとお巡りさんに聞きましたから、迷子なんてしませんもんっ」

 

「どう!? すごいでしょすごいでしょ!」と言わんばかりに目を輝かせて見上げてくるともはね。デフォルトで出してある尻尾がぶんぶん振られていた。

 その姿に苦笑した俺は薄茶色の髪を強めに撫でてやる。

 さて、ともはねが来たから何して遊ぶか。なにかやりたいことあるかと聞くと、ともはねは可愛らしく首を傾けた。

 

「うーん、そうですねぇ。……あ、そうだ啓太様! あたし今日、良い物もってきたんですよ!」

 

 そう言ってポーチから取り出したのは一つの小瓶。中には錠剤のようなものが数錠入っている。

 

「これはですね、あたしが作った栄養剤なんです! 体にいいものばかりで栄養満点、きっと啓太様のお体もすぐに良くなりますよ!」

 

 白い錠剤は市販で売っている薬と同じ形で、見た目はこれといって変なところはない。しかし、ともはねの手作りとなるとちょっと――いや、かなり不安だ。

 言ってしまえば子供が作ったものだからなぁ。だけど俺の体を案じて用意してくれたものだし……。

 

「……これ、ともはねだけで作った?」

 

「はい! ごきょうやにも少し手伝ってもらいましたけど、ほとんどはあたしが作りました! 即効性の薬なので、これを飲めば啓太様も元気一杯ですよ!」

 

「ごきょうやか……」

 

 確かごきょうやって医学をかじってたよな。ごきょうやが手伝ったのなら大丈夫か?

 うーん、まあ飲んでも最悪の場合食中毒みたいに苦しむだけで、死にはしないか。

 

「……ありがとう。じゃあ、飲んでみる」

 

 一錠でいいの?

 

「はい!」

 

 小瓶から一粒取り出し、冷蔵庫から水を取ってきてと。

 お願いだからお腹壊すようなことにならないでよ、と祈りながら錠剤を飲んだ。

 即効性って言ってたけど、すぐに変化が出るものなのか?

 

「どうですか啓太様?」

 

「……んー。特に変化はない」

 

 数分待ってみてもやはり変わったところはない。お腹が痛くなるようなこともないし、体のだるさが取れたわけでもない。

 効果無かったのかな、と思ったときだった。

 

「ぁ……」

 

 小さく息を呑む声。見るとともはねがポカンと口を開けて俺の顔を見上げ、天啓に打たれた芸術家のように震えて戦慄(わなな)いていた。

 そして俺の腰に勢いよく抱きつくと。

 

「大好きです啓太様!」

 

 これまた唐突で勢いのある告白をしてきた!

 え、なにこれ。何事? 展開が急すぎて事態がまだ把握できてないんだけど!

 突然の告白に戸惑いを覚える俺。ともはねが俺の腰に額をぐりぐり押し当てた。

 

「あうあうあう啓太様~! よく分からないんですけど、何だか急に啓太様に色んなことしてあげたくなったんです! あたしが今まで溜めてたお菓子も全部上げます! 肩も腰も揉んで差し上げます! なんだってして差し上げますから、だからあたし――!」

 

 上気した頬と潤んだ目で見上げてくる。まだ小学生低学年、下手したら幼稚園児レベルの容姿なのに、その表情は俺が良く知る二人の犬神が浮かべているものと似通っていて。なんだかよく分からんがある種の警報が頭の中で盛大に鳴った。

 年齢不相応のオンナを滲み出しているともはねに顔が引きつった。

 これ、すげぇヤバイ状況じゃんか! 俺にその気はないけど、端から見たら非常にまずい構図だぞ!

 なんでこうなったのか分からんが、今はともはねから距離を置かないと!

 

「……あー、日課のランニングしないと」

 

 いきなり距離を取ったら傷ついてしまいかもしれないため、それっぽいことを理由にそっとともはねから離れる。

 そして、三歩ほど距離を取ったら、振り返りすぐにダッシュ!

 脱兎のごとく走り出した俺の後ろでともはねの声が聞こえる!

 

「あっ! 待ってくださいよ啓太様~!」

 

『追いかけっこですか? 負けませんよ~!』

 

 どこからか特徴的な下着をつけた痴女風の女の子の幻聴が聞こえたような気がしたが無視して走る。うっせぇぜかまし! お前は鎮守府に還れ!

 このまま家にいたらロリコンという不名誉なレッテルを貼られそうな気がするから、とりあえず外に出よう。イエスロリータノータッチ!

 背後から幼女が追いかけてくるのを感じながら玄関から外へ出た。

 一先ず駅の方面に向かうか。人通りも多いし、大型店もそこそこあるから時間も潰せるだろう。

 そう思って駅のほうへ足を向けると、通りがかった女学生たちの騒ぎ声が聞こえた。

 そっちを見ると、その女学生たちは俺の方を見てるではないか。

 

「うっそ信じらんない!」

 

「きゃー! すごいイケメン~~!」

 

「俳優さんかな? あ、あたし握手してくる!」

 

 なんだか尋常じゃない騒ぎっぷりです。

 自分でも顔は整っている方だとは思うけど、騒がれるほどではない。ましてや俳優に見間違われることなんてなかったし、初対面でここまで好意を寄せられることもなかった。

 不穏な空気を感じた俺は言い寄られる前に急いでその場を離れた。ともはねといい、この子たちといい、一体なんなんだ?

 

 ――そして、この摩訶不思議な現象はその後も延々と続いた。

 

「あらやだ! すっごく好い男じゃない!」

 

 どこかの主婦には赤い顔で見られて。

 

「なにあの子、超イケメンなんだけど! しかもわたし好みのショタだしっ!」

 

 どこぞの若いOLには飢えた目を向けられ。

 

「あんらヤダ! 随分と男前だこと!」

 

 パンチパーマが掛かったおばさんから注目を浴び。

 

「あらホント! 高倉健より素敵な子ね」

 

 同じ世代のおばちゃんには超渋い俳優より素敵などとほざかれ。

 

「うしゃしゃしゃしゃしゃっ! まるで亡くなった爺さんが蘇ったようじゃわいっ」

 

 白髪が目立つよぼよぼのお婆ちゃんには、旦那さんと似ている発言をされる。

 そして気がつけば、下は幼女、上はババアまでで構成された女の群れが俺を追いかけていた。

 ぶっちゃけゾンビ映画より恐い! だって本当にゾンビのように手を伸ばしてくるんだもの! しかもお婆ちゃんとかめっちゃ足速いし!

 まるで人間列車。先頭を走る俺を追いかける女性の集団は当然周囲の人から注目を浴びる格好の的になる。

 これが男性の場合、不可思議なものを見る目で、困惑の表情を向けてくる。しかし、これが女性だった場合、目にハートマークを浮かべてこの列車に飛び込むのだ!

 

「引き離せない……っ」

 

 体調が万全だったら簡単に引き離せるが、復調に向けて霊力での強化や身体操法を自重している今、素の身体能力のみで逃げるしかない。それでも容易に引き離せると思っていたけれど、女性たちの無尽蔵な体力や足がめっちゃ速いのは予想外だった。マジで誰か助けてェェェ!

 

「……捕まったら、ジ・エンド……っ」

 

 それこそ何をされるか分かったものじゃない。綺麗な女の子にちやほやされるのは男の夢であるが、これは違う! ババアなんぞに逆レイプでもされたら一生不能になっちまうわ! こちとらようやくなでしこたちと結ばれて順風満帆の擬似新婚生活を送っている真っ最中だというのによ!

 大通りだと人目につくということで路地に入る。人通りの少ない道を選び、女性たちを撒こうとするが。

 

「いたわ! こっちよ!」

 

「ここにいたのねダーリン!」

 

「ゲヘヘヘ! 逃がさへんで旦那様ァァァ!」

 

 逃げても逃げても女性たちに見つかる。最後のババアはなにか妖気のようなものまで感じる始末だ。

 舌打ちしながら逃走を続ける。まるで犯罪者になったかのようで釈然としないけれど、捕まったら終わりだから逃げるの一択しかない。

 

「追い詰めたァァァ!」

 

「くっ……ヤバイ」

 

 路地を出たらなんと、半円状に女性たちが待ち受けていた。犯人の包囲に成功したFBIの刑事のように勝ち誇った顔をした女子高生が前に出てくる。

 

「さあ大人しくしなさい。大丈夫、お姉さんたちが良いことしてあげるだけだから」

 

「……」

 

 周囲に視線を走らせる。人垣は何重にも重なっているため強行突破は難しそうだ。背後からは妖怪ババアたちが追ってきているし、マジで逃げ場がない。このままではまさに絶体絶命。

 仕方なく、自重していた霊力での身体強化を行おうとした、まさにその時――。

 人垣の向こうから巨人が現れた。

 

 

 

 2

 

 

 

 その女(?)は他の女性たちと比べ、頭一つ二つといったレベルでなく、上半身が丸ごと周囲の人たちより抜きん出ていた。体長三メートル近くはあるだろう。

 無言のまま女たちを掻き分けて進み出たその人の姿に俺だけでなく、さしもの女性たちも呆気に取られている。

 顔立ちは彫りが深いという言葉では補えないほどで、例えるならイースター島のモアイ像が一番か。赤銅色の肌にボディビルダーのような逞しい筋肉。髪は金髪のベリーショートだが、もみ上げの部分だけ延びていて三つ編みに結ばれていた。

 なんだかんだで俺もムキムキな男たちをそこそこの数見てきたが、この人は中でも一、二を争うレベルの体だ。体長五メートルのヒグマと素手で殺り合えるような、そんなオーラが見て取れる。

 そんな巨人がふりふりの白のワンピースを着ているのだ。清楚なイメージの服をムキムキのガチムチマッチョ女(?)が。

 しかも、おまけとばかりにすね毛が生えていて、赤いエナメルの靴を履いてるのだ。

 そりゃ俺でなくても目が留まるだろう。

 俺を含め呆気に取られる女性たちの中から進み出たその人は、ひょいっと小荷物を持ち上げるように俺を担ぎ上げると、その場で大きく跳躍。

 人垣を大きく飛び越えて数メートル離れたところで着地したのだ。

 抱えられた俺も囲っていた女性たちも、道行く男もポカンと呆気に取られた。

 そして、女型の巨――大女は俺を肩に担ぎ上げたまま爆走を始めたのだった!

 

「ちょっ! ま、まつ……! 降ろす……っ!」

 

 はっと正気に戻ると、身体強化をしている時とほぼ同じ速度で大女は爆走していた。周りの景色が物凄い速度で流れる中、通行人の人たちがあんぐりと口を開けてこちらを見ている。

 担ぎ上げられた俺は手足をばたつかせて脱出を試みるが、逞しい腕はビクともしない。

 

「あばれない。あぶない」

 

「降ろして……!」

 

「あんしんする、ホテルいく。ベッドでおろす」

 

「ジ・エンドっ!?」

 

「やさしくする。いたくない」

 

 そういう問題じゃねぇ! つうかお前男だろ!?

 いくら寛容で同性愛者に対する差別意識がない俺でも、【ア゛ー】な展開はいやじゃぁぁぁぁぁ~~ッ!!

 

「……こまかいこと。きにしない」

 

 細かくねぇし!

 駅が見えてきた。大女はニヤッと笑うとさらに速度を上げる。まさか、電車に乗るのか? 乗れるのか!?

 誰か助けてぇぇぇ! なでしこぉぉぉ~~! ようこぉぉぉ~~っ!!

 

「今だ! かかれっ!」

 

 その時、どこからともなく黒服を着た屈強な男たちが我先へと飛び出し、襲い掛かってきた。

 

「ROARRRRRRRRRRRRRR――――ッッ!!」

 

 大女はほぼ怪獣のような咆哮を上げ、丸太のごとく太い腕を振り回した。

 振るわれるたびに黒服の人たちは吹き飛ばされ、薙ぎ倒され、昏倒する人もなかには出たが、それでも数の力で押していき、徐々にその巨人を大地にねじ伏せていく。気を抜けば簡単に跳ね飛ばされると分かっているから黒服たちも必死だ。

 気がつくと俺は、黒服の一人に手を引かれ、側に止めてあった黒塗りのリムジンの中に入れられた。

 

「よし、行け!」

 

 その男が馬車に鞭を入れるように車体を平手で叩くと、間髪入れずにタイヤがキュルルルルと回転して走り出した。

 

「危ないところでしたね」

 

 優しく声を掛けられ、俺はようやく全身の緊張を解く。ふかふかしたリアシートのクッションに体を預けた。

 

「お可哀想に……。でも、もう大丈夫です」

 

 隣に座った誰かが、額に浮かんだ冷や汗をレースのハンカチで優しく拭いてくれる。そこでようやく俺は今の状況を確認した。

 チラッと隣に視線を向けると、びくっと白い手が引っ込んだ。

 レースのハンカチで拭いてくれたのは可愛らしいお嬢様だった。

 俺の知り合いでお嬢様というと、新堂ケイくらいしかいないが、あちらは人形のような可愛らしさと儚さ(昔は)だ。しかしこちらのお嬢様は清楚で可憐という言葉が似合うような、そんな雰囲気がある。

 年齢は十八ほどだろうか。青いドレスを着込み、艶のある黒髪を横に流すように編みこんでいる。体つきは華奢で優しげな目元をしていた。なでしことはまた違った、見るものを安心させる微笑を浮かべている。まるで慈愛の目だ。

 

「……ありがとう、助けてくれて」

 

 本当にありがとう。君たちがいなかったら、今頃どうなっていたことか……。

 

「いいえ、そんな。助けを求めておられるように見えましたので。差し出がましいとは思いましたが、お助けしてこちらにお連れするように申し付けておりました」

 

「……助かった。感謝」

 

 頭を下げる俺に慌てるお嬢様。本当に出来た娘やなぁ。

 そんな時、リムジンの運転をしていた黒服の男性がチラッとバックミラーを見てこう呟いた。

 

「――お嬢様。あの者が追いかけてきておりますが」

 

「え?」

 

 マジっすか?

 お嬢様と一緒に振り返って後部ガラス越しに見ると、黒服の人たちの壁を突き破った大女は物凄い速度でこちらに向かってきているところだった。

 指をピンと立てて、膝を高く上げたスプリンター走法。まるでター○ネーターのごとく無表情で迫るその姿は、魑魅魍魎の十倍恐ろしい。

 

「スピードを上げて!」

 

 お嬢様が鋭く運転手に命じた。

 黒服の運転手が無言でアクセルを踏み込むと、ぐんっとリムジンが加速する。

 さすがの大女もこの速度には追いつけないのか、徐々に小さくなって、やがて視界から消えていった。

 これでようやく安心できる。肺の中の空気をすべて吐き出すほど長い溜息をついた。

 

「あの、おもてになるのですね」

 

「……いや」

 

「あんなたくさんの女性に囲まれて……。失礼ですが、テレビスターか何かですか?」

 

「……普通の高校生」

 

 ちょっとオカルトに明るくて、除霊を請け負うだけの高校生ですとも。

 しかし、なんなんだろうな、この現象は。思えば、ともはねが作ったという錠剤を飲んでからだよな。

 まさか、惚れ薬だったりしてな。ハッハッハッハッ……はぁ、笑い飛ばせないのが痛いところだぜ。

 

「あの、よろしければ自宅でお茶など如何でしょうか?」

 

 赤面して、もじもじと指を絡めながらそう言うお嬢様。ここまで世話になったんだし、これで「はい、さようなら」というわけにもいかないよな。

 少し恐縮な思いはあるが、ありがたくお邪魔させてもらおうかな。ついでに営業トークもさせてもらおう。仕事は少ないよりも多い方がいいからな。ぐへへへ……。

 

「……それじゃあ、少しだけ」

 

「まあ、ありがとう存じます! 柏、お家に向かってちょうだい」

 

「――それはできません、お嬢様」

 

 お嬢様が運転手にそう言うが、返ってきた言葉はノーだった。

 

「……えっ? 柏?」

 

 驚くお嬢様を放置して、柏と呼ばれた黒服の運転手は巧みなハンドル捌きでリムジンをとある場所に入れて停めた。

 そこはコンテナヤードと呼ばれるコンテナ置き場だった。広い敷地には等間隔でコンテナが詰まれている。

 

「どこ、ここ? え? 柏、どういうことなの?」

 

「――こういうことですよ、お嬢様」

 

 運転手がクラクションを鳴らすと、リムジンの扉が開かれた。

 外には数人の黒服たちがいて腕をつかまれた俺は強制的に車の外へ出される。見ればお嬢様も同じように体を拘束されたまま車外へ誘導されていた。

 運転席から降りた柏が懐から拳銃を取り出すと、黒服たちも一斉に銃を抜く。

 おいおいおい、すごく不穏な空気ですよこれ。

 

「……一体、何の真似なの?」

 

「なに、ちょっと大金が入用でしてね。旦那様にお嬢様の方から都合つけてほしいだけですよ」

 

 ポケットから取り出した携帯を見せてそう言う柏。あー、脅迫ですねわかります。

 お嬢様も同じ結論に至ったのか、厳しい目で柏を睨みつけていた。

 

「脅しのつもり? わたくしにこんなことをして、ただじゃ済まされないわよ」

 

「くっくっくっ、流石は箱入り娘。状況をまだ理解できていないんですね」

 

 そう言うと、俺を拘束していた黒服たちが銃口をこちらに向けてきた。ああ、なんか典型的な流れだなぁ。

 ちょろっと目を動かして黒服の人たちの配置を確認する。気配からしてここにいる奴らで全員だろう。となると、九人か。

 俺とお嬢様にそれぞれ二人。正面に一人。その奥に左右に分かれる形で二人か。

 図にするとこんな感じである。

 

 

 黒服×二  黒服×二

 

     黒服

 

  お嬢様   俺

 黒服×二  黒服×二

 

 

「なっ……! 彼を人質にするつもり!? 卑怯よ!」

 

「なんとでも。勝てば官軍なのですよ。さあ、この少年にお熱のお嬢様は果たして、彼の悲鳴を聞いても拒めるんですかね」

 

 カチャッという音とともに撃鉄を起こす。銃口は右のふとももに向けられていた。

 銃は形からしておそらくグロック。銃器の類はあまり明るくないから詳細までは分からないけれど、それでもふとももくらいなら死には至らない。それが分かってるということは、こいつら裏の人間だな。まあ見て分かるだろうけど。

 

「さあ、どうしますかお嬢様?」

 

「……わかったわ、あなたの話に応じます。だから関係のない彼は離しなさい!」

 

「そうはいきません。彼も大切な人質ですから。心配しなくても物が確認でき次第解放しますとも」

 

「卑怯者め……。ごめんなさい、こんな目に遭わせてしまって」

 

 自分も人質として拘束されているのに、健気にも俺の身を案じるお嬢様。まるで自分が原因とでもいうように眉をハの字にして謝ってきた。

 確かにお嬢様の身を狙っての犯行だろうけど、お嬢様本人にはなんの非はないだろう。すべてこいつらが勝手に暴走しているだけだし。

 なので、元気つける意味で言ってやった。

 

「大丈夫。あなたには何の落ち度はない」

 

「でも――」

 

「それに」

 

 この程度、障害にもなんないのよね。

 こっそりと霊力で身体強化をしていた俺は銃口を向けている背後の男の手を取ると、勢いよく捻りながら投げて関節を破壊する。それと同時に、隣にいた男の顎を裏拳で砕き、すぐさまお嬢様を拘束している男に近づきわき腹にフックを一発。肋骨が砕ける感触を感じる間もなく、その隣の男には首筋を叩きこんで意識を断つ。そしてお嬢様を抱き上げてその場を離脱。コンテナの迷路に入り込んだ。

 身体強化を行っているため、この一連の流れは物凄い速度で行われた。具体的に言うと、最初に投げ飛ばされた男が地面に叩きつけられたその時には、すでにお嬢様を抱えて離脱をしていたのだから。

 死神戦以来の身体強化だけど、なんだか恐ろしいほどスムーズに体が動いたな。理想としている無駄のない動きに近いというか……。

 なんだかよくわからんけど今のは良い動きだったと自画自賛して、お嬢様をコンテナ置き場の一角で降ろす。

 

「……え? えっ?」

 

 混乱していて状況の把握が出来ていないお嬢様。すぐにあいつらを排除しないといけないため、お嬢様にはここにいてもらうことにする。

 

「……ここにいる。すぐ終わるから」

 

「あ、あの……あなた様は一体……」

 

 呆然と俺を見上げるお嬢様から視線を逸らし、ボソボソっと言った。

 

「……ただの高校生」

 

 今はそう言うことにしておいて。

 お嬢様が何か言うよりも早く、その場を離れる。身体強化をしたままだから、強化された聴覚が近くを通る足音を捕らえたのだ。

 コンテナを迂回して足音を立てないように素早く移動。銃を構えながら恐る恐る歩く黒服の一人を発見した。

 そのまま背後から近づき、口元を押さえながら男を引き倒して頚動脈を締める。くぐもった声を漏らすが、俺の手で口を押さえられているため声量は最小限。聞き取れるほどの声ではない。

 そのまま静かに意識が落ちたのを確認した俺は男を脇に移動させて、コンテナに上った。そして一番高いコンテナの上に飛び乗り、見つからないように注意しながら上空から男たちの配置を確認する。

 どうやら男たちはバラバラに拡散しているようだ。お嬢様がいる場所の近辺には三人、その少し先に二人、反対側に三人だな。

 バラけてくれるとはありがたい。むしろこっちが楽になるぜ。まずはお嬢様の近くにいる奴らの排除だな。

 そう決めた俺はコンテナからコンテナへ飛び移り、素早く移動する。もちろん足音を立てるなんて初歩的なヘマなんぞしない。

 ものの数秒で三人の黒服がうろついている場所の真上に移動した俺は、音もなく男たちの後ろに飛び降りた。

 着地音はしなかったが、それでも気配で悟ったのだろう。男の一人が振り返りながら銃口を向けるが、俺からすれば遅い。

 

「がっ!?」

 

 反射的に引き金を引いて発砲しないように、銃の上部――スライドを握って銃を封じ、胸部を殴打。

 人間は心臓に強い衝撃を受けると一時的に心機能が麻痺し、動きを止める。その隙に隣にいる男の顎を回し蹴りで蹴り上げ、もう一人の黒服も回転させた勢いを殺さずに後ろ回し蹴りで昏倒させた。そして最後に未だ動けないでいる男の首筋を手刀で叩く。うむ、華麗な動きで大変満足!

 基本、俺の戦い方は正面突破が主だからな。こういうサイレントキリングというか、暗殺者のように身を隠しながら一撃で昏倒させるのは滅多に行わない。まるでメ○ル○アのス○ークにでもなった気分だ。

 そんな感じで残る黒服たちも一人ずつ排除していき、お嬢様の脅威は呆気なく沈静化されたのだった。

 

「……さて」

 

 お嬢様のところに向かうか。気丈に振舞っていはいたがそれでもお嬢様だからな、内心恐怖を感じていただろう。

 安心させねばと、お嬢様を降ろしたコンテナに向かった。

 お嬢様は降ろした場所で手を組みながら、何かを祈っているようだった。やはり不安や恐怖を感じていたのだろう、組んだ手が少し震えている。

 姿を見せた俺は優しく語りかけた。

 

「……もう大丈夫」

 

「ほ、本当に、あなた一人で……?」

 

 コクリと頷くとお嬢様は唖然とした顔で俺を見上げた。まあ、普通高校生が複数の大人を――それも裏の世界の人間を倒したのだから無理はないか。

 不意にプロペラが回る音が遠くから聞こえてきた。上空を見上げると、一機のヘリコプターがこちらに近づいているところだ。

 さて、あれはどっちだ? お嬢様を救援に来たのか、それとも黒服関係の方か……。

 警戒を怠らずにジッと見据えていると、俺たちの上空でホバーリングしているヘリから大きな声が降ってきた。

 

「お嬢様ァァァァァ~~~~ッ!!」

 

 そして、誰かがヘリの上から飛び降りた。

 その人は燕尾服を靡かせながら地上数十メートルという高さから飛び降りたにも関わらず、重い音と衝撃を伴って着地に成功する!

 燕尾服を見事に着こなしたその人は老齢の執事だった。白髪をオールバックでまとめ、左目にはモノクルをつけている。身長は一八〇センチくらいだろうか。ピンと背筋が伸ばされていて衰えを感じさせない。

 口ひげを蓄えたそ紳士然とした執事は必死の形相でお嬢様に駆け寄った。

 

「お嬢様! ご無事ですか!?」

 

「セバス!」

 

 お嬢様が明るい顔で出迎える。どうやらこの執事は味方のようだ。

 セバスと呼ばれた執事のお爺さんはお嬢様に怪我がないことを確認すると胸を撫で下ろした。ていうかセバスって呼ばれてたけど、この人もセバスチャンって名前じゃないよね?

 安心したのだろう。セバスさんの目から滂沱の涙が流れる。

 

「お嬢様が無事で本当によかった! 誘拐されたと聞いたときは我が耳を疑いましたぞ。お嬢様の身になにかあれば、セバスは……セバスはァァァァァァっ!!」

 

 なんか熱いなこの人。そういえば新堂家の方のセバスチャンが前に【セバスチャン】は役職名だって言っていたな。ということはセバスチャンって執事名はたくさんいるのか。ややこしいな……。

 自身の身を案じてくれるサバスさんの姿にお嬢様はようやく顔を緩ませた。

 

「もう、大袈裟なんだから……。そうだセバス、彼がわたくしを助けてくれたのよ!」

 

 お嬢様が俺の腕を取り、セバスさんに紹介する。彼女の目がキラキラ輝いているのが気になります。この距離感もとても気になります。

 ここでようやく俺の姿に気が付いたセバスさん。彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに柔和な顔で丁寧にお辞儀してきた。

 

「この度はお嬢様を助けていただきありがとうございます。私は九条家にお仕えする執事のセバスチャン・矢島・一郎と申します。失礼ですが、川平啓太様でよろしいでしょうか?」

 

「……そうですけど?」

 

 何で知ってるの?

 そう無言で問いかけると、セバスさんは「やはり」と納得した様子で頷いた。

 お嬢様も疑問なのか、セバスさんの顔を見上げている。注目を浴びているセバスさんは相好を崩した顔で説明してくれた。

 

「実はこのセバス、執事協会に度々顔を見せることがありまして。そこでとある執事から川平様の話を聞いたのです。自分の主を救ってもらった川平様の話を」

 

「あ……セバスチャン?」

 

 絶対その執事って新堂家のセバスチャンでしょ。それ以外該当する人いないもの。

 お察しの通りですと頷くセバスさんの隣で、お嬢様が驚愕の表情で俺を見た。

 

「……え? ええっ!? も、もしかしてケイさんが言っていた恩人の人って、このお方ですか?」

 

 おや、お嬢様はあちらのお嬢様と旧知の仲なのか。

 ハッとしたお嬢様は優雅にドレスの裾を持ち上げ、一礼する。

 

「イヤだわたくしったら、まだお礼も自己紹介もしていないじゃない。コホン、申し遅れました。わたくし、九条梓と申します。この度は助けていただき感謝の言葉もございません。本当にありがとうございます……」

 

 俺の手を取って潤んだ目を向けてくる九条お嬢様。

 思いっきり恋する乙女の表情なんだけど……ヤバくね?

 

「まさか、わたくしを救ってくださったお方が、ケイさんをお救いしたお方だったなんて、運命を感じます……。あの、是非お父様とお母様にお会いしてください。きっと気にいられると思います」

 

「それは良い考えでございますな。川平様にはお嬢様が大変お世話になりましたので、是非ともお礼をさせていただきたく存じます」

 

 な、なんかやばい展開になっていくよ! このままだと婿養子に迎え入れられちゃう勢いだよ!

 それはちょっと勘弁! 俺はなでしこたちと結ばれるって決めてるんじゃい!

 なので心苦しいが、ここは丁重にお断りさせていただこうと思った、その時だった。

 地平線の彼方から巻き起こる土煙が見えた。それと同時に俺の第六感が不穏な気配を感知する。

 突然、冷汗が吹き出てきた。少し体も震える。

 俺の異様な姿に気が付いた九条お嬢様たちが、何か話しかけようと口を開いた刹那――。

 土煙を巻き上げながら爆走する、あの大女の姿が見えたのだ。映画ター○ネーターを代表するあのテーマ曲【ダダンッダッダダンッ】という音が聞こえてきそうな、例のスプリンター走法で。

 血の気が引いていくのが分かる。まさかこんなところまで追いかけてくるのかよ!

 大女がふりふりのワンピース服を無造作に破り捨てると、中から真っ黒いレザースーツが出てきた! 一瞬でガチムチ女装マッチョからヒットマン風にジョブチェンジした大女――もう男でいいや――大男はさらにスピードを上げてこちらに迫ってくる。

 

 ――あかん、殺られる……っ!

 

 これ以上ないほど身の危険を感じた俺は即逃走を決意した。

 

「……もう行かないと。お礼はいい、当然のことをしたまで。誘拐には気をつける……!」

 

「あ、あの――」

 

「バイバイ……っ!」

 

 それだけ言い残し、駆け出した。再び霊力で身体能力を強化して力強く地面を蹴る!

 いい加減この鬼ごっこ、早く終わってくれぇぇぇぇぇ~~~~!

 

 

 

 3

 

 

 

 それから俺は数時間に渡り、地獄のかくれんぼをする羽目になった。

 女性に見つからないように、なによりあのター○ネーターに捕まらないように建物に隠れ、時には電柱に隠れ、なんとかあの手この手で女性に見つからないように移動しながら自宅を目指す。まるで大砂漠の中、オアシスを目指す旅人のようにフラフラになりながら。

 そうして家に辿りついた時にはすでに太陽は落ちていた。

 玄関でなでしこに出迎えられた時の安堵感といったらもう。思わずその場でなでしこを抱きしめたくらいだ。

 その夜は俺の希望で、三人同じベッドで寝ました。もちろんムフフな展開はなく、ただただ彼女たちのぬくもりを感じていたかったのだ。

 珍しくなでしこたちに甘える俺に、彼女たちは終始ご機嫌だったけれど。俺は見えないター○ネーターの影に怯えながら、なんとか眠りについたのだった。

 ちなみに、翌朝にはもう不可思議な現象は収まっており、女性とすれ違っても追われることはなかった。

 本当、一体何だったんだろうな……。酷く心身ともに疲れた一日だったよ。

 

 





 よいお年を!


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第七十話「躍動する影人形」


 明けましておめでとうございます。
 本当は投稿する予定じゃなかったけど、新年ということでお年玉代わりの更新。
 三が日の間、一日一話でお送りします。



 

 

 死神との戦いで負った傷や疲労もすっかり完治し、無事に復調してから三日が経ったある日。

 紅葉がそろそろ見え始める時期。夕食も食べ終え、リビングでなでしこたちと穏やかな時間を過ごしていた時に一本の着信が携帯に入った。

 丁度、ようこの尻尾の手入れをしていた俺は一旦手を止めて携帯を見る。液晶画面には仮名さんの名前が表示されていた。ブラッシングの手を止められて気持ちよさそうに膝の上で寝そべっていたようこが顔を上げる。

 

「あれ、仮名さん?」

 

 なんだろうね、と首を傾げるようこ。お仕事の話では、と隣にいたなでしこが応じた。

 とりあえず出るか。通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。

 

「……もしもし」

 

『おお、川平か。すまないがちょっと依頼という形で仕事を手伝ってくれないか?』

 

 その言葉に、一瞬眉を跳ね上げる。珍しいな、と思った。

 仮名さんから仕事を斡旋されたことは今までも何度かあったが、彼自身の仕事を手伝う機会は結構少なかった。

 そんな仮名さんからの珍しい要請だ。もちろん断る理由はない。

 

「……いいけど。内容は?」

 

 とりあえず仕事の内容を聞かないと話にならない。電話に集中する俺の側ではようこたちが仕事の話ということで聞き耳を立てていた。それを見た俺は携帯をスピーカーモードに切り替える。

 

『――以前、私が長年に渡りとある魔導具たちを追っているという話はしたな? あの三体の骸骨と月の模様が刻まれた魔導具だ』

 

 三体の骸骨と月の模様、と聞いて思い出すのは、うちでほぼ動く物置と化している木彫りのニワトリ。このニワトリの背中には三体の骸骨と月の模様が刻まれているのだ。

 確か、仮名さんはこのマークがついた魔導具を専門で追っていると言っていたな。

 

「……ニワトリ?」

 

『うむ、君に預けているあのニワトリもこのシリーズの一つだ。最近、新たなシリーズの一体の目撃例がこの近くで挙がってな、その確保の助力を頼みたい』

 

「……なる。わかった」

 

『ありがたい。それで出来ることなら今から付き合ってもらうことは可能か? もちろん急な話だから予定が合わないようなら後日でも構わない』

 

 俺は大丈夫だけど、なでしこたちはどうする?

 そう視線で問いかけると彼女たちも問題ないようで頷き返してきた。

 

「……大丈夫」

 

 快諾した俺に仮名さんは再び感謝の言葉を述べると、待合場所と集合時間を教えてくれる。それを聞いていたなでしこがいつの間にか持っていたメモ帳にメモをしていた。流石です。

 さて、久しぶりの依頼だ。

 

「……二時間後に出る。準備しといて」

 

 神妙な顔で俺を見る二人の犬神。とりわけなでしこは初めての依頼ということもあり、気合が入っているようだ。目に力がある。

 

「はいっ」

 

「わかった!」

 

 それから二時間後。支度が整ったなでしこたちを伴い待ち合わせ場所の駅に向かう。駅までは徒歩三十分くらいの距離だ。

 待ち合わせ時間の十五分前には指定場所の駅に着いた。改札口前にはいつもの白いトレンチコートにスーツ姿で手にはジュラルミンケースを持った仮名さんが立っていた。俺たちの姿に気がつくと手を上げてくる。

 

「来たか。今日はなでしこくんも一緒なんだな」

 

 いつも依頼には同行しないで家にいるなでしこが一緒にいることに軽く驚く仮名さん。色々あってなでしこも戦闘に参加できるようになったため、今後は彼女も仕事に参加することを伝えた。

 

「そうだったのか。それはこちらとしてもありがたい」

 

「微力ながらお力添えになれればと」

 

 そう言って微笑むなでしこ。いやいや、謙遜してるけど思いっきり当てにさせてもらうからね。

 それから電車に揺られること一時間。少し閑古な場所に来た俺たちはタクシーを拾い、さらに車で移動すること三十分。

 やってきたのは、廃墟と化した病院だった。錆びれた看板には山城総合外科病院と書かれており、外科を専門に扱っている病院だったらしくかなり大きい。この辺りは人口が少なく、自然が多い。そのため療養施設としてなら分かるが、なぜここに外科病院を建てたのだろうか。たまにあるよね、なんでこんなところにこれ建てたのってやつ。

 時刻は夜の十一時。廃病院だからやはりそれなりに雰囲気がある。外観は三階建てで壁には皹が入っており、窓ガラスも全部割れている。

 いかにも出そうな雰囲気のある廃病院だが、珍しいことに霊的な気配は感じられない。場所柄、こういうところには亡くなった人の念が外から怨念や無念といった負の念を呼び寄せることがよくある。それらが怪奇現象や霊現象を引き起こすのだ。

 俺が今まで見てきた廃病院を含める、いわば心霊スポットも同等のケースが多かったけれど、ここにはそういった負の念が感じられない。中に入れば感じるかもしれないけれど、それでも比較的弱い方だろう。

 しかし、雰囲気はいかにも出そうな感じがするため、自分も妖のくせにホラー関連が苦手なようこは早くも及び腰。ようこと比べて比較的ホラーに耐性のあるなでしこもおどろおどろとした廃病院の雰囲気に呑まれたのか、若干笑顔が引きつっていた。

 

「……もしかして、ここ?」

 

「うむ。この廃墟で肝試しをしていたカップルが目撃したらしい。黒い人型の姿をしており、身長は約五十センチ。物的証拠として写真にも収めてくれた。よく撮れたものだと感心するな」

 

 そういって仮名さんが見せてくれたのは一枚の写真。ようことなでしこも恐る恐る覗き込む。

 写真には真っ暗な院内の廊下を手にしたライトが照らしており、その明かりの先に黒い人影のようなものが映り込んでいる。確かに見る限り、黒い人型だ。なんというか、影というよりは真っ黒い人形――棒人間?のような姿をしている。大分予想していた姿と違うな。デフォルメされていてどことなく可愛らしく見えるが、場所が場所だけに怖ろしくも見える。

 

「確認したところ、この黒い人型は【躍動する影人形】という魔導具だ。能力は今のところ分かっていないが、文献によるとこの人形の背中に例のマークがあるようだ」

 

「……なる。で、これを確保するから手伝え、と?」

 

「うむ。未知の能力を持っている可能性が高いからな。そのため川平に依頼を要請した次第だ。もちろん、報酬は色をつけて払おう」

 

「……まあ、いい。仮名さんの頼みだし。でも――」

 

 ……君たちは大丈夫ですか? ようこは軽くガクブルしてるし、なでしこもちょっと遠慮気味だよね?

 

「だ、大丈夫だようん。こ、怖くなんてないから!」

 

「私は……啓太様とようこさんが行くというなら」

 

 ――無理そうだったら、二人には外に出てもらうか。

 

 

 

 1

 

 

 

 廃棄されて結構経つのだろう。正面玄関を通ると中は結構朽ちていて、脆くなった天井や壁の破片、吹き込んだ窓ガラスの破片など散乱していてる。

 どういう経緯で廃棄になったのかは知らないが、当時使っていたと思われる医療器具や汚れたタオルなども床に落ちていた。

 待合室の椅子はところどころカバーが破れ、埃を被っていた。

 

「うぅ、いかにも出そうだよ~……」

 

 ようこが俺の服の裾を掴みブルブル震えながら後に続く。なでしこもやはり恐いのかピタリとくっついて歩いていた。

 正面玄関の隣に院内マップがあった。一階は受付およびナースステーション、外来診察室、緊急処置室、放射線治療室、内視鏡治療室、CT室、MRI室、機能訓練室、手術室など。

 二階と三階は主に病室がメインか。

 

「……ところでここ。勝手に入って大丈夫?」

 

 不法侵入にならないの? 所有者はわかんないけど。

 

「もちろんこの土地の所有者とは話をつけてある。……しかし、今更こう言うのもなんだが、ようこくんは本当に大丈夫か?」

 

「だい、大丈夫だもん。ゆーれいが出ても燃やしてやるしっ」

 

 誰が見ても強がりだと分かります。ようこの頭をくしゃっと撫でた俺は、そういえばと以前から訊きたかったことがあったのを思い出した。

 一階奥の受付へと向かいながら手にした懐中電灯で真っ暗闇の廊下を照らす仮名さんに尋ねる。

 

「……仮名さんは、なんでその魔導具シリーズを追ってる? ずっと探してるって言ってたけど」

 

 担当を任されているのかなと最初は思ったけれど、それにしては熱の入りようが尋常じゃないというか。仕事以上の意識を持って魔導具回収に勤しんでいるように見える。なにか、そう。使命感のようなものを感じるのだ。

 仮名さんは複雑そうな顔をしたが、やがて小さく溜息をつきポツポツと語り始めた。

 

「――私が長年追っている魔導具や魔導書を【月と三人の娘】シリーズというのだが」

 

「……ん? それって、あの魔導書の名前じゃなかった?」

 

 以前、仮名さんからの依頼で栄沢汚水という変態の悪霊を成敗したことがある。生前はただの一般人だった雑魚霊なのだが、こいつが偶然手に入れた魔導書が“書いてある手順を踏むと誰でも魔王になれる”というはた迷惑なチート級のアイテムだった。その魔導具の名前も確か【月と三人の娘】という名前だったはずだ。

 

「よく覚えているな。アレには正式名称がついていないため、便宜上シリーズの名前から取っているのだ。この【月と三人の娘】シリーズの魔導具はどれも強力なものばかりで、最低でも世界魔術防衛機構が推定しているランクでA。どれも封印指定されるものばかりで、規格外のものとなるとSSSもある。世界たった一つのランク指定だ」

 

「SSSランク、ですか……。それもたった一つだけとなると、相当すごい魔導具なんでしょうね」

 

 なでしこの言葉に仮名さんも頷く。

 

「うむ。あれはまだ確保できていないが、もし悪しき者の手に渡れば……冗談ではなく世界が滅ぶ。それほどの代物もある。そして、この【月と三人の娘】シリーズの作者は世界最高峰の魔導士であり人類種最強とも言われる人物で、名を――赤道斎」

 

「……赤道斎」

 

 名前からして日本人だよな。すごいな日本!

 

「赤道斎、ですか」

 

 どこか感じ入るように名前を呟くなでしこ。あれ、なでしこも知ってるの?

 

「いえ、詳しくは知りません。ただ、彼の者の噂は聞いたことがあります。いわく、孤高の天才、真理の探求者、変態王などよくわからない二つ名もありますが、噂に違わない実力を持つと思います」

 

 変態王、ですか。なんか渋い職人気質のお爺ちゃんが亀甲縛りしている姿を想像しちゃったんだけど。

 

「――その赤道斎なんだが、実は……私の祖先なんだ」

 

『……えっ?』

 

 その場にいた人全員の声が重なった。え? 仮名さんがその赤道斎っていう人の子孫?

 じゃあ、仮名さんも世界最高峰の魔術師の血を受け継いでいるということか。なにそれ、すごいじゃん!

 身近に偉人の子孫がいると聞いて一気にテンションが上がる俺だけど、一方の本人である仮名さんはどこか気落ちしている様子。

 

「私の祖先である赤道斎だが、魔導士としての腕前はともかく……とにかく変態なんだ」

 

「……は?」

 

 え? 人類種最強で、世界最高峰の魔導士が……変態?

 仮名さんは苦虫を百匹噛み潰したような苦渋の表情で言葉を続ける。

 

「詳しいその変態性は私も知らないが、ともかくその道の者なら赤道斎と聞けば、変態魔導士の名でも有名らしい。いや、そちらの方が名が通っていると言っても過言ではないな。なにせ、変態王の二つ名があるほどなのだから」

 

「ええっと……」

 

 さすがのなでしこも掛ける言葉が見つからない様子だ。俺もなんて言っていいか分からないもの。

 ようこは怯えるのに夢中で話が耳に入っていないようだけど。

 

「そんな変態王とまで称される人だが、それでも私の祖先なのだ。世に出回っている変態的な魔導具を回収するのが子孫である私の使命だと思っている」

 

 ああ、赤道斎が作った魔導具もそっち方面のやつばかりなのね。ニワトリの着せ替え能力といい、なんか納得したわ。もしかして、世界が終わる的な魔導具もそっち方面で終わる代物かな。

 そうこう話している間に受付であるナースステーションに到着した。普段は看護士が在住するこの空間も今は散らかり、汚れている。

 やはりここも机や椅子、ペン、何かの書類など当時使われていた道具がそのまま残っている。夜逃げしてから数年間放置するとこんな光景になりました、という感じだ。

 

「まずはナースステーションの中を探してみよう」

 

 仮名さんと俺の二手に分かれてナースステーション内を捜索することになった。もちろんなでしこたちはずっと俺の側にいる。

 予備の懐中電灯で床などを照らしながら、例の黒い人型の魔導具を探す。仮名さんの話だとニワトリのように自立駆動型らしいけど、こんなところにいるのかね?

 そう思いながらナースステーション内をくまなく探していると――。

 

 ――Prrrrr……Prrrrr……Prrrrr……!

 

「きゃぁっ!」

 

「ひっ……!」

 

 突然、受付に置いてあった電話が鳴り出した。飛び上がったようこが俺にヒシッと抱きつき、なでしこもピタッとくっついて来る。

 騒ぎを聞きつけた仮名さんも直ぐに戻ってきた。

 未だ、電話は鳴り続いている。

 

「……川平?」

 

「……いや、そういう気配はない」

 

 霊現象か、と視線で問いかけてくる仮名さんに首を振ってみせる。今のところ霊的な気配は感じられない。

 じゃあこの着信なんなのよ、と漠然とした不気味な空気が流れた。俺も少しだけこの状況にビビッてる。

 霊的な気配は本当に感じられないから、怪奇現象や霊現象ではないはずなんだけど。ていうか、電気繋がってるのね。

 流れ的に無視するわけにもいかず、意を決して受話器を取った。

 

「……もしもし?」

 

『…………』

 

 砂嵐の音が大きく声は聞き取れない。

 耳を澄ましながらもう一回聞こうと思ったときだった。

 

『……た……たす、けて……』

 

 砂嵐にまぎれて若い女の声が聞こえた。擦れた声で助けを求めている。

 うわっ、ビッチが喋った!

 

「ここは廃病院。一一九を押す」

 

 それだけ言って電話を切る。頭の中でふざけていないと、俺まで不安や恐怖に呑まれちゃうよ。

 それ以降、電話が鳴ることはなかった。

 

「……なんだったんだ?」

 

「……さあ?」

 

 なんともいえない空気が流れる。早くもようこは泣きべそを掻いていた。

 霊現象や怪奇現象だと分かれば怖くはないんだが、原因不明だからこそ恐怖心が増す。

 仮名さんはホラー関係は大丈夫なのか「続けれるか?」と聞いてきた。俺は大丈夫だけど、君たちはどうなの?

 

「わ、私は大丈夫です」

 

「……うぅ、ガンバる」

 

 恐いだろうに、それでも着いていくというようこ。帰ったら好物のおむすびとチョコレートケーキ買ってあげるから、もう少しだけ頑張ろうな。

 その後もしばらくナースステーション内を探索したが魔導具はなく、めぼしい痕跡もなかった。

 ナースステーションを出て他の部屋も見て回る。シンと静まり返った廊下に俺たちの足音だけが響き渡る。

 途中トイレを発見。ここも見てみたほうがいいのかな。

 

「一応確認した方がいいだろう」

 

「……了解」

 

「うぅ、トイレってお化けが出てくる定番な場所だよ~……」

 

 泣きべそを掻くようこの手を握ってあげるとキュッと握り返してきた。これなら少しは恐怖心が薄れるかな。なでしこもチラチラと俺の手を見てきたので彼女の手も握ってあげると微笑み返してきた。積極的になってきたなでしこだけど、まだまだこの辺は初心なのね。

 

「キミたちはこんな場所でも平常運転なのだな……」

 

 仮名さんが少しあきれたように言う。だってしょうがないでしょ。ようこたちがこれなんだから。

 男女に別れるか、という仮名さんの提案はようこたちが全力で却下したため、まずは男子トイレから探索する。中は個室が四つと小便器が四つある。個室の扉は全部開かれており、これといって変わったところはなかった。あの電話のような怪奇現象のようなものもない。

 

「次は女子トイレか」

 

 隣の女子トイレに移動。こちらも個室が四つあり、扉は全部開かれている。

 

「特になんもない、ね……」

 

 俺に寄り添いながら恐る恐る歩を進めるようこ。ここも特に異常は見当たらない。

 しかし、俺には気掛かりなことが一つだけあった。

 

「……この鏡、なんでこれだけ綺麗?」

 

 そう、洗面台にある大きな鏡だけ汚れ一つなく綺麗なのだ。男子トイレの鏡は汚れが付着していたり、ひび割れていたりしていたのに。

 曇り一つない鏡は明らかに不可解な点だ。

 

「確かに変だな……」

 

 仮名さんも不思議に思い、その鏡を眺める。ようこやなでしこも俺の背に隠れながら鏡を見る。

 四人の姿が鏡に映っているだけで、鏡が新品同様に綺麗な点以外、不可解なところはない。

 なんなんだろうと思いながら、その場を後にしようとした時だった――。

 

「――い、いやあああァァァァァァァ~~~~っ!!」

 

「……っ」

 

 ようこの悲鳴が響き渡る。なでしこも叫びそうになり、口元を手で押さえ堪えた。

 鏡に映っていた俺たち四人の顔が急に変貌したのだ。はにわ状態、というのだろうか。それまで見慣れた顔だったものが、目と口の部分にポッカリと穴が開き、まるでハニワのような顔になったのだ。しかも目の部分から血のようなものを流してるし。

 不気味なその光景にホラーに耐性のある俺でさえが一瞬、体が強張った。仮名さんも「うおっ!?」と驚愕の声を上げる。

 四人の顔がはにわ状態になり、しかも血涙を流している光景に耐え切れなくなったのか、ようこがついにキレた。

 

「~~っ! こんのぉぉぉぉ、燃えちゃええええええっ!」

 

 眩い炎が鏡を包み込むと、瞬く間に黒焦げ、一部が溶解した。

 炎が消え去った時にはすでに原型の見る影もなく、鏡に映っている俺たちもねじ曲がってよく分からない姿で映っている。

 ようこは恐怖を与える元凶を燃やしたことに満足感を覚えたのか、幾分かすっきりした顔で冷や汗を拭った。

 仮名さんが何とも言えない表情で俺に聞く。

 

「川平……。念のため聞くが、今のも?」

 

「……ん。幽霊とかじゃない」

 

 今の現象も電話の時と同じく霊的な気配は感じられなかった。まったく原因不明な現象だ。

 

『……』

 

 沈黙がその場に降りる。

 

「……次に行くか」

 

 賛成です。

 

 

 

 2

 

 

 

 機能訓練室、CT室、MRI室は鍵が掛っているため入れなかった。

 無人の廊下を歩いていくと新たな扉が見える。今度は両扉で窓の部分はスモークが掛っており、中は見えない。プレートには手術室という漢字が書かれていた。

 

「手術室か……」

 

 これまでに不可解な現象が二回も起きているため、ここでも何かあるのではないかと全員疑っていた。

 さすがの仮名さんも渋い顔でプレートを見つめ、なでしこは固い表情で口を一文字にしている。ようこに至ってはぶるぶる震えて俺の背中に顔を押し付けている始末だ。尻尾が出ていたらきっと丸まっていることだろう。

 

「開けるぞ……?」

 

 仮名さんの言葉に頷く。

 恐る恐る扉を開ける仮名さん。今度は何が待ち受けているのやら。

 

「……っ」

 

「うおっ……! これは……」

 

 部屋の中を見て、思わず絶句する。仮名さんも言葉を詰まらせていた。

 

「いや……っ」

 

 それまで必死に恐怖心に耐えてきたなでしこも小さく悲鳴を漏らし、俺の腕に抱き着いてくる。俺の背中に顔を押し付け、決して見ないようにしているようこがそのままの体勢で聞いてきた。

 

「なになに! なんなの!?」

 

「……ようこは見ない方がいい」

 

 絶対後悔するだろうから。

 部屋の中はこれまでで一番不気味な光景が広がっていた。何かがいるわけでもなく、何かがあるわけでもない。

 ただ、部屋のなか全体が真っ赤に染まっているのだ。壁や天井、床、さらには中央に置かれている手術台、照明器具に至るまですべてが真っ赤に染まっている。血をぶちまけたような色鮮やかな赤。しかし、色の濃さはどこも一定なため、本当に血をぶちまけて作った光景ではなさそうだ。血特有の鉄の臭いもしないし。こういう色の壁紙を張っているかのような、そんな部屋だった。

 

「……これは、不気味」

 

「一体なにが起きているのだ?」

 

 仮名さんの言葉にも首を傾げることしかできない。

 ようことなでしこにひっつかれている俺はのろのろと歩きながら部屋の入口近辺を、仮名さんは中央の手術台付近を調べることになった。

 

「こうも赤いと目が疲れるな」

 

「同感……ん?」

 

 今、隅のほうで何か動いたような……?

 一瞬だったが、部屋の奥のほうの隅で何か黒いものが動いたような気がした。目を凝らして見てみると。

 手術用のカートに黒い人型のようなものが乗っかっていた。まるでデフォルメされた棒人間だ。そいつはガーゼの束を枕代わりにして足を組んで寝っ転がっている。

 仮名さんに見せてもらった写真の人型と似ている。めっちゃ似ている。

 ていうか、コイツだし!

 

「いた! そこのカート!」

 

 仮名さんとなでしこが指差した方向を見る。ようこは相変わらず顔を背中に押し付けたままだが。

 

「間違いない、【躍動する影人形】だ!」

 

「なでしこ、ようこをお願い」

 

「は、はい……!」

 

 ようこをなでしこに預け、俺と仮名さんはそいつを捕獲するために走り出す。俺たちの姿に気がついた影人形は飛び起き、カートから飛び降りて逃げ出した。なんか知らんが、アニメなどで見る汗マークが見えるし! なにこいつ、なんか可愛い!

 

「このっ、大人しく捕まるんだ!」

 

 五十センチほどの小柄な体型を活かしてちょこまかと動き回る。仮名さんや俺の手から逃れ、手術室から逃げ出してしまった。

 小さい体してんのに結構足が早いなあいつ……!

 

「追うぞ川平!」

 

「ん! なでしこようこ、行く!」

 

「は、はい!」

 

「え、え? ちょっと待ってよケイタ! ――って、きゃあああ~~っ! なにこの部屋!?」

 

 慌てて追いかけてくるなでしこと、部屋の中を見てしまい驚き叫ぶようこを連れて俺も後を追った。

 

 





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第七十一話「眷属襲来」

 二日目。



 

 

 影人形は三階へ向かったらしい。えっちらおっちら階段を上っている姿を仮名さんが捉えたのだ。

 

「創造開始」

 

「エンジェル・ブレイド!」

 

 使い慣れた刀を一振り創造する俺の隣で、仮名さんがメリケンサックのようなものから霊力の刃を出現させた。

 武器を携えた俺たちも急いで三階へ向かう。しかし一歩遅く、影人形の姿を見失ってしまった。光源は手元の懐中電灯のみだから探すのに苦労する。院内は暗闇に包まれているため影人形の姿を捉え難いのだ。

 二階と三階は入院患者の病室が主らしい。壁際には個室が並び、廊下のところどころにカートが置かれている。

 そして、暗闇に包まれた廊下には異形のモノたちが佇んでいた。

 

「なんだ、こいつらは!?」

 

「ひっ! な、なんなの、なんなのよぉ~」

 

「ようこさん大丈夫ですか?」

 

「うぅ、なでしこぉ~!」

 

 異形のモノたちを見た仮名さんが驚愕の声を上げる。泣きべそを掻いたようこはなでしこに抱きつく。なでしこはそんなようこをあやしていた。

 看護士が着るピンクの制服に帽子を被ったそいつらは一見すると人間のように見える。制服の胸元が大きく開いているため豊満な胸が強調されており、スカートの丈も下着が見えそうなほど短く扇情的な格好をしていた。

 しかし、こいつらが人間でないのは顔を見れば一目瞭然だった。大きく腫れて膨れ上がった顔面には本来あるべき目や鼻が存在していない。のっぺらぼうのように顔がないのだ。 しかも全員が同じ姿をしている。

 鉄パイプやメスを持ち、ゾンビのように揺ら揺らと揺れ動いていた。

 霊力を感じないことから霊の類ではない。かといって妖怪というわけでもなさそうだ。俺の知識には該当するものは存在しないが、前世の知識にこれとよく似た――というか、まんまの存在があった。

 

 ――バ○ルヘッ○ナースかよ!

 

 前世の知識によるところ、サイ○ント・○ルというゲームに登場する雑魚敵らしい。その扇情的な姿から一部のマニアからには絶大な人気を誇るだとか。

 この異形ナースの出現でそれまでの不可解な怪奇現象の原因が判明されたと見ていいだろう。これらは全部、あの影人形の仕業だな。十中八苦、そうだろう! ていうか、それしか考えられないし!

 

「あの影人形の仕業か!」

 

「……だと思う」

 

 なでしこに抱きつきながらぶるぶる震えているようこの肩を叩く。

 ようこやようこや。あれ、幽霊じゃないぞ。

 

「ゆ、幽霊じゃない……?」

 

 多分、あれ影人形の仕業。

 

「……て、いうことは、お化けじゃない?」

 

 うむ。思いっきり意図的に作り出した、もしくは呼び出したものです。

 

「……」

 

 俺の言葉を聞いて、違う意味で震え出すようこに一言かけてやる。

 背中を押すという意味で。

 

「……やっておしまいなさい」

 

「~~っ! あったまきたあああああ~~っ! 無駄に怯えてたわたしがバカみたいじゃないのぉぉぉぉっ!」

 

 激昂するようこは体から炎を吹き上げながらバ○ルヘッ○ナースの群れに突撃した。周囲のナースたちを燃え盛る爪で八つ裂きに切り裂いていく。

 

「ようこ、火はダメ! 建物が燃える!」

 

「わかった~!」

 

 それを合図に俺たちも散り散りになって戦闘を開始した。

 

「邪悪なるモノに聖なる一撃を! 必殺ホーリー・クラッシュ!」

 

 飛び出した仮名さんはメリケンサックに霊力の刃が生えた魔導具『エンジェル・ブレイド』を上段に構え、大きく跳躍。跳躍しての大上段からの斬り下ろしでナースを真っ二つに両断した。脳天から股下まで両断され、床に溶けるように消えていく。

 そのまま勢いを殺さず体を起こした仮名さんは周りにいたナースも斬り伏せていった。

 

「ホーリー・クラッシュ! ホーリー・クラッシュ!! ホーリー・クラァァァァァッシュ!」

 

 張り切ってるなぁ……。

 視線を移動させるとなでしこもしっかりと戦いに参加していた。絶望の君と戦ったとはいえ長年に渡り戦闘行為を避けていたなでしこ。上手く戦えるかどうか心配だった俺だが、それは杞憂に終わる。

 

「えーいっ」

 

 可愛らしい掛け声とともにビンタ一閃。バチィィィンッ、と痛そうな音を響かせて頬を叩かれたナースが吹き飛んだ。まるでトラックに激突したかのような豪快な吹き飛び方で、進路上のナースを巻き込んでいく。

 霊力を込めたビンタは凄まじいな。あれで力の大半をセーブしてるっていうんだから驚きものだ。

 その後もなでしこは次々とビンタでノックアウトしていった。

 

「……俺も負けてられない」

 

 頭の天辺から爪先まで。全身といわず細胞の一つに至るまで霊力を循環させていき身体能力を底上げする。

 まずは鉄パイプを持ったナースの集団から。体を沈め、一歩踏み出す。

 

 ――スパンッ!

