感染 (saijya)
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プロローグ

始まりだよ


 福岡県北九州市八幡西区黒崎にあるアーケードカムズ通り、廃れた雰囲気を醸し出しているのは、昼間にも関わらずどこもかしこもシャッターを締め切っているからだろう。そんな人通りが殆どない中、その中心部でおぼつかない足取りのまま、パチンコ店から出てきた20代の男がいた。

白濁とした瞳、獣のような呻き声、それはかろうじて人間の姿を保っていた。保っているだけだ。

 喉元は抉られ、腹部には穴があき骨を露出させている。ダラリと下げられた右腕は薄皮一枚でかろうじて繋がっているだけで今にも落ちてしまいそうだ。

 獲物を探すように歯をカチカチと鳴らしていた時、顔の上半分がいきなり弾け、歩くように前のめりに倒れた。硝煙をあげた銃を構えたまま現れたのは軍服に身を包んだ若い男だった。

 銃のマガジンを落とし、新たな一本を入れ、油断なく死体に近づき靴先で確認するように3回軽く蹴るが、反応は示さなかった。吐息をひとつ挟み、男は死体のポケットを探り始める。煙草と携帯電話だ。

 銘柄は違うが、調度煙草を切らしていた所だった男は、思わぬ僥倖だと喜び一本だけ抜き取ると口に咥え、残りをポケットに入れ、携帯へと手を伸ばそうとしたが、アーケードの入口から幾重にも重なる影が伸びてきている事に気づき、携帯をタイル張りの地面に叩きつけるようにして捨て、振り返ることもなく走りだした。

 

「くそったれが!一体この世はどうなっちまったんだよ」

 

 そこまで広くはないアーケード内では大破した車や、車同士の正面衝突に挟まれた女性が、潰れたフロントに身体を貫かれたまま苦悶の表情で天井を見上げている光景が映る。

 必死に足を動かし、二つ目の十字路を抜けた。男にとっては慣れた道だった。どこをどう行けば良いのかなんて身体が覚えている。男は巨大なライオンの顔を模したオブジェを横目にまっすぐに伸びる道を睨みつけた。

 ここを越えれば大通りだ。そこならば誰かいるかもしれない。そんな期待を込めながら激しく肩を上下させていた。

 背後から聞こえた何十もの足音に突き動かされるように男が顔をあげ走り出そうとした瞬間だった。

 突然、自身の身体に衝撃が走り、男は横倒しになった。なにが起こったのかを理解する前に、右肩に激痛が走る。

 そして耳元で聞こえる獣声にも似た低い声、ようやく理解が追いついた男は恐怖と苦痛が入り混じった悲鳴をあげた。

 

「うわああああああああああああああ!」

 

 白く濁った眼球と目が合う。どうにか引き離すために伸ばした腕は、呆気なく捕らえられてしまい、手首に口元が伸びる。直前まで何かを食べていたように紅く染まった歯には固形物がそのまま残っていた。

 気にする素振りも見せず、男は手首を抉られた。あまりの痛みに叫泣を出そうとしたが、それは叶わなかった。 追いかけてきていた集団の先頭が倒れた男に襲い掛かり、喉元に喰らいついたからだ。

 それを皮切りに、男の身体に群がった死者達の歯が刃物のように男の全身に突き刺さっていく。

 

「むぐううううううううううううううう!」

 

 痛い!痛い!痛い!痛い!いたいいいいいいいいいいい!

 こんな時、どれだけ声を上げられれば楽になったのだろう。男の口内には大量の血液が溜まり、肺に残された空気が、ごぼごぼ、と音をたてさせていた。叫び声を上げられず、自由が利きづらくなった四肢をどうにかバタつかせていたが、とまる事の無い地獄のような痛みの最中、見開かれた眼球に映ったのは夥しい数の指。

 涙で熱を帯びた眼に異物が入り込んだ。

 

「うううううううううううううう……」

 

その本数が5本を越えると同時に、男は意識を手放した。

 

 




こんな感じです。


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第1話

ここから本当に1話です
誤解させてしまい申し訳ありませんでした


「先程、乗客を500人ほど乗せた大型ジャンボジェット機が福岡県北九州市の皿倉山に墜落したと一報が入りました。現場に到着した警察や自衛隊の話しによると、乗客の生存者は確認されておらず、絶望的とみられております。尚、積荷の中には、厚労省のもとに管理・運輸されていた化学薬品が積まれており、漏洩の危険もある為……」

 

 岡島浩太は、そこでテレビを消した。折角のオフの日に、緊急収集が入ったので、一体何事かとテレビを点けて見れば悲惨な事故現場の映像が流れ出した。

 ああ、今日は同僚と遊びにでも出かける予定だったのに、なんて災難な一日なんだ。一人暮らしのワンルーム、洗濯したばかりの迷彩服に袖を通すのも嫌になる。

 浩太は、冷蔵庫から牛乳を取り出すと一気に飲み干して部屋を出た。

 皿倉山といえば日本三大夜景に認定されている八幡東区にある有名な観光スポットだ。そんな所に墜落したなんて、冗談にしか思えない。

 それも、滅多に無い完全な休日にだ。不謹慎ながらも、車に鍵を差込みながら深い溜息を吐き出すと、アクセルをゆっくりと踏んだ。

 集合をかけられた小倉北区の北方の駐屯地まで、浩太の住むアパートからならものの数分で到着する距離なのだが、今日ばかりは行きかう車の数が多い。それも当然だろう、地元では初めての旅客機の事故となれば、マスコミ関係者は黙っていない。

 予定よりも大幅に遅刻した浩太は、ドアガラスから顔を出して馴染みの門番に声をかけた。

 

「お疲れ様、中の様子はどうだい?」

 

 やや疲れた表情で門番の男は肩をすくねる。

 

「岡島さんも大変ですね。まあ、今日非番だった人は、揃って愚痴を零しながら入っていきましたよ。そっちの対応の方が大変です」

 

「そりゃ難儀だね。今日の帰りに呑みにでも行かないか?先日、オープンしたばかりのバーがあるんだけど」

 

「バーに誘うのは女の子だけで充分でしょう?嫌ですよ。居酒屋なら付き合います」

 

 そりゃそうだと短く笑うとドアガラスを閉めて、駐車場に車を停めた。基地に入ると休日にまでこの光景を見なければいけないのかと、うんざりした気分になった。

 さっさと終わらせて残りの時間を楽しもう。そんなことを考えていた浩太の背中を同僚の佐伯真一が叩いた。

 

「よお、入口で何を呆けてんだよ!久しぶりのオフが潰れて泣きそうか?」

 

「そんなとこだよ。ああ、何もこんな時に……」

 

「ご愁傷様、まあ、隊長には振り替え休日の申請でもだしておくんだな」

 

 浩太は嫌味たらしく言った真一の頭に腕を回して締め上げた。慎一の口元は笑んでいるのでいつものやり取りなのだろう。

 まだ、なんの指示も出ていないと慎一が言ったので、浩太は私物が入ったバッグをロッカーに放り投げてから、二人は見慣れた基地の中を放送がかかるまで、ふらふらと歩き回っていた。ようやく行動が進みだしたのは、浩太が到着してから一時間後だった。




すいません、初歩的なミスしてました


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第2話

伝えにきたのは同僚の古賀達也という男だ。浩太とは何度か同じ隊にも所属した気心知れる仲で、今日一緒に出掛ける予定だった。仏頂面のまま言った。

 

「来てたんだな、お前の事だからサボるのかと思ってたよ」

 

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」

 

 達也は、イラつきを隠すように大袈裟に哄笑した。浩太もそうしたい気持ちだったのだが、事件の大きさから、それだけは憚られてしまっていただけあり、周囲の視線が突き刺さる前に、浩太は訊いた。

 

「それで、集合場所はどこなんだ?いい加減に決めてもらわないと、退屈で死にそうだ」

 

「ああ、一番格納庫だとさ。隊長は新崎だ」

 

 その名前を聞いた途端に、慎一は項垂れた。

 

「マジかよ……あのおっさん嫌いなんだよな」

 

「まあ、そういうなよ。さっさと終わらせて帰る。それだけを目的にするだけでも気分は違うもんだ」

 

 そんなもんかな、と他愛のない会話をしているうちに、三人は目的地である一番格納庫の扉を開いた。既に100名近い隊員が集結し、整列していた。三人は隊の後方に横一列で並んだ。

 全員が見回せるように朝礼台のような台に乗った壮年の男が隊長の新崎だ。先頭に立つ者だけあって体格は良い。格納庫中に響かせるように拡声器を持っている。

 

「ええ---、集まってもらい結構だ。もう既に周知の事だとは思うが、我々にとっても良くない事態が起きている。今日の任務二つ!一つは生存者の確認と、極秘に開発されたという新薬の回収が主となる。そして、もう一つは関門海橋と関門トンネルの封鎖だ」

 

 三つじゃないか、と呟いた真一の脇を浩太が小突いた。告げられた任務の内容で理解ができないのはそこだけではないからだ。関門海橋とトンネルを封鎖する理由が分からなかった。

 

「どうせ、薬品の漏洩があった場合に感染者を増やさずに内々で処理しようってことだろ。そんなに念を入れるようなことなのかねえ」

 

 呆れたように達也は天井を見上げた。

 

「だけど、大切なことには違いないだろ?なにより現地に向かうんだ。感染するような科学薬品なら回収も入るし、封鎖もあり得るだろ」

 

「おや?もう、仕事モードか?相変わらず浩太は切り替え早いな」

 

「そんなんじゃない。周りの空気がさ……」

 

 これは演習や訓練ではない。本番が近づいているのだ。真一ですらが空気を肌で感じているのだろう。先程までの浮ついた表情は消えていた。ピリピリとした雰囲気は勘違いではないようだ。

 達也もまた、気を引き締めた時、拡声器を通した新崎の声が響いた。

 

「では、班を二つに分ける。A班は封鎖に回れ!B班が墜落現場を担当しろ!B班は防護服の着用、以上だ!みな迅速な行動を心がけろ!」

 

 

 




UAって一体なんですか?ww


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第3話

 浩太と真一はB班、達也だけがA班に割り振られた。真一は見張りだけの任務なんて羨ましいとぼやきながら、支給された防護服を手に取った。迷彩柄に口元が突出したマスク、まるで虫になったみたいだな、と笑う達也に悪態をつきながら二人は軍服の上から着用する。

 A班は近場ということもあり、一足先に出発した。二人一組でトラックに乗り込んだB班が現場に到着したのはそれから約30分後だ。縦に5台並んだ2台目に二人は乗り込んでいた。

 現場に到着すると、ケーブルカーが設置された建物を境に自衛官や警察が用意した立入り禁止とかかれたテープが大規模に張られており、マスコミをこれ以上は入らせないように防いでいた。

 つづら折りの急な山道を登っていく途中、助手席のドアガラスを開けた真一が山頂付近を指差した。

 

「見ろよ、送信所全滅だ。まだ黒煙が昇ってやがるぜ」

 

「……だな」

 

 浩太は一気に気が重くなった。朝、面倒だと思っていたのが嘘のようだ。現場に近づけば近づく程、空気が重くなっていく気がする。いっそ帰ってしまいたい。

 だが、自衛官の矜持からそれだけは出来ない。そう自分を無理矢理に奮い立たせる。

 

「どうした?気分でも悪いのか?」

 

「真一、今だけはお前の気楽な性格が羨ましいよ」

 

「そうか?まあ、それぐらいしか取柄がないって隊長にも言われたしな」

 

 言いながら、真一は煙草を取り出して火を点けようとしたが、マスクが邪魔をしていた。どうにか出来ないかと口元に空いた穴に煙草を通そうとしているが、穴の大きさが足りないのは見たら分かる。

 その内に、真一が持っていた煙草は真ん中から折れてしまった。それを横目で盗み見ていた浩太が言った。

 

「お前、馬鹿だろ?」

 

「いけると思ったんだけどなあ」

 

 折れた煙草を窓から放り投げた。

 

※※※ ※※※

 

 現場に到着した二人が目撃したのは、まるで地獄絵図そのものだった。墜落した機体は、さきほどの煙草のように真ん中から折れ、衝撃の強さから右翼は完全に無くなっていた。

 それほどの規模の事故だ。勿論、乗客も無事ではない。機体の割れ目から黒焦げの死体が見え隠れしおり、外に投げ出されなかった者だけで、その数は目算でも200名以上はいるだろう。

 それだけでも凄惨な光景に違いないのだが、最大の問題は投げ出された方だった。どこを見ても死体が転がっており、下半身が圧し潰された者や、着陸時に吹き飛ばされたのか、大木の太い枝に吊るされるようにぶら下っている者、全身を焼かれて顔の判別が出来ない者、四肢が欠損しているのは、もはや当然、そんな光景が広がっていた。

 普段は陽気な真一でさえ、こみ上げてくる物を必死に堪えているようだ。B班の指揮を取る下澤が声を張った。

 

「行動を始める!尚、ボディバックの数が足りていないので、今この場にある分だけでも遺体を回収してくれ!不審物は発見次第、報告してくれ!」

 

 簡単に言ってくれるぜくそったれ、と浩太はマスクの奥で悪罵を吐いた。



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第4話

浩太と真一は、ボディバックを二人で持ち機内へ入った。完全に潰れたコクピットへ繋がる扉は熱でひしゃげている。消防士の活躍もあり、焦げた匂いはするものの鎮火は出来ているようだ。

しかし、マスク越しでも伝わる匂い、もしもこれがなかった場合のことなど想像したくもない。

そして、浩太は座席へと目を向ける。

 

「……うっ!」

 

胃の奥から、出掛ける前に飲んだ牛乳が込み上げてきた。身体が吐けるならなんでも良いと訴えてくるようだった。

浩太の眼界に映っているのは、両腕が上がったまま、空を掴むように拳を握ったまま黒焦げになった男性か女性かも判別出来ない死体だ。不時着時に絶命したのなら、両腕は下がっているだろう。つまりは、生きたまま、誰かに助けを求めるように焼かれてしまったのだ。

そんな死体も少なからず点在している。真一は、ついに堪えきれなくなったのか、マスクの中に嘔吐した。

 

「大丈夫か?」

 

「ああ……ちくしょう……防護服の中がゲロでびしょ濡れだぜ……」

 

「無理もないな。さて、取りかかろう、いつまでもこのままってのは忍びない」

 

浩太は、先程目についた焼死体に手を合わせ、伸ばされた腕を掴み、引き上げようとしたが、肘から千切れてしまい、遂に堪えきれなくなった。二人の後続も機内の景色に絶句してしまっている。

嘔吐する者が絶えない中、遺体の回収作業に終了の令が出たのは、二時間後だった。

浩太はこの仕事について5年目だが、今まで経験したどんな訓練よりも辛い。疲労困憊とは正にこの事なのだろう。そんなことを思いながら、機内から出ようとした時、不意に真一が浩太の肩を荒々しく叩いた。

 

「……なんだよ?一刻も早くここから出たいんだけど……」

 

「なあ、薬品ってあれかな?」

 

すっかり頭から抜けていた。そういえばそんな話しもあった気がする。

真一が指差したのは床に空いた穴だ。そこから見えたのは、割れた銀色のジェラルミンケースとその中身だった。

茶色の毒々しい液体が、粉砕されたガラスのような欠片を浮かべている。間違いない、あれが件の薬品だ。

最悪な事に、試験管のような物に入れられ、衝撃で洩れてしまっていた。浩太は、真一を引っ張りつつ急いで機内から飛び出す。下澤がいる通信車まで走り、浩太は一気にがなりたてた。

 

「下澤さん!発見しました!薬品です!」

 

 下澤は血相を変えた。すぐに通信機へと手を伸ばし、何者かと二言、三言交わすとドアを開き浩太に伝えた。

 

「専門のチームを派遣するそうだ。場所だけ教えてお前達は撤退してくれ。そろそろ後続の部隊が到着する頃だ」

 

「下澤さんは?」

 

「俺にはまだやる事がるんでな。で、場所はどこだ?」

 

 真一が敬礼を挟んで言った。

 

「機体最奥の亀裂の隙間で発見しました」

 

「分かった。ご苦労」

 

下澤の労いに揃って敬礼を返した二人は、墜落現場から離れ、基地へ戻った。



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第5話

「お疲れ、お二人さん」

 

基地の格納庫で二人を出迎えたのは、達也と同僚の坂下大地だ。トラックから降りた真一は、真っ先に防護服を脱ぐ。吐瀉物にまみれた迷彩服には、出迎えた二人に、何があったのかを如実に伝えたようだ。表情がひきつっている。

 

「随分と悲惨みたいだな」

 

「悲惨なんてもんじゃない。朝食を全部バラ撒いちまったよちくしょう」

 

達也にそう返した真一は、防護服を荷台へ捨てるように放り、達也が差し出した煙草のフィルターを噛んだ。

 

「そっちの調子はどうだった?」

 

トラックのエンジンを停めた浩太は、車内で脱いだ防護服を同じように荷台へ置いた。大地が右頬を見せつける。

 

「こっちも散々だったよ……薬品が漏洩する可能性があるのに、通行止めとはどういう事だって殴られた」

 

「そりゃ、災難だったな」

 

「全くだよ……しばらく口内炎になったみたいに食べ物にも気をつけなくちゃいけないんだから」

 

「俺達も一緒だよ。しばらく肉は食えそうにない」

 

軽い調子で言った浩太の話しを聞いた真一が苦々しそうに呟いた。

 

「お前……洒落にならんからやめろ……」

 

「……悪かった」

 

現場を浮かべさせたのか、真一は俯いてしまう。僅かな沈黙が流れ、達也が口火を切る。

 

「お前ら昼飯まだだろ?とにかくなんでも良いから腹にいれとけよ。どうせ、また、あの現場にもど……」

 

そこまで言うと、真一は堪えられずトイレへと走った。

 

※※※ ※※※

 

午後からの活動も終了した。浩太と真一は現場へ三回に分けて赴いたのだが、結局一日では遺体を全て回収出来ず、本日の作業は終了する、と連絡があったのは午後21時、事故発生から15時間後だった。

これで、ようやく解放された。そんな安堵の息を吐き、地面に横になった二人を見下ろした下澤が言った。

 

「明日もあるからな。へばってる場合じゃないぞ」

 

「……タフですね、下澤さん」

 

浩太は、上体だけを起き上がらせる。

 

「お前らが弱いだけだ……とも言えないかな今回は……」

 

下澤は、ちらりと大破した機体と回収出来ずに地面に並べられたボディバッグに目をやった。精神的にも辛い絵面がそこにある。

 

「それはそうと……あの薬品な、一体なんなのか未だに分かっていないらしい。俺も詳しくはわからないがな」

 

「ああ……そうですか……」

 

力なく寝そべったまま口にした真一に、下澤は眉根を寄せた。あの狼狽する姿からは予想出来ない反応だったからだ。

 

「なんだ?どうした?」

 

「いや、もう……疲れすぎちゃって」

 

「だらしねえな、おら、撤退するぞ。岡島、運転頼んだぞ」

 

了解です、と立ち上がった浩太は真一の腕を掴んで起き上がらせ、助手席に詰め込んだ。

そして、浩太自身もトラックに乗り込もうとタラップに足を掛け、一度振り返り、並んだボディバッグを一瞥すると、心の中で両手を合わせドアを閉めた。



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第6話

 今日の仮眠室は基地内にある会議室だ。

 浩太は、食事をする気分にはならなかったが、強引に水で胃へ流し込んでいった。明日からの激務に備える為だ。

 真一はろくに食事も摂らずに会議室へ直行してしまった。今頃は横になっていることだろう。

 米が喉を抜ける感触が妙に生々しく感じる。

 

「おう、ここにいたのか」

 

 食堂の入口にいたのは達也だった。右手の掌に乗せていた灰皿を机に置き、正面に座った。

 

「一服つけよ、落ち着くぜ」

 

 箱を揺らし飛び出た一本を浩太は抜き取り、達也が続け様にライターを点けた。まるで、手際の良いホストのようだ。

 

「明日も朝からか?大変だな、現地組は」

 

「そう思うなら代わってくれよ」

 

 達也は、大袈裟に両肩を上げる。そして、誤魔化すようにリモコンへ手を伸ばし、テレビを点けた。やはり、時刻が22時を回っているだけあり、ニュース番組が中心となっていま。どこも似たような内容とカメラワークで撮影されている。

 

「まだ中には入れないんだな」

 

「現地見てみるか?理由が分かる」

 

 遠慮しとく、と苦笑した達也が居心地の悪さにテレビを消そうとした時、画面に映る女性レポーターが目を剥いて、山中を指で示し叫んだ。

 

「あ!あれは生存者の方でしょうか?酷い怪我をされています!」

 

「はあ?」

 

 浩太は思わず頓狂な声をあげてしまった。あの現場を一度でも目にしたなら、はっきり言って生存者など有り得ないと断言できる。だが、今、レポーターはなんと言った。浩太の耳や眼が飾りではないのなら、確かに、生存者がいると指差したのだ。

 カメラマンが慌てて何かを切り替える音が聴こえると、画面はすぐにどこかの長閑な田園へと変更された。

 煙草を吸うのも忘れて、テレビに釘付けになっている浩太に達也が言った。

 

「良かったな、生存者がいたんだってよ」

 

「そんな訳ねえだろ?俺達は確かに……」

 

「衝撃で吹き飛ばされた奴が生きてたんじゃないか?奇跡の生還ってやつだよ。職務怠慢だな」

 

 茶化す達也を無視し、浩太は未だに双眸を外せずにいた。固まった表情は信じたくないと訴えてきているようだ。

 

「浩太よお、確かに俺は現場を見ちゃいないが、生存者がいたんだぞ?ここは素直に喜んで気持ちよく寝るに限るんじゃないか?ことの真相は明日にでも聞けば良いだろ?」

 

「けどよ……」

 

「ほら、今日は疲れてんだよ。さて、寝ようぜ!明日も忙しくなるしな!」

 

 リモコンで平和な画面を消した達也に促されるまま、浩太は会議室で横になった。隣では真一が鼾をかいている。

 心の霞みが消えた訳ではないが、疲労のピークに達していた浩太は、やがて静かに目を閉じた。

 

                ※※※ ※※※

 

 ジリリリリリリリリ!

 突然鳴り響いた警戒ベルによって叩き起こされ、目覚めは最悪だった。時計を見上げれば朝方の五時三十分、行動開始までまだ充分な時間があるはすなのだが、けたたましく基地全体に異常を知らせるベルは次第に大きくなっていく。

 

「何?なんの音?」

 

 瞼がまだ半分塞がったまま、のそりと起き上がった真一は、周囲の慌ただしさに意識が一気に覚醒した。

 

「浩太!こりゃ何事だ!」

 

「わからん!俺も今起きた」

 

 ベルの音に混じり、息も絶え絶えといった様子の新崎の声がマイクを通して基地全体へ流れた。

 

「全員起床!急ぎ第一格納庫へ集合!繰り返す格納庫に集合だ!」




ここまでは今日中にいきたかったw
次回から第2部 感染拡大 に入ります


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第2部 感染拡大

 浩太と真一は、他の隊員と同じくざわついた格納庫で隊長の新崎を待っていた。その間に、この警報ベルについての情報を集めようとしたが、どの隊員に聞いても知らないと首を振る。時刻を考えれば、当然だ。

 拡声器を片手に現れた新崎の姿が見えると、先程までのどよめきが、ぴたりと止み、みなが一斉に列を作り耳を傾けた。一瞬で作られた静謐な空間に向けて、新崎が拡声器を構えた。

 

「早朝から集まってもらってすまない!しかし、今は一刻の猶予も惜しい!一度しか言わないからよく聞いてくれ!」

 

 浩太は新崎の部下になってから3年、これほど余裕のない新崎を見たのは初めてだった。必死の形相から察すれば、事態がどれほど緊迫しているのか伝わってくる。

 

「昨日の事故により漏洩した薬品が原因と思われる感染者が現れた!それに伴い、我々には銃の使用許可も下されている!速やかに武器、弾薬を荷台に積み込み、鎮圧にあたれ!」

 

 そう残すと、新崎は下澤に拡声器を渡し、早足で格納庫から飛び出した。指揮権を委任された下澤は、新崎の言葉通りに命令を下した。武器の積み込みだ。訓練でも行われるこの行為に、さほど時間は必要ない。わずか数十分で全ての車両の荷台に銃火器の準備が整う。

 あとは、下澤からの号令を待つのみだ。

 再び整列した隊員を見回した下澤が、大きく息を吸い込んだその時、唐突に基地内から格納庫に繋がる扉が乱暴に開かれた。

 肩で息をしながら飛び込んできた男に、数百人の視線が集まる。昨日、浩太と話しをしていた門番だ。

 

 

「大変です!感染者の大群がこちらに押し寄せてきました!」

 

 

 下澤は、固く閉ざされた門を振り返り、我が目を疑った。

 自衛官を遥かに上回る人数の暴徒が、門の前にひしめき合っている。先頭にいる集団に至っては、背後からの圧迫により鉄柵へ顔面が押し付けられ、今にも柵を突き破ってしまいそうだ。

 声が重なりすぎている為か、呻き声にしか聞こえないと思った浩太だが、それは違う。呻いているだけだ。

 

 正気の沙汰ではない。

 

「な……なんだよあれ……」

 

 

 酷く軋みをあげていた鉄柵は、浩太の呟きと共に、轟音をたてながら破られた。

 最前列にいた数十人は、その勢いに押されて後続を巻き込む形で倒れる。縺れたように蠢く集団の中、女性が一人立ち上がった。

 

「連中、薬でもキメてんじゃねえの?」

 

 真一がいい終える前に、こちらに気付いた女性が一目散に駆け出してきた。武装した自衛官になんの恐れもみせずに向かってくる様には、浩太を始め、多数の動揺の声が上がった。

 

「下澤さん!どうしますか!」

 

 浩太が射撃の確認をとるが、姿や形は遠目でみても一般人となんら変わらない。どうにも下澤は判断しかねているようだ。その迷いを断ち切るような一発の乾いた銃声が格納庫内に反響した。




皿倉山は車で頂上まで登れません
誤解されたかなんか申し訳ない気分になりそうなので、意味はないでしょうが書いておきますw



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1話

 まだ、銃撃の許可は下りていない。ましてや83式小銃の5.56ミリ弾を感染しただけの一般人に威嚇無しで撃ち込んだのだ。着弾の証として、女性の足から胸にかけて鮮やかな朱色が散り、支えをなくしたかのように、前のめりに倒れた。

 浩太は、銃の持ち主を反射的に探し、薄く硝煙をあげる銃口と、それを持つ門番の男を発見し、背中から引き倒すと、流れのままに両肩を押さえ付け銃を奪い、すかさず真一が受け取った。

 

「お前!どういうつもりだよ!なにしたか分かってんのか!なんで撃った!」

 

 浩太の詰問に、男は半ば狂ったように叫喚した。

 

「奴を!奴を見て下さい岡島さん!」

 

 浩太は、言われるがままに顔を上げて、目を剥いた。実弾を身体に撃たれた女性が、鎌首をあげて立ち上がろうとしていたからだ。

 銃弾を胸に数発受けているのは間違いない。現に女性の胸元は真っ赤に染まっている。加えて、左足は機能が麻痺するほどのダメージを与えられているにも関わらず、女性は悶えながらも、確かに両足で立ち上がり、平然と走り出した。

 

「嘘だろ……?」

 

 浩太の細い声は、門番の男によってかきけされる。

 

「岡島さん!早く、早く撃って!早く!」

 

 あまりのおぞましさに戦慄する浩太は、身体が固まって動かなくなっていた。当たり前だが、構うことなく女性はその距離を縮めてくる。

 

「岡島さん!離して!離せえ!」

 

 死に物狂いに暴れた男が、ようやく浩太の拘束から逃れ、中腰の態勢になり、銃を取り返すべく真一を睨ね付けたが、既に手遅れだった。勢いを乗せた突進は男を地面へ突飛ばし、すかさず女性が股がる。

 次の瞬間、浩太は信じ難い光景を目の当たりにした。

 男の頬に噛み付き、力任せに引きちぎると、あろうことか咀嚼した。激痛にもがく男の上唇と鼻をかじりとり、数回、口の中で転がし嚥下する。

 

「あああああ!岡島さん!助けてぇぇぇぇ!おかじまさあああああん!」

 

 伸ばした右手の指は、人差し指から薬指までを一口で奪われた。

 ああ、これはあれだ、カニバリズムとかいう道徳的に問題視されてるやつだ。

映画で見たことがある。あれは、なんて映画だったか。

 浩太の意識を戻したのは、銃声だった。

 

「おい!浩太!しっかりしろ!」

 

 真一の小銃が撃ちだした弾丸は女性の肩を貫いたが、ほんの僅かに身じろいだだけで、食事を続けている。真一の背中を冷たい汗が伝う。

 

「この化け物がああああああああ!」

 

 マガジンが空になるまでの銃撃の数発が頭部を破壊した。すると、不死身に思えていた女性はピクリともしなくなった。

 浩太が組み伏せられていた男の様子を確認しようとしたが、出来なかった。顔の下半分の皮膚は女性の胃袋の中に収まってしまっている。鼻があった場所は、ぽっかりと空洞になっていた。見なくても理解できた。既に死んでいる。

 次に浩太は、ゆっくりとした動静で立ち上がりつつある暴徒の集団へ視線を向けた。

 

「一体なんなんだよ!ちくしょう!!」

 

 今度は一人ではない。地響きでも聞こえてきそうな足音をたてながら集団が駆け出してきた。その数は、最初にいた人数より膨れ上がっている。そして、格納庫内でも悲鳴があがった。

 振り返った浩太の目に映ったのは、死んでいる筈の男が起き上がっているという訳の分からない事態だ。しかし、様子がおかしい。同期の坂島が男の肩に手を置いたその時、男は手の甲に噛み付き、頭を下げた坂島の口内へと手をいれ、舌を引き抜くと、そのまま坂島の捕食を開始した。

 格納庫に金切り声が木霊し、それが小さくなり、聞こえなくなると、鬼気迫る顔つきで下澤が叫んだ。

 

「じ……乗車!!乗車あああああ!」



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第2話

まるで、スイッチでもいれられたかのように、自衛官達は我先にトラックや、その荷台へ乗り込んだ。

直後、集団が格納庫に到着し、車内をとてつもない衝撃が襲う。自身の身体を顧みず、車体へぶつかってきているのだ。助手席にいた真一が、恐怖にかられドアガラスを解放し、銃撃を始めようとしたが、浩太はそれを制した。

 

「馬鹿野郎!なにやってんだ!」

 

「何って!奴らにぶっ放してやるんだよ!このままじゃ発車すら出来ねえだろ!」

 

「だからって窓あける奴がいるかよ!見ろ!」

 

浩太が指差した先では、耐えきれずにドアガラスをあけた自衛官が数人を仕留めた後に、引きずり出され、開け放たれた箇所から侵入を許し、運転席側のフロントガラスが須臾の間に紅色に染まりあがり、助手席から放られた、強引にもぎ取られたような傷口を残した腕を集団が一斉に奪い合う。

そんな阿鼻叫喚という言葉がぴったりと当てはまりそうな光景が繰り広げられていた。生唾を呑み込む真一に、浩太が続けて言った。

 

「ああなるだけだ!他に方法がないかを考えろ!」

 

真一が反駁する。

 

「どうしろってんだよ!門までこいつらがぎっしりだぞ!」

 

ドゴン、と助手席側のドアが激しく揺らいだ。ドアが凹み始めている。既に囲まれたトラックの周辺では、早くも数十名以上の犠牲者が出ていた。破られるのも時間の問題だ。何もしなければ、死んだ自衛官までもが暴徒として活動を開始し、こちらに牙を剥くことだろう。

 そうなれば、現状の打破は余計に難しくなる。

 耐え切れずに発進した一台は、文字通りの肉の壁に阻まれ横転した。割れたフロントガラスに顔を突っ込み顔面の皮膚や肉が削げようとも、意にも介さずにその歯をカチカチと鳴らし、喰らいつこうとしてくる連中だ。嘆声が聞こえるが助けようがなかった。

 暗澹とした気分になった浩太は、ここまできたら一か八かの強行突破しかないと、エンジンを掛けた。

 

「おいおい、何をするつもりだよ!」

 

「強行突破する。それしかもう道はないだろ!」

 

「馬鹿言うな!自殺に付き合うつもりはねえぞ!」

 

「俺だって自殺なんざしたくねえよ!だが、これしか方法はねえだろうが!」

 

 バン、と音をたててドアミラーが叩かれた。助手席のドアは凹み、運転席はドアミラーに皹が入っている。そしていまだに揺さぶられている車内、もはや迷っている暇はなかった。ハンドルを強く握りなおした浩太が確認するように真一へ訊いた。

 

「準備はいいか?」

 

「……ああ、分かったよ!分かったよ、このくそったれが!」



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第3話

 浩太は、じんわりと汗が滲む手でハンドルをきつく握り直した。もう、あとには引けない。

 

「5カウント頼む」

 

 今にも口から心臓を吐き出しそうな真一は、恨み言のようになんらかを呟き、諦念の息をついて天井を見上げた。

 

「5!」

 

 カウントダウンが始まった。浩太の右足は知らぬ間に震えていた。アクセルへ足を置き、深呼吸をしようと息を吸い込んだが、極度の緊張から身体が空気を拒否してしまっている。

 

「4!」

 

 カウントが進んだ。 クラッチを踏み、チェンジレバーを動かす。いつもやっている簡単な動作が、初めて扱う複雑な機械のように感じた。暴徒が窓やドアに与える損傷が激しくなっていき、ついにはドアガラスに小さな穴が空いた。

 浩太は、額を伝う汗が目に入ろうとも閉じることが出来ず、先に発進し餌食となったトラックを見据えている。

 

「3!」

 

 一つ間違えば、あのトラックのようになるかもしれない。もう嘆声は聞こえないという事は餌食になってしまったと勘えるしかないだろう。アクセルに置いた右足が、まるで自分の一部ではないみたいだ。真一は、内側からドアが破られないようにドアフレームを必死に引きながら怒鳴った。

 

「2!」

 

 浩太がアクセルを軽く踏んだその時、備え付けていた無線から雑音混じり声が入った。

 

「おい、誰か聞こえるか!聞こえるなら応答しろ!頼む!」

 

 真一が慌てて浩太の足を上げさせた。間違いない、ノイズが激しいが人の声だ。ひったくるように無線を手にした真一が声を張り上げた。

 

「おい!今のやつ!まだ生きてるなら返事してくれ!」

 

「真一!お前、真一か!無事だったんだな」

 

「この状態を無事って言えるならな!お前は大地か!」

 

「ああ、そうだ!そっちはどうだ?見える限りじゃ絶望だよな」

 

「ああ、絶望ど真ん中だよクソ!逃げる事もままならねえし、車体自体が限界だ!」

 

「分かった!今から74式戦車が砲撃を始める!いいか、生きてこの無線聞いてる奴ら!今から砲撃を開始する!2発!いいか2発だ!撃ちこんだのを確認したら一気に出口に突っ走れ!」

 

「お前はどうすんだよ!」

 

「大丈夫だ、こちとら戦車だぜ?今の俺は無敵艦にでも乗ってるみたいなもんだ!どうとでも逃げてやるよ」

 

 そこまで言って、無線は一方的に切られた。

 

「聞こえてたよな浩太!」

 

「ああ、間違いなく聞こえてたよ!砲撃の衝撃に備えるぞ」

 

 二人は同時にアクセルペダルに頭がつく限界まで体を丸めた。頭上でドアガラスが破られる音がし、何本もの腕が運転席へと滑り込んできた。大きくなる獣のような咆哮、それは二人の恐怖心を煽るには充分な光景だ。叫び声をあげた浩太の絶叫は一発目の砲弾の着弾によって遮られた。 



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第4話

 鼓膜を揺らす激しい地鳴りと衝撃が、車内にいる二人にもはっきりと分かった。

 爆風によるものだろうか、ドアガラスを突き破っていた暴徒の右腕が二本、運転席のシートに転がっている。それほどの凄まじい威力を誇る砲弾の二発目が発射された。

 大きなクレーターが二ヶ所、そして一気に濃くなった錆びのような匂い。砂埃が晴れた先で浩太が見たのは、砲弾を浴びた暴徒達の四肢や焼け焦げた身体が地面を覆い、流れる血がクレーターへと注がれ、小さな水溜まりを作っているという目を瞑りたくなるような凄惨を極めた現状だった。

 

「真一、シートに座れ!発進するぞ!」

 

「くそ、耳の中で除夜の鐘を鳴らされてるみてえだ!」

 

 耳を塞いでいなかったのだろう。これでもかというほどに顔をしかめている。

浩太は構わずに続けた。

 

「奴らの一部がそこら中に散らばってる。これからの衝撃にも備えろ!」

 

「シートベルトはどうする!?」

 

「……好きにしろ!」

 

 既にシートベルトへ手を伸ばしていた真一の頓狂な質問に対し、吐き捨てるように返した浩太は、アクセルを限界まで踏み抜いた。バックミラーには、ヨロヨロと荷台にしがみつく暴徒が写っていた。風圧と爆音のみとはいえ、この復帰の早さは常軌を逸している。

 急激な速度の上昇に、暴徒の身体は、真ん中から切断された。浩太は思わず顔をしかめる。

 

「う……くそ……」

 

「どうした?」

 

「……なんでもねえ!」

 

 視界から断ち切るように顔を真っ直ぐに向け、基地の門へ一直線に突き進む。真一は、浩太の対応に釈然としないものを感じながら大地がいるであろう戦車へ振り返った。

 暴徒を四散させた攻撃の中心地だけあり、囲まれてはいないようだ。そして、そのまま視線を一番格納庫に向けた。出撃準備を終えていた20数台もあるトラックの内、出発出来たのは、僅か六台のみだ。合計で何人の自衛官が犠牲になってしまったのだろう。真一は、やるせない気持ちを振り払うように頭を振った。

 水飛沫を浴びたように、トラックの両サイドを血で濡らしながら、砂埃を抜けた二人の目の前には、突き崩された門に群がり始めている暴徒達が潰された声紋を振り絞るような雄叫びをあげ、犬歯を剥き出したまま、こちらに走ってくる光景が広がっていた。浩太が吠える。

 

「くそがあああああああああ!」

 

  一度ペダルから足を離し、更に踏みつける。スピードをあげたトラックは、倒れた門がロイター板の役割を担い、僅かに浮かび上がった。着地と共に数名の暴徒を下敷きにし、二人が乗ったトラックは門を抜けた。

 後ろでは、砲弾の衝撃でちぎれた身体の部位にタイヤをとられてしまい、横転したトラックに餌を見付けた蟻のように暴徒が群がる。その脇を通り過ぎるトラックに助けを求める為にドアから出された腕は、暴徒の一人に噛みつかれ、名前も知れない男達は身体を解体された。

 小倉駐屯地は、この日一時間にも満たない僅かな時間で壊滅した。




こっちが結構時間空いてもうた……


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第3部 生存者 

 上野祐介の日常は、その日を境に消えた。姿を変えたという方が祐介にとって正しいのかもしれない。祐介は、八幡西区市瀬のマンションに住む高校生だ。小学生の頃から始めた野球でスポーツ推薦を貰い、希望が丘高校に入学した。所謂、野球少年だった。

そんな祐介は、昨日の飛行機事故により日課のランニングコースにしていた皿倉山に入れず、しばらくはランニングコースを変更しようと、渋々ながら帰宅したのは朝の7時過ぎ。学校に行く準備を終わらせ、家を出て、部活を終えて帰宅、ニュースは相変わらず飛行機事故の話題で一杯だった。

 食傷気味に、祐介はチャンネルを次々に回したが、どこも流す映像は同じだ。明日に備えて寝るとしよう、そんな考えが頭を掠めた時、不意にレポーターが生存者がいる、そう叫んだ。

 定まらない足取りは、壮絶な事故に巻き込まれ、生き延びた代償かもしれない。だとしたら、神様も随分と酷な事をするものだと祐介は、眉を八の字にした。

だが、所詮は他人事だ。気にしたところでどうする事も出来るはずもく、祐介は床についた。

 そして、黎明の時、祐介は誰か分からない女性の啼泣に飛び起きた。

 まるで腹をくすぐるような、なんともいえない声は、マンションの下から聞こえている。

 祐介が、住んでいるのはマンションの六階だ。すぐさまベランダに出た祐介は、その風景に絶句した。一軒家の玄関に群がる人間、馴染みのラーメン屋の店長が店から飛び出した矢先、近場を歩いていた人に押し倒され、首から噴水のように噴き出した血を皿にした手で掬い上げ、数人で囲い飲んでいる。なにより祐介の目をひいたのは、国道200号線に乱雑に並んだ死体の数と、必死に喰らいつく人間達だ。

 祐介は目眩がした。なんだ、これは一体なんなんだ、何が起きてる。

 

「祐介!起きてるか!祐介!」

 

 聞きなれた声に、祐介は僅かに安堵した。祐介の父親は、警察を生業としている。その父親が狼狽しているのだ。外の凄絶な光景と合わさり、祐介はただ事ではないと直感した。

 

「ああ!起きてるよ!」

 

 祐介が返事をすると同時に、部屋の扉が開かれた。

 

「急いで準備しろ!逃げるぞ!」

 

「ちょっと待てよ親父!逃げるって何からだ!外にいる奴らと関係あるのか!?」

 

 父親は声を張り上げた。

 

「大有りだ!良いか?奴らは死んで甦った化け物なんだ!」

 

「はあ?なんの話しをしてんだよ!」

 

「とにかく説明はあとだ!早く準備しろ!」

 

 要領を得ない内容に祐介は首を傾げた。しかし、異常事態が起きているのは間違いない。

 祐介は手早く着替えを済ませると、なにか武器になりそうなものはないかを探し、部活で使う金属バットを片手に部屋を出た。




第3部始まります!


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第2話

 リビングには、母親が憔悴しきった顔で荷物を纏めていた。父親は玄関脇にある寝室で電話機をしていたようだ。バタバタと慌ただしい音をたてながらリビングに入る。

 

「準備は良いか!?必要なもの以外は置いていけよ!」

 

 手には車の鍵が握り締められている。祐介は置いていかれる思考に追い付くために言った。

 

「なあ、説明してくれよ。それに、今からどこにいくつもりなんだよ!」

 

「八幡西警察署だ!避難した人を受け入れている」

 

 黒埼にある父親の勤務先だった。車で十分ほどの距離だ。だが、黒埼から真っ直ぐ突き抜ける国道200号線の惨状を見てしまった祐介には、とてもじゃないが辿り着ける気がしなかった。

 逃げる人間の肉を喰らい、血を啜る。はっきり言って異常者だ。

 

「下手に外へ出るより、ここにいた方が良いんじゃないかしら?」

 

「馬鹿を言うな!」

 

 父親は口の端に溜まった泡を興奮気味に飛ばしながら母親の主張を一蹴した。

 正直、祐介も母親の意見に賛成だったのだが、こうも必死になっているのだから、何か出なければいけない理由があるのだろう。

 

「親父、分かる範囲で良い……教えてくれよ、何が起きてんだ?」

 

 祐介の問い掛けに、父親は逡巡しているようだ。頻りに玄関をチラチラと見ている。重苦しい雰囲気の中、父親は口を開く。

 

「俺も正確には分からない……朝一番に連絡があってな。昨日の飛行機事故を覚えているよな?」

 

 祐介は、ゆっくりと頷いた。あれだけニュースが大々的に報じていたのだから、忘れられる筈がない。

 

「その現場で死体袋にいれられた人間が、突然起き上がったらしい。それからは、あっという間にこんな状態になっていたらしい」

 

 らしい、という不確定を連続して口にする。事態を完璧に把握しているのは、この場には誰もいないようだった。祐介は続けて訊いた。

 

「それで、なんで警察署なんだよ?お袋が言ったようにここにいた方が安全じゃないか?」

 

「扉なんざ時間稼ぎにしかならない。事が起きてまだ数時間しか経ってないんだぞ!なのにこの有り様だ!どういう意味かはすぐに分かるだろ!」

 

 怒鳴った父親は、踵を返して玄関まで早足で歩くと、扉の中心にある覗き穴から廊下を確認し、すぐさま舌打ちした。

 

「どうしたんだよ?」

 

 父親は右手の掌を祐介に見せ、人差し指を唇に当てた。喋るな、静かにしろ。祐介は自ら口を両手で塞ぎ、父親と場所を交代した。

 祐介の自宅から出ると、そこから先は、鼠色のタイルが張られた廊下に出る。壁は白を基調とした昔ながらのコンクリートマンションだ。等間隔に10のドアが並んでおり、祐介一家は601号室の角部屋だ。エレベーターは610号室にある隣のスペースに設置されいる。

 つまりは、廊下を横切らなければならないのだが、小窓から見える限りでも、603号室前と608号室前に異常者の群れからはぐれたであろう二人が、水浴びでもしたかのように血を滴らせ、まるで全身に走る痛みに耐えるような、低い声を上げている。位置が最悪だと祐介は唇を噛んだ。



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第3話

「親父、やっぱりここは……」

 

「祐介、バットをかせ」

 

 祐介の声を遮り、父親は声を低くして手を差し出した。逡巡しながら祐介はバットを手渡すと握りを確かめる。意を決したように顔を上げた。

 

「待ってろ、行って来る」

 

「親父!」

 

 祐介の制止を振り切り、ゆっくりと扉を開くと、異常者が出す唸り声がよりはっきりと聞こえ、祐介の背中を冷たい汗が伝った。ズチャリ、ズチャリ、という何かが絡まるような音が不気味さを引き立てる。粘つく様な空気だ。

 剣道の有段者である父親はバットを頭上に高く掲げ、喉を鳴らし、にじり寄るようにふくみ足で歩みを進める。音をたてるな、気づくな、こっちを向くな、そう願いを込めながら半歩、半歩と小さく前進した。

 間合いに入るまで、あと僅か、ゆらゆらと揺れていた異常者は自らの血液で足を滑らせ大きく動き、突発的な事態に反射的に叫んでしまった。反応しない訳もなく、異常者はその白濁とした眼球を父親に向けた。

 

「親父!逃げろ!」

 

 祐介はドアを開き逃げ道を確保した。だが、もう既に遅い。ここで父親が踵を返し自宅に逃げ込もうと異常者は玄関に張り付いてしまうだろう。父親に飛び掛ろうと足首が動いた瞬間、父親は剣道と同じ要領でバットを渾身の力で振り下ろした。

 グチャ、という重く沈むような響きと、その発生源から飛び散った赤い塊とドロドロとした液体、白い壁が一瞬にして彩られた。

 倒れた先にいるもう一人も、怒号のような唸りをあげ駆け出してくる。父親はバットの先端で異常者の腹を突き、態勢を崩し、もう一度バットで異常者の頭部を潰した。

 極度の緊張から、荒い息を繰り返していた父親は、すうと深く息を吸い込む。

 

「……来い、二人とも。行こう」

 

 祐介と母親は互いに頷き、玄関から出た。目の前の障害は排除した。それでも慎重になってしまうのは、この淀んだような空気に警戒心が高くなっているのだろう。玄関から五枚の扉を横目で確認していた時、祐介は気づいた。

 ドアの下から流れてきている紅い液体、その量がじんわりと広がっている。更には軋むような音が内側から鳴っている。察した祐介が悲鳴のように叫んだ。

 

「お袋!急げ!早くここを……」

 

 祐介の言葉はそれ以上は続かなかった。騒然たる音と共に異常者が三人ドアを突き破って廊下へと投げ出されてきたように雪崩れ込んできたからだ。倒れた扉は母親の片足を巻き込んでしまっている。そこに三人分の体重まで圧し掛かっていた。咄嗟に引き抜いて走り出せる状態ではない。 




両作品UA1500いきましたね。本当にありがとうございます!
最近、まじめにこのサイトの使い方覚えないとって思い出したw


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第4話

 異常者の一人が手を伸ばし、母親の髪を掴んだ。

 

「この!」

 

 父親が三度バットを振り上げるが、このまま振り下ろせばどうなるかは子供でも分かる。必死に抵抗を続ける母親は、二人目の異常者に左耳をかじりとられた。鋭く熱い痛みに、喚き声をあげる母親の片腕を引っ張り、なんとか助け出そうとする祐介だが、異常者の歯が、ガチリ、と音をたて、それを阻んだ。咄嗟に手を引いた祐介に代わり、父親が請うように伸ばされた母親の腕を掴んだ。

 しかし、異常者の狙いは、父親の手首に変わる。

 絶え間なく襲う激痛により身体が硬直してしまっている母親の掌はきつく縛られたように父親を離さない。そして、父親の腕に、あらん限りの咬筋力で異常者の一人が噛みついた。骨まで達しているのかミシミシと軋みをあげている。

 

「このイカれ野郎があ!!」

 

 祐介は、父親の手を離れたバットを拾い、父親に食らい付く異常者の顔面にグリップエンドを叩きつけた。折れた歯を残したまま、異常者はその口から父親を解放した。

すぐさま、祐介は母親と父親の手をほどき、腕を回して引きずるように二人を引き離す。

 

「待て祐介!お前!」

 

「親父!諦めてくれ!お袋は……!」

 

「諦められるか!離せ!あいつを……」

 

 衣服の上から強引に胸を裂かれ、左右の乳房は両肩の位置で、頼りなく垂れている。露出した臓器は素手で力任せに引きちぎられ、異常者達の口内で潰されていく。母親は、 体内で込み上がった血で喉が塞がっているのだろう。 もう声をあげることは出来なかった。

 だが、母親の意識はまだ残っているようだ。尋常ならざる重苦の中、母親の涙に滲んだ瞳がゆっくりと動き、二人の背後を見据えた。行ってくれ、今のうちに逃げて、そう母親の双眸は訴えかけてきていた。

 

「お袋……ごめん……ごめん!」

 

 祐介は、父親に肩をかして駆け出した。今、振り返ってしまえば、母親と同じ道を辿ろうとしてしまうことが分かっていたからだ。二人を命掛けで見送った母親は、空っぽになりつつある自らの肉体を見ることなく、その瞼を静かに下ろした。

 祐介はエレベーターに入ると、尾を引かないように一階へのボタン力強く押した。知らぬ間に指が震えている。

 

「親父……腕は大丈夫か?」

 

「ああ……なんとかな……」

 

 父親は悲痛の面持ちだった。目の前で長年苦楽を共にした伴侶が生きたまま身体を開かれた上に、異常者の胃袋に収められてしまった。この事実を目の前で突き付けられてしまった父親の心境は祐介には計り知れなかった。エレベーターは一階に到着する。

 




これもR18にしたほうがいいのだろうか……
こっちはもう一作と違ってグロいって意味でだけど……
まあ、そんなに上手って訳でもないからいいかな?
警告きたらタグ登録しようっとw


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第5話

 ドアが開き二人はロビーに出た。眼界に異常者は写っていないが、どこから現れるか分からない。

 祐介は慎み深く一歩目を踏んだ。父親の車まではそう離れてはいない。まず、祐介はエレベーター出入口の右、全部屋の郵便受けがある通路を覗いた。奥へ伸びるタイル張りの道は調度死角になっている。

 そこには、血溜まりの上に男性が横たわっていた。どこからか逃げてきて行き着いたこの場所で行き止まりになり、異常者の餌食になったのだろう。投げ捨てられた両手は、疎らに指が残っているが、掌の半分以上が白いビラビラとしたものを覗かせている。頭部も一部が割られて頭蓋骨が剥き出しになっていた。挙げ句、中身を引き出されている。誰がどう見てもそれは惨殺された死体だ。

 祐介は、父親の言葉を思い出す。やつらは死んで蘇っている。この男性も動きだすのではないか、 と嫌な予感が脳裏を過った。

 

「親父、すぐに離れよう……また襲われるかもしれない……」

 

「分かってる……行こう」

 

 顎先から汗が一粒落ちる感触まで察知できる程に神経を尖らせた祐介は、バットを握りなおし、先に僅か三段の短い階段を降り周囲を警戒した。幸いにも異常者の影はない。目配せで父親にも下りるよう促す。プレハブ造りの駐輪場が並び、駐車場はその先だ。マンションに住む住人が使用する駐車場には、毎日百台は停められているのだが、今日に限っては半数にも満たない。つまり、ここに残った車の持ち主は犠牲になったということだろう。

 祐介は、悲しくて堪らなくなった。

 

「手をかそうか?」

 

「いや、大丈夫だ。それよりも周囲を警戒してくれ。バットだけでは心もとないからな」

 

「……分かってる」

 

 気丈に振る舞う父親から目線を外し、祐介は駐車場を視界に収めた。周囲に人影はない。強くバットを握り直し、マンションを見上げると、バタバタとした足音が何重にも重なって聞こえてくる。祐介は、ぎょっ、として目を剥いた。異常者の群れが階段を駆け降りてきている。

 

「親父!奴等だ!」

 

 悠長に数えていれば、すぐに取り囲まれる程の人数だ。祐介は、生まれて初めて自分の顔から血の気が引いていく感覚を確かに感じた。父親の手を取り、祐介は走り出した。異常者達はまだ三階だ。全力で走れば、車に乗り込むことはできるだろう。

 駐輪場を抜けた位置で一度、降り仰げば、異常者達の姿はない。すでに一階へ到達している。

 すぐ背後に迫る哮りの声に、全身の毛が総毛立った。部活で鍛えた肺活量は極度の緊張から、かつてないほどに消耗してしまっている。走りながら、父親は車のロックを遠隔で解除し、二人が車のドアを閉めると、同時に異常者の一人が運転席側のドアガラスへ顔面を打ちつけてきた。

 鼻の位置を中心に血糊がつき、皹が入ったドアガラスを異常者は恨めしそうに両手で殴打し始める。祐介は、恐怖のあまり、喉が裂けそうなほどの悲鳴をあげていた。



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第6話

対照的に父親は、母親の一件で何かが吹っ切れたように、冷静にエンジンを掛ける。出発の準備を淡々と終えていった。

 

「掴まってろ!」

 

グン、と車は勢いよく走りだし、祐介の背中がシートに吸い込まれた。ドアガラスを割ろうと奮闘していた異常者は、勢いに釣られて路上に倒れる。マンションの外周を周り、車は200号線に出ると、あちらこちらに徘徊する異常者達は、祐介が乗る車を見るや否や、食事中でも構わずに一斉に走り出す。助手席で祐介が声を張り上げた。

 

「どうすんだよ!200号線経由じゃ黒崎に着く前に囲まれちまうよ!」

 

左右に伸びる国道は、まるで屠殺場のような様相を呈している。全ての死体が活動を開始したら二人が乗る軽自動車など、あっという間に横倒しにされるだろう。そこから先は考えたくもなかった。

父親は、苦々しそうに唇を噛むと、国道へ入る前の道路へ車をバックさせた。

 

「かなり遠回りになるが、仕方がない。鷹見神社の手前から曲がって行くぞ」

 

それは地元の人間ならば、誰でも知っている裏道のことだった。割子川という川に沿って北上し、田園風景が広がる一帯を横切り、山の麓に入る直前に舗装された脇道がある。そこから高架橋を過ぎ、長い坂道を抜ければ、引野、京良城、幸神といった集合住宅街を一気に無視できる。

だが、祐介はその提案に異を唱えた。

 

「あそこは道が狭くて車が一台ずつしか通れない!もし、あいつらが群がってたら逃げ道なんてない!」

 

「穴生を通るつもりか?もしそうなら、黒崎の出入口にあたる熊手の四つ角は通ることになる。穴生は199号線が貫いているし、熊手四つ角は200号線との合流地点だ。連中が、密集していない可能性があるルートは他にあるか?」

 

祐介は反論が出来なくなった。

 

「良いか?こんな時こそ冷静になれ。そして最も危ない橋を渡らずに済む道を探すんだ。あいつの犠牲を無駄にするな」

 

父親は、ハンドルを切り、市瀬郵便局前を左折する。祐介にとって馴染みの深い駄菓子屋は、破られた入口が大量の血によって打ち水をされたように地面を染めていた。悲痛にくれる祐介は父親に声を掛けた。

 

「なあ、親父……一体これからどうなっちまうのかな……」

 

 ついつい弱音が飛び出した祐介に、父親としてなにか言ってやりたいと一目見るが、それだけで何も答えられなかった。ましてや母親を無残に奪われて時間も経過していない。それはお互いにも言えることだが、父親のほうは母親に祐介を守ってくれ、こいつを死なせたら母親に顔向けできない、そう考えることでどうにか吹っ切れてはいた。だが、祐介は精神的な面において背負うものがない未熟な高校生だ。そう簡単に割り切れるような問題ではないのだろう。




両作品にうすぐUA2000を突破できそうです。本当に嬉しい……
ありがとうございます!
サイトの使い方、見かたにおいて未だに迷子w


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第7話

               ※※※ ※※※

 同時刻……

 北九州市小倉北区鍛冶町に日本聖公会小倉インマヌエルという教会がある。内部は一般的なものだ。

 赤を基調とした壁は明るさを演出し、参拝者に用意された長椅子が、横に二列で五台並び映画に出るような立派は十字架はなく教壇がある。グランドピアノも置かれていることから、讃美歌も歌われているのだろう。だが、今、奏でられているのは、男性の甲高い悲鳴だった。スータンを着用しているので、この教会にいた牧師だろう。

 牧師の胸には、刃が肉体に埋もれるほどに深々と突き立てられたナイフが、まるで初めからそこにあった飾られたオブジェのように、違和感なく淡い光を放っていた。

 そのように見えるのは、牧師の傍らに膝まづき、両手を合わせて祈りを捧げる長身の男のせいだろう。彼の姿は、どこか異常だった。

 線の細い身体を一昔前に現れた白装束集団のように真っ白な服で固め、両の袖と眼鏡は返り血で、ぐっしょりと紅い。短い髪をセットしているように立たせているが、毛先から落ちるのは、やはり血だ。

 そんな男が、牧師の死体を足元に置いたまま黙祷を捧げているのだ。異常という他に言葉が見付からない。彼は、この日、化け物へと変わり果てた両親を自らの手で殺したその瞬間から、名前を捨てた。手向けのつもりなのだろう。

 彼は、名字を「安部」といった。

 安部は、ポケットから新聞の切り抜きを取りだし、牧師から流れる血を吸わせる。

 『とある国の少女には、夢があった。優しい人になって困ってる人を助けたいと、少女は語った。そんな少女が、身体に爆弾を巻かれ、遠隔操作で人間爆弾として使用される事件があった。これが悲劇じゃなくてなんだというのか。これは、世界の悲劇そのものだ。小さな願いすら叶えられない世の中をどう見詰めれば愛せるのか、今、我々は試されているのかもしれない。』

 小さな小さな一面に載っていた内容に、安部は、感銘を受け、切り抜きを持ち歩いていた。

 そして、こう考えた。

 今、自分達が晒されている状況は、神様が下した罰なのではないか。あまりにも恵まれた環境にいる人間達に対しての神罰なのではないか。それならば、外を徘徊し、動き回る者は神の使徒として、腐った人間に鉄槌をおろしているのではないだろいうか。つまり、生き延びている僕は、神に選ばれた存在なんだ。だからこそ、熱心な宗教家でもなかった安部が、こうして祈りを捧げている。自らを選別してくれた神に感謝を捧げているのだ。

 神より課せられた使命、それは選別だ。必要な人間だけを生かし、いらない人間は使徒になってもらい、共に世界を救済する。

安部が、そんな大義を掲げていた時、教会の入口が開かれた。現れたのは安部と同じ姿をした小柄な男だった。

 男が安部の背中に声を掛ける。 

 

「準備が終わったぜ、安倍さん……ん?なんだ、牧師さん殺しちゃったのか?」

 

 安倍は、その問いかけに淡々とした口調で返した。

 

「ええ、彼は選別から外されていたようです」

 

「ひゃはははは!今まで神様に仕えていながら、選別されねえなんて、神様も皮肉な奴だな、おい!」

 

 男はさも可笑しそうに腹を抱えながら、牧師の顔面を踏みつけた。

 

「止めなさい、東さん。彼はこれから使徒として共に選別をしていく我々の同志になるんです。冒涜は許さない」

 

 立ち上がり、東と呼んだ男へ顔を向ける。東は、肩をすくねた。

 

「悪い悪い、そう怒るなよ、俺は基本的にはアンタに従うからよ」

 

 唇を左に上げて言った。人を遠ざけるような歪な笑みだ。

 

「私としては、なぜ君のような男が選ばれたのかと疑問に感じるがね」

 

「あ?それが神様の思し召しってやつなんじゃねえの?」




神様はじめましたby安部
はい、すいません悪ふざけですwあとここにピアノなんかありません!


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第8話

 安部は、吐息を一つついた。

 

「あなたが神を口にしますか……留置場に収監されていたのが、あなたじゃなければと、つくづく思いますよ」

 

「だから、その偶然が俺達を巡り合わせたんだろ?ああーー、運命感じちまうよなぁ」

 

 自らを守るボディーガードにしては申し分ないのだが、 東の野鄙な言動に、安部は大仰に溜め息を吐いた。

 

「準備が出来たと言っていましたが、確保した車はどこに置いていますか?」

 

「前に停めてるぜ。しっかし、見物だったんだがなぁ」

 

「何がですか?」

 

 東が哄然と笑い声をあげ、安部は眉間を狭めた。

 

「チャチャタウンの前で、呑気に立ちションしてた奴の後ろから喉をかっ切ってやったら、もう大慌て!両手足バタつかせて、喋れねえのに口をパクパクさせてよぉ……久しぶりにファックしたくなる位、興奮したぜぇ……」

 

 腰を前後に動かす卑陋な動作を繰り返していた東に阿部が訊いた。

 

 

「一般の方でしたか?」

 

「いや、こんなもんまで持ってたから、自衛官だろうな」

 

 東が投げ渡したのは、血塗れになりながらも光を反射させるほど磨かれた銀色のプレートだった。個人情報が彫られている。愛おしそうにしばらく眺め、黙祷を捧げた安部は囁くような声量で名前を呟き、口を開いた。

 

「ドッグタグ……ですね。自衛官か……良い使徒が生まれそうです」

 

 ドッグタグを牧師から流れた血溜まりに放る。

 

「行きましょうか。もう、ここに用はありません。武器の準備も良いですか?」

 

「ああ、そいつが乗ってたトラックにたーーんまりと置いてあったよ。一石二鳥たぁ、まさにこの事だよなぁ!」

 

 神の使いを名乗る以上、まずは品性を身に付けさせる必要があるな、と考えながら、 ひゃはははは、と下劣に笑う東の脇を安部は通り抜けた。ふと、窓に目をやると、使徒が集まり始めていた。少々、騒ぎすぎたようだ。

 

「あーーらら、今の内に出発するか?囲まれたら厄介だろ?」

 

「誰のせいだと思っているんですか」

 

 安部は教会の重厚な扉を開く。呻き声が四方から聞こえてくるが、慌てる素振りもなく、二人は車に乗り込んだ。助手席に座った安部に東が尋ねる。

 

「さて、まずはどうするよ?」

 

「生き残りを探して我らの同胞に加えます」

 

「断ったら?」

 

 分かりきった質問をわざとらしく投げ掛けた。眼鏡の位置を中指の腹でなおし、安部は答えた。

 

「決まっています。我々の同胞ではないのならば、使徒となってもらうまでです」

 

 嬉々として、東がアクセルを踏んだ。走り出した車を追いかける使徒達の姿がすぐに見えなくなる。そして、誰もいなくなった教会から、スーダンを着た男が胸にナイフが刺さった状態で現れた。

 その首からはキリスト教徒の証とも呼べるロザリオが下げられており、かつて、聖母マリア像が流したという血の涙で紅くなった十字架のように、真っ赤に染まったまま、牧師の胸元で寂しげに揺れていた。




ああ……分かってたけど東嫌い……すごく嫌い……書いててむかつくなぁ、こいつ……重要な役目があるキャラだから我慢しなきゃだけど、気付いたら殺ってしまってそうだw

次回より4章 隔離へ入ります





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第4部 隔離

 国道322号線を抜けたトラックは、城野を抜け旦過に入った。いつもは人が行き交い活気のある場所だが、今は静寂に包まれている。

 魚の売買の為に朝早くから準備をしている訳ではなく、誰一人として生きた人間がいないからだ。小倉北警察署に行こうかとも考えたが、それよりも早く関門橋に行くことを優先すべきだと主張した真一に従い、浩太はハンドルを切った。

 ここまでくる間に生存者がいないかと目を配り、城野駅の奥、サンリブというデパートを中心に回っていたのだが、既に噛まれている者、喰われている者、暴徒の仲間になっている者、と生きているまともな人間には出会えなかった。

 

「くそ、誰も応答しやがらねえ!」

 

 苛立たしげな真一は煙草のフィルターを噛み切り、荒々しくトラックに備えてある無線をダッシュボードに投げつけた。基地を脱出してからというもの、常に連絡が取れる 状態を保ち続けていたのだが、ついに諦めてしまったようだ。

 

「基地から脱出したのは、数台しかなかったからな……散々になっちまったんだろ」

 

「浩太は何台出れたか覚えてる?」

 

「数台って言っただろ。覚えてない」

 

 必死だったしな、と苦虫を噛み潰した顔をした。確かに、あの状況で冷静に現場を見詰められる訳はない。仲間が暴徒の餌食になっていく様は、思い出したくないものだった。

 門番に襲われた坂島の金切り声が焼き付いている気がして、浩太は耳を千切ってしまいたくなった。

 

「一体なんなんだよこれは……ロメロだってこんな状況見たら絶句するだろうぜ」

 

「……だろうな。俺だってまだ夢なんじゃないかと思ってる」

 

 浩太は言いながら前方に見えてきた小倉駅を眺めた。歩行者デッキに、歩いている数十名の影がちらついているが、間違いなく生きてはいないだろう。バスターミナルを右折し、トラックをチャチャタウン方面へ走らせた。小倉の名物デパートとも言えるコレットの外壁と地面のタイルは至るところが紅くなっている。そんな中、数名の暴徒が自転車置場の前で座り込んでいた。中心に何があるのかなど見なくても分かる。

 暴徒に死んでからも身体を奪われ、魂だけとなった人間が最後に憑拠する場所を取り上げる資格はないと、信号の真横に車を停め、浩太は89式小銃を取りだし、集団へ向けてマガジンが空になるまで撃ち続けた。

 動かなくった暴徒達の代わりとばかりに、小倉駅の階段を集団が駆け降りてくる。数えるのも嫌になった。

浩太は、トラックを発進させる前に中心にいた人物を見た。若い女性だ。右腕と左腕は強引に奪われ胃袋に消えてしまったのだろう。

 トラックは集団を撒く為に、コレットの前の公園を抜け、大通りに出ると左折し、浅香通りを上がり、右に曲がる。ルート的には遠回りだが、こればかりは仕方がない。

先回りする知能を持ち合わせていないのは、ここにくるまでに確認済みだ。

 砂津橋を渡れば、チャチャタウンはもう目の前だった。そこで二人は奇妙な光景を目撃することになる。前方から二人が乗るトラックと全く同じ型が、こちらに走ってきている。あれほど、無線で呼び掛けたというのに、こんなに近場にいながら応答しないとは可笑しな話だと、浩太は胸にざわつきを覚えた。砂津橋を越えたトラックへ真一が連絡をとる。

 

「おい、お前ら無事か?話せるなら応答してくれ」

 

 スイッチから指を離し、受信に切り替えるが、雑音すら聞こえないということは、あちらはスイッチを入れてはいないようだ。




第4章始まります


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第2話

 もしも、何かあった場合を考慮し、浩太は十二分に距離をとってトラックを停めた。バックで下がり浅香通りに戻ったとしても西顕寺から右折すれば、新砂津橋まですぐだ。どちらにしろ二人には橋を越える為の算段がある。

 気になるのは暴徒の存在くらいだろう。どちらにしろ今は目の前にいるトラックへ意識を向ける必要があった。

 

「真一、もう一度だ」

 

 頷いた真一は、スイッチを押した。

 

「繰り返す。生きているなら返事をしてくれ。壊れているなら窓から手を出してくれ」

 

 相手のトラックが止まった。浩太は間違いなく故障している訳ではないと分かると、ギアをバックに入れる。すると、運転席側のドアガラスが落とされ、運転手が右手を振ってくる。杞憂だったかと真一が安堵の息を吐く中、浩太はギアを戻そうとはしていなかった。

 不審者でも見るように、トラックを注視している。堪らず真一が訊いた。

 

「……どうした?」

 

「……お前、おかしいと思わないか?」

 

 訝る浩太は、それ以上は明確にせず、無線を取った。

 

「お前ら誰だ?そのトラックの持ち主はどうした?」

 

 浩太は、出された腕の服が真っ白だったことを疑問に感じた。共に動かない気味の悪い沈黙が流れる。

 黙然とこちらの無線を聞き続けている人物は、恐らくは自衛官ではないと察した浩太は、目線を逸らさず、じっ、と警戒を解かずに眺め続ける。場が膠着状態に陥ってしまう中、突如、うんともすんとも反応を示さなかった無線から声が聞こえた。

 

「選別の時間だ……君達は善か悪か」

 

 意味の分からない質問に真一は、困惑した表情で言った。

 

「なんだそりゃ……あれに乗ってんのは、イカれ野郎か?」

 

「ああ、間違いないだろうな。そして、本当にそうなら、多分、マズイことになる」

 

 浩太の胸騒ぎの原因が形を持ったのは、その直後だった。返答に窮した二人が目にしたのは、助手席側から出された腕、それが握っていたのは、よく見慣れた銃だった。そして、最悪な事に、おだやかな雰囲気とは程遠い、暗く深い穴が二人の乗るトラックに狙いを定めていた。

 

「ひゃーーはははははは!選別開始ぃぃぃぃぃ!」

 

 無線から流れてきたのは、耳障りな笑い声だった。浩太はすぐさまアクセルを踏み、トラックをバックさせる。瞬間、連続した破裂音が辺りに鳴り響いた。

 

「おいおいおい!一体なんなんだよ!」

 

「言ってる暇があるなら撃ち返せ!こんな状況に置かれて、連中は頭がブッ飛んでやがるんだ!」

 

「街中歩き回る奴ら以外にも襲われるなんて、なんの冗談だよちくしょう!」

 

「いいから撃て!バックで浅香通りに出るまで奴らに撃たせるな!これじゃ的と変わらない!」

 

 フロントガラスを突き破り、一発の銃弾がシートに穴を開けたのを見て、真一は尻に火がついたようだ。半ば叫びながら窓から上半身を乗り出し、引き金を限界まで絞ったが、照準が定まらない。

 相手は前進するだけだが、こちらはバックで下がっているのに加えて、スピードを出している。浩太にとっても不慣れな操縦だった。

 

「ちくしょう!当たんねえ!」

 

「構わず撃ち続けろ!もうじき抜ける!」




指が……2箇所……痛い……w
一日3作品更新とか久しぶりだな。
なーーんか、勢いがあったんだよなあ……まあ、書き溜めってことでw

両作品UA2500越えありがとう御座います!


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第3話

 真一がマガジンを取り替える隙を縫い、再び相手から放たれた弾丸が二人を襲う。浩太は身体を屈めながら、ポケットに入れていたマガジンを真一へ渡した。これが、最後の弾丸だ。残りは積み荷の中にある。

 真一は、空になったマガジンを落とし、叩き込むように交換した。

 

「これが無くなったらヤバいな……」

 

 真一が身を乗り出そうとした時、車内が突然激しく揺れた。

 浅香通りに出ると、浩太はハンドルを一気に回す。トラックは左へ傾ながらも凄まじい音をたてながら車体を反転させた。トラックがようやく浅香通りに出たことにより、浩太は一気にスピードを上げ、西顕寺まで一直線に走り抜けようとしたが、一つだけ誤算が生じた。

 小倉駅から二人を付け狙っていた暴徒の大群が銃声を聞き付け西顕寺の前に集まっていたのだ。一人が、二人のトラックに気付き嘯く。

 

「最悪だ!くそ!」

 

 浩太は砂津橋を諦めるしかなかった。トラックは、そのまま浅香通りを走り、小倉駅北口、浅野方面へ行くことを余儀なくされた。

 しかし、二人にとって僥倖だったのは、あのトラックを撒けたことだ。頭が働く人間を相手にするよりは、暴徒を相手にする方が現状では楽だ。さすがに、走る車のスピードには追い付けない。

 みるみる距離を離していき、暴徒の姿が見えなくなったのは、砂津大橋を渡りきってからだ。浩太は胸ポケットから煙草を取りだし火を点けた。

 

「やられたぜ……まさか、あんな場所にたまってやがったとは……」

 

「まあ、結果は良い方だろ。現にこうして生きてるしな」

 

「……そうだな。死ぬよりはマシか」

 

 真一に煙草を差し出す。

 

「奴ら何者だろうな。いきなり訳分かんねえ質問してきたと思ったら、銃ぶっ放すなんざ正気じゃねえよ」

 

「正気じゃないんだろうよ。朝、起きたら人間が喰われてました。笑い話にもならない。俺だって時と場所次第じゃ、ああなってたかもな……」

 

 浩太は、窓から煙草を捨てた。入れ替わりに、真一が煙草に火を点ける。

 

「けどよ、キチガイにしては喋り方は普通だったよな。なんて言うか、宗教家みたいでよ」

 

「……やめてくれ。あんなのが教祖になった集団なんて考えたくもない」

 

 浩太が鼻を鳴らし、窓の外へ顔を向けた時、サイドミラーに写っていたのは、まさにそのトラックだった。油断していた。あの暴徒の集団は、まず二人を追い掛けてきていた。つまりは、あのトラックには目もくれていなかったということだ。取るべき道は一つしかなかった二人は危機を乗り越えた安心感から小倉駅周辺ならば、どんなルートを使おうが二人がいる砂津大橋へ辿り着くことができることを忘れてしまっていた。

 

「ひゃはははは!んなとこで何を遊んでやがんだぁ?そんなに車同士のファックが見てえのかよ!」

 

 無線から流れてきた喧々たる声に、浩太は奥歯を噛み締めた。




もう本当に眠い!ww
誤字脱字あったら教えてくれたら嬉しいです!


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第4話

「どうやら、のんびりしてる場合じゃなさそうだぞ」

 

「聞いてたから分かってるよ!クソ!」

 

 真一が煙草を窓から指で弾く前に、浩太がアクセルを踏んだ。相手のトラックは、フロントガラスが無用とばかりに無くなっている。臨戦態勢は整っていた。

対して、二人はカーキ色の荷台が邪魔になり、応射が出来ない。逃げ一手しかない状態だ。

 空気を裂く連射音に加え、遠慮なくスピードをあげるトラック相手には、どこまでも分が悪い。

 

「この先は、一直線の道路だ!どうする浩太!?」

 

「黙ってろ!舌噛むぞ!」

 

 そんな事は、運転する浩太自身が一番理解していた。国道3号線の案内板を一瞥し、背後に迫るトラックをサイドミラーで視認する。スピードに対する恐怖心はないのだろうか、メーターを振り切るような速度で追い掛けてくるトラックに悪態を吐いた。運転席側のサイドミラーに弾丸が当たり、粉々に砕け散る。

 

「クソッタレが!真一、マガジンはあと一つだったよな!?」

 

「ああ!」

 

「奴らのタイヤを撃つことは出来るか!?」

 

「この状況で無茶言うな!あいつらが狙えるようならやってやるよ!」

 

「分かった!任せたぞ!」

 

 にやりと口元を弛ませた浩太は、ハンドルを左へ流した。赤レンガ作りの古い建物が真一の目に飛び込んだ。少しばかり入り組んだその場所は、かつての名残を現在に残す観光名所、門司港レトロだった。先程の言葉の真意を察した。

 

「確かに、ここなら馬鹿みたいなスピード出せないだろうな」

 

「折角なら、観光で来たかったよ!」

 

 言いながら、古い街並みの中へトラックを走らせた。止まり切れずに海へ落ちることも、建物にぶつかるなんてことはごめんだ。旧門司税関前を通り、レトロハイマートの外周を回り、ほぼ直進して九州鉄道記念館駅方面へと向かう。

 

「奴らは来てるか」

 

 サイドミラーを見た真一は、舌打ち混じりに返す。

 

「ああ、バッチリ。弾はあまり使いたくないんだけどな」

 

「それはお前の腕次第だろ」

 

 浩太は、記念館脇の駐車場に入り、トラックの助手席が相手に向くように停車させた。距離にして約1500メートル程だろう。二人を追う為に、相手は計算通りスピードを落としていた。真一が窓から銃身を出す。

 迫りくるトラック。フロントガラスが反射する光の代わりに火花という閃を上げた銃口に怯まず、真一が引き金を絞った。

 5,56ミリ弾が次々に発射されていき、マガジンが空になる寸前、相手のトラックが右に傾き、ダルダルと、妙な回転をしていたタイヤから空気が抜けている事を確認した真一は思わずガッポーズを作った。

 

「ビンゴ!これで、しはらくは追いかけられないだろ!」

 

「言ってる場合か、早く逃げるぞ」

 

 浩太が言い終える前に、再び相手のトラックから閃光が走る。だが、その銃弾の着弾地点には、既に二人のトラックはいなかった。

 そして、抑揚のない声が無線から流れ出した。

 

「次だ……次に出会った時、貴様らを我らの同胞に加えてやる」

 

恐らく、相手は二人組だ。そして、狂気の笑いをあげていた一人よりも、浩太は今しがた無線から流れた声に底気味悪さを憶えた。




風邪ってか、もっと酷い状態だった……
眠気の正体はこれか!?

すっごく頭が痛い


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第5話

「随分と関門橋まで近づけたのは、有り難かったな」

 

 門司港レトロを出た二人は、一度弾丸の補給を終わらせ、目的地である関門橋を目指した。トラックで走れば、約20分ほどで到着する距離だ。助手席に座る真一が言う。

 

「県越えたらどうする?」

 

「とりあえずは、救援の要請だ。それからは、その時に考えるとするさ」

 

 ケラケラと陽気に笑う。慎重な浩太にしては珍しいなと思った真一だが、訳の分からない二人組や、死んで甦り、生きている者を襲う集団に数時間追われたのだから無理もない。そう考え窓の外を見やった。関門橋が徐々に形を現していき、やがてその全貌が見渡せるようになると、浩太のアクセルを踏む足にも自然と力が入る。

 

「浩太、後ろに車影がある」

 

 真一の緊張が混じった声に、浮き足立っていた浩太も空気を張り詰めた。

 

「……奴らか?」

 

「いや、まだ確証はないぜ。ただ、覚悟はしておいた方が良いかもな」

 

 真一は89式小銃のマガジンを抜き、弾丸が充分に装填されていることを確認して安全装置を解除した。浩太は無線での呼び掛けを提案するが、真一は首を横に振る。

 

「やめといた方が良いぜ、何がきっかけになるか分からない」

 

 こくりと頷いた浩太も、自分の銃を真一に渡した。運転に集中する為だ。サイドミラーに目線を注ぐ真一に言う。

 

「少し距離を離す。スピード上げるぞ」

 

「待った、トラック停めても良いぜ」

 

「どうした?」

 

「仲間みたいだ」

 

 後方のトラックから腕が出ている。それは、二人が着る迷彩服と同じ柄だった。

 

               ※※※ ※※※

 

 会議室で寝ていた古賀達也が目を覚ましたのは警報ベルが鳴り響く前だった。

 トイレに行こうと立ち上がり、他の隊員を踏みつけないよう、慎重な足取りで会議室を出た。

 誰の話し声もしない静然とした空間、慣れた基地内とはいえ、いつもより冷えた風が吹いているみたいだと、達也はトイレに急いだ。休憩用のソファーに座る下澤と逢ったのはその途中だった。

 

「下澤さん、どうしたんですか?こんな時間に」

 

「古賀か、お前こそどうした?」

 

 声を掛けられ、やや慌てた様子で振り返った下澤は、達也だと分かると胸を撫で下ろした。特に気にせずに達也は下澤の前に立つ。

 

「トイレにちょっと……下澤さんは?」

 

「俺は飲み物をな。どうだ、付き合わないか?一人は寂しくてな」

 

 500円玉を親指で弾き、綺麗な弧を描いて達也の手に収まった。真後ろにある自販機でコーヒーを二本買ってから、達也は下澤の隣に腰を下ろし、断りを入れてからプルタブをあげた。一口飲んで、下澤が話し始める。

 

「今回の事故、お前はどう思う?」

 

 突然の質問に、達也は首をひねった。

 

「なんですか?藪から棒に……」

 

「良いから、お前の感想を聞かせてくれ」

 

 下澤は、真剣な目付きで達也へ詰めるように訊いた。達也は、少し唸った後、コーヒーを飲んでから言った。

 

「現地組みではないから、何も言えませんね。ただ、ニュースを見た限りでは、事故と判断しています」

 

 下澤は、そうか、と独り言のように小さく呟いた。なにやら意味深な横顔を見て、訝しそうに達也が口を開く。

 

「何か気になることでも?」




復活!!
ご心配おかけしました!
あと、復活してから言うのもなんですが、両作品2P更新といったな?



あれは、嘘だ……
いや、本当すいません!理由は活動報告に書いていますので……
苦情は全力でお受けします……


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第6話

 渋い顔で俊巡する下澤は、切っ掛けを作るようにコーヒーを一息で飲み干した。黙ったままの達也を見ないのは、自らも認めたくない気持ちがあるからだろう。

 ほんの数秒だが、空気の重さも加わり、まるで一時間は経過しているような感覚に陥った達也へ、下澤はわざとらしく顎を出した。疲れているから、聞き流せという意味だ。

 

「俺は、誰かが人為的に起こした事故だと思っている」

 

 達也は二の句が継げなった。唖然とした。目頭を押さえ、僅かに首を振る下澤が、忘れてくれ、そう口にする前に訊いた。

 

「証拠はあるんですか?」

 

「……証拠になり得るかは分からないがある」

 

 下澤にしては、えらく歯切れが悪いと達也は思った。それほど、決定的な証拠ではないのだろうか。しかし、それを達也に告げたという事は、誰かに伝えておきたかったからだ。先を促すように頷くと、下澤は天井を見上げた。

 

「墜落の原因だが……右翼が破損していた。燃え上がった焦げよりも、巨大な何かが爆発したような丸い焦げ跡があったんだ。つまり……」

 

 つらつらと話し始めた下澤を遮ったのは、基地に鳴り響いた警報ベルだった。

二人ははじかれるように立ち上がる。

次第に大きくなる機械音に混じり、新崎の声が流れだすと、指定された格納庫へ走った。

 それから先は、よく覚えていない。基地に押し寄せてきた視界を埋める数の暴徒により、多数の犠牲者を出しながらも二人は基地を脱出した。ただただ、がむしゃらだった。生存者を探し、基地での教訓から、咬傷を負わされていようものなら生存者であろうと頭を撃ち抜いた。

 生き残ることを最優先にしてきたのは、仲間と合流する為だ。

 ようやく再会した浩太と真一は、基地でもよく知った信頼の置ける二人、達也は数時間振りに安堵の息を吐くことが出来た。

 

※※※ ※※※

 

「達也!生きてたのか!」

 

 トラックを停めた浩太は、運転席から飛び降りて二人が乗るトラックへ大きく手を振った。小銃を構えながら降りた真一は、浩太の無用心さに呆れる。

 

「浩太、声はもう少し落とせ……どこから現れるか分からないぜ?」

 

「ああ、悪い」

 

銃口を様々な方向に向けながらの戒飭に、配慮が足りなかったと詫びを挟み、二人のトラックを迎えた。

 達也と下澤も、銃を手にして降りた。一切ぶれない銃口が、どれだけ二人が警戒を強めているのかを語っているようだ。下澤が口を開く。

 

「……二人共、噛まれたりしてないか?」

 

 二人が両手をあげて身体を回し、傷口が無いことを確認させる。そうして、ようやく下澤と達也は、89式小銃を下ろす。

 達也はキョロキョロと数回見回して言った。

 

「お前らだけか?」

 

「ああ、そうだ。そっちは?」

 

 達也が首を振った。それだけで全てが分かってしまえる現状に、苛立ちすら覚えた浩太は、悪態をつきながら地面を強く蹴りつけた。




久しぶりの更新!ご心配おかけしました
別サイトに投稿している小説が一区切りついたので!
明日はもう一作更新するぞお!


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第7話

「何はともあれ、お前らだけでも無事で良かった。もう、俺達しか脱出出来てなかったと思っていたからな」

 

 肩に小銃を下げ、真一が下澤へ手を差し出した。互いに強く握手を交わし、真一が切り出す。

 

「二人はどこに向かってたんすか?」

 

「ああ、関門橋だよ。もしかしたら、隊長もいるかもしれないだろ?」

 

「そう言えば、隊長とは会ってないんですか?」

 

 浩太の疑問に、下澤は首を縦に動かした。

 

「どこにいるか分からないからな。だから、関門橋で会えるかもしれない、なんて期待をしてたんだ」

 

「そういうことなら、俺達と来ませんか?目的地も同じみたいだし」

 

「有難いな。正直、ガソリンや弾丸も不安があったんだ。弾丸の余裕はあるか?」

 

 浩太が、トラックの荷台を一瞥する。充分とは言えないが、分けるくらいなら問題はないだろう。

 積み込んだ武器の中には、手榴弾や単発式の拳銃もある。

 カーキ色の布を捲り、中から銃弾が込められたマガジンを三つずつ、手榴弾を一つずつ二人に渡し、浩太が運転するトラックへ乗り込む直前、達也が離れた位置から不安定な足取りで走ってくる暴徒を指差す。

 

「もう、ここまで来てるな。急ごう」

 

 達也がドアを閉めた事を確認し、浩太がアクセルを踏んだ。関門橋までは、あと僅かだが、走り出して、数分、最初に異変に気付いたのは浩太だった。前方に見えるのは、数多の車が乱雑に犇めき合い、渋滞のような列を作っている光景だ。

 

「……集団パニックか?」

 

 真一が助手席で呟いた言葉を、浩太はすぐに否定する。その可能性はない、とは言い切れないが、車同士の接触が少なく、仮に集団パニックだとしたら、これほど車が原型を留めているのは、逆に不気味だ。

 

「一度、降りてみよう。何かあったのかもしれない」

 

達也の提案に、浩太が頷いて小銃を持った。

 

「下澤さんと真一は念のために待機していてくれ」

 

 二人を残し、達也が先頭を歩きだす。夏が近付きつつある時期に、肌寒さを感じるのは、気のせいではないだろう。二人は、銃口を先に立て、一台目の軽自動車の運転席を覗く。

 誰も乗っていない。もぬけの殻だ。

 

「……どう思う?」

 

 油断なく銃を構える達也が浩太へ訊いた。

 

「分からない。奴らに襲われたなら、シートに血でも点いてそうなもんだがな。だが、内装が綺麗すぎる」

 

「乗り捨てたってのは?」

 

「あり得ないだろ」

 

 きっぱりと言った浩太は、次の車へ顔を動かした。やはり、誰もいない。だが、こちらは鍵が差しっ放しになっている。

 浩太は、更に首を捻る結果となった。

 これでは、先程、達也が言ったように乗り捨ててしまっているみたいだ。

しかし、暴徒が追い付けない上に、ある程度の人数に囲まれても、場合によっては身を守れる。それほどの利便性がある車を置いていくとは思えなかった。浩太は、膨れ上がる不審と緊張によって、焼き付くような熱さをもち出した喉へ唾を滑らせた。



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第8話

「何か分かったか?」

 

 達也も、この異様な空間に直面して声が少し震えているようだった。浩太は振り返り、肩をすくねる。

 

「いや、さっぱりだな。確かなのは、暴徒がいないってくらいか」

 

「だが、近付きつつはあるのは確かだよな。ここまでは被害が及んでないのか」

 

 関門橋に視線を移し、続けて近場の工業団地へ首を回した。小倉駅周辺の悲惨な光景とは違い、いつもの日常的な風景が広がっている。時刻は朝の8時だが、出勤している人影がないのは仕方がないことだ。

 浩太は、はっ、として団地の駐車場を見た。

 

「なんだよ?どうした?」

 

「見ろよ、駐車場が空だ」

 

 ひょい、と身を乗り出した達也は、駐車場を一望する。

 

「ああ、確かに空だな。それが?」

 

「ここに停まっている車の持ち主達は、団地の住民達じゃないか?」

 

「なんでそうなる?」

 

「まず、第一にこの状況がニュースになっているのは間違いないよな?そして、一斉に避難しようとしたらどうなる?」

 

 達也は、しばし考えてから言った。

 

「パニックになるな。まさか、真一が言ったように集団で……」

 

「可能性はあるな。だが、住民は避難出来なかった。この先にある何かによってな」

 

 瞬間、拳銃が激鉄で雷管を叩き、弾丸を発射させた甲高い音が二人の耳に届いた。戛然たる音が辺りに残響し、二人は、咄嗟に遮蔽物として車の陰に飛び込んだ。車で待機していた二人にも聞こえたのか、いつでも飛び込めるようにドアが開かれる。

 

「達也!着弾点は分かるか!」

 

 ボンネットを壁にして、僅かに出した目で襲撃者を探すが、それらしき影はない。

 

「多分、大丈夫だ。音からして距離も離れてるし、俺達を狙った訳じゃなさそうだ」

 

「……じゃあ、なんの銃声だ?」

 

「……行ってみるしかないだろうな」

 

 二人は、関門橋までの道程を真っ直ぐに見据えて頷いた。通れる道ではないので、トラックは置いていくしかないだろう。真一と下澤も合流する。

 

「油断するなよ」

 

 浩太は、たった一言を口にした。それだけで四人の空気が張る。

 敵は、走り回る暴徒だけではない。生きた人間すらも、脅威になりうる。そんな意味が込められているのが、嫌になるほど伝わってきたからだ。今の銃声が一体何を意味するのか、それを確かめる為に、四人は車の隙間をぬって歩き出した直後、四人が預けていた意識を、すっぱりと切り落とすような銃声が再び鳴り響いた。

 

「近いな」

 

 下澤の呟きに、三人が揃って頷いた。

 慎重な足取りで一歩一歩、確実に歩を進めていき、見えてきたのは、百名以上はいる老若男女の集団だ。それだけの人数がいながら、まるでアクション映画でお馴染みの、人質になった集団のように、一様に口を閉ざさしている様は、どこか異質だった。

そして、鼻腔を擽る血の匂いと先程の銃声が、ここで何が起きたかを四人に伝えてきた。

 関門橋の手前、発生した関門橋封鎖任務に当たっていた数十名を指揮する岩下という男は下澤の同期だ。その足下には男性の死体が数十人に分、転がっていた。薄く煙をあげる銃口が、ピタリと先頭にいた男性の額に合う。

 反射のように下澤が叫んだ。

 

「なにやってんだよバカ野郎!」



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第9話

 下澤の怒声に、岩下は嘲笑うように口角を上げる。銃口を突き付けられていた男性は、今にも泣き出してしまいそうだ。

 恐怖により、両足の震えはピークに達していたのか、ぺたん、とその場に座り込んだ。

 浩太の予想は最悪の形で当たってしまった。まさか、封鎖していたのが、暴徒ではなく、人間、それも仲間だとは思わなかった。背後にいる住民達からしてみれば、武装した自衛官が増えた事により、目の前にある関門橋が、箒木のように見えているのかもしれない。市民を守る為にある存在が、暴徒が迫る現状の中、あろうことか市民を射殺し、悦に入った表情で銃を構えている。

 その事実に苦しくなった浩太は、胸の痛みを消すような勢いで岩下に掴み掛かった。

 

「い、わ、し、たあああああああ!」

 

 怒りで途切れる声に被ったのは、銃声だった。踏み出した路面に真新しい銃創が作られ、浩太は足を止めた。

 胸ぐらを掴まれる寸前だった岩下が、ニヤリと笑う。

 

「おいおい、岡島……状況を見てみろよ?こっちが何人いると思ってんだ?」

 

 呆れたような口調に、浩太が顔をあげた瞬間、こめかみに衝撃を受け倒れこんだ。重く響く鈍痛を携えた浩太の前にあるのは、89式小銃の銃底だ。

 殴られたと理解するより早く、達也が浩太の両脇を抱いて下がらせた。鼻を鳴らす岩下から庇うように立ちはだかったのは、下澤だ。

 

「……どういう事か説明してもらえるか?」

 

 岩下の目付きが鋭くなる。

 

「どういうつもりだと?それは、こっちのセリフだよ。お前らの任務はなんだ?」

 

「質問を質問で返すなよ」

 

 下澤の返しに腹をたてた岩下が、目くじらを立てて叫ぶ。

 

「お前らが基地を壊滅させるなんて情けない事態を起こした尻拭いをしてやってんだろうが!」

 

「それが、どうして一般人を通行止めにしたり、射殺に繋がるんだ?」

 

 激昂する岩下とは反対に、下澤は機械的に淡々と返す。

 納得出来るはずもない浩太が、非難じみた双眸を向けるが、下澤が僅かに身震いしているのを見て唇を結んだ。

 下澤自身、岩下の行動に耐え難い怒りを覚えていた。

 それを表に出せば、銃を使用した争いに発展する。そうなれば、被害が及ぶのは自分達だけではない。だからこそ、事務的な物言いで、出来る限り感情を殺している。

 

「これが俺達の任務だからだよ。一時間ほどまえに隊長から連絡があった。ここをなんとしても死守しろ、誰もだすな、銃の許可もあるってな。だったら、押し寄せてきやがった奴らを黙らせるには、これが一番手っ取り早いだろうが」

 




お気に入り数40ありがとう御座います!
ランキングにも入れて驚きましたw
頑張ります!!


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第10話

 まるで、勲章のように銃を掲げると、後ろの空気が大きく揺れた。人を支配する上で、もっもと効果的な行為は恐怖を持たせる事、そう言われる由縁が分かった気がした。

 このような事態を慣れ親しんだ風景の中で理解したことに、浩太は悲しくなった。自らを取り巻いていた環境が一夜、たった一夜で一変してしまった証左のように感じる。握った拳に血が滲み、噛んだ歯が音をたてる。

 岩下は、弱い人間だ。力で捩じ伏せ、自分に従う様を眺め良い気になっている。他人を掌握したという思い込みからだろう。結果、階級や立ち振舞いも同じ立場にある下澤を快く思えず、苛立っている。こうなった人間は、プライドを傷付けられることをひどく嫌う傾向が強い。

 下澤は、そこを上手く突いていく作戦に切り替えたようだ。両手を肩の位置まで上げて言った。

 

「その判断力は流石だな。俺には真似出来ないよ」

 

「だろうな。指揮を委任されながらも基地を壊滅させたのは、どうせ判断が遅れたからだろ」

 

 昂然と胸を張る岩下の横顔を殴りたくなると、真一すらが奥歯を締めた。だが、達也も動こうすらしていない。

 暴徒が近付きつつある以上、あまり時間を掛けることが出来ない。いち早く状況の変化に対応する為に、ここは、下澤に任せ、三人は周囲の警戒を行う。

 

「ああ、俺の判断が遅れたのは事実だ。だがな、ここの封鎖だけは止めてくれないか?」

 

 岩下が不服そうに眉をひそめる。

 

「何故だ?」

 

「俺はお前以上に現状を知っている。もう、小倉は壊滅に近い。奴らが押し寄せてくるのも時間の問題だ」

 

「なら、安心しろ。もうじき救援がくる」

 

 岩下の言葉に、四人は瞠目した。それと同時に、更に怒りが込み上げてきた。

一般人がそれを知っていたら、少なくとも射殺までするような事態は避けられたかもしれない。つまり、岩下は支配者側になりたいが為に、市民に銃を向けていたのだ。証拠に、後ろにいる多数の市民からはどよめきが起きている。それが大きな声の波となり、自衛官達を叩こうとした時だった。

 玄海灘の水平線を越えて、黒い塊がけたたましい音をたてながら、関門橋へ接近してくる。その場にいる全員が、一斉に空を見上げた。

一般人や自衛官達にも覚えのあるローター音、それは徐々に輪郭を現していく。迷彩塗りの機体、両翼には丸い大きな筒、コクピットの真下には30ミリの弾丸を撃ち出すチェインガンが装備され、ミサイル(ヘルファイア)すらも撃ち出す。アパッチと呼ばれる攻撃ヘリだ。

 

「あれか?隊長が言ってた救援ってのは……」

 

「ああ、そうだろうな。こいつは凄えな。流石、隊長だ」

 

 アパッチは、はっきりとその姿を現した。




少し感染の更新早めます
もう少しで、章が変わるからって訳じゃないんだからね!w


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第11話

 厳つい外見は、救世主を迎えるように、あまり馴染みのない一般人にも喝采を送らせた。それほどの存在感を持つ巨大な機体が、関門橋の中腹、その海上でホバリングを始める。

 浩太は、機体の向きを変えるのかと、しばらく観察してみたが、その様子はない。ローター音だけが、場に響く音になった。二分も経つ頃には、一般人すらも、多数の自衛官が発する不自然な態度に、ざわつき始めた。岩下も焦りからか、次第に落ち着きがなくなっている。

 何かがおかしい。浩太に、心臓を捕まれたような嫌な予感が過る。バリバリという爆音の中、アパッチは関門橋へ機体を向けたまま僅かに上昇した。

 

「……着陸場所を探していたみたいだな」

 

 下澤が安堵の息を吐いたのも束の間、今度は背後で悲鳴が上がる。

 四人が振り返った先には、銃声とアパッチのローター音で集まり始めたのか、大量の暴徒が唸りをあげて迫っている。

 プロペラが回転する騒々しさにも負けない呻き声と足音だ。数を確かめる必要もない。基地にいなかった岩下は、初めて目の当たりにした暴徒に、完全に意識を奪われていた。白濁とした眼球、破られた腹からは内臓が垂れ下がり、四肢の一部が欠損している。屍蝋を思わせる姿をしている者さえいた。

 糜爛した皮膚が、地面を擦る度に、粘りをもった質感を確かに岩下は感じた。

 

「う……あ……」

 

 声が出せなかった。それほどの衝撃を受けている。一般人の悲鳴が木霊し、我先に壮年の男性が近場にあった車に乗り込んだが、乱雑に放置された車輌に阻まれ、発進が出来ず、瞬きの間に囲まれた。ドアガラスを数十人の暴徒が一斉に強打し始め、耐え切れずに割れると、無数の腕が車内に侵入する。

 男性の悲痛な叫びが、響き渡った。

 後部座席に入り込んだ三人の暴徒により、肩と頭を引き上げられ、庇えなくなった腹部に容赦なく暴徒の手が突き入れられる。

 フロントガラスの半分が、瞬く間に朱色に染まり、男性は見えなくなり、数秒後、放り出されたのは、下半身だけだ。そこに、新たな暴徒が一斉に群がった。

 

「頭を撃て!奴らは頭さえ撃ち抜けば、動かなくなる!」

 

「駄目だ!下澤さん!一般人が混乱してる!このままじゃ撃てない!」

 

 浩太が小銃を構えながら言った。下澤は小さく悪態をつき、岩下の胸ぐらを掴みあげた。

 

「岩下!今すぐここを解放しろ!このままじゃ一般人はおろか、俺達も全滅だ!」

 

岩下は、反応を返さず、ただ一点だけ、先程男性が乗り込んだ車内での惨状を物語る朱色のフロントガラスを眺めている。

 

「岩下ぁぁぁぁ!」

 

 なりふりかまっていられなかった下澤は、岩下の頬を渾身の力で殴り抜いた。




バイオリベ2のラスボスの顔が過去最恐な件ww
普通に恐かったwww


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第12話

 流れる身体を引き寄せる。ニヒルな考えが巡っていたのだろうか、切れた唇から流れた血の感触。岩下の目に光が戻っていく。

 

「やっと戻りやがったか!なら早くバリケードをどかせ!死にたいのか!」

 

「わ……分かった!」

 

 大急ぎで部下に命令を下した岩下を見て、下澤は浩太達の援護に加わる。

 逃げ惑う一般人の間隙を、まるで針を通すような正確な射撃で抜いていく下澤の技術に、三人は舌を巻いた。余程の集中力がなければ出来ない芸当だ。

 達也は、腰からアーミーナイフを抜き、近場にいた暴徒の身体を左手で抑えながら、こめかみを刺し貫いて言った。

 

「こいつら、単体ならあまり問題はないぞ!」

 

 直後、女性の叫び声があがる。見ると、腕に抱いた幼稚園程の男の子が、暴徒に掴まれている。真一が走り出す前に、暴徒の頭がはじけた。岩下の率いていた隊による援護射撃が始まる。弾丸が飛び交い、唸りをあげる数々の銃、さながら戦場の激戦区のような風景が繰り広げられてはいるが、倒れる暴徒よりも、補食されている人間の方が圧倒的に多い。一人を倒すまでの間に、こちらは自衛官を合わせて三人が犠牲になっている。

 急ピッチで進められるバリケードの撤去作業完了まで、あと少しに迫っていた。時間の経過と共に、あちこちであがる頭の天辺から抜けるような苦辛の絶叫も増えていく。浩太が、片腕を無くした暴徒を撃ち抜き、岩下が半ば叫ぶように声を張り上げた。

 

「バリケードの撤去が終わったぞ!」

 

 関門橋に伸びる二車線分の通り道が開いた。喜ぶ暇もなく、下澤が浩太の肩を荒々しく叩いた。

 

「一般人を先に避難させる!援護頼むぞ!」

 

「了解!」

 

 浩太がアーミーナイフを突き立てた暴徒が崩れ落ちると、下澤は駆け出した。部下を押し退け、誰よりも早く逃げ出そうとしていた岩下を眼前に捉え、足の筋肉を肥大させスピードをあげる。

 

「岩下!この卑怯者が!」

 

 呆気なく、関門橋を越えた直後に捕まった。その矢先、今まで動きを見せなかったアパッチのミサイルポッドが重い音をたてながら開いた。アパッチは方向も位置も、変更していない。ミサイルポッドの先には、関門橋がある。

 下澤は、これから起きる出来事に予想がつき目を剥いた。

 

「おい……まさか……やめろおおおおおおおおおおおお!」

 

 下澤が89式小銃を持ち上げ、照準をアパッチへつけた次の瞬間に聞こえた、ボシュ、という短い音は、その場にいる全員にとって絶望へのカウントダウンの始まりとなった。

尻尾のような火柱を上げて飛来するミサイルが、関門橋の中腹に着弾した途端、鼓膜をつんざく凄まじい爆発が起こった。数瞬、遅れてやってきた爆風に煽られ、暴徒は勿論、自衛官や一般人、残っていたバリケードすらが次々と横倒しになっていく。

 ミサイルの爆発により、強く打ち付けたような鈍痛が走る両腕で巻きあがる砂埃から顔を庇った浩太が見たのは、アパッチから二発目のミサイルが撃ち出される光景だった。

 緑の案内板がスローモーションで玄海灘へ落下していく。巨大な瓦礫の衝突音、下を通る関門トンネルも巻き込まれている音だ。

 午前八時五十五分、九州と本州を繋ぐ関門橋が没落し、九州地方は隔離状態となった。




岩下ああああああああああああああ!!
この野郎おおおおおおおおおおおお!!www


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第13話

 放たれた二発のミサイルが、関門橋を完全に破壊した裏付けのように水柱が、空中でバラけ、雨のように浩太へ降り注いだ。

 口に入る塩水を不快そうに吐き出し、立ち上がった真一が、焦点が定まらないまま、なんとか声を振り絞った。

 

「……下澤さんは?」

 

 浩太は、頭を何かで叩かれたように下澤と岩下がいた関門橋へと視線を向けた。

バリケードの先、関門橋の全長は約19キロある。

 入り口から3キロ程の地点に、砂埃から突き出た腕が見えた。浩太は焦って走り出す。

関門橋を打ち壊したさせたという事は、アパッチの乗組員には何かしらの目的がある。

 そして、それは決して浩太達に対して友好的だということはない。その上、暴徒達もいるのだから、次に何が起きるか分からない。

 

「下澤さん!大丈夫ですか!」

 

 滑り込むように下澤の手を取り、引き上げた浩太は、掴みあげた際の不一致さに寒気がした。

 軽い。

 下澤は自衛官だけあり体格が良い。だからこそ、この軽さは不自然だ。浩太は、手首から先に視線を伸ばせなかった。ただただ、見るのが怖かった。だが、この違和感を拭う為には、そうしなければならない。

 受けるであろう喪失感、耐えきれない程の悲しみ、そして、腹から吹き出そうとしている黒い塊。 その正体を知る為に、浩太は視線を落とした。

 

「うわあああああああああああああ!下澤さあああああああああん!」

 

 浩太の眼界に飛び込んだ映像は、手首から先が千切れた状態の変わり果てた姿だった。身体の原型は、ほぼ留めていない。辛うじて判別がついたのは、下澤の首らしき場所から下げられたドッグタグだけだ。

 戦車すら容易く葬りさるアパッチのミサイルが生み出す爆風が生身の身体に直撃していたのだろう。

 下澤に肩を抑えられ、前にいた岩下は、もう何も残っていない。

昨日まで軽口を叩きあった相手は、今、自分の目の前にある肉の塊だという事実が、信じられなかった。信じたくなかった。浩太は理解した。あの黒い塊は虚無だ。背後には、有り得ない復帰の早さで、再び生きる者を襲い始めた暴徒、正面には、雲の梯となった、決して越えられない橋、救援にきた筈のアパッチが鎌を携えた巨大な死神に思えた。

 もう、何もかもがどうでも良くなってくる。浩太は両膝をつき、砂埃の向こうにいるアパッチを仰いだ。

 プロペラが起こす風圧で散っていく瓦礫や埃の数が増えていく。アパッチが接近しているのだろう。

 

「浩太!下澤さんは無事か!?」

 

 真一の呼び掛けに、一向に振り返る素振りがない。まさか、と胸が騒ぎだした真一は足を止めた。




嫌いなキャラNO1
岩下に決定w


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第14話

 浩太の手から覗く赤い断面、間違いなく下澤のものだろう。真一は身体を駆け巡るショックを意思で抑え込んだ。いや、現実を受け入れる為の時間が足りなかったのかもしれない。

 ぐっ、と腹に力を入れて踏ん張り、下澤を失い茫然自失としている浩太へ言った。

 

「浩太!立て!砂埃が晴れたらアパッチが攻撃してくるかもしれねえ!」

 

 浩太は動かない。ただ俯いたまま、下澤だった手首を眺めているだけだ。諦めてしまった。

 アパッチは最高水準ともいえる攻撃用ヘリだ。

 そもそも、背後にいる暴徒達はどうする。暴徒化が進んだ一般人も加わり、人数は増える一方だ。手持ちの弾薬も少ない。詰め将棋で王手をかけられた駒にでもなったみたいだった。

 見えない誰かが定めた運命のように、決まった道を進ませて寄せる。

 一体、何手詰めだったんだろうな、と浩太は自嘲した。それは次第に大きな笑い声に変わる。

 

「浩太!」

 

 真一が一気に走り出すが、行く手を両腕を突き出した暴徒が阻んだ。吐き捨てるように悪態をつきながら、暴徒の腹にブーツの底で前蹴りをいれる。

 骨が折れる感触があったが、痛みがない相手にはあまり関係はない。

 止めを刺そうと逆手に構えた右手のアーミーナイフを振りかぶろうとするが、暴徒の一人が、真一の背中にのし掛かった。

 

「くそが!」

 

 噛まれたら終わりだ。咄嗟に左手にある89式小銃を暴徒の顎の下に挟んで口を閉じ、押し倒されないように右足を一歩前に出した。首に回された腕から漂う腐臭に顔をしかめながらも、真一は右手のアーミーナイフを暴徒の太股に刺して固定した。

そのまま、右手を裏返し、引き抜くと、暴徒の右耳へ振り上げる。暴徒が、二度目の死を迎えた。

 だが、態勢が悪く、全体重をかけられた真一は、支えきれず前のめりに倒れてしまい、周囲と蹴り倒した暴徒が濁った両目を向けた。

 

「ちくしょう!どけ!」

 

 真一は匍匐前進の要領で、暴徒の下から抜け出そうともがくが、脱力した人間の身体というのは、大人二人でようやく運べる程の重さがある。時間がかかるのも当然だ。

真一に影が重なる。紅く染まった歯並びが見える位に大口を開けた暴徒が飛びかかる寸前、後ろに髪を引かれ、5,56ミリ弾が後頭部から侵入し、脳を突き破りながら額まで貫通した。脳髄と血が盛大に吹き上がり、真一の顔面を染める。

続けざまに響く連謝音、真一が見上げた先にいたのは達也だった。

 

「ひどい有り様だな。大丈夫か?」

 

「お前のせいだぜ……それよりもここを任せて良いか?」

 

 真一の視線は浩太に向いている。達也は黙って頷いた。

 

「ああ、分かった。だけど、弾薬はもう少ないからな。出来るだけ早く頼むぞ」

 

 今や、生きている者を数える方が早い。

 時間をかければそれだけ生存者も減っていく。あれだけあがっていた嘆声も、暴徒の呻吟にも似た声に消されてしまっている。

 

「じゃあ、頼んだぜ」

 

 暴徒の下敷きになった銃とアーミーナイフを拾い、真一は笑い声をあげ続ける浩太を見た。




集中して書いたほうが早いなやっぱり
書きたかったとこまで一気にいけるwww


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第15話

 浩太に走り寄る暴徒を撃ち、真一は走り始める。消魂しきった表情で空を見上げ、暴徒が接近しようとも、なんの素振りもない浩太は、極めて危険な状態なのは誰が見ても明らかだ。

 

「浩太!聞こえてるなら、返事しろ!」

 

 真一の目の前で、岩下の部下が暴徒の波に呑まれた。助けてくれ、という懇願は、殺してくれ、と同じだ。生きたまま身体を開かれ、噛まれ、切られ、喰われる苦痛から救ってくれ!

