艦これ~桜吹雪の大和撫子~ (瑞穂国)
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海征く娘たち
三人の海


連載なんて無理だよ・・・

うっうっ、胃が痛い・・・後は任せた、吹雪ちゃん

はい!!このSSは、

・作者は連載初投稿(挑戦)

・独自設定あり

・明らかに歴史上の人物を意識したであろう人物名

・不定期且つ、遅すぎる更新

などの要素が含まれます。お読みになる司令官は、あらかじめご了承ください。また、作者は今後の参考のためにも、感想をお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。ただし、作者の心は非常に折れやすいので、そちらの方もどうぞご了承ください。


・・・夢を、見ていた。

 

 

 

朧げな月明かりが、障子ごしに部屋を照らしている。ひんやりとした空気に、カチコチと鳴らされる時計の針。暗闇に木目の天井を見上げて、少女は心なし荒くなった息を静かに整える。まだ眠いはずなのに、目を閉じることはどうしてもできなかった。

 

同室の子たちに、起きてしまった様子はない。みんなの心地良さそうな寝息と、ときたま寝返りを打つのが聞こえるだけだ。

 

しばらくもぞもぞとやっていたが、結局眠れずに、少女はゆっくりと上体を起こした。体に掛けていた布団がはらりとずり落ちて、薄い青の浴衣姿を現す。普段結んでいる髪は、降ろしたまま丁度肩の辺りに掛かっていた。

 

静かに立ち上がって、障子に向かう。布団を踏みしめるのと、衣擦れの音が寝息に交じって月光にきらめいた。

 

障子は音もなく、すんなりと開いた。以前同室の一人が、動きやすくなるからと蝋を塗りこんでいた。なんともない知恵袋だったが、今はそれがありがたかった。

 

人一人分空いた隙間に身を滑り込ませて、蒼い光の中へ出ていく。月は少女を受け入れてくれたが、反面どこか冷たかった。夜の涼しさが染み込んで冷えた縁側に腰を下ろし、月を見上げる。柔らかな夜風はいつものように潮の香りを感じさせた。建物の端にある少女の部屋は、正面が海に面しているからだ。

 

すー、っと深呼吸をする。新鮮な空気で肺を満たす。いくらか落ち着いては来たが、それでも寝る気にはならなかった。下ろした素足をふらふら振っていると、余計に涼しさが体に染み入ってきた。心地のよいものだ。

 

別段、なにかやることがあるわけではない。こうして月夜に身を任せて朝の訪れを待つだけだ。海を照らす光が太陽に変わる頃、そっと布団に戻る。みんなに心配は掛けたくない。

 

白浜に波が打ち付ける音が聞こえる。浮かんでくる雑念は全て風の中だ。

 

少女の瞳は、眼前で瞬く月光に照らされ、幾千の宝玉となってきらめいていた。

 

 

鎮守府の執務室。

 

僕が本を読んでいると、木製の扉が小気味良く叩かれた。控えめな乾いた音が、夕陽の差し込む室内に心地よく響く。僕は、読みかけの本を机の上に置いた。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

紺と白のセーラー服を着た少女が、入室してきた。閉じた扉の前でちょこんと礼をした拍子に、結ばれた後ろ髪が見えて、少女が誰であるかを示す。

 

いや、見るまでもない。入ってきた時の声で、それが誰であるかがわかるくらいには、僕と彼女の付き合いは長い。

 

「お疲れ様です、司令官。遠征の報告書を持ってきました」

 

少女はタタタッ、と僕の前に来て、一枚の紙を差し出した。少々丸っこいが、彼女の几帳面さが伝わる字で書かれたそれに目を通し、判を押すのは僕の仕事だ。

 

「ああ、ありがとう」

 

報告書を受け取って、上から読んでいく。書くことは必要最小限度だが、大事な書類に変わりはない。読み慣れた少女の字は、簡潔且つ、要点はひとつも落としていなかった。

 

「うん、確かに受け取った」

 

検印欄に僕のサインと判子を押す。几帳面な彼女の字に負けないように、密かに気合を入れたのは内緒だ。

 

「お疲れ様。夕食後でもよかったんだけど、早いと助かるよ」

 

外は既に夜を迎える準備中だ。今頃食堂では、彼女たちのお腹を満たす夕飯が、豊かな香りを漂わせていることだろう。そのため夕方帰りの遠征は、ひとまず食事を済ませてから報告書を提出してもよいことになっている。彼女が帰還したのは、つい三十分前のことだ。

 

「いえ、特にやることも無かったので、早く終わらせてしまおうかと・・・」

 

「そっか。偉いね」

 

「えへへ」

 

照れたように彼女は笑った。かわいらしい仕種に、僕の顔も自然と綻ぶ。

 

「それでその、ですね」

 

そうして笑った後、彼女は少し俯き加減に呟いた。

 

「せっかくゆっくりできるので、夕ご飯は久しぶりに司令官と食べたいな・・・なんて」

 

普段からはきはきとした彼女が、若干頬を赤らめて尋ねたので、思わず目を見張ってしまった。言われてみれば、最近はお互いに新任の娘達の指導に当たっていたために、あまり一緒に食事をしていなかった。

 

「わかった、お邪魔するよ」

 

「ほんとですか!?」

 

彼女はこぶしを握って、ガッツポーズをしている。そんなに喜んでくれるなら、悪い気はしない。

 

「ああ、むしろこっちからお誘いしたいくらいだ」

 

手元にあるいくつかの書類を掻き集める。彼女が来る直前に終わらせたものだ。

 

「これを整理したら、食堂に行くよ。席を取って待ってて」

 

「はい。では、失礼します」

 

満面の笑みで執務室を出て行く彼女を見送って、自分の仕事に手を着ける。と、さっきまで読みかけだった本が目に留まる。そっと持ち上げて、しおりを挟み、机の端に置く。表紙に書かれた題名には、端的な字で

 

『深海棲艦白書(政府版)』

 

と書かれていた。

 

 

波飛沫が陽光にきらきらと輝いています。昼時の天頂に近い太陽は、まだ春だというのに、私と足元の白砂たちを容赦なく照り焼きにします。たまらず私は、借りてきた日傘を開きました。

 

海に来るのは久しぶりのことです。昔はよく遊んでいたものですが、あの怪異たちが現れてからというものの、自然と足が遠のいてしまいました。まあ、理由はそれだけではないのですが。

 

ここの海は静かで、昼食を取るには持ってこいです。私は白浜に腰を下ろし、昼食にともらったおにぎりの包みからひとつを取り上げてかじります。適度に塩気のきいたごはんが、口の中でほどけてうまみが広がっていきます。とてもおいしいです。なんでも、こちらの「間宮さん」という方の作ってくれたものなのだとか。こんなにおいしいご飯が食べられるなんて、とてもうらやましいです。

 

「ご馳走様でした」

 

二個入っていたおにぎりは、あっという間に無くなってしまいました。最後にお茶を含んで息をつきます。

 

浜辺には、私以外に人影もありません。非常にゆったりとした時間が流れているだけです。

 

しばらくの間がありました。

 

―――不思議なものです。

 

最初はあれほど意気込んでいたのに、こうしてことが進んでいくと、未だに覚悟を決めかねている自分がいるのです。恐怖する自分がいるのです。

 

あの時の私なら、真っ先に逃げてしまったでしょう。でも、私はまだここにいる。

 

なぜでしょう。私が、大人になったということでしょうか。

 

私は、何を守るというのでしょうか。

 

この答えは、すぐには出そうにありませんね。そのあたり、私もまだ、大人になったとは言いがたいかもしれませんね。

 

かもめが海の上を飛んでいます。彼らは、どこへ向おうというのでしょうか。どこへ飛び立とうというのでしょうか。

 

わからなくてもいいのかもしれません。

 

私にしか出来ないのなら。私はその使命を全うするだけです。理由というものは自ずと付いて来るはずです。

 

「あ、そろそろ時間」

 

食べ終わった竹の皮に、今までの雑念を包んで握り締めます。そうして立ち上がり、私は海辺を後にしました。

 

見ててね、みんな。

 

私は艦娘として、人類の守護者として、この海を守るから。




書いてみたはいいんだけれども、果たして無事連載していけるのか・・・

なにはともあれ、やれるところまでがんばりますので、応援よろしくお願いします。

感想お待ちしています。


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深海から

めちゃくちゃ遅くなってしまった・・・

新年明けましておめでとうございます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


“奴ら”とは何か。

 

数年前、まだ“奴ら”が現れたばかりで、その名称すら決まっていなかった頃、この手の質問を幾度と無く聞いてきた。政府高官、自衛隊幕僚、新聞記者、果ては公演を聞きに来ていた学生まで、ありとあらゆる人間に同じ様なことを聞かれた。

 

“奴ら”はいつから地球にいたのか。生態や生息域はどうなっているのか。そもそも生命体なのか。

 

なぜ、人類を襲うのか。

 

僕はその人間の立場や重要度を勘定に入れながら、持っている情報を可能な限り多く伝えた。だがもしも、投げられた全ての疑問に対してより正確で適当な答えを返せるとしたら。それは「わからない」というのが、一番真実に近い気がした。ただ、当時の状況が政府や自衛隊に無知でいることを許さなかっただけだ。

 

人類にとって“奴ら”は正体のわからない、未知の存在だった。それは“奴ら”に『深海棲艦』という名称が与えられた今も、何ら変わっていない。

 

 

電子ロックが解除されて、金属製のドアが動き出した。このドアを越えたところが、この施設の最深部に位置する。

 

先程までの陽気はどこへやら、せっかくののどかな春の日差しも、ここまでドアをくぐる間に届かなくなり、すでに人工的な白い光だけが部屋を照らしている。

 

ドアを開いたユキは、深い紺で統一された制服を今一度確かめて、部屋の中に足を踏み入れた。

 

「おお、時間通り」

 

さすがだな、と言わんばかりの声で、中にいた人物が迎える。ユキと同じ制服を着た二十前後の青年は、狭い部屋の中に受付の様に設置された机の向こう側で、時計を片手に腰掛けている。

 

「おはようございます」

 

ユキとしては、嫌な予感しかしない。目の前の彼は幹部候補生時代からの頼れる先輩であるものの、相方と違っていたずらだの何だのを好む人間だった。ユキ自身も幾度と無く犠牲になったか知れない。よりにもよってこの人が当直とは、朝から全くついていない。

 

「はい、これよろしく」

 

彼はユキの思いなど露知らず、引き出しから書類を二枚取り出して彼女の前に差し出した。大小二枚の申請書には、渡航目的や滞在期間等の記入欄が、本人と責任者のサイン箇所と一緒に並べられている。

 

一応断っておくが、これは決してビザや休暇の申請書ではない。

 

ユキは、二つの書類に手際よく必要事項を記入していく。一分半程で書き上げて、サインを添えて先輩へと手渡した。

 

「お願いします」

 

「おう」

 

受け取った彼は、上からものすごい勢いで読んでいく。ちゃんと読んでいるのか怪しいくらいだったが、そういえば前から本を読むのだけは異様に速い人だった。

 

二枚の書類を十秒とかからずに読破してサインを入れた彼は、ユキにすっと手を差し出した。

 

「OK。じゃ、渡航証を見して」

 

ユキは胸ポケットからパスポートのような見た目のものを取り出して、机の上に置く。先輩はそれを開いて再びサインを書いた。そして判子に手を伸ばしたが、

 

「合言葉は?」

 

唐突に尋ねた。

 

この先輩は。ユキは溜息を吐きたいのを寸でのところで堪えた。

 

「そんなものありませんよね」

 

少し棘を持たせて返したが、この飄々とした先輩に通じる訳も無く、

 

「つれないなあ、ユキは」

 

とカラカラ笑っている。

 

この先輩はこういうノリを突然求めて、反応を楽しんでいる節があるとユキは考えている。ただし、この認識が他人と一致したことは少ない。

 

「つれないとか、そういう問題ではないと思いますが」

 

「いやいや大問題だよ、俺の精神衛生的な意味で」

 

どういう意味ですかなどと一々突っ込むのも馬鹿馬鹿しいと思い、早く通すように促そうとしたが、当の本人は期待の目線でユキを見ている。

 

この先輩は。突っ込まなかったのを後悔して、諦めの溜息を吐く。

 

わかりました。言えばいいんですよね、言えば。事前に吹き込まれた謎の文言を思い出して、若干イラッとしつつ口を開く。

 

「激重プカプカ丸」

 

「はい、OK」

 

とたんに気持ちのいいほどの勢いで判を押した先輩は、満面の笑みで渡航証をユキに手渡した。

 

「ユキも向こうの配属か。うらやましいな」

 

“向こう”というのは、ユキがこれから配属になる場所、統合海軍省総合基地施設『鎮守府』の事を指している。なぜ向こうと呼ばれるかは、早い話が向こうの世界に存在しているからだ。

 

「どうしてですか?」

 

「飯がうまいから」

 

速攻で返ってきた答えに呆れながらも、ユキはふっと笑ってしまった。なんだかんだで憎めない先輩ではあるのだ。

 

「そうですか、ご飯がおいしいですか」

 

「おう、かなり期待していいぞ」

 

彼は薄くはにかむ。この顔も、当分見納めだ。

 

「それではライゾウ先輩、行って参ります」

 

「ん、気をつけてな。アイツと、向こうの皆にもよろしく伝えてくれ」

 

時間だ。これからは、一情報参謀として向こうで働くことになる。

 

先輩に挨拶を終えた時点で、一際大きな機械音と共に最後のドアが開かれた。奥に続くのは新たな部屋ではなく、全てが闇で満たされた漆黒の穴である。ドア一杯に広がった穴の入口が、ユキを飲み込まんとするように、そこにたたずんでいた。

 

ユキは軽い目眩と身震いを感じた。はっきり言って怖い。人間の本能的な暗黒への嫌悪感が、じわじわと発揮されていくのがわかった。

 

「怖いか?」

 

このタイミングで一番聞かれたくないことを、ずけずけと質問してくる。

 

「いえ・・・そんなことは」

 

ゆっくりと歩を進め、穴の前に立つ。微かにだが、闇の先に光が見えた気がする。

 

ユキは後ろを振り返って、強がりに聞こえないように言葉を投げた。

 

「私、こう見えても怪談とか好きなので」

 

口角を上げたユキに合わせて、先輩の口端がつっと釣り上がるのが見えた。

 

「上等だ。行ってこい、ユキ」

 

最後だけ、ほんの少し真面目に聞こえたのは気のせいだろうか。

 

ユキは二回深呼吸をして、それから暗闇に足を踏み入れた。

 

 

「新任の方、ですか」

 

朝の陽が差し込む鎮守府・執務室。桜を散らしたばかりの陽気が心地よい。

 

飲み終わった二つの湯飲みを下げて、吹雪はこの部屋の主に尋ねた。

 

「そう、司令部の情報参謀だ」

 

ありがとう、と律儀にお礼を言った後で、彼は答えた。

 

彼は文字通り、この鎮守府、そして吹雪たち艦娘の指揮官だ。司令官、と吹雪は呼んでいる。

 

「司令官の後輩なんですよね。でも、何で鎮守府の配属なんでしょうか」

 

湯飲みを流しに置いて戻った吹雪は、青を基調とした質素なデザインの執務机に腰掛ける彼に質問する。

 

鎮守府の運営は、基本的に司令官に一任されている。これは開設された当初から変わっていない。上層部の介入を嫌った艦隊司令部が、艦隊に取り込む形で半ば強引に鎮守府の指揮系統を独立させたのだ。そのために、これまでも視察という名目でしか司令部の参謀を受け入れてこなかった。今回のようなパターンは初めてだ。

 

「元々、こっちに誘致はしてたんだ。現状では、情報参謀はこっち側にいてもらった方が何かと都合がいいしね」

 

「どういうことですか?」

 

吹雪も情報参謀の仕事については何も知らされていない。そもそも、こうして秘書艦を務めることが久しぶりだ。普段は赤城や扶桑辺りが務めていることが多い。

 

「ああ、そういえば、まだ情報参謀について説明してなかったか」

 

「はい、あいさつが終わってからと思ってましたが・・・」

 

「簡単に言えば、深海棲艦の情報を収集するのが任務なんだ。鎮守府はその手の情報が早く新しく集まるし、そういう分析に長けてる人がいた方が状況に対処しやすいしね」

 

今回の配属は、その具申を取り入れたものだそうだ。

 

なるほど、と吹雪は思う。深海棲艦が未だに謎の存在である以上、新しい情報に的確に対処できる人物は必要だ。

 

「しかし、まさかアイツが来るとは思わなかったよ。司令部付きになったとは聞いてたけど」

 

「司令官の後輩ということは、かなりお若いですよね。相当優秀な方なんですか?」

 

「優秀っちゃ優秀なんだけど、普段がちょっと抜けてるから、丁度よくバランスが取れてるんだよな」

 

彼はふっと苦笑する。あれは多分思い出し笑いだ。何があったのか気になるので、後で聞いてみようと吹雪は思った。

 

「とりあえず、当分は駆逐艦のみんなと一緒に行動することになると思うから、色々とよろしく頼むよ」

 

「あ、はい。お任せください!」

 

吹雪は両手でガッツポーズを作る。司令官に頼られては、張り切らないはずがない。

 

そんな吹雪の様子を見て、司令官は優しく微笑んだ。ちょっと照れる。

 

「あんまり力み過ぎないようにね」

 

表情に出ていたのだろうか、吹雪は顔が熱くなるのを感じた。

 

しばらく、二人の間に沈黙が流れた。次に口を開いたのは、司令官だった。

 

「しかし・・・この話題、もう三回目だよね」

 

あはは、と吹雪は乾いた笑みを浮かべる。

 

「そうですね・・・」

 

「遅いな。時間を守らないような奴じゃないんだが」

 

何かあったんでしょうか。吹雪が口を開こうとしたところで、執務室のドアがリズムを刻んだ。

 

「提督、長門だ。入るぞ」

 

「どうぞ」

 

ドアを開けて入ってきたのは、引き締まった声色に違わぬ凛々しい表情の艦娘だ。

 

戦艦娘“長門”。現在、姉妹艦と共に鎮守府で最高の火力を誇る彼女は、武人然とした隙のない礼をして入室してきた。その立ち居振る舞いは、駆逐艦娘から絶大な人気を誇るのも頷ける。

 

「おお、吹雪もいたのか。おはよう」

 

「おはようございます!」

 

そしてこのように、どんな相手にも気さくに話しかけられるのも、彼女の魅力だ。

 

「それで、どうした?何かあったのか?」

 

さっきまでと打って変わり、指揮官の顔になった彼が、端的に尋ねる。

 

「そんなに深刻な顔をするな、大した用ではない」

 

そう言って長門は、開け放したままのドアに向って手招きをした。

 

「遅れてすみません!!」

 

入ってきたのは、長めの髪を左側でまとめ、司令官と同じ紺で統一された服装の若い女性だった。司令官よりもいくつか下、二十歳前後であろうか。おそらく、彼女が新任の情報参謀であろう。

 

「どうも鎮守府内で迷子になっていたらしくてな。偶然通りがかった私が、ここまで案内したという訳だ」

 

ああ、なるほど。吹雪としては、大いに納得できた。

 

新しい艦娘が着任すると、最初にするのは鎮守府の案内だ。元学校だった施設を中心に、1キロ以上の幅がある鎮守府はそれだけで迷子になりやすい。そうした地理が、まず最初に教えられることだ。なかでも特に迷いやすいのが、鎮守府とあちらの世界へ通じている施設の間。ここは目立った標識等が一切設けられていない。途中までが一部の艦娘に人気のランニングスポットであることが、幸いといえば幸いか。

 

「そうか。ありがとう、助かったよ」

 

「なに、例には及ばんさ」

 

長門はそう言って、部屋を立ち去ろうとしたが、ドアに手を掛けたところでくるりと振り向いた。黒く艶やかな長髪が揺れる。

 

「そうだ提督、どうせこの後は“旅行”だろう?なんなら、私が案内しよう。丁度演習の監督もなくて暇だったのだ」

 

ちなみに旅行とは、鎮守府の施設案内のことである。

 

「いいのか?・・・うん、それじゃあ、お願いするよ」

 

「心得た。外で待っているから、適当なところで声を掛けてくれ」

 

彼女はそう残して、再び背を向けると退室していった。

 

部屋に残ったのは、耳まで真っ赤にした女性将校と、吹雪、司令官。3メートルほど離れた両者間には、奇妙な沈黙が流れた。

 

こほん、と咳払いをして、まずは司令官が口を開いた。

 

「えーっと、ユキ少佐。貴官の着任を歓迎します」

 

とりあえずいつも通りに着任歓迎の挨拶をする。ユキ少佐も顔を真っ赤にしながら答礼していた。

 

「本日付で鎮守府への配属となりました。以後、よろしくお願いします」

 

そこからまた沈黙。吹雪は身動きが全く取れない状況に置かれていた。

 

「あー、初日から迷子とは、全くもってユキらしい」

 

「言わないでください!!」

 

穴があったら入りたいということわざが身から染み出るような後輩の反応に、ずっと堪えていたであろう堰が決壊した司令官は、腹を抱えたまま立ち上がった。

 

「もういい、堅い話は抜きだ。ようこそ鎮守府へ、ユキ」

 

どういう流れか全く飲み込めない吹雪の前で、二人は握手を交わす。

 

これが、情報参謀ユキの、鎮守府生活の始まりとなった。

 

 

 

「深海棲艦と艦娘については、一通り説明を受けたか?」

 

司令官はユキに尋ねた。ちなみに二人と吹雪の前には、司令官の引っ張り出した作戦台と地図が用意されている。

 

「参謀長から聞きました。司令部の書庫にあったものもいくつか借りて、読んでいます」

 

そう言って彼女は、幾つかの本や書簡を作戦台に置いた。一番上の表紙には『深海棲艦白書 第三改訂版』とある。確か、政府が出している公式書で、司令官も持っていたはずだ。

 

「それなら話は早い。まずはこれを見てくれ」

 

司令官は、作戦台上に広げられた、と言っても実際にはそこに表示されているだけだが、その地図を切り替えた。

 

「これは、こちらの―――通称『鯖世界』の地図だ。見ての通り、地球には存在しない島や、大陸のちょっとしたずれ以外、大きさも国家構成もまったく同じなんだ」

 

バシー島、オリョール海、キス島、リランカ島、サーモン海。司令官は幾つかの地名を指差した。

 

「そしてもう一つ、深海棲艦の存在も共通点だ」

 

表示された映像が切り替わる。吹雪にはよく仕組みがわからないが、タッチパネルという技術らしい。

 

「正体不明。生態不明。目的不明。わかっているのは、地球でも『鯖世界』でも、人類の海運を封じる行動をしていること」

 

ですよね、とユキが確認する。作戦台の上には、機械とも生物ともつかぬ怪異の姿が映されていた。

 

深海棲艦―――吹雪たち艦娘が戦う、人類共通の敵と言える存在だ。

 

「そう。その深海棲艦に対抗できるのが、彼女たち艦娘」

 

司令官はそう言って、横にいた吹雪の肩に手を置く。手から伝わる感触は、吹雪には信頼のように、心地よく感じられた。

 

「ただし、彼女たちが戦うに当たってはいくつか制限が掛かる。だから、彼女たちが万全の状態で戦えるように、俺たちと工廠部がサポートをする」

 

艦娘であることには、制限が多い。それは戦う時にも同じだ。妖精さんの力を借りて戦っている以上、避けることは出来ない。

 

「こちらの世界で深海棲艦を撃破し、海域を抑えると同様に地球の該当海域からも深海棲艦が撤退することがわかっている。これを利用し、シーレーンを確保しつつ、現在音信不通状態にある諸外国と連携を図るのが、当面の目的だ」

 

再び地図に戻された画面に、現在確保している海域が色で塗られて示された。これまでの約一年間で、吹雪たちが確保してきた人類の海運網だ。最低限、民間とこれからの戦闘行動に支障がないだけの資源を得ることの出来る南西諸島の資源地帯と繋がれている。もっとも、この航路も絶対に安全とは言えない。時には深海棲艦の通商破壊部隊が侵入し、輸送船団を襲うこともある。これを守るのも、艦娘の仕事だ。

 

「まあ、難しい話は抜きだ。まずはこの鎮守府の生活に慣れることと、艦娘のみんなのことを知ること。これを第一の任務として欲しい」

 

司令官はユキをまっすぐに見据えてうっすらと笑んだ。

 

「ユキなら心配要らないだろうけど」

 

「はい、頑張ります」

 

「それと、こちらの吹雪は、うちで最古参の娘だ。駆逐艦の筆頭でもあるし、何かあったら色々聞いてみるといい。多分、俺よりもうちの艦隊のことはわかってくれてる」

 

「どうぞよろしくお願いします!」

 

これで一通りの挨拶は済んだ。

 

「諸々は昼食でも取りながら話そう。今は旅行を楽しんでおいで」

 

そういうことになり、ユキは長門に連れられて鎮守府旅行へ出掛けて行った。

 

執務室に残された吹雪は、ふと天井を見上げて呟いた。

 

「・・・これ、わたしいりましたか?」

 

「えっと・・・うん、必要だったと思うよ」

 

司令官は曖昧に流して、執務に戻った。




吹雪は・・・いた意味あるよ・・・うん。

ほら、吹雪がいると和むって言うか・・・

とにかく必要だったの!異論は認めません。

駄文ですみませんでした。

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敵艦見ゆ

よし、今回は早く投稿できた。

吹雪ちゃん改二だよ、やったね。

なお、本作中で改二になるかは未定であります。

なにはともあれ、今回もどうぞ、よろしくお願いいたします。


~対深海棲艦用新型兵器の開発について~

 

・小型且つ軽量であること。

 

・戦艦型や空母型などの深海棲艦に対抗、これを撃破出来るだけの攻撃能力を有すること。

 

・量産性に優れること。

 

・人間が一人で操作できること。

 

 

 

『鯖世界』には、我々地球人類と同じ種族以外に、妖精と呼ばれる小型の人種が存在する。

 

『鯖世界』に残る言い伝えによれば、妖精は神から授かった技術を有し、それを何千年も前から人類に伝えて来たという。そのおかげで『鯖世界』は大きな戦争を経験することなく、今日までに高い技術力を得ることになった。地球のように、戦争の歴史がそのまま技術革新の歴史ということにはならなかった。

 

妖精の技術には二つの種類がある。科学に基づいた技術と、妖精にしか扱えない技術だ。人類に伝えられたのが前者、艦娘を艦娘たらしめているのが後者である。

 

艦娘の建造に当たって、両世界(と言っても、諸外国とは未だに音信不通のままなので、実際には日本と鯖世界側の日本に該当する国家のみである)の技術陣は妖精の技術に着目した。

 

元々妖精は、この世界に(他世界から)流れ込む死者の魂を集め、鎮魂するのを生業としていた。で、あるならば。同様に流れ込んだ船魂―――“あの戦争”において沈んでいった艦船たちの魂を集め、具現化することは出来ないであろうか。

 

妖精側の答えはいたってシンプル且つ明確だった。

 

「できる」

 

資材も時間も払底していた地球、鯖世界の両日本政府は、これに飛びついた。この技術を、対深海棲艦の切り札にしようとしたのだ。だが、妖精側の提示した条件は厳しいものだった。

 

まず、船魂そのものが、集めることが困難な代物だった。

 

二つ目に、集めた船魂を安定した形に具現化させるには、そのための宿主となるものが必要だった。

 

三つ目に、具現化した“艤装”を扱えるのは、妖精の言葉を理解し、彼らとコミュニケーションの取れる限られた人物(具体的には、純真無垢な少女)のみだった。

 

これらを簡潔に、素人にもわかりやすく纏めるとこうなる。

 

『船魂に選ばれた少女を素体とし、軍艦の艤装を纏わせる』

 

対深海棲艦用兵器開発計画の骨子となるこの少女たちは、この時から“艦娘”と呼ばれるようになった。

 

 

「たく、ツイてねえよなあ」

 

洋上を航行していた彼女は、溜息を吐くようにぼやいた。

 

軽巡洋艦“天龍”。天龍型軽巡洋艦一番艦の彼女は、短くカットされた髪を掻く。

 

彼女の率いる艦隊は、定期的に派遣される南西諸島方面への輸送船団護衛を務めていた。この辺の海域は、数ヶ月前に生起した海戦の結果確保した、現在の勢力圏の中でも特に端に近い場所だ。そのため、未だに索敵線から外れたはぐれの艦隊が迷い込むことがある。

 

そういった敵の艦隊から船団を守るために、彼女たちのような護衛艦隊がつけられている。実際彼女も、幾度となくそうした艦隊と遭遇してきた。自慢ではないが、これでも一応鎮守府最古参の軽巡洋艦だ。状況への対処は、誰よりも心得ているつもりだ。

 

が、今回は状況が大きく違いすぎた。

 

「一、二、三・・・巡洋艦クラスが四に、駆逐艦が二。その奥により大きな艦影、少なくとも二」

 

早期警戒用の電探に映っている艦影を確認する。もっとも、決して精度が高いとは言えないので、手前の巡洋艦を主体とした艦隊はともかく、奥の主力と思しきものについてはもっと接近してみないと詳しいことはわからない。

 

さて、どうしたものか。

 

彼女が思考を巡らせていると、後方から推進機音の混じった波音が近づいてきた。長らく新任駆逐艦の教導をしてきた彼女には、その音だけで相手が誰かわかる。たとえ同型艦でも、機関や推進機の音は一隻ごとに違うからだ。

 

「船団の退避が完了したよ。雷と電が護衛についてる」

 

思ったとおり、彼女に寄せてきたのは、銀髪にセーラー服の小柄な少女―――駆逐艦“響”だった。その後ろには、同型艦で姉に当たる“暁”も続いている。今回の船団護衛には、彼女たち第六駆逐隊の面々が一緒だった。

 

「おう」

 

天龍は、短く応答する。目線は敵艦隊がいる方から離さない。

 

間違いなく、こちらに気づいているはずなのだが、未だにこれといった動きはない。とすれば、手前の巡洋艦隊は、早期警戒部隊である可能性が高い。

 

「それで、どうするんだい」

 

響が尋ねる。

 

普段の天龍ならば、迷わず撤退を選択しただろう。所詮は護衛艦隊、敵警戒部隊でも荷が重い。が、今回は多少条件が違った。

 

「―――とりあえず、鎮守府に打電できればなあ」

 

彼女はそうぼやいた。今一番重要なのは、敵艦隊の存在を鎮守府に知らせることだ。その最低限の義務さえ果たせば、後は割りと自由に動ける。だが、この状況でそんなことをすれば、さすがに敵も黙ってはいないだろう。

 

「あ、それなら問題ないわ。雷たちには、安全な海域に入ったら鎮守府に打電しといて、って言っといたから」

 

ほう。天龍は、青みがかった長髪をはためかせて、澄ました顔をしている暁を振り返った。なかなか、やるようになったじゃねえか。

 

天龍の心は決まった。

 

「よーし、ちょっくら強行偵察でもして行きますか」

 

軽く伸びをして、意思を伝える。そして、暁たちとは逆側にちらと視線をやった。いつもならそこには、姉妹艦で、同僚の軽巡“龍田”が控えているのだが、今は別の艦娘が配置についている。

 

「私も、異論はありませんよ」

 

天龍よりもごつい、重厚感のある艤装。両腕を覆うようにして取り付けられたそれは、金属的な輝きを軍艦色の下に秘めていた。

 

重巡洋艦“古鷹”。今回の護衛役に編入された中で、最も火力の高い彼女は、普段どおりの柔らかな声で賛意を述べた。

 

未だ完全に内海化できたとは言えない南西諸島海域を抜けるに当たって、従来の軽巡・駆逐艦のみの編成ではなく、対空・対水上の要として、汎用性の高い彼女ら重巡が配置されたのだ。

 

「そうと決まれば、まずは作戦会議だな」

 

天龍は残った四隻の護衛艦たちを集めた。と言っても、四人で出来ることは限られる。一撃離脱で、後は速力に物を言わせて逃げるという、非常に大雑把な方針に纏まった。

 

「俺と古鷹が火力支援担当、暁と響は偵察と、万が一の時の雷撃担当だ」

 

いいな。と確認して、すぐさま陣形を組む。天龍を先頭に、古鷹、暁、響と続く単縦陣だ。丁度、先頭の二人を盾にして、駆逐艦娘二人が敵艦隊の動向を探る位置関係となる。

 

「各艦、艤装を戦闘モードへ」

 

天龍は僚艦に命じると共に、自らの背負う艤装に火を入れた。背部の発光機の明滅パターンが切り替わり、彼女の艤装に艦船としての力を与える。同時に、体の中央をエネルギーが貫き、力がみなぎって来た。

 

「うっしゃあ、一丁大暴れして、お土産持って帰っか」

 

口角を吊り上げて、彼女は笑う。こういうのは、嫌いじゃない。むしろ困難な状況ほど、燃えるというものだ。やる気満々の天龍に、古鷹は苦笑をもらす。

 

「くれぐれも、無理はしないでくださいね?全員無事でいることが、一番ですから」

 

「当ったり前だろ、ちゃちゃっと行って帰ってくるだけだ。誰も、沈めたりしねえよ」

 

「・・・そうですね、皆で一緒に帰って、またおいしいご飯を食べましょう」

 

古鷹は、そう言って微笑んだ。

 

「お、おう、そうだな」

 

天使か。思わず見とれそうになって、慌てて前を向いた天龍は、もうまもなく日が沈みそうなのを確認して、艦隊の進路を変えた。

 

四隻の艦影は、迫る夕闇に紛れて、敵艦隊の内懐へと侵入して行った。

 

 

日替わりのB定食を頼んだユキは、からりと揚がったからあげから立ち上る湯気に心を躍らせて、手近な席に腰掛けた。

 

鎮守府食堂『間宮』。艦娘たちの憩いの場として、甘味処も兼ねている大食堂は、今まさにお昼時であった。遠征帰りや、近海での演習、あるいは自主トレーニングなんかを終えた艦娘たちが、思い思いにくつろいでいる。午後の課業までをここで過ごす娘も、少なくないらしい。

 

ユキは、ほくほくと立ち上る香りにのどを鳴らし、手を合わせて「いただきます」と食べ始めた。

 

こちらの配属となって早一週間。鎮守府の生活にも、かなり慣れてきた。とはいっても、そもそも候補生時代の生活とあまり変わりはない。あるとすれば、周りが全て女の子であることぐらいだろうか。

 

何も味の付いていないキャベツを咀嚼する。変わってるとよく言われるが、ユキはソースも何もかけずに食べる方が好きだ。それにここの野菜は、瑞々しくて、これだけでも十分おいしい。

 

「ユキさん、ここいいですか?」

 

向かいの席に、影が差した。見ると、すらりとした少女が小首を傾げて立っていた。

 

丁度さっきまで、一緒に自主トレをしていた、駆逐艦“陽炎”だった。オレンジ色っぽい髪を左右で結んだ、いかにも快活そうな―――実際とても元気で威勢のいい子だ。

 

「ええ、もちろん」

 

ユキは食事の乗ったトレーを手前に引いて、着席を促す。陽炎は満面の笑みだ。

 

「よかった。おーい、みんなこっちこっち」

 

そう言って、陽炎は何人かの駆逐艦娘を呼んだ。

 

戦艦や空母と違い、駆逐艦は何人かで一つの隊を組んで動いている。この繋がりは非常に強く、部屋割りや日課の訓練、さらには休暇や食事、自由時間までも一緒にいるということまであるらしい。

 

そんな駆逐艦娘の集まり―――駆逐隊の中にあっても、陽炎たちの隊は特に、変わった面々の集まりでありながら、仲のいい隊として有名だった。

 

「あら、ユキさんじゃないの」

 

「お食事中、失礼します」

 

陽炎に呼ばれて集まったのは、第十八駆逐隊。彼女の他に、“霰”、“霞”、そして“不知火”の計四名だ。四人とも、各自の昼食を確保して顔を揃えている。

 

「はーい、じゃあ座って座って」

 

陽炎は椅子の一つにさっさと座ると、手を合わせて仲間の着席を待っている。それに習って、三人も各々の席に腰を下ろした。そして四人揃って「いただきます」。すぐにご飯やおかずを頬張り、合間に「おいしい!」と言葉が漏れる。ユキも止まっていた手を、再び動かし始めた。

 

からあげのジューシーさと、お米の相性がまた堪らない。

 

「ねえねえ、そのからあげ一つ頂戴よ、不知火」

 

A定食―――今日はエビフライのランチを頼んだらしい陽炎が、B定食を頼んだ不知火におかずをねだっている。不知火はまたですか、と言わんばかりに溜息を吐いた。

 

「それならば、Bの方を頼めばよかったではないですか」

 

「えー、だってエビフライおいしそうだったんだもん。でも、からあげも食べたいの」

 

「それならば、霞に貰えばいいではないですか」

 

「嫌よ。不知火に貰いなさい」

 

不知火の溜息が、さっきよりも深いものとなった。

 

「それなら・・・もう一度Aの方を頼んだら・・・?」

 

「やめなさい霰、午後の課業で陽炎が屍になるわよ」

 

「それもいい・・・かも」

 

「ちょっ、霰!?」

 

完全になげやりな問答に、いちいちちゃんと反応する陽炎であった。この会話だけでも、十分箸が進むほどに、微笑ましいとユキは思った。

 

「わかりました。・・・そのかわり、不知火にもエビフライを一口ください」

 

ついに不知火が折れて、決着となった。陽炎の陽炎たる所以が、ここにある気がする。

 

「やった」

 

「・・・相変わらず甘いわね、不知火」

 

「陽炎にだけ・・・激甘・・・ずるい」

 

「言わないでください、自覚がありますから」

 

暫くして始まった「あーん」の応酬に、どこからともなく「また十八駆がイチャついてる」との苦笑交じりのお言葉が聞こえてきたのは、気のせいだろうか。

 

いい物を見せてもらったと、最後のからあげとご飯を一緒に胃の中へ流し込んだユキは、お茶を一杯飲んで、食堂を後にした。

 

 

 

午後の課業までは、まだ時間がある。食堂を出たユキは、いつも通りに、その足を鎮守府の書庫へと向けた。

 

こちら―――鯖世界については、まだ知らないことが多い。鎮守府の書庫には、兵法や船舶等の専門書に混じって、こちらの世界について記された書物がいくらかあった。

 

廊下の角に差し掛かったところで、前から少女たちの一団が歩いてきた。見知った顔、しかし彼女たちは普段の制服ではなく、ラフな私服に身を包んでいた。

 

「吹雪ちゃん」

 

手を振って声を掛ける。相手の駆逐艦娘―――吹雪と、同じ隊に所属する白雪、初雪、深雪も気がついて、こちらへ手を振り返した。

 

「ユキさん!」

 

年相応におしゃれをした四人が、小走りで駆け寄って来る。

 

「今日は、非番?」

 

「はい!普段はごろごろしていることが多いんですが、今日は久しぶりに、皆で出掛けようかと」

 

ね、と彼女は姉妹たちを振り返る。うんうん、と彼女たちもまた、頷いた。

 

「なんでも、近くに新しくショッピングモールというものが出来たそうで、一緒に行ってみようかと思いまして」

 

そう答えたのは、白雪だ。

 

こちらの世界と、地球とでは、文化的な差異はほとんどない。ただ、外国との流通が途絶えた時間が、こちらの方が長いために、それがちょっとしたところに影を落としていた。

 

ショッピングモールというのもその一つだ。貿易の寸断によって、ありとあらゆるものが集まる、という状態のなかったこちらでは、そうした大型商業施設が置かれる意味合いが薄かったのだ。白雪の言うショッピングモールも、地球との交易や、艦娘たちの活躍によって細々と再開された大陸との取引という下地があったからこそ、実現したものだ。ちなみに、こうした物のノウハウは、地球側から提供している。食料自給率が百パーセントを越える鯖世界の日本から輸入している、食料品の対価だ。

 

「いいなあ。最近満足にショッピングとか、できてないんだよね」

 

商品の欠乏状態になって久しい地球側では、そうしたことを楽しんでいる余裕はなかった。しかし最近は、この現状も打破されようとしている。ある意味、艦娘の反抗の証が、最も強く出ている場所かもしれない。

 

「大丈夫。予算はたっぷり」

 

「こら、そういうことは言うなよな、初雪」

 

普段は暴走を止められる側であることの多い深雪が、初雪を窘めている。白雪は苦笑い気味だ。

 

「あの、ユキさん・・・」

 

吹雪が、先程のはきはきとしたしゃべり方とは打って変わって、声のトーンを少し低くした。

 

「何?」

 

「その、こんなことお願いできる立場じゃないんですけど」

 

若干の間があって、吹雪は続けた。

 

「司令官のこと、よろしくお願いしますね・・・」

 

込み上げて来る笑いを、寸でのところで堪えた。成程、この鎮守府の提督は、なかなかに艦娘たちに慕われているようだ。

 

「了解。吹雪ちゃんに心配されるようじゃ、先輩もまだまだね」

 

「あ、いえ、その・・・」

 

吹雪は慌てたように両の手を振った。が、その否定は、あえなく切り捨て御免となってしまった。

 

「吹雪は心配性だよなー。あー、でも司令官限定か」

 

「え、どういうこと深雪ちゃん」

 

最初の一太刀は深雪。

 

「・・・あれは、過保護とか、ノロケとか、そういう部類」

 

「まあ、吹雪ちゃん、司令官のこと好きだしねえ」

 

「ほえっ!?」

 

二太刀目の初雪と、最後は完全に爆弾発言である白雪のとどめで、溶鉱炉のごとく真っ赤になった吹雪は、そのままその場に沈んでいく。

 

「まあ元気出せって。吹雪可愛いし、勝機はあるよ」

 

「いざとなれば、ことに移すのもあり」

 

「青葉さんに一役買ってもらってもいいですしね」

 

「もう!!何言ってるの皆!?」

 

緊急ダメコンを発動した吹雪は、大破状態のままで反撃するが、さすがは熟練の駆逐隊、効果はなきに等しかった。押し殺したような笑い声が響く。

 

「あれ、こんなところで、みんなどうしたの?」

 

と、ここで登場したのは、予想だにしない人物だった。吹雪の肩がビクッと跳ね上がり、ぎこちない動きで振り返った。

 

「し、司令官・・・」

 

「やあ。確か、吹雪たちは、非番で出掛けるんじゃなかったか?」

 

ユキの先輩、この鎮守府の指揮官を務める彼は、ツカツカと廊下を歩いてくる。

 

「お、司令官じゃんか」

 

「お疲れ様です」

 

「お疲れ様。みんなもう、ご飯は食べた?」

 

海軍規範が染み付いた佇まいで、彼はすっと立っている。別段背が高いわけではないが、すらりとした背格好に第一種軍装が相まって、独特の静けさを持った存在感があった。

 

「ん、食べた」

 

「そっか。俺はこれから―――吹雪?どうかしたのか?」

 

「ええっと、それはです・・・むごっ」

 

「し、白雪ちゃん!!だ、大丈夫です、なんでもありませんから」

 

慌てて同僚の口を塞いだ吹雪は、引きつった笑みを浮かべる。

 

「それならいいが・・・どこか具合でも悪いのか?」

 

が、通じなかった。激ニブ、もとい鉄壁の防御によって、吹雪のささやかな抵抗は弾かれてしまった。

 

彼女の司令官は、そっと手を差し出す。

 

「熱はなし、か」

 

「いえ、その、大丈夫、ですから」

 

「しかし、」

 

「大丈夫ですからああああああああああああっ!!」

 

三人を曳航して、吹雪は最大船速で駆け出す。航跡は瞬く間に、廊下の外へと消えて行った。

 

「おおう・・・なんだったんだ?」

 

「・・・先輩は、相変わらずですね」

 

期待の情報将校として名を馳せていた男は、後輩の一言に盛大にはてなマークを放出しながら、食堂へと向かって行った。

 

 

店内のカフェで軽い昼食を済ませた後、私は連れと別れて買い物へ向いました。

 

この新しく出来た、ショッピングモールというのは、なかなかに便利で楽しいものです。食品、衣服、書店まで、ありとあらゆる店舗が、非常に広く取られたフロアの中に並んでいます。これもまた、交易の回復によって、多少なりと物品の流通がよくなったおかげでしょう。

 

ひとまず私は、広い店内をぶらぶらと歩いてみます。これはこれで、楽しみ方としてはありでしょう。

 

休日であるせいか、フロアには人がごった返しています。しかし、各店舗間が程よく大きいので、動きにくいといったことはありません。とても細やかに設計がなされているのですね。

 

小一時間、これといって留まることなく、一通り見て周った私は、当初の目的通りに服を見る事としました。

 

―――うーん、悩みどころですね。

 

いくつかを手に取ります。いえ、予算はあるのですが、これだけたくさんあると、そう簡単に決めていいものか。こういう時、先程まで一緒だった連れならば、迷うことなく幾つかを抽出するのでしょうが。そんな彼女とは逆に、どうも私は優柔不断なようです。

 

とにかく、迷ったなら試してみることが大切です。私は気に入った何着かを試着しようと、掛かっている洋服を取り上げました。

 

と、その時です。私の背中に、柔らかなものがボスッと音を立ててぶつかりました。

 

「きゃっ」

 

振り向くと、短い黒髪を後ろで結んだ中学生ぐらいの女の子が、ほのかに頬を上気させて立っていました。ちなみに、本当にちなみにですが、これはどうかと言う位ふりっふりの洋服を持った少女が、まるで獲物を追い詰める猛獣のように、私に衝突した女の子へじりじりと近づいていました。

 

「す、すみません」

 

反射的に離れた彼女は、大きく頭を下げて謝ります。ふと、微かな潮の香りが感じられました。

 

もしかして、この子達は―――。

 

今の日本において、わずかに海の匂いがする少女というのが意味するのは、一つしかありません。

 

「いえ、大丈夫です。―――あなたたちは、もしかして艦娘、ですか?」

 

少女はわずかに目を見開いて、それから小さく頷きました。

 

「はい、そうです」

 

やはり、そうでしたか。

 

別に、珍しいことではありませんね。そもそもここは、海軍さんの鎮守府から、徒歩で来れる程度には近いですから。

 

「そう。がんばって、ね」

 

私はふっと微笑んで、一言だけ、彼女に声をかけました。

 

「は、はい。頑張ります」

 

右手でガッツポーズを作って、彼女は答えます。そうして私と彼女は、買い物の続きへと、戻っていきました。

 

―――頑張ります、か。

 

いつか、自分もそのように口にすることがあるのでしょうか。胸を張って、誰かに頑張りますと言えるのでしょうか。

 

少女たちの会話が聞こえてきます。どうも未だに、あのふりっふりの服を着せようとしているようです。誰がこの子達を、深海棲艦と戦える唯一の存在と思うでしょうか。

 

そこにいるのは、今を普通に、懸命に生きているだけの、どこにでもいる少女です。先程の決意とは打って変わった、年頃の女の子です。

 

―――今すぐに、答えを出す必要はないのかもしれませんね。

 

優柔不断な私ですが、あくまでポジティブに捉えれば、よく考え、最適の答えにたどり着くということです。無理せず、身の丈にあった答えを見つけるのが賢明というものです。

 

雑念を振り払い、私は試着室のカーテンの向こうへと、その姿を隠しました。

 

 

 

「しっかしさっきの人、美人だったな」

 

「とても大人らしい、雰囲気と対応でしたね」

 

「ああいうのは、ちょっと憧れる、かも」

 

「もう、そもそも誰のせいであんなことになったのか、わかってるの?」

 

「わー、あそこのたこ焼きうまそー」

 

「ドーナツ」

 

「丁度、一息入れたい頃合ですね」

 

「・・・もう、いい」




古鷹っぽさが出ているか、そこが勝負だと思ってます。

これから出来るだけいろんな子を出したいけど、難しいよなあ・・・。

それと、今回はもちろん、吹雪ちゃんがいる意味はあった。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

今後の参考のためにも、感想をお待ちしております。


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海風の朝

遅い。亀とはよく言ったものだ。

私!頑張るから!!見捨てないでぇーーっ!!

今回は前半に長ーーい作戦会議的な何かがありますが、読まなくても進んでいける(多分)ので、無理な方は旭日に照らされて走る吹雪ちゃんを、

たっぷりと!!

ご堪能!!

ください!!


それは、あまりにも突然だった。

 

かつて私は、ある油槽船の乗組員をしていた。子どもの時から海が好きだった私は、いつからか船乗りと言うものに興味を持ち、思いをそのままにこの職業に就いた。

 

海の上は静かで、航海中はよく、甲板に出て夜空を見上げていた。もちろん、仲間たちに誘われればそちらを優先したが、そうやって時たま、故郷とは違った星を眺めるのが私の楽しみだった。

 

海はいつだって輝いていた。水面をイルカが跳ね、海鳥たちが舞い飛ぶ、美しい世界だった。

 

だが、今はもう違う。

 

いつからだろうか、海の様子は、がらりと変わってしまった。有体に言えば、生命の力を感じなくなった。それからの航海は、寂しいものだった。

 

その日、私は見回りがてら甲板から海上を見つめていた。くすんだ青が、延々と広がる世界を。

 

そして奴と出会った。

 

鯨みたいな奴が水面を飛び跳ね、こちらへ近づくのが見えた。これでも船乗り、視力には自信がある。そいつはゆっくりとした動きで、油槽船を追いかけて来た。

 

次の瞬間、体感したことのない衝撃が、船を襲った。私は船乗りの本能で、さっきの奴がいた方向を振り返った。

 

そいつが口を開くと、真っ赤な光が生じた。すぐさま、二度目の衝撃が私を揺さぶった。三度、四度、それはもう“砲撃”に他ならない。油槽船は次第に傾き始めた。

 

五度目の弾着が船に届いた時、ひときは大きな衝撃に襲われた私は、海へと突き落とされた。

 

そこからはよく覚えていない。唯一覚えているのは、そいつらは浮遊物につかまる私に見向きもせず、海面に漂う油を掬い取るようにして口の中へ飲み込むと、いずこかへと消えて行ったことだけだ。

 

それが何なのかなんて知らなかった。知りたくもなかった。

 

だが私は、テレビに映し出されるそいつらと、“深海棲艦”と名づけられた奴らと再び対面することとなった。

 

 

遠征部隊の報告を聞き終え、鎮守府の提督は椅子に深く腰掛けた。昼過ぎの日差しが窓から差し込み、室内に心地よい陽気をもたらしている。彼はそこから目を背けるように、制帽を目深に被った。

 

状況は予想以上に悪い。彼の出した答えはこれだった。

 

「お疲れ様です」

 

机の上に、湯飲みが差し出される。裏の台所に入っていた秘書艦が、すっと横に立っていた。

 

航空母艦娘“赤城”。全体的に赤のイメージが強い和服に身を包んだ彼女こそ、鎮守府の貴重な航空戦力の一角を担う、ベテランの艦娘だ。長く艶やかな黒髪の彼女は、自らの机と椅子も取り出して、執務机の横に腰を下ろした。

 

どちらからともなく湯飲みを手にし、一息入れる。豊かな香りの湯気が、鼻孔をくすぐった。

 

「少し、甘かったのではないですか?」

 

どこから持ち出したのやら、切り分けた羊羹を彼と自分の前において、ひとつを口元へ運びながら彼女は何気なく切り出した。

 

「天龍のことか?」

 

彼もひとつを口に含む。しっとりとして、しつこさのない甘みが口いっぱいに染み込んでいく。

 

「まあ、船団の護衛は命令したけど、不測の事態に対する対応については、特に命令してなかったからなあ」

 

お茶を一口飲む。

 

「それに、一応船団の方には雷と電をつけてたし、強行偵察の成果と合わせて足し引きゼロってことでいいんじゃないかな」

 

先程入港した艦隊は、輸送船団の運んできた資材と共に、とんでもないものを鎮守府へもたらした。

 

『南西諸島海域において、敵艦隊反抗の兆しあり』

 

戦艦を主軸とし、巡洋艦多数を含んだ深海棲艦の艦隊が、南西諸島・沖ノ島周辺にて展開しているのが確認された。該当海域は、物資輸送の要として、二ヶ月前に生起した『沖ノ島沖海戦』の一連の戦闘において確保された。言わば、現在の鎮守府、そして両世界の日本にとっての生命線と言えた。

 

提督に倣って、赤城もお茶を含む。

 

「いけませんね、うちの提督はどうも甘いところがあるみたいで」

 

そうしてふっとはにかんだ。

 

「そうだな、提督を差し置いて、羊羹の二切れ目に手を出そうとする秘書艦を止めないくらいには甘いかもな」

 

「うっ、それは・・・」

 

無意識に伸びかけていた手を、赤城が引っ込める。こと、おいしいものに関しては目のない彼女であった。

 

「ま、まあそういうところが、提督の魅力でもありますから」

 

乾いた笑みを浮かべる。そして結局、羊羹は二切れ目を口にしていた。

 

「ふぉれへ、ふぇいほふ」

 

「口の中を空にしてからしゃべりなさい」

 

しばしの間、赤城が羊羹を咀嚼する。私、幸せですオーラを全開にしながら。

 

最後にごくりと飲み込んで、律儀にご馳走様と手を合わせてから、赤城は切り出した。

 

「それで、どうされますか?」

 

どうするか。それは、これからの鎮守府の方針を決めるということ。大きいようで小さい、彼の指揮する艦隊が、この事態にどう対処していくのか。

 

最終的には彼が判断する。が、判断材料は多い方がいい。現場の意見が欲しい。

 

「加賀と長門、あと工廠部の方にも声を掛けておいてくれ。作戦室に移動する」

 

話はそれから。彼は執務机から腰を上げた。

 

「大淀さんとユキさんも、ですね?」

 

「ああ、そっちも頼む」

 

「了解しました。―――でもその前に、提督はお昼ご飯を食べてきてくださいね。吹雪ちゃんが心配しますよ」

 

鎮守府開設時からの付き合いである、飾らない少女の顔が浮かんだ。その表情は、いまにも「めっ」と言い出しそうだ。

 

「そうだな、それじゃあそうしよう」

 

後を赤城に任せ、彼は食堂へと向う。エビフライか、からあげか、それとも特定食か。執務室の扉を閉めた彼は、お昼の選択肢について戦術を練るのだった。

 

 

 

「現在わかっている情報は以上です」

 

制服を着た、長髪に眼鏡の少女―――軽巡洋艦娘“大淀”が、それまでに集められた情報をまとめ、一つ一つを作戦室の大型スクリーンに反映させていく。所謂海図台のように部屋の中央に置かれたスクリーンはタッチパネル方式で、指先の操作で様々なことができる。そのスクリーンを囲むように、数人の艦娘と提督が立っている。

 

「敵の目的は、なんでしょうか」

 

最初に口を開いたのは、赤城と対照的に青がデザインの中心に置かれた和装の、航空母艦娘“加賀”だった。第一航空戦隊の一人として、初期の頃から鎮守府を支える、赤城に劣らない錬度の正規空母だ。

 

「本格的な反抗にしては、いささか規模が小さいように思いますが」

 

加賀は指摘する。天龍たちが確認した編成が、スクリーンに映される。

 

「確かに、艦隊の体はなしていますが、どことなく寄せ集めのような編成ですね」

 

赤城も賛同する。そして幾つかの点を指差す。

 

「戦艦や巡洋艦はそれなりにいるようですが、空母が圧倒的に足りません。沖ノ島沖海戦時とは大違いです」

 

「護衛の駆逐艦も、随分と少ないな。なんだ、この穴だらけの編成は」

 

「これから増援が来るにしても、それならばわざわざこんなところで待たずに、離脱後に再編成してもよい気がするのですが」

 

全員が興味深げにスクリーンを覗き込む。考えれば考えるほど、珍妙な編成であった。

 

「ユキは、どう思う?」

 

提督は、早速とばかりに新任の情報将校へと問いかけた。士官学校時代からの癖で、あごに手を当てて考えていた彼女は、暫くしてこう切り出した。

 

「時間稼ぎが目的ではないでしょうか」

 

彼女は手元のタブレットから幾つかの資料をスクリーンに反映させる。

 

「今までの指摘通り、現状の敵勢力が直接侵攻をしてくるとは考えにくいです。深海棲艦側には、明らかな行動ロジックが存在します。非常に合理的なそのロジックに従えば、今回のように中途半端な戦力を、こちら側の勢力圏に送り込むとは思えません。であるならば、」

 

彼女が開いたのは、沖ノ島沖海戦とほぼ同時期に生起した一連の戦闘について纏められたもの。表紙に「01号作戦」と書かれた資料を見て、彼女の言わんとすることを、その場の誰もが理解した。

 

「この艦隊は、以前南西諸島沖に展開していた、敵通商破壊部隊の生き残りであると考えるのが妥当です」

 

01号作戦。オリョール海迎撃戦と呼ばれた一連の戦闘は、本格的な敵の水上通商破壊部隊を迎え撃つ、一ヶ月近い戦いとなった。後方に強襲揚陸部隊と思しきものまで従えていたこの艦隊との戦闘は、最終的に通商破壊部隊の本隊を撃滅したことで、深海棲艦側の撤退と言う形で幕を閉じた。が、もしも艦隊が二手に分かれていたのだとしたら。

 

「しかし、だとしたらなぜ、今まで確認できなかった?」

 

長門が含みを持った言い方で、ユキに尋ねる。どうもこの間の一件以来、ユキのことを気に入ったようだった。

 

「この報告書を読むと、ある時期から明らかに敵の編成に乱れが見られます。おそらく現在沖ノ島に展開している艦隊は、大きな被害を受けたために、一度後方に下がって修復と補充に当たっていたのでしょう。そしてその間に、もう一つの艦隊と沖ノ島沖の艦隊が壊滅。孤立した通商破壊部隊は、その再編と同時に、囮、つまり時間稼ぎとして南西諸島沖に残されていたと考えます。その際こちらの取っている航路より奥にいたために、今まで発見されていなかったと思われます」

 

「それで、時間稼ぎと言うのは?」

 

「西方海域において、深海棲艦の動きが活発化しているのが、潜水艦による偵察で判明しています。それと同時に活動を始めたということは、おそらくこの西方の艦隊が編成されるのを待っていたのでしょう」

 

長門の質問に、淡々と答える。確かに、一応筋は通っている。

 

「なるほど。もしもこの通商破壊部隊が本格的に活動を再開すれば、我々は対応せざるを得ない。そこを西方艦隊に突かれたら、目も当てられんな」

 

一理ある。長門はそう言って頷いた。しかし、当のユキ本人は、納得していない様子。

 

「ただこれは、あくまでも現状得られた情報を、理に適うよう繋げたに過ぎません。くわしいことは、より詳細な情報がありませんと・・・」

 

ユキは最後をそう締めて、発言を終えた。作戦室の全員が、それぞれに思惑を巡らせ、もう一度状況を整理していく。

 

「天龍たちを信用していないわけではありませんが、」

 

そう前置きして、再び加賀がしゃべりだす。普段が無口なだけに、まるでそれを埋め合わせるかのような的確な指摘は、彼女が饒舌になったかのように錯覚させる。ただ、それでもあくまで、感情ではなく理論で淡々と述べるのが加賀という少女だった。

 

「強行偵察と言うものには、どうしても誤認や漏れが出るものです。ユキさんの言うとおり一度、ちゃんとした偵察を行うべきかと」

 

「それについては、俺も同意だ。近々、偵察部隊を編成しよう」

 

「それで、仮にユキさんの言う通りだったとして、」

 

続いて赤城が切り込む。

 

「対応はどうしますか?」

 

「西方艦隊が体勢を完全に整える前に、早急に通商破壊部隊を叩くべきです」

 

「通商破壊部隊の方をか?」

 

ユキが首肯する。

 

「私たちにとって、海上輸送路を失うことはそのまま敗北に直結します。それに断定は出来ませんが、前衛を兼ねる艦隊が壊滅すれば、西方艦隊が進撃を中止することも考えられます」

 

「いずれにせよ、叩くのならば早い方が良さそうですね」

 

赤城が総括して、いかがですかと提督を見る。彼はもう一度、何かを確認するようにスクリーンを見つめてから、部屋の奥に腰掛けた人物へと話を振った。

 

「工廠長、現在の各艦娘の艤装の状況は?」

 

工廠長、と呼ばれた初老の男は、ようやく回ってきたかと、ゆっくりと腰を上げた。

 

「詳しいことは、大淀に聞いてくれ」

 

そして、まさかの丸投げをした。不意に投げ掛けられた大淀が、「え、わたしですか!?」と素の表情で驚いてしまっている。どうやら、正真正銘の不意打ちだったらしい。

 

それでも初期から鎮守府を支えてきただけある彼女は、咳払いをひとつして、手元の編成表をめくった。

 

「残念ながら、現在の鎮守府は万全の状態とは言えません。沖ノ島沖海戦と、その後の残敵掃討においての損傷が、いまだ完全に回復しておりませんので」

 

パラパラと、静かにめくられる書類の音が響く。一息置いて、大淀は再び話し出した。

 

「巡洋艦、駆逐艦の損傷はさほど大きくありません。現状では、艤装の調整や改装のため以外で出撃不可の艦娘はおりません。問題は、戦艦と空母です」

 

彼女は手際よく画面を操作して、『艦娘の入渠状態』と書かれた一覧表を表示する。枠内には入渠、整備一・二、改装、あるいは空欄が入っている。

 

「まず空母ですが、こちらは艦載機の補充・更新が十分ではありません。沖ノ島戦にて一部先行配備した“天山”艦攻、及び“彗星”艦爆に加え最新鋭の“紫電”部隊は未だ量産体制が整っておらず、各空母の消耗分を補填するには至っていません。辛うじて二隻、多くても三隻分程度しか間に合わないでしょう」

 

これは艦娘に限ったことではないが、航空母艦という艦種は比類なき攻撃能力を保有していると思われがちである。が、空母に戦闘能力などというものはほとんどない。単艦では相手を沈めるどころか、自分の身を守ることすら出来ない。空母の攻撃能力と言うのは、そこに搭載された航空機によって始めて発揮されるものなのだ。そして、航空機と言うのは艦船以上に消耗しやすい。機動部隊、つまり空母同士の戦いとなれば、その磨き上げられた戦闘能力は瞬く間に削られていく。

 

航空部隊の錬度は、艦娘の錬度にほとんど依存しているので、練成の心配はしなくてもよい。だがそれでも慣らしというものは必要であり、第一搭載する機体も逐一生産しなければならないことに変わりはない。ましてや新鋭機の配備、機種転換を行うには最低でも一週間は必要となる。残念ながら、現時点から十分な航空戦力を持った機動部隊を編成するのは、困難と言わざるを得なかった。

 

「“天山”にしろ“彗星”にしろ、まだまだ見直さにゃならんところはある。試作モデルをそのまま量産体勢に持っていったからな。それに“紫電”。ありゃ元々基地航空隊用に開発したのを、“烈風”までの埋め合わせに無理やり艦載機にしたからな。改良の余地は大いにある」

 

工廠長は、大淀の説明にそう付け足した。

 

「次に戦艦ですが、こちらはより深刻です」

 

現在鎮守府に所属している十隻の戦艦娘、その入渠状況が拡大される。そのほとんどは文字で埋められていた。

 

「敵の主力郡と殴りあった結果、各部に様々な異常をきたしており、ドックの占有を避けながら整備をしていますが、回復率は三割と言ったところです」

 

大淀の『殴りあう』と言う表現はあながち間違っていない。戦艦の戦いというのはまさに殴り合い、砲弾と言う圧倒的暴力の応酬に他ならない。

 

頑丈と言われる戦艦ではあるが、その実は他のいかなる艦種にも増して繊細で、気を張るものだ。波の揺れひとつで弾着の誤差が現れ、ネジ一本の狂いで射撃不能になる。そのため、整備にも万全の体制が求められる。

 

さらに一度入渠すると、駆逐艦数隻分の資材が一時に飛び、長時間のドック占有を余儀なくされる。高速修復材を使えば、比較的早く出渠できるものの、数が限られている上に複数回の使用は細かな整備不良を生み出した。

 

「大規模改装中の金剛、比叡を除いて、現状で行動可能なのは伊勢、日向のみです」

 

「ついさっきだが、霧島が出渠したむね、連絡があった。各部の調整に最低でも二日欲しい」

 

三隻。それが鎮守府の全戦艦戦力だった。工廠部は、続いて榛名の修復に入るらしい。

 

「扶桑と山城は、どうなっているのだ?」

 

聞いたのは長門だ。沖ノ島沖海戦では別働隊であった彼女らの損傷は、既に回復しているはずだ。

 

「艤装の機嫌が悪くてな。何が不満なんだか、調整するたびにどっかしらの不調が出てくる。ちょくちょく直しているが、まともに動けそうにはないな」

 

工廠長が苦笑する。

 

整備のたびに「不幸だわ・・・」と漏らす山城の姿が見えるようだった。

 

「霧島さんが出たのは、よい知らせですね」

 

加賀が口を開く。

 

「高速戦艦の彼女がいれば、偵察行動には俄然有利になります」

 

苦労は掛けますが。感情が籠もっていないように聞こえるが、加賀の場合は真剣に思えば思うほど、無感情な声音になっていくのだ。つまりこの台詞が、彼女の本心と言えた。

 

「整備が終わり次第、霧島を中心とした偵察部隊を編成する」

 

提督も同意見であった。彼はゆっくりとした声で続ける。

 

「得られた情報如何によっては、我が鎮守府は現有戦力でこの艦隊と抗戦、撃破する。そのむね、各艦種代表者に伝えておいて欲しい」

 

了解。短い返答が重なる。

 

ここに、鎮守府の方針は決まった。

 

 

○五○○。

 

鎮守府は、春の涼しさを含んだ朝靄に包まれていた。冷えた空気が、埠頭に、港湾施設に、宿舎に、そして吹雪の体に染み渡っていく。まだ陽の昇らない朝が、四肢の隅々まで心地よかった。

 

屈伸運動、もも上げ、アキレス腱と体をほぐして、気合いを入れるために頬をたたく。腕時計をちらと見やり、宿舎の前から走り出した。

 

羽織ったパーカー越しに冷気が体を撫でる。言い知れぬ快感が、吹雪をさらにかきたてた。細かいリズムを刻み呼吸をして、埠頭の方へ走っていく。すぐに海が見え始めた。

 

海はまだ暗い。とても静かで、深く、厳粛な雰囲気。

 

今、その水平線上に、わずかな光が宿ろうとしている。うっすらと橙色に染まるさざ波が、ゆらゆらと動く。きらめきが放射状に広がる水面に、朝が、万物を照らす輝きが訪れようとしていた。

 

「わああ・・・」

 

吹雪が感嘆の声を漏らす。

 

「きれい・・・」

 

太陽が、その端を海上に現した。光線が瞬く間に広がり、埠頭を、鎮守府を、吹雪の横顔を、暖かく、美しく照らし出す。この壮麗な景色の中を、彼女は駆け抜けていく。肌に感じられる気配にわずかな変化が訪れた。

 

規則正しいテンポで一歩ずつ前に踏み出す。タッタッタッ。軽快な靴音が響き渡る。

 

オレンジの旭日が、吹雪を優しく包み込んだ。

 

 

 

鎮守府をほぼ一周して、宿舎が再び近づいてくる。今の吹雪は、丁度工廠の影になる位置を、いくらか早くなった呼吸と共に通り過ぎようとしていた。

 

工廠。鎮守府庁舎の横に建てられたこの施設は、艦娘の出撃を補助する場所で、整備、入渠、改装など様々なことが行われる。ここと、併設された出撃ドック、開発部は全て工廠部の管轄だ。

 

この場所は、昼間でこそ大きな音で騒々しいのだが、大規模作戦でもない限り夜中や明け方に人気があることは滅多にない。だから吹雪の、出撃の中で培った本能が、それを的確に捉えた。

 

―――誰か・・・いる?

 

工廠の裏、庁舎や宿舎からは死角になる位置に、人影を見つけた。人影は周囲を気にするような素振りを見せてから、工廠の壁に沿って歩き出す。この先は立ち入り禁止区域だ。

 

怪しい。言うまでもなく怪しい。しばらく人影の行く先を見つめて、それから吹雪は後を追いかけることにした。

 

何者かは、ゆったりとした足取りで歩いていく。なぜだろうか、その佇まい、醸し出す雰囲気のせいか、どうもただの侵入者には思えない。それに何度か来ているとしか思えないほどに、何の迷いもなく工廠の奥へ奥へと進んで行くのだ。

 

吹雪は駆逐艦得意の身のこなしの軽さをいかして、物陰など利用しながら、少しずつ距離を詰めていく。せめて顔なりと見ておきたい。そうすれば、自分の知っている人物なのかどうかがわかる。

 

ゆっくり、ゆっくり、慎重に。

 

相手に気づいた様子はない。ただただ優美に歩き続ける。

 

お互いの距離が二メートル程度まで縮んだとき、不意に人影が立ち止まった。前につんのめりそうになった吹雪は、辛うじてそれを堪えると、近くの柱の影から件の人物を見つめた。

 

―――あんなところに、入口なんてあったんだ。

 

誰よりも長く、この鎮守府にいる吹雪だが、その彼女でさえ、このような場所にドアのあることを知らなかった。その先には、一体何があると言うのか。

 

ドアの先から光が差す。漏れでた白っぽい蛍光灯の光が、今まで彼女の追ってきた人影の顔を照らす。

 

吹雪は息を呑んだ。すっと通った鼻。わずかに赤みの差した頬。柔らかな唇。旭日を反射する瞳。柔和な表情。艶やかな色香を薫らせる長髪。程よく締まり、すらっとして、それでいて出るところはちゃんと出ている体。そして桜をあしらったかんざし。紛れもない大和撫子が、そこに立っていた。

 

この鎮守府の人間ではない。吹雪はそう確信した。これ程に美人な人を、そうそう忘れるわけがない。

 

忘れるわけがないのだ。

 

吹雪はもちろん覚えていた。なぜ、彼女がここに。思考がぐるぐると回るが、ひとつ確かなのは、彼女は、一度目の前の人物に会っているということ。

 

―――どうして、ここに。

 

結局、最後まで気づかれることはなかった。彼女は開いた扉の向こうへ入ると、ぴたりと閉めてしまった。何の音も漏れてこない。

 

吹雪は周囲を確認すると、そっとドアに寄り、耳を押し当てる。何も聞こえない。いや、待て、微かにだが、機械の動く音が聞こえる。このずっと奥で稼動する機械の音が。

 

「吹雪?」

 

突然の声に、肩が跳ね上がった。壊れかけたロボットか何かのように、ぎぎぎっと首を曲げる。

 

「し、司令・・・官?」

 

紺色の制服が闇に溶け込んでしまってよくわからないが、そこにいたのはまさに彼女の司令官であった。

 

いつも通りの歩き方で、彼は吹雪の方へと歩いてくる。今朝はその仕草すらも、恐ろしく感じられた。

 

「こんなところで、何してるの?」

 

それはつまり、「立ち入り禁止区域内に入って何をしていたのか」ということ。

 

「えっと、これはその・・・ですね」

 

背中を冷たい汗が滝のように流れるのは、きっと走ったからではない。こちらを覗き込むようにしている司令官に、ちらちらと視線をやる。そうしてから、事の顛末をありのままに語る。

 

「あの・・・すみませんでした」

 

吹雪は頭を下げる。司令官は、頭を軽く掻くと、いや、と切り出した。

 

「吹雪は、鎮守府に不審者がいると思って追いかけたんだよね?だったら、何も責める事はないよ。それに、見られて困る訳じゃないんだ」

 

いずれ、みんなにも知らせるつもりだったしね。

 

―――それって、今は見られたくなかったってことなんじゃ・・・。

 

それに疑問はまだ残る。結局、彼女は何者なのだろうか。司令官は何を隠しているのだろうか。

 

「うーん、そうだ。この後、一一○○に執務室に来てくれ。案内するよ」

 

「・・・いいんですか?」

 

「さっきも言ったけど、何か見られて困るものがある訳じゃないんだ。それに、誰かが知っていてくれた方が、やりやすいこともあるしね」

 

司令官は、ドアノブに手を掛けた。

 

「しかし、朝からランニングなんて、偉いね。午前の課業でも走るんでしょ?」

 

うっ。吹雪は微妙に言葉に詰まった。

 

「は、はい。頑張ります」

 

また、後で。彼はそう言って、工廠の中へと入っていった。

 

言えない。新任の子たちと『間宮』に行き過ぎて太ったからなんて言えない。

 

残された吹雪は、一番知られたくない相手に、秘密のトレーニングを知られたことに、頬を赤らめる。その後朝食時に再び顔を合わせた時は、ニヤニヤする同僚に「なんでもない!!」と言って、熱い顔をごまかした。

 

その際、司令官のハテナマーク生産工場がフル稼働したことは、言うまでもない。




どうなるのか・・・

どうなるのやら・・・

次回は出撃がある!!

と、いいなあ・・・

読んでいただいた方、ありがとうございます。

感想お待ちしています。


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新たな光

お久しぶりです。

遅くてすみません。ほんとにすみません。

真面目で元気溌剌な吹雪ちゃんは、弄るととっても可愛いと思うの。

今回も、どうぞよろしくお願いします。


眼下、前甲板に据えられた五インチ砲の連射音が響く。どんどん、太鼓を打ち鳴らすように規則正しく炸裂音と同時に砲口から褐色の炎が上がる。間隔は、大体三秒ほどだ。

 

長砲身のそれから吐き出された砲弾は、圧倒的な速度で飛翔していく。レーダーと完全にリンクした正確無比な射撃は、狙い違わず、目標へと着弾した。それがほぼ三秒おきに続いていく。やがて黒い金属片のようなものが飛び散ると、次の瞬間、紅蓮の炎と共に目標が弾けた。

 

撃沈確実だ。

 

『CICより艦橋。戦艦クラス“b2”の撃沈を確認。“b3”へ目標変更』

 

「了解」

 

CICで指揮を執る砲雷長から報告が入る。暫くして、砲塔がわずかに動くと、新たな目標へと射撃を開始した。

 

「まるで、百年前の戦争だな」

 

イージス護衛艦“こんごう”の艦橋内から双眼鏡を覗き込んだマサトミ艦長は、目の前で起こっている戦闘の感想をそう述べた。

 

技術の進歩が、戦争そのものを進歩させてきた時代で、自衛隊員となることを選んだマサトミたちにとって、有視界内での砲撃戦など、考えられないことだった。だがしかし、彼らは今、現にそうした戦いを繰り広げている。いや、今までも繰り広げてきたのだ。

 

“こんごう”は老朽艦だった。日本で始めてのイージスシステム搭載艦として完成した彼女は、幾度となくシステムの更新と近代化改修を施すことによって、その命を繋いできた。が、人間がそうであるように、船にもまた寿命があるのだ。いかに優れた船であっても、いずれはどこかしらにガタが来る。

 

本来であれば“こんごう”は,二年前にはその役目を終え、解体されて、次世代の艦へと引き継がれるはずだった。それまでの護衛艦同様、生涯一度も戦闘を経験しないと言う勲章と共に、その歴史に幕を下ろすはずだった。

 

それは、叶わなかった。

 

艦の癖を熟知している砲雷長は、ベストな射点から連続砲撃を行う。砲弾が目標となる敵艦―――“こんごう”を戦場へと引きずり出した張本人へと、迫る。

 

奴らは“深海棲艦”と呼ばれた。

 

正体はわからない。以前、一隻だか一匹だかを鹵獲したと騒がれたが、真偽のほどは不明だ。第一、本当に鹵獲されたのなら、なぜ全く情報が出回らないのかと言う話になる。

 

ともかく奴らは、明らかに敵意を持って、人類へと接近してきた。たくさんの船が、奴らによって沈められた。

 

深海棲艦の装備は、第二次大戦期のそれによく似ている。だから、艦種の類別もそれに準じたものとなっている。

 

その中でも、最大の火力と防御力を誇る戦艦級、そいつに向って、五インチ砲は咆哮していた。

 

着弾に次ぐ着弾。人型、サイズから容姿から全く持って人間にしか見えない戦艦級の深海棲艦に、真っ赤な火矢が突き刺さっていく。が、戦艦級の装甲は、その衝撃に十分すぎる強度を持っていた。それでも、構造上の弱点に当たれば砲弾が盛大に弾け、艤装を削り取る。ミサイルの使えないこの近距離では、これ以外に有効な手はなかった。辺りには、濃い硝煙の匂いが漂う。

 

唐突に、後方からおどろおどろしい轟音が届いた。

 

「“ちょうかい”被弾!」

 

「当たったか・・・」

 

マサトミは、至って冷静な声で呟いた。

 

この状況に持ち込まれた時点で、いずれこうなる運命だったのだ。マサトミは、最後の僚艦となった“ちょうかい”の末路を悟った。

 

攻撃こそ最高の防御と言う思想の元に建造された現代軍艦は、装甲と言うものを持っていないに等しい。第二次大戦時の駆逐艦程度しか、防弾装備は付いていなかった。戦艦の打撃力に耐えられる道理がない。

 

「“ちょうかい”再び被弾!速力低下、炎上中!」

 

ウイングの偵察員が叫ぶ。その声は恐怖に震えていた。

 

自分たちの船も、ああなってしまうのか。

 

一際大きな爆発音が響いた。金属的な狂騒と、圧壊音が続く。

 

轟沈だ。

 

「いよいよ、この“こんごう”だけになったか」

 

状況は絶望的だ。それでも軍人として、最後まで諦めるつもりはない。

 

―――撃て、砲雷長。

 

一隻だろうが、一匹だろうが、今までに沈められた仲間の分まで仕留めろ。その想いを込める。

 

『“b3”沈黙。目標を“a3”に変更』

 

それに応えるように、CICから報告が入った。加熱した砲身が、そのまま新たな目標へと向けられる。そして、第一射が放たれた。

 

次の瞬間、眼下で爆発が生じ、五インチ砲が弾け飛んだ。後には、黒煙を吹き上げる鉄塊のみが残されている。

 

―――万事休す、か。

 

空振りを繰り返した敵弾が、ついに“こんごう”を捉えたのだ。おまけに、申し訳程度の反撃手段まで奪って。

 

『CIWSを手動で撃て!ぶちまけろ!』

 

砲雷長の怒号が響く。チェーンソーのようなモーターの駆動音と、五インチ砲よりも一層早い連射音が聞こえ始めた。

 

だが、それも長くは続かなかった。

 

今までに味わったことのない衝撃が、マサトミの体を艦橋の床に叩きつけた。艦の後部から、金属のひしゃげる嫌な音が伝わってきた。

 

「後部に被弾、応急修理急げ!」

 

「もういい、船務長」

 

マサトミは、自らの副官を引き留めた。

 

「我々の仕事はここまでだ」

 

再び、敵弾が着弾する。今度は艦の中央部辺りだろうか。蒸気の噴き出すような音と共に、艦の行き足ががくんと落ちる。

 

「離艦を急がせろ」

 

この艦は、そう長くは持たない。

 

「・・・ア、アイサー」

 

船務長は緊張した面持ちで答えた。

 

三度目の弾着。幸か不幸か、ミサイルを全て撃ち尽くしていた“こんごう”には可燃物が少なく、“ちょうかい”のように轟沈することはなかった。それでも、いつまで浮いていられるか。

 

離艦の準備が進む艦橋内で、艦の動揺に耐えながら、マサトミは故郷のことを想った。

 

―――すまんな、おふくろ。

 

帰れそうにない、と心の中で謝る。ふと、同郷の、生意気な後輩の顔が浮かんだ。

 

可笑しさがこみ上げて来た。どうやら俺は、自分が思っていた以上に、あの後輩を気に入っていたようだ。

 

燃え盛る礫が、天井を破って艦橋に飛び込んだ。妙にスローモーに流れる時間の中、マサトミは自らの目の前で、深海棲艦の弾丸が弾けるのを見た。次の瞬間、彼の視界は灼熱の赤に包まれて、暗転した。その意識が戻ることは、二度と無かった。

 

 

一○五五。

 

吹雪は、鎮守府の一角、執務室の前に立っていた。

 

今朝、どうやら極秘事項に触れてしまったらしい吹雪は、司令官に呼び出されていた。何か小言を言うつもりは無いと言っていたものの、やはり事態が事態なだけに、緊張は隠せない。

 

ごくり。唾を飲み込んで、執務室のドアを叩いた。

 

「駆逐艦“吹雪”、入ります」

 

「どうぞ」

 

中から返ってきたのは、予想に反して、落ち着いた女性の声だった。ノブに手を掛けて、ドアを開ける。

 

「あら、吹雪ちゃん」

 

中にいたのは、正規空母の加賀だった。秘書艦用の机に腰掛けて、書類に目を通している。

 

執務室と言うのは、その名の通りに鎮守府の司令官が書類仕事や、出撃・遠征等の報告を受ける場所だ。日中、司令官はそのほとんどをこの部屋で過ごす。まれに開発の立会いではずすときは、その旨を残して工廠へと向かう。ちなみにこの執務室、左右がそれぞれ司令官の私室と、台所と化した給湯室になっていた。

 

この執務室には、司令官以外にも秘書艦と呼ばれる艦娘が控えている。秘書艦は司令官の日常業務を手伝う、あるいは司令官不在時の諸々の対応を行うのがその主な仕事だ。そもそもこの秘書艦は、鎮守府が開設されたばかりで、司令官と吹雪だけで初期の山のような書類と格闘していた頃の名残だった。

 

「何か、御用かしら」

 

書類の手を止めた加賀は、顔を上げて吹雪に尋ねる。入室した吹雪は、辺りを見回してから、司令官の居場所を聞いた。

 

「あの、司令官は?」

 

「提督に用事?」

 

そこで加賀は、何かを思い出したように頷いた。

 

「そういえば、一一○○から工廠に行くと言っていたわね。吹雪ちゃんも一緒だったのかしら?」

 

「はい、一応」

 

「なら、あと少し待っていて頂戴。今は作戦室だから、すぐに戻るはずよ」

 

加賀はすっと立ち上がる。引いた椅子が、静かな音を立てる。

 

「お茶でもどうかしら?」

 

「いえ、そんな。すぐに工廠に行ってしまうので」

 

そう。加賀が短く答えた。

 

結局、元々一息入れるつもりだったからと、湯飲みと小さなお饅頭を台所から持ち出した。数はそれぞれ三つだ。

 

少し温めのお茶を、香りと一緒にすする。ほのかな苦味が、餡子の甘さには丁度よかった。

 

「珍しいわね。工廠の随伴が、吹雪ちゃんなんて」

 

「・・・そうですね」

 

一瞬答えにつまりかける。もしかすると、機密情報に触れてしまったかもしれないなどと、口が裂けても言えなかった。

 

「何か、特別な理由でも?」

 

「いえ、その・・・」

 

さすがは加賀。的確に聞かれたくない部分を突いてくる。吹雪は文字通り、お茶を濁した。

 

お饅頭を食べ終わって、そっとお茶を口にした加賀は、いつもの抑揚のない口調で切り出す。

 

「もしかして、鎮守府内デートかしら」

 

あわや、お茶を盛大に吹き出すところだった。

 

「ち、ちちち、違います!」

 

なんですか、そのお家デート的なノリは!?

 

「そう。でも、昼食は一緒なのでしょう?ふたりで出掛けた後の昼食。立派にデートではないかしら?」

 

「あうう・・・それは、その・・・」

 

司令官と、デート。水族館(工廠)、遊園地(工廠です)、二人きりの観覧車(工廠ですから)から眺める夕陽(工廠前の海です)。ディナー(ランチ!ランチです!!)は司令官のエスコートで、夜景の綺麗なフレンチレストラン(中庭の綺麗な鎮守府食堂)のフルコース(特定食)・・・。

 

春の日差しが、一気に真夏の直射日光に変わった気がした。頬が、加熱したように熱い。そんな吹雪を見て、加賀はうっすらと笑いを浮かべている。

 

「冗談よ」

 

「や、やめてくださいよ、もう!!」

 

吹雪は残ったお饅頭を放り込んで、勢いよく咀嚼する。喉につっかえそうになって、慌ててお茶を飲み込んだ。

 

その後現れた司令官は、顔を真っ赤にした吹雪に「五分遅刻です!!」と理不尽に罵倒されて、七秒五三間戸惑いを隠せなかったと言う。

 

 

周囲に弾着の水柱が上がった。一目で巡洋艦クラスの中口径砲とわかるそれは、迫力に欠けるものの、スコールの如く連続して噴き上がる。右、左、精度はお世辞にも高いと言えないが、それでも面の制圧力はある。

 

眼鏡に付いた水滴を自らの速力で振り払って、霧島は敵艦隊へと肉薄して行った。

 

距離は、およそ一万二千。

 

ここで言う一万二千は、メートル法ではない。艦娘の戦闘用に設定された、限定的な測量方だ。具体的には、敵味方の主砲、その砲戦距離を基にして規定されている。

 

「瑞鳳、敵艦隊は捉えた?」

 

後方に待機している随伴の軽空母へと通信を入れる。

 

『ううん、まだ。索敵機から何も報告がないのよ』

 

「・・・了解」

 

高速戦艦娘“霧島”に率いられた艦隊は、沖ノ島沖に展開している敵性艦隊の強行偵察を行っていた。すでに前衛に展開していたいくつかの哨戒部隊を突破しているが、敵の主力艦隊発見には至っていない。

 

―――もっと奥に居るか、それとも敵の艦載機に落とされたか。

 

速度を維持して突撃しつつも、旗艦として状況を分析する。この手の作戦で重要なのは、引き際の見極めだ。

 

戦闘用の眼鏡に、敵艦隊との距離が映される。普段から眼鏡を掛けている彼女だが、さすがに戦闘中は、防弾仕様で度の入っていない眼鏡を使う。視力の方は、コンタクトで補っていた。

 

「一航過の後、離脱するわよ。砲戦用意!」

 

後ろに続く艦娘たちが答える。同時に軽巡洋艦娘“長良”と、追随する駆逐艦娘“島風”、“叢雲”が前に出る。重巡洋艦娘の“筑摩”は、瑞鳳の護衛として、後方に待機していた。

 

「艤装展開」

 

重低音が響き、霧島の背部に装着された砲台型の艤装が、X字型へと変形していく。

 

艦娘と実際の軍艦、特に戦艦の艤装について、大きく異なる点がある。

 

通常軍艦は、艦の横腹側を向けた時に最大の火力が発揮できるよう、設計されている。その主砲塔は、艦の軸線上にまっすぐ配置されていた。一方の艦娘は、反航戦、それも敵と向い合わせの状態で最大の火力が発揮される。理由は二つ。艦娘が人間を素体としている以上、側面を向きながらの戦闘は無理があること。そして、同様の理由で、深海棲艦は前向きで戦闘をしようとする傾向にあること。これらが考慮された結果、艦娘の艤装は向かい合った敵艦に対して、最大威力の攻撃ができるようになっていた。

 

そんな中にあって、一際特殊なのが金剛型高速戦艦の艤装だった。彼女たちは、その高速力を生かした接近戦を得意とする。そのため、砲撃の安定性よりも、状況に対処できる柔軟性が求められた。この可変式の艤装は、遠距離砲戦には向かないものの、他戦艦の艤装よりも広く射角を取ることができ、夜間の追撃戦において多大な効果を上げていた。

 

もっとも、構造上どうしても脆い所が多く、特に砲塔を支えるアームの部分がよく脱落した。砲戦距離の増大もあって、彼女たちの艤装は、順次大規模改装を受けることになっている。

 

霧島は、その改装がまだだった。展開が終わった艤装は、X字それぞれの頂点に、三六サンチ連装砲塔が据えられている。弾種はあえて、零式通常弾を選択していた。徹甲弾では、巡洋艦クラスの装甲を突き抜けてしまう。信管が反応しない場合もあった。

 

「測敵、よし。砲撃始め!!」

 

距離八千で射撃を始める。砲身はほぼ水平に構えられ、初弾から全力斉射を行った。戦艦の砲戦距離としては目と鼻の先と言えるこの距離で外すはずもない。先頭の軽巡ホ級に火柱が立ち上った。触発信管は船体に達すると同時にその責務を果たし、ホ級を業火で包み込む。

 

接近した長良が、手に持ったマシンガン型の艤装から、一四サンチ砲弾をばら撒く。ホ級の被弾で出鼻を挫かれた深海棲艦は、なされるがままに、水底へとその身を沈めていった。

 

通算で、三度の斉射しか行わなかった。その間に全ては決していた。

 

霧島は速力を緩め、反転してきた長良たちと合流する。後には、あいかわらず瑞鳳と筑摩が付いてきていた。戦闘中にずれた眼鏡を、元の位置に戻す。

 

「今ので三つ目・・・。そろそろ、主力と邂逅してもいいはずですが」

 

瑞鳳も筑摩も、首を横に振っている。索敵機からは、まだ何も報告がないということだ。

 

艦隊は、前進を続ける。

 

―――一体、どこに。

 

艦隊の先頭で、霧島は考える。先日、天龍たちが発見した際には、敵の主力は沖ノ島の西側に停泊していたらしい。その辺りを重点的に探したが、見つからない。とすれば、どこかへ移動したか。

 

何のために?動く理由がない。あの位置は、深海棲艦にとって攻められにくく、守りやすい。普段はそこに籠もって、接近してきた輸送船団だけ叩けばいい。なのに、動いたと言うのか。

 

彼女の思考は、横合いからの通信によって中断された。

 

『敵艦隊発見!!』

 

叫んだのは、霧島たち前衛よりも若干下がった位置にいる瑞鳳。

 

「位置と構成は?」

 

『前方、三万五千、戦艦三以上を確認!!』

 

「戦艦三!?」

 

沖ノ島に展開していた、侵攻中枢艦隊とほぼ同等ではないか。そんな主力級が、なぜここに・・・。

 

否。そうじゃない。今、目の前に迫りつつある艦隊こそが、

 

「敵、主力艦隊・・・」

 

敵艦隊が増速した。おそらく、既にこちらを捕捉している。

 

「進路反転。撤退します」

 

霧島の判断は早かった。敵の主力を確認した以上、長居は無用だ。すぐに六人の艦娘たちは舵を切り、霧島を最後尾にして撤退を始める。

 

『鎮守府宛、打電完了』

 

転進のために、前衛として展開することになった筑摩が、主力艦隊の情勢を打電した。これで、最低限の責務は果たしたことになる。後は、いかにして、全員無事に帰投するか。

 

幸い、速力ではこちらの方が俄然有利だ。もっとも遅い瑞鳳に合わせても、最大二八ノットを発揮できる。対する敵艦隊は、戦艦部隊ゆえに足が遅い。二○ノットちょいといったところか。

 

―――これなら、なんとか。

 

霧島は、わずかに後ろを振り返る。敵艦隊との距離は、確実に開いていた。

 

行ける。逃げ切れる。そう思った矢先、風雲急を告げる警告音が鳴り響いた。

 

「っ!電探に感!!」

 

霧島の装備する、カチューシャ型の電探に、接近する機影が映し出された。多い。六○はいる。

 

「左前方、水雷戦隊!!」

 

叢雲が叫ぶ。見れば、海中から鯨のような駆逐ロ級が飛び出してくる。数は四。こちらの艦隊の頭を抑えるように、急速に接近してくる。

 

「これが狙いだったのね・・・」

 

今、偵察艦隊は、深海棲艦の挟撃を受けようとしている。航空機、水雷戦隊、いずれを相手取っても、後方の戦艦部隊に追いつかれてしまう。なんとかして、これを食い止めなければ。

 

方法は、一つしかない。現在の編成において、戦艦を相手取れるのは彼女だけだ。

 

霧島は歯を食いしばる。止める。そう決意した。

 

「瑞鳳、直掩隊発艦。筑摩たちは、なんとかして鯨どもを突破して」

 

そして、自らは反転する。

 

「霧島さん!!」

 

叫んだのは、以外にも島風だった。普段飄々として己の道を行く彼女が、自分を心配してくれている。そう思うと、わずかながら肩が軽くなった気がする。逆に、内なる闘志は、それまでに倍する勢いで燃え上がった。

 

「後方の戦艦部隊は、私が引き受けます」

 

一気に加速する。高速戦艦だけあって、速度は速い。全速で、ぎりぎり三○ノットに届かない、といったところか。

 

深海棲艦が咆哮する。まるで、接近する霧島を歓迎するように。圧倒的な殺戮を楽しむように。

 

「そうはいかないわよ・・・っ!!」

 

眼鏡の下で、そっと笑う。艤装は展開したまま、三六サンチ砲の砲身だけが、ゆったりと鎌首を持ち上げた。

 

「全門斉射あああっ!!」

 

腹の底から叫ぶ。短い警告音の後、八門の砲口から一斉に褐色の炎が沸き立った。艦娘としての力によって守られた鼓膜を、轟音と衝撃波が叩く。観測射撃などと、悠長なことは言っていられない。出来るだけ目立つように、こちらに注意を引くように、派手に撃ち上げる。

 

やがて、青い染料で染め上げられた水柱が、敵艦の周囲に次々と立ち上り始めた。

 

 

吹雪は、司令官に連れられて、工廠の奥へ奥へと進んでいた。

 

積み上げられたいくつもの機材、試作モデルと思しき装備、後、なぜかペンギンと綿のようなぬいぐるみ。工作機械に染み付いた油の匂いが、鼻腔をくすぐる。整備したてで、ピッカピカの艤装から噴き出す、あの匂いだ。

 

行き交う工廠部の人たちが、すれ違いざまに軽い会釈をする。それに合わせて、司令官は軍帽を持ち上げ、吹雪もちょこんと頭を下げた。どの人の作業服も、黒い煤や何かしらの液体で汚れていた。口元に髭のような汚れのある整備員もいる。思わず司令官と顔を見合わせ、ふっと笑いを漏らす。若い整備員は、気恥ずかしそうに、首から提げたタオルで、口元をぬぐった。

 

「提督、吹雪ちゃん」

 

同じように、作業着に使い込まれたエプロンといういでたちの少女が、二人に声を掛けた。

 

「夕張さん!」

 

薄い緑色と言えばいいのだろうか、不思議な髪色のポニーテールを揺らし、ゴーグルと軍手を取り外しながら、彼女は二人の方へ歩いてきた。

 

「相変わらず、工廠に入り浸りか」

 

呆れとも、関心とも取れる声音で、司令官は夕張に言った。彼女は微かに煤の着いた顔で、瑞々しい笑顔を浮かべる。

 

「こっちの方が、私の本分ですから。楽しいですよ、機械いじり」

 

右手に持ったスパナを振る。どうも先程まで、艤装をいじっていたようだ。

 

「それで、お二人は?」

 

何か御用ですか?彼女は、どこか子どもっぽい、いたずらを企むような目で尋ねる。嫌な予感がぷんぷんした。

 

「もしかして、デートですか?」

 

今度こそ、吹雪は盛大に吹き出した。なんでこう、皆同じ事を聞くのか。

 

「違うよ、ちょっと裏に用事がね」

 

そして司令官は司令官で、平然とスルーしている。それはそれで、なんとなく、面白くない。

 

って、何を考えてるのわたしは。

 

吹雪はブンブンと頭を振って、雑念を払いのけた。

 

「ああ、それで。ユズルさんがいないと思ったら、そういうことでしたか」

 

夕張は納得したように頷く。ただしその目は、明らかな興味の色を帯びていた。

 

「いい加減、何があるのか教えて戴けませんか?」

 

「ただの新しいドックだって、目新しいものは何もないよ」

 

ふう~ん。興味津々と言った様子でこちらを伺うが、それ以上の追求は諦めたらしい。小さく溜息を吐いて、彼女は作業へ戻ろうとした。

 

でも、吹雪ちゃんには教えるのよねえ。そんな呟きが聞こえた気がした。

 

「まあ、その内ちゃんと教えてもらいますからね。ユズルさんには、お昼に帰ってくるように、言っておいてください」

 

「わかった。そっちもよろしく」

 

夕張は自らの作業台で、再び艤装に向き直った。すぐに火花が飛び始める。

 

「新しいドック、ですか?」

 

また歩き出した司令官に、吹雪は顔を向ける。そういえば、まだ目的地について何も聞いていなかった。

 

あー、と少しばつの悪い表情で、司令官は答えてくれた。

 

「うーん、半分はほんとのこと、かな」

 

「半分?」

 

司令官によれば、今向かっているのは、新しく造られた大型艦用のドックらしい。今まで、四つのドックを小型艦・大型艦で使い回していた。しかし、これまでの戦訓から、このままではこの先、艦隊が周らなくなると思われた。そこで大型艦専用のドックを増設することで、回転率の向上と、改装等のスムーズ化を計ったそうだ。

 

「で、どうして秘密にしているかというと」

 

司令官は、そこで話を止めた。目の前には、重厚という言葉そのものの、金属の扉が鎮座している。いつの間にか、工廠の奥へと辿り着いていたようだ。

 

「―――実際に見てもらったほうが、早いかな」

 

 

 

扉をくぐった後も、しばらく歩き続けた。足元には階段が続いている。間違いなく、吹雪は下へ下へ、海辺へと向かっていた。まあ、目的地がドックである以上、わずかに崖上にある鎮守府からは、下へと降りていくしかない訳だが。

 

「こんな、施設が」

 

いつの間に。司令官は、妖精さんの協力があったからだと言った。

 

もう一度、重たいドアを開けると、既存のそれより一・五倍程大きなドックが、吹雪の前に現れた。クレーンの動く音。散る火花。それらの音が、壁に反射して響く。

 

「まだ秘密にしていた理由は、アレなんだ」

 

ドックの床より一階分高い通路から、司令官はドックの中央付近を指差した。吹雪は手すりに掴まって、その先を見つめる。

 

そこに、巨大な艤装が据えられている。

 

鎮守府最強戦艦の長門型は、搭載された四一サンチ砲を最大威力で発揮するために、安定性抜群の艤装構造になっている。その艤装は、他のどの艦娘よりも頑丈で猛々しく、力強さと安心感を、艦隊中に放っていた。

 

だが、目の前のそれは。長門が可愛く思えるほどに巨大なそれは。

 

一際目を引くのは、艤装の左右と背部に配置された巨大な三連装砲塔。わずかに傾いた煙突は、これだけの艤装を動かすためか、太く逞しい。長門型をも凌駕する大戦艦。それだけの存在感と威容を誇っていた。

 

「新型戦艦の艤装、ですか?」

 

「その通りだ」

 

応答は、司令官とは反対側の通路奥から聞こえてきた。先程の工廠の作業員同様、所々煤にまみれた、白であったと思われる作業着を着た人影が歩いてくる。

 

「あ、ユズルさん!」

 

作業帽を被った顔は、鎮守府の工廠部を統べる、初老の男性だった。

 

「お疲れ様です、工廠長」

 

「いやあ、疲れたのなんの」

 

そう言って工廠長は、軍手の甲で額をぬぐう。当然のように、額にも真っ黒な煤が付着した。

 

「重量が桁違いだ、動かすだけでも一苦労ってもんよ」

 

とにかく整備が大変だと言う。これだけの設備があっても、扱いに苦労するほどの代物なのだ。

 

「彼女は?」

 

「今、明石と準備中だ。すぐに出てくる」

 

見ていくか?工廠長は、吹雪と司令官に尋ねる。ぜひお願いします、と二人は答えて、その時を待った。

 

『―――えーっと、聞こえてます?はい、なら大丈夫です。これより、コードA140、艤装試験に入ります。船渠内の作業員は、退避願います』

 

しばらくして、明石の声がスピーカーから響いた。その声に応じて、数人の作業員がドック内から出る。そうして誰もいなくなったドックの中で、中央の艤装が身震いをする。アイドリングが始まったのだ。

 

『アイドリングを確認しました。艤装装着準備』

 

明石が指示すると、艤装の接合アームが動き、装着者、つまり艦娘本人の受け入れ態勢を整えていた。

 

モーターが駆動する音と、金属が擦れるような音が、吹雪の足元から聞こえ出した。それが、階下の扉が開く音だとわかった時、カツカツと靴音を立て、一人の艦娘がドックへと入ってきた。

 

吹雪はごくりと唾を飲む。えもいわれぬ緊張で、手すりが振るえ、じっとりと変な汗が吹き出てきた。ドック内を、据えられた艤装へ歩いていく後姿に、その視線が釘付けとなる。

 

彼女が一歩歩くたびに、後頭部の上のほうで結ばれた、つやつやと輝く長髪が規則正しく揺れる。結び目に、桜をあしらった飾りが散りばめられて、それがまた、不思議な風情を、目の前の光景に与えていた。

 

「A140、艤装の装着に入ります」

 

艤装の前で宣言した彼女は、装着のためにくるりと振り向く。その顔が、吹雪たちのほうに向いた。

 

目が、合った。

 

―――やっぱり、あの人だ。

 

一週間ほど前の出来事が、思い起こされた。

 

彼女もまた、吹雪と目が合うと一瞬目を見開いたが、やがて納得したようにうっすらと笑った。上品な、気品漂う笑顔だった。

 

『装着開始。脳波リンク、スタート』

 

艤装を支えるクレーンが動き、彼女の腰周りへ、そのアームを伸ばしていく。機械音と共に、彼女の腰に艤装が固定された。ただし、機関を始動していないため、まだクレーンがその重量を支えている。

 

「装着確認。脳波接続確認」

 

『リンク率百パーセントを確認。試しに、何か動かしてみて』

 

明石のリクエストで、彼女は左右の主砲塔を動かした。あれだけの質量があるのに、動きは至って滑らかだ。

 

『船渠、注水開始』

 

ポンプが起動し、ドック内へと海水が流入する。船がドックから出るには、この作業が不可欠だ。

 

水位が上がり、ドックの床を水が張っていく。徐々に増していき、脚部艤装が浸かり始める。一分ほどで、ドックへの注水が完了した。

 

『オッケー。機関部の暖機は完了してるから、いつでもいいですよ』

 

機関の始動許可が下りた。

 

「機関、始動」

 

すぐさま、彼女が機関部を始動する。

 

圧倒的な音量が、ドック内を満たした。機関出力が高いことで有名な翔鶴型姉妹のそれにも負けていない。機関に火が入れられたことで、彼女は水に浮き出した。

 

「トリム調整」

 

『ハッチ、開いてください』

 

バランス調整を行う彼女の横で、堅く閉じられていたドック入口のハッチが開く。海面に反射された太陽がドック内を照らし、彼女の背負う艤装が真新しく黒光りした。揺れる波が、脚部に打ちつけて白い飛沫を上げる。

 

彼女が、すっと顔を上げた。

 

「大和、出撃準備完了」

 

“大和”。彼女は自らを、そう呼んだ。大いなる和。この国そのものを表す、古き名前。

 

『支持を解除します。バランスに気をつけてください』

 

クレーンが引き上げられ、ついに彼女―――大和は、その機関出力だけで、水上に体を浮かべた。

 

「彼女は、まだ艤装が完全じゃない」

 

工廠長が語りだす。

 

「深海の奴らとの戦いにおいて、彼女は重大な戦力になる。その力を見極めるためにも、しばらくはそっとしておいてやりたかった。俺の、わがままだ」

 

それが、このドックを秘密にしていた理由だと、彼は語った。その瞳は、一介の技術者というよりも、むしろ子を見守る親のような輝きを湛えているように、吹雪には思えた。

 

「戦艦大和、推して参ります!」

 

一声張り上げた彼女は、主機を動かして、滑るように海面を航行しだす。白波は上がらない。ゆっくりとした時間が流れるように、彼女はその身を外洋へと進めて行った。

 

雄大な海に漕ぎ出す姿を、吹雪は懐かしさと憧れの混じる心持で、最後まで見守っていた。




長いかなあ・・・

次回は短めの予定。その次は多分、戦闘メイン。

摩耶様ちょーかっこいいと思います。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

感想お待ちしています。


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暁の抜錨

おっそーい!!

摩耶様改二だよ、摩耶様だよね!?

信じていいんだよね!?

期待しちゃっていいんだよね!?

惚れちゃって(ry

今回は予告通り(いつもより)みじかめです。

よろしくお願いします。


「アマノイワト」調査報告

 

本資料は、特別な許可ある者以外の閲覧を堅く禁ずる。

 

特定秘密として、原則十年は公開を禁ずる。

 

 

 

第一次調査報告

 

使用機:一号機(キャッツアイ)、三号機(プカプカ丸)

 

調査内容:アマノイワト内部、及びその向こう側(暫定名称鯖世界)の大気組成

 

結果:アマノイワト内部・・・大気組成は地球上と同じ。ただし、気圧が低い。放射能なし。電磁波等の影響なし。

 

鯖世界・・・大気組成は、ほぼ地球と同じ。わずかに酸素が高く、二酸化炭素が低い。自然界レベルの放射能あり。アマノイワト出口付近の電磁波が非常に強力。妨害電波のようなものあり。状況は地球側とあまり変わらない模様。以後の調査では、一号機と連動する三号機はあまり有用でないと思われる。

 

 

 

第二次調査報告

 

使用機:一号機(キャッツアイ)、二号機(レディーE)

 

調査内容:鯖世界における、生命体の有無

 

結果:リス・ネズミらしき生物を確認。また、採集した土壌から、微生物を数種発見。DNA鑑定の結果、地球上にも同様の遺伝子を持つ種を確認。鯖世界は、地球と似たような条件で進化を続けてきたものと思われる。

 

 

 

第三次調査報告

 

使用機:二号機(レディーE)

 

調査内容:アマノイワトの生命体の通過の可否

 

結果:モルモットの通過に際し、特に生命活動の異常を認めず。人間の通過は、十分に可能であると考える。

 

 

「報告は以上になります」

 

医務室のベッドに腰掛けた霧島は、見舞いがてらにやってきたと言う司令に、自らの確認した情報を伝えた。目の前の彼は、丁寧にメモを取りながら、彼女の話を聞いている。

 

「ありがとう。ゆっくり休んでくれ」

 

メモを閉じた彼は、労うように霧島へ声を掛けた。

 

「とは言っても、私本人は大した怪我をしたわけではないのですけれどね」

 

霧島はそう返して、苦笑した。つられたように、彼も眉をハの字にして、苦笑いしていた。

 

「状態は安定しているそうですから、明日には出ますよ」

 

「折角だから、少しゆっくりすればいいのに」

 

そっと首を振る。

 

「確かに、艤装は修復中で使用不可ですが、だからと言って、いつまでもここにいるわけにはいきません。今の私にとっては、あそこが唯一の居場所ですから」

 

「そうか・・・」

 

彼は、複雑そうに、それ以上何も言わなかった。こういうところが、彼が甘いと言われる所以だ。もっとも、そういう人間だからこそ、一介の少女でしかない艦娘たちから慕われ、頼りにされているのかもしれない。

 

「それに、手の掛かる姉たちもいることですし」

 

ちらっと入口を見やると、ぴこぴこと動く電探カチューシャが三つ、びくんと跳ね上がるのが見えた。小さく息をつく。同じく気づいたらしい彼もまた、微かに口元を歪めていた。

 

「どうやら、邪魔をしたようだから、早急に退散するよ。お疲れ様」

 

元の提督としての顔つきに戻った彼は、腰掛けていた椅子から立ち上がり、軽く手を上げて部屋を出て行った。残された霧島の下に、三人の姉たちが入ってきて、「さっきのはどーゆーことネー!?」と詰め寄ってきたが、気にしない。やがて、頬を膨らませて、こちらのほっぺをつまみだしたその表情が、霧島にとってはかけがえのない居場所だった。

 

 

「夜襲を仕掛ける」

 

作戦室の海図を囲む面々に、提督は第一声でそう告げた。

 

「知っての通り、現在の鎮守府の戦力では、展開中の敵艦隊を正面から撃破することは出来ない」

 

沖ノ島周辺を写した地図の南側を回る航路に、赤線で×が入れられる。同航路は、先日の強行偵察において、霧島たちが辿ったものだ。

 

「この、南側を通る航路では、戦艦や軽空母を伴った強力な前衛部隊が展開しており、突破に当たっては非常に強い抵抗が予想されます。最低でも、高速戦艦二隻を含む艦隊でなければ、主力撃破は困難でしょう」

 

提督から引き継いだ大淀が、手元の資料を見ながら説明する。海図上には、確認された敵の編成が示されていく。それと同時に、現在の鎮守府で稼動可能な、各戦力が表示された。その中に、高速戦艦は含まれていない。

 

「伊勢、日向ではダメなのか?」

 

腕組みをして海図を眺める長門が、大淀に尋ねた。彼女は首を振る。

 

「敵の編成に高速艦が多く、低速の伊勢、日向では対応が後手に周る恐れがあります。それに、海域の性質上、航路が大回りにならざるを得ないので、低速であるとより多くの敵性艦隊と戦闘を行うことになり、主力艦隊撃破後も、速やかな戦闘海域離脱はかなわないでしょう」

 

なるほどな、と長門が頷く。

 

「これまで述べたとおり、残念ながら現状では、正面からの通商破壊部隊撃破は難しいでしょう。そこで、」

 

大淀はちらと、横に控える艦娘に目を向けた。前回までの会議ではいなかった彼女は、心得たように、その豊満な胸に手を当てた。

 

「わたしたちの出番、ということですね」

 

青で統一された制服を、はち切れんばかりに満たすそれを張り、重巡洋艦娘“高雄”は、一歩前に進み出た。大淀は首肯して、再び海図に向かう。

 

「南航路は断念せざるを得ません。それは先程話した通りです。ですが、」

 

言いつつ大淀が、沖ノ島の北側に赤いラインを入れる。

 

「このように北回りならば、敵の警戒部隊を迂回しつつ、主力部隊に直接接近できます。ただご存知の通り、こちら回りは海流や機雷網の影響で大型艦の接近を許しません。そこで、重巡洋艦を主体とした高速打撃部隊での突破を図ります」

 

大淀の説明を、高雄が引き継ぐ。

 

「夜襲であれば、重巡洋艦には艤装の補正が入ります。戦艦級でも、接近すれば十分に撃破可能です」

 

「趣旨はわかりました。しかし、敵艦隊の索敵はどうしますか?いくら高速を生かして突破できると言っても、敵艦隊を発見できなければ意味がありません。重巡洋艦の索敵装備では、いささか不安が残ると思いますが」

 

鋭く突っ込んだのは、もちろん加賀だ。今は赤城が秘書艦であるため、空母側からは彼女だけの参加である。普段は扶桑や金剛に任せて参加しているが、生憎両者共に艤装の調整で出払っていた。

 

高雄が淀みなく答える。

 

「航空巡洋艦で補います。最上、三隈の両名は、すでに調整を完了していますので」

 

重巡洋艦娘“最上”、“三隈”は、少し特殊な艦娘だ。能力は重巡洋艦と変わらないが、より索敵を重視しており、専用の航空作業甲板を使用することで、多数の水上偵察機を運用できるようになっていた。これに新開発の水上爆撃機“瑞雲”が合わさり、索敵と先制攻撃を同時に行う『強行偵察型航空機運用巡洋艦』とでも言うべき艦種になっていた。鎮守府では、暫定的に『航空巡洋艦』と呼んでいる。

 

それならば、と加賀は納得したようで、それ以上の質問を重ねることはなかった。

 

「以上が本作戦の概容だ。編成については、旗艦高雄、愛宕、摩耶、鳥海、最上、三隈の六名、出撃は明後日○九○○とする」

 

提督が最後に締めくくる。高雄は了解とだけ答えて、編成を伝えるために作戦室を後にした。

 

長門だけが、最後まで海図を睨んでいた。

 

「どうかした?」

 

「・・・いや、大したことではないのだが」

 

提督の問いに対して、わずかに顔をしかめて答える。

 

「やはり気になる。どうも、敵の動きにムラのようなものが多すぎる」

 

やがて彼女はかぶりを振り、苦笑してみせた。

 

「いかんな、目の前の戦いに集中しなくてはならないのに」

 

失礼するぞ。長門はそう言って、自らの職務へと戻って行った。今日は、午後から演習の監督をいくつかの駆逐隊に頼まれているらしい。やはり人気者であるなと、提督は内心で微笑んだ。

 

一人取り残された作戦室は、さっきまでとは打って変わった静けさに包まれている。無機質な海図が、きらめくパネルに映されている以外、これといって特筆するものもない。

 

中央に沖ノ島が置かれた海図に、ゆっくりと歩み寄る。おもむろにパネルを操作して、海図を動かした。縮尺を小さくしていくと、必然的に写される範囲は広くなり、やがてこの島国をほぼ中央に置いたある程度広域の地図になる。

 

今確保している、南西諸島海域。その周囲には、北方海域、西方海域、南方海域、中部海域が広がっている。いずれの海域にも、今までより強力な深海棲艦が展開しており、突破や制海空権の奪取には更なる困難が予想された。

 

―――それだけじゃない。南西諸島を取ったことで、今度はその守りを固めながら、戦わなければならない。海域を制圧すると言うことは、そのたびに延ばすべき補給線と守らなければならない弱点を増やすと言うこと、か。

 

何が待っているのか。終わりなきこの戦いの先に。自らの命令で、年端もいかぬ少女たちが駆り出される、この海に。

 

提督は海図台を睨むと、電源を落として作戦室を出た。

 

 

「おい、鳥海!早く行こうぜ!」

 

艦娘たちの寮、その一室のドアが勢いよく開かれ、中からショートヘアの少女が飛び出してきた。セーラー服をモチーフとした制服に、短いスカートをはためかせて廊下を駆けていく。わずかに遅れて、もう一人の少女が、対称的に優しくドアを出てくる。

 

「も、もう、摩耶ったら。またカチューシャ忘れてるわよ」

 

鳥海と呼ばれた、眼鏡に長髪の少女は、自分の頭についているそれとほとんど同じデザインのカチューシャを左手で掲げながら、同様に走っていった。

 

「げ、忘れてた」

 

摩耶は廊下の角で急ブレーキをかけ、追いついてきた鳥海からカチューシャを受け取った。

 

「これで何度目?」

 

「へへ、わりい。サンキューな」

 

手馴れた様子で所定の位置に取り付けた、マスト型のカチューシャを確認して、摩耶は再び駆け出す。それをまた、鳥海が追いかけた。

 

「いくらカチューシャって言っても、装備品の一つなんだから、大切にしてよ」

 

「いやあ、んなこと言ってもよお。いっそ金剛や扶桑たちみたいに、制服指定してくれりゃあ忘れねえかもしれねえけどさあ」

 

艦娘の中には、頭部にも艤装があるものがいるが、それらは基本的に装備品として、普段は着用しない。が、なぜか金剛型と扶桑型のものだけは、制服指定されているので、普段から装着が義務付けられていた。理由は溶鉱炉の中だ。

 

「言い訳はいいから」

 

「ちぇえ~」

 

彼女たちが、その装備品を着ける、つまりは非日常がこれから始まるということ。走っていく二人の足音が、静かな寮内に反響して、ドアの前を通過して行った。

 

 

 

第一艦隊出撃ドックに召集された六人の艦娘―――南西諸島邀撃艦隊の面々は、ブリーフィングルームで提督と大淀から作戦の確認を受けると、満を持して、各出撃レーンへ入った。

 

出撃ドック内には、六つの出撃レーン―――艦娘の艤装を装着するための設備が用意されている。編成された出撃部隊は、この出撃レーン内で、格納庫と呼ばれるドックの別棟から送られて来た艤装の装着を行うことになる。艦種によっては非常に大きな装備を扱うことになるので、迅速な出撃にはなくてはならない設備だ。

 

「旗艦高雄以下、南西諸島邀撃艦隊全艦、配置完了しました」

 

凛と澄んだ声が、摩耶の右てから聞こえてきた。一番艦の位置にいる高雄が、出撃、正確には艤装装着の準備が整ったことを知らせる声だ。

 

『了解しました。これより、艤装の装着に入ります』

 

大淀のアナウンスで、摩耶の頭上、レールのような機材が動き始める。これにぶら下げられる形で、艤装は格納庫から引き出されるのだ。

 

「摩耶、艤装の装着に入る」

 

左右の台上に置かれた砲塔基部を、グローブをはめた手で両腕に装着する。摩耶と鳥海の艤装は、この二つの砲塔基部と腰周りの装備類で構成されていた。

 

止め具の辺りを念入りに確認する。しっかり装着しなければ、戦闘中に脱落することもあるからだ。特に摩耶は、どちらかと言えば強引にぶん回す方なので、一層注意を払っていた。

 

一番艦の高雄、二番艦の愛宕の艤装が先に用意され、数名の整備員によって装着に入っている。摩耶、鳥海とは同型艦に当たる彼女たちだが、その艤装は大きく異なり、腰を基点として左右から体を包む、戦艦に近い形状をしていた。大きい分、装備するのに時間が掛かる。

 

そうこうしているうちに、摩耶の艤装もまた、格納庫から引き出されてきた。姉二人に比べて随分と軽装備のそれは、摩耶の背中側から肩に接続される。二の腕の辺りにも補強材が装着された。そして、最後に残ったのが、摩耶の主兵装となる二基の主砲。二○・三サンチ砲を二門収めた重巡用の砲塔は、先程両腕に着けた砲塔基部に近づけられ、所定の位置にはめ込まれる。それを確認するブザー音と共にボルトが回転し、砲本体と基部を強固に結びつけた。すぐに支えがはずされ、砲塔は摩耶の腕に接続された状態で浮く。既に火が入れられた機関の出力によって、重厚なそれの重さは感じられなかった。

 

「砲塔、接続確認」

 

基部を軸にして主砲を軽く回し、状態を確認した。動きは至って滑らかだ。よく整備が行き届いている。

 

「大丈夫そうですね」

 

横に控えた馴染みの女性整備員が、額をぬぐった。彼女が摩耶の艤装を整備してくれている。

 

「今回は魚雷でしたね」

 

そう言って彼女は、丁度煙草のケースぐらいの大きさの箱を二つ、摩耶に差し出した。表面には、『九三式魚雷』と書かれている。

 

「サンキュー。ま、夜襲だからな。高角砲よりこっちだよな」

 

受け取ったそれを、腰周りのホルスターに入れる。機関に接続され、ランプが青く明滅した。それを確認して、一言指示を出す。

 

「艤装展開」

 

次の瞬間、まばゆい光を放ってホルスターが拡張する。光は拡散するかに見えたが、次第に収束をはじめ形状を持ちだした。やがて光が収まると、摩耶の腰には二基の四連装魚雷発射管が具現化していた。

 

空母の艦載機展開法を応用した、格納式艤装だ。

 

「こっちも問題なしだな」

 

満足げに頷いて、もう一度魚雷発射管を格納する。これで、各種の艤装点検は終了だ。

 

『各艦の艤装装着を確認しました。ドック注水準備。作業員は退避願います』

 

「・・・ご武運を」

 

大淀の放送を聞いた彼女は、摩耶に敬礼を送る。艤装を着けているのでまともに答礼が出来ない摩耶は、代わりににやりと笑う事にした。

 

「おう、摩耶様に任せときな」

 

彼女が足早にドックを離れると、ドック内への注水が始まった。しばらくして、摩耶の正面、海に面したドックのハッチが開き始める。モーターが駆動して、重いシャッターをゆっくりと巻き上げる。朝も終わろうとしている太陽が、浜辺近くのさざ波に反射してまぶしく顔を照らす。

 

『俺だ。何度も言うようだが、今回の作戦は過去にない展開が予想される。基本的に無線封鎖の下で行動してもらうから、その場その場で柔軟に対応してもらいたい』

 

顔は見えないが、マイクの前に立っているのは彼女たちの提督だ。彼は、こうして出撃を見送りに必ず現れるのだ。話では、出撃艦隊が見えなくなるまで、ここから見守っているらしい。

 

―――ったく、心配性なんだからよ。

 

もっとどっしり構えていてもいいと摩耶は思うのだが、考えてみれば出撃するのは彼女のような、ある程度年齢のある艦娘だけではないのだ。きっと駆逐艦たちからすれば、ちょっとしたお父さん、いや年齢的にはお兄さんのようなものなのかもしれない。

 

『各員の奮闘を祈る』

 

ハッチは完全に開かれた。目の前では海と空、二つの蒼が水平線で交わっている。

 

「南西諸島邀撃艦隊、出撃します!」

 

「おう、行くぜ!抜錨だ!!」

 

主機を動かし、摩耶はドックから滑り出す。足元でスクリューが回転するたびに水を押しのけ、反作用で前進する。

 

微速前進。

 

ドックを完全に脱した摩耶は、僚艦と合流する。外洋へと進みながら、各艦は間隔を調整して、陣形を整える。目指す先は、南西諸島沖ノ島海域。展開する敵の通商破壊艦隊を撃破し、補給路を確固たるものにするのだ。

 

風は駆けていく。巡航速度まで速力を上げた艦隊は、肌に流れる潮風を感じながら、白波を蹴立てて海上を進んで行った。




あれえ・・・吹雪ちゃんの出番が・・・

うん、仕方ない、今回は摩耶様回っぽいから・・・

そして多分、次回も吹雪ちゃんの出番は・・・

その分、気合い入れて戦闘書きます、はい。

読んでいただいた方、ありがとうございました。

感想お待ちしています。


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沖ノ島へ

どうもです。

最初に言います。

長いです。

とにかく長いです。

大事なことなので(ry

摩耶様が活躍する!!あったりまえだろ!!

よろしくお願いします。


艦娘の艤装とは、いわば船魂の受け皿のようなものだ。妖精の力を借りて、再びこの世に具現化された船の魂が、艦娘の艤装の正体だ。

 

艦娘は、艤装をつけなければ普通のどこにでもいる年頃の少女だ。しかし、船魂に選ばれた彼女たちは、その艤装から船の力を受け取ることで、洋上を疾駆し、砲弾、魚雷を放って、航空機を操る。だからその能力に関しては、基となった艦船の影響を少なからず受けるという。

 

ただし、船魂というのはいくらでも使えるわけではない。その使用は艦娘本人に対して多大な負荷をかける。必要以上に力が流入すれば、それこそ艦娘本人の生命に関わるかもしれないのだ。

 

そこで各艦娘の艤装には、力の流入を防ぐリミッターが設けられている。これが艦娘本人の生命を保持し、一種の耐久性を与えているのだ。ゆえに、艦娘は滅多なことがない限り、一撃で轟沈することはないと言われている。

 

しかしながら、このリミッターというものは、状況に応じて限界値が引き上げられたり、場合によっては解除されることがある。

 

一つは夜戦時。昼戦と違って至近距離の戦闘になる夜戦において、装甲、耐久、火力の限界値を引き上げる意味も込めてリミッターが緩くなる。特に、許容量の大きい重巡洋艦の戦闘能力は大きく向上し、一部の能力は戦艦をも上回る。同様に、軽巡洋艦、駆逐艦の能力値も大幅に上昇するのだ。

 

そしてもう一つ。艦娘本人の生命を維持するために、その全能力を注ぐ場合。敵艦との戦闘において、重大な損傷を負った艦娘を保護するべく、艤装はリミッターの解除という最終手段に移ることがある。この時、艦娘の能力値は変化しないのに、艤装の出力が全開になっているため、一度被弾すれば艤装の暴走を引き起こし、強制崩壊を起こすとされる。やがて、艤装を失った艦娘は水上に立つ力も、生命を保つ力も奪われ、波間へと消えていく。

 

轟沈するのだ。

 

もっとも、今現在そのような事態は起こっておらず、その真偽を確かめることは出来ない。ここまで書いてきたことは、あくまで妖精と開発スタッフの証言にもとづいて推測されたことに過ぎない。が、いずれにせよ、艦娘の艤装というものは、その扱いに細心の注意を払う必要がある。

 

 

洋上にあって、吹雪は通り過ぎていく朝の風をはっきりと感じていた。涼風と白波を切り裂きつつ、吹雪は指定された海域へと向かっていった。

 

今日は、演習や訓練で海に出たわけではない。普段使っている鎮守府の演習海域とは真逆に当たる方向へ、彼女は舵を切っていた。

 

一人で、こうして海を征くのは久しぶりだ。鎮守府が開設されたばかり、司令官に自らの艦隊運動を披露したとき以来だろうか。

 

吹雪はやがて、一つの施設の前で主機を止めた。大きな建物。鎮守府の奥の奥、工廠部から繋がるその施設は、半分崖に埋まるようにして、ひっそりと佇んでいた。とはいっても、よく目を凝らさなければ、その存在を知ることは出来ない。結構厳重に偽装されているからだ。

 

やがて、建物の一角が開き始めた。消音されてもなお、微かな音を立てるシャッターが巻き上げられ、建物内部の様子が露になる。機械的な構造物がいくつも張り巡らされた、複雑な内部はコンパクトに格納され、そこから出てくるものの邪魔にならないように配慮がされていた。

 

「来た・・・!」

 

完全に開いた建物―――ドックから、一人の艦娘が姿を現した。陽光を受け付けないかのように、マスト型の日傘を差し、測距儀型の艤装に掛からないよう、高い位置で纏められた長く艶やかな髪が風に揺れている。巨大すぎる艤装は、威圧感とともに壮麗さをも醸し出していた。

 

新鋭戦艦娘、名を大和。その名の如く大和撫子を具現化したような彼女には、頭に飾られた桜の簪がよく似合っていた。表情は引き締められているものの、その奥には隠しきれない柔らかさが見え、挙動一つとっても品のよい色が感じられた。

 

吹雪は彼女の名前を呼ぼうとしたが、慌ててそれを堪えた。彼女の存在は未だに極秘で、表向きには、まだ名前すら付けられていないことになっていた。そこで代わりに、吹雪は手を振って大和を誘った。

 

大和もまた、小さく手を上げて、振り返した。そのまま彼女は前進し、吹雪のもとへとやってきた。

 

「おはようございます!」

 

吹雪は、満面の笑みで大和を迎えた。いつだったか、司令官に「吹雪の笑顔を見ると、自然と元気がわいてくるね」と言われて以来、常に笑顔を心がけている。艦隊のアイドル、那珂ちゃんに弟子入りしたこともある。

 

「おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」

 

そんな吹雪に、大和もまた朗らかな笑みで答えてくれた。

 

二人は並走して、沖合いへと出る。二つの航跡が、平行して水面に白い帯を作り出した。

 

これから、大和の公試運転が行われる。

 

昨日までに、操舵や注排水といった、船体に関わる各種試験は一通り消化されている。今日は、兵装試験―――実弾を使用した、砲撃試験が行われることになっていた。

 

地元の漁協から買い上げた試験海域には、一艘のボート―――記録船と、砲撃目標となる摸造船が浮かんでいた。手書きの戦艦ル級が帆に掲げられており、なんとなく笑える。

 

吹雪の役割は、記録船からは不可能なサポートと、映像の撮影、敵潜への警戒と多岐にわたる。鎮守府内で大和の存在を知る人間が限られている以上、一人でこなす仕事量が増えるのは必然と言えた。吹雪としては、これも司令官からの信頼の証と思って、一生懸命に立ち回っていた。

 

『それでは、これより砲撃公試に入ります。みなさん、よろしくお願いします』

 

記録船の明石から、公試の開始を告げる通信が入った。

 

大和は機関を唸らせて、わずかに増速する。吹雪と距離を取るのは、搭載された主砲の影響が未知数だからだ。

 

吹雪から見て、大和は眩しい陽光の中を進んでいく。ペンキの香りも芳しい艤装は光線にきらめいて、青い波とハーモニーを奏でる。その中でたたずむ彼女の背中を、吹雪は目を細めて見つめていた。

 

やがて始まった公試を、一つも漏らさないように、吹雪は脳裏とカメラに焼き付けた。

 

 

日の沈もうとする南西諸島海域の洋上、高雄は引っ張り出したチャートとコンパス、そして艤装に記録された航路を基に、艦隊の現在位置を確認していた。

 

時刻は一八○○を少し回ったところ。数刻前まで青一色だった海面は、光の屈折の関係で、温かなオレンジ色に染まっている。だがそれも、後十数分すればどす黒い闇に包まれることになる。

 

「狙い通り、二二○○には、当該海域に突入できそうね」

 

消化した航跡と現在の艦隊の速力から、彼女は作戦が順調に運んでいることを確信した。

 

彼女の率いる艦隊―――南西諸島邀撃艦隊、略して南邀艦を構成する六隻は、綺麗な単縦陣を維持したままカムラン半島を通過して、一路沖ノ島を目指していた。ここまで会敵はない。半年前に現在の海域を制圧して以来、この辺りは内海化にほぼ成功していた。深海棲艦の侵入は、片手で数えるほどしか起きていない。

 

「今のうちに、艤装の確認をしてください」

 

高雄は僚艦たちを振り返り、そう指示した。この先、自らの装備品を点検することは不可能となる。

 

試しに、搭載された二○・三サンチ連装砲を動かしてみる。鈍い音を出してバーベットが稼動し、砲を左右に振った。異常はなさそうだ。

 

「・・・よし」

 

各艦から以上なしの報告が届くと、再び前だけを見て、前進を続ける。太陽は、今正に沈もうとしていた。

 

すでに、電探に火を入れて、早期警戒を始めていた。探知された周囲の状況は、高雄の脳に直接信号として送られてくる。敵影はない。が、そろそろこちらの勢力圏の端に突入しようとしている以上、いつどこから敵艦が現れてもおかしくなかった。

 

高雄たちが見守る前で、ついに太陽が水平線の向こうへと姿を隠した。わずかに残った光も、やがて訪れた夜の闇に吸い込まれてしまう。辺りを満たす暗黒の中、南邀艦の脚部艤装が波を裂いていく音だけが、辺りに響いていた。

 

夜を察知した艤装が、暗視補正をかける。新月の今日は、星の光だけが頼りだ。

 

満天の星が見守る中、六人の艦娘は沖ノ島海域へ、その足を踏み入れた。

 

 

暗視補正の掛かった視力を持ってしても、この闇の中で味方艦の位置を掴み、陣形を維持するのは至難の技だ。摩耶は目視と電探、両方を駆使して現在位置の把握と前後の間隔を取っていた。

 

すぐ目の前にいるのは、青いロングコートのような制服に身を包んだ姉妹艦、愛宕だ。逆に後ろには、鳥海が続いている。

 

星の光だけが照らす波間を、冷たい風が流れていくのを感じて進んでいく。墨汁で塗りつぶされたかのような海面は、はっきり言って見えないので、あまりあてにならなかった。こんなところを潜水艦に襲われたらひとたまりもないが、今取っている航路は海流や機雷群の関係で、潜水艦の進入を許さない。特に懸念する必要はなかった。

 

「最上より高雄、瑞雲隊発艦準備完了」

 

鳥海よりも後ろ、随伴している航空巡洋艦の最上が叫ぶ。無線封鎖中であるため、指示も報告も口頭だ。お互いの声が聞こえるように、間隔も戦闘時より狭目に取られている。

 

「出してください」

 

高雄は振り返ることなく指示を出した。最上は了解と答えて、最後尾の三隈に合図する。二人の抱えた航空作業甲板は左腕に取り付けられ、瑞雲数機がその上に敷き詰められていた。

 

二人は陣形を少しずらす。発艦のための合成風力を得ようとすると、目の前の仲間に向かって瑞雲を射出することになるからだ。

 

最上が航空作業甲板の取り付けられた左腕を水平まで上げる。左右のカタパルトへ、一機ずつの瑞雲が載せられた。

 

「発艦、始め!」

 

掛け声と共に左のカタパルトが起動して、弾ける音と瑞雲が空中へと放り出された。一度沈み込んだ瑞雲は、摩耶の横を通り過ぎて高度を稼ぎ、周辺の索敵へと向かう。少し遅れて三隈も発艦を始め、それからは互いに次々と瑞雲を繰り出して行った。

 

結局両艦共に六機ずつを出して、発艦作業は終わった。二人の艦娘は、もう一度陣形を組みなおし、南邀艦は沖ノ島海域の海を進撃して行った。

 

「・・・で、敵艦隊はいつ出てくるんだ?」

 

沈黙に耐えかねた摩耶は、誰にともなく呟く。退屈そうに肩を回した。

 

「そろそろ、前衛と当たる可能性があるわね。できれば何事もなく主力に辿り着きたいけれど、そうもいかないでしょう」

 

以外にも、答えたのは旗艦の高雄だった。何かを確かめるような声音は、この後の戦闘における困難を感じさせた。

 

「なんとかそいつは回避できねえのか?こんだけ偵察機飛ばしてりゃ、早期に発見して迂回できるだろ」

 

「だめよ。この航路をずらすと、折角回避した警戒部隊に気づかれるわ」

 

「つまり~、見つかったら最後、実力で突破するしかないってわけねえ」

 

愛宕は普段通りのしゃべり方で、摩耶と高雄に割って入ってきた。

 

「そういうこと。だから提督は、私たち重巡洋艦で固めたんでしょう」

 

「って言っても、僕たちはどっちかって言うと軽巡っぽいけどね」

 

そう言って、最上は右手の砲を掲げた。そこに握られているのは、重巡洋艦の標準装備である二○・三サンチ連装砲ではなく、軽巡洋艦クラスの一五・五サンチ三連装砲だった。

 

「あー、言われてみれば」

 

「もう、みんな作戦行動中なんだから私語は慎んで。ほら、摩耶」

 

「ま、僕は結構気に入ってるんだけどね」

 

「あの、聞いてる?」

 

「このフィット感は、なかなか手放しがたいですわ」

 

「・・・もういいです」

 

折角制止に入った鳥海も、マイペースを貫く最上型に翻弄されて、説得を諦める始末だった。

 

それはともかく、と高雄は咳払いをして続けた。

 

「前衛部隊を早期に発見できれば、迂回は出来なくともそれ相応の対策は取れるわ。この航路を、私たち重巡洋艦以上の艦娘が通ることは出来ないけれど、それは敵も同じ。不意を突かれないようにすれば、損害を抑えて突破できるはずよ」

 

「・・・それで、おいでなすった時はどうされるんですの?」

 

高雄は、どうもないわね、と答える。

 

「速度で振り切るか、力で押し切るか。いずれにしても、一航過で決めなければならないことに変わりはないわ」

 

それが、夜戦だ。戦艦同士ならいざ知らず、巡洋艦は敵とがっぷり組み合って殴り合いなんてしてる暇はない。する必要もない。転進に次ぐ転進。敵味方入り乱れての近接戦闘。突撃。速度も火力もある重巡洋艦にはうってつけの戦場だ。

 

おしゃべりはそこまで、と高雄が切り上げ、重巡洋艦娘たちの会話は終わった。六人の艦娘たちは、それぞれの目視と電波の目を使って、警戒を続行する。

 

艦隊は刻々と、通商破壊部隊主力の展開する海域へと近づいて行った。

 

 

 

最初にそれを捉えたのは、鳥海に搭載されている二二号対水上電探だった。

 

「電探に感あり!左舷に敵艦!」

 

「了解。愛宕、水偵出せる?」

 

「は~い。まかせて~」

 

続けざまの報告と指示。愛宕のカタパルトからは、零式水上偵察機が射出された。

 

「各艦、無線封鎖解除。戦闘隊形作れ」

 

前後の間隔が開く。機関がさらに出力を出せば、音で声はほとんど聞こえない。そのための無線封鎖解除だ。

 

『水偵より入電。敵艦隊は、重巡三、軽巡一、駆逐二の前衛部隊』

 

受信機のスイッチを入れてすぐに、水偵から報告を受けた愛宕の声が届いた。もっとも、入電と言ってはいるが、実際には艦娘の脳に、水偵からの映像が直に送られてくるので、受信と言う表現が正しいのかもしれない。

 

―――いける。ひねり潰してやる。

 

摩耶は、両腕の砲塔同士を打ち鳴らす。

 

軽巡洋艦以下なら、最上、三隈で十分に抑えられる。そのために、速射性能の高い一五・五サンチ砲を持ってきているのだ。単位時間当たりの投射量で、敵を圧倒できる。

 

残った重巡三隻相手ならば、摩耶含めた高雄型四隻が撃ち負けることはない。それは過去の戦いで証明されている。

 

『待って、続報よ。敵重巡のうち、先頭の一隻は未確認の艦種!』

 

『なんですって!?』

 

高雄と同じように、摩耶も目を見開く。少なくとも、霧島の索敵部隊はそんな敵艦を確認していない。とすれば、見落としか。どこかに隠れていた、あるいは増派されてきた・・・。

 

いや。摩耶は首を振る。そんなことを考えても、何もならない。今は、目の前の困難をどう取り除くかが、最大の問題だ。そもそも摩耶は、うじうじ考えるのは苦手だし、性に合わないと思っている。

 

『・・・事前の打ち合わせ通り、最上、三隈両名は軽巡以下の敵艦をけん制。私たちで、重巡三隻を片付けます』

 

了解の声が重なり、各艦が艤装に火を入れる。轟音が響いて、機関の出力が上げられた。主砲、高角砲、魚雷発射管、それぞれが戦闘出力に切り替えられる。早い話が、深海棲艦を沈める準備に入っていた。

 

『四戦隊、目標敵重巡洋艦。最上、三隈、目標敵水雷戦隊。砲雷撃戦、用意!』

 

敵艦隊もこちらに気づいたようで、次第に速力を上げ、丁度南邀艦を遮るかたちに進路を取っている。このまま進めば、おそらく反航戦になる。

 

―――上等。

 

反航戦は、お互いの相対速力が大きくなるので、砲撃の命中率はお世辞にも高いとは言えない。頼りになるのは、むしろ雷撃のほうになりそうだ。この一航過の間に、どれだけの敵艦を戦闘不能にするか。それだけで、今後の作戦展開が大きく変わる。

 

『距離、一五○(一万五千)』

 

両艦隊は、次第に近づいていく。暗闇で見えないが、摩耶の左手前には、急速に接近する敵艦隊がいるはずだ。

 

「・・・何も見えねえ」

 

無線を切って、摩耶は呟く。こんなんで戦いになるのか?

 

電探に映る影は、すでに彼我の距離が一万二千を切ろうとしていることを告げている。しかし、暗視補正をかけられた摩耶の視力を持ってしても、敵の姿を捉えることが出来ない。

 

『・・・見えた』

 

唐突に聞こえたその声は、彼女の後ろにいるはずの艦娘のものだった。摩耶は驚きに目を開く。

 

「見えんのか、鳥海!?」

 

『ええ、おぼろげではあるけれど』

 

すげえな、おい・・・。普段大人しい同室の姉妹艦の顔を浮かべて、首を傾げる。あの眼鏡に、何か秘密があるのだろうか。

 

冗談交じりの思考を振り払って、もう一度敵艦隊の方に目を凝らしたとき、状況を打開する一手が、投下された。

 

文字通り、投下されたのだ。

 

空中に閃光が走ると、その周囲一帯を、まるで真昼のように照らし出した。マグネシウムの燃焼する眩い光の下、摩耶たちと同じように白波を蹴立てて漆黒を進む、異形の集団がはっきりとその姿を現した。

 

使用されたのは、航空機から投下する照明弾だ。愛宕が放った機体に搭載されていたものを、このタイミングで落としたのだろう。

 

読んで字の如く、天空から照明のように海面を照らす光は、南邀艦が測的を行うには十分すぎる光量を持っていた。

 

各艦の測的が完了したとき、距離はついに一万を切った。

 

頃合、よし。

 

『砲撃、始め!!』

 

「撃てえーーーっ!!」

 

高雄の号令に続いて、大音声で叫ぶ。一拍置いて、掲げた両腕の二○・三サンチ連装砲が火を噴いた。戦艦のそれには劣るとはいえ、他を圧する迫力を持った砲声が六つ、前後して摩耶の耳に届いた。鼓膜が破れないのは、艦娘の装甲が保護シールドの役目を果たしているからだ。

 

十数秒がたった時、敵艦隊の周辺にいくつもの水柱が屹立した。先頭艦から満遍なく包み込む水の塊が敵艦隊を隠し、あたかも轟沈のように錯覚させる。

 

だが、初弾は命中を得ることは出来なかった。崩れ落ちた水柱の中から、敵艦隊が健在な姿を現す。そもそもが反航戦だ。お互いが速すぎて、そうそう当てることなど出来ない。

 

第二射を放つ前に、敵艦隊に動きがあった。

 

最初こそ、動揺する素振りを見せた深海棲艦だったが、すぐに体勢を立て直した。おそらく、その全ては、あの先頭艦―――左目を青く輝かせる新型の重巡洋艦の統率によるものだ。

 

第二射を放とうと構えたとき、敵艦隊は転進した。取舵を取り、こちらと同航戦に入ろうとしている。高雄が撃ち方待てを下令した。

 

『敵水雷戦隊、来ます!』

 

『最上、三隈、水雷戦隊の迎撃に向かいます』

 

『了解。四戦隊、左魚雷戦用意!』

 

次々に飛び交う報告と命令。その中から摩耶は、自らのなすべき任務を正確に聞き取り、実行へと移す。

 

「艤装展開」

 

腰の部分に閃光が走り、魚雷発射管が形作られる。装填されているのは、大威力の六一サンチ酸素魚雷。ロングランスの異名を持つ、秘密兵器だ。

 

敵艦隊の転進が終わり、彼我の艦隊はほぼ平行を維持しながら、海域を進んでいく。距離は八千。雷撃距離としてはまずまずだ。

 

摩耶は、飛び出してきた水雷戦隊を完全に無視して、今正に砲戦へ移行しようとする三隻の重巡洋艦を睨みつけた。速度を計算して、未来位置を算出するためだが、傍から見れば、その鋭い眼光で敵艦を撃沈せんとしているかのようだった。

 

ふいに、辺りが再び闇に包まれた。空中を漂っていた照明弾が、その役目を終えて燃え尽き、海へと落ちていったのだろう。

 

『魚雷発射はじめ!』

 

これを待っていたかのように、高雄が魚雷の発射を命じた。圧搾空気によって魚雷が押し出される音が連続し、金属製のダツたちが海中に飛び込むどぽんという効果音が聞こえる。それ以外は何もわからない。

 

『愛宕、もう一度照明弾を落として』

 

『よーそろー』

 

水偵はもう一度照明弾を落とし、人工的な光が敵艦隊を照らし出した。

 

『高雄、目標一番艦。愛宕、目標二番艦。摩耶、鳥海、目標三番艦。測的はじめ』

 

新たな目標が指定される。摩耶は側的を開始した。

 

『敵艦発砲!!』

 

第一射の前に、先頭の敵艦が発砲した。やがて砲弾の飛翔音が迫り、上空で弾けた。気味の悪い、青白い光が辺りを包んだ。

 

「人魂・・・」

 

艦娘たちはそう呼んでいる。そうにしか見えないのだ。

 

深海棲艦側の照明弾、俗に言えば“星弾”と言うやつだ。主砲から打ち出す照明弾の一種である。

 

これが放たれたということは、次から実弾が降ってくる事になる。

 

『撃てえーーーっ!!』

 

高雄の絶叫。前方に、爆炎が踊った。

 

―――負けてらんねえな。

 

摩耶も主砲を放つ。両腕から飛び出した四発の音速の火矢は、空気を切り裂き、物理法則に則って描かれた放物線の尾を引きずって、三番艦の周囲に落下した。

 

悪くない。夾叉こそしていないものの、かなりの至近距離に落ちている。照明弾ありとはいえ、夜間距離八千の戦果としては上々だ。

 

深海棲艦も黙ってはいない。人に限りなく近い容姿の重巡洋艦、しかしその右手には機械とも生物ともつかぬ異形の構造物が付着しており、そこから砲弾が放たれる。それはあたかも、双頭の龍が咆哮し、火焔を吹き上げているかのようだ。

 

『夾叉!』

 

摩耶が第三射の装填を行っているとき、横合いから吉報が飛び込んだ。高雄が、敵一番艦に対して夾叉弾を得たのだ。砲弾が敵艦を挟み込むこの状態では、次から有効打を与えられる可能性が高い。高雄は全力斉射へと移行する。

 

―――さすがは姉貴。

 

素直に感心した摩耶は、もう一度自らの相手取る敵艦に砲口を向ける。姉に負けているわけには行かない。妹だからこそ、譲れないものがある。

 

摩耶が夾叉弾を得たのは、第四射だった。同時に命中弾も与え、三番艦の艦上には、小さな炎が踊っている。そのすぐ後、鳥海の砲撃も敵艦を夾叉した。

 

「っ!畳み掛けるぞ!!」

 

ここからは全力斉射だ。敵艦の砲撃も、摩耶に至近弾を叩き込んでいる。命中弾が出るのは時間の問題だった。

 

二十秒おき、鳥海と平均して十秒に一回、敵艦に弾丸を浴びせかける。砲弾が落下するたびに、水柱の中で炎が湧き上がり、閃光が飛び散る艤装の破片を照らした。対称的に、敵艦の砲撃は次第にその威力を減じていった。

 

押し切れる。摩耶が確信したときだ。微かなノイズを含んだ悲鳴が耳に届いた。次弾の装填を待つ摩耶は、反射的に前を向いた。

 

高雄の艤装が、炎で炙られている。火災の規模は小さい。おそらく消化装置が働いて、すぐにでも消えるはずだ。

 

そんな楽観を押しつぶすように、高雄が再び水柱に包まれた。その中に真っ赤な火焔が踊る。

 

―――馬鹿な、間隔が十秒ちょいしかねえじゃねえか!

