蛇 ~教唆するモノ~ (トル)
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小悪

『やあ、はじめまして、英雄の息子どの』

 

『もちろん知っているさ。そう聞いたからこそ来たのだろう?

 ……その通り。私は君の父親と共に戦場を駆けたこともある、

 英雄譚の脇役の一人といったところかな。まぁ、イレギュラーなのだがね』

 

『うん? ああ、気にしなくていいさ。

 それで、彼の話を聞きに来たのだろう?』

 

『そうだね、もちろん聞かせてあげるとも。

 ……とはいっても、少し気になることがあってね。

 それを先に質問させてもらっても良いかね?』

 

『たいしたことでもないさ。

 君は。「正義」を目指しているのかい?』

 

 

 

『……そうだろうね。ああ、当然のこと、だね。

 ふむ、君にはわかりきったことだろうけど、少しつまらない話をしようか』

 

 ──────────あるところに、下卑た男がいた。

 

 男は女性の下着を愛好し、当然のごとく盗みを働いた。

 あるときは女性の部屋に忍び込み、

 あるときは洗濯され干されているものに手を出し、

 それどころか路上で強引に剥ぎ取り掠め取ることすらもした。

 

 多くの女性が羞恥に泣き、多くの女性が羞恥に怒り、

 勿論他人の所有物の窃盗であるがゆえ、警察も動き出す。

 しかし男は逃げること、隠れることを得意とし

 泣きうずくまる女性を見ては満足して(わら)い、

 怒り叫ぶ女性や治安を守る警察から逃げながら

 挑発と嘲笑を繰り返しつづけた。

 

 男は他者の物を盗み奪うことにためらいがなく、

 女性や子供の心を傷つけることにためらいがなく、

 それどころか辱め嘲笑うことに悦びすら抱いた。

 

 男の犯した罪は十を越え、すぐに五十を過ぎ、

 百に至っても止まることなく、二百、三百、五百……

 窃盗犯などと軽く見られなくなるほどの悪行を重ねた。

 当然男の犯行の被害を受けた者もそれだけいた。

 男はそれを一切省みることなく、

 それどころか自身の為した汚れた「成果」を誇った 』

 

『男の罪が千を超えてしばらくして、

 正義や制裁のもと男を追っていた者達により男は捕まった。

 男には罪に相応しき、長期の懲役という罰が決められた。

 

 男は泣いて詫びた。

 俺はとんでもないことをした、

 ようやく罪の深さを理解した、

 女性たちには悪いことをした、

 もう二度とこんなことはしないから許してくれと。

 

 しかし罰は(くつがえ)らない。

 男が積み重ねてきた罪はあまりにも大きく、

 男の言葉を信じるには男は悪行を重ねすぎた。

 そして男は投獄された。

 

 獄に落ちてなお男は詫び続けた。

 涙ながらに詫び続けた。

 それこそ心の底から詫びているように。

 当然ほとんどの者は信じなかった。

 そもそも罪に対する順当な罰である。

 詫びも反省も関係ないことだと。

 

 だがとある若き看守はわずかに男に惹かれた。

 その涙ながらの謝罪に心を感じ取った。

 看守は男の話に少し耳を傾けるようになり、

 男も看守に信頼と友情を寄せた 』 

 

『とはいえ看守が男にかすかな信用を寄せたとしても

 罪人である男に看守がしてやれることはたいしてなかった。

 せいぜい男のこまごまとした要望に応えてやるくらいだった。

 

 日頃にあれば少し助かるような小道具を融通し、

 看守の生活や愚痴をときたま話し、

 外での作業のときにわずかに自由を与えるくらいに。

 

 ……男は頭が回った。

 当然のこと。

 数多(あまた)の罪を重ね、

 多くの恨みを買い、

 それでも逮捕捕縛の専門家に捕まることなく、

 それどころかさらに犯行を重ねることができる男だったのだから。

 

 男にとって、看守にできる程度の融通で十分だった。

 

 そして男は脱獄を果たした 』

 

『男は他者から盗み奪うことをためらわない。

 男は女性の心を傷つけることをためらわない。

 