 そう渇望する瞳を直視できなかった。浩太のように正気を保っていられなくなりそうだ。叫びたかった。なにもかもを投げ捨て、訳の分からない事を叫んでしまいたかった。

 しかし、暴徒の襲撃がそれを許さない。

 皮肉にも、真一が乱れずにいれるのは、その原因ともいえる暴徒の存在だ。

 

「くそがあああああああああああああああああ!」

 

 服がプールに落ちたような重みをもつほどの返り血を浴びながら、真一が喚声をあげた。浩太は、聞こえてはいるものの、返事をする余裕がない。腹から胸、頭に渡って体内を駆ける黒い渦が膨張して、胸を突き破ってしまいそうだ。

掌にある手首、頼りがいのあった下澤がこんなに小さくなってしまった。

 容易く失われる命、使用頻度の高い言葉ほど垢に汚れ、切れ味が鈍麻し、意味が曖昧になる。それが平和という言葉なのかもしれない。日常から掛け離れた現状が浩太を圧し潰していく。

 

「もう……良い……」

 

 鈍化した思考で、浩太は小銃のバレルを咥えた。あとは、トリガーガードから離した指で引き金を絞るだけだ。

 背中に受ける悲鳴、叫び、金切声、絶叫、それら全てから逃げるように、浩太は指に力を入れた。

 だが、一向に弾丸が撃ち出されない。引き金を引けなかった。硬いものがトリガーの隙間に入り込んでいる。

 

「何やってんだよ……」

 

 聞き慣れた真一の声が、頭上から降ってきた。引き金の隙間にあるのは、人差し指だ。

 

「……真一」

 

「何やってんだって訊いてんだよ!浩太!」

 

 血を滴らせての怒声が浩太を叩いた。噛まれたのかと不安になったが、傷口はないようだ。

 多数の暴徒から浴びた返り血だと分かると、浩太は安堵の息を吐いた。真一が、銃を取り上げて言った。

 

「自殺なんざしてどうすんだ!まだ、やるべきことは山程あるだろうが!」

 

「やるべきこと……」

 

「下澤さんは最後まで一般人を助けようとしたんだぜ?下澤さんがいなくなった今、その代わりを勤められるのは俺達しかいないだろうが!なにこんなとこで腐ってんだよ、てめえ!」




ちょっと同じような小説書いてる人いるかな?読んでみようと思ったけど

検索の仕方が分からん……www
分かったああああああああああああああああああ!


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第16話

「真一......」

 

「立てよ!諦めてる暇があんなら歯を食いしばって立て!」

 

 真一の指から垂れる一筋の血が鮮やかに写った。ここにくるまでに幾度となく見てきた色。

 日常の真ん中では、見れるようなものではない凄惨を極める景色のど真ん中、ここが世界の中心とも思える。響く暴徒の足音、上空にいるアパッチ、崩壊した関門橋、その全てを受け入れられなかった。

 

「無理だろ......常識で考えろよ......こんな状況で生きてどうすんだ?これから先に何があるんだよ......」

 

「常識なんざ常識が通用する世界にしかねえ!何があるとか知るか!何かがあったとしても、こんなとこで死ねば、何もねえだろ!」

 

 真一は、力任せに浩太の胸ぐらを掴んだ。

 

「下澤さんは、最後をお前に託したんだろ!お前に任せる、そう言っただろうが!下澤さんの言葉を無駄にするんじゃねえ!」

 

 浩太の手から下澤の手首が落ちる。

 鈍い音をたてたそれを浩太は見下ろした。市民を守る、その気持ちを持ち続けた下澤は、確かに浩太に「任せる」と言った。

 何をだ?生きることを?いや、違う。下澤は、市民を守りぬく意思を広太に預けた。なら、俺に出来ることはなんだ。

 もう、浩太に迷いは消えた。諦めもない。

 

「分かったよ......真一......下澤さんの意思は、俺が受けとる」

 

 89式小銃の銃口は、浩太の口ではなく、走ってくる暴徒の一人に向けられた。火花が散る。

 

「遅すぎるぜ、お前......でだ、少ない弾薬で、この状況を打破する案があるか?」

 

 真一の問いに、浩太は暴徒の群れを一目見てから、上空のアパッチを見上げた。ニヤリと笑う。

 

「......弾薬ならあるよ。少し無茶しやきゃならないかもしれないけどな」

 

 浩太の考えが分かったのか、真一の顔から血の気が引いていく。

 

「やっぱり、お前を助けなきゃ良かったぜ......」

 

「後悔すんのは終わってからにしろよ?」

 

 砂埃がプロペラの回転が起こす強烈な旋風によって晴れた瞬間、二人は低い唸り声をあげ続ける暴徒の群れに駆け出した。浩太は、小銃を数発撃ち、踞っていた女性を救助するやいなや、達也のもとへ走る。

 

「達也!」

 

 汗だくで暴徒の相手をしていた達也は、反射的に振り返り、浩太に銃口を向ける。慌てて止まらなければ、撃たれていたかもしれない。それほど、達也の表情は切羽詰まっていた。

 

「浩太、ようやく復活しやがった......」

 

「悪かったな、愚痴ならあとで聞くから、今はとにかく走れ!」

 

 達也が頓狂な声を出した。

 

「馬鹿言うな!前には奴らがウジャウジャいんだぞ!」

 

「だから良いんだよ!」

 

 達也の返事を聞く前に、浩太は走り出す。背後にいるアパッチのモーター音が変わる。

 方向転換が完了したようだ。フロントガラスを正面から視認することが出来る。

アパッチ下部に搭載された30ミリチェインガンが角度の調整に入った。 

 まだだ、まだ早い。

 押し寄せる暴徒に、弾丸を使い尽くす勢いで、トリガーを引き続ける。

 背後に迫る暴徒は、二人が倒していく。

 アパッチのチェインガンが怪しい機械音を鳴らす。真一が叫んだ。

 

「浩太!」

 

 浩太は、無数の車両が放置された中で、大音声を発した。

 

「全員、車両に隠れろおおお!」

 

 チェインガンが、けたたましい音と閃光を弾かせた。

 車両を、削り取る弾丸が、頭上を掠める。数瞬で命を奪う凶悪な30ミリ弾、だが、弾丸である限り、決して方向を変えられない。それは浩太の目論見通り、数多の暴徒の動きを一瞬で止めさせた。




お久しぶりです。saijyaです
しばらくなぜかログインできなくなってました。そしてイラッとしてしまい別サイトで短編やらなんやら書いてました
今思えば、パスワードが間違っていたんだと思います……
いろいろ保存してた携帯も機種変したら全て消えてしまい、もう無理だと思いましたが……
ひゃっほーーう!入れたああああああああああああああ!
あれマジで何で入れなかった!?そんなのはどうでもいい!
まだ俺は戦えるぞーー!!
楽しみにしてるとまで言って頂いた方々に本当申し訳ないです
ていうか、やっぱりパスワードとかのミスなのかな……?


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第17話

 飛び散る肉片、30ミリを誇る弾丸の威力に、浩太は身の毛がよだった。人間の身体など、その鉄の塊にとってはなんの障害にもなり得ないのだろう。

 文字通り、踊るように全身を跳ね回す暴徒に憐れみを覚えた程だ。一発受ければ、着弾した箇所が破裂する。

 頭に当たれば、顎から上に何も残らない。腹部に当たれば、瞬間的に分断される。上空を舞い上がる上半身が地面に激突すれば、絶命は免れない。

 発砲音が止まり、車両の陰から覗く。数秒間の惨劇は、浩太の脳裏に強く焼き付くことになった。真一は、血煙というものを初めて目の当たりにした。

 

「くそ......イカれちまいそうだぜ......」

 

 すぐさま立ち上がった真一に手をかりる。

 

「戦争ってのはこんな惨状が普通だったのかもな」

 

 想像したくはないがな、そう付け加えた浩太の背中を達也が叩いた。

 

「感傷に浸る暇はなさそうだ」

 

「だな......よし、みんな走れ!」

 

 チェインガンが発生させた新たな砂埃が晴れる前に、浩太の号令が轟いだ。

前頭に立ったのは、勿論、浩太だ。車までの距離は、正確に分からないが、自衛官としての経験が生きた。方向を見失うことはない。懸念は、銃撃を免れた暴徒の存在くらいだろう。アーミーナイフを抜き、赤いワゴンに隠れていた暴徒の身体を蹴り倒した。

 激しい攻撃を受けた暴徒は、ほぼ全滅しているようだが、新たな暴徒が誕生しつつある。キリがない、と浩太が舌を打った。

 

「全員立ち止まるな!振り返るな!前だけを見て駆け抜けろ!」

 

 行く手を阻む女性の脳天を撃ち抜き、自分に言い聞かせるように大声を張り上げた。マガジンを取り替え、叩き込んだ時、風が揺れた。アパッチが動き出す。

 

「浩太!聞こえてるよな!?」

 

「ああ!分かってる!」

 

 だが、浩太は振り返らずに音だけで判断する。やはり、追ってきている。間違いなく、アパッチの目的は生存者の救助ではなく、暴徒ごと生き残りを抹殺することだ。

真っ先に浮かんだ疑問は、何のために、だった。

 単純に考えれば、感染の更なる拡大を防ぐ為だろう。しかし、それなら、関門橋を破壊すれば事足りる。

 いや、今はそんなことを考えている余裕はない。とにかく、一般人が生き延びるにはどうすれば良いかを優先するべきだ。

 工業団地が近づいてくる。トラックまでもう少しだ。コンマ数秒の安堵は、アパッチのモーター音にかきけされる。開かれたハッチの奥にあるM2重機関銃の銃口が目に飛び込み、浩太は真一に89式小銃を投げ渡した。

 

「真一、頼む!」

 

 それだけで充分に、真一は役目を理解したようだ。12・7ミリ弾650発、そんなものを好き放題にばら蒔かれるなど、たまったものではない。前髪の奥で浩太の眉間が狭くなった。




真一かっこよくね?w


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第18話

 喉仏に鎌を当てられている気分だ。

 始まった真一の牽制射撃は、どうにかM2重機関銃を防げてはいるが、弾丸が尽きるまでの猶予しかない。つまり、真一が持っているマガジン一つ分、慎重に弾丸を使う必要もあり、のし掛かるプレッシャーも相当だろう。

 指切り連射で迎え撃つにも限界がある。浩太は、肺に残った空気を振り絞り、全神経を両足に集中させた。暴徒が関門橋に集中していたのは、幸か不幸か、トラックに近付くほど暴徒の数は減っていく。

 カーキ色の荷台に手をついた浩太は、休む間もなく荷台へ飛び乗り、89式小銃を手にした。遅れて到着した達也に渡す。

 

「達也!真一の援護を頼む!あのクソアパッチに銃弾をありったけぶちこんでやれ!」

 

「端からそのつもりだ!」

 

 安全装置を解除した89式小銃のフルオートのような射撃に、アパッチが高度をあげた。地上に降りず、安全地帯から獲物を追い詰める狩人のようなつもりでいたのだろう。思わぬ反撃にあい、慌てている様子が手に取るように分かり、真一は心の中で右手の中指を立てた。

 

「ざまあみろ!くそったれ!」

 

 嘲罵を浴びせた真一だが、アパッチの腹に描かれた図を見た直後、瞠目する。浩太が真一の肩を叩くまで呆然と屹立していた。

 

「何を呆けてんだ!アパッチが態勢を整える前にトラックまで走れ!」

 

 真一は、ぐっ、と奥歯を噛み締めた。この局面に、動揺を誘う発言をするべきではないと判断したからだ。

 思考をすぐさま切り替えて訊いた。

 

「お前はどうすんだ?」

 

「まだ、一般人を助けきれてない!探してくる!」

 

 叫喚が聞こえたのは、その時だった。声の方向は、アパッチの銃撃で血溜まりとなった場所の中心、30ミリ弾の直撃を免れ、片足を失った状態で、地面を這いずり回っていた暴徒達に囲まれていたのは、浩太が助けた女性だった。

 蹲ったまま、逃げ遅れたのだろう。必死に両足を駆使して抵抗していたが、背後から忍び寄った暴徒に片足になった所を引き抜かれ、前のめりに倒れてしまい、一人が女性の二の腕に噛みついた。

 苦痛に歪む表情と、泣き喚く声。それは、生きたまま身体を貪られる屈辱の叫びのようだった。彼女は助からない。ならば、浩太に出来ることは一つだけだ。

 悔しかった。助けると言っておきながら、女性を見殺しにしてしまった。

 悲しかった。今尚、響く絶叫を聞くことが、堪らなかった。

 89式小銃の銃口を向け、浩太は雄たけびをあげ、絶叫した。

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 数十発の5.56ミリ弾は暴徒を巻き込みながら、女性の眉間を貫いた。初めて、「生きた」人間を殺した。

 楽にさせたいという思いと殺人を犯したという事実、なにより、助けられる筈だったであろう命を終らせてしまった。

 浩太は人知れず、額から噴出した血で両手を染めた女性に誓った。かならず、こんな世界に変えた元凶を探し出し報いを受けさせる。浩太は涙を流さなかった。踵を返し、真一に言った。

 

「行こう。達也が待ってる」




カエルがうるせえええええええええええええええ!www
裏が田んぼだからだろうね。毎年、イライラするw


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第19話

 真一は上空のアパッチを仰ぐ。まだ、態勢は崩れているようだ。不安定に機体を傾けたまま、海上を旋回している。

 走るよりも早いと判断した達也が、トラックを運転し、二人を迎えにきた。

 

「乗れ!」

 

 真一が荷台、浩太は助手席にそれぞれ乗り込んだ。

 アパッチの態勢が整い、M2重機関銃の銃口が煌めくと同時に、達也はアクセルを踏み抜く。連続した凄まじい射撃音をバックに、三人が乗ったトラックが走り出す。アパッチは、350はキロが限界速度だ。達也は、最低でも100キロを超えた速度で走ることを余儀なくされた。

 尻を叩くようなモーター音に混じり、荷台から真一が言った。

 

「達也!もっとスピード出せ!追い付かれるぜ!」

 

「分かってんだよ!ちっとは、お前も応射しろ!」

 

「......貧乏くじ引いてばっかりだぜ!今度、なんか奢れよなちくしょう!」

 

 真光寺の本殿を横目で確認した浩太は、信号を左に曲がるよう指示を出す。本線に乗り、小倉駅まで一気に走らせ、高いビル等の障害物に紛れ込む算段だろう。

 だが、その思惑は、応射をしていた真一の一声で水泡に帰した。

 

「やべえぞ達也!ヘルファイアだ!」

 

「はあ!?冗談じゃねえぞ!くそが!」

 

 アパッチが対戦車ミサイルを射出する。それは、FCS(ファイアーコントロールシステム)を搭載しているという意味だ。

 その威力の前には、自衛隊のトラックなどひとたまりもない。追尾式のミサイルは、グングンとその距離を縮めてくる。浩太が叫ぶ。

 

「撃ち落とせないか!?」

 

「アニメやゲームの世界じゃないんだぜ!無理に決まってんだろうが!それより、もっと飛ばした方が現実性があるってもんだ!」

 

「悪いが、これが限界だよ!」

 

 達也が言うように、スピードメーターは振り切れていた。小刻みな振動を繰り返している。アパッチが目標を捉えている限り、ミサイルが止まることはない。二人には、もう絶望の色が浮かんでいた。特にハンドルを握る達也は、生きた心地がしなかった。

 着弾まで、残り何分の猶予があるのだろうか。いや、何秒しかないかもしれない。いっそ止まってしまった方が、この息苦しさから逃げ出せるんじゃないか。無意識にトラックのスピードが下がった時、浩太が振り切てた。

 

「達也!右だ!ハンドルを右に切れ!」

 

「ああ?なんの意味があるんだよ!」

 

「良いから早くしろ!あそこから入れ!」

 

 浩太が指差した先は、門司港レトロの入口だった。確かに、建造物は多いが、相手は上空を飛ぶアパッチだ。高い建物が密集していなければ、身を隠すことは不可能だろう。

 だが、達也は浩太を信じるしか無かった。それ以外に、もう選べる手段がなかったからだ。

 浩太なら、針を以って地を刺すようなようなことは口にしないだろうと信じて答えた。

 

「分かったよ!なにか、考えがあるんだろうな!」

 

 浩太の返事は聞かなかった。横滑り気味に、トラックは門司港レトロへ入る。

 ミサイルは、数十メートルに迫っていた。判断ミスをすれば、痛みを感じる間もなく、吹き飛んでしまう。残された時間はほとんどない。息が詰まる。

 そんな状況下でも、浩太は辺りをキョロキョロと見回していた。三人の心音が高まる。極限状態の不安に誰しもが声を出せない。ミサイルの摩擦音までも聞こえてきそうだ。

 門司港レトロ展望台を過ぎる前、浩太は突然、声を張った。

 

「あった!あれだ!達也、 ハンドルを左に切れ!そのまま真っ直ぐ!」

 

 達也は、言われた通りにハンドルを切り、目を剥いた。




あれ?よく考えたら真一の扱いが一番酷くないか?w
荷台に乗る役目、最初は達也で考えてたのになww


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第20話

 その先にあったのは、旧門司税関だ。入口は板と太い南京錠で封鎖されている。その上、港の税関だけあり、建物の後ろには、海が広がっている。距離を考慮すると、もう曲がりきれる速度ではなかった。

 

「このままじゃ激突しちまうぞ!どうするつもりだ!」

 

 浩太は、歪に唇の端を曲げる。

 

「このまま突っ込むんだよ!捕まってろよ真一!」

 

 訳もわからず、真一が荷台のロープに身体を巻き付けると同時に、ブレーキがかけられ、その直後に強烈な爆音が背中を叩いた。突き飛ばされるような強い衝撃が走る。ロープが無ければ、荷台から投げだされていたかもしれない。そう、安堵したのも束の間、トラックに迫っていたミサイルが旧門司税関の看板に衝突し、その強すぎる鳴動と光に、三人は一斉に意識を失った。

 

                ※※※ ※※※

 

 高さは65メートル、どこか異国の建物を彷彿させる巨大な白い建物だった。中央の塔を中心に、見事なまでに左右対称で造られている。中の造りまで対象という徹底ぶりだ。

 その建物の入口を、スーツを着た男が急ぎ足で通過した。

 内部に敷かれた赤い絨毯を踏み、長い奥行きがある廊下を進んだ。いくつも並んだ木製の扉を横目に、中央付近で止まると、周囲に人気がないかを確認し、目の前にある扉を控えめにノックする。

 奥から、低い声が聞こえてから、男は扉を開いた。部屋は、閑散としている。本棚が両脇に設置され、それらに挟まれるように来客用の机、更に奥に様々な書類がファイリングされたまま、無造作に放置された執務用であろう立派な机があった。

そこに、オールバックに固めた髪型と、隙なく黒のスーツに身を包んだ男が神妙な顔つきで座っていた。オールバックの男が、両肘を机に付いたまま、ゆっくりとした口調で言った。

 

「......なんだ?なにか報告があるのか?野田」

 

 威圧的な鋭い目付きだが、野田と呼ばれた男に、さほど気にする様子はない。

よほど見られたくなかったのか、上着を捲り、腹に隠していたA4用紙ほどの書類を取り出し、オールバックの男に差し出した。

 

「先程、目標を破壊したと一報が入りました」

 

「......関門トンネルは?」

 

「ご安心を、昨夜の内から出入りは不可能です。九州の自衛隊だけでは不安がありましたので、山口側から少量の爆薬を使用して封鎖をしています。これで、九州地方へは入れません」

 

 ふん、と鼻を鳴らし、男は渡された書類をぞんざいに投げた。机上に緩やかに落下する。

 

「爆発音で苦情はなかったのか?」

 

「はい、遠隔操作で作動させましたし、ニュースで九州地方の現状を国民は理解しています。あらゆる機関は、全て停止させていますので、問題はありません」

 

 そうか、と呟き、オールバックの男はようやく張り詰めた空気を解き、長く息を吐いて背凭れを軋ませた。




もうすぐこの章が終ります
長くなったなw


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第21話

 野田は、後ろ手で鍵を掛け、オールバックの男に向き直り言った。

 

「まさか、あの事故が燎原の火の兆候とは誰も分からなかったでしょうね」

 

「分かる訳もない。過去の事例を鑑みても、このような事件は起きていないからな」

 

 くっくっ、と喉の奥で笑い続ける。

 

「ペストやチフスによるパンデミックとは一味も二味も違う。ペストは、医者が死んだ鼠の死体に躓き、そこから流行したという話しがあるが、あれだけ巨大な鼠だ。躓きようがない」

 

 さも可笑しそうに哄笑した。肘掛けを叩きながらの爆笑に、野田は戸惑ったような巧笑を浮かべる。困惑するのも当然だろう。こうしている間にも、九州地方では数万人が感染しているのだ。もう、引き返せないところまできた自覚が、この男にはないのだろうかとさえ思う。いや、それは自分も同じだ。自覚があるのなら、こんなにも落ち着いていれるはずもない。

 野田は、気分を落ち着かせ、男に尋ねる。

 

「一点気になる点があるのですが、よろしいですか?」

 

 ぴたりと笑い声が止まった。尖った双眸が野田に定められる。

 

「関門橋付近にて、一台のトラックが逃走したとありました。乗車は三名、いずれも自衛官とのことです」

 

 男は眉を曇らせ、先を促すように頷いた。

 

「門司港レトロにて、建物に激突、アパッチが発射したミサイルが建物を破壊、下敷きになったとのことですが、死体の確認はしていないようです」

 

 男は、荒々しく机を両手で叩き、勢いよく立ち上がると怒号を放った。

 

「何故、確認させなかった!不安要素は全て排除しろと言っておいただろう!」

 

 野田は冷静に反駁する。

 

「あちらの意向として、あのような危険地帯に降りたくはなかったそうです。アパッチは、大きさもあり、着陸地点が周囲になく、徒歩で現場まで行くのは困難......」

 

 そこで、男が声を被せた。

 

「ふざけるな!なんの為に要請を出したと思っている!奴はどうした!連絡はないのか!」

 

「彼は、現地にいるので巻き込まれています。加えて我々には彼らを動かす権利はありません」

 

 男の鼻息が激しくなり、唇を噛んで吐き捨てるように呟いた。

 

「自由の国だと......ここまでくると滑稽だな......」

 

 一息ついて、男は呼吸を整える。

 

「建物の下敷きになったのは間違いないんだな?」

 

 野田は黙ったまま、首肯する。男は腰を落ち着かせ、再び机に両肘をついた。壁に掛けられた時計を一瞥し、吐息を漏らす。

 

「なら良い......記者会見の時間は何時からだったかな?」

 

 恭しく一礼を挟み、手帳を開いた野田は、はっきりと口にした。

 

「あと、一時間後です。戸部総理」

 

 国会議事堂の一部屋で、戸部は辟易したような溜め息を吐き出した。時刻は、朝の九時、硝子のような透明感と冷たさを併せ持った曇が、東京の空を漂っている。

 戸部にとってはいつもと変わらない、そんな朝の始まりだった。




次回より5部「生きた証」に入ります。
そして、お気に入り数50人をいつの間にか突破してました!
パンパカパーーン!!(注:俺は提督じゃありません)ありがとうございまーーす!!
嬉しいですーー(注:俺は・・・・・・おっと言わないでおこう。好きな声優さんは橘○い○みさんですw)
嬉しすぎてどうでもいい情報言ってしまったじゃないか!!
とにもかくにもありがとうございます!!あと、更新ペース落ちます。もう一作の方を書いていきます。


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第5部 生きた証

「親父!こっちも駄目みたいだ!」

 

 車内で祐介は、外を指差した。市瀬峠の直前から入る裏道には、異常者の群れはなかったが、それも幸神に入るまでだった。半ばベッドタウン化が進みつつあるだけあり、逃げ遅れた住民も多いのだろう。目的地である八幡西警察署までの距離は遠退く一方だ。父親は、坂道に作られた市営アパートの団地を抜け、黒崎自動車学校への峠を走ることを余儀なくされ、気を揉んでいるのか、ハンドルの操作が雑になっていく。

前方に立ちはだかった男性の異常者を容赦なくはね飛ばした。

 

「くそ!この死に損ないどもが!」

 

 父親の言葉に、祐介はなんとも言い難い違和感を覚えた。彼だって、数時間前までは生きた人間だったのだ。確かに、祐介にとっては母親、父親にとっては、最愛の女性を奪われたのだから、憎しみの対象にする理由は充分にある。けれど、感情のある快楽殺人鬼という訳ではない。

 今置かれている状況は、祐介が学校や警官の父親から学んできた道徳観と、かけ離れすぎていた。全てが曖昧になった世界で、数年遅れてやってきた手紙を読むような、そんな空しさを感じた。

 

「祐介、どうした?」

 

 父親が心配そうな声音で訊いた。車は黒崎自動車学校の入口に続く坂を登ろうとしていたが、左手にある住宅街から異常者が数名飛び出したことにより、黒崎中学校への下り坂に進路を変える。

 右側にまだ、建築途中の一軒家があるが、張りたての外壁には、長い血の跡が、引きずったように残されていた。

 

「親父、どうしてこうなっちまったんだ?」

 

「......祐介?」

 

「親父、いつも言ってたよな?いつでも正義を成せってさ......なら、今、親父がした行動は正義なのか?」

 

 祐介は、後ろを振り返った。異常者が数名追いかけてきていたが、緩やかなカーブを曲がると見えなくなった。父親は、祐介の顔を、目を見据えられない。ただ、ハンドルを握る両手だけは、力強さが残っていた。 前を向いたまま言った。

 

「祐介、正義というのは、生きることだ。生きて誰かを守ることだ......」

 

 祐介の脳裏に、母親の顔が浮かんだ。

 車は、九州年金病院を抜けて、先の信号を左折、市民図書館の先にある大きな交差点に差し掛かる。

 普段なら、交通渋滞が起きている200号線の車道には、パニックが起きたのか、大型トラックが炎上し、周囲に焼け焦げた死体が点在していた。悲惨な光景だ。信号が乗用車の追突を受けて傾き、点滅している。どれどけの速度でぶつかったのだろうか。

 まっすぐに通りを抜け、二人はついに八幡西警察署を眼界に捉えたが、父親は苦々しく舌打ちをした。




第5部はじまります
明日から「ドロップ」の更新もすすめます


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第2話

 門の前には、異常者が群がっていた。父親は、見通しの甘さを痛感する。こうなっているのは、当たり前だ。何故なら、その門の先には、異常者達にとってのご馳走がある。

 幸いにも、まだかかる圧力は低く、破られはしないようだ。

 

「親父、どうする?」

 

「裏口に回ってみるか......フェンスを越えれば入れるし、奴等がここに集まっているなら、向こうは手薄かもしれない」

 

 ギアをバックに入れ、車を後退させる。異常者達は、警察署に、救いを求めるように両手を伸ばしていた。さながら、宗教の信仰者のようだ。

 ぐるり、と外周を周り、二人はパトカーが停められた裏口駐車場に到着する。予想通り、背の高いフェンスに群がる異常者はいなかった。

 車をフェンスに沿って停め、二人は運転席側から降り、ボンネットからルーフに登る。もしも、登っている最中に異常者の接近に気付かず、襲われた際に、車が障害物として機能するようにと考えた結果だ。

祐介がフェンスに手を掛けた。

 

「......先に行くけど、親父、腕は大丈夫か?」

 

 憂慮の言葉に、父親は首を縦に振るだけだった。傷口の部分が血で隠れているが、間違いなく変色しているのが分かる。祐介にそういった知識はないが、素人目に見ても、それは異常だった。

 部活中に打撲や捻挫をした選手はいたが、そのどれとも違う。血の代わりに膿が流れ、パリパリとした、瘡蓋ではない薄い膜が張っている。腕を曲げれば割れ、隙間から新たな膿が溢れだす。

 父親には悪いが、祐介は吐き気を催し、これ以上は直視しないように、フェンスの頂上を目指すことだけに集中した。フェンスを登りきり、植木に着地する。

 八幡西警察署は二階建てだ。一階に、交通課や市民相談センター、簡易取り調べ室、二階は休憩室や武道場がある。二人は建物を周り込み、入口へ向かった。錆びの匂いが強くなる。門に遮られていた異常者達は、二人を見付けると同時に、狂ったように哮りたった。

 集団を、父親が火を吹くような勢いで睥睨した直後、警察署内から男が飛び出してくる。祐介も何度か見たことがある父親の後輩、加藤という男だった。

 

「上野さん!無事でしたか!良かった!」

 

「ああ、お前も無事でなによりだ」

 

 軽く会釈をした祐介の頭を撫でて、加藤は辺りを見回して言った。

 

「奥さんはどちらに?」

 

 途端に沈んだ父親の表情を見て、加藤は察したようだ。小声で謝罪を挟み、門を確認する。まだ、破られる心配はないだろうが、数が増えているのは間違いない。重なる唸り声が増えて言っている。




あああああああああああ!今、気付いた!
パスワード再発行あるじゃん!!!!!!
俺の馬鹿ああああああああああああああ!


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第3話

「とにかく今は中へ入って下さい。話はそれからで......」

 

 警察署の中は、ひっきりなしに人が動き回っていた。命からがら避難してきたのか、取り調べ室前に急遽作られたベッドは、机を並べただけという質素なものだ。

 そこで、噛まれた箇所の治療を受けている者もいる。さながら野戦病棟のようだった。傷の酷い者ほど、外を徘徊する異常者と同じような呻吟をあげている。

 祐介は、出来るだけ見ずに父親に言った。

 

「親父、傷は?」

 

「上野さん、怪我を?」

 

 加藤が慌てて振り返るが、父親は首を振った。

 

「俺よりも重傷者はたくさんいるだろ?そっちを先に治療してやってくれ」

 

「しかし......」

 

「......それより、武器はあるのか?」

 

「はい、先日、近くにある暴力団の事務所から回収した銃器があります」

 

「よし、それを持ってこよう。武器はあるだけ良い」

 

 警察署内にいた警察官達は、父親の姿を見ると、次々に集まってくる。こんな状況ながら、祐介は父親の背中を大きく感じた。これだけ信頼されているのだ。先ほどの一件は狼狽えていただけということにして忘れよう。

 その時、祐介は背中に声を受けた。

 

「......祐介君?」

 

 祐介にとって馴染み深い声、加藤の一人娘、加藤阿里沙の声だった。幼馴染みのように付き合いの長い友人の声音を聞き間違えるはずはない。

 祐介は、反射的に阿里沙の両肩を掴んでいた。

 

「阿里沙!良かった......無事だったんだな!」

 

「うん、お父さんがすぐに来てくれて......でも、一緒に逃げてた人は、ほとんどあいつらに......祐介君こそ、よく無事だったね」

 

「ああ、どうにかな......」

 

 ふと、阿里沙の足に四歳くらいだろうか。ひどく怯えている女の子がしがみついていた。祐介の奇異な視線に気付いた阿里沙が、一呼吸置いて、耳打ちする。

 

「この娘、一緒に逃げてた時にご両親が......」

 

 そこから先は聞く必要はなかった。外の状態を知っているなら誰にでも分かる。祐介は、母親を思い出したが、かぶりを振って女の子と目線を合わせ、微笑んだ。

 

「初めまして、お兄ちゃんは上野祐介っていうんだ。よろしくね」

 

 女の子は、阿里沙の足に隠れてしまった。怪訝に思い、阿里沙を見上げると、困り顔で苦笑する。

 

「実は、ご両親が目の前で......それから声が出なくなったみたいで......」

 

 祐介は、前に部活の後輩がひどいイジメを受けていた時を思い出した。不登校になる前に、確か後輩も喋れなくなった時がある。過度なストレスに晒され、普段なら出来ることができなくなる病気があったはずだ。

 身体表現性障害の心因性失声、そんな病名だったろうか。祐介は、外に目を向けて、女の子が更に気の毒に思えた。

 時間が解決してくれるはずの病気も、あの光景では見込みは薄いだろう。




さて、あいつらを出せるのはいつになるかな?w
いやあ、楽しみだ!もうね、入れるようになってから二作品書くのが楽しくて楽しくて!w
やっぱり、頭にあるストーリーや手帳の内容を文字にするっていいね!!w


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第4話

「この娘、名前は?」

 

 問い掛けに、阿里沙は少し言葉を濁した。

 

「西村ちゃん......かな?」

 

「なんだそれ......名前が分からないのか?」

 

「仕方ないじゃない。この娘に聞いても答えらんないし......」

 

 祐介は、軽く息づくと、交通課の窓口からボールペンとポケットノートをとり、女の子に渡した。きょとん、とした表情のままでいる女の子に、宙で文字を書く真似をしてみせる。

 

「ここに名前、書けるかな?」

 

 女の子は小さく頷き、数秒後、年相応に歪んだ文字で「にしむらかなこ」と書かれた一文を二人に向けて両手で突き出した。覗き込んだ阿里沙が感心したように言った。

 

「なるほど、筆談かぁ......考えつかなかったなあ......」

 

「......まあ、前にも似たようなことがあってな」

 

 加奈子は、ポケットノートを返そうとしたが、祐介は右手で止めると、優しく押し返し、加奈子の頭を撫でてから立ち上がる。

 

「阿里沙、逃げきれたのはお前達だけか?」

 

「ううん、私もよく覚えてないけど、あと、三人はいたよ。うち、二人は治療中だけど......」

 

 阿里沙の視線が泳いだ先に、男が一人座っていた。祐介も見覚えがある男だった。区内では有名な不良、坂本彰一だ。苛立たし気に貧乏揺すりを繰り返している。

 露骨に嫌な表情をした祐介に、阿里沙は苦笑した。

 

「そんなに嫌そうにしなくて良いじゃない」

 

 祐介は不満を言う。

 

「よりによって、アイツかよ......最悪だな」

 

 彰一が結成している不良グループは、窃盗や喧嘩、暴走行為を繰り返している。そのリーダーとして名を馳せた男だ。父親から、幾度となく補導されてきた話しも耳にしていた。あまり良い印象があるとは言い難い。

 

「だけど、ここにいる間は一緒にいるんだし、同い年でもあるでしょ?仲良くしておいた方が......」

 

 阿里沙の言い分はもっともだ。助け合わなければ、なにかしらの不具合が起きる可能性もある。そうなると、非常に厄介だ。諦め気味に祐介は溜め息を吐いて、彰一に声を掛けた。

 

「よお、確か坂本彰一だったよな?」

 

「あ?誰だよ、お前」

 

 彰一の目には敵意が込められていた。いや、どちらかというと近づく者全てに怯えているように見える。瞳が忙しなく動き、一箇所に止まっていない。

 

「ああ、悪かったな。俺は上野祐介だ、これから頑張っていこうぜ」

 

 祐介が差し出した手を彰一はしばらく眺めていたが、やがて横を向いた。

 

「・・・・・・うるせえよ、どっかいけ」

 

「おい、そりゃないだろ!現状が分かってんのかよ!今は変な意地を張ってる場合じゃねえだろ!」




マズイ、頭の中にいる彰一が、だんだんツンデレみたくなっていってるw


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第5話

 彰一は、鼻で一笑した。

 

「じゃあ、なんだ?馴れ馴れしくしてくるお前と、仲良しこよしで過ごしましょうってか?」

 

「ああ、そうだ。助け合わなきゃどうなるかわからない。折角此処まで生き延びたんだろ」

 

「......別に、必死こいて逃げた訳じゃねえよ。俺は、もう誰かを信じない」

 

 鏡のように冷たく、熱のない口調だった。彰一は、祐介と目を合わせようとしない。なにかあったのだろうか、そんな感触を得れる対応だ。ひとまず、彰一は置いておき、祐介は二人のもとへ戻った。

 

「阿里沙、あいつ何かあったのか?」

 

「さあ?分かんない。だってもとからあんな感じじゃない?」

 

 眉をしかめる祐介を尻目に、彰一は窓に視線を預けていた。警戒心の表れだろうか、少し上半身を後ろに反らしている。

 

「祐介君、すまないが、少し手伝ってくれ」

 

 加藤が手を振っていた。署内一階の中央通りの中心部に設置された長いソファーには、すでに数種類の銃器が用意されている。物々しい光景に、祐介は心苦しく思い、自然と胸から息を吐き出して歩き始めた。

 

                 ※※※ ※※※

 

 皿倉山の麓に近い八幡東区の八幡駅前通りでは、玉突き事故が起きていた。六台分の衝突は凄まじく、中心に寄るほど潰されている。真ん中の車は、運転席と助手席だけが、かろうじて判別がつく、そんな状態だ。その先頭の車内で影が蠢いた。それを皮切りに、次々とそれぞれの車内で何かが身動ぎを始めだす。ドアを破り現れた十数人に生気はなかった。濁りきった乳白色、その眼球は、あの世とこの世の境目に落とされた怨みを訴えるかのように虚空を仰いでいた。廓寥とした世界に取り残されているのは、生きている人間ではなく、死んで甦ってしまった、死人達なのかもしれない。

 八幡東区サワラビモール前の通りに、大きな十字路がある。そこに春の町方面からきた一台の車が中央で停車した。小倉を抜けてきたからだろうか、真っ白なプリウスには、無数に赤い手形が付けられている。

 車内の二人組みも、車体と同じく真っ白な格好をしている。運転席に座る小柄な男が助手席の男に訊いた。

 

「なあ、こんなことしてなんになるよ?」

 

 助手席に座っている短髪で長身の男は、あまり関心がなさそうに眼鏡の位置を中指の腹でなおし、バックミラーを一瞥した。彼らが使徒と呼ぶ集団が写る。統率がとれている筈もなく、列は疎らだが、確実に二人を追ってきている。

 八幡駅前にいた集団が、運転席のドアガラスを叩き、運転席の男は面倒そうに顔を向けてアクセルを柔らかく踏んだ。




いまさらですが、UA数6000越えです!ありがとうございます!


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第6話

 よろけた使徒と距離をとり、車を停める。集まり始めたら、再び距離をとる。こんなことを八幡東区に入ってから続けていた。もう、ずいぶんな人数を集めきっている。国道三号線に入った直後、助手席の男が低く呟いた。

 

「東さん......我々の目的はなんですか?」

 

 東は、迷うこともなく即答する。

 

「使徒を増やして、世界に罰を与えるだろ、安部さん」

 

 やや疲れたように、東が一息ついた。

 

「だったらよぉ、ちゃっちゃと俺に殺らせろよ。なんのために武器を調達したと思ってんだ?」

 

「では、その武器を使用するには、何が必要ですか?」

 

 まるで子供にナゾナゾを出し、答えを待つ大人みたいな口調だな、と内心で苦笑する。

 

「弾丸だろ?安心しろよ。いざとなったら、ペン一本でも殺ってやるからよ」

 

 安部は、その言葉を首を振って否定した。

 

「正解ですが、後半は駄目ですね。武器というのはあくまで手段の一つです」

 

 東が不愉快そうに眉を寄せた。どうもこの安部という男は、考えが読みにくい。その上、能面でも被っているかのように表情を動かすこともあまりない。いや、面の方がまだ切り替えが利く分、まだマシだ。

 苛立った東が、乱暴にクラクションを鳴らす。音に寄せられた使徒が集まってきた。

 

「いまいち、アンタの考えが読めねえんだよなぁ......それに、俺が聞きたいのは、そんなことじゃねえよ」

 

「分かっていますよ。彼らを集めて何をするのかを聞きたいのでしょう」

 

「分かってんなら教えろや!こっちはあの自衛官二人をアンタにお預けされてんだ!お楽しみを奪われちまってストレスたまってんだよ!」

 

 安部は、喚き声を涼しい顔で聞き流したのか、ドアガラスの外を眺めている。車は桃園の交差点に差し掛かっていた。右手にある巨大電光盤が焼け焦げた臭いを発している。

 眼鏡の奥で安部の目付きが細くなった。

 

「東さん、殺人を楽しんではいけません。我々は神の使いなのですから」

 

「あ?じゃあ、どうやって手っ取り早く増やすんだよ!」

 

「焦らずに考えて下さい。良いですか?」

 

 得心がいかないが、東は渋々といった感じで頷いた。

 

「まず、私はこう思考します。あなたの言うように要領よく使徒を誕生させるにはどうするか。あなたなら、どうしますか?」

 

 安部の質問は、要約すれば、どう大量に殺人を行うか、という意味だ。まず、東が思い浮かべたのは毒ガスの使用、次に銃器の使用だった。だが、毒は準備に時間がかかる上に、屋外なら意味はない。条件を満たすのは銃器だが、先程、安部は銃器は使わないと言っていた。

 東は、しばらく沈黙していたが、やがて左手を挙げた。降参という意味だ。

 

「単純ですよ。人が多い場所に彼らをぶつければ良い、それだけです」

 

「......どこにいるか分かんねえから苦労してんだろうが」



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第7話

「いえ、分かりますよ。震災や災害が起きた時、集まる場所といえば?」

 

 再び東は考え込んだ。そして、はっ、と顔をあげ、鄙俗な哄笑をあげた。

 

「ひゃははは!何てこと考えてやがんだよ!最高に頭がぶっ飛んでやがんなぁ!俺なんかより、よっぽどイカれてやがんぜぇ!」

 

 東の発言に、安部は不服そうに返す。

 

「生粋の人殺しに言われたくはありませんね。それに、私は救済をするのですから、人殺しという訳ではありません」

 

 東はひとしきり笑った後に、唇の左端を歪めた。

 

「安部さんよぉ、お礼に良い事を教えてやるよ。良いか?人殺しの思想ってのは、同じ人殺しでも理解できないんだぜ?」

 

 今度は安部が首を傾げる番になった。どうにも矛盾している気がしてならなかったからだ。

 

「人殺しは、人殺しを理解できるから人を殺せるのでは?」

 

「ちげえよ。なら、世の中にいたサイコパスや大量殺人犯どもも同じか?奴等は同じ思想や思考で行動していたか?」

 

 分からないと口にした安部に構わずに東は続ける。

 

「一人殺せば犯罪者だが、百万人なら英雄になれる。ベイルビー・ポーテューズだったか?この大量殺人が肝だ。結局のところ殺人は殺人なんだよ。俺はそれがいつかってことが重要なんだと思ってる」

 

 東は胸ポケットから煙草を取り出した。火を点けると、運転席側のドアガラスを僅かに落とした。

 

「さっきの言葉は戦争を痛烈に批判した神父の弁だ。だがよ、戦争においては殺人が正当化されてたのも事実だろ?それを今に当てはめてみろよ。正に、その状況にあると思わねえか?」

 

 サイドミラーで後ろを確認した東は車を止め、ドアガラスを開いた。尻に敷いていた黒塗りの拳銃を取り出しす。P220単発銃だ。銃口を空に向けて一発撃ち、使徒の注目を集めると、煙草を大きく吸ってドアガラスを閉めた。まるで、慙愧の念に苛まれているような使徒の双眸が窓越しに光っている。こびりつく血を見ながら安部が口を開く。

 

「大量殺人が許される。そういう意味ですか?」

 

「ぶっぶーー、不正解。安部さんは大量殺人を行った奴がヤバイとか思ってんだろ?」

 

 嘲笑った東は、アクセルを再び踏んだ。

 

「違うんだなぁ......例えば、エド・ゲインって知ってるか?半端じゃねえイカれ野郎だが、実は2人、他の殺人鬼にしては少ない人数しか殺してないんだよ。だが、有名なホラー映画の題材になるほど世間に衝撃を与えた。何したと思う?」

 

 安部は、そんな話しを生き生きと語る東に対して悪寒が走り、何も答えられなくなっていた。使徒の呻きだけが聞こえる空間で、東の低い声が響いた。

 

「殺人に入る前から墓から死体を掘り起こして身体を切り刻んだ挙げ句、人間の皮膚や骨で家具を作ってやがったんだよ!そんなイカれ野郎の思想なんか理解したくねえっての!ひゃはははは!」




ちょっとあれなシーンなんで、少し飛ばして書きます


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第8話

 さも可笑しそうに、楽しそうに笑う。安部は、あなたも充分に狂っていますよ、という言葉を飲み込んだ。諭すように東は続けた。

 

「良いか?人殺しってのは殺害人数じゃなく、思考の問題なんだよ。なんでかって?そりゃ、殺人が許される時代ってのが間違いなくあったからだ!数が殺人を聖化する時代があったからだ!安部さん、アンタの言うように、この世界ってのは、狂ってんだよ!イカれてんだよ!特殊性癖、感情の欠落、異常信仰者、そんな異常者が蔓延る環境が人を狂わせんだ!これからどんどん増えてくだろうぜ、そんな奴等がよ!」

 

 周囲の環境により、人は容易く変わる。そう高々と宣言した。東以外の人間が言ったら、そんなことはない、有り得ないと一蹴出来るが、奇妙な説得力をもって安部に突き刺さった。

 喉が乾き、乾燥した舌がざらつく。口を開けたままだったことに今更気付いた。隣に座る小柄な男は、かつて人殺しだった男だ。残忍な手口で数十名を殺害し、小倉で逮捕された指名手配犯、そのニュースは全国を一斉に駆け巡った。

 知っていたからこそ安部は、東を混乱に乗じて留置場から解放した。自身を守るボディーガードとしてだ。

 だが、安部はその愚かな行為に、後悔する。もしも、東が安部を裏切れば、躊躇などしないだろう。

 人殺しに人殺しは理解出来ない。裏を返せば、理解出来ないからこそ、東は調べ理解しようとしたのだ。その結果、今のような考えにシフトしていったのだろう。

 警戒心が芽生えた安部の心中を見抜いたかのように、東が微笑した。

 

「安部さんよぉ、アンタは俺を理解しろよ?俺はアンタを理解してやる。そうしている限り、異常者じゃなくなるからよ。これからアンタが行う行為を自覚しろ。大勢の人間から奪う覚悟をしろや。覚えて悟れよ?そうすりゃあ、アンタは本当に英雄になれるぜ?言うなれば、俺とアンタは一心同体だ」

 

 安部は何も言わず、ただ前だけを向いていた。車は黒埼駅前通りを通過し、背の高いビル群が並ぶ通称ふれあい通りを抜け、市立図書館を右折、まっすぐに直進した先には、使徒の進行を、軋みをあげる門一枚で防いでいる八幡西警察署がある。

 東は、後方を見やった。追従するように並ぶ使徒の人数は三十を裕に越えていた。熊手四角を更に進み、門前にいる使徒が一様に警察署へ腕を伸ばしている様子を確認し、確証を持って安部に尋ねた。

 

「......覚悟は出来たか?」

 

 安部は、教会に置いてきた切り抜きに紹介されていた少女の話を暗唱する。まるで読経のような抑揚のない口調だった。一面灰色になったような世界で、深く息を吸い込み、汚れた空気を肺にため、一言だけ洩らす。

 

「いきましょう、東さん」

 

 ガラスのように冷たかった声が微妙な熱を帯びていることに気付き、嬉々として叫んだ。

 

「そうこなくっちゃなあ、兄弟!」

 

 東は、砕くような力強さでアクセルを踏み抜いた。八幡西署はもう目の前だ。

 

               ※※※ ※※※

 

 慌ただしさも一段落し、警察署内は銃に弾を込める音か、傷ついた者が苦痛に身を捩る衣擦れの音しか聞こえなかった。

 閑散とした雰囲気と殺伐した空気が同調した署内を祐介は居場所なく、さ迷っていたが、阿里沙と加奈子がいる二階の武道場へ足を運ぼうと、階段を見上げた。そこにいたのは、彰一だ。

 

「......なんだよ?」

 

「別になんでもない。そこ、邪魔になるからどいてくれ」

 

「あ?誰に物言ってんだよお前」




よっし、いやなとこ書けたw


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第9話

 祐介は大儀そうに鼻を鳴らした。典型的な不良言葉を聞くのは久しぶりだ。不満そうに彰一が立ち上がった。

 

「なんか文句でもあんの?」

 

 ポケットから取り出したのは、血に塗るたバタフライナイフだった。見せびらかすようにちらつかせている。

 

「......お前、ここに来る前に何人か殺したのか?」

 

「ああ、殺ってやったよ。そうしなきゃ殺されてた」

 

「友達とかか?」

 

 彰一の右眉が、ぴくり、と反応した。

 最初に声をかけた時、祐介は彰一の「誰も信じない」という言葉に妙な違和感を感じ、考えていた。

 不良は、いわゆる反発の塊だ。大人は信じない。子供同士でつるみ、友達を身内と呼び合う。絆や仲間意識の高さは、なによりも固いのだ。学校のグループなどを眺めていれば、その打ち解けあう早さと、仲間意識に驚いていた祐介からしてみれば、不思議でならなかった。

 警戒しているから、と指摘されればそれまでたが、どうにも構えすぎている気がしていた。

 祐介は、素知らぬ顔でカマをかけたのだ。案の定、少しばかり反応を示した彰一の両目が見開き、怒りに任せて祐介へ飛び掛かろうとした時、一階のロビーで悲鳴があがった。二人が反射的に動くのと、銃声が響いたのは、ほぼ同時だった。祐介が見たのは、信じ難い光景だった。

 異常者の集団に襲われ、咬傷を負わされた男性を治療していた女性が右腕を抑えて床に座り込み、その隣には、男性の死体が転がっている。

 硝煙を流している銃を持っていたのは、祐介の父親だ。

 

「お......親父?なんで......」

 

 父親は、狼狽する祐介を遮り、声を張り上げた。

 

「加藤!奴等に殺された人間が甦るんじゃなかったのか!彼はまだ死んでいなかっただろうが!」

 

 呆然と成り行きを見ていたらしい加藤は、父親の怒声で意識を取り戻した。

 

「わ......分かりません!死んだ数多くの人間は確かに立ち上がりますが......」

 

「じゃあ、これはどういうことだ!彼は噛まれただけではなかったのか!」

 

「その筈です!だから、何がなんだか......」

 

 騒然となる場、さっきまでの静けさが嘘のようだ。横たわる男の死体から逃げた女性に注目が集まるのは必然だった。

 女性の噛み傷から血が流れているのを見て、誰かが叫んだ。

 

「あの女を殺せ!あいつも奴等みたいになるかもしれない!」

 

 女性が怯えきった表情で近くにいた警察官に視線を送ると、短い悲鳴をあげて離れていく。それがスイッチのような役割を果たしたのか、憂倶そうな女性の挙動一つ一つに全員が恐れおののいて距離を空けていく。

 

「わ・・・・・・私は正常です!信じてください!お願いです!」

 

「信じられるか!誰か早くあの女を殺せ!」

 

「そんな!お願いします!やめて下さい!お願いします!」

 

 どれだけ懇願しても冷淡な態度は変わらない。女性は小さく何かを呟きながら後退り

、やがて背中を向けて走り出した。どこに行くなどと決まってはいないのだろう。ただ、この異様な者を排除しようという空気から逃げ出したくなっただけだった。




ふふふ……ちょっと悲しくなってきたw
あ、ちなみに八幡西署は実際三階建てです


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第10話

 殺伐とした空気の中、祐介は異を唱える。いや、本音を言えば、噛まれた者が異常者になるのであれば、次に矛先が向けられるのは、父親か、治療を受けていたもう一人だ。母親を奪われて、僅か数時間で父親を失いたくない。その一心で、祐介は銃を構えた父親の前に立ちはだかった。

 

「ちょっと待てよ!まだ、そうなるって決まった訳じゃないだろ!」

 

「そこをどけ、祐介」

 

「駄目だって!頼むからみんなも、親父も落ち着いてくれよ!」

 

 じっ、と対峙したまま二人は動かない。息を呑む時間、祐介の後ろで、壁に行き詰まり、身を丸めて小声で自らを擁護する女性と、机に寝ていた男性に少し振り返った直後、横になっていた男性が、大きく息を吸い込んだ。胸が膨らみ、やがて萎んでいく。それっきり、胸部の上下はなくなった。

 息をするのを止めてしまっていた。治療をされていた怪我は、腕と両足、骨が露出してはいたが命に別状はなかった筈だ。それは一つの仮定を祐介に突きつける結果となる。異常者に噛まれた場合、傷の度合いによらずに、いずれ死に至るのではないか、ということだ。

 

「そこから離れろ!」

 

 飛び出した影は、今しがた息を引き取った男性に覆い被さった。両手でバタフライナイフを振り上げ、一心不乱に男性の腹部を何度も刺し貫いた。腹が破れ、露出した臓器の臭いが広がっていき、嘔吐する者が続出する中、手が血で汚れ、ナイフが滑り落ちることで、ようやく荒い呼吸を繰り返しながら彰一が止まった。そして、震える女性を睥睨する。

 染まった顔面、血が滴り、眼球に入ろうとも瞬きもしない。男性の額にナイフを浅く刺し、女性から目を離さずに、靴の底で柄を渾身の力で踏みつける。グジュ、と何かが潰れた音がし、刃が男性の頭の中へ消えた。

 死後硬直だろうか。数回、弛緩した身体が、ピクピク、と微弱な電流を流されたように震動していたが、やがて動かなくなる。

 そんな猟奇的な光景が、女性に更なる恐怖を煽った。

 

「いやあああああ!」

 

 今度は、自分の番になる。しかも、生きたまま同じことをされる。祐介や父親も含め、全員がそれを想像した。動けなかった。祐介はただただ唖然としていた。

 同じ年齢で同じ地域で生まれ育ち、ましてや、同じ人間だ。どうしてこんなことができる?

 彰一から憎しみに満ちたドス黒い風を感じる。その風圧にも似た何かによって、祐介の足は前に出なかった。

 

「助けて!助けてええええええええええ!」

 

 腰を抜かし、泣きたてながら床を這い回る女性を一目見て、彰一は唾を吐き捨てた。殺す気だ。男性の額から突き出たようなナイフを抜き、逆手に構えた。




なんか俺、病んでるように見えるかもだけど、正常だから!正常だから!(大事なことは二回言わないとねw)


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第11話

 ナイフの刃先から血が垂れる。

 女性は壁伝いに這うこともしなくなった。腕が痛むのだろう。父親の場合、祐介が助けたこともあり、深刻なダメージはなかったが、女性は違う。骨に達するほどの咬筋力で噛まれているのだ。

 彰一は構わずに間合いを詰めていく。

 門前に蔓延る異常者達が、今から起きる凄惨な一幕を煽るように一段と喚き始めた。まるで、合唱のようだ。奏でられるのは、人を狂わす痛苦の叫びに他ならない。すがるような女性の目を、誰もが直視できなかった。文字どおり、彰一の持つナイフの矛先が自分に向けられるのが恐ろしいからだ。

 女性は、壁に両手を突き、どうにか窓枠にしがみつき、窓の鍵へ左手を伸ばした。彰一は、その瞬間に走りだそうとしたが、突然、背後から聞こえた銃声に足を止める。

 女性の後頭部が弾け、弾丸が破ったガラスへ、女性は頭から突っ込み動かなくなった。

 

「もう良いだろ......」

 

 力なく父親が囁いた。その表情は青ざめている。同じ立場にいる人間として、父親は見てられなくなったのだろう。薄い煙を昇らせる銃口を下げ、父親は腕を突き上げ、傷口を晒した。

 

「他に噛まれた者はいないかチェックする!僅かな傷も見逃すな!隠すな!傷があるものは、誰かに任せるか、自分で絶つか決めろ!」

 

 それは、残酷な宣言だった。自殺か他殺か、どちらにしろ死ぬことに変わりはない。途端に、署内で喧騒が巻き起こった。日本独自使用のM360、父親は、まだ四発残った銃を祐介に差し出した。

 祐介は、その意味を悟り、声をあげた。

 

「ふざけんな!嫌に決まってんだろ!」

 

 やり場のない憤りが、体内を巡っていき、突発的に出た言葉だった。だが、父親は何も返さずに、右手に乗せた拳銃の熱を確かめるように握る。

 

「なんなんだよ!そんなのおかしいだろ!昨日までは普通だったじゃねえか!学校や仕事や部活に行って、帰ってお袋が作ってくれた飯を家族で食べて!怒って、笑って......そんな日常は何処に行っちまったんだよ!」

 

「祐介......」

 

「なあ......帰ろうぜ親父......いつもの日常にさ......きっとお袋だって俺達を待ってるよ......」

 

 項垂れる祐介の頬を両手で挟み、父親は強引に顔を上げさせた。

 見えた父親の顔は、祐介が見たことがない涙で濡れていた。

 瞳に溜まった涙を流さぬようにしているのか、震える喉を絞るような声で言った。

 

「逃げるな!逃げた所で何も変わらない......俺は、受け入れられずにお前に不信感を与えてしまったが、お前は俺のようになってはいけない......」




親父いいいいいいいいいいいいいいい!あ、俺、祐介じゃなかったw


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第12話

 祐介の手にM360を握らせた。微妙な熱に、ずしりとした重量を自覚する。それは、決して銃本来の重みではない。

 トリガーを引けば、人が死ぬ。高校生の祐介には、到底抱えきれるものではなかったが、父親は拳銃を指折りでもするように、しっかりと祐介の掌に収めさせた。

 そして、祐介の手首を持ち、自らの額に当てた。

 

「さあ、引くんだ......男として死ねなかった俺を......せめて人間として死なせてくれ......」

 

「やめてくれよ......やめてくれ、親父......」

 

「祐介、頼む......お前の手で俺を母さんの所へ送ってくれ......連中のようになる前に......」

 

 父親が祐介の手首を離し、両腕を広げた。

 そうだ。父親があんな異常者と同じようになるのなら、母親を食い殺した奴等の仲間になるくらいなら、俺がこの手で......

 そこまで考え、ぐっ、と指に力を込めたが、祐介は見てしまった。

 父親に託すように握らされたM360を。

 その弾丸が撃ち出される暗く深い穴に詰まっている見えない何かの重みで、腕が下がっていく。

 

「祐介......」

 

「無理だよ......俺には、無理だ......」

 

「祐介!!」

 

「無理だ!」

 

 銃を父親に押し返した時、二階の武道場に避難していた阿里沙が駆け降りてくる。ただならぬ雰囲気を醸しながら、肩で息をしつつ大声で叫んだ。

 

「大変です!白い車が追われています!」

 

 響いた大声は、全員の視線を集めた。阿里沙が、異変に気付き悲鳴をあげる前に父親が大音声をあげる。

 

「どういう意味だ?今はどこにいる?」

 

「二階の窓から見てたら、市立図書館前を車が走ってて......」

 

 阿里沙の言葉は最後まで続かなかった。門前にいた異常者達は、一斉にその車へと向かっていったからだ。

 巧みに車を操る白いプリウスの運転手は、門前にいた異常者の群れに銃撃を放ち、助手席側の窓を開く。

 真っ白な男だった。

 祐介は、玄関のガラス越しに目を見張る。僅かな時間、ほんの十秒にも満たない須臾ともいえる時間、車が門の前を抜けるほんの一時、祐介は男と見合った。

 勘違いかもしれないが、その一瞬間に、男は白一色な姿からは似つかない黒い塊を放った。野球で動体視力を鍛えていた祐介には、それがなんなのか良く分かった。その塊は、重く鈍い質量をもって、異常者を阻んでいた門の前に落ちる。

 

「みんな!伏せろぉ!」

 

 他の者には、凄まじい速度で、車は警察署を素通りしたように感じ、祐介の忠告に理解が追い付かず、呆然と立ち尽くしたままだった人もいた。そして、無情にも白い人間が投げた手榴弾がけたたましい爆音を発した。




もうすぐこの章は終ります


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第13話

 吹き飛ばされる防衛線と異常者、衝撃に耐えきれず、砕かれた門の一部が警察署のガラスを破り、その先にいた男性の胸を貫いた。

 排気音が遠ざかっていく。祐介達にとって、最悪の事態が訪れた。最初に気付いたのは、加藤だ。

 手榴弾の爆発から身をまもる為に伏せていた加藤に、長い影が重なる。嫌な汗が全身から流れ出した。右手に持っていた拳銃を横になったまま構えたが、もう手遅れだ。数人の異常者の下敷きになる形で、覆われた。

 

「ぎゃあああああああ!」

 

 加藤の絶叫は、胸を抉られるような痛苦の叫びだった。

 止めてくれ、助けてくれと乞うが、異常者達の獸じみた食事は終わらない。加藤は、力任せに切断された右腕を涙で霞んだ瞳で垣間見た。やがて、強引に腹へ捻り込まれた両手が脇腹に向かって広がっていく。開ききる前に、 四本の腕が晒された臓器に伸び、一人は直接、顔面を埋ずめた。

 加藤の金切り声が大きくなり、やがて萎んでいく。

 

「いやああああああ!おとうさあああん!」

 

「阿里沙!行くな!」

 

「離して!離してよ!」

 

 祐介は阿里沙にしがみついた。

 

「祐介!阿里沙ちゃんを二階へ連れていくぞ!」

 

 銃声が響き始める。だが、いくら銃を扱えようとも、人に当てる練習はしていない。このままでは、いつか押しきられてしまうことは明らかだった。

 祐介は、頷くと阿里沙を父親に任せ、彰一の手を握った。

 

「お前も来い!早く!」

 

 彰一は、厭忌に満ちた形相で舌打ちを一つ挟んだ。辺り一面に反響する悲鳴は、増えていく一方だ。父親は、床に落ちていたパイプを一つ拾い、近寄ってきた異常者の頭部をバットを振るように殴りつけた。

 瞬く間に地獄と化した避難場所、四人は、階段を駆け上がる。途中、背後にいた女性が、異常者の波に呑まれてしまったが、振り返ることも出来なかった。二階に到着すると、父親が階段を上がってきていた異常者を蹴り落とし、祐介に阿里沙を預けて言う。

 

「先にいけ!武道場の場所は分かるだろ!」

 

「親父は!?」

 

「あとから行く!心配するな!」

 

 祐介は、逡巡したが、とにかく今は阿里沙を安全な場所に運ぶ方を優先した。

 

「行くなら早くしろ。糞共が上がってきたらキリがないぞ」

 

 彰一が手にしたナイフを一人に投げ、先頭にいた異常者は後続を巻き込みながら、倒れていく。祐介は、武道場へ走りだした。二階廊下の中央にノブがない木製の扉がある。そこが武道場だ。

 真鍮性の取ってを掴み、二枚扉を広げると、そこにいた加奈子の顔色がさっと変わる。




UA数7000ありがとう御座います!


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第14話

 階下から聞こえる破裂音や、甲高い叫喚、幼い少女が聞くには、過酷なものだった。

今の加奈子は、恐怖を発散する術を持たない。声を失っていなければ、どれだけ楽だっただろうか。張り裂けそうな鼓動を抑えるように、加奈子はへたりこんだ。

 阿里沙が堪らず、加奈子を抱きしめた。高校生の祐介すら、受け入れきれない現実、何も出来ない無力感に苛まれ、逃げるように父親へ視線を向けた。

 

「親父!早く来い!」

 

「一枚、左側の扉を閉めろ!」

 

 走りながら父親が言った。彰一が言われるがままに左の扉を閉め、祐介は道場内に入り、父親の逃走ルートをあける。四人の下へ全力で走ってきている安藤感から祐介が脱力した瞬間、父親は開いたままの右扉に身体をぶつけて扉を閉じた。祐介は目を丸くし反応が遅れ、取っての隙間にパイプが侵入する。手を掛けて引く木製の扉、つまり、中から開くには、閂になっているパイプを折るか、抜くしか方法がない。

 

「おい......おい!どうつもりだ親父!」

 

 弾かれるように、木製の扉に詰め寄った祐介は、僅かな隙間から父親を窺う。その表情は、最後の時だと如実に伝えるような満面の笑みだった。

 

「良いか、祐介、男が本当の意味で死ぬ時はな、誰かを守れなくなった時だ。俺は、あいつを見捨ててしまった。だから、お前が俺の生きた証になってくれ」

 

「そんなこと言うなよ親父!頼むから、ここを開けてくれ!」

 

 祐介は、目の前にある木製の扉を叩き続ける。破れた皮膚から血が流れだすが、構っている場合ではないのだろう。武道場の窓から、黒崎の街を哨戒していた彰一が叫んだ。

 

「ヤバイ......奴等、他の場所からも集まってやがる!」

 

 階下で鳴っていた数多の銃声、阿里沙が耳を塞いで、恐怖に押し倒されるたように、しゃがみこんでしまう。それでも、祐介は父親の説得を続ける。もう、祐介に残された肉親は、父親しかいないからだ。涙で視界が霞む目を見開き、必至で訴える。生きてくれ、俺を置いて行かないでくれ。

 

「ここで死ぬことで、お前が生きている限り、この死に意味が出来る。勝手な父親の言い分であり、我が儘だろうが、頼む!お前は......お前達は生き延びてくれ!」

 

 銃声が消えていく。代わりに聞こえてきたのは、甲高い悲鳴と、金切り声、そして階段を上がる大勢の足音だ。父親は扉の前で、両腕を守るように広げ扉に背中を預ける。

今度は、天寿を全うするような穏やかな笑みを浮かべ、一人の男として、子供を守る一人の父親として叫んだ。

 

「来い!狂人共!絶対にここは破らせんぞ!」

 

「親父!やめてくれ!お......」

 

 首投げの要領で祐介を倒したのは彰一だ。すぐさまマウントをとり、体重をかけて口を塞ぐ。

 曇もった声にならない声をあげる祐介の眼界に、スローモーションで扉の隙間から鮮やかな朱色が飛び込んできて散った。

 

「んん!んんんんん!」

 

 隙間の奥、父親の影は決して扉から離れることはなかった。何かが終わる時というのは、こんなにもゆっくりと時間が経ってしまうものだとしたら、祐介は耐えられる自信がなかった。

 最後に見た父親の笑顔が鮮明に焼き付いた祐介は、M360を託された右手を父親の声が聞こえなくなるまで、いつまでも伸ばし続けた。




次回より第6章に入ります
あと、お気に入り60件突破ありがとう御座います!
これからも頑張ります!


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第6部 調査

 大量のフラッシュが焚かれる中、戸部は堂々と壇上に立った。黒のスーツは変わらず、現在の九州地方における被害情況について、淡々と事務的な口調で述べていく。

墜落した飛行機に乗っていた搭乗者、100万都市を有する北九州市がある福岡県の現状、 そして、感染者の狂暴性、九州地方の隔離の成功、被害者数、それらを踏まえながらの会見は、約一時間に及んだ。

 続いての質疑応答にも、戸部は淀みなく自身の見解を答える。

 

「犯行声明は届いていないが、これは明らかなテロリストによる行為と我々は認識しております。アメリカと友好のある日本に対して、過激派テロリストが動いたのだと考えています。あくまで、推測の域を出ないのが非常に悔しく、二次被害の可能性もあり、なかなか救助活動に移れないこと、また、国民の皆様に、一刻も早く情報をお教えできない、私の不甲斐なさに憤りを覚えております。大変、申し訳ありません」

 

 戸部は、カメラの前で頭を垂れた。一斉に焚かれるフラッシュの奥で、戸部は、にやり、と嗤い嘲笑していた。そんな時、一人の男が手を上げた。ヨレヨレのTシャツに、無精髭、くたびれたネクタイ、記者会見という場には、やや不釣り合いの男は、名前を田辺という。

 

「質問願います」

 

 戸部の隣にいた女性は、田辺の姿に眉をしかめ、無視を決め込もうとしたが、頭を上げた戸部が首を横に振った。女性が、どうぞ、と許可を出してから、立ち上がり、田辺は一礼する。

 

「僕の個人的な質問ですが、今回の事件に対する総理の手際......例えば、関門橋の破壊、あらゆる機関の停止、九州地方への手配が早かったように思えるのですが、これだけ迅速な行動をとれたのは、何故でしょうか?」

 

 戸部は、さきほどまでと同じように、濁さずに返した。

 

「全てどんな事態が起きても、対処できるよう備えていたからです。及び、自衛隊の方々の努力あってこそでしょう。私個人は、何をした訳ではありません」

 

 どこまでも謙虚な姿勢に、記者達から感銘の拍手が起きた。田辺も、両手を打ち付けている。だが、座ることはなく、続けて訊いた。

 

「では、次の質問ですが、今回の事件に厚労省の方は、どう動かれているのでしょうか?聞く所によると、墜落した旅客機には、管理されていた薬品が積まれており、それが漏洩した可能性がある、とありましたが?」

 

「と、言いますと?」

 

 田辺は、右手に持ったペンで困ったように頭を掻いた。言いにくそうに尋ねる。

 

「その薬品が、ただの航空機墜落事件を悪化させる引き金になった......という可能性があるのではないでしょうか?」

 

 田辺の質問は、そんなB級映画のような事態がある訳がない、と会場中の失笑を買ったが、田辺は真剣だった。戸部も呆れたとばかりに、額に指を当てる。

 

「なかなか想像力が豊かな質問ですが、現在、調査中とだけお答えします。それでよろしいですか?」

 

「待って下さい。まだ、厚労省の動きを聞いていません」

 

「......そちらも現在、調査中です」

 

「はい、分かりました。以上です」

 

田辺は、椅子に座り、聞いた内容をメモに書き残した。他の記者は、どうでも良い質問だと思ったのか、誰もペンを走らせる様子はない。




第6部はっじまっるよーー
あと、ちょっと助けてほしいことがあります。
詳細を活動報告に載せておきますので、暇があれば覗いてみてください

あと、サザエさんのアナゴさんが亡くなってしまうってマジですか?


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第2話

 時刻は、午前十時、記者会見が終わり、集まっていた報道陣が撤退していくなかで、田辺は所属する新聞社へ連絡をとった。電話に出たのは、支局長の浜岡という男だ。いつもの気怠そうな覇気のない声が電話越しに流れてくる。

 

「......田辺君さあ、連絡するなら携帯じゃなく支社にしてくんない?」

 

「今、会見が終わりましたよ浜岡さん」

 

 浜岡のぼやきを聞き流し、話を進めるのは、いつもの習慣のようなものだ。この支局長は、何か事件に進展がないと動き出さないことは田辺はよく知っている。

 抑揚のない返事が聞こえるまで、間が空いた。デスクからノートとペンを探しているようだ。

 しばらくして、浜岡が訊いた。

 

「で、どうだった?なにか収穫は?」

 

「残念ですが、ありませんね。テレビは点けていますよね?」

 

「ああ、それが?」

 

「どこかの局が現場を撮影してる、なんてことないですか?」

 

「......いや、無いね。そもそも現場には報道各社は入れない。テレビで流すことなんか出来ないよ」

 

 そうですか、と落胆した声音に、浜岡が怪訝そうに返す。

 

「どうした?何かあるのかい?」

 

「いえ、なんでもありません、少しばかり帰りが遅れますが良いですかね?」

 

「構わないよ。ああ、そうだ。一つ釘を刺させてもらおうかな」

 

 田辺は眉をひそめた。無言で先を促すと、浜岡が楽しそうに言った。

 

「君の正義感は嫌いじゃないが、それに駆られるあまり距離感を間違えるなよ。物事を観察する時に必要なのは適切な距離をどれだけとれるかだ」

 

 付き合いというのは、ままならぬものだ。近ければ近いほど周りが見えなくなる。遠ざかれば、周りが見える変わりに遠くが見通せなくなる。あくまで記者は、世間で起きた出来事には中立の立場に立たなければならない。そういうアドバイスなのだろう。

 

「......分かりました」

 

 田辺の曖昧な返事に、携帯電話の向こうにいる浜岡が渋い顔をしていた。きっと理解はしていないのだろうと思いながら、浜岡は笑う。

 

「あと、清潔な格好を心がけなきゃね。君の姿では相手に不信しか与えないから」

 

 田辺は自分の姿を見直し、苦笑した。

 この先輩のアドバイスは、いつも0な100しかないのだ。余計なお世話だとは口にせず、田辺は路上で頷いた。

 いつ以来だろうか。これほど癪に障る事件は、と田辺は思い返し、記憶に引っ掛かったのは、数年前に、ある連続殺人犯が東京に潜伏していると情報を得た時だった。周囲からの制止も振り切り、田辺は地道に足取りを辿った。

 警察の手伝いもあり、一度は追い詰めたが寸でのところで逃してしまったことを思い出した。それから数ヵ月後に逮捕されたと報告があり、胸を撫で下ろしたが、やはり拭えない感情の揺らぎが心のどこかにあった。




決定!ありがとう御座いました!


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第3話

 それは、正義感か使命感かは、分からない。だが、田辺はこれが記者としてのあり方と信念を持って活動している。午前、十時三十分、浜岡のアドバイス通りに、田辺は一度自宅へ戻る途中、田辺はホット缶コーヒーを購入し、一気に飲み干した。

実りの少ない取材ノートを読み直す振りをして、部屋で数時間、意味の無い時間を過ごすのも慣れたものだ。

 厚労省の大臣という重要なポジションに就いている久しぶりに会う同級生、野田は一体どんな顔をして出迎えてくれるのだろうか。間違いなくいい顔はされないだろうが、聞けるだけは聞きだしてやろう。それが俺の仕事だ。

 田辺は自宅の玄関を開けると、クローゼットからクリーニングしたばかりのスーツを引っ張り出し、髭を剃って横になった。

 

               ※※※ ※※※

 

「うっ......」

 

 真一が、目を覚まして最初に見たのはカーキ色の天井だった。痛みが強い後頭部を抑えてみれば、ぬるりとした感触がする。衝突した時にぶつけたのだろう。

 次に、四肢の動きを指先からゆっくり確認した。骨折のような怪我はないようだ。身体の上に乗った銃火器を押し退け、運転席に繋がる小窓を開く。

 

「おい......お前ら無事か?」

 

 数秒して、浩太の曇もった返事があった。

 

「ああ......はは、奇跡だな......生きてる......」

 

「何が奇跡だよ......無茶苦茶な指示出しやがって......」

 

「生きてるだけで、儲けもんだろ」

 

 瓦礫が崩れる音がした。浩太がドアを開けたようだ。二、三度咳き込んで、腰からナイフを抜くと、荷台を覆うカーキ色の布を切り裂き、真一を下ろした。

 達也が、エンジンをかけようと何度か鍵を回すが、空回りを繰返す。苦々しくハンドルを拳で叩く。

 

「くそ!イカれちまったみてえだ!」

 

「......しょうがないだろ。幸い、タイヤは無事なんだ。変わりになる足を探すしかないな」

 

「そんなもんどこにあんだよ!」

 

 浩太に苛立ちをぶつけた達也は、はっ、と自分の口を塞ぎ、小さく呟くように謝罪した。度重なる命のやり取りに精神が磨耗しているだろう。浩太は、首を振ってみせると、真一が口を挟んだ。

 

「とにかく、ここから出ようぜ」

 

 埃を叩く仕草をする。崩れた柱や壁がトラックに寄りかかり、どうにかバランスを取っている状態だ。少しでもズレると傾いた支柱が音をたてて三人を潰す可能性もあった。

 三人は、89式小銃に新しいマガジンを押し込み、瓦礫をかき分けながら、慎重に門司港レトロに出た。




鼻が痛い……
くしゃみしすぎた……


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第4話

 暴徒の呻き声が聞こえる。どこにでも入り込む奴等だ。

 旧門司税関の看板は粉々に砕け散り、丸い焦げ跡の広さがミサイルの凶悪な威力を物語っていた。浩太の気転が無ければ、これが直撃していたのかと思うと、真一は寒気を覚える。

 

「さすがの威力だな......」

 

 浩太がぽつりと呟き、真一も達也も頷いた。過去にインターネットや映画で見たミサイルとは訳が違う。

 改めて、命が晒されたという実感が沸き、生き延びた喜びが沸き上がってくる。そんな二人を尻目に、飛び去ったアパッチを探すように、真一は浮かない顔で空を仰いでいた。

 

「......おい、真一?どうした?」

 

 浩太の問い掛けに、真一はやや間をあけて、意を決したように言った。

 

「二人とも、落ちついて聞いてくれよ?」

 

 浩太はすぐに察した。関門橋で現れたアパッチに関することだ。真一の様子がおかしかったあの時、達也の援護射撃を受けたアパッチの腹に何が描かれていたのか浩太は知らない。だが、いつもは飄々としている真一がこれほど表面に深刻な影を落としていることから、ただ事ではなかったのだと分かる。 

 真一が、一度二人に目配せをする。準備は良いか、という意味だ。短くも濃い沈黙が流れ、真一は息を吸い込んだ。

 

「......アパッチの腹に、星条旗が彫られていた」

 

 浩太と達也から血の気が引いた。それは、厭世をもたらすには充分すぎるほどの一言だったからだ。達也が堪らず、怒鳴り声で真一に噛みついた。

 

「ちょっと待てよ!お前の見間違いなんじゃないのか!?あの混乱した場所なら錯覚だって考えられるだろ!」

 

 真一も感情のままに反駁する。

 

「俺だって信じたくなかったぜ!?けどな、確かに見たんだよ!」

 

「なら、なんでもっと早く言わないんだよ!」

 

「あの状況でか?言ってどうする?すんなり諦めちまえたのに、とでも言うのか?」

 

「ああ、そうだよ!少なくとも、生きてるよりは楽になったかもな!」

 

「二人とも落ちつけよ!それよりも気にすることがあんだろ!」

 

 二人の口論に割って入った浩太自身も顔色が優れない。当たり前だ。襲い掛かったアパッチに刻まれた星条旗、それが何を意味するのか三人は瞬時に理解し、同時に絶望したからだ。

 真一と達也が揃って浩太をみやる。浩太は、ある一つの確信を持っていた。

 アメリカを動かすなんてことが出来るとすれば、それは国絡みではなくては無理だ。そして、記憶から引き出されたのは、航空機墜落のニュースでキャスターが読んでいた内容の一部だ、

 確かに、キャスターはこう述べていた。

 

「厚労省のもと、管理・輸送されていた」

 

 今回の事件の裏には、日本のトップないし、それに近い人物が関与している。はたまた、その両方か。それは、いまの浩太には計り知れないが、それは、もう一つのある可能性を示唆していることになる。




ちょっと書き直す可能性がります……
なんか納得いかないような……いくような……


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第5話

「気にすることってなんだよ?」

 

 達也が苛立たしげに訊いた。浩太はしばし逡巡するが、いきなり結論を口にするのは混乱を避けるためにやめた。

 

「まず、第一に星条旗があったってことは、日本が今回の事件に一枚噛んでるのは分かるな?墜落したニュースでキャスターが言ってたのは、厚労省で管理されていた薬品、つまり、国の救助はない。そして、脱出するルートも狭まっていっている。飛行機や新幹線とかも停められているだろう、ここまでは良いか?」

 

 二人は揃って肯首する。

 

「なら、次の疑問だ。何故、あの旅客機が墜落したのか?」

 

「単純に事故だった、じゃないのか?」

 

 真一の回答に、思い当たることがある節があるのか、達也がはっきりと首を振った。

 

「いや......そう言えば下澤さんが気になることを言ってたな。誰かが人為的に起こした事故だと思っているとか......」

 

「理由は聞いたか?なんとか思い出せないか?」

 

 浩太が食い気味に身体を乗りだす。僅かに反応が遅れ、達也が後退り、申し訳なさそうに続ける。

 

「悪い、ちょうど奴等が基地に集まりだした頃で、それから先は聞けなかったんだよ......」

 

 沈痛な面で、達也は項垂れたが、看板に残ったミサイルの着弾点を見上げ、目を覚ましたように早口で言った。

 

「思い出した......墜落した機体の右翼が破損して、燃え上がった焦げよりも、巨大な何かが爆発したような丸い焦げ跡があったらしい」

 

 達也の言葉に、三人は上を向く。あるのは、丸い焦げ跡だ。合点がいった真一は、悄然とした様子で地面に座り込んだ。

 

「なんだよそれ......なんなんだよ!それはよ!」

 

 身を焦がす憤懣が、真一や浩太、達也から声を奪った。

 要約すれば、国が例の薬品を積んだ旅客機をなんらかの目的で墜落させ、この事態を引き起こし、証拠隠滅を計り九州地方を隔離した上で、アメリカに生存者の抹殺を任せた、という図式が成り立つ。

 得心がいく訳がない。納得できる訳がない。九州地方にあった多くの命は、ミサイルを撃つための指先一つ動かしただけで汚れを洗い流すように洗浄された。それは命を弄ばれたに等しい行為だ。震える拳をぶつける相手もいない。悪罵を投げることもできない。ただただ、その現実を突きつけられた浩太は、ぎりっ、奥歯を噛んで言った。

 

「言いづらいことはまだあるんだが......」

 

 浩太は確認するように低い声で呟いた。

 

「......なんだよ。もう、何がきても驚かねえよ」

 

 力なく返したのは、達也だ。へたり尽くした目を浩太へ預ける。

 

「ああ、だよな。じゃあ、衝撃の事実、その二だ。多分、旅客機を落としたのは、俺達の仲間だった誰かだ」



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第6話

 真一が息を抜くような頓狂な声を出した。達也は目を丸くしている。突拍子のない浩太の発言には、食って掛かるのも馬鹿らしくなり、二人は俯いたまま、深く溜め息を吐き出した。

 

「ちゃんと聴けよ。理由もある。まず、もしも、旅客機を落としたのがミサイルだった場合だ。これは、すぐに分かるだろ?」

 

「......なんで分かるんだよ」

 

 蚊の鳴くような声で真一が訊いた。浩太は右手の人差し指を立て、くるくると回す。

 

「レーダーだ。小倉の駐屯地にもあっただろ。撃ち出されたミサイルに搭載されたセンサーを感知する。だが、もし反応していたら、誰かしら気づくだろ?」

 

 言葉を区切り、二人の返事を待つが、無反応だ。まだ、立ち直れていない。浩太は、仕方がないとばかりに首を振って続けた。

 

「つまりさ、旅客機を墜落させたのは、ミサイルじゃないんだ。もっと小さな、人が撃てるようなやつ。例えば......カールグルタフとか......」

 

 達也が鼻で笑う。

 

「いや、よく考えろよ?重火器の持ち出しは隊長や、その他、いろんな方面の許可がいるんだぞ?おいそれと持ち出せるもんじゃないだろ」

 

 黙然と浩太と達也の会話に耳を傾けていた真一が、顔をあげた。驚愕の色を漂わす顔付きに、達也が眉を寄せる。

 

「真一は気付いたみたいだな......」

 

 未だ一人、理解が追い付いていない達也は狼狽し、視線が宙を彷徨い、浩太で定まる。

 

「良いか?達也、一人だけだ。一人だけ使用許可を飛ばせる奴がいる。お前も言っていた奴が......」

 

「俺が?言った?」

 

 達也は、自分の台詞を思い返し、瞠目した。そうだ、確かにある男を一例に挙げていた。鵜呑みにはしたくない。青ざめた達也に、浩太が力強く断言する。

 

「そうだ......今回の一件、この黒幕は、隊長の新崎だ」

 

                ※※※  ※※※

 

 東京は慌ただしさに包まれた。配られた新聞には、九州地方に謎の奇病が蔓延、という内容の報道が一面を飾っており、様々な有識者がニュース番組で、議論を交わしあっている。そもそも死者が動き出す訳がない。きっとなんらかの原因なあるはずだ、そう喚き散らす男性を写すテレビを、田辺はリモコンで切った。憶測しか出来ない状態で、議論してなんになるのやら。

 九州地方への立ち入りが禁じられている今、田辺は不思議な感覚に溺れていた。同じ国内にいながら、他県の国民は、まるで祭りのように囃し立て、自分の好き勝手に話しをしている。

 明日は我が身というのが分からないのだろうか。

 九州地方感染事件と銘打たれた騒動から、かけ離れた場所にいる人間に、現地がどれだけ苦しんでいるのかは分からない。いや、それは、まだ何も進展していない自分も同じだと自嘲した。

 だからこそ、田辺はこの事件に真摯に向き合い、隠れた何かを暴き出すと決めたのだ。少しでも現地に住む住民の助けになるのなら、それが記者としての自分の役割だと拳を握った。




バレバレだったかもしれない……w


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第7話

 午後二時半に、田辺は動き出した。恐らく、政治家が集まる場所は、他社の記者が犇めきあっているだろう。ならば、田辺はコネを使う。数度のコール音が響き、電話に出たのは、妙齢の女性だった。

 

「はい、どちら様でしょう」

 

 ここで、姓を名乗らないことから、緊張感が窺える。田辺は、出来るだけ明るい声で、ほぐすように言った。

 

「田辺ですが、貴子さんですか?お久しぶりです」

 

 野田貴子、それが電話相手の名前だった。野田の娘だ。

 高校生の貴子が幼い頃だけでなく、まだ政治家として駆け出しだった野田に代わり、幾度となく面倒をみていただけあり、強ばった口調から一気に剣が和らいでいった。

 

「田辺さん、お久しぶりです!元気でしたか?」

 

「ええ、おかげさまで。お父さんは、ご在宅でしょうか?」

 

「いえ、父は昨日から留守です。あの旅客機墜落事故の対応に追われているらしくて......」

 

 田辺は、もちろん承知していた。貴子に自分が記者だと明かしているからこそ、貴子に野田からなんらかの操作が入っていないかを確認するために尋ねたのだ。人が嘘をつく時、電話の音声がやや上ずって聞こえるものだが、貴子は至って平然と返した。

 そういう振りをしているだけかもしれないが、女子高生の貴子に、そんなベテランの犯罪者のようになってほしくないという気持ちもある。

 

「......貴子さんも大変ですね。今回の一件に巻き込まれてないですか?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「いえ、最初の報道で厚労省が管理していた、と発表されたので、その風当たりが強いのではないかと......」

 

 終始、心配しているような言い方を田辺は心掛ける。僅かな警戒心も持たせないためだ。

 自分にとっても、長年の付き合いのある少女に、大人の汚ならしい箇所を露呈させるのは、心苦しかったが、その奥にいる野田を引き出す為だと、田辺は割りきった。貴子が嬉しそうに言う。

 

「そんな心配をしてくれるのは、田辺さんだけです。父から何かあったら事だからと別宅に移動させられていますし、テレビでは感染事件の話が持ちきり......テロリストの仕業ともありましたし......父からは今日、帰宅はすると連絡はありましたが、次に会えるのは何時になるのか......」

 予想通り、憔悴しているようだ。公の場で、テロリストの仕業だと発表されたからだろうか。恐らく、貴子は用意されていた別宅に軟禁に近い状態になっているのだろう。そこで父親の無事だけを祈っている。

 田辺にとって思わぬ僥倖だった。この隙を逃す道はない。貴子には悪いが、田辺は諭すように話した。

 

「大丈夫、彼も戦いには慣れていますよ。それに、僕も今日は彼と一人の友人として会おうと考えていました。もし、よろしければ、そちらで待たせて貰っても宜しいですか?女性一人の自宅にお邪魔するのは気が引けるので外にいますし、玄関越しにでも不安をぶつける相手にならなりますよ」

 

 貴子にとっての兄とも呼べる存在、心の拠り所にするには充分だろう。加えて、田辺は、要所に貴子のための行動だと匂わせる。一枚の厚い壁に阻まれて、何が不安を受け止めるだ。

 

「いえ、ぜひ自宅に来てください!田辺さんなら大歓迎です!楽しみにしています!」




いつかこの作品のキャラに、これでQEDです!って言わせてみたいw(絶対にないけどw)


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第8話

 田辺の胸に巨大な石が沈んでいく。これが、罪悪感というものだろうか。取材ノートに、貴子が言う住所を記入していくが、文字が酷く歪んでいく。

 人の弱みに付け入る苦しさを覚えたのは、田辺のもつ正義感のせいかもしれない。

貴子との通話を終え、田辺は手にした携帯電話と取材ノートをポケットにしまい、いつもより重たく閉じた扉を開き、歩き始めた。

 聞き出せた住所まで、車では三十分もかからない。

 だからこそ、田辺は歩いた。考える時間がほしかった。 野田と対面した際に、どう切り込むかだ。深い追求では、野田にかわされるだろう。ならば、あえて少し眉唾ものの話を振ってみるのも良いかもしれない。

 田辺は、東京の喧騒と平和、これがいつまでも続く訳がないと思っている。どんなに栄えた国家の終末には、必ず、原因不明の奇病が関わっているのだから。

指定された住所は高級マンションが乱立する一等地だった。田辺は、浜岡の短縮番号を押した。

 いつもの調子ではなく、連絡を心待ちにしていたような、鼻息荒く浜岡が電話に出た。

 

「田辺君、なにか進展が?」

 

 田辺は、少し湧いた怒りを堪えた。事件が事件だけに、忌憚のない物言いが癇に障った。慌てて平然を取り繕った田辺が返す。

 

「いえ、今のところは残念ですが......ただ、これから重要な人物に会えるかもしれせん」

 

「それは誰だい?」

 

 浜岡の疑問に田辺は、やや詰まってしまう。ここで正直に話せば、間違いなく貴子への詰問が始まってしまうからだ。それだけは、避けたかった。

 まだ、10代の少女に十数本のマイクが一斉に向けられる光景など、あまり拝みたいものではない。

 

「今は、言えませんね。とにかく、追って連絡します」

 

「......君の知り合いか?」

 

「......いえ、違い......ます」

 

 口調に怒気が含まれているのが分かり、田辺は言葉を濁す。普段は、どこか抜けている浜岡は、こういう時は鋭いのだ。重苦しい時間というのは、日常で流れるように過ぎ去る時間を、二倍にも三倍にも膨らませる。耐え難い沈黙の後、電話の向こうから深い溜め息が漏れた。

 

「分かった。深くは聞かない。だがな、もう一度だけ言わせてもらう。良いか田辺君、距離を間違えるなよ。我々は事実を世に伝える仕事をしているんだ。正義感だけでは、なにも出来ない。それを忘れるな」

 

 浜岡の言葉は、今までよりも深く田辺の心に落ちた。見透かされているのかもしれない。

 田辺の短い、はい、という返事を聞いた瞬間、一方的に電話が切られた。

かつての友達だろうと、容赦はするな。関係者だろうと、全て聞き出す。それが我々の仕事だ。我々は中立だ。田辺は、長年、言われ続けてきたアドバイスの真意が理解できた。

 つまりは、商売だ。これは、我々記者の商行為なのだ。浜岡の台詞には、そういう意味が込められていた気がした。

 田辺は、胸のざわつきをどうにか抑え込み、マンションのエレベーターに乗った。




短編は凄く疲れますね……
すいません、今、気付いたのですが、UA8000及びお気に入り80件突破本当にありがとう御座います!!
これからも頑張ります!


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第9話

 殷賑を極める日本の首都が、崩壊していく様が瞼の奥に映像として流れる。

 六階に到着したエレベーターを降りると、鼻腔をくすぐる日本海の潮の香りがした。風にのって運ばれてきたのだろうか。

 608号室の角部屋が指定された番号だ。インターホンを鳴らし、待つこと数秒、開かれた玄関には懐かしい顔があった。少しばかりふくよかな少女が莞爾として笑う。

 

「いらっしゃい、田辺さん!どうぞ!」

 

 この笑顔を、東京よりも早く、壊してしまうかもしれない。そうしない為にも、適切な距離感を保つべきなのかどうか、田辺には判断ができなかった。

 心が、塑性と脆性の狭間で揺さぶられる。振り子の振れ幅は広がるばかりだ。並べられていたスリッパに足を入れ、田辺は顔をあげた。一直線に伸びる廊下には、寝室であろう部屋が四つある。

 野田の執務室と寝室、貴子の寝室とベッドルームに別けられているみたいだ。リビングは広く、鏡張りの使用なのだろうが、今はブラインドが下がっている。

 白い革のソファに座った田辺は、膝の高さにある大理石のテーブルを見下ろした。あまり良いセンスとは言い難く、貴子が不満そうに言った。

 

「それ、お父さんの趣味みたいで......」

 

 針を含んだような貴子の言い方に、田辺は思わず吹き出した。

 テーブルに並べられていくのは、見たこともない御菓子や、紅茶などの品々だった。反対に座った貴子のマナーは完璧で、田辺は一人感心する。

 

「お父さんから、さっき連絡がありました。もうすぐ帰ってくるそうです」

 

「そう......僕のことは話してますか?」

 

 貴子は、小さく左右に頭を動かした。

 

「いえ、サプライズで喜ばせようと思って伝えてませんが......迷惑でしたかね?」

 

「いや、そんなことはありません。僕も彼が驚く姿は見てみたい」

 

 紅茶を一口啜ると、ハーブの独特な匂いが口の中に広がり、強ばった四肢が、緩まっていく。田辺は、ようやく一息をつけた。

 

「それで、聞きたいことがあるんですが......」

 

 貴子はコースターと一緒にカップを置いた。逸る気持ちを押さえ続けていたのだろう。父親の安否を気遣わない娘はそういない。田辺は、紅茶をもう一口だけ飲んで、姿勢を正した。

 

「どうぞ」

 

「テレビで総理が言っていたテロリストの話しなんですが......本当にそうなんでしょうか?今の日本に対してテロ行為に及んでも、意味がないんじゃ......」

 

「意味がないことはありませんよ。何故なら彼らには、テロを遂行したという事実だけがあれば良いんですから。それだけでも、他国への威嚇は成功です。テロには我々に従わなければ、同じ事をするぞ、そんなメッセージもあります。しかし、僕は今回の事件に対し、テロリストは関与していないと考えます」

 

 貴子はこの短時間で、すっかり塞ぎ込んでしまっていた。ここで田辺が、甘い甘辞でも投げてやれば気を取り戻すだろうが、田辺はあえて動かなかった。そもそも、ここに来たのは、野田に会うためだ。貴子のことは二の次になってしまう。自分の冷たさに嫌気が差した。事務的な、機械的な受け答えのように聞こえる。

 

「それに、もしもテロリストの行為だとすれば、墜落場所が不自然だと思いませんか?世界同時多発テロでは、貿易センタービルや、ホワイトハウスが狙われた。国に対しての重要な場所を狙うのは、常套手段でしょう?」

 

 貴子は、小さく頷く。しかし、表情の陰りはとれない。

 

「それは分かるんですが、不安なんです......私には母親がいませんし、親戚もみんな離れています。もしも、お父さんが狙われたらと思うと......」




UA9000及びお気に入り90件突破ありがとう御座います!嬉しいです!


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第10話

 貴子の憂慮は、よく分かる。今にも泣き出しそうに、膝の上で両手を握りしめていた。

 お行儀の良いお嬢様ではなく、貴子は一人の娘なのだ。浜岡との通話から、田辺は感覚が鈍っていた。

 生半可に、浜岡のアドバイスを受け取っている何よりの証佐だ。でなければ、他人とも言えない貴子に、ここまで冷淡な態度をとれないだろう。浜岡にとって他人の不幸が飯の種、記者という生き方を選んだのであれば、それも間違いではない。家庭がありなら尚更だ。

 田辺は記者として失格なのだろう。殺人鬼を追い掛けたりするなどしなくて良い。今回の事件も解き明かす必要など無いのだ。そう、田辺は持ち前の正義感に駆られ、個人的に動いている。社会とか、世間とか、組織とか、そんなしがらみに捕らわれることなく、田辺は動けている。

 田辺は、この事件を明るみにした時に、必要なものが増えたなと苦笑した。

 

「貴子さん、なにかあったにしろ無かったにしろ、不安な時には僕に連絡を下さい。必ず、駆けつけますから」

 

 辞表に書く出だしの一文は何が良いだろうか。

 田辺が、そんなことを考えながらそう告げ時、玄関の方から鍵が外れる音がした。貴子が涙を拭って玄関に早足で向かう背中を見送り、田辺は紅茶をもう一口だけ飲んだ。

 久しぶりの友人に会うのは、なぜか緊張するものだ。リビングへの扉が開かれ、田辺は立ち上がった。振り返り、懐かしい友人に向けて口を開いた。

 

「お久しぶりです。野田さん」

 

 瞠目する野田をよそに、娘の貴子は、サプライズが成功した喜びを隠しているようだ。先程とは明らかに表情が違う。

 

「田辺、お前が何故ここにいる?」

 

 野田の質問に、田辺は肩をすくねて答えた。

 

「一人の友人として来ました。そう威嚇しないで下さい」

 

 大理石のテーブルに、電源を切ったボイスレコーダーと携帯電話を置き、取材目的ではないとアピールを送る。それでも、野田の視線は、田辺の服に膨らみがないかを探るように忙しなく動いていた。

 田辺は、上着を脱ぎ、逆さまにして上下に振り、そのまま上着を投げ渡した。

 

「どうぞ、あなたとは腹の探り合いなんてしたくはないので、存分に調べて下さい。終わるまで待っていますから」

 

「......いや、その必要はないみたいだ。悪かったな。昨夜から記者の連中に追われてか敏感になっていたようだ」

 

 野田は貴子に席を外してくれ、と目配りを送り、貴子が自室に戻ったのを確認してから言った。

 

「久しぶりだな。あの時以来か?」




いず様いず様いず様ーー!はい、気持ち悪いね、すいませんw


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第11話

 野田は、リビングを横切りキッチンに向かい、冷蔵庫からビール瓶を取り出し、グラスを二つ大理石のテーブルに置いた。

 

「呑むか?安物だが、味は良い」

 

「相変わらずですね、野田さんは」

 

 田辺は、差し出されたコップを受け取りグラスを傾ける。注がれる黄金色の液体から感じる冷たさに喉を鳴らす。野田のグラスには、田辺が注ぎ、二人はグラスを合わせると、一気にあおった。昼間から呑む酒の旨みは格別だ。

 

「旨いな......染みる......」

 

「もう一杯いかがです?」

 

「いや、その前に、お前の目的を知ることが先だな」

 

 なるほど、相変わらず強かな男のようだ。録音機器を置いただけでは納得はしていない。貴子に遠慮して口にはしなかっただけのようだ。

 野田が、酒を勧めた理由は、本当に取材目的ではないかを確かめるためだった。正常な判断力を鈍らせるアルコールを口にしていなければ、田辺は今頃、追い出されていたのだろう。これは、素直に貴子へ感謝した。彼女との会話が無ければ、野田の警戒を買い、事件が終わるまで話しが聞けなくなっていたかもしれない。

 田辺は、間をおかずに言った。

 

「一人の友人としてきた、そう言ったじゃないですか。そんな固い話しは抜きにしましょう」

 

「......最近はどうだ?仕事は順調か?」

 

「順調な訳ないでしょう。犯罪者が少ない国とはいえ、毎日、なにかしらの事件が起こるし、その取材にも赴く。たまに嫌になることもありますよ」

 

 野田は、そうか、と呟き、ビールを注いだ。

 

「野田さんは、どうです?......いや、野暮でした、忘れて下さい」

 

 田辺は、ばつが悪そうに振る舞う。自分で言っておきながら申し訳ない、と頭を下げた。野田は、気にするな、とばかりに田辺のグラスに瓶の口を傾けた。

 

「こっちも大変だよ。九州地方への対応に追われている......」

 

 野田の瞳が真下に動き、レコーダーを注視していた。田辺は、電源が間違いなく切れていることを改めて確認させた。

 

「墜落事故から、感染事件......卒爾な事態にも対応しなければいけないとあれば、気苦労もそれなりに積もるでしょうね」

 

「ああ、まったく、テロリストにも困ったもんだ」

 

「医政局はなんと言っています?いや、医薬食品局ですかね」

 

 野田は首を振り、疲れたような溜め息を吐いた。

 

「どちらも何も掴めていないようだ。まあ、死者が甦るなんて眉唾物な話を鵜呑みにするほどお人好しではないからな」

 

 グラスにロックアイスを入れ、そこにビールを追加した。田辺も真似て、半分ほどを喉に通し、抑揚なく言った。

 

「それがですね、案外、眉唾物ではないんですよ」

 

 グラスを持った手が、ピクリと反応する。口をつける寸前だったグラスを置いて、野田が訊いた。

 

「どういう意味だ?そういう事例があるのか?」

 

 田辺は、顎を引いて僅かに沈黙を流し、野田の興味を寄せた。




もうすぐこの章が終ります


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第12話

「こんな話があります。とある男性が発見され、身元を調べると、二十年も前に死亡した男性だった。しかし、彼は生きています。そして、なによりも異常だったのは、いくら質問しようと、聾唖者のように声にならない声を出していたという点でした」

 

「......詐欺か?」

 

 障害者を死亡したとして扱い、多額の金額を得る、今で言う保険金詐欺というものだ。だが、そんなものがないほど古い話だと、きっぱりと否定され、野田は猜疑を込めたように眉間を狭める。

 九州地方感染事件に直結する話なだけに、野田も慎重になっているようだ。田辺は、気にもしていない体裁を装い続ける。

 

「警察は、保護した男性を調べました。そして、ある農場にいきつき、彼らは驚くべき光景を目の当たりにします」

 

 乾いた喉にビールを少量だけ流す。ボロを出さないように意識した話は、緊迫した空気も手伝ってか、存外、疲労が溜まるものだ。

 

「その農場では、保護した男性と同じ状態の人間達が働いていました。事態を重く見た警察は、農場の主を逮捕し、詰問した所、彼らは一度死んで甦った人間だと供述します」

 

 途端、野田は吹き出した。保険金を利用していないとなれば、真実味を欠いた与太話だと判断したのだろう。信じられる筈がない。

 

「記者会見の場といい、今といい、お前は妄想癖でもついたのか?いや、良い息抜きにはなったよ。こんなに笑ったのは久しぶりだ」

 

 くっくっ、と喉の奥を鳴らす。話し半分どころか、まるで漫才でも見ているような笑い方だった。

 大理石のテーブルに置いていたグラスが、叩かれた振動で水滴を落とす様を見ていた田辺は、低い声で吐息でも漏らすように呟く。

 

「テトロドトキシン......」

 

 野田の爆笑が、ぴたりと止まり、眉をひそめた。

 

「......なに?」

 

「彼らには、揃って使用された粉があったんです。その成分を学者が調べたところ、テトロドトキシンが検出されたそうです。野田さんなら、これがどういう意味か理解できるでしょう?」

 

 テトロドトキシンは、神経毒だ。

 神経伝達を遮断して麻痺を起こし、脳からの呼吸に関する指令が遮られ、呼吸器系の障害が起き、それが死につながるのである。しかし、素早く人工呼吸などの適切な処置がなされれば救命率は高いとされるが、その話しを聞く限りでは、奴隷のような扱いを受けていたのだろう。

 そんな人間に対し、人工呼吸を行う訳がない。

 うまく分量を調整し、服用させ、仮死状態に陥らせる。目覚めた時には、酸欠により脳が深刻なダメージを受けている。生き返った時に異常をきたし、能動的には活動出来なくなるだろう。

 考えることも、話すことも、心を無くし身体が朽ちるまで、ただ働かされる。

野田は、それがもしも、自らに行われたらと想像する。あまりのおぞましさに両手で口を塞いだ。

 そして、限りなく近いことの片棒を担いでいる事実から吐き気を覚えた。

 そんな野田を、黙然と眺めていた田辺は、ある確信を持った。

 

「......野田さん、世界には沢山の謎がありますが、僕は全てこういった事実が隠されていると考えています。今回もそうです。なんの薬品が漏洩したかなどはどうでも良い。そんなのは、偉い学者先生に任せます。今回の一件、テロリストにしては、杜撰すぎる。僕は、必ずこの事故を操作していた人間がいると考えています」

 

「......それに俺が関与しているとでも言いたいのか?」

 

「まさか、そんなことはありませんよ」

 

 残った半分を一息で飲み干した。舌を通る冷えた感触は、まるで、田辺の心境を表しているかのように冷たい。

 

「しかし、聞かせて頂きたい事はあります。野田さん、ここからは友人ではなく厚労省の代表として答えてもらえますか?僕は、あなたを疑いたくはない......」

 

「......なんだ?」

 

 野田は、もうグラスに注がれた黄金色のビールに手をつけてすらいなかった。両手を組み、上半身をソファーの背凭れに預ける。

 一息に、田辺が言った。

 

「あなたは、この事件に関わっていませんよね?」

 

「......やはり、疑っているんじゃないか。俺は関わっていない」

 

 田辺は、目尻を落とし、胸中で囁いた。

 相変わらず、嘘をつく時、瞬きの回数が増える癖がなおっていませんね。

 

「分かりました。よく分かりましたよ野田さん」

 

 田辺は、グラスに瓶を傾け、野田に瓶を渡し、すっ、と持ち上げる。

 

「......乾杯しませんか?僕達の新たな旅立ちとこれからに」

 

 野田は、本当に人が変わったようだ、と豪快に笑い、グラスを持ち上げた。二人のグラスがぶつかり、発っした戛然は、田辺にとっての訣別の音色となった。




今回少し長くなったな……
次回より第7部に入ります!


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第7部 悪意

すいません、風邪ひいてました……
復活します


 中間市にあるショッピングモール、建物は連絡通路と吹き抜けを介し、大きく二つに別れている。一号館は大通りに面し、二号館は所謂裏通りに出入口を構えていた。

パチンコ店やゲームセンターまでも有した広大な敷地は、使徒達にとって半ば楽園になりつつある。

 一号館においては、もはや巣穴のような状況だった。何故なら、その敷地面積の広さ故に中間市内に住むほとんどの住民への避難場所となっていたからだ。一号館のバリケードが破られたのは、約一時間前、投げ込まれた手榴弾による一撃を皮切りに、雪崩れ込んだ使徒達による大規模な食事会、備わった音楽は、悲鳴と叫びだ。

二号館の搬入口に車を停めた二人組は、真っ白な服に身を包んでいた。

 その内の一人、長身の男が手榴弾を片手にシャッターの解放を要求したのは、約三十分前だ。

 つまり、この状態を僅か十五分で作り上げたという意味だ。

 二号館に立て籠っていた数十名は拘束され、テレビや本屋といった娯楽品販売テナントが連なる広間に集められている。

一号館に繋がる外通路、そこに群がる使徒達へバリケード越しに十字を切った安部に対し、気味の悪いものでもみるように、目を細めた男の後頭部に銃口が当てられた。

小柄な男が、容赦なくトリガーを引いた。短い破裂音と共に、男は額から弾けた脳を撒き散らしながら倒れた。隣に座っていた女性は、初めて浴びる他人の血に気を失った。途端、耳をつんざくような叫びが響いた。

 

「みなさん、お静かに」

 

 突然、安部が口を開いた。それでも悲鳴は止むことはない。パニックになる要素があまりにも多すぎるのだ。限界を迎えた集団は、いとも簡単に恐怖が感染する。安部は溜め息混じりに銃を構え、適当に狙いをつけた男性の頭を吹き飛ばす。一瞬だけ作られた静然な空間、全員の視線が集中するまで安部はあえて何も言わなかった。ただ、硝煙をあげる拳銃を携えているだけだ。

 それは、いつでも、自分は殺せるのだと拘束された側にとって一定の心理を突き付けていた。

 安部は、十分に注目を集めてからも、更に数秒の間を空け、完全に意識までも集中させてみせた。

 とある有名な政治家が使った手法だが、いまでも効果は期待できるようだ。

 

「まずは、不躾な訪問を心より謝罪致します。このような結果になり、大変申し訳ありません。ですが、これは我々にとって重要な事柄なのを、皆様の寛大な心で理解下さればと思います」

 

 誰もが何も言わなかった。それは、不用意な発言はそのまま死に繋がる可能性があるからだろう。全国紙の一大スクープに取り上げられた東がちらつかせる拳銃に付着した血は、恐怖心を煽るには十分だった。




ああ……まだ喉痛い……
橘田さんに癒してもらいたい……w


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第2話

お気に入り登録100 UA数10000越え本当にありがとう御座います!!!!!
もう嬉しすぎてどうにかなってしまいそうです!


 安部の演説じみたスピーチに耳を傾けなければ、東になにをされるか分からない。

 

「我々は、世界を救済するという崇高な志の下で行動しています。その手段の一つが使徒の作成です。彼らは腐りきった世界へ怒りの鉄槌をおろす存在として、急激に数を増やしています。なぜか、分かりますか?」

 

 安部は出し抜けに、女性を一人指差した。短い悲鳴をもらした女性は、噛み合わない歯を何度も鳴らした。雑然とした安部の言葉に、なにかを感じとっていなければ殺す、と遠回しに宣言されているようなものだ。

 

「わかりませんか?それとも、分かるが答えないつもりですか?」

 

 恐らくは、前者のほうだろう。エスパーでない限り、つい数分前に初めて会った人間の考えを読むことなど、分かっている方が異常だ。そんな女性の背後に、東が音もなく近付き、こめかみに銃口を当てる。

 

「おい、安部さんが聞いてんだろ?無視か?」

 

「ひっ......すみませんでした......撃たないで......撃たないでください!」

 

 東は、安部にアイコンタクトを送り、確認がとれてから銃口を離した。日本における銃の圧倒的存在感は、絶大な効果をもたらしている。女性が声を振り絞るような細い声を出した。

 

「わ......わかりません......」

 

 いい終えた女性の額に穴が開いた。脳漿を辺りに散らしながら、倒れる女性の死体を無感動に眺めつつ、安部は両手を大きく横に広げる。

 

「貴女方のように、人の苦しみに目を向けず、理解も出来ない人間がいるからですよ!良いですか?彼らは使徒なのです!神の使いなのですよ!貴女方の無関心が、貴女方のような人種が、この世界を狂わせているのです!貴女方が、世界を腐らせているのですよ!」

 

 ひどく演技かかった手振りと身振りで繰り広げられる安部の演説は、とても理解できるものではない。だが、その怒鳴り声と、振り回される銃器により、人々は安部の挙動一つに目を配る。これも、安部の狙いだった。

 この場の支配者は誰だと、この場を仕切るのは一体誰だと刷り込もうとしているのだ。加えて、命の選択を握ることもアピールしている。選択肢を潰していくことが目的だった。

 そして、安部は止めの一言を口にした。それは、先程までとは打って変わった穏やかな口調だ。

 

「そんな腐った世界を、私と共に変えてみませんか?」

 

               ※※※  ※※※

 

「大層なご高説だったな」

 

 中間のショッピングモール二号館の休憩所に座っていた安部は、その声に顔をあげた。いつもは、最新映画の案内が流れるテレビも、砂埃を流しているだけだ。廓寥とした空間の中では、東の甲高い声はやけに響いて聞こえる。両手に持っていたケーキを口に運び、クチャクチャと音をたてて食べていた東に安部が言った。

 

「猥雑な行為はしないで下さい、モラルに反します。ゴミはゴミ箱へ」

 

 ケーキに付いたビニールテープを剥がした東は、口の中で転がして、唾のように吐き出した。

 安部の背後にある花壇の草が揺れる。




なんでこんなに尾をひいてんだろ
病院行ったのに……
皆さんもお気をつけて!