 

 集団のど真ん中に一瞬で移動した俺は旋回してナースたちの腰をまとめて分断した。そのうちの一体の上半身をこっちに向かってくるナースの足元へ蹴り飛ばす。仲間の上半身につまずき、前のめりに倒れ込むその間に背後へ回りこむ。顔面から床に激突すると同時に逆手に持ち替えた刀でうなじ辺りを突き刺した。

 これで六体。ようこたちも随分減らしてくれたから、残り三体か。

 

「……それにしても、ビックリするくらいスムーズだ」

 

 以前誘拐されかけたお嬢様を助けた時にも感じたことだが、見間違えるくらいスムーズに体を動かせるようになった。なんというか、力の流れに淀みがないというか、無駄が省かれたというか。

 踏み込み一つでも違いが分かる。それまでのダッシュでは『ズバンッ!』という感じで、蹴り足の力が分散されていた。しかし先ほどの踏み込みでは『スパンッ!』という感じで、分散されていた力が一定方向に集約されたような感覚がしたのだ

 

 ――死神戦で身体操法をフル活用した『極限体』で命を掛ける戦いをしたから? だから身体操法の錬度が上がったというか、効率的な力の掛け方、動かし方を学習したのか……?

 

 師匠なら分かるだろうけど、生憎仙界に行かないと会えないんだよなぁ。

 まあ、意図しないところで熟練度が上がったということにしておこう。俺にとってはプラスのことだし。

 蔓延っていたナースたちを排除し終わったが、右側の廊下から次々とナースたちがやってくる。どうやら影人形はその先にいるようだ。

 頷き合った俺たちはナースの一団に突撃を仕掛ける。もう一本、刀を創造して二刀にすると走りながら次々とナースたちを斬り伏せ、闇に包まれた廊下を仮名さんのホーリー・ブレイドが白い光の軌跡を描いていく。

 十体ほど倒した辺りでナースの群れを突破したようだ。見失いそうになる影人形を視界に収めながら、敵影にも警戒しつつ無人の廊下を走る。

 影人形は廊下の突き当たりにある非常階段を上って行った。普段は閉じている非常口の扉が壊れて開いているため、小人サイズの影人形でも通ることが出来たのだ。

 

「あの先は屋上だな!」

 

「……袋小路っ」

 

 自分から自爆するとは、ヴァカめ!

 追い詰めるべく速度を上げて駆けると、行く手を阻む新たな敵が出現した。

 地面から湧き出るようにして姿を見せたのは四体の影。四体とも姿形が異なり、今までのナースのように容易ではなさそう。

 足を止めて警戒する俺たち。影は次第に輪郭を形成していき、やがてその姿を確立させていく。

 現れた新たな敵は――。

 

 ――ブルーベリーみたいな色をした全裸の巨人。

 

 ――真っ白な顔面に血がべったりと付着した歯でにやける生首。

 

 ――直立した状態で異様なまでに体をくねらす、白い蛇のような形をした何か。

 

 ――ベンチに座って仮名さんと俺に熱い視線を送ってくる、青いツナギ服を着た男前な男性。

 

「な……っ!」

 

 現れた敵を見た俺は思わず絶句する。前世の知識によると、こいつらもあのバ○ルヘッ○ナース同様、ゲームや漫画などで登場する架空のキャラクターなのだ。

 それも接触すると問答無用でゲームオーバーになってしまうようなエネミーや、根拠はないが絶対に勝てないと確信を持たせるようなキャラ。

 

 ――青○、ヨ○エ、く○く○、仕舞いには阿○さんかよ! 青○やヨ○エもやばいけど、阿○さんとは絶対に敵対したくないし! ていうか、なんでこれをチョイスしたんだ!?

 

 あの影人形、俺と同じく前世の知識を持ってるだろ絶対!

 凶悪な敵を前に慄いている俺を置いて、ようこやなでしこ、仮名さんが攻撃を仕掛けた。注意を喚起する間もなく、ようこの鋭い爪がヨ○エを真っ二つに切り裂く。

 

「……あれ?」

 

 呆気なく、あのヨ○エさんが消えていくのを見て目を丸くする俺。青○と対峙したなでしこも、例の凄まじいビンタでブルーベリー色の巨人を壁にめり込ませてしまった。

 そして、仮名さんはというと。

 

『よかったのかホイホイやってきて。俺はノンケだってかまわないで食っちまう人間なんだぜ』

 

 ツナギのチャックを下ろし、厚い胸板を露出させる阿○さん。ホーリー・ブレイドを上段に構えた仮名さんは構わず斬りかかった。

 

『やらない――』

 

 あの名言を最後まで言わせないなんて、なんて鬼畜なんだ仮名さん! よく見れば仮名さんと阿○さんって似てるね! まさか仮名さんも「ウホッ! いい男……」な人じゃないよな。

 青○、ヨ○エ、阿○さんが呆気なく倒され、後はく○く○だけだ。

 そいつは俺の眼前で無駄に体をしならせ、くねくねとした動きを見せ付けてくるが。

 

「……」

 

 時間の無駄になりそうだったから、一太刀で斬り捨てた。やっぱり偽者は偽者なんやね。本物だったらどうなっていたことか……。

 なんとも釈然としない気持ちが残るなか、影人形を追い非常階段を駆け上がった。

 

 

 

 1

 

 

 

 屋上へ続く扉も壊れていたためそのまま外に出ることが出来た。

 屋上は正方形の形をした開けた空間となっている。ところどころに物干し竿があり、本来はここで服を乾かしていたのだろう。

 パッと見て大体二百メートル四方、といったところか。広々としているため障害物があまりないとはいえ結構探すのに手間が掛かりそうだが、こちらには照明担当のようこさんがいらっしゃる。

 外なら建物が燃える心配は要らないし、ようこの炎で屋上全体を照らせば一発で見つけられるだろう。

 そう考えようこに指示を出したら、何かに気がついた彼女がこんなことを言ってきた。

 

「あのさケイタ、病院の中でそれやってたらよかったんじゃない? ほら、建物が燃えない程度に温度を下げれば」

 

「……過ぎたこと」

 

 うん、指示して俺も思ったよそれ。肝試しのようなシチュエーションだったから、明かりは懐中電灯って先入観があったわ。

 まあいいや。ようこが宙に火の玉をいくつか出現させてくれたおかげで屋上全体が灯りに照らされた。そのおかげで闇と同化していた影人形をあぶり出すことが出来た!

 突然周囲が照らされて驚いたのか、奴は屋上を囲うフェンスの前にいた。焦っていますよと言いたげに汗マークを出しながら、きょろきょろと逃げ道を探す仕草をしている。

 逃げられないように四人で囲いながら徐々に包囲網を狭めていく。

 

「もう逃げられないぞ。大人しく観念するんだ」

 

 仮名さんがアタッシュケースから捕獲用のものと思われる札を取り出した。観念したのか、影人形が床に膝と両手をついた。その時だった――。

 

【ギャォォォォォォオオオオオオオオ――――――ッ!】

 

 突然、怪獣のような鳴き声が辺りに轟いた。皆が一斉に空を見上げる。

 千切り雲が浮かぶ夜空を背景に大きな魔方陣が浮かんでいた。

 淡い光を放つ濃青色の魔方陣からナニかが姿を現す。

 

「な、なんだあれは……」

 

 戸惑いの声が零れる仮名さん。

 そいつは巨大な鳥だった。炎を纏った太陽のような赤い鳥。

 オレンジと赤の羽がついた綺麗な双翼は羽ばたく度に火の粉を散らしている。

 全長はおよそ五メートル。まるで伝説の生き物である不死鳥のような巨鳥。鷹のように鋭い眼光は真っ直ぐ俺たちを――俺を見下ろしていた。

 

「啓太様、あの鳥から……彼の死神の霊力を感じます」

 

「うん。あいつ、きっとあいつのペットだよ」

 

「……マジかー」

 

 とうとう来ちゃったかー。いつかは来ると思ってたけど随分と早いお越しですね。

 ていうことは、この鳥さんは絶望の君が送り込んできた刺客ということか。

 話についていけない仮名さんが怪訝な顔を向けてきた。

 

「……あとで話す。とりあえず、俺を狙う敵」

 

「そうか。まあ、それだけ聞ければ十分だ!」

 

 なにも聞かずに納得してくれる仮名さんマジイケメン。

 ホーリー・ブレイドを構える仮名さんを見て、俺も刀を握り直す。ようことなでしこも身構えた。

 巨鳥は大きな鳴き声を上げると、バサッと翼を広げて急降下してきた!

 

「うおおおぉぉっ!?」

 

 床とすれすれに滑空する巨鳥。燃え盛る翼にフェンスがなぎ倒され、燃やされる。

 地面にうつ伏せになりギリギリのところで回避すると、仮名さんが雄叫びのような悲鳴を上げた。突風が吹き荒れる中、なでしこたちに聞こえるように声を大にする。

 

「誰か、結界張れる!?」

 

「啓太様、私が!」

 

「頼んだ!」

 

 いくら人が少ない場所とはいえ、こんなドンパチを繰り広げたら騒ぎで人目を集めるかもしれん。しかも相手は巨大な怪鳥だ。衆目を浴びる可能性が高まる。

 まずは結界を張って人目につかないようにしなければならない。一応俺も張れるが、事前準備をしていなかったために時間がかかる。そういう意味でなでしこが使えて助かった。

 

「ひふみひふみひふみよの、ししきょうこうのたむらん、たたぬまえ」

 

 意味不明な言葉の羅列を滔々と語りながら複雑な印を結ぶ。

 

「にしきかたぬまのとうり、いよにたてまつぬししよ、たたぬまえ」

 

 閉じていた目を薄っすらと開けると、声高に最後の呪文を口にする。

 

「ごこくのはいえん、しきにまつろえ!」

 

 なでしこを中心に球状の結界が展開されていく。病院から数百メートルに亘り全域をすっぽり覆ってしまった。屋上だけでよかったのに、建物全体を囲うとは流石なでしこ。ていうか、天に返した力がなくても色々出来るんですね!

 

「今の私では空間を隔離することは出来ませんが、このくらいなら出来ます。この隠蔽結界の中でしたら人目に触れることも音が漏れることもありません」

 

「上出来」

 

 再び空を飛んだ巨鳥は大きく旋回しながら俺たちの様子を窺っていた。

 大型の敵とは何度か戦ったことがあるけれど、飛行能力を持つモノとはこれが初めてだ。さて、どうやって戦うかね。

 

「どうやって戦うつもりだ?」

 

 攻めあぐねている仮名さんが巨鳥に目を離さないまま尋ねてきた。俺も今それを考えてるんですよ。

 

「……まずは奴を落とす。それが絶対条件」

 

 大型怪獣との戦闘の心得としてはまず部位破壊が鉄則。空を飛ぶ相手の場合なら、飛べないようにするのが大事だ。あの巨鳥の場合は燃え盛る翼だな。

 そして飛べなくなった段階でフルボッコだ。攻撃対象を絞らせないために前後左右に分かれるのが定石。

 色んな心得を教えてくれるゲームって大事よね。

 

「――なでしこ、いける?」

 

 その翡翠色の瞳を見据えて聞く。こと戦闘に於いて、俺たちの間に多くの言葉は不要。その目を見るだけで相手が何を考えているのか分かるのだ。アイコンタクトや仕草だけでコミュニケーションが完結するほど俺たちは固く強い絆で結ばれている。

 期待通り、目を見ただけで俺の意図を察してくれたなでしこは神妙な顔で頷いた。

 

「――はい。啓太様とならどこまでも」

 

 嬉しいこと言っちゃってくれる。もう一人の相棒であるようこにも声を掛ける。

 

「……ようこ」

 

「うん、分かってるよ」

 

「……援護よろ」

 

「まっかせて!」

 

「川平? 一体なんのことだ?」

 

 一人置いてきぼりになっている仮名さんが怪訝な目で見てきた。

 数回しかタッグを組んでない仮名さんとではまだアイコンタクトは出来ないか。

 

「俺となでしこが奴を落とす。ようこはその援護」

 

「……なるほど。奴が地に落ちたその時こそ、私の出番というわけだな」

 

「頼りにしてる」

 

「応っ!」

 

 さて――。

 

「なでしこ」

 

「はい。では啓太様、仮名さん。目を瞑っていてくださいね」

 

 言われたとおりに目を閉じる。目を瞑れと言われて困惑した顔を見せた仮名さんだが素直に従った。

 閉ざされた視界の中、衣擦れの音が聞こえる。

 やがて音が止むと、ぶわっと強烈な霊気の風が吹き荒んだ。突風のような強さに一瞬体がよろめく。

 

「もういいですよ啓太様、仮名さん」

 

 目を開けると、そこには一匹の美麗な犬が存在していた。

 体長はおよそ三メートルほど。艶やかで美しい灰色の毛並み。聡明と愛らしさを兼ね揃えた綺麗な顔立ち。翡翠色の目には理知的で慈愛が篭っている。床を踏みしめる四肢は逞しくもしなやかでいて、全身に満ちる力強さにはどことなく女性的な優美さも感じられる。ケモノが美を体現したらきっとこんな姿になるかもしれない。ぶっちゃけ、俺の中の理想とする犬の姿だ。

 あまりの美しさにしばし見蕩れていると、不思議そうな目で見返してきた。

 

「啓太様?」

 

「ああ……。いや、ちょっと見蕩れてた」

 

「み、見蕩れ……っ! も、もう、啓太様ったら! こんな時でも相変わらずなんですから」

 

 なでしこの声で嬉しそうに話すのは超々大型の犬。そう、これがなでしこの真の姿。犬の化生に戻った時の姿なのだ。

 初めて目にするなでしこ犬バージョンを前に俺のモチベーションも勝手に上がっていく。こんな状況でなかったら恥も外聞もかなぐり捨てて抱きつき、存分にもふっていたことだろう。無意識のうちに足が勝手になでしこの方へ向かい、美しい毛並みを堪能するように優しく撫でていたのだから間違いない。俺自身、気がついてびっくりしているところだ。

 

「……なでしこ」

 

「はい?」

 

「こいつ倒したら、もふらせて」

 

「ふふっ、仕方のない人ですね。いいですよ♪」

 

「(゚∀゚)キタコレ!!」

 

 なでしこの了解を取った今、俺は無敵だわ。今ならあの死神だって倒せるに違いない。離れたところでは吠えるようこを仮名さんが必死に宥めていたようだが、俺の耳には届かなかった。

 人懐こい犬のように顔をすり寄せてきたなでしこ。そんな彼女の頭を抱えるようにして一撫でした俺はその背中に飛び乗った。なでしこが沈み込むようにして受け止めてくれる。

 

「……んじゃあ、行くか」

 

 至福タイムのため、さっさと終わらせるぜ!

 

 

 

 2

 

 

 

「……まずは翼から」

 

「はい」

 

 なでしこの足が床を離れ宙に浮くと、獲物を狙う獣のように体を沈めた。それと同時に漂っていた霊気が収束していき、なでしこを中心に渦を巻く。

 

「行きますっ」

 

「ん!」

 

 そして、弾丸のごとく駆け出した。急上昇していき上空で旋回する巨鳥との距離を瞬く間に縮めていく。遅れてようこも飛び立った。

 今更ながら稲妻のようなスピードで迫る俺たちに気がつくが遅い。慌てて回避行動を取ろうとするも、なでしこの振り上げた前足の爪が巨鳥の右翼を切り飛ばした。

 

「――ちっ、やっぱり再生するか」

 

 炎で出来ているのか知らないが、傷口から炎が噴き出てあっという間に再生してしまった。本当に不死鳥のような奴だ。不死身とかだったら面倒なんだけど。

 自分の領域を駆けることに怒ったのか、それとも手傷を負わせたことに激昂したのか。理由は定かではないが、標的を俺たちに絞ったようだ。

 

「ォォォオオオオオオオ――――――ン」

 

 うぉっ! どうしたんですかなでしこさん!?

 突然なでしこが遠吠えのような声を上げたからびっくりしてしまった。淑やかな貴方が吠えるなんて珍しいっすね。

 巨鳥も張り合うように奇声を上げる。そして大きく羽ばたくと一気に加速してきた。燃え盛る翼を広げているため点ではなく、線での攻撃。

 高度を下げたなでしこは巨鳥の下を潜って回避するが、それを見越していたかのように翼から小さな炎の塊が放たれていた。まるでフレアを放つ戦闘機のように置き土産のごとく放たれていたのだ。

 

「くっ、この程度!」

 

 なでしこが霊力の障壁を張り炎の塊を防ぐ。その隙をついて旋回した巨鳥は再び翼を広げて突撃しようとしていた。そう何度も同じ手を食らうかっての!

 

「ようこっ」

 

「おっけー!」

 

 離れたところで待機させていたようこに指示を送り、投擲用の刀を二振り創造する。両手に刀を一本ずつ順手で持つと、それに合わせて巨鳥が突撃してきた。

 流星のように赤い軌跡を残しながら、一直線に飛んでくる火の鳥。なでしこの首筋を撫でながらタイミングを計る。

 そして、奴が射程に入ったのを見た俺はようこに合図を送った。

 

「……今!」

 

「じゃえんっ!」

 

 ようこの炎が巨鳥の眼前で爆ぜる。目は生物共通の弱点部位だ。いくら炎に強いとはいえ、本能的にそこは守ろうとするだろう。たとえダメージはなくても光は眩しいに違いない。

 俺の狙い通りにいけばこれで足を止めてくれると思うが、果たして――。

 

【ギャォォォォォオオオオオオオ――――――ッ!】

 

 狙い通り!

 驚いた巨鳥はその場で急停止すると嫌がるように頭を振った。この隙を逃さず次に繋げる!

 

「なでしこっ」

 

「はい!」

 

 今度はなでしこの方から突撃させる。円錐状に展開した霊力の力場が空気抵抗を減らしている。俺が行おうとしている行動を見越しての計らいだ。ナイスアシスト、という感謝の気持ちも込めてもう一度首筋を撫でてやった。

 そして、呼吸法で集中力を高め、さらには身体操法で後頭葉を一時的に活性化させて視覚情報の処理速度を向上。ついでに五感の一部を意図的に遮断し、無意識内にそれらに割いていた注意力をすべて視界に向けよう。

 味覚と嗅覚。今は必要ないからカット。視界に映る色彩も不要、カット。

 

「――」

 

 極限まで集中した状態で見ると、世界はまるで停止しているかのようだ。色彩を遮断しているためモノクロになった視界の中、巨鳥の両目を狙い刀を構える。

 首を振っているのだろうが、視覚情報の処理速度を向上しているこの状態ではスーパースローモーション以下の動き。まさしく止まって見えるぜ。

 すでに身体強化をしているため、ゆっくりと動く時の中でも普段と寸分違わぬ動きを可能にする。

 よ~く狙いを定めて、全てがハイパースローで動く中、刀を投擲した。空気を切り裂き火の粉を両断しながら突き進む二本の刀はそれぞれ巨鳥の目に突き刺さる。

 それを確認してようやく、脳の状態をフラットに戻した。集中力も切れ、モノクロの世界に色が戻る。

 両目に深々と刀が突き刺さり悲鳴を上げる巨鳥。今度はしっかりダメージを与えられたようで、両目から赤い血を噴き出していた。これは嬉しい誤算だ。

 一時的に視界を奪うことに成功したこの隙を活かし、なでしこが再び巨鳥の翼を引き裂く。左翼を根元から裂かれ巨鳥がバランスを崩した。

 なでしこはスピードをまったく落とさず、ほぼ直角の軌道で上昇し巨鳥の真上に回った。視界と片翼を奪われた巨鳥がジタバタと暴れまわっている。先ほどはすぐに傷口から炎が噴き出て、翼を再生したが今はその兆候を見せない。オートで修復するわけではないのか?

 なにはともあれ、今が絶好のチャンス。なでしこの背中から飛び降り空中に身を躍らせた。

 宙で一回転して体勢を整え、膝が胸につくほど右足を思いっきり引き絞る。

 

「――落ちろっ」

 

 無防備な背中を全力で蹴りつけた。重い衝突音を響かせ、巨鳥が落下する。蹴り落とされた巨鳥は流星のように尾を引きながら凄まじい速度で屋上に叩きつけられた。衝撃で古びた建物が揺れ、埃が舞う。

 先回りして落下する俺を背中で受け止めてくれるなでしこ。その首筋を優しく撫で、屋上で待機している仮名さんの名を呼ぶ。

 

「仮名さん!」

 

「応っ! 必殺ホーリー・クラァァァァッシュ!」

 

 ホーリー・ブレイドを構えた仮名さんが打ち付けられたまま動けないでいる巨鳥に斬り掛かった。大上段から振り下ろされた霊力の刃が残った右翼を両断する。

 

【ギャォォォオオオオオオオオ~~~~~~ッ!】

 

 巨鳥の絶叫が響き渡る。少なくない量の鮮血が傷口から噴き出た。

 

「なでしこ、ようこ!」

 

「はい!」

 

「うんっ!」

 

 なでしことようこにも合図を送り、猛攻撃を仕掛けさせた。

 

「ひふなのこおりよ!」

 

 なでしこの周りに氷柱(つらら)が数本出現する。それらは切っ先を巨鳥に向けると一斉に放たれた。

 空気を切り裂きながら飛来する氷柱は巨鳥の背中に次々と突き刺さっていく。

 

「ええ~い!」

 

 上空から急降下しながら鋭い爪を立てるようこ。氷柱が突き刺さったその背中を切り裂いた。

 

【ギャォォォォオオオオオオ~~~~!】

 

 再び絶叫する巨鳥。傷口から勢いよく炎が噴き出ると、欠損していた両翼が再生し始めた。それに合わせて、背中に突き刺さった氷柱も氷解し、両目に突き刺さった刀も熱に耐え切れず霧散していった。

 やがてすべての傷を修復した巨鳥だが、今度は空を飛ばずに地面に足をつけたままでいる。これまでの戦闘で消耗したためか、それとも別の要因か。まあ俺たちからすれば好都合だ。

 それに一つ奴の弱点を見抜いた。どうやら傷を癒すのもノーリスクとはいかないようで、最初の頃に比べて感じられる霊力が弱くなってきているのだ。おそらく霊力を消費して傷を癒しているのだろう。

 ということは、このまま攻撃の手を緩めないでいけば、いつかは霊力の底がつくということだ。もふもふタイムが見えてきたぜぇぇぇ!

 

 

 

 3

 

 

 

 それからはもう処刑タイムというか、リンチのような扱いだった。予ねての予定通り、地に下りた巨鳥を四人で囲い、全方位から攻撃を仕掛けるのだ。

 正面に俺、左右になでしことようこ、後方に仮名さんという陣形でボッコボコに殴り、蹴り、裂き、斬り、焼き、凍らせと、確実に動物保護団体からクレームが来る勢いで猛攻を仕掛けた。

 何度か反撃する素振りを見せたが、その度に人型に戻ったなでしこが超人的な膂力で力尽くで地に叩き伏せて攻撃を強制的にキャンセルさせる。空に逃げようとしてもようこのしゅくちで強制的に帰還させられ、お帰りなさいと歓迎の猛攻が出迎える。

 綺麗だった羽がズタボロになった頃には泣きが入った声を上げていた始末だ。そこまで追い詰めてようやく、これ以上いじめるのは可哀想という思いが全員一致し、最後は俺が介錯を務めた。

 首を刎ねると巨鳥は虚空に溶けるようにして消えていったのだが、涙を流したまま逝く姿にちょっとやりすぎたと皆で反省。なにごともやりすぎはよくないね。

 

 

 ――敵とはいえ、状況によっては情けをかける必要もあるのだな。

 

 改めてそう感じた俺だった。

 

 



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第七十二話「人ならざる者の会合」

ちょっとIFルートの順番を入れ替えたので、最新話を更新します。
申し訳ないですが、三日目の分です。


 

 

 啓太様が仮名さんから引き受けた依頼は彼が追っている魔導具【月と三人の娘】の収集でした。

 絶大な力が宿った魔導具シリーズ。それらを製作したのは稀代の天才魔導士である赤道斎。私も詳しいことは知りませんが、名前だけは耳にしたことがあります。なんでも常識を超えた発想力を持ち、それを実現させることが出来る知識と技術、霊力を持つ大魔導士だと。それ以上に、彼の人が大変態だという噂のほうが根強いけれど。

 

 啓太様のお陰で今まで逃げていた自分と向き合うことが出来、己の業を少しは受け入れることができました。そんな私がようやく『やらず』を返上し、啓太様と一緒に戦場に立てる。どこか感慨深くあり、それ以上にドキドキとわくわく感を覚えました。

 今までお仕事では足を引っ張っていた身ですから、ようやく啓太様のお手伝いが出来る。そして、啓太様と一緒に戦うことが出来る。戦場で啓太様の隣に立つことが出来るようこさんに羨望を抱いていました。死神との一戦で戯れるかのように楽しそうに啓太様と一緒に戦うようこさんの姿を見てから、その思いはより一層強くなった気がします。

 なので、初めて啓太様と一緒にお仕事が出来るとあって、私の気分は上々でした。さすがに子供ではないので普段どおりの自分を心掛けましたが、それでも嬉しさのあまりに頬が緩んでしまいそうになります。

 

 ですが、それも仮名さんに案内された場所に行くまでの話でした。

 今回、仮名さんが探している魔導具は【躍動する影人形】という小さい人型の魔導具です。その魔導具が目撃されたところというのが廃病院でした。

 時刻は夜の十時を回っているため、やはりそれなりに雰囲気があり恐怖心を煽ります。

 お化けが苦手なようこさんは早くもガクガクと震えて啓太様の影に隠れていました。私もようこさんほどではないにしろ、こういう建物はちょっと怖いです。幸いなことに霊的な気配は感じられませんので、滅多なことは起こらないでしょう。この時はそう考えていました。

 しかし、廃病院に入って数分のことです。その見通しを全力で否定するかのように次々と怪奇現象が発生しました。

 無人のナースステーションに鳴り響く一本の電話。トイレの鏡に映る不気味な顔。一面真っ赤に染まっていた手術室。

 正直、ホラー映画を普通に楽しめる私でも背筋に冷たいものが走りました。仮名さんや啓太様でさえ驚きの声を上げるほどです。

 

 探していた【躍動する影人形】は手術室で発見しました。五十センチほどの小さな人型で、影人形とある通り、影で出来ていると思うほど真っ黒な姿をしています。その子はちょこちょこと動き回り、私たちから逃げ回りました。

 影人形さんの能力は召喚系の力なのか、それとも啓太様のように創造系の力なのか。詳しい内容は定かではありませんが、次々と現れた異形の生物が行く手を阻んだのです。強行突破する啓太様に倣い、私も戦闘に参加しました。

 霊力の八割方を天に返した私ではようこさんと同程度の力しか発揮できませんが、それで十分です。のっぺらぼうで顔が膨れたナースの姿や、青色の肌の巨人、にやけ顔の生首、体をくねらせている何か、ベンチに座る青いツナギ服を着た男性。それらすべてを倒し、影人形さんを屋上に追い詰めたのです。

 

 壁際に追い詰めて包囲網を作り、捕獲まであと少し。そんな時でした。

 突如、夜空に大きな魔方陣が浮かび上がり、そこから見たことのない怪鳥が姿を現したのです。

 

【ギャォォォォォォオオオオオオオオ――――――ッ!】

 

 奇怪な叫び声を立てるその鳥はまるで伝説上の生き物であるフェニックスのように、火を纏いながら出現しました。全長五メートルほどで、夜空を美しい赤とオレンジの羽が火の粉とともに舞い散る光景は幻想的です。

 炎を纏わせながら飛ぶ怪鳥は鷹のように鋭い目で私たちを見下ろしています。その身から感じる霊力には覚えがありました。

 

「啓太様、あの鳥から……彼の死神の霊力を感じます」

 

「うん。あいつ、きっとあいつのペットだよ」

 

 ようこさんも気づいたようですね。

 そう、彼の者と同じ霊力をあの怪鳥から感じます。啓太様の命を虎視眈々と狙う死神――【絶望の君】と同じ霊力が。

 このことから、この怪鳥があの死神に近しい存在だというのが分かります。恐らく、ようこさんが言うように【絶望の君】の眷族なのでしょう。

 

「……マジかー」

 

 嫌そうに顔を顰める啓太様。啓太様と【絶望の君】との関係を知らない仮名さんが怪訝な顔をしていました。

 

「……あとで話す。とりあえず、俺を狙う敵」

 

「そうか。まあ、それだけ聞ければ十分だ!」

 

 仮名さんと啓太様が武器を構えたのを見て、私たちも身構えます。怪鳥は大きく羽ばたくと燃え盛る翼を広げて急降下。床すれすれに滑空してきました。

 

「うおおおぉぉっ!?」

 

 慌ててその場に伏せます。直撃を免れるましたが、吹き荒れる突風で体が浮き上がりそうになります。体勢を低くして凌いでいると、啓太様の声が聞こえてきました。

 

「誰か、結界張れる!?」

 

「啓太様、私が!」

 

「頼んだ!」

 

 このままだと人目に触れる可能性があります。ようこさんは結界術が使えないので、ここは私の出番です。

 

「ひふみひふみひふみよの、ししきょうこうのたむらん、たたぬまえ」

 

 印相を組み、真言を唱える。大半の力を封じている私ですが、伊達に長く生きてはいません。力をセーブしている今の私でも使える術はあります。この結界術もその一つ。

 

「にしきかたぬまのとうり、いよにたてまつぬししよ、たたぬまえ」

 

 練り上げた霊力を言葉に乗せながら、閉じていた目を薄く開き締めの真言を口にする。

 

「ごこくのはいえん、しきにまつろえ!」

 

 球状に展開された半透明の結界は病院を包み込み、怪鳥も呑み込みました。この術は私が知る結界術の中でも比較的有効範囲が広いものです。これで周囲の目を気にせず安心して戦えることでしょう。

 

「今の私では空間を隔離することは出来ませんが、このくらいなら出来ます。この隠蔽結界の中でしたら人目に触れることも音が漏れることもありません」

 

「上出来」

 

 結界を張った私たちの上空で怪鳥は様子を見るように旋回していました。

 空を飛ぶ相手に攻撃手段を持っていない仮名さんがどうやって戦うのか、啓太様に問います。

 

「……まずは奴を落とす。それが絶対条件」

 

 振り向いた啓太様は私の目を見て言いました。

 

「――なでしこ、いける?」

 

 啓太様の意思が視線から伝わってきます。もちろん、私に否という理由はありません。

 

「――はい。啓太様とならどこまでも」

 

 空を飛べるのは私とようこさんだけ。本性に戻れば啓太様とともに空中戦も出来ます。ようこさんはとある理由から本性に戻り辛いでしょうから、残された私が啓太様の足となるのです。

 ただ、啓太様はようこさんの事情をまだご存知でないはず。それなのに、真っ先に私の名前を口にしたのは単なる偶然でしょうか。まあ、啓太様のことですから、すべて察した上で私を指名したとしてもおかしくありませんね。本当に見ていないようでいてしっかり見ている、不思議な方です。

 あなたとなら、たとえ地の果てでも、地獄の底であろうとも、どこまでも一緒にいきます。

 

「……ようこ」

 

「うん、分かってるよ。わたしは仮名さんとだね?」

 

「……そう。援護よろ」

 

「まっかせて!」

 

「川平? 一体なんのことだ?」

 

 置いてきぼりになってしまっている仮名さんが啓太様に尋ねました。

 

「俺となでしこが奴を落とす。ようこはその援護」

 

「……なるほど。奴が地に落ちたその時こそ、私の出番というわけだな」

 

「頼りにしてる」

 

「応っ!」

 

「なでしこ」

 

 啓太様が準備をしろと、目で言います。頷いた私は本性に戻るため服に手を掛けました。

 

「はい。では啓太様、仮名さん。目を瞑っていてくださいね」

 

 素直に目を閉じてくださる啓太様と仮名さん。その間に素早く身に纏っていた服を脱ぎます。服は畳んで入り口付近の建物の陰にでも置いておきましょう。冷たい外気が肌に触れて少々寒いですが、それもほんの僅かの間だけです。

 人化を解き、私たち犬神の本来の姿に戻ると、寒さは感じなくなりました。

 

「もういいですよ啓太様、仮名さん」

 

 啓太様たちに目を開けていいように声を掛けます。

 それにしても人化を解いたのは何年ぶりでしょうか。記憶が定かではないので正確なところは分かりませんが、恐らく数十年はこの姿に戻っていないでしょう。

 もちろん啓太様にこの姿をお見せするのも初めてです。彼の目にはどう映っているのでしょうか。

 犬神の中でも小柄な方ですが、それでも人間からすれば自分の身長ほどある大きな獣。人化していた時にはなかった牙も、鋭い爪も健在です。

 恐れられることはないとは頭では分かっていますが、それでも不安に思ってしまう自分がいます。

 啓太様は――小さな驚きの表情で私を見ていました。拒絶されたわけではないと分かり安堵しますが、何をこんなに驚いているのでしょうか?

 

「啓太様?」

 

「ああ……。いや、ちょっと見蕩れてた」

 

「み、見蕩れ……っ! も、もう、啓太様ったら! こんな時でも相変わらずなんですから」

 

 啓太様はやっぱり啓太様でした。少しでも疑った自分が恥ずかしい……!

 近寄ってきた啓太様は私の背中を優しく撫でてくれます。

 

「……なでしこ」

 

「はい?」

 

「こいつ倒したら、もふらせて」

 

 その言葉に喜びと嬉しさを感じました。本性に戻ったこの姿を初めて目にしても、啓太様はこれまでとなんら変わらずに接してくれる。ああ、本当に全て受け入れてくれているんだな、と感じさせて心を暖かくしてくれます。

 もふもふしたものに目のない啓太様らしい発言。私は笑顔で頷きました。

 

「ふふっ、仕方のない人ですね。いいですよ♪」

 

「(゚∀゚)キタコレ!!」

 

 よく分からないテンションで喜びを露にする啓太様。私だけずるい、とようこさんが怒っていますが、今回のところが見逃してくださいね。

 啓太様の顔に頬をすり寄せる。啓太様からお日様のような匂いがしました。啓太様も首に抱きつくようにして手を回し、撫でてくれます。私がネコさんでしたらきっと喉を鳴らしていたでしょうね。

 そして、主様が軽やかな動きで飛び乗ってきました。体を沈ませて優しく受け止めます。

 

「……んじゃあ、行くか」

 

 はい!

 

 

 

 2

 

 

 

 ――すごい……すごい、すごい……!

 

 戦端を開いて直ぐのことでした。ようやく主様と一緒に戦うことができるという高揚感は元々ありましたが、それでも啓太様の指揮に従い、彼の犬神として闘っていると言いようのない興奮を感じているのに気がついたのです。

 戦いに身を置いた際に起こる高揚感ではない。獲物を嬲ることで感じるケモノとしての本能――愉悦感でもない。全力を振るえる快感でもない。これは――そう、純粋に戦いというものが楽しいと初めて知った時。まだ私が幼い少女だった頃に感じたような感覚。

 

 ――これが、主様と一緒に戦うことで得られる喜び……。

 

 犬の化身である私たち犬神は主とともに行うことなら何でも喜びを見出します。主と一緒に何かをするということにどうしようもない喜びを覚える妖なのです。

 戦いもそう。まるで主に遊んでもらっているかのような喜びと楽しみを感じることができる。これは主を持つ犬神だけに与えられた特権だと、昔誰かが言っていましたね。

 その時は主を迎えたことのない私には想像も及ばない話でしたし、興味もありませんでした。ですが、今ならわかります。そのヒトが言っていたのはこういうことなのかと。

 

 ――楽しい、愉しい、たのしい……!

 

 啓太様と一緒に戦えるのがこんなに楽しくて、嬉しいだなんて……! ようこさんはいつもこんな思いを独り占めしていたんですか!

 大人気なくもこの時ばかりはズルイと感じました。はしたないですが感情が抑えきれず、思わず歓喜の咆哮を上げてしまいました。

 そして、啓太様の犬神使いとしての素質もひしひしと感じます。

 心の底から沸々と沸き起こる高揚感。まるで胸の内から情念の炎で焼き焦がれるのではないかと思うほど、熱く猛る感情。そして、際限なく力が引き出されていくような感覚。太陽のような熱いエネルギーが胸の内を支配して、際限なく引き出される力が四肢に行き渡り漲る。

 天に返したほどの力は私にはありません。しかし、それとは別の力が今の私には宿っている。そんな感じがします。

 

 ――これが、啓太様の力……!

 

 主様が心の底からこの戦いを楽しんでいるのが分かる。その思いが伝播して私たちの身にも変化を生じさせているのでしょう。まるで全てを巻き込む台風のようなお方です!

 

「ようこっ」

 

「おっけー!」

 

 ただ一言、名前を呼ぶ。ただそれだけで意思の疎通が完了します。

 啓太様の仕草、表情、声色、それらの何気ない変化だけで私たちは主様の意図を察し、動くことが出来るのです。これも啓太様の類稀なる才能ですね。

 啓太様がようこさんに指示を出すと、刀を二本創造しました。飾りの一切がない直刀のそれは、啓太様が好んで使用する投擲専用の刀です。啓太様が刀を構えると、怪鳥が突撃してきました。

 赤い尾を引きながら近づいてくる怪鳥を見据え、四肢に力を込めます。

 

「……今!」

 

「じゃえんっ!」

 

 啓太様の合図にようこさんが怪鳥の眼前に炎を生み出しました。拳大ほどの炎の固まりは火の粉を散らしながら爆ぜます。

 

【ギャォォォォォオオオオオオオ――――――ッ!】

 

 驚いた怪鳥はその場で急停止すると嫌がるように頭を振りました。そして、間髪入れず啓太様の鋭い声。

 

「なでしこっ」

 

「はい!」

 

 溜めていた力を解放し、一直線に飛び出します。同時に霊力の力場を展開して空気抵抗を減らすことも忘れません。これで啓太様も狙いやすくなるでしょう。すると、啓太様の感謝の念が首筋を撫でる優しい手から伝わってきました。

 啓太様の鋭い呼気とともに投擲された二本の刀は真っ直ぐ突き進み、怪鳥の両の眼を貫きました。

 目からとめどなく血を流す怪鳥が大きく奇声を上げます。今度は先ほどのように傷が再生しないようですね。

 決定的となったこの隙を十二分に活かす! 啓太様を乗せた私は怪鳥の左翼をすれ違いざまに切り裂きました。美しい翼を根元から裂かれたことで怪鳥がバランスを崩し、よろけました。

 私はそのまま速度を落とさずに夜空を駆け上がり、怪鳥の真上に回り込みます。すると、啓太様は車から降りるような気軽な動きで私の背中から飛び降りました。地上からだと二十メートルほどの高さはあるのですから、ここから落ちればいくら啓太様といえど大怪我するというのに。恐怖心がないのかしら? 私のことを信頼しての行動だと嬉しいのですけど。

 

「――落ちろっ」

 

 落下地点に先回りしていると、啓太様が怪鳥の背中を蹴り飛ばしました。

 啓太様が好んで活用する"霊力による身体能力の強化"は犬神の私からしても凄まじいもので、全長五メートルはある怪鳥が叩き落されるくらいです。

 轟たる地響きを鳴らしながら怪鳥が屋上に墜落しました。仮名さんはちゃんと避難していますね。

 落下する啓太様を優しく背中で受け止めると、主様は私の首筋を労わるように撫でてくださります。何故、啓太様に撫でられるとこんなにも気持ちいいのでしょうか。いつまでも撫でてほしい気持ちに駆られます。

 

「仮名さん!」

 

「応っ! 必殺ホーリー・クラァァァァッシュ!」

 

 見れば魔導具を構えた仮名さんが伏せたままでいる怪鳥に斬り掛かっていました。大上段で振り下ろされる霊力の刃が残った右翼を切断します。

 

【ギャォォォオオオオオオオオ~~~~~~ッ!】

 

 悲痛な叫び声を上げる怪鳥。噴水のように鮮血が噴出しています。すぐに傷が治らないのは何か理由があるのでしょう。それが何か分かりませんが、今が絶好の好機です!

 

「なでしこ、ようこ!」

 

「はい!」

 

「うんっ!」

 

 相手は炎を纏う鳥、ならばこちらは氷で攻めましょう。

 

「ひふなのこおりよ!」

 

 大気中の水分をかき集め、私の周囲に氷柱(つらら)が数本形成していきます。直径一メートル、長さ十メートルほどの氷柱は切っ先を怪鳥に向けると一斉に放たれました。

 凍てついた氷の柱は怪鳥の背中に次々と突き刺さります。それと同時に上空からようこさんが降下してきました。

 

「ええ~い!」

 

【ギャォォォォオオオオオオ~~~~!】

 

 ようこさんの爪が怪鳥の背中を切り裂きました。悲痛な叫び声を上げる怪鳥ですが攻撃の手を緩めるわけにもいきません。

 おびただしい数の傷を浴びた怪鳥ですが、ここにきて再び傷口が再生し始めました。傷口から炎が迸り、瞬く間に傷を癒していきます。欠損していた双翼も傷口から噴き出る炎が一定の形に変化していき、翼となりました。この再生力には目を見張るものがありますね……。火の鳥の姿をしているだけはあります。

 しかし、この再生で一つ気がついたことがありました。どうやら霊力を元に傷を癒しているようですね。身に感じる霊力は確かに弱まっています。

 啓太様もそのことに気がついたのでしょう。怪鳥を四方で囲み総攻撃を仕掛けるように指示を出しました。

 啓太様を降ろした私は一旦建物の陰に隠れて人化。畳んで置いてあったいつもの服に着替えます。右側にようこさんがいるので、私は左側から攻撃しましょう。

 霊力を込めた手で殴り、スカートが捲れないように注意しながら蹴る。ドゴンッ、と重みのある鈍い音を響かせ、殴りつける度に巨体が揺れる。飛び上がって空へ逃げてもようこさんがしゅくちで連れ戻し、反撃の兆候を示せば力ずくで地に捻じ伏せました。段々と綺麗なオレンジと赤の羽根が血で濡れ、抜け落ちていきます。

 十分もすると、怪鳥は弱弱しい声で鳴くようになりました。少し、やり過ぎてしまいましたか。ちょっと可哀想と思えるくらい執拗に攻撃してしまいましたね。それまでの私なら、弱った獲物を嬲る行為にケモノの本能が疼き、どうしようもない快感を覚えていました。ですが不思議なことに、啓太様と一緒に戦っているとケモノの本能はなりを潜めて、冷静な自分でいることができます。

 攻撃の手を止めた啓太様たちも同じ思いなのか、少し気まずい空気が流れました。静けさが残る廃病院の屋上に怪鳥の弱弱しい鳴き声だけが響く。

 無言で刀を構え、怪鳥の首を落とす啓太様。虚空に溶けて消えるその時まで、しんしんと沸く悲しみからか泣いていたのが印象的でした。

 

 ――ちょ、ちょっと反省しないといけませんね。

 

 なんとも言えない後味が残りましたが、それでも難を逃れたことに良しとしましょう。しかし、今後もああいう刺客が送られてくるのですね。もちろん啓太様の身は私とようこさんが全力でお守りします……!

 

「それにしても何だったんだアレは」

 

 事情を知らない仮名さんが腑に落ちない顔で首を傾げていました。そんな仮名さんに啓太様が一から説明をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新堂家が結んだ【絶望の君】との契約。それを死の運命から逃れるため、藁に縋る思いで啓太様に依頼をしたということ。彼の死神と啓太様の死闘。その末で結ばれた一方契約。今後も死神からの刺客が送られてくるであろうということ。

 それらの説明を受け事情を察した仮名さんは難しい顔で腕を組みました。

 

「そうか、そんなことが……。それはなんというか、災難だったな。私にできることがあったら言ってくれ。喜んで協力しよう」

 

「ん。助かる」

 

 握手を交わす啓太様と仮名さん。男の友情というやつでしょうか。なんだか見ていて自然と頬が緩んできますね。

 不意にようこさんが「あっ」と呟きました。

 

「あの子どうなったの? あの影人形」

 

『――あっ!』

 

 今の今まですっかり忘れていました! その後、手分けして周囲を探してみましたが、やはりそれらしい影は見当たりません。

 思わぬ形で逃してしまった仮名さんは肩を落として意気消沈してしまいました。それはそうですよね。あと一歩というところまで追い込んだのに、思わぬ邪魔が入って逃してしまったのですから。心中お察しします……。

 啓太様もそんな仮名さんを気遣ってか、背中をポンポンと叩きながら言いました。

 

「……報酬。今度、食事奢る」

 

「すまない、川平……」

 

 後日、仮名さんが食事を奢ってくださる形で、今回の依頼は幕を閉じました。

 

 

 

 3

 

 

 

 啓太たちが去り再び静寂が支配する廃病院。その地下に件の影人形はいた。

 とてとてとて、と軽快な足取りで廊下を歩く影人形は地下の二階に存在する霊安室へ足を運んだ。扉は厳重に施錠されており中に入れない。しかし、扉の前に立った影人形が「よう!」とでも言うように片手を上げると、重い金属音を鳴らして開錠された。

 独りでに扉が開き、影人形が通れるほどのスペースが出来上がる。その隙間に影人形がひょいっと滑り込むと扉は再び閉まり、金属音を鳴らして鍵が掛った。

 霊安室は十メートル四方の空間になっており、壁際には遺体を安置する巨大な冷蔵庫のような物が設置されている。引き出し型の機器だが所々が錆びれていて内部は空。もはや巨大な箱と化したそれの前に影人形が立つと、再び独りでに中央付近の引き出しが開いた。

 本来は遺体を安置するための機械のため、引き出しの中は行き止まりになっている。しかし、この機械は引き出しとなっている部分以外すべてが外されていた。もはや全面が巨大な扉だ。

 遺体安置設備型の扉を超えると、そこには地下へ続く階段が存在していた。コンクリートで舗装された階段ではなく、人工的に掘り進めて作られた道。その手造り階段を降りていくと、開けた空間に出た。

 二十メートルはあるだろうか。かなり広いドーム状の空間だ。その中央には巨大なコンピューターのようなものが鎮座していた。正方形の形をした巨大な置物で中央には液晶パネルが取り付けられている。その巨大コンピューター風の置物からは床や壁、天井などに太いパイプのような管を無数に伸びていた明らかに異質な空間。

 その空間に足を踏み入れた影人形は置物の前までやって来ると、上部に存在していたランプが点滅した。そして液晶パネルに文字が表示される。

 

『なんやジョー。もう帰ってきたんか。なんか侵入者がおったようやけど、もういなくなったんか?』

 

 表示された文字の羅列は、なぜか関西弁だった。

 ジョーと呼ばれた影人形が頷くと、再びランプが点滅する。赤、黄、青、白と色鮮やかに光るランプはまるで感情を表しているかのようだ。

 

『なんやろな、肝試しかいな。夏ちゃうで今!』

 

【( ̄д ̄)】

 

 影人形から顔文字が吹き出しで現れた。どうやら影人形も意思の疎通が可能のようだ。

 

『まあええわ。ジョーが戻ったんやから、あとはクサンチッペとノーマンの旦那だけやな。ソクラテスはなんやニンゲンに捕まってもおてるし。まあちとばかし市内の監視カメラにハッキングして覗いてみたけど、そない酷い扱いは受けてないみたいやから一先ず安心やな。魔力回復率も順調やし、あともうちょいや』

 

【(゚д゚)!】

 

『おお、せやで。今ちょうど八十パーセントいったところや。この回復率なら、あと二か月くらいで溜まるんちゃうか?』

 

【\(^o^)/】

 

『せやなぁ。揃ったらまた騒がしくなるんやろうなぁ。全快まであと二十パーセントや。気張っていくで!』

 

【(`・ω・´)】

 

 人ならざる者の会合はこうして人知れず行われていた。

 

 



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第七十三話「ラブレター(上)」

ifルートのラストを誤って二話目を投稿してました。三話目に修正済みです。


 

 

 マントの襟を立てた啓太様が私に背を向けて立っています。閑古な駅のホームには私たち以外に利用客はいません。

 北へ向かう列車がベルを鳴らし、乗車を促していました。まもなく、列車が走りだそうとしています。

 啓太様は白い吐息を漏らしながら、背を向けたまま呟きました。

 

「……さよなら、だな」

 

 しんしんと降る雪が銀の世界を作り出す。美しい光景であるにも関わらず、私の関心は目の前の男性にだけ向けられています。身に染みるような寒さの中で、私は震えながら尋ねました。

 

「――なんで? どうして?」

 

 何がいけなかったの? どうして? なんで私から離れていくの?

 いくつもの意味が含んだ問いかけに啓太様が振り返ります。表情に乏しくても優しい眼差しを向けてくれていた啓太様ですが、今は酷く冷たい目。まるで私に興味がなくなったかのような、路傍の石を見る目で見つめてきました。

 

 ――いや……いや……っ! そんな目で見ないで……! そんな目を向けないで……ッ!

 

 視界が涙でにじむ中、一歩二歩と啓太様に近づくと、笑みを浮かべてくださいました。

 それまでの私が知る心が温かくなるような安らぎを覚える笑顔ではなく、蔑みと嘲笑が孕んだ酷薄な笑みを。

 

「……どうして? 単純。お前に飽きた。お前の体に飽きた、ただそれだけ」

 

「そんな……っ」

 

 ショックでよろける私に構わず啓太様が言います。

 

「……それに、今の俺にはこの人がいる」

 

 列車の中から人影が現れました。白いコートを羽織り、真っ赤な口紅をつけたそれは赤毛のメス。

 オランウータンでした。

 絶句する私をよそに、青いマスカラにピンクのリボンをつけたそのオランウータンは「ほひっ」と歯茎を見せて笑います。勝ち誇ったように自分の額をペチペチと叩くその姿に、愕然とする私。

 

「お、オランウータンですよ! 人じゃないですか……!」

 

 震える手で自分の胸を叩いてドラミングをするオランウータンを指差しますが、啓太様は色っぽい目を彼女?に向けるだけです。

 ふぅ、と艶めかしい吐息を零してこう言いました。

 

「この人のテクにやられた。もう俺はメロメロ」

 

『もう、いややわこの人!』とでもいうように啓太様の肩をバシバシと叩くオランウータン。

 啓太様はオランウータンと腕を組みながら列車に乗り込みます。もう私のことなんて忘れてしまったかのように振り返ろうともしません。

 ぷしゅっと音が鳴り、扉が閉まる。私と啓太様を永遠に隔ててしまう!

 

「待って! 待ってください啓太様っ!」

 

 ベルが鳴り止み、列車がゆっくりと動き出す。追い縋るように私も走り出しますが、加速する列車は徐々に引き離していきます。網膜に焼き付いているのは啓太様の微笑み。オランウータンの満面な笑顔。

 

「お願い、行かないで啓太様……! 一緒にいてくれるって、約束したじゃないですか……!」

 

 啓太様からクリスマスプレゼントで貰った大切なブーツが雪で滑り転ぶ。それでも私は啓太様に縋るように手を伸ばしました。

 止め処なく涙を流しながら。

 

 ――私をおいて行かないで!捨てないで!

 

 

 

「――啓太様っ!」

 

 ハッと目を覚ました私は、乱れる呼吸を繰り返しながら呆然としていました。

 見慣れた天井が視界一面に広がっていて、隣を見れば愛する人が気持ちよさそうに眠っています。

 

「夢、だったの……?」

 

 そこでようやく、先ほどの光景が夢であったのだと理解しました。胸に手を当てると、まだトクトクと鼓動が高鳴っているのが分かります。夢であったことに、本当に――本当に大きな安堵を覚え、全身の力を抜きました。

 

「……よかった」

 

 隣に愛する啓太様がいる。ギュッと抱きしめると、しっかりぬくもりを感じることが出来る。啓太様に抱きつき彼の体温を肌で感じると、心の底から安心しました。

 

「本当に、よかった……」

 

 小さく呟き、顔を啓太様の厚い胸板に押し当てます。啓太様は深い眠りに入っているのか起きる様子を見せず、胸を緩やかに上下させていました。

 チラッと壁に掛けられた時計を見ると時刻は午前三時を過ぎたところでした。お布団に入ってから二時間しか経っていませんね。

 しかし、よりにもよってなんていう夢を見たのだろう。大体なんなんですかあの猿は……!

 

 ――あんなお猿さんに負けるなんて、女として許されません!

 

 そうです。啓太様があんなお猿さんに心変わりするはずがありません。第一今夜だってあんなに、その、激しく求めて下さったのですから。

 啓太様と結ばれた翌日、私とようこさんの間だけで交わされた協定があります。ようこさん曰く【乙女協定】というらしいのですが、言ってしまえば啓太様の恋人となったことで新たに作られたルールですね。

 

 一つ、褥をともにするにあたって月曜、水曜、金曜日が私。火曜、木曜、土曜日がようこさん。日曜日は三人で寝所をともにする。

 啓太様も健全な男の子ですから、その、性欲を持て余すことがあるかもしれません。男の子はその辺りが大変だと聞きますし、啓太様もエッチな本の一冊や二冊、所有していることは知っています。私もようこさんもその辺の理解はあるつもりですからとやかく言いませんが、そういうもので発散されるのは女として見逃せないところがあります。ですので、今後は啓太様の恋人である私たちが夜のお相手を務めさせていただくことになりました。

 ――なんて建前で、本当は私たちが啓太様に抱かれたいだけ、なんですけどね。やっぱり、愛しい人の温もりは感じたいと思いますし。ただ、求めすぎて啓太様にいやらしい女だと思われないかが心配です……。

 

 一つ、啓太様の健康を第一に考える。

 これは当然のことではありますが、あまり求めすぎて啓太様に負担をかけないためです。なので夜をともにするからといって必ずしも肌を重ねるわけではありません。時には添い寝をするだけの日もあります。人肌というのは自然と安らぎを感じますからね。

 

 一つ、うんと甘えてもらう。

 今までは啓太様に色々と苦労を掛け、甘えてきました。啓太様の女となったからには今度は私たちが啓太様を支えなければいけません。啓太様は甘えさせては下さいますが、あまりご自分から甘えてくることがないです。啓太様の性格上、迷惑を掛けたくないと苦労や悩みなどを一人で背負い込んでしまいかねません。なので、啓太様に甘えてもらえるように頑張って、そのお心を癒して差し上げたいのです!

 

 一つ、抜け駆けはしない。みんな平等に愛してもらう。

 これは私たち三人の仲が拗れないようにと決めたことです。私たちも女なのでいくら啓太様と同じくらい好きなようこさんといえど、彼女よりもっと私を強く、深く愛してほしいという欲求はあります。ですがそれが原因で今の関係が崩れるのは嫌です。まるで昼ドラのように。それはようこさんも同じ考え。

 ですので、なるべく啓太様には平等に愛してもらうことになりました。デートの回数も同じ。体を重ねるのは別として、褥を共にする回数も同じ。そしてデートの最中は絶対に相手の邪魔をしないというのが条件です。これらの案は意外にも啓太様から持ちかけてきたお話で、この時は真剣に私たちの仲を考えてくださってるのだと分かり、嬉しくなりました。

 

 ともあれ、この【乙女協定】の元、日々を過ごすことになったのです。そして今日が協定を結んで最初の日曜日。

 今夜は特になにもせず、三人で寝ようと啓太様が仰ったので、彼を中心に私が右、ようこさんが左と並び、川の字になって床につきました。

 啓太様の温もりと匂いを感じながら幸せな気分で眠りに着いた。と思った矢先にあの夢です。幸せの気分は一気に吹き飛んじゃいました。

 啓太様もようこさんもすやすやと寝入っています。

 

「あんなの嘘ですものね……。啓太様はずっと私と一緒にいてくれますものね……」

 

 そう約束して下さりましたもの。信じてますよ、啓太様……。

 啓太様に身を寄せたまま胸板に頭を乗せて目を瞑ります。少し、はしたない気もしますが、今はこうさせて下さい……。

 明日になったら、いつもの私に戻りますから……。

 

 ――今度は、あの夢を見ませんでした。

 

 

 

 1

 

 

 

 学校の昼休み。昼食の時間ということで、俺はいつものメンバーである山田くん、佐藤くん、吉田くん、そして三島くんの四人で席を寄せ合っていた。

 各々が昼飯を取り出す中、三島くんの弁当を見た山田くんが感嘆の溜息をついた。

 

「相変わらず、三島くんのおかず美味そうだなぁ。しかも本人の手作りっていうんだからよ、ビックリだよな」

 

 山田くんの言葉に頷く一同。当然俺も同調して頷きますとも。

 三島くんの昼飯は手作り弁当。一口サイズのミニハンバーグにマカロニグラタン、プチトマト、スパゲッティーといったおかずに、山菜の炊き込みご飯。料理本に載ってそうな出来栄えでとても美味しそう。しかもこれを三島くん本人が作ってきたというのだから驚きだ。

 三島くん、本名を三島剛三郎。間違いなくなまはげより怖ろしい強面の老けた顔。筋肉質な体格に合うサイズがないのか、体を丸めたら絶対背中破けるよねと思えるくらいピチピチなブレザー。一向に身長が伸びないため、最近では俺のホルモンたちは根性なしだと諦観したのに、そんな俺をあざ笑うかのような、高身長の体躯。その厳つい風貌から校内で一番恐れられている存在で、本人は不本意だろうが番長の名で知られているクラスメイトだ。

 俺も当初は面倒事に巻き込まれそうだからあまりお近づきになりたくない相手だったのだが、なんの因果か、今年の五月に彼の妹さんに憑いた霊を祓ったのを切っ掛けに友人として交流を持つこととなった。

 そして友人として接してみると意外なことに、三島くん普通に良い人だわ。確かに言葉使いは乱暴だし、強面のせいでいらぬプレッシャーを相手に与えちゃってるけれど、内面は好青年。気配りが出来る上に面倒見もいいし。なんていうか、頼れる兄貴的な人だった。うん、舎弟のような人たちから『兄貴』呼ばわりされるのも納得ですわ。本人は煩わしく感じているようだけれど。

 クラスでマスコットポジを務める俺がなんの躊躇いもなく三島くんと接しているのが功を奏したのか。俺経由ではあるもののクラスメイトたちも次第と三島くんに話しかけられるようになり、今ではこうして昼飯をともにするくらいには打ち解けることができたのだった。

 

「んな大げさな。レシピ通り作りゃ誰だってこれくらい出来るわ」

 

「いやいや。実際にそれが出来ないから、冷凍食品なんてのが開発されたんだぜ? 女でも料理が出来ない人が増えてるって聞くしな。なあ川平?」

 

「……ん。少なくても俺は無理」

 

 山田くんの言葉に一も二もなく頷く。家事とかその辺の能力、全部戦闘力に割り振られてるからな。

 俺も大きな弁当袋を取り出し、中を開ける。俺のお弁当を覗き込んだ三島くんが「ほぉ」と感心したように呟いた。

 

「すげぇな、キャラ弁ってやつか? 俺でもここまで凝った弁当は作れねぇわ。しかも見たところ栄養バランスも考えてあるみてぇだな」

 

 そう、今日のお弁当はなでしこの力作。お弁当を渡す時ちょっと楽しそうだったのはこのことだったのかと、弁当を開けた瞬間すべてを理解しました。

 二段重ねの弁当箱で一段目が主食となるご飯。白米の上には梅干、そぼろ、たまご、刻みのり、などで人の絵が作られていたのだ。これが巷で噂のキャラ弁というやつか!