 そして、他者を騙し自分の為に利用することをためらわなかった 』

 

『男は罪に反省などなく、

 罪悪感など欠片もなく、

 当然のごとく罰から逃げた。

 

 

 

 ……さて、これは実在した、

 そして今なお逃走を続けている犯罪者の話だったわけだけれど。

 君はこの男をどう思う?』

 

 

 

『その通りだろう。この男は紛れもなく「悪」であり、

 野放しにすることは許されまい』

 

『うんうん、ところでだね。

 その男というのは』

 

『オコジョ妖精でね』

 

『そう、そこでさっきから器用に冷や汗を流しているね』

 

 

 

 

 

 

『さて、さて。

 どうするのかね?

 友人だから悪を見逃すかい?

 定められた罰を避けて君の独断で説教で済ますかい?

 

 ──────存分に考えるといい、ネギ・スプリングフィールド』

 

 

 



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吸血鬼(前)

『やあ、こんばんは』

 

『まだ迷っているようだね。

 いや、自分の決断を胸を張っては誇れないといったところか。

 ああ、それでいいとも。

 迷いながら道を決めることは悪いことではない。

 自分が、ある面では正しくないことをしている自覚を持ち

 自分が絶対に正しい存在というわけではないということさえ

 理解していれば、それでなんの問題もないさ。

 ……まだ君には、自身の「悪」を認める余裕はないようだけれど』

 

 

『落ち着きたまえ。君の父親とて通った道だ。

 そうだとも、父親の考え方というものも知りたくはないかい?

 そう、まずは聞くことだ。

 小言を言わせてもらえば、近くにいる相手に大声で反論するのは

 いささか格好悪いことだよ?』

 

『まあ、実はあの馬鹿の場合は悩んだり迷ったりはほぼなかったがね。

 やつは難しいことを考えるくらいなら

 敵を殴りとばして事態を解決しようとする男だったから。

 まあ男として最も大事な場面では随分悩んでいたけれど。

 ああ、なんでもないさ。結局そのときも考えることを放棄してたしね。

 ただ君はつい考えてしまうだろう?

 やつが気分で生きて気付いたら突破していたような壁でも、

 君は考え抜いた果てに突破するべきだと私は思うよ』

 

『そうだね、もともとやつの話をするという話でもあったし、

 やつがそれなりに大きく関わった、とある賞金首の話をしよう。

 そして君の考えを聞かせてくれ。

 ……そんなに嫌そうな顔をするな。

 たしかに前回の話と主題は似たようなものだが、最終的にはやつの話になる。

 それに今の君に役立つ話さ』

 

 

 

 

 ──────────それは夜闇の物語。

 

 その名を聞けば民は怯え、

 その名を聞けば兵は震え、

 母は泣く子を黙らせよう。

 

 それは人に害為す者。

 それは人に仇為す者。

 

 何処からとも無くやってきて、

 罪無き人を喰らってく。

 何処へとも無く去ってゆき、

 追う人々も喰らってく。

 

 その牙(わら)いの下に見え、

 か弱き娘の首を穿つ。

 その爪(わら)いと共に舞い、

 強き勇者の首を裂く。

 

 闇が空の灯火を覆い、

 氷が大地の息吹を奪う。

 

 それは人に害為す者。

 それは人に仇為す者。

 

 それは娘を喰らう鬼。

 それは父をも殺す闇。

 

 悪しき音信(おとずれ)さあ来たる。

 禍音(かいん)の使徒がさあ哂う。

 

 出遭うことなかれ、

 触れることなかれ、

 争うことなかれ、

 知ることなかれ、

 されども許すことなかれ。

 

 それは人に害為す者。

 それは人に仇為す者。

 

 どうか天よ。

 どうか光よ。

 どうか炎よ。

 どうか世界よ。

 

 彼の者に滅びを与え、我らを守り給え──────── 』

 

 

『───────恐怖をもって謳われるほどに、その化物は殺し抜いた。

 数え切れぬほどの兵を殺し、長く永く生き抜いた

 いや、その化物の恐れられた理由はそんなものではない。

 鍛え抜かれた兵の集団を相手にしても

 一方的な殺戮を可能とするほどの強さではあったが、

 それが恐怖の中心ではなかった。

 

 その化物は、人を食う。

 

 人を殺し。

 人を喰らい。

 殺そうとする人をも食う。

 

 幾度も幾度も、化物を討伐しようと人は動いた。

 だが化物はその人々をも殺し、喰らった。

 殺すたびに化物の首には賞金がかけられ、

 それを狙った者達もまた化物の餌となった』

 

『知っているだろう?