 

早すぎる。それに、あの威力を見る限り、敵艦の主砲は八インチはあるはずだ。火力も、少なくとも彼女たち高雄型と同等以上ある。

 

高雄に射弾を浴びせる敵艦が見える。目立った被害はない。小さな炎が見えるが、それすらも、まもなく消えようとしている。

 

これまで高雄は、少なくとも六回の斉射を放っているはずだ。それだけの砲撃を受ければ、いかなる敵艦であろうとただではすまない。

 

これまでは。

 

高雄の射弾が落下する。全力斉射の射弾より二本、水柱が少ない。その二発は、命中弾となって敵艦に被害を与える。はずだった。

 

崩落する水飛沫の中から、まるで何事もなかったかのような敵艦の砲炎がほとばしった。

 

まずい。鳥海との連続した砲撃で敵艦を追い詰めてはいるものの、このままでは高雄が重大な損害を受けかねない。それこそ、作戦の継続が困難なほどに。

 

後一押し。もう一、二斉射で敵艦は沈黙する。そうすれば、高雄の救援に向かえる。その時間が、果てしなく長く感じられた。

 

『喰らいなさあ~い!!』

 

戦場に響いたのは、すぐ上の姉が、砲撃を開始する声だった。二番艦をスクラップに変えた愛宕が、目標を一番艦に変更したのだ。

 

正確なその一撃は、第一射から敵一番艦を夾叉した。砲術の理想、六千にまで接近した彼我の距離を鑑みても、十分すぎるほどの偉業だ。

 

「いいぞ、姉貴!!」

 

摩耶も愛宕を鼓舞する。一番艦は、憎々しげに青白い表情を歪めた。

 

次の瞬間、深海棲艦は意外な行動に出た。高雄にとどめを刺そうとしていた両腕を突然引き下げ、海中に向かって砲撃したのだ。盛大に水飛沫が上がる。

 

いや、それだけじゃない。明らかに八インチ砲弾のそれを上回る巨大な水柱が、一番艦の前に立ち上った。

 

同じことは、摩耶の目の前でも起こった。ただし、位置はもっと敵艦に近い。今正に砲撃をしようとしていた三番艦の手前に、黒々とした柱が沸き起こった。一本、二本、三本。合計三度、それが続いた後、おどろおどろしい轟音が、摩耶の耳に届いた。

 

その音が収まったとき、三番艦の姿は、既に海上にはなかった。

 

何が起きたか、摩耶はすぐに理解した。さきほど放った魚雷が、闇夜に紛れて肉薄し、無防備な敵艦の水中部分をごっそりと削り取ったのだ。度重なる被弾と浸水に耐えかねた三番艦は、ついに力尽きて水底へその身を預けたのだった。

 

見渡せば、海上には既に、一番艦以外の深海棲艦はいなかった。不利を悟ったのか、一番艦はためらうことなく転進し、南邀艦から距離を取っていった。

 

 

 

集合をかけられた艦隊は、その損害状況を確認した。

 

「大丈夫なのか、高雄姉」

 

応急修理を終えた高雄に、摩耶は問う。一番上の姉は、顔に煤をつけた笑顔で、大丈夫と答えた。

 

高雄は、中破と判定される損傷を受けていた。幸い各砲塔とも無事であるが、着弾の衝撃を吸収した衣服は所々が破け、艤装もへこみが出来てしまっている。それでも、責任感の強い姉は、旗艦としての任を全うしようとしていた。

 

「主力まではもう少しよ。ここで踏ん張らなきゃ、高雄型の名が廃るわ」

 

引き締められた表情。覚悟の滲むその顔は、はっとするほどに美しかった。

 

「・・・にしても不思議だよ。何であのタイミングで、撤退したのかな」

 

「たしかに、妙ですね」

 

再び進撃を始める艦隊の後方で、最上と鳥海はあごに手を当てて考えていた。

 

「ん?どういうことだ?」

 

「いやあ、今までの深海棲艦なら、何が何でも止めにきたと思うんだ。証拠に、僕と三隈が相手取った水雷戦隊は、間違いなくこっちの動きを阻もうとしていた。でも、一番艦はそれをしなかった」

 

なんでかなあ。摩耶には、よくわからない。不利だと思ったら、撤退するのは普通だ。と、そこで気づく。

 

こちらは、不利になれば撤退する。その基準は、主力を撃破出来るかどうか。当然、大破や中破が複数出れば撤退する。戦っても、無闇に損害を増やすだけだからだ。

 

逆に深海棲艦にとっては、主力艦隊が危機に曝されなければ、それでいい。一前衛艦隊の敗北など、極論で言えばどうでもいいのだ。だから、不利を承知で突っ込んでくる。集中的に損害を与えられれば、こちらが撤退するから。

 

じゃあ、なぜ一番艦はそれをしなかったか。あのまま撃ち続ければ、高雄に大損害を与えることが出来たはずだ。

 

「考えられるのは二つのパターンね。一つは、こちらに大きな損害を与えたと誤認した。もう一つは、より強力な新手が辿り着いた」

 

鳥海は指を立てて示す。

 

冷たい汗が、摩耶の背中を流れた。

 

「っ!敵艦隊発見!!」

 

叫んだのは、艦隊最後尾に位置する三隈だ。彼女の瑞雲が、敵艦隊を捕らえた。

 

「戦艦三を確認、敵主力艦隊です!!距離―――」

 

その続きは、聞かなくてもわかった。水平線の近くで、朝陽を連想させる紅蓮の炎が複数上がったからだ。

 

「来やがった!!」

 

同時に電探がその艦影を捉えた。ノイズがひどいが、距離は大体二万といったところか。

 

「緊急展開!戦闘隊形作れ!!」

 

高雄が大音声で下令する。一拍置いて、それまでとは比べ物にならないサイズの水柱が、南邀艦の周囲に林立した。暴風雨もかくやというほどに海水が巻き上げられ、六人の頭上に降り注いだ。ばらばらと、水滴が艤装に打ちつける。

 

間違いなく、戦艦クラスの砲撃。この世で最強の威力を誇る、理不尽なまでの暴力。金剛型、扶桑型、伊勢型の口径を上回り、長門型と同等の破壊力を有する一六インチ砲弾。彼女たちの頭を圧したのは、そんな代物だった。




うん、どうなるかな。

最初は一話に纏めるつもりだったんだけど、夜戦が想像以上に長くなった。

思うに、2-5はボスよりもむしろ夜戦マスの方が難しいよね。でも、川内ちゃんを投入するとほぼカスダメで通過できるんだけど・・・さっすがですね!!

てか、そこは重巡で固めろよという。しょうがないじゃん、まだ摩耶様と羽黒ちゃんととねーさんぐらいしかまともに育ってる重巡いないんだもん。

読んでいただいた方、ありがとうございます。

感想お待ちしてます。


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決戦海域

遅くなってすみません!!

祥鳳さんの方を書いてたら、まさかここまで遅くなるとは・・・

摩耶様も鳥海ちゃんも改二可愛かったですね、特に中破g(カットイン)

すみません、調子に乗りました。

今回も、どうぞよろしくお願いします。


深海棲艦

 

イ級・・・駆逐艦クラス。前衛任務を務めることが多く、ピケット艦のような役割を持つと思われる。手足の生えた変種のようなものも確認されている。

 

ロ級・・・駆逐艦クラス。主力の護衛任務が多く、対空能力がイ級より高い、直衛艦。手足の生えた変種のようなものも確認されている。

 

ハ級・・・駆逐艦クラス。あらゆる海域に展開し、特に対潜攻撃を主任務としている。変種は確認されていないが、イ、ロ級同様に存在する可能性が大きいと思われる。

 

ニ級・・・駆逐艦クラス。確認報告は少ないが、あらゆる任務を可能とする万能艦。変種は確認されていないが、イ、ロ級同様に存在する可能性が大きいと思われる。

 

ホ級・・・巡洋艦クラス。駆逐艦クラスと行動することが多く、水雷戦隊の指揮艦的な存在と思われる。強化型の報告あり。

 

へ級・・・巡洋艦クラス。はっきりとした情報が少ないが、ホ級とは別目的の艦種である可能性が大きい。強化型の報告あり。

 

ト級・・・巡洋艦クラス。ヘ級同様確認報告が少ないが、主に直衛任務を務める模様。今後の敵主力部隊との交戦において、脅威となることが予想される。

 

チ級・・・巡洋艦クラス。雷撃特化型で、通商破壊部隊として多数の目撃報告あり。強化型は、砲撃能力も高い模様。

 

リ級・・・巡洋艦クラス。俗に言う重巡洋艦。通商破壊、直衛、夜襲と多くの任務をこなし、後者であるほどより強化がなされている。雷撃能力あり。

 

ヌ級・・・航空母艦クラス。俗に言う軽空母。直衛を担うことが多いが、稀に通商破壊部隊として確認される。強化型は、艦載機もより強力なものを搭載。

 

ル級・・・戦艦クラス。言わずもがなの強力な破壊力で、主力部隊の中核をなす。地上への艦砲射撃報告があるが極めて少なく、深海棲艦の目的をより不鮮明にしている。強化型の存在を確認。

 

ヲ級・・・航空母艦クラス。航空打撃力の中枢をなす、人型の深海棲艦。白い魔女とも。昨今は主力以外への展開も確認されている。強化型は、艦載機もより強力なものを搭載。

 

ワ級・・・輸送艦クラス?後方支援艦隊と思しき部隊で多数の発見報告があるが、詳細は不明。強襲揚陸艦的な役割も持つ模様。

 

カ級・・・潜水艦クラス。正確には可潜艦であり、能力も大戦期の潜水艦に順ずる。雷撃だけでなく、水上戦用の小口径砲も搭載。

 

ヨ級・・・潜水艦クラス。カ級同様に可潜艦である。より雷撃に特化したクラスで、通商破壊だけでなく艦隊襲撃等にも駆り出されている。

 

タ級・・・戦艦クラス。ル級の速力強化型と言える。対空火力も優秀で、機動部隊随伴として十分な能力を有する。

 

レ級・・・戦艦クラス?ガダルカナル沖海戦において撃沈された米駆逐艦乗員が証言しているが、詳細は不明。鬼、姫クラスの誤認では?

 

 

 

この他、上位艦種として鬼、姫クラスの存在が確認されているが、詳細、特に深海棲艦との関連については不明。所謂司令艦的な役割か?

 

 

「ちっ、クソが!!」

 

主機を最大出力で動かしながら、摩耶は毒吐いた。

 

彼女の所属する南西諸島邀撃艦隊―――南邀艦は危機的状況、具体的には一六インチの鋼鉄製の嵐に覆われていた。

 

約三十秒おきに飛来する十数発の砲弾、林立する水柱に包まれながら、彼女たちは全力で敵艦隊に接近する。それは自らの主砲射程圏内に敵艦を捉えるため。だが―――

 

『距離、一五○(一万五千)!!』

 

「まだ一万五千かよ・・・!」

 

一応、主砲の射程圏内ではある。撃って当てる自信もある。

 

しかし、重巡である彼女たちが戦艦クラスの装甲を撃ち抜くには、距離がありすぎる。せめて一万まで接近しなければ。

 

転針を続ける高雄に続いて、摩耶も舵を切る。その頭上を圧するように、敵弾の飛翔音が迫った。

 

『敵の護衛部隊が出てきた!!』

 

『最上、三隈は分離。護衛部隊を迎撃して!』

 

後方の二隻が、別方向へ舵を切る。こちらの突撃を阻止しようと、接近する敵部隊を叩くためだ。

 

―――けど、勝機はある。

 

離れて行く二隻の先、砲撃を続ける敵戦艦を見やる。

 

やはり、三番艦に位置する敵艦の砲撃間隔が長く、精度も悪い。上空に展開している観測機も、三番艦が損傷している旨、報告している。おそらく、強行偵察部隊の霧島が、撤退戦時に撃ち合った奴だ。

 

あれが、突破口になる。それは艦隊に共通した考えだった。

 

『一○○より砲撃開始。二番艦に火力を集中して、隊列を分断します!』

 

戦艦の装甲というのは、普通は自分の装備する主砲と同レベルの砲撃を受けても致命傷にならないように厚くされている。いくら重巡洋艦がミニ戦艦といっても、その砲撃はせいぜい上部構造物に損傷を与える程度で、撃沈するには至らない。

 

通常の軍艦ならば。

 

艦娘の艤装は、そもそも通常軍艦のそれとは性格が大きく違う。人間サイズで軍艦を撃沈できる深海棲艦に対抗するには、艦娘にも同等以上の攻撃力が求められた。ゆえに、どうしても戦艦、空母クラスに攻撃力で劣る中小型艦クラスは、その真価を夜戦に振り分けた。

 

特に、夜戦における重巡洋艦の能力向上は著しい。その中でも、摩耶を含めた高雄型四姉妹は最高の夜戦火力が発揮可能だった。夜戦に限れば、その攻撃力は長門型に肩を並べると言われている。

 

だがそれも、あくまで敵艦に接近できればの話だ。一万以上の距離では話にならない。射撃精度その他諸々で、戦艦側に軍配が上がる。

 

もう何度目になるかわからない弾着の衝撃が、局所的なスコールとなって摩耶たちを濡らす。合間に聞こえる砲声は、果たして敵戦艦のものか、最上たちのものか。

 

―――お礼はたっぷりしてやるぜ。

 

ずっと近くなった敵艦を睨みつけ、ともすれば押しつぶされそうになる闘志を燃え滾らせる。

 

そしてついに、待ち望んだ瞬間がやって来た。

 

『距離、一○○!』

 

鳥海の絶叫。続いて、照明弾が投下される。

 

闇夜に、敵艦の影が映し出された。

 

海上に立つのは、女性の姿をした何者か。先頭の影は白く、続く二つの影は黒く、長い髪を風にたなびかせている。海の女神と錯覚する神々しさであるが、彼女らが人々に幸福をもたらすことはない。禍々しい異形の装飾品から放たれるのは愛の導きなどではなく、死と破壊の旋律、そして鋼鉄製の火矢。女帝のごとき威厳は、彼女たちが海洋の覇者にして破滅と絶望の象徴―――戦艦であることを雄弁していた。

 

『四戦隊、目標二番艦。各艦測的はじめ!』

 

わずかに舵を切り、敵艦隊に対して斜めに突撃する体制を作る。当然、同航戦だ。戦艦と違って、小回りが利く重巡洋艦の艤装は、同航戦においても高い攻撃力を叩き出す。逆に艤装の射角が取りずらい敵戦艦は、射撃をある程度制限される。

 

やりようによっては、互角以上の戦いが出来る。摩耶がそう確信したときだ。

 

前方に、眩いばかりの光が生じた。照明弾とは比べ物にならないほどの光量を持ったそれは、暗闇に白い帯となって敵艦隊へと伸びてゆく。海面を輝かせ、二番艦の姿を露にした。

 

―――まさか!!

 

摩耶が何が起こっているのかを察すると同時に、敵戦艦が発砲した。十秒ほどで、前方の光源の辺りに、多数の巨大な水柱が生じた。

 

光の道標を発する、先頭艦―――高雄に射撃が集中しているのは、明白だった。

 

 

「どれくらいで、トドメを刺せる?」

 

突撃の最中、高雄は愛宕にだけ聞こえる声で、そう尋ねた。

 

それが意味するところを、二番艦につく妹は、姉の気配から悟った。そして、ざっと計算する。

 

「そうね、夜間補正を考慮すれば、三人で三斉射ってところかしらね」

 

「了解」

 

会話はそこで終わった。そして高雄は、彼我の距離が一万まで詰まった時、行動を起こした。

 

探照灯の点灯。

 

夜戦において、敵が見えるか見えないかは大きな違いだ。もちろん、電探を用いた射撃は可能だが、それでも目視というのは非常に重要な部分を占める。

 

照明弾は、暗闇において敵を視認するよい手段だ。しかし、それ以上に確実な方法が、探照灯―――所謂サーチライトで敵の居場所を直接照らすことだ。これは味方に具体的な砲撃目標を示すと同時に、より正確な敵艦の位置を知ることが出来る。

 

ただし、代償も大きい。

 

闇夜の提灯がごとく、探照灯を点けた艦は否応なくその存在を敵に曝してしまう。ゆえに、敵艦の集中砲火を浴びることが多い。

 

高雄の周囲にも、先程までに倍する数の水柱が噴き上がっていた。それでも、彼女は照射をやめない。

 

「目標二番艦。撃ち方、始めええええっ!!」

 

空を圧する砲弾の飛翔音に負けないよう、声を張る。後方から、連続した発砲音が響いた。

 

十秒と少し、二番艦の周囲に多数の水柱が立ち上る。中口径砲弾のそれとわかる飛沫に混じって、真っ赤な炎が踊った。間違いなく、放たれた十数発の砲弾のうちの何発かは命中した。どこまで、夜間補正が効いているか。

 

二番艦が次の斉射を高雄に放つ前に、四戦隊はもう一度砲弾を撃ち込む。今度も何発かが直撃の火焔を噴き上げるが、敵戦艦はわずかによろめいた程度にしか見えない。ダメージのほどは測れなかった。

 

―――だめなの?

 

報復は強烈だった。

 

噴き上がる一六インチ砲の水柱と飛び散る断片。それらが高雄の主機に確実にダメージを与える。そして次の瞬間、それまでとは比べ物にならない衝撃が、後部から襲ってきた。

 

 

「喰らいやがれ!!」

 

姉よりも随分と荒々しい声で、摩耶は敵戦艦に向かって吼えた。

 

二○・三サンチ砲の咆哮。橙色の花が、暗闇に浮かび上がる。

 

―――さっさとくたばれ!!

 

高雄が敵戦艦の砲撃を引き受けているおかげで、摩耶たちに砲弾が降ってくることはない。巧みな操艦によってぎりぎりで敵弾をかわしていたが、それもついに限界を迎えた。目の前で、高雄の後部艤装が吹き飛ばされ、速力を落としていく。それでも、彼女は意地でも探照灯を消そうとはしなかった。

 

―――奴さえ食い破れば・・・!!

 

今の摩耶を支配しているのは、その思いだけだ。

 

第三斉射が落下した時点で、二番艦は大きく燃え盛っている。速力も落ちてきた。夜間補正のかけられた重巡の砲撃は、間違いなく効いている。

 

『第四射、撃てえーーーっ!』

 

高雄から引き継いだ愛宕が号令する。彼女の発砲を見届けて、数秒差で摩耶も砲撃を放つ。それに鳥海も続いた。

 

これで落とす。その思いは、三人に共通だ。

 

多数の水柱。噴き上がる爆炎。

 

「どうだ!?」

 

視力補正がいらないほどに燃え上がる二番艦に、目を凝らす。変わった様子は、ない。

 

否。

 

一際巨大な火柱が上がった。たちまちにして敵艦を包むほどにまで膨らみあがった炎は、その半身を焼いていく。わずかに青みがかった火は、勢いをそのままに天まで昇って行った。

 

弾薬庫への命中を、摩耶は確信した。いかに戦艦といえど、ただではすまない。二番艦は、もう戦力として勘定できない。

 

速度を大幅に落とし、落伍していく二番艦を確認したように、探照灯の光が消えた。しかし、その光源すら必要ないほどに、高雄の艤装も燃えていた。

 

『高雄より。戦闘指揮を愛宕へ任せます。任務は続行。我を省みず、敵艦隊の殲滅を図ってください』

 

『愛宕了解。戦闘指揮を引き継ぎます。四戦隊残存艦は突撃、敵艦隊を殲滅せんとす』

 

「取り舵!!」

 

途端に摩耶は舵を切り、今まで斜めに迫っていた敵艦隊に向け、全速力で突撃する。

 

『あっ!ちょっと、摩耶!!』

 

鳥海の声が入るが、気にしない。

 

『あいかわらず早いわねえ~。愛宕、目標一番艦。摩耶、鳥海、目標三番艦。鳥海ちゃん、摩耶ちゃんをよろしくねえ~』

 

「ちょっ、逆だろ普通!?」

 

こういう時、愛宕は高雄とはまた違うカリスマ性を発揮する。

 

はきはきと、明確にみなを指揮する高雄。気負うことなく、僚艦の緊張をほぐす愛宕。二つの個性は、方向こそ違えど、艦隊の中で確かな信頼を得ている。悔しいが、今の摩耶にはないものだ。

 

まあその分、色々自由に動けているわけだが。

 

波を蹴立てて進む摩耶の意図を察したのか、三番艦の砲口がこちらを指向する。だが、弾幕は薄い。おそらく両用砲の類も大部分失われているのだろう。

 

―――これ、あたしはあっちにいった方がよかったんじゃないか?

 

ちらと横を見やる。同様に敵一番艦に突撃する愛宕の周囲には、大口径の砲弾だけでなく、小口径の近距離砲弾まで落着していた。弾幕は非常に厚い。おそらく彼女も、被弾覚悟で接近を続けている。

 

「・・・わりいが、お前に付き合ってる暇はなさそうだ。やるぞ鳥海!!」

 

『了解!!』

 

距離は七千を切ろうとしている。これで外す方がおかしい。

 

初弾から斉射。数秒遅れて、鳥海も撃つ。

 

捉えた。細かな破片が飛び散るのが見え、小さな火が踊る。それを目標として、新たな射撃諸元をはじき出す。

 

『きゃっ・・・!!』

 

「愛宕姉!?」

 

繋がれたままの通信回線から、愛宕の悲鳴が聞こえた。主砲か、両用砲かはわからないが、あれだけの弾幕を全てかわせるはずもなく、被弾してしまったらしい。これからは、あの恐ろしく早い小口径砲弾が、一寸刻みに艤装の能力を奪っていく。

 

時間がない。

 

摩耶は歯を食いしばり、第二射を放つ。鳥海も続く。今度こそ―――万感の思いをこめて、数秒後の着弾を待った。

 

だが、腐っても戦艦。敵艦はしぶとく浮き続け、反撃とばかりに残った砲から砲煙を吐き出した。これを間一髪の操艦で回避。

 

―――持ってくれ、姉貴・・・!!

 

摩耶は祈ることしか出来ない。通信機器をやられたのか、先程から愛宕との通信が途絶えている。状況を図り知ることは出来ない。ただいまだに発砲し続ける一番艦と、負けじと撃ち返す姉の砲炎が目に映るだけだ。

 

ようやく装填された砲弾を、第三射として敵艦に投げつける。手ごたえはあった。

 

着弾の瞬間、今までとは明らかに違う閃光が、三番艦の艦上に生じた。閃光は一瞬のうちに勢いを増し、周囲に拡散していく。

 

一拍遅れて、大気を揺るがさんばかりの轟音が摩耶の耳朶を打った。何かがひしゃげる音。右半身からずぶずぶと海水へ浸かっていく敵艦の、声無き断末魔だったのかもしれない。

 

「鳥海、目標変更だ!」

 

しかし、摩耶にそんなことを考えている暇はなかった。一刻でも早く、姉の救援に向かわなければならない。

 

突撃の勢いそのままに、摩耶と鳥海は一番艦へ舳先を向ける。主機が焼ききれるのではと錯覚するほどに、彼女は速力を上げた。

 

あの野郎を叩きのめす。二人の姉を傷つけた代償は、きっちり払ってもらう。そう心に決めて、摩耶は残弾を確認した。しかし―――

 

「・・・まずい、残弾がほぼ無い。鳥海、そっちはどうだ」

 

『ごめん、こっちも心もとない』

 

お互いに予備弾倉はある。だが取り替えている暇はなかった。今目の前で、姉が砲火に曝されているのだ。

 

「しゃあねえな、魚雷で決めるぞ」

 

『了解』

 

鳥海の返事は短い。あまりの高速運転で、下手にしゃべれば舌を噛みそうだ。

 

この時点で、一番艦との距離は約七千。同航だからなかなか距離は縮まらない。ようやく六千五百になったあたりで、摩耶は砲撃を始めた。

 

敵も気づいた。位置的に死角にいる摩耶たちを捉えようと、こちらへ正面を向けて迫ってくる。これで向かい合っての反航。好都合だ。

 

「こっちだ!」

 

叫び、二度目の砲撃を放つ。ほぼ同時に、敵艦の艦上にも発射炎がきらめく。

 

最初に落ちてきたのは、小口径の弾丸。続いて大口径の主砲弾。それが雨霰と降り注ぐ。正面を向いた分、今まで使えなかった反対側の艤装からも、両用砲が飛んでくる。密度は、ほぼ倍。なかなか命中しないのは、反航戦による命中の低下があるからだ。だが、このままでは。

 

―――射点に取り付けねえ・・・!

 

一番艦が、こちらに被害を与えるのではなく、魚雷発射点に付くのを妨害しようとしているのは明らかだった。敵ながら頭のいい奴と、どこかで感心した摩耶は、それでもと奥歯を噛み締める。

 

こっちも必死だ。摩耶たちに残された手段は、今両腰に格納された魚雷だけ。先の発射から十分以上がたった今、用意された予備魚雷の次発装填は完了している。

 

両用砲弾が頬をかすめる。至近に噴き上がった水柱からは、断片が飛んできて艤装に当たり、鈍い音を上げる。転舵に次ぐ転舵。紙一重で弾雨の中を縫っていく。

 

だが、敵艦との距離は一向に縮まない。激しすぎる弾幕が、鋼鉄のカーテンとなって前に立ちふさがっていた。

 

「っ!?」

 

摩耶は声にならない驚きを叫ぶ。再び、夜を真昼へと変える光の道筋が出現した。摩耶や鳥海のものではない。根本は先程まで姉がいた辺りだ。

 

―――なにやってんだ、姉貴!?

 

摩耶は愛宕の意図を理解できず、思わず叫ぼうとした。しかしその時、ふと気づく。

 

弾幕が乱れた。

 

顔を敵艦へ向ける。光に照らされた顔は、死んだ珊瑚のように白い。白銀の透き通るような髪をなびかせるのは、戦艦タ級。それも金色のオーラを纏うFlagshipだ。

 

彼女―――という表現が正しいかはわからないが、今タ級はその表情を歪めている。目を細め、額の辺りにしわが寄っていた。

 

摩耶は姉の取った行動の意味を察して、にやりと笑った。探照灯の圧倒的な光量は、タ級の視力を潰したのだ。

 

いかに電探が闇夜の目になるといっても、目の前に敵がいるのなら、目からの情報に頼ってしまうのは至極もっともなことだ。そして実態はどうであるにせよ、深海棲艦は、生物に非常に近い生態を持つ。生物そのものと言っていい。目を潰したのは大きいはずだ。

 

それだけじゃない。新手の来訪を告げる声が、通信機から届いた。

 

『瑞雲隊、急降下あああああっ!!』

 

響いた雄叫びと共に、軽やかな発動機と風切り音が近づいた。続いて連続した爆発が、タ級の艦上に生じる。

 

『ごめん摩耶、鳥海。遅れた』

 

「気にすんな最上。サンキューな、おかげで・・・よく見えるぜ」

 

『残りは全部片付けた。後はそいつだけだ』

 

「了解っ!!」

 

隙を逃すはずはない。摩耶と鳥海は一気に距離を詰めた。ようやく視力を取り戻したらしいタ級も射撃を開始したが、その弾量はさっきとは雲泥の差だ。最上たちの瑞雲は、戦艦でも非常に脆弱な両用砲を破壊してくれたようだった。

 

それでも、一発が命中し、摩耶の高角砲を一基吹き飛ばした。だがそこまでだった。

 

手を伸ばせば届きそうな距離にまでタ級が近づいている。もう、逃しはしない。

 

「艤装展開!!」

 

抵抗を減らすために、ぎりぎりまで格納状態だった魚雷発射管が、光と共に出現する。左右で八本、鳥海と合わせて一六本。装填された六一サンチの必殺の酸素魚雷は、黒光りする弾頭を海面に向けていた。

 

「魚雷発射はじめ!!」

 

摩耶が号令するのと、探照灯が消されたのはほぼ同時だった。

 

―――姉貴のやつ。

 

たまたまタイミングが重なったのか、愛宕が摩耶の投雷のタイミングを読んだのかはわからない。だが、摩耶は後者だと思っていた。

 

青白い影が海面下を突き進んでいく。五十ノット越えという破格の速度を与えられた一六本の暗殺者たちは、船にとって―――当然深海棲艦にとっても致命傷となる損害を与えるべく、水中を驀進して行った。

 

タ級はこれを避けようとした。

 

「そうはさせるかよ!!」

 

摩耶はありったけの二○・三サンチ砲弾を叩き込む。残った高角砲もだ。酸素魚雷の投網の中から、獲物を逃がすわけにはいかない。

 

命中した砲弾が炸裂する。タ級はその行動の自由を奪われた。

 

『時間!』

 

魚雷の航走時間を計っていた鳥海が叫ぶ。

 

チェックメイトだ。

 

一際巨大な水柱が、タ級の姿を隠す。二本、三本、四本。連続した爆発と間欠泉のように噴き上げる水柱が上がるたびに、タ級が断末魔の悲鳴を上げた。

 

やがて全ての狂騒が収まったとき、海面に残っていたのは、燃え盛り、左へと傾いで沈み行くタ級と、それを静かに見つめる二人の艦娘だった。

 

「終わった、か」

 

「終わったのね」

 

摩耶の呟きに、寄せてきた鳥海が答えた。どこかほっとした声音に、摩耶も筋肉を弛緩させた。

 

『各艦集合、離脱するわよ』

 

高雄から通信が入る。消火に成功したようだ。こちらもまた、嬉しい知らせだ。

 

完全に沈み込んだ敵艦を確認した後、摩耶は転針する。日が昇る前にこの海域を離脱しなければならない。

 

静まり返った海上に、朝がやってくるのは約四時間後だ。

 

 

「失礼します」

 

深夜の執務室に、来訪者があった。提督は入室を促す。

 

「南西諸島邀撃艦隊より、入電ありました」

 

入ってきたのは、先程まで通信室に控えていた大淀だった。今日は彼女が当直だ。

 

眠気を感じさせぬはきはきとした声に、身を引き締められる思いで提督は頷いた。

 

「南西諸島邀撃艦隊は、敵主力艦隊と交戦、これを撃破。同海域の離脱にも成功しています。被害は、高雄大破、愛宕中破、最上、三隈小破です。九州沖に展開している支援母艦“佐世保”から補給と簡易整備、応急処置を受けた後、明朝一○○○以降に帰還予定です」

 

通信は、臨時で旗艦を引き継いだ摩耶から入っていた。どうやら高雄は、旗艦任務を続行不能と判断したらしい。

 

「わかった。ありがとう、大淀。もう休んでくれ、夜更かしはあまりよくない」

 

「ふふ、それを提督がおっしゃるんですか?ですが、お気持ちはありがたくいただきます。入電内容を精査しましたら、お先に休ませていただきます」

 

そう言って、大淀は執務室を後にした。

 

ドアが閉まると、提督は強張らせていた全身の筋肉を一気に弛緩させ、軍帽を机に置いた。

 

「なんとかなった、か」

 

「提督も、お疲れ様です」

 

お茶を差し出した秘書艦を見上げる。色白の顔に、しなやかな黒髪が似合う扶桑は、柔らかな微笑を浮かべていた。

 

「俺はなにもしてないよ」

 

提督は苦笑する。受け取ったお茶は、まだ肌寒い春の夜には心地よかった。

 

「・・・できれば、“横須賀”か“呉”辺りが出せるとよかったんだが」

 

現在定期的な整備と装備類更新のためにドック入りしている二隻の艦娘支援母艦は、本格的な入渠施設を供えていた。“佐世保”も将来的には装備する予定だが、今回の作戦には間に合っていなかった。

 

「支援母艦がいてくれるだけで嬉しいんです。補給や整備よりも、この船がいる、提督が待ってくれている。そういう思いが大切なのですよ」

 

「しかし、せめて修理は・・・」

 

「しかしもかかしもありません。もう、あいかわらず心配性なのですね、提督は」

 

でも、少し安心しました。そう言って、扶桑はまた微笑んだ。鎮守府最古参の戦艦には、提督も頭が上がらない。

 

「とにかく今は、彼女たちを待ちましょう。迎えの駆逐隊は、どうしますか?」

 

南西諸島邀撃艦隊の対潜能力は低い。それを補うために、帰還時は護衛の駆逐隊をつけることが決まっていた。

 

「第八駆逐隊が、すぐに出撃可能なはずだ。朝になったら、出てもらおう」

 

「では、工廠部に伝えておきます。八駆のみんなには、提督から」

 

「わかった、そうするよ。扶桑も、そろそろ寝ていいんだぞ?秘書艦だからって、ずっと起きてなくても」

 

「もう、本当に提督は」

 

扶桑は困り顔を浮かべて、小さく首を横に振った。

 

「いいんです。私が起きていたくて、起きているのですから」

 

「・・・そうか」

 

それ以降は何も言わない。常に物静かで、控えめな扶桑ではあるが、一本芯の通った強い女性だ。一度決めたら、滅多なことでは曲げない頑固さも持ち合わせている。そうでなければ、個性派ぞろいの戦艦たちをここまで育て上げることは出来なかっただろう。

 

提督は立ち上がり、窓の方へと移動する。カーテンを開けば、今まさに昇ろうとしている太陽が、その頭を覗かせていた。その下に広がる海原も、キラキラと光り輝いて眩しい。

 

ふと、人影が目に入った。鎮守府を、海岸沿いに駆け抜けようとする、少女がいる。逆光で見えずらいが、提督はその正体に思い至った。

 

「あら、吹雪ちゃんですね」

 

横の扶桑も、少し驚いたように呟いて、それから口元を緩めた。

 

朝を告げる光景に心を和ませ、提督は自らのなすべきことに思いを馳せた。




よし、吹雪の出番は確保した!!

次回は吹雪が大活躍する・・・予定

あと、新兵器が登場する・・・かも?

それと、飛行機から落とすのって吊光弾ですよね、書いてて思ったけど

読んでいただいた方、ありがとうございます。

次回はもっと早く書けるように努力しますので、なにとぞよろしくお願いします。


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近海防御

すみません・・・早くするとか言って二週間かかってしまった・・・

一応言い訳させてもらいますと、今回過去最高に長くなってしまったからなんですがね

と、言うことで、今回は長いです

とんでもなく長いです

本当に長いです

大事なことなので(ry

どうかお付き合いお願いします


環太平洋通商防衛機構

 

二○三五年に設立されたこの機関は、その一年前に突如として出現した謎の生命体、深海棲艦による通商破壊から、太平洋上を航行する船を守るために、アメリカ合衆国によって提唱された。

 

各国の軍が協力し、各海域において貿易船団の護衛を行うことを主任務としたこの組織は、やがて下位組織として環太平洋防衛軍を創り、深海棲艦との戦闘において最前線に立たせていく。

 

設立当初の参加国はアメリカ、中国、韓国、オーストラリアなど七つ。日本が不参加だったのは、例によって憲法や自衛隊の独自性云々の話が上がったからだ。

 

一年後にようやく参加を表明した日本は、ガダルカナル沖海戦、第一次、第二次マリアナ作戦、ハワイ救出作戦などの各作戦に参加していく。しかし、多勢に無勢の状態で為すすべも無く、多くの護衛艦とクルーを失うこととなった。

 

結局、世界的な通信障害の発生と海域の完全封鎖によって、自然消滅するその時まで、大国間の思惑に左右されることとなってしまった。

 

 

支援母艦“佐世保”から、一通の報告書が届いていた。

 

重巡洋艦娘“摩耶”の名前が添えられた報告書は、昨夜から未明にかけて生起した一連の戦闘についての、簡易的な経過と各艦娘の証言が書かれている。明朝の帰還予定となっている南西諸島邀撃艦隊―――南邀艦が経験した海戦の情報を、いち早く手に入れるために、即席でいいからと提出してもらったものだ。

 

その場にいる人数分、といっても提督と秘書艦の扶桑の二人分だけだが、印刷された報告書を読み、彼は険しい表情を浮かべていた。

 

彼は今、執務机でにらめっこをしながら、内容を整理していた。少なくとも、手放しに喜べるとは思えない。

 

「夜戦における、重巡洋艦の優位性は証明されましたね。ですが・・・」

 

先に口を開いた扶桑も、わずかに眉根を寄せた。

 

「それは深海棲艦も同じ、か」

 

報告書を机に置き、提督は腕を組んで唸った。

 

前衛部隊、そして主力の戦艦部隊。二つの戦闘は、どちらも似たような経過を辿っている。そして南邀艦は少なからぬ損害を出しながらも、双方に勝利を収めている。そこは間違いない。問題は―――

 

「夜戦になると、ここまで重巡がしぶといとは・・・」

 

「深海棲艦側にも、夜間補正が存在するのでしょうか」

 

「その可能性は高いかもしれないな」

 

以前、工廠長が考察していた、艦娘の艤装―――つまり妖精の技術と、深海棲艦の艤装の関連性が頭をよぎる。いまだに仮説の域を出ないが、あながち間違っていなかったのかもしれない。

 

「今後の戦闘では、その辺りも考慮する必要がありそうですね」

 

「まだ仮説でしかないけどな。でも、用心に越したことは無い」

 

そう言って、提督は立ち上がる。

 

「いずれにせよ、細かい考察は高雄たちが帰ってきてからだ。新型の重巡も気になる」

 

軍帽をかぶり直し、扶桑を見据える。

 

「新型機の試験に立ち会ってくる。少しの間、執務室を頼んだよ」

 

「了解です。何かありましたら、夕張さんに伝えます」

 

「すまない、よろしく」

 

微笑んで見送る扶桑に後を任せて、提督は工廠部へと歩き出した。今日は試作機の第一回試験飛行が行われる予定だった。

 

 

結局、南邀艦の出立は予定より三時間ほど遅れていた。高雄の応急修理に予想以上に時間を費やしたからだった。

 

支援母艦“佐世保”で簡易的な修理と最低限の補給を受けた後、合流した第八駆逐隊の面々と共に摩耶たちは鎮守府を目指していた。“佐世保”については、この後南西諸島方面への遠征部隊に補給を行うとのことで、海域に留まるという。護衛役には、第二十一駆逐隊が付けられていた。

 

残留する彼女らと乗組員に見送られて“佐世保”を出発してから、結構な時間がたっている。臨時で旗艦を務めている摩耶は、海岸に沿って一路鎮守府へと向かっていた。チャートの読み方を間違えていない限り、後一時間ほどすれば鎮守府沿いの砂浜が見えてくるはずだ。

 

「高雄姉、機関部は大丈夫か?」

 

摩耶たちが海岸沿いに進んでいるのには理由があった。未だに機関が本調子とは言えない高雄に万が一の事態が起こっても、すぐに座礁させて陸路で帰還させられるようにだ。ただしその場合は、艤装を後から送り届けなければ置けなくなるが。

 

幸い、彼女の機関は比較的平常に動いていた。もっとも、出力は出ず、巡航速度を維持するのがやっとといったところだ。

 

高雄を終始労わりつつ、摩耶は先頭に立って艦隊を誘導する。鎮守府は、もうすぐそこだ。

 

 

早歩きで作戦室に向かった提督は、勢いそのままにドアを開いた。その第一声は、

 

「状況は?」

 

簡潔且つ、切迫した響きを伴っていた。

 

先に作戦室に入った三人のうち、大淀がヘッドフォンを押し当てたまま振り返って答える。

 

「十分ほど前に、南邀艦からの緊急信を受信しました。『我、空襲を受く』です。現在は対空戦闘中と見られ、交信は途絶えています。海域コード1-4、Dです」

 

そのまま大淀は、壁の前に据えられた大型の通信機に向き直った。一つも信号を逃すまいと必死だ。

 

「規模はわかるか?」

 

鎮守府近海―――通称第一海域と呼ばれる範囲の海図の前に立つ赤城に、提督は尋ねた。

 

「最後の通信時に、六十機前後の艦載機を捉えたとありました」

 

「とすると、正規空母一か、軽空母二といったところか」

 

「これが全力攻撃かどうかはわかりませんが、仮にそうだとすれば、敵航空戦力はその程度になるかと」

 

海図の上に、南邀艦の位置を示す青い模型が置かれている。そして枠外には、深海棲艦を表す赤い模型が、手持ち無沙汰に置かれていた。こちらはまだ、敵の位置を掴んでいない。

 

「沖ノ島に、軽空母の展開が確認されていました。おそらくそれが追撃をかけてきたと思われます」

 

もう一人、クリップボードにいくつかの資料を挟み込んだユキが、一つの可能性を示唆する。おそらく、霧島たちが確認した敵の編成だ。

 

―――いったい、なんのためだ。

 

ユキが言ったとおり、襲撃してきたのは沖ノ島に展開していた部隊だろう。しかし、今まで一貫して、制海権を失った海域に立ち入らなかった奴らが、今回はなぜ。何かよほどの理由があるのか。

 

いや、考えるのは後だ。今は南邀艦と八駆を無事帰さなければならない。

 

「稼動空母は?」

 

「正規空母は五航戦の二人、軽空母は祥鳳と龍驤が航空隊の編成を完了しています」

 

「・・・十八駆の子たちが、出撃準備をしてました。やる気満々です」

 

若干の溜息が混じったユキの声に、提督も赤城も苦笑する。これで、メンバーは決まった。

 

「五航戦、及び十八駆に緊急出撃命令を」

 

「わかりました」

 

メモ用紙にさっと命令文を書き、ユキはそれを大淀に手渡した。鎮守府内の放送に切り替えた大淀が、六人の艦娘を呼び出す。

 

「敵艦隊の予想位置は出せるか?」

 

「はい」

 

ユキが画面を操作し、海図台に南邀艦を中心とした円を表示する。

 

「敵艦載機の航続半径から割り出しました。こちらの哨戒線や、“佐世保”とニアミスしなかったことから、敵艦隊の予想位置は、この辺りになるかと」

 

指し示されたのは、1-3海域と呼ばれる辺りだった。過去、これほど鎮守府に深海棲艦が近付いたことは無い。

 

―――やっぱり、何かある。

 

癖になってしまった分析を、慌てて振り払う。目の前の状況に集中しなければ。

 

「現在同方面に、一一航艦が索敵を行っています」

 

一一航艦は、鎮守府に併設された陸上運用の航空部隊、所謂基地航空隊だ。近海の対潜哨戒と非常時の迎撃戦力として創設され、全国に配備された基地航空艦隊―――基地航艦に所属している。

 

使用航空機は零戦と一式陸攻が主力だ。この他に、対潜専用機として九六陸攻、そして少数配備であるが局地戦闘機“雷電”と“紫電”がいる。現在は双発爆撃機“銀河”と、艦載型と平行して“紫電”の改良型が開発されていた。

 

ちなみに、これらの機体もまた艦娘が操作する。正確には艦娘と同じ能力を持った少女たちで、鷹娘と呼ばれていた。一一航艦のメインオペレーター鷹娘は“雲鷹”と言う少女が務めている。

 

「もう間もなく見つかるかと思いますが・・・」

 

「・・・時間的には微妙か」

 

どんなに早くても、索敵機が見つけた敵艦隊に向けて五航戦の攻撃隊がたどり着くのは三十分以上掛かる。それまでに、間違いなく南邀艦はもう一度空襲を受ける。

 

「一一航艦から零戦隊を出せるそうです。ただし、後二十分は掛かります」

 

つまり、その間は南邀艦単独で攻撃隊を迎撃しなければならない。

 

「っ!摩耶より通信来ました。敵第一波帰投。被害は高雄大破、愛宕、三隈中破です」

 

「高雄が狙われたか・・・っ!」

 

大淀の通信を聞き届けた提督は、深海棲艦の狡猾さに唇を噛む。応急処置だけで、満足に回避運動が取れない高雄は敵の集中的な攻撃を受けたのだろう。二度目は、きっとこれ以上に困難な戦闘となる。

 

「続いて一一航艦より入電です。敵艦隊見ゆ。海域コード1-3、Fです」

 

大淀の報告は続いた。一一航艦が放った一式陸攻が、敵艦隊を捉えたのだ。

 

「編成は?」

 

「軽空母二、軽巡一、駆逐三。その前方に重巡一、軽巡一、駆逐四の高速部隊。三○ノット近い速力で、南邀艦に接近しています!」

 

「・・・まずいですね」

 

赤城が呻く。防空に専念すれば、敵艦隊に捉えられる。敵艦隊を攻撃すれば、南邀艦はもう一度空襲を受ける。

 

一瞬の沈黙が、作戦室に満ちた。

 

「・・・摩耶に打電してくれ」

 

黙考状態だった提督が、まず口を開いた。

 

「海域コード1-2、Bに進路を取れ。そこで迎撃する」

 

「それは・・・っ!」

 

近過ぎる。赤城もユキもそう思った。最悪、この鎮守府そのものが空襲を受けかねない。

 

「わかりました、打電します」

 

「頼む。それと、通信機を一機、貸してもらえるか」

 

「いいですけど・・・」

 

どうするんですか。大淀は一瞬戸惑ったが、すぐに自らの職務を果たすべく、雑念を振り払う。摩耶へ打電しつつ、小型の通信機を一機、準備した。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

受け取った提督は、つまみを弄って周波数を合わせ、最初に出撃ドックを呼び出した。

 

「翔鶴、聞こえるか」

 

『―――こちら、五航戦翔鶴。聞こえます』

 

わずかに割れているが、妖精さんのお手製だけあって、感度は良好だ。通信機からは、凛とした女性の声が返ってくる。

 

「敵艦隊の位置が判明した。詳細は後で送るが、深海棲艦は艦隊を二つに分けている。二人には、これを叩いてもらいたい」

 

『ちょっ、それじゃ南邀艦はどうするのよ』

 

割って入ってきたのは、翔鶴の姉妹艦、瑞鶴の声だ。

 

「それはこっちでなんとかする。君たちには、こっちが奴らを抑えてる間に根本を絶ってほしい」

 

『・・・わかりました。最優先目標は、いかがしますか?』

 

「軽空母部隊を叩くことを優先してくれ。水上艦隊はなんとかできる」

 

『了解』

 

手短に終わった通信を、素早く切り替える。次に繋いだのは工廠部だ。

 

『はーい。どちら様?』

 

答えたのは夕張だった。いつもの通り、工廠部に詰めていたのだろう。それなら都合がよかった。

 

「夕張、俺だ。頼みがある」

 

『提督?どうかしましたか?』

 

「南邀艦を襲撃している艦隊を、1-2、Bで迎撃する」

 

『あー・・・それはもしかして、“アレ”を出せってことですか?』

 

“アレ”ってなんだ。作戦室に二つの疑問符が浮かぶ。

 

「やれるか」

 

その疑問に対する答えを与えることなく、提督と夕張の会話は続いた。

 

『・・・十分あれば、準備できます』

 

「頼んだ」

 

そこで通信が終わる。なんとなくだが、赤城もユキも、提督がやろうとしていることに気づいてきた。

 

離れた位置にいる軽空母部隊は五航戦の艦載機で、接近してくる水上部隊は“鎮守府の戦力”で迎撃するつもりだ。夕張の言っていた“アレ”というのは、おそらく陸上支援型の兵器なのだろう。そういった類の代物を工廠部が研究しているという噂は、赤城も、もちろんユキも知っていた。

 

通信はそれで終わりかと思ったが、もとあった場所に通信機を返そうとする提督の手が、ふっと止まった。一瞬考えるような表情を見せた後、それをもう一度引き寄せる。

 

「・・・これからの通信は、一切他言無用だ。折を見て俺の方からみんなに公表したい。今は、聞かなかったことにしてくれ」

 

提督は、海図台の前の二人を見、そして大淀を見た。赤城が小さく頷く。

 

「わかりました。私は何も聞いてません」

 

他の二人も首を縦に動かす。それを確認して、提督は新たな通信相手に回線を開いた。

 

「秘匿回線使用。認証コード、エンゼルランプ。こちら提督、どうぞ」

 

やや間が空いて返ってきた回線使用了承を告げる声は、三人が今まで聞いたことの無い人物のものだった。

 

 

損傷の激しい二人を中心に構成された輪形陣、その最後尾で振り返った空を睨めつけ、摩耶は歯噛みした。

 

輪形陣中央で煙をたなびかせているのは、高雄と愛宕、特に損傷のひどい二人の艦娘だ。三隈も中破の判定だが、航行や戦闘には支障なしとのことで、未だに輪形陣の一角を形成したままだ。

 

元々損傷を応急修理しただけだった二人は、速力が出せない。もう一度攻撃を受ければ、どうなるか。

 

―――ぜってー、守る。

 

鎮守府が迎撃戦の準備をしていることは知っている。その旨、大淀からも通信があった。しかし彼女たちが救援に駆けつけるまでは、摩耶が艦隊を守らなくてはならない。

 

すでに、敵攻撃隊が引き上げて十分強。いつ、第二次攻撃が来てもおかしくない。

 

艦娘も、深海棲艦も、航空戦における空母のサイクルは通常空母よりも遥かに早い。通常空母が攻撃隊を収容してから次の攻撃隊を出すまでにどんなに頑張っても二時間近く掛かるのに対し、わずか十数分、赤城や加賀などの熟練空母になれば十分を切るほどのタイムで、次の攻撃隊を放てる。それは、単に発艦作業が矢を放ったり式神を変化させたりするだけというのも大きい。

 

もっとも、実戦では損傷機の補充や予備機の組み立て、攻撃隊の再編成などが複雑に絡まってくるので、二十分近く掛かるが。

 

そのタイムリミットが、刻々と迫ろうとしている。そしてそれよりも早く。

 

「対水上電探に感!!」

 

横の鳥海が叫んだ。その習性を持って、わずかに水平線の向こう側へ回り込んだ電波の目が、接近する敵艦隊を捉えた。

 

推定速力は三○ノット。一二ノットを少し上回る程度の速度しか出せない南邀艦が追いつかれるのは、時間の問題だった。

 

今は、逃げ続けるしかない。

 

水平線にその姿を現した敵艦隊を一瞥して、摩耶はそう割り切る。もうしばらくすれば、一一航艦から上空直掩の零戦隊が来るはずだ。そうすれば、高雄たちを任せて、八駆と敵艦隊を迎撃することが出来る。それまでは可能な限り逃げ続け、敵機を追い払わなければならない。

 

敵艦隊とは反対側、波の先端に、微かに建物の上端が見える。鎮守府は、もうすぐそこだ。

 

だが、状況は甘くなかった。

 

摩耶の二一号電探が影を捉えるのと、ゴマ粒みたいな何かが見え始めたのはほぼ同時だった。

 

「第二次攻撃来襲!!」

 

声の限り叫んで、脅威の接近を知らせる。その間にも、それは敵艦隊よりずっと速い速度で近づき、すでに小豆ほどの大きさになっている。同時に羽虫を思わせる、低い唸り声のような音が響きだした。

 

敵の第二次攻撃隊が、早くもやってきたのだ。

 

―――間に合わなかったか。

 

未だに上空に現れない零戦隊のことを思うが、それを容赦なく振り払う。戦闘では、全てが想定通り動くことなど絶対にありえないのだから。

 

「主砲、零式弾装填」

 

零式通常弾は、戦艦及び巡洋艦用に開発された対空砲弾だ。時限信管式で、設定した時間が経つと火薬が炸裂し、四方八方に高速の断片をばら撒く。この鋭い破片が敵機を切り刻み、撃墜あるいは攻撃を断念させる。もう一つ、三式通常弾と言うのも開発されているが、これは零式弾とはまた別の方法で敵機の撃墜を狙ったものだ。

 

摩耶が搭載していたのは、零式弾だった。ある程度の砲口径がないと効果が疑問的な三式弾と違って、零式弾は高角砲弾とほとんど同じのために、摩耶の二○・三サンチ砲でも成果を挙げられる。一網打尽とは行かないが、高角砲だけよりも濃密な弾幕が張れるはずだ。

 

もっとも、主砲の発射速度では限界がある。さらに先の防空戦闘で、摩耶はかなりの数の零式弾を放っていた。残弾が心もとないのだ。

 

それでも、無いよりはましだ。いざとなれば、いつぞやの長門みたいに、殴ってでも敵機を撃墜すればいい。

 

「対空戦闘用意!朝潮、八駆はさっきと同じ雷撃機を迎え撃て。爆撃機はあたしと鳥海に任せろ」

 

『八駆了解。対空戦闘用意』

 

第八駆逐隊の司令駆逐艦娘“朝潮”が応える。艦隊の両側に展開している第八駆逐隊の面々が、それぞれに対空戦闘の準備に入った。

 

―――さあ、正念場だぜ。

 

後ろを振り返り、摩耶は敵機の位置を確認する。距離は一万を切ろうとしている。すでに小さな虫ほどに大きくなった異形の艦載機に向け、摩耶は両腕の主砲を構えた。

 

その時。

 

『全主砲、撃てえーーーっ!!』

 

入りっぱなしだった通信機から、女性の声が響く。凛と張った声音に摩耶が疑問符を浮かべている間に、目の前で劇的な事態が起こった。

 

接近を続けていた敵編隊の正面で、まるで夏の夜に花開く花火のように、三つの火焔が上がった。何本も光の尾を引いて拡散していくそれに触れた敵機が、炎上、あるいは錐もみ状態となって落ちていく。ただし、数は少ない。それでも突然の出来事に、編隊内に動揺が走り、その動きが鈍る。

 

そこで二度目の爆発が生じた。今度は黒い花を思わせる爆炎が三つ、敵編隊のほぼ中央で炸裂した。先程と同じく、即座に火を噴いた機体は少ない。それでも花の近くにいた機体は、まるで操縦系統を失ったかのように、フラフラと海面へ降下して行った。やがて、いくつかの水柱が上がる。

 

「三式弾と・・・零式弾?」

 

目の前の光景に唖然としていた摩耶は、慌てて鳥海に探索を命じる。あれが三式弾と零式弾の時間差射撃なら、あれを撃った艦娘が近くにいるはずだ。敵艦隊に指向されていた二二号電探が回転し、発射母体となったであろう艦娘を探し当てるのに、十秒もかからなかった。

 

同時に、摩耶自身もあることに気がついた。それの意味するところを知って、にやりと微笑む。

 

完全に不意を突かれた敵編隊は、ようやくの思いで再編と進撃を始めた。だがそれも後の祭りだ。その歩みは、すぐに頓挫することとなる。

 

ほぼ真上にまで上っていた太陽の中から、金属的な光が落ちてくる。隕石とは違う、人工的なそれは圧倒的な加速度を持って、敵編隊へと突き刺さった。瞬く間に十数機の敵機がオレンジ色の火球に姿を変え、破片をばら撒く。

 

「たく、かっこつけた登場の仕方しやがって」

 

上空を見上げた摩耶は、苦笑を浮かべた。そこには、よく見慣れた海鷲が―――腹を明灰白色に、背を濃緑色に染め、自己主張の激しい赤丸を描いた猛禽が飛んでいた。

 

接近した一機の零戦が、摩耶に向かってバンク―――翼を左右に振る。遅れてすまない、そう言っているようだ。

 

約五十機の零戦隊が敵機を蹂躙していくのを見届けた摩耶は、ほんの少し余裕の出来た心で、電探が捉えた艦影―――先程三式弾で救援してくれた、二つの艦影を見つめる。

 

水平線の手前側、長い髪をたなびかせる艦娘と、それを守るように控える小柄な艦娘が見える。前者が戦艦級、後者は駆逐艦級の艦娘だろうか。

 

それだけ確認した摩耶は、もう一度敵機に目をやる。数を大きく減じた敵編隊の残りが撤退を始めたとき、摩耶は次の行動について考えを巡らし始めた。




今回は分割すると流れが・・・

いえ、うまい引き際が見つからなかっただけです

まあ、書きたいだけ吹雪ちゃんが書けたので満足です

航空戦については、どこかで一度ちゃんと書いてみたいですね

ついでに防空戦闘もおもしろそう

とりあえず、書くスピード上げます、はい

できればGW中に次を書きたいです

ということで、イベント頑張っていきましょう!!


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突撃せよ

長かった「近海防御」を分割しました。

読みやすくなっていればな、と


「全主砲、撃てえーーーっ!!」

 

叫び声から一拍置いて、万雷に勝る轟音が鼓膜をしたたかに打った。耳を塞いで、口を大きく開けるという少し間の抜けた表情で、吹雪は音源の方を振り向いた。

 

前方を指向した六門の主砲口から、うっすらと砲煙をたなびかせる巨大な艤装を背負った一人の艦娘が、洋上に立っていた。

 

測距儀型の頭部艤装の邪魔にならないよう、高い位置で結ばれた長い髪と桜の花があしらわれた髪飾り。マスト型の日傘が容赦のない陽光を遮り、あたかもその肌を何者からも守り抜かんとしているかのようだ。

 

音速の二倍の速度で飛んで行った砲弾が炸裂し、空中に鮮やかな花火を作り出す。その中で、豆粒ほどにしか見えない敵機が落ちていくのが見えた。

 

「命中です!!」

 

吹雪は驚嘆の目で、この遠距離対空射撃を成功させた彼女を再び振り返った。

 

「よかった・・・間に合ったのですね」

 

先程までの険しい顔を緩め、ほっとした表情で胸に手を当てた。超弩級戦艦相当の大きさを持ったそれが、安心したように上下する。

 

一一航艦の零戦隊が辿り着いたのを確認して、大和は仰角の掛かっていた主砲身を下ろした。彼女の仕事はここまでだ。

 

砲撃公試中だった彼女の弾薬庫には、最低限の主砲弾しか積まれていなかった。すでに徹甲弾の残りは無く、零式弾と三式弾も心もとない。

 

「さあ、戻りましょうか」

 

敵編隊が零戦隊に迎撃されているのを確認して、後ろ髪を引かれるような表情の大和が吹雪を促した。大和は未だに極秘の存在、そして吹雪はその護衛だ。支援射撃はしても、できるだけ早くこの場から離れるべきだった。

 

二隻分のウェーキは、今戦闘が起こっている方とは逆に伸びていく。その先に立つ二人の艦娘からはしかし、明らかに背中側に意識が向けられているのがありありとわかる。

 

―――これで、よかったのかな。

 

吹雪の思考はそこだけだ。今まで、ずっと最前線に立って戦ってきたのは紛れもない彼女だ。でも今は、その戦場に背を向けている。割り切ったつもりでも、納得できないものがある。それが駆逐艦としての彼女の性なのかもしれない。

 

『摩耶より、鎮守府。本艦及び八駆は、これより水上部隊の迎撃に向かう!以上!』

 

繋がれたままだった回線から、勇ましい声が聞こえてきたとき、吹雪は思わず振り返ってしまった。

 

まだ、水平線の手前に、南邀艦と第八駆逐隊、護衛の零戦隊が見える。そこから五人の艦娘が離脱して行くのも。

 

「・・・行きたいのではないのですか」

 

大和は静かに尋ねた。肩を跳ね上げて否定しかけた吹雪だが、言葉は口から出てこなかった。代わりに、曖昧に頷く。

 

「戦ってるんです。あの下で、仲間が」

 

吹雪の言葉に、大和は優しく微笑んだ。

 

「・・・ふふ、提督がおっしゃっていた通りですね、吹雪ちゃんは」

 

「・・・え?」

 

「いえ、気にしないでください。それよりも、今行けば間に合いますよ」

 

大和は横に並ぶ吹雪を、目を細めて見つめた。柔らかな瞳に、吹雪の心は決まった。

 

「・・・すみません大和さん。わたし、やっぱり行きます」

 

「わかりました。こちらは心配しないでください。すぐそこですから」

 

もう一度頷いた吹雪は、そのまま反転して速力を上げる。U字を描いた航跡が、風を切って大和から離れて行った。たなびく髪に、自らの上げる飛沫が掛かった。

 

「・・・ご武運を」

 

大和のつぶやきは、わずかに吹雪に届かなかった。

 

 

単縦陣で敵水上部隊へ突っ込む摩耶と第八駆逐隊の四人に、突如として通信が入った。

 

『摩耶さん、聞こえますか?』

 

「吹雪か!?」

 

鎮守府最古参艦娘の声を間違えるはずがない。たとえ通信機越しでも、その張り詰めた声音を聞き分けられるぐらいには、摩耶もこの鎮守府では長い。

 

『わたしも迎撃に参加させてください!』

 

「おまっ、そこにいるのか!?」

 

無言で肯定した声の主が、先程自分たちを救援してくれた二人の艦娘のうちの一人だと知り、慌ててその方向を見る。戦場から離脱していく戦艦娘から離れて、白波を蹴立て接近する艦影が見えた。

 

「こっちでも見えた。すぐに合流できるか?」

 

『はい!』

 

「わかった。加わってくれ」

 

戦力は多い方がいい。それに漠然とした予感だが、摩耶は接近する水上部隊を率いている重巡洋艦が、新型―――高雄を打ちのめした、あの非常に撃たれ強い奴だと感じていた。摩耶一人では、倒せるかどうか。

 

ちなみに、鳥海は一緒ではない。摩耶は手持ちの零式弾が詰まった弾倉を全て渡して、唯一無傷の姉妹艦を南邀艦の護衛とした。近海に入れば、他の駆逐隊が迎えてくれるはずだ。

 

しばらくして、吹雪が迎撃隊に合流した。絶妙な操舵で隊列の最後尾に付き、隊列を整える。

 

―――うまいもんだ。

 

摩耶はその練度に内心で舌を巻く。重巡洋艦と駆逐艦の差はあるとはいえ、あそこまで手際よく寄せることは、摩耶含めほとんどの艦娘にはできないことだ。あれを駆逐隊単位でやれるのは、まさに第十一駆逐隊だけだ。吹雪は、その司令駆逐艦娘である。

 

「行くぞ!」

 

一瞬だけ後ろを確認した摩耶は号令をかけて、第三戦速まで速力を上げた。六つの機関が唸り、波を切り裂く音が重なる。

 

敵艦隊までは距離一万五千を切っている。昼戦であるからこの辺りから撃つことが摩耶には可能だ。しかし、彼我ともに重巡洋艦が一隻では話にならない。だから摩耶は、全速で距離を詰めることを選んだ。そうすれば、必殺の魚雷が放てる。

 

もっとも、摩耶は魚雷を持っていない。沖ノ島沖の戦いで全て使い果たし、補充を受けていないからだ。残念ながら“佐世保”は魚雷を長期管理する設備が少なく、艦内にはもう魚雷が残っていなかった。

 

―――あたしが重巡を引き付ければ、何とかなる。

 

摩耶は両腕の連装砲塔を確認する。帰ってくるまで相当数撃ったから、砲身命数が尽きかけている。内筒を交換しなければならないだろう。

 

全ては帰ってからだ。

 

『第一次攻撃隊、発艦始め』

 

通信機からはもう一つの迎撃隊―――第五航空戦隊を中心とした部隊が、敵軽空母部隊に攻撃隊を出す様子が聞こえてくる。そちらは、彼女たちに任せておく。

 

―――さて、そろそろだぜ。

 

摩耶は間もなく一万を切ろうとする敵艦隊を見据え、主砲に徹甲弾を装填する。案の定、近づいてきた水上艦隊の先頭は、あの青い目をした新型の重巡洋艦だった。姉が相手取って勝てなかった相手に、今彼女は一人で挑もうとしていた。

 

「突撃だ!気合い入れろ!!」

 

どこかの高速戦艦みたいなことを叫んで第八駆逐隊と吹雪を鼓舞する。そして一万を切った瞬間に第一射を放とうとしたその時。

 

今正に狙いを付けていた重巡洋艦の艦上で突如として爆発が生じ、盛大に後方へ吹き飛ばした。訳がわからないという表情で宙を舞った敵艦は、水飛沫とともに海面に激突する。

 

『第二射、てっ!!』

 

また割り込んできた通信から数秒を置いて、先程と同じことがもう一度起きた。それらが収まったとき、あれほどに摩耶たちを苦しめた敵艦の姿は海上から消え、小さな泡となって海底へと帰って行った。

 

目の前で起きた現象に唖然とした摩耶は、それでもなぜかほっとしている自分に小さく舌打ちした。

 

 

「上出来じゃない」

 

鎮守府正面海域を一望できる工廠の屋上に上がってきた明石は、そこにいる二人の人物が上げた戦果にそうコメントした。

 

「第二弾も命中。敵艦撃沈」

 

明石から見て奥に立つ軍服を着た女性が、ゴーグルを頭上に押し上げて覗き込んだ双眼鏡から見えたものを、横に寝転んでいるポニーテールの艦娘に伝えた。それを合図に、艦娘の方もまたゴーグルをはずして体を起こした。

 

「間に合ったかあ~。ありがとうございます、ユキさん」

 

夕張はそう言ってユキに微笑みかける。ユキも相好を崩し、首にかけた双眼鏡から手を離した。

 

「それにしてもすごいのね、この・・・F4?」

 

ユキは屋上からせり出すように設置された、所謂狙撃銃の形状をした艤装に目を向けた。

 

「正式には、試製巡洋艦用大口径狙撃砲F型です。まあ長いので、F砲をもじって“F4”って呼んでるんですけど」

 

自慢げに胸をそらす夕張に、明石は苦笑する。このネーミングは、あちら側の日本から持ち込まれた某少女漫画から持ってきたものだった。

 

試製巡洋艦用大口径狙撃砲は、陸上からの深海棲艦迎撃を目的として開発が開始されていた。まだ試作段階だが、今後の戦艦部隊強化のために試験が始まっていた大威力の主砲システムを組み込み、巡洋艦クラスの艦娘でも扱えるように改造が施されている。明石の試算では、口径にして四六サンチとほぼ同等の威力を有することになっていた。

 

狙撃砲ゆえの射程の短さがあるが、それでも命中率は高い。いずれは艦娘支援母艦の自衛用兵器として、海上でも扱えるように照準器等の改良がなされる予定だ。

 

「ただまあ、威力はすごいんだけど砲身の加熱がね。どんなに頑張っても、現状では二連射が限度ですから」

 

「改良の余地は大いにあり、ってことね。―――ちなみに、誰派?」

 

「断然、類です」

 

「私は道明寺かな」

 

「あ、明石さんも読んでたんだ」

 

「夕張に勧められたら、嵌ってしまって・・・」

 

「すごいんですよ、徹夜で全巻読み切っちゃいましたから」

 

 

狙撃班が漫画トークに花を咲かせている間、吹雪含めた迎撃隊は、旗艦を失い、狂ったように突撃してくる深海棲艦の水上艦隊と向かい合っていた。

 

『摩耶、目標一番艦。八駆、突撃せよ』

 

艦隊を率いる重巡洋艦からの通信を合図に、八駆は速力を上げた。それに追随する吹雪も一緒だ。

 

ここに至り、一一航艦の索敵機は重大な見落としをしていたことが判明した。敵の編成に、戦艦がいたのだ。

 

夕張からの支援砲撃で旗艦の重巡洋艦を潰された艦隊は、摩耶の正確な砲撃によって早急に沈黙した。しかしその最中、大気を揺るがす轟音とともに巨大な水柱が立ち上ったのだった。その時になって初めて、鎮守府側は戦艦の存在に気づいた。

 

由々しき事態だった。鎮守府にはまともに動ける戦艦がほとんどいない。仮にいたとしても、そんなに早く動かせるような代物ではないのが戦艦なのだ。かといって、軽空母部隊と交戦中の五航戦が第二次攻撃隊を差し向けている時間は無かった。

 

結果、摩耶と駆逐艦五隻で、戦艦一、護衛の駆逐艦三という部隊に戦いを挑むことになった。ただし、摩耶は戦力に加算できそうにはない。後数回でも撃てば砲身命数が尽きるからだ。

 

『八駆、突撃します!』

 

通信機からは生真面目な少女の声が聞こえる。第八駆逐隊を率いて単縦陣の先頭を行く司令駆逐艦娘“朝潮”の指示だ。

 

摩耶の横を抜けて、脇目もふらず敵戦艦へ突撃する。三○ノット超の最高速力では、流れていく風も波飛沫も激しい。正しく顔に打ち付けるようだ。

 

水柱が噴き上がる。一六インチという大きさの恐るべき鋼鉄製の火矢が、突撃を阻む壁となって乱立した。

 

なぜか。彼女―――という表現が適当かどうかはわからないが、あの女性の容姿を持つ戦艦ル級は知っているのだ。そして同時に恐れてもいる。今吹雪たちが持っている必殺の兵器を。

 

小型快速ゆえに、大きな砲も満足な装甲も持たない駆逐艦が大型艦に対抗する手段。それは、魚雷という人工の魚類の、船に対する圧倒的なまでの破壊力だった。

 

魚型水雷の名の通り、自ら水中を進む爆薬の塊は、あらゆる艦船にとって脅威以外の何者でもない。それは単に、魚雷が船の腹を食い破って海水を大量に飲ませるから、という理由だけではない。

 

同じ炸薬量でも、空中と水中では威力が大きく違う。水中では、爆風の逃げ場がない上に水圧や水蒸気の発生など様々な要因で、船に対する直接的なダメージは何倍にも膨れ上がるのだ。

 

ただし欠点もある。速度が砲弾に比べて非常に遅い上に馳走距離が短い。それに魚雷そのものが高価な精密機械であるためにちょっとした衝撃でへそを曲げてしまうことがあった。

 

それは艦娘や深海棲艦にしても同じだった。だからル級は、その脅威を排除しようと砲口を向けてきたのだ。

 

三十秒おきに、数本の水柱が上がる。その距離は間違いなく縮まってきていた。

 

『全艦に意見具申』

 

その言葉に吹雪は首を傾げた。なぜならその言葉を口にしたのが朝潮だったからだ。普通意見具申というのは旗艦に対して僚艦が行うものだ。

 

『八駆の統制雷撃権を吹雪に委譲します』

 

「・・・え?」

 

一番驚いたのは吹雪だった。戦闘中だというのに、思わず変な声を上げてしまった。

 

「ちょ、ちょっと待って朝潮ちゃん。わたし、みんなの指揮なんて執ったこと・・・」

 

駆逐隊の指揮を、そこに所属しない艦娘が執るなんて前代未聞だ。

 

『このままわたしが指揮を執り続けた場合、いずれ間違いなく被弾します。ここが、わたしの限界です』

 

認めるのは悔しいですが。相変わらずの真面目できびきびとした口調で続ける。

 

『吹雪なら、我が隊を確実に導いてくれると考えます。どうでしょうか』

 

もしも目の前にいたのなら、純粋で真剣な瞳にまじまじと見つめられたことだろう。そしてその考えに賛同する声が、隊のあちこちから出た。

 

『大丈夫です。わたしたちは、必ず吹雪に付いて行きます』

 

一転の曇りもない、まっすぐそのものの言葉。彼女が司令駆逐艦娘として出したその答えを、吹雪もきっぱりと否定できない。それだけの迫力があった。

 

―――わたしもこんな感じなのかな。

 

同じ司令駆逐艦娘である吹雪は、普段第十一駆逐隊の指揮を執る自分を思い返す。意外と、頑固で融通が利かないのが司令駆逐艦娘を務められる資質なのかもしれない。

 

覚悟を決めた。

 

「わかりました。吹雪、八駆の統制雷撃権を貰います」

 

今だけは、わたしがみんなを導く。それは駆逐隊全員の命を預かるということ。吹雪の双肩と判断に全てが掛かっている。

 

速力をほんの少し上げ、前に出る。先頭に立ち、駆逐隊の指揮を執る。

 

『“先輩”のお手並み拝見と行きましょうか』

 

わずかに挑発の色を帯びた言葉を発したとき、こちらを見る朝潮は微かに頬を吊り上げて微笑んでいた。

 

隊列を入れ替え、吹雪は突撃を続行する。途端に信号灯の発色をものすごい速さで切り替え、小さく、そして時に大胆に舵を切って弾雨を抜けて行く。

 

その目は弾着の水中と、苛立ちの混じった砲撃を浴びせかけてくる敵戦艦を同時に見つめている。確率論的に同じ場所に着弾することがほぼない砲撃の特性を利用し、あるいは発砲の瞬間と砲身の角度から簡易的な方程式に当てはめて弾着位置を予想しこれを紙一重で回避していく。鎮守府近海、まだ戦艦も空母もまともにいなかった頃から突撃と訓練、魚雷を撃ち続けてきた彼女だからできることだ。

 

一万を切るのに、突撃開始から五分とかからなかった。被弾どころか、まともに至近弾すら受けていない。全くの無傷だ。

 

驚嘆の目で吹雪を見つめる四つの視線に、彼女自身は気づいていない。前だけ見つめて、砲撃を避け続ける。後ろに付いてきているのは、追随してくる機関と波を切る音でわかっていた。だから吹雪は、振り向くことなく転舵を繰り返した。

 

実に十数回の砲撃を神がかり的に回避した吹雪たちの目の前に、今度は小さな砲弾がミシンのように降り注ぐ。近距離戦闘用の両用砲だ。威力は小さいが、数が多い上に恐ろしく早い。ただばら撒くだけで、十分すぎる面の制圧力を発揮する。駆逐艦にとっては最大の脅威と言ってもいい。

 

だが次の瞬間、敵戦艦の周囲に中口径のそれとわかる砲弾が落下する。

 

『おらあ!こっちだぞ!!』

 

摩耶だった。なけなしの砲弾を、敵艦の注意を引き付けるために放つ。ついでに二発ほど命中弾を与えて両用砲を二基吹き飛ばした。

 

敵戦艦の弾幕に一瞬の迷いが生じる。その間を見逃さず、吹雪たちは再び距離を縮めた。

 

「雷戦距離は六○(六千)!雷撃戦用意!!」

 

吹雪は下令して、太腿に取り付けられた魚雷発射管を発射位置に持っていく。朝潮型の艤装は、発射管を左手に持つタイプだ。

 

再び始まった鋼鉄製の嵐に、吹雪は次の手を考えた。

 

探照灯を引っ張り出して、間髪いれずに照射する。その先に敵戦艦を捉えた。顔面に当たった強烈な光に、ル級が顔を歪める。駆逐艦用とはいえ、闇夜で数千先の敵艦を照らす探照灯の光は目潰しに十分すぎた。どこぞの幸運艦は、これで航空機を落としたりもしている。

 

弾幕が緩んでる間に、吹雪は背後の艤装から小さいドラム缶状のものをいくつか取り出す。対潜水艦用の投射兵器、所謂爆雷だ。

 

調停深度がかなり浅くセットされた爆雷を持ったまま、吹雪たちは突撃していく。距離七千。もう後一歩で、雷撃距離だ。

 

―――油断せず、頃合を見計らって・・・今!

 

タイミングを取り続けた吹雪は、その瞬間に探照灯の照射を止めた。おそらく敵艦は、薄ぼんやりとした視界とレーダーを頼りにして、砲撃を続けている。この状況なら多分、彼女の考えた手は有効に働いてくれるはずだ。

 

『右舷前方より、敵駆逐艦接近!』

 

二番艦の位置につく朝潮が、声を張り上げる。だが吹雪がそちらを見ることはない。戦艦に対する雷撃を遮ろうとするなら、自ずと取る行動を予測できるし、何より吹雪は駆逐艦娘として初めて二二号対水上電探を搭載していた。見なくても、敵艦の位置と速度、進路は知ることが出来る。ちなみにこれは大和護衛時の警戒のために搭載されていた。

 

「了解!」

 

それだけ、短く答える。こういう時に先頭に立つものがぶれてはいけない。多くの軽巡洋艦と行動をともにしてきた彼女には、それがよくわかっていた。

 

「このまま突っ切る!」

 

迎え撃てば、それだけ発射点への到達が送れ、弾幕に曝される。それにもしかしたら、その間にル級の視力が完全に回復してしまうかもしれない。だから無視する。代わりに、取って置きのプレゼントを、迫り来る異形の魚たちに投げつけた。

 

吹雪のスナップから繰り出された爆雷は、綺麗な放物線を描いて、接近する敵駆逐艦の手前に落下する。彼我の距離が四千程度しかないため、人間の腕力でもそれなりに近くに落とせるのだ。といっても、実際の着弾点は一千以上も手前だったが。

 

ドラム缶が海面に衝突して数秒、轟音とともに内蔵された火薬が弾け、巨大な水柱を立ち上げる。それもそのはず、こと炸薬量に限って言えば、爆雷は戦艦の主砲弾と遜色ないどころかむしろ上回っている。突然目の前に噴き出した人工の間欠泉は、深海棲艦には戦艦の砲撃に見えていることだろう。

 

不意の“砲撃”に動揺して周囲を探るように速度を落とした駆逐艦に見向きもせず、吹雪たちは魚雷の発射点に取り付こうと弾幕の中を行く。横殴りに降き付ける暴風は、徐々にではあるが正確さを取り戻してきた。

 

「距離、六四」

 

三○ノット超で、距離一千を詰めるのに直線で約一分。だが弾丸の猛吹雪を進む今、ことはそう簡単には行かない。すでに○五を切った距離が、これ以上ないほどに遠く感じる。

 

「・・・六三っ!!」

 

六千三百を切った時、吹雪はあらゆる小細工を止め、真一文字となって突き進む。ここまで来れば、後は被弾しないことを祈るしかなかった。

 

吹雪たちに振り回されていた弾幕が、急に仕事を思い出したが如く、その距離を縮め始めた。

 

「六二・・・」

 

『右舷至近弾!』

 

吹雪たちの搭載する一二・七サンチ砲とほとんど同じ大きさの砲弾が纏まって着弾し、水飛沫を飛ばす。

 

「六一・・・」

 

『左舷至近弾!』

 

今度は吹雪たちの身の丈を遥かに越えていく白い巨塔が、海水のモニュメントをかたどって、やがて崩れる。同時に無数の細かい断片が飛び散り、いくつかが艤装に当たって不協和音を奏でる。

 

ル級も必死だ。吹雪たちの突撃を止めようと、ありったけの砲弾を叩き込む。これが人間同士ならば、互いに譲れない思いというのがあったのだろうが、生憎深海棲艦に感情というものがあるのかどうかはわからなかった。

 

―――負けない!

 

吹雪たちの背中には、傷ついた南邀艦が、そして母港である鎮守府がある。今、この二つを守れるのは吹雪たちしかいない。

 

逆境は、小柄な駆逐艦娘を大きくする。滴る水飛沫は、女に磨きをかける。降り注ぐ断片は、軍艦の魂に火をつける。仲間との呼吸が、それらを飲み込み、莫大な勇気へと変える。

 

喰らいついたら離さない。狙った獲物は、この魚雷で必ず仕留める。それが、彼女たちが自らと仲間を―――大切な“何か”を守るたった一つの方法だった。

 

もう、余計なことは考えない。飛来する砲弾を気にも留めず、ただひたすらに驀進する。

 

「六○!!」

 

吹雪は叫び、残った手持ちの爆雷を投げる。もう一度水飛沫が上がり、ル級の姿を隠した。

 

いや逆だ。吹雪たちの姿を隠した。

 

「魚雷発射始め!!」

 

わずかに踏ん張り、二基の三連装魚雷発射管から魚雷を放出する。朝潮たちは引き金を引いて、四連装発射管から魚雷を送り出す。圧搾空気の力によって海原に放流された鉄製のダツたちは、鮭が迷うことなく故郷へ帰るように、水中をカジキ顔負けの速度で突き進んで行った。

 

爆雷が作り出した水のカーテンのせいで、ル級からは投雷の瞬間が見えていないはずだ。目の前から水柱が消えたとき、ル級には自らに迫り来る六本の白線が見えるだろう。

 

酸素魚雷は、燃焼剤に純酸素を使った副産物として、昼間でもその航跡を見つけることがほとんど不可能だ。では、ル級に伸びていく六本の白線は何か。

 

吹雪は、酸素魚雷を持っていなかった。正確には、酸素魚雷を扱えるような構造に、発射管がなっていなかった。だからそこから射出されたのは、通常の魚雷だ。燃焼剤に含まれる不純物―――主に、水に溶けにくい窒素のせいで航跡が丸見えになるこの魚雷を、吹雪は使用した。

 

投雷を終えた吹雪たちは、進路を反転して距離を取る。朝潮たちには魚雷の次発装填装置があるが、戦闘中に素早く再装填が出来るほど、甘くはない。

 

ル級がゆっくりと回避運動を取る。これだけはっきりと航跡が見えるのだ。転舵は容易い。これが艦娘ならば、後は当たらないように祈るだけだ。

 

が、ル級は大事なことを見落としていた。それは、目に見えているものが全てではないということ。

 

吹雪は、八駆とはわざと角度やタイミングをずらして魚雷を放っていた。自らの搭載する九○式魚雷の特性をいかし、これを囮に使ったのだ。

 

結果として、これは図に当たった。

 

『時間!』

 

朝潮が叫ぶ。吹雪は一瞬だけ、後ろを振り向いた。

 

白い航跡がル級の前を通り過ぎるよりも先に、一際大きな水柱が、その舷側に生じた。それが連続して、二本、三本と上がっていく。やがて水柱が火柱に変わった時、大気を鳴動するおどろおどろしい轟音が、吹雪たちの耳朶を打った。

 

撃沈確実だ。

 

『四本命中!敵艦撃沈!』

 

最後尾の大潮が歓喜の声を上げる。八駆の面々がガッツポーズをし、吹雪はほっと胸を撫で下ろした。

 

『すごい・・・』

 

朝潮のつぶやきは、吹雪には届かない。

 

通信機のスイッチを入れる。

 

「こちら吹雪。敵戦艦部隊の撃破を確認」

 

出来るだけ喜びの感情を抑えて、吹雪は鎮守府に一報を入れた。ちなみに、離脱時に手土産とばかりに残った駆逐艦も海の藻屑に変えていた。

 

『こちら翔鶴。敵軽空母二隻を撃沈確実。敵艦隊撤退を始めました』

 

ほぼ同じタイミングで、第五航空戦隊の方からも入電した。

 

『了解しました。南邀艦はすでに撤退を完了しています。両艦隊も帰投してください』

 

『翔鶴了解。これより帰投します』

 

「吹雪了解。摩耶と合流して帰投します」

 

端的に答えて、吹雪は転針する。白い波を切り裂いて、少しずつ速力を落としていく。中天に輝く太陽の光が、きらめくダイヤモンドのように水飛沫を照らした。幻想的な光を撒き散らして、吹雪以下五人の駆逐艦娘が、鎮守府へと帰って行った。




さて、ここに何を書いたものか・・・

これからは、一話分の長さにもっと気を付けます・・・


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大和着任

ご無沙汰しています。

本当にご無沙汰しています。

少しは早くするって、あの話はなんだったんですかね・・・

今回はお休み回です。

ただ、深海棲艦の侵攻が止まるわけではありません。果たして、次の海戦は・・・

どうぞ、よろしくお願いします。


北方海域、キス島。

 

この島は、鯖日本が北米大陸との連絡路を確保するために、二ヶ月前から統合陸海軍が占領していた。

 

この島には、住民がほとんどいない。深海棲艦の侵攻が始まった段階で、キス島含め北方AL諸島のほとんどの住民は、北米かユーラシアの両大陸に避難していた。だから鯖日本側は、様々な理由でこの島に残っていた住人と交渉し、土地の一部を借り受けるという形で北方海域の橋頭堡を築いていた。

 

この島に駐屯する統合陸軍の特務師団、それを統率する陸軍艦娘“あきつ丸”は、同じくこの島に配備されている第一二航空艦隊第三二航空団の鷹娘“神鷹”の下へと向かっていった。

 

陸軍艦娘というと不思議な響きだが、ようは陸上でも戦闘能力をある程度維持できる艦娘のことだ。統合海軍からの技術供与で、統合陸軍が組織している。

 

海の上ならば深海棲艦とも互角に戦える艦娘だが、一度陸に上がるとどこにでもいる極々普通の少女になってしまう。しかしあきつ丸は、陸上であっても艤装の力を扱うことが出来た。

 

ただし、そもそも深海棲艦と戦う能力は無きに等しい。せいぜい対潜哨戒機を飛ばす程度だ。

 

だから彼女たちは、専ら輸送と物資の揚陸を主任務としていた。このキス島における上陸作戦が、その初陣となった。今後は西方や南方における作戦にも参加が予定されている。

 

そんな彼女が海軍所属の三二空に向かっているのは、二日後に入港予定の定期船団について打ち合わせるためだ。

 

北方独特の風が、薄い霧とともにあきつ丸に纏わりつく。この辺の特徴的な気候で、艦載機が飛ばせないほどに霧が濃くなる時がある。その天気は気まぐれそのものだ。

 

―――また、一苦労ありそうでありますな。

 

予報では晴れるとあった今日の天気がいきなり大外れになったことで、あきつ丸は二日後の入港もまた、一悶着あると溜め息をつく。軽く空を睨むが、お天道様が答えてくれるはずもなかった。

 

風で飛ばされそうになった帽子を押さえて、彼女はまた歩き出した。とりあえず、目の前の仕事を片付けなくてはならない。

 

 

「お姉ちゃんって呼ばれたい」

 

もうすぐ一時を周ろうとしている、鎮守府の昼下がり。午前の課業を終えた艦娘たちが集まる食堂でいつも通りに昼食を取っていた第十八駆逐隊の面々は、隊内で突然発せられた言葉に一様に怪訝な顔を浮かべ、声の主を振り向いた。

 

からあげを咀嚼していた陽炎は、口の中身を空にすると視線に反応してもう一度口を開いた。

 

「お姉ちゃんって呼ばれたい」

 

「・・・は?」

 

霰と不知火は、より一層怪訝な表情になる。霞に至ってはもっと露骨だ。

 

「ねえ不知火、うちの司令駆逐艦は狂ったわけ?」

 

「いえ、そんなことは。朝は変なものは食べていませんし、どこかに頭をぶつけてもいません」

 

「あんたたち、なかなかに好き勝手言ってくれてるじゃない」

 

陽炎は次のからあげに手を出す。さくっとした衣と、溢れる肉汁のジューシーさが口一杯に広がった。

 

「それでまた・・・どうして?」

 

霰は一瞬箸を止めて尋ねる。

 

「ほら、軽巡とか重巡の人たちって、姉妹艦を姉さんとか呼ぶじゃない」

 

「はあ・・・」

 

姉妹艦とは言っても、本当に姉妹である艦娘は少ない。しかし巡洋艦以上の艦娘には、そうしたことを抜きにして、自分よりも番数の若い姉妹艦を姉と慕うことが少なくなかった。

 

あまり踏み込んだことは話せないが、第一次深海棲艦戦争において親を失った孤児であることが多い巡洋艦以上の艦娘には、そうして身近にいる人を家族のように考えることがあるのかもしれない。

 

「その点駆逐艦って、姉妹って言うか、単に仲間っぽいじゃない?」

 

「それでいいのでは?」

 

「いや、不満はないわよ?みんなのことは、仲間として信頼してるし、大好きだから」

 

妙な沈黙が流れる。春の陽気が、食堂の一角を満たした。

 

「・・・そういうことを、恥ずかしげもなく言うんじゃないわよ」

 

霞はそっぽを向いてしまった。その耳は僅かに赤くなっている。

 

「あ・・・霞が照れてる」

 

「照れてないわよ」

 

「照れてますね」

 

「・・・もういいわ」

 

不利を悟った霞は、話の続きを促した。

 

「でさ、うちは姉妹艦多いじゃない?」

 

現在、陽炎を筆頭とした陽炎型駆逐艦娘は、各型式の駆逐艦娘の中で最も人数が多い。大きな括りで見れば、吹雪をネームシップとした特型が一番多いが、Ⅰ型からⅢ型にかけて艤装の差異が大きく、各型式ごとに分けられていた。

 

「そうですね。不知火を始めに、黒潮、初風、雪風、舞風、秋雲。ああそれと、近々天津風と谷風、浜風が着任するそうです」

 

「そうそう。だからさあ、一人ぐらいお姉ちゃんって呼んでくれる娘がいてもいいと思うんだけどなあ」

 

「・・・不知火は遠慮します」

 

「ええー」

 

陽炎型一、二番艦の至極どうでもいい押し問答に、霞も呆れ気味だ。いや、もともと呆れてはいたか。

 

「―――どう思うよ、朝潮」

 

流れ弾もいいところの陽炎の言葉に、不運にも昼食のトレーを片付けようと横に差し掛かった朝潮型の一番艦は、きょとんとした顔で足を止めるしかなかった。

 

「・・・満潮。今朝潮は、トレーを片付けようとしたところで陽炎から話題を振られたのですが、どうするべきでしょう」

 

「・・・勝手にしたら」

 

隣の満潮は、もう完全に呆れて、興味のない視線を送っている。しかし、いついかなる時においても、常に真面目なのが彼女の姉であった。

 

「そうですね。陽炎のように考えたことはありませんでしたが、霞に呼ばれるのはなんとなく心惹かれます」

 

ばっ。当然の如く、その場の全員の視線は、霞に集まった。霞はわずかに後ずさる。

 

「な、なによ」

 

「・・・霞、呼んであげて・・・」

 

「ちょっ、霰!あんたあたしを身代わりにしたでしょ!?」

 

キッときつい視線を向けるが、当の霰はそっぽを向いている。霞は低い唸り声を上げ、ちらと、一番上の姉を見やった。

 

どうでしょうか。ほんの少し期待を含んだ目線が、こちらを捉えている。

 

「いっ、言わないわよ」

 

「まあまあそう言わず」

 

「・・・ちゃっちゃと言っちゃいなさいよ。別に減るわけでもなし」

 

なんだかんだで、全員この状況を楽しんでいるようだった。それもそのはず、いつも冷静沈着で辛口コメントの多い霞が珍しく押されぎみなのだ。陽炎なんかは、包み隠さず、満面の笑みである。

 

「あー、もう!うざいのよっ」

 

霞は完全に自暴自棄、今度の演習で全員まとめてぼっこぼこにすると誓って、せめて道連れをと、口を開いた。

 

「あたしが言ったら、不知火もやりなさいよ!!」

 

「えっ」

 

「OK、それで決まりね」

 

「ちょっと、陽炎待ってください」

 

唐突に巻き込まれて慌てる不知火を、霰が押さえ込む。不知火もまた、演習で全員まとめて海の藻屑に変えると誓ったのだった。

 

霞は深呼吸で息を整える。

 

「・・・あ、・・・朝潮・・・お姉ちゃん」

 

「・・・よく聞こえなかったので、もう一回お願いします」

 

「っ!あーわかったわよ!いつもありがとう、朝潮お姉ちゃん!!」

 

顔を真っ赤にして横を向く霞に、獲物を狩るチーターか何かの如く、陽炎が飛び掛った。

 

「霞可愛い!妹にしたい!!」

 

「ちょっと、やめなさいよ!大体、あたしの方があんたより先輩でしょうが!!」

 

「えー、いいじゃない」

 

「よくない!いいから、離れろ!」

 

たこの様に絡み付いて離れない司令駆逐艦を、何とかして引き剥がそうとする霞であった。

 

 

機械の駆動する低い音と、それを支える機関部の響きが心地よい。その音に呼応するかのように、足元の白波が飛沫を飛ばし、巨大な連装砲塔が砲身をもたげる。

 

扶桑はその様子を、少し離れたところから見守っていた。

 

鎮守府の午後、演習海域では、戦艦娘の砲撃訓練が行われていた。修復なった艤装の調整を兼ねて、いち早く感覚を取り戻すためだ。

 

監督を務める彼女は、先に一連の訓練課程を終えていた。同じく全行程を終了した僚艦の山城は、一足先に工廠へと艤装を収めに行っている。扶桑は、この後も監督役として残ることになっていた。

 

今、彼女の前で訓練を始めようとしているのは、大規模改装からようやく出渠した二人の高速戦艦娘だった。出渠時の最終調整で静止目標への射撃を終えていた彼女たちは、今日から全速運転での動目標―――標的船を用いた実弾射撃訓練に移行する。三○ノット前後の高速力を発揮する彼女たちには、扶桑では追いつけなかった。代わりに、搭載した水上機が二人の様子を確認する。

 

『ヘーイ、扶桑。どうデスカ?』

 

「感度良好。よく見えてます」

 

金剛型戦艦一番艦“金剛”。彼女の陽気な声に、扶桑も微笑んで応える。長い茶髪の後姿が、視界にしっかり入っていた。

 

『了解デース。それではこれより、金剛、比叡両名の射撃訓練を開始しマース!』

 

そう高らかに宣言した彼女は、高く掲げられた主砲身に最終的な誤差修正を行った。

 

『撃ちます、ファイアー!!』

 

八門の三六サンチ主砲から、褐色の炎が沸き起こる。しばらくして、その轟音が扶桑にも届いた。

 

今回の大規模改装により、金剛型の艤装は大きく様変わりした。

 

まず、特徴的な可変式の艤装を改め、戦艦娘としてはオーソドックスな砲台型にした。これは横方向に駆動可能で、差し詰め高雄や愛宕の艤装を戦艦級にしたといったところか。これによって、従来の弱点だった砲塔周りの防御力が大幅に強化されている。集中防御方式―――バイタルパートを採用できたのだ。

 

また、機関関係も小規模ながら向上が図られ、浮いた出力の分装甲厚も厚くなっている。

 

防御だけではない。以前から威力不足が指摘されていた主砲は、対深海棲艦用に開発されたより威力の高いものへと換装されている。さらに主砲そのものも強化され、長砲身―――それまでの四五口径から五○口径の三六サンチ砲になっていた。四一サンチ砲の採用案もあったが、重量的な問題から却下されている。

 

長砲身化による散布界の拡大等の問題があったものの、結果はおおむね良好だ。そして、最大の改良点は―――

 

『次発装填完了!誤差修正OK!第二射、ファイアー!!』

 

新規に採用されたのは砲身だけではない。新型砲塔には、同時に新しい装填機構が採用されている。斉射の間隔は、扶桑の手元のストップウォッチで二十秒を切っている。驚異的な速さだ。

 

斉射は続く。次々と立ち上る水柱が、確実に標的艦を捉えていた。

 

 

 

「完了デース」

 

五分間の全力斉射を終えた金剛と比叡は、ゆっくりと速力を落としながら、扶桑へと寄せてきた。着水した水偵を改修した扶桑は、訓練の結果に満足げに頷いて、二人に微笑んだ。

 

「お疲れ様。艤装の調子はどうかしら?」

 

「はい、とてもいい感じです」

 

「これならバッチリネー!」

 

ぐっと親指を突き出す二人もまた、新しい艤装に手ごたえを感じているようだった。

 

「まあプロブレムといえば、砲身の加熱ぐらいですかネー」

 

「確かに、五分以上の連続斉射は難しそうです」

 

主砲には冷却装置が取り付けられているが、さすがに全ての熱を逃がしきることはできないようだ。その辺りは、この先改修が必要だろう。

 

「さあ、今日はこの辺で上がりましょう」

 

扶桑につられて、三人の戦艦娘は工廠へと進路を取った。と、その背後で、大気を揺るがす雷鳴が響き渡った。

 

二人の戦艦娘が、海上に立っている。一人は長い黒髪を艤装の後ろになびかせ、もう一人は見たことないほど巨大な艤装を背負って、砲撃を行っていた。

 

大和。数日前に正式に艦隊に加わった、新鋭の戦艦娘と、それを指導する長門だった。

 

―――やっているようね。

 

今まで、新しい戦艦娘の指導を行ってきたのは扶桑だった。金剛にしろ、伊勢にしろ、長門にしろ、彼女たちに砲撃戦のノウハウを教え込んだのは、鎮守府に始めて着任した彼女だ。しかし今回はその役目を、長門に譲っている。

 

扶桑と大和では、性能が違いすぎる。性能差がまだ小さい長門に任せるべきと進言したのは、他でもない扶桑自身だった。それに今の彼女は、改装を施されて航空戦艦になっている。今はその運用について、伊勢や航空巡洋艦の最上たちと試行錯誤中だ。

 

「そういえば、今回は扶桑が指導してないんですネー」

 

「そうね。もちろん、将来を期待される新艦娘を指導するのは楽しいことよ。でも、やはり適材適所というのがあると思うの」

 

扶桑の言葉に、金剛はそんなものですかネー、と答えた。どうやら、自分が着任したての頃を思い出しているようだ。

 

これからの艦隊を支えていく戦艦娘。そして、航空戦艦として新しい力を与えられた自分。スタートに立ったのは、ほぼ同じかもしれない。

 

「だからこそ、伊勢と日向には負けてられないわね」

 

もちろん山城にも。自らを慕ってくれる姉妹艦を思い、新たな決意を抱いた古参戦艦娘は、大和の着任した時を思い返していた。

 

 

「彼女が、新たに配属になった大和だ」

 

新艦娘着任時の恒例行事となっている食堂での集会。そこには長距離遠征で鎮守府を留守にしている以外、全ての艦娘が集合していた。彼女たちの前で、提督は新しく配属になった艦娘を紹介する。

 

今回は、陸奥以来となる戦艦娘だった。それだけに、注がれる視線は期待と好奇心に満ちたものとなる。そういうものに慣れていないのか―――そもそも慣れている人間というのはあまりいないが、大和は気恥ずかしげに提督の横で居場所を探していた。

 

「って、まあ知ってる娘も多いと思う。この間の鎮守府沖邀撃戦にも参加していたからね」

 

年頃の少女たちの口に、蓋なんて無理だ。噂というのは、恐ろしいほどの勢いで彼女たちの情報網を駆け巡る。軍隊だろうと何だろうと関係ない。

 

「彼女には、これから色んな編成で演習に参加してもらうことになると思う。なお、細かな指導については長門にお願いしたい」

 

「私なのか?」

 

驚いた声を上げたのは、他でもない長門だった。目の前の料理に、どれから手を付けようかと照準を定めていた彼女は、突然の流れに目をぱちくりとさせている。

 

「その通りだ」

 

「扶桑ではなく?」

 

「扶桑から直々に推薦があったんだ。俺も長門なら、十二分にやってくれると思っている」

 

しばらく思案顔だった長門は、やがて力強く頷くと、不敵に微笑んだ。

 

「わかった。その役目、しかと引き受けさせてもらおう」

 

「よろしく頼む。―――とまあ、俺からはここまで。後はみんなに任せるよ。それで、今回は・・・?」

 

「木曾だ。お前たちに最高の晩餐を与えてやる」

 

一通りが終わったところで提督の代わりに前に出たのは、片目に特徴的な眼帯をした軽巡洋艦娘だ。制服で球磨型だとわかる。

 

「期待しよう」

 

「・・・いや、期待されてもやることはいつもと変わらないんだが・・・。まあいい、任せてくれ」

 

そう言って後を引き継いだ木曾は、軽く咳払いをして司会を始める。

 

「という訳で、大和が着任したわけだが、呑兵衛共、まだだからな。折角だから、抱負なんかを聞いていこうと思う」

 

「・・・いつも通りにゃ」

 

「代わり映えしないクマ」

 

「うっせ」

 

姉たちの突っ込みに苦い顔をして、那珂から借り受けた探照灯型のマイクを差し出した。その先には、まだ緊張気味の大和が立っていた。

 

「えっ、と・・・」

 

すぐに言葉が出てこない。こうして大勢の人、まして自分の先輩に当たる艦娘を前にして、より一層の緊張が大和の背筋を駆け抜けた。

 

「まあそんなに緊張するなって」

 

様子を悟った木曾が、自分よりも背の高い後輩に苦笑する。

 

「取って食ったりしないさ」

 

「鮭なら食べるかもしれないクマ」

 

「それよりめざしだにゃ」

 

「お前ら、ネタだよな?」

 

前の席で茶々を入れた姉たちに呆れた表情を見せる木曾だが、実際は二人が、新入りの緊張を緩和するためにやっていることはわかっていた。魚だけに、身をほぐすのだ。

 

まあ、半分ぐらい素が入っているかもしれないが。

 

個性派軽巡のやりとりに、会場からも小さな笑いが漏れる。それを見た大和もまた、顔に笑みを浮かべていた。そして、その綺麗な唇を開く。

 

「大和です」

 

澄んだよく通る声で、話し出す。

 

「超弩級戦艦大和型、その一番艦として、皆さんと共に精一杯頑張ります。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 

柔らかい物腰で一礼した彼女に、暖かい拍手が送られる。照れているのか、大和はわずかに頬を染めた。

 

「おう、丁寧なあいさつをありがとうな。さて、それじゃあお待ちかねの乾杯と行こうじゃないか。総員グラスを掲げろ!」

 

木曾の号令。食堂によく通る声が響いた。

 

その場にいた全員が、前の液体が入れられたコップを持って立ち上がった。戦艦や空母、重巡はお酒の入ったものもいる。当直の者だけが、ジュースや麦茶だ。軽巡や駆逐艦は全員ソフトドリンクになっている。

 

木曾と大和もその場でコップを受け取る。

 

「乾杯の前に、間宮さんはじめ食堂のみんな。今回もこうして新任艦娘着任の会を開けたこと、心から感謝する。いつもおいしいご飯をありがとう」

 

台所の入口、暖簾の向こうから、割烹着姿の給糧艦娘が微笑む。あまり表には出てこないし、まして戦闘なんてできないが、鎮守府を影から支える頼れる仲間だ。

 

目礼で応えた木曾は、改めて右手を高く掲げた。

 

「大和着任を祝して、乾杯!」

 

乾杯。艦娘万歳。いくつもの声が重なり、そしてコップの中身を飲み干したため息が響く。ここからは無礼講だ。

 

「とまあ、こんな感じだ」

 

木曾は、隣の大和に苦笑してみせる。会場では既に、一部の正規空母が“食う母”と化していた。

 

「みなさん楽しそうですね」

 

「安心しろ、すぐにあっち側に慣れるさ」

 

駆逐艦は駆逐艦で大変そうだ。なにせ一番数が多い艦種なのだから。

 

「あんまり堅くならないようにな。俺たちは確かに、人類最後の希望として戦わなきゃならない。けど鎮守府に―――我が家に帰った時ぐらい羽目をはずさなくちゃな。できるものもできないさ」

 

肩に手を置く。

 

「ま、楽しめよ」

 

にやりと、挑戦的な笑みを口元に浮かべて、木曾もまた宴の中へ加わる。代わって長門が、大和を戦艦勢の中に引き入れた。

 

ふと、一人の艦娘と目が合った。大和のよく知る彼女は、他の駆逐艦娘に混じって、何やら質問責めにあっていた。彼女がこちらに苦笑いする。どうも、大和について色々訊かれているようだ。

 

「はーい、新しくからあげ、揚がりましたよ。駆逐艦の娘たちから、取りに来てね」

 

間宮、伊良湖と共に暖簾をくぐった大皿に、温かなからあげが山のように載っている。

 

駆逐艦娘たちから、黄色い歓声が上がった。




霞好き好き~

霞可愛い!!

すっ





っごい可愛い!!

大好き!!

・・・いえ、言いたかっただけです。

次回も頑張ります。


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先輩空母

どうもです。

最近早く書くって言うのが無理だということにうすうす気づき始めました。今更だけど。

梅雨ですねえ・・・

雨でどんより、なんてならないように頑張りましょう。

今回も、どうぞよろしくお願いします。


リュウノスケ大佐

 

鎮守府司令官。ジンイチ二佐(当時)の弟で、アマノイワト通過の資格を持つ。

 

DB機関時から深海棲艦について専門的に研究。ジンイチ二佐失踪後、“提督”の最適任者として特例で昇進、以後鎮守府にて艦娘の指揮を執る。彼女たちとは、良好な関係を築けている模様。

 

イソロク中将

 

鎮守府長官。自衛隊時代は空母「あかぎ」艦長として硫黄島沖海戦に参加後、DB機関の幹部として設立に関わる。

 

独立機関としての統合海軍省維持に努めており、リュウノスケ大佐と艦娘の後ろ盾となる。

 

ライゾウ中佐

 

鎮守府付き水雷参謀。リュウノスケ大佐とは同期。アマノイワト通過の資格を持つ。

 

“提督”候補者であるが、本人にその気は無い。時たま視察のために鎮守府を訪れており、主に水雷戦隊の演習や新戦術に関するアドバイザーとして、軽巡や駆逐艦の艦娘と語らう姿が見かけられる。

 

ユキ少佐

 

鎮守府付き情報参謀。本来このポストはリュウノスケ大佐のものであったが、彼の“提督”就任に当たって長らく空いたままになっていた。

 

ライゾウ中佐のお気に入りで、何かと世話を焼いているが、本人は少々嫌がっている。

 

 

「よし、攻撃隊、やっちゃって!」

 

飛龍は、洋上を駆け、後方へ流れていく風を感じながら、自ら放った艦載機隊に指示を飛ばした。彼女の手足とも言うべき十数機の攻撃機が、指示に従って次第に高度を落としていく。雷撃体勢―――魚雷の姿勢安定と共に、敵の対空砲火を避けるためだ。

 

ただし、今は対空砲火を気にする必要が無い。彼女の攻撃隊が狙っているのは、訓練用の標的艦だ。動きはあっても、こちらを撃墜しようとはしてこない。だからこそ、より丁寧に攻撃機の軌道を確認しなくては。

 

彼女が操るのは、つい最近配備された新型艦上攻撃機“天山”。それまでの九七艦攻に比べ、より早く、より多くの装備を搭載可能だった。ただし、問題が一つ。それは操縦性が悪化し、九七艦攻よりも扱いが難しいこと。

 

―――うーん、やっぱりぶれるなあ。

 

飛龍は率直な感想を、頭の中で述べる。天山は降下するに連れて、機体のぶれが大きくなった。一歩間違うと海面に激突しかねない。速度の大きさも手伝って、飛龍は“天山”の降下を躊躇っていた。

 

『こらー!どーした飛龍ー!』

 

通信機越しに、観測機から彼女を見守る僚艦の、からかうような声が聞こえてきた。

 

『まだ二○も行ってないぞー』

 

「わかってるってば、気が散るから話し掛けないで!」

 

はいはい、と笑って通信を切る蒼龍に文句を言いたい気持ちを押さえ、もう一度機体の操縦に集中する。ぎりぎりまで高度を落として、標的艦の右舷から迫り、その横っ腹を“天山”越しに睨む。

 

「距離、一二・・・一一・・・一○・・・○九・・・○八!魚雷投下!!」

 

“天山”の腹から、吊るされた細長い魚雷が投下され、軽くなった機体が浮かび上がろうとする。それを何とか抑えて、そのまま標的艦に向かって突き進む。実戦では、機体の上に敵の対空砲火が広がっている。うかつに浮かび上がれば、その中に突っ込みかねない。

 

標的艦が迫る。それが眼前一杯に広がろうとする瞬間、目と鼻の先で飛龍は“天山”の編隊を引き起こした。標的艦の甲板を掠めるように、その上空をフライパスする。

 

引き起こした機体を上げ、戦果を確認する。直進し続ける標的艦の舷側に、魚雷命中のそれを示す水柱が高々と上がった。それが連続するのを確かめた飛龍は、なんとか成功させた超低空雷撃に額を拭い、攻撃隊の収容準備に取り掛かった。

 

 

 

「お疲れ様~」

 

艤装を工廠部へ引き渡した飛龍に、明るく能天気な声が呼びかけた。振り向くと、飛龍と色違いの、よく似た衣装に身を包んだ準同型艦が駆けて来るところだった。

 

「お疲れじゃないよ、蒼龍ー」

 

ぷくーっと頬を膨らませる飛龍に対して、蒼龍は手を合わせて苦笑する。

 

「いやー、ごめんって。飛龍が可愛いからさあー」

 

「もー、また調子いいこと言って」

 

横に並んだ二人は、工廠から鎮守府の庁舎の方へと歩いていく。ただ、飛龍に関しては未だに不満げな表情だ。

 

「えー、ほんとのことなのに。多聞丸にも見せたかったなあ」

 

その言葉に、ビックンと肩が跳ねる。同時に顔の温度が少しずつ上がっていくのがわかった。

 

彼は、司令部の参謀。たまに視察に来ては、航空隊の訓練を見てくれたり、時には鳳翔さんのところでお酒を共にしたこともある。自分にも、他人にも厳しい人間のようだが、それでいて艦娘たちへの気配りは情に厚いものだった。

 

「そ、そういうこと言わない!!」

 

間違いなく赤くなった表情を厳しく引き締めて、隣の僚艦を睨む。が、もちろん蒼龍に通じるはずもなく、どう見ても彼女のほうが一枚上手だった。

 

「はいはい、わかりました。―――あ、多聞丸だ」

 

その手には引っ掛からない。流石にもう、彼女の考えなどお見通しだ。また私をからかっているに違いない。

 

「ざんねーん。その手には乗りませんよー」

 

「よう、久しぶり」

 

不意に投げかけられた言葉は、男性のそれだった。飛龍は反射的に「お久しぶりです」と返してから絶句して、

 

「え・・・ええええええええっ!?」

 

素っ頓狂な叫び声を上げ、三歩半後ろに飛びのいた。

 

そこにいたのは件の人物。統合海軍少将の階級章をつけた海軍将校は、紛れもなく多聞丸ことタモン少将だった。

 

「たたたたたた、多聞丸!?」

 

「おう、なんか飛龍拳でも繰り出しそうな反応だな」

 

古武士を思わせる引き締まった体躯に、理知的でありながら確かな闘志を感じさせる顔立ち。馴染んだ制服は、きっちりとアイロンがかけられている。そして阿○寛のような深く味のある声。飛龍が慕う彼は、ゆっくりと彼女たちの方へ歩み寄ってきた。

 

「ほ、本物・・・?」

 

完全に困惑している飛龍が、ついにその存在を疑い始めてしまった。重症である。一応、足は生えているようだが。

 

「ここまで驚かれると逆に傷付くんだが・・・。何も聞いてなかったのか?」

 

そこで、いかにもわざとらしく、拍手を打つ乾いた音が、空気を伝って飛龍の鼓膜に届いた。

 

「ああー、そういえば言い忘れてた。今日から多聞丸はこっちの視察だったっけ」

 

ごめんね、てへっ。と、舌を出して自分の頭をこつんと叩く蒼龍。完全に確信犯である。今すぐに急降下爆撃の標的にしてやりたいと、飛龍は心の奥底で思うのだった。

 

「蒼龍、お前いい性格してるよ―――おかげで飛龍のおもしろ可愛い反応がたっぷり堪能できた、グッジョブ」

 

「お礼は鳳翔さんのとこの奢りでいいですよ」

 

「こいつめ」

 

「ふ、二人して!馬鹿にしてるの!?」

 

飛龍の反撃、が完全にその反応を楽しんでいる二人は、それすらも「可愛いなあ」と受け流している。結局、艤装使用で消費したエネルギーをさらにすり減らしただけだった。ぜーぜーと肩で息をするうちに、言いようの無い空腹感が飛龍を襲う。丁度お昼時だ。

 

「私も奢ってもらいますからねっ!!」

 

それだけ言って歩き出す。了解の意を示した二人もまた、その横に並んで海岸線を進んで行った。取り敢えずは昼ご飯だ。

 

流れはともかくとして、突然現れた彼と夕飯の約束を取り付けた飛龍は、飛び上がりそうな嬉しさを胸のうちに秘めて、つとめてしかめっ面で歩を進める。もっとも、それが見え見えなので、蒼龍はそんな僚艦が愛おしくてたまらないのだった。

 

吹く風が、髪を揺らす。風の来る方向には、初夏の陽気を蒼の中に湛えた海が、水平線の向こうにまで広がっているのであった。

 

 

それが発表になったのは、鎮守府の全戦力が回復し、同時に新規着任艦娘の練成を兼ねた大規模演習実施の決定が下りてすぐだった。

 

『練成部隊編成』

 

そう書かれた一覧表が、朝の食堂に張り出された。これは練成の中心となる艦娘が、効率よくローテーションを組めるように配慮されたもので、基本的に錬度の高い艦娘と練成艦娘がセットになる。ただし、戦艦や空母の艦娘は基本的に数が少ないので、大抵は同型艦で組んで、他の錬度の高い同艦種から一人が付くといった形だった。

 

『練成部隊編成:駆逐艦  第十八駆逐隊・谷風、天津風』

 

「おー、陽炎んとこは谷風と天津風かいな」

 

編成表を確認した黒潮は、横に立つ自らの一番艦に話しかけた。第十八駆逐隊司令駆逐艦娘様は、それを確認して両手を打ち合わせると、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。

 

「そっかそっか、あの二人かあ」

 

うんうんと頷くと、満足げに腰に手を当てた。

 

「嬉しそうやなあ」

 

「そりゃ、なんたって妹が増えるんだもん。黒潮は嬉しくないの?」

 

「もちろん、うちも嬉しいで。けどなあ」

 

ちらっと陽炎を見る。先日不知火に言われたことを思い出した。

 

「・・・無理矢理お姉ちゃんって呼ばせるんや無いで」

 

「人聞き悪いわね。無理矢理なんて呼ばせないわよ、呼んでは欲しいけど」

 

「不知火で懲りてへんのやなあ、浮かばれんわ」

 

「勝手に沈めないでください」

 

「ま、不知火の分まで頑張るわよ」

 

「ですから、勝手に沈めないでください」

 

数日前に半ば強制的にお姉ちゃんと呼ばされて以来、なにかと弄られる不知火であった。

 

「それじゃ、打ち合わせ行こっか不知火」

 

「・・・色々と納得はいきませんが、わかりました」

 

「ほな、またな~」

 

陽炎は、新しく加わった仲間のもとへと急ぐ。いつも賑やかな第十八駆逐隊であった。

 

が、そんな彼女たちよりも賑やかだったのが―――

 

『練成部隊編成:航空母艦 赤城・翔鶴 加賀・瑞鶴』

 

「あら?」

 

「・・・」

 

「まあ」

 

「げっ」

 

航空母艦だった。

 

一航戦が、まだ航空部隊として練成途中の五航戦を指導するのは、至極最もなことだった。それは、その場の全員に共通している。問題はその組み合わせだった。

 

「面白い組み合わせですね」

 

「ちょっと待って、あたし加賀さんと!?」

 

瑞鶴は、加賀を苦手としている。訓練期間中に何かあったらしいのだが、真相は赤城しか知らない。そしてその手のことは簡単に話さないのが、赤城という艦娘だった。

 

「・・・なにか問題が?」

 

「うえっと・・・いや、不満があるとかじゃなくてですね」

 

「そう。ならいいけれど」

 

―――うう、絡みずらい・・・。

 

瑞鶴は心の中で肩を落とす。自分でも、苦手であることは自覚しているが、尊敬していないわけではない。艦娘としての彼女は十分過ぎるほど信頼に足る存在だ。しかし、後輩として、先輩の加賀は口数の少ない、物静かで話しかけにくい雰囲気があるのは確かだった。

 

「いざ海戦となれば、どのような組み合わせで出撃になるかわかりませんから、たまにはこういう編成もいいかもしれませんね」

 

「そうですね。どうぞよろしくお願いします、赤城さん」

 

「いえ、こちらこそ」

 

早速談笑を始める赤城と翔鶴は、お互いに馬が合うようだ。もっとも、それぞれ主力航空部隊の長ということもあって、よく話はする方だったのだが。

 

ちらっと、瑞鶴は加賀を見やる。その横顔からは、残念ながら何を考えているのかは読み取れなかった。代わりにその唇が動くのがわかる。

 

「私の顔に、何か付いていて?」

 

「えっと・・・いえ、何も・・・」

 

―――うわーっ!どうすればいいのよっ!!

 

頭を抱えたくなる瑞鶴は、彼女と、新しく僚艦になった先輩を見る視線に気づかなかった。

 

赤城は面白いことを思いついた。目の前で妙な空気を醸し出している二人の艦娘に視線を向け、次に横で同じようにしている翔鶴と見合わせる。

 

―――ちょっと、からかってみますか。

 

ウインクで意図を察したらしい翔鶴もまた、いたずらっぽい笑みを浮かべて頷く。それを確認した赤城は、さっそく行動に出たのだった。

 

赤城は、うんうん唸っている瑞鶴に歩み寄る。

 

「瑞鶴」

 

「はい?」

 

顔を上げた瑞鶴の肩に、そっと左手を乗せる。そうしてわざとらしく右手を口元に当てると、

 

「不束な僚艦ですが、どうか末永く、よろしくお願いしますね」

 

およよと泣きながら瑞鶴に訴えかけた。

 

「ぶっ!!」

 

「赤城さん!?」

 

当然の如く吹き出した瑞鶴に、加賀の慌てたような声が重なる。が、それを見た翔鶴は、それ以上の隙を与えなかった。

 

「加賀さん」

 

「・・・何かしら」

 

嫌な予感を感じつつも、加賀は翔鶴に向き直る。案の定、その手が加賀の手を掴んで、

 

「不出来な妹ですが、何卒、お幸せに」

 

こちらもまた、迫真の演技で泣きつくのだった。

 

「ぶっ!!」

 

「翔鶴姉!?」

 

さっきの加賀と全く同じ反応に、後ろで様子を伺っていた二航戦の二人が吹き出した。それこそ腹を抱えるほどに、うっすらと涙まで浮かべて笑っている。釣られるように、当の赤城と翔鶴まで笑い出した。正規空母たちの笑い声が、食堂の一角に響く。

 

「ちょっ、なにがおかしいんですか!?」

 

瑞鶴の訴えも届かない。笑い転げる空母娘たちに、一人、食堂に入ってきた長門が冷静だった。

 

「何やってるんだ、お前たちは・・・」

 

 

 

―――で、今に至るわけだけど。

 

瑞鶴は、鎮守府内にある弓道場に立っていた。凛と張り詰めた空気が支配する独特の空間には今、彼女ともう一人、新しく僚艦に指定された先輩だけがいる。数ある艤装の中から、胸当てと弓だけを持ち出した彼女たちは、七○メートルほど離れた的と相対していた。

 

演習期間が始まって三日が経つ。今日は午前中の演習海域使用が二航戦の先輩だったため、彼女たちはこの弓道場で鍛錬をしていた。午後からは、実際に装備を使っての訓練になる予定だ。

 

真横に構え、瑞鶴は的を見据える。手にする矢は一本。ふっと、息を入れた。

 

矢を番え、弦を指で引いていく。ゆっくり、ゆっくり。軌道がぶれないように。

 

やがて限界まで引き絞られた弓矢の、その先を見つめて瑞鶴は狙いを定める。目標は的のど真ん中。

 

―――いっけ!

 

張り詰めた弦を開放してやる。すぐに自由の身となった矢が、ひゅっと音を立てて飛び、寸分違わず中央の黒く塗られた部分を射抜いた。

 

「よっし!」

 

瑞鶴はガッツポーズを取る。これで三本連続だ。

 

たん。

 

と、もう一本の音が響いた。そこには何の余計なものも含まれない。ただ、射抜いた。それだけの、それでいて難しい矢の音。

 

加賀だ。瑞鶴の横で同じように構える彼女の放った矢が、的に当たった音だった。端正な顔には一点の曇りも無く、ただ静かに矢の行方を見つめている。自然と、瑞鶴もその先を見やる。そして、驚愕の表情を浮かべた。

 

「嘘・・・何あれ?」

 

的の中央付近、半径三センチあるかないかの範囲に、十本近くの矢が突き刺さっている。瑞鶴と加賀はほとんど同時に射ち始めたから、だとすれば七、八本を射っているはず。つまり加賀は、第一射から的のほぼ中央を捉え続けていることになる。

 

艦娘酔い―――艤装未装着時でも、常人に比べて視力や筋力のコントロール能力が向上する現象があるとはいえ、とんでもなくすごいことだ。

 

瑞鶴と同じく射るのをやめた加賀は、ようやく一息を吐くと、自分を見つめる後輩の視線に気づいたようだった。小さく首を傾げる。

 

「どうかして?」

 

加賀の問い掛けにはっと言葉に詰まるものの、そこで無視を決め込むほど瑞鶴は捻くれてはいない。思ったことを率直に聞いてみることにした。

 

「なんで、あんなに真ん中に当たるんですか?」

 

「・・・そんなこと」

 

そっけなく応えた加賀は、すっと瑞鶴の後ろに立つと、その腕を取って矢を構える形にした。

 

「簡単なことよ。矢を射るとき、余計な力も、考えも持ち込まない。あなたはまだ、引くときに力が籠っているわ」

 

耳元で淡々としゃべる加賀の声に緊張を隠せない。というよりも、暖かく女性的な体つきの加賀が密着しているせいで、こっちがなんとなく変な気持ちになりそうだ。

 

「あなた自身が一番わかっていると思うけれど、洋上はこの道場と違って波に揺れる不安定なプラットホームよ。余計な力は、それだけで体力と時間を奪うことになる。そのリスクは思わぬところで足枷となる」

 

最もだった。思い当たる節はある。初めての実戦となった01号作戦、そして先日の近海防御戦でも、彼女の発艦時間は訓練より大幅に長くなった。それに、戦果もあまり芳しいとは言えない。そこには少なからず、加賀の言ったような要因が含まれる気がした。

 

「・・・こういうのは、私らしくないかもしれないけれど。あなたのポテンシャルは、十分過ぎるほど高いわ。それは私や赤城さんよりも、ずっと。その能力を存分に引き出せば、あなたも翔鶴も、鎮守府航空戦力の切り札になれるはずよ」

 

珍しく熱く語った加賀に目を丸くしつつ、顔がどんどん熱くなるのがわかった。普段しゃべらない彼女の励ましは、重く、そして確かなものとして瑞鶴の心に深く突き刺さった。やがて加賀は、その身を瑞鶴から離す。その顔がわずかに赤かったのは気のせいだろうか。

 

的に刺さった矢を取りに行く。どこに刺さったか、一本一本確認して抜く。瑞鶴は呟くように、それでもしっかりとした声で宣言した。

 

「・・・加賀さん、私、強くなります」

 

一瞬だけ動きを止めた加賀は、これといって表情を変えることも無く、同じように抑揚の無い声で答える。

 

「そう・・・。それなりに期待はしているわ」

 

中天の太陽が、優しく二人を見守っていた。

 

 

「失礼します」

 

執務室の扉をノックしたユキは、返事を待って中へと入っていった。

 

午後の光が差し込む室内には、何らかの書類と格闘する提督と、秘書艦の長門が控えていた。書類仕事用の眼鏡をかけた両名は、ユキの来訪を待っていたように顔を上げる。

 

と、ユキはもう一人の人物の存在に気づいた。長身細身で提督よりもわずかに長い髪。日光に浮かび上がる影に、頭痛がする思いだった。

 

「なんで、ライゾウ中佐がここにいらっしゃるんですか」

 

開口一番尋ねたユキに、当の本人はへらへらと答える。

 

「司令部じゃあるまいし、普通に先輩呼びでいいぞ、ユキ」

 

そういう問題じゃないんですが、と突っ込みを入れたい気分だが、いたずらっぽい笑みを見てるうちに馬鹿馬鹿しくなってやめた。この先輩を見てると、どんな注意もアホらしくなる。

 

「では、ライゾウ先輩。どうして執務室に?神通ちゃんたちが演習をしていたので、そっちに行ったものだと思っていましたが」

 

「俺が頼んだんだ」

 

ライゾウの代わりに答えたのは、眼鏡を置いた提督だった。それまで読み込んでいた書類を置いて、ユキに向き直る。その目は真剣そのものだ。

 

「次の攻略戦は、西方及び南方海域になる。島嶼戦が予想される海域が多い上に、輸送船団の航路も長くなるから、必然的に水雷戦隊の出撃も多い。だからその辺の運用のアドバイザーを頼んだんだ」

 

その点に関しては、ユキも心得ている。そもそも彼女が執務室にやって来たのは、大淀とまとめた西方海域に関する最新の敵情を提出するためだ。

 

潜水艦、通商破壊部隊、高速水雷戦隊、打撃部隊、そして機動部隊。多種多様、まさに三次元的展開をする西方海域の敵艦隊と相対するには、何よりも情報が欠かせなかった。いくつもの島嶼を拠点とするそれらの部隊が、どこにどのように展開しているのか。きっちりと見極めたうえで、対応可能な艦隊を編成する。それを決めるのが提督の仕事であり、補佐をするのがユキや長門たち参謀の役目と言えた。

 

幸いなことに、先日の南西諸島沖在存艦隊の動きに合わせて、西方艦隊は戦力の集合と進撃の構えを見せた。だから、その実態を見極めやすくはなっていた。

 

「南方の偵察は、どうしますか?」

 

ユキの気がかりはそれだけだ。現状もっとも深海棲艦の戦力が展開している南方は、偵察だけでも一苦労だ。

 

「西方がある程度固まった段階で、偵察部隊を送る」

 

「具体的には?」

 

「西方航路の確立―――リランカ周辺の敵艦隊殲滅だ」

 

現在鎮守府、そして鯖日本とあちらの日本で消費される全ての物資は、南西諸島沖の資源地帯と大陸からの輸送で賄われている。ただし、資源の中には南西諸島沖での入手が困難なものもあり、さらに大陸は自国の消費を満たすので精一杯だ。これらの問題を解決するためには、西方海域の奪還が欠かせなかった。

 

その中でも特に重要な位置を占めるのが、赤道直下、カレー洋の端に浮かぶリランカ島だ。

 

西方航路を維持していく上で、台湾、インドネシア、そしてリランカ島は船団の寄港地として最適の場所となる。航路も限られるため大規模な水上部隊の侵入を事前に察知しやすいのも利点だ。

 

ただし、理由はそれだけではない。

 

「―――それと、これが。はっちゃんからです」

 

ユキはもう一つの、かなり薄い報告書を見せる。マル秘―――トップシークレットを表す判子が押された表紙には、潜水艦娘のサインが入っていた。

 

「・・・おっと、俺は触れないほうが良さそうだな。折角だから、駆逐艦たちの演習でも眺めてるかな」

 

窓辺に立っていたライゾウはその判を確認すると、わずかに眉を吊り上げて執務室から退散する構えを見せた。

 

「ああ、そうしてくれ。後でもう一度呼ぶ」

 

「はいよ」

 

そう言って、ライゾウは扉から出て行った。

 

「―――私もお暇したほうがいいな?」

 

眼鏡をケースへ仕舞い込んだ長門が言う。均整の取れた顔立ちには、少しの嘆息が宿っていた。

 

「すまない。ありがとう」

 

「気にするな。情報の重要性はわかっているつもりだ。―――だが、あまり隠し事ばかりで心配をかけるなよ?特に扶桑や吹雪辺りにはな」

 

「・・・それは、なかなかに難しい注文だな」

 

うーん、と眉を八の字に下げる提督の仕草に、長門が吹き出す。くっくっくっと小さく堪えるように口元に手を当てた笑い声が、なんとも彼女らしかった。

 

「冗談だ」

 

「やめてくれよ、胃に悪い」

 

「最近酒保にいい胃薬が入ったそうだぞ?」

 

頭に入れておくよ。互いに軽口を叩いて、長門は執務室を後にする。残された二人、提督とユキの間にしばしの沈黙が流れた。

 

「・・・受け取ろう」

 

提督が手を差し伸ばす。ユキは手にした報告書を静かに手渡した。すぐに紙がめくられる音がして、提督は内容の確認を始める。

 

「・・・とりあえず、リ号輸送作戦の協力は取り付けられそうだな」

 

「では、共同作戦を?」

 

「いや、その点ははぐらかされた。正式な同盟関係を結ばない限りは難しそうだ」

 

鎮守府を預かる二人の将校。彼らの間にある件の書類の表紙には、簡潔に一文、報告書の内容について書かれていた。

 

『リランカ島周辺の協力勢力について』




また・・・また吹雪ちゃんの出番が無かった・・・

次回は出ると思うけど・・・けど・・・

加賀さんは、いい先輩キャラだと思うんですよ、こんな先輩が欲しかった。

西方海域って広いですが、果たして協力勢力ってなんなんですかね

読んでいただいた方、ありがとうございました。次も頑張りますので、見捨てないでくださいね(懇願)


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波を越え

過去最速記録じゃないかな!?

やったぜ、頑張った俺!

もっと褒めてもいいのよ

というわけで、かなり突っ走って書いた感じはしますが、今回もどうぞよろしくお願いします。


未だ薄暗い海上には、静かにさざ波が立っている。レンズ越しに見える風景は、赤道直下の暑さとはかけ離れた涼しさを感じさせた。普段と変わらぬ海の様子に、彼女は安堵する。

 

「時間です、姉さま」

 

横に控える副官が、彼女の耳元に小声で告げる。それに小さく頷いた彼女は、覗いていた潜望鏡から目を離すと軍帽をかぶり直し、赤いランプで照らされる司令塔内に命令した。

 

「潜望鏡下げ。タンクブロー、“ミルヒクー”浮上」

 

すぐさま司令塔の両側から鈍い音が響き、足元に浮遊感が伝わる。彼女たちの乗り込む潜水艦“ミルヒクー”は、潜望鏡深度から海面へと浮上を始めていた。

 

周囲に敵影はない。先程回収したプローブからも、敵艦の接近は確認されなかった。この邂逅海域が安全と判断した彼女は、予定通りに浮上を命令したのだった。

 

“ミルヒクー”の浮上が止まる。波間を突き破った艦体が、その浮力が釣り合う位置で海上を漂っているのだろう。

 

「オイゲン、ここは任せたわ」

 

「了解です!」

 

副官の返事を待って、垂直のラッタルに手を掛ける。頭上のハッチを押し上げ、司令塔の上に出た。首から提げた双眼鏡のレンズを拭き、覗き込んで周囲を見渡す。やはり、敵影は認められなかった。

 

―――大丈夫そうね。

 

安全を確認した彼女は、艦内通信機を取る。その間も、もう一人上がってきた見張り員が周囲を警戒していた。

 

「こちら艦橋。第一、第二ポッド出撃準備」

 

了解の声と共に、艦橋後部の出撃ポッドが慌しくなる。中に収められた艤装を、着装者が着ける準備に入ったのだ。

 

「511、一応“ゼーフント”の準備もしておいて」

 

『ん・・・わかった』

 

と、そこでもう一人、艦橋に上がってくるのがわかった。その人物について大体の想像がつく彼女は、小さな溜め息と共に件の人物を迎えた。おかげで、ただでさえ狭い艦橋がさらに狭くなった。

 

「どうだ?」

 

なんとも無い様子で聞く彼に、彼女はさっと周りを見回してから答える。

 

「今のところは異常ナシよ。それより、なんでアドミラールがここに上がって来てるの?」

 

「そりゃあ、ここが好きだからだな」

 

大きく息を吸い込む彼に、呆れを隠せない。まあ、出会った時からこんな感じではあったが。

 

「それにしても」

 

彼への文句はとりあえず頭の片隅に追いやって、基地を出てからずっと気になっていたことを、彼女は問うた。

 

「どうしてわざわざ、“ミルヒクー”まで出して出迎える必要があるの?こんな回りくどいことしないで、直接基地に来てもらえばいいじゃない」

 

「一応、正式に同盟したわけじゃないからな。同盟国でもない相手に、最高軍事機密の基地の場所を案内するわけにはいかないさ」

 

「・・・もっともらしいこと言ってるけど、うちの基地は国って言えるほどのものじゃないでしょう。精々集団疎開所っていうのが関の山じゃない」

 

「それほど悪いものじゃないだろう」

 

「・・・まあ、そうね」

 

お互いに、もう一度双眼鏡を覗き込む。朝陽の中の波間は美しく輝き、その揺らめきには一点の曇りも無い。青い光は先程と変わることなくそこにあった。

 

『第一、第二ポッド出撃準備よし』

 

「了解。ハッチを開放してちょうだい」

 

重い鉄の音。完全防水加工が施されたポッドのハッチが開き、警告灯が点灯する。艦前部に一つ、後部に二つの直径二メートルほどのやや細長い円筒は、艤装の着脱をサポートするものだ。船体に据えられた出撃ポッドは発進レールに繋がれ、その先が海面になっていた。

 

『Z1、出撃準備よし』

 

『Z3、出撃準備よし』

 

駆逐艦の呼び出し符号である“Z”と番号を名乗る二つの声が、レシーバーを通して艦橋に届いた。彼女は後部を見、次に前部から来る波を見て、通信機を取った。

 

「出撃!」

 

乾いた圧搾空気の音が響く。後部左舷側の第一ポッドから艤装を装着した少女が海上に踊りだす。水兵用のセーラー服に略帽を被った彼女は、そのまま白い航跡を引いて“ミルヒクー”から距離を取っていった。続いて右舷側の第二ポッドからも、同じような服装の少女が海面に立った。

 

二人の駆逐艦少女は、滑らかに水面を切り裂いて、平行に進んでいく。

 

「さて、俺は引っ込むかな」

 

「ほんっと、勝手ねアドミラール」

 

出撃だけ見届けた彼の勝手な言い分に、もはや呆れの溜め息も出てこない彼女は、どうぞご勝手にとばかりに双眼鏡を覗き続ける。それをなぜか満足そうに確認した彼は、慣れた手つきでラッタルを滑って艦内へと戻っていった。

 

『こちらレーベレヒト・マース。探信を開始するよ』

 

「了解。くれぐれも気をつけてちょうだい」

 

いくら敵影が無いと言っても、それは今だけのこと。だから対潜行動時は二隻が一組になって、片方が探信、もう片方が周囲の警戒を行う。そして見つけ次第、警戒役が探信役の指示の下に敵潜を叩くのだ。

 

とは言っても、今回はちょっと特殊な任務だ。探しているのは敵の潜水艦ではない。彼の言い方を借りれば「最高に面白いもの」、彼女に言わせれば「最高に面倒くさいもの」だ。まあ、これからの深海棲艦との戦いにおいて、この邂逅が重要なのは理解できるが。

 

それは時間通りに捉えられた。

 

『潜水艦を発見』

 

「符丁を打って」

 

固唾を呑む。もしこれが、敵の潜水艦だったら?下手をすれば、洋上に姿を曝している本艦が狙われるかもしれない。

 

『長符三回。味方だよ』

 

ほっと胸を撫で下ろした。探信音を利用した水中通信は、海中に潜む潜水艦が味方のものであると返してきたのだ。彼女は、手にしたままだった通信機のスイッチをもう一度入れて、駆逐艦、続いて艦内へと新たな指示を飛ばした。

 

「了解。護衛をよろしくね。整備班は収容の準備を」

 

再び、先程とは別の理由で慌しくなる艦内の空気を感じて、彼女はもう一度確かめるように、双眼鏡越しに右舷側の海面に目を向ける。二人の駆逐艦が輪を描くように航行する、その中央付近が、ゆっくりと盛り上がった。隆起した水面が砕けて、ヒョッコリと二つの頭が顔を出す。水に濡れた、ピンクのショートと、青いテールの二人の潜水艦が、久しぶりの再会となった二人の駆逐艦少女とハイタッチを交わした。

 

彼女たちの潜水艦より航洋性に優れた設計をされているという二人の潜水艦は、駆逐艦に護られるようにして、彼女の“ミルヒクー”に近づいてくる。朝陽の差す中、きらめく波を掻き分け進む姿は、流麗さと精練された機能美を感じさせた。

 

リランカ島沖。出会った二つの勢力は、深海棲艦との戦いに、新たな変化をもたらそうとしていた。

 

 

鎮守府正面の演習海域。

 

光の加減で、うっすらと茶色がかった髪が輝くように見える。美しくたなびく長髪が、後頭部で結われたリボンとともに、海風の中に揺れていた。淡い橙色をグラデーションとした、儚さすら感じる衣装を凛々しく着こなし、軽巡洋艦娘“神通”は洋上に立っていた。その視線はわずかに不安を含んで、優しく一点を見つめている。

 

『陽炎隊、突撃します!』

 

「了解です。目標はイ一から三、突撃始めてください」

 

海を少し隔てたところ、いくつかの標的ブイと六人の艦娘が浮かんでいる。そのうちの三人が加速を始めた。目視、そして水上機を使って彼女たちを見守るのが、演習監督官と教官を兼ねる彼女の役割だった。

 

第二水雷戦隊と呼ばれる高速水上部隊を率いる彼女は、普段から駆逐艦娘の教導を務めている。彼女と、他に二隻の軽巡、そして三個駆逐隊からなる、水雷戦及び護衛任務を帯びた部隊で、現在は二水戦以外にも、阿武隈の率いる一水戦と川内の三水戦、そして那珂隷下の仮設四水戦があった。もっとも、通信や秘匿性などを考慮して、一個艦隊が六隻編成となっているため、この括りはどちらかというと訓練や哨戒のローテーション用にあるようなものだが。

 

とはいえ、水雷戦隊は水雷戦隊。彼女はその旗艦として、駆逐隊の練成に励んでいた。だからだろうか、こうして二水戦としての訓練が無い日も、自主訓練の監督官―――というよりも教官として、熱心な駆逐隊から声が掛かることが多かった。

 

今日監督しているのは、二人の新任艦娘を含む第十八駆逐隊。今週末には恒例の新任艦娘歓迎会が開かれる予定の二人が、二水戦の訓練に遅れを取らないようにと、陽炎から申し出があった。

 

『砲撃戦用意!』

 

基本的に、彼女は訓練に口を出さない。何をやるかは自分で考えさせ、技術指導について助言を求められればヒントを与える。そういうやり方だ。どちらかといえばぐいぐい自分で引っ張っていくタイプの姉とは、対照的といえる。

 

『天津風、遅れてるわよ!しっかり合わせて!』

 

『了解!』

 

―――あまり、無理をし過ぎないようにね。

 

心の中で思っても、口には出さない。無理をし過ぎているかどうかは、彼女たちが自分で判断するはずだ。俯瞰している自分が口を出して流れを切るべきではない。

 

突撃。講評。アドバイスと確認。そして再突撃。駆逐艦娘たちの訓練は、日が沈むぎりぎりまで続いた。

 

 

 

「お疲れ様」

 

ハアハアと肩で息をする六人の駆逐艦娘を迎える。最後に頼まれて艦隊運動を先導した神通もまた、涼しい顔をしてはいるもののうっすらと汗をかいていた。そこに当たる夕陽の風が心地よい。大きく深呼吸をして、七人の艦娘は埠頭に帰っていった。

 

ドックで艤装をはずし、工廠から出たときには、陽は背後の鎮守府にほぼ重なろうとしていた。

 

「報告書は、夕ご飯の後でいいですよ。まずはお風呂と、整理運動をしっかりやっておいてくださいね」

 

はーい、と返事が重なる。威勢の良い声にそっと笑顔を浮かべて、神通は六人の駆逐艦娘と別れた。

 

―――少し、海風に当たっていきましょうか。

 

夕食までは時間がある。お風呂に行ってもいいが、その前に少しだけ、涼やかな風に当たっていたかった。

 

埠頭のところから、夕陽に照らされる海を見つめる。オレンジ色の光は、もう間もなくで見えなくなる。その前の一瞬が、一際美しい。それが過ぎ去れば、海面を照らすのは星の輝きだけとなる。

 

夕闇にたそがれる神通の後ろから、カツカツと足音が近づく。風の中にその音を聞き取った神通は、ドキリと心臓を高鳴らせてしまう。リズムだけで、その人物が誰かわかるほどに、彼女と彼の仲は長く、そして深いものと言えた。

 

「やっぱりここにいたんだな」

 

「・・・あ」

 

ゆっくりと神通の横に並んだライゾウに、チラッと視線を向ける。第一種軍装を着込んだ、体格のいい若い男性の横顔を伺い、もう一度海に向き直る。ほんのわずかに頬が熱くなった気がした。

 

「しっかし、相変わらず駆逐艦は元気だな」

 

彼はそう言って伸びをする。鍛えられた体が、制服越しにはっきり見て取れた。

 

「そうですね。こちらも、ついていくのがやっとで」

 

―――あ、だめ。

 

この人の前だと、どうしても以前の自分が出てしまう。気弱で、自分をひがみ続けていた頃の、身勝手な自分が―――克服できたと思っていた、自分の弱さが。それをこの人の前で曝け出しそうになるのは、安心のためか、それとも甘えなのか、彼女にはよくわからなかった。

 

「・・・でも、元気なのはいいことですね。彼女たちのおかげで、この鎮守府があるようなものです」

 

「そうかもしれないな」

 

ライゾウの答えは短い。ただし、それ以上の想いが籠もった手が、背丈の低い神通の頭に伸びて、優しく叩いた。

 

「あ・・・」

 

「駆逐艦が元気でいられるのは、神通含めた軽巡たちがしっかり見守ってやってるからだ。だから、あいつらは安心してあんなに元気でいられる」

 

今にも蒸発しそうなほど沸騰した神通の頭を、ふわりと撫でる。もちろん、ライゾウ自身は気づいていない。神通は神通で、頬の赤さを夕陽のせいにしていた。

 

「もっと胸張れとは言わんが、せめて俺ぐらいには礼を言わせてくれ。ありがとう」

 

「・・・いえ・・・はい」

 

―――どうしよう、汗臭くないかな。

 

手袋越しに伝わる体温にますます心臓が早鐘を打ち、ともすれば思考が飛びそうになる。これがもう少し熱い季節か、海風が無かったら、神通はいっぱいいっぱいで鼻血を出して倒れてしまったかもしれない。ただ、湯立ちそうな頭の中でも、神通は確かに幸福感を感じていた。

 

「―――さて、飯食う前に風呂だな。どうだ、一緒に入るか?」

 

「も、もう!からかわないでください!!」

 

離れた彼の手を少し名残惜しく思いながらも、ひらひらと手を振っている彼を精一杯睨む。こうやって、いつも辛気臭い話の後にふざけたしゃべり方をするのが、彼の癖だった。

 

艦娘寮とは別の、司令部庁舎へ去っていく背中を見つめる。提督とは違う将校。自分を、今の自分に押し上げてくれた人。時たまこちらへ来ては、駆逐艦娘を優しく見守る、少し歳の離れた従兄のような存在。今は彼に振り回されてばかりだ。でも、いつかは―――

 

海を振り返る。オレンジから白を含んだ柔らかい色になった光が、彼女を不思議そうに見つめていた。

 

神通は踵を返して、訓練の疲れを取るために艦娘用の大浴場へ向かう。もしかしたら、夕食の頃にはもう一度彼と会えるかもしれない。

 

 

「悪かったね、急に秘書艦をお願いしちゃって」

 

一通りの書類仕事を終えて、秘書艦の淹れてくれたお茶で一息を吐いた司令官は、自分用の湯飲みを秘書艦机に置く彼女に申し訳なさそうに言った。吹雪は、それに微笑を浮かべて首を横に振る。

 

「いえ、久しぶりで懐かしいです。訓練もなくて暇でしたし」

 

吹雪も席に座って、お茶をすする。はあ、と息を漏らした彼女は、台所から出した赤城と加賀特選のお茶請けに手を伸ばした。今日はカステラをチョイスしている。

 

「ふぉれに、おいひいふぁふてらもいふぁだけましふぁし」

 

「うん、赤城みたいに口に入れたまましゃべらないの」

 

相変わらず元気な吹雪の様子に、司令官も苦笑を浮かべる。わずかに頬を赤くした吹雪は、口の中のカステラをしっかり味わいながら咀嚼して、最後にもう一度お茶に口をつけた。甘くなった口の中が、熱いお茶の香りで洗われていく。

 

「おいしかったです。さすがは赤城さんの選ばれたカステラですね」

 

「本当においしいね、これ。いつもどこから見つけてくるのか」

 

「以前、鳳翔さんが長期休暇から戻られたときのお土産だったそうですけど・・・」

 

「ああ、あの時の」

 

今日に限って、吹雪が秘書艦を務めているのには理由があった。本来今日は扶桑が担当する日だったのだが、艤装の不具合を調整するために工廠から呼び出しがあり、朝からそちらに付きっ切りだった。しかも、長門は大和の鍛錬、赤城は休日、加賀は瑞鶴と艦隊演習中で、どうしても午後からでなければ秘書艦業務に就けそうになかったのだ。

 

そこで度々秘書艦経験のあった吹雪が、午前中のうちは臨時に秘書艦を務めることになった。

 

「そうか、そんなこともあったな―――色々とあったんだよな。この一年と少し」

 

司令官は懐かしむように呟く。今でこそ、百名以上の艦娘と数十人体勢の工廠部が所属しているが、この鎮守府が開設されたとき―――吹雪と司令官が着任したばかりの頃は、庁舎も寮もガラガラの、寂しいものだった。その頃の思い出を共有するのは、二人と工廠長、後は工廠に詰める妖精さんたちぐらいだ。

 

「そうですねえ。懐かしいです、初出撃のときの司令官のうろたえっぷり」

 

「や、やめてくれよ吹雪。自分でも思い出すのが恥ずかしい」

 

ふふっと手の甲を当てて、吹雪は笑った。こういう司令官は珍しい。

 

「まあ、あの時の経験があったからこそ、今こうしてやれてるんだろうけどね」

 

「一理あるかもしれませんね」

 

手探りでの試行錯誤、その繰り返しの上に、今の鎮守府がある。ある意味で、鎮守府そのものが吹雪の思い出と言えるかもしれない。

 

「最初はどうなるんだろうって不安でした。今だから言えることですけど」

 

「・・・そうか」

 

吹雪はそっと湯飲みの縁をなぞる。そろそろ中天に昇ろうかという太陽が、斜めに執務室に差し込んでいた。

 

「・・・って、なんだか辛気臭いですね」

 

すみませんと、吹雪は苦笑した。立ち上がって、空になった二つの湯飲みとカステラのあった皿を台所へ片付ける。その後姿を、司令官は黙って見守っていた。

 

蛇口から水の流れる音と、その中で洗い物をする吹雪の鼻歌が聞こえてきた。なんとなく、通い妻みたいだなという感想を抱いてしまったのは、吹雪には内緒にしようと司令官は思うのだった。

 

「・・・なあ、吹雪」

 

「はい?」

 

洗い物を終えた吹雪は、手を拭きながら司令官の問い掛けに答えた。

 

「俺は、絶対に吹雪を沈めたりしない。吹雪は俺にとって大切な存在だ。もちろん、みんなも。大切な人を守れるなら、何だってする」

 

司令官の言葉に、不覚にもドキリとしてしまう。当然の如く、顔の温度が急上昇していくのが、はっきり感じられた。口を開けずに、司令官の話に耳を傾け続ける。

 

「だから、吹雪には―――みんなにも、何かあったら頼って欲しいし、たまには甘えて欲しい。そう勝手に思ってる」

 

司令官の考えは、吹雪も日頃からよくわかっているつもりだった。彼は今自分で言ったように、少しでもみんなの頼りになろうと、その距離を縮める努力をしている。積極的に声を掛け、環境改善の要望には真摯に対応し、暇さえあれば演習や新兵装の試験に立ち会う。新任艦娘の歓迎会の提案があったとき、一言目には賛意を表明して各種調整をこなしてくれた。

 

そして、最たるのが食事だ。士官ともなれば、普通は多少豪華な食事になるのに、わざわざそれを司令部に断って、艦娘と同じものを食べている。今では色んな艦娘に混じって、日々の定食メニューに悩む毎日だ。ちなみに、始めは「みんなが気を使うから」と遠慮して執務室で食べていた司令官を食堂に引っ張り出したのは、吹雪だったりする。

 

「だからその・・・。―――いや、やっぱりなんでもないよ」

 

―――わかってますよ、司令官。

 

吹雪には、司令官の言い掛けたことがよくわかる気がした。それは、もしかしたらそれだけ長く、彼と共にやってきたからかもしれない。

 

司令官の言葉に頬の緩みが止まらない吹雪は、それがとりあえず収まるまで、ゆっくりと手を拭く。初夏とは別の、司令官の優しい温かさに、吹雪はささやかな幸せを感じていた。




吹雪の出番が無理矢理な気がする?気のせいだ

本当はもう一つぐらいエピソード(摩耶様となっちゃん)があったんですけど、それはまた別の機会に・・・

後、すごくどうでもいいんですけど、この話の中の金剛型改二については、『大和撫子紫電改』シリーズに登場する雲仙型を参考にしていたりします。

まあ、あっちはさらにぶっ飛び性能だったりしますが。しかも戦艦じゃなくて超巡洋艦ですし。

読んでいただいた方、ありがとうございます。いつもこれぐらいのペースで書けるといいのですが・・・。


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船の願い

一ヶ月かかってる・・・

いつも読んでもらっている方、ほんとに申し訳ありません。

亀過ぎる作者ですが、どうかよろしくお願いしますね。

今回はシリアスです。大和さんがメイン。

それと、そろそろ戦闘が・・・始まるとかなんとか。


艦娘支援母艦

 

支援母艦“横須賀”・・・大型商船改造の初代支援母艦。高い航洋能力と展開能力を備える。改修により、四基の修復施設を装備。

 

支援母艦“呉”・・・輸送艦改造の最大の支援母艦。航洋能力、展開能力に加え継戦能力も高い。初期から四基の修復施設を装備。

 

支援母艦“佐世保”・・・輸送艦改造の支援母艦。長期遠征部隊の中途補給基地的役割を持つ。現在は修復施設の増設工事中。

 

支援母艦“舞鶴”・・・中型客船改造の支援母艦。航洋能力が低いため、内地の移動拠点として活動する。現在は舞鶴に駐留。

 

高速支援母艦“大湊”・・・建造途中の高速輸送艦を引き取り改装。展開能力や継戦能力は低いが、非常時に迅速な部隊展開を可能とする。

 

高速支援母艦“幌筵”・・・建造途中の高速輸送艦を引き取り改装。“大湊”の同型艦であり、性能的な差異はほとんどない。

 

航空支援母艦“鹿屋”・・・戦時急造輸送艦を改装した特殊支援母艦。艦娘支援能力は低いが、基地航空隊を洋上運用可能とする、移動基地の役割を持つ。

 

これらに加え、現在支援母艦一隻、高速支援母艦三隻、航空支援母艦一隻が建造中。

 

 

潮の香りが、そっと私の鼻孔を撫でました。第一戦速を発揮する艤装の騒音に混じって、正面から吹き抜ける風のビュウビュウというのが際立ちます。

 

ここのところ、毎日のように海に出ています。一通り基礎的な訓練を終えたとはいえ、未だ実戦的な錬度に達しているとは言いがたく、航行や砲撃といった鍛錬を長門さん指導の下で行っているからです。戦艦級の艤装は、どうしても海に―――演習海域に出なければ、まともに砲撃もできませんから。

 

演習期間と銘打って二週間、今日からはさらに一個先の段階、すなわち艦隊演習に参加することになりました。六隻一組の艦隊が二つ、お互いに実戦同様の動きを確認します。戦艦である私の当面の目標は、空母の方たちとどのように連携していくかです。いかに怪物的破壊力を持っていても、戦艦がその真価を発揮するためには、空母という存在が欠かせませんから。制空権下での、観測機を用いた弾着観測射撃こそが、戦艦がもっとも能力を示せる戦術です。

 

「久しぶりの艦隊演習で、緊張します」

 

私と並んで横を進む駆逐艦娘が、そう言ってはにかみました。私の艦隊は、私の他に吹雪ちゃんと五十鈴さん、利根さん、青葉さん、そして龍驤さんで構成されています。対する相手方は、金剛さん、白雪ちゃん、初雪ちゃん、深雪ちゃん、さらに加賀さんと瑞鶴さんの機動部隊です。

 

そう、今回は空母の連携、中でも防空戦闘での動きを要として演習を行う予定です。そのため、龍驤さんには戦闘機と、索敵用の二式艦偵のみが搭載されていました。これらを駆使して、いかに相手方の空襲を防ぐか。それが、今回の艦隊演習の目的です。

 

「吹雪ちゃんも緊張したりするのですね」

 

「いえ大和さん。吹雪ちゃんが緊張しているのは、あそこで司令官が見てるからですよ!」

 

前から振り向いた青葉さんが、にやにやと怪しい笑みを浮かべて、埠頭の方を指差しました。

 

「提督が・・・?」

 

「好きな人には、いいところ見せたいですからねえ」

 

「青葉さん!?」

 

吹雪ちゃんが顔を真っ赤にして、青葉さんに叫びます。ふむ、どういうことでしょうか・・・?