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第3話

「心にもねえこと言ってんなよ。今、アンタはそんのことを思ってないはずだ」

 

 安部の隣に腰を落とした東は、もう一つケーキを口に運んだ。

 

「アンタの望む兵隊も出来た。手足はこの俺、頭脳はアンタだ。なら、次にどうするかを考えてなきゃいけない。違うか?」

 

 皮肉のような口振りに、安部は苦笑した。そんな小さなことに気を使うより先に、やるべきことがある。

 安部は、周囲を見回した。物干し竿のように長い棒の先端に包丁を装着した即席の槍や、スポーツ用品店から持ってきた金属バット、はてには車の部品や食料まで、人質同然の扱いを受けていた人々から集められてきている。戦国時代の合戦前のような光景だ。

 従順な兵隊としては未完成だが、一応の統率はとれている。一先ずはこれで良いだろうが、東いわく懸念が残るとのことだった。

 

「まずは、この集団に完全な悪意を叩き込んで逆らえないようにする方法」

 

「逆らえば殺すと脅せば......」

 

 半分ほど残ったケーキを、ぞんざいに投げ捨て、くつくつと笑い煙草に火を点ける。

 

「甘えよ。そんなのは自分に芯がない人間だけにしか通用しねえよ。確かなもんが一本貫いてる人間ってのは、そう簡単には落ちない。しかも、厄介なことに、そいつはどれだけ自分が傷付こうとも意にも介さない」

 

 まるで、そういう人間を知っているような口調だった。凶悪な三拍眼を持って、東は煙草のフィルターを噛んでいる。初めてみる顔だった。世間からは異常者と認識されている東が、初めて露にした怒りの形相だ。九州地方が使徒に埋め尽くされる前から、世界というコミュニティーから外れた男に、こんな感情を抱かせるのは、一体どんな人間なのか、安部は興味本意で訊いた。

 

「そんな方がいたんですね?」

 

 決まりが悪いのだろう。東は舌打ちを交えながら、煙草を踏み潰し、靴底で捻る。

 

「ああ、糞みてえな偽善者だったよ。記者って仕事柄、隠れても潜んでも俺を見つけだしおってきやがった。お蔭で東京に三年近くいるはめになった。どんな嫌がらせにも負けねえって芯があってよ......思い出しただけでヘドが出る」

 

 安部は、こうなる前から簡単に人を殺していた殺人鬼からの嫌がらせを想像しようとして止めた。無駄な事だ。きっと、安部の予想など容易に越えていく。

 

「その方をどうやって振り切ったのですか?」

 

「あ?決まってんだろ?周辺からかき乱してやったんだよ。そいつの近しい人間を一人殺ってやったんだ。バラバラにして、公園のゴミ箱に捨ててやったよ」

 

 公園に女性の頭部が放置されていた未解決事件が安部の脳裏を過った。異常者の犯行として警察が総力をあげて捜査に当たっていた映像を覚えている。

 サイコパスの犯行、ホームレスによる犯行、様々な憶測が飛び交った凄惨な事件だ。




眠い……
あれ?これヤバイ?またインフル?w


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第4話

「その葬式の合間に東京を抜け出したが、奴の手回しのほうが早くてな。結局は捕まっちまったよ」

 

 計り知れない一般人との心の格差は、到底、納得のいくものではなかった。だが、安部は隣に座る東の影響か、それほど嫌悪感を抱かなかった。いや、そうなるべきなのだ。人としての生き方など捨てなくては、この世界で生き抜くことなどできない。

 浅く腰をかけ直し、安部が言った。

 

「なるほど......まず、埋めていくのは外堀という意味ですか」

 

「ああ、そうだ。そういう根っ子の部分は一般社会と変わらねえ」

 

 東が怪しく笑い続ける。

 

「まあ、見た感じでは、ここに芯がある奴はいないみたいだから、さほど気にする必要はない。そういう人間が現れた時の参考にでもしろよ。悪意を叩き込むってのは、もっと違う意味だ」

 

「......と言うと?」

 

「悪意ってのは、誰かに放出するもんだ。なぜこうなったのか、なぜこんな状況にいなければいけないのか、悪意ってのも感染する。悪いものほど、感染していく速度は早い。募金活動なんかより、よっぽど早いぜ」

 

 東は、立ち上がると、その場に居合わせた男性へ手招きをした。不穏な空気が流れる。軽やかにステップを降りた東は、男と肩を組むと、いきなり腹部を殴り付ける。踞った男性への追撃は激しいものだった。容赦なく頭をふみつけ、顔面を蹴りあげ、髪を掴んで床に面を叩きつけた。

 

「見ろよ、こいつらの顔をよ......誰も止めにきやしねぇ......所詮は自分可愛さの連中だ。こういう奴等には警戒するなよ。それを見極めろよ?排除は俺がしてやるから、アンタは俺に命令をするだけで良い」

 

 血塗れなった男性をゴミでも捨てるように開放した。手酷い暴力のあとは、床に広がる血溜まりを広げていく。安部を盗み見た東は、その表面のどこにも動揺や困惑がないことに対し、悦に入った様子で口角をあげた。

 集められた武器の矛先を向けるべき相手は、どこにいるのかは分からないが、少なくとも、安部に刃先を沈める必要はなくなった。

 適応力の高い男だ。いや、もとから素質はあったのかもしれない。

 東は、着々と自分にとっての「完全なる理解者」を作り上げている喜びに胸を踊らせた。

 

                ※※※    ※※※

 

 八幡西警察署内は、冷え込んだ空気に晒され、彰一が武道場の窓を閉めた所だ。くしゃみの一つでもしようものなら、即座に警察署内を徘徊する異常者に気づかれてしまう。それを防ぐ為の行動だったが、たちこめる死臭は堪えがたいものだった。




あーー、苦戦した!
ここ本当苦戦した!
あと、また短編書いてるので機会があればのせます
心配メールありがとうございました!大丈夫です、苦戦していただけです!
短編が終るまで少しペース落ちるかもですが……
とりあえず、いず様いず様いず様ーーーーーはい、気持ち悪いね、すいませんw


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第5話

 扉の前で響いていた咀嚼音もなくなり、ようやくあの生き地獄のような時間が過ぎたのかと、彰一は息をついた。祐介は、変わらず畳の上で大の字になって涙を流しているが、それも仕方のないことだろう。

 取っ手に差し込まれたパイプを抜くしか、この武道場を出る手段がないが、逆を言えば、そこさえ抜かれなければ、異常者達もこちらに侵入することはないという意味だ。

ひとまずの安全は、確立できたことを冷静に考え、彰一は言った。

 

「このまま、クソ共がどこかに行くのを待つしかないだろうな」

 

 祐介も、阿里沙も、加奈子も何も返さない。ただ、早くこの時間が終わるように願い、虚空へ虚ろな瞳を流しているだけだ。

 悪態をつき、彰一は窓から玄関を見下ろした。一階に集まっていた避難者の肉に群がる異常者達の数は、まだまだ増えているようだ。黒崎は、最近になって、急に大型のマンションの建設や、大型デパートの進出が増えたからか、さほど広くはないにしろ、その人口は増えてきていた。工業都市の一面もあり、出稼ぎに来ていた他県の人間もいる。

 それが、そのまま異常者の数を表しているのかと思うと、立ち眩みがしそうだった。警察署内にいるだけでも五十人は容易に越えるだろう。まるで、出口が見えない冷たい洞窟にでもいるような感覚だった。暗い穴から吹く風の空気はひどく寒い。

 

「......なあ、どうしてこうなったんだと思う?」

 

 それが、祐介が発した質問だと理解したのは、数秒後だった。だが、その問いかけの解答を誰も持ち合わせてはいない。彰一が首を振って、声量を抑えつつ言った。

 

「知るかよ。少なくとも、俺達は巻き込まれただけだろうが」

 

 祐介は上半身だけをあげて、右手にあるM360を見つめる。形見となった拳銃は、なぜかすぐに祐介の手に馴染んだ。

 

「拳銃なんてさ、悪意の塊みたいなもんじゃないか?強盗や殺人、テロに処刑、戦争......いろんな場所や国で使われる。けど、俺達が実際に目にする機会は少ない。それだけ俺達は、悪意ってやつから遠ざかっていたのか?」

 

 祐介の言葉に、彰一は鼻を鳴らす。

 

「何をいきなり語り出してんだよ。お前馬鹿か?」

 

「良いから答えてくれよ......頼むから......」

 

 模索しながら、見えないなにかに縋ろうと必死に足掻いている。その目に写らない何かを、つまりは、悪意を形にして欲しいとごねていた。その対象を異常者にすることで、崩れる寸前の自我に、ストッパーをつけようと手探りをしているのだろう、と臆度した彰一は、大儀そうに頭を掻いた。そんなことをして一体なんの意味があるのだろうか。




暑い……世界暑い……w
誤字報告ありがとうございました!!


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第6話

 現実逃避の典型だ。誰かや何かに理由をつけなかれば、行動すら出来なくなる。水が漏れ出すのは、器がその許容を越えてしまったからだ。

 あとは、決壊して水が無くなるのを待つばかり。だが、この状況でダムが壊れるのは非常にまずい。もしも、大声など出されたら、扉が異常者の圧に耐えきれず、破られてしまうだろう。

 彰一は、落ち着かせるように、柔らかく言った。

 

「ああ、そうかもな。俺は、誰かに危害を加える側の人間だったから、お前の言ってる悪意とは違うかもしれねえが、身近にそんな意思をもって近づいてくるやつなんか腐るほどいる。遠ざけたくなるのも当然だろ」

 

 悄然と祐介は項垂れ、加奈子を一瞥した。こんな小さな少女から声を奪い去るほどの悪意が渦巻いている北九州に希望はあるのだろうか。まるで、昔見た人類の滅亡を描いた映画のようだ。

 

「そうだよな......遠ざけたくもなるよな......」

 

 ぼやいた祐介は、扉に向き直った。彰一が片眉をあげた。

 

「......変なこと考えんなよ?」

 

「大丈夫だ。もう、吹っ切れたよ」

 

 祐介は、扉に触れて、額を当てた。噎せそうな鉄の匂いに混じり、木の細かな香りがある。父親が、身を呈して悪意から守ってくれた。その事実があれば良い。父親に救われた命、その重さは二人分、いや、三人分、いや、八幡西警察署にいた全ての人数分はある。

 命の襷は、今、生きている四人に回されているのだ。落ち込むことなどいつでも出来る。とにかく、いまは受け継いだ命の襷を次に繋げることに全力を注ごう。

祐介は、胸中で感謝を述べて、不安そうに見守る三人へ振り向いて言った。

 

「なあ、誰かここから出る為の良いアイディアないか?」

 

※※※※※※

 

「おい、あれ見ろよ」

 

 真一が指差したのは、門司港レトロ内、九州鉄道記念館に繋がる駐車場だった。

 まさに、奇跡のような光景がそこにある。乗り捨てられた三人が乗っていたトラックと同種、自衛隊で使われているトラックが傾いた状態で放置されていたのだ。

走り出した達也に二人が続く。浩太と真一は見覚えがあったが、そんなことはどうでも 良かった。ようやく、足を見つけた喜びのほうが強い。到着と同時に、達也は運転席に回り込み鍵を回した。

 しばらくから回ったエンジンに、三人は身体を強張らせたが、数秒後に、問題なく鼓動を刻み始める。あのとき、真一は正確に右の前輪だけを撃ち抜いていたようだ。あれだけ不安定な中で、幸運だったというべきだろうか。それとも、真一の腕が良かったのか、いまとなってはどうでもいいことだろう。運転席に座る達也がトラックから降りた。

 

「あとは、タイヤだけだな……確か、予備は荷台にあるかずだよな?」

 

「ああ、これを乗り捨てた奴等がなにもしてなければな」

 

 浩太の返事に、達也が怪訝そうに訊いた。

 

「知ってる奴等か?」

 

 これだけの情報なら、達也は自衛官の仲間の誰かだと思うだろう。浩太は小さく首を振った。




さて、そろそろだな……


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第7話

 浩太の言葉を継いだ真一が、自分の頭を二、三回、こつこつと右手の人差し指で叩く。

 

「頭のイカれた二人組のサイコ野郎がいやがったんだよ。多分、奴等が乗り捨てやがったんだろうぜ。荷台の銃器は根こそぎ空になってる方に千円」

 

「じゃあ、俺は百円だな」

 

 笑いながら、浩太がカーキ色の布を捲った瞬間だった。突然、荷台の中から暴徒と化した男性の腕が飛び出し、浩太の首を締めた。慌てて倒れこみ、赤く染まった歯から距離をとると、暴徒の首を下から押し上げ、腰に差したナイフを手探りで探し出す。

 

「うおあああ!」

 

 渾身の力で、暴徒のこめかみへ刃を埋める。殴り付けられたように、暴徒の死体は、は浩太の隣に転がった。肩で息を繰り返し、浩太は上半身だけを起き上がらせる。

 

「この場合は、いくらだ?」

 

「冗談にするなよ......こっちは死にかけたんだぞ......」

 

 達也に手をかりて立ち上がる頃には、真一が荷台の奥からスペアタイヤと修理キットを持ってきた。手分けしてタイヤの交換に取りかかる。ジャッキを差し込み、真一が車体をあげ、ホイールの取り外しを浩太が担った。

 見張りをしていた達也が口を開く。

 

「なあ、タイヤの修理が終わったら、次はどこに行くよ?」

 

 ナットを締めながら、浩太は数秒だけ悩んで答えた。

 

「黒崎とかどうだ?あの辺りなら、誰かいるかもしれないだろ?」

 

「スペアタイヤだから、あまりスピードが出せない......大体、三十分くらいかかるぜ?」

 

 ジャッキを下げつつ、真一が口を挟んだ。タイヤ交換の一連の作業が終わり、浩太は一度、額に溜まった汗を拭う。

 

「なんにせよ、まずは生きてる市民を助け出すことが第一だ。こんなトラックにまで忍び込んでるような状況だし、ここには、あまり長居も出来ないだろ。まあ、とりあえずの目的地ってとこだな。あと、下敷きになってるトラックの銃も回収しよう」

 

「了解、なら、さっさとずらかろう。奴等、集まってきてやがる」

 

 達也の視線を辿った二人は、路地から現れた五人の暴徒を確認した。舌打ちをして、浩太が運転席に乗り込み、荷台には達也が乗る。助手席に座る真一が嬉しそうに煙草に火を点けた。

 

「ようやく、貧乏くじから外れそうだぜ」

 

 バン、と勢いよく助手席のドアガラスを暴徒が叩いたのは、その時だった。思わず、指に挟んでいた煙草を落とし、ズボンに穴を空けた。

 

「お前、馬鹿だろ」

 

 荷台から聞こえた銃声を合図の代わりに、浩太はアクセルを踏む。黒崎にいる四人の少年少女の存在を、三人はまだ知らない。だが、確実に運命の歯車が軋んだ音を鳴らし始めたことだけは、間違いない。暗い洞窟の中を歩くような感覚に変わりはないが、一筋の光明を目指して歩き続けていくしかない。

 いつしか、光が差し込むことだけを信じて、浩太はトラックのスピードを僅かにあげた。




次回から第8部に入ります

いやあ、がっこうぐらしねえ……
びっくりしたよねえ……w


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第8部 邂逅

「例えばだ。ここに、一人殺されることを望んでいる人間がいるとする。次に必要なのは、誰かを殺してみたいという欲求がある人間だ」

 

中間市のショッパーズモールの二階、吹き抜けの渡り廊下で小柄な男が言った。前を歩くのは、初老の男性だった。厳重に施された目隠しは、視覚による情報を遮断し、塞がれはしていない耳は、読経のような抑揚のない口調の語りと、階下に蔓延る使徒の呻吟の声を鋭敏に捉えている。男性の背中を、冷えた汗が伝う。

 

「こんな話がある。とある場所で知り合った二人組の男の話だ。一人は誰かに食べられたいと願い、一人は誰かを食べてみたいと思っていた。その後、二人は互いの欲を満たした」

 

腕は後ろ手に縛られ、余ったロープの先を小柄な男が握っている。完全に主導権を奪われるというのは、並外れた信頼関係がなければ、尋常ではない恐怖に襲われる。それは、命さえも相手に委ねることと、同義だ。

小柄な男が、階下を覗く。酷い腐臭を散らしながら、救いを乞うように両手を伸ばす使徒達の重なりあう唸りが合唱みたいだ。小柄な男は、タクトを片手に、演奏者に指揮を飛ばしている気分だった。そろそろ、この単調な音楽にも、刺激が必要だろうか。

 

「世界で数例、極めて珍しい合意殺人だ。未だに判決は下っていない。だがよ、俺は考えた。果たして、それは本当に合意だったのか?死人に口が無いことをいいことに、ただただ欲求を満たす為だけに犯行に及んだんじゃないか?」

 

初老の男性は、髪の毛を掴まれ、手摺に顔面を打ち付けられた。鼻の骨が折れたのか、男性の鼻から流れ出した夥しい血が、手摺を伝い、使徒達の元へ届く。苦痛による叫びは、使徒の歓声に似た呻きでかきけされた。男の耳元で、小柄な男が囁く。

 

「俺は、いまからお前を階下に落とす。だが、これは殺人じゃあない。使徒の欲求を満たすだけだ」

 

「そんな......ことが......許されるはずが......」

 

息も絶え絶えに、初老の男性が絞り出した言葉に、小柄な男は、堪らないといった様子で笑った。

 

「言ったろ?死人に口はねえんだよ。あるのは、ただ、アンタが生きたまま喰われたって事実だけだ」

 

突如、腰に腕が回され、初老の男性は、浮遊感を覚えた。抱えられたのだと理解するまでに、さほど時間は掛からなかった。初老の男性から血の気が引いていく。

 

「やめろ!こんなことをして何の意味がある!」

 

「アンタが知る意味があるのか?安心しろよ、運が良ければ死なずに済むかもしれねえ」

 

初老の男性の背中が手摺までズレた。

腰まであと少しだ。

 

「頼む!やめてくれ!やめて下さい!」

 

「ひゃははは!無理。アンタは実験台なんだよ!題して、使徒は餌付け出来るのか!」

 

初老の男性の腰が、手摺を過ぎた。宙吊りのような状態の男性に向かって、使徒達が食事を前にした獣のように白濁とした両目を向け、腕を伸ばす。白髪混じりの頭を振り回し、見えない恐怖に喚き始め、小柄な男は顔をしかめた。




第8部はじめるよ


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第2話

「うるせえなぁ......」

 

 それが初老の男性が最後に聴いた言葉になった。一瞬、世界から重力が消えたような感覚に覚え、数秒後に凄まじい衝撃が背中から肺へと貫いた。幼い頃に、高所から落下した際に、肺の全ての空気が押し出されるような息苦しさ。

 咳き込む暇もなく、聞こえてきた足音、唸り声、そして、腐臭。男性の右足に鋭い痛みが走る。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 

「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 奪われた視覚、それは痛覚を膨らませる役割を担った。右の肩口、左足、右の太股、腹、最後に眼球、次々に抉り取られていく男性の身体は、徐々に使徒の胃袋に収められていく。唯一男性が救われたのは、奇しくも目隠しのお陰で自分の肉体を見ずに終えたことだけだろう。

 

「おーーおーー、食欲旺盛なこって......」

 

 木霊する金切り声は、東にとってバックコーラスのようなものだった。音楽を聴いている時、誰しもが好きな体勢をとり、耳を傾けるだろう。一仕事を終えたように、東は煙草に火を点けた。

 

「カニバリズムは理解できねえが、奴等を見ていると、やってみたくなるよな?安部さん」

 

 一連の一部始終を静観していた安部が、二階の出入り口から現れた。メガネの位置を指の腹で直す。

 

「昔の映画でありましたね。知っていますか?」

 

 東は、喉を鳴らした。

 

「ああ、知ってるよ。酷い映画だったよなぁ?いきなり、原住民の住居に侵入したテレビクルーが好き放題やって、最後には住民からの激しい反抗を受けて殺される話だろ?」

 

「......ええ、その通りです。私は、あの映画を見た時に、これはまるで世界の縮図のようだと思いましたよ。どこの世界にも、弱者と強者に分けられる」

 

 安部は、東の隣に立つと使徒に囲まれた肉片を見下ろした。

 

「今まで良い学校に通い、将来を安定させることしか考えてこなかった私は、私の世界にしか目を向けていませんでした。世界では、私は弱者に分類されているのだと悟ったのは、ある少女の生涯が書かれた新聞の記事を読んだ時です」

 

 東は、胸ポケットから煙草を抜いて、一本差し出したが、安部は、掌で押し返した。悪態をつきつつ、東は吸っていた煙草を投げ捨て、押し返された一本をくわえる。

 

「安部さんよお......弱者と強者の違いが分かるか?」

 

「何かを変えられるか、そうでないか」

 

 安部の返答に、東は両腕を顔の前でクロスさせた。大きなバツマークだ。

 

「世界において金の力が大きいのは間違いないんだぜ?金さえあれば、子供を売る親だっているんだよ。金の使い方は立場の強い人間が決めるんだ」

 

 長く煙を吐いて、東は安部に顔を向ける。

 

「公務員は安定を求める為に、さまざまな役割を担う。中には国を守り、市民を守り、国民を守るものもあるだろ?その引き換えが安定した生活だ。だが、下の光景を見ろよ。どこに安定がある?死人になるのは、みんな平等だ。弱者も強者もねえよ。あるとするなら、それはどれだけ金の使い道を決められるかだ」

 

「少女の命は金に変えられたと?」

 

 東は、くっくっ、と怪しく肩を揺らした。

 

「それ以外に何がある?弱者、強者に自分を位置付けるのは構わねえけどな......間違えるなよ?今、俺達の環境は金が無くなったことで、弱者、強者の境界が曖昧になってんだからよ」




ちょっとタイトルを変える可能性があります


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第3話

「では、今の世の中で強者とは?」

 

「決まってんだろ、自分の身は自分で守れるやつだ。文字通りな」

 

 東は、煙草を階下へ指で弾いた。火が点いたままの煙草は、初老の男性だった死体の開かれた腹部へ落ちる。守れなかった者の末路が、あれだと言いたいのだろう。

 

「アンタと俺は一心同体だ。なにかありゃ、半身として俺が守ってやるよ」

 

「頼りにしていますよ」

 

 安部は、目の前に立つ自身の半身へ言った時だった。突然、二階の出入り口から拍手が響いた。慌てて二人が顔を向けると、そこにいたのは、二人と年齢が近そうな男が一人、にっこりと笑っていた。

 見覚えがある。確か、立て籠り組の一人だ。東は、ベルトに挟んでいた拳銃を白々しく抜いて、やや声を張った。

 

「なんだ?誰だよ」

 

 男は、晴れやかな笑顔を崩さない。それどころか、二人に対して右手を差し出してきた。

 不審に感じた安部は、差し出された右手から視線をあげ、包装紙に包まれたような破顔を見た。

 

「初めまして......俺は小金井っていいます」

 

 男の第一声だ。小金井が右手を軽く振ってから、再び微笑んだところで、東が訝し気に言う。

 

「なんの用だ。邪魔だ、あいつのようになりたくなきゃあ、俺の視界から一分以内に消えろ」

 

 小金井は、横目で階下の惨状を盗み見た。人間一人の解体を終えた使徒達が、徐々に初老の男性から離れていく。

 残っている胴体は、ぱっくりと割られ、中身は空っぽになっていた。強引に引きちぎられた四肢の名残が僅かに残る程度の肉体をさらけ出している。

 小金井は、鼻を鳴らして両手を叩き始めた。

 

「いやぁ、さすが狂った世界の中心にいるだけあるなあ......こんな間近で死体が見れるんだから......」

 

 光悦とした表情を浮かべ、男が満足そうに呟いた。その言葉に、東は眉をひそめる。

 

「......お前、死体愛好家かなんかか?気持ち悪い......」

 

 小金井は、興奮しているのか、東の口舌など意にも介していないようだ。熱っぽい眼差しで口調を荒げた。

 

「さっきのアンタらの会話も聴いてたよ......最高だね。こんなに狂った人間に出会えるなんて、一生のうちにあると思わなかった!ああ、今日はなんて良い日なんだ!ずっと叶わなかった夢が叶ったんだから!」

 

 肩で息を繰り返していた小金井は、そこまでを早口で述べると、急に熱が引いたように俯いた。安部と東は、そんな小金井に、少し気圧されているのか、二人して口を詰むんでいる。

 やがて、小金井は鏡のように冷たい声で言った。

 

「俺は、もっと死体が見たい......頼む、仲間にしてくれないか?アンタらとなら自分に足りなかったものが埋まる筈なんだ」




仕事が忙しい……


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第4話

 小金井の申し出に、東は眉を寄せた。険しい口振りで小金井を睨みつける。

 

「素性も知れねえやつと手を組むなんざ、馬鹿のすることだ。しかも、死体愛好家だと?デニス・ニセルンにでもなってるつもりか?」

 

 生と死の境界はどこでも明確に別れている。しかし、小金井は死体を愛するという人類のタブーをおかしているようだ。彼の中に、生と死の境は存在していないのだろう。

 小金井は、東を見やり、訳がわからないと首を振る。

 

「東さんは、限りなく近い思考の持ち主だと思ってたんだけどな」

 

 やや残念そうな小金井に対し、東は口調を変えずに返した。

 

「あ?犯罪者が犯罪者の心理なんか分かるわけねえだろ」

 

「じゃあ、聞き方を変えるよ。東さんが殺人で罪を感じる部分は、人を殺してしまったじゃなくて、殺すときに泣かせてしまって可哀想ってとこだったりしない?」

 

 東は、押し黙り、大儀そうに溜め息を吐いた。突然、発生した事態に、押し留められていた嗜好のタガが外れたタイプだろう。獣欲に突き動かされていることが、すぐに分かる発言だった。

 

 出来ればやめたかった。でもやめられなかった。他に何の喜びも幸せもなかったのだ。

 

 記憶の糸を手繰り寄せ、東が思い出したのは、そんな言葉だった。

 自分が異常であると気付いている犯罪者の台詞だ。異常と正常の境目で、長年、苦しんできたことが分かる言葉だ。

 東も理解しようと、自分にできる範囲内で調べた。結果はあまり変わらなかったけれど、多少は、犯罪者という立場から話しは出来る。

 生まれたばかりの小金井にはそれがなく、ただ、新しい遊びを覚えた子供のように享楽的になっているだけなのだろう。

 しかし、そんなことよりも、東には、小金井に対して、腑に落ちない点が幾つかあった。

 東も初めて会うタイプの人間なので、不用意な発言は控え、安部に判断を委ねるように一歩下がり、意図を察した安部は、一度頷き口を切った。

 

「我々にとっても仲間がいるのは、心強い。それに、貴方を救えるのであれば力を借しますよ」

 

 出会った時のような笑顔で、改めて小金井は手を差し出したが、安部はそれを握らずに言った。

 

「条件です。我々の武器は、貴方に渡しません。私が、良し、というまで丸腰でいて下さい。この条件はのめますか?」

 

「そんなこと条件にもならない。もちろん、了承する」

 

 安部は、今度こそ差し出された手を握り返した。その背中を眺めていた東は、安部を透かすように、その先にいる小金井へ鋭い眼光を送っていた。




ああ……疲れたw


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第5話

 一台のトラックが八幡東区に入った。自衛隊仕様のカーキ色の荷台が、揺れて、トラックが左折する。運転手を勤めている浩太は、窓の外へ目を向けた。

 どうにも、暴徒の数が少ない。桃園のテニスコートの周辺や、近場のアミューズメントパーク、そちらに集結している可能性も考慮したが、それも違うらしい。不穏な静寂の中、浩太がハンドルを握る。

 

「なあ、ちょっと静かすぎないか?」

 

 助手席で煙草を吹かしていた真一は、窓から吸殻を指で飛ばす。

 

「ああ、確かに少ないぜ......なんつうか、嫌な予感がする......」

 

 小倉を抜ける途中から、その異常には気付いていたが、二人はどうにも口火を切れなかった。この予感が外れであってほしいという願いも、ここまできてしまえば、いとも容易く水泡に帰す。大規模な、何かが起き、それがこの状況を作り出しているのだろう。荷台から運転席に繋がる小窓を開き、装備の確認をしていた達也が口を挟んだ。

 

「浩太、弾丸だが、もうあまり残ってない。どこかで補充しないと厳しい」

 

 暴徒への懸念に、弾丸への憂慮、考えることは尽きない。目先の目的は、武器を潤沢にする、まではいかないものの、不安を僅かでも拭い去りたい気持ちもあった。

 だが、日本は銃社会ではない。拳銃を一挺入手するだけでも、とてつもない時間と労力がかかる国だ。だからこそ、治安の良さは世界でも五指の指にはいれているのだが、今となっては、それが若干、障害になると思えた。浩太は、頭を振って気分を切り替えると、助手席の真一に尋ねる。

 

「なあ、どっか武器を置いている場所は分からないか?」

 

 真一は思案顔になりつつも、それ以外目立つ変化もない。予め用意していたかのように、淀みなく言った。

 

「黒崎にあるとしたら、最近、家宅捜査に踏みいられたヤクザの事務所があったはすだぜ。押収されたとなると、多分、警察署だ」

 

「黒崎の警察署っていうと......」

 

「八幡西警察署だ。他には、確か二百号線の交番の真上に、銃砲店があったはずだぜ」

 

 浩太は、紅梅の交差点で車を停めた。まっすぐに抜ければ、八幡西警察署、左に曲がれば国道二百号線へ入る分岐点だ。真一が訊いた。

 

「どっちにいく?」

 

「八幡西警察署だな。黒崎には市民体育館もある。避難している人がいるかもしれない」

 

「了解、達也もそれで良いか?」

 

「ああ。けど、奴等が多い場所は避けてくれよ。荷台に群がられたら、さすがに辛いからよ」

 

「大丈夫だ。生存者がいなければ無茶はしねえよ」

 

 縁起の悪い浩太の返しに、達也は内心、冷や汗を流した。トラックは、紅梅の交差点を直進し、黒崎へと足を踏み入れた。




ああ……右腕の関節が痛いwww


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第6話

 見慣れた景色の筈が、どこか異世界にでも迷い混んだ気分だった。巨大なパチンコ店、歩きなれたアーケード、行き着けだったラーメン屋、全てが反転したように、街そのものが、静寂の中に屹立しているみたいだった。靉靆とした街中を歩き回る暴徒の数は、ここにきて一気に増えてきた。トラックが脇を抜ける際に、飛び掛かろうとしてくる。浩太が、ややスピードをあげてやり過ごしていく中、黒崎の大型図書館前の交差点で、真一は緊張した声で言った。

 

「浩太、気づいてるか?」

 

「ああ、分かってる。奴等が集まっているってことだろ?」

 

 真一は首を横に振った。

 

「違うぜ。奴等が向かってる方向には何がある?」

 

 方向、とオウム返した浩太は、暴徒の歩みを注意深く眺めた。こちらに気付いていない先頭集団は、ただただ真っ直ぐに足を進めている。国道二百号線の大きな交差点が見えてきた。

 まばらに散らばっていた暴徒達は、ここでその人数を急激に増加させた。車内で、浩太が唇を噛んだ。

 

「ああ、理解できた。そういう意味か......」

 

 ぐっ、とハンドルを強く握り締める。この交差点の先にあるのは、八幡西警察署だ。暴徒達は、揃ってそこに向かっている。つまりは、間違いなく、警察署になにかがあるのだろう。そして、暴徒の目的はただひとつ。喉を鳴らす浩太に、真一が小銃の安全装置を外しながら頷いた。

 

「外れだったか?」

 

「いいや、大当たりだ」

 

 すっ、と持ち上がった浩太の指先は、八幡西警察署の二階を指していた。

 窓から身をのりだし、危険を省みずに大声で叫ぶ人影がある。浩太達よりも少し年下だろうか。張りのある声が響いている。

 

「達也、少し荒れそうだが大丈夫か?」

 

 真一が小窓を開けると、達也は既に荷台の最奥、運転席側で準備を終えていた。暴徒に乗り込まれる可能性を考慮してか、かき集めたように達也の周辺には銃が転がっている。

 

「いつでもいける」

 

 達也の声に、浩太が頷いて、自身を奮い立たせるように威勢よく叫んだ。

 

「絶対に助け出す!いくぞ!」

 

 三人の重なった声に呼応するかのように、トラックはそのスピードをあげた。八幡西警察署まで、残り数メートルだ。

 トラックの音に反応した暴徒の集団が、八幡西警察署の破壊された門から飛び出してくる。その光景は、さながら蟻の巣穴のようだった。割れたフロントガラスから、鼻をつんざく腐臭が漂ってくる。一体、どれだけの人数が、警察署内にいるのだろうか。真一の89式小銃が唸りをあげた。




先日ここにあげさせてもらった短編……誤字、脱字多すぎる……いや、多すぎるというより、え?なに?一年前の俺はなにを考えてるの?自分で読み直してないの?てくらいに多いwいや、一応チェックはしてるんですけど……まあ、人間だから仕方ない!w

お気に入り数120突破、UA数13000突破!
これからも頑張ります!!ありがとうございます!!

気付けば80ページ……もうここまできたのか……早かったw


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第7話

             ※※※  ※※※

 

「こんなのは、どうかな?ここにあるカーテンを結んで下に降りる」

 

「駄目だ。下に降りた途端に囲まれて終わりだ......」

 

 阿里沙の提案に、祐介は頭を抱えて俯いた。あれから、一時間が経過したが、実りのある脱出方法の案は出ていない。そもそもが厳しい条件下に置かれている。

 まず、出入口を使用出来ないとなると、窓からの脱出しか手段がないのだが、降りたところで異常者の集団に対し対抗する手段がなかった。

 祐介が持つM360の残弾は四発、頼りない数だ。彰一は、自身のナイフを逃走中に異常者に刺してそのままにしていた。実質、持ち合わせている武器は、拳銃一挺のみだ。

 外に出るだけならば、いくらでも手段はあるが、その後、どうシミュレーションしようとも、異常者の餌食になる未来しか浮かばなかった。

 

「くそっ......せめて何があれば......」

 

 何度目の悪態だろうか。

 

 こんな時こそ冷静になれ。そして最も危ない橋を渡らずに済む道を探すんだ。

 

 祐介は、父親の言葉を頭の中で反芻していたが、冷静になればなるほど、強い絶望感に襲われた。八方塞がりとは、まさにこのことかもしれない。

 祐介は、武道場の入口を一瞥する。扉の隙間から流れる紅色は、畳の色を黒に染めつつあった。父親の死から二時間、現実をどうにか受け止めた祐介に訪れた最初の試練となった。

 

「なあ......彰一はなにかないか?」

 

 相変わらず、窓から外を眺めていた彰一は、振り返る。

 

「ないから考えてんだろうが......それによ、考えるだけじゃなく行動もしろよ。カーテンを結ぶなんざ、すぐに出来ることだろうが」

 

 苛立たしげに言ってのけた彰一は、留め具ごとカーテンを引き落とした。どうやら、気が参っているのは、彰一も同じなのだろう。何がをしていないと、気分が落ち着かないようだ。乱暴な原動に、加奈子が怯えたように一歩下がり、ばつが悪そうに彰一は舌打ちをして、カーテンを祐介へ投げた。

 

「端と端を固く結べよ。途中で破れたら笑い話にもなんねえからな」

 

 言いながら、阿里沙にもカーテンを投げ渡した。受け取った亜里沙は祐介の分と合わせてカーテンを結んでいく。奇妙な感覚だった。これは、映画などで見た、なんらかの事故や事件から逃げる際に使用された手法だ。それを自分が行っているという事実は、訳の分からないなにかを、胸に捻り込まれているような違和感があった。

 こうしている間にも、異常者の呻りは一向に減るような気配も無い。亜里沙が彰一に不満そうに言った。

 

「あなたも手伝ってよ。そこでなにをしてるの?」

 

 彰一は少しだけ亜里沙を見たが、すぐにその視線を窓の外に戻した。溜息を吐き、小声で祐介に囁く。

 

「ねえ、あそこで何をしてるんだと思う?」

 

「さあな。でも、なんとなくだけど、あいつは意味の無いことはしないんじゃないかなって思ってる」

 

「その証拠は?」

 

 祐介は言葉に詰まり、代わりに苦笑を送り、亜里沙は先程よりも盛大に溜息をついた。

 

 




GO!GO!パワフルー!
久しぶりに書きながら聴いてみたw
すごく集中力持って行かれたw



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第8話

 時刻は、18時前、そろそろ夜にかかろうとしている。季節が冬ならばもう夜の帷が降りる時間だ。

 九州地方に異常が現れてから、初めての夜を迎えようとしている。太陽が落ちることを、これほど恐ろしく感じたのは、初めての経験だった。途端に不安も強くなっていく。失ったものが大きすぎ、多すぎた。

 阿里沙にとって、いや、この場にいる全員にとって、今日以上に無事、朝を迎えられるのだろうか、という考えになることはないだろう。だが、この狭い世界の中で、ただ肉と身体があるからというだけで生きている。そんな無意味な朝を迎えるのは、ごめんだった。

 浩太は、奮い立つように、勢いよく立ち上がった。

 

「なあ、みんな。ここから......いや、この九州地方から脱出した時にさ、まず何をしたい?」

 

 突飛な発言に、彰一は呆れたような視線を祐介に投げた。

 

「そんなこと、今はどうでも良いだろ?」

 

「どうでも良くない。暗い雰囲気に呑まれてたら、良い案なんか浮かばない。なにか持とう。みんな、一人一人の目的を胸に刻もう!そして......」

 

 祐介は、彰一を、阿里沙を、加奈子を順番に見た。いろんな人に助けられ、生き延びている仲間へと言った。

 

「絶対に生きて、やりたいことをやろう!死んでたまるかって意思を持とう!そうすれば、きっとどんな困難にも立ち向かえる。じゃあ、まずは彰一から!」

 

「はあ?なんで俺からなんだよ。ふざけんな」

 

 ふい、とそっぽを向いた彰一だったが、他三人から流れてくる濁った空気に耐えきれず、深い吐息をついて小声で言った。

 

「......誰かを助けるために、自分の犠牲を省みない人間になる」

 

 その言葉に、祐介は深く追求することはなかった。ただ、分かった、と首を縦に動かしただけだ。警察署で初めて会った時から、彰一の中で変わった出来事があったのだろう。それを追求してまで聞き出すのは無粋だ。彰一は、後味が悪そうに視線を三度外へ向けた。祐介の背中を遠慮気味に叩いた加奈子は、ポケットノートを祐介の眼前に掲げた。

 

【おかしをたくさん食べたい】

 

 子供らしい大きな瞳が、ようやく輝きを取り戻したように感じた。最後に、阿里沙が手を挙げて、発表のように立ち上がった。

 

「私は、甘いものを一杯食べたい!」

 

 阿里沙の堂々とした発言は、三人を失笑させた。

 

「なんだそれ、加奈子ちゃんと同じことじゃないか」

 

 笑いを堪えながら、祐介は阿里沙の頭をくしゃくしゃと撫でる。膨れっ面だった阿里沙は、それだけで赤面し、機嫌を直したようだ。怖いという感情は、明日に不安があるという意味だ。彼らは、確かに、今を生きている。

 久しぶりの和やかな空気の中、すまし顔で外を眺めていた彰一が目を剥いて、うわずったような声を出した。

 

「おい!トラックだ!トラックが近づいてきてるぞ!」




なぜか一日だけ凄く伸びてる日がある……調べてみた結果、すごく嬉しい出来事が!
ありがとうございます!!
例えで出していただいた作品は自分も大好きです
キャラならグレン最高ですw
ああああ……一人称が書けない……


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第9話

 祐介は、すぐさま窓枠から身体を乗り出し、藁にもすがる思いで両腕を振り回し叫んだ。

 

「おーーい!ここだ!ここにいる!」

 

「馬鹿!なにやってんだよ!」

 

 彰一が祐介の口を塞ぐが、もう遅かった。武道場の入口が大きく軋みを上げ、続けざまに異常者の幾重にも重なった呻き声が扉を越えて響いてくる。少し押された扉は、中央に隙間を作り、その間隙なら異常者が指を何本も滑りこませてくる。まるで、その部分から人間の指が生えてきいるような、不気味な光景だった。

 

「この!頭おかしいのかお前は!こうなること位、すぐに分かるだろうが!」

 

 彰一は、扉に身体をぶつけ、そのまま必死の形相で押さえつけに入った。再び閉じられた隙間に挟まれた異常者の指が、ポトポトと床に落ちる。だが、扉にかかる圧は強く、彰一一人では到底防ぎきれるものではない。祐介も加勢に加わり、阿里沙に懇願するように絶叫した。

 

「阿里沙!結んだカーテンをどっかにくくりつけて窓から垂らせ!」

 

 トラックの運転手が気付いてくれているか、その意図を察してくれるかは賭けだ。

 阿里沙は、なんとか抜けかけた腰に力を入れて走り出し、カーテンの裾を武道場の中央にある柱にくくりつけ、窓から放り投げた。

 

                 ※※※ ※※※

 

「くそっ!数が多すぎるぜ!」

 

 空になったマガジンを迫り来る暴徒に向けて投げつけた真一は、新たなマガジンを小銃に叩き込んだ。八幡西警察署の玄関まで、僅かな距離しかない。しかし、その距離があまりにも理不尽なほどに遠く思えてくる。

 

「浩太!荷台にも奴等がきてる!少し距離を空けられないか!?」

 

 達也は、荷台に手を掛けた暴徒の顔面を蹴り飛ばし、89式小銃のトリガーを引いた。5.56ミリ弾が数人の暴徒に損傷を与えたが、頭部を撃ち抜けたのは、僅か三人だった。暴徒の人数には遠く及ばない。

 再び、荷台によじ登りつつあった暴徒の一人が、達也のズボンを掴んだ。冷えた汗が背中を伝う。

 悲鳴を交えた雄叫びをあげつつ、達也は掴まれた足を振り上げて、頭蓋骨を潰すように勢いよく踏みつける。靴底から伝わる確かな感触を感じる暇もなく、達也は荷台の奥に避難する。銃撃音が鳴り響く中、浩太が背後の小窓を見ずに叫んだ。

 

「手榴弾は!?」

 

「残りは三だ!使うにも距離が近すぎる!スピードを上げて距離を作れ!」

 

 言いながら、達也は荷台に這い登ってきた暴徒三人へ銃弾を浴びせ、接近してきた一人は左手で胸を押さえ、額をナイフで刺し貫き、そのまま、死体を前蹴りし、新たに手を掛けていた数人を巻き込んで落とした。切羽詰まった声音に、浩太は怒鳴るように返す。

 

「三つなら上等!出し惜しみは無しだ!すぐにかましてやれ!」

 

「了解!」




祐介……うん、分かる。分かるよその気持ちw


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第10話

 けたたましい音が響いた。炸裂音と衝撃が、二階の武道場にまで達している。最初の爆発音から、約三十秒後、もう一度、聞き覚えのある音が轟いた。扉にかかっていた圧力が弱まる。どうやら、音に反応して、群がっていた異常者達の多くは、外を走るトラックへと標的を変えたようだ。単純な思考能力で助かりはしたが、扉の前には、まだ多くの異常者が、物寂しそうに、新たにガチガチと歯を噛み合わせている。油断が出来ないことに、変わりはない。

 祐介の父親が施したパイプ一本が命綱だ。

 

「今の音は......」

 

 振り返った彰一に、窓から眺めていた阿里沙が首肯する。

 

「あのトラックからだよ!外を徘徊してた奴等も、トラックを追い掛けてるけど......」

 

 歯切れの悪い阿里沙に、祐介が訊いた。

 

「どうした?」

 

「うん......入口に密集してるから、多分、中には入れない......」

 

 祐介は、大声でも出して、警察署内に異常者を集められないかを考えてみたが、ただでさえ、軋んでいる木製の扉に、これ以上は、負担をかけることは出来ない。文字通り逃げ場の無い袋のネズミ、破られてしまえば、一貫の終わりだ。

 

「どうする......祐介、他にどこか逃げ道はないのか?それとも、俺達は......

 

 最悪な結果が脳裏を過るが、祐介は強く首を横に振った。自分の軽率な行動が引き起こした事態の悪化、唇を噛んで彰一に言う。

 

「悪い、俺のせいだ......だけど、そう簡単に諦めないでくれ......生きてる限り、きっと......」

 

 消え入りそうな謝罪を遮ったのは、阿里沙の短い悲鳴だった。彰一は反射的に言った。

 

「どうした!?」

 

「いきなり、壁になにか......穴が空いてる?」

 

 窓から身を乗り出した阿里沙は、壁面の数ヶ所が削られ、一部に穴が空いているのに気付いた。丸い痕は、まるで何かのメッセージを伝えているように見えた。直後、トラックは、八幡西警察署を通過し、青山方面へと大量の異常者を引き連れて走り去っていく。

 祐介と彰一が揃って頷くが、どうにも意味を計り知れない阿里沙が首を傾げた。

 

「ねえ?どうしたの?」

 

「これがどういう意味なのか、本当に分からないか?」

 

 阿里沙は、仏頂面のまま、彰一に返す。

 

「分からないから、聞いてるの!」

 

「あのな?爆弾を使うほど、下では糞供に囲まれている。そんな状況でもこっちに銃を向けた。つまり......」

 

「あっちは、こっちに気付いてるって意味だ......よ!」

 

 語尾に力を込め、祐介は扉を更に押し込み、ついに中央の隙間が無くなった。

 まだ、この世界に誰かでも味方がいるかもしれない。憶測にもならない希望だが、それが分かっただけでも、祐介は心から全身に、力が駆け巡ってくるような気がした。

 

              ※※※   ※※※

 

「気付いたかどうか、賭けだぜこりゃ......」

 

「そうだな......だけど、今はこいつらを振り切るのが先だ!」

 

 浩太は、アクセルを力一杯に踏みつける。行く手を遮る暴徒の集団を巻き込みながらのハンドル操作は、ひどく辛い。舗装されていない獣道を全速力で飛ばしているようだ。トラックに跳ねられ、下半身と上半身が切断されようとも、フロントしがみつき、ダッシュボードに手を置いた暴徒の眉間に、小銃を突きつけた真一が、トリガーをひいた。




多重視点てのをやってみたくて挑戦してるけど、これ以外と難しい……


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第11話

「弾は無駄にするなよ。数も少ない」

 

 浩太は、自分のナイフを抜いて、真一に渡す。

 

「OK、悪かった」

 

 トラックは、萩原のボーリング場を通り、青山葬議場を抜けた。喪服を着た暴徒の一団を出来るだけ避け、萩原から穴生へ到達する。萩原橋を左折するところで、達也が声を出した。

 

「どこまで行くつもりだ?」

 

「穴生ドームを一周して、警察署に戻る」

 

 左手にある小学校からも、転化した暴徒がトラックを追い掛けてくる。中には、年端もいかない少年や少女もいた。心苦しそうに、真一は目線を反らす。いっそのこと楽にしてやりたい気持ちがあるが、ここで弾丸を消費する訳にはいかない。心に蓋をするように、真一は鬱々とした気分で言う。

 

「警察署にいた奴等は、大丈夫か不安だぜ......」

 

「仕方ないだろ......けど、ここまで生き延びてるんだ。絶対に大丈夫だろ」

 

 自分に言い聞かせているような浩太の口調を受け、二人は暴徒達に視線を向けた。 追い掛けてくる数は、みるみるうちに増えてきている。

 長い直進の先に、穴生ドームがその姿を現した時、浩太と真一の顔から一斉に血の気が引いた。

 普段は、幼稚園の運動会、近隣中学校のスポーツ試合の会場に使われる有名なドームだが、今となっては巨大な棺桶と大差がないように思えた。

 浩太がかけた急ブレーキに、荷台にいる達也が非難をあげる。

 

「おい!急に停ま......」

 

 穴生ドームの周辺は多くの住居やマンションが乱立する地域だ。集合住宅街ともいっていいだろう。ならば、この光景にも納得がいく。三人の眼界に広がるのは、無数の暴徒達だった。広大な敷地を誇る穴生ドームを取り囲むような広がりをみせる大群は、警察署から連れてきた人数を優に越えている。

 達也が言葉に詰まるのも無理はない。哮りの怒声にも似た唸りを聞いた瞬間、浩太はハンドルを右に切り、アクセルを踏み抜いた。

 

「くっそ!なんだよあれ!ふざけんな!」

 

「黙ってろ真一!舌噛むぞ!」

 

 ドゴン、とトラックに追突された暴徒が宙を舞う。凹んだフロントは、もう限界が近づきつつあるのだろうか。バンパーが折れ曲がっていた。連続した衝撃に、ついには、サイドミラーまでもが悲鳴をあげ始めている。それでも、浩太はアクセルを踏むしかなかった。

 一度でも停まってしまえば、いくらトラックといえど、追ってきている暴徒に囲まれれば、容易く横転させられるだろう。

 

「まるで、テルモピュライの戦いそのものだぜ!畜生!」

 

 浩太は、穴生の商店街に進路を変更して走ることを余儀なくされた。

 そして、真一が叫んだ直後、不運が起きた。悲鳴をあげていたサイドミラーに、電柱がかすり、一部の破片が浩太の眉間を直撃する。

 掌に浮き出た汗が、頭を目掛けて登ってくる錯覚に襲われ、意識が朦朧としてきた。肺が空気を求めている。極度の疲労、緊張による酸欠、それに伴い、吐き気まである。この一日で何度、命が脅かされてきただろうか。

 浩太の異変に気付いた真一と達也の呼び掛けが遠退いていき、やがてトラックのスピードが落ちていく。

 

「浩太!おい!大丈夫か!?」

 

「真一!ハンドル持て!意識が飛びかけてやがる!」




ああああ……
最近、疲れてるのかねえ……眠い……w
いず様に癒してもらおうw


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第12話

 助手席側から、ハンドルへと手を伸ばした矢先、穴生の商店街を抜ける十字路の手前で、トラックはガードレールに衝突した。スピードが落ちていたことが幸いし、損傷はバンパーが割れたくらいの被害しかない。だが、それは普段ならばの話しだ。

 トラックを追っていた暴徒に加え、フロント側にも新たな暴徒が迫っている。真一は、浩太の肩を揺すりながら、ダッシュボードに銃身を置いて銃撃に入った。二人、三人と倒れはするものの、距離が離れ、尚且つ、片手での射撃に近い態勢では、望んだような成果は得られない。

 このままでは、押しきられるのもそう遠くはない。

 

「浩太!頼む!起きてくれ!」

 

 真一の呼び声は、もはや哀願に近かった。暴徒との距離は五十メートルもない。十数秒以内に、トラックは囲まれれてしまうだろう。激しい焦燥感に駆られる。忙しなく暴徒と浩太に移動する真一の顔には、汗も流れていなかった。それほど緊迫した状況の中、不意に荷台から声がした。

 

「......真一、浩太を頼む」

 

 真一が小窓に振り返った時には、すでに荷台から達也は飛び降りていた。悲鳴のように真一は言う。

 

「おい!なにしてんだよ達也!」

 

「こうするしかねえだろ......安心しろよ。死ぬと決まった訳じゃない」

 

 89式小銃のマガジンを落とし、達也は新たな一本を叩き込んで、安全装置を外した。

運転席には振り向かずに、右手を高々と挙げて叫んだ。

 

「来いよ!全員、俺に着いてきやがれ!」

 

 途端、前方の暴徒達の濁った白目が、達也へ向けられる。寒気がする光景だった。

 感情のない瞳に、晒された新鮮な肉を狙う狩人の鋭い光が宿る。ただ本能で動いているだけの集団にとって、より狙いやすいほうに集まるのは、当然の心理のように思えた。

 

「達也!荷台に戻れ!こんな人数に追われたら......」

 

「じゃあ、誰があいつらを助けるんだよ!お前らしかいねえだろうが!」

 

 達也の怒声が響き、真一は言葉を詰まらせ、二の句が継げなくなった。達也は、さきほどとは違う、柔らかな音吐で続ける。

 

「俺なら大丈夫だ。絶対に生きてやるからよ......だから、あとは任せた」

 

 言い終えると同時に、達也は数多の暴徒を引き連れて、穴生の商店街へと駆け出した。その後を数多の暴徒が追いかけた。トラックに乗る二人には、数人がフロントから手を伸ばしてくるだけだ。真一は、小銃を構えて、トリガーを引いたが、群がっていた数人に浴びせた数発の内に、カチリ、という無情な感触があった。

 

「くそ!くそ!くそ!くそおおおおおおおおお!」

 

 真一は力の限り叫んだ。迫ってきていた暴徒の大半は、達也が走り去った商店街の路地へと吸い込まれるように消えていった。




あーー駄目だ。やっぱ真一好きだ俺w


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第13話

              ※※※  ※※※ 

 

 あれから、もう一時間近くが経過している。祐介は気が狂いそうになりながらも、必死に正気を保っていた。

 異常者の体力は無尽蔵なのか、押しかかる重圧は途切れることがない。それでも歯を食い縛っていられるのは、生き残った際の目標が出来たからかもしれない。

 祐介は、ちらり、と背後に目を向ける。胸の前で両手を組み、祈るような眼差しでトラックが走り去った道を凝視する阿里沙の姿がある。加奈子もまた、阿里沙と同様に外を眺めていた。

 彰一も腰を落とし、扉を押さえ付けている。

 ここが踏ん張り所なのだ。

 なにがあろうと、ここで諦める訳にはいかない。しかし、肉体には、体力には限界があった。徐々に、外からの圧力の強まってきている。腕が痺れ始めて、もう何分経過しただろうか。気が遠くなりそうだ。永遠に続くのではないのかとさえ思う。

 パイプが軋む幻聴まで聞こえ始める。いや、それが本当に幻聴なのか判断することを脳が嫌がっているようだった。

 早く終わってほしい、そう願えば願うほど、時の流れが急激に低下する。滴る汗が、頬を伝い顎から落ちる。普段なら気にもしない事も、鋭敏に感じることができる極限の状態は、本人達の意思とは無関係に、身体に異変を起こし始める。

 彰一の足が、がくり、と崩れた。

 

「彰一!」

 

 祐介が、僅かに気をとられた瞬間、扉の圧が強まり、ついにパイプがひしゃげる音が鳴った。

 直感が告げる。もう、これ以上は保たない。扉の隙間から差し込まれた血塗れ腕が祐介の袖を掴んで引き寄せてくる。血に濡れた顔には、鼻や耳といった器官が、すっぽりと抜け落ちている。だが、ようやく手にした獲物を逃すまいとする力強さだけは、衰えることはない。

 

「この!」

 

 祐介は、扉に強烈な前蹴りを入れ、身体ごと押し込んだ。垣間見えたパイプは、取っ手口から落ちかけている。閂としての役割を担うには、心許ない状態だった。

 周りを見渡し、何か打開策になり得る物はないかと探るが、もう手詰まりだった。ただ広い畳部屋があるだけだ。

 彰一が立ち上がり、身体に鞭打ち、祐介の加勢に加わるも、一度破られかけた勢いは止まらない。

 祐介は、拳銃を抜いた。もう元人間だからと躊躇っている場合ではない。殺さなければ、こちらが殺される。

 服を掴んでいた異常者の一人が、再び腕を伸ばしてきた。

 祐介は、その手を避けると、一歩下がって、M360の銃口を異常者の眉間に合わせる。恨めしそうに、こちらを睨みつける濁った白い眼球に映ったのは、黒い穴だ。

覚悟を決めろ、唇を噛め、引き金に指を掛けろ、深く息を吸い込み、吐き出し、動揺を消せ。祐介は、目を見開く。

 ......そして、銃声が響いた。




UA14000及びお気に入り数130件突破です!
本当にありがとう御座います!!!!!!!!
これからも頑張ります!!!!!!


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第14話

 祐介は、泡を食ったように飛び上がった。まだ、銃口から硝煙は登っていない。一体、どこから銃声が鳴ったのだろうか。その短い破裂音に、引き寄せられるように、武道場の扉に集まっていた異常者が、数人駆け出したようだ。

 彰一が、この機会を逃す訳もなく、すぐさま尽きかけている体力を振り絞り、身体を扉にぶつけた。

 

「みんな!あのトラックが戻ってきたよ!それに、あいつらも振りきれてるみたい!凄いよ!」

 

 トラックは、八幡西警察署内に入る。無くなったフロントの運転席から男が一人顔を見せた。迷彩柄の服を着用している。間違いなく自衛官だ。阿里沙は、さきほど窓から垂らしたカーテンの真下を指差して叫んだ。

 

「お願いします!助けて下さい!」

 

 扉の前から、走り去った異常者達が、警察署の玄関から飛び出す。間髪入れずに始まった銃撃に、次々と倒れていく中、男が再び顔を出し言った。

 

「何人だ!?」

 

「四人です!四人います!」

 

「分かった!カーテンの下にトラックをつけるから、荷台の屋根に乗れ!」

 

 阿里沙が祐介に確認をとるように振り返る。祐介は、しっかりと頷いて言う。

 

「阿里沙、加奈子ちゃんを頼んで良いか?」

 

「うん、大丈夫。二人は?」

 

 加奈子を背負いながら、阿里沙が聞くと、祐介は拳銃を収めて返す。

 

「彰一を先に下ろして、あとに俺も続く。早く行け」

 

 祐介は、扉の抑え込みに戻る。同時に、トラックがカーテンの真下についた。

 

「しっかり掴まっててね」

 

 加奈子は、小さく頷く。きゅっ、と首に回された両腕が、信頼の証のように締まり、阿里沙は窓から身を乗り出した。

 慎重に、全神経を集中させて降りていく。いくら年端のいかない少女だろうと、二人分の体重を抱えながらの下降は、阿里沙の腕力では、とても辛いものだった。約十分を要し、阿里沙はようやくトラックの荷台に、両足を揃えた。

 息を整える暇もなく、阿里沙は二階の二人を振り立てた。

 

「降りたよ!二人も早く!」

 

 その時だった。二階の武道場から、けたたましい崩れるような音が響いた。扉がついに限界を迎えたのだ。

 阿里沙は、瞼を瞬かせ、膝から崩れ落ちた。いくら人数が減っていたとしても、武器もない二人が相手を出来る人数ではない。絶望の淵に叩き落とされた気分だった。空いた口が塞がらず、阿里沙は二階の窓を仰ぐ。

 

「うおあああああああ!」

 

 声が聞こえた。それは、気合いの掛け声のような、恐怖に耐えるような、どちらつかずな言葉にならない声だったが、阿里沙は、はっきりとこの声を覚えていた。二階の窓から飛び出した二つの影は、トラックのカーキ色の布を破り、荷台の中へと落ちた。

 

「無茶する奴だな......これで全員か?」

 

 運転席に座る男が呆れたように言った。祐介が声を張って短く答える。

 

「はい!」

 

「OK、掴まってろよ!」

 

 瞬間、トラックは猛スピードで八幡西警察署を抜けた。祐介は、荷台から顔を出し、警察署の外壁を眺める。

 小さな頃から、幾度となく父親の背中を見つめられる場所として慣れ親しんだ八幡西警察署、異常者に埋め尽くされる前の綺麗な外観を思い浮かべながら、祐介は幼い頃に父親から習った敬礼を送り続けた。




次回より第9部「殺意」にはいります


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第9部 殺意

「......これは、一体どういうつもりだい、田辺君」

 

 事件が起きてから翌日、早朝、出勤した田辺は、事務所の上座にいた浜岡へ、書類を一枚突き出した。他社の新聞や週刊誌に埋められた整頓されていない机上に置いた書類を見て、浜岡は片眉をあげた。怒気を含んだ物言いに、田辺は少したじろいだが、背筋を伸ばし、毅然とした態度で口を開いた。

 

「退職届けです。受けていただけますか」

 

「そんなものは見たら分かる。こんなものを用意して、何がしたいのかと聞いている!」

 

 狭い室内に、浜岡の声と机を叩く音が木霊した。簡単に受理されると考えていた田辺の予想とは違う反応だった。思わず身構えてしまう。

 そもそも、浜岡と田辺の志向は、食い違いがあるはずなのだ。

 様々な事件の解決へと歩みを続ける田辺と、事件を明るみにしようとするだけの浜岡、両者の決定的な違いは、浜岡が常々口にしている物事への焦点距離だ。近すぎず、遠すぎずの浜岡と、出来るだけ近づこうとする田辺、二人の対立は必然性をもっているとすら感じていた。

 だからこそ、田辺には理解出来なかった。

 積み重ねた書類が揺れ落ちるのも気にせずに、浜岡は続けた。

 

「君が一人になって出来ることなんて、たかが知れている。鬼が笑うだけだ」

 

「鬼が笑うだけだろうとも、僕には僕のやり方があります。言うなれば、これは僕の個人的な我儘にすぎない。だからこそ、僕は自由に動くことが出来ていました。それに関しては感謝しています」

 

 田辺は、深々と頭を垂れた。だが、浜岡の眉間に刻まれた皺は、一層その深みを増す。だが、記者としての矜持だろうか。田辺の次の言葉を待つように、浜岡は沈黙を守っている。

 有り難いことだ。ここでもしも、遮るように何かしら言われていたら、踵を返していたかもしれない。それは、遺恨だけが残る結果となるだろう。

だからこそ田辺は、はっきりと言い切った。

 

「これ以上、浜岡さんや会社のみんなを僕の我儘には付き合わせられません」

 

 長年の先輩である浜岡に、そう言った。幾度となく、投げ掛けて貰ってきたアドバイス通りなら、田辺はここが引き際だと判断していた。

 野田との対談で、九州地方感染事件に関与している者の中には、十中八九、日本国内における権力者が含まれていることが分かった。下手をすれば、口を塞がれるかもしれない。

 独り身の田辺なら、失うものも最小で収められるが、家族がいる者には、リスクに見合うものは何もない。天秤にかけるまでもなかった。田辺は、もう一度、頭を下げて言った。

 

「浜岡さん、今までお世話になりました」

 

 田辺の言葉を最後まで聞ききった浜岡は、静かに溜め息を吐いた。どこまでも真面目で真っ直ぐな男だと思う。それ故に、視野が狭い。

 浜岡は、早く気付かせてやれと、事務所内の古いブラインド越しに、朝の陽気から背中を叩かれているようだった。内心、呆れにも似た感情を抱きながら、浜岡は立ち上がった。

 

「......田辺君、君の友人が殺された時のことを覚えているかい?」

 

 田辺の肩が、伏せている顔の変わりとばかりに震える。しかし、田辺はお辞儀の態勢から動かなかった。降り注ぐ相手の言葉を遮らずに受けとる。それは、十年近く前に、記者として歩み始めた田辺に向けた、浜岡からの最初のアドバイスだった。




第9部はじまります
すいません、本読んだり、いろいろしたりしてたら遅くなりました!
祝10万字突破!!w


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第2話

「あの時は、本当に大変だったね。怒り狂った君が、追っていた殺人鬼に逃げられ、散々な結果だけ残した」

 

 田辺は、滲み出てくる悔しさを伏せた顔の奥で、キリリッと奥歯を締めて噛み砕いた。とにかく今は湧き水のように吹き出る後悔を消すことに全力を注いだ。

 浜岡は、田辺の中では、タブーな話題にわざと触れた。それは、田辺に足りない部分を補わせる為にだ。

 

「君の推測通りに、あの事件が繋がっているなら、君の正義感が生んだ事件と言っても過言じゃないと思っている。もしも、あの殺人鬼を追いかけなければ、起きなかった事件かもしれない」

 

「......はい」

 

 腹の底が、ふつふつと脈を打ち始める中、田辺は絞り出すように呟いた。

 もしも、頭をあげていれば、浜岡に反駁していたことだろう。四角い机を挟み、浜岡は、そんな田辺の肩に手を置いて、懐かしむように言った。

 

「田辺君、何度も言うが、君の正義感は嫌いじゃないよ。けれど、君の正義には、伴わなければならないものが欠けている」

 

 田辺は、目を見開いて初めて顔をあげた。

 

「欠けているもの?」

 

 浜岡は、首肯して机から、書類を一枚取り出して机上に置いた。それは、田辺が初めて世の中に出した新聞の切り抜きだった。ほんの一部の小さな記事だが、田辺はどこか温かさを覚えた。当時、問題視されていた児童虐待により、保護された子供を題材にした内容の筈だ。すっかり記憶から抜け落ちていた記事に、浜岡は視線を落とした。

 

「この文章には、ある単語が多く使われている。なんだか分かるかい?」

 

 田辺は、つまむように持ち、文章に目を通した。

 

 児童虐待により、保護された少年少女が抱える問題は根深い。子供を産み、育てる事にかかる責任の重さは、果たしてそれほど軽いものだろうか。育児放棄により、餓死した子供を題材にした映画が、先日、発表された。こんなにも悲しい現実が、世界のどこかで日常的に起きている事実はいつまでも変わらないのだろうか。そこにあるべき大人の責任は一体、どこへ消えてしまったのだろう。子供を育てる、それは、命を預かることと同じであり、命の責任を背負うことではないのだろうか。抱えきれない責任は、背負うべきではない。背負うならば、信頼できる誰かと分けてもらうべきだ。

 

 田辺は、浜岡の言葉の意味が分からずに首を捻った。

 

「分からないかい?責任だよ」

 

「......責任」

 

「そう、責任だ」

 

 一拍置いて後ろを振り向き、ブラインドを開いた。そろそろ、出勤時間が迫っている。

 他の社員がいる空気の中では、言いにくいことは口にできない。浜岡は、鋭く言った。

 

「君に足りていないのは、大きすぎる正義感に見合うだけの覚悟だよ。田辺君、人は体験を覚えただけ幸福を得るが、同じだけの悲しみを知ることになる。君の正義感の根本に何があるのかは分からないが、正しさを掲げたいのであれば、それだけの責任を負えるのかい?」

 

「......分かりません」

 

 浜岡は、田辺の返事を聞くと、短く吐息をつき、提出された退職届けを両手で持ち上げ、ビリビリと真っ二つに破いてしまう。非難の眼差しを受けながらも、キッパリと告げた。

 

「なら、これを受理する訳にはいかないね」




ああ、疲れたw


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第3話

 退職届けが、足元にあるゴミ箱へ落ちていく様を目で追い掛けていた田辺は、怒りで震える唇を必死になって動かそうとするが、それを制するように浜岡が被せた。

 

「責任をとる覚悟のない後輩を一人立ちはさせられない。先輩として当然の判断だ」

 

「しかし......」

 

「では、君がこれから先に起こすであろう行動の中で、誰かを不孝に落としてしまったらどうする?」

 

 浜岡の詰問で、田辺の脳裏に貴子の姿が浮かんだ。野田の一人であり、自分とも繋がりの強い少女だ。野田のマンションに到着した際に、貴子の笑顔を曇らせるかもしれないと考えた時間があった。その時に、果たして、そこまで深く考えていただろうか。いや、考えてはいなかった。ただ、映画やドラマのヒーローのように事件を追い掛けることしか、頭に無かったのではないだろうか。

 それは、もはや自己陶酔に他ならない。ついに、田辺は言葉に詰まってしまった。

 

「分かるだろう?君は自分の正義感に振り回されているんだよ。そんな君を一人にするのは、単純に危険なんだ」

 

 反論が出来ず、田辺は唇を噛んだ。未熟をついた浜岡の言葉は、心の深い所に大きな石を勢いよく投げ込まれたように、どんどん沈んでいく。

 自分自身をコントロール出来ない男が思い上がるな、そう牙を立てられてしまっている気分だった。

 

「......だけど、僕は事件を見過ごしたくはないんです。僕が記者になった理由は、理不尽に起こる事件を明るみにして、被害者の関係者に事実を伝え、少しでも何か役にたてるのではないかと......」

 

「なら、警察官になれば良い。記者である必要は全く無いんだよ?」

 

 静謐な時間とは程遠い、濁った空気が流れ始める。両者の間にあったわだかまりは、さきの浜岡の発言で理解出来た。焦点距離とは、まさに田辺自身のことだったのだ。

一度、自分を見直してみろ。自身の限界を知った上で、物事に取り組んでいけ、そんな意味だったのだろう。何度も思考した問題が、ようやく解決し、田辺は自分に落胆した。これでは、浜岡という簑を纏い、駄々をこねる子供ではないか。

 何も言えなかった。浮かれていただけだった。何が自由だ。与えられていただけじゃないか。

 責任をとることも、ましてや、その意味も理解していなかった事を田辺は痛感してい る。悔しすぎると、人間は涙すら流せなくなるのだろう。潤んだ瞳を隠す為に、田辺は目を瞑んだ。そこで、困ったような浜岡の声が聞こえた。

 

「......ここで君が涙を流していたら、簡単に手を引かせられたのだけれどね」




ウォーキングデッドシーズン4の一巻やっと借りれた……w
さーー、みるぞーーw


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第4話

 支局の電話が鳴った。本社から直接送られてくる長いコール音は、毎朝の業務連絡を兼ねている。今日の取材予定や、なんらかの事件が起きた時に、その報告が朝一に入るのだ。浜岡は、机の上にある受話器を持ち上げ耳に当てた。

 

「おはようございます。浜岡です」

 

 田辺を一瞥し、二言、三言交わし、浜岡が電話の主に言った。

 

「今日の取材は......九州感染事件を追ってみようと考えています」

 

 田辺は目を剥いて、浜岡に詰め寄ろうとしたが、それを左手で止められた。ピン、と伸ばされた掌には、有無を言わさぬ圧力がある。しばらくして、浜岡の表情が険しくなった。会話の内容は分からないが、良い話し合いにはなっていないことだけは明らかだった。浜岡が声を荒げる。

 

「規制、規制と言われていますねえ......なら、誰がこの大規模な事件を世間に公表するというんだ!今、こうしているだけでも何人が感染している!答えられますか!?日本の一部だろうと、なんだろうと、その原因を世間に発信するのは、我々の仕事だ!」

 

 電話を一方的に切った。常に冷静さを真っ先に立たせてきた浜岡の怒鳴り声を目の当たりにし、田辺は我が目を疑った。

 

「は......浜岡さん?」

 

「......涙を見せないということは、君はまだ納得していないのだろう?なら、最後までやってみるといい」

 

「良いんですか?何があるか分かりませんよ?」

 

 浜岡は、椅子に座ると、眉間の皺を深く刻み、田辺を見上げて言った。

 

「後輩が犯した間違いの責任をとることは、先輩の役目だろう?だだし、このままでは、こちらはなんらかの処罰を受けるだろう。これを回避するにはどうしたら良いか分かるね?」

 

 田辺は、深く頭を垂れた。

 浜岡の決断は、決して軽い訳ではない。田辺の姿勢もまた、決して軽い訳もない。

 国から規制がかけられた以上、おおっぴらに取材を出来なかった。規模も考慮すれば、片手間でやれる仕事ではないのだ。一人では限界があり、田辺も重々承知していた。味方がいる、これだけで、随分と勇気付けられただろう。そんな田辺を尻目に、浜岡は引き出しを開き、デジタルカメラを一台、田辺へ渡した。

 

「これを持っていくと良い。君が使っているフィルムカメラも良いが、こちらの方がすぐに確認出来る。雑感を拾い、新鮮な情報を手に入れることを考えながら動くんだ」

 

 田辺は頷いて、渡されたカメラを首から提げた。浜岡は、そこまで見届けてから、最後に添えるように発する。

 

「なによりも、自分を守ることを優先すること......これだけは守ってくれ」

 

「分かっています。何があるか分からないので、浜岡さんも、充分に気を付けて下さい」

 

 礼は必要なかった。浜岡に報いることだけが、田辺にとっての礼だ。全てが終わった後で、ありがうございました、と頭を下げれは良い。田辺は、踵を返して、振り返らずに支社を後にした。歩き去る田辺の背中を眺めつつ、浜岡は呟く。

 

「昔は、ああやって上司を困らせたものだったね......今となっては、守るものが出来て受け身になっていたけれど......こんな世の中、求められているのは、彼のような男なのかもねえ......さて、こちらも、準備をしなくちゃね」

 

 事件発生から、三十七時間後の午前七時、九州地方では、最悪な夜明けとなるであろう時間に、浜岡の声は、澄んだ清流のような東京の青空へと、吸い込まれるように溶けていった。




浜岡あああああああああああああ!!好きだあああああああああああ(!?)www


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第5話

               ※※※ ※※※

 

 雨が降り始めた。早朝七時、いつもなら、すでにトレーニングに入っている時間だが、祐介は白いベッドの上で目を覚ました。一人用にしては、大きすぎるキングサイズのベッドだ。

 ぼんやりとした意識の手綱を掴んだ祐介は、すぐさま布団をはね除け、絨毯が敷かれた床へ両足をついた。ピンクを基調とした室内には、簡易型のスタンドライト、シャワー室、トイレ、と必要最低限のものが揃っている。どうみても、そこは映画で見たラブホテルの一室だった。

 訳もわからず、呆然とする祐介の耳に、ノックの音が響き身構えた。

 そうだ、昨日の朝から、九州地方は地獄へと変貌を遂げているのだった。どうにか、生き残りグループを発見し、警察署からの脱出を成功させたはずだが、そこから先の記憶が、パッタリと途絶えていた。一体、なにがあったんだろうか。

 祐介の思考を断ち切ったのは、もう一度、聞こえたノックだった。そこまで高級な部屋ではないのだろうが、室内には、それなりの広さがある。もしも、異常者が侵入してきた時に備え、祐介はスタンドライトを強く両手で握り、足音にも気を使いつつ、細心の注意を払いながら扉に近づいた。のぞき穴から、廊下を窺えば、そこにいたのは、見知った少女の顔だ。

 胸に溜めていた空気を一気に吐き出し、背中を壁に預け、そのまま、ずるずると床に座り込んだ。

 

「あれ?祐介君、起きてるの?」

 

 扉越しに亜里沙の声がした。祐介は、短く返事をしてから、気だるさを覚えながら立ち上がり、ドアノブを回した。

 

「おはよう、亜里沙......で、ここは現実か?」

 

「おはよう、祐介君、残念だけど、夢じゃないよ」

 

 亜里沙は、スタスタと迷いの無い足取りで進み、祐介が寝ていたベッドに腰を下ろした。不謹慎だが、幼馴染みと、こんな場所にいることに若干の違和感がした。

 祐介は、赤くなった顔を逸らして訊いた。

 

「なあ、その......ここはどこのホテルだ?」

 

「幸神だよ。二百号線から少し離れたホテル」

 

 あっけらかんとした亜里沙の返答に、一人緊張していた祐介は、急に馬鹿らしくなり、溜め息をついた。拍子抜けし、亜里沙の正面に立つ。

 

「......警察署抜けてから、どうなったんだっけ?なんか、記憶がないんだよ」

 

「あはは、無理もないよ。二人とも、すぐに寝ちゃってたもん......助けてくれた二人組みは覚えてる?」

 

 祐介は、振り絞るように頭を振って、ほんの少し間を空けてから言った。

 

「......ああ、覚えてる。確か、自衛官だったよな?」

 

 

 亜里沙は、肯定として首を縦に動かした。

 

「そう。あのあと、二人が揉めてたんだけど暗くなったから、ひとまず、ここに身を隠すことになったの」

 

「奴等はいないのか?」

 

「大丈夫、そんなに数もいなかったから、安全だよ」

 

 つまり、自衛官の二人組みが、ここにいた異常者を一掃したのだろう。祐介は、さすが自衛官だな、と感嘆を洩らした。しかし、その二人の姿がない。壁から背中を離し、扉へと歩き出す祐介の背中に、亜里沙が声を掛ける。

 

「今は行かない方が良いよ」




UA数15000及びお気に入り数140件突破ありがとう御座います!!!!!!!!
UA15000越えの記念におすすめ短編小説を一本ご紹介

「江戸川乱歩」「防空壕」という短編です。なんのシリーズに収録されているかは、覚えていませんが……(自分も人から借りたもので……w]
読了後の「は?え?マジで?うわああああ、これは……うわあああ!意地悪だな、乱歩さんよお……」って感想を持ちました。
推理物の代名詞的存在の江戸川乱歩、そのイメージを崩さないまま、見事に「一夜の出来事」を表現しています。タイトルから分かると思いますが、戦争中の話しです。ただ、江戸川乱歩=推理と思われてる方は、一度その考えを外して読まれることをお薦めしますw読んだら、忘れられなくなりますよ
ファンにしてみたら、これぞ!江戸川乱歩!らしいです……w
これからも頑張ります!!ありがとう御座います!!


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第6話

 怪訝に思い、祐介は振り返った。

 

「どうして?お礼もまともに言えてない」

 

 阿里沙は、言いにくそうに、目を伏せて口先を濁した。 

 

「分からない?揉めてる原因は、私たちみたいなんだよね」

 

 頭を太い棒で叩かれたような衝撃が祐介を襲った。考えられるのは、直接、知り合ってもいない人間をどうして助けたのか、もしくは、何か、あるいは誰かを犠牲にして救出されたかだ。後者の場合は、最悪だろう。誰かの命の上に、今の時間があると想察するだけで胸が重くなる。

 それでも、祐介は入口に歩き出した。どういった理由があろうとも、彼らに助けられたことに変わりない。これから先、共に生き延びる為のメンバーなのだ。

どんなに酷い環境だろうと、信頼関係を結ぶのに必要なものは変わらない。普段からしている挨拶や礼節、気配り、心配り、それだけは世界がどれだけの規模で崩壊しようとも不変だ。

 人間的思考を欠落させれば、そこで全てが終わる。現在のような環境なら尚更だ。

 様々なものが理不尽に奪われ、変わっていく世界でも、人間の根底は変わらないのだと思うと、祐介は微笑ましい気持ちになり頬が緩んだ。

 訝しそうに阿里沙が訊いた。

 

「......どうしたの?」

 

「いや、こんな世界のなかでも、人間って根本は変わらないんだなって思うとさ......なんか、すっ、とした」

 

「なにそれ......」

 

「さあ......俺にもよく分かんない」

 

 キョトン、とした阿里沙を祐介が見て、二人はどちらともなく笑いだした。この穏やかな時間がいつまでも続けば良いと思うのは、贅沢なのだろうか。二人の笑い声を遮ったのは、何かが倒れるような音だった。弾かれるように、二人は同時に音の方へ顔を向けた。そう遠くはない、恐らくは同じフロアだろう。

 祐介は、念のためにスタンドライトを持ち、扉へと近づいていき、僅かな隙間から廊下を窺った。人影はない。しかし、確かに人の気配は感じる。

 唾を飲み込もうとしたが、緊張で乾いた喉には、何も通らなかった。スタンドライトの重みを確認するように、もう一度、強く握り、阿里沙へ頷いてみせる。じっくりと時間を掛けて、二人は廊下に出た。水を打ったような建物の中というのは、これほど不気味なものなのだろうか。なんの色気もない無機質な壁に左手を添えて、ゆっくりと歩き出した祐介の服の裾を掴んで、阿里沙も続く。隣の部屋の扉にたどり着いた瞬間、再び聞こえた物音、それに混じり、聞こえたのは、男性の怒鳴り声だった。




ちょっと前回ミスってました、すいません
修正しました


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第7話

「なんの騒ぎだ?」

 

 祐介が寝ていた隣の部屋にいた彰一と加奈子が顔を出し、不安そうに表情を陰らせていた。祐介は、加奈子に見せるように、首を振る。

 

「分からない......少なくとも、あの異常者達じゃなさそうだけど......」

 

 彰一は、その言葉を聞くと、身を翻して部屋に戻り、祐介と同じスタンドライトを手にして現れた。祐介と頷き合って、ジリジリと、廊下に敷かれた絨毯を削るような足取りで進んでいきながら、彰一が小声で訊いた。

 

「物音以外に、何かあったか?」

 

「ああ、誰かの怒鳴り声がした」

 

 廊下を抜けた一向は、受付フロアに出た。どうやら、一階にいたようだ。パネルになった部屋番の番号を押して、入室する流れをとる、少し古いタイプのホテルだ。その鍵を受けとる皿が割れている。パネルも、あちこちが破損していた。床に散らばった破片も、汚れや踏まれた跡が目立たない。真新しさから、物音の原因はこれだろうと、祐介は結論付けた。だが、肝心の声の主がいない。

 

「おい......あれ、みろよ」

 

 彰一が指差したのは、ホテルの出入り口に当たる自動扉だった。こういったホテル特有の薄暗い駐車場を、二つの光が、自動扉の前をまっすぐに伸びていた。

 

「......車かな?」

 

 阿里沙が加奈子を鬼胎を隠すように抱き締めながら、細い声音で囁いた。なんとか、聞き取れた祐介は、自らの唇へ、ぴん、と立てた人差し指を当てる。

 

「少し待ってろ」

 

 短く三人を止めると、祐介は生唾を呑んだ。仲間がいることで安心したのだろう、先程とは違い空気が喉を通る。

 自動扉は、電源が切られており、開かなくなっていたが、扉の下部にある鍵も開いたままになっている。ガラスが割れていないのは、誰かがここを抜けた証だ。仮に平和な時間であっても、男女数人が潜む場所に鍵を掛けない筈がない。

祐介は、屈んで自動扉を両側に開いた。両扉をスライドさせると、侵入してきた生温い風と雨音が、底気味悪い心持ちを、更に煽りたてる。

 

「こんだけ言っても、まだ分かんねえのかよ!真一!」

 

 突然の大喝に、心臓が飛びだすのではないか、という程に驚いた祐介は、同時に声に出てしまった。駐車場にある二つの影が一斉に振り返った。

 いや、一人はトラックから降りる寸前だったのだろう。片足が、まだタラップに乗っている。

 祐介とは、まだ距離がある上に、車のライトを背中に受けているので顔は分からないが、声の調子から、バツが悪そうに、その男が祐介へと手を差し出して言った。

 

「ああ、起きたのか、えっと......確か、上野祐介だったかな?」




最近、後書きになにを書こうか悩んでいますw
もう、おすすめ小説紹介だけしていこうかな……
やっぱりやめようw


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第8話

            ※※※   ※※※

 

「くそ......最悪だ......くそお!」

 

 穴生の商店街から少し外れた鉄竜という地域にある二階建ての一件家で、達也は、リビングに鎮座していたテーブルを蹴り上げた。ひっくり返った衝撃は、家を囲んでいた暴徒を刺激してしまったのか、響いてくる獣声がより一層高まる。

 命からがら、逃げ切った達也は、弾丸が切れ、ただの鉄に成り下がった89式小銃を忌々しそうに睨み、鬱憤を晴らすように床に叩きつけた。フローリングの床が、大きな傷付いたのを見て、ほんの少しばかり、心が晴れた気がした。ソファに腰を落ち着かせ、達也は手を組んで庭先を窓から眺める。

 背の高いコンクリートの壁が民家を一周する作りになっており、暴徒が侵入するには、玄関を破るしか方法がない。だが、小倉の駐屯地で起きた出来事を達也は忘れていない。そんなものは、暴徒の集団にとって、なんの足枷にもならないだろう。突破されるのも、時間の問題だ。

 いつまでも、命を脅かされるストレスは尋常ではない。加えて、達也は強い孤独感に苛まれていた。そして、負の感情を雨が掻き立てた。必死に消し去ろうと、胸ポケットを探り煙草を取り出すが、一本も残っていなかった。悪態をつきながら、空箱を握り潰すと同時に、微かだが、二階で確かに足音が聞こえた。

 達也は、慌てて立ち上がり、天井を見上げ、耳を澄ました。次に聞こえたのは、扉を締める音だ。慎重になりつつも、あちらにも焦りがあるのか、カチャン、という何気ない生活音にまで配慮はできていないようだ。

つまり、注意深く行動しており、それは、達也の存在に気付いているという意味に他ならない。

 確か、玄関から入った脇に、階段があったはずだ。達也は、一人ではなかったのだと素直に喜び、すぐさまリビングを抜けて二階へ上がろうと考えたが、直前になって思い留まった。

 

「頭のイカれた二人組のサイコ野郎がいやがったんだよ」

 

 真一の言葉を思い出した。そうだ、あの事故から一日が経過している。今、生き延びている人間は、それなりの事を経験してきた人間なのだ。用心に越したことはない。

 達也は、リビングからキッチンに移動し、シンクを見下ろた。足元の棚を開いてみると、包丁入れは何も残されていない状態だった。達也は、顔を歪ませる。

 ここは、一般家庭が暮らしていたであろう家だ。一人暮らしの大学生のような杜撰な食事を作る際に使用する刃先が丸まった刃物はない可能性が高い。あったとしても、全てを抜いている所に、かなりの警戒心を匂わせる。

 次に、冷蔵庫を開けるが、見事に空になっていた。籠城を決め込んでいたのだろう。

達也は、キッチンから離れると、89式小銃を拾って構えた。いくら弾丸を撃てなくても、威嚇くらいにはなるかもしれない。ナイフも逆手に持って、階段へ戻り、一段目に足を掛けた。

 達也の胸からは、喜びの感情は無くなり、代わりにどす黒い渦が巡り始めている。それは、猜疑心を極限まで高めていき、やがて殺意と呼ばれるものにまで姿を変えつつあった。

 暴徒が達也の尻を叩くように玄関を揺らす音が激しくなっていく。

 二階に到着すると、狭くまっすぐな廊下が現れ、途中には、扉が二枚ある。どちらかに、誰かがいるのだ。

 達也が、手前の扉に立ち、深呼吸を挟み、ドアノブを回した瞬間、室内飛び出してきたのは、大きな白い布に身を包んだ生きた人間だった。



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第9話

 扉の勢いに押され、強かに背中と後頭部を壁に打ち付けた。走る鈍痛に構うはずもなく、相手は片手に持った包丁を振りかざす。壁に当たったのが幸をなし、倒れてしまうことは避けられたお陰で、達也は、咄嗟に両手で迫る刃物を止めることが出来た。

しかし、もう一方の腕が、達也の喉を捕らえる。急な激痛と息苦しさで、徐々に全身から力が抜けていく。容赦のない殺意に襲われ、恐怖が達也の目に表れ始め、眼球の奥が熱を帯び始め、達也は、強く瞼を瞑った。

 

「死ね!死ね!死ねえええええ!」

 

 それを好機とみたのか、相手は、発狂気味に叫び始める。刃先が見れなかった。見たくなかった。

 力を込められた腕が、少しずつ達也の眉間に近づいていく。

 玄関では、ついに、鏡張りの部分が破られていた。暴徒が侵入を開始するまで、あと数分もないだろう。そして、破られた音が聞こえた時、達也の脳内では、走馬灯のように思いでが去来した。知り合った人間や、思い出深い風景、友達、次々と映像が切り替わっていく。

 

 死にたくない!

 

 達也は、かっ、と両目を見開いた。先程までの動揺か嘘のように、相手がよく見える。白衣に身を包んだ自分と同じ年頃であろう女性だった。命を救うはずの女医が、命を奪おうとしている現実、そんな感傷に浸っている場合ではない。

 歯を食い縛り、有らん限りの力を使い、達也は女医の身体ごと押し返した。抗う女医は、更に体重を乗せてくる。不利な態勢にあることを瞬時に理解すると、ある賭けにでた。できる限り、刃先と距離がある今なら出来るかもしれない。

 達也は、包丁を止めていた両手を離したのだ。面食らったような女医の表情を窺う余裕すらなく、尻餅でもつく勢いで床に座り込んだ。頭上で包丁が壁に激突し、刃先が折れた。

 女医の全体重をかけた攻撃に、包丁が耐えきれなかったのだ。

 すかさず、足を払い、今度は包丁ではなく、女医自身の顔面が、壁に激突する隙に、達也は立ち上がった。

 傷みに悶える姿を俯瞰するように見下ろす。その双眸には、例えきれない憤怒の念が込められていた。

 達也は、無言で女医に股がると、包丁を握りしめていた両手を重ねさせ、その掌をナイフで貫いた。女医が痛苦の絶叫をあげる様を眺めながら、ナイフを抜いた。

達也の頭は、殺意には殺意で返さなければ、自分が殺されるという思考で満たされていた。

 外に群がっていた暴徒が、女医の悲鳴に対し、歓喜の雄叫びにも似た唸りをあげている中、達也は立ち上がり、胸ぐらを掴みあげ、階段へと引き摺った。女医の抵抗も両手の深手が影響してか、無意味に終わった。達也は、女医の胸ぐらを掴んだまま、階段へと突き落とそうとしたが、女医は必死の形相で達也の腕を捕まえた。

 

「や......やめて......お願い......助けて......」

 

 玄関が、とうとう完全に破られた。

 先頭にいた暴徒の集団は、やはり、段差に躓き後続を巻き込んで倒れた。その光景に、女医が恐怖の悲鳴をあげる。うぞうぞと蠢いていた暴徒の一人が顔をあげ、その何も映らない瞳で女医を捉えた。

 

「違うの!あいつらだと思ったの!私も必死だった!死にたくなかった!ねえ!協力しましょう!一人じゃきっと生き残れないわ!私はきっと、あなたの役にたつから!私の全てを貴方に捧げても良いから!だから、お願い!早く引き上げて!」

 

 後続の暴徒の重みに、下半身を潰された一人が階段を這い上がってきていた。低い呻き声をあげながら、上半身を投げ出された女医へ手を伸ばす。

 女医は涙を流しながら、訴え続けていたが、達也の耳には何も入ってはいなかった。ただ、一言、達也はこう呟いた。

 

「悪い......浩太......」

 

 暴徒が女医の垂れた白衣を掴むと、達也は、自分の腕を握る女医の手首をナイフで切りつけた。

 絶望に染まった女医の表情を達也は二度と忘れられないだろう。

 女医は、階段の手摺を一度は捕らえたが、掌に走った熱と傷み、暴徒の引き寄せによって階段を転がり落ちていった。

壁にぶつかると、ほぼ同時に暴徒が数名、女医を埋め尽くした。

 耐え難い苦痛に混じり、女医は最後の断末魔のように咆哮をあげる。

 

「お前さえ!お前さえ、ここに来なければ、私は......私はぁぁぉぉぁ!!」

 

 そこから先、女医の口内は血溜まりとなり、肺が空気を押し出し、海で溺れたような声にならない声だけが響いた。

 達也は、女医の最後を見届けることなく、開いた部屋の窓から外に出ると、地獄のような世界から逃げ出すように、屋根をつたって隣の民家へと飛び移った。その間、達也は、一人、笑った。殺意を向けられた恐怖、殺意を人に向けてしまった恐ろしさを払拭するように、一人、笑い続けた。




ああ、指疲れた……
さて、そろそろかな……w


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第10話

                 ※※※ ※※※

 

「1860年、この世界に一人の天才が生まれた。ハーマン・ウェブスター・マジェットだ。偽名でホームズを名乗っていたこの男は、ドラッグで金を儲けた後に、あるホテルを建設する。世にも有名な殺人ホテルだ。マジェットしか把握出来ていないホテルの内容は、まるで迷宮のようだった。万博を利用し、宿泊した客をホテル内の様々な仕掛けで殺し、金品を奪う。自供した人数だけで二十七人、警察がホテルを調べてみれば、被害者は二百人以上に及ぶだろうと目された」

 

 中間のショッパーズモールの搬入口で、東は隣に立つ安部に語る。安部は、涼しい顔で黙って聞いている。

 

「こいつは、金を得る方法を数々習得していた。そして、もっとも手っ取り早く収入を得る方法を考え付いた。それが、殺人ホテルの建設だった。実際、よく作られてるみたいだぜ?地下に繋がった落とし穴、死体の処理をする為に用意された硫酸の溜まった樽、ガスを送り込む部屋、他にもあるみたいだが、一番、マジェットの異常性を物語るのは、地下にある拷問セットだ。これがどういう意味か......分かるか?」

 

 運転席に乗り込んだ東は、煙草に火をつける。搬入口のシャッターの前には、男が一人、小金井だった。

 大きく手を振ると、シャッター脇にある操作ボタンを押す。ゆっくりと歪な音をたてながら、シャッターが上がっていく。東は、アクセルを踏んで、一気にシャッターの下を抜けた。予め、使徒を裏の立体駐車場に集めていたので、出入りには不便が無かった。車を停めて、運転席のドアガラスを落とした東が小金井に言った。

 

「一時間くらいで戻る。良いか?一時間だ。もし、ここにいなかったら、すぐさま、シャッターを爆破するからな」

 

 小金井は笑って返す。

 

「大丈夫、裏切ったりはしない。一時間後にまた......」

 

 そう残して、小金井は操作ボタンを押して、再び響きだしたシャッターの下降音を二人に聴かせた。完全に閉まってから、安部が口を開く。

 

「最初こそ、殺人は仕事であると捉えていたが、それが数を重ねる毎に趣味に変わっていった。人を支配する欲にまみれ、拷問を施し、まるで娯楽のように、凶事を行っていた。つまり......」

 

「そうだ、マジェットにとって、殺人は遊びになったんだ。それは何故だと思う?」

 

 東の問い掛けに、安部を首を捻り考えたが、結局、分からなかった。

 

「マジェットは、人間に対して、無関心だったんだよ。あるのは、その人間が持つ金への執着と欲望だ......ある意味では、人間的なのかもな」

 

 一区切りつけるように、東は煙草を窓の外へ捨てた。

 

「さて、ここでこんな言葉がある。エリ・ヴィーゼルの、愛の反対は無関心ってやつだ。聞いたことあるだろ」

 

「ええ、勿論ですよ」

 

「ネクロフィリアって奴等は、この愛が死体に向かっている。ただの異常性癖だ。死体と共に寝て、死体と共に起きて、死体と共に風呂に入る。マジェットとは真逆だよな?」

 

「......その話と、小金井さんがどう関係あるのですか?」

 

 安部は、明らかな不機嫌さを隠さずに鋭く述べた。東は、まあ、聞けよ、と前置きしてから続ける。

 

「奴が死体愛好家だとしたら、腑に落ちない点がいくつかある。最初に奴は、使徒に喰わせた死体を見てから、満足そうな顔をしていたよな?」

 

 安部は、こくり、と頷いた。

 

「愛しき骸のかたわらに、夜ごとこの身を横たえる。ネクロフィリアと呼ばれた人間が残した言葉だ。この言葉だけで連想するなら、この死体の状況が分かる。つまりだ、死体を愛するネクロフィリアが、自分が犯した死体でもない、使徒にグチャグチャにされた身体を見て、興奮すると思うか?」




……いや、病んでないからね?w


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第11話

 安部は、何も返せず、ドアガラスから外へ視線を預けた。車は中間のトンネルに入った。

 電気の供給が無くなったトンネルの内部は、暗く、湿った空気が流れているようだった。まるで、今の自分の心に直接入り込んだようだ。ある程度、東に影響を受け、自身が犯罪者であると想定し、思考を巡らせることは出来るようになった。だが、やはり、安部は東とはどこか違うのだろう。それは、仕方のないことだが、東に対して、この世界を治す相方に対して、劣等感を抱いているのだろうかと思った。

 俺を理解しろ、昨日、東は安部に言った。完全に理解できる日はくるのか、安部には判断がつかない。

 黙然と外を眺めていた安部に、何を感じたのか、東は突然、話題を打ち切るようにこう言い切った。

 

「まあ、安心しろよ。小金井の面の皮くらいなら、じっくりと剥いでやるからよ」

 

「......東さん、小金井さんは我々の仲間ですよ」

 

「あ?......ああ、そうか。俺は安部さんに一つだけいい忘れがあったな」

 

「何をですか?」

 

 安部が顔を向けるまで待って、東はいつもの、ねばついたような口調とは違い、その時だけは幾分か清涼を携えた声をだした。

 

「俺にとっての仲間は、俺に色をくれた安部さんだけだ」

 

 安部は、少し前にインターネットで偶然、見掛けたサイコパス診断というものを思い出した。その中で、色についての項目があった。

 喉が渇いて、自動販売機で飲み物を買おうとしたが、すべての容器が透明だった。商品名も無く、それぞれ色の付いた飲み物が入っているだけの状態で何色の飲み物を買うか。そんな内容だった。

 それは、無色透明と答えれば、サイコパスと同じになる。

 安部は、その時、ゾッとした。なぜ、そのような返答になるのか分からなかったから、ただただ、気味が悪かった。

 だが、今なら、自分なりにでも分かる。恐らく、世界を片寄った視点から眺めるサイコパスにとって、この世界は、無色なのだろう。だからこそ、東の言葉を借りるなら無関心なのだ。こうして考えると、色で物を見るということを人間は無意識で行っているのかもしれない。この世から色が無くなったら、どうなってしまうのだろう。

 車は中間のトンネルを抜けた。

 中央分離帯に、横たわった使徒が、こちらに必死になって右腕を伸ばしている。右足が第一関節から螺切られていた。使徒の出来損ない。彼の濁った瞳には、この街や人間は、どのような景色と色で映っているのだろうか。そして、東についた色は、この世界は、どんな着色が施されているのだろう。安部は、一人、自問しながら、遂にはその答えに行き着けはしなかった。

 東の運転する車は、里中から永犬丸電停へ曲がり、今池電停、森下電停を抜け、穴生駅を右折し、穴生ドーム方面へと進んだ。




次回より第10部(堕落」へ入ります
狙ったわけでもないのに、この調度よさは奇跡としかいいようが……w
それは僕達……いや、なんでもない……
UA数16000突破!!本当にありがとう御座います!!


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第10部 堕落

 幸神のホテルの一室で、簡単な自己紹介が終わった。

 そんな時でも、真一は苛立ちを隠そうともせずに、落ち着かない様子で、椅子に凭れていた。陰鬱な空気が、針のように祐介達に突き刺さる。

 四人が起きたから、という理由で一先ずは、出発を諦めた真一だが、それにより悪化した雰囲気は、一向に重くのし掛かった。 浩太は、そんな暗鬱とした空気を振り払おうと、ホテルに残されていた食品を全員に配って回っていたが、真一はそれすら口にしようとしない。この時間が勿体ない、そう態度に現れていた。 加奈子も、口が利けない分、そういった気配を強く感じているのか、阿里沙の背中に隠れてしまっている。

切っ掛けを作るように、壁に背中を預けていた彰一が、ツカツカと歩き出し、口火を切った。

 

「なあ、アンタ......真一さんだっけ?誰かを探しに行きたいのか?」

 

 浩太が驚き、彰一へ目を向けた。仰ぎみた真一の鋭い眼光に、さすがの彰一も思わずたじろいでしまう。

 

「だったら何だ?まさか、行くな、とでも言うつもりか?」

 

「おい、真一......やめろ」

 

「浩太、お前が助けた奴等が、俺にこんなこと言ってやがるぜ?随分、勝手な奴等......」

 

「やめろって言ってんだろうが!」

 

 突然、声を張り上げた浩太は、真一の胸ぐらに手を伸ばす。少し苦しそうに呻いた真一は、更に目元の剣を強めた。一触即発の不穏な気配が漂い始め、浩太は、歯を食い縛り、乱暴に真一を離した。

 仲間割れをしている場合ではない。しかし、弾丸は底をつき、頼りになる武器は、ナイフが二本と、祐介が持っているM360一挺と弾丸が四発、頼りがいがあるな、くそったれ、と浩太は胸中で吐き捨てた。真一は、浩太が起きた朝の五時過ぎから、ずっとこんな状態だった。穴生で離れた達也を迎えに行くと言って、かれこれ四時間、雨は強まるばかりだ。視界が悪いなか、武器もなく、入り組んだ穴生の住宅街を探索するのは、裸で歩き回っているのと同じだ。

 浩太は、疲れた表情を出来るだけ祐介達に見せないようにしつつ、小さく溜め息をついて言った。

 

「とにかく、雨が止むまでは待ってくれ......ここでお前まで行方不明になったら、それこそ笑えないだろ」

 

 真一は鼻を鳴らす。

 

「悠長に構えてる場合じゃないんだぜ?明日まで降り続けたらどうすんだ?」

 

「それは......」

 

「遅くなれば、それだけ達也が死ぬ確率は高くなる。それを分かってんだよな?」

 

 高圧的な真一の口調は、その場にいる祐介達にも重くのし掛かった。

 

「だからってどうしようもないだろ......今は、達也の無事を祈るしかない......俺達が信じなかったら、それこそ達也は......」

 

「無事を祈る?達也が離れたのは、一体誰のせいだよ!」

 

 真一は、突然、語尾を荒げて叫んだ。溜め込んでいた怒りが、堰を破ってしまったのだろう。

 感情的に、立ち上がった次の瞬間、真一は、右頬に重い痛みを覚えた。意思とは関係なく、真一の身体は椅子を巻き込んで床に倒れた。




お気に入り数150突入!!
ありがとう御座います!!これからもよろしくです!!


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第2話

「いい加減にしろよ真一!あいつの安否を気にしてんのはお前だけじゃない!あの時、俺がもっと注意してれば達也は一人にならなかった!俺だって今すぐ助けに行きたい!けどな、もう俺達だけじゃないんだよ!」

 

 肩で呼吸を繰り返している浩太に、とうとう加奈子が涙を流し始めた。一同に沈黙が訪れ、真一は居心地が悪そうに椅子を払いのけてから、立ち上がる。

 浩太が配った食品を持って扉に向かう真一の背中に、鋭く浩太が言った。

 

「真一」

 

「うるせえ......ちょっと頭冷やしてくるだけだ......お前もそうしろよ」

 

 バタン、と閉じられた扉の音が、やけに大きく響いた。真一を殴った拳は、血が滲んでいる。しかめっ面の浩太は、真一が座っていた椅子に腰を落とし頭を抱えた。後悔ばかりが浮かんでくる。

 真一は、隣の部屋に入ったようだ。直後、壁に何か大きな物を叩きつけたような物音がした。様子を見に行こうと、腰をあげた浩太の肩を彰一が押さえて首を振った。

 

「俺が行く」

 

「あ、なら、俺も」

 

「いや、祐介はここにいろ。気が立ってる奴を相手にするんだ。もしもの場合、ろくに喧嘩もしたことがないお前がいても、邪魔になるだけ」

 

 祐介は挙げかけた右手を下ろし、不満そうに舌を打った。図星かよ、と言って彰一は笑った。自然と、阿里沙の口元も弛んだ。

 

「そうだね。祐介君が喧嘩してるとこなんて見たことないかも」

 

「んなことないって!俺だって喧嘩くらい......」

 

 反論しようとした所を、彰一が被せる。

 

「はいはい。そんじゃ、頼もしい祐介には、何かあった時に知らせにくる連絡係りに任命してやるよ。じゃあな」

 

 そう残して、彰一は部屋を出た。幾分かは和らいだ空気は、浩太以外の三人に余裕を生ませた。厳しい表情で俯く浩太に、おずおずと祐介が声を掛ける。

 

「あの......岡島さんでしたよね?」

 

 不意に呼ばれ、浩太は顔をあげた。疲れが色濃く残ったような目をしている。しまった、と顔を伏せたが、阿里沙は見逃さずに訊いた。

 

「大丈夫ですか?なんだか、とても疲れてるみたい......」

 

 救助した相手に気遣われるとは、どうにも情けなかった。下澤なら、こんな時、弱味を見せるような真似はしないだろう。

 浩太は、取り繕うように言った。

 

「ああ、大丈夫だ。少し、申し訳なくてな......ようやくあの地獄から抜け出せたのに、今度は俺達の言い合いまで見せちまって......」

 

 加奈子に目を向けると、びくり、として阿里沙の後ろに、また隠れてしまう。自己紹介の時からこんな様子だったので、気にしていなかったが、浩太は、警戒を解そうと微笑んだ。

 

「初めまして、おじさんは岡島浩太っていうんだ。君の名前は?」

 

 阿里沙が申し訳なさそうに言う。

 

「あの、この娘、ご両親を目の前で襲われてから......その......声が......」

 

「ああ......そうか......普段はどうやって会話を?」

 

 祐介が、加奈子の頭を撫でてやると、小さく頷き、ポケットからノートを出した。なるほど、と浩太は納得した。差し出されたポケットノートに書かれた文字を読んで、浩太は、出来るだけ破顔した。

 

「よろしくな、西村加奈子ちゃん」




100ページ突破!!


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第3話

「入るよ」

 

 返事を聞く前に、扉を開いた彰一に、真一は舌打ちをした。木製の椅子が一脚砕けているのを横目で視認した彰一は、論難を加えられる前に、さっさと入室を済ませる。さきほど、浩太に殴られた頬は、うっすらと、赤みを帯びていた。

 

「そこ、冷やした方が良いんじゃないか?」

 

「言われなくてもわかってる。タオルがあったから、濡らしてたとこだ」

 

 真一が、洗面所でタオルをとり、ベッドに横たわるまで、彰一は黙っていた。言動の端々に焦燥が窺える。

 他の者はどうか分からないが、彰一にとって馴染み深いものだった。他者に向ける怒りとは、少し違う感情だ。

 切り出すように、彰一が言った。

 

「真一さん、アンタ、分かってんだろ?今の自分がどんだけカッコ悪いか」

 

 真一は、顔を背けた。おかしいとは思っていた。あれだけ、周囲に敵意を剥き出しにした男が、一発殴られた位で引き下がる訳がない。むしろ、逆上して襲いかかってくる。そういった行動が見受けられなかったのは、非が自分にあると認めている人間の特徴だ。

 あまつさえ、頭を冷やす、とまで口にした。

 

「よく分かるんだよ。俺もそうだった。自分が悪いって頭では理解してても、その怒りを誰かや物にぶつけなきゃ、壊れちまいそうで、自分を抑えられなくなる」

 

「......うるせえよ」

 

「大人になるにつれて、抑え込みが上手くいくようになる。けど、やっぱり、人間なんだよな」

 

「うるせえって言ってんだろうが!黙れ!そんな事は、分かってんだよ!」

 

「なら、もう少し岡島さんのことを信じてやれよ!餓鬼みてえに、我が儘繰を繰り返しやがって!納得いかねえからって人や物に憤りをぶつける奴を信用できねえんだよ!」

 

 勢いよく上半身を跳ね上げた真一に馬乗りになり、彰一は叫んだ。

 

「俺の仲間だって死んだ!祐介の親父も俺達を庇って犠牲になった!加奈子と阿里沙だって両親を目の前で殺されてんだよ!まだ、そいつが生きてると信じるなら、岡島さんの言う通り、アンタが信じてやらないでどうすんだよ!」

 

 真一は、歯茎から血を流すほど、奥歯を噛み締めた。

 

「俺が一番、情けないってことは誰よりも分かってんだ!俺も一緒に、あの時、駆け出しておくべきだった!トラックから走り去る達也を見捨てたのは......俺なんだ......」

 

 真一から力が抜けていき、枕に頭を沈めて、右腕で両目を隠す。自責の念に耐えきれず、和らげる為に当り散らすしかなかった。

 あの時、浩太と同じ立場だとして、同じような結果にならなかったと尋ねられれば、真一は素直に頷くことは出来ない。ただ、暴徒の集団を前に、達也のような行動をとれず、ただ、見送るだけしか出来なかったことに、罪悪感を抱えてしまった。

 晴らすためにとろうとした行動は、集団を危険に晒す行為だ。自分の事しか頭に無い人間を信用できない、そう言われて当然だ。




真一……


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第4話

 肩で息を繰り返していた彰一は、深く嘆息をつくと、ベッドから降りた。

 怒りにやり場があるというのは、幸せな事だ。それは、仲間を失った彰一が学んだ大切な事柄だった。

 しかし、逆を言えば、ただの他者に対する甘えに他ならない。自分が傷付かない為の予防線を張る。そんなものは、現実から逃げることと同義だ。

彰一は、こんな世界に落とされ、初めて気付いた。

 界隈で有名な不良、周りには常に仲間がいる。安心できる空間に腰を据えて、仲間に危険が迫れば、すぐにでも駆け付け守る。だが、彰一は守れなかった。結局、守っていたのは、自分一人だけだったのだ、孤高であろうとした。しかし、そう決めた矢先、またも守られた。あれから、彰一の中で、決壊寸前のダムに水を注いだように、何かが崩れてしまった。

 そして、新たに作られたダムは、より強固なものとなって彰一の中心を埋めてしまう。

 

 誰かを助ける為に、自分の犠牲を省みない人間になる。

 

 今までの彰一では、死ぬ最後の瞬間まで口にしなかった目標だ。

 まるっきり、昔の自分と被ったからこそ、彰一は真一の怒りを理解出来た。だからこそ、自分を救ってくれた男が、周囲を危険に晒そうとする言動を繰り返すことが許せなかった。ミーイズムは、破滅を招く。それだけは、どこにいても同じだ。

 

「......その人を助けに行くって選択があるだけ、アンタは幸せだ。だから、岡島さんに甘えるのは、もうやめろ。ここにいる全員が欠けることなく、その人を救助できる態勢が整うまで待ってくれよ。それには、勿論、真一さんの協力だって必要だ」

 

 真一は、黙然としたまま、首を縦に動かした。やるべきことは分かっている。

 

「......悪い、浩太を呼んできてもらえるか?」

 

「......ああ、分かった」

 

 部屋を出ていく彰一を見送り、真一は今も一人で戦い続けているであろう、達也を思い、胸中で呟いた。

 ごめん、達也......