 この顔は、俺かな? 多分だけど。な、なんかキャラの下のほうには桜でんぷんでハートマークがあるし! 嬉しい、非常に嬉しいんですけど、この場でこれを第三者に見られたらアカン!

 そう危惧してさっさとハートを食べてしまおうと箸を突き立てようとする。しかし案の定、三島くんの目に留まってしまった……!

 おっ、と目を開いた三島くん。

 

「それ、あの助手さんが作ってくれたのか? ハートマークも――おおぉぉぉぉ目がああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 要らんことを言うんじゃない! ご飯粒を強化した指で弾き、奴の目にダイレクトアタック!

 白米が右目に激突し悶絶している三島くん。一同の意識がそちらに集中したその隙にハートを描くでんぷんを食べた。うむ、他に見られたらヤバそうなものはないな。

 痛みの原因が特定できず首を傾げている三島くんを尻目にもくもくとご飯を食べる。相変わらず美味しいですなでしこさん。

 お弁当も食べ終わり、残りの時間を雑談して過ごす。山田くんと佐藤くんは今時の男子らしく漫画やゲーム、アニメなどをよく見るため、やれ何のアニメが面白いだとか、やれ何の漫画が今熱いだとか、色々な情報を教えてくれる。吉田くんは読書派なため、一押しの作家や小説の情報などを提供してくれるのだ。俺自身興味はあるものの、仕事関係や犬神たちとの触れ合いのほうが重要度が高いため、あまりそういうものに時間を割いたことがない。今時の流行とかにも疎いから、情報として非常に役立っています。

 

「……そういえば。妹さん、あれから大丈夫?」

 

「おう、おかげさまでな。以前のような異常行動は見られないし、本人も記憶がなくなることはないってよ。すっかり元通りだな」

 

「そう、ならよかった」

 

「……サンキューな」

 

 照れくさそうにそう言う三島くん。本当、妹さん想いの良いお兄ちゃんだわ。妹さんに憑いた霊を祓って三ヶ月経ったけど、その後は憑かれることなく生活できているようだし、よかったよかった。

 午後の授業が終わり皆が帰宅する。俺も帰ろうと下駄箱を開けた時、中に一通の封筒が入っているのに気がついた。サイズからして手紙っぽい。

 薄桃色の封筒には川平啓太くんへ、と俺の名前が丸っこい字で書かれている。字からして女の子からか?

 この時、俺の脳裏にはとある方程式が出来上がっていた。

 

 ――女の子からの手紙+下駄箱=ラブレター。

 

 当然のように導かれたこの式に俺の中で稲妻が走る! う、生まれて初めてのラブレターじゃね?

 とりあえず、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。人が見ていないのを確認して素早く手紙をかばんの中に入れるとユーターン。ダッシュで男子トイレに駆け込み、個室に飛び込んだ。トイレは手紙開封場所としてお決まりの場所なのだ!

 震える手で封筒を開ける。お、おお、中からピンクの便箋が出てきたぞ! しかも良い匂いがするし!

 大きく唾を飲み込んだ俺は、意を決してそこに書かれた可愛らしい文字を目で追った。

 

 

 

【川平くんへ

 

 突然のお手紙で大変驚いているかと思います、ごめんなさい。

 川平くんの噂を聞いて、入学当初からあなたのことは知っていました。

 初めはどんな人なんだろうという好奇心でしたが、あなたの人となりを知っていくうちに段々と惹かれていきました。

 今では自然と川平くんの姿を目で探している自分がいます。

 あまり長く書くと読むのに疲れちゃうだろうから、この辺にしておくね。

 あなたのことが好きです。

 もしよろしければ、お返事を下さると嬉しいです。

 一週間後の放課後、五時に屋上で待っています。      小林より】

 

 

 

 生まれて初めて貰ったラブレターに否応なくテンションが上がってしまう。いやー、彼女持ちでもやっぱ貰うと嬉しいわ~!

 もちろん返事はノーだ。俺にはすでに、なでしことようこという愛するヒトたちがいるからな。分不相応にも二人の恋人が。ラブレターをくれたのは嬉しいけど、ここはしっかり断らないと。

 しかし小林さんか。一体どんな子なんだろうな? 少なくてもうちのクラスじゃないな。小林って名前はいないし。

 一週間後の放課後か。ちゃんと覚えておかないと。

 丁寧に便箋を封筒に仕舞い、カバンのポケットに入れた俺はステップを踏むような軽い足取りでトイレから出たのだった。

 

 

 

 2

 

 

 

「――うん、こんなものかしらね」

 

 お掃除が終わった私は綺麗になったリビングを見て頷きました。これで家事は一通り終わったので、あとはお夕飯の支度だけです。お夕飯までまだ時間があることですし、昨日録画したドラマでも見ようかしら。

 ようこさんは近所の野良猫さんたちの定例会議に出席しているため家にはいません。なんの会議か少し気になりますけれど……。

 リビングに備え付けられている大型テレビのリモコンを操作して録画リストを表示しますが、予約録画しておいた【武田丸】がありません。代わりに【奥様の本音】という番組が録画されていました。予約ミスをしてしまったようですね。残念です。

 仕方ないので、この【奥様の本音】という番組でも見てみましょうか。

 録画してあった番組を再生すると、大きなスタジオがテレビに映りました。人気の芸人さんが司会を務めて、ゲストの人たちから本音を聞きだし語り合うトーク番組のようですね。観覧席には大勢のお客さんが座っています。

 

「ア○トークみたいなものかしら?」

 

 番組タイトルが【奥様の本音】とある通り、ゲストの方々は既婚女性のみです。しかも芸能人だけでなく、一般で応募された方もいらっしゃるようですね。なにを語り合うんでしょうか。

 

『今日のテーマは“夜の夫婦生活”についてです!』

 

『皆さん、普段は旦那さんと夜お過ごしになられますか?』

 

 司会の方がタイトルを読み上げました。夜の夫婦生活って、その……そういうことよね? ええっ!?

 予想の斜め上を行くタイトルについ顔が赤くなってしまいます。でも、これはちょっと興味ありますね。他の人の夫婦生活なんて知りませんし。

 ドキドキしながらテレビを見ていると、早速ゲストの奥様方が話を始めました。

 

『うちは全然ですね。ここ数年前から旦那が淡白で、夜にこっちから誘っても疲れてるからって言って断るんですよ』

 

『あー、男性が断る定番の理由ですね。他の方はどうでしょうか?』

 

『私の家はそこそこ、かな? 週に大体三、四回くらい』

 

『えー、なにそれ! すごいうらやましい~!』

 

『いいなぁ、超ラブラブじゃないですかー』

 

「週に三、四回……」

 

 私たちはどうでしょう? とはいっても結ばれてまだ一月しか経っていませんが、ようこさんと私と、交互に褥をともにしてますから、週に四回から五回ですか。多い方、なんでしょうか?

 その後も奥様の本音トークは続き、かなりきわどい話になってきた中で、とある奥様の言葉に思わず乗り出すようにしてテレビにかじりついてしまいました……!

 

『でも女の人が受身の状態だと旦那さんに飽きられるよね』

 

「……っ!」

 

 それは私にとって衝撃的な内容でした。その方が言うには、男性ばかりが主導権を握り女性は何もしないで受け身でいるといつか夫婦間の仲は拗れるとのことです。エッチは夫婦にとって大切なコミュニケーションの一つで、セックスレスになると夫婦間の仲が冷めやすくなる。だから時には女性が主導権を握り積極的に奉仕するのも大切と、その奥様は言っていました。

 

『エッチでは男がリードしないといけないなんてもはや時代錯誤よ。肉食系女子って言葉が生まれるくらいなんだから、時代は動いているの。あなたも恥ずかしがってないで旦那様にご奉仕してあげなさい。きっと喜んでくれるから』

 

 まるで私に語りかけるかのようにカメラ目線でウインクをしてみせる奥様。私は今、天啓を授かったような気分です!

 私自身、古い価値観を持つ女だと自覚しています。今までは女性が上になるのもはしたないと考えていましたが、今はそうではないのですね……。

 そして思い出すのは、今朝見たあの悪夢。あの夢に出てきた啓太様はこう仰っていました。

 

『……どうして? 単純。お前に飽きた。お前の体に飽きた、ただそれだけ』

 

「このままだと、啓太様に飽きられちゃう……っ」

 

 そのような結論に至り、私は愕然としました。こういう知識には疎いので積極的に奉仕するといっても何をどうすればいいのか想像もつきません。

 

「どうしよう……なにか、なにか資料になるようなものがあれば……」

 

 資料、資料。なにか勉強に使えそうな本……本?

 そこで思い出したのは啓太様が隠し持っていたエッチな本。私たちが啓太様の恋人になってから、すっかり表に出ることはなくなっていましたけれど、あれらの本なら指南書として最適かもしれません。

 啓太様のお部屋に向かい、クローゼットの奥に仕舞ってあるダンボールを引っ張り出しました。その中には読まなくなった本や雑誌が詰められており、中にはエッチなものも入っています。二冊ほどエッチな雑誌を拝借するとダンボールを元の場所に戻し、リビングに戻りました。

 

「な、なんだか緊張するわね」

 

 こういう本は読んだことがないので、なんだか少しドキドキしますね。表紙には色っぽい女性がワイシャツを肌蹴させた扇情的な姿で映っていました。

 恐る恐る雑誌を捲ろうとしたその時。

 

「ただいま~。なにやってんの?」

 

「きゃっ! よ、ようこさん!?」

 

 振り返ると、野良猫会議に出席していたようこさんが不思議そうな顔で背中越に覗き込んでいました。私の手の中にある雑誌を見た途端、にやにやした顔を向けてきます。

 

「はは~ん、なでしこもそういうのに興味があったんだ~。なでしこって、意外とむっつり?」

 

「ち、違います!」

 

「でもエッチな本持ってるじゃん」

 

「これは啓太様のですっ」

 

 ようこさんに事情を説明しますと彼女は納得したように頷きました。

 

「なるほどね。そういえばわたしも詳しくは知らないなー。なんとなく想像はできるけどやり方とかよく分からないし」

 

「じゃあ一緒にお勉強しますか?」

 

「そうだね。わたしもケイタに悦んでもらいたいし」

 

 私の隣に移動したようこさん。一緒に並んで雑誌を読むことになりました。

 それでは、と目で合図を送りページを開きますと、そこには桃色の空間が広がっていました。わ、私の知らない世界です!

 一面肌色といいますか、手足が色々と絡み合っていて、なんだかとてもエッチです。

 

「キャー、こんなこともするの!? うわぁ、すっごいエッチ……」

 

「見てくださいようこさん、こんなのもありますよ……!」

 

「ひゃー、だいた~ん! ねえねえ、これなんか面白そうだよ。なでしこはどれがよさそう?」

 

「それアクロバティック過ぎませんか? 私はそうですね……この密着したやつなんかよさそうです。啓太様の温もりを感じられそうで」

 

「ああ確かにいいね。わたしはこの後ろからのやつかなぁ。今度啓太にこれしてもらおっと♪」

 

 ようこさんと一緒にキャアキャア騒ぎながらページを捲っていきます。見ていて顔に熱を帯びていくのがわかりますが、不思議と目が離せません。

 濃厚なエッチばかりですが、男の人も女の人も幸せそうです。私も啓太様とラブラブな夜をともにしてみたいなぁ。

 雑誌には女性向けのコーナーも設けられていました。そこには私たちが求めている"殿方を悦ばせる十の方法"が書いてあります。

 私とようこさんは顔を赤くしながら食い入るように"殿方を悦ばせる十の方法"を読んでいきました。うぅ、ちょっと恥ずかしい内容もありますけれど、頑張って羞恥心に耐えて、啓太様にご奉仕してみせます!

 まずは定番中の定番の技法から覚えていきましょう。実践するまで練習しないといけませんね。恥ずかしいですけど、頑張ります!

 

「……ただいま。なに読んでる?」

 

『キャァァァアアアアアアア――――――ッ!!』

 

 



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第七十四話「ラブレター(下)」

 

 

 家に帰ったらなでしこたちが熱心に何かを読んでいた。なに読んでるのと声を掛けたら絶叫されたでござる。

 まるで殺人鬼に遭遇した女子高生のような悲鳴だ。あまりの声量に思わず耳を塞いじゃったし。

 慌てて振り返ったなでしこたちは何かを後ろ手に隠した。なでしこもようこも不自然なほどの笑顔を浮かべているし。

 なんか怪しい……。

 

「お、お早いお帰りですね啓太様」

 

「うんうん、いつもはもうちょっと遅かったんじゃない?」

 

 なでしことようこさんがそう言うけれど、大体いつもこのくらいの時間だよ。

 

「あ、あら?」

 

「……なに隠してる?」

 

 見られたらアカンやつじゃないだろうな。

 ジトー、とジト目を向けているとようこが動いた。

 

「ほらケイタ、疲れたでしょ! わたしが部屋に連れてってあげる!」

 

 ようこに腕を掴まれ引っ張られる。そこまでして知られたくない物というのも気になるが、ここは素直に従っておくかね。

 引かれるまま自室に向かった俺は着替えるためようこを部屋から追い出すと、カバンを置いて部屋着にチェンジ。なでしこたちの部屋もそうだが、こうして見てみると俺の部屋も少し殺風景だな。

 自室は三十畳ほどの広さがあり、備え付けられていたテレビや本棚、テーブル、椅子、新たに購入した勉強机以外スペースが空いてしまっている。インテリアなども考えたことないため、結構空いたスペースが目立って殺風景な印象がある。

 俺も少し物とか置いてみるか。なに置けばいいのか分からんけど。今度デートでインテリアを扱ってる店とか寄ってみるのもいいかもしれないな。一緒に考えながら部屋をコーディネイトするとか。うん、結構楽しいかも。

 

「……あ、そうだ。手紙」

 

 初のラブレターということで記念として取っておきたい気もするが、万一なでしこたちに見つかったら要らぬ不安を与えてしまうかもしれないからな。もし俺が逆の立場だったら気になってしょうがないし。うん。

 なので、小林さんには申し訳ないが手紙は丁重に処分させてもらおう。そう思いカバンのポケットに手を突っ込むが。

 

「……あれ?」

 

 手紙の感触がないぞ?

 ポケットを開いて中を覗き込むけれど、そこにあるはずの手紙は見当たらない。カバンの中かなと中身をひっくり返して見るけれど、やはり薄桃色の便箋はどこにもなかった。

 制服のポケットにもないし、もしかして……落とした?

 サァっと血の気が引いていくのが分かる。あんな大切な手紙を無くすなんて、なにをしてるんだ俺は! すぐに探しに行かないと!

 財布と鍵だけポケットに突っ込み急いで部屋を出た。

 リビングに降りてなでしこたちに出かけてくる旨を伝えようとすると――。

 

「ケイタ! ちょっとなによこれっ!」

 

 何やら怒り心頭なようこが何かを突き出してきた。

 ようこが突き出した物、それは俺が今しがた探していた手紙だった。

 

「……よかった、あった」

 

「よかったじゃない! なんか落としたと思って見てみたら、これってラブレターじゃないのっ! キィ~っ、わたしやなでしこって者がいるのにこの浮気もの!」

 

 ああ、それで怒っているのね。俺が受けるとでも思ったのだろうか?

 ようこの後ろではなでしこもニコニコ顔で威圧感を放っている。

 

「啓太様? 説明してくださいますよね?」

 

「……はい」

 

 おかしいな、俺なにも悪いことしてないのに。そう思う一方で気が付けばカーペットの上で正坐していた。条件反射って恐いね。

 俺と向かい合って正坐するなでしこ。その隣ではようこが勝手に便箋から手紙を取り出し、読み始めた。

 

「【川平くんへ。突然のお手紙で大変驚いているかと思います、ごめんなさい。川平くんの噂を聞いて、入学当初からあなたのことは知っていました。初めはどんな人なんだろうという好奇心でしたが、あなたの人となりを知っていくうちに段々と惹かれていきました。今では自然と川平くんの姿を目で探している自分がいます。あまり長く書くと読むのに疲れちゃうだろうから、この辺にしておくね。あなたのことが好きです。もしよろしければ、お返事を下さると嬉しいです。一週間後の放課後、五時に屋上で待っています。小林より】……小林って誰よォォォォォォ~~~~!!」

 

 ようこが地団駄を踏む。手紙を破り捨てそうな剣幕にハラハラする。ちょっと言い辛いけど、一言注意した方がいいかなと思ったらなでしこが戒めの言葉を掛けてくれた。

 

「ようこさん、勝手に人様のお手紙を読むのは失礼ですよ。それと破かないでくださいね。女の子が勇気を出して書いたものなんですから」

 

「むぅ~、わかったわよ」

 

「――さて、啓太様」

 

 毅然とした態度で俺の目を見るなでしこ。俺も神妙な顔で頷いた。

 

「……はい」

 

「こちらのお手紙はどうされたのですか?」

 

「……下駄箱に入ってた」

 

「そうですか。それで、啓太様はどうされるおつもりですか?」

 

 いやいや、どうされるもなにも断るに決まってるでしょ。

 

「もちろん断る」

 

「その割には、嬉しそうに見えますけど」

 

 マジ? 態度に出てた?

 

「何年お側で啓太様を見てきたと思うんですか。一目見ればわかります」

 

「うんうん、すっごい浮かれてるよねケイタってば」

 

 背後に回って抱き着いてきたようこが俺の頭に齧りつくと、かじかじと頭皮を甘噛みしてくる。

 マジか。いつも通りの自分を心掛けてたんだがな。

 そこでようやく気が付いたのだが、なでしこさん、本気で怒ってるんじゃなく、そういうポーズを取っているように見える。威圧感も今は感じられないし。

 

「ジェラシー?」

 

「……っ」

 

 どうやらジェラシーを感じていたようです。ははぁーん、だから機嫌が悪かったのか。

 率直に胸の内を言い当てられて言葉を詰まらせたなでしこは、ぷぅっと頬を膨らませて見せた。一目で「私、嫉妬しています」と言っているようなもので、可愛らしい抗議の顔に俺の頬も緩む。

 

「……啓太様ってば、私やようこさんがいますのに恋文をもらって喜んでいるんですもの。なにも感じないわけないじゃないですか」

 

「そうだよ! 女心に疎いケイタめっ」

 

「……止めぃ」

 

 かじかじかじ、と相変わらず頭皮を甘噛みし続けるようこの頭に手を添え、軽く投げる。くるんと一回転して俺の膝の上に納まった。きょとんとしているようこの背後から手を回して抱き留める。

 

「……確かに浮かれてた。ごめんなさい」

 

 ようこを抱き留めたまま、ぺこっと頭を下げる。

 あっという間に機嫌を直したようこはすりすりと頭を擦り付けてきた。

 まだ少し頬を膨らませているなでしこがこんなことを聞いてきた。

 

「そんなに嬉しいんですか?」

 

「……ん。初めてもらったラブレターだから」

 

 生まれて初めてとなるとやっぱり嬉しく感じる。けれど、なでしこたちが感じている気持ちや思いも分かっているつもりだ。

 なでしこたちのことを考えて、今後もらう機会があったら受け取らないほうがいいのかな。

 

「……わかりました。考えると私たちも少し大人げなかったですね。ごめんなさい、啓太様」

 

「いい。むしろ妬いてくれて嬉しい」

 

「もう、啓太様ってば……。あの、それでなんですけど……」

 

 取りあえず一件落着ってことでいいのかな。それにしてもあのなでしこがラブレターを貰っただけでここまで妬いてくれるとは思わなかった。彼女の新しい一面が見れたことに満足していると、件の彼女はチラチラと俺の膝に座ったようこをチラ見して、何か言いた気な様子だ。

 うちの彼女たちはどんどん可愛くなっていくなぁ! なんだ、俺を萌え死にさせる気か!?

 すっかりたれようこと化したようこを脇にどかし、なでしこを手招く。羞恥心を忘れない大和撫子は頬を朱に染めたまま擦り寄ってきた。

 肌が触れ合うスキンシップはこれまでも取ってきたけれど、思えばこういうのはあまりやったことがないな。逆はあるけれど。

 

「それでは、失礼しますね啓太様……」

 

 恐る恐るといった様子で膝に座るなでしこを後ろから優しく抱きしめてあげる。彼女から漂う良い匂いが強く感じられてた多幸感に包まれる。ああ、幸せなんじゃあ~。

 なでしこの後ろ髪に顔を埋めると、彼女は小さく笑い声を上げて身を捩った。逃がさないように腕に力を籠めると自分から身を寄せてきて、先程ようこがしたように顔を擦り付けてきた。なんだか猫みたいな仕草で笑ってしまう。犬の化生なのにな。

 たれようこも隣でぐでーっと脱力していて三人でまったりした雰囲気を味わっていると、ふとなでしこがこんなことを聞いてきた。

 

「恋文を貰うと嬉しいんですよね?」

 

「……んー? まあ」

 

 ラブレターじゃなくてもさ、好感を持ってくれてると分かると嬉しいものじゃん。それに手紙だと形に残るから後で読み返せるしな。

 そう説明すると、なでしこは納得した様子で頷いた。

 

「じゃあ私も……」

 

「……ん?」

 

「いえ、なんでもありませんよ啓太様」

 

 声が小さかったからよく聞き取れなかったけれど、なでしこがそう言うならいいかな。

 しばらく、俺たちはこのまったりした空間を満喫したのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

 それからあっという間に一週間が経ち、今日がラブレターに書かれていた返事の日。

 放課後になり人気の少ない屋上にやってきた俺はそれらしい人がいないのを見てとると近くのベンチに腰を下した。時刻は四時半。約束の時間まであと三十分ある。

 チラッと屋上の隅にある給水塔を見る。そこには人の目に触れないように姿を消したなでしことようこが腰掛けていた。俺が断ると分かっていても気になってしまうようで、こうして一部始終を見守るためについて来てしまったのだ。まあ俺自身別に見られても問題ない。ちゃんと断るつもりだし。

 腕時計の針が進み、やがて三十分が経過。ついに指定の時間である五時となった。

 三人の視線が屋上の入口扉へと向かう。俺もなでしこもようこも、件の小林さんが誰なのか気になって仕方ない。なでしこたちと俺の気になるのベクトルは違うだろうけれど、それでもついにこの時、謎だった小林さんが姿を見せるのだ。

 扉はまだ閉まっている。固唾を呑んで見守っていると、ついにキィィっと金属音を鳴らして扉が開かれた。

 

「来た……っ!」

 

 ようこの声が聞こえる。果たして姿を見せたのは――。

 

「ごめんなさい川平くん、待ちましたか?」

 

 大きく手を振りながら、野太い声で俺の名を呼ぶ一人の女子(?)。

 二メートルはあるだろうか。見上げるほどの身長にボディビルダーのごとく鍛え上げられた褐色の筋肉。熱い胸板が制服を盛り上げ、スカートとハイソックスの間に見える大腿四頭筋とハムストリングスが強烈な存在感を見せている。髪は銀髪のベリーショートでもみあげの部分だけ三つ編みで結ばれ、可愛らしい赤いリボンがそれぞれ三つ編みの先に飾られていた。

 堀の深い精悍な顔には女の子特有の美しさや、可愛らしさが微塵もない。女子、と口にするには決定的に何かがおかしい。しかし明らかにその人は女生徒の制服を着ている。

 絶句している俺を余所にその女子(?)は速足で近づいてくると、野太くどこか威圧感のある声で言った。

 

「ごめんなさい、ホームルームが長引いちゃって。お手紙読んでくれたんですね」

 

 野太い! 野太くて低い声! だけど言葉はすんごい丁寧!

 衝撃のあまりに顔面が崩壊しそうだ。平静を保つため呼吸法と自己暗示を行って平常心を無理矢理取り戻し、身体操法で表情筋を動かして顔が引きつらないようにする。

 

「……えっと、小林……さん?」

 

「うん。あたしが二年の小林・サンジェルフ・ロイマンです。初めましてだね」

 

 バチンッ☆ と強烈なウインクを一つ。どす黒い星形のそれを咄嗟に避けてしまった。

 これが小林さんだってェェェェェ!?

 こんな男か女かもガチで分からない人からラブレターを貰ったのか。ていうか本当に胸があるのかマジで分からねぇ。なんだよその胸板、谷間出来てるじゃんかよ!

 ていうか、これに似た人最近見たことあるぞ。俺、追われた身だしそいつに。

 給水塔から爆笑が聞こえてきた。ようこだ。絶対笑い転げてる。

 

「……は、初めまして。最近、キミのような人と会ったばかり」

 

「あっ、それ多分ウォルフ叔父さんだね。この前、可愛い男の子見かけたからつい追いかけたって言ってたけど、川平くんのことだったんだ」

 

 ま、マジっすか……。

 

「でも川平くんすごいね! 叔父さんから逃げ切るなんてそうそう出来るものじゃないよ」

 

 そう言って熱い視線を送ってくる小林・サンジェルフ・ロイマン! そういえば先輩が同級生でめっちゃ濃い人がいるって言ってたけど、この人のことだったのか!

 

「あたし、川平くんが好き!」

 

 やめてぇぇぇ! 俺には愛する犬神たちがいるんじゃあああああ~~~~っ!

 

「どうかあたしの彼氏になってください、お願いしますッッ!!」

 

 直角に頭を下げた小林、さんが吼える。地面に向けられた声は全方位に拡散し、ぶわっと円状に風が吹き抜けた!

 嘗て感じたことのない恐怖心が俺を襲う!【絶望の君】との闘いより、告白を断って無事に乗り切ることのほうが余程難しいよ!

 でも俺、頑張る。愛する彼女たちが見てるんだ、無様な姿を晒すわけにはいかないんだよォォォォォ――!

 

「……俺、付き合ってるヒトがいる。だから、ごめんなさい」

 

「――っ! そ、そんな、川平きゅんに恋人がいたなんて……!」

 

 きゅん言うな!

 眦を吊り上げた小林、さんは般若のような形相で俺の肩を掴むと声を荒げた。

 

「誰っ! 一体誰なの!? あたしの川平きゅんと恋仲になるなんて許せないっ!」

 

 いや、あんたのじゃねぇし! きゅん言うな!

 しかし、この人なんて握力だよ。全然振り解けないし! 仕方なく身体強化して振り解こうとするが、それよりも早く二つの影が降り立った。

 

「はい、そこまでだよ!」

 

「それ以上の狼藉は許しません!」

 

 なでしことようこだった。俺の両隣に降り立った二人に小林、さんが目を見開いた。

 その隙に拘束から逃れて後退る。

 

「だ、誰あなたたち? さっきまで誰もいなかったよね?」

 

 ようこが胸を張り、なでしこがいつもの柔和な笑みを浮かべて言った。

 

「わたしたち? わたしたちはねぇ、ケイタの――」

 

「――恋人です♪」

 

 ようこのしゅくちで給水塔の上に転移する。それぞれ肩を持ってくれるようことなでしこが振り返り言った。

 

「ケイタが誰にも渡さないよ。だってわたしたちの大切なご主人様で」

 

「旦那様ですから。ですので、ごめんなさい」

 

 そして、トンと給水塔を蹴る。なでしこたちに支えられながら空を飛ぶ俺。

 振り返ると、ポカンと口を開けた小林、さんが屋上に一人取り残されていた。

 

 

 

 2

 

 

 

「……助かった。ありがとう二人とも」

 

 何気に空を飛んでの帰宅は初めてだった。家についた俺はあのピンチを救ってくれた二人にお礼を言う。

 なでしこもようこも笑顔で受け止めてくれた。元から断るつもりだったけど、予想外のダメージを負った心が癒されるようだ。やっぱり持つべきは可愛い犬神だよ本当に。

 

「……はぁ。まさかあれが小林だったなんて」

 

 ラブレターそのものは嬉しいけど、あれは無理だ。なでしこたちがいなかったら今頃どうなっていたことやら、考えるのも恐ろしい。

 

「そんなに残念だった?」

 

「……ん。残念と言うか、なんというか。よく分からないけど」

 

 なんだろうなこの気持ち。ガッカリとはまた違うんだけど、ぬか喜び?

 首を捻って考えていると「しょうがないなぁ」とようこがどこからか一通の手紙を取り出した。

 それを手渡ししてくる。

 

「ほら、なでしこも!」

 

「啓太様……これ、受け取ってください……!」

 

 顔を上気させたなでしこもポケットから取り出した手紙を渡してきた。受け取るとようこは俺の背中を押してリビングから追い出そうとする。

 

「はいはい、読むなら部屋で読んでね~」

 

 促されるまま自室へ向かった俺。釈然としない思いに駆られながらも、とりあえず渡された手紙を読んでみることにした。

 なでしこの手紙はピンク、ようこの方は水色の便箋だ。なでしこの方か読んでみるかな。

 三人で寝れるようにと新調したキングサイズのベッドに寝転がりながら綺麗な字で書かれている文字を読んでいくと、これがどのような手紙なのか直ぐに分かった。

 小さな驚きとそれ以上の感動を覚えながら、手紙を読み進めていく。

 

 

 

【親愛なる川平啓太様。

 

 あなたと一緒にいるだけでいつも心が安らぎます。

 あなたとお話するだけでいつも心がウキウキしてきます。

 ずっと、ずっと、そばにいてください。

 心の底からお慕いしております❤

 

 あなたの犬神、なでしこより】

 

 

 

「ぐふぉ……っ」

 

 そこに書かれていたのは紛れもなく、愛の文面だった。愛する人から貰ったラブレター、しかも真っ直ぐな想いが綴られた手紙に心の中に住むリトルケイタが吐血した……! 大丈夫か、傷は深いぞ!

 もう一通の手紙を震える手で読む。

 なでしこと比べると拙い字だが、それでも一生懸命書いてくれたのだと分かり頬が緩む。吐血したリトルケイタも少し回復したようだった。

 

 

 

【ケイタへ!

 

 何を書けばいいのかわからなかったけど、なでしこが素直な思いを書けばいいっていうから、思ってること全部書くね!

 ケイタといっしょにくらすことが出来て、毎日とても楽しいです! 最初の頃はいっぱいめいわくをかけちゃったけど、ケイタはこんなわたしでも見捨てないで優しくしてくれたね。ケイタといっしょに過ごす日々がわたしの宝物です!

 えっと、えっと、もっといっぱい書きたいけど、書きたいのがたくさんあって書ききれないから、これだけは書いておくね。

 

 ケイタ、大大大好きっ!!

 

 あなたのようこより❤】

 

 

 

「がは……っ」

 

 ようこの手紙も破壊力抜群な内容だった。あまりの威力にリトルケイタが死んだ!

 ベッドの上で悶え、転がり、足をバタつかせる。初めてラブレターを貰った時以上の感動と喜びに包まれ、心が満たされていく。

 

「……書かないとっ」

 

 こうしちゃいられん! 俺も返事を書かないとっ! 

 勢いよく飛び起きた俺は机から封筒などが納めてあるファイルを取り出して、早速返事を書くことにした。いざ書くとなると結構難しいなこれ。

 とりあえずブラックのコーヒーを砂糖なしで飲めるくらい、愛を込よう。思いっきりラブ臭漂うほどのものを。

 脳の部位でも普段使わない場所を働かせ、首を捻らせながらラブレターをしたためる俺だった。

 もちろんこの日の夜は熱く燃え上がった。平日で今日はようこが一緒に寝る日だったけど、なでしこも呼んでね。明日も学校があるけれど、そんなの知ったことかとばかりに頑張りました。

 

 




 最近、執筆意欲が下がってきたのでしばしお休みを頂きます。更新再開は未定です。


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第七十五話「招待状」


 なんとか一月以内に更新。


 

 

 静岡のとある山。人が滅多に訪れないそこには古くから化けタヌキたちが住み、暮らしている。地元の住人もその山には霊験あらたかなタヌキが住むと言い伝えられていた。

 そんな山の奥の一角にその洞窟は存在していた。そこには現在、二匹のタヌキが向かい合わせになって座布団に座っている。赤いちゃんちゃんこを着て風呂敷を首に巻いた少年タヌキと、よぼよぼの長老タヌキだ。

 紫色の座布団に座っている長老タヌキが長年ニンゲンに混じって生活を送ってきたため、洞窟の内部もニンゲンの住処と同様に改装してあった。コタツや火鉢、ブラウン管テレビまでも置かれている。

 燕尾色の座布団に座った少年タヌキを見据えながら長老が重い口を開いた。

 

「では、お主も行くのじゃな?」

 

「はいっす! 川平さんにはお世話になっているので是非ご一緒させてほしいっす!」

 

 そう威勢よく返事をする少年タヌキ。彼はかつて川平啓太に命の危機を救ってもらったことがあり、以前その恩返しとして啓太の下に訪れたことがある。しかしその時はタヌキのケアレスミスで結果として啓太に迷惑をかけてしまった。そのため、再び彼に恩返しをするチャンスがやって来たことに意欲を燃やしているのである。

 やる気を漲らせる少年タヌキの姿に小さくうなる長老タヌキ。なんだか空回りしてしまう予感がそことなくしたのだ。

 しかし、若い衆が熱意を持って恩を返そうとしているのに水を差すのも無粋なもの。ここは彼の意思を尊重しようと大きく頷く。

 長老は傍に置いていた白い封筒を手に取り、再びそこに書かれている内容を確認した。

 

「あい、わかった。では我ら化けタヌキからはワシとお主が出席するとしよう。使者殿にもそう伝えるぞい」

 

「はいっす」

 

「うむ。ところで、今度はどのように恩人へ報いるつもりじゃ?」

 

「これっす!」

 

 長老の言葉に待ってましたと、首に巻いていた風呂敷を解く。

 取り出したのは三つの小瓶だった。瓶の中にはそれぞれビー玉のようなものが入っており、赤、黄、青色と色分けされている。

 三つの小瓶を見た長老の目が細められ、少し危惧するような顔になった。

 

「……それを恩人に渡すつもりか? それらの効能はお主もよくわかっておると思うが、もし誤って服用したら大変なことになるぞい。お主はおっちょこちょいなところがあるしのぅ」

 

「大丈夫っす。今度はちゃんと間違えてないですし、この通り説明書もあるっす!」

 

 二枚の紙切れを取り出す少年タヌキ。一枚目には効能、二枚目には注意事項が書かれている。

 しばし黙考していた長老だが、やがて許可を下した。

 

「まあ説明書があるなら大丈夫かの」

 

「長老! 使者の方が来ました!」

 

 入り口から若いタヌキがやって来てそう告げると長老タヌキが腰を上げた。遅れて少年タヌキも立ち上がる。

 

「では行くかの」

 

「はいっす!」

 

 威勢よく返事をする少年タヌキ。急いで小瓶を風呂敷で包み首に巻くと、駆け足で長老の後を追った。

 その場に残ったのは一枚の紙切れ。急いでいたためか、一枚だけ入れ忘れたのだった。それも注意書きが書かれた紙の方だ。

 彼がおっちょこちょいだと言われるのも無理のない話であった。

 

 

 

 1

 

 

 

 先日、初めて貰ったラブレターの送り主がガチムチマッチョ系少女だったという衝撃的事実に愕然とし、傷ついた心を愛する犬神たちから渡された恋文で癒された。まさに地獄と天国を同時に味わった波乱万丈な一日だった。ガチムチマッチョの記憶を頭の彼方に封印したいと切実に思う。

 色々と大変だった日の翌日。麗らかな日差しが差し込むリビングで俺は子供のように駄々を捏ねていた。

 

「――早く、早く……! ハリー、ハリー、ハリー!」

 

 絨毯の上に胡坐で座り自分の両膝をパンパン叩いて催促する。愛する犬神兼恋人の一人であるなでしこは頬に手を当てて困った顔で俺を見下ろしていた。そんな俺たちをソファの背もたれに肘を突きながらようこがむすっとした表情で眺めている。

 一週間ほど前、仮名さんの要請で魔道具シリーズ【月と三人の娘】の一つである【躍動する影人形】を確保するために廃病院へ赴いた。その際、ついに送られてきた【絶望の君】の刺客と軽くバトッたのだが、その時になでしこと約束したのだ。これが終わったら存分にもふらせてくれると!

 色々あって不覚にもそのことを失念してしまっていたが、思い出してしまったからには今こそ約束を果たそうではないか。

 もーふーらーせーてー! 俺は今すぐ化生に戻ったなでしこをもふりたいんじゃ~!

 

「ぶー、いいなぁなでしこ」

 

 なでしこばかりにかまけているからか、ようこがふて腐れてしまっている。そういうけどキミ、本性に戻りたくないんでしょ?

 

「それは……うん」

 

 ならしょうがないじゃん。

 まあ、何を思って本性に戻りたがらないのか分からないが、心配せずとも戻れるようになったら存分にもふるさ。今回はなでしこの番ってことで我慢して頂戴。

 

「私をもふるのは決定事項なんですね……」

 

「……え? ダメ?」

 

 苦笑するなでしこさんだが、俺はその言葉に衝撃を覚えた。え、ダメなの? まさか時効だなんて、そんなご無体なこと言いませんよね!?

 もしそうなら、ア○ゾンで注文した九万のプ○ステVRが実は不良品で、しかも海外に転売していた商品を掴んだものだから保障が利かないと知ったとき以上のショックなんだけど。

 

「いいえ。確かにそう約束しましたからね。ちょっとだけですよ?」

 

「∩(´∀`)∩ワーイ♪」

 

「本当に仕方のない人」

 

 全力で喜ぶ俺に優しい眼差しを向けていたなでしこが目を瞑るように言う。素直に従い目を瞑っていると、パシュッと圧縮空気が抜けるような音ともに霊力の風が吹いた。

 

「もういいですよ」

 

「……おぉ。もふもふがいる」

 

 目を開けると、そこには体長三メートルほどの犬の化生に戻ったなでしこがその四本の逞しい脚で立っていた。艶のある美しい灰色の毛並みをこれから存分に堪能できると思うと、ワクワクが止まらない。アル中の禁断症状のように手が震えているもの。

 伏せの姿勢になったなでしこ。ガラス球のごとく綺麗な翡翠色の瞳で俺を見た。

 

「どうぞ、啓太様♪」

 

「~~っ! もふもふー!」

 

 お預けを食らった犬のようになでしこへ飛び掛る勢いで飛びつく。大きな背中が俺の体を易々と受け止めた。

 ふさふさでありながらサラサラな毛。獣臭はまったくせず、この姿に戻っても普段と同じ心が落ち着くような良い匂いです。なでしこの匂いじゃー。

 抱きつくとほどよい弾力の筋肉が感じられなでしこの体温が伝わってくる。なでしこやようこの尻尾に触れると分かるが、彼女たちのふさふさした毛は酷い中毒性を持つ。ふさふさのサラサラで程よい弾力も感じ、さらには心まで癒すという副次的効果も見込めるのだ。面積の少ない尻尾ですらこれほどの効果を発揮するのに、ケモノの姿に戻ってしまえばどうなることか。全身に広がる豊かで、柔らかな触り心地の毛。これはまさに心の覚醒剤。止められないし止まらない。

 

「け、啓太様、くすぐったいですよ……っ」

 

 笑いを堪えたなでしこの声を黙殺しながら、色々とポジションを変える俺。背中に登って寝そべってみたり、抱きついてみたり。ご機嫌な様子で揺れる尻尾にも抱きついたり、時には比較的筋張っている四肢にも触れてみたりする。うう~む、さすがはなでしこ。どこに触れてもすばらしい感触だ。

 どの部位でも幸福感を味わうことができるが、あえて俺のナンバー一を決めるとするなら、やっぱりここかな。

 

「……ベストポジション」

 

 頭、背中、尻尾、四肢と色々触ってみた結果、なでしこのお腹が一番多幸感を味わえる場所という結論に至った。

 

 ――すりすりもふもふ、すりすりもふもふ、すりすりもふもふ

 

 寝そべるなでしこに寄り添う形で密着し、鬱陶しいくらい顔をこすり付けては全身でもふもふ感を堪能する。この姿になったなでしこは三メートルくらいあるから一六〇センチの俺が抱きつくと丁度お腹にフィットするのだ。傍目からするとかなり見苦しい姿だろうが、今は家族しか見ていないから問題ない。俺は、自重を止める!

 

「……ぉぉ」

 

 体勢を変えて今度はなでしこのお腹に頭を乗せてみる。丁度いい頭の高さで、なんかすごくしっくり来るんだけど。よし、今度からこれをなでしこ枕と呼ぼう。

 気を利かせてくれたなでしこが若干姿勢を変えて少しだけ体を丸め、英語のC文字のようになる。手を伸ばせばなでしこのふさふさした体に触れることができた。寝ながらもふもふを体験できるなんて、ここは夢の国ですか?

 

「ご機嫌だねケイタ」

 

 ソファーの背もたれに肘を乗せたようこが悦に浸る俺を見てそう言う。

 俺はそれに何も返事を返さず、ただビシッと親指を立てて見せた。

 

「くすくすっ、啓太様ったら本当にお好きなんですね♪」

 

「……もふもふは、正義」

 

 なでしこの言葉にもビシッと親指を立てて見せる。これぞ、俺のジャスティス。

 何か知らんが、なでしこもご機嫌なようだ。ふっさふっさと尻尾が揺れている。俺もご満悦です。

 このままなでしこ枕で寝るのもいいけど、この状況をもっと楽しみたい。ゴロンと転がって横向きになり、なでしこのお腹に顔を埋めながらじわじわと近寄ってくる睡魔と闘っていると。

 

「んふふ~、わたしも一緒に寝てあげる」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべたようこが背中にぴとっと寄り添うように密着していた。こいつ、人が折角睡魔に抗っているというのに眠気を誘うようなことをして。ハッ、もしやそれが狙いの笑みか!

 

「ん~、温いねケイタ♪」

 

「……むぅ……眠い」

 

 段々睡魔に抗うのもきつくなってきた。重い瞼を意志の力でこじ開けていると天使の囁き声が聞こえてきた。

 

「寝てもいいですよ啓太様。ちゃんと起こして差し上げますから」

 

 それと同時に背後から悪魔の囁き声も聞こえてくる。

 

「そうそう、一緒に寝よ啓太。きっと気持ちいいよ♪」

 

 くそ、これしきのことで……!

 

「…………ZZZ……ZZZ……」

 

 ――結局、睡魔の力には勝てなかったよ。

 

 

 

 2

 

 

 

「――失礼します。おや……?」

 

 日も暮れてきた頃。夕日が差し込むリビングにはけが降り立つ。虚空からにじみ出るようにして現れたはけはリビングにいる啓太たちを見て小さな驚きの表情を浮かべた。

 窓際のリビング。そこで三人が一塊になって眠っていたのだ。化生に戻ったなでしこに寄りかかる形で啓太とようこが隣り合わせで寝ている。

 しばし微笑ましそうに仲睦まじく昼寝をしている啓太たちを眺めていた。安らかな表情で眠っている姿を見ていると、啓太が幼少期だった頃を思い出す。

 あの頃は今より少しやんちゃで、無表情なのは変わらないが悪戯をしてはよく宗家やはけ、親戚の者を困らせたものだ。とはいっても小さな悪戯ばかりで、大人を困らせるような真似だけは不思議としなかった。当時のはけは啓太を実の子供のように可愛がり溺愛していたものだ。それこそ祖母である榧以上に可愛がってみせた。

 このまま啓太たちの寝顔を見ていたい気もするが、そういうわけにもいかない。

 

「啓太様、啓太様……。お休みのところ申し訳ありませんが、起きてください」

 

 優しく揺さぶられ啓太たちの目が覚める。

 ぱちぱちと目を瞬かせたなでしこが驚きの声を上げた。

 

「えっ? はけ様? やだ、私ったら寝ていたのね」

 

「あーはけだ~」

 

 寝ぼけ眼のようこがふにゃっと笑った。大きく伸びをした啓太が立ち上がる。

 

「……今日はどうしたの?」

 

 啓太とようこが退きなでしこが服を咥えてリビングから出て行く。それを尻目に啓太が今日の来訪の目的を伺った。

 はけは懐から白い封筒を取り出した。

 

「こちら、招待状です」

 

 それだけですべて察した啓太は小さく頷き封筒を受け取る。いつものメイド服に着替えたなでしこが戻ってきた。

 受け取った封筒を眺め感慨深そうに呟く啓太。

 

「……そっか。そういえば今日だったな」

 

「ええ、主も啓太様とお会いできるのをとても楽しみにしていらっしゃいますよ」

 

 涼やかな微笑を浮かべたはけは小さく一礼して踵を返した。

 

「……もう行く? ゆっくりしてけばいいのに」

 

 振り返ったはけはどこか残念そうな雰囲気を漂わせている啓太を見て頬を緩めると、頭をそっと撫でた。撫でられた啓太は軽く驚いた顔ではけを見上げる。

 啓太が実家にいた頃はよく頭を撫でていたが、成長するにつれてその機会も減ってきた。先ほどまで昔の啓太を思い浮かべていたはけはつい昔のように頭を撫でてしまったのだ。

 子供扱いとも取れる行為だが、啓太は大人しく撫でられた。啓太も懐かしがっているのかもしれない。

 はけは幼い子供にするように諭すような口調で言う。

 

「もう少しお話していたいのはやまやまですが、私はこれから他の方々の元にも向かわないといけません。あちらに着けばいくらでもお話できますから、それまでの我慢ですよ啓太様」

 

「……ん」

 

 小さく頷く啓太に笑みを深めたはけはもう一度頭を一撫ですると、虚空に溶け込むようにして啓太邸を後にした。

 白い封筒を開け手紙を取り出す。気になるのかようことなでしこも隣から覗き込んだ。

 

「招待状?」

 

 ようこの言葉に頷く啓太。手紙には啓太となでしこ、ようこの三人へ向けた招待状であった。目を通したなでしこがなるほどと呟き微笑む。

 

「今日は宗家様のお誕生日だったんですね」

 

「……ん。確かこれで八十八歳」

 

 読み終わった手紙を封筒に仕舞う。

 

 ――誕生日会、か……。面倒だったなぁ。

 

 実家にいた頃は毎年、祖母の誕生日会に参加させられていた啓太。祖母のことは好きだし尊敬もしているため誕生日を祝うのは吝かではないが、問題なのはこういう行事に限って出席する親戚連中である。川平家は裏の世界でも名の知れた一族で、それなりに力のある家柄だ。そのため、毎年当主である祖母の顔色を伺うようにヨイショしては顔を覚えてもらおうと必死になる者も集まるのである。しかも、まだ年端もいかない直系の子供にすら餌に群がるハイエナのように近づいてくるのだ。己の傀儡にして実権を握ろうとする魂胆が丸見えである。

 当然、啓太に群がるハイエナも多くいた。大半が愛想の欠片もない様子に諦めていくが、中には恫喝紛いなことをしたり、己の娘を利用して篭絡しようとする者もいる始末。

 そういう意味ではあまり良い思い出がない啓太であった。

 

「それで何時に集合なの?」

 

「……六時から」

 

「今は二時なので、まだ四時間ありますね。急いで宗家様に渡すプレゼントを用意しましょう」

 

 なでしこの言葉に頷いた啓太は財布を片手に家を出た。

 はけから聞いた話だと宗家は最近パソコンゲームに嵌っているらしい。以前、学校の先輩である河原崎から勧められたソフトを求め街に出た啓太たちは、いくつかの店を回り目当ての物を購入した。

 家に戻ると午後の四時を回ったところだった。祝賀に向けて外行の服に着替える。啓太はイタリアのフランコ・プリィンツィバァリー製の高級黒ジャケットにルイジボレッリのワイシャツ。ソリードのスラックス。サントーニの革靴。総額四十万はするセレクションだ。

 なでしこは祝賀会向けに特注で用意したメイド服姿。見た目はいつものメイド服となんら変わらないが、どうやら使用している生地や糸が高級らしい。

 ようこはエイソス製のカシュクールフレアドレス。こちらも一着数万はする高級ドレスだ。

 以前、新堂ケイから依頼された死神討伐事件以降、新堂家からの数々の仕事を斡旋してもらった。そのほとんどが新堂家と繫がりのある各界の著名人であり一言で言うならば大金持ちである。さらには啓太が運営するオカルト専門サイト【月と太陽】の評判がネット上で話題になり、オカルト関連で悩む人から多くの依頼が寄せられてきている。大半が除霊や占い、といったものが多いが、結果として啓太の懐が潤うのは自明の理だ。

 現在の啓太の資産はかなりのもので、銀行や企業から投資に関する電話が頻繁に寄せられてきている。しかも最近になってなでしこが株を始めたため、これからも資産は右肩上がりに増え続けていく予感が啓太にはあった。なでしこの有能っぷりは疑う余地もないからだ。

 着替え終わった啓太たちは電車とバスを乗り継ぎ静岡の実家へ向かった。

 実家は静岡の北部。緑に囲まれた長閑な土地にある小高い場所に位置している。百段から成る階段を上ると立派な正門が姿を見せる。

 上り慣れているため大して労せずに百段踏破した啓太たち。正門の前で佇む男性を見た啓太は微かに頬を緩めた。

 

「お待ちしておりました啓太様」

 

「……ん。さっきぶり」

 

 恭しく頭を下げる男性――犬神のはけに気軽に手を上げて見せる。

 微笑み返したはけは啓太たちを大広間まで先導し始めた。正面玄関に並んでいる靴を見てようこが呟く。

 

「結構いるね~」

 

「川平家は顔が広いですからね。それに主と交流を持っていらっしゃる方々もお目見えになりますので、毎年このくらいはお越しいただいていますよ」

 

「はけ様も大変ですね……」

 

 はけの説明にしみじみと呟くなでしこ。この人数をもてなさないといけないのだから、いくら使用人や犬神たちが手伝っているとはいえ苦労するだろう。

 はけは労りの視線を向けるなでしこに微笑み返した。

 

「主が健やかに生きてくださるのなら、このくらいわけありませんよ」

 

 健気なはけの姿に心の中で「はけってマジでイケメン!」と叫ぶ啓太。

 

「どうぞ。お時間になるまでお寛ぎください」

 

 磨かれた木目のある廊下を歩き、大広間に通された。

 中はすでに宴会のテンションに包まれていた。明るい笑い声がそこら中から聞こえてくる。三人の使用人が『祝・米寿』と書かれた垂れ幕を天井から吊るしたり、客用の座布団を並べたりと忙しなく動いているなか酒瓶を片手に騒いでいる一団がいる。親戚の中でも分家の者たちだ。

 常識を持つ宗家の人間たちは座布団や料理が盛られた皿を並べたりなど何かしら手伝いをしている中での騒ぎっぷり。それを見た啓太たちは小さく眉を顰め関わり合いにならないように端の方へと移動した。

 

「おい見ろ、人形が来やがったぞ」

 

「ああ、あの落ちこぼれか。そういえばいたな」

 

「いくら直系の人間とはいえあんな落ちこぼれを祝いの場に呼ぶとは、まったく。刀自にも困ったものだ」

 

 啓太を見た親戚の人たちが蔑んだ目を向けてくる。悪意に満ちた言葉を耳にしたようこがキッと眦を吊り上げて睨みつけ、温和な性格のなでしこも能面のような張り付いた笑顔で罵倒の声が聞こえた方向を向いた。

 彼女たちの怒りに触れた親戚の者たちはそそくさと視線を反らした。

 

「……いい。気にするな」

 

 そんな犬神たちを諭すように声を掛ける啓太。その目は真っ直ぐ前を向いており、まるきり歯牙にもかけていない。主のそんな様子になでしこたちは渋々怒りを呑み込んだ。

 

「啓太様~!」

 

 大広間の一角から明るい声とともに啓太の胸に飛び込む影があった。栗色の髪を二つに分けた幼女、ともはねだった。

 輝かんばかりの笑みを浮かべて腰に抱き着き、ぶんぶんと二股の尻尾を振っている。

 

「啓太さん、こっちですよ」

 

「……薫」

 

 視線を上げると、そこには八人の少女たちの一団に紛れ、少年が微笑みを浮かべて座っていた。啓太の従兄弟であり友人の川平薫だ。

 四人ずつで向かい合わせに座っておりそこだけ女子率が高い。よっ、と片手を上げた啓太たちは彼女たちの隣の席に座った。

 

「相変わらず人気者ですね啓太さんは」

 

 涼やかな笑顔を浮かべた薫は隣に座った啓太に挨拶代わりの毒を吐いた。

 ジロッと薫を睥睨する啓太。

 

「……嫌味?」

 

「まさか。大変だなって思っただけですよ」

 

「……なら代わってもいい」

 

「遠慮しておきます、啓太さんとは違って僕だと心が折れちゃいますからね」

 

「……ふ。言うようになったな」

 

「誰かさんに長年鍛えられましたから」

 

「違いない」

 

 笑い合う啓太と薫。二人のやり取りを聞いていた犬神たちは不思議そうな顔でそれぞれの主を眺めていた。啓太も薫も、こんなやり取りをする性格じゃないため意外に思ったのだ。

 やがて時刻は六時を回る。招待状を出した来賓も全員到着し、それぞれの席に着いている。川平家と昔から付き合いのある人もいれば、宗家と直接面識のある知人や友人も多かった。

 政界で精力的に動き回っているベテランの政治家もいれば、よくテレビに出演している大物芸能人もいる。今話題の格闘家もいれば、最近ノーベル物理学賞を受賞した学者も出席している。ここにいる皆が宗家の長寿を祝ってくれる。そのことに改めて胸が熱くなるはけだった。

 飾りつけや料理も見事に並び場が整う。流石に宗家が顔を出すこの時ばかりは静まり返っていた。

 音もなく襖が開き宗家が姿を見せる。八十八になったというのにピンと背筋を伸ばし、老いを感じさせない足取りで上座まで進むと主賓席に腰を下した。

 乾杯の音頭は最前列に座っていた川平宗吾という男が取った。啓太たちの大叔父である宗吾はビールや熱燗の入った器を高々と宙に突き上げる。

 

「刀自! 米寿、おめでとうございます!」

 

 それからは入り乱れての大宴会となった。代わる代わる宗家に挨拶をしては隣同士で酒を飲み交わし合い歓談にふける。あちらこちらで明るい笑い声が立ち上り、宴を楽しんでいった。

 賓客ラッシュも落ち着き祖母へ挨拶をする者が減ってきたところで啓太と薫も腰を上げる。それぞれプレゼントを手にして。

 

「おおっ、啓太に薫や。よう来てくれたの」

 

「ん。誕生日おめでとう」

 

「おめでとうございます、刀自」

 

 啓太は包装紙でラッピングされた薄い板状のものを、薫は細長い筒状のものを、それぞれ包装紙でラッピングされたプレゼントを渡した。

 

「……これ、今話題のゲーム。お婆ちゃんなら嵌る」

 

「お前……仮にも高齢者のワシにそれを渡すのか」

 

 啓太らしいといえばらしいわい、と呆れたような目をしながらもどこか嬉しそうに孫のプレゼントを受け取る宗家。啓太が渡したものは河原崎がお勧めするパソコンゲーム【OUT LAST】。元は海外のゲームだが日本語版で最近発売したらしい。狂気を題材にしたホラーゲームで今ネット上で騒がれている人気作の一つだ。

 

「刀自はタバコを吸われますので、僕からはこれを。従来のタバコよりニコチンなどの有害物質が少ないみたいですよ」

 

「ほぅ、キセルか。これは随分とイカしてるの」

 

 対して薫がプレゼントしたものは煙管だった。銀で出来ているそれはシンプルなデザインながら雅な彫刻が彫られている。ヘビースモーカーというほどではないが、それでも一日十本は吸っている宗家は嬉しそうにキセルを木箱の中に仕舞った。隣ではけが大きなため息をついているが知らん振りをして。主の体を気遣うはけにしてみればどちらも厄介な贈り物だった。

 

「啓太、薫。本当にありがとの」

 

 孫からの贈り物で嬉しくないはずがない。彼らの祖母として相好を崩した祖母は啓太たちの頭を優しく撫でた。

 ぷいっとそっぽを向きながらも大人しく撫でられる啓太。気恥ずかしそうな顔をしながらも微笑み返す薫。対外的な反応を示すこの二人の姿は昔から変わっていない。

 

「……お婆ちゃん、また後で」

 

「では一旦失礼しますね」

 

「うむ。お前たちも楽しんでいくんじゃぞ」

 

 小さく一礼して祖母の前から立ち去る啓太たち。優しい目で宗家はしばし二人の後ろ姿を見つめていた。

 

 

 

 3

 

 

 

「……あら? 啓太様はどちらに行かれたのかしら」

 

 宴もたけなわとなった頃。せんだんたちとガールズトークで花を咲かせていたなでしこは、ふと啓太の姿が見当たらないことに気がついた。

 へべれけになって馬鹿騒ぎをする人たちや、静かに飲み交わす人たち、豪勢な料理を無心に頬張る人たちと宴会場はカオスな場と化しており、宗家も顔を赤くしながら川平宗吾を始めとした親戚たちと酒を片手に談笑している。

 ようこも啓太がいないことに気が付いたようで、キョロキョロと周囲を見回している。

 啓太の場所を尋ねようと席を立つなでしこ。その時、再び悪意のある囁き声がどこからか聞こえてきた。

 

「おい聞いたか? 知人から聞いた話なんだが……なんでもあの川平啓太、相当な実力を身に着けているらしいぞ」

 

「あの人形が? ありえないだろ。あいつ、基礎霊力測定試験ではわずか百だと聞いたぞ。同世代の中でも最低レベル。川平直系の人間の平均値は五百前後なのだぞ?」

 

「しかし実際仕事は成功しているらしいぞ。聞いた話だと相当な額を稼いでいるとか」

 

「どうせイカサマでもしているのだろう」

 

 聞くに堪えない会話。囁き声にしてはやけに大きく、当然周囲にいた人たちも彼らの会話が聞こえた。

 宗家と宗吾は顔をしかめ、薫たちも気分を害したように険しい顔つきになった。出席者の人たちも顔をしかめて声が聞こえたほうを見る。祝いの席に似つかわしくない会話を交わす二人組み。剣呑な空気が漂う中、なでしこは強くメイド服の裾を握り締め、それまで楽しそうにせんだんたちと一緒に談笑していたようこもスッと目を細めた。

 自分の尊敬する、大好きな主を罵られて黙っていられるほど寛容な心は持ち合わせていない。これまでのようこなら激昂し直接的な手段に出ていただろうが、彼女はここ数年で見間違えるほど精神的に成長した。ギリッと歯を食いしばり、爪が皮膚を破り血が滴り落ちるほど強く拳を握り締める。なでしこも肩を震わせながらも必死に自分を律した。今すぐ無礼者な二人組みを懲らしめてやりたいが、自分は啓太の犬神である。勝手な真似をして啓太に迷惑をかけたくなかった。

 主を想ってこそ耐え忍ぶ少女たち。そんな彼女たちの姿に感心する。特に昔のようこを知る者たちは驚きの顔を隠せないでいた。

 

「ま、どうせ宗家やはけの計らいで仕事を貰ってるのであろう。あんな落ちこぼれに仕事がこなせるほど世の中甘くはない」

 

 空気が読めない分家の二人。我慢の限界に来た薫が席を立つよりも早く、二人に近づく影があった。

 

「よぅ、楽しんでるかお前さんら」

 

「こ、これは宗吾殿」

 

 ビール瓶を片手に近づいてきたのは宗家たちと談笑していた大叔父、川平宗吾であった。

 空いたコップにビールを注ぐ宗吾に流石の二人も恐縮した様子を見せる。

 

「祝いの席なんだからよ、そういう話はなしにしようぜ。な?」

 

「は、はい」

 

「ところでお前さんら。この前、筑摩神社からの仕事を請けたって聞いたぜ。ご苦労さん」

 

 不自然なほどにこやかに話す宗吾。その話を聞いた途端二人の顔色が変わった。

 

「――! い、いえ……!」

 

「まあ、簡単な除霊の仕事だかんな。苦労するほどの内容じゃねぇか。はっはっはっ」

 

「は、はは……」

 

「そ、そうですよ。俺たちが、あんな雑魚に」

 

「――ところでよ。神社の神主さんからクレームがうちに来たんだが、どういうこった? 除霊をお願いした二人が逆に返り討ちにあって逃げ帰ったって聞いたぜ? その後、他の霊媒師が来て除霊してくれたって話だけどよ」

 

 それまでのにこやかな笑顔から一転して真顔になる宗吾。引きつった笑いを浮かべていた二人の笑顔が固まった。

 すっと目を細める。

 

「まさかテメェら、のこのこ尻尾巻いて逃げて、他の霊媒者に押し付けたんじゃあるめぇ……」

 

 厳しい目で詰問する宗吾に冷や汗をだらだら流す二人組。話を聞いていた周りの人たちが顔を寄せて囁き合う。

 異様な空気にようやく気が付いたのか、それとも威圧感満載で問い詰める宗吾から逃れたかったのか。二人は急用を思い出したとベタな言い訳を述べてそそくさと退散した。

 まるで悪党を成敗したかのような拍手が宗吾に送られる。小さくため息をついた宗吾はなでしことようこに向き合うと頭を下げた。

 

「分家の人間とはいえ、うちの者がすまねぇ。二人には不快な思いをさせちまった」

 

 宗家の中でも強い発言力を持つ宗吾が一介の犬神に頭を下げる。川平と犬神たちとの関係性をあまり知らない余所の人たちは大きく息を呑んだ。彼らからすれば大手企業の専務が下っ端のアルバイトに頭を下げるような認識だ。実際は盟約により彼らの立場は対等だが、それを知るのは川平の人間くらいである。最近ではそのことを忘れている分家の人間もいるが。

 なでしこは慌てて頭を上げるように言った。

 

「いえ、そんな! 頭を上げてください宗吾様! あなたが頭を下げる必要はないんですから!」

 

「そうだよ! おじちゃんが言い負かしてくれてスカッとしたもん」

 

 なでしことようこの言葉に頭を上げた宗吾は小さく「ありがとな」と感謝の言葉を口にした。そして穏やかな目をようこに向ける。

 

「しかしよく耐えたな。お前さんが啓太の犬神になると聞いたときは、正直考えものだと思っていたが。なかなかどうして、良い犬神してんじゃねぇか」

 

 これからも啓太のこと頼むぜ、そう言いようこの頭を撫でた。

 きょとんとした顔で宗吾を見上げていたようこだが、何を言われたのか理解が追いつくと太陽のような明るい笑顔を見せた。

 

「うんっ!」

 

 





 Fate/Grand Orderの短編を投稿しました。そちらもよろしければご覧ください。
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第七十六話「カミングアウト」


 お久しぶりです。しばらくはこちらの執筆に集中したいと思います。
 細々とやっていきますので、またお付き合いしていただければと。



 

 

 親戚連中の無遠慮な眼差しや悪口が鬱陶しく、落ち着いて飯が食えん。どうも親戚が集まる宴会は苦手なんだよな。

 屋敷の反対側に位置する離れ。そこの座敷に俺はいた。

 ここに集まり歌えや飲めやのドンチャン騒ぎをしているのは人間ではない。俺以外の全員が人外と呼ばれるモノたちだ。その多くは犬神たちで、主が大広間で飲み食いしている間、懐かしい友と親睦を深めたりしている。その他にも猫又やタヌキ、鬼、幽霊、のっぺらぼう、小人、ろくろ首などもいる。出されている料理も人間と同じものだ。

 一室にここまで妖たちが集まっているから妖気が半端じゃない。多分、外から見たらこの部屋だけおどろおどろしていることだろう。

 犬神のほとんどは人化しているが中には早速本性に戻り寛いでいる子もいる。巨大な犬に戻って後ろ足で顎の辺りを掻いてます。すっごいもふもふしたいです。でも余所の子だから我慢する。

 誰も触れていないのにひとりでに畳がドスンドスンとリズムを取り、障子がガタガタと揺れて音を奏でる。それをBGMに酒を飲み、飯を食らい、面白おかしく騒ぐ。皆、酒臭い吐息を吐いているが浮かべている笑顔は妙に優しかった。

 

「キキッ!」

 

「……ありがと」

 

 小猿が空いたコップにジュースを注いでくれる。お礼を言うと二カッと歯を見せて笑った。

 

 ――やっぱこっちのほうが居心地いいわ。

 

 なんというか、取り繕わなくていい。素の自分でいられるというのかな。向こうの場合、宗家の人間としてそれなりに礼儀正しくしないといけないし。堅苦しい空気は嫌いなのです。

 ぐぃっとジュースを一気飲みする。濃厚なこの葡萄の味は、いつぞや飲んだ覚えがある。そうだ、あの双子姉妹のジュースだ。今度会ったら林檎ジュースをお願いしてみよう。

 ところで、隣でちびちびと酒を飲んでいるのっぺらぼうの少女が、なんだか落ち込んでいるような雰囲気を漂わせてるのだが。さっきからキミ、ちびちび酒飲んでるけど、どうしたん? なんか悩みがあったら聞くで? おっちゃんにぶっちゃけてみぃ。

 

「……」

 

「……ふむ」

 

 ふむふむ。以前ニンゲンに顔がないのを笑われてしまったと。ああ、それで落ち込んでいるのね。ていうか仮にも妖相手なのに、すごいねその人。

 しかし、少女よ。そんなことで落ち込む必要はないのだよ。

 

「……大丈夫、こう思えばいい。それがキミの個性」

 

「……?」

 

「そう。世の中、個性がない人も多い。顔がないなんて個性、キミ以外誰も持ってない。キミは勝ち組」

 

 だから胸を張れ。ほれ、コップ空じゃねーか。

 空いたコップにジュースを注いであげると、のっぺらぼうは恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げた。なんだよこの子、中身は結構可愛いじゃないの。

 のっぺらぼうの少女は俺の言葉に元気が出たようだ。そうよね、これが私の個性だものね!と言うように、ふんすと気合を入れると一気にジュースを呷ったのだ。おお、いい飲みっぷりだね!