 

いいところを見せたい・・・。好きな人には・・・?

 

・・・あっ。

 

「なるほど、そういうことですか。ふふっ、吹雪ちゃんも隅において置けませんね」

 

「大和さんまで!違います、そういうんじゃないですから!!」

 

『うむ?では提督のことは嫌いか?』

 

通信機越しに割り込んできたのは、艦隊最後尾の利根さんでした。当然のように、声には楽しげな色が見え隠れしていました。吹雪ちゃんが、一瞬答えに詰まります。

 

「そ、それはその・・・もちろん嫌いじゃないですけど・・・」

 

『では好きなのじゃな』

 

「その二択限定なんですか!?」

 

『もちろんじゃ。人生は究極の二択じゃぞ、吹雪よ』

 

『いや、なんで利根が誇らしげなのよ』

 

五十鈴さんまで会話に入ってきました。そういえば、唯一沈黙を守っている龍驤さんはどうしているかと思って後ろを振り返ると、体を小刻みに揺らして笑いを堪えていました。間違いなく、一番楽しんでいます。

 

『ま、提督も罪作りよね。こんな可愛い娘の心を撃ち抜いて』

 

「違いますから!そういう話じゃありませんから!」

 

『駆逐艦の装甲は低いからの、仕方ないのう』

 

利根さんの切り返しが、どうも龍驤さんのつぼにクリティカルヒットしたようです。もうほとんど、声は隠せていません。当の吹雪ちゃんはついに真っ赤に頬を膨らませて、盛大に拗ねてしまったようでした。ふふ、可愛いです。

 

「も、もう皆さんのことなんて知りませんっ!まとめて“天山”の餌食になっちゃえばいいんですっ!!」

 

そう言ってそっぽを向いてしまいました。

 

『あはは、もうその辺にしとき。そろそろ始まるで』

 

目元の涙を拭きながら、龍驤さんが仲裁に入ります。まったくもって説得力はありませんが。

 

艦隊は、私と龍驤さんを中心において輪形陣を敷きました。巻物型の飛行甲板を取り出した龍驤さんは、式神艦載機を袖の中で確認しています。左右に展開した青葉さんと利根さんが、索敵用の水上機を準備し始めました。

 

『大和は、二段目用の偵察機の準備しといてや』

 

「了解」

 

艤装背面の格納庫から零水偵を引き出して、カタパルトに設置します。後は火薬を作動させれば、索敵用の機体が空中に放り出される算段です。三機の零水観は、砲撃戦時の弾着観測用に取っておきます。

 

『監督艦の長門だ。両艦隊の予定位置到着を確認した。これより、航空攻撃及び防空演習を開始する。両艦隊の奮闘を期待する』

 

『艦隊針路一○○。艦首風上に立て』

 

龍驤さんの号令で、艦隊が転針します。通常空母と同じように、空母艦娘が艦載機の発艦に必要な合成風力を得るためです。

 

私の主砲には、すでに演習用の模擬三式弾が装填されています。防空戦闘ともなると主砲に出番があるかは微妙ですが、まあないよりはマシですよね。

 

『索敵機、発艦始め!』

 

瞬間、カタパルトを起動すると、大きなフロートを二つぶるさげた零水偵が、空中に飛び出しました。龍驤さんからも、二式艦偵が発艦していきます。前者は敵艦隊の索敵、後者は索敵のほかに一機が艦隊上空に留まり、防空戦闘のピケットの役割を果たします。

 

しばらくは、静かな時間が流れます。遠方の敵艦隊を見つけるまで、航空戦は起こりません。まして今回防衛側の私たちは、敵編隊の接近がなければやることもありませんから。

 

十数分が経った時、最前列の五十鈴さんが叫びました。

 

『敵偵察機、発見!』

 

その声に反応して、私も顔を上げました。接近してくる小さな影が見えます。形状から見ておそらく新型の“天山”艦攻でしょう。私たちは、相手艦隊に発見されたことになります。こちらはまだ敵艦隊を捉えていませんが、数十分以内に第一波の攻撃を受けることでしょう。第一ラウンドのはじまりです。

 

“天山”は、私たちの動きを探るように、艦隊の上空に張り付いてきました。

 

どくん。

 

急に、私の心臓に締め付けられるような感覚が走りました。ですがそれも一瞬のこと。今のは、一体なんだったのでしょうか。

 

『どうする?落とすの?』

 

五十鈴さんが確認しますが、龍驤さんは首を横に振りました。

 

『いや、無視してええ』

 

『了解』

 

演習用の砲弾は、特殊なペイント弾のようなものです。なんでも妖精さんのお手製らしく、これが付着することで、被害の判定を瞬時に行えるのだとか。まったくもってどのような原理なのかは、私にはよくわかりませんでしたけど。

 

『ほな、迎撃準備しよか。対空警戒を厳に』

 

あちこちから了解の声が飛びます。ありったけの主砲と高角砲の砲門が、大きく仰角をかけられて、高空を睨みました。龍驤さんは直掩機の数をさらに増やします。ピケットの二式艦偵を介して、第一陣、第二陣、対空砲火と三段構えで攻撃隊を迎え撃つのです。ちなみに、ここで使用される戦闘機の機銃弾も、妖精さん特製の演習用機銃です。

 

『二式艦偵より、攻撃隊来襲!方位三三○、数概算で百二十!!』

 

再び十数分、ついに相手の攻撃隊が、私たちに迫ってきました。

 

空母艦娘には、一度に出せる攻撃機の制限というのは存在しません。格納庫―――矢筒のことでしょうか、分解収納されている予備機を除けば、保有する全攻撃機を送り出すことが可能です。直掩戦闘機を差っ引いても、二隻で百機以上の攻撃隊を繰り出せる計算になります。

 

『対空戦闘用意!』

 

「対空戦闘用意!主砲、射撃準備!」

 

簪型の二一号電探と、高角砲を指揮する高射装置を、敵編隊の来襲が予想される方位へ予め指向しておきます。三式弾は時限信管を設定すれば、いつでも発射可能です。

 

―――私にできるのは、ここまでですね。

 

防空戦闘の先陣は、龍驤さんの戦闘機隊が切ります。いくら私の主砲が長大な射程を誇っていても、三式弾の有効射程距離は二万を切っていますから、それまでは豆鉄砲ほどの役にも立ちません。龍驤さんの防空戦を、座して見守るしかありません。その代わりと言っては何ですが。

 

『各艦、間隔を詰めて!』

 

対空砲火の指揮を執る五十鈴さんが、私と龍驤さんを囲む四人の艦娘に命じました。それまで間隔を取っていた四人が、それぞれに速力を変え、間隔を二分の一近くまで縮めます。

 

防空回廊という考え方があるそうです。あらゆる機体―――味方機の侵入すらも許さない、絶対領域。事前に定めたその区画に、ありったけの対空砲弾を叩き込むのです。それは差し詰め、黒い花と断片に囲まれた回廊そのもの。本来は地対空戦闘に用いられる戦術らしいのですが、それを艦隊防空戦に応用できないかと言う考えから、今回試されることになりました。確か発案は、今鎮守府を視察と言う名目で訪れている、多聞丸という方だったはずです。

 

艦隊上空、半径五千。それが、今回設定された防空回廊です。まずは、どの程度ならカバーできるのか見極めなければなりませんから。

 

どくん。

 

・・・また、です。

 

電探の反射波が、次第に大きくなります。ざっと計算したところ、大体百五十ノットぐらいの速さで、攻撃隊はこちらへ迫ってきていました。

 

どくん。

 

心臓が不自然に脈打ちます。

 

『戦闘機隊、突撃!』

 

前方を進む龍驤さんが、勅令の炎で艦載機隊に指示を飛ばします。それを受けて、ゴマ粒ほどにしか見えない攻撃隊の編隊に、十数機の零戦隊が真一文字に突き刺さりました。撃墜確実と判断された機体は編隊を離れて、上空へ舞い上がります。

 

どくん。

 

体を震わすように、鼓動が胸を走り抜けました。

 

それは、編隊が近づくにつれて大きくなります。ゴマ粒から、イチゴの種、スイカの種、ついには羽虫ほどになるにつれ、胸が早鐘のように鳴りました。

 

どくん。どくん。

 

もう、ごまかせません。一体どうしたというのでしょう。背中や額を、冷たい汗が流れます。手が震え、海面を進む足が竦みました。マスト型の傘を握る手に力が入らず、気づいたときには手から離れて、艤装に引っかかりましたが、それすらもよくわかりませんでした。

 

怖い。

 

怖い。

 

何が?これは演習。何を恐れているの。

 

思考と裏腹に、症状はひどくなる一方です。もう訳がわからず、私にはどうすることもできませんでした。

 

『・・・大和さん?大丈夫ですか?』

 

すぐ後ろから、吹雪ちゃんの声が聞こえた気がしました。その声に応えようとしても、唇は小刻みにわななくだけで、何もできません。かろうじて、水面を滑り続けていますが、感覚はほとんどありません。

 

『敵編隊接近!』

 

声が、遠のいていきます。

 

意識が、空間をさまよいます。

 

思考は、すでに体を離れていました。

 

『大和さん!?大和さん、しっかりしてください!!』

 

切迫した声は耳に届いても、それが誰のものなのか、私にはもうわかりませんでした。

 

 

昼下がりの執務室で、司令官は一人物思いに耽っていた。

 

目の前の執務机に並べてあるのは、ここ三日間の演習の報告書。そして対面には、そんな彼を不安げに見つめる吹雪の姿があった。

 

「・・・やはり、芳しくないな」

 

報告書は全て、つい最近新しく配属になったばかりの戦艦娘“大和”について記されたものだ。三日前の防空演習。そして二日間の対空射撃演習と水上射撃演習。今まで順調に行程を消化し、確実に錬度を上げていると思われていた彼女だったが、ここ数日―――防空演習以降、精彩を欠いているとしか思えなかった。

 

「艤装に不具合はないはずなんだけど・・・」

 

先日の防空演習中、突然過呼吸に陥りかけた彼女の様子から、艤装との接触の不具合を疑って工廠部に徹底的に調べさせたのだが、別段問題は確認されなかった。脳波リンクシステムも、リミッターも、特に異常なしとのことだった。とすると、考えられるのは―――

 

「なんらかの、精神的要因・・・?」

 

呟いてみるが、ますますわからない。長門をはじめとして、周りの戦艦娘、空母艦娘には一通り聞いてみたが、特に変わった素振りはなかったそうだ。むしろようやく鎮守府にも馴染み始めて、新しい生活を余裕を持って楽しめるようになってきたほどだという。ストレスを溜め込んでいるようには思われなかった。

 

定期健診の聞き取りでも、そんな兆候はなかったと、大淀からも報告があった。むしろあの演習の後からだ。大和の様子がおかしかったのは。

 

考えなくちゃいけない。彼は指揮官だった。艦娘たちの命を預かっている以上、彼女たちの健康に関しても、たとえ専門分野ではないにしろ、常に気を配ることが必要だ。ただ、うら若き少女たちのプライバシーにどこまで踏み込んでもいいものなのか、元情報将校である彼だからこそ、その絶妙な距離感を掴みかねるところがあるのも事実だった。

 

「あの・・・司令官」

 

唸り続ける彼は、目の前の少女をしばし放置してしまったことに気づいた。視野狭窄になるのは昔からの悪い癖と改めて反省して、彼は顔を上げ、少女を見据えた。

 

「ああ、すまない。どうかした?」

 

「えっと・・・その、こういうことは言っていいのかわからないんですけど」

 

吹雪はそう前置きして、もう一度口を開いた。

 

「大和さんも、“夢”を見たんじゃないかな、と・・・」

 

「“夢”?」

 

彼が首を傾げるのを見て、吹雪は遠慮がちに言葉を繋ぐ。

 

「艦娘酔いって、ありますよね」

 

「知ってる。たしか、船魂と吹雪たちの意識が相互作用を起こして、艤装未装着時でも身体能力の向上が見られる・・・だったか」

 

「はい。それで、前に工廠長がおっしゃってたんですけど・・・」

 

意識の相互作用。吹雪たちが艤装を操るとき、地球側の技術陣が苦心の末に生み出した脳波リンクは、艦娘本人の記憶を媒体として船魂の込められた艤装を操作可能にする。だからより記憶と経験の多い艦娘ほど、複雑な構造の多い強力な艤装―――空母や戦艦といった大型艤装の使用に耐えることができる。艦種によって年齢層に偏りがあるのは、これによるところが多い。

 

ただし、記憶が一方通行で流れることはない。そして艦娘の意識が接続する先は、かつてあの戦争を戦い、永い眠りについてこの世界に流れ込んだ、元軍艦の船魂だ。

 

脳波リンクによって活性化された艦娘の脳は、同時に船の記憶も敏感に感じ取る。本人は気づかないが、それがふとした拍子に―――たとえば、無意識のうちの夢にフラッシュバックされ、彼女たちの精神に影響を及ぼす。工廠長の考えはこうだった。

 

「・・・わたしも、何度か“夢”を見ました」

 

「そう・・・だったのか・・・」

 

どうしてそこに思い至らなかったのだろう。ちょっと立ち止まればある程度予想できたはずだ。

 

「・・・どんな夢を、見たのか、聞いてもいいかな・・・?」

 

「よく、思い出せないんです。ただ暗くて、冷たくて、寂しくて・・・中には、わたしよりずっと、はっきりとした夢を見た娘もいます」

 

「・・・それじゃあ、大和ももしかして」

 

船魂と艦娘の無意識が、どの程度イコールなのかはわからないが、もしも彼女たちが、船の記憶をあたかも自分の身に起きたことのように生々しく感じるのだとしたら。あの戦争で戦艦“大和”の最後というのがどれほど凄惨なものだったのか、そうした知識のない日本人でも大体知っているほどだ。だがその痛みを、悲しみと恐怖を直に感じてしまったとき、人間の心はそれに耐えられるのか。

 

―――吹雪たちは、その“夢”を乗り越えて戦ってるってことか。

 

ただひたすらに頭が下がる想いだった。まだ年端の行かぬ彼女たちは、彼の想像を絶する想いと期待を背負って、戦い続けていたのだから。

 

これ以上、心配をかけるわけにはいかない。艦娘を守る、そのために、できる限りの努力はしなければ。

 

「俺に、できることはないのか・・・」

 

「・・・すみません、大和さん次第としか・・・」

 

「そうか・・・」

 

「ただその・・・これで役に立つのかはわかりませんけど。“夢”を見た時は、誰かと一緒にいると落ち着くんです。暖かいなあって、ちょっと安心できるんです。他の娘たちも同じだと思うんですけど・・・」

 

伏し目がちだった吹雪の目が、ちらりと彼を見上げた。そしてなぜか、顔がみるみる赤くなっていった。よくわからないが、なにかあったのだろうか。体調が悪いのならば、無理をさせるわけにはいかない。こう言ってはなんだが、彼女こそ、この鎮守府に二人といない、大切な要だ。

 

陽はまだ高い。吹雪の退出した後も、彼はあごに手を当てて考え続ける。ようやく書類仕事を思い出した彼は、それを急ぎでこなしているうちに、いつの間にか陽が傾いてきたことに、今日もまた気づかなかった。

 

 

夕食時の艦娘食堂は、もちろん艦娘たちでごった返していました。昼の時とは違って、ほとんど全ての艦娘が集まる夜は、特に人の数が多くて、食堂のあちこちからたわいもない会話が聞こえてきます。

 

艦娘の寮と各庁舎の間に位置しているこの艦娘食堂は、夜八時までは鎮守府内の誰でも利用できることになっています。ですからこの時間帯は、鎮守府勤めの整備員も含めてかなり多くの人員が詰めていることになります。八時まで、というのは、それ以降は艦娘たちの憩いの場として使われるからです。

 

実はこれ以外にも、居酒屋“鳳翔”というお店が鎮守府内にはあります。艦娘の鳳翔さんが趣味でやられているそうで、週三日、特に大人の艦娘や視察でいらっしゃる司令部の方たちがちょっとした飲み会といった感じで利用されています。

 

そんな食堂の中、私はその中でも端の方の小さな机に腰掛けて、金曜日のカレーにスプーンを入れていました。サラダと牛乳と言うオーソドックスな組み合わせは、どうもあちらの世界の海軍の伝統だそうです。確かに、実はこれだけで一食分の栄養がバランスよく取れるという、優れものですからね。

 

それはともかく。私がこんなに端でご飯を食べているのには、それなりに理由がありました。

 

溜め息も吐きたくなります。四日前の演習以来、体のだるさが日に日に増すようでした。そのせいかどうか―――いえ、それだけの理由ではありません、あの日以来、私は空を飛ぶものに、敏感すぎるほど反応してしまいます。同時にあの時と同じ、胸を締め付けられるような感覚と、息苦しさが私を襲いました。

 

変な夢も見ました。どこかに立った私、自らに走る痛みと、傾いていく視界、そして渦に飲まれる軍服の男性たちの残像。それらは夢とは思えないほどに生々しく、私の脳裏に焼きついています。

 

フラッシュバックしてしまった映像に食欲が湧くわけもありませんでしたが、長門さんたちに心配をかけるわけにはいきませんから、なんとかして全て平らげようと、目の前のカレーと格闘します。

 

「大和」

 

と、ふいに声が掛けられました。顔を上げると、そこには白い軍服の男性が。

 

「て、提督」

 

「食事中にすまないな」

 

提督は自分のカレーの乗ったトレーを抱えて、机の横に立っていました。既に軍帽は取られていて、穏やかな表情がよく見えます。

 

「いえ、そんなことないです」

 

提督は、よくこうして着任したての艦娘に声を掛けています。おそらく、そうして私たちが艦隊に馴染めているか、それとなく見ているのでしょう。彼なりの気遣いです。

 

「時間を取らせちゃ悪いから、単刀直入に。少し話があるから、この後二一○○に執務室に顔を出して欲しいんだけど、いいかな」

 

「は、はい。わかりました」

 

なんとなく、話の内容はわかりました。私の成績が上がらないこと、そしてこの不思議な感覚のこと、元情報将校であった彼は、どこかからかその事実に辿り着いたのかもしれません。

 

私はできるだけ急いでご飯を食べ、最低限の身だしなみをとお風呂に浸かってから、彼の控える執務室へと向かいました。

 

 

 

「どうぞ」

 

ノックをすると、中からすぐに声が返ってきました。それに答えるようにしてノブを捻ると、彼は席を立って窓から外を眺めているところでした。その先には、漆黒の海が見えています。

 

「あの、大和参りました」

 

「悪かったね、急に呼び出したりして」

 

振り返った彼は、そう言って微笑みます。それは遠征から帰ってきた駆逐艦の娘達を迎える、あの柔らかい笑顔です。

 

「折角来てもらって悪いんだけど、ちょっと外に出ようか」

 

「・・・え、でも」

 

私、寮母さんに確認とってないです。

 

「ああ、大丈夫。寮母さんには許可を取っておいたから」

 

「はあ・・・それでしたら」

 

こうして私は、彼と執務室を跡にして外へ―――海岸へと出ました。工廠部と逆方向には砂浜が広がっていて、夜の散歩にはうってつけです。初夏の陽気が続く鎮守府ですが、やはり夜は幾分か涼しく、吹く風も相まって風呂上りの体には心地よいものでした。

 

「うん、この辺かな」

 

提督はおもむろに呟くと、その場にどさっと腰を下ろして、大きな伸びをしました。普段きっちりとした印象を与える彼の、意外な一面を見た気がします。

 

「大和も座りなよ。ここ、とても気持ちいいんだ」

 

・・・えっと。

 

落ち着いて大和、状況を整理するのよ。腰掛けた提督は、こちらを向いてとなりに腰を下ろすよう促している。この場には私一人。

 

よ、夜の海で男性と並んで座る状況ってなんですか!?なんのイベントですか、提督ルートですか!?

 

こほん。

 

鎮守府に所属する艦娘は、程度は違えども提督を慕う、あるいはその指揮下で戦うことを誇りに思っている娘がほとんどです。中には、曙ちゃんや霞ちゃんといった、彼に対してきつい態度をとる娘もいますが、吹雪ちゃん曰く、それは信頼の裏返しなのだとか。満潮ちゃんの惚気がひどいと、朝潮ちゃんが漏らしていたこともありましたね。

 

まあというわけで、その中には彼を指揮官としてだけでなく、一人の異性として好意を寄せている娘も幾人かいるようです。私はそういった目で彼を見たことはありませんが、第三者視点だからこそ見える、彼の優しさというのもわかりました。有り体に言って、十分に魅力的な男性ではあると思います。とんでもなく鈍いのが少々難点ですが。

 

ともかく、好意を寄せる相手という訳でなくても、夜間男性の隣に座るときの距離感というのは、こう、判断に迷うものが・・・。

 

結局、三十センチほど彼の左に私はそっと腰を下ろして、その先の海を見つめる格好になります。

 

「どうだ。海には慣れたか」

 

「・・・はい。今はもう、大丈夫です」

 

海はもう怖くありません。でも、それ以上に・・・。

 

「・・・そうか。ならよかった」

 

「・・・あの、提督は、何か怖いものはあるのですか・・・?」

 

「そうだな・・・」

 

彼はそのまま砂浜に寝転びました。その目線の先には、満天とは言えずとも夜の海を照らし出す美しい星々が煌めいていました。そこから天測を行ってしまうのは艦娘としての性でしょうか。

 

「子どものころは、親父の話す怪談が一番怖かったかな。今思えば何であんなに怖がってたのかよくわかんないんだけど、聞くたびにお袋に泣きついてたよ」

 

そうして苦笑する。まるで少年みたい、と思いましたが、実年齢的には私より少し上程度であることを思い出しました。老成して見えるのは、普段努めて冷静沈着に振舞っているからでしょう。

 

「ただまあ、そうだな・・・。一番怖いのは、海かな」

 

「・・・え?」

 

彼は、皆には内緒だぞ、と前置きして続きを語り始めます。

 

「夢を見てしまったんだ。君たちが沈むところをね」

 

「・・・」

 

私は黙って聞くことしかできません。

 

「俺の命令一つで、君たちは戦う。もしかしたら、その中で沈んでしまうこともあるかもしれない。そう思うと、時にこの海が恐ろしく思えてね」

 

「・・・そう、だったんですか」

 

考えてもみませんでした。彼が、どんな思いで艦娘たちを海に送り出しているのか。彼もまた、同じように悩み、苦しむことを。

 

「俺は皆と出撃することはできない。新しい装備を造ることもできない。だから全力で作戦を立てることだけ考えている。でもどうしようもなくなったら、こうしてここに寝転ぶんだ。海は怖いけど、波の音は優しい。それになにより、星が綺麗だ」

 

「落ち着きますよね、こうしていると・・・」

 

しばらく、静かな時間が流れます。会話がなくなると、途端に彼との距離感が意識されます。三十センチって近いんでしょうか、遠いんでしょうか・・・。

 

「―――なあ、大和」

 

「はい?」

 

「こういう言い方はどうかと思うが―――必ず帰ってきてくれ、この鎮守府に。俺のところに」

 

「ふえ?」

 

変な声が出てしまいます。き、急にそんなこと言われても、心の準備が・・・!!

 

「いずれ君にも、俺は出撃の命令を下す。見ていることしかできない俺が言えるせめてものことは、無事に帰ってきて欲しい、それだけだ」

 

「提督・・・」

 

「ここが大和の―――皆の帰ってくる場所なんだ。俺はどんな手を使ってでも、ここだけは守る。だから大和も、たとえ何があっても帰ってきて欲しい」

 

彼は、私の夢について何も触れませんでした。そうでしょう。こればかりは、私が自分で乗り越えなければいけないもののはずです。自分ではわかっていたはずでした。でも、心のどこかで甘えていた。けど、彼は―――

 

「わかりました。大和、必ず帰ってきます。―――もちろん、皆さんも一緒に」

 

「ああ、そうだな。大和ならできる。きっと、皆を守りきってくれるはずだ」

 

彼は私に、決意を与えてくれようとしました。たとえどんなものであろうとも、決意があるのとないのとでは、戦いへ赴く心持が違います。それは、困難を乗り越える力に、仲間との絆になるはずです。

 

今夜、私は決意しましょう。

 

それから再び、静寂のときが浜辺に満ちました。新月のおかげでよく見える星々のきらめきが、打ち寄せる波に混じって静かに木霊しました。昼間は焦がれるように熱い砂浜も、今は夜の冷気を吸って私の体を涼しく包みます。それが心地よく、自然と私は、歌を口ずさんでいました。小さい頃、母が教えてくれた、海の歌です。

 

未だに心のもやが晴れているわけではありません。けれどもここ数日の重苦しい心持は、半分くらいには軽くなっていました。私が歌を歌う時は、大抵楽しいときだから。

 

三十分ほどそうしていたでしょうか、私が髪を揺らすそよ風に眠気を誘われ始めた頃合で、彼はゆっくりと体を起こしました。

 

「そろそろ、戻らなきゃな」

 

「・・・そう、ですね」

 

少し、ほんの少し、名残惜しい気もします。こうして彼と静かに過ごせた時間は、久しぶりの安らぎを与えてくれました。もっとこうしていたい、でも、それは私のわがままですよね。

 

「大和?」

 

「・・・あ、すみません。海を見ていて」

 

制服を整えて立ち上がった彼が、私の顔を覗き込みました。ぼーっとしてしまっていた私は、ほんのり頬の熱くなるのを感じます。

 

「・・・もう少し、ここに残っていてもいいですか?」

 

「かまわないが・・・大丈夫か?」

 

「はい、大和はもう、大丈夫です」

 

彼はまじまじと私を見つめて、そっと微笑みました。

 

「わかった。俺から寮母さんには伝えておくよ」

 

「ありがとうございます」

 

それだけ残して、彼は砂を踏みしめ鎮守府に歩き始めました。その背に、私は一言だけ、私情を含んだ言葉を送りました。

 

「提督。あなたのことも、大和が守ってみせます」

 

「・・・そうか」

 

かすかに照れたような素振りを見せた彼は、軽く手を上げて、浜辺を後にしました。一人残された私は、膝を抱えるようにして砂の上から夜の海上を眺めます。星の白光に照らされ、波間の揺らぎにきらめく夜が、優しく、それでもどこか突き放すように、私の心を迎えてくれていました。

 

 

 

「さて、そこで何してるのかな、吹雪」

 

「・・・やっぱり、ばれてました?」

 

「心配して付いてきてくれたのはわかるけど、風邪を引いたら元も子もないよ?」

 

「だ、大丈夫ですこれくら・・・ふっくしゅっ」

 

「あー・・・。間宮さんのところで、ココアでも飲んでいく?」

 

「はい・・・すみません・・・」




こんな感じですが、どうなんですかね。

まだまだ出してない設定とかありますが、まあその辺は追々。

次回更新も頑張りますので、はい。

七駆の水着グラが素晴らしすぎてつらい。ぼのたんの胸がなさ過ぎてつらい。


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嵐来りて

どうもです。

半年以上書き続けてようやく大幅に動き出しそうです。

キス島の戦略的価値ってなんなのだろうか・・・

そういえば、キス島軽巡行けるようになったけど・・・

と、とりあえず今回もよろしくお願いします


「難しいねえ」

 

曇り空が広がる窓の前で、海軍の制服に身を包んだ初老の男はそう呟くしかなかった。

 

日本、統合海軍省。現在、対深海棲艦の最高指揮権を持つに至った、自衛隊と鯖世界の鎮守府を統合した組織が入っている庁舎の一室、『鎮守府長官室』と書かれた札の掛かる部屋で、金糸の徽章をきらめかせるイソロク中将は、先程の会議を思い返してまたため息が出そうになるが、それを堪えて、窓の外の光景に目を細めた。

 

産業大国と言われたかつての日本の面影はほぼない。資源不足のために車は軒並みほこりをかぶるようになり、庁舎前の大通りにもそれらの影はほとんど見えない。かくいう彼も、庁舎から離れた宿舎からは歩きだ。

 

「・・・また何か言われたのですか?」

 

イソロクの後ろで微動だにせず直立する、彼より少し若い将校が、鉄仮面のようにピクリとも動かない表情のまま、会議の内容を質した。常にイソロクの陰となって働く彼に、イソロクは柔らかい笑みを浮かべる。

 

「いや。ただまあ、連中も色々あるからね」

 

「今は丁度、対深海棲艦用護衛艦の建造中ですから、資源はいくらでも欲しいのでしょう」

 

「その通り。君には敵わないねえ」

 

対深海棲艦用護衛艦―――イソロクが直轄する艦娘たちの鎮守府で得られたデータを基に、彼女たちの活動の及ばないこの地球において新たな対深海棲艦戦略を担う新種の艦船たちは、現在急ピッチで建造が進められている。

 

鯖世界と地球における深海棲艦の活動には、不思議な関連性が存在した。つまり、鯖世界側で制海権を奪還した海域に該当する地球側の海域もまた、深海棲艦の活動が下火になるのだ。とはいえこれまでの戦闘で疲弊しきっている日本に、すぐさま大量の資材を入手できる実力も、財力もなかった。まずは失われた戦力の建て直しが急務で、交易は大陸と細々続けている程度だ。

 

こういうわけで、現在の統合海軍日本支部―――含めた日本は、艦娘たちが遠征によって手に入れてくる資材を、各種技術を見返りにしてできるだけ安く、鯖日本から買っていた。その量もお世辞にも多いとは言えず、その振り分けを巡っては各組織で議論が絶えなかった。

 

「まさか、鎮守府への供給をカットするなどと言い出したのでは?」

 

「・・・まあ、ね。もちろん、止めたよ。今でさえギリギリで遣り繰りしているのに、これ以上減らされたら動けなくなってしまう。それでは本末転倒、元も子もないからねえ」

 

連中もわかっているはずなんだが。イソロクはまた窓の外を覗いてぼやく。

 

夏だと言うのに、空を厚く覆う雲の間からは太陽の光一筋すら漏れてこない。垂れ込める重い空気が、湿気によるものか、あるいは精神的なものか。

 

「いずれにせよ、彼にも、艦娘たちにも頑張ってもらうしかない。そしてそれを支え、守るのが私たちの仕事だ」

 

やがてぽつり、ぽつりと小さな雨粒が落ち始める。それは次第に強く、激しくなり、長官室の窓を打ち鳴らすほどになった。ガラスを伝う一粒一粒をしげしげと見つめ、イソロクはもう一度、

 

「難しいねえ」

 

呟くのだった。

 

 

「・・・一安心、だな」

 

数日分をまとめれた報告書を読み終わって、提督は安堵の息を吐いた。そうして目の前に立つ今日の秘書艦を見やる。細くも逞しい身体つきをした長門はその目線に小さく頷き、その柔らかな口を開いた。

 

「ああ。まだ本調子とはいえないが、以前のような迷いは感じられない。もう少しで十分実戦に出られるレベルになるだろう」

 

「そうか。ありがとう長門、君のおかげだ」

 

「ふっ、なに、礼を言われるようなことでもないさ」

 

律儀に謝辞を述べる提督に不敵に笑って、どこか誇らしげに、長門は胸をそらす。こういうところ、本当に素直に感情を表す性格なのだ。

 

彼らの話はもちろん、期待の新鋭戦艦娘“大和”についてだった。演習期間にかこつけて集中的に練成をしている彼女の教導は、他でもない長門が担当している。喜びもひとしお、といったところだろうか。

 

「実戦、か・・・」

 

長門が言った言葉を、静かに反芻する。

 

今でこそ、深海棲艦は大きな動きを見せていない。であるから鎮守府は、資源の備蓄と艦隊の錬度向上に全力を上げていることができる。しかし、一ヶ月ほど前の反攻部隊然り、西方海域の艦隊然り、また時が来れば、新たな戦いの火蓋が切られるのは目に見えていた。残念ながらそれが、彼の―――いや、彼女たちの前に横たわる戦争というものだった。

 

再び戦端が開かれれば、彼はまた艦娘たちに出撃を命じることになる。今正に訓練を積んでいる段階である彼女たちにも、だ。

 

―――いかんな。

 

眉間に皺が寄ってくるのを感じて、慌ててそれを揉み解す。

 

「そう難しい顔をするな提督よ」

 

「む、すまないな」

 

覗き込むような長門の一言に苦笑する。ひとまず見終わった書類を取り繕うように片付けて、新たな書類に手をつける。

 

「そういえば、今日は舞鶴の警備隊が帰ってくるのではなかったか?」

 

「ああ、そうだ。多分午後になるって言ってたよ」

 

「ふむ。ではまだ時間があると言うことか?」

 

長門が壁に掛けられた時計を確認する。時刻は十一時を少し回ったところだ。

 

艦娘はもちろん鎮守府で運用されているわけだが、それだけでは鯖日本全土をカバーすることなど到底不可能だ。かといって、鎮守府を増やすわけにはいかない。鎮守府の開設には多大な資材とお金が掛かるため、そうそう簡単に増やせないのだ。現在の鎮守府だって、開設には相当な苦労があったし、提督が着任したときには予定されていた設備の半分もできていなかった。遠征を通して細々資材を集め、計画通りに完成したのはそれから半年経ってからだ。

 

それに用兵の観点からしても、鎮守府の増設は決してメリットばかりとはいかない。現状深海棲艦の勢力がどの程度かわからない以上、戦力の分散は対応能力の低下と各個撃破という最悪の事態を招きかねない。これを避けるため、鎮守府には全戦力が集められている。だがしかし、鯖日本全土の警戒を鎮守府だけで行うのもナンセンスだ。

 

そこで考えられたのが、警備隊だ。鎮守府から選抜した一個艦隊―――重巡と軽巡、一個駆逐隊で編成される部隊が、二週間交代ごとで重要拠点の哨戒任務を負う。活動拠点には徴用した客船や戦時急造輸送艦が選ばれた。

 

舞鶴警備隊もそのうちの一つだ。日本海側の哨戒任務を担当するこの警備隊は、艦娘母艦“舞鶴”を拠点としている。新たな艦娘に交代した先週、先々週担当の艦隊は、今日鎮守府に帰還予定だった。

 

「そうだ。皆には間宮さんとこで奢って上げなくちゃな」

 

提督は頭を掻く。帰還した彼女たちの労いの意味も込めて、提督が間宮で特製パフェや最中アイスを振舞うのはすでに恒例となっていた。

 

「今日から夏の特別メニューだったな。六駆には嬉しい知らせか。ああだが、那智は鳳翔の方がいいかもな」

 

「それもそうだな・・・。うん、考えておくか」

 

妙高型重巡二番艦“那智”は、辛党で知られる。武人然としてどこか長門に近い雰囲気を漂わせる彼女は、姉妹艦の足柄や他の重巡、空母、戦艦勢のやり取りを静かに聞きながらちびちびやるのが好きだった。

 

「・・・それで、すでに執務は終わっているのか?」

 

「ああ、長門に頼むのはもうないな。先に上がっていいぞ、また演習見に来てって駆逐艦たちにせがまれてるんだろ?」

 

「う、む。まあ、な」

 

恥ずかしげに頬を掻く。あいも変わらず、駆逐艦娘たちに人気なビッグセブンであった。

 

「そういうことなら、お先に失礼しよう」

 

「ああ、ありがとう」

 

提督のお礼に軽く口元を吊り上げてドアノブに手を掛けるが、そこでふと、長門の動きが止まった。

 

「那智といえば・・・」

 

「うん?どうかしたか?」

 

「いや、摩耶のやつがまた騒がしくなるな、と」

 

「あー、そういえば。今のうちに演習海域を押さえとくか」

 

「それが賢明かもしれないな」

 

 

「よう、やっと帰ってきたか」

 

舞鶴方面への警備任務を終え、艤装を工廠部へと預けたばかりの重巡洋艦娘“那智”に、ドックのドアの脇から声を掛ける者がいた。人物について、なんとなくの予想がつく彼女は、嵌めたままだった手袋を取り外してポケットにねじ込みつつ、溜め息交じりの返事を返す。

 

「なんだ、摩耶か」

 

「なんだとはなんだよ、折角迎えに来てやったってのに」

 

よいせと勢いをつけて、寄りかかっていた壁から体を離した摩耶は、挑戦的な笑みを浮かべて那智に歩み寄ってきた。

 

「おかえり」

 

「・・・ああ、ただいま」

 

珍しく素直に出迎えた自称ライバルに拍子抜けしながら、辛うじて冷静なままありきたりな返答をする。暑さとは違う意味での冷や汗が背中を伝う感覚がした。

 

「どうだ、調子は?」

 

「調子も何も、やっと帰ってきたんだ。間宮のご飯が楽しみで仕方がない」

 

“舞鶴”では基本的に自炊だった。那智本人は差し支えない程度には料理ができるのだが、その味はまさに『無難』の一言に尽きた。可もなく不可もない。自分でも自覚しているが、どうにもオリジナルアレンジと言うやつは難しい。これが足柄あたりだと、毎日が変化に富んだものになるのだろうが。

 

「なんだ那智、飯まだなのか?」

 

「そうだが、なぜわかった」

 

「へへーん、気づいてねえんだろうけど、那智は腹がすくと眉間にしわが寄りはじめるんだよ」

 

ギクリ。同じ様なことを姉妹からも言われたことがある。そんなに表情に出やすいのだろうか・・・。

 

「・・・それで、何の用だ?そんなことを言いに、わざわざ来たわけではないだろう」

 

「さっすが那智、わかってんじゃねえか」

 

表情を誤魔化すように本題を引き出そうとすると、摩耶は挑戦的な笑みを浮かべて那智に指を突きつけた。腕を組んでその視線を正面から受ける。

 

「久しぶりに、演習やろうぜ」

 

「やはりそれか・・・」

 

相変わらずの大げさな物言いに、さらに溜め息をつく。正直頭を抱えたいレベルだが、これがライバルの宿命と言うものなのだろうか。

 

「いいじゃねえか、あたしもようやく艤装の調整が終わって、調子を見ておきたいんだよ」

 

「貴様、私を実験台にするつもりか」

 

そうは言っても、那智も二週間の警備任務でなまってしまっている。基礎訓練は欠かさないが、艤装を振り回してやる演習を警備任務中にやるわけにはいかない。

 

「いいだろう。で、今回はどうする」

 

摩耶とは何度も演習をやってきた。最初は、新任だった摩耶が那智に突っかかってきたのがきっかけだったか。それ以来、砲撃演習、雷撃演習、最近は他の艦娘まで巻き込んでの艦隊演習になって行った。

 

「もちろん艦隊演習だ。編成は重巡二隻と一個駆逐隊、でどうだ」

 

また駆逐隊が二つ犠牲になったか。誰とはなしに心の中で詫びて、那智は了承の意を示す。摩耶は鳥海に頼むだろうから、那智としても足柄辺りにお願いする必要がありそうだ。鳳翔のところでおごってやるとするか。

 

「んじゃ、そういうことで決まりな」

 

「待て。何を賭ける?」

 

これも恒例だ。お互いに定食だとか休暇だとか掃除当番だとかを賭けて勝負する。これぐらいやらないと、駆逐艦は快く参加してくれない。まあ、中には物好きもいるが。

 

「ふっふっふ、安心しろ。今回は奮発したぜ」

 

「・・・勿体つけずに早く言え」

 

ちなみに那智は、負けたら鳳翔のところで飯でも奢ろうと決めていた。

 

「こんなこともあろうかと、間宮券を六枚入手しておいたぜ。勝った艦隊がこいつをもらうってのでどうだ?」

 

「・・・つまり、私が勝てば私の艦隊が、貴様が勝てば貴様の艦隊が、間宮の特製パフェにありつけるということか」

 

なるほど、悪くない。いずれにせよ、那智側は何か失うものがあるわけではない。それに間宮のスイーツが掛かるとなれば、必然的に駆逐艦のやる気も出る。

 

しかしながら、こいつはどこで、そんなものを手に入れたんだ・・・?

 

「いいだろう、その勝負、のった」

 

「そうこなくっちゃな」

 

「・・・ちなみにだが、どこで手に入れたんだ?」

 

「あ?いや、こないだの出撃で特別手当が出たから、それで」

 

「貴様、こんなことのために特別手当を使うんじゃない・・・」

 

頭痛が痛い、などと少々混乱気味に額を押さえた那智に、なぜだか誇らしげに笑っている摩耶。鎮守府のでこぼこコンビの演習は、今回も一悶着ありそうだ。

 

後日、なんだかんだで仲良く間宮の特製パフェをつつく妙高型二、三番艦と高雄型三、四番艦、そして十八駆と十九駆の姿が食堂で見られたのは、また別の話である。

 

 

「うむ、今日も冷えるでありますな・・・」

 

本土の暦ではすでに夏だと言うのに、ここ北方海域の空気は未だに肌を突き刺す冷気そのものだった。仮設された庁舎を出たあきつ丸は、霧交じりの朝にいつも通りの感想を述べて、ドラム缶にくべられた薪の火に手をかざす。確かな暖かさが、手のひらを通して全身に伝わって行った。

 

「冷えますね、隊長・・・」

 

同じように手をかざしているしまね丸が、あきつ丸に苦笑する。あきつ丸も力なく笑って、しばらくの間そのままでいた。

 

「あ、そうだ隊長。観測所のほうから、後で来て欲しいって」

 

「うむ?そうでありますか」

 

「“例の件”で話があるそうで・・・」

 

「なるほど。そういうことでありますか・・・」

 

表向き、ここキス島への進出は北米大陸との連絡路の確保が目的とされ、あきつ丸たちもその警備のために配備されていることになっていた。

 

実態は違う。第一、キス島の警備が目的なら、彼女たちよりこの地までの護衛を担当してくれた艦娘たちの方が適任だ。いくら北方海域が深海棲艦の活動が少ないとはいえ、たとえ駆逐艦相手でもあきつ丸たちには荷が重すぎる。

 

本当のことを知っているのは、あきつ丸含めて部隊の中に数人、そして“観測所”に詰めている数人の研究者だけだった。

 

そうはいっても、あきつ丸とて全てを知っているわけではない。ただこの地に眠る秘密が、深海棲艦や空間の穴―――アマノイワトの正体解明に繋がる、とだけ知らされていた。観測所でなにが行われているのか、具体的なことは何も知らない。

 

「わかったであります。後で、顔でも出すとしましょう」

 

あきつ丸は、とりあえず用事を終わらせてからそちらに向かうことにした。三二空の神鷹に近海の状況を聞かなくては。もっとも、この天候で航空機による哨戒ができたのかは怪しいが。

 

 

 

「失礼するであります」

 

観測所、その中にある一室に足を踏み入れて、あきつ丸は室内の人物に声を掛けた。いかにも研究者風の白衣に身を包み、細身のフレームの眼鏡を掛けた若い女性が、あきつ丸を振り向いて微笑んだ。

 

「いらっしゃい。待ってたわ」

 

「やはり、ヒカリ殿でありましたか」

 

帽子を取って、仮設とは思えないぴかぴかの床を女史の方へ歩いていく。彼女は地球側から派遣された技術者で、軍お抱えの深海棲艦研究の第一人者だった。

 

彼女が所長を務めるこの観測所は、当然深海棲艦の生態について極秘で研究を進める施設だった。

 

「しかし、今更ながらこれは、自分などが見てもよいものなのでありましょうか・・・」

 

「何言ってるの、あなただから見せるのよ」

 

大きなガラス張りの壁から、階下を見つめる。この部屋より一層下にある殺風景な研究室には、何らかの物体が置かれていた。

 

「と、言いますと?」

 

「バックアップよ、バックアップ。私が死んでも、誰かが研究内容を知っていれば、せっかくの苦労が水の泡になることはないでしょ?ま、私を欠いた時点で、研究は年単位で遅れるだろうけど」

 

彼女はこともなげにそう言って、豪快に笑った。

 

『所長、始めてもよろしいですか?』

 

「いいわよ、始めて頂戴」

 

スピーカーを通して階下から届いた声に、彼女も簡潔に応える。研究室では、防護服に身を包んだ研究員が、不思議な波動を放つ物体に向かい合っていた。

 

「・・・ですがヒカリ殿、バックアップであるならば、自分よりも適任な人物がいるのでは。第一自分は、こういったことは全くの専門外でありますよ?」

 

「いいのよ、それで。専門外だからこそ、情報が漏洩するなんてことはないし。それに、今この島で一番生き残る確率が高いのはあなたでしょ?」

 

さばさばした物言いで、研究室を見下ろしながら彼女はあきつ丸に言った。そういうものでありますか、と一応納得して、あきつ丸も研究室を見やる。物体は何らかの機材に繋がれており、数人の研究員がモニターを確認しながら機材を弄っていた。なにをやっているのかは見当もつかないが、少しずつ、物体の明滅パターンが変化していくのが傍目にもわかる。

 

「・・・予想通りね」

 

「・・・あれは、アマノイワトでありますか?」

 

見覚えがある。青白く、生命が息づくように脈打つ光は、いつだか資料で見せられた並行世界への門、アマノイワトのそれによく似ていた。

 

「少し違うわね。残念ながら、今の人間の理論では、あれを空間の裂け目にすることは不可能よ」

 

「では、いったい・・・」

 

続きは、あきつ丸の口から出てはこなかった。発光の波が突然に変わり、唸るような低い音と毒々しい赤の光が研究室を照らす。恐怖、嫌悪、敵意、怨念、あらゆる負の要素を空間に解き放ち、それは紛れもない生命の息吹をそのうちに宿した。

 

「まさか・・・深海棲艦・・・?」

 

「ご明察。でもびっくり。あれだけで、ここまで成長するなんて」

 

仮説に修正が必要ね。のんきに呟いている彼女を軽く睨んで、あきつ丸はまくし立てる。

 

「今すぐに処分するべきであります!」

 

「落ち着いて、あきちゃん。大丈夫、あれ以上には成長しないように機材で抑えてるから。直に死ぬわ」

 

「なぜ、わかるのでありますか?」

 

「私の計算は完璧だからよ。それに万が一の時は、ここごと爆破するから」

 

自信満々に断言する彼女にそれ以上言い返す根拠もなく、あきつ丸は研究室の様子を静観するしかなかった。物体の状態を窺うようにしながらモニターに目を走らせる研究員の一人が親指をこちらにつきたて、事態が良好に推移していることを知らせた。直後から、あきつ丸の目の前に据えられたパソコンに研究のデータが送られてくる。その一つ一つに目を通しながら、ヒカリはデータを挿さったままのUSBにも保存して行った。

 

『・・・所長、もしかしたらこれ・・・』

 

「ええ、そうかもね。また一つ、仮説が立証されたわ」

 

「なんのことでありますか?」

 

全てのファイルを保存して研究員に実験の終了を告げたヒカリは、くるりと振り返っていたずらっぽく笑った。

 

「鬼姫と、深海棲艦の関係よ」

 

「鬼、姫クラス・・・でありますか?」

 

「まさかとは思っていたけど、あれでも姫様よ、あれ」

 

後方で発光を続ける物体を指差して、ヒカリはさも可笑しいように口の端を吊り上げる。

 

「あれが、姫・・・」

 

「差し詰め“北方棲姫”ってとこかしらね」

 

あきつ丸は、もう一度研究室を覗き込む。赤いオーラを纏った、白と黒の交じり合ったような物体は、心を凍てつかせる光だけ放って、そこに鎮座していた。

 

「はい、これ。あきちゃんが持ってて」

 

背後から差し出されたUSBを受け取る。彼女の顔に浮かんでいるのは、純真無垢な少女のみに許される、無邪気そのものの笑顔だった。

 

―――どうして、そのように笑えるのでありますか。

 

戸惑いながらもそれを受け取るのと、風雲急を告げるアラートが鳴り始めるのは同時だった。

 

「空襲警報!?」

 

思わず頭上を見上げるが、そこにあるのは白い蛍光灯と天井だけだった。

 

「なるほどね、姫様を迎えに来たってことか。でも、近海には深海棲艦、まして空母なんて展開してなかったわよね?」

 

ほんと、やっぱりよくわからないわ。場違いなほどのん気な言葉に惑わされず、あきつ丸はすぐに自らの職務を思い出して帽子を被りなおし、ヒカリに端的に告げた。

 

「観測所の皆さんに、すぐに退避の準備をお願いするであります。自分は状況を確認して参りますので、指示があるまでは待避所で待っていていただきたいであります」

 

「了解。すぐにまとめて向かうわ」

 

それだけ言い残して、お互いに逆方向へと走り出す。

 

玄関から飛び出すと、先程までの悪天候が嘘みたいに、綺麗な晴天が広がっていた。これだから北方の天気は嫌いなのだ。

 

雲間に、小さな影が見える。あきつ丸たちが“飛びエイ”などと揶揄している深海棲艦の航空機が、空を覆わんばかりに編隊を組んでいた。

 

―――なぜ空母が!?深海棲艦の大規模艦隊など、この辺りには展開していないはずであります!

 

深海棲艦も生物なのだろうか、寒さの激しい北方海域には、ほとんど展開していなかった。

 

これまでは。

 

間違いない、今このキス島は、深海棲艦の大規模艦隊、それも主力級の艦隊に空襲されている。

 

―――まずは、三二空に!

 

状況を確認しようと、神鷹の詰める三二航艦の司令部へと全力ダッシュを始めたときだった。

 

耳を劈く大気の音が後方に迫り、しだいに大きくなっていく。はっと気づいて振り向いた瞬間、敵艦載機隊が観測所に向けて急降下していくのがはっきりと見えた。

 

「ダメであります!!」

 

届くはずもないと知りながら、声の限りの叫びを観測所に向ける。しかしその悲鳴じみた願いを粉々に砕く漆黒の塊が、非情にも観測所に降り注いだ。

 

吹き上がる火柱。轟音と共に外壁がはじけ、思わず目を防ぐ。光に包まれた視界の中で、ついさっきヒカリから受け取ったばかりのUSBを握り締める。

 

全ての衝撃が収まったとき、跡形もなく消え去った観測所を呆然と見つめ、それでも竦みそうになる足に鞭を打って、あきつ丸は走り出した。

 

突然に活火山と化したキス島に、小さな少女の足音が響く。しかしその小さな響きすらかき消そうとする鋼鉄製の暴風雨が、この小さな島に刻々と近づいていた。




てことで、次回からは北方海域での戦いになります!多分!

ビスm・・・協力勢力の回収はもう少し先かも

まずはキス島撤退作戦ですね、できるだけ早く書けるといいんですが・・・

読んでいただいた方、ありがとうございます


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撤退作戦

お久しぶりです。

また三週間が経ってしまった・・・

皆さんイベントはどうでしょう?

今回は、ついに北方海域の戦いの幕開けです。一応流れとか決めてあるつもりですが、何がどう転ぶか全く未知数・・・

なにとぞ、よろしくお願いします


桜一号作戦

 

鎮守府が策定した、深海棲艦の近海反攻を想定した作戦案の一つ。

 

北方海域からの侵攻に対して、積極的攻勢を持ってこれを撃退する趣旨の作戦であり、キス島については状況次第で一時放棄もやむなしとされる。想定される最前線は幌筵か大湊。

 

※“桜”は北方作戦を表す符合で、この他に南方を“菊”、西方を“橘”、東方を“葵”と呼称する。

 

 

「各艦、周辺警戒を厳に」

 

寒さと、それに伴った霧に包まれる北方海域キス島沖の海面を、吹雪を先頭にした六人の艦娘が疾走していく。何かから身を隠すように屈んだ六つの艦影は、機関の音に最大限の注意を払いながら、両舷強速で目標ポイントへと向かっていた。

 

「島風、どうだい?」

 

霧に溶け込むような銀髪の響きが、後ろに続く島風に電探の様子を尋ねる。

 

「ううん、なーんにも」

 

島風は、艦隊が安全に航行していることを知らせる。それを聞いた五人は一瞬安堵の溜め息をつくと、また周囲に目を凝らし始めた。

 

キス島撤退護衛艦隊。数日前に深海棲艦の強襲を受けたキス島に駐留する部隊の撤退を目的としたこの艦隊は、北方急派艦隊の一翼として、六人の駆逐艦娘で構成されていた。内わけは、旗艦吹雪に島風、響、陽炎、若葉、初霜。

 

吹雪と島風には、先行的に二二号電探の改良型が搭載されている。響、陽炎は航法に長けており、霧中の航行に必須と判断された。若葉と初霜はキス島に展開している部隊の護衛をはじめ何度も北方への船団護衛を担当している。

 

通常の駆逐隊編成を崩してまで選抜された六名は、キス島の湾内を目指していた。駆逐艦ばかりが選ばれたのは、少しでも敵の索敵網に見つかりにくくするためだ。さらに北の海域には、囮を兼ねた強攻偵察艦隊が展開している。こちらは、空母や戦艦を中心とした編成だ。

 

北方急派艦隊の作戦はいたってシンプルだった。強攻偵察艦隊は北方海域に突如として現れた敵性艦隊の偵察を行い、同時にキス島沖に展開する敵部隊を囮として引き付ける。その間に、反対方向から撤退護衛艦隊が湾内に突入し、統合陸軍特務師団と合流、これと共に高速母艦へと退避する。

 

―――でも、全部の敵部隊が強攻偵察艦隊に誘引されるわけじゃない。

 

それは司令官も想定していたし、吹雪自身もよくわかっている。だからこそ、両艦隊はお互いに着かず離れずの距離感を保って動かなければならなかった。

 

入れっぱなしの通信機からは、強攻偵察艦隊の状況が逐一入ってくる。うまく敵艦隊を誘引できたらしく、現在は敵艦隊への空襲を敢行中とのことだ。この濃霧の中で飛ばせるとは、流石に一航戦が所属しているだけある。もっとも、あくまで偵察と囮が主任務のため、積極的な攻撃と言うよりはむしろ目立つ攻撃というのを行っているようだ。

 

―――慌てず、急いで、正確に。

 

矛盾したモットーを唱え、霧の中からようやく姿を現した湾への入口を確認する。ここまでは、特になんともなかった。あるとしたらここからだ。

 

「複縦陣に移行!」

 

霧中でもすぐに陣形を切り替える。即席とはいえ、北方に行くに当たってそれなりに打ち合わせと訓練はしてある。これも、若葉と初霜の協力あってこそだ。

 

狭くなる湾の入口を警戒しつつ、艦隊は慎重且つ早急に侵入を試みた。吹雪と島風は前に、若葉と初霜は左右に目を配り、待ち伏せているかもしれない敵艦隊をいち早く察知しようと試みる。

 

吹雪たちの予想は当たっていた。

 

「艦影らしきもの、見ゆ」

 

若葉が島影を指差す。あの位置では、電探で捉えるのは難しい。若葉の指し示す方向を、吹雪だけが目を凝らして確認する。はっきりとしない島の輪郭の下、そこに何かがあるようにも、また無いようにも見える。岩であって欲しい、吹雪はそう願った。

 

しかし、鍛えられた吹雪の視力は、霧の中に揺らめく“何か”を確実に捉えた。それは若葉もだ。二人は同時に、相手にそのことを伝えようとして顔を合わせた。ほんの一瞬だけ視線を交差させ、

 

「敵艦隊発見!」

 

次の瞬間、島になりすまして動かなかった深海棲艦が、一斉に発砲した。おそらく六インチ級―――軽巡のものと思しき砲煙とそれよりわずかに小さい多数の五インチ砲が、吹雪たちに向けて放たれた。

 

「左砲雷撃戦用意!!」

 

言うや否や、装填された一二・七サンチ砲を構えて発砲する。それに続くようにして、駆逐艦たちは一斉に主砲を撃ち始めた。しばらく、お互いの砲弾が空を切る。

 

「取り舵!」

 

吹雪が下令し、艦隊は敵艦隊に正面を向ける。その瞬間を待っていたように、敵の魚雷が白い軌跡を引きずって、吹雪たちの横を通り過ぎた。これを見越した転針が功を奏して、全弾の回避に成功した吹雪たちは、さらに砲撃を続ける。さすがに軽巡洋艦は堅かったが、駆逐艦は割りとあっさり沈んでしまう。そして駆逐艦が沈むたびに、軽巡に向かう砲火の勢いが強まる。

 

ついに残り一隻となった軽巡の主砲が沈黙し、しばらくすると盛大に火柱を上げて爆発四散した。敵艦隊を撃破した吹雪たちは、湾内へと急ぐ。油の焦げるような匂いが立ち込めていた。

 

「各艦被害報告」

 

「島風、被弾なーし」

 

「響、至近弾二。航行に支障なし」

 

「陽炎、至近弾三。特に問題なし!」

 

「若葉、被弾一。戦闘航行に支障なし」

 

「初霜、被害ありません」

 

全艦問題なし。それだけ確認した吹雪は、霧で霞む視界の中を、目的のものを探して見渡した。ついでに電探の反応も確かめる。

 

「島風ちゃん、照明弾を上げて」

 

周囲に敵艦がいないのを確認して、島風が発砲。彼女が『連装砲ちゃん』と呼ぶ三体の自立式砲塔のうち一体が砲炎をほとばしらせ、上空に照明弾を放つ。夜戦使用時よりずっと低い位置で炸裂した弾頭は、合図の赤い光を発して空間を漂い、待ち合わせ相手が現れるのを待っていた。

 

後方の警戒を続けつつ、吹雪たちはもう一度湾内を見回す。

 

ボー、と汽笛の音が聞こえたのは、それからすぐだった。

 

「初霜より、吹雪。右手です!」

 

初霜の言う通りに右を見やると、湾を満たす霧の向こうで、赤い光がゆらゆらと左右に揺れた。間違いない、あれは合図だ。あそこに、キス島の守備隊がいる。

 

「両舷半速」

 

減速した吹雪たちが、岸へと近づく。同時に無線封鎖を解き、沖で待機する支援母艦と護衛の艦娘に合流成功の一報を入れた。やがて霧の中に見えてきたのは、黒の制服に軍帽を被ったショートヘアの少女だった。

 

 

「ほう・・・。吹雪たちが合流に成功したようだ」

 

『そうですか。全員無事なのですね?』

 

支援母艦からの通信を受けた長門の言葉に、真っ先に赤城が反応した。

 

「ああ。どの程度残っているかわからなかったが、ほとんど反撃を受けることなく湾内に入れたそうだ」

 

支援母艦に待機する軽巡“阿武隈”からの報告を簡潔にまとめて伝えると、赤城は心底ほっとしたように呟く。

 

『それはなによりです』

 

長門も同感だ。

 

正攻法で作戦を行えば相当の損害を覚悟しなければならなかったとはいえ、駆逐艦だけであの島に向かわせるのは抵抗があった。心配、という言葉は使わない。長門や赤城含め、鎮守府の誰もが彼女たちの実力は知っているし、認めているからだ。しかし、それとこれとは別だ。

 

ともかく、これで一安心だ。一度合流してしまえば、今加賀が放っている警戒用の索敵機も、その警戒範囲を絞れる。いくら霧が出ているとはいえ、今日程度の濃さであれば十分に、撤退部隊に接近する艦隊を発見できるはずだ。

 

『予定通り、九七艦攻の警戒範囲を絞ります』

 

「ああ、頼む」

 

冷静な加賀の声に、長門も短く頷く。同時に、自らが引き付けたキス島周辺の艦隊を思い描いた。

 

長門を旗艦として、伊勢、日向、五十鈴、赤城、加賀からなる強攻偵察艦隊は、キス島周辺に展開していた三つの艦隊と、二つの警戒部隊を引き付けることに成功している。本来キス島には四つの艦隊が確認されていたが、最初の奇襲で赤城と加賀が機動部隊を戦闘不能にしたためこれが後方に下がり、現在は三つの艦隊がこちらを追随するのみである。

 

「さて、ここからが正念場だな・・・」

 

一人ごちる。北方急派艦隊の目的は半分の半分達成された。しかし、長門たちはまだ、敵艦隊の全容を把握するには至っていない。

 

―――事前の報告が正しければ、機動部隊はあんな規模ではすまない。おそらくもう一つか二つ。それから戦艦部隊、か。

 

三二空の神鷹が、空襲と艦砲射撃を受けた後に報告してきたことを思い出し、敵の戦力を予想する。それはおそらく、彼女も参加した沖ノ島の戦いと同規模以上の艦隊のはずだった。

 

だが、現在確認している艦隊の中には戦艦部隊はおらず、空母もわずかに二隻だった。主力級の深海棲艦は、忽然と姿を消していたのだ。できるなら、もう少し北まで索敵範囲を広げたいが、撤退部隊の援護をしなければならない以上、現状でこれ以上の北上は危険だ。

 

『・・・これはいけませんね』

 

彼女の思考を中断したのは、加賀の険しい声だった。それまでの考えを全て頭の隅に追いやり、長門は通信機に呼びかける。

 

「どうした?」

 

『霧が濃くなっています』

 

「むしろ晴れてきたが・・・」

 

『いえ、撤退部隊の方です。流されているのでしょうか』

 

これだから北方の天気は嫌いだ。誰に文句を言っても仕方のないことだが、長門は少しずつ薄くなる頭上の霧を睨む。

 

「警戒機は?」

 

『今のところは飛べているけど、この後は難しいわね。今もよく見えてないわ』

 

「・・・わかった。もうしばらく現場海域に留めておいてくれ」

 

加賀への端的な指示の後、長門は別の艦娘を呼び出す。

 

「伊勢、聞こえるか」

 

『こちら伊勢、感度良好です』

 

艦隊の後方に位置する二隻の航空戦艦のうち、長女のほうが答える。

 

「撤退部隊の方面で霧が濃くなってきた。例の“特別な瑞雲”を出してもらいたい」

 

『あー、了解。十分待ってもらっていい?』

 

「できるだけ急いでくれ」

 

『うん、わかった』

 

航空戦艦として、水上爆撃機“瑞雲”を運用可能な彼女たちだが、航空巡洋艦の最上や三隈に比べて搭載数が大幅に多い。よって最上たちが索敵と先制用にしか“瑞雲”を運用できないのに対して、伊勢と日向にはオプションを取り付けた“瑞雲”が搭載されていた。対空、対水上電探を搭載した“瑞雲”早期警戒機。磁気探知機や対潜爆弾を搭載した“瑞雲”対潜仕様機。それぞれ六機ずつを、伊勢と日向が別々に搭載していた。

 

長門に求められた通り、伊勢は格納庫の“瑞雲”早期警戒機を準備し始める。左腕に装着された航空甲板に六機が順番に並べられ、艦載機の整備を担当する妖精さんがチョコチョコと行き交っていた。

 

「加賀」

 

『はい』

 

「今、伊勢に“瑞雲”を準備されている。それまでは何とか頼む」

 

『了解。少し、高度を下げてみるわ』

 

加賀の九七艦攻が高度を下げる。丁度、撤退部隊が動き出したところであった。

 

長門は島の方を見、次に前方へと視線を移した。零観が、接近する敵水雷戦隊を捉えたからだ。彼女の前には、前衛として軽巡洋艦の五十鈴が展開している。

 

『敵水雷戦隊、距離三○○(三万)』

 

「よし、まずはそちらを迎撃するぞ」

 

『了解』

 

五十鈴との短いやり取りがあり、長門は主砲の仰角を上げる。正面を向いている今、連装四基八門の四一サンチ砲弾を全力で送り込むことができる。

 

『敵艦隊見ゆ』

 

水平線に、特異な形状のマスクが見えてくる。金色のオーラを放つあれは、軽巡ヘ級のFlagshipで間違いない。なかなか厄介な相手ではあるが、戦艦である長門にとって敵とはなりえない。

 

「巡洋艦は私が潰す。後は五十鈴に任せるぞ」

 

『了解!』

 

五十鈴が嬉々とした声で答えた。波飛沫を上げ、一気に加速していく。その様子を、長門が苦笑と共に見送っていた。

 

高角砲の増設によって防空巡洋艦とでも言うべき姿になった五十鈴であるが、本来は水雷戦隊を率いて敵艦隊に切り込む軽巡洋艦だ。こういったことはお手の物、彼女の十八番といったところか。

 

「赤城、予定通り直掩を頼む」

 

『了解です』

 

後ろの彼女がニッコリ微笑むのがわかる。長門は全ての雑念を振り払い、水雷戦隊に向き直った。

 

「目標、敵一番艦。測敵よし」

 

上げられた各砲塔の右砲が、射撃準備に入る。セオリー通り、まずは交互撃ち方による弾着修正からだ。

 

「交互撃ち方、始めっ!!」

 

彼女の号令から一拍を置いて、耳朶を打つ雷鳴の轟きと砲口から迸る爆風が辺りの空気を震わせる。物理法則に従って等速的に全方位へ広がった衝撃波が、海面にぶつかってクレーターを作り出した。その反動に踏ん張りつつ、長門は敵艦を見つめる。放たれた四本の火矢が、敵艦の周囲に巨大な水のオブジェを作り出すのに、それほど時間は掛からなかった。

 

 

「これで全員ですか?」

 

退避を続けていく少女たちを見送って、吹雪は隣の人物に問いかけた。この部隊を預かっていた彼女は、海軍とは一風変わったしゃべり方で、丁寧に答える。

 

「はい、これで全員であります」

 

答えたあきつ丸も、既に自らの艤装を背負い、撤退の準備を整えていた。隊長としての責任感か、彼女は同じく最後まで残った吹雪と共に、ようやくキス島の岸を離れた。

 

「助かったであります。貴官たちにはなんと御礼をすればいいか・・・」

 

真剣な眼差しで謝意を表すあきつ丸に、吹雪も恐縮してしまう。

 

「いえ、そんな。わたしたちは、任務を果たしただけですから」

 

「しかし、この危険な状況で・・・」

 

「大丈夫です。わたしたちを守ってくれる人たちがいますから」

 

吹雪は、離れた海域で戦っている長門たちを思う。さすがは歴戦の主力部隊、今のところ、被害らしい被害を受けることなく、十分に囮の役目を果たしていた。

 

―――でも、いつ深海棲艦がやってくるかはわからない。

 

少なくとも吹雪たちは、先程待ち伏せていた水雷戦隊に発見されている。現状を把握しつつ、常に最悪の事態を想定するのは、艦娘としての基本事項だ。

 

「さ、急ぎましょう!母艦でおいしいご飯が待ってますよ!」

 

「―――はい。それはありがたいであります」

 

六人の艦娘は、三人ずつに分かれて陸軍艦娘たちを囲むように展開する。その列に加わったあきつ丸は、そっと懐の感触を確認した。“行方不明”の女史から預かったデータ。これを然るべきところに届けるのが、彼女の任務だ。

 

―――そういえば、結局“アレ”はどうなったのでありましょう・・・。

 

空襲の前、島の観測所で見たもの―――“北方棲姫”のことを思う。あの後、一度観測所に偵察に行ったが、廃墟と化した建物の中はがらんとして、何も見つからなかった。研究員たちの安否もわからない。

 

―――なんにせよ、まずは腹ごしらえであります。

 

一部隊長として、まずは部下たちの腹を満たすことが先決と、心持速力の上がった船団にあきつ丸も追随して行った。

 

 

 

唐突に、圧倒的な瀑布が目の前に現出した。船団右方に展開している艦娘たちの先頭にいた若葉が、その濁流の中に消え去る。吹雪は直感的に右方を見、そこに予想通りのものが見えないことに歯噛みした。霧が濃すぎる。

 

しかし、それ以上の確認の必要はなかった。見つめた先に、火災現場を思わせる朧げな炎が踊るのを見つけたからだ。

 

「右舷に敵艦隊!!」

 

通信機に叫ぶと、再び敵弾が落下した。何度も見てきたことがある。こちらを圧する迫力と、魅惑的なまでの破壊力を持った一六インチ砲弾が作り出しす白濁のオベリスクは、船団の周囲にまとまって着弾した。

 

「最大戦速!母艦に急ぎます!!」

 

吹雪はとっさに逃げることを判断して、船団の速力を上げた。母艦へ近づけば、待機しているほかの艦娘たちと十分な迎撃ができる。でも今はダメだ。戦艦を含む艦隊に、駆逐艦だけで挑んでも勝ち目はない。身を挺しての時間稼ぎは最後の手段だ。

 

速力を上げる船団。とはいえ戦闘艦である吹雪たちと違い、ほぼ非戦闘艦である陸軍艦娘たちの足は遅い。ようやく電探が捉えた敵影から、距離を算出した吹雪は愕然とした。まずい、今のままではギリギリ間に合うかどうか。もし一人でも被弾して落伍すれば・・・。

 

三度目の弾着。増速したからか、狙いは明後日の方だったが、もしあのままだったらと思うとぞっとする。

 

「こちら吹雪!敵艦隊の攻撃を受く!!」

 

母艦へ繋いだ通信に状況を短く伝える。とっさに煙幕を張るかどうか悩むが、この霧なので止めた。どうせ電探射撃を行っている相手に、煙幕など無意味だ。

 

『こちら阿武隈、状況を知らせて!』

 

事態を悟った阿武隈が、切迫した声で答える。

 

「戦艦級を含む艦隊に攻撃を受けています!現在確認できるのは、戦艦二、巡洋艦二、駆逐艦二です!」

 

『了解!迎撃準備を整えてるから、何とかこっちまで頑張って!』

 

「はい!」

 

吹雪は後ろを確認する。まだ敵艦隊は見えないが、通算五度目の砲炎が上がるのを確認した。また来る。

 

着弾。そして今度は、無傷とはいかなかった。

 

『ぐうっ・・・!!』

 

若葉のうめき声が聞こえた。至近弾の爆風をもろに受けた若葉が、吹き飛ばされるのが見えた。

 

『若葉!!』

 

吹雪のすぐ前にいる響が叫ぶ。

 

『くっ・・・!大丈夫だ、問題ない』

 

そうは言っているものの、若葉の状況はひどかった。砲弾の破片にやられたのか、着崩したブレザーがずたずたになってしまっている。衝撃を吸収するために出力を上げた艤装はところどころがひしゃげ、黒煙を噴出していた。どう見ても、中破以上と判断される損害だ。速力が落ちていないのが、不幸中の幸いだった。

 

『おうっ!?』

 

今度は反対側から声が上がる。敵弾を回避した島風が、同じように爆風に煽られ、前のめりに倒れこんだ。

 

―――このままじゃ、まずい。

 

敵弾は一射ごとに精度を増している。これでは母艦に辿り着く前に、船団が甚大な被害を受ける。

 

『まっず!こちら陽炎、機関がやられた!速力低下中!』

 

鉄槌が振り下ろされるたび、装甲の薄い彼女たちは確実にダメージを受ける。

 

―――止めなきゃ・・・!!

 

鎮守府で、最も長く“守り続けて”きた吹雪は、キッと前を見つめた。そこには、今、彼女が守るべきものがある。

 

「・・・響ちゃん、旗艦をお願い」

 

『吹雪?』

 

響の疑問符には答えない。時間は、残されていない。

 

「みんな聞いて」

 

再び弾着。吹雪のすぐ後ろに、大量の水飛沫が上がる。それに負けじと、吹雪は隊内のみに設定した無線へ叫ぶ。

 

「わたしが囮になる間に、全速力で母艦へ逃げて」

 

『吹雪、何言ってんの!?』

 

真っ先に反応したのは陽炎だ。

 

『そんなの認められない!行くんだったらあたしも一緒に』

 

「陽炎ちゃんは、機関を損傷してるでしょ」

 

『っ!』

 

陽炎は言葉に詰まってしまう。

 

「航行するには、初霜ちゃんに助けてもらうしかない。それは、若葉ちゃんも同じ」

 

『でも、それなら私は付いてっていいでしょ?』

 

次に割り込んだのは、ほぼ無傷の島風だ。しかし、吹雪は首を横に振る。

 

「島風ちゃんがいないと、この霧の中で敵艦を見つけられない」

 

対水上電探を搭載しているのは吹雪と彼女だけだ。島風は押し黙る。

 

「大丈夫だよ。少し時間を稼いだら、全速力で戻ってくるから」

 

努めて明るく、吹雪は断言した。いつだか思ったとおり、どうやら自分は頑固者らしかった。

 

『・・・わかった。旗艦を預かるよ』

 

『ちょっ、響!?』

 

『ただし、預かるだけ。必ず、受け取りに来て』

 

若葉を支えながら前を行く響が、吹雪を振り返った。澄んだ両眼が、まっすぐに吹雪を捉えている。

 

「うん、わかった。絶対に受け取りに来るから、ちゃんと返してね?」

 

『・・・私の気が変わらないうちに、受け取りに来たほうがいい』

 

そう言って、響は薄く笑った。それに大きく頷くと、吹雪は小さな旋回半径で反転し、敵艦隊に向かう。霧の中へ消えていく背中を見送った響たちは、吹雪の言葉通りに、母艦への航程を急いだ。

 

やがて弾雨は止み、代わりに乱戦を思わせる盛大な砲声と爆発音が交錯し、霧の向こうに響き渡った。

 

 

「なんだとっ!?」

 

敵水雷戦隊を跡形もなく葬り去った長門は、その直後に入電した報告に血の気が引くのをありありと感じた。

 

「撤退部隊、敵艦隊の攻撃を受く。敵艦隊は戦艦を含む。現在吹雪が“単艦で”交戦中」

 

出撃準備を急ぎつつ、早口でまくし立てる阿武隈の言葉をまとめれば、そういうことになる。

 

―――何を考えている吹雪・・・!!

 

そう思うと同時に、彼女の行動の意味も理解できる。低速の船団から戦艦部隊を引き剥がしたければ、誰かが囮になるしかない。

 

『・・・ごめんなさい、私の警戒ミスです』

 

加賀がかみ殺すようにしゃべる。

 

「索敵漏れについては後だ。伊勢!」

 

原因はわかっている。濃霧の中、飛べていること自体がすごいのだ。それは赤城や加賀を含めて、ほんの一握りの艦娘にしかできない。その極限に近い状況で、完璧な索敵を要求するのは酷というものだろう。だが真面目な加賀のことだ、そんな言い訳を並べて慰めたところで、余計に自分を責めるに決まっている。だから長門は、あえてそっけなく答えた。

 

『後一分!』

 

「電探に何か映っているか?」

 

『船団を捉えた。ええっと、ひい、ふう、み、周りに五隻いる。撤退部隊ね』

 

「・・・視認できるか?」

 

『一機だけ、高度落としてみるね』

 

「頼む。残りは吹雪の捜索をさせてくれ」

 

間に合ってくれ。長門はそう願うしかなかった。

 

『どうしますか?あちらの救援に向かうなら、すぐに攻撃隊が出せます』

 

間を見て、赤城が軽く具申してきた。

 

長門はこれ以上ないほど、強く唇をかむ。もちろん、今すぐに救援に行きたい。だが敵の全容を把握し切れていない今、うかつに動くのは危険すぎた。艦隊を預かるものとしての責任が、長門の本能に枷をかけている。

 

「・・・待機だ」

 

『はい』

 

今すぐにでも、機関をいっぱいに噴かして吹雪のもとへ向かいたい。

 

はっきり言って、生存は絶望的だ。確認されただけで、敵艦隊には戦艦が二隻いた。いくら吹雪でも、これを相手取って無事で済むはずがない。だがそれでも、祈らずにはいられないのだ。彼女こそ、艦娘たちの大黒柱なのだから。

 

『船団確認取れた!若葉と陽炎が被弾、船団内にもいくらか損傷艦がいるみたい』

 

「吹雪は!?」

 

『・・・ううん、いない』

 

「くっ・・・」

 

クソッという罵声を瞬時に飲み込んで、伊勢の報告を待つ。程なく、索敵に出ていた“瑞雲”が敵艦隊を見つけた。

 

『いた!敵艦隊見ゆ!戦艦二、重巡一!』

 

報告より少ない。吹雪が、何隻か沈めたのだろうか。

 

「吹雪は!?」

 

『・・・まだ、見当たらない。こっちも高度を落としてみる』

 

「・・・頼む」

 

出口を探して目頭をせり上ってくる水分を押し込める。まだ決まったわけじゃない。諦めないということを教えてくれたのは、彼女なのだから。

 

『っ!?戦艦一が爆発、炎上中!』

 

「なに?」

 

『あっ、いたいた、吹雪だ!吹雪を発見!損傷が激しいですが、確かに浮いてます!!健在です!!』

 

「赤城っ!!」

 

『攻撃隊、発艦始めっ!!』

 

長門の叫びに呼応して、赤城は風上に向け矢を放つ。空を切った鏃の先から光が走り、次第に分裂して艦載機に変化した。発動機の鈍い音を轟かせる艦上攻撃機“天山”は、その速力を生かして一気に加速すると、霧の向こうへと飛んで行った。

 

赤城が矢を放つたび、艦載機が発現して飛び立つ。出せる機体から次々に出て行く状態の攻撃隊は、ただひたすらに吹雪の対峙する艦隊を目指していった。

 

伊勢が放った“瑞雲”は、その真価を遺憾なく発揮する。小型電探による高い索敵能力を生かして接敵し、逐一状況を知らせる。同時に海面までの高度や周囲の岩礁等の位置を赤城の艦載機に伝える。鍛え抜かれた赤城攻撃隊にとって、航空攻撃を行うために必要な情報は、それだけで十分だった。

 

海面すれすれに高度を落とした“天山”が深海棲艦に迫る。その対空砲火は思いのほかか細い。吹雪との戦闘で、相当のダメージを受けたのだろうか。

 

赤城は、絶対に外れない距離まで艦攻隊を接近させ、じつに四百という距離で魚雷を投下、引き起こしに掛かった。雄叫びを上げる戦艦の頭上をフライパスしたとき、その身長を遥かに越える水柱が、連続して沸き起こった。ほぼ同時に、その快速を生かして艦隊上空へ辿り着いた“彗星”の群れが急降下、その腹から黒光りする隕石をばら撒く。クレーターを穿たれた深海棲艦は盛大にはじけ、その原形を留めることなく、海中に没していった。

 

『敵艦隊撃滅!』

 

『一時の方向に感多数!敵攻撃隊!』

 

二つの報告が重なった。吹雪は助けられたようだが、今度は逆に長門たちの艦隊に危機が訪れようとしているようだ。

 

「赤城、状況を“大湊”に打電して吹雪を救助してもらってくれ。伊勢はそのまま警戒を続行。艦隊、対空戦闘用意!」

 

号令一下、強攻偵察艦隊は赤城と加賀を中心として輪形陣を組む。正念場だ。

 

「加賀、攻撃が終わったら敵編隊をつけさせて、位置を特定する。二式艦偵を用意しておいてくれ」

 

『了解』

 

「次は、きっちり見つけてくれ」

 

『・・・わかったわ』

 

大丈夫、加賀の気持ちは、くじけていない。わずかに遅れた彼女の返事に、確かな決意を感じ取った長門は、小さく息を吐き出す。

 

「伊勢、吹雪の様子を確認してくれ」

 

『今は、海面に倒れてる。艤装の出力は十分みたいだから、大丈夫だと思うよ。ただ・・・』

 

「ただ?」

 

『・・・ううん、ちょっと気になったことがあっただけ。特に問題はないよ』

 

「ならいいが・・・」

 

伊勢の報告に、疑問を呈している時間はなかった。電探が捉えた機影が、距離四万を切っている。

 

『直掩隊、行きます!!』

 

赤城の号令と共に、前衛に展開していた新型艦戦“紫電”改二が急降下を開始する。瞬く間に十数機を叩き落した銀翼たちは、初期の零戦の二倍近い馬力に物を言わせて、編隊のまま再び上昇する。これが二回繰り返されたとき、深海棲艦の攻撃隊は、長門の三式弾の有効射程に入った。

 

「全主砲、撃てえええええええっ!!」

 

三式弾が炸裂したのと同時に、待機していた零戦隊が敵編隊に飛び込み、格闘戦を始める。長門は意識を、目の前に集中させた。

 

 

船団から注意を逸らすように、吹雪は一二・七サンチ砲を乱射した。そのうちの一弾が駆逐イ級を屠ると、敵艦隊の船団に対する砲撃が止んだ。邪魔な駆逐艦を排除しようと、照準を変更しているのだろう。

 

吹雪は速力を緩めず、そのままで大きく深呼吸した。背後を振り返る。白波を蹴立てる人影は、すでに霧の向こうへと消えていた。これで一安心、だろうか。

 

自らが守るべきものが無事に母艦へ辿り着くことを祈りつつ、吹雪は再び前に目を向けた。

 

息を吸い込む。はっきり言って、怖い。鎮守府の誰よりも戦闘を経験してきたし、死線を潜り抜けてきたという自負もある。それでも、戦艦二隻を要する艦隊を一人で相手取るのは、初めてだ。

 

海面を滑る足が、今にも震えだしそうだ。けど、残念ながら逃げると言う選択肢はない。

 

吸い込んだ息を、さっきよりも深く吐き出す。覚悟は、決めた。

 

―――司令官、怒るかな。

 

自分の大切な存在は、きっと彼女のやろうとしていることを止めようとする。だから、彼がいなくてよかったと思う。

 

反面、今ほど彼に会いたいと思ったこともなかった。生きて帰れば、それも叶うかもしれない。けどこればっかりはわからない。

 

何が起こるかは、未知数だ。

 

轟音と共に、目標を変更した敵弾が降り注ぎ始めた。吹雪はその豪雨の中を、微動だにせず進む。

 

目を、閉じる。一瞬、今までの思い出が瞼の裏を流れ、束の間の安らぎを覚えた。

 

 

 

吹雪は、何事かを呟いた。

 

 

 

吹雪の艤装は、その出力を下げ始める。唸りが収まり、殻の内側へこもるように。航行灯が明滅し、ついに消える。推進力を失った吹雪は、惰性で白線を引いていく。その背後から、敵弾が迫りつつあった。

 

次の瞬間、それまで息を引き取ろうとしていた艤装が、新たな息吹を宿した。それまでに倍する唸り。海面を揺るがす轟音が響き渡り、彼女の艤装に力を与える。再び灯った航行灯とは別に、甲高いアラートが響いて真っ赤な危険信号があたりに吹雪の異常を伝える。だが、本来それを認識するべき吹雪は、いまだ目をつぶったまま、艤装のなすがままに任せていた。

 

主人に無視されたことに腹を立てたのか、警告音は最後の一声を上げて沈黙し、代わりに艤装全体を、禍々しいオーラが覆いだした。時折スパークが走り、その特異さを際立たせる。

 

再び着弾。頭から水飛沫を被った吹雪の前髪から、雫が滴る。

 

右手の一二・七サンチ連装砲A型を握り締める。

 

雷鳴のように鳴り渡る艤装の音が、海面を支配する。

 

三連装魚雷発射管が、自らに獲物が与えられるときを今や遅しと待っている。

 

顔を上げた吹雪は、霧の向こうに微かな陽光を感じた。

 

それを覆う影が、吹雪の頭上に迫り、音速の壁を突破して落下してきた。

 

 

 

吹雪は、目を見開く。

 

 

 

水柱が立ち上った。密集するジャングルの木々を思わせる大水量は、そこに存在していた駆逐艦娘を跡形もなく消し去った。

 

 

 

かに見えた。

 

 

 

戦艦ル級の横にいた駆逐イ級が、盛大な炎を上げて爆発四散した。

 

霧の中、突如として飛んできた砲弾が重巡リ級を捉え、ありえない威力で後方へと吹き飛ばす。

 

吹雪は、艤装の出力を最大にして駆け抜ける。時には電探に映った影に、あるいは目視で捉えた敵艦に、自らの一二・七サンチ砲を向け、連続斉射する。究極まで高められた艤装の船魂が砲弾に定格以上の破壊力を与え、吹雪の放った砲弾は明らかに格上の装甲を食い破り、弾き飛ばした。

 

ともすればブラックアウトしそうになる意識を、懸命に繋ぎとめる。極限状態の艤装はより高い負荷を吹雪に要求し、船魂はか細い少女の体へ逆流する。本来それを止めるはずのリミッターは、すでに機能を停止していた。

 

弾薬庫の誘爆を引き起こした重巡リ級が煉獄の炎と共に海上から姿を消す。

 

戦艦ル級に命中した弾丸が、肩の砲塔を粉々に打ち砕いた。

 

滝のように降り注ぐ至近弾落下の衝撃は、もう吹雪には感じられなかった。飛び散る破片が艤装に当たって上げる異音も、ズタズタになっていくセーラー服も、どこか遠い、他人事のようでしかない。

 

気づけば吹雪は、戦艦ル級の一六インチ砲弾と互角以上に撃ち合っている。二隻がかりで揉み潰そうとするのを、一隻を牽制しつつもう一隻に向けて畳み掛ける。高角砲の類は瞬く間に失われ、中には当たり所が悪かったのか、正面防楯を撃ち抜かれた砲塔もあった。

 

が、所詮は多勢に無勢、しかも相手が戦艦だ。次第に吹雪は押され始め、被害だけが増していく。

 

それでも、怯むことはない。退くという選択肢もない。ここで、一秒でも長く足止めする、それだけのことだ。

 

不意を突いて発射した魚雷が、たった今撃ち合っていた戦艦ル級の艦底に喰らいつき、盛大に爆ぜた。バランスを崩したル級は、それでも一六インチ砲を放ち、吹雪に浴びせかける。主機が焼き切れるほどの高速運転をする吹雪は、弾道を見極めると寸でのところで回避した。

 

と、その時。彼方から迫る爆音を、研ぎ澄まされた吹雪の聴覚が捉えた。

 

彼女の上をフライパスした“天山”が、手負いのル級二隻と、航行不能のリ級に襲い掛かる。超低空を這うように進む“天山”に対して、深海棲艦は有効な弾幕を形成できていなかった。

 

やがて、轟音と共に水柱が立ち上り、三隻の深海棲艦は断末魔の声を響かせながら、静かに海中へと没して行った。

 

「・・・勝っ・・・た・・・」

 

すでにほとんどない意識の中、吹雪は“天山”の尾部に描かれた識別マークを見て微笑もうとした。

 

しかしそれが叶うことはなく、暗転した視界の中で自分が海面に倒れこむのだけが、妙にはっきりと意識された。肌に触れる海水の冷たさを感じて、吹雪はその意識を一旦体から離す。同時に彼女の艤装も、その唸りを鎮めていった。

 

静寂の訪れた海域に、上空を哨戒する航空機のエンジン音のみが木霊していた。




色々思うところはあるのですが、いいんだろうかこれで・・・

こういうの、結構ベタな設定ですよね・・・

ともかく、次回以降も鎮守府の健闘を祈りましょう!頑張れ!(他人事)

読んでいただいた方、ありがとうございます。


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合戦準備

どうもです

今回は戦闘はありません。次回以降になりそうです

夏も終わりですが、自分は浦風の浴衣がドストライク過ぎて絶賛悶え中です

いい歳して何やってんだろ俺・・・

朧も可愛かったですね

今回もどうぞよろしくお願いします


―――夢を見ていた。

 

 

 

遠い―――多分、ずっと昔の、どこか別の世界での話。悲しい、話。

 

冷たくて。暗くて。悲しくて。寂しくて。

 

でも、どこか懐かしくて。暖かくて。

 

これは何?

 

夢。

 

そう、そうか。

 

 

 

夢を、見てるんだ。

 

 

暗闇に包まれた視界に、微かな光を感じ取った吹雪は、そっと、その瞼を持ち上げた。

 

蛍光灯の白い光が、目に付き刺さる。見覚えがあるようで、なかなか思い出せない天井の模様をぼんやりとした頭で見つめていた吹雪は、自らの横に人の気配を感じて、首を動かそうとした。が、案の定、鉛のように重い体はなかなか言うことを聞かず、ぎちぎちと油の足りないロボットのような動きが、衣ずれの音を伴ってようやくできた程度だった。

 

その音で気づいたのか、気配の主は彼女の頭の位置から動き、正面から見えるようにこちらを覗き込んだ。

 

「目が覚めた?」

 

普段と変わらずにこちらへ呼びかけたのは、白の第二種軍装に身を包んだ司令官その人だった。

 

「・・・司令、官」

 

彼の姿を認めた吹雪は、なんとかしてその体を起こそうとする。それを司令官は、柔和な表情で押し止めた。

 

「いいよ、そのままで。軍医長も、しばらくは安静にって言ってたから」

 

「・・・はい」

 

力なく答えて、再びベッドに身を委ねる。真っ白に整えられた鎮守府医務室のベッドは、吹雪のか細い体を癒すように包んで、かつ力強く支えていた。

 

「あの・・・、司令官は・・・?」

 

「ん?ああ、お見舞いをと思ってね。目が覚めたみたいで、丁度よかった」

 

それは艦隊の指揮官としてでなく、普段艦娘と接するときのしゃべり方だった。

 

「ありがとう、ございます」

 

どう答えるべきか迷って、結局ありきたりな言葉を返す。それに温和な笑顔でうなずいて、司令官は立ち上がった。

 

「軍医長を呼んでくるよ。そのまま待ってて」

 

そう言って、医務室を後にする。残された吹雪は、さっきまで司令官が立っていた位置―――枕元の机を見やって、目を見開く。

 

『早くよくなって』

 

艦隊一同と書かれた小さいカードと共に、間宮さん特製の羊羹が置かれていた。

 

感覚の戻りだした左手を、その机に向かって延ばす。指先から順番に、黄色い箱に手を触れていく。丁寧な装丁の表面が冷たく、心地よい感覚を伝えてくれた。

 

「撤退艦隊のみんなが、持ってきてくれたんだ」

 

入口を見る。軍医長を連れた司令官が、優しげに吹雪の手元を見ていた。ほんのり頬を染め、手を引っ込める。

 

「後で食べる?」

 

「はい・・・。いただきます」

 

小さく頷く。司令官は、わかったとだけ言って、机の引き出しからお皿とティーパックを取り出し、簡易ポッドでお湯を沸かしだした。その間、軍医長が吹雪の心電図を見ている。

 

白衣に細身フレーム、髪をポニーテールでまとめた女医は、てきぱきと確認を済ませ、最後に吹雪を正面から見据えた。

 

「体を起こせる?」

 

「は、はい」

 

吹雪は、ゆっくりと体を起こした。ゆるい患者着が布団の下から現れ、上半身をベッドの上に立てる。

 

「特に怪我とかはなかったから、安心して頂戴。どこか痛むところはある?」

 

「いえ、特には・・・」

 

「そう。ならいいわ。でも、体に相当の負荷がかかっていたから、しばらくは安静にしてなさい。食事は普通で大丈夫よ」

 

軍医長はそれだけ言うと、「それじゃ」と医務室を後にした。

 

残された二人の間に、ポットがたてるコポコポという音だけが流れた。

 

「・・・あ、羊羹切らなくちゃ。ちょっと、給湯室に行ってくるよ」

 

黄色の箱に手を出そうとした司令官がふと気づいて、それを持ったまま医務室の病棟に併設された給湯室へ席を立った。その後姿を目で追っていた吹雪は思い出したようにベッドを操作すると、枕元がリクライニングの要領で上がった。緩やかな傾斜に背を預ける。

 

ようやく整理の追いついた頭で、吹雪は記憶を―――ベッドで目を覚ます前の出来事を思い返した。彼女が率いる撤退艦隊が、敵戦艦部隊の襲撃を受けた時のことだ。

 

立ち上る水柱。回避運動。被害の拡大。旗艦移譲。単艦での突撃。

 

 

 

リミッターの解除。

 

 

 

そこから先は曖昧だ。ただ我武者羅に、敵艦隊に向かっていったことだけを憶えている。そこに濃霧の中から、低空飛行の“天山”が現れたことも。朦朧とする意識の中、撤退艦隊が無事退避した旨の報告を受けた気もするし、違うかもしれない。

 

―――でも、わたしはこうして生きてる。

 

右手を閉じたり開いたりしてみる。主砲の引き金にかけていた人差し指が少し痛むものの、手のひらは問題なく動いた。

 

生きてる。

 

もともと沈む気なんて毛頭なかったが、こうして今一度、自分が生きていることを実感すると、自然と涙が溢れてくる。

 

だが吹雪は、それを懸命に堪えた。彼の前で泣くわけにはいかない。泣く資格なんて、ない。

 

彼との約束を破ってしまった。それだけじゃない。彼の想いさえも裏切ってしまった。そんな自分が、泣くことなんてできなかった。

 

「お待たせ」

 

吹雪の考えなど微塵も知らないように、司令官は優しげな声と共に戻ってきた。切り分けられた羊羹をお皿に取って、沸いたお湯でお茶を淹れる。慈しみに溢れる所作に、吹雪は胸がズキズキと痛むのを感じた。

 

移動式のテーブルに二人分の羊羹とお茶が並ぶ。つやつやとした甘い香りと、芳醇な湯気が鼻孔をくすぐった。

 

「・・・いただきます」

 

吹雪はゆっくりと手を伸ばし、フォークで羊羹を食べる。口に含んだ一口が柔らかな甘さを舌に伝え、心地よい穏やかさをもたらした。それを満足げに見ていた司令官も手をつけ、その味わいに顔をほころばせる。

 

「あの・・・撤退部隊は?」

 

「ん?ああ、皆無事だったよ。何人か損傷はしてたけど、すぐに修復可能だ」

 

吹雪の確認に短く司令官が答えた。改めて確かめられると、安堵の溜め息がでる。

 

「よかった・・・」

 

「・・・そうだな」

 

半分ほどを食べた司令官は、お茶を一口含み、一転して真剣な表情で吹雪を見つめる。吹雪も手を止め、背筋を伸ばした。

 

「少し・・・蒸し返してもいいかな」

 

こくん。頷くと、司令官がまた口を開く。

 

「結果として、吹雪のおかげで皆助かった。そこについては感謝してる」

 

「・・・はい」

 

「だけどな、そのために吹雪がやったことを、認めるわけにはいかない」

 

真摯な声は、今までにない厳しい言葉を繋げる。吹雪は黙って、それを聞いていた。

 

「一人の犠牲で、大勢を救うなんていうのは、最後に考えることだ。僕は君たちに生きて欲しい。生きて、艦娘を退役して、普通の女の子に戻って欲しい。それは吹雪たちに当然与えられる権利で、僕が君たちにしなきゃいけない保障だ。吹雪を戦場に送り出してる僕が言うのもおかしいと思うけど」

 

“俺”から“僕”へ。一人称の切り替わりは、これが彼の本心であることを如実に示していた。

 

「絶対に生きて帰ってくること。約束してくれ」

 

どこか悲しげで、儚い瞳。彼に何があったのか、吹雪には知る由もない。彼と会ってから、時たま見せるこの表情がなぜかとてもか弱く見える。

 

その顔を直視できずに、吹雪は目線を下げる。そのまま、小刻みに頭を縦に振るのが精一杯だった。油断すれば、また涙が堰を切って流れ出ようとする。

 

「・・・ごめん」

 

司令官はうすくはにかむ。残った羊羹とお茶を流し込んで、彼は立ち上がった。

 

「とにかく、吹雪はまずしっかり休んでくれ」

 

白手袋をはずした手が、吹雪の頭にのる。ポンポン、と軽く叩く手のひらの温かさに少しだけ心が凪いだ。

 

「お疲れ様。よく帰ってきてくれた」

 

司令官は病室を後にする。が、何かを思い出したように入口で立ち止まり、吹雪を振り向いた。

 

「それと・・・リミッターの件、言いたい範囲でかまわない、教えてくれると嬉しい」

 

心臓が跳ね上がる。同時に、彼が元情報将校であったことを思い出した。

 

―――敵わないなあ、司令官には。

 

今、このタイミングで言ったのはなぜか。わからない吹雪ではなかった。司令官は“わかった上で”、吹雪のところへ来たのだ。

 

その背中が見えなくなる。吹雪は人気のないことを確認して、

 

「・・・うっ・・・ふぇっ、く・・・」

 

静かに、涙を流した。

 

 

「甘いんじゃないか?」

 

煤汚れた作業服に手ぬぐいを提げた工廠長は、開口一番、提督にそう言い放った。

 

「・・・かも、しれません」

 

たった今出てきた病室の中を想う。でも、これでいいのだ。吹雪は話してくれると信じている。

 

 

 

帰投した北方派遣艦隊の損害は、

 

大破:吹雪

 

中破:若葉、陽炎、五十鈴

 

小破:伊勢、日向

 

損傷:島風、長門、加賀

 

という状態だった。この他に赤城、加賀の航空隊がいくらか消耗したものの、機体はすぐに補充され、部隊再編は終わっている。

 

それぞれの艤装はすでに修復作業が行われ、部品の全とっかえがあった若葉を除いて、後は艦娘との微調整のみで使用が可能な状態になっていた。

 

ただし、吹雪の艤装は例外だった。致命的な欠陥―――リミッターが解除された形跡が見つかったのだ。

 

「それ自体はまだいい。いや、全然よくはないが、まだましだ。リミッターが外れただけなら、夕立のときみたいに原因を突き止めて、対策を施せばいい」

 

だがな。艤装の修復を指揮する工廠長は、提督に自らの見解をこう述べた。

 

「戦闘詳報、艤装の損害状況、吹き飛んだパーツや撤退艦隊の証言を照らし合わせても、これといった原因が見つからんのだ」

 

一呼吸が挟まれる。

 

「断定は危険だが・・・。これは艤装の不具合や環境的要因からきた“事故”じゃない、明らかに“意図的に”リミッターが解除されている」

 

工廠長がこう結論付けたのが三日前、吹雪の帰還から二日後のことだ。

 

故意にリミッターを解除する。それは言うまでもなく危険な行為だ。艦娘自身に負荷がかかるだけでなく、彼女たちを轟沈から守る最後の砦が消失することも意味するからだ。

 

 

 

「まさか、あれを公開したわけじゃないだろう?」

 

「・・・もちろんです。まず長官が握りつぶしていますし、何度か直接上から来たときも、俺のほうで破り捨ててますから」

 

それは、念のために装備された、リミッター解除の方法。この事実を知るのは、実際に設計に携わった工廠長や上層部の一部、そして提督である彼だけのはずだ。上層部はこれを利用しようと何度も鎮守府に艦娘たちへの公開を迫っているが、もちろんそんなことを許す彼ではない。それは、以前の夕立、そして今回の吹雪のようなことを招かないためだ。

 

「ま、そもそもあれは、洋上でできるような代物でもないしな。こっそりやるにも、俺たち工廠部が見逃すはずがない」

 

リミッター解除の方法は工廠で行ううえにかなり複雑な工程を必要とする。それもそのはず、そう易々と解除できては困るのだ。

 

「・・・なにか、別の方法があるのかもな」

 

「どうなんでしょう。工廠長も、そういったことは?」

 

「いや、特に聞いたことがないな」

 

由々しき事態だ。リミッター解除の方法―――それも、洋上で手軽にできる方法が存在するのだとしたら。

 

可能性は極めて低い。が、ゼロではない。

 

―――だとしたら、吹雪はどこでそれを知ったんだ・・・?

 

疑問は尽きない。だが、今それを考えても仕方がないと、頭から振り切る。詳しくは吹雪から聞くしかないし、彼は吹雪が語ってくれることを信じて疑わなかった。

 

「とにかく今は、目の前の状況に対処しましょう」

 

扉の先の作戦室は、すでに準備が整っていた。北方海域の海図が大写しになった液晶パネルを囲むようにして、数人が立っている。

 

まずは、北方海域に出現した強力な機動部隊に、鎮守府の戦力がどう挑んでいくかを考えることにしよう。

 

 

 

「キス島は、一時的に放棄せざるをえないと考えます」

 

液晶パネルの海図を前にして、ユキは開口一番に発言した。

 

現在作戦室には、提督とユキ、ライゾウの三将校、これに長門、赤城、加賀、大淀、そして工廠長を加えた八人が詰めている。ライゾウが参加しているのは、今回の北方作戦の指揮が彼に一任されることになっていたからだ。

 

「やはり、維持は難しいか」

 

「はい。北方に大規模艦隊を派遣して敵艦隊を一掃するにしても、それなりの時間と労力が掛かります。それが終わった後に、すぐキス島に再進駐、とはいきません」

 

ユキの言葉に、ライゾウが唸る。戦略的な意味はわかっても、やはり一度奪還した海域を手放すというのは悔しいし、納得いかないところもあるのだ。

 

「そもそも、北方海域は維持していくのが難しいんです。今までは深海棲艦の活動が活発でなかったために、定期で船団も送り込めました。ですが、これからはそうも行かなくなります」

 

それまで北方では生息不可能と思われていた深海棲艦が進出してきた以上、これを掃討しても海域を維持し続けるにはそれなりの戦力を割かなければならない。同様に、船団の護衛も考え直す必要がある。

 

「北米への連絡路を確保するにしても、全てはこの戦闘が終わってから進めるべきです。同時進行は中途半端な結果しか生みません」

 

「その辺りは、いくつか方針を考えておこう。まずは北方の艦隊をどうするかだ」

 

提督が一旦ユキを遮り、本来の話題へ転換する。彼の目配せを受けて、大淀は頷き、手元のタブレットを操作する。

 

「まずは現状の確認からです。長門さんたち強攻偵察艦隊が確認した敵艦隊は以下の通りとなっています」

 

液晶パネルがルーズして、北海道からAL諸島にかけての海域が写される。長門が赤い模型をどけると、代わりに海図上に印が入り、確認された敵艦隊を示した。

 

「キス島周辺には、巡洋艦を中心とした艦隊が三つ展開しています。その後方、AL諸島深部に敵主力艦隊。確認できたのは機動部隊が三つと火力部隊が一つ、水雷戦隊多数です」

 

間違いありませんね。大淀の視線に、長門が頷く。

 

「以後、艦隊の変動等はありますが、概ねこの配置を守っています。総兵力は確認できるだけで戦艦六、空母六、軽空母四、巡洋艦と駆逐艦が多数です」

 

「現在も航空偵察と潜水艦による哨戒は続けているが、増援は確認されていない。ただ、AL深部方面への偵察機は未帰還機が多く、状況はなんとも言いがたい」

 

大淀のあとを継いだ提督は、そこで言葉を切る。

 

「・・・陸上型の存在も、考慮して欲しい」

 

長門たちは息を呑んだ。

 

陸上型というのは、文字通り陸棲の敵だ。ただし、深海棲艦とは少し異なる存在とされている。深海棲艦の上位意思と考えられている鬼、姫クラスの一部には、そうしたタイプが確認されていた。とはいっても、これは地球側で確認されたもので、今まで鯖世界側で確認されたことはなかった。

 

「深海棲艦の動きも、このAL深部を中心としています。この近辺で、何らかの動きがあった、と考えるのが妥当でしょう」

 

いつも通りの冷静な声で、加賀はAL諸島の周辺海域を指でなぞった。

 

「ただ、敵さんの体勢はまだ整ってないんだろうな。だからせっかくAL深部の守りを固めてるのに、長門たちがキス島沖に現れるとわざわざ前進してきた」

 

ライゾウが指摘する。

 

「だろうな。でなければ、わざわざ守りを固めたAL諸島深部からキス島周辺に前進する理由がない」

 

長門も同意した。それを引き継いで、赤城が口を開く。

 

「とすれば、決戦海域はこちらの任意で選択できますね」

 

彼女の目線が、確認するように提督へと伸びた。

 

「前線は幌筵でしたよね?」

 

「そうだ。大湊に中継点を構築して、前線は幌筵にする予定だ」

 

「とすれば、キス島あたりが想定される決戦海域でしょうか」

 

赤城が液晶パネルを操作し、キス島の周辺に赤丸を描く。前線となる幌筵の北東、それほど大きくないその島は、つい先日の作戦でも主戦場となったばかりだ。

 

「もっと手前・・・アツ島辺りではダメなのか?」

 

赤城の提案に対し、長門が指差したのはさらに幌筵寄りの島―――アツ島であった。キス島と同じく鎮守府の確保した小島は、現在キス島の放棄に合わせて一時的に無人の状態となっている。

 

「そこまで誘引するのは難しいですね・・・。キス島でも、今回と同じように敵艦隊が出てきてくれるとは限りませんし」

 

「それもそうだな・・・」

 

短く答え、彼女は再び考えるようにあごに手を添えた。何か妙案はないものか、そんな表情だ。

 

「とりあえず、キス島周辺を決戦海域と想定して話を進めてよろしいでしょうか?」

 

全体を見渡し、最後に提督のほうへ確認の視線を寄越した赤城に、短くうなずく。それを見て、赤城はさらに話を続けた。

 

「まず、どのようにして敵艦隊を誘引するか、ですが」

 

「キス島周辺に展開しているのは、巡洋艦を主力とした水雷戦隊だったな?」

 

「はい」

 

「では、こちらも主力部隊の前面に巡洋艦を主力とした前衛を配置したらどうだ?」

 

黙考していた長門が、敵艦隊を表す赤の模型を海図上に並べ、ついで味方を模した青の模型を幌筵手前に配置する。主力の機動部隊の前には、前衛艦隊が置かれる。

 

「こうして、まず前衛がキス島沖の敵艦隊に切り込む。これを受けて誘引された主力部隊を、こちらの主力艦隊が迎え撃つ」

 

説明しながら模型を動かす。まず、前衛―――巡洋艦を主体とした艦隊が、キス島沖の敵艦隊を攻撃し、その模型をいくつか倒す。それを受けて、AL深部から、敵主力が誘引されてきた。ここまでは、先日のキス島沖での戦闘と変わらない。

 

敵主力艦隊が現れたところで、前衛は速力を生かして撤退にかかる。代わりに、戦艦と空母を中心とした主力が前面に出て、敵艦隊と対峙する形となった。

 

「キス島沖で戦闘をしてみたが、これぐらいの連携は十分できるはずだ」

 

どう思う?その意味を込めて、長門は赤城と加賀を見やった。

 

「・・・可能だと考えます。ただそれは、霧が晴れた、索敵を十分に行える環境で、という条件付ですが」

 

静かに口を開いた加賀が、普段通りに淡々と考えを述べる。いつも以上に感情の籠もらないその声は、キス島沖での警戒失敗から来たものなのか―――

 

「その点については問題ない。本格的な艦隊戦を行おうとすれば、いくら高性能な電探を積んでも、霧の中では無理だからな」

 

「・・・それならば、同意します」

 

「もう一つ、根本的な提案をしてよろしいでしょうか?」

 

珍しく口を開いたのは、大淀だった。普段は情報の伝達や、補給等のアドバイスのみを行う彼女が、作戦そのものに口を挟むことは今までなかった。その表情は、慣れないことへの緊張か、少しばかり堅くなっている。

 

その場の全員が、発言を促すように首肯した。大淀が口を開く。

 

「北方海域からの全面撤退、という選択肢はありませんか」

 

「なん・・・だと・・・?」

 

長門が一瞬言葉を失う。だが次の瞬間には、その真意を推し量るように、視線を海図へと移した。

 

「なるほど・・・。確かに、北方海域の維持を諦めれば戦う必要はないし、より有利な条件をそろえて戦うこともできる」

 

「はい。現在の鎮守府の展開能力を考えると、戦闘海域は近海のほうがいいです。それは作戦規模が大きくなればなるほど、傾向が強くなります。補給の観点から言えば、今回のような前例のない大規模作戦を実施するのに、幌筵は遠すぎます」

 

鎮守府は、鯖日本全体で一つだけだ。つまり大湊や幌筵への展開に当たっては、設備等で劣る艦娘母艦を使用せざるを得ない。これらは備蓄できる資源の量が少なく、作戦を円滑に進めるには、頻繁な資源輸送が必要になるはずだ。艦娘母艦が一隻で戦えるのは精々が一週間。それ以上は、新たに輸送船を出す必要がある。そしてそれを護衛する艦娘がやはり必要になる。

 

さらに、母艦での修理が不可能と判断された艦娘については、鎮守府まで護衛していかなければならない。これが鎮守府近海だと、最悪陸路という選択肢をとることができる。鯖日本においても、鉄道網はよく発達しているし、高速道路も走っている。エネルギー不足から一部制限されているところもあるが、概ねスムーズに使うことができた。

 

つまり、こうした観点から考えると、鎮守府近海で戦う方が色々と便利なのだ。

 

「それに、資源確保という意味でも、現在の優先度は北方よりも西方にあると考えますが」

 

だがしかし、大淀の主張に提督は首を縦には振らなかった。

 

「確かに、戦争継続という意味では、重点は西方に置くべきだ。けど、戦争終結という見方をしたとき、北方の存在は欠かせない」

 

現在、北方航路は、大陸に通じる二つ目の道として、その役目を果たし始めたところだ。それに前述の通り、今後北米との連絡路を確保する上でも、北方海域の制海権確保は重要な点となる。深海棲艦との戦いを終結させるには、米国との接触が不可欠であり、その意味では北方海域の重要度は西方よりも高かった。

 

「一時的な撤退はあっても、全面放棄はありえない。そのために、まだ体勢の整わないうちに北方の敵艦隊を叩いておきたい」

 

「・・・わかりました」

 

大淀は納得したようで、元のように一歩引くと、手元の記録用紙に何かを書きとめ始めた。

 

この時点で、鎮守府の方針は「北方艦隊決戦」の方向でまとまった。さらに細部を詰めるべく、各人が意見を述べ、どの程度の戦力を投入可能なのかを見極めていく。

 

会議の終了には、まだ時間が掛かりそうだ。

 

 

結局、作戦会議は二時間を要した。その結果決まった投入戦力は、以下の通り。

 

北方派遣艦隊

 

指揮官:ライゾウ中佐、ユキ少佐

 

支援母艦:“横須賀”、“大湊”、“幌筵”

 

戦艦:長門、陸奥、金剛、比叡、扶桑、山城

 

航空母艦:赤城、加賀、蒼龍、飛龍、千歳、千代田

 

重巡洋艦:利根、筑摩、摩耶、鳥海、妙高、那智、足柄、青葉、衣笠

 

軽巡洋艦:川内、神通、那珂、由良、阿武隈、球磨、多摩

 

駆逐艦:叢雲、磯波、綾波、敷波、暁、響、雷、電、初春、子日、若葉、初霜、朝潮、大潮、満潮、荒潮、霰、霞、陽炎、不知火、黒潮、舞風

 

水上機母艦:千歳、千代田(航空母艦からの艤装転換)

 

他高速輸送艦三隻

 

作戦開始は、一週間後。

 

これに加え、増派部隊として、“翔鶴”、“瑞鶴”を中心とした艦隊が準備中だった。正規空母であるこの二隻の艦娘が第一陣に加えられていないのは、艦載機の機種転換―――新型艦戦として完成した“紫電”改二へ、戦闘機を全面転換中だったからだ。ちなみに、第一陣の空母艦娘たちは、“紫電”隊と零戦隊の混載となっている。

 

作戦参加艦娘が決まったことを受け、鎮守府は緊張感を持った慌しさに包まれ始める。それは当然、医務室で休む吹雪の元にも、ひしひしと伝わっていた。

 

沖ノ島以来の空気に、自然とこぶしに力が入る。みんなの無事を祈る気持ちと、何もできない自分の無力さがない交ぜになる、こんな気分は初めてだった。

 

音もなく起き上がると、部屋の端にある窓へと歩み寄る。ガラス越しに見上げた空は、どんよりとした曇り空で、作戦の困難さを予想させるようだった。

 

ひたと、窓に触れる。まだ陽は低い。夏だというのにひんやりとした透明な板には、うっすらと自分の顔が映っている。患者着を着て、髪を下ろしている自分の姿の向こう側に、物資の搬入中なのだろうか、駆け足で荷台を押していく港湾部員が見えた。

 

ゆっくり腕を下ろし、窓際から離れる。冷たさが、まだ手のひらにこびりついていた。




千歳型の艤装には、ちょっと特殊(?)な設定をしています

さて、次回からついに本格的な海戦が始まるわけですが、ぶっちゃけ北方海域(それ以外もだけど)最大の敵って羅針盤なんですよね・・・

読んでいただいた方、ありがとうございます

北方海域編(勝手に命名)で一応一区切りつける予定です(終わるとは言ってない)

これからますます投稿頻度が落ちそうですが、何卒よろしくお願いします


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北方の嵐

どうもです

いよいよ、北方海域の決戦が始まりました

今回は、陸奥お姉さんが大活躍です!そして、ようやくまともに戦艦同士の砲戦が書けた・・・

なんだかんだ、今まで巡洋艦クラスの戦闘がメインでしたしね。戦艦の戦闘はほとんど弾いてたし

どうぞ、よろしくお願いします


空中に爆発光がきらめく。

 

北方海域、キス島沖空域。

 

入り乱れる曳光弾が、冷め切った空気を切り裂き、敵味方双方の機体に突き刺さる。

 

零戦の射弾が、エイを思わせる深海棲艦載機を捉えて火の玉に変える。

 

敵機の機銃を受けた零戦は主翼を叩き折られ、錐揉みになって墜落していく。

 

“紫電”が二機で敵機を追い詰め、二○ミリの太い火線が地獄への引導を渡す。

 

発動機に被弾した“紫電”が、別の敵機に背後を取られ、なす術なく落とされる。

 

戦況は拮抗していた。いや、手数が少ない分、艦娘側が不利だった。

 

「右舷に雷撃機!!」

 

機動部隊直衛を担当する比叡が叫ぶ。自身もいくらか被弾し、各所から煙を上げているものの、陣形は辛うじて維持している。

 

機動部隊を率いる赤城は、その報告に歯噛みした。すでに損耗が限界に近い艦載機隊―――特に戦闘機は、すでに敵戦闘機に牽制されてしまっている。そう簡単に動けそうにはない。かといって、対空砲火で全てを迎撃できるかどうか・・・。

 

「右舷へ弾幕!!」

 

回避運動は取れない。今とれば、弾幕は薄くなってしまう。それだけは避けたかった。

 

赤城は、自らに肩を預ける僚艦を見る。

 

午前からの戦闘で、加賀は再三の爆雷撃に曝された。敵艦載機は、そのことごとくが加賀を狙ってきた。

 

第一次、第二次の攻撃隊は、直掩隊の奮闘もあってほぼ無傷でしのげた。しかし、第三次はそうもいかなかった。それまで相手取っていた機動部隊に加え、さらにもう一つ、機動部隊が出てきたのだ。時間差を付けられた第三次攻撃は、全てを防ぐことはできなかった。

 

この戦闘で、加賀は中破、以後の艦載機発艦能力を失うこととなる。

 

後は防戦一方だ。こちらの攻撃隊にまわす戦闘機の余裕はなく、最初に現れた機動部隊を葬った時点で、赤城は以後の攻撃隊を諦めていた。

 

現在、赤城たち機動部隊―――第三艦隊は、加賀、蒼龍中破、比叡小破の損害を受けながらも、味方の勢力圏内へ退避中だった。

 

接近する雷撃機に、比叡が砲門を向ける。第二次改装により速射性能の向上した長砲身三六サンチ砲が火を噴き、対空砲弾である三式弾を撃ち出す。予め設定された時間空中を飛び続けた砲弾は、散弾の要領で多数の子弾を撒き散らす。それはさながら、夜空に花開く花火のようだ。

 

しかし、火を噴く敵機はいない。そもそも三式弾は、ある程度まとまった敵機の正面で炸裂しなければ、大して威力を発揮しない。今回のような十数機の編隊に対しては、あまり効果的とはいえなかった。敵機はさっと散開して三式弾をやり過ごし、元のように編隊を整える。

 

だが、もちろん比叡も無策ではない。

 

わずか十七秒で再装填を終えた主砲が再び火を噴く。今度は敵編隊を包み込むように、ばらばらに砲弾を撒き散らす。

 

敵機は再び散開する。三式弾はまた空振りに終わった。

 

わけではない。

 

散開した敵編隊の周囲で真っ黒い花が咲く。鋭い金属の花びらを散らす零式通常弾は、その断片を持って敵機を切り刻み、爆風で押しつぶす。

 

次の瞬間、有効射程に達した敵機を待ち構えていた高角砲が一斉に発砲した。一二・七サンチの連装砲は、主砲よりもずっと早い間隔で弾丸を吐き出し、死の花を咲かせる。

 

一機が砲弾の直撃を受け、跡形もなく消え去った。

 

海面ギリギリを飛行していた敵機は爆風に煽られ、海面に激突する。

 

が、結局そこまでだった。残った敵機は編隊を崩すことなく、三艦隊へ突っ込んでくる。

 

最後の砦、機銃群が高角砲の後を継いだ。六隻のうち右舷へ指向可能な全ての機銃が、あわよくば敵機を絡め取ろうと伸びていく。もちろん、最初から当たることなど期待していない。機銃の目的は、敵機の照準を狂わせることにある。

 

それでも、一機が黒煙を噴き上げ、落ちていった。各艦に装備された二五ミリ機銃は、零戦や“紫電”のそれより強力なのだ。まぐれでも、当たればひとたまりもない。

 

「距離五○(五千)!」

 

「各艦回避運動!」

 

これ以上の迎撃は困難と判断し、赤城は回避運動を命じる。一時的に輪形陣が解かれ、転舵のタイミングを図っていた。赤城も敵機を見つめ、肩に抱えた加賀と共に回避を始める。

 

「三○!」

 

六隻の艦娘たちが、敵機に向かっていく形で舵を切る。生物のようにも見える深海棲艦載機の姿がものすごい勢いで迫っていた。

 

敵機の腹から、黒光りする魚雷が落とされる。やがて海面に浮き上がってきた魚雷の白い航跡が、三艦隊に向かって伸びてきた。

 

後は祈ることしかできない。正対面積を最小にした格好で、魚雷が通過していくことを願う。

 

『魚雷通過!』

 

転舵によって最後尾に回った金剛から、一難が去ったことを告げられてほっと肩を降ろす。

 

その時。

 

赤城は唐突に、猛烈な勢いで横に吹き飛ばされた。いや、投げ飛ばされた。

 

海面に倒れこむ視界の中、赤城は自らを突き飛ばした僚艦―――加賀の姿をしかと捉えた。上空を睨み、海上で身構える彼女は、ちらりとも赤城を振り返らなかった。その頭上に、黒い影が迫る。

 

「敵機直上!」

 

比叡の叫びと同時に、加賀が多数の水中で囲まれ、見えなくなった。沸騰する海水の中に、ほんのわずかな赤さが見て取れた。それは見紛う事なき、被弾の炎だった。

 

―――加賀さん!

 

叫びたい気持ちを、寸でのところで堪える。今、彼女はこの艦隊の旗艦なのだ。取り乱してはいけない。まして、自らの私情でなど。そんなことを、彼女の最も信頼する僚艦は、微塵も望んでいないはずだ。それだけの覚悟を持って、彼女は赤城を突き飛ばしたはずなのだから。

 

海面に倒れこみ、ほとんど動かない加賀を抱え上げる。他に、比叡の被害もひどいものだった。

 

「・・・撤退を急ぎましょう」

 

去っていく敵編隊を睨み、赤城は艦隊へ呼びかける。速力を大きく落とした三艦隊は、それから数十分後、味方勢力圏内へ脱出した。

 

 

同じ頃―――。

 

第一艦隊―――戦艦を中心とした艦隊もまた、撤退に移っていた。三艦隊よりもいくらか前に展開する彼女らは、本来敵の砲戦部隊と撃ちあうのが役目だ。しかし今回、彼女たちはお目当ての敵と会敵することは敵わなかった。

 

戦艦娘“陸奥”は、自らの姉で一艦隊を率いる長門に追随し、撤退を始めていた。

 

今、彼女たちがするべきことは、被弾し撤退中の三艦隊と、最前衛―――今は殿の第四艦隊を支援することだ。

 

北方派遣艦隊は、四個艦隊から構成されている。

 

砲戦部隊の第一艦隊。

 

前衛支援の第二艦隊。

 

機動部隊の第三艦隊。

 

水雷戦隊の第四艦隊。

 

この四つだ。と、言うのも、艦娘支援母艦では、同時に指揮できる艦隊に限りがあるからだ。

 

現在、鯖世界は原因不明の通信障害に見舞われており、あらゆる通信手段が奪われている。艦娘同士、あるいは艦娘と鎮守府との通信は、妖精の協力を得た地球側の技術者の努力によって、一年ほど前にようやく可能になった技術だった。この方法は、今日本全国へと広められている。

 

ただ、やっつけの技術であるために、色々と不具合があった。突然ノイズが入ったり、効果範囲が狭かったり、使用に多大な電力と設備が必要だったりだ。

 

つまり、鎮守府から直接指揮できる範囲は限られてくる。結果、艦娘支援母艦という艦種が生まれることとなった。が、どうしても通信設備で鎮守府に劣る支援母艦では、指揮できる限界が存在した。

 

今回、最前線に展開している“幌筵”の通信設備は、最大で四艦隊―――二四隻を指揮する能力を有する。そこで、北方派遣艦隊はその任務にあわせて四つの艦隊に分けられたのだった。

 

そんなわけで、砲戦部隊の一艦隊には、過去最多となる四人の戦艦娘が配属されていた。

 

長門、陸奥に続くのは、航空戦艦娘の扶桑、山城。これに護衛として、二艦隊から駆逐艦娘の綾波と敷波が参加している。六人は、周囲に気を配りつつ、ゆっくりと後退していった。

 

―――でも、なんだか嫌な予感がするのよね。

 

陸奥は、この手の予感を信じることにしている。長門ならあっけらかんと振り払ってしまうのだろうが、彼女ほど豪胆になれない陸奥は、それまでの生活で磨かれた自らの“勘”が、ある程度当たってしまうことを知っていた。

 

今回もまた、その予感は本物となる。

 

『川内より、一艦隊!』

 

殿の四艦隊を指揮する軽巡洋艦娘から、風雲急を告げる通信が入った。

 

「こちら長門。何があった?」

 

戦闘を進む長門が、落ち着いた声で答える。どこか息せき切った様子の川内は、通信機に機関の唸りを混じらせて、続きを口にする。

 

『敵戦艦部隊を確認!そっちに向かってる!』

 

「・・・出てきたか」

 

最悪のタイミングだ。戦艦部隊の目的は、三艦隊の追撃で間違いない。艦隊が固唾を呑む中、長門は詳しい説明を川内に求めた。

 

『数は全部で六。戦艦が四、駆逐が二。タ級とル級が二隻ずつ、駆逐はハ級』

 

「強化型の有無はわかるか?」

 

『一航過で確認したから、確かなことは言えないけど。ル級はどっちも金、タ級は赤と緑、ハ級は金と赤』

 

金はFlagship、赤はElite、緑は通常型の深海棲艦を示している。つまり、今迫っている敵艦隊は、鎮守府がそれまで戦ってきたどの艦隊よりも強力な水上砲戦部隊であるということだ。

 

長門はしばし沈思する。数では互角だが、一艦隊の扶桑型二人は航空戦艦であり、こと水上砲戦能力では戦艦に劣ってしまう。それを補って余りある錬度を誇るが、それでも性能の違いはいかんともしがたかった。

 

が、やることは決まっている。陸奥は、姉の表情が次第に変わっていくのをしかと見た。覚悟が必要だ。今、一艦隊は、撤退部隊最後の砦なのだから。

 

「打って出る」

 

長門が、戦艦部隊を邀撃することを決断した。陸奥はこくりと頷く。それはきっと、背後の先輩戦艦娘も同じだったはずだ。

 

「すまん川内。援護を頼みたい」

 

『了解。任せて。実は、駆逐艦ちゃんたちもやる気満々だったんだよね』

 

川内配下の五人の駆逐艦娘、叢雲、霰、霞、陽炎、不知火が返事をする。川内の言葉は、事実のようだった。

 

「一艦隊転針。針路○八五」

 

それまでの針路からほぼ反対に舵を切り、一艦隊は進む。この時点で、長門は陣形の変更を指示した。それまでの複縦陣を改め、四人の戦艦娘が横一列に並ぶ単横陣を敷いたのだ。

 

艦娘の艤装は、構造上反航戦において最大火力を発揮できる。特に戦艦級はその傾向が強かった。艤装が大きく頑丈な分、取り回しがお世辞にもいいとは言えないからだ。こうしたことを考慮すると、多数の戦艦を運用するとき、最も大きな火力が期待できるのは、実は単横陣なのだ。ただ、これは完全に反航戦を想定した陣形で、対応能力が低い。さらに命中の低下も免れなかった。

 

が、面の制圧力はある。今回一艦隊に求められているのは、敵艦隊の進撃を遅らせることだから、この陣形が最適と言えた。

 

四人の戦艦娘が整然と並んで進む様は、壮麗の一言に尽きた。その前を、駆逐艦娘が前路哨戒する。六本のウェーキが、海上に長く伸びていった。

 

『観測機、発艦始め』

 

陸奥から見て左隣の長門が、各艦に弾着観測機の発艦を命じる。制空権を奪ったとは言い難いが、当分敵機は現れないはずだ。どっちにしろ、回収は不可能とわかっている。

 

艤装後部から火薬の炸裂音が響き、双葉単フロートの零式観測機―――零観が飛び出す。扶桑と山城は腕に装着された航空甲板を水平に掲げ、同様に発艦させる。四機の水上機は北方の冷たい空気をうまく捉え、艦隊の上空へと布陣した。ここから、弾着の水中を確認するのだ。

 

『・・・いたな』

 

長門が、静かに呟く。観測機によって視点が上がったことで、一艦隊は複縦陣で接近する敵艦隊を捉えた。

 

二つの異形の獣を前衛に押し立て、すべてを睥睨するような立ち姿の四つの人型の影が、海上を驀進している。艶めかしいほどの黒髪を、あるいは吸い込まれそうな白髪を麗しくなびかせ、ごつごつと怪しげに黒光りする艤装が他を威圧する。息を呑むほどの存在感。紛れもなく、それは人々の畏怖の象徴となる海洋の絶対君主、戦艦に違いなかった。

 

『砲戦用意!!』

 

スピーカーが割れんばかりに、長門が声を張り上げる。徹甲弾の装填された各砲が仰角を上げていき、最大の位置で固定される。

 

『時間を稼ぐ!最初から斉射で行け!』

 

三つの了解の声。二隻の駆逐艦娘は、砲撃の影響圏を離れ、敵駆逐艦の接近を警戒する。

 

『四艦隊突撃せよ』

 

『了解!四艦隊突撃!!』

 

川内の号令で、一度は合流しかけていた四艦隊が反転し、再び敵艦隊へと、必殺の魚雷の餌食を求めて加速する。彼我の距離はすでに四万を切っていた。そろそろ、敵艦隊が水平線に現れるはずだ。

 

『目標は指定しない。先頭艦から順に叩くぞ』

 

長門の指示はそれだけだ。戦艦の数は、四対四。数が同じなら、焦ることなく、一隻ずつ順番に撃破していけばいい。

 

緊張の数分間が過ぎていった。

 

―――来た・・・!

 

陸奥の測距儀が、水平線に敵艦を捉える。すらりと均整の取れたプロポーション。しかしその両腕には、盾に極太の砲身を埋め込んだ艤装が異彩を放っている。

 

『二五○(二万五千)より砲戦開始』

 

いわゆる決戦距離だ。この間隔が、主砲の威力と装甲の防御力が最もバランスよくなる。

 

測敵を終えた陸奥は、固唾を呑んでその瞬間を待つ。後は指定された距離まで、敵艦が接近するのを待つばかりだ。陸奥の号令ひとつで、全門が前を向いた四一サンチ砲が火を噴く。

 

―――二八○・・・二七○・・・。

 

じりじりと迫る敵艦隊を、言葉もなく睨む。その時を、今か今かと待ち続ける。

 

敵艦隊に、転針する素振りはなかった。よほど自信があるのか、一切動じることなく、まっすぐにこちらへ突っ込んでくる。

 

『二五○!』

 

『砲戦始めっ!!』

 

「撃てーーーっ!!」

 

長門が発砲する。続いて陸奥の各砲塔が砲炎を上げ、八発の四一サンチ砲弾を曇天へ撃ち上げた。砲口から生じた火球が衝撃波とともに空気を揺るがし、それに釣り合うだけの反動を陸奥に伝える。彼女は脚部艤装が沈み込むほど踏ん張り、砲撃の余韻が収まるのを待った。

 

陸奥から一拍遅れて、扶桑と山城も発砲する。巨大な背部の砲塔が咆哮し、陸奥のそれに僅かに劣る三六サンチの砲弾を天空めがけて吐き出した。

 

十数秒が経ち、白濁の瀑布を噴き上げる。全弾が敵艦隊の手前に落ち、その姿を覆い隠した。命中弾はない。無傷の敵艦隊は、まるで何もなかったように、全身を続ける。

 

第二射、第三射、続けて放たれた砲撃はそのことごとくが敵艦隊の前に落ちる。やはり、単横陣の反航戦では、命中の低下が否めなかった。

 

彼我の距離が二万を切ろうとしたとき、それまで海上を突き進むだけだった敵艦隊が、初めて動きを見せた。複縦陣を解くと、三隻ずつに分かれて、それぞれ逆方向へ舵を切ったのだ。

 

陸奥は歯噛みする。頭のいい敵だ。二手に分かれることで、面としての制圧力が損なわれることをわかっているのだ。

 

―――どうするの、長門。

 

言葉には出さないが、陸奥はちらと、隣の姉を伺う。

 

『こちらも二手に分かれる。扶桑、山城は右方の敵を、私と陸奥は左方の敵をたたく。四艦隊は右方の援護を!』

 

長門は決断する。たとえ一隻たりとも、ここを通すわけにはいかない。それが、撤退する味方の背中を預かる自分たちの責任だ。

 

『扶桑、そちらは任せた』

 

『了解』

 

やり取りは短い。お互いのやることはわかりきっている。今更確認することは、何もない。

 

『陸奥、転針終わり次第、砲撃を再開する』

 

『了解』

 

それまで正面を向いていた主砲が、重厚な音を立てて旋回する。舵を切ったことによって、長門と陸奥、扶桑と山城がそれぞれ二隻の敵戦艦と同航戦に突入した。そのため、主砲配置の関係から、長門型の二人は片舷に六門の主砲しか向けられない。代わりに、命中は格段に上がるはずだ。

 

方向を切り替え、陸奥は再び長門の後ろにつく。さらに、護衛の綾波が続いていた。

 

『陸奥は二番艦を頼む』

 

「了解。任せて」

 

長門の背中に微笑む。次の瞬間、測敵を終えた主砲が火を噴いた。

 

今度はセオリー通りの交互撃ち方からだ。右舷の二基と左舷前部の一基がそれぞれの一番砲をもたげ、距離二万の敵艦に弾着修正用の射弾を送り込む。妖精の力が艤装を通して彼女を守るが、それでも吹き付ける砲炎の熱が、体を芯から熱くさせた。

 

先に発砲した長門の砲弾が、弾着の水柱を上げる。一拍遅れて、陸奥の砲撃も敵二番艦に届いた。観測機からは、全弾近の報告が入る。

 

装填済みの二番砲が、先程の一番砲よりも僅かに高い位置へ持ち上がる。修正の入った緒元をもとに、陸奥は第二射を放った。

 

ほぼ同じタイミングで、敵一、二番艦も砲撃を始めた。左手の盾のような艤装から爆炎が迸り、陸奥とほぼ同等の威力を誇る一六インチ砲弾が、風切り音を従えて飛翔する。

 

計十数発の弾丸は放物線の頂上付近で交差すると、それぞれの目標へと落下していった。最初に敵一番艦、続いて二番艦の周囲に弾着の水柱が噴き上がり、対抗するように、今度は敵弾が長門と陸奥の視界に飛び込む。お互いに命中弾や夾叉弾はないが、長門はすでに、一番艦に対して至近弾を与えていた。後一、二回の射撃で、命中弾を得られるはずだ。

 

―――負けてられないわね。

 

第三射を放つ。観測機を用いた射撃を行っているのだ。そろそろ、夾叉があってもおかしくない。今度こそ。その思いを込めて、たった今送り出した砲弾の行く先を見つめる。十数秒後、到達した砲弾が、海水のオベリスクを産み出した。

 

「よしっ」

 

思わず、ガッツポーズをする。弾着の水柱の中、一番艦に明らかな爆発光がきらめいたからだ。そして同時に、陸奥も敵二番艦を夾叉していた。次からは、右舷へ指向可能な全六門の主砲が、一斉に砲撃をすることになる。

 

が、楽観してもいられなかった。敵艦の射弾もまた、その精度を確実に上げてきているからだ。至近弾や夾叉弾が出るのも、時間の問題だった。その前に、可能な限り損害を与えて、砲戦を有利に進めたい。

 

陸奥たちが相手取っているのは、ル級Flagshipとタ級の通常型の二隻。タ級はともかく、ル級は強敵だ。砲撃能力は、大和を除いて鎮守府最強の長門型と互角以上、何より、信じられないほど固い。四一サンチ砲弾を何発も命中させなければ、戦闘能力を奪うことさえままならなかった。

 

タ級とて侮れない。ただ、通常型は陸奥の敵ではなかった。ル級に比べて装甲が薄く、うまくいけばたった三斉射で戦闘不能にできる。

 

現実はそううまくいかないものだが、ともかく陸奥は、斉射を放つために各砲の装填を待つ。砲塔の中で機械の駆動音がし、一式徹甲弾が尾栓の開かれた砲身に装填される。尾栓が閉められ、装填の終わった各砲が、すでに算出済みの諸元に従って砲身をもたげ、固定された。

 

射撃準備は、完了した。

 

危険を知らせるブザー音の後、右舷を向いた六門の主砲が、その砲口から砲炎を吐き出し、収束した爆風によって押し出された砲弾を空高く舞い上がらせる。超音速まで加速された砲弾は美しい弧を描き、衝撃波と風切り音を振りまきながら、二番艦の頭上に降り注いだ。

 

上がった水柱は四本。残りの二発は命中弾となって敵艦の艤装に突き刺さり、律儀に信管を作動させると、熱風と破壊をもたらした。命中箇所から煙が上がり、細かな破片が宙を舞って海に吸い込まれる。

 

「まだまだっ」

 

下げられた砲身に、再び砲弾の装填作業が行われる。長門型は、斉射を放ってから次の斉射まで、だいたい四十秒かかる。

 

その間に、敵弾が飛来する。かなり近い。至近弾の爆圧が脚部艤装越しに伝わり、陸奥を下から揺すぶる。が、さすがは戦艦、この程度ではびくともしない。

 

ただ、彼女の僚艦はそうもいかなかった。長門の周囲には、計三発の砲弾が落下している。一発が右舷に、もう二発は左舷だ。

 

―――夾叉された・・・!

 

ある程度覚悟はしていたことだ。ル級は、Flagshipだけあって、優秀なレーダーを搭載しているようだった。その精度の良さが、時たま霧が支配するこの北方海域の厳しい条件下でも、十分に威力を発揮している。

 

長門と陸奥が、同時に第二斉射を放つ。タ級が射撃を続けるのに対して、敵一番艦は斉射の準備をしているのか、不気味な沈黙を守っていた。

 

第二射の戦果は、敵一番艦に二発、二番艦に一発。タ級は多少よろめいたが、ル級にどこか被害があるようには見えない。噴き上がる煙も、風に流されて今にも消えそうだ。

 

報復はすぐに来た。これまでに倍する火炎が、ル級の艤装から沸き起こる。命中弾のそれとは明らかに違う砲炎のあと、轟音が頭上を圧して、再装填中の長門に襲い掛かった。

 

『ぐっ・・・!』

 

被弾の瞬間、長門は堪えるように呻き声を上げる。命中弾は一発。深海棲艦全体に言える散布界の広さに救われた形だ。

 

負けじと、第三射を放つ。先ほどと何ら変わらない砲撃が敵艦隊に襲い掛かり、それぞれ二発ずつの命中弾を与えた。

 

―――今度は・・・?

 

陸奥は、水柱が崩れるのを待つ。爆圧によって吹き飛んだ大量の海水が、重力に従って海面に戻ると、敵艦隊の被害が露わになった。タ級は大量の煙を吐き出しており、相当の打撃を与えたことが窺える。しかし、ル級には、やはり目立った損傷は見られなかった。それを示すように、ル級が新たな砲炎を上げる。先の斉射から約三十秒。飛んできた一六インチ砲弾は、長門の周囲にまとまって落ちてきた。今度は二発の命中弾が生じる。今のところは、何とかバイタルパートが堪えており、ひどい被害は出ていないようだが、このままではいずれ押し切られてしまう。

 

焦りが、陸奥の背中を伝った。そしてその焦りは、図らずも現実のこととなってしまう。

 

長門の速力が、がくりと落ちたのだ。陸奥は、目を見開いた。

 

確かに、長門は敵弾を三発被弾した。しかしそのどれも、致命的な被害を与えるには至っていないはずだ。長門型が、その程度の被弾で音を上げるわけがない。

 

それなのに、どういうわけか長門の速力は、みるみる衰えていく。彼女の背中が、陸奥に迫ってきた。

 

『・・・すまん陸奥。右脚部艤装をやられた』

 

陸奥は、長門の速力を奪った原因に思い至って、あまりの間の悪さに天を仰いだ。運命の神様というのは、時に考え付かないほど残酷なことをする、と。

 

海面に突っ込んだ砲弾は、ほんのたまにその威力を損なわず水中を直進することがある。俗に水中弾効果と呼ばれるこの現象は、何を隠そう、九一式や一式徹甲弾にもその発生を考慮されている。言ってしまえば、鎮守府戦艦部隊の隠し技みたいなものだった。

 

ただ、九一式や一式といった徹甲弾は、ある一定条件下においてそれが発生する確率を高めるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。そう、条件さえそろえば、普通の砲弾でも発生するのだ。発生確率が低いだけで。

 

今回、長門を襲ったのは、たまたま発生した水中弾だったようだ。喫水線下に命中した砲弾は長門の右脚部艤装に食い込み、その推進力を奪った。艦隊戦を行うには、致命的な損害だ。

 

陸奥が再び斉射を放つ。長門を相手取っていた一番艦はすでに砲撃をやめていた。目標を陸奥に変更しているのは明らかだ。

 

速力を落とした長門に並ぶ。ちらっと一瞬だけ目をやれば、その双眸と視線がぶつかった。「後を任せた」その意味を込められた表情にこくりと頷くと、振り返ることなく追い抜く。

 

「陸奥より全艦。以後の指揮を執る!」

 

高らかに宣言する。直後、測敵を終えた一番艦が、その艤装に砲撃の火焔を踊らせた。

 

 

「第七斉射、撃てっ!」

 

扶桑の号令から一拍おいて、全六門の三六サンチ主砲が砲口に圧倒的な爆音と閃光を迸らせた。海面のさざ波を打ち消してクレーターを作り出すほどの衝撃波が、空気を鳴動させる。

 

二隻の一六インチ砲艦に対して砲火力で劣る扶桑と山城だったが、四艦隊の支援もあって、互角以上に戦っていた。タ級を仕留めた彼女たちは、現在二隻がかりで、ル級Flagshipと相対していた。扶桑は通算で七度目、山城は二度目の斉射を放っている。

 

一方の敵戦艦も、負けてはいない。すでに五度の斉射を行い、扶桑に対して六発の命中弾を与えていた。致命傷こそ受けていないものの、飛行甲板はすでに使い物にならず、制服もズタズタだ。真紅のスカートは裂け、上着の巫女服がはだけてしまっている。扶桑の豊満なそれに、北方の冷気が染みた。

 

『四艦隊、突撃!』

 

通信機から、威勢のいい軽巡洋艦の声が聞こえる。川内率いる四艦隊は今、扶桑たちの支援から離れ、たった一人で強敵を相手取る陸奥の支援に向かっていた。終始敵戦艦の牽制に徹していた四艦隊は、全艦が必殺の魚雷を残しており、隙あれば陸奥の相手取る戦艦に果敢な突撃を敢行するだろう。

 

―――ここを食い止めて、全員無事に戻るわよ。

 

扶桑の想いはそれだけだ。そのために、できることは全てやる。

 

犠牲になるなんていう考えは、自分勝手だ。残された仲間に、それでは申し訳が立たない。だから、扶桑は全てを、この艤装に込める。

 

敵艦の六度目の斉射が、扶桑を正確にとらえた。それまでにない、金属的な異音が響き、艤装のひしゃげる不協和音を奏でた。

 

命中した一六インチ砲弾は、頑丈な主砲塔の中でも比較的装甲の薄い天蓋部分を突き破って内部で炸裂した。まるで薄い紙か何かのようにめくれた天蓋から細かな破片が飛び散り、長大な主砲身が小枝のように吹き飛ぶ。

 

これで、扶桑は全火力の三分の一を失ったことになる。

 

それでも。痛みをこらえ、立ち続ける。この背に、仲間を負っているのだ。必ず、“あの場所”に帰るのだから。

 

残った四門の主砲を奮い立たせ、扶桑は絶叫する。

 

八度目の斉射が、おどろおどろしい轟音を上げた。

 

 

陸奥と敵一番艦の砲撃戦は、これ以上ない熱狂を迎えていた。

 

お互いにほぼ同時のタイミングで命中弾を得た後は、ひたすら斉射の応酬だ。

 

発砲遅延装置の効果もあって、散布界が非常にコンパクトにまとめられた陸奥の砲撃は、毎斉射ごとに大体二発の命中弾を与えている。それが五度。すでに十一発の命中弾を確認している。

 

一方のル級は、毎斉射に一発か多くて二発の命中弾しか与えられていない。代わりに、陸奥よりも斉射の間隔が短く、六度の砲撃で八発の命中弾が生じていた。

 

劣勢なのは陸奥だ。長門と合わせて二十発近い命中弾を与えているのに、敵戦艦の放火はほとんど衰えていない。三十秒ごとに正確な砲撃を行ってくる。対照的に、陸奥はそろそろ限界が近かった。主砲塔は左舷側の一基がつぶされ、現在は右舷へ指向可能な四門で砲撃を行っている。

 

―――あと少し・・・!