 そう、吸血鬼、さ。

 君はこの化物についてどう思う?

 ……深く考えることはない、素直に思ったことを言ってくれたまえ』

 

 

 

 

『それが自然な感情だね。自分を食う存在は怖い。当たり前だとも。

 人を殺すこと、そして食うことは悪いこと。「悪」だね。それもそうだ。

 だからこそその吸血鬼は世界規模で最高額の賞金首となった』

 

『──────さて。ではもうひとつの、夜闇の物語だ』

 

 

 

 

 ────あるところに少女がいた。

 

 少女はそれなりに恵まれ、それなりに苦難もある、

 ごく普通のありふれた生を送っていた。

 そこにはかけがえのない平穏があり、

 ささやかなれども幸福が満ちていた。

 父を慕い、母と笑い、少女は素直に生きていた。

 

 だが、とある狂気が理不尽にもその平穏を奪った。

 それは少女の(とお)の誕生日のことだった。

 

 狂った男がいた。

 自身の知を盲信し、追求し、果てに狂った男だった。

 男は強大な力を自らの手で作り出すことを求めていた。

 男が少女を選んだ理由は知れない。ただ少女は選ばれた。

 男はその狂気のもと、罪無き少女に呪いをかけた。

 

 その呪いは強大なもの。

 狂いながらも才に溢れた男が全霊をもって刻んだ呪禍。

 男の目指した全ての通りに狂いきった祝福。

 少女に抗う術などありはしなかった。

 

 何が起きたのか、正しく知るものは既にいない。

 その呪われ狂った夜のことなど、知りたがる者は居はしない。

 

 少女が目覚めたときには、少女は血に濡れていた。

 少女の血ではない。

 少女が足蹴(あしげ)にし、

 少女が掌に持ち、

 少女の腹を満たしている者達の血。

 その者達は、かつて父母(ふぼ)と呼ばれていた。

 

 少女は元来から(さと)かった。

 少女にとっては聡すぎた。

 自身が何に、一体何をしたのかを理解してしまえたのだから。

 少女の絶望と悲嘆が、世界を震わせた。

 

 男はそれを見下ろしながら大声で哂った。

 成功だと。流石は己だと。

 狂いきった哂いが、少女の世界に響き。

 少女の憎悪と狂気が、男を殺した 』

 

『理不尽に全てを奪われ、元凶を殺してしまった少女。

 千々に乱れた心のまま、少女はただ人の居る場所を目指した。

 それはわずかに少女に残されたかつての繋がりでもあった。

 

 しかし人に出会ったときこそ、少女が全てを失ったのだと知る時だった。

 

 それは呪いだった。

 それは祝福だった。

 それは狂気だった。

 それは絶望だった。

 

 男が少女に刻んだモノは、男が死してなお少女から理不尽に奪い続けた。

 

 少女は食べてはならぬものを食べた。

 食べることしかできなかった。

 男の呪いは、少女にそれを食べさせた。

 

 少女は人を見たとき、血を(すす)らざるを得ない化物になっていた 』

 



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吸血鬼(中)

『少女は追われた。

 当たり前だ。罪無き人を殺したのだから。

 少女は逃げた。

 当たり前だ。罪無き人を殺してしまったのだから。

 

 少女は()いた。

 三日三晩で足らぬほどに、

 この世の果てまで届かんがほどに。

 世界を呪った。

 自身を呪った。

 永き時をかけて、少女は呪い嘆き続けた。

 

 悲嘆の果てに、空虚となっても少女は生きていた。

 食わずとも飲まずとも、飢えながらも少女は生きていた。

 それも男の呪い。

 男は容易に死なぬ強大な存在を作り出したのだから。

 