 

                ※※※  ※※※

 

 穴生の鉄竜には鉄錆びの臭いが充満していた。これが、死臭というものなのだろうか。吐き気を催しそうな、嗅ぎ馴れない香りは、空気に流されない程に重い。いや、もしかしたら、この臭いは、既に鼻腔へこびりついているのかもしれない。擦っても、洗っても、落ちない垢に、身体中はおろか、心までまみれてしまったのだろうか。

 達也は、足元に転がる暴徒の成れの果てを見下ろした。

 まるで安全ピンで羽を貫かれ、板に張り付けにされた昆虫のように、床に包丁とナイフで固定された上、無惨にも両足を切断されている暴徒は、尚も食らいつこうと懸命にもがいている。

 滑稽だと一笑した達也は、ブーツの踵で暴徒の頭を踏み砕いた。手にした血塗れのノコギリを床に落とし、片膝をついて暴徒の身体を眺めて、得心がいったように、なるほど、と口の中で言った。

 暴徒の身体に刃を入れれば、抵抗をあまり感じない。両足の切断も苦労はしなかった。どうも、一度、死んでいるのは間違いないようだ。骨が露出することにより柔らかくなり、筋肉も活動をしていないからか、容易に切り落とせた。

 達也が行っていたのは、実験だった。どこまでやれば、暴徒は活動を停止するのか、他に弱点はないのか、などを注意深く観察し、腹を割き、喉を潰し、常人なら即死は免れないであろう心臓への一突きも、暴徒は難なく耐えきった。




鉄竜を久しぶりに回ってみた……
ちょっと迷ったw


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第5話

 最後の踏みつけで、完全に活動を停止した。

 達也がいるのは、女性に襲撃された家から、僅か三軒先の一軒屋だった。隣には、アパートが建っており、作りを考えると、暴徒に対して、扉一枚の対抗策しかないアパートよりも、一軒屋の方が籠城に適していると判断し、ここに落ち着いた。

 やはり、一般家庭だったのだろう。二階の子供部屋には、物が散乱しており、まだ、年端のいかない姉妹が楽しく遊ぶ姿を想像できた。

 達也が一階に降りた時、居間から聞こえたのは、骨を砕き、強引に嚥下する音だった。迷いなく居間の扉を開いた先では、どんな惨劇が起きたのかを、達也に一目でわからせた。壁についた夥しい量の肉片、幼い姉妹を両親であろう暴徒が貪り食っていた。

腕力のみで切り離された姉妹の首は、暴徒に転化しており、光のない瞳で達也を仰いでいる。

 鼻を鳴らした達也は、母親が立ち上がる前に、キッチンに走り、残っていた包丁を引き抜き、母親を蹴り倒すと、間を開けずに、包丁を突き立てた。

 その後、ひとまずは父親を放置し、習性を監視していたが、娘を再び食べるような真似はせずに、達也だけを求め続けていた。親子愛なんてものはない。

 玄関から、居間に向かう途中にある部屋を探ると、箪笥の中にあった真新しい工具箱を見付けた。子供が小さいから隠していたのだろうか。中身にあった新品のノコギリを取り、居間に戻ると、扉に張り付いたままの父親を、扉ごと蹴り飛ばし、まずは、左足で暴徒の身体を抑え込むと、右足で右手を固定し、ナイフで掌を貫く。両手を固定しおえた後に、両足を落とし、娘の首を、母親と共に庭に放り投げ、ここから、実験の時間となった。残酷な実験だが、達也はなんの感慨も無かった。

 ナイフと包丁を回収後、父親を庭に放り捨て、達也は冷蔵庫の中にあった缶詰めを数種類食べ、自分の身体にこびりついた垢を取り除くためにシャワーを浴びようとしたが止めた。暴徒が近づくかもしれないという理由ではなく、この纏った警戒心も垢と共に落ちてしまいそうで怖かったからだ。同じ理由で、達也は、あれから一睡もしていない。

 恐怖心に勝る警戒心をもつことが、達也に唯一、生きていることを実感させた。

 リビングのソファに座り、達也は思考を巡らせる。生き延びるには、どうすばいいだろうか。必要なのは、武器、車の調達だろう。武器は手に、車は足となる。次に必要なものは、食料だが、これはどこかの民家にある貯蓄を頂けば良い。さしあたって、重要なものは、車だと決めた達也は、まずは、この家を徹底して探し回った。

 結果として、車の鍵は発見出来なかった。そう上手くいく筈もない、と肩を落とした所で、達也の耳に届いたのは、僅かな排気音だった。

 すぐに、二階の子供部屋へと駆け上がり俯瞰すれば、女医が潜んでいた家の前に、真っ白な二人組と、白いプリウスが停まっていた。その奇怪ともとれる出で立ちに、一度は遣り過ごそうともしたが、二人が手にしている物を見て変わった。一石二鳥とはこのことだ。

 達也は子供部屋の窓から屋根を出ると、来たときと同じ要領で、屋根を伝って、息を殺して近づいていった。




寒くなってきたな……


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第6話

                ※※※ ※※※

 

「ここら辺りで良いか」

 

 東が車を停めたのは、穴生ドームを抜けた先にある、鉄竜の住宅街だった。後部座席に置いたままにしている銃器から89式小銃を取ると、安全装置を外し、安部に手渡した。怪訝そうに、双眸を細め安部が言った。

 

「そろそろ、今回のドライブについて、何か説明がほしいのですが......」

 

「あ?そんなもん練習に決まってんだろ」

 

「練習......ですか?」

 

 口先を曇らせた安部は、手元にある銃を見た。

 

「そうだ。これから先、銃は俺達にとって必須になる。中間にいる奴等を制圧し続けるのにも必要だ。そこで問題がある」

 

 何か分かるか、と目線で安部に尋ねる。

 銃は何度か使用してきた。扱いには十分に慣れたつもりだ。そこに何か問題があるのだろうか。東は、マガジンを抜いて、自分の銃に弾丸が入っているのを確認した。

 

「俺達は、まだ、銃に関しては素人同然だ。本当は、生きた人間の方が望ましいんだが......」

 

「......つまり、使徒を使って銃の扱い学ぶと?」

 

「そうだ、今までは俺達を襲ってきた不届きものだけをやってきたが、今回ばかりは少し違う。安部さん、アンタを死なせないためにすることなんだって事を、ちゃあんとわかってくれよ?」

 

 東は、車を降りると、目の前にある破られた玄関を睨目つける。這いずったような血の跡が、玄関の縁石から外へ伸びている。転化した何者かが、ここにはいたようだ。安部に目を配り、顎で行き先を告げる。玄関を抜けると、サウナに入ったような異様な熱気が二人を包み込んだ。熱のある大量の血液が流れた証拠だろう。裏付けをするように、階段の昇り口には血溜まりが出来ていた。

東は、懐かしい臭いだ、と唇を三日月に歪めた。

 

「籠城してたが、扉を破られて引きずり出されたってとこかな」

 

「いえ、それは違いますね」

 

 東は、異を唱えた安部に振り返る。

 

「あ?なんかあったのか?」

 

「あれを見てください」

 

 安部は階段の上部を指差した。東は、安部を玄関前に待たせ、階段を堂々と上がっていく。別段、変わった所はないように感じ、階下にいる安部に手を振ったが、首を横に振られてしまう。

 

「階段の手摺ですよ」

 

 手摺、とオウム返した東は、重点的に手摺を擦り、ある箇所を発見した。誰かが握ったような血痕がある。それも、かなり強く握っているようだ。階段から落ちまいと、必死に掴んだような跡は、下へと鋭く伸びている。誰かが、ここで転化する前の、まだ生きている人間を突き落としているという確かな証左にも思えた。そうなると、東に微かな疑念が生じる。その突き落とした人間は、今、どこにいるのか。

首筋に違和感が走る。いつもそうだ。何かがある時、人間は本能的に危険を察する。

 

「東さん!後ろ!」

 

 安部の叫び声に振り返る途中、東のこめかみに銃口が突きつけられた。




最近、疲れ気味w


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第7話

 油断していたとはいえ、東は人の気配には敏感だ。息をしていたのかも怪しい所だ。かなりの警戒心を持って潜んでいたのだろう。押し付けられた銃口越しに、ありありと伝わる殺意、確信をもってここにいた人間を階段から突き落としたのは、こいつだと言える。東は、両手を挙げて口を開く。

 

「こいつは驚いたなぁ......まだ、ここに残ってたのかよ。人を殺したあとってのは、よほどのサイコじゃない限り、すぐ逃げ出すもんだと思ってたんだがな......」

 

「口を開くな。不必要なこと言いやがったら、即座にぶっ放す」

 

 更に銃口が強く当たる。少し唸りながら、相手の足元を盗み見た。靴は茶色のブーツ、迷彩柄のズボン、腰のバックルも特殊なものだ。当てられた消炎器の形状も、恐らく、自分が今、手にしているものと同じだ。

 

「......自衛官か?」

 

 銃口が、ぴくり、と反応した直後、自衛官は階下にいる安部に、低く言った。

 

「やめとけ。見たところ、二人とも民間人だろ......銃を初めて扱うような

奴が正確に当てられるのか?こいつごと俺を撃つことも出来るだろうが、まず、弾丸が貫くのは、お前の相棒だ。この意味が分かるよな?」

 

 安部は、自衛官の忠告を耳に入れつつも、銃を下ろそうとはしなかった。パニックに陥っている。両腕が硬直したように痺れ始めていた。小さく悪態を吐いた自衛官は、目の前にいる東を見澄ます。

 

「その銃をこっちに渡せ」

 

「勘弁してくれよ、自衛官様よお......こっちは民間人だ。こいつを奪われたら......」

 

「良いから渡せ!」

 

 東の言葉を遮り、トリガーを僅かに引いた。この時点で、自衛官の声音に焦りがある。警官に拳銃を突きつけられた経験はあるが、あくまで威嚇行為としてだ。このように殺す意思を持つ者に、銃口を向けられた事はない。東は、初体験に対して、密かに興奮していた。

 この瀬戸際が堪らなかった。ようやく、自分の番が回ってきた。高鳴る鼓動は、どんどん脈を早くしていき、血液が身体中を巡っていくのが分かる。そうか、これが死ぬ間際に見れる光景なのか。くるりと首を動かし、銃口をこめかみから額へ移させ、自衛官を正面から見据えて、東は高々と笑い声をあげた。

 

「ひひひ......ひゃーーははははは!良いね!さいっこうの気分だ!おら、自衛官!何を焦ってんだ?人を殺そうとしてる時は、自分が穏やかになんねえと、相手は何も感じちゃくれねえぞ!」

 

 東の変わり様は自衛官には、どう映ったのか。明らかに、眉間に刻まれた皺が深くなる。銃のバレルを掴み、自らの額へ押し込んだ。

 

「なんだよ!何をビビってんだ?ここで童貞は捨ててんだろうが!一人も二人も変わんねえだろ!ああ!?」

 

 東の凄味を肌で感じたのか、まるで化物を目の当たりにしたように、自衛官の表情が青ざめた。異常な者を見るように、目付きに怯えの色が走る。




東とはレベルが違ったようだ……w


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第8話

 瞬間、東は興醒めしたかのように、落胆の色を顔に張り付けた。銃口の奥で、自衛官から目を逸らさずに、眉をひそめて小さく呟く。

 

「......まさかとは思うけどよ、弾丸が ないとか言わねえよなぁ?」

 

 その言葉に、自衛官は東から一瞬だけ目を切った。東は掴んでいた銃のバレルを離し、呆れたように溜め息を吐き出し、一歩階段を上がった。

 

「最悪な気分だ......まるで糞の上を歩いてるみたいな、最悪な気分だよ......」

 

 玩具を取り上げられた子供のような、寂しい声色だった。

 更に一歩踏み出した時、自衛官は無用とばかりに銃を東に向けて投げつけ、すぐにナイフへと手を伸ばしたが、右腰を強烈な衝撃が貫く。東は、銃を避けもせずに、そのまま顔面で受けとめながら、持っていた89式小銃を鈍器のように振るっていた。自衛官が、予期せぬ鈍痛に顔をしかめ、腰を折って噎せる様を下から覗いていた東は、銃を突きつけられた時のような顔ではなく、例の寂しそうな表情のまま見上げている。

 

「てめえもか......てめえも俺を理解できねえのかよ!ああ!?」

 

 自衛官の顔面に叩き込まれた東の拳は、頬骨を正確に打ち抜いた。倒れこんだ自衛官に馬乗りになり、次々と拳を振り下ろす。

 

「てめえは偽物だよ!これが本物の殺意だ!堕落だ!死ねよ、死んじまえよ偽物がぁ!」

 

 みるみる鮮血に染まっていく自衛官は、何度か殴り返すも、東はやはり避けもしない。それどころか、闘犬のように犬歯を剥き出しにして勢いを増すばかりだ。ついに、自衛官の両手が震え始める。東の拳頭は皮が捲れ、流血を始めるが、それでも止まらなかった。鬼気迫る形相のまま、拳を落とす。自衛官に意識がないのは明白だった。

 

「東さん!そこまでです!」

 

 安部の声は、頭の中を飛び交っていた羽虫の音を消しさった。振り上げた拳を止められ、東はようやく我に返った。

 安部は、足元に転がる自衛官の口に手を当て呼吸の確認をする。さわさわとした柔らかい息が当り、生きていることが分かると、ふう、と吐息をついた。

 

「自衛官なら、なんらかの情報は持っている筈......使徒にするのは、遅くはない。東さんなら分かるでしょう?」

 

「......ああ、悪かったな。安部さん、そいつを車に乗せる。手伝ってくれ」

 

「他に仲間の自衛官がいないか、情報を聞き出すんですか?」

 

 東は唇についた返り血を、蛇のように舌で舐めとると、まだ、怒りを隠しきれずにいるのか、声にその調子を残したまま、不服そうな口調で言った。

 

「それもあるけどよ、もっと良い使い方も思い付いちまったからよ......」

 

 奇怪な笑みを浮かべた東から双眸を剥がし、安部は自衛官を抱えた。東の助力も受けながら、階段を降りる途中、自衛官の首からドッグタグが落ち、乾いた音をたてる。そちらに、安部の注意が逸れた瞬間、東が不満そうに叫んだ。

 

「おい、安部さん!こっちゃ、力がアンタより無いんだからよ!もっと気張ってくれよ!」

 

「ああ......すいません」

 

 短い謝罪の後、自衛官の身体を車に乗せ終えた二人は、使徒が集まる前に、車を発進させた。

 玄関から入る日の光を受けたドッグタグは、淡い反射を放ちながら、落下した際にプレートについた僅かな傷へ、ここで何が起きたのかを誰かに知らせるように血を滲ませていく。

 遠ざかっていく車の排気音は、すぐに聞こえなくなった。




次回より第11部「裏切り」に入ります
UA数17000突破!!ありがとう御座います!!

誰か俺と、とろとろどんどんゲームしませんか?w
失礼しましたw


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第11部 裏切り

 東京スカイツリーを正面から仰ぎながら、路地を曲がり、更に奥へ入り込んだ場所、昔ながらの雰囲気を残した一角、昭和の香りを色濃く受け継いだような場所にあるアパートを田辺は訪れていた。

 表通りから、車二台分が通れる程の舗装された細い脇道を進んで着いた先では、東京という華やかな都会とは、一線を画した地域が集落のように広がっており、田辺は幼少の頃に思いを馳せられるこの光景を気に入っていた。木造アパートの一階、十の扉が横並びで一列ある中、田辺は 105号室のベルを鳴らす。一度目は無反応、二度目で扉の奥で人の気配を感じ、三度目の正直とばかりに、部屋の中からノブが回される。

 開いたドアの隙間から、田辺を窺うように顔を出したのは、頭髪に白が目立つ初老の女性だった。

 

「こんにちは、九重先生」

 

 そう声を掛けた途端、九重と呼ばれた女性は、目の色を変えて扉を引き、田辺は、それに合わせて靴先を滑り込ませた。鈍い音と痛み、そして、盛大な舌打ちが田辺を招きたくはない、と如実に語りかけてきているようで、思わず苦笑する。女性は、獣のような鋭い目付きのまま唸るように言った。

 

「なんの用だい?ここには、アンタらみたいな記者が喜びそうなもんはなにもないよ」

 

「まあ、そう言わずに......酒や食べ物もお持ち致しました。少し話しだけでもしませんか?」

 

「話だって?よく言うよ。アンタら記者があたしにした事を覚えてないのかい?それに先生なんて呼ぶんじゃない。アンタが呼んだら、本当にヘドが出そうだ」

 

 田辺は、やっぱり敵意を剥き出しにされたか、と微妙な笑みで誤魔化した。

 そもそも、この九重という女性は、ただの科学者だったが、発表した万能に活躍する細胞を開発したことで一躍時の人となった。目が見えない人間の網膜を細胞から作り出したり、無くなった手足を一から作り上げる事も出来る、まるで夢のような細胞だった。そんなものを記者が放っておく訳はない。

 嘘ではないのか、という連日の詰問に精神が磨耗し、九重はつい、「それらしきもの」が出来た、と漏らしてしまう。そこから先は、九重にとって地獄のような毎日となる。地下室に閉じ込められ、ストレスから集中でかなず、作業に取りかかるも結果は実らなかった。世間からは研究費欲しさに嘘を吐いたのだと指さされ、業界からは干された。

 東京の一等地から追い出され、行き着いた先は、外観からしても古ぼけた安いアパートだ。白髪も当初より遥かに増えている。

 その一因を作ったのは、田辺の上司である浜岡だった。スクープだと言って、とことんまで九重を追い込んだ。その矢面に立たされたのは、田辺だ。

 互いに顔馴染みだが、良い印象は持たれていないと覚悟はしていた。だが、こうも毛嫌いされていると話を聞くのも大変そうだと、田辺は内心、辟易した。当たり障りのない会話から入っても、恐らくは塩を撒かれる可能性がある。田辺は、素直に切り出した。

 

「今回の九州地方感染事件について、少し質問があるだけです。あなた程の方が、この事件にどのような関心を抱いているのか、興味があります」

 

「関心なんてある訳がないだろう!さっさと帰りな!」

 

「待ってください!僕は、貴方ほど科学者の中で真剣に命に向き合っている方を知りません!どうか、少しだけでも!」

 

 我ながら都合の良い釈明だと思ったが、これは田辺の本心だった。九重は、誰かの役に立つ為に仕事をする女性だった。それは、インタビューで、はっきりと感じたことだ。

 会社や上司の指示がなければ、田辺だって九重への強引な取材は避けたかった。今も、浜岡の後押しがなければ融通が効く立場でもない。

 

「そのあたしにアンタらは何をした!もう、あたしの事は放っといて......」

 

「本当に関心がないんですか!」

 

さきほどまでとは違う、剣呑さすら携えたような田辺の怒声に、九重の動きが止まった。




第11部始まるよ!


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第2話

「僕が初めて、貴方にお会いした時、インタビューの中でこう言ってましたよね?まだ、出会った事のない誰かを助けたいと!知らぬ間に仕掛けられた兵器で片足を失った子供に、もう一度、歩く喜びを教えたいと!失う必要のない命が失われていくのを見たくないと!」

 

「......ええ、確かに言ったわよ。だけど、そのあたしの理想を崩したのは、アンタ達じゃないか!」

 

「なら、もう一度その理想を抱いて頂きます。いまこうしているだけでも、九州地方では何人の死者が出ているか分かりません......貴方の力が必要なんです!お願いします!僕に、貴方の力を借して下さい!」

 

 頭を下げた田辺を見下ろし、九重は周辺住民からの注目を浴びていることに気付いた。奇異の目に晒されるのは、世間の怖さを知っている九重としても良い事ではない。しかし、目の前にいる男は、すんなりと帰るようには見えない。ようやく手に入れた僅かな平穏すら奪われてしまうかもしれない。九重は、苦艱しつつ短く言った。

 

「......入りな」

 

 田辺は、顔をあげるが、九重の瞳は、許した訳ではないという確かな熱を田辺に伝えた。

 充分だ、これからが勝負所だ。

 少々、卑怯な手段で心が痛むが、浜岡の事を考えると、あまり時間をかけられない。玄関を閉じると同時に、九重は田辺の胸ぐらを掴みあげた。

 

「本当に......この世界で誰か一人を生き地獄に落とせるなら、迷わず、アンタを叩き込んでやりたい気分だよ!」

 

「......そうでしょうね。不躾な訪問だとは思います。しかし、僕は、どうしても今回の件で貴方と話しがしたかった......」

 

 九重は、田辺が手から提げていた土産を引ったくるように奪うと、一度、奥に戻る。話しをすることを了承はしてくれたようだった。ワンルームの間取り、冷蔵庫を閉める音がして、乱暴な足取りで玄関に戻ってきた九重は、針を含んだ物言いで突き刺すように言う。

 

「条件が三つある。一つは、あたしの事を大々的に取り上げること。二つ目は、あたしの研究は嘘ではなかったと発表すること。三つ目は、以上を一面記事にすること」

 

「はい、わかりました」

 

 田辺が、しっかりと頷いたのを確認してから、九重はポケットに忍ばせていた携帯の録音機能を切った。入れ替わりのように、田辺がボイスレコーダーを取り出す。

 

「では、今回の九州地方感染事件で死者が甦るという点について、九重さんはどのようにお考えですか?」

 

「あり得ない。死者が甦る事例は、過去にも何件か報告されているが、どれも決まった条件下での出来事だ。いきなり数万人の死者が一斉に......なんて夢でも見てるんじゃないかと思ったよ」

 

 九重は、きっぱりと切り落とす。科学者からしてみれば、そんな神秘に近い現象は認められなくて当然だろう。極端な言い方をすれば、あらゆる魔法のような事象を科学で覆すことが、科学者を名乗る者達の矜持だ。

 人を助けるのは、いつだって同じ人間、それを体現している良い例だと頭の片隅で思いながら、田辺は続けて訊いた。

 

「今回の事件は、人が人を襲い、食べるという大変痛ましい内容となっているようですが、これについては?」




九重(ここのえ)です


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第3話

「摂食行動は視床下部を中心として、大脳皮質から脊髄までの神経ネットワークによって制御されている。神経ネットワークの中核には摂食行動を促進する神経細胞と、摂食行動を抑制する神経細胞と二つある。この内、促進する細胞が活性化したとなれば、話しは分かりやすい」

 

「では、歩き回るという点については?」

 

「最近の研究で明らかになったことだが、食事から遠ざかっていると、通常は食欲を抑制している神経細胞が全く別の行動である反復行動を司るようになるという発見があった。動物なら、毛ずくろいをするとかね。つまり、多目的な活動を排除され、ただ、一点のみに集中する」

 

「それが、人間の場合は?」

 

「さてね。それは、人体実験の領域だ。科学ではご法度だよ。ただ、人間というのは、リミッターが外れると基本的には三大欲求が顕著に表れる。それが、食欲に大きく振られた場合は、人が人を食べるような事態になってもおかしくはない、とあたしは思うよ」

 

「では、数を増やしている点については?」

 

「なんらかの感染作用があるのかもね。食べるという行動は、唾液をふんだんに分泌させる。唾液から感染する病気もあるくらいだしね。そこから脳細胞を活性化させる作用を持ち、尚且つ、神経細胞を狂わす未完成な研究があれば......」

 

 九重は突然、言葉に詰まった。苦渋を味わうかのように、両目から光が消え去った。目に見える動揺に、田辺は眉を寄せて訪ねた。

 

「......大丈夫ですか?どこか具合でも?」

 

 九重は、足元すら定まっておらず、やがて、壁に背中を預け、そのまま、ずるずると足を折って床に座り込んだ。

 顔面蒼白になった九重に、取材ノートを投げ捨てた田辺が慌てて声を掛ける。

 

「九重さん!大丈夫ですか!九重さん!」

 

 ガタガタと震える全身と顔色は、まるで死人だ。ただごとではない。なんらかの持病が発病したのだと判断した田辺が救急車を呼ぼうと、携帯電話を取り出すが、九重の手がそれを阻んだ。

 

「......九重さん?どうしたんですか?」

 

「......あるの......あるのよ......」

 

「ある?一体何があると?落ち着いて話して下さい!」

 

 生唾を呑み、田辺は九重が次に発する言葉を待った。彼女は何か重大なことを言おうとしている。

 前髪の奥で揺れる視線が田辺に定まり、大きく息を吸い込んで九重は言葉を吐き出した。

 

「あたしの研究の最終目標は、細胞の活性化を促し、人体にとって重要な肉体のパーツを全く新しいものに変える実験だった......」

 

「ええ、存じていますが......」

 

「詰まるところ、あたしの研究は、細胞を活性化させて、新しい命を生み出す実験とも言える......だけど、それは未完成だった。内臓は爆発的に増える細胞に耐えられない......必ず、逃げ場を失い、いずれ、悪性のものが脳へと到達する......」

 

 そういった知識のない田辺にも、そこから先は察する事が出来た。両目を剥いて、九重の肩に両手を置く。

 

「つまり、感染者に噛まれた者は傷口から唾液が入り、爆発的な細胞増加が発生する。その後、悪性の細胞が脳の視床下部を破壊し、運動中枢に異常を引き起こし、日頃、繰り返していた食事に対する衝動のリミッターが外れ、人間を襲っている......という事ですか?」

 

 認めたくないのだろう。九重は、首を強く横に振った。しかし、田辺はそれを口にするしかなかった。

 なんのために......確かめる為にだ。

 

「つまり、貴方の研究を盗んで、改良した人間がいる......」




頑張ったw
一日2話はキツイ
よくみんなあんなに書けるな……尊敬するよ……


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第4話

 だが、一体どこで盗んだのだろうか。いや、一時期だけそのチャンスはある。

 九重が地下室に閉じ込められていた期間だ。地下から解放された九重は、研究内容を全て破棄されたショックから姿を眩まし、現在のアパートに引っ越している。ならば、次は誰が盗み、誰が研究を極秘に続けたのかを田辺は思考し、やはり、一部しかないと断定する。研究者に対して権力のある機関、厚生労働省だ。田辺は、その責任者にあたる男の名前を呟いた。

 

「野田さん......」

 

 この胸中に生まれた渦をなんと表現すれば良いのだろう。なに食わぬ顔で田辺と酒を呑み、なにごとも無かったように分かりやすい嘘を吐く。

 以前、ある男に同じ苦しみを味あわされた唯一の友人を信じたい気持ちはあったが、その感情は呆気なく霧散した。頭の中で、グラスがぶつかる戛然の音が再び鳴る。田辺は、もはや野田を信用していない。

 九重との会話から、改めて記憶を探れば、おかしな箇所はいくつかある。第一に、薬品が漏洩したという点だ。中身が洩れたことが原因なのだとしたら、動けない死者を動かす方法は一つ、結核などと同じ空気感染だ。

 ならば、何故、被害が九州地方だけなのか。答えは単純、感染するのは、噛まれた場合だけという意味だ。

 つまり、漏洩したのは薬品でもなんでもない、ただの液体、カモフラージュだったのではないだろうか。仮に薬品の成分を分析しようとも、研究者は劇物薬品を前提として構える。当然、運びだしや、調査を慎重に行うのだから、時間稼ぎはそこで終了だ。数時間後には、墜落により死亡した感染者が甦る。仮説の段階を出ないが、本命は、あらかじめ搭乗していた乗客の中に紛れ込んでいたのでないだろうか。

 墜落原因となったミサイルすら、小さな物を大きな物で隠す派手なパフォーマンスだったように思えてくる。

 だとしたら、いつ薬品を体内に入れられたのだろう。人体に薬品を打ち込むには、何が必要だ。答えはすぐに出た。注射器だろう。しかし、一斉に怪しまれずに注射を射つ機会などあるのかと、しばし逡巡する。ここからは連想ゲームだ。

 注射を打つのは、病気をした時の他に何がある。輸血、献血、採血......

 

「......そうか、採血なら......」

 

 田辺は、下唇を噛み、浜岡への短縮番号を押した。数秒のコール音の後に、いつもの間延びしたような返事が聞こえる。ろくな挨拶もなく、田辺はすぐさま言った。

 

「浜岡さん、すぐに調べてほしいことがあります」

 

 田辺の真剣な口調に、浜岡も気を引き閉めたようだ。柔らかくも、熱を帯びた声で返す。

 

「なんだい?」

 

「墜落した飛行機の乗客の中にいた団体客を調べて下さい。それと、その団体が同じ会社に所属しているかどうか、加えて健康診断の受診先も」

 

「そりゃまた、どうして?」

 

「理由は後で説明します。それでは、お願いします」

 

 一方的に電話を切り、項垂れたままの九重に視線を向けた。自分が必死の思いで培ってきたものが、誰かの役に立ちたくて蓄えてきたものが、自分が長年抱いてきた夢が、広い規模の大量殺人の道具に使われたのだ。落ち込みのも無理はない。田辺は、掛ける言葉が見付からなかった。



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第5話

 訥々と、違う、そうじゃない、あたしじゃない、と繰り返す。田辺が向けた憐憫の眼差しに晒され、九重は、ギョロリとした面を上げ、おもむろに立ち上がる。嫌な予感がした。その瞳に映ることにすら嫌悪を抱く。

 

「お前らのせいだ......あたしから、研究を奪ったお前らのせいだ!あたしじゃない!あたしのせいじゃない!」

 

 逃れる場所を失った精神が崩れようとしていた。ここにいたら、自分の身に危険が迫るかもしれない。

 田辺は、九重から目を離さずに、後ろ手にドアノブを確認した。

 

「違います、九重さんのせいではありません!これは、九重さんの志を奪った人間が起こした悲劇です!どうか、気を保って下さい!」

 

「黙れ!アンタらは世間知らずだ!世の中から疎まれる恐ろしさを知らないだろう!居場所を奪われる恐怖を知らないだろう!あたしの研究が元で、こんな事件が起きたと知ったらどうなる!世間はこう言うだろうさ!あいつがあんな研究をしなければって!」

 

「そんなことは僕らがさせません!」

 

「遅いんだよ!もう、何もかもが!」

 

 九重は、踵を返して部屋の奥に消えた。乾いた風に吹かれたように胸がざわつく。田辺は、土足のまま部屋に入り、両手で握り締めた包丁の刃先を向ける九重を見付けた。玄関までは、僅か数歩の距離だが、九重のギラついた双眸に見据えられ、両足が竦んでしまう。

 

「こ......九重さん、落ち着いて......落ち着いて僕の話を聞いて下さい」

 

 田辺は、これほど心の底から落ち着けという言葉を使ったことはなかった。緊迫した状況は、人間から言葉と動き、思考を奪う。

 宥めるように突き出した田辺の両手を目掛けて、横凪ぎに包丁を振るった九重は、狂乱した声で叫んだ。

 

「あたしは、もう終わりだ!これから先、生きていく希望すらない!」

 

「そんなことはありません!まずは、僕の話を聞いて......」

 

「この世界で一番恐ろしいのは人間だ!もう、あたしは誰も信じられない!」

 

 九重は、包丁を頭上へと持ち上げる。その矛先が降ろされる箇所は、間違いなく一ヶ所だけだろう。田辺は渾身の力で叫喚する。

 

「やめろおおおおおおおおおおお!」

 

 田辺は、生涯、この光景と、ピンと張った布を貫くような音を忘れることはないだろう。

 九重は、自らの腹部に包丁の刃先を沈めた。吐血の量は、臓器の損傷を田辺に告げた。両足が弛緩し、田辺はその場にへたりこみ、九重の恨めしそうな両目と目線が重なる。尻餅をついたまま後ずさり、壁に背中がぶつかった。

 近隣の住民が連絡したのか、騒ぎを聞き付けた警察が到着するまでの十分間、田辺は、瞼を落とすことなく見開かれた九重の眼球に見据えられ続けた。まるで、光が注がれない深い穴に放り込まれたような気分だった。

 九州地方だけに限られた問題ではない。九重は、世間を恐れ、世間に殺された。

 死とは、一体、誰のものなのだろうか。




後味悪いだろうな、田辺w


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第6話

              ※※※ ※※※

 

 全身に痛みが走った。特に顔面が酷い。火傷に似た鋭い痛みと熱がある。

 意識が混濁として、はっきりとしない。今、自分はどうなっているのだろうか。目覚めたばかりで、身体の手綱が上手く握れなかった。

 全身に痛みが走った。あまりの激痛に、もう一度、意識の外に出ていってしまおうかと考え、再び、微睡み始めた達也の耳に、やけに粘着質な声が入る。

 

「よお、ようやくお目覚めか自衛官」

 

 聞き覚えのある声だった。どこで聞いたのだろう。確か、そう昔ではないはずだ。

 思考を遮るように、達也の頭の下からいくつも重なった獣声がする。そこで、自分の態勢に違和感を覚えた。腰に支えがあり、上半身と下半身は空を切っている。そして、息が苦しかった。

 

「おいおい、自衛官よお......早く起きねえとどうなっても知らないぞ」

 

 はっ、と我に返った達也は、現在、どこかのショッパーズモールの一画にいるのは、すぐに分かった。それよりも、自分の頭の下に広がる景色に驚愕した。

三十人以上の暴徒が、達也の肉を狙って喚き声を撒き散らしながら、必死に両腕を伸ばしてきている。二階にいるんだな、などと悠長に構えている暇なんかない。投げ出された上半身は、腰にある手摺と、胸ぐらを掴んでいる男によって、どうにか落下を防いでたある状態だ。

 頭の処理が追い付かない。顔に宿っていた熱が、とてつもない勢いで冷めていく。

 

「う......うわあああああ!」

 

「ひゃはははは!なんだ、まだまだ元気じゃねえか!なあ、自衛官!」

 

 少しでも暴徒と距離をとろうとした達也は、胸元を掴む男により、更に身体を押し出された。腰から尻に滑り、そこで止まる。両手で、胸元に伸びる腕にしがみつくと男が口角を上げる。

 

「まず、現状の確認からいこうか。安心しろよ、簡単なもんだからよ。お前がこの状況から抜け出すには、俺の質問に正直に、誠実に答えるんだ。ガキにも出来るだろう?」

 

 男は言いながらホルスターから単発式銃を抜き、達也の眉間に銃口を押し付けた。

こっちには、ちゃんと弾丸は入ってる、と男が囁き、達也は抜け落ちたように空だった記憶のピースがハマった。そうだ、この異常者に俺は殺されかけていたのだ。

 

「じゃあ、早速始めようか。まず、第一に自衛官様よお......テメエ、仲間はいんのか?」

 

「それを聞いて……どうするつもりだよ……」

 

「はあ?何、質問を質問で返してる訳?なあ、お前さあ、自分の立場ってもんをちゃんと理解してるか?ああ!?」




達也あああああああああああああ!!ww

指痛い……w


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第7話

 更に強く眉間に銃口を押し付けた男は続ける。

 

「テメエにある権利は、口を動かすことだけだっての!次に舐めた態度とりやがったらどうなるか分かってんだろうな?続けるぞ、仲間はいるのか?」

 

 必然的に頭を押され、暴徒達は歓声の雄叫びをあげた。非現実的な状況は、こうも簡単に命を脅かす。それとも、これは、あの女医を手にかけた罰なのだろうか。あの時、達也が偶然とはいえ、女医が潜んでいた家に行かなければ、あの女医はいきていたかもしれない。だとしたら、人を一人、死においやったことになる。

 こんな危険な人間を、野放しにすれば、もっとあの女医のような最後を遂げる人間が増えるのは、間違いないだろう。その矛先は、今、かけがえない仲間にまで向かおうとしている。

 

「いない......みんな死んだ......」

 

 息も絶え絶えに、達也はそう振り絞った。直後、両足の腿に手摺の感触がした。あと少しで、達也は暴徒の海へと落下していく。全ては、達也の胸元を握る男にかかっている。

 しばらくして、男が口を開いた。

 

「武器の貯蔵はあるか?食い物は?」

 

 達也は首を振った。東の目が一気に細くなる。

 

「なあ、自衛官よお?嘘は自分を滅ぼすぞ?」

 

「嘘だと思うなら、ここで殺せよ......ほら、やるなら今しかねえぞ?」

 

「......もしかして、俺が殺せないとでも思ってんのか?」

 

「いいや、お前は躊躇わずにやれるだろうな」

 

 男は不満そうには舌を鳴らす。さっきまで死んだようだった自衛官の眼光に、気に入らない光が宿り始めていた。

 自分に芯がある人間だ。奴と同じ目をしている。こいつはどれだけ自分が傷付こうとも意にも介さない。男の思考に乱れを来すのは、いつもあの記者だ。

 

「なあ、自衛官......なんのつもりか知らねえが、これ以上、俺を挑発するなよ?俺はテメエみたいな奴が嫌いなんだよ」

 

「奇遇だな......俺もお前が嫌いだよ」

 

 男が奥歯を食い縛り、達也を引き上げた。

 

 へたりこみ、首を抑えて噎せる達也を見下ろしながら、男は髪を掴み顔を近づけた。

 

「よーーく分かったよ自衛官......お前は、ただじゃ殺さねえ......死んだ方がマシだと思わせてやるよ」

 

 鋭くも粘りのある声に向け、達也は唾を吐き付けた。男は頬に付着した唾液を拭うと、唇の端を引き上げる。

 

「良い度胸じゃねえか......」

 

 男は、達也の顔面を鷲掴みにし、そのまま、後頭部を背中の落下防止パネルに打ち付ける。成人男性が蹴りをかまそうと微動だにしない強化プラスチックが粉々に砕け、下にいる暴徒達へ降り注いだ。

 気が遠くなりそうな衝撃に吐き気を覚える。

 

「もう一発いっとくか?あ?」

 

 今日だけで、どれだけ頭部にダメージを受けただろう。脳が限界を迎える警鐘のように、頭の中で音が鳴っていた。

 身体に力が入らない。勢いをつける為に頭を髪ごと引かれる。

 

「安心しろよ、まだ、殺さねえから......打ち所が悪かったら知らねえけどな」

 

「あっ......が......はぁ......」

 

 腕の筋肉が肥大する。達也は眼界の端で、それを捉えた。

 

「そこまでにして下さいよ、東さん」

 

 東と呼ばれた男の手が止まった。揺れる視界に入ってきたのは、全身を白で固めた長身の細い男だ。

 いや、それよりも、東という名前に聞き覚えがある。

 

「なんだよ、安部さんよお......まだ、聞き出しちゃいねえぞ」

 

「聞き出す前に、殺すつもりでしょう?まだ、彼に死なれては困ります」

 

 しばらく、二人は無言だったが、やがて、東が達也を解放した。その場に横たわった達也は、首だけをどうにか動かし、東の顔を観察する。

 ......思い出した。確か、十人以上を殺害した指名手配犯だ。最近、逮捕された筈の凶悪犯が、何故こんな所にいるんだ。決まっている、誰かが拘留中だった東を逃がしたのだ。だとすれば、東の態度からして、この安部と呼ばれた長身の男しか考えられない。

 ぐらつき、鈍った思考力では、ここまでが考察の限度だった。頭蓋骨にまで響く鐘の音が次第に早くなっていく。酔っ払ったように、脳をグルグルと掻き回される。

 

「小金井、こいつはお前に任せる」

 

「......なにしても良いのかな?」

 

「いけません。出来るだけ生かして下さい」

 

「......分かった。努力するよ」

 

 東とは違う声がした。三人の中では、立場は下にあるようだ。

 

「気を付けろよ自衛官よお......こいつは俺以上にヤベエ奴だからよ!」

 

 東の高笑いが木霊する中、達也の意識は深いところに落ちていった。

 




少し時間できたので更新しました
元の頻度に戻るまでは、もうしばらくお待ちください
すいません!!


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第8話

               ※※※ ※※※

 

「悪かったな、浩太」

 

「いや、良い......俺もお前の気持ちを読めなかった。こっちこそ悪かったな真一」

 

 横になった真一に、浩太はそう言葉を返した。二人は、それっきり話題には触れない。また、関係に亀裂が入るのを恐れた訳ではなく、必要がなかったからだ。

 それは、達也へと向かう気持ちが同じだと、互いに了知しているからこそ、詮索する時間が無駄になるという考えからだった。雨が窓を叩く音が強まる。それだけしか聞こえない黙然とした時間、先に唇を動かしたのは真一だった。

 

「なあ、浩太......今、言うことなんじゃねえと思うけど、あえて言わせてほしいことがあるんだけどさ......」

 

 浩太は、頷いて先を促す。少しばかり口先を曇らせつつ、真一は言った。

 

「この事件の発端について、あいつらに話しておくべきじゃないか?」

 

 それは、隊長の新崎に関する事だろう。旅客機の墜落、それから発生した今回の大規模な事件、その原因を作ったであろう人物だ。

 間接的に、様々な人間の仇となる男、なにより、二人の上官であり、関係も根深い。それだけに、言いづらいことであるのは確かだ。真一は、慎重に言葉を選びながら続ける。

 

「さっき、あの彰一って奴に言われたぜ、信用出来ないってよ......あいつらは、この世界を生き抜くのに必要なことがよく分かってるぜ」

 

「必要なこと?」

 

「ああ、他者を信用することだ。そして、嘘や隠し事は、いずれ必ずどこかで露呈する。特にこんな世界ではな。だったら、今から知るのと後から知るでは、どっちがショックが少ないか、考え無くても分かるはずだぜ」

 

「だけど......」

 

 浩太の渋り顔に、真一は被せる。

 

「浩太、この問題は先伸ばしに出来るようなことじゃないぜ?遅れれば遅れるだけ俺達は、信用を失う。お前が話さないなら、俺が話す」

 

 真一は起き上がり、両足を床に置いた。これは、真一なりの配慮なのだろう。浩太は、三人となんらかのいざこざはない。嫌われ役は、一人で充分だ。

 

「俺達が今を生きていく為に選択することは、きっとすげえ沢山ある。その内の一つがこれなんだよ。大量に枝分かれした選択肢の、もっとも正しい選択がこれなんだ。俺はそう思うぜ」

 

 同意を求める口振りだった。浩太は、しばらく、思索に耽る。真一は、そんな様子を静観して、浩太の返答を待ち、数分後、浩太は短く息を吐いて言った。

 

「俺から言うよ。ただ、まだ、確信してないと前置きは入れさせてもらうぞ」

 

「ああ、それは当然だ。じゃあ、もう行くか?俺も同行はするぜ」

 

 浩太は、思い腰をあげるように、勢いをつけて立ち上がった。

 

「早ければ早いかほうが良い。俺達にとって大切なのは、先じゃなく今、だろ?」

 

 真一は、短く笑みを浮かべ浩太の背中を、不安を打ち消すように掌で打った。





真一「なあ、浜岡さん......昨日のあとがきなんだけどさ......」

浜岡「真一君、落ちついて聞いてほしいんだけださあ......なんか、短編あげてたら、あれ、俺、今日もいけんじゃね?って思ったらしいんだよねえ」

真一「引っ越しの準備があるって聞いてるぜ?なんだ、ありゃ、嘘か?」

浜岡「なんだか、ゴーストが囁いたらしいよ。いける、いけるって......」

真一「その結果、嘘ついてることになるぜ?」

浜岡「まあ、そこは目を瞑ってあげなよ。プロットは最後まで作ってあるから、ゴーストが囁いたら妙な使命感に駆られるんだろうさ」

真一「......そりゃただの馬鹿だぜ?」

浜岡「......馬鹿なんだろうねえ」

という訳で、今度こそ!11月頭くらいに感染を再開します!キャラを使っての誤魔化し&嘘ついてすいませんでした!


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第9話

 ホテルの駐車場に停まっていたプレオの窓を彰一が叩き割り、鍵を開けた。使用したバールを一度地面に置いて、運転席のシートに散らばったガラスの破片を掻き出すキーの差し込み口を、同様にバールで破壊する。中から引き摺りだしたのは、車のイグニッションキーシリンダーだ。

 彰一は、ポケットからホテルで手に入れたマイナスドライバーを出し、一部を手際よく外していく。見張りをしていた祐介が、彰一の背中に言った。

 

「それ......誰に習ったんだよ」

 

「親父」

 

 彰一が短い返事をしたっきり、二人は無言になる。彰一がやっているのは、一昔前に車の窃盗に使われた手法だった。最新の車には通用しない。シリンダーを弄る小さな音と雨音が、やけに大きく聞こえた。浩太と真一から伝えられた事実が、楔のように心と身体を固く繋げ、思考だけが宙を漂っていた。

 黙々と作業を続けていた彰一は、マイナスドライバーを剥き出しになったシリンダーへ差し込んで作業を中断し立ち上がる。

 

「まあ、気になるよな。あんな話し聞いたらよ......」

 

 彰一の淡白な声が、祐介には疑問だった。仲間や家族すらも奪った仇が、国や人を守る自衛隊の組織内部にいたという話しに、なんの懐疑も持たないのだろうか。少なくとも、祐介は大きな淀みを自覚している。確定していないからこそ、不安は膨れ上がっていく。

 

「お前は、なんとも思わなかったのかよ」

 

「そりゃ、なにも思わなかったとは言えねえけどよ。俺達には、あの二人が必要なことに違いはない。ここで下手に衝突して、妙な距離を作っちまえば、それこそ終わりだ。違うか?」

必要なことに違いはない。ここで下手に衝突して、妙な距離を作っちまえば

、それこそ終わりだ。違うか?」

 

 そうだけどよ、と祐介が言葉を濁す。彰一は指を鳴らして、マイナスドライバーをシリンダーから抜いた。

 駐車場の入り口から、雨に濡れた異常者が、こちらに向かっていたからだ。素早く人数を確認し、一人しかいないことを確かめると、軽く助走をつけ、蹴り倒し、額にドライバーの尖端を突き立てた。

 

「あの二人は、正直凄えと思う。ぶっちゃけ言わなきゃ良いだけの話だ。俺達が気付くかどうかなんて分かんねえんだからよ。けど、二人は俺達に教えてくれた。信頼関係を築くなんて、それだけで充分なんじゃねえの?」

 

 浩太と真一は、話しが終わると同時に、俺達にも責任の一端はあると、四人に土下座をしていた。それほど、真摯に四人と向き合ってくれていたのだろう。代わりに生まれるかもしれない猜疑心に駆られた四人に、二人は傷つけられることすら覚悟していたのかもしれない。そんなマイナス面すら度外視してまで、二人は語ってくれていたのだろうか。

 

「彰一ってさ......なんか、凄いよな」

 

「はあ?意味分かんねえよ。いきなり、気持ち悪いなお前......」

 

 シリンダーにマイナスドライバーを差し込み、作業を再開する。照れているのか、さきほどよりも、背中が小さく映った。

 

「いや、俺と同じ年齢なのに、なんか物事に対する見方が落ち着いてるなって......不良のくせに」

 

「そりゃ、皮肉のつもりか?」

 

 彰一は、口に含むように笑った。慌てて祐介は首を振る。

 

「違うって!俺は、さっきの話しで表面しか見えてなかったからさ」

 

「祐介、本当に凄い奴ってのは、俺なんかじゃねえよ」




よーーし、きっともう呆れられてる。我慢できなかったんです……


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第10話

 呟きに祐介が首を傾げるが、なんでもない、と彰一に誤魔化され、決まりが悪そうに眉を寄せた祐介の背中を明るい声が叩く。

 

「二人とも!真一さんの部屋に集合!」

 

 ホテルの入り口へ振り返った祐介は、沈んでいる気配もない阿里沙を見た。阿里沙はどう思ってるのだろうか。祐介は、確認しようと一歩を踏み出すが、彰一がそれを阻むように、大きく返事をする。

 

「ああ!分かった!すぐに行く!」

 

 阿里沙は、ホテルの中に戻り、祐介は意に染まないような顔で汚れた手を拭いていた彰一に訊ねる。

 

「あいつが、どう思ってるのか聞かなくて良いのか?」

 

「加奈子が後ろにいる時に、聞くような話しでもないだろ」

 

「......それもそうだな」

 

 彰一は、配線が繋がったままのシリンダーを運転席に投げ扉を閉めた。マイナスドライバーを祐介に放り、駐車場の出入り口から差し込む光を眺め、ぽつりと言った。

 

「祐介、見ろよ。雨が......あがったみたいだ」

 

                  ※※※ ※※※

 

 まず、最初に気付いたのは、冷たい何かが顔に当たる感触、次に頭に何かに巻かれているということだった。背中は柔らかなものに沈んでおり、霞んだ視界には、細長い蛍光灯が映った。達也は、額を確かめるように手を上げた。

 ......冷たい。

 グジュッ、とした感触と掌についた水滴、氷が入れられた袋だと分かる。直接、冷やさないように巻かれているのは包帯だった。腫れた瞼を開けば、額の皮膚が縮み、鋭い痛みが走り出す。

 

「まだ、動かない方が良い」

 

 達也の意識は、完全に覚醒した。がばっ、と起き上がり、ベッドの縁に腰かけていた男を視認すると、目を剥いてベッドから転がり落ちた。

 

「そんなに驚くなよ。治療してやってるだろ?なにもしない」

 

 警戒心を剥き出す達也に、男は落ち着けと両手を突きだした。達也の記憶が正しければ、意識を失う直前に、東から呼ばれていた男だ。

 

「小金井だ。よろしく」

 

 まるで、包み隠したような笑顔で小金井は右手を差し出した。当然、達也が握り返すはずもない。鋭く小金井を睨みつつ、達也は口を開いた。

 

「......なんのつもりだ?」

 

 小金井は諦めたように、首を振って右手を下げ、ベッドの下からクーラーボックスを引きずり出し、中から缶コーヒーを二本取り、一つを達也へ放った。不審を募らせる達也は、そう簡単には缶に手を伸ばさず、最初に小金井が口をつけたのを確認してから、一気に飲み干した。

 よく見る安物のコーヒーだが、五臓六腑に染み渡り、達也は息を大きく吐き出す。




……嘘つきと呼ばれる覚悟は出来ている
いや、もう、本当すいません……片付けがキリのいいところまでいって時間ができたんです……


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第11話

「喉も乾くだろうね。昨日からなにも口にしてなかったんだろ?」

 

「......何が目的だ?言っとくが、仲間ならいないし、武器もないぞ」

 

 小金井は苦笑混じりに鼻の頭を掻いた。うーーん、と唸りつつ、コーヒーを飲み干してから、空き缶をベッドに捨てる。

 

「......この事件は、一体、どこまで広がっていると思う?」

 

 突飛な質問の意図が読めず、達也は眉を寄せた。構わずに小金井は続ける。

 

「奴等が人を襲い出し、中間市に住む人間は、ほとんどが、このモールに集結した。協力してバリケードを作って......例え、世界に人間がいなくなろうとも、協力して生きていこうと誓った」

 

 なんだ、話しが良く分からない。こいつは何が言いたいんだ。ただ、唯一、達也が感じとれたのは、小金井の口調は、確かな怒気を纏っているということだ。達也は、黙って小金井の言葉を聞いてみることにした。

 

「そう一丸になった直後、あいつらが現れ、一号館にいた仲間は殺された。今、モールの外を徘徊しているのは、かつての仲間だ。あいつらさえ現れなければ......」

 

「......あいつら?」

 

「お前を拐ってきた二人組だ!」

 

「ち......ちょっと待て!お前は奴等の仲間じゃねえのか?」

 

 感情の昂りから、大声を発した小金井に向け、達也は右手の掌を見せた。理解が追い付かなかった。

 達也が気を失う前に、東は小金井に身柄を預けた。それは、東からある一定の信頼を寄せられている証ではないだろうか。つまり、達也の認識では、安部、東、小金井の三人は、仲間同士であり、力関係もはっきりしていた。そんな達也の戸惑いも無視し、小金井は、抑揚のない声で言う。

 

「ああ、みんなを助けるには、仕方がなかった......異常者のように振る舞うしか、近付くことが出来なかったんだよ......そうしなければ、あの二人は何をしてくるか分からない......」

 

「......そういうことか」

 

 小金井は、小さく頷いた。それだけで達也は、理解する。それがどれだけ辛いことか。それがどれだけ悔しいことか。自己犠牲に心酔するタイプでもないのは、仲間から不信感を向けられようとも、仲間を守るために、二人に近づいたことからも分かる。

勇敢な男だ。それだけに、不憫に思える。しかし、これは演技かもしれない。狐疑が拭えないのは、環境のせいだろうか。それとも、自分は昔から疑い深かったか。信じてやりたいが信じれない小胆さに嫌気がさし、達也は天井を見上げた。

 小金井は、いずれ死ぬであろう達也を信用して提案しようとしている。それがなんなのか、皆目見当もつかないが、ただ言えるのは、達也にはもう後がないということだ。どのみち、殺されるのは時間の問題だ。ならば、最後の時までは誰かを信じて死にたい。

 信じたあげく、あの女医のような殺意の塊を向けられようとも、小金井のように、仲間を守る人間らしく、最後の瞬間まで、人間として有終の美を飾ってやろう、そんな気持ちを気力で持った。顎を下ろし、達也は小金井と目線を合わせて言った。

 

「前置きはもうやめよう。で、お前は俺に何をさせたいんだ?」

 

 小金井は、鋭く光る達也の眼光から逃げずに返した。

 

「そうだね。じゃあ、率直に言うことにする。一度しか言わないからよく聞いてくれ」

 

 小金井は、辺りを見回し、誰もいないことを探りつつ、達也の耳元で蚊の鳴くような頼りない声で言った。

 

「安部と東を出し抜く為に、君の力をかしてくれ」




次回より第12部「探索」にはいります
やっとキリのいいところにきたので、11月くらいまで多分消えます

……多分w


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第12部 代償

 浅草警察署所属の刑事、斎藤率いる警察官六名が九重の自宅アパートに到着し、現場を一見した瞬間、その奇妙な光景に絶句した。

 遺体となった女性の目付きは、とても死んでいるとは思えないほど見開かれ、静かに自身の存在をアピールしているようだった。そして、その先にいる記者、浜岡の部下、田辺を斎藤は知っていた。何度か、会見や取材に立ち会ったことがある。

 まさか、彼が犯人か、と疑うが、田辺の両手が綺麗なことから、自殺の可能性も視野に入れ、九重の遺体を調べるよう部下に指示を出し、斎藤は田辺へ声を掛け任意で連行した。パトカーの中で、田辺は斎藤の質問に詰まることなく応えていき、取り調べも滞りなく終了し、九重は自殺であることが分かり、身柄の引き受け人を待ち、やがて、浅草警察署に訪れたのは、やはり斎藤の知った顔だった。

 

「浜岡、久しぶりだな」

 

「久しぶり......とも言える間柄ですかねえ?」

 

「お前が支局長になってから、仕事で会うのは久しぶりだろう?」

 

 浜岡は、ああ、と頷くと恥ずかしそうに頭を掻いた。それが、取り調べ中の田辺と重なり斎藤は薄く笑んだ。

 田辺も困ったような表情の時は、頭を掻いていた。それは、浜岡から移った癖だろうか。斎藤が、一階フロア内にある交通課奥の簡易取調室に案内する間に、浜岡は口を開いた。

 

「田辺君の拘留は?」

 

 斎藤は首を振った。

 

「司法解剖の結果が出たら、開放してやる。それまでは、ここにいてもらうことになるな」

 

「......そうですか。それは良かった」

 

 浜岡の言い回しに、若干の違和感を覚えた斎藤が振り返ろうとしたが、浜岡のことだ。単純に可愛がっている部下を心配してのことだろう。相変わらず、甘い所は直っていないようだ。

 取調室前で立哨していた若い警官による所持品検査が終了した後に敬礼を交わし、扉を開ければ、狭い室内の中央に座っていた田辺が立ち上がった。

 

「田辺君、大変だったようだね」

 

「......面倒をおかけしました」

 

 深々と頭を垂れた田辺の右肩に手を置いた浜岡は、背後に立つ斎藤へ振り返るが、静かに首を振られた。室内には、斎藤を合わせて三人の警官がいる。まだ、容疑者であることに変わりはないのだから、そう易々と二人だけにはしてくれないようだ。

 

「浜岡さん......仕事の話があるのですが......」

 

 不意に田辺が言った。今は、田辺に個人的に動く許可を出している期間だ。これは、つまり浜岡に何かを頼みたいという田辺からのメッセージなのだろう。浜岡は、目線だけで斎藤以外の二人を見てから返す。

 

「......引き継ぎかい?良いよ、なんだい?」

 

「......浜岡、待て」

 

 浜岡がポケットから出したノートを渡す直前に、斎藤が声を掛け、警官の一人に目配せを送り、再度、浜岡の所持品検査が始まる。入室前と同様の流れに、浜岡は倦怠感を隠そうともせずに、両手を挙げた。




私は帰ってきたw
これからも頑張ります!!w


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第2話

 どうにも、こう何度も検査をされると、あまり良い気はしない。一通り終了した後に、ようやく田辺はノートを受け取った。恐らく、文章にも目は通されることだろう。

浜岡は、余計な口出しはせずに、田辺がノートにペンを走らせる姿を眺めつつ、斎藤を盗み見た。プライベートでも付き合いがある分、斎藤の鋭敏な観察力は、よく知っていた。国による報道規制を無視して、田辺が集めた九州地方感染事件の情報を国家機関内で受け取ろうというのだから、注意は怠れない。どうやって、田辺は浜岡に伝えるつもりなのだろうか。

 田辺が一枚の用紙に書き終え、二枚目にページを捲った所で、斎藤が再び田辺の傍らに立つ警官に目配せを送った。

 

「田辺さん、内容を拝見させてもらっても?」

 

「......ええ、構いませんよ」

 

 田辺が手渡した用紙を眉に唾を塗るように一読した警官の手から、浜岡へ渡される。視線を下げた浜岡は、その内容に、さっ、と目を通す。

 

取材対象者

 

礒部彩弥乃

大毅直太

高宮直也

加藤綾子

加護よしこ

東高成

村木はすえ

青山初枝

芳我玲香

 

板橋区○○町5ー5

江戸川区○○町4ー1

荒川区○○4ー1

清瀬市○○2ー1

渋谷区○○2ー5

青梅市○○町6ー2

杉並区○○2ー2

大田区○○4ー3

江東区○○9ー4

 

 やがて、浜岡は、ふう、と一息吐いてから目線をあげる。

 

「田辺君、前々から言っていると思うが、こういうのは50音に並べてくれると有り難いんだよねぇ」

 

「ああ、すみません......忘れていました」

 

 田辺は察した。どうやら、浜岡はメッセージに気付いたようだ。続けざまに、田辺は別紙に書いておいて番号を渡して言った。

 

「一名だけ連絡を先にいれて下さい。芳我玲香という女性です。これが番号です」

 

「了解。この人だけで間違いないんだね?」

 

 田辺の首肯を確認し、浜岡は踵を返す。斎藤が身体をずらして道をあけると、一礼してから隣を通り抜けた。

 扉の前で、思い出したように浜岡が振り返る。

 

「ああ、田辺君は、もう少しここに居てくれないかな。司法解剖の結果が出たら解放してくれるそうだからさ。くれぐれも無茶をして警察の方々に迷惑をかけないように」

 

 同意を求めるように、浜岡は斎藤を一瞥した。

 

「......結果は二、三時間で分かる。それまでの辛抱だ」

 

 田辺は落ち着いた様子で、パイプ椅子に座りなおした。

 

「ええ、ちゃんと分かっています。浜岡さん、あとはお願いします」

 

 手にした用紙を振りながら、取り調べ室を後にした浜岡は、車に戻ると、田辺から受け取った連絡先を膝に広げて文章を解読していく。そして、浮かび上がった文字を見て、莞爾とは程遠い笑みを浮かべる。

 

「こんな分かりやすいものを......まあ、彼も急いでいたのだろうねえ......」

 

 浜岡は、携帯電話を取り出し、渡された二枚目の用紙に書かれた番号を打ち込み、数度続いたコールが消えると、受話器越しに口を開いた。

 

「もしもし、私、田辺の上司で浜岡と申すものですが、今、お時間を頂いてよろしいでしょうか?」



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第3話

               ※※※ ※※※

 

 ホテルの窓から侵入する陽気が、浩太の背中を照らす。厚い雨雲が切れ、差し込んでくる日差しは、まるで狭いホテルの一室に集まった六人の尻を叩いてきているようだった。穏やかな照り付けとは対照的に、ピアノ線のような緊張が空気を震わせる。小さなテーブルには、ホテル中から集められた刃物や工具が乱雑に置かれている。

 ベッドから腰をあげた浩太は、その中にあった中華包丁を握り、重さを確かめてから、椅子に座っている祐介に手渡す。おそるおそる握った祐介は、ずしり、とした重量にひどく違和感を覚えて顔をあげた。

 

「......岡島さん、これ、俺には重いよ」

 

「野球で手首は鍛えてんだろ?それは、お前が一番あってるよ」

 

 不承不承そうに祐介は唇を尖らせたが、浩太は祐介の肩を二度叩き、備え付けの机に座る彰一へ首を回す。渡された出刃包丁を一瞥すると、不満気に祐介の中華包丁を指差す。

 

「俺は、あっちのが性に合ってる」

 

 浩太が困り顔で返す。

 

「そう言うなよ。お前が仲間を気に掛けてるのはよく分かるけど、これはお前みたいに身軽そうな奴のほうが振り回せるだろ」

 

 彰一は決まりが悪そうに、そっぽを向く。ベッドからその様子を眺めていた真一は、二人だけで交わした会話の内容が頭を過り頬が柔らかく動いたが、すぐに表情から消えていった。

 阿里沙と加奈子には、武器が渡されず、阿里沙があげた非難の声を、浩太は巧笑で返し、誤魔化すように手を打ち合わせ、目元の陰影を濃ゆくさせ、少年少女は見回してからゆっくりと、一言一言を噛み締めさせるように言った。

 

「作戦を話す前に、言っておきたい事がある」

 

 四人の視線が集まり、浩太は真一へ頷いてから続けた。

 

「これは、俺達二人の仲間を助けたいっていう我儘みたいなもんだ。外の危険はここにいる全員が身を以て知っていると思う。だから......」

 

「それ以上、変なこと言うと怒るからな」

 

 浩太の言葉を遮ったのは、彰一だった。僅かな狼狽を混じえながら、浩太は口をつむぎ、祐介が彰一に同意を表すように立ち上がった。

 

「確かに、外の危険は充分に知ってるけど、そんな中でも浩太さん達は俺達を救ってくれた。俺達が動く理由なんて、助けてくれたこと、それだけで良い」

 

「そうだよ。本当なら私達は警察署で死んでたかもしれないんだし......何て言うか......今更、水臭いですよ」

 

 阿里沙が言い切ってから、祐介が差し出した右手を浩太が見下ろす。躊躇ってしまう。隊長の一件を忘れているのではないだろうか、と勘ぐってしまうほどに、まっすぐな掌だった。真一が浩太の後ろで深く息を吐いた。

 

「本当に良いのか?俺達の身内には、この事件に関わってる奴がいるかもしれないんだぜ?」

 

 真一は、我ながら非常に不躾な質問を投げ掛けたものだなと胸中で呟く。挑発に近い口振りだった。祐介を始め、加奈子を含めた四人に動揺の色が見えたが、それはすぐに引っ込んだ。




ヤバイ……寒いw


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第4話

「遺恨がないとは言えないけど......でも、それは二人にじゃない。二人が話してくれた隊長になんだ。まあ、俺はそんなふうには考えられなかったけどさ......彰一が教えてくれたんだ」

 

 浩太と真一が同時に彰一へ首を回し、当の本人は気恥ずかしそうにそっぽを向き、その様子に真一が、随分とぎりが悪そうだと笑う。

 浩太が阿里沙に目線だけで語りかけると、一呼吸分、間をおいて言った。

 

「あたしも同じ気持ちだよ。なにより、助けてくれた人を恨むなんて事はしない。あの時は、いろいろあって言えなかったけど......助けてくれてありがとう」

 

 阿里沙の感謝に続き、加奈子の丸い頭を垂れた。言葉は発っせなくても、ありがとう、という気持ちを伝える方法はいくらでもある。二人には、確かに伝わった。目頭が熱を持ち始めるのを感じ、真一が四人に背中を見せると、途端に笑い声が室内を包んだ。事件が発生してから、初めての明るい雰囲気だ。部屋の中央に置かれた刃物が無粋なものに思える。

 だが、響いてしまった笑い声は、別の者まで引き付けてしまう。長居は出来ない。表情を引き締めた浩太が一同を見回し、全員が頷く。

 

「じゃあ、今後の動きを説明する。意見があれば、すぐに手を挙げてくれ」

 

              ※※※ ※※※

 

「......東さん、何故、小金井さんに自衛官を任せたのですか?」

 

 中間市内にあるショッパーズモール二階エントランスから、使徒の動きを監察していた安部が、隣に座り煙草を吹かす男に問いかけた。東は、ガラス張りの壁に背中を預けたまま、盛大に煙を吐き出す。立ち上る紫煙に安部は顔をしかめる。

 

「東さんは、彼を信用してはいないと思っていたのですが」

 

「......信用なんざしてねえよ。ただ、良いもんが手に入ったからな」

 

 火が点いたままの煙草を、握り潰した東を見下ろす形の安部が疑問を投げる。

 

「しかし、自衛官が持っている情報を聞き出すには、やはり、東さんが直接......」

 

「あいつは話さねえよ。多分、歯を全部、引き抜かれようともな」

 

 指で弾いた吸殻は、綺麗な弧を描きながら、無機質な通路に音もなく落ちた。日常からかけ離れた世界では、そんな他愛ない一連すら瞼に焼き付く

 外を徘徊していた一人の使徒が二人に気付いたのか、垂れ下がった蜘蛛の糸でも掴むように両手を挙げた。

 

「世界に鉄槌を落とす為だけに現れた奴等のように、ただ突き進むだけの猪野郎なら、話は別だがな......ああいう奴に時間を割くのは無駄なことだ」

 

 安部は頭を傾げる。答えになっていないからだ。東の明らかな苛立ちが目立ち始めたのは、自衛官とのやりとりからだ。あの時、東が何を言われたのか知らないが、この男をここまで乱すということがどれだけ難しいかを、安部は短い付き合いながら理解している。

 東は、普段の振舞いからは想像出来ないほどに、相手の思考や行動を先読みし、冷静を保ち、突発的に何かが起ころうとも、監察して隙を見抜く。

 小倉で出会ったトラックもそうだ。使徒の群れに出会したトラックが、新砂津橋を通ることを直ぐ様に予測し、進路を変更した。結果、苦渋を舐めさせられたものの、安部一人だったら、あのトラックには追い付かなかっただろう。自衛官から銃を突きつけられた時も、東が狂ったような素振りを見せたのは、最後だけだった。

 数多の経験からくる監察眼と、躊躇いなど微塵も匂わせない冷徹さ、そして、冷静さ。これらが東の強力な武器だ。その内の一つを奪われている。

 それは、安部にとっても都合が悪い。




気温下がりすぎだろ……


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第5話

 東がいなければ、モール内にいる住民をまとめる自信がなかった。東がいるからこそ、目立った変化はなく、逆に安部がいるから、東にさした影響も出ていない。一ピースだけでも外れれば、精巧なジグソーパズルを傾けるように容易くバランスが崩れてしまう。

 安部は、目的の為にも、居城を守義務がある。

 

「東さんは、あの自衛官を良く理解しているようですね」

 

 東が、安部を射殺ような眼で見上げる。限界まで吊り上げられた目尻は、ピクピクと短い痙攣を繰り返していた。

 安部は、東について一点だけ気付いたことがあった。この殺人鬼は、他者からの理解というものに異常に執着している。だが、安部を理解すると口にしていながら、自ら目の前にいる他者を理解しようとはしていないように思える。 

 東の人間的欠落は、そこにあるのではないかと安部は考えた。

 友達や恋人を作るには、まずは他者に興味を示すことから始まり、やがては互いに理解しあってから関係が築かれる。それは、学校や社会、周囲のコミュニケーション、親からの愛情、様々な形をとりながら、学んでいくものだ。しかし、逆を言えば、そのどれかが欠ければ、それは歪んだままになってしまう。思考と行動の行き違い、理解と興味の隔離、理解の押し付け、それらに曖昧な境界線が引かれているのだろう。

早い話し、人の心に触れるなら、心臓を鷲掴みにでもしてやれば良いと思っている。

育ちの差なのか、環境のせいだったのか。

 他者に自らを理解させたい。そこに、肝心の他者が入る余地がなかった。自分の思い通りにならず、駄々をこねる子供と同じだ。

 テレビで最初に小倉北警察署に連行されてきた東を画面越しに見た時、東は厚手の袋を被らされていた。それと、皮肉なピースサインが印象に残っている。あれも、他者に東という人間を見せつける為の無意識なアピールだったのではないだろうか。

どこにでもあるコミュニケーションの問題の究極が東という男だ。

 だからこそ、安部は、他者を見ようとしない東の神経を逆撫でするようなことを言ったのだ。

 

「......あ?今、なんつった?」

 

 東は、ゆっくりと安部の正面に移動し眉を狭めた。小さい体躯に似つかわない眼光に、安部は気圧されるも、しっかりと東と目を合わせて息を吸い込んだ。

 

「東さん、あなたの隣にいるのは、誰ですか?」

 

「……何言ってんだよ、あんた」

 

 顔一杯に疑問符を貼り付けた東は、大儀そうに首を振る。安部が言っている意味を計りかねているようだ。



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第6話

「良いから答えて下さい。東さん、あなたの隣にいるのは誰ですか?」

 

 安部の執拗な追求に、東は諦念するも面倒そうな面は変わらない。俺の隣にいる人物、それは......一人しかいないじゃねえか。

 

「安部さん、あんただ」

 

 東の返答は、一切の陰りも曇りもない晴れやかなものだった。疑念も、猜疑も、懐疑も、疑心も何もかもが排除された、子供が発する一声、そんな無邪気さがある。

 純粋な殺人鬼として活動していたからこそ、東はコミュニケーションをそこで行っていたのだろう。つまり、殺人こそが東にとってのコミュニケーションであり、交流だったのだ。相手のことが分からないからこそ、俺はこういう人間だと理解させるために恐怖させ、監察し、思考を読み、相手の裏をかける。はっきり言えば、裏の世界でしか輝けない人間だ。表に立てば、当てられた光に影を奪われる。

東京で東を追っていた男というのは、一般社会に紛れることもなく、加えて東とは何もかもが真逆で、堂々と表通りを歩けるような人間なのだろう。

 悪知恵だけで生きてきたような男だからこそ、その東京にいる真逆の男に対して、逃げ一手に徹したのではないだろうか。

 理解の押し売りをする我が儘で餓鬼な殺人鬼。これが東の正体だ。

 ならば、東の方針を決める保護者になれば良い。それが、もう一度、東の強さを取り戻す方法だと安部は確信していた。

 

「あなたの隣にいるのは、この私です。それが分かっているのなら、あなたが気にすることは何もありませんよ」

 

「......どういう意味だ?」

 

 安部は、文字通りに東の隣に立ち言葉を続けた。

 

「私があなたを光から守ってみせます。あなたは、あらゆる負の面から私を守って下さい。良いですか?よく聞きなさい、私には、あなたが必要なんですよ」

 

 安部は、まるで子供に語り掛けるように、柔らかな笑顔と声を東に振り撒いた。たったそれだけだ。それだけのことで、東の中で渦巻いていた曲悪なものが抜けていき、いつもの調子に戻り、余裕のある笑い声をあげた。

 

「ひゃっははは!俺を安部さんが守ってくれるって?最高じゃねえか!俺を守れるのかよアンタによ!」

 

「私とあなたは対等の立場でなければならない。あなたは私の友人ですから」

 

 東は、安部の言葉で自分でも分かっていなかった心の空白を塗り潰される感覚を確かに覚えた。せりあがる嗚咽を堪えられない。安部は、それだけ東の内面に触れることが出来たのだろう。それがどれだけ危うい状態だとしてもだ。今、この瞬間に生まれた絆は、とても危険な関係になるだろうと阿部は理解している。傷が入れば、どこまでも堕ちていく。




小保方さん……いつまでいろいろしてくれるんでしょうかねえ……w


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第7話

 その一線の見極めは、今後の課題となるだろう。そこを見誤ることはできないが、安部は、二人に気付いた使徒を皮切りに、芋づる式のようにこちらの肉を求め続ける集団を見下ろしながら、静かにほくそ笑んだ。

 東が調子を取り戻した今となっては、このモールは難攻不落の要塞と化す。下にいる使徒の数は数百以上、近寄ることもままならない。内部には自身の身を守る男に加え数多の兵隊もいる。よほどのこともない限り、この牙城を崩すことは困難だろう。

 だが、それは、内部に癌が潜んでいないことが前提となる。それこそ、裏切りにでも合わなければの話だ。

 毫末の不安要素も排する必要もある。ならばと、真っ先に安部が気になったのは、小金井に対する東の明らかな不信だ。まずは、そこを解決するべきだろう。僅かでも、東の溜飲が下がるのなら、そちらのケアにも手を抜けない。安部は、東を横目で見てから言った。

 

「東さん、小金井さんへの不信の理由......車で話してくれたこと以外に、なにかあるのなら教えて下さい」

 

               ※※※ ※※※

 

 部屋に集合してから一時間が経過し、六人はようやく作戦が纏まった。まずは、八幡西警察署へ武器の調達へ行く為に二組に別れる。

 トラックには、警察署の内部に詳しい祐介が真一を先導し、陽動のプレオには、黒崎の街に詳しい彰一を始め、残りの三人が乗り込むことで意見が落ち着いた。自衛官二人が別れたのは、何かあった時に、対処に馴れた人間がいた方が良いからだ。更に、緊急時に暴徒と異常者では、対応が遅れる可能性があるので、呼び方を「死者」に統一し万全を期っした。

 鳩首が終わり、各々が配られた武器を片手に簡単な食料をホテルで集めた鞄に詰め込んでいき、六人はホテルの一階ロビーに集まり、割り振られた班で固まる。

祐介と彰一が自動扉を開け、浩太と真一が駐車場へ躍り出る。予想してはいたが、やはり、死者が数人、駐車場に入り込んでいた。

暗い中では分が悪く、二人はホテルの自動扉に一度後退する。扉は並んで通るのは二人が限界だ。

 泥酔状態のような危なげな足取りで、死者の一人が浩太へ両腕を伸ばす。単独ならば、それほど脅威にはならない。首を締める要領で死者の動きを止めると、こめかみへ一突き。動かなくなった死者をそのまま押し倒して後続を巻き込ませると、下敷きになった男の額に刃を突き立てた。頭の上から降ってきた猛りの慟哭は、浩太の背後でサポートに回る真一により掻き消される。




指がかじかみはじめている……


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第8話

 凄まじい光景だ。時には殴り、時には、蹴り倒す。

 自衛官二人のチームワークになす統べなく倒されていく死者の人数が瞬く間に増えていく。その数が二十を越える寸前で、二人の動きが止まった。血に染まり、刃先の折れた包丁を投げ捨てた浩太が、べったりと付いた返り血をシャツで拭う。

 

「一斉に来なかっただけ楽だったな」

 

 事も無げに言ってのける。祐介は、一体どれだけの修羅場を潜ってきたのかと、素直に感嘆の吐息をついた。頼もしい仲間が出来たものだ。

 

「おい、そんなことしてる暇はないぞ。さっさと、車まで行こうぜ!彰一、車はいつでも発進できるんだよな?」

 

「ああ、こいつがあればすぐだ」

 

 彰一は握っていたマイナスドライバーを掌で軽く回転させた。

 

「......マイナスドライバーでどうやって車を動かすのよ」

 

「知らねえのか?古い車ってのは、ドアやガラスさえ割れれば、マイナスドライバー一本で動かせる」

 

 阿里沙は呆れなのか感心なのか、どちらつかずな目付きで祐介を見るが、その祐介もポケットからマイナスドライバーを覗かせていた。

 

「......この馬鹿二人みたいには、なっちゃ駄目だよ?加奈子ちゃん」

 

 小首を傾げた加奈子は、恐らく分かってはいないのだろうが、阿里沙の表情から察したのか、こくり、と頷いた。

 

「よし、じゃあ、行こうぜ浩太」

 

 周囲の哨戒を解いた浩太が振り返ると、五人に緊張が走る。すう、と息を吸って浩太が前を向いた。

 

「行くぞ!」

 

 六人が一斉に駆け出す。光が入る駐車場出入り口からは、新たな死者が雪崩れ込んできている。数十メートルは離れているが、判断を誤ればすくさま取り囲まれる距離でもある。プレオの後部座席に阿里沙と加奈子が乗り込んだのを確認し、浩太と彰一も座席に座ったが、そこで阿里沙は声をあげることになった。自分の見間違いじゃないのか。いや、この狭い車内で何を間違える。

 確かに、運転席に座っているのは彰一だ。

 

「いや!いやいやいや!なんでよ!?」

 

 阿里沙の攪拌されたように震える声が聞こえたが、彰一は淡々とドライバーを剥き出しになったシリンダーへ差し込んで回した。

 弱々しく鳴り響いていたエンジンがかかり、真剣にギアチェンジを行う彰一に助手席の浩太が、まるで教官のように「D」の位置を指で示した。

 

「ちょっと待って!なんで!?なんでそんなに真剣な顔してるの!運転するのは、岡島さんでしょ!?」

 

「うっせえよ!オートマ位は誰でも運転出来っつうの!」

 

「だからってこんな時に!」

 

 カッ、と強い明りが灯り、そこでトラックが動き始め、割れたドアガラスから祐介が叫んだ。

 

「先に出るぞ!」

 

 唸りをあげてトラックはスピードをあげた。プレオの方も準備が終わり、彰一が右足をアクセルに置く。

 死者の一人が運転席側の割れたドアガラスから腕を突き入れるも、彰一は冷静にアクセルを踏みつけた。

 

「掴まってろよ!」

 

 グン、と重力を増した車内で、阿里沙はこの小さな車体に乗ることになった不運を呪った。

 どうか、無事に作戦が終わりますように......



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第9話

 無骨な迷彩色の装甲を揺らしながら回転するキャタピラが、無遠慮に路上に伏せていた死者の身体を踏み砕いた。

 外部の凄惨な風景が伝わる音もなく、車内には静謐が満たされている。74式戦車内には、三人の男が搭乗していた。その内の一人、操縦士、坂下大地の後頭部には、89式小銃の銃口が突きつけられていた。

 独特なキャタピラの音と、非現実な光景は、まるでいつか見た映画のワンシーンの再現のようだ。まさか、自分が銃口の冷たさを味わう日がくることになろうとは、大地も思っていなかったことだろう。

 大地は小倉基地の窮地を砲撃で救い、その後、戦車という利点を活かして、危険に遭遇することもなく小倉を脱出抜け出せたが、その矢先、一台の自衛隊仕様のトラックを見つけたまでが、運の尽きだった。トラックに乗っていた二人組みは共に自衛官だ。大地に銃口を押し付けつけている一人は、体格の良い強面の男で名前を石神という。大地の二年先輩で上官にあたる人物だが、借金を作り、挙げ句の果てには暴力行為に走るなど、基地内での評判は悪かった。その奥で、両足を投げ出した態勢で砲手席に座っている男は、基地内での人望はそれなりに高かった新崎だ。

 当所、合流した大地は、心強い味方を得たと喜んだが、二人が合流した直後、戦車のハッチを空けるなり、大地と共に基地から逃げ出した車長と砲手を射殺した。硝煙がたちこもる車内に身を翻すと、石神は、小銃を大地に突き出したが、新崎はそれを咎めた。

 操縦士は必要という理由からだろう。

 二人の死体を動物に餌でも与えるような気軽さで処理していくのを、見ていることしか出来なかった大地は、単純に、ここでも運が良かったのだと思い込みでもしなければ、射殺された二人に申し訳ないという気持ちで心が潰されそうだった。

 勾配を物ともせずに進む74式戦車から見えた古賀インターを抜けた矢先、新崎は突然、身体を起こすとポケットから携帯電話を取り出す。着信がきたのだろうか。通常の携帯には備えられていない衛星通信を付けた携帯を耳に当てると、電話先の人物に言った。

 

「新崎だ。予定は滞りなく......なんだと?どういう意味だ?」

 

 電話相手の声は聞こえないが、新崎の声には酷い動揺が見え隠れしている。何かあったのは間違いない。

 石神も、視線だけで振り返り、様子を窺っているようだ。やがて、新崎の怒声が車内に響き渡った。

 

「ふざけるな!こちらは、貴様らの要求通りに事を進ませている!今更、そんなことを容認できるか!」

 

 ピクリ、と後頭部に当たる銃口が揺れ、大地もまた喉を鳴らす。とてつもない緊張の中、新崎は荒々しく携帯を握り締め、叩きつけようとしたが思いとどまり、舌打ちを挟んで砲手席を蹴りあげた。




……短編の更新忘れてた……
いや、コピーして貼り付けるだけなんだけど、思いのほか面倒なんだよねえw

UA数20000突破ありがとうございます!!
身体からゾンビのように変な汁が出そうなくらい嬉しいです!!
これからもよろしくお願いします!!


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第10話

「......どうしました?」

 

 石神は銃口を大地から離さずに訊いた。怒りからだろうか、肩で息を繰り返す新崎は、一度だけ深い息を吐き出し、悪態をついた。

 

「......戻るぞ」

 

「はい?」

 

 我が耳を疑った石神の頓狂を、苛立たしそうに睨み付けた新崎は、二度も言わせるな、と低く呟いて砲手席に腰を落とした。石神は、この一件に協力すれば、多額の報酬と命の保証までされているのだ。予定ではこのまま福岡空港まで行き、新崎への依頼主が所有するヘリコプターで高跳びするはずだった。それを、古賀まで来て、皿倉山近辺に戻るというのだから、納得出来るはずもなく、石神は食って掛かる。

 

「ふざけるな!ようやく、ここまで来て帰るだと!一体、どういうつもりだ!」

 

「ふざけているのはお前だ。お前に報酬を払うのは誰だ?お前の命を保証しているのは誰だ?全て俺だろうが!お前はただ犬のように俺の言うことに従っていれば良い!」

 

 新崎の言い草に、頭の中で何かが切れた石神は、89式小銃の銃口を大地の頭に強く押し付ける。

 

「坂下......このまま進むんだ。頭を吹き飛ばされたくはないだろ」

 

「だ......だけど......」

 

 大地は息を呑んで細い声を出した。反論は意味を成さないとばかりに、大地の耳はトリガーを僅かに引く軋みを拾う。

 突如、鋭い刃物が石神の喉仏に添えられた。あまりの早業は、唾で喉を鳴らす暇もなかったほどだ。ナイフの持ち主である新崎が、刃の腹を少しだけ右に動かす。

 

「無駄なんだよ石神......ヘリの着陸は北九州空港に変更された。行っても誰も来やしない」

 

 熱く、ひやりとしたナイフの感触が伝わり、両手をあげつつ、石神は言った。

 

「......とりあえず、ナイフを離してもらえませんか?右手の銃は天井を向いてる。坂下を射殺したりはしませんから」

 

「......信用ならんな。それなら銃をこちらに渡せ」

 

 すっ、と下げた右手から乱暴に89式小銃を奪い、すぐに応射に入れるように新崎は腰の位置で構え、二人には振り返ることも許さずに続ける。

 

「関門橋で生き残りがいることが確認された。そいつらを殺さない限り、俺達へ救助は出せないんだとさ......石神、これだけは覚えておけ。お前も俺も、こんな事件に関わってしまった限り、もうこの九州では、とことんまで行くしかないんだよ。依頼主がそいつらを発見して殺せというなら従うしかない」

 

 言った本人も得心がいかないことが分かる熱が口調に込められていた。だが、それよりも大地は新崎の言葉にあった一文に反応した。

 

「ちょっと待てよ隊長......今、アンタ、この事件に関わったって言ったのか?」

 

 新崎は不敵に鼻を鳴らし、悪びれたような態度もなく不遜に返す。

 

「だったらどうした?それを聞いたお前は、この状況で俺に何か出来るのか?」

 

 89式小銃を持ち上げらる。圧倒的な体格に、経験、その上、武器までもが相手に渡っている。岩下のような虎の威を借る狐ならば、まだ見込みがあるが、新崎相手に大地が勝てる要素は砂粒ほどもない。まさに、蛇に睨まれた蛙のように大地は口を詰むんだ。

満足そうに唇をあげた新崎は、さっきは言い過ぎたと石神へ一言入れると、ホルスターから拳銃を抜いてから89式小銃を石神へ返した。単発銃の脅威を知っているからの行動だろう。戦場で逃げた部下の背中をいつでも撃てるようにしておくという名目上、上官だけが持てる拳銃だが、現状、その名目は成り立たない。

 前を見て戦車を操縦する大地の背中は、文字通り、新崎へと晒されているからだ。同じことを石神にも言える。

 道路を削るようなけたたましい音と共に、74式戦車はキャタピラの爪痕を残しながら鞍手方面へと戻り始めた。




次回より第13部「際会」に入ります
うーーん、130近いな……
そりゃ、150000字いくよねえ……w


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第13部 際会

 浜岡は車を走らせつつ、バックミラーを一瞥した。やはり、尾行が着いている。二台後ろを走っている軽自動車は、常に浜岡と付かず離れずの距離を保っていた。

運転手にも検討がついていた。交差点を左に曲がり、スピードを落として左のバックミラーを注視する。二台目の運転席に座る人物が曲がる寸前に一瞬でも顔を確認出来ないかと試してみたのだが、助手席の男が邪魔にはなってしまうが上手くいったようだ。

浜岡は、すぐ後ろを走る車にクラクションを鳴らされ、ようやくスピードを上げた。軽自動車に座っていたのは、紛れもなく斎藤だった。

 計算通りだ。鋭敏な感覚をもつ斎藤ならば、間違いなく違和感を覚えるに決まっている。そうなるように浜岡は然り気無く仕掛けを施していた。

 わざわざ、斎藤の前で渡された用紙を読んだあとに、「この人だけで間違いないんだね?」と確認をとったのだ。

 まるで、他にもいるのではないか、という含みを持たせた。

 日常では大して問題があるとは思えないが、それが、まだ容疑者である男から渡されたとなれば話は別だ。何かしらの証拠に成りうるものを処分されるのではないか、そう勘の良い斎藤なら勘繰るだろう、という憶測はどうやら正解だったようだ。

 薄ら笑いを浮かべた浜岡は、案内人のように、あえて着けさせ続け、走らせること数十分後に、多数の高級マンションが屹立する一等地に到着する。その内の一つ、六階建てのマンションの前に車を停めた。

 浜岡は、マンションのロビーに身を隠し、鏡張りになった壁から外を窺う。少し離れた路地から軽自動車の頭が覗いている。視認を終えた浜岡は、エレベーター横に設置されたインターホンを鳴らし、住民の少女と一言交わし合うが、オートロックを解錠されていない。

 浜岡は、そこで足を止めて振り返った。 

 

「......やっときましたねえ、斎藤さん」

 

 ロビーの入口に立っていた斎藤は、襟元を乱している。浜岡がマンションに入る前に止めなくては、どうしようもなく、慌てて走ってきたのだろう。斎藤は、乱れた呼吸を整えることもなく口を開いた。

 

「ここに誰がいる?田辺がお前に渡した内容の中には、こんなマンションは入っていなかったぞ」

 

 そう、田辺の用紙に記載されていた数々の住所に、こんな高級感漂う絢爛なマンションが並ぶ一等地は無かった。良くて中流の、もっと言えば、九重が住んでいた近隣のような古い匂いが残る住宅街だ。加えれば、ただの繁華街も入っている。

 斎藤が、部下に一件一件調べさせることもあるだろうが、それでは浜岡を追えなくなる。ならば、その手間を省くために別行動を取るであろうことまでも推測通りだった。 それは、こんなマンションは入ってなかったと口にしたことから分かる。田辺のメッセージで貴重な駒を引き寄せられたことに浜岡は喉を揺らした。

 

「何がおかしいんだ?」

 

「ああ、いえ......すいません......少し面白い話を思い出して......」

 

 斎藤が眉を寄せたのを見て、浜岡は顔を伏せる。

 

「日本人というのは深読みが好きな人種なのだ、という話しを知っていますか?」

 




第13部 はっじまるよーー!!


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第2話

 斎藤は、何も返事はせずに首を横に振り、浜岡が楽しそうに続けた。

 

「松尾芭蕉の有名な句、古池や蛙飛び込む水の音、この頭をとって「ふかみ」となりますね。ある日、この句は、松尾芭蕉が俳句の深みを現した一句であると高々に宣言された時がありました。もちろん、そんな珍説は馬鹿げていると多くの芭蕉研究家から一蹴されましたが、実に日本人特有の深読みを現した出来事だと思いませんか?」

 

「......それが、このマンションに辿り着いたことと、どう繋がる?」

 

 浜岡は、顔をあげると、ニンマリと意地の悪い幼稚な笑みを浮かべた。ポケットから取り出したのは、田辺から預かった用紙だ。

 

「簡単に説明しますね。50音順で考えてみると、この住所の数字は、それぞれで、平仮名の並びになります。1ー1なら「あ」2ー1なら「か」、5ー5ならば、5行目の5番目の文字です。更に言えば、その一文字は、必ず名前に入っている。最初の礒部彩弥乃なら5ー5、つまり「の」となり、それをこちらにあてはめると、ある人物の名前が見えてきます。他の文字は全てカモフラージュですよ」

 

 浜岡は、斎藤との間を詰めて用紙を手渡した。

 視線を下げる途中で、浜岡が田辺に言った、こういうのは50音で並べてくれ、という言葉を思い出す。文面にだけしか目が向いていなかったことに、なんて分かりやすいヒントを逃していたのだろうか、と斎藤は歯噛みした。

 いや、どうでも良い場所に意識を向けすぎていただけだ。所持品チェックや、田辺の癖が浜岡と同じことなんか、さほど気に止めるべき箇所でもない。決して真実には結び付かないものだけを晒す。それは有名な三億円事件を模倣したかのような手口だった。

 本当に大切なことは、外側ではなく内側にあるのだ。

 

「更に言えば、その上にある文も怪しい。取材対象者「リスト」ではなく、取材対象者と限定されています。重要な人は一人だと示唆される文面だと思いませんかね?」

 

「......もういい、理解したよ。つまり、俺はお前達に一杯食わされたという訳だ」

 

 浜岡がした謝罪の一礼すら、ひどく芝居かかった動作のように映る。知らず知らずの内に、声に熱が入った。

 友人にこんな仕打ちを受けることになるとはな。しかし、斎藤も浜岡を極秘に追っていた負い目から強くは出れなかった。

 

「こんなことをして申し訳ないとは思ってます。しかし、斎藤さんの協力が必要だったんですよ」

 

「......なにをさせるつもりだ?」

 

「簡単なことです。少しこちらに来て頂いてもらっても?」

 

 斎藤は、嘆息をついて散歩にでも誘うような軽さで手招きをする友人を見た。思い返してみれば、この男は昔からそうだった。挙動や視線、言葉を巧みに使い、気付かない内に相手を掌で転がしている。物事を起こす時の距離感の掴み方や焦点の合わせ方が抜群に上手い。

 田辺が、あのメッセージを瞬時に考え付いた理由は、浜岡の仕込みがあったからだろうか。

 斎藤は、胸に広がる諦念を感じながら近づいていく。そして、浜岡は警察手帳をインターホンのモニターに見せる様に促す。しばらく間を置いて、オートロックが解錠された。

 

「さ、それでは行きましょうか」

 

「待て浜岡......この先にいるのは一体誰だ?」

 

 浜岡は、くるり、と首だけで振り向く。

 

「おや?言ってませんでしたか?まあ、会うのは、こちらも初めてなんですがねぇ......」

 

 やや言いにくそうな口振りだ。後半は、殆ど呟きに近かった。そして、浜岡は続けて言った。

 

「田辺君のメッセージを解読すれば、のたたかこひきつれ、となります。電話で確認をした所、彼女は野田貴子という名前とのことでして」




ああ……食いすぎた……


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第3話

 

 野田貴子と口先で囁いた斎藤の脳裏を、ある人物が掠めた。

 瞠目した斎藤は、顔の下半分を掌で覆う。九州地方感染事件のことは存じている。その対処に当たっているのは、厚生労働省だ。そのトップに立つ男は確かに野田という名前だ。

 何かの間違いであってほしいと願いながら、斎藤はくぐもった声で言った。

 

「浜岡......俺の勘違いなら無視してくれよ」

 

「勘違いじゃないんですよねぇ......」

 

 浜岡は、即座に踵を返した斎藤の腕を掴んだ。

 

「離せ......俺には関係のないことだ」

 

「そういう訳にもいかないんですよねぇ......それに、関わりがないこともない。警察手帳を見せてオートロックが解除されたのは確認されましたよね?それがどういう意味かは分かりますよねえ?」

 

 さっきまでの慇懃な態度は、完全に隠れてしまっている。この独特な間延びした口調は、外行きの為に見繕った敬語ではなく、プライベートでの話し方だ。

 何手も先を読まれていた。それなりの付き合いの長さもあるだろうが、斎藤の動きまで考慮している浜岡に、時と場所が違っていたなら素直な称賛を送りたい。気分は最悪だ。野田の一人娘の居場所を知ってしまった。ニュースでの発表に、今回の事件はテロリストの仕業とあった。ならば、その対処に当たる為に動く厚生労働省は邪魔な存在だ。

 頭を潰すには、どうすることが最も楽か。

 

「浜岡......お前、最初から......」

 

「何分、田辺君があの性分なので心強い味方は作れないと考えまして......ただ、斎藤さんを引き入れようと思ったのは、警察署で貴方を見てからですよ」

 

 ニコリと笑った浜岡は、握っていた腕を解放してもう一度、頭を垂れる。

 

「お願いします。ここだけは助けて頂けませんか?どうにも信用してもらえず、警察も同行することでどうにか承認してもらえたんです」

 

 斎藤には、ここで振り返らずにロビーへと歩を進めて無かったことにする選択肢もある。しかし、浜岡のつむじがそれを阻んでいた。浜岡がこの先にいるのは野田貴子だと明かしたのは何故だろうか。ここまで周到に準備を行う男が、最後に不利になるようなことを口にするだろうか。それとも、まだ、何か隠玉を用意しているのか。いや、それなら、野田貴子の存在を知らせる筈がない。

 

「浜岡、これ以上、何かあるのか?」

 

 浜岡は顔を下げたまま、首を振った。

 

「これ以上は何も用意できませんよ。なにせ急な展開を迎えたものでしすから......しかし、一つ、利点があるとすれば......」

 

 意味深に言葉を区切った浜岡は、斎藤が短く声を掛けてから顔を上げた。

 

「九州地方感染事件について、まだ世に広まっていない驚愕の事実を知ることが出来る。これだけは、間違いないですねえ」

 

 斎藤は、言い回しに片眉を曲げる。

 

「......犯人は、発表にあったテロリストではないのか?」




マヨネーズ炒飯……美味かったw


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第4話

 浜岡は笑って返す。

 

「それは、自分の耳と目で感じてもらうしかないですねぇ......それで、どうしますか?」

 

 まるで試されているようだと感じた。

 それは、斎藤の主観ではあるが、黒幕の存在をこうも醸されては、出口へ足を運び辛い。現場主義の性だろう。

 斎藤は、浜岡へ向き直って言った。

 

「今回だけだ。今回だけはお前の妄言に付き合ってやる。だが、終わり次第、お前を連行して埃が出なくなるまで調べてやるから覚悟しとけ」

 

「それは勘弁願いたいですねえ......まあ、叩いて出る埃ならいくらでも出しますが」

 

 ケラケラと軽口混じりに笑う浜岡は、すっ、と道を開ける。警察署で斎藤がした動作と全く同じだ。斎藤は苦笑を挟み、エレベーターのボタンを押す。

 

「ところで、お前は何故、あのメッセージを読めたんだ?」

 

 斎藤の問い掛けに、浜岡は困ったように頭を掻いた。

 

「うーーん、なんというか......あのメッセージは、正義感の強い彼らしい素直なメッセージではないですかねえ」

 

 斎藤は、田辺と浜岡、互いの信頼からくる理解だろうと察した。田辺は、浜岡なら必ず気付く筈だと信じ、浜岡は田辺の特徴を理解し、メッセージが含まれていることを前提として受け取った。

 少し、その信頼関係が羨ましくも思えた斎藤は、浜岡よりも先にエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの扉が閉まり、一階から二階へ上がっていく。その様子を真向かいのマンションのロビーから眺めていた男が、目に当てていた双眼鏡を離し無線のボタンを押した。

 

「......やはり、ターゲットとは違うようです」

 

 無線越しに無機質というよりは、機械的な口調で返事が聞こえる。

 

「そうか、了解した。お前も一度戻ってこい」

 

「了解しました」

 

 男は無線を切り、腰から提げた双眼鏡を使い、再びエレベーターを確認する。六階で止まった点滅を見ると、お気の毒に、と口先で囁きエレベーターに乗り込んだ。

 

               ※※※ ※※※

 

 あの二人を引き離す作戦を考えてくる。古賀さんは、ひとまずここで休んでいてくれ。そう言って小金井が部屋を出てから約一時間が経過した。ふと、目を覚ました達也は、頭を軽く振ってから身体を起こした。

 どうやら、眠っちまってたみたいだな、そう理解した時、足元にある違和感に気付き視線を向けると、89式小銃が置いている。達也が持っていたものだろう。弾丸が入っていないので無用の長物と化してはいるが、これから先を考慮した小金井が残していったようだった。

 あの、キチガイ染みた東を相手にするのは、素手では骨が折れる。現に、達也は気圧されたとはいえ、一度負けている。いや、気圧されたからこそ負けたのだ。油断しなければ勝てるという保証はどこにもない。




なんか夜に気温が上がってる気がする……


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第5話

 顔の腫れを触ってみれば、まだ熱を持っていたことから、寝静まってさほど時間は経過していないようだった。ベッドから降りると、改めて室内を見渡した。

 どうやら、現在地はモール内部にある二階寝具コーナーのようだ。頭痛を携さえながら歩きだしたが、すぐに膝をついてしまう。割れそうなほどの激痛に、達也は内出血を起こしている可能性もあり、客観的に自己の体調を探る。

 吐き気はない。視界が歪むこともない。ダメージが積み重なったにしては、比較的に軽い症状だろう。とは言え、痛みの発信源は頭部だからか、油断すれば堪えがたい激痛に見舞われる。どうにか這ってベッドに戻り、達也は深く息を吐いた。

 穴生で達也が追われた暴徒の人数は、百に近かった。今になって思えば、よく逃げ切れたものだと思う。だが、それ以上に、浩太と真一は警察署にいた人間を助けることが出来たのかも気になる。思考に隙間を作る余裕が出来たのは、小金井がいたからだろう。少なくとも、はっきりと確定はしていないが、四面楚歌は免れた。それでも、小金井には用心を怠れない、

 なんにしろ、達也に必要なのは休息だ。聞こえてくる暴徒の声は気になるが、壁の厚みでかなり遠い。それを除けば、暗闇が降ったように静かだった。

 ......いや、静かすぎる。

 達也は、そこで違和感を覚え、横たえていた身体を再び起こした。人の話し声も、物を動かす音も、なにかを引き摺るような音も、日常にある、あらゆる音が消えていた。

なにかあったのか。それなら、悲鳴でも聞こえてきそうなものだ。しかし、それもない。

 まるで、頭蓋骨に打ち鳴らされたばかりの鐘を入れられているような疼痛が残る頭を抑えながら、ヨロヨロと立ち上がり、寝具コーナーから左手にある自動扉へ覚束ない足取りで歩いていき、連絡通路へ出ると、そこは東による暴行を受けた場所だと気付く。一階の広間に集結していた暴徒は、ほぼ全員が一ヶ所に集まっていた。その濁った双眸の先には、頑丈に積み上げられたバリケードがある。

 達也の存在を気にもせずに、家を追い出された幼子が、必死に玄関から両親に叫び声をあげるように、暴徒は目の前に佇む障害へと身体をぶつけたり、両手で叩いたり、中には頭突きをかましている奴までいる。

 それは、八幡西警察署の正門バリケードの前で、浩太や真一と見た光景と似ていた。恨めしそうな呻き声が多重に響いてくるだけで、達也の背中を冷たい汗が伝う。これは、つまり、あのバリケードの奥で何かが行われているという明確な証拠だ。

 達也は、出来るだけ足音を消すために匍匐前進の要領で進んでいき、やがて対面に位置していた自動扉へとたどり着いた。




寝ます!!おやすみなさい!!ww
良い夢を!!