 

あと少し、もってくれればいい。敵の空襲をしのいだ三艦隊からは、まもなく味方の勢力圏内に入る旨が知らされていた。

 

待望の知らせは、すぐにやってきた。

 

『三艦隊退避完了!』

 

「一艦隊全艦へ。撤退に移るわよ!四艦隊は敵戦艦を牽制!」

 

陸奥は即断する。劣勢とはいえ、すでに敵戦艦には十分な損害を与えた。これ以上、追撃してくる余力はないはずだ。

 

が、敵前で撤退するというのは、困難極まりないことだ。それに長門を後方退避させた今、一艦隊は護衛の駆逐艦を一隻欠いている。

 

―――結局、私は居残りみたいね。

 

損害激しい一艦隊において、一番踏ん張れるのは陸奥だ。扶桑と山城が退避するまでは、ここで敵戦艦を相手取らなくてはいけないかもしれない。

 

『ごめんむっちゃん。あと少しだけ、踏ん張ってくれる?』

 

「わかったわ。後、戦闘中だから、むっちゃんはやめて」

 

『はーい。いくよ、駆逐艦ちゃん!』

 

川内のリクエストにお応えして、陸奥は砲撃を続行する。敵戦艦は迷う素振りを見せた後、その砲口を四艦隊に向けた。これまでの砲撃戦で、両用砲はあらかた破壊できていたようだ。

 

―――そうはさせない!

 

弾着の瞬間、それまでと違う火焔が上がった。破片に交じって、細長いものが飛んでいる。陸奥の砲撃は、敵戦艦の主砲塔を一基つぶすことに成功した。

 

『はい、投雷完了!陸奥の撤退を援護します』

 

川内の報告は早かった。距離一万で放たれた魚雷が、命中する道理はない。しかし、航跡の見えない魚雷を放った素振りさえ見せれば、自ずと敵戦艦は、回避せざるを得なくなる。あいかわらず、うまいことを考える夜戦バカだった。

 

慌てて回避を始めた敵戦艦をちらりと見やり、陸奥は転針する。やがてその姿は、四艦隊の煙幕によって見えなくなった。

 

前に向き直る。まずは安全圏まで、退避することが先決だ。

 

 

この日の戦闘で、北方派遣艦隊が挙げた戦果は、以下の通りだった。

 

撃沈:戦艦二、空母三、重巡二、軽巡四、駆逐艦五

 

撃破:戦艦二、軽母一、重巡三、軽巡三、駆逐艦六

 

これに対し、損害は以下の通りだ。

 

大破:加賀、比叡、陸奥、扶桑

 

中破:蒼龍、山城、長門、妙高、筑摩、那珂、球磨、朝潮、大潮、霰、初春、子日

 

小破:金剛、利根、川内、由良、満潮、初霜

 

損傷:赤城、陽炎、叢雲、綾波、若葉

 

第二次キス島沖海戦と名付けられたこの戦闘は、両者一歩も引かず、相討ちと言っていい結果となった。ただし、損害をすぐには復旧できない北方派遣艦隊の方が、ダメージは大きい。この結果、早くとも向こう一週間、北方派遣艦隊は、まともな戦闘はできないと判断された。

 

これを受け鎮守府は、増援部隊の派遣を急遽前倒しし、戦力の増強を図ることとなる。

 

北方の嵐は、当分吹き荒れそうだった。




次回、短いのを一話挟んで、クライマックスへと向かっていきます!多分

いい加減、大和さんにも出てきてもらわないといけませんしね

できるだけ早くを心がけていきますので、次回もお願いします


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静かな海

どうもです

短くするつもりだったのに、なんかいつもと同じぐらいに・・・

と、とにかく、今回もよろしくお願いします


高速修復材とは、損傷した艦娘の艤装を短時間で修復する特殊な形状記憶合金の一種だ。艦娘の艤装に使われる合金を液体化している。これを満たした容器に損傷箇所を漬け、大きな電圧をかけて欠損部分を埋める。基本的な使い方はこうだ。

 

精製には、特別な方法が取られ、当然艦娘の艤装に関わることなので妖精の協力が必須となる。どうも、艤装のコアとなる部分に艤装形状の記憶が残されてどーのこーのということだが、詳しい仕組みについては、妖精もよくわかっていないらしい。いわゆる、“神の技術”という奴だ。こうして精製された高速修復材は、バケツ型の容器に入れて保管され、必要時に取り出されて使用する(高速修復材がバケツと呼ばれるのはこのため)。

 

一見すると便利なハイテクだが、欠点も多い。精製は鎮守府の工廠部でしか行えないし、一度に大量に作ることも不可。複雑な部位(特に戦艦や空母といった大型艦種の艤装)の修復には向かない。貯蔵法の関係で、艦娘支援母艦では大量に扱えない。その他諸々だ。

 

とはいえ、手作業で数時間から下手をすれば数時間を要する修復がわずか数分(微調整にいくらか時間はかかるが)で終わることは、短時間での反復攻撃を可能とし、最前線での戦術展開をより広くするだろうと期待される。

 

 

「想定内といえば想定内だが、予想外といえば予想外、か」

 

支援母艦“幌筵”の作戦室で、ライゾウは海図と艦隊の被害状況を確認していた。向かいに立つユキもまた、険しい表情で海図台を見つめる。お互いに、言葉少なだ。

 

北方派遣艦隊の当初の作戦案では、第一次の攻勢での海域攻略を想定していない。戦力的に無理があるとして、断念していた。よって第一次攻勢では敵戦力の漸減に努め、その後は敵前衛に対する夜襲をもって対抗、増援の到着を待って第二次攻勢で一気にけりを付けるつもりだった。

 

かくして、第一次攻勢は実施され、敵戦力の減殺に成功した。むしろ、一個機動部隊の撃滅という、想定以上の戦果を挙げる。作戦目的は達成されたのだ。

 

が、払った犠牲は大きかった。二個機動部隊を相手取った四人の空母艦娘のうち、加賀と蒼龍は“幌筵”での復旧が不可能と判断され、大湊に展開している後方支援部隊へ下げられることとなった。

 

それにもまして被害の激しかったのが、戦艦部隊だ。機動部隊の前方に展開していた彼女たちは、長門を除いた実に三人が、現地修復不能な損害を負っていた。

 

機動部隊の前衛として水雷戦隊と戦艦部隊を展開し、接近する襲撃艦隊と夜戦への備えとする新戦術は、皮肉にも同じように展開していた敵戦艦部隊に真正面から砲戦を挑むという結果をもたらした。航空戦力の支援がないまま、格上の敵戦艦とがっぷり四つに組んで殴りあった戦艦部隊は、これの撃退に成功したものの多大な被害を受けることとなった。

 

「戦艦を前面に押し立てて来たということは、今回は侵攻中枢艦隊旗艦が戦艦でない可能性が高いですね」

 

「・・・どうだろうな」

 

ユキの発言に、ライゾウは懐疑的な受け答えをした。

 

それまで、敵戦力の指揮を執る侵攻中枢艦隊の旗艦は一貫して戦艦だった。南西諸島への進出を始めて以来、鎮守府はこの旗艦となる戦艦を撃沈することで、敵性戦力の排除に成功してきた。そうした前例を鑑みて、鎮守府では「大規模部隊の指揮を執るには、戦艦の指揮能力が必要」と仮説を立てている。

 

「ここへ来て、急に戦艦以外が指揮を執っているとは考えにくいな。今のところ、新型艦を発見したとする報告もないし」

 

「ですが、これは今までの深海棲艦の行動パターンからすると、かなり異常なことですよ?」

 

「そうなんだよなあ」

 

誰も見ていないのをいいことに、着崩した軍装の腕をまくる。

 

「もしかして、敵旗艦は指揮官先頭を実践する東郷長官タイプなのかもな」

 

「・・・真面目にやってください」

 

「冗談だ」

 

本当なら、どれほどいいか。

 

顎に手をあて、考え込む。

 

「・・・やはり、この辺りが気になるな」

 

ライゾウが指差したのは、現在戦闘の中心海域となっているキス島沖よりさらに奥の、北方海域深部だった。未だに詳細のわからない、未知の海空域である。

 

「鬼姫の臭いがぷんぷんする」

 

「提督の言っていた、陸上型、ですか?」

 

「おう」

 

場の雰囲気に似合わない、軽い答え方だ。ライゾウは続ける。

 

「鬼姫なら、戦艦に代わって指揮を執っていてもおかしくない。陸上型ならなおさらだ。おそらくこっちの世界でも、奴らの役割は変わらないはずだ」

 

「・・・ライゾウ先輩は、見たことがあるんですよね?」

 

少しの間があった。

 

「まあ、な。意識がはっきりしてたわけじゃないから確かなことは言えんが、鬼と思われる艦種をこの目で見たことはある」

 

「南方棲戦姫、でしたか」

 

「暫定名称だけどな」

 

ライゾウにしては珍しく言葉少なだ。ユキはクリップボードを握りしめる。彼の緊張が、移ったようだ。

 

「とにかく、だ」

 

話題を切り替えようと、ライゾウが咳払いをする。

 

「仮の話として、陸上型が総指揮を執っているとすると、この北方での深海棲艦の動きも意味合いが変わってくるな」

 

「これ以上偵察に割ける戦力がありませんし、確かめる術がないのが悔やまれます」

 

「しかたないさ。陸上型なら、当然航空戦力も持ってるはずだ。今の一式陸攻や二式艦偵じゃまともに偵察もできん。無駄に戦力を減らす必要はない」

 

「敵艦隊を抑えたのちに、偵察を行うというのは?」

 

「現状を鑑みれば、それができないってのはお前が一番わかってるだろ?」

 

自分のことをさもわかったように言う先輩に、ユキは溜息をつく。

 

「あくまで、可能性として述べただけです」

 

「知ってる」

 

悪戯っぽい笑み。そして手元の書類を、海図台に乗せた。

 

「当分は漸減戦に徹するしかない。増援が到着次第、第二次攻勢の検討を始めよう」

 

 

雨の降る鎮守府。じめじめと湿気の多い廊下を、吹雪は執務室へと歩いていた。

 

静かなものだ。北方作戦の開始にあたって、半数近い艦娘が出撃している鎮守府に、いつもの賑やかさはない。靴音も、どこか物悲しく響くだけだ。

 

重くなりそうな空気を振り払うように、吹雪はまっすぐ前を向いて歩いていく。元気が取り柄の自分が下を向いていては、艦隊の士気にかかわる―――前に、明石あたりが心配して飛んできそうだからだ。

 

リズミカルにステップを踏んで、執務室前で立ち止まる。深呼吸を一回。ノックをしようと手を伸ばしたところで、

 

「開いてるよ?」

 

「ふぇっ!?」

 

後ろから、唐突に声がかかった。

 

我ながら変な声を上げたことに赤面しつつ、背後を振り返る。白の第二種軍装に身を包んだ司令官が、相変わらずの柔らかな表情で吹雪の顔を覗き込んでいた。

 

「お、脅かさないでください!!」

 

「はは、すまなかったな」

 

渾身の抗議も、軽く流されてしまう。バクバクいってる心臓を落ち着けている間に、司令官が自ら執務室のドアを開けて招き入れてくれた。

 

「これだけ終わらせてしまうから、そっちに座って待っててくれ」

 

そういって司令官は、部屋の隅にたたまれた秘書官机と椅子を指差す。吹雪は頷いて、慣れた手つきでそれらを広げると、給湯室にお湯を沸かしに向かった。

 

茶葉を急須に用意してから執務室に戻り、お湯が沸くまで待つ。早速執務机に腰掛けた司令官は、数枚の書類に目を通して、必要事項とサインを書き込んでいた。その作業が終わったころ、湯沸かし器がその役目を果たした。

 

「ぴったりか」

 

「お茶、淹れてきますね」

 

「ああ、頼む。助かるよ」

 

沸騰したお湯が少し温度を下げるのを待って、湯呑にお湯を入れてから急須に移し、三十秒ほど放置する。茶葉から染み出た香りが鼻孔をくすぐりだした頃合で湯呑に注いだ。透き通った緑の液面が、暖かな湯気を上げてきらきらと光っていた。

 

「どうぞ」

 

「ん、ありがとう」

 

司令官が律儀にお礼を言ったあと、湯呑を受け取る。お互いに一口啜って、息をついた。

 

「・・・静かですね」

 

「そうだな」

 

しみじみとした口調で、司令官は背後の窓を見る。その横顔は、どこか寂しげだ。

 

「こんなに静かなのは初めてだ」

 

大規模な作戦のために、艦隊の主力が鎮守府を離れるのは初めてのことだった。今思えば、最初の頃はこんなにガラガラの鎮守府で戦っていたのかと、少しばかりの肌寒さを感じる。

 

「・・・増援部隊の出撃は、四日後でしたね」

 

「そうだ。これで、北方作戦に決着がつく」

 

予断を許さない状況だがな。司令官の表情が厳しくなる。

 

二人の間には、緊張感を伴った沈黙が満ちた。

 

「・・・さて、と。本題に入ろうか」

 

「・・・はい」

 

吹雪は背筋を伸ばす。今日、ここに来たのは、雑談をするためではなかった。

 

キス島沖における、吹雪の艤装のリミッター解除。吹雪はそのことを話すために、執務室を訪れていた。

 

「詳しくは聞かない。吹雪の知っている範囲、話したい範囲で教えてくれ」

 

コクリ、と首肯する。深呼吸をして、吹雪は口を開いた。

 

「手紙が、届いたんです」

 

「手紙・・・?」

 

司令官の眉が、ピクリと動いた。

 

「沖ノ島の戦いが終わったあたりです。遠征から帰ったときに、私宛てで手紙が届けられていました」

 

「それは、吹雪たちの部屋にか?」

 

「はい」

 

返事と共に頷く。

 

「白雪ちゃん達も、手紙のことは知ってます。内容は知られてないと思いますけど」

 

「わかった。すまない、腰を折ってしまったな。話を続けてくれ」

 

「はい。えっと・・・宛先はわたしだったんですけど、差出人が書いてませんでした。不思議な手紙だなと思って、みんながいない間に開けてみたんです。中には便箋が一枚と、報告書が数枚入っていました」

 

―――ここに記されていることは、どうか内密に願いたい。

 

便箋の初めには、そう書かれていた。

 

―――一読した後は、この報告書を処分してほしい。

 

とも。

 

「では、報告書の方は・・・?」

 

「すみません、独断で処分しました」

 

「・・・つまり、鎮守府にとって、なにか不利益のある内容だった、ということか」

 

「・・・はい」

 

歯切れの悪い回答を、吹雪はするしかなかった。

 

―――そしてこのことは、くれぐれもリュウノスケ大佐には伝えないでほしい。

 

報告書の末に付け加えられていた文言の意味は、読んだ吹雪にはわかった。今は、司令官にこのことを伝えるべきではない。

 

―――いずれ、私が自ら、彼に伝えることになるだろう。

 

差出人は、そう言っていた。司令官の関係者である可能性が高いと、吹雪は踏んでいる。

 

「・・・内容については、いずれわかると書いてありました。今は、わたしに伝えてほしくないとも」

 

「・・・なるほど」

 

執務机に手をついていた司令官は、そこで背もたれに、体重を預けた。軍帽を目深にかぶる。

 

「リミッターの解除方法についても、そこに?」

 

「はい」

 

「その方法は、吹雪しか知らないのか?」

 

「はい。手紙に書いてあった範囲では、差出人以外に知る人はいない、と」

 

「そうか・・・」

 

何かを考えるように、司令官はあごに手を添えた。やがて顔を上げると、極めて真剣な顔で、吹雪を見つめる。

 

「吹雪」

 

「はい」

 

「俺は、今から実に身勝手なことを、君に言う。それを、命令する。それでも、聞いてくれるか」

 

「・・・はい、大丈夫です」

 

「すまない」

 

軽く頭を下げ、それから重々しく、司令官が口を開いた。

 

「その方法は、今聞かない。俺も含めて、知っている人間を一人でも減らしたい」

 

吹雪は目を見開く。

 

「その方法は、吹雪の胸の内に、仕舞い込んでほしい。誰にも、知られないために」

 

「・・・」

 

「そしてもう一つ。もう二度と、その方法を使わないでくれ。たとえ仲間を守るためだとしてもだ」

 

躊躇うような間があった。

 

「・・・吹雪には、無事でいてほしい」

 

「・・・っ!!」

 

一瞬で、頬が熱くなるのが、ありありとわかった。

 

もちろん、司令官が全員の無事を祈っていることなど、吹雪にはわかりきったことだ。それでもその気持ちが、自分を名指して向けられたとき、これほど破壊力のある言葉もなかった。

 

「わかりました」

 

顔の熱さを、力強く宣言することで誤魔化す。

 

「特型駆逐艦“吹雪”、必ず司令官のもとに帰ってきます!!」

 

後で、この時のセリフを思い出して悶え苦しむことになろうとは、吹雪は思いもよらなかったのである。

 

 

 

「司令官」

 

話が一段落した後、今度は吹雪が、真剣そのものの口調で司令官を呼んだ。

 

「わたしも、増援部隊に参加させてください」

 

再び、沈黙が流れる。

 

どこかあきらめたような様子で、司令官は溜息を吐き出し、質問を返した。

 

「言うと思ったよ。一応聞くけど、吹雪は病み上がりすぐだよ?」

 

「大丈夫です。しっかり休みましたから、すぐにでも訓練を始めないと」

 

「・・・相変わらず、か」

 

どこか諦観しているような雰囲気さえ漂う苦笑だった。

 

「・・・任せられるのは、吹雪しかいないと思ってた」

 

司令官の言葉が、胸を打つ。彼の想いを裏切るようなことをしたのに、任せると言ってくれる。わたしを、信頼してくれている。

 

その想いに、応えたい。

 

「艤装の修理は終わってる。明石が、責任をもって最高の状態に仕上げたと言っていたよ。それから、もう一つ」

 

そこで司令官は、意味ありげに人差し指を立てる。彼に珍しい、悪戯っぽい視線。吹雪がこの表情を見るのは、これで二度目だった。

 

「新しい装備を開発した。いち早く、実践投入できるレベルで扱えるようになってほしい。この短期間でそれができるのは、吹雪だけだ。吹雪に、その装備を預ける」

 

「新装備・・・?」

 

不敵に笑う。

 

「三連装魚雷発射管の酸素魚雷対応版だ」

 

「それじゃあ・・・!」

 

「ああ。吹雪へ装備した後、段階的に換装してく予定だ」

 

吹雪の言わんとしたことを察して、司令官が大きく頷く。それから用紙を一枚、取り出した。さっとサインを書いて、執務机に置かれていたクリアファイルに挟み込む。青字で印刷された用紙は、工廠部用を示すものだ。

 

「これを渡して、早速慣熟に入ってくれ。明石が待ってる」

 

両手でしっかりと受け取る。クリアファイルが折れ曲がらない程度に、手に力を込めた。

 

「駆逐艦“吹雪”、四日後出立の北方増援部隊への参加、及び新型艤装の着用を命ずる。ただいまをもって、慣熟作業に入れ」

 

「はい!」

 

さっと敬礼をする。答礼を返した司令官は、いつもの暖かな表情だった。

 

 

 

「吹雪ちゃんこっちこっち。待ってましたよ」

 

工廠に入るや否や、明石が二つに縛ったピンクの髪を揺らして、吹雪のもとへ駆け寄ってきた。腕を引かれ、奥へ奥へと連れていかれる。

 

「いい加減まだかまだかと待ちくたびれてましたよ。あ、今艤装持ってくるから、そこで待っててね」

 

工廠部、艤装管理室の札が掛かった一室に案内されると、そばにあった椅子を薦められた。明石本人は、そこから直通している艤装格納庫へ走っていってしまう。機械のこととなると、周りが見えなくなる性格なのだ。

 

吹雪は室内を見渡す。この部屋に入るのは二度目だ。主に改修を受けた―――例えば、新兵装の搭載などを行った艦娘が、軽い動作確認をするのが、この部屋だ。艤装格納庫に続くレールが天井に走り、室内中央を囲むようにして工具が配置されている。

 

「お待たせ!!」

 

通路から明石が戻ってくる。天井にぶら下がった吹雪の艤装を、ゆっくりと部屋の真ん中に配置した。

 

「修復と、各種小改良、それと新兵装の搭載ね」

 

「これが・・・」

 

立ち上がって、まじまじと見つめる。

 

一見すると、どこが変わっているのかはよくわからない。が、三連装魚雷発射管の形状がわずかに異なっており、シールドも少し大きい。酸素魚雷対応版ということで、運用に必要な機構を追加したからだろう。

 

「缶は全とっかえしたから、燃費が向上してるんです。それと魚雷発射管が酸素魚雷対応になったんです」

 

明石が得意げに説明する。こうした新兵装等の開発、改良は工廠長が明石と夕張に一任しており、独自の妖精チームを組織している彼女が、吹雪の艤装の修復と改装に大きく携わっているのは容易に予想できた。相当の自信をもって、この艤装を送り出してくれているのだろう。

 

「あ、そうだった、こっちも説明しないと」

 

そう言って明石は、艤装の横に置かれた厳重なロックの掛かった箱―――弾薬箱から、何らかのものを取り出した。明石が両の手のひらに掴んで慎重に取り出したそれは、黒光りする弾頭に細長い胴を持つ、魚雷だった。形状からして、九三式酸素魚雷だろうか。吹雪の魚雷発射管にぴったり入る大きさだ。

 

「魚雷ですか?」

 

「ふっふー、ただの魚雷じゃありませんよ?試製水雷戦隊用酸素魚雷です!」

 

「・・・?」

 

明石の説明にピンと来なかった吹雪は、愛らしく小首を傾げるしかなかった。薄い反応に、明石がカクッと肩を落とした。

 

「反応が薄かった・・・。やっぱり、わかりにくいんですかね?」

 

「あの・・・すみません?」

 

「なんで疑問形!?ま、いいや」

 

気を取り直したのか、明石は咳払いを一つすると、説明を始めた。

 

「吹雪ちゃん、酸素魚雷の馳走距離は知ってるでしょ?」

 

生徒を諭す先生のように、明石は人差し指を立てて吹雪に尋ねる。

 

「はい。雷速にもよりますけど、二万ぐらいですよね」

 

「その通り。じゃあ、実際に吹雪ちゃんが魚雷を撃つ距離は?」

 

「それは・・・」

 

明石の言わんとしていることが掴めずに、吹雪は考える。

 

「欲を言えば四千ですけど、実戦だと八千か、精々六千ですね」

 

「そう!そこなんですよ!」

 

「どういうことですか?」

 

フフン、と明石は胸を張る。

 

「そもそも近距離に接近して魚雷を撃つ水雷戦隊にとって、馳走距離二万は過剰なんですよ!」

 

「・・・あっ」

 

言われてみればその通りだ。水雷戦に使う分には、別に二万も魚雷が走る必要はない。一万でも十分なくらいだ。実際、吹雪が装備していた九○式は大体一万の馳走距離だったが、特にこれと言って問題があったことはなかった。

 

「そこでっ!この試製水雷戦隊用酸素魚雷は酸素の燃焼効率をアップ!馳走距離が短くなる代わりに、六○ノット以上の雷速を手に入れたのです!!」

 

「おおっ・・・!!」

 

大げさにポーズを決める明石に、吹雪はぱちぱちと拍手を送る。二人の付き合いは長い。鎮守府の開設した頃から共に戦い続ける二人の間には、艦種を超えた繋がりがあった。こうした突然のノリについていけるのも、二人だからだ。

 

「まあそういう訳だから、早速仮装着してみましょう!」

 

「はい!」

 

「こっちの新型酸素魚雷は、普通に酸素魚雷対応発射管で使えるんだけど、発射タイミングが今までと変わってくるから、気を付けてね」

 

そう言って明石は魚雷を仕舞い込み、艤装の前に立った吹雪の横に立つ。

 

「それじゃ、衣装合わせと行きますか!」

 

お気に入りのスパナを持った明石が、満面に笑みを浮かべていた。




あと三、四回で一段落でしょうか

結局一年近くかかって書き上げることに・・・

そして後書きで何を書けばいいかわからなくなってきた今日この頃・・・


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決戦近し

どうもです

今回は短くできた

次回以降への振りということで、この辺で

どうぞよろしくお願いします


タモン少将

 

鎮守府付き航空乙参謀。元は戦闘機乗り。高い戦術眼を買われ、ジサブロウ少将と共に、対深海棲艦機動部隊戦術の研究を行う。

 

本来アマノイワトを通過できないが、アメノウズメを服用することで、地球と鯖世界を行き来する。

 

ジサブロウ少将

 

鎮守府付き航空甲参謀。タモンの二期先輩。対深海棲艦機動部隊戦術、特に防空戦術について研究、電探や防空回廊を用いた新戦術を発案している。

 

直接鎮守府を訪れることは少ないが、瑞鶴とは個人的に文通している模様。

 

マトメ少将

 

鎮守府参謀長。イソロク中将と行動を共にしているため、鎮守府を訪れたことはない。

 

表情を全く出さない人物であり、何を考えているのかよくわからない。そのため、いらぬ誤解を生みやすい。

 

ジンイチ二佐(当時)

 

統合海軍推薦の“提督”最適任者。元は潜水艦「しょうかく」艦長。

 

開設前の鎮守府や工廠の運用に携わっていたが、吹雪型一番艦の艤装着工時に行方不明となる。現在まで、その所在は掴めていない。

 

 

天気は快晴だ。夏も終わりに近いとはいえ、まだまだ日差しは強く、油断すると肌を焼いてしまうことになる。照り返しも激しいため、甲板の金属部分はできれば近寄りたくない気分だ。とはいえ、風と潮に晒されている手すりはほどよく温度が下がり、触れても特に問題はなかった。

 

ゆっくりと海上を進む艦娘母艦“呉”の甲板の端で、吹雪は大きく息を吸い込み、お天道様に向かって伸びをした。降ろした手を手すりに乗せ、体を前のめりにする。いつも嗅いでいる、海の臭いがした。

 

辺りには、同じようにしている艦娘がちらほらいる。同じ隊で固まっている娘もいれば、普段はあまり見ないような組み合わせでしゃべっている娘もいた。

 

「吹雪ちゃんも、甲板でしたか」

 

海を眺めていた吹雪に、背後から声が掛けられた。柔らかい物腰に、深窓の令嬢を彷彿とさせる気品に満ちた声音。日傘を差して近付く影は、長い髪を頭の高い位置で一つに纏めていた。桜の花びらが、アクセントに散りばめられている。

 

吹雪の横に立った大和も、息を吸った。呼吸に合わせて、その超弩級の胸が上下する。

 

「艦娘母艦に乗るのって久しぶりなんです。艦内はドックとか工廠とかで手狭ですし、どうしても外で息を吸いたくなってしまって」

 

「ふふっ、同じですね。これだけ大きな船ですから、もっと艦内に余裕があるのかと思ってました」

 

「あはは、やっぱりそう思っちゃいますよね」

 

二人で苦笑してしまった。

 

艦娘母艦―――特に“呉”は、全長一八三メートル、排水量一万千トンと、かなりの巨躯を誇る。艦内にもそれなりにスペースはありそうなものだが、意外とギリギリなのだ。何せコンセプトは、「洋上の鎮守府」。鎮守府の機能を可能な限り詰め込んだ“呉”は、四つの修復施設と艤装調整室、鎮守府全員分の艤装が格納できる艤装格納庫、艦隊指揮設備に五海戦分の燃弾庫。これに艦娘と各部員の兵員室、食堂、簡易娯楽施設などが準備され、艦内は一杯一杯だ。

 

「十一駆のみんなは警備ですか?」

 

「はい。白雪ちゃんは待機組で、初雪ちゃんと深雪ちゃんはあそこに」

 

そう言って吹雪は、海上を指差す。艦娘母艦と並行して、周囲に警戒する二人の駆逐艦娘が見えた。なびくセーラー服から、吹雪型だとわかる。

 

「初雪ちゃーん、深雪ちゃーん!」

 

大声で叫ぶと、吹雪は元気一杯に手を振った。こちらに気づいたのか、二人の駆逐艦娘もこちらを振り向き、手を振る。大和はそれを、微笑ましく見守っていた。

 

「駆逐艦の皆は、とても仲がいいんですね」

 

「そうですねー。やっぱり、隊で固まってることが多いですから。わたしたちは、一人では何もできないので」

 

―――「吹雪しか、いないと思ってた」

 

司令官からの言葉を、吹雪は思い出していた。あれはきっと、大和のことだったと、今は思っている。公試時からずっと随伴艦を務めてきた吹雪が、初実戦となる大和の直衛として最適任だと。

 

演習時の一件以来、大和の艤装使用は、通常訓練も含めて極めて慎重に行われてきた。数日置きに装着しては、様子を見る。航行から始め、砲撃、対空、演習まで持っていく。

 

その結果、航空機を確認した際に艤装が過剰反応を示し、大和本人の精神に介入していることがわかった。これを受けて、工廠部はいくらかの改善を施し、症状の鎮静に勤めている。また、大和が精神的に安定したこともあって、症状は日に日に弱くなっていた。それでも油断できないが、北方海域の決戦に際して投入が決定した。そこには、大和の強い要望もあったという。

 

いつかの、司令官の言葉が原因かどうかはわからない。ただ、あの一件以来、大和が持ち直しているのは事実だ。

 

―――司令官の分まで、わたしが大和さんを守らないと。

 

改めて決心した吹雪は、掴んでいた手すりにかける力を強める。

 

“呉”の幌筵入港は二日先だ。

 

 

「大盤振る舞いだな・・・」

 

入港した新戦力を確認したライゾウは、呆れとも感嘆ともつかない声を上げた。

 

「戦艦三に、空母四、駆逐八、か・・・。鎮守府の戦力ほぼ全部じゃねえか、大丈夫なのか・・・?」

 

「大丈夫でですよ、多分」

 

同じく書類をめくっていたユキも、目を見張っていた。

 

「多分って・・・お前が言うと一気に不安になるからやめてくれよ・・・」

 

「それじゃあ、先輩はしゃべる度に不安になるので、二度としゃべらないでくださいね」

 

「お前って俺に対して容赦ないよね」

 

ひどいことを言う後輩に対して、ひらひら手を振ってから、ライゾウは作戦室へと移った。

 

 

 

作戦室は広くなっていた。というのも、艦娘母艦“呉”の入港をもって、前線指揮を“幌筵”から移管したからだ。

 

本来“呉”の派遣は予定されていなかったのだが、とある理由で最前線に投入することが決まった。そして入れ替わりに、“幌筵”は損傷の激しい艦娘を鎮守府へと運ぶことになる。

 

“呉”が投入された理由は、大和の艤装を扱うためだ。従来の艦娘の艤装を遥かに凌ぐ大きさを誇る大和型の艤装は、現在は“呉”の工廠施設でしか扱うことができない。よって大和の全線投入と同時に“呉”もまた、幌筵にやってきたのだ。

 

大型客船改造とはいえ、“呉”は洋上の鎮守府たらんと設計された船だ。作戦室も充実している。通信機器も強化され、六個艦隊は同時に運用が可能だ。漸減戦を展開しつつ、艦隊決戦が行える規模だ。艦内スペースも“幌筵”より広く、応急修理程度なら同時に十隻は可能となる。

 

“幌筵”では紙だった海図も、電子パネル製だ。拡大、縮小の容易なこちらの方が使い勝手はいい。まあ、ライゾウ個人としては、たまに紙の海図が恋しくなるのだが。

 

「まず、漸減作戦の成果だが・・・」

 

それまでの報告内容をまとめたデータが、大きな海図台の一角に映された。確認した撃破数と、航空偵察によって判明した敵艦隊の配置が、キス島周辺の海図に反映される。

 

「四日前から実施している夜襲の成果です。キス島周辺に展開していた早期警戒部隊に、かなりのダメージを与えています」

 

当初、キス島周辺には四つの敵前衛部隊が存在した。第一次攻勢では、これらの警戒部隊を叩くことで敵主力を誘引し、キス島近海で艦隊戦を展開している。

 

その後は第二次攻勢に備えて、この警戒部隊に対する夜襲が行われていた。目的は明白で、警戒部隊を手薄にすることを恐れた敵主力に、前衛を強化させることだ。結果として、主力の護衛艦を削ることになる。

 

むろん、敵艦隊がキス島の包囲を諦め、前線を引き下げることも懸念された。しかしユキは、過去の深海棲艦の行動からその可能性は低いと見ていた。

 

深海棲艦の行動原理は単純だ。作戦の完遂、これだけである。ただしこれは、作戦を指揮する侵攻中枢艦隊の旗艦だけが持つロジックのようで、それ以外の深海棲艦については、その指示に従っているだけだと思われる。証拠に、旗艦を撃沈することで深海棲艦はその行動原理を失い、撤退を始める。

 

結果として、ユキの予測は当たった。深海棲艦は前線を下げずに、より強力な部隊を警戒艦隊に回したのだ。

 

現在キス島周辺には、重巡洋艦二隻を中心とした艦隊が三つ展開していた。後方に控える主力部隊へ一撃を加えるには、この艦隊を排除して進まなければならない。

 

「結果として、早期警戒部隊は増強されていますが・・・?」

 

「代わりに主力の守りは薄くなっただろ?」

 

「まあ・・・その通りです」

 

ライゾウは大きく頷いた。

 

「“呉”のおかげで六個艦隊を動かせるようになったんだ。これを最大限に生かそう」

 

 

“呉”に、各艦娘の艤装移し替えが終わった。現在“幌筵”には、大破損傷して現地修復不能と判断された艦娘の艤装が、鎮守府への輸送のために乗せられているだけだ。

 

「そんなに心配しないでください。私は大丈夫ですから」

 

これから出港する“幌筵”の前で、赤城は加賀を見送っていた。頭に包帯を巻いた加賀は、赤城に答える。

 

「なら、いいです」

 

彼女は元気そうだ。こういうところで、無理をするような艦娘じゃない。ずっと一緒に戦ってきた赤城にはわかった。

 

「一足先に帰ります。急いで帰らないと、出撃手当の間宮羊羹を食べてしまいますので」

 

「それは大変です」

 

赤城は、ことさら大げさに笑った。

 

「・・・それでは、また」

 

「・・・ええ」

 

どちらからともなく話を切り上げて、手を上げる。踵を返した加賀は、ゆっくりとタラップを登ろうとした。

 

「加賀さん!」

 

不意に、背後から声がした。加賀が珍しく目を見開いたのを見て、赤城も振り返る。こちらへ全力疾走してくる艦娘の姿が見えた。

 

「瑞鶴・・・」

 

加賀が小声でつぶやく。余程必死に走ったのか、赤城の横で止まった彼女はそこで膝に手をついて、ゼーゼーと言っている。やがて深呼吸の後、汗を拭いて顔を上げた。

 

「えっと・・・」

 

何を言うべきか迷っている様子の後輩を、二人の先輩は優しい眼差しで待ち続けた。

 

「・・・私、やります」

 

最後に出てきたのは、短い一言。言葉以上に、決意と信念をにじませた「やります」だった。

 

「そう」

 

瑞鶴の宣言に二回ほど瞬きした加賀はいつも通りに―――努めて冷静な先輩の顔で頷いた。

 

「頼んだわ」

 

出港を告げる汽笛が、辺りに響いた。

 

 

幌筵の地を去っていく艦娘母艦を、長門は静かに見送っていた。陸奥には会っていない。今会ってしまえば、弱音を吐きそうだったから。優しい姉妹艦は、きっと長門を抱きしめて慰めてくれるから。その時自分は、戦うことが怖くなってしまうから。

 

長門が、戦艦の筆頭なのだ。今、自分が取り乱すわけにはいかない。今回は大和もいるのだから。安定しているとは言えない彼女を、不安にしてはいけない。

 

―――だから、待っていてくれ陸奥。

 

水平線に向けて小さくなる艦影を見つめる。外套を羽織った胸元を、右手で握りしめた。

 

今の長門には、それが精一杯だ。

 

未練を残さず、回れ右をして“呉”の艦内へ戻る。

 

 

 

第二次攻勢の開始は近い。




これから北方作戦も大詰めとなります

思えばここまで長くなるとは思わずに・・・

後二、三話でまとめます。まとまるといいなあ・・・(終わるとは言っていない)


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北方決戦

どうもです。

北方海域の戦いも、いよいよ大詰めとなりました。今回も張り切ってまいりましょう

今回は機動部隊編。ようやく、ようやく赤城さんが活躍できる・・・!

どうぞよろしくお願いします


始めまして。

 

まず初めに、この手紙は、君以外の誰にも見せないでほしい。特に、リュウノスケ大佐には。

 

この手紙に同封されている報告書の内容を、信じる信じないは、君の自由だ。ただしここに記されていることは、実際に私の確認したこと、とだけ言っておこう。

 

なぜ、こんな形で知らせたか。それは私が、今このことを知らせることのできる場所にいるからだ。ただ、早急に知らせる必要が生じた。よってこのような方法を取らせてもらった。

 

なぜ、君だったか。鎮守府において、艦娘の中でこの情報を十二分に理解し、適切に扱ってくれるのは君だと判断した。

 

どうしてほしいか。いずれ必要になったとき、ここに書かれていることを実行するかは、君の判断に任せる。ただし、細心の注意を払ってほしい。

 

最後に、いずれ時が来れば、この事実は私が直接リュウノスケ大佐に伝える。どうかその時まで、彼と艦娘を守ってほしい。

 

では、またいずれ。必ず会おう。

 

 

「これで二杯!!」

 

たった今、自らの砲撃で沈んでいく敵重巡洋艦を確認して、摩耶はガッツポーズをとる。本日二隻目の戦果だ。

 

北方海域、キス島沖。摩耶の所属する第二艦隊は、現在二つの艦隊をもって敵前衛の撃破を行っていた。キス島を守るように配置された敵艦隊を叩き、AL列島深部に居座る敵主力艦隊をおびき出すためだ。

 

ここ最近は、夜間の一撃離脱攻撃だけで、面白みが全くなかった。だが今回は、白昼堂々敵艦隊と渡り合える。これほど嬉しいこともない。早々に敵警戒部隊を片づけた摩耶は、辺りを見回して、僚艦の位置を確認した。

 

『ちょっと摩耶!前出過ぎだってば!』

 

同じ第二制圧艦隊―――二制艦の妹艦が、強い口調でたしなめた。

 

「んだよー、ちょっとぐらいいいじゃんかよ」

 

『摩耶の場合はちょっとじゃないでしょ』

 

小言が多いが、真面目な妹なのだ。それに、摩耶のことを心配してくれているのもわかる。

 

「仕方ないだろ。あたしとしては、後のために鳥海を前には出したくないし」

 

摩耶は言い訳がましく答える。現在鳥海には、後で―――撤退時に使用する“特殊な”兵装が搭載されているのだ。

 

『だからって、旗艦が前に出過ぎちゃダメでしょ』

 

「へいへい」

 

そう。今この艦隊を率いているのは、摩耶なのだ。

 

現在第二艦隊で稼働可能な重巡は摩耶含めて六隻。うち四隻が、前衛として展開していた。ここに軽巡と駆逐艦を加えて二個艦隊をなしている。摩耶の率いている艦隊には、鳥海、球磨、朝潮、満潮、綾波が配属されていた。

 

摩耶は、鳥海を撤退支援に徹すると決め、綾波を付けてあまり積極的に戦闘に参加させないことにした。重巡洋艦とやりあってやられるような妹艦ではないが、搭載している特殊兵装が損傷しては事なので、このような判断に至ったのだ。

 

『もう・・・。摩耶がやられたら、姉さんたちになんて言ったらいいのよ』

 

「お前はあたしの保護者かよ・・・」

 

あまりの心配っぷりに、摩耶は呆れを交えて言葉を返した。

 

『違うの?』

 

さも当然のような答えに、ガクッと肩を落とす。

 

「可愛くねえ妹だな・・・」

 

『よ、余計なお世話よ』

 

拗ねた口調に、苦笑する。

 

「ま、あたしらがしっかり守るからよ。心配すんなって」

 

『・・・わかったわよ』

 

若干不服そうではあるが、なんとか納得してくれたみたいだ。真面目ゆえに面倒なところがあるやつだが、こういうところが可愛い・・・と、思わないこともない。

 

「引き続き周囲を警戒。特に航空機に気を付けろ」

 

命令を発した摩耶は、陣形を整えながら自らも周囲に目を配る。

 

そろそろ、こちらの主力艦隊が出てくるはずだ。

 

 

「始まったか」

 

単縦陣の先頭を進んでいた那智は、頭上を通過していく明灰白色の腹を持つ猛禽たちを見つめた。腹に爆弾や魚雷を抱えたジュラルミン製の鳥たちは、自らの獲物を求めて洋上を進んでいた。翼に描かれた赤い丸が印象的だ。

 

始まったのは、第三艦隊から加わった千代田、飛鷹、隼鷹の航空攻撃だった。那智と摩耶がそれぞれ率いる艦隊の後ろに展開する彼女たちが、キス島周辺の敵艦隊に空襲を開始したのだ。

 

キス島沖に展開しているのは、四個警戒艦隊だった。このうち最も前に出ていた二つを、第二艦隊が叩いている。そして残った二つに対して、航空攻撃が実施されたのだった。

 

幸い、キス島周辺の敵艦隊は早期警戒隊であり、空母を含んでいなかった。進発した攻撃隊は、特に妨害を受けることなく目標を目指す。零戦十二機、“紫電”改二六機、“天山”二十四機、“彗星”三十機。軽空母とはいえ、三隻の機動部隊から放たれた攻撃隊としては少なめだ。これがさらに二つに分かれ、二個の敵艦隊に襲い掛かる算段だ。

 

「・・・そろそろ頃合だな。一制艦(第一制圧艦隊)転針一八○度。撤退する」

 

攻撃隊を見送った那智は、当初の予定通り撤退に移ることを下令した。

 

『ええー、もう終わりなの?』

 

不満げな声を漏らしたのは、同じ艦隊に所属する妙高型の三番艦“足柄”だ。作戦中にもかかわらず普段と全く変わりのない姉妹艦に、苦笑しか出てこない。

 

「撤退だ。それに我々の出番は、これからだぞ」

 

『それは・・・そうだけれど』

 

むむむ、と唸っている。足柄は自他ともに認める武闘派で、目の前に敵艦がいるのに撤退するという判断が納得いかないのだろう。那智ではなく彼女が旗艦だったら、間違いなく突撃していきそうだ。

 

「とにかく戻るぞ。すぐに来る」

 

『はーい』

 

おそらく、あまり時間はない。警戒艦隊が空襲を受けたとすれば、敵主力艦隊が出てくるはずだ。多分、機動部隊が。残存の敵機動部隊は二つ。軽空母部隊と主力機動部隊だ。どっちかが食いついてくる。それから千代田たちを守るのが摩耶たちの艦隊の役目、撤退する主力を援護するのが那智たちの艦隊の役目。

 

そのために、今は千代田たちの防空圏内に退避しなければならない。

 

転針した那智たちは、陣形を維持したまま千代田たちの防空圏内を目指す。まもなく、攻撃隊からト連送が発信された。

 

 

「対空戦闘用意!」

 

輪形陣を形成する艦娘たちの先頭に立って、摩耶は大音声で叫んだ。三人の軽空母艦娘と鳥海を囲むようにして作られた輪形陣の各所から、応答が来る。

 

摩耶たちが敵の偵察機に捕捉されたのは、千代田率いる第三制圧艦隊―――三制艦と合流する直前だった。すぐさま陣形を整えた摩耶たちは、直掩機の発艦を行いつつ、二式艦偵を用いた早期警戒網の構築に努めた。現在は、飛鷹と隼鷹が攻撃隊の収容を終えたところだ。今回、千代田には攻撃機が積まれていない。

 

「飛鷹と隼鷹は直掩機の準備を!第二次攻撃以降で使う!」

 

『了解。二十分で終わらせるから、何とかこれは凌いで!』

 

「任せとけ」

 

飛鷹の要請に力強く答える。それから摩耶は、上空に展開する千代田の戦闘機隊を見つめた。

 

零戦十五機、“紫電”改二十八機の計三十三機が、上空直掩についている。この他、早期警戒機として二式艦偵四機が艦隊前方に配置されていた。そのうちの一機が、敵攻撃隊の接近を知らせたのだ。

 

摩耶の二一号電探にはまだ何も反応がない。それでもひしひしと、敵攻撃隊が接近してくるのを感じていた。

 

「艤装展開」

 

摩耶が口頭で指示を出すと、腰のホルスターが眩い光を放ち、格納されていた艤装を展開し始めた。それまで使っていた魚雷とは違う。現在摩耶だけが使用を許された、特殊兵装だ。

 

巡洋艦用高角砲台。四○口径一二・七サンチ連装高角砲を四基、二五ミリ機銃多数、九四式高射装置二基を装備したこの特殊艤装は、現在開発中の秋月型防空駆逐艦の艤装テストベッドとして開発されたものだ。安定した対空射撃を実現するために戦艦型に近い艤装形状となり、丁度摩耶の腰回りを囲むようになっている。艦隊防空にはもってこいだ。

 

本当はもう少し性能の良い対空電探があるといいのだが、ないものをねだっても仕方がない。

 

『敵編隊接近。距離四○○(四万)』

 

千代田が二式艦偵からの情報を伝える。艦隊全員が、雲量三の空を睨んだ。

 

やがてゴマ粒ほどの小さな点の集まりが見え始めた。数は多い。概算で百は下らないだろう。高度は四千といったところか。

 

「千代田!」

 

『艦戦隊、突撃!』

 

摩耶の指示に呼応して、千代田が艦戦隊を突撃させる。高度六千で待機していた“紫電”と零戦が一斉に翼を翻し、攻撃機に襲い掛かる。

 

先手は“紫電”隊だ。零戦よりもがっしりとした機影が急降下すると、二○ミリ機銃を浴びせかける。機体構造が頑丈で、急降下による高い力にも耐えることのできる“紫電”だからこそできる攻撃だ。元が局戦―――邀撃機であるために、こうした一航過での攻撃もお手の物である。

 

深海棲艦戦闘機が気づいた時には、すでに“紫電”は編隊の下に抜けている。九機の攻撃機が一時に火だるまとなり、ほぼ同数が何らかの損傷を受けて落伍しかかっていた。

 

当然、敵戦闘機は“紫電”隊に襲い掛かろうとした。が、後から襲い掛かった零戦がそれを妨害する。“紫電”に劣るとはいえ、二○ミリ機銃の威力は絶大だ。それに乱戦となれば、格闘性能の高い零戦の方が“紫電”よりも優れている。二機一組を崩さないように敵戦闘機を翻弄し、一連射を浴びせかけて撃墜する。倍近い敵戦闘機隊を、巧みに誘引し、攻撃機から引き離した。そのすきに、“紫電”が第二撃を浴びせかける。

 

それでも、敵編隊は進撃をやめない。迎撃を受けながらもじりじりとこちらへ迫り、攻撃点への到達を目指していた。

 

『距離二○○!』

 

「一○○より対空射撃!射撃は雷撃機を優先!」

 

摩耶の号令と共に、輪形陣の各艦が高角砲に仰角をかける。由良と阿武隈は主砲を一四サンチ砲から一二・七サンチ砲に換装しており、いくらか対空射撃能力も向上していた。

 

「直掩隊は退避!」

 

対空砲の射程圏内へ迫りつつある味方機の退避を、千代田に命じる。執拗に敵機に追いすがっていた戦闘機隊が一斉に散開した。次の瞬間。

 

「撃ち方、始めっ!」

 

摩耶の号令一下、すべての高角砲が火を噴いた。摩耶は両腕の二○・三サンチ砲も振り立て、零式弾を発射する。濃密な弾幕が、戦闘機の洗礼を生き残った攻撃機へ襲い掛かる。真っ黒い花が次々と開いて、鋭い断片と衝撃波を周囲に振りまいた。これに絡め取られた敵機が、黒煙を噴き上げ、あるいは錐揉みとなって落ちていく。正面で高角砲弾が炸裂した敵機は、勢いを失ってそのまま水柱を上げた。

 

敵編隊が二手に分かれた。半分は高度を下げ、もう半分は上昇していく。前者が雷撃機、後者が急降下爆撃機だ。先の指示通り、輪形陣各艦は高角砲の仰角を下げ、右舷方向からの侵入を試みる雷撃機に弾幕を集中した。

 

「千代田、爆撃機の方は!?」

 

『ごめん、ちょっと厳しいかも。第一陣は回避をお願い!』

 

「聞いたな?各艦弾幕を形成しつつ、各自の判断で回避!」

 

千代田戦闘機隊が、敵戦闘機とドッグファイトを繰り広げながら、なんとか艦隊上空へ戻ろうと試みる。ただ敵戦闘機も必死でそれを妨害しようとするため、まだしばらくはかかりそうだ。

 

超低空をまっすぐにこちらへ迫る雷撃機に射撃を集める。こちらの方が、ほぼ真上から落ちてくる降爆よりも狙いやすい。それに急降下爆撃では、余程当たり所が悪くない限り、沈むことはない。

 

由良の砲弾が二機をまとめて捉え、海面に叩き落す。

 

摩耶の零式弾が掠った敵機がバランスを崩し、そのまま弾幕に突っ込む。

 

高角砲弾のサンドイッチになった敵機が、推力を失って波間に消える。

 

断片をまともに浴びて黒煙を噴き上げ、海面に激突する敵機もいる。

 

元々“紫電”隊によって数を減じていた雷撃機は、目標の限定によって密度を増した弾幕に絡め取られ、すでに十数機になっていた。

 

対空砲火が、高角砲から機銃に変わる。二五ミリの弾丸が、正に横殴りの暴風雨となって襲い掛かった。何百本という曳光弾が伸び、雷撃進路への侵入を阻む。それでも敵機は、確実にこちらへ迫ってきていた。

 

摩耶は上空も確認する。妨害を受けることなく侵入した降爆隊の第一陣が、今まさに急降下をしようとしている。

 

―――タイミングが肝心だ。

 

ぎりぎりまで弾幕を張り、最低限の回避運動で躱す。そのためのタイミングを、電探と時々の目視で図り続ける。

 

しびれを切らしたのか、降爆機が翼を翻し、左舷側からこちらへ急降下を始めた。雷撃と挟み撃ちにするつもりだ。

 

―――まだ・・・まだ・・・!まだ・・・今だ!

 

「撃ち方やめ、各艦回避運動!」

 

摩耶は転舵を決意する。それまでの喧騒が嘘のように射弾の雨がやみ、輪形陣の各艦が機関をうならせて回避運動に入る。

 

申し合わせたように、全艦が一斉に左へ舵を切った。降爆機の軸線の真下へ入り込む形だ。

 

『魚雷投下!』

 

最後尾の由良が確認した。数瞬の後、上空の降爆機も投弾する。ダイブブレーキの音が甲高く響いた。

 

艦隊の上空を、降爆機と雷撃機がフライパスする。

 

各艦の周囲に、水柱が立ち上った。一発、二発、摩耶を狙っていたのか、至近に瀑布が次々と噴き上がり、制服を濡らした。

 

弾着は十数発で終わる。至近弾はあったものの、各艦被弾はなく、大した被害もなかった。それもそのはず、そもそも急降下爆撃の回避を目的として舵を切ったのだから。

 

問題は後ろから迫る影―――雷撃だ。正対面積は最小だが、もし今被雷すれば、艤装後部に集中する推進器を一時に失う可能性が高い。それに相対速度が小さいため、魚雷が通過するまでが長いのだ。それまで、彼女たちは前進するしかない。

 

『戦闘機隊、邀撃始めて!』

 

ようやく追いついた千代田の戦闘機隊が、追いすがる敵機を振り払いながら、上空で時宜を伺う降爆機に射撃を浴びせかけた。が、弾幕は薄い。最初の襲撃と、その後の敵戦闘機との戦いで二○ミリ弾をほとんど使いきってしまったのだろう。

 

「高角砲、撃ち方始め!」

 

苦し紛れだが、ないよりはましだ。回避運動によって崩れた輪形陣では、効果的な射撃は望めない。それでも投弾コースを逸らすぐらいはできるはずだ。

 

高角砲弾が咲き乱れる中、まるで花畑を突っ切るように降爆機が落ちてくる。ダイブブレーキを響かせ、こちらへ狙いをつけながら刻一刻と迫っていた。

 

―――間に合わない・・・!!

 

弾幕を張りながら、摩耶は覚悟した。

 

敵機が引き起こしをかけ、こちらの頭上を通過していく。それを見送る間もなく、敵弾が降り注ぎ始めた。

 

一発、二発。各艦の左舷に、あるいは右舷に落ちる。

 

四発、五発。水柱が、段々と近づいてくる。

 

六度目の水柱が噴き上がった時だ。それまでと明らかに違う、おどろおどろしい炸裂音が轟いた。

 

『きゃっ・・・!』

 

悲鳴が混じる。それからも弾着のたびに、輪形陣のどこかで悲鳴が上がった。

 

合計十五発が降り注いだところで、降爆隊の投弾は追わった。攻撃隊は大きく数を減じていたものの、小さな編隊を組んで、敵機動部隊の方へ戻っていく。その姿を、摩耶は憎々しげに見つめていた。

 

『後方の魚雷、なおも接近!』

 

まだだ。先の魚雷は、まだ海中をこちらに向かって進んできていた。

 

「由良、朝潮!爆雷で牽制!」

 

摩耶はとっさに判断する。

 

魚雷というのは、非常に精密な機械だ。ちょっとした衝撃を受けるだけで針路を狂わせ、あるいは暴発する。その点は、艦娘も深海棲艦も変わりなかった。

 

魚雷のイレギュラーな回避方法として、爆雷による妨害を摩耶に教えてくれたのは、鎮守府最古参の軽巡洋艦だった。隻眼の姉御は、ジュース片手に水雷戦について説明してくれた。

 

いわく、爆雷は衝撃波によって潜水艦を撃沈する兵器である。その衝撃波が、擬似的な海中の壁となり、魚雷を狂わせる。

 

『よく狙って!てぇーっ!』

 

由良と朝潮が次々と爆雷を投射する。連続した爆発が起こり、巨大な瀑布が生じる。どの程度効果があるかはわからないが、少しでも魚雷の進路が変わればそれでいい。

 

爆雷を投射した由良が、後方を確認する。

 

『魚雷、針路それました!』

 

「よし!」

 

小さくガッツポーズをする。これで、当面の危機は去った。陣形を整える指示を出して、輪形陣を再構築する。

 

「被害報告!」

 

『飛鷹、被弾三。航空機発着艦能力喪失』

 

『球磨、被弾一。高角砲がやられたクマ』

 

『千代田、被弾一。大丈夫、まだ発着艦はできる』

 

『朝潮、至近弾二。損傷軽微です』

 

それ以上の被害はなかった。

 

摩耶は奥歯を噛みしめる。飛鷹被弾は痛い。これでこちらの航空戦力は、三分の一を損失したことになる。

 

起きたことは仕方がない。今備えるべきは、次の攻撃を防ぐことだ。

 

「千代田は、戦闘機隊の回収と燃弾補給急げ。隼鷹は直掩隊発艦」

 

『了解。艦載機隊、発艦準備!』

 

艦隊は、輪形陣維持のまま針路を風上に向ける。やがて隼鷹が巻物状の飛行甲板を広げると、式神が艦載機となって駆けていった。十八機の零戦と“紫電”が、艦隊の直掩任務に就く。逆に千代田の戦闘機隊がからくりを思わせる大きな箱型の飛行甲板に降り立ち、燃弾補給に入った。

 

その様子を見守る摩耶は、ここから少し南に離れた海域のことを思う。

 

―――頼んだぜ。

 

ここが、摩耶たちの正念場だった。

 

 

『索敵機より入電!敵軽空母部隊見ゆ!』

 

瑞鶴から放たれた二式艦偵が、ついに敵機動部隊を発見した。報告を受けた赤城は、はやる気持ちを無理に押し付け、さらに詳しい情報を待つ。瑞鶴の報告は続いた。

 

『軽母三、軽巡一、駆逐二!キス島より、東北東へ十海里!』

 

間違いない。事前索敵で報告のあった機動部隊のうち、軽空母を主体とした部隊だ。現在は、二制艦と三制艦の混成部隊を襲撃している。

 

『あ、追加!敵艦隊は艦載機を回収中の模様、第二次攻撃の準備中です!』

 

「三艦隊全艦へ。これより本艦隊は、敵軽空母部隊を攻撃します。予定通り、第一次攻撃隊の準備を」

 

赤城は即座に決断した。

 

航空戦は先手必勝とよく言われるが、状況によってはそうとも言えない。先手を打つということは、裏を返せば無傷の敵艦隊から猛烈な反撃を受ける可能性があるということだからだ。だから赤城は、航空戦の要諦は忍耐にあると思っている。目の前の敵にすぐに食いつくのではない。いつ、どのタイミングなら、一撃で確実に喉元を食い破れるか。航空機の損害がそのまま戦力の低下につながる機動部隊にあって、最も大切なのはその一点だった。

 

無暗に戦力を消耗するようなことがあってはいけない。

 

今は攻める時だ。今攻撃隊を放てば、その到達は丁度敵艦隊の第二次攻撃隊が二、三制艦に向かっているころだ。つまり最も手薄な時を狙って攻撃できる。

 

そうと決まれば準備は早い。通常空母で必要な発艦までの手間―――格納庫からの引き出し、甲板への整列、暖機運転、これらをすべてすっ飛ばせるのが、艦娘の強みだ。

 

上空直掩に赤城、飛龍が六機、翔鶴、瑞鶴が九機の“紫電”改二を残して、全機が飛び立ち、敵艦隊へと向かう。百余機の航空機が整然と翼を並べ、空を征く様は、ある種の美術品のようだ。

 

『こちら一艦隊。敵戦艦部隊見ゆ。これより交戦す。以上』

 

攻撃隊を見送ったところで、今回も三艦隊の前面に展開している一艦隊―――砲戦部隊の旗艦“長門”から、短い通信が入った。

 

―――やはり、今回も・・・。

 

赤城は弓を握りしめる。前回と同じだ。北方の深海棲艦は、機動部隊の前面に戦艦部隊を配置することで、こちらの水上部隊の接近を阻んでいる。あたかも、こちらの戦術を読んでいたかのように。

 

―――逆かもしれないわね。

 

つまり敵戦艦部隊は、こちらの水上部隊を撃滅しようとして前に出てきた。

 

いずれにしても、今は一艦隊に任せるしかない。三艦隊は二つの機動部隊を相手取らなければならないのだから。

 

―――頼んだわよ。

 

空へと溶け込んでいった攻撃隊に思いを馳せる。その位置は、一歩ずつ敵艦隊へと迫っていた。

 

 

制空隊の“紫電”改二が、バンクしてから編隊で上昇を始めた。元が局戦であるがゆえに、その動きは零戦よりも早い。攻撃隊からみるみる離れ、青空へと昇っていく。その頭上から、人工的なきらめきが瞬いた。

 

飛龍は、自らの感覚を通して、彼女の操る“天山”の動きを操作していた。“天山”だけではない。攻撃隊直掩の“紫電”改二や、強襲用の“彗星”も、彼女は感じ取っていた。

 

軽空母部隊に今まさに辿り着こうかという攻撃隊は、もう間もなく赤城の指示で散開するはずだ。“天山”の目標は、軽空母のみ。周りの護衛艦は、“彗星”の急降下爆撃でスクラップにする予定だ。

 

予想通り、すぐに散開の合図が来た。攻撃隊が上下に別れ、艦載機のほとんどない軽空母部隊に襲いかかる。

 

先陣を切ったのは、“彗星”たちだ。先頭を進むのは、翔鶴指揮下の“彗星”隊。その指示の下、飛龍、瑞鶴の“彗星”が続く。赤城の隊が含まれていないのは、代わりに“紫電”改二と二式艦偵を多めに搭載しているからだ。

 

“彗星”が急降下に入る。他の機種とは一線を画すほっそりとした機首が下がり、一本槍となって軽巡と駆逐艦に襲い掛かった。敵戦闘機の妨害はない。十分な数の“紫電”改二がしっかりと抑えている。

 

敵艦隊から対空砲火が上がってくる。真黒な花が連続して開き、自らに襲い来る敵機を落とさんとしていた。

 

ただし、その中を降下する“彗星”は、零戦を超える速度を持つ機体だ。そう簡単には落ちない。

 

それでも二機が火を噴き、投弾コースをそれる。

 

翼をへし折られた“彗星”が錐揉みとなって落ちていく。

 

正面に高角砲を受けた機体は一瞬動きを止めると、コントロールを失ってひらひらと空中を舞った。

 

残った機体が、ダイブブレーキの甲高い音を響かせて降下を続ける。

 

―――一二・・・一一・・・。

 

高度はみるみる低くなる。イメージの中の敵艦が眼前に迫ってくる感じだ。

 

―――○八・・・○七・・・!

 

先頭の機体から投弾を始める。と同時に引き起こしをかけ、海面への激突を回避する。敵艦の上をフライパスした際、一機が機銃に絡め取られて黒煙を吐き、海面に衝突した。

 

回避運動を行った敵艦の周囲に、次々と水柱が上がる。そして四発目、ついにその艦体を弾頭が捉えた。信管が働き、真っ赤な火柱が上がる。そこからは連続して命中弾があった。狙い通り、これで護衛艦の対空能力は喪失したはずだ。艦攻隊への道が開けた。

 

黒煙の噴き上がる敵艦隊の両舷から、超低空飛行の“天山”が迫る。回転するプロペラが海面を叩きそうなほどの高度だ。そこから生じた推進力が水上を波立たせ、飛沫となって“天山”の後ろのたなびいている。それに怯むことなく、“天山”隊はなおの接近を試みた。

 

対空砲火が始まる。ただし、最も外にいた三艦からのものは極めて薄い。二隻の駆逐艦はすでに半分沈んでおり、軽巡も轟々と燃え上がってまばらな射弾を送り込むだけだ。

 

敵軽空母の高角砲は少ない。深海棲艦は個艦防空よりも艦隊防空に重点を置いているようで、軽空母自体の防御能力よりも、より多くの艦載機を積むことによって艦隊全体の防空能力を高めている。つまり艦載機が出払っている今、その防御能力は無きに等しい。

 

―――三○・・・。

 

三千を切った。高角砲に交じって機銃弾が飛んでくるようになり、やがて横殴りの豪雨のように攻撃隊へ伸びてきた。曳光弾のシャワーが頭上を圧して、あわよくば“天山”を海の藻屑に変えようとする。少しでも操作を誤れば、たちまち弾雨に飲み込まれてハチの巣にされてしまうことだろう。

 

―――二○・・・。

 

ここまでくると、もう高角砲弾は飛んでこない。代わりに機銃の密度が増してくる。

 

エンジンカウルに被弾した“天山”が、プロペラの動きを止めて海面に激突する。

 

翼をもぎ取られ、浮き上がったところを機銃の雨に絡め取られる。

 

―――一○・・・!

 

先頭を行く赤城機はまだ投雷しない。確実にこれで仕留める。そのために、さらに距離を詰めるつもりだ。が、それだけ落ちる確率も上がる。さらなる集中力と力量が求められた。

 

―――○八・・・○七・・・!

 

敵軽空母の特異な姿が、すぐ目の前に迫っている。禍々しい赤をまとったその影は、狂ったように機銃を撃ち続けていた。ゆらゆらと蠢くオーラが、今にも手の届きそうな距離で光を放っていた。

 

―――○六・・・!

 

ついに赤城が投雷した。次々と魚雷が海面に落とされ、白い航跡を引いて敵艦隊の未来位置へ、攻撃隊の後をついてくる。

 

―――てっ!

 

飛龍も投下する。浮き上がりそうになる機体を必死に抑え、機銃の下をかいくぐり、敵艦隊をフライパスした。

 

ほぼ同時に、反対側からも“天山”が抜けてきた。敵艦隊のほぼ真上で交差し、上空へと昇っていく。

 

―――どうだ!?

 

飛龍は戦果を確認しようとする。上空へ昇った“天山”からは、眼下の敵艦隊がよく見えた。そこへ伸びていく数多の白い航跡も。

 

敵軽空母に、逃げる道はなかった。各艦が恐慌に駆られてバラバラに舵を切り、瞬時に統制を失う。その様子を知ってか知らずか、魚雷は淡々と、ただ真っすぐに迫っていった。

 

やがて水柱が上がる。取舵を切ろうとした敵艦の横っ腹に航跡が突き刺さり、盛大に弾けた。それが連続する。同時に、あるいは一拍を置いて、何本もの水柱が噴き上がって海上を震わせた。それはさながら、巨大な間欠泉が一時に上がったようだった。

 

狂騒が収まったとき、海上にはすでに敵艦隊の姿はなかった。原形を留めていない残骸が海面に浮かび、その合間に重油が漂った。

 

『敵艦隊全艦の撃沈を確認。攻撃隊帰投せよ』

 

赤城の指示で、散らばっていた攻撃隊が集合する。損失は極めて軽微だった。

 

『二制艦より三艦隊。敵艦載機は統制を失って墜落。こちらの損害軽微』

 

嬉しい知らせが入った。母艦である軽空母が全滅したことで、制御する者のいなくなった敵攻撃隊がその進撃を止めたのだった。

 

『了解。撤退時の支援をお願いします』

 

答える赤城も、どこかほっとした様子だった。タイミング的にぎりぎりだったのだから、当然と言えば当然だ。

 

『瑞鶴より全艦へ!敵機動部隊発見!』

 

緊張はまだ続く。残り一つ。前回、三艦隊が敗北を喫した、侵攻中枢艦隊と思われる敵機動部隊だ。

 

『空母三、重巡二、軽巡三、駆逐四!』

 

『上空に敵機!』

 

瑞鶴からの続報と、伊勢の警告はほぼ同時だった。両艦隊は同時に、相手艦隊を見つけたことになる。

 

攻撃か。防御か。悩ましいタイミングだ。赤城は、一体どうするつもりなのか。

 

ちらと、赤城を伺う。三艦隊―――否、鎮守府の機動部隊を率いる旗艦はそれまでと変わらぬ静かなたたずまいで、決意をにじませていた。

 

『飛龍、翔鶴、瑞鶴。私の攻撃隊をお願いします』

 

上空を睨む彼女は、左手に持った弓を握りしめた。

 

『各艦、直掩隊発艦してください。攻撃隊の収容は、損傷機を赤城に集中。三艦は攻撃隊収容次第、第二次攻撃隊の準備を!』

 

それから赤城は、飛龍を見やった。

 

『攻撃隊の総指揮は、飛龍に一任します!』

 

「ええっ!?」

 

思わず、驚きの声を上げてしまった。赤城の顔をまじまじと見る。

 

『大丈夫。あなたなら、攻撃隊を導いてくれる』

 

彼女は自信たっぷりに笑った。

 

『こちら伊勢。防空陣形に移行します!』

 

航空戦艦の伊勢と日向が、白波を蹴立てて前に出た。この先の機動部隊戦において、彼女たちは赤城たちの盾となる。もちろん、その飛行甲板で守るわけではないが。きっと敵艦載機にとって、最も厄介な盾役だ。

 

やがて帰還した艦載機隊の収容が始まる。次々と矢の形に戻っていく艦載機は妖精によってすぐに装備を乗せられ、矢筒に収まった。これが艦娘の航空母艦が有利な点だ。訓練の甲斐もあって、収容作業はものの数分で終わった。

 

上空にはすでに“紫電”改二が展開している。各艦はその指揮権を、赤城に譲っていた。これで、攻撃隊に集中できる。

 

『艦首風上!』

 

艦隊が転針する。発艦準備を始めた艦隊で、飛龍は空を見上げた。

 

思うのは、鎮守府へと帰還した蒼龍のこと。悪戯好きで、いつも明るい、相棒。

 

赤城と同じように、和弓を握りしめる。

 

『第二次攻撃隊、発艦始めっ!!』

 

番えた矢を引き絞り、高空へと放つ。

 

放たれた矢は燐光を発して艦載機となり、北方の空を駆けていった。




機動部隊戦は次回持ち越しというオチ

次回は戦艦編!ついに、あの艦娘が・・・!

(ちょっと待った、機動部隊戦の続きは?)

できるだけ早く書き上げられるよう、頑張ります


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砲戦始メ

結局二週間かかってるし・・・

今回は戦艦編!ついに大和の初陣です!

さて、どんな苦難が待っているのか・・・


DB機関

 

ディープ・ブルーの略称。日米を中心に設立された、深海棲艦の研究機関である。

 

環太平洋海運防衛機構の創設と同時期に非公式で活動を始め、深海棲艦の生態、特に行動原理の解析を行っていく。同時に過去の文献―――未確認海洋生物の類いなどを再検証し、深海棲艦、あるいはその祖となる存在を探す。

 

しかし、ハワイ沖海戦後は、海上及び通信網による各国間のやり取りが不可能となり、現在は自然消滅状態となっている。

 

 

北方海域独特の涼しい風が、六人の艦娘の周りを流れていく。夏とはいえ、この辺りの気温は低い。航行すれば、前から容赦なく冷たさが襲ってきた。艤装の保護効果がなければ、今頃凍えていただろう。

 

先頭を進む長門は、辺りに気を配ったまま、ちらと自らの後ろを振り返って見た。

 

そこには、五人の艦娘が続いている。ただし、同型艦と呼べる艦娘はほとんどいない。吹雪と叢雲ぐらいだ。直衛の千歳を除いた三人の戦艦娘は、型式どころか、速力も砲口径も全く違う。

 

残念ながら、これが北方派遣艦隊戦艦部隊の現状だった。第一次攻勢で大きく損耗した彼女たちは、決して万全とは言えない部隊状況で戦っている。

 

長門は、鎮守府へと引き上げた姉妹艦を想う。三艦隊の無事な撤退と引き換えに、凄まじい砲撃戦を行った彼女は、艤装が半壊するほどの損害を受けていた。しばらくは、まともな戦闘はできまい。

 

『・・・静かなものデス』

 

二番艦の位置につける金剛が、波の音に混じってポツリと呟いた。

 

「ああ・・・そうだな」

 

同意を示した長門は、不気味なほど押し黙った空を見上げる。二個機動部隊―――敵味方合わせて四個機動部隊が展開しているとは思えない静けさだ。聞こえるのは、彼女たちが上げる波と艤装の音、吹き抜ける風、千歳の艦載機隊の羽音ぐらいだ。

 

三艦隊からは、敵軽空母部隊を捕捉した旨、通信があった。今頃第一次攻撃隊を放っているころだが、果たして・・・。

 

『っ!!千歳より全艦!敵艦隊見ゆ!』

 

「位置、構成知らせ!」

 

突然の報告に、長門はさらなる情報を求める。二式艦偵から送られてくる映像に神経を集中する千歳が、ゆっくりと続けた。

 

『戦艦四、駆逐二。ル級の金が二にタ級の赤二。駆逐はハ級と思われます。本艦隊前方、五○○(五万)』

 

―――またやつらか・・・!!

 

長門は奥歯を噛みしめる。北方海域に確認された敵戦艦は六隻。うち二隻は、前回の戦いで陸奥と扶桑たちが屠っている。今前にいるのは、残存の全艦ということになるはずだ。であるならば、二隻のル級は、前回長門が苦杯を舐めさせられた相手に違いない。

 

『上空、敵偵察機!』

 

吹雪が叫んだ。艦隊直上に展開する零戦より前、ゴマ粒ほどの大きさにしか見えないが、黒い飛行物体が見えた。

 

『水上機、ですね』

 

上空の千歳艦載機隊が確認する。機動部隊の艦上機ではなく、戦艦部隊搭載の水上機だったようだ。つまりこちらの様子は、相手に気づかれたことになる。

 

―――さて、どう出るか・・・?

 

こちらのやることは決まっている。四隻だろうと何だろうと、目の前の戦艦部隊を止めるだけだ。問題は、敵の出方。

 

『それで、どうするノー?』

 

金剛が声をかける。戦場に似合わない、いつも通りの能天気な声に、少しだけ緊張が和らいだ。こういうところ、金剛だけの才能であろう。

 

―――ああ。何を悩む必要がある。

 

肺一杯に空気を吸い込む。なんということはない。目を閉じれば、あらゆるしがらみが薄れ、目の前の戦闘にだけ神経が集中される。艤装と一体になったような感覚に包まれ、長門は不敵に笑った。

 

「当然、ここで止める」

 

『面白そうデスネー。でも、敵の方が一隻多いデスヨー?』

 

「何の問題がある」

 

長門の切り返しに、金剛はアハハと大きな声で笑った。

 

『それでこそ長門デス!ワタシも腕が鳴るネー!』

 

フンス、腕を組んで悪戯っぽい笑みの金剛に続いて、大和が上品に微笑んだ。

 

『長門さんが言われると、不思議な説得力がありますね』

 

シャランと日傘が揺れる。わずかな緊張と、確かな決意、そしてなにより、大きな希望の込められた所作が、海上にはよく映えた。

 

『何とかなる、そんな気がします』

 

実際、今の状況は大変厳しい。制空権は取れても、航空戦力による支援はまず望めない。その中で、深海棲艦の中でもずば抜けた能力を持つ戦艦群を相手取らなければならないのだから。しかしそれでも、長門は―――全てわかっていてもなお、力強く言い切った。

 

「やれるさ。私たちなら、な」

 

金剛が大げさにうんうんと頷く。大和は傘を握りしめ、決意も新たに微笑んだ。吹雪と叢雲が互いに顔を見合わせ、その様子を千歳が微笑ましげに見つめていた。

 

大丈夫だ。やれる。長門は確信した。

 

『敵艦隊増速。二手に分かれました』

 

千歳から新たな報告が入る。

 

―――挟み込むつもりか。

 

奴らは知っているのだ。こちらの戦力が、劣っていることを。左右から挟み込んで撃ちあうのが、最も効率的だと。

 

今、長門たちが取れる方法は二つ。このまま一塊となり一方の敵と交戦、しかる後に、もう片方を叩く。あるいは二手に分かれ、それぞれと独自に戦う。前者は各個撃破を狙えるが、その間にもう片方が突破される可能性があり、後者は数の不利を補えるとは言えない。どちらも一長一短だ。一概にどちらがいいなどと言えないし、どちらがよかったかは、終わってみなければわからない。

 

「・・・千歳、敵艦隊の構成は?」

 

『左方艦隊、ル級二。右方艦隊、タ級二です。いずれも駆逐一が随伴』

 

千歳の回答は早かった。だから長門も、頭の回転スピードを損なうことなく、最終的な判断を下せる。

 

「左方の敵を“甲”、右方の敵を“乙”と呼称。艦隊を二手に分け、各個に叩く。長門、金剛、叢雲、目標“甲”。大和、吹雪、目標“乙”。千歳は後方で待機」

 

方針は、決まった。

 

「かかるぞ!全艦合戦準備!!」

 

各艦の艤装が戦闘出力へと移行する。戦艦三隻から上がる艤装の駆動音は圧倒的で、大気を揺るがすほどだ。こと、大和の響かせる轟音はその大きさに見合う覇気があり、彼女の背負った巨大な構造物の存在感をより一層高めていた。

 

「第三戦速!」

 

『大和、前に出ます』

 

散る飛沫が大きくなり、大和と吹雪が長門に並ぶ。横を進むその姿を、ちらと見やった。

 

『大和以下二隻、敵“乙”部隊へ向かいます』

 

宣言した大和は、面舵を切ろうとする。

 

「大和」

 

『はい?』

 

「“貴艦の健闘を祈る”、だ」

 

長門の言葉に、大和はわずかに目を見開いた。それから頬を弛緩させて、

 

『“我、期待に背かざるべし”、です』

 

朗らかに答えた。

 

 

 

二隊に分かれて進む一艦隊。左方の三隻の先頭に立ち、長門は周囲を見回す。

 

まだ敵の姿は見えない。長門は千歳だけに聞こえるよう、回線を繋いだ。

 

「千歳」

 

『はい。退避、完了しました』

 

ニコニコという擬音が聞こえそうなほど、柔らかく気負うところのない答えだった。

 

「すまない。護衛は、付けられない」

 

空母には、個艦戦闘能力などというものは備わっていない。空母の戦闘能力というのは、そこに搭載されている航空機そのもので、母艦自体には高角砲ぐらいしか固有武装はない。当然まともに対艦戦闘などできるはずもなく、一度捕捉されれば最後、たとえ駆逐艦でも撃沈されてしまう。単艦の空母ほど、危険なものはないのだ。

 

千歳を下げると決めた時からわかっていたことだ。砲撃戦に集中する戦艦を守るには、どうしても駆逐艦が必要だった。そして砲火の最中に、空母は足手まといにしかならない。砲戦の間、千歳を守る術はない。そしてもし仮に長門たちが敗れ、敵艦隊に突破されれば、千歳の運命は決したも同然だ。

 

『そんな顔をしないでください』

 

長門の表情を読んだように、千歳が続ける。

 

『私は信じてますよ。長門さんのこと』

 

一点の曇りもない言葉。気恥ずかしさすら覚えるほどの、清々しい笑顔が見えた気がした。

 

『でも・・・そうですね。―――では、約束してください』

 

「約束?」

 

『必ず、私のことを迎えに来る、と』

 

約束、か。

 

そう、約束だ。

 

約束は、守らなくては。

 

「わかった、約束しよう。必ず迎えに行く」

 

『はい。待っていますね』

 

―――ありがとう。

 

その言葉は、辛うじて飲み込んだ。通信を切り、再び前を見据える。大きく息を吸い込んだ。

 

「観測機、発艦準備!」

 

 

火薬の炸裂音の後、急加速した機体が空中に放り出され、一瞬沈み込んだのちに上空へと舞い上っていった。零式水上観測機―――零観は、現在戦艦に優先的に配備されている、弾着観測用の双葉単フロート機だ。搭載された三機のうちの一機が、今任務に就いていた。

 

観測機を眩しげに見上げた大和は、零観目線で送られてくる映像を確認する。鳥の目、とよく言うが、正に天空の高みから海上を見つめている気分だった。

 

「・・・敵“乙”部隊発見!」

 

眼下の海面を驀進する艦影がある。数は三つ。魚類を思わせるフォルムの駆逐艦を先頭に、白銀の髪をなびかせる戦艦が二隻、艤装を唸らせてこちらへ迫っていた。

 

分が悪い、とは思っていない。長門が言っていた通り、私たちはやれる。それだけの力が己の艤装にあることは、他でもない大和自身が一番よく知っている。だから今は、自分のやれることを全力でやるだけだ。

 

「距離四○○、速力一八ノット」

 

大和と吹雪の速力は、現在二四ノット。お互いに向き合うようにして正面反航戦の状態の二つの艦隊は、相対速力四○ノットで接近していることになる。その姿を水平線に捉えるまで、十分とかからないはずだ。

 

「敵艦を捉え次第、砲戦始めます」

 

そう言って大和は、後ろについてくる駆逐艦娘を振り向いた。

 

「その間、よろしくね」

 

「はい!任せてください!」

 

吹雪は右手の一二・七サンチ連装砲掲げて元気よく答えた。大和が正式に配備される前―――公試を行っていた時から、一緒だったのだ。誰よりも、彼女を信頼している。彼女なら、安心して背中を預けられる。

 

不安がないと言えば嘘になる。いつまた、あの演習の時のようになるかわからない。けれどもそれは、大和自身―――戦艦“大和”の記憶と想いを受け継いだ艤装と、それを背負う彼女が乗り越えなければならないことだ。あの時なしえなかったことを、今度こそやり遂げる。その決意を強く、持たなければ。

 

風が髪を撫でる。少し寒いかもしれない。

 

大和はあらゆるしがらみを捨て、目の前を見つめた。

 

零観の送ってくる映像からは、刻々と接近する敵艦隊が確認できる。あと少しで、視界に入ってくる。その時が、戦いの始まりだ。

 

「三五○より砲戦開始」

 

戦艦の砲戦距離は、主砲の射程距離とイコールではない。最大射程では発射間隔が長すぎるし、第一当たらない。普通は射程距離の八、九割程度の距離からが砲戦可能範囲とされ、実質的な決戦距離は二万ほどだ。

 

が、大和に限って言えば、それは必ずしも当てはまらない。最大仰角で四万二千超という破格の射程距離と、長門型の四割強増しの攻撃火力は、三万を超える砲戦を可能にしていた。もちろん、これには弾着観測機と良好な視界という前提条件が付くわけだが。

 

射撃を早く始められるということは、そのまま弾着観測の数を増やす結果に繋がる。敵艦が砲戦距離に入る前に精度を詰め、先手を取れるということだ。大和はそれを狙っていた。現在、大和だけに使用が許される戦術だ。

 

そして、時は来た。

 

水平線、今まで何もなかったそこに、ゆっくりと影が出現する。次第にはっきりとしていく輪郭を、測距儀を通してはっきりと見た。

 

人間に限りなく近い、ほっそりとしたプロポーション。陽光を浴びて輝くは、雪のような長髪。向こう側が透けて見えそうな、死んだサンゴのように真っ白な肌。腰回りに展開する、ごつごつとした艤装。そしてあらゆるものを睥睨し、北海の王者たらんとする二つの瞳。

 

戦艦タ級。大和が初めて遭遇する、人型の深海棲艦だった。

 

先ほどと変わらず、駆逐ロ級を前に押し立てて、二隻の戦艦は迫ってくる。その美しいとさえ思える存在感に、大和はしばし圧倒されていた。

 

しかし、すぐに我に返る。彼女とて、鎮守府の、人類の守護者たる戦艦娘なのだから。

 

「正面砲戦用意!目標敵戦艦一番艦、測敵始め!」

 

大和の測距儀が、手前側のタ級を捉えて、距離の算出を始める。相対速度や進行方向、今日の天気、温度、湿度、風向、緯度経度、あらゆる情報が脳内を駆け巡り、諸元として算出されていく。

 

「諸元入力、完了」

 

算出された諸元はすぐに各砲塔へと伝わり、大和の艤装の両舷に据えられた、巨大な三連装砲塔が駆動する。そこに収められているのは、四五口径四六サンチ砲。現在、最大最強の戦艦主砲。圧倒的な破壊力を秘めた、切り札の中の切り札だ。

 

前方へ指向可能な一、二番主砲が正面を向き、各砲塔の右砲と中砲が極太の鎌首をもたげる。低い駆動音が収まったとき、全ての準備は整った。

 

「吹雪ちゃん、耳を塞いで!」

 

一度目のブザーに続いて、大和は大声で警告する。護衛の吹雪が耐衝撃体制に入ったのを確認してから、撃ち方用意の二度目のブザーを鳴らした。

 

やがてブザーが鳴り止み、海上に緊張に似た静けさが立ち込めた。

 

「撃ち方、始め!」

 

大和の号令が、その静寂を破る。

 

一拍の間。次の瞬間。

 

稲光をいくつも集めたような閃光が走った。中天の太陽が暗く見えるほどの爆発的な光の渦が沸き起こり、周囲を真っ白に染める。

 

百雷にも勝る爆轟音が洋上を駆け抜け、等速度的に拡がった衝撃波が大気を震わせた。鼓膜を強かに打つなどというものではない。耐衝撃姿勢―――両耳を塞ぎ、口を開けた格好でなければ、吹雪の脳天が痺れるところだった。

 

天地鳴動。

 

その言葉に違わぬ衝撃と共に、四つの火矢が高空へと放たれ、音速を超えて巨大なアーチを描く。

 

弾着の瞬間は、十数秒後に訪れた。

 

前進をしていた“乙”部隊の前方に、天を衝くほどの海水の塊が現出した。観測射撃として四発撃ち出した四六サンチ砲弾は全弾が近弾となる。至近弾はないが、この距離の第一射としては悪くない精度だ。

 

「全弾近!諸元修正!」

 

観測機から、射撃のずれが送られる。それらを元に、大和は諸元に修正を加えた。

 

先の射撃から約一分、大和はもう一度ブザーを鳴らす。

 

「第二射、撃てっ!!」

 

今度は、左砲と中砲が炎の塊を吐き出した。衝撃波が海面にクレーターを作り出し、四発の四六サンチ砲弾が敵艦へと飛んでいく。

 

弾着。今度はその中に、火柱が混じった気がした。

 

―――やった・・・っ!?

 

思わず身を乗り出す。が、水柱が崩れたとき、敵戦艦はその健在な姿を現した。その代わり、それまで先頭を進んでいたロ級の姿が跡形もなく消え去っている。どうやら手前に落下した砲弾が直撃して、轟沈したらしい。

 

戦艦―――まして四六サンチ砲ともなれば、駆逐艦など一たまりもなかったことだろう。

 

第三射も空振りに終わる。着実に弾着位置は近づいているが、さすがに大和は焦りを感じ始めた。もう間もなく、深海棲艦側も射撃可能な距離に入る。そうなった場合、手数の少ない大和側は不利だ。

 

その心配は現実となる。第五射でようやく至近弾が得られたころ、敵一番艦が発砲した。それから数拍を置いて、二番艦も発砲する。飛翔音が迫り、やがて巨大な瀑布となって大和の前に姿を現した。

 

精度はさほど高くない。タ級にとっては、この距離は砲戦を行うのにギリギリなはずだ。

 

とはいえ、射撃を繰り返せば、いずれ命中弾が出る。その前に、せめて一隻は行動不能にしたいが・・・。

 

待望の知らせは、第六射の弾着と共にやってきた。

 

手ごたえはあった。放った四発の弾道を見送る。立ち上った水柱は三本。そして残った一本は―――

 

「命中弾確認!次より斉射!」

 

敵一番艦の艦上に火炎が踊っている。轟々と燃える炎、噴き出る黒煙の量もすごい。大和の放った四六サンチ砲弾は、たった一発の命中弾だけで、タ級の艤装の半分をごっそりと海中へ引き込んでしまった。恐るべき威力だった。

 

大和の艤装が、しばし沈黙する。斉射の準備をするために、六門の砲身が下がり、それぞれの尾栓から砲弾を込めているのだ。

 

それが終わったとき、各砲身が所定の位置まで持ち上げられ、固定された。

 

また、ブザーが鳴る。

 

「第一斉射、撃てっ!!」

 

先の観測射が小鳥のさえずりに聞こえるほどの、それまでに倍する咆哮と光源が六門の四六サンチ砲の砲口から生じた。反動もまたすさまじい。水圧機で軽減しているとはいえ、しっかり踏み込んだ脚部艤装が波間に沈み込む威力だ。

 

飛翔した六発の砲弾が、敵艦に襲いかかる。直撃弾の炸裂光が見えたが、すぐに立ち上った水柱が覆い隠してしまった。観測機からも状況を確認しながら、水が引くのを待つ。

 

姿を現した一番艦は、すでに沈みかかっていた。当たり所がよかったのか、とにかく次でとどめが刺せそうだ。

 

―――命中弾は出てる。慌てず、落ち着いて。

 

念じるように呼吸を整える。主砲が再び射撃位置につくまでの四十秒、敵弾が吹き上げる弾着の水柱を気にも留めない。

 

「第二斉射、撃てっ!」

 

大和の艤装が、二度目の斉射を撃ち出す。沸き起こる褐色の炎の中から、六発の四六サンチ砲弾が放たれた。

 

結果はわかりきっていた。敵一番艦に到達した砲弾は、四本の水柱と二本の火柱を噴き上げた。そしてそれとは別に、命中弾とは明らかに異なる巨大な炎が、敵一番艦から生じた。

 

一六インチ三連装砲塔の天蓋に突き刺さった砲弾は、その装甲を易々と食い破り、各種機構を破壊しながら弾薬庫で信管を作動させた。内部で生じた熱は、本来タ級を守るはずだった装甲に阻まれて行き場を失い、結果それ以外の弾薬を巻き込んだ。

 

内側から弾け飛んだタ級は、その堅牢な立ち姿が嘘であったように、あっという間に波間へと消えていった。ずぶずぶと沈みゆくその表情が、わずかに歪んでいたような気がした。

 

「目標を二番艦へ変更!測敵始め!」

 

悠長にしている暇はない。内心から一番艦のことを振り払い、大和は新たな目標へと砲口を向けた。

 

 

「第一射、撃てっ!!」

 

長門は、黒煙を噴き上げる艤装のことなどお構いなしに、第二の目標へ砲火を放った。

 

敵“甲”部隊と交戦した長門と金剛は、当初状況を有利に進めていた。ル級にはレーダーがあったが、今回は視界も良好なうえに制空権を取っていたため、満足のいく弾着観測を行えたことが大きかった。お互いにほぼ同じタイミングで撃ち始め両艦隊は、金剛が第二射、長門が第三射で命中弾を得、以後は連続斉射を放ち続けていた。

 

ことに、金剛はすごかった。長門やル級に比べれば一回り劣る三六サンチ砲ながら、長砲身ゆえの高初速と新装填機構による速射によって、多数の命中弾をル級に与えていた。と同時に、射撃諸元にほとんど影響が出ないよう絶妙に位置をずらして、敵弾の夾叉をかわしていた。

 

長門はと言えば、大和に次ぐ装甲を生かして、斉射に次ぐ斉射で敵艦と渡り合っていた。

 

が、ル級はその上を行った。金剛の相対した一番艦は十数発、長門の相対した二番艦は八発の命中弾を受けていたにも関わらず、平然と砲撃を続けていた。そしてその一弾が、最悪の結果をもたらすことになった。

 

金剛に命中した敵弾は、その艤装に深く食い込み、盛大に弾けてごっそりと抉り取った。さらに悪いことに、三番砲塔の砲塔内冷却装置が破損し、強制注水の必要が生じた。そこへさらに命中弾が生じ、出力の低下した金剛は落伍を余儀なくされた。

 

それから長門は、二対一という戦いを続けていた。その第十斉射でついに二番艦を沈黙させた長門は、今目標を一番艦へと変更し、再び交互撃ち方を行い始めたところだ。

 

が、その射弾が落下するよりも早く、敵一番艦の一六インチ砲弾が盛大に水飛沫を上げた。これで三度目、精度はかなり高くなってきている。命中弾が生じるのも時間の問題だ。

 

一抹の望みをかけて、第一射の行方を追う。しかしそう簡単にいくはずもなく、四発の四一サンチ砲弾は空しく水柱を上げただけだった。そして諸元修正を加えている間に、恐れていたことは起きた。

 

敵艦の放った第四射は、一発が長門の手前に、もう二発が後方に弾着した。夾叉だ。次から、三十秒おきに一六インチ砲弾の斉射が降ってくる。

 

長門も第二射を放つ。各砲塔の二番砲に閃光が走り、四発の四一サンチ砲弾が飛翔する。放物線を描いて空気を切り裂き、轟音と共に落下していった。命中弾はない。今度も、水柱は敵艦の手前に立ち上るだけだった。

 

お返しはすぐに来た。盾のようなル級の艤装からめくるめく火球が生じた。観測射撃を終えたル級は、ついに斉射へと移ったのだ。

 

長門の上空を、一六インチ砲弾の風切り音が圧していく。音速を越えて迫る黒い弾頭が、ありありと見えた。

 

長門の周囲に連続して水柱が上がった。ほぼ同時に二度の衝撃が長門を襲った。肩の辺りに弾着した砲弾を艤装から生じたエネルギー装甲が弾く。長門は歯を食い縛って耐えた。

 

先の二番艦との撃ち合いを含めて、通算八発目の被弾だ。いかに堅牢な長門型といえども、装甲には限界がある。たまたま、バイタルパートの装甲が厚い部分に当たっているおかげで耐えているが、それもいつまで続くか・・・。

 

第三射が放たれた。それまでと同じ、四発だ。入れ替わるようにして、敵弾が落下して火花が散った。今回は一発が命中弾となって、長門の装甲にダメージを与える。

 

長門の射弾は、またも敵艦の手前に落ちる。観測機からは至近弾の報告が来ている。あと一息だ。

 

―――足止めさえできれば・・・!

 

再びの被弾の衝撃に耐えながら、長門は敵一番艦を睨む。ここでこの戦艦部隊を食い止めれば、三、四艦隊は存分にAL深部の主力艦隊と戦える。三艦隊からは、すでに敵侵攻中枢艦隊の機動部隊を捉えたと通信があった。四艦隊はその快速を生かして、AL深部を目指している。

 

北方海域決戦の成否は、一艦隊が一分一秒でも長く踏ん張ることにかかっていた。

 

「命中!次より斉射!」

 

待望の命中弾を得た長門は、すぐさま斉射に切り替える。下げられた砲身に八発の砲弾が籠められ、その尾栓が閉じられた。

 

敵艦の斉射が落下する。側面の副砲群に突き刺さった一発が、二門の一四サンチ砲を海中へと葬り去った。火薬玉の弾けるような音は、副砲弾薬庫の砲弾が誘爆した音だろうか。しかし長門は、そんなものは気にも止めなかった。

 

「・・・長門型を、侮るなよ!!」

 

叫び声と同時に、第一斉射を放った。健在な八門の四一サンチ砲が反撃の咆哮を上げ、褐色の砲炎が辺りを覆う。往き足が一瞬止まりそうになる反動に、長門は両足を踏ん張った。

 

彼我の砲弾が落下する。命中弾はそれぞれ二発。長門の四一サンチ砲弾はル級の肩の砲塔をもぎ取り、右手の盾に弾かれた。ル級の一六インチ砲弾は長門の一番砲塔正面防盾で火花を散らし、副砲を三門ズタズタに引き裂いた。

 

壮絶な殴り合いだ。長門が四十秒に一度、ル級は三十秒に一度、お互いの全力斉射を放つ。砲弾が空中で交差し、持ち上げられた海水の塊が林立しては、命中弾炸裂の閃光が走った。

 

とはいえ、結果は誰の目にも明らかだった。すでに数発を被弾していた長門が、単位時間当たりの弾薬投射量で圧倒するル級と撃ち合って勝てる道理がなかった。

 

度重なる被弾で、長門は満身創痍の状態だ。最後の力を振り絞って放った斉射はル級の砲塔を一基潰したものの、すでに自身も二基の砲塔を粉々にされている。機関出力も限界に近い。脚部艤装は半分以上が沈み込んで、速力も衰えていた。

 

が、長門は退かない。彼女は背負っている。千歳の運命を、三艦隊の奮闘を、四艦隊の魂を、鎮守府の希望を、姉妹艦の想いを、戦艦娘の誇りを。一発でも砲弾がある限り、この体が動く限り、殴り倒してでも止める。それだけの気概と覚悟を持っていた。

 

衝撃が走った。通算十八発目の被弾。ついに艤装が悲鳴を上げた。金属のひしゃげる音がして、艤装左舷側の二つの砲塔が脱落する。バランスを失った長門は、右へと倒れこんだ。

 

―――万事休す、か。

 

艤装に取り付いている妖精たちが応急処置を始めるが、すでに長門には、満足に戦える装備は残っていなかった。対するル級は、まだ主砲の半分以上が健在だ。その砲口が火を噴けばどうなるか。

 

長門は水平線のル級を睨む。距離は約二万。決戦距離と呼ばれるこの距離から放たれた砲弾は、長門の装甲を撃ち破るには十分すぎる威力を誇っていた。

 

が、予期していた事態は起こらなかった。

 

ル級の周囲に、四本の水柱が出現した。長門やル級のそれよりも高く、太く、逞しい。新たな敵の接近を知って、ル級は憎々しげに髪を揺らした。

 

『長門さん!』

 

なんとか生きていた通信機から聞こえてきたのは、最近よく聞くようになった、鎮守府最新鋭の長門の教え子の声だった。

 

「大和・・・!?」

 

長門は驚きに声を詰まらせた。大和は先程まで、長門の指示で二隻のタ級と砲撃戦を繰り広げていたはずだ。二対一とはいえ、長門型を遥かに凌駕する性能を持った大和なら、十二分に戦えるはずだと判断したからだ。しかし、それはあくまで互角以上に戦って、持ち堪えることができるという意味だった。

 

―――まさか、この短時間で二隻の戦艦を撃破したと言うのか・・・!?

 

大和と長門は、互いに三万五千の距離を取って、敵艦隊と相対していた。とすれば、大和は数分前にはタ級を倒し、こちらへと転針して、今ル級に砲撃を始めたことになる。

 

『吹雪ちゃんは長門さんの護衛を、ル級は私が!』

 

二度目の砲撃音。その火球の下から、一人の駆逐艦娘が長門へと接近してきた。自らの応急修理の妖精を抱えた吹雪は、長門に横付けする。吹雪の妖精も加わったことで、長門の艤装修復はなんとかなりそうだった。

 

「大丈夫ですか?」

 

背負った艤装から応急処置―――長門本人のための包帯を取り出して、吹雪は尋ねた。

 

「ああ。出力は落ちたが、航行に支障はないはずだ」

 

断片がかすったのか、血の流れる左腕に包帯を巻かれながら、長門はどこか清々しく答えた。存分に戦った上での結果だ。今は、自らが生き残ることを考えてもいいだろうか。

 

「・・・大和は、よくやってくれたな」

 

目の前で砲撃戦を繰り広げる新鋭戦艦娘を見つめて、長門は呟いた。大和はすでに斉射に移っている。もうしばらくで、決着がつくはずだ。

 

「はい」

 

吹雪の返答は短かった。

 

―――そういえば、吹雪は公試の時から一緒だったか。

 

鎮守府の艦娘の中では、最も大和との付き合いが長いはずだ。彼女の実力を知っていて、信頼している。端から、微塵も心配はしていないのか。

 

―――少し、悔しいな。

 

自分の中にあった、子供じみた妬心に苦笑が漏れそうだ。長門とて、吹雪との付き合いは長い。ただ、同じ艦隊として行動を取るのは、これが初めてだ。

 

「はい、終わりました」

 

「ありがとう」

 

包帯の巻かれた腕を動かす。艤装の方も応急修理が終わったようで、なんとか航行はできると、妖精が知らせてきた。戦闘はもう無理だろう。だが長門には、この艦隊の旗艦としてやるべきことがまだあった。

 

「叢雲、聞こえるか?」

 

『感度良好、聞こえるわ』

 

金剛を護衛して千歳の位置まで後退した吹雪の同型艦が、勝気な声音で答えた。

 

「金剛の状態は?」

 

『応急修理は完了。ただ、自力航行は無理ね。今は海面に寝てる』

 

「・・・何やってるんだ、金剛は」

 

こんな状況にもかかわらず、頭痛で頭を抱えそうになった。強制冷却の必要があったのはわかるが、なぜ直接海水に漬け込むという選択肢になったのか。

 

『帰還時には千歳の艤装に乗せていくつもり』

 

千歳型の航空母艦艤装は、からくり箱を思わせる箱型だ。艦載機展開時にはこれを立てて、発艦作業を行うが、航行時には不便なので、海面に倒して、サーフィンの要領で操艦することも可能だ。この上に金剛を乗せることで、曳航していこうというつもりのようだった。

 

「わかった。一制艦からは、すでに展開を終えたと連絡があった。それと合流して撤退する」

 

那智率いる一制艦は、三艦隊の軽空母部隊撃破に伴って、再びキス島沖まで前進してきていた。損傷した艦娘は、彼女たちの護衛を受けながら撤退する手はずになっている。

 

「吹雪、大和は別行動だ。突撃する四艦隊の支援に回ってほしい。二制艦と合流してくれ」

 

叢雲との通信を切った長門は、目の前の吹雪と、今まさにとどめを刺そうとしている大和に下令する。この戦いは総力戦だ。今ある戦力は、可能な限り前線に投入する。深部に展開する深海棲艦を叩くのに、大和は大きな戦力になるはずだ。

 

本来摩耶たちは、撤退する三、四艦隊の後退に護衛として付けるつもりだったが、この際仕方ない。それに、鳥海に装備されている特殊艤装は、四艦隊の支援にも威力を発揮するはずだ。

 

吹雪はまじまじと長門を見つめた。それから力強く頷く。その仕種を確認した長門は、不敵に口の端を釣り上げた。

 

『大和、承りました』

 

砲撃音の合間に、大和も了承の意を示す。

 

応急修理を手伝ってくれた妖精たちが吹雪に戻ったのを確かめて、長門は立ち上がる。試しに動かしてみた主機からは、確かな手ごたえが伝わってきた。

 

「吹雪、後は頼んだ」

 

今、長門が言える精一杯だ。精一杯の、信頼の言葉だ。

 

「はい!任せてください!」

 

その顔に浮かんでいたのは、提督が絶大の信頼を寄せ、駆逐艦娘たちが先輩と慕う、明るく気力に満ちた笑顔だった。長門が惚れ惚れするほどの、いい表情だ。

 

最後のル級が沈黙し、大和の砲声が収まったのは、それからすぐだった。




よく見たら二十話超えてたっていう・・・

次回(か、その次)で一度一区切りをつけるつもりです

放置してた誤字とか修正しないと・・・

というわけで、北方海域決戦、いよいよクライマックスです!


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翻る銀翼

誰だ、後二話で終わるとか言ってたやつ!

終わってねえじゃねえか!!

というわけで、まだ決着のつかない北方海域編です


深海棲艦。現在世界の海を席巻する、謎の怪異である。人型や魚型などの生命体的外見を有しているが、艤装と呼ばれるものを装着、あるいは同化しており、軍艦(ただし、兵器レベルは第二次世界大戦級)としての能力を持つ。

 

地球において最初に確認されたのは、五年前のことである。当時はUMAとして有名になり、特番が組まれるなどの人気ぶりだった。このころはまだ、深海棲艦による人類船の襲撃事件は発生していない。

 

変化が起きたのは、それから数ヵ月したころだった。俗に『シンガポール事件』と呼ばれる、深海棲艦によるタンカーの襲撃事件が起きたのだ。以後、深海棲艦は群れ(艦隊)を成し、人類の船を襲うようになった。

 

当然、人類側も対抗処置を取った。二十一世紀の最新鋭兵器で武装した護衛艦を船団の護衛につけ、あるいは艦隊をもって殲滅を図った。

 

我が国日本も例外ではない。四方を海で囲われた日本にとって、海運を失うことは、そのまま国家を失うことだからだ。特殊自衛権法の制定と即時施行により、謎の怪異群(当時はまだ、深海棲艦という呼称は定まっていない)限定で兵装の使用許可が下りた自衛隊は、西太平洋方面の航路保全のために、各国海軍と共同戦線を張ることになる(ただし、環太平洋通商防衛機構への参加は見送り)。

 

人類側は、圧倒的に有利だった。深海棲艦といえど、所詮は第二次大戦級の兵器しか持っていない。水平線の彼方から正確無比にミサイルを放つことができる現代軍艦に、対抗できるはずもなかった。人類は入念な索敵によって深海棲艦の艦隊を捕捉すると、航空機やミサイルの飽和攻撃で一方的に殲滅できた。

 

誰もが、人類が勝つと思っていた。

 

ところが、一年が経っても、状況は何も変わらなかった。相変わらず現れる深海棲艦が、こちらの防衛網を突破して通商破壊を行う。捕捉できなかった小さな群体が、港湾に停泊する艦船を襲う(なぜか、陸上施設には艦砲射撃を加えてこない)。

 

二年が経ったとき、すでに各国は疲弊していた。費用対効果が格段に悪いのだ。この頃から人類は、追い込んでいた深海棲艦の版図を押し戻されるようになる。

 

三年が経ち、海上航路は次々と封鎖されていった。ニュージーランド、ソロモン、オーストラリア、南西諸島、南沙諸島。同時に、それまで太平洋にしか出現していなかった深海棲艦は、インド洋や大西洋まで進出するようになった。

 

その頃、米国の偵察衛星が、封鎖されたガダルカナルに深海棲艦の大群生地を発見する。環太平洋防衛軍(環太平洋通商防衛機構参加国で構成される多国籍艦隊)は、これを深海棲艦の本拠地と推定し、最終決戦を挑むことを決定した。

 

結果は惨憺たるものだった。防衛艦隊は実に六十三パーセントもの艦艇を失い、残った戦力の半数も損傷を負っていた。これだけの損害を出したにもかかわらず、艦隊は群生を殲滅できなかった。

 

その後の各国に、もはやまともに戦える戦力は残っていなかった。深海棲艦は急速にその版図を拡大し、人類を陸地の沿岸まで追いやった。

 

ハワイに取り残された最後の市民を退避させる作戦が多大な犠牲と共に成功した後、人類はついに、その制海権を完全に喪失するに至った。以後、艦娘による鯖世界での失地回復に呼応して深海棲艦の撤退が始まるまで、日本は一歩たりとも海に踏み入ることができなかった。

 

現在、地球(鯖世界も同様)全体において発生している通信手段の遮断は、深海棲艦による海域封鎖が完了してすぐに発生しており、何らかの関連性がある可能性が高い。また同時期に横須賀を地震が襲い、その際にアマノイワトが発見されているのも興味深い。深海棲艦、通信障害、アマノイワト。この三つの事象の関連性については、今後とも調査が必要だ。

 

 

第四艦隊は、脇目も振らずに海上を驀進していた。ビュウビュウと吹き付ける風がゆるるかに髪を揺らし、艤装の轟音と競うように後方へ流れていく。軽巡洋艦娘と五人の駆逐艦娘で編成された水雷戦隊は、それらに負けじと前を睨んでいる。

 

先頭で部隊を率いる神通は、時折後ろを気にしなて艦隊が一本槍になっているのを確かめる。といっても、わざわざ振り返ったりはしない。彼女の役割は、常に駆逐艦娘の前に立ち、艦隊の統率を図ることだ。代わりに、駆逐艦娘たちの息遣いや脚部艤装のたてる波の音で、それらを判断する。

 

四艦隊は、制圧艦隊が交戦を始めた辺りから、最大戦速で突き進んでいた。今作戦において、彼女たちの役目は、各艦隊の攻撃によって手薄になった敵主力の側面から突撃、撹乱し、あわよくばその土手っ腹に魚雷を叩き込むことだ。

 

三艦隊や一艦隊が激戦を繰り広げる海空域を迂回していた彼女たちは、一気に転針、AL深部から誘引されてきた敵機動部隊に突撃を始めていた。今のところ、敵艦隊に見つかった様子はない。深海棲艦も、一個戦艦部隊と一個機動部隊を相手取るのに必死なのだろう。こちらにとっては好都合だった。

 

とはいえ、こちらが敵艦隊に辿り着くにも、まだまだ時間がかかる。“呉”を通して三艦隊から伝えられる敵艦隊の座標に辿り着くには、一時間はかかるはずだ。

 

『“呉”より各艦隊。二制艦、四艦隊、及び一艦隊第二分隊は、突撃を続行せよ』

 

通信機越しに神通に届いたのは、彼女によく目をかけてくれる水雷参謀のものだった。距離と出力的な関係で、四艦隊は一艦隊以外と直接通信ができない。通信能力の高い“呉”からの情報だけが頼りだ。その通信も、四艦隊側からは短い電文を送るのがやっとだ。

 

「了解」

 

神通が答える。ほぼ同じタイミングで、他の艦隊も返信しているはずだ。

 

一、四艦隊、二制艦が、三方向から敵艦隊に迫っている。その上空を、三艦隊の航空機が抑えていた。それだけの戦力を相手取っているのに、敵機動部隊は退かない。一歩も譲らず、戦っている。

 

―――これは、私たちにしかできないこと。

 

そのために、訓練を繰り返してきたのだ。

 

艶やかな黒髪を、風にはためかせる。

 

今こそ、水雷戦隊の本領発揮だ。

 

 

瑞鶴が周りを見渡すと、被弾のものと思われる黒煙が数本上がっていた。速力こそ衰えていないものの、機動部隊である第三艦隊の戦力低下は否めなかった。

 

北方侵攻中枢機動部隊と名付けられた敵機動部隊は、空母の数では三艦隊に劣るものの一隻当たりの搭載数が多く、両艦隊はほぼ互角の戦いを繰り広げていた。

 

先に攻撃隊を放ったのは、敵機動部隊の方だった。飛龍指揮のもと、空中集合を始めていた三艦隊攻撃隊を狙っていたかのようなタイミングで現れた敵攻撃隊を、最小限の被害で抑えられたのは、防空指揮艦となった赤城の奮闘と伊勢、日向の対空射撃、そして飛龍のとっさの判断による攻撃隊の散開が功を奏したからだ。

 

結果として、三艦隊攻撃隊は各編隊がぎりぎり連携の取れる距離で飛行を続け、敵機動部隊へと辿り着いた。そして幸運なことに、攻撃隊が出払ったことで手薄になっていた敵艦隊上空では、この散開隊形が役に立った。敵戦闘機隊も、輪形陣を構成していた各艦も、間隔の広い攻撃隊に惑わされて効果的な迎撃ができず、三艦隊攻撃隊は最終的に、駆逐艦二撃沈、空母一、軽巡一大破、重巡一、駆逐一小破の損害を与えていた。

 

が、攻撃隊の誘導と敵の爆撃の回避を同時に行うというアクロバティックな作戦となったため、三艦隊側も少なからぬ被害を受けた。この辺り、攻撃機が完全に母艦から独立していない艦娘特有の欠点ともいえる。

 

こちらの損害は、赤城、翔鶴中破、伊勢小破。赤城は、着艦用の甲板が戦闘機の運用にギリギリ足りる長さを残しているため、このまま直掩に専念するらしい。しかし、飛行甲板中央を撃ち抜かれた翔鶴にはすでに艦載機を着艦させることはできず、以後の戦闘には加われない。

 

無傷で稼働可能な空母はお互いに二隻。ただし、飛龍は搭載数が控えめであり、対するヲ級は瑞鶴を超える搭載数を誇る。形勢は不利と言わざるを得ない。

 

現在は、帰還した第一次攻撃隊の収容作業中だ。腕に装着された甲板には次々に“天山”や“彗星”が降り立ち、矢の形に戻って矢筒に収まる。

 

損害は馬鹿にならない。攻撃に成功したとはいえ、厚い輪形陣の洗礼を受けた機体には、各所に弾痕が目立つ。中にはふらふらと、怪しい飛び方で着艦を試みる機体もあった。

 

「あんまりよくないわね・・・」

 

『やっぱりか・・・』

 

瑞鶴のつぶやきが聞こえたのか、現在三艦隊攻撃隊の指揮を預かる飛龍が悩むような声音で答えた。

 

「翔鶴姉の機体も併せて収容してるけど・・・稼働機が七割切りそう」

 

『七割・・・ぎりぎりだなあ』

 

空母艦娘同士では、航空機の指揮権を譲り合うことができる。ただ、艤装形式によっては艦載機の展開方法が大きく異なるため、そうした艦娘同士では、機体の回収までは行えない。今回、三艦隊に加わっている空母艦娘は、その全てが弓術で艦載機を繰り出す、弓道艦娘だ。この形式が、現在の鎮守府では最大勢力を誇る。そこには少なからず、この指揮権の委譲のしやすさが理由に含まれていた。

 

もっとも、それなりのペナルティはある。制御できる機体の数が増えれば増えるほど艦娘自身に掛かる負荷は大きくなる。だからどんなに頑張っても、本来の搭載数の二倍程度しか制御できない。

 

瑞鶴と翔鶴の搭載数は同型艦だから同じだ。つまり、瑞鶴は中破した翔鶴に代わってその航空隊を率いることができる。ただ、艦娘にも格納できる機数には限界があるし、整備の妖精の能力も限りがある。よって翔鶴航空隊の四割ほどは、飛龍に着艦していた。

 

集計したところ、瑞鶴と飛龍、これにそれぞれが回収した翔鶴航空隊を合わせると、稼働可能機は百四十数機となった。

 

『赤城さん、そちらは?』

 

集計結果を聞いた飛龍が、黒煙の鎮火を図りつつ戦闘で防空指揮を執り続ける赤城に尋ねる。

 

『五十機ってところね。後二回ぐらいは何とかなるけど、その後は厳しいです』

 

―――実質、チャンスは一回か・・・。

 

瑞鶴は、ことの難しさに目眩がしそうになった。

 

相手は、過去例を見ない強力な機動部隊。対するこちらは、空母艦娘二人分の攻撃隊。猶予は全力攻撃一回分。

 

『・・・瑞鶴、準備はいい?』

 

「は、はい」

 

緊張で声が上ずった。

 

『・・・それなりに期待しているわ』

 

その時、今この場に聞こえるはずのない声が、通信機から流れてきた。衝撃が背中を走り、瑞鶴は目を見開いて辺りを見渡してしまった。

 

『・・・ふふっ、どうですか?加賀さんにそっくりだったでしょ?』

 

彼女の疑問に答えるように響いた笑い声は、先頭に立つ赤城のものだった。

 

「び、びっくりさせないでください」

 

『あら、それはごめんなさい。でも、そっくりでしょ?』

 

「本物かと思いましたよ」

 

『それはよかった』

 

そうして小さな笑い声の後、普段と変わらない穏やかな声音で赤城は言った。

 

『飛龍、瑞鶴。二人にお任せしますね』

 

沈黙。自分よりも少し前を進む先輩艦娘と目を合わせた瑞鶴は、力強く頷いた。

 

「はい!」

 

 

 

風上へと驀進する三艦隊から、第二次攻撃隊が放たれる。“紫電”改二、“天山”、“彗星”、宙空へと飛び出した矢が燐光に包まれるたびに、それらが分裂して艦載機に変わった。飛び交うプロペラの音が次第に集まり、数分後には敵艦隊へ向けて進撃を始めた。

 

瑞鶴には、海面を見つめて進む海鷹たちの姿が見えていた。綺麗に編隊を組み、まるで一つの生き物のように進む機影が、どこか現実離れしたものとして感じられる。

 

『・・・敵編隊視認』

 

飛龍が呟く。瑞鶴の艦載機隊からも確認した。ゴマ粒ほどの小さな点が、三艦隊攻撃隊よりもわずかに下と思われる高度を飛んできている。ほとんど同じ時間に放たれた、深海棲艦の第二次攻撃隊だ。数はざっと見ただけで二百近い。今の速度を維持したとして、こちらの上空に到達するのは二十分後だろうか。

 

お互いの編隊の距離は、ぐんぐん縮まっていく。早い。すぐに、すれ違ってしまうはずだ。

 

瑞鶴も飛龍も、緊張の面持ちで、敵編隊の動きに注意を払う。進撃中の艦載機隊がお互いに干渉することはまずないが、万が一ということがあるかもしれない。

 

「どうする・・・?」

 

『・・・このまま、編隊を崩さないで』

 

「・・・わかった」

 

飛龍は動かないつもりだ。幸い、高度はこちらの方が高い。襲撃されても、高さの優位が生かせる。

 

『・・・三○(三千)』

 

すでに、敵の先頭集団が見える。特異な形状の深海棲艦艦載機が、やはり一糸乱れずに突き進んでくる。

 

ピンと張り詰めた緊張感が漂う。お互いに動きはない。気づいているはずなのに、相手を攻撃することがないという、不思議な時間が続いた。

 

「敵編隊・・・通過」

 

二つの航空機の集団がすれ違う。濃緑色の三艦隊攻撃隊と黒光りする深海棲艦攻撃隊の影が重なり、それぞれの後方へと流れていった。

 

やがて、最後尾の一機がすれ違い、お互いの機影が離れていく。

 

『敵編隊、到達まで後十五分』

 

『了解。直掩隊準備。翔鶴さん、半分の指揮、お願いします』

 

『翔鶴了解。直掩隊の指揮権を、半分もらいます』

 

赤城に回収されていた戦闘機隊が和弓から放たれ、展開する。力強い発動機の音を響かせる“紫電”改二は上空へ舞い上がると、六人の三艦隊を死守せんと、その目を光らせる。うち半数の指揮権が、赤城から翔鶴へと委譲された。

 

―――先手は向こうか・・・。

 

こればかりはいかんともしがたい。瑞鶴たちは僚艦の援護を信頼して、自らの役目を果たさなければならない。

 

―――大丈夫、やれる。

 

舐めるな。先に鎮守府に帰って待ってる正規空母に、あれだけ言い切ったのだ。負けはしない。それだけの力があると信じている。

 

『敵編隊発見!数概算で百八十!』

 

ついに、三艦隊の監視網が敵編隊を捉えた。

 

『対空戦闘用意!各艦は、飛龍と瑞鶴の戦力維持を最優先!』

 

赤城の指示が飛ぶ。

 

三艦隊は、敵編隊に対して正面に伊勢、日向の二人が展開、そのすぐ後ろに飛龍と瑞鶴が続くという形に、陣形を入れ替えた。後方には、損傷した赤城と翔鶴が控えていた。二人とも、飛行甲板はやられたが、高角砲の類はまだ生きている。

 

『敵編隊、距離四○○。主砲、三式弾装填!』

 

最前列に展開する伊勢が、主砲用の対空砲弾使用を命じる。敵の第一次攻撃に対して、二人が用いた三式砲弾の射撃は効果的だった。

 

上空で控えていた“紫電”改二が、次々に急降下をかける。それに気づいたのか、先頭に控えていた敵戦闘機がこれに応戦しようと機首を上げた。が、“紫電”隊はそれを無視して、速度にモノを言わせて強行突破する。きらめいた二〇ミリ機銃が、七、八機の敵機を屠り、ほぼ同数が白や黒の煙を引いてガクリと速度を落とした。

 

これに追いすがろうと、戦闘機が迫る。すぐに、上空は数多の機銃弾が入り乱れる空戦場と化した。その中を、攻撃機と爆撃機が進撃してくる。

 

『そうは・・・行かないって!!』

 

伊勢と日向の三六サンチ主砲が、一斉に火を噴いた。二人で、合わせて十六門。放たれた三式弾は音速の二倍の速度で飛翔すると、敵編隊を包み込むように炸裂した。落下する機体はいない。外側の数機が傾ぎ、あるいは速度を落とした程度だ。

 

四十秒ほどがして、第二射が放たれる。すでに一万に迫ろうという敵編隊は、三式弾おそるるに足らずとでもいうかのように、悠々と飛行を続けていた。

 

が、伊勢と日向の第二射は、その出鼻をくじく形になった。

 

今度は、十六発全てがまとまって炸裂した。敵編隊の正面、まさに頭をガツンと叩くように、十六発の花火が開く。正面方向に対しては十分な威力を持つ三式弾は、この一射で九機を撃墜、十数機を落伍させた。

 

「よしっ、その調子!!」

 

瑞鶴も声を挙げて応援した。その後さらに一射を放って、伊勢と日向の主砲は沈黙する。変わって火を噴いたのは、彼女たちに据えられた一二・七サンチ高角砲だ。主砲よりも小さいが、連続して鳴り響く砲声のたびに、高角砲弾が飛び出し、時限信管を作動させて真黒な花を咲かせる。

 

敵編隊が二手に分かれる。爆撃機と雷撃機の二組が、それぞれの攻撃高度へと位置取りを始めたのだ。その間に、二機が撃墜される。

 

―――まずいかも。

 

瑞鶴は上空を見上げる。伊勢と日向は雷撃機に射撃を集中しており、爆撃機は野放し状態だ。いくらか数が減っているとはいえ、五十機近い数の“飛びエイ”が一斉に投弾すれば、甚大な被害を被ることは目に見えていた。

 

雷撃機の方はといえば、降下後に左舷側へと回り込み、三艦隊を目指している。これに対して、伊勢と日向、そして飛龍と翔鶴の容赦ない対空射撃が浴びせられていた。いかんせん、翔鶴の弾幕は薄いが、それを補って余りあるほどの射弾を、まるで横殴りの猛吹雪のように、伊勢と日向が叩きつけていた。

 

どのタイミングで回避するか。瑞鶴がそんなことに考えを巡らせていた時だ。

 

上空の敵爆撃機数機が、突如として火を噴いた。

 

「あれは・・・!」

 

瑞鶴の目に映ったのは、陽光を背に急降下してくる十数機の単葉双フロート機だった。

 

 

ほぼ同時刻、神通率いる四艦隊は、ついに敵艦隊を捉えていた。

 

報告にあった通り、輪形陣を構成して、キス島のある方角へと進む機動部隊。遠目では、特徴的な頭部艤装とマントを身に着けた空母ヲ級が三隻確認できる。その容姿から“白い魔女”とも呼ばれる人型の深海棲艦は、その周囲に巡洋艦と駆逐艦を侍らせ、さながら洋上が自らの宮殿であるかのように振る舞っていた。

 

神通は目を細める。陣形が乱れていない。第一次攻撃は敵艦隊に損害を与えたと報告があったが、深海棲艦はすでに損傷から立ち直り、再び強固な輪形陣を構成したのかもしれない。

 

なんにせよ。神通たちのやることは変わらない。もう一度、背後の駆逐艦娘たちの気配を感じる。霞、霰、陽炎、不知火、黒潮。五人とも問題なく、最大戦速で付いてきていた。

 

「・・・行きます!」

 

確かに宣言する。

 

「四艦隊突撃!私に続いてください!」

 

隙を窺う素振りを見せていた四艦隊は、一気に転舵、敵機動部隊へと突撃を敢行した。

 

六人の艦娘が一直線になったことで、四艦隊はさながら槍のように驀進していた。白波を蹴飛ばし、波を乗り越え、水滴を振り払って前進する。前髪が風に揺れるたびに、きらきらと宝石のように輝いた。

 

彼女たちに気づいたのは、どうやら敵直掩機だったようだ。神通が視認するのと、敵機が慌てたように旋回したのがほぼ同時だった。そして敵の輪形陣がにわかに慌ただしくなる。

 

それでも、さすがは北方海域を司っていた艦隊だ。短時間のうちに混乱が収まると、輪形陣を崩すことなく、迎撃態勢に入っていた。機動部隊同士で戦っている今、輪形陣が崩壊することがどれだけ危険かわかっているのだ。

 

何はともかく、深海棲艦の方が数も火力も勝っている。このままでも、十分に牽制できるとふんだのだろう。

 

―――今は、突撃あるのみです。

 

幸い、敵艦隊の目はこちらに向いている。まあ、いつ飛んでくるかわからない攻撃隊と、目前の水雷戦隊。掻き乱された状況に対処するには、これが限界だろう。

 

最後の長槍が、今まさに迫っているというのに。

 

『大和、砲戦始めます!』

 

唯一、直接通信のできる相手。一艦隊第二分隊―――大和、吹雪の二隻もまた、敵機動部隊を捉えんと邁進していたのだ。敵艦隊から見れば、三、四艦隊それぞれの方位の中間あたりに位置しているこの艦隊は、鎮守府最強の砲撃火力と、鎮守府最強の雷撃能力を持った、“絶対に敵に回してはいけない相手”だった。

 

―――援護、頼みます。

 

それだけ密かに願って、神通たちは突撃を続ける。数十秒後、敵艦隊をさらなる混乱に陥れる水のオベリスクが、天を突かんと立ち上った。

 

 

瑞鶴は、正念場に立たされていた。

 

全艦を上げての防空戦闘を行っていた三艦隊だったが、その能力もそろそろ限界に達しようとしていた。伊勢、日向の隠し玉、“瑞雲”強攻型―――翼下に二○ミリ機銃のポッドを吊り下げた迎撃機使用の水上爆撃隊は、敵艦爆隊十三機撃墜という戦果を挙げたものの、そこが限界だった。現在は駆け付けた敵艦戦隊に牽制され、逃げるのがやっとだ。

 

そして三艦隊上空に辿り着いた敵攻撃隊は、投弾を始める。ほぼ同時に、被害を出しながらも接近していた雷撃隊も、各々で投雷を始めた。伊勢、日向の飛行甲板に増設された機銃群から妨害の火箭が伸びるものの、それらは虚しく空を切るだけだった。

 

「これで五発!」

 

次々に投弾される爆弾を躱しながら、瑞鶴はなおも上空を睨む。敵も馬鹿ではない。数の力を最大限に生かそうと、あらゆる方向、あらゆるタイミングで投雷、あるいは急降下に入る。実にたちが悪かった。

 

―――これじゃあ、攻撃隊の誘導が・・・!

 

計算では、後数分で攻撃隊が敵艦隊へたどり着く。四艦隊や一艦隊の残存も向かっているのだ。ここで私たちが削らなければ、次に標的になるのは彼女たちだ。

 

―――「余計なものは持ち込まない」

 

そんな、いつぞやの先輩の声が聞こえた気がした。

 

『ぐっ・・・!』

 

瑞鶴をかばうようにして、日向が魚雷を受ける。予め備えていたからか、展開したバルジがうまく衝撃を吸収したらしく、速力は衰えていない。が、艤装は被害を受けた。

 

―――「真っ直ぐ、前を見て」

 

『瑞鶴!』

 

同じように回避運動を続ける飛龍が、鬼気迫る声で瑞鶴を促した。

 

『このまま攻撃隊を誘導する!一点突破をかけるよ!』

 

―――「あなたたちは、やればできる」

 

二度目の艦爆隊降下を避けながら、瑞鶴は信じられないほど冷静に、飛龍に頷いていた。

 

目の前の光景。そこに重なるように、攻撃隊からの映像が見える。敵艦隊に対して、右舷から接近を試みる攻撃隊。よく見れば、敵機動部隊の右舷側には、水飛沫を散らして突撃してくる水雷戦隊が、正面には、火球を噴き上げる戦艦と、その前方で輪形陣に切り込む駆逐艦が確認できた。

 

―――ナイスタイミング!

 

と、同時に。

 

―――負けてられない!

 

負けず嫌いは自覚している。同じように負けず嫌いで―――他人にも、自分にも負けるのが嫌な先輩を尊敬もしている。厳しくて、時に愚痴ったり、衝突もする。でも。

 

―――「それなりに、期待しているわ」

 

―――『加賀さんにそっくりだったでしょ?』

 

自分にとって、大きな存在。いつかは、越えてみたい。いや、すぐにでも並んで、越えてみせる。そうでなければ、彼女は答えてくれない。

 

―――見てなさいよ!

 

制空隊と敵直掩隊の戦闘が始まった。“紫電”改二と“飛びエイ”、互いに一歩も譲らずにしのぎを削る。その中を、攻撃隊は突き進む。

 

『艦攻隊の狙いは空母に限定!周りは気にしないで!』

 

「了解!」

 

元より、そのつもりだった。

 

輪形陣中央、敵空母は三隻。先の第一次攻撃で一隻は大破させたはずだが、どうやら消火に成功しているらしい。これをすべて叩く。

 

残った敵直掩機が、攻撃隊に襲い掛かってきた。隊列を構成する機体が、一機、また一機と落とされる。

 

エンジンカウルに被弾した“天山”が、ゆっくりと海面に激突する。

 

翼のもげた“彗星”がくるくると回転して水柱を上げた。

 

互いに機銃を撃ちあった“紫電”改二と敵機が白煙を引いて落ちていく。

 

それでも、攻撃隊は進撃をやめない。一歩一歩、着実に輪形陣へ近づこうとする。

 

敵機が散開したかと思うと、今度は対空砲火の応酬が始まった。敵艦隊の弾幕は猛烈だ。それこそ、横殴りのスコールの如く、攻撃隊に迫りくる。

 

が、その弾幕は第一次攻撃隊の時よりも薄い。それもそのはず、大和の射弾が、輪形陣の合間に立ち上り、その連携を妨害しているのだ。これが実に効果的だった。三万という距離の、十分に弾着観測のできない条件下で始めた射撃は、お世辞にも精度が高いとは言えない。現に、攻撃隊から視認できるようになってから五度の砲撃がなされているが、命中弾炸裂の火柱は上がっていなかった。

 

それでも、大和の主砲は―――鎮守府最大、四五口径四六サンチ砲が巻き上げる海水の嵐は、深海棲艦の恐怖を煽るのに十分すぎた。

 

加えて、大和に先行する形で輪形陣に突っ込んだ吹雪が、絶妙なフォローを入れていた。動いて欲しくない敵艦を狙い撃ち、その自由を奪う。それだけで、攻撃隊の負担はぐっと減った。

 

とはいえ、敵の対空砲火が猛烈なことに変わりはない。活火山という形容が似合う高角砲弾の台風は、攻撃隊の全方位―――右で、左で、上で、正面で、その機体を絡め取らんと魔の触手を伸ばしてきた。

 

“天山”がつんのめって、海面に突っ込む。

 

バランスを崩した“彗星”が高角砲弾の直撃を受けて爆発四散する。

 

弾片をまともに浴びたのか、“天山”が白煙を引いて落伍していく。

 

一機また一機と、攻撃隊の機体が削られていく。編隊に穴が開くものの、それを詰めるように編隊を緊密にし、まるで一頭の生き物のように機動部隊へと突き進んでいた。

 

『艦爆隊上昇!雷撃隊は雷撃進路へ!』

 

飛龍の指示と共に、編隊が二つに分かれた。敵直掩機をやり過ごすためにギリギリまでまとまっていた“彗星”と“天山”がそれぞれの投弾位置へ取り付こうと、弾雨の中を潜り抜ける。それを追うようにして、高角砲弾の黒い花と敵戦闘機の機銃弾が覆いかぶさった。

 

「艦爆隊、目標敵輪形陣中央、空母及び重巡!」

 

強襲のセオリー―――艦爆隊による高角砲と目つぶし、そこから輪形陣を強行突破した雷撃隊による雷撃。お互いの連携が特に重視される。

 

『!まずい、瑞鶴そっち行った!』

 

その時、瑞鶴の通信機から伊勢の切迫した声が届いた。反射的に上空を見上げると、敵降爆数機が、まさに瑞鶴への投弾コースへと入っていた。

 

―――こんな時に!!

 

内心で毒づきながらも、瑞鶴は攻撃隊の誘導をやめなかった。やめてなるものか。ここまで来て、取り逃すつもりはない。

 

ナポレオン式の超絶アクロバティックな戦術?知ったことか。あたしはやる。そう決めただけだ。

 

“彗星”たちが、先頭のヲ級とその横のリ級に狙いを定めて急降下に入る。それに合わせるように、敵降爆も瑞鶴へと降ってきた。甲高いダイブブレーキの音と高角砲弾炸裂の衝撃音が連続し、頭の中で木霊する。

 

「いっけえええええっ!!」

 

炸裂する高角砲弾に包まれながら、“彗星”は急降下していく。瑞鶴の号令と共に先頭機が投弾、誘導索に導かれてプロペラ径外へ出た爆弾が風切り音を伴って落下しだした。それに続くように、二番機、三番機も投弾を始める。

 

それから数瞬、瑞鶴上空の敵機も投弾する。それを見て、ぎりぎりのタイミングで回避運動に入る。その上を、敵降爆がフライパスしていった。

 

視界の端に、水柱が立ち上っていく。一発、二発。弾着位置は遠い。回避運動は、正解だったようだ。五発目、八発目が至近弾となり、爆圧が脚部艤装を揺さぶるものの、瑞鶴は損傷なしで何とか切り抜けた。そこになって初めて、瑞鶴は自らの投弾した爆弾の行方を確認する。

 

“彗星”からの映像は、残念ながら“天山”ほど鮮明ではなかった。それでも、輪形陣の中央付近に三本の黒煙が見えた。

 

突撃中の“天山”から見えるものも同じだ。煙の場所から見て、瑞鶴の“彗星”隊は、重巡洋艦を撃破したものの、空母に対しては有効な打撃を与えられなかったようだ。対して飛龍は、狙っていた軽巡と空母、どちらにも有効打を与えている。

 

―――やっぱり、すごいなあ。

 

同じ空襲下でも、飛龍はきっちりと、目標を捉えている。赤城から攻撃隊を一任されるだけのことはある。瑞鶴は、今も“天山”に指示を送り続ける飛龍に目を向けた。

 

まったく唐突に、飛龍の艤装から火の手が上がった。




思えば一年、遠くまで来たもんだ・・・(遠い目)

今度こそ、本当に北方海域編を終わらせますから!どうか着いて来てください!

次回もできるだけ早く投稿できるよう頑張ります


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高度一〇

どうもです。

結局今回も終わらなかったよ・・・

いや、あまりにも長くなったので分割して投稿することにしました

後半に期待


―――三艦隊攻撃隊突入とほぼ同時刻。

 

二制艦を率いる摩耶は、逸る血潮を抑えるのに必死だった。元々は撤退する部隊の護衛を目的としていた二制艦だが、紆余曲折を経て、今は遊撃隊として敵機動部隊へと突き進んでいる。人生、何がどう転ぶかわからないものだ。

 

「鳥海、そっちはどうだ!?」

 

摩耶よりも少し後ろ、護衛に綾波を伴った妹艦に問いかける。鳥海の答えは、いたってシンプルだった。

 

『準備完了。いつでもいいわ』

 

「よし!艤装展開!」

 

『了解。長距離支援砲展開』

 

号令一下、それまで格納状態だった鳥海の“特殊艤装”が展開を始める。腰のホルスターが発光し、拡散した光の粒たちが次第に形をなしていった。摩耶の対空砲台とは異なる、アシンメトリーな全体像。右舷側には、艦橋を模した防弾盾があり、その上部に射撃指揮装置と電探が据えられていた。盾で隠れて見えないが、この特殊艤装を扱うためのジョイスティックも取り付けられている。対して左舷側は、右舷側とは全く異なる外観をしていた。据えられているのは、鳥海の標準装備である二○・三サンチ砲よりも二回り大きい二八サンチ砲だ。口径は五○口径、門数一門。

 

巡洋艦用長距離支援砲と呼ばれるこの特殊艤装は、工廠部―――というよりも、明石と夕張が研究目的で開発していた、局地防衛用の試製巡洋艦用大口径狙撃砲を元に、海上運用に耐える仕様にスケールダウンとコンパクト化を図ったものだ。

 

ただ、狙撃砲ほど命中率は高くない。これは、洋上の船という、決して安定しているとは言えないプラットフォームから射撃を行うためで、あらゆる軍艦に共通する悩みでもある。

 

鳥海が使用するこの砲は、この命中率の悪さを補うために、少しでも射撃諸元の誤差を縮める努力をしている。測距儀ばかりはどうにもならないが、射撃計算装置は大和並みの性能を持っていた。そしてもう一つ。

 

『上空展開の零水偵とリンク完了。高次元弾道計算準備よし』

 

鳥海の上空には、搭載していた二機の零式水上偵察機―――零水偵が飛んでいる。いくら下駄履きでも、艦隊上空に張り付いているものをわざわざ撃墜しに来るほど、深海棲艦も暇じゃないだろうとふんでのものだ。

 

この二機が果たす役割を話すには、測距儀の原理を説明する必要がある。測距儀とは、両端に可動式の鏡が付いた直線状の観測機器で、これ自体を三角形の底辺として、三角測量の要領で敵艦への距離を割り出すものだ。その精度は、鏡の表面の磨き具合等も影響するものの、ほとんどは底辺、つまり測距儀の大きさによって決まる。底辺が長ければ長いほど、誤差を小さくできるのだ。

 

とはいえ、実際には艦船、それも構造物のトップに据えられるものだから、バランスを考慮した大きさにならざるを得ない。鳥海などの巡洋艦クラスならば、当然戦艦クラスの測距儀を搭載することはできない。

 

が、艦娘自身が乗せないのであれば。その底辺は搭載限界に縛られることなく、可能な限り延長できる。ようは底辺を固定できればいいのだから。

 

ここで、二機の零水偵が生きてくる。鳥海の上空を旋回する零水偵は、お互いが同じ間隔を保って飛んでいる。これを測距儀代わりとして、敵艦への距離を測るのだ。

 

鳥海搭載の二機には、特殊艤装使用に当たって、すでに専用機材が搭載されている。この機材と鳥海の射撃式装置がリンクする仕様だ。

 

もちろん、零水偵とはいえ艦娘の何倍も速く動き回る航空機だから、ずっと上空に張り付いて測距をすることはできない。だからあくまで、これは射撃計算の誤差修正用だ。弾着観測機の発展形に近いかもしれない。将来的には、オートジャイロによる直接測距も視野に入れて研究が進められている。

 

摩耶、球磨、朝潮、満潮を前衛にして、鳥海と直衛の綾波が続いている。鳥海は支援に徹し、その下で摩耶たちが切り込む手はずだ。

 

「鳥海、展開終わったか?」

 

戦闘の摩耶が、確認する。

 

『準備完了よ。支援は任せて』

 

「おう、任せたぜ」

 

摩耶は不敵に、そしていつも通りに答えた。

 

いつだってそうだ。今までも、これからも。鳥海は摩耶に着いて来てくれる。着いて、いつも突っ走ろうとする摩耶をなだめ、的確にフォローしてくれる。孤児院で一緒だった時から、ずっと変わらない。

 

―――「あたしが鳥海を守る」

 

―――「じゃあ、私は摩耶に着いていく」

 

こういうところ、融通の利かない、頼りになる“相棒”なのだ。

 

今回もやってくれる。高雄姉や愛宕姉とは違う、摩耶と鳥海の戦い方だ。

 

『甲板消火急いで!このまま攻撃隊の指揮を執り続ける!!』

 

通信機から入ってきたのは、先ほど被弾したらしい飛龍の声だった。一瞬動揺が走ったものの、彼女たち三艦隊の攻撃隊は突撃を続けている。輪形陣を喰い破り、肉薄雷撃を試みようと海面を叩かんばかりの高度で飛行を続けている。

 

―――そうこなくっちゃな。

 

諦めるにはまだ早い。いや、諦める要素なんてない。

 

三艦隊がいる。大和と吹雪がいる。神通たちもいる。そして、ここには自分たちがいる。

 

摩耶の秘めた闘志を燃料に、艤装が轟々と唸りを上げる。それは球磨も、朝潮も、満潮も、後方の鳥海と綾波もそうだ。

 

「三艦隊の攻撃が終わり次第、突撃する!いいな!?」

 

『了解だクマー』

 

『了解です』

 

『了解』

 

各人の返答は短い。それでも、摩耶には十分だった。十分な、答えだった。

 

「気合い入れろ!」

 

摩耶の掛け声に、応と声が上がる。直後、三艦隊の“天山”隊が、輪形陣に突入した。

 

 

被弾の衝撃波は、想像以上に強烈だった。数分前に自らを襲った災厄を、飛龍は無理やり思考の端に追いやっていた。

 

幸い、敵の第二次攻撃は止んでいる。三艦隊は瑞鶴を残して全艦が被弾という甚大な被害を受けながらも、未だ洋上に存在していた。そして、彼女たちがここにいる限り、攻撃隊が止まることはない。

 

飛龍攻撃隊は、先の被弾時に僅かに乱れたコントロールのせいで、何機かが対空砲火に絡め取られていた。その分飛龍は、攻撃隊を一本にまとめる。残念ながら、この状態で敵空母三隻を葬り去るには、神業以上に強運が必要だった。

 

―――最低二隻・・・!

 

二隻削れば、水雷戦隊の突撃に勝機を見いだせる。それだけの実力があることは、飛龍だけではない、鎮守府の誰もが知っていた。ましてや、今四艦隊を率いているのは、沈着冷静にして大胆不敵な川内型二番艦だ。

 

余計な考えを振り払うように、飛龍は目を閉じる。そうすることで、“天山”から直接送られてくる映像が、鮮明に脳裏に浮かんだ。精密操縦を行うときにするこの行為は、敵攻撃隊が去った今こそ、やるべき時だった。

 

まるで、自らが“天山”と一体になったような感覚。高速で流れていく海面と、ペラからの後流が吹き散らす水飛沫、流れる風までもが感じられそうだ。そして目の前、まさに手の届きそうな位置には、盛んに対空砲火を噴き上げる敵駆逐艦と、その奥の空母が見えた。

 

大きな頭部艤装に隠れて、その表情は読み取れない。ただ艶めかしいほどに白い肌に、両の目が爛々と輝いている。戦艦とはまた違った意味で、強大な存在感を放っていた。

 

空母ヲ級。現在確認されている唯一の正規空母で、“白い魔女”と呼ばれ恐れられた、海と空の女王。はためく漆黒のマントも、ほっそりとしなやかな足も、全てを見下す氷の女王を思わせる。威圧、恐怖、そして圧倒的な破壊。現在最も人型に近いと言われる“彼女”から感じられるのは、最早人間に抱くそれと何ら変わらない感覚だった。

 

駆逐艦からの対空砲火が、高角砲から機銃に変わる。一方で、さらに奥の三隻のヲ級はまだ高角砲の射撃圏内であり、駆逐艦と共通の五インチ砲弾が時限信管によって炸裂し、機銃弾のシャワーの中で真っ黒い花と断片の触手をもって“天山”を圧迫した。

 

例えるならば、梅雨の紫陽花に近い光景だろうか。とはいえ、攻撃隊に吹き付ける豪雨はまさに槍の雨であり、花開く紫陽花は愛でるものではなく避けるものだ。

 

―――三番機被弾。

 

一機が撃墜され、感覚が喪失する。

 

―――十二番機被弾。

 

対空砲火に捉えられた“天山”が、シグナルを次第に小さくしながら海面へと降下していき、やがて途切れる。一機、また一機。それでも、飛龍は進撃をやめない。瑞鶴も同じだ。撃墜された機体のことを海へと放り投げ、思考を飛行に、そして投雷のタイミングにのみ集中させる。

 

「ちょい右ー」

 

『ちょい右、よーそろー』

 

飛龍と瑞鶴、それぞれの攻撃隊は、一丸となって輪形陣の隙間―――“彗星”が対空砲をつぶした箇所へと一点突破を図った。

 

敵駆逐艦は、もう目と鼻の先に見える。魚のようなフォルムが、あたかも生命体であるかのように滑らかに動いていた。その体の各所から、小さな火箭が伸びている。

 

“天山”は、ついに輪形陣外縁を突破した。駆逐艦の艦尾を掠め、四方八方から飛んでくる十字砲火の中を、今度こそ捉えた敵空母に向けて、一心不乱に飛んでいく。対空砲火を少しでも避けようと、プロペラが海面を叩きそうなほどの超低空を、這うように進む。

 

獲物は目の前だ。早まってはいけない。対空砲火の隙間を見つけ、針の穴を通すように、後は運を天に任せるしかない。

 

“天山”の腹には、あらゆる船にとって恐怖の象徴である魚雷が一本、海面からの光に反射されてギラギラと輝いている。

 

簡単なことだ。何度も、何度も何度も、それこそ時間の許す限り繰り返してきたことなのだから。低く低く、とにかく低く。敵の進行方向、速度と未来位置を見極め、後は魚雷投下の指示を出すだけ。

 

―――「ね、簡単でしょ?」

 

まったくもって簡単に言い切った、姉妹のような、先輩のような僚艦のイタズラっぽい笑顔。

 

―――ここでそれを思い出すかあ。

 

緊張感漂う状況にもかかわらず、どこかのん気に構えている自分に気づいて、飛龍は静かに苦笑した。もちろん、その間も攻撃隊の誘導は怠っていないが。

 

戦いは運だ、と言い切った人間もいるらしい。あらゆる不確定要素を取り除いても、結局最後には、勝利の女神とか、そういった要素が絡んでくる時がある。きっと、人間にはどうしようもない、何らかの力としか言いようのないものは存在するのだ。

 

今、この時。飛龍にとってそれは―――祈るべき摩利支天、毘沙門天、あるいはワルキューレのような存在は、僚艦であり、ライバルで、友人で、先輩でもある蒼龍なのだろう。

 

このことは、鎮守府で修復中の蒼龍には絶対に言ううまい。もしも彼女がこのことを聞けば、ひとしきり笑って、からかって、勘違いもいいところで大きく頷いて、そして―――思いっきり、こっちの息が詰まるくらい抱きしめてくるだろうから。

 

―――見ててよね、蒼龍。

 

仇とか、そういう考えはない。今目の前の敵を沈める。単純で、明快な答えだ。

 

ヲ級の射撃が、高角砲から機銃に変わる。Flagship―――もっとも性能の高いと言われている種類だけあって、放たれる射弾は正確で濃密だ。頭上をおおう曳光弾の嵐に突っ込まないよう、さらに機体を抑える。それでも、一機が巻き込まれて火を噴いた。

 

この時点で、距離は約二千五百。投雷には、最低でも千まで近づきたい。

 

―――・・・二○。

 

カウントを始める。一世代前の九七艦攻に比べて格段に早い“天山”でも、この弾雨の中一千の距離を詰めるのは至難の技だ。少しでも誘導を間違えば、飛び交う機銃弾に蜂の巣にされ、ボロ雑巾か何かのように海面へダイブする運命が待っている。

 

―――一九・・・一八・・・。

 

“天山”の周りでは、恐ろしい数の敵弾が入り乱れている。それでもなお、飛龍の心は穏やかだった。緊張の糸はこれ以上ないほど張りつめ、集中力が極限まで研ぎ澄まされているのに、敵空母を捉える視線―――否、実際には“天山”からの映像にすぎないとしても、まるで一俯瞰者であるかのような、冷静で、言ってしまえば冷めた感覚。

 

―――一五・・・。

 

敵空母も必死だ。こちらの射線を妨害、あわよくば撃墜しようと放たれる機銃の断続的な射撃音が、狂騒的なハーモニーを奏でる。海面に突き刺さった機銃弾がミシン目のように細かな水柱を吹き上げるさまが、はっきりと見てとれた。

 

―――一三・・・一二・・・。

 

後少し。低く、低く飛ぶ。

 

飛龍が狙いをつけたのは、先頭の旗艦と思しきヲ級だ。それまでの素振りから、そのヲ級がこの機動部隊の指揮を執っているらしいと当たりをつけていた。

 

―――一○・・・!!