 少女の身体が容易に死を選べぬ強さがあったのも不運だったろう。

 少女の心に壊れてなおわずかに正気を取り戻す強さがあったのも不運だったろう。

 

 それから少女は呪われた生を生きてゆくこととなる 』

 

『運悪く時代がそうだったのか、

 時代がそうだったから少女は呪いを受けたのか。

 どちらにしても、時代は彼女にとって最悪な歓迎を示した。

 

 たとえ少女が全霊を注ぎ吸血衝動を抑えることに成功していようとも、

 少女を呪った世界は少女に優しくなかった。

 

 最初は困窮が少女に立ち塞がる。

 少女が目的もなく辿り着いた辺鄙な村は、少女を迎え入れることはなかった。

 十の少女では仕事など期待できるはずもなく。

 働けぬ者を養えるほど村に余裕はなかった。

 

 続いて欲望が少女を襲う。

 無情に追いたてられた少女が次に訪れた村では、少女を受け入れる男がいた。

 少女はその優しさに喜び泣いたが、その夜には再び絶望の涙となる。

 男は少女の体を強引に求めた。

 それが男が少女に期待した仕事だった。

 男は卑しく笑いながら押し倒したが、少女が反抗の加減を知らなかったことは幸か不幸か。

 男は上下ふたつに裂かれ、少女はあらためて己の力を知る。

 

 罪の意識と恐怖で村を逃げ出した少女は、暫くは獣を食って過ごした。

 それが化物である己の生き様なのだと暗く淀んだ瞳で理解して。

 

 生きた獣に喰らい付くことに躊躇いを覚えなくなった頃、少女は狩人と出会う。

 狩人は少女を行き倒れと思い、己の村に連れ帰ることにする。

 少女は狩人を信じてなどいなかったが、十の子供に孤独は過酷すぎた。

 わずかな温もりが、狩人の腕を払う意気を失わせた。

 

 狩人の村はそれなりに裕福だった。

 だからこそ少女を受け入れる余地があったし、狩人の心にも余裕があった。

 狩人の妻は少女を可愛がり、明らかに凄惨な経験をしたと思しき少女に村人は優しかった。

 言葉少なに話す少女に、大人も子供も笑って促した。

 人々の温もりは少女の心をわずかに癒し、少女にかすかな希望を与えた。

 

 月を過ぎ、年を越え、少女は村に馴染んでいった。

 極限まで擦り切れていた心もいくらかは癒え、少女は少しだけ笑顔を取り戻した 』

 

 

『けれど。

 少女の姿は年を経ても変わることなく。

 少女の油断と不注意で時折見える、少女に不釣合いな怪力や強靭性。

 それは村人達に疑心を与えることとなる。

 

 

 時代は少女に逆の意味で適合した。

 

 時は信仰と欲望が蔓延り、死と暴力が限りなく身近な戦乱の世。

 神の敵たる魔女を、人々は恐れた。

 宗教家が伝える魔女の恐怖は、人々の根底まで根付いていた。

 

 信仰に従う聖職者は、信仰に順ずるため魔女の断罪を求めた。

 信仰を道具とする愚者は、自己の為に生贄となる魔女を求めた。

 信仰をまとわりつかせた人々は、自己の安全のため魔女を恐れた。 

 

 人ならざるものの気配を秘めた少女が、贄とならぬはずがなかった。

 

 優しかった村人の目が恐怖と憎悪に濁り、

 成長したかつて共に遊んだ子供達は気味悪がり、

 少女を受け入れたはずの狩人と妻ですら少女に怯えた。

 時代に満ちていた信仰が、少女が掴みかけたものを奪い取った 』

 

『神明裁判というものがある。

 

 魔女は人と姿が変わらぬ。

 人の敵でありながら人に擬態するおぞましきもの。

 その化けの皮を剥ぐためにはどうするか。

 

 神に問えば良いのだ、と信仰者達は結論を出した。

 人は神に守られる。魔女は神に仇為すもの。

 答えは神が教えてくれる、と。

 