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第6話

 この先にいけば、答えがある。透明のガラス越しには、人の影も形もない。

 達也は、息を殺し、ゆっくりと扉をスライドさせていく。人が一人、ようやく入れる分だけ開き、足で自動扉を閉めた。

 二階のエントランスホール、その中央にエスカレーターを見付けた。

 

「良いですか。死は恐れるものではない」

 

 ふと、達也の両耳がそんな言葉を拾った。優しく、穏やかな声音は、一階の広間から聞こえてくる。

 頭上にあった手摺と壁を使い、ようやく両目を覗かせることが出来る。

達也の身体は悲鳴をあげていた。頭痛が全身に広がっていくようだ。歯を食い縛り、腕の力だけで上半身をあげ、俯瞰した光景は、どうにも異質な空気が流れていた。総勢は二十名ほどだろうか。全員が白一色の服を纏い、大柄だが、身体の細い一人の男を見上げている。その右脇では小柄の男が右手に拳銃を垂らしたまま、睨みを利かす。安部と東だ。

 そして、東とは反対に、小金井は何も持たずに、ただ時が流れていくことを望むように立っているだけだ。

 これは一体なんだ、それが達也の第一声だった。カルトとは違い、傍聴者からは崇拝者に対する熱気は感じない。いや、崇拝などと高尚なものでもない。安部はこの場において、絶対者的な地位を確立しつつあるようだ。

 その原因は、傍聴者の背後に並べられた死体だろう。外の暴徒がバリケードの側に寄っていた理由か分かった。

 

「死は誰でも迎えるものです。それを忌々しく言うのは間違いであり、滑稽だ。人は日々、一日を刻むごとに死に向かっています。自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものを感じたことはありませんか?例えば......」

 

 安部が間を空けると、すぐさま、東が拳銃を持ち上げた。白い塊が一斉に、ぎゅっ、と縮む。

 中には、恐怖のあまり、どこかのネジが外れたのか笑いだす者もいた。

 

「ああ、良いですね。皆さん、あの者のように死を恐れてはなりませんよ。誰にでも訪れるものに恐怖する必要はない。大切なことは過程なのです。あなたがどれだけ世の中に貢献したか、どれだけ世界の為に尽くしたか

、どれだけ多くの命を救ったか、どれだけ多くの子供を導いたか、その過程なのです。外を徘徊する者は、生前の行いが悪かったから、神より使命を与えられ蘇った。しかし、皆さんは違う!こうして生きている!そう、私も含めた全員が神より選ばれた存在なのです!」

 

 急に熱気を帯びた阿倍の口調は、語尾が強まり、主張のようになった。それとは対照的に、ロビーに集まっていた者達が安部に向ける視線は、ひどく冷めたものだった。一方的な主張の押し付け。それが出来るほど、達也から見ても安部からカリスマというものを感じなかった。どこか、ずれているのだ。しかし、底気味の悪さだけはずば抜けている。それも全て安部の隣にいる小柄な男によるものだろう。

 不自然なまでに安部に従う男、この二人の共通点なんかあるのだろうか。




腹減った……w


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第7話

 達也は、壁に背中を預けて隠れた。東は、福岡で逮捕され、小倉北警察署に連行されたはずだ。

 それが、確か航空機墜落の三日ほど前、それ以前に二人が出会う機会などあるだろうか。東は福岡の小倉で逮捕されている。小倉駅での厳戒態勢は、かつてないほどの規模だったとニュースで言っていた為、いくら東が抵抗しようとも、出会う時間などありはしない

 実際は、静かな逮捕だったというが、野次馬の中に安部がいたというのもおかしな話だ。

 やはり、安部が拘留中の東を逃がしただけだろう。二人の繋がりは薄いように思える。

 ここから脱出するのに排除が必要な東と安部、特に邪魔になるのは、東の存在だ。しかし、安部も見過ごす訳にはいかない。他にも、この集会の目的や動き、小金井は本当に味方なのかどうか、そして、直面する最大の問題は、二人がこれから何をするのかなど、考えは尽きない。

 達也は、もう一度、顔を出す。まがりなりにも、一応の人数は揃っている上に、所持している武器が厄介だ。

 東のもつ拳銃は、自衛隊でも使用されている。そこから察するに、あの二人は間違いなく自衛官を襲撃している。つまり、小倉基地を脱出する際に積んだ重火器をそのまま所持している可能性が高い。

 安部の演説が続く中、敵の火力を計っていた達也が冷や汗をかいたのはその時だった。小金井が達也の存在に気付いている。明らかに、やや上方に意識を向けており、達也と視線が重なった。

 達也は、咄嗟に身を翻し隠れたが、遅かったようだ。小金井は、演説中の安部に気を使ってか、東に耳打ちをして、エスカレーターへ足を掛ける。達也の存在を東に伝えたのだろう。悪態をついた達也は中腰のまま逃げ出そうとするが、ぐにゃり、と視界が歪んで、その場に音もなく、うつ伏せに倒れた。急な動きに身体と脳の連動が鈍くなっているのだろう。改めて立ち上がろうとした瞬間、押さえ付けるように、左の膝裏へゴツゴツとした感触が乗った。

 

「......小金井、てめえ......!」

 

 振り仰いだ先にある小金井の瞳に、達也の姿は写っていなかった。その眼にあるのは、達也から言葉を奪うほどの怒りと戸惑いだった。ここに達也がいること事態、小金井の意にそぐわないのだろう。

 達也が小金井の真意を図りかねていると、一階フロアから東が声をあげた。

 

「小金井!何してんだあ?なんか問題でも起きたのかよ!」

 

 ギクリと達也の心臓が跳ね上がった。ここで、俺の人生は終了かよ、くそったれが……

 達也はそう胸中で呟いた。



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第8話

 そんな達也の思惑は、小金井が続けた言葉に掻き消される。膝裏から重みが外れ、怪訝そうに振り仰いだ達也を無視するように小金井が言った。

 

「いや、なんでもありません!ただ、大きな鼠がいただけです!」

 

「鼠だぁ?そいつは良いじゃねえか!外にいる使徒にでも投げてやれよ!」

 

 東の声に頷いて返した小金井は、膝を折って達也へと顔を近づけ、小声で言った。

 

「なぜ、ここにいる。今はとにかく休めと釘を刺しただろ!」

 

 達也は、何も返せなかった。ただ、あまりにも必死な形相で迫る小金井に、首を動かして反応するだけしか出来なかった。次第に雲行きが怪しくなる。

 

「どうしたよ!さっさと終わらせて戻ってこいよ!」

 

 小金井を急かす東の大声に、安部を始め、その場にいる全員の視線が集まった。まさか、と小金井の額から一筋の汗が流れる。これ以上の時間稼ぎは出来ない。そう判断した小金井は、淀みなく立ち上がると、一息吸った。

 

「悪い!鼠が早くて手間取りまして......すぐに戻ります!」

 

 何かを含んだように、両手を合わせて腕を挙げた。そして、小金井が自動扉へと近づこうとしたその時、東が言った。

 

「ちょっと待てよ、小金井!」

 

 ピクリ、と二人は同時に肩を揺らす。

 小金井は、振り返れなかった。最早、冷や汗は身体中に流れている。東が一歩一歩と着実に歩いてきていることが気配で分かる。

 達也は、自動扉からの脱出を諦め、出来るだけ東から隠れるように後退した。だが、小金井はこれこそ好奇と考えた。期せずして東と安部の距離は離れている。

 

「古賀さん......もっと奥だ......奥に下がってくれ」

 

 言われるまでもない。達也は、一階のホールから延びるエスカレーターからは見えない位置まで慎重に下がり、東がエスカレーターを上がりきる前に小金井は振り返り、 さっ、と背中に右手を回す。達也が寝てる間に抜き取ったのだろう。腰に挟んでいたアーミーナイフをしっかりと握る。

 東がエスカレーターを上がりきると、小金井は静かに喉を鳴らした。

 

「よお、小金井......鼠ってのはどこにいんだ?」

 

 東は挑発でもするように、軽く左手を挙げる。見下した目線、嘲笑うような口元。小金井は確信した。間違いなく、東は企みを見抜いている。自然と、ナイフを握る手にも力が入った。

 

「ああ、鼠なら俺が持ってる。確認が?」

 

 東は喉の奥で微笑を洩らしながら一歩、小金井へ向けて踏み出した。

 

「死体愛好家、ネクロフィリアって奴には、ある特徴が存在する。なにか分かるか?」




番外編、ミスを犯したので最新ページを削除します。あれです、繋ぎを激しくミスりました……
あと1P挟むつもりが、UPしたと勘違いしてました……


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第9話

 小金井は眉を寄せる。緊張から思考が追い付いていないのもあるが、それ以上に東から感じる気配が逸脱しすぎていた。何かが違う。いつも以上に、空気が重い。

 

「ネクロフィリアはアクロトモフィリアを併せ持つと思われているが、俺はさ、根本が違うと思うんだよ......お前はどう思う?」

 

「さあ......どうなんでしょうね......」

 

 小金井は、東が一歩進むと一歩下がった。達也が潜んでいる位置まで誘導し、二人掛かりで東を仕留める算段だった。達也もそのつもりなのか、ぐっと両手に力を込めた。出来るだけ引き寄せ、一気に攻め切り安部と東を完全に離す。

 

「それこそが違いなんだよ。日本でも少年をバラバラにしてホルマリンの入った金魚鉢に入れて毎晩、眺めていた男の話しまで残っている。それは、アクトモロフィリアだよな」

 

 視線を離す訳にはいかない小金井は、聞きたくない東の講釈に、必死に耳を傾けた。何かに集中しなければ、足の震えを隠せそうになかった。小金井が、これまで東と交わした会話の内容はテレビやニュースで集めた、聞き齧りの知識だけだった。それを拡大解釈し、自分のなかで理解し、どうにか二人に近づいたにすぎない。世界は広い、そういう嗜好の人間もいるんだろうな、ぞんざいな言い方をすれば、そんな感想した抱いてこなかったのだ。

 ネクロフィリア、アクトモロフィリア、そんな言葉を用いられても、なんのことかさっぱり理解出来なかった。

 それは達也も同じだが、両者の見解はここで全く異なった。達也は、ここを逃せば、二人の距離が離れているというこんな絶好の機会は失われると思った。それだけは避けなければならない状況下で、逆に耳寄りな話しだと考えた。

 小金井は返答をする為に、東の話しへ意識を向けるしかない。それだけ東を注意を払うのだから、見付かるわけにもいかない現状、立ち上がれない達也は、小金井の表情に変化が現れないかを見ているだけで良い。

 一階から吹き抜けているモール内、二階は円形になっている為、壁の裏側に隠れるように移動できる上に、すぐに駆け付けることも可能だ。

 小金井がまた一歩下がる。

 

「ネクロフィリアは、まあ、よほど死体が腐り始めたりしない限りは、傷付けることを嫌う傾向にある。ヴェラ・レンツィ、ヴィクトル・アルディッソン、FBIの膨大なプロファイリングにすら当てはまらなかったデニス・ニセルンですら、死体の処理をする時にのみ傷をつけるだけだった」




あったま痛いw


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第10話

 東の足音が聞こえ、同時に小金井が下がり、ついに背中に自動扉の固い鉄柱が当たる。東は更に口角を引き上げて言った。

 

「なあ、俺はネクロフィリアとアクトモロフィリアの嗜好は別物だって思うんだけどよ......お前はどうだ?死体好きの小金井さんよお......」

 

 世間から見れば、倒錯した人物に変わりはない。小金井はそんな言葉を呑み込んだ。逃げ場はないのなら自分を偽る必要などない、もう充分だろう。

 

「......いつからだ?いつから、気づいていた?」

 

 ニイイ、と唇を歪ませた東は、一際、甲高い声の後に続ける。

 

「ひゃっははは!いつから?いつからだと!最初からに決まってんだろうが!いやぁ、安部さんがお前を仲間だって言うもんだから苦労したぜえ......こっちはお前の面の皮を剥がしたくてしょうがなかったってのにお!」

 

 小金井は、下唇を噛み締めた。上機嫌、悦に入る、そんな文字がぴったりと当てはまるような癪に触る笑い声が木霊する。

 

「安部さんに理解してもらう為に、あの自衛官まで連れ帰ってよお!小金井、テメエがこのモールで俺達の仲間のフリをして近づいた時点で孤立しちまうのは必然だろうが!なら、テメエは外部の奴に頼るしかなくなるよなあ!あの自衛官にお前が頼ることなんて分かりきってんだよ!え?何の為に、自衛官を預けたか聞きたいの?ねえ、聞きたいの?」

 

 達也は、あまりの苛立ちに握り締めた拳が震えた。当事者の小金井の怒りはどれほどなのだろうか。バキン、と歯が砕ける音が聞こえてきそうだ。人を逆撫でする煽り方は、性格の歪みからくるものだろう。小金井の顔を覗き込むような仕草をする。それでも、小金井は東から視線を外さなかったが、止めとばかりに、東は笑い声を消してから頭を右手の指先で二度叩いた。

 

「良いか?これが、人間の使い方ってやつだよ......小金井さんよお、俺と張り合いたいなら、もっと頭と演技力を高めてからにしてくれませんかねぇ?」

 

 かっ、と小金井の両目が見開き、ナイフを引き抜いた。達也が制止をかけようとした寸前に東が鋭く叫んだ。

 

「安部さん!」

 

 しまった、反射的に二人は一階にいる安部を見てしまう。だが、安部は何もしていなかった。事の成行を静かに眺めているだけだ。

 二人が東から目線を外した、その僅か数秒、東には有り余る数秒が訪れた。一気に距離を詰め、ナイフを持った右手と顔面を鷲掴み、勢いを殺さず、小金井の後頭部を自動扉のガラス面に衝突させる。連絡通路に鮮やかな朱色が散り、滴り落ちた血液に、暴徒達が雄叫びをあげた。



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第11話

「小金井!」

 

「動くな自衛官!」

 

 東は、間髪入れずに右手を引き抜き、腰に差していた拳銃を小金井の口へ突き入れる。それを見た達也は、中腰の態勢で一度止まり、それから、ゆっくりと両手を挙げた。意識の混濁から、小金井にリアクションは無く、ブラン、と下がった左手からナイフが滑り落ちる。

 

「そうだ、それで良い......しかし、こいつも大それたこと考えてたよなぁ......そうは思わねえか?」

 

 小金井の呻きが聞こえ、達也は一先ずは胸を撫で下ろした。どうやら、気を飛ばされていたのは、数秒だけだったようだ。

 達也は、深く呼吸をして吐き出す。これは、小金井が身を張って作ったチャンスだ。一階にいる安部、二階にいる東、重要な要素が揃っている現状は、達也がどう動くかにかかっている。隙を作れば、それでお仕舞いだ。

もう一度、鼻から息を吸った。

 

「そうか?俺は、そいつ以上に勇敢な男を知らねえな」

 

 東は小金井の身体を襟を掴んで持ち上げ手放した。自動扉に沿うように崩れ落ちる。きりっ、と拳を固くした達也を短く嘲笑うと、横たわる小金井のこめかみへ銃口を向けた。

 

「勇敢ねえ......その結果がこれかよ。まるで芋虫じゃねえか!大方、ヒーローよろしく、偽善ぶって蠢いてただけだろうが!僕ちゃんがみんなを助けますってか!」

 

 卑陋な声が響く中、それに混ざり低い笑い声がした。それは次第に大きくなっていく。誰のものなのか、すぐに分からなかった東が、辺りを目だけで見回し、辿り着いたのは、地面を蠢く芋虫と揶揄した小金井だった。

 鬱陶しいと言わんばかりに、小金井の頭を踏みつけるが、僅かに声量が抑えられただけだ。

 

「......あーーあ、壊れちまったか」

 

 達也から見ても、小金井は、どこかの回線が切れ、同じ音を流し続けるラジオとなんら変わりがないように思えた。

 そして、全く興味が失せてしまったような東の冷淡な眼差しに晒される。くっ、と指に力が入る瞬間、パタリと声が止まってしまう。怪訝に眉をあげた東だが、銃口は下げたままだ。不意に小金井が口を開いた。同時に、一階から乾いた破裂音が鳴る。

 

「東......俺の勝ちだ......」

 

「......あ?」

 

 銃声にも動じない東は、非日常に慣れすぎていた。敵が目の前にいる。それだけで東は動かなかった。有利にあろうとも油断はしない。しかし、それは一人でいることが前提条件として絡んでいる。東は、小金井の発言の意味を考えた。




小金井が予想よりカッコ良くなってきたんだが……
なんだろう……なんかいやだw


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第12話

 今、銃を持っているのは、俺と安部さんだけだ。ならば、あの銃声は安部さんが鳴らしたことになる。銃を撃たなければならない状況下にあるということだ。

 ......何の為に?使徒はバリケードから入ってこれない。一階の連中は抵抗する素振りもなかった。

 ......いや、待て。俺は大切なことを失念しているんじゃないか?東の脳裏に、以前、安部に言った言葉が甦る。

 

「悪いものほど、感染していく速度は早い。募金活動なんかより、よっぽど早いぜ」

 

 そう、広がっていく速度は、圧倒的に悪意のほうが早い。しかし、なんにでも反対は存在する。こんな絶望しかない世界でも、それはいつまでも変わることはない。一階から響いてきた外を徘徊する死人には絶対に出せない、今を生きている人間だけにしか出せない、幾重にも重なった活発な喚声が東の背中を叩き、弾かれるように踵を返した。

 

「行かせるかよ!」

 

 小金井が咄嗟に東の足にしがみついた。ガクン、と下がる視界には、一階にいる安部が、小金井の行動に活力を取り戻し、反旗を翻した一団に追われている姿がある。

 

「安部さん!離せよこのボケがあああぁぁ!」

 

 東は、床に這ったまましがみつく小金井へ銃口を向け引き金を引いたが、間一髪、達也の蹴り上げで、弾丸はあらぬ方向へ飛んでいき、拳銃は一階へと落下していく。

 

「小金井の勇気や勇敢な行動は、確かに全員に伝わったみたいだな」

 

 言いながら放った渾身の右フックは、東の頬を打ち抜いた。東の身体は、小金井の頭を突き入れた自動扉を抜け連絡通路へ転がる。東が痛みで唸っている隙に、達也は小金井を肩をかして立ち上がらせた。直後、連絡通路から怒声が轟ぐ。

 

「こ、が、ね、いぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 達也は絶句した。鍛えた自衛官同士ならまだしも、東は身長も低く、体格も劣る。右手には確かな手応えも残っているにも関わらず、もうダメージが抜けきったかのように駆け出した。

 

「小金井!下がれ!」

 

 達也が次に繰り出した前蹴りは、空しく空を切った。東は、最小の動きで避けたのだ。達也の眼前にあるのは、東の右腕だった。助走をつけたラリアットが達也の喉を直撃する。バランスの悪い片足に加え、強引に腕の力だけで達也を地面に叩きつけた。

 

「ごはっ!」

 

 東の体つきからは想像もつかない力の正体は、単純な腕力だ。達也が首に感じた東の腕は異様な盛り上がりをしていた。思い返してみれば、妙な点は幾つもある。人間の頭の重さは、ボウリングの球と同等とはいえ、強化プラスチックで作られたパネルを割ることは難しい。

 それに加え、通常、人間は殴り合いの場面で知らぬ内にストッパーを掛けるものだが、東の暴力には微塵の加減もない。

 

「あああああああぁぁぁぁ!」

 

 嗔恚に燃える余りに声が震えている。その矛先を向けられた小金井は、東の迫力になす統べなく組伏せられた。

 二発、三発、と振り下ろされた拳は、全て小金井の急所に落とされていた。鼻、喉、左目、四発目を達也が背後から拳を掴んで止め、間を開かずに背負い投げ、もう一度、連絡通路へと東を戻した。




UA数21000突破!!
本当にありがとうございます!!


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第13話

 小金井のダメージと東の興奮状態を鑑みて、達也は時間を稼ぐことを優先した。その選択は、高いリスクを伴うが、今はまだ動けている達也が担うべき役割だった。

 小金井が動けるようになるまでは、達也はこの場所を離れる訳にはいかない。東の注意を小金井から逸らすために連絡通路の先で唸りながら腰をあげた東へ言った。

 

「東......だっけ?小金井をいきなり狙うなんざ、俺がいる限りさせるはずないだろ?こいつを殺したいなら、まずは俺を殺してみろよ、このホモ野郎」

 

 ちょい、と指を曲げる。蛇足のように口の端をあげて余裕をアピールすることも忘れない。

 

「......上等だよこの糞が......殺してやるよ......殺してやるよおおお!」

 

「テメエにだけは、糞とか言われたねえんだよ!」

 

 二人は同時に駆け出し、達也が連絡通路へと右足を踏み出した瞬間、一階から轟音が鳴り響いた。門司港レトロで聞いたミサイルの着弾音、それ以上の爆音と地響き、まるで台風が上陸したかのような爆風。

 砂ぼこりが晴れていく。強大な爆発と館内に籠る鳴動は、東と達也から聴力と光を数分、そして、二人が衝突する筈だった連絡通路を中央から破壊していた。

 訳がわからなかった。達也は、吹き飛ばされた館内で、あまりの耳鳴りの酷さに顔をしかめ、四つん這いで連絡通路を見た。

 崩れた連絡通路の先に、倒れたままの東がいる。衝撃は互いを後方へ飛ばたのだろう。

 一体、何が起きたんだ。

 達也の思考を遮ったのは、地面を削りとるようなキャタピラの回転音をだった。重たい駆動音に弾かれるように、達也は連絡通路の手摺へ走り、一階を俯瞰する。周囲に群がる暴徒を無遠慮に踏み潰しながら進む侵入者は、車体を真っ赤に染めた74式戦車だ。砲塔から薄く上がる白い煙により、爆発の犯人が判明した。着弾地点にいた暴徒達は、悉く身体を爆風に晒されてしまったのか、その数を減らしている。105ミリもあるライフル弾を撃ち込まれれば、当然だろう。

 次に浮かんだ達也の疑問は、あの戦車には誰が乗っているのかだった。小倉の駐屯地では、多数の犠牲が出た。それを打破する切っ掛けを与えてくれたのは誰だ。

 

「......大地!大地だろ!」

 

 達也の声は、一階から聞こえた金切声に遮られた。

 耳をつんざく悲鳴は、次々と各所であがり始める。二階にまで凶悪な被害を及ぼす大砲が着弾したのだ。どれだけ頑強にバリケードを作っていたとしても耐えられる筈がない。

 戦車に群れていた多数の暴徒も、声に反応したのか、次々にモール内に「ある」新鮮な肉を求めて走り出す。木霊する数多の悲鳴、悲痛、啼泣、嘆声、そして、響いた銃声。小金井により訪れるはずだった仮初めの平和は、僅か数秒の内に、瞬き程度の須臾の間に、悲惨な現実へと姿を変えた。

 

「こ、が、ね、いぃぃぃぃぃ!」

 

 崩れた連絡通路の奥から、東が再び叫び、二人は目を向ける。額から流れた血が床に滴り落ちたが、気にしている素振りは微塵もない。ただ、小金井への怒りを募らせ続けている。

 対して、小金井が送った返事は、左手の中指をたてただけの簡単なものだった。

 FUCK YOU!(くたばれ!)

 万国共通のハンドサインだ。



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第14話

 そのサインに東は更に激昂したようだが、人が道具も無しに飛び越えられる距離ではない。

 埋まらない距離は、東から冷静さを奪っている。武器も無しに声を張るなど、現状では自殺に等しい。戦車を囲む暴徒達が一斉に雄叫びをあげ、より狙いやすい東へ目標を変更し、館内へと吸い込まるように消えていく。

 満杯になったダムから溢れだした水のように、暴徒の波が凄まじい速度で人間を津波のごとく飲み込んでいく光景は、達也の双眸を釘付けにし、判断を遅れさせた。

 

「古賀さん、早く逃げろ」

 

 軽く叩かれたように達也は小さく震えた。そうだ、いつまでもここにいる訳にはいかない。

 暴徒の一団の内、数名が二階にいる二人に濁りきった白目を向け咆哮している。二人のもとに辿り着くのも時間の問題だ。

 

「ああ、分かった。ほら、肩をかしてやるから急いで......」

 

 小金井は、そこで首を振った。

 

「いや、逃げるのは古賀さんだけだ」

 

「何......言ってんだ?冗談言い合ってる場合じゃねえのは分かるんだよな?」

 

 小金井が正気なのかを疑念を抱くほど、信じられない言葉だった。心の底が激しく震盪するのを自覚しつつある達也に頷きかける。

 

「ここにいた人間は、全員が俺の仲間だったんだよ。置いてなんかいけない」

 

「......お前の言い分も分かる。けどな、こんなこと言いたかねえが、お前は今、生きてるんだぞ?」

 

「ああ、生きてるよ。だからさ、俺にしか出来ないんだよ」

 

 小金井は、二階へあがるエスカレーターで絡み合う暴徒の集団を指差した。強引に腹部を破られたような痛々しい傷口から、臓器が僅かに露出している。

 

「あの先頭にいる奴は、俺の友達だった。その後ろは、そいつの奥さんと子供だな。あのじいさんからは、小さい頃に、庭になってた柿を盗んで怒られたっけな......」

 

 次々に指差し、一人一人との思い出を語っていき、その人数が十人を越えると、小金井は達也に向き直った。

 

「......全員、あの二人に破られた館にいた犠牲者で俺の知り合いなんだ。あの人達をキチンとした場所に送るのは......死者を正しい場所に送ってやることは、生きてる人間にしかできないんだよ」

 

 そう言って小金井は、ナイフを拾った。暴徒は、エスカレーターの中腹で我先に二人を喰らおうとした結果、混雑を起こしている。

 

「......お前はそれで良いのか?」

 

「ああ、悔いはないよ。安部と東に一発でかいのをお見舞いできたしね」

 

「......そうかよ。分かった、お前の好きにしろ。ただな、一つだけ言わせてもらう」

 

「......何?」

 

 達也は、一つ敬礼を挟んで言った。

 

「疑って悪かったな。さっきも言ったが、お前ほど、勇敢な奴はいない」

 

 小金井は吹き出し、一頻り笑ったあと、バツが悪そうに立っている達也に左の拳を向ける。

 

「なら、勇敢な男から託すよ。もし、これから先、安部と東に会うことがあったら......」

 

 背後で床を強く踏む音がする。暴徒が二階に到着した。気づいていたが、達也は小金井の言葉を待ち続ける。

 仲間から恨まれようと、影で罵られようと、裏切り者と扱われようと、仲間の為に全てを擲つ男の最後を聞く為に、一言一句逃さぬ為に、達也は、その時をじっ、と待った。

 唇先が震え、小金井が微笑んだ。

 

「こいつを一発、奴等の頬にぶちこんでやってくれ」

 

 達也は、右手を強く握り、眼前に突きだされた拳に当てた。

 

「確かに受け取ったよ、小金井」

 

 自分よりも小さいが熱い拳だった。小金井の怒り、優しさ、それら全てが凝縮されたような感情が詰まった拳頭だった。

 暴徒との距離がみるみる内に縮まっていく。小金井はナイフを握り直した。

 

「頼んだ、古賀さん......行け!走れ!」

 

 達也は振り返らずに、三階への階段をひた走り、駐車場へと抜けていく。それを見届けると、小金井は振り向いてナイフを振り上げた。




昨日更新忘れてました……
PCのノート見て、あっ、ってなりましたわw
ちょっと、間違え多すぎたんで若干、訂正しました.
他に間違えあれば教えてください……
直書きはあかん……w


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第15話

 一人目の男は、小金井を掴んだと同時に、こめかみを貫かれた。

 二人目の老人の飛び掛かりには左腕で受け、眉間へ刃を沈めた。

 抜き遅れたナイフを握った腕は三人目の女に噛まれるが、自由になった左手でナイフを登頂部に突き刺した。だが、四人目の女性でナイフを手放してしまう。小金井は、素手で女性の頭を抱えると、そのまま強引に首をへし折る。

 五人目の子供が、がら空きになった腹部へ、小さな口で、歯を力任せに腹へと埋める。激痛に片目を閉じるが、肘を打ち付けて倒れた隙に顔面を全体重をのせて踏みつける。

 休む間もなく、老婆が小金井の右股に、息つく間もなく、男性が左手に、目を回す暇もなく、女性が左の足首に、次から次へと、小金井の身体に鋭くも鈍い刃のように差し込まれていく歯は、矢継ぎ早に増えていく。

 しかし、小金井は肉を裂かれようと、引きちぎられ食べられようと、傷口を深く抉られようと、決して膝をつかなかった。奥歯が軋みヒビが入ろうとも、小金井は倒れようともしなかった。自分の全身を的にし、噛みつかれながら最初に頭部を貫いた男性へ語りかける。

 

「敵討ちは出来なかったよ......けどさ、信頼できる男に俺の気持ちを預けることが出来たよ......あと、楽にしてやるまで時間がかかって悪かったな」

 

 足首を噛んでいた女性が咬筋力のみで、小金井の骨を砕き、一部を咀嚼すると、ようやくカクリ、と膝を折り、続けざまに駆け寄った男性に飛び付かれ顔面を削られる。

 

古賀さん、生きろよ......生き抜いて、あいつらに俺よりもでけえ一撃をお見舞いしてやれ......

 

 小金井は倒れた。

 

 あいつらを先に逝かせることが出来て良かった......俺もすぐに行くからよ......また、酒でも呑んで馬鹿騒ぎしよう......

 

 小金井の見開かれた眼球に映ったのは、亡き友人の顔と、その一家が横たわる光景だった。

 

                 ※※※ ※※※

 

 遠賀郡水巻町の上空に、騒々しいプロペラのローラー音が響いていた。それに混ざり、時折、重々しい銃声が放たれる。アパッチの操縦士は、不機嫌そのものだった。追加で出された特別任務は、九州地方にいる生き残りを全滅させるというシンプルなものだが、その生き残りを見付けることが難しい。一人見付かるだけでも奇跡といえるだろう。

 そもそも何人いるのか、と辟易しつつ溜め息をついた。

 

「おい、もう少し高度を下げてくれ」

 

「......ああ、分かった」

 

 相棒の指示に、操縦士は素直に従う。返事までに間が開いたことが気になったのか、機銃を担当する男が訊いた。

 

「どうした?なんか、悪いもんにでもあたったか?」

 

「いや、そうじゃない。ただな......こんな場所に生き残りがいる訳がないと思うと、何をしてんだって気分になるんだ」

 

「おいおい、しっかりしてくれよ。そういう油断があるから、あのトラックに逃げられるんだ」

 

 操縦士は、関門橋を破壊したあと、逃げ出したトラックを思いだし唇を噛んだ。あそこで仕留められていれば、この負担も少しは減ったのだろうか。いや、あれだけの速度で建物に衝突して無事な筈がない。やはり、この任務は面倒なことこの上ない。

だが、自分のミスに変わりはないのだ。操縦士は話題を逸らす為に、なにか別の事を口にしようとした時、強烈な爆音が聞こえた。

 二人は、同時に音の方向へ首を回し、機銃を掴んだ相棒が口笛を鳴らす。

 

「こりゃ、一気に任務の負担を減らせるかもな」

 

 そうなれば良いが、と目を細めた操縦士は、音がした方向、つまり、中間のショッパーズモールへとアパッチの車体を傾けた。




次回より弟十四部「合流」に入ります。お気に入り数160突破、及び、UA数22000突破直前です!!
嬉しすぎて、もう......!!
本当にありがとうございます!
個人的に、東VS浜岡ってドロドロの戦いになりそうだなとか思ってます。絶対書かないけど......w
最近、書くことに必死で、折角、書いて頂いた感想に返事が出来なくて申し訳ありません......早くここまで書きたかったんです......
とにかく、ありがとうございます!!これからも頑張ります!!


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第14部 合流

 この世界には、どこにでも流れというものが存在する。一日の流れ、物流の流れ、人の流れ、仕事の流れ、練習の流れといった具合だろう。

 挙げ出したらキリがないほど、人は流れの中に巻き込まれ続け、やがて、それはルーチンでこなせるようになり、それが当たり前になるのだ。祐介は、日々の流れというものをここに来ると嫌でも思い出す。八幡西警察署は、昨日、死者に占拠され、多数の犠牲が出た墓場のような状況だった。しかし、今はどうだ。もはや、ここには用がないとばかりに、署内は閑散としており、時折、血を存分に吸った書類が風に煽られ床に落ちる以外に何か、もしくは誰かが動いている気配はない。もぬけの殻、そんな言葉がぴったりと当てはまる。

 

「顔色悪いぜ?大丈夫か?」

 

「......はい、どうにか」

 

 昨日から、人が喰われた跡や、喰われている現場を目撃してきた真一ですら、八幡西警察署の玄関に立つと、凄惨な内部に口を押さえたくなる。千切られた腕や足、強引に裂かれた腹から洩れる臓器と臭い。立ち込める空気は、いくら玄関口が破壊されていようと、そう簡単には外に流れてはいかない。

 ましてや、この悪臭の原因となっているのは、祐介にとって顔見知りの警官や同じ街で過ごしてきた人間達だ。無理もない、と真一は胸中で呟き、腹からあがってくる物を飲み込んだ。

 

「お前は見張りでも良いんだぜ?どのみち、先に穴生に向かった浩太達と合流するんだ。死者の数が少ないとはいえ、見張りがいればスムーズに出ていける」

 

 一行が警察署に到着して最初に気づいたのはそこだった。死者の数が極端に減っていたのだ。何か、別の獲物でも見付けたのだろうか、そう話し合ったが、明確な答えは出ずに、最終的には警察署内の武器確保は、二人に任せ、四人は穴生に向かい達也の探索に入ることで落ち着いた。

 当初の予定とは少しズレてしまったが一行にとっては死者がいないのは僥倖だった。しかし、祐介はその分の緊張を抑鬱へと心の中で変換している。若い身であることも考慮すれば、仕方がないのだが、いくら割りきったと思っても割りきれないものもある。そこは、流れでこなせるルーチンとは違う。そんな配慮から、真一はそう提案したが、祐介は首を振った。

 

「いや......すいません、妙な感傷に浸っちゃって......本当に大丈夫ですから。それに......」

 

 言葉を句切り、祐介は目元に浮かんでいた涙を軽く拭う。

 

「俺がいないと、武器を全部、回収できないでしょ?二人でやったほうが効率も良いし、早くみんなと合流できる」

 

 良いこと尽くしだと、祐介は笑った。力の無い乾いた笑みだが、まだ余裕はある証のように感じ、真一は頷いて警察署内部へと顔を向けた。




第14部はじまります!!


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第2話

 まるで、幽界への入り口だ。幽暗とした署内は、真一に二の脚を踏ませる。なにか、切っ掛けが欲しいと思った矢先、現世との境界線のように口を開いた玄関口へ祐介が右足を入れた。床に散らばったガラスをお菓子を踏むような気軽さで靴底で砕く。

 

「行きましょうか、真一さん」

 

 祐介の立ち直りの早さは、これまでの経験からだろうか。はたまた、それさえも、ルーチンに組み込まれ始めているのか、その判断は付かなかったが、真一はどこか悲しさを覚えた。

 学校生活や、友人、家族との触れあいで少しずつ身に付けいくものが、こんな殺伐とした世界の中で学んで良いのだろうか。

 真一は首を振って、そんな思考を空へ飛ばす。今は自分の出来ることをやるしかない。

 

「ああ、案内を頼むぜ」

 

 署内に足を踏み入れた瞬間に、大量の水が入った袋が破裂し、中身が盛大にぶちまけられたかの如く、全身に水気を帯びるような感触が二人を襲った。この世に、瘴気というものがあるのなら、まさにこんな感覚を覚えるのだろう。

 まず、祐介は一階の中央に立つと、交通課を指差した。

 

「まず、ここに武器が置かれて......向こうの取り調べ室前に怪我人がいて......」

 

 記憶を探りながら、口にした場所を指差していく。ひとしきり終えると、祐介は背中を向けていた生活安全課へと振り向き、市民相談課を指差す。

 

「こちらより、恐らく、そちらの方に武器が多いと思います」

 

「了解」

 

 短く返した真一は、机に片手をついて飛び越えた。

 着地と同時に、水溜まりを勢いよく踏みつけた時と同様に、血溜まりが弾け、真一は眉間を狭める。

 机に隠れて見えなかったが、その場は地獄にあるという血の池地獄のような様相を呈していた。反射的に飛び上がり、再び両足をつくが、ぐちゅり、とした感触が足裏に広がり対応出来ずに尻餅をついた。祐介のことも頭に入れてはいたが、手や足に広がる触感と臭いに堪えきれず、胃に残っていた物がばら蒔かれる。数日おきの嘔吐など、初めての体験だった。異変に気づいた祐介も、駆け寄るや否や、机の先、眼界を埋める臓器や死体の数々に目を背ける。

 

「……こいつは予想以上だぜ……悪い、祐介」

 

「いえ……仕方ないと思います」

 

 真一は、意を決して奥の拾得物預かり部屋へと顔をあげる。どうやらその場しのぎでバリケードを作ろうとしたのだろうが、攻め入っている死者を相手にそんな悠長な時間も無く全滅したのだろう。その先からは、一段と濃い鉄錆の匂いが漂っていた。



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第3話

 二人は目で合図を交わす。武器が大量にあるのは、恐らくそこだろう。

真一は、ナイフを抜く。もしも、死者に囲まれた時に、逃げ道を確保しておかなければならない。前準備は何をするにも必要だ。

 近場の仰向けになっている死体に近付き足先で二度つついた。反応はなく、死後硬直が進んでいるようだ。頭部が凹み、大の字になったまま、空っぽになった腹部を晒しているが、腕は軽い力では動かせなかった。指先は、まだ幾分の柔らかさを残している。

四肢の硬直は、約八時間で始まり、次に指先が固まる。つまり、この遺体は、死後十時間弱だろう。直前に激しく抵抗をした場合は、早く硬直が始まるが、それは計算にいれる必要はないか。真一はそう判断を下す。

 致命傷となった頭部への打撃は、転化した後に与えられたダメージだろう。死者となる心配はなさそうだ。しかし、予防するに越したことはない。ナイフの刃先を死体の額に当てると、一気に体重を乗せた。力一杯張ったハンカチの中心を刺したような小気味良さはない。

 真一は、点在する遺体の額に刃を立て続け、一段落つくと、訓練が終わった時とは比べ物にならない疲労感に見舞われ、そのまま床に座り込んだ。

 

「......真一さん」

 

「......ああ、へばってる場合じゃないよな。わかってるけどよ、少し待ってくれ」

 

「いや。そうじゃなくて......あれ」

 

 机を飛び越えた祐介は、生活安全課の奥にある倒れたロッカーを指差す。それは、奇異な場景だった。

 倒れた際に、開き口から転がった為に閉じ込められたのだろう。左右にガタガタと揺れ始め、それは次第に早くなる。そして、聞こえてくる獣の声。中にいるのは、間違いなく死者だ。真一が重い腰をあげ、祐介にナイフを渡す。

 

「俺が持ち上げる......気を付けろよ」

 

 それだけ言うと、真一はロッカーに手を掛ける。無言で首肯した祐介は、ナイフが手汗で滑らないよう、何度も握り直す。

 

「三......二......一!」

 

 一息でロッカーを持ち上げ、死者の重さで扉が開く。

 特徴的な青い制服が見えた。警察官の成の果てだ。死者は立ち上がると、咆哮をあげ目先の祐介に飛び掛かった。

 祐介は、逆手に持ったナイフを右手に構え、左手は死者の胸へ当て、行動に制限をかける。あとは、祐介の肉を求め、ダラダラと涎と血を混じらながら叫び続ける死者の頭部に刃を突き立てるだけだ。だが、祐介は右手を引いたまま、眼前に迫る死者の歯を遠ざけようと奮闘しているだけだった。その顔には、焦燥や不本意な感情が見え隠れしている。

 

「おい!祐介!急げ!」

 

 真一の怒声にも似た声に、右手がピクリと反応するも、それを振り上げようとはせず、切歯扼腕した真一が死者を背後から羽交い締め、横倒しにすると、裂帛の気合いと共に顔面を蹴り抜いた。首の骨が折れるような鈍い音は、祐介の耳にも届く。

 肩で息をしつつ真一が低く言った。

 

「お前......どういうつもりだよ......」

 

 険しい形相で振り返った真一は、震える祐介を見て、鬼のような表情を弛緩させていき、戸惑いを浮かべた。もし、そうならこいつは、どうやって昨日の地獄を生き抜いたのだろうか。

 誰かに守られながら、ここまでやってきたのだろうか。確かめるように、ゆっくりとした口調で真一は、こう尋ねた。

 

「お前......まだ、死者を殺したことがないのか?」




あーー、ガルパン劇場版超面白かったーーー!!最高だったーー!!
……戦車の事なーーんにも知らんけどね!!ww


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第4話

 二人の間に、沈黙が流れる。それは、肯定と同じだ。

 真一は、決して祐介が楽をしているなど思っていない。勿論、臆病者と罵声を浴びせるつもりもない。

 純粋に心配しているのだろう。これから先、達也を救出するには、必ず死者が障害となるのは間違いなく、祐介が一人で襲われでもすれば、窮地を切り抜けられるのだろうか。自分や仲間、市民を自衛官として守る為という名文がある真一や、どこか達観した彰一、それぞれの理由から、望まずして受けたであろう二度目の生を終わらせてきた。それが正しいことだとは思わない。

 世間的に見れば、人として正しいのは祐介で、人として間違っているのは真一だ。しかし、綺麗事だけでは生き残れないのも確かだ。

 真一は目の前で項垂れる少年にかけるべき言葉を探すことも出来ず、視線を彷徨わせ頭を掻いた時、口火を切るように祐介が言った。

 

「すいません、真一さん......俺......死者だって元々は生きた人間だと考えると......」

 

 太股の位置で、祐介は拳を固める。それを見た真一は口を開く。

 

「謝らなくて良いぜ......お前の方が正しいんだからよ」

 

 背中を向けた真一は、自分の両手が赤く染まっているように見え、溜め息をつくと天井を仰ぐ。

 

「お前は、優しすぎるんだよ......その気持ちを俺達はどっかに置き忘れちまってる」

 

「......真一さん」

 

 祐介の声に向き直り、真一は続ける。

 

「綺麗事だけじゃ生き抜けない。けど、汚れていくだけじゃ腐っていくのも早い......結局は、極端なんだよ。だが、こんな世の中にはなっちまった以上、俺達は死者を退ける必要がある。だけどな、俺達だって好きこのんで死者を撃ったり刺したりしてる訳じゃないぜ?」

 

 ここまではわかるな、という意味を込めて真一は言葉を切った。祐介は、渋々といった表情で首肯すると、真一は人差し指を、ぴん、と鼻の筋に沿うように立たせる。

 

「そこで問題になることがひとつある。自分の中に余裕が無くなることだ。ニュースとかで、流れてくる内容に気分が暗くなったりした経験はあるよな?」

 

 記憶を探っているのか、祐介は少しだけ間を開けて答えた。

 

「......ある」

 

「その時に、心から心配した経験はあるか?」

 

 祐介が真っ先に思い出したのは、事件の切っ掛けとなった墜落事故のニュースだった。リポーターが、生存者がいます、と叫んだとき、自分はどう感じた。

 ......お気の毒に......

 この時点で、心配ではなく、諦めに入っている。まさに、対岸の火事だった。自分には関係のない出来事だと考えていた。




ヤバイ……寒い……


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第5話

 祐介の表情を読み取った真一は、肩をすくねた。

 

「そんなもんなんだよ。余裕がある奴はな......当事者の気持ちなんざ知らないだろ?けど、やっぱり、当事者には余裕が欠ける。俺や、浩太、彰一に阿里沙ちゃんや加奈子ちゃんもそうだ」

 

 加奈子は声を失い、阿里沙は拠り所を奪われ、彰一は出会った当初、死者に有り余る憎しみを抱いていたように見えた。余裕というのは、笑うことが出来るという意味だ。確かに、この事件が起きてから、笑うことが少なくなったが、潜んでいたホテルでは、祐介を含めた全員が素直に笑っていた。事件後、最初に笑ったのはいつだったろう。祐介は、二階への階段がある方向に首を回す。

 

「お前ら四人は、こんな場所からも生き残れた。それはさ、お前みたいな奴がいたからじゃねえか?」

 

「......俺みたいな奴?」

 

 真一は頷いた。

 

「どんな状況になろうと、ちゃんとした人間として生きようとする意思を持ってる奴だよ。そんな奴だけが、諦めかけた人の背中を押してやることが出来るんだぜ」

 

 祐介は、真一の言葉で頭の中にある引き金を引かれたような感覚を覚える。そうだ、みんなで目標を持ったとき、祐介は笑いを堪えてしまうほど笑っていた。

 

「そんな奴が一人いれば、俺達も普通の人間でいられる。逆を言えば、お前みたいに優しい奴がいなきゃ俺達はすぐに獣みたいになっちまうぜ......だからさ、祐介......お前はそのままでいてくれよ。俺達がどんだけ人として歪んでも、戻れるように......ああ、もう、なんつうか、わかんねえぜ......浩太ならこんな時に上手く言えるんだろうけど......」

 

 真一は、一歩だけ進み、祐介の胸を軽く小突いてから言った。

 

「俺達には、お前みたいな奴が必要なんだよ。だがよ、仲間がピンチの時は、頼んだぜ?」

 

「......ありがとうございます、真一さん」

 

 決まりが悪そうに、真一は俯く。そんな姿に祐介は小さく微笑んだ。誰かにそう言ってもらえるのは、必ず心の負担を減らしてくれる。

 人間として人間らしく生きていく。

 生まれもった性格も必要だろうが、祐介の中で、その感情や思いは、真一によって大切なものへと変わることができた。

 

                 ※※※ ※※※

 

 一台の軽自動車、プレオが穴生のドームの植え込み前に停車した。周囲を確認した浩太が フロントガラスを指差すと、車はゆっくりと慎重に走り出す。

 スーパー前の大通りを抜けた車は、そのまま新設された病院を横目に穴生の住宅街へと入った。




もうすぐ年末……か


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第6話

 木枯しが吹いた寒空の下を走っているような閑散とした雰囲気が辺りを包んでおり、人の声はない。軒を連ねる昔ながらの木造住宅、その隣にある公園に車を停め、阿里沙が加奈子を抱えながら、周囲を見渡した。

 

「......なんだか、いつもと感じが違うね」

 

「何を当たり前なこと言ってんだよ」

 

 彰一が運転席から降りながら言うと、阿里沙は落ち込んだように表情を曇らせる。彰一の言葉には、この状況が日常になりつつある、そんなニュアンスが含まれている気がしたからだ。

 阿里沙の考えすぎだというのは分かるが、どうにも悪い方向に頭が流され始めているようだ。

 

「二人共、気を付けろよ。奴等はどこかにいるからな」

 

「分かってるよ」

 

 浩太の注意に彰一が返し、腰に挟んでいた包丁を抜き出す。浩太が先頭に立ち、公園を出ると、生温い風にのり、逃げ場など、どこにも存在しないと訴えるような血の臭いが漂い、四人を包んだ。どれほどの犠牲者がこの鉄竜(地名)の住宅街に眠っているのだろうか。

 四人は、錆びた鉄のような臭いを辿るように歩き続ける。白い壁には不釣り合いな赤い手形、死者になれないほどに食い散らかされている首の無い死体、そして、流れてくる風、無惨な光景を瞼に焼き付けるように、生々しさをもって四人へ現実を叩き付けてきているようだった。

 

「......大丈夫か?阿里沙ちゃん」

 

「私は大丈夫ですけど、加奈子ちゃんは......」

 

 浩太は振り返る。加奈子は、必死に恐怖に耐えているようだった。

 ぎゅっ、と阿里沙の裾を握り締め、下を向き、出来るだけ死体を見ずに歩いている。その姿を痛ましく思い、浩太が励まそうと一歩近づいた時、加奈子の後ろで影が揺れた。短い声を出し、加奈子の両脇に腕を入れて彰一が抱きあげる。

 

「おら、怖いなら無理すんな......」

 

 加奈子は、ぶるぶると震え声もなく泣き出し、不安が爆発したのか彰一の胸元に顔を押し付ける。大きくなる染みを拭うでもなく、彰一は優しく頭を撫でてやっていると、ふと二人の視線に気付き、舌打ちを挟んで言った。

 

「んだよ......なんか、文句あんのかよ......」

 

 はっ、としたように阿里沙が首を振る。

 

「ううん、ごめんね。なんか、うん......意外だなって」

 

「......うるせえな!ほら、さっさと行くぞ!」

 

 悪態をつきつつも、加奈子をおろす様子もなく、スタスタと二人を追い抜いていく。

 

「なんか......変わったなぁ、坂本君」

 

「そうなのか?」

 

「はい、なんていうか......雰囲気が柔らかくなったような気がする」

 

「まあ、あいつは見た目で損をするタイプだろうからな」

 

「実際、この辺りでは有名な不良でしたしね」




……さっむ!!wwww


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第7話

 浩太は、妙に納得したみたいだ。体格も良い、真一に食って掛かる度胸もある、そして、今の一連から面倒見の良さも窺える。培ってきたものが、祐介と阿里沙とは違うのだろう。八幡西警察署に行き着くまでの道中で、生き残れた理由が彰一にも必ずある筈だ。

 二人が悪いという訳ではないが、性状が違うのは間違いない。浩太がそう考え終えると同時に、先頭を行く彰一が鋭く声をあげた。

 

「おい!二人とも急いで来てくれ!」

 

 阿里沙が声に引かれるように走り出す。少し、反応が遅れた浩太も続き、すぐに周囲との不一致を察した。その一画は集合住宅街であり、まるで臭いの発生源であるように一層、深まっていた。呼吸をすることも憚られそうなその場所は、穴生の商店街に程近い。

 浩太は、反射的に死者の姿を探したが見当たらなかった、こんな所を強襲されるなど堪ったものではない。

 自分の口ではなく、加奈子の口に手を当てていた彰一に追い付いた阿里沙が彰一の目線を辿り、その先にある一軒家を仰ぐ。破壊された玄関は、四人を先へ誘っているかのようだった。生温く湿った風が吹き、近場にあるアパートの一室から扉を揺する音が聞こえ、四人は身を固める。彰一は、左手に包丁を握る。

 

「......一人いるみたいだけど、どうする?」

 

「一人なら放っておいて良いだろう。それよりも、こっちだ」

 

 そう言って、浩太は目の前の一軒家を見上げた。幽霊屋敷や心霊スポット以上の雰囲気に呑まれつつある四人は、静かに喉を鳴らす。これだけ立ち往生しても、一軒家から死者が飛び出す様子もないが、それが薄気味悪さに拍車を掛ける。

 

「......本当に入るの?」

 

 阿里沙の呟きに浩太が頷いた。

 

「ああ......行くしかないだろうな。三人はどうする?」

 

 浩太が一歩踏み出して振り返った。彰一が首を縦に動かす。

 

「俺も行く。阿里沙、加奈子を頼む」

 

 しかし、加奈子は彰一の首に回した腕を放す気はないらしく、程なくして、阿里沙は諦めぎみに溜め息を吐いた。

 

「......分かったわよ、あたしも同行する。はぁ......随分と好かれてるわね」

 

 彰一が不本意そうに返す。

 

「......もし、死者が来たときにヤバくなるけどな」

 

「そんときは俺が手を回してやるよ。じゃあ、行くか」

 

 浩太を再度、先頭にして四人は底の見知れない虚のような一軒家へと踏み込んだ。玄関には残った蝶番を越えると、臭気が一気に増した。眉を寄せた浩太は、色濃く残る臭いの発生源を探る為に、一度見渡していき、右手に映った階段で視線を定めた。階下で乱雑に撒かれた人間の四肢と臓器の一部、それが数多の足跡に囲まれている。玄関から真っ直ぐに延びる廊下はリビングに続いており、そこまで血の跡がべったりと続いていた。さすがに確認をする余裕はなく、浩太は階段を下から上へと眺めていき、両手を拍手のように打ち付けた。何も反応はない。

 最終的な確認を終え、浩太は三人に向けて中に入れ、と右手を軽く動かした。




もうすぐ開始一年か……
だが、この世界では、まだ3日しか経過していないのか……w
来年の六月には終る……か?www
無理そうだなwww


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第8話

「......これは酷いな。なんか、めぼしいものはあった?」

 

「いや、何もない。とりあえず、武器の用意だけはしっかりな」

 

「リビングは......やめとくか......」

 

 彰一はリビングへ繋がる廊下を辿って言葉を切ると包丁の刃先で二階を指した。声を出さずに、浩太が首肯し、先を歩きだす。壁や段差、手摺に至るまで飛び散った朱色は、時間の経過からか黒に変色を始めている。

 ギシリ......

 僅かな軋みさえ、四人の耳は正確には捉えていた。

 二階には、扉が二つあり、一つが開け放たれている。子供部屋のようだ。開いた窓から入る風がサワサワと浩太の髪を撫でる。

 

「......俺は向こうを調べてくる。良いか?くれぐれも慎重にな」

 

「ああ、分かってるよ。そっちも気を付けろよ」

 

 彰一と阿里沙、加奈子を残し、浩太は閉ざされた扉へ近付いていく。固唾を飲んで見守る彰一は、浩太がドアノブを回して開くまでは油断が出来ないとばかりに滲む手汗を拭わなかった。耳の横で構えたナイフを頭よりも高く上げつつ浩太がドアノブを握り、一呼吸おいてから一気に扉を開くと同時にナイフを降り下ろした。

 しかし、刃は空を切り、勢い余って膝をつく。部屋は採光する為の窓以外は一切が閉ざされている。中には誰もいなかった。ふう、と安堵の息を吐いた彰一が、ようやく手汗を拭って言った。

 

「ビビらすなよ。なんかいたのかと思った......」

 

 姿はないが、転がるように入った部屋から声が返ってくる。

 

「悪かったな!ここは、寝室みたいだ!みた所、めぼしいものはないな。いや、これは......」

 

「どうした?」

 

 部屋から出てきた浩太の手には、長方形の箱がある。怪訝そうな彰一をよそに、上蓋を開くと中には棒状の紙を丸めたものが数本残っている。煙草だ。

 

「......掘り出しものだろ?」

 

 ニヤリ、と悪戯な笑みを浮かべた浩太は、箱を揺すり、半分ほど飛び出した一本を彰一に向け、苦笑混じりに彰一は抜いてくわえる。

 

「良いのかよ?仮にも公務員だろ?」

 

「とか言いつつ、しっかりくわえてるのは誰だよ」

 

 浩太は、ポケットからライターを取りだし火を点けると、彰一に渡す。慣れた手付きで煙草を吹かし始めた彰一に浩太が笑う。

 

「やっぱり、吸ってたんだな」

 

「......今更、咎めるとか無しだからな?」

 

 浩太は、はっ、と鼻で一笑すると意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「誰に教わったんだ?」

 

 彰一は、ゆっくりと煙を吐くと灰を床に落としてから短く言った。

 

「......親父」



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第9話

「......車の盗みかた教えたり、煙草の吸いかた教えたり......何て言うか、随分と個性的な父親だったんだな」

 

 言葉を選んだような浩太の口調に、彰一は吹き出す。

 

「何、気をつかってんだ。別に良いよ、ロクでもない親父だったことに変わりはない」

 

 顔を下げた浩太は失敗した、と肩を落とした。少しでも距離を縮めて、より強い信頼関係を築こうとしたのだが、裏目に出てしまったようだ。単純で軽率、勢いだけの発言だった。九州地方の現状を頭に僅かでも残していれば、出てこなかった一言だろう。真一のようなノリは、やっぱり自分には向いていない。

 

「......少し俺の親父について話すよ」

 

 不意に彰一がそう言った。浩太が顔をあげる。

 

「俺の親父はヤクザだった。そりゃ酷い毎日だったよ。餓鬼の前で覚醒剤やマリファナを平気で食うような奴だった。母親は俺を置いて逃げたから、その皺寄せが俺に向いたりしてたな。家に帰りたくなくなるのも当然だと思わねえか?」

 

 明るく話す彰一に、浩太は更に肩をすぼめた。辛い過去を引きずり出しただけじゃないか。すると、目の前に右手を差し出され、一体なにかと首を傾げれば、煙草の催促だと思い至り一本渡した。

 浩太の返事は聞かずに、彰一は火を点ける。

 

「そんな訳で、俺も悪い連中と付き合い始めて警察の厄介になることも増えた。けどさ、やっぱり楽しかったんだよな。そんな連中とつるむのは......なんか、本当に兄弟みたいだったよ、家族が出来たなんて思ってた」

 

「......家族か」

 

「ああ、家族だ。その頃には、祐介と阿里沙の親父に補導されまくってた。学校も行かずに、黒崎やら小倉で遊び回ってたらそうなるわな」

 

 一度区切りを作るように、彰一は煙草の煙を吐き出す。しばらくの無言を破ったのは、浩太の短い声だった。

 

「......それで?」

 

「飛行機が墜落したニュースを聞いたのは、一人で黒崎の家電屋にいた時だったよ。場所は皿倉山、俺は仲間を集めて物見遊山で野次馬を掻き分けて近付いてい写真を撮ったりしてた。俺の自宅は帆柱にあるし、親父は居なかったから遅くまで酒を呑んで騒いでた」

 

 浩太は、黙然としたまま、先を促すように頷いたが、彰一は肩をすくねてから続けた。

 

「そっから先は、多分、アンタらと同じだ。奴等が押し寄せてきて、仲間を起こしてたら三人が食われた。そいつらが食われてる隙に、俺を含めて四人が窓から逃げて、二人は食われたよ」

 

 最後に聞こえたワードに腑に落ちない部分があり、浩太は尋ねる。

 

「......二人?」

 

「......死者の大群から逃げる時に、俺を囮にしやがったから、一人は俺が殺したよ。人間の感情って不思議なもんだよな......あれだけ家族だと思ってた奴も、いざとなったら怒りのままコントロール出来なくなっちまう。もう、家族ってやつの正しい形が分からなくなって、心にある黒いもんを発散したくてしょうがなかった。だからさ、警察署で死者を......死者になる前の奴等にも憎しみや苛立ちを丸ごとぶつけて、皆殺しにしてやろうとも考えてた」




あーー、やっと飯喰えるw


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第10話

 煙草を床に押し付けると、彰一は座り込んだ。馴染んではいる不良座りから、尻を地べたにつける方に変え、背中を壁に預ける。

 

「そんなときだったよ。祐介と阿里沙や加奈子と会ったのはさ。正直、最初は何も分かってねえ奴だと思ってたけどよ、それは俺の方だった」

 

 彰一の一人語りは、ようやく浩太が知っている三人にまで行き着き、声を出さずに浩太は相槌を打った。

 

「死者に対抗する手段を持ってる俺とは違って、何も持ってないんだよ三人は......誰かに守られなきゃ生きていけない、情けない奴らだ。けどな、あいつらは俺に欠けていたものを沢山持ってた」

 

「......例えば?」

 

 彰一は一瞬だけ言い淀むが、はっきりとこう口にした。

 

「自分の命を投げ出してでも助けてくれる家族」

 

 彰一は浩太を見上げ、自分だけが自覚できる憎しみや悲しみを隠すように、満面の笑みを浮かべた。その奥にあるのは、暗い感情ではなく、憧憬にも似た明るさなのだろうか。浩太は、胸の奥に針を刺されたような鋭い痛みを覚えた。

 浩太、真一、祐介、阿里沙、加奈子、今の仲間は誰一人欠けることなく彰一を信頼している。他人からの信頼や絆を求め続けた少年が、ようやく手にしたにも関わらず、死者が蔓延る九州地方では、指の隙間をすり抜ける砂のように容易く落ちてしまうような気がしたからだ。

 本来、そういった気持ちは平穏の中で育み、より強固にしていくべきものである。浩太は掛けるべき言葉が見つからなかった。憐愍の情が表情に浮き出ていたのか、彰一は立ち上がりつつ溜め息を吐いた。

 

「なあ......そんな顔しないでくれよ。俺にとっちゃ全部、過去の話しだし、本当の家族の形ってやつを知れて良かった。だから俺は......」

 

 彰一は煙草の催促をすると、取り出す為に浩太が顔を背けた瞬間に、囁くような小声で言った。

 

「......みんなを家族と思ってる」

 

「......ん?なんか言ったか?」

 

「......なんでもねえよ!」

 

 引ったくるように煙草を奪った彰一の背中を、少し荒々しい高い声が叩いた。

 

「二人共!ちょっと来て!」

 

 阿里沙の慌てた声に、彰一はいち早く煙草を捨て子供部屋に向かった。ワンテンポ遅れて浩太が続く。

 阿里沙と加奈子は、子供部屋の奥にある窓の側で床へ視線を落としており、二人に気付くと、その状態のまま阿里沙が手招きをする。まるで、目を離す訳にはいかないとばかりに、頑なに視線を上げようとしなかった。二人は、互いに首を傾げる。

 

「どうしたよ?なんかあったのか?」

 

 彰一は問いかけつつ近寄り、二人の双眸の先を見た。なんの変哲もない足跡があるだけで、彰一は更に頭を傾ける結果となった。

 

「これがなんだってんだ?」

 

「加奈子ちゃんが見付けたんだけど、この足跡、他とは踵の形が違わない?」

 

 浩太が覗きこむように足跡を凝視する。確かに、スニーカーのように独特の窪みがない。




もうすぐ一年……


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第11話

「......彰一、靴の底を見せろ」

 

 言われた通り、彰一は右足を上げる。随分と薄くなった足跡を浩太が見比べた後、彰一が浩太の靴底を確認すると、足形が一致した。

 

「......ビンゴ、加奈子のお手柄だ」

 

 浩太は立ち上がり、他に足跡がないかを探す指示を出し、途中、手摺についた血痕を発見し急いで一階まで降りる。残りは、リビングだけだ。

 ......あそこに入るのか。

 死者はいないだろうが、それでも気が引けてしまう。だが、ここまでの確認の中で収穫はあった。あの足跡は、二階にしかなかったのだ。臆測にすぎないが、足跡の主は一階のリビングから二階へ上がり、なんらかの事情で人間を階段から突き落とした。なんのためにと問われれば、生きる為にだろう。

 阿里沙と加奈子を待たせ、浩太と彰一は、深呼吸をする。噎せそうになるが、これは我慢するしかない。なにせ、ここから先は、その臭いの中心になるのだから、心理的に呼吸をしたくなかった。念のために、二人は武器を構えて同時にリビングに飛び込み、身体の至る所を解体された死体が目に入る。

 破られた白衣の一部が、固まった血で乳房に張り付いている。原型は残っていないが、恐らくは女性だろう。無理矢理、捻木られた頭部から抜かれた眼球は、神経でようやく繋がっているが、半分になり、乾いた涙の跡が頬に残っている。開かれた腹部の臓器は、根刮ぎ引き裂かれており、四肢は引きちぎられていた。腕はソファーに、足は台所のシンクに放置されている。あまりに酷い有り様に、彰一は堪えきれずトイレに駆け込んだ。これほどの損傷は、そう目撃することはないだろう。

 浩太は、目に涙を浮かべながら、死体に両手を合わせ、リビングの探索を始めた。案の定、大量の足跡に紛れ、台所に数ヵ所、リビングのテーブルや床にも見付けることが出来た。

 ここには、浩太と同じ自衛官の誰かが潜んでいた。その確信をもった浩太は、リビングを出る前に女性の死体を一瞥する。場所から察するに、自衛官は達也である可能性は高いが、この女性を突き落とし、死者に喰わせたのは達也なのだろうか。

 

「浩太さん!」

 

 浩太の思考を断ちきったのは、彰一の声だった。玄関前に集まっていた三人は、彰一の手にした淡い光を放つ銀色のプレートを珍しそうに眺めている。

 

「階段に落ちてたのを加奈子ちゃんが......」

 

「見せてくれ!」

 

 阿里沙の言葉を遮り、浩太は焦りからプレートを乱暴に取り上げると、付着した血を袖で拭い、彫られた文字を見て腰を落とした。

 

『TATUYA KOGA』

 

 生年月日や血液型まで達也と一致する。

 そして、家屋の状態から無事だとは到底、思えなかった。達也の死体は死者により運ばれ、外のどこかで解体されてしまったのか。足が震え、力が入らず、立ち上がることすら難しい。血にまみれたドッグタグが示すのは、自衛官にとって只一つの事実だけだ。




ああ……あげるの忘れてた……


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第12話

 茫然自失とする浩太の肩を叩いたのは阿里沙だった。

 

「まだ落ち込むには早ですよ。階段の足跡を調べてたんですが、あの足跡は登りにしか付いてなかったんです。そして、足跡は窓際にあった。つまり、窓から逃げ出したか、誰かが運び出した可能性も考えられます」

 

「......誰かだと?そんなもん」

 

 浩太の反駁に阿里沙が鋭く返す。

 

「死者ではないです。そんな器用なことが出来るとは思えませんし、突き落とされた人の方に群がると思います。予想ですけど、人を囮に使って窓から逃げ出したんじゃないでしょうか......」

 

 途端、阿里沙に暗い影が下りた。分かっている。直接の面識がないとは言え、人間を囮に使うような自衛官を仲間に入れることに憂慮しているのだろう。自分が助かる為に、他人を犠牲にするような者は信用できない。そう、はっきりと表情に出ている。

 

「......達也が生きてる希望は残っているなら充分だ」

 

 浩太は、三人の疑念には答えずに、立ち上がった。彰一が一歩踏み出す。

 

「浩太さん、分かってんだろ?これが、どういう意味かさ!」

 

「......ああ、分かってる」

 

「ッ......なら!なんとか言ってくれよ!あの手摺の血を見ただろ!下に鋭く延びてたんだぞ!明らかに突き落とした跡だろうが!」

 

「それを達也がしたって証拠がないのも事実だろ」

 

 カッ、となった彰一は反射的に浩太の胸ぐらを掴みあげた。浩太が短く呻くと捲し立てるように、彰一が言った。

 

「そいつを庇いたい気持ちは分かる。けどな、俺達にとっちゃ死活問題なんだよ!今の仲間みたいに信用に足りる人間かどうかってのはな!達也ってのはどんな奴かは知らねえけど、まともな奴なのかよ!」

 

 二階で交わした会話の中で、彰一は仲間から囮にされたと言っていた。過敏な反応はそれからきているのだろう。浩太が勢いのまま反論する。

 

「少なくとも、俺達といる時は、まともだったよ!」

 

「少なくともだと?じゃあ、今はどうなってんだよ!さっき俺達から目を反らしたよな!アンタも自信がないんだろうが!」

 

「違う!俺が知ってる達也はそんな奴じゃねえ!会っても無いのに知った口を叩くな!」

 

「止めてよ!二人とも!」

 

 阿里沙が二人の間に身体ごと入り引き離した。ふうふう、と興奮気味に肩を上下させている彰一へ阿里沙が口を開く。

 

「坂本君、落ちついてよ!その達也って人に会うまではどんな人か何て分からないんだから、浩太さんを責めてもなんにもなんないよ!」

 

「阿里沙、お前分かってんのか?なんかあってからじゃ遅いんだぞ!」

 

「だから、それを会って確かめるんでしょ!」

 

「それじゃあ遅いって言ってんだよ!仲間にもしもがあったら、俺達は浩太さんに怒りの矛先を向けなきゃいけなくなるんだぞ!そうなれば、信頼も何も無くなっちまうだろうが!」

 

 仲間を思う気持ちの強さを現すように、ぐいっ、と阿里沙が抑える腕ごと前に進んだ彰一は、浩太を睨むように目線を合わせる。

 

「なあ......そうなったらアンタどうするんだよ!」

 

 射抜くような視線を受ける。逃げ場の一切を奪う尖った目力に圧倒されそうになりながら、浩太は彰一の双眸を見つめ返す。

 

「......そうなった時は、俺が達也からケジメをとる」

 

 彰一は、しばらく口を閉ざしていた。ただ黙って浩太の眼を見続けている。やがて、息を薄く吐くような細さで、彰一が確認するように尋ねた。

 

「......二言はないんだよな」

 

「ああ、勿論、二言はない」

 

 浩太の返事を聴いて、彰一は肩から力を抜いた。とりあえずの信用は得れた浩太だが、一つの懸念を残されてしまう。二階に上がる手摺に付けられた血痕を見上げ、返事のない問い掛けに、ただ喋ることもなく索漠とした気持ちだけが膨らんでいく。

 

 達也、お前、本当に壊れちまったのか?

 

 その時、小さくも響く破壊音を四人の耳が拾った。

 




わたしたーーちはここにいますーーby達也w


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第13話

                ※※※  ※※※ 

 

 野田貴子は困惑していた。

 大理石のテーブルを挟んで座る二人組の男は、自分がよく知る田辺という記者の上司と警察官だという。田辺は、現在、浅草警察署に連行され、拘留されており、その田辺から受け取ったメッセージを頼ってここまでやってきたという二人の内、一人、田辺の上司という浜岡が胡散臭い笑顔でカップを持ち上げ、出された紅茶を口に運んだ。マナーは完璧だが、そのどれもが意識的にやっているように見える。ふう、と一息吐いて、カップを置いた浜岡がニコリと微笑んだ。

 

「美味しい紅茶ですね。これは、どちらで?」

 

「......父が海外に出掛けた時に、知人から頂いたものです。確か、会社名はロン......」

 

「ロンネフェルト社の紅茶ですか。ああ、なるほど......美味しい訳だ。我々が飲んでいるものとは一味も二味も違う。香りも良いですね」

 

 貴子は警戒心を解かない。もしもの時の為に、カーテンを全開に開き、尻の下に置いた催涙スプレーを、常に意識から外さなかった。

 ちらり、と一言も発していない警官を名乗る男を盗み見れば、険しい顔つきで紅茶を啜っている。まだ、お互いに探りを入れあっていることぐらいは貴子でも分かったが為に、容易に本題への一言を口に出来ないでいた。そんな膠着状態を打開する一石を投じた浜岡は、もう一度、紅茶を口に含んで飲み干す。

 

「いやぁ、美味しい......やはり、物が違うと味が違いますね。そうは思いませんか?」

 

「それはそうでしょうね。中身が変われば味は違う。外見では値段以外に何も判断できません」

 

浜岡は、大きく手を叩く。

 

「はい、その通りです。外見だけでは中身までは分からない。しかし、安くても美味しいものは沢山あります。メロン等が分かりやすい。同じ味、糖度なのに網目が細かい方が価格が高い。あ、これちょっとしたマメ知識なんですが、ご存じでした?」

 

 貴子は首を振る。この飄々とした態度と言動に、やや辟易してきていた。遠回しな行動に隠れた核心をどうにも見抜けない。恥ずかし気に紅茶の催促をしながら、浜岡は頭を掻いた。傾けるカップが、まるでぐらついた自分の心中のように感じる。警戒心を和らげる為の会話なのか、それとも、やはり、話の核心を切り出すタイミングを窺っているだけなのか。貴子には検討もつかない。眉を寄せ、浜岡に紅茶を注いだカップを渡した。

 

「どうも、ありがとうございます」

 

 こくっ、と喉を鳴らし、浜岡はティーカップの飲み口を指でなぞりつつ言った。

 

「いやぁ、それにしても外見だけでは何も分からないというのは、なんにでも通じることですよね。どこに何が、もしくは誰がいるのか分からない」

 

 浜岡は、懐から折り畳まれたA4サイズほどの用紙を数枚取りだし、一枚一枚を丁寧にテーブルに広げた。全部で五枚ある。斎藤と名乗った警官も興味深そうに、目を細めているのを見た貴子も同様に、視線をテーブルに落とした。




ね…眠い……


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第14話

「そちらは、田辺君に頼まれて調べたものです。何か気付きませんか?」

 

 それは、九州地方感染事件が起きる一週間以内に健康診断を行った会社のリストアップだった。斎藤は一枚を手にして目を皿にして文字を追っていく。

 

「なんだ?何もおかしなところはないように思うが......ただ、会社名を並べているだけだろ」

 

「いいえ、各会社の関係者欄を見て下さい」

 

 浜岡の言葉通りに、斎藤が注目する。すると、リストアップされた数十社の内、一軒によく知る名前が載っていた。

 

「戸部総理か?」

 

 ご名答、と斎藤を指差した浜岡は、続けて二枚目を斎藤に渡す。今度は、健康診断を行った病院が掲載されているが、詳しく一件のみ記載されていた。関係者欄には「戸部」に続けて「野田」の名前がある。

 

「以前、そこには小さな個人の病院があったようなのですが、廃院になり、戸部総理と野田大臣が買い取ったそうで、市民に医療を提供する場として出張診断などに活躍しているそうです」

 

 斎藤が怪訝に眉をしかめる。

 

「それがなんの関係があるんだ?」

 

 まあまあ、と宥めるように浜岡は両手を向けて続ける。

 

「前提として、田辺君はこの両名が今回の事件を起こした黒幕であると睨んでいるのではないかと考えています」

 

 浜岡の言葉に貴子は勢いよく立ち上がり、右手を振り上げたが、浜岡がニコリと口角を上げたことにより、降り下ろせなかった。笑顔の裏に、妙な威圧感がある。忌憚のない物言いで言い放った後、浜岡はソファーに深く腰を預けた。

 

「健康診断を受けた会社にいた知り合いに聴いてみたところ、成績優秀者に社員旅行をプレゼントしていまして、旅行前の体調検査で、診断を受けたのは数名でした。実はですね、その会社は以前、ブラック企業を題材にした記事で取り上げたことがありまして......まだ、厚労省の大臣に就任していない頃の野田大臣がテコ入れに入ったとの噂があり、それ以来、その会社の社長は頭があがらないそうでしてね」

 

「それは、お前のこじつけにしか聞こえないぞ。そう上手く知り合いなんざいる筈がない。それともネットで調べたのか?」

 

 斎藤の嫌味な指摘に、浜岡は不敵な笑みを浮かべる。

 

「斎藤さん、記者という仕事は、情報はもちろん、人脈がなければ成り立たない職業なんですよ。インターネットは国際社会を共同体にしましたが、その分、人の繋がりを薄れさせる。心を閉鎖的にさせるネット社会とは恐ろしいものですね」

 

 浜岡の皮肉に、斎藤は舌を打った。あのメッセージを読み解けなかったのは、表に見えるものばかりを追っていたからだ。情報を探る時にはインターネットを利用する。それは間違いではないが、額面通りに受け取ってしまえば、間違いには気づけない。同じく、テレビで誰かがした発言を、そのまま真に受け考えることを止めてしまえば、そこで終わりだ。

 インターネットの弊害は、情報に対して視野を狭め、人間関係を希薄にする。そんな情報をもつ知り合いなんかいるはずがない、と決めつけたことが何よりの証拠のように思えた。

 

「話を戻します......と言っても、もうここから先は田辺君に聞くしかないのですが......聞きたいですか?」

 

 浜岡は、わざとらしく貴子へ話を振った。嫌悪感を隠そうともせずに、貴子は強い拒絶を示す。

 

「結構です。あなたは、人が不愉快になっていることが分からないのですか?」

 

 腰を落とした貴子は、ソファー座ることもなく、ティーカップをそそくさとシンクへ持っていった。




やべえ、忙しくなってきた……


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第15話

「やれやれ、怒らせてしまいましたねぇ......もう、紅茶を頂ける雰囲気ではないですねぇ」

 

 名残おしそうにテーブルについたカップの跡をなぞった。当然だろう、という言葉を斎藤は飲み込んだ。

 父親を大量殺人犯呼ばわりされて怒らない娘がどこにいる。そもそも、浜岡の目的が見えてこないことにも、拭いきれない違和感を感じる。隣で怪しく笑顔を続ける友人に、斎藤は尋ねた。

 

「浜岡、お前はここに何をしにきたんだ?彼女を怒らせるために、わざわざ足を運んだのか?」

 

 浜岡は、少し悩んだ素振りをしてから返す。

 

「うーーん、まあ、なんというか、下準備をしにきた、といったところですかね」

 

「......下準備?」

 

「はい、下準備です」

 

 貴子を怒らせることが下準備になるのだろうか。意味不明な発言ばかりを繰り返す浜岡は、悪びれる様子もなく台所にいる貴子に声を掛けた。

 

「すみません、紅茶を頂けたら......」

 

 厚顔無恥とはこのことだ。

 貴子は犬歯を剥き出しにするほどに、怒りを露にしたが、それが怒声に変わる直前に、斎藤の携帯電話が鳴り始めた。ぐっ、と喉を締めた貴子に一礼を挟み、電話に出た斎藤は、二言、三言、会話を交わすと、電話を切って二人を一瞥して言った。

 

「田辺が釈放されたそうだ」

 

浜岡がニヤリと口角を上げる。

 

「田辺君なら、ここに向かうでしょうね。では、下まで迎えに行ってきます」

 

 浜岡は、斎藤の制止も無視して、スタスタと部屋を出ていった。残された斎藤は、居心地の悪さに耐えきれずに口を開いた。

 

「あの......紅茶を頂ても?」

 

                 ※※※ ※※※

 

 浜岡は、一人廊下を歩きながら、時計を確認した。田辺が到着するのは、約三十分はかかるだろう。挑発により、頭に血がのぼった貴子のクールダウンには調度良い時間だ。男性は頭に血がのぼると、周りが見えなくなることが多いが、女性は逆によく見えるようになる。口喧嘩は女性の方が強いと言われる由縁はそこにある。これで、貴子は浜岡の言葉に耳を借さなくとも、田辺の言葉には真剣に意識を向けるだろう。

 浜岡の経験から成せる心理を突いた下準備は完了したが、浜岡にとっても、田辺がどういう話を三人に語るのかという点に不安を隠せなかった。というのも、相手が巨大すぎるのだ。一国民が国を相手にしてどこまでやれるのだろうか。浜岡は、不安をかきけすように頭を振った。

 

「とにかく、今は田辺君と合流することを優先して......それから......」

 

 浜岡の呟きは、長い廊下に吸い込まれていく。

 その様子を向かいのマンションの一室から眺めている男達には気付かずに、浜岡はエレベーターに乗った。




次回より新章「開戦・前編」にはいります。タイトル変えるかもしれませんがw
UA数23000及びお気に入り170件突破!
……嬉しい……本当に嬉しい!!
なにかお礼がしたいくらい嬉しい!!本当にありがとうございます!!
これからも頑張りますので、よろしくお願いします!!!!!


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第15部 開戦・前編

東は走っていた。誰よりも早く安部に追い付くためにだ。小金井にしてやられ、東はつくづく自分が甘くなったと痛感していた。以前ならば、小金井に猜疑の目を向けた時点で、その喉元を掻き切っていただろう。だが、今はどうだ。

安部を優先するあまり、かつてない危機に直面している。

東は、二階から一階へ降りるエスカレーターに差し掛かるが、そこにはすでに大勢の使徒がけたたましい咆哮をあげながら集まっていた。いくら東でも多勢に無勢だ。

悪態をついて踵を返した東の後ろを、海嘯のような足音が迫る。中間のショッパーズは、建物が大きい分、連絡通路を崩されようとも、階を移動する階段の数も相当数ある。自衛官を軟禁していた寝具売り場の反対にある本屋の脇に、一階の服屋前に出る階段がある。上に逃げるという選択肢は東の中にはない。その分、安部との距離が遠退いてしまう。

東は、数秒だけ振り返り、使徒との距離を確認する。数は増えたものの、余裕はある距離だ。

寝具売り場から、ぐるり、と迂回し、階段を駆け降りる準備を整えた東は、勢いの付いた身体を階段の一段目で手摺に掴まって強引に停止させることになる。東の眼界に広がった光景は、まさに使徒の海だった。数百規模に達しそうな波は、ゆらゆらと揺らしていた身を固め、一斉に東を見上げた。統率されたような動きに思わず呟いた。

 

「......やべえ」

 

一人があげた哮りが共鳴を起こしたかのような凄まじい音撃は、東を正面から突き抜ける。弾かれるように、東は三階へ駆け上がった。駐車場に出ると、別館へ繋がる通路を駆け抜けるが、立体駐車場内部は破損が酷くなっている。もともと古い建物なので、ガタがきているのは分かっていたが、たった一度の衝撃で通路が分断されてしまっていた。安部との距離は広がるばかりだ。

 

「ああああああああ!!!糞があああああ!!」

 

四肢を突っぱねてやり場のない怒りの雄叫びをあげた。

瞬間、東の肩を誰かが掴み、引き倒した。地面に転がった東の眼前には、赤く染まった涎が絡まる歯が迫りつつある。

先頭の一人が東に追い付いてきたのだろう。咄嗟に使徒の濁った眼球へ左手の人差し指と親指を突き入れ、す眼窩に引っ掻けて引き離し、身体の位置を入れ換え使徒を組伏せると同時に、硬く握った右拳を顔の中心へ振り下ろした。噛み千切られたのか、僅かに残っていた鼻ごと、東の拳が使徒の顔面へ沈められる。拳頭に広がる肉と骨が潰れる感触を味わう間もなく、背中に覆い被さるように両腕を広げていた使徒の飛び込みを、身体を縮めて避け、立ち上がる前にサッカーボールを蹴り上げるような鋭い一撃を見舞う。

背後には、数百に近い使徒が、ザワついた集団のような足音をたてて迫っていた。東は、苦虫を噛んだような顔をして、再び走り出した。




ちょっと、仕事が忙しくなってきてまして……更新ペース低下します
すいません……また、生存報告として、短編をちょっとずつあげていくという、ズルイことを始めたいと思います!w


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第2話

 安部と東の従者は、自衛官を誘い出す為に、全て別館に移動させていた。そして、あの砲撃により通路が断たれた今、東はこの館で唯一の生存者となる。

 館内に蔓延る使徒は、東だけを追う。これほどの恐怖は生涯で味わったことがなかった。全身の皮膚を破り、身体を引き裂かれそうな感覚に襲われる。

 振り返る余裕もなく、階段を駆け下りた東は、踊り場で、また元の場所に戻ったことに気づいた。全ての階段は、あの崩壊した連絡通路に繋がっている。構造を考えれば、当然だ。このままではイタチゴッコだ。安部と再会する前に体力が尽きてしまう。

曲がり角から突如、現れた使徒の胸を押す。自衛官と小金井との争いで武器を落としたことを悔やみつつ、東は冷静になれ、と自身に言い聞かせた。

まず、必要な物はなんだろうか。決まっている、潤沢な武器だろう。ならば、それはどう調達するか。

 ......あるじゃねえか

 東は意企した事を実行に移すべく、崩落した連絡通路に向かった。吹き抜けのホールに厚顔にも鎮座している74式戦車は使徒に囲まれていた。余裕を決め込んでいるのか、ホールの中央から移動をしようとしていない。唇を歪に吊り上げ、背後に迫る使徒が東の背中に触れた瞬間、東は連絡通路から飛び降りた。

 

                 ※※※ ※※※

 

「隊長、ここで止まってなんの意味があるんですか?」

 

 岩神が露骨に眉を寄せながら言った。砲撃後に直進の命令を出して以来、沈黙を守っていた新崎は、何事もなかったかのように背凭れを軋ませる。

 

「......俺達がここにいる意味はある。このショーパーズモールにいる生き残りを探すのに最適なのは、動く死体共だ。安全に任務を遂行するには、要領よくいかなきゃならんからな」

 

 いわゆる、撒き餌のようなものだと岩神は理解した。わざわざ砲撃を撃ち放つ派手な登場も、死者を呼び寄せる為だと、新崎はどこか不満そうに苦笑する。

 徐々に聞こえてくる悲鳴の数が減っていく実感に、たまらず操縦席にいる大地が声を出した。

 

「......隊長、俺はやっぱり間違ってると思います」

 

 鼻を鳴らして、新崎は返す。

 

「間違っていることなんざ、お前に言われなくても分かっている。だがな、何度も言うが、もう引き返すことなんか出来ないんだよ」

 

 新崎は大地から逃げるように、顔を背けた。多少の罪悪感は残っているのだろう。隊長としての采配は良く、苦手とする者もいたが慕う人間も多かった。

 しかし、それならば、何故、このような悲劇に関わってしまったのか疑問が残る。これまで大地や他の亡くなった自衛官に見せていた顔は演技だったとでも言うのだろうか。




ああーーー!!きついんじゃーーー!!


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第3話

 いや、長年に渡り、そんな演技を続けられる筈はない。やはり、何か裏があるのではないのか。大地が信じたいだけなのかもしれないが、精神的に参っている状態で、正常な判断能力が働く訳もなかった。

 

「間違いに気付いているんなら、やり直せる筈です!違いますか!?」

 

 新崎は、大地を埤堄する。しまった、と口を塞ぐには遅すぎた。立場だけでみれば、大地は人質と変わらない。命の取捨選択は新崎が握っているのだ。狭い車内に不穏な空気が満たされていく。新崎の目付きは、色を無くし、外を徘徊する死体に向けるそれだった。

 その気になれば、新崎も戦車の操縦はできる。新崎は、拳銃を握った。

 

「坂下......お前、自分の立場を理解しているか?」

 

 立ち上がり、大地の額に銃口を付ける。ひやりとした銃口から漂う殺意からの恐怖だろうか。全身から冷たい汗が吹き出し、顎を辿って無機質な車内に音もなく落ちる。

 

「お前が生きているのは、たった一つの理由だけだ。岩神が操縦ができないというだけなんだよ。俺は他に仕事があるからやらないだけで、操縦は出来る。ただの数合わせ......いや、弾避け、なにかあった時の人質、その程度の価値しかないんだ。分かるか?」

 

 大地は、キリリ、と奥歯を噛んだ。悔しかった。惨めだった。頭を抑えられ、手出しも出来ず、苦楽を共にした仲間を躊躇なく射殺した二人に、なにも言い返せないことが悔しくて堪らなかった。

 やはり、新崎に期待を寄せるだけ無駄のようだ。

 

「......撃てよ」

 

「ん?」

 

「撃てよ!あの二人みたいに俺のことも撃ち殺せよ!」

 

 車内に反響する大地の声に呼応したかのように、戦車が揺れる。同時に天井からは、なにかが落下したような、ドン!、という短い音が響いた。三人は一斉に天井を見上げる。

 

「......なんだ?岩神、確認してこい」

 

 新崎は、ホルスターから予備の拳銃を抜いて岩神に投げ渡す。

 安全装置が解除された拳銃を右手に持ち、岩神が慎重な手付きでハッチを開いた。わずかな隙間から覗くが、正面にはなんの変化もなく、まっすぐに延びる大砲に手を伸ばす死者が見える。しかし、音だけはそうはいかない。明らかに死者の士気は上がっている。一体、どういうことだ、と訝しがる岩神がハッチをあげて上半身を出した瞬間、頭上から粘りをもった言葉が降ってきた。

 

「やぁっぱり、自衛官だったか」

 

 突如として現れた男は、開かれたハッチの裏から岩神の顔面を鷲掴むや否や、右手の薬指を岩神の眼球へ突き入れた。




あけましておめでとう御座います
今年も小説ともどもよろしくお願いします
……新年早々、眼球とか何かいてんだ俺ww
完全復活までもうしばらくお待ちください。申し訳ありません


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第4話

 岩神に走った衝撃は、計り知れない激痛となって身体を駆け抜けた。右目が熱く熱を発し、まるで心臓のように鼓動を始める。そして、倒懸の最中に眼窩へ指が掛けられる。左手が顎に添えられると、男は力任せに岩神の身体を持ち上げた。

 

「ぎいやあああああああああ!!」

 

 岩神の悲鳴は、黒板を爪で強く掻くような不快感を車内の二人に与え、はっ、とした時には、岩神の靴だけが見えている状態にまでなっていた。

 新崎は、咄嗟に駆け寄り岩神の足にしがみつく。ここで岩神を連れ出される訳にはいかない。ボタボタと落ちる血と涙を浴びながら、その先にいるであろう敵を見上げ目を剥いた。新崎よりも若い男だった。岩神の右目に収まった指をフックに使う残虐的な行為を容易く行えるのは、人間としての道徳観を疑ってしまう。だから、新崎は戦車によじ登った死人の一人だろうと考えていた。

 だが、目があった男は確実に生きた人間のそれだった。

 男との間に一瞬の間が生まれ、岩神は力を振り絞り拳銃を振り上げた。

 

「ひゃっはあ!」

 

 男は奇声と共に、振り上げられた手を左足で止めると、ハッチの縁に拳銃ごと挟み込んだ。冷静に状況を見詰める力がなければ、出来ない芸当だ。

 岩神が再度、痛苦の絶叫を喉が裂けるほどに出す。だが、男が片足になるタイミングを新崎は見逃さなかった。一気に車内に引き寄せ、踏ん張りが効かなかった男の手から岩神の救出に成功するが、一つ誤算があった。

 渡した拳銃が岩神の手になかったことだ。

 まさか、と嫌な予感が走った刹那、新崎の頭上で短い破裂音が鳴り、岩神の右手の小指が弾けた。

 

「くそがあああああ!」

 

 岩神の声を覆い隠すほどの咆哮にも怯まない男が引き金を絞る前に、新崎は拳銃を向けた。二発、三発と放たれた弾丸はショッパーズモールの天井に穴を空ける。男が身を引くと、新崎が叫んだ。

 

「いますぐ戦車を出せ!上にいるサイコ野郎を振り落とせ!」

 

 あまりの出来事に呆然としていた大地は、新崎の怒鳴り声で我を取り戻した。恐怖で震える四肢に渇をいれてアクセルを踏み切る。動きだした戦車のキャタピラが群がっていた死人の集団を薙ぎ倒し、踏み砕いていく。戦車の上部から響き渡る発砲音が二発を越えた時、大地は半ばパニックに陥り、泣き声を交えながら声を張り上げた。

 

「くそ!くそおおおお!落ちろ!落ちろよ!ちくしょう!」

 

「落ち着け!面積のある戦車では、そう簡単には落とせない!店内に突っ込め!少しでも奴の体力を削れ!落としさえすれば、こっちの勝ちだ!」




うん……とりあえず、ごめんね岩神さん……


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第5話

 戦車がけたたましい音をたてながらキャタピラを回す。派手に鮮血が散り、四散する死人達を巻き込みつつ、戦車は粗放な方法でショッパーズモール内へと、車体を突き入れた。砲撃で破られた硝子は、鋭利な刃物へ姿を変えている。外にいる男にとって、ギロチンのようなものだ。これほど危険はないだろう。

 隙を見て、新崎は唸り声をあげ続ける岩神へ視線を落とす。

 両手で抑えた右目からは、おびただしい量の血が指の間から漏れており、傷を確認するために手を離そうとするが、攻め立てるような重苦から頑なに右目を晒そうとしない。外気に当てるだけでも激しい痛みを覚えるのだろう。新崎は、強引に岩神の両手を掴んで、力任せに引き離し口を詰むんだ。岩神の眼球は、瞼を閉じられないほどに露出しており、縦に深い傷口が見受けられる。黒目は潰れ白濁としていた。

 岩神が震える声で呻く。

 

「隊長......俺の......目は......?」

 

 右目は機能を失っていることに気付いているのか、岩神は左目を僅かに開いて新崎にそう問いかけた。新崎は、素人が見ても一目瞭然な状態に首を横に振る。

 

「駄目だ」

 

 たった三文字を口にした。告げられた現実は岩神の内部に強烈な炎を灯す。

 

「あの野郎......殺して......やる......絶対に殺してやる!」

 

 瞋恚に燃える岩神は、新崎を押し退けて立ち上がった。アドレナリンの過剰分泌は、焼け火箸を当てられたような痛みを分散させた。新崎が言う。

 

「奴は車上にいる。今、坂下が振り落とそうと躍起なっているが、まだ落ちてはいないだろうな」

 

「俺が直接......引導を渡してやる!あんなサイコパス野郎は......殺されて当然だ!」

 

 岩神がガタガタと揺れる戦車を止めるよう指示を出すが、新崎が割って入る。

 

「待て!奴は拳銃を奪っている。ハッチから出た所を狙われて終わりだ」

 

 苛立たし気に岩神が反駁する。

 

「なら......どうしろってんだ!眼球と指を......抉られた落とし前はどうつける......!」

 

 見開かれたような右目を一瞥し、新崎が返す。

 

「お前は貴重な戦力だ。失う訳にはいかない」

 

「冗談じゃねえ......!泣き寝入りしろってのか!」

 

「感情的になるな。とにかく今は......」

 

「うるせえ......こちとら腸が煮え繰り返ってんだ......このまま終わらせるかよ!」

 

 口を開けたハッチへ腕を伸ばす。血走った左目は右目の影響だけではないだろう。

 新崎は、手にした拳銃を掲げるように持ち上げると、銃口を岩神の背中に押し当て低く言った。

 

「岩神、お前の怒りはもっともだ。だがな、失念してやいないか?俺達はなんとしても生き残らなきゃならないんだよ。お前は金、俺は俺の目的の為にだ。これ以上、お前が単独行動を望むのなら、俺は強引にでも止めるぞ」

 

 僅かな沈黙が降り、空気が揺れた。互いに互いを睨み合うこと数秒、空間を裂くような短い破裂音が響く。即座に二人は身を屈めた。

 

「なーーにを、コソコソやってんだぁ?」




さ・・・・・・さっむい!!!!w


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第6話

ハッチの裏から覗き込む男は、癪に触るにやついた笑みを浮かべている。二人の激情を煽る明かな挑発行為だ。それにいち早く反応したのは、岩神だった。

 

「てめええええ!」

 

「待て!岩神!」

 

新崎の制止も耳には入っていない。岩神はハッチへ向けて拳を突きだすも、男は、ひょい、と顔を引っ込めた。姿は見えないが厭わしい笑い声が聞こえる。

 

「ひゃーーははは!当たる訳ねえだろうが馬鹿が!」

 

神経を逆撫でする不愉快な存在に、岩神の堪忍袋は限界を迎えた。新崎を振り払い、車外に出ると、白一色の服を纏った小柄な男が一人いる。ポケットに両手を入れているにも関わらず、揺れる足場をものともせず、戦車を追いかける多数の死人にすら臆してある様子はない。余裕のある態度を崩さずに、男は岩神を舐めるように眺めている。

気に入らなかった。潰された右目、抉られた小指、ハッチから出た瞬間に自分を撃たなかったこと、悪びれずに表情一つ変えない男の全てが気に入らなかった。

岩神は、顎をしゃくって男のベルトに挟まれた拳銃をさす。

 

「チビよお......舐めてんのか?」

 

男は眉を寄せると、短く悩んだような仕草をしてから言った。

 

「ああ、悪い。出てきた奴が想像以上に男前な顔だったからよ。撃つことすら忘れてたわ」

 

男が言い終わる寸前、岩神が一歩踏み出し、一気に男との距離を潰した。怒り任せの無鉄砲にとらえられるかもしれないが、そうではない。岩神は経験から、男の足元ばかりを注視していた。喧嘩や殴り合いの場面では、つい相手の顔や表情に気を取られてしまうが、それが成り立つのは正式な格闘技の試合だけだろう。純粋な喧嘩では、敵の爪先を見る。

爪先が内側へ向いていれば、岩神は攻めあぐねたことだろう。男の左の爪先は外側に向いていた。つまり岩神の初撃をかわすことに意識を集中させているという意味に他ならない。

岩神の初手は決まっていた。左に避けるのであれば、右のフックを脇腹に突き刺し、踞った所へ顔面への膝蹴り、その後に馬乗りになる。それから先は、のちのち考えれば良い。岩神は、ほくそ笑んだ。自身が受けた苦痛と恐怖を倍にして返してやる。

脳裏に浮かんだビジョンの通り、岩神が放った右拳が男へ打ち込まれる寸前、爪先が更に外側へと捻られた。避けるだけならば、軸となる左足をステップを踏むようにシフト移動させるはずだ。だが、変化があったのは足首のみだ。加えられた動きは、利き脚に勢いを生み出す。

タイミングはこれ以上にないほど完璧だった。呼吸、拳の握り、それら全てが身体と連動していた。

だからこそ、岩神は自分の脇腹に残った重くのしかかるような、不可解な鈍痛に対して反応が遅れてしまう。




もうそろそろ復活できそうです


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第7話

 男の膝蹴りが腹部に突き刺さっているのを視認すると同時に、左の頬を通して奥歯が折れる感触が伝わる。男の打ち上げた左拳が倒れながら見えた。

 

「ひゃはははは!どおしたよ筋肉自慢!」

 

 男の声に、車内にいた新崎がハッチから顔を出し、驚愕の表情を浮かべた。岩神が素手の闘いで倒されていることが意外だったのだろう。ましてや、相手は体格が格段に劣る。新崎は、危機感から鋭く声をあげた。

 

「坂下!戦車を停めろ!」

 

 轟音を響かせている戦車は、死人を呼び寄せる。すでに戦車を追いかけている人数は多く、瞬く間に戦車は囲まれた。男は新崎の登場に、待ってました、とばかりに口角をひりあげ、車上を駆け出す。新崎は男の狙いを察した。男は戦車自体を乗っ取ろうとしている。

 男の蹴りでハッチの蓋が閉められる前に新崎は車内へと逃げた。

 

「......やっぱ、そう簡単にはいかねえか」

 

 ちらり、と岩神へ振り返る。この一連の行動はある事実を突きつける。岩神は捨てられたのだろう。生き残るには男に勝たなければならない。立ち上がる岩神に男が言った。

 

「お前、見捨てられちまったみてえだな」

 

「......うるせえ」

 

 吐き捨てるように呟いた。

 戦死扱いの厄介払いのような状況に絶望はしない。

 今はただ、目の前の男への報復しか頭になかった。潰れた眼を掌で戻した岩神は冷たい視線で男を睨む。ここが、常識とはかけ離れた世界で良かった。戦車を囲む死人、眼球を潰されようとも問題にならず、こうして見殺しに近い扱いを受ける。生きるか死ぬかだけの世界に触れて、岩神は悟った。

 これこそ、弱肉強食だ。

 ならば、人を本当に殺すことにも躊躇いはない。力だけが正義だ。

 岩神は踏み込み、拳を振り上げた。咄嗟のガードが間に合った男の腕ごと振り抜き、男が虚をつかれた隙に腹部へ拳を叩き込んだ。

 

「......良いじゃねえか」

 

 身体が九の字になるほど深々と刺さっている。しかし、男は何食わぬ顔で岩神の髪を掴んで言った。

 

「殺すつもりだったろ?俺の未来なんざ考えもしなかったろ?伝わってきた殺意だけは群を抜いてたんだけどなぁ」

 

 掴んだ髪をあげ、岩神は強引に男と眼を合わせられた瞬間に、全身から冷たい汗が吹き出す。

 眼を見て初めて気付いた。こいつは、見えているものが違いすぎる。胸から込み上げるざわつく感情、ザラザラとしたものが体内を巡り、息が荒くなる。

 

「お前に良いこと教えてやるよ。本当に喧嘩が強い奴ってのはな......」

 

 されるがままに倒され、男に髪を持ったまま車上を引き回される。出鱈目な握力は抵抗を嘲笑うように、更に強くなった。聞こえてきたのは、死人の騒ぎ声だ。岩神は自らの身に起きた悲劇を涙を流して嘆く。こいつは悪魔だ。いや、死神なのかもしれない。

車上の縁に立った男は、岩神へと最後の言葉を投げ掛ける。

 

「時代や場所に関係なく人を殺せる奴のことを言うんだよ」

 

 腕に更なる力が込められ、岩神の腕が戦車からはみ出すと、死人の一人が遠慮もなく掴んだ時点で、岩神は解放された。

 

「ぎいああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 戦車から引きずり下ろされた岩神の身体は海に投げ出されたように波をうった。一波毎に右足、左足、と身体の一部が力任せに引きちぎられていき、やがて死人の海に飲み込まれ、断末魔だけを残し完全に見えなくなった。



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第8話

               ※※※ ※※※

 

「祐介、これも頼む」

 

 真一は八幡西警察署の拾得物預かり部屋に入り、ちぎられた手首が握っていた拳銃を投げた。それを危なげに受け取った祐介は、死者がいたロッカーに入っていた鞄に詰め込んでいく。暴力団が使用していただけあり、派手で大きな物が多く、鞄の数は四つになっていた。

 真一はハンカチをマスク代わりにしてはいるが、やはり一段と濃い匂いは防ぎきれるものではない。同じく、祐介も匂いにあてられて顔色が優れないでいる。それでも、気を保っていられるのは、真一の存在が大きかった。腹に拳銃を一挺だけさしたまま、周囲を見回した真一は立ち上がる。

 

「さっきので最後みたいだぜ」

 

祐介は頷いてから鞄に手を掛け、持ち上げようとして顔をしかめた。

 

「祐介は、こっちの二つを頼む。その二つは俺が持つ」

 

 祐介に渡されたのは弾丸の入った鞄だ。相当な数はあるが、こちらの方がまだ軽いだろう。申し訳なさを感じつつ、祐介が鞄を改めて持ち上げようとした時、小さな足音がした。ぱっ、と顔をあげた祐介へ真一は怪訝そうに言う。

 

「どうした?」

 

 しっ、と唇に人差し指を当てた祐介は、更に耳を澄ます。死者のように重い足取りではなく、軽快なステップに近く、跳ねるような足取りだった。

 まだ、生き残りがいるのだろうか。だとすれば、こんな惨状が広がる中でスキップ移動するなど気が触れているとしか思えない。その足音は、真一の耳にも届き始め、顔付きに剣が表れた。拳銃を抜いて、弾丸が間違いなく装填されているマガジンを確かめてから銃口を警察署の玄関へ向ける。ごくり、と生唾を飲み込んだ二人が聞いていた足音は、ついに大破していた玄関を抜け、二人は互いに顔を見合わせる結果となった。散らばったガラスを踏み砕く音はあるものの姿が見えないのだ。二人の額に大粒の汗が吹き出し、堪えきれずに真一が細い声で言った。

 

「なあ......俺達は透明人間でも見てるのか?」

 

 だが、その真一の声にスイッチが入ったかのように、足音の速度が上がり、二人はようやく透明人間の正体を知ることが出来た。軽い足取りで歩行し、囁くような声量を聞き取る耳、子供の背丈よりも低い受付台に隠れる体躯、人間ではないのは明らかだろう。

 横長に続く受付の切れ間から顔を覗かせたのは一匹の犬だった。緊張の糸が切れた真一は胸を撫で下ろしつつ拳銃を下げると一息吐き出した。受付台の出入り口から見えている犬の舌が、体温の調整をする呼吸に合わせ上下する様がかわいらしく思えた。




私は帰ってきたw


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第9話

 幽瞑を連想させる血の臭いと生温かさしかない中を駆け回ってきた二人にとっては、心が和む光景だが、自然と緩んだ頬は、犬がその全身を現した途端に引き締まった。犬の腹から垂れた腸は、床に接触し長い血のあとを残している。そして、二人の姿を認識した瞬間、犬歯を剥き出しにして唸りをあげる。

 

「くそ!」

 

 真一は、下げた拳銃を再び持ち上げるが遅かった。脚力にものを言わせた犬は真一に飛びかかる。咄嗟に身をかわしたが、拳銃が犬の身体に当たり宙を舞った。

 

「真一さん!」

 

「大丈夫だ!袖を少し裂かれたたけだ!」

 

 駆け寄ろうとする祐介を右の掌を向けて止めると、ナイフを握った。数多の死者と対峙してきた真一は、すぐに感染した動物の危険性に気付いた。人間とは違い、常に鋭利な牙を持ち、俊敏に動くことが出来る。現に、真一は構えた拳銃を撃つことすら許されなかった。いや、よしんば撃てたとしても、犬のように小型で素早く動く動物相手に弾丸を当てるなど自信がない。

 

「祐介、動くなよ......」

 

 真一は犬から目を離さずに立ち上がる。見失えば終わりだ。死角に回られ身体のどこかに傷を負えば感染してしまうだろう。

 涎にまみれた袖の一部が口から落ちる。威嚇でもするように体躯を下げた犬の濁った双眸を見据えつつ、真一は中腰の姿勢をとり、右手のナイフを腰の位置で構えた。

 一瞬に賭けるしかない。犬が駆け出したその時こそが勝負だ。後ろ脚が跳ね、大口の奥に光る牙が迫り、真一はナイフを振り上げた。刃先は飛び上がった犬の横腹を貫き勢いを殺す。

 

「うおあああああ!」

 

 裂拍の雄叫びと共に、左手で顎を下から抑えつけ、短い悲鳴をあげた犬の身体を地面に叩きつける。

 固い骨が砕ける音を聴いた祐介は、へなへなと座り込んだ。緊張の糸が切れたのだろう。肺に溜めていた空気が口から一気に吹き出した。長年、蓄積された疲労が一度に襲ってきたような気だるさを覚えつつ、真一は犬の潰れた頭部から手を離す。

 

「祐介......急いで浩太達と合流するぜ......こいつは、ちょっとマズイことになりそうだ」

 

 血にまみれた左手を払いながら、真一が言うと、祐介は首を傾けた。

 

「どういう意味ですか?」

 

 真一はナイフを納めると、祐介に向き直り続ける。

 

「こんなクソッタレな世界になって、今日で約三日目......なのに、感染した犬が襲ってきたのは今回が初めてだぜ?」

 

 言いたいことは分かるだろ、という含みを持たせて真一は言葉を切った。思案顔になった祐介は、数秒後、何かに思い至ったのか、喉を大きく鳴らして口を開いた。

 

「......死者が襲う対象が増えているってことですよね?」

 

 確認をするような口調に、真一はなにも言わずに深く頷いて返す。

 それは、つまり、生き残り組みにとって敵が増えるという意味だった。祐介の顔色が次第に黒くなる。

 

「別行動は控えたほうが良いみたいだぜ......こんな奴等が死者みたいに群れてきたら......」

 

 拳銃を心強く感じていたが、弾丸が当たらなければ意味がない。そう教えられた気がした。飛ばされた拳銃を拾いながら、銃は生き残るための手段に過ぎないのだと真一は痛感する。必要なのは、武器よりも信頼に足る仲間なのだろう。

 

「さっさとあいつらと合流しなきゃな。祐介、立てるか?」

 

「......はい」

 

 二人はトラックの荷台に火器を詰め込むと、足早に八幡西区警察署を後にした。



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第10話

「休憩は充分だろ。さっきの音も気になるし、そろそろいこう」

 

 重い空気を払うように浩太が言った。達也が残したであろう痕跡を発見した民家の周辺には、またしても異臭が流れ始めている。慣れすぎた臭いに感覚が狂っていたのだろう。それだけ意識がはっきりと前を向き始めたという意味でもある。

 二階の子供部屋に四人はいた。一人として口を開かないまま、阿里沙が小さく頷く。それに合わせて浩太は立ち上がり、未だ仏頂面のまま窓枠に座っている彰一へ言う。

 

「彰一、達也のことを信じられないのは分かるけど、いい加減割りきってくれよ。一度、顔を合わせればお前も、きっと......」

 

「......それは俺が決めることだよな?」

 

 ぐっ、と浩太は口を閉ざす。その様子に、唾でも吐き捨てそうな渋面を作ったのは彰一だった。窓枠から腰をあげた彰一は、浩太を見ずに続ける。

 

「浩太さん、あとで揉めるなんざ嫌だから先に言っとく。俺は、祐介と真一さんにここで見たことを全て話すつもりだ」

 

 反論はさせない。彰一の目は浩太にそう語っていた。浩太は、しばらく間を空けてると踵を返した。

 

「......勝手にしろ」

 

 背中を向け、階段を降りていく。二人に挟まれていた阿里沙が彰一へ振り返る。

 

「坂本君......行こう」

 

「阿里沙、お前はどう思ってるんだ?」

 

 阿里沙が出した手を眺め、彰一が顔を上げる。その視線から逃げるように、阿里沙は目線を逸らした。

 

「......分かんないよ。ただ、さっきも言ったけど、一度会ってみなきゃ何も判断できないでしょ」

 

「それじゃあ......」

 

 彰一の発言を食い気味に阿里沙は口を開く。

 

「遅いって言うのも分かる。けど、やっぱり、こんな時だからこそ、人を信じないといけないんじゃないかなって気持ちがある。だから......」

 

 阿里沙は言葉を区切ると、手を繋いだままの加奈子を見下ろす。彰一も同じく目線を下げた。彰一が加奈子を、人を信じない為の言い訳に使っていることはない。それどころか仲間を思うあまりの反応だと理解している。だからこそ、一番、守るべき加奈子の存在を強調した。

 

「きっと、どっちもあたし達にとって間違ったことは言ってないんだと思う。それに、あたしは人を信じられない人間になりたくないし、人を信じない人間にもなりたくない......我儘だよね」

 

「ああ、我儘だな」

 

 彰一の言い種に阿里沙は、くすり、と笑う。

 

「甘い考え方なんだろうなってのも分かってる。分かってるからこそ、今のあたしは、坂本君があたしに求めてる答えも分かってるし、言うこともできるよ。けど......それじゃあ、意味がないよね?」

 

 彰一は痛い所を突かれたとばかりに眉をしかめた。阿里沙の主張は一貫して会って確かめろという意味だった。バツが悪くなったのか、彰一は阿里沙と加奈子の脇を通りすぎた。



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第11話

 階段下では浩太が腕を組んで三人を見上げていたが、彰一の顔を視認してから口を切った。

 

「......どうした?」

 

「......なんでもねえよ」

 

 彰一は階段を降りると、浩太よりも一段高い位置で止まる。これが、今の彰一にとって精一杯の姿勢だった。浩太が僅かに視線を上げる。

 

「その達也って奴は、やっぱり信じられない。けど、会うまでは俺の疑心を隠すようにする......それで良いか?」

 

「......二人には話さないってことか?」

 

 安堵にも似た表情を浮かべた浩太に対して彰一は首を振った。

 

「いいや、それは駄目だ。ただ、俺の考えを変えるだけだよ」

 

 浩太の憂慮はこの惨劇を聴いた祐介の反応にある。もしも、祐介までもが彰一のようになってしまえば、達也を救出せずに入手した武器で脱出の手段を探る方に作戦がシフトしてしまい、達也の件は、ついでになってしまう可能性がある。法がなくなった現在の九州地方は、民主主義が際立っていた。

 しかし、彰一は少なくとも達也に会う気はある、その点だけ救われた。

 言葉に買い言葉で強がってしまった時は、もう諦めてしまっていたが、説得してくれたのは阿里沙だろうか、と一瞥すれば微笑みを返された。浩太は、彰一を見据えて頷く。

 

「ああ、それだけでも充分だ。ありがとう。その、いろいろ悪かったな」

 

「......こっちこそ、悪かった」

 

 浩太が差し出した煙草を受け取り、彰一がライターを点けた時、気分を一新するような明るい声音が頭上から降ってくる。

 

「よし、それじゃ改めて車に戻ろっか!」

 

 阿里沙は、彰一の肩を尻に火をつけるように強く叩く。急がせて気を紛らわせようとしているのだろう。そんな阿里沙の姿に彰一は、小さく笑った。

 

「......強いなぁ、やっぱり」

 

「そうだな。女の子ってのは強いもんなんだよ」

 

 浩太もつられて口の端をあげ、短く肩を揺らした。

 精神的な問題で、男性が女性に勝てることはないのだろう。四人は、家を出ると特有の鉄錆の臭いに眉を寄せつつも歩きだし、車までの距離が半ば程になった時、阿里沙が口火を切る。

 

「そういえば、あの音はなんだったのかな?」

 

 達也の問題で先伸ばしになっていた爆音は小さいものだったが、音の状態から考慮すれば、かなりの距離があるのは間違いないが、捨て置ける問題でもない。浩太は、少し考えてから振り返る。

 

「それは、全員が揃って話し合った方が良いと思うが......三人はどう思う?」

 

 浩太の問い掛けに、彰一が返す。

 

「賛成だ。俺達だけで決めて良いとは思わない」

 

 達也の件に触れなった彰一だが、暗にその話しも含まれているであろう口調だった。あえて浩太も何も言わずに、阿里沙へ視線を送った。

 

「同意見......ってことで良いかな?」

 

 阿里沙が尋ねれば、加奈子が首肯する。




なぜ、俺は艦コレのアニメをちょくちょく見るのだろう……とくに4話……


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第12話

 仲間の同意を受け、浩太は腰にあるナイフの柄を握る。あとは、合流した二人が信用に足りる武器の回収に成功していることを祈るだけだ。住宅街を抜け、四人が車に乗り込むと、背後からトラックの排気音が聞こえた。

 

                ※※※ ※※※

 

「マジか......それ......」

 

「ああ、こんな嘘を吐いても意味ないだろ」

 

 合流後、全員の無事を確認したのちに、起きた出来事を伝えあう。その中で、一番の衝撃は、やはり達也のことだった。

 ありのままを話したのは、彰一だ。真一にとって浩太から聞くよりも、脚色をされないという意味では妥当な流れといえるだろう。がっくりと項垂れた真一とは違い、祐介は至って冷静に訊いた。

 

「その達也って人が殺したっていうのは確実なのか?」

 

 彰一が、ちらりと浩太に視線を送る。

 

「......ああ、ほぼ確定してると考えてもらって良いだろうな」

 

 諦念の息を吐き、浩太が答える。さきほどのような言い逃れをしないかどうかを彰一は確認したのだろう。一息空け彰一が言った。

 

「で、どうする?俺は、正直、合流するのは危険だとは思う。もしも、イカれたままだったらこっちに被害が出る可能性だってある。なにより、一番の問題は信用出来ないって点だ」

 

 真一の目付きが鋭くなるが、譲る気はないとばかりに、彰一は目線を向け続けている。一軒屋での一件のように険悪な雰囲気が流れ始める中、真一を右腕で制したのは祐介だった。

 

「彰一の言い分もよく分かるけどさ、やっぱり一度は顔を合わせてみるべきだと思うよ。こんな世界だし、人に疑いをもたなきゃならないけど......」

 

 そこで区切ると、祐介は彰一と目を合わせ一息に言った。

 

「人間として生きているのに、そんなの寂しすぎるだろ」

 

 彰一は、まばたきを数回繰り返すと、途端に身体を震わせる。祐介の発言に怒りを堪えているのかと身構えたが、顔をあげると同時に笑い声をあげた。祐介は戸惑いつつ、一歩下がる。

 

「......彰一?」

 

「いやぁ......あまりにも予想通りすぎてよ。お前ならそう言うだろうとは思ってたよ」

 

 背後にいる阿里沙へ振り返れば、軽くウインクを飛ばされ彰一は苦笑すると、祐介の胸を小突く。

 

「お前がそう言うなら、俺からは何もない。この話しは終わりにするとして......そっちからはなにかあるか?」

 

 そこからは、祐介が下がり真一が前に出た。

 

「こっちもいろいろと収穫はあったぜ、良くも悪くもな。どっちから聞きたい?」

 

 さっ、と阿里沙が挙手をする。

 

「あたしは、悪いほうから聞きたいかな......せっかく気分を持ち直しても、また落ち込むのは嫌だし......」

 

 真一は、分かった、と前置きしてから言う。

 

「生き残りが少なくなってきているせいか、死者が狙っている対象が広がっているみたいだ」

 

 浩太が、すかさず疑問を呈示する。

 

「どういう意味だ?」

 

「警察署での一件だ。あらかた、武器を回収した俺達は、一匹の犬に出くわしたんだが......」

 

「まさか、犬が......?」

 

 彰一の若干、震えた声に、真一は何も言わずにただ頷いた。それだけで全てを理解できた阿里沙は、胸元に加奈子を抱き寄せた。

 

「つまり、あたし達にとって警戒しなきゃいけない対象が増えたって意味ですよね?」

 

 阿里沙の言葉に一同は沈黙した。それは、詰まるところ生き残れる確率の低下を示唆する余りにも重い一言だった。




だがしかし……駄菓子ねえ……w


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第13話

 しばらく誰もが黙然として顔を伏せた。公園の隣、いつもは家族連れやペットの散歩を楽しむ場所が、途方もない程に血濡れになっているような気がして、浩太は目を逸らし口火を切った。

 

「......良い報告は?」

 

「ああ、それはな......」

 

 トラックの荷台から真一に代わり、祐介が持ってきたのは大きな鞄だ。どれも、歪に歪んでいる。さすがだろ、と真一は口角をあげる。鞄の中は銃で満たされていた。

 

「AK74やM16、イングラム、手榴弾が5発、ベレッタ5挺にサプレッサー二つ......さすがヤクザだな......見栄っ張りが多い」

 

 浩太の皮肉を真一は聞き流すと、ベレッタ一挺をサプレッサー付きで彰一に渡す。緊張した手つきで受け取った彰一は、銃を握ると深く息を吐いた。

 

「コレなら銃声もある程度は抑えられるぜ。......反応される機会も減る」

 

「......有り難く受けとるよ」

 

 何に、もしくは誰に、そう断定した言い方をしなかったのは、達也の件が絡んでいるのだろうか。歯にものが挟まったような面のままの彰一を置いて、その背後に座っていた阿里沙にもベレッタを渡した。

 

「使い方はあとで教える。持っておくだけでも良いから」

 

 真一は、阿里沙ではなく加奈子を横目で見ながら言った。その意図を汲み取った阿里沙は、右手を伸ばして受けとる。祐介には渡さなかった。それは、警察署での会話からだろう。それに対して異論を唱える者はいない。浩太は自分で武器をとり、動作の確認を行うと残ったイングラムとM16を車の後部座席に鞄ごと投げ入れた。

 

「真一はAK47で良いだろ?イングラムは彰一に持たせる」

 

「ああ、それで良いぜ。手榴弾は3つ貰う」

 

「OK」

 

 短い会話をしつつ、武器の振り分けを終えると、阿里沙が本題を切り出した。

 

「祐介君、実はもう1つ話しておかなきゃいけないことがあるんだけど......」

 

「ん?なに?」

 

 彰一は歩み寄る祐介の前に立つと、阿里沙の言葉を引き継いだ。

 

「お前らはここに来る前に妙な音を聞かなかったか?」

 

「......妙な音?」

 

 祐介が小首を傾げると、武器の整理を終えた浩太が言った。

 

「妙な音というか、強烈な破裂音だな。爆発したみたいな......」

 

 祐介と真一は、揃って首を振った。だが、報告が一段落したのちに持ってきたということは、この「妙な音」が本質なのだろう。真一は、浩太から煙草を受け取り火を点けた。

 

「そりゃ気になる話しだぜ......死者にそんな響く音がだせるとは思えないし......どっかに生き残りの団体があるってことだと思うぜ」

 

 彰一が同意して口を開く。

 

「俺もそう考えた。それに、ここら一帯は死者の数が極端に少ない。だとしたら......」

 

「坂本君はどこかに死者が集まってるって思うの?」




誤字報告ありがとうございました!!