 

そのカウントと同時に、二機の“天山”が火を噴いた。最後尾に位置していた機体だ。飛龍の率いる“天山”は、残り十八機。瞬間的に飛龍は、投雷を決意した。これ以上接近するのは難しい。無理に接近を図り、これ以上機体を減らせば、効果的な雷撃は望めない。

 

―――てっ!!

 

一番機が投雷、続くようにして、編隊各機が各々の魚雷を投下していく。海面すれすれで飛んできたため、投下された魚雷は小さな水飛沫を上げて海面に突き刺さり、すぐに航走を始める。魚雷を投下した分軽くなった“天山”が浮き上がりそうになるが、これを何とかして抑えた。今浮き上がろうものなら、我が物顔で上空を満たしている機銃にズタズタにされてしまう。

 

白い航跡を引いて突き進む魚雷は、飛龍攻撃隊についてくる形で敵空母に迫る。一方、瑞鶴攻撃隊は、先に飛龍が急降下爆撃に成功したヲ級を狙っているらしく、八百まで接近して投雷に入った。

 

―――○二!

 

飛龍の機体が引き起こしに入る。ぎりぎりまで敵空母に接近した攻撃隊は、その頭上をフライパスする形で抜けていく。後は発動機の馬力にモノを言わせて、上空へと逃れていった。そこで初めて、飛龍は敵空母へと伸びていく海中の槍を確認した。

 

十八本の魚雷が、放射状に広がっていく。敵空母がどの方向に回避しようと、一発は当たるはずだ。瑞鶴攻撃隊の魚雷は、さらに散開角が狭まっている。こちらは飛龍よりも接近した分、命中率は高くなっているはずだ。

 

飛龍も瑞鶴も、その様子を固唾をのんで見守る。敵空母は回避運動に入っているが、人工のダツが張らした投網は、そこから逃れることを許していなかった。

 

「―――命中!!」

 

敵空母の右舷に、巨大な水柱が出現した。飛龍の放った魚雷は、ついに敵空母を捉えたのだ。

 

それに続くようにして、三番艦にも水柱が生じる。こちらは、瑞鶴が放ったものだ。ヲ級の二倍はあろうかという巨大すぎる水の塊に押しつぶされて、ヲ級がふらつく。

 

一本だけではない。二本、三本、連続した水柱が上がり、敵空母の立ち姿を揺さぶった。

 

―――どうだ・・・!?

 

飛龍は海上に静けさが訪れるのを待つ。飛来した二隻のヲ級の状況を確かめねばならない。

 

全ての魚雷が通過したとき、敵空母の損害が明らかとなった。

 

―――ダメか・・・!!

 

いや、攻撃は成功だ。ただし、目標としていた二隻撃沈は叶わなかった。実に五発の魚雷が命中した三番艦は、すでにずぶずぶと、半身を沈めている。撃沈確実と判定していい。が、飛龍の狙った一番艦は、二発を被雷しながらも防御の優れたところに当たったのか、まだ航行を続けている。その相貌が、上空を旋回して部隊に集合をかける飛龍の“天山”を憎々しげに睨んでいる気がした。

 

「飛龍より、各艦隊へ。敵空母撃沈一、撃破一」

 

今は、後を託すしかいない。輪形陣に穴は開けた。すでに攻撃能力のほとんどを喪失している三艦隊は、ただただ鎮守府水上艦隊を信じるだけだ。

 

『二制艦了解。突撃はじめ!』

 

『一艦隊了解です。ご無事の帰還を』

 

この位置から通信可能な二制艦、一艦隊の旗艦から了解の返信が入った。四艦隊にも通信は届いているはずだが、あちらは出力が低く、返信は帰ってこない。が、彼女たちの艤装が最大戦速の唸りを上げていることは、何を確認するまでもなくわかった。

 

『飛龍、瑞鶴、お疲れさま』

 

最後尾で防空指揮と囮を務めていた赤城が、わずかに疲労の見える声で労いの言葉を掛けてきた。その声に、飛龍も瑞鶴も筋肉を弛緩させる。

 

『三艦隊は、安全圏へ撤退します。一艦隊との合流を』

 

一艦隊第一分隊―――被弾損傷した長門と金剛、これを護衛する叢雲と千歳は、待機していた一制艦と合流して三艦隊の後方に控えている。

 

『瑞鶴は稼働可能機を回収。燃弾補給の後、水上部隊の直掩に回して』

 

『了解。任せてください』

 

辛うじて陣形を維持しながら、三艦隊は退避していく。彼女たちが帰還した攻撃隊を回収し始めるころ、北方海域の決戦は、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。




後ほんの少しで終わりなんだけど、それが長い・・・

ていうか、水雷戦隊は、

突撃→雷撃→確認

って流れをやんなきゃだから余計に・・・

てことで、次回は完全に水雷戦隊編です


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深い水底

どうもです

ようやく、ようやく一区切りです。長かったぜ・・・

最後を締めるのはもちろん水雷戦!

そして吹雪も大活躍!やったぜ

どうぞ、よろしくお願いします


「取舵三○!!」

 

神通の指示のもと、四艦隊は一斉に舵を切る。その後を追うようにして、輪形陣左舷前方に位置取る重巡からの砲弾が水柱を噴き上げる。戦艦に比べれば何ほどのものでもない二○・三サンチ砲だが、軽巡と駆逐艦で形成される水雷戦隊にとっては、それだけでも十分重い。避けるのがベストだ。ようは、当たらなければどうということはない。

 

が、輪形陣中央に陣取る敵空母に魚雷を当てるには、この重巡をどうしても突破しなければならない。残念ながら、第二次改装を行った神通でも、重巡と正面から撃ち合えばただでは済まない。撃破はたやすいが、彼女の役目は後ろに続く駆逐艦娘を魚雷の発射点に導くことであり、重巡と対峙するためにその任務を放棄することは、本末転倒もいいところだった。

 

―――それに。

 

ちらりと、神通は敵重巡の後方を見る。そこには、まだ無傷の軽巡洋艦がいる。深海棲艦の中でも、特に攻守のバランスに優れたへ級Flagshipだ。そこから放たれる速射能力の高い六インチ砲弾は、駆逐艦にとって脅威以外の何物でもない。仮に神通が重巡を相手取ったとしても、残った駆逐艦娘の前にはあの軽巡洋艦が立ち塞がることになる。

 

だから今は、機会を窺うしかない。もっとも、その機会は、すぐに訪れるはずだ。

 

頼みの綱―――単純計算で二○・三サンチ砲の十二倍のエネルギーを持つ弾丸が上げた水柱は、今までで一番正確だった。それこそ、至近弾落下の衝撃だけで敵重巡がかき消されてしまうのではないかと錯覚するほどの威力だ。

 

大和の砲撃だ。敵機動部隊の進行方向に対して九時半の方角から突入を図る四艦隊を支援するため、大和は十一時の方角から支援射撃を行っている。距離が二万に近づいていくにつれて、彼女の砲撃も精度を増してきた。

 

ただし、懸念がないと言えば嘘だ。大和はすでに、敵戦艦三隻と撃ち合っており、その弾薬庫は間もなく空になってしまう。

 

支援といえばもう一人。大和の砲撃に少し遅れて立ち上った水柱は、先ほどのそれに比べて遥かに小さい。それでも重巡の射撃タイミングを邪魔するように、的確な射弾が撃ち込まれていた。

 

『神通さん、重巡はこちらで!』

 

―――吹雪ちゃん・・・!

 

一艦隊第二分隊の大和直衛として攻撃に参加している鎮守府最高練度の駆逐艦娘は、最新鋭戦艦の前衛として輪形陣に単艦で突撃、断続的に離脱と突入を繰り返し、“天山”隊の攻撃や四艦隊をバックアップする。あれだけの機動をやっているのに、一切迷いの見れないところがさすがだった。

 

重巡に一二・七サンチ砲弾が命中する。被害らしい被害は受けていないものの、さっきから周辺を小うるさく動き回る駆逐艦娘にいい加減イラついてきたのか、敵重巡はその右腕を吹雪へと指向した。

 

瞬間、強烈な閃光が走った。そしてそれをかき消すように、真っ白い冷水のオブジェが形作られる。この状況に似合わないほど、きらきらと幻想的な光景だった。

 

やがておどろおどろしい轟音が届く。水柱が崩れたとき、それまで輪形陣の一角をなしていた敵重巡は、影も形もなく、海上から姿を消していた。

 

お手本のような轟沈だった。戦艦の主砲弾がいかに強力なものか、その一端を垣間見た気がした。

 

が、喜んでばかりもいられない。

 

『すみません、今ので最後です』

 

切迫した声は、たった今、今日のスコアを更新した戦艦娘のものだ。彼女が大サービスした四六サンチ砲弾の在庫が、ついに尽きた瞬間だった。

 

「大和さん、ありがとうございました」

 

『ご武運を、お祈りします』

 

一本芯の通った、大和撫子そのものの柔らかな声。誰かを思い起こさせる雰囲気に背中を押され、神通たちは再び突撃を敢行する。

 

―――「大丈夫だって、神通ならできるよ」

 

いつもと変わらないノリで、彼女の姉は出撃前に頭を撫でてきた。前日の夜戦で損傷した川内は、今回の第二次攻勢に参加していない。

 

―――「みんな着いて来てくれる。だから神通は、前だけ見てればいい」

 

いつだか―――まだ神通が、鎮守府に配属されたてだったころに、今北方派遣艦隊を率いている参謀はそう言った。

 

やれる。川内型は、水雷戦隊の先頭に立ち、突撃するのが任務だ。

 

神通には、姉のようなカリスマ性も、妹のような親しみやすさもない。だから、考えた。自分に何ができるのか、今何をやれるのか。

 

努力。

 

二水戦に所属する駆逐艦娘に聞けば、きっと誰もがそう答える。誰よりも努力している神通を尊敬しているし、それ以上に信頼している。だから、彼女の背中に安心してついていける。

 

『神通、聞こえるクマ?』

 

特徴的な語尾の通信が入った。ある意味、発信者が誰だか一瞬でわかるこの語尾は、戦闘中には有用かもしれない。そんな場違いなことが考えられるほどには、神通は余裕を持てている。

 

「聞こえています」

 

『今、こっちから輪形陣を喰い破るクマ!両舷からの統制雷撃を試みるクマ!』

 

なぜか、鮭をくわえた熊が思い浮かんだ。

 

「了解です。発射タイミングはこちらがもらいますね」

 

『任せたクマ』

 

その瞬間、輪形陣の反対側で、巨大な水柱が立ち上った。目測では、大和より小さい。というか、鎮守府のどの戦艦よりも小さい。球磨が所属していた二制艦の編成を思い出して、神通はその正体に思い至った。

 

―――鳥海さんの支援射撃ですか。

 

鳥海に搭載されているという、長距離砲撃用の特殊艤装だろう。とすると、彼女の姉妹艦である摩耶も、

 

『撃てえええええっ!!行け球磨!あたしが風穴ぶち開ける!!』

 

当然突撃しているはずだ。

 

ふっと、笑いがこぼれた。

 

「こちらもねじ込みます」

 

『『了解!!』』

 

神通の宣言に、駆逐艦娘の返事が重なった。次の瞬間、神通とへ級は同時に発砲した。

 

互いの射弾が交差し、へ級は四艦隊全体を、神通はへ級を包み込む。初弾から至近弾。

 

第二射を発砲するのは、へ級の方が早かった。こればかりは、装填機構の違いなので仕方がない。落下した六インチ砲弾が弾着し、四艦隊に命中弾が生じた。敵弾を受けたのは、単縦陣中央の霰だった。

 

「被害報告!」

 

神通も第二射を放ちながら、被害を確認する。

 

『霰、被弾一。戦闘航行に支障なし』

 

幸い、大した被害ではなかったようだ。駆逐艦は、当たり所によっては一発で戦闘不能になる。霰は運がいい。

 

しばらく撃ち合いが続く。へ級は、先頭を行く神通に狙いを集中したようで、これでもかと水柱が立ち上った。その合間で、二発三発と被弾する。

 

が、第二次改装によって、船魂の発揮する能力をフルに使い、重巡並みの威力を持つ砲撃を繰り出した神通には敵わない。へ級が六回の斉射に対して、神通は四回。命中弾はそれぞれ六発と五発。しかしそれだけで、神通はへ級を行動不能に陥れた。

 

「牽制!弾幕張って!!」

 

こうなれば、遮るものはない。残っている駆逐艦を牽制するように一四サンチと一二・七サンチ砲弾をばら撒き、輪形陣に迫る。

 

「球磨さん、そちらは?」

 

『ばっちこいクマ!』

 

準備は整った。

 

両舷から迫ってくる水雷戦隊に対して、残存深海棲艦が弾幕を張る。ヲ級も、搭載している高角砲を振り立て、神通たちの接近を阻む弾幕を形成した。

 

「五○で投雷!」

 

『了解!』

 

五インチ砲弾の降りしきる中を、ただひたすらに突き進む。時折命中弾が生じると、艤装が発した装甲に弾かれ、あるいは一四サンチ単装砲をもぎ取り、火花と炸裂光が起こった。

 

「距離五○!」

 

同時に神通は舵を切り、輪形陣と反航する形をとる。同じタイミングで球磨と朝潮、満潮が転針したのは、電探の反射波で捕捉した。

 

「タイミング合わせます!三、二、一!」

 

輪形陣をサンドする二つの水雷戦隊は、同時に魚雷発射管を構えた。そこに装填されているのは、必殺の九三式酸素魚雷だ。

 

「投雷はじめ!」

 

『てっ!』

 

輪形陣の両側で、同じ声が上がった。軽巡洋艦娘と駆逐艦娘が各々の魚雷を発射する合図だ。同時に魚雷発射管の機構が作動し、圧搾空気と共にそこに収められていた猟犬たちを放つ。自由の身となった四十数本の魚雷は、設定された深度のもとで直進し、扇状に広がっていく。もっとも、燃焼剤に純酸素を使用していることによる副産物として航跡を残さない海中の刺客たちの行方は、神通たちにも、ましてや深海棲艦になどわかるはずもなかった。

 

四艦隊と二制艦の使用しているのは、“通常の”酸素魚雷だ。雷速を最大に設定された魚雷は、五○ノットの速力で、五千先の敵艦を目指す。到達までは約三分。

 

「面舵一杯。離脱後は再装填の準備を」

 

四艦隊各艦は、戦闘中においても迅速に魚雷の次発装填が行える装置を積んでいた。一応、全ての駆逐艦娘には予備の魚雷が積み込まれているが、戦闘行動中に再装填を行うのはまず無理だ。とはいえ、この次発装填装置も、ある程度安定した航行中でなければ再装填はできない。そのためには、一旦離脱する必要がある。

 

各艦自由回避で、輪形陣から距離を取る。その間、深海棲艦には回避運動を取る様子はなかった。

 

取るに取れないのだ。

 

今、敵機動部隊の両舷からは、艦娘たちの放った魚雷が接近している。どちらに舵を切ったところで、命中は必須だ。とすれば、唯一逃げ切る方法は、最大戦速で前進を続け、魚雷が後ろを通り過ぎてくれることを祈るだけ。

 

右に左にと、敵駆逐艦の射弾を避けながら、神通は時間を測り続ける。やがて―――

 

「・・・時間!」

 

到達時間だ。くるりと後ろを振り返り、魚雷の行方を確認する。

 

すぐには何も起こらない。が、次の瞬間、先の“天山”の雷撃を凌ぐ瀑布が、唐突に生じた。

 

最初の命中弾は、最後尾に位置していた駆逐艦だ。続いて神通との砲撃戦で傷ついた軽巡にも火焔が生まれる。これらの軽艦艇には、六一サンチもの直径を誇る酸素魚雷は過剰だった。瞬く間に波間に飲み込まれ、その姿を現すことはなかった。

 

反対側でも、魚雷炸裂の水柱が上がる。球磨たちの魚雷も到達しだしたらしい。そしてついに、輪形陣中央の空母にも、魚雷が命中した。

 

二番艦の位置にいるヲ級が大きくよろめく。それを狙っていたかのように、さらに連続して二発が突き刺さり、その信管を正常に作動させる。トドメとなったのは四発目だった。水柱と同時に、それを蒸発させんばかりの勢いで火柱が立ち上る。航空機用の燃料か、弾火薬庫にでも引火したのだろうか。威容を誇った正規空母は、瞬く合間に澪標となってしまった。

 

しかし、それ以上の命中弾はない。深海棲艦は、旗艦と思われるヲ級と駆逐艦二隻を残していた。

 

さすがに無理と思ったのか、三隻の敵艦が反転、AL方面へと遁走に入った。そして神通たちはまだ、次発装填を終えていない。

 

「次発装填急いで!」

 

―――このままじゃ、また。

 

あのヲ級を取り逃がせば、厄介なことになる。せっかくの北方作戦も、旗艦のヲ級を残していては無意味だ。海域の制海権を奪取するには、今、あのヲ級を叩かなければならない。もう一度戦力を立て直し、再度の攻勢を行う余力は、すでに北方派遣艦隊には残されていなかった。

 

『ダメ、こっちも捕捉できない!』

 

鳥海の悲痛な叫びが聞こえる。元々、彼女の特殊艤装は、重巡の主砲よりも少し射程が長い程度で、それ以外のスペックも原形となった試製巡洋艦用大口径狙撃砲と大差ない。そして支援砲であるがゆえに、装弾数はあまり多くなかった。

 

このままでは、逃げられてしまう。神通は焦りの表情で敵艦隊を見つめていた。

 

その時。

 

突如、最後尾の駆逐ロ級が、火炎に包まれた。そこへ連続する砲撃。多数の命中弾に耐えかねたロ級は、自らを葬り去った相手に一発も打ち返すことなく、断末魔の声と共に波間へと没していった。

 

一体、誰が。答えはすぐに見つかった。

 

この海域で唯一魚雷を使っていなかった、駆逐艦娘。深海棲艦へレクイエムを手向け、波間を華麗に舞い踊る、天下一品の水雷屋。

 

敵駆逐艦を撃破した吹雪が、最後のヲ級に挑もうと、両舷一杯で駆け抜けていった。

 

 

爆発を起こしたロ級の煙をものともせず、吹雪はまっすぐに突っ切った。まとわりつく火の粉を振り払い、その奥―――逃走を図る敵空母を睨む。

 

やるべきことはわかっていた。あの空母を取り逃がすことは、北方作戦の瓦解を意味する。神通たちが再装填中で動けない以上、唯一魚雷を残している吹雪が仕留めるしかない。

 

「両舷一杯!」

 

艤装の唸りが最大となる。主機が焼き切れる限界まで回転数を上げ、その反動が水を押しやって吹雪に速力をあたえた。

 

これが難しい任務であることはわかりきっていた。元々魚雷という兵器は、遅さゆえの命中率の低さがネックだ。それを補うために、水雷戦隊は同じタイミングで扇状に魚雷を放つことで、最低でも一発は当たるようにする。しかし吹雪は、それをたった一人でやろうとしている。

 

当然、必中を期すために、普段よりもさらに敵艦へ接近する必要がある。

 

今吹雪は、右手に神通たち、左に球磨たちを見て進んでいる。一方反転した敵空母と駆逐艦は、吹雪の正面を斜め四十五度で神通の前を横切る形で進んでいる。追いついて雷撃を仕掛けることは可能だ。

 

が、それと敵艦が接近を許してくれるかどうかは別問題だ。

 

―――早く・・・!!

 

吹雪が発揮する速力は三四ノット。過負荷で三五ノット。一方の敵空母は、被弾損傷しているため二四ノット。

 

距離を詰めようとする吹雪に、敵駆逐艦が発砲した。数秒後、飛翔音と共に五インチ砲弾が落下し、何とかして吹雪の接近を阻もうと水の壁を作り出す。

 

吹雪は現在、両舷一杯で驀進している。この状況で、こちらが砲撃を当てることは神業に等しい。普通はこれを無視して、あるいは牽制のために射弾を放って、後は速力にモノを言わせて強行突破する。

 

しかし、この時の吹雪にとって、妨害の射弾を放つロ級は、雷撃時に障害にしかならない。今は集団ではなく、たった一人でしか雷撃ができないのだから。不確定要素になり得るものは、極力取り除かなくてはならない。

 

吹雪は、右手に持った主砲を構える。砲炎をこれでもかと噴き上げる敵駆逐艦に狙いを定めた。その動きを見極め、ゆっくりと、引き金に指をかける。

 

発砲。吹雪の右手に握られた一二・七サンチ砲が咆哮し、二発の砲弾を放り出す。

 

海面の上を飛んで行った二発の弾丸は、寸分違わず、敵駆逐艦を撃ち抜いた。命中弾の火焔が上がり、敵駆逐艦が沈黙する。

 

轟音を聞いたのか、ヲ級がこちらを振り向いた。その表情は、驚くほどに生気に満ちている。真っ白い肌が煤汚れ、黄金色の相貌がさっきまで“彼女”に付き従っていた駆逐艦だったものと、それを葬り去った吹雪を見つめる。

 

憎しみに満ちたような表情。それは勘違いかもしれない。深海棲艦には、感情などと呼べるものはないのかもしれない。それでもその時の吹雪は、“彼女”に意思があることを確信していた。

 

ヲ級は怒り狂ったように咆哮し、残った高角砲―――だけではない、その頭部艤装に据えられていた連装砲塔までも指向させた。

 

発砲。五インチ砲弾がミシン目のように海面を沸き立たせ、連装砲から放たれた八インチ級と思しき弾丸が衝撃波と破片を振りまく。

 

もはやヲ級は、どこからどうみても、理性を失った“人間”そのものだった。それまでの深海棲艦とは一線を画する振る舞いに、吹雪は内心で動揺する。

 

―――ドウシテ・・・!

 

そんな声が聞こえた気がした。

 

最初から撤退する気などなかったように、ヲ級は再び反転すると、吹雪へと突進してきた。そんな状況でも、その射弾は正確だった。内心の動揺など微塵も見せずに、吹雪はその弾道を見極め、的確に回避運動を繰り返す。右左、あるいは速力を緩め、かと思えば急加速とスピードスケートのような鋭いターンを繰り出す。自らの艤装を知り尽くしているからこそできる機動だ。

 

―――皆ミンナ、沈ンデシマエバイイ・・・!!

 

それでも、至近弾が生じる。八インチ砲弾が弾着すれば、その鋭い断片が装甲と当たって異音を響かせ、五インチ砲弾の衝撃波が脚部艤装を揺らす。降りかかる水滴が、短くまとめた髪を濡らした。

 

吹雪も砲撃をする。とはいえ距離は七千。急激な回避運動を繰り返す中で命中弾を出すことは、いかに吹雪でも無理難題というものだ。

 

そもそも、狂ったように砲撃を繰り出すヲ級が、そんな隙は与えてくれなかった。

 

―――アノ海ヘ、帰ルノヨ・・・!!

 

―――何モナイ、何モ見エナイ。

 

―――ソレデイイノ。ソレデ良カッタノニ・・・!!

 

叫びに近かった。深海棲艦の叫び。いや、もしかしたらこれは。

 

船の、叫び。

 

吹雪は艦娘だ。かつて戦いの中に沈んでいった、吹雪型駆逐艦一番艦“吹雪”の魂が、この世で少女を依代として“艤装”に宿っている。だから、吹雪には時折、“吹雪”の声が聞こえた。

 

それは漠然的でしかなく、確かな確証があるわけでもない。それでも、直に感じるこの感覚は。艦娘である自分にしか伝わらないこの感覚は。

 

仲間を守れなかったことへの、強い思い。海の底で、冷たい眠りについた寂しさ。

 

深海棲艦も、あるいは同じなのかもしれない。同じ船であり、同じ思い、同じ寂しさを持った、眠れぬ魂なのかもしれない。

 

「ぐっ・・・!!」

 

八インチ砲の衝撃に煽られた吹雪に、五インチ砲弾が命中する。艤装右の吸気口を捻じ曲げた弾丸に顔をしかめる。

 

怒り。悲しみ。そしてそれ以上の苦しさ。“吹雪”の魂が共鳴しているような感覚。命中した砲弾からわずかに感じられた想い。

 

“彼女”は目覚めてしまったのだ。ずっと閉じ込めていた“何か”に。

 

綺麗事と言われてもいい。それを言えるのは、一駆逐艦でしかない自分だから。吹雪であるから、思えることだってある。

 

―――楽にしてあげたい。

 

それは、わたしが艦娘だからだろうか。同じ船魂を持っているから、そんなことを思うのかもしれない。

 

キッとヲ級を睨む。お互いに現在発揮しうる最大戦速で突撃したため、彼我の距離はすでに五千に迫ろうとしている。

 

―――後少し。

 

今の吹雪を突き動かすのは、作戦完遂への執念ではない。同じ船魂への手向け。狂い、苦しむ魂を鎮められるのは、わたししかいないのだから。

 

―――四○。

 

カウントを始める。敵弾を躱し、自らも射弾を放つ。

 

―――三○。

 

相反する二つの魂。コインの表と裏は一体であり、裏の裏は表なのだ。

 

―――二○。

 

ヲ級は目と鼻の先だ。五インチ砲弾が頬を掠め、かと思えば、吹雪の射弾が高角砲を潰す。

 

―――ナンデヨ・・・ナンデナノヨ・・・!

 

―――わたしには、守りたいものがある。だから絶対、引くわけにはいかない。

 

―――堕チロ・・・堕チロ!!

 

―――あなたを止める。ううん、あなただけじゃない。

 

―――ヤメロ・・・思イ出サセルナ。

 

―――これはわたしと、“吹雪”が決めたことだから。

 

―――来ルナ・・・来ルな!!

 

吹雪の魚雷発射管が旋回し、正面のヲ級を捉える。そこに装填されているのは、九三式酸素魚雷。ただし、神通たちが使っていたものとは違う。北方派遣艦隊の第二陣参加に当たって明石から託された、十八本の新型魚雷。短射程高速型の水雷戦隊用酸素魚雷。その先行試作型だ。今残っているのは、吹雪の魚雷発射管に装填されている六本だけだった。

 

「投雷はじめっ!!」

 

水滴のへばりついた髪を震わせて、残った体力と気力の限りで叫ぶ。圧搾空気が酸素魚雷を撃ち出す鈍い音がした後、六本の酸素魚雷は、小さな飛沫と共に水面下へ潜り、六○ノットを超える速力でヲ級へと向かっていった。

 

「お願い・・・当たってください!!」

 

吹雪は一二・七サンチ砲をありったけ乱射する。ヲ級の動きを封じるためだ。

 

ヲ級が放った五インチ砲弾が、吹雪の肩の辺りに命中する。艤装の加護によってなんとか凌いだものの、その勢いに後方へと吹き飛ばされた。

 

起き上がった吹雪は、静かにヲ級を見据える。

 

二千を切った超至近距離で放たれた魚雷が到達するのに、大して時間はかからなかった。

 

ほとんど同時に、二本の水柱がヲ級の正面に立ち上った。ヲ級の頭部艤装よりも遥かに高い二本のオベリスクに挟まれたわずかな隙間に、“彼女”の死んだ珊瑚のように白く幻想的な顔が見える。琥珀の瞳が、淡い色彩をたたえて、吹雪を見つめていた。

 

声が出なかった。崩れ行く水柱と、それに引き込まれるようにして傾いでいくヲ級に、ただただ目を向けるだけだ。

 

体を起こした吹雪は、両舷微速で沈み行くヲ級に近づく。その艤装からは、もはや砲炎が迸ることはない。力なく垂れている頭部艤装の触手が、波間で漂う。その様子を、吹雪は固唾を呑んで見守っていた。

 

―――マタ、戻っテシマうのカ。

 

虚ろだった琥珀色の瞳が動いて、“彼女”の上空を見つめた。

 

―――青イ・・・青い空。

 

ボロボロの手袋をはめた手を、ヲ級は届くはずのない天に伸ばした。傾いた太陽に透けるような手のひらが、力なく開閉される。

 

―――今度は・・・深ク、安ラカな眠りニ。

 

ハイライトの消えていた瞳に、今一度光が宿る。しかしそれは、それまで海上に君臨し、周囲を睥睨していた禍々しい輝きではなく、水面を照らし出す月光に似た淡いきらめきだった。

 

立ち尽くす吹雪に、“彼女”は力強い生と微笑みに近い優しさを湛えた瞳を向けた。その表情が―――鉄の仮面のように無機質だった蒼白の頬が、微かに歪んでえくぼを作った。

 

―――ありがとう。

 

それを最後に、ヲ級は揺れる北方の海に消えていった。その頬に伝う水滴は、飛び散った海水だったのか、あるいは―――

 

掴んでいた一ニ・七サンチ連装砲を手放す。その場に直立不動となると、吹雪は指先まで伸ばした右手を額に当てて敬礼した。

 

悲しみは湧いてこない。どう言い繕ったところで、“彼女”が自分たちの仲間を傷つけたことに変わりはなく、そんな相手を哀れむことなどできなかった。

 

が、同じ船として。今水底で眠りにつこうとする“彼女”を手向けるのは、至極当然のことだった。それはもしかしたら、駆逐艦“吹雪”から受け継がれた想いなのかもしれない。

 

十数秒の後、吹雪は右手を下げ、再び主砲を握る。主機を動かし、小さなカーブを描いて反転、待機している大和たちと合流を図る。

 

帰ろう。わたしたちも、自らの居場所へ。

 

彼の待つ、鎮守府へ。

 

 

 

ここに、熾烈を極めた北方作戦は終止符が打たれることとなった。傷付きながらも、人類の未来のため戦った少女たちが鎮守府へと帰還するのは、それから三日後のことだ。




これで、北方海域編無事終了となります

と、思ったのですが。年内に、次回以降に続く短いエピソードを投稿できればなと

当分は、既存の文章の見直しと改定を予定してます

それでは、次回もお楽しみに


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鎮守の海

次回に続く話です

結構短め(当社比)

今年はこれでラストです


統合海軍省

 

統合海軍省は、両世界の日本が保有する海上戦力を総括する組織だ。母体となったのは、旧防衛省の海上自衛隊で、ここに鯖日本側の海上戦力―――といっても、鎮守府の艦娘たちと輸送艦の類であるが、これを加えたものが、現在の統合海軍省だ。

 

その指揮下には、前述のように、大きく分けて二つの組織が所属している。海自と在日米軍の残存艦を集めた統合防衛艦隊、鎮守府とそこに所属する艦娘で構成される統合鎮守艦隊の二つだ。この二つは、統合海軍令部をトップとして二つに枝分かれており、お互いに干渉することはまずない。

 

ただ、防衛艦隊が軍令部直属の向きが強いのに対して、鎮守艦隊はその指揮系統から完全に独立した艦隊として成り立っている。最早、別の組織と言って問題ない。表向きには、アマノイワトを隔てている鯖世界において迅速な状況判断と対応行動ができるように、指揮権を分離したことになっているが、実際には現鎮守府長官のイソロク中将が強引に独立させた。これは、軍令部による犠牲を顧みない強硬な作戦遂行を阻止するためだった。

 

こういった経緯もあり、鎮守艦隊は各所からあらゆる場面で圧力をかけられた。それらを常に跳ね除けているのは、イソロク中将の尽力と艦娘たちの上げた多大な戦果によるものが大きい。

 

 

統合海軍省。鎮守府長官公室。

 

ノックの音と共に掛けられた入室許可を求める声に、イソロク中将は軽やかに答えた。それに応じて、ドアがゆっくりと開かれる。

 

「失礼します」

 

真面目一辺倒の声で一礼した参謀長に、イソロクは柔和な笑みを浮かべる。ピクリとも動かない表情のまま、マトメ少将はイソロクの前へと進み出た。その手には、一枚の紙が握られている。

 

「鎮守府のリュウノスケ大佐から報告が来ました。北方海域における作戦が終了したとのことです」

 

差し出された紙は、どうやら作戦結果について簡潔に記した速報らしかった。それをマトメから受け取り、上から読んでいく。

 

戦果と損害、鎮守府の現状、そして今後の対策。現在手に入っている情報を最大限かつわかりやすくまとめた報告書は、早さも相まって非常に有用だ。ほとんど不干渉であるとはいえ、鎮守府の最高運営権を持つイソロクにとっては、それだけの情報でも十分な切り札となる。

 

「成程。相変わらず、よくまとまってるね」

 

ひとしきり頷いてから、イソロクは顔を上げた。

 

「それで。君が直接持ってきたってことは、それなりに理由があってのことだよね」

 

普段あまり出張ってくることのないマトメの来訪に、イソロクは手を組んで疑問を投げかける。

 

「はい。三点ほど、今後予想される懸念について確認を」

 

相変わらず微塵も動かない表情で、マトメは指を三本立てて確認を求めた。

 

「一つは、鎮守府の現状戦力について」

 

「それは今読んだ通りだね。まともな戦力は残ってない」

 

報告書に書かれていた内容は、惨憺たるものだった。北方作戦の結果、鎮守府の戦力―――こと、主力である戦艦と空母の数が払底した。現在無傷の戦艦は一隻もなく、二週間から三週間後に予定される榛名、霧島の改装完了まで稼働可能な戦艦はゼロだ。空母についても、正規空母で動けるのは瑞鶴だけ、しかもその航空隊は五割損失という甚大な被害を受けており、戦力として復帰するには一月は軽くかかってしまう。

 

「二つ目に、今後の北方海域警備に割かなければならない戦力」

 

これは大きな問題だ。

 

北方海域の維持は、両日本政府と鎮守府が策定した戦争計画で規定されている。将来的には、鯖世界側のアメリカと接触を図り、鯖日本では魂を宿すことのできない米艦艇の艦娘を建造した上で反攻作戦を行う、その足掛かりとなるのが北方AL列島だからだ。この小さな島々を伝って、アラスカ経由で北米と連絡を取り合う。

 

今回の北方作戦で、深海棲艦は北の寒い海でも、活発に活動できることがわかった。同時に、AL列島深部に大規模な航空戦力の展開が確認され、陸上型深海棲艦の存在が濃厚となった。従来の三二空やキス島守備隊の兵力では、万が一この航空戦力が来襲した場合に十分な対処ができない。

 

「それは問題ないよ。新たに北方守備艦隊を配置し、三二空の増強も行う。その分の予算は取り付けた。代わりに、リ号作戦の遂行には念を押されたがね」

 

「それが三つ目です。現在の状況で、リ号作戦を遂行するのはリスクが伴うと考えますが」

 

「それは、鎮守府付き参謀の総意かね?」

 

イソロクの問い掛けにも、表情一つ変えずに、マトメは淀みなく答えた。彼は、鎮守府付き参謀を取りまとめる立場だ。

 

「無論です」

 

「そうか」

 

―――私は、いい参謀に恵まれてるねえ。

 

現在の日本―――地球側も鯖世界側も、状況はあまり芳しくない。艦娘の活躍によって以前に比べれば格段に改善されたとはいえ、それよりもさらに前、深海棲艦の現れる前とは比べるべくもない。そんな状況にあっても、正常な判断を持ってくる参謀たちは、優秀と言えた。

 

功を焦るのは厳禁だ。今まで積み上げたものを、一時に瓦解させかねないのだから。

 

だがしかし、それは軍事の判断にすぎない。

 

「作戦発動を遅らせてはいかがですか」

 

「それはできないよ」

 

ほんの少し、一ミリ動くかどうかでマトメの眉がピクついたのに、イソロクは気づいていた。

 

「鎮守府に予算と資材が回されているのは、深海棲艦との戦いにおいて大きな結果を残してきたからだ。だが、想定外の戦闘であった北方作戦の損耗で、数ヵ月前から計画されていたリ号作戦を延期するようなことがあれば、どこから何を言われるかわかったもんじゃない」

 

「現在確保している、鎮守府の独立性が損なわれる、と?」

 

「最悪の場合ね」

 

「考え過ぎでは?」

 

「考え過ぎだと思うよ。それでも、難癖を付けられる隙は見せるべきじゃない。それに、どっちにしろこの先鎮守府を運営していくには、リ号作戦の成功が欠かせないしね」

 

イソロクの言葉に、マトメはじっとこちらを窺ってくる。それからやはり表情を変えずに、口を開いた。

 

「その点については、了解しました。各参謀にも、そのように伝えます」

 

「お願いするよ」

 

「それと、リュウノスケ大佐への説明も私から」

 

イソロクはわずかに眉をひそめた。

 

「それぐらいは私がやってもいいのだが・・・」

 

「憎まれ役は、一人で十分ですので。それは私の仕事です」

 

顔の筋肉が微塵も動かずに淡々と言った。変なところに頑固さと使命感を持っている参謀長に、イソロクは溜息を吐くしかなかった。それから仕方なく頷いて、了承する。

 

「それじゃあ、そっちも頼むよ」

 

「はっ」

 

短い答えと共に、報告は終わった。

 

 

鎮守府は、束の間の静けさに包まれている。もっとも、損傷した各艦娘の艤装の修復に追われている工廠部は、いつもより賑やかで、まさに蜂の巣をつついたようだ。

 

紅葉にはまだ程遠いものの、秋になろうというこの季節、外は少し強めの風が吹いている。時折窓をカタカタ震わせる風の中、同じくらいカタカタとぎこちない動きで、吹雪は廊下の一か所に立っていた。緊張のためか肩に変な力が入り、このような状態になってるわけだ。

 

やっとの思いで筋肉を動かすと、木製の扉をノックする。自らが滑稽に見えるぐらい軽快な音が、廊下に鳴り響いた。それがまた、吹雪の緊張を増す。

 

―――どど、どんな顔をすれば・・・。

 

吹雪が叩いたのは、執務室の横、司令官の私室の扉だ。吹雪たちが生活する艦娘寮と同じ、畳の敷かれた八畳の部屋に、吹雪は過去一度、入ったことがある。その時も似たような緊張状態だったが、あの時とは少し違うことに、吹雪自身も薄々気づいていた。

 

―――大丈夫。落ち着いてわたし、これはお茶に誘われただけ、それだけだから。

 

北方作戦から帰還して、艤装の修復に移った吹雪を、司令官は個人的に呼び出した。それが、今回のお茶の誘いだ。

 

「どうぞ」

 

和やかな声と共に扉が開き、中から司令官が顔を覗かせた。緊張がマックスの吹雪は、反射的に敬礼をしてしまった。

 

「ふ、吹雪、参りました!!」

 

―――ああもう、わたしってば!!

 

頭を抱えそうになるのをなんとか堪える。司令官は苦笑して、おどけた敬礼をしていた。

 

「歓迎するよ」

 

「は、はいぃ」

 

自然と尻すぼみになってしまった。

 

「まあ、上がって。今お湯沸かすから」

 

入り口で靴を脱ぎ、それを揃えた吹雪は、司令官に薦められた座布団の上に落ち着かなく腰を下ろす。部屋は小ざっぱりしたものだ。目の前のちゃぶ台と、他に書き物用と思われる机が一つ。お茶やコーヒーを入れるための道具は棚に一まとめにされていた。後は小さめの本棚と、箪笥、それと押し入れ。お陰で、八畳の空間が随分広々としたものに感じられた。

 

「御茶請けは何がいい?」

 

ポットのスイッチを入れた司令官が尋ねる。

 

「お団子とかどうかな」

 

「お団子ですか?」

 

「うん、みたらしだけど」

 

吹雪の大好物である。

 

「・・・いただきます」

 

「了解」

 

「手伝いますよ?」

 

「いいよ。今回は吹雪がお客さんなんだから、ゆっくりくつろいでて」

 

やんわりと押しとどめられる。一度浮かしかけた腰を、吹雪はもう一度降ろして座布団の上に落ち着いた。

 

お茶請けのお団子をお皿に出していると、ポットのスイッチが切れて、お湯が沸いたことを知らせた。それを確認するなり、司令官は楽しそうにお茶を淹れ始める。ポップな鼻歌まで聞こえてきた。

 

その背中を、吹雪はほうっと見つめている。

 

―――こういうのも、いいなあ。なんだか、

 

夫婦みたい、という感想を思い浮かべる前に、ふるふると頭を振った。まずい、この思考の方向はまずい。

 

「お待たせ」

 

お茶とお団子を持ち出した司令官が、にこやかにちゃぶ台へと置く。温かく薫り豊かな湯気が、二つの湯飲みから仲良く立ち上っていた。艶のあるみたらし団子も、食欲を誘った。思わずお腹の辺りを抑える。

 

司令官が着席するのを待って、二人同時に手を合わせる。少々熱いくらいの湯飲みを手に取って、一口啜った。のどかな陽気に、自然とため息が漏れる。それから、目の前のお団子に手を伸ばした。

 

「おいしいです」

 

「それはよかった」

 

笑う司令官に、吹雪も微笑み返す。もう一口、その丸くもちもちしたものをかじった。

 

しばらく、お互いに雑談を交えながら、お茶を飲んでいた。

 

湯飲みの中身が幾分かぬるくなった時、司令官がようやく本題を切り出した。

 

「吹雪、報告のあった件だけど」

 

「・・・はい」

 

お茶で唇を湿らせた後、吹雪も居ずまいを正す。報告書に書くべきかどうか悩んだ結果、帰還後に口頭で伝えた内容の詳細を求められたのだ。

 

どうやら、あの判断は正しかったみたいだ。

 

「深海棲艦の声を、聴きました」

 

吹雪が話し出す。残存敵機動部隊に突撃したこと、ヲ級と遭遇したこと、声が聞こえたこと、撃沈したヲ級の穏やかな表情。

 

司令官は、口を挟むことなく、吹雪の話を聞いていた。ただ静かに、吹雪の目を見ていた。

 

「―――詳細は、こんな感じです」

 

「・・・なるほど」

 

「あの、信じてもらえるとは思ってません。それに、今回のことで戦闘ができなくなったとか、そういうこともないんです。でも、」

 

「信じるよ」

 

吹雪の言葉を遮るように、司令官が力強く断言した。その顔には、優しげな笑みが浮かんでいる。

 

「吹雪の言うことは全面的に信頼してる」

 

それから、その手がゆっくりと伸びてきた。吹雪の頭の上にポンと着艦した大きな手は、その後何度か頭を叩いて、そっと撫でた。

 

「お疲れさま」

 

「~~~っ」

 

突然の出来事で、顔が火照る。面と向かって頭を撫でてもらうのは、随分と久しぶりのことのように思えた。

 

「・・・吹雪は、どう思った?」

 

離れていく手を名残惜しく思いながらも、吹雪は首を傾げて、思考モードに入る。

 

「・・・わたしたち艦娘も、船の魂なんですよね」

 

「そうだね」

 

「だとしたら、深海棲艦が、同じような存在でもおかしくないのかな、って」

 

手を組んだ司令官が、小さく頷いた。

 

「残念ながら、深海棲艦の正体についてはまだよくわかっていないからね。だから、俺たちは考察するぐらいが精々なんだ。その中にはね、深海棲艦が『海で沈んでいった船や人間の怨念なんじゃないか』っていう説もあるんだ」

 

どこかで聞いたような話だと、吹雪は思った。

 

「当時は突飛すぎる発想だって言われてたし、俺もそう思ってた。でも、こっちに来て、妖精さんや艦娘と出会って、あながち間違いじゃないのかもしれないと思ってる」

 

深海棲艦は、沈んでいった船の怨念。その考えにどこかしっくり来てしまうのは、自分が“彼女”と直に触れてしまったからだろうか。

 

“彼女”の頬に伝っていた涙と、沈みゆく澱の取れたような瞳。鮮明に焼き付いた、その表情。

 

「・・・“彼女”は、帰るべき場所に帰ったんでしょうか」

 

吹雪の言った“彼女”が誰か理解したのか、司令官は曖昧に「どうだろうね」と答えた。

 

「深海棲艦のいく場所は、天国なのかな」

 

「・・・海じゃ、ないですか?」

 

吹雪の言葉に、司令官が目を見開いた。

 

「“彼女”は、ただ静かに、海に帰りたかっただけなんじゃないかな、って・・・なんとなく、そんな気がするんです」

 

しばらく、司令官は瞬きもせずに吹雪を見つめていた。それからその相好を崩して、もう一度頭を撫でる。暖かな手のひらに撫でられながら、吹雪は尋ねた。

 

「・・・これは、何の頭なでなでですか?」

 

「うーん、特に深い意味は・・・。俺が撫でたいだけじゃダメかな?」

 

―――も、もう。そんな言い方ズルいです。

 

先程よりも強く、熱くなった頬を意識しながら、吹雪は思った。

 

「お帰り、吹雪」

 

この柔らかな日差しに包まれる鎮守府が、わたしたちの帰るべき場所だ、と。




今年も終わりとなりました

来年も、どうぞよろしくお願いいたします


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西方からの来訪者
始まりの予感


お久しぶりです

今回から新編のスタートとなります

新シリーズは早めに畳みたいけど、どうなるのかしら・・・

またどうぞ、よろしくお願いします


一年と半年前の話をしましょう。

 

わたしと、わたしたちの司令官が出会った日のことを。それから始まった、わたしたちの戦いの日々を。

 

振り返るには、丁度いい頃ですから。

 

わたしは吹雪。特Ⅰ型駆逐艦、一番艦“吹雪”です。

 

 

 

人類最初の艦娘となったわたしは、実は司令官よりも数日早く、鎮守府に着任していました。

 

身寄りの無かったわたしは、軍の新型兵器―――艦娘になる資格があると通知が来たとき、二つ返事で了承しました。わたしを引き取ってくれていた施設の園長さんは反対していましたが、わたしはどうしても行きたいのだと、なんとか説得しました。

 

施設を出る日、涙を流して見送ってくれた園長さんと、友人たちのことは、今でもよく覚えています。皆、今でも元気でしょうか。

 

わたしが艦娘になりたかった理由は―――もう少し、後で語ることにしましょう。

 

施設を出て数ヵ月。艦娘としての基礎訓練を終えたわたしは、自分に与えられた“吹雪”の名と艤装と共に、鎮守府に着任しました。

 

 

統合海軍省。参謀会議室。

 

地球ではなく、鯖世界の地図が広げられた机で手を組む上官に、提督は抗議を始めた。

 

「現在の鎮守府に、リ号作戦を遂行する余力はありません」

 

「そうか」

 

上官は全く動じた様子を見せない。内心から噴き出そうになる怒りを情報将校の技術で押さえつけて、提督はさらに続けた。

 

「作戦発動を見送っていただきたい」

 

「それはできない」

 

「なぜです?」

 

体が自然と前のめりになる。が、マトメ少将は顔色一つ変えることなく、提督の目を見ている。それから、物わかりの悪いやつだとでも言うように、理由を説明し始めた。

 

「そもそも、北方作戦はやるべき作戦ではなかった。イレギュラーに対処しただけだ。それに対し、一月後のリ号作戦発動は、既定の作戦計画だ。中止するわけにはいかない。それこそ、鎮守府の沽券に関わる」

 

「沽券のために、鎮守府の戦力が枯渇しては、元も子もありません」

 

「言い掛かりだな。私は、現状戦力でも作戦遂行は十分可能だと考えている。その上で、本来の計画よりも二週間長い猶予を与えたんだ」

 

「最低でも、もう二週間は伸ばしていただきたい」

 

両者一歩も譲らない。マトメは表情をそのままに、背もたれに体重を預けた。

 

「これ以上は無理だ。大体、本作戦を成功させなければいけないことは、貴様が一番よくわかっているだろ」

 

提督は沈黙を選んだ。マトメの追及は続く。

 

「この作戦の成功がなくては、西方航路の確立はありえん」

 

「作戦成功には万全を期すべきです」

 

「物事に万全などない。万全を待ち続けていては、その前に全ての資材が尽きるぞ」

 

今度こそ、二人は黙った。一分近い沈黙が、会議室に満ちる。

 

この参謀長が、一度言い出したことを曲げるような人物でないことは、提督もよくわかっていた。同時に、この人の言っていることこそが、鎮守府司令部―――司令長官と参謀たちの総意だということも理解している。それでも、あれだけの作戦を実行した後に、すぐさま大規模な輸送作戦を実施することは、少々どころではない無理があった。

 

そもそも、北方作戦はリ号作戦による影響を色濃く受けていた。リ号作戦において、輸送船団直衛となる巡洋艦戦力は、なんとかぎりぎりの数を整えている。だが、戦艦と空母なくして、リ号作戦の完遂は叶わない。

 

「・・・わかりました」

 

提督が神妙に口を開いた。

 

「リ号作戦を、一月後に実施します。ただし、作戦の遂行については、鎮守府に全権をもらいます」

 

「作戦を遂行してもらえるのなら、構わない。そもそも、我々は、鎮守府の作戦立案には一切口出ししない」

 

話は終わりだな。そう言って切り上げたマトメに一礼して、提督は会議室を後にする。せめてもの抗議にと、廊下に高らかな靴の音を鳴り響かせて、足早に歩いて行った。

 

 

「やっぱり、ダメでしたか」

 

アマノイワトから出てきた提督を、ユキは残念そうな声音で出迎えた。

 

「ああ。まあ、ある程度予想できてたことではあるんだけどね」

 

低いモーター音と共にゲートが閉じると、提督は苦笑して帽子を目深にした。二人の将校は、並んで歩き出す。

 

「こっちは曇りか」

 

建物の外に広がる空を見上げて、提督はぽつりと呟いた。あちら側の天気は快晴で、秋になろうというのに真夏日を記録していた。

 

「気温が丁度いいので、基礎訓練向きでした」

 

「そうか。俺は最近走ってないなあ」

 

「なまってると、駆逐艦の皆に笑われますよ」

 

「たまには走るかな」

 

「そうしてください」

 

このところ凝り気味の肩から首筋を気にして、ふと思う。そういえばこの辺りは、艦娘に人気のランニングスポットだった。

 

T字になった道の合流点に差し掛かった時、案の定向こうから走ってくる一団がいた。基礎訓練用の運動着とジャージであるから、見紛いようもなく艦娘であることがわかる。先頭の娘には、見覚えがあった。

 

「あ・・・て、提督」

 

鉢巻はしていないが、トレードマークのリボンが揺れている。軽巡洋艦の神通だ。彼女の艤装はまだ修復中だから、海に出れずに体を持て余しているのだろうか。

 

その後ろに続く艦娘は、見かけない顔だった。否、もちろん鎮守府を預かる提督には、誰であるかはわかる。ただ、鎮守府内では今まで見ない顔だ。つい数日前、正式に着任した艦娘たちだった。

 

神通が止まって敬礼したことで、後ろに続いていた艦娘たちも走りを止める。肩で息をしながらも、直立不動となり、緊張の見える顔で神通に倣った。その様子に、提督は微笑し、答礼する。

 

「いいよ。今はそんなに畏まらなくて」

 

神通に目配せすると、頬を綻ばせて腕を下ろした。それを合図に、三人の新任艦娘たちも筋肉を弛緩させる。と同時に、大きく息を吸い込んだ。

 

「はー、心臓止まるかと思ったー」

 

脱いだジャージを腰に巻いた娘―――阿賀野が、息をついて額の汗をぬぐった。その様子を、もう一人―――能代が窘める。三人目の矢矧は、足を解してタオルで汗を拭いた。

 

彼女たちは、阿賀野型軽巡洋艦娘。神通たち川内型に続く、最新鋭の水雷戦隊旗艦軽巡洋艦娘だ。本来は四人の同型艦がいるのだが、最終艦の酒匂は、まだ艤装が完成していない。

 

「自主練かな?」

 

提督の問いに、神通が頷く。

 

「はい。艤装がなくて、体を持て余してましたので・・・陽気も、走るのに丁度よかったですから」

 

そこで、ジャージに着替えて寮を出たところ、阿賀野たちがいたとのことだ。

 

「神通先輩が走るそうなので、ご一緒させてもらおうと」

 

答えた矢矧が、一番楽そうだ。他の二人―――特に阿賀野は、結構息が上がっている。

 

「阿賀野は一周って言ったのに、いつの間にか三週目に入ってるし」

 

「阿賀野姉はもっと走りなさいよ」

 

「えー、やだー」

 

どちらが姉かわからないやり取りに、二番艦の二人が苦笑する。

 

「どうだ、三人とも。鎮守府には、もう慣れた?」

 

「ええ、先輩の皆さんが、ほんとによくしてくださって」

 

「ご飯もおいしいしねー」

 

「もう、阿賀野姉ったらそればっかり」

 

それぞれの答えに、提督も雪も神通も、満足げに笑った。神通の頬には、照れだろうか、少し赤みが差していた。

 

「引き留めて悪かったね」

 

「いえ。それでは、失礼します」

 

「ほら、行くよ阿賀野姉」

 

「えー、疲れたー」

 

「パフェ食べ過ぎるから・・・」

 

何だかんだと文句を言いながらも、三姉妹仲良く走っていく。どこか、川内型に重なるところがあった。その後姿に手を振って、二人は再び歩き出す。

 

「今回も、新任歓迎会は賑やかになりそうだね」

 

「いつも通りです」

 

ユキが笑う。

 

今回、新任艦娘は阿賀野型三人に加えて睦月型の弥生、卯月が着任している。五人が五人とも、個性的な面子だ。さらに来月には、最新鋭駆逐艦の夕雲型が三、四人着任予定だった。

 

「俺も、彼女たちを見習わないとな」

 

「そうしてください。それと、最近顔を出してくれないって、鳳翔さんが寂しがってましたよ」

 

軽空母“鳳翔”が、週三日開けている食事処は、彼女たっての願いで提督が許可した、鎮守府内の飲食店だ。特に大型艦―――年齢が上の艦娘たちに人気で、何かの祝い事や飲み会があるときは、ここに集まる。中には、那智や足柄のように、食事後の純粋な飲みとして、一人、あるいは少人数で入るものもいる。さらに言えば、司令部から視察に来た参謀にも人気で、大酒飲みで知られるタモン少将も気に入ってよく飲んでいた。

 

ここのところ、作戦後の後処理や、輸送船団との日程の折り合い、新たな作戦の前準備と忙しく、顔を出せていない。

 

「今日辺り、行くか」

 

「お、じゃあお前の奢りな」

 

「ん?」

 

突然した声の方向を、二人して向く。そこには、首からタオルを提げ、ペットボトル片手にベンチに腰掛ける水雷参謀の姿があった。

 

「ライゾウ先輩・・・なにやってるんですか」

 

「神通たちと走った。疲れた。休んでる」

 

「端的な解説をありがとうございます」

 

ユキが半目で答える。あまり冷えてなさそうなペットボトルの中身をもう一度煽ったライゾウは、よっこいせと立ち上がって、二人に近づいた。

 

「いや、北方作戦中全く走ってなかったから、体力落ちた」

 

「日々の鍛え方が甘いんです」

 

「うるせいやい」

 

ちなみにユキは、暇さえあればよく駆逐艦たちの自主練に参加しているので、体力はあまり落ちていない。

 

「それで、時化た顔してるってことは、ダメだったのか?」

 

「ああ、まあな」

 

「参謀長は頑固だしな。おまけに、何考えてるのかよくわからん」

 

さすがは黄金仮面。司令部で参謀長を揶揄するあだ名を呼んで、ライゾウは提督を見据えた。

 

「てなわけで、これから、また作戦会議だろ?」

 

「そうだ。せっかく、お前に残ってもらってるしな」

 

「いいんだよ、こっちにいると手当が付くし。それに飯もうまい」

 

あっけらかんと言って見せるライゾウに、ユキが嘆息する。その様子に、提督は苦笑した。

 

「作戦室の準備は整ってる。まずは俺たちだけで、大まかなところを決めようぜ」

 

 

 

電灯のついた作戦室には、三人の将校が詰めている。普段の、戦術的な詳細を詰める作戦会議ではなく、作戦の大まかな骨組みを決める会議だからだ。ただし、工廠部と輸送船団の取り仕切りとして、明石と大淀には加わってもらっている。

 

「まずは、作戦目的から説明する」

 

海図台に広げられた地図を俯瞰して、提督が口を開いた。地図の範囲は、いつものものよりも広い。今回の作戦―――リ号輸送作戦を遂行する西方海域を表示するためだ。

 

「リ号作戦の目的は、西方海域に眠る資源の確保と大規模輸送だ。作戦は三段階に分かれている。第一に、高速打撃部隊と対潜部隊を中心とした前路掃討作戦。第二に、過去最大の規模となる輸送船団と、これの護衛艦隊を編成しての輸送作戦。そして第三に、同時に出撃した機動部隊と砲戦部隊による、西方艦隊の撃滅だ」

 

赤、青、緑、三つの色で、各作戦段階を担当する艦隊の大まかな動きが書き加えられる。台湾を経由した各艦隊は、インドネシアを通って、その先のリランカ島周辺海域まで進出している。

 

そこで首を傾げたのは、明石だった。

 

「あの・・・根本的な質問をいいですか?」

 

「もちろんだ。どんどん聞いてくれ」

 

「そもそも、どうしてリランカ島まで進出するんですか?資源獲得だけなら、インドネシアまでで十分ですよね?」

 

明石が指差したのは、大陸の南に浮かぶ島だ。ベーグル湾にぽつりと浮かぶその島には、確かに資源が眠っているものの、わざわざ取りに行く必要は感じられない。第一、採掘施設も港湾施設も整えられていないはずだ。

 

「将来を見越した作戦だ。もっとも、優先度は低いが」

 

そう言った提督の後を引き継いだのはユキだ。

 

「リランカ島には、西方海域でもあそこでしか手に入らない貴重資源があります。そしてそれは、高速修復剤の改良に関わるんです」

 

「なるほど、ユズルさんが言ってたやつですか」

 

明石が得心したように頷いた。ユキの説明は続く。

 

「それと、将来的に中東からの石油輸入も復活させなければなりません。その際のことを考えれば、リランカ沖の敵性艦隊を排除しておくことは、今後発動が予想されるカスガダマ島攻略作戦への大きな布石になるんです」

 

鯖世界と地球には、不思議な関連性がある。それは、それぞれの世界に展開する深海棲艦の勢力圏が、完全に一致するということだ。例えば、現在鎮守府のある鯖世界側の日本は、本土近海の制海権を完全に回復している。するとどういう訳か、地球側の日本近海からも、深海棲艦が姿を消すのだ。現在では、民間船もある程度自由に航行できるまでになった。

 

理屈はよくわかっていない。バタフライ効果だのカオス理論だの色々と言われているが、そういった理論的なことは、この場にいる全員の専門外だ。

 

「結構重要に聞こえるんですが、なぜ優先順位が低いんですか?」

 

明石がさらに尋ねた。

 

「中東の現状がまだわかりませんから。交易を開ける状態かどうかがわからない限りは、輸送路の回復を優先できません。現在の海運網維持を優先します」

 

これは、大陸との航路回復時の教訓から来たものだ。日本海の深海棲艦を排除した鯖日本政府は、早速大陸との交易を再開しようとした。ところが、当の大陸は、航路封鎖による物資の途絶や、寒波の発生から、少ない食糧を巡る紛争が勃発しており、航路回復時ですでに十年近くも戦い続けていた。再開の見込みがなかった港湾施設は軒並み寂れ、手入れもされていなかった。

 

なんとか機能を維持している港を見つけ、今はそこを通して交易を行っているが、当初の想定を遥かに下回る、かなり限定されたものとなっている。

 

地球側はもっと複雑だった。中国は、共産党への不満を抑えるため、これ以上食糧事情を悪化させないようにと、鎖国に近い状態となっていた。朝鮮半島では北朝鮮が暴走、一時韓国と戦争状態にまで陥り、現在はロシアの仲介で休戦中となっている。そのロシアも、ヨーロッパ側とアジア側で小競り合いが頻発している始末だ。ここに、世界的通信障害が拍車をかけている。

 

そして、どちらの世界でも、中東やヨーロッパの情勢を知ることはできなかった。地球側も鯖世界側も、大陸の国家は自国のことだけで精一杯であり、他国のことなど詳しく知るはずもなかった。

 

同じ轍を踏むわけにはいかない。情報は何よりも大切だ。

 

「でもって・・・。ここまでは、“当初の”リ号作戦の概要だろ?」

 

ライゾウは断定的な口調で、提督とユキに尋ねた。二人が頷き、代表してユキが話を続ける。

 

「北方作戦の結果、リ号作戦の完全遂行、特に第一、三段階の遂行が困難となりました」

 

明石に提出してもらった『艦娘入渠状況』を、タブッレトから海図台に反映させる。その半分以上―――殊に、大型艦の欄は、文字で埋め尽くされていた。つまりはそのほとんどが、現状で行動できないことになる。

 

「稼働可能な戦艦はゼロです。二週間後に榛名と霧島の改装完了が予定されていますが、それ以外は一月は動けません。作戦発動までに回復できるのは、どう頑張っても伊勢と日向だけです」

 

「大和は?彼女はほとんど損傷していなかったはずだが」

 

ライゾウの疑問に答えたのは明石だ。

 

「大和型の艤装修復は、今回が初めてです。予想外の事態も、十分に起こりうると思います。それに、大和型の艤装は、輸送作戦向きではありません」

 

工廠部らしい指摘だった。現状、外洋において大和型の艤装を扱える艦娘母艦は“呉”一隻だ。現在定期整備中の“呉”の装備類なら、満足に大和型を扱うことができる。

 

が、当然制約も多い。何といっても、大和型の艤装は巨大で、専用の整備工具等も含めると、駆逐艦六隻分の格納スペースを占拠する。どこかに拠点を構えて攻略作戦を遂行するならまだしも、移動する輸送船団を航空機や通商破壊部隊、潜水艦から守るなら、大和型一隻より駆逐艦六隻の方が遥かに有用だ。

 

「空母はどうだ?」

 

「こちらは、何とか整えることはできます。ただ、正規空母は軒並み行動不能なので、軽空母を主軸とした防空部隊になるかと」

 

「まあ、そうだよな・・・」

 

話の腰を折ってすまなかった、とライゾウが謝り、ユキもまた提督に続きを託す。頷いた提督は、海図を指差して、そのいくつかに×を入れた。

 

「これらを元に検討した結果、リ号作戦の規模を縮小することにした」

 

「具体的には?」

 

最初に聞いたのは大淀だ。輸送船団の総括を任されている彼女からすれば、この作戦の何を縮小するのか、気になるところだろう。

 

「第三段階は全面的に削除。その上で、第一、二段階を統合し、輸送船団の守りに徹する」

 

「前路掃討を行わない、と?」

 

「前路掃討部隊と、輸送船団本隊の間隔を、計画よりも短くする。むしろ、ほとんど合併させる」

 

「それは危険ではありませんか?前路掃討部隊は、輸送船団を背負って戦うことになります」

 

大淀も、自らの意見は遠慮なく述べる。提督はその一つ一つに真摯に答えた。

 

「むしろ、現状戦力では二つに分離する方が、各個撃破の危険があると判断した。ならば背水の陣になるとしても、守りを一カ所に固めた方がリスクは低い」

 

「どちらにしろ、航空戦力の低下は否めません。敵機動部隊の空襲を受けた場合、それを守ることはできても、敵機動部隊を叩く術がありません」

 

大淀のさらなる指摘に、何かを得心した様子だったのは、その隣の明石だった。大げさに柏手を打つ。

 

「なるほど、それで“アレ”の準備をさせてたんですね?」

 

“アレ”ってなに?との疑問符は、提督と明石を除いた三人から吹き出た。

 

「そういうことだ。また話の腰を折ってすまないが、錬成はどの程度進んでる?」

 

「もともと、鷹娘の資質もありましたからね。基礎訓練は終わってますから、二週間後にはほとんど完了予定ですよ」

 

「なんの話だ?」

 

話についていけない三人を代表して、ライゾウが尋ねた。提督が頷くのを見ると、明石はユキからタブレットを借り受け、新しい情報を海図台に表示する。

 

映されたのは、一枚の写真と設計図だ。一目で船だとわかるが、その甲板はまるで空母のようにまっ平らで、右舷中央付近に申し訳程度に艦橋があるだけだ。が、その割りには艦型が小さく、ずんぐりとしたシルエットからは、軍艦というよりも、輸送船に近い印象を受けた。

 

「これって・・・」

 

三人とも、この船には見覚えがあった。なにせ、三ヶ月前に竣工したばかりのこの船は、現在鎮守府の港湾施設に陣取っているのだから。

 

「航空支援母艦“鹿屋”・・・?」

 

船の種別と名前を、大淀が口にした。

 

改めて、明石が説明を始める。その口調はどこか得意気だ。

 

「この、航空支援母艦“鹿屋”は、艦娘の航空支援を目的とした、謂わば移動航空基地、浮かぶ飛行島ですね。艦娘収容能力は低いですが、代わりに浮いたスペースを、洋上での基地航空隊運用に必要な設備と格納庫に割り振っています」

 

設計図に記されている、艦の全長の半分を越えるスペースを指差して、明石が言った。そこが、格納庫と航空管制室などが入っている場所だ。

 

「搭載数は約百機。一一航艦には劣りますけど、それでも正規空母一隻より上です」

 

「でも、“鹿屋”で航空隊を運用するには、鷹娘が必要ですよね」

 

大淀の疑問はもっともだ。

 

現在、鯖日本全体で十人の鷹娘がいる。しかしこれでも、防空体制としてはギリギリだ。一応、キス島を担当していた“神鷹”は、今手空きとなっているが、三二空の強化と再展開が決まったことで、新しい航空隊の錬成が待っていた。つまり、現状では“鹿屋”航空隊を運用できる鷹娘がいないはずなのだ。

 

しかし明石は、問題なしと言いたげに、片目を瞑った。

 

「航空隊の管制は、艤装修復中の飛鷹さんにやってもらいます。彼女は、一応鷹娘の資格も持ってましたので」

 

「飛鷹さんに?」

 

「式神型の航空機運用艤装は、鷹娘の操る基地航空隊と非常に近いんです。そこで今回は、艤装修復が作戦に間に合いそうになかった飛鷹さんに白羽の矢が立ったんです。すでに、慣熟訓練に入ってもらってます」

 

ね?そう確認を取る明石に、提督が首肯する。二週間前、北方作戦終了から一週間後に、この方針を指示したのは、他ならぬ提督だった。

 

「この“鹿屋”航空隊と、残存の軽空母部隊、ここに修復完了した水上部隊を加えて、輸送船団を守り抜く。これを、改定リ号作戦の骨子としたい」

 

新たなリ号作戦の基本方針を、提督はそう示した。




基地航空隊出したいんだけど、艦これだと出しにくいのよね・・・

でも基地航空隊書きたい・・・一式陸攻で雷撃したい・・・

そんな、作者の身勝手な理由から、航空支援母艦という艦種が誕生しました(おい)

それと、新シリーズ(西方海域編)は、本文の前に、吹雪の回想を入れていこうと思います。実験的試みなので、どうなるかはよくわかりません(ちょい待て)

また次回もお楽しみに

(あれ、そういえばビスマr・・・協力勢力は何やってるんだろう?)


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進化する鈍色

どうもです

こちらの更新速度も上げたいところ

さて、作戦発動までどれくらいかかりますかねえ?(疑いの目)

今回も、吹雪の回想があります


鎮守府に着任したとはいっても、当時は色々な施設が未完成で、司令官すら着任していませんでした。上官の許可がなければ艤装を着けることもままならず、毎日鎮守府や艤装の掃除をして過ごしていました。

 

司令官が着任するのは、それから一週間後のことでした。

 

着任の日をユズル工廠長から聞いたわたしは、朝から逸る気持ちを押さえられずに、身だしなみを整えて、早速司令官の出迎えに行きました。“アマノイワト”の施設はわかってましたし、すぐに行けると思ってました。

 

これが、まったくもって大失敗だったんです。

 

“アマノイワト”までの道は、今でも迷子が出るくらいわかりにくい場所です。ましてわたしは、鎮守府で最初の艦娘でしたから、施設旅行なんてまともにやってませんでした。

 

と、いうわけで。この時わたしが、艦娘の迷子第一号になったことで、後で着任する娘たちには、必ず旅行がされるようになりました。

 

 

微速前進の主機が、整備したての軽やかなリズムを打っている。足を伝うその感覚に、一種の安堵感を覚えて、吹雪は速力を上げた。今度は半速だ。

 

鎮守府沖、演習海域。北方海域の決戦が終わって、すでに一月だ。損傷の程度が軽かった艤装は次々に修復を完了しており、徐々にではあるが、鎮守府の戦力は復旧しつつある。最後のヲ級との激戦を潜り抜けた吹雪の艤装も、一週間前には修復と整備を終えていた。

 

「いい風・・・」

 

大きな伸びをする。吹いた風が首筋を通り抜け、初秋の涼しさを吹雪に知らせた。

 

「・・・よしっ」

 

気分も快調となった吹雪は、主砲と一緒に首から提げている観測機器を確かめて、記録船の扶桑からの連絡を待った。

 

今日は、吹雪の演習ではない。改装を終えた二人の高速戦艦娘―――榛名と霧島の新型艤装の公試だ。一昨日、全ての工程を終えて出渠した二人の艤装は、昨日すでにフィッティングを行い、晴れて今日、その姿を洋上に浮かべることとなったのだ。

 

新たに就役したわけではないので、普段は様子見も兼ねて試射を行い、その様子を扶桑が見守ることになっていた。実際、二人の姉に当たる金剛と比叡の時は、そうしていたのだから。

 

しかし、今回はそうもいかなかった。何せ、肝心の扶桑の艤装は大破状態であり、現在工廠部で修復と改装が行われているのだ。北方作戦時に、新式の戦艦主砲システム―――既存のものと同口径でも、より高い威力を発揮可能な新型主砲への換装が間に合っていなかった扶桑型の艤装に、これらシステムを組み込むため、その修復には一月半か、長ければ二月掛かると見積もられた。つまり、あと一月は出て来られない。

 

さて、それでは、新型艤装の二人の試射はどうしようか。扶桑は記録船から見守ると言ったが、そこには自ずと限界がある。艤装を着けていない状態での、戦艦娘への過度な接近はご法度だ。爆風でどうなるか、わかったものじゃない。

 

そこで、白羽の矢が立ったのが、大和の公試時に、記録係を務めた吹雪だった。観測機器の扱いにも慣れているし、記録船からでは捉えにくい射撃時の挙動や爆風の影響を、細かに観測、記録することができると見込まれての指名である。

 

さすがに、弾着の様子は観察できないので、そちらは一一航艦から観測用の九六陸攻を回してもらうことになった。

 

その、九六陸攻の羽音が、後方から聞こえ始めた。唸る金星発動機がペラを高速回転させ、普段は対潜哨戒を主任務とするスマートな機体を、演習海域の上空へと導く。見上げた吹雪は、研ぎ澄まされた刃のような機影を眩しげに見つめていた。

 

『観測機の到着を確認しました。これより、主砲射撃演習を始めます』

 

通信機から聞こえたのは、落ち着いた女性の声だ。吹雪との付き合いも長く、いわば鎮守府戦艦戦力の立役者と言える、最古参の戦艦娘。今回も、新型艤装の試射に立ち会い、その講評とアドバイスをするのが、扶桑の役割だ。

 

『各艦、所定の位置についてください』

 

扶桑からの号令で、三人の艦娘が分かれる。榛名と霧島が、吹雪へ「よろしくね」と、揃ってウィンクをした。

 

すでに、二万先の海域に、射撃目標となる模造船が浮かんでいる。今回も、手書きのル級が描かれた板が掲げられており、二人の戦艦娘の失笑を買っていた。ちなみにこの伝統、扶桑の射撃訓練にあたって、吹雪たち十一駆が手作りしたのが始まりだ。

 

『榛名、霧島、位置に着きました。諸元入力、始めます』

 

二人の戦艦娘の測距儀が、その役目を果たす。吹雪は手元のストップウォッチを眺め、諸元計算のタイムを計る。入力完了の報告と共にストップウォッチを止め、記録を書き留めた。新型艤装の計算装置も、性能は上々だ。

 

榛名、霧島の改二艤装は、金剛、比叡とほとんど同様のものだ。が、改装時期が遅いため、その分、各所に改良が加えられている。工廠部では、金剛型艤装後期型と呼んでいた。

 

特に大きいのが、新型射撃計算装置と冷却装置だ。

 

大和に搭載された新型計算装置は、その実績を持って性能を証明していた。金剛と比叡には見送られたその搭載が、改装中に決定されたのだ。これで、射撃諸元計算の誤差とロスを小さくできる。

 

もう一つ、冷却装置は、金剛と比叡の際に指摘されたものだ。斉射間隔の短縮により、砲身加熱の抑制の必要が生じた金剛型だが、前期の二人に搭載されているものは十分に熱を逃がすことができず、結果として連続斉射は限界で五分、実用的には三分程度とされている。その反省から、工廠部は新しい冷媒を開発、これの搭載に踏み切った。計算では、連続斉射の保証時間が八分に伸びている。

 

これらの改良点は、現在入渠、修復中の金剛と比叡の艤装にも反映される。

 

諸元入力を確認したことで、主砲の発射を告げるブザーが鳴り響いた。先に撃つのは、榛名だ。

 

ブザーの停止から一拍。榛名の主砲が、試射のため初弾斉射で放たれる。

 

長三六サンチ砲が咆哮し、大気を震わせる。球状に広がった衝撃波が海面にぶつかると、クレーターを産み出して、さざ波を一瞬打ち消した。

 

十数秒後、標的の周りに弾着の水柱が立ち上った。美しい海水のオベリスクを眺めている間もなく、榛名が二度目の斉射を放つ。手元のストップウォッチを見れば、その斉射間隔は実に十七秒の高速だ。重巡並みである。

 

―――冷却装置も、ちゃんと働いてるみたい。

 

双眼鏡を覗き込んだ吹雪は、加熱した砲身から立ち上る陽炎が、すぐに緩和される様子を確かめて頷いた。ダズル迷彩という特殊な迷彩が施された榛名の砲塔は、さらなる連続斉射を許容していた。

 

しばらく、連続斉射が続く。その様子を記録に残しながら、榛名の艤装を注視する。発砲時の振動や軸線のブレがないか、水圧機等の動作は適切か、細かな部分を確認し、必要があれば記録船に伝える。幸いにして、各部とも問題なく稼動しているようで、榛名の射撃は安定していた。金剛と比叡の艤装から得たノウハウは、確実に活かされている。

 

結局、三分ほど撃ち続けて、榛名の砲撃は止んだ。砲身の加熱は見てとれたが、主砲の射撃に差し支えはなさそうだ。

 

『榛名、砲身の加熱はどうかしら?』

 

試射を終えた自らの後輩に、扶桑が尋ねる。新型艤装を見回し、そこに取り付いている妖精さんに話を聞いてから、榛名が頷いた。

 

『影響ありません。冷却装置は正常に作動してます』

 

『そう。吹雪ちゃんはどう?』

 

話を振られた吹雪は、観測機器を確かめて答える。

 

「大丈夫です。バッチリ記録できてます」

 

『ありがとう。引き続きよろしく頼むわね。続いて霧島の試射に移ります』

 

続いて試射を行うのは、榛名の同型艦、霧島だ。

 

金剛型の新型艤装は、その基本形状に差異はほとんどない。これは整備性を向上させるためであり、また装備類の融通も利くように工夫がされている。

 

ただ、その船魂の力を、それぞれ別の能力へ割り振っていた。改二になることで、利用できる船魂の限界値が引き上げられたからこそできることだ。

 

金剛は、速度。比叡は、防御。榛名は、対空。霧島は、火力。それぞれが、基礎能力よりも高められている。そしてそれに対応した部分の艤装が強化されていた。こればかりは、船魂のオリジナリティがもたらすものなので、致し方ない。

 

金剛は、脚部艤装の強化。比叡は、エネルギー装甲の限界値引き上げ。榛名は、高角砲と高射装置の増設。霧島は、新式主砲システムの最大値向上。つまり金剛型は、ペアを組んでも、単艦でも、高い能力を発揮することができるようになったのだ。以前のような柔軟性はないが、逆に汎用性は増したと言える。

 

―――でも、それを扱えるかどうかは、艦娘の問題だよね。

 

いずれ、吹雪も彼女たちと艦隊を組み、戦闘を行うことになるかもしれない。その際に、新型艤装との連携を円滑に行えるよう、その挙動をしっかりと観察する。

 

やがて霧島が、最初の斉射を放った。

 

 

風呂上がり、まだ開いている食堂を覗いた神通は、そこで唸る自らの姉艦を見つけて、声を掛けることにした。

 

「姉さん・・・?どうかしたんですか?」

 

「んー?んあ、神通か」

 

それまで前のめりになっていた川内は、椅子にもたれかかるようにして、背後の神通に顔を向けた。まだ風呂には入っていないらしく、梳かしていない前髪が裏返った。

 

「早くしないと、お風呂閉まっちゃいますよ?」

 

「えっ、もうそんな時間!?」

 

慌てたように時計を振り向いた川内が、驚きの声を上げた。

 

「ウソん・・・。まだ夜は始まったばっかりなのに・・・」

 

「もう、姉さんは・・・」

 

神通の眉がハの字に下がる。何かに集中すると、周りが全く見えなくなる性格なのだ。今夜も、その類だったらしく、先ほどまで握られていたと見えるシャーペンが、机の上に置かれていた。その横には、本が一冊と紙が二枚添えられている。

 

「うーん、でもこれは終わらせときたいしなあ」

 

川内が唸る。彼女が何をやっていたのか、気になった神通は、その手元を覗き込んだ。

 

机に置かれているのは、『海上護衛戦』と題された本だった。その横の書類は、演習申請書と、演習海域の海図だろうか。三角定規も二本置かれていた。

 

「演習の申請ですか?」

 

「そ。三水戦のね」

 

三水戦こと第三水雷戦隊は、川内が旗艦を務め、軽巡数隻と三個駆逐隊で構成された部隊で、神通率いる二水戦と並ぶ、高速水上部隊だ。これらは、主に遠征や近海哨戒のローテーションを目的とした部隊編成とはいえ、その訓練等は、旗艦である川内に一任されている。つまり、演習海域の使用を始めとした各種申請は、川内の仕事である。

 

訓練内容、使用する機材や装備類、燃弾の見積り、これらを記した申請書を、川内は書いていたらしい。

 

「でも・・・姉さんの艤装は、まだ修復中じゃないですか?」

 

北方作戦中に損傷した川内の艤装は、現在工廠部で修復作業が追われている。そしてこの機に、神通や那珂と同じように第二次改装を施すことになっていた。全工程が完了するのは、一か月先の予定だ。今回の作戦には、おそらく間に合わない。

 

「そーだよ。でも、駆逐艦ちゃんたちは、結構終わってきてるから。そろそろ動かないと鈍っちゃうよ。それに、新入りの動きも見とかないと」

 

新入り―――新しく配属になった、阿賀野型のことだ。三水戦には、確か矢矧が配属されていた。

 

「それと、ほら。今度の作戦は、対潜水艦戦になりそうでしょ?連携の見直しも色々あるし」

 

西方作戦が準備中であることは、一週間前に提督から発表があった。それを受けて、鎮守府―――特に、工廠部と軽艦種が慌ただしくなっている。

 

前路掃討作戦―――対潜水艦戦の主力は、神通や川内たち水雷戦隊になる。

 

「なるほど」

 

「ただなー。対潜戦闘は、運動は確認できても、実戦的な演習がやりにくいんだよねー」

 

どうやら、それが川内の悩んでいた理由らしかった。

 

「潜水艦娘の皆さんに、頼むわけには行きませんよね」

 

「でしょー?」

 

潜水艦娘の多忙ぶりは、鎮守府でも特に有名だ。哨戒任務を主とするが、攻勢があれば通商破壊や艦隊襲撃にも参加する。ことに、西方作戦の発動が発表されてからは、輪をかけて忙しない。常に一人はいない。潜水艦娘が全員揃っているところは、ここ一ヶ月誰も見ていなかった。

 

そんな彼女らに、これ以上負担をかけるわけには行かない。

 

「でも、デコイだと動かないしなー」

 

デコイは、潜水艦を模したもので、普通は潜水艦が自らの身代わりとして使うものだ。ただ、工廠部が試作したものは、潜水艦娘が扱うにはサイズが大きすぎたため、もっぱら探信儀や聴音器の性能試験と対潜演習に使用されていた。が、自走機能があるわけではないので、あまり実戦的な対潜運動ができるわけではない。

 

結局、神通が加わっても、唸り声が一つ増えただけだった。

 

「お?お前ら何やってんだ?」

 

と、そんな二人の頭から降ってきたのは、新人時代に散々お世話になった、先輩軽巡洋艦ののん気な声だった。

 

顔を上げると、明らかに風呂上がりの天龍が、コーヒー牛乳のビンを片手に、不思議そうにこちらを見ていた。タンクトップの上にジャージを羽織り、首からタオルを提げている。

 

「お、天龍」

 

「おう。てか、何だよ川内、まだ風呂入ってないのか?」

 

「・・・あ、お風呂また忘れてた」

 

しまったと呟く姉を、今度は神通も非難できない。天龍に指摘される今の今まで、自分も忘れていたのだから。

 

「相変わらず抜けてんなあ。夜戦バカもほどほどにしとけよ?」

 

「あたしなんかより、よっぽど天龍の方が夜戦バカじゃん」

 

「おう、まあな」

 

豪快に笑って、天龍は牛乳ビンのふたに手をかける。

 

「んで?何やってんだ?」

 

天龍もまた、二人の手元を覗き込む。神通が事情を端的に説明した。

 

「実戦的な対潜演習を行いたいんですが・・・。なかなか、いい方法が思いつかなくて」

 

「なるほどな」

 

ポンッといい音がして、コーヒー牛乳のふたが開いた。薄茶色の液体からは、微かなコーヒーの香りが漂う。風呂上がりにはたまらない逸品だ。

 

「てか、お前ら知らないのか?」

 

そのビンを煽ると、天龍は一気に飲み干していく。喉が動くたび、中身の嵩が減っていき、幾分もしないうちに空になってしまった。最後に、美味しそうに一声を上げて、天龍はビンを掲げる。

 

「デコイ、動くぞ?」

 

「は?」

 

「え?」

 

神通も川内も初耳だった。天龍が続ける。

 

「そもそもデコイってのは、自ら動いて敵の攻撃を引き付けるモンだろ。だから、試作段階だとちゃんと自走機能があったんだよ。で、そいつがデカすぎて潜水艦じゃ扱えなかったから、取り敢えず推進器系を外して、対音響魚雷用のデコイにしたんだ」

 

「つまり?」

 

「推進器さえつければ、デコイは動く」

 

「・・・今明かされる、衝撃の事実」

 

川内が大げさに言う。一方神通は、それでもさらに疑問を呈した。

 

「でも、動き方までは指定できませんよね?」

 

「そうだな。基本真っすぐ進むだけだ。でもまあ、その辺りは明石か夕張辺りと妖精さんに頼めば何とかなるだろ」

 

天龍はこともなげに言って、ひらひらと手を振る。

 

「・・・そんな簡単にいくでしょうか?」

 

「川内、神通。お前ら、間宮羊羹のストックは?」

 

「一本だけど?」

 

「私は二本です」

 

「十分じゃねえか」

 

天龍の悪戯っぽい笑みの意味が分からず、二人は首を傾げる。その様子にガクリと肩を落とした天龍は、苦笑交じりに頭を掻いた。

 

「お前ら、何のための間宮羊羹だと思ってんだよ・・・」

 

「食べるためでしょ?」

 

「楽しみに取っておくものでは?」

 

「・・・いや、うん。まったくもってその通りなんだけどよ」

 

天龍は小さく溜息を吐いて、間宮羊羹の取り扱い説明を始める。

 

「二人に間宮羊羹を一本ずつ渡せば、喜んでやってくれると思うぜ」

 

「賄賂じゃん」

 

「違う。袖の下だ」

 

「同じだよそれ」

 

「細けえこたあ、いいんだよ」

 

川内の突っ込みなど意にも介さず、天龍は演習海域の海図を引き出して、さらに続ける。

 

「デコイの方は、通信ケーブルかなんかで、有線操作できるようにすりゃ十分だろ。海域は北寄りだな。あの辺りは海底地形とか、変温層とかがあるから、実戦的な訓練ができるはずだ」

 

演習海域を示すラインの真北から北東にかけての辺りをなぞって、天龍が示す。

 

演習の要綱を次々と決めていく天龍に、神通は驚きと羨望を交えた視線を向けていた。経験の差というのもあるのかもしれないが、なによりも、自らの持つあらゆる情報を有機的につなげる能力。神通も川内も行き詰っていた対潜演習も、彼女の手にかかれば、こんなにも早く、実戦的なものになっていく。

 

―――見習わないと。

 

本来は、川内と神通で決めなければいけないことだ。いつまでも、世話好きな先輩に頼ってばかりではいられない。

 

その手際を、しっかりと観察する。自らのものにするため、駆逐艦娘たちや後輩のため、彼女たちと船団を守るため。

 

ちなみに、この時三人とも、川内の風呂のことは完全に失念していた。

 

 

 

「そういうことなら!」

 

「お任せください!」

 

工廠部の開発研究部門を指揮する二人の艦娘は、天龍の言った通りすぐに快諾してくれた。艦娘として戦いに赴く身とはいえ、年頃の娘たち。甘いものには目がないのだ。間宮羊羹の威力、恐るべしである。

 

そのあと登場した対潜演習用デコイは、二人が「腕によりをかけて製作しました!」と豪語するだけの性能を持っていた。が、少し―――どころではなく性能が高すぎた。

 

遠隔有線誘導方式で、模擬魚雷発射管装備。ここまではよかったのだが。水中速力三〇ノット、マスカー装備、散布型アクティブデコイに、浮上しての砲撃戦を行える格納式二〇・三サンチ連装砲二基搭載。さらに、スーパーキャビテーションを応用した十秒間の高速航行ができ、その際の速力は実に一〇〇ノット。万が一の際の人工知能搭載という、最早自力で戦えと言いたくなる代物であった。

 

当然、演習になるわけがなく、天龍と川内にこってり絞られた二人は、その後“普通の”デコイをきっちり製作したのだった。

 

なお、この際得られたノウハウが、後の拠点防衛潜水艦群―――甲標的シリーズの開発に活かされたため、その点は良しとしよう。ただし、無駄に消費された資源やお金については、二人の常識的な範囲での奉仕作業で埋め合わせることとなった。

 

「確かに、今回は失敗しました。でも!」

 

「次こそは!さらに凄いものを!」

 

もっとも、その程度で懲りるはずのないところが、二人が二人たる所以であるのだが。




次回は、未だにスポットライトが当たっていない軽空母の話にしようかと

リ号作戦ではカギとなる艦種ですからね

後、いい加減ビスマr・・・謎の協力勢力の話も進めないと・・・

やることはまだまだたくさんあるじゃないか!(白目)

それでは、また次回


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姉妹の心意気

どうもです

予告通り、軽空母回になりました

・・・が、瑞鳳と祥鳳がここまでイチャイチャ、百合百合しだすとは思いませんでした・・・。この瑞鳳、そのうち「祥鳳お姉様」とか言いそう・・・

と、とりあえず、どうぞよろしくお願いします


散々迷子になった挙句、ようやくそれらしき道を見つけたわたしは、丁度そこに差し掛かった将校さんを見つけました。

 

真新しくも、きっちりと体に合った制服。まっすぐに被った制帽は、左右に動いて、それからわたしを捉えました。

 

「お待たせしましたー!!」

 

司令官を見つけて、わたしは手を振りながら駆け寄ります。ですがその途中で躓いてしまい、バランスを崩して倒れこみました。

 

司令官の、腕の中に。

 

初日から何やってるんですかわたし!?なんて、今のわたしなら間違いなくツッコミを入れてしまいますね。そんなドジなわたしを受け止めた司令官は、

 

「大丈夫ですか?」

 

今と同じように、優しく言葉を掛けてくれました。

 

 

たん。

 

乾いた音が、弓道場に木霊した。

 

自分が狙っている的の、隣の的に矢が突き立てられたのは、何を見ずともわかった。心地よい音だ。あらゆる無駄なしがらみを取り払った、澄みきった音色を、瑞鳳は一先ず頭のすみに追いやった。

 

静かに、ただゆっくりと。呼吸さえも、空気のごとく。

 

引き絞られた弓からは、キリキリと音が聞こえてきそうだ。

 

瑞鳳は、一杯まで張りつめた弦を、解放してやる。張力を発揮した弦は、そこに番えられていた矢に勢いを与え、見据える先の的へと飛ばした。矢が空気を切り裂き、的へと突き刺さる。

 

たーん。

 

軽快な音を立てた自らの矢を見て、瑞鳳は内心で首を傾げる。

 

―――うーん、やっぱり違う。

 

ちらっと、隣で同じように弓を射る艦娘を見る。同じ弓道着を模した制服でも、デザインの違う二人だが、こう見えて姉妹艦だ。丁度、再び矢を番えた祥鳳が、その矢を放つところだった。

 

ひゅっ。たん。

 

寸分違わず、的の中心を射抜く。無駄な動きは全くない。微塵の揺るぎもない姿勢に、瑞鳳はある種の憧れとライバル心を滾らせた。片袖を脱いで露わになったそのすっとした背中に、惚れ惚れと視線を送る。

 

「・・・?」

 

瑞鳳の視線に気づいたのか、祥鳳はゆっくりと、優美に振り向いた。艶やかな黒の長髪が揺れて、優しさと慈しみを湛えた双眸が、コテンと首を傾げる。

 

「どうかしたの?瑞鳳」

 

「うえっ!?あ、ううんっ、なんでもないよっ!」

 

慌てて目線を誤魔化す。あなたの背中を見てた、なんて知られたら、恥ずかしさで悶え死んでしまいそうだ。

 

頬が熱い。もう秋だというのに、それを気温のせいにはできず、瑞鳳はなんとか早鐘のような心臓を抑え込もうとした。

 

「・・・そろそろ、お昼にしましょうか」

 

そんな瑞鳳の様子に、祥鳳は優しく語りかけた。その誘いをありがたく受けることにして、瑞鳳も頷く。ニコリと微笑んだ祥鳳は、弓を置いて、片袖を元に戻した。

 

滑らかな肌が隠れてしまったことを、瑞鳳は少し残念に思った。

 

的に向かい、そこに刺さった矢を引き抜く。これを全てまとめて片付け、軽く掃除をして鍵を掛ければ終わりだ。今日は、彼女たち以外に道場を使っている者はいない。

 

施錠を二人で仲良く確認して道場を離れ、昼食を取るべく食堂へと足を向けた。

 

 

 

「うー、なんでかなー」

 

昼食に麻婆豆腐をチョイスした瑞鳳は、適度な辛さの刺激を感じつつ、レンゲを器に突き刺した。そんな彼女の様子を、祥鳳はただにこやかに眺めている。

 

「なんやなんや、どないしたん?」

 

今日は唐揚げが付く、A定食のシャキシャキキャベツを箸でつつく龍驤が、面白そうに尋ねた。

 

「なんかこう、上手く的に刺さらないのよ」

 

「ほうほう」

 

瑞鳳のぼやきに頷いて、龍驤は先を促す。

 

「祥鳳のはね、たん、って感じなんだけど。私のは、たーん、って感じになっちゃうのよ」

 

「・・・違いが全っ然わからへん」

 

「だからね。なんとなく、的に当たった時の音が違うのよ」

 

ほーん、と首を傾げた龍驤は、いまいち瑞鳳の言う意味を捉えきれていなかったようだ。それでも、もう一度キャベツを口に含みながら、自分なりの解釈を口にする。

 

「それはつまり、射ち方の問題、っちゅうことか?」

 

「多分・・・」

 

「自信無いんかい」

 

真面目やなあ。龍驤は呟いて、本命の唐揚げとご飯に箸を移した。瑞鳳も、麻婆豆腐が冷めないうちに、レンゲで口に運ぶ。ほろほろと崩れる豆腐に、ほっぺたが落ちそうだった。

 

「・・・なあ、祥鳳。ええ加減教えてやったらどうなん?」

 

唐揚げを咀嚼する龍驤は、ニコニコと姉妹艦を見守るだけだった祥鳳に言う。瑞鳳とお揃いの麻婆豆腐を口にする祥鳳は、その提案に困ったような顔を向けた。

 

「私は問題ないんですけど・・・」

 

チラッと向けられた視線は、同じように麻婆豆腐を堪能する瑞鳳へのものだ。当の悩んでる瑞鳳は、龍驤の言にフルフルと首を振る。

 

「祥鳳には教わらない。絶対に、私が自分で見つけるの」

 

「ということなんです」

 

瑞鳳の言葉に優しく微笑む祥鳳を見て、龍驤も苦笑するしかなかった。仲のいい姉妹艦なのだが、お互いに努力家で頑固な面を持つために、それぞれで譲れないところというのがあるのだ。

 

「おもろい姉妹やなあ。ま、ええけど」

 

龍驤もあまり他人に干渉する性質ではない。それは後輩指導に関しても同じだ。赤城や加賀と同時期に鎮守府に着任し、以来機動部隊の一翼を担ってきた軽空母は、空母に限らない多くの後輩の指導に定評はあるものの、基本的には放置することで、自分で考えさせるやり方を取っている。世話焼きではあるが、こと技術等の習得に関しては、一切の妥協を許さない厳しさがあった。

 

そんな先輩の指導を受けたのは、祥鳳も瑞鳳も同じだ。艦載機の運用方法こそ違うものの、空母戦のノウハウは、全てこの先輩を見て会得したものだった。

 

鳳翔を機動部隊の母とするならば、一航戦と龍驤は機動部隊の育て親と言えよう。

 

「ひょういへば」

 

唐揚げを頬張ったまま、龍驤は話題を切り替える。

 

「アンタら新型機の慣熟中なんやて?」

 

祥鳳も瑞鳳も頷く。リ号輸送作戦の発動に先駆けて、その主力となる軽空母部隊にも、次々と“紫電”改二や“天山”、“彗星”が配備されていた。祥鳳と瑞鳳も同じだ。ただし、二人にはそれに加えて、さらに二つの新機種が搭載される予定となっている。

 

一つは、新型艦戦だ。本来“紫電”改二は、零戦の後継機ではない。基地航空隊用に開発された局地戦闘機を、場つなぎ的に艦載機として採用しただけだ。零戦の正統後継機となる新型制空戦闘機は、ようやく開発段階を終え、先行試作機が作られ始めた。名を“烈風”というこの戦闘機の先行試作機隊が、リ号作戦に当たって祥鳳と瑞鳳に配備されることとなったのだ。

 

もう一つは、偵察機だ。“彗星”を元にした二式艦偵の後に続くこの機体は、戦闘機並みの速度を持つ俊敏な機体だった。また、最初から偵察機として開発されてきたため、単純な索敵能力はもちろん、防空戦闘時の早期警戒と誘導の能力も大きく向上している。艦上偵察機“彩雲”の採用は、鎮守府機動部隊の能力底上げに欠かせないものだ。

 

元々搭載能力の小さい祥鳳と瑞鳳は、“烈風”と“紫電”改二の戦闘機隊を多めに積み、“天山”の代わりに対潜哨戒用の九七艦攻を小数機、搭載することになっていた。これに加えて、防空戦闘時の早期警戒機として機能する“彩雲”を六機ずつ。

 

完全に『防空専門空母』である。

 

瑞鳳としては、当然不満もあった。船団を守ることがどれだけ大事なことか、頭では理解できても、いざ敵機動部隊と遭遇した時のことを考えると、どうしても反撃の手段を持っておきたくなる。守りではなく、自らの手で、一矢報いたいと考えてしまう。

 

それでも、祥鳳が一緒だった。同型艦とはいえ、艤装の関係で着任時期が二ヶ月遅れた瑞鳳は、姉妹艦で同僚、そして先輩でもある祥鳳に全幅の信頼を置いている。そんな彼女と同一任務に当たるのは、実は初めてのことだ。

 

落ち着いた雰囲気。柔らかい物腰。端正な容姿。優しさに満ちた眼差し。

 

祥鳳が「二人で頑張りましょう」と笑顔で言ってくれたのだ。俄然やる気が出てきた。“飛びエイ”だろうが何だろうが、かかってこい。エイヒレにして、千歳と隼鷹の酒の肴にしてやる。

 

「うちも使いたかったなー、“烈風”」

 

残念そうに笑って、龍驤は体を前に傾けた。

 

「で、どないなん?新型機は」

 

「もうね、すっごいの!」

 

瑞鳳は興奮気味に目を輝かせる。そんな姉妹艦の様子に、祥鳳が眉を八の字に下げていることは、今の瑞鳳が知る由もないことだ。

 

この後、自他ともに認める航空機オタクの怒涛のような話に、龍驤の外見が心なし細くなったのは、また別の話である。

 

 

 

「はあああ・・・。生き返るー」

 

一日の訓練を終えた瑞鳳は、浸かった湯船の中で声を上げた。程よく熱くなっている大浴場の浴槽は訓練上がりにはもってこいだ。疲れて、節々痛くなった体に、お湯の熱が染み入る。

 

「いいお湯・・・」

 

息を止めて腕を伸ばした後、それを開放して溜息を吐く。より一層、お風呂の温度が感じられた。

 

この時間帯、大浴場は大変な賑わいを見せる。夕食前に一日の疲れを落とそうという艦娘たちでごった返す広々とした空間を、蕩けた視線で瑞鳳は眺めていた。

 

「本当に、いいお湯ね」

 

そう呟く声は、すぐ隣で聞こえた。ふと見上げれば、長い髪をまとめて、タオルで胸元を隠している祥鳳が、上気した表情で微笑む。

 

「隣、いい?」

 

「も、もちろん!」

 

思わずドキリとしてしまったことを懸命に隠して、瑞鳳は答える。ありがとう、と言った祥鳳は、そのままゆっくり、湯船に腰を下ろした。タオルが取り払われ、形よく盛り上がった胸元が露わとなる。

 

「ふう・・・。今日もお疲れ様」

 

「祥鳳も、お疲れ様」

 

二人して笑った。

 

「晩御飯はどうする?私は、久しぶりに鳳翔さんのところに行こうと思ってるけれど」

 

祥鳳がそう言って首を傾げた。

 

「わあ、行く行く!鳳翔さんのとこの出汁巻きがおいしいんだあ」

 

「瑞鳳は、本当に卵が好きね」

 

口元にこぶしを当てて祥鳳が苦笑する。上品に八の字となった細い眉が、小刻みに震えた。

 

「基礎訓練の時を思い出すわ」

 

「そ、それは!お願いだから忘れて!」

 

お風呂のせいだけでなく熱くなった頬を押さえて、瑞鳳は抗議する。それでも彼女の姉艦は、上品に笑い続けるだけだった。

 

祥鳳と瑞鳳の艤装には、差異が多い。これは、瑞鳳の艤装が後の新型空母艤装―――翔鶴型のテストベッドを兼ねていたからで、そのせいもあって、ほとんど同時期に艦娘の候補生になった二人は、瑞鳳の方が二ヶ月、鎮守府への配属が遅れることとなった。

 

艦娘として正式に鎮守府への配属がされるとき、ささやかな卒業式が執り行われるのは、基礎訓練教習所の伝統のようなものだった。なんでも、始めたのは天龍型の二人だったとか。そういう訳で瑞鳳は、先に鎮守府配属となった祥鳳を送り出している。祥鳳が笑っているのは、その時にやった余興の内容だ。

 

当時から卵料理、特に卵焼きが好きだった瑞鳳のことは、候補生の間でもよく知られていた。そこで、それを余興のネタに提案したのが、候補生なりたての隼鷹だった。

 

ニワトリの着ぐるみを着せられて踊る瑞鳳に、祥鳳が盛大に吹き出してお腹を抱えて笑っていた。

 

―――意外と楽しかったけど!祥鳳が笑い転げる、珍しいところが見れたけど!

 

恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 

「どうして?とってもかわいかったのに」

 

笑う祥鳳は、完全に瑞鳳をいじるモードだ。状況が状況とはいえ、不意打ちのように発せられた「かわいい」の一言に、不覚にも赤くなる頬を誤魔化そうと、湯船に顔を半分ほど埋める。ついでに頬を膨らませて、拗ねてるアピールだ。

 

「―――コケッコー♪」

 

が、そんなことは完全にお見通しの祥鳳が、当時の踊りのまねを始めたため、瑞鳳は慌てて止めに入ったのだった。

 

祥鳳の笑顔が、益々大きくなったのは言うまでもなかった。

 

 

『いいのか、吹雪?』

 

洋上で臨戦態勢の吹雪に、重巡洋艦娘の通信が入る。吹雪は確かに頷いて、

 

「はい!お願いします!」

 

元気よく答えた。

 

『はいよ。そんじゃ、始めるぜ』

 

摩耶の言葉を最後に、通信が切れる。吹雪は自らの艤装を唸らせた。

 

「十一駆、突撃用意!」

 

自分に続いている僚艦に下令すると、「了解」の短い返答があった。白雪、初雪、深雪。鎮守府最古参の駆逐隊に所属する四人の艦娘は、心持ち姿勢を低くして、脚部艤装の出力上昇に備えた。

 

『これより、船団護衛、及び船団襲撃演習を始める!』

 

相手艦隊―――輸送護衛部隊に守られている、船団を模した観測艦から、監督艦の長門の声がした。それを合図として、吹雪たちが動く。

 

「最大戦速!十一駆、突撃!」

 

主機の回転数を上げる。途端に、その反動が吹雪に速力を与える。続く三人も同じだ。十一駆は三四ノットの高速力を発揮して、前方の船団と、それを守る護衛艦隊に突撃を敢行した。

 

この演習は、リ号作戦時の船団護衛戦を想定したものだ。船団の側面から襲撃してくる敵艦隊に対して、巡洋艦を主体とした護衛艦隊がどのように対処していくか、それを確かめるためるものとなっている。

 

午前中は、那智と足柄を中心とした部隊が、十八駆の襲撃を防ぐことに成功した。重巡の二人が、船団近くから支援砲撃を行い、その援護の元、軽巡と駆逐艦が襲撃を防ぐ。これで、完全に抑えることができた。

 

そして午後は、吹雪たち十一駆が襲撃艦隊を務める。護衛艦隊の方は、摩耶、鳥海、長良、陽炎、不知火、黒潮の六人だ。

 

この他、巡洋艦部隊、艦載機、潜水艦、あらゆる襲撃に対する護衛演習が実施、あるいは予定されていた。

 

―――手加減はなし。

 

右手の一二・七サンチ連装砲を握りしめる。こちらとしても、敵の補給部隊等の襲撃を想定した訓練になる。手を抜くつもりは微塵もなかった。

 

―――それに、皆で動くのは久しぶりだし。

 

自分の後ろにしっかりと付いてくる僚艦を感じて、ふっと表情を緩める。なんだかんだで、十一駆での演習は一月ぶりだ。

 

「敵艦見ゆ!」

 

水平線上に、船団を捉えた。電探にも影がくっきり映っている。瞬間的に目を凝らし、その配置を確かめた。

 

「重巡二、軽巡一、駆逐三を確認。邀撃準備に入ってる」

 

『了解。強行突破?』

 

「もちろん。皆、気合い入れて!」

 

その掛け声で、吹雪たちは一本槍となって護衛艦隊に襲い掛かった。その様は、まさに羊の群れを狙う狼だ。

 

「砲戦用意!」

 

吹雪たちの砲撃では、大した威力にはならない。重巡洋艦には損傷と判定される打撃を与えることはできなかった。それでも、必殺の雷撃を邪魔する敵艦を遠ざける役割は十分果たせるはずだ。

 

まあ、どんな状況でも、必ず投雷位置に取り付いて見せるが。

 

水平線の手前で、砲炎が上がった。この位置からでもはっきり見えるオレンジ色の炎にも、吹雪は特に気を留めなかった。

 

「敵艦発砲」

 

一応通信機にそう吹き込むが、おそらく全員同じものを確認しているはずなので、返信は短いものだった。深雪に至っては、「了解」ではなく「ほーい」だった。

 

十数秒後、放たれた二〇・三サンチ砲弾が弾着の水柱を噴き上げた。海水の柱が林立し、接近を試みる襲撃艦隊を妨害せんとする。しかし、歴戦の駆逐艦娘たちは、その程度で怯むような柔ではなかった。

 

「舵そのまま!強行突破する!」

 

弾着などこれっぽっちも気にしていない。その意を示すかのように、吹雪たちは降り注ぐ弾雨の中を、ただただ一直線に突き進んでいた。

 

「距離一八〇(一万八千)!」

 

吹雪は、船団との距離ではなく護衛部隊との距離を読み上げる。意図は簡単だ。輸送艦は一二・七サンチ砲弾でも十分な損害を与えることができるが、護衛艦隊を一掃するには吹雪たちの太ももに装着された魚雷が必要だからだ。護衛艦を叩いてしまえば、鈍足で装甲のない輸送艦など、海に浮かぶ標的と変わらない。

 

摩耶と鳥海からの砲撃は続く。距離が近づいたからか、精度はいくらか上がった。彼我の距離は一万六千。吹雪は、突撃針路に影響を与えない程度に、主機の出力を変えたり、舵を切ったりしてその砲弾に空を切らせていた。

 

その代りに、長良以下の水雷戦隊が接近してきた。こちらの接近を阻むためだ。同じように高速力を発揮していた彼女たちは、急速に回頭すると、吹雪たちに対して丁字を描くように陣取った。

 

が、そんなものは、吹雪たちにはお見通しだった。

 

「砲戦始め!目標は先頭の軽巡洋艦!」

 

号令と発砲は同時だった。全員が吹雪の意図は察しており、すでに測敵は終えていた。

 

駆逐艦クラスとはいえ、派手な砲声が四つ重なると、随分頼もしく聞こえる。飛翔した砲弾は、距離四千の第一射にもかかわらず、狙い違わずに長良に着弾した。演習用のペイント弾が長良の艤装に付着し、それを元に被害計算が行われる。が、そんな暇など与えずに、吹雪たちの猛射が続いた。

 

長良たちも慌てて応射するが、いかんせん、軽巡と駆逐艦の砲戦距離としては、本来ならそんなすぐに命中弾が望める距離ではなかった。そうこうしているうちに、長良は大破判定を喰らって、戦線を離脱する。

 

「散開!」

 

次の瞬間、一つにまとまっていた十一駆の四人が、吹雪と白雪、初雪と深雪に分かれた。それぞれが残った三人の駆逐艦を挟み込むように展開し、主砲を構える。予想だにしない動きに、陽炎たちの対応はほんの一瞬遅れた。

 

再び発砲。吹雪は左の黒潮、白雪は真ん中の不知火、初雪と深雪は右の陽炎を狙い撃つ。それぞれが命中弾を与え、そこから連続斉射。瞬く間に、三人の駆逐艦を大破判定にする。一方、十一駆の被弾は、反撃した不知火の一発が、白雪の吸気口にピンクの塗装を着けただけだ。判定は小破。戦闘航行に支障はない。

 

「自由回避しつつ集合!雷戦距離は六○!」

 

摩耶と鳥海が、それぞれの小隊に弾丸を浴びせかけるが、何の妨害もない十一駆にとっては、その射弾を自由回避するなど朝飯前だった。それは、一万を切ったことで高角砲の射撃が加わっても変わらない。

 

距離八千で、四人は再び一つにまとまる。この辺りでは、二人の重巡洋艦からの射撃もかなり正確だ。至近弾落下の衝撃は、一度や二度ではない。それでも吹雪は、その弾道を的確に見極めて、回避を試みる。わずかに射線をずらしては、効果の懐疑的な一二・七サンチ砲弾をばら撒き、爆雷を投げつけて射撃の妨害を試みる。

 

「六○!」

 

吹雪はすぐに投雷を指示しない。わずかに舵を切り、その瞬間を待った。

 

―――今!

 

「投雷始め!」

 

吹雪がそう指示した瞬間、摩耶と鳥海の弾丸が落下し、吹雪たちの姿を覆い隠した。瀑布は吹雪たちの視界を奪うが、同時にその姿を白いカーテンで匿ってくれるのだ。おそらくこれで、摩耶と鳥海には投雷の瞬間が見えていない。

 

投雷の瞬間、四人が一瞬だけ斜めにずれ、前方に向けた魚雷発射管から酸素魚雷を放つ。量産に移行した水雷戦隊用の高速型だ。六千の距離を疾走するのに、およそ三分。

 

すぐには反転しない。投雷のタイミングは悟らせてはいけない。万全を期して、結局それから一分ほど回避運動を続け、反転離脱にかかった。

 

それでも、自分たちの戦果確認は怠らない。到達時間、振り向いて目を凝らす。

 

魚雷の命中判定―――吹雪たちの放った魚雷が重巡洋艦娘の真下を通過したことを示す赤旗が、二人ほぼ同時に上がった。当然のように大破判定、行動不能だ。

 

護衛部隊を一掃したことを確認して、吹雪は十一駆に反転を命じる。丸裸となった船団の運命は、風前の灯火も同じだった。

 

 

 

「マジで・・・半端じゃないぜ・・・」

 

撃沈判定をする判定機を艤装から取り外しながら、摩耶が一人ごちた。そんな演習相手だった重巡洋艦娘の言葉に苦笑を浮かべ、吹雪は謙遜気味に答える。

 

「た、たまたまですよ」

 

「いやいや、たまたまじゃねえだろ」

 

ちらっと、摩耶が護衛艦隊を見る。重巡二、軽巡一、駆逐三。一個駆逐隊を相手取るには十分すぎる戦力だ。それが全員、大破行動不能判定を喰らって、輸送艦を全て撃沈されたのだ。奇跡では説明が利かない。

 

「相変わらず、すごい練度と連携よね・・・」

 

艤装の着色が激しい陽炎が、腕に着いた妖精さん謹製の特殊塗料を拭き取りながら呟く。

 

「さて、これで我々と吹雪たちの勝ちだな」

 

「ぬぐぐ・・・」

 

そう摩耶に宣言したのは、先に護衛部隊を率いた那智だ。何を隠そう、彼女がこの演習への参加に吹雪たちをオファーした張本人だった。

 

この二人が演習で競うとき、何かしらを賭けているということは、鎮守府の艦娘―――特に駆逐艦娘の間で有名だ。今回も、丁度予定されていた船団護衛演習にかこつけて、摩耶が那智に提案したらしい。

 

ルールは簡単だ。護衛時に船団を守り切り、且つ襲撃時に船団を攻撃できた方が勝ち。勝敗が付かなかった場合、襲撃時に損害を多く与えた方が勝ち。

 

結果として、吹雪たちがあっさり船団を全滅させてしまったので、那智陣営の勝利となった。

 

ポンッと那智の手が摩耶の肩に乗る。

 

「鳳翔さんのところで奢ってもらおうか」

 

「クッソう・・・お、女に二言はねえ・・・」

 

摩耶が心底悔しそうに吹雪を見た。吹雪は頬を掻いて、

 

「えっと・・・ご馳走様です?」

 

苦笑しながら、そう言うのだった。




十一駆が、もはやチート級なんですが・・・

すっごい強いね、最古参って恐ろしい

まあ、うちの吹雪もこれぐらい強いし、当然だよね。うん

次回辺りから話が動き出します(多分)

そろそろビスm・・・協力勢力にも動いてもらうことになりそうです


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リランカ急襲

なんか今回早いな・・・

筆の進みが早かった結果ですね

今回、普段よりもほんのちょっと長めとなってますので、ご容赦いただきたく

ついに明かされる、謎の協力勢力の正体!


「あ、ありがとうございます」

 

司令官の腕の中は、お陽様のような、とてもいい匂いがしました。・・・じゃなくて!

 

司令官はわたしの様子を気にしながら、ゆっくりと体を起こすのを手伝ってくれました。特にケガ等ないことを確認すると、ほっとしたように胸を撫で下ろします。

 

「す、すみません慌ただしくて」

 

「いえ。ケガがなかったようで、何よりです」

 

そう言って朗らかに微笑むところは、当時から変わっていません。

 

「それで、その・・・君は?」

 

軍帽を押し上げて、こちらを窺った顔に、一瞬だけわたしの動きが止まります。記憶の中、うっすらとしたものではありますが、司令官の表情は、わたしの知る人物にそっくりだったのです。

 

そんなわたしの様子に、司令官が首を傾げます。慌ててわたしは、候補生時に習った通り、右手をまっすぐにして敬礼をしました。

 

「始めまして、吹雪です!どうぞよろしくお願いいたします!」

 

 

「・・・今日も、あまりいい天気ではないわね」

 

珍しく連日の曇天となった頭上を見上げて、ビスマルクは制帽を目深にし、溜息を吐いた。

 

彼女が住まうリランカ島基地は、ここ二、三週間ほど上へ下への大忙しだった。というのも、現在極秘に防共協定を交渉中の『チンジュフ』が実施する『リ号輸送作戦』の発動が、二週間後に迫っているからだ。ビスマルクたちは、直接作戦に参加するわけではないが、輸送船団の側面援護を担当することになっていた。護衛部隊を襲撃する敵艦を、それよりも手前で―――欲を言えば、根本から断ち切るのが狙いだ。

 

リランカ島の南端に位置する彼女たちの基地では、今日も各種の準備が続いている。

 

が、そんな大事な時期にもかかわらず。

 

―――なんでアトミラールはいないのよ!

 

艦隊の旗艦である彼女に全て任せて、北部側へ出張してしまった自らの指揮官に対して、内心容赦ない文句を吐いた。

 

リランカ島は、大きく三つの地区に分けられる。北部、中央、南部だ。

 

北部は、現地人や政府施設がある。リランカ島の中心地だ。

 

中央は、主に食料品の生産地だ。大規模な畑や、畜産が行われている。

 

そして残った南部には、深海棲艦の襲撃時に島に取り残された外国人や、貧困層が集められていた。言わば、政府から見捨てられた人間の渡る場所だ。

 

決して豊かとはいえないこの国には、たまたま観光に訪れていて取り残された外国人や貧困層の面倒を見れる余裕はなかったのだ。だからビスマルクたち―――運悪くこの島に取り残されてしまった観光客たちは、深海棲艦の勢力圏に直接面するこの地で、自力で生き残るしかなかった。

 

この基地に多くの人種が所属しているのは、そういう理由だ。一年半ほど前、彼が現れてこの施設の建設と運用を提言した時、南部にいるあらゆる人から職員を募ったのである。

 

―――「深海棲艦と戦うつもりはないか?」

 

そんなことを言いだした彼に、真っ先に参加を申し出たのは、他でもないビスマルクだ。

 

思い返せば、あの頃から勝手な人だった。

 

「あ、いたいた!姉様ー!」

 

庁舎へ歩いていたビスマルクにかけられたのは、艦隊に所属する重巡洋艦娘の声だった。手を振りながらこちらへ駆け寄ってくる様は、どこか犬を連想させる。ビスマルクよりも短い髪を二つにまとめて、尻尾のように揺すっていた。

 

快速を発揮して突撃してくるプリンツ・オイゲンに、「待て」を掛けるようにして右手を突き出す。彼女は急制動を掛けてスピードを落とし、ビスマルクの右手の手前でようやく止まった。

 

―――ほんとに犬みたいね。

 

試しに右手を差し出してみる。

 

お手をした。

 

今度は左手。

 

また、お手をした。

 

「待て」

 

オイゲンは直立不動の姿勢となる。

 

なんだかとっても和んだ心持ちで、ビスマルクはオイゲンの帽子を取り、頭を撫でた。オイゲンも嬉しそうに、それを受けている。

 

「・・・あの、姉様、そろそろ?」

 

「ん?ああ、そうね。用件を聞こうかしら」

 

元の通りに帽子を整えてあげると、オイゲンはピシッと敬礼をして、ビスマルクに駆け寄ってきた用件を報告し始めた。

 

「言われた通りに、“ペーター・シュトラウス”への艤装積み替え終わりました」

 

「そう。ご苦労様」

 

“ペーター・シュトラウス”は、リランカから離れた海域で活動するビスマルクたちを支援するための支援艦で、航空隊も運用可能だ。中古の客船改造のため、艦自体はあまり大きくなく、精々二個艦隊を指揮するのがやっとだ。それでも、航空戦力のほとんどを“ルフトバッフェ”に頼る彼女たちにとって、欠かせない艦だった。

 

そんな支援母艦に、普段は工廠に格納される艤装の一部を積み替えたのは、理由があった。

 

「でも、どうして艤装積み替えを?」

 

オイゲンもそこは気になっていたらしく、敬礼を解いてビスマルクに尋ねた。

 

「アトミラールからの指示よ」

 

「アトミラールさんの?」

 

「三日連絡がなかったら、“ペーター・シュトラウス”に一部の艤装を積み替えておけって。出張前に」

 

オイゲンが驚いたような表情の後、コテンと首を傾げた。

 

「何でそんなことを?今までは、そんなことしてませんでしたよね?」

 

「さあ?ただまあ・・・用心、でしょうね」

 

今回の出張は長くなると、ビスマルクは聞いている。普段は長くても五日程度で帰ってくるから、それより長いとなると、一週間か、それ以上だろうか。

 

つまりその間、彼が直接指揮を執ることができない。緊急の事態、例えば基地が襲撃を受けたときに、初動で指揮官がいないのは問題だ。だから、一撃で全戦力が壊滅しないように、という用心だとビスマルクは思っていた。

 

―――そこまでやる必要があるかしら?

 

と、最初はビスマルクも思っていたのだが、今日のように曇天で、“ルフトバッフェ”の哨戒に穴がある可能性を考えると、なるほど用心とはしておくものだと思うようになった。

 

移し替えた艤装は、ビスマルク、ティルピッツ、プリンツ・オイゲン、レーベレヒト・マース、マックス・シュルツ、U-511、それと局地防衛用の“ゼーフント”十二隻。イタリア艦やグラーフ・ツェッペリンも移し替えようかと思ったが、さすがにそこまでやると大掛かりになる上に、通常戦力がなくなってしまう。

 

「はあ・・・用心、ですか?」

 

オイゲンが首を傾げるのも仕方がない。実際、ビスマルクも首を傾げているのだ。今回の命令には、なんだか違和感が拭えない。『用心』ということでなんとか納得することにしたが、それにしても―――

 

「・・・まあ、そういうことにして頂戴」

 

聡い副官に誤魔化しはきかなそうだが、ビスマルクとしてもそれ以上のことが言えないので、こうして曖昧に流すしかなかった。オイゲンもその辺り理解してくれたらしく、ハテナマークを浮かべながらも頷いてくれた。

 

「真意は、アトミラールが帰ってきてからね」

 

ビスマルクは、こういうモヤモヤとしたのが大嫌いだ。あの自分勝手な指揮官には、早々に戻ってきてもらって、しっかりとした説明をしてほしいものである。

 

 

 

ビスマルクの疑問は、最悪の形で解消されることとなった。

 

副官からの報告の後、航空隊を運用する“ルフトバッフェ”に顔を出してから、昼食の頃合いとなった。哨戒機も帰投を始め、基地全体が昼食ムードになった時である。

 

庁舎に併設された食堂へと向かうビスマルクの耳に、甲高い風切り音と、それに倍する炸裂音が飛び込んだ。ビスマルクとて艦娘だ。物騒極まりない音に、それまでの鼻歌を取り止め、周囲を見渡す。その目つきは、すでに洋上で深海棲艦と対峙するそれだ。

 

―――どこから!?

 

首を回すと、それらしきものを見つけた。どす黒い煙の塊が、今まさに天へと昇ろうとしていた。

 

「敵襲!?」

 

とっさにそう判断して、爆炎の方へよく目を凝らす。もう一度、火の手が上がると、その上を飛び交う、羽虫のような黒い粒が見えた。深海棲艦の艦載機だ。

 

「空襲か!」

 

ビスマルクの鍛えられた足が、瞬時に地面を蹴って、食堂とは反対の作戦指令室へ駆けだした。爆発音は、なおも続く。その被害のほどを確認するには、作戦指令室に辿り着くしかなかった。

 

―――アトミラールは、このことを予測して・・・!

 

あの、不可解な指示の意味を、今更ながらに理解した。間違いなく、彼はこの襲撃を予見していた。しかし無駄に不安を煽るわけにもいかず、こうして最低限の戦力でも残そうと、ビスマルクに命令を出したのだ。

 

林の中に隠れるように設けられた小さな建物に入る。中には、ヘッドセットを慌ててつけたらしい職員たちが、少し旧式感が否めないスコープとにらめっこをしている。その様子をチラッと見遣っただけで、ビスマルクは地下へと続く階段の手すりに手をかけ、滑るように階下へと下った。

 

重厚な扉を勢いに任せて開け放ち、中に飛び込んだ。

 

「状況は!?」

 

開口一番に叫ぶと、すでに中にいたオイゲンが、震える声で答えた。

 

「て、敵の小規模編隊が、哨戒機を追って超低空で接近したみたいです。滑走路と工廠部が空襲を受けました」

 

目の前が真っ暗になりそうなのを、生来の強靭な精神力で押し留めて、ビスマルクは続きを促した。

 

「“ルフトバッフェ”は、現在音信不通。被害確認中です。工廠部は艤装格納庫と整備室に直撃弾を受け、機能喪失とのことです」

 

シャイセ!思わず口汚く罵りそうになって、ビスマルクは思いっきり歯を食い縛った。作戦指令室に詰めている誰もが、不安げにしているのだ。現在、この艦隊の最高指揮権を預かっている自分が、ここで醜態を見せるわけには行かない。誇り高き祖国の血が、ビスマルクの自制心に上乗せされていた。

 

「戻りました!」

 

そこへ飛び込んできたのは、駆逐艦娘のリベッチオだった。相当走ってきたのか、呼気を荒げて、肩で息をしている。

 

「飛行場の損害は、あまりひどくはありません。単発機なら、離発着可能です」

 

どうやら彼女が、“ルフトバッフェ”への被害確認に走っていったようだ。自らを「風の駆逐艦」と称するだけあって、彼女は陸の上でも、相当に足が速い。連絡役としてはうってつけだ。

 

「ありがとう。お疲れ様。先に、“ペーター・シュトラウス”に行っていなさい」

 

ビスマルクは小柄な駆逐艦娘に礼を言い、作戦指令室の奥にある二つの扉のうち、右の方へと促した。その先の秘密ドックには、緊急時の避難船を兼ねる“ペーター・シュトラウス”が入っている。当分の食料と水は用意していた。

 

小さな駆逐艦娘が扉の向こうに消えると、ビスマルクは壁にかかったヘルメットを取り、数人の司令部要員の前を横切った。

 

「退避勧告は出したのよね?」

 

「はい。ただ、ここからだと有線なので、どこかが途切れて伝わってないかもしれません」

 

「わかったわ」

 

ビスマルクは大げさに頷いて、作戦指令室の奥、二つある扉のうち左の方に手を伸ばした。そちらは、庁舎へと続く通路だ。

 

「姉様・・・?」

 

オイゲンが不安げに呼びかけた。

 

「オイゲン」

 

「はい」

 

「秘密ドックは無事ね?」

 

「え?あ、はい」

 

オイゲンは右手の扉を見遣って首肯した。

 

「敵艦隊が接近してくる可能性が高いわ。そうしたら、そっちを押さえて。上空直掩は、“ルフトバッフェ”が戦闘機を上げることを信じて」

 

キュッと、ヘルメットのあご紐が締まる。

 

「全員が退避する時間を稼ぐのよ」

 

「・・・了解です」

 

オイゲンがしっかりと頷いた。その表情が、いつにも増して頼もしく思えた。

 

「私は庁舎の方で避難誘導をしてくる。それと、重要書類の廃棄もね」

 

これは、彼に艦隊を任されている私の仕事だ。ヒントは与えられていたのに、答えに辿り着けなかった。そんな私が、やらねばならないことは―――

 

少しでも多く、艦隊の人間を退避させること。一つでも多く、希望を残すこと。

 

「敵艦隊発見!」の報を背中に聞きながら、ビスマルクは再び走り出す。電灯の小さい、薄暗い通路は、まるで伝説上の魔物のように、彼女の前に口を開いていた。

 

 

敵艦隊発見の報を受け、支援艦“ペーター・シュトラウス”から、オイゲンは出撃した。

 

艦隊の数は少ない。たったの四隻だ。それも、空母はない。半壊した滑走路から、何とかして“ルフトバッフェ”の所属機が飛んでくれることを祈るばかりだ。

 

『第三戦速』

 

オイゲンの前、先頭を進む艦娘から、普段とは違ってしっかりとした指示が飛んできた。

 

ティルピッツ。ビスマルクの同型艦で、妹に当たる。実際の二人の関係も姉妹だと、オイゲンは聞いていた。

 

威厳に満ち、艦隊を引っ張る姉とは違って、彼女はどちらかというと引きこもりだった。本来なら、この艦隊の副官も彼女がやるはずだったのだが、「無理。パス」の一言で、オイゲンが引き受けることになった。イタリア戦艦娘の誰かにしては、との意見もあったが、当時艤装の完成していなかった彼女たちが副官をやると言うのも、なんだか変な話だと言うことで、結局オイゲンが務めることになった。

 

そんな彼女も、戦闘となるとまるで別人だ。艤装はビスマルクと同型であり、強力そのもの。練度だって、引けを取らない。艦隊では、「孤高の女王」とあだ名されていた。

 

『いい?あなたたち』

 

先頭のティルピッツは、振り向くことなく、はっきりとした声音で告げた。

 

『絶対に沈んではダメ。もう無理な時は、下がりなさい。私が全力で援護する』

 

全員が押し黙ったままだ。それでも、艦隊で一、二を争う戦艦娘の迫力ある言葉に、静かに頷いた。

 

『まあ、何が言いたいかというと・・・』

 

そこに続く言葉の前に、ティルピッツが不敵に笑った気がした。

 

『沈む手前までは、仲間のために戦いなさい』

 

四人分の艤装が唸る。ティルピッツは低く、オイゲンはしなやかに、そして二人の駆逐艦は軽やかに。

 

背中にあるのは、私たちの仲間だ。

 

目の前にいるのは、憎き深海棲艦だ。

 

そして私は、艦娘だ。

 

『補給だけは、タイミング見てしっかりしなさい。あの姉のことだから、ちゃんと浮遊補給艦を出してくれてるでしょ』

 

浮遊補給艦とは、艦娘に反応して浮上してくる、機雷型の補給物資搭載艦だ。リランカ島周辺海域にいくつも用意されており、必要に応じて、ここから補給を受けることができる。

 

これで、退く理由は、微塵もない。

 

『砲戦用意!』

 

ティルピッツの艤装に据えられた、巨大な連装砲塔が四基、接近する敵艦隊に指向される。四七口径三八センチ砲は弾道が安定していて、精度のいい観測機器と相まって高い命中率を誇っていた。斉射能力は一分間に約二回。

 

オイゲンの艤装も、ティルピッツに非常に近い構造をしている。大きさは一回り小さいが、取り回しはいい。搭載された六〇口径二〇・三センチ砲は、戦艦並みの有効射程を誇る、優秀な砲だ。斉射能力は一分間に四、五回。

 

自慢の測距儀を通して、敵艦が見える。ヒューマノイド―――紛れもない、人型の深海棲艦。巨大な盾を思わせる艤装と、そこから突き出た極太の砲身。重々しい存在感が波を切り裂き、飛沫を散らしていた。ただただ深く、まるで烏賊墨で染めたかのようなしなやかな黒髪が、風にはためき、流麗に後ろに流れている。鋼鉄の破壊神、人類を死へと誘う審判者。破滅の歌を唄う“彼女”は、正しく海洋の頂点、戦艦ル級であった。

 

しかも、それが四隻。複縦陣を敷いている。護衛の駆逐艦が二隻いるから、圧倒的にこちらが不利だ。

 

だからといって、退くわけにはいかなかった。オイゲンは奥歯を噛み締め、こちらを睥睨する青白い瞳を睨み返す。こちらを気にも留めないようなその視線に、真っ向から挑みかかった。

 

「レーベ、マックス、突撃準備!」

 

「了解」の返事は早い。装薬が多めとはいえ、重巡洋艦でしかないオイゲンが、敵戦艦と渡り合い、二人の駆逐艦娘の突撃を援護するには、接近戦を挑む他なかった。

 

ティルピッツが砲撃を始め次第、突撃を敢行する腹積もりだ。

 

彼我の距離、二万七千。深海棲艦の有効射程距離、つまり砲戦距離までは後二千だ。

 

ごくり。生唾を呑み込む。まだか、まだ撃たないか・・・?

 

待ちに待った瞬間は、突然訪れた。

 

『二万五千!撃ち方始め、フェイエルッ!』

 

先頭のティルピッツが発砲した。褐色の砲煙が沸き起こり、辺りに大音響が轟く。迫力と頼もしさを両立する砲音に負けじと、オイゲンも声を張り上げた。

 

「突撃始めっ!」

 

主機の回転数が、にわかに上がる。掻き分けられた水の反作用が足を伝わり、オイゲンを前へ前へと突き出した。その力に無理に逆らおうとはせず、波に乗るがごとく流れに身を任せるのが、高速航行の秘訣だ。

 

三〇ノットで突撃するオイゲンたちは、すぐに二万を切る。ティルピッツに続くようにして発砲した前列のル級には目もくれず、その後ろ、悠々と進んでいるさらに二隻のル級に狙いを着けた。わずかに面舵を切り、射線に前列のル級が入らないように陣取る。

 

「レーベ、マックスは突撃!私はここで撃ち合う!」

 

『了解。武運を』

 

距離二万。いかにオイゲンといえども、この距離で戦艦に有効打を与えられるかは疑問だったが、このまま突撃を続けるのもナンセンスだ。突撃は二人の駆逐艦に任せ、自分は砲撃戦を行いつつ、さらなる接近を試みるつもりだ。

 

二隻のZ型駆逐艦が、白波を蹴立てて突撃する。ティルピッツはと言えば、すでに前列右の敵艦に命中弾を与え、斉射に移行していた。

 

―――さて、始めましょうか。

 

姉様に頼まれたのだ。必ずやり切って見せる。

 

―――重巡だからって、

 

「甘く見ないで!」

 

号砲一発。測距の終わった後列右の敵戦艦に、観測射となる第一射を放つ。ティルピッツに劣るとはいえ、その砲声は強烈だ。四基ある連装砲塔の、各一番砲が砲口から火焔を迸らせ、二〇・三センチ砲弾を叩きだす。

 

十数秒の後、第一射が落下した。敵戦艦の手前に四本、白い海水の柱が生じる。初弾は全弾近だ。

 

観戦と決め込んでいたらしい後列の戦艦が、慌ただしく動くさまが見えた。今頃、挑みかかってきた小柄な快速艦に、急いで照準を合わせているのだろう。その間に、オイゲンが修正を加えた第二射を放つ。

 

第二射も全弾近だ。距離は縮まったが、夾叉には至らない。オイゲンはさらに第三射を放った。

 

ほぼ同時に、後列右の敵戦艦が発砲した。妖しげに黒光りする巨大な盾から橙色の火球が沸き起こり、オイゲンのそれを遥かに凌ぐ威力を持った弾丸を、高速で宙空に投げつけた。轟音と共に飛翔した敵弾が、オイゲンの後方で飛沫を上げる。

 

かなり離れた位置に落下したはずなのに、ものすごい衝撃が襲ってきた。改めて、一六インチ砲弾の持つ恐るべき破壊力に戦慄する。だがそれ以上に、内から闘志が溢れてきた。

 

戦艦なんかに、負けてたまるか。

 

第四射を放つとき、確かな手ごたえを感じた。六〇口径という長砲身から放たれた四発の砲弾は、理想的な弾道を描いて、ル級の艦上に直撃弾炸裂の火焔を躍らせた。

 

「よし!」

 

グッとガッツポーズを取り、再装填を待つ。ここからは連続斉射だ。装填機構の許す限り、撃って、撃って、撃ちまくる。

 

敵艦の第二射は、空振りに終わった。その余韻が収まろうという頃、ついに時宜は来た。

 

オイゲンの主砲が、それまでに倍する方向を上げる。並列された二門の砲口が同時に爆炎を上げ、敵戦艦から戦闘能力を削ぐべく、鋼鉄製の火矢を放つ。計八発の砲弾は、狙い違わずに敵艦を包み込み、その艦上に炸裂光を見せた。命中弾は二発。

 

次なる斉射は、すぐに放たれる。速射砲と言われるだけあるその主砲は、遺憾なくその能力を発揮していた。

 

結局、敵の第三射が降ってくるまでに、三度の斉射を放った。被害らしい被害を受けているようには見えないが、ともかく計五発の命中弾を与えている。ル級の艤装からは、チロチロと小さな火が見て取れた。

 

やれる。そう確信して、斉射を続ける。発砲の度、砲口から巨大な砲炎が上がり、砲弾が敵戦艦に襲い掛かろうとする。

 

だが、所詮は重巡洋艦だ。

 

敵弾の第四射が、オイゲンの砲声を打ち消すほどの大音響を伴って落下してきた。近い。本能でそう判断し、身構えた瞬間、超至近距離に海水製のオベリスクが現出した。衝撃がオイゲンを揉みしだき、弾け飛んだ断片が艤装とぶつかって異音を響かせる。局所的なスコールとなって崩れゆく水柱の水滴が、バラバラと大きな音を立てた。

 

敵弾は、オイゲンを夾叉していた。

 

次から斉射が降ってくる。回避するべきか、一瞬迷ったが、首を振って振り払った。レーベたちは、かなり敵戦艦に接近した。敵駆逐艦の妨害を振り切って、ル級へ雷撃を試みようとしている。

 

オイゲンの射撃が、両用砲を一基潰せば、それだけ彼女たちの負担を減らせる。

 

―――踏ん張って、オイゲン!

 

覚悟などと生易しい感覚ではなかったし、その類とは少し違った気がした。

 

オイゲンの連続斉射は続いた。そして、恐れていた瞬間がやってくる。

 

不気味に沈黙していた敵戦艦が、それまでの射撃とは比べるべくもない、巨大な砲炎を吐き出した。夾叉弾を得て、誤差修正は十分と判断した敵戦艦は、一気に決着を着けるべく、持てる全ての火力でオイゲンを撃ってきたのだ。

 

弾着の瞬間。オイゲンの艤装は聞いたことないような異音を発して、弾け飛んだ。前へ吹き飛ばされる感覚と、強烈な衝撃、圧潰音。

 

命中弾はたったの一発だった。その一発の一六インチ砲弾は、オイゲンの装甲をいともたやすく突き破り、右側半分をごっそりと海の藻屑に変えてしまったのだ。オイゲンが戦闘不能なのは、誰の目にも明らかだった。

 

『投雷完了!すぐに戻る!』

 

レーベの声が通信機から聞こえた。痛みに顔をしかめながら、相手取っていたル級を見ると、迫りくる魚雷に気付いたのだろう。回避運動を取ろうとしていた。が、その努力の甲斐も虚しく、巨大な水柱が舷側に立ち上る。傾いだ敵戦艦は、おそらくもう、主砲を撃つことはできないはずだ。

 

その前。前列右の、ティルピッツが相手取っていた敵艦は、業火に包まれて行き足を失いかけていた。敵戦艦との砲撃戦に勝利をおさめたらしいティルピッツは、もう一隻の戦艦と壮絶な砲弾の応酬を繰り広げている。まるでボクシングの殴り合いだ。

 

『―――あなたたち、よく聞きなさい』

 

そんなティルピッツから通信があったのは、合流した駆逐艦に肩を貸してもらいながら、オイゲンが退避を始めた時だった。

 

『基地の退避が完了したみたい。こちらも、撤退にかかります』

 

一呼吸があった。

 

『みんな、無事に帰ってね』

 

「ティルピッツさん!」

 

オイゲンの叫びは、切られた通信機の向こうに届くことはなかった。

 

オイゲンは、遠ざかるティルピッツを見つめ続ける。その艤装が、妖しげなオーラを放って大気を震わせたことを、オイゲンは肌で感じていた。

 

―――まさか・・・!

 

それは、艦隊でも一部の艦娘しか知らないこと。一部にしか、知らされていない、艦娘の艤装の、底力。

 

 

 

リミッターを解除する方法。

 

 

 

「それだけはダメです、ティルピッツさん!」

 

今の状態で“それ”を使えば、あなたが壊れてしまう。

 

必死に伸ばした手の先、放たれたティルピッツの斉射は、一際強烈な破壊力で敵戦艦を吹き飛ばした。




と、いうわけで。謎の協力勢力は、なんとビスマルクたちでした!

まあ、なんかいきなり襲撃されてたけど・・・

リ号作戦、大丈夫なのかな・・・

さて、もうすぐ冬イベ。みなさん、鎮守府を急襲されないように気を付けて、

気合い!入れて!参りましょう!


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希望の向う先

なんか最近ペース速いよな・・・

大丈夫かな・・・

未だに、船団が出る気配がゼロっていう

どうぞよろしくお願いします


自己紹介したわたしを、司令官は驚いたような表情で見つめていました。それからゆっくりと、言葉を選ぶようにして開かれた口元が、印象的でした。

 

「それじゃあ・・・君が、艦娘ですか?」

 

「は、はい。わたしが、艦娘第一号艦です」

 

緊張気味に答えます。彼は目を細め、じっとわたしを見つめた後、何かを思い出したように、優しげな声音で話し始めました。

 

「挨拶がまだでしたね。自分は、この鎮守府を預かることになったものです」

 

そう言って、サッと右手を上げました。本職の敬礼は、はっとするほどに洗練されて、美しいものです。

 

「よろしくお願いします」

 

「あ、はい!こちらこそ、よろしくお願いします、」

 

それから、目の前の将校のことをどう呼ぼうか一瞬迷って

 

「司令官!」

 

わたしは、司令官をそう呼ぶことにしました。

 

 

往々にして、人間の予感というものは、存外当てになるものなのである。

 

提督は、それをよく知っていた。元情報将校である彼は、ある意味でその『予感』を最も磨いた人材ともいえる。だから、提督となった今も、時たまこの予感というのを元に、仮説を立てて検証してみることがあった。

 

ただまあ、今回に関しては、それほど高度な予感は必要ない。情報将校として培った分析能力が、早い段階でそれを察知しただけだ。

 

秘書艦もまだ来ていない執務室で、リ号作戦に関わる書類と向き合おうとしていた提督は、その扉が小気味よくノックされるのを聞いた。独特なリズムを刻んで鳴らされたその音には、聞き覚えがある。

 

一言で表せば、嫌な予感しかしない。

 

「どうぞ」

 

気の進まないのを押し殺して、ノックに応える。次の瞬間には、なんの遠慮もなしに、勢いよく扉が開かれた。

 

「よー、久しぶりだな後輩ー」

 

細身の眼鏡と、端正な顔、オールバックの黒髪と、どこからどう見ても理知的な冷血漢にしか見えないのに、その声音はイメージ瓦解もいいところだ。頭を抱えたい衝動を辛うじて抑えられただけ、先輩思いの後輩と思ってほしいものである。

 

「・・・お久しぶりです、シゲノリ先輩」

 

渋々立ち上がって、件の先輩を歓迎した。

 

シゲノリと呼ばれた男は、提督が情報将校だった頃の先輩だ。階級は共に大佐であるが、これは提督が鎮守府を預かるに当たって特例で昇進したからであり、実際には三期上である。それでも、その若さで大佐に登り詰めているのだから、それ相応に優秀な男であるのは確かだ。

 

まあ、この通りかなりふざけた先輩ではあるのだが。

 

「なんだなんだ、その時化た面は?」

 

図々しくもこちらを覗き込む顔には、一見冷酷に見える笑みが浮かんでいるが、それが楽しんでいる時の表情だというのは、提督もよく知っていた。

 

この人が、誰かを本気で冷笑している時は、それこそ満面の笑みになるものなのだ。

 

「・・・たった今、頭痛の種が増えたからです」

 

「ほほう、それは災難だったな」

 

まったく悪びれる様子もない。こういう先輩なのだ。

 

盛大にため息を吐くことくらいは、許されていいだろう。

 

「それで、先輩」

 

このまま無駄に時間を使いたくはない。というか、できればこの先輩を、早々にこの執務室から追い出したい。

 

「どうして、上層部直属の情報将校であるあなたが、鎮守府に?」

 

「良くぞ訊いてくれた!」

 

シゲノリは、大げさな手ぶりでそう言った。

 

「・・・もったい付けずに早く言ってください、仏頼み先輩」

 

「仏頼みじゃない!神懸かりと言え、神懸かりと!」

 

―――どっちでもいいですよ!