 ささ、もう一献と再びジュースを注ごうとすると誰かに肩を叩かれた。

 振り返ると、そこには大きな赤鬼がしゃがみこんでいた。三メートルほどの身長はある彼は先ほど赤鬼や青鬼たちと一緒に酒を飲み交わしていたと記憶しているけれど。何の用だろう?

 

「……酒飲み対決?」

 

 赤鬼たちとの酒飲み勝負で何故か連敗するから助言を頂きたいと、その赤鬼は言った。なぜ俺に助言を頼むし。

 仕方ないからここは勢いで乗り切ろう。大丈夫、鬼たちって種族的に結構脳筋ばかりだから!

 

「……思い込みの力は強い。水だと思って飲めばいい」

 

 やはりこの鬼も脳筋だったようで、俺の言葉になにやら感銘を受けたようだ。なるほど、と大きく頷くと意気揚々とした態度で仲間の元へ向かっていった。

 

「……なに?」

 

 気が付けば何故か多くの犬神が俺の前で順番待ちをしていた。ここは相談所でも悩み相談室でもねぇぞ!

 しかし、縋られたら余程のことがない限り断れないのが俺である。ああ、ノーといえる人間になりたい……。

 

 ――とりあえず話を聞くだけだかんな。必ずしも何かアドバイスが出来るとは限らないかんな!

 

 一番先頭の犬神から話を聞く。

 

「主人の浪費癖が激しくて。なんとか改善して欲しいのですが、どうすればいいと思いますか?」

 

「……お前が財布を握れ」

 

「そっか、私が仕切ればいいのね!」

 

 はい、次!

 

「最近、主が寝付きにくいようなのです。そのせいで寝不足になってしまっているようでして……」

 

「……お前が枕になれ」

 

「なるほど……。以前、添い寝は安眠効果があると聞きました。そうですね、試しにやってみましょう」

 

 キミの主も男だったよな。男同士の添い寝とかア゛ーな展開しか思い浮かばん! とりあえず、主は色々と頑張れ!

 

「一輝様にガールフレンドが出来たんですけど、それ以来なんだか疎外感を感じてしまって……。どうしたらいいですか啓太様……」

 

「……その思いを聞かせてやれ」

 

「うぅ……。ちょっと怖いですけど、頑張ってみます……!」

 

 それでもダメだったらそれまでの男ってことだから見切るのも一つの道よ。色々な理由はあるが、契約解除して野良の犬神に戻る子もそこそこいるって聞くし。

 まるで銀座のママさんにでもなった気分で悩み相談を解決していく。一応俺なりに考えて返事しているから、いい加減な答えは返していない。今のところ皆納得して帰っていただいております。

 十人目の悩み相談が終わり、一区切りついた時だった。背中をこう、ぽふぽふと叩かれる。

 はい新規様ご来店ー、と振り返るとそこには見慣れたタヌキの姿があった。

 

「……おお、タヌキ」

 

「啓太さん、こんばんはっす!」

 

 赤いちゃんちゃんこを着た彼はぺこっと頭を下げた。お前も来てたのか。

 宴は楽しんでいるか聞くと、タヌキは元気よく頷いた。

 

「はいっす! お料理も美味しいですし、川平さんの皆さんにも犬神さんにも良くしてもらってるっす!」

 

「……そう。ならいい」

 

 それから互いに最近の出来事などしばし談話を楽しんでいると、何かを思い出したタヌキは風呂敷からとあるものを取り出した。

 

「以前は川平さんにご迷惑をおかけしましたので、今日はとっておきのものを持ってきたっす!」

 

 以前タヌキの命を救ったお礼として恩返しにやってきてくれた。その時に持ってきたくれた飲み物をなでしこたちが飲んだ途端、幼女化してしまうという事案が発生。想定外の出来事だが、今にして思えば貴重な体験だったな。もう随分前のことで既に許しているというのに。本当に律儀なタヌキだ。

 今度用意してくれたのは三つの小瓶だった。それぞれ赤、黄、青色とビー玉のようなものが沢山入っている。

 

「これは霊薬丸といって、それぞれ効能が異なるっす。これが説明書っす」

 

 小瓶と一緒に紙切れを渡してくる。そこにはそれぞれの効能が書かれていた。

 

・青色は膨大なエネルギーが含まれており、これ一粒で三日分の消費エネルギーを摂取できる。しかも満腹効果も得られて一粒食べるだけで三日は元気! 美肌効果もあるよ!

・黄色は滋養強壮。色んな栄養素が凝縮しており体に超良い。毎日飲み続ければ長生き間違いなし!

・赤色は霊力を生み出す霊薬。これ一粒で元気百倍! 武○なんかに負けないもん!

 

 ――なにこの説明書。読むと気が抜けるんだけど……。

 

 まあ、これを読む限り前回のようなことにはならないで済みそうだな。むしろ青と赤の効能とかすごいじゃん。赤色なんて仕事でお世話になるかも。

 だけど服薬の際の注意事項とか書いてないな。一度に何錠まで服用していいのかも書いていないし。その辺どうなってるん?

 

「それなら二枚目の方に注意事項が書いてあるっす」

 

「……一枚しかないけど」

 

 ぺらぺらと紙を揺らす。うん、一枚だけだな。

 

「え? ちょっと待ってくださいっす」

 

 風呂敷の中をごそごそと漁り、ひっくり返しても見るが出てこない。サァっとタヌキの顔から血の気が引いていく。

 おいおいおい、まさか――。

 

「……すみません、どうやら家に置いてきちゃったみたいっす!」

 

 やっぱりか! このうっかりさんめ!

 まあいいや。折角くれたんだからありがたく貰っておこう。その説明書も見つかったらよろしくな。

 

「はいっす!」

 

「……ありがとな」

 

 感謝の言葉とともにタヌキの頭を撫でる。やっぱりもふもふ動物はいい。心の潤いじゃ~

 

「ケイタ!」

 

「――啓太様! ここにいたんですね!」

 

 背後から非常に聞きなれた声が。振り返るとなでしことようこが立っていた。

 ようこは腰に手を当てて頬を膨らませ、なでしこも軽く怒った表情を浮かべている。子供を叱るお姉さんといった風貌だ。

 

「もう勝手にいなくならないでください! 探したんですからねっ」

 

 そう言い子供にするように「めっ」と指を立てて叱った。な、なでしこお姉ちゃんだ!

 ようこはやれやれと肩を竦める。俺の傍で群がっていた犬神たちに気がつくと、パチパチと目をぱちくりさせた。

 

「な、なにこの子たち? ケイタ、なにしてたの?」

 

「……啓太の相談室?」

 

 もしくはお悩み相談所でも可。

 

 

 

 1

 

 

 

 二十二時を回った頃には流石に宴会も終わり、親戚や来賓の人たちも続々と帰路についていった。

 使用人や犬神たちが手分けして宴会場の後片付けに追われている中、啓太はとある報告をするため祖母の部屋に訪れていた。

 座卓に座り、早速薫がプレゼントしたキセルをふかしている。啓太は宗家と対面する形で座り、その両隣になでしことようこが腰を下ろした。

 人数分のお茶を汲んでくれるはけに礼を言う。

 

「今日はありがとうの啓太、なでしこ、ようこ」

 

「ん。俺も楽しかった」

 

「ほっほっ、それはよかった。して、話というのはなんじゃ?」

 

 大事な話があるといい、珍しく真剣な顔で自分の部屋を訪ねてきた啓太。無表情がデフォルトなため傍目からすればいつもと変わらないように見えるが、啓太と近しい間柄ならどことなくピリッとした空気を感じるだろう。緊張している証拠だ。

 コホンと咳払いして調子を整えると、単刀直入に言った。

 

「……なでしこたちと付き合うことになった」

 

 これ以上ないほど、簡潔な言葉で。

 

「……は?」

 

「えっ?」

 

 予想外な話に一瞬思考が止まる宗家とはけ。

 しばし考え、何を言っているのか理解すると、それぞれ驚愕の表情を浮かべた。

 啓太は目を見開き言葉が出ない様子の二人に淡々と語りかける。両隣に座るなでしことようこも真剣な表情だ。

 

「……だから、付き合うことになった。なでしことようこの二人と」

 

「二人と?」

 

 同時に二人の女性と交際するのは珍しいケースだろう。祖母が二股かと目で問う。

 それに対して啓太は臆さずに頷いた。なんの後ろめたいことはないとでもいうように。

 

「ん。それは全員了承済み」

 

「はい」

 

「うん」

 

 啓太の言葉に追随する形で頷くなでしこたち。それを見て本気なのだと悟った祖母はそうか、と呟き深くキセルを吸い込んだ。

 白い煙をゆっくり時間をかけて吐き出す。

 

「……まあ、お主らが納得しているなら、ワシは何も言わん。しかし啓太よ。分かっているとは思うが、法的な手続きは一切できんぞ? もちろん婚姻関係を結ぶことも認められん」

 

「……それは仕方ない」

 

 今の日本では表向き、妖の存在は認知されていない。人外との婚姻関係も認められていないのだ。

 ニンゲンと正式に協力関係を結ぶ妖は内閣官房直下の霊的事象対策特務機関――俗に中央や鎮霊局とも呼ばれている機関に名前が登録される。これがいわば戸籍のようなものだ。なでしこたち犬神も当然、政府に登録をしており戸籍や住民記録もされている。だが、それでも人間と妖怪の結婚の法はまだ作られていなかった。

 異種族同士の婚姻はいつの時代もなかなか認められないのだ。

 

「私は啓太様のお側にいられるのであれば、それで十分です」

 

「わたしも。一緒にいれるなら、結婚できなくてもいいよ」

 

 宗家は目を閉じると、しばし黙考する。はけも静かな眼差しを啓太たち三人に向け、成り行きを見守っていた。

 真剣な面持ちで宗家を見つめる啓太たち。やがて目を開いた宗家は鋭い視線を投げかけた。

 

「なでしこにようこ。二人は心の底から啓太のことを好いていると言い切れるか? 何があっても啓太を愛し続けると誓えるか?」

 

 その言葉に顔を見合わせるなでしことようこ。やがて、なでしこの方から自分の素直な気持ちを口にした。気負いも不安もなく、自然と胸の内にあるものを紡いでいくかのように言葉に淀みがない。

 

「はい。この方にお憑きしたその時から、私のすべてを啓太様に捧げました。心も体も魂も、です」

 

「それをどう証明するつもりじゃ? 昨今、スピード離婚なんて言葉も出てくるくらいじゃ。誓い合った者たちもすぐに分かれる世の中になった。言葉だけなら何とでも言えよう」

 

 温厚な祖母にしては随分と強い言葉を使っている。睨むかのように鋭い眼差しを向けているその様子は、なでしこを責めているようにも見えた。

 流石に言い過ぎだと、啓太が口を開いたその時。なでしこは毅然とした態度で言いきった。まるで祖母の言葉を一蹴するかのように。

 

「もし、万に一つ……いえ、兆に一つもあり得ませんが、啓太様に捨てられたのではなく私から身を引いたその時は、潔くこの命を散らして見せましょう。心を偽るほど落ちぶれたというのであれば。生き恥を晒したくありませんから」

 

 まあ、そんなことありえませんし。啓太様も私やようこさんを見捨てるなんて、そんな無体なことをやるはずがないと信じていますので。そう言葉を締めくくり、啓太に微笑みかけた。何故かその笑顔に寒気がした啓太は壊れた人形のように首を縦に振り続ける。

 

「わたしも! ケイタのこと愛してるし、私がケイタの側を離れるわけがないもん。もしケイタから離れようとしても無駄だよ。離してあげないんだから」

 

 ようこも啓太の方を見てにっこり笑う。両サイドから自分に微笑みかける少女たち。これは何かのホラーですかと言いたくなるような光景だ。

 なでしことようこの言葉を聞いて得心がいったように何度も頷く宗家。そして、今度は居心地が悪そうに座り直す啓太を見た。

 

「啓太、お主はどうなんじゃ。ここまで言ってくれるなでしことようこを裏切らないと言い切れるか?」

 

 その言葉に背筋をしゃんとした啓太は真剣な面持ちで大きく頷いた。

 

「……当然。惚れた女を裏切るくらい、男捨ててない」

 

「二言はないな?」

 

「くどい」

 

 ジッと互いの目を見つめ合う。

 緊張が張り詰めた空気の中、宗家が口元を緩めた。

 

「よう言った! それでこそワシの孫じゃな!」

 

 カッカッと笑う祖母にきょとんとした目を向ける啓太。なでしことようこも呆気にとられた顔をしていた。はけは一人微笑み静かに頷いている。

 ぽりぽりと頬を掻いた啓太が祖母に尋ねた。反対じゃないのか、と。

 

「まさか。反対する理由もあるまいし、言ったじゃろ。お主らが納得しているのなら、ワシは何も言わんと」

 

「えっと、じゃあさっきのやり取りはなんだったの?」

 

 ようこの質問に表情を崩しながら答える。

 

「もちろんお主たちの気持ちと覚悟を確かめるためじゃよ。ないとは思っていたが、万一半端な気持ちでいたのならワシも考えざるを得ないからの」

 

「……でも、普通こういうの反対しない?」

 

 拍子抜けするほどあっさり認められた啓太が純粋な疑問を口にする。異種族の恋愛は基本タブーとされていたのだから、その疑問も当然だ。

 しかし宗家はケロっとした様子で言った。

 

「他はどうか知らんが、うちでは認めておるぞ。それに前例もあるしの」

 

「前例ですか?」

 

「うむ。今から二十年ほど前じゃな。慎二という男が己の犬神と結婚したんじゃ。今では二人の子供に恵まれて順調に家庭を築いておる」

 

 ――まさかの先駆者!

 

 寝耳に水の話だった。まさか前例がいるとは思わなかったのだろう。開いた口が塞がらないその様子にニヤニヤした顔を浮かべる宗家。隣でははけが小さくため息をついていた。

 

「主も人が悪いですね……。覚悟してこの場に臨んだくらい分かるでしょうに」

 

「なんじゃなんじゃ。お主だって涼しい顔をしながら楽しんでおったではないか」

 

「…………ちょ、ちょっと待ってちょっと待って」

 

 仲良く言いあう二人を見て正気に戻った啓太が割って入る。

 

「……さっきお婆ちゃん、婚姻関係結べないって。その人結婚してる?」

 

「おお、そのことか。もちろん妖として法的手続きは取れんが、人間としてなら話は別じゃろ?」

 

「……あ」

 

 婚姻手続きは紙の上で行われるものだ。実際は妖であろうと、人間と記載さえしてしまえば法律上なんの問題もなくなる。もちろん発覚すれば違法扱いとして処分されてしまうがそこは政府がひっそりと対応してくれるのが暗黙の了解だった。裏の世界にも繫がりがある政府は妖の存在を当然のごとく認知している。彼らがニンゲンにどれほど貢献してくれているのかも。それを鑑みれば婚姻関係の偽装くらい見逃してもいいと思っているかもしれない。汚い世の中である。流石にその辺の大人の事情までは説明しなかったが。

 

「……それじゃあ、結婚できる?」

 

「うむ。なんの問題もないぞい。お主たちにその気があるなら、であるがの」

 

 宗家のお許しが出た途端、なでしことようこの顔が輝く。そして、何かを期待する目で啓太を見た。

 

「啓太様……」

 

「ケイタ……」

 

 ――えっ、なにこの展開?

 

 予想していなかった成り行きに戸惑いを隠せない啓太。当初の予定なら祖母に交際の報告だけして終わりだったのに、いつの間にかプロポーズの流れになっている。どうしてこうなった!と内心頭を抱えた。

 両隣からは期待の目を、前方からはニヤニヤした目を向けられる。内心はタジタジだが、得意のポーカーフェイスで平静を装う。しかし、頬を伝う汗がその心を雄弁に物語っていた。

 右を向き、左を向き、前を向き、上を向き、下を向く。やがて観念したのか、それとも覚悟が決まったのか、小さく息をつくと顔を上げた。普段よりキリッした面構えに見え、なでしことようこの胸が高鳴る。

 そして、二人が見えるように一歩下がった位置に正坐で座り直した。

 

「なでしこ、ようこ」

 

『は、はい……っ!』

 

 緊張で裏返りそうになる声を抑えながら、祖母とはけの観客を前に決定的な言葉を口にする。一目で分かるほど、珍しく顔を赤く染めて。

 ありったけの勇気を振り絞り、一度目の告白よりも強く、深い気持ちを込めて。

 今、プロポーズの言葉を――!

 

「二人のこと幸せにするから、俺も幸せにして。俺と……将来結婚してください」

 

 告白の言葉とともに深く頭を下げる。しんと静まり返る室内。

 返事は言葉ではなく行動だった。啓太に飛びかかるようにして抱き着いたのだ。なでしこが首に、ようこが腰に抱き着いた。

 

「ゲイダァァァ……わだじ、う゛れじいよぉぉぉぉぉ~~~~っ! うわあああぁぁぁぁぁんっ!」

 

「……ぐすっ……すんすんっ……! はい、喜んで……! 私、喜んで啓太様の妻になります!」

 

 心の底から湧き上がる歓喜に滂沱の涙を流した。ぎゅっと抱きしめる腕に力が籠もる。

 抱き着かれながら感涙にむせぶなでしこたちに啓太はようやく全身の力を抜いた。

 声を出して高らかに泣き、腰に抱き着きながら顔をぐりぐりと擦り付けるようこ。声を押し殺しながら啓太の首に顔を埋め、泣き顔を見せまいとするなでしこ。啓太はそんな二人の背中をいつまでも撫でていた。

 

「よかったのぅ。しかし、孫のプロポーズを見ることが出来るとは思わなんだ」

 

「ええ。まさかこのような場面に立ち会うことが出来るとは思いませんでした。この通りバッチリカメラに収めることができたのは行幸ですね」

 

「……おい」

 

 いつの間にか一眼レフのカメラを手にしたはけの言葉に思わず突っ込みの声を入れてしまう。先ほどまで手ぶらだったのにどこから取り出したのやら。

 やがて落ち着きを見せた二人は頬を染めて恥ずかしそうに体を離した。

 彼女たちを微笑ましい目で見ていた宗家は居住まいを正し、なでしことようこに向けて深々と頭を下げた。

 

「なでしこ、ようこ……。啓太のことを頼んだぞ」

 

「はい!」

 

「うん!」

 

 宗家としてではなく、啓太の祖母としての言葉になでしこたちは大きく頷いた。

 

 





 なんか書いてたら流れ的にプロポーズまで言ってしまった……。
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第七十七話「一時の母(上)」

 夏です。熱いの嫌いです。やる気も失せます。
 ちびちび書いてます……。



 

 

 昨日は素敵な一日でした。思いがけない流れではありましたが、まさか啓太様から求婚のお言葉を頂けるなんて、夢みたいです。

 嬉しさのあまりようこさんと一緒に泣いてしまいましたが、いいですよね。さすがの啓太様も求婚するのは羞恥心を感じざるを得ないようで、今までにないほど顔を赤く染めていました。啓太様には申し訳ないですけど、見ていて可愛らしかったです。

 なので、昨日は幸せな気分で床に就くことができました。その日は私が啓太様と同衾する予定日だったのですが、記念すべき大切な日なので、この日はようこさんも一緒に三人で川の字になって眠りにつきました。

 

 幸せな気分で目が覚めます。時刻は午前五時。ようこさんも啓太様もまだ夢の中のようですね。

 

「――ぅ……ダメ……っちゃ……」

 

「啓太様……?」

 

 その時、啓太様の様子がおかしいことに気が付きました。顔をしかめ寝苦しそう体を動かしているのです。なにか悪い夢でも見ているのかしら。

 起こして差し上げた方がいいと思い、啓太様の肩に手を置いた時でした。聞いたことのない弱弱しい声で囁かれたのです。

 

「……いかないで……」

 

「えっ……?」

 

 涙? あの啓太様が涙を……。

 驚きで目を見開いていると、啓太様は縋るような弱弱しい声で寝言を言いました。

 

「やだ……ないで……しこ……おか、さん……」

 

「ぁ……」

 

 ――行かないで、お母さん。

 

 啓太様は今、確かにそう言いました。

 そういえば以前、はけ様から聞いたことがあります。啓太様のご両親は幼少の頃から海外に行っているため、物心つく前から両親というものを知らないと。

 物心つく前の啓太様は今よりもっと感情表現が苦手で、非常に大人しくあまり手間のかからない子だったそうです。ですが子供は親の愛情に飢えているもの。啓太様も表には出さないだけで、心の中では両親の愛情を欲していたのではないかと当時のはけ様は心配していました。

 ですが、啓太様は一度もぐずったり泣いたりせず、何事もない日々を過ごされていたそうです。こう言っては変ですが、他の子どもは何かある度に泣き叫んだり、父や母に甘えたりします。ですが、啓太様はそのような姿を一切見せたことがないそうで、いつも無表情だったそうです。だから人形なんて酷いあだ名がついたのでしょう。宗家様が一度だけ、ご両親の写真を見せたことあるそうですが、その時も驚くほど無関心だったそうです。

 なので宗家様もはけ様も、啓太様はそう言う子なのだと思っていたのでしょう。私も啓太様に仕えて三年が過ぎましたが、啓太様からご両親の話は一度も上がったことがありませんでした。なので、私も今の今まで両親に対する思いは薄いのだと思っていましたが、違うのですね。

 

「……おかあさん……おいてかないで…………くるな……」

 

 何かを――誰かを探し求めるように手を彷徨わせる啓太様。顔を小さくしかめて閉じた目から透明な涙を流すその姿は、不思議と小さな子供のようにも見えました。

 

「啓太様……」

 

 宙をふらつくその手を優しく両手で包みます。きゅっと存在を確かめるように握ってくる啓太様に、私も握り返してあげました。

 

「本当は、恋しかったんですね……」

 

 そうですよね。いくら大人びていても、表情が乏しくても、啓太様はまだ十六歳の子供なのだ。親の愛に飢えていないとどうして言い切れる。

 もしかしたら、他の人に心配をかけないようにずっと心の奥底に封をしていたのかもしれません。

 なら、啓太様のお心が寂しくならないように、私はこの手を握っていますね。少しでも寂寥感を埋めることが出来ればと、そう願って。

 

 

 

 1

 

 

 

「――さま……起きてください、啓太様」

 

「……ん……んん……。あさ、か」

 

 体を優しく揺さぶられ、目を覚ます。

 お、恐ろしい夢を見た。あまりの恐怖心に寝汗をびっしょり掻いてるし。

 暗い夜道を歩いてるんだけど、背後から何者かの気配がしたんだよ。振り返ってみると、暗闇の向こうから誰かが姿を現すんだけど、それが醜悪な顔のババアで目があった瞬間走ってくるのだ。それも、物凄いスピードで

 途轍もない恐怖心が押し寄せてきて走って逃げるんだけど、全然引き離せないの。しかもそのババアが何故だか俺の母親だという確信がその時の俺にはあって、こんなのが俺の母かよと余計恐怖心を感じた。

 しかも、夜道もなぜか一本道で、いくら走っても全然果てが来ない。ループしてるんじゃないかと思うくらい延々と夜道を走り続けるのだ。

 道中、なでしことようこを見かけるんだけど、二人は仲良く空を飛んでるの。そして、飛んでるその下で必死に鬼ごっこを続けている俺に気が付かずに、そのままどこかへ飛んで行っちゃうし。思わず置いてかないでって叫んだね。

 醜悪なババアは相変わらず足は速いし、気味悪い声で「坊や、逃げないでいいのよ……。私のぼぉぉぉぉやぁぁぁぁぁ~~~~」って言いながら追いかけて来る。お前みたいなババアがお母さんなわけねぇだろ! まったく、恐ろしい夢を見たものだぜ……。

 

「……」

 

 そこでようやく、なでしこが俺の手を握っているのに気が付いた。しかも両手で包み込むようにして。

 え、なにこの状況。ていうかなでしこさん、なんでそんな不安そうというか、心配気な表情なんすか?

 

「……なでしこ?」

 

「はい」

 

「……手」

 

 どうしたん?

 しばし、にぎにぎしてから手を離したなでしこは、作り顔と分かる笑顔を浮かべた。本当にどうしたの!?

 

「いえ、ちょっと考え事を……。さあ、朝食の用意をしますので準備してくださいね。ほら、ようこさんも起きてください」

 

 その後もなんでもないように振る舞っていると、いつもの調子を取り戻したようで、学校に向かう時刻になった頃にはすっかり普段のなでしこになっていた。朝のは一体なんだったのか。

 まあいいや。じゃあ、行ってきまーす。

 

「……にしても、なんか変だった。様子」

 

 ――先日、なでしこたちとの交際を報告するためお婆ちゃんの部屋に行ったら何故かプロポーズしていた。本当、なぜこうなったという思いはある。

 

 昨日、祖母が八十八歳を迎え、米寿を祝うため実家に帰省した。その時、丁度いいから祖母になでしことようこの二人と交際することになったことを報告したのだが、話の流れからプロポーズムードに突入してしまった。俺自身結婚も視野に入れてはいたが、プロポーズ云々は高校を卒業してからかなと漠然と考えていたため、非常にテンパりました。

 身内が見てる前でとか一体なんの罰ゲームだこれと思いつつも、なんとかありったけの想いを口にしてプロポーズ。そして、見事承諾をいただきました。この時ばかりは本当に疲れた、色々と。

 お婆ちゃんと俺――ではなく、なでしこが話し合った結果、結婚は俺が大学受験に合格してからということになった。なので、俺たちの関係は恋人から婚約者にクラスチェンジ。なでしこに告白してまだ一か月も経っていないのに、もう婚約ですよ。スピード感ありすぎ。

 色々と思うところはあるけれど、まあ良い方向に転がってるから結果オーライ、かな。そう思っておこう。

 そういう経緯があり、昨夜からなでしこたちのご機嫌は上々で、翌日に学校があるというのに三人とも夜はすごく盛り上がった。

 なでしこも幸せそうな顔で眠りにつくのを見届け俺も就寝したのだが、なぜか今朝のなでしこは少し様子が変だった。なんでしょうか、○理?

 釈然としない思いに駆られながらも、とりあえず学校に向かう俺であった。

 

 

 

 2

 

 

 

 十四時を過ぎ、ひる○びを見終わった私はお仕事を再開することにしました。お洗濯ものは先ほど終わりましたので、今度はお掃除です。

 使い慣れた掃除機を引っ張り出しコンセントに接続。この掃除機はアパート時代に使っていたものです。使い慣れている物の方が性に合っているので今でも使い続けています。啓太様は新しくダイ○ンでも買ってあげると仰っていましたが、あの掃除機は音が少々……。

 

「じゃあ二階の方を掃除してくるねー」

 

「はい、お願いしますね」

 

 はたきを手にしたようこさんが二階に上っていくのを見届け、私もお掃除を始めました。

 このお家は広い構造になっているのでお掃除も一苦労。一フロアを掃除するのに約三十分も掛かります。ちょっと大変ですけど掃除のし甲斐がありますね。

 一階はリビング、キッチン、トイレ、和室と洋室がそれぞれ二部屋あります。リビングはようこさんが走り回れるほど広いですし、留吉さんやタヌキさん、ともはねも時々遊びに来るので結構抜け毛がすごいですね……。

 地下一階にあるお風呂も銭湯並みに広いので浴室を洗うだけで一苦労ですし、その他にも屋内プールなんてものもあります。こちらは流石に毎日洗うのは大変なので、月に一度水を抜いてお掃除していますね。そもそも啓太様も私やようこさんも室内プールをそこまで活用するわけではありませんし。

 

「~~♪ ~~♪」

 

 今話題の火曜ドラマのテーマソングを口ずさみながら掃除機を進めていきます。この赤い絨毯は高級のペルシャですので下手に洗うと毛が痛んでしまうのです。家にある掃除用具では洗えないので現状クリーニングに出すしかないのが痛いところ。今度洗い方を調べてお家で洗濯できるようにしましょう。

 三十分掛けて一階を掃除し終わると、二階に上ります。大丈夫だとは思いますが念のためようこさんの確認です。時々漫画などを見つけては読みふけっちゃうことがありますからね。

 

「ようこさん、そちらは終わりましたか?」

 

 ようこさんは啓太様のお部屋にいました。

 

 啓太様のお部屋は五十平米の広さで、畳にすると三十畳ほどの空間。中央にガラステーブルが置かれていてその向かいに大型のプラズマテレビ。壁際には革張りの三人掛けソファー、部屋の奥には書棚と机があり、寝室へ続く扉があります。

 ようこさんは掃除機を片手に机の上にある啓太様のパソコンを食い入るように見ていました。

 

「――? ダメですよようこさん、啓太様のパソコンを勝手に見ては。怒られてしまいますよ」

 

「なでしこ、ちょっと……」

 

 低い、抑揚のない声で手招いてくるようこさん。首を傾げながらも言われた通りようこさんの側へと近寄ります。

 無言で画面を見るように示してきますので、液晶画面を覗いてみます。啓太様に内緒で覗き見る罪悪感と、ほんの少しの好奇心をない交ぜにしながら

 デスクトップ画面には様々なフォルダーがあり、一見するとどれもお仕事に関係するものばかりです。ですが、ようこさんが開いた『R』フォルダーにはなんと言いますか、肌色の画像が沢山ありました。

 そう、エッチな画像です。

 

「ケイタってば、私たちがいるのにまだこんなの見てたんだねぇ……」

 

 目を細めて画像を一枚一枚検分するかのよに開いていくようこさん。その目は据わっていて、ようこさんの心境を十二分に物語っていました。

 私も同じ女としてようこさんの気持ちは理解できます。啓太様も男性ですしこの手のものを持つのも頭では理解できますが、一方で私たちという恋人がいながら、こんなどこの馬の骨ともしれない他の女に欲情されて面白くないです。ですが、この手の本は依然私たちが捨てさせてもらったのですが、まだパソコンの中にあったのですね。

 私も少し、むっとする気持ちがありますが、それと同じくらい『ああ、やっぱり……』と思うところがありました。それは、百枚ほどある画像はどれも年上の母性溢れる女性ばかりだったからです。

 まるで赤子のように乳首に吸い付く男性の画像がほとんどでした。母性の象徴が乳房というのはそれとなく理解できますが、八割ほどの画像がそういいうものばかりなのは少し驚きです。

 ですが、これで確信しました――。

 

「啓太様は、やはりお母様が恋しいんですね……」

 

「……? どういうこと?」

 

 フォルダを閉じたようこさんが怪訝な顔で見てきます。そこでようこさんに今朝の啓太様の寝言と私の推測を説明しました。

 黙って聞いていたようこさんはどこか腑に落ちた顔でコクコクと頷きます。

 

「なるほどね。ケイタって大人びて見えるけど、まだ十六歳なんだよね。しかも物心つく前から親の顔を見たことないんだから、確かにお母さんのことを恋しがっていても可笑しくないかも」

 

「ええ、もしかしたら啓太様ご自身は気づいていないだけで、心の底では母親というのに飢えていたのかもしれません……」

 

「……なんていうか、悔しいなぁ。わたし、ずっとケイタの側にいたのにケイタの苦しみに気がついてあげられなかったなんて」

 

 沈んだ顔で肩を落とようこさん。それを言うと私も同じです。

 ですが、このままただ黙って見ているわけには行きません。啓太様の犬神として、そして一人の女として、愛する人が苦しんでいるのを黙って見過ごしてなるものですか……!

 

「――ようこさん、私に考えがあるのですが」

 

 これは私の自己満足かもしれません。もしかしたら啓太様の迷惑になるかも。

 ですが、啓太様の苦しみを少しでも和らげることが出来るなら――。

 

 




 一か月以内に更新……出来ればいいなぁ。


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第七十八話「一時の母(中)」


 なんとか、今月中に間に合った……。



 

 

 午後の五時、そろそろ啓太様が帰宅する時間です。主人を出迎えるのも犬神の務めであり、家を預かる妻の役目。

 玄関口で主人を待ち構えていると、外から愛しい人の気配が近づいてくるのが分かりました。

 

「……ただいま」

 

「おかえりなさい啓太様。学校の方はどうでした?」

 

 学生鞄を受け取り、啓太様の制服の上着を脱がして差し上げる。少し汗を掻いたのか、啓太様の匂いが強く感じて胸がキュンっとしました。

 私の密かな楽しみが、啓太様から聞く学校での出来事です。一日どのように過ごし、どのようなことがあったのか、毎日のように問う私に啓太様は嫌な顔一つせず話してくれます。

 

「んー……。今日は宿題いっぱい出た。あと先輩がやたら絡んできた」

 

 宿題を片付けると、すぐにご自分の部屋へ向かったのを見送った私はキッチンに入りました。

 

 ――ようこさんはリビングで再放送のドラマを見ていますから、行動を起こすなら今ですね。

 

 啓太様に内緒でこっそり霊薬丸を拝借する。私が必要としているのは黄色の霊薬丸。小瓶からそれを一個取り出し、さらに戸棚から乳鉢と乳棒を持ち出して自室へ向かいます。

 

「念のため施錠もして、と」

 

 各部屋の扉には鍵が付けられています。施錠して外からの侵入を防いだ私はキッチンから持ち出した霊薬丸と乳鉢、乳棒をテーブルの上に置きました。

 私の部屋はようこさんと同じ四十平米ほどの広い洋室で、家具は新堂家から寄付された物をそのまま使っています。新しく家具を買うとなるとそれなりに値段がしますからね。啓太様のお金を任されている身として無駄使いはなるべく避けなければなりません。

 元は薄緑でしたが、現在は白い壁紙に張り替えています。啓太様とお揃いですね。

 部屋には机と椅子の他に木製のテーブル、箪笥、ベッド、本棚、ソファ、テレビ、パソコンなどがあります。テレビとパソコンはこちらに引っ越してきた時に新堂家から譲り受けたもので、あまり活用することはないですね。テレビは基本的にリビングの方を使いますし。

 パソコンはたまに使用します。少し前から薫様のところにいるいぐさから株の見方や買い方などを教わりましたし、調べ物をする時にはインターネットを活用しますね。便利な世の中になったものです。

 それと、この家には各部屋に小さなお風呂がついているんです。全部屋に完備されているわけではありませんが、一階の和室と洋室に一つずつ。啓太様、私、ようこさんのお部屋に一つずつ。三階の空き部屋にもありますね。地下にある大浴場だけでもすごいのに、個室にお風呂があるなんて!と当初は驚いたものです。高級住宅というのは皆そういうものなのでしょうか?

 ただ、自分の部屋を見て感じるのはあまり女性的な内装と言えないところでしょうか。ようこさんの部屋にはクマのぬいぐるみや漫画など女の子らしい部屋ですけど、私は古い女なので可愛らしい部屋とは言い難く、どちらかというとシンプルな感じになっています。

 

「では早速、準備をしましょう」

 

 テーブルの上にキッチンから持ってきた乳鉢を置き、その中に黄色い飴玉のような霊薬を入れると乳棒で砕きました。

 何度も乳棒で砕き、細かな破片となった霊薬をゴリゴリとすります。粉になるまですり潰したら次の段階です。

 乳鉢に手を翳して妖力を注ぎ込みます。ここでポイントなのが一気に注ぐのではなく、弱火で炙るようにゆっくりじわじわと時間を掛けて注ぐことです。

 一分ほどかけて妖力を注ぎ続けると、粉状になった霊薬が淡い光を放ちました。光はすぐに消えてしまい、一見すると変化はないように見えますが、これで準備完了です。

 あとはこの粉状の霊薬を――。

 

「ごめんなさい啓太様……」

 

 今から、あなたの意に反することをします。

 それで少しでもあなたの心の闇が晴れるのなら、私は――。

 

「啓太様、よろしいですか?」

 

「ん、いいよ」

 

 諸々の準備を終えた私はお盆を手に啓太様の部屋にお邪魔しました。

 机に座っている啓太様は仰られた通り宿題をされていました。机の上には数学のテキストが開いていて、手にしたシャーペンでガリガリと文字を刻んでいます。

 

「お疲れ様ですね、啓太様」

 

 お盆に乗せた冷たいお茶を置くと、啓太様は大きく伸びをします。

 ふう、と一息して椅子の背もたれに寄りかかりました。

 

「まあ、ね。数学は苦手……。ん……うまうま」

 

 お茶を一息で飲み干した啓太様。次第に眠気が襲ってきたのでしょう。こくりこくり、と船を漕ぎ始めたのを見た私はベッドでお休みになるように言いました。

 

「啓太様、一度お眠りになったらどうですか? その方が頭もスッキリしますよ」

 

「んー……そうする」

 

 小さなあくびを一つ漏らした啓太様はそのまま寝室に向かい、倒れ込むようにしてベッドに身を投げ出しました。

 

「おやすみなさい、啓太様……」

 

 お茶に即効性の睡眠薬を混ぜたため、数秒もしないうちにスヤスヤと安らかな寝息を立て始める。そんな啓太様の頭をそっと撫でた私はその体にタオルケットを掛けてあげました。

 眠る啓太様に一礼して寝室を出た私はお盆を手にしたまま一階へ。キッチンのシンクにコップを置き、乳鉢や乳棒を元の場所に戻して、と。

 

「睡眠薬は軽めに調整したから、大体効果は二時間くらい。啓太様、きっと驚くでしょうね……」

 

 啓太様にお渡ししたお茶には睡眠薬の他に、粉末にした霊薬も入れてあります。あの霊薬には滋養強壮の効能があり、色んな栄養素が凝縮しているため普通に服用すれば何ら問題ない代物なのですが、一定量以上の妖力を注ぐと、とある副作用が出ます。

 滅私奉公でなければならないのに、今回の件については完全に私の独断行為。主人の意に反することをしてしまいました……。

 ですが、もし私の予想通りなのだとしたら、啓太様のお心を少しでも癒すことが出来るかもしれません。

 ――啓太様、どうか、私のわがままを許してください……。

 

「あれ? なでしこ、ケイタは~?」

 

 ドラマを見終わったようこさんがひょこっと顔を覗かせてきました。

 

「啓太様はお部屋でお休み中ですよ」

 

「ふーん。このところお仕事とかたくさんあったから疲れてるのかな?」

 

「そうかもしれませんね……。ところで今晩はハンバーグにしようと思いますが、ようこさんもそれでいいですか?」

 

「ハンバーグ! いいねそれ! わたし大きいのねっ」

 

「ふふ、はいはい分かりました」

 

 それでは今からハンバーグの種を作りますか。啓太様も喜んでくれるといいんですが……。

 

 

 

 1

 

 

 

「――ん、んぅ……? ふあぁ~……んー……っ」

 

 目がさめた。目をこしこしして大きく、んーってする。

 大きなベッドにねてた。お部屋ってこんなに大きかった? 広いお部屋にボク一人だけしかいなくて、なんだかイヤだ……。

 

「ハケ……? ハケ、どこ……?」

 

 ベッドからおきて周りをキョロキョロするけど、いつもそばにいてくれたハケはいない。

 シクシク、シクシク。心がシクシクする……。

 

「おばあちゃん……? ハケ? みんなどこ……? ヤぁ……ひとりは、ヤぁ……っ」

 

 一人、一人ぼっち。

 一人ぼっちは、ヤダ――ッ!

 

「うぁぁぁ……ぁぁぁあああああぁぁぁぁ~~っ!」

 

 なんだか、かなしくなって、気が付いたらないてた。もう三さいになるのに、わんわんないて。

 今までおばあちゃんもハケも、ボクを一人にすることなかったのに、今はだれもいない。だれも、そばにいない。

 それがすごくかなしくて、さみしくて。

 大きなこえでわんわんないた。

 そしたら――。

 

「啓太様!?」

 

「どうしたのケイタ!」

 

 ドアがバーンって開いて、きれいな女の人が二人やってきた。

 ピンク色のかみの毛のお姉さんと、みどり色のかみの毛のお姉さん。見たことない人。

 知らない人がやってきて、ビックリして思わずなき止んじゃった。

 みどりのお姉さんもビックリした顔でかたまってるけど、ピンクのお姉さんは走ってちかよってきた。

 

「どうしました? なにか怖い夢でもみたの?」

 

 しゃがんでボクと目を合わせると、やさしいこえで言ってくる。

 

「ひくっ……、おきたらね、だれも、いないの……ハケも、おばあちゃん、も……みんな、いないの……っ」

 

「そうですか……。寂しかったんですね、よしよし」

 

 お姉さんはボクをギュってすると、よしよしってしてくれた。なんだか、むねの中がポカポカして、ホッてする。ハケやおばあちゃんにギュってされたときよりも。

 お母さんにギュってされたらこんな感じなのかな……。

 

「――? どうしました啓太様?」

 

 お姉さんにギュってされたまま顔を上げる。首をコテンってさせたお姉さんは、すごくやさしい顔をしていて……。

 もしかして――。

 

「……おかあさん?」

 

 

 

 2

 

 

 

「……おかあさん?」

 

 その単語を耳にした途端、今までに経験したことのない類の衝撃が、全身を走り抜けたのを感じました。

 

「――……っ! ええ、そうですよ! 私が啓太様のお母さんです! とは言っても一時の母親ですが、たくさん甘えてくださいねっ」

 

 思わず啓太様を抱きしめる手に力がこもり、スリスリと頬を摺り寄せてしまいますが、これもそれも可愛らしい啓太様がいけません!

 元々、中性的な顔立ちで女性服とウィッグを着用すれば女の子に大変身する啓太様ですが、まさかこれほどの破壊力を秘めているとは!

 啓太様と初対面したあの頃は六歳だったので今よりもう少し大人びていましたが、今の啓太様は正直色々とヤバいです……! 確かハケ様が啓太様のアルバムを作成していたはずですから今度見せてもらいましょう。

 

「――ハッ! ちょっとなでしこ、どういうことなのよこれ……っ」

 

 愛らしい啓太様の姿を目にして意識を飛ばしていたようこさんが正気に戻りました。啓太様のことを考えてか大声を上げないで詰め寄ってきます。

 

「ちょっと待っていてくださいね啓太様」

 

 廊下に出てしまうと啓太様を一人にさせてしまいますので部屋の隅まで移動します。この距離なら啓太様も聞こえないでしょう。

 きょとんとした顔で大人しくベッドの上にいる啓太様をチラッと見て、ようこさんに事情を説明します。

 

「――啓太様がお母様を恋しがっているのは説明しましたね? おそらく啓太様ご自身も気が付いていないことも」

 

「うん、それは聞いた。ケイタのエッチぃ画像とかもなんていうか、包容力がありそうな人ばかりだったもんね」

 

「そうですね……。そのエッチな画像に関しましては後日、改めて伺うとしまして、啓太様は母親を求めていらっしゃいます。しかし、啓太様の実母である佐江様は宗太郎様とともに今も海外。あちらで何をされてるか存じませんし微塵も興味ありませんが、物心つく前から啓太様のお側には母の代わりとなれる方がいらっしゃらなかったというのが重要です」

 

 母の愛というのを知らず育った啓太様。啓太様のお側には祖母の宗家やハケ様がおりましたし、我が子同然のように愛情を注いでいたのも承知しています。ですが、やはり母としてのそれとはまた違った愛情だと思うのです。

 啓太様に初めてお目に掛かったのは彼が六歳の頃だったと記憶しています。その頃から啓太様は感情表現が苦手で、ともすれば"人形"なんて揶揄されるほど表情が乏しく、周囲の人間たちから邪険に扱われていました。宗家様やハケ様、薫様、宗吾様などを初めとした啓太様の味方もいらっしゃいましたが、総体的にその数は少なく、陰口を叩かれるのも珍しくなかったという話です。

 普通なら心が擦れて性格も歪んでしまいます。我々犬神と同じく、人間にとっても幼少期というのは人格が形成される大事な時期なのですから。

 ですが、啓太様はそのような心無い言葉を言われ、無碍に扱われても泰然としていました。啓太様はご存じないでしょうが、ハケ様や宗家様から、あるいはともはねから、薫様から聞いた啓太様の子供の頃の話を聞かせていたりしていたんです。

 正直、愕然としました。あのような扱いをする人間たちにもそうですが、どのような扱いを受けようとも微塵も動じない、啓太様の在り方に。

 

 ――まだ六歳という若さなのに、なんて強い心をしているの……。

 

 両親というのは子供にしてみれば心の拠り所でもあり絶対的守護者です。いくら泰然としていらっしゃる啓太様といえど、その心がまったくの無傷であると断言できるはずがない。癒すことが出来る、安心できる絶対的守護者が側にいないのですから。

 その証拠が今朝、啓太様が呟かれていた寝言であり、あのパソコンにあった大量のエッチな画像です。

 啓太様はご自身が気付いていないだけで、心の奥底では母親という存在を求めていらっしゃるのです。

 

「そこで私は考えました。どうすれば啓太様のお心を癒して差しあげることができるのか。その答えが、これです」

 

 エプロンのポケットから取り出したのは、あの霊薬丸が入った小瓶。

 

「これは霊薬丸と言いまして、普通に服用する分には問題ないですが、妖力を一定以上込めるとある副作用が起こるんです」

 

「副作用?」

 

「はい。それが今の啓太様の状況。一時的な精神退行です」

 

「ちょっと待って……! ていうことは……今ケイタは精神的に子供になっちゃってるってこと!?」

 

「ぴぃっ――!?」

 

「あっ、な、なんでもないよ~」

 

 ようこさんのビックリした声に啓太様が驚いた様子で飛び上がりました。ふり返ったようこさんは少々固い笑顔を浮かべ、ひらひら~と手を振りました。

 私も小さく手を振ると、安心したのか啓太様も小さく笑顔を見せて手を振り返してくれます。

 

「はい。普段の啓太様ですと遠慮されるのは目に見えているので、勝手ながらこの霊薬丸を使い、啓太様の精神年齢を退行させました。今の啓太様の精神状態は子供の頃に戻っていますので、無意識に抑圧していたものとかが出ている状態です」

 

「でも、なんでこんなことを……?」

 

「当然、啓太様のお心を癒すためです。副作用は二日程度で収まりますので、その間、私は啓太様の母親を務めさせてもらいます。うんと啓太様を甘えさせて、また甘えてもらって、そのお心を少しでも癒すのです!」

 

 それに、いずれ啓太様との子を授かりますから、予行練習としても丁度いいですし。

 私の言葉にようこさんは何かしら衝撃を受けたようで、ふらっとよろめきました。

 

「そ、そんな狙いがあっただなんて……! てっきり、なでしこの性癖が前面に押し出て暴走した結果だと思ったのに!」

 

「私にそんな変なものありませんっ」

 

「コホンッ、まあなでしこが啓太を想って行ったってことは分かったわ。その理由もね。ただ、一つだけ気に食わないことがあるわ……」

 

「伺いましょう」

 

 今回に限っては私の独断、エゴによるもの。

 ようこさんはきっと、啓太様の意思を無視したことに怒っているのでしょう。ですが、それは百も承知の上。

 明日は土曜日で学校はお休みで仕事も奇跡的にないです。なので気兼ねなく啓太様を甘えさせることが出来ます。

 副作用が解けて元に戻った啓太様にその間の記憶があるかは分かりませんは、あろうとなかろうとすべて説明し、その上でどのような罰も受けるつもりです。

 腰に手を当てたようこさんはビシッとこちらを指差し――。

 

「アンタだけお母さん呼ばわりされるなんて、ズルい!」

 

「……えっ?」

 

「ズルいズルいズールーいー! 私もケイタのお母さんになりたい! たくさん甘えさせてあげたーいっ!」

 

「だ、駄々っ子ようこさん……!」

 

 駄々をこねる子供のようにわめき散らすその様から啓太様がつけた呼び名。ここに引っ越してくる前はよく見られた光景ですが、ここ最近は精神的に成長したため引っ込んでいたのに!