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第14話

「阿里沙は違う意見か?」

 

「ううん、そんなことないよ。ただ、どこにいるのかなって」

 

 浩太が彰一に一声掛けてから煙草とライターを投げ渡す。

 

「くぐもったような音だったし......距離があることは間違いないんだけどな」

 

「浩太さんは、心当たりあります?」

 

 祐介の問いに浩太は首を振った。

 

「三ヶ森のサンリブは?」

 

「距離が離れてないぜ。ここからなら車ですぐだ」

 

 阿里沙は発言を一蹴されるや否や、頬を膨らまして真一を睨みつけた。

 

「じゃあ、真一さんはどこだと思うんですか?」

 

「いや......ほら、俺はもともと小倉の人間だから......」

 

 阿里沙の勢いに圧され、たじろいだ真一も、これといった場所を特定できてはいない。揃って首を捻る中、あっ、と頓狂な声をあげたのは祐介だ。全員の視線が集中する。

 

「そういえば、一件ある......」

 

「......どこだ?」

 

 浩太の声に、祐介は正解か分からないけれど、と保険をかけて言った。

 

「希望ヶ丘に登校する途中に通谷っていう筑豊電鉄の駅があるんですけど、確か、その駅の側に大型のマーケットがあります」

 

「あ!中間のショッパーズモール!」

 

 ピン、と阿里沙が右手を掲げた。彰一も短く頷く。

 

「確かにあったな......滅多に行かないから忘れてた。で、どうするよ浩太さん」

 

 険しい表情で彰一が言った。そんな危険かもしれない場所に、わざわざ行く必要があるのか疑問に思っている証拠だろう。

 警察署の時と同様、生きた人間が集まる場所には死者も集う。それも、大規模なモールにだ。一体、どれだけの死者が集結しているのだろうか。想像すればするほど不安は膨らんでいく。再び訪れた沈黙を破ったのは真一だった。

 

「引き際を明確にしておこうぜ......」

 

 引き際、と眉を寄せた彰一に被せて真一は続ける。

 

「そう、引き際だ。どうなったら退却する?」

 

 真一が浩太に尋ねる。判断を任された浩太は、腕を組んで思考を巡らせる。

 

「......トラックに先頭を走ってもらって、死者に囲まれそうになったら撤退しよう」

 

「......人数は?」

 

 彰一が叩み掛けるように鋭く訊いた。

 

「......トラックは十人、軽は五人が限度だろうな」

 

 提案を終えた浩太は、全員を見回す。彰一は、今なお深く眉間に皺を寄せているが、呆れたとばかりに溜め息を吐いた。

 

「......分かった。俺一人が反論しても無駄だろうし、もともとは達也って人の捜索がメインだったしな」

 

 彰一は祐介の肩を叩くと、しっかりな、と耳打ちする。浩太が締めくくりのように声を張った。

 

「よし!じゃあ、お前らに銃の扱いを教えてから出発だ!」




一月きてなかっただけで機能が増えてるみたい……
なんていうか、凄いw
そして約100Pを使ってようやくこのグループが……長かったw


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第15話

               ※※※ ※※※

 

 なぜ、こうなってしまったんだ。私はどこを間違えてしまったんだ。あの墜落事故から、必死に世界の救済に動いていたというのに。必死になって子供を救うことを考えていたというのに。振り返れば、血走った眼で追いかけてくる人間と、一心不乱に肉を食らおうとする使徒の群れがある。いや、そうではない。使徒は常にこちらの味方だ。それ見ろ、また一人使徒に捕まり、その身体を解体されているではないか。

そうだ、そうだ、そうなのだ。私は一人ではない。

 ならば、私はこう動こう。

 安部は中間のショッパーズモール内にある商店場に逃れていた。ここは、ほぼ一本道であり、出口から使徒が入り込まない限りは背後からしか襲われる心配がない。

 使徒は、あの爆発により破られたバリケードを通るしか侵入する方法がないのだから、安部が先頭を走っている限り、少なくとも挟み撃ちにあうこともない。そこを抜けた先にあるのは、ショッパーズモールの南口の出入り口、子供向けのゲームセンターだ。安部の狙いはそこにあった。

 出入り口にはシャッターが下りている。つまりは、行き止まりだ。しかし、ゲームセンターには、安部の巨体を隠す場所はいくらでもある。安部は、ひとまず八つ並べられたUFOキャッチャーの天井に寝そべり息を潜めた。ここを選んだもう一つの理由は壁紙だ。このゲームセンターの一画だけ白い壁紙を使用しており、安部の服装と同じ色だった。安部は、位置を決めると上着を脱いで髪を隠す。

 追いかけている集団は、単純な心理で動いている。

 つまり、安部の背中を追っているのではなく、危険が迫りつつある状況の中では、先頭を走る者を無意識に追いかけてしまうのだ。そして、それほど緊迫していると、人間というものはとまれだけ視野が広かろうとも、簡単なトリックにも気づかない。

 やがて、安部の耳に悲鳴にも似た怒声が届く。

 

「おい!あの野郎どこにいきやがった!」

 

「そんなことより、なんだよここ!逃げられねえ!」

 

「冗談でしょ!?早くシャッター開けなさいよ!」

 

「開け方なんか知らねえよ!」

 

「いやあああああ!どうすんのよ!ねえ!アイツらがきちゃうじゃない!」

 

「ちくしょう!クソッタレが!あの金魚の糞野郎!俺たちは嵌められたのかよ!」

 

「ねえ!そんなことより早くどうにかしなさいよ!ねえ!」

 

「黙れ!ならお前がどうにかやってみろよ!」

 

「あああああぁぁ!来た!来たぁぁぁぁぁ!」

 

 そこからは、まるで閉じ込められた狭い空間でオーケストラを演奏されるような騒がしい悲鳴や嘆声、悲痛の叫びが響き渡った。

 誰かを囮にして逃げようとする声、自分だけでも助けてくれ、と懇願する泣き声、どうにかシャッターを開こうとしているのか、激しくシャッターを叩く音、様々な音が入り雑じり、安部は一人怪しく嗤った。

 そうだ、この世界はひどく醜いものなのだ。

 だからこそ、私はこの世界を救済しようとしている。これは、私に牙を向けた者達に対する天罰なのだ。

 徐々に悲鳴は消えていき、代わりに聴こえてきたのは、僅かな咀嚼音だった。肉を歯で潰し、砕き、嚥下する。人を自らの陥穽に落とす瞬間とは、なんという心地好さなのだろうか。

 安部は、まるで子守唄でも聞く子供のような表情で息を潜め続けた。




UA数27000突破ありがとう御座います!!次回より第16部開戦・後編にはいります
誤字報告ありがとうございました。時間あるときに見直します……


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第16部 開戦・後編

「やっと来たね」

 

「すみません、遅くなりました」

 

 田辺は車から降りると浜岡へ軽く頭を下げた。そして、窺うように顔をあげる。浜岡は、一度だけ頷き、高層マンションを仰ぎ言った。

 

「野田貴子さん......随分と芯が強い娘だねえ」

 

「ええ、彼女は昔からそうなんですよ。自分の信じるものを信じられる。その分、信じられないものは頑なに信じない」

 

 田辺は、くすり、と笑みを洩らした。なにか思い出すことでもあったのだろうか。そんな様子とは裏腹な心境が胸中では渦巻いているのだろう。田辺の笑顔が胸に刺さった浜岡は、場を濁すように先だってエレベーターのボタンを押した。

 

「しかし、彼女にとっては辛い事態になるのだろうね。君が来るまでに少し話しをしたが......彼女はどんなことごあっても父親を嫌いにはならないだろう」

 

 途中、言葉を区切ったときに秘めた思いを汲み取った田辺は、言いにくそうに返す。

 

「......浜岡さんには話しておきたいことがあります」

 

 

「ん?なんだい?」

 

「浜岡さんは......公園でバラバラ死体が発見された事件を覚えていますか?」

 

 エレベーターが階数の点滅を下げていく中、浜岡は振り返らずに答えた。

 

「あの事件を忘れろという方が無理だよ。君の取り乱した様は凄まじかったからね」

 

 どうにも話し辛そうに、田辺は頭をペンで掻いた。

 

「浜岡さんに伝えてはいませんでしたが、僕と野田大臣は古い付き合いなんですよ」

 

 一瞬、驚いた表情を見せた浜岡は、すぐさま取り繕ってみせる。誰かと話しをする際には、まず相手の話しに耳を傾ける。それは浜岡が田辺に言ったことだ。

 

「高校生の頃から彼は他とは違いました。一つのことに集中したら、とことんまで突き進んでいくタイプで、自分を曲げることが出来なかったんですよ」

 

 その点は、貴子に受け継がれたのだろうか。エレベーターの扉が開き、二人は乗り込んだ。

 

「そんな男は、ある時、とある女性と出会いました」

 

 そこで田辺の顔付きが険しくなった。いや、一層、暗くなったようだ。浜岡はエレベーターの開閉ボタンも押さず、頷きや返事もせずに、言葉を待っている。それが、田辺には有り難かった。

 一息吸い込み、田辺は一気に訊いた。

 

「浜岡さん、野田良子という名前を覚えていますか?」

 

 この場だけ時間の流れが変わったかのように、エレベーターの扉が段階的にジワリジワリと閉じていっているような気がした浜岡は、顎を引いてたっぷりと記憶を探った。




第16部始まります!!


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第2話

「確か、野田大臣の奥さんじゃなかったか?それに......」

 

 エレベーターの扉が完全に閉まるのと同時に、田辺は眉をあげた。

 

「そう、あのバラバラ殺人の被害者です。公園のゴミ箱から発見された遺体の頭部を見て以来、彼は殺人者を身を焦がすほどに恨み続けています。それは、もちろん僕もですが......」

 

 浜岡は、田辺を横目で盗み見て、煮えたぎるほどの憤懣が胸中で渦を巻いており、それをどうにか堪えているのだろう、と感じた。野田への怒りなのか、殺人鬼への感情なのか、それは今、考えることではないだろう。

 

「当初、報道機関へ一斉にかけられた規制に僕は憤りを覚えると同時に、なんとも不甲斐ない気分になりました。しかし、その規制に了承したのは誰でもない、野田さん本人だったのです。個人的に追い掛けてはいましたが、結果は......」

 

「しかし、君の活躍があったからこそ、殺人鬼は逮捕された。その結果だけでは満足出来ないのかな?」

 

「......浜岡さんは、江戸川乱歩の二銭銅貨を読まれたことはありますか?」

 

 謎を解いたと得意気に語り、相棒に俺より頭が悪いと認めろ、そう迫った男がいた作品だ。散々、暗号について饒舌に話していた男は、結局、その相棒に騙されていただけだった。掌の上で踊らされていたのだ。

 田辺は、殺人鬼を追い掛け、翻弄され、まんまと自身の周辺を探られ、隙をついて奪われた。あまりに惨めな結果ではありませんか、と言いたいのだろう。田辺は力無く笑う。

 

「話しがそれましたね。とにかく、彼は一度思い込んだら、自身を苦しめようとも、必ず遂行する男です。そんなところに僕は憧れ、僕の初恋の女性は惹かれたのでしょう。そして、彼もまた、僕らの事を常に考えてくれていた。そんな一途な彼だからこそ、逃げ場の無い現状に陥った際に、何をしでかすか分からない。だから、僕はどうしても彼の凶行を止めたいんです」

 

 浜岡は声を低くして訊いた。

 

「......野田大臣は、随分と困憊しているのかな」

 

「......ええ、間違いありません」

 

 エレベーターが点滅表示を二階へと上げた。小さな唸りと共に動き出す。

 

「君の動機はよく分かった。いや、分かってはいたつもりだったけど、それは半分だけだったと言うほうが正しいのかな。しかし、君はその友人に罰を下すことになるけれど、躊躇はないんだよね?」

 

「ええ、彼とは決別しています」

 

 その言葉に浜岡は、田辺には気づかれぬように微笑した。言動が矛盾していることに自覚がないのだろうか。田辺らしいといえば、その通りだが、どこまでも甘い奴だ。

 

「浜岡さん?」

 

 神妙な面持ちで田辺が首を傾げている。

 

「ああ、すまないね。さて......田辺君も決意を新たにしたことだし、これからが本番と思って良いのかな?」

 

「ええ、これからです。頼んでいた資料は?」

 

「貴子さんの部屋に見張りをつけて置いてある」

 

 見張り、と田辺が片眉をあげると、エレベーターの扉が開いた。のんびりと降りた浜岡は、田辺へと振り返る。

 

「まあ、気にしなさんな。どうせすぐに分かるし、信頼できる人だよ」

 

 浜岡が言うなら間違いない。そんなことを考えながら、田辺は一歩踏み出す。

 

「では、始めましょうか。僕たちの戦いを」

 

 国という組織を相手に立ち回る。

 待ち受ける数多の困難、途方もないように思えるほど巨大な障害に立ち向かう男達の、戦いの火蓋が切られようとしていた。




予定より遅くなりました
一段落ついたので帰ってきました!!


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第3話

              ※※※ ※※※

 

 野田は、誰もいないことを確認すると、トイレの個室に慌てた様子で入り、鍵を閉めた。便座の上蓋を開き、倒れるように膝まずき口を抑える。だが、その抵抗は、なす統べなく無駄に終わった。

 

「......うっ!」

 

 便座の淵に両手を置いて、便器の中に吐瀉物を吐き出した。荒い呼吸を繰り返し、数秒後、再び込み上げてきたものは、もはや胃に残された物ではなかった。透明な液体だ。田辺と酒を交わした辺りから、連日、容態が優れない。風邪や病ではなく、精神的な問題だろう。

 野田の心に刻まれた田辺の言葉は、甦った死者が奴隷のように働かされていたという事実だった。想像しただけでも罪悪感に押し潰されそうになる。限りなく近いことの片棒を担いでいる、野田には、その自覚がありありと心の底に根付いていた。苦しみの呻きは、やがて、啜り泣く声に変わった。

 

「うっ......ぐっ......ふううぅぅ......」

 

 罪悪感を、感情を、不安や恐怖を、声と共に圧し殺す。

 落ち着きを取り戻すまで、数分の時間を要した野田が最後に行き着くのは、決まって胸の内にいる良子だ。あの凄惨な事件の被害者である妻は、身元が確認されて以来、野田の胸中に住みついていている。そして、囁きかけるのだ。

 仇をとって。私を殺した奴に、私が味わった以上の恐怖を与えてと。

 綿密に計画を建てた。下げたくもない頭も下げてきた。ここで後退する訳にはいかない。

 

「......待ってろよ良子......」

 

 どれだけ、人道に反する行為であろうと、野田は決めたのだ。どんな手を使ってでも、あの殺人鬼だけは生かしておかない。奴を殺す為なら、どんな犠牲も厭わない。政治家として、人間として、限りなく間違った道だとしても、どれだけ邪魔が入ろうと、突き進む。そう決めたのだ。

 そして、奴を......良子を殺した殺人鬼、東を必ず......!

 ギリッ、と奥歯を噛み締めた野田は、立ち上がって個室を荒々しく出た。洗面台で顔を洗い、数度のうがいの後、野田は戸部のいる執務室へ向かい、なに食わぬ顔で扉を開く。

 

「遅れてしまい、申し訳ありません、総理」

 

「五分も遅れている。上にたつ人間を待たせるのは、あまり感心しないな」

 

 開口一番、そう言い放った戸部は、背凭れを軋ませた。矜持をそのまま現したような、傲然とした態度に対して野田は頭を垂れた。

 悪どいというよりは、ズル賢い。そんな半端者、持ち上げられただけの、お山の大将、それが野田か戸辺に抱く評価だった。 




あ……ラジオ聴くの忘れてた……と思ったw


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第4話

 戸部が今の地位にいられるのは、野田の根回しがあったからだ。自尊心の強さを見抜き、利用する為に近付かれたことを戸部は気付いていない。それどころか、生来の気の弱さを隠蔽する為に、事件発生から、徐々に傲りを強くしていっているようにすら見える。疎漏のないよう気を回すほうが大変だ。野田は、顔を上げ口を開く。

 

「九州地方の首尾は上々です。これといった連絡もありません」

 

 戸部は、不遜に鼻を鳴らす。

 

「そんなことは分かりきっている。下らない報告をするな」

 

「......失礼しました。あと、一つ懸念がありましたが、そちらには私が雇った者が向かっています」

 

 眉を上げた戸部は、視線だけで先を促した。

 

「とある記者が私を嗅ぎ回っているのです。何か、こちらに繋がるような証拠を掴まれている可能性もあります」

 

 野田は、倨傲が崩れはしないだろうかと表情を窺うが、戸部の顔色は変わらなかった。

 

「記者くらい、どうにでも出来るだろう。それほど、気に掛ける必要などない」

 

 ぞんざいな返答に目眩がする。

 自身の隠れ蓑になりうるだけの立場があるだけに、事件に関する認識の低さは、いずれ野田に悪影響を及ぼす可能性がある。戸部が考えているのは、利益、野田は復讐だ。これは、決定的な違いと言える。金を手に入れるには、前準備の方に多大な時間を掛けるが、野田のような復讐には後始末のほうがより手間がかかる。早い段階で矯正する必要があるのならば、その手間すら惜しいほどにだ。ある程度、事が落ち着いたら、雇っている奴等を使っても良いだろう。その後は、彼らをテロリストの首謀者として始末するのはどうだ。そんな算段を築きつつ、野田は言った。

 

「いいえ、それは違いますよ、総理......彼は、我々にとって最大の脅威に成りうる男です」

 

 大仰な手振りで、戸部が短く笑った時、不意に野田の携帯電話が鳴った。失礼します、と一言挟んで、二三の受け答えの後、電話を切った野田が言った。

 

「......件の記者を発見したそうなので、少し出掛けます」

 

 踵を返し、扉を素早く閉めた野田は、一度ハンカチで唇を拭うと、しっかりとした足取りで歩き始めた。

 

                  ※※※ ※※※

 

 広大な中間のショッパーズモールの敷地を、豁然と開いた景色として上空から見た二人組は、目を剥いて息を呑んだ。プロペラの音に反応して空を仰ぐ死者は、数百規模に膨らんでいるようだ。一体、モール内では、どれほど惨憺たる光景が繰り広げられているのだろうか。もしも、アパッチではなく、生身で降り立つことになれば、そう想像しただけで、身の毛がよだつ。運転席に座る男が言う。

 

「こいつは凄いな......俺は、生涯で、これ以上にイカれた状況に出逢えないと断言できる......」




紅殻のパンドラ……作品の雰囲気がすげえ好みだけど、これってつまりあれだよね?モロ俺の好きなあれだよね?……原作、誰だ!?
……ああ、やっぱりねってなったw
最後には、きっとすごく考えさせられる一面があると信じて見続ける!!w


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第5話

ごくり、と喉を鳴らしたのは、機関銃に手を掛けた男だ。

 

「同意見だ。まるで悪夢でも見てるみたいだ」

 

「目を覚ましたらどうだ?基地に帰ることができる」

 

「冗談はやめろ......まったく笑えない」

 

言いながら、男は機関銃を装填し、その銃口を下方へやった。胸の位置で皮肉のように十字を切る。

 

「生き残りがいるとは思えないが......念のためにホバリングを保っておく。なにかあれば、言ってくれ」

 

操縦士の声に、男が答える。

「なら、機体を俺が向いているほうに動かしてくれないか?」

 

怪訝そうに操縦士が返す。

 

「どうした?」

 

「待ちわびた、生存者の登場だ」

 

※※※ ※※※

 

トラックとプレオが中間のトンネルを抜けた。ショッパーズモールまでは、あと数メートルといったところだろう。しかし、六人にとっては、処刑台にのぼるような気分だった。トンネル内でさえ、死者の数が十人近く、それらが全て中間のショッパーズモールへ歩いていたのだ。これで確信に変わった。間違いなく、中間市で何かが起きている。

二人の自衛官は、トラックの割れたフロントガラスから、ショッパーズモールへの長い坂道まっすぐに見詰め、真一が舌打ちをして言った。

 

「おいおい、見通し最悪だぜ......雑木林......てか、山を切り開いたのか?邪魔でしょうがねえ......中間のショッパーズモールは結構な規模なんだよな?」

 

運転する浩太も、身体を右に傾ける。

 

「ああ、そうみたいだな。左右の雑木林さえなきゃ、一発で見れると思う」

 

「......達也がいると思うか?」

 

真一の問い掛けに、浩太は口を詰むんだ。勿論、合流を願いたいのは山々なのだが、いるにしても、いないにしても、こんな世の中だ。どちらにせよ、無傷ではないだろう。そう安易に返事が出来ない、という本音が生まれてしまう。真一も、それを理解しているのか、浩太を責めるようなことはない。

トラックの後ろを走るプレオを一瞥し、真一は煙草に火を点けると、浩太に渡す。受け取りながら、雑木林から降りてきた死者二人をトラックで撥ね飛ばし、ハンドルの調整をしている途中、少しぶれた視線の先で、ある影を捉え悪態をつき、スピードを落とした。いきなり表れた浩太の狼狽に真一が眉をひそめる。

 

「......何かあったのか?」

 

「ああ、最悪なもんを見ちまったよ畜生!よりによって、あんなとこに!」

 

短いクラクションを一つ鳴らす。前もって決めていた緊急停止の合図だ。雑木林から出てくる死者に留意しつつ、二台は坂道の途中にある回転寿司屋の脇に車を停めた。

プレオから降りてきたのは、運転していた彰一だけだ。右手のイングラムが小刻みに震えている。ど真ん中での緊急停止、嫌な予感しかない。トラックから、二人が降りると、真一が見張りに回る。

 

「なんだよ、こんなとこで......頼むから短めにしてくれよ」

 

キョロキョロとしきりに迫りくる死者一人一人に顔を向ける彰一だが、浩太も時間を掛けるつもりはない。いや、時間を使う暇はない。浩太は、一言だけ口にした。

 

「引き返すぞ」

 

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした彰一を置いて、トラックに戻ろうとする浩太を引き留める。

 

「ちょ......ちょっと待て!いや、その提案には賛成だけど、何があったのかくらいは話してくれても良いだろ!」

 

「悪い、話してる暇もない。奴等が気付く前に、ここを離れる」

 

「だから、奴等って誰だよ!死者か?そんなに大群でいたのか?」

 

浩太は首を横に振る。

 

「いや、それよりもヤバイ......」

 

二人の会話を断ち切るように、銃声が響く。

 

「おい!退くなら早くしろ!俺達に気付いた死者が集まり始めたぜ!」

 

「止めろ!撃つな!」

 

浩太の制止の声は、ある音にかきけされた。振り返りかけた真一と、訳もわからない彰一、車にいた三人でさえも目を剥いた爆音は、独特な機動音をもって六人の視線を釘付けにする。祐介が呟く。

 

「な......なんだよ、あれ......」

 

「車に乗れ!早く!」

 

浩太の怒声に弾かれるように、彰一と真一がそれぞれの車に飛び込んだ。その頭上を黒い影が被る。

特徴的なプロペラの駆動音、そして、巨体をもつアパッチが高速で頭上を通り抜けた。

いくらなんでも早すぎる。浩太が発見してから、まだ、数分も経過していない。つまりは、アパッチの乗組員は、既に二台の存在に気付いていたのだろう。全てが後手になっていたのだ。浩太は、すぐさま、トラックのエンジンを掛けるとトラックをギアをバックにいれた。関門橋を破壊したアパッチと同じなら、奴等がこちらを無視した理由は一つしかない。急がなければ、更に手遅れになる。

真一に何も伝えず、浩太はトラックを下げる。死者を巻き込んだ急なバックに、真一がダッシュボードに額を強打したようだが、構っていられない。

駐車場から道路上に出た浩太は、トラックを中間のトンネルへと走らせる。アパッチは、トンネルから離れた位置でホバリング状態に入っている。そこで、真一も察したのだろう、顔から血の気が引いていた。

 

「野郎!そういうことかよ、くそったれが!!」

 

低空を飛行するアパッチの機体に向け、真一のAK47が火を吹くが、いくら貫通力が高かろうと、相手は戦闘用のヘリだ。

意にも介さないアパッチは、目標物を定めた。二人は、あの忘れられない短い発射音を再び、耳にすることになる。

まるで、これから起こる惨劇の幕を、開戦の狼煙をあげるかのような火柱を上げ、トンネルの上部に着弾したミサイルは、多数の死者を巻き込み、出入り口を完全に破壊してのけた。




ふおおおお!攻殻機動隊のハリウッド版に北野武出演決定だと!熱い!熱すぎる!これ見るしかないね!やっべ超テンションあがってしまった!
とりあえず、紅殻のパンドラ見てこようw
あと、もう少し続ける予定でしたが、キリの良い文章が急に浮かんだので次回より弟17部「覚悟」に入ります




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第17部 覚悟

 豪快な音をたてて崩れたトンネルの入り口に一行は呆然とした。逃げ場が完全に奪われ、プランは容易く瓦解してしまった。アパッチは、けたたましいモーター音を出しながら、その高度を上げていき、やがて、中間のショッパーズモールへと引き上げていく。乗組員が持つ機関銃ならば、六人を射殺出来る筈だが、そうはしない。それは、弾丸を使うまでもないという意味だろう。

 一拍遅れて、祐介達が乗り込むプレオも到着し、目の前に広がる厭世の始まりのような光景に絶句する。背後からは、死者の群れ、前には行き止まりとなったトンネル、その場にへたりこみそうになった彰一を支えたのは祐介だった。

 

「......進みましょう」

 

 祐介の提案に、彰一は同調は出来なかった。このまま進んだとしても、先は死者の海、後ろは崩壊し、土砂に埋もれたトンネルだ。こうなったら、俺が囮になる、と彰一が言い掛けた瞬間、真一が口を開いた。

 

「......だな。ここで立ち止まってる場合じゃねえぜ」

 

 浩太は、周辺を見回すと、トンネル脇の通路を目で辿り、真上に続いているのを視認して言った。

 

「このトンネル......上は土木作業地帯で囲まれているのか......幸い上り坂になってるし、車に勢いがつく」

 

「トンネルの真上を貫いて道があるとかは?」

 

 真一の問いを、阿里沙が否定する。

 

「それはないです。反対に封鎖された旧トンネルがあるんですが、そちらの工事の為に設営された場所なので、こちら側にしか抜け道はありません」

 

 地面を軽く蹴った真一は、AK47の銃口を死者の一団へ向けた。

 

「お前ら先に車で登れ!後からトラックで追いかけて、そのまま勢いをつけて一気に降りるぜ!」

 

 頷いた祐介は、彰一を引き起こすと助手席に乗せた。

 彰一は、信じられなかった。まだ、何か出来ると思っているのだろうか。例え、死者の波を乗り越えたとしても、その奥には明確な敵意を見せつけたアパッチが控えている。彰一は、失意のなか、自身を犠牲にしてでも、全員を逃がす方法を真っ先に思考したのだが、五人は違った。

 銃声が鳴り始める。自衛官二人の射撃が始まったのだ。同時に、祐介が車のエンジンを掛け、後部座席の阿里沙と加奈子に振り返る。

 

「彰一みたいに慣れてないけど、我慢してくれよ!」

 

 祐介の運転で、荒々しくもトンネルの上部に到着した。車から急いで降りると、今だ銃を撃ち続けている二人へ叫び、浩太と真一がトラックへ乗り込んだのを見届けると車へ戻った。

 

「なあ......」

 

 助手席からの弱々しい声は、彰一のものだ。祐介はハンドルを軽く握り答えた。

 

「なに?」

 

「お前......なんで真っ先に全員が助かることが前提みたいな提案ができたんだ?」

 

 祐介は、きょとん、とした後に、うーーん、と短く呻いてから言った。

 

「まだ、俺達が人間だからかな」




第17部はじまるよ!!


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第2話

 彰一は、こめかみをバッドで叩かれるような力強い言葉だと感じた。そうだ、俺達は生きている。なら、諦めるのはその後で良いじゃないか。人間は生きている限り、どんな困難にも立ち向かうことが出来る。

彰一が口にだそうとした提案は、楽になりたいとかじゃなく、仲間を助けたい、そんな気持ちからきた咄嗟の一言だった。しかし、そうじゃない。助け合える仲間がいる内は、絶対に全員で生き抜いてやる、という覚悟が必要だった。

彰一は、自分の情けなさを弾き飛ばすように、自身の右拳で頬を打った。突然の出来事に、狭い車内に生まれた動揺は、彰一の短い一笑で消える。

 

「しょ......彰一?」

 

「......ああ、大丈夫だ。もう、大丈夫......祐介、運転変われ......それと、みんな!」

 

一同を見回した彰一は、そこで言葉を区切り、祐介で視線を定めた。

 

「絶対に生きて突破してやろうぜ」

 

車内が活気で満ちていき、やがて、高いハイタッチの音が響いた。

 

 

 

               ※※※  ※※※

 

 トンネルの上から、祐介の声が聞こえた時、トラックと死者の群れの距離は、約数百メートルに迫っていた。二人はジリジリと、トラックまで後退し、先に浩太が運転席に乗り込んだ。僅かに遅れて、真一が助手席に乗り、足元に置いておいた新しいマガジンを浩太と自身の武器に叩き込んだ。ほぼ、同時にトラックが動き出すと、不意にハンドルを握る浩太が言った。

 

「なんか、あの時と似てるな......」

 

 真一は深くは尋ねずに、一つだけ首肯だけを返した。逃げ場を奪われ、大量の死者に狙われる。それは、目の前で関門橋を破壊された時と、どこまでも同じだった。死者が一斉に押し寄せる地響きにも似た音までもが同じだ。違うのは、下が地面だという点と、達也や下澤がいないというところだ。あの時は、関門橋の封鎖を担当した岩下の間違いもあり多数の犠牲者を出し、自らも危機に瀕してしまった。

 しかし、浩太の心は、あの一件とは違い微塵も不安も抱えていない。浩太には、それが不思議だった。今だってそうだ。絶対になんとかなる、そんな自信がある。

 

「顔、笑ってるぜ?」

 

 真一の楽しそうな声音に、浩太は破顔する。

 

「お前こそな」

 

 何故だろうか、絶望的とも言える状況に変わりはなのに、笑顔になれるのは。何故だろうか、こうも憂慮のない晴れた気持ちでいられるのは。

 トラックがトンネルの真上に到着すると、プレオの助手席にいる祐介が、ぐっ、と親指を立てているのが見え、真一は巧笑を覗かせて拳を突き出した。

 

「浩太、お前の考えていることの答えを教えてやるぜ」

 

 浩太は、莞爾として笑う。

 

「一応、答えは出てるけどな。念のために訊いてやるよ」

 

トラックを停止させると、真一は手榴弾を二つ持って助手席を降りた。

 

「それはな......俺達の後ろには、どんな人間よりも、信頼の置ける仲間がいるから......だぜ」

 

 間違いない、と浩太が返すよりも早く、真一は怒濤のように迫りくる死者の群れを見下ろした。この事件が起きたあの日から、今日、この時に得られた仲間は欠けがえのない大切な絆で結ばれている。この六人なら、これから先に待ち受けるどんな困難にも負けないだろう。六人が積み上げてきたものは、どんな銃弾よりも、襲いくる死を形作る者達よりも、強く、固く、太く、そして、大きい。

 そんな事を思いつつ、真一は手榴弾のピンを抜き、力一杯、死者の海へと投げ入れた。




UA数28000突破!!ほんとうにありがちうございます!!


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第3話

 0重罪にならない殺人は、幾つかある。例えば、電車での事故だ。これだけならば、意味がわからないかもしれないが、こう説明を加えるとどうだろうか。

 ある足の悪い老婆が、踏み切りを渡ろうとしている時に、背中に向けてこう叫んでみる。

 

 おばあちゃん、危ない!

 

 その声に反応した老婆は、後ろを振り返り、結果、電車のブレーキが間に合わなかった。声を掛けた方の人間は、警察に捕まり、事情聴取を受けるが、善意からだった。決して、悪気はなかったのだ。純粋に心配をしたのだ。そう供述する。すると、どうだ。世間からの批判は恐らく、その家族の老婆へ向かうだろう。痴呆や足の悪い老人を放置して、あまつさえ、事故に合わせるなど、何事だ。声を掛けた方は、多少の風当たりはあるだろうが、それも僅かだろう。何故なら、善意からきた行いだからだ。

 他にも、目が見えない者にも同じことが言える。危険が迫っている時に、同じ様に声を掛けたらどうだろう。危険にぶつかる可能性は、単純に五十パーセントになるのではないか。

 命を落としたとしても、やはり、善意からきた一言だったといえば、老人の時と同様の結末を迎えるのではないだろうか。

 では、この場合はどうなるのだろうか。

 安部は、身を潜めたまま、繰り広げられた惨劇を、対岸の火事のように感じていた。決して、自身が罪悪感を覚えることのない事件であり、関係のない出来事、つまりは、他人事だった。彼らは、天罰を与えられたのだ。天罰、それは神の怒りである。神を怒らせたからこその惨状が、この結果だ。

 

「くっくっ......くひっ、くひっ、くひひひひひひひひひ」

 

 込み上げてくる笑いを止められなかった。

 神に愛されているからこそ、自分は生き残る為に思考する余裕を与えられたのだろう。そして、奴等は、愚かにも私の策に掛かり、そうなった。それも、こんな安っぽい罠にだ。

 やはり、私は神の選別を受けたのだ、そう考えると嬉しくて堪らなかった。

ざまあみろ、神の使いに背くからそうなるのだ。これは、必然なのだ。善意から救済してやろうとしていた私に、なんの罪はなく、どれだけ恨み言を言われようと意にも介さない。

 

「良いか?人殺しってのは殺害人数じゃなく、思考の問題なんだよ。なんでかって?そりゃ、殺人が許される時代ってのが間違いなくあったからだ!数が殺人を聖化する時代があったからだ!安部さん、アンタの言うように、この世界ってのは、狂ってんだよ!イカれてんだよ!特殊性癖、感情の欠落、異常信仰者、そんな異常者が蔓延る環境が人を狂わせんだ!これからどんどん増えてくだろうぜ、そんな奴等がよ!」

 

 以前、東が安部に言った言葉だ。そう、この世界は狂っている。狂っているのならば、正すのは一体誰だ。善意から殺人を行える者は、絶対に違う。享楽的に世界に害をなす者も違う。この世界の明暗を全て味わった者だ。それは、誰だ。それこそが私だ。




お気に入り数190件突破ありがとう御座います!!


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第4話

 実際のところ、世界は武器に金を使いすぎる。世界の軍事費八日分、それだけで世界中の子供への教育費一年分に相当する。馬鹿げた話しだと安部は思えてならない。

 安部は、あの新聞の切り抜きの内容を今でも、はっきりと思い出せる。そんな子供に、大人が何をした。挙げ句、何故、今も世界では争いが起きているのだ。それは、武器は人を強くするからだ。どんな使い方しようと、結果、命を奪うことになるのが武器なのだろう。

 地雷、拳銃、ミサイル、砲弾、爆弾、争いに、いつも巻き込まれるのは子供たちだ。かのキリストも、権力の喪失を危ぶんだヘデロ王に子供の頃に狙われ、キリストがいると考えられる地域に住む二歳以下の子供を皆殺しにするなんて事件に巻き込まれている。大人の勝手な振る舞いに振り回される子供達を見ることが、安部には耐えられなかった。

 だからこそ、安部は立ち上がったのだ。

 世界は、暗に満ちている。それだけに、明が影に潜んでいる。それを際立たせるのは、いつだって大人だ。右手に銃ではなく、本を持っている。左手には、爆弾ではなく温かい食事がある。たった、それだけで充分なのだ。そう、安部は安部なりの正義感をもって、この九州地方感染事件に向き合っている。

 裁きも終わりに近づき始めたのか、新たな獲物を求めて、ノロノロと歩き始めた使徒達がいなくなると、安部はUFOキャッチャーの天板で身体を起こし、あまりの壮観さに唇を三日月に歪めて俯瞰した。使徒になることも出来ないであろう状態の死体が幾つも並んでいる。強引に首を胴体から切り離された者、両手足が四散してしまっている者、と様々だが、南口の出入り口から聴こえた啜り泣く声に、安部は反応した。

 スタスタと近付き、シャッターに身体を預けたまま、腹部から露出した臓器を子供の使徒に生きたまま食われている男性がいた。やめてくれ、嫌だ、と細い息のように呟き続けている。死にやすい人間と死ににくい人間とは、二種類に別れているらしいが、どうやらこの男性は後者のようだ。

 男性は臓器を引き出しながら一心不乱に貪られており、痛覚が麻痺しているのか、激痛を堪えている様子もない。譫言を繰り返しているだけだろう。安部は、その光景をしばらく悠然と悦に入った表情で眺めていた。

 

「そうだ、それでいい。大人に縛られる必要などない」

 

 そう囁き、安部は踵を返した。

 子供にとって、イカれた世界に復讐を、乱れた世に報復を、私はその手伝いをできれば、それで良い。

 

「とある国の少女には、夢があった。優しい人になって困ってる人を助けたいと、少女は語った。そんな少女が、身体に爆弾を巻かれ、遠隔操作で人間爆弾として使用される事件があった。これが悲劇じゃなくてなんだというのか。これは、世界の悲劇そのものだ。小さな願いすら叶えられない世の中をどう見詰めれば愛せるのか、今、我々は試されているのかもしれない」

 

 子供を守る。その大義を抱え、安部は靴音を鳴らした。



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第5話

 もう、限界だった。心臓がはち切れる予兆なのか、鼓動を大きく繰り返している。まるで、爆発寸前の爆弾を体内に埋め込まれている気分だ。口から出せればどれだけ良いか。しかし、出るのは悪態か、祈りの言葉ばかりだった。

 神様、お願いします。助けて下さい。今までの行いを全て悔い改めます。だから、無事に帰して下さい。

 自然と戦車の操縦にも力が入る。大地は、夥しい量の汗にまみれた額を拭う余裕もない。その原因とも呼べる男が再び、戦車のハッチを踏みつけた。

 

「ひゃはははは!どこまでいくつもりだよ!ああ!?いい加減諦めろや!」

 

 人間の根源にある恐怖を煽る声音が響く。人類屈指の異常者があげる高笑い、そして、戦車を囲む死者達による地獄の呻吟、それらを聞くだけで気が狂いそうだ。同じく車内にいた新崎が声を荒げる。

 

「落ち着け坂下!恐怖は視野を狭めるぞ!」

 

「もう嫌だ!もう嫌だ!もう嫌だぁ!なんなんだよ!一体、この世界はどうなっちまったんだよ!」

 

「落ち着けと言っているだろうが!死にたくないのなら落ち着け!」

 

 新崎の言葉に、瞋恚に燃える瞳を携えて大地は鋭く振り返る。

 

「全ての元凶はアンタなんだろうが!この糞野郎!死にたくないなら落ち着けだと!なら、アンタがどうにかしてみろよ!」

 

「今、考えている!だから、少し黙れ!」

 

 苛つきから、新崎は頭をかきむしった。なにせ新崎は、車上の男が自衛隊の基地内では敵なしの武闘派だった岩神を軽くあしらっている現場を目の当たりにしている。だからこそ、いずれは、車上の男にハッチを破られるだろうことを見越しておく必要があり、そうなると、戦車内部に籠城するという案は端から選べない。かといって、戦車の下へ潜り込み匍匐全身で這っても、すぐさま死者の大群に、生きたまま身体を貪り尽くされてしまう。なにより、自分達は、事件が始まってからというもの、戦車内部にいたために、外にいた期間が圧倒的に少なく、経験値も低い。温室育ちで世間知らずなお嬢様と変わらない。

 だから、こうも簡単に上を取られてしまい窮地に立たされる。まさに、八方塞がりな状況下におかれ新崎は下唇を噛んだ。

 頼りにしていた岩神は死者に呑まれ、残されたのは、協力関係とは言えない戦車操縦士の大地一人だけ。加えて、険悪なムードに陥っている。

何か、何か手があるはずだ。俺は死ぬわけにはいなかいのだ。振り絞れ、生き残る為の手段を、方法を死ぬ気で考えろ。ここで死んだら全てが水泡に帰す。



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第6話

 ここは、ショッパーズモールだ。それなら、建物の構造を利用するしかない。発想を変えろ、きっとなにかある。振り落とすのではなく、奴を車上にいられなくすれば良い。

 新崎は、生存の為に思考を始め、やがて、あることが引っ掛かった。ショッパーズモールは、多数の店舗がテナントに入ることで成り立つ大型施設だ。つまり、各通路には区画が存在する。その区切りでよく見られる光景があるではないか。

 

「坂下!天井が一段下がっている場所を探せ!区画の入口だ!」

 

「はあ!?なんの意味があるんだ!」

 

「良いから早くしろ!」

 

 新崎の勢いに押され、大地はペリスコープを見た。見たくもない死者の崩れた顔面の奥に、それはあった。南口へと続く通路だ。真上には、二階エントランスホールの円形路が広がっているので車上の男は、そちらへ身をかわすだろうが、戦車を囲む死者が幾人か男へ目標を変えるだろう。そうなれば、御の字だ。男が死者に抵抗している内に、戦車ごとバックして逃げ去れば良い。あとは、一目散に北九州空港へ向かうだけだ。それで、全てが終わる。

 

「坂下!あそこだ!あの通路に突っ込め!」

 

 大地は言われた通りの行動を実行に移した。死者をキャタピラで薙ぎ倒しながらの強引な走行、軋む音が戦車の悲鳴に聞こえる。それでも、二人は進むしかなかった。南口への入口は、地獄に垂らされた極彩色の蜘蛛の糸だからだ。

 戦車の砲塔が入り、凄まじい異音を響かせながら、戦車は通路の壁を破壊する。幅が足りない分、キャタピラを強硬に回し続け、男の足場を減らしていく。この振動では、どれほどバランスに優れていようと立ってはいられないだろう。

 新崎の目論み通り、車体は、ハッチを天井に隠されている。結果、戦車のハッチを開こうとするスタンプの音は消えた。こちらも狙い通りに、男は二階の円形エントランスへ移ったか、死者の海へとバランスを崩して落ちたのだろうが、今となってはどちらでも良かった。

 

「坂下、もういいぞ。止めろ」

 

 キャタピラの回転音が静まっていき、戦車は停止した。ほんの一瞬だけの安堵に襲われ、大地の瞳からは涙が溢れだす。

 

「泣いている場合じゃない。戦車を下げろ、このショッパーズモールから脱出するぞ」

 

「......了解」

 

 大地が操縦管を握り、戦車がバックを始めると、ようやく新崎も一息ついた。

 今回の出来事は、良い経験になった。次回があれば、視界を広く持つようにしよう、と物事の締め括りをしている最中、突然、キャタピラの音が止まり、聴こえてきたのは、狼狽する大地の声と、操縦管を乱暴に扱う音だ。燃料は充分にあったはずだ。嫌なざわつきが胸に広がっていく。新崎達は、もしもの事態に備える為に、極力、弾丸や武器の使用を控えてきた。それが出来たのも、戦車という兵器があったからだ。新崎達は、死者を撥ね飛ばし、吹き飛ばし、踏み潰し、砕き、擂り潰してきた。

外に出ることは死に繋がる。

 余裕の筈だった。福岡空港まで一直線で進める筈だった。しかし、突然の変更と任務の追加、恐らく、数多の死者を戦車のみで葬ってきたことが原因だろう。

 死者の骨が、毛髪が、歯が、肉が、血が、まるで、怨念のように、こびりついた多くの要因が重なり、キャタピラの駆動部に噛みついたのだ。



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第7話

「動け!動けよ!この!ちくしょう、頼むから動いてくれよ!」

 

 大地の切実な願いも虚しく、キャタピラは動き出そうとする小さな音さえ発しない。ただ、そこに鎮座する巨大なオブジェに成り果てたのだ。大地が、操縦管を動かし続けている。無機質な車内は、処刑を待つ兵士の心境を新崎に与えた。

 

「くそ......くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそおおおおお!死ねない!俺は死ぬわけにはいかないんだ!優奈の為にも俺は死ねないんだよ!ちくしょおおおおお!」

 

 外にでてキャタピラの整備を行うことも、自殺をすることも出来ない。新崎の慟哭は、車内の冷たい鉄の壁を抜けて、死者のもつ熱い何かをたぎらせるという皮肉な結果に至った。垂らされた蜘蛛の糸は、決して罪人を助けることはないのだろう。

 

                 ※※※ ※※※

 

 館内は、全て通路や階段て繋がっているのならば、必ず、死者のいない出入り口があるはずだ。

 そう考えた達也は、紙面に描かれた迷路を辿るような足取りで三階の駐車場を一周した。東館と西館により、隔てられた立体駐車場は、かなりの規模があるものの、両館を繋ぐ部分が崩されており、下を覗けば死者の大群が達也の存在を認めると、仰ぎあげ呻き声をあげてくる。飛び越えるという選択肢もない訳ではないが、失敗するリスクが遥かに勝っている上に、小金井が救ってくれた命を無駄にするなど、どうしてもできなかった。

 達也は、諦めて四階へのスロープを上がっていく。そこで、達也は車を発見したのだが、同時に奇妙な光景を目撃することになる。いや、奇妙というには語弊がある。それは、達也の目にはっかきりとした姿を写したからだ。巨大なプロペラにチェインガン、黒々とした武骨な機体、間違いなく、それは、アパッチだった。達也は、瞠目し、咄嗟に身を屈めた。関門橋での一件に関わったアパッチならば、発見されることは死ぬことと同義だ。

 アパッチが、ホバリング状態に入ると、三階からだろうか、駐車場の柵を揺らすほどに集まった死者の嘯きまで加わった。幸いにも、達也にすは気付いていないようだが、身を守るものが何一つない達也にとっては正に生き地獄にも思える時間だった。

 飛び出そうとする心臓を抑えるように口を両手で塞ぎつつも、どんな些細なことも見逃してなるものかと、絶対に目だけは見開き続け、その変化は数十分後に訪れた。アパッチが方向を変えて、中間市の入口ともいえるトンネルのほうへ姦しい轟音と共に移動し、三階の死者の声も遠退き、達也はようやく深呼吸を挟むことが出来た。




Oh……昨日あげるの忘れてた……


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第8話

 新たに吸い込まれた空気は、口内へ濃い血の臭いとともに、鼻から侵入する。もう、その香りに慣れてしまった自分が嫌になる。ほとんど、獣と変わらないな、と乾いた笑みを浮かべ、達也は首を振る。小金井は死に、浩太や真一はどこにいるかすら分からず、改めて一人なんだと自覚し、目尻を下げれば、自分の腕が目に入る。小金井から託された意思が宿る右手をきつく握り締めると、東と安部にぶつけるまで、一人だろうとも生き抜く覚悟を達也は決めなくてはならない。心細いなど泣き言を口にしている場合ではないのだ。

 達也は立ち上がると、逃げるよりも、アパッチが飛び去った方角、つまりは、中間のトンネルがある方へ走り柵に手を掛け、飛び去った原因を探ることにした。あの兵器が敵にある以上、偵察をしておくことに損はない筈だ。うまく事を運べば、関門橋でアパッチを利用した時のように、活路を切り出せるかもしれないという考えからの発想だった。トンネルの入口を抜けた先は、下り坂になっており、それに伴って雑木林の高さも下がっていく。こちらからは、トンネル付近の様子が良く見える。

そして、達也は目を剥いた。見覚えのあるトラックが、ミサイルによって破壊されたトンネルの前で立ち往生していたのだ。

 達也が、夢かもしれないと思うほどに、現実離れした光景だった。信じられずに、自らの頬をつねった程だ。脇に控えた軽自動車がトンネルの上部に登っていく途中、達也は人違いでも構わないと思考を改めた。なんにせよ、あのトラックには、ここにいるそれなりの理由がある。それが、なんなのか分からない以上、判断材料は理論の中に存在しない。ならば、達也は感情で動くしかない。

 自問自答を始め、結果に行き着いた達也のすべきことは、人間として、どう行動するかに傾いた。

 あのトラックと車の持ち主を助け出す。

 そうと決まれば、達也の役割はなんだ。暴徒を引き寄せること、アパッチへの対処だ。それには、どうすれば良い。

 

「......そうだ......あれなら......!」

 

 達也はすぐさま、踵を返して走り出した。

 

                  ※※※ ※※※

 

 サイコパスの定義とはなんだろうか。生まれながらにもったものだとすれば良い例がある。メアリー・ベルという少女がいた。年齢にして僅か十歳の女の子は、ある日、友人と三歳の子供を殺めた挙げ句、被害者の母親へ葬儀の日に、子供がいなくなったことへついて質問を繰り返した。

 ほどなくして、逮捕されたメアリー・ベルは、将来は看護婦になりたいと答える。理由は、合法的に人へ針が刺せるからというものだ。これだけで、サイコパスは先天的なものだと思われるだろう。

 しかし、東の見解は違い、サイコパスは強い悪意を持つ者ではなく、強い悪意を咎める気持ちがない者だというものだった。

 ならば、この無法地帯のような九州地方はどうだろう。




テーマが難しくて、短編は挫折しましたw


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第9話

 死者に溢れ、自身が生き残る為に人を殺める。そこに謝罪など存在しない。咎めるなどあるはずもなく、急に降ってわいた殺戮に流されているだけだ。社会はなんと脆いものなのだろうか。一度タガが外れれば、こんなにも崩れていき、立派なサイコパスが出来上がる。

 生き残った連中は、例え、この九州地方を脱出できたとしても、心的外傷後ストレス障害(PTSD) により、まともな生活などできるはずがない。これは、恐ろしい病気だ。今でも、沖縄の老人は花火の音を聞くだけで震えが止まらなくなる者もいるという。

こうした中で、端から世間のコミュニティーから逸脱していた東は、徐々に人間らしさを取り戻しつつあった。周囲が東と同じ人種になっているからだ。つまりは、単純で純粋な人殺しが蔓延している。

 強化プラスチックの板の下部にある隙間へ、僅かに指を掛けていた東は、裂帛の雄叫びとともに、身体を持ち上げ、二階へとよじ登り、すぐさまベルトに挟んでいた拳銃を抜き、迫り来る使徒の大群へと一発放った。前のめりに倒れた死者に後続の数人が巻き込まれていく様を眺めつつ、東は立ち往生している戦車へ視線を落とす。どうやら動かなくなっているようだ。東は短く鼻を鳴らすと、興味が失せたのか、すいっ、と目線をあげる。一階に集結していた多数の使徒が濁った眼球を光らせつつ二階へと駆けあがってきていたが、それよりも、反対にある連絡通路前のバラバラ死体が気になった。あの服には見覚えがある。

 

「小金井の野郎......何を勝手に死んでやがんだよ!」

 

 地団駄を踏みたい気分だ。小金井たった一人の為にここまで乱されている。気に食わなく思うと同時に、東は混乱の最中に現在地を特定した。そして、もう一つ、重大な事柄に至る。自衛官の死体がどこにも見当たらないのだ。

 小金井と自衛官の二人は、東にとって世界にただ一人、唯一の存在を危険に晒す原因を作る切っ掛けになったとも言える人間であり、最も憎むべき相手だ。その内、一人はもう死んでいる。ならば、もう一人はどこだ。一階には、戦車の一撃により、使徒が雪崩れ込んできた。そうなると、一つしかない。東は、天井を見上げ、不埒な笑みを浮かべた。

 

                 ※※※ ※※※

 

 トラックが僅かに跳ね、死者を巻き込みながら着地した。その衝撃は凄まじく乗り込んだ自衛官二人が、ルーフに頭をぶつけるほどだ。後続にいる軽自動車の負担を減らそうとして、若干の無理を強行した結果、車一台分以上の道を切り開く。

 真一は、フロントから銃の先端を突きだして叫んだ。

 

「どけえええええええ!」

 

 トラックの突進と銃撃、割れたフロントから千切れた死者の右腕が飛び込んできた。



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第10話

 構うことなく、浩太はアクセルを踏み続ける。スピードを落としてしまえば、たちまち死者の壁に阻まれて、トラックは横転する上に、祐介達が乗り込んでいる軽自動車にも影響が及ぶだろう。車高が低い分、囲まれれば即場に終わりだ。自衛官二人には、トラックによる道の確保と後続の援護、二重の任務が多大な責任となってのし掛かっており、自然と真一の指にも力が入る。フロントに張り付いた死者を殴り付け、真一はマガジンを交換する。

 

「浩太!どんな手応えだ!」

 

 歯を食い縛りながら、ハンドルの調整を小刻みに行う浩太は、額に溜まった玉のような汗を拭うこともせずに返す。

 

「上場だよくそったれ!」

 

 浩太は、更にアクセルを踏み抜いた。グーーン、と唸りをあげたトラックのスピードメーターの長針が右の端で震えている。

 真一は、トラックのバックミラーで後部を視認した。今のところは、トラックが撥ね飛ばした死者に阻まれていることはなさそうだ。むしろ、トラックに突き飛ばされた死者が、動ける死者の前進を阻んでいる。時折、車を盗む際に、割った運転席のドアガラスから無数の短い火花が散っているのを見れば、少しの余裕はありそうだった。このまま、押し抜けることが出来そうだと、真一が油断なく前を向こうとしていた時、信じがたい光景を目の当たりにし目を剥き、悲鳴のような声をあげた。

 

「おいおいおい!冗談だろ!やべえぞ浩太!煙があがってやがるぜ!」

 

「はあ!?」

 

 頓狂な声を出した浩太は、一瞬だけ死者の群れから視線を切って真一側のミラーを打ち見した。確かに白い煙が空に吸われている。

 

「真一! 煙はどこからだ!マフラーか!?」

 

「駄目だ!荷台の下辺りからってのは分かるが死者が邪魔で確認出来ないぜ!」

 

「匂いはあるか!?」

 

「......ああ!ある!」

 

 最悪だ、と浩太はハンドルを叩いた。負荷ををかけすぎたのだろう。思えば、門司港レトロから随分と無茶を抱えてきたものだ。

 異臭の混じる白い煙。それはエンジンになんらかの異常が起きているサインだった。停まることも、スピードを下げることも出来ない現状、トラックには多大な負荷を与え続けなければならない。脇道の林道からは、新たな死者の大群が押し寄せてきていた。真一が手榴弾のピンを抜いて、割れたフロントから投げつけ、数名の死者を吹き飛ばしたが、死の恐怖を持たない死者に囲まれている状態では、空っぽなバケツに手を突き入れるようなものだった。祐介達も異変に気付いたのか、クラクションを鳴らしている。

浩太は、それでもアクセルから足を離すような真似はしない。ただ、ゆっくりと自分の銃を左手で引き抜いた。

 

「真一......言いたいことがある」

 

 浩太の低い声から察したのだろう。真一は、浩太が言い切る前に口を開いた。

 

「大丈夫だ。分かってるぜ、浩太」




あげるの忘れてました


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第11話

 トラックは速度を上昇させた。左手に寿司屋が見えるということは、もう中腹を過ぎた辺りだろう。

 まだだ、まだ、足りない。軽自動車から再びクラクションが鳴らされた。出過ぎている、そのような警告だ。その度に、彰一もアクセルを踏まなければならないのだから、 車体の限界を迎えつつあるのだろう。

 浩太は、真一にM16のチェックを任せながらも、目線だけは押し寄せる死者から外さなかった。車内に、はっきりとオイルが焦げる匂いが漂い始める。トラックの全面的は、あちこちに凹みが目立ち、その様相は廃車同然だ。見た目にも、中身でも、もはやどうやって走っているのか分からない。

 

「......二人でどれだけ保つと思う?」

 

「死ぬつもりはないけど......引き付けられて三十分が限界だと思うぜ」

 

 浩太は、喉の奥で小さく笑った。

 

「死ぬつもりはない......か。俺も同意見だな」

 

「そりゃあな、あいつらなら、なんとか助けてくれるぜ」

 

「でも、怒るだろうな」

 

「......ああ、多分、祐介辺りは本気で怒ると思うぜ。個人的にはそっちのほうが怖い」

 

 そんな言葉に、浩太は声をあげて爆笑した。死者の返り血で全身が重味を増していく中での笑いだ。真一は、ついに気が触れたのかと不安げに盗み見たが、次第に吊られてしまう。

 外での凄惨な光景とのギャップが可笑しくて堪らなかった。こんな現場に身を投げ出そうとしていながら、生き残った際の心配をしている心持ちが、どことなく、キチガイ染みているみたいだった。

 

「......さてと、そんじゃあ、そろそろスピードも良い頃だろ」

 

 強引に強行を足した突破のお陰だろう。既に中間のショッパーズモールの一部は顔を覗かせている。だが、同時にトラックはいつ停まってもおかしくはない。そして、囲んでいる死者の数も増してきている。アパッチが、ただ静観しているだけなのは、関門橋でのミスを犯さない為だろう。事実、アパッチからの攻撃がないぶん、手痛い状況に追い込まれていた。

 真一は、浩太の言葉に対して頷いて、銃を膝の上に置く。

 

「......合図はいるか?」

 

 浩太は首を振り、真一側のミラーから、後ろの軽自動車を一目見た。

 

「ああ、頼むよ」

 

 ついに、トラックのスピードは、目に見えて急速に下がり始めた。数秒後には、四人が乗るプレオに抜かれてしまうだろう。その前に、二人はトラックの速度を出来るだけ上げ続け、飛び降りる算段をたてていた。二人はドアハンドルへ同時に手を掛ける。

 深呼吸を挟み、真一がまさに声を出そうとした時、猛烈な甲高い音が鳴り響いた。



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第12話

 それは、浩太達だけでなく、押し寄せていた死者達も揃って足を止める程の大音量だった。それも、次第に大きくなっていく。

 音の発信源を探し始めた浩太は、それが、目的地である中間のショッパーズモールからだと、ほどなくして気付いた。まるで、誂えたようなタイミングだと安堵するよりも早く、やはり、あのショッパーズに内には、誰かがいる可能性があるのだ、という確信が大きくなった気持ちの方が強かった。

 やがて、トラックに向かってきていた大半の死者は、吸い込まれるように中間のショッパーズモールへ引き返していく。恐らく、火災報知器の類いだろう。連動して響き渡る音は、限界点に達したようだが、それだけで充分すぎた。サプレッサーを点けた状態ならば、多数の死者に気づかれることもない。軽自動車が、一度、バックして死者の群れから距離をとってトラックの隣へ並んだ頃には、数度の射撃で周辺を徘徊していた死者を倒すに終わり、祐介が助手席から慌てて降りると、トラックのドアを叩いた。

 

「二人とも無事ですか!?」

 

 浩太は、ふう、と吐息をついて、情けない程に震える手でドアを開いた。今になって、恐怖が蓋を外したように溢れ出してきたのだろう。

 崩れ落ちるように、トラックから落ちた浩太を祐介が抱えた。

 

「浩太さん!」

 

「ああ......大丈夫だ、安心しろ......ただ、ちょっと疲れちまった......」

 

 玉のような汗により、シャツが肌に張り付いているのか、少し湿った感触がある。それは、真一も同じなのだろうか、助手席で項垂れていた顔をあげ、天井に大きく息を吐き、口元を押さえていた。極度の緊張から、嘔吐する寸前なのだろう。祐介は、プレオに軽く振り返り、残る三人へ二人の無事を伝える為に頷いた。

 

「しかし、この爆音は......凄いですね......」

 

「だな......でも、これで救われた上に、収穫もあった」

 

 収穫、と怪訝そうに眉を寄せた祐介へ浩太は荒い息を整える前に言った。

 

「この警報音は、モールの中にいる人間が、なんらかのアクションを起こさなければ鳴らないだろ」

 

 目を丸くした祐介は、一連の流れに対し合点がいったのか、中間のショッパーズモールへ顔を向けた。死者にそんな知恵があるとは思えない。行き着く答えは一つだけだ。

 

「つまり......誰かが確実にモールにいるって意味ですか?」

 

 浩太は、深く首肯すると、祐介と同じく、あと、数メートル先に鎮座する大規模なショッパーズモールの外観を眺めた。

 

                ※※※ ※※※

 

「はは......ははははは!はっはーー!よっしゃあ!大成功だこの野郎!」

 

 年甲斐もなく、太股を叩いてはしゃいでいるのは達也だった。

 四階の駐車場に設置されていた火災報知器は、予想に反して連動型だった事が功を成した。本来ならば、暴徒に気づかれる前に、音の発信源であるその場を離れなければならないのだが、いたるところで鳴り響き始めた結果、暴徒も達也の居場所を特定出来ていないようだ。それに加え、暴徒達は報知器がある柱に突進すらしている。一石二鳥とはこのことだ。




最近、書いたら満足してあげ忘れてしまう……気をつけます……


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第13話

 達也は、少しばかりの余裕をもって思考を巡らせた。今、四階にいるのは、達也一人だけだろう。そもそも、モール内に生き残りはいるのだろうか。生き残りの候補に挙がるのは、あの狂人である東、そして、そんな東が付き従っていた安部という細身の男だ。次に、戦車内部にあるであろう自衛官数名、それ以上を望むことは出来ない。生きていたとしても、恐らくは、なんらかの傷を負っている、もしくは、自分達だけのコミュニティを築いてある可能性が高い。そこに強引に入り込むことは、到底不可能だ。

達也の次なる任務は、あのアパッチをどうにかして撃墜することだろう。その為には、やはり仲間が必要だが、それ以上に武器がいる。どちらを優先するか。

 幸いにも、ショッパーズモールなので、日用品を工夫すればその場繋ぎの槍くらいなら作れるだろうし、スポーツ用品を揃えているテナントがあれば、金属バッドなどもあるだろう。

 

「......やっぱ、優先するなら仲間か」

 

 そうと決まれば、行動を開始した。一縷の望みに掛けるような、心許なさではあるが、達也にとっての味方といえば自衛官だった。あの七四式戦車が、どういった理由で攻撃をしてきたのは分からないが、誰が乗っているのかを確かめたい気持ちもある。

 達也は、立体駐車場の下りスロープを利用して三階へ向かった。やはり、駐車場の中央と反対側の柵には、暴徒にがたむろしていたが、アパッチのブロペラと報知器の騒音で達也には気付いていない。思わぬ僥倖が続き、ついついほくそ笑んでしまった。それがいけなかった。突然、ひやりとした冷たい感触が、達也の後頭部を押した。背後から接近してきた小柄な男に気づけなかった。

 

「よお......また会えたな、自衛官」

 

 反射的に両手を挙げた。このまとわりつくような独特な話口、他ならない奴しかいない。

達也は、喉から声を絞り出した。

 

「ひ......東......お前......」

 

「何故、生きてるか、か?単純な事だろ?いやぁ、生きてるって素晴らしいよなぁ」

 

 戦車の砲撃以来、暴徒の多くは東を狙っていた。あの海嘯のように押し寄せる人数を、たった一人で切り抜いていたことが信じられなかった。しかし、現にこうして、銃口を突き付けている。達也は、唾を呑み込んで目だけで振り返った。

 

「......俺を殺すのか?」

 

「いや、ここでお前を殺すのは少し都合が悪いな......本当ならいますぐぶっ放してやりてえけど、この報知器を鳴らしたのテメエだろ?」

 

 ぐっ、と銃を押し付けられ、低く唸りつつ、首を縦に動かした。東が達也の頭を、まるで子供を誉めるように撫でる。

 

「お前のお陰で随分と動きやすくなったよ。だが、逆に使徒に気付かれた場合が厄介になった。だからよお.....テメエには少しばかり協力してもらうぜ?それまで、命は預かってやる」

 

「......断ったら?」

 

「......一つ良いことを教えてやるよ。その言葉は交渉だ。それはな、立場の同じ人間同士だけでしか交わされない言葉だ。前にも言ったよな?立場ってもんを、ちゃんと理解してるのか自衛官?」

 

 達也の背後から聞こえてきたのは、東のほくそ笑んだような小さな声だった。




次回より第18部にはいります
……ははは、20部のタイトルは決まっているのに19部が決まらない
思いつき次第、ここに記載します!


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第18部 信拠

「さて、それでは話を始めましょうか」

 

 そう口火を切ったのは、田辺だった。

 浜岡、ソファに座る斉藤と貴子の三人を一度見回してから、浜岡が用意した書類を、ぞんざいにテーブルへ投げた。これからする最初の話しには、あまり必要がないと判断した。それに、主だった内容は既に浜岡が喋っていたのだろう。貴子が浜岡を見る鋭く熱い視線を捉えた田辺は、リビングに到着した開口一番、そう口にする。

 斉藤を一瞥し、田辺がソファに腰を落とし、浜岡はその背後に立った。主役は田辺だという意味だ。

 

「......貴子さん、もう浜岡さんからお聞きしているとは思いますが、これは僕の口から言わなければいけません」

 

 貴子にとっては、もっとも聞きたくない言葉が、他ならぬ田辺から告げられた。あまりにも、残酷な現実と向き合わされ、貴子は悄然とする。久し振りの再会を喜んだ時、あの時も、田辺が父親を訪ねた理由の裏には、そんな思惑があったのだと思うと、非常に業腹たと言わざる終えない。俯いた状態から目線だけを上げた貴子が低く言った。

 

「......田辺さんも父を疑っているんですね?」

 

「......はい」

 

 田辺が短く答えた瞬間、貴子は大理石のテーブルを荒々しく掌で叩く。ふうふう、と小刻みに肩で息を繰り返し、浜岡を烈火の如く睥睨する。

 

「どうしてですか......父は誰よりも今回の事件で心を痛めているから頑張っているんですよ!それなのに......それなのに、友人の田辺さんがそんな目で父を見ていたなんて......もう、私は何を信じたら良いんですか......誰を信じたら良いんですか......!」

 

 声を圧し殺しながらも、力の籠った語尾だった。睨目つける眼差しが、田辺の胸の奥を深く突き刺す。

 唯一の味方でいてくれる筈だった田辺にまで裏切られ、もはや、向けられていた人懐こい笑顔など垣間見ることは叶わない。鬱蒼とした森の中にでも放り込まれたような強い不安感で一杯になっているのだろう。貴子の熱の入った口調を、田辺は森に降る雨を防ぐ木々の葉となり、受け止めるしかなかった。それでも、やはり、全てを掴むことは出来ず、誰を信じたら良い、という言葉の重みに顔をしかめる。まだ、貴子は高校生だ。それも、母親を理不尽に奪われた過去もある。それだけに、貴子の一言は、田辺にはキツいものだった。

 

「......貴子さん、これは、僕にとっても辛い話しではあります。だからこそ、僕は一人の友人として、彼を止めなければならないと考えています」

 

「いや......!いや......!聞きたくない!」

 

 貴子の取り乱し様に、斉藤が割って入ろうとしたが、その肩を浜岡が抑え、首を横に振った。今の貴子を落ち着かせることが出来るのは、田辺だけだ。余計な口を挟むのは、逆効果にしかならない。胸を抉られた傷口は、赤の他人が埋められるものではない。

 貴子の大人びた雰囲気から、普段と変わらない対応をした浜岡自身も、仕掛けが裏目に出たと反省した。いくら年相応以上の応対が出来ようと、精神的に、貴子はまだ子供だった。幼子が得心のいかない時のように、髪を掴んで唾を飛ばしながら、貴子が叫ぶ。

 

「なんなのよ!皆、ミンナ、みんな!そんなにあたしのお父さんを悪者にしたいの!?あたしのお父さんが......お父さんがなにをしたっていうのよ!」

 

「そうではありません!貴子さん、僕の話しを訊いて下さい!」

 

 田辺が伸ばした右手を、貴子は力強く弾いた。

 

「触らないでよ!」




第18部 はじまります
……やっとタイトル決まった……


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第2話

 弾かれた掌を見詰めた田辺の腹からは、怒りとは違う感情が沸き上がり、それは、すぐに目頭へと昇った。これは哀しみだ。

 はっきりとした拒絶の意思、紛れもない撥無、それは、どれだけ田辺が身構えていようとも、心根を引き抜かれた挙げ句、捨てられる気分を味あわされたみたいだった。貴子にとっても、それは同じだろう。

 だが、田辺は顔を上げる。彼女の忘れ形見の未来を守り抜く為ならば、自分が払うものなどたかが知れている。本当に大切な物事の本質は、何かを変えることじゃなく、何かを守ることだ。田辺は、弾かれた手を握り、今度は強引に貴子の手をとった。

 

「言ったじゃない!私を助けてくれるって!なら、助けてよ!いま、私を助けてよ!この手を離して今すぐ出ていってよ!」

 

「いいえ、離しません......貴子さん、貴方の父親は立派な方です。それは、僕も充分に理解しています。選挙戦では、頭を下げまくっているくせに、いざ当選したら汚職に染まる議員が多い世の中で、あれだけ全うに、直向きに、生きていた男を僕は知りません!しかし、人は間違いを犯すものです!立場がある者ほど、一つの間違いが計り知れない大きなものになる......それを正すのは......僕らの......貴方の役目でもあります!」

 

「違う!私のお父さんはそんな間違いを犯す人じゃない!」

 

「完璧な人間なんてあり得ない!誰かが隣にいることで、人はようやく一人になれる!辛くとも悲しくとも、その重荷を半分に出来なければ、立つことすら出来ない!それが、人間だ!その重荷を背負えるのは......僕じゃない!野田貴子!誰よりも彼を傍で見てきた貴方だけなんだ!」

 

 田辺の声は、すう、とリビングの壁に吸い込まれていくかのように響くことはなかった。言葉というものは、それだけでは、なんの意味もないものだ。言霊を乗せるには、 気持ちと熱意が必要になる。歯を食い縛っていた貴子の手を離した。田辺に握られた箇所は、確かな熱を持っているのだろう。田辺を見上げた貴子の目付きが、次第に和らいでいき、やがて貴子は俯き加減で口を開いた。

 

「......父が、今回の事件に関わっていると疑った理由はありますか?」

 

 田辺は、困惑の色を浮かべながらも、しっかりと貴子の赤くなった双眸から逃げずに頷いた。貴子の質問は、涙声で続く。

 

「......それは、あの書類からですか?それとも、田辺さんしか知り得ないことからですか?」

 

「......僕だけでしょうね」

 

 そのやり取りを黙ったまま眺めていた浜岡は、つい口を出そうとしたが、言葉を呑みこんだ。

 貴子には、知る権利がある。そして、それは斉藤にも言えることだ。巻き込んでおいて、席を外せとは言えない。しばらく、室内には重苦しい沈黙が流れ、やがて、貴子は元の位置に座り直すと、ソファを掌で示して言った。

 

「訊かせてください、どうしてそう思ったのかを......」

 

「......少し長くなりますが......」

 

「......構いません」

 

 田辺は、一つ大きな深呼吸を置いて、ゆっくりとした動静でソファに座った。まずは、どこから話すべきだろうか。

 いや、悩むべきはここじゃない。あの殺人鬼東と田辺、被害者である野田夫婦の因果関係からだ。田辺が頭を回すべきは、それをどう貴子に伝えるかの一点に尽きる。

 田辺は、もう一度、深く息を吸うと、一言一句漏らさぬよう、唇の動きを確認する子供のように語り始めた。




UA数30000突破ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう感謝の言葉が見付かりません!!なので、とりあえず、いず様を眺めてきます!!
はい、すみませんでした。だけど、本当に有難いです。どうしたらいいんだろう……自分の少なすぎる語彙では、もう表現しきれないくらいに嬉しいのは確かなんですが……
とにかく!本当に!ありがとう!ございます!!


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第3話

                ※※※  ※※※

 

「世界はいつもある視点から捉えられる。けどな、どこから見るかでその姿さえも変わる。解釈から切り離された事実そのものは、非常に曖昧なものになっちまう。ある視点の段階で、それは根本から覆されても不思議じゃねえ......それは、事実ではなかった、というだけのことだよ。見解の相違、食い違い、意見の対立、そんなものは世の中に腐るほど溢れている。国会議員の最初の仕事は、派閥の違う議員への野次や罵声と言われているが、あれこそが良い例だ。いつも、ある視点から捉えられた議題に、納得がいかないと噛みつく奴がいて、結論があやふやになった問題はいくつもある。それぞれの視点が、それぞれの解釈を生み、事実が螺曲がるんだよ」

 

 達也の後頭部に、直接語りかけるような抑揚のない声が続く。

 

「つまり、一人一人に、それぞれの解釈があり、事実がある。けどな、唯一、決して変えられない事実が一つだけ存在する。それは、死だ。それだけは、人が死んだという事実だけは変わらずにあり続ける。何千年も積み重なった歴史の中、大陸は広がり、技術は進み、娯楽は色を変え、種族は増えた。だが、どんなものにも、いずれは訪れ、決して逃れられないもの、それが死だ」

 

 読経のような、独特な語り口が一度閉じられた。火災報知器が響く駐車場を二人の男が歩いている。そして、この二人には、明確な差があると一目で分かる。一人は、後頭部に銃口を当てられているからだ。生かすも殺すも自由、人間にとってもっとも避けるべき事態に陥っている自衛官は、それでも声を絞って言った。

 

「東......テメエの糞みてえな高説は聞き飽きてんだよ」

 

「そう言うなよ自衛官......これは、一人の男が、こんなクソッタレな世界に置かれた中で、初めて友達ってやつを作るハートフルストーリーだぜ?」

 

 喉よりも更に奥で、東は嗤った。

 

「死ぬってのはな、誰よりも、何よりも平等なんだよ。言い換えりゃあ誰もが持ってて当たり前の権利だ。それを奪う時の感覚は、もう最高だぜ?人間一人をなすがままにするってとこに、俺は毎回、痺れてる」

 

「そりゃあ、お前が歪んでるだけだろうが......!」

 

「俺だけが歪んでる、みたいな言い方をするなよ。こいつは、俺の持論なんだけどよお......カール・アドルフ・アイヒマンは、推定六百万人の人間を殺した。けどよ、戦争中にそれを咎めた奴が国内にいたか?むしろ、褒め称えられていたんだぜ?これが、曖昧な事実ってやつだ」

 

 達也は奥歯を噛んだ。

 

「それは、時代がそうさせていただけだ......!」

 

「そこが、曖昧だって言ってんだよ。殺人は殺人だ。許されることじゃないってことぐらいは俺にも分かる。だがな......」

 

 東は、銃口を、ゴリッ、と押し付ける。

 

「現代における、この九州の現状はなんだ?アナーキストの吹き溜まりか?違うだろう?これこそが戦争だろうが......使徒が生き残るか、俺達みたいな奴等が生存するか......これは奴等と俺達の戦争だろう?」

 

 達也は、小さく舌を打った。

 

「小金井の話しを聴いた限りじゃ、テメエらは、盲目のファシズムだろ」

 

「きひひひひ......そこまで言うならよお......テメエは誰も殺しちゃいねえのか?」

 

「......こうなる前からイカれてたテメエに何言われても説得力ねえよチビ」

 

 達也には一つの疑問が浮かんでいた。




お気に入り鈴200件突破!!……え?200!?って思わず二度見してしまいました……
そして、もうすぐ200Pいきそうですね
いやあ、文字も20万突破しましたね
おお!!2が一杯!!w
本当にありがとう御座います!!これからもよろしくお願いします!!


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第4話

 それは、東の語りの中に、安部が存在していなかったことだ。察するに、東は安部の思想に、それほど傾倒していないのではないだろうか。むしろ、逆に、安部が東の思想に傾いている。東と安部という二枚扉ではなく、一枚扉、そうなると、東を崩せば牙城は崩壊していくのではないか。そこで、思考にノイズが走った。銃底で達也の後頭部を叩きつけた東が不敵な口調で言う。

 

「自衛官よお......俺のことをチビって言ったか?あんまり舐めた口を叩くなよ?俺の事を馬鹿にして良いのは、安部さんだけだ」

 

 鈍痛が残る箇所から、細く生温いものが垂れているようだ。しかし、片膝すら着かずに、達也は首だけで振り返った。

 

「お前にとっての安部は、なんなんだよ......どうしてそこまで奴に傾倒する?」

 

 東は、さも当然だとばかりに鼻を鳴らす。

 

「さっきの言葉を忘れたか?安部さんは俺の理解者だよ。あいつだけが、俺の存在を肯定してくれるし、俺は安部さんを理解してやれる」

 

「それは、思想家と革命家としての関係って意味か?」

 

「安部さんは俺の友人だよ。俺には、心にいる友人ってのがいなかったからなぁ......何かをしたいと言う友の願い叶えるのが友達関係ってやつだろ?そして、俺にはその力もある」

 

 実に揚々と東は口にし、達也は心中で、なるほど、と呟いた。

 要するに、生まれたばかりの雛鳥(そんなに可愛いものではないが)なのだろう。初めて自分を救ってくれた相手、対等に見てくれた相手を、どうして嫌いになれるだろうか。これで、確信がついた。間違えるところだった。

 やはり、東ではなく安部を先に押さえることが出来れば、これから先が幾分、楽になるだろう。親鳥を捕らえられた雛鳥は、ただ餓死するしかない。問題は、安部がどこにいるのか、この状態をどうするかだ。

 悔しいが、さすがに、そう隙を見せない東を相手に近接に持ち込んでも対応されてしまう。いっそのこと、銃を奪えたら良いが、それも過去の経験値を考慮すれば悪手だ。場慣れはしていようとも、東の強さはそういった次元の範囲外にあると知っている。達也は、歯噛みし、改めて仲間の必要性を強く理解した。

 

「話は終わりだ。おら、立てよ自衛官」

 

 ここは、耐えるしかない。情けなさに震える右手を固く握る。

 大丈夫だ、残っている。俺が知る中で、もっとも勇敢な男がくれた熱は、まだ、この右手にある。達也は、しっかりと掌の熱を閉じ込めると、淀みなく立ち上がった。




なんか、某魔法少女思い出してしまった……
ちょっとツタヤいくしかないなこれw


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第5話

 二人は、立体駐車場の入口から店内に入った。やはり、ここの階段からも暴徒が群れを成して駐車場にあがってきている。その中の多くは、白い服に身を固めた一団だった。改めて見ると、酷烈な姿だ。身体中に咬傷を作られ、眼球は乱暴にかきみだされていたり、袖を漂わせたままの者や、糜爛した皮膚に引っ張られ、喉仏が垂れ下がった者までいる。屍蠟した姿を連想させる程に、外見に目立った傷がない男性もいたが、胸から流れている血の量を見ると、恐らくは僅かな傷を負わされてしまい、自殺をしたが結局は転化してしまったのだろう。

 連なり、重なった暴徒の伸吟は、まるで、この痛みから解放してくれ。早く殺してくれ、と懇願しているようにさえ聴こえる。二人は、一旦、昇り階段の踊場に身を隠し、大群が過ぎ去っていくのを眺めていた。報知器が鳴り響く立体駐車場に消えていき、やがて、最後の一人が通過すると、溜めていた息を一気に吐き出した。

 どうやら、二階にいた暴徒のほとんどが報知器のベルに反応をしていたようだ。

 現在地も、壁に嵌め込まれたパネルで、戦車の一撃で崩落した連絡通路を挟んだ別館、達也が目覚めた寝具コーナーがある三階と判明した。銃口で軽く小突かれ、非難めいた視線で東を見たが、細くなった両目で言葉もなく先を促してくる。二階へ下る階段を俯瞰した達也は、喉を鳴らして一段目に足を掛けた。いくら、報知器の警報音があろうとも、なんらかの切っ掛けがあれば、暴徒達は、達也をも含んで標的とするだけあり、緊張感は拭えない。口内が乾いているにも関わらず、達也は生唾を呑み込みながら、どうにか二階に到着したが、一息つく間もなく、東が達也の背中に言う。

 

「何を休んでんだ?ほら、さっさと進めよ」

 

「進めだと?先に目的地を言えよ。そもそも、お前は俺に、なにをどう協力をしてほしいんだ?」

 

 東は、一度、唾を勢い良く床に吐き出してから、唇を苦々しく上げた。

 

「あの糞いまいましい戦車を、一度、奪おうとして失敗しちまった。筋肉達磨みてえな自衛官一人は、使徒に喰わせたんだが、そっから亀みてえに出てきやがらなくなってよ」

 

「俺がそいつらに呼び掛けろってか?」

 

「察しが良いじゃねえか。おら、分かったら、さっさと歩けよ。とりあえずは、あの連絡通路に行って現場確認だ」

 

 東が間違いなく口にした、自衛官を使徒に喰わせた、という言葉を達也は聞き逃した訳ではない。そこから、戦車にいる自衛官が誰かを探る為に、あえて触れなかった。




なんか、おすすめの海外ドラマとかあれば、どなたか教えてください……w


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第6話

 筋肉達磨、そんな揶揄を東に使われるとなれば、自衛官の中でも、かなりの体格を誇る者だろう。となれば、まず、自分と身体が近い大地はその候補から外れる。残る候補は、基地内部で問題視されていた岩神か隊長の新崎だろう。体つきが特に優れていたのは、この二人しか思い付かない。問題児に、この事件の幕をあげたであろう人物、なかなかに凶悪な組み合わせだと嘆息をついた。小倉から逃げ出した際に、通信が入ったのは大地がいた車両だけだったことを考えれば、戦車の操縦者は坂下大地である可能性は高い。しかし、岩神か新崎、どちらか一人を東により失っているとはいえ、このショッパーズモールの現状と鑑みると、大地の助力は厳しいものだと、達也は悟った。浩太の推測を元にした犯人説なだけあり、確証はないとはいえ、新崎をこの眼界に捉えて正気でいられるはずがない。どちらにせよ、今の達也には、何か事態を好転させる策はなかった。

 二人は、達也が横たわっていた寝具売り場を横目に連絡通路を目指し、遂にたどり着く。扉を開くと、暴徒の唸りが波となって二人を叩く。一階には、まだモール内に入りきれていない暴徒の大群がさ迷っているみたいだ。崩れた通路、東が戦車に向かって飛び降りた地点まで進み、高い視点からホールを覗く。

 南口の出入り口を塞ぐ74式戦車は、東が避難した時と同じく、そこにあった。駆動音は無く、ただそこに置かれたオブジェのようだ。東が眉をしかめる。

 

「逃げれなかったのは予想通りだが、動いてないのは予想外だな。でも、まあ、好都合っちゃ好都合か」

 

 東は、満足そうに呟いたが、達也は違和感しか抱けなかった。あの高性能戦車ならば、逃げようとすれば、逃げられる筈だ。それが、まだ、こんな所に往生しているのは、なんらかの理由が必ずある。

 動かないのか、動けないのか。

 砲塔を南口通路にすっぽりと収めている様は、随分と間抜けな光景だが、達也はその不一致を隠し続けた。

 

「余裕......なんだろうな、あれは......」

 

 東が達也を生かしている最大の成因は、戦車を奪うことだ。ここで、露呈すれば、迷わずにトリガーを引いてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

 

「次だ。次は、戦車の真上に移動するぞ......使徒が、どれだけ報知器に反応しているかも分かったし、充分に戻れる」

 

 合図のように、東が銃口を押し付けた時、それは起きた。

 戦車のハッチが開き、車内から自衛官が顔を出した。そして、達也は瞠目することになる。見間違えなどしない。 見紛うこともない。ましてや、忘れることなど有り得ない。下澤、岩下、小金井、数々の犠牲になった自衛官や市民、その全ての元凶と目される男が、戦車から顔を出した。

 

「新崎......」

 

 東にも聞こえない声で、ぽつり、と呟くと同時に、清冽とはほど遠く、濁った様々な思いが濁流のように競り上がってきた。忿怒、悲憤、義憤、それら全てが津波となって達也の感情を、清冽どす黒いものに変えた。

 

「あ、ら、さ、きぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 溢れでる怒りでせいか、達也は、一字一字しっかりとそう口にした。




遂に出会ってしまった……
ようやく、ここまできたw


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第7話

 数十分前から鳴り響きだした警報音は、戦車内部にも聞こえていた。死者の呻きさえも、その音の波に呑み込まれていく。操縦菅の前で、頭を両腕で抱えていた大地と、戦車の中央で、茫然と立ち尽くしていた新崎は、揃って何事かと顔をあげる。

 恐怖で竦み上がっている大地は、動けそうにないと判断した新崎は、自らハッチを開き、目だけを覗かせて現状の確認にはいり、目を丸くした。あれだけ戦車に群がっていた死者が、大音量で響き渡る報知器へと突進にも似た速度で激突したり、歯をたてるなどをしていたのだ。奇妙な光景以外に、言葉にしようがない。

 しかし、新崎にとっては、チャンスだった。脱出不可能とすら思えた戦車内部の暗がりを切り裂くように、ハッチから光が注がれていく。すぐさま、車内へ飛び降り、悲嘆にくれる大地の肩を叩いた。

 

「おい、しっかりしろ坂本!ここを出るぞ!」

 

 新崎の信じがたい提案に、大地は歯を剥いた。

 

「ここを出る......?ふざけんな!外がどうなってるか、アンタが知らない訳ないがない!降りた瞬間に、囲まれて喰われて、それでお仕舞いだ!自殺と変わらない!」

 

「分かっていないのはお前だ!良いか?奴等は、この音に気を散らしてバラバラになっている!脱出するなら今しかない!」

 

 新崎は、大地の胸ぐらを掴み、顔を引き寄せて一気に言った。

 

「信じられないのなら、引き摺ってでも叩き落としてやる!分かったら、さっさとお前の足元にある鞄を渡せ!」

 

 新崎の指示した鞄は、かなりの大きさがあり、見合うだけの重量もあった。とても持って走れる重さではない。しかし、新崎は鬼気迫る顔つきで大地に迫った。逃げ出そうという時に、不審な言動だったが、大地の性格からか、勢い負け素直に鞄を渡す。顔に多量の皺を刻みつつ、肩から袈裟に下げ、新崎は89式小銃一挺とマガジンを二つ大地に持たせ、自身も同じく装備した。

 

「良いか?まずは、お前が戦車から降りろ。もしものときは、俺が援護する」

 

 こくり、と頷いた大地の前髪は、汗で額に引っ付いている。相当な緊張が目に見えて分かった新崎は、大地の肩に手を置く。

 

「安心しろ、岩神がいない今、俺にはお前だけが頼りだ。絶対に死なせたりはしない」

 

「......分かったよ」

 

 二人だけと強調され、大地は渋々、承諾するしかなかった。一人になるのは、耐えられない。

 ここまで、新崎にとって順調に事が運んでいた。ただ、一つの誤算は、ハッチから出た途端に頭上から聞こえた自身の名を叫ぶ声だった。知っている声だ。それも、同じ自衛官でもある男の声音だ。新崎は、反射的に顔をあげ、声の持ち主を視認して、目を剥くと同時に呟いた。

 

「古賀......達也......か?」

 




短編あげ終わりました
ああ、やっぱコピー貼り付けより、こっちのが楽ですね


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第8話

 何故だ。何故、ここにあいつがいる。新崎が混乱するのも無理はないが、瞬時に合点がいった出来事を思い出す。そうか、依頼主が派遣したアパッチを振り切って関門橋から離脱したトラックに乗っていた人間というのは、奴のことだったのか。

 あいつが、大人しく死んでおけば、俺はこんな危険な状況になることもなく任務を遂行できていたというのに、古賀達也のせいで全てが瓦解したのだ。

 古賀、古賀、古賀、古賀、古賀、古賀!

 

「古賀ァァァァァァァ!!!」

 

 新崎は怒りに任せて、制止する大地を振り払い、89式小銃を持ち上げた。すぐさま、達也は身体を引っ込める。ここまで生き延びただけあり、見える脅威に鋭敏に反応を示した。そして、新崎が自らの軽率な行動を後悔したのは、引き金を引いてからだ。僅か数発、それだけだ。それだけで、今の九州地方では限りなく命取りになる。数秒が圧縮された静謐な空間ができる中、報知器に張り付いていた死者の一人がゆっくりと振り返った。

 裂かれた腹部から垂れ下がった臓器は地面を擦り、強引に引きちぎられた鼻は、ぽっかりと空洞になっている。乱れた前髪から滴る血液の奥にある白く濁りきっている眼球が、ギョロリ、と車上にいる二人を捉える。沸々と沸き上がる恐怖が、それを助長しているのだろうか、新崎は一連の流れをスローモーションで見ていた。上顎と下顎が離れ、カチカチと鳴らされていた歯の音の代わりとばかりに、死者の一人が凄まじい獸声をあげ、車上に立つ二人の自衛官へ向かってくる。芋づる式に周囲の死者が集まり始めた。

 

「う......うあ......うああああぁぁぁぁぁぁ!」

 

 大地は悲鳴をあげた。やはり、車内にいた方が安全だった、そんなことを言う余裕もない。まだ、距離はあるとはいえ、数百人に近い規模だ。囲まれるのは時間の問題だろう。

 新崎は、再び達也がいた頭上の連絡通路を一瞥した。

 今までを宛先もなく歩いているだけだった縹渺たる原野の草を刈り取り、大地が見えたような感覚だった。

 同じミスはおかさない。自らが生き残る為には、必ず、刈らなければならない男、奴を確実に殺すには、まずは、ここをどう切り抜けるか。肩に掛かる鞄の重さは、逃げるには具合が悪い。断腸の思いで、新崎は鞄をその場に置き、すっ、と破壊されたバリケードを指差して言った。

 

「......坂本、先にあそこまで走れ」

 

 大地は耳を疑い反駁するよりも早く、新崎は腰から下げていた手榴弾一つを死者の群れへ投げた。ずしんと腹に響く破裂音に混じり、新崎が続ける。

 

「あれが、最後だ。もう隠し玉はない。じきにここも囲まれるだろう。だから、お前が先に行くんだ......」

 

「......隊長?」

 

「悪かったな、こんなことに付き合わせて......お前だけは生きろ」



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第9話

 大地は躊躇しつつ、新崎の表情を盗み見た。憔悴からきたのだろうか、随分と窶れているように思える。さすがに、この光景を作り出した責任が勝ちすぎているのだろう、と大地は考えた。ならば、ここで諦めるのも頷ける話だ。時間が経過すればするほど、死者が集まる時間を与えてしまうという焦慮が押し寄せ、そんな短絡的な答にたどり着いてしまった。日常で聞けば、おかしな箇所はすぐにわかる。焦りという魔物が大地から沈吟を奪ってしまっていた。

 大地は、何も言わず、新崎に一度だけ敬礼し、戦車を飛び降りた。向かってきた死者の一人を仕留め、前蹴りで倒し、後続の足止めをする。背中から襲ってきた死者は、新崎の援護射撃に倒れた。

 ......いける。新崎の援護があれば、俺はこの地獄から生還できる。振り返らず進め、信じろ、この時だけでも良い、信じて前だけを見ろ、疑うな。とにかく、止まらずに足だけを動かし続けた。掴まれたら、死者の脆くなった腕ごと強引に引きちぎり、前方に迫った死者には、容赦なく弾丸を見舞った。まるで、その世界に自分だけになった気分だ。ブーツが床を踏む音以外には、何も聞こえない。銃声も、死者の呻きも、自身の咆哮さえも耳に入らない。がむしゃらとは、このことなんだろう。その勢いあってか、出口まで残り数メートルとなった。それでも、大地は足を止めない。止める訳にはいかない。どれだけ前方を死者の壁に阻まれようとも、登りきってみせる。

 そんな大地の足を止めたのは、背後から伸びた死者の腕だった。がっしりと襟を掴まれてはいるが、やはり、大地は構わずに進もうと足を出した。新崎の射撃技術なら、すぐに助けてくれる、そんな思いを抱きながら、更に一歩を踏み出す。だが、一向に死者が身体を引く力が弱らない。嫌な予感に汗が噴き出し、足から力が抜けていき、鼻腔を掠めた鉄錆の匂いに、死者が口を開いていることを連想した大地は、背後の死者を振り向き様に殴りつけ、大地の双眸から光が消えた。

 車上には、誰もいなかった。いるはずの新崎の姿がどこにもなかった。

 

「嘘......だろ......おい......おい!新崎!」

 

 一階ホールの報知器に集っていた死者は、音に寄せられてきていた。ほぼ全ての死者は、銃声も鳴らし続けていた大地を獲物として認識している。大地は、ここで理解することなる。つまり、自分は囮に使われたのだ。少し注意すれば気付けることだった。悔しさのあまり、歯の隙間から嗚咽が漏れた。目の前で仲間を殺され、戦車の操縦を担い、利用されるだけされた結果がこれだ。

 

「ふざけんな......ふざけんなよ、クソッタレがぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 背後から忍び寄った死者の息が掛かると息を呑み、反射的に振り払い銃口を向け、掃射を仕掛けた。だが、無情にも響いたのは、実に柔らかな戛然の音色だった。同時に、大地は数多の死者に押し倒され天井を仰いだ。

 茹だるような熱が全身を駆け抜ける。それは、あまりにも大きな激痛からきたものだと理解するまでに時間は掛からなかった。

 腹を開かれ、腕をもがれ、臓器を放り出されては口に運ばれる。四肢に身体を乗せられ、唯一、動かせる頭を振り回し、大地は金切声を響かせる。涙で滲んだ眼球が一瞬だけ捉えたのは、二階への階段を駆け上がる新崎の背中だった。

 

「ぎいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 口内に、死者の両手が捩じ込まれ、口角が耳まで裂かれると、大地の叫声は、ぴたり、と止んだ。



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第10話

                ※※※ ※※※

 

「これを使ってみたらどうだ?」

 

 浩太が祐介に渡したのは、中間のショッパーズモール脇にあるカラオケ屋を案内する看板だった。鉄板を繋げた針金を捻りきり、それを破壊されたドアガラスに当てる。視界が遮られてしまうが、ショッパーズモール周辺の死者に対抗するには、割れたままでは不安が残る。有事の際には、助手席にいる祐介が中から抑えて突破を防ぐ手筈をとる。

 あの広大な面積を誇るショッパーズを悠々と占拠するほどの大群に突入しようというのだから、どれだけ用心しようとも心許ない。しかし、僅かな時間によって生死が別れるのは、確かな事実ともいえる。彰一が、舌打ち混じりにアパッチを睨んだ。

 

「......俺としては、あいつらに動きがないほうが疑問なんだけどな」

 

「ああ、確かに......少し怪しいぜ......」

 

 真一が頷いて同意した。件のアパッチは、中間のショッパーズモールを俯瞰するように、ホバリングを保ったまま動き出す気配はない。何か狙いがあるのか。もしくは、トンネルを塞がれた一行が退くためには、一度は死者の海に飛び込む必要があるとみて、弾丸を渋っているかの、どちらかだろう。なんにしろ、大きなアクションを伴うことになる。浩太が銃に新たな弾倉を込めて言った。

 

「なんにせよ、俺達は文字通り背水の陣だ。進むことは出来ても、退くことは出来ない。だったら、少しでも準備をしておくにこしたことはない」

 

 プレオの後部座席のドアガラスから、真一が差し出したマガジンを受け取った阿里沙は、隣に座る加奈子を抱き寄せた。バックドアガラスは、いくつもの紅い手形に埋め尽くされている。先程の正面突破を敢行した際についたものだが、それが阿里沙の心理状況を如実に語っているように思えた祐介は頭を振った。恐いのは、みんな同じなんだ。恐怖に呑まれれば、行動が一手遅れ、そのまま命取りになる。高まる動悸を静める為に、祐介は、ぎゅっ、と胸を掴んだ。

 

「大丈夫......大丈夫だ......」

 

 深く息を吸って、一気に吐き出す。そんな様子を見ていた彰一が吹き出した。

 

「なんだよ、緊張してんのか?あんまり、ガチガチになっちまうと、守れるもんも守れなくなるぞ」

 

「......お前は平気なのか?」

 

「俺とお前、真一さんに浩太さん、それに阿里沙と加奈子......こんだけ信頼する仲間がいたら何も心配ない。それに......」

 

 トンネルが崩壊した直後、へたり込む寸前だった彰一を支えたのは祐介だった。その熱は、今も彰一を支えている。やっぱり、本当の仲間ってのは良いもんだな、と胸中で呟いて言う。

 

「なにがあろうと、俺がお前らを死なせない。お前も同じ気持ちだろ?」

 

 ぽん、と祐介の肩を叩き、彰一は笑う。それだけで、祐介は曇天な晴れたような気持ちをもてた。二人が揃って、視線をあげた先に待ち受けるものが、どれだけ地獄に近かろうと、きっと上手くいく。祐介は、そう深く心に刻んだ。

 

「そろそろ行こう。準備は良いか?」

 

 浩太の声に、二人は同時に頷いた。




200ページ突破!!
……200てwww


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第11話

 プレオに二人が乗り込んだのを見送り、浩太と真一もトラックに乗る。その際に、真一は、ちらり、とトラックのエンジンを横目で見た。果たして、どこまで保ってくれるだろうか。その心中を察した浩太は、ハンドルをきつく握りはするものの、なにかを口にすることはなかった。手の中にある鍵を眺め、グッと、力を込めて回せば、数度の振動の後にエンジンが吹き始める。異臭は、変わっていない。

 

「......出発するぞ」

 

「ああ、頼むぜ......」

 

 アクセルを踏めば、トラックは少しずつスピードをあげていく。

 とりあえず、トラックの心配は残るものの、動き出すことが出来たので、あとは進み続けるだけだ。真一は、上空のアパッチを見上げる。

 

「浩太、アパッチに関するもう一つの可能性があるぜ」

 

 浩太は、瞬きを挟み訊いた。

 

「なんだ?」

 

「俺達が近づくのを待ってるってことはないか?充分にあり得るぜ?」

 

 鼻から息を吸い、浩太の返事を待つ真一の心境はどんなものだろう。それは、真一自身にも判断しかねる問いかけだった。これから、死地へ赴くというには、先程よりも周囲が見渡せている。浩太が、一笑して言った。

 

「そんときは、あのクソッタレアパッチの腹に一発喰らわしてやるだけだ」

 

 浩太が向けた右拳に、真一は短く息を吐いて自分の左拳を強くぶつけた。

 今までのように、敵は死者だけではない。空からも、陸からも、最悪の場合は動物もだ。真一は、一人、トラックの無機質な天井を見上げ、関門橋での惨劇を思い浮かべ、心臓の位置に手を当てた。頭の中のビジョンは絶対に実現しないけれど、心の中のビジョンは必ず実現できる。真一は、浩太の答えに、こう答えた。

 

「そりゃ、良い案だ。乗るぜ、浩太」

 

 中間の中央通り、大きな十字路に差し掛かる手前で、真一の声を合図にしたように、トラックはクラクションを高々と鳴らしたあと、速度をあげた。音に振り返った死者達が、容赦なくトラックに撥ね飛ばされていく。

 そんな中、後続を走っていたプレオには、アクシデントに起きていた。トラックとほぼ同時に十字路に突入した瞬間、巨体を持った死者がフロントガラスに覆い被さってきたのだ。悪態をついた彰一は、すぐさまハンドルを左に切ることで死者を振り落とし、対処したが、開けた視界の先にあった景色は苦いものだった。一直線な道路、更に奥に見えるのは筑豊電鉄の中間駅だろう。そこから更に先は、長い登り坂になっている。周辺は住宅街であり、雪崩のように死者が押し寄せてくる。彰一は半ば叫ぶように、阿里沙へ尋ねた。

 

「阿里沙!右に何がある!」

 

 看板で、破損した運転席側のドアガラスを塞いだことが裏目に出た。状況の確認が一手遅れたのだ。それでも、彰一の修正は素早いものだったが、四人がいる場所が、あまりにも悪すぎた。プレオは、直進したトラックとは違い、十字路を完全に左折してしまっている。加えて一直線、つまり、合流するには、一度停車する必要があるのだが、死者に追われている現状、それは不可能だ。ならば、と瞬時に彰一が考えたのは、別ルートでの合流方法だ。しかし、阿里沙の返答は残酷なものだった。




なんか、今日、寒い……


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第12話

「駐車場があるけど、駄目!高い植木に囲まれてて、とても乗り越えられそうにない!」

 

 中間のショッパーズモールは立体駐車場の他に、平地の広い駐車場がある。だが、事故の防止の為か植木で交通の制限を掛けていた。

 

「マジかよ......くそ!どうしたら......!」

 

「彰一!あそこだ!あそこから入れる!」

 

 フロントガラス越しに祐介が指差したのは、駐車場の一画に店を構えていた焼肉屋だ。彰一が目を向けると、確かに矢印の下に、南口駐車場の案内が確認できる。前も後ろも、左に広がる住宅街にも逃げられない今、四人の選択は一つしかなかった。彰一は奥歯を咬み、ハンドルを右に切った。

 

「掴まってろよ!」

 

 停車は出来ない。プレオは速度を維持したまま、ギャリギャリと、嫌な音を鳴らしながら平地の駐車場へと入った時、車内が左に沈んだ。負荷に耐えきれなかったタイヤがパンクしたのだろう。彰一は、ハンドルでの調整を試みるが、無駄な抵抗とばかりにプレオは大きくブレながら車体を横に向け傾いた。横転する、と祐介が大声を出そうとするが、軽自動車だからだろうか、一秒にも満たない時間だが、車が絶妙なバランスを保ち、そのコンマ数秒の間に南口の出入り口シャッターへ助手席側からぶつかり、激しい振動を車内に伝えながら、ようやく車は停まった。

                

               ※※※ ※※※

 

 安部は、突然の来客に目を見張った。一階のホールに戻ろうとした際に、中間のショッパーズモールの均衡を崩した元凶であろう戦車が南口の通路を塞いでしまう。なにかしらの事故によるものだろうが、これでは死者が容易に来れないメリットはある。デメリットは、戦車の下を潜り、中程から車内に入らなければならないことだ。いや、これはデメリットにはならないか。一人納得する。だが、こんなものがあるから、貧富の差が露呈するのだ。沸々と下腹からこみ上がる憎しみを込めた安部の蹴りは、鉄の塊に対し、何かを起こすことも当然ながら無かった。

 

「地はやせ衰えた。世界はしおれ、天はしなびた。地球は人間によって汚れた。人々は神の掟に背き、定めを変え、神の永遠の契約を破ったからである。それゆえ、呪いは地を食らい付くし、人は罪あるものとされる」

 

 予言書イザヤの書に記された一説、そこにはこうある。神に背いた結果の産物、それこそ、まさにこれだ。安部は、共産主義者という訳ではなく、理想主義者でもない。それをよく表した一説だと、喉の奥で嗤う。なにはともかく、退路を塞がれた安部に残された最善手は、中間のショッパーズモール内の喧騒が収まるまでは、この戦車に籠城することだろう。しかし、懸念がある。車内に誰かいるのか、ということだ。しばらく考え、二の足を踏んでいた時、安部の背後で轟音が鳴った。

 一体、何事だと心臓が跳ね上がった心臓が口から溢れ落ちるのを防ぐように息を止めて振り返る。




ああ……あああああああああああ!!!!
2話きたあああああああああああああ!!www


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第13話

 先程の地鳴りのような響きの正体を確かめる為に、安部は喉に生唾を流してから歩き始め、すぐに特定する。南口の閉ざされたシャッターが内側にひどく歪んでいるのだ。外からの衝撃だろう。それにより、男性を一心不乱に食べていた子供の使徒は、飛ばされた際に頭を強く打ち付けたのか、すでにこと切れていた。

 苦々しく顔をあげた安部の耳に、声が入ってくる。どうやら、まだ、外で生き延びていた一団が、使徒に追われて逃げる最中に衝突してしまったのだろう。そう結論付けると踵を帰す。ここまで生存しているのなら、さぞかし活きの良い使徒になれるだろう。そんな考えを持っていた安部を引き留めたのは、シャッター越しに聞こえてきた一言だった。

 

「誰かいるのなら助けて下さい!まだ、小さな子供もいるんです!お願いします!助けて下さい!」

 

               ※※※ ※※※

 

 朧気に視界が揺れる。山彦のように声が遠のく。身近にあった全ての景色や音が不明瞭だった。頬に生温い感覚がある。祐介は、震える手で触り、眼前に持ってきた。鮮やかな朱色が掌に広がっている。

 ああ、これは血だ。

 祐介は漠然とそう思った。左を見れば、凹んだシャッターがあり、これほど大きな事故なのだから、どこか怪我でもしたのかもしれない。ズキン、と鋭い痛みが走り、祐介は声をあげた。

 

「ぐうううううううううう!」

 

 ......違う。俺の声じゃない。

 激痛をどうにか抑え込もうとする唸り声だ。痛みのままに、出そうとして出せるものではない。

 

「......彰一?......彰一!おい!大丈夫か!?」

 

 祐介は弾かれるように起き上がろうとしたが、なぜか運転席のドアガラスの代わりにしていた看板が自分の腹に乗っていた。持ち上げ、今度こそ身体を起こし、彰一を見て愕然とする。

 額に浮き出た脂汗、奥歯が見えそうな程に引き上げられた唇、対照的に強く噛み締められた歯の隙間からは、耐えがたい疼痛に抗うような低い声が漏れている。

彰一は、きつく閉めた瞼を開けた。

 

「大丈夫......気に......するな......」

 

 祐介が視線を下げれば、彰一の左肩から夥しい量の血が流れており、運転席のシートは紅く染まっていた。

 恐らくは、車がぶつかった際に、死者を阻もうと右肩で看板を抑えていた。しかし、衝突時に看板が大きく外れ、彰一が左肩を切り裂かれることで勢いがなくなり、祐介の腹に落下したのだろう。深刻な事態に直面し、祐介の意識が、ありありと戻った。



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第14話

「気にするな......って!無理だろ!早く傷を......!」

 

「そんなことしてる場合じゃねえ!早く看板で塞げ!奴等が来るぞ!」

 

 彰一の怒鳴りで気が動転していた祐介は、四人が置かれている状況を理解する。運転席のドアガラスから見える狭い視界一杯に、獲物を捕らえたハイエナの大群のように、死者が迫りつつあった。看板を持ち上げた祐介が、ドアガラスを塞ぐと同時に、凄まじい圧力が襲いかかる。どれだけの人数で圧しているのだろうか。彰一が加担に加わることでどうにか抑えこむことが出来た。死者の伸吟が次々と増えていき、看板を爪で掻く音が車内に響く。

 

「阿里沙!怪我はないか!?」

 

「う......ん......大丈夫......」

 

「なら、頼む!そのシャッターを押し開けてくれ!」

 

 祐介の指示に、どこかに痛みが残っているであろう阿里沙も、すぐに動き出した。激突によって粉砕された助手席の窓から両腕を出して押す。僅かに動きはするものの、中腹が折れ曲がったシャッターは、外からの力では、下部が少ししか上がらず、人が通れるスペースを作れない。車から降りれば話は別だが、シャッターと軽自動車は見事なまでに密接していた。死者が通れる道はないが、シャッターが開かなければ、四人が抜ける道もない。

 

「こっちからじゃ無理!中から浮いたシャッターを持ち上げてもらわなきゃ、ここは開かない!」

 

 阿里沙の悲鳴まじりの訴えに、祐介は間を開けずに返した。

 

「なら、呼び掛けろ!中には絶対に人がいる!諦めずに呼び掛けろ!」

 

 頷いた阿里沙が、シャッターを叩き始める。

 

「誰かいるのなら助けて下さい!まだ、小さな子供もいるんです!お願いします!助けて下さい!」

 

 後部座席から、バン!という音が鳴ったのはその時だった。運転席側の後部座席にしか残っていなかったドアガラスが激しく破れられた。その先にいるのは、たった一人だ。彰一が、反射的に振り返った時には、すでに幼い加奈子の襟を男性の死者が掴んでいた。

 

「加奈子ォ!」

 

 銃は間に合わない。加奈子を引き上げて避難させれば、死者が車内に入ってくる。そんなことを考えるより早く、彰一は咄嗟の行動に出ていた。

 

 加奈子を......家族を、大切な仲間を、死者に奪われてたまるか!