 

俗に言う、めんどくさい先輩なのである。仕事だけやってれば、かなり優秀な人なのであるが。

 

「まあ、前振りはこの程度か」

 

するとシゲノリは、持っていた黒い鞄から書類の束を取り出した。クリップで止められた、それなりに厚みのある書類の束である。

 

「・・・これは?」

 

「おいおい、薄情な後輩だなあ」

 

シゲノリは端正な眉を八の字にする。

 

「わざわざ俺に頼んでおいて、もう忘れたのか」

 

「・・・まさか」

 

心当たりはあった。半年以上前だから、丁度ユキが鎮守府に着任した頃だっただろうか。

 

それは、DB機関が保有していた、極秘文書だ。もっとも、提督は実際に読んだこともなく、その存在を辛うじて耳にした程度だ。

 

最初はイソロク長官に頼み込んだ。彼は、その書類は現在存在しない―――少なくとも、鎮守府司令部はその行方を把握していないと言った。

 

だが、その書類が存在していたことは認めた。そして代わりと言っては何だがと、ある可能性を教えてくれた。

 

―――「DB機関は、自衛隊と米軍を中心としていた組織だ。通信遮断で自然消滅みたいな形になったが、はっきりと解体が宣言されたわけではない。だから、その時の書類が、もし残っているとするならば、それは上層部―――統合海軍令部にある可能性が高いだろう」

 

幸い、提督には上層部に知り合いがいた。それが、シゲノリだ。

 

上層部は、基本的に鎮守府を目の敵にしている。それを表にしないのは、現在の両世界の日本を支えているのが、鎮守府とそこに所属する艦娘だとわかっているからだ。

 

そこに加えて、このシゲノリの存在が大きいと、提督は睨んでいる。上層部直属の情報将校であるシゲノリだが、その実はイソロクの命を受けて送り込まれた、いわば密偵だ。上層部が無茶な作戦を立てないか見張り、彼らが必死に隠そうとする秘密を暴く。自衛隊史上最高の情報将校と言われるその手腕を買われてのことだ。

 

そんな事をすれば、真っ先に疑われて罷免されそうなものだが、その程度の偽装などシゲノリにはお手の物だ。イソロクに情報を伝えるにしても、自分が直接伝えるなんていう馬鹿なことはしない。一体全体どんなルートを持っているのか、時には上層部の会議の内容を、ほぼライブで鎮守府司令部に伝えてきたことがあった。

 

まったくもって恐ろしい先輩なのだが、いかんせん、普段がこれだ。もっとも、こんなふざけた態度だからこそ、今まで疑われて来なかったのかもしれないが。

 

今回の依頼も、実は半ば諦めていた。

 

―――「おう、任せておけ!」

 

そんなことを言って二つ返事でシゲノリは捜索を了承してくれたが、以来何の音沙汰もないので、やはり書類は喪失したのだと思っていたのだ。

 

―――探してくれていたんですね。

 

こんな態度でなければ、もっと素直に感謝できるのだが。

 

「・・・本物ですよね?」

 

「俺が嘘を吐いたことがあったか?」

 

「私が記憶している限り、先輩が本当のことを言ったのは四回です」

 

「じゃあ、これが五回目だよ」

 

パンパンと書類を叩く。

 

「いやー、上層部の書庫ってのも、大変だな」

 

「書庫にあったんですか?」

 

「まあな。最初は機密書類の保管庫だと思って探してたんだが」

 

木を隠すなら林とは、よく言ったものだ。シゲノリはそう呟いた。

 

「書庫の本棚、よく見たら衝立に隠しスペースみたいのがあってな。案の定、そのうちの一つに入ってやがった」

 

そして、その書類の束を差し出す。

 

「ありがとうございます。でも、よく持ち出せましたね」

 

どうやったんですか?視線で尋ねると、シゲノリは不敵に笑う。

 

「おっと、そいつは企業秘密だ」

 

「・・・ですよね」

 

提督は受け取った書類を、恭しく掲げる所作をした。

 

「コピーは三部までな」

 

「わかってます。いつ返しますか?」

 

「午後には帰るから、その時に返してくれ。それまでは、せっかくこっちに来たことだし、鎮守府を見学させてもらうよ」

 

そう言って踵を返し、扉へと戻っていく。それを開く前にこちらを振り向くと、こう残して部屋を去っていった。

 

「元気そうで何よりだ」

 

閉じた扉に礼をして、執務机に腰掛ける。片付けておきたい書類はいくつかあるが、最優先はこれだ。

 

ペラリ、ペラリ。ゆっくりとページを捲っていく。その度に、自分の表情が険しくなっていくのを、提督はありありと感じていた。

 

その手が止まったのは、丁度中ほどまで読み進めた時だ。目を留めたページを、まじまじと食い入るように読む。

 

背中を、嫌な汗が伝った。それこそ、あの嘘吐きの先輩のことだ。手の込んだイタズラではないか、そう疑いもした。だが、彼がそんなことをする理由も見つからなかった。

 

―――当てにするには、確たる証拠がない。だが、確かめてみる価値はある、か。

 

取り敢えずは、コピーを取ろう。これからのことを考えれば、いつかこの書類を、誰かに託す時が来るかもしれない。

 

今は、誰かに見られるわけにはいかない。茶封筒を用意した彼は、読み終えた書類の束を、その中へと仕舞い込む。

 

『深海棲艦の出現と活動に関する考察』

 

自分が手にしたこのカードは、果たして奇貨となりうるのか。提督にはまだわからなかった。

 

 

ピッ。ピッ。

 

心電図の音は規則的で、美しくさえある。個々の人間が持つ、生命のリズムだ。それなのに、なぜこれほどに物悲しく、虚しいものに聞こえるのか。ビスマルクはその答えを知りながらも、あえて無視することを選んだ。現在最高指揮権を有する自分が動揺するわけにはいかないし、何より目の前の状況を受け入れるのが嫌だった。その程度には、まだまだビスマルクは若輩で、人間的だった。

 

真っ白なベッドに横たえられ、各種の計器に繋がれているのは、彼女の妹艦、ティルピッツであった。なんとか山を越して、酸素マスクは取れているものの、依然としてその意識は戻らない。艤装から逆流した“ティルピッツ”の船魂は、彼女の精神に相当なダメージを与えていた。

 

白く透き通るような肌。その下には暖かな血液が流れてピンクに染まっており、生気に溢れている。だが、彼女の意識が回復するかは、まだわからなかった。

 

「姉様、そろそろ」

 

ビスマルクの後ろに控えていたオイゲンが、気遣うように言った。その言葉に、ビスマルクは小さく頷く。

 

「・・・また、来るわね」

 

そう言って、ティルピッツの手を握る。それでも握り返してくることのない手に広がりそうになった絶望を、驚異的な自制心と責任感で押さえつけた。

 

ゆっくりと席を立つ。奥で他の負傷者の手当ても行っている軍医に会釈して、ビスマルクは医務室を後にした。

 

ここは、支援艦“ペーター・シュトラウス”の艦内医務室だ。深海棲艦の襲撃によって負傷した艦娘や基地職員の手当てを行っている。

 

襲撃から三日。最終的に、“ペーター・シュトラウス”への避難が間に合ったのは、全職員の七割、およそ三百五十人だ。そしてこの三日で、十分な処置を行えず亡くなったのは、十二人にも上る。他にも、重傷者が三十人、軽傷者は数えきれない。

 

今のビスマルクを支えているのは、なけなしの責任感と副官だけだった。それがなければ、今にも倒れて、年頃の少女のように泣いてしまっていることだろう。だが今のビスマルクに、それは許されていない。

 

行方知れずのアトミラールに代わって、艦隊を指揮する義務が、ビスマルクにはあった。

 

「艤装修復の状況は?」

 

通路を艦橋へと歩きながら、ビスマルクは小声で尋ねた。襲撃以後、喋る時は自然と小声になってしまっている。

 

「姉様の艤装は無傷で、いつでも出撃可能です。レーベとマックスも簡単な整備だけで終えられています。ただ、私とティルピッツさんの艤装は、損傷が激しくて、修復を行うには電力が足りません」

 

ビスマルクは顔をしかめた。何とかしたいが、こればかりは仕方がない。発電機から供給される以上の電力を産み出すには機関を動かせばいいが、そんな事をすればさすがの深海棲艦もこの秘密ドックに気づくだろう。その前に、こちらが一酸化炭素中毒で全滅しかねない。

 

発電機の電力だけでも、修復を行うことは可能だ。だが今は、その分の電力を医療機器の使用に回している。これをカットすることはできない相談だ。

 

「こればかりは、どうしようもないわね。他に報告は?」

 

「基地の工廠から、残った艤装のコアを、可能な限り運び出しています」

 

コアは、艦娘が艦娘たる核心の部分だ。船魂そのものと言っても過言ではない。最悪これさえあれば、いずれ艤装を修復することは可能だ。

 

そんなことをして、何になるというのか。自棄になりそうな思考は、すぐに頭の外へと掃き捨てる。どんな時でも、希望を自ら捨てるようなことは、絶対にしてはいけない。まして、それが彼女の妹が、身を挺して繋いでくれた希望なら。

 

「日没までは?」

 

「後二時間です」

 

「今夜も、引き続き作業をお願い」

 

「わかりました。そう伝えます」

 

夜間ならば、敵艦載機も活動できない。洋上の敵艦隊から、廃墟となった基地の施設周辺をうろつく影を捉えることは、まずできないはずだ。あらゆる行動は、夜の闇が守ってくれている間に行わなければならない。

 

それと、気になることはもう一つ。

 

艦橋に辿り着くと、すでに多くの人員が集まっている。ビスマルクが招集をかけた面子だ。希望を守る、参謀たちだ。

 

「お疲れ様です、ビスマルク」

 

いつものおっとりとした調子ながら、確かな覚悟と慈しみを感じさせる声音は、リットリオのものだ。イタリア艦をまとめるヴィットリオ・ヴェネトが負傷した今、彼女がイタリア艦隊をまとめてくれている。普段はほわほわとした優しげな艦娘だが、こういう時の眼光は他を圧する鋭さがある。

 

「ありがとう。問題ないわ。話を始めましょう」

 

気遣う言葉に礼を述べ、海図台の上に引き出した地図と各種資料を囲んで、会議の開始を指示する。

 

「まずは、この“ペーター・シュトラウス”についてよ」

 

先陣切って話を始めるのは、ローマだ。極力電灯を抑えている艦橋では資料が見ずらいらしく、右手で眼鏡の位置を調整した。

 

「食料の備蓄は、二週間分。艦内の農園は機能しないと思って頂戴。飲料水はもっと深刻。怪我人の手当てにも使わないといけないし、最悪四日で尽きるわ。外の予備電源でもいいから、浄水器を早く動かさないと」

 

船にとって、水不足は深刻な問題だ。海には水が山ほどあるじゃないか、と思われがちだが、海水をそのまま生活用水に使えるはずもなく、どうしても使うなら煮沸が必要になる。しかし、一度にそんな大量の海水を煮炊きすることなどできないのだ。

 

前述の通り、現在の“ペーター・シュトラウス”には、そんな余裕はない。真水を供給するには、外部の作戦指令室近くにある発電機を使って、艦内の排水に大規模な浄水作業を行うしかない。

 

それでも、あくまで急場しのぎだ。どんなに頑張っても、水も食料類と同じく二週間が限度だと、ローマは言った。

 

「次に、“ルフトバッフェ”の報告だ」

 

そう言って引き継いだグラーフ・ツェッペリンの手元には、書類は何もない。彼女は嘆息して、首を横に振る仕種をした。

 

「いい報告は何もない。襲撃で飛行場は壊滅、機体もすべて失われた。唯一残ったのは、出撃後に燃料切れで不時着した“メッサーシュミット”が一機だけだ」

 

深海棲艦の第二次空襲は、退避が完了した後に始まった。物量は奇襲であった第一次とは比べ物にならない。

 

“ルフトバッフェ”は善戦した。航空機の操作は、航空隊運用能力を有する“ペーター・シュトラウス”からでも可能だった。半壊した滑走路から出撃が可能だった単発機が全て上がり、深海棲艦艦載機を迎撃した。しかし、不十分な迎撃体制では、数の上で互角だった敵戦闘機を相手取るので手一杯だった。結局、三度にわたる空襲で戦闘機隊は半数が失われ、滑走路も破壊された。ここに、リランカの空の傘たる“ルフトバッフェ”は壊滅したのだ。

 

「つまり、今のこちらの航空戦力は、この艦に積まれた予備機のみだ。戦闘機と爆撃機、合わせて十二機じゃ、なにもできはしない」

 

航空母艦娘であるツェッペリンの言葉は、重く艦橋にのしかかった。

 

「・・・コアの回収は?」

 

重い空気を払いのけようと、ビスマルクはオイゲンに尋ねる。

 

「昨夜までに、四割を回収しました。今夜も回収作業を実施するつもりです。ただ、残りは工廠施設の瓦礫に埋もれているため、回収には相当の困難が予想されます」

 

「重ねてになるけれど、よろしくお願い」

 

オイゲンはコクリと、はっきり頷いた。

 

さて。最後に、気になることが一つ。確かめなければ。

 

「リットリオ」

 

「はい」

 

「昨夜の、リベッチオが言っていた件は、どうなったかしら?」

 

リットリオの目が、さらに鋭い光を帯びた。

 

「昨夜、回収作業に参加した娘全員に聞いてみました。その可能性は十分に高いかと思います」

 

「そう。目覚めるのは、いつ頃?」

 

「提督からの情報が正しければ、四日後。規模によりますが、完全体になるにはさらに三、四日かと」

 

その時が来れば、こちらの動きは完全に封じられてしまう。

 

何か、対策を打たなければならない。

 

「それで、ビスマルク」

 

眼鏡の奥の目を細めて、ローマが正面から見据えてきた。

 

「これからどうするつもりか、訊いてもいいかしら」

 

ローマの追及には容赦がない。そういうところで遠慮をするような彼女ではないことを、ビスマルクもよく知っている。そしてここにいる面子に、一切の誤魔化しが利かないことも。

 

「・・・」

 

ビスマルクは押し黙る。

 

方法は、ある。なんとも虫のいい方法だが、賭けてみる価値は十分にあると、ビスマルクの理性は告げている。だが彼女の中の矜持が、この、独立した艦隊の一員としての矜持が、簡単にその判断を下してもいいものかと問いかける。

 

ローマが溜息を吐いた。

 

「・・・あなたの悩んでいること、当ててあげようかしら?」

 

それでも口を開かないビスマルクに遠慮などせず、ローマはさらに言葉を続けた。

 

「『チンジュフ』に、助けを求めてみる」

 

淀みない言葉に、ビスマルクは沈黙を持って答えた。

 

軍事的な話をすれば、『チンジュフ』にとってビスマルクたちは、協力者であり、貴重な戦力であるはずだ。みすみす見捨てるようなことはしないだろう。リランカ島の奪還は無理でも、この“ペーター・シュトラウス”がリランカ島から脱するだけの時間稼ぎはしてくれるはずだ。夜闇に乗じての強行突破を図ってもいい。

 

それに、アトミラールによれば、『チンジュフ』の指揮官は、艦娘を非常に大切にする人物らしい。一年半もの間深海棲艦と戦いながら、いまだに一人の轟沈も出していないという。艦娘の練度もさることながら、彼女たちの働きをサポートする彼の手腕もまた、確かなものだ。そんな彼と、彼の艦娘ならば、この脱出劇も成功させることが可能なはずだ。

 

彼らに賭けてみる価値はある。

 

だが、そうなった時。ビスマルクたちは、『チンジュフ』に合流せざるを得ない。これまで独立した艦隊として、自らの意思を持って行動してきた彼女たちの艦隊が、『チンジュフ』の指揮下に入ることはどうしても避けたかった。

 

「・・・あなたの言う通りよ」

 

ビスマルクは力なく頷いた。

 

「だったら、悩むことなんてないじゃない」

 

ローマは、さも当然のように言った。

 

「希望をむざむざ捨てるようなことは、あってはならないことよ」

 

―――・・・そうだったわね。

 

自分で笑ってしまう。そんな簡単なことなのに、悩んでいる自分に。彼女の思っていた以上に、ティルピッツの不在が落としている影は大きいのかもしれなかった。

 

ローマが、クールな表情を崩すことなく、こちらを見つめている。

 

リットリオは、いつもの優しげな微笑みで、ゆっくりと頷いた。

 

覚悟の滲む顔は、副官であるオイゲンのものだ。

 

ツェッペリンの口元には、何かを確信するような笑顔が湛えられていた。

 

―――指揮官失格ね。

 

自嘲的な笑みが、全てのしがらみを洗い流してくれた。

 

「賭けてみましょう」

 

迷いは消えた。確かな意志を持って、ビスマルクは艦隊の指針を示した。

 

 

 

オイゲンがすぐにU-511を呼び出した。潜水艦娘である彼女でなければ、敵の包囲網を抜け、『チンジュフ』にこの事態を伝えることはできない。とは言っても、『チンジュフ』の潜水艦娘ほど航続距離に余裕のない彼女には、きつい任務になるだろう。それでも、やってもらわなければならない。

 

しばらくして現れた、一際物静かな潜水艦娘は、それでもしっかりと答えた。

 

「艦隊の希望を・・・しっかり運ばせてもらいます」

 

出撃は明日日没後と決まった。工廠部では慌ただしく準備が始まる。

 

お使いが始まる。この艦隊の命運を賭けた、一世一代のお使いが。希望を繋ぐための、お使いが。

 

―――成功を、祈っていて頂戴。

 

眠り続ける姉妹艦の手を握る。今はそれだけで、力が湧いてくる気がした。

 

陽の沈んだ秘密ドックは、潜水艦娘が出られるだけの隙間を開けられた。超長距離遠征のためのあらゆる装備を身に着けたU-511は、ゆっくりと潜航して、シャッターの向こうへと消えていった。




こうして、ユーちゃんは鎮守府へとやってきたのだった・・・

次回は、ユーちゃんが鎮守府に辿り着いてからの話です

そして、あの陸軍艦娘が再び・・・!


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希望を紡いで

ここのところ早いですね、作者大丈夫かしら

倒れたりしないかしら

さて、今回も飛ばして参りましょう、じゃないといつまでたってもリ号作戦始まらないしね

どうぞ、よろしくお願いします


「それじゃあ、鎮守府を案内しますね!」

 

司令官への挨拶を済ませた私は、早速彼の前に立って、鎮守府へと先導していきます。とはいっても、ここまでの道のりは散々迷子になった末に、さっきようやく覚えたものなので、何回か危ない時がありましたけど。

 

「鎮守府の設備は、どの程度整っていますか?」

 

物珍しそうに辺りを見回していた司令官が尋ねます。

 

「半分って言ってました。やっぱり、資材が足りていないらしくて・・・」

 

「そうですか・・・」

 

「で、でも!必ず!わたしが頑張って、資材をたくさん、輸送できるようにしますから!」

 

意気込んで言ったわたしを、司令官は優しげに微笑んで見つめていました。

 

「吹雪さん」

 

「あの、吹雪、でいいです」

 

「では、吹雪。君のその意気、俺も一緒に持たせてほしい。この海を、一緒に取り戻そう」

 

大真面目に訊いた司令官に、わたしは大きく頷きました。

 

「もちろんです!」

 

 

正午を過ぎた執務室には、ペンを走らせる音と、持ち出した資料類を整理する音、二つが重なっていた。資材の搬入状況を書き記した書類に確認のサインを走らせた提督は、ふと横でせっせと資料を整理する秘書艦に目を向けて、微笑んだ。

 

すらっとした長身を引き立たせる、高いヒールの靴。足元まで届きそうな、小豆色の髪。それをまとめた根本は、桜の花びらがあしらわれている。

 

「大和も、随分と慣れてきたね」

 

「えっ?」

 

突然声を掛けられた本日の秘書艦、大和は、提督の声に驚いたような声を上げた。

 

鎮守府の秘書艦は、扶桑、金剛、長門、赤城、加賀辺りが、持ち回りでやっている。時折、吹雪や大淀が臨時に務めることもあるが、大抵はこの五人で回していた。言わばこの五人が、提督の腹心であり鎮守府の頭脳だ。

 

その秘書艦の持ち回りに、大和を加えようと提案したのは、長門であった。

 

「今後の作戦において、大和は重大な局面での出撃が多くなるだろう。指揮官となることも必ず出てくるはずだ。その際のことを考えれば、秘書艦の経験は重要になるだろう」

 

というのが、推薦の趣旨だった。特に反対する理由もなく、提督もその件については了承し、以来大和も秘書艦を務めるようになっていた。

 

最初は長門や扶桑に色々と面倒を見てもらいながら執務補佐をこなしていたが、生来の飲み込みの良さか、今ではすっかり慣れて、テキパキと仕事をできるまでとなった。その脇で戦術についての勉強もしているらしく、最近は航空戦や海上護衛に関する書籍を片手にしている姿をよく見る。

 

勉強熱心、という意味では、鎮守府がまだまだ手探り状態だった時の吹雪や扶桑に通じるものを感じた。そんな彼女に、負けていられないと密かな対抗心を抱いていることは、情報将校としての能力で抑えている。

 

「と、突然どうされたのですか?」

 

わたわたと資料整理の手を忙しくする彼女が、控えめに尋ねた。

 

「大和は、本当に飲み込みが早いと思ってね」

 

「そう、でしょうか?」

 

「長門も感心してたよ。大和は勉強熱心だ、って」

 

数日前の、居酒屋“鳳翔”での会話である。

 

照れているのだろうか、大和は書類で口元を隠して、明後日の方を向いてしまった。

 

「ほ、褒めても、何も出ませんよ?」

 

「ははは、本当のことを言っただけだよ。仕事の腰を折ってしまってすまなかったね」

 

顔を朱にして、若干の抗議の目線を送ってきた大和も、すぐに頷いて、仕事に戻っていった。今確認しているのは、最近食堂が新しく始めた、食べたいメニューのリクエストだ。秘書艦の方でいくらか絞って間宮に提案し、週一回、お楽しみ献立として夕食のメニューに加えられる。

 

同じく仕事に戻ろうとした提督であったが、ふと、廊下を明らかに執務室に向かって駆けてくる足音に気付いて、そのペンを走らせるのを止めた。

 

予感だ。何か、ただならぬことが起こるような、予感。

 

足音が、執務室の前で急制動を掛ける。呼吸を整える間もなく、扉がノックされた。

 

「どうぞ」

 

自然と提督の声は堅くなった。臨戦態勢、すでにその目は、戦闘に赴く指揮官のそれだ。

 

「失礼します!」

 

勢い込んで入ってきた駆逐艦娘の声を聞き違えることはなかった。白雪。鎮守府最古参の第十一駆逐隊に所属する彼女とは、提督も長い付き合いだ。その彼女が、ここまでうろたえた様子は珍しかった。

 

「何があった?」

 

「と、とにかく埠頭まで来てください!詳しい事情はそれからです!」

 

まくし立てる白雪に尋常ならざる気配を感じて、提督も腰を浮かす。隣の大和も慌ただしく書類をまとめていて、どうやら着いてくるつもりのようだった。

 

「い、行きましょう!」

 

大和が、開いた扉から出たのを待って、提督は白雪の先導で走り出す。廊下に反響する三人分の足音が、鎮守府に風雲急を告げていた。

 

 

 

白雪の誘導で向かった埠頭には、彼女の僚艦である十一駆の三人がいた。いや、正確にはもう一人。十一駆を構成する吹雪型駆逐艦とは全く異なる制服の、線の細い少女が一人いた。

 

灰色がかった―――表現するならば、昔見た潜水艦映画に登場するUボートの艦体のような色合いの潜水服だ。頭にはシュノーケルと思しき細長い筒。水で濡れているのだろうか、白く長い髪はしっとりと服にへばりついている。腰回りの艤装から、彼女が艦娘であることが分かった。

 

吹雪と初雪に支えられて、やっとの思いで埠頭に上がってきた彼女に、提督と大和は駆け寄った。

 

「司令官!大和さん!」

 

謎の艦娘を左から支える吹雪が、二人に気付いて声を上げた。その表情は困惑を抑えて、何とか状況を整理しようとしている。彼女に説明を求めるのが早いということは、提督にはすぐにわかった。

 

「医務室には、深雪ちゃんに向かってもらいました。そろそろ戻るはずです」

 

提督が何かを言う前に、吹雪が口を開く。今まで培ってきた間合いで、お互いの今欲している答えは、大体わかっていた。

 

「ありがとう。詳しい話は、後で聞く」

 

もちろん、十一駆全員で。そしてもう一人。

 

「大和、ユキを呼んできてくれ。作戦室に集合する」

 

「り、了解です」

 

事態を消化しきれていなかった大和も頷き、ユキを探しに庁舎へと戻る。確か今頃は、十八駆と基礎訓練をしているはずだ。

 

「意識は?」

 

息があるのは、潜水服の上下する胸元でわかる。提督の問いかけに、吹雪は静かに首を横に振った。

 

「救助した際は、まだ意識がありました。でも、すぐに途切れてしまって」

 

「そうか・・・」

 

「あ、その前に、こんなものを」

 

吹雪が差し出したのは、小さな封筒だった。とはいっても、しっかりと防水加工がされており、中身は問題ないはずだ。

 

「意識がなくなる直前に、手渡されたものです。リランカをお願い、って」

 

提督の中で全てが繋がった。

 

「もらおう」

 

吹雪から封筒を受け取る。防水加工に、不備はない。中身は気になるが、開けるのは後だ。

 

吹雪が言った通り、深雪に連れられた医務員はすぐに駆け付けた。担架を引いている二人と、軍医長。その横には、深雪が途中で捕まえたのであろう、工廠部員も一人、付き従っていた。

 

埠頭の上に敷かれた担架に、ゆっくりと艦娘が降ろされる。軍医長が容体を見る間、工廠部員は艤装を隈なく調べている。損傷はなさそうだが、相当な負荷が掛かっているかもしれなかった。

 

「・・・あった」

 

工廠部員は、探していたものを見つけたらしかった。目だけで軍医長に尋ね、彼女も頷く。工廠部員は、艤装背部辺りを何か弄っていた。

 

パシュッ。

 

乾いた音と共に、がちゃりと艤装が脱落する。それをどかすと、医務員が立ち上がり、担架で医務室へと向かっていった。

 

「この艤装は、工廠部で預かります」

 

「お願いします」

 

頷いた彼もまた、工廠のある方へと駆けていった。

 

「四人とも、お疲れ様。吹雪と初雪は、艤装を外してきてくれ。作戦室で待ってる」

 

「「はい」」

 

先ほどまで艦娘を支えていた二人は、埠頭から海面に飛び降りる。工廠部へと、自らの艤装を預けに行くのだ。

 

残された白雪と深雪に、提督は促す。

 

「先に行っていよう。全員が揃ったら、話を聞く」

 

 

 

ものの五分で、二人は作戦室に飛び込んできた。これで全員が揃った十一駆と、大和、ユキ。提督も合わせて七人が、作戦室に詰めていた。

 

「まず、始めに。四人には、当事者として、知る権利がある」

 

海図台の上にそっと置いた封筒―――手紙を前に差し出して、提督は言う。五分の間に内容は読み切り、中身はすでに封筒の中へと戻してあった。

 

十一駆の四人は顔を見合わせる。数秒の間視線を交差させた後、全員を代表して吹雪が頷いた。手紙の内容を、教えてください、と。

 

「・・・まず、皆が救助した彼女だが、艦娘だ。ただし、この鎮守府の所属じゃない」

 

四人の瞳が揺れた。だが、それ以上の動揺はない。それが、自分への信頼のように思えて、提督は気恥ずかしかった。

 

「リランカ島には、俺たちが『協力勢力』と呼んでいる、もう一つの艦隊がある」

 

「・・・噂は、本当だったんですね」

 

噂。リ号作戦発令を前にして、一ヶ月ほど前から、まことしやかに鎮守府に流れている話のことだ。西方海域には、船団を援護してくれる、もう一つの鎮守府がある、と。潜水艦娘が忙しくしているのは、彼女たちとの事前打ち合わせを行っているからだ、と。

 

実はこの噂は、提督とユキが意図的に流させた噂だった。いきなり『協力勢力』の存在を明かすよりも、噂によって徐々にその存在を広げ、ある程度のところで発表する。この方が、艦娘たちの思考も回るはずだとの、計算だ。噂が多くの憶測を生むことで、現実に対する免疫を作る。それが狙いだ。

 

「本当は、もう少ししてから話すつもりだったけど。この際、隠しても仕方ないしね」

 

その存在を作戦発動まで秘密にしてくれというのは、向こうからのオーダーだった。

 

「話を戻そう。その手紙によると、『協力勢力』の鎮守府が襲撃を受けたらしい。彼女は、それを知らせに来た」

 

その場の全員が、息を呑んだ。

 

提督は、手紙の内容を話し始める。リランカ島の基地が急襲を受け、機能を完全に喪失したこと。現在は、秘密ドックに避難し、支援艦内で生活していること。食料の残量が二週間分で、このままでは今の場所から動けないこと。

 

リ号作戦に合わせて、救助を要請したいこと。

 

提督の話を、六人は押し黙って聞いていた。やがて、最初に口を開いたのは、ユキだ。

 

「リ号作戦は、中止ですか」

 

「いや。中止はしない」

 

提督はきっぱりと言い切った。

 

「元々、彼女たちの存在を当てにした作戦は立てていない。あくまで彼女たちの協力は、側面の援護だ」

 

「それは、そうですが・・・」

 

「まあ、それに」

 

そこまで言って、提督は黙った。この先の言葉は、自分の個人的な気持ちでしかないと思ったから。

 

しかし、そんなものは必要なかったと、すぐに思い知らされた。彼の口から続くはずだった言葉を、彼が最も信任を置く駆逐艦娘が引き継いだのだから。

 

「それに、彼女たちを見捨てるわけにはいかない、ですよね」

 

断言に近い言葉だ。確かな決意を滲ませる、吹雪の言葉だ。

 

―――本当に、この娘は・・・。

 

内心で苦笑をするしかない。彼女は、いつでも俺の言いたいことを、まるで頭の中を覗き見たように言ってしまう。俺よりも強い意志と、決意のもとに。

 

十一駆の四人の表情は、すでに全てを決していた。

 

「救助作戦を実施しよう」

 

背中を押されているのは、どちらの方か。提督は力強く頷いた。ユキも大和も、それに呼応する。

 

困難なのは承知の上だ。だがそれでも、リランカ島の彼女たちを見捨てるという選択肢はなかった。

 

「詳細は、後で詰めるとして。まず、最初に克服しなければいけない問題は、これだ」

 

海図台を起動した提督は、液晶パネルにリランカ島を大写しにする。島のうち南側―――彼女たちが拠点とする地域だ。

 

「秘密ドックは、南東海岸のどこかにある。場所は彼女が知っているだろうから、大した問題じゃない。しかし、ドックは海側から侵入できない構造になっているらしい。よって、救出作戦を実施するには、陸側から向かうしかない」

 

赤い矢印が書き込まれ、リランカ島に上陸した。図面上では簡単なことだが、実際にやるとなると大変どころの話ではない。艦娘は、洋上になければただの少女と変わりないのだから。

 

「さらに問題なのは、陸上型が陣取っている可能性があることだ」

 

その場全員の顔色が変わった。

 

「夜間に上陸作戦をするにしても、最悪の場合、この陸上型の包囲を破らなければならない」

 

全員が押し黙る。だがその中、吹雪一人は何かに気づいたように、はっとその顔を上げた。

 

「司令官、あの方なら・・・」

 

「そうだ。できるのは、彼女たちしかいない」

 

察しのいい吹雪に、提督も微笑して頷く。上陸戦を主任務とする彼女たちなら、陸上でも艤装の力を使うことができる。夜間の強襲上陸戦には、彼女たちの協力が不可欠だ。

 

身のこなしが軽いのは、駆逐艦娘に共通だ。言うや否や、吹雪は身を翻して、一気に加速した。ぎょっとしたのは提督の方だった。

 

「吹雪!?」

 

「わたし、お願いしに行ってきます!」

 

唖然とする六人を残して、吹雪は扉の向こうへと消えた。一瞬の出来事に、全員が呆気にとられるしかなかった。

 

―――本当に、敵わないなあ。

 

提督が苦笑したことで、場の空気が弛緩したのだった。

 

 

火薬の炸裂音と迸る砲炎の後、数瞬もしないうちに弾丸は狙い通り的の中央を射貫いた。白煙を上げる砲口に息を吹きかけると、あきつ丸は満足げに頷いて、射撃姿勢を崩した。

 

「いやはや、すごいでありますな、これは」

 

鎮守府内の射撃場に立つあきつ丸が試し撃ちしていたのは、鎮守府工廠部が陸軍艦娘用に開発中の、試製洋上携行狙撃砲であった。

 

お互いに仲が良いとはお世辞にも言えない統合陸海軍であるが、先日のキス島襲撃の件もあり、より緊密な協力を必要とされていた。幸いなことに、統合陸軍の現場―――あきつ丸たち陸軍艦娘は、キス島から救助されたこともあり、鎮守府の艦娘たちにただならぬ恩を感じていた。そうした経緯もあり、少なくとも現場レベルでは、陸海軍の不和は全くなく、むしろ親密と言える。上の思惑はともかく、陸海軍は手を取り合うことができたのだ。

 

あきつ丸たちの鎮守府駐屯もその一環だ。それまでキス島を守護していた特務師団はさらなる増員と共に二つに分けられ、一月前後の交代でキス島に駐屯することになっていた。キス島守備隊には新しく鎮守府の警備隊も加わり、それならば日頃から鎮守府に駐屯していた方が何かと都合がいいだろうと具申したところ、念願叶って一週間前から正式な駐屯が決まったのであった。

 

キス島襲撃という悲劇は、結果的に陸海軍の融和をもたらしたのだった。

 

「ね?いいでしょいいでしょ」

 

上機嫌に頷くのは、横で耳当てをしていた夕張だ。陸軍からの発注を受けて、試製洋上携行狙撃砲の開発主任を務めたのは、紛れもなく彼女だった。

 

「射程は短いし、威力も一四サンチ砲相当だけど。取り回しの良さと携行弾数は格段に上がってるわよ」

 

自信満々にウィンクを決めるだけはある。

 

試製洋上携行狙撃砲は、F4や支援砲に連なる狙撃砲シリーズの中でも、特に洋上での使用を重視したものだ。原型となったのは長良型の前期三人が持つマシンガン型の主砲で、これを基にして狙撃砲のシステムを組み込んでいる。

 

「ありがたい限りであります」

 

砲身が冷却されたことを確認して、あきつ丸は弾倉を外し、夕張に預ける。陸軍艦娘は、艦娘とは名ばかりで、深海棲艦と渡り合う術を持っていない。自衛用の兵器を持てるのは、本当に心強いのだ。

 

「正式な生産は、いつ頃なのでありますか?」

 

各部を点検しつつ狙撃砲を仕舞い込む夕張に尋ねる。ケースの蓋を閉めた夕張は、グローブをはめた手で考え込む仕種をした。

 

「うーん、もう最終設計段階だから、先行試作型は早ければ二週間以内ってところね」

 

「意外と早いのでありますな」

 

「元々、早急な正式化を狙ったものだから」

 

ケースを抱えて、夕張が立ち上がる。今日の試射は終わりだ。

 

バタンッ。

 

大きな音と共に射撃場の扉が開かれたのは、そんな時だった。あまりの音に、二人が同時にそちらを振り向く。開かれた扉に手を着く彼女は、乱れたセーラー服の肩で大きく息をしていた。前に垂れた髪が、それに合わせて揺れている。

 

「吹雪殿・・・?」

 

突然の来客に戸惑いながらも、あきつ丸は走りこんできた吹雪に声を掛ける。息を整えた吹雪は、うっすらと汗が浮かぶ顔を上げて、その真っ直ぐな瞳をあきつ丸へと向けた。

 

「あきつ丸さん!」

 

「は、はい」

 

あきつ丸―――のみならず、陸軍艦娘全員にとっては、吹雪は命の恩人だった。キス島へ救助に来てくれただけでなく、襲撃してきた敵艦隊へ単艦で立ち向かい、身を挺して彼女たちを守ってくれたのだ。

 

その吹雪が、真剣な目であきつ丸に迫っている。ごくり。余程の出来事であることを感じ取り、あきつ丸は唾を飲み込んだ。

 

「あきつ丸さんたちに、お願いしたいことがあるんです」

 

「お願い、でありますか?」

 

吹雪は話し出す。今度の作戦のことを。そしてリランカで待つ、仲間のことを。

 

話を聞くうち、あきつ丸には他人事とは思えなくなった。二ヶ月前、絶海の孤島で孤立していたのは、彼女たちの方だった。

 

「―――お願いします!わたしたちに力を貸してください!彼女たちを助けるのを、手伝ってください!」

 

吹雪は勢いよく頭を下げた。あきつ丸の横で話を聞いていた夕張も、同じように頭を下げる。彼女もまた、次の作戦に参加するらしい。

 

「あ、頭を上げてほしいであります」

 

あきつ丸は慌てて頭を上げるように言った。ゆっくり、二人の頭が上がる。

 

鎮守府に駐屯しているとはいえ、あきつ丸は統合陸軍の所属。作戦に参加するか否かを決めるのは、吹雪とあきつ丸ではなく、提督あるいはそれよりも上の人物と、陸軍の人間だ。

 

だが、この際そんなものはどうでもよかった。

 

二ヶ月前。キス島に閉じ込められたあきつ丸を、吹雪たちは助けた。

 

今、リランカで待つ彼女たちを助けることができるのは、あきつ丸たちしかいない。

 

何をするべきか。そんなものは、今更問うまでもなかった。

 

あの時の、海征く守護者たちのように。差し伸べられる手を持ちながら、それを差し伸べないのは、神ならぬあきつ丸には許されていない。

 

「吹雪殿」

 

「はい」

 

緊張の面持ちで待つ彼女に、あきつ丸はできるだけ柔らかく、笑顔を見せた。

 

「もちろん。協力させていただくであります」

 

―――あの時の、彼女たちのように。

 

今度は自分が助けよう。

 

幸い、上にはいくらかつてがあるし、話の分かるお偉方も知っている。共同作戦をねじ込むのは可能なはずだ。まして、あの提督がいるなら、尚更。

 

「リ号救出作戦への参加、上に具申してみるであります!」

 

あきつ丸の敬礼に、二人の艦娘が応える。やがてどちらからともなく、その眉尻を下げるのだった。




キス島では撤退するだけだったあきつ丸たちですが、いよいよ本領発揮であります

ちなみに本編では、あきつ丸改を想定しているであります

そういえば、まるゆはどこで何をしているのでありますか?

実は作者も把握していないのであります(おい)


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守るのは希望

久々の超高速投稿

今回はリ号作戦前夜ということで、短めの話です


庁舎までの間、わたしと司令官の会話は、ほとんどが鎮守府についてでした。

 

生活してみてどうかとか、不便はないかとか、他にも施設のこととか。わたしが答えている間、司令官はじっと聞き入っていて、真剣にこちらの話を聞いてくれる、いい司令官だと思いました。

 

正直、最初は少し不安だったんです。怖い軍人さんだったらどうしようって。

 

でも実際の司令官は、若くて、見るからに優しそうで・・・。いくらか覚悟していた分のギャップもあるのでしょうが、司令官に対するわたしの第一印象は、すこぶる良いものでした。

 

「ここが執務室です」

 

庁舎の奥、埠頭に面した部屋にある一室に司令官を招いたわたしは、扉を押し開けて、中へと案内します。

 

青を基調とした質素な机。ガラガラの本棚。それ以外には、これといってものはありません。

 

―――大丈夫だよね。埃、ないよね。

 

つい二時間ほど前に雑巾がけをしたばかりですが、わたしは部屋を見回して確認しました。

 

「隣は司令官の私室と給湯室になってます」

 

わたしが説明すると、司令官は「ありがとう」と言って、持った荷物を片付けようと二つある扉のうちの一つに手をかけました。

 

ですが、その先にあったのは給湯室でした。

 

「ああっ、すみません!逆でした!」

 

わたしは慌てて謝ります。ですが、しばらくの沈黙の後、どちらからともなく笑いだしてしまいました。

 

 

統合陸海軍間のすり合わせは、想像以上に早く終わった。そこに、あきつ丸の多少強引なまでのねじ込みがあったことは、すでに知っていることだ。さらに言えば、独断専行もいいところで始めた、上陸を想定した訓練も影響しているのだろうが。

 

手綱が緩いと言えばその通りだが、現場にとってはむしろ好都合だった。所詮、上層部はアマノイワトの向こう側にあるのだ。やり方さえ間違わなければ、多少の強引な策は通る。

 

―――にしても、あの人を持ってくるとは。

 

あきつ丸という陸軍艦娘、さすがは特務師団の長を務めるだけはある。なかなかに強かというか・・・統合陸軍にとっては、お気の毒というか。あきつ丸が、救助作戦ねじ込みのための窓口としたのは、ヒトシ中将であった。統合陸軍内でもそれなりに発言力があり、人望もある。そのくせ頭はキレ、なのに性格は温厚の一言。腹の探り合いしか知らない連中にとっては、全く考えが読めない、恐ろしい人物に違いない。

 

提督も、直接会うのはすり合わせのための会議が初めてだった。終始ニコニコとしていても、眼鏡の奥の眼光は揺るぎない。

 

―――「あの娘たちを、頼みます」

 

会議の後、そう言って頭を下げたヒトシ中将に面食らったのは、提督の方だ。

 

まあ、ひとまずあの時のことは置いておこう。

 

作戦室の海図台を囲んだ面々を前に、提督は話を始める。

 

「リ号救出作戦の実施が、正式に決定した」

 

リ号作戦におけるリランカ島からの協力勢力―――『独立艦隊』という呼称が定まった彼女たちの救助作戦は、リ号救出作戦と定められた。鯖世界における、統合陸海軍初の共同作戦だ。今日はその作戦の最終確認である。

 

そのため、作戦室に詰める面子もいつもとは少し違う。まず、普段通りの赤城、加賀、長門、大淀、明石、そしてユキと提督。輸送作戦を指揮するライゾウ。救出作戦を指揮するのはタモンだ。さらに“鹿屋”航空隊指令スエオ大佐。陸軍艦娘からはあきつ丸。

 

もう一人、漂着した独立艦隊艦娘―――U-511(潜水艦娘たちはユーと呼んでいる)もいる。ドイツ語を母国語とする彼女には、通訳として伊八―――ハチが付いている。が、日常会話に支障がない程度には日本語ができるらしく、通訳は専門用語に関する説明がほとんどだ。

 

―――「アトミラールが、日本語だったんです」

 

なぜ日本語が話せるのかという問いに対する答えはこうだった。疑問は尽きないが、それらは後で訊くこととした。

 

「本作戦の目的は、今更言うまでもなく、リランカ島に籠城する『独立艦隊』の救出だ」

 

液晶パネルの海図が拡大され、リランカ島が大写しとなる。その南東の海岸に、『独立艦隊』の基地を示す赤い点が示された。

 

「ここが彼女たちの基地。ただし、深海棲艦の攻撃を受け、大きな損害を負っている。また、陸上型の存在も危惧されている」

 

提督は確認するようにユーを見る。コクリ、その物静かな顔が頷いた。

 

「避難先の極秘ドックは、基地から見て西側だ。つまりここに避難している彼女たちを助けるには、基地より東側で上陸し、基地を突っ切って駆けこむしかない」

 

赤い線で書き込まれた進行ラインが、リランカ島に書き込まれる。これが、あきつ丸たち陸軍艦娘の部隊が進む救出ルートになる。

 

「あきつ丸たちが合流後、支援艦には夜を待ってドックから出てもらう」

 

簡単にまとめれば、救出作戦の概要はそう言うことだ。

 

「上陸時の支援として、高速支援母艦“大湊”と航空支援母艦“鹿屋”を向かわせる。参加艦隊は後で発表しよう。救出された艦隊は、その後輸送艦隊と合流だ」

 

基本的な話は以上だ。そう言った提督の後を引き継ぐのはユキだ。

 

「救出艦隊は、インドネシアで輸送艦隊と分離し、大陸沿いにリランカ島への接近を試みます。こちらの方が、遠回りですが深海棲艦との接触率も少ないことが、これまでにわかっています」

 

これは、過去の『独立艦隊』との接触で、潜水艦娘が突き止めたことだ。基本的に、大陸沿岸は小規模な偵察艦隊が極々まれに出没する程度だった。

 

深海棲艦にとって重要なのは海運網の封鎖であり、決して無限ではない戦力を効率よく配置しているのだろう。

 

「上陸作戦は早朝に行います。“鹿屋”航空隊、及び救出支援艦隊の援護のもと上陸し、『独立艦隊』と合流。そこから出港準備等も含めれば、丁度陽が沈む頃にあちらの支援艦がドックを出ることができます」

 

リランカ島周辺を夜間のうちに突破できれば、深海棲艦の襲撃を大幅に軽減することができるはずだ。

 

「救出支援艦隊の編成は、高速少数とする」

 

ユキを引き継ぐのはタモンだ。

 

「高速戦艦二、重巡二、軽巡二、駆逐隊を二つ。これなら、“大湊”の速力を最大に活かして、リランカ島に接近できる。引き上げる際の回収も簡単だ」

 

「それと、航空支援の意味でも、この規模が限界と判断しました」

 

スエオがタモンの意見を補強する。

 

「“鹿屋”航空隊の編成は、“烈風”三十二機、“銀河”三十機、一式陸攻四十機、“彩雲”六機です。百機を超えますが、空母艦娘ほど自由に動けない以上、支援できる規模はこれが限度です」

 

スエオがそう締めくくった。

 

「第一特務師団の上陸訓練は、順調に進んでいるであります」

 

今度はあきつ丸が言う。

 

「先行試作型の試作型、ではありますが、配備したK4の慣熟も間もなく完了します」

 

妙な言い回しで続けたのは明石だ。先行試作型の試作型、つまりまだ試製の名称が外れないものを急遽製造し、特務師団に回しているのだ。ちなみにK4は、洋上携行狙撃砲につけられた略称で、巡洋艦用大口径狙撃砲のF4に倣ったものだった。

 

「以上が、リ号救出作戦の詳細だ。なお、極秘ドックへの誘導役として、U-511にも作戦に参加してもらう」

 

終始聞き入っていたユーが、ぺこりと頭を下げた。

 

「いくつかよろしいですか?」

 

手を上げたのは加賀だ。提督が促すと、いつも通りの冷静沈着な声で話し始める。

 

「救出部隊と輸送部隊は、どのタイミングで合流するのですか?深海棲艦とて馬鹿ではありません。包囲網から抜ける艦があることに気付けば、追撃をしてくる可能性が十分に考えられますが」

 

「救出艦隊は、輸送船団への物資積み込みが始まってから分離する。帰還時には輸送船団の準備が整っているから、護衛艦隊の一部で出迎える。それだけの戦力を揃えれば、あの狭い海峡をわざわざ追撃してはこないだろう。その前に捕捉されたら、そもそも助ける方法はない。まあ、高速支援母艦の足で、海峡に差し掛かる前に深海棲艦の追撃に捕まることはないだろうがな」

 

答えたライゾウの言う海峡とは、インドネシアとカレー洋を結ぶ、大陸と大きな島の間のことだ。

 

「まかせろ。今回の“大湊”は、全速力の発揮が可能だ」

 

タモンがニヤリとした。

 

高速支援母艦―――含めた通常船と、艦娘の速力は基準が違う。前者のノットは一海里を基準とするが、後者は艦娘専用の距離の表し方同様、砲戦距離を基準とする。単純計算では、支援母艦の速力は、最も遅い“呉”でも艦娘換算で二七ノットは出る。高速支援母艦である“大湊”ならば、最大速力は五〇ノットにも上る。鎮守府最速の島風でも四〇ノットであるから、いかなる艦娘も深海棲艦も“大湊”には追いつけないことになる。

 

もっとも、常に最高速度を出せるわけではないし、艦娘の艤装を積み込めばそれだけ重く、遅くなる。それでも、少数編成の艤装重量なら、最高速度をいかんなく発揮できる。とりあえず、襲われたら速さにモノを言わせて逃げればいいのだ。

 

“鹿屋”の最高速力も同じくらいであるし、ユーの話では『独立艦隊』の支援艦はもっと速いという。「逃げるが勝ち」戦法を使うのは、何の問題もなかった。

 

「二つ目に。夜間脱出の援護はどうしますか?飛鷹さんは確かに“鷹娘”の資格を持っていますが、この短期間で夜間攻撃の技能まで磨く時間はなかったはずです」

 

「そればかりは、あちらに頑張ってもらうしかない。それでも襲撃された場合は、あきつ丸たちに支援艦の上から迎撃してもらうしかないだろう」

 

「そちらの訓練もバッチリであります!」

 

あきつ丸がグッと親指を突き出した。

 

「以前から研究していた、分解組み立ての可能なF4も配備できました。もっとも、こちらに至っては試製どころか実験段階の代物ですけど」

 

明石が補足する。

 

「まあ、さっきも言った通り、そもそも艦娘や深海棲艦より早い船だ。たとえ見つかったとしても、捕捉されることはまずないだろう」

 

これでいいか?提督の問いに、「では、最後に」と前置いて、加賀が話を続けた。

 

「・・・救出作戦の成否は、どの段階で判断しますか?」

 

救出作戦の成否。仮に失敗したとしたら、どの段階で切り上げるのか。どこまで、待つことができるのか。

 

タモンが答えようとしたところ、提督が目で制してきた。頷いて、説明を譲る。

 

「一度目の上陸が失敗した時点で、救出作戦は失敗したものとする」

 

細い加賀の眉が、ピクリと跳ねた。提督は続ける。

 

「救出支援の艦隊も、“鹿屋”航空隊も、輸送船団にとっては非常に重要な戦力だ。残念ながら、現在の鎮守府では代えの利く戦力ではない。彼女たちの損耗を低く抑え、輸送作戦を成功させることが最大の目的だ」

 

本来の目的を損なって救出作戦を続行するのは、本末転倒。提督は目はそう言っていた。そしてそこに、どれだけの葛藤があったのか。

 

「・・・厳しい条件ですね」

 

「そうだな」

 

それ以上は何も言わない。

 

「ですが。いえだからこそ、自分たちが全力を尽くして、救助を成功させてみせるであります!」

 

あきつ丸が力説した。それが、加賀を元気付けるためだということに気付かないものはいない。この困難な作戦に際し、自らが参加できないことに忸怩たる思いがあることは、加賀を見た誰もがわかっていた。

 

その後も、各々指摘がある。輸送船団との合流、敵襲撃艦隊突破の対処法再検討、艦上支援火器の配置、陣形の確認。

 

その場の誰もが―――直接作戦に参加するわけではない者も、熱心に議論を交わす。

 

リランカで待つ同胞たちの命運は、この作戦の成否にかかっているのだから。

 

 

最終的な、リ号作戦(輸送、救出含め)参加艦艇は、以下の通りとなった。

 

・救出作戦

 

指揮官:タモン少将、スエオ大佐

 

救出支援艦隊

 

支援母艦:“大湊”、“鹿屋”

 

戦艦:榛名、霧島

 

重巡洋艦:高雄、愛宕

 

軽巡洋艦:神通、那珂

 

駆逐艦:吹雪、白雪、初雪、深雪、白露、時雨、村雨、夕立

 

潜水艦:U-511

 

統合陸軍第一特務師団陸軍艦娘二十人

 

・輸送作戦

 

指揮官:ライゾウ中佐

 

護衛艦隊

 

支援母艦:“横須賀”

 

戦艦:伊勢、日向

 

航空母艦:龍驤、祥鳳、瑞鳳、千歳、千代田、隼鷹

 

重巡洋艦:妙高、那智、足柄、羽黒、摩耶、鳥海

 

軽巡洋艦:長良、名取、五十鈴、鬼怒

 

駆逐艦:睦月、如月、望月、三日月、朧、曙、漣、潮、霰、霞、陽炎、不知火、黒潮、舞風、谷風、天津風

 

直衛艦隊

 

支援母艦:“佐世保”

 

重巡洋艦:古鷹、加古

 

軽巡洋艦:天龍、龍田

 

駆逐艦:皐月、文月、長月、菊月、朝潮、大潮、満潮、荒潮

 

他輸送艦四十二隻

 

これ以外に、潜水艦娘四人―――イムヤ、ゴーヤ、イク、ハチが先行し、敵西方艦隊の漸減を図ることとなっていた。また、輸送作戦の参謀として、長門、赤城、大淀が同行することになっている。三次元的襲撃が予想される西方艦隊に複数の艦隊で対処するには、ライゾウだけでは不可能だ。そこで、“横須賀”に設けられた作戦指揮室で、各艦隊の動きを集め、一元的に指揮するのだ。

 

予定通り、作戦は一週間後に始まる。北方作戦から連続での、困難な作戦だ。

 

だがそれでも、やり遂げようという意思は、艦娘も、もちろん提督たちも強い。

 

救出艦隊の助けを待っている者がいる。

 

輸送艦隊の持ってくる資材が国を蘇らせる。

 

だから彼女たちは戦うのだ。

 

 

 

工廠部に艤装を預けた吹雪は、埠頭に立って夕焼けの海を眺める。明日から、参加艦娘の艤装積み込みが始まるのだ。吹雪は救出艦隊の一員として出撃することとなった。

 

この海を取り戻すと誓った。身寄りのない自分は、それでも誰かのために戦いたいと思った。その“誰か”が、一体誰のことなのか、気づいたのは最近だ。

 

―――「この海を、一緒に取り戻そう」

 

そう言って笑った司令官。思えば、あの時から―――

 

慌てて頭を振る。

 

“誰か”。それは、彼にとっては、全ての艦娘のことだ。たった一人の、吹雪のことではない。

 

―――・・・って、作戦前なのに!何考えてるのわたし!

 

これでもかと頭を振り、偏った自らの考えを振り払おうとする。

 

「・・・大丈夫、吹雪?」

 

「ふえあっ!?」

 

突然掛かった声に、素っ頓狂な声を上げる。振り向くまでもなく、立っているのが司令官だとわかる。

 

いつでも、まったくもって変なタイミングで声を掛ける司令官だ。

 

「び、ビックリしました」

 

「そうか、それはごめん」

 

苦笑した司令官も、吹雪に並んで海を眺める。たったそれだけ。それだけでも、こんなにも満たされている自分。

 

―――だから、違う。

 

少なくとも今だけは。吹雪にとって、彼はいつでも見守っていてくれる、司令官だ。

 

「今回も、任せたよ。吹雪」

 

いつからだろう。頼んだよ、と言わなくなった。任せたよ。司令官はそう言って―――

 

ぽん。

 

温かな優しい手で、頭を撫でてくれるのだ。




いよいよ、次回からリ号作戦の開始です

足りない戦力、限られた時間、強力な敵

果たして、吹雪たちはこの困難を乗り越えられるのか・・・?

・・・落ち着いて大和さん、あなたの出番は輸送作戦じゃないでしょ?ね?


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リ号作戦発動

念願の・・・念願の基地航空隊参入・・・!

感無量です

どうぞ、よろしくお願いします


司令官が鎮守府に着任してからの一週間は、それはもう、ものすごい早さで流れていきました。何せ、物凄い量の書類の山が、一時に押し寄せたのですから。

 

司令官が着任した翌日に、早速執務室を尋ねると、執務机に山と積まれた書類を前にして腕組みをする司令官がいました。わたしからすれば、目眩がしそうな量です。

 

「これ、全部やるんですか?」

 

「ああ、うん。まあ、そうなるね」

 

司令官も苦笑気味に答えました。

 

「・・・あの、わたしにできることがあれば、手伝いますよ」

 

「気にしないでいいよ。・・・と、言いたいところだけど。少し、お願いできるかな?」

 

そういうところ、すぐに受け入れてくれたのは、わたしとしては嬉しかったです。

 

「それじゃあ、吹雪」

 

「はい!」

 

「君を、そうだな・・・秘書艦に任命しよう」

 

こうして、鎮守府に『秘書艦』という役職が生まれました。

 

 

インドネシアの島々の合間を、一人の艦娘が航行していた。まもなく夜明けを迎えようとしている東の空を見遣った彼女は、僚艦にも指示を出して、潜航の準備に入った。

 

潜水艦娘、伊一六八―――イムヤは、僚艦の伊八―――ハチと共に、夜明け前の海へと潜っていった。

 

彼女たちの役目は、ついに発令されたリ号作戦に先駆けて、敵艦隊の漸減を行うことにあった。この時に備えて、インドネシアの一島に極秘の補給基地を建設している。まあ、とは言っても、島影の洞窟を利用して、魚雷の長期保存可能な施設を、突貫で設置しただけだが。

 

昨日、その基地に到着したイムヤ含めた四人の潜水艦娘は、一夜をそこで過ごし、夜明け前に再び海に出た。

 

ゴーヤとイクの役目は、予定通り漸減作戦だ。だが、イムヤとハチは違う。リ号救出作戦に先駆けて、リランカ島に籠る『独立艦隊』へ、作戦詳細を伝える役目がある。そのまま現地に留まり、リ号救出作戦における上陸部隊支援を行うつもりだ。

 

艦娘の能力は、海から上がった時点で失われる。ならば連絡役には、最も艤装が小さく、陸上での取り回しがよい潜水艦娘が適任と判断されたのだ。

 

潜航したイムヤたちの周りに、艤装からエネルギー装甲が展開する。水上艦の艦娘では、敵弾に対して展開する―――具体的には、艦娘本体の体表近くに発生して、砲弾による致命傷を防ぐ役目を果たすエネルギー装甲だが、水中に長時間潜航する潜水艦娘では、涙滴型に展開して、抵抗を軽減するのだ。

 

細胞膜のようなものと思ってもらえればいい。表面からは水中の酸素を取り込み、逆に装甲内部の二酸化炭素を排出する。生命保護カプセルのような役目を持っていた。

 

推進力もこのエネルギー装甲が生み出す。原始的な生命体の中には、体表そのものや繊毛を波打たせることで、推進力に変えるものがいる。この行動を、潜水艦娘は応用していた。

 

とはいえ、水中での足は遅い。基本的には、昼間は水中を進み、夜は水上に出て通常航行で距離を稼ぐ。これでも、リランカ島までは五日。間に深海棲艦の警戒部隊をやり過ごしたりすることを考えると、一週間。救出艦隊の到着五日前に、接触できる予定だった。

 

その間の食料はというと、携行食料程度しかない。魚を捕まえてもいいが、できるのはせいぜい蒸す程度だ。水は簡易浄化装置があるので何とかなる。これが一週間分プラス予備となると、持っているものの三分の二以上が食料ということになった。

 

そのため、持っている魚雷も定数の半分だ。まあ、そもそも道中で戦闘をするつもりはないし、戦闘に加わるときは味方の支援母艦がいるので、補給はいつでも受けられる。今持っている魚雷は、あくまで保険的意味合いだと、イムヤは捉えていた。

 

「エネルギー装甲は正常」

 

小声で呟き、隣を見遣る。エネルギー装甲を通してだが、ハチが見えた。水と絶対屈折率が同じなので、特に歪むこともなく、まるで水中を泳いでいるように見ることができた。こちらを向いた彼女にオッケーサインを送ると、彼女の方も同じように異常なしを伝えた。

 

これからは、残念ながら潜水艦には辛い時間帯だ。エネルギー装甲の異常は、すなわち作戦続行の困難を意味する。

 

―――日没まで、半日。

 

その間は、息を潜めつつ、敵のハンターキラーチームをやり過ごさなければならない。

 

まあ、今まで何度もやってきた任務だ。特に気負いはない。

 

必ず、希望を届ける。リランカ島で待っている人がいるのだから。

 

決意も新たに、上り始めたばかりの太陽光が浸透する海を、イムヤたちは静かに進みだした。

 

 

南西諸島を通過した船団は、ついに西方海域に到達しようとしていた。その船団にあって、一際慌ただしくしていたのが、航空支援母艦“鹿屋”だった。

 

“鹿屋”艦上、まったいらの飛行甲板には、すでに暖機運転に入っている機体が並べられ、出撃の準備に入っている。“烈風”二十四機、“銀河”二十四機、一式陸攻三十機の攻撃隊には、敵艦隊を叩くための兵装が満載されていた。

 

その甲板を見下ろす位置、艦橋の下から張り出すようにして設けられている航空操縦室に腰掛ける飛鷹は、各機が甲板に並べられているのを見て、普段とは違う感覚に眉をしかめた。

 

本来、航空母艦娘である飛鷹の発艦作業というのは、式神型共通の巻物型甲板を広げて、そこから式神となった艦載機を発艦させる。こうして、まるで本物の空母みたいに甲板に並べた艦載機を、順に出撃させていくのは初めてだ。

 

まあ、操作系統は式神型と同じなので、むしろ上空に上がってからの方が違和感はない。

 

それよりも心配なのは、今が朝陽も昇らない夜明け前ということだ。

 

確かに、こういうことも想定して、この一ヶ月半ほど訓練を続けてきた。それでも出撃してから奇襲開始までの時間のうち約半分を、光のない中進むのは、なかなかに難しい注文だ。後でパフェくらい奢ってほしいものである。

 

―――まあ、やれるけど。

 

周囲の計器類とパネルを確認して頷く。出撃準備は完了だ。

 

『飛鷹、どうだ?』

 

艦橋にいるスエオ大佐から、通信が入る。ヘッドフォン越しの声に、口頭マイクで答えた。

 

「攻撃隊、発艦準備完了」

 

『了解。艦首、風上に立て』

 

眼下の甲板では、艦首の前縁から白い線が流れている。風の方向を確認するための水蒸気は、現在右方向に流れていた。つまり取舵を切って、風上に艦首を向けなければならない。

 

スエオの声から少しすると、“鹿屋”の艦首が左に振られた。水蒸気の白線が艦首から綺麗にまっすぐ伸びたところで回頭が終わり、“鹿屋”は風上に向かって驀進する。攻撃隊の発艦準備は、これで整った。

 

―――基地航空隊なのに、発艦って言うのも変なものね。

 

そんな感想を抱いた飛鷹は、感覚を研ぎ澄まし、攻撃隊の操作に神経を集中した。

 

“鹿屋”航空隊の目標は明確だ。西方艦隊が集結している群生地―――泊地。これを先制攻撃によって機能不全に陥れ、西方艦隊の動きを封じるのだ。泊地が破壊できれば艦隊の行動をかなり制限できるし、艦隊に損害を与えれば、それだけ脅威は小さくなる。インドネシア入港に先駆けて必要な攻撃だった。

 

『攻撃隊、発艦始め』

 

スエオが指示した。甲板埋め込み式のチョークが外れ、先頭の“烈風”が滑走を始める。飛行甲板前縁を蹴った機体は、危なげなく空中へと上がっていった。

 

さらに機体が続く。七十八機という数の攻撃隊が発艦するには、それなりに時間がかかる。だから慌てず、急いで、正確に。

 

“烈風”二十四機が発艦すると、次は“銀河”の番だ。双発の陸上爆撃機は、シャープな印象を抱かせるが、やはり洋上の飛行甲板から飛び立つということに妙な皮肉を感じていた。これが、“銀河”の初陣である。

 

最後に残った一式陸攻は、葉巻を思わせる機体だ。基地航空艦隊創設時からの主力攻撃機だが、様々な改良が施され、常に第一線で戦える機体となっている。長く使って慣れているため稼働率も高く、信頼は大きかった。現在“鹿屋”に搭載されている機体は、航続距離を削って防弾装備を強化したものだ。

 

最後尾にいた一式陸攻が発艦すると、甲板は綺麗になった。“鹿屋”上空で編隊を組んでいた攻撃隊は、ついに進撃を開始する。

 

今しも陽が昇ろうとする東の空を左に見て、七十八機の奇襲部隊は、敵泊地へと飛行していった。

 

 

 

深海棲艦西方艦隊の泊地は、西方海域に多数存在する島々のうち、三つにあった。これらはそれぞれに役割が違うらしかったが、よくわかっていなかった。

 

各泊地の担う役目が判明したのは、半年ほど前のことだ。南西諸島沖に残存通商破壊艦隊が発見された際、時期を同じくして西方艦隊が戦力を集結、侵攻の構えを見せた。旗艦部隊を撃滅したことで通商破壊艦隊が消滅し、西方艦隊も侵攻を止めて、元の通り南西諸島の部隊(主に基地航空艦隊)と睨み合う形となった。この間に、各泊地の役割も判明した。

 

西方封鎖部隊主力泊地、西方通商破壊部隊泊地、潜水艦部隊泊地と呼称されるようになった三つの泊地のうち、インドネシア入港に際して最大の障害となるのは通商破壊部隊泊地だ。封鎖艦隊主力と潜水艦隊は、大半がカレー洋方面で海上封鎖を実施しており、泊地を叩いても対して損害を与えることができないと踏んでいる。また、予定する航路とも距離がある。“鹿屋”航空隊の足が長いと言っても、さすがに叩くことはできなかった。

 

―――さあ、始めるわよ。

 

閉じた瞼の裏、朝の海を進む攻撃隊からの映像が見える。ハヤブサやタカになったような気分だ。海上では自分の視覚と攻撃隊の視覚、両方を把握しないといけないので、こうしてどちらか一方に集中できるのはやりやすいし、心地良い。

 

視界の端を島が流れていく。目的の島はすぐ目の前だ。誘導の“彩雲”が先行し、泊地内の様子を探る。

 

―――当たり。

 

いた。深海棲艦、それも通商破壊の主力となる巡洋艦や駆逐艦、軽空母が多数。活発に動いている様子はなく、まるで眠っているように静かだ。

 

“彩雲”が翼を翻し、泊地の様子を探る。鮮明な映像の中で、飛鷹は停泊している深海棲艦の数を数えた。

 

「飛鷹より艦橋。敵泊地確認。戦艦四、軽母六、重巡十二、軽巡二十、駆逐多数。通商破壊部隊です」

 

『了解。優先目標は軽母。まずは制空権を取る』

 

「了解」

 

―――さあ、見てなさい。

 

飛鷹からすれば、復仇戦だ。自らの艤装と航空隊で果たせないのは残念だが、この“鹿屋”の航空隊で、敵艦隊を叩く。この攻撃に続く味方の攻撃の、活路を開くのだ。

 

泊地内の敵艦隊が、にわかに慌ただしくなった。駆逐艦の一隻が“彩雲”に気付き、部隊全体に知らせたらしい。最も忙しそうにしているのは軽空母のヌ級六隻で、こちらが航空機による襲撃を狙っていることに気付いたのだろう、戦闘機を上げようとしている。

 

―――もう遅いのよ!

 

飛鷹は、前衛の“烈風”隊を加速させる。わざわざ上昇して高度を稼ぐ必要はない。高度上の優位は、完全にこちらが握っている。

 

ちらほらと、寝ぼけ眼の深海棲艦艦載機が上がってくるが、数はまばらで統制もされていない。こんな状態で、“烈風”隊が敗れるはずがなかった。

 

零戦の後継機として設計された純粋な制空戦闘機である“烈風”は、搭載された「ハ四三」エンジンを一杯に唸らせて、敵戦闘機に襲い掛かる。機体強度の不足から零戦では制限されていた急降下攻撃も、“烈風”は難なくこなせる。運動性能も零戦譲りの優秀なものだ。

 

一航過で二〇ミリ機銃を叩き込んだ後、ひらりと身を翻して残敵に襲い掛かる。ほとんど一方的な撃滅だ。それまでの戦闘機とは次元が違う“烈風”の性能に、深海棲艦艦載機は為す術なく標的となり、燃え盛る炎の塊と化す。

 

上空から一撃を喰らった敵機が、錐揉みとなって落ちていく。

 

一三ミリ機銃の掃射を受け、ズタズタになった敵機が四散する。

 

格闘戦に敗れ、背後から二〇ミリ機銃をまともに受けた機体もある。

 

制空戦闘はものの数分で終了した。“烈風”の損害は皆無。泊地上空は、完全に“鹿屋”航空隊のものとなった。

 

攻撃隊が突入を始める。泊地東側に回り込み、朝陽を背にして泊地内へと迫る。飛鷹は、目標を六隻のヌ級と二隻のタ級に定めた。

 

先に動き始めるのは“銀河”だ。一式陸攻の後継機としても期待される急降下爆撃機は二手に分かれ、高度を上げるでもなく、まっすぐにヌ級へと迫っていく。

 

―――もうちょい、上。

 

高度を見ながら、飛鷹が位置を調整する。対空砲火は飛んでくるが、陣形など存在しないから薄い。妨害にすらなっていなかった。

 

―――一三・・・。

 

現在“銀河”に搭載されている新型兵器は、距離一千での使用が理想だ。

 

―――一二・・・。

 

距離の秒読みをする。二手に分かれた“銀河”隊が、計六隻の軽空母へと迫る。

 

対空砲火に絡め取られて、一機が撃墜される。

 

「誉」エンジンが火を噴き、錐揉みとなって落ちていく。

 

機首を機銃で撃ち抜かれた機体は、飛鷹からのコントロールが利かなくなって、そのまま真っ逆さまに海面に激突する。

 

だが、攻撃隊を止めるまでにはならない。

 

―――一一・・・。

 

爆弾倉が開き、新兵器の弾頭が露わとなる。零戦並の速力を発揮する“銀河”の腹に抱かれ、それは初陣の時を待っていた。

 

―――一○・・・!

 

今だ。“銀河”の腹から、新型兵器が放たれる。爆弾のような形状をしたそれは、放たれた瞬間重力に引かれて落下するが、すぐにその尾部から光の尾を噴き出し、目標へ向けて高速で飛翔を始めた。

 

試製対艦噴進徹甲弾。魚雷と共に、新たに基地航空隊の対艦兵装の切り札と位置付けられた飛翔物体は、“銀河”を追い抜いて、ヌ級の舷側へと突撃していった。

 

ヌ級は慌てて機銃を撃ちまくり、回避運動を取ろうとする。だがその努力も虚しく、高速の火矢が襲い掛かった。

 

水面が沸き立ち、命中した噴進弾が炸裂の炎を上げる。ヌ級がよろめき、業火を噴き上げてのたうち回った。舷側が決して厚い装甲で覆われていないヌ級には、それで十分過ぎた。

 

動きを止め、波間に飲まれつつあるヌ級の上空を、“銀河”がフライパスする。身軽になった双発の爆撃機は、満足げに敵泊地の上空を旋回していた。

 

“銀河”の攻撃が終わったタイミングで、今度は一式陸攻が攻撃態勢に入る。計三十機。これが十五機ずつに分かれて、四隻の戦艦のうちタ級Elite二隻に襲い掛かった。

 

双発攻撃機にもかかわらず、低空に舞い降りた一式陸攻の安定性は抜群だ。低く、低く、まるで単発攻撃機のような、神業的飛行で戦艦へと迫っていく。二基の「火星」発動機が力強く回すペラが、さざ波が立つ海面に触れるのではないかと錯覚するほどの低高度だ。

 

二隻のタ級が対空砲火を撃ち始める。ヌ級とは違い、戦艦であるタ級の対空火器は豊富だ。さながら洋上の活火山が如く、砲炎を噴き上げる。両用砲弾がこれでもかと飛来して、一式陸攻の周囲で真っ黒い花を咲かせた。

 

炸裂した両用砲弾の断片は、飛び散って一式陸攻の翼と言わず胴体と言わず、当たっては異音を上げる。防弾装備の増した一式陸攻は、それらに十分耐えていた。

 

それでも、爆風をもろに受ければ一たまりもない。

 

機首の正面で両用砲弾が炸裂し、潰れて落ちていく。

 

主翼が折れて、コントロールを失う機体もある。

 

燃料に引火して、燃え盛る炎となった機体が爆発する。

 

エンジンカウルがズタズタに引き裂かれ、推進力を失って海面に激突する機体もあった。

 

だが、残った一式陸攻の足が止まることはない。飛鷹は意識をさらに集中し、一式陸攻の高度をこれでもかと下げた。銀色にきらめく海面が、眼前まで迫った。

 

―――二〇・・・。

 

距離が二千を切った。対空砲火が機銃に切り替わる。青白い曳光弾の雨が横殴りに降り注ぎ、一式陸攻の進路を阻害しようとする。その下を掻い潜るようにして、一式陸攻はなおも接近を続けた。腹に抱えた航空魚雷の必中距離を目指す。

 

機銃をまともに受けて、一機が波に衝突する。

 

補助翼が引き千切られ、錐揉みとなって落ちる。

 

爆音を引きずる発動機と、ペラから生じた後流が海面に白い飛沫を立てる。一式陸攻は、お互いの翼端が触れてしまうのではないかという距離まで編隊を詰めて、タ級に迫った。

 

―――一二・・・。

 

後少し。後少しの辛抱だ。

 

―――一一・・・。

 

浴びせかけられる機銃弾は、まるで真っ赤に燃える石礫のようだ。それでも、飛鷹は怯まずに、一式陸攻を誘導し続ける。

 

―――一〇!

 

時は来た。鶴翼陣を敷いていた一式陸攻の各機が、タ級に向けて魚雷を放つ。重量物を手放したことで浮かび上がりそうになった機体を必死に抑え、頭上の機銃弾を避ける。少しずつ舵を切り、タ級の後方を抜けるコースを取る。

 

送り狼のように浴びせかける機銃の雨が止んでから、一式陸攻各機が引き起こしをかける。その戦果は、上空に張り付いていた“彩雲”から確認できた。

 

真っ白い筋が何本も伸びていく。タ級は必死に回避を試みるが、ここまで囲まれてしまっては為す術もなかった。

 

海中を進む魚雷の航跡が、タ級の影に吸い込まれた。一瞬の沈黙があった後、丈高い海水製の摩天楼が林立した。一式陸攻の放った魚雷は、タ級を的確に捉えて、致命傷となるダメージを与えた。堅牢な深海棲艦も、魚雷多数を受けては浮いていられる道理がなかった。

 

最終的な命中弾は、五本と四本。右舷方向へと急速に傾いていったタ級は、足元からズブズブと海に飲み込まれていく。こちらを見上げたその目は、憎悪の赤に染まって、最後の輝きを失った。

 

―――目的は達成。

 

飛鷹が誘導する“鹿屋”航空隊が上げた戦果は、最終的に戦艦二、軽母三撃沈、軽母二撃破、駆逐三小破。制空権は取ったと言える。

 

後は、軽空母部隊に任せるとしよう。

 

スエオに戦果を報告した飛鷹は、攻撃隊を帰途に着かせる。“彩雲”に関しては、航続距離の許す限り接敵を続けることとした。

 

―――頼んだわよ、隼鷹。

 

今回も軽空母部隊として参加している僚艦を思う。呑兵衛で適当なところが多い彼女だが、こと航空機の誘導技術に関しては卓越している。「航空酔操術」などと勝手なことを言っているが、あの龍驤も認める腕だ。万に一つも心配はないだろう。

 

帰還する“鹿屋”航空隊と、龍驤、千歳、千代田、隼鷹から放たれた攻撃隊がすれ違う。“紫電”改二、“彗星”、“天山”で編成されたこの攻撃隊が、敵泊地に対するトドメとなるはずだ。

 

航空隊の収容が始まった時、第二次攻撃隊が泊地に突入した。飛鷹誘導の“彩雲”の眼下で、的確な爆雷撃が炸裂する。制空権を失った深海棲艦通商破壊部隊に、反撃の術はなかった。

 

ここに、通商破壊艦隊の泊地は壊滅した。

 




潜水艦に関しては、かなりオリジナル要素の強い設定となりました

いや、ばた足推進も一応できるんですけど、疲れるじゃん?

次回以降は、救出作戦の模様を


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リ島強襲上陸

お久しぶりです

リ号救出作戦が始動、今回はあきつ丸たちの上陸戦です

そして、相変わらず十一駆が圧倒的に強い


さて、秘書艦に任命されたのはいいんですけど。もちろん、それまで書類仕事なんてやったこともなかったので、最初の二日間はとにかく手順と書類の見極めの仕方をひたすら覚えました。

 

三日目からはぎこちないながらも捗り始めます。倉庫で見つけた机を引っ張り出して司令官の隣に並べ、書類に目を通してペンを走らせます。

 

そういえば、この頃から秘書艦の権限って結構大きかったですよね。どうやら司令官は、秘書艦を艦娘の総括役のような位置付けにするつもりだったみたいです。今でも、そんな感じですよね。長門さんや赤城さんが、基本的に艦娘全体を取り仕切り、各艦種ごとの代表者がその下にいるといった感じです。

 

書類の山と格闘を続けていると、さすがに疲れてしまいます。ふと顔を上げて時計を見たわたしは、時間が丁度いいことに気付いて、席を立ちます。

 

こういう時のために、給湯室があるんですから。

 

「お茶、淹れますね」

 

「ああ、ありがとう吹雪。助かるよ」

 

まだまだ手馴れていない手つきで二人分のお茶を淹れ、束の間の休息を楽しみました。

 

 

夜闇の中、二隻の船がカレー洋を西に向かって進んでいた。深海棲艦の活動が少ない大陸沿岸に沿って驀進する二隻の支援母艦が目指すのは、大陸から突き出たインド沖に浮かぶ、リランカ島だ。

 

リ号救出作戦に参加する、高速艦隊を率いる“大湊”の艦橋には、この艦隊を指揮するタモン少将の姿があった。そしてもう一人。

 

暗闇の中、艦首で割れる波を、タモンと同じようにして見つめている横の人物を、彼はチラリと窺った。

 

きらめく眼鏡の奥の目は細められ、好々爺とした印象を抱かせる。実際、性格も物腰も穏やかそのものなのだが、なにせ陸軍の重鎮だ。階級的にも上である件の人物がこの艦橋内にいることに、一種のやりにくさを感じるのも事実だ。

 

ヒトシ中将。リ号作戦の陸軍側の責任者である彼が、この艦隊に乗り込むこととなったのは、出港ギリギリに決まったことだった。

 

―――「急で申し訳ない。何卒、よろしくお願いしたい」

 

陸軍の思惑が透けて見えるこのねじ込みだったが、ヒトシにそう言われては誰も何も言えない。良くも悪くも、穏健な彼は敵に回したくない人物だ。

 

もっとも、そうした上の思惑とは別に、ヒトシの存在はありがたい。タモンは海軍、さらに言えばその前は空自の人間であり、上陸戦にはあまり詳しくなかった。あきつ丸たち陸軍艦娘への細かな指示は、ヒトシに任せるのが最良だ。

 

「そろそろ、ですかな」

 

ヒトシが言う。表情は変わらないが、瞳に宿る色が変わったことに、タモンも気付いた。

 

「陽の出までの時間は?」

 

タモンが“大湊”艦長に尋ねる。

 

「後一時間ほどです」

 

洋上出撃であることを考慮すれば、丁度よい頃合いだ。

 

―――始めよう。

 

リ号救出作戦。過去に例を見ない上陸救出戦の幕開けだ。

 

「“鹿屋”へ、索敵機準備。全艦娘は出撃準備にかかれ」

 

タモンの指示は、すぐに各所へ伝えられる。すでに全員が起床して待機していた艦娘たちは、格納庫に用意された自分たちの艤装が、出撃準備を整えるのを待つばかりだ。夜間照明で薄暗い艦内が、にわかに慌ただしくなるのを、タモンは肌で感じていた。

 

「艦長、ここを頼む。我々は作戦指揮室へ向かう」

 

「了解しました」

 

“大湊”艦長が答える。深海棲艦による海上封鎖が地球側よりも長い鯖日本において、非常に貴重な艦船勤務者である彼は、海軍が艦娘支援母艦の艦長に任命するだけの状況判断能力を持っている。艦の運行に関して、門外漢のタモンやヒトシが指示を出す必要などない。

 

ここは任せてください、とでもいうような自信ありげな表情に満足して、タモンは頷く。ヒトシも軽く会釈をして、艦橋を後にした。

 

「波に頭を立てろ。少しでも、艦娘の出撃をやりやすくするんだ」

 

艦長が乗組員に出す指示を背後に聞きながら、二人の将校は階段を作戦指揮所へと下りていった。

 

 

艤装の装着が終わった吹雪は、真っ先に外へと出るため、格納庫後部の出撃レーンに待機していた。ハッチは、もうすぐ開くはずだ。

 

隣には、僚艦の白雪がいる。その向こうには初雪、そして深雪も。上陸支援艦隊の出撃に当たって、最初に駆逐艦である彼女たちが出、次いで出てくる艦娘たちの、その間の周辺警戒を担う。あきつ丸たち上陸部隊本隊の出撃は、そのさらに後だ。

 

『諸君、艦隊の指揮を預かるタモンだ』

 

頭上のスピーカーから、タモン少将の声が聞こえた。司令官から、この救出艦隊の指揮を任せられている。

 

『非常に困難な任務であることは、皆も承知していることと思う。だが、諸君が来るのを心待ちにしている人たちがいるのだ。彼女たちの希望を、我々は守らなくてはならない』

 

噛みしめるような間があった。格納庫に控える全艦娘が、静かに息を呑んだ。それが、この艦隊の、覚悟の証だった。

 

『必ず成し遂げよう。彼女たちに、希望を届けよう。それができるのは、諸君らしかいない』

 

健闘を祈る。そう言ったタモンの言葉に、全員が応える。一つの想い、守りたい希望。波の向こうに待つ仲間たち。横の白雪と目が合った。頷き、その手を繋ぐ。白雪は初雪と、初雪は深雪と。十一駆四人が一つに繋がり、作戦への決意を誓った。

 

「やろう。わたしたちならできる」

 

「そうだね、できる」

 

「ん・・・やってやる」

 

「任せとけって!」

 

手を解き放つ。隣の温もりが確かに残る手を、吹雪は再び強く握りしめた。

 

『ハッチ、開きます』

 

吹雪たちの背後で、重厚な音と共にハッチが開いた。その先は、まだ闇だ。太陽は登っていない。

 

吹雪たち四人を乗せた台が、エスカレーターの要領で降りていく。ウェルドック方式の出撃レーンに徐々に降り立ち、脚部艤装が海水に着いたところで固定される。出撃準備は整った。

 

「吹雪、出撃準備完了!」

 

「白雪、出撃準備完了!」

 

「初雪、出撃準備完了!」

 

「深雪、出撃準備完了!」

 

四人が叫ぶ。

 

『全艦抜錨。暁の水平線に、勝利を』

 

管制室からこちらを見守っていた工廠部員が敬礼する。それに吹雪が応えた瞬間、出撃レーンの台座が動きだした。吹雪の脚部艤装を乗せた台がレールの上を滑り、後ろ向きに吹雪を海へと吐き出す。すぐに脚部艤装の出力を上げ、半速、さらに原速へと増速する。

 

白雪、初雪、深雪と続く。海上に出た四人はお互いに頷き、それぞれの持ち場へと着いた。一度に四人しか出撃できない“大湊”の出撃レーンでは、救出艦隊全艦が出撃するのに三十分はかかる。その間、周辺の警戒は吹雪たち十一駆にかかっている。

 

吹雪たちの出撃後、数分して次の艦娘が出てくる。高雄、愛宕、神通、那珂、巡洋艦娘の四人だ。四人とも、巡洋艦の中では、特に火力に優れている。

 

それからさらに数分。続いて出てきたのは、白露型の四人だ。白露、時雨、村雨、夕立。特別練度が高いわけではないが、駆逐艦の中ではいち早く大規模改装を受けた時雨と夕立がおり、士気も高い。リランカ島を包囲する敵艦隊を喰い破るには、適任と判断されたのだ。

 

最後となったのは、金剛型の二人だ。吹雪も、その艤装試験には同行している。姉二人に続いて大規模改装を受けた榛名と霧島は、艤装が一新されており、新式の主砲システムをもってすれば、Flagship級戦艦との撃ち合いもできると期待されている。救出艦隊の大黒柱だ。

 

その後には、あきつ丸率いる陸軍艦娘たちが続く。彼女たちの艤装は、元々洋上で支援母艦から早急な展開ができるように考慮されており、艦娘たちよりも素早く洋上に解き放たれていく。ものの数分で、二十人全員の展開が終わった。

 

最後に、ナビゲーション役として、U-511が出撃した。それを受けて、“大湊”の後部ハッチが閉じる。

 

『打ち合わせ通り、上陸部隊を囲んで進撃します。陣形を組んでください!』

 

旗艦を務める榛名が、通信機に呼びかける。出撃した全艦が陣形を形作る。複縦陣を作った陸軍艦娘たちを囲むように、左舷に神通と吹雪、白雪、右舷に那珂と初雪、深雪。その前方に、残った火力担当が陣取る。まるで巨大な矢印のような陣形だ。

 

そして上空には、“鹿屋”から飛び立った“烈風”八機が展開し、上空に睨みを利かせている。この他、“彩雲”が艦隊の前方に向けて飛び立っており、敵艦隊を探していた。

 

現在時刻、〇五五〇。予想上陸時刻は一〇〇〇。その間、どれだけの敵艦隊を突破しなければならないのか。

 

―――やるしかない。ううん、わたしたちなら、できる。

 

決意も新たに、吹雪は周囲を見渡す。昇り始めた朝陽の中、陸軍艦娘の先頭を行くあきつ丸と目が合った。

 

「頼んだであります」そう言うように、力強く頷いた。吹雪もそれに応えて、大きく頷いて見せる。

 

艦隊の向かう先を見つめる。水平線の向こう側には、吹雪たちの到着を待ち望んでいる仲間がいるはずだ。

 

 

あきつ丸たちは、U-511に続いて、速力を上げた。護衛の艦娘たちはすでに左舷方向で交戦に移っており、砲声と爆炎が見て取れる。上空を航空機が入り乱れ、断続的に攻撃を仕掛けてくる敵攻撃機に対して、各艦から対空砲火が迸っていた。

 

「こちらあきつ丸!支援感謝するであります!これより、上陸に移る!」

 

口頭マイクに向かってあきつ丸は叫び、対空射撃で加熱したK砲を構える。弾倉はすでに二つ撃ち尽くし、残すは三つだ。

 

『了解しました!作戦の成功を!』

 

通信機の向こう側で、敵戦艦との砲撃戦を繰り広げる榛名は、その旋律に負けじと声を張り上げ、あきつ丸たちを激励した。今まさに、自らの盾となって上陸を支援する艦娘たちに、ひたすら頭の下がる思いだった。

 

「行くであります!」

 

『『『了解!』』』

 

陸軍艦娘たちが応える。高い気合いに満ち溢れた声だ。あきつ丸は満足げに頷いて、目前に迫ったリランカ島へと一直線に針路を取った。

 

『ギリギリまで援護します!』

 

そう言ったのは、あきつ丸たちにピタリと寄せて護衛する吹雪以下十一駆の四人だ。制服は所々煤汚れているが、被弾はない。すでに三度もの襲撃を退けているにもかかわらず、だ。さすがの練度と連携と言えた。

 

目の前で深海棲艦の快速襲撃部隊を手玉に取り続ける歴戦の駆逐隊の奮戦ぶりを、まるで手品でも見ているかのような心持ちで、あきつ丸たちは見てきた。

 

あきつ丸の右舷に、墜落した“飛びエイ”が飛沫を上げる。『陸上型』と呼ばれる、リランカ島に展開している深海棲艦―――港湾棲姫の機体だ。“鹿屋”から飛び立った“烈風”は、十分に艦隊の上空を守っていた。

 

―――ですが、問題は・・・。

 

チラリ。リランカ島の、かつて『独立艦隊』の基地があった廃墟に見える人型の港湾棲姫と、その艤装を見遣る。陸上型が、いわゆる港湾施設―――要塞の役割を果たしているとしたら。

 

あきつ丸の心配は、現実のものとなる。

 

港湾棲姫から、真っ赤な砲炎が沸き起こった。敵の要塞砲が、接近するあきつ丸たちに向けて、発砲したのだ。

 

弾着の水柱が沸き立つ。大きさからみて、重巡級の八インチ砲だろうか。あきつ丸たちを撃ち負かすには十分すぎる威力だ。それに、陸上からの砲撃ともなれば精度は高い。波間で不安定なプラットフォームとなる船と違い、安定したグラウンドのある陸上からの砲撃は、観測機器は同じでもより精度が高くなる。そもそも、その観測機器に関しても、事実上大きさの制限がなくなるのだから、さらに制度はよくなる。

 

『あきつ丸さん、最低限の之字運動を!煙幕で誤魔化します!』

 

吹雪の判断は早かった。あきつ丸もそれに賛同し、之字運動に入る。こうした事態を想定した訓練もやっていた。連携に問題はない。

 

―――欲を言えば、砲撃による支援が欲しいでありますが。

 

手元のK砲を見る。だが、これは一四サンチ砲相当の威力しかない。それに、まともな観測機器も射撃指揮装置も持っていないあきつ丸たちでは、そもそも撃ち合うことすら困難だ。

 

今は耐えるしかない。煙幕の効果と、この之字運動。弾が当たるかどうかは、運試しだ。

 

艦隊の前方に出た十一駆のうち、初雪と深雪が煙幕を展開する。右から左に吹いているので、あきつ丸たちの前方視界はなくなるが、敵からもこちらが見えない。之字運動を繰り返しつつ、なおもリランカ島への接近を試みた。

 

『っ!敵艦隊!』

 

―――こんな時に・・・!

 

新手は、左舷後方八時の方向からやって来る。白露型の四人は、他の艦隊に対処中だ。

 

『初雪ちゃん、深雪ちゃんは煙幕展開を続けて!わたしと白雪ちゃんで迎撃する!』

 

言うや否や、吹雪と白雪は同時に身を翻す。きれいな弧を描いて、接近してくる敵艦隊へと向かっていった。

 

敵艦隊の編成は、軽巡一、駆逐三。本来なら、駆逐艦二隻では抑えるのがやっとだ。

 

だが、吹雪たちは違う。

 

先頭に位置していた軽巡が発砲した瞬間、二人の駆逐艦娘は縦列を解き、V字に分かれて針路を取る。一拍を置いて発砲。主砲から放たれた一二・七サンチ砲弾は、高速で海の上を飛翔し、軽巡のすぐ後ろにいた二隻の駆逐艦に突き刺さる。そのまま連続斉射。瞬く間に海の藻屑となった駆逐艦は、断末魔の声すら上げることなく、波間に没していった。

 

軽巡の動揺は、ありありとわかった。圧倒的に優位と思って発砲したら、狙っていた駆逐艦が素早く避けただけでなく、次の瞬間には配下の駆逐艦二隻が同時にやられたのだ。怒り狂ったように咆哮を上げ、その砲口を吹雪へと向ける。

 

だが、その判断は遅すぎた。

 

二隻の駆逐艦を仕留めた吹雪と白雪は、次の目標をそれぞれ軽巡と残った駆逐艦に定めた。旗艦である軽巡と離れた位置におり、且つ目の前で僚艦を撃沈されたばかりの駆逐艦は、一瞬判断を迷っていた。そしてそれが、命取りとなる。

 

まあ、迷わなかったところで、結果が変わったとは到底思えないが。

 

吹雪と白雪が、ほぼ同じタイミングで発砲する。まるでお互いの心を共有し、シンクロしているかのような華麗な砲撃戦は、先頭の軽巡よりも一拍早く始まっていた。軽巡は、明らかにダンスに乗り遅れた。

 

白雪の砲撃で、残った駆逐艦は瞬く間に撃沈される。そして吹雪と軽巡の戦いは、第一射の成否が勝敗を分けることとなった。

 

一拍遅れたとはいえ、お互いの距離は五千を切っている。弾着修正を行うことを考慮すれば、ほんの誤差程度だ。

 

相手が、普通の駆逐艦なら。

 

吹雪の容赦ない砲撃は、一発目を外した軽巡に、弾着修正の機会など与えなかった。斉射に次ぐ斉射。装弾機構の性能が許す限り続けられる、正確無比の砲撃。『豆鉄砲』とも揶揄される一二・七サンチ砲が上げる橙色の砲炎は、確かに戦艦に比べれば小さく、儚くさえある。だが五〇口径という長砲身ゆえに発揮されるその性能は、対艦砲としては非常に優秀だ。

 

敵軽巡にとって、それはまさしく悪夢だったはずだ。第一射から、吹雪の砲撃は軽巡を捉え、その艤装を抉る。二射、三射。弾着修正の時間などない。第四射の後には、駆逐艦を撃沈した白雪も加わり、軽巡は両舷からズタズタに引き裂かれていく。その足が止まった時、軽巡は全体に満遍なく被弾し、燃え盛る火の塊となっていた。もはや、その存在があきつ丸たちにとって脅威となることはない。

 

―――恐ろしいほどであります。

 

あまりの一方的戦闘に、あきつ丸はごくりと唾を呑んだ。一部の艦娘たちが、十一駆を「絶対に敵に回してはいけない駆逐隊」と呼ぶ意味を、理解した気がする。

 

彼女たちと戦うならば、一個連合艦隊が必要かもしれない。

 

美しく華麗なダンスは、あっという間に終了した。最早あきつ丸には、時折至近に落下する要塞砲の衝撃など、全く気にならなかった。彼女たちがいる限り、大丈夫。そんな、妙な安心感と恐怖が、彼女を支配していた。

 

そして実際、要塞砲は何とかなった。問題は、解決されようとしていた。

 

『あきつ丸さん、上陸を支援します!目標、敵要塞!』

 

榛名の声だった。霧島と共同で敵戦艦を沈黙させたらしく、傷つきながらも、今度は要塞砲を相手取ろうとしていた。

 

少し後に届いた砲声が心地よい。島まで後五千。要塞砲の砲撃は止んでいた。

 

「吹雪殿、ここまでの護衛、感謝するであります」

 

『あきつ丸さん、後をお願いします。美味しいご飯を用意して、待ってますから』

 

煤で黒い顔で、吹雪は笑った。あきつ丸も自然と頬が綻ぶ。それから、その笑顔に陸軍式の敬礼で答えた。

 

煙幕が晴れる。榛名と霧島は、要塞砲と激しく撃ち合っている。どうやら、砲撃で滑走路も叩いてしまおうという腹づもりらしかった。

 

榛名の艤装に火柱が噴き上がる。要塞砲が着弾したのだろう。だが、その艤装が堪えた様子はない。八インチ砲など、彼女たちにすれば降ってくる雨粒と何ら変わらないらしい。

 

お返しとばかりに、長砲身三六サンチ砲が咆哮する。二人合わせて十六発の砲弾は、港湾棲姫の艤装に食い込んで盛大に弾けた。その合間に、要塞砲のものと思われる細い砲身が舞い散る。

 

―――さあ、今度は自分たちの出番であります!

 

あきつ丸は気を引き締める。

 

「上陸準備!」

 

目前に浜がある。丁度、基地施設の残骸で、港湾棲姫からは死角となっていた。上陸目標点だ。

 

陸に上がる際、微妙な違和感と浮遊感が襲う。動く歩道から下りる時のあれだ。今回は色々と重いものを持っているから、細心の注意を払う必要がある。

 

あきつ丸から順に上陸し、近くの物陰に隠れる。全員が上陸したところで、洋上の吹雪に手で合図する。彼女は頷いて、他の艦娘たちとの合流に向かった。

 

「ユーさん、現在位置は?」

 

案内役のU-511に確認する。広げた地図の一点は、目標とする秘密ドックへの入り口―――作戦指令室とは、基地施設を挟んで反対側だ。距離にして約二キロ。これを、深海棲艦の目を避けながら行かなければならない。

 

特に厄介なのが、施設内に位置取る港湾棲姫だ。戦艦部隊が滑走路を叩いてくれることを祈るしかない。

 

「全員、残弾を確認するであります」

 

二十人の陸軍艦娘たちは、それぞれがK砲の残弾を確認する。それまでの狙撃砲シリーズよりも格段に携行弾数が上がったとはいえ、弾倉にして五つ、七十五発が限度だ。無駄撃ちは許されない。

 

「残弾よし!」

 

全員が頷く。

 

あきつ丸は、手ぶりで指示を出す。元々基地があった場所だ。物陰はいくらでもある。それらを利用しながら、港湾棲姫に気付かれないように、二キロの間進んで行かなければならない。入口は林の中にあるそうなので、とりあえずそこまでたどり着ければ何とかなるはずだ。

 

上陸した陸軍艦娘たちは、案内役であるU-511を守りながら進んで行く。その頭上では、“烈風”が“飛びエイ”と戦い続け、榛名と霧島は港湾棲姫と壮絶な撃ち合いを続ける。

 

あきつ丸の長い一日は始まったばかりだ。




次回は、艦これなのに陸上戦になりそうです

作者も陸上戦は勉強中です。果たしてどこまで書けるのか・・・

それでは、また


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祈りと願いを

どうもです

こちらの投稿ペースがもとに戻ってきました

これからものんびり進めていくつもりです

どうぞ、よろしくお願いします


・・・そういえば、その頃。思い出すようになったことがありました。

 

あの時の夢を久々に見たのは、司令官が着任して四日後だったと思います。数年前の、あの日のことを。

 

わたしには、歳の離れた兄がいました。深海棲艦との戦争で両親を亡くしたわたしたちは、お互いが唯一の家族でした。

 

優しく明るかった兄のおかげで、両親がいなくても寂しさを感じたことはあまりありませんでした。それに、孤児院には、わたしたちと似たような境遇の子たちもいましたしね。

 

―――「大丈夫だ、俺に任せろ!」

 

それが兄の口癖でした。小さいながらに、その時の兄の表情を眩しく見ていたものです。

 

ですが。そんな兄との別れは唐突で、呆気なく。

 

沈みゆく船。辺りを遊弋する深海棲艦。救命ボートにわたしを押し上げた兄は、しかしそこで力尽きたように、笑顔のまま・・・。

 

あの時のことを、今思い出したのは。軍帽の下に覗いた司令官に、兄の面影を見たから。兄と同じように、わたしを見守る、暖かく優しい瞳。きっと、兄が生きていたら。司令官みたいになったんだろうなあ。そんなことを、ただぼんやりと思っていました。

 

兄のことに整理を付けられたのかと言えば、答えは否だと思います。わたしが艦娘になることを承諾したのには、少なからず兄を奪った深海棲艦への復讐の念がありましたから。

 

・・・今は、そうですね。どうなんでしょう。今も、同じようなことを想っている気がしますし。でもそれ以上に、今の仲間たちと共に歩んでいきたい、守りたいという気持ちが強い気もしますし。

 

まだまだわかりません。

 

 

息を潜めて物陰に隠れていたあきつ丸は、そっと向こう側を覗いた。基地施設の廃墟の中には、支援艦隊の戦艦部隊との撃ち合いで傷つき、黒煙を上げる港湾棲姫の姿が見える。滑走路もやられたらしく、航空機が飛び立つ様子はない。

 

―――好都合であります。

 

頭に叩き込んだ地図で現在位置と極秘ドックへの距離を確認する。ここから直線で一・三キロ。七百メートルを進むのに三十分かかったから、単純計算で後一時間はかかる。

 

沖合の砲声はすでに止んでいる。上陸支援の艦娘たちは撤退して、夜間まで『独立艦隊』が出てくるのを待つことになっていた。

 

港湾棲姫の様子を確認したあきつ丸は、手振りだけで部隊に前進を指示する。物陰から次の物陰へ。音を立てないように、一人ずつ進んで行く。U-511が移動する際は、二人で前後を守り、素早く場所を移った。殿に位置するあきつ丸は、それを見送ってから物陰を移動した。

 

「隊長、次の物陰まで距離があります」

 

あきつ丸に代わって部隊の先頭になった神州丸が報告する。見ると、次の物陰までは軽く二百メートルはありそうだ。他に隠れられる場所はないかと探したが、見当たらない。

 

―――走るしかなさそうでありますな。

 

こういう時、陸軍艦娘であるあきつ丸たちの本領が発揮される。陸上においても艤装の力を使うことができる彼女たちなら、継続して力を発揮できるし、足も速い。ようはパワードスーツである。

 

ただ、U-511に関してはそうもいかない。彼女はれっきとした潜水艦娘であり、陸上では艤装の力は失われてしまうのだ。

 

「ユーさん」

 

あきつ丸は小声で呼びかける。

 

「走れるでありますか?」

 

U-511は静かに頷いた。

 

「四人ずつ、走るであります」

 

短い指示を出せば、すぐに全員が準備に取り掛かる。最初の四人が、息を合わせて飛び出した。残ったものは、いつでも援護ができるよう、K砲を構える。

 

異変は唐突に起きた。

 

あきつ丸の隠れている物陰から港湾棲姫の方へ百メートルほどの距離にある瓦礫が、にわかに動きだしたのだ。

 

最初は目の錯覚かと思った。だが違う。瓦礫とは思えない、きれいな球体をした“ソレ”は、まるで意思を持っているかのように、自ら転がり出したのだ。球体の速度は次第に速くなっていく。そしてその先には、今まさに物陰に到達しようかという四人の陸軍艦娘の姿があった。

 

―――まずい!

 

球体の正体が何だかはわからない。だが、それが間違いなく陸軍艦娘たちを狙っていることは、すぐにわかった。

 

「総員支援射撃!」

 

あきつ丸はとっさに口頭マイクに吹き込む。その声で気づいた、走っていく四人も含めて、全員がK砲を球体に向け、引き金を引いた。

 

二十門のK砲と球体からの発砲はほぼ同時だった。

 

砲声と火箭が入り乱れる。K砲の砲弾が何発か球体に当たって弾けたが、球体が堪えた様子はない。あきつ丸たちのいる物陰にも気づいたのか、火箭はこちらにまで伸びてきた。

 

「走れっ!」

 

最早一刻の猶予もない。あきつ丸はとっさに、物陰から走ることを決断した。

 

全陸軍艦娘、そしてU-511が駆けだす。球体に向けて威嚇射撃をしながら、二百メートルを全速力で駆け抜ける。物陰から全員が脱した時、さっきまであきつ丸のいた位置に弾丸が突き刺さり、盛大に爆発して物陰を吹き飛ばした。

 

目の前の球体からではない。

 

―――近くにもう一体いる!

 

殿について走り、K砲を咆哮させながら辺りを見回したあきつ丸は、同じような球体が全部で三つ、こちらに向かっていることに気付いた。それぞれが火砲を放ち、あきつ丸たちを攻撃する。たまに命中弾が出ると、陸軍艦娘の艤装が弾けて断片が飛んだ。

 

時折後ろを向きながら走り続けるあきつ丸は、謎の球体のディティールを確認した。

 

球体の子午線には一本線が入っており、これが回転することで推力としているようだ。いつだか、未来の自転車というので似たような構造を見たことがある。とすれば、方向転換は重心の移動で行っているのだろうか。

 

球体の火点は二つ。北半球の北緯三十度辺りから、砲炎が生じている。それと、北極点辺りには擲弾筒のようなものも見えた。おそらく、先ほど物陰を破壊したのは、この兵器だ。

 

この球体が、戦車のようなものであることに、あきつ丸も思い至った。否、一四サンチ砲相当のK砲を二、三発喰らったところで大したダメージになっていないのだから、どちらかと言えば移動要塞や陸上戦艦に近いかもしれない。

 

―――ですがこのままでは、ずっと追い回されることに。

 

何とか撃破しなければならないが、何分球体の足が速い。走っていなければすぐに追いつかれてしまう。陣形を敷いて迎撃しようにも、そんなことをしている暇さえなかった。

 

何とか、何とかしなければ。

 

三体の球体のうち一体から、擲弾が放たれる。それを見たあきつ丸が、部隊全体に予想落下点からの回避を命じた。間一髪で直撃は免れたが、飛び散った断片が艤装に当たって嫌な音を立てた。

 

火箭が迸り、再び陸軍艦娘の悲鳴が上がる。陸上でも艤装の加護があるとはいえ、元々陸軍艦娘の装甲はさほど厚くない。一発でも、相当なダメージを被ることになる。

 

このままではじり貧だ。全力疾走と焦りによる汗が、あきつ丸の額を幾筋も伝った。

 

次の瞬間。あきつ丸の視界に、人影が映った。走るのを止め、くるりと球体の方を振り向く影は、長くしなやかな白髪をなびかせていた。

 

U-511だ。

 

あきつ丸は背筋が凍るのを感じた。U-511には、陸上で艤装の加護がない。陸軍艦娘たちのように運動を補助することもできず、はっきりいって艤装はお荷物だ。だから、最低限の生命維持部分を除いて、全てを外してきてもらった。

 

それでも、陸軍艦娘たちほど走ることはできない。それに艤装の加護もないから、一発でも当たればそれはすなわち重傷―――最悪の場合は死を意味する。

 

そのU-511が、走るのを止めて、球体に向き合った。

 

―――ダメであります!

 

最後まで走らなければ。走り続ければ、なけなしの希望は繋がる。自らそれを捨てるようなことなど、あってはならないのだ。

 

力一杯踏み込んで、あきつ丸は急制動をかける。その手を伸ばし、U-511の腕を掴もうとした。

 

だが、あきつ丸の心配は杞憂に終わる。残った艤装から何やら黒光りする細い棒状のものを、U-511は取り出した。

 

「てーっ」

 

そしてそれを、先頭の球体に向かって投擲する。飛翔した物体は、金属光沢を太陽に反射させて、球体にぶち当たった。

 

K砲とは比べ物にならない爆炎が噴き上がり、球体が擱座して停止する。唖然としたあきつ丸は、たった今U-511が投げたものが何だったのか理解した。

 

魚雷だ。U-511は艤装に残していた魚雷を投擲したのだ。さしもの移動要塞も、魚雷の直撃など想定していなかったのだろう。

 

残った二体の球体が、わずかに怯んだ。そしてその瞬間を逃すほど、第一特務師団は甘くはなかった。

 

瞬時に射撃姿勢を取る。あきつ丸はU-511に飛びつき、その身を庇って横に飛びのいた。

 

「撃てっ!」

 

陸軍艦娘たちが一斉に発砲する。K砲が砲声を響かせ、球体の各所に火花が上がる。

 

「喰らえタコ焼き野郎!」

 

神州丸の咆哮が聞こえた。そしてその言葉通り、残った二体の球体が、多数の被弾に耐えかねて沈黙した。

 

U-511を庇ったあきつ丸は、下げていた頭を上げる。神州丸が親指を立てた。

 

「大丈夫でありますか?」

 

下敷きになっているU-511に尋ねる。コクリと確かに頷いた彼女は、頬をわずかに朱に染めてそっぽを向いた。

 

「魚雷での攻撃とは、御見それしたであります」

 

そう言いながら彼女を助け起こす。U-511は、一際小さな声で

 

「・・・ダンケ」

 

と言った。

 

「隊長、こそこそする意味がなくなっちゃいましたね」

 

砂埃と硝薬で汚れた顔で神州丸が言う。彼女含め、陸軍艦娘たちの目にはいい笑みが浮かんでいた。

 

「仕方ない。走るであります」

 

あきつ丸はそう宣言した。沸き立った陸軍艦娘たちは、空になったK砲の弾倉を換装して、力強く頷く。方針は決まった。

 

「ユーさんは隊長がお願いします」

 

「それが妥当でありますな」

 

第一特務師団内でもっとも艤装の馬力に余裕があるのはあきつ丸だ。U-511ぐらい軽ければ、背中に背負って走ることはわけない。

 

「隊長を守って走るぞ。準備しろ!」

 

神州丸が指示する。最も艤装の状態がいい五人が部隊の先頭に立ち、U-511を背負ったあきつ丸を陸軍艦娘たちが囲む。損傷の激しい者は、余計な艤装を外して、走りだけに専念することにした。

 

「ユーさん。しばらく揺れるであります。ご了承を」

 

U-511は頷いて、腰を屈めたあきつ丸の背部艤装に座る。あきつ丸の艤装は、U-511が乗っても軽々と持ち上げた。

 

「総員駆け足!突っ走れ、であります!」

 

戦国時代の足軽よろしく、第一特務師団は残りの一キロを爆走し始めた。

 

 

薄暗い極秘ドック内。“ペーター・シュトラウス”の艦首に立つビスマルクには、先ほどまで外で響いていた砲火の音が、はっきりと聞こえていた。それが収まったのは、一時間ほど前のことだろうか。

 

『チンジュフ』から来るという上陸部隊は、無事リランカ島に上陸することができたのだろうか。

 

現在“ペーター・シュトラウス”が保有する戦力は、ビスマルクと駆逐艦二隻だけ。夜間の強行軍、いざという時に頼りになるのは、上陸部隊が保有している艦上からの支援火砲のみだ。

 

そもそも、上陸部隊が持ってくる海水の塩分除去装置がなければ、機関を動かすことすらできない。ローマが予告した通り、二週間で艦内排水の浄水装置が限界を迎え、真水は飲料用と負傷者の手当て用で精一杯だ。機関を動かすための蒸気を産み出せるほど、大量の真水を確保するには、“ペーター・シュトラウス”が浮かんでいる海水を、塩分濃度を下げて機関に取り込むしかなかった。

 

―――今は、信じて待つしかない。

 

手すりを握りしめる。はっきり言って、可能性は低い。そもそも艦娘というのは、陸上で行動するようには設計されていない。それに、リランカ島の周辺には主力級の敵艦隊が展開している。いくら上陸部隊が、陸上でも艤装の能力が使える陸軍艦娘とやらでも、その包囲網を突破するのは容易ではないはずだ。

 

それでも、自ら希望を捨てるようなことは、絶対にしない。それは、私を信じてくれている、仲間たちへの裏切りだから。たとえどれ程泥臭くても、ビスマルクは決して絶望などしないと決めた。

 

そして、その想いに応えようとするかのように。極秘ドックから繋がった通路の方が、にわかに騒がしくなった。

 

―――来た!?

 

薄暗い中で、通路からの出口に目を凝らす。次の瞬間、その扉が開いて、見張りのザラが飛び出した。

 

「ビスマルクさん!上陸部隊来ました!」

 

その声に続くようにして、ぞろぞろと艦娘が入ってくる。ざっと見て二十人ほどだろうか。全員大きな艤装を背負っているのに、全く重そうにしていない。陸上でも艤装の力が使えるというのは本当らしかった。

 

辿り着いた上陸部隊の中に、見知った顔を見つける。ビスマルクの命を受けて、辛い航海の果てに見事『チンジュフ』に行きついた、潜水艦娘のU-511だった。

 

「511!」

 

思わず、その名を呼ぶ。隊長と思しき黒い制服を着た陸軍艦娘に背負われていた彼女は、そこから降り立つと、笑顔で手を振った。

 

ザラの案内で、陸軍艦娘たちは“ペーター・シュトラウス”の舷側から乗り込んでくる。ビスマルクが彼女たちを迎えると、ここまで走ってきたのか、荒くなった呼吸を整えて、隊長が前に進み出た。

 

「第一特務師団隊長、あきつ丸であります」

 

「アキツマル、さん。私は、ビスマルク。アトミラールに代わり、この艦隊の指揮を預かっています」

 

お互いに差し出した手を握りしめる。額に汗を浮かべながら、あきつ丸は柔らかく微笑んだ。

 

「さあ、急ぎましょう。時間はそれほどないであります」

 

「・・・ええ、その通りね」

 

時刻は間もなく正午を迎えようとしている。日没とともに脱出作戦を敢行するには、今から準備を始めなければ。

 

「薬品と機材は、要請のあったものをすべて持ってきたであります。指示を、お願いしたいであります」

 

「わかったわ」

 

ザラに頷くと、彼女がすぐに駆けていく。数分もすれば、工廠と医務室の担当部員が到着するはずだ。

 

「すぐに、積み下ろしの準備を」

 

あきつ丸が指示すると、陸軍艦娘たちが背負った艤装から次々とコンテナ型の荷入れが降ろされる。赤は塩分除去装置関係の部品、青は不足気味の薬品と、分けられているらしい。これなら一目でわかる。

 

「ビスマルク殿」

 

「何かしら?」

 

積み荷を降ろして、分類を続けるあきつ丸が、ビスマルクに話しかける。食堂部にあきつ丸たちの食事の準備を指示していたビスマルクは、たった今終わった艦内電話を元の位置に戻して、あきつ丸を振り返る。

 

「艤装は、格納庫に入れさせていただいていいでありますか?」

 

あきつ丸たちの艤装は、上陸作戦とここまでの道程で、所々損傷している。大規模な修復は今は無理だが、ささくれ立った部分や小さな弾痕を塞ぐことはできるはずだ。

 

「大丈夫よ。丁度空きが多いから、好きに使って頂戴」

 

ビスマルクが笑って見せると、あきつ丸も相好を崩す。積み荷を回収するためにやってきた工廠部員にお願いして、損傷のひどい陸軍艦娘を優先的に格納庫へと連れて行ってもらう。

 

積み荷が全て持って行かれ、陸軍艦娘たちは続々と格納庫へ艤装を降ろしに行く。最後に残ったあきつ丸は、丁寧に謝辞を述べた。

 

「お心遣い、感謝するであります」

 

「いえ、こちらこそ。私たちを助けに来てくれたこと、心より感謝しているわ。本当にありがとう」

 

二人は連れ立って、艦底近くの格納庫へと艦内を進む。薄暗い中、口元に微かな笑みを浮かべながら、あきつ丸は話し続ける。

 

「見捨てることなどできないのであります。皆さんを助けたい、そう強く想う娘が、自分たちを突き動かしているのであります」

 

あきつ丸の言う“強く想う娘”というのに、ビスマルクは思い当たる節があった。以前、アトミラールが少し口にしていた、『チンジュフ』で最古参の駆逐艦娘のこと。彼女が、提督と艦娘たちを支えていること。

 

―――ああ、私たちは幸運ね。

 

願いは届いたのだ。想いは実を結んだのだ。私たちがU-511に託した祈りは、『チンジュフ』に確かに拾われて、そうしてここへと帰ってきた。

 

ならばやるしかあるまい。絶対に、全員が生き残る。

 

今夜の出港に備えて、今はとにかく、準備を怠らないことだ。

 

“ペーター・シュトラウス”の艦内では、急ピッチ且つ静かに出港の準備が進んで行く。リランカ島からの夜間脱出という、最大の賭けに打って出るために。

 

組み立てられた塩分除去装置が稼働を始め、真水を供給された機関部が始動に向けた準備を始めた時、日没までの時間は五時間を切ろうとしていた。

 




次回はリランカ島からの逃避行です

と、言いましても。高速支援母艦の速力にものを言わせて逃げるだけなので・・・


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希望へ錨上げ

すみません、一ヶ月ぶりの更新となってしまいました

リ号作戦はできるだけ早く畳むつもりです


「司令官」

 

五日目の課業が終わった執務室。あらかた片付いた書類の山の前で、わたしは司令官を呼びました。

 

「どうかしたか、吹雪?」

 

「・・・わたし、そろそろ艤装を着けて、海に出たいです」

 

だって、わたしはそのために、艦娘になったんですから。深海棲艦と戦うために、艦娘になったんですから。

 

「・・・そうだね。そろそろ、頃合いかな」

 

柔らかかった司令官の表情は、一瞬で真剣な指揮官のものに変わりました。だからわたしも、ピンと背筋を伸ばします。

 

書類の中から一枚を選んで取り出した司令官は、そこにペンを走らせます。ひとつひとつ、項目を丁寧に確認しながら、五分ほどをかけて書き上げました。

 

艤装の使用許可書です。

 

「明日、やろうか」

 

「はい」

 

緊張しながら、許可書を受け取ります。工廠部に提出すれば、格納庫の艤装を引き出して、出撃ドックで装着できるはずです。

 

肩の強張っていたわたしに、司令官がイタズラっぽく笑いました。

 

「しっかり、見させてもらうよ」

 

 

電探に映る影は、明らかに深海棲艦のものではなかった。大きさも違うし、何より速力が艦娘用の計算方法では異様に速い。その影の正体を、タモンは通常船だと判断した。

 

『見張りより艦橋。接近する艦影を確認。“ペーター・シュトラウス”と認む』

 

“大湊”の艦橋横の見張り所にいる見張り員が、艦影を報告した。リランカ島から離脱してきた『独立艦隊』の支援艦だ。

 

「発行信号用意」

 

“大湊”艦長が指示する。通信用の小型探照灯に取り付き、三回明滅された。これが合図だ。

 

“ペーター・シュトラウス”側も返答する。二隻の支援艦は、ゆっくりとその距離を縮めていった。

 

タモンは“大湊”艦長からマイクを受け取る。スイッチを入れて、通信機の向こうの相手に呼びかけた。

 

「あきつ丸、聞こえてるか?」

 

スピーカーからは、しばらく雑音しか聞こえてこなかった。だがすぐに、甲高い音が一瞬入って、はっきりとした少女の声が“大湊”艦橋に響いた。

 

『こちらあきつ丸。感度良好であります』

 

“ペーター・シュトラウス”艦上のあきつ丸だ。通信状況を確立していない“大湊”と“ペーター・シュトラウス”間で連絡を取るには、彼女の持つ通信機が必要だった。

 

「“ペーター・シュトラウス”を確認した。これより、最大戦速にて当該海域を離脱する」

 

通信機の向こう側で、いくらか喋り声が聞こえる。どうやらあきつ丸は、“ペーター・シュトラウス”の艦橋にいるらしかった。

 

『了解したであります。引き続き、取り次ぎは自分が』

 

「よろしく頼む」

 

通信機から目を離し、チラリと“大湊”艦長を見遣ったタモンは、彼が大きく頷くのを確認した。機関の準備が完了した、そういう合図だ。

 

通信回線を“鹿屋”にも開いたタモンは、大きく息を吸い込む。

 

「全艦最大戦速!針路〇九〇!」

 

発揮しうる全速。これをもって、敵勢力下を夜間のうちに強行突破する。

 

艦尾が泡立ち、スクリューの回転によって、機関の出力が前進するための反動を産み出す。

 

三隻の支援艦は、闇夜の中でお互いを見失わぬよう、身を寄せ合うようにして海上を駆けていった。

 

 

作戦指揮室。支援母艦“横須賀”に設けられたこの部屋には、輸送作戦を指揮するライゾウの他に、長門、赤城、大淀、そして何人かの司令部要員が詰めている。全員が緊張の面持ちなのは、今日合流予定の救出艦隊発見の報が入るのを待っているからだ。

 

“横須賀”からはすでに軽空母部隊が展開し、“彩雲”を飛ばしている。深海棲艦の襲撃を受けている可能性も考慮して、水上艦隊も準備中だ。

 

「祥鳳二号機より、艦影を見ず」

 

定時連絡を受けるたびに、司令部要員が報告し、各機に割り当てられた方位角に「艦影なし」の文字が書き込まれる。救出艦隊の捜索はもちろんだが、同時に敵艦隊の索敵も行っているのだ。

 

―――そろそろ見つけてもいい頃合いだが・・・。

 

若干の焦りを表に出さないように、ライゾウは新しく書き込まれた地図上の文字を見つめる。その後も何機かから定時連絡が入るが、救出艦隊の姿も、敵艦の艦影も、発見の報告は入ってこなかった。

 

「何か、あったんでしょうか・・・」

 

大淀が不安げに呟く。何かを言うこともできず、ライゾウはしばらく考えたのちにゆっくりと口を開いた。

 

「今は待つしかないな」

 

「・・・それも、そうですね」

 

余計なことを言いました。そう呟いた大淀は、それまで以上に熱心に、手元の資料を睨む。輸送船団の総括は、鎮守府でも補給関係の業務に秀でた大淀の仕事であり、すでに積み込みが終わっている輸送船団の積み荷の管理もやっていた。

 

―――とはいえ、いつまでも待つわけにはいかない。

 

当初の作戦では、今日の午前中に救出艦隊と合流し、明日の早朝には、船団を伴って帰路に就く予定だった。

 

作戦前、救出艦隊を待つ限度も決めてある。輸送船団は、遅くとも明後日までには出港しなければならない。とすれば、こうして救出艦隊を待てる限度は、必然的に明日の日没までだ。

 

―――戻ってこいよ、神通・・・!

 

救出艦隊に参加している、ライゾウとは最も親しい軽巡洋艦娘の無事を祈らずにはいられなかった。チャートに無慈悲に書き込まれていく「艦影なし」の文字を、ライゾウは静かに見つめていた。

 

「っ!瑞鳳七号機より入電!艦影見ゆ!」

 

そんな時だった。ヘッドセットに耳を澄ましていた通信員の一人が、声を張って報告する。彼女の声に、その場にいた全員の視線が注がれた。代表して、ライゾウが尋ねる。

 

「敵か!?味方か!?」

 

しばし後、通信員は喜色を覗かせて、はっきりと答えた。

 

「味方です!支援艦三を確認!“大湊”、“鹿屋”、“ペーター・シュトラウス”と認む!」

 

「よしっ!」

 

全員が思わずガッツポーズをした。大淀が、殊更安堵したように、大きく息を吐く。赤城と長門は、互いに目を見合わせて力強く頷いた。

 

「通信可能距離までどのくらいだ?」

 

「後三十分程度です」

 

「よし、通信の用意をしてくれ」

 

それだけの命令を出して、ライゾウは再び海図に目を落とす。航路が見えた。希望への航路が。彼女たちが繋いだ、向かう先が。

 

ただ進むのみだ。受けた希望を、守り抜くために。その決意を込めて、ライゾウは救出艦隊発見の位置に、「希望見ゆ」と書き込んだ。

 

 

 

通信回線が開かれ、救出作戦の結果と損害の程度が判明した。

 

大破・・・那珂

 

中破・・・榛名、霧島、村雨

 

小破・・・神通、時雨、夕立

 

この他に、陸軍艦娘の被弾が数名。あれだけの強攻救出作戦にもかかわらず、損害は少なかったと言えた。

 

ただし、楽観もできない。榛名と霧島の艤装は、支援母艦での修復は不可能と判断された。“大湊”には高速修復材が積まれているが、これはそもそも戦艦などの複雑な機構を持つ艤装にはあまり有効ではなく、修復が完了してもニ、三日程度の調整期間が必要だった。そしてその調整作業を、航行中にすることは不可能だ。船団が明日にも出港しなければならない以上、榛名と霧島の艤装については、その復旧を諦めざるを得なかった。

 

リ号作戦部隊で稼働可能な戦艦は、これで伊勢と日向のみとなった。しかし二人の艤装は、新式主砲システムへの換装を行っていない。戦艦部隊との戦闘には、いささか不安が残った。

 

しかし、今更やめることはできない。輸送船団は、何としても待ち受ける敵艦隊を突破して、本土へと帰らなければならないのだ。

 

合流した四隻の支援艦は、周囲を警戒する艦娘たちと共に、船団の集結地へと向かっていく。

 

出立は、明日。いよいよ、過去最大の船団護衛戦が、その幕を開けようとしていた。

 

 

真っ先にそれを捉えたのは、“鹿屋”から飛び立った早期警戒用の“彩雲”だった。

 

『敵編隊接近!』

 

その報せに、艦隊中に緊張が走る。

 

船団を守る護衛艦隊。その右翼側に位置取る摩耶は、展開した対空砲台の最終チェックを指示して、その時に備えていた。

 

『方位一五〇、距離六万。数、概算で百』

 

“彩雲”からの情報を、“鹿屋”で操作に当たる飛鷹が読み上げた。敵機は、丁度摩耶たちのいる方角から来ることになる。願ってもないことだ。

 

『全艦対空戦闘用意!』

 

“横須賀”の作戦指揮室に詰めるライゾウから、対空戦闘用意が下令された。船団を守るために配置されたありとあらゆる対空火器が、その仰角を上げて、迫りくる敵機に備える。

 

「よっしゃ、お前ら!しっかりやれよ!」

 

自らの後ろに付き従う五人の艦娘に向かって、摩耶は左手を高く掲げて見せた。すぐ後ろの重巡洋艦娘は困り顔で、その後に続く駆逐艦娘たちは威勢のいい声で、それに応える。

 

「あまり無理はしないでよ?」

 

鳥海が相変わらずの心配性を発揮する。これでは、どちらが姉だか、よくわからない。

 

「大丈夫だって。この摩耶様に任しときな!」

 

「もう、摩耶は調子いいんだから」

 

そんな二人のやり取りを、四人の駆逐艦娘たちが苦笑して見守っている。十一駆の吹雪、白雪、初雪、深雪だ。

 

救出艦隊に参加していた四人だが、驚くべきことに、あれだけの戦闘をしても被弾がゼロであった。積極的に戦闘に参加していなかったとか、そういうことではないらしい。陸軍艦娘たちに襲いかかろうとする深海棲艦たちを、まるでダンスでも踊っているかのように、華麗に捌いて海の藻屑に変えていったそうだ。

 

摩耶としては、空恐ろしい限りである。圧倒的有利だった演習にもかかわらず、惨敗を喫したのも頷ける話であった。

 

ともあれ、そんな十一駆の面々だが、対空戦闘はあまり得意ではない。これは、彼女たちの標準兵装である一二・七サンチ連装砲A型が、仰角や装填機構の関係で対空戦闘に不向きであるからだ。いくら練度があっても、こればかりは補いようがなかった。

 

同じことは鳥海にも言える。重巡としては並みの対空兵装しか持たない彼女は、どちらかと言えば対水上戦闘向きだ。

 

そこで、対空能力が突出している摩耶と組ませることで、対空、対水上ともに万能な、非常にバランスのいい部隊を編成することにしたのだ。これは、赤城の提案だった。

 

改装によって対空能力の強化された艦娘―――摩耶や名取、五十鈴、陽炎型駆逐艦娘たちを集中的に運用してはどうかとの意見もあったが、船団を守るには高い能力を持つ一部隊よりも、全体に満遍なく火点を配置した方が得策だと、作戦指揮室は判断した。

 

こうした編成の部隊が五つ、配置されている。このうち、最低でも二つの部隊が行動可能状態にあるよう、作戦指揮室が指示することになっていた。それとこの他に、軽空母をまとめた部隊が一つと、伊勢、日向を中心とした打撃部隊が一つ。

 

ちなみにだが、これらの部隊にはそれぞれ名前が付けられている。高雄麾下の部隊が『マサ』、摩耶麾下の部隊が『キヨ』、妙高麾下の部隊が『ヨシ』、那智麾下の部隊が『ヤス』、長良麾下の部隊が『ナガ』、軽空母部隊が『タケ』、打撃部隊が『カツ』と呼称されていた。これに対し、作戦指揮室の呼び出しは『サル』である。

 

『タケよりサル、戦闘機隊発艦始めるで!』

 

軽空母部隊を指揮する龍驤が、艦隊上空を守る猛禽たちの出撃を知らせる。六人の軽空母艦娘から、“紫電”改二や“烈風”が次々と飛び立って行った。

 

その様子を見送った摩耶は、自らの艤装が万全の状態にあることを、妖精さんに知らされる。その報告に不敵に微笑んで、摩耶は妖精さんに親指を立てて見せた。

 

『敵編隊、距離五万。まもなく有視界範囲です』

 

『サルよりタケ、第一次邀撃、始めっ!』

 

第一次邀撃―――先行した“烈風”隊による一航過と敵戦闘機の引き剥がしが命じられる。肉眼では見えていないが、少し先の空域では、獰猛な航空機たちによる熾烈な戦いが始まっていることだろう。

 

―――目じゃ見えねえけど、こっちだと見えるんだよなあ。

 

そう思いながら、摩耶は自らの展開型艤装に新しく据えられた新装備を見遣る。そのための専用スペースを設けただけあって、動作は至って正常だった。

 

仮称一四号電探。それはまさしく、摩耶のためにあるような対空電探だった。

 

以前の二一号電探では、五万先の航空戦をはっきりと捉えることなどできなかった。しかしこの一四号は、機体一機一機とはいかないものの、大まかな編隊同士の動きくらいなら、十分に捉えることができた。

 

船団側から高度をもって飛行していた編隊が、一気に高度を下げ始める。祥鳳と瑞鳳の“烈風”隊だ。船団への接近を続けていた敵編隊に重なり、一つの塊になる。

 

『タケよりサル、第一次邀撃開始』

 

やはり戦闘は始まっていた。残念ながら個々の戦闘の様子は、一四号電探では知ることはできない。

 

「肉眼で見るにはまだかかりそうだな」

 

右手を庇のようにして、摩耶は戦闘が起こっているであろう方向を見る。もちろん、その先に戦闘の様子を捉えることはできなかった。

 

ただ、機影は見えた。先程突撃した“烈風”とは違い、船団からの距離三万の位置で飛んでいる。第二次邀撃に備える、“紫電”改二の編隊だ。

 

“烈風”隊が敵の戦闘機隊を引き剥がした時点で、“紫電”改二が突撃することになっている。元は乙戦として開発された機体だ。対爆撃機戦闘は得意中の得意である。

 

―――あれが動いたら、今度はあたしらの番だ。

 

左右の腕に据えられた二〇・三サンチ連装砲塔を構える。装填されているのは対空戦闘用の零式弾だ。

 

「あ、機影見えたわよ!」

 

同じように戦闘空域を見つめていた鳥海が、摩耶に言った。視力が良いわけでもなく、実際眼鏡をかけているが、ことこういったものを見つけることは、摩耶よりも鳥海の方が得意だった。

 

鳥海の指した方角を見る。ゴマ粒ほどもない飛翔体が、そこを飛び交っていた。距離はざっと四万といったところか。

 

じりじりとではあるが、航空機の集団は船団の方へと迫ってきていた。

 

―――いよいよだ。

 

西方海域に敵艦隊が敷く封鎖網。それを突破する戦いが始まる。摩耶たち艦娘は、希望を乗せた船団を守り切り、本土へと送り届けなければならない。

 

両手の二〇・三サンチ連装砲塔を打ち鳴らす。それが、摩耶の決意の表れだ。

 

「やるぞ!気合い入れてけ!」

 

摩耶の咆哮に、各々の返事が重なった。

 

敵編隊の様子も、肉眼でよくわかるようになってきた。“烈風”隊と格闘戦を演じる敵戦闘機隊。銃火が飛び交う最中、緊密な編隊を崩さずに驀進する爆撃機と攻撃機。

 

頃合いよし。そう判断したのか、後方に控えていた“紫電”改二の部隊が、一気に加速して、敵攻撃隊へと突入していった。護衛の戦闘機は、ほとんどが“烈風”隊との交戦で手一杯であり、攻撃隊の上空からは引き剥がされている。

 

わずかに残っていた戦闘機も、倍以上の“紫電”改二に蹴散らされ、跡形もなく消え去る。後は味方戦闘機隊の独壇場だった。

 

“紫電”改二の両翼に装備された二〇ミリ機銃が雨霰と降り注ぎ、敵攻撃機を次々と切り刻む。黒煙を引いて墜落する機体もあれば、空中で爆発四散する機体もあった。

 

何とか攻撃隊上空へ戻った敵戦闘機が、群がる“紫電”改二を追い散らそうと試みる。それに“烈風”が襲い掛かり、“紫電”改二を援護する。

 

―――もうすぐ、二万を切る。

 

いくら落とされても、残った敵機は確実に船団に迫る。その歩みが止まることはない。さながら阿修羅だ。デザインが生物的なだけに、その異様さがさらに引き立つ。

 

『サルよりカツ、対空射撃始め!』

 

作戦指揮室が、打撃部隊の伊勢と日向に対空射撃の開始を命令した。彼女たちの主砲である三六サンチ連装砲には、対空戦闘用の三式弾が装填されていた。

 

『カツ了解。伊勢及び日向、統制対空射撃に移る』

 

カツを率いる伊勢が答えた。

 

統制対空射撃。二人以上の艦娘が、同一目標に対して同じ諸元で対空射撃を行うことだ。これは戦艦娘の統制砲撃にヒントを得たもので、現在鎮守府で行えるのは伊勢と日向だけであった。対空砲弾の炸裂密度を増すことで、多数の撃墜を狙ったものだ。

 

船団の中央方向から、轟音が響き渡る。伊勢と日向が、敵編隊に向けて三式弾による射撃を始めたのだ。

 

十数秒の後、計十六発の三式弾が炸裂する。まるでススキ花火のように広がったその弾子の密度は、明らかに普段よりも濃い。絡め取られた敵機が多数、火達磨となって墜ちていった。

 

敵編隊が散開する。爆撃機は高空へ、雷撃機は低空へ、それぞれの目標に向けて進撃していく。

 

最後まで船団上空に留まっていた“紫電”改二は、半数が上昇、もう半数は下降する。その上で、作戦指揮室から各編隊に対して指示が飛んだ。

 

『一小隊目標、方位一四三の敵編隊。二小隊目標、方位一八〇の敵編隊』

 

指示された編隊へ向け、“紫電”改二が飛んでいく。各所から集めた敵機の情報を一元的に集め、少ない機体をうまく活用して敵機を迎撃する。作戦指揮室は、防空指揮所の役割も果たしているのだ。

 

『キヨ、方位一六〇の敵編隊、迎撃間に合わない。対空射撃で撃墜してくれ』

 

「了解!」

 

摩耶は答えて、電探に映る敵編隊を見つける。低空を進んでくる雷撃機。それが十二機だ。相手にとって不足はない。

 

「対空戦闘用意!十一駆は、機銃による近距離迎撃をやれ!」

 

『了解です!』

 

撃っても然して効果がないのなら、わざわざ貴重な弾薬を減らすようなことはしなくてもいいだろう。吹雪たちには主砲による対空戦闘を控えてもらうことにした。

 

摩耶と鳥海は、それぞれの主砲を構える。零式弾の一斉射の後、高角砲による迎撃を始めるつもりだった。

 

「撃ち方始め!」

 

摩耶の号令で、二人の主砲が火を噴いた。戦艦に劣るとはいえ、反動は強烈だ。砲炎の熱さが頬を照り焼きにする。

 

炸裂した零式弾は、爆風によって敵機を押し潰し、断片で切り刻む。それでも、敵機が歩みを止めることなどなかった。

 

摩耶の対空砲台と、鳥海の高角砲が、主砲の後を引き継いで対空射撃を始める。すぐさま、敵編隊の周囲に真っ黒い花が咲き乱れた。無数の花弁が敵編隊を押し包んだかに見えたが、すぐには火を噴かない。何機かがよろけただけで、真っ直ぐに突き進んでくる。

 

二人の対空射撃は続く。一二・七サンチ連装高角砲の装填機構が許す限り、連続で撃ちまくる。資源を満載した輸送船団に迫ってくる空飛ぶエイの悪魔を、海面へと突き落とそうとする。

 

高角砲弾の炸裂にまともに巻き込まれた敵機が、粉々になって墜落する。

 

爆圧でひしゃげ、錐揉みとなる機体もある。

 

一機が真下から突き上げるような衝撃を受けて、コントロールを失う。

 

「堕ちろ!」

 

全四基の高角砲を猛らせ、摩耶は叫ぶ。その想いに応えようとするかのように、高角砲が再び発砲した。

 

二機が爆砕される。

 

コントロールを誤り、一機が海面に激突して飛沫を上げた。

 

「機銃に切り替えろ!撃って撃って撃ちまくれ!」

 

距離が三千を切った。摩耶は高角砲の射撃を止め、機銃による掃射へと切り替える。そして。

 

『撃ち方始め!いっけええっ!』

 

吹雪の号令一下、十一駆の各艦も機銃を撃ち始める。摩耶や鳥海とは違って、二五ミリ機銃は三連装ではなく連装だ。明石の手で増設されていたそれらが、艤装の各所で瞬き、青白い曳光弾をばら撒く。

 

まるでシャワーだ。横殴りに叩きつける弾丸の猛射に、敵機が絡め取られる。

 

推進機を撃ち抜かれ、形状を保ったまま落ちていく機体。

 

弾幕にまともに突っ込んで、ズタズタに引き裂かれる機体。

 

十一駆の息の合った射撃は、さながら一隻の艦のように、活火山の如く濃密な弾幕を形成する。

 

その時、摩耶は気づいた。濃密な弾幕の中に、一か所だけ薄い箇所があることに。まるで回廊のように、航空機の通り道となる、針の穴を通すような道筋が。

 

―――あいつら。

 

摩耶はこの後敵機に待ち受ける運命を思って、少しばかり同情の念を抱いてしまった。

 

案の定、残り少ない敵機は、その回廊に気付いた。最早その目標は、船団ではない。奴らは気づき始めている。艦娘たちを叩く方がいいことに。

 

敵機の目標は、機銃弾の中に形成された回廊の先―――吹雪だ。機体をこれでもかと低くし、一隻でも護衛艦部隊を叩こうと、小さな駆逐艦娘に狙いを定めている。

 

距離は一千。必中を期しているのだろう。敵機はまだ投雷しなかった。

 

だが、ある意味でその判断は間違っていた。

 

唐突に、吹雪の主砲が構えられる。回廊の先―――迫ってくる敵機に向け。

 

主砲が放たれる。砲口から火焔が生じ、高初速の一二・七サンチ砲弾を二発、撃ち出す。

 

全てが決まった。

 

吹雪の放った砲弾は、狙い澄ましたかのように敵機の正面で炸裂した。爆発と断片の雨に正面から突入する格好となった敵機は、一たまりもなく火を噴き、撃墜される。それを合図として、弾幕の回廊が閉じられた。袋の鼠となった敵機は、なす術なく蜂の巣にされ、海面へと落ちていった。

 

―――相変わらず、恐ろしい練度だ。

 

撃ち方やめを下令した摩耶は、作戦指揮室に状況を報告しながら、十一駆を見遣る。鎮守府最高練度、恐ろしいまでの度胸と戦術。歴戦の駆逐隊は、今回も船団を守り切った。

 

第一次空襲部隊が引き上げていく。多数の戦闘機を用いた防空戦術と、作戦指揮室による一元的な戦闘指揮が功を奏し、船団の被害は皆無だった。艦娘部隊にはいくらか命中弾と至近弾があったが、各護衛部隊はまだまだ余力を残している。

 

だが、摩耶は楽観していなかった。どこかにいる敵機動部隊は、気づいたはずだ。優先するべきは船団ではなく、艦娘だと。本丸を落とすのには、外堀、そして内堀を埋めてしまえばいいのだと。

 

―――第二波以降は、こうもいかねえな。

 

奴らは間違いなく、艦娘を狙ってくるはずだ。

 

それに、敵は空母艦載機だけではない。

 

摩耶の予感を裏付けるように、水平線の向こうから新たな敵が迫っていることを、通信機の切迫した声が報せた。

 

『敵水上部隊確認!方位〇九五、距離五万。速力二四ノット。接敵まで二十分!』




次回以降、もっと早く投稿するようにします

生暖かい目で見守っていただけますと・・・


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船の護人たち

またまたお久しぶりです。頑張りすぎたツケが回ってきて疲労気味の作者です

ポーラちゃん不思議キャラで可愛い

どうぞ、よろしくお願いします


次の日の午前中。わたしは真新しい出撃用のドックに立っていました。

 

第一出撃レーン。わたしの目の前には、先ほど艤装格納庫から引き出された、わたしの艤装が据えられています。

 

駆逐艦“吹雪”。この艤装の装着者に、わたしを選んだ、かつての軍艦。その魂が、艤装には込められているそうです。

 

『吹雪』

 

わたしを呼ぶ声は、頭上のスピーカーから聞こえます。管制室に入った司令官が、ガラス越しにわたしを見ていました。

 

『艤装の装着に入ろうか』

 

「はい!」

 

それまで見つめていた艤装に背を向けて、出撃レーンに立ちます。

 

艤装の装着を行ってくれるのは、工廠部を取り仕切るユズル工廠長です。艦娘の艤装開発に関わってきたそうで、わたしの艤装の扱いにも慣れています。

 

「お願いします」

 

「おう、任しときな」

 

初老の工廠長がニヤリと笑いました。

 

天井から吊られた艤装が、わたしの背中にくっつきます。肩紐が掛けられ、バンドを絞める。脚部艤装も嵌めて、脳波コントロールと接続します。最後に、太ももに魚雷発射管が装着されました。

 

「どうだ?どっか変なところはあるか?」

 

スパナを片手に、工廠長が尋ねました。装着された艤装の各部を見回しながら、わたしは首を横に振ります。

 

「大丈夫です。特に、異常ありません」

 

「そうか」

 

工廠長が頷いて、管制室の司令官に目配せをしました。司令官が、再びマイクを取ります。

 

『ドック注水』

 

わたしのいる第一出撃レーンも含めて、ドック内に海水が注水されていきます。脚部艤装が少しずつ海水に浸かりだし、その水位がどんどん上がっていきました。

 

注水が完了すれば、いよいよ機関に火を入れて、艤装の力で水に浮かぶのです。

 

『吹雪。機関始動』

 

軽くアイドリングがされていたわたしの艤装が、ついに本格的な起動を許されました。わたしは気合いの限り、声を上げます。

 

「機関始動!」

 

途端、背部の艤装が、強烈な唸りを上げます。基礎訓練時に使っていた模擬艤装とは全く違います。気高さを感じる咆哮です。

 

「吹雪、出撃準備完了です」

 

息を吸い込む間がありました。

 

『吹雪、抜錨せよ』

 

脚部艤装のスクリューが回転を始め、わたしはゆっくりと、出撃レーンを動きだしました。

 

 

水上艦隊発見の報せは、各部の被害報告が集計されてすぐにやってきた。

 

捉えたのは、やはり早期警戒のために展開していた“鹿屋”航空隊の“彩雲”だった。すぐさま情報は作戦指揮室に伝えられ、全艦隊に共有される。

 

現在の船団針路は方位〇六五。これに対し、敵水上部隊の接近する方位は〇九五。

 

“彩雲”から報告された敵艦隊の編成は、重巡洋艦を主体とした高速艦隊が一つ、その後方に戦艦二隻を含む打撃部隊が一つ。この打撃部隊は、水雷戦隊を一つともなっていた。なかなかに強力な戦力だ。

 

作戦指揮室での精査の結果、重巡戦隊にはナガとキヨが当たり、打撃部隊はカツが押さえることになった。

 

作戦指揮室からの指示を受けて、摩耶は麾下の鳥海と十一駆と共に、配置位置から前に出る。チラリと左舷側を見れば、船団の最前部に位置する長良麾下のナガも、同じように前に出ていた。

 

摩耶と長良の間に、回線が開かれる。

 

「長良、伊勢たちが来るまで、持たせるぞ」

 

『了解。取り敢えずは、重巡部隊を牽制しておこうか』

 

「おう。水雷戦隊が出てきたら、そっちを頼むぜ」

 

『任せておいて!』

 

長良が右手を高く掲げた。その後ろに続く五十鈴、朧、曙、漣、潮も力強く頷く。両艦隊の戦闘準備は整った。

 

長良と短いやり取りを終えた摩耶は、回線を隊内に切り替える。マイク越しではあるが、摩耶に付き従う五人の艦娘たちの覚悟がひしひしと伝わってきた。

 

「まずは重巡部隊を叩くぞ」

 

了解の返事が五回続く。それを満足げに聞き届けて、摩耶は再び前方に意識を向けた。

 

『敵水上部隊、距離三万五千。陣形変わらず、重巡部隊が前衛で突っ込んでくる』

 

作戦指揮室から最新の情報が送られる。

 

作戦指揮室の置かれている“横須賀”は、艦娘支援母艦の中でも最も艦隊指揮能力に優れている。最大の艤装格納能力を持つ“呉”は六艦隊の運用が可能だったが、“横須賀”では同時に八艦隊の運用が可能だ。これは、“呉”では艤装格納用に使っていた艦内スペースの一部を、通信設備の増設に当てたからだ。

 

現在“横須賀”は、七つの艦隊を指揮しつつ、船団を総括する“佐世保”と回線を保ち、リ号作戦部隊全体の情報を一元的に処理している。いわば“横須賀”こそが、船団全体を繋ぐネットワークの中心だった。

 

水上部隊に備えて前に出た摩耶たちだが、それ以上進むことはない。あくまで彼女たちの目的は、船団の護衛であり、極力距離を取らないようにしている。

 

もちろん、戦闘に無防備な輸送艦が巻き込まれては困るので、その辺りは上手くお互いの距離を測って、砲撃や雷撃を行う必要があった。現在摩耶は、船団先頭からの距離を一万五千に保っている。

 

『敵距離、三万』

 

―――そろそろだな。

 

摩耶は自らの艤装を確かめる。両の腕の二〇・三サンチ連装砲に特に異常はない。旋回や俯仰も滑らかだ。砲身には、すでに対艦用の徹甲弾が装填されていた。

 

「鳥海、二〇〇(二万)で砲戦を始める」

 

『了解』

 

僚艦の返事は、相変わらず短い。だがそれでいい。それがいつも通りの、摩耶と鳥海だ。摩耶にとって、鳥海以上の相棒はいない。そんな相棒との間に、長い言葉は不要だ。まあ、小言だけは多いが。

 

水平線を見つめていた摩耶は、やがてその向こうから、目当てとする敵艦隊が姿を現したことに気付いた。真っ先に通信機に向かって叫ぶ。

 

「敵艦隊見ゆ!これより、邀撃に移る!」

 

作戦指揮室にそう伝えた後、すぐに隊内無線に切り替えて、摩耶は咆哮する。

 

「やるぞお前ら!」

 

この時、彼我の距離は二万三千。重巡を先頭に二隻押し立てて進んでくる敵艦隊とは、相対速力五十ノット近くで反航していることになる。砲戦距離二万に入ってくるのは、そう遠くない。

 

「鳥海、そこから二番艦を撃てるか?」

 

『少し位置取りを変えてもらえるとやりやすいわ』

 

「了解。二〇〇で取舵を切る。摩耶目標一番艦、鳥海目標二番艦。右砲戦用意!」

 

両艦隊の距離が三千を縮めるのに、大して時間はかからなかった。水平線上に現れた人型の深海棲艦は、白い飛沫を飛ばして摩耶たちに迫ってくる。その距離が、ついに二万を切った。

 

「取舵二五。測敵始め!」

 

左に舵を切った摩耶が号令する。摩耶と鳥海、二人はそれぞれの目標に向けて、射撃諸元を計算し始めた。

 

測距儀から得られた観測値が射撃指揮装置によって諸元に変えられ、主砲の旋回角と俯仰角を伝える。両腕に装着された二〇・三サンチ連装砲を、二人の重巡艦娘は掲げた。

 

「撃てええええっ!」

 

主砲口に閃光が迸り、四本の火矢が飛び出した。ほとんど同時に、敵艦も発砲する。人間の手にあたる位置にまとわりつく異形の艤装から、真っ赤な火焔が生じていた。

 

音速を超えた砲弾が交錯する。甲高い飛翔音が、急激に迫りつつあった。

 

白濁の水柱が、摩耶の正面に生じる。命中弾はない。二万という距離は、重巡同士の砲戦距離としては遠い部類に入るのだ。早々、初弾から命中弾を得ることなどできなかった。

 

摩耶と鳥海の射弾も落下している。こちらも命中弾を得ることはできず、それぞれの目標の前に、丈高い海水の塊を生じただけだった。

 

お互いに諸元に修正が加えられ、第二射を放つ。この間に、距離は一千ほど縮まって一万九千となった。

 

リ級の放った八インチ砲弾の迫る気配がする。次発装填作業を待ちながら、摩耶は弾着の衝撃に備えた。

 

砲弾は、再び全弾が摩耶の前面に落ちている。水中が林立し、砕けた水滴が摩耶の髪を濡らす。

 

『摩耶・・・』

 

鳥海の心配そうな声が通信機に入った。

 

この時点で、摩耶も気づいていた。二隻のリ級は、明らかに摩耶一人を狙っている。リ級から放たれた射弾は、間違いなく摩耶に向けて、その精度を詰めてきていた。

 

―――大丈夫だ。

 

摩耶は高雄型重巡洋艦娘だ。火力と装甲は、鎮守府所属の重巡洋艦娘の中でも特に高い。敵重巡と正面から撃ち合って、負けることはなかった。もしも、摩耶たちを撃破できるのだとしたら、それはあの新型のリ級―――リ級改Flagshipぐらいのものだ。

 

今、摩耶と鳥海が撃ち合っているのは、いずれもリ級Eliteだ。同数での砲戦なら、負けることはない。

 

その想いを示すように、二人は再び発砲する。二隻のリ級も同じだ。

 

―――来るなら来い!

 

摩耶には、逃げも隠れもする気はなかった。

 

敵弾の第三射が降り注ぐ。今度も命中弾はない。だが弾着位置は随分と近くなり、至近弾落下の衝撃も激しい。飛び散る飛沫が、発砲によって加熱した砲身に当たって音を立てた。

 

こちらの砲撃も成果はない。お互いに、第三射もまた空振りを繰り返したのだ。

 

「喰らええええっ!」

 

気合いの限り、摩耶は第四射を放つ。これまでの射撃で、相当に精度は詰まってきたはずだ。できればこの第四射で、命中か夾叉を得たい。

 

四発の二〇・三サンチ砲弾が、アーチを描いてリ級に迫る。その行方を、摩耶は固唾を呑んで見守った。

 

―――当たれ・・・っ!