 魔女の疑いをかけられた女がいた。

 他の女より美しく若々しいと。

 魔の力によるものではないかと。

 では神に問うてみよう。

 重石をつけて水に沈めよ。

 魔女でなければ神が守り、女は生き残るであろう、と。

 結果、女は魔女だったのだと認定された。

 水の底に放置され、美しかった顔は膨れ腐り忘れ去られた。

 

 魔女の疑いをかけられた男がいた。

 魔女(witch)に性別は関係ない。

 他の者より裕福だと。

 魔の力により不当に得ているのではないかと。

 では神に問うてみよう。

 首に縄をかけ、台座の上から落とせ。

 魔女でなければ神が守り、男は生き残るであろう、と。

 結果、男は魔女だったのだと認定された。

 男の死骸は見せしめとされ、男の財は教会が回収した。

 

 そして少女もまた神明裁判によって裁かれた。

 十字架に(はりつけ)とし、火であぶり焼け。

 魔女でなければ神が守り、少女は生き残るであろう、と。

 

 少女は炎に包まれながら、全てを呪った。

 少女を化物にした男を。

 少女を殺そうとする人々を。

 少女を受け入れることのない世界を。

 少女を救うことのない神と呼ばれるものを。

 

 そして少女は、炎に焼かれながらも苦痛に叫ぶだけで死ぬことのない自分が、

 それほどの化物なのだと泣き叫びながら理解し。

 最強種たる己の本来の力を、初めて正しく解放するに至った 』

 

『目覚めた少女は世界を駆けた。

 神の信仰者に追われ、甘言の毒を幾度も味わい、

 そして殺そうとしてきた者を殺し返すうちに少女の名は知れ渡る。

 信仰のために少女を殺そうと追う聖職者がいた。

 賞金のために少女を殺そうと襲う賞金稼ぎがいた。

 復讐のために少女を殺そうと誓う名もなき人々がいた。

 そしてその全てから逃げて、隠れて、殺して生き延びる。

 少女の悪名がさらに広く、強く、知れ渡る。

 

 そして正義の魔法使いも、悪を裁くべく動き出す。

 

 化物を殺す(すべ)をもつ彼らは、少女にとって最も恐ろしい敵だった。

 逃げても逃げても追ってくる。

 少女から彼らを襲ったことなどなかった。

 だが彼らは自身の仇敵のごとく少女を憎み、殺しにかかった。

 なぜなら少女は「悪」であり、悪は問答無用に滅ぼすべきものだったがゆえに。

 

 少女は傷付き、恐怖し、死にかけながらも。

 必死に生き抜こうとした。

 襲い来た魔法使いを捕らえその術理を調べ、

 身を隠しながら魔法を身につけ、

 次々と起こる襲撃で実践していった。

 

 人々が青春を謳歌し輝く歳の頃には、

 少女は逃げ隠れ戦い殺し生き残る術を血と泥と涙に(まみ)れながら培っていた。

 人々が労働を知り汗を流す歳の頃には、

 少女は正義という言葉を憎悪しながら炎や氷から身を守る術を模索していた。

 人々が家庭を持ち穏やかに笑う歳の頃には、

 少女は色のない顔で捕らえた敵を拷問していた。

 人々が老いて己の成果を次代に託す歳の頃には、

 少女は数多の敵を相手に冷笑していた。

 

 人々が代を重ね、その様相を変えていこうとも。

 少女の死と暴力の世界は、どこまでも続いた。

 国々が移り変わり、世界の法が変わろうと。

 少女は悪と呼ばれ続けた。

 

 いずれ少女は己の罪を認めた。

 若き頃は全てを嘆き恨んだ少女であったが。

 積み重ねた罪が。

 踏み越えた死が。

 憎悪が恐怖が絶望が悪意が。

 少女の心を踏み固めた。

 そして少女は、「悪」を名乗る。

 

 いくら時を経ようとも、その姿は少女なれど。

 彼女の重ねた年月は、少女を一人の魔女にした 』

 

 

 

 

 

 

『……さて、少年よ。正義を志す若者よ。

 「悪」とは果たして何なのだろうかね?』

 

 



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吸血鬼(後)

『ふふ、私が何を言いたいかって?