 

 引き出される寸前だった加奈子の頭を右手で止め、左腕を死者の眼前に突き出した。

 彰一は、まるで世界そのものの時間の速度が落ちたように感じた。ゆっくりと時間が流れていく。

 加奈子を死者の手から剥がす時、祐介が叫ぶ口の動き、阿里沙の振り返る動作、そして、自身の左腕に、死者の歯が食い込もうとする瞬間までも、スローモーションで鮮明に瞳に映った。

 もしかしたら、警察署で祐介も同じような光景を見たのかもしれない。彰一が胸中で囁き終えるよりも早く、死者の口が閉められた。




次回より第19部「死闘」にはいります!!
すいません、少しいいですか……「彰一イイイイイイイイイイイイイイイイ!!」


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第19部 死闘

 トラックの荷台に集っていた死者の足音が遠ざかっていく。異変に気付いたのは、真一だった。曳船のようにトラックに付いていたプレオが、いつの間にかいなくなっていた。その後に響いた衝突音に二人は揃って身体を震わせる。

 予定とは違う状況に、自衛官二人は、焦りを隠すことが出来なくなった。なにかしたらのトラブルがあったのだろうか。だとすれば、ここはすぐに引き返し、四人の加勢に回ることが正解なのだろう。しかし、事態はそう簡単にはいかない。件のアパッチが、プレオが離れると同時に、狙ったかの如く動き始めたからだ。トラックを狙うM2重機関銃の銃口が閃くと、浩太は踏み砕く勢いで、スピードを急上昇させ、アパッチの真下を抜けた。中間市の中央通り、そこにはいつもの平凡はない。その証左とばかりに、12.7ミリ弾が雷雨を思わせる速度で降り注ぎ、六百五十発の弾丸が、トラックの荷台に迫っていた死者を、子供が枯れ木を折るような気楽さで撃ち抜いていく。それは、二人の自衛官に、これまで以上の死闘を予感させるには充分だった。

 浩太と真一には、離れてしまった四人との再会を信じるしかない。その確率を少しでも上げる為に、真一は窓からAK47の銃口だけを突きだすと、アパッチに向けて銃弾を放ち意識を逸らした。

 これぐらいしか出来ないが、頼む、無事でいてくれ。

 絶望的な九州地方の闇を塗り潰すような機関銃の煌めきの中、二人の強い願いをぶつけるように、浩太はハンドルを切り、既に爆発物かなにかで破られた形跡のある中間のショッパーズモール別館入口へトラックを衝突させた。

 

                 ※※※ ※※※

 

「彰一ィィィィィィィィィ!」

 

「痛......てぇんだよ!この野郎!」

 

 祐介の叫びを意に介さずに、彰一は、左腕を死者に噛ませたまま、右手でイングラムを握り、銃口を死者の頭に密着させ引き金を引いた。

 激しく頭をブレさせた男性の死者は、彰一の腕を解放すると、そのまま、ぐったりとドアガラスから車内へにのし掛かるような体勢になり、後続の死者の侵入を阻む結果となる。彰一の左腕は、看板に裂かれた傷と、死者の咬傷により、袖まで真っ赤に染まっていた。苦悶に歪む表情で、祐介に言った。

 

「構うな!お前は、その看板で窓を塞ぎ続けろ!」

 

 一人になったことにより、看板に掛けられる圧力が再び増す。祐介は、助手席に背中を預けると、両足で看板を押さえ付け、彰一は、仕留めた死者の首を掴んで、後部座席の破られた窓を塞ぐ。文字通り肉の壁となった死者は、車内に入ろうとする大群に背中を噛み破られ始めた。この分では、そう長くは保たないだろう。

 祐介は、袖の下に隠されている、彰一の噛み傷から目を無理矢理に引き剥がし、阿里沙に呼び掛ける。

 

「中から反応はないのか!」

 

 阿里沙は、必死にシャッターを叩き続ける。その音に寄せられ、死者も数を増してきていた。

 

「なにもない!なにもないよぉ!」




第19部はじまります!!
読みきれてない小説が6冊も溜まってる……


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第2話

 奥歯を噛んだのは祐介だけではない。彰一も同じく渋面を作り、ついに叫び出しそうになった。祐介にも、彰一の身に起きた事実から諦めにも似た感情が押し寄せ始め、現実から逃げるように、きつく瞼を落とす。

 その時だった。

 シャッターの奥から、生気のある男性のくぐもった声が聞こえたのだ。続けて、頭の後ろから、ベキン!、という破壊音が鳴り、無機質な印象しか与えないシャッターの冷たい光景が豁然と開く。阿里沙が押し続けたシャッターの下部に空いた隙間に手を入れて、引き上げられたのだろう。それは、死者には出来ない芸当だ。祐介の頭上で、精悍な声がした。

 

「早く子供をこちらに!早く!」

 

 阿里沙が弾かれるように、加奈子の手をとった。しかし、加奈子の右手は、がったりと彰一の背中を掴んでいる。加奈子は、幼いながらも、理解しているのだ。いや、幼いからこそ、しっかりとその目に焼き付いているのかもしれない。死者に噛まれた者がどうな末路を辿るのか。

 彰一は、ぐっ、と口に力を入れると、加奈子の小さな手を剥がした。

 

「阿里沙!加奈子と一緒に出ろ!」

 

 壁にしていた死者の背中が遂に破られ、腹部から二本の腕が突出し、彰一の胸ぐらを掴む。

 

「くそっだらあああああ!」

 

 銃を持ち上げマガジンが空になるまで銃撃する。車内に満ちていく鉄錆の臭いが強くなる中で、彰一はドアに寄りかかった死者の胸ぐらを仕返しとばかりに掴んで引き寄せ、新たな肉の壁を作り上げた。

 

「阿里沙!先に加奈子ちゃんと出てくれ!次に彰一!それから俺を引っ張り出せ!」

 

 分かった、と鋭く返した阿里沙は、暴れる加奈子を抱き締めると、助手席のドアガラスから身体を乗り出してモール内部へと避難する。そこで、シャッターを持ち上げていた男が舌打ちをしたが、気にしている余裕はない。すぐさま、車内に手を伸ばし、彰一へ言った。

 

「坂本君!早く!」

 

 彰一にとっての誤算は、祐介が先読みしたかのような発言をしたことだった。この緊迫した状況下、四の五の言っている暇はない。看板の中央部から死者の腕が突きだされたのだから、尚更だ。

 彰一は、身体で押し付けていた動かない死者を一瞥すると、祐介へ視線を投げた。祐介は黙って一つ頷き、鞄からイングラムのマガジンを一本だけ彰一へ渡す。

 ここからは、時間との勝負だ。

 彰一は、銃を左手に握り直し、深く息を吸い込むと、一気に身体を離し、助手席のドアガラスへと寄ると、同時に、祐介の肩を掴んだ。瞬間、数多の腕が車内へ容赦なく侵入し、数本が祐介の足を捕まえ、引き摺りだそうと引き始める。祐介は、それでも冷静に鞄を掴んだ。

 

「祐介!我慢しろよ!」

 

 車外へ出た彰一は、右手で祐介を一気に引っ張るつつ、銃口を反対側に屯する死者の大群に向けて、一切の迷いなくトリガーを引いた。激しくも短い連射音が祐介の耳元で鳴り続け、思わず顔をしかめるが、捕まれていた足は、死者の手から逃れ、祐介の身体が助手席のドアガラスから抜けると、シャッターを持ち上げていた男は、叩きつけるように下ろした。




眠い……


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第3話

 祐介と彰一は、短い呼吸を繰り返す。緊張状態からくる酸素の欠乏だろう。天井を仰いだ二人が見たのは、真っ白な天井だった。車内の無機質な灰色の天井ではない。目を見開いた祐介は、生き延びたことに対する安堵よりも先に、同じく隣で横たわる彰一を見た。

 肩から左の掌にかけて染まった鮮血は、未だにその範囲を広げている。恐らく、祐介を救出する際に、傷口を拡げてしまったのだろう。いや、それよりも、重大な懸念がある。息を整えるよりも早く、祐介は上半身だけを起き上がらせた。

 

「彰一!傷を......」

 

 祐介の言葉は、そこで止められた。彰一が一気に睥睨したからだ。尖った目付きは、祐介の唇を一文字に閉じさせる。それは、彰一に臆した訳ではなく、彰一が言わんとしていることが手に取るように分かったからだった。助けてくれたとはいえ、出会って間もない男を信用するには、圧倒的に情報が少ない。それに、彰一が死者に噛まれている事実を告げれば、警察署での惨劇を繰り返すことになりかねない。

 祐介は、悔しさから唇を噛んだ。どうして、こんな世界になったんだ。たった一つの出来事が人間同士での殺し合いに発展してしまう。そんな残酷な世の中に、平和はないのだろうか。阿里沙も、目線から察したのか、駆け寄った限り、細く声を掛けただけだ。そんな中、口火を切ったのは、四人を助けた長身の男だった。

 

「......まさか、噛まれたのですか?」

 

 祐介は、弾かれたように男を見て、目を剥いた。今度は、驚愕で喉が塞がった。

 気付かなかった。あれだけの騒動で余裕がなかったのもあるが、異様な真っ白な服装は、確かに、目に焼き付いている。

 あの時、野球で鍛えた動体視力をもつ祐介にだけ見えた人物、八幡西警察署のバリケードへ向けて、無慈悲な一撃を見舞った男がそこにいた。

 

「ああ......大丈夫だ、噛まれた傷じゃない......ちょっと窓の代わりにしていた看板がシャッターにぶつかった時に、肩の肉を抉られたんだ」

 

 彰一は、自ら左の肩口の服をずらして、傷口を晒す。男は、身体をかがめて、しばらく眺めた後に、噛み傷ではないと納得したのか、深く頷いて言った。

 

「本当に無事で良かった。申し遅れました、私は安部といいます」

 

「......ご丁寧にどうも......俺は坂本彰一、祐介、阿里沙、それから......」

 

 そこまで紹介して、彰一は、横目で阿部の目線を辿った。舐めるような、じっとりとした視線は、加奈子にのみ向けられおり、眉間を狭めた。

 

「......加奈子だ」

 

「ええ、よく分かりました。ありがとうございます」

 

 丁寧な口調が、より不気味さを際立たせている。それは、阿里沙にも伝わっているのか、祐介の胸元を、きゅっ、と掴んだ。




やばい、安部がただのロリコンみたいになったwww


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第4話

 安部と名乗った長身の男は、ふいっ、と加奈子から目を切り、彰一を見据える。その視線は不自然に下がっていき、手元で定まった。

 ああっ、と一拍置いた彰一は、銃のマガジンを抜き、弾丸が空になっていることを証明する。そうした理由は一つ、加奈子への奇妙な反応からだ。ここで相手に武器を抜かれては、三人にまで被害が及ぶ可能性がある。それに加え、噛まれた影響からか、彰一の視界には異変が訪れていた。距離をとるか、安全が確認出来るまで、安部に勘ぐられぬよう警戒をするしかない。

 

「安部さんって言ったな?早くここを離れたほうが良いんじゃないか?」

 

 安部は、目尻を下げて返す。

 

「いえ、まだ大丈夫でしょう。車の出入り口は狭く、ましてや、窓から一斉には入れません......入れたとしても、車内も広いとは言えないので力が集中することもありません。したがって、彼らがシャッターを破ってくるのは、まだ先でしょう。時間はありますよ」

 

 彰一は、心の中で舌打ちする。ショッパーズモールに籠城し、死者をやり過ごしてきただけなら、提案に乗って移動を始めると考えたが、そうではないようだ。死者の扱いに、幾らか心得がある。落ち着き払った態度が、それを如実に現している。生きた人間というのは、死者よりもやりづらい。

 

「......アンタ、奴等に馴れてるな」

 

「奴等?......ああ、使徒である彼らのことですか」

 

「......使徒だと?」

 

 彰一は、安部の言葉に耳を疑う。同時にこうも思う。

 こいつは、サタニスト(悪魔崇拝者)だろうか。だとすれば、厄介な奴に助けられてしまった。

 悪魔と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは生け贄だろう。そして、生け贄の定番と言えば、女や子供だ。そう考えれば、さきほどの視線も納得がいく。彰一は、きわめて注意深く周囲の観察を始めた。

 奥に続く通路からは、死者がくる様子はない。逃げるならば、真っ直ぐに走り抜ければ良い。左手には、UFOキャッチャーがあり、ゲームセンターであろうことが分かる。右手にあるのは、サイクリング用品店だ。

 

「彼らは、この乱れた世界に鉄槌を下すために現れた使徒ですよ」

 

「なんだ、そりゃ?なら、今、生きている俺達は一体なんなんだ?」

 

「ここまでの道程では、神の選別に選ばれていた者です。そして......ここでアタシと出会ったということは......」

 

 安部が、加奈子をひと目見た瞬間、僅かな隙を逃さずに、祐介が刺すように鋭く、有らん限りの力で叫んだ。

 

「走れ!!」

 

 突然の大声に、安部は気を逸らされた。彰一がこの一団のリーダーと思っていた為に、一人とのやり取りに集中してしまっていた。祐介と呼ばれていた少年は、加奈子という少女を抱えながら起き上がると、すぐさま、ゲームセンターへと走り出す。狼狽から、拳銃を抜くまでに数瞬の間があり、彰一が放った右の前蹴りを浴びてしまうも、銃だけは、しっかりと引き抜き、照準を合わせ引き金を引いた。短い炸裂音、ほとんど間を開かずに、最後尾を走っていた彰一の左肩を背中側から弾丸が貫く。

 そのまま、倒れかけた彰一の右手を引っ張り、UFOキャッチャーを盾のようにして、身をかわさせたのは祐介だ。



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第5話

 もしも、あのまま真っ直ぐに通路を走っていれば、戦車が障害となって追い付いていたものを、と安部は奥歯を噛んだ。少年少女と甘く見ていた。彼らとて、ここまで使徒の追撃から身を守ってきた選別者なのだ。気を引き締めなければ、こちらも危ない。安部は、ゆっくりと起き上がり、四人が隠れるUFOキャッチャーを睨目付けると、深く息を吐き、銃を持ち上げてトリガーを引いた。

 銃弾が、ガラスを叩き、細かく破片を散らしながら砕ける。祐介は、加奈子と阿里沙に被さった。UFOキャッチャーのガラスケースは、車のドアガラスと似た砕けかたをする。その為、大きな怪我をすることもなく、間接的な攻撃を仕掛けた安部は、苦渋を舐める結果となった。

 安部の最終的な目的としては、加奈子を自身の手中に収めることだ。未来を作れるのは子供だけ。まだ、何も人生が決まっていない子供だけだ。安部は、銃口を向けたまま口を開く。

 

「出てきなさい。そちらの子供を差し出せば、危害は加えないと約束しましょう」

 

「糞くらえだ!ロリコン野郎!」

 

 UFOキャッチャーから聞こえた彰一の返答に、安部はもう一発放った。筐体の取り出し口の上蓋を激しく破壊する。射撃の技術は、安部に分があり、顔を出し、一斉に通路へ駆け出せば、必ず誰かが撃たれるだろう。

 彰一は、撃たれた肩を右手で抑えながら思索を巡らせる。やがて、祐介を打見して言った。

 

「......祐介、これ、渡しとくわ」

 

 顔をあげた祐介の眼界には、鮮やかで武骨な黒が広がっており、それが彰一が持つイングラムの銃身だと理解するのに、数秒も掛からなかった。同時に、その意味を読みとると、銃を受け取らずに、彰一を睨みつけた。

 

「どういうつもりだよ......」

 

「俺が囮になる......お前らは、その隙に通路まで走れ」

 

「坂本君......駄目だよそんなの!」

 

 阿里沙を無視するような憮然とした態度で彰一は続ける。

 

「実はよ......ロリコン野郎に撃たれた辺りから......視界に黒いもんが飛び回ってるんだよ......それに、噛まれた傷口から、身体を通って......よくわかんねえもんが頭に登ってきてる......多分、これは......そういうもんなんじゃねえかな......」

 

 大量の脂汗を額に溜めながら、彰一は息も絶え絶えに言った。口の端に笑みを浮かべてみせる。

 

「だからよ......いずれ、奴等みてえになっちまうなら......お前らを助けることに......命を使いてえ......」

 

「......なんだよそれ......らしくないだろ?なに諦めようとしてんだよ......ほら、トンネルの時みたく、絶対に生きて突破してやろうぜって言えよ......」

 

「祐介......」

 

「それに、奴は八幡西署のバリケードを壊すような奴だぞ?そんな......そんな奴にたった一人で......」

 

「なら......尚更だな」

 

 祐介の目元が柔らいでいき、やがて疑問で一杯になった。そのふやけた表情に苦笑した彰一は、阿里沙へと何かを堪えるように発話した。

 

「阿里沙......お前は、甘いものを一杯食べたいだったよな?」

 

 次に、彰一は加奈子へと目を落とす。

 

「加奈子は......お菓子をたくさん食べたいだったか......」

 

 加奈子が、大きな瞳を向けて頷く。それを確認してから、彰一は白い天井を見上げる。

 

「俺は、誰かを助けるために、自分の犠牲を省みない人間になる、だ」



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第6話

 それは、あの日、八幡西警察署で生きる希望を捨てない為に、祐介が提案した「生きて九州地方を脱出できた時にやりたいこと」での言葉だった。彰一は顔を動かして、最後に祐介を見た。

 

「これはさ、俺の短い人生で唯一、憧れた男のことなんだよ。俺もその人みたいになりたいって思ってな......その仇があいつなら、願ってもないことだ」

 

「その人って......」

 

 阿里沙の細い声に、彰一は首肯する。

 

「そう、お前の親父だよ......祐介......」

 

 祐介は堪らなくなった。歯を食い縛っても溢れる嗚咽を抑えきれない。それでも、祐介は声を振り絞る。

 

「だったら頼むよ......生きてくれよ彰一......親父の為にもさぁ.....」

 

 彰一は、ふう、と吐息を挟むと、右手で祐介の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 

「加奈子が話せなくなった理由は、お前も知ってんだろ?俺がこのまま奴等みたいになって、今よりもショックを与えちまったら、九州地方を脱出した時に声を出せる可能性が無くなるかもしれねえんだぞ......けど、けどな......」

 

ごつん、と額をぶつけ、彰一は顔を下に向けた。

 

「一パーセントでも声を取り戻せる可能性があるんなら、俺にその可能性を奪わせないでくれ......加奈子の......これから先の未来を暗くさせるような真似を......俺にさせないでくれ......頼むよ、祐介......」

 

 加奈子と阿里沙からは見えないが、祐介のズボンには小さな染みが出来ていた。熱をもったそれは、ポタポタと広がっていく。祐介にだけしか見せない涙が何を訴えているのか、痛いほどに理解でき、祐介は強く唇を噛んだ。全身を震わせ、彰一の両肩に手を置いくと、声を震わせつつ、力強く、彰一へこう言った。

 

「......分かった。分かったよ、彰一、あとのことは俺に任せてくれ」

 

 静かな動静で額を離した彰一は、次に加奈子を強く抱き締め、加奈子も、穴生での時のように、両腕を彰一の首に力一杯に回す。

 

「加奈子......お前、菓子ばっかりじゃなくて、飯も腹一杯食べて大きくなって、学校で笑い合える友達を沢山作っれよ......そんでさ......」

 

 顔を少し離して、彰一は一息に伝える。

 

「俺が悔しがるくらいに良い女になれよ......見本なら、そこにいるからよ」

 

 加奈子が首に回した腕に、僅かな力が加わるのを感じつつ、今度は阿里沙へ言葉を送る。加奈子を抱いているので、顎で阿里沙を指す。

 

「......阿里沙、加奈子のこと頼むぞ。それとさ......お前は、マジで良い女だよ。会った時期が違ってたら惚れてる」

 

「......うん、ありがとう。本当にありがとう」

 

 頬を拭いながら、阿里沙が返すと、最後に加奈子を強く抱いた彰一の手から渡される。そして、祐介が言った。

 

「......ありがとな、親友」

 

「......おう。そういえば、あの時、聞きそびれてたけど、お前のやりたい事ってなんだ?」

 

「......警官になること」

 

 はにかみながら答えた祐介につられ、彰一は、短く微笑んだ。

 

「なれるよ、お前なら......」

 

 優しくて、頼れる、そんなお前ならさ。

 足音が一つ鳴った。どうやら、安部は警戒を解いたようだった。それでも、一気に距離を縮めようとはしてこない様子が窺える。じわり、じわり、と歩いている。阿里沙が、真一から貰った拳銃を渡そうとするが、彰一は首を振って、押し返した。不安顔な阿里沙へ笑ってやる。そして、彰一は、胸中でこう呟く。

 もっと早く、この三人に出会っていれば俺のこれまでも、まだ良い日々を送れていたのだろうか。いや、今更そんなことを悔やんでも仕方がない。それよりも、短い人生最後の時間を、こんな最高の仲間と、家族と過ごせたことを誇りに思う。

 真一さん、ごめん、俺の憧れた男は、祐介から聞いてくれよ。

 浩太さん、三人を頼む。

 彰一は、すう、と息を吸い込んで叫んだ。

 

「行けええええええ!」




あっ、そうくるか!って感じにしたいですねw
なので、二日くらい休むかもですねw


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第7話

 同時に、UFOキャッチャーから祐介と阿里沙が飛び出した。彰一が残した決別の叫びは、安部の動きを止め、判断を鈍らせる。すかさず、銃を持ち上げ、祐介が加奈子を抱えているのを認めると、ぐっ、と指先に力を込める。

 最初に狙うなら、厄介そうな彰一という男だ。一、二......二つだと?

 安部が思案し、僅かに力を抜くも、すぐに思いとどまる。奴は手負いだ。ならば、少しばかり遅れていようと、問題はないのではないか。むしろ、今は先に、もう一人を......

 安部は、銃口を右に修正し、ピタリ、と止め祐介に狙いをつけなおす。そして、UFOキャッチャーのもう一方から、こちらに走りくる男を眼界に捉える。

 

「な!?」

 

 驚愕の事態に直面した。逃げるならまだしも、向かってくるなど、蛮勇としか思えなかった。安部は、彰一に標的を移すが、もう遅かった。

 彰一は、前転の要領で飛び込んで一気に安部との距離を縮め、勢いのまま全身を安部の両足にぶつけ、前のめりに倒れた安部の身体に乗り、マウントポジションを奪い、銃を持った右手を血塗れの左手で抑え込むと、安部の鼻頭に頭突きをかます。

 

「ぶはあ!」

 

 鼻水と混ざった粘液のような血が、彰一の額を朱に染める。鼻の骨が折れたのか、安部の両穴からは、滝のように血が流れている。それを見ても、彰一は加減の欠片もみせずに、再び、頭を振り落とした。しかし、安部が、痛みから顔を逸らした為、頭突きはこめかみを強打し、彰一の額を割った。だが、構わずに彰一は三度、頭蓋を振り上げる。

 

「こ......の......餓鬼があ!」

 

 安部は、左手を彰一の左肩に伸ばす。それは、頭突きを防ごうと顔の前を横切らせたのだが、思わぬ結果を生んだ。倒れたような態勢で馬乗りになっていた彰一の左肩が、少し身体を起こせば、それは、彰一が頭突きの為に身体を沈めれば、掴める位置にあったのだ。

 鼻血で塞がり、上手く呼吸が出来ない中でも、安部の意識は冴えている。左腕に鈍痛が走った瞬間、つまり、彰一の左肩が近づいた時、安部の耳と左手に、ぐちっ、と肉を握り潰す音と、なんとも形容し難い感触が伝わった。

 

「あがあああああ!」

 

 焼け火箸を当てられたような熱を持った鋭くも鈍い激痛に襲われた彰一が、本能的に痛みから逃れようと身体を左に捩るも、まるで吸い付いたように拳銃を抑えた左手は離さない。

 安部はそれだけで充分だった。身体を浮かせたことにより、下半身へ掛かる圧が弱まり左足を抜けた。

 抜いた左の膝を彰一の腹に添えると、起点にして転がり、マウントを奪い返そうとしたが、その狙いに気付いていた彰一が踏ん張りを効かせて堪え、右の拳を振り上げる。

 一体、これほど血が流れている身体のどこに、そんな力が残っているのだろうか。




なんか、彰一と安部に尻を叩かれている気がして……休めなかったw


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第8話

 安部の思考を絶ちきる一撃が、頬へ打ち付けられ、強烈な鉄の味が味蕾を刺激する。安部自身も、攻撃される度に歯を食い縛る為に左手に力を入れており、その度に彰一の傷口へ指が沈んでいるはずなのだが、勢いが止まらない。

 二度目の拳で、安部は悟る。この男は、穴生で、ひたすら雄叫びをあげながら自衛官を殴り続けた東と同じだ。こちらが、死ぬまで、もしくは、誰かが止めるまで、握った拳を闘犬のように犬歯を剥き出しにして、解くことはないだろう。ここには、安部と彰一の二人しかいない。止める人間なんて、誰もいない。

 

「......これは、死闘だ」

 

 安部が、ポツリ、と喉の奥で言った。

 激しく息を切らせる彰一には、聞こえていないであろう小さな声だ。徐々に腫れが目立ち始め、変形してきた顔面に光る両目が、しっかりと彰一を睨みつけた。絶え間なく続いていた攻撃の手が、瞬きをするような短い時間だけ空き、安部は彰一の腹に据えていた左膝を裂帛の気合いと共に押し上げ、巴投げの要領で彰一を反転させる。遠心力で解放された右手の拳銃で撃つなどせずに、安部は距離を離すことを優先させた。慌てて銃弾を放っても相手を殺すことは出来ない。先程のように、良くて肩を貫くぐらいだ。

ならば、相手の手が届かない場所まで逃げ、そこで撃ち殺せば結果は同じだ。死闘と分かった以上、より優位に立たなければならない。

 口での呼吸も苦しくなった。そんな自覚が頭を過った時、安部の右肩を何かが掴んだ。

 いや、安部はそれがなんなのか、もう理解している。安部は悔しさが滲み出たような声を出した。

 

「くうあああああああ!」

 

「逃がさねえぞ......」

 

 彰一には、時間が無かった。

 網膜剥離の兆候と呼ばれる飛蚊症に似た黒い小さな物が、大きな形を成し始め眼界を漂っている。加えて、咬傷を出発点として、身体を廻り、頭へ登っていく何かも、彰一の体力が落ちれば、比例するように、その速度を速めていく。

 深酒をした日のように、目を瞑れば、直接、目玉を掻き回されたような不快感があり、それに伴う酷い吐き気に襲われていた。

 二人の死闘を焚き付けるかの如く、車のドアを破壊した死者達が、娯楽を楽しむ群衆のようにシャッターを叩き始めた。こちらも、限界が近づいてきているようだ。

 苦し紛れに、安部は銃のグリップを裏拳気味に背後に振るうも、それは虚しく空を切った。殴りあいの場面において、身長による体力の有利は、大きく関係する。それを補っているのは、彰一の経験だった。路上での喧嘩は、先手必勝。それは、荒い言い方をすれば、先に血を流させた側は、勝利が近づいたと勢いを増し、血を見た側は、敗けが近づいたと意識してガードを固めてしまうからだ。要するに、追い詰められた人間の動きは、単調になる。彰一は、それをよく理解していた。深い所で人の心は変わらない。




六時間かけた……一気にあげます


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第9話

 安部の攻撃を、膝を折って避けた彰一は、がら空きになった顎へと、立ち上がる勢いすら利用して頭突きを当てる。たたらを踏んだ安部は、その場にひざまづき、彰一を仰いだ。鼻が血で塞がっているので、自然と口での呼吸になってしまう。

大きな攻撃には、肺にある空気を吐き出す必要がある。今の安部には、到底、不可能な話だ。

 

「こ......殺すのか......?この......この私を......」

 

 一声一言ごとに、顎と鼻に鋭利な痛みが走る。それでも、安部は休息の時間を要した。一呼吸さえ入れられれば、深傷を負っている彰一に対し、逆転の可能性もある。そして、もう一つの理由を悟られぬよう、安部は声を大きくした。

 

「それは本当に君が望んだことなのですか!?」

 

 後退りながら、安部はそう訴えるも、彰一は更に一歩を踏み出す。

 

「待て!頼むから待って下さい!銃も捨てます!話をしましょう!」

 

 銃を投げ捨てた安部は、両手を挙げたまま、涙目で言った。武器を投げたのは、これ以上の乱暴を望む自虐行為のようにしか、彰一には思えなかった。構わずに、また一歩を踏み出す。

 

「貴方が人殺しになることを、貴方の仲間は望んではいないはずです!ここまで生き延びたからには、相応のことを行ってきたのでしょう!?罪は償える!だからこそ、これ以上に罪を重ねる......」

 

「......うるせえよ」

 

 安部の声を遮ったのは、彰一の蹴りだった。どうにか防ぎはしたものの、丸太を打ち付けられたような衝撃に、安部は仰向けに倒れた。

 

「口振り聞いてると......アンタ、もともとそういう人間なんだろ?......神ってやつにも、悪魔って奴等にも挨拶は済んでんだ......それで良いじゃねえか」

 

 彰一の視界を覆う黒が、飛躍的にその範囲を広げた。発熱、吐き気、眩暈、頭痛、そして、悪寒。すべてに苦痛があり、もう、自分がどうやって立っているのかも曖昧になっている。

 血を流しすぎた。怪我を負いすぎた。それでも、彰一が奥歯を擦りきらすほどの痛苦に耐えられるのは、仲間への思いの強さだけだった。

 

「......わ......私には、強い仲間がいます......共に......共に闘いましょう......そうすればきっと......この地獄も......」

 

 背後で、ベギン、という何かが捻木れる音が響く。死者の侵入を阻んでいたシャッターが、持ち上がろうとしていた。もともと四人が入る為に、下部がレールを外れていたので、脆くはなっていた。しかし、これは、安部の予想よりも早い。

 互いに命のリミットが着実に迫っている。

 

「黙れよ......」

 

「何故......何故わからないのですか!?この世界に長く居ればいるほど、心が歪む!それがなぜ分からないのですか!」

 

 両手を床に着けたまま、上半身をあげた安部は、後ろ手になった状態で叫ぶ。

 

「きっと生き残れる!そして、平和な世界を共に築きましょう!子供が目を閉じれば、平和がある!そんな世界を!」

 

「......目を閉じなきゃ見えない平和なんざ......興味ねえよ......」




後半二時間は半泣きになってましたw


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第10話

 足元がふらつく。もう、限界だった。身体の影響だけではなく、精神も朽ちてしまいかけている。このまま倒れてしまいそうだ。

 

 その前に、この男はだけは......

 人を躊躇なく撃ち、なにより、八幡西警察署の惨劇を作り上げた、この男だけは仲間を危険に晒さない為に、殺さなければいけない。

 

 自らを鼓舞するように、肺にまで空気を送った。全力で殴って、首を踏んで骨を折る。それで終わりだ。

 安部の怯えた表情が僅かしかない視界に入り、彰一は口内で含んだように唇をあげた。敵討ちなど、祐介の親父は望んではいないだろう。けれど、許してくれなくても良い。俺に大切なことを教えてくれた。俺に足りなかったものを補ってくれた。俺を人間でいさせてくれた。そんな家族のような奴等を守れたのだから、それで良い。

 彰一は、右拳に、残っているだけの力をいれた。左肩から血が噴き出す。

 

「う......うおああああああ!」

 

 咆哮をあげ、彰一は拳を振るった。安部の頬に、拳頭が当たり、そのまま横倒しになるはずだったのだが、彰一は腹部に違和感を覚え、動きを止め、視線を落とす。

 

「......あ?」

 

 違和感の正体、それは、柄の部分が折れ、刃しか残っていない包丁だった。その先を辿れば、右手を精一杯伸ばした安部がいる。素手で掴んでいるのだ。出血量からしても、骨まで達している。それでも、安部は力強く握っていた。

 なるほど、銃を捨てたのも、後ずさったのもこの為かよ。

 安部が、この包丁を発見したのは、全くの偶然という訳ではない。安部と東が、中間のショッパーズモールを占拠した時に作らせた武器の一部だったものだ。小金井の行動により、反旗を翻された安部は、この南口まで逃げてきた。その時に、安部の策略に陥った集団が持っていたものだ。彰一の傷の度合いや目の焦点、それらを観察し、気づかれないように銃を放り、その後に蹴りを見舞われ仰向けに倒れる。床に両手を着けたまま、起き上がった時には、既に包丁を手にしていた。

 必ず、どこかにあると信じていたそれは、彰一に肩を捕まれ、頭突きを喰らい、顔を揺らした際に、涙で滲んだ視界の端に写った。距離がとれないのなら、経験で負けるのなら、安部がとれる最善手はこれしかなかった。

 尋常ではないほどの吐血を頭から被り、安部はこの死闘の勝利を予感する。

 覆い被さるように、彰一は安部に寄りかかった。自然と笑い声が洩れ、ようやく肺に空気を満たした時、彰一の左手が安部の後頭部を握った。




魂のルフラーーーーーーン(?)
作者自ら台無しにしていくスタイル……すいませんでした……手が痛すぎて、テンション振り切れてますwww
俺、あげ終わったら橘田さんに癒してもらうんだ……w


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第11話

「......の......やろう......!絶対に......行かせ......ねえ......」

 

 息もあるのかどうかも分からない程に細いにも拘らず、彰一は安部の首に右手を添えた。

 

「ひいいいぃぃぃぃ!」

 

 積もり積もった恐怖が爆発したかのような悲鳴をあげた安部は、包丁を一度手放して、掌で更に深く刃を押し込んだ。

 

 ミリ......ミリ......ミチュ......グチュ......

 

 確かに耳に届く音と、内蔵に到達したであろう重い手応えがある。だが、その度に、喉仏を締める力は増していく。

 遂に、安部の精神も限度に達し、まるで子供のように両手で彰一を突き放し、仰向けになったところを、すかさず跨ぎ、馬乗りの態勢をとると同時に、彰一の首を奥歯が軋むほどの渾身の力で握り締める。

 

「この化物があ!死ね!死ね!死んでくれえ!」

 

 それは、もはや、慟哭だった。

 彰一の口から大量の血が出ようと、安部の腕を爪で傷をつけようと、決して弱める真似はしない。

 命を奪われる恐怖、命を奪う恐怖、その二つを、安部は本当の意味で知ることになった。彰一の手が自然と床に落ちる。

 

「か......な......こ......」

 

 死ねない。俺は、まだ死ねない。なのに、なんで自分の身体なのに、動かないんだよ。鈍い思考でも、全身が弛緩していくのが分かる。外にいる死者が揺らし続けるシャッターの騒音も遠退いていく。

 彰一が見えているのは、もはや、針の穴のような僅かな隙間だった。

 そんな中でも、脳裏を過るのは、加奈子の笑顔、祐介の貫く意思をもつ顔、阿里沙の泣きそうな顔、浩太の頼もしい顔、真一の力強い顔だ。

 

 ......みんな、絶対に生き延びろよ......

 

 彰一の眼界が黒一色で覆われた。

 安部は、彰一が動かなくなったと確信して、飛び上がるように立ち上がった。しばらく、呆然と彰一の死体を眺めていた安部は、両手を高々に挙げた。

 

「......勝った......この死闘を制したのは、この私だ!やはり、神の選別は私を選んだ!」

 

 東の助力がなくとも、この場面を乗り切ったことに、昂然と胸を張る男の姿がそこにはあった。確実に、強くなれた。命の躍動を感じる。選ばれし人間は、やはり、神にどれだけ過酷な試練を与えられようと乗り切れるのだ。

 理想を叶えられる、そんな高揚感に浸っていた安部は、シャッターの下部から多数の腕が侵入していることに気が付き、興が削がれたような表情で、投げた銃の回収に向かう為に、背中を向けた。



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第12話

 安部が左足を出した次の瞬間、右足のアキレス腱に鋭く尖らせたナイフを突き立てられたような、耐えがたい痛みが走る。何が起きたのか理解できない。間を開けずに、生温い風が踝を撫で、とてつもない激痛が訪れ、安部は膝を折りかけた。それでも、その原因を無視はできず、視線だけを下げて、耳をつんざく甲高い絶望と戦慄、痛み、どれともとれない声をあげた。

 

「いぎいいいいいい!」

 

 右足に、しがみついているのは、つい今しがた死亡した彰一だった。必死に、安部の踝からアキレス腱にかけて噛みついている。声に出来ない場面に直面した安部は、何故だ!どうして!と、脳内で繰り返す。

 バリ、と妙な音が鳴った。

 

「ぎゃああああああ!」

 

 もんどりうって倒れた所に、彰一が重なり、獣のような嘯きと、その白濁とした双眸が安部を見据える。それは、どこから見ても、使徒そのものだった。

 

「うっあ......あああ!うわああああ!」

 

 思考が追い付かない。使徒になるには、早すぎる。それに、安部は彰一の傷を視認した。あれは間違いなく咬傷ではなかった。混乱の最中、彰一の口が喉仏に迫り、咄嗟にはね除けるも、立ち上がることが出来ずに床を這って逃げようとするが、それを鬼気迫る形相で、彰一が捕らえる。

 

「はな......離せ!くそおおおお!」

 

 抵抗の末、彰一を再度突き飛ばすことに成功した安部は目を剥いた。激しい抗拒の結果、彰一の服が中央から破れた。その袖の下、左腕第二関節の下に、明らかな噛み傷があったのだ。目を白黒させつつ、自身の右足を一瞥する。看板の傷に紛れた本命の跡は、安部を失意の底に突き落とすには充分だった。

 

「......嘘だ......嘘だ!嘘だ!嘘だあああああ!」

 

 そんな叫びに、使徒へと転化した彰一が呼応するように雄叫びをあげ、安部を追い詰めていく。

 ひいひい、と蚊の鳴き声のような、息を吐きながら、安部は匍匐して、ようやく銃を回収し、彰一に狙いを定めた。

 短い銃声がモール内部に響き渡った。銃弾は、彰一の額から入り、後頭部を抜け、糸の切れた人形のように、後方へ彰一は倒れる。その光景を見届けた安部の目頭に、熱い涙が溜まっていき流れ始める。

 

「くふう......うっうっ......ああぁぁぁぁぁ......神よ、これは......あんまりじゃないか......神よ!選んだのは、私だろう!この私だろうが!」

 

 死んで蘇った者に噛まれる。その事実が意味するのは、たったひとつだけだ。

 

「結局、私は選ばれてなどいなかった。ただ、道化を演じただけだとでも言うのか......」

 

 泣き続ける安部の足から、ドロドロと、濁った水のように流れていた血が、彰一のズボンに僅かに吸われた時、シャッターが爆発でもしたかのような轟音をたてて破られた。

 そして、アキレス腱を喰いちぎられた安部は、逃げることもままならない。

 

「来るな!来るな!来ないでくれえええ!!」

 

 先頭にいた真っ白な服に身を包んだ男が安部の右肩に乗り、鎖骨を噛み砕く。このショッパーズモールに籠城していた人間の一人だろう。次も、次も、また、その次も。いの一番に安部の身体を貪り始めたのは、真っ白な服を着た者達だった。

 

「やめ......やめやめ!やめおあおああおおおおおお!」

 

 安部の身体は、自らが使徒と呼び続けた死人達に、生きたまま解体されていった。開かれた腹に顔を入れられては、内蔵を引き摺り出され、四肢を強引に噛み千切られる。 理想主義者の最後は、いつだって現実を突き付けられた直後なのだろう。

 彰一は天井を見上げたまま、横たわっている。その表情は、穏やかな笑顔のようにも見えた。




次回より第20部「罪咎」にはいります。
ずいぶん前に「今度は一日3P更新します!」って宣言してから、どれだけ経過したことか
俺、頑張ったよ……
彰一、安部……毎日なにかしら書いてるんだから一日くらい何も書かずに休んでもいいよね……?w
……やっぱり不安だから、明日は文章の見直ししてから新章にはいります


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第20部 罪咎

 人間には、常人と非常人の二種類がある。ほとんどの人は常人であるが、ごくまれに非常人が誕生する。非常人とは、ナポレオンやマホメットなどのように、正義のためなら法をも乗り越え、血が流れることも必要だと考える人種である。非常人は、全人類の救済のためなら、あらゆる障害を乗り越える。非常人は、あらゆる障害を取り除く権利をもつ。場合によっては、邪魔な人間を殺す権利すらもつ。

 田辺は頭の片隅で、そう書いたのは、誰だったろうかと考えた。実に極端な思想だ。人が人を罰して命を奪うというのは、0と100の狭間で悩み続ける人類にとって、最大の問題ではないだろうか。

 

「小さなひとつの犯罪でたくさんの命が救えるなら、それは正義ではなかろうか」

 

 これもまた、作者が同じ小説内で書いた台詞だ。田辺は、これを初めて読んだ時、自分本意なだけの言葉ではないかと思った。ただの選民思想だ。最終的に、どんな場所にいても、時代にしても、人を裁くのはいつだって同じ人なのかもしれない。

 

「......ドフトエフスキーだね」

 

 不意に、ソファの背凭れに腰を下ろしていた浜岡が言った。少し行儀が悪いが、咎める気分にもなれず、田辺は肩を落とした。

 

「......ああ、確か、そうでしたね。罪と罰でしたか」

 

 浜岡は、笑って返す。

 

「あれほど読みづらい小説もなかなかないよ。骨が折れた分、よく覚えてる」

 

 立ち上がった浜岡に振り返ることもしない田辺を見て続ける。

 

「......貴子さんのことを気にしているのかい?」

 

 深く頷いた田辺は、顔を掌で覆ってしまった。すべてを貴子に伝えたことに対して、激しい自責の念に囚われているのだろう。女子高生といえど、社会の経験も薄い。そんな少女が、九州地方感染事件の裏に潜む壮大な復讐劇の渦潮に巻き込まれてしまっている。そして、叩き落としたのは、他ならぬ田辺だ。

 

「僕はどうしたら良かったのでしょうか?やはり......」

 

「今更、それを口にするのは、卑怯だよ、田辺君」

 

 ちらり、と一目見たのは、貴子の自室へ繋がる扉だ。母親の死に関わる殺人鬼の存在、そして、復讐に身を焦がした父親の話、それら一連を聞かされた貴子は、斎藤に付き添われて自室に籠ってしまっている。

 そこまで追い込んでしまっているのだから、間違っても、巻き込まないほうが良かった、などと口が裂かれようと言ってはならない。田辺も、それは理解しているのか、小声で謝罪を述べる。

 

「浜岡さん、罪とは必ず罰を与えられるものなのでしょうか?」

 

 田辺の呟きのような声に、そうだねえ、といつもの独特な口調で返した浜岡が田辺の隣に座り、ソファの骨が僅かな軋みをあげた。

 

「罪は、永遠に消えないものだよ。それだけは間違いない。罪と罰の主人公が......あれだけ正義感の強い青年が、徐々に精神を病んでいく様を見ていると、そう思う」

 

 浜岡は、間を開けつつも、その後にはこう口にした。

 

「けれどね、罰は形を変えるものなんだよ。そして、それには、周囲の人間による助けが必要だ。そうは思えないかい?」




第20部始めます!
誤字報告ありがとう御座います
いや本当ありがとう御座います……すいませんでした……
見直し終わってません!!すいません!


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第2話

 浜岡の言葉に、田辺は声を殺して涙を流した。犯罪と正義感の狭間で揺れ動いた青年が、そんな田辺と重なって見える。不意に、リビングの扉が開き、浜岡が振り返ると、神妙な顔つきで斎藤が入ってくる所だった。疲れたような吐息を一つつくと、蛇口を捻り水を一杯飲んでコップを置いた。

 

「彼女は、落ち着きましたか?」

 

 浜岡の問い掛けに、斎藤が首を振る。

 

「いや、どうかな。なにせ、一言も話してくれていない。判断はつかなかった」

 

 斎藤の視線が漂い、田辺に定まると、今度は浜岡が肩をすくねた。当事者二人がこの有り様では、鳩首のしようがない。

 

「田辺、気持ちは分かるが、いつまでも落ち込んでいないで先に進まないか?こうしている間にも、事態は深刻になっていくのだろう?」

 

 水が入ったコップを項垂れる田辺に手渡し、斎藤は対面に座った。

 田辺が話したのは、九州地方感染事件の背後に、野田と戸部、日本におけるトップクラスの有識者両名がいるであろうということ、及び、主犯は、恐らく野田だろう、との見解だ。理由としては、やはり、野田良子の存在が挙げられる。

 あの日、野田良子を殺害した東は、死体が発見されるまで身を隠していた。今の世の中、ニュースを見る機会なんていくらでもある。潜伏先を特定し、東を寸での所まで追い詰めた田辺は、遺体発見の一報を受け、現場に向かい、ひどく乱されてしまう。

だが、田辺は東がどこに向かうか分かっていた。東の潜伏していた廃ビルの中には、五冊のスクラップ帳が落ちており、中には新聞や、週刊紙の切り抜きが多数納められていた。汚れが付着していたのもあったので、ゴミとして出されていたものを拾っていたのだろう。日付は、全て一年以内のものだった。

 情報を仕入れるのに、新聞以上に適したものはない。一万字ほどの簡単な短編小説くらいならば、関連記事の切り抜きを半年溜めれば、特に苦もなく書ききれるほどに溢れている。少なくとも、田辺はそう思っており、それほど密な情報の多くが、九州地方へと、明らかに傾倒していた。中でも佐賀県の記事には、赤印をつけるなどもしていた。

 東の性格と犯罪歴を鑑みて、これほど解りやすい誘導はない。田辺は、絶対に逃がさない、と憤懣に震える手で、葬式の最中に地方の記者と連絡をとり、九州を抜ける新幹線の玄関口、福岡県の小倉で東を捕らえる事に成功した。しかし、それこそが悲劇の始まりだったのだ。

 良子を理不尽に奪われた野田は、その日の内に行動を開始した。前々から疑惑を持たれていた九重を完全に隔離する。奪った研究成果は、未完成ながら細胞の活性化のみを促す役割をもつものだった。そこに、なにかしらの改造を加えて、傘下の企業に所属する成績優秀者数名へ薬品を投与、飛行機に搭乗させる。そこから先は、報道された通りの結末だ。

 つまり、これは、東一人に向けられた有り余る憎悪の結果が招いた悲劇なのではないか。田辺が三人に話した内容は概ねこのような内容だった。




「小説が好きなら読め!」と友達から艦隊コレクションの本を渡された。うーーん、積み本が重なっていくwいや、お薦めらしいから、ありがたいけれども!借りたからには先に読まなきゃ(使命感w)
まだ、ラスト・チャイルドってのも途中なのに……しかも未だに上巻未読なのに……さて、どうするか……w


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第3話

 貴子がショックを受けない筈がない。

 

「そうは言っても、要の二人がこんな感じですからねえ......田辺君、ふんぎりはつけられるかい?」

 

「浜岡さん......」

 

「なんにせよ、どこかで区切りは必要だよ?それは田辺君自身も分かってることだよね」

 

 記者は、時に心と身体を切り離し、その上で相手との距離感を計る仕事だ。それが出来なければ、様々な人としてのバランスが磨耗し崩れてしまう。成り立たない仕事ほど、辛いものはないのだ。

 

「ええ......それはわかっています。ですが......」

 

 田辺の言葉を遮るように、斎藤が言った。

 

「田辺、俺は立場上......いや、違うな。性格だ......性格上、お前から聞かされた一連の話が事実なのであれば、俺は戸田と田辺を許せない。そして、確かめずにいられない。だから......腹を決めた」

 

 まるで、宣言をするかのように立ち上がる。

 

「たとえ、お前がここで降りようとも、俺は独自に奴等を追い詰める覚悟がある」

 

 その告白を、田辺は、ぼんやりと見上げたまま聞いていた。

 斎藤は、もちろん理解している。これは、野田貴子と懇意の仲ではないからこそ言えることなのだ。しかし、それは、何かを成し遂げるのであれば、犠牲を払う覚悟をしろ、という斎藤から田辺へのメッセージでもあった。たとえ、貴子にどう思われようと、抱えた問題にぶつかっていくしかない。そして、田辺自身も追い詰められている。お前が暴いた事件の裏には、立場を捨てるだけの価値がある、と暗に伝えられているのだから当然だろう。

 

「田辺......これからも顔をあげてあの娘を向き合いたいなら、どうすれば良いか分かるはずだ。逃げるなんて真似はするな」

 

「......斎藤さん」

 

 二人の間に入るように浜岡が口を出す。

 

「その通りだね。こちらは、二人とも腹は決まっている。あとは、君次第だよ。まあ、君が降りるなら、そうだねえ......こちらだけで彼らを詰めるという結果になる。まあ、なんの作戦も立てようがないから、すぐに揉み消されるか、潰されるかのどちらかだ」

 

 いつもの軽い口調だが、どっしりとしたその瞳の黒目は全くぶれない。ほんの少し力をいれれば、すぐさま震えるものすらが、揺れてすらいない。これが、覚悟の重みというものなのだろうか。田辺は、巧笑を浮かべると立ち上がった。

 

「......迷惑をお掛けしました。もう、大丈夫です。そして、改めてお二人へ言います」

 

 田辺は、腰を折って頭を下げた。貴子にしろ、浜岡にしろ、斎藤にしろ、今回の件に巻き込まれた発端は、田辺が原因と言える。ここで、闘いを始める口にしてとおきながら自分が折れてどうする。なんとも、情けない男だ。さきほどまでの自身が恥ずかしい。

 

「改めて、僕に力をかしてください!お願いします!」

 

 斎藤が、ニッ、と唇の端をあげる。

 

「なら、気合いいれようか」

 

 その声に顔をあげた瞬間に、田辺の左頬に硬い拳が当たった。

 

「どうだ?少しは気合い入ったか?」



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第4話

「酷いですよ......僕は文学少年で体育会系ではないんですよ?」

 

 そう言いつつも、田辺はどこか嬉しそうにしていた。浜岡が満足そうに頷く。

 

「なら、気合いも入ったところで、話しを続けようか。田辺君、君の説明だと、もう大臣の復讐は終わったのではないかな、と思うのだけれど、君の意見はどうだい?」

 

 殴られた頬を擦りながら、田辺は浜岡に向き直った。

 

「いえ、僕には東が死んだとは思えません」

 

「......その根拠は?」

 

 斎藤の疑問を受けた、田辺は座り直すと続けて言う。

 

「東の犯行手口は実に様々でした。誘拐した二人組を殺し合わせる。時間をかけて、人間を痛め付けて殺す、監禁した男を精神的に追い詰めて、最後には殺してくれと口にさせる等があります。全て本人の自供です。逆に言えば、良子さんの時のように、一気に事を終えるほうが珍しい......しかし、ここでひとつの共通点が浮かび上がります。何か、分かりませんか?」

 

 この質問に、斎藤は首を傾げたが、浜岡は引っ掛かるものがあるような苦い顔をした。それに気付いた田辺は、顎を引いて浜岡に答えを促す。だが、この予想が当たっていれば、本当に恐ろしいことだ。とても、人間が人間に対して行っているとは考えられない。喉から絞り出す為に、唾を呑もうとすることさえ憚られる。

 浜岡は、被害者の気持ちになると、とてもじゃないが耐えられないと思った。フィクション、という文字が一気にボヤけていき、はっかりと眼前に突きつけられたような気分になる。思索を巡らせることさえ出来なくなり、浜岡は斎藤を一見した。無意識の内に、助けを求めてしまっていたのだろう。自らの日常から遠くかけ離れた想像は、それほどに辛かった。

 

「......浜岡さん」

 

 田辺の一押しが入り、ようやく、浜岡は吐息を一つ吐き出してから、喉を震わせた。

 

「......斎藤さん、貴方は気付かなかったのですか?」

 

「......何をだ?東の被害にあった人間がどのような状態だったかは覚えてはいるぞ」

 

 思い出したくはないが、と濁した斎藤もまた、犯行後の凄惨な景色が脳裏に焼き付いているのだろう。これから、浜岡が話すことは、その裏側、被害者の視点ではなく、加害者の視点で語られることだ。

 浜岡は一息吸って口を開く。

 

「つまりですね......全ての殺人において、東自身が立ち合っているという意味ですよ」

 

「それは、当然だろう?」

 

「斎藤さん、視点が違います。これは、東の気持ちになって考えてみて下さい」

 

「東の......?」

 

 斎藤は眼を伏せると、顎に手を当てた。東の視点、つまりは、殺人鬼に自分を置き換える。享楽的に行われる殺人、その裏には、なんらかの思惑があるのだろうか、としばらく黙考した斎藤はある結論に至り、電気にでも弾かれたように顔をあげた。




もう一作に手間取ってました!


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第5話

「そう、東は暴力の中で生まれる苦しみを、怒りを、悲しみを、時には楽しみを、全て観察してきている。云わば暴力のスペシャリストです。歴史上、秩序がなくなった時、決まって横行するのは......残念ながら、そういった暴力です」

 

 安全が崩壊すれば、世界は笑えてしまうほどに逆転する。今まで、人を殴ったことも、ましてや殺すなんて考えられない、そう主張していた人が、生き残る為だと免罪符を掲げてしまう。

 それが、生きた死体が蔓延る九州地方の現状なのだ。そして、もともとそちら側に属していた人間にとって、世界から弾かれていた人物にとって、世の中が自らに近寄ってきたことにより、生きやすい世界になったことだろう。田辺の発した補足は、単なる憶測に肉付けをする結果となり、なるほど、と斎藤が腕を組んだ。

 

「警察は終わった事件には、あまり関わらないからな......特に、奴のような特殊な人間は冤罪の可能性すら無い。ずっと務所暮らしだと思って考えから外していた」

 

 言い訳がましい斎藤を無視して、浜岡が話しを進める。

 

「それは、大臣も同じ考えだと思っているのかな?」

 

 田辺は、暗い目元を揺らした。

 

「それはどうでしょうね......少なくとも、これだけで満足するとは思えません......浜岡さんには伝えましたが、彼は一度思い込んだら、自身を苦しめようとも、必ず遂行する男です。必ず、まだ何か行動を起こします。現地に赴いて、東を直接殺すことすら厭わないでしょう」

 

 浜岡が尋ねる。

 

「現地って......九州に行くってことかい?それは、いくらなんでもないだろう」

 

「彼なら、そのくらいはやってのけますよ」

 

 確固たる自信を持って上司の質問を一蹴するも、浜岡は得心がいかないようだった。

首を傾げて言った。

 

「さっき話した東ではないけれど、こちらが大臣の立場なら、まず刺客を送り込むよ?なんらかの条件で縛った相手が脱出する直前に、新たな任務を与えるかな。そうすれば、刺客も必死になるだろうし」

 

「......例えば?」

 

 田辺の質問に、浜岡は少しだけ唸ったあと答えた。

 

「......生きている人間を全て始末しろ、とかね。感染の被害を防ぐ為とか、理由はなんでも良いし、そうしなければ、条件を満たしていないとも言える」

 

「いや、それならば、連絡手段が必要になるだろう?」

 

 斎藤が割って入る。その言葉に、浜岡も、ああ、と短い声を漏らした。

 通信手段すら断たれた九州地方に、どうやって刺客に指示を飛ばすんだ。一向は押し黙る。田辺の言う通り、直接乗り込むつもりだろうか。それとも、核爆弾でも投下して九州地方を焼き野原にでもするのか、そんな不安を振り払うように田辺は頭を振った。悪い想像ばかりが、意思をもったように膨らんでいくが、先を顧慮する余裕はない。



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第6話

 今は、出来ることをやっていくしかない。だとすれば、優先的に思考すべきは斎藤の疑問にもあがった連絡手段だろう。どうすれば、こちらに連絡がとれるだろうか。

 まず、浮かぶのは電話だ。しかし、現状の九州では電波が入らない。次はラジオ、それも駄目だ。近場の小倉や天神のラジオ局は、既に破壊されているだろうし、そもそも、他の誰が聞いているのかも分からないのに、危険な放送を流す筈がない。となれば、手紙だろうか。これには、田辺も即座に首を振った。もっと特別な連絡手段がある。必ず、どこかにある筈だ。そう、例えば、どれだけ電波が悪くとも、通信が入る特殊な電話などないだろうか。

 田辺の沈んでいた顔の影が明るくなった。

 

「......そうか、確か前に......」

 

 頭のすみに追いやっていた記憶が、ふと浮上してきた。斎藤と意見を出しあっていた浜岡が、田辺の様子が変わったことに気付く。

 

「浜岡さん、前に通信会社の男性にインタビューをとった時のことを覚えていますか?」

 

 浜岡は、しばし黙考すると、顎を下げて言った。

 

「ああ、そういえばあったね。確か、災害時の供えで特集を組んだときだったかな」

 

「そう、その時の男性に連絡は出来ませんか?」

 

 浜岡の瞼が細くなる。そして、すぐさま携帯を取り出すと、短縮番号を押して耳に当てた。

 その間に、斎藤が疑問で縮んだ眉間のまま、田辺に小声で訊いた。

 

「おい、何か分かったのか?」

 

「......ええ、随分前の話しになりますし、ただの雑談程度の話しだったので、記憶が曖昧なのですが......」

 

 斎藤が頷いたのを見た田辺は、所在無さげに浜岡を一瞥すると、まだ時間はありそうだと判断し口を開いた。

 

「斎藤さんは衛生電話というものをご存じですよね?」

 

「ああ、もちろんだ。仕事にも使う。けれど、いくら範囲が広かろうとも......」

 

「はい、今の九州地方に連絡をとるのは難しいでしょう。しかし、僕らはその男性から、以前、面白い話しを聞いたことがあります」

 

 斎藤の眉間の皺が、更に深まった。

 

「それは、政府の許可が下りなければ、使用が出来ないような代物とのことでして、都市伝説みたいな信憑性に欠ける与太話かと思っていましたが、もしかしたら......」

 

 斎藤が喉を鳴らすと、浜岡が声をあげた。

 

「田辺君、確認がとれたよ。驚くことに、数年前、完成したそうだ。今も許可はいるらしいけどね」

 

 浜岡の言葉に、不安と怒り、そして、悲しみの過渡期が田辺へ訪れると同時に、甲高いインターホンの音が室内に鳴り響いた。




書いたら満足してあげ忘れ再び……


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第7話

                 ※※※ ※※※

 

「大地......嘘だろ......」

 

 達也は失意の底に突き落とされた気分だった。手を伸ばしても届かない場所から、大地が高波のような暴徒の群れに飲まれる様を見てしまった。それも、新崎の裏切りによってだ。

 墜落事故を引き起こし、数多の人間の命を間接的に奪った挙げ句、ここでまた、一人の生を犠牲にした。一体、どれだけの人間を殺せば気がすむんだ、と憤る達也の背後で東が笑う。

 

「ひゃはははは!なんだ、ありゃ!傑作だな、おい!」

 

「テメエ!」

 

「間違えるなよ自衛官よお......お前が怒りをぶつけたい相手は、追われた鹿みてえに逃げた奴だろ?」

 

 振り返った達也の眉間に銃口を押し付けつつ、東は新崎の姿に対して諧謔を弄してみせ、達也は、ぐっ、と口の中に怒りを溜めて呑み込んだ。

 

「それに、使徒に埋もれちまった、あの男は、いずれ同じ末路を辿ったろうしな。断言してやるよ、あいつは生き残れてはいなかった」

 

「......どうしてそう言い切れる?」

 

 東は、鼻で一笑する。それが、ひどく達也の心中を揺さぶった。

 

「あいつは、見るからに気弱だ。これまでは戦車っていう要塞に籠ってたんだろうよ......一度、追い出されれば、メッキが剥がれるのは、当然だろ?逃げた奴の方が、よっぽどこの世界に向いてる」

 

「......人が仲間を裏切る世界に、向き不向きなんざねえよ!」

 

「いい加減に現実を見ろよ自衛官よお......何が当たり前で、何が常識なのか、なんて哲学が通用してたのは、もう、過去のことだ。秩序の崩壊ってのは、同時にいろんなもんを人間から取り上げちまうんだよ」

 

 溜め息混じりの東の言葉が突き刺さる。感情論で語れることは、もはや九州に存在しないのだろうか。階下から響く暴徒の唸り声が大きくなっていく。逃げた新崎の後を追い始めたようだが、既に新崎の姿はなかった。

 肩にのし掛かる罪の重さに耐えきれる者だけが生き残れる、そんな世界にした張本人は、今ものうのうと生きている。

 

「人ってのは一秒ごとに死へと確実に歩いている。結局、どんな場所にいてもそれは変わらねえんだよ」

 

 東の視線が僅かに下がる。

 大地を身体を貪る多くの暴徒の中には、白い服に身を包んでいた者がいた。話振りから察するに、それは彼らにも向けられた言葉なのだろう。達也は、堪らず東に叫んだ。

 

「テメエに罪悪感はねえのかよ!」

 

「さあ、どうだろうな......さてと、上手くやれば、戦車を奪えそうだったが、置いて逃げたってことは、壊れちまったみてえだな......手っ取り早く安部さんを探せそうだったが予定変更だ」

 

 そう言うと、東は周辺に目を配る。それでも、達也への警戒は外さない。

 

「さっきから、至るとこで聞こえる悲鳴に混じって、なんかがぶつかったみてえな音がしてるし、銃声も僅かにあるってことは来客あるみてえだな」

 

 さも渋難そうに、東は小さく舌を打ち、達也の眉間から銃口を離して数歩だけ下がる。

 

「お前には、俺の盾になってもらう。先を歩けや」

 

 達也は、渋々といった調子で従った。矢面に立つこの行動には、達也なりの思惑がある。



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第8話

 恐らく、ショッパーズモールに侵入したのは、警報ベルで暴徒を引き寄せることで救助に成功したトラックと軽自動車の持ち主だろう。注意深く確認していけば、東より先に出会えるかもしれない。味方になってくれると願うしかない上に、常に暴徒の存在にも気を配る必要がある。かなり分が悪い賭けだった。

 達也は、連絡通路からショッパーズモール内に戻り、寝具コーナーに差し掛かり、一気に鉄錆の臭いが強くなる。間違いなく、近くにいる。心臓部分を服の上から掴み、歩みを止めた。東の助力などは望めない。ならば、素手でどうにか立ち向かうしかない。 鈍い痛みが走る両拳を握り込むと、壁に背中をつけ、寝具コーナーを覗き込み、達也は息を呑んだ。そこまで広くはない売場面積に、八人の暴徒が犇めいていた。いずれも、短い獣声を発っしつつ、目的も定まらない濁った双眸を思い思いの方向へ向けている。しかし、横切れば必ず白濁とした瞳は、一斉に目的をもつことになるだろう。素手で八人の暴徒を相手にするなど、自殺行為だ。

 達也は、外から聞こえる暴徒の声から、一階には降りられないと判断し、三階への階段を一見する。ここからならば、見付からずに登れるだろう。その時、達也の背中を、まるで気の合う友人にするような軽さで東が押した。一歩を踏み出す。その一歩は、これまで達也が歩んできた中で、最悪の一歩となった。統率がとれた一団のように、十六の白い眼球全てに、達也の姿が写った。

 

「東!テメエ......!」

 

 口の中での呟きは、暴徒の猛りの声が押し潰された。

 

                  ※※※ ※※※

 

「おい......真一、無事か?」

 

「ああ......一応な......」

 

 ショッパーズモールの出入り口を破り、アパッチの追跡を逃れた自衛官二人は、互いの無事を確かめ合うや、弾丸が入った鞄を引っ付かんでドアを蹴り落とした。ここは、ちょうど道路に面した一号館北口にあるゲームセンターだ。メダルゲームが主流となっている一階には、トラックの衝突によって、外から入ってくる死者と、もともとモール内にいた死者が押し寄せつつあった。

 浩太は、トラックから飛び降り、すぐさま、衝突で広がった出入り口へ銃撃を開始しながら、徐々に助手席へにじりよっていく。数で押し切られるのは時間の問題だ。

同じく飛び降りた真一が、奥のスロットコーナーから走り寄る死者数人を倒して叫んだ。

 

「浩太!お前の側にエスカレーターがある!そこから二階に登れ!」

 

「分かった!」

 

 言いながら、浩太は手榴弾のピンを抜き、死者の大群へ投げつけ、爆発を合図にエスカレーターを駆けあがった。以前、達也に対して自身が言ったように、出し惜しみは無しだ。真一がエスカレーターを登りきるまで、浩太が援護する。横幅が狭いお陰で一気に死者が集まるようなことはないが、これではイタチゴッコだ。



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第9話

 真一が浩太と並んだ時には、トラックが突撃した入口は、死者で埋め尽くされ、溢れた者達ですらが一斉にエスカレーターに集結していた。

 

「こりゃ、なんの冗談だよ!」

 

 叫ぶ真一に、浩太は弾倉を取り替えたばかりのAK74を投げ渡し、代わりに受け取ったM16の弾倉すらも手早く交換する。

 

「真一!二分だけ任せて良いか!?」

 

「ああ?なんか作戦でもあんのかよ!」

 

 銃声に負けないよう声を張り上げる。隠しようのない焦燥にかられているのか少し早口だが、浩太は軽く頷いた。

 

「OK!頼んだぜ!」

 

 浩太が踵を返したのを足音のみで認めた真一は、駆け上がってくる死者の頭部に狙いをつけ、引き金を絞った。弾き出された5.56ミリ弾は、死者の頭部を弾かせ、大群の歩みを僅かに鈍らせる。だが、焼け石に水と言わざる終えない。AK47の弾丸が尽くまで、真一は狙いをつけ、トリガーを引き続けるしかなかった。押しきられたら終わりだ。

 

「急いでくれ!」

 

 焦慮により、迂闊にも真一はエスカレーターからコンマ数秒だけ目を切ってしまう。その瞬間、二度目の生を終えた肉の壁を突破し、弾丸を受けながらも勢いを落とさなかった死者の一人がバレルを鷲掴みにした。残った腕は真一の右腕に伸ばされる。そのまま、引き寄せられてなるものかと、踏ん張るが、生暖かい吐息が左手を撫でる。咄嗟に手を離し、銃口を死者の口内に突き入れた。

 

「これでも喰ってろ!」

 

 引き金を引くが、カキン、と無情な音がした。弾切れだ。死者の圧力が増す。倒されまいと、右足を張り、左足を死者の腹部に預ける。

 真一の鼻先で、死者が必死に上顎と下顎を動かし、歯を打ち鳴らす。瞬きもしないその様、削がれた両耳と潰された鼻という容貌も相まって、真一の表情は一気に青ざめた。

 

「うわあああああ!」

 

 恐怖から、反射的に突き放そうと、腹に添えた左足に力を込めて、前蹴りの要領で押し出すが、それは、死者の腹部を文字通り貫いた。エスカレーターで詰まっている後続の死者へ臓腑と血をシャワーのように浴びせただけに終わる。

 そして、背骨を失った死者の体重を支えるには、真一の態勢は悪すぎた。押し倒され、更に死者との距離が縮まる。銃を下から持ち上げる形で、口の接近を阻むが、喉を突き破りながら、徐々に近寄ってくる。新たな傷が作られ、真一の顔に大量の血液が落ちてきた。加えて、エスカレーターからの足音も大きくなっている。いや、間違いなくエスカレーターの障害を突破している。獣声が二階のゲームコーナーに響き渡る。

 

「こ......浩太!浩太ァァァァァァ!」




た……ただいまです。
すいませんでした。いろいろ忙しかったんです……本当すいません

お休みしている間に、お気に入りしてくださる方もいらしたようで、嬉しくてもう……
ほんとうにありがとうございます!!
しばらくは、大丈夫そうです!!


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第10話

 これまで発っした事のない恐怖にかられた真一の叫びだった。約束の二分は既に経過している。銃口が、ついに死者の喉を突き破った。間一髪のところで顔を反らすも、耳元で響いた噛み合わせの音は、真一にかつてないほどの恐怖を与えるには、充分すぎる。

 死者が嗚咽のような声音を出しながら、次の攻撃態勢に入ると、浩太の右足が死者の顔面を蹴りあげた。

 

「悪い、少し遅れた!」

 

 言いながら、浩太は何かをエスカレーターを登る死者の大群に投げつける。起き上がった真一が見たものは、子供が遊ぶ小型の機械だった。死者に支える力はなく、次々と投げ込まれる機械に、なすすべなく倒されていく。散らばったメダルを見た浩太が言った。

 

「銃よか役立っただろ?」

 

 多くの機械がエスカレーター積み重なり、死者の進軍を止めている。身体中に彩られた血を払いながら、立ち上がった真一は仏頂面だ。

 

「遅えよ......死ぬかと思ったぜ......」

 

「生きてるんだから、そう言うなよ。ほら、まだ仕上げがある」

 

 浩太の親指が指した位置には、巨大なジャックポットの機械が置かれており、意図を察した真一は疲れた表情で頷く。

 底についた車輪のロックを外し、エスカレーターの入り口を塞ぐ。再びロックをつければ、多少の時間は稼げるだろう。懸念が残ってしまうのは、仕方のない事だが、現状では最上手と言える。

 

「やっちまったな......初手から躓いちまった......」

 

 浩太が機械に阻まれた死者の群れを俯瞰しつつ舌を打った。外観だけでも広大なショッパーズモールと分かる面積がある建物に、アパッチの猛攻をやり過ごす為とはいえ、更に死者の数を増やしてしまった。これでは、達也や祐介達を含めた生き残り組を窮地に追いやってしまうようなものだと顔をしかめる。

 

「そう思うなら、さっさと全員で脱出する為に行動しようぜ、ほらよ」

 

 これから起こる悲劇に備えるような力強さで、真一から受け取ったAK47に新たな弾倉を叩き込むと、背後でガラスか弾ける音が響き、二人は素早く銃口を向けた。

 

                ※※※ ※※※

 

 南口通路を隔離する戦車に到達した三人には、影が落ちている。また一人、大切な仲間を失った事実は、やはり、重くのし掛かっていた。中でも、加奈子は声が出せない分、強く顔つきに表れている。車内に下から潜り込んだ三人は、ひとまず死者の呻きが聞こえなくなるまで立て籠ることに決めたが、そうしている時間に、どうしても彰一のことが頭を過ってしまう。

 別れ際に、任せろ、と口にした祐介は、右手に言魂が乗っているかのように額に当てた。この記憶を、彰一の姿が焼き付いた記憶を褪させない為にだ。

 

「......一度、外を見てくる」

 

 立ち上がった祐介に目を配り、阿里沙が腰を上げた。

 

「祐介君、ちょっと......」

 

 ハッチに掛けていた手を離し振り返る。加奈子に聞かれるのは、都合が悪い内容なのか、阿里沙は小声だった。



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第11話

「坂本君のことだけど、祐介君だけで背負おうなんて思わないでね......あたしと加奈子ちゃんだって、彼の気持ちや思いを受けとる覚悟はあるから......」

 

「......分かってる。ありがとな、阿里沙」

 

 そう言って、祐介は再びハッチを押し上げた。途端に濃ゆくなる死者達の臭いと湿気に、顔をしかめる。細心の注意を払い、目線だけで数を確認する。戦車に張り付いている死者は、四名だった。先ほどの轟音で、散々になったのだろう。

 祐介は、目を伏せて彰一の名前を呟き、静かに涙を流し始めた。二人の前では泣けないが、ここなら、声さえ圧し殺せば瞳の雫を溜める必要はない。何度、体験しようと、人の死というものは馴れないものだ。いや、馴れてはいけないものだ。例え、ありふれた日常の一幕であろうとも、現状のように、死が溢れていようとも、決して馴れてはならない。

 命を自分だけのものだと考えてはいけない。

 祐介は、胸の奥で、熱く鼓動を繰り返す心臓を掴みたい気持ちで一杯になった。ここには、二人の人間が住み着いている。ぎゅっ、と握れば、血と共に、二人が顔を出してくれるような気がした。

 

「......そんなこと、あるはずないよな」

 

  自嘲気味に、祐介は笑い、彰一の形見となったイングラムと、父親のM360の重さを、はっきりと意識する。命を預ける相手がいるのは、とても幸せなことなんだな、そう胸中で囁けば、涙は自然と止まっていた。祐介にとって、ここからが、本当の闘いになる。人は思っているほど、自分のために生きてはいないのだ。阿里沙、加奈子と共に生き残る為に、祐介は顔をあげた。

 

 

※※※ ※※※

 

 右に迫ってきた使徒の首を左手で掴み、壁に押し付けると、渾身の右拳で殴り付ける。使徒の頬骨が凹み、二発目にして右目が飛び出す。三発目は、もう必要ない。

 東は、幼い頃に壮絶な体験をしている。まず、父親や母親がいない。複雑な経緯もない。ゴミ袋に入れられていただけの捨て子だった。運良く拾われはしたが、引き取り手は見付からず、施設に送られることになり、そこで六歳を迎え、地元の小学校へ入学することになる。

 同い年に囲まれた共同生活の中で、他の同級生と、何かが決定的に違うと思ったのは、一週間が経過してからだった。授業中に、信号機の話題が出ると、皆が一斉に色を答えていく。赤、青、黄と声が教室に響く。それに潰されてはいたが、一人は白、白、白、と言う。

 色が持つ力なんてものが、東には理解出来なかった。同級生もそうだ。そこに立っている何か、としか認識していなかった。他と違うというのは、とても退屈なことだった。




タイトルミスってました。すいません……
お気に入り220件突破してました!!本当にありがとうございます!!


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第12話

 東が小学三年生になると、とある出来事が起きる。上履きが靴箱になかったのだ。影には、クラスの男の子数人の姿があり、それは次第にエスカレートしていく。閉鎖された空間では、限られたコミュニティが必ず作られ、他者と違うものは排除される。それは、東とて例外ではなかった。繰り返される暴力は、子供だからこそ容赦はなく、日々摩耗していく精神を保つ為に、東は勉強の傍ら、動物に目を着けた。

 最初は、学校で飼育されていた兎だ。兎と触れあうことで生命を学ぶ、という名目の道徳の授業中、東は抱いた兎を、故意に頭から落として死亡させた。周囲から同級生が逃げていくが、そこでも東は無感動だった。しかし、ある種の疑問を覚える。兎が落下した時、東は一瞬だけ色を見た。瞬きにも満たない時間だったが、確かにその瞬間だけは色があった。いつ崩れるか分からない古い吊り橋の上で、恐怖で緊張しつつも、得も言われぬ興奮で、身を焼かれたような気分になり、やがて、不意に湧いた心の疑問を追求することに、倒錯していくことになる。

 東は身体を鍛え、一年が経過するころには、話し掛ける者はなくなり、より深く「色」を求め始めた。そして、こう考えることになる。

 

「俺は無色だ」

 

 東は、いましがた仕留めた使徒の首を強引に引きちぎり、まるで、ボーリングの玉でも持ち上げるような軽さで、眼球に左手の中指と薬指を突き入れた。

 

「色ってのは、誰もが意識に持っている選別機能の一つにすぎない。有色人種、黒人差別、全員が表面しか見えていないだけだ」

 

 誰に語りかけるでもない口調で語っていた東の背後に迫った使徒へ、振り返り様に、引きちぎった頭部をぶつける。横倒しになった使徒は、真っ白な衣装に鮮やかな朱を散らしながら動かなくなり、無頓着に見下ろしていた東は、衝撃で砕けた頭を捨てて、倒れた使徒の顎を両手で持ち上げる。

 

「それすらもない俺は、必死に色を探し求めた。けれど、どれだけ着色をしようと、そんな塗装はすぐに剥がれてしまう。こんな使徒でさえ、持っているものが、俺にはない」

 

 ブチブチ、と力任せに使徒の頭部を引き上げていき、露出した背骨を踏み砕けば、新たな武器の完成だ。人間の頭部と、ボーリング玉の質量は、ほぼ同じだ。これでも、立派な武器になる。

 

「俺にとっての色は、生きる為の目的だった......殺しは、俺にとっての塗装だということに気づいたのは、アンタと出会ってからだよ、安部さん」

 

 自衛官を押し出した後に、東は対面の階段へと走った。安部の姿が見えない以上、探すとなれは、相応の時間が必要になる。時間をかける、それは使徒に襲われる確率を飛躍的にあげることと同義だ。僅かでも障害になり得る事態は、回避する。そこに至ったからこそ、東は自衛官という生身の楯を捨てた。

 すべては、安部と再び出会い、安部の理想を叶える、その目的を達成するためだ。東にとって「色」は生きる意味、安部という男は、初めて自身を必要だと言った人間だ。

 誰かに求められたこと。それこそが、東の生き甲斐となった。

 

「孤独ってのは、身体に染み込むと何も見えなくなる......アンタは、一人になっちゃいけねえんだよ......だから、安部さんよお......近くにいるなら返事をしろよ!」

 

 東の声に反応したのか、階下から多数の足音が響いてくる。短く舌を打った東は、階段の踊り場で頭を抱えた。冷静を欠いている。一度、どこかで落ち着かなければ、安部を探す所の話ではない。効率良く、生き馬の目を抜くには、どうすれば良いだろうか。

 東は、しばらく頭の中に叩き込んでいた地図を思い浮かべ、ある場所にいきつき口角をあげて走り出した。




次回より第21章「真意」に入ります!!
東走ってばっかだなw


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第21部 真意

「田辺、お前の行動力には、素直に敬意すら覚える。本当に素晴らしいと思う」

 

 野田は、ソファーに腰掛けたまま、こもった声で言った。足元には、後ろ手に縛られた田辺が仰臥している。その隣には、浜岡や齋藤も並ばされていた。野田の背後には、銃を持った覆面の男が一人、リビングへ繋がる扉の前に立つ貴子の護衛のように睨みをきかせている。

 初めて、目の当たりにする銃の恐ろしさは、途方もなく切迫した状況を瞬く間に作り上げた。

 

「さてと......浜岡さんは初めましてかな?」

 

「そうですねぇ......お会いできて光栄ですよ野田大臣」

 

 微笑んだ浜岡に対し、野田は目を剥いて微笑した。

 

「田辺から聞いていた通りの人間だな。変な所で肝が座っているように見える。政治の世界に来ていたら、大物になっただろうな」

 

「いえいえ、緊張はしていますよ。そう見えるのは、こちらが必死に隠しているだけです」

 

 浜岡は微妙な表情を壊さずに、悠然と返す。そんな様子に、面白くなさそうに鼻を鳴らした野田は、つい、と目線を齋藤に移し、それにしても、と前置きを挟んだ。

 

「まさか、警察まで味方につけているとは、さすがは記者といったところか。なあ、田辺」

 

「野田さん......彼らは無関係です。僕が振り回しただけの、いわば被害者です......なので......」

 

「見逃せ......とでも言うつもりか、それは、あまりにも虫が良い言い分だな」

 

 田辺は、降ってきた野田の言葉に、奥歯を噛んだ。今はこうして話をしているだけだが、必ずどこかで、なんらかの踏ん切りはつかされるだろう。その手段がなんであろうと、三人にとって最悪の結果を招いてしまうだろう。野田の背後にいる男の銃が火を吹くか、九州地方を崩壊させた薬品を、身体に射ち込まれるか。どちらにしろ情報を握った人間、ましてや、記者の口を塞ぐには、大金を積み上げるよりも、喋れなくした方が早い。田辺は、野田を上目使いで睨目付ける。

 

「貴方は......変わってしまいましたね......」

 

 ピクリ、と肩が揺らした野田が顔を逸らす。

 

「俺は、なにも変わってなどいない」

 

「いや、貴方は変わってしまいましたよ。昔の貴方は、誰よりも輝いていましたし、きちんとした理想や主義も心に根付いていました。そんな所に、僕は憧れた。それに、良子さんも......」

 

 良子の名前が出た途端、野田の両目に、瞋恚に燃える炎が宿るも、田辺の口調も熱を帯びていく。

 

「昔の貴方が今の貴方を見たら、忸怩たる思いで......」

 

「お前が良子の名を口にするなぁ!」

 

 田辺の声を遮ったのは、野田が渾身の形相で降り下ろした拳だった。表情が歪むが、構わずに髪を鷲掴みにし、強引に面をあげさせる。

 

「お前が!奴を!ああまで追い詰め無ければ!良子は!殺されることもなかったんだ!お前が!お前がぁぁぁ!」

 

 一呼吸ごとに打ちつけられる拳頭と怒声を浴びながらも、田辺の眼力から光はなくならない。鼻や切れた唇から血を流しつつ、怯まずに野田の目を見続ける。

 

「野田さん......貴方は......貴方は間違っている......!」

 

「こ......の......野郎があ!」

 

 高く翳した右手を下ろす直前、田辺の返り血が付着した拳を、身体ごと止めた貴子が嗚咽まじりに言った。

 

「もう......やめてよ......お父さん......!どうして......?どうして田辺さんを......」

 

「......貴子」

 

「田辺さんから、いろいろ聞いたよ......お母さんがいなくなったのは、田辺さんのせいじゃないよ......だから、これ以上、お母さんの名前で田辺さんを殴らないで......!」




第21部始まるよ!!


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第2部

 貴子の全身は目に見えて震えていた。そもそも、貴子にとって田辺は、年の離れた兄のような存在なのだ。良子が亡くなった時、父親である野田は今まで以上に仕事へ没頭していき、その寂しさを和らげていたのは、田辺だった。そんな二人が争っている場面など誰よりも目にしたくはないのだろう。どんな理由があるにしろ、現状、もっとも辛い気持ちを抱えているのは、貴子だ。

 

「田辺さんは悪くない!悪いのは......悪いのは、その東って人でしょ!だから、これ以上、酷いことしないで!」

 

「......貴子さん」

 

 田辺は、貴子の言葉に心まで救われた。あれだけの事実を受け入れてくれている。それが、なによりも嬉しく思える。野田の拳からも力が抜けていき、やがて掌の皺が覗く。

 

「......貴子、お前はここに残れ......おい!」

 

 銃を持った男が、軽く頷き、まずは、斎藤に手を掛けて立ち上がらせた。血相を変えて貴子が叫ぶ。

 

「お父さん!」

 

「良いんです、貴子さん!ここから先、野田さんは我々には危害を加えません!」

 

 ぐっ、と言葉を呑み込んだのは貴子だった。勿論、保証なんてものはどこにもない。なにより貴子は、野田に今回の件について、田辺から訊いていると口走ってしまったのだ。どう転ぼうと無事には済まないだろう。

 野田が田辺の声を奪うには、充分すぎるほどの理由が出来上がっている。

 

「......何をしている。早くしろ」

 

 野田の声と、しゃくった顎を一見した覆面は、やはり僅かに頷くだけだった。そこで、違和感を感じたのは、田辺だけではない。いや、田辺よりも早く、浜岡は既に気付いていたようだ。

 喋れない、という訳ではなく、喋らない。言葉に関する、なんらかの事情を抱えている。となれば、答えは一つしかないのではないだろうか。田辺の視線を察した浜岡は、鼻をひくつかせ顔をあげた。

 

「......そちらのかたは、野田大臣の関係者ですか?」

 

 浜岡の問いに対して、野田は不遜に言う。

 

「そんなこと、貴方に関係はない」

 

「ああ、確かにそうですねえ......これはこれは、大変失礼致しました」

 

 覆面は構わずに浜岡の身体を起こす。その際、浜岡はある点に注目し、確信を得たのか、眉を曇らせた。浜岡と野田の会話にも触れず、この場で、自身に興味の対象を移されたにも関わらず、動揺した様子もない。加えて、覆面がいた位置も悪い。

 貴子への護衛ならば、三人が転がっていた足元に立てば良いのだ。その方が、より高圧的に写るだろう。浜岡の表情を読み取り、田辺も同じく眉間を狭めた。どうやら、嫌な予感が的中してしまったようだ。

 

「田辺、何を考えているのかは知らんが、余計なことをするなよ?」

 

 野田の鋭い指摘に、田辺は吐息をついて返す。

 

「この状況で、そんな馬鹿なことはしませんよ......それに、貴子さんの目もありますしね」

 

 貴子の名前を出すことで、僅かでも野田の判断力を鈍らせる。出汁に使うようでバツが悪いが、それは、貴子も承諾したのだろう。ちらり、と目線を田辺へ向けた。



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第2話

浜岡の最終的な判断基準は、瞳の色だった。碧眼の覆面となれば、自ずと正体は判明する。野田は恐らくアメリカにもなんらかの手を打っているのだろう。利用するとすれば、それも九州地方に強い影響を及ぼすものとはなんだ。すぐさま思い浮かんだのは、隠蔽工作だ。アメリカの物資は、世界でも高い水準にあり、それこそ、軍が所有する武器の数も膨大な量だろう。しかし、一軍を、死地に送り込むなんて真似はするはずがない。とすれば、理想は少数精鋭か、攻撃ヘリを使用しての遠距離による射撃に限られてくる。感染者を九州から外へ出さず、尚且つ、生存者の口を塞ぐには、それくらいが妥当かもしれない。たが、しかし、待てよ。田辺は、そこで一度頭を振って、再度、思考の波に飲み込まれていく。

それでは、生存者を逃す可能性は、間違いなく低下するだろうが、いまひもつ確実性に欠ける気がした。アメリカが持っている特別なものはなんだろうか。それも、九州地方の生存者や、動き回る死者へ確実な死を与えられるもの。答えに行き着いた田辺の顔付きから色が消えていく。

 

「そうか......そういうことか......」

 

田辺の囁くような声量に、野田は振り返った。

 

「なにか言ったか?田辺」

 

「野田さん、まさか、貴方は......」

 

「......俺が、なんだ?」

 

アメリカには、世界のタブーともいえる、とあるものが存在する。日本にのみ降下されたそれは、いまでも世界に脅威を振り撒いており。たびたび論争の材料にもなる。そして、なにより、絶大で途方もない威力があり、現在の九州地方で爆発させれば、様々な問題を一気に解消させることも可能かもしれない。

自分の深読みだけであってほしい。だが、それが事実であった場合を想定すると、田辺は全身から力が抜けたような気分にはなった。

 

「いえ、なんでもありません......」

 

疑いの視線が強くなったのだろうか、野田は目付きを細めたが、それ以上はなにも追求することもなく、玄関へと歩き始めた。三人は斎藤を先頭に縦に並んで玄関を抜ける。最後尾に立つ田辺は、服越しに突きつけられた銃口の冷たさを感じならが、不安顔で見送る貴子へ一礼し、エレベーターへ乗り込んだ。

 

「田辺、お前とは長い付き合いだよな」

 

「ええ、そうですね」

 

エレベーターの点滅が始まる。一階までは、ものの数秒で到着だ。最初に行動を起こしたのは斎藤だった。エレベーターが降下を始めた直後、最後に乗り込んだ覆面の男に前蹴りを見舞い、肩でぶつかり動きを封じる。狭いエレベーター内部では、覆面の屈強な肉体も、大きく武骨な銃でさえも、ただの障害、加えて野田が乗っていることにより、発砲すらも躊躇われた。浜岡は、斎藤の援護に回り、突然の事態に瞠目していた野田には、田辺の頭突きが直撃した。

 

「ぶはっ!」

 

野田の悲鳴と共に、エレベーターは一階に到着し、扉がスライドしていく。まるで、身体を捩じ込むかのようにエントランスへ駆け出した三人の背中を指差しつつ、野田が叫んだ。

 

「逃がすな!」

 

田辺は、全力で走り、遂にエントランス出入り口へ到達する。自動扉の開閉すら、もどかしい程だ。そして、扉を抜け、階段に差し掛かった瞬間、田辺の眼界に濃厚な黒が広がった。



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第3話

 続けて味蕾に広がる鉄の味、鈍器のような物で顔面を突かれたと認めた頃には、尻餅をついて倒れていた。犬歯がぐらついている。田辺が見上げた時、額に冷たく丸いものが押し付けられた。

 

「田辺君!」

 

「田辺!」

 

「動くな!」

 

 浜岡と斎藤の声に、ぴしゃりと檄を飛びしたのは、田辺を倒した人物とは違う男だ。エントランスホールの出入り口に二人、合計三人の男に加え、背後から野田と共に行動していた外国人も加わる。

 

「残念だったな、田辺......」

 

「......まさか、ここまで容赦なく配置されていたとは思いませんでした......」

 

「違う。彼らは、最初から貴子の部屋を見張っていた」

 

「......つまり、僕がここを訪ねることは、想定していたと?」

 

「当然だろう?お前が一度、ここを訪ねた時から見越していた。さて、車を用意してある。それに、乗ってもらおうか」

 

 肩を掴まれ、乱暴に引き上げられる。顎の下には、当たり前のように銃口が添えられていた。

 

「どこへ連れていくつもりだ?」

 

 斎藤の問いに、野田は口角をあげる。

 

「とても楽しいところだ。いや、それはお前達次第かな」

 

 マンション前には二台の車が停められていた。ハイエースの後部に三人が詰め込まれ、男が二人乗り込み、銃を突きつける。

 

「随分、息苦しい空間だな......」

 

「そうですねえ、ここに女性が一人でも居れば、少しは穏やかな空気になりますかね?」

 

「おい、私語は慎め」

 

 浜岡のこめかみに、ごつりとした硬い感触が伝わり、苦笑を洩らす。野田が乗った車から、高く鳴らされたクラクションを出発の合図に、三人と二人を乗せたハイエースが走り出した。

 

                ※※※ ※※※

 

 達也の喉に、死者の歯が迫る。

 額を押さえ、右の拳で頬を撃ち抜き、前蹴りの要領で死者を突き放し、どうにか寝具コーナーからの脱出を図るも、それは呻き声をあげて達也を狙う死者により阻まれる。

やはり、八人を相手に、素手で立ち向かうなど無謀な話だった。怯ませることは出来ても、相手は痛覚等持ち合わせていないのだ。痛みで踞ることはない。

 

「クソがぁ!」

 

 両手で押し、少しでも距離を作るも、そこまで広さもない寝具コーナーで達也は徐々に追い詰められていく。壁に詰められれば、必ず押しきられてしまう。まるで、将棋の王将にでもなった気分だった。

 ベッドを飛び越え、着地先にいた死者を蹴りつけ、とどめを刺そうとするが、新たな死者が常に達也に迫る。

 とにかく、今、早急に必要なのは武器だ。

 ベッドを破壊するか、それでは時間があまりにも足りない。ならば、マットに入ったスプリングを取り出す、それも時間が必要だ。そんなことに意識を向けていては、死者の餌食になる。運悪くローラーが着いたベッドもない。

 なにもかもが、達也から生を奪う方向へ進んでいっている気がしてならない。

 この地獄とかした中間のショッパーズモールで、東という死神に再会したあの瞬間から、自分は、着実に死へと歩んでいるのだろうか、などという言葉が脳裏に浮かび、頭を振って、それを吹き飛ばした。




報告ありがとうございました!


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第4話

 俺は生き残る為に、今も生きている。

 

「来いよ!この化け物共があ!」

 

 拳を握った瞬間、突然、目の前に迫っていた死者の顔面が弾けた。タイミングの良すぎ、裂帛の雄叫びで音波でも飛ばしたのかと錯覚してしまう。勿論、そんなことはあり得ない。崩れた死者の背後に、達也は我が目を疑う光景を見た。

 二人組の自衛官が、手にした銃で次々と死者を撃ち抜いていく。やがて、寝具コーナーに集っていた死者が全て動かなくなると、達也は膝から崩れ落ちる。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「......大丈夫じゃねえよ、馬鹿野郎......死ぬかと思ったぞ......」

 

「そんだけ、口がきけるんなら、上出来だぜ?俺らなんか、何度、死にかけたか」

 

 ぐいっ、と達也の腕を引っ張って立たせたのは、もう何年も会っていなかったようにすら思える懐かしい仲間の顔だった。込み上げてくる喜びを圧し殺しつつ、達也は口元を震わせた。

 

「なんだよ......すっげえ格好だなお前ら......暴徒共と見分けがつかねえぞ......」

 

「人のこと言えないだろ。無事でよかった」

 

 トン、と胸を叩かれた達也は、そこから熱が広がっていくのを確かに感じた。俺はまだ、生きている。そう実感する。

 

「無事でなによりだ、達也」

 

「ああ、お前らこそな、浩太、真一」

 

                ※※※ ※※※

 

 戦車に音と振動が伝わった。祐介は、死者でも落下したのだろうと、気にはしていなかったが、断続的にハッチを踏みつけるような音に変わっていった。怪訝に眉根を寄せた祐介は、人差し指を唇に立てて二人へ振り返りながら、掌を見せた。

 耳を澄ませば、死者達による伸吟の合唱が、増えはじめていることに気づく。間違いない、生きた誰かが戦車のハッチを蹴破ろうとしている。祐介は、この中間のショッパーズモールにいた者で、もはや、まともな人間は残っていないと考えている。蹴破ろうとしている者も、当然、そうなのだろう。そこで、ちらり、と二人に視線を送り、都合の良い言い訳の材料にしているような自分が嫌になった。

 いつまでも、弱いままではいられない。ここで、生き延びるには、車上にいるであろう人物を見捨てることが正解だ。

 だが、ハッチから双眸を引き剥がしはしたものの、祐介は耳を塞げなかった。何度も何度も、響いてくる音の一つ一つに、例えがたい怨みが込められている気がしたからだ。

 

「彰一......お前ならどうする......?」

 

 不意に出た名前を呟き、祐介はハッチを仰いだ。

 ギシ、と揺れる一つの箱のように戦車が揺れる。この小さな箱が、安全の全てだとすれば、人間としてとるべき道は、一つしかない。

 生き残る為の正解は、見捨てること。しかし、人として生きるならば、正解は瞬く間に反転する。

 

「阿里沙、加奈子ちゃん、上にいる人を助けたい。良いかな?」



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第5話

「......きっと、彰一君なら、こう言うだろうね。お前なら、そう言うと思ってた」

 

 阿里沙の返事に、祐介は少しだけ驚いた。確か、坂本君と呼んでいた記憶がある。阿里沙なりに、彰一を身近に感じたいからかもしれない。それは、加奈子も同じ気持ちだろう。祐介は、小さく頷くと、ハッチに手を伸ばし、ポケットのM360の感触を確かめる。

 

 ......これを使うことがありませんように......

 

 ハッチを押上げ、祐介は車上にいる人物へ言った。

 

「早く!中に入......」

 

 その男は、祐介がこれまで出会ってきた誰よりも異質だった。背は低いが、どこか威圧感があり、真っ白な服を着てはいるものの、ことごとく鮮やかな朱色で彩られていた。加えて、前髪から滴る血の奥に目付きは生きているとは思えないほど濁り、全身を覆う白には、所々に膨らみがある。小さな身体に、不釣り合いな筋肉、部活で鍛えた祐介の肉体とは、まるで離れた真逆の体つきは、祐介の記憶の底から、とある記憶と、父親との会話を彷彿させた。

 人をたぶらかし、人を切り刻み、人を誘惑し、人を操る。総じて現場は悲惨そのもの、あらゆる残虐な手口で数十人の人間を、全国規模で殺害し続け、福岡の小倉で身柄を拘束された日本史上に残るであろう大量殺人鬼に関する記憶だ。

 

「先客がいるだろうとは、予想してたが、まさか、こんな餓鬼共だとは思わなかったなぁ、おい」

 

 当時のニュース映像が、ありありと甦る。この男の笑みと、映像でみた皮肉なピースサインが重なると同時に、祐介は飛び降りるような勢いで、ハッチを掴んだ。勢いのまま、車内に逃げるつもりだったのだが、男はハッチを両手で止めた。

 祐介は、瞠目する。ハッチには、祐介の体重がかけられている筈だ。それを容易く受け止めた挙げ句、男の表情は僅かにも動いていない。

 

「なーーんだよ?お前が招いたくせに、俺を見るや否や、バケモノにでも出会した顔しやがってよお......傷ついちまったじゃねえか、ひゃはははは!」

 

 男が言い終える直前、額に、味わったことがない凄まじい衝撃が走った。まるで、首から上が無くなったかのような錯覚に見舞われ、崩れるように、車内に落ちた祐介と同時に、男は軽い調子で車上から飛び降りた。

 

「うっ……ぐううううう!」

 

「おいおい、なに頑張っちゃってんの?ひゃはははははは!」

 

 祐介起き上がる寸前、再び男が拳を振り下ろす。

 

「あぐあああああああああああああああ!」



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第6話

 杭で打ち抜かれたような激痛に、祐介は二人の目が向いていることすら気にする余裕もなく、額を抑えて転がり続けた。重なった鈍痛は、頭蓋を響き全身へと巡る。

 

「お、そいつは......なんだよ、安部さん好みの年齢じゃねえか。良い拾い物したなこりゃ」

 

 加奈子を阿里沙が、反射的に抱き寄せる。この男に加奈子を渡してはいけない、直感が警鐘を鳴らし始めた最大の要因は、男が口にした安部という名前だった。三人にとって、忘れることなど出来る筈がない。瞼を揺らしながらも、双眸だけは決して外さない阿里沙へと男が言った。

 

「そんな警戒すんじゃねえよ。こちとら、一応はフェミニストで通ってんだぜぇ?きひひ、自分で言っときながら笑えてくるなぁ......」

 

 男が一歩を踏み出せば、阿里沙は加奈子を背中に回し、守るように立ちあがった。

 

「へえ、俺の前に立てるのかよ?なかなか良い度胸してやがんな」

 

 嗟歎を吐きつつ、肩をすくねると、目線だけで振り返る。祐介の方は、未だに立ち上がれそうにもない。加奈子は、それを承知して立ち上がったのだろう。つまり、祐介が復帰するまでの時間稼ぎにすぎない。ならば、復帰さえすれば、この状況を脱する手段があるという意味にもとれる。

 男は考えた。確かに、身体は鍛えているようだが、二人の戦力差は明瞭だ。事実、二発の攻撃を喰らってからは、子供に踏まれたムカデのように床を這っている。逆転の手段とすればなんだろうか。答えはすぐに出た。

 

「......銃だな」

 

 ハッ、と祐介が起き上がるが、すでに遅かった。助走をつけた男の蹴りが、咄嗟にガードした両腕ごと祐介の顔面を叩き、たたらを踏んだ所で前蹴りが直撃し、祐介は身体ごと壁面にぶつかる。

 

「祐介君!」

 

 阿里沙の叫び声がスイッチになったかのように崩れ落ちる祐介の胸ぐらを掴み、強引に立たせると、男はポケットの膨らみを見て、唇を三日月形に歪めた。父親の形見でもあるM360、それをろくに抵抗も出来ずに奪われてしまう。解放された祐介は、力なく、その場にへたりこんだ。頭上から男の声が聞こえてくる。

 

「弾丸は少ないが......まあ、無いよりゃマシだ。さてと......」

 

 ゴリっ、とした武骨な感触を後頭部に感じると同時に、阿里沙が悲鳴に近い声をあげた。

 

「やめて!お願い!」

 

「安心しろよ。俺の質問に、正直に答えるなら、こいつは助けてやる」

 

「し......質問......?」

 

「ああ、そうだ。子供でも簡単に答えられる質問だ。ただし、少しでも嘘だと判断したら、こいつの脳ミソが吹き飛ぶことになる」

 

 男が見せ付けるように激鉄をあげた。

 

「まず、ひとつだ。お前ら、安部って奴を見なかったか?」

 

 ピクリ、と反応した祐介に、男が目線を下げる。

 

「知ってるみてえだな。とこで会った?」

 

 俯いたまま、祐介は僅かに視線を持ち上げて阿里沙を見た。まだ意識が揺れているのだろうか、焦点が定まっていない。しかし、何を訴えているのかは、すぐに分かった。隙をみて、床にある脱出口から抜け出せと言っている。

 安部というワードに含まれた双方にある多様な意味、その一つにして、もっとも重要な事実、安部は、あれから三人を追ってきていないことだ。

 現場を目撃せずとも、彰一が安部の足止めに成功したのだろう。

 口振りからしても、こんな地獄のような環境下でも安部を捜しているのならば、この男にとって、安部は大切な仲間なのだ。




ちょっと更新遅くてすみません!
別のものを書いてるもので・・・・・・すいません!


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第7話

「おい、どこ見てんだクソガキ」

 

 銃口を額に当て、祐介の顔をあげた男は、眉を曇らせた。ひくついた唇とは対称的に、両目は男の瞳に映った。怖くとも、決して逃げ出そうとしていない。自身の命よりも、二人をどうすれば安全に逃がすことができるかを優先して思考している。気に入らない。その眼は、東京のあいつや自衛官と、心が同じ場所にある奴の目付きだ。それを、こんな幼さの残る人間がしている。

 

「......その目をやめろ!」

 

 男の腕が震えだし、祐介は、訳もわからず、首を傾けた。怖いのだろうか、いや、そんな筈はない。

 大した確信が得られないまま動くことは出来ず、目を隠すように若干だけ俯けば、男は細い息を吐きだす。その様は、子供の頃に、いたずらを仕掛け、どうにか親の気を逸らせた、そんな安堵の吐息と、どこか似ている気がした。気付かれていないと思っているのは、その時、その場で自分だけだというのにだ。ここを突くしかない。祐介は、藁にもすがる思いで口を開いた。

 

「安部なら、この奥にいたよ。東」

 

 仲間を失った辛さや、恐怖、それを祐介は深く理解している。正直なところ、阿里沙は祐介がそんな言葉を吐くと考えていなかった。結果が分かっているだけに、あまりにも、冷酷な一言だ。人を思い続けてきた祐介からは、何があろうとも聞きたくはない言葉だった。東と呼ばれた男は、片眉を揺らす。

 

「この通路の奥に......安部さんが......」

 

 東の口元が僅かに緩むも、それはすぐに音もなく消え去った。

 

「ああ、間違いない。けれど、そっから先は死者の海だ」

 

 東は目に見えて狼狽する。帰結する答えは一つしかない。途端、東の形相が険しくなり、銃のグリップを使い、祐介のこめかみを強打した。

 堪らず、横倒しになった祐介の左耳に重みと冷たい感触が加えられる。

 

「祐介君!」

 

「黙れ女ぁ!......おい、クソガキよぉ......よーーく聞けよ?テメエは、今から俺の楯だ。抵抗しなけれは女達の命は保証してやる」

 

「アンタが約束を守るとは思えないな......」

 

「おい、立場を理解してんのかよ?お前に選択肢なんざ、あると思ってんのか?」

 

 カチリ、とシリンダーが回る音がした。それでも、祐介は落ち着いた口調で言った。

 

「なら、先に女を逃がせ」

 

「馬鹿か?俺は別に死体になったお前を連れて行っても問題ねえんだぞ」

 

 鼻を鳴らして、祐介は反駁する。

 

「違うだろ?それなら、もう俺を殺してる筈だ。そうしないのは、死者が優先的に狙う対象を知ってるからだろ」

 

「じゃあ、先に女を殺すぞ?」

 

「間違えるなよ。アンタらは子供が必要なんだろ?けどな、男はともかく、女子供は九州地方にどれだけ残ってるだろうな。男は何も産み出せないぞ」

 

 死者は、生きたものを真っ先に狙う。つまり、死んだ祐介を連れていこうとも、代わりに阿里沙と加奈子を殺すと脅そうとも、東にとって片側は、不利になり、もう一方は安部の思いを裏切ることになる。どちらも、意味を成さない。

 東は、このクソガキ、と喉の奥で呟いた。安部の存在を示唆されたことで、気が急いているのは、間違いない。そうでなければ、口だけの争いだけで、対等に近い立場まで巻き返されることなどなかっただろう。

 いや、それだけではない。この短時間で、祐介という少年から、なにかしらの覚悟を感じる。舌打ち混じりに、東は銃口を更に押し当てた。



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第8話

 なによりも、祐介の発言から、安部と出会っていることは確実だと東は察した。理由としては、祐介が安部の理想を知っていたことだ。東の背中側から狭い車内に、戦車を叩く死者のうめき声が響いてきている。南口通路に死者が雪崩れ込んでいることも確認できた。

 

「......女、テメエは先に出ろ」

 

 まったくもって癪に触るが、今は安部に思考が片寄ってしまっている。

 俺が、こんなガキに揺さぶられている、と強く奥歯を噛み締めた東だが、銃だけは祐介を逃がさぬように、力強く握っていた。

 

「阿里沙、加奈子ちゃんを頼んだ」

 

「祐介君......駄目だよ......ここであたし達がいなくなったら......」

 

「大丈夫だ。彰一に顔向けできなくなるような真似はしない」

 

「けど......」

 

 瞬間、東は銃を手にしていない左手で頭を抱えた。

 自衛官の時と同様に、頭蓋骨を越えて、脳が震えるほどの大量の羽音が響き始める。ビイイイイイという警鐘にも似た不快音は、痛みを伴って東を襲い始め、ただでさえ、回らない思考に靄をかけていく。

 

「ごちゃごちゃ、うるせえんだよ!さっさと出ろクソガキ!いますぐ、こいつの頭を撃ち抜かれてえのか!ああ!?」

 

 顔をしかめた東の威圧は、祐介に違和感を与えた。これまで余裕を保っていた男にしては、随分な焦燥が窺える。奇妙な感情の起伏、それは、日常の中で、よく目にする一幕だ。例えば、喧嘩の際中、急激に怒りが冷めていくなんてことがある。単純に、ボルテージの低下と捉えられるが、自身を俯瞰する、もう一人の自分がいるとも考えられる。中間のトンネル前で、祐介自身がそうだったように、人は、いつだって冷静な一面をもっているのだ。けれど、この東にはそれがない。いや、どこかにいたとしても、脳内にはいない。

 

「ああ......うるせえ......うるせえ......!」

 

 こめかみを押さえて、片目を閉じている姿は、親を見失った子供みたいだと感じた。東がどこで迷子になっているのかは分からないが、祐介にとっては、予期せぬ僥倖となった。

 阿里沙と加奈子が、ハッチから出れば、反撃の余地があるかもしれない。しかし、東に奪われた拳銃の存在にも懸念があるのも確かだ。まずは、東の心にある牙城を今よりも少しだけ崩す必要がある。その為には、やはり、共通の男についての話を切り出す他にないだろう。

 東を一瞥し、阿里沙と加奈子が車外へ出た所で、祐介は口火を切った。

 

「......あんたにとっての安部は、どんな存在なんだ?」

 

 頭を僅かに振った東は、単調な口調で返す。

 

「俺にとって、唯一の理解者だ」

 

「......つまり、仲間ってことか?」

 

「違う。生き甲斐だ」

 

 まるで、刷り込まれたような、淡々とした回答だった。



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第9話

 仲間ならば、それも分かるが、心棒するにしては、安部は歪みすぎている。子供に対する執着は並外れていた。その理由は判明していないが、安部の底に根付いていた信念が、結果として彰一を失うこととなる。

 祐介は、背中に隠したままのイングラムの硬質な冷たさが、温かさをもってなにかを伝えてきている気がしていた。彰一の存在は、やはり、祐介の心根に深く打ち込まれている。

 

「生き甲斐か......分かるよ。俺もそんな相手がいる!」

 

 ガッ、と東の目が開かれた瞬間、祐介は左足を精一杯に伸ばし、東の右足を踵で押す。不意な足払いは、身体を前のめりにし、戦車の壁に顔面を打ち付けた。

 

「ぐお!」

 

 東の低い悲鳴を合図に、祐介は勢いをつけて股間を深く殴りつけた。短く息を吸う音が聞こえる。その状態から、両腕で押し出せば、さすがの東も、すぐに立ち上がることはできなかった。

 

「阿里沙!ハッチを全開に開け!」

 

 祐介は、言いながら立ち上がると、ハッチの縁に両手を掛けて飛び上がる。しかし、腹に縁が当たると同時に、動きが止められる。

 

「逃がすかよ!糞があ!」

 

「マジかよ......!早すぎる!」

 

「祐介君!」

 

 阿里沙も切羽詰まった表情で引き上げようと奮闘するも、東の腕力には遠く及ばない。右の踝に、万力で締められるような鈍い痛みが走り、腕の力が抜けると同時に、祐介は車内へ引き戻された。阿里沙の甲高い悲鳴が木霊し、周辺に集まる死者を刺激してしまう。

 死者の歓声に混じり、祐介が強かに後頭部を打ち付ける音が鳴った。脳を揺する強い衝撃の直後に、鼻をつく鉄の臭いが届く。

 

「......ここまで馬鹿にされたのは、久し振りだなぁ、ええ?糞ガキがぁ!」

 

 祐介の額には、再び銃口が当てられ、奥に光る東の瞳には、しっかりと祐介の姿が映っている。

 祐介は、直感することになる。もう、逃げられない。

 ククッ、とシリンダーが廻る。祐介は、きつく目を閉じた。父親の残した形見の銃で殺されるとは、なんという皮肉だろうか。これ以上の屈辱はないだろう。

見たくなかった。父親の銃が火を吹いた先が自分であると、信じたくはなかった。

 

ごめん......彰一......俺は......

 

「死ねよ!糞ガキぃ!」

 

 阿里沙がハッチから必死に手を伸ばす。それが、祐介の見た最後の景色となってしまう。

 

 願わくば、阿里沙と加奈子がどうにか助かりますように。こんなに壊れた世界で、ここまで生き延びたんだ。それくらいの我が儘は、神様だって叶えてくれるよな?彰一、ごめんな。親父、ごめん。お袋、俺もそっちにいくことになりそうだよ。だから、二人から庇ってくれると嬉しい。神様、どうか、生きているみんなのことをよろしく頼むよ。

 

 ショッパーズモールの天井の先にある雲、その奥にいるであろう神に、そう問いかけると同時に、祐介の耳に鋭い炸裂音が響いた。



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第10話

痛みはない。遅れてくるであろう熱い衝撃もない。ただただ、目の前が暗かった。固く結ばれた瞼が揺れ、眼底から溢れてくるのは、涙だろうか。指先も感覚が遠退いていき、寒気すら覚え始める。誰の声も聞こえず、鼓膜を揺すぶるのは、確かな反響音だけだ。とても、静かな静謐な時間、徐々に、祐介の身体から温もりが消えていく。

 

ああ、そうか、これが死ぬということなんだ。意外と、苦しみもないんだな。そりゃそうか、意識がないんだから、痛みもないよな。もしすかしたら、大きな手術をされている際中は、こんな感覚なのかもしれない。とはいえ、こちらは、もう目覚めることはないのだろうけれど。

 

時間が、遮蔽物のない川に流される流木のようにスムーズに流れていく。届けられる先は、広大な海だろう。そこで、意識も、身体も、感情でさえも溶けていくのだろうか。それはそれで、物悲しくもある。

一人での死がこんなにも寂しいものなら、死がこんなにも、悲しいものなら、父親も彰一も、よく耐えきれたものだと思う。いや、彼らは耐えきれた訳ではなく、仲間を、家族を助けてくれたのだ。それなら、祐介も悲しみはない。それでも、最後に出来ることなら、二人の顔を見ていきたい。

祐介は、重たくなった瞼を、ゆっくりと開いた。ハッチから顔を出した阿里沙と加奈子の姿が瞳に写る。なにやら、必死に叫んでいるようだった。頭を撃ち抜かれたいるのだから、助かる筈がないだろうに、何をやっているんだろう。そんなことをするなら、早く逃げていけば良いのに、と苦笑した。

......待てよ。頭を抜かれたのであれば、すぐさま絶命する。ならば、何故、ここまで頭が回っているのだろうか。あまつさえ、意識もある。まさか、これが走馬灯というやつなのか。いや、違う。馬が走るような一瞬の灯りの中に、脳が記憶を掘り起こし映像を投影する、それが走馬灯だ。それなら、瞼を開いて二人の顔が視認できているのは、どうしてだろう。朧気な右手を動かしてみれば、反応を示した。続けて、左手、右足、左足、と力を入れてみる。

祐介は、腹から声を絞り出してみる。微かに、あっ、と喉が震えた。

 

「......俺......いき......てる......?」

 

右手で顔面に触れてみれば、ほんの僅かな粘着性をもった鮮やかすぎる朱色の液体が指差を濡らす。これは、これまで何度も見てきた。間違いなく血液だ。

じゃあ、祐介はどうして生きている。まさか、東が外したのだろうか。そんなはずはない。あれほどの至近距離、外すほうがどうかしている。

祐介の鼻先に、温いものが次々と降ってくる。鼻腔をくすぶる鉄の香りが、一気に肺を満たすと、あまりにも強烈な刺激に噎せてしまう。つまり、祐介は呼吸をしているのだ。

もう、疑いようもない。祐介は、確実に生きている。だとすれば、これは誰の血だ?それに、銃弾は一体どこに飛んでしまったのだろう。

 

「ぐうう!くああああああああ!」

 

耳をつんざく痛苦な絶叫で、祐介の意識は完全に覚醒した。

誰の悲鳴か、そんなものは決まっている。

 

「右手が!右手がああああ!」

 

東の右手は、血にまみれており、右手首を必死の形相で握りしめ、雄叫びにもにも悲鳴をあげている。



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第11話

顔に東の右手から流れる血が付着した。何がどうなっているのか、まるで理解が出来ない。

東の右手は、中指と薬指の間から真っ二つに割けてしまっている。人差し指は失われ、親指は皮一枚で繋がっている状態だった。見るも無惨な右手を振り回し、東は啼泣をあげ続けていた。360は、警察に提供された拳銃だ。しかし、耐久性が低すぎるという致命的な欠点があり、改善が求められたほどの銃だった。都市部から回収されはしたものの、地方はまだまだ武器庫に眠っていたのだろう。それを祐介の父親は使用していた。

銃の暴発、それが最悪の殺人鬼に深手を負わせた事故の正体だが、なによりも、祐介の人間として生きるという信念が、銃の使用をよしとせずにいたことこそが、今回の結果に繋がったのだろう。

だが、祐介の考えは違った。あまりにも近すぎた炸裂音、激しく揺れる鼓膜と、白濁とした意識の隅で、踞る東の背後から父親の気配を感じ取った。

 

守ってくれたんだな......親父......