 こうなってしまったからには何があっても主張を曲げないでしょう。今までの経験上それは明らかです。

 

 ――欲を言えば、啓太様の母親代わりは私だけがよかったのですが……まあ、仕方ありませんか。乙女協定に抵触するかもしれませんし。

 

「はぁ、わかりました。ようこさんも啓太様の母親の役を買って出るのはある意味いいかもしれませんね。甘える対象が増えるということですし。まあ、まずは啓太様にお伺いを立てましょうか。色々確認しないといけないこともありますから」

 

 それに、先ほどから不安そうな顔でこちらに視線を向けている啓太様を、そのまま放っておくわけにはいきませんからね。

 

「お待たせして申し訳ありません啓太様」

 

「う、ううん、へーきだよ……。えっと……」

 

 啓太様が困ったような顔で私とようこさんを見る。微笑みを浮かべながら腰を落として啓太様と目線を合わせると、ようこさんもそれに倣います。

 ベッドの側で啓太様に寄り添うように腰を下ろした私たちは改めて自己紹介をしました。

 

「自己紹介がまだでしたね。私は啓太様の犬神のなでしこと申します」

 

「わたしはようこって言うの。なでしこと同じで、ケイタの犬神だよ!」

 

「……いぬがみ?」

 

 言葉の意味が分からないのでしょう。可愛らしく首を傾げる啓太様に微笑み返した私はそれには答えず、言葉を続けます。

 

「先程も申しましたが、今日から私は啓太様のお母さんです。いっぱい甘えてくれていいですからね」

 

「私もケイタのお母さんだよ! わたしにもいっぱい甘えてね。ううん、甘えさせるから!」

 

 突然の"私が啓太様のお母さんです!"という発言に目を丸くした啓太様の視線が、私とようこさんの顔を行ったり来たり。

 

「おかあさん……?」

 

「はい♪」

 

 首を傾げながら私の顔を指差しての言葉に大きく頷く。

 

「……おかあさん?」

 

「うんっ♪」

 

 次いで、ようこさんの顔を指差し同じ言葉を投げかける。満面の笑顔で頷くようこさんに啓太様はしばらく何かを考え、結果きょとんとした顔で尋ねてきました。

 

「おかーさん……二人??」

 

 その疑問は当然のこと。普通、母と父は一人ずつであり、それは今の啓太様でも分かる常識です。

 ですが、今はその常識に価値はありません。私たちの目的は啓太様のお心を癒すことであり、そのためには母としての役割を担うことが出来る人でないといけません。

 私の啓太様に対する愛には色々な種類の愛情が内包されていて、一言で言い現わすことは難しいです。啓太様の犬神としての主従愛、一人の女として男性に抱く異性愛、どこか放っておけない弟に対する姉の、そして愛しい我が子に対する母として抱く家族愛。それらがすべてない交ぜになったのが私が抱く、啓太様への愛です。

 ようこさんは――本人でないので憶測でしかありませんが、恐らく私と近しいものを抱いていると思います。主従愛と異性愛はまず間違いないでしょう。特に啓太様という人の男性に対しての愛情は深く、その愛情深さは私と同等であると認めざるを得ないほどです。啓太様を巡る唯一の好敵手ですから。その一方で家族愛ですが、恐らく姉としての愛情に近しいものを抱えていると思いますね。啓太様に対して時々、"弟に構ってほしい姉がスキンシップと称して茶々を入れてくる"ような行動が見受けられますし。ですがようこさんでも母としての役割を担うことは出来ると思います。

 ですが、それ以外に啓太様の母親代わりになれる人はいないでしょう。私たち以外で啓太様に近しい女性といえば薫様のところのともはねになりますが、まあ言わずもがなですし。

 それに、一人の女性としての立場を述べさせてもらうと、私たち以外の女性が啓太様の母になるのは、ちょっと――いえ、かなり嫌ですね……。

 私たち三人の関係はいわば不可侵の聖域のようなもので、絶対的なもの。好敵手であり仲間でもあるようこさんとも互いに認め合った仲だからこそ成り立つ関係で、そこに余所の人が割り込むのは――。

 

「なでしこ?」

 

 ――っ! いけないいけない、つい思考にふけってしまったわ……。

 ようこさんの言葉にハッと意識を元に戻しました。見れば不思議そうな顔で啓太様とようこさんがこちらを見ています。

 

「いえ、ごめんなさい。少し考え事をしていました……。啓太様? あまり深く考えなくていいんですよ。私とようこさんが啓太様のお母さんなんです」

 

「そうそう。むしろ他の人よりお母さんがたくさんいてラッキー!ってくらい思わなきゃ」

 

「なんでもしたいことを言ってください、甘えたかったらうんと甘えてください。遠慮する必要はないですよ。だって、私たちは啓太様のお母さんなんですから」

 

「おかあ、さん……」

 

 なにか感じ入るものがあったのでしょうか。俯きながら"お母さん"という単語を口の中で転がすように繰り返すと、やがてバッと顔を上げました。

 そして、キラキラと目を輝かせて抱き着いてきたのです。ベッドの上で体を起こした姿勢のまま、私の胸に顔を埋めて。

 強く、強く、抱き締めてきました。

 

「おかあさん! おかーさんっ!」

 

 それは、暗闇を彷徨っていた子供がようやく母親(安心)を見つけたような。

 あるいは、自分という存在を訴えかける赤子の産声のような。

 胸の内にわだかまっていた寂しさ、悲しみ、不安など、暗い感情をすべて吐き出し、涙とともに洗い流す。そんな心に響く慟哭でした。

 私の胸に顔を埋め、感情を露にして泣き叫ぶ啓太様が愛おしくて仕方ない。本当に啓太様の母になったような、そんな不思議な気分でした。

 見ればようこさんも慈愛の眼差しを啓太様に――いえ、我が子に向けています。

 視線を交えた私たちは互いに笑みを零し、二人で包み込むように優しく、啓太様を抱き締めました。

 

 




 ちなみに幼児退行したこの啓太の精神状態(性格?)ですが、ちゃんと訳があります。その辺りは次回に明かされますのでお楽しみに。

 それと、なるべく早い投稿を心掛けますが、次回の更新は一か月以上遅れるかもしれません。


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第七十九話「一時の母(下)」

 お待たせしました。



 

 

 時間にして一分でしょうか、それとも十分でしょうか。

 私の胸の中で声を上げて泣いていた啓太様はやがて落ち着きを取り戻すと、腕の中で小さく身じろぎをしました。男の子ですからね、泣き顔を見られて恥ずかしいのかもしれません。

 ですが啓太様は、抱き締める力を緩めても変わらず私の腕の中にいました。むしろベッドから下り、啓太様の方から背中に手を回してきて、きゅっと抱き着いてきます。

 そのお顔は、うっすらと赤くなっていますが、どこか嬉しそう。

 

「えへへ……おかーさん♪」

 

 すごい笑顔。少々顔は赤いですが、甘えた声音で満面の笑みを見せてくれる啓太様に思わず絶句してしまいました。

 一目で甘えてくれていると分かる、無垢なその笑顔。そして、全幅の信頼を寄せた母へ向ける甘えた声。

 それらすべてが私の精神に途方もない衝撃を与え、心が弾む。

 

「~~っ!」

 

「け、ケイタ、すごくかわいい!」

 

「わっ……よーこ、おかあさん? あはは、くすぐったい~」

 

 啓太様の愛らしさに悶える私の隣でようこさんが啓太様に抱き着きました。顔をすりすりさせるようこさんに擽ったそうにしながらも嬉しそうな笑みを零す啓太様。

 ようやく復活した私も啓太様を抱く腕に力を込め、ぎゅぅぅ~っと強く抱きしめました。

 

 さて、少々暴走した感は否めないところですが、いつまでもこのままというわけにはいきません。

 右手を私、左手をようこさんで、それぞれ啓太様の手を繋ぎ仲良く一階のリビングに向かいました。椅子に腰掛けた啓太様にオレンジジュースが入ったコップを渡し、私たちも席に着きます。

 霊薬丸の副作用で精神退行したとはいえ、どこまで退行したのか分かりません。なので今の啓太様の状態を把握するために色々と質問する必要があるのです。

 ちびちびとオレンジジュースを飲む啓太様の姿に思わず笑みが浮かぶ中、まず最初の質問を投げ掛けました。

 

「啓太様は今、おいくつですか?」

 

「んっと、三さい!」

 

「三歳! それじゃあわたしたちのこと覚えてなくても仕方ないね」

 

 ようこさんの言葉に頷きます。ようこさんも私も、啓太様と出会ったのはもっと後ですからね……。

 それにしても、三歳ですか。その頃の啓太様はこんな感じだったんですね~。

 

「啓太様は昨日、何をしていたか覚えていますか?」

 

「きのう~? わかんない!」

 

「そうですか」

 

 精神的に退行しただけでなく、それに合わせて記憶も一時的に封じているといったところでしょう。今のところ混乱などはないようですし問題は無さそうですね。

 不意にクゥ~、と可愛らしい音が聞こえてきました。お腹に手を当てた啓太様が物欲しそうな顔を向けてきます。

 どうやらお腹が空いたみたいです。丁度いい時間ですし、そろそろご飯にしましょう。

 

「ではご飯にしましょうか。今日はハンバーグですよ」

 

「はんばーぐ!」

 

 顔を輝かせる啓太様。よかった、喜んでもらえて。さすが子供に人気の料理ですね。

 

「すぐに出せますから、いい子にして待っていてくださいね」

 

「うんっ」

 

 すでにハンバーグは焼きあがっているので後は盛り付けだけ。席を立った私がそう言うと啓太様は満面の笑顔で頷きました。

 私が初めて啓太様と出会った頃はすでに今の性格で、表情の変化が乏しい姿でした。しかし、霊薬丸の副作用で幼い姿になった啓太様からそんな様子は微塵も感じられません。天真爛漫で無垢なその姿は今とは真逆の性格と言ってもよいほどで、その落差に、過去啓太様の身に"性格が変わるほどの何かがあったのではないか"という考えがよぎってしまいます……。

 ハンバーグを乗せたお皿に付け合わせの野菜を盛りつけながら、そんな考えを心の奥に押し込みました。子供は純粋であるがゆえに勘が鋭いですから。要らぬ心配や不安を掛けたくないですもの。

 今の啓太様の精神年齢は三歳ですが、体は十六歳。なのでハンバーグの大きさは普段通り、拳大ほどの大きさです。ようこさんはよく食べますから啓太様のより心持ち大きめのサイズ。私は一回り小さい拳の大きさ、といったところでしょうか。

 ソースは自家製のデミグラスソース。付け合わせはニンジンとコーン、飾りつけとしてパセリを乗せてみました。それとコーンポタージュのスープ、ツナサラダ、ご飯、そしてデザートのプリンが今日のメニューです。

 

「ん~♪ 子供ケイタ可愛いすぎ~♪」

 

「あははっ、おかあさんくすぐったいよぉ」

 

「こら、暴れないの。大人しくようこお母さんに抱っこされなさいっ」

 

 リビングからようこさんと啓太様の楽しそうな声が聞こえてきます。見れば、ようこさんが膝の上に乗せた啓太様をギュッと抱き締めていました。ご満悦な様子でお腹に手を回し、啓太様の首筋に顔を擦り付けるようにしています。

 それがくすぐったいのでしょう。声を上げて身をよじる啓太様ですが、その笑顔に曇りはなく嬉しそうです。

 

「はい、ご飯ですよ~。啓太様、ちゃんと良い子にしてましたか?」

 

「うん! あのね、よーこおかあさんといっしょにいい子してたよ」

 

「そうですか。啓太様は良い子ですね♪ そんな良い子の啓太様にはご褒美にデザートのプリンもつけちゃいます♪」

 

「プリン!」

 

 小皿に乗ったプリンを見た啓太様が歓声を上げました。みんな大好きぷっ○んプリン。丁度、先日買ったものがあったので出してみましたが、喜んでくれてよかったです。

 ちなみ啓太様は通常のカスタード味、ようこさんはチョコレート味です。

 食事ということで啓太様を膝から下し、自分の隣に座らせるようこさん。料理を並べた私は少々思うところがあり、ようこさんにこんな話を持ちかけました。

 

「ようこさん? 私も啓太様の隣がいいんですけど」

 

「えー。私だってケイタの隣がいいもん。こういうのは早い者勝ちじゃない?」

 

「それだと食事の支度がある私が不利じゃないですか」

 

 テーブルは四人掛けなので必然的に啓太様の隣はどちらかしか座れません。普段の席順ですと啓太様の隣はようこさんで、私もそんなに気になりませんでした。

 しかし、今の啓太様は三歳という幼子。あーんなど食事のお手伝いをしたいです。なので、今回ばかりは啓太様の隣は譲れません!

 お互い主張を曲げないのは明確。なのでここは公正を期してジャンケンで決めましょう。

 全力のジャンケン勝負。動体視力を最大限活かし、互いの動きを読みあいながら手を出す。

 あいこになること三十五回、ようやく勝敗が決しました。

 犬神としての自力は私の方が少々上回っていたようですね。大人げないかもしれませんが、これも勝負。啓太様のお世話は私がさせて頂きますっ。

 ぶぅ~、と唇を突き出して不満を露にしていたようこさんですが、仕方ないかと気分を切り替えて席につきました。ようこさんも大分精神的に成長しましたね。昔ですとそのままダダっ子ようこさんになっていつまでも不満をまき散らしていましたし。

 

「それでは、いただきますしましょうか。さあ、いっしょに手を合わせて、せーの」

 

『いただきます!』

 

 可愛らしい子供特有の掛け声。その愛らしさにホンワカしながら、フォークに手を伸ばしました。

 あっと、自分の食事の前に啓太様の様子を見てみましょう。三歳ですから、上手くフォークとナイフを使い分けるのが難しいかもしれませんし――。

 

「ハンバーグ!」

 

「って、啓太様!?」

 

 見ればフォークをぶすっと突き刺し、丸々ハンバーグに齧りつこうとしている啓太様のお姿が。

 

「だめですよ啓太様、そんな食べ方。メッですよ」

 

 慌てて止めに入り、私のナイフで切り分けて差し上げる。

 お肉を一口サイズに切り分けると、手を添えて啓太様のお口に運びました。

 

「あーん」

 

「あー」

 

 雛鳥のように可愛らしく口を開けた啓太様がお肉を頬張る。もぐもぐと口を動かすその様子を見守りながら、若干の緊張を感じつつ料理の出来栄えを聞いてみました。お口に合うといいんですけど……。

 そして啓太様は私の不安を消し飛ばすように愛らしい笑顔を浮かべてくれました。

 

「おいしい!」

 

「よかった。たくさん食べてくださいね♪ はい、あーん♪」

 

「あーん」

 

 こうして私の手で食べさせていると、なんだか優しい気持ちになります。まるで本当の自分の子の世話を焼いているような、そんな錯覚さえ覚えてしまいそう。

 私たちの間にもこんな可愛い子供ができるといいなぁ……。

 

「むぅ、いいなぁ。わたしもケイタにあーんさせたいよぉ……! 悔しいっ、でも美味しいっ!」

 

 ようこさんは未練がましそうな目を向けながらパクパクとハンバーグを食べています。そんなようこさんの様子に気が付いた啓太様は、なんと自分からあーんを催促したのです!

 

「よーこおかあさん、あーん」

 

 身を乗り出すようにして口を開く啓太様。パァッと顔を輝かせたようこさんは早速お箸で自分のハンバーグを切り分けて、啓太様のお口へ運びました。

 そして私は、美味しそうにモグモグと咀嚼する啓太様の頭を撫でます。良いことをしたら褒めるのは教育の基本ですから。我が家の教育方針は"褒めて伸ばす"です!

 

「ようこお母さんにもあ~んしてあげられる啓太様は偉いですね~。お母さんは啓太様が良い子でとても嬉しいです♪」

 

「ボク、いい子?」

 

「はい♪ 啓太様はすっごくいい子です♪ なでしこお母さんもようこお母さんも、良い子な啓太様が大好きですよ~♪」

 

「ボクも! おかあさんだいすき!」

 

 ニパッ☆、と大輪の花が咲いたような愛らしくも可愛らしい笑顔を浮かべる啓太様に私もようこさんもノックアウト。思わずギュッと抱き締めて頬をスリスリさせちゃいます。

 見ればようこさんも顔を背けてプルプルと肩を震わせていました。顔から愛が溢れてしまいそうなんですね。その気持ち、わかります。

 

「~~っ! ああんもうっ、ケイタ可愛すぎ!」

 

「ふぇぇ、おかあさんたちくるしいよぉ」

 

 席を立ったようこさんは反対側に抱き着き、私と同じように啓太様のサラサラな髪に顔を押し付けると、ぐりぐり~っとします。私とようこさんでサンドイッチされた啓太様は両側から頬を擦り付けるられて苦しそうな声を上げました。しかしそんな言葉とは裏腹に、啓太様のお顔は笑顔でとても嬉しそうです。なので、私たちももっと顔を摺り寄せました。

 このように明るく楽しい食事を続ける私たち。食事を終えるのに普段の倍の一時間も掛けてしまいました。

 

 

 

 1

 

 

 

 食事を終えた後は啓太様をお風呂に入れました。地下一階にある大浴場は銭湯並みの広さを誇り、浴槽は檜木で出来ています。啓太様お一人をお風呂に入れるわけにはいかないので、当然私たちもご一緒することになりました。

 しわが付かないように畳んだ服を籠の中に入れて、タオルを体に巻いて、と。うん、ちゃんとようこさんも丁寧に服を畳んでいますね。無頓着に服を脱ぎ捨てていた頃に比べると、ようこさんは本当に成長しました。人間社会の常識や礼節、女の子としての在り方などを教えていた身としては感慨深いものです――。

 

「んしょ、んしょ……」

 

 見れば啓太様が服を脱ぐのに苦戦していますね。一人で服を着替えるのが啓太様にはちょっと難しいようです。なのでお手伝いしましょう。はい、啓太様バンザーイしましょうね~。

 

「ばんざーい!」

 

「はーい、そのままですよ~」

 

 たくしあげて服を脱がせて、と。次はズボンですね。……恋仲になったとはいえ、殿方のズボンを脱がすのはやっぱり恥ずかしいですね……。

 顔が赤くなるのを自覚しながらも、なるべく見ないようにしてズボンと下着を脱がし、啓太様の腰にタオルを巻いて差し上げた。

 すると、すでに入浴準備が出来ていたようこさんが啓太様の手を取って駆け出しました。

 

「わわっ」

 

「ほら、ケイタ行こ!」

 

「走ったら危ないですよ!」

 

 スッポンポンの啓太様の手を引き「一番風呂ー!」と浴室へ駆け込むようこさんに注意するも、平気平気と受け流してしまっている。これは後でお説教ですね! 啓太様から目を離すわけにはいきませんので、私も慌てて後に続きました。

 

「おふろおっきー!」

 

 銭湯並みに広い浴室に目をキラキラと輝かせた啓太様は、そのまま駆け出し――って!

 

「ダメですよ啓太様! まずは体をゴシゴシしないと!」

 

 お湯が張った浴槽に飛び込もうとした啓太様を慌てて抱き留める。そのまま飛び込んだら熱いですよ!

 

「それと怪我したら危ないですから、走ってはいけません。メッですよ」

 

「あぅ、ごめんなさい……」

 

 腕の中でしょんぼりする啓太様ですが、私が「ちゃんと"ごめんなさい"出来ましたね」と頭を撫でるとすぐに可愛らしい笑顔を向けてくれました。やっぱり啓太様には笑顔が一番似合いますね。

 さて――。

 

「あー、その……ゴメンなでしこ」

 

 バツが悪そうな顔をしたようこさんが小さく頭を下げました。

 どうやら私が何に怒っているのかわかっているようですね。

 

「転んで怪我をしてからでは遅いんです。しっかりしてください」

 

 反省しているようなのでこれ以上は言いませんが、今度からは気を付けてくださいよ?

 ということで、まずは体を洗いましょう。檜木のお風呂に似合う木製の椅子に啓太様を座らせてと。

 

「はい、まずは体を洗いましょうね。お湯かけますよ~」

 

 啓太様の後ろに回った私はシャワーを取るとお湯を出して温度を調整。丁度良い温かさになったら啓太様の背中を流していきます。

 

「熱くないですか?」

 

「うん!」

 

 気持ちよさそうに目を細める啓太様を見ていると心が和みます。ボディソープをタオルに馴染ませたら啓太様の体を洗っていきます。

 強すぎると肌を傷つけ、弱すぎると垢を落とせない。ほどよい力加減で啓太様のお背中をタオルでゴシゴシしていきます。

 

「わたしも洗おっと」

 

 体を覆っていたバスタオルを外したようこさんが隣の席に座りました。

 普段の啓太様ですと、裸のようこさんを前にしたら分かり難いですが僅かなりとも動揺を見せるでしょう。ですが、精神年齢が退行した今の啓太様は三歳の幼子。安心しきった笑顔を浮かべています。それだけようこさんに心を砕いてくれているのでしょう。

 さて、背中を洗い終わったら今度は前の方なのですが、流石にソコを洗うのは恥ずかしいですね……。

 

「啓太様、前の方は自分で洗えますか?」

 

 念のためそう尋ねると、啓太様は恐る恐るこのように聞いてきた。

 

「……おかーさんあらってー?」

 

 甘えようとしてくれているのだと、心が理解しました。そのような姿を見せられてしまっては否と言えないではありませんか! もちろん嫌だなんて言うつもりは微塵もありませんがっ!

 

「わかりました。それでは私が洗わせてもらいますね」

 

 ようこさんは……どうやら気が付いていないようですね、よかった。こんなところを見られたらまた駄々をこねるに違いありませんから。

 何度も体を重ねた関係とはいえ、やはり殿方のそこを触るのは恥ずかしいです……。

 

 ――平常心、平常心で挑むのよなでしこ! 極力気にしないですぐに洗っちゃえばいいの!

 

 自分に言い聞かすように何度も心の内で呟きながらボディソープを手に馴染ませる。殿方のソコはデリケートなので、タオルではなく手で洗った方が良いですから。他意はないですから!

 なるべく無心で洗ったつもりの私でしたが、鏡に映った自分の顔は赤らんでいたと記憶しています……。

 

 その日の夜は三人で川の字になって床に就きました。もちろん啓太様が真ん中です。お疲れなのか、床に就いてすぐに寝入ってしまいました。

 普段の啓太様はそこまで酷い寝相ではないのですが、子供に戻った今は少々様相が違うようでして。ゴロンと寝返りを打っては胸元へ顔を埋めて「おかーしゃん、しゅきぃ……」と甘い寝言を呟き、コアラのように全身で抱き着いてはスリスリと顔を摺り寄せてくる。もしかしたら夢の中でも甘えているのかもしれません。

 そんな可愛いらしい主人の寝相にキュンキュンしてしまって眠れるわけがなく、ようこさんと一緒に愛らしい寝顔を見せる啓太様をずっと眺めていました。

 

 そして翌日。すっかり気を許してくれた啓太様は嘗てないほどの甘えっぷりを見せてくれました。

 どこへ行くにも私たちの後をついて回って、決して離れようとしないのです。お掃除で家中を歩き回っても後ろにピッタリ付いてきて、困ったことにトイレにも付いてこようとするほどです。さすがにそれは恥ずかしいので扉の前で待っていてもらいましたが。

 しかし、そんな啓太様の様子がまるでカルガモの子供のようで、もう私もようこさんもすっかりメロメロです。家事の最中でも我慢できずについ啓太様をギュってしちゃいますもの。

 啓太様の甘えはこれだけではありません。特に一番顕著なのが抱っこです。

 

「おかーさんだっこー!」

 

「だっこしてー」

 

「ぎゅぅーってやって~!」

 

 と、啓太様の方から声に出して要求してくるのです。手を伸ばして甘えてくるその姿、その破壊力たるや凄まじいの一言に尽きます……!

"あの"啓太様が抱っこしてほしいと言ってくるのです。表情らしい表情がなく喜怒哀楽をなかなか表に出そうとしない"あの"啓太様が! これまで甘える姿勢を見せたことがなく、恐らく甘え方というのを知らない"あの"啓太様が……!

 当然抱っこしないわけがなく、むしろ鬱陶しく思われるほど抱っこをして差し上げました。もう十六なのに全然身長が伸びないと嘆いていらっしゃる啓太様は私たちとほぼ同じ背丈です。普通では女性のみで男性を持ち上げるのは厳しいでしょうが、私たちは犬神。妖力で強化すれば啓太様くらいでしたら楽々と持ち上げることができます。なので、私もようこさんも思う存分抱っこをして差し上げました。

 なんにせよ、啓太様にうんと甘えてもらえて私もようこさんも大変満足しています。今回の私の試みは成功したと言っても過言ではないでしょう。

 ですから――。

 

「あの、どうか落ち込まないでください。啓太様は何も悪くないのですからっ」

 

 すべては私が悪いのでして、啓太様は何一つ悪くありません。ですから、いい加減お布団から出てきてください~!

 

 

 

 2

 

 

 

 お布団ナウ。違った、インザお布団ナウ。

 退行していた精神が元に戻った俺はこれまで自分がしてきた出来事を思い返し、即黒歴史認定。

 あまりの酷さに自室の布団へ逃げ込み現実逃避するも、外部からなでしこたちの声がめっちゃ掛かってくる。あまり追い打ちかけんといて!

 俺が、俺があんなことをするなんて! しかも今になって満更じゃないのがなんだか複雑……ッ!

 布団のを被り絶対防御体勢を取りながら、なでしこから事情を聴いた。俺がオカンを恋しがってるという推察は色々とツッコミたいところではあるが、俺を思っての行為だから不問としよう。

 何よりも問題なのは、当時の俺の行いだ! なんだよ「おかーさん」って……なにが「抱っこー」だよ! 気持ち悪いんじゃボケェェェェェ!

 

 弁明させてもらうと、ぶっちゃけあれは俺であって俺でない。俺は生まれた時から前世の意識があったため、生まれながらにして精神が成熟していた。しかし、霊薬丸の副作用によって俺の精神が退行してしまったため、恐らくは前世での子供のような性格に戻ってしまったのだ。いや、戻ったというのも正確ではないな。なにせ前世の子供の頃の記憶とかないもの。

 前世の子供の頃は本当にあんな性格だったのかもしれないし、もしかしたら辻褄を合わせるために新しく作りだした性格なのかもしれない。確かめる術がないから正確なところは分からないが、あの状態の俺は自分でも予想外だったとだけは言える!

 しかし誤算だったのはああやって甘やかされるのも存外悪くなかったということだ。実母とかどうでもいいが、なでしこやようこに子供として甘えるのは、ぶっちゃけよかった。くそっ、まさか俺にそんな性癖があるなんて……!

 なでしこはもちろんながら、ようこも意外と母性的で新たな一面を知った俺。こうなったら開き直って、いっそのこと幼児プレイでも興じるか? 俺に甘えん坊願望が僅かなりとも存在するのだと知ってしまったし、黒歴史に追加しちゃったのだから毒を食らわば皿までの精神で……!

 よぅし、こうなったらトコトンだ! 存分にバブみを感じてオギャってやるっ!!

 この数日後、ごきょうやとともはねの力を借りて改良を施した霊薬丸を服用するのだった。

 

 





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第八十話「世にも奇妙な怪談話」

 

 

 数十年ぶりの異常気象が連日のように報道された今年の夏を乗り越え残暑が遠のくと、季節は露骨なほど秋らしい顔を見せる。

 肌にまつわるような冷たい初秋の風が吹き、夜の帳が降りた町々に明かりが星屑のように散らばっている。

 人々の営みを示す文明の明かりが夜の街を彩る中、高級住宅街を抜けたところにある白亜の洋館。豪邸と呼ぶに相応しいその館の一室では八人の少女たちが身を寄せ合い怪談話に興じていた。

 季節的には遅いが、雰囲気を作るために部屋の電気を消して明かりは数本のロウソクだけ。少女たちは息を呑んで語り手のいぐさの話に集中している。

 

「――亡くなったそのAさんはBさんの会社の同僚でした。彼とは仲が良く、家族ぐるみの付き合いもあるほど親しい友人でした」

 

 ロウソクの灯が眼鏡が白く光り、その表情を窺い知ることはできない。淡々と話を進めていくいぐさに最年少のともはねが赤毛の少女の膝に顔を埋めた。小刻みにカタカタ震えながらも目だけはずっといぐさに向いている。なんだかんだで続きが気になるのだろう。ピンク色のネグリジェにショールを羽織ったせんだんは苦笑しながらともはねの頭を優しく撫でた。

 

「亡くなる半年くらい前のことです。フリークライミングが趣味のAさんは休みがあればあっちの山、こっちの崖へと常に出かけていました。趣味が趣味だけにいつ命を落とすか分からないので、「俺がもし死んだときのためにビデオを撮っておきたいんだ」と 友人であるBさんにビデオを撮ってほしいと頼みました」

 

 固唾を呑む少女たちの一人、ボーイッシュのたゆねがそわそわと身を揺すっていた。ホットパンツにTシャツと言う部屋着姿の彼女は胡坐を搔きながら両手を足の上に置き、落ち着きがない様子で体を揺らしている。他の少女たちはジッと固唾を呑んで続きを待っていた。

 中央に置かれた太いロウソクの火がふと揺らぐ。落ち着いた水色のパジャマを着たいぐさは不気味なほど口調を変えず、能面のような表情で話を続ける。

 

「あらかじめビデオメッセージを撮っておいて、万が一の際にはそれを家族に見せてほしい。そういう彼にBさんはそんなに危険なら家族もいるんだから辞めたほうがいいと言いますが、クライミングをやめることだけは絶対に考えられないとAさんはきっぱり言いました。いかにも彼らしいなと思ったっBさんは渋々と撮影を引き受けます」

 

 ほとんど同じ外見のいまりとさよかが、うんうんと相槌を打つ。

 

「Aさんの家で撮影したら発覚してしまう恐れがあるので、Bさんの部屋で撮ることになりました。白い壁をバックに、ソファーに座ったAさんが喋り始めます。

 

『えーと、僕です。このビデオを見てるということは、僕は死んでしまったということになります。美知子、幸恵、今まで本当にありがとう。僕の勝手な趣味で、みんなに迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っています。僕を育ててくれたお父さん、お母さん、それに友人のみんな、僕が死んで悲しんでるかもしれませんが、どうか悲しまないでください。僕は天国で楽しくやっています。皆さんと会えないことは残念ですが、天国から見守っています。幸恵、お父さんはずっとお空の上から見ています。だから泣かないで、笑って見送ってください。ではさようなら』

 

 もちろんこれを撮ったときAさんは生きていたわけですが、それから半年後本当に彼は死んでしまいました。クライミング中の滑落による事故死で、クライミング仲間によると通常、もし落ちた場合でも大丈夫なように下には安全マットを敷いて登るのですが、この時はその落下予想地点から大きく外れて落下したために事故を防ぎきれなかったのだそうです」

 

 行儀よく正座をしてピンと背筋を伸ばしたなでしこも、段々と雲行きが怪しくなってきた話に気を引き締める。その膝にはすっかりライフがゼロになったようこが顔を埋め、耳まで手で塞いでしまっていた。完全に怯えた姿は幼女と同じであるが、まだ話を聞こうとするともはねのほうが偉い。親友の情けない姿になでしこは人知れず溜息をついた。

 

「通夜、告別式ともに悲壮なものでした。泣き叫ぶAさんの奥さんと娘さん。Bさんも信じられない思いだでした。まさかあの彼が、と。

 一週間が過ぎたときに、友人は例のビデオをAさんの家族に見せることにしました。さすがに落ち着きを取り戻していたAさんの家族は「彼のメッセージビデオがあるなら是非見せて欲しい」と言って来たので、ちょうど初七日の法要があるときに親族の前で見せることになりました。BさんがDVDを取り出した時点で、すでに泣き始める親族。

「これも供養になりますから、是非見てあげてください」とDVDをセットし、再生します。

 ヴーという音とともに、真っ暗な画面が十秒ほど続く。あれ? 撮影に失敗していたのか? と思った瞬間、真っ暗な中に突然Bさんの姿が浮かび上がり、喋り始めました」

 

『えー、僕です。このビデオを……るということは、僕は……んでしまっ……いう……ります」

 

 いきなりどこからともなく聞こえてきた男性の声に少女たちがびくりと身を震わせた。苦笑していたせんだんも、小さくため息をついてようこの頭を撫でていたなでしこも驚いたように顔を上げ、辺りを見回す。

 

「映像は不鮮明でAさんの姿はブレていました。音声も途切れ途切れで、上手く聞き取れません」

 

『美知子、幸恵、今まで本……ありが……』

 

 再びはっきりと聞こえた男性の声。低い声音からして青年だろうか。いぐさを含めた少女たちはもちろん、彼女たちの主人である薫や啓太の声でもない。聞いたことのない類の声だ。この時点でたゆねはカチンコチンに固まり、いまりとさよかは怯えきった顔でしきりに周囲を見回している。せんだんとなでしこも何かを感じずにはいられないのか、一筋の汗が頬を伝った。ともはねはもはや泣きそうで、ようこに至っては失神寸前である。

 男性の声に混ざってヴーという雑音のようなものが聞こえる。砂嵐特有のザーっという音のように、どこか不快だ。

 

「さっきからずっと鳴り続けているヴーという雑音がひどくて声が聞き取りにくい。 そして――」

 

『僕を育ててくれたお父さん、お母さん、それに友人のみんな、僕が死んで悲しんでるかもしれませんが、どうか悲しまないでください。僕はズヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア幸恵、お父さん死んじゃっヴァアアアアアアアアアアアアア死にたくない! 死にズヴァアアアアアアアにたくないよおおおおヴヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 

「ぴゃあああああ! ……あふん」

 

 鼓膜をつんざくばかりの絶叫。あまりの恐怖になでしこの膝に顔を埋めたようこが悲鳴を上げて失神。同じくともはねもブラックアウトし、う~んと唸って目を回していた。

 

「お粗末様でした」

 

 にこりと微笑んでいぐさが頭を下げた。パッと部屋の電気が付き、ガタゴトと音を立ててクローゼットが開く。

 

「……やっほー。我が七大宴会芸が一つ……声帯模写。どだった?」

 

 クローゼットから出てきたのは啓太だった。

 目を丸くして頭に糸くずを乗せたままクローゼットから出てくる啓太を眺める一同。なでしこも話を聞いていなかったようで驚いた顔を主に向けている。唯一、平常心なのはこの場に招いたいぐさだけだった。

 

「え、え? け、啓太様? なぜここに……?」

 

 予想外の人物の登場に普段は冷静沈着なせんだんが珍しく動揺している。

 リーダーの言葉にうんうんと頷くたゆねたち。クローゼットから出た啓太は大きく伸びをして凝った筋肉を解し始めた。前屈をするとパキパキッと音が鳴る。

 軽くストレッチをしながらいつもの無表情で口を開く。

 

「……ん? 遊びに来た。薫仕事でいない。留守組は怪談話してるって、いぐさに聞いた。仲間に入れるべし」

 

「はぁ、それは構いませんが……いぐさ?」

 

 怪訝な目をいぐさに向ける。恐らく部屋に通したのは彼女だろう。男性恐怖症のいぐさは啓太に対しても苦手意識を持っているはずだが、一体どういう心境の変化だろうか。

 そんなせんだんの疑問を感じ取ったのか、少し照れたような笑顔を浮かべる。

 

「その、以前啓太様たちが泊りに来た時があったでしょ。あの時啓太様に助けてもらって以来、啓太様なら大丈夫みたいなの」

 

「そうなの?」

 

「ええ。まだちょっと恥ずかしいけど……」

 

 さすがに気恥ずかしいのか赤くした顔を俯けるいぐさ。

 以前、薫が仕事の都合で家を空けることがあり、その間の犬神たちの面倒を頼まれたことがあった。そのため薫邸に一泊することになった啓太たちなのだが、そこでちょっとしたトラブルがあり、いぐさを庇って啓太が負傷する事態となった。あれが切っ掛けで彼女の苦手意識が改善されたのだろう。

 彼女の変化にせんだんも「そう」と優しい顔で頷いた。

 

「……」

 

「んん~……?」

 

 その一方でピクッと反応を示したのが、啓太の犬神であるなでしことようこだった。

 一瞬片眉を跳ね上げるもいぐさの様子からどのような感情を啓太に向けているのか、その内面を推し量ったところ"恋心ではなさそうだがこの先どうなるか分からないため油断は出来ない"といった結論に達し、結果様子を見ることにしたなでしこ。

 一方で主の気配に目を覚ましたようこも"もしかして恋敵になるかも?"と一瞬警戒するが"いや、単にあれは免疫のなかった男を急に意識したからね"と野生の勘で看破し納得した。恋する乙女は常にレーダーを張り巡らせているのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

「ともはねはもう寝た?」

 

 何故俺がここにいるのか全員が理解を示してから数分。せんだんの言葉に双子が頷いた。

 

「寝たというか」

 

「結局目を覚まさないというか」

 

「とりあえず朝まで起きてはこないと思うよ」

 

 あの怪談は俺が知る話の中でもかなりブルッとくるもので、以前ネットで都市伝説を調べていた時に偶然見つけたものを紹介させてもらった。ともはねが気を失ったのは予想外だが。ちょっと刺激が強すぎたかな?

 仕事の都合で家を空けると薫から聞いたため、お留守番をしているせんだんたちの顔を見るため遊びにやってきた。ちなみに泊まり掛けで遊びにやって来ているなでしこやようこにも俺の訪問する旨は伝えていなかったりする。

 

 ――しかし、いぐさが自分から話しかけてきた上、俺に協力を持ちかけてくるとは思わなかったな。

 

 いぐさとは薫邸に到着したと同時にばったりと鉢合わせてしまった。遊びに来たことを伝えると、緊張した表情を浮かべながら話しかけてきたのだ。これから皆で怪談話をする予定であり、自分にはそういったネタがないため何か良い話はないか、と。 男性恐怖症のいぐさが自分から距離を縮めようとしてくれるその姿勢に感激した俺はそれならと、とっておきのネタを提供すると同時に仕掛けにも協力したのだった。

 

 ――七大宴会芸が一つ声帯模写。声帯も筋肉である以上、操るなんぞちょちょいのちょいだぜ。

 

 脳神経や分泌物質を操作することに比べれば筋肉をコントロールするのは難易度的に易しい。今の俺は自分の意志で動かせる随意筋や、そうでない不随意筋を含めすべての筋肉をコントロールすることが出来る。声帯もコントロールできるため高い声から低い声まで自由自在。立派な宴会芸へと昇華してみせたのだった。

 ともはねが気絶したのは予想外だったが、反応は上々だしよかったよかった。

 

「どうぞ」

 

「ありがと……」

 

 いそいそとなでしこの隣まで移動した俺にティーカップを渡してくれるせんだん。むっ、この味はアッサムか。少し喉を使ったからありがたいね。うまうま。

 

「そーだ! お子様も寝たことだしさ、これからはアダルトな怪談大会にしない? アダルトによるアダルトな怖さでさ」

 

「お、いいねいいねぇ」

 

 いまりの言葉にさよかが諸手を上げて賛成を示す。その言葉に真っ先に反応を示したのがたゆねだった。

 

「く、くだらないよそんなの!」

 

 かちゃっ、とティーカップを鳴らし叫ぶたゆね。上擦った声がその心境を如実に表しており、一目で「あ、怖い系ダメなんやな」と察することができる。なでしこの膝上から俺の背後に移動して抱き着いてきたうちのようこも、プルプルと身体が震えていた。

 

「おやぁ? もしかして怖いのかね、たゆねくん?」

 

「こ、怖いわけないだろ!? そもそもボクたち犬神が怪談なんてやってどうするんだって言いたいだけだよ、ボクは! わは、わはははは!」

 

 格好の獲物を前にした詐欺師のような顔でにやにやと笑いだす双子。適当に流せばいいものを、勝気な性格からかその言葉に乗っかってしまった。

 悪戯っ子のような微笑みを浮かべたせんだんが追い打ちを仕掛ける。

 

「怪異を知るのもある意味、私たちのお勉強だと思うわ。怖くないのなら、このまま話を続けましょうか」

 

「えっ!?」

 

「怖くないんでしょう? ならいいじゃない。それとも、本当は怖がりだったりして」

 

 せんだんの挑発的な言葉に、むっと抗議口調になるたゆね。

 

「ぼ、ボクは別に怖がりじゃないもん! 必要ないだけだもん!」

 

 せんだんはそれを華麗に無視して微笑んだ。

 

「出たら出たで始めましょうか」

 

 リーダがそうと決まれば自然と話はそちらの方向で進んで行く。反対していたたゆねも渋々と従い、群れの上下関係を垣間見た気がした。

 

「じゃあ、次は誰が話す?」

 

 わくわくした様子でいまりが一同を見回した。たゆねがただ一人「く、くだらない! くだらないから是非やめよう!」と言い続けていたが、誰も気に掛ける様子はなかった。

 怪談話のメインキャストに抜擢されてもおかしくない存在が、怖い話をするというこの状況。うーん、なんだろう。普通に考えてカオスだなぁ。

 

「じゃあ折角ですので、ここは啓太様にお手本を示して頂きましょうか」

 

「いいですね。私もそういったお話を聞いたことがないので楽しみです♪」

 

 せんだんの提案になでしこが手を合わせて微笑む。確かにあまりそういう話ってしないね。基本的には学校や仕事、世間話程度の話ばかりだし。

 よーし、それなら俺が経験してきた中で一番怖い話を披露しようではないか!

 

「――フッ、無知は怖い。俺を指名するなんて……。腰抜かしても知らない」

 

 声のトーンを落としてそう脅すと、各々味のある反応が返ってきた。ギュっとクッションを抱きかかえるいぐさに、「く、くだらないから別にいいのに」と言いつつもそそくさとせんだんの影に隠れるたゆね。

 正座をしたいまりとさよかの双子は目を輝かせて身を乗り出し、リーダーであるせんだんは背筋を伸ばして毅然とした表情を見せる。

 対してうちの犬神だが。俺がどんな話をするのか興味津々なのだろう、わくわくした顔でお行儀よく正座したなでしこ。そしてホラー系全般が苦手なようこは俺に圧し掛かるように体重を預けながら、両手で耳を塞いでいた。

 ようこはともかくとして、年長組は落ち着いてますね。しかし、その余裕、果たしていつまで持つかな?

 

「これから話すのは、とてもショッキングな体験談。今まで経験してきた中でも、とびっきり……ね」

 

 こう見えて俺もそこそこ非日常的な経験を味わって来たからな。それなりに引き出しはあるが、今回は特別にとっておきを出しちゃうぜ?

 一呼吸置き、重い口を開く。何を語るのかと、皆が固唾を呑んだ。

 

 

 

 2

 

 

 

 今でもよく覚えている。あれは俺が中二の頃の夏の話だ。

 その日の夜、俺は不気味な夢を見たんだ。

 一人、薄暗い駅のホームに立っていた俺。人気はなく、駅員すらもいない完全の無人駅。そんな無人駅のホームで佇みながら列車を待っていた。

 夢を見ている自覚が不思議とあり、気味の悪い夢だなと思った。普段俺が見る夢はファンタジー溢れるものばかりで、剣や魔法が飛び交う漫画のような世界が多い。夢の内容を忘れることが多いが、覚えているものは大抵そんなのばかりだった。えっ、子供っぽい? うっさい、ほっとけ!

 

 手持ち無沙汰のまま突っ立っていると、やけに精気のない男の声がアナウンスで流れた。何分ほど待っていたのか分からないが、そんなに経っていなかったと思う。

 

『まもなく、列車が参りまぁす。その列車に乗るとあなたは、怖い目に遇いますよぉぉ』

 

 間延びした声が耳についた。さすが夢の中。普通なら業務でこんな喋り方したら一発でアウトだ。第一怖い目ってなんだよ。さすが夢の中。

 突っ込みどころ満載のアナウンスに心の中でツッコミを入れていると、プルルルル――と電車の到着を知らせるベルが鳴り、まもなくして列車が到着した。

 

 ――なんだこれ? 猿の電車?

 

 やって来た列車は遊園地などにある猿の電車だった。二人掛けの席が三つ列を成して並んでいて、それぞれ男女が座っている。

 妙に気になったのはその席に座っている人たちだ。全員やけに精気がなく顔色が悪い。しかも血色の悪い顔は妙に虚ろだった。

 

 ――とりあえず乗るか。

 

 気になることはあるものの、とりあえず乗車する。乗らないという不思議と頭になかった。

 開いている席が最前列の一列目しかなかったため、そこに座る。お隣は黒髪の二十代の女性でこれまた例に漏れず精気のない顔。なにもない宙をボーっと眺めている。

 目の前では車掌帽を頭に乗せた猿が列車を運転している。後ろ姿しか見えないが、その出で立ちは芸を仕込まれた猿そのもの。

 辺りには生暖かい空気が流れていて、夢の中だというのに臨場感があり妙にリアルだった。

 

『それでは出発しまぁす』

 

 ゆるやかに発進した列車。どこへ向かうのか、そこに何があるのか。俺の夢である以上、自身の想像力が試される。不安と期待を胸にドキドキしながら座席に深く腰掛けた。

 ホームを出た列車は徐々に速度を上げて薄暗い闇の中を突き進んでいく。辺りを見回しても視界が利かないほど暗く、到底景色なんて見れない。

 どんな景色が待っているかなとワクワクしていたため拍子抜けした思いだった。

 

『次はぁ、いけづくり駅ぃ。いけづくり駅ぃ』

 

 ――いけづくり駅? そんな駅名あったか?

 

 記憶にない駅名がアナウンスで流れ、首を傾げる。いけづくり……池作り?

 不意に後ろからけたたましい悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると最後尾に座っていた男性に子猿が群がっていた。四匹ほどの子猿は皆血まみれで、包丁を手にしている。

 男は猿に包丁で切り付けられていた。おびただしい量の血を流し絶叫する男。耳が痛くなるほどの大声を上げる男の体を猿たちは「キキッ」と捌いていく。さらには切口に手を突っ込み、腸などの内臓を取り出していく猿たち。床には血まみれの臓器や肉片が散らばり、大量の血が飛び散って辺りが悲惨なことになっていた。

 

 ――えええええ! いけづくりって、そっちぃぃ~!?

 

 魚のほうの活け造りかよ! ていうかこの夢ってホラー系!? 寝る前にみんなで『世にも奇妙なストーリー』を見たからか!?

 まさかのホラーっていうね。ホラー系の夢はあまり見ないからびっくりだよ。しかもグロ系のだし……。いやグロ大丈夫だけど。

 すぐ傍で斬殺事件が起きたというのに他の乗客は見向きもしない。男の隣に座る長い髪の女性もボケ~と宙を見ているだけだ。自分の隣で血塗れ事件が起きたというのになんという無関心っぷり。さすが夢の中!

 

 ――あれ、いねえ! どこ行った、あの活け造り!

 

 ふと気が付くと活け造りにされたあの男は綺麗さっぱりいなくなっていた。初めから乗っていなかったとでもいうように。

 しかし、その席の上には肉の欠片のような物体が残されており、活け造りにされた男――活け男が確かにそこに座っていたのと物語っていた。

 気を取り直して座り直す俺。するとまた――。

 

『次はぁ、えぐりだし駅ぃ。えぐりだし駅ぃ』

 

 ――おっ、これは分かるぞ。抉り出しってことだな。……なにを?

 

 今度のターゲットは活け男の隣に座っている女性のようだ。虚ろな目で宙を眺めている女性の傍らに二匹の子猿が現れた。子猿の手には先端がギザギザ状に尖ったスプーンが。

 えっ、まさか……と思うも束の間。予想通り子猿たちはそのスプーンを女性の目に突き刺し、抉り始めたのだった!

 

『ギャアアアアアアアアアアア――――ッッ!!』

 

 それまで無表情ともいえる虚ろな表情だった顔が壮絶な形相に変貌する。眼球を抉られる痛みというのがどれほどのものなのか分からないが、想像するだけで痛々しく、見るだけで鳥肌が立つ。まさしく想像を絶する凄まじい痛みに違いない。

 喉を潰さんばかりに悲鳴を上げる女性。この人も活け男と同じくされるがままで、逃げようとしない。もしかしたら逃れられないという設定なのかもしれない。それだと俺もちょっと危ないかも……。

 両の眼球を抉られ、その眼窩が露になった。ぽっかりと空いた穴からはドバドバと血が流れている。

 汗と血の匂いが嫌に鼻につく。俺の夢はとうとう臭いまで感じ取るようになったのか!

 

 ――ていうか、眼球の抉り出しって……自分の夢だけどえぐいな……。

 

 自分のことながらそんな思いに駆られる中、ふと意識が引っ張られるような感覚がやってきた。

 これは今まさに覚醒しようとしている合図。今までも何度か同じ経験をしてきたため、すっかり意識が覚醒する感覚というのを覚えてしまったのだ。なんというか、針の糸で意識をヒョイっと引っ張り上げられるようなイメージかな。

 その予想は正しく、目を覚ました俺。あの不気味な夢は不思議と鮮明に脳に焼き付いていたのを覚えている。あの耳をつんざくような絶叫や血と汗の臭いを今でも思い出せるほどだ。

 その時の俺は珍しくホラー系の夢を見たな程度の印象で思うところはなく、特に気に留めず学校へ向かった。

 しかし、この夢がこれまで見た来たものとは毛色が違うということをその夜、知ることになる。

 

「速報です、ニュースをお伝えします。先ほど○○駅近辺の路上で三十代の男性が突然倒れ、心肺停止状態となりました。近くの病院へ緊急搬送されましたが、その後死亡が確認されました。死因は心不全とのことです。亡くなられた男性に持病はなく、現在病理解剖にて死因を調べているところです」

 

 夜のニュースで流れた一方。心不全で突然男性が亡くなったというニュースで、普段ならこういうこともあるんだな程度であまり気にかけることはないのだが、テレビ画面に表示された男性の顔写真を見て思わず声を上げていた。

 テレビに写っている顔写真の男性は、あの夢で活け造りとなった男――活け男その人だったのだから。

 

 ――偶然の一致? それとも……。

 

 嫌な想像を振り払い、その時は偶然の一致だと思い込んだ。きっとどこかで見たことがあったのかもしれない。知らないうちにすれ違っていたとか。

 少し釈然としないがそう結論付けたが、しかしその翌日。朝のニュースでのことだった。

 早朝に似つかわしくない訃報の知らせ。昨夜のニュースと同じく、一般会社員の女性が原因不明の心不全で亡くなったらしい。しかもその女性と言うのが、あの夢で目玉を抉られた女の人と同じ顔だった。

 こんな偶然が二度も起きるものだろうか。何かしらの怪異が絡んでいると思うが生憎心当たりはない。ものすっっごく気になるが、現状どうしようもないからしばらく様子見することにした。

 それから一週間が過ぎ、特に何事もなく日常を送っていたある日のこと。

 

 ――あれ? この夢って確か……。

 

 床に就いた俺は気が付いたらあの猿の列車に乗っていた。前回座っていた席と同じ最前列。隣に座る女性も昨日と同じ黒髪の二十代女性。相変わらずボーっと宙を眺めている。

 最後尾の席には虚ろな目をした女性が座っていて、その隣の空席はおびただしい量の血痕がこびり付き、肉の欠片のようなものが散らばっていた。

 

 ――確か前の夢だとこの女の人、眼球を抉り出されてたよな。現実でも心不全で亡くなってたし。ていうことはこの夢とは特に関係ないのか? でもあの顔写真とめっちゃ似てるんだけど……双子?

 

 てっきりこの夢が関わる怪異だと思っていた。当てが外れて若干肩透かしを食らった気分だ。

 

『次はぁ、えぐりだし駅ぃ。えぐりだし駅ぃ』

 

 ――あ、そっちのパターンっすか。

 

 聞き覚えのあるアナウンスが流れる。なんとなく状況が読めてきた。

 これはそういうことだろう、と確信に近い予想を胸に振り返ってみると。

 

『ギャアアアアアアアアアアア――――ッッ!!』

 

 やはりというべきか。二匹の子猿がギザギザのスプーンを手に、最後列に座る女性の目を抉り出していた。昨夜見た夢をリプレイしているかのようだ。何度見てもエグイ光景である。

 

 ――ていうことは、今回は夢の続きからってことか?

 

 おそらくこれは怪異だろう。夢の中で無残に殺されると現実世界の自分に何かしらの方法でフィードバック。その結果、心不全という形で表れるのだと思う。

 試しに立ち上がろうとするが、俺の体はビクとも動かない。自由は完全に奪われているパターンの夢ね……。

 俺が座っている席は最前列。後ろには二人の男女が座っているから、俺に回ってくるまで時間的猶予はまだある。しかしそれも少しで悠長にしていられる時間でもない。

 体は動かないし、さてどうしようと頭を回転させていると例のアナウンスが流れた。

 

『次はぁ、ひきにく駅ぃ。ひきにく駅ぃ』

 

 次のターゲットは俺の真後ろの女性だった。再び登場した子猿たちは大掛かりの機械を運び込んできた。

 それはヒト一人くらいはスッポリ入れてしまう巨大なミンチ機だ。子猿の一匹が電源を入れると、ドゥルルルル――と唸りを上げて内部の刃が回転し始める。

 ボーっと身じろぎ一つしない女性に十匹以上の子猿が群がり、胴上げするようにその体を持ち上げた。

 

『ウキッ、ウキッ!』

 

『イギャアアアアァァァァァァァ~~~~ッ!!』

 

 そして女性を頭からミンチ機に突っ込んだ。バタつき暴れるその体を子猿たちが抑え込む。ブシャアアアッと血しぶきが飛び、無情にもミンチ機は

女性をどんどん呑み込んでいった。

 ニュルニュル、とミンチ状の肉となって出てくる。むせ返るほどの濃い血の臭いが辺りに漂う。たったの十秒ほどで女性はミンチ肉へと変貌してしまった。

 

 ――さすがにこれはグロすぎる……。

 

 グロ耐性がある俺も人間がミンチになる光景を生で見るのはキツかった。吐いたりはしないけど、それでも精神的にくるものがある。

 それからも淡々と子猿たちの処刑は進んでいく。

【まるやき駅】で豚の丸焼きのように股下から串刺しになり、全身を火で炙られてこんがり丸焼きになった男性。

【おどりくい駅】で巨大な猿に丸のみされた隣に座っていた女性。今までの名からこれが一番マシな死に方じゃないか?

 そして、とうとう残るは俺だけになってしまった。濃い血の臭いに包まれた猿の列車はスピードを落とさず暗闇の中を突き進んでいく。

 この先は一体どこに繫がっているのだろうか。一体、どんな凄惨な【駅】が俺を待ち受けているんだ……。

 

 

 

 3

 

 

 

 そこで一旦話を止め、おかわりの紅茶で喉を潤す。

 予想を超えたグロ話に乙女たちはすっかり血の気が引いて顔をしていた。たゆねに至っては最初の活け造りで意識を手放し、ようこは勝手にせんだんの布団に入り込んで籠城している。

 話を聞いていて不安になったのか、なでしこがしきりに俺の体を触ってきた。幽霊かどうか確かめているらしい。

 ……ちょっとやり過ぎたか?

 

「そ、それで、どうなったんですか……?」

 

 皆を代表してせんだんが聞いてくる。いぐさ、いまりとさよか、なでしこ、布団からちょこっとだけ顔を出したようこの視線が集中する。

 全員の視線を一心に受け止め、口を開いた。

 

「ん……? 別になにも……俺、夢の中、無敵」

 

 群がる子猿をなぎ倒し、車掌の猿を手刀で真っ二つにしてやったZE!

 ごつん、と皆が一斉に額を床に打ち付けた。

 

 

 

【おまけ】

 

 

 

 とうとう俺だけになった。車掌がアナウンスを入れる。

 一体、どんな【駅】が待ち受けているんだ……!

 

『次はぁ、やつざきのけい駅ぃ。やつざきのけい駅ぃ』

 

 これまで暗闇の中を突き進んでいた列車が初めて止まった。

 止まった先には開けた空間が広がっており、そこには何故か四頭の馬が待機していた。

 どこからともなく現れた子猿たちに体を持ち上げられ、馬たちが居る場所まで運ばれていく。よく見れば馬には馬具のようなものが取り付けられていた。

 子猿たちが俺の手足を馬具に備え付けられたロープのようなもので結びつけ固定していく。ここに来てようやく、何をしようとしているのか理解した。

 

 ――八つ裂きの刑って、処刑の方か!

 

 確か四肢を馬や牛に結びつけ、それらを異なる方向に走らせて引き裂く、死刑の執行方法の一つだ。

 

 ――やばいやばいやばいやばい! このままだと俺も他の人たちのように殺される! 動け俺の体ぁぁぁっ!!

 

 手足を動かそうとするがうんともすんとも言わない。やはり体の自由は奪われているようだ。こんな訳の分からない怪異で殺されるなんて冗談じゃないぞ!

 

 ――くそっ、これがいつもの夢だったら……ん? 夢?

 

 そこで俺は気が付いた。怪異が介入しているとはいえあくまでもこれは夢。ならば、いつも見ている夢の中のようにいけるんじゃないか?

 もう時間がない。このまま何もしないより一か八か、あがいてみるか……!

 

 ――思い出せ、夢の中の俺を。あの絶対的な力を……! 夢の俺は最強! 無敵! 超人! 絶対王者! どんな敵もなぎ倒しあらゆる障害をぶっ壊して進む! 訳の分からん怪異に殺られる俺じゃないわああああああッ!!