 別に何かを言いたいというわけではないよ。

 ただ私は、君の世界を広めるだけさ』

 

『そう、世界。

 君の知っていた世界は、

 正義と悪が明確で。

 悪は正義に裁かれるもので。

 人は善意と正義に満ちた存在。

 そういう、単純な世界だっただろう?

 だけれども、本当の世界はそれほど単純なものではない。

 綺麗なものでも、分かりやすいものでもない。

 いろんなものが満ち溢れて、ぐちゃぐちゃに混濁したもの。

 それこそが世界というものだ』

 

『そこにあるものは不確実で。

 何を信じれば正しい、なんて答えはなくて。

 ただ、そこにある。

 そんなぐちゃぐちゃな世界の中で、君が何を選びどう生きるのか。

 そこに私の興味がある。

 限定された用意された世界で、決められたように綺麗に正しく生きる、

 そんな生き様はつまらないだろう?』

 

『だから私は君に世界を教えよう。

 君が見ることも聞くこともしてこなかった世界を教えよう。

 その広がった世界で君が何を選ぶのかは君次第だ。

 君の好みでいい。

 君の信念でいい。

 ただ「誰かがこう言っているから」と

 何も考えず見たくないものから目を逸らして生きるのはやめてほしいものだね。

 まぁ、あくまで私の希望なわけではあるが』

 

 

 

『ふふ、急ぐ必要はないさ。

 どうせ君に見えていない世界はまだまだ多い。

 ゆっくり生きていきたまえ……っと、

 そういえばもともとはあの馬鹿の話をするという話だったね』

 

『そうとも。

 では少し、馬鹿のやった馬鹿と、「彼女」の新しい苦難を語ろうか────』

 

 

 

 ──────彼女は「悪」の伝説となった果てに、英雄と出会った。

 

 英雄は正義の象徴であり、彼女と相反する存在だった。

 ゆえに彼女と英雄が出会ったとき、戦いとなったのは必然だっただろう。

 

 彼女からしてみれば。

 

 だが英雄は正義を語らなかった。

 英雄もかつては正義を振りかざしていた。

 けれど英雄の歩んだ軌跡が、見てきた世界が、英雄に「正義」を手放させた。

 過ぎた愚劣悪逆を嫌悪することはあれど、ことさらに正義を語ることもなかった。

 己の思想に従って、自由に生きていた。

 ゆえに、「悪」と「正義」の戦いにはならなかった。

 

 二人の間で起きた戦いは、

 あくまで「彼女」と「彼」の戦いだった…… 』

 

 

『……迷いながらも目を輝かせているところに悪いのだがね。

 それほど格好いい話には……いや、なんでもないとも。格好いいとも』

 

『……彼女と英雄の戦いは一月にも、及ん、だ。うん。

 英雄は歴戦の彼女を知略、に、くくっ、おいて翻弄し、うん。

 幾度も彼女を敗北させるに至った。

 

 けれども英雄は彼女を殺すことなく。

 敗れてなお挑み続ける彼女を翻弄し続けながら。

 語り触れ彼女の孤独と凝固した心を溶かしていった。馬鹿なりに。

 

 一月の戦いの最後。

 予期せぬ騒乱が二人を巻き込んだ。

 英雄を追う魔の者が、英雄が関わった村を襲った。

 英雄はすぐさま察知して駆けつけ、彼女もまた様子見に参じた。

 そして英雄と魔が戦い始める。

 多くの魔を相手にしてなお英雄は強者だった。

 その武は圧倒的であり、魔が幾ら数がいようと関わりなかった。

 されどその魔は卑劣だった。

 村の子供を質として、英雄の動きを縛った。

 英雄が歯噛みし、魔が笑ったとき……

 彼女が敵たる英雄に力を貸した。

 

 彼女と英雄二人の力に、卑劣な魔では届くはずもなく。

 二人は容易に村を救った。

 

 村の感謝は彼女にも向かい、それもまた心を溶かす温もりとなる。

 

 そうして。

 彼女は英雄を認め。

 