 

彼我の砲弾が、それぞれの目標に向かって降り注いだ。摩耶の前には、先ほどよりも近い位置に、敵弾の水柱が立ち上る。その隙間から、摩耶は自弾が上げた成果を見つめた。

 

「よしっ!」

 

思わずガッツポーズを作る。摩耶の第四射は、命中弾こそないものの、敵一番艦を夾叉していた。

 

「摩耶、全力斉射へ移行する!」

 

高らかに宣言する。これからは、装填機構の性能が許す限り、敵艦に連続斉射を見舞い続ける。

 

『鳥海、全力斉射に移行します』

 

摩耶の僚艦も、有効弾を得て、敵艦への連続斉射に抗する旨、報告した。

 

「撃てええええっ!」

 

『てえっ!』

 

二人が発砲する声が、重なった。一拍を置いて、両手の主砲塔から褐色の砲炎が沸き起こる。反動を脚部艤装が沈み込むことで吸収し、熱が摩耶の顔を照らす。煙が辺りに漂い、重巡級の発砲のすさまじさを物語っていた。

 

入れ替わるようにして、敵の第五射が摩耶に迫る。その飛翔音がそれまでと異なっていることに、摩耶の耳は気づいていた。

 

至近弾とは全く質の異なる衝撃が、摩耶の艤装を震わせた。弾着した敵弾のうち一発が、摩耶の肩艤装に当たって弾ける。第五射で、リ級はついに、摩耶を捉えたのだ。

 

―――だが、そう簡単にはやられねえ。

 

自らの艤装の強靭さは、摩耶もよくわかっている。真正面から撃ち合い、打ち破るだけの能力があることも、知っている。だから彼女は、自らを信じて、撃ち続ける。

 

第五射に続いて放たれた第六射は、二本の火柱を敵一番艦に生じている。対して敵の第六射は、一発がエネルギー装甲に弾かれ、もう一発は主砲の防盾に当たって火花を散らした。

 

四隻の重巡洋艦が、揃って第七射を放った。爆風が海面を揺らし、火球のオレンジが蒼の中に照り返す。

 

彼我の距離は、一万三千を切ろうとしている。距離が近くなるにつれて、主砲の仰角は低くなり、その威力も増していく。摩耶たちと敵艦、どちらが先に音を上げるか。

 

リ級の艦上に、火焔が踊る。逆に、摩耶の艤装にぶち当たった敵弾が盛大に弾け、異音を奏でる。

 

「まだまだっ!」

 

射撃に支障はない。摩耶は何事もなかったかのように第八射を放つ。敵重巡も、怯むことなく発砲する。彼我の砲弾が再び交差し、目標に落下する。

 

確かな手応えがあった。

 

弾着の瞬間、敵一番艦が一際大きな火焔に包まれた。二〇・三サンチ砲弾ではありえないほどの大きな火球に、摩耶は目を見張った。何が起こったかは、誰の目にも明らかだ。

 

摩耶の放った二〇・三サンチ砲弾は、敵一番艦の弾火薬庫を直撃し、盛大に吹き飛ばしたのだ。

 

半身を地獄の炎で焼かれるリ級は、断末魔の雄叫びを上げながら急速に傾斜を増していく。撃沈確実だ。

 

「鳥海、そっちはどうだ!?」

 

『大丈夫、何とかなるわ』

 

頼もしい僚艦の声に、摩耶は彼女の勝利を確信した。

 

ほどなく、鳥海が狙っていた敵二番艦の射弾が止む。否、鳥海の砲撃によって、敵二番艦はそれ以上の砲撃戦が不可能になったのだ。摩耶に集中的に砲撃を行う深海棲艦の企みは、失敗したのだった。

 

「・・・敵駆逐艦、後退」

 

摩耶の対水上電探は、重巡がやられたことで撤退していく駆逐艦の艦影を捉えている。その後方、多数の艦影が映っていた。敵水雷戦隊、そして―――

 

『戦艦部隊接近!』

 

―――来たか・・・っ!

 

水上部隊の主力と思しき戦艦群が、その威風堂々たる艤装を唸らせて、摩耶たちへ―――船団の方へと迫っていた。

 

『水雷戦隊が出てきた!こっちで抑える!』

 

通信機から、長良の声が聞こえる。動きだした敵水雷戦隊に合わせるように、彼女たちも増速する。

 

次の瞬間、水平線にめくるめく閃光が走った。昼間の太陽にも劣らない光量が海面を照らす。彼方で上げるその轟音が、ここまで伝わって来るかのようだ。

 

急速に迫る飛翔音。それまで相手取っていた重巡の八インチ砲とは比べ物にならない、凶悪な威圧感。体の奥底を凍らせる死のクレッシェンド。

 

「衝撃に備えろ!!」

 

摩耶が通信機に吹き込んでから数秒、その飛翔を終えた一六インチ砲弾が、摩耶たちの周囲に降り注いだ。丈高い水柱は海水のカーテンとなって辺りを覆い尽くし、スコールの如く大粒の水滴を降らせる。初弾から、精度は高い。おそらくは優秀なレーダーを搭載している、Elite以上の戦艦だ。それも、弾数から見て二隻はいる。

 

夜戦なら、摩耶たちでも相手取ることができる。艤装の補正によって、戦艦と撃ち合えるだけの能力を付与されるからだ。だが、昼戦では勝ち目はない。艤装の補正がないことはもちろん、お互いが視認できるので、砲戦距離も必然的に長くなってしまう。

 

昼戦で戦艦を倒すには、やはり戦艦しかいなかった。

 

轟音は摩耶たちの後方から聞こえてきた。対水上電探に映っている影。その方角から聞こえた雷鳴のごとき咆哮は、高らかな旋律を頭上に振りまきながら、先頭のタ級へと伸びていった。

 

一番艦の周囲に、四本の水柱が上がる。観測射撃であることは明白だ。摩耶は自然と口角が吊り上がるのを感じた。

 

『お待たせ!』

 

通信機から、溌剌とした戦艦娘の声が聞こえた。否、正確には、彼女たちはただの戦艦ではなく、航空戦艦だ。

 

『キヨは安全圏へ退避。敵戦艦部隊は、カツが引き受ける』

 

高らかな宣言と共に、伊勢が第二射を放った。それから一拍を置いて、タ級も再び発砲する。新手に向けて、その照準を変更したらしかった。

 

「安全圏まで退避する。取舵一杯」

 

摩耶は指揮下の艦娘たちに伝えて、束の間筋肉を弛緩させる。

 

普段の摩耶なら、ここで突っ込んでいくところなのだが、今回は何よりも輸送船団を守らなくてはならない。我武者羅に突撃するのは止めるよう、お節介な姉に念を押された。しかも、見張りとでもいうかのように、鳥海とセットである。もっとも、摩耶としても鳥海と組むことには何ら不満もないので、特に気にはしていない。

 

攻撃だけが、守る方法じゃない。摩耶はそう肝に銘じて、しばらく戦いを静観することにした。この間に、艤装各部の再チェックもしておきたい。

 

摩耶たちが離脱する間も、伊勢の砲撃は続く。一方、日向は一向に発砲しようとはしなかった。まるで何かを待っているかのように、掲げられた八門の主砲は沈黙を守っている。

 

ふと、上空を波打つ羽音に、摩耶は気づいた。反射的にそちらを見上げる。聞いたことのあるメロディーは、やはり「火星」エンジンの上げる力強い咆哮だった。この艦隊に所属する航空機で、これだけの唸りを上げる機体は、一つしかない。

 

―――一式陸攻・・・?

 

頭上に羽ばたいていたのは、“鹿屋”航空隊が運用する双発攻撃機だった。それが三機。敵機に襲いかかろうと高度を落とすわけでもなく、伊勢と日向の上空に張り付いている。

 

ここで飛ばす意図を、摩耶は掴みかねていた。だが次の瞬間に、それを理解する。

 

『敵一番艦に命中弾!』

 

―――嘘だろ!?

 

伊勢から上がった報告に、摩耶は目を見開いた。

 

伊勢と敵戦艦部隊が砲戦を開始したのは、概算で三万。伊勢に搭載されている四五口径三六サンチ主砲の最大射程ギリギリだ。本来であれば、この距離で命中弾を得ることは不可能と言ってもいい。

 

観測射を続ける間に、彼我の距離が二万七千程度まで縮まったとはいえ、砲戦距離としてはまだまだ遠いはずだ。それなのに、伊勢はわずか四射目にして、命中弾を得ることができた。

 

理由は一つしか考えられない。上空の一式陸攻だ。

 

―――確か“鹿屋”航空隊にも、小数機配備されていたはずだ。

 

“銀河”への転換が進む一式陸攻だが、その用途を攻撃だけに留めておくのはもったいない。基地航艦が産み出したのは、砲戦を支援する機体―――高高度観測機だった。魚雷や爆弾の代わりに、気象情報等の観測機器や対水上電探を搭載したこの機体は、戦艦娘の測距儀だけでは得られない射撃データを与えることができる。その分、射撃精度は向上するのだ。

 

基地航空隊の鷹娘との高度な連携が必要とされるこの射撃方法は、新式主砲システムへの換装がまだだった伊勢と日向のみが、その訓練を受けている。

 

ここで、日向が沈黙していた理由もわかった。遠距離からの砲戦。敵戦艦が命中弾を得られないうちに、一方的な連続斉射を浴びせて行動不能にする。そのために、単一目標に射弾を集中する戦法。

 

性能が近い同型艦が、同一射撃諸元を用いることで可能とする砲撃戦、それが統制砲撃戦だ。鎮守府所属の戦艦娘は、姉妹でこれが行えるだけの研鑽を積んでいる。

 

案の定、伊勢が命中弾を得るのを待っていたかのように、日向が発砲した。初弾から斉射だ。突き立てられた八門の主砲が褐色の炎を上げ、日向の正面に衝撃波のクレーターを作る。主砲発射の反動に、日向の脚部艤装が大きく沈み込んだ。

 

八発の三六サンチ砲弾が、敵戦艦に向けて飛翔していく。逆に、敵戦艦の砲弾も伊勢たちへ向けて飛んでくる。巨弾が高空ですれ違い、高らかな音を響かせて海面へと突っ込んだ。

 

敵戦艦に、命中弾炸裂の閃光が走る。艤装の破片と思しき影が飛び散り、タ級が咆哮を上げる。砲戦距離が長いために、三六サンチ砲弾はほぼ真上から降り注いだのだ。

 

日向が装填作業を行う間に、今度は伊勢が斉射を放つ。彼我の弾着の様子がわかりやすいように、両艦はタイミングをずらしての統制砲撃を試みていた。

 

伊勢の第一斉射がタ級を捉える。信管を正常に作動させた三六サンチ砲弾が、盛大に弾けてタ級の艤装を削り取った。

 

入れ替わりに、伊勢と日向の周囲にも敵弾が落下し、海水を沸騰させる。白い巨塔の合間に、オレンジの光が瞬いた。空振りを繰り返した敵一番艦の主砲が、ついに伊勢を捉えたのだ。

 

日向の周囲に立ち上った水柱にしても、その精度は確実に高まっている。こちらの射弾を浴びせていない分、この敵二番艦の射撃の方が厄介だ。できれば早々に一番艦を沈黙させ、二番艦に砲門を向けたい。

 

その想いを込めるかのように、日向が再び斉射を放った。八発の砲弾が飛び出し、撃ち合うタ級から戦闘能力を奪おうとする。背負った艤装が火球を生じる様は、海上に立ち塞がる守り神の如くだ。まさに彼女たちは、船団に迫り来る脅威を、その力をもって排除しようとしている。

 

ウズウズと、摩耶の主砲が疼く。目の前で、仲間が戦っているのだ。共に戦いたいと思わないわけがない。

 

それでも、その気持ちをグッとこらえる。船団護衛においては、守るべき輸送艦の周囲に、防衛線の穴を開けてはならない。今にも主機を一杯にして突っ込みたい衝動を、摩耶は理性で必死に抑えていた。

 

今一度放たれた日向の斉射が、さらに二発の命中弾を与えた時、一番艦の様子が目に見えて変化した。腰回りに据えられた艤装からは絶えることなく黒煙が噴出し、その姿を覆い隠す。左舷への傾斜も進んでいた。そして何より、伊勢に三発が命中した一六インチ砲が、鳴りを潜めている。

 

『敵一番艦、速力低下。撃破と認む!』

 

伊勢の弾んだ声が聞こえた。統制砲撃による連続した三六サンチ砲の応酬が、ついにタ級から戦闘能力を奪い去ったのだ。

 

「いいぞ伊勢、日向!その調子だ!」

 

摩耶も思わず、開かれた回線に向かって鼓舞する。

 

『ふふん、ま、この伊勢さんに任せといてよ!』

 

通信機の向こうから、自信たっぷりといった伊勢の声が聞こえた。

 

とはいえ、状況は決して楽観視はできない。残った二番艦の、日向に対する砲撃はその精度をかなり向上させており、彼我の距離が縮まったこともあって、命中弾が出るのは時間の問題だ。こちらが全力で統制砲撃を行えるまでに、それなりの時間が必要になる以上、多数の被弾は覚悟しなければならない。

 

伊勢が観測射を行うべく、その目標を変更している間に、二番艦の砲撃が再び降り注ぐ。

 

日向の幸運も、そこまでだった。立ち上る水柱の間に閃光が走り、金属が擦れるような異音を奏でる。ここへ来て、二番艦の砲撃が日向を捉えた。次からは斉射が降ってくる。

 

『目標二番艦!撃てっ!』

 

それに負けじと、伊勢が二番艦に対する第一射を放つ。その諸元は、自らの測距儀のみならず、日向からの観測値、一式陸攻からの気象データを加味しており、精度は通常射撃よりも格段に高い。

 

その実力を示すかのように、第一射が二番艦を包み込む。目を凝らして砲弾の軌跡を追っていた摩耶は、感嘆の唸りを上げた。

 

四本の水柱は、二本が手前、もう二本が奥に生じている。伊勢は、砲術の理想とされる、初弾夾叉という偉業を成し遂げていた。

 

―――すげえ。

 

高高度観測機を用いた観測射撃を、十二分に使いこなしているからこそできる芸当だ。ただただ、感服するしかない。

 

―――あの二人が、負けるはずがねえ。

 

今の一射で、摩耶はそう確信した。

 

例によって、日向が斉射の口火を切る。一発程度の被弾など、歯牙にもかけていないように、先程までと変わらない轟音を鳴らす。

 

二番艦のタ級も、それに倣うかのごとく、怒りに似た咆哮を滲ませて斉射を放つ。腰回りの艤装から、禍々しいまでの炎が上がり、一六インチ砲弾を宙空へと放り出す。音速を越えた砲弾同士が交錯し、それぞれの目標に降り注いだ。

 

摩天楼を思わせる白濁の塊が、双方同時に生じる。お互いに命中弾はあるが、戦艦がそう簡単に沈むはずはない。十分過ぎる耐久能力で、衝撃に耐えていた。

 

日向の主砲身が下がり、次弾の装填を行っている間に、今度は伊勢が発砲する。日向に遅れまじと、長女の意地を乗せているかのような砲声が、辺りを圧した。砲炎の照り返しが、その横顔を染めている。

 

命中弾炸裂の爆炎が二つ上がる。タ級の真っ白な肌が、噴き上がった炎でオレンジに染まっていた。

 

第二斉射は、日向よりもタ級の方が早かった。こちらが次弾装填に四十秒かかるのに対し、タ級Eliteは三十秒で再装填を終える。斉射間隔では、タ級の方が短い。

 

日向が第二射を放った直後に、タ級の射弾が落下してくる。それまでに倍する瀑布が突き上がり、日向を包み込んだ。命中弾に艤装が弾け、エネルギー装甲が艦娘を保護する。

 

『日向、大丈夫!?』

 

伊勢が不安げに尋ねる。が、当の日向は、これといって被害があるわけでもないらしく、普段通りの落ち着き払った声で答えた。

 

『大丈夫だ。早々にケリを着けるぞ、伊勢』

 

わずかに口角が吊り上がった声に聞こえた。

 

『そうだねっ!』

 

答えた伊勢が、斉射を放った。姉妹艦の声に応えようとする、確かな信頼と意志。統制砲撃戦を行うのに、これほど適したパートナーなどいまい。

 

砲撃の行方を、摩耶もまた、固唾を飲んで見守る。すでに距離二万三千を切ったタ級を凝視していた。

 

水柱が上がる。白く染め上げられたオブジェがタ級を覆い隠し、しばし天然のカーテンとなる。やがてそれが取り払われると、タ級の被害状況が見えてきた。

 

一目で、艤装右舷側の被害が大きいことがわかる。砲座と思しきところからどす黒い煙が上がり、長く後方へと引き摺っている。相当な被害を与えているはずだ。

 

だが、タ級も退かない。日向の斉射が放たれる前に、その主砲がもう一度唸りを上げる。発砲の威圧感も、それまでと何ら変わっていない。むしろ、煙を纏ったことで、より禍々しさが増していた。

 

日向が再び水柱に包まれる。正面に生じた水塊を艤装で突き破り、その姿が露となった。戦艦娘を象徴する巨大な艤装は、薄い煙を引いている。

 

それでも、砲撃に支障はない。日向は何事も無かったかのように、再三の斉射に踏み切った。

 

今度も、二発がタ級を捉える。通算で十発目の命中弾だ。

 

『いっけええええっ!』

 

これで決める。その決意を表して、伊勢が絶叫した。八門の三六サンチ砲が強烈な閃光を放ち、火球の中から砲弾が飛び出す。砲身の内筒に刻まれたライフリングが砲弾に回転を与え、超音速のまま美しいアーチを描く。

 

物理法則に則った飛翔を終えた砲弾は、タ級の装甲にぶち当たり、喰い破った。それだけで、すべてが決まった。

 

タ級の艤装から、一際大きな炎が上がった。三六サンチ砲弾炸裂の炎とも、タ級の斉射による砲炎とも違う。頭上に輝く太陽の光が霞んでしまうほどの、圧倒的な光量が海面を赤に染め上げた。

 

伊勢の砲弾はタ級の弾火薬庫に突入し、そこに蓄えられていた主砲弾を一時に誘爆させたのだ。

 

青白い業火に包まれたタ級は、断末魔の叫びすら上げることなく、ズブズブと沈んでいく。その主砲口に、再び炎がきらめくことはない。

 

伊勢と日向の統制砲撃は、二隻の敵戦艦を撃沈破したのだ。

 

伊勢が砲撃止めを下令する。加熱した砲身が冷却に入った。

 

『敵水雷戦隊、撤退していきます』

 

長良も報告を上げる。これで、ひとまず水上部隊の襲撃を防ぐことができた。

 

『小破以上の損傷を受けた者は、応急修理を受けてくれ。キヨ、ナガは今のうちに弾薬補給を。間もなく、第二次空襲が始まる可能性が高い』

 

作戦指揮室が指示を出す。

 

砲戦で被害の生じた伊勢と日向は、応急修理を受けるべく後退して行く。一方、小破まで損傷が行っていない摩耶は、対空火器や射撃管制装置に問題がないことを確認して、このまま前線に留まることを決めた。

 

砲戦を終えた二人の戦艦娘と擦れ違う。その視線が、摩耶と合った。

 

後はよろしく。そう言っているように見えた。

 

―――任せとけ。

 

二人に向かって、摩耶は力強く頷いた。

 

深海棲艦の第二次攻撃が、刻々と迫っていた。

 




今度こそ、早く書きます

リ号作戦が意外と長くなりそうで怖い


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狼煙を上げて

どうもです

イベント、アイオワさんは取りました・・・が

親潮と春風が出ません・・・出ないよ・・・

どうぞよろしくお願いします


解放された出撃ドッグの外に躍り出たわたしの前に、蒼々と雄大な海が広がっていました。今日は波も穏やかで、静かに揺れる海面に太陽の光が反射してきらめいていました。

 

艤装の力によって海を征くわたし。脚部艤装は快調に動いており、原速を発揮する機関が心地の良い振動を伝えます。

 

不思議なものですね。わたしは今、二本足で海面に立っているんですから。脚部艤装に当たった波が、白い飛沫となってわたしの後ろに延びていきます。

 

『吹雪』

 

開いておいた回線から、司令官の声がしました。たった今出てきたばかりのドックの方を見ると、無線機を片手に持った司令官が、建物の天辺からこちらを見ていました。

 

あらゆる通信手段が遮断され、外国との情報のやり取りがままならない今日ですが、これぐらいの近距離ならまだ繋がるみたいです。

 

『艤装の状態は、どうだ?』

 

「異常は見られません。航行に問題なしです」

 

『了解。今日は慣らし運転にしよう。舵の利きと増減速を確認。速度は強速まで』

 

「わかりました」

 

と、いうわけで。初めて海に出たその日は、鎮守府前の演習海域を、わたしの自由に動き回ることができました。司令官に指示された内容以外にも、海図上の暗礁の位置を確認したり、潮流を見たり、魚の群れを見つけたり。ちょっとした遠足気分で楽しかったです。

 

何より。深海棲艦が現れてから、人類はまともに海に出ることができなくなっていましたから、とても新鮮な心地でした。

 

「どうだった?」

 

出撃ドックへ戻ったわたしへそう尋ねた司令官に、わたしは興奮を抑えきれずに答えました。

 

「とっても綺麗でした!」

 

 

 

翌日。訓練課程である程度慣れていたとはいえ、初めて扱う本物の艤装は、わたしに普段使わない筋肉を使わせていました。そのせいで、筋肉痛がひどいことになりました。ううっ、恥ずかしいです・・・。

 

 

リ号作戦部隊は、苦境に立たされていた。

 

始まった第二次空襲は、一次の時よりも多いのべ二百機近い敵機が来襲した。

 

もちろん、こちらも全力で応戦する。祥鳳と瑞鳳、そして“鹿屋”から飛び立った“烈風”が敵編隊を切り崩し、龍驤、千歳、千代田、隼鷹所属の“紫電”改二が逆落としに襲いかかる。二十ミリ機銃をまともに受けて、撃墜される機体は多数に上った。

 

それでも、その防空網を突破して船団に接近する機体は存在する。まして今回は、先の第一次よりも物量がある。敵戦闘機の妨害も大きく、“烈風”隊も“紫電”隊も十分な防空戦闘ができたとは言い難かった。

 

戦闘機の銃撃を越えてきた敵機は、第一次とは異なり、今度は船団を取り囲む艦娘たちを狙ってきた。いきなり本丸を落としにかかるのではなく、まずは外堀を埋めることにしたのだ。

 

特に、対空能力が高く、対空射撃の中核となっていた艦娘は執拗に狙われた。

 

摩耶も例外ではない。対空砲台を展開する摩耶は、こと高角砲の門数だけに限れば、船団中央で修復中の伊勢や日向と変わらない。対空専用艤装であるため、むしろこちらの方が対空能力は高いと言えるかもしれない。まさにハリネズミの如く対空兵装を纏った摩耶に、敵機は群がってきた。

 

雷撃機、爆撃機、時には銃撃をかけてくる戦闘機もある。それらに、摩耶は高角砲を向け、機銃を乱射し、対抗していた。

 

すでに、全弾をかわすことは諦めている。であるならば、より危険度の高い雷撃機の撃墜を優先することを摩耶は決めて、鳥海以下の僚艦にもそう伝えおいた。

 

仰角を下げた高角砲が、海面を這うようにして迫る雷撃機に向けて火を噴く。真っ黒い花が絨毯のように波頭の上に広がり、高速の断片が敵機を巻き込んで引き裂いた。

 

上空で虎視眈々と機会を窺う爆撃機のことに、摩耶は気づいている。一四号電探は、その影をバッチリと捉えていた。だが、手を出すことはできない。

 

―――来るなら来い・・・っ!

 

高角砲を再び放ちながら、奥歯を噛みしめる。今、この弾幕を緩めるわけにはいかない。回避運動を取るのは、敵機が摩耶に向けて降下してきてからだ。ギリギリまで、高角砲を撃ち続ける腹づもりだった。

 

濃密な弾幕を受けて、敵雷撃機が落ちていく。摩耶の対空砲台に搭載している高射装置は、鎮守府内でも最高精度のものだ。リ号作戦には間に合わなかったが、搭載した一四号電探との連動射撃も視野に入れている。

 

摩耶の精密な対空射撃が、襲い来る雷撃機を火達磨に変えていく。一機、また一機と数を減じていく雷撃機が、間もなく機銃の射程圏内に入ろうかという時、それは始まった。

 

上空の爆撃機が、機体を傾けて急降下を開始する。間違いなく、その軸線上には摩耶がいた。

 

―――くそがっ!

 

内心で罵って、摩耶は回避運動に入った。

 

爆撃機は、雷撃機同様に摩耶の右前方から、彼女の未来位置に向けて急降下してくる。これを回避するためには、その真下に向けて舵を切る必要がある。すなわち、雷撃機が向かってくる方向へと。

 

「目標、前方雷撃機!対空機銃群撃ち方始め!」

 

回避運動に入った摩耶が、ほぼ正面に捉えた雷撃機編隊に向けて対空砲台の二五ミリ機銃を乱射する。細く鋭い火線がまっすぐに延びていき、猛吹雪となって敵機を押し包んだ。たまらずに火を噴くかに思えたが、そんなに都合のよいことは起きなかった。激烈な弾幕の中を、敵機は怯むことなく突き進んでくる。

 

機銃弾が一機を絡めとり、機体を引き裂いて焔を上げた。二五ミリ機銃は炸裂弾だ。まともに喰らえばひとたまりもない。

 

操作を誤ったのか、高度を落としすぎた一機が波に掴まれ、飛沫を上げて海中に引き込まれた。逆に、高度を上げすぎてまともに弾雨を浴び、黒煙を噴く間もなくバラバラに解体された機体もある。

 

敵機は低空の雷撃機だけではない。上空からは、甲高いダイブブレーキのメロディーを響かせて、爆撃機が降ってくる。摩耶たちには、そちらまで弾幕を張っている余裕はない。今は雷撃機の撃墜が最優先だ。

 

―――当たるなよ・・・!

 

自らに迫りつつある爆撃機を、電探の影で確認しながらも、摩耶には祈ることしかできない。

 

また一機、雷撃機が落ちる。その瞬間、爆撃機の動きが変わった。投弾を始めた機体から、引き起こしにかかったのだ。

 

ダイブブレーキの代わりに、今度は爆弾が大気を切り裂いていく。真っ逆さまに迫る狂想曲の音が極大にまで達した時、摩耶の左舷に白く染められた海水の柱が立ち上った。敵弾の落下が始まったのだ。

 

立て続けに、二発目と三発目も落着する。四発目は右舷に落ちた。飛び散った断片が艤装と擦れて異音を上げ、降りかかる水滴が頭を濡らす。摩耶は目を閉じることなく、ただ目の前の雷撃機を睨み付けていた。

 

五発目が落下する。瞬間、衝撃は足下の海からではなく、後方からやってきた。一瞬、背中に焼けるような痛みが走る。五発目の敵弾が、摩耶を捉えたのだ。

 

その後も、白濁の瀑布が林立し、命中弾炸裂の衝撃と破砕音が摩耶を襲う。それらを、摩耶は歯を食い縛って耐えていた。

 

最後の弾着が終わる。最終的な投弾数は十二発。内、命中弾は三発。摩耶の艤装は、それだけの被弾にも耐えていた。

 

だが、それで終わりではない。目の前には、今まさに投雷しようとする雷撃機が迫っている。

 

急降下爆撃から数秒と経たずに、先頭の敵機が投雷した。それに続いて、各機が投網状に魚雷を放つ。雷撃機の腹から離れた鋼鉄の槍は、キヨ全体を包むように、不吉な白線を引いていた。

 

「射撃止め!回避運動!」

 

摩耶は即座に下令する。刻々と迫る鉄製の肉食魚を避けようと、鳥海や十一駆も魚雷と正対する方向へ舵を切った。

 

だが、駆逐艦である十一駆はまだしも、重巡である鳥海は舵が利き始めるまでに若干のロスがある。魚雷への正対は、わずかに遅れがちだ。

 

―――間に合ってくれよ・・・!

 

最も信任を置く僚艦の無事を祈った摩耶は、前から迫りつつある白線に意識を集中する。

 

爆撃機に対する回避運動を取ったことで、摩耶はキヨ内で最も魚雷に近い位置にいる。真っ先に魚雷が到達するのは彼女だ。

 

―――チャンスは一瞬だ。

 

両腕の二〇・三サンチ連装砲を構える。対空戦闘用に装填していた零式弾は、遅延信管に設定していた。

 

その砲身を、海面に―――驀進してくる魚雷に向ける。俯角となるこの位置では測距儀が意味を成さないため、照準は目視で定める他なかった。

 

―――今!

 

二〇・三サンチ砲が火を噴く。反動が腕を伝い、わずかに体が浮き上がる感覚がした。

 

放たれた砲弾は、狙い違わず海面へ突き刺さる。運動エネルギーのロスがほとんどない状態では、海面とて固い壁となる。装甲にぶち当たったと勘違いを起こした砲弾は律儀にも遅延信管を作動させ、摩耶の狙い通りに海中で炸裂した。

 

四発の二〇・三サンチ砲弾が、自らの弾け飛ぶ力で海水を持ち上げた。急激に増した温度と圧力が海水を煮立たせ、その一部を瞬時に蒸発させる。同時に空中の五倍という強度と速さを持った衝撃波が広がり、海中に見えざる壁を形成した。

 

摩耶が狙ったのは、砲弾による魚雷の誘爆だ。

 

以前、爆雷によって魚雷の進路を変える方法を試みた。これは成功し、魚雷のいくつかを破壊、またその進路を破壊することができた。それを、今度は砲弾でやろうとしたのだ。

 

爆雷と違い、炸裂深度の調定ができない砲弾では、難易度は格段に上がる。が、敵潜水艦の襲撃も考慮すれば、吹雪たちに搭載されている爆雷を、できるだけ温存したかった。

 

―――どうだ・・・っ!?

 

飛沫を散らして進み続ける摩耶は、じっと砲弾の爆発によって泡立った海面を見つめていた。その中から、白線が伸びてくる。目算では、二、三本数が減っているだろうか。

 

今更できることはない。後は、正面からくる魚雷が、当たらないことを祈るだけだ。

 

透明度の高い海面には、青白く光る魚雷がよく見える。摩耶との距離は、すでに二百を切っていた。

 

高速で接近する白線の行方を見つめる。額に冷たい汗が伝う感覚がした。

 

魚雷は、摩耶を掠めて、通過した。左右を挟み込むように、白い航跡が過ぎていく。命中するものはない。摩耶は、魚雷の回避に成功したのだ。

 

だが、それで終わりではなかった。摩耶を通過した魚雷が、今度は鳥海と十一駆に迫りつつあった。

 

その様子を、摩耶はただ祈りと共に見つめているしかなかった。

 

『魚雷・・・通過っ!』

 

戦闘中に落ち着いた声音を崩すことのない鳥海が、喜色を滲ませて報告した。魚雷の白線は、鳥海や十一駆の各艦娘を捉えることなく、通過していった。馳走距離の短い魚雷は、間もなく航跡を消し、海底へと誘われていくはずだ。

 

極度の緊張状態から解放され、摩耶は安堵の溜め息を吐く。キヨはまだ、致命的な被害を受けていない。

 

筋肉を弛緩させたのは、その一瞬だけだ。空襲はまだ続いてる。摩耶たち以外の各隊も、敵機と交戦中だ。もしかしたら、まだ残っている敵機が摩耶たちを着け狙っているかもしれない。

 

電探の反応を頼りにして、摩耶は周囲を見回す。その時。

 

『五十鈴、被弾三!機関に損傷、戦闘航行不能!』

 

痛みを堪える切迫した声が、すぐ近くから通信機を通して聞こえてきた。

 

ナガの陣取る方角。そこから、明らかな黒煙が上がっていた。

 

五十鈴は軽巡洋艦だ。第二次改装を受けたとはいえ、装甲は摩耶ほど厚くない。三発の被弾は、当たり所によってはその能力を大きく損ないかねなかった。そして今回、命中した敵弾は、五十鈴の機関部を抉り、その航行能力を奪ったのだ。

 

五十鈴が欠けるのは痛い。同型の名取が対空兵装の増設に留まっているのに対し、五十鈴は高射装置も刷新している。彼女自身、対空戦闘の経験が豊富であり、摩耶と共に船団防空の要と位置付けられていた。

 

対空電探の機影から、第二次空襲が終息に向かいつつあることが窺える。船団にはまだ大した被害は出ていないようだが、輪形陣を構成する部隊の各所から、薄い黒煙が噴き上がっていた。

 

 

「被害が蓄積しているな」

 

寄せられた被害報告を集計しながら、ライゾウは唸った。作戦指揮室に設置されている海図台の液晶パネルを囲む面子も、その表情は険しい。

 

「敵が、目標を艦娘に絞ってきたのは明白だな」

 

長門が指摘する。

 

第一次空襲は、船団の輸送艦を狙う敵機に向け、各部隊が対空砲火を集中することができた。ところが、第二次空襲では、船団を守る各部隊がそれぞれに狙われたため、各部隊ごとに自らに迫る敵機を相手取るので精一杯となった。数が増加したこともあり、被害は第一次空襲の時よりも大きい。

 

間違いなく、深海棲艦の機動部隊は、攻撃を艦娘に集めてきていた。

 

「敵機動部隊の位置は、捕捉しているのか?」

 

「はい。三十分前に、“鹿屋”から報せてきました。正規空母二、軽空母一を含む機動部隊が二つ確認されています。おそらく、付近の西方海域封鎖艦隊が、接近してきたものと思われます」

 

そう答えた大淀は、機動部隊が発見された位置を海図台の上に示す。船団からは、航空機で片道一時間だろうか。

 

「・・・攻撃隊を出すか、微妙なところですね」

 

第二次空襲が引き上げ始めて三十分が経過している。通常空母に比べて遥かに回転率の高い深海棲艦の空母なら、こちらの放った攻撃隊が編成を終えて到達するまでに、第三次攻撃隊を出せる。規模は第二次より小さくなるだろうが、それでも第一次並みのはずだ。攻撃隊に護衛の戦闘機を付けなければならない以上、船団の防空体制が甘くなったところで第三次空襲を受けるのは、かなり厳しかった。

 

選択肢は二つ。このまま守りに徹するか、攻撃隊を出すか。もしも攻撃隊を出すなら、タイミングは早い方がいい。

 

「・・・攻撃隊を出そう」

 

おもむろに口を開いたのは、それまで静かに作戦指揮室の様子を見ていたタモンだった。この船団の中で最先任はタモンであり、必然的に最終的な船団の方針を決定するのは彼だ。また、タモンは航空戦の専門家でもある。

 

“大湊”から救出艦隊を率いていた彼は、輸送艦隊と合流した時点で作戦指揮室のある“横須賀”に移っていた。以後は、輸送艦隊の最高責任者であるライゾウと参謀役として作戦指揮室に詰める艦娘たちに敵艦隊の邀撃を一任して、自らは特に口を挟まなかった。

 

「戦闘機隊の収容は完了しているか?」

 

「はい。タケ及び“鹿屋”の戦闘機隊は、収容と補給を終えています。現在の稼働率は、七割です」

 

航空機関連の事柄を総括する赤城が、タブレットから資料を海図台に示した。二度の防空戦闘で被弾、損傷や整備不良をきたした機体は、現在予備機の組み立てに入っている。一方、攻撃機については、西方海域突入時の強襲作戦でのみ使用したため、そのほとんどが無傷で残っている。航空攻撃力は十分過ぎるほどだ。

 

「“鹿屋”の基地航空隊、及び千歳、千代田、隼鷹の航空隊で攻撃隊を編成する。龍驤、祥鳳、瑞鳳は引き続き防空に専念」

 

タモンの決断は、すぐさま“鹿屋”とタケに伝えられた。千歳、千代田、隼鷹からはすぐに攻撃隊が飛び立ち、敵機動部隊へ向けて進撃を開始する。飛行甲板に機体を出す必要のある“鹿屋”からの発艦は、まだ時間がかかりそうだ。

 

リ号作戦は、今まさにその佳境を迎えようとしていた。




また中途半端なところで・・・

次回はまた基地航空隊です

・・・そういえば、今回のイベントで基地航空隊実装されてるじゃないですか。熟練度が上がらなくてヒーヒーしてました


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波頭を砕く翼

お久しぶりです

そろそろリ号作戦も大詰めです。頑張ってまいりましょう!

(あれ、頑張るのって作者自身だよね・・・?)


「雨ですねえ・・・」

 

艤装を装着しての訓練を始めて一週間。鎮守府に来て、初めて雨が降りました。そんなに激しくはありませんでしたけど。

 

本当は、雨中訓練をしようかとも思ったんですけど。さすがに、まだ艤装を装着して一週間では、危ないですよね。そういうわけで、今回は司令官からストップがかかっていました。

 

ええっと、それにしても暇です。今日は書類の量も少なくて、司令官と二人で分担したらすぐに終わってしまいました。お昼ご飯を食べ終わると、わたしは執務室の窓から外を見て、ポツリと呟いていました。

 

「雨だなあ」

 

同じように、司令官も呟きます。工廠の資料から顔をあげて、窓の外を見ました。

 

「・・・よしっ」

 

ポンッ。突然、工廠の資料を閉じた司令官が、立ち上がりました。

 

「吹雪」

 

「はい?」

 

「どうかな。少し、外出しない?」

 

外出・・・ですか?

 

わたしが首を傾げていると、司令官は気恥ずかしげに頬を掻いて言いました。

 

「近くに、美味しいフルーツパフェを出してくれるお店があるらしいんだ。吹雪、そういうの好きかなと思ってね」

 

あ、あの・・・。それって・・・デート・・・ですか?

 

どうする?そんな目で見つめる司令官に、わたしは頬の熱さを誤魔化すようにして勢いよく頷きました。

 

「はいっ!行きます!」

 

 

“鹿屋”を発艦した基地航空隊は、飛鷹の誘導のもと、一路敵艦隊へと突き進んでいた。

 

同じように、味方船団へと迫る敵攻撃隊とすれ違ったのは、十分ほど前だ。あのまま速度を保ったとすると、第三次攻撃が始まるのは三十分後。基地航空隊が突入する方が、十数分ほど早いことになる。

 

―――狙うのは、空母のみ。

 

編隊各機の機位を調整しながら、飛鷹は攻撃目標を改めて定める。

 

敵の艦載機も、こちらの艦載機同様、空母によってコントロールされている。すなわち、空母を撃沈できれば、コントロールを失った敵機が墜落していくことになるのだ。

 

六隻の空母、全艦を撃沈することは困難だ。だが、二個機動部隊のうち一個―――三隻の空母を撃沈できれば、空襲に参加する敵機は半数になり、それだけ護衛艦隊の負担は減る。

 

―――おそらく、これ以上は護衛艦隊がもたない。

 

飛鷹もそれはわかっている。第二次空襲で、敵機は明らかに護衛の艦娘を狙っていた。何とか、防空戦闘の要である軽空母部隊は守り切ったものの、被害は続出している。輪形陣の一部は再編を余儀なくされていた。次に空襲を受ければ、今度こそ軽空母部隊が被害を受け、あるいは航空隊の多くを喪失することになるかもしれない。そうなれば、船団を守ることは絶望的だ。

 

一か八かの賭け。この攻撃が、船団を守るために必要なことだと、飛鷹もわかっている。だからこそ、全力で成し遂げる。そう、心に固く誓った。

 

やがて、水平線に燻る黒煙が見え始める。位置からして、先に“彩雲”が発見した機動部隊のうち、船団寄りの一つだろう。先に突入した千歳、千代田、隼鷹の攻撃は、すでに始まっているようだ。

 

「・・・やりいっ!」

 

先に突入した味方攻撃隊の戦果に、飛鷹は喜色の滲む声を上げた。

 

黒煙は、いずれも機動部隊の輪形陣左翼から上がっている。よく見れば、そこには明らかな陣形上の穴が開いている。先に突入した攻撃隊は、基地航空隊の到達を見越して、輪形陣の外縁を喰い破ることに集中したのだ。

 

―――さあ、やるわよ!

 

飛鷹はさらに気持ちを引き締める。

 

基地航空隊が突入を始めた。護衛の“烈風”が加速し、機動部隊上空に僅かに残っている戦闘機に襲いかかる。“烈風”の巧みな空戦で、敵機は少しずつ、機動部隊上空から引き剥がされていった。

 

それを受けて、残った一式陸攻と“銀河”が輪形陣への突入を始めた。

 

狙うは、輪形陣中央、三隻の敵空母だ。Eliteと思しきヲ級の一隻からは、急降下爆撃を受けたのだろうか、すでに黒煙が噴き上がっている。それを目印にして、攻撃隊が突撃を敢行する。

 

一式陸攻も“銀河”も、今回は魚雷を搭載している。一式陸攻三十機、“銀河”二十四機。計五十四機の双発攻撃機は、三隊に分かれ、超低空からの接近を試みていた。

 

その攻撃隊に、何とかして“烈風”を振り切った敵戦闘機が追いすがる。攻撃隊直衛の“烈風”がそれに反応し、敵機を引き剥がそうとする。それでも、時たま敵機が防御網を突破し、攻撃機に肉薄してくる。

 

一式陸攻や“銀河”各機から、自衛用の対空砲火が伸びる。密集隊形の各機から放たれる機銃は、相当な弾量を投射できる。

 

だが、敵機を撃墜するには至らない。

 

翼に機銃弾が突き刺さり、爆散して錐揉みになりながら、一式陸攻が墜落していく。

 

激しい応酬の末、自衛用の機銃が沈黙した“銀河”に、もう一機が襲いかかる。

 

機首を撃ち抜かれた機体は、飛鷹からのコントロールが利かなくなって、原形を留めたまま波間に飲み込まれていく。

 

しかし、敵機の反撃もそこまでだった。所詮は多勢に無勢。“烈風”の圧倒的性能の前に、次々に撃墜されていく。敵艦隊上空の制空権は、今や完全に攻撃隊が握っていた。

 

護衛戦闘機の奮闘を受けて、ついに三隊の陸攻隊が、敵空母へのアプローチに入った。

 

が、それを阻むかのように。まさしく海上の壁として、攻撃機の正面に立ち塞がるものがあった。

 

輪形陣に空いた穴。そこを無理矢理埋めるかのように、人型の深海棲艦が立っている。海風になびくセーラー服のような服装。真珠のように不思議な艶めかしさを秘める真っ白い肌。禍々しくも、速そうな印象を受ける背部の艤装。太陽に乱反射する白銀の髪。その瞳は金色の怒りに染まっていた。

 

戦艦タ級。それも、最高性能のFlagshipだ。

 

敵空母への距離二万を切った時、その手前に位置取るタ級の艤装が、褐色の炎を噴き上げた。主砲発射のそれよりは遥かに小さいが、圧倒的多数の砲炎が絶え間なく撃ち出される。両用砲による対空射撃が始まったのだ。

 

―――低く。もっと低く。

 

陸攻隊の、低空における安定性にモノを言わせて、飛鷹は編隊の高度を大きく下げた。その攻撃隊を包み込むように、両用砲弾が炸裂する。真っ黒い花が猛烈な勢いで花開き、右と言わず左と言わず、編隊を押し包む。

 

凄まじい弾量だ。他の深海棲艦とは比べ物にならない。まさしく死と破壊の絨毯が、陸攻隊を通して飛鷹の前に広がっていた。

 

―――負けてたまるか!

 

飛鷹の魂にも火が付く。ここで怖気付いては、飛鷹型航空母艦娘の名が廃るというものだ。

 

炸裂した両用砲弾の断片をもろに受けて、ズタズタに引き裂かれた一式陸攻が墜ちていく。

 

爆風に煽られて舵を失い、海面に激突する一式陸攻もある。

 

機首の至近で両用砲弾が炸裂し、ぐしゃりと潰れてしまった“銀河”が、海面に飛沫を上げる。

 

一機、また一機。攻撃隊の被害は、確実に広がっていく。それでも、飛鷹が攻撃隊の足を止めることはない。言ってみれば、これは究極の我慢比べだ。あちらは引かない。だったらこちらも引くわけにはいかない。

 

千歳が、千代田が、隼鷹が、こじ開けたのだ。飛鷹の操る陸攻隊に活路を開いてくれたのだ。

 

姉妹艦である隼鷹は、お酒が大好きで、夕食後によく一杯やっている。飛鷹もお酒は好きだが、あくまで隼鷹に付き合う程度にしている。呑んでしばらくすると寝てしまう隼鷹を、二人の部屋まで連れて帰らなければならないからだ。

 

千歳と千代田は、そんな飛鷹と隼鷹の呑み友達だ。飛鷹と隼鷹とは逆に、あちらは姉の千歳の方が呑兵衛で、千代田は飛鷹と同じく介抱役。

 

―――「もう、千歳お姉呑み過ぎ!」

 

―――「大丈夫よ~、千代田あ~」

 

―――「そ~だよ千代田~。まだまだ呑めるってえ~」

 

―――「ああ、もう。二人ともそれぐらいにしときなさいな」

 

そんな会話を、何度もしてきた。

 

楽しかった。四人で居酒屋『鳳翔』に入り浸り、肴を摘まみながらたわいもない話をするのが、この上なく楽しかったのだ。

 

その三人の想いが、今目の前に、一つの道筋として繋がっている。飛鷹を導いている。だから彼女は、攻撃隊を前へ前へと進めるのだ。

 

―――呑み友の力を、嘗めないで!

 

敵空母までの距離、八千。タ級からの対空砲火が、両用砲から機銃へと変わった。青白い火箭が縦横に伸び、攻撃隊にまるでシャワーのように襲いかかる。

 

エンジンカウルを撃ち抜かれた“銀河”が、黒煙を引きながら急速に落伍していく。

 

尾翼を吹き飛ばされた一式陸攻が、機体を保てずによろめき、海面に突き刺さる。

 

攻撃隊の前海面に、ミシン目の如く、機銃弾の小さな水柱が噴き上がっている。まるでスコールだ。その圧倒的な弾雨の中を、攻撃隊は微塵も編隊を揺るがさず、ただひたむきに敵空母へと突き進んでいた。

 

陣形両端の一式陸攻が、ほとんど同時に炎の塊に変わった。

 

一式陸攻を通して飛鷹が見ている映像の中で、タ級から放たれた機銃のシャワーが石礫のように迫ってくる。呆れるほどの弾幕だった。

 

タ級だけではない。空母直衛の二隻の駆逐艦や、空母自身からも、対空砲火が伸びる。だが、攻撃隊がその足を止めることはなかった。

 

三つの隊は、低空を維持したまま方向舵を切り、タ級の横をすり抜ける。その先にいる、空母へ向けて。

 

弾幕を突破した攻撃機に向けて、追いすがるように機銃弾が迫る。が、もはや飛鷹には、攻撃隊を押し包む対空砲火など全く気にならなかった。

 

―――三〇(三千)・・・。

 

いよいよ、飛鷹は魚雷投下への距離を読み始める。必中を期すべく、今回は距離一千以内での投雷を目指していた。

 

轟音を上げる「火星」発動機、あるいは「誉」発動機が、ペラを力強く回す。交流が波を吹き飛ばし、白い飛沫がまるで航跡のように続いてくる。

 

―――二〇・・・。

 

一式陸攻が一機、突然持ち上がった海水に巻き込まれてバランスを失い、海面に主翼を突き立てる。それが、撃墜された最後の機体だった。

 

―――一〇・・・!

 

飛鷹はまだ投雷しない。目の前に迫ったヲ級は、そのディティールを見て取ることができるほど大きく、近くなっている。真っ赤に染まるその双眸が、攻撃隊越しに飛鷹を見つめているような気がした。どうしようもない怒りと、消えることのない怨念のようなものが、その瞳には満ちていた。

 

―――〇八・・・!

 

飛鷹は投雷を指示する。開かれた爆弾倉から、細長く黒光りする長槍が投下され、海面に突入する。低空での投雷であるため、上がった飛沫も沈み込みも最小限だ。すぐに調定された深度へと戻ってきた計三十八本もの魚雷が、三隻の空母へと白い航跡を引きずって行った。

 

魚雷という重量物を手放したことで軽くなった機体は、ともすれば浮かび上がりそうになる。それを、飛鷹は必死に抑え込んで、低空飛行を続ける。敵空母の手前で一気に引き起こしをかけ、その頭上をフライパスした。ヲ級の蒼白な表情がはっきり見て取れるほど、攻撃隊との距離は近かった。

 

高度を少し取れば、自らがたった今放った魚雷が、真っ白い跡を海面に描きながら、敵空母へ迫る様を見て取ることができた。

 

深海棲艦も、座して命中を待つつもりはない。投雷からしばらくして、三隻の空母は一斉に舵を切り始める。攻撃隊が放った魚雷の網から逃れようと、必死にもがく。

 

だがそれは、虚しい努力にすぎなかった。一千を切っての投雷は、魚雷が到達するまでに三十秒ほどの猶予しかない。その間に、迫る全ての魚雷をかわすのは、至難の技だ。まして空母である。全弾をかわしきるには、いささか大きすぎた。

 

最初に魚雷が到達したのは、すでに被弾していたヲ級だった。フラフラとおぼつかない航行をしていたヲ級は、まともな回避運動を取ることも叶わず、魚雷の網へまっしぐらに突っ込んだ。左舷側にヲ級の身長を遥かに越える水柱が連続して立ち上る。その数、実に四本。これだけまとまって被雷すれば、さしものEliteも耐久の限界を迎える。その姿は、あっという間に波間へと沈みこみ始めた。

 

次に魚雷の餌食となったのは、無傷のヲ級Eliteだった。舵を切ったことで、数本の魚雷から逃れることができたヲ級は、だがしかし全てをかわすには至らなかった。真後ろから突き上げるように水柱が上がり、ヲ級がつんのめる。そこへ立て続けに、二本が命中して、ヲ級の行き足は完全に止まった。トドメとなったのは、左舷に傾き始めたところで命中した四、五本目であった。上空を憎々しげに見上げていた深紅の瞳が色褪せ、やがて真っ白いまぶたに覆われる。それを皮切りに、ヲ級は急速に傾斜を増していった。

 

最後まで粘ったのは、意外にもヌ級の通常型であった。深海棲艦の空母の中では最も性能が低いとされるヌ級であるが、どうやらヲ級よりも身軽であったことが幸いしたらしく、張られた魚雷の網を次々とかわしていく。上空の一式陸攻からその様子を確認するしかない飛鷹は、焦れる思いで動きを追い続ける。やがて、航跡のうち一つが、ヌ級に吸い込まれた。次の瞬間、まるで天を突く柱のように海水が持ち上がる。ついに、ヌ級に魚雷が命中したのだ。

 

だが、命中したのはその一本だけであった。行き足はいくらか遅くなっているものの、依然としてヌ級は海上にある。あの様子では、まだ航空隊のコントロール能力を残しているはずだ。“鹿屋”航空隊は、二隻の空母を撃沈したものの、一個機動部隊の航空戦力を全て無力化することはできなかったのだ。

 

攻撃隊を再編しながらも、飛鷹は悔しさに強く拳を握り締めた。その時だ。

 

敵艦隊が、にわかに慌ただしくなった。先ほど活火山のように砲火を唸らせていたタ級が、“鹿屋”航空隊とは別方向の空を睨みつけている。

 

―――一体、何が・・・?

 

飛鷹は、“銀河”の視点から、タ級が見つめる先を確認する。そこには、彼方まで青い空が広がっていた。

 

否。その青の中に、ポツポツと小さな影が見える。影はみるみるうちに大きくなり、十数秒後には機影と判別できるまでになった。

 

わかるだけで、機種は二つ。

 

特徴的な逆ガル翼。鋭さと頑丈さを感じさせる機体。猛禽類を思わせる固定脚が、翼から伸びている。爆撃機らしかった。

 

まるで研ぎ澄まされた剣のような翼。美しい絞り込みのラインを描く、工学的な麗しさを持った尾部。こちらは見るからに戦闘機だ。

 

数は十二機。それらが、綺麗な編隊を組んで、機動部隊の方へと迫ってきていた。

 

タ級が雄叫びを上げ、両用砲を放つ。次の瞬間、十二機の編隊は散開し、両用砲弾に空を切らせる。

 

―――すごい・・・!

 

飛鷹は、突如現れた機体の操作性に驚いた。右に左に、機体を動かして、両用砲に的を絞らせない。それでいて、各機が連携を取れる最低限の距離は保っている。あんなに緻密な航空戦は、鎮守府内でも一部の空母艦娘にしか行うことができない。

 

先行していた戦闘機と思しき機体が、いつの間にかタ級の上空に取り付いて、一斉に急降下に入った。チラリと見えた細い翼には、黒光りする塊が少なくとも二つ、ぶら下がっていた。

 

両用砲弾が炸裂する中、戦闘機が引き起こしをかける。それから数秒して、タ級の艤装に火柱が生まれた。

 

鎮守府で「爆戦」と呼ばれている一部の零戦と同じように、あの機体は戦闘爆撃機のようなものなのかもしれない。

 

爆撃を受けたタ級は、それでも沈むことはない。ただ、そこから放たれていた対空砲火は、明らかに小さくなっていた。

 

それを待っていたかのように、残った八機の爆撃機が輪形陣の内部に侵入する。その狙いは―――

 

―――ヌ級を仕留めるつもり・・・!?

 

飛鷹の予想通り、横一列に綺麗に並んだ爆撃機は、ヌ級の上空で華麗に翼を翻し、急降下に入った。“銀河”の指揮官機に繋がれた集音マイクが、その爆撃機が発する独特のサイレンを拾う。まるで敵に破壊と滅亡を告げるかのような、それはレクイエムにも聞こえる音色だ。

 

爆撃の精度は、異様なほど高かった。ヌ級に連続した火の手が上がり、一式陸攻や“銀河”の雷撃を逃れたその艦体を焦がす。立ち上る黒煙は、どす黒く敵機動部隊を覆っていた。

 

次の瞬間、ヌ級が内側から盛大に噴き飛んだ。何が起こったかは明白だ。命中した爆弾が、弾火薬庫の誘爆を引き起こし、内側から引き裂いたのだ。

 

これで、一個敵機動部隊が完全に沈黙したことになる。

 

ヌ級を撃沈し、悠々と高度を稼いでくる十二機の機体を、改めて観察する。その胴体と翼には、『独立艦隊』所属であることを示す識別マークが描かれていた。

 

Ju87C“スツーカ”、そしてFw190F“フォッケウルフ”。“ペーター・シュトラウス”に残されていた、“ルフトバッフェ”の予備機を組み立てたものであった。




呑み友の力ってなんだよ(真顔)

最初は“鹿屋”航空隊だけで仕留めるつもりだったのに、気づいたら“ルフトバッフェ”も加わっていました・・・。はい、一番驚いてるのは、作者であります


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奮闘する荒鷲

またまたお久しぶりです

そろそろリ号作戦を畳みたいんですが・・・もう少しかかるかもです

どうぞ、よろしくお願いします


シトシトと雨が降る中、鎮守府を少し空けることを伝えて、わたしと司令官は正門から街に出ました。お互いに傘を差して、鎮守府近くのフルーツパフェを出してくれるお店を目指します。

 

商店街の青果屋さんが出していたお店には、雨で平日だったからでしょうか、人もまばらですぐに席に着くことができました。司令官と二人、同じフルーツパフェを頼みます。

 

しばらくして、瑞々しいフルーツがたくさん乗ったパフェが出てきました。まるで宝石みたいに輝くフルーツに、わたしは目を見開きました。パフェなんて、産まれて初めてです。

 

「「いただきます」」

 

二人で手を合わせて、スプーンをパフェに入れます。瑞々しいフルーツを口に含むと、優しい甘さが一気に広がりました。

 

「おいしい・・・!」

 

「これは、なかなかいけるね」

 

司令官と二人、しばらくスプーンでパフェをつつき続けます。メロン、マンゴー、サクランボ、一つ一つが宝石なら、このパフェはさしずめ宝石箱でしょうか。

 

と、わたしたちの座っていたテーブルに、先ほどパフェを運んできてくれた、青果屋さんのおばさんが近づいてきました。人懐っこい笑みを浮かべています。

 

「お二人さん、見ない顔だねえ。どこから来たんだい?」

 

スプーンを止めて、司令官が答えます。

 

「鎮守府からです」

 

「おやまあ」

 

おばさんが、驚いたように目を見開きました。

 

「道理で見ないわけだね。海軍のお人かい」

 

そう言って、コロコロと笑います。

 

「お嬢さん、どうだい、うちのパフェは?」

 

「とってもおいしいです」

 

「そうかい。それは良かった」

 

そう言ったおばさんは、嬉しさ半分、寂しさ半分の笑顔を見せていました。

 

「実はねえ。昔は、もう少し豪勢なパフェも作れたんだけど。深海棲艦が現れてから、どうしても手に入らない果物が多くてねえ」

 

泣く泣く、メニューから削ったものが多いそうです。

 

「そっちのパフェが好きで通ってくれてたお客さんもいたのに。何だか申し訳なくてねえ」

 

そうこぼしたおばさんの言葉に、わたしは思わず口を開いてしまいます。

 

「大丈夫です!いつか・・・必ず、もう一度、パフェを出せるようになります!」

 

わたしが、きっとそうしてみせます。その言葉は、口から出てきませんでした。ちょっと恥ずかしくなって、わたしは頬の熱さを感じながら、再びパフェにスプーンを入れます。

 

おばさんは驚いたように目を見開いた後、くしゃっと顔を歪めて、朗らかな笑みを浮かべていました。

 

「そうかい。それじゃあその時は、また食べに来ておくれ」

 

 

 

わたしの口から広がったそのお店は、今では艦娘の皆がちょっとした休暇に顔を出す、行きつけのお店になっています。そして最近、そのメニューに、以前のような色とりどりのパフェが戻ってきました。

 

 

「直掩隊準備完了!」

 

艤装の妖精から、“烈風”各機の燃弾補給が終わった旨を報され、瑞鳳はタケを率いる龍驤に報告する。龍驤からは、すぐに次の指示が出された。

 

『ほな、直掩隊発艦始めや!』

 

船団は風上に向かって進んでいる。白線を引いて向かうその先に、瑞鳳は自らの弓を引き絞った。

 

同じように、隣に立つ祥鳳もまた、長弓に矢を番え、風上に向けて構えている。その背中は、凛々しくピンと張っていた。こんな時でも、彼女の立ち姿は美しく、頼もしい。

 

「直掩隊、発艦始め!」

 

声を張り上げ、瑞鳳は弓の弦を解放してやる。張力が番えた矢を加速させ、放たれた矢は燐光を放って数機の航空機に分散する。濃緑で塗られた、太く逞しい機体。主翼は中央付近でそり上がり、まるで襲いかかる猛禽のようだ。四翔プロペラを回転させる「ハ四三」の咆哮も猛々しい。

 

鎮守府機動部隊最新鋭戦闘機“烈風”。瑞鳳が、このリ号作戦のために預けられた、現時点で最高性能の戦闘機であった。

 

作戦開始時、瑞鳳が搭載していた“烈風”の数は、予備機も含めて三十六機。現時点で稼働状態にある機体は、組み立てた予備機を含めても二十六機。使用不能機は、そのほとんどが機体の損傷が激しいために瑞鳳が出撃を断念したものだ。敵機との戦闘で撃墜されたものは、わずかに二機にすぎない。“烈風”がいかに優れた戦闘機であるかがわかる。

 

その“烈風”が、祥鳳と合わせて五十機。龍驤の搭載している“紫電”改二が十機ここに加わり、合計六十機が、現在の船団を守る直掩機の数だ。

 

十分とは言えない。隼鷹、千歳、千代田、そして飛鷹率いる“鹿屋”航空隊が敵機動部隊を一つ壊滅させたとはいえ、敵機動部隊の艦載機の総数は、いまだに百機は下らない。また、作戦指揮室からは、撃破した機動部隊は最初の空襲を行った部隊であり、その艦載機はそもそも大きく削られていた可能性が高いという。すなわち、いまだ無傷の残った機動部隊は、まだ十分な余力がある可能性が高いのだ。

 

手持ちの航空機、六十機。これを、いかに有効に活用するか。いかにして、敵機動部隊の艦載機を削り取るか。それ次第で、以降の作戦の推移が大きく変わってくる。

 

全ての“烈風”を発艦させた瑞鳳は、高空へと急ぐ海鷲たちを見つめて強く弓を握り締めた。全ては、瑞鳳たちタケの戦闘機隊誘導にかかっているのだ。

 

『サルよりタケ。戦闘機による迎撃は、早い段階で行う。この一戦で、敵航空戦力を枯渇させる』

 

揺るぎない声で、ライゾウが宣言した。やはり、今回の第三次空襲を利用して、敵艦載機隊を葬り、機動部隊の無力化を図ろうという魂胆なのだろう。

 

『ピケットとして、摩耶以下キヨを展開させている。迎撃開始は、その指示に従ってくれ』

 

「了解」

 

その通信以後、しばらくの間静かな時間が過ぎていった。“鹿屋”航空隊からは、敵編隊とすれ違った旨が報告されており、その到達が近いこともわかっている。じりじりとする時間が過ぎていった。

 

事態は唐突に動き始めた。

 

『敵編隊捕捉!直掩隊、突撃準備!』

 

摩耶が声を張った。彼女の対空砲台型艤装に取り付けられている四二号電探が、迫りくる敵編隊を捉えたのだ。

 

『全艦対空戦闘用意!直掩隊、こちらの合図で突撃してくれ』

 

摩耶の指示は続く。瑞鳳は周囲を確認して、目を閉じた。

 

“烈風”からの映像が、まぶたの裏にくっきりと映る。まさに高空を翔ぶ鳥の目だ。そこから、空の彼方にゴマ粒のようなものが見えていた。船団に接近してくる、敵編隊だ。

 

―――概算で・・・百三十。

 

正規空母二、軽空母一からの全力出撃だ。第二次空襲時にいくらか削ったとはいえ、その数はやはり多い。いささか荷が重いのは事実だ。

 

『失敗はできへん。ベストなポジションを取るで』

 

龍驤が指示して、まず“紫電”改二が翼を翻す。それに、祥鳳と瑞鳳の“烈風”も倣った。

 

敵編隊も、こちらの襲撃を予想して、警戒しているはずだ。つまりこの攻撃は、奇襲ではなく強襲になる。そうなると、問題は最初の一航過でどれだけ削れるかだ。

 

『二人とも、ええか』

 

襲撃を成功させるべく、位置を変えながら、龍驤が祥鳳と瑞鳳に呼びかける。

 

『一航過した後は、うちの“紫電”隊で敵戦闘機を引き受ける』

 

「・・・えっ!?」

 

―――そんなこと、できるの!?

 

龍驤が操作する“紫電”改二はわずかに十機。それでは、敵攻撃隊を守る戦闘機隊を牽制するのは困難なはずだ。

 

通信機の向こうで、龍驤が不敵に笑った気がした。

 

『まあ、まかしとき』

 

目を開いた瑞鳳は、すぐ隣を航行する祥鳳に目を向ける。彼女は、目を閉じて“烈風”の操作に集中したまま、航行を続けていた。その唇が、ゆっくりと動き出す。

 

『・・・わかりました。お願いします』

 

祥鳳がそう言うのなら。瑞鳳よりも龍驤との付き合いが長い彼女がそう言うのであれば、きっと大丈夫なのだろう。

 

瑞鳳は、再び目を閉じた。

 

「・・・うん。お願い、龍驤」

 

『ほい来た』

 

龍驤の笑みが、さらに大きくなった気がした。

 

『敵編隊、船団よりの距離七万。直掩隊、邀撃準備』

 

摩耶が報告した。その時が来るのを、瑞鳳は固唾を呑んで待ち続ける。

 

『直掩隊、邀撃始め!』

 

その時は来た。

 

『全機、突撃い!』

 

「いっけえええっ!」

 

上空で待機していた“烈風”と“紫電”改二が、次々に急降下に入る。今回利用したのは、雲ではなく太陽だ。真上から少し傾いたその光の中に身を隠し、敵編隊に襲いかかる。

 

だが、敵編隊もそれを予測していたらしい。編隊上部に取り付いていた戦闘機隊が上昇してきて、急降下をかける瑞鳳たちの直掩機隊に挑みかかろうとする。

 

―――やられるわけない!

 

高度上の有利は、こちらが取ったのだ。速度で圧倒できる分、襲撃するこちら側が有利になる。加えて、敵戦闘機は上方に向けて機銃を撃たねばならず、弾丸が失速しやすい。六十機で襲いかかれば、どうということはない。

 

それを示すかの如く、直掩隊はまさしく烈風のように敵戦闘機とすれ違い、攻撃隊に銃撃を仕掛けた。“烈風”の一三ミリ機銃が敵機をズタズタに引き裂き、“紫電”改二の二〇ミリ機銃が外板を貫いて爆散させる。一航過で撃墜された機体は実に二十数機にも上り、さらに同数以上が白煙や黒煙を噴き出している。中には、編隊から落伍しかかっている機体もあった。

 

―――問題は、ここからだよね。

 

一航過を終えた直掩隊は、今高度上の有利を失って敵編隊の下に潜り込んでいることになる。急降下時に得た運動エネルギーを位置エネルギーに変換しながら、再度高度を稼ぐ必要があった。

 

だが、ことはそう簡単ではない。直掩隊が下に抜けたのを見て、敵戦闘機が急降下に転じ、襲いかかってくる。

 

『散開!』

 

龍驤が命じ、祥鳳と瑞鳳の“烈風”隊はいくつかの小隊に分かれて上昇を始める。その一方で、龍驤率いる“紫電”隊十機だけは、別の行動を取った。

 

急上昇に転じると、真っ向から敵戦闘機に挑みかかったのだ。

 

格好の獲物と見たのだろう。敵戦闘機は、勢いそのままに、“紫電”隊に襲いかかる。次の瞬間、予想だにしないことが起きた。

 

“紫電”改二の太い機影が、重戦闘機とは思えない鋭い切り返しで敵戦闘機の銃撃を躱し、逆にその背後を取ったのだ。二〇ミリ機銃の太い火箭が各機から四本ずつ伸び、敵機を押し包む。四機が炎に包まれ、とっさの判断で機体を傾けた残りの機も、三機が黒煙を噴いてコントロールを失っている。

 

何が起こったかを、瑞鳳は理解した。急降下で襲いかかってくる敵機に対して、龍驤の操る“紫電”隊はギリギリまで引き付け、敵機が機銃を放ったまさにその瞬間、一気に引き起こしをかけて機を失速させたのだ。これによって、敵機の機銃発射のタイミングをずらすとともに、性能以上に短い半径で旋回し、その背後をとることができる。熟練空母艦娘の龍驤、そして機体構造が頑強な“紫電”だからこそできた、極限の戦術だ。

 

この突拍子もない手法により、敵戦闘機の一部にわずかなロスが生まれた。そしてその間に、祥鳳と瑞鳳の“烈風”隊は再度高度を稼ぐことができた。

 

『行くわよ、瑞鳳!』

 

「うん、お姉ちゃん」

 

頼もしい姉の声に、瑞鳳もはっきりと答える。それと同時に、“烈風”隊が一斉に機体を傾けた。出遅れた敵戦闘機は、その突撃を阻むには至らない。

 

とはいえ、妨害してくるのは戦闘機だけではない。味方機がいなくなったことで、敵の爆雷撃機が、後部に備えた機銃を容赦なく浴びせかけてくる。多数が集まったことで、横殴りに降る豪雨のようになった機銃弾の間隙を、“烈風”隊は肉薄していった。

 

翼を掠めた機銃弾が嫌な音を上げる。眼前に迫る火箭の一つ一つは、まるで真っ赤に焼けた焼き石だ。あれを空中で掴んで集めたら、焼き芋が焼けるかもしれない。

 

それでも、撃墜される“烈風”はない。速度も申し分ないこの最新鋭戦闘機を捉えるには、相当な精度で機銃を放つ必要がある。あまりの速さに、機載機銃では対応が追い付いていなかった。

 

十分な距離まで接近して、“烈風”隊が機銃弾を雨霰と浴びせかける。翼から放たれた二〇ミリ機銃、あるいは機首の一三ミリ機銃が爆雷撃機を絡め取り、蜂の巣にする。編隊のあちらこちらで火の手が踊り、炎の塊となった敵機がもんどりうって墜ちていく。

 

だが、一航過を終えた“烈風”も無事では済まない。引き起こしをかけようとしたまさにその瞬間を狙っていたのだろう、敵戦闘機が襲いかかり、仕返しとばかりに機銃を撃ちまくる。

 

待ち伏せされては、速度上の優位があっても躱すことは難しい。瑞鳳操作の“烈風”二機が運悪く機銃に突っ込んで、白煙を引きながら海面へと墜ちていった。

 

―――ああもう、邪魔!

 

上昇しようとする“烈風”に、敵機が追いすがってくる。時に応戦しながら、“烈風”隊は何とか再び射撃ポイントに取り付こうとするが、難しい。その度に、敵戦闘機がその行く手を妨害してきた。

 

彼我の戦闘機の数は、ほぼ互角だった。総数で言えば、護衛艦隊の方が多いくらいだ。それでも、敵直掩機の妨害を振り切っての、攻撃隊への肉薄は至難の業だ。

 

それでも、何とか高度を再び稼いだ機体が、小隊単位で三度目の急降下攻撃を仕掛ける。この時点で、船団と攻撃隊の距離は四万を切った。

 

『瑞鳳、次からは編隊に切り込んで攪乱するわよ』

 

「了解」

 

祥鳳は、高度上の優位を取っての襲撃を断念し、乱戦に持ち込むことを選択した。損害は大きくなることが予想されるが、敵編隊を崩せば、各個撃破を狙うこともできる。

 

肉食動物が、草食動物を狩るときと同じだ。狙うべきは群れからはぐれた、弱きもの。群れを分裂させることが、狩りを成功させる秘訣だ。

 

小隊単位で敵編隊を駆け抜け、何機かを屠った瑞鳳は、すぐさま機体を反転させ、今度は敵編隊の下部から襲撃をかける。深海棲艦の艦載機は、下方に指向可能な機銃を持たない。回避運動を試みる鈍重な攻撃機を、十分に引き付けて狙う。

 

“烈風”は、容赦ない襲撃を反復する。乱戦に持ち込んだことで、被弾する機体も増えた。敵機を撃墜した後、横合いから現れた戦闘機に機銃を撃ちこまれ、黒煙を噴き上げながら海面に衝突する機体が相次ぐ。

 

それでも、攻撃隊の編隊を崩すことには成功した。密集していた編隊の間隔が徐々に開いていき、取り残された小編隊が出始める。それを、待ってましたとばかりに、人口の猛禽たちが襲撃する。

 

『敵編隊、船団よりの距離三万!』

 

摩耶が叫んだ。“烈風”の一機からは、確かに輸送船団を確認することができた。敵機は、着々と船団に迫りつつある。

 

“烈風”が二〇ミリ機銃を浴びせかけ、攻撃機を真っ二つに引き裂く。

 

一三ミリ機銃の猛射をまともに受けた敵機は、機体に開いた穴から白煙を引いて、高度を落としていく。

 

逆に、二機の敵戦闘機にまとめて襲われ、回避もかなわず撃墜される“烈風”もある。

 

攻防は、まさに一進一退だった。しかしじりじりと、船団と攻撃隊との距離は縮まっていく。大空を行き交う羽音が、瑞鳳にも聞こえてきそうなほどだ。

 

『距離二万五千!伊勢、日向、対空戦闘用意!』

 

敵戦艦との戦闘後、軽く整備を受けた二人の航空戦艦娘は、すでに前線に復帰している。その主砲には、対空射撃用の三式弾が装填されていた。二万を切れば、その主砲が火を噴くはずだ。

 

―――それまでに・・・!

 

それまでに、可能な限り敵機を落としておきたい。

 

祥鳳隊も、瑞鳳隊も、奮闘を続ける。敵戦闘機を振り切った龍驤の“紫電”改二も迎撃に加わり、空域のあちこちで発動機の音が入り乱れた。

 

そして、無慈悲にもその時は訪れた。

 

『距離二万!全艦対空戦闘用意!直掩隊は退避!』

 

間に合わなかった。瑞鳳たちは奮闘したが、敵編隊に船団上空への侵入を許してしまったのだ。

 

“烈風”や“紫電”改二が、敵戦闘機の追撃を振り切って離脱に移るうち、生き残った敵編隊が半分に分かれ、それぞれの攻撃針路に侵入を始める。すなわち、雷撃機は低空へ、爆撃機は高空へ。

 

『まだや。対空砲火の合間を見て、フラフラしてる奴を狙う!』

 

龍驤が指示する。瑞鳳は自らの“烈風”を集め、残存機数を確認しながら高度を稼ぐ。隙あらば、一機でも二機でも喰うつもりだった。

 

次の瞬間、前方で砲声が響いた。支援母艦“横須賀”を挟んで船団の前方側にいる伊勢と日向が、搭載する三六サンチ砲を咆哮させたのだ。十数秒後、船団の前方空域で花火のように三式弾が炸裂する。早期に散開していたのだろう、巻き込まれる敵機は少なく、平然と進撃を続けていた。

 

『右舷対空戦闘!撃って撃って撃ちまくれ!』

 

ピケット艦として配置された摩耶たちが、雷撃機に対してもっとも早く対空射撃を始める。一二・七サンチ高角砲が連続して砲声を上げ、真っ黒い花を咲かせた。

 

高角砲弾の破片が、接近する敵機を切り裂く。

 

爆風が機体を押し潰し、散らばった破片が海面に小さな飛沫を上げた。

 

攻撃隊は、怯むことなく突入してくる。対空戦闘の様子を、瑞鳳は固唾を呑んで見守るしかなかった。

 

『タケ、目標上空の爆撃機。対空戦闘始め』

 

作戦指揮室の声が届く。瑞鳳たちの艤装に据えられた高角砲が仰角を上げ、船団上空へと侵入しつつある爆撃機へ砲門を向けた。細長い砲身が、黒光りを放つ。

 

『撃ち方、始め!』

 

各艦の艤装から、高角砲発砲の閃光が迸った。放たれた火矢は高空へと急速に上っていき、設定された時限信管を作動させる。高角砲弾がまとめて炸裂し、爆撃機編隊を包み込んだ。

 

火を噴く機体はない。照準が甘いのか、敵機が頑丈なのか。ともかく爆風がわずかに編隊を揺らしただけで、爆撃機は平然と投弾ポイントへ迫る。

 

『撃ち続けるんや!』

 

龍驤からも叱咤激励される。その声に呼応するように、高角砲弾が敵機を切り刻み、炎の塊に変えた。

 

輪形陣各所、さらには支援母艦からも対空砲火が撃ち上げられる。“横須賀”には四基の一二・七サンチ連装高角砲が据えられており、妖精の手で操作されたそれらが、瑞鳳たちと同じように炎を吐き出していた。

 

弾幕の密度は増していく。だがそれでも、全機を阻止するには至らなかった。

 

『敵機急降下!』

 

ついに、爆撃機が翼を翻し、目標へ―――瑞鳳たちへと迫ってきた。三つに分かれた敵編隊は、それぞれが千歳、隼鷹、そして祥鳳を狙っている。

 

―――当たれ・・・!

 

姉を守ろうと、瑞鳳は必死に弾幕を張り続ける。高角砲弾によって敷かれた真黒な花畑の只中を、ダイブブレーキの音を響かせて爆撃機が急降下してきた。

 

対空砲火が、機銃に切り替わる。伸びた火箭に二機が絡め取られ、バランスを崩して四散した。コントロールを失った機体は、徐々に投弾コースを外れていく。

 

『各艦回避運動!面舵一杯!』

 

龍驤の指示で、六人の軽空母艦娘は舵を切る。しかし、すぐには利きださない。その間にも、敵機は頭上に迫っていた。

 

やがて、敵機の腹から、黒光りする物体が切り離された。陽光に反射する弾頭は、怪しげな光を振りまいて瑞鳳たちに降り注ぐ。その動きを、まるでスローモーションのように、瑞鳳は見つめていた。

 

周囲に水柱が立ち上る。一本、二本連続した水柱は、やがて巨大な瀑布のように艦娘たちの姿を覆い隠す。その合間で、命中弾炸裂の閃光がきらめいた気がした。

 

全てが収まった時、タケからは二本の黒煙が立ち上っていた。千歳、そして祥鳳の艤装が大きく破損し、もはやその能力を損失している。ズタズタに引き裂かれた弓道服を押さえて、苦しげな表情を浮かべる姉に、瑞鳳は息を呑んだ。

 

投下された爆弾は、全部で二十三発。内、命中弾六発。瑞鳳たちは、十分にかわせていたと言える。だが、運悪く当たってしまった爆弾の、当たり所が悪かった。正規空母ほど装甲のない軽空母では、三発も飛行甲板に被弾すれば、すなわち航空機運用能力の喪失を意味する。

 

しばらくして、前方からもおどろおどろしい音が響いた。“横須賀”の艦影の向こう側に、水柱が上がるのが見える。

 

『伊勢、日向被雷!』

 

―――やられた・・・!

 

血の気が引いていくのを、瑞鳳ははっきりと感じていた。

 

さらに、現状に決定的な一撃を加えんとする存在が、船団右方から迫りつつあった。

 

『敵艦隊見ゆ!方位一五五、距離五万!』




だ、大ピンチになってもうた・・・

ど、どうしよう、どうすれば船団を守れるんだろう・・・

誰か・・・誰か私に教えてくれ・・・!


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切り札と凶敵

お久しぶりです。絶賛航海中の作者です

まだ電波が繋がっているうちに、なんとか書き上げた話をば

どうぞよろしくお願いいたします


警報が鳴ったのは、あまりにも突然でした。

 

午後の訓練に備えて、部屋で休息を取っていた昼食直後のわたしは、けたたましいサイレンの音で飛び起きます。甲高いその音色が、事態が尋常でないことを報せました。急いで布団から出て、制服を整えながら、寮の廊下を走ります。海に面した板張りの廊下が、わたしが走るのに合わせてギシギシと鳴りました。

 

『深海棲艦の接近を確認。駆逐艦一隻が、鎮守府方向へ接近中。おそらく、本土近海の部隊からはぐれた模様』

 

廊下のスピーカーから聞こえてきたのは、司令官の声です。この状況でも、その声音は落ち着いています。こういううところ、やはり軍人さんなのだなと思いました。

 

『吹雪は、至急待機室に来てくれ』

 

待機室。工廠の、出撃ドックの隣に設けられた、いわゆるブリーフィングルームです。否応なしに、わたしは身構えてしまいます。

 

これから、出撃するのだろうか、と。

 

覚悟はしたつもりでも、いざ本番となると、やはり違います。今にも破裂しそうな心臓の鼓動を、わたしは走る速さを上げることで誤魔化しました。

 

「お待たせしました!」

 

駆けこんだ待機室には、すでに司令官と工廠長がいました。扉を開けて息を整えるわたしに、二人は柔らかな表情を向けました。

 

「いや、待ってないよ。俺たちも、今来たところだ」

 

それから、視線だけでこちらに来るようにと促しました。待機室の中央には、海図台が置いてありました。

 

わたしが海図台の前、司令官の左隣に立つのを確認したように、司令官が状況の説明を始めます。

 

「駆逐艦が確認されたのは、鎮守府正面、海域コード1-1Aと呼称される位置だ。鎮守府からの距離は、およそ五万」

 

その情報から、わたしはざっと計算します。

 

「ええっと、わたしの足で五十分くらいですか」

 

「そうなるね」

 

司令官は頷いて、海図の上に二つの駒を置きます。青は鎮守府、つまりわたしですね。赤は1-1A、つまり確認された敵駆逐艦です。

 

「敵駆逐艦の進路は、こちらに向いている。速度は巡航だから、二時間近く掛かるけど、もうしばらくすれば敵駆逐艦が、この鎮守府を攻撃圏内に捉えることになる。現在の鎮守府には深海棲艦を迎え撃つ装備はなく、このまま接近を許せば、砲撃を受けることになるだろう。たとえ駆逐艦であっても、そうなった時に被る被害は馬鹿にならない」

 

そこで司令官は、ゆっくりと息を吸い込みました。

 

「つまり、海上で迎撃をする必要がある」

 

鎮守府には、深海棲艦を迎え撃つ装備はありません。

 

でも、わたしなら。深海棲艦に対抗するために開発された“艤装”と、それを背負うわたしなら。

 

司令官は、真っ直ぐにわたしを見つめました。

 

「吹雪」

 

「はい」

 

「・・・君に、出撃してほしい」

 

ゴクリ。告げられた司令官の言葉に、わたしは生唾を呑みこみます。

 

艦娘が、果たして本当に、深海棲艦を撃沈できるのか。最後に残ったその疑問に、わたしの出撃が答えをもたらすことになります。

 

―――決めたんだ。司令官と一緒に、この海を守るんだって。

 

司令官は、その願いのために、覚悟を決めているんだ。

 

わたしは意を決して、頭を縦に振りました。

 

「はい。駆逐艦“吹雪”、出撃します」

 

 

手にしたカードは、切るタイミングが大切だ。

 

実際に出さなくてもいい。ただ相手に、それとなくそのカードの存在が伝わるだけでもいい。場に出ていなくとも、そのカードが存在することが、大きな影響を及ぼすのだ。

 

それは、あるゲームではジョーカーだったり、またほかのゲームではキングやクイーン、エースだったりもする。その局面局面において、もっとも効果的な一手が、切り札と称される。

 

支援母艦“ペーター・シュトラウス”の艦橋にあって、ビスマルクはずっと、自らのカードを切るタイミングを図っていた。

 

あのアトミラールの下で、この艦隊の旗艦として、ある程度の交渉術は学んできたつもりだ。「詐欺師」とでも呼んでやりたくなるようなあの手腕には、到底かなわないが。

 

今、ビスマルクたちが目指すべきなのは、自らの独立権を確保することだ。元々彼女たちは、リランカなどという辺境の地で戦うことにさして重きを置いていない。アトミラールも言っていた通り、最終的な目的は彼女たちの母国―――スエズ運河を越えた、欧州に帰り着くことだ。そのためには、どんな勢力にも属さない、独自の指揮権を持つ必要があった。

 

『チンジュフ』に救援を求めた手前、大きなことは言えないが、最低限の権利を確保しなくては。そのための切り札を、ビスマルクはいつ切るべきか、見守っていた。

 

―――それは、まさしく今ね。

 

第三次空襲を受けながら、ビスマルクは確信していた。

 

すでに、敵機動部隊を叩く増援として、“ルフトバッフェ”から航空隊は出した。だがそれは、切り札ではない。ビスマルクたちの切り札―――『チンジュフ』がリランカ島を目指した理由は、今、“ペーター・シュトラウス”の工廠に保管されている。こうなることを見越して、ビスマルクが詰め込ませていたのだ。

 

「さて・・・始めましょうか」

 

引き上げていく第三次攻撃隊を確認して、ビスマルクはポツリと呟いた。

 

「やるのね、やっと」

 

横に控えていたローマが、溜め息のようにそう漏らした。その横では、リットリオがいつものように優しく微笑んでいる。

 

「いいでしょう、艦長?」

 

“ペーター・シュトラウス”の指揮を執る、初老のフランス人艦長に尋ねる。彼はニヤリと笑って、大きく肯定の意思を示した。彼が差し出した艦内放送用のマイクを受け取る。

 

「全艦に達する」

 

艦内に、ビスマルクの声が響いた。

 

「対水上戦闘用意。ビスマルク、レーベレヒト・マース、マックス・シュルツは出撃準備を。工廠部は、“お届け物”の準備をして頂戴」

 

了解の声が、各所から届いた。

 

「ビスマルク殿?何を始めるつもりでありますか?」

 

同じく艦橋にいたあきつ丸が、怪訝な表情で尋ねた。そんなこの艦隊の恩人に、ビスマルクは不敵な笑みを浮かべる。

 

「鶴の恩返し、ってところかしらね」

 

ビスマルクの言葉に、あきつ丸は首を傾げる。それには構わず、ビスマルクは彼女にも、『チンジュフ』所属の支援母艦“横須賀”へ、回線を開くことを求めた。

 

程なく、あきつ丸の持参した通信機が、“横須賀”の作戦指揮室と繋がれた。

 

『タモン少将です』

 

通信機の先に出たのは、深い声の男性だ。ビスマルクたちを迎えてくれた、救援艦隊の指揮も執っていた将校だ。

 

「ビスマルクです。これより、我々は独自の作戦行動を取ります」

 

『独自の作戦行動、といいますと?』

 

「詳細は話している時間が惜しいので、省略させていただきます。ただ、貴方方の戦力に代わって、しばらくの間は戦線を支えます、とだけ」

 

それから、もう一つ。

 

「“横須賀”に、届けたいものがあります。今から、駆逐艦を二隻、そちらに向かわせますので、回収をお願いします。届け物の使い方は、彼女たちから聞いてください。きっと、貴方方の助けになります」

 

それだけ言い切ったビスマルクは、黙ってタモンの返事を待つ。しばらくして、変わらない声でタモンが答えた。

 

『いいでしょう。独自作戦の件につきまして、了承しました。駆逐艦娘の回収も準備させます。ただし、戦闘中はこの回線を維持してください』

 

「わかったわ」

 

そう言って、短い会談は終わった。あきつ丸が回線の維持を部下に命じている。

 

「511」

 

「・・・はい」

 

艦橋の隅に控えていた潜水艦娘から返事がある。彼女の艤装は、リランカ島の上陸作戦時に喪失していた。

 

だが、彼女には他にも、やれることがある。

 

「“ゼーフント”を準備していて頂戴。きっと、使いどころがあるはずよ」

 

「・・・うん。了解」

 

彼女は静かに、はっきりと頷いた。

 

「それでは、自分たちも準備した方がいいでありますか?」

 

回線の維持作業を終えたあきつ丸が、ビスマルクを見る。

 

「ええ、そうね。お願いするわ」

 

「了解であります。神州丸、ついてくるであります」

 

「はい!」

 

二人の陸軍艦娘は、そのまま艦橋を出て、後部デッキへと向かっていった。上甲板よりも一段高いそこには、彼女たちがこの作戦のために持ち込んだ、切り札ともいうべき兵装が据えられている。

 

出ていった二人の陸軍艦娘を見送って、ビスマルクは自らの副官に顔を向けた。オイゲンがぴんと背筋を伸ばす。

 

「オイゲン、後は頼んだわ」

 

「はい!お任せください!」

 

笑顔で答えたオイゲンに、ビスマルクも微笑む。制帽の位置を整えたビスマルクは、踵を返し、艦橋から立ち去る。下った階段の先、出撃レーンに据えられた、自らの艤装を目指して。

 

 

 

“ペーター・シュトラウス”の艦尾から、ビスマルクが飛び出す。後ろ向きに海面へと躍り出た彼女は、速度とバランスを見て、“ペーター・シュトラウス”に並走する。それから数分して、今度は二人の駆逐艦娘が飛び出してきた。その手には、艤装の主砲に加えてバケツ大のものが抱えられている。

 

「レーベ、マックス。よろしく頼んだわ」

 

『うん、わかった。ビスマルクはどうするつもり?』

 

「そうねえ・・・」

 

レーベの問いかけに、ビスマルクはわざとらしく、手を庇のようにして船団後方を見た。そこには、船団を襲撃せんと接近してくる、深海棲艦の水上部隊がいる。

 

「ちょっと、パーティーでもしてくるわ」

 

『そっか』

 

レーベが苦笑する。二人の駆逐艦娘は、加速すると船団中央付近にいる“横須賀”へと向かっていった。

 

―――さて、私もやりましょうか。

 

緊急出撃に近かったが、艤装の各部点検は済ませている。戦闘に問題はない。

 

「最大戦速!」

 

自らを奮い立たせるように叫ぶ。それに呼応して、ビスマルクの艤装の出力が高まり、脚部艤装の回転数を増す。大きな反動と共に、ビスマルクは加速を始めた。

 

船団の後方を目指しながら、ビスマルクは起動したレーダーの画面を確認する。工廠部員が自信を持って送り出した対水上レーダーには、ビスマルクの正面から船団に迫りつつある影がはっきりと見て取れた。うち、戦艦級と思しき大型の影は二つ。

 

何とかあれを引き付けたい。先の通信を聞くに、『チンジュフ』側の戦艦戦力は枯渇しているはずだ。“現状では”、タイマンで戦艦を相手取れるのは、この船団にビスマルクしかいない。

 

レーダーの反射には、明らかに敵水上部隊を迎撃せんとする『チンジュフ』側の水上部隊もある。しかしその影は、よくて巡洋艦級であり、戦艦二隻を含む部隊を迎撃するには心もとない。

 

とにかく、今は自らの主砲有効射程圏内に、深海棲艦を捉えるのが優先だ。

 

洗練された無骨さを醸し出すビスマルクの艤装が、白い波を切り裂いて水面を突き進む。金髪を流す風に、彼女は戦場の香りを感じていた。

 

 

「目標、前衛敵巡洋艦部隊!」

 

機関を唸らせて船団後方へ突入していくキヨの先頭で、摩耶は隊内通信機に向けて叫んだ。両腕の主砲には、すでに対艦戦闘用の徹甲弾が装填されており、いつでも発砲できる。後方に付き従う鳥海も同じだ。

 

『摩耶、聞こえるか』

 

隊内からの返事と入れ替わるようにして通信機に入ってきたのは、彼女もよく知る戦友の声だった。那智もまた、摩耶と同じように一個部隊を任されている。

 

「感度良好だぜ」

 

『そうか。こちらは、もう間もなく補給作業を終える。それまで持ちこたえてくれ』

 

「言われなくてもっ!」

 

口元に笑みを浮かべて、摩耶は通信を終了する。

 

船団の右翼前方を担当していた摩耶たちが、船団右舷正横後から突入してくる敵水上部隊を迎撃することになったのは、丁度同方向付近を防衛していたヤスが燃弾補給を行っていたからだ。連続した防空戦闘を行ったと同時に、船団側面から襲いかかってくる潜水艦も迎撃していた彼女たちは、丁度第三次空襲中に弾薬を切らし、手近の“佐世保”から洋上補給を受けているところだった。ちなみに摩耶たちは、第三次空襲前に補給を終えている。

 

ヤスは、駆逐艦娘の主砲弾と爆雷、燃料の補給を中心に行っているため、もう数分もすれば終わるだろうが、敵水上部隊前衛との会敵には間に合いそうにない。逆に考えれば、摩耶たちが敵巡洋艦部隊を叩き、そこへ補給を終えて万全な状態のヤスが突入すれば、敵戦艦を食い止めることができるかもしれない。

 

摩耶の狙いは後者だ。ここで巡洋艦部隊を食い止め、後のヤスに敵戦艦撃破の望みを託す。そのために、持ちうる全ての力を発揮する。

 

―――おそらく、今日中にもう一度の空襲はない。いや、できない。

 

時刻は間もなく夕刻を迎えようとしている。先ほどの第三次攻撃隊が敵機動部隊まで帰還するのに一時間。そこから補給や予備機等の編成を考えると、おそらく今日中にもう一度の空襲が来ることはあるまい。そもそも、これまでの空襲を迎撃したことで、敵航空隊も相当に消耗しているはずだ。これ以上の攻撃隊を出すことは不可能と考えられる。

 

であれば、摩耶たちがすべきことは、今全力で目の前の脅威を排除することだ。

 

「吹雪、十一駆の指揮権をお前に託す。可能な限り、敵艦隊の妨害を頼む」

 

『了解しました!十一駆の指揮権をもらい受けます』

 

摩耶の後方で答えた駆逐艦娘は、言うや否や僚艦三人を引き連れて加速、一気に摩耶と鳥海の前に出た。彼女たちにとって、攪乱などお手の物だった。

 

『軽巡と駆逐艦はこちらで引き受けます!摩耶さんたちは、巡洋艦の方をお願いします』

 

「おう、わかってるぜ。そっちは任せた」

 

『はい!頑張ります!』

 

『お任せください』

 

『ん、任せといて』

 

『まあ見てなって!』

 

四人の自信に満ちた返答に、摩耶は自然と口角が吊り上がるのを感じた。これまでにないピンチにもかかわらず、その思考は不思議と落ち着いている。

 

後ろには、誰よりも信頼する姉妹艦の鳥海が。前には、鎮守府最高練度の駆逐隊が。これほどに心強いこともなかった。

 

敵水上部隊から、その一部が増速してくる。前衛の敵巡洋艦部隊であることは間違いない。電探の捉えたその影に注意を払いつつ、摩耶は水平線の向こうに敵影を捉える瞬間を待った。電探には映っているものの、残念ながら摩耶と鳥海が搭載する二二号電探では、電探のみによる主砲射撃は困難だ。

 

『敵水上部隊視認!』

 

前に出た吹雪から報告が上がる。ほとんど同時に、摩耶の双眸も、水平線から露わになる深海棲艦を捉えた。相対速力が大きい分、その差はぐんぐんと縮まり、あっという間に上半身のほとんどが露出する。両腕に龍頭を思わせる艤装を着けた、重巡リ級であることが確認できた。

 

―――いや、待てよ。

 

水平線上をこちらへと迫ってくる敵水上部隊を凝視しながら、摩耶は思考回路をフルに回転させる。なんだ、この違和感は。自らの中で、本能が鳴らす警鐘の正体を、摩耶は探っていた。

 

答えは、摩耶の前を加速していった吹雪から示された。

 

『敵巡洋艦部隊、先頭の一番艦は、新型のリ級!改Flagshipと思われます!』

 

―――何だと・・・!?

 

口をついて出そうになったその一言を、摩耶はかろうじて飲み込んだ。それからもう一度、敵巡洋艦部隊に目を凝らす。

 

金色の禍々しいオーラを放つ艤装。ギラギラとした月光を思わせる瞳。しかしその左目には、まるで怨念のような、深い海の底を思わせる青が宿っていた。

 

現在確認されている巡洋艦の中で、最も高性能な種類。リ級改Flagshipと呼称される難敵。摩耶からすれば、沖ノ島での作戦以来の遭遇だった。

 

姉二人が満足にダメージすら与えることのできなかった敵艦が、今摩耶の目の前にいるのだ。その凶悪極まりない牙を、摩耶たちに向けようとしているのだ。

 

―――上等!!

 

心の中で、自らを奮い立たせる。あの時は夜戦だった。だが今は違う。夜間補正の掛からない今、砲戦能力の高い高雄型の艤装ならば、あるいは撃破可能かもしれない。

 

「吹雪、そちらは作戦通り軽巡以下を牽制。重巡二杯は、あたしと鳥海が何とかする」

 

あの深海棲艦を、装甲の薄い駆逐艦に近づけるのは危険だ。

 

『・・・わかりました。軽巡以下の引き剥がしにかかります』

 

答えた吹雪たちは、そのまま敵前衛へと突撃を開始する。それを迎え撃つべく、二隻の重巡の後ろに控えていた敵軽巡が前に出た。

 

火蓋を切るのは深海棲艦だ。軽巡ト級が発砲。その射弾を、吹雪たちは華麗な艦隊運動でかわす。以降、お互いの砲弾が入り乱れ、水柱を林立させながら、重巡たちの戦場から遠ざかっていく。おまけとばかりに、早速一隻の敵駆逐艦を、初雪が仕留めていた。

 

―――こっちも、始めるとすっか。

 

「取舵一杯!あっちの頭を押さえるぞ!」

 

『了解!』

 

摩耶の指示に鳥海が答え、二人は回頭する。丁度丁字戦の要領だ。あちらも二隻で突入してくる重巡の、頭を押さえる。この時点で距離二万。砲戦開始にはいささか遠い。

 

摩耶たちの動きに、敵重巡も素早く反応した。面舵を切ると、丁字戦を回避して同航戦の形態に移行する。リ級改の禍々しい影を引いている左目が、さらに引き立てられていた。

 

―――ちっとばかし遠いな。

 

同航戦のままでは、距離は二万から縮まらない。後ろの鳥海に目配せをすると、摩耶はさらに転舵を指示した。

 

「一斉回頭、面舵一杯!」

 

二人が同時に回頭し、二隻の重巡に正面を向ける。今度は逆に、あちらに丁字を描かれる形だ。とはいえ、一斉回頭によって陣形が単縦陣から単横陣に移行しており、二隻の敵艦からどちらかが一方的に叩かれるという展開はない。

 

「鳥海、一五〇(一万五千)で砲戦開始」

 

『了解』

 

真面目な妹艦は声にこそ出さないが、任せてとはっきり頷いているのがわかった。

 

敵重巡も再び回頭を行った。あちらも一斉回頭だ。両者二隻ずつの重巡は、単横陣で向かい合ったまま、時宜を待っている。

 

やがて―――

 

「一五〇!砲戦始め!」

 

一万五千を切った時点で、摩耶は砲撃の開始を命じた。両腕に据えられた二〇・三サンチ連装砲塔を掲げ、発砲。初弾から全力斉射だ。その反動が、一瞬摩耶の歩みを止める。

 

狙っていたタイミングは同じだったらしい。リ級改が咆哮を上げ、機械的な両腕から砲炎が踊った。あちらも、初弾から全力斉射らしい。

 

次弾装填が行われている間に、両者の第一射が落下した。硝薬の匂いを含んだ海水が視界を塞いだと思った瞬間、摩耶はそこに頭から突っ込んでいる。命中弾はない。一万五千の距離、高速の反航戦では、早々第一射から命中弾が出るものではない。

 

むしろ問題は。

 

「っ!」

 

ある程度予想していた事態ではあったが、摩耶は声にならない呻きを上げた。こちらの装填作業が終わらないうちに、リ級改は再び発砲したのだ。装填速度は十五秒を切っている。速射性能は十分過ぎるほど高い。

 

五秒ほど遅れて、摩耶と鳥海、そしてリ級の通常型が主砲を放つ。だが、その砲煙が治まらないうちに、先に放たれたリ級改の砲弾が降り注いで、摩耶の視界を白く染め上げた。精度は明らかに先ほどよりも高い。

 

摩耶たちの第二射が到達するのと、リ級改が三たび砲炎を上げるのはほとんど同じだった。真っ赤な砲声をかき消そうとするかのように、四発の二〇・三サンチ砲弾が海面を叩き割り、海水を沸き立たせる。しかし、命中弾が生じることも、夾叉弾を得ることもできなかった。

 

第三射が摩耶を包み込む。真っ白なベールは完全に摩耶を包み込んでおり、轟音と崩れ落ちる水柱の滴が摩耶を強かに打った。見紛うことなく、敵弾は摩耶を夾叉していた。

 

それでも、摩耶はなお第三射を放つ。この戦い、どうあっても投げることなどできないのだ。

 

数秒後に放たれたリ級改の斉射は、摩耶より一回多い第四射だ。おそらく次から、命中弾が出始める。それに対抗するため、こちらも命中弾か、せめて夾叉弾が欲しかった。

 

摩耶の第三射が落下する。立ち上った水柱の合間に、真っ赤な火焔が踊る。命中は確実だった。

 

しかし、確かな戦果を確認する間もなく、リ級改の第四射が頭上から迫ってきた。甲高い飛翔音が最大まで拡大した後、強烈な衝撃と鋭い痛みが摩耶を襲った。喰らったのは確実だ。

 

歯を食い縛る。少なくとも今のところは、戦闘航行共に支障なく、摩耶の艤装が健在であることは間違いない。内なる闘志を奮い立たせ、摩耶は正面の敵艦を睨み据えた。

 

だが、摩耶の決意を打ち砕くかの如く、リ級改の振るう数の暴力は凶悪だった。

 

第四射、五射。主砲を放つたび、被害が累積していくのは摩耶の方だ。逆に、リ級改の方には目立った損傷があるようには見受けられず、わずかな黒煙を引いているくらいのものだった。八インチ砲の発射間隔も、まったく衰えを見せない。

 

それでも摩耶は砲撃を止めない。一万二千まで接近したところで、防空砲台を展開、そこに据えられた一二・七サンチ連装高角砲まで用いて、射撃を続行する。

 

八インチ砲弾が頬を掠め、あるいはエネルギー装甲にぶつかって異音を上げる。活火山の如く砲炎を上げていた一二・七サンチ連装高角砲に八インチ砲弾が直撃して、跡形もなく消し飛ばす。かと思えば、摩耶の二〇・三サンチ砲弾がリ級改を捉え、その艤装を抉る。

 

摩耶が劣勢なのは明らかだ。およそ十五秒に一度降り注ぐ八インチ砲弾の驟雨が、着実に摩耶の戦闘能力を奪うのに対し、リ級改は摩耶の二〇・三サンチ砲弾に十分耐えている。時間が経てばたつほど、両者の差は歴然となっていった。

 

『テーッ!』

 

一万を切った時、リ級の通常型を行動不能に陥れた鳥海が砲撃に加わった。しかしその時点で、摩耶は満身創痍の状態だった。両腕の主砲塔がやられていないのが不思議なくらいだ。

 

そして、終わりは突然やってきた。

 

体を走り抜けた命中弾炸裂の衝撃が、それまでと違ったことに、摩耶は気づかなかったフリをした。それでも現実は、残酷に彼女の前に示された。

 

速力がガクリと落ちる。気のせいか、姿勢も少しずつ右に傾いている気がした。

 

―――動けっ・・・動けっ!

 

そんな心の叫びも虚しく、摩耶はみるみるうちに落伍していった。

 

『もういいわ、摩耶!』

 

もがく摩耶に気付いているのだろう。すでに前に出ていってしまった鳥海が、珍しく大声で通信機に叫んでいた。

 

『もう十分よ。摩耶は、十分戦った』

 

―――・・・まだだ。

 

喉まで出かかった言葉を、結局言葉にすることはできなかった。それでもなお、とどまり続けようとする摩耶を振り払わんとするかの如く、鳥海が今にも震えそうな、それでいて強い信念を感じさせる声で、通信機に叫んだ。

 

『摩耶を旗艦遂行不能と判断し、以後の指揮を鳥海が執ります!』

 

―――そうじゃ・・・ねえだろ。

 

傾斜が拡大したこと、そして全身から力が抜ける感覚を痛感して、摩耶は海面に膝から崩れ落ちた。最早その行き足は無きに等しい。ただどうすることもできず、前を行く妹に手を伸ばす。その手が何かを掴むことはないと、知りながら。

 

こんなところで、自分が倒れていてはいけない。大切な妹艦一人に、行かせるわけにはいかない。何より、今までずっと一緒だった鳥海という少女を、一人にしてしまった自分が情けない。そして、彼女の力を信じてやることもでず、自分勝手なエゴでその背中を追いかけようとしている自分が、許せない。

 

至近で炸裂した八インチ砲弾に、左の聴力を奪われていたのだろうか。肩を叩かれるまで、呼びかけられていた声に気付くことができなかった。見上げれば、長いサイドテールを下げた重巡洋艦娘が、摩耶の顔を覗きこんでいた。

 

「立てるか?」

 

端的なその問いに、辛うじて頷く。那智が指示すると、駆逐艦娘の黒潮と舞風が摩耶を両脇から抱えた。手近な“佐世保”まで曳航していくつもりのようだ。

 

やっとの思いで体を起こした摩耶は、未練がましく鳥海の方を見遣る。すでに随分と前方へ出てしまった姉妹艦に向けて、リ級改が砲撃を始めたのは、丁度その時だった。




こっちの一話あたりの文量が多いことを気にし始めた作者です

戦闘の流れを損なわないように書いていくと、どうしてもこれくらいの文量になってしまう

この後はいよいよ夏イベ開始です!気合い!入れて!頑張って参りましょう!!(作者がやれるとは言ってない)


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海原を舞う娘

おおお・・・どうも、本当に、すごくお久しぶりです・・・

何を思ったか、一か月以上の間が空いている・・・

リ号作戦も、いよいよ大詰めとなってまいりました

どうぞ、よろしくお願いいたします


出撃用のドックは、新品らしいペンキの匂いと、すぐ近くの海の匂いがしました。

 

六つある出撃ドックのレーンのうち、第一レーンにわたしは立っていました。艤装はまだ装着していません。わたしが立つ出撃レーンの後ろ、艤装格納庫に繋がる通路から、わたしの艤装は引き出されてきます。

 

「待たせたな」

 

天井のレールから吊るされた艤装と一緒に、工廠長が通路から出てきました。わたしの背後に、艤装が準備されます。

 

「艤装装着準備完了」

 

『艤装の装着に入ってください』

 

ドックを見渡せる位置から、司令官がこちらを見守っています。直後、わたしの背中に、艤装が密着しました。

 

最初に装着されるのは、機関部を収めた基礎部分。大きな登山リュックぐらいの大きさがあります。背中に装着し、肩紐を通します。

 

脳波リンクシステム(?)もこの時点で構築されます。艦娘が艤装を扱うための、基礎技術です。詳しい理論はよくわかりませんが、要するにこの“吹雪”の艤装を、わたしの思った通りに動かせるようにするシステムだそうです。

 

次に装着されるのは、大腿部の魚雷発射管、その台座です。主砲や発射管、予備魚雷は、一番最後に準備します。

 

「どうだ?異常はないか?」

 

工廠長の問いかけに、わたしは頷きました。

 

「よし。これより、兵装の装着に移る」

 

脳波リンクは、全ての艤装を装着した段階で接続されます。

 

残された兵装が、わたしの艤装に装着されていきます。三本の魚雷を収めた発射管が、両足に。予備の魚雷と弾倉、そして肩紐のついた主砲。全ての装備品が、わたしの艤装に接続されました。

 

「アイドリングは終わってる。すぐに、脳波リンクに入る」

 

工廠長に頷いて、わたしは目を閉じました。

 

「脳波リンクシステム起動。脳波リンク構築」

 

特に痛みや、変な感覚はしません。次に目を開いた時、脳波リンクの機動が正常に終わったことが、目の前に表示されます。表示、とは言っても、実際には電気信号が私の脳に直接送られて、映像として認識されているだけですけど。

 

続いて、各部の状態。機関出力、回転数、残弾数。それらの状態を確認して、艤装の―――そして出撃の準備が整いました。

 

「ありがとうございました」

 

わたしのお礼に、工廠長は不敵に笑ってドックを後にします。直後、ブザーが鳴って、注水が始まりました。

 

「トリム調整」

 

注水に伴って、ドックの底面を離れ、水面に浮き始めたわたしは、バランスを取る作業に入ります。やがて、出撃レーンへの海水の流入がストップします。

 

全ての準備は、整いました。

 

『支持架を外す。バランスに注意』

 

それまで艤装を天井からぶら下げていた指示架が解除され、わたしは艤装の機関出力だけで海に浮かびました。

 

『ハッチ開放』

 

最後に、ドックの扉が開かれます。それまで蛍光灯の白い光だけで照らされていた建物の中に、鮮やかな太陽の光が差し込みます。わたしは思わず、目を細めました。

 

『・・・吹雪?』

 

司令官の声に、我に返ります。引きつりそうになる声を、グッとお腹に力を込めて抑え、大声で答えました。

 

「吹雪、出撃準備完了です!」

 

『了解した。吹雪、抜錨せよ』

 

「吹雪、抜錨します」

 

司令官の指示に応え、わたしは主機を回しました。回転によってかき分けられた水の反作用が、わたしを前へと進めます。ハッチの向こう、陽光がきらめく大海原へと。

 

飛び出した海面から後ろを振り返ると、出撃ドック外側のハッチ上部にある見張り所から、司令官がこちらを見ていました。背筋が伸び、鮮やかな敬礼を決めます。

 

―――行ってきます。

 

その敬礼に応えて、わたしはさらに速力を上げ、迫る深海棲艦の邀撃へと向っていきました。

 

 

一人でいるのは、怖かった。

 

なぜならいつも、隣には彼女がいたから。すぐに飛び出していく、お転婆で、目が離せなくて、とっても頼りになる姉妹がいたから。

 

艦娘になってからも、ずっと一緒だった。彼女はいつもそばにいて、私を守ってくれていた。

 

それに甘えていた自分にも、気づいていた。

 

だから、今。彼女がいないことが、何よりも怖い。これから、たった一人で戦うことが怖い。

 

五度目の全力斉射を浴びせかけながら、鳥海は全身を蝕む恐怖と戦っていた。背中には嫌な汗がじっとりと流れて張り付き、呼吸が上がっているのもわかる。ともすれば必死に踏ん張る足から力が抜けて、この場にへたり込んでしまいそうだ。

 

できるならば。許されるならば、今すぐに反転してしまいたい。満身創痍の姉妹艦に抱き着いてしまいたい。

 

―――できない。

 

奥歯を噛みしめ、その感情を堪える。今の私にできるのは、摩耶に代わり戦うこと。目の前の敵艦隊を止めること。

 

そんな鳥海の決意をへし折らんばかりに、リ級改の砲撃が降り注ぐ。まだ二度目の射撃だというのに、その精度は恐ろしく高い。それもそのはず、すでに彼我の距離は一万を割っているのだから。

 

リ級改に対して、三射目で命中弾を得ていた鳥海は、すでに装弾機構の許す限りの全力斉射に移行している。摩耶と同じ、両腕に一基ずつを備える二〇・三サンチ連装砲を構え、絶叫と共に砲炎を迸らせる。

 

けれどもその砲撃が、リ級改に有効なダメージを与えた兆候はない。相変わらずの堅牢っぷりを発揮する敵艦を睨みつけ、鳥海は六射目を放った。

 

入れ替わりに、リ級改も発砲し、お互いの砲弾が上空で交差する。立ち上る水柱。至近弾の弾片が艤装に当たる。心をかきむしる、甲高い異音だ。

 

『鳥海!』

 

通信機から聞こえてきた声にハッとする。よもや摩耶が戻って来たのか、と。

 

『遅れてすまない。これよりヤスも戦闘に加わる』

 

だが違った。声の主は、摩耶の良きライバルであり、ヤスを率いる重巡洋艦娘、那智であった。凛とした声は、摩耶とは違った意味で頼りになる。

 

しかし、鳥海に安らぎを与えるものではない。

 

「お願いします!」

 

鳥海の声に応えるようにして、ヤスに所属する二人の重巡洋艦娘―――那智と足柄が発砲する。これで三対一。さしものリ級改とて、この数の差をひっくり返すことはできまい。

 

『吹雪!十八駆の三人(不知火は被弾により退避)を増援する!』

 

鳥海たちの前方で、軽艦艇を相手取る駆逐隊に、那智が言う。しかし、十一駆の司令駆逐艦娘である吹雪は、それを明瞭に否定した。

 

『いえ、こちらはもう片付きました!これより、リ級改へ肉薄雷撃を敢行します!十八駆は温存してください!』

 

『・・・わかった。幸運を祈る』

 

『はい!』

 

鳥海が八度目の砲撃を繰り出すのとほとんど同時に、吹雪たちが加速した。白波が噴き上がり、四人の駆逐艦娘が一本の槍となって、海上を疾走する。その姿を、どこか羨望に似た眼差しで、鳥海は見つめていた。

 

リ級改の砲撃が降り注ぐ。命中弾炸裂の衝撃が艤装を震わせ、鳥海は歯を食い縛った。すでに一射前で命中弾を得たリ級改は、鳥海と同じく全力斉射に移行している。

 

―――負けない!

 

それでも鳥海は、前を見て、リ級改を睨む。禍々しい青を宿した瞳を、真っ直ぐに睨む。

 

再装填の終わった主砲を構え、鳥海は第九射を放った。

 

 

疾駆する風は、十月だというのに夏の気配がする。それもそのはず、この辺りの気候は一年を通して温暖で、秋が深まりつつある鎮守府とは違うのだ。

 

それでも、高速力を発揮することで生じる風は、急速に体温を奪う。艦娘としての加護が体温は保っているが、髪を激しく揺らす確かな風を、吹雪は感じていた。

 

「取舵一杯、針路一九五!」

 

通信機に吹き込み、すぐに舵を切る。吹雪についてくる白雪、初雪、深雪もまた、同じように変針するのがわかった。

 

接近する敵水上部隊前衛部隊に付き従っていた軽艦艇を、持ち前の練度と連携で蹴散らした十一駆の四人は、今まさに味方重巡部隊と撃ち合うリ級改へと、突撃を敢行していた。彼我の距離はすでに七千。いまだに、敵弾が飛んでくる気配はない。

 

おそらくは、摩耶との撃ち合い、そして今なお繰り広げられている三隻の重巡洋艦娘との砲撃戦で、軽艦艇を迎撃する両用砲の類があらかた撃ち砕かれてしまったのだろう。

 

―――どうするかな?

 

取れる手段は限られてくる。そしてそれぞれの状況でどう対処するべきかを、吹雪含めた十一駆全員が共有していた。

 

「真っ直ぐ突っ込む!両舷一杯!」

 

小細工不要と決めた吹雪は、機関出力を最大まで上げた。脚部艤装が海面を切り裂き、飛び散った飛沫がまるで霧のように尾を引いていく。かき混ぜられた海水が、白い航跡となって吹雪たちの後ろに伸びていた。

 

「距離六〇(六千)!投雷距離は四○!」

 

『『『了解!』』』

 

吹雪の指示に、三人が威勢よく答えた。

 

酸素魚雷対応の発射管には、全員が換装済みである。両の太ももに一基ずつ計二基六門据えられたそこに装填されているのは、九三式改と呼ばれる、短射程高速型の水雷戦隊用酸素魚雷だ。

 

投雷の射角計算やタイミングは、従来のものと変わってくるが、その辺りの訓練も不足ない。まさに鬼に金棒、十一駆に持たせて、これほど恐ろしい兵装もあるまい。

 

両舷一杯の吹雪たちが発揮する速力は三四ノット。二千の距離を詰めるのに、二分とかからない。

 

左手斜め前に見えているリ級改の様子を凝視する。その両腕にある主砲が、再び主砲発射の閃光を瞬かせる。そのきらめき方が、それまでと違うことを、艤装によって強化された吹雪の視覚は捉えていた。

 

「こっちに来る!衝撃に備えて!」

 

次の瞬間、吹雪たちの進行を阻むかのように、水柱が上がった。リ級改は、その八インチ砲を、鳥海から十一駆へと指向したのだ。

 

それは果たして、自信の表れか。この雷撃を凌いでしまえば、三隻の重巡洋艦娘などどうとでもなる、そう思っているのか。

 

十数秒の後、二射目が降り注ぐ。彼我の距離はすでに五千。たった二射で、その精度は恐ろしいほど高くなっていた。

 

―――これは、ちょっと無理しないとかな。

 

とっさに判断した吹雪は、次の瞬間から、続けざまに指示を飛ばす。

 

面舵かと思えば、取舵。速力を上げて、緩めて。爆雷を投げての視界妨害。一二・七サンチ砲をばら撒いての射撃妨害。まるでスピードスケートのような、鋭い動きの数々。弾道を正確に見極めたそれらの回避行動は、撃ちこまれるリ級改の砲撃に空を切らせ続ける。

 

その無理な動きにも、三人の僚艦は難なくついてくる。平然と舵を切り、指示に従って爆雷を投げ、濃密な弾幕を形成する。顔色一つ変えずに、吹雪のこの機動についてこれるのは、この三人しかいなかった。

 

「距離四○!」

 

その声と同時に、苛立つようなリ級改の砲撃が降り注いで、水柱となった。今まで相対してきたどの深海棲艦よりも、その射撃は正確だ。交わしきれなかった至近弾の上げる水滴がもろに頭から降りかかり、弾片が艤装に当たって金属的な不協和音を鳴らす。おそらく両用砲の類が残っていたなら、さすがの吹雪たちでも被害を被らずに肉薄することはできなかったであろう。

 

まあ、どちらにせよ、肉薄はできただろうが。

 

両用砲があろうがなかろうが、結果は変わらない。

 

「投雷始め!」

 

水柱が敵艦からこちらを隠してくれている間に、吹雪たちは一斉に投雷する。圧搾空気の乾いた音が連続し、鋼の肉食魚を解き放つ。燃焼剤の純酸素を急速に使用しながら、加速した魚雷たちが一直線に突き進んでいった。

 

「突撃を続行!投雷のタイミングを悟らせないで!」

 

この、端から見れば抽象的な指示でも、十一駆には伝わる。各々が投雷のタイミングを悟らせまいと、突撃を敢行し、時折爆雷を投げ入れて視界を塞ぎ、その度に若干の転針。それを二回ほど繰り返した後、十一駆は急速に反転し、離脱にかかった。

 

チラリと後ろを振り返る。吹雪たちの転針を見て、投雷を悟ったのだろう。リ級改は砲撃を止め、回避運動に入ろうとしていた。

 

だが、リ級の回避運動が実を結ぶことはない。なぜなら投雷のタイミングが、そもそも違うのだから。

 

八インチ砲弾のそれなど遥かに凌ぐ巨大な水柱が、無慈悲にもリ級改の舷側に立ち上った。立て続けに四本。さしもの頑丈なリ級改も、その衝撃に耐えられる道理はなかった。

 

水柱が収まった時、リ級改はすでに大きく傾斜していた。もはやその砲口に発射炎がきらめくことはない。八インチ砲弾が、艦娘たちの艤装を抉ることもない。

 

「こちら十一駆、敵重巡の撃破を確認しました」

 

『了解した。・・・さすがだな』

 

通信機の向こうで、那智が感心したように言った。

 

『十一駆、鳥海と合流してください。キヨは、“横須賀”へ燃弾補給に向かいます』

 

「了解」

 

改めて確認するまでもない。主砲弾も残弾少なく、魚雷は撃ち切った。補給が必要である。

 

『以後はヤスが引き受ける。戦果に期待されたし』

 

戦いは終わりではない。深海棲艦水上部隊は、いまだ戦艦二隻を含む主力を残したままだ。これを迎撃するのは、重巡洋艦娘二人、駆逐艦娘三人のヤスだ。もう間もなく、“佐世保”で燃弾補給を終えたナガが合流するはずだが、それでも心もとない。

 

だが今は、彼女たちに託すしかなかった。

 

ところが。

 

『“横須賀”より、全艦娘へ。後方より、新手の水上部隊接近。戦艦二を含む』

 

―――そんな・・・!

 

さすがの吹雪も、これには息を飲んだ。戦艦二隻の艦隊を一つ相手取るだけでも一苦労なのに、それがさらにもう一つともなれば、完全に手が足りなくなる。

 

“横須賀”から伝えられた情報を整理すると、もう一つの水上部隊が船団を攻撃圏内に収めるのは、これよりヤスが邀撃に向かう敵艦隊に遅れること十分ほどだ。船団の真後ろから来ているから、距離を詰めるのには、さらにもう少し時間がかかるかもしれない。

 

『先に報告のあったものを“甲”、後を“乙”と呼称する。ヤス、及び燃弾補給終了後のナガは、“甲”の迎撃に専念。“乙”は狙撃砲部隊をもって邀撃する』

 

狙撃砲部隊―――以前、鎮守府近海戦で使用された試製巡洋艦用長距離狙撃砲F型を素体とする、量産型狙撃砲を配備しているのは、救出作戦に参加したあきつ丸たち陸軍艦娘だ。彼女たちは今、支援母艦“ペーター・シュトラウス”に乗っている。

 

“横須賀”座乗タモンからの指示を受けてか、“ペーター・シュトラウス”が少しばかり速力を落とし、船団の最後部へ位置取る。その甲板上には、設置されている狙撃砲に取りつくあきつ丸の姿が見えた。

 

さらに。

 

―――あれは・・・。

 

“ペーター・シュトラウス”の方向から、白い飛沫を上げて何かが走ってくる。否、あれは人だ。艤装を背負い、海上を疾駆する艦娘。

 

巨大な連装砲塔は四基。高い機関出力を伺わせる太い円筒形の煙突が特徴的だ。艤装のカラーリングは、鎮守府のどの艦娘よりも目立つ、特徴的な迷彩と砲塔上面の赤。

 

明らかにそれは、戦艦娘の艤装であった。しかし、現在鎮守府の戦艦戦力―――榛名、霧島、伊勢、日向の四人は、全員が艤装を損傷し、以後の戦闘行動が困難とされている。つまり、今行動可能な戦艦娘はいない。

 

一人を除いては。

 

「ビスマルクさん!?」

 

救出艦隊が連れてきた『独立艦隊』、その指揮官である彼女は、太陽のような金色の髪を麗しくなびかせて、吹雪たちの方へと向かってきた。

 

『キヨ、ヤス。こちらは戦艦、ビスマルク。貴艦隊を援護する』

 

吹雪たちの通信機から、ビスマルクの声が聞こえる。ヤスと鳥海のもとに合流した吹雪は繰り返されるその内容に耳を傾けた後、ヤスを率いる那智を見た。思案顔の那智は、やがて顔を上げると、返信するために通信機のスイッチを入れる。

 

「ビスマルク。こちらヤス旗艦、重巡洋艦、那智。貴艦の申し出に感謝する。共同戦線と行こうか」

 

その表情が、まるで悪戯を思いついた子どものように歪んでいる。どこか、彼女のライバル、摩耶を思わせる表情だった。

 

『ビスマルク、了解。面白そうな提案ね』

 

答えたビスマルクの声も、どこか不敵に笑っていた。

 

―――大丈夫。

 

吹雪は確信した。わたしたちは、まだ戦えると。

 

「補給を急ぎましょう。まだまだやれることはあるはずよ」

 

疲労の見える表情で懸命に微笑む鳥海がそう言った。十一駆はそれに頷き、燃弾補給を受けるべく“横須賀”へ急ぐ。

 

ビスマルクとすれ違う。その碧い双眸が、チラリと吹雪を見た。その瞳を、吹雪はただ真っすぐに見つめ返す。

 

―――任せなさい。

 

そう言っているように思えた。

 

ヤスと合流し、敵戦艦部隊へと向っていくのを、吹雪は振り返ることなく背中の気配で感じる。

 

二度目となる戦艦同士の砲撃戦が、始まろうとしていた。




なんてこった・・・ビスマルクが一発も撃たずに話が終わってしまった・・・

次回は作者の十八番(?)!戦艦同士の砲撃戦であります!

気合い!入れて!いきます!


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堅牢なる意志

どうもです

なんだか、結局元通りの投稿ペースに

リ号作戦も、後一、二話で終わります(終わるといいなあ・・・)

今回は、ビスマルク編となります


出撃したわたしは、周辺を警戒しながら、両舷半速で鎮守府正面海域を航行していました。

 

天気は晴天。風も無く、波は静かです。これが大荒れだと、艦娘ではまともに航行できませんから、幸いでした。

 

『吹雪』

 

後ろの出撃ドックから、司令官が無線で呼びかけます。

 

『間もなく、君との交信限界距離を超える』

 

それはつまり、海の上にたった一人、わたしだけが残って、戦うということ。

 

『作戦は伝えた通り。接敵後は、決して無理をせず、可能であれば交信可能圏内に引き込んで戦闘を行う。カタログスペックでは、吹雪の方が速力が出る。訓練通り、確実にやればいい』

 

「・・・わかりました。やってみます」

 

『幸運を祈る』

 

そう言って通信が終わり、直後に通信可能圏外に出てしまいました。

 

航行しながら、わたしはもう一度艤装の状態を確認します。何もしてないと、得体のしれない不安を自覚してしまいそうでしたから。

 

「よしっ」

 

艤装の状態が万全であることを確認して、わたしは再び前を見ます。

 

その時。

 

水平線に動く影を、わたしの両目が捉えました。

 

 

ビスマルクの艤装は、もう間もなくで砲戦の準備を終えようとしていた。

 

『チンジュフ』の護衛艦隊、ヤスと合流した後、簡単にそれぞれの役割を確認したビスマルクは、すぐさま作戦行動に移った。ビスマルクの相手は、二隻の敵戦艦。どちらもル級Eliteだ。相手にとって不足はない。

 

「距離二万で砲戦を始めるわ」

 

その距離が、ビスマルクの主砲が最も威力を発揮する距離だ。

 

『了解。こちらも同じタイミングで肉薄する』

 

ナチと言ったヤスを率いる重巡洋艦娘の声は端的だ。その短さが、かえって彼女の自信を表しているように、ビスマルクには思えた。実際、ここまで『チンジュフ』護衛艦隊の戦いぶりを見てきたが、彼女たちの練度は高い。特に、先ほどすれ違ったフブキ率いる駆逐隊はとんでもない。あんな戦い方をする駆逐隊と戦うのは、ビスマルクなら御免被りたい。

 

戦術も多彩だ。大型航空機を用いた、より精度の高い観測機器による弾着観測射撃。二人の戦艦娘が、それぞれの観測値を持ち寄って、さらに精度を高める統制砲撃戦。統合された防空指揮による、多段階の防空システム。

 

当初よりも派遣される戦力が少なくなると聞いた時は、作戦の成功に懐疑的だったが、それでも彼女らは、足りない部分を戦術と技術で補っていた。

 

何より、その限られた戦力の中で、ビスマルクたちを救援に来てくれたのだ。

 

『独立艦隊』の指揮官と言う立場を抜きにして、一人の海の娘として、その恩義に応えたい気持ちがないと言えば嘘になる。

 

けれどもそれ以上に、自分が今の『独立艦隊』最高指揮官であることを、忘れてはならない。

 

戦場で感情的になるのを、自らに課した責任で押さえつけて、ビスマルクは前方の敵戦艦を見据える。すでに深海棲艦戦艦部隊の決戦距離である二万五千を割っているが、発砲する気配はない。ビスマルクの狙い通りだ。現在ビスマルクは発揮しうる最大戦速で敵戦艦へ突き進んでいる。相対速力は四〇ノットを越えるはずだ。そんな勢いで向かってくる反航戦の相手に砲撃を命中させるのは困難である。

 

―――勝負は一瞬。

 

二万を切って、最初の射撃でどれだけ精度を高められるか。二隻の戦艦を相手取る以上、全てはそこにかかっていた。

 

ほどなく、その時は訪れる。レーダーで計測していた敵戦艦との距離が、ついに二万を割ったのだ。

 

「両舷第一戦速、砲戦用意!」

 

主機の回転数が下げられ、ビスマルクは減速した。最高の状態にある観測機器が二隻の敵戦艦のうち右方を捕捉する。測距儀が導き出した距離をもとにして、膨大なデータが数字となって頭を駆け巡り、主砲諸元を導き出した。四基の三八センチ連装砲、そのうちの右砲が、諸元に基づいて仰角を上げた。

 

準備は整った。

 

「フォイアー!」

 

気合いの限りに叫び、第一射を放つ。轟音が砲身から飛び出し、盛大な砲炎を上げる。衝撃波が海面を綺麗な円形に抉った。

 

一拍遅れて、敵戦艦も発砲する。両腕の盾のような艤装から連続して炎が生じ、強力な一六インチ砲弾を叩き出した。

 

お互いの弾着はほとんど同時だ。丈高い水柱が所狭しと並び、姿を覆い隠す。それでもビスマルクは、しかと自らの砲撃の成果を見届けた。

 

全弾近。四発の三八センチ砲弾は、その全てが敵艦の手前に落ちていた。

 

修正値が導き出され、すぐさま発砲。今度は左砲だ。その間に、右砲は再装填を終えていた。この次発装填の早さが、ビスマルクの売りである。

 

敵戦艦も撃ってくる。深紅の瞳がこちらを睨み、まるで積年の恨みを晴らすかのように、盾から砲撃を繰り出した。お互いの砲弾が高空ですれ違い、美しい放物線を描いて落下する。今度の砲撃は、手応えがあった。

 

―――よしっ!

 

思わず右拳を握り締める。ビスマルクの放った砲弾は、二発が近、もう二発が遠。夾叉である。距離二万からたった二射で誤差修正を終えられたのは、ひとえに精度の高い観測機器のおかげだ。

 

「次より斉射!」

 

右砲に続き、左砲も再装填が行われるのを待つ。やがて双方の再装填が終わり、全ての準備が整った。深く息を吸い込む。

 

「フォイアーッ!」

 

ビスマルクは早くも今日最初の斉射に踏み切った。爆音と衝撃はそれまでの比ではない。洗練された脚部艤装が大きく波間に沈み込むほどの威力だ。ビリビリと大気を震わせる自らの砲声を、ビスマルクは両足を一杯に踏ん張って聞き届けていた。

 

三八センチ砲弾が飛翔していく。それとは入れ替わりで、敵戦艦の一六インチ砲弾も飛翔中だ。両者の砲弾が、同じタイミングで相手に到達する。

 

―――まだまだ甘いわね。

 

敵戦艦二隻の砲撃は、まだ空振りの部類だ。さすがはEliteだけあって修正が早く、精度は確実に上がっている。それでも現段階では、まだビスマルクの脅威とはなり得なかった。

 

対するビスマルクの砲撃は、早速敵戦艦の艦上で炸裂して、被害を与えていた。右盾の一部が抉れて、うっすらと煙を噴出している。口径は一六インチに劣るものの、三八センチ砲弾は十分過ぎる威力を発揮していたのだった。

 

そしてここからが、ビスマルクの本領発揮である。

 

次発装填が完了し、再び斉射。その間隔はじつに二十秒。並の戦艦の倍近い。もちろん、常にこの装填速度を維持できるわけではないが、十分に艤装の扱いに慣れているビスマルクは、この最速タイムを維持することができる。

 

敵戦艦が第四射を放つよりも早く、ビスマルクの第二斉射は飛翔を始めている。ようやく敵戦艦の第四射が放たれた時には、すでにビスマルクの三八センチ砲弾八発が、突入段階に入ろうとしていた。

 

装甲とぶち当たった徹甲弾が火花を散らし、深く食い込んで炸裂する。ル級Eliteの艤装に爆炎が踊るのがはっきりと見えた。命中弾は二発。

 

ビスマルクが次発装填を終えようかというタイミングで、敵艦からの第四射が降り注いだ。そして、さすがに今度は、ビスマルクの幸運も発揮されなかった。

 

砲塔の正面防盾で火花が上がる。砲弾は弾いたが、一六インチ砲弾が命中したことは変わらない。タイミング的に見て、右方のル級であろう。これで条件は五分。

 

―――いえ、私の方が圧倒的に有利ね。

 

被弾をものともせず、ビスマルクの主砲が三度目の斉射の咆哮を上げた。猛々しい雄叫びが海面に木霊し、戦艦の破壊力を物語る。加熱した砲身が冷却され、その間に装填機構が忙しなく次弾を装填。その作業中に、第三斉射が落下した。ル級の艤装で炎が上がる。

 

準備の整った第四斉射は、ル級が新たな射弾を放つよりも先に飛び出した。主砲発射の反動を受け止めながら、ビスマルクはチラリと、肉薄を続けるヤスを見遣る。ヤスの接近を阻むように展開する敵巡洋艦部隊と、二人の重巡洋艦娘が激しく撃ち合っていた。

 

『ビスマルク』

 

その時、待っていた声が通信機越しに届いた。対水上電探を旋回させ、後方から接近してくる艦娘二人を捉える。意外と近くまで、すでに来ていたようだ。

 

「遅いわよ、レーベ、マックス」

 

ル級からの第一斉射に耐えながら、ビスマルクは駆逐艦娘に呼びかける。二人分の苦笑が通信機の向こうから聞こえてきた。

 

『ごめんごめん。その分、今から働くよ』

 

「そうして頂戴」

 

通信を切るや否や、疾風迅雷を体現するような神速が、ビスマルクの横を通り抜けた。艤装を構えた二人の駆逐艦娘は、一直線に敵艦隊を目指す。彼女らの発揮しうる速力は、驚異の三八ノットだ。激しく飛沫を飛ばし、制服の丈の短いスカートをなびかせ、突撃していく。

 

―――負けてられないわね。

 

第五斉射準備完了を受けて、ビスマルクはさらに主砲を放つ。八門の三八センチ砲が圧倒的な爆音を響かせるや、褐色に沸き立つ炎を上げて、超音速で砲弾が飛び出した。対戦艦用の徹甲弾は、理想的なアーチを描いてル級の艤装に突き刺さり、爆ぜる。細かな破片が飛び散り、ル級は苦悶するように雄叫びを上げていた。

 

入れ替わりで、ル級の砲撃もビスマルクを包み込む。一瞬にして白く染まる視界。全身を軋ませるような異音。金属が上げる不協和音。しかしながら頑丈なビスマルクの艤装は、それらに十分耐えていた。

 

お返しとばかりに、ビスマルクは第六斉射を放った。その調べは先ほどと変わることなく、強烈で頼もしい。まるで海面を叩き割らんばかりの衝撃だ。

 

対抗するようなル級の斉射。すでに左方のル級も夾叉弾を得ており、斉射に移行している。いささか分が悪いだろうか。しかしながら今は、確実に一隻を潰す。ビスマルクはそう断じて、第七斉射の準備を急がせた。

 

第六斉射の命中弾は、それまでで一番多い三発。それも、ル級の右手に持っている艤装にまとまって弾着した。盛大に弾けたル級の艤装は、その上部が大きく抉れていた。

 

一方、ビスマルクも無傷ではない。一六インチ砲弾は容赦なく艤装を抉っており、砲塔型の副砲が一機もぎ取られていた。それでもその被害は、十分想定内だ。

 

第七斉射はル級よりも早い。そして、右方のル級を葬るのに、十分過ぎた。

 

ごっそりと削られていた右側の盾形艤装に食い込んだ一発の三八センチ砲弾は、主砲弾や装薬の詰まったそこで、遠慮会釈なく、破壊の限りを尽くした。弾火薬庫の一斉誘爆という最悪の事態は免れていたとはいえ、それまでの被害の累積が、ル級にそれ以上の戦闘を不可能にさせていた。

 

落伍していく右方のル級を確認して、ビスマルクはすぐさま、目標を残ったもう一隻のル級に変更した。こちらは無傷だ。

 

砲戦を行っている間に、彼我の距離は一万七千まで来ている。ビスマルクはほくそ笑んだ。

 

「初弾より斉射!」

 

この距離ならば外さない。その意志を示すかのように、ビスマルクは最初から斉射に踏み切った。それと入れ替わるようにして、左方のル級から二度目の斉射弾が降り注いだ。命中弾は艤装の上で爆炎を噴き上げ、至近弾が脚部艤装を下方から浮き上がらせる。駆動系をやられたのか、艤装右舷の第四砲塔―――ドーラが砲撃不能となった。ビスマルクは早急に見切りをつけ、ドーラの弾火薬庫を艤装から切り離し、投棄する。

 

ビスマルク最後の全砲門による斉射となった左方のル級への第一斉射は、狙い通り、初弾から命中弾を叩き出した。ル級の左盾から上がる火炎が、『独立艦隊』工廠部が生み出した観測機器の精度の高さを物語っている。

 

続く第二斉射は、ル級と同じタイミングで放たれた。お互いに主砲発射の爆炎を躍らせ、徹甲弾が高空で交錯する。立ち上る水柱。飛び散った断片が艤装に当たる異音。信管を作動させた砲弾の轟音。バラバラと降り注ぐ水滴。

 

―――少し、まずいわね。

 

自らの艤装の状態を確認して、ビスマルクは奥歯を嚙み締める。いかにビスマルクの艤装が堅牢とはいえ、二隻のElite戦艦を相手取るのは、少々どころではない無理があった。

 

それでも。装填機構の性能が許す限り、ビスマルクは撃ち続ける。三度目の斉射だ。

 

ビスマルクたちを守るために、オイゲンは、レーベとマックスは、そして彼女の妹は、制空権の無い中四隻もの敵戦艦を相手取ったのだ。たかだか二隻の戦艦相手に、自分が音を上げるわけにはいかなかった。

 

今度は私が、この船団を守るのだ。

 

『ビスマルク!』

 

ル級の砲弾が再びビスマルクの艤装を抉る中、通信機が呼びかける。先行しているレーベだ。

 

『こっちは一万を切ったよ!もうちょっとだから、頑張って!』

 

ナチとアシガラがこじ開けた敵前衛の穴に、『チンジュフ』とレーベ、マックス、五人の駆逐艦娘が突撃している。

 

技術交流の結果、『独立艦隊』においても、『チンジュフ』が採用している高速長射程の酸素魚雷の開発に成功していた。リランカ襲撃の結果、そのほとんどは失われてしまったものの、“ペーター・シュトラウス”内には数本が残されており、今回の出撃にあたってその全てがレーベとマックスに搭載されていた。

 

つまり、二人は『チンジュフ』の水雷戦隊と共に雷撃戦を行うことができる。

 

搭載魚雷の口径こそ、レーベたちの方が小さいものの、威力についてはお墨付きだ。

 

それまで、何としても敵戦艦を引き付け、その戦闘能力を削ぐ。そのために、ビスマルクは撃ち続ける。

 

例えドーラが使えなくなろうと。副砲塔をもがれようと。Ar196をカタパルトごと吹き飛ばされようと。砲弾の断片が制服を切り裂こうと。頭から被った海水で自慢の金髪がびしょ濡れになろうと。ビスマルクは撃つ。撃つ。撃つ。砲身が焼き切れんばかりに撃ち続ける。

 

しかしながら、その艤装にもまもなく限界が訪れようとしていた。

 

―――そんなことは百も承知よ!