 

 子猿が鞭を打ち馬に合図を送ると、それぞれが別方向へ駆け出す。俺の手足を引き裂くため、馬たちは嘶きながら力強く地面を蹴る。

 ロープがピンと張り俺は――。

 

「ぬうううう~~ん! ぬるいはボケェエエエエエ!」

 

 気合いで金縛りを解き、両手両足を力尽くで引き寄せる。力負けした馬たちはトラックに激突したかのような勢いで引っ張られ、空中で衝突し合った。

 ウキウキ、騒ぐ子猿たち。うるさいので目からビームを放ち消し炭にしてやったぜ。

 それからというもの、車掌猿は何故か【アイアンメイデン】【ファラリスの雄牛】【ギロチン】といった拷問および処刑系オンリーで攻めてきた。無敵の俺はもちろん真っ向から受けて立った。

 

【ファラリスの雄牛】は古代ギリシャで行われた処刑法の一つであり、中が空洞の真鍮で作られた雄牛の像を使う。胴体には人間を中に入れるための扉がついて、雄牛の中に閉じ込められ、牛の腹の下で火が焚かれる。真鍮は黄金色になるまで熱せられ、中の人間を炙り殺す処刑法だ。この雄牛の頭部は複雑な筒と栓からなっており、苦悶する犠牲者の叫び声が、仕掛けを通して本物の牛のうなり声のような音へと変調されるらしい。

 しかし、無敵な俺にとってはサウナ程度の熱しか感じないね。いつまで経っても開けてくれないから中から蹴破って脱出した。

 

 鉄の処女を意味する【アイアンメイデン】は中世ヨーロッパで刑罰や拷問に用いられたとされる拷問具だ。現在は「空想上の拷問具の再現」とする説が強いらしい。文献によると現存するものは釘の長さが様々で、生存空間はほとんどないようなものから、身体を動かせば刺し傷で済みそうなものまであったそうだ。ここで登場した【アイアンメイデン】は扉を閉めると針で空間が埋まり、到底生き延びることは不可能なタイプだった。まあ無敵な俺には関係ないが。

「フンッ!」と体を締め上げて全身を筋肉の鎧と化してしまえば、扉を閉めて串刺しにしようとしても針が刺さらない。それでも力尽くで閉めると、針がぐにゃっと曲がってしまうという結果に終わったのだった。フッ、軟弱な……。

 

【ギロチン】も【アイアンメイデン】並みに有名な処刑法の一つ。断頭されることから恐怖のイメージが定着しているがその実、極力苦痛を与えないことから人道的な処刑法とも言われている。事実【ギロチン】はフランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用されたらしい。

 刃の落下距離が二・二五メートル、刃や重り、ボルトの重みを合わせた合計四十キロのギロチンの刃。これが囚人の首に到達するときの速度は、摩擦は無視するとしても秒速六・五メートルとなる。確かにそれなら痛みを味わう間もなくあの世に逝けるだろう。

 そして、巨大な刃が落下の勢いに乗ってその首を落とすだが、無敵である俺を断頭するには気合が足りないな。刃が皮膚に少し食い込んだ程度で血も流さない結果となった。

 

 このように出されたすべてのお題を真正面からクリアしていった俺に呆れたのか、車掌猿は『こんなファンキーな客、初めてですよぉ。ちょっと付き合い切れませんねぇ』と言い残し、俺を適当な場所に下して列車とともにどこかへ去って行ったのだった。

 

 ――まあ、それで終わらせるわけがないけどネ! もちろん追いかけて、ボッコボコにぶち殺してやりましたとも。

 

 





 ネットの怖い話をアレンジしたものをお送りしました。後半は猿夢です。
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第八十一話「恐がりたゆね」


 お待たせしました。
 今年最後の投稿になります。



 

 

 乙女+αによる怪談話は大いに盛り上がっている。

 ようことなでしこは持ちネタがないため聞き役に徹していたが、皆のホラー話を楽しんでいるようだ。ようこも良い感じに感覚が麻痺しているようで、俺のショッキングな話に比べればとなんとか耐えられている。

 そして、いよいよ最後の一人に順番が回って来た。トリを務めるのは彼女たちのリーダーであるせんだん。

 

「――これは怖い話、というより因縁話になるかしら」

 

 こほん、と咳払いを一つして静かに語り始める。

 

「とある外国の山奥に小さな修道院があるんだけど、まだ年若い見習いシスターがその年に降った大雪で足を滑らせ、井戸の中に転落して死んでしまったようなの。以来、その見習いシスターの幽霊が夜な夜な徘徊しているそうよ。助けて、助けて、と」

 

 そこで一旦紅茶を飲み、一呼吸置く。続きが気になるのか、皆が息を呑んでせんだんを凝視した。

 なでしこの隣で胡坐を掻いた俺もせんだんの話に集中していた。しかし、いくら待っても話の続きをする気配がない。

 これで終わりよと言わんばかりに、涼し気な顔のせんだん。それまでビクビクして話を聞いていたようこが目をパチクリさせた。

 

「……え? もしかして、これで終わり?」

 

 たゆねが乾いた笑い声を上げた。

 

「は、ははは! なんだ、怖くないじゃん、全然!」

 

 ホッと安堵の吐息を漏らすようことたゆねだが、俺はまだ続きがあるのではと勘ぐっている。これで終わりなら確かに拍子抜けだが、あのせんだんがそれで済ませるとは思えない。

 せんだんは八人――八匹? のリーダーを務めるだけあって、冷静沈着で統率力に優れたしっかりした娘だ。きっとトリに相応しい話になるに違いない。

 見ればなでしこも違和感を覚えているのか、不思議そうな顔を友人に向けていた。

 様々な視線を集めているせんだんだが、すっかり気を緩めてしまっている二人を見ると意味ありげな表情を浮かべた。

 

「ところで、その修道院なんだけど。まあ色々あって結局閉鎖してしまったのよ。ただ、歴史的に価値のある美品のいくつかが日本に運ばれたようでね、その中に死んだ見習いシスターの遺品があったそうよ。例えば、シスターがずっと身に着けていたロザリオとか」

 

「ふ、ふぅん」

 

「ところで、うちの敷地も元々修道院だったけど、随分と曰くつきのものがあるらしいわね。色々と」

 

「ま、まさか……?」

 

 たらっと額から汗を流すたゆねに微笑みかけるせんだん。そういえば以前薫に聞いたが、ここは元々修道院だったらしいな。閉鎖した修道院を改修して今の家になったとのことだ。離れには小さな教会が当時の名残としてある。

 

「ここって何で閉鎖されたか知ってる? 出たからよ、その見習いシスターの幽霊が。助けて、助けて、って泣きながら夜な夜な修道院の中に現れるの。こぅ、恨めし気な顔で、青白い手を伸ばして……」

 

「ハ、ハハハ! ば、馬鹿馬鹿しいよそんなの!」

 

 手を伸ばして幽霊の真似をするせんだんを笑い飛ばすたゆねだが、どこか空元気に見える。

 そういえば、といぐさが驚いた顔で言った。

 

「薫様がガラスケースの中にロザリオを保管しているのは見たことがありますよ。もしかして、あのロザリオって、その幽霊さんのじゃ……」

 

 たゆねの笑顔が引き攣った。表情からして嘘を言っているように見えないし、もうこれ確定でしょ。

 悪戯っ子の顔をしたいまりとさよかがたゆねを揶揄う。

 

「きっとそうじゃない? 今もこの家の中を彷徨ってるんだよ」

 

「たゆねちゃん、助けてぇ……寒いよぉ、たゆねちゃん助けてぇ……って」

 

 背後に回って耳元で幽霊の声真似をする双子。たゆねがぶるっと震えた。

 フッ、甘いな。地声の域を出ていないぞ。しかし、その程度の声真似でビビるたゆねって……ようこ以上の逸材だな。

 よろしい、ここは七つの宴会芸を持つこの俺が見本を見せようではないか。真の声真似とはこうやるのだよ!

 再び声門に意識を集中させた俺は、今度は低い女性の声を真似る。

 

『助けて……暗い、寒い……だれか……助けてぇ……』

 

 出所が分からないように超音波ビーム声法で絞った声を地面に向けた。声というのは音による空気の振動、その波が鼓膜を震わせることで感知することができる。通常の発声法だとこの波は広域に渡って拡散するため周囲の人も声を聞くことが可能となる。

 しかし、気道と声門を操ることで空気の振動をごく狭い範囲に限定し、周囲には聞こえない波に変えて発することができるのだ。これを超音波ビーム声法といい、これも身体操法の恩恵の一つだ!

 地を這うような感じを意識した低い女性の声は、まるで地獄の底から手招く亡者のような雰囲気を醸し出せたと思う。いつか尊敬する声優さんのように、七つの声音を自在に使い分けてみせるぜ……!

 

「ちょっ、なになに!?」

 

「い、今の、女の人の声だったよね……?」

 

 もくろみは見事成功した。せんだんを初めとした皆がビックリした顔で周囲を見回している。唯一なでしこだけが勘付いたようで、仕方ないですねとでも言いたげな苦笑を浮かべていた。

 一つ、誤算があるとすれば――。

 

「なに!? 今の声――」

 

「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ようこの声を遮ってたゆねが突然立ち上がり、部屋から飛び出したことだ。

 

「ちょっと、たゆね!?」

 

 皆の声を振り切りどこかへ行ってしまったたゆね。うん、やり過ぎた!

 

「啓太様」

 

 なでしこの視線が痛いです。怖がるとは思っていたが、まさか逃げ出すとは思ってもみなかった……。

 こればかりは悪ふざけが過ぎた俺に落ち度があるため、大人しくなでしこの説教を受ける。正座で項垂れる反省のポーズを取る俺に皆の視線が突き刺さる。言葉にしなくても伝わる皆の痛い視線。針の筵とはこのことか。

 神妙になでしこのお説教を聞いていたため、この時いまりとさよかの双子がクスッと笑って互いに目配せを交わし合っていたことに気が付かなかった。

 

 

 

 1

 

 

 

 恐怖に支配された心の赴くがままに走っていたたゆねだったが、不意に足を止めた。自分が離れにある教会まで来ていたのだとようやく気が付いたからだ。

 林の隣にあるその小さな教会は修道院時代に使われていたもので今は使用されていない。月に一度、薫と一緒に皆で大掃除を行っているため、少し埃はあるものの汚れてはいない。材木で建てられた小屋はボロいといった印象はなく、年代を感じさせるアンティークのような雰囲気を漂わせている。まだまだ現役だと建物が訴えているのかもしれない。

 見慣れた教会であるため普段なら特に怖がることもないのだが、この時ばかりは"今にも何かが出てきそう"と怯えきっていた。闇夜を照らす月明りは鬱蒼と茂る木々に阻まれてしまっているため、辺りが薄暗くなっているのも要因の一つかもしれない。

 

「こ、怖くなんかない、怖くなんかないぞ。さ、さっさと戻ればいいんだよ、うん!」

 

 別に教会に入るわけではないし、と自分に言い聞かせて来た道を戻る。

 その道中、林の奥に白い何かが見えた気がした。

 

「な、なに?」

 

 また見えた。今度はハッキリと見える。

 林の奥から白いものがこちらに近づいてきていた。ソレは人ほどの大きさを持ち全身を真っ白い布のようなもので覆っていた。ひらひらと布をはためかせながら確実にソレはたゆねの方へと移動していた。

 まるで、一昔前にテレビで見た"オバケの〇太郎"のような姿だ。

 その布オバケはたゆねの元へ近寄りながら女性の声で「たすけて、たすけてぇ」と救助の言葉を発していた。

 

「ひっ!」

 

 たゆねが目を剥き、息を呑む。そこへ――。

 

「たぁすけてェェェェ!」

 

 いつからいたのだろうか。たゆねの背後に佇んでいたのはもう一体の布オバケだった。悲鳴のような救助の言葉を連呼しながら、布オバケがたゆねの首に手を絡めてくる。布で覆われた真っ白い手は、異様なまでに冷たかった。

 

「ひ――」

 

「ねえ、たすけて?」

 

 油が抜けた人形のようにギシギシとぎこちなく振り返ると。林から抜け出した布オバケがすぐそこにいた。

 二体の布オバケに挟まれ「たすけて」と言われながら体に引っ付かれたたゆねの精神はついに臨界点を超えた。

 プツン、となにかが切れた音が鳴り、たゆねの目がスッと半開きになる。

 

「破邪走行・発露×一。たゆね突撃」

 

 たゆねは後ろの布オバケを背に乗せたまま、ゆっくり前傾した。両手を地面に付け、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 

「れでぃ……ごう!」

 

 たゆねの体が青白い妖力に包まれ光り輝くと、掛け声とともに駆け出した。地面を踏み砕き、全力で走り出すたゆねに前の布オバケが慌てて手を振っている。

 

「ちょ、ちょっと! たゆね待って! 待って!」

 

 たゆねのオリジナルである『たゆね突撃』は全妖力を体に溜めて、突進する超荒業である。しかし、その破壊力は折り紙付きで、普通の一軒家程度の家であれば木っ端微塵に砕くほどの威力を秘めている。欠点としては一度走り出すと止まらない点だろう。たゆね自身でもブレーキを掛けることが出来ないのだ。

 列車が猛スピードで向かってきているようなものである。布オバケが慌てるのも当然だ。

 

「きゃあ! きゃあ! たゆね、ストップ! ストォォォォップ!」

 

 後ろの布オバケも懸命に止めようとしていた。しかし暴走列車と化したたゆねは「うぅ~~~~っ!!」と真っ赤な顔で涙目。全く周囲の状況を理解できていない様子だ。

 

「にゃあああああああ――――!」

 

「いやあああああああ――――!」

 

 そして、妖力による爆発が起こり、布オバケをあっという間に空高く吹き飛ばした。

 しかし暴走列車たゆねはまだ止まらない。林に突っ込んだたゆねは木々を薙ぎ倒し、愚直なまでに直線状の物を破壊しながら突き進む。たゆねが通った後には新たな『道』が出来ていた。その様はまるで削岩機のようだ。

 無人の野を駆けるが如く、ひたすら爆走していたたゆねだが、やがて速度を落とし始めた。土埃を巻き上げながら踵でブレーキを掛ける。足を地面にめり込ませながら慣性を殺していき、ようやく止まることができた。

 

「はあ、こわかった……。な、なんだったのかな、あれ?」

 

 額の汗をぬぐい、そう呟く。気が付けば教会まで戻ってきてしまっていた。

 

「……もしかして、いまりとさよかの悪戯かな?」

 

 思いっきり爆走してスッキリしたためか、いささか冷静さを取り戻したようだ。よくよく思い返してみればあの布、シーツのように見えたし、声もいまりたちのそれに近かった。それに、こんなことをするとしたらあの双子以外考えられないだろう。

 そう考えると沸々と怒りが沸いてきた。いまりたちの悪戯は今に始まったことではないが、今回ばかりは許せない。自分がオバケを苦手としているのは知っているだろうに、追い打ちをかけてくるなんて、まさに悪魔の所業である。犬神から小悪魔にジョブチェンジしたらどうだろうか。

 ――こうなったら、戻ってきっちりトドメを刺してやる!

 

「よ、よ~し! 今度こそ確かめてやる!」

 

 そう勢い付き鼻息も荒く腕まくりをするたゆねであったが、視界の端に何かを捉えると、今度こそ完全に彼女の動きが止まった。

 

「……う、うそ」

 

 ギィィ、と教会の古びた扉が独りでに開き、奥から一人のシスターが現れたのだ。

 

「うそぉ……!」

 

 修道服を来たそのシスターは若く、二十代前半のように見える。しかし、その体は半透明で青白く光っており、生きた人間でないのは一目瞭然だった。

 まだあどけなさの残る顔のシスターは驚いた表情でたゆねを見ている。

 胸元には銀色に輝くロザリオが、ハッキリと見えた。

 正真正銘の幽霊が、そこにいた。

 

「ひ……」

 

 腰を抜かしてしまうたゆね。普段は隠している灰色の尻尾が、ドロンと力無く出た。

 これまで散々怯え、膨大な妖力を消費する荒業をつい先ほど使ったばかり。立ち上がろうにも足腰に力が入らない。

 

「ひ……」

 

 半泣き、半笑いのたゆね自身よく分からない表情で呆然と幽霊を見入る。シスターはそんなたゆねの様子に首を傾げ、ふわふわと近寄って来た。

 

『大丈夫?』

 

 たゆねを気遣う思念を送るが、腰を抜かしてしまっている彼女はそれに気が付かない。

 心配そうな表情で地面を滑る様に近づいてくる。

 

『大丈夫?』

 

 イヤイヤとたゆねが精一杯首を振る。心の中で何度も、こないで、こっちにこないで!と叫びながら。

 しかし、その首を振るう動作を「助けが必要」と受け捉えてしまったようだ。シスターは慌てた顔でさらに近寄って来た。

 

『大変! どこか怪我したの?』

 

 たゆねの精神が限界に近付いてきたその時――。

 

「……たゆね?」

 

 林の方から、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 2

 

 

 

 たゆねを探しに外へ出た俺は、取りあえず彼女の妖力を頼りに林の方へ向かっていた。道中、なにやらブルドーザーが通った跡のようなものを見つけ、その通路を進むとたゆねを発見。

 何やら座り込んでいる彼女は呆然とあらぬ方向を見ていた。

 

「……たゆね?」

 

 そんなところで何してるん?

 俺の存在に気が付いた彼女は「啓太様ぁぁぁ~~!」と顔を歪めた。ていうか、顔面蒼白じゃねぇか! マジでどうした!?

 尋常じゃない様子に慌ててたゆねの元へ駆け寄ると、俺の足にひしっとしがみついてきた。プルプルと震えるその姿はか弱い少女そのもので、いつもの勝気な態度はすっかりなりを潜めてしまっている。

 

 ――あれか? 怖くて一人で帰れなかったとか? たゆねほどの怖がりさんだとありえない話じゃないから笑えぬ。

 

 取りあえず彼女を落ち着かせなければ。おーよしよし。こわくない、もうこわくないぞー、とたゆねのボーイッシュな髪を撫でる。気分は怯えた子犬を宥める感じだ。

 たゆねの髪はショートヘアーで触ると結構ふわふわしてる。なでしこもふわふわヘアーだけど、あれよりは少し硬い感じかな。たゆねは毛髪が硬いフレンドなんだね!

 味わったことのない触り心地を堪能しながら、彼女の心を落ち着かせるべくナデナデをしているが、なかなか青白い顔に血の気が戻らない。ホント、何があったし。

 うちの犬神には効果抜群のナデナデなんだが、やはりあれはなでしこ&ようこ特攻の効果か。

 

「け、啓太様……! ゆ、ゆゆ幽霊が……ッ」

 

「……幽霊?」

 

 たゆねが指差す先。そちらを見ると、いつから居たのだろうか。青白い半透明のシスターさんがいらっしゃった。教会の扉が開いていることからして、中から出来たのかな。とりあえず、たゆねはモノホンと出会ってしまい、こうなったのだけ理解した。

 修道服に身を包んだそのシスターは金髪に碧眼と欧米っぽい容姿をしており、驚いた顔で俺たちの方を見ていた。

 

 ――とりあえず、悪い気は感じないから悪霊じゃなさそうだな。ていうか、この人って、もしかしなくてもせんだんの話に出てきたシスターその人だよね? あの話、実話だったのか……。

 

 オイラびっくり!と内心小さな驚愕を覚えながら、とりあえずコンタクトを試みる。

 ていうか、外人さんだけどちゃんと伝わるかしら? 自慢じゃないが、俺英語はメッチャ苦手なんやで? 中学の英語の成績が毎年三なのは伊達ではない。

 まずは挨拶だ。えーっと「こんばんは」を英語で言うには確か……。

 

「……Good evening. It's good night」

 

 ついでに「良い夜だね」と繋げてみた。すべてのスキルを駆使して話を繋げないと。

 俺の言葉にシスターは驚愕の表情を浮かべると、なんと日本語で返してきた!

 

『は、はい。こんばんは……あの、わたしが見えるの?』

 

「……ん。日本語、上手」

 

 ネイティブな日本語ですわ。いや、日本語が伝わるならすごい助かるのだけど。

 そう言うとシスターは苦笑を浮かべた。

 

『これでも日本人なの。祖母がアメリカ人だから、少しだけアメリカの血を引いてるけどね』

 

 俗に言うクオーターというやつですな。格好いいと思います。

 

『わたし、道子っていうの。あなたたちのお名前を聞かせてもらえるかしら?』

 

 ネイティブな日本語を披露するシスター道子さん。名前からして本当に日本人のようだ。

 生前はさぞ見た目から誤解を招いたことだろう、と勝手に想像しながら自己紹介。

 

「……川平啓太。ここの主人、薫の従兄弟。こっちはたゆね。怖がり」

 

「こ、ここ怖がりじゃないもんっ!」

 

 たゆねや、俺にしがみついての発言じゃ説得力ないぞ。こうして言葉を交わしてもまだ怖いらしく、ずっと俺にしがみつき、服を掴んで離さないたゆね譲。いい加減立ち上がりなさい。

 

「む、ムリ。力が入らないです……」

 

 はあ、ダメだこりゃ。ちゃっちゃと送ったほうがいいな。

 幽霊というのはこの世に未練を残した者が成仏できず、現世にとどまる剝き出しの魂のことを差す。肉体があれば魂を保護してくれるため死ぬまで変異することはないのだが、剥き出し状態だと周囲の思念の影響をもろに受けるため、放っておくと高確率で悪霊と化す。そのため、霊能者というのは基本的に幽霊に対しては成仏するように働きをかけるのだ。

 悪霊なら問答無用で成仏(物理)させるのだが、道子さんからはそういったモノ特有の霊気を感じない。人格もまだハッキリと残っているし、善霊の部類だろう。そういう幽霊さんにはなるべく穏便な方法で成仏していただくのが俺のやり方だ。

 ということで、何か未練があるのならズパッと解決するよ。出来る範囲でだがな!

 

『うーん、未練は別にないんだけど』

 

 俺の言葉を聞いた道子さんは困った顔で頬に手を当てた。

 

「……なら、なんで幽霊してる?」

 

 そもそも未練がないなら死んだ時点であの世に逝く。未練があるから成仏できずに幽霊やっているんでしょうが。

 それともあれか? 本人もわからない系? 無自覚的なやつか? うわ、それが一番面倒なんだけど。

 しかし、実際の所は俺の予想の斜め上を行くようでして――。

 

『どうやって逝けばいいのか分からないのよ。マニュアルがあるわけじゃないし、逝き方が分からないの』

 

 困ったわ、わたし説明書をじっくり読むタイプなのに。と嘆く道子さん。……この人、もしかしなくてもメッチャ天然?

 俺も色々な霊媒を請け負ってきたけど、この手のタイプは初めてだわ……。ていうか、成仏の仕方が分からないってこともあるのね。世界は広いなぁ……。

 

「……じゃあ、俺が送る。それでもいい?」

 

『川平君が?』

 

 意外そうな顔をする道子シスター。まあ高校生がお坊さん染みたことをするんだから、奇異に映るだろう。

 でも、これでもそこそこ実績あるんで。

 

『それじゃあ、お願いしてもいいかしら?』

 

「ん」

 

 道子さんから了承も得たことだし、さっさとあの世に送ってあげるかね。だからもう少しの辛抱やで、たゆねさんや。

 背中に隠れへばりついているたゆねの頭をポンポンと叩き、もうちょっとだけ我慢してと声をかけると、目に涙を溜めて震えていた彼女は驚いた顔で俺を見上げた。

 さて、浄霊の一般的な手段としては真言だ。真言というのはサンスクリット語のマントラを漢訳したもので、"真実の言葉""秘密の言葉"という意味を持つ。お坊さんが唱える般若心経も代表的な真言の一つだな。

 修業時代を過ごした仙界。俺に魔術を叩き込んでくれた仙人から真言も習ったのだが、ちょっと奥が深すぎて代表的な真言しか習得できなかった。だって経典で違いがある上に同じ真言でも宗派によって違うし、俺に魔術を教えてくれた先生は全部網羅してるって言ってたけど、百以上もある真言を覚えるなんて一般人には無理! 言ってみれば般若心経ほどの真言を百通り覚えるようなものだ。そう考えるとあの先生、うちの師匠並みにパない人だったんだなぁ。

 おっと、ちょっと思考に耽りすぎたな。さっさと送らねば。成人の善霊だし、ここは光明真言でいいか。

 

「……じゃあ、始める」

 

『はい、お願いします』

 

 神妙な顔で頷くシスターに頷き返し、霊力を練り上げながら真言を唱え始める。

 

「……オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」

 

 光明真言の功徳は過去一切の十悪五逆四重諸罪や、一切の罪障を除滅などがあり、浄霊においてこれほど適したな真言は他にないというのが、先生の言葉だ。これまでこの真言で浄霊した人たちは皆、安らかに逝けているから、事実その通りなのだろう。

 真言で導かれる道子さんは穏やかな顔で受け入れている。

 

『あぁ、あたたかい……とっても良い気持ちだわ』

 

 道子さんの魂が天へ昇っていく中、視線を落とした彼女は優しい微笑みを浮かべた。

 

『ありがとう』

 

 青白い霊気を残して、道子さんの魂は天へ昇った。最期まで彼女を見届けた俺は一つ息を吐き、ボーっと呆けているたゆねに視線を落とす。

 ほれ、終わったで。

 

「あ――」

 

 なにを言われたのか理解できないといった顔をしていたたゆねだが、次第に顔を歪めていった。

 

「啓太様ぁぁ~……ふぐっ、うぇぇ」

 

 ようやく緊張が解けたのだろう。俺の腰に顔を埋め、声を上げて泣き始めた。

 

「おー、よしよし……」

 

 ようこにするように頭をポンポンと撫でて心を落ち着かせようとするが、なかなか泣き止まない。困った。女の子の涙ほど苦手なものはない。

 ホント、困った。これ傍から見たら、俺が泣かせたようなようなものじゃね?

 なでしこたちがやってくる前に泣き止んでくださいマジで! 半ば本気で祈りながらたゆねの頭を撫で続ける俺であった。

 

 





 今年も「いぬがみっ!」にお付き合い下さりありがとうございました。
 来年も頑張って書きますので、どうぞよろしくお願いします!


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第八十二話「ランニングあるある」


 新年あけました。



 

 

「……じゃあ、行ってくる」

 

「はい、行ってらっしゃいませ」

 

 とある休日の昼。今日は依頼もなく特に用事もないオフの日。ジャージに着替えた俺は、ウェストポーチを巻いて日課のランニングに出掛けた。

 平日は学校が、休日は大体依頼が入っているため早朝に軽くランニングする程度で済ませている。

 そのため、今回のように完全にオフの日は珍しいから久しぶりに本格的に走ろうと思ったのだ。ちなみに、なでしこは自宅で家事を、ようこは野良猫会議とやらで外出している。

 今日は天気も良く晴天に恵まれている。涼やかな風が吹き絶好のランニング日和といえるだろう。

 

「……奥玉まで行くか」

 

 奥玉までは距離にして約三十キロ。駅にして八つ先の距離だ。

 この職業は体が資本だからな。ホント、鍛えないと体がもたないよマジで。退魔師という職業がこんなにハードだとは思わなんだ。

 幼少の頃から鍛錬は欠かさず行ってきた。仙界で本格的な修行を行い、今では陸上の長距離選手並みのスタミナがつきました。学校の体育が楽しいです。

 息を整えながらゆったりとしたペースで走っていると、公園に差し掛かったところで見知った顔を発見。

 向こうも俺に気が付き「あっ」と声を上げた。

 

「啓太様!」

 

 人気のない公園にいたのは、薫のところの犬神である"たゆね"だった。

 走り寄って来る彼女の姿は、いつものチューブトップのようなシャツにホットパンツ。これ以外の服を着ているのを見たことないんだけど、流石にそれだけしか持ってないことはない、よな?

 

「啓太様もランニングですか?」

 

「も、ってことは、たゆねも?」

 

「はい。体動かすのは好きなので。……あの、もしよかったら、一緒してもいいですか?」

 

 おや、これは意外な申し出だ。

 もちろん、断る理由はない。ないけど、ついてこれるか?

 

「ん。いいけど、結構走る」

 

「大丈夫です。ボク、結構鍛えてるので!」

 

 ふむ。まあ、そう言うなら同行を認めましょう。

 と、いうことでたゆねちゃんも一緒にランニングすることに。

 

「それで、どこまで行くんですか?」

 

「とりあえず奥玉」

 

「奥玉!? えっ、結構距離ありますけど……」

 

「……無理そう?」

 

「むっ、無理なんかじゃないです! ボクなら奥玉くらい余裕ですよ!」

 

 得意げに言うけど、明らかに無理してる感が伝わって来るたゆねちゃんかーわーいーいー。

 薫の家で怪談話をしたのが三日前のこと。あの日を境にたゆねの態度が少しだけ軟化した。

 これまでは警戒心が高い犬の様にまったく懐く様子もなく、信用するつもりなんてこれっぽちもないと分かるくらいつんけんとしていた。

 不思議と邪険に扱われることに不快感は覚えなかったかな。いっそのこと清々しく思う程のつんけんぷりだもの。

 そんな彼女だが最近では少し態度が和らぎ、警戒心の強い犬から、警戒しながらも歩み寄っても大丈夫か判断する状態に変わった感じがする。

 何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、彼女とも仲良くしたかった俺としては嬉しい変化だ。いや、変な意味じゃなく、純粋に薫のところの犬神たちとは良い関係を築いていきたいと思っている。

 と、まあ。そういうことで、俺としては今回たゆねと一緒にペアでランニングすることで、少しでも仲良くなれれば良いなと思ったり。

 

「啓太様は、よくランニングされるんですかっ?」

 

 二人で黙々と走っていると、たゆねの方から話しかけてきた。

 

「体、資本だから。鍛えないと痛い目、見るっ」

 

 それに体を鍛えるのは嫌いじゃない。鍛えれば鍛えるほど強くなっていくのが実感できるし。

 鍛錬バカ、とまではいかないが、俺が体を鍛えるのが趣味だと教えると、たゆねはお目目をらんらんと輝かせた。

 

「啓太様もですか!? ボクもなんですよ!」

 

 啓太様も同じ趣味だったなんて、気が合うな~! とご満悦な様子のたゆね嬢。

 あら意外。もうちょっと警戒されていると思ったんだけど、意外とハードルが低くなっている?

 そんな俺の視線に気が付いたたゆねが、ハッと我に返った。

 

「あっ、だからといって啓太様を認めたわけじゃないですからね! ボクはそんなにチョロくないですから!」

 

 顔を赤くしながらそう言っても説得力ないよ? まあ、それを指摘したらヒートアップするのは目に見えているのでお口はチャックしますが。

 そろそろ距離にして三キロくらいになるかな。そういえばたゆねは普段どのくらい走っているんだろう?

 

「たゆねは、普段どのくらい走るっ?」

 

「大体五キロくらいですっ。そういう啓太様はっ?」

 

「十キロくらいっ。早朝に一時間で済ますっ。学校もあるからっ」

 

「十キロ! 啓太様って、結構走れるんですねっ」

 

 体力作りは基本中の基本ですから!

 休日のお昼のため外出している人もそこそこいる。

 歩行者の邪魔にならないように、車道の白線の外側を注意しながら走っていると、前方の橋に何やら人が集まっているのが見えた。がやがやと騒いでいる様子から、何かがあったのは間違いないようだ。

 

「あっ! 啓太様、あそこに子供が!」

 

 たゆねが指差した方向。橋の下を流れる川に目を凝らすと、一人の子供が溺れているのが見えた。

 川の横幅は大体三十メートルほど。その丁度中央辺りに、男の子が手をバタつかせている!

 パニックになっている上に服も来ているから、さらに溺れやすい状況だ! 一刻の猶予もないと判断した俺は、ウェストポーチからとある物を取り出した。

 

「……行ってくる」

 

 取り出したソレ――ピ〇チュウのお面を装備した俺は、霊力で身体能力を強化すると勢いよく駆け出した。

 今回は人命が掛かっているので強化度合いは本気のそれ。戦闘時と同等の出力で身体を強化した俺は、堤防を駆け下り、そのまま速度を緩めることなく川に足を踏み入れた。

 水を押し固める独特の感覚が足裏から伝わる。右足が沈む前に左足を踏み出し、再び右足を――。

 古典的な方法だが、ある程度速度があれば力づくで出来てしまう水面走法で水の上を走る。

 幸い昨日は雨が降らなかったため川の流れは緩やかだ。男の子の顔が水の中に消えてしまう前にその体を掬い上げた。脇に抱え込んでそのまま突っ走る!

 防波堤まで駆け上がり、男の子を地面にそっと寝かせる。気管に水が入ったようで激しく咳き込んでいるが、この様子なら大丈夫だろう。

 

「……大丈夫か?」

 

「ぴ、ピ〇チュウ……?」

 

 涙目になりながらも、お面に驚く男の子。恐怖で泣いてもおかしくいだろうに、恐怖心より驚愕が上回るとは、流石はピ〇チュウだ。

 国民に絶大な支持を得る人気っぷりは伊達じゃないな。どこぞの政党なんかとは比べ物にならん。

 橋の上で騒いでいた人たちも口々に驚きの声を上げている。

 

「おい、今、水の上を走ったよな……?」

 

「ていうか、なんでピ〇チュウなんだ……?」

 

「ピ〇チュウ……」

 

「そういえば、波乗りピ〇チュウってあったよな」

 

 そして、誰かが放ったこんな一言が、皆の間に動揺を走らせた。

 

「思い出した! あの子、HANZOUに出てた子じゃない!?」

 

「あっ! そうだ、あのピ〇チュウだよ!」

 

「俺も知ってる! 中学生で前代未聞の記録を叩き出した子だよな! ……えっ、あのピ〇チュウ!?」

 

「絶対そうだって! 水の上を走るなんてあのピ〇チュウくらいしかいないよ!」

 

 ……あー、この展開は予想してなかったわ。そうだね、そういえば俺、HANZOUにピ〇チュウで出演したね。

 顔バレ対策のために持参してきたのだが、まさかあの回を見ていて覚えている人がこんなにいたとは……。

 いや、嬉しいよ。嬉しいけど、これはちょっと困るな!

 とにかく、少年の身が無事なのを確認した俺は握手してくれ、サインしてくれ、顔を見せれくれ、と口々に要求してくる野次馬を掻き分けて、たゆねの元に駆け戻った。

 

「えっ、啓太様?」

 

「……走るぞ」

 

「えっ! ちょ、待ってくださいよ!」

 

 手を取りダッシュ!

 芸能人を追いかける熱烈なファンの如く、執拗に追いかけてくる一般人をどうにか振り切った。

 

「……ここまでくれば、大丈夫か」

 

「あ、あの、啓太様っ」

 

「ん?」

 

 見れば、たゆねは顔を真っ赤にしているじゃありませんか。しかもうっすらと涙を浮かべてまでいるし!

 そのただならぬ様子に慌てて声を掛けると。

 

「て、て! 手っ! いい加減離してくださいっ」

 

「……おお」

 

 いかんいかん、ずっと繋いでいたままだったな。慌てていたものだからすっかり忘れていたわ。

 手を離すとすぐさま飛び退き、捕まれていた手を片手で掴みながらフー!フー!と息を荒げていた。その様子がさながら、警戒する猫のようで和む。

 たゆねって結構初心なんだな~。

 

「……ところで、その仮面は何なんですか?」

 

 落ち着いたところでランニングをリスタート。

 ジトっとした目で質問してくるたゆね。向けられるジト目が心にゾクゾクっと来ます。変な性癖覚えたらどうしよう。

 それはともかく、たゆねの質問だな。それは非常に簡単、もとい単純なものだ。

 

「ん。それは――」

 

「おい火事だってよ!」

 

 見過ごせない単語が出鼻を挫いた。

 声がした方角に目を向けると、高層マンションの一角からもくもくと煙が立ち上っているのが見えた。

 注目を浴びるのを待っていたかのように、途端に火の勢いが外からでも分かるほど増す。

 黒煙がもくもくと立ち上る場所を、必死に消防隊が放水していた。

 

(火事か~。大変やなぁ)

 

「火の勢いすごいですね」

 

 火事の場所は八階の一室らしく、何台もの放水車やはしご車を使って放水しているが、火の出元には届いていないのか収まる気配が見えない。

 

「助けてください! うちの子がまだいるんですっ!」

 

 俺もやゆねも完全に野次馬気分で、ほげーと消火活動を見ていると、またしても見過ごせない単語が。

 三、四十代とみられる女性が消防隊員の人に縋りつくようにして声を上げていた。

 

「――っ! なんだって、まだ人が!?」

 

「祐樹がまだあそこに! 三歳になったばかりなんです……どうか、どうかお願いします!」

 

「なんてことだ……!」

 

 それを聞き、やけに眉毛が太い隊員が渋面を作る。

 あー、こんなこと聞いたら行かない訳にはいかないじゃないか。たゆねもチラチラと俺のことを見てるし。

 小さくため息をついた俺は再びピカチュウのお面を装備して、絶望的な表情を浮かべる女性の元へ向かった。

 

「……子供はどこに? 部屋? リビング?」 

 

「えっ……? こ、子供部屋ですけど……」

 

 ピ〇チュウのお面にそれまでの取り乱しようが沈静化した模様。

 消防士と女性の視線を感じながら前に進むと、消防隊員が注意してきた。

 

「おい、危ないから離れなさい!」

 

 その言葉には申し訳ないが頷けない。

 

 消防隊員の声を意図的に無視していつものように霊力で身体強化を施し、靴を脱いで裸足になると、気を利かせて零体化してくれていたたゆねに小声で話しかけた。

 

「……行くぞ、たゆね」

 

『はいっ』

 

 そして、跳躍した俺はベランダの柵や窓枠などを足場に、飛ぶように駆け上がった。

 火災現場に近づくにつれて、下から聞こえるどよめきの声を意識から除外し神経を研ぎ澄ます。

 ものの数秒で八階に辿りついた俺は割れた窓から中に侵入。身を低くしてなるべく煙を吸わないように口元を手で押さえながら、零体化したたゆねと一緒に子供を探す。

 微弱ながらも霊力を感じるということは、まだ生きている証拠だ。手遅れになる前になんとしても見つけなければ!

 

「あっ、いた! 見つけましたよ啓太様!」

 

 でかした!

 たゆねの元に急いで向かうと、彼女の腕に抱かれる男の子の姿が。ぐったりしていて動かないため慌てて脈を確認すると、力強い反応が。気を失っているだけのようだ。

 

「脱出!」

 

「はいっ」

 

 男の子を受け取った俺は横抱きで彼を抱えると、ベランダに向かって走り出す。いつガスに引火するか分からないからな、急げ急げ! 確か、下にレスキュー隊のエアーマットがあったよな!

 ベランダに出た俺は着地場所を計算しながら跳躍。エアーマットは――よし、合ってる!

 落下を始める中、身体を捻って地面に背を向ける。すると、先程までいた場所――火災現場から爆音が鳴り、火の手が大きく成長したのが見えた。

 あっぶねぇぇぇ間一髪だ! 後、一二秒遅れていたら爆発に巻き込まれるところだったよ!

 背中で風を切りながら、冷や汗とともに口元を引き攣らせたのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

 幸いなことに男の子は無事だった。少し煙を吸ったようだが、直に目を覚ますということだ。

 あの後、男の子の母親からは何度もお礼の言葉を貰い、消防隊員の隊長からは熱烈な勧誘を受けた。

 救出劇を見ていた野次馬も集まり、大混乱を招きそうだったので、いつものようにそそくさと退散した。

 後ろで隊長の「総員、敬礼!」という言葉が聞こえたから振り向いてみたら、なんかズラッと並んだ隊員たちが一斉に敬礼していたよ。隊長なんて熱い涙流してたし……。

 熱い人は見ていて嫌いじゃないから答礼しようかと思ったけれど、そんな空気を察したたゆねに睨まれたので断念しました。

 

「ふぅ……それにしてもすごいですね。立て続けにこんな現場に遭遇するなんて、普通ないですよ」

 

 まあそうだろうね……普通は。

 

「……毎回のこと」

 

「――? どういうことですか?」

 

「何故か、毎回ランニングする度に、こういう現場に出くわす」

 

「えっ、本当ですか?」

 

 ホントホント。見て見ぬふりをするわけにもいかないし、だから身バレしないように毎日お面を持ってきているのだ。

 そのおかげで、ここ最近は「ピ〇チュウのお面をつけたすごい子がいる」との噂も耳にするし、そろそろこの仮面ともお別れしないといけないかも。結構気に入っていたんだけどなぁ。

 

「……次はヒ〇カゲにするか」

 

「なんです?」

 

「……なんでもない」

 

 もしくはゼ〇ガメか。悩みどころだな。

 

「それにしても啓太様のことだから、もしかしたら無視するのかと思ってました」

 

「……困っている人がいたら助ける。人として当然のことをしただけ」

 

 当然のことをして褒められてもな。というか、もしかして見捨てると思われてたの俺? 軽くショックなんだけど。

 

「………………ちょっと見直しました」

 

「……なに?」

 

「な、なんでもないです! ほら、奥玉までまだまだ先なんですから走りますよ!」

 

 顔を赤くして走るペースを上げるたゆね。まあ、俺の地獄耳はしかと彼女の言葉を捉えていたけどね!

 やっぱりたゆねは微笑ましい可愛いさがあると、改めて感じた今日この頃だった。

 

 





 大変お待たせいたしました。
 しばらく、本作を集中して執筆します。


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第八十三話「蘇る変態(上)」

 バレンタインは一昨日だけど。



 

 

 ――憎い……。

 

 ――憎い……。

 

 ――生を謳歌しているアイツらが……。

 

 ――幸せを教授しているコイツらが……。

 

 ――闇の住人には目もくれず、光の世界に生きるすべての人間が……。

 

 ――すべて……すべて、憎い……!

 

 ――この憎悪……生半可なことでは治まらぬ……ッ!

 

 

 

 1

 

 

 

 今日は二月十四日。男の子は一日中ソワソワするバレンタインデーだ。

 毎年この日になると、学校では男子は机の中や下駄箱に意識を配り、異性から声を掛けられるのを今か今かと待っている。傍目からして意識しているのが丸分かりであるが、微笑ましいと捉えるか見苦しいと思うかは人それぞれだろう。

 チョコを一つでも手に入れればそいつは勝ち組。一つも貰えなかった人はもれなく"モテない組"に仲間入りだ。

 そして俺は運が良いことに、毎年勝ち組である。小柄で童顔なためか、はたまたマスコットポジションを確立しているためか、理由は分からないが女子からの受けは良い。

 これまでも何度か告白を受けているし、今日もこの日のためにチョコと一緒に熱い言葉を貰った。もちろん俺にはなでしことようこと言う最愛の恋人が二人もいるので、丁重にお断りしたが。二人いる時点で最愛とは言わないか。

 なんにせよ、今日がバレンタインというイベントデーであり、女子にとっては勝負の日ということだ。

 そして、前もってこの日のためにちょっと高級でお洒落なレストランを予約していたりする。例年では自宅で犬神たちからチョコを貰い甘酸っぱい時間を過ごすのだが、今年は恋人同士になった記念すべき年。

 なので、世間のカップルを見習い、俺たちも恋人らしい時間を過ごそうとデートに出かけることにしたのだ。

 ちなみにレストランの件はサプライズにしていたのだが、長年一緒にいるためかなでしこたちには勘づかれていた。なでしこはともかく、ようこにまでバレていたとは……ちょっと悔しい。

 ということで、現在俺たちは駅前の繁華街にやって来ていた。

 

「やっぱりカップルが多いねー」

 

 カップルで賑わう繁華街を見回し、驚嘆のため息をつくようこ。

 やはり考えることは皆同じか、幸せそうな笑顔を浮かべる男女で溢れかえっていた。

 晴れ切った夜空に、ひどく冷たい風が水のように流れる。暦上では春であるが、まだまだ冬の名残を強く感じる。

 

「今日はありがとうございます啓太様。啓太様からお誘い頂いて、すごく嬉しいです」

 

「うん、わたしも! それにケイタが用意してくれたお店、すっごく楽しみ!」

 

「そうですね。私も楽しみにしていますよ啓太様」

 

 そう言い、いたずらっ子のような目つきで笑うなでしこ。

 

「……ハードル上げないで」

 

 気に入ってくれる自信はあるけど、もしものことを考えちゃうじゃないか!

 

「ふふっ、ごめんなさい。でも、本当に楽しみにしていたんですよ。啓太様がひっそりと何かをしていたのは把握していましたが、詳しい内容まではさすがに知りませんから」

 

「それでそれで、どこに案内してくれるの?」

 

 ワクワク感を抑えきれない様子のようこに苦笑を返す。精神的に大きく成長した彼女だが、こういう子供っぽいところは変わらない。

 本当は店に着くまで内緒にしておきたかったが、仕方ない。

 

「今日は"SOL ET LUNA"。有名なフランス料理店」

 

「ふらんす! なんか凄そう!」

 

「フランス料理ですか! 高級料理だと聞いてますけど……」

 

 これまでの外食でフランス料理店に行ったことはないため、初めて耳にする単語に興奮気味のようこ。

 なでしこは俺のお財布が心配のようだ。家のお金を管理しているのはなでしこであり、我が家のお財布事情をよく知っているのは彼女だ。

 俺が運営しているオカルト専門相談室サイト【月と太陽】での利用者もかなり増え、今では会員数が二千を超えた。結構、オカルト関係で悩んでいる人は多いようで、一日に平均十件は依頼が来る。この辺のスケジュール管理はなでしこに一任しているが、ほぼ毎日なんらかの依頼で埋まっているのが現状だ。

 そのため、具体的にどのくらい稼いでいるのか把握していないが、年収一千万は確実に超えているだろう。それに以前受けた死神事件の報酬である一億もあるし、正直金には困っていない。

 まあ、なでしこが言いたいのは俺のお財布事情だろうけど。金持ちの仲間入りになったからといって生活に大きな変化はなく、未だ小遣い制だし。

 なので、俺が自由に使えるお金は限りがあるのだが、今日という日くらい贅沢してもいいでしょう。

 

「大丈夫。楽しんでくれればそれでいい」

 

 今回予約を入れたフランス料理店"SOL ET LUNA"は、以前ミシュランで二つ星を獲得したことがある名店だ。

 高級レストランというとドレスコードが必要だったり、フランス料理だとテーブルマナーをしっかりしないといけなかったりと、かなり堅苦しいイメージがある。事実、何度か高級料理店に足を運んだことはあるが、かなり堅苦しかった。

 そういう意味では、この"SOL ET LUNA"という料理店はかなりフランクというか、いい意味で肩の力を抜けるお店だ。ドレスコードは必要ないし、テーブルマナーも気にしないでいいらしい。そして完全個室性。

 ようこは堅苦しいテーブルマナーとか苦手だろうから、"SOL ET LUNA"が色々な意味でベストだったのだ。

 

「もう着く」

 

 目的のお店の看板が見えた。ラテン語で【月と太陽】を意味する店名の看板がライトアップされている。

 月と太陽とは、ここのオーナーはいいセンスの持ち主だなと感心しながら、お店に向かうその時――。

 

「きゃあああああ!」

 

 突如、耳をつんざくような悲鳴が。夜とはいえこんな街中での悲鳴に、通行人やカップルたちが足を止めて注視する。

 俺たちも思わず振り返り、悲鳴が聞こえた方に目を向けた。

 

「うわ、変態だ!」

 

「――っ」

 

 ようこが顔をしかめて適切な言葉を、顔を赤らめたなでしこが俺の影に隠れた。

 視線の先には一組のカップルがいるのだが……彼氏が素っ裸なのだ。

 百歩譲って、盛り上がってそういうプレイをしてしまったとしても、まだ人が大勢いる中でなくても……しかもこの寒い日に……。

 色々とやべぇカップルかと思ったのだが、どうも様子がおかしい。というのも、裸体を晒す彼氏は慌てて股間を押さえているし、彼女も両手で顔を覆い、明後日の方角に向けて走り去ってしまったのだ。

 明らかに同意の上での行動ではなさそうだ。とはいえ、彼氏には可哀そうだが、あまり関わり合いにならない方がいいと思い、なでしこたちと一緒にそそくさとお店の方に向かうとする。

 

「……憎い……憎いぞ……この世のすべてが憎い……」

 

 その時、怨嗟に孕んだ声がどこからともなく聞こえてきた。

 何度も聞いたことがある、怨念に満ちた憎悪の声。これは看過できないと足を止め、周囲を注意深く見回す。

 

「啓太様?」

 

「どうしたのケイタ?」

 

 なでしこたちは今の声が聞こえなかったのか、警戒する俺を不思議そうに眺めている。

 シッと口元に指を当てて周囲の気配、特に霊気や妖気を探る。

 そして、上空に妖気が集まるのを感じた!

 

「憎い……! 世のカップルどもが、憎いぃぃぃ……!」

 

 膨れ上がった妖気に伴い空間がぐにゃっと歪む。

 その先に、紺色のローブに身を包んだ人物が、上空に佇んでいた。

 妖気を感知したのだろう。なでしこたちもハッと振り返り、その人物を視界に収める。

 そいつの顔はフードに隠れて見えないが、ブツブツと怨念に満ちた声だけは聞き取れる。

 

「リア充どもなんて……みんな消えてしまええええええええ――――!!」

 

「きゃっ」

 

「えっ、あいつも!?」

 

 バサッとローブを脱ぎ捨てたソイツは、なんと全裸の姿だった。

 洋書のような分厚い本を片手に堂々と仁王立ちするその男。再び股間を見てしまったなでしこが小さな悲鳴を上げて顔を背け、全裸の変態が現れたことに顔を赤らめながらも驚愕の表情を浮かべるようこ。

 そして――。

 

「貴様ら光の住人も、闇堕ちするがいい! みんな露出卿になーれビィィィィィィッッム!!」

 

 男の股間が淡い光に包まれると、そこから一筋の光線が発射された。

 光線に貫かれたのはとあるカップルの男性。それまでホストのようなイケてる服装だったのが、光線に貫かれた途端に服が光とともに弾け飛んだ。

 一瞬で全裸になったその男性は何が何だか分からないといった表情をしていたが、恋人の悲鳴を聞いて慌てて股間を押さえた。

 

「フハハハハ! 我と同様、露出卿になってしまえリア充どもよ!」

 

 次々と股間から全裸ビームを放ち、平和なカップルの夜を阿鼻叫喚の地獄絵図に変えていく。

 な、なんて恐ろしい攻撃を仕掛けてくるんだ……! 人間、羞恥心なんてそうそう捨てられるものじゃないぞ!

 と言うかコイツ、どこかで見たような覚えがあるような無いような……。

 

「あっ、思い出しました! 栄沢汚水です!」

 

「なでしこ?」

 

「去年のクリスマスで仮名さんと一緒に退治した変態ですよ!」

 

「……あー」

 

 そういえばいたな。そんな変態。

 去年のクリスマス、仮名さんからの要請があり、とある悪霊を退治したことがあった。

 そいつはリア充を憎む露出狂の変態で、生前偶然手に入れた魔導書の力で魔王に等しい力を手に入れたのだ。その力を変態活動に使うという生粋の変態だけど。

 だが、英沢は俺がきっちりと引導を渡したはずなんだが。まさか、仕損じたか?

 ともかく、早急に奴を撃滅しないと。ていうか、アイツが持ってる本って前回奴が持っていた魔導書じゃね? あれって仮名さんが管理してるはずなんだが、なぜ奴の手に渡ってるんだ?

 とりあえず仮名さんに連絡しようと携帯を取り出す。

 

「……おお、すごい着信の数」

 

 電源を入れると、仮名さんからの着信が十数件と入っていた。電源を切っていたから気が付かなかったぜ……。

 十中八九、英沢の件だろうな、と思いながら仮名さんへ電話を繋げると、ワンコールで出たし!

 皆にも聞こえるようにスピーカーモードに切り替える。

 

『川平か!』

 

「仮名さん。英沢の件?」

 

『ああ。英沢の名が出てくるということは、奴はすでに?』

 

「ん。絶賛変態活動中」

 

『くっ、やはりか……!』

 

 それはそうと、なんでアイツ復活したん? なんで魔導書持ってるん??

 

『完全に消滅したと、私も思っていた。だが、奴の怨念は残滓となって残っていたらしい。その残滓が運悪く魔導書"月と三人の娘"に取り付き、魔導書の魔力を利用して復活を果たしたんだ』

 

 なに、その展開。残滓から復活するとかあり得ないでしょ……。

 

『気持ちは分かる。だが事実だ。復活した英沢は魔導書の力を使い、再びカップルたちに惨い仕打ちをするつもりだ! 私も今そちらに向かっている! それまで川平、奴の相手を頼む!』

 

 そう言うと、電話を切る仮名さん。

 なでしこたちの「どうしますか?」と言いたげな視線が突き刺さる。

 

「…………」

 

 (`0言0‵*)<ヴェアアアアアアアア!

 

 





 次回の更新は少し遅れます。多分一週間ちょっと。


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第八十四話「蘇る変態(中)」

 

 

「……正直、関わりたくない……」

 

 以前、奴と対峙した時の、あの熱視線は今でも忘れられない……。

 露出狂というだけでも十分なのに、その上ショタコンという属性過多の変態。奴のネットリとした視線ががががががが!

 

「け、啓太様! お気持ちはお察ししますが、今は啓太様しか!」

 

「そ、そうだよ! 皆のピンチなんだから、一発ドカーンってやっつけちゃおうよケイタ!」

 

「…………じゃあ、アレの相手、する?」

 

「……」

 

 一斉に首振るな!

 まあそれは冗談だけが。流石にあんな変態になでしこたちを仕向ける訳にはいかない。

 はぁ、また変態の相手か……さっさと終わらせよ……。

 

「フハハハハハ! 逃げ惑うがよい愚民ども!」

 

 腰に手を当てて絶好調な様子の栄沢。股間からはマシンガンのごとく光の弾丸が連射され、次々とカップルの男性が奴の餌食になっていく。

 しかもどういう訳か標的は全員男というね。あいつショタだけでなくゲイの気もあるんじゃないか?

 

「はぁ……行くか」

 

 覚悟を決めた俺は、奴の前に躍り出た。

 

「むっ? き、貴様は、いつぞやの少年!?」

 

 俺の姿に気が付い英沢の目がくわっと見開く。

 

「ふ、フハハハハハ! これは行幸! ここであったが百年目というやつだ! 今度こそ貴様に露出の良さを叩き込み、どこに出しても恥ずかしくない立派な露出卿にしてくれるっ!」

 

 ショタコンである奴のボルテージが急上昇! 俺のモチベーションが急低下! 奴の汚い逸物が視界にチラチラ入ってくるんだよ!

 くそ、集中できねぇ。俺の脳はモザイク処理を掛けられないのか!?

 とにかくこれ以上被害を出さないようにしなければ。

 いつものように刀を創造しようとするその時――突如、地震が発生した。

 

 かなり大きく、まともに立っていられないほどの揺れで、思わず膝をつく。

 震源地が丁度真下なのではと思うほどの激しい揺れ。建物のガラスが割れ、物が落ち、一般人たちの悲鳴がそこらかしこで上がった。

 宙に浮いている英沢には地震の影響を受けないため、これを機に攻撃を仕掛けてきた。股間から射出される光に触れてしまうと、俺も素っ裸にされてしまう……!

 揺れで上手くバランスが取れない。無様だが、転がってなんとか回避していると、英沢の真下のアスファルトが不自然に盛り上がるのが見えた。

 

「ん? なんだ?」

 

 英沢も気が付き攻撃を中断して真下を見下ろす。

 アスファルトを割り、地面の中から姿を見せたのは――ヘンテコな機械だった。

 二メートル四方はあるであろう、正方形の形をしたコンピューターのような機械。レバーやメーター、計測器、歯車などがそこかしこに取り付けられていて、外装を外して剥き出しの内部を露出させたような見た目をしている。中央には液晶パネルが取り付けられていて、上部にあるランプが赤く点滅を繰り返していた。

 ザ・マシーンとでも言うべきか、非常に男心を擽る見た目をしている。

 

『浮上完了や。続いて魔力リソース確保するでー』

 

 パネルに表示された文字。魔力リソース? なぜ関西弁なんだ……?

 この機械も栄沢絡みなのだろうか。コレが出現してから揺れも収まったし。警戒を怠らずいつでも動けるように身構えていると、ボコンっとアスファルトを吹き飛ばして再び何かが飛び出してきた。

 

(今度はなんだ? 筒? 棺桶?)

 

 横幅が一メートルほど、高さが二メートルほどの鈍い光沢を放つ円柱状の棺桶のような筒が、地面から突き出ている。

 その筒の正面がスライドして開くと、中から無数の鎖が飛び出し、英沢に絡みついた!

 

「な、なんだ!? くっ、離せ無礼者っ! 我は露出卿だぞ!」

 

 抵抗するも凄まじい力で引き寄せられているようで、みるみると筒に引き込んでいく。

 そして――。

 

「露出卿の我がこんなところで――」

 

 カシャンッ!

 小気味良い音とともに筒の中に閉じ込められてしまった。

 俺も、なでしこやようこも、予期せぬ展開にあっけにとられている中、英沢を収容した筒はゴゴゴっと重い音とともに地面の中へ。

 

『よっしゃ! 魔力回復率基準値到達や!』

 

 喜びを表すかのように、巨大な機械に取り付けられたランプが赤、青、白、黄色と激しく点滅する。

 仮名さんに連絡した方がいいのかな? でもなんて言えばいいんだ? 突如出現した棺桶のような筒に栄沢が回収されちゃったんだ! ……自分でも何言ってるのか分からねぇ。

 プチパニックに陥っていると、再びあの筒が現れる。ボコンっと勢いよく地面から突き出たその筒から、何やら妙な気配を感じる。

 栄沢が放っていた怨念ではない。強い存在感とでも言うべきか、今まで感じたことのない気配だ。

 カシャッ、と正面がスライドする。筒の中から濃い霧が出て、中を窺い知ることができない。

 

「……ふむ。三百年ぶりの外界か」

 

「仮名さん?」

 

 筒の中からのそっと現れたのは、栄沢ではなく見慣れた顔の男だった。オールバックに撫でつけた黒い髪。彫りの深い端整な顔立ちに白い肌。百八十ほどの背丈。

 どこからどう見ても明らかに仮名さんだ。匿名霊的捜査官の仮名史郎。俺のお得意さん。ただ、いつも着ている白のトレンチコートにスーツという恰好ではなく、藍色のローブを身に纏っている。目深に被ったフードから覗く顔は無表情で、半目がどことなく眠そうに見える。

 急いでこっちに来るとは言っていたけど、どんな登場の仕方だよ!

 

『ますた~、復活おめでとさん! 調子はどうでっか?』

 

「大殺界か。うむ、全盛期の三分の一といったところだな。まだ魔力を集める必要がある」

 

『さいでっか。まあ三百年も経てば魔力が枯渇してまうのもしゃあないですわ』

 

「そうだな。だが、最低限の魔力は回復し、こうして再び日の目を見ることが出来たのだ。次こそは、我が大望を果たさん」

 

 一体、仮名さんはどうしたんだ?

 ちょっと話しかけ辛い感じがするけど、恐る恐る声を掛けてみる。

 

「……仮名さん、何してる?」

 

「違います啓太様! その者は――」

 

 なでしことようこが駆け寄って来る。なでしこの顔は珍しく焦燥感に駆られた表情で、かなり切羽詰まった様子だ。

 仮名さんの視線がこちらに向く。

 仮名さんを覆っていた濃霧が少しづつ晴れてきた。上半身のローブは見えるが、下半身はまだ濃霧に覆われている。

 

「……犬神使い川平啓太とその雌犬一匹。そして、金色のようこか。今、相まみえるとは……これもまた運命か。

 川平啓太。お前のことはよく知っている。ソクラテスが世話になっているな。感謝しよう」

 

「仮名さん?」

 

「仮名? ……ああ、我が子孫のことか。否、我は仮名士郎にあらず。我が名は――赤道斎」

 

 そして、仮名さんを覆っていた濃霧が、完全に晴れた。それにより、今まで隠されていた下半身が露わになる。

 濃霧の向こうにあった下半身。本来ならローブに隠されて見えないはずのそこは、不自然に切れていた。

 うん、端的に言おう。こいつも、露出狂だよ!

 ズボンはおろかパンツすら履いておらず、男の急所が丸見えの状態だ! しかもガーター付きのストッキングまで履いてる始末!

 な、なんて凄まじい変態度だ……! なんか聞き捨てならない言葉を聞いたような気がするが、視界の暴力がヤバすぎてそんなこと吹っ飛んだぜ……!

 

「また変態!」

 

「いやあああ!」

 

 新たな変態の出現に冷や汗をかくようこ。そんな彼女の肩にしがみ付きえぐえぐと泣き出すなでしこ。今までは気丈に振る舞っていたが、今度ばかりは耐えきれなかったようだ。

 って、赤道斎? 赤道斎って、確か仮名さんが集めている魔導具の生みの親だったよな……?

 え? これが赤道斎!? ただの変態やん!