 英雄を愛した 』

 

 

『英雄はその(のち)、彼女に悪行の罰という名目で一つの(まじな)いをかける。

 

 人の中で生きよ、という呪いを。

 

 それは彼女の自由を縛るものであり、悪の矯正という説明はなされたが。

 彼女を害しえぬように英雄は配慮しており。

 彼女が暴力や悪意から離れ、人々と交えることのできる呪い。

 それが彼女のことを思っての呪いであることは明らかだった。

 

 英雄は馬鹿で。単純で。考え足らずの暴走気味な存在ではあったが。

 それでも正しく「救う者」だった 』

 

 

 

 

 

 

 

 

『─────ここまでは、良い話。

 

 英雄は彼女を救うための道を用意した。

 

 けれども。

 

 彼女を救い切る前に、英雄は世界から失われた 』

 

 

 

 

 

 

『英雄は約束していた。

 彼女が光に生きれば、呪いを解き自由にすると。

 彼女は積極的にではなくとも、英雄の指針には従っていた。

 次に英雄が訪れたときに解放されるだろうと信じていた。

 

 決められた土地に縛られて一年。

 慣れぬ人の中の生活で、困惑を続けた。

 

 二年。

 ある程度の慣れとともに、自らと無縁だったものを楽しんだ。

 

 三年。

 そろそろ良いのではないかと、英雄を待つ。

 

 四年。

 英雄は現れることがない。

 彼女が親しくなった人々がいなくなっていく。

 

 五年。

 変わることのない日常。

 他の人々には通過点でしかないその場所は、彼女に知己を与えない。

 三年も経てば、ほとんどの知己は去っていく。

 

 六年。

 努力する目標も、努力する意味も見えない日常。

 彼女は孤独に戻りゆく。

 

 七年。

 八年。

 英雄の用意した彼女の為の道は、彼女を苛むものとなっていく。

 

 九年。

 十年。

 彼女を救った者は帰ることなく。

 彼女を再び救う者は現れない。

 

 十一年。

 十二年。

 十三年……

 自由なき籠の鳥。

 意味なき日々の繰り返し。

 どうせ過ぎ去るものと、深く近付かなくなった人の森。

 

 彼女は人の中にいながら、避けえぬ孤独を受け入れる───────』

 

 

 

 

みんな幸せ(ハッピーエンド)では終わらなかった、ということだね。

 ……ふふ、そんな顔をするものではない。

 まだ「彼女」の生が終わったわけではないのだから』

 

『さて、ね。

 ところで少年。

 もし、この「彼女」に出会ったら、君はどうする?』

 

 

『……まぁ、確かに父のやり残したことには違いないけれど。

 

 傲慢だね、少年』

 

 

『「かわいそう」? たしかに彼女は悲惨すぎる生を歩んだ。

 しかし、ね。

 君如きに同情されるほど、彼女は卑小な存在ではない』

 

『同情さ。悲惨な経験を歩んだものを、君は「かわいそう」と思うだろう。

 だがそれは恵まれた生を歩んだ者が、上から目線で哀れむ視線だ』

 

『少年。

 悲惨な過去をもつということは、それを乗り越えたということだ。

 それを乗り越えられるほどの強者だということだ。

 その崇高なる者を、上から目線で哀れむ? 大概にしたまえ。

 君が彼女の背負った不運に見舞われたら君はどうなるだろうか?

 彼女のように戦い抜けるか?

 彼女のように生き延びられるか?

 彼女のように強く気高くあれるのか?

 

 分かるだろう?

 君が凄絶な過去を持つ者に出会ったときに抱くべきは、同情ではない。

 その者の持つ強さの理解と驚嘆と。

 己より遥か高き者へ向けるべき思い、だ』

 

 

 

 

『……君はやはり聡いね。視野が広がれば、理解すべきは理解する。

 

 さて。今日の話はなかなか参考になっただろう?

 …………ふふ、君の辿り着く結果を楽しみにしているよ』

 

 

『ああ、そうだ。

 次に来るときは、可愛く美しい、気高い仔猫(キティ)でも連れておいで』

 

 



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