 

ビスマルク級戦艦を侮るな。

 

次の瞬間、ル級Eliteの艤装が下から盛大に吹き飛んだ。その堅牢な姿を洋上にさらしていた黒々とした盾型の艤装が、まるでブリキのおもちゃでもあるかのように浮き上がる。何が起きたのかわからないとでもいうように、極太の水柱の間に見える深紅の瞳が見開かれていた。

 

『命中!やりい!』

 

威勢のいい声が、通信機に乗って聞こえてくる。水雷戦隊の先頭を行く駆逐艦娘。オレンジの髪を元気一杯に揺らす彼女が、ビスマルクに向けて親指を突き立てた。

 

彼女らが放った魚雷が、敵戦艦を葬ったのだ。

 

「・・・やってくれたのね」

 

高まっていた艤装の出力を落とし、速力を原速とする。損害は大きいが、戦闘、航行共に可能だ。ただ、さすがにもう一つの戦艦部隊を叩くだけの余力は、ビスマルクにはなかった。

 

まあ、でも。そちらはすでに、対策を講じている。対処は十分に可能なはずだ。

 

太陽は大きく西へ傾き始めている。西方海域突破をかけたリ号作戦は、ついにその最大の山場を迎えようとしていた。




そういえば、このシリーズも書き始めてもうすぐ二年なんですね

未だに着地点が見えてこない・・・

リ号作戦後、少し色々なフラグを回収しにいこうかと

後、吹雪と司令官の日常も書きたいですし

なか卯ぼのの中破絵がはいてない件についt(雷撃処分)


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西方海域突破

遅れてすみません

今回で、戦闘は一区切りです

また長い話になってるし・・・


「敵艦見ゆ!駆逐艦級一!」

 

すでに通信機が繋がっていなくても、わたしは大声で叫んで、目標を確認します。声に出すことが大切なんです。自分で確認ができるのと、多少なりと恐怖を払拭してくれます。

 

波の動きをよく観察しながら、わたしはさらに接近を試みました。発見時の距離はおよそ一万五千。もっと接近しないと、駆逐艦同士の戦いにはなりません。

 

向こうもこちらに気づいたみたいです。大きな口がガバリと開いたかと思うと、速力を上げて、わたしの方に向かってきました。

 

反射的に通信機のスイッチを入れます。そこから聞こえてきたのは、空しい雑音だけ。通信圏外であったことを、改めて思い知らされました。

 

ここにいるのはわたしだけ。

 

今戦えるのは、わたししかいません。

 

奥歯を噛み締めて、わたしはイ級を見つめます。

 

その時、大きく開いたイ級の口から、真っ赤な炎が上がりました。主砲を発射した時の炎だと、すぐにわかります。

 

数秒後、わたしの前に水柱が上がりました。イ級から放たれた五インチ砲弾が、海水を沸き立たせます。頭上から降りかかった飛沫には、微かに鼻をつく硝煙の臭いがしました。

 

紛れもない実弾。わたしを沈めようという意志が込められた砲撃。

 

何とか冷静さを保ち、わたしは水柱の様子を確認します。飛沫がかかる程度ですから、さほど近い位置ではありません。

 

敵艦との距離、およそ六千。駆逐艦同士の戦闘距離として、近いとは言えません。イ級の砲撃は、そう簡単に当たりません。

 

わたしの砲撃も、まず当たりませんけど。

 

接近か、誘引か。判断は二つに一つです。

 

主機を最大戦速まで開きます。一気に加速したわたしは、接近を選びました。

 

そして―――

 

「正面砲戦用意!」

 

右腕の一二・七サンチ連装砲塔A型を構えます。三千まで迫ろうとしていたイ級に、その照準を合わせました。

 

「いっけえええっ!!」

 

引き金を引けば、二発の一二・七サンチ砲弾が飛び出し、イ級へと飛翔していきました。

 

 

訓練通りに、力を入れず引き金を引くと、長大な砲身の先から炎が生じた。軸線方向の反動は大きく、甲板に寝転ぶあきつ丸の肩に伝わってくる。しかし、砲口そのもののぶれは非常に小さかった。

 

弾着までは十秒ほど。次弾に備えて砲身が冷却される中、あきつ丸はその成果を静かに待ち続けた。

 

巡洋艦用大口径狙撃砲F2型。巡洋艦用大口径狙撃砲F型をモデルとした、陸軍艦娘用の狙撃砲は、分解組み立てが可能な機構を取り入れており、持ち運びが容易だ。今回の作戦にあたって、増加試作型二基を、第一特務師団は配備していた。巡洋艦用とついているが、艤装出力の高いあきつ丸や神州丸であれば十分に運用が可能だ。新型主砲システムを基にしたその威力は、四六サンチ砲並みであると明石は豪語していた。

 

その言葉に間違いはなかった。

 

船団後方から接近する敵水上部隊を、あきつ丸たちは二門の巡洋艦用大口径狙撃砲F2型―――V(ヴァイパー)砲で迎え撃った。結果は上々。揺れる船上というハンデがありながらも、水上部隊前衛の巡洋艦部隊を十二分に相手取っていた。

 

最後に残ったリ級に、あきつ丸の放った砲弾が命中する。強烈なストレートを食らったかのように後方へ吹き飛ばされたリ級に、続いて神州丸からの一撃が命中する。紅蓮の炎が内側から噴出したかと思った次の瞬間、リ級は跡形もなく消し飛ばされた。

 

「やりましたね、隊長」

 

対閃光防御用に着けていたゴーグルを押し上げて、神州丸があきつ丸に笑いかける。その表情に、あきつ丸は力強く頷くことで応えた。

 

―――とはいえ、問題はここからであります。

 

巡洋艦部隊の後方に控えるのは、二隻の戦艦を主体とした強力な火力部隊だ。あきつ丸たちがV砲を構える“ペーター・シュトラウス”との距離は二万六千。深海棲艦は二万五千を通常の砲戦距離としているから、まもなく砲撃が始まることになる。一方、V砲の有効射程距離は二万と短い。つまり五千もの距離の間、“ペーター・シュトラウス”は一方的に撃たれ続けることになる。

 

中古客船改造の“ペーター・シュトラウス”に、防御装甲などというものは備わっていない。一発でも当たれば、そこで終わりだ。

 

全ては艦長の操艦術にかかっていると言っていい。

 

「神州丸、残弾は?」

 

「まだ十分です。後三十発はあります」

 

「了解であります」

 

答えたあきつ丸も、自らの残弾と、艤装出力を確認する。狙撃のために寝転んでいるので、背負っていると邪魔になる艤装は、脳波リンクの後専用の格納庫に設置していた。その数値を表示するV砲横の小型端末には、あきつ丸の艤装がまだ十分な出力を有していることを示している。

 

―――やるしかないであります。

 

あきつ丸は、照準器を通して見える二隻の敵戦艦を、目を細めて睨んだ。

 

守ると誓ったからには、最後まで戦い、守る。それが、今の自分にできること。

 

かつて吹雪がそうしてくれたように、今度はあきつ丸が―――否、全ての艦娘たちが力を合わせて、この船団を守るのだ。

 

「神州丸。二五〇(二万五千)から砲撃を開始するであります」

 

「二五〇・・・ですか?」

 

驚いたように神州丸が尋ねた。それも当然だ。二万五千の距離は、確かにV砲の最大射程圏内であるが、有効な打撃が与えられる距離ではない。そもそも、狙撃砲の照準システムでは、命中率が大幅に下がる。狙撃砲最大の長所である命中率の高さが失われることになるのだ。

 

それでも、やるしかない。今船団を守れるのは、あきつ丸たちしかいないのだ。

 

力が入りそうになる肩を、深呼吸で無理矢理に脱力させる。神経は、照準器の先に映る敵艦と、引き金にかけた指にだけ注がれていた。

 

やがて―――

 

「距離二五〇!」

 

「撃ち方、始め!」

 

カチリ。二人は同時に引き金を引いた。砲口に閃光が走り、砲弾が放たれる。ゴーグルをしていなければ、視界が白に染まってしまうほどの強烈な光だ。

 

同じタイミングで、敵戦艦も発砲した。船団に対してイの字を描くような単縦陣を敷く二戦艦の艤装に褐色の炎が踊る。やがて、鋭い砲弾の飛翔音が、あきつ丸の耳に届いた。

 

身構えた次の瞬間、“ペーター・シュトラウス”の左舷に巨大な水柱が立ち上った。さながら天を突くバベルの塔だ。艦底から突き上げる衝撃は、あきつ丸たちのいる後部構造物をも揺らす。

 

これが、戦艦。恐るべき一六インチ砲の威力。

 

ゴクリ。生唾を呑む。キス島沖で、あの砲撃にさらされた時のことが、頭をよぎった。

 

命中しなかった第一射を受け、あきつ丸は第二射を放つ。砲弾が放たれ、その反動が肩を揺らした。

 

敵戦艦も新たな射弾を放つ。めくるめく閃光が上がったかと思うと、次の瞬間には砲煙に変わり、後方へと流れていく。全くの感情を感じさせずに放たれたその砲火が、妙な寒さをあきつ丸の背中に与えた。

 

「・・・ダメでありますか・・・っ!」

 

自らが放った第二射の成果を見届けたあきつ丸は、悔しげに呻いた。第二射もまた敵戦艦を捉えることなく、空しく水柱を上げるだけに終わったのだ。

 

やはり当たらないか。敵戦艦の砲撃を止める手立てはないのか。

 

それらの余計な思考を捨て、あきつ丸は第三射の装弾を急ぐ。冷却機構が作動し、加熱した砲身を冷やす。立ち上る陽炎で揺らぐ景色に、あきつ丸の額を汗が伝った。

 

その時。“ペーター・シュトラウス”の右舷側、つまりあきつ丸の左手から、勇壮な砲声が聞こえてきた。何事かとそちらを見遣るが、あきつ丸の位置からでは構造物の縁が邪魔になって、砲声の主を見ることはできなかった。わずかに、その砲煙のみが姿を見せている。

 

一体誰が。その答えは、すぐに示された。

 

『あきつ丸さん!』

 

通信機から飛び込んできたのは、聞き覚えのある声だった。柔らかくも、凛とした張りのあるその声は、リ島強襲上陸の際に支援してくれた、戦艦娘のもの。

 

―――まさか。

 

そう思ったあきつ丸が見つめる先、“ペーター・シュトラウス”の後方海面に、声の主は現れた。

 

腰を起点として広がる艤装は、戦艦娘の象徴だ。据えられた四基の砲塔はごつごつとたくましく、雄々しい。それでいて、曲線で構成された滑るような装甲は、風にたなびく彼女の黒髪と同じく麗しさを感じさせた。

 

「榛名殿!」

 

呼ばれた彼女が、チラリとあきつ丸を振り返り、微笑んだ。「もう大丈夫です」、そう言っているかのような、包容力に満ちた微笑みだった。

 

榛名だけではない。その横に並ぶ短髪の少女は、彼女の妹である霧島だ。艤装形状は榛名と同じだが、ダズル迷彩は施されておらず、軍艦色が陽光にきらめいている。

 

そしてさらに。その後ろに付き従う艦娘に、あきつ丸は目を輝かせた。

 

艤装形状の同じ艦娘が四人。大きさは榛名たちより遥かに小さいが、軽快さを感じさせた。

 

四人の先頭を行く艦娘が、振り向いて手を振る。あきつ丸たち陸軍艦娘が最も信頼を寄せる、鎮守府最古参の駆逐艦娘。その笑顔に、あきつ丸は心が軽くなるのを感じていた。

 

『ありがとうございました。これより、敵水上部隊の迎撃は、榛名たちが受け持ちます』

 

「了解したであります。ご武運を」

 

『“ペーター・シュトラウス”は船団に戻るよう、艦長さんにお伝えください』

 

了解と答えかけたあきつ丸は、寸でのところで口を閉じて、しばらく考える。

 

決意はすでに固まっていた。自分のやるべきこともわかっていた。

 

後はそれを、全力で成し遂げるだけだ。そのことを教えてくれたのは、今まさに敵艦隊へと戦いを挑もうとしている、彼女らではなかったか。

 

想いを成し遂げるのは難しいが、何かを成し遂げるには想い続けなければならないと、教えてくれたはずだ。

 

「いえ、このまま、皆さんへの支援を、可能な限り継続するであります。艦長殿には、自分から具申するであります」

 

『・・・わかりました、お願いします』

 

次第に小さくなる榛名は、それでもはっきりとわかるように大きく頷いた。艤装によって強化されたあきつ丸の視力は、秋の陽だまりのように暖かで優しいその表情を捉える。あきつ丸の想いは、彼女に通じたらしかった。

 

『さあ、始めましょう!これ以上の勝手は、榛名たちが、許しません!』

 

気合いを入れるように宣言した榛名たちは、さらなる射弾を放つ。一方の敵戦艦も、新たな敵に照準を合わせ、砲撃を開始した。

 

その姿を見つめ、あきつ丸は艦橋に繋がる電話を取る。彼女の考えを、艦長に伝えるためだ。

 

彼の答えは、単純にして明快なものだった。

 

 

やはり、海の上はいい。

 

砲撃の合間に大きく深呼吸をした榛名は、慣れ親しんだ潮の香りと、そこに混じる硝煙の臭いに、安堵に近い息を吐いた。

 

仲間たちの戦いを、ただ座して見守ることしかできないのは、忸怩たる思いがあった。

 

リ島強襲上陸の際、榛名と霧島の艤装は大きな損害を受け、支援母艦の入渠ドックでは修復不可能と判断されていた。正確には、短時間での調整が難しく、リ号作戦遂行中に戦線復帰は絶望的だ、と。

 

それが今、こうして海の上にいる。新たな戦いに挑もうとしている。

 

鍵となるのは、一時間半ほど前に二人の『独立艦隊』所属駆逐艦娘が“横須賀”へ持ち込んだ、二つのバケツ型容器だ。

 

鎮守府でバケツと言えば、それは高速修復材のことを差す。彼女たちが持ってきたのも、やはり高速修復材であった。

 

ただし、鎮守府工廠が開発した既存のそれとは、仕様が異なる。『独立艦隊』が持ちこんだ高速修復材は、中、小規模の損傷を高い精度で修復するものであった。

 

通常、榛名たちのような戦艦娘の艤装は内部構造が複雑で、高速修復には向かない。支援母艦のドックで行うとなれば尚更だ。艤装を修復しても、内部構造の調整や精神同調の復旧を含めて、数日はかかる。だから、榛名たちの艤装は、作戦中の修復が絶望的と判断されたのだ。

 

これが、『独立艦隊』の高速修復材を用いると違う。艤装の根幹に関わるような重大な損傷の復旧は行えないが、中破程度の損害ならば、わずか三十分で復旧できる。修復精度も高く、数日がかかる戦艦娘の整備も二時間で終えることができるのだ。

 

届けられた二個のバケツは、早速榛名と霧島に使用された。各護衛艦隊やビスマルク、あきつ丸が時間を稼いでいる間に、修復なった榛名と霧島、それに燃弾補給を終えた吹雪たち十一駆が合流して出撃することができた。

 

とはいえ、万全の状態とは言えない。出撃を急いだために、修復後の艤装を確認する時間は一時間しかなかった。“横須賀”工廠部は戦闘行動に支障なしとしているが、完全な艤装状態を保証するものではないことは、榛名もよくわかっていた。

 

―――大丈夫そう、ですね。

 

すでに三射を放ち、旋回、俯仰機構や装填機構、冷却装置に問題は認められていない。脚部艤装の出力や姿勢安定装置も正常だ。今のところ、艤装の状態はリ号救出作戦時と変わらない。

 

ぶっつけ本番となったが、ともかくこれで、戦闘に支障がないことが示された。

 

「砲撃止め」

 

第四射の準備を進めていたところで、榛名は一端の砲撃中止を命じた。隣の霧島がこちらを窺う。眼鏡の奥にある、熱くも冷静なその瞳が「どうするの?」と尋ねていた。

 

「向こうの注意を、十分にこちらへ引き付けることができました。以後は一気に距離を詰め、私と霧島の速射能力を最大限に生かして戦闘を行います」

 

榛名の指示に「了解」と答えた霧島は、立ち上る一六インチ砲の水柱の中にあっても、ただ静かにはっきりと頷いた。榛名の背中を押すように。

 

「最大戦速!」

 

次の瞬間、唸った艤装が主機を回し、体を前に押し出す。わずかに前傾姿勢を取ることで慣性の法則を誤魔化し、榛名は発揮しうる最高速力で敵戦艦への突撃を開始した。目標距離は、二万といったところだろうか。

 

「吹雪ちゃん」

 

『はいっ!』

 

榛名の呼び出しに対する駆逐艦娘の返事は早かった。そのハキハキとした声が、自然と頬を緩めさせる。最も長く、この海で戦い、様々な人や物を守ってきた彼女が一緒なのだ。これほど心強いこともない。

 

そして何より。隣で共に戦う、双子の妹がいるのだ。

 

「先行して、敵駆逐艦の牽制をお願いします」

 

『わかりました。十一駆、先行します』

 

言うや否や、さらに加速した四人の駆逐艦娘が、綺麗な単縦陣を保ったまま突撃を始めた。その後ろ姿を、榛名は目を細めて見守る。

 

自分が、心配性で、どちらかと言えば引っ込み思案であることを、榛名も自覚しているつもりだ。お姉様のような、カリスマと優しさはない。すぐ上の姉のような、気合も元気もない。妹のような、明晰さと行動力もない。

 

それでも榛名が戦い続けていられるのは、支えてくれる人がいたから。それは姉妹であり、先輩であり、後輩であり、提督であり。そしてそんな仲間たちを、全力で守りたいと思ったから。その想いに応えたいと思ったから。

 

全ての艦娘たちと同じ、何か大切なものを守りたいという、単純で明快な答えのために、榛名は戦う。

 

苛立ち紛れの砲撃が降り注ぐ。弾けた海水が髪を濡らす。飛び散る破片が艤装に当たって異音を上げる。

 

榛名はただ、駆け抜ける。二万の距離に、近づくため。そしてその時間は、決して長くはなかった。

 

「第二戦速!」

 

距離が二万を切る。榛名と霧島は減速するとともに、すぐに砲撃戦の準備を開始した。一方の敵戦艦は、急激な速度の変化に、射撃諸元の算出をやり直しているらしい。

 

同型艦である榛名と霧島では、射撃諸元を共有する統制砲撃が可能だ。が、今回はこれを選択していない。統制砲撃は二人の戦艦娘が同一目標に向けて射撃を集中するもので、二隻の敵艦を同時に食い止めることを目的とした今の状況には適さない。

 

大丈夫だ。高速戦艦娘として十分すぎる能力を有する金剛型が、敵戦艦との撃ち合いで後れを取ることはない。

 

「てーっ!」

 

砲撃戦が始まる。榛名、霧島、向かってくる二隻の敵戦艦も、ほとんど同時に発砲した。褐色の炎が海面の二か所で生まれ、衝撃波を辺りに振り散らす。

 

両足を強く踏ん張る。三六サンチ砲とはいえ、長砲身ゆえに初速は早い。新式の戦艦主砲システムを採用していることもあり、威力は従来の三割増し、貫通力は五割増しだ。Flagshipだろうと、どんとこいである。

 

報告されている敵戦艦は、ル級のEliteとFlagship各一隻ずつ。榛名が目標としたのは、右方のFlagshipだ。

 

お互いの砲弾が落下する。林立する水柱。その間を抜けながら、榛名は第二射を準備する。

 

『十一駆、戦闘に入ります!』

 

前衛として先行した吹雪が、接近を阻もうとする敵駆逐艦と戦闘に突入する。十一駆の動きは、まるで練習してきたダンスを踊るように華麗で、思わず見惚れてしまうほどだ。

 

諸元修正を終え、榛名は第二射を放つ。正面を向いた各砲塔の右砲から、新たな射弾が飛び出した。

 

彼我の砲弾が、高速で交錯し、降り注ぐ。一六インチ砲弾の上げる水柱は大きく、足元から突き上げるような衝撃に、あわやすっ転びそうになった。

 

『お先、榛名!』

 

隣の霧島が、挑戦的な声で榛名を呼んだ。今の第二射で、霧島は敵戦艦に対して夾叉弾を得ている。次からは全力の連続斉射に移れる。

 

―――負けるわけには、いかないわね。

 

榛名の第三射、霧島の第一斉射が放たれた。水圧機で吸収しきれなかった衝撃が、一瞬榛名の足を止める。脚部艤装が海面にめり込むほどだ。

 

砲弾の到達までは、十数秒。その間、霧島はその装填機構にものを言わせて、次なる斉射の準備を急いでいた。一方の榛名は、第三射の成果を、固唾を呑んで見守る。

 

「・・・よしっ」

 

今度こそ、ル級の艤装に炎が上がった。命中だ。榛名は次から、速射能力を最大限に活かした連続斉射が可能となる。

 

そんな榛名に先駆けて、霧島が新たな斉射を放つ。わずか十七秒で冷却と再装填を終えた長砲身三六サンチ砲は、その砲口に新たな斉射の炎を躍らせる。霧島の眼鏡に、オレンジ色の光が反射していた。

 

そうこうするうちに、榛名も斉射の準備が整った。細長い砲身がゆっくりと鎌首をもたげ、固定される。姿勢制御装置が、波の揺れに合わせて榛名の位置を微修正する。

 

「てーっ!」

 

号砲一発。榛名の艤装からも、待望の斉射が放たれる。振り立てられた八門の主砲は褐色の炎を吐き出し、衝撃波が海面を容赦なく叩いた。

 

敵戦艦も再び発砲する。三回の砲撃を終えて、両艦とも精度はかなり高くなっている。命中弾が出るのは時間の問題だ。それまでに、可能な限り命中弾を与え、戦力を削ぎたい。

 

榛名が第二斉射の準備を終えようとしたその時、ル級からの砲撃が降り注いだ。風切り音が途切れ、周囲の海水が沸騰する。次の瞬間、体を前へ吹き飛ばそうとするような激しい衝撃が、榛名を襲った。艤装に食い込んだ一六インチ砲弾が信管を作動させ、爆発エネルギーが榛名を揺さぶったのだ。

 

―――まだまだ!

 

榛名が怯むことはない。相手は、北方での戦いの際、金剛が撃ち負けた相手だ。だが、同じことを二度繰り返すつもりはない。鎮守府最強最速の金剛型は、やられたら必ずやり返すのだ。それが、イギリス仕込みの紳士道―――否、淑女道である。

 

榛名の主砲が二度目の斉射を放つ。砲身から立ち上る陽炎は、冷却に伴って次第に収まっていく。それが完了する頃には、弾火薬庫から上げられた新たな三六サンチ砲弾が尾栓から込められ、仰角を再び上げた主砲が射撃準備を整えていた。

 

三度目の斉射は、ル級が斉射に移行するよりも早い。八門の三六サンチ砲が轟かせる爆音は、艤装の加護がなければ鼓膜が破られてしまうことだろう。

 

榛名から数秒遅れで、ル級の艤装からもそれまでより大きな炎が湧き出した。霧島が相手取るEliteも同じだ。最終決着をつけるために会い見えた四隻の戦艦は、その全てが全力を尽くした攻撃に移ったことになる。

 

斉射が早いのは、榛名と霧島。一発当たりの威力なら、二隻のル級。炎が入り乱れ、お互いの周囲で火柱と水柱が林立する。

 

一発の一六インチ砲弾が、盾のように榛名の艤装を覆う装甲に大穴を穿ち、そこから炎が噴出する。かと思えば、三六サンチ砲弾がル級の右盾に食い込んで、砲塔を押し潰す。

 

―――譲れない。

 

絶対に、ここは通さない。例えこの艤装が傷だらけになろうとも、重圧に押しつぶされそうになろうとも、止めて見せる。

 

霧島の第十斉射が、ついにEliteを仕留めた。一際大きな火柱が生じた後、ル級がその動きを鈍くしていく。やがて、その身を右へと傾け、ゆっくりと海水に飲まれていった。

 

榛名とル級Flagshipの戦闘は、いまだ決着がつかない。榛名が速射能力にものを言わせ、多数の三六サンチ砲弾を撃ち込んでも、ル級はしぶとく耐えていた。まるで堪えていないかのように、その主砲に斉射の炎が生じる。そこから放たれた一六インチ砲弾は、強化された榛名の装甲にぶち当たって、盛大に弾け飛ぶ。

 

『こちら吹雪!敵護衛部隊の撃滅が完了しました。後はル級だけです!』

 

『榛名、射撃諸元を頂戴!今から統制砲撃をやるわよ!』

 

吹雪と霧島、二人の声が、榛名を後押しする。後は、榛名だけだと。榛名が、この戦闘に、終止符を打つのだと。

 

霧島との諸元共有が終わり、統制砲撃戦に突入する。単純計算で、斉射間隔が二分の一になったということだ。・・・と、言えればいいのだが、現在榛名の第一砲塔が旋回不能に陥っており、射撃ができない。実質的には、霧島の八門と榛名の六門、計十四門で、ル級を撃っていることになる。

 

砲撃戦の終わりは、唐突だった。

 

霧島が統制砲撃を始めてから四度目の斉射を放った時、弾着した榛名の砲弾が、ル級の装甲に当たって火花を散らした。次の瞬間、命中弾の爆炎が突き上がり、砕けた艤装の一部と思しき破片が飛び散った。その光景に、確かな手ごたえを、榛名は感じていた。

 

たった今放たれた霧島の砲撃も到達する。高空から音速の火矢が降り注ぐ。上がった火柱は二本。

 

榛名がさらに斉射を繰り出そうとしたその時、違和感の正体に気づいた。ル級が砲撃を行ってこないのだ。各所から炎を上げるその艤装は、新たな射弾を放つことなく、静かに海上にたたずむ。

 

―――勝った・・・!

 

榛名は確信した。連続した彼女の砲撃は、ついにル級から砲戦能力を奪ったのだ。

 

『榛名さん、こちらはいつでもトドメを差せます!』

 

肉薄している吹雪から、通信が入る。しぶとく海上に残る敵艦を、確実に葬ろうとするならば、彼女たちの魚雷を使うのが最も効果的だ。

 

「お願いします」

 

榛名は全てを吹雪に託す。四人の駆逐艦娘は、最後に残った襲撃者へ、さらに肉薄していった。ル級の両用砲が、接近を阻もうと砲炎を上げるが、その火箭はかなりまばらだ。榛名の砲撃で、大半を破壊されてしまったらしい。

 

やがて、水柱が上がる。榛名たちの三六サンチ砲弾が上げるものより遥かに巨大なそれは、二本、三本とル級の舷側にそそり立ち、まもなくオレンジになろうかという太陽に照らされてキラキラと幻想的に光り輝いていた。

 

『サルより全艦隊。周辺に艦影なし。全艦娘は、母艦へ帰投せよ』

 

“横須賀”の作戦指揮所から通信が入る。

 

艤装の自動消火装置が、全ての炎を消し止めたことを確認して、榛名たちも反転する。リ号船団の、長い長い一日が、ようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 

船団は西方海域を抜ける。リ号艦隊は、強大な深海棲艦西方艦隊の襲撃を退け、ついに鎮守府へ帰り着こうとしていた。




さて、年末までに、どれだけ伏線を回収できるのか・・・

一応、本作の決着は来年になると思います

もう一作の方が終われば、ある程度集中して書けるようになるので、もう少しテンポを上げたいところ


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彼女らの場所

どうもです

今年ももうすぐ終わりということで、、西方海域編もまとめに入っていきましょう


わたしとイ級、二つの火箭が、鎮守府近海で入り乱れていました。

 

距離六千で砲戦を始めたはいいものの、やはり命中には程遠く、結局わたしとイ級の距離は四千にまで縮まっています。距離が縮んだことで、お互いの砲撃精度も高まってきました。至近弾の水柱が噴き上がるのも、一度や二度ではありません。

 

七度目の砲撃。一二・七サンチ砲が咆哮すると、入れ替わりに五インチ砲弾が弾着します。

 

「っ!」

 

弾片が、艤装を掠めて嫌な音を上げました。慣れないその音が、耳から直接頭の中を突いてきます。

 

奥歯を噛み締めます。今までの訓練とは、まったく違う。シミュレーターや静止目標とは比べ物になりません。当てるどころか、目標を捕捉し続けるだけでも一苦労です。

 

でも、やるしかない。

 

装填が終わった連装砲を振りかざし、八度目の砲撃を行います。艦娘の艤装では、最小クラスになるという一二・七サンチ砲。それでも、反動が確かに腕を伝いました。

 

十秒もせずに、弾着。今度は―――

 

「命中!」

 

イ級の艦体に、炎が上がりました。わたしの砲撃が、ようやく当たったんです。

 

間髪入れずに、連続斉射を始めます。いける、押し切れる。わたしがそう思った時でした。

 

艤装がそれまでと比べ物にならない悲鳴を上げました。金属が軋む、甲高い音。艤装のベース部分に五インチ砲弾の弾痕が穿たれ、薄く煙を噴き上げていました。

 

わたしも、被弾したんです。

 

言いようのない、冷たい感覚が背中を走り抜けました。寒々しいものが、手を震わせます。

 

あの砲弾は、わたしを沈めてしまうかもしれない。

 

恐怖に勝つには・・・撃つしか、ありませんでした。

 

「いっけええええええっ!!」

 

叫び声をあげて、わたしはひたすらに撃ちました。逆に、イ級からも五インチ砲弾が降り注ぎます。まるで、わたしの砲撃が、無意味とでも言うように。

 

「なんで・・・なんでっ!」

 

どうして沈まないの・・・!

 

言いようのない絶望だけが、広がっていきます。

 

砲弾の甲高い風切り音が、耳元を掠めていきます。

 

肩に命中した砲弾を、辛うじてエネルギー装甲が弾き返し、わたしの体を守りました。

 

水柱の中から弾片が飛び出し、セーラー服をすっぱりと切り裂きます。

 

このままじゃ・・・わたし・・・。

 

・・・でも。

 

・・・守るんだ。

 

誰が?わたしが。

 

わたしが、戦うしかないんだから。

 

この海を守るために。

 

司令官と誓った、海を取り返すために。

 

わたしを信じて待ってくれている、司令官のために。

 

彼我の距離は、ついに二千を切ろうかとしていました。

 

砲撃を続行しつつ、魚雷発射管を旋回させます。狙うのは、イ級の未来位置。どう舵を切ろうと、逃げられない角度で。

 

「てーっ!」

 

叫び続け、枯れてしまった声を、最後に振り絞ります。敵弾が弾着する中、太ももに装着されていた魚雷発射管から、六本の魚雷が放たれました。

 

雷速最大に設定された魚雷が到達するまで、一分もありませんでした。

 

撃ち合っていたイ級が、下腹から持ち上がるように、吹き飛びました。次の瞬間、連続して二本の水柱が立ち上り、わたしの放った魚雷が命中したことを如実に示します。

 

イ級からの砲撃は、ピタリと止んでいました。生物的な外見のイ級は右に大きく傾いて、身動きすらしません。ズブズブと沈んでいくその姿を確認して、わたしは構えていた主砲を下ろしました。

 

勝ったんだ・・・わたし。

 

喜びよりも、安堵が胸の内一杯に溢れます。気づかないうちにびっしょりとかいていた額の汗を拭って、わたしは胸に手を当てました。

 

その時。

 

真っ白い航跡が、一直線にわたしの方へと伸びてきました。

 

 

朝焼けに染まる港に、数十隻にも上る船たちが入港してきた。

 

苦難の連続だった長旅を乗り越えてきたためか、どこか疲れた様子を見せる船たちは、それでも順番に、決められた海面へ錨を下ろしていた。

 

―――無事に、帰ってきたんだな。

 

鎮守府庁舎の屋上。双眼鏡から目を離した提督は、満足げな笑みを浮かべそうになって、慌てて表情を引き締める。彼にとってのリ号作戦は、まだ終わっていないのだから。

 

次々と錨を打っていく船団から、数隻の船が分離して、鎮守府の埠頭へと向かってくる。見知った艦影だ。どれも、鎮守府が保有する艦娘支援母艦である。

 

が、最後尾の一隻だけは、違った。戦時急増艦や中古貨物船改造の鎮守府所属支援母艦と違い、明らかに定期航路用の客船だ。頑丈そうな艦首と、大きな艦橋が印象的だが、その艦体は客船らしい雅な塗装ではなく、暗い洋上迷彩が施されていた。

 

「・・・あれが、“ペーター・シュトラウス”か」

 

『独立艦隊』が使用している支援母艦の名前を口にする。欧州から中国、そして鯖日本を、リランカ島経由で運行していた高速旅客船を改造したものだ。性能的には、“大湊”や“幌筵”に近い。

 

「四番埠頭につけるみたいですね」

 

隣に立つ秘書艦の大和が、“ペーター・シュトラウス”の動きを見て呟く。水先案内人の操船で、大型船専用埠頭のうち四番目のところに、“ペーター・シュトラウス”は近づいていた。

 

「そろそろ行こうか。はるばる来てくれたお客さんを、出迎えないと」

 

「はい」

 

提督の声に、大和が緊張気味に返事をする。その様子に薄く笑って、肩を軽く叩く。あまり気負うな、その意図は伝わったのか、大和が少し表情を緩めて頷いた。

 

屋上から降りて、港湾施設の方へと歩いていく。埠頭に辿り着く頃には、“ペーター・シュトラウス”が埠頭に横付けし、舫を取り始めていた。

 

やがて、ラダーが降ろされる。舷門には、『独立艦隊』の指揮を執っていると思しき、長い金髪の女性が、かっちりと制服を着こんで立っていた。

 

カンッ。カンッ。彼女は一歩ずつ、足取りも確かに降りてくる。その後ろから、副官と思しき、似たような制服の少女もついてきた。彼女らが、『独立艦隊』の代表、ということだろうか。

 

二人の少女が、提督と大和の前に立つ。長旅の末に、リランカ島から鯖日本に辿り着いたとは思えないほど、眼光はしっかりとしている。

 

―――これもまた、彼女たちにとっての戦いか。

 

鎮守府側と「交渉」することは、まさにもう一つの戦いなのだ。

 

提督としても、生半可な気持ちで、彼女らと接触するつもりはない。おそらく当分の間、この鯖日本で彼女たちの生活を保障するのは、提督の役割になるであろうからだ。

 

背筋を伸ばした少女たちが、鮮やかに敬礼する。

 

「司令官不在により、指揮を代行しています。『独立艦隊』旗艦、ビスマルクです」

 

「副官のプリンツ・オイゲンです」

 

それに、提督と大和も応える。

 

「私が、本鎮守府の提督です」

 

「秘書艦の大和です」

 

敬礼を解くと、両者の間に、妙な沈黙が流れた。お互いの出方を窺うように、ただジッと、見つめ合う。隣の大和が、ゴクリと生唾を飲み込む音が、かすかに聞こえてきた。

 

沈黙を破って、ビスマルクが口を開く。

 

「我々の受け入れを承諾していただいたこと、感謝します」

 

「直接の交流はなかったとはいえ、我々は協力関係にあると認識しています。協力者が助けを求めるならば、我々はできうる限り応えたい」

 

「・・・ありがたい限りです。貴方方のその勇気に、最大限の敬意を表したい。その勇気のおかげで、今我々はここにいる」

 

ビスマルクが目を伏せる。情報将校としての観察眼が、その瞳の中に一瞬の闇が見つけた。ここに辿り着くまで、彼女が多くの仲間を犠牲にしてきたことを、その苦悩を察するには十分だった。

 

「お二人には、応接室の方で、今後の『独立艦隊』の方針についてお尋ねしたい。他の『独立艦隊』の皆さんについては、鎮守府の方から、ひとまず生活するためのスペースを提供させていただきます。それから、けが人についても、医務部の方で収容します」

 

「お願いします」

 

工廠方面が慌ただしくなる中、それぞれの艦隊を代表する四人は、庁舎内の応接室へと足を向ける。西方から吹き込んだ新たな風が、鎮守府に何をもたらそうというのか。それを見極めていかなければならない。

 

 

 

「現在の我が国に、皆さんの存在を保証する法的根拠はありません」

 

開口一番、提督はビスマルクたちに厳しい現実を突きつけた。

 

大使館等を通して手続きを踏んでいないビスマルクたちは、移住や亡命といった扱いをすることはできない。そうなると、彼女らは難民という扱いになる。でなければ不法入国者。

 

ここに問題があった。鯖日本は、深海棲艦の侵攻によってかなり早い段階で孤立しており、外部からの避難民受け入れに関する法律などは全く整備されていなかったのだ。

 

「ユキ少佐から聞いています。現状が現状だけに、致し方のないことだと、こちらも理解しています」

 

ビスマルクもオイゲンも、神妙な面持ちで頷いた。ユキがワンクッション挟んでくれたおかげであろう。これで、話が進めやすい。

 

「ですが、解決策がないわけではありません。もう一つの日本のことは、ご存知ですか?」

 

「ええ、聞いています。裂け目・・・“アマノイワト”と言ったわね。それで繋がれた、いわば並行世界が存在すると。貴方方は、そこから来たのでしょう?」

 

「その通りです。実は、そちらの日本には、皆さんの受け入れの根拠となる、深海棲艦被害を受けた難民受け入れに関する法律が存在します。まだ決定事項ではありませんが、これを特例で皆さんに適用することになります」

 

日本近海で深海棲艦被害にあった外国人を保護した際、母国への安全な送還が不可能と判断された場合に備えて制定された法律だ。今までも何例か適用例がある。

 

「それじゃあ・・・!」

 

オイゲンが喜色を浮かべる一方で、ビスマルクは瞳を細め、真っ直ぐに提督を見据えていた。綺麗なその唇が、ゆっくりと開く。

 

「それで、適用の条件は?」

 

「皆さんには、本鎮守府にて生活してもらうことになります」

 

場の空気が、一気に張り詰めた。誰もが、この言葉の意味を理解している。

 

「本鎮守府は、二つの日本が共同運用しているということになっているんです。あちらの日本の法律を拡大解釈して適用しようとした場合、この鎮守府が範囲ギリギリなんです」

 

大和が理由を説明しても、場の空気は変わらない。しばらくこちらの様子を窺っていたビスマルクは、言葉を選ぶようにして、再びゆっくりと唇を開いた。

 

「・・・それはつまり、私たちをそちらの指揮下に吸収する、という意味ですか?」

 

「統合海軍上層部に、そうした主張をする勢力が一定数はいる、とだけ申し上げます」

 

提督の返答を聞いたビスマルクは、その体重を応接室のソファに預ける。思案顔の彼女は、静かにかぶりを振っていた。

 

「それは承服できません。私たちの目的は、あくまで欧州に帰ること。リランカ島の基地を失ったことで、それが非常に困難なものとなったことは、十分に承知しています。しかしだからといって、ここで貴方方の指揮下に入り、共に戦うわけにはいかない。私たちはあくまで、私たちとしての指揮権独立を願います」

 

ビスマルクの揺るがぬ目が、こちらを真っ直ぐに見つめていた。その輝きに、どこか見覚えがある。多くの部下を預かる指揮官の、ある種闇を帯びた瞳。毎朝鏡を覗き込んだ時、そこに映りこむ瞳の色と、似ている気がした。

 

―――これは当たりかもしれない。

 

数日前、イソロクとマトメに取り付けた条件を思い出す。

 

間違いなく、彼女らには生き抜こうという、意志があった。

 

これで、シゲノリの仕事もやりやすくなるはずだ。

 

「申し訳ない。少し、意地の悪い言い方をしてしまいました」

 

表情を和らげて、提督は言う。

 

「少なくとも、鎮守府を預かる私には、皆さんを指揮下に組み込む意志はありません。我々は、これまで通り技術のみによる協力を望みます」

 

戦力に組み込もうにも、まずは鎮守府の戦力立て直しが先だ。今、下手に『独立艦隊』を抱え込むよりは、桜一号作戦とリ号作戦によって傷ついた戦力の再建を急ぐことが重要だろう。

 

―――それに、彼女らの“提督”のこともある。

 

正式に、戦力的協力を求めるには、時期尚早と言えた。

 

まず第一は、彼女たちが当分の間生活することになる、この鎮守府に馴染んでもらうこと。提督はそう断じていた。

 

 

「結果的に、よかったと言えるかもしれないね」

 

雲に覆われた晩秋の空を眺めて、イソロクがボソリと呟いていた。しばらく考えを巡らせ、マトメも同意する。

 

「そうかもしれません」

 

リ号作戦終了と船団の入港を報せる速報から二日。リ号作戦に関する詳細書類と、それに伴う鎮守府の現状報告が、リュウノスケ大佐とタモン少将の連名で提出されていた。その書類の束を、二人ともたった今読み終えたところだ。

 

「リ号作戦は成功した。鎮守府は相当大きな損害を受けたようだがね」

 

窓をコツコツと軽く叩いたイソロクが、こちらを振り返る。普段通りに微笑したままの目が、マトメを見ていた。

 

「当分の作戦行動は不可。戦力の完全再建には少なくとも三か月、ですか。沖ノ島後よりも、状況はひどいでしょう」

 

その代わり。

 

「これで、上の連中も、時期を早めようなどとは思わないだろうからねえ」

 

その言葉には、沈黙をもって答えとした。イソロクの表情は、さらに柔らかいものとなる。

 

「しばらくは、『独立艦隊』に関する交渉になるだろうね。リュウノスケ君も中々無茶な要求をしてきたけど」

 

「大丈夫です。勝算はあります」

 

「そうかい。何かあったら、私も協力するよ」

 

任せたよ。そう言って、イソロクはマトメの肩を叩いた。

 

鎮守府長官公室を辞し、自分の執務室へと向かいながら、マトメは鎮守府から上げられた要望を思い返す。提示された条件は、以下の通りであった。

 

・『独立艦隊』は、鎮守府内の庁舎で生活する。

 

・『独立艦隊』の保有する装備(艤装、艦船)は、鎮守府工廠部にて保管、管理する。

 

・『独立艦隊』は、鎮守府に対して技術供与を行う。

 

・鎮守府含め統合海軍は、『独立艦隊』の指揮権に一切干渉しない。

 

相変わらず、無理難題に近い、高い要求をしてくる後輩だ。

 

執務室に戻ったマトメは、抱えていた書類を机の上に置き、窓の外を窺った。天気が悪いとは思っていたが、いよいよ本格的に降りだしそうだ。

 

「・・・お前が言った通りになったな」

 

ポツリと呟く。丁度その時、最初の雨粒が、窓を打った。

 

「彼女らは無事に日本へ辿り着いた。リ号作戦は成功し、これで益々、鎮守府の発言権は大きくなる」

 

雨脚は急速に強くなる。やがて、ザーザーという激しい音が聞こえ始めた。

 

「・・・約束通り、真実を伝えるタイミングは、お前に任せる。それでいいな―――ジンイチ」

 

マトメの言葉を待っていたかのように、ソファにもたれた人影が動いた。人影は真っ直ぐ扉の方へ向かい、何も言うことなく、退室していった。




あと一話書きたいけど・・・どうなるやら・・・

曙ちゃんの新グラが可愛すぎる。中破のおへそが素晴r(雷撃)


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想いのある処

明けましておめでとうございます。本年も、かわいい吹雪ちゃんをどうぞよろしくお願いいたします

さて、前回は意味深な引き方だったわけですが・・・

今回は、西方海域編のまとめ的な何かです。大したことは何もしてません


鎮守府工廠の建物が見えてくると、出撃ドックに立つ人影も確認できるようになってきました。こちらを見守るようなその人影に向け、わたしは主機の出力を上げます。

 

バルコニーのように張り出している出撃ドックの見張り所に立つ司令官は、わたしと目が合うと、安堵したような表情を見せました。背筋を伸ばす彼の敬礼に応えた後、わたしも笑って見せます。

 

ドック内で艤装の火を落とし、脳波リンクを解きます。外した艤装は格納庫へと収納されていきました。

 

被弾で傷ついた艤装が格納されていく様子を、わたしはただ黙って、見ていました。さっきまで一二・七サンチ連装砲を握っていた右手を、開いたり、閉じたり。

 

わたしは、今、ここに立てている。

 

ドックを出ると、頑丈な扉の前で、司令官が待っていました。彼が優しく微笑みます。暖かく、それはどこか、忘れかけた兄に似た笑顔。

 

「おかえり、吹雪」

 

その一言を聞いた瞬間、抑えていた何かが、わたしの中で弾けました。

 

「司令官・・・司令官っ!」

 

わたしは、司令官に思いっきり抱き着いていました。鍛えられたその胸にしがみつくように。司令官の制服が汚れてしまうかも、なんて考えつかないくらいの勢いで。

 

怖かった。その一言だけは、必死に口の中で堪えました。それを言ってしまった時、きっとわたしは、ここに来た意味をなくしてしまう。艦娘になった決意をなくしてしまう。

 

・・・いえ、多分理由は、もっと単純だったんです。

 

その一言を口にしたとき、優しい司令官が、どうするかなんてわかっていましたから。

 

わたしは、兄の面影を重ねてしまった彼から、離れたくなかった。

 

言葉を堪えた分、震えと涙が止まらなくて。顔を上げるわけにもいかず、わたしは司令官の制服に顔を埋めていました。

 

その時。暖かい手が、わたしの頭を撫でました。そっと、髪でも梳かすような、優しい触れ方。

 

「おかえり。・・・よく、帰ってきてくれた」

 

きっと司令官には、わたしのことなんてお見通しで。それをわかっていて、それ以上何も言わなかったんだと思います。

 

わたしが顔を上げられるようになるまで、司令官はただずっと、頭を撫でてくれました。

 

 

 

あの時から。艦娘になって、司令官と出会って、戦い始めて。

 

わたしは、強くなれたんでしょうか?誰かを守れるほど。大切なものを護れるほど。

 

確証はありません。それでも、今はずっと、自分のことを信じることができるようになった気がします。

 

 

統合海軍省から届けられた書類に目を通し、執務用の眼鏡を外した提督は、安堵に近い深い溜め息を吐いた。

 

「・・・なんとか、なったみたいだな」

 

この難しい案件をまとめ上げた先輩情報将校の力に、改めて感服する。これで普段がふざけていなければ、どれほど素晴らしいことか。

 

「『独立艦隊』の件ですか?」

 

提督の呟きを拾ったのは、給湯室からお盆に乗せたお茶とお菓子を運んでくる赤城だ。リ号作戦が終結したため、秘書艦業務も普段と同じシフト制に戻っている。

 

ただ、二、三週間ほど秘書艦を頼みっぱなしだった大和には、労いも込めて二日間の休暇を与えていた。一方、長門や赤城といった、リ号作戦に参謀役として参加した、秘書艦のシフトに入っている艦娘にも、交代で二日ずつの休暇を与えることになる。今日は長門が、外出申請を出していた。

 

赤城も、昨日休暇から戻ったばかりだ。近場の温泉に行っていたらしく、同日付で何人かの空母艦娘も休暇申請がされていた。

 

暖かいお茶を差し出す彼女に礼を言い、提督は話を始める。

 

「ああ。こちら側の要求を、受け入れさせることができた。これも、リ号作戦の成功あってのことだ」

 

「しかも、西方艦隊への大打撃という、おまけつきですからね。これも『独立艦隊』からの協力あってのことですし、上も認めざるを得なかった、ということでしょうか」

 

「そもそも、彼女らをこの鎮守府の指揮下に加えること自体が、根拠に乏しい。そんな無理を通そうとすることが、どだい間違っている」

 

―――ビスマルクは、うまくカードを切ってくれた。

 

リ号作戦艦隊が窮地に陥った段階で、『独立艦隊』が加勢していなければ、彼女らの意志がここまで強く反映されることもなかっただろう。最も効果的なタイミングで、ビスマルクは限られたカードを切り、そして最大限の効果を得たことになる。

 

「ふぉれへ、ふぇいほふ」

 

「・・・変わらないね、赤城は。口の中のものをなくしてからしゃべりなさい」

 

ばつの悪い顔をした赤城は、それでも実においしそうに、お茶請けの温泉饅頭を頬張っていた。

 

咀嚼を終えた赤城が、お茶で一息をついてから、話しだす。

 

「提督は、どうするおつもりですか?今後、『独立艦隊』との、付き合いを」

 

「・・・さて、どうしたものかな」

 

『独立艦隊』は、鎮守府で生活することになる。彼女たちとの間で、技術協力がなされることも、近々正式に決定されるはずだ。彼女たちのための新宿舎も、間もなく増設工事が始まる。

 

一方で、彼女らが自らの祖国―――欧州へと帰りたがっているのも事実だ。『独立艦隊』にとって、あくまで鯖日本は、仮の住まいである。

 

「そのあたり、話し合っていかなければならないとは思ってる。彼女たちにも、考えはあるだろう」

 

それだけ答えて、提督も饅頭に手を伸ばした。パクリ。口に含んだそれは、柔らかく、甘い。こしあんのしっとりとした甘さが、お茶を求める。

 

「・・・助言、という形が、一番平和的でしょうか」

 

「まあ、波風は立たないだろうね」

 

まずは一息を吐いてからだ。事を急いても、いいことはあるまい。彼女たちには、今しばらくの時間が必要であろうと、提督は判断していた。

 

「それに、独立艦隊にばかり構ってもいられない。今の鎮守府は、戦力がすっからかんの状態だ。これを早急に立て直すことに加えて、北方の守りも固める必要がある。当分は、深海棲艦よりも書類と戦うことになりそうだね」

 

「秘書艦の責任重大ですね」

 

赤城が微笑む。その笑みに、提督も自然と表情を綻ばせた。

 

「・・・お饅頭、もう一個もらってもいいですか」

 

「どうぞ」

 

 

工廠に通してもらったビスマルクは、艤装の整備をしている作業服姿の整備員の中に、見知った顔を見つけた。否、見知ったという言い方は、語弊があるだろうか。西方海域の作戦において、共に戦った仲だ。

 

「フブキ・・・?」

 

ビスマルクの声に気づいたのだろう。腕まくりをしたツナギの上からエプロンをかけた駆逐艦娘が振り返る。随分と使い込まれた様子のエプロンには、油性の汚れが染みついていた。

 

「ビスマルクさん?」

 

作業の手を止めた吹雪は、手に嵌めていた軍手を取ると、ツナギのポケットに突っ込む。首にかけた手拭いで汗を拭いながら、テクテクとこちらへやって来た。

 

「工廠の見学ですか?」

 

「いえ、そういうわけではありません。こちらに預けている自分の艤装を、見ておこうかと」

 

答えたビスマルクに、吹雪が苦笑する。

 

「えっと、そんな堅苦しくなくて、大丈夫ですよ?」

 

「・・・そう。それじゃあ、遠慮なく」

 

やはり、不思議な魅力のある少女だ。歳の頃はレーベやマックスたちと変わらないはずだが、幾分か大人びているようにも、あるいは幼くも見える。戦場においても、彼女の存在感は別格だった。

 

「フブキは何をしていたの?」

 

「ビスマルクさんと同じです。自分の艤装を見に来たんです」

 

普段は整備員に任せているのだが、大事な作戦が終わった後は、必ず、自分で整備を行っているという。

 

「わたしたちの艤装って、船の魂そのものなんですよね。だから、何かの区切りの時に、『ありがとう。またよろしく』って。・・・えへへ、誰かに言うと、ちょっと恥ずかしいですね」

 

そんな話をしながら、工廠の中を歩いていく。ビスマルクの艤装は、戦艦娘の艤装をまとめて収容している場所に、並べられていた。

 

構成要素に曲線の多いチンジュフ戦艦娘の艤装と違い、ビスマルクのものは直線的で鋭い印象を抱かせる。機能的なこのデザインを、ビスマルクは気に入っていた。

 

その艤装には今、一六インチ砲弾による大穴が、数か所穿たれていた。グレーを下地とした迷彩の艤装は、所々がへこんだり、焼け焦げたりしている。“ペーター・シュトラウス”艦内で簡単な整備は行ったが、本格的な修復作業はこれからだ。

 

高速修復材の使用も考えたが、“ペーター・シュトラウス”艦内の備蓄量が少なかったこと、チンジュフにおける量産体制確保への研究材料として一定数を残す必要があったことから、結局使っていなかった。

 

「・・・手酷く、やられてるわね。まあ、相当に無理した使い方をしたし、仕方のない事ではあるけれど」

 

全体を見回し、損傷個所に触れる。めくれ上がった装甲が、戦闘の激しさを物語っていた。

 

「ビスマルクさんのおかげで、みんな無事だったんです。本当にありがとうございました」

 

ペコリと頭を下げる吹雪に、今度はビスマルクが苦笑してしまう。礼を言うのは、こちらの方だというのに。

 

「恩返しなんて、大仰なことを言うつもりはないわ。貴女たちは、危険だと知りながら、私たちを助けに来てくれた。私たちは、命の恩人を、助けたかった、ただそれだけよ」

 

もちろん、それだけが理由ではない。こちらでの発言力を少しでも高めるため、あの状況を利用したことは事実だ。それでも、政治的な理由だけで動くほど、ビスマルクたちは理性的ではない。

 

「ありがとう、フブキ。アキツマルから話は聞いているわ。私たちを助けるために、貴女がアキツマルに頼み込んできた、と。貴女の強い想いがなければ、きっと私たちは、今ここにいない」

 

ビスマルクは頭を下げる。彼女自慢の長い金髪が、視界の先に垂れていた。

 

「そんな、わたしは何も!顔を上げてください!」

 

突然のことに、吹雪は随分とうろたえている様子だった。顔を上げると、目の前の彼女の顔が、どこか赤い。

 

「わたしは、ただ・・・助けられるチャンスがあるのに、何もしないのは、嫌だっただけです」

 

小さき勇者は、それを誇ることもなく、照れたように頬を掻くだけであった。

 

「貴女には・・・いえ、貴女たちには、そのチャンスをものにするだけの強さがあった。やり遂げるだけの勇気があった。とても素晴らしいことだと思うわ」

 

実際、吹雪たちの練度は恐ろしいほどに高かった。

 

「わたしは、もう誰かを失うのは嫌なんです。大切なものを守り切れないのは、嫌なんです。・・・司令官は、とっても優しい人だから。きっと、何かを失った時に、その責めも責任も、すべて背負い込んでしまうから。そんな司令官は、見たくないんです。だからわたしは、大切なものを守れるだけの力が、欲しかった」

 

一度、怒られちゃいましたけど。そう言った吹雪の表情に、ビスマルクは自らの妹を重ねる。決意に満ちた穏やかな表情のまま、今も眠り続ける妹の表情を。

 

―――そう・・・この娘も。

 

例えどれほどに危険なことだとわかっていても。それでも、吹雪は大切な何かを守りたかった。そのために、禁じられた手を使った。

 

ともすればそれは、危険すぎる決意。ある種の脆さを伴った力。

 

ビスマルクは吹雪を抱き締める。ビスマルクの肩ほどしかない吹雪の背。その顔が、すっぽりと胸元に収まる。

 

「・・・ビスマルクさん?」

 

「貴女は・・・本当にすごいわ、吹雪」

 

以前、アトミラールが言っていたことを思い出す。チンジュフを支える、一人の駆逐艦娘のこと。チンジュフの提督が、最も厚い信頼を置く、駆逐艦娘。

 

吹雪の、非常に強い想いが、この艦隊を支えているのだ。

 

―――私も、これから一人で、『独立艦隊』を支えていかなければならない。

 

私にできるだろうか?今でさえ精一杯なのに。吹雪と同じだけの強い想いが、私にはあるだろうか。

 

答えを探そう。まだ、時間はあるはずだ。

 

そんな決意を胸に、ビスマルクはしばらく、吹雪を抱き締め続けた。




二年も書いてるこのシリーズ、今年こそは物語の終幕に向けて頑張っていこうと思います

色々とまだ出してない設定とか、諸々の説明とかありますが・・・書ききれるのか

しばらくは、そうした状況整理的な話が続くかと思われます

それでは、また次回お会いしましょう


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秘めたものたち
新翼と鋼鉄


新章開幕です

色々な謎解きをしつつ、最終章に向けて加速していくつもりです

短めに終わる予定(前も同じようなこと言ってた気がする・・・)


鎮守府にも、冬の便りが届き始めた。

 

秋色に染まっていた山々は、次第に木々の葉を落とし、冬支度をしている。その間を吹き抜け、鎮守府へと降りてくる。身を震わせるような風を感じながら、提督は速足で歩いていた。

 

「いよいよ、冬といった趣ですね」

 

横を同じようにして歩くのは、海軍仕様の外套を着こむユキだ。海軍生活が長いと、普段の歩調も自然と速くなる。ユキは特に苦労する様子もなく、提督の隣に並んでいた。

 

二人が向かっているのは、第一一航空艦隊―――一一航艦が構える基地と、その管制施設だ。

 

基地航空艦隊―――所謂基地航艦は、主に本土の防衛を担当する、陸上機装備部隊である。その構成部隊は、大きく分けて三つ。鎮守府含めた、関東周辺の首都機能を防衛する、一一航艦。北方の哨戒を担当する第一二航空艦隊―――一二航艦。南方の航路防衛を担当する第一三航空艦隊―――一三航艦。

 

それぞれの航空艦隊には、鷹娘をオペレーターとした航空隊が所属する。一一航艦に四つ(一一空、二一空、三一空、四一空)、一二航艦に三つ(一二空、二二空、三二空)、一三航艦に三つ(一三空、二三空、三三空)、計十個の航空隊が、鯖日本を防衛していることになる。

 

中でも、一一航艦所属二一空は、試験装備部隊となっており、新鋭機や装備の実機試験を数多くこなす。二人が一一航艦基地に向かっているのは、その実機試験に立ち合うために他ならない。

 

ほどなく、管制施設が見えてくる。あまり大きい施設ではない。平屋建ての、こじんまりしたものである。

 

施設の横には、二百メートルほどの滑走路が敷かれている。隣接した駐機場では、妖精たちがちょこちょこと動き回り、何やら機体の整備をしていた。

 

施設の入り口に立ち、インターホンを鳴らす。中から電子ロックが解除される音がして、扉が開いた。

 

「おお、提督にユキ少佐か」

 

出迎えたのは、色白の女性だ。二つにまとめた銀髪、薄い色の瞳が印象的である。

 

『独立艦隊』所属の航空母艦娘、グラーフ・ツェッペリンだ。今回の実機試験への立ち合いを希望したため、この場にいる。

 

施設の中は、いつになく人が多い。工廠部、それも航空機関連の技術者が多いのは一目瞭然なのだが、その青いツナギの中に、あまり馴染みのない薄い灰色の作業着まで混じっている。おそらくは、『独立艦隊』側の技術者だろう。

 

『独立艦隊』との技術協定が結ばれて、早一か月。今回の実機試験は、『独立艦隊』と共に開発した初めての装備品である。

 

これまでも、お互いに技術供与はしてきたが、共同開発となるのは初めてだ。期待は否応にも高まる。

 

オペレーター席に座る二一空の鷹娘、瑞鷹も、どこか緊張した様子だ。

 

「提督とユキ少佐は、屋上に」

 

そう言って、グラーフは屋上へと続く階段を案内する。できれば暖かい室内がよかったが、そうも言っていられまい。

 

階段を上りきり、扉を開けて屋外へと出る。気圧の差から、強い風が吹き付けて、冷たさが外套の下に突き刺さった。勢いよく閉じそうになる扉を、なんとか押さえつける。

 

屋上からは、基地が一望できる。滑走路、駐機場、整備場を兼ねた格納庫。そこに並べられている機体もだ。

 

駐機場に並んでいた機体―――一式陸攻が、滑走路の方へと引き出されていく。発動機がかけられ、暖機運転が始まった。その様子を、整備員妖精が最後まで確認している。やがて、手振りで大きく、機体の状態が良好であることを報告した。

 

『試験参加の一式陸攻、全機発進準備完了。これより、第一回“麗花”実機試験を開始します』

 

少し硬い様子で、瑞鷹が告げる。数十秒後、暖機を完了していた一式陸攻が、ゆっくりと滑走を始めた。一機、二機、滑走路を飛び立っていった双発攻撃機は、最終的に四機を数えた。

 

よく目を凝らせば、葉巻のような機体の下部に、細長く鈍色に輝くものがあることに気づいたはずだ。

 

『試験機、全機発進しました。洋上の目標を確認。高度三〇(三千)を維持します』

 

持参した双眼鏡を覗き込む。洋上で編隊を組みつつ、少しずつ高度を稼いでいく四機の一式陸攻。また、演習海域上に用意されている射撃目標も確認できた。例によって、手書きの深海棲艦である。今回はタ級だ。

 

「・・・なんだ、あの手作り感あふれる射撃目標は」

 

同じく双眼鏡を覗き込んでいたグラーフが、怪訝な声で尋ねる。苦笑を交えながら、提督は応えた。

 

「うちの伝統みたいなものです」

 

「デントー・・・。そうなのか」

 

よくわからないといった様子で、グラーフは首を傾げていた。

 

『演習海域の観測船より入電、実機計測準備よし。一番機、発射進路に進入します』

 

四機編隊のうち一機が、翼を翻して高度を下げる。いよいよ、始まるのだ。試験の様子を、提督は静かに見守る。

 

『一〇・・・〇九・・・〇八』

 

目標へ接近しつつ、じりじりと高度を下げていく一式陸攻。さながら、獲物の背後から忍び寄る、猛禽類のごとしだ。全くブレのない、滑らかな動きが、瑞鷹の腕を物語っている。

 

『・・・〇六・・・〇五。“麗花”、発射準備よろし。・・・発射』

 

瑞鷹が告げた次の瞬間、胴体下に懸吊されていた“何か”が、機体を離れた。数瞬の後、物体の尾部から白煙が迸り、音速の矢となってグングンと速度を上げていく。あっという間に一式陸攻を置いてけぼりにした物体は、翼のようなものを展開すると、そのまま真っ直ぐに目標へ突っ込んで行く。

 

ほどなくして、物体は手書きのタ級に吸い込まれた。演習用の砲弾が、派手な火焔を上げる。

 

『命中です』

 

瑞鷹の声も、どこか安堵している雰囲気だった。

 

「成功、みたいですね」

 

「ああ。そのようだな」

 

ユキの呟きに、提督は確信をもって答えた。

 

対艦噴進徹甲弾“麗花”。工廠部で開発が進められていた、試製対艦噴進徹甲弾に、さらなる改良を施したものだ。

 

元々開発していた噴進徹甲弾には、弾道のブレとそれに由来した長距離での命中率低下、発射高度の制限、噴進器の推力の弱さなど、解決しなければならない問題点が多かった。これに手を加えたのが、『独立艦隊』の技術陣だ。こと噴式器の技術については、『独立艦隊』はかなり進んでいた。

 

噴式には二つの種類がある。“麗花”に使用されている噴進器は、いわゆるロケット。一方、噴流器と呼ばれるものは、いわゆるジェットで、次期基地航空隊用局地戦闘機のエンジンとして期待されている。

 

『独立艦隊』と技術協定が結ばれたことで、工廠部内でも二つの噴式器についての研究、開発が本格始動することとなった。

 

“麗花”に続く噴進弾の開発もすでに始まっている。“麗花”を一回り小さくして艦上機での運用を可能にする計画と、魚雷発射管からの射出を可能にした「噴進魚雷」とでも言うべき計画、二つが立ち上げられていた。どちらも、『独立艦隊』では設計の最終段階まで行ったものの、リランカ島空襲に際して資料が焼失してしまった計画をもとにしている。

 

―――今後の開発計画のためにも、まずは“麗花”を完成させなければ。

 

二機目の一式陸攻が、突入進路への進入を始めている。先ほどよりもわずかに高い高度だ。

 

粛々と進められていく実機試験の様子を、多くの期待の眼差しが見つめていた。

 

 

整備の終わった艤装を背負い、出撃ドックから出た吹雪は、ご機嫌であった。なぜか。

 

「吹雪ちゃんとこうして海に出るのも、久しぶりね」

 

吹雪に続いて出撃ドックを出てきたのは、戦艦娘特有の巨大な艤装を背負った女性だ。黒髪は前進に伴ってしなやかに揺れ、陽光を浴びてキラキラと輝いている。温和な表情と相まって、大人の色香を感じさせた。

 

「そうですね。扶桑さんと一緒に出るのは・・・沖ノ島以来、でしょうか」

 

「そうなるかしらね。ふふ、今日はよろしくね」

 

上品に笑う扶桑につられて、吹雪も頬を緩める。鎮守府最古参の戦艦娘である彼女とは、付き合いが長い。

 

「ふーん、長いとは思ってたけど、もうそんなに経つのね」

 

若干そっけない感じで答えたのは、扶桑の妹艦である山城だ。扶桑と同じように艶やかな黒髪は、肩口で揃えられている。姉よりも勝気な目元に違わず、口調も強いところがあるが、本音を言いづらい性格であることは、吹雪も知っていた。

 

「もう、山城ったら。あんなにそっけない感じだけど、今日のこと、すごく楽しみにしてたのよ」

 

「な、何言ってるんですか姉様!?」

 

「この後、一緒に間宮にでも行きましょうか」

 

「勝手に話を進めないでください!?」

 

相変わらず仲のいい姉妹のやり取りに苦笑しつつ、間宮行きには頷いた吹雪であった。

 

北方作戦の際に大きく損傷した二人の艤装は、缶の全とっかえや脚部艤装の強化、新式主砲システムへの換装などを同時に行ったため、修復に三か月近くを要した。ようやく出渠した二人の艤装調整は一週間前に終了し、通常の演習に戻っている。

 

シミュレーターを用いた訓練はできるが、やはり実際に艤装を着けるのとでは、大きく違う。早く感覚を取り戻したいというのが、二人の本音だろう。

 

今日は、そんな彼女たちも含めて、戦艦娘同士の砲撃演習が行われる予定だ。扶桑を旗艦として、吹雪、山城を含んだ艦隊の編成は、他に鈴谷、阿賀野、弥生。今回の吹雪の役目は、接近してくる軽艦艇への警戒だ。

 

一方の相手艦隊についても、その編成だけは聞いている。演習の開始位置が違うので、その姿を確認するのは実際に演習が始まってからだ。

 

「阿賀野を前路警戒として、単縦陣」

 

全員が揃ったことを確認した扶桑が、おしゃべりはそこまでといった様子で、下令する。了解と答えた五人が、陣形を整えていく。

 

緊張の面持ちで吹雪を追い越した阿賀野が、単縦陣の最前に飛び出た。一方吹雪は、陣形の最後尾に位置取る。その前には、単装砲を構える弥生。

 

『演習監督の長門だ。両艦隊の配置完了を確認した。これより、砲撃戦演習を開始する』

 

長門の声が緊張気味なのは、彼女の教官でもある扶桑と山城がいるからだろうか。鎮守府最古参戦艦娘というのは、同時に鎮守府全戦艦娘の育て親ということでもある。その指導を受けた身として、適当なことはできないということか。

 

長門の宣言を受け、扶桑がすぐに指示を飛ばす。

 

『第一戦速に増速。索敵機、発艦開始。観測機も準備を』

 

言うや否や、扶桑は腕に装着していた板状の飛行甲板を構え、カタパルトから艦載機を放つ。飛び出した零水偵が、相手艦隊を探して索敵線を形成する。山城、鈴谷、阿賀野も同様だ。その後、扶桑と山城は、格納庫から引き出された零水観の準備を始めた。

 

ほどなく、相手艦隊発見の報告が入る。

 

『敵艦隊見ゆ。戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦三。本艦隊よりの方位〇七五、距離四〇〇(四万)。針路二六五』

 

扶桑三号機の情報が艦隊全員に伝えられる。意外と近くにいた。

 

『一斉転舵、針路〇七五』

 

扶桑の指示で、全員が一斉に舵を切る。これにより、陣形は梯形陣となった。

 

観測機が発艦する。カタパルトから飛び出た二機の零水観は、双葉単フロートという見た目に反して、軽快な動きで高度を稼いでいく。

 

『距離三五〇。正面砲戦用意』

 

相手艦隊はまだ見えていない。観測機によって視点を上げている扶桑と山城は、相手の艦影を捉えているのだろうが、航空機の目を持たない吹雪には縁のない話だ。

 

『距離三〇〇』

 

その声が上がった瞬間、水平線上の見えるか見えないかの位置に、きらめく閃光と爆炎が踊る様が見えた。紛うことなき発砲炎だ。

 

『敵艦発砲!』

 

距離三万は、戦艦の砲戦距離としても遠い部類に入る。そんな距離で砲戦を行える艦型は、鎮守府にも一つしかない。

 

大和型戦艦娘の、四六サンチ砲。最大射程が四万二千にも達するその砲であれば、観測機を用いることで三万における砲戦も、理論上は可能となる。実際、北方海域の戦いにおいて、大和は吹雪の前でそれをやってのけた。

 

が、今回の相手艦隊に、大和は含まれていない。

 

発砲炎の視認から十数秒後、甲高い風切り音とともに、砲弾が降って来た。先頭の阿賀野を狙った射弾らしかったが、弾着位置は遠く、至近弾はない。それでも、噴き上がった水柱の大きさが、尋常でないことはわかる。

 

―――あの時の深海棲艦も、こんな気分だったのかな。

 

場違いな感想に、苦笑を漏らす吹雪であった。

 

第二射が放たれる頃には、多少なりと相手艦隊の姿が見え始めた。特に、先頭を進む艦娘の艤装は大きく、目立つ。砲炎を燻らせる彼女が誰であるか、すぐに確認できた。

 

名は武蔵。大和型の二番艦で、大和の妹艦だ。リ号作戦の遂行中に、着任している。

 

武蔵の第二射が降り注いだ。水柱はまたも遠い位置に生じるが、迫力だけは本物だ。演習用のペイント弾ということで、水柱も薄紫色に染まっていた。

 

『うわあ・・・。あんなのが当たったら・・・考えるだけで不幸だわ』

 

通信機から漏れ聞こえてきたのは、山城の声だ。心底不幸そうに言う彼女の言葉が、逆に艦隊の緊張感を緩める。先頭の阿賀野も、肩から力が抜けた様子で、波に対する動きにも滑らかさが戻りつつあった。

 

『二五〇より、反航戦にて砲戦開始。阿賀野以下は、敵軽艦艇の接近を警戒』

 

扶桑が砲戦距離を二万五千と定める。三六サンチ砲での砲戦距離としてはいささか遠いが、扶桑と山城ともなれば十分に命中弾が見込めるはずだ。もっともそれは、武蔵とて同じわけだが。

 

反航で接近する両艦隊が、五千の距離を詰めるのにさして時間はかからなかった。

 

『二五〇。砲戦始め!』

 

『テーッ!』

 

武蔵の第六射が至近弾となる中、扶桑が凛と声を張る。それに呼応するような、山城の号令。通信機から飛び込んだそれらから一拍を置いて、前方で爆炎が上がる。大気を揺るがす轟音も届いた。

 

扶桑、山城が、砲戦に突入したのだ。

 

十数秒後、武蔵の周囲に三本の水柱が立ち上る。それから数秒後、さらに三本。前者が扶桑、後者が山城の射弾だ。命中も夾叉もなく、二人はすぐさま諸元の修正に取り掛かる。

 

入れ替わりに、武蔵が新たな砲炎を躍らせる。第三射から目標を扶桑へと変えている砲弾が、唸りを上げて飛来した。

 

弾着。最早確認の必要などない。扶桑の前に二本、後ろに一本が立ち上った水柱は、武蔵が諸元修正を終えたことを意味していた。次からは、全九門の砲撃が扶桑に降り注ぐことになる。

 

―――武蔵さんも、無茶してるなあ。

 

敵軽艦艇の接近を警戒しながらも、吹雪はそんな感想を抱く。

 

大和型が備える四六サンチ砲は、威力もさることながらそれに伴う反動も桁外れだ。大和には三連装三基九門の四六サンチ砲が搭載されていたが、その全門を用いることはまずない。というかできない。これは、第三砲塔を背部に配したからだ。同一方向への全門斉射は理論上可能だが、大事を取って、このような配置がなされることとなった。代わりに、大和は全方位に対して、常に六門の砲を指向できるようになっている。

 

一方武蔵は、第三砲塔を背部ではなく、腰部に配している。この第三砲塔は、前部にのみ指向が可能だ。大和で得られた砲術データの結果から、前方に向けてであれば、全門斉射は可能であると判断されたため、このような配置となっている。とはいえあくまで「可能」というだけで、通常時には使用しない。

 

だというのに、武蔵は初っ端から、この戦術を使用してきた。彼女の本気度と取るべきか、単に試し撃ちしてみたかっただけか。

 

扶桑と山城が、ともに第二射を放つ。前方で踊る砲炎を見つめつつも、吹雪は電探に新たな影が映ったことに気づいていた。

 

『電探に感。敵軽艦艇、接近中』

 

通信機から聞こえてきたのは、それまでの扶桑の声ではなく、先頭を行く阿賀野のものであった。敵軽艦艇への警戒を、彼女は担当している。

 

『巡洋艦二、駆逐艦三。三〇ノットで接近中』

 

『迎撃をよろしく』

 

『了解。鈴谷、弥生、吹雪は、阿賀野に続いて。第四戦速』

 

砲戦中のために、扶桑からの指示は短い。後を引き継いだ阿賀野が出す指示を聞き届け、吹雪は増速。鈴谷と弥生に続く。

 

高速発揮に伴う風が、セーラー服の袖をバタバタとなびかせる。飛び散る飛沫が、時折頬を濡らした。

 

『目標視認。本艦隊正面、距離一八〇』

 

吹雪も視認する。こちらと同じように、洋上を疾駆する影。

 

―――先頭は・・・最上さん、かな?

 

鈴谷の姉にあたる航空巡洋艦娘を認める。その後ろに続くのは、姉妹艦の三隈と、駆逐艦娘三人。

 

砲力でも、数でも劣る相手だ。それでも、扶桑たちを守ることが、吹雪たちに与えられた役目である。

 

『鈴谷より阿賀野。一五〇くらいからでも撃てるよ』

 

先手を打つかどうか、鈴谷が尋ねる。阿賀野も承諾し、砲戦開始は一万五千と決まった。

 

戦艦娘以上に、軽艦艇同士の接近は早い。すぐに一万五千を切り、鈴谷が最初の射弾を放つ。

 

『接近戦になる。弥生、吹雪は、四〇まで引き付けて、撃って』

 

それまでは、操艦で頭を押さえつつ、鈴谷と阿賀野で砲撃を繰り出すつもりなのだろう。

 

相対速力五〇ノット強ということもあり、鈴谷が最上に対して命中弾を得たのは、一万一千になってからだった。ほぼ同時に、最上と三隈、そして阿賀野が発砲。すぐさま、両者の砲弾が入り乱れる。

 

『面舵、一斉回頭!針路一三五!』

 

弾着が連続する中、阿賀野からの指示を聞きとり、すぐさま反応する。連続する転舵の間も、吹雪は相手艦隊の様子から目を離さず、見つめ続ける。距離四千は、すぐにやってくるはずだ。

 

『やっば、まずった!?』

 

最上との砲戦を繰り広げる鈴谷が、被弾し、小破の判定を受ける。ここへきて、やはり数がものを言い始めた。転舵が連続しているせいで、いまだ錬成途上の阿賀野は、まともに命中弾を出せていない。それを知ってか知らずか、最上と三隈は鈴谷に射弾を集中する。

 

八度目の転舵と、鈴谷の中破判定。それと同時に、彼我の距離は四千を切った。相手艦隊は丁度左舷九十度。

 

「撃ち方始め!」

 

通信機に吹き込むや否や、右手に握る一二・七サンチ連装砲を、左手を支えにして放つ。艦隊運動は激しいが、別に最大戦速を発揮しているわけでもないし、距離は四千を切っている。吹雪には十分すぎた。

 

放たれた二発の砲弾は、狙い違わず、三隈―――の横をすり抜けて、三番艦に位置する卯月に命中した。そのまま、連続した砲撃が卯月を襲い、ペイント弾で真っ赤になった彼女は大破判定を受けて離脱する。

 

―――今やることは、最上さんたちを止めて、扶桑さんと山城さんを守ること。

 

すぐさま目標を切り替え、四番艦の天津風を狙う。卯月の離脱によってできた隙間を埋めようと、慌てて前に出ようとした彼女に、ペイント弾が命中。弥生の砲撃も加わって、やはりものの数十秒で大破判定。

 

連続して駆逐艦娘が落伍したことで、最上がわずかに舵を切る。吹雪と、残った時津風の間に、割り込むような形だ。この時点で、距離は二千を切ろうとしている。

 

『面舵一杯、一斉転舵!針路二七〇!』

 

阿賀野が下令する。最上たちは針路を変えることなく、あくまで強引に突っ切ろうとしているようだ。先頭の最上は阿賀野と鈴谷から砲弾が集中し、中破の判定となっているが、その後ろに控える三隈は無傷の状態である。

 

一方こちらは、ついに鈴谷が大破判定となり、離脱した。阿賀野がなおも砲撃を続けるが、砲力の不足は否めず、どう見ても押されている。

 

「てーっ!」

 

吹雪も最上に砲撃を繰り出すが、いかんせん、一二・七サンチ砲では火力不足だ。それでも、被害が蓄積したことで、ついに最上は大破判定となった。

 

その瞬間、三隈と時津風が一気に増速した。激しい砲撃を受け続けていたことで、阿賀野の対応は一瞬遅れる。その間に射弾が集中し、大破判定。

 

「指揮を引き継ぎます!」

 

とっさに叫んだ吹雪は、弥生を引き連れて、三隈と時津風に並ぶ。とはいえ、どちらも発揮しうる速力は三四ノットで変わらない。もう一度頭を押さえることは不可能だ。

 

『このままじゃ、突破される・・・!』

 

弥生が呻くように言った。とりあえず、時津風を落とすことを優先し、砲撃を集中。回避を続けていた時津風だが、吹雪の射弾から逃れる術は持ち合わせておらず、多数を被弾。残りは三隈のみとなった。

 

『もう、魚雷で止めるしか、ないよ』

 

弥生の意見具申に、吹雪は首を振る。

 

「魚雷は使わない」

 

『でも、それ以外に方法は』

 

「説明は後」

 

次の瞬間、三隈から牽制のための砲撃が放たれる。一二・七サンチ連装高角砲の砲弾だ。威力は高くないが、発射間隔が短く、連続した水柱が三隈の身を隠す。

 

―――それでも、やるしかない。

 

一か八か、運試しと言えなくもないが、やってみる価値はある。

 

水柱が立ち上る中、吹雪は連装砲を構える。狙いを定め―――

 

「てーっ!」

 

引き金を引く。放たれたペイント弾は、低い弾道を描き、三隈の脚部艤装に命中した。そのまま砲撃を集中する。高速航行中に、ピンポイントで砲撃を続けることは、さすがの吹雪でも厳しかった。それでも、執拗に脚部を狙い続ける。

 

やがて、三隈の速力が大きく落ちた。背部のマストには、航行不能を示すF旗が上がる。

 

三隈の口が動く。声までは聞こえないが、「やってくれましたわね」と唇から読み取れる。それから苦笑して、彼女は離脱していった。

 

扶桑たちと武蔵の砲撃戦も、終息へと向かいつつある。両者一歩も譲らなかったが、練度と連携の差がいかんともしがたく、武蔵はついに、扶桑と山城を撃ち負かせなかった。

 

『そこまで』

 

長門の声で、砲撃演習は終了した。

 

 

 

三隈から受けたペイント弾を拭き取り、シャワー室を出た吹雪の背中を、ペタペタと追いかけてくる足音があった。体にバスタオルを巻いただけの、弥生だ。

 

「あの・・・吹雪」

 

髪を拭いていた手を止める。

 

「どうしたの?」

 

「一つ、聞きたいことが、あった。どうして、魚雷を使わなかったの」

 

訊いてくる目は真剣そのものだ。

 

魚雷は、非力な駆逐艦が、大型艦に対抗できる唯一の手段だ。あの状況では、魚雷を使うのが、三隈を排除するのに最も効果的な手段だった。

 

「理由は二つ、かな」

 

「二つ・・・」

 

「うん。一つは、これが演習じゃなくて、実戦だった場合のこと。実戦だった場合、味方艦隊に迫る敵部隊は、一つとは限らないでしょ?鈴谷さんと阿賀野さんが離脱した時点で、こちらの砲戦火力は無きに等しかった。だから、できるだけ、魚雷は残しておきたかったんだ。ほら、わたしたちは、次発装填装置がないから」

 

これが陽炎型辺りだったら、また判断は違っただろう。

 

「二つ目は、三隈さんに避けられる可能性が高かったこと。同航戦の距離二千じゃ、魚雷発射のタイミングを誤魔化しようがないからね。すぐに気づかれて、回避されると思った」

 

「なるほど・・・」

 

弥生は納得したように頷く。

 

「もちろん、これはあくまで、わたしの判断だけどね。最善手を打つのは難しいけど、それでも、考えを止めることはしたくない。周りを見て、色々なことを考えて。『大型艦には魚雷』、そこで止まってほしくはないかな」

 

―――クサいこと言ってるなあ、わたし。

 

戦艦娘を指導していた時の扶桑も、こんな心持ちだったのだろうか。

 

「わかった。頑張ってみる。・・・ありがとう」

 

ペコリ。弥生が頭を下げたはずみで、タオルがはだけてしまう。

 

「あっ・・・」

 

弥生が気付くのと同時に、吹雪は動いている。反射的に動き、床に落ちたタオルを拾って、弥生の肩に掛けようとする。

 

が、この時の吹雪は、周りが見えていなかった。ゆえに、最悪のタイミングであったことに、気づかなかった。

 

「吹雪が弥生を脱がしにかかってるぴょん!?」

 

そんな声は、シャワー室のドアの方から聞こえてきた。卯月である。

 

「タオルを拾っただけだよ!?」

 

「にしては手つきがエロかったぴょん」

 

「人聞きの悪い言い方止めてっ!?」

 

 

 

結局、間宮で甘味を味わっている間も、この時のことでいじられ続ける羽目になった。そこに、若干の復讐心を感じたのは、気のせいであろうか。




初っ端から飛ばしております

司令官大好きな吹雪ちゃんも、隠れ百合百合な吹雪ちゃんも、作者は大好きです(えっ)

そして・・・この章から(大分前からな気もするけど)、架空戦記に両足で埋まっていきそうです。お付き合いのほど、よろしくお願いします


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雷撃と防空

まーた、一か月ぶりの投稿となりました

今回は空母編ですね


洋上訓練を行うのは、随分と久しぶりだ。

 

修復が終わったばかりの、新品同様の艤装を確認しながら、赤城はわずかな違和と高揚を感じていた。やはり、三か月ぶりに装着する艤装で駆ける海は違う。

 

一昨日までで、基本的な調整は終えていた。艤装が使えない間も、弓術とシミュレーターによる訓練は欠かしていない。いきなり海に出るのもどうかとは思ったが、特に問題もなさそうであったし、明石も止めなかったので、こうして演習海域に繰り出してきている次第であった。

 

何より、艦載機の馴らしは、実際に海の上で飛ばしてみないとわからないものだ。

 

―――それに。

 

チラリと後方を窺う。そこに続いているのは、普段の僚艦である加賀―――ではなく、赤城とは同期にあたる龍驤と、短髪の新人空母艦娘であった。

 

ちなみに、加賀の方は今頃、翔鶴と瑞鶴を連れて弓道場で指導をしているはずだ。彼女たちの洋上訓練は、午後からである。

 

予定した演習海域には、すぐに辿り着いた。後ろを振り向いた赤城は、緊張した様子でついてくる機動部隊の新入りに微笑む。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

「は、はいっ」

 

元々高めの声が、さらに上ずる。可愛い後輩の様子に、龍驤は苦笑しながら彼女の肩を叩いた。

 

「そんなに緊張せんでええって。別に、取って食ったりせんから」

 

ほれ、深呼吸、深呼吸。龍驤に促されるまま、新人艦娘は息を吸ったり吐いたりする。いくらかはほぐれた様子で、海上を進む動きのムラが少なくなる。龍驤様々だ。

 

再び前を向いた赤城は、気を引き締めて、通信機に吹き込んだ。

 

「梯形陣。陣形変更後、第三戦速に増速。各員は発艦準備始め」

 

艦載機を発艦させるために、梯形陣を作る。単縦陣のまま発艦作業をしようものなら、最悪放った矢が前の艦娘に突き刺さりかねない。全く洒落になっていない。

 

陣形が変わったこと確認し、赤城は増速する。第三戦速まで増速すれば、合成風力も十分だ。

 

背後の矢筒から、艦載機となる矢を取り出し、和弓に番える。

 

『大鳳、発艦準備よろし』

 

『龍驤、発艦準備よろし』

 

後続の二人も、準備が終わったことを報せる。

 

「第一次攻撃隊、発艦始め!」

 

引き絞った和弓を解放してやる。ひょうふつっと風切り音がして、矢が飛び出した。数瞬の後、放たれた矢は燐光を放って分裂し、三機の“天山”に変化する。矢の風切り音は力強い羽音に代わり、発動機で回されるプロペラが周囲の空気を掴んで後方に投げ飛ばす。揚力を得た機体は、少しずつ高度を稼いでいった。

 

赤城の右横でも、艦載機が展開して上昇していく。新人艦娘―――大鳳から放たれた“天山”だ。その後ろからは、龍驤が観測用に九七艦攻を飛ばす。二人のものは、赤城とは違って一機ずつ飛び立っていった。

 

―――上々ね。

 

自らが放った“天山”の感覚を確かめて、赤城は満足げに頷く。頭に伝わってくる感触はすこぶるいい。自らの意識が、翼を得て遥かな高みに飛び立ったかのようだ。

 

続けて機体を放つべく、新たな矢を番える。その時、大鳳から再び“天山”が飛び立った。発艦間隔は、赤城よりも早い。

 

空母艦娘、特に赤城のような弓道艦娘の発艦時間は、艤装の扱い、つまり練度に左右される。矢を番えて放つ、一連の動作をいかに早くできるか。それは、日ごろの訓練による積み重ねが、最も重要な要素になる。

 

では、新鋭正規空母である大鳳が、赤城よりも短い間隔で発艦作業をこなせたのはなぜか。それは、大鳳の艤装が、それまでの弓道艦娘とは一線を画する設計をされているからだ。

 

弓は弓でも、大鳳のものはクロスボウだ。和弓や短弓に比べて、少ない鍛錬で扱いに慣れる上、発艦間隔も短い。

 

欠点は、発艦する機種の変更に手間がかかることだ。大鳳のクロスボウは、箱型の弾倉に込められた矢を連続で放っていくのだが、「戦闘機」の弾倉から「攻撃機」や「爆撃機」の弾倉に変えて発艦作業をしようとする際に、クロスボウ側のモード切替が必要になる。その点赤城たちは、番える矢を変えるだけで済む。

 

また、発艦が式神型と同じく、一機ずつになってしまうのも、通常の弓道型と違う点だ。

 

もっとも、それらを差し引いても、大鳳の発艦時間は、従来の空母艦娘たちよりも短い。

 

ただ、整備性の観点から、以後の空母艦娘は弓道型と式神型に統一するらしい。結果として、クロスボウを使うのは大鳳だけになる予定だ。

 

赤城から十二機、大鳳から十八機の“天山”と、龍驤から六機の九七艦攻が飛び立ったところで、発艦作業が終わる。今日は本格的な訓練というよりも、どちらかといえば調整の意味合いが強い訓練にするつもりだ。

 

もちろん、手を抜くことなどしないわけだが。

 

「準備はいいですか、大鳳さん?」

 

『はい。いつでも行けます』

 

「では、しっかりついてきてくださいね」

 

それだけ言って、通信機を受信だけに切り替える。深呼吸を一つ。

 

意識を攻撃隊に振り向ける。しかし、自らの航行もこなさなければならない。ここが、空母艦娘の難しいところだ。

 

編隊先頭、誘導を兼ねる“天山”から、「突撃隊形作れ」―――「トツレ」を飛ばす。目標となる模造船を視界にとらえ、編隊が雷撃に備えて編隊をわずかに変える。丁度、鶴翼の陣のような形だ。

 

電文は、すぐに「突撃せよ」―――ト連送に変わる。瞬間、赤城“天山”隊は一気に高度を下げる。大鳳隊が続いているのも、確認できた。

 

攻撃隊の高度は、みるみるうちに下がっていく。五百、四百、三百。それでもまだまだ足りない。敵の対空砲火から逃れたければ、少しでも低い高度を飛ぶことだ。

 

機体の高度はついに百を切り、五十すらも割り込む。これくらいは朝飯前にやってのけなければ、空母艦娘は務まらない。問題はここからだ。

 

―――ついてこられるかしら。

 

若干の悪戯心を働かせて、赤城は攻撃隊の高度をさらに下げた。

 

頭の中に直接表示される各機の高度計は、ジワリジワリと回っていく。三十。さらには、二十を切る。

 

『ちょ、ちょっ!赤城さん!?』

 

大いに狼狽える大鳳の声が、通信機に入って来る。その後には、龍驤の押し殺すような笑い声。

 

『うっはあ、飛ばしてんなあ』

 

そう言いつつも、止める気はさらさらないようだ。まあ、龍驤ならそうだろうと、納得する。元々、他人のやり方に口出しをする艦娘ではない。

 

高度は、ついに十まで降りる。“天山”の四翔プロペラは、今にも海面を叩きそうなほどだ。「火星」発動機が轟音を響かせ、海面が震える。後流によって舞い散った水飛沫が、白い航跡となって続いてくる。

 

―――距離・・・三〇(三千)。

 

“天山”を通して、前方の模造船を見る。対空砲火は飛んでこないが、その緊張感は大切だ。

 

赤城隊、大鳳隊、共に模造船左舷から侵入している。均一な編隊を崩さず、整然と突撃していく赤城隊。対する大鳳隊は、何とか赤城隊についていくので一杯といった様子だ。時折編隊にほころびが見られ、それを慌てて修正している。

 

―――・・・二〇。

 

まだ投雷には遠い。最低でも一千までは詰めたいところだ。せっかくの訓練であるから、赤城は引き起こし距離としてギリギリの、四百まで接近するつもりだった。

 

『ひ、低い・・・っ』

 

呻くような大鳳の声。低空飛行をしようとして、集中すればするほど、その操縦は乱れる。ある種の割り切りが必要だ。艦娘の艦載機操作にとって、「精神を研ぎ澄ます」とはそのまま「集中する」とイコールにはならない。

 

―――・・・一五。

 

“天山”を通して見る模造船は随分と大きくなった。速力と針路もよくわかる。現突入針路を維持すれば、問題はない。

 

―――・・・一〇。

 

あっという間に、彼我の距離が一千を切った。模造船は視界一杯に広がらんばかりだ。ともすれば、機体がその側面にぶつかってしまうのではと錯覚しそうになる。

 

まあ、やろうと思えば、模造船の甲板を擦るぐらいの低高度接近はやってのける自信があるが。

 

―――・・・〇七・・・〇六。

 

赤城隊の後ろからは、まだ大鳳隊が続いてくる。もっとも、大鳳本人は、投雷推奨距離をさらに割って接近を続ける赤城に、悲鳴を上げているが。その声を、完全に無視する。龍驤も特に言ってこないことであるし、問題はないだろう。

 

『ひ、低い・・・!近い・・・!』

 

そう言いながらも、赤城隊の後ろから離れない。その度胸に敬意を表して、この後間宮さん特製あんみつパフェを奢ってあげよう。

 

―――・・・〇五・・・〇四!

 

「てっ」。心の中で唱え、“天山”各機から魚雷が放たれる。鶴翼の陣を敷いていた赤城隊は、模造船の舷側ギリギリで引き起こしをかけ、その甲板上をフライパスした。上空から確認すれば、十数本の白線が、模造船を囲い込むように伸びている。どの方向に舵を切ろうと、必ず一発は命中する算段だ。

 

後続していた大鳳隊も魚雷を放っていた。こちらの狙いは、赤城隊の狙ったものの後方を進む模造船だ。甲板ギリギリを掠めるようにして、“天山”が上昇に転じる。上々の出来だ。

 

数十秒が経ち、それぞれの模造船に魚雷の命中を示す赤旗が立った。その戦果をしかと確認した後、赤城は“天山”の翼を翻し、自らへ着艦させる準備に移った。

 

 

元々、とんでもない先輩だとは思っていたのだ。

 

―――でも、さすがにこれは予想外なんですけど・・・!

 

自らが預かることになった最新鋭機を操りながら、瑞鶴は遠慮会釈ない先輩空母に対して悪態を吐きそうになるのを、なけなしの理性で抑え込んだ。

 

赤城たちと入れ替わるようにして洋上訓練に出た瑞鶴たちは、味方艦隊を敵攻撃隊から守るという想定で演習を行った。攻撃役は加賀。瑞鶴と翔鶴は、味方に見立てた模造船と共に艦隊行動をしながら、加賀の放つ攻撃隊を迎撃する。

 

模造船は、損傷し、まともに艦隊行動を取れない状態の味方艦娘と想定。当然、艦隊上空に侵入した加賀隊の攻撃を避けることはできない。この条件のもと、翔鶴と瑞鶴が、交互に加賀隊の攻撃を迎撃する。

 

この想定、北方決戦時に加賀たちが置かれた状況に似ていると、瑞鶴は感じていた。おそらくは、そうした状況下でも、味方を安全海域まで避退させることを想定している。空母は無類の攻撃能力を誇るが、同時に味方の艦娘を守り抜くことも大切な役目だ。

 

さて、かくして始まった演習は、まず翔鶴から迎撃戦を行うことになった。

 

二十分近い防空戦闘の間、空母艦娘は精密な戦闘機の誘導と空戦技術を要求される。まして、相手は赤城と並ぶほどの、歴戦の正規空母艦娘だ。その攻撃隊を迎撃するのは、並大抵のことではない。

 

結局、瑞鶴含めた全艦が撃沈破判定を食らって、翔鶴の迎撃戦闘は終了した。その口から、白い何かが抜け落ちていく様を、瑞鶴は確かに見た。

 

それから三十分。今度は瑞鶴の番となった。

 

セオリー通り、瑞鶴は戦闘機隊を二つに分けた。上方から初撃を加え、その後敵戦闘機を誘引する襲撃隊。そして、襲撃隊が敵戦闘機の誘引に成功した後、攻撃隊本隊に攻撃を仕掛ける迎撃隊。これらを、搭載した対空電探からの情報をもとに、誘導する。

 

二一号電探は、距離五万五千で加賀隊を捉えた。この時点で、瑞鶴は襲撃隊の高度を六千まで上げている。丁度雲があったので、これを利用しようという算段だ。それに、この時刻なら、加賀隊に対して太陽を背に襲撃を仕掛けることができる。

 

間もなくして、雲の切れ間に、加賀隊を発見した。が、その配置に、瑞鶴は首を捻る。

 

加賀隊の編隊は二つ。機影から見るに、前方に出ているのが“烈風”と“天山”、後方に位置取るのが“彗星”。

 

敵艦隊への先制襲撃を担当する降爆機が後方にいるのは、いささか違和感があった。

 

一瞬迷ったが、瑞鶴はそれまでの経験に従って、戦闘機による護衛の手薄な“彗星”の方から叩くことにした。

 

加賀隊は高度四千を進んでいる。太陽との位置関係を気にしつつ、瑞鶴の“烈風”が翼を翻し、雲の間を飛んでいる“彗星”を襲った。

 

これがそもそもの間違いだった。

 

加賀の操る“彗星”は、寸でのところで襲撃隊に気づいたらしい。次の瞬間、五百番爆弾を積んでいるとは思えない機敏な動きで、“烈風”の射撃をかわしてみせた。襲撃隊十二機が撃墜判定をもぎ取った“彗星”は、わずかに三機。

 

次の瞬間、瑞鶴の信じられないことが起こった。下方に抜けた襲撃隊に、“彗星”が襲いかかってきたのだ。

 

基地航艦では、夜間の迎撃戦闘機として、彗星の改造機を使用している。もとが急降下爆撃機ということもあり、その降下速度は速い。そもそも、最高速度では、戦闘機並みの機体だ。

 

しかも、“彗星”には自機を守るための二〇ミリ機銃が、両翼に装備されていた。

 

加賀は、そこに目をつけ、この配置をとったのだろう。おそらく、“彗星”の一部に、意図的に爆弾を積んでいなかったのだ。

 

思わぬ反撃に、瑞鶴の対応は一瞬遅れた。それが命取りだった。

 

さっきまで、襲撃隊が身を隠すために使っていた雲。その裏側から、人口のきらめきが降ってきた。上空にいた時では、死角になって確認できなかった位置だ。

 

“烈風”の名に違わぬ勢いで突撃してきたのは、八機の加賀戦闘機隊。それでも、瑞鶴の襲撃隊には十分すぎた。

 

“彗星”の強襲で体勢を崩した襲撃隊に、正真正銘の戦闘機が食らいつく。つい先ほどまで、こちらが狩る側であったはずなのに、今は獰猛な海鷲に狙われる小鳥も同然だ。なんとか体勢を立て直して反撃に転じようとするが、加賀の空戦技術に敵うはずもなく、また横合いからちょっかいを出してくる“彗星”の存在もあり、襲撃隊は完全にその意味をなさなくなってしまった。

 

一方、迎撃隊も戦闘に入ろうとしていた。スロットルを一杯に開いた加賀“烈風”隊(“天山”と編隊を組んでいたもの)が、艦隊上空の制空権を掌握するべく、突撃してきたのだ。数は十六機。一方の迎撃隊はニ十機。瑞鶴としては、数の優位を活かして戦うしかない。

 

そして、今に至る。

 

結論から言えば、瑞鶴は十分に数の優位を活かせているとは言い難かった。たった四機の差では、練度で勝る加賀隊を数の暴力でねじ伏せるには至らなかったのだ。合間を見つけて攻撃隊に襲撃をかけるが、それも散発的だ。効果的な攻撃とは言えない。しかも、攻撃を終えて敵編隊から抜ければ、そこに加賀の“烈風”が待ち受けている始末だ。

 

―――手数が足りない・・・!

 

防空戦闘の難しさを、改めて感じていた。リ号作戦部隊は、よくこんな戦闘をこなせていたものだ。

 

迎撃隊と襲撃隊が、それぞれ加賀戦闘機隊の執拗な妨害を振り切って、攻撃隊に取り付けるようになった頃には、“天山”と“彗星”が同時に攻撃態勢に入っていた。こうなっては、攻撃を完全に防ぐことは不可能だ。

 

「雷撃機を集中的に狙う!」

 

とっさに判断を下す。“烈風”隊は、低空で瑞鶴たちに迫る“天山”の後方から射撃を浴びせるが、加賀戦闘機隊との戦闘で機銃弾を浪費しており、効果的な攻撃ができたのは少数機に留まった。

 

結局、瑞鶴も艦隊を守り切ることはできず。相手が相手だったとはいえ、艦隊防空の難しさを思い知らされた形だ。

 

 

 

「どう?」

 

加賀が演習に対する感想を求めてきたのは、三人の艤装を工廠に預け、出撃ドックから出てきてからだった。

 

「何もできませんでした」

 

伏し目がちに、翔鶴が答える。疲労もあるのだろうが、傾き始めた太陽に映される横顔に、影が差した。

 

「瑞鶴は?」

 

「・・・戦い方は、悪くなかったと思います」

 

瑞鶴の答えに、加賀の目が細くなる。何も言わないということは、そのまま続けろと言うことか。

 

「戦闘機隊の誘導は、ほぼ理想的でした。ただ、手数が足りなかった」

 

「・・・そうね」

 

二人の感想を聞いても、加賀は特に反応を返さない。それが、この先輩のやりにくいところだ。

 

「数が少ないのに、私はセオリー通り、編隊を二つに分けてしまいました。その結果、中途半端な戦力で、個別に相手取られて、撃破されてしまいました」

 

「セオリーは、間違っていないわ。それが最善の手だと、研究と検証の結果、導かれた答えなのだから。それをどう使いこなすか、そこが一番の問題」

 

珍しく、加賀が長い言葉を口にする。

 

「今回の演習で、二人ともよくわかったでしょう?」

 

問いかける加賀に、翔鶴も瑞鶴も頷く。

 

「私も、まだ答えには辿り着いていない。だから・・・私たちで、最善手を探しましょう」

 

つまり、当分は同じような演習が続くということだろう。今から胃が痛い。

 

 

 

しばらくの間、演習終わりに間宮で甘味を奢られる空母艦娘の姿が目立ったという。




さて、次回辺りから、謎解きに入っていこうかと・・・

また長文が続きそうです

ヒトミちゃん出てきてください、お願いします


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出航と再会

またまた遅くなってしまいました

今回から、いよいよある人物に登場していただきます。今までちょくちょく触れながら、その存在について特に語ってきませんでした

果たしてその人物が、鎮守府をどう動かしていくのか


朝焼けに照らされる鎮守府の埠頭には、見送りの人だかりができていた。

 

艦娘はもちろん、各部門の職員や妖精。中には、ちらほらと統合陸軍の制服も見える。

 

人だかりの最前列で、これから鎮守府を離れる戦友を、吹雪は見つめていた。

 

「第一三航空艦隊、第三二航空隊、キス島への配属を命じる」

 

前に進み出たユキが、三二空の神鷹にそう訓示する。正式な辞令は、すでに二週間前に、司令官から発せられているが、輸送船の乗り込みにあたって、改めて読み上げられる。普段はこれも司令官の役目だが、当人は統合海軍省の会議に出席しているため、この場にはいない。

 

神鷹に続いて、黒い制服を着た艦娘が前に出る。吹雪もよく知る彼女に訓示するのは、統合陸軍の制服を着た初老の人物だ。

 

「第一特務師団、キス島への配属を命じる」

 

その訓示に、あきつ丸が敬礼でもって答えた。

 

リ号作戦に参加したあきつ丸たち第一特務師団は、艤装の修復を終え、第二特務師団と入れ替わりでキス島の警備につく。

 

訓示が終わったことで、彼女たちを人だかりが囲む。別れを惜しむように、握手を交わすもの、肩を叩き合うもの、抱き合うもの。挨拶の仕方はそれぞれだ。

 

「しばらく、寒くなりそうでありますな」

 

吹雪と向かい合うあきつ丸は、そう言って笑った。彼女と再び会えるのは、少なくとも一か月先だ。

 

「お元気で。体に気を付けてくださいね」

 

「お気遣い、感謝するであります」

 

笑顔で敬礼を交わすと、お互いの両手をしっかりと握る。

 

“岩川”が汽笛を鳴らす。つい先日竣工し、訓練を終えたばかりの航空支援母艦は、間もなく処女航海が始まることを告げている。

 

あきつ丸たちが“岩川”に乗り込んでいく。舷側通路に並んだ彼女たちが、こちらに手を振っていた。

 

出航作業が始まる。舫が放され、長く太いロープがキャプスターンで巻き上げられた。岸壁と繋ぐものを失い、海の上で自由の身となった“岩川”が、二隻のタグボートにエスコートされて、沖へと出ていく。

 

今回キス島に派遣されるのは、あきつ丸たち第一特務師団、そして増強なった神鷹指揮下の三二空だ。“岩川”の航空機格納庫、及び艤装格納庫には、これら部隊の装備品が満載されている。

 

特に、三二空の増強が持つ意味は大きい。北方作戦後、AL諸島深部―――つまり北米大陸に近い位置に、新たな陸上型深海棲艦出現の予兆が確認されている。北方棲姫と名付けられたこの陸上型は、近いうちに覚醒し、その航空戦力を遺憾なく発揮するはずだ。

 

鎮守府の基本戦略が、北方海域伝いでの北米連絡路確保にある以上、いずれこの陸上型を撃破しなくてはならない。三二空の増強は、こうした将来の作戦展開を睨んだものだ。

 

―――どうかご無事で。

 

そんな願いを、次第に小さくなっていく艦影にかける。すぐそこまで迫った新たな戦雲を、吹雪は早くも感じ取っていた。

 

 

会議というのは、やはり苦手だ。

 

今の自分の立場上、こうしたところに出なければならない事情も分かるし、その重要性も理解しているつもりだ。それでもなお、苦手なものは苦手だし、できればやりたくないものである。

 

そんな、誰に文句を言ってもしようのないことを思いつつ、ビスマルクは憎らしいほどに快晴の空を見上げていた。こんなにも清々しい天気なのに、こちらの空気はどこか息苦しい。それは、こちらの世界の空気が汚れているという理由だけではないはずだ。

 

ビスマルクは、つい数刻前まで、地球側の統合海軍省内で開かれていた会議に、『独立艦隊』の代表として出席していた。彼女の他には、オイゲンもこちらの世界に来ていたが、今日の会議には出席していない。

 

議題は当然のことながら、『独立艦隊』の今後、具体的には鎮守府への戦力としての編入についてだった。

 

鎮守府の指揮官―――提督が提示し、鎮守府司令部がもぎ取ったビスマルクたちの独立性だが、それでもなお、統合海軍上層部には、彼女らを正式に戦力として編入しようという意見が強い。

 

上層部の狙いは、最早聞くまでもなくわかる。ビスマルクを直接招集することで、彼女から発言を引き出そうというものだ。下手なことを言えば、どこで揚げ足を取られるか、わかったものではない。

 

―――なめられたものね。

 

こう見えても、『独立艦隊』旗艦だ。リランカ島にいた頃も、島北部のリランカ政府と机上の戦いを幾度となく経験してきた。あの時と違い、アトミラールは今いないが、それでも詐欺師に限りなく近いあの手法はある程度学んできたつもりだ。

 

実際、午前の会議では、海軍上層部はビスマルクから何も引き出せなかった様子だった。苦虫を噛み潰したような彼らに対して、これ見よがしに口元を歪めてやった。会議終わりには、提督が微苦笑を浮かべて、頭を下げた。彼にも、うまくやったと評されたらしい。

 

―――とはいえ、楽観はできないわね。

 

会議がいつまで続くかはまだわからない。鎮守府はユキ少佐が、『独立艦隊』はリットリオが預かってくれているとはいえ、あまり時間をかけたくはない。早々にこの会議を切り上げたいというのが、提督とビスマルクの共通認識だ。

 

どこで譲歩するか。どこで譲歩を引き出すか。難しいところだ。

 

「ビスマルク姉様!」

 

考え事をしながらぶつぶつと呟いていたビスマルクを、元気溌剌の声が呼んだ。廊下の先、待機室から顔を覗かせてこちらに手を振るのは、『独立艦隊』副官のオイゲンだ。底なしに明るいその笑顔に、ビスマルクは頬を緩める。

 

「待たせたわね」

 

「いえいえ、全然。こっちはこっちで、色々やってましたから。姉様こそ、お疲れさまでした」

 

「ありがとう」

 

二人にあてがわれた待機室に入る。その名前の通り、あくまで待機を目的としたこの部屋には、仮眠用のベッドが二つと、机くらいしかない。会議が明日以降まで長引くようであれば、もう少し別の部屋を要求するつもりだ。せめてシャワールームくらい着けろ。

 

待機室の机の上には、本が数冊積まれている。背表紙に張られた配列を示すシールから、統合海軍省内の書庫から借りてきたものだとわかる。

 

「本を読んでいたの?」

 

「はい。辞書と格闘しながらですけどね」

 

オイゲンの持っている本は、何やら難しそうな、日本語の本だ。机に積まれているのは、似たような表紙の本と、辞書が二冊。

 

「どんな本なの?」

 

「こっち―――地球での、深海棲艦の出現や行動に関する本ですよ」

 

「へえ・・・」

 

つまりは統合海軍―――いや、当時は自衛隊と言っただろうか、彼らがまとめた深海棲艦に関する報告書ということか。

 

「私たちの世界にも、こういう資料はあるんでしょうか?」

 

「・・・どうかしらね」

 

あちら―――こちらの人間が「鯖世界」と呼んでいる世界では、深海棲艦が出現してから随分と時間が経っている。ビスマルクが憶えている限りでは、もう十年になるだろうか。

 

妖精のおかげで、大規模な戦争を経ることなく科学技術を発展させることができた鯖世界では、元々深海棲艦に対抗できるような兵器はなく、ものの一年足らずで、世界の海は閉鎖されてしまった。その状態に順応してしまっていた面もある。ゆえに、深海棲艦に関する詳細な資料は、仮にあったとしても一般には出回っていないだろう。

 

可能性があるとすれば、鎮守府の書庫だろうか。実は入ったことがない。

 

「そのことは、一旦おいておきましょう。まずはご飯ですよ、姉様!」

 

「そうね。そうしましょう」

 

日本には、「腹が減っては戦はできぬ」ということわざがあるらしい。ご飯を食べることは、武器を取ることと同じくらいに大切なことだ。

 

オイゲンに押されるようにして部屋を出る。向かうのは統合海軍省内の食堂だ。許可証を持っている二人は、省内の人間でなくても、ここを利用することができる。

 

決して豪華とは言えないが、十分に満足できる昼食を、二人は楽しんだ。

 

 

 

「お疲れさまでした」

 

三日に亘る会議が終了すると、ようやく笑顔を浮かべた提督が、そう言ってビスマルクを労った。帽子を小脇に挟み、髪をかき上げながら、ビスマルクも口元を緩める。さすがに、いささか疲れた。

 

会議を終了に持っていったのは、両日本の外務省からの意見書だった。

 

深海棲艦被害を受けた難民受け入れに関する法は、あくまで一時的な保護の根拠として整備された法律だ。この法律の下で保護された外国人は、海上封鎖の解除と国交再開に伴って、迅速に本国へ送還される取り決めとなっている。

 

保護した外国人を、勝手な一存で自国の軍隊に組み込むことは、後に外交問題となりかねないというのが、両外務省の主張だ。

 

詭弁であることは、統合海軍省上層部も含めて理解している。そもそも『独立艦隊』自体が、多国籍の人間で編成された、いわば傭兵軍団のようなものだ。傭兵を雇い入れることに問題はない。

 

それでも、彼女たちが明確に傭兵を名乗っていない以上、限りなくグレーに近い。外務省から意見されれば、それを強硬に押し退けてまで戦力編入に踏み切ることができるほど、統合海軍省は軍隊になりきれていなかった。

 

一連の動きに、提督、そして鎮守府司令部員何人かが関わっていることは、容易に想像できた。三日という時間は、上層部にとってもメンツが保たれるギリギリの時間であったはずだ。

 

かくして、弾丸が飛び交うことのない戦闘が、幕を下ろした。

 

「お二人は、このままあちらに戻られますか?」

 

「ええ、そのつもりよ。どうもこちらは、空気が合わなくて」

 

「わかりました。自分はもう少しやることがあるので、遅れるとユキ少佐に伝えておいてください」

 

そう言い置いて、提督は先に歩いて行ってしまう。その背中を見送ったビスマルクは、窓の外を見遣る。ビスマルクの心境を写し取ったかのように、窓の外はくたびれた曇天であった。

 

「・・・一雨ありそうね」

 

艦娘ゆえに、気象を読み取る能力は高い。この後の天気を、ビスマルクはそう予想した。

 

統合海軍省庁舎の廊下を、足早に歩いていく。二人が宿泊するために、提督が近くに取ってくれたホテルへ、オイゲンを迎えに行くためだ。

 

「ビスマルクさん」

 

が、そんな彼女を呼び止める声があった。早くこの世界を後にしたいことから、内心若干のイラつきを覚えつつ、それを顔に出さないようにして振り返る。

 

呼び止めた声の主は、廊下の曲がり角に立ち、こちらを真っ直ぐに見つめていた。確か、鎮守府司令部、参謀長のマトメ少将と言っただろうか。あまりに予想外な人物の登場に、ビスマルクは警戒心を強める。

 

「何か?」

 

わずかに棘を含んで放った言葉に何か答えることもなく、マトメはゆっくりとこちらへやって来た。ビスマルクの頭の中で、ますます警報が鳴る。

 

間違いなく、何かある。

 

「少しばかりお時間を頂きたい。貴女に、用件があります」

 

言葉遣いは丁寧だが、有無を言わさない様子があった。断るのは無理そうだ。

 

盛大に吐き出したい溜め息を、噛み殺す。

 

「わかりました」

 

「痛み入ります」

 

軽く頭を下げたマトメは、そのまま踵を返すと、ついてくるように促す。その背中に、ビスマルクは黙ってついていく。

 

会議室のある階から二つ下り、似たような廊下を歩く。連れてこられたのは、応接室の札がついた部屋の前だった。ビスマルクは、自らの表情が益々険しくなるのに気付いた。

 

誰かに、会えということだろうか。それも、統合海軍省内で会わなければいけないような人物に。

 

「どうぞ」

 

マトメが扉を開く。彼は部屋に入らないらしい。

 

警戒心を最大にして、ビスマルクは空いた扉の前に立ち、室内を見る。

 

 

 

心臓が止まるという感覚を、彼女は真の意味で理解した。

 

 

 

引き寄せられるように、部屋に足を踏み入れる。その後ろでゆっくりと扉が閉められたが、その音すらも気にならない。

 

なぜ。どうして。数多の疑問と思考で、今にも頭がパンクしてしまいそうだ。そんな彼女の様子を知ってか。

 

応接室内に、一つの人影がある。窓から外を眺めるその後ろ姿は、一目で男性と分かるほどにがっしりとして広い。統合海軍の第一種軍装の肩に、階級を示す肩章がきらめく。その影が、蛍光灯の下で、こちらを振り向いた。

 

「・・・なぜ」

 

息ができないほどに干上がった口を無理矢理にこじ開けて、ビスマルクは掠れた言葉を発する。

 

「なぜ・・・貴方がここにいるの・・・アトミラール」

 

あるはずのない再会。出会うはずのない場所。まるですべてを楽しむかのように、男は微笑んでいた。




・・・なんとコメントしたものだろうか

あ、そういえば今回でちょうど五十話なんですね。二年で五十話・・・遅い

これからもマイペースに投稿していく所存です。もう一つ連載しているシリーズが、近々(二か月以内?)に一段落突きそうですので、そちらが落ち着けば、こっちの投稿も早くできると思うんですが・・・

これからも生暖かい目で見守っていただけると、幸いです


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提案と登場

投稿スピードが遅い・・・

タイトルから色々と察してください!

あ、しばらく吹雪ちゃんの出番が増えるかも。作者歓喜


今日も今日とて、執務室は書類とペンの戦場と化していた。その中で、提督と大和はペンを走らせ続ける。

 

このところ、新装備の開発や研究で工廠部の動きが活発になっていた。その関係で、提出される報告書や申請書の量も多い。年の瀬が近いことも手伝って、提督と秘書艦の仕事量は、普段より四割から五割増しになっていた。

 

「ん・・・んんっ」

 

肩の違和感を感じて、大和は一旦ペンを置き、腕を伸ばす。その声に、提督が反応した。

 

「少し、休憩しようか」

 

彼に気を遣わせてしまったことに気づいて、慌てて大和は首を振る。

 

「大丈夫です。早く終わらせてしまいましょう」

 

「そうか?あまり、根を詰め過ぎないようにな」

 

「そのお言葉、そのまま提督にお返ししますよ?」

 

大和も言うようになったなあ。そう言って苦笑しながら、二人はまた、目の前の職務に戻った。

 

しばらくして、執務室の扉がノックされた。軽快な音に、提督が顔を上げて答える。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

一礼して入って来たのは、少し意外な人物だった。割烹着姿の女性は、食堂を指揮する間宮だ。

 

彼女が執務室に来るとは、随分珍しい。後ろ手に扉を閉めながら、間宮もまた物珍しい様子で執務室を見回す。

 

「何か、あったかな?」

 

用件の内容を想像できずに、提督は尋ねる。大和も興味を引かれているようだ。

 

「えっと、ですね」

 

執務机の前に立った間宮は、言い淀むようにして一度視線をずらす。それからゆっくりと、口を開いた。

 

「提督に、お願いがあって参りました」

 

「お願い・・・?」

 

提督は首を傾げる。

 

食堂含めて、艦娘たちの食事に関することは、間宮含めた給糧艦娘たちに任せている。仕入れや調理、安全管理についてもだ。もちろん、納品の一覧や安全管理報告書などには目を通して、判を押したりもするが、それ以外のことで口を挟むことはない。

 

こうして、間宮が執務室に足を運び、ましてやお願いに来るとは。余程のお願いなのだろうと、提督は察した。

 

提督が促すと、間宮が一枚の書類を差し出した。受け取ったそれを、大和と二人で覗き込む。

 

『クリスマス会の実施に関する請願』

 

そう書かれた書類にざっと目を通し、詳しい説明を目の前の間宮に求める。

 

「もうすぐ、クリスマスじゃないですか」

 

鯖世界側にも、地球と同じようにクリスマスがあり、それを祝う文化がある。こうした、文化的差がほとんどないので、両世界間の交流にはあまり齟齬が発生しないで済んでいる。

 

「今年は、私たち給糧艦娘たち主催で、クリスマス会を開催したいんです」

 

間宮は真剣な眼差しで提督を見据える。

 

「この一年は作戦続きで、あまりイベント事もできませんでしたし、せめてクリスマスぐらいは、皆さんに楽しんでもらいたいんです。それに、『独立艦隊』との交流の機会にもなるかと思います」

 

書類にも書いてあった開催の趣旨を、改めて間宮が力説する。

 

食堂を取り仕切る給糧艦娘たちは、鎮守府の娯楽も管轄している、いわば艦娘たちの内面の支えだ。彼女たちの体調や心境には、人一倍敏感になっている。

 

新任艦娘の歓迎会も、艦娘たちの息抜きの一環だ。そして今回のクリスマス会も、その延長線上として考えているらしい。

 

必要経費や会場準備に必要な時間、人手。これまで食堂部が培ってきた技術と経験、データに基づいた計算がされている。

 

精査をしたり、さらに詳細を詰める必要はありそうだが―――

 

「ぜひとも、お願いしたい」

 

提督の言葉に、間宮が心底嬉しそうに目を輝かせる。お淑やかな彼女には珍しい反応だ。

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。実は、俺としても、『独立艦隊』側との交流には、色々と悩んでいてね。正直、手詰まり感があった。こういう申し出はありがたいよ。それに、純粋に、皆の息抜きにもなるだろうしね」

 

この機会だ。今後のためにも、お互いに交流があった方がいい。政治的な部分を抜きにすれば、鎮守府も『独立艦隊』も、同じ年頃の少女たちだ。

 

「急ぎで予算を回そう。今月は予備費用にまだ余裕がある。できるだけ早く、必要な予算の詳細を提出してくれ。上と『独立艦隊』には、俺から話を付けておく」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

そう言って一礼した間宮は、早速準備に取り掛かろうと、執務室を後にした。いつもの割烹着がひらひらと揺れる。

 

閉まった扉を微笑ましげに眺めて、提督は仕事に戻ろうとした。

 

大和が呟く。

 

「クリスマス会、ですか。楽しみですね」

 

桜のかんざしが、笑うのに合わせて揺れる。その笑顔に、ますます自分の頬から締まりがなくなるのを、提督は自覚した。

 

「ああ。クリスマス会なんて、随分と久しぶりだ」

 

深海棲艦の出現後は、そんなことをしている余裕などなかったし、出現以前でも、最後のクリスマス会はもう中学生くらいの頃だ。

 

今年の年末は、明るく賑やかで、素敵な日々になりそうだった。

 

 

 

午後の執務を、提督は一人でこなしていた。

 

秘書艦であった大和には、間宮たち給糧艦娘と共に、クリスマス会の詳細について詰めるよう、指示している。今年最後の一大イベントの成否を担うことになった彼女は、両の拳を握って「頑張ります」と言っていた。

 

誰か別に声をかけてもよかったのだが、わざわざ頼むほど書類も残っていなかったので、結局自分一人で消化することにしたのだ。

 

―――とは、言っても。

 

「済」と「未済」とは別にした数枚の書類を見遣る。艦娘寮やそこでの生活についての陳情だ。この手の書類は、秘書艦にも意見を求めてから、判断をするようにしている。

 

やはり誰か、捕まえておくべきだったか。そんなことを思っていた丁度その時、小気味よく扉がノックされた。そのリズムに、ピンとくる。付き合いが長いからか、彼女のノックのリズムを、自然と覚えてしまっていた。

 

「開いてるよ。どうぞ」

 

そう言うと、ゆっくり、扉が開く。隙間から現れたのは、見慣れたセーラー服の少女だ。顔の前に二房垂れている以外の髪を後ろで結んだ彼女は、ぺこりと律儀に一礼してから、視線を彷徨わせるようにして顔を上げた。

 

「どうした、吹雪?」

 

突然の来訪にも、あまり驚かない。吹雪は、こうして時折、ひょっこりと顔を出すことがある。そしてそういう時は、必ずと言っていいほど、何かしらの気遣いがあってのことだ。

 

「えっと、ですね」

 

吹雪がゆっくりと口を開く。

 

「大和さんから、司令官がお一人で執務をしてると聞いたので・・・その、何かお手伝いできることはないかと、思ったんです」

 

・・・優しい娘なのだ。たったそれだけで、こうして執務室を訪ねてくれる。否、付き合いの長い彼女だからこそ、できることだろうか。

 

「ありがとう」

 

頬の緩みと共に、自然にその言葉が出てくる。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて。この陳情について、意見が欲しいんだ」

 

先ほど保留にしておいた数枚の陳情書を示す。キラキラと目を輝かせた吹雪は、それはそれは嬉しそうに、頷くのだった。

 

「はいっ」

 

それからしばらく、二人で陳情書の内容を精査する。最も艦娘寮での生活が長く、色々な艦娘の意見を飲み込める彼女の指摘は、参考になる。

 

二人で椅子を並べ、顔を突き合わせて、一つの書類に向き合う。それはどこか、懐かしい光景でもあった。鎮守府が開設されたばかりの頃は、よくこうしていたものだ。

 

計六枚の書類を、およそ一時間にわたって処理し終わり、まとめて「済」のボックスに入れる。窮屈になっていた姿勢をほぐそうと、二人で大きく伸びをする。図らずも重なった仕種に、二人して苦笑が漏れた。

 

「手伝ってくれてありがとう。助かったよ。艦娘寮の陳情は、俺だけで処理するわけにはいかないからね」

 

「えへへ、お役に立てて何よりです」

 

「今、お茶を淹れるから。座って待ってて」

 

せめてもの労いにと、席を立ち、給湯室に入る。ポットに沸かしてあるお湯は、こうして秘書艦と提督が飲むため専用となっていた。

 

淹れ終わった二人分の湯呑みをお盆に乗せて、執務室に戻る。吹雪の前と自分の前、湯呑みを置いて席についた。お茶請けは、棚に仕舞っておいた煎餅だ。

 

「そういえば、司令官」

 

煎餅を一口かじった吹雪が、キラキラと瞳を輝かせてこちらを見た。

 

「今年は、クリスマス会をやるんですよね!」

 

嬉しそうに訊いてくる吹雪に、自然と笑みがこぼれる。

 

「大和から聞いたのかな?」

 

「はい。間宮さんと色々話をされてましたから」

 

「そうか。その通り、今年はクリスマス会をやるよ」

 

やった。そう言って、吹雪は今にも飛び跳ねそうな勢いでガッツポーズを取る。

 

「どんなお料理が出るんでしょうか。あ、何か催し物とか、やった方が楽しいですよね」

 

そんなことを、思いついたまま、吹雪は話し始める。コロコロといろんな話を、楽しそうに語る吹雪を、提督は微笑ましげに見つめていた。

 

その視線に、吹雪は気づいたらしかった。頬を赤くして、それを誤魔化すように、湯呑みに口づける。それがまた、何とも可愛らしくて、提督は同じようにお茶を飲んだ。

 

「クリスマスか。俺はライスコロッケが好きだったな」

 

「ライス、コロッケ?何ですか、それ?」

 

「何て言うかな・・・おにぎりに衣をつけて、揚げたやつ、って言ったらいいのかな?」

 

「・・・おいしいんですか、それ?」

 

訝しむように訊く吹雪に、提督は苦笑する。これは完全に、自分の説明能力不足だ。

 

「おいしいよ。毎年、クリスマスになるとそればっかり食べてたから、お袋に怒られた」

 

「・・・司令官のお母さん、ですか」

 

その時、一瞬吹雪の瞳が、暗くなったことに気づいた。

 

今更しまったと思っても遅い。「第一次深海棲艦戦争」とこちらの政府が呼称している戦争で、吹雪の両親は亡くなっている。彼女だけではない。艦娘には、そうした理由で孤児となった娘が、少なくない。

 

もう少し成長した娘ならまだしも、まだ中学生相当でしかない吹雪には、両親の死を消化できていない部分があるのかもしれない。

 

「ライスコロッケを作ってたのは、司令官のお母さんなんですね」

 

「・・・そうだけど。それが、どうかした?」

 

「いえ。いいお母さんだな、って思ったんです」

 

そう言って笑う吹雪に、今度は提督の方が首を傾ける。

 

吹雪が咳払いを一つ。

 

「それで、司令官。今日の執務は、これで終わりですか?」

 

「ああ。今ので終わったよ。ありがとう」

 

「そう、ですか」

 

なぜか残念そうに、吹雪が眉尻を下げた。

 

提督は頭の中でざっと予定表を広げる。この後は、特に大した予定はない。書類は片づけたし、工廠等で視察しておくような事案もない。いつも通りに資料を引っ張り出してきて調べ物をするか、今後予定される作戦の要綱を詰めるか、どちらかをやるつもりだった。

 

―――そうだ、ビスマルクさんのところにも行かないと。

 

クリスマス会の開催については、提督から持ち掛けることになっている。

 

チラリ。吹雪を見遣る。真面目な彼女は、まるで「次にやることはありませんか?」とでも言いたげな瞳で、こちらを見ていた。

 

「『独立艦隊』・・・ビスマルクさんのところに用事があるんだけど、一緒に来る?」

 

「行きますっ」

 

勢いよく吹雪が答える。二房の前髪と後頭部のしっぽが、元気いっぱいに揺れた。提督は苦笑いを浮かべる。

 

「それじゃあ、一緒に行こうか」

 

「はいっ」

 

吹雪の返事を聞き届け、提督が執務机から立ち上がろうとした時だ。

 

聞きなれないリズムで、執務室の扉がノックされた。この時間に来客というのは珍しい。さらに、扉から漂う雰囲気に、何やら得体の知れないものを感じ取って、提督は吹雪に気取られない程度に身構えた。

 

「どうぞ」

 

「失礼するわ」

 

入ってきた人物に、提督は驚いた。何を隠そう、たった今会いに行こうとしていた、ビスマルクその人がいたのだから。噂をすればなんとやら、だろうか。

 

「ビスマルクさんでしたか。丁度、今から伺おうとしてたんですよ」

 

「・・・そうなの?」

 

軍帽を小脇に挟み、サラサラとした金髪を揺らす彼女は、鋭い立ち姿のまま、首を傾げる。

 

「実は、クリスマス会をやることになったんですよっ」

 

興奮冷めやらぬ様子で、吹雪が口を開いた。ありがたい。男の自分が言うよりは、彼女に誘われた方が、参加したくなるに決まっている。

 

「クリスマス会?」

 

吹雪の言葉に、目をぱちくりとさせたビスマルクが、詳細な説明を提督に求める。俺の出番はここからだ。

 

「はい。今年はあまりゆっくりできるタイミングがなかったので、皆の息抜きに、と思いまして。それと、この機会に、改めて『独立艦隊』と親睦を深められればと思います」

 

「・・・なるほど、そういうことですか。わかりました。前向きに検討させてもらいます」

 

頷いたビスマルクは、それから話題を切り替えるように、咳払いをした。

 

「それで、ここに来た理由なのですが」

 

ビスマルクはチラリと、今自分が入ってきた扉の方を見遣った。それから、どこか重苦しい雰囲気を纏って、話を再開する。その空気を察したのか、吹雪も姿勢を正していた。

 

「貴方方に、紹介したい人物がいます」

 

その一言で十分だ。リ号作戦の準備段階から、『独立艦隊』と関わってきた提督には、その意味するところが理解できた。

 

「・・・『独立艦隊』の運用に関わる人物、ですか。しかし、行方不明だったはずでは?」

 

「ええ。つい数日前まで」

 

それ以上の質問を遮るように、ビスマルクは扉のノブに手をかけた。その先は本人に訊け、そういうことだろう。

 

扉を開け、ビスマルクは二言三言、外と言葉を交わす。当該人物の姿は、廊下の壁際に立っているのか、室内からは見えなかった。

 

やがて、開け放たれたままの扉から、ビスマルクは退室する。彼女はこの場に居合わせるつもりはないらしい。吹雪が困惑したようにこちらを見たが、とりあえず今は、留まらせることにした。

 

そしていよいよ、当該人物が現れた。

 

 

 

戦慄という言葉の意味を、提督は身をもって体験することとなった。

 

 

 

開かれた扉から、スラリとした第一種軍装が入って来る。その姿は、『独立艦隊』の指揮を執る人物として提督が思い描いていたものとは、大きくかけ離れていた。

 

そしてそれ以上に、懐かしいほどの既視感がある人物でもあった。

 

提督は思わず執務机から立ち上がった。

 

後ろ手にゆっくりと扉を閉め、執務室という密室を完成させたその人物は、ただ静かに一礼する。数秒して上がったその顔は、挑戦的な笑みを浮かべていた。

 

「『独立艦隊』の指揮官を務めている者です。数々のご配慮、感謝します」

 

その瞳を、提督は真っ直ぐに見つめる。頭はフル回転しているはずだが、思考は全くと言っていいほど回っていない。「理解不能」の四文字を出力するだけだ。

 

十数秒の間があった後、提督はただポツリ、言葉を漏らすしかなかった。

 

「兄さん・・・なんで」

 

目の前の人物。慣れた様子で第一種軍装を着こなし、『独立艦隊』の指揮官を名乗った人物。懐かしいほどの既視感。

 

ジンイチ二佐。“提督”の第一候補者であり、二年前に失踪して行方不明となっていた、提督の兄。

 

予想だにしない人物の登場に、執務室の時間が止まる。その中で、吹雪の視線だけが、せわしなく二人の間を行き来していた。




急展開も急展開

ここからどうなるの、鎮守府・・・

次回は、色々と、今まで語ってなかった部分について語っていくことになるかと

ていうかジンイチ二佐、設定だけ出してほぼ一年間放置してたよね、ごめんね。別に作者は放置プレイが好きなわけじゃないよ?


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艦娘と提督

すごくお久しぶりです

ほぼ三か月ぶりの投稿

もうすぐ夏休みなので、そこで話を進めていきたいところです


何とも言えない沈黙が執務室に漂うのを、吹雪はひしひしと感じていた。

 

それは、緊張感に由来する沈黙ではなかった。キリキリと空気が張り詰める音と共に、どこか懐かしく、親し気な暖かさが、冬の執務室に満ちていく。その沈黙が、目の前で向かい合う二人の男性から発せられることだけが、明確な事実として理解できた。

 

一人は、司令官。本名は、リュウノスケ大佐、と言う。この鎮守府を取り仕切る指揮官であり、吹雪たち艦娘が慕う、よき兄や父のような存在だ。

 

片や、『独立艦隊』の指揮官を名乗る、謎の男性。司令官が「兄さん」と呼んだ彼は、おそらく、ジンイチという人物のはずだ。司令官の実の兄であり、本来は彼が鎮守府の指揮官に就任予定だったと聞いている。最終階級の二佐というのは、確か統合海軍的には中佐相当だったはずだ。

 

二人の間で身動きを取るわけにもいかず、吹雪は視線だけを行ったり来たりさせる。やはり兄弟だからか、面影にどこか似た感じがある気がした。

 

先に口を開いたのは、ジンイチの方だった。司令官によく似た笑い方には、悪戯をたくらむ少年の色が混じる。

 

「久しぶりだ、リュウノスケ・・・今は大佐だったか」

 

その言葉を、司令官はただジッと聞いているだけだった。それから何かを飲み下すようにして、深呼吸を一回。

 

「久しぶり。・・・色々言いたいことはあるけど、元気そうでよかった」

 

「ん、そうか」

 

「立ち話もなんだから、俺の私室の方に移ろう」

 

そう言った司令官が、吹雪に目配せを寄越す。その意味はすぐに理解できた。

 

「そ、それじゃあ、わたしはこれで」

 

ペコリ。一礼して、吹雪は執務室を後にしようとしていた。しかし、すぐに呼び止められる。背中に声をかけたのは、意外過ぎる人物だった。

 

「あー、実は吹雪にも、聞いて欲しい話がある」

 

吹雪を引き止めたのは、ジンイチの声だった。扉のノブに手をかけたところで、吹雪は後ろを振り返る。

 

困惑した表情を浮かべる司令官と、その対面で穏やかな表情のままのジンイチ。

 

「わ、わたしですか?」

 

「・・・なぜ、吹雪を?」

 

「直にわかる。とにかく、彼女にも、この話は聞いてもらわないとな。ある意味、一番の当事者だ」

 

端から見てもわかるほど、司令官の顔が曇った。彼にしては珍しい表情の変化だ。

 

面倒事に、吹雪を巻き込みたくない。そう思っているのだろうか。

 

―――わたしは・・・。

 

「わかりました」

 

ノブにかけていた手を離して、ジンイチに頷く。

 

「いいのか、吹雪」

 

「はい。ここまで聞いてしまって、今更抜けるのも、その・・・気になりますし」

 

上手く笑えていただろうか?司令官はしばらく、真っ直ぐに吹雪の瞳を見つめていた。やがて脱力したように苦笑する。

 

「わかった。吹雪がそう言うなら、俺に異存はない」

 

こうして、吹雪の参加が決まり、ジンイチの話が始まった。

 

 

 

「さてと、どこから話したものか」

 

吹雪が淹れたお茶で唇を湿らせ、ジンイチが口を開いた。

 

訊きたいことは山ほどある。だが、それらを一つ一つ、突きつけたところで埒が明かない。今は、彼の話すままに任せよう。そう判断して、吹雪も司令官も、話に耳を傾ける。

 

「最初に断っておく。全てを一度に話して聞かせるつもりはない。お互いに、少しずつ消化していくのが、一番だ」

 

コクリ。頷く。それを確認したのか、ジンイチは指を二本立てて、話を続ける。

 

「今日、この場で話すことは、二つに留めておく。お前がこの鎮守府に着任する前のこと、そして俺が鎮守府を去った後のこと。この二つだ」

 

お互いに、息を吸い込む間があった。

 

ジンイチが、一つ目の事項について、話し始める。

 

「まず一つ目。お前がこの鎮守府に着任する前のこと。当然ながらその頃、この鎮守府の指揮官を務めていたのは俺だ。もっとも、艦隊なんて影も形もなかったけどな」

 

三年近く前の話になるはずだ。おそらくは、最初の艦娘である吹雪ですら、基礎訓練に入る前のこと。その頃の鎮守府を知っているのは、本当に一握りの人物だけだ。

 

「艦娘の基礎研究は、“アマノイワト”の出現後かなり早い時期から開始されていた。こっちの世界のことがある程度判明して、妖精の持つ『神の技術』を知った辺りだから、半年以内か。俺の把握している限りでは、そんな感じだ」

 

“アマノイワト”と呼ばれる裂け目が出現してから、すでに五年近く。鎮守府開設が二年弱前だから、そのさらに二年以上前から、艦娘に関する研究が始まっていたということか。

 

「深海棲艦に対抗可能な艤装の基礎技術自体は、そう時間をかけずに完成した。いくらか解決しなければならない課題はあったが、ともかく完成に目処が立ったことで、艤装を扱う艦娘を運用するための施設が造られることとなった」

 

それが、鎮守府だ。艦娘が暮らすだけでなく、彼女たちの艤装を保管、整備し、新たな装備品を開発する。そうした一連の設備を保有する、統合艦隊指揮所のような施設。

 

「で、艦娘の開発計画に携わっていた俺が、鎮守府の施設長を務めることになった。イソロクさんの推薦でな」

 

イソロク中将の話は、吹雪も知っている。統合海軍省内にある「鎮守府」という部門の長である彼は、司令官にとっては直接の上司ということになる。あくまで司令官は、この鎮守府という施設を預かり、実質的に艦隊の指揮を執る立場だ。

 

鎮守府が実施する作戦に関して、司令官にある程度フリーハンドが与えられているのは、イソロク中将による尽力があるからだと聞いている。

 

「まあ、とは言っても、当時俺のやることってのは、鎮守府施設の建設状況や艤装開発の進捗を確認するくらいだった。そりゃそうだ。完成の目処が立ったとはいえ、未だ『艦娘』はこの世界に存在していなかったからな」

 

昔を思い出しているのか、ジンイチの目が一瞬遠くなる。だがそれも、ほんの短い間の話だ。彼はすぐに、話を再開する。

 

「艦娘は、本当に、深海棲艦に対抗可能な存在なのか。大事なのはそこだ。だから俺は、何よりもまず、艤装の完成を急がせた」

 

そして、最初の艤装が完成した。それが、今から“二年半前”のこと。

 

「・・・ん?」

 

吹雪は首を傾げた。何かがおかしい。大きく矛盾している。釣り針のように、胸の内に引っかかる。

 

その正体に気づくのに、大して時間はかからなかった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。最初の艤装は、そんなに早く、完成していたんですか?」

 

「ああ。試作零号機なんて呼ばれてたその艤装は、すぐに適合者が見つかって、各種試験が開始された」

 

言葉の意味が理解できない。いや、わかってはいるのだが、それが何を意味するのか、飲み込めなかった。

 

最初の艦娘は、吹雪なのだ。当然、最初に艤装が完成したのも、最初に艤装を装着したのも、吹雪だ。司令官と二人三脚で、課題を洗い出し、現在の艦娘運用の基礎を作り上げたのだ。それが、約二年前の話。

 

吹雪の艤装が完成したのは、吹雪がこの鎮守府に着任したのとほぼ同時期だ。ジンイチが言っていることと、整合が取れない。

 

あらかじめ、この質問は予想していたのだろう。特に言い淀む様子もなく、ジンイチがさらに説明する。

 

「あくまで、試作艤装だ。俺が、艦娘がどれほどのものか、見極めるために完成を急がせた。だから細かなところで、今の艤装とは違うところがある。『試作』の二文字が取れた、量産型の艤装としては、吹雪のものが最初で間違いない」

 

でも、全ての最初ではない。

 

「試作艤装に宿された船魂の名前は“神風”と言った。種別は駆逐艦。だから俺も、試作艤装を背負っていた彼女を神風と呼んでいた」

 

―――神風。

 

それは世界を巡らせる風のこと。この国の危機に吹き付ける風のこと。

 

古来は元寇の際にやって来た台風のことも指す。

 

試作艤装を背負った神風という少女は、正しく深海棲艦のいるこの世界を動かした存在だったわけだ。

 

「試験運用は一か月で公試を終え、それ以後はより実戦的なものになった。経過は順調。人類も妖精も初めて作り上げた装置だったっていうのに、特に大きな問題もなく、艤装の試験は最終段階を終えた。ただ・・・一つだけ、大きな問題があった」

 

そうだ。それは兵器に限らず、あらゆる“革新的なモノ”について回る、共通の問題。吹雪と司令官もまた、その問題には直面した。

 

そもそもこれは、実用に耐えうるのか。

 

もっと噛み砕いた、簡単かつ明快な言い方をすれば、「そもそもこれは、本当に深海棲艦を撃沈することができるのか」ということになる。

 

「深海棲艦の生体サンプルでもあれば、そいつに向けて試し撃ちをすればよかったんだが・・・生憎、そんなものはなかったし、手に入れることもできなかった。だから唯一の確認方法は、“本物の深海棲艦と戦う”以外になかった」

 

いつかは解決しなければならない問題で、通らなければいけない道だ。

 

「どうすれば、安全に試験を行うことができるか。あらゆる方策の検討が行われたが、どれも現実的ではなかった。そうこうするうちに・・・来るべきものが、来てしまった」

 

鎮守府近海に深海棲艦のはぐれ艦隊が侵入したのだ。丁度、吹雪の時と同じように。

 

「なし崩し的に、決断せざるを得なかった。俺の見守る前で、神風は完成したてのドックから出撃していった」

 

隣に座る司令官が、お茶を握る手に力をこめる気配がした。なし崩し的な初出撃、という意味では、吹雪にも神風にも差はない。そのことを思い出しているのかもしれなかった。

 

吹雪には、神風の気持ちを推し量ることができる。同じように、司令官もまた、ジンイチの内心を理解できるのだろう。

 

「で、だ。戦闘の結果は、想像できるだろう?確かに試作艤装は、今の正式艤装とは差異があった。だが根本的なところは同じだ」

 

結果から言えば、神風は―――艤装の力は、深海棲艦に対抗することができた。

 

「神風の様子は、ぎりぎり陸から観測できた。凄まじいの一言だったよ。たった一発で、神風は侵入した駆逐艦を撃破して見せた」

 

ピクリ。吹雪の耳と頭は、不審な点を聞き逃さなかった。

 

たった一発。ジンイチがわずかに力を入れて放ったその言葉が引っ掛かる。

 

確かに艦娘の艤装は、深海棲艦に対抗し、撃沈することができる。できるが、たった一発で、敵駆逐艦を撃沈するなど、不可能だ。

 

鎮守府の駆逐艦娘で、もっとも砲火力の上限値が高いのは夕立、もっとも練度が高いのは吹雪だが、両名がどれほど全力で主砲を放とうと、またどれほど精密に敵の急所を突こうと、駆逐艦の「たった一発」などたかが知れているのだ。

 

ただ、一つの方法を除いて。

 

「有頂天だったよ。俺たちはついに、閉鎖された世界をこじ開ける、力を手に入れた」

 

ジンイチの顔に張り付けられた笑顔は、どこか自嘲的で。

 

ここまで聞いてしまえば、吹雪にも、話の先がわかってしまう。

 

・・・否。最早隠しても仕方のないことであろう。

 

吹雪は、この話を知っていた。一つ残らず、知っていた。

 

「ところが、だ。誤算があった。はぐれは一隻じゃなかったんだ。連れがいて、そいつらも、神風を撃ってきた。当然のごとく、神風は応戦する」

 

そして、勝った。初陣、それも数的不利な状況にありながら、神風は深海棲艦のはぐれ艦隊を返り討ちにしたのだ。

 

「衝撃なんてもんじゃなかった。艤装の力は、深海棲艦に対抗できるどころの話じゃない。数が不利でも、圧倒できるほどの力があった。俺たちは、初実戦を、完勝以上の戦果で飾ることができた」

 

まさに歴史を塗り替えるほどの大勝利だ。

 

それなのに、なぜ吹雪たちは知らなかったのか。

 

なぜ司令官すらも知らなかったのか。

 

そしてそれだけの戦果を挙げたにもかかわらず、なぜ神風はここにいないのか。鎮守府長に就任したのがジンイチではなかったのか。

 

どれほど大きな勝利にも、必ず犠牲がつきまとう。

 

どれほど革新的な技術にも、必ず犠牲がつきまとう。

 

華々しい話は、そこまでだった。

 

「帰り着くなり、神風が倒れた」

 

大勝利を収め、帰投してくる神風を、ジンイチはドックで出迎えた。しかし、その時から様子がおかしかったという。

 

「明らかに、いつもの彼女ではなかった。まるで何かに憑りつかれたみたいに、瞳孔が開いていた。いつも俺に笑いかけてくれる口元が、青白くわなないていた」

 

何かを懐かしむように、ジンイチが頬を緩める。今日初めて見る、自嘲以外での笑顔。

 

そこに重なるのは、やはり司令官の面影。吹雪たちを見守る、優しく暖かな笑顔。

 

「・・・普段の彼女は、とにかく明るくて、活発だった。暇な時も、よく俺についてきて、鎮守府の見学をしたりしてな。なんていうか、年の離れた妹ができた気分だった」

 

―――妹、かあ。

 

チラリと、司令官の方を窺ってしまう。静かにジンイチを見つめるその表情に変化はない。

 

同じように、司令官も思っているのだろうか?わたしたち―――わたしのことを、年の離れた妹、と。

 

大切に想ってくれることは嬉しい。けれども何なのだろう、このもやもやとしたものは。

 

絶対に越えられない壁を、突きつけられたような。

 

慌てて思考を振り払う。この方向はまずい。今は目の前のことに集中しないと。

 

「憶えてるか、親父のしてくれた怖い話。あれを彼女にしてやったことがあってな」

 

「・・・性格悪いよ、兄さんは」

 

溜め息混じりに司令官が呟く。司令官も、お父さんに聞かされたことがあるのだろう。よっぽど怖い話なのか。

 

クックッとさも可笑しそうにジンイチが肩を揺らす。

 

「仕方ないだろ。あんな得意げに『怖い話なんて、何ともないわよ』なんて言われたら、話すしかないって」

 

「兄さんのそういうところ、嫌いだ」

 

「そういや、お前に親父の怖い話を聞かせたのも、俺だったな」

 

なるほど。このジンイチという人物、余程人をからかうのが好きらしい。

 

こほん。ジンイチが咳払いを挟む。

 

「話が逸れたな。すまない」

 

「いや、いいよ。・・・ちゃんと、わかったから」

 

何がわかったのか。吹雪にだってそれくらいはわかる。

 

ジンイチという提督もまた、今の司令官と一緒だったのだから。

 

そうか。聞き取れるか聞き取れないかという声でジンイチが呟いた。腕組みをしたその体が、一回だけ大きく頷く。

 

「ドックで艤装を外してすぐ、神風は意識を失った。俺にはどうしようもなかった」

 

倒れた原因の診断と、早急な意識の回復が試みられた。しかし、優秀な鎮守府医務部をもってしても、医学的な原因を突き止めることができなかった。

 

「答えは意外なところから示された。工廠部だ。それが、船魂による神風の意識への過剰な介入という仮説だった」

 

艤装は船魂そのものといっていい。その力が発現するには、依り代となる宿主を必要とする。それが艦娘だ。

 

艦娘は、脳波コントロールを介して、艤装を操る。艤装の力の源は船魂だ。ゆえに、その逆、つまり船魂側からも、艦娘への介入があった。それが工廠部の出した仮説だった。

 

「盲点だった。船魂の過剰な使用は、確かに艤装の力を高める。しかし同時に、その反動を艦娘が受けることになる。連続した戦闘と、過剰な船魂の力が、神風の意識を侵したんだ。・・・その回復が、不可能なほどに」

 

あらゆる手を尽くした。しかし、船魂の過剰な介入を受けた艦娘の意識を、回復させる方法などなかった。

 

「二日後に、息を引き取った」

 

それが、この話の結末。

 

人類に希望を与えた少女は、その力の最初の犠牲者となってしまった。

 

「この件を受けて、艤装には改良が加えられた。船魂の過剰な介入を抑制する装置と、船魂の余剰分を艦娘の生命維持に回す装置だ。今、お前たちが『リミッター』と呼んでいるものだよ。俺の、最後の仕事にもなった」

 

以後、艦娘には、深海棲艦を圧倒するような力はなくなった。その代わりに、深海棲艦の攻撃を受けても、簡単には沈まないようになった。

 

以前、吹雪に送られてきた手紙に同封されていた資料は、神風に関する走り書きのようなメモが数枚と、このリミッターの開発に関する資料だった。

 

「二度と、神風と同じようなことが起こらないように、リミッターの管理は厳重なものになった。手順を複雑にし、工廠部で専門の人間が専用の道具を使わなければ解除できないほどにな。設計は、ユズルさんがやってくれた」

 

鎮守府工廠部長を務めるユズルは、艦娘の艤装開発に最初期から関わっていた。リミッターの開発に関わっているのも、当然と言えば当然だ。

 

「・・・だがな。同時にいつか、リミッターの解除を必要とするような状況が訪れることも、当然予想された。深海棲艦というのは、常に進化する兵器だからだ。だから俺たちは、ひとつだけ、抜け道を用意した」

 

資料の最後に書かれていたのは、洋上でのみ有効な、短時間でリミッターを外す方法だった。作戦中、何らかの理由で必要になった時、これを使ってくれ、とも。

 

―――やっぱり、この人が。

 

ジンイチが、吹雪に手紙を出した人。“司令官が来る前のこと”を教えてくれた人。

 

「後から話すが、俺はそれからすぐ、鎮守府を去った。リミッターのことは一先ずユズルさんに任せて、公表しないこととした。おいそれと教えるわけにはいかないからな。もしも多用されるようなことになれば、自然と上の連中の耳にも入る。それだけは何としても避けたかった」

 

それでは、このことを、具体的に、誰に託すか。当初から、ジンイチとユズルの間でも議論されていたことだったらしい。

 

「託す先は、艦娘と決まっていた。問題は、誰になら託せるか。誰になら、神風の意志を継がせることができるか」

 

「一年かけて、兄さんたちが出した答えは、吹雪に託すことだったわけか」

 

手紙の件は、司令官にも話してある。彼もまた、吹雪に届いた手紙の差出人の正体に、思い至ったのだろう。

 

「そういうことだ」

 

ジンイチの答えは短い。余程の確信をもって、あの手紙を出したらしかった。

 

「二つだけはっきりさせておきたい。なぜ、吹雪に託したのか。そして、誰がどこまで知っているのか」

 

真剣そのものの司令官の声は、どこか怒っているような気さえした。あの時―――吹雪がリミッターを解除した際にも、同じような声音だった。

 

「一つ目の答えは明白だ。艦娘の今後に大きくかかわるこの事実を、俺が預けることができると判断したのが、吹雪だった。それだけだ」

 

「だから、どうして彼女なら、預けることができると判断したんだ?」

 

「お前が一番信頼しているからだ」

 

―――えっ・・・。

 

ジンイチの指摘に、司令官がわずかに眉を跳ねさせた。その口から、新たな追及は出てこない。

 

ジンイチは構わず続ける。

 

「お前は、リミッター解除の方法を、知っているか?」

 

司令官は、知らない。存在だけは吹雪が伝えたが、具体的な方法については、教えていない。

 

―――「その方法は、吹雪の胸のうちに、秘めていてほしい」

 

これ以上、リスクが漏れないように。司令官は自らすらも、リミッター解除の方法を知る者から除外することを選んだ。

 

司令官が黙って首を横に振る。納得するように、ジンイチがさらに続けた。

 

「お前自身も含めて、解除の方法を知る人間を、一人でも減らす。そのために、その方法を、吹雪にだけ預けた。違うか?」

 

「・・・その通りだ」

 

「吹雪以外で、同じ判断に至ったか?今後の鎮守府に関わる秘密を、彼女以外なら、預けようと思ったか?」

 

言葉の後に続いた、重苦しいほどの沈黙が、司令官の答えを語っていた。

 

「・・・あの時点で、同じ判断をしたとは、思わない」

 

「そういうことだ。だから、吹雪に預けた。俺にしても、この方法が広まることは、避けたかったからな。あくまでリミッターの解除は、最終手段だ」

 

司令官が、一番信頼している、艦娘だから。こんな形でも、はっきり示されると、照れてしまう。

 

「まあ、単純に、彼女が一番艤装の扱いに慣れている、っていうのもある。それに、駆逐艦の船魂なら、まだ精神にかかる負担が小さいからな。これで、一つ目の答えになったか」

 

「・・・ああ。それで、二つ目は?」

 

「どれだけの人間が知っている、か。リミッター解除の方法があることを知っているのは、ここにいる三人と、ユズル工廠長、それと『独立艦隊』首脳部の五人だ。具体的な方法を知っているのは、俺、吹雪、ユズル工廠長だけだ。まあ、もう一人、今は昏睡状態の奴が、知ってるけどな」

 

昏睡状態の一人。思い当たるのは、『独立艦隊』の合流後、すぐに集中治療室に入れられた艦娘だ。ビスマルクの実妹だと聞いている。確か、ティルピッツと言ったはずだ。

 

司令官の質問に答え終わったところで、話を切り替えるように、ジンイチは湯呑みに口をつけた。唇を湿らせて、二つ目の案件について話を始める。

 

「ここからは、俺がこの鎮守府を去ってからの話をしよう」

 

二年前、神風を失ったジンイチは、その直後に失踪している。その後どのようにしてリランカ島に辿り着き、そこで『独立艦隊』を組織したのだろうか。

 

「神風を失ってすぐ、俺が統合海軍省に出向いた時だ。元DB機関の人間で、深海棲艦の行動について研究していた奴が、声をかけてきた。『“あること”を証明してほしい』、そう言っていた」

 

“あること”について、この場で説明するつもりはないらしい。ジンイチは話を続ける。

 

「その頃の俺は、すでに鎮守府長を辞するつもりだった。すでに一人の命を“交換”した俺は、きっとこの先も、別の命を交換してしまう。艦娘は非常にデリケートな存在だ。命と結果の交換をしてしまった俺は、きっとこの先も、少女たちの命を交換し続ける。それにいつしか、耐えられなくなる娘が出る。それは避けなければならない。これは、妖精たちとの約束でもあるしな」

 

命の交換、という言葉が引っ掛かった。そこにどんな思いが、感情が込められているのかを、吹雪には読み取ることができない。これがジンイチの本音にも、あるいは何か別の言葉を隠しているようにも取れる。

 

二年という時間、この人はずっと、そんなことを考えていたのだろうか。

 

「ともかく。俺は、そいつの提案に乗ることにした。提督とは別の方法で、この世界を変える手段を見つける、そう決めた。・・・それが、責任逃れでないと、否定するつもりはない。神風を失ったこの地から、少しばかり距離を置きたかったのも、事実だ」

 

どんな理由や意図があったにせよ、ジンイチは覚悟を決めたのだ。

 

「俺がリランカ島に渡ったのは、一年半ほど前のことだ。大陸沿いに、潜水艦で移動した。そうして辿り着いた先で、俺は協力者を募り、『独立艦隊』を創設した。“あること”を証明するためには、彼女たちの協力が不可欠だったからだ」

 

「兄さんがここにいるということは、“あること”を証明できたということか?」

 

「その通りだ」

 

目的をやり遂げたはずなのに、ジンイチの瞳には何の感慨も感じさせない。むしろ何かを憂いているかのような、鋭い眼光が宿っている。

 

「あえて訊く。兄さんは何を証明したかったんだ?」

 

「お前も知っていることだ。証明するべきことは三つあった。俺はそのうち一つを証明し、もう一つは俺に話を持ち掛けてきた奴が証明した。そして、俺たちの目的は、“三つ目が証明されないようにする”ことにある」

 

意味深な謎かけに、司令官もジンイチも、難しそうに目を細めている。ただ一人、困惑するだけの吹雪に、答えをくれるものはなかった。




うむむ・・・せりふが・・・せりふが長いし、多い・・・

ジンイチと鎮守府の過去が明らかになりましたね

“あること”が一体何なのか。証明されてはいけない理由とは。この物語のクライマックスまで繋がる部分です。全く意味不明な文章が多かったかと思いますが、憶えておいていただけると幸いです

(吹雪と司令官のナチュラルいちゃいちゃが書きたかった・・・)

次回かその次辺りで、クリスマス回をやろうと思います!


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