 

 

 

 1

 

 

 

「ここでは落ち着いて話も出来んな。場所を移すとしよう」

 

 栄沢の変態活動や先の大きな揺れで人々は未だにパニックに陥っている。その騒々しさに半目をさらに細めた赤道斎と名乗った男は指を鳴らした。

 パチンと綺麗な音が鳴ったかと思うと、いつの間にか俺たちはだだっ広い空間に移動していた。ようこの"しゅくち"のような転移魔術だろう。

 連れてこられた場所は広大な宇宙そのものだった。暗黒の敷布の上に銀砂をばら撒いたような星屑。白金の煌めき。少し離れた場所ではミニチュアサイズの太陽が燦燦と輝き、その周囲を数々の惑星が周っている。

 

「お前たちを迎え入れるために臨時で作ってみた。まあ座れ」

 

 クオリティの高い宇宙を前に良い意味で圧倒されていると、目の前に三つの椅子が現れた。見れば赤道斎は既に椅子に座っている。

 言われた通り革張りのひじ掛け椅子に座る。赤道斎が足を組んでくれたおかげで股間を見えずに済むのは嬉しい。

 

「まずは礼を言おう川平啓太。お前のことはソクラテスを通じて見させてもらった。あの子を良くしてくれて感謝する」

 

 そう言うと空間を歪めて、そこに手を突っ込む。

 取り出したのは、なんとコケ子だった。

 

「……ソクラテス?」

 

 コケ子の本名は意外と格好いいものだった。

 

「うむ。我が魔道具の一つ、ソクラテスだ。この子を通じて観察させてもらった」

 

 さらっと犯罪をカミングアウトする赤道斎。え、なに当然のように言ってるの? それって盗撮及び盗聴ってことだよな?

 ソクラテスもといコケ子は久しぶりに創造主と会えて嬉しいのか、元気にコケコケ鳴いている。

 

「……ところで、いい加減服着て欲しい」

 

 足組んでるから見えないけど、いつチラ見してしまうかドキドキするんだよ!

 俺の言葉にものすごい勢いで頷くなでしこたち。言われた本人は今さら気が付いたように呟いた。

 

「ああ、これは失礼した。ソクラテス、川平啓太は少々礼儀にうるさい男らしい。彼の好みにあった服を」

 

「コケー!」

 

 木彫りのニワトリであるコケ子が一鳴きして羽ばたくと、ドロンと赤道斎の体を煙が包む。

 

「こんなものでどうかな?」

 

 煙が晴れると、確かに赤道斎は服を着替えていた。藍色のローブ姿から現代風の仕立てのしっかりしたタキシード姿に。

 だけど、そうじゃない。そうじゃないんだよ! 俺が言いたいのは――!

 

「ズボンを着る!」

 

 なんで上半身だけタキシードスーツで下が丸出しなんだ! めっちゃ格好悪いわ!

 俺の言葉にポンと手を叩く赤道斎。ようやく合点がいったか……。

 

「おお、そうだったな。これは失敬」

 

 再度、コケ子が創造主を煙に包む。

 

「これでどうかな?」

 

「…………」

 

 煙が晴れた後、上下ともにタキシードで身を包んだ赤道斎が現れた。

 肝心の、股間だけ丸く切り取った姿で……!

 

「ダメだ、こいつ完全な変態だよケイタ……」

 

 ようこの言う通り、どうあっても股間は丸出しにするつもりのようだ。変態の矜持とやらだろうか?

 なでしこが赤道斎を直視しないようにしながら質問する。おそらく俺たち全員の疑問を。

 

「赤道斎、なぜ貴方ほどの大魔導士がそのような、えっと……奇妙な格好をされているのですか?」

 

「うん?」

 

 今一度、自分の体を見下ろす。そして心底不思議そうに「……この格好は変か?」と口にした。ガクシ、と頭を垂れるなでしこ。

 よーし、ここまで言って分からないなら、ドストレートに言ってやろうじゃないか。

 

「……なんでチ〇コ丸出し?」

 

「ケイタ!」

 

「啓太様!」

 

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに大きく拍手をするなでしこたち。そうだね、女性の口からチ〇コなんて言えないもんね。

 これ以上ないほどドストレートに伝えてようやく、赤道斎は得心したように頷いた。

 

「ああ、そういうことか。これはな、戒めなのだ」

 

「どういうことですか?」

 

 結構シリアスな感じですか?

 半目をようこに向けると、彼女は感情の読めない視線に一瞬肩をびくつかせた。

 

「金色のようこ。お前の父には随分と辛酸を嘗めさせられたものだ」

 

 目を見開くようこ。俺となでしこも驚いた。まさかようこの親族について言及するとは思わなかった。

 これまで考えたことなかったけど、ようこやなでしこにも当然ながら両親がいるんだよな。なでしこはほにゃらら歳だから恐らく両親は他界しているだろうけど、ようこの方はどうなんだろう。

 父の話を聞いたようこは食いつくように身を乗り出した。

 

「あんた……オトサンのこと知ってるの!?」

 

「ああ、よ~く知っているとも。奴とは浅はからぬ因縁がある。それもあまり良い思い出とは決して言えない。正直、奴の娘であるお前は気に食わぬので、我の襟巻にでもしたいのだが……川平啓太の縁者として特別に目を瞑ろう」

 

「なにを勝手なことを! あんたとオトサンの間に何があったか知らないし興味もないけど、売られた喧嘩なら買うよ!」

 

 激高して今にも飛びかかろうとするようこにオロオロするなでしこ。赤道斎は表情を変えず静かな眼差しで眺めている。

 小さくため息をついた俺は取り合えずようこをなだめた。

 

「ようこ、落ち着く」

 

「ケイタ……! でも」

 

「気持ちは分かる。今は抑える」

 

「…………ケイタがそう言うなら」

 

 ぶすっとしながらも矛を収めたようこの頭をよしよしと撫でてあげる。そんな俺たちを赤道斎は興味深げに眺めていた。

 

「ほう。よく御しているな」

 

「……ようこじゃないけど、喧嘩売ってる?」

 

 これ以上、俺の大切な家族を侮辱するなら容赦しない。本当なら俺も一緒にブチ切れたい気分なんだ。だが、赤道斎がわざわざこんな場所まで用意して対談しようとするのだから、なんとか堪えている。

 そんな思いを込めて睨みつけると、奴は心外とでも言いたげに首を振った。

 

「そんなつもりは毛頭ない。私は事実を言っているまでだ。さて、話が逸れたが私は以前、お前の父と戦ったことがある」

 

「オトサンと!?」

 

「大変業腹だが私は奴に敗れた。あの時から誓ったのだ。この格好を貫くとな」

 

「……どういうことですか?」

 

 全然話が見えない。負けたことが何故、露出に繋がるんだ?

 なでしこも同じ疑問を抱いたのか、怪訝な目で見ている。

 

「では逆に問おう。川平啓太の犬神よ、心して応えよ。なぜ、この格好がいけない?」

 

「えっ?」

 

 その返答は予想外だった。なでしこも目をパチクリとさせている。

 

「不思議だと思わないか? なぜ人は下半身を隠さなければならない?」

 

「そ、それは……」

 

「問おう、川平啓太よ、その犬神と金色のようこよ。女はなぜ上半身も隠す? 男はそれに対し上半身を晒しても許されるのは何故だ? 我には理解できない。お前たちは分かるか?」

 

「え、えっと……」

 

「うぅ~ん……」

 

 返答に窮するなでしこに、腕を組み深く考え込むようこ。

 いや、そんなの簡単じゃん。

 

「……倫理的に問題があるから」

 

「倫理か。では再び問おう。倫理とはなんだ? なぜ猿は裸で許されるのだ?」

 

「……猿と人間は違う」

 

 なんか、段々と哲学の話になってきたぞ……。

 

「我は不思議でしょうがない。なぜ人は猿のように裸になってはいけない? なぜ人は服を着なければならない?

 修身は曰く、すべてを禁じる。自由を禁じる。おかしな話だ。本来、人はすべからく自由なはずなのに、なぜ人間は自らを禁じるのだ。服を着ようと着まいと、どこへ行こうと、なにをしようと、人はすべて自由なはずなのに」

 

 熱弁する赤道斎。自由への執着というか、執念がすごいな……。

 自由か……そうだな。何者にも何事にも縛られない生活とかできたら、楽しいんだろうなぁ。

 だが、それを認めてしまったら、この世は地獄になってしまう。欲望の一切を許容するということはすなわち、殺人や強姦などのタブーも認められるということ。まさに無秩序な世界だ。

 

「我は信じる。いかなるモノを愛でようと、どんな異形であろうと人は自由なのだと。我は自由でありたい。そのために魔導を学び、深淵の先を歩んだ。豚のような束縛された道ではなく、高貴なる人間の混沌たる道を選んだのだ」

 

「赤道斎……貴方の真の望みは?」

 

 なでしこの感情の籠らない凍てついた問いかけに、赤道斎は静かに宣言した。

 

「世界の改変。すべての欲望が肯定され、すべての想いが許容される世界へと作り変える」

 

「……カオスワールド?」

 

「ふむ。混沌の世界か。言いえて妙だな。我が大願が成就した暁には、その名で呼ばせてもらおう」

 

「啓太様……」

 

「ケイタ……」

 

「……ごめんなさい」

 

 だって思い浮かんじゃったんだもの。だからそんな目で見ないでください。

 俺のように表情は動かず、されど言葉に情熱を込めて語り終えた赤道斎は小さく吐息を吐くと、改めて俺に視線を向けてきた。

 

「川平啓太。こう見えて私はお前を評価している。その卓越した霊力、想いの強さ、そしてその縁……どれも必要な要素だ。川平啓太、一つ提案しよう」

 

「ん?」

 

「私と共に来ないか? 共に世界を作り変える偉業を成し遂げる。お前が協力してくれるのであれば、我が大望は大きく前進するだろう」

 

 まさかの勧誘!? え、なんで俺を? まさかお仲間(変態)だと思われた? だとしたら超心外なんですけど!

 

「やだ」

 

 即答すると赤道斎はどこかしょんぼりとした空気を纏った。いや、表情は変わっていないけどね。

 

「……そうか。残念だ」

 

 そうぽつりと呟いた赤道斎。すると、急に体が引っ張られる感覚に襲われた。

 見ると、赤道斎の上空に小さな穴が。ぽっかりと空いた穴はダ〇ソンばりの強烈な吸引でもって俺たちの体が引き寄せられる。

 

「啓太様!」

 

「ケイタ!」

 

 何かに掴まろうにも周囲にあるのは座っていた椅子だけで、踏ん張る地面もない。

 抗う術を持たない俺は椅子に捕まるが、その椅子ごと穴の方へ引き込まれていく。なでしこたちも同様のようだ。

 

「本当に、残念だ」

 

 闇に呑まれるその瞬間、心の底から呟いた言葉が耳に届き――。

 俺たちは闇の中へ引き込まれたのだった。

 

 





 関西弁がよく分からないので、直訳サイトを使用しました。
 執筆意欲が湧くので、感想や評価お願いします!


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第八十五話「蘇る変態(下)」

※以下に注意

 ┌(┌^o^)┐



 

 

「……ここは?」

 

 ブラックホールのような穴に吸い込まれた俺たち。気が付けば先程の広大な宇宙から別の場所に跳ばされていた。

 飛ばされた先は畳張りの広い空間で、パッと見た感じ、お寺の本堂のような所だ。正面には本尊を安置する煌びやかな装飾が施された場所がある。ただ、安置されているのは肝心の仏像や経典などはなく、"自由"と妙に達筆な字で描かれた掛け軸だ。お坊さんが見たら激怒するんじゃないか?

 

「……なでしこ? ようこー?」

 

 周囲になでしこたちの姿はない。二人を探すため本堂から出る。

 廊下の床一面に敷き詰められた木の板はピカピカに磨かれており、縁側から見える庭には微かに青色を帯びた砂利が敷き詰められ、所々飛び石がある。

 ここは赤道斎が用意した場所、つまりは敵地のど真ん中だ。いつ、どこから敵が現れるか分からないため、いつでも戦えるようにしなければ。

 

「……創造開始」

 

 作り出したのはいつもの二尺三寸の刀。

 愛用している無銘の刀を手に、周囲を警戒しながら廊下を歩く。

 

「……いないな」

 

 通りかかった部屋は全て確認しているが、今のところなでしこたちの姿は確認できない。もしかしたら、まったく別の場所に跳ばされたのかもしれないな。

 いくらなでしこたちが強いからと言って相手はあの変態魔導士。どのくらいの実力を秘めているのか分からないが、数々の強力な魔導具を作成したのだから要警戒すべき相手だ。早く合流しないと……。

 今のところ敵に遭遇することもなく、ただ黙々と無人の探索する。庭に出てその先にも行ってみたのだが、どうやら空間がループしているようで、元の場所に戻って来てしまうのだ。

 正門らしき場所はあるのだが扉は固く閉ざされており、塀を乗り越えても再び敷地内のどこかに出てしまう。どこかに脱出の手がかりがあるはずと思い、部屋の一つ一つをしらみ潰しで探っているのだが、中々進捗状況は芳しくない。

 

「……ヤバイな」

 

 実は俺、こういう謎解き系が大の苦手。ゲームでも謎解き要素がある場合、絶対攻略サイトを見るもの。

 俺ってどっちかというと脳筋キャラだからなぁ。物理的に空間を閉鎖しているなら力技でなんとかなりそうだけど、空間を弄っていると難しい。まだ俺の力量では空間をぶった切るような真似は出来ないし。俺が修めている術も状況を打破できそうなものは残念ながらない。

 となると、地道に正攻法で行くしかないのだが、謎解きが苦手な俺がここを脱出するのにどのくらいかかるだろうか。その間、なでしこたちに脅威が迫るかもしれない。

 言い知れない焦燥感が背筋を這う。

 無人の部屋を出た俺は、一旦本堂に戻ることにする。

 すると、どこか遠くで玉砂利を踏みしめる音が聞こえた気がした。

 

(……いや、気のせいじゃない!)

 

 間違いなく誰かいる。それもこっちに近づいているようだ。

 玉砂利を踏みしめる音が徐々に大きくなっていく。しかも走っているようでその感覚は短い。

 ようやく状況が動き出したことに嬉々とした感情を抱いた俺は、敵と思われる場所に自分から向かった。

 果たして、そこにいるのは――。

 

「おおっ、川平!」

 

 まさかの仮名さんだった……。

 一瞬、赤道債かと思ったが、いつもの白いトレンチコートにスーツ姿なので多分仮名さん本人だろう。

 全力疾走している仮名さんは、俺の姿を目にすると「九死に一生を得た!」と言わんばかりに顔を輝かせた。そんな彼の背後には――。

 

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空!」

 

 なんか鎧武者が般若心経を唱えながら追いかけてるし!

 赤い兜に甲冑と、まるで戦国時代の赤備え姿の鎧武者。鈍い光を放つ大太刀を手に遮二無二に振り回しながら仮名さんを追っている。

 大音声で般若心境を唱えながら。

 

「助けてくれ川平ぁ!」

 

「なんでこっち来る!」

 

 仮名さんがこっちに来るから当然、鎧武者もこっちに来るわけで。

 

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色!」

 

 ひぇっ!

 般若心境を唱えながら刀を振り回す鎧武者! 顔全体を覆う総面と呼ばれるお面をかぶっているから表情は見えないし、めっちゃ怖い!

 思わず俺も一緒に逃走の一択を選択してしまった!

 

「なんでここにいる!?」

 

「それは私が聞きたい! 気が付けばここにいたんだ!」

 

「とにかく、中に! 中なら振り回せない」

 

 建物の中であれば障害物もあって好き勝手に刀を振り回せないだろう! 俺も刀装備だけど、あの武者が持ってる太刀って優に二倍近くあるぞ!

 斬馬刀のようなべらぼうに異様に刀身が長く、分厚い刀を片手で縦横無尽に振り回すのだから、それだけで脅威だ。

 建物の中に入り、狭い廊下を走る。壁や柱があるここなら奴も制限されるだろう――と、思っていた時期がありました。

 

「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界!」

 

 止まらない! 全然止まらない!

 寺の中であっても「建物? 知ったことか!」と言わんばかりに太刀を振り回し、壁や柱を破壊しながら後を追ってくる。やべぇ、このままだと先に寺が崩壊するかもしれん!

 

「川平どうする!?」

 

 逡巡は一瞬だった。

 

「――迎え撃つ!」

 

 建物の中で戦えば崩落してしまう可能性があるため、広い中庭に向かう。

 これまで見たことのないタイプの敵だったので少々呑まれてしまったが、もう大丈夫だ。啓太は正気に戻った!

 こっちには仮名さんがいるし、数的に有利だ。挟撃すればいけるやろ!

 

「依般若波羅蜜多故!」

 

 中庭に出た俺たちは、意を決して遅れてやって来た鎧武者と対峙する。

 

「仮名さん!」

 

「応! エンジェル・ブレイド!」

 

 仮名さんが愛用する武器はメリケンサック状の魔道具で、親指方向から霊力で構成された刃を出現させるものだ。

 白い霊力の刃を上段に構えた仮名さんが雄たけびを上げながら突撃する。同時に俺も走り出し、背後に回り込む。

 

「おおおおおおおぉぉぉぉ!」

 

「無罫礙故 無有恐怖!」

 

 遮二無二に振り回す霊力の刃をその大太刀でいなす鎧武者。武者だけあって刀の扱いは上手く、まるで本物の武士のように捌き、いなし、返す刀で反撃する。しかも斬馬刀並みに分厚く、長い大太刀を小枝のように軽々と振り回しているのだ。

 仮名さんもなんとか太刀を受け止め、躱してはいるものの、衝撃までは受け流せない。劣勢に追いやられていく仮名さんを助太刀すべく背後に回り込んだ俺は、不意打ちを仕掛けた。

 狙うは首筋。首回りを守る兜のしころ部分だが、奴の場合は短く頸椎を狙える!

 ちなみに背後から攻撃する時、気合の掛け声を上げるのは厳禁な! 攻撃のタイミングを教えているようなものだから!

 

「得阿耨多羅三藐三菩提!」

 

「……チッ」

 

 だが砂利を踏む音は誤魔化せなかった。不意打ちの気配を感じた鎧武者は、振り向き様に横薙ぎで一閃。

 屈んで回避した俺は咄嗟に刀を奴の足の甲に突き刺した。

 

「故知般若!?」

 

 脛当てはしているが、靴は防御力が低い草履のようなもの。難なく刃は通り、奴の足を地面に縫い付けた。

 振り下ろされる凶刃を転がって回避し、短刀を創造してもう一丁! 両足を縫い付けてやったぜ!

 

「是大明呪……!」

 

「――仮名さん!」

 

「任せろ川平! エンジェル・ブレイ、どぉぉぉ!?」

 

 その場を動けない鎧武者。飛び退いて離脱した俺は、仮名さんにすべてを託すぜ。

 俺の意を組んでくれた仮名さんが意気揚々と駆け出す、のだが――。

 

「あ」

 

「あ」

 

 飛び石に足を引っ掛けてしまうというアクシデントが発生。上段で振り下ろすはずの軌道がズレ、霊力の刃は鎧武者の臀部に突き刺さった。いや、臀部というか……うん。運悪く、肛門に……。

 ぷるぷると鎧武者が震えている。総面を付けているから表情は読めないのだが、とてつもなく何かを我慢しているように見えた。

 

「はんにゃしんぎょう……」

 

 そして、鎧武者は力尽きたように倒れ込んだ。最期の言葉は流石に力がなかったね……。

 なんとも言えない空気が流れ、俺も仮名さんもしばらく無言になってしまうが気を取り直す。

 鎧武者には申し訳ないが、なんであれ敵を倒したんだ。もしかしたら、ここから脱出できるかもしれない。

 そう思った矢先だった――。

 

「妙法蓮華経 序品 第一!」

 

 爆音を響かせて縁側近くにある部屋の障子が吹き飛んだ。そこから現れたのは、別の鎧武者……! しかもあいつ、ロケラン装備してるぞ!

 鎧は先程の武者同様に赤備えだが、装備は大太刀ではなく、何故かRPG7。はい、ゲームでお馴染みのロケットランチャーですよ!

 ちょ、鎧武者の癖して現代兵器は反則やろ!

 

「逃げるぞ川平!」

 

「合点!」

 

「如是 我聞 一時 仏住 王舎城 耆闍崛山中 与大比丘衆万二千人倶!」

 

 ていうか、こいつは妙法蓮華経かよ!

 さっきの鎧武者といい、完全に殺しにきてるよコイツら!

 

 

 

 1

 

 

 

 閉ざされた寺院の中で、ロケットランチャーをぶっ放してくる鎧武者から必死に逃げ惑う啓太と仮名。

 寺の柱や壁が破壊されるが、ある程度寺院が損壊すると自動で修復されるため建物が崩壊することはない。

 必死に戦略を練りながらどうにか破壊の魔の手を攻略しようとする啓太たちを、赤道斎と名乗った大魔導士は半目をさらに細めて眺めていた。

 

「ふむ。川平啓太に関してはもう少し足止め出来そうだな。不遜な我が子孫もいることだし、思いの外、計画は順調に進みそうだ」

 

 現在、赤道斎が居を構える場所は、広大な宇宙が広がる空間ではなく、ゴツゴツとした岩肌に囲まれた洞窟。東京ドーム一つ分に匹敵するほどの広さを誇るそこは、一見すると自然が作り上げた大鍾乳洞のように見えるが、中央を基点に等間隔で円状に広がる巨大な柱や、赤道斎が立っている場所――中央に祭壇めいた壇が置かれているため、明らかに人工的に作られた空間であると分かる。

 中でも異様な存在なのが、祭壇のような壇の後ろに鎮座している巨大な機械のようなものだ。複雑なメーターやレバー、計器、歯車が節操なく取り付けられ、一つ一つのパーツが馬鹿デカい。

 啓太たちの前に出現したコンピューターのような機械。それを何倍にも大きくしたものが、デンッと鎮座しているのだ。十メートル四方はあるだろう。

 上部に取り付けられている大型のパネルに、文字が映し出される。

 

『ほな、ますた~。本格起動するっちゅうことでええのん?』

 

「うむ。頼むぞ大殺界」

 

『了解や。ほな起動準備に入りまっせ』

 

「これで私は完全なる復活を果たすことが出来る。長かったか、あるいは短かったか……なるようにしかならんな」

 

 赤道斎の前には拳大ほどの群青色の水晶玉が浮かんでおり、空間に投映する形で啓太たちの状況をリアルタイムで鑑賞していた。

 赤道斎が指先をくるっと旋回させると、水晶玉が一回転して、別の場所を空間に投映する。テレビの二画面設定のように左右で別々の場所を映し出していた。

 パチンっと指を鳴らすと映像に鮮明な音声がプラスされる。

 

「いやああああああああ~~~~!」

 

 右側には幼い子供部屋のような場所が映し出されていた。ベビーベッドに、その真上には子供をあやすためのカラカラと回るおもちゃ。壁には☆や〇、□といった様々な図形がペイントされた壁紙が貼られている。

 映画に出てくる典型的な子供部屋。そんな場所に美少女が一人。それも、絶望の表情を浮かべて、緑色の長髪を振り乱している姿があった。

 赤道斎と因縁を持つ、ある大妖怪の娘。金色のようこ。

 啓太と契約を結び、彼の犬神として生きる道を選択した変わり者。そして、今では啓太の相棒にして恋人である。

 その辺の妖怪とは隔絶した力を有する彼女だが、今やその面影は無に等しい。涙を流し、生娘のようにイヤイヤと首を振るその姿は、ただの少女そのものだ。

 ようこの周囲には悪魔のようなケダモノたちが群がり、荒い息を繰り返している。体を擦り付け、汚汁を飛び散らしながら、必死に腰を振りつける。

 そんな悪夢のような状況に、まるで強姦被害にあった女性のような反応を示すようこ。真っ当な人であれば真っ先に警察へ連絡をするべき事態である。

 しかし、赤道斎はそんな悲惨な現場であるにも関わらず、眉一つ動かさず鑑賞を続ける。

 そして、この一言。

 

「……金色のようこは、犬が苦手なのか?」

 

 そう、彼女に群がるのは可愛らしい犬であった。

 マルチーズやチワワ、トイプードル、ポメラニアンなどの小型犬から、コーギーやシェットランド・シープドッグ、柴犬、ビーグルなどの中型犬。さらにはゴールデンレトリーバーやシベリアン・ハスキー、ダルメシアンなどの大型犬まで様々な犬に囲まれていた。

 皆、人懐っこい犬であり、本人――本犬?――たちは「遊んで遊んで!」とじゃれているのである。犬好きからすれば天国のような空間である。

 しかし、ようこからすれば、此処はこの世の地獄であった。なにせ、彼女が一番苦手とするのがまさに、犬なのだから。

 

「ケイタぁぁぁ……! なでしこぉぉぉ……! 誰でもいいから早く助けてよぉぉぉぉ~~!」

 

 彼女に出来ることは、ダンゴムシのように丸まり、ジッと耐えることであった。

 殻に閉じこもりプルプルと震えるようこに群がる犬たちを半目で眺めていた赤道斎は、小さく頷いた。

 

「この様子であれば金色のようこも問題なさそうだな」

 

 次いで隣の画面に視線を移す。

 そこには啓太のもう一人の相棒である犬神の姿があった。両端だけ肩に掛かった桃色のショートボブ。翡翠色の瞳。綺麗、というより可愛らしい顔立ち。ようこ同様に啓太の恋人にして彼の犬神、なでしこである。

 場所はようこがいる子供部屋ではなく、なぜか公民館のこじんまりとした小さなプールだった。プールは人で賑わい、楽し気な声に包まれている。

 春なのに夏のような強い日差しが照り付ける中、いつものメイド服のような恰好に身を包んだなでしこは、目の前の光景に顔面を蒼白にしていた。

 信じがたい光景を目の当たりにしてしまい、愕然としてしまっている。開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、小さく開いた口の隙間から白い歯が覗き見える。

 彼女がここまで衝撃を受ける理由。それはプールサイドにある。

 

「け、啓太様?」

 

 視線の先には、彼女が愛してやまない主の姿があった。

 なでしこが記憶している限りだと、今日の啓太の恰好は仕立ての良い黒のジャケットにジーンズ姿だったはずが、今は黒の海パン一丁となっている。

 恰好が変わっているのは別にいい。プールにいるのだから水着に着替えたのかもしれない。それはいい。

 しかし、しかしだ……。

 

「相変わらず、良い体をしているな川平」

 

「……そういう仮名さんこそ、よく鍛えられてる。この大胸筋、とっても逞しい……ポッ」

 

 なぜ、啓太の隣にこれまた海パン姿の仮名がいて、妙に仲良さげに密着しているのだろうか?

 なぜ、啓太は艶めかしい顔で頬を染めているのだろうか?

 なぜ、仮名はキランと歯を輝かせて啓太の腰に手を回しているのだろうか?

 ぐるぐると不可解な疑問が頭の中を廻り、ねでしこを混乱の坩堝に誘っていく。

 しかも――。

 

「あの少年、なかなか可愛いじゃないか」

 

「いいケツしてるじゃないか」

 

「おいおい、いいのかここに来て。俺はノンケだって食っちまう人間なんだぜ?」

 

 プールにいる人間はなぜか皆、逞しい男性ばかり。ボディービルダーのような筋骨隆々のマッチョたちが自由にプールの中を泳ぎ回り、はたまたプールサイドで思い思いに日焼けしている。中には水球選手ばりの立ち泳ぎをしながら談笑しているグループまであった。

 男性ばかりというより、もはや男性しかいない。普通、女性や家族連れの客、カップルなどがいるはずなのだが、ここのプールは何故か逞しい男性一色で染まっている。

 漢パラダイスともいうべき場所に敬愛する主が一人放り込まれているのだ。なでしこの目には、狼の群れにかよわいウサギが放り込まれているような状況に見えて仕方ない。しかも、そのウサギが狼の一匹と仲良さげにイチャついているのだから、もはや訳が分からない。

 

「啓太様ー!」

 

 プールの入り口から大きな声で呼びかけるが、届いていないのか啓太は見向きもしない。

 まるで恋人同士のように仮名とイチャつく啓太。本当の恋人である自分にすら見せない顔を、男友達である仮名に向けるという現状に怒りすら通り越してめまいすら覚えた。

 べたべたと互いの体を触り合っていた啓太たちはやがて熱い視線を交わし合い――。

 

「啓太様ああああああああ~~~~ッ!!」

 

 むちゅううううっ、と熱烈なキスを交わす。

 

「け、けけ、啓太様が……啓太様が…………同性愛……うそ、こんなの夢よ……」

 

 受け入れがたい光景に血の気を失い、顔面を蒼白にするなでしこ。

 そんな彼女へ追い打ちをかけるかのように、事態は勝手に進んでいく。

 プールサイドで思い思いに過ごしていた漢たちが皆、プールに飛び込む。瞬く間にプール内が漢たちで埋め尽くされる水泳競技場。

 仮名は啓太を持ち上げると、そんな人一人分の隙間すらない漢プールに投げ込んだのだ。

 

「いやあああああああ! 啓太様ああああああああッッ!!」

 

 悲鳴を上げるなでしこを余所に、プール内の漢たちは啓太を胴上げし始める。立ち泳ぎをしながら胴上げをするという無謀な行動に筋肉は悲鳴を上げるが、漢たちは皆、歯を食いしばり笑顔を保ち続けた。

 胴上げをされる啓太はすごく嬉しそうで、それが余計になでしこの心にダメージを与えている。

 やがて、一際大きく啓太を空中に放り投げると――受け止めずに肉の海へと落とした。

 

「――きゅぅぅ……」

 

 最愛の人が漢プールに呑まれるその瞬間を目にしたなでしこは、ショックのあまり気を失うのだった。

 無力化したその様子を水晶玉経由で確認した赤道斎は満足げに頷く。

 

「うむ。ジョーは良い仕事をする」

 

『稼働率三十五パーセント。起動シークエンス開始。……ジョーの幻術は一級品やからなぁ。精神干渉して本人が苦手とするものを視せるなんて、えぐい能力や』

 

 赤道斎が作り上げた魔道具の一つ"躍動する影人形"は影を凝縮した、五十センチほどの黒い棒人形のような見た目をしている。ジョーの愛称で呼ばれる彼は幻を視せる能力を有し、以前、廃病院で啓太たちが見た怪奇現象の数々も彼が視せた幻影である。

 赤道斎からなでしこたちの足止めを命じられたジョーは【(^∇^)vブイ!】と吹き出しを表示して、任務を全うした喜びを露わにした。

 

「ん? ほう、"仏言の武者"をすべて倒したか」

 

 独りでに水晶玉が一回転し、啓太たちの様子を投映する。

 丁度、足止め用の魔道具をすべて撃破したようで、最後の一体に止めを刺した啓太が大きく肩で息をしている姿が映っていた。

 

 



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第八十六話「変態大魔導士」


 メリークリスマス!
 ということで、一年ぶりの更新です。
 遅れてゴメンね!


 

 

「――これで、とどめ……っ!」

 

「たいざーいちめん……」

 

 転倒させた鎧武者の上にまたがり、その顔面に刀を突き刺すと、ビクンと大きく体を震わせた鎧武者は死に際の一言を述べ、完全に停止した。

 ゴロンと転がり大の字になって寝転がる。つ、疲れたぁ……。

 

「どうやら、これで最後のようだな……」

 

 歩み寄ってきた仮名さんは俺の隣に座りこむ。トレンドマークの白いトレンチコートはボロボロで、スーツも汚れている。まあ俺も似たような姿だけど。

 

「……仮名さん、お疲れ」

 

「川平もな。しかし、今回ばかりは厳しかった……」

 

 本当に、近代兵器で攻撃してくるのは勘弁してくれ。マジで。生きてるのが不思議なくらいだよ……。 

 ロケランをぶっ放してくる鎧武者は、俺が囮となって誘導。その隙に仮名さんに奇襲してもらい、なんとか撃退した。

 火薬の量を調整しているのか思っていたほどの爆発ではなかったけど、それでも重症を負ってもおかしくない戦いだった。執拗に追いかけてきてはロケランを放つという、ワンパターンな行動であったのも勝因の一つだ。これで高度な戦術とか駆使してきたらマジで危なかったな……。

 何度も冷や汗を掻きながら、どうにかロケラン鎧武者を倒したのだが、俺たちの苦難はまだ終わっていなかった。

 新たな鎧武者が姿を見せたのだ。真打登場と言わんばかりに悠々と歩を進める鎧武者は、異様な存在感を示していて、明らかにボス的な存在であると察することが出来た。

 そして、この鎧武者も一癖ある敵で、ゴツイ近代兵器――軽機関銃を装備していた。それも一丁ではなく二丁。両腕にそれぞれ同タイプの機関銃を携えていたのだ。

 まるでコマンドーのように楽々と機関銃を持つその姿に、血の気を引いたのは無理もない話だと思う。

 実弾じゃなくゴム弾であったが、それでも当たり所が悪ければ最悪な事態に陥っていただろう。幸い、これも大きな怪我をすることなく、ロケラン鎧武者と同じ方法で倒すことが出来たが。

 

「…………赤道斎、絶対ぬっ殺す……」

 

「赤道斎?」

 

 憎悪を込めた独白に、仮名さんが怪訝な顔をする。そういえば、赤道斎が復活したことを話していなかったな。それどころじゃなかったし。

 ここで話してもいいのだが、先になでしこたちと合流した方がいいだろう。

 

「……その話は後で」

 

 やはり鎧武者たちが脱出の鍵だったようで、固く閉ざされていた正門の扉が開いていた。別の空間に繋がっているようで扉の先は歪んで見えないが、早くここから出よう。

 俺は刀を、仮名さんはエンジェルブレイドを手に頷き合うと、正門を潜った。

 歪曲した空間を潜った先は小さなドーム状の広間で、石畳の造りになっている。広さは大体二十メートルくらいだろうか。

 正面に扉が見える。敵影はない。

 

「――! なでしこ! ようこ!」

 

 部屋の中央でなでしことようこが倒れているのが見えた。慌てて駆け寄る。

 二人とも顔を歪めてうなされているが、ざっと見たところ外傷はないようだ。

 体を揺さぶり、頬を叩いたりしてなんとか目を覚ましてもらう。

 

「うぅ~ん……」

 

「ん……ここは……?」

 

 のろのろと顔を上げるようことなでしこ。目をしばたかせた二人は俺の姿に気が付くと、勢いよく抱き着いてきた!?

 

「うぅ……ケイタぁ、怖かったよぉ」

 

「スン、スン……」

 

 声を上げて泣くようこに、静かに涙を流し、顔を押しつけてくるなでしこ。よく分からんが、とりえず頭を撫でておいた。

 五分くらいだろうか。しばらく頭を撫で続けてようやく、二人は落ち着きを取り戻した。

 

「……大丈夫?」

 

「は、はい……ご心配をお掛けしました」

 

「うん。ごめんね?」

 

 まだ目元が赤いけど、もう大丈夫そうだな。それにしてもどうしたん? 何があったの?

 

「えっとね……」

 

 ようこの話によると、あのブラックホールのような穴に吸い込まれたと思ったら、気が付いたら知らない部屋にいたとのこと。しかも部屋には十を超える様々な犬たちがいて、襲い掛かられたのだとか。

 そういえば、ようこって犬が大の苦手でしたね。俺やなでしこもいない密室の中で苦手な犬に囲まれる、か。確かにこれは泣くわ。

 俺の場合は虫が苦手で、中でも蜘蛛が大嫌いだ。この世で一番嫌いな存在だと言っていい。ようこのように密室の部屋で様々な蜘蛛に囲まれると考えると……うわっ、鳥肌が! 俺でも泣くよそりゃ。

 なでしこにも話を聞くが、言葉を濁して詳しい内容は教えてくれなかった。ただ、彼女にとって悪夢のような光景だったらしい。なでしこが泣くほどの悪夢ってなんだろ? 苦手なものってあまりないよね?

 それとなでしこ、そんなに警戒しなくても仮名さんは赤道斎じゃないよ。

 

「あ、いえ、そうではないのですが……」

 

「ん?」

 

「いえいえ、なんでもないです! ……あの、啓太様は、衆道に興味なんてないですよね?」

 

 恐る恐る、といった感じに聞いてくるなでしこ。しゅうどうって、修道? 宗教の修行の? なんで修道?

 

「……? 特にない」

 

 別にどこかの宗教に入っているわけでもないし。 

 どこか仮名さんを警戒しているのは気になるところではあるが、無事になでしこたちと合流できた。なんか巻き込まれた感がする仮名さんだけど、赤道斎のことを話しておかないと。

 敵はいないみたいだから部屋の真ん中でこれまでの経緯を説明する。赤道斎が復活したこと。まだ魔力なるものが回復していないこと。この世を混沌の世界に変えることが目的であること。俺が見知ったことを仮名さんに説明すると、話しを聞いた仮名さんは両手で血の気が引いた顔を覆った。

 

「なんということだ……」

 

 うん、気持ちはよく分かる。あんな変態が自分の先祖で、しかも大それたことを考えている。さらにはそれを実現するだけの力量も有しているのだから、そりゃ顔を覆いたくもなるわ。仮名さん、責任感強いからなぁ。

 

「赤道斎はその昔、何者かに負けて以降、力の大半を失ったと聞く。復活したとはいえ、全盛期とは程遠いだろう。コンピューターのような機械を見たと言ったな?」

 

「ん」

 

「恐らく、それは"大殺界"だな。世界でたった一つのSSSランク指定の魔道具だ」

 

「どんな魔道具なのですか?」

 

 なでしこの質問に仮名さんは渋面の表情で答えた。

 

「魔力量に応じてあらゆる願いを具現化するという究極の魔道具だ」

 

「あらゆる願いを叶える……」

 

 遠い目をするようこは何を妄想しているのか、だらしない顔をしている。ようこのことだから、おむすびやチョコレートケーキ食べ放題なんて考えているんだろう。

 しかし、あらゆる願いを具現化する魔道具って、そんなこと可能なのか。あの変態、やっぱアレですごい奴なんだな……。

 

「赤道斎が力を取り戻し、完全に復活すれば、世界を書き換えることも可能だろう。それは何としても阻止しなければならない!」

 

 俺には世界を改変する方法なんて思いつかないから、今すぐどうこうなる問題じゃないだろうと高を括っていたが、まさか具体的な手段があったなんて……思っていた以上に事態は切羽詰まった状況だった。

 

「いくぞ川平! 赤道斎を止めるんだ!」

 

「ん! ……ところで、なんで仮名さんここに?」

 

「恐らく、少しでも魔力を補填するために私をここに連れて来たのだろう。確か、大殺界には霊力を魔力に変換する機能があったはずだ」

 

 なるほど。完全にとばっちりですね。

 それと、仮名さんって赤道斎にそっくりなんだね。同じ格好をして並んだら、見分けつかないよ。多分。

 

「……それについては言わないでくれ。複雑な気分なんだ」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔でそう言う仮名さんに、さもありなん、と胸中で深く頷いた。

 それはともかく赤道斎と戦うことになったら、大殺界を破壊することを優先した方がいいな。

 相手は変態とはいえ稀代の大魔導士。死神以来の格上との戦闘だ。厳しい戦いになるだろう。

 扉の前まで移動した俺たちは顔を見合わせる。仮名さんはエンジェルブレイドを、俺は新たに刀を創造して次のステージに備えていた。なでしことようこも気合いに満ちた顔をしている。

 頷き合った俺たちは意を決して、扉を開けた。

 

 

 

 1

 

 

 

 扉を抜けた先は、広い洞窟だった。

 ここもドーム状の造りになっており、数百メートルはある広い面積を誇っている。天井を支えるかのように太い柱が円を描く形で建っており、中央には祭壇のようなものがある。

 そして、祭壇の向こうには超巨大なコンピューターチックの魔道具、大殺界の姿があった。ただ、俺が見た大殺界はせいぜい二メートル程度の規模だったのだが、その数倍はある。少し見ない間に、成長しましたか……?

 

「赤道斎!」

 

「……仮名史郎か」

 

 仮名さんの鋭い声に、祭壇の前に立っていた赤道斎がゆっくりと振り返った。

 肩に木彫りのニワトリを乗せた大魔導士が胡乱な目を向けてくる。

 相変わらずのフルチン姿で。

 

「我が子孫が居たのは予期せぬことであったが、おかげで望外な成果を得ることが出来た。感謝しよう。そして川平啓太よ。よくぞここまで辿り着いた――と、言いたいところだが、少々遅かったな」

 

『稼働率百パーセント。起動準備完了や!』

 

 大殺界の上部に掲げられたパネルに文字が表示されていた。起動準備完了って、もう一刻の猶予もないよね!?

 皆が逡巡する間もなく駆け出した。あれを起動させたら大変なことが起きる。本能に訴える明確な予感に突き動かされて。

 

(彼我の距離は――まだ数十メートルはある! 間に合うか!?)

 

 懸命に走るそんな俺たちを尻目に、巨大な魔道具に歩み寄った赤道斎は、中心から生えているオールのような大きなレバーに手を置いた。

 

「苦節三百年。いよいよ、日の目を浴びる時が来た……行くぞ、大殺界! 我に、今一度の光を!」

 

 ガゴンッという小気味良い音と共にレバーが倒れると、大殺界の上部に取り付けてあった電球が輝き始める。

 色取り取りの光を放つパネル。大殺界そのものから紫電が迸り、まさに「稼動しまっせ!」とでも言うような様相を呈している。

 それにともない、全身から力が抜けていくのを感じた。その力の抜け具合は、思わず立ち止まってしまうほどだった。

 

「なに……?」

 

「これは、霊力が抜けていく?」

 

 ようこたちの身にも同様の現象が起きているようで、戸惑いの表情を浮かべている。

 

『魔力充填中! 魔力充填中! 充填率十五パーセント!

 充填完了までおよそ七分! 予想以上の霊力でっせ! 大したもんや!』

 

 そうか! 霊力の魔力変換! 大殺界には霊力を魔力に換える機能があるって、さっき仮名さんが言っていた!

 まずいまずいまずい! 俺の身体能力は霊力で強化しているものだ。霊力が空っぽになってしまったら、肉体に依存したものになってしまう!

 鍛えているとはいえ、人外魔境を相手にするのに、これは非常に心許ない!

 

(そうでなくても、人間には恒常性というものがある。霊力がある程度保持されている状態が当たり前なのに、唐突にそれが激減したら、そりゃ体調も崩れるよな……!)

 

 急激に霊力が激減したため、力が抜けてフニャフニャだ。気分も悪く、平衡感覚も少しおかしい。あまり経験はないが、まるで乗り物酔いをした時のような感じだ。

 

「啓太さん、大丈夫ですか……!?」

 

「ケイタ……!」

 

 なでしこたちの声が聞こえる。見れば、彼女たちも地に膝をつけて、苦し気な表情を浮かべていた。

 

(これまでもピンチな場面はちょいちょいあったけど、何気にこういうのは初めてだな……。これは、ちょっとヤバイかも……)

 

 純粋な戦闘力の差や、時間との勝負という意味で窮地に陥ったことはあるが、デバフを食らったのは初めての経験だ。

 こんな変化球いらないんだけど、と思いながら目の前の窮地を前に冷や汗を掻く俺であった

 

 





 次回も遅くなる予定(フライング予告)


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第八十七話「頼れる親友」


 お久しぶりです。最終投稿日2020年12月だってよ、ハハッ。
 ……申し訳ない。

 久しぶりの投稿なのでリハビリも兼ねてます。
 文字数は少なめになると思いますが、ご容赦ください。


 赤道斎が大殺界のレバーを倒した瞬間、世界が鳴動した。

 人の数だけ煩悩があり、世界の人口は八十億を超えている。

 煩悩という強烈な念は日本を超えて、世界中から圧縮し、濃縮されて大殺界の元へと送り込まれる。

 送り込まれた煩悩は魔力という形に変換され、各々が望む世界へと構造を書き換えていった。もし、ここが型月の世界であれば現在進行形で根源の渦が悲鳴を上げていることだろう。

 ある者は女体にまみれた酒池肉林の世界を。

 ある者は金・女・権力すべてを牛耳した俺様な世界を。

 ある者は好きな人と二人だけで過ごす、優しい世界を。

 ある者は毎日が祝日で働かなくても給料が入ってくる世界を。

 煩悩という名の夢を一つ、また一つ叶える度に、激しいフレアのような炎が大殺界の中で吹き上がる。

 刻一刻とカオスな世界へと変わっていく中で、今もなお金色の繭の中で踊り狂う大妖はニヒルな笑みを浮かべた。

 

「あのチ〇コ右曲がりの変態野郎、好き勝手してんな~。へっ、こりゃ面白くなってきたぜっ!」

 

 大妖を封じていた繭に一条の亀裂が走った。

 

 

 

 1

 

 

 

「ん……これは……ヤバイ、かも」

 

 大殺界の稼働により霊力を根こそぎ吸われた挙句、体調まで崩してしまった。

 ようこやなでしこたちも同じようで、プルプルした足でなんとか立っているといった様子だ。こんな状況なのに、生まれたての子鹿のようで可愛いと思ってしまった俺は、もう立派なバカップルだろう。

 仮名さんも顔色が真っ青で、まるで下痢に見舞われているような様相を呈している。

 

「早く、大殺界を止めねば……っ!」

 

「このままだと……地上が、変態パラダイスに……」

 

 栄沢汚水のような変態どもが溢れるカオスアイランドと化してしまう。それだけはなんとしても阻止しなければ!

 でも体に力が入らない上、乗り物酔いしたみたいに気持ち悪いぃ……こんな時、エナドリがあれば……。

 だが、いまさらそんな愚痴を言っても仕方ない。このまま大殺界を放置してしまえば、それこそ悔やんでも悔やみきれない結果になる。

 

(仕方ないか……どこまで持つか分からないが、耐えてくれよ俺の体っ)

 

 かつて死神を相手に一度だけ使用したカード。脳内リミッターをすべて解除することで至ることが出来る『極限体』。

 この状況で『極限体』になったら寿命が削れるだろうけど、致し方ない!

 

「コォォォォォォ……」

 

 調息で心身の乱れを整えながら集中力を高めていくと、不意に凛とした声が風に乗って聞こえてきた。

 この場にいない、第三者の声だった。

 

「東山真君の名において告げる! 大気よ、シンフォニーを奏でよ!」

 

 突如現れた一陣の旋風が大殺界に直撃し、天井に走るパイプとの接続部が壊されたのだ。

 

「ヒーローは遅れた現れる、でしたか啓太さん」

 

「かおる~」

 

 何でここにいるのかは一先ず置いておいて、グッジョブだ!

 

『魔力漏洩! 魔力漏洩! あかんわ、伝達路の一部がいかれてもうた! 自動修復プログラムを起動しまっせ!』

 

「ふむ。そう何事も上手くはいかぬものか」

 

 薫の助太刀により霊力の消費がなくなった。調息で心身を整えながら、震える足に喝を入れる。

 見れば仮名さんやなでしこたちも、なんとか立ち上がっていた。

 

「薫、どうしてここに?」

 

「それは僕のセリフですよ。赤道斎の魔導書を見つけたんですが、運悪くその中に封じされてしまいまして。なんとか脱出できないか探っていたら、まさか啓太さんたちが戦っているんですから」

 

「それは、なんというか……ご愁傷様?」

 

「はぁ……今頃せんだんたち心配してるんだろうなぁ」

 

 落ち込む薫の肩を叩き慰める。その時は俺も一緒になってフォローしてやるから。

 そのためには、なんとしても赤道斎を倒してここから脱出しないとな。

 

「やってくれたな川平薫。お前の動向も逐一把握していたが、まさかこの短時間でたどり着くとはな。少々見誤ったか」

 

「貴方が赤道斎……ですよね?」

 

 局部が丸出しになった赤道斎の格好を見て、確認するように名を訪ねる。

 そうだよな、こんな変態が世界最高峰の魔術師だとは思わないよな普通。

 

「如何にも、我こそ赤道斎」

 

「……あの、啓太さん」

 

 鷹揚に頷く赤道斎を指差しながら引き攣った顔を向けてくる薫。

 言いたいことはよく分かる。

 

「残念ながら本人」

 

 あの変態が本当に我々が追っていた魔術師であるとわかると、一瞬スンとした顔をした薫だが、すぐに表情を引き締めた。

 

「それでは、あの大型の機械が例のSSS級魔導具“大殺界”ですか」

 

「ん。変態ワールドを作り出す危険なもの。大至急破壊しないと」

 

「させると思うか?」

 

「思わないけどする!」

 

 調息で霊力も大分回復してきた。

 まだベストパフォーマンスじゃないけど、万全な状態で戦えることなんて早々ないから、動けるだけまだマシというもの。

 二振りの刀を創造した俺は前傾姿勢になると、仮名さんたちに視線を向ける。

 

「仮名さんとようこは前衛、なでしこと薫は後衛! 動き合わせてっ」

 

「応っ!」

 

「うん!」

 

「はい!」

 

「後ろは任せて、啓太さん」

 

 仮名さんとようこ、そして俺が三方向に駆け出し、なでしこと薫も分散。

 それぞれ別の方向からタイミングも合わせて攻撃を仕掛けた。

 俺たちの戦いはこれからだっ!

 

 

 

 2

 

 

 

「食らえ! 必殺っ、ホーリークラッシュ!」

 

「来たレ、赤道の血よ」

 

 跳び上がりダイナミックに切り掛かるが、赤道斎はスッと手を翳すと深紅の輝きが放たれ、仮名さんを弾き飛ばす。

 後ろに移動していたようこが得意の炎を見舞い、ようこと薫がそれぞれ援護する

 

「ひふなのこおりよ!」

 

「東山真君の名において告げる! 大気よ、シンフォニーを奏でよ!」

 

「だいじゃえんっ!」

 

「無窮の光よ、隔絶せよ」

 

 なでしこの氷柱が弾丸のごとく射出し、薫が振るうタクトに従い風が鋭利な刃となって吹き荒ぶ。

 そしてダメ押しとばかりに赤道斎の足元から立ち上る巨大な火柱。

 さすがにダメージを与えたかと思いきや、赤い光に身を包んだ奴はまったくの無傷だった。

 

「戒めの縄よ、招来せよ」

 

 半目でようこたちを見据えた赤道斎が指を向けると、そこから蜘蛛の巣のような荒縄が蛇のごとく地を走りながら殺到する。

 

「シィィィイッ!」

 

「無窮の光よ、隔絶せよ」

 

 その悉くを両手の刀で細切れにしながら赤道斎に迫った俺は間合いに入った瞬間、上下左右の六連続斬りを繰り出すも、一秒に満たない呪文詠唱を前にすべて防がれてしまう。

 

「来たレ、赤道の血よ」

 

「ちっ! ……また振り出し」

 

 掌から放出される光の衝撃波を横っ飛びで回避するが、次の瞬間には彼我の距離がまた離れてしまっている。

 さっきからずっとこんな感じだ。こっちの攻撃はすべて光の衣で防がれるし、ようやく近づけたかと思うと先の衝撃波で牽制してはワープでまた間合いを稼ぐ。しかも何故かワープだけ無詠唱だし。

 手加減してくれているのか分からないが、赤道斎が繰り出す攻撃はそこまで殺傷力が高くないのが唯一の利点か。

 このままだとジリ貧だ。どうにかして流れを変えないと……。

 

「啓太さん、ここは一時退却しましょう」

 

 不意に傍に寄ってきた薫が声を掛けてきた。

 赤道斎に聞かれないように小声で話す。

 

「……大殺界はどうする?」

 

「考えがあります。啓太さん、僕を信じて」

 

 薫ズルい! そんなこと言われたら、信じるしかないじゃないの!

 俺より頭の良い薫なら何か打開策を生み出したのかもしれない。

 

「……分かった。なでしこ、ようこ、仮名さん。一時撤退!」

 

 声を掛けると皆が俺のもとへ駆け寄ってくる。

 よく分かってるじゃないか!

 

「逃がすとでも思うか?」

 

「逃げる! ようこ!」

 

「うんっ、しゅくち!」

 

 そう、こっちには瞬間移動できるようこがいるのだ。

 ようこの“しゅくち”により戦線を離脱した俺たち。だが咄嗟だったため座標がランダムになってしまったようで、見たことのない場所に移動していた。

 狭い通路で天井や壁にはむき出しのパイプが無数に走っている。足元が濡れており天井のパイプから滴り落ちる水が木霊する。

 

「ここは確か……だとすると、こっちのはず……! 啓太さん、こっちです!」

 

 顎に手を当てて何かを考えていた薫が走り出す。どうやらここに来たことがあるようだが。

 

「──で、どうする?」

 

 走りながら薫に今後の作戦を尋ねると、彼は前を見据えながら腹案を口にした。

 

「大殺界の魔力変換機構ですが、実はそのコアは別の部屋にあるんです。それを壊すことが出来れば、大殺界はこれ以上魔力を得ることが出来なくなるはずです」

 

「なるほど。それはグッドアイデア」

 

「しかし、よくその部屋を知っていたな!」

 

「ここに来てから色々と探索したので、大体の見取り図は頭にあります」

 

 仮名さんの言葉にT字路を右に曲がりながらの薫。

 迷路のように入り組んでいるのに、それを暗記してしまうとは……やはり薫は頼りになる存在だ。

 

「すごいね薫、わたし絶対覚えられないよ!」

 

「はい。ですがここは赤道斎の領域、いつ奴が現れるか分かりません。気を引き締めて行きましょう」

 

 なでしこの言葉に頷き返した俺たちは一斉にスピードを上げて、目的地へと向かうのであった。

 

 

 

 2

 

 

 

「──で、これが?」

 

「はい、魔力変換機構のコアです」

 

 薫の先導の元、無機質な通路を走り続けること五分。

 辿り着いた先は至る所にパイプか走っている無機質なが部屋だった。

 奥には祭壇があり、部屋の中央にはコアと思われるクリスタルが浮遊しながらゆっくりと旋回している。

 

「恐らくあのパイプを通って魔力を伝達していたんでしょう。そして、すべてのパイプはこの部屋に収束していました」

 

「なるほど、ここで魔力に変換して大殺界に送っていたのか」

 

 薫の解説を聞いて納得したような顔をする仮名さんは、それにしてもと何とも言えない表情で口を開いた。

 

「奴はある意味可哀想な存在だ。赤道斎が活躍していたのは江戸時代。奴ほど才のある魔導は当時まったく理解されなかった。バテレン扱いで、公権力や民衆からも迫害されて。だから奴は己の作った魔導具しか頼れるものも愛情を返してくれるものも無かった」

 

「……それで今はあんなことになってるし、猶更だよね。昔、かの大妖怪と渡り合った魔導士なのに」

 

 苦笑する薫の言葉に、ようこの肩が跳ね上がった。

 そんなようこを尻目に今度は薫が語り始める。いや、あの、呑気に語ってる暇ないと思うんだけど……?

 

「世にも傍若無人な大妖怪。一度地を蹴れば三百里を瞬く間に駆け抜け、彼の操る炎はすべてを焼き尽くし、因果すらも干渉するほどの霊力を秘めた真の大妖怪。人間の街を支配しては好き勝手に遊んでいて、無敵だった」

 

「一方、魔導の理のすべてを己がモノにし、万物を自在に組み替え、如何なる願いも望むままに叶える大魔導士。彼は彼で孤独でしたが、思うがままに理想郷を作り上げ生を謳歌していましたが、ある日、両者は出会ってしまった」

 

 あの、なでしこさん。なんで貴女まで語り部に? えっ、俺だけ感じないだけで、もしかして今そういう流れなの?

 

「力とその存在に絶対の自信を持つ者同士、争いは免れない。戦いは凄まじく、野が枯れ、山が変じ、海が干上がるほどの天変地異のような力のぶつかり合い。大妖怪に軍配が上がり、敗れた大魔導士は力の大半を失い、己の作った魔道具の世界に逃げ込んで長い眠りについた」

 

 仮名さんまで!? ちょ、アンタまでボケに回ってどうすんのよ! えっ、やっぱこれってそういう流れだよね!? でも俺、赤道斎と大妖怪の物語知らないんだけど!

 

「程なくしてその地を離れた大妖怪には子供が出来たけど、結局我儘で傍迷惑なところは変わらなかった。大妖怪は……オトサンはいつも自分が正しいと信じてた」

 

 あ、あれ、ようこさん? えっ、その大妖怪ってようこのお父さんのこと? っていうことは、俺のお義父さんになる人か……!

 ていうか、いつの間にかシリアスな展開に!?

 

「挙句の果てには犬神たちに負けて封じられちゃうし、娘がいくら止めてって泣いて叫んでも好き放題やってたからね。人間の街丸ごとプレゼントするって言っても、全然嬉しくないのに。わたしは、普通のオトサンで良かったのに」

 

「……」

 

 二歩、前に進んだようこは後ろ手に組みながら、穏やかな声で話を続ける。

 

「完全に封印されたわけじゃないけど、オトサンが封じられてからわたしも山の奥に幽閉されるようになって。世話役のなでしこしか話し相手がいなくてさ。なんでわたしがこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうって、一時期はオトサンを恨んだこともあったけど」

 

「ようこさん……」

 

 くるっと振り返るようこ。

 

「長い長い時間だったけど、ようやくすべてを笑い飛ばせるくらい楽しくて、嬉しいことが起こった」

 

 その顔には満面の笑顔が浮かんでいた。

 

「あの日、ケイタと出会った」

 

 長い沈黙の帳が降りる。

 薫は微笑ましそうな視線をようこに向け、仮名さんは男泣きしており、なでしこも貰い泣きしていた。

 そして俺は、異様に顔が熱いのを自覚しながら、ただ黙ってようこの頭を撫でている。

 

「ケイタ? あっ……! そ、それじゃあ、さっそく壊しちゃうね!」

 

 ようやく自分が何を口にしたのか自覚したのだろう。

 顔を真っ赤にしたようこは焦ったように走りだすと、クリスタルに向けて炎を放った。

 ようやく自分たちが何をしに来たのか思い出したのか、各々表情を引き締める。

 炎に吞み込まれるクリスタル。しばらく燃えていたが、炎が消えると傷一つ付いていないクリスタルが露わになる。ようこの“じゃえん”でノーダメか……。

 なでしこに視線を送ると、俺の意図を察してくれたのだろう。真剣な表情で頷いたなでしこは大きく袖を捲くり、拳に霊力を注ぎ始めた。

 

「ええーい!」

 

 爆音が響き渡り、衝撃が突風となって辺りを吹き抜けるが──。

 

「……マジか」

 

 クリスタルは平常運転で回り続けており、傷一つ見当たらなかった。

 なでしこパンチでも無傷とは、ヤベェ。この展開は予想してなかったぞオイ……。

 

「大殺界の魔力変換機構に目を付けたのはいいが、何も対策を練っていない訳がなかろう」

 

 半目の赤道斎と大殺界が空間を超えて現れる。ついに追いつかれてしまったか、それとも誘われたか。

 どっちにしろコアの破壊は限りなく難しいということが分かった。薫もこれ以上の策はないのか、苦々しい表情を浮かべている。

 …………どうしましょう。




 ストックを作ってから更新するスタイルに変えました。進捗状況は活動報告に挙げていきます。
 次回で第三部完結です。



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第八十八話「想いの力」


 三話予定でしたが、切りがよかったので二話に纏めました。


 人間、生きていればピンチに陥ることがままある。ましてや俺の場合、職業柄そこそこの修羅場を潜り抜けてきたという自負があるが、ピンチに陥った回数は数知れず。

 絶体絶命といえる窮地に追いやられたのは、死神との戦い以来これで二回目だ。

 

「川平薫。この部屋にたどり着くとは些か驚いたぞ、だが、ここまでだ」

 

『修復完了したでー! ほな、再び霊力吸収を再開しますわ!』

 

 ガコンっという音が響くと同時に、これまで以上に霊力が吸われるのを感じる。

 もしかして、中枢に近づいた分吸い取られる量も増えたのか!?

 

「くっ……」

 

「啓太様……!」

 

「ケイタ……!」

 

 自分たちも辛いだろうに、心配気な表情を向けてくるなでしこたち。どうにか、打開策を練らないと……!

 灰色の脳細胞をフル稼働させていた時、不意に先の薫たちの語りを思い出した。

 

「……ようこ、確認。キミは、大妖怪の娘?」

 

「えっ……そ、その、えっと…………うん」

 

 何を考えているのか、気落ちしたような顔で頷くようこ。後でいっぱい慰めてやるから、今は俺に協力してくれ!

 這うようにクリスタルの方へ移動しながら、なでしこたちにも声を掛ける。

 

「……なでしこ、ようこ。こっち」

 

「はい」

 

「う、うん」

 

 彼女たちは俺より霊力が多いからまだ余裕がありそうだ。それがとても頼もしく見える。

 クリスタルの前で座り込んだ俺は、側に寄ってきたなでしこたちの手を握った。

 突然のことに驚いたのか、ビクッとした僅かな動きが手を伝って分かる。なでしこたちにも手を握るように言うと、顔を見合わせた彼女たちは恐る恐る手を繋いだ。

 三人で輪になった状態となる。これで準備完了だ。

 

「仮名さんと薫、時間稼ぎお願い」

 

「何か、思いついたんですね啓太さん……!」

 

「ん……一か八か、試してみる」

 

「何を思いついたか分からんが、頼むぞ川平……!」

 

 辛そうに渋面を作りながらも、確かな足取りで立ち上がる薫たち。頼むぞ、お前たち。

 

「調息」

 

 息を整え、身体の調子を安定させる。

 俺に傚う形でなでしこたちも辿々しく調息を行い始める。

 

「循環」

 

 生み出した霊力を右手を通じてなでしこに送り込む。

 意図を察してくれたのだろう。なでしこもようこに霊力を流し込むと、彼女も俺に向けて送ってきた。

 手を通じて三人の霊力が循環していく。目を閉じ集中力を高めると、なでしこに送り込んだ霊力や、ようこの中にある霊力を敏感に感じ取ることが出来た。

 バラバラだった呼吸がいつしか一定のリズムを刻むようになり、循環する霊力にも波があったが、徐々に穏やかな波形へと変わっていくのを感じる。

 

「同調」

 

 皆の集中力が高まるにつれて、霊力を通じて二人の願望のようなものも伝わってきた。

 なでしこの包み込むような暖かな霊力からは──。

 

『啓太様と一緒にお買い物に行きたい』

『啓太様と一緒にお散歩に行きたい』

『啓太様のお世話をもっとしたい』

『啓太様にもっと笑いかけてほしい』

『啓太様にもっと求められたい』

『啓太様といつまでも一緒にいたい』

 

 といった願い──いや、想いが霊力を通じて伝わってきて。

 同時になでしこに負けないくらい──。

 

『ケイタと一緒にデートしたい』

『ケイタと一緒にお昼寝したい』

『ケイタと一緒に旅行に行きたい』

『ケイタにもっと私を見てもらいたい』

『ケイタにもっと好きになってもらいたい』

『ケイタとずっと一緒にいたい』

 

 熱烈な想いがようこからも伝わってくる。

 チラッと目を開けると。なでしこたちも頬を朱に染めながら、されど嬉しそうに、そして幸せそうな顔で笑みを浮かべていた。

 きっと俺も似たような顔をしているんだろうな、と思いながらさらに集中力を高めていく。

 そして──。

 

「うぉっ、な、なんだ!?」

 

 突如小さな爆発音が響いた。思わず目を向けると、大殺界の一部が火花を起こしている。

 

『ワーニング! ワーニング! オーバーフロー! オーバーフロー! 許容霊力完全オーバーや! あかんっ──』

 

 次いで連鎖的に目の前のクリスタルが爆発した。

 無数の破片と化して粉々に砕け散ったクリスタル。

 集中していて気付かなかったが、枯渇しかけていた霊力が完全に回復──いや、それ以上を上回っている! ありがとうございます師匠! この循環法、メッチャ使えますよ!

 

『わあああああっ! もう滅茶苦茶やあああ!』

 

「馬鹿な……大殺界の容量はあの狐すら楽に捉えるくらいあるのだぞ? いくらその娘がいるとはいえ……」

 

 それまで半目で常に冷静な姿勢を見せていた赤道斎が眉をひそめた。

 初めて見せる表情の変化。これは、流れ来てるだろ!

 

「ここで一気に決める!」

 

「はい!」

 

「うん!」

 

 循環法で皆の想いを共有した今の俺たちに怖いものはない!

 見ると赤道斎の他に木彫りの人形が居る。アイツも奴が作り出した魔道具だろう。

 何故か股間にドリルが付いているが、そんなもの、俺たちのラブパワーアタックでぶっ壊してやる!

 フハハハハハハッ! 粉砕! 玉砕! 大喝采じゃあああああ!

 

「むぅ……何故か今の川平啓太は非常に厄介な存在に見える。致し方あるまい。大殺界、川平啓太とその犬神たちに狙いを絞れ。ガタ落ちになった変換率を速度で補う」

 

『了解や! こうなったら、少しでも霊力をかき集めまっせ~~!』

 

 音を立てて大殺界の稼働が活発化すると、先ほどとは比べ物にならない勢いで霊力が吸われていくのを感じた。

 そうか! 魔力を変換する機能は破壊できたけど、霊力を吸い取るのは別なのか!

 さっきまでNPチャージ率が三〇〇%だったのに、一気に二〇〇……一〇〇……五十へと下がっていく……!

 

「うぅ……け、ケイタぁ……!」

 

「啓太、様……っ」

 

 なでしこたちの体も刻々と変化していく。

 どろんという音とともに、大きくてふさふさしていそうなケモミミが頭に、いつもより一際大きいモフモフな尻尾がお尻に生えたようこ。

 一方のなでしこは、可愛らしい三角形のふわふわしたケモミミに、艶やかな毛並みが特徴のサラサラとした尻尾をしていて。

 人化を維持できないほど霊力を奪われたのだと分かるし、こんな状況だけど、萌殺しに来た二人に別の意味で吐血しそうだ。

 

「啓太さん……! 東山神君の名において告ぐ! 大気よ、シンフォニーを奏でよ!」

 

「無駄だ。古の力を失えど、お前たちに不覚を取るほどの未熟者ではない。我は魔導を極めし赤道斎ぞ?」

 

 大殺界が音を鳴らして再び稼働を再開すると同時に薫が風属性の攻撃を見舞うが、赤道斎が掲げた右手に阻まれる。

 

「流石は大魔導士様、そう上手くはいきませんね」

 

 踊るような足取りで後ろに下がり、タクトを逆手に構える。

 不敵な笑みを浮かべいる薫に、赤道斎は不思議そうに小首を傾げた。

 

「お前は本当におかしな子供だな。あの川平啓太も大概だが……一体何者だ?」

 

「ただの犬神使いですよ」

 

 そうありたいと願っているね。微笑みを浮かべながら小さく付け足す薫。

 赤道斎の目がスッと細まった。

 

「お前、もしや……」

 

 赤道斎が何やら小声で話しかけると、何故か薫は困惑した顔でタクトを下ろした。

 小首を傾げて何かを問いかけると小さく赤道祭が頷く。相変わらず無表情だが、何かを勧告しているように見える。まるで薫を気遣っているかのような……。

 俯き口元に手を当てて何かを考える薫。そんな彼を赤道祭は静かに見守っている。

 あの、薫さん? そちらの方とさっきまで戦っていましたよね俺たち?

 吞気に会話してないで助けてくれませんか!? こっちは今日何度目かの大ピンチなんですけど!

 

「おい、川平薫! しっかりしろ! そいつの甘言に乗るな!」

 

 目を覚ませ、と声を掛ける仮名さん。やっぱり何か言われたのか!

 くそっ、純朴で純粋な薫の心につけ込んだか! おのれ赤道祭……! ゆ゛る゛さ゛ん゛!!

 

「む……この空間もそろそろ限界か」

 

 崩落する遺跡のように建物全体が揺れ、天井の一部が崩れ始める。

 地面の一部が剥がれ、何もない空間へと落ちていくその様子は、まるで世界の崩壊だ。

 

「まあ、十分の一程度だが魔力を確保できただけでも良しとしよう」

 

 そう言葉を漏らした赤道祭は祭壇の上へ昇っていく。

 薫は相変わらず何かを考えているようで、自分の世界に没頭していた。

 

「ただで帰すと、思ったか……」

 

「うん?」

 

 何気に匍匐前進して地味に接近していた俺は、最後尾を歩く木彫りの人形の胴体を鷲掴みにした。

 そして、グイングイン腰を振りドリルを回転させている木彫りの人形を振りかぶり──全力で投げた。

 この投擲にすべての力を使い果たしたぜ……あふん。

 

『わ!』

 

「ん? ……げ!」

 

 今更ながら異変に気付き振り返るがもう遅い。

 俺の見事な投球コントロールにより、木彫りの人形の股間が大殺界に突き刺さった。

 

『わあああああああ────!』

 

 股間のドリルがそのまま回転し、気の遠くなるような巨大な霊力がそこから噴出し、迸る。

 そして──。

 

『そんな殺生なああああああああああ──────っ!!』

 

 真っ白な光がすべてを吞み込んだ。

 

 

 

 1

 

 

「くけっ?」

 

 同時刻、吉日町を震度三の揺れが襲った。

 ぴりぴりと震える河童橋付近の大気。川の水面が揺れ、薄く降っていた雨まで待機の鳴動に呼応して振動する。

 川の縁に両肘を乗せて、まるで温泉に浸かっているかのようなカッパは、突然の異変に小首を傾げた。

 そして、啓太たちの住まいである上品な一軒家が、突如爆発する。

 耳をつんざくような音とともに粉微塵に吹き飛ぶ建築資材。連続して轟く次元の壁が壊れていく共鳴音。吹き上がる爆風によって二階から三階に掛けてのブロックが四散し、テラスが放物線を描いて川に着水。

 がらがらと重たい音が遠くまで響き渡り、近くにいた鳥たちが一斉に羽ばたいた。

 

「痛っ……皆、無事……?」

 

 猛々と立ち昇る石煙の中、瓦礫を退かした啓太が姿を見せる。

 肩で大きく息をしており、顔色も真っ青でまさに満身創痍といった様子だ。

 

「ん、しょっと……!」

 

「啓太様、大丈夫ですか……?」

 

 瓦礫の下から這い出てきたなでしこたち。大きな怪我はないようで安堵する。

 

「なんとか……薫たちは?」

 

「俺たちも無事だ」

 

「ええ……間一髪でしたね」

 

 同じく瓦礫を退かせて姿を見せた仮名と薫。薄汚れているがこちらも負傷はないようだ。

 絶望的状況だったが、なんとか乗り越えることが出来、ホッと安堵の息をつく啓太。

 

「──最後の最後にしてやられたな」

 

 これまで敵対していた魔導師の声に全員が空を見上げる。

 鉛色の空の下を赤道斎が立っていた。彼の側には機械仕掛けの願望機“大殺界”、木彫りの人形“クサンチッペ”、同じく木彫りのニワトリ“ソクラテス”、黒い棒人間“ジョー”の姿もある。

 

「川平啓太。お前の意外性をもっと念頭に置くべきだった」

 

「赤道斎……」

 

「フッ、流石に霊力が枯渇した状態は辛いようだな。しかし普通なら昏睡しても可笑しくないのに、意識があるとは。お前のポテンシャルにはとんと驚かされる」

 

 地上から己を見上げる啓太たちを一瞥した赤道斎は、再び視線を夕焼けの空へと向けた。

 

「あぁ、そうだ……世界はこんなにも美しい……」

 

 待ち焦がれる少年のように夕日に向けて手を伸ばしながら、小さく口の中で言葉を転がす。

 

「残念ながらな魔力は潤沢とは程遠い状態なのでな。業腹ではあるが、奴へのリベンジはまた今度にするとしよう」

 

 切れ長の綺麗な半目を眼下に向ける赤道斎。

 何故か一度だけ薫の方を見やってから、綺麗な音を立てて指を鳴らした。

 

「散々我を楽しませてくれた礼だ。せめてもの置き土産をくれてやろう」

 

 ドロンと煙とともに現れたのは絵に書いたような爆弾。

 巨大な黒い玉には導火線が付いており、パチパチと火花を散らしながら終点に向かって疾走していく。

 

「死なない程度に爆発する。では、さらばだ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべてマントを翻す赤道斎。

 爆弾が啓太たち目掛けて投下されるなか、赤道斎に負けず劣らずの無表情系美少年犬神使いは、己の恋人の一人に視線を向けた。

 

「置き土産は、死神でお腹いっぱい……ようこ」

 

「うん♪」

 

 ようこが軽やかに返事をし、前に出る。

 怪訝に思った赤道斎が振り返り、ようこの存在を認めて、初めて赤道斎の顔から血の気が引いた。

 

「──げ!」

 

「返却だ」

 

「しゅくち!」

 

 頭に可愛らしいケモノの耳、お尻からはふさふさの尻尾を生やしたままのようこは、ぴっと指を空に向けて慣れ親しんだ能力を使用するが、霊力・体力ともに限界が訪れていたのだろう。

 ふらつき、蹌踉めくようこ。霊力が霧散し彼女の体が地面に倒れそうになるところ、なでしこが抱き留めた。

 ようこの手を取り、支える。

 

「私の霊力も使ったください」

 

「なでしこ……」

 

 震える体に鞭を入れて、なでしこと同じように啓太も支える。指先を絡めるように揃え、霊力が送り込まれた。

 

「……残りほんの僅かだけど。俺の分も、もってけ」

 

「ケイタ……」

 

一緒に赤道斎を懲らしめてやりましょう(一緒に奴を懲らしめる)

 

 二人の霊力の暖かさに思わず涙を浮かべるようこ。

 安心したように力を抜き、二人に体を預ける。

 自然と口元が弧を描いた。

 

「……うん!」

 

 ぶわっと金色の霊力が三人を包み込む。

 三人の声と霊力が完璧に揃った。

 

『しゅくちっ!』

 

「げええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 夕焼けの空の下で赤道斎の悲鳴が響く。

 仮名が大笑いし、薫が目を瞑って肩を竦め、ようことなでしこの二人はハイタッチを交わし合う中――。

 

「これで、ようやく……めでたし……めでたし……か……」

 

 啓太の体から力が抜けた。

 

「啓太様っ!」

 

「ケイタ!」

 

「大丈夫か川平!」

 

「しっかりして啓太くん!」

 

 四人の呼び掛けにも反応を見せない啓太。

 

 そして一ヶ月が経った今現在。

 彼は未だに目を覚まさない──。




 次回から第四部に突入します。
 更新まで約半年掛かる見込みです。


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閑話その三「波乱のヴァレンタイン・デイ(上)」


 ハッピーバレンタイン!
 そういえばバレンタインネタはあまり書かなかったなということで、以前から書きたかったネタを混ぜてみました。
 長いので上下で分けます。


 赤道斎が復活する丁度一ヶ月前。

 世の男女たちにとって特別なイベントである二月十四日、バレンタイン。

 そして、はけが卒倒し、祖母はショックのあまり寝込み、仮名は精神内科を奔走した一日。

 これは、啓太たちにとって忘れられない悲劇となった、そんな一日の記録である。

 

 

 

1

 

 

 

 今年も訪れたバレンタインデー。

 毎年意中の人である啓太に手作りチョコを送っていたなでしこたちだが、今回は例年と比べて一味違う。

 なにせ、今年は晴れて三人が結ばれた年であり、気になるあの人から恋人、さらには婚約者にまで進展した飛躍の年。

 婚約者としての記念すべき初バレンタインデーとなると、気合の入り様も一味違う。

 ようこは在りし日の思い出をチョコで再現しようと、おむすびのチョコを開発。特性の容器で米粒サイズのチョコを作り、それをおむすびの形にしたものだ。ご丁寧に沢庵もチョコで、飽きが来ないようにこっちはイチゴやホワイトチョコとなっている。

 家事スキルがゼロであった犬神見習いの頃を思い出すと、飛躍的な成長と言えるだろう。

 そんなようこだが、そんな彼女ですら「勝てない……」といわしめるのは実質正妻であるなでしこだ。

 

 恋人であり婚約者としての初バレンタインチョコ。只でさえ啓太に向ける愛情が天元突破しているのに、このような特別感をもたらすと、彼女の中のブレーキが粉微塵になって吹っ飛ぶのは目に見えており。

 ぶっちゃけてしまうと、手間暇の掛け方がヤバかった。

 どのような伝手を使ったのかチョコレート専門店のパティシエから様々なイロハを習ったなでしこは、仕入れ業者からチョコの原料となるカカオ豆を直接仕入れ。豆を炙って実を取り出す地道な作業を黙々と行い。試行錯誤しながら啓太の好みに合う塩梅の苦味を探り。丸一日掛けてようやく溶けたチョコの形になり。自分の愛をこれでもかと伝えるため、あえて職人たちが手掛けたガラス細工のような繊細なチョコのデザインで攻めて。

 結果、チョコレートの祭典である【サロン・デュ・ショコラ】に出店できるほどのクオリティのチョコを完成させたのだった。これにはそばで見ていたようこもホールドアップある。

 なお、きゃいきゃいと楽しそうにチョコレート造りに勤しむなでしこたちを見て、啓太は「やった、今年も貰える」とウキウキ気分に浸るだけであった。

 

 前日ところか一週間前からの準備が終わり、晴れて当日を迎え。

 休日で依頼もないため川平邸でのんびり過ごしていた啓太に、若干の緊張とそれ以上の期待感を胸に各々チョコを渡そうと、ラッピングしたそれを手にした時だった。

 

「あれ、地震?」

 

「大きいですね……」

 

 突入、大きな揺れが川平邸を襲った。

 震度三ほどの揺れで、シャンデリアが大きく振り子運動を繰り返し、戸棚に納まった食器がカチャカチャと音を鳴らす。

 ハンモックの上で優雅に読書を楽しんでいた啓太もすぐに揺れに気がつき、体を起こした。

 そんな彼の目の前で──。

 

「……?」

 

 青白いスパークを伴って空間が歪み始める。まるで、映画などに出てくる『何者かがこの時空に転移してくる』予兆だ。

 念のため距離を取る啓太の前で、歪みの中央から何かが現れた。

 本当に時空転移してくるとは、と乏しい表情ながら驚愕している啓太の前で、ソレは嬉しそうな鳴き声を上げる。

 

「フー!」

 

 ソレは奇妙な生き物だった。

 アラビアン系の見た目をした精霊っぽい何か。腕に通した黄金のリングをフラフープのように回している。

 ニシシと悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、何が楽しいのか啓太の周りを踊るように飛び跳ねていた。

 どうすれば良いのか分からず、困惑する啓太。

 リビングからなでしこたちがやって来て、奇妙な精霊の姿に驚きの表情を浮かべた。

 

「け、啓太様、その子は……?」

 

「……分からん」

 

「よーせい?」

 

 三人揃って小首を傾げる中、妖精は徐にリングを握ると高々と掲げ。

 

「フー!」

 

 突然拡大したリングに啓太を通すと、彼の姿が忽然と消えたのだった。

 一流マジシャンもビックリなマジックに、なでしこたちの目が見開く。

 

「え……」

 

『えぇっ──!?』

 

 慌てて啓太が居た場所に駆け寄るが、主の気配は一切ない。

 触れることはもちろん、匂いも残り香だけで。

 まるでようこの【しゅくち】のような瞬間移動だ。

 

「け、啓太様!」

 

「ちょっとアンタ、ケイタをどこにやったの!?」

 

「フープププププっ」

 

 啓太の霊力すら感じられないことに気付き、軽いパニックに陥るなでしこ。

 犯人である精霊の胸倉を掴み上げ、鬼の形相でガクンガクンと体を揺するようこ。

 当の妖精はすごい勢いで振り子のようになっているにも関わらす、悪戯成功と言いたげな笑みを隠さない。

 

「お願いです妖精さん! 啓太様を返してください!」

 

「フーパッパパパパパ!」

 

「あっ、待って……!」

 

 なでしこの嘆願虚しく、妖精は高らかに笑い声を上げながら霞の如く消えてしまった。

 

 突然の出来事に頭が追いつかない。

 ついさっきまで目の前にいた主が忽然と姿を消したのだ。

 犬神の感知能力は個々の差があれど、主人に限って言えばかなり広い。一節によると主人との間に紡いだ絆の深さに比例するようだが、なでしこの啓太感知レーダーは本州を丸々カバーするほどだ。

 そのなでしこレーダーに反応がないとなると、少なくとも日本に居ないことになる。なでしこたちだけでは到底、海外全域を捜索するのは難しい。

 灯りも無く暗闇の中を彷徨うような心細さ。今すぐ啓太を探しに行きたい、そんな衝動に駆られて直ぐ様飛び立とうとした時、ようこの声が耳に入った。

 

「なでしこ! ケイタ、ケイタいるよ! ほら!」

 

「──っ! 何処ですか!?」

 

「ほら、アンタも感じるでしょ! 啓太の霊力が!」

 

「……! 啓太様っ!」

 

 ようこの言う通り、先程まで感じなかった主人の霊力が感知できる。

 場所はすぐそこで、居ても立っても居られなくなったなでしこは直ぐにはしりだした。ようこも後に続く。

 啓太が居る場所、河童橋の下。

 そこには──。

 

「ない──! 俺の家が、なぁぁぁいっ! なんでだああああああ──!!」

 

 頭を抱えて天に向かって絶叫する主人の姿があった。

 

「け、啓太様……?」

 

「ケイタ、だよね?」

 

 乱心という言葉では片付かないほどの取り乱しよう。無表情がデフォルトで、これまで見せて来た表情の中で一番崩れた時でも精々が微笑程度であるのに。

 今の啓太は凄惨な顔で、その表情からショックの大きさを入念に物語っていた。

 今の啓太に、かつて人形と呼ばれていた頃の面影は微塵も感じられない。

 主人の乱心に小さくない衝撃を受けていると、なでしこたちに気づいた彼が気色の声を上げる。

 

「んぁ? おぉ、なでしこちゃん! 見てくれよ、俺の家がなくなっちまったんだ! ようこ、なんか知らないか!?」

 

『……』

 

 その様子に顔を見合わせたなでしこたちは声を揃えて叫んだ。

 

『啓太様が壊れてしまいました!』

 

 

 

 

 

 同時刻。謎の精霊によって気づけば河童橋の下に飛ばされていた啓太。

 目の前にはダンボールで出来た立派な古屋があり、明らかに家がない人が住んでいる形跡が見られる。

 河童橋はよく通る道だが、昨日は存在していなかった。となると、今日誰かが作ったのだろう。

 

「……世知辛い世の中」

 

 いつまでもここに居ても仕方ない。ましてや住民と遭遇したら要らぬ難癖を付けられる可能性がある。

 

(突然消えてなでしこたちも心配してるだろうなぁ。あの妖精、次見かけたらとっちめてやる……! }

 

 そう心の中で報復宣言をして踵を返した時。

 

「あれ? おあえりー、ケイタ。今日は早かったね」

 

「…………ようこ?」

 

 ひょこっとダンボールハウスから顔を覗かせたのは、彼の恋人の一人であるようこであった。

 何故、彼女がホームレスのお家にお邪魔しているのだろうか。その日にあった出来事などを毎日教えてくれるようこだが、ホームレスと仲良くなったといった話は聞いたことがない。

 

(まさか、好奇心のまま勝手に不法侵入したとか? いや、昔ならともかく最近のようこはモラルとかもしっかりしてきたから、それは考えにくいか……えっ、なんで居るんだ??)

 

 考えれば考えるほど訳が分からないこの状況。

 肝心のようこはきょとんとした顔でこちらを見ている。

 

「……なんでそこに?」

 

「なんでって、なにが?」

 

「……勝手にお邪魔しちゃダメ。帰る」

 

 ようこの手を引いて、川平邸に向かおうとする啓太。

 そんな彼に手を引かれるようこは首を傾げた。

 

「帰るって、どこに?」

 

「……? だから家」

 

「家って……」

 

 ようこは心底不思議そうな顔をすると、今し方出てきたダンボールハウスを指差して告げた。

 

「ケイタの家ならそこにあるじゃない」

 

「……は?」

 

 

 

2

 

 

 

「啓太様、お気をしっかり!」

 

「ケイタが壊れちゃった~!」

 

「何を言ってんだ?」

 

 主の手を両手で包み、潤んだ目で訴えかけてくるなでしこ。

 主人の背中に抱き着き、わんわんと声を上げて泣き叫ぶようこ。

 何が何だか分からない啓太は困惑を隠せない様子で、途方に暮れていた。

 不意に啓太の目がなでしこの髪を捕らえた。正確には頭部に結ばれた純白のリボン。

 左右対称の綺麗な蝶結びで髪を結わいており、なでしこの几帳面な性格がよく表れている。

 

「なでしこちゃん、イメチェン? そのリボン、よく似合ってるね!」

 

「えっ……け、啓太様……?」

 

 褒めたつもりなのに、何故かなでしこの顔色が真っ青になった。

 肩越しに背後を振り返り、自分に泣きついて離さないようこを見やる。

 

「だあああ! いい加減離れろっての! 暑苦しいわ──って……お前、どうしたその髪飾り」

 

 ようこの前髪には、鶴のくちばしの形をした髪留めが。ガラスのような素材で出来ており、根元には薔薇を模した一輪の花が飾られている。

 

「前まで付けてなかったよな。買ったのか?」

 

「け、ケイタ……?」

 

 きょとんとした顔で自分を見つめる啓太。嘘や冗談をついているような顔ではなく本気で疑問に感じているようだ。

 恋人となった記念の髪飾りも、約束よりも重い契約で救った純白のリボンも。

 すべて記憶にないと、言外に告げていた。

 

「えっ?」

 

 不意に啓太の両腕ががっちりホールドされる。

 右をなでしこ、左がようことそれぞれ啓太の腕を持ち上げて、まるで連行するかのように、どこかへ連れていく二人。

 

「大丈夫です、啓太様。啓太様が覚えていなくとも、私はずっと覚えていますので。まずはお婆様の元へ向かいましょう。何か有力な助言を頂けるかもしれません」

 

「えっ、えっ? ちょ、なでしこちゃん!?」

 

「そうね。今の啓太はぜっっったい可笑しいんだから、きっちりお婆ちゃんに見てもらうよ!」

 

「可笑しいって何がだよ! 離しやがれ……っ! おい、ようこ!」

 

 暴れる啓太だが抵抗むなしく、両脇を固められた啓太はまるで犯罪者のように宗家の元へ連行されるのだった。

 

 

 

 

 

 同時刻。何故かダンボールハウスの持ち主にさせられた啓太。

 ようこに招き入れられた彼はキョロキョロと家の中に視線を向ける。

 夜露対策なのか異本的にダンボールを重ねているらしく、きっちり隙間なく壁を作っており、まるでダンボール職人が手掛けたかのようなクオリティだ。

 家の中にある家具も、何処からか調達したと思わしき壊れかけのちゃぶ台や、一昔前のブラウン管テレビ。机やタンス、ベッドまで完備されている。

 意外と快適そうな環境に、昨今のホームレスでもこれほどのお家は持っていないだろうと、心の中で呟いた。

 

「ケイタ? さっきから可笑しいよ。ずっと無表情だし」

 

 家の中を無遠慮に見回す主人の姿を前に、胡乱な目を向けてくるようこ。

 可笑しいのはお前だ、と思わず口にしそうになった時、ようこがぴっと指を向けて来た。

 

「あっ、さては無表情キャラでイメチェンしようって腹ね! またいつものナンパでしょ!」

 

「……指差さない」

 

 第一、生まれてこの方一度もナンパなんてしたことない啓太である。

 

「……なでしこは?」

 

 こういう時はなでしこから話を聞くのが一番なのだが、肝心の本人の姿は先程から見当たらない。

 ようこのストッパー役でもある彼女の所在を尋ねると、目の前の犬神は目をパチクリさせた。

 

「なでしこ? 今日は来てないけど」

 

「来てない?」

 

「なでしこだって忙しいんだし、いつもいつも遊びに来れるわけないじゃない」

 

 何だか強烈な違和感を感じる。

 先程から感じていた違和感。

 致命的な認識のズレがあるような、言いしれない気持ち悪さ。

 ふと、あることに気がついた啓太は、ようこの髪を凝視した。

 

「……髪飾り。今日はしてない」

 

「髪飾り? わたし髪飾りなんて持ってないよ?」

 

 不思議そうな顔で小首を傾げるようこに、啓太も思わず首を傾げた。

 恋人となったあの日にプレゼントした、鶴のくちばしを模した髪留め。

 風呂に入る時と寝る時以外、常に髪留めをするくらい気に入ってくれていたのに。

 髪留めなど持っていないと言う。

 

「……ねえ、ケイタ。なんか可笑しいよ。本当にどうしたの?」

 

 顎に手を当てて真剣な顔で考え込む啓太。

 主人の尋常ならざる雰囲気に異常性を感じたようこは、心配気な表情を浮かべて啓太の顔を覗き込んだ。

 

「お邪魔します。啓太様、ようこさん」

 

 丁度その時、なでしこがやって来る。

 ダンボール製の扉を開けてひょこっと顔を出した彼女は、部屋の真ん中で何時になく真剣な顔で何かを考え込む啓太と、オロオロとした顔で彼の周りをグルグル回るようこの姿に首を傾げた。

 

「あ、なでしこ! ねえ見て聞いて、ケイタが変なんだよ!」

 

「啓太様が?」

 

 何を仕出かすか分からない、意外性ナンバーワンの啓太のことだ。また懲りずに何か企んでいるのではと、ようこと同じ考えに至ったなでしこだが、直ぐに違うと気づく。

 雰囲気が普段の啓太のものではない。

 凪いだ湖畔のように静けさに包まれた気配。

 喜怒哀楽のいずれかを見せてくれていた啓太からは想像もつかない顔で、まるで人形のような無表情。

 彼から感じる霊力や匂いはすべて啓太本人のそれだが、明らかに何かが違う。

 

「啓太様、どうかしましたか?」

 

 心配気な顔で啓太の身を案じるなでしこ。

 電算の如く思考を繰り返していた啓太は、ようやく彼女の来訪に気がつき顔を上げた。

 

「なでしこ……教えて。一体何が──」

 

 そして、なでしこの顔を見た啓太は思わず硬直してしまった。

 

「啓太様……?」

 

「……リボンは?」

 

「えっ?」

 

「いつも結ってたリボン……何処?」

 

 そう。ようこ同様にプレゼントした純白のリボンを、心底大切そうに身につけていたのに。

 後頭部で結いたリボン姿が、もはやデフォルトと化すほど肌身離さず愛用してくれていたのに。

 可愛らしい栗色の髪には結く物が何一つなかった。

 

「リボンなど付けていませんが……」

 

「────」

 

啓太様!?(ケイタ!?)

 

 啓太は気絶した。

 

 

 

3

 

 

 

「よう婆ちゃん! 土産にタバコ、カートンで買っておいたぜ」

 

 人好きの笑みを浮かべて宗家の元にやって来た啓太は、ビニール袋に入ったタバコを見せる。

 これまで祖母の元を訪ねる際に土産を持参することは少なくなかったが、老舗の和菓子や品のある湯吞み、ブリザーブドフラワーなど健康を気遣ってのラインナップがほとんどで。

 悪戯心が働いても、精々が名作のホラーゲームといったパソコンが趣味の祖母に合わせた軽いもの。

 体に害のあるタバコをプレゼントしたことはこれまで一度もなかった。

 故に、乳母の代わりとして啓太を育ててきた犬神のはけのショックは計り知れず。

 

「──あの啓太様が、不良に……あぁ……」

 

「はけっ、ワシを置いて気絶する出ない!」

 

 卒倒しても致し方無いことだろう。

 孫の様子が可笑しいことは一目見た時から分かっていた刀自は、啓太の身に何が起きているのか、考えられる可能性を考察するが、そんな彼女の思考を妨げるかのように彼の犬神たちが助けを求めてくる。

 

「お婆ちゃんっ、ケイタが! ケイタがぁ……!」

 

「お婆様、啓太様の記憶が……」

 

「うむ、分かっておる。啓太、尋常ではない様子だが、死神から何かされたのかい?」

 

「婆ちゃんもそれかよー。ったく、ようこもなでしこちゃんも、ずぅぅぅっと同じこと言ってんだ。俺はいつも通りだってのに」

 

 再三言われ続け辟易としているのだろう。唇を尖らせて不満を口にする啓太に「いや、明らかに異常じゃろ」と胸中でツッコむ刀自。

 頭をガリガリと掻いた啓太は、祖母の言葉に「ん?」と首を傾げた。

 

「死神っていうとアレだよな。絶望の君。進藤ケイわ狙った奴で俺を不幸のどん底に落としたこんチクショウ。何で今頃アイツの名前が出てくるんだ?」

 

「……何?」

 

「えっ」

 

 啓太のセリフに何か引っ掛かったのか、険しい顔で眉を一瞬跳ね上げる刀自。

 なでしこも驚いた表情で啓太の顔を見つめた。

 何が可笑しいのか分からず首を傾げるようこを尻目に、祖母たちの尋常ではない様子に顔を引き攣らせる啓太。

 

「えっと……どしたん?」

 

「啓太、死神と戦ったのは覚えているね?」

 

「あ、ああ……」

 

「彼奴との戦いは最後、どうなったか覚えているかい?」

 

「どこなったもなにも……」

 

 質問の意図が分からず首を捻る啓太。

 ようやく、何が可笑しいのか気付いたのだろう。小さく「あっ」と声を漏らすようこ。

 自分の犬神を一瞥した啓太は、ポリポリと頬を掻きながら告げた。

 

「俺とようこでぶちのめしたんだが、その時アイツに呪われて……で、今も不幸の身の上だけど?」

 

『……』

 

「え? マジでどうした?」

 

 皆一様に啓太の顔を凝視せてくる。

 無言の視線に耐えきれなかったのか、顔を引き攣らせた啓太が尋ねると、刀自は静かに口を開いた。

 

「お主、啓太じゃないね? 少なくとも、ワシらが知っている啓太ではない」

 

「は?」

 

 寝耳に水だった。

 目を瞬かせる啓太に、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を続ける。

 

「そもそも、ワシらの知る啓太は常に無表情じゃ。お主のように一喜一憂するようなタイプではなく、喜びも悲しみも胸の中で受け止めて表には一切出さん」

 

「そして、啓太様がかつて相対した死神ですが、今も生きています。それも、なでしこの活躍で啓太様たちは一命を取り留めたのです」

 

 いつの間にか正気に戻っていたはけが、主人の説明を補足する。

 はけの言葉に大きく頷いた刀自は、切れ長の目で啓太を睥睨した。

 

「そして、なでしことようこは、啓太の犬神であると同時に恋人であり、ワシが認めた婚約者じゃ」

 

「改めて尋ねます。啓太様の身に扮した者よ……お前は何者ですか?」

 

「……」

 

 刀自たちの話を聞いていた啓太は、あんぐりと口を大きく開き、白目を剥いていた。

 

「──はあああああああぁぁぁ!?」

 

 少年の悲鳴が野山に轟くのであった。

 

 

 

 

 

 同時刻。目が覚めた時、視界に移ったのは見慣れた白い壁紙の天井ではなく、古い木板の網目模様。

 年輪の数から相当古い木を使用しているのだと分かる天井をボーッと眺めていた啓太は、「……そういえば」と声を漏らした。

 どこか見覚えのある天井と思ったが、それもそのはず。

 起き上がって周囲を見渡した啓太は小さく頷いた。

 

「……やっぱり。お婆ちゃんの家」

 

 祖母の家の客間。

 布団の上に寝かされていた啓太は、何でお婆ちゃんの家に居るのだろうと首を傾げた。

 ようこが訳の分からないダンボールハウスに居て、しかもそれの持ち主が啓太であると告げられたところまでは覚えているが、そこから先は霞がかったかのように不鮮明。

 まるで本能が思い出すのを拒んでいるかのようだ。

 

「おや啓太、目を覚ましたか」

 

「お婆ちゃん」

 

 襖を開けて祖母とその犬神たちがやって来た。心配げな表情を浮かべたようこたちも居る。

 

「ふーむ……」

 

「……?」

 

 顎に手を当ててジロジロと啓太の顔を眺める刀自。

 はけも真剣な表情で啓太の一挙手一投足に注意を払っていた。

 

「確かに、いつもの啓太じゃないね……。啓太、昨日のことは覚えているかい?」

 

「昨日?」

 

 昨日は特にこれと言った出来事はなかったはずだ。

 普通に学校で授業を受けて、帰ったらようこが借りてきたDVDをなでしこと一緒に見て、彼女たちが作った料理に舌鼓を打って、昨夜はようこの番のため彼女と一緒の布団に入った。

 至って普通の日常だ。

 

「ようこさん、いつの間にか啓太様とそこまで……」

 

「ち、ちち、違う違う! わたしとケイタはまだそんな関係じゃ……! け、ケイタったら何言ってるの! わ、わたしがケイタとその……え、えええ、えっちなことをするなんて!」

 

 啓太の話を聞いて動揺を隠せないなでしこたち。刀自は何かを考えるように顎を撫でながら、啓太の顔をジッと見つめていた。

 なでしこたちの反応を見て、意識を失う前の記憶が蘇る。恋人になった証であるリボンと髪留めは、やはりしていなかった。

 小さく肩を落とす啓太だが、それよりも二人の反応の方が気になる。まるで、啓太と恋人関係にあることを忘れているようだ。

 そもそも、なでしこたちが可笑しくなった切っ掛けは、あのアラジンチックな妖精が現れてからだ。

 その後、気づいたら河童橋の下に居て、そこでようこと出会った。

 

(おいおい、まさか……)

 

 とある考えが頭に浮かぶ。

 本来ならあり得ないと一蹴するところだが、これまでのようこたちの言動やプレゼントを渡した記憶がないことなどから、可能性の一つとして浮上してくる。

 

「……ようこ」

 

「は、はいっ! な、何かな、ケイタ?」

 

 ようこに声を掛けると、甚く緊張した様子で飛び上がりながら返事をしてきた。

 

「死神との戦い、覚えてる?」

 

「え? う、うん」

 

「最後、どうなった?」

 

「どうなったって……ケイタとわたしで倒したじゃない」

 

「……」

 

「ケイタ?」

 

「啓太様?」

 

 ようこの話を聞き思わず頭を抱える啓太。

 不思議そうに首を傾げる犬神たちを尻目に祖母と向き直った啓太は、今し方確信したことを口にした。

 

「……お婆ちゃん。俺、並行世界から来たみたい」




 近々続きを投稿しますので、少々お待ち下さい。


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閑話その三「波乱のヴァレンタイン・デイ(下)」

 啓太から色々と話を聞き、またなでしこや刀自たちからも説明を受けて情報を照らし合わせた結果、ここに居る啓太は並行世界からやって来た可能性が高いことが分かった。

 啓太もアラジンチックな精霊と接触し、気が付けば河童橋の下に居たらしい。あそこには啓太が作ったダンボールハウスがあるのだが、そのようなものが置かれていたことは過去一度もなく、さらに言うと啓太の身につけている物も自分の知るそれでないことに今更ながら気付いた。

 そして現在、こっちの自分が体験したこれまでの出来事を聞いた啓太は、年甲斐もなく涙を流していた。

 

「歴代最強と言われた婆ちゃんを上回る霊力に、物資化する能力……さらには、あのなでしこちゃんとも契約を結んで、しかも婚約者!? うらやまじいいいいい〜〜〜〜っ!!」

 

 泣き崩れ拳を畳に叩きつけるその姿は、なでしこたちが知る啓太から掛け離れたおり、並行世界からやって来たという話もすんなり受け入れることが出来た。

 これが向こうの啓太様なんだと、興味津々な様子で見守る犬神たちの前で恥も外聞もなく泣き叫ぶ啓太は、世の理不尽に怒りを燃やした。

 

「大体おかしいだろ! 俺にはようこだけで誰も憑いてくれなかったのに、こっちの俺はなでしこちゃんと契約した!? しかも、なんでようこがこんなにお淑やかなんだよ! こっちのアイツなんか大型犬の首輪を契約の証に押し付けてきたり、事あるごとに俺を裸にして街中に放ってくるんだぞ! おかげで今や裸王なんて呼ばれて変態どもの仲間入りだし!」

 

 その様子に外野は「うわぁ……」と引いた目をする。

 

「よもや選抜の儀を失敗したのか……」

 

「啓太様……」

 

 自分たちの知る啓太に憑いた犬神も、なでしことようこのみ。ようこはともかくとして、なでしこも当時は『いかずのなでしこ』と呼ばれていた訳ありの犬神だった。彼女の決断がなければ啓太も実質、儀式失敗となっていただろう。

 かなり危ない綱渡りであったと知り、冷や汗を流す刀自たち。なでしことようこもかなり複雑そうな顔をしていた。

 

「うわぁ……あっちのわたし、ケイタに首輪つけちゃったんだ。でも、うーん……うん、なんかこのケイタには結構似合うかも。それにしても、向こうのなでしこはケイタに憑かなかったんだね」

 

「そう、みたいですね。あちらの私にどのような事情があったのか分かりませんが……」

 

「そうなんだよ!」

 

「あ、復活した」

 

 起き上がった啓太はなでしこの肩を掴むと血走った目で捲し立てた。

 

「なでしこちゃん、薫の奴と契約したんだよ! アイツ十匹も契約してんのに、俺は狂犬のコイツだぞ!? 確かに薫は良い奴だけどさ、でも何で俺じゃないんだよぉ~!」

 

 こっちの俺はなでしこちゃんと無事契約した上、婚約まで交わしたとか羨ますぎるだろおおおおっ! 

 滂沱の涙を流しながら魂の叫び声を上げる啓太に、なでしこは引き攣った苦笑いを浮かべた。

 違う。違いすぎる。

 自分の主であり恋人の啓太と、あまりに乖離している並行世界の啓太。むしろ『人形』と呼ばれた啓太の身に何があったのか気になるくらいだ。

 

「ちょっとケイタ~! 人を指さして狂犬呼びするなんてあんまりじゃない!? 向こうのケイタだからって許さないわよ!」

 

 えいっ、という可愛らしい掛け声とともにお尻を叩くようこ。

 大したことのない衝撃がジーパン越しに伝わってくる中、啓太は何故か愕然とした顔でようこを見た。

 

「……お前、お仕置きでじゃえんとかしないのか? しゅくちで全裸にして街中に放り出したり……」

 

「そんな酷いことするわけないじゃないの!」

 

 もう、失礼しちゃうわ! 頬を膨らませてぷりぷりと怒るようこに、啓太は再び涙を流した。

 

「やっぱりうらやまじいいいいい~~~~ッ!!」

 

 

 

 

 

「ふーむ、並行世界のぉ……」

 

 同時刻。あれから啓太は自分が体験した出来事を語り、なでしこたちからも話を聞いて情報を照らし合わせた結果、並行世界説が濃厚となった。

 なんとこっちの啓太は異能を持ち合わせておらず、霊力も六五〇という可もなく不可もなくといった数値。極めつけは犬神選抜の儀が失敗に終わり、ようこの自主的な申し出があって犬神使いになることが出来たという。こっちのなでしこは薫と契約を交わしたそうだ。

 なでしこの左薬指に光る銀の指輪を見て「あれってそういうことだよな」と人知れず落ち込む啓太。並行世界であることは分かっているが、それでも紛れもなく彼女なわけで。

 自分以外の男と結ばれたという事実にある種の寝取られ感を感じ、口から魂が抜け出ていると。

 

「ねえねえ! ケイタの話もっと聞かせてっ!」

 

 目をキラキラと輝かせたようこが話をせがんで来る。

 啓太に好意を寄せる彼女からしてみれば、向こうのようこと啓太の関係性は理想のそれ。しかもこっちの啓太と違い浮気癖もないという、まさにパーフェクト。なでしこも同じ恋人であることは気になるところだが、それでも警戒すべき対象が一人だけなのは気が楽だ。

 なでしこも主人である薫とはまた違った愛情を啓太に向けており、一時期は彼の犬神になろうと思ったほどで。

 薫の犬神になった後も何かと世話を焼いたりと気に掛けており、もしも薫ではなく啓太の犬神になったら、とあり得たかもしれない未来を想像したこともある。

 そして、その世界の啓太が今目の前にいるのだ。興味がないはずがない。

 祖母とはけも興味深そうな顔で見守る中、啓太は宙に視線を向けて一つ一つ思い出しながら語った。

 

「んー。じゃあ、子供の頃の話から」

 

 目を細めて懐かしそうにかつての日々に思いを馳せながら、大切の思い出話を口にする。

 子供の頃から喜怒哀楽を表現するのが苦手で、親戚連中からは『人形』と呼ばれて気味悪がられていたこと。

 薫だけが唯一の友達でよく一緒に追いかけっこや鬼ごっこ、チャンバラごっこ、悪戯好きな自分に付き合って親戚の連中を揶揄って遊んだこと。

 犬神の山へ散歩に出かけたときに、初めてなでしこと出会ったこと。

 啓太の犬神となったようことなでしこがだが、ようこは犬神として半人前のためなでしこが教鞭を取り、自分も社会常識やモラルなどを教えたこと。

 初めての仕事では子犬の霊が憑いた空手部のムキムキマッチョどもを祓うという依頼で、顔面を舐めようと飛び掛かってくる男たちをいなしながら存分に遊び、成仏させたこと。

 お金を稼ぐために霊障関連で困っている人に向けた相談窓口を立ち上げたり、ピ○チュウのお面をつけてHANZOUに出場して優勝こと。

 ムジナを捕まえる際にアクシデントが起きて、ようこを本気で叱ったこと。

 

 そして、進藤ケイの命を狙う死神。

 啓太とようこの二人でも敵わないほどの格上との死闘。戦わないという誓いを破り、『やらず』の名を返上して啓太たちを救ってくれたなでしこ。

 そんな彼女たちにいつしか惹かれていた啓太は、なでしこに白のリボンを、ようこにはツルの髪飾りをプレゼントして告白し、恋仲となったこと。

 祖母に思いの丈を打ち明けて、婚約者として認められたことなど。

 目を閉ざせばつい昨日のことのように思い出せる、大切な思い出を懐かしむように口ずさんでいると──。

 

「うぅ、ケイタぁ……わたしも好きだよ〜!」

 

「あちらの私はそこまでして啓太様のことを……」

 

 目をウルウルさせたようこは我慢できずに飛び掛かり、喉を鳴らしながら啓太に抱き着き。

 向こうの自分がそこまでの想いを啓太に抱いていると知ったなでしこは、顔を真っ赤にして俯き。

 

「なんともまあ興味深い話だね。しかしそうかい、あの啓太がようこたちと……」

 

「今の啓太様からは想像もつきませんが、きっと真実なのでしょうね……」

 

 祖母とはけは、自分たちが良く知る啓太とはあまりにかけ離れた人物像に驚きを隠せないでいた。

 啓太もこっちの自分がどのような人生を歩き、ようことの関係はどうなっているのか気になり尋ねたのだが──。

 

「ナンパの連続に公然猥褻、変態どもを率いるリーダー……裸王?」

 

 果てしない女好きのお調子者であることが分かり、頭を抱えるのだった。

 

(俺も男だし、女の人に興味関心があるのは分かるけど、だからって所構わずナンパすんなよ……! しかもようこのお仕置きとはいえ何度も公然猥褻罪で捕まってるとか、まさかの前科持ち!? こっちの俺はどうなってるんだ!)

 

 なんとも頭が痛くなる話だ。

 もはや主従関係が逆転し、主人のお目付け役となったようこ。啓太の行いや評判が川平の名に傷をつける羽目になるのは想像するに難くない。きっと祖母やはけにも多大な苦労を背負わせていることだろう。

 並行世界の自分が仕出かしたとはいえ、大切な人が迷惑しているという事実は変わらない。

 姿勢を正した啓太は改めて祖母たちに向き直ると、深々と頭を下げた。

 

「……並行世界とは言え、俺のやらかしは見るに堪えない。多大なるご迷惑をお掛けしたこと、心よりお詫び申し上げます」

 

『──』

 

 品格を感じさせる美しい姿勢。上辺だけの言葉でないのは、その節々から見て取れて。

 本気で謝罪しているのだと分かり、驚愕で言葉を失うようこたち。

 

「……向こうの啓太は、なんてイイ子なんじゃ」

 

 啓太の澱み一つない美しい心に触れた祖母は、思わず涙を流してしまう。ほんの少しだけでいいから、こっちの啓太に爪の垢を煎じて飲ませてあげたいと、割と本気で思うのだった。

 

「おや、地震ですか……」

 

 不意に大きな揺れに見舞われる。震度でいえば3程の横揺れ。そういえば今朝も大きな揺れがあったなと全員が同じことを考えていた時──。

 

「フー!」

 

 空間が歪むと、そこからアラジンチックな精霊が飛び出して来た。

 

 

 

 1

 

 

 

「こっちの俺、こんな豪邸に住んでるのかよ……」

 

 自宅に戻ってきた啓太は、目の前に立つ一軒家に度肝を抜かれていた。

 ダンボール製の家と比べると、まさに雲泥の差である。

 

「今お茶をお出ししますね。啓太様はどうぞお寛ぎ下さい」

 

「お茶菓子どーぞ! 近所のおばちゃんから貰った老舗の和菓子なんだって」

 

「お、おう」

 

 客人をもてなすようにテキパキとお茶を淹れて茶菓子を差し出される。

 どこか呆気に取られていた啓太は、ふとテーブルに置かれているものに気が付いた。

 可愛らしいピンク色の包装紙でラッピングされた小物が二つ。

 啓太の視線に気が付いたようこたちが愛想笑いを浮かべながら、それらを手に取った。

 

「そういえば、今日バレンタインデーだったよな。ていうことは、それって……」

 

「はい、啓太様にプレゼントするチョコです」

 

「今はそれどころじゃないけどね……」

 

 苦笑を浮かべるようこ。真心が込められた手作りチョコなのは、両指に巻かれた絆創膏が物語っていた。

 気落ちしている様子の二人を前に、髪をガシガシと掻いた啓太はそっぽを向きながら言う。

 

「その、こっちの俺も他ならない俺だから言うけどよ……チョコ、楽しみにしてるぜ絶対」

 

「啓太様……」

 

「ケイタ……」

 

 入れ替わってから少々残念な言動ばかりが目立つ啓太だが、相手のことを思いやることが出来る優しい心は損なわれていい。

 それが分かって嬉しく感じたなでしこたちは、朗らかな微笑を浮かべた。

 嫌な空気が払しょくされたため、啓太はなでしこから自室の場所を尋ねた。

 自室に向かう啓太の後に続きながら、不思議そうな顔でなでしこが質問すると、彼はニシシと笑みを浮かべて答える。

 

「こっちの俺も、他ならない俺自身な訳で。なでしこちゃんという婚約者が居るとはいえ、絶対にお宝の一つや二つ持ってるはずだからな」

 

「お宝? 金銀財宝とか?」

 

 抽象的な物言いでは伝わらなかったのだろう。首を傾げるようこたち。

 

「バッカお前、映画の見すぎだ。男の子のお宝と言えば一つしかないだろ。そう、エロ本にエロビデオだよ!」

 

 ウキウキ顔で隠し場所として適していそうな所を片っ端から覗いていく啓太。

 お宝の内容を聞いたなでしこは「確かに、年頃の男の子にとってはお宝に匹敵するかもしれませんね」と恐ろしいほどの笑顔で呟くと、啓太の宝探しを手伝い始めた。

 ようこも「もしそんなものあったら全部燃やしてやる!」と意気揚々と本棚を物色する。

 しかしやらしい本は一冊たりとも見つからず、代わりに出てきたのは……。

 

「もふもふ大百科ぁ?」

 

 犬猫を始めとした全国の動物が載っている図鑑だった。やらしい本を隠すかのように小型金庫の中に保管するという徹底ぶり。

 

「啓太様ったら、私というものがありながらこんな雌を……」

 

「見てよなでしこ、この雌犬媚びた笑顔を浮かべてる! きっと淫乱なんだわ!」

 

 図鑑に載った動物たちをあーでもないこーでもないと酷評を下しながら嫉妬の炎を燃やすなてしこたち。

 その様子に「動物でも嫉妬するのかよ……」と戦々恐々とした顔で眺めていた啓太は、ふとある事実に思い至る。

 

(なでしこちゃん、こっちの俺の彼女なんだよな。ていうことは、あんなことやこんなことをしても彼氏彼女ならセーフな訳で……)

 

 鼻の下が伸びる啓太。ようこも恋人である上に向こうの彼女とは違って淑やかで優しいため、いつものような邪魔はしてこないだろう。

 未だ酷評を続けているなでしこのお尻に啓太の手がそろりそろりと近づいていく。

 ぐふふふふ、とだらしのない声を胸の中で漏らし、手をワキワキさせながら、その魅惑のヒップに触れようとするが──。

 

 華麗な身のこなしで魔の手から避けたなでしこは、啓太の襟首を掴みながら膝裏を蹴って体勢を崩し、そのまま地面に引き倒してしまった。

 鮮やかな手並みに何が起きたのか分からずキョトンとする啓太。

 そんな彼の視界に、ニッコニコの笑顔を浮かべたなでしこが映り込む。

 

「啓太様? 今、何をしようとしましたか?」

 

「い、いや、なでしこちゃんのお尻に蚊がいたもんで」

 

「そうですか」

 

 表情筋が凝り固まったかのように笑顔を崩さないなでしこは、徐ろに椅子を掴むと片手で持ち上げる。

 掴んでいる背もたれの場所から、メキメキという素材の悲鳴が聞こえてきた。

 

「え、あの、なでしこちゃん? ちょっと!? ようこ助けて──」

 

「うーん、こんな感じかな?」

 

 助けを請う視線の先には、鞭を振るって感触を確かめているようこの姿が。護身用として置いてある道具の一つで、まともにヒットすれば悶絶するほどの痛みを与えてくれる。

 すぐにでも逃げなければ! 数々の修羅場を潜り抜けてきた頭脳が、今すぐここを離れるんだと警告してきた。

 ドアはなでしこの後ろにあるため、そこを通るのは愚策。なら窓だ! 

 

「あっ、待ちさないケイタ!」

 

「うふふ……」

 

 幸いなことに部屋は二階にあるため、この程度の高さならどうとでもなる。

 勢いよく窓から飛び降りた啓太は足首、膝、腰、背骨、首と連続的に関節を曲げて衝撃を和らげ、地面を転がることで完全に勢いを逃がす。

 まるで一流スタントマンの如き身のこなしを披露した啓太は、そのまま家から離れようとするが──。

 

「うぉっと、地震か?」

 

「フー!」

 

「あっ! テメェ、あの時の!」

 

 何時ぞや見かけた精霊が、再び啓太の前に姿を現したのだった。

 思えばこの精霊と出会ってから、並行世界という訳の分からない場所へ飛ばされたのだ。

 コイツが諸悪の根源か! と息巻き精霊を捕まえようとするが──。

 

「フゥー!」

 

 突っ込んできた啓太を迎え撃つ形で、巨大化させた腕輪のリングを振り抜いた。

 さながら、ストレートの球を芯で捉えた一流バッターのような、見事なスイング。タイミングも申し分ない。

 リングの中を通った啓太は、瞬間移動マジックに掛かったかのように再び姿を消してしまった。

 

「啓太様!」

 

「ケイタ!?」

 

「フープップー!」

 

 消えたその瞬間を目撃していたなでしこたちが慌てて駆け下りてくる。

 一人口元に手を当てて笑う精霊は、ヒラリと何処かへ去ってしまうのだった。

 外に出た時にはすでに精霊の姿はなく、お調子者の啓太も見当たらない。

 初めから存在しなかったかのように、微塵も気配が感じられない。

 もしかしたら、また何処かの世界へ行ってしまったのかも。そんな考えが過ぎった時だった。

 

「──ん? なでしこにようこ?」

 

 背後から沸き起こる気配。

 陽だまりのように暖かい霊力。お布団のように優しく包み込むような大好きな匂い。

 抑揚のない声は間違いなく主人のもので。顔を見ずともきっと無表情を浮かべているのだと手に取る様に分かった。

 

「啓太様っ!」

 

「ケイタぁ!」

 

 振り返るとそこには大好きな主人であり、恋人であり、将来の伴侶である啓太の姿が。

 啓太もなでしこたちを見ると、無であった表情に安堵の色が生まれる。

 視線は後頭部や前髪に向けられており、そこにはしっかりと啓太が送ったプレゼントが付けられていた。

 

「啓太様……本物の啓太様ですよね……?」

 

「わたしたちのこと分かるよねケイタ!?」

 

 平行世界の存在を知ったためか、ここに居る啓太が自分の見知った主人と同一人物なのか不安に駆られる二人。

 そんな彼女たちを安心させるように目尻を下げた啓太は、その純白のリボンと鶴の髪飾りをそっと撫でた。

 

「……当然。なでしこたちは、俺の恋人」

 

啓太様!(ケイタ!)

 

 平行世界の啓太たちと邂逅するというハプニングに見舞われながらも、今年も無事に想い人へチョコレートを渡すことが出来たなでしこたち。

 そのクオリティの高さに圧倒された啓太は、記念として二人の手作りチョコレートを写真に納めてSNSに上げたところ、一万ものイイネが付き一時期話題となるのだった。




 何気に今回限りのクロスオーバー。
 精霊の正体が分かった人いますかね?


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