 

ぐっ、と弛緩した腕に力を込めて立ち上がり、ハッチから伸ばされた手を握り、ようやく、祐介は車外へと脱出し、間髪入れず、倒れるようにハッチを閉めた。耳を塞ぎたくなる東の金切り声が遠退き、溜め込んだ緊張を吐き出す。

 

「祐介君!大丈夫!?」

 

「ああ、なんとか......だな......」

 

だが、安心してばかりではいられない。まだ、問題は残されている。戦車に群がる死者をどう対処するか。祐介は死者を俯瞰すると、ハッチにも目を預けた。深手を負っているとはいえ、あの狂った殺人鬼が、このまま終わる筈もない。祐介は、体力を少しでも回復させることと、東が動きだした場合の緊急時の対応のために、ハッチに座りこんだ。

 

「阿里沙、本当に助かった......」

 

「ううん......それより、これからどうするの?」

 

もっともな意見に、祐介は首を振った。さきほどまで、東から殺される覚悟をしただけあって、これから先の展開を考えるだけの余裕などなかったのだろう。

二人の間に、沈黙が降る。そんなとき、祐介の肩を加奈子が叩いた。何事かと振り返れば、加奈子が、それなりに大きなカバンを指差しており、祐介が阿里沙に向き直れば、阿里沙は首を傾げた。阿里沙とて、必死に祐介を助けようとしていたのだから、気付いていなかったようだ。

 

「......加奈子ちゃん、そのカバンを持ってきてくれる?」

 

祐介の声に、加奈子は頷き持ち上げようとしたが、かなりの重さがあるようで、腕を震わせていたが、やがて、浮かせることもなく、加奈子は手を離してしまった。

祐介は、阿里沙をハッチに座らせ、代わりにカバンを持ってみる。恐らく、十キロ以上はあるだろう。

ハッチの上に重石のように乗せ、二人に視線を送りって、ジッパーに手をつけた。深く息を吸い込み、止めると、ジッ、と僅かにスライドさせ、小指ほどの穴を作る。そこから覗いてみるが、中身は確認できなかった。

東は、このカバンを発見している筈だ。しかし、無造作に置かれていた事実が祐介を不安にさせた。

不必要だと無視したのか、必要だからこそ、置いておいたのか、はたまた、罠の可能性も捨てきれない。しかし、もしも、身体を守るプロテクターのようなものだとしたら、自らが囮になることで、状況の打破に繋がるかもしれない。

様々な要素が重なった不安は、祐介の手を遂には止めてしまった。



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第12話

東から与えられた恐怖が、今になって、祐介の胸中に形となって現れ始めた。心臓がいつもよりも早く収縮を繰り返している。すぐにでも、吐き出してしまいそうだ。

 

「祐介君?」

 

阿里沙が憂慮を宿した瞳で言った。恐怖からは、逃げられない。だったら、せめてもの足掻きで、このカバンを開いてみせる。東への恐怖をここで捨てて、向き合っていくためにもだ。

祐介は、勢いよくカバンのジッパーを開いた。

中身を覗いて、祐介は目を剥く。銀色の筒に、トリガーの付いている銃のような形をしているそれは、おおまかに分解されカバンに収まっている。どうやら、東は組み立てかたが分からずに放置したのだろう。かくいう、祐介達にも、こんなものの使い方など、知っている筈もない。だが、これがなんなのかは理解している。映画などで目にしてきた、ロケット砲というものだろう。

なぜ、こんなものがここにあるのだろうか、そんな疑問を抱くより先に、祐介の表情に、安堵か暗澹か、どちらともとれない色が浮かんだ。組み立てる技術がなければ、こんなものは無用の長物となる。

 

「これって......ロケット砲ってやつかな?」

 

「そうだろうな。けど、こんなもん使い方すら分からないぞ」

 

祐介は、そう言いながらジッパーを閉めた。途中、阿里沙が言う。

 

「浩太さん達は使えないかな?」

 

「使えるだろうけど、運んでいたら、瞬く間に死者から襲われちまうよ。どちらにしろ、持ち運びは出来ないし、置いておくしかないな......」

 

祐介が、改めてハッチにカバンを戻した時、突然、右足に違和感が走った。間違いなく、誰かに掴まれている。それも、ハッチにカバンを置いたのだから東ではない。じゃあ、誰だ。 この場にいる三人以外には、一つしかない。振り返るよりも早く、祐介の右足が引かれる。

戦車を器用に登ってきた一人の使者が、祐介の右太股へ大口を開ける姿が見えた瞬間、反射的に左足で蹴り落とす。痛みに呻くような声を出しながら、使者は再び、波をうつように蠢く海へと落下していった。しかし、死者達は、次々にキャタピラへと手を置き始めている。

このままでは、対処できない人数に押しきられるのも時間の問題だ。

 

「くそ!なんだってんだこいつら......!」

 

祐介が、一人の手を踏みつける。まるで、もぐら叩きのようだ。もっとも、登ってくるものは、もぐらなんかよりはるかに醜悪で凶暴だ。濁りきった黒目のない眼球が、祐介達の姿を捕らえる。重なりあう伸吟は、オーケストラよりも、激しく三人を動揺させた。

 

「危ない!」

 

阿里沙が叫ぶと同時に、祐介の足首が捕らえられた。引き倒されるや否や、祐介はハッチの引き戸に手を掛ける。

死者の口よりも、高い位置にはあるが、投げ出されたような右足を握る手は徐々に増えていく。そうなれば、当然、死者の海へと引く力は強くなっていく。

 

「ぐうううう......あああああ!」

 

歯が磨り減ってしまうと思うほどに、祐介は両手に力を込めた。放すことは、そのまま死に繋がる。



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第13話

 ギリギリと、指が音をたてて引きちぎられてしまいそうだ。それでも、祐介は握り続けた。加奈子が大粒の涙を流しながら、阿里沙は祐介の身体をどうにか引き寄せようと、引き続けてはいるものの、圧倒的な死者の数は、徐々に力を増していく。女性一人と、少女の力では、耐えられるはずがない。ついに、祐介の掌が開き、ぐん、と踝から関節の位置まで落ちた。

 

「くっそおおおお!」

 

 祐介は吠える。しかし、身体を戻せない。死者達にとっては、掴める箇所が増えたのだから当然だろう。腕に、胸に、腰に、腹に、肩に、両手と同様の痛みが走り始めている。限界が近いと悟った祐介の耳元で、阿里沙が叫んだ。

 

「いやあああ!離して!離してよお!」

 

 阿里沙が叫喚するも、それは、死者を焚き付ける行為にしかならなかった。両手の人差し指が外れ、祐介が叫んだ。

 

「もういい!離せ!このままじゃお前らも......」

 

「絶対に離さない!彰一君だって、きっと、こうする!私達は助け合うの!今までだって、そうだった!」

 

 祐介の脛に食らい付こうとしていた死者を阿里沙が蹴り落とすが、その行動が致命となる。別の死者が、その右足を掴んでしまった。阿里沙の表情から、色が無くなっていく。瞬間、祐介が右手を離し、阿里沙の手を捕らえ引き上げた。

 

「祐介君!」

 

「阿里沙ぁ!」

 

 阿里沙は、東から祐介を救った時のように、右手を伸ばす。けれど、祐介の左手は空を切った。同時に、祐介の身体が車上から放れ、死者の大海へと投げ出された。

 数十にも及ぶ死者が、引っ張っていたことにより、勢いがつき、祐介は数名を巻き込んで床に倒れる。肺が拒絶しそうなほどの凄まじい臭気だが、そんなことを気に止めている場合ではない。覆い被さってきた死者を避けると、目の前にある両足を両手で払い、少しでも戦車へ近づこうとする。

 全身を使ったタックルで、死者の一人を押し倒し、先にいた死者の顔面を殴り付けた。裂帛の雄叫びをあげ、止まることもなく、祐介は戦車へ向かっていく。引き刷り落とされただけあって、距離は離れていない。右からきた死者の身体を押して距離をとり、左から迫る死者を殴って倒し、正面で吼えた死者の腹を蹴りつけて怯ませる。背後から祐介に飛び付いた死者の反動は強く、押し倒されまいとした祐介は、前転の要領で上半身を前方に突きだし、死者を背中で投げ、そのまま走り出すら、もはや、死者達の怒号にも似た獣声で自分が何を叫んでいるのかも分からないかった。

 臭気、悪寒、鋭痛、鈍痛、不快なもの全てがまぜこぜになったような気分に陥ってしまう。

 人間の脳は、死の危険を察知した時、過去の経験から、どうにか助かる方法を探そうとして、思考がかき混ぜられたかのように、目眩がする時がある。過去の記憶が、一瞬で脳を駆けめぐる為だと言われているが、これがそうなのだろうか。




すいません、忙しくて……


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第14話

 不思議な感覚だった。命の危機に直面しているのに、時間が静謐に過ぎていく。車上からエコーがきいた阿里沙の声が聴こえる。涙が目頭に溜まっていく加奈子の瞳まで、くっきりと見える。正面にいた死者を殴り、祐介は戦車へと右手を伸ばした。

 

「あと少し......あと少しなんだ!届いてくれ!届けええええ!」

 

 祐介の掌に固い何かが触れた。顔を上げれば、戦車の履帯にぴったりと吸い付いたように、右手が着いていた。頬を弛ませた矢先、祐介の背中に強い衝撃が走る。死者が獲物を逃がすまいと伸ばしていた両手に押されたのだ。勢いのついた身体は、そのまま祐介の顔面を履帯に叩きつけた。鼻の骨が軋み、穴からは大量の血が流れ始め、床に鮮やかな朱色が広がっていく。

 祐介は、瞠目する。血液に死者は過剰な反応を示す。最悪な展開だった。振り返れば、祐介を押し付けたであろう死者の、鮮血に染まった口内が眼界を埋めた。咄嗟に両手で突飛ばすが、続々と迫る後続が、つっかえ棒の役割を果たし、転倒させるには至らない。

そして、抵抗も虚しく、一人の死者が祐介の肩を掴んで引き寄せた。

 

「ぐ......うあああああ!」

 

 離れる為に、座り込んだ。だが、別の死者が祐介の右足を捕まえる。どうにか、顔面を蹴りつけるも、今度は頭上から死者が襲う。まさに四面楚歌だ。

 下から顎を拳でかちあげ、戦車の下へ這いずり入ろうとするも、やはり、無駄に終わってしまう。

 必死に進もうとした両手の爪は、床と足を引く死者の力によりめくれあがった。それでも、祐介は雄叫びをあげて、死者を蹴りつける。死ぬ訳にはいかない。殺される訳にはいかない。生きなければいけない。犠牲となった皆の為にも、ここで死ぬ訳にはいかない。

 

「死んでたまるかあぁぁぁ!」

 

 死者の口が祐介の踝を噛みちぎろうとした瞬間、死者の後頭部が熟れたトマトを落としたように弾け、祐介の右足脇に、小さな穴が穿った。その後に、まるで台風のような銃声と銃弾の雨が、死者の大群へ降り注がれた。

 頭蓋を砕かれ、倒れこんだ死者の濁った目線が、ピタリと祐介に合わせられ、這いずりながら、奥へと逃げ、身体を丸め、耳と目を塞ぎ、銃声が収まるのを待ち続ける。聴こえなくなった頃には、戦車を囲んでいた最前列の死者達は、もう二度と動かなくなっていた。祐介は、目を見開き、終わったのか、と呟く。同時に、よく知った男の声が響いた。

 

「祐介、彰一、阿里沙ちゃん、加奈子ちゃん無事か!無事なら返事をしてくれ!」

 

 はっ、と顔をあげた祐介は、すぐさま戦車の底から出て、頭上を仰ぐ。位置からして三階だろう。こんな風景では、よく目立つ迷彩服が横に三人並び、その人影がはっきりと判明すると、祐介の胸に熱が戻ってきた。

 

「浩太さん!真一さん!」

 

「挨拶は後だ!早く戦車へ登ったほうが良いぜ!」

 

 祐介の背中に手を掛けようとしていた死者に弾丸を浴びせつつ、真一が叫んだ。



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第15話

              ※※※ ※※※

 

 使徒共の伸吟が木霊する。もう、目を閉じてても、分かるくらいだ。どれだけの時間、これを聞いてきただろう。二十四時間、四十八時間、いや、苦痛に悶えるような呻き声は、九州がこうなる前から、頭蓋を響かせる虫の羽音とともに、頭にこびりついていた。 もはや、逃げることなど出来ない。

 一体、どこで選択を間違えたのだろうか。ここに来るまでは完璧だった。

 長年、探し求めた理解者にも出会え、自身を必要だとも答えてくれ、頭の中を飛び回る羽虫を取り除くことが出来る唯一の人間だった。だが、これはどういう事だ。

 東の周囲には、頭を潰された使徒が多数転がっている。右手以外の全てを使い、使徒を蹴り倒し、踏み潰し、殴り潰し、サイクル店の自転車や、ゲームセンターの椅子、機械といった環境までも利用し、東はこの状況を作り上げた。肩で呼吸を繰り返しながら、真っ赤に染まった自転車を放り捨て、柱に背中を合わせる。その時に、それは起きた。

 東の足を掴んだのは、一人の使徒だ。俯せのまま、捕らえた足に噛みつこうとしている使徒は、上半身のみで、露出した臓器を引き摺りながら進んでくる。舌打ちを挟み、足を払えば、いとも容易く拘束から逃れられた。やけに、弱々しい。普段ならば、そこで後頭部を踏み潰して終わりなのだろう。しかし、東は好奇心から使徒を仰臥させた。物珍しさもあった。通常、顔をあげて獲物を捉えてから使徒は動き出すのだが、この使徒は、まるで顔を見られたくたいとばかりに、うつむいたままだったからだ。

 そして、東は、目を剥いて口を塞いだ。膝が激しく揺れ始める。瞳孔が開いていることすら、自分で理解出来る。込み上げてくるものを必死に呑み込もうとするが、喉も動かない。仰向けのまま、手を挙げる使徒は、獣声を漏らしながら、空を切って腕をばたつかせている。

 

「......アンタ......なにしてんだよ......」

 

 蚊の鳴くような東の呟きは、上半身だけで横たわる使徒には聴こえていない。耳が引きちぎられているから、ではなく、理性も感情も、思考も知性も、主義や主張、その何もかもが失われているからだ。

 どれだけ、この声を聞いていれば良い。二十四時間、四十八時間、それとも永遠にか。他の誰がこんな悲鳴にも似た声をあげていようと、知ったことではないが、東に耐えられるはずもなかった。濡れた髪、着ている紅い服、脇にある壊れた眼鏡、全てが繋がる。

 

「う......うわ......うわ......うおおおおおおおお!」

 

 東の喚き声と同じくして、その使徒は、助けを求めるように、眼前にある獲物を求めるように、両手をバタつかせ始める。見開かれた眼球に黒はなく、白い目玉がギョロギョロと動く。

 

「チクショウ!チクショウ!チクショウ!ふざけんな!ふざけんな馬鹿野郎!なにやってんだよ!アンタ、なにやってんだよ!アアアア!」

 

 東は、膝をつき乱暴に使徒の額を左手で抑えた。尚も暴れる使徒が動く度に、晒された臓器が潰れていく。とうとう堪えられなくなり、吐瀉物が口から洩れだした。そのまま蹲まった後、東は背中を震わせる。

 

「......ひゃはは......ひゃーーははははははは!そうか!そういうことかよ安部さんよお!ああ、理解したぜぇ......アンタは俺にこう教えたいんだな?結局、人は一人になる。誰かに必要とされることすら利用しろってな!アンタは、俺に人間性を教えてくれた!それこそが、俺に足りないものなんだってよ!最後の最後に、こんな姿になってまでよお!アンタ、やっぱ最高だ!さいっこうだよ安部さんよお......!」

 

 東は狂ったように捲し立てた。それからも、しばらく腹を抱えて笑い続ける。

 数分を過ぎた頃には、目から涙が溢れ始めていた。そして、東は中腰に身体をあげて言った。

 

「でもよ、アンタだけ一人にはさせねえ......アンタをあらゆる負の面から守るのは俺だ。そして、俺を光から守るのはアンタの役目だ。だから......」




こけて怪我したorz 


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第16話

 次の瞬間、安部の眼球を抉りだし、それを一つ口に含んで咀嚼する。顎で潰せば、やけに塩気の強い液体が球体から吹き出して、口内に広がっていく。東は、年代物のワインでも味わうかのように、舌で転がして、鼻から抜ける風味すら目を閉じて鋭敏に感じ取っていった。

 一つを胃袋に入れるのに数分を費やし、続け様、残った眼に指をいれて引き摺りだし、同じように嚥下する。予想外の痛みに悶えているのか、使徒のなった安部は、これまで以上に暴れだすも、まるで子供をあやすような優しい手付きをもって、そっ、と安部の右手を捕まえて口を開く。

 

「暴れんなよ。これで、ようやく二人は一人になれるんだ。嬉しいのは分かるけどよ、もう少しだから、大人しくしていてくれ......」

 

 安部は、首を腹で持ち上げ、東の左手を狙うが、機能を失っているであろう右手で額を落とされた。

 両目の穴から溢れでる夥しい量の血液が涙のように感じられ、東は口角をあげた。

 

「ああ、勿論、俺も嬉しいよ......安部さん......」

 

 以前、東は、カニバニズムを理解できないと口にしたが、今なら理解出来る。真相心理の奥で、これまでの食人者は、全員とは言わないが、寂しさを内側に抱えた人物もいたのではないだろうか。理解されない苦しみ、他者から離れられるという比喩にもできない精神的苦痛、それらから逃れる為に、自分の魂は、一人ではないと信じるために、誰かを自身の中に捕らえておきたかったのではないだろうか。

 そう考えれば、おのずとネクロフィリアにも説明がついてくる。いや、そういった異常者全て、根底は同じなんじゃないか。

 

 つまり、俺もそういうことなんだ。

 

 東は、鎌首をあげて安部の腹部に食らい付いた。腹を破り、渾身の頭突きで胸骨を割り、剥き出しになった心臓へ歯を立てる。使徒に転化した状態では、果たしてどちらか判断はつかないのだが、安部の沈痛そうな眼差しと悲鳴が、東にとっては悲壮にしかならない。

 頑張れ、負けるな、強くなれ。そう安部は訴えてきているのだ。

 口元を真っ赤に染めた東が、安部の腹部から顔をだして囁くように言った。

 

「ああ......俺と安部さんが一つになれば、絶対に誰も手出しなんざ、出来ねえよ」

 

 世の中に蔓延る主義や思想、思念や理想、そういったものは、所詮、群れの考えに過ぎない。群れが散らばれば、固になり力を失ってしまう。一つの身体に二つの人間、これがどれだけ強いものか、教えてやる。

 東が再び、臓器に噛みついた時、異変が起きる。腹部から頭にかけて、異常なほどに体内温度が上昇していく。それが、全身に回ると、今度はグチャグチャに潰れた右手に、激痛が走り始めた。痛みが駆け巡り、東は痛苦にもんどりうって腹に抱えた。

 

「ぐ......ぎぃ......ぐぎぃぃぃぃぃ!」

 

 泳ぐように両足を上下させ、床に額を擦り付ける。

 意識はある、しかし、この焼かれるような感覚は、それすらも根刮ぎ奪いさってしまいそうだ。

 

「痛い......!痛い痛い痛い痛い痛い!いてえよおおおお!」

 

 痛みが引き始めるまでの数分が、途方もない時間に感じられる。そんな中、東は脂汗を溜めたまま、腹に抱えた自分の右手へ恐る恐る視線を伸ばし、目を見開いた。あれほど損傷した右手、中指と薬指から真っ二つたつに裂けた右手が、何事もなかったかのように、元に戻っていた。

 

「......あ?どういうこった......こりゃあ......?」

 

 ゆっくりと、左手で触ってみる。骨があり、爪もある。次いで力を入れてみれば、痛みが少し残っているものの、問題なく動く。それに、頭に巣食う羽虫もいなくなっていた。

東は、自身の右手に起こった奇妙な現象を理解も出すぎに呆然と見詰めたまま、しばらくの間、立ち上がることすら出来なかった。




次回より、第22部「脱出」にはいります。
お気にいり数230件突破、及び、UA39000突破ありがとうございます!
最近、更新遅くてすいません。日常が忙しくて......あと、少ししたら、以前と同じ頻度に戻れると思います。


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第22部 脱出

 人間という種族がもっとも優れた箇所はどこだろう。多くの人は、頭脳だと答えるだろう。動物には出来ない計算、多数の言語、それらですら、人間が編み出してきたものの一つに過ぎない。

 加えて、思い込みの力すら、動物にも負けてはいない。パブロフの犬という実験では、餌を与える前に、必ず、ある音を聞かせていた。結果、その音を聴いた犬の唾液の量が増加した。これは、犬の思い込みの力だろう。同様に、人間でも、思い込みをしてしまう時がある。他力本願という言葉があり、他人の力を借りて、なにかを成し遂げる、という使い方。

 実のところ、この使い方を正しくはない。本当は、仏の本願を頼って成仏する、という意味だ。

 多くの人は、恐らく、前者の意味で口にしているのではないだろうか。それこそが、思い込みの力だろう。下手に知恵のある人間は、そういった間違いに気づかずに、日々を過ごしている場合が多く、また、それを周囲が受け入れていく。

 まるで、言葉すらも感染していくようじゃないか、と田辺は胸中で呟いた。

 車内の窓は、厚みのあるスモークで覆われて、水中で目を開いたような景色しか見えてこない。場所を探ろうと、黒服に声を掛けてはみたものの、返ってきたのは、黙っていろ、の一言だけだった。このまま、車が沈んでしまいそうな程に重苦しい空気が流れている中、田辺が考えていたのは、さきほどの、思い込みの力の事だ。

 野田が、自身の復讐に駆り立てられている理由が思い込みの力によるものであれば、まだ、付け入ることは出きるだろう。しかし、なにかしらの動きが加わっている場合もある。今になって、こんなことに思考を割っても、どうしようもないのだが、こうでもしなければ、田辺自身、壊れてしまいそうだった。

 それは、浜岡も同じだ。隠してはいるが、少しでも気を緩めれば、即座に膝が笑ってしまうのだろう。右の膝頭を左右の手で抑え、笑顔を崩すこともしていない。動じてすらいない素振りをしているのは、斎藤だけだった。怒りのこもった鋭さと、今にも火を吹きそうなほどの視線は、終止、三人の誰かに向けられている。毎日、警察として現場の最前線に立ち続けた斎藤ならば、この男達の隙を発見してくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いていた田辺のこめかみに、またしても、あの感触を押し付けられた。

 

「おい、下手なことを考えるなよ。俺達は、お前らを届けさえすれば、ビジネスとして成立するんだ。お互い、ハッピーでいられる時間を、せいぜい楽しもうぜ」

 

「ハッピーな時間......それは、とても良い時間ですねえ......」

 

 男が浜岡を一瞥すると、銃口は田辺のこめかみから離れ、今度は浜岡の額に当てた。

 

「おい、俺はあの男に言ってんだよ!余計な話をするな!」

 

「......それはそれは、なんとも失礼しました。ですが、我々はきっと殺されてしまいますよね?」

 

「それを決めるのは、俺達じゃなく、後ろを走ってる奴だ。アンタラには悪いが命の保証はないな」

 

「そうですか。それは、本当に残念です。ハッピーな時間を過ごしたいと思い、こうして口を開いてみたのですが......」

 

 田辺から窺える位置で、男の唇が僅かに震える。

 

「......なんかお前......さっきから、結構、癪に触る話し方しやがるな......」

 

「そうですか?それは、すみません。なにぶん、こういった話し方なので......」




すいません、夏風邪ひいてましたもうね、この夏風邪がしつこくてしつこくて……
第22部始まります


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第2部

「なら、気を付けるこったな。今にも引き金を引きそうになる」

 

 ごりっ、と押し付けられた銃口を見上げるように、浜岡の視線が上がった。田辺は、思わず口を挟もうとしてしまうが、すぐに開きかけた唇を結び、うつむいた。下手な口出しは、奴等の怒りを買うだけだ。

 

「どちらにしろ、お前らは黙っているしかないんだよ。分かったか?」

 

「ああ......分かっている」

 

 浜岡の代わりに、斎藤が返す。しかし、その目には、今だ瞋恚の炎が宿っている。それを鼻で一笑した男は、肩をすくねて言う。

 

「ハッピーの意味を知ってるか?幸せって意味だ。お前は、今、幸せを噛み締めているか?神よ、命あることに感謝しますってよ」

 

「生憎、俺は仏教徒なんでな。神って奴は信じていないんだよ」

 

「......なら、信じたくなるようにしてやろうか?」

 

 すう、と男の腕と目線が斎藤に移ろうとした時、助手席にいた男の仲間が鋭い口調で口を開いた。

 

「いい加減にしてもらえませんか!聴いてる方がイライラするんですよ!」

 

 声からして、男達の中では若いほうだろう。加えて、敬語ということもあり、田辺達を連行する男達の後輩に当たる立場だ、そう三人の考えが一致した。それは、同時にこの三人を切り崩す一角を見付けたことに繋がる。

 

「あ?テメエは、誰に言ってるのか分かってんのか?」

 

「弱いもの苛めみたいな真似をするアンタよか、理解してますよ」

 

「んだと、コラ!」

 

 そこで、黙然と二人のやり取りを見守っていた運転席に座る男が言った。

 

「二人とも、落ち着け!俺達の仕事は、この三人を送ることだけだ!喧嘩をする必要はない!」

 

「けれど、隊長!先輩の態度は目に余るものがあります!」

 

隊長、そう呼ばれた壮年の男は、助手席の男の意見を一蹴する。

 

「黙れ!」

 

 途端、車内にまたしても沈黙が降りた。隙を突かれる前に、軋轢を潰す男の手腕に、三人は舌を打ちたい気分に陥る。だが、脆い部分は発見した。恐らく、この男達は、チームではなく、方々から集められたグループなのだろう。

 名前や年齢は知っているだろうが、互いに性格の把握を行わず、この作戦の為だけに、集っただけの集団、さきほどのやり取りで、田辺はそんな感想を抱いた。先輩、との呼び方も引っ掛かる。しかし、なんらかの訓練は間違いなく積んでいる。なにより、隊長と呼ばれた男の存在は厄介そうだ。若い二人を出し抜くことはできようとも、壮年の男だけは、こちらの術中に落とせそうもない。



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第3話

 浜岡もそれを察してか、斎藤の行動を視線だけで制止した。現状、あの男を引き離すのは無理だ。車は、幾度かの右左折を経て、大きな振動を繰り返しつつ、約一時間走り続け、ようやく停車する。豁然と開いた視界の先には、見慣れた十字のマークが見え、田辺は眉根を寄せ、浜岡へ耳打ちする。

 

「浜岡さん、ここは......」

 

 浜岡は、立てた人差し指を唇に当てた。その行動は、田辺に安堵の吐息を吐かせた。

 浜岡は、ここがどこかを完璧に理解しており、だからこそ、口にするなという意味のジェスチャーで伝えたのだ。ここは、医療施設だった。それも、三人にとっては、喉を鳴らしてしまうほどの危険地帯でもある。今だけは、田辺と浜岡の両名も、記者であることを忘れるしかない。ましてや、スクープなどと言ってはいられない。斎藤も、二人の顔色から、野田貴子との会話を思い出し青ざめた。

 そう、ここは、浜岡が持参した資料に載っていた場所、そのものではないか。狼狽する三人の背中に、野田が短く声を掛けた。

 

「進むんだ。折角の特ダネが転がっているかもしれないんだぞ?記者としては、益体のないものにはならないはずだ」

 

「......いやぁ、出来れば引き返したいくらいですよ」

 

「ならば、ここを探ったことを後悔するしかない。おい」

 

 野田の合図と共に、さきほどの外人が田辺の肩を強く押し、一歩を踏み出したことで、自動扉がスライドした。建物内部は、一応は明るくなっているが、病院ということもあり、若干、重い空気が充満しているようだ。そんなことも気にせずに、野田は田辺の傍らを通りすぎて、振り返らずに言った。

 

「こっちだ。着いてこい」

 

 ツカツカと迷いの欠片も見せずに、歩き始めた野田を先頭に、田辺と浜岡、斎藤が続き、その後ろを例の三人組が、田辺達を挟む形で歩を進める。

 

「......ここには、一般の患者はいないんですか?」

 

 田辺の質問に、野田は前を向いたまま答える。

 

「ああ、いない。ここは、基本的には出張ができる老人ホームみたいなものだ。連絡があれば、すぐに対応には迎えるようになっているから、安心して、自分達の心配をしろ」

 

 やがて、一行は建物奥にあるエレベーターに乗り込んだ。野田が懐から取り出したのは、数本の鍵だった。その内の一本を、階数パネルの下にある窪みへ差し込んで回せば、新たな制御盤が現れた。通常よりも小さなボタンか二つあり、数字ではなく、シンプルな矢印だけがオレンジに光っていた。エレベーターは、ぐん、と沈み、やがて落下の衝撃に備えるよう、そのスピードを緩めていく。

 

「マンションでのような不意打ちは、ここでは通用しないぞ?肝に銘じておけ」

 

「さすがに、こんな状況では何も出来ませんよ、野田さん」

 

「......ふん、どうだろうな」

 

 エレベーター内に、軽い振動が伝わった。どうやら、建物の地下に到着したようだ。田辺は、誰にも気づかれないよう、重厚な扉が開く様を、固唾を飲んで見守った。



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第4話

 開かれた扉の先に広がった光景は、どこかSF映画を連想させる空間だった。田辺には、最新鋭の機械に対する知識などないが、それでも、一目で、そうなのだろうということが分かる。まるで、あまりにも壮美な夜景を見せつけられた時のように、田辺の両足は、床に縫い付けられた如く動かなくなり、ようやく一歩を踏み出せたのは、背中に感じた銃口の丸い感触による恐怖からだった。

 

「さっさと歩け」

 

 ぐっ、と押し付けられ、咄嗟に田辺は両手を挙げ歩き始める。辺りを見回してみれば、白衣に身を包んだ研究員が三十数名、別室へと繋がっているであろう扉が八つほど確認できた。縦に長く続く白い廊下は、眺めているだけで、頭がどうにかなってしまいそうだ。中腹まで歩いた所で、先頭を歩く野田が振り返る。

 

「田辺、お前は俺の周囲を嗅ぎ回ることはしていようと、実際に目の当たりにした訳ではないよな?」

 

 田辺は、首を傾げる。

 

「......それは、どういう意味ですか?」

 

 野田は、小さく鼻を鳴らして踵を返すと、通路の先にある扉の鍵穴を回して開いた。

 そこは、六畳ほどしかない狭い小部屋だったが、室内から流れてくる臭気と、異様な雰囲気で、とても陰湿で暗い印象があった。だが、そんな抽象的な空気よりも、なによりも、異質さを放っているのは、部屋の中央に置かれた物質だろう。壁紙と同じ色があてがわれた真っ白で巨大な布が、田辺の身長ほどもある正方形の何かを覆っている。そして、時折、聞こえてくるのは、東京という都会では聞き慣れない獣の声だった。靴音をたてて、近寄った野田が、その白布を右手で、ジワリジワリ、と開いていく。

 まず見えてきたのは、いくつも等間隔に並んだ鉄の棒と、病的に細く白い人間の両足、スカートを履いていることから女性であることが分かる。

 田辺は、生唾を呑みこんで無意識の内に一歩下がった。

 徐々に明かされていき、田辺は並んだ鉄の様の正体は、単純な檻だと気付き、青ざめた。檻にいれられた人間がいる。それの意味する所は、簡単な話し、危険だということだ。布が更に捲られていき、鼻をつく臭いが鋭さを増していく。加えて、視認できる両足の周辺には、夥しい数の肉塊と赤黒い液体がばら蒔かれていた。

 

 一体、これはなんだ......

 

 布が引き上げられ、続けざま、田辺は眼を剥く。

 だらりと力なく下げられた両腕には、すっかり血色が失われていたからだ。胸の位置に到達すると、膨らみはなく、少女であることが分かる。心臓の激しい鼓動により、息苦しさを覚えているのは、田辺だけではないだろう。頭の中では、見てはいけない、と警鐘が鳴り響いているが、どうしても双眸を引きはがせなかった。

 少女の首が覗く。顎、頬、鼻、最後に、両目が露になった瞬間、田辺は、本当に自身の声なのかと疑いたくなるほどの叫び声をあげた。



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第5話

 浜岡と斎藤すらも、絶句したまま、喉を震わせることすら出来ない。

 その少女は、異質だった。いや、これまで何度も「死体」というものを見てきた斎藤には、少女の本質が見抜けていた。浅黒く濁った皮膚は血が循環していないことを一見して三人に伝え、黒目のない瞳は、もう、輝きを取り戻すことはないだろう。口から頬を彩る朱色は、床に撒かれた物と同じであり、小さな口に動物の死骸をくわえている。損傷が激しく、どうにも判断がつかないのだが、羽があることから鶏かなにかだろうか。ぶちり、と肉塊が口から落下すると同時に、田辺を白濁とした眼球に写した少女は、一目散に檻へと体当たりした。棒の間から、必死に両腕を伸ばし、ガチガチと歯を打ち鳴らし続ける。まるで、獣そのものだ。機能していない声帯が拍車をかける。弛緩した腰に耐えきれず、田辺はその場にへたりこむと、三人の背後に立っていた黒服達も、あまりにも異様な光景に顔をしかめ、銃が滑り落ちた。

 

「彼女は、新崎優奈といってな......」

 

 不意に、そんな声が聞こえ、田辺は顔をあげた。

 

「もともとは、非常に重い難病を抱えていた少女だった」

 

 改めて、田辺は新崎優奈と呼ばれた少女を見上げる。奇態な外見に気をとられていたが、十二歳にしては、頭髪に白が目立っていた。さながら、老婆のようだ。それに、顔の皺も多く、とても相応の年齢とは思えない。田辺は、早まる胸を右手で抑えて、ゆっくりとした動静で立ち上がる。

 

「......その難病とは?」

 

 少女の現状に関係があるのだろうか、それとも、別の理由があるのだろうか。どちらにしろ、十二歳の少女を檻に閉じ込めておくなど、倫理に反する行為だ。静かな怒りを隠さずに、田辺は訊く。しばらく、少女を賞翫するかのような柔和な目を向けていた田辺は、そっ、と短く口を開いた。

 

「ウェルナー症候群だ」

 

 聞きなれない言葉に、田辺が眉間を狭めていると、付け加えるように浜岡が言った。

 

「......百万人に対して、三人の割合、ただし、その多くが日本人であるという早老症でしたかね。確か、根本的な治療法は確立していないという......」

 

 隣に立つ斎藤も、思い当たる節があるのか、神妙な顔付きで頷いた。

 

「以前、浜岡がショックを受けた病気だったな。まあ、俺も自分の娘がと考えたら......」

 

 腑に落ちない。田辺はそう思った。話しを聞く限り、早老症はその病名の通り、老化を早める病気だ。だとすれば、この狂暴性は説明がつかないのではないか。田辺は振り返って浜岡へ尋ねた。

 

「浜岡さん、その病気はこのような症状を発症させるものですか?」

 

「いや、それはないよ。同じような病気にブロジェリア症候群というものがあるけど、そちらも筋肉の衰えが症例にあったはず......この少女のような激しい動きはできないし、ましてや......」

 

 浜岡は、そこで言葉を呑み込んだが、その先は嫌でも察せれる。ましてや、死体のような風貌にはならない、だ。




UA数40000突破ありがとうございます!


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第6話

 だとすれば、この少女、新崎優奈はどうしてこのような状態になっているのだろうか。当然、こんな疑問が湧き、そこでようやく田辺は気づいた。そう、九州地方では、今、何が起きている。

 

「死者が動くなど有り得ない。田辺は、九重とのやり取りを思い出す。

摂食行動は視床下部を中心として、大脳皮質から脊髄までの神経ネットワークによって制御されている。神経ネットワークの中核には摂食行動を促進する神経細胞と、摂食行動を抑制する神経細胞と二つある。この内、促進する細胞が活性化したとなれば、話しは分かりやすい」

 

「では、歩き回るという点については?」

 

「最近の研究で明らかになったことだが、食事から遠ざかっていると、通常は食欲を抑制している神経細胞が全く別の行動である反復行動を司るようになるという発見があった。動物なら、毛ずくろいをするとかね。つまり、多目的な活動を排除され、ただ、一点のみに集中する」

 

「それが、人間の場合は?」

 

「さてね。それは、人体実験の領域だ。科学ではご法度だよ。ただ、人間というのは、リミッターが外れると基本的には三大欲求が顕著に表れる。それが、食欲に大きく振られた場合は、人が人を食べるような事態になってもおかしくはない、とあたしは思うよ」

 

田辺の膝が大きく震え始める。動物を血抜きもせずに貪るほどの貪欲な食欲、見るからに、血の気の失せた全身、何も写さない白く濁った瞳、これら全てが繋がった。

 

「ま......まさか、まさか!この少女が!」

 

 田辺の慟哭のような声に対し、野田はどこまでも泰然としたまま答えた。

 

「お前にしては、察しが悪かったな......そうだ、その通りだ田辺」

 

 数歩だけ近寄れば、声帯が破裂したかのような、澱みきった唸りをあげて、狭い檻の中を少女が移動し、顔面を捻りこむ勢いで野田へ両腕を伸ばす。掴まれる寸前の距離で、新崎優奈を眺めつつ、野田は昂然と言った。

 

「この少女こそが、俺の試検体なんだよ。そして、九州地方に蔓延する死者よりも早く誕生した生ける屍だ!」

 

 野田へ顔を向ける余裕もない。反論する気力もない。田辺を始め、一同は獰猛に顎を動かす少女から目を離すことが出来なかった。一言で済ませるならば、おぞましい。更に言葉を加えるならば、死を迎えてなおも死ねず、安らかに眠ることすら許されていないなど、これほどの冒涜があっていいのだろうか、という道徳心に満ちた怒りの言だ。

 

「野田さん......貴方は......貴方は......!」

 

「言いたいことは、充分に理解している」

 

「ならば、なぜ!なぜ、このようなことを!」

 

「田辺、お前は俺の怒りの始まりを知っているだろう?」

 

 野田は、特に感情のない訥々とした口調で振り返り、田辺を見下ろす。

 

「全ては復讐の為だ。あの東を殺すには、あの狂った殺人鬼を殺すには!俺は悪魔に魂を売る必要があった!その礎となったのが、そこにいる新崎優奈だ!」

 

 あまりの落差に、田辺は喉を鳴らした。




お気に入り240件突破ありがとうございます!


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第7話

 ただ、純粋に恐ろしく、このままでは呑まれてしまうと、田辺は咄嗟に視線を下げた。その判断は正解だろう。人は、常に勢いと狂気に引き付けられてしまうものだ。

それは、歴史を鑑みれば分かる。過去の大戦や外国の殺人鬼、犯罪者が祭り上げられる理由は、人間の深いところを知りたいという好奇心からだろう。だが、一度、陥ってしまえば、もう這い上がってくることはできない。

 田辺から見た野田は、もはや、そんな場所にまで到達しているように思えた。目的に、はっきりとした輪郭があるからこそ、余計に質が悪い。誰かに心酔するほどに、人は目的を見失う。

 

「悪魔に魂を売っただと?ふざけるな!そんなものは、ただの強弁だろうが!」

 

 そう鼻息荒く言った斎藤に、野田は抑揚のない声で返す。

 

「その通りだ。だが、それがどうした?」

 

「......なんだと?」

 

「お前に分かるか?理不尽に唯一の女性を奪われた俺の気持ちが!悲しみが!辛さが!お前に分かるのか!それが、どれほど身を切る思いか!味わったことがあるのか!胸が押し潰され、裂かれるような痛みが!お前に分かるのか!......うぐっ!」

 

 野田は、口を抑えるが、指の隙間から吐瀉物が漏れだし、踞ると、盛大に吐き出した。噎せながらも、涙に濡れた瞳だけは、鋭利な刃物を連想させる。固い意思に裏付けされた強い眼力で、その場にいる男達の動きを止めた。ハンカチで口元を拭い、肩で息をしながら、すくっ、と立ち上がった。

 

「お前らには、到底、理解なんざ出来ないだろうな......」

 

 鼻を鳴らし、覚束ない足取りで田辺へと歩み寄った野田は、何も言わずに右手を差し出す。田辺は俊巡しつつも、ゆっくりと掴んだ。

 

「田辺......俺が恨んでいるのは、お前ではない、東だけだ。だから、どうか、これ以上、俺の邪魔をしないでくれないか?ここで大人しくしていてくれれば、お前らに危害を加えないと約束する」

 

「......だから、僕達をこの場所に連れてきた......そういうことですか?」

 

「そうだ。これが、この場所こそが俺の全てだ......もう、隠していることもない」

 

 田辺は、野田の背後にある檻を見る。新崎優奈は、相変わらず、声なき声を発しているだけだ。まるで、必死に生命にすがりつこうと、何もない空間に手を伸ばしているかのようだった。その姿が、とても痛々しい。

 記者は、現実を様々な人間に伝える仕事だが、果たして、これが現実なのだろうか。いや、悩むことなどなく、まごうことなき現実だ。しかし、認めたくはなかった。ここにきて、自身の心に僅かながらの罪悪感が芽生えていることを田辺は自覚している。始まりは、田辺が東を追い詰めたこと。振り返ればほんの一瞬の出来事のように思える。だが、終わらせるには、多数の犠牲が必要になる。ならば、いっそのこと、ここで終わりにするべきなのではないか。そうすれば、守るものがある浜岡も斎藤も、無事に帰せる。それで良いじゃないか。



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第8話

 ぐっ、と野田と繋いだ手に力を込め、田辺は息を吸い込んだ。

 

「それは、駄目だよ田辺君」

 

 不意に聞こえた浜岡の声に、田辺は喉まで出ていた言葉を呑み込んだ。首を回し、消え入りそうな声量で言う。

 

「......浜岡さん......僕は......」

 

「駄目だ。君は、またしても間違えているよ。言っているだろう?何事も、焦点距離を見謝るなと......では、正義と悪の焦点はどこだい?」

 

「正義と悪の焦点......」

 

「浜岡さん......少し黙ってはもらえないか?」

 

 野田が浜岡を睥睨する。威圧的な声音に、浜岡は視線を落とした。

 

「田辺、お前には分かるだろう?苦楽を共に乗り越えたこともあった。理想を語り合った時もな。そんな俺を......」

 

「......野田さん、僕は仕事とはなんだろうかと考えていた時期がありました」

 

 田辺の両手は両腿の位置で止まった。怪訝に眉を狭めた野田は、ギリッ、と奥歯を噛んだ。

 

「仕事とは、楽しくもなければ嬉しくもない。ただ、辛いだけだからこそ、僕ら大人は、仕事に何かを求めてしまう。やりがいを、楽しさを、嬉しさを求めてしまう矛盾がある。けれど、それは自分を圧し殺し、人を、そして、自分を傷付けてしまうだけです」

 

「ならば、仕事をしようとしなければ良い。全うしなければならない理由は、仕事にはない。自分の理念だけを追求すればいい」

 

 田辺は首を振る。

 

「それでは駄目なんですよ。仕事に楽しさは無くとも、たった一つだけ、昂然と恥じることなく声高に言えることがあるのですから......」

 

「......それは、なんだ?」

 

 田辺は、野田と目を合わせ、野田とは一線を画した力強い瞳で短く言った。

 

「誇りです。学校で学ぶ勉強や、仕事で学ぶこととは根本から違う、深く根付いた誇り、それこそが、昂然と恥じない理念の一つであり、僕の、僕だけが持っている焦点です」

 

 背後で浜岡が頷いているような気がした。人それぞれに持っている焦点とは、まさに、こだわりや思想を誇れるかどうかだ。

 正義と悪の焦点とは、そこにある。どちらも人によって変わるものだが、だからこそ、どちらも生まれる。野田の場合は、正義でも悪でもなく感情、田辺の場合は、はっきりと正義と口にできる。それこそが、焦点という意味なのだろう。ようやく、自身の焦点が定まった今、何が起ころうとも動じることはない。

 

「野田さん、貴方には何もない。理念も理想も思念も、矜持すらもだ!怨みや復讐に囚われすぎている。だから、僕は貴方を止める。いや、僕が貴方を止めなければいけないんです!」

 

 野田は、正義にも悪にも成りきれていない。どちらつかずに身を任せているだけだ。それこそが感情に流されているだけ、というのだろう。田辺の言葉を黙ったまま、しっかりと訊いていた野田は、天井を仰ぎ、小さく、そうか、と呟き、懐に手を伸ばす。

 引き抜いた手に握られていたのは、武骨で黒い一挺の拳銃だった。

 

「......本心で言う。これをお前には向けたくなかったよ......」

 

「......僕も貴方からは、向けられたくはなかっですね」




更新遅れてすいません、仕事が忙しくて……


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第9話

 野田は鼻で息を吸うと、ゆっくりと吐き出し言った。

 

「考えを改めることはないか?」

 

 田辺の背後で、二人が動きだそうとしている空気が伝わる。それを敏感に察した田辺は、左の掌を広げてみせた。

 

「ええ、残念ながら、あり得ません」

 

 野田の眉が曇り、目元に影が落ちた。

 こうしてみると、田辺の存在は、野田にとって大きく、それだけ重要だった。だからこそ、警戒していたのだ。そして、こうなることを、腹のどこかで分かっていたのかもしれない。引き金に指を掛け、息を止めた。あとは、人差し指に力を込めるだけだ。落ちた陰が僅かな明かりを取り戻していく。しかし、銃口の暗く深い穴と同種の闇を携えた、灯りの届かない眼だった。

 対照的に、田辺は額の中央に当てられた銃口を意にも介さず、ただただ、野田を見据えている。曇りもなく、陰りもない、まっすぐな視線だ。野田の唇が動く。

 

「本当に......本当に残念だ......」

 

 野田の人差し指に、確かな力が込められた。あと一ミリでも引けば、弾丸が発射されるだろう。その瞬間、激しく手を打ち鳴らす拍手が室内に響いた。その場にいる全員が瞠目し、一斉に音の発生源へと振り返る。

 そこに立っていたのは、綺麗なオールバックで髪を固めた壮年の男性だった。その顔は、誰もがよく知っている。斎藤が喉に絡まる唾を呑み込んでから、囁くように言った。

 

「戸部......総理......」

 

 一際、大きく両手を打ち付けた戸部が、大股で室内へ入ると、野田の腕に自らの手を被せる。

 

「野田、彼は実に優秀な人材だな。ここで脱落させるには、惜しいと思わないか?」

 

 くるりと首を回し、戸部は田辺を見る。

 

「度胸もあり、頭も良い。なにより芯があるところは気に入った」

 

「......それはどうも」

 

 田辺の皮肉を受け流し、くっくっ、と黒く笑みを漏らすと続けて言う。

 

「饒舌ではない所も良いな。なあ、君は田辺君とで間違いないな?ああ、分かっている、こちらの事が気にくわないのだろう?ならば、何故、このような事態を引き起こしたか、知りたくないか?」

 

 戸部の言葉に、田辺は小首を傾げた。理由ならば、もう野田から訊いている。だが、戸部のこちらを探るような口振りが、どうにも腑に落ちない。田辺の沈黙を肯定と捉えたのか、戸部は揚々とした調子で口火を切った。

 

「現在、日本が抱えている負債はどのくらいか。記者という職に就いている君なら分かるだろう?」

 

「......馬鹿にしているのですか?」

 

 そう、横入りをしたのは浜岡だった。



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第10話

「推定一千四十六兆円、一般的にはこのような金額であると言われています」

 

 現実味のない金額に、一瞬だけ斎藤の顔から血の気が引いたのを見て、浜岡が微笑んで続ける。

 

「しかし、日本は借金を円で借りています。良いですか?円で借りているのです。例えば、アメリカからドルでお金を借りている場合、ドルでの返済を求められます。そうなれば、借金の返済など、とてもじゃないけどできません。けれど、日本は通貨発行権があり、様々な問題はありますが、円を作ることが出来る。ギリシャなどのユーロとは違い、作ることが出来るのです。つまり、国債を頭からだした貴方の話しは端から破綻しています」

 

 難しい顔で斎藤が訊く。

 

「ちょっとまて......俺には、なんのことかサッパリなんだが......とりあえず、金がらみということで理解して良いのか?」

 

「それほど、単純ではないと信じたいのですが、そう考えてもらって良いでしょうね......海外からの支援か、なにか......」

 

 浜岡の声が途切れる前に、田辺が油断なく戸部を一瞥すると、満足そうな笑みを浮かべていた。それが少し薄気味悪く感じられる。

 

「......そちらの男性も良いな。一人は論外だが、まあ、どうにでも処理は出来るだろう」

 

 田辺が険しい表情で短く尋ねる。

 

「それは、どういう意味ですか?」

 

 戸部は特に落ち着いた様子もなければ、焦燥もしていない。ただただ、余裕を見せつけるように、鼻を鳴らして口を開いた。

 

「度胸もあり、頭もある程度は回る。申し分ない逸材じゃないか。野田、こいつらは敵であれば厄介だろうが、味方ならば頼もしいとは思わないか?」

 

「......総理、御言葉ですが......」

 

「お前が何を言うか、そんなものはよく分かっているよ」

 

 返事も聞かずに、戸部は掌を広げたまま、田辺の眼前に突きつけた。思わず、眉を曇らせた田辺は、その手を払いのける。

 

「......なんのつもりです?」

 

 不遜な顔付きで、戸部は短く言った。

 

「......幾らだ?」

 

 背後で、野田が鋭く怒声をあげる。

 

「総理!一体、なんのつもりで......!」

 

「黙れ!今は、お前と話してはいない!」

 

 振り返りもせずに、野田の訴えを一蹴しながら、戸部は再び、田辺の目の前に広げた掌を掲げる。知らぬ間に、田辺は握り拳を作っていた。この男が言いたい内容は、充分に理解している。理解しているからこそ、許せないのだ。この戸部という男が求めているものは、浜岡の説明から、海外からの災害支援金、もしくは、それに類するなにかであることは分かる。要するに、国の為ではない。支持率も高い水準をキープしているが、裏では、このような我欲を持ち、傲慢な物言いで他を威圧する。

 田辺は、なんとも面の皮が厚い奴だ、と奥歯を締める。

 本当に恐ろしいのは、檻に入れられた死者ではなく、怨みをはらそうとする怒りでもなく、利己主義に浸かりきった人間そのものなのかもしれない。

 貼り付けられた仮面の奥にあった醜悪な心が透けて見え、田辺は強い吐き気を覚えながらも、昂然と返す。

 

「僕は......貴方のような人間ではない!」

 

 再び、強い皮肉を混ぜたような拍手が、高らかに室内を駆け巡った。口角も下げずに、戸部は歩き始める。

 

「俺とは違うねえ......田辺君、人間の本質ってものはなんだと思う?」



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第11話

 傍らで呟いた戸部を横目で窺う。嘲笑うような口元は変わっていない。

 

「人間の本質......?」

 

 田辺の疑問に、戸部は答える。

 

「それは、欲と自己保身だ。田辺君、君は歴史というものに、どのような意味を求める?」

 

 戸部の質問は、どこか要領を得ない内容だった。歴史に意味を求めることは、正しいことなのだろうか。事実と意味の言葉は、似ているようで似ていない。田辺は、しばし黙考してから言った。

 

「歴史は、事実としてあるものです。話を反らさないでもらえますか?」

 

 くっくっ、と喉の奥で笑い、戸部は左手を突き出すジェスチャーで田辺の発言を制する。

 

「答えを急ぐのは、記者の悪い所だ、そうだろう?それとも、君の先輩はそんなことも教えなかったのか?」

 

 ちらり、と浜岡を見て戸部は続ける。

 

「歴史とは、すなわち物だ。我々、現代を生きる者が過去を知るには、物を見て、読んで学ぶしかない。ならば、その物ですら手にする方法があるとすればなんだ?」

 

 返答に窮する田辺に対し、畳み掛けるような勢いを保ち、戸部が両手を広げた。

 

「それは、金だ!金はありとあらゆる物を容易く一枚の用紙に変えてしまう!世界の歴史を振り返ってみろ!争いと欲望にまみれているだろ!それは何故だ!欲望を満たす為だ!欲望とはなんだ!それは、金だ!金はすべてを支配することが出来る唯一のものだ!」

 

 熱の籠った弁とは違い、野田は硝子のような冷たさで戸部を眺めていた。それに気付いたのは浜岡だけだ。

 なにか様子がおかしい、と注視していた時、浜岡の隣で斎藤が叫んだ。

 

「ふざけるな!金がありとあらゆる物に変わるだと!人の命は、そんなに安いものではない!」

 

 首を僅かに傾け、戸部が反駁する。

 

「人の命を自由に出来るものも金だ。人の本質とは、金と欲望、それだけが全てを語ることができる」

 

「金に踊らされてる只のクズ野郎が......!」

 

「ソフィスティケートされている、と言ってもらいたいな」

 

 刺すような眼力を投げ掛ける斎藤を前にしても、戸部の余裕の笑みは崩れない。それどころか、斎藤へと一歩踏み出し始める。だが、斎藤も引くことなどしなかった。真っ向から戸部を受け止めるつもりなのだろう。一同が固唾を呑んで見守る中、改めて口火を切ったのは戸部だ。

 

「金に惑わされていると言ったな?それはそうだろう?世の中は、金と欲望に溢れているのだからな」

 

「選挙に出るやつなんて、金儲けしたいやつか、目立ちたがりのやつばかりだ。まっとうなやつは選挙になんか出ない。まさに、貴方のことを言っている」

 

 戸部の背中に田辺が語りかけるような口調で言う。その言葉にも振り返らず、戸部は小馬鹿にして笑う。

 

「確か、チャーチルの言葉だったかな?ああ、確かに、その通りかもしれないな。だが、その地位にまで立てていない君たちはどうなんだ?まっとうであろうとも、世間では立派だ、そう昂然と口に出来るのはどちらだ?」



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第12話

嫌味な微笑を張り付けて、戸部は言った。斎藤にしか見えてはいないが、田辺にはどんな顔で、その言葉を口にしているのかが、手に取るように分かる。非常に業腹だが、戸部の言葉に間違いはなく、田辺は唇を歪めた。

 

「いくらお前らが、この俺を批判しようとも、世間はこちらの味方だ。分かるか?これだけでも大きな隔たりがあるんだよ。そもそも、どう動こうが矮小な者に国を覆すなどできるはずもない」

 

「......わかっていないのは貴方ではないですか?」

 

戸部の耳に届いた浜岡の声に、不快そうに眉をひそめて、戸部は短く返す。

 

「負け惜しみを......」

 

「いえ、そうではありませんよ。どうも聞いている限りでは、貴方は些か古いようです。歴史を引き合いに出しますが、過去を振り返れば、大きな力というものは、小さな力に滅ぼされているのですよ。最近の例を出せば、八十年代のルーマニアで共産政党をふるっていたニコラエ・チャウシェスク、彼の独裁的な政治は、民衆の力により破壊されました。そう、貴方の言う巨大な権力に立ち向かった結果です」

 

戸部は鼻を鳴らす。

 

「はっ!何を引き合いにだすかと思えば、そんなことか?それは、先に起きた他国の運動に触発されただけだろうに」

 

「......事実を隠しても、それが歴史になることはない。それが世の常というものですよ」

 

痛いところを突かれたのだろうか。途端、戸部の笑みから余裕が消えたかと思えば、きつく歯軋りをして眉間に深い皺が刻まれた。誘導に陥った時のような悔し顔を浮かべたまま、浜岡を睨み付ける。

 

「......浜岡といったな?」

 

「はい、そのとおりですが」

 

「お前は危険だ。味方には引き入れない。これから先、俺の障害になりうるかもな」

 

すっ、と戸部は拳銃を持ち上げて、浜岡の額に銃口を合わせた。斎藤が動き出す直前、鋭く戸部が叫ぶ。

 

「動くな!」

 

くっ、と爪先に力を入れて踏みとどまる斎藤を横目に一瞥し、戸部は続ける。

「国は人がいなければ動かない。経済も、環境も、歴史もだ。そして、日本を動かすのは、この俺だ。この地位につくまで、どれだけの辛酸を舐めてきたか、お前に分かるか?」

 

「分かりたくもありませんね。独善的な語り口しか聞いていませんから」

 

「減らず口も大概にしろよ!お前、状況は分かっているのか?圧倒的なまでに優位を保っているのはこの俺だぞ!」

 

「貴方の力ではありませんよ。銃という文明の一部にある力です。虎の威を借りるとは、言い得て妙だと思いませんか?」

 

凄まじい剣幕で、ふうふう、と肩で息を繰り返しながら、戸部はトリガーへ指を掛けた。一同の動揺から空気が震えている。田辺が喉を鳴らして声をだす。

 

「戸部さん、罪を重ねないでください......銃を......こちらに......」

 

「俺に指図するな!」

 

その瞬間、戸部の身体に強い衝撃が走り、全身を、強く檻に衝突させた。軋みをあげる檻の中へ拳銃が滑り込み、対面にある壁へとぶつかり止まる。

 




ぎゃああああああああああああああああ!すいません!お休みもらいますと活動報告に書いていたつもりでした
!本当にすみません!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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第13話

 何が起きたのかと、目を白黒させていた戸部は、視線だけを仰ぎ、悠然と自身を見下ろす人物を見て、瞠目することになる。そこに立っていたのは、野田だったからだ。突然の裏切りにより生じた記憶の混乱、思考の乱れをどうにか落ち着けようとする暇もなく、野田が戸部へ諭すような声音で言った。

 

「総理、長らくお疲れ様でした」

 

 なんの皮肉だろうか。

 腹から沸々と沸き上がる怒りが頂点に達する直前、それは戸部の顔面に背後から回された。ヒヤリとした感触が、顔の右半分に当たる。右目には黒く太い線が入っていた。そして、それが、戸部の右目が写した最後の光景となった。

 

「......ひぎ......ひぎゃああああああ!」

 

 顔をとてつもない違和感が駆け巡った。いや、これは、異質な物体を捻りこまれたような異物感だ。

 氷を押し付けられた、キンキンに冷やされた冷水をかけられた、そのどちらともとれない冷たい感触の後に、猛烈な熱が痛みを伴って眉間を中心とした右側に襲い掛かる。続けざま、大きく開かれた左頬へフックのような何かが掛けられた。無意識のうち、戸部は身を捩って逃れようとしたが、野田の右足が戸部の頭を檻へと押し付け、血にまみれたスーツを見下ろしながら、無感動に、ぐっ、と力を込めた。

 

「野田!のだあああああ!」

 

「......ああ、駄目ですよ総理、貴方はここから逃げるべきではない」

 

 その言葉と共に、戸部の唇がミリミリと音をたてて横に裂かれた。あまりにも倒懸な悲鳴に、その場にいた野田以外の一同は目を見開きつつ、耳を塞ぎたくなった。 

 たった一人の少女が、白濁とした眼球に野田を写し、餓えた獣のように戸部を掴んで放そうともしない。凶悪な三白眼よりも、よっぽど凶相に思える。

 戸部が発する痛苦の悲鳴に混じり、野田が静涼な声で言う。

 

「隠れ蓑としては、とても優秀でした。しかし、こうなってしまっては、とてもじゃないが利用できませんね。貴方の口ぶりは、叶わない理想を抱いた独裁者のそれと同じだ。それも、かなり程度の低い幼稚な思想とも言える。はっきりも口にするとすれば、もう、用無しだよ」

 

 重ねられる激痛から、本能的に逃げようとする戸部を野田は逃さない。裂かれた頬と潰された右目から止めどなく流れる血を多分に吸った紺色のスーツが重みを増していく。そして、戸部は唯一の手段とばかりに、野田を両手で突き飛ばした。身体を起こしたことにより、右目への侵入を更に深くしてしまい、少女の指は戸部の眼窩へと吸い込まれたかのように埋まってしまう。想像を絶するであろう痛みの中、その行動が田辺を始めとする全員の意識をこの場に引き戻す。

 

「ぐうううう......あああぁぁぁ!」

 

 ずびゅ、と妙な粘着をもつ音を残し、戸部は少女から距離をとり、床に倒れた。右の眼から垂れてくる血を止めようとしているのだろうか、それとも、心持ちだけでそうしているのだろうか、必死に両手を押し付けている。

 

「熱......!熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いぃぃぃぃぃぃ!」

 

 もう、痛みいう段階を越えているのだろう。焼けるような疼きは、少女とは違い、決して逃れようのない刻印として戸部に刻まれていた。野田に暫時の猶予を請う余裕なぞ微塵もない。



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第14話

「総理、貴方は以前、こう口にしました。ペストは一匹の鼠から発覚したと......病魔とはどこに潜んでいるのか分からない。それこそが恐ろしい」

 

「野田ァ!一体、どういうつもりだぁ!」

 

辺り構わず喚き散らす戸部の右足を、ゴミでも拾うかのような動作で持ち上げた野田は、田辺を一瞥する。因業な仕打ちを行っているとは思えないほど、落ち着き払った瞳だった。戸部の身体を引き摺りながら、野田は続けて言う。

 

「人は理想を叶える為に、嘘をつく。嘘とは理想の押し付けなんですよ総理」

 

凄惨な光景を目の当たりにしながら、田辺は野田の言葉に耳を傾けていた。不思議な気分だった。あまりにも、現実離れした出来事というものは、他者から思考を奪ってしまうものなのだろうか。やがて、野田は檻の前で止まり、床を引っ掻きながら抵抗をする戸部を見下ろした。

 

「完璧とはいかずとも、貴方は勤めを果たしました。それでは......」

 

戸部の痛苦の絶叫が木霊した。

リレーに使うバトンのような軽さで、戸部の右足を差し出した相手は、檻から伸ばされた青白い手の持ち主である少女だ。噛み千切られた踝から、白いビラビラとした筋が覗いている。乱暴に頭を揺らし、強引に顎を絞め、踝から太股を抉っていく少女の顔は、真っ赤な鮮血で鮮やかに染まっている。ぐん、更に深く引き摺りこまれた戸部の腹部に少女が右手を添えるように置いた。

たちまち、破られる腹部と、露出する臓器と臭い、それらが重なりあうだけでも堪ったものではない。その後に引きちぎられた臓器を口に運ぶ姿など、見るに耐えない。しかし、野田だけは、戸部が身体を解体される様を眺め続けていた。

しばらくの後、戸部に動きが無くなってから、野田が口火を切るように声をだす。

 

「......呆気ないものだな、命というものは」

 

檻の中にいる少女、新崎優奈に向けた言葉なのか、それとも自分か、戸部への一言なのか、どれとも判断がつかずに、田辺を始めとした一行は押し黙ったまま、野田の背中を見た。見計らったように、野田は天井を仰ぐと、振り返らずに言う。

 

「人間は大切なものを、こんなにも容易く失ってしまう。それが、自分であろうと他者であろうと変わらない。そうは思わないか、田辺?」

 

「......思いませんよ。僕は、大切なものほど失わないようにします」

 

野田は、唇の端を吊り上げて短く言った。

 

「......俺への当て付けか?」

 

「いいえ、自己批判ですよ」

 

二人にしか共有できない会話の中、田辺は野田との学生生活時代を思い返していた。一体、どこで我々の道は狂ってしまったのだろう。

野田良子を東に奪われた日からなのか、はたまた、野田が結婚をしたあの瞬間からだろうか。いや、そのどれもが違うし、そもそも、否定してもしょうがない。自己批判など、あとでいくらでも出来る。田辺は、空っぽになった戸部の身体を横目で見てから言った。




誤字報告本当ありがとうございます!!
やっぱめっちゃありますね……すいません……


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第15話

「野田さん、我々はこの事を記事として世の中に出します。そうなれば、世間の批判、いえ、それだけではすまないでしょうね......貴方は、全てを失うことになるでしょう」

 

「だろうな......そんなことはお前よりも理解しているよ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべ、野田は言った。その横顔からは、落胆の色が窺える。戸部という蟻の一穴が、野田の牙城を崩す切っ掛けになったのかもしれない。さきほど、野田は戸部に対し、独裁者のように幼稚な思考と言った。加えて嘘とは理想とも口にしている。今になって振り返れば、自身への皮肉だったのだろう。

 

「理想は......理想にしかなり得ない......夢のようなものなんです。一度見てしまった悪夢は、記憶には残りますが、現実では起こり得ない。野田さん、貴方の夢はここで終わりにしませんか?」

 

 田辺が右足を出して、野田へと距離を縮める。これで、全てに片が付く。そう三人が思った矢先、いつの間にか、野田の左手に拳銃が握られていた。田辺が息を呑んだ。すう、とあげられていく拳銃は、ぴたりと眉間の位置で停止する。

 

「......すまない、田辺」

 

 野田の眼に、力が籠ると同時に、凶弾を撃ち出す火薬音が室内に響いた。

 それは、野田の放った銃弾ではなく、三人の背後に立っていた黒服の一人が撃ち放った弾丸だ。それは、吸い込まれるような正確さで、野田の肩を貫く。硝煙を上げている銃を手にしているのは、あの若い男だった。

 唸りながら、膝をついた野田をすぐさま、隊長と呼ばれていた屈強な男が取り押さえる。同時に、側近の外国人にも、残った一人が銃口を合わせている。突然の事態に、状況を追えない一同へ若い男が言った。

 

「仕事と感情、人間として優先するのは、感情だとは思いませんか?」

 

 若い男の視線の先には、屍を貪る新崎優奈の姿があり、田辺は目を閉じて首を縦にゆっくりと動かした。

 

「その通りだと......思います。いつだって子供は、大人の理想を押し付けられてしまう。僕らは、そんな簡単なことを見逃して、犠牲を出して初めて気付く」

 

 田辺は、一度だけ床に抑え込まれた野田は見下ろして、檻のなかにいる新崎優奈をみた。

 醜悪で、醜怪で、下品で、賤劣な見た目だ。けれども、こうなった理由には、全て大人が関わっている。その事実に、自らが深く関わっていることを思うと、知らぬ間に、目頭から涙が溢れだす。言葉になんかならなかった。ただただ、すまない、としか言えない自分が許せなかった。

 

「田辺......もう、行こう。ここにいても、なにも始まらない......すぐにでも脱出したほうが良い......」

 

 斎藤が沈痛な面持ちで田辺の肩に手を置いた。皆が同じ心境なのだろう。目元を拭った田辺は、隊長と呼ばれていた男に言った。

 

「......すみませんが、野田さんの拳銃を渡してもらえますか?」

 

 一瞬、怪訝そうに眉をひそめた男に、田辺は新崎優奈を目で示して見せる。それだけで何をするつもりなのか、理解したのだろう。野田から手荒に拳銃を奪うと、田辺へ差し出す。

 

「出来るだけ近づいて撃つんだぞ......彼女を......楽にしてやれ......」

 

 田辺はなにも返さずに頷き、銃をしっかりと握りこむと、静かに新崎優奈へと歩み寄っていく。夢中になって、戸部の肉体を貪る姿に、かつてあったであろう、無邪気に玩具で遊ぶ少女の面影が見えた気がして、田辺は唇を噛み締めた。

 

 迷っているときではない。

 

 一心不乱に、臓器を口へと運んでいる少女のこめかみに、銃口を当てた瞬間、新崎優奈が血にまみれた顔を、田辺へと一気に向ける。

 そして、一発の乾いた銃声が響いた。




次回より第23部「炸裂」に入ります!


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第23部 炸裂

「さて、この状況......どうすべきかな」

 

 階下に広がる死者の海を俯瞰した達也が、喉を鳴らして言った。それに、答えたのは真一だ。

 

「まあ、順当に考えるとすれば、一人が引き付けて挟み撃ちってのが良いと思うぜ?」

 

「出来れば......の話だろ?」

 

 浩太の言い草に、真一は無粋だとでも口にしたそうに右頬を舌で押し上げた。祐介を助ける為の銃撃で数多の死者がこちらを見上げており、唸り声を出しながら、両腕を三人へ突き上げている。何度となく眼にしてきた光景だが、とても馴れそうにない。達也は吐き気を催したのか、深く息を吸いこんだ。

 

「やっぱ、鬼ごっこ......やるしかねえかな。賢い奴等は、ここまでこれるみてえだし」

 

 すいっ、と視線を動かせば、エスカレーターを登ってくる集団が、こちらに白濁とした双眸を向けていた。数は、数えたくもない。達也が舌を打ち、真一は銃の弾倉を交換する。その様子に、嫌な予感がした浩太が訊く。

 

「おい、今度は、お前が囮になるとか言い出すなよ?」

 

「真一、囮なら俺がやる。この中で、百人以上の大群に追われた経験があるのは俺だけだ」

 

 浩太は、達也の冗談めかした口調を咎めるように、きつく睨み付けた。受けた達也は、両肩を軽くすくねてから続ける。

 

「浩太、こいつは現実的な話しになるだろ?下の学生達は助けた。あとは、こっちがどう効率よく逃げるかだ。だとすれば、もっとも、経験があってモール内部を知っている俺が囮として走れば、それが一番じゃねえか」

 

 そこで、浩太と達也に挟まれた真一が口を開く。

 

「いや、ここは俺が囮になるぜ。達也、お前は駄目だ。顔見れば分かるんだぜ?」

 

「......なにがだよ?」

 

「お前、かなり疲れてるだろ?そんな奴が、あの大群から逃げられるとは思えないぜ」

 

「それなら、お前らもそうだろ」

 

「今のお前よりは、多少、マシだ」

 

 くっ、と踵を返そうとした真一の腕を浩太が掴んだ。

 

「......俺にひとつ考えがある」

 

 真一が首だけ回して、神妙な顔つきの浩太をみやってからため息をつく。

 

「......お前の考えって、大抵がヤバイことだって自覚はある?」

 

達也も門司港レトロでの一件を思い出しているのだろうか、表情に曇りがかかっていた。そんな二人に構うこともなく、浩太は目線だけを動かす。その先にあるのは、一階ホールに鎮座する戦車だ。不安そうに、三人を見上げる阿里沙と加奈子、祐介を見下ろしつつ、浩太が声を振り上げた。

 

「三人とも!いますぐ戦車のなかに入れ!」




第23部始めります!
誤字報告ありがとうございます!
そして、本当すいません!!


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第2話

激しく息を切らす祐介を先頭として、三人が弾かれるように車内へと身を翻す。しっかりと確認を終えた浩太は、振り返ると同時に、ニッコリと笑顔を浮かべて短く言った。

 

「......飛ぶぞ!」

 

一歩間違えれば、死者の海へ落ちてしまう。そうなれば、生きて生還するなど不可能だ。だが、ここで再び、誰かと離れることなどできるはずもない。浩太は、手摺を掴むと、一気に乗り越えた。失った重力に従い、まっすぐに吸い込まれるように、浩太は車上に落下した。二度、三度と転がり、どうにかハッチの上部で揺れる身体を止める。

緊張から吹き出した汗を拭い、浩太は二人を仰ぐ。

 

「来い!」

 

死者の大群と二人の距離は離れていない。取り囲まれるのも時間の問題だろう。真一が、ごくり、と生唾を飲み込んでから戦車を見下ろす。

 

「......やっぱり、ろくな方法じゃなかったぜ!くそったれ!」

 

「まあ......浩太らしいちゃあ、らしいよな......いくしかねえか......」

 

真一と達也、二人は手摺に足を掛け、大群の先頭に押されるように、飛び降りた。

ぶわっ、と滝のように流汗する。水のような冷たさを額に貯めたまま、最初に着地したのは真一だった。浩太と同じく車上を転がり衝撃を逃がす。起き上がった時には、過呼吸になったかのような息を繰り返している。それは、達也も同じだ。やがて、落ち着きを取り戻した二人が声を揃えて項垂れながら言った。

 

「し......死ぬかと思った......」

 

「生きてるんだから、万々歳だろ?」

 

恨み言でも口にする時のような目付きで二人は、浩太をきつく睨んだが、当の本人は素知らぬ顔で、誤魔化すかのように、ハッチを強く叩いた。

 

「おい!ここを開けてくれ!」

 

やがて、車上からハッチが開かれた。最初に出てきた祐介は、傷だらけの顔で瞳を潤ませてはいるものの、力強い光は、そのまま輝いている。

よほどの事を乗り越えてきたのだろう。そんな感慨に耽ていると、祐介が細い声を出した。

 

「浩太さん......よく、無事で......良かった、本当に良かった......」

 

「ああ、お前らこそ、無事で安心したよ。みんな、中にいるんだろ?早速で悪いけど、入れてくれないか?いい加減、こんな辛気くさいところはコリゴリなんだ」

 

みんな、の言葉を耳にした祐介の眉間が陰る。それを見逃す浩太ではないが、ここは詮索せずに、努めて明るく言った。それは、後ろにいる二人、いや、達也への配慮でもある。ハッチから、車内へ戻った祐介のあとを追うが、これほど辛い心境は、そう味わえるものではないだろう。

そして、すぐにその理由は明らかとなった。

そこまで広さもない車内、そこには祐介、阿里沙、加奈子の姿しかない。浩太は、自身の胸を強く押さえつけて、どうにか声を絞りだす。尋ねたくはなかった。だが、突き付けられた現実は、浩太に逃げる為の言葉を奪い去ってしまったのだ。

 

「し......彰一......は?」

 

ピクリ、三人の肩が僅かに動く。そこで、二人も車内で合流し、ぐるりと周囲を見回した真一は、愕然としたことだろう。一拍の静寂が永遠にすら感じてしまう。そんな重苦しい空気の中、意を決して口火を切ったのは祐介だった。

 

「彰一は......俺達を逃がすために......」

 

「もういい......!言わなくてもいい!すまなかった......彰一......本当に......!」

 

堪らず、浩太は祐介を抱き締めた。聞きたくない、という強い気持ちと、信じたくはない心が突き動かしたのだろう。

浩太の胸に、顔を埋めた祐介の、とても小さな嗚咽が車内に小さく木霊し、それに混じって真一が、嘘だろ、と小さく呟き、膝をついた。



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第3話

 信じられなかった。心のどこかで、誰かが欠けてしまうなんてことは、有り得ないと決め込んでいた。しかし、現実はどうだ。やり場のない怒りを必死で噛み殺す為に、真一は握った拳を戦車の内壁に叩きつけた。

 

「なんでだよ......!なんでだよ、ちくしょう!」

 

「真一さん......坂元君......ううん、彰一君は、最後まで彰一君らしくアタシ達を助けてくれました......だから......だから......」

 

 真一の性格を顧慮した上での発言だろう。責任を一手に担おうとする悪癖をとめるように、阿里沙は、詰まりながらもそう言った。そういった点を傍目で眺めていた達也は、良いチーム関係を築けているのだと感じるとともに、見えない重圧がのし掛かってきていることを自覚する。この中間のショッパーズモールにまで足を運んだ理由が自分なのだとすれば、決して拭うことのできない罪悪感として心に残り続けるだろう。そこから生じる軋轢を想像するだけで、両肩に奇妙な重荷を背負った気がして、目を逸らしてしまう。やがて、一先ず、落ち着いたであろう祐介は、訥々とした口調で話しを始めた。

 

「彰一は......俺達を助けるために、安部って名前の男を足止めしてくれました......」

 

「安部だと?」

 

 思ってもみなかった名前を口にされ、達也は瞠目する。そして、今、まさに、達也の存在に気付いたのか、祐介は目を丸くして首を傾け、合点がいったとばかりに、鋭く言った。

 

「......もしかして、貴方が達也さんですか?」

 

 達也は、自身の軽率さを後悔する。咄嗟のこととはいえ、つい口を挟んでしまった。

 やってしまったことは、仕方がない。どうせ、遅かれ早かれ、この時期はきてしまうのだ。腹を決めて、唇を震わせる。

 

「ああ......俺が古賀達也だ......」

 

 車内に落ちていた鬱々たる雰囲気が、一気に広がっていく様を、達也はありありと目撃した。勿論、そんなはずはないのだが、人の命の上に、今の自分がある、それも、穴生での一件を合わせれば、二人分だ。

 そんな罪責の念が、大きな濁流となって押し寄せてきているみたいだった。それは、達也が初めて人を殺してしまったときに抱いた感情とは対極にあるからこそ、あの時みたいに、安易な逃げ場などはない。一気に呑み込まれてしまいそうだ。ぐらつく思考で、どうにか、謝罪の言葉を口にしようと試みているが、喉が塞がってしまったのか、

 はたまた、意識の濁流に呑まれてしまったのか、息をすることさえ難しい。そんな時、達也の右手を温かな感触が包み込んだ。

 

「良かった......本当に......生きていてくれて良かった......!」



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第4話

 温もりの正体、それは熱い涙を流す祐介の掌だった。

 共に流される脆い流木などではなく、しっかりと地面に根を張った、太くて大きな大木を連想させる両手だ。達也の全身が弛緩する。両の瞳から落ちる確かな熱が、達也の足元を崩していく。立ってなどいられなかった。

 

「その......彰一君は......俺を助ける......為に......ここへ......?」

 

 全員の視線が、一斉に達也へ向けられる。

 聞くべきではなかった。だが、いずれは、聞かなければならなかった。それは、衝動に突き動かされたなどと、安直な理由ではない。その問い掛けに答えようとした真一を横目で抑え、達也は祐介を仰いだ。俊巡の後に、祐介は浩太へ確認をとるように振り返った。

 きっと、達也は祐介から答えを聞きたいのだろう。最後の時まで、坂元彰一と共に歩んだ少年である上野祐介からだ。浩太は、それこそが、達也なりの心配りなのだろうと考え、小さく首肯した。心苦しい選択ではあったが、先のことを視野に入れた場合、達也へ向けられる僅かな不和すら生みたくはない。細く、それでいて長く呼吸を置いた祐介は、達也に短く言った。

 

「はい、その通りです......」

 

「......そうか」

 

 細い声で返した達也は、ゆっくりと立ち上がり、一度だけ全員を見回した。泣いている阿里沙と加奈子、憔悴しているようにすらみえる真一、そして、浩太、それぞれがそれぞれに、彰一と呼ばれる男に思いがあることが、一見して良く分かる。それほど、厚い絆で結ばれていたのだろう。

 

「俺は、取り返しのつかない大切な人を奪っちまったんだな......ケジメはいずれつけさせてもらうよ......」

 

 それが、達也にとって精一杯の言葉だった。胸の内にいる小金井との約束を果たすまでは、どうなる訳にもいかない。逆を返せば、その後はどうなっても良い。そこまで、決意を固めての発言だった。しかし、そんな達也に対して、祐介は首を振った。

 

「ケジメなんか、必要ありませんよ。彰一は、俺に全てを預けてくれた......今、俺の心には......いいや、ここにいる浩太さんや真一さん、阿里沙に加奈子、そして俺の心には、絶対に誰かがいます。古賀さんもそうですよね?」

 

 達也が小さく頷くと、そう思いましたと、祐介は満足そうに微笑んだ。

 

「俺達の心に、彰一はいる。それだけで良い......けれど、一つだけ古賀さんに頼みがあります......」

 

「......なんだ?」

 

「坂元彰一って男がいたってことを、絶対に忘れないで下さい......」

 

 達也は、忘れられるはずもないとは口に出さず、さきほどよりも深く、首を縦に動かした。祐介も、それに応えるよう、しっかりと頷く。芯のある強い少年という印象が強く残る瞳を保ったまま、祐介は右手を差し出した。

 

「上野祐介です。これから、よろしくお願いします、古賀さん」

 

「......達也で良いよ。古賀達也......よろしくな」

 

 互いに手を握りあうと、達也は残る二人を目で示す。

 意図を汲み取った祐介が、阿里沙と加奈子の紹介をする中で、唯一、阿里沙だけが、愁眉を帯びた眼差しで達也を見ていたが、それには誰も気付かなかった。いや、心境も合わさり、誰も気づけなかったというほうが正しいのかもしれない。



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第5話

くそっ!くそっくそっくそ!どうしてこうも上手くいかない!いつもいつも、一体どうしてだ!くそお!

 

新崎は、胸中で叫んだ。

声を出せば、辺りを徘徊し続ける死者に発見されてしまうからだ。たった一人で切り抜けるような人数ではない。坂下大地を囮につかい、どうにか逃げ延びた新崎は、立体駐車場を通り、今は達也が浩太達と再会した寝具コーナーで息を潜めていた。ここだけは、死者の数も少なかったからだ。それは、何故か、そんなことなど、考える余裕すらない。とにかく、生き残らなければならないのだ。寝具コーナーの最奥にあったレジ台の裏で身を縮めて、死者の声に耳をそばだてる姿は、新崎自身がみても、なんとも情けなく写るだろう。だが、自らの親指が千切れそうなほど、強く歯で噛みしめてまで、声を圧し殺す必要があった。

新崎のドッグタグの鎖には、もう一つ、無機質なロケットが掛けられている。

首から下げられたそれを、眼前まで持ち上げると、慎重に蓋を開くと、ぎゅっ、と強く握りこみ、喉の奥で囁いた。

 

「優奈......優奈......優奈......!」

 

膨らんだ恐怖心に、意識を失いそうになる。

新崎には、親も親戚もない。なにもなかった。

妻は粗暴で乱暴な夫、新崎に愛想をつかし、新崎優奈を産んで半年も経たずに、どこかへ行ってしまった。だが、それで心を入れ換える筈もなく、挙げ句、子供を施設に放置して遊びくれる日々を送ることになる。

そんなある日、新崎のもとへ優奈が衰弱していると一報が入った。さすがに顔をみせるしかなく、渋々、帰ってみると、優奈は破顔して自分を出迎えてくれた。子供の笑った表情とは、とても特別な力をもつ。まだ、言葉も発っせない赤子がみせた笑顔だけで、新崎はこれまでの自分を悔いた。

自衛官としての成績も上がり、ある程度の信頼も得ることができ、優奈を育てていけるだけの自信が、ようやくついた時、ある異変が優奈に起きていた。

小学校に入学する前に気付いたことは、優奈が他の同級生に比べて、皮膚が固くなっているということだ。そして、顔の皺が随分と目立ち始めた。この時には、既に症状が表れていた。不審に思った新崎が医者から告げられたのは、聞き覚えのない病名と、治療法がない、という言葉だけだった。

目の前が暗くなる。暗澹とした気持ちになる。そんな生易しいものではない。まるで、生きたまま地獄に突き落とされたようだった。いっそ、死んでしまったほうが楽になれるかもしれない。けれど、過去の症例を調べると、優奈の寿命は長くて十八年ほどしかない。早ければ、まだまだ、若くして死ぬことになる。

ましてや、腐りきっているとばかり思っていた自分の人生を、自身を変えてくれた大切な娘だ。心中など、自ら手を加えて殺すなど出来るはずがない。

ウェルナー症候群は、時間、そして、新崎の精神と共に、優奈の肉体を蝕んでいく。



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第6話

 出口のない迷宮を延々とさ迷う感覚に似ている。優奈を置いて逃げ出すことなど出来ない。そんな時、優奈を担当していた医者から一本の電話が入った。新崎にとっては心臓を目掛けて硬球が飛んできたような、強い衝撃が走った。まさに、青天の霹靂といえる一言は、こんなものだった。

 

「新薬があります。貴方の娘を助けたくはありませんか?」

 

 聞けば、細胞の働きを活性化させる薬だという。

 だが、新崎にとっては、そんな説明など、どうでも良かった。優奈が助かるならば、の一心で指定された場所である東京の施設に赴く。連絡を寄越したのは、幾度となくテレビで見てきた野田だった。一も二もなく、突き付けられたのは、法外の医療費だった。

 払えるはずもない。だからこそ、新崎は、こう口にした。

 

「どんな犠牲も厭わない!どんなことでも、なんでもやる!だから、助けてください!」

 

 その時に野田が浮かべた卦体な笑顔を、新崎は生涯、忘れることはないだろう。

 男の陥穽に陥ったのだと、嫌でも意識させられる。喜色満面だが、向けられた双眸に宿っているのは、底知れない黒さを感じさせる眼だった。コクっとした野田は、続けてこう言い放った。

 

「素晴らしい。これこそ見習うべき親子の姿だ」

 

 流血する親指に走った鋭敏な痛みによって、新崎の意識が、はっきりと戻ってきた矢先、血の匂いで気付いたのか、死者が一人、新崎が隠れるレジ台に回り込んできていた。一気に近づいた死の気配に、思わず、引き金を絞ってしまった。鳴り響いた銃声に、新崎は、ぎょっ、として立ち上がり、周辺の死者達の視線を集めてしまう。須臾にも満たない僅かな静寂の後、獣声を発して、走り出した死者の額へ銃口を合わせて叫んだ。

 

「優奈ァァァァァ!」

 

 一発を放つと同時に、レジ台を一息に飛び越える。左手にナイフを抜き、右手で銃を構えて、新崎は駆け出す。

 

 死ねない、こんなところで俺が死ねば、優奈は一人になってしまう。それだけは、それだけは絶対にあってはならない。俺と同じ人生を最愛の娘に味わせるなど、あってはならない。

 

 目の前に立ちはだかる死者に狙いを絞り、新崎はナイフを振りかざす。その背後にいた死者へ銃弾を見舞う。最短距離で安全な場所へ向かい、このショッパーズモールを脱出すべく、新崎は両足を懸命に動かす。

 背後から服を掴まれようと、強引に前進して上着を脱ぎ捨て、左右から襲いかかる死者には一瞥もくれない。幸運も重なり、新崎は多数の死者を引き連れて立体駐車場へと駆け昇り、風除室を抜け顔をあげる。その先にあった光景に、新崎は満面の笑みを浮かべる。

激しく波打つ駐車場の落下防止防護ネットの奥に、アパッチがホバリングを保ったまま停滞していた。弾かれたように、新崎は両手を振って近寄っていく。

 

「おーーい!ここだ!助けてくれえ!」



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第7話

 背後に迫る死者達の唸り声をかきけすほどの風圧を放つプロペラの音だけで、心の底から生還できたのだと思えた。そんな喜びに満たされつつ、新崎は速度を早める為に、深い一歩を踏み出す。だが、アパッチに動きはない。怪訝に感じた新崎は、正面を向いたままの操縦席を見た瞬間、どくん、と心臓が跳ねる。

 操縦席に座っている男は、鮮やかな金髪をしており、どう考えても日本人ではない。途端に、押し寄せた不信感が神経を尖らせたからこそ、新崎は操縦席の男が、こう口にしていたことに気づけた。

 男は、間違いなく言っている。

 

(......ファイア)

 

「......嘘だろ」

 

  アパッチに搭載されたチェインガンが、無機質な回転を始め、その銃口が一斉に煌めいた。

 

※※※ ※※※

 

  とてつもない轟音に、浩太は眉をしかめた。それも、この爆音には聞き覚えがある。連続した銃声は、あまりの速度と独特な弾丸を放つ破裂音により、一つの攻撃かと勘違いしてしまいそうなほどだ。室内の為か、その異音は異常なほどに響き渡り、加奈子が矮躯を更に縮めて阿里沙の裾を握る。

 

「......アパッチ」

 

  浩太の呟きに、真一が頷いて同意した。

 

「ああ、間違いないぜ......チェインガンだ」

 

「誰かいたってことなのか?」

 

「さあな......けど、あの糞アパッチは、狩りでもするみたいに、生き残りを殺そうと躍起になって、このモールを回ってるみたいだし、まず、間違いないと思うぜ」

 

  浩太は、達也へ声を掛ける。

 

「達也、疲れてるとこ悪いが、このモールに生き残りはいたのか?」

 

「ああ......いるよ......お前らには、先に伝えとくべきだったな......悪い」

 

「謝罪はあとで聞くから、誰がいたのか教えてくれ」

 

  急かすように、浩太は言った。情報があるのなら、頭にいれておく義務がここにいる全員にある。一同が固唾を呑んで達也の言葉を待つ中、一度、全員を見回し言った。

 

「俺が知っているのは、二人だ。まず、一人は東っていうイカれたサイコパス野郎、それと......新崎だ」

 

  自衛官二人、祐介と阿里沙、加奈子がそれぞれの名前に強く反応した。達也は、祐介達がみせた意外な表情に、訝しそうに眉間を寄せる。

 

「......東を知っているのか?」

 

  阿里沙の身体が、びくり、と震える。それも当然だろう。もしも、東と出会っているのであれば、命からがら逃げ出したに違いない。だが、祐介からの返事に、達也は驚愕することになる。

 

「......この戦車に入ってきた男が、その東って奴でした」

 

  達也の目に、狼狽の色が浮かぶが、今ここに三人がいるということは、あの東を撃退したということだ。思わず口を塞ぎ、達也は短く言う。

 

「すげえな......お前ら、本当に学生かよ......?」

 

  そこまで口にした所で、鼻息を荒くした真一が達也へと詰め寄った。

 

「おい、達也!お前、さっき新崎って言ったよな!それ、間違いないのか?」

 

  驚いて振り返った達也は、大きく首肯する。

 

「ああ、見間違えるはずねえだろ......新崎は間違いなく、このモールのどこかにいる。それに、この戦車だって、もとは新崎が乗っていたはずだ」

 

「だとしたら、大地がいるかもしれないってことか?」

 

  目を剥いた浩太の声は、端々に喜色が窺える。そして、車内を改めて、ぐるりと観察していく。基地を脱出した時に、あの窮地を救った戦車と思い感慨にふけているようだったが、達也の一声で意識を戻される。

 

「大地は......もう……」



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第8話

 ぐっ、と唇を噛んだ達也に対して、なにかを言えるはずもなく、浩太は俯いた。こんな現状では、いつでもどこでも辛い現実を突き付けられる。沈痛な面持ちの三人へ、話題を変えるように、阿里沙は脇に置いていたバックを指差す。

 

「そう言えば、これを車上で見付けたんですけど......」

 

「それは......?」

 

 視線をあげた浩太に、阿里沙はよろめきながらバックを渡す。不可解そうにジッパーに指をつけ、一気に開き、浩太は目を丸くして、細い声を出した。

 

「これは......ハチヨンか?これをここで......?」

 

 自衛官二人も顔をあげ、真一はマジマジとバックの中身を見詰める。達也は顎に指を当てて、なにかを考えているようだ。

 

「はい、多分、この戦車に乗っていた人のだと思います。ちょうど入り口の辺りに、そのまま置かれてて」

 

 阿里沙が続けてハッチを見上げて言った。

 ここにいた人物、今、現在、判明しているのは只一人だ。つまり、このカールグフタフに隠された事実は、ある結論に達することになる。それを感じ取った途端、自衛官三人は、長年、探し求めた敵を見付けたような、とてつもない嫌悪感を覚えた。

 こいつだ。このカールグフタフが、皿倉山の手前で高度を、ぐっ、と落とした旅客機の墜落を招いたものの正体だ。忌々しそうに、バックを持ち上げた真一を慌てて浩太が止めた。

 

「......放せよ、達也」

 

「落ち着けよ。気持ちは分かるが、今は一つでも武器になるものがいる。違うか?」

 

「けど......こいつは......こいつのせいで......!」

 

「ああ、辛いだろうな。俺だってそうだよ、真一......けどな、考えてもみろよ。俺達には、ここを生きて脱出する義務がある。その為には、なにが必要だ?」

 

 その言葉に引っ掛かったのか、祐介が口元で、ポツリと言った。

 

「......アパッチ?」

 

その言葉に、真一と達也が同時に、はっ、とした表情をするが、浩太だけはニヤリ笑みを洩らしていた。

そう、例え、中間のショッパーズモールを脱出したとしても、最大の問題が残っていた。しかし、六人は、それを打開する手段を手にしたのだ。

だが、やはり真一は難色を示しているようだ。ぼやくように、悪態をつく。

 

「とんでもない皮肉だぜ......この九州をこんな惨劇に変えた武器に、脱出の為とはいえ、頼らざるえないなんてよ......本当、クソッタレだぜ......」

 

「けどな......」

 

 浩太の反駁を右手で制したのは、他ならぬ真一本人だ。

 

「もう、分かってる......充分に理解してるし、納得してるぜ......この憤りは新崎にぶつけてやるよ」

 

 生きてたらな、と吐き捨てた真一がバックを下ろし、浩太が切り出した。

 

「祐介、阿里沙ちゃん、加奈子ちゃん、詳しい話はあとで全て話す。だから、協力してくれ」

 

 聞きたいことは山のようにある。けれど、祐介と阿里沙は、一先ず、言葉を呑み込んで頷く。先だって必要なことは、どう戦車を狙う死者の大群を抜けるかだが、不意に真一の袖を引っ張った加奈子が、外を指差すと、死者の数が数えるほどになっていた。

恐らく、アパッチの銃撃により、そちらへ引き寄せられたのだろう。

 達也がガッツポーズを決めて言った。

 

「ようやく、俺達にツキが回ってきたみてえだな」

 

「そういうのは、上手くいってから言ってくれよ。さて、みんな集まって意見を聞かせてくれ」

 

 浩太の声が響き、車内の六人が鳩首した。



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第9話

               ※※※  ※※※

 

「......あ?なんの音だぁ?こりゃあ」

 

 右手だけで男性の使徒を持ち上げたまま、東は空を仰いだ。

 完全に元に戻ったかどうかの手慣らしといった具合に、ショッパーズモールの裏手に集まっていた使徒を素手で倒し続け、筋力の衰えすら感じなくなった所で、アパッチのチェインガンが響かせた轟音に気付いた。プロペラの回転音で、いつもなら察しているであろう東は、盛大な舌打ちとともに、使徒をゴミでも捨てるように投げる。高揚しすぎている。いや、しすぎているからこそ、いつものような冷静さを失っていた。

 東は、一度だけ首を横に振ると、改めてアパッチへ視線を向け、ある一点に強い疑問を抱いた。

 星条旗、アメリカの国旗だ。まず、今回の事件で動くのであれば、日本の自衛隊でなければならない。では、なぜ星条旗を掲げた機体がここにいるのだろうか。加えて、これまでに日本人の自衛官を何人みてきたか、といった方向へ思考をシフトさせる。明らかに釣り合いがとれていない。これについて考えば、安全が完璧に確認できるまで規制がかけられている、で一応の一区切りはつく。だが、星条旗のほうは得心がいかない。

 東は、次に今回の事件について、先入観を捨てて全体に思索を巡らせる。まず、落下地点とされている皿倉山、あれは事故ではなく人為的に起きた出来事だとすれば、どうだろうか。

 まず、旅客機の通過地点を調べることだが、これは、情報社会と呼ばれる現在、どうとでもなる。次に、旅客機を墜落させるには、どうするかだが、やはり、ミサイルなどの強力な武器さえあればクリアできる。ならば、日本でその武器があるのはどこだろう。当然、扱えることが前提となるので、非合法なものではいけないとなれば、真っ先に自衛隊が思い付く。その自衛隊を実質的に動かせる人材、なかでも海外にまで声を掛けることができる人物、そうなると話しは簡単だ。

 東の脳裏に、ある男が浮上すると、ニイィ、と怪しく唇をつりあげた。

 

「そうか......そうか、そうか、そういうことかよ。もしも、その通りだとしたら......」

 

 東は、身体を九の字に曲げ、両腕で腹部を押さえつけた。全身が激しく震え始めると、勢いよく顔を空へ振り上げた。

 

「ひひひひひ......ひひ......くひ、くひひひひひ......ひゃーーははははは!はははははは!愛されてんなぁ俺って奴はよお!ひゃーーははははは!」

 

 膝を折り、その場に座り込んだ東は、息が吸えなくなるほどに、爆笑していた。周囲には、数多の使徒の死体があり、その光景は誰が見ても異質に映るだろう。

 

「どれだけ、恋い焦がれてんだよ!どれだけ俺が憎いんだ!?さいっこうだよ!さいっこうにイカれちまったのかよ、テメエはよお!」

 

 その時、積み上げられた屍の中から、一人の使徒が匍匐して現れ、哄笑する東の太股に歯を突き立てた。ところが、東は見悶える仕草もなく、大声で笑い続ける。

 

「まるで、スターリンの暴力性が別の形で現れたみてえだよ!このまま、トップから奪って、独裁政権に移行してでも、俺を殺すつもりかぁ!これまでの独裁者のように、自分の我儘を貫き通すのかよ!どれだけ犠牲を払ってでもなぁ!」

 

 ちらり、と目線をむけた先には、太股の肉を引きちぎろうとしている使徒がいる。東は、優しく頭を撫でると、髪を鷲掴んで引き上げた。



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第10話

 ブチブチ、と首の皮が限界まで引き伸ばされ、徐々に胴体から離れていく様を光悦とした表情で眺めつつ、ぴたりと笑うことも止めて唇を歪め続ける。

 

「だがな、どれだけ尽力しようとも、テメエは根本が違うんだよ......マルクスの矛盾を追い求める独裁者との違いが大きすぎる。理念が違えば、行き着く場所もまるで違う」

 

 ついに、使徒の首が離れ、背骨が露になると、無用とばかりに残った胴体を蹴り飛ばした後に、東は何事もなかったかのように澱みなく立ち上がった。その太股からは、一切の傷も失われている。満足げに東は傷口があった個所を撫でた。

 

「独裁でも犯罪でも、理解者がいなければ、それは独りよがりで終わる。賛同者ではなく理解者だ。理解者こそが自分を高める」

 

 東は、くるりと踵を返し、置いていたリュックサックを拾い上げ、肩から下げる。そのリュックサックの下部は不自然に赤く濡れて血液が滴っていた。

 

「......理解者がいない限り、テメエに俺を殺すなんざ、できやしねえんだよ、野田」

 

 なあ、安部さん、と担いだリュックサックを一瞥する。それに、応えたのかどうかは定かではないが、低い唸り声が聞こえてきた。慊焉たる面持ちでそれを耳に収めた東は、もう一度、上空の機体を仰ぐ。

 まだだ、まだ、完成されていない。この九州での経験は、東にとって、飛躍の一歩となり得た。しかし、結果としてはなにもなし得ていない。親を送ること、それが、子供に託された成長の完了なのではないか。親とは、つまり、理解者だ。なんの不安も与えず、ゆっくりと息を吸い込んで命を預けてもらう。それが、安部から授けられた使命と言える。

 東は機体から目線を切ると、通谷の電停へと歩を進めた。中間のショッパーズモール内にいるであろう自衛官に、戦車の中で出会った少年少女達を見逃すのは、非常に業腹だが、あの機体と争うには、時間が足りない。準備とは、安部の一部と同化することにより受けた肉体への恩恵が、どこまでの外傷に耐えられるか、といった内容だ。そちらから、調べなければならない。何事にも、準備というものは必要だ。

 

「次だ......次に出会った時、テメエらにとっての本当の選別が始まる......ひゃははははははははは!」

 

 空が赤みがかっていき、雲の厚みが増していく。時間の感覚はないが、いつでも、一日の終わりというものは訪れるものだ。例え、どれだけ苦しいことがあろうと、それだけは変わらない。




今更ですがお気に入り250件突破ありがとうございます!


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第11話

アパッチのプロペラ音が響いてくる。以前と変わらぬ死神の声へと、浩太と達也が近づいていく。二階へのエスカレーターを登りきった時、不意に唾を呑み込んだ浩太に対し、達也が小さく笑った。

 

「......緊張してんのかよ?」

 

不満そうに達也を睥睨するが、図星をつかれてはいるので、短く吐息を吐き出すだけに止まる。くくっ、と再び笑った達也は、自身の肩から提げた鞄を袈裟に担ぎなおす。

 

「お前は、どうなんだよ達也」

 

「ああ、俺だって緊張はしてる。けど、まあ、お前もいるし、味方だって頼もしい奴等が揃ってる。これまでの負担に比べたら、屁でもねえよ」

 

強いて言えばこいつくらいだ、と背中を視線だけで指した。

カールグフタフでアパッチを墜落させる。その担当を引き受けたのは、浩太と達也だった。真一も役割を引き受けると言ってはくれたが、車内で話題の一つとなった新崎の件での取り乱し様から高校生組に任せた車の調達に回った。

車は、達也が東に銃を突き付けられた駐車場四階にある。しかし、鍵がなければ走ることなどできない、と達也が口にしたところ、祐介がドライバーさえあれば運転することができるかもしれないと言った。そこで、二手に別れることになったのだが、達也にとっては都合が良かった。三階への階段に足を掛けた時、重い口調で達也が言う。

 

「なあ、浩太」

 

「......なんだよ、これからが勝負ってときに長話はするなよ?」

 

浩太が振り返れば、達也の真剣な表情がある。なにかを切り出したいが、躊躇いのほうが大きい、そんな面持ちだ。

 

「......どうしたよ?なんか問題があるってのか?」

 

「いや、そうじゃねえんだ......ただ、どうしてもお前、いや、みんなには言っておかなきゃなんねえことがある」

 

浩太は、黙然と達也の言葉を待った。だが、視線を外すなんて真似はしていない。その眼差しが、達也にとってとても有り難い目付きとなる。促すでもなく、ただ、聞くだけだ。浩太はその両目だけで、そう伝えてくれる。 意を決して、達也は息を吸い込むと、小さく呟く。

 

「俺は......俺は、自分が生き残る為に......人を......女性をこの手で殺しちまった......」

その告白に、浩太は気づかれないよう唾を呑み込んだ。穴生で彰一や阿里沙、加奈子とともに立ち寄った一軒屋、あの不釣り合いな温かみを思い出す。ひやりとした冷たい汗が、ゆっくりと額を辿って落ちていく。

長年、こんな世界になってしまう以前から苦楽を共にしてきた友人聞き慣れたの声が、酷い雑音になった気がして、浩太は喉を震わせることも出来なかった。環境が人に与える影響の大きさは計り知れないが、やはり、どんな時であろうとも、人は人なのだ。心はいつでも自身の中にある。揺れる感情を必死に隠し、浩太は短く返す。

 

「......そっか。そうなんだな......どこでだ?」

 

「お前らと......別れたあと、穴生に身を隠してた時だ......」

 

やっぱり、あのドッグタグはそういう意味だったのかと肩を落とす。予感はあったが、本人の口から語られるのは堪えてしまう。眉を寄せた浩太に、訝しそうに達也が訊いた。

 

「なんか、狼狽してるってより、不安が当たったって顔だな」

 

「......わかんのかよ」

 

「わかる......長い付き合いだしな。知ってたってことか?」

 

「なんとなくの......予感はあったな。ただ、やっぱり、お前から聞いちまうと多少な」



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第12話

 顔を伏せた二人の頭上から、死者の伸吟が聞こえてくる。現実を突き付けられたみたいだ。日常は非日常へと擦り変わり、そこから様々な問題が派生していく。その中には、勿論、こういった出来事も起こり得るだろう。分かってはいる、分かってはいるが、心に生じた拭いきれない違和感は空気をいれられた風船のように、大きく膨らんでいく。叩き落とされた地獄の釜は、人からなにもかもを奪い去ってしまう。

 浩太は、一つ吐息をついてから言った。

 

「......どうして、俺だけに話した?」

 

 達也が顔をあげて答える。

 

「......逃げだってことは理解してる。けど、どうしても勇気が持てなかったんだ。彰一って子が死んだって聞いたとき、俺がこの話をすれば......」

 

「追い出されるとでも思ったか?」

 

 弱々しく、達也は頷いた。浩太にもその気持ちは痛いほど理解できる。人は、橋が古くなっても燃やすことなどせず、崩壊して落ちるまで放置してしまうものだ。問題の後回し、時の解決、そんな便利な言葉が蔓延る世界において、ある意味では正しい判断なのかもしれない。だが、同時に、ある危険も孕んでいる。発覚した際、築いた信頼関係が吊り橋よりも早く落ちることだ。叩いて渡ることなんか到底できたものではない。

だからこそ、浩太を信じて、達也は話してくれたのだろう。

 浩太が危険な吊り橋に、足を踏み込むことがないようにだ。現在の九州地方では、僅かな亀裂や軋轢が死へと直結することになる。

 

「皆には、話すのか?」

 

「ああ......当然だ。根拠なんかねえが、そうしなきゃ、俺はお前らと行動なんて出来そうにない......」

 

その言葉を訊いた浩太は、半ば強引に鞄を取り上げると、自らの肩から提げ、階段を数段登っていき、目を丸くする達也に振り返らず言った。

 

「根拠なんて不確かなもんは捨てちまえよ。俺はお前が信じて話してくれたってことだけで良い。俺もお前を信じてっからな」

 

「浩太......」

 

「......後悔、してんだろ?なら、それで良いだろうが......あとは、お前の問題だ。生き延びて墓でも建ててやれば良いし、その為には、いま、何をすべきか分かってんだろ?」

 

 達也からは見えないが、なにかを我慢している証左のように、浩太の声は明らかに震えていた。いや、声だけではなく肩や両手両足もだ。

 正直なところ、達也は冷たい物言いだとは思ってはいたが、それも仕方のないことなのかもしれない。振り返らないのではなく、振り返れないといったほうが正しい。それこそ、浩太の泣き顔を見てしまえば、達也の気持ちの中心は折れてしまうかもしれない。

達也は、階段を数段だけ登り、浩太の背中に声を掛けた。

 

「お前の言う通りだ。まずは、やるべきことを優先しなきゃいけねえよな......悪かった......」

 

 こくり、と頷いた浩太は、一度だけ仰ぐように顔をあげ、再び、階段を登り始めた。



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第13話

浩太と達也が二階へのエスカレーターを登りきると、戦車から真一が顔を出して辺りを見回した。死者の団体は、ショッパーズモールのエントランスから外へと流れだし、遥か上空にいるアパッチを崇めるように揃って見上げているようだ。車内に残る真一へ指のみで合図を送り、ハッチの上へ立つ。今回は、まず、祐介と真一が一階の工具店でドライバーを入手してから、戦車に残る阿里沙と加奈子と合流する手筈となった。

 

「祐介、良いぜ」

 

「じゃあ、行ってくる」

 

ハッチを閉めきるまで、二人に憂慮を携えた眼差しで見送られ、祐介は頭が痺れたみたいな感覚を覚えた。これは、恐らく、鬼胎からくるものだろうと考えかぶりを振った。

その様を横目で見ていた真一は、首を傾ける。

 

「どうした?」

 

「......いえ、大丈夫です」

 

工具店は、一階レストランホールの真向かいに位置する場所にある。そこに到達する為には、ショッパーズモールの中心部にあたる中央ホールを抜ける必要があった。つまり、エントランスホールを出て、真っ直ぐに進んでいかなくてはならない。戦車の砲撃により、崩れた連絡通路のお陰で積み重なった瓦礫に姿を隠せるとはいえ、大量の死者が蠢きながら上空へ両腕を伸ばし続ける真横を通らなくては到着することは出来ない。

きっ、と真一はレストランホールへの入り口を睨みつけ、ナイフを握る。

 

「......まさか、日常的に使ってたドライバーで車を動かす日がくるとは思わなかったぜ」

 

「それに、これほどドライバーが必要になる日がくるとも思ってなかったでしょう?」

 

その返しに、真一は頬を緩ませて微笑した。

達也が残された車を一台だけ駐車場で発見したと言ったときには、耳を疑ってしまったが、すぐに問題が浮上する。鍵はどこにあるのか、という点だ。当然、そこにたどり着くことになり、やはり、鍵を見付けることは不可能だという結論に達する。全員が打開策を懊悩して導こうとしている中、真っ先に手を挙げたのが祐介だった。

 

「とんでもない悪餓鬼だぜ......ドライバーで車を盗んでたとはな」

 

「けど、彰一がいたからこそ、こうやって打開策があるんですよ真一さん」

 

わかってるぜ、と口先で呟き、俯いた真一は唇を噛んでいた。達也と別れ、祐介達と出会ってすぐにホテルへ身を隠した際、真一へ落ち着きを取り戻したのは彰一だった。あのときがあるから、今も真一は生きていられている。

そんな彰一が死んだと訊いた時、真一は自身の胸に大きく穿ったような穴が空いたのを確かに感じた。

いや、それはきっと、浩太も同じた。肉体に、ぽっかりと大きな欠損ができたと思ったことだろう。異常というものは、皮肉なことに、日常では繋がれない者同士を短期間で強く結びつけてしまう。



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第14話

旅客機の墜落から、僅か三日しか経過していないにも関わらず、真一は親でもなくしたような喪失感に苛まれている。この状態はよくない。これから死地へと走らなければならないのだ。こんなことでは咄嗟の対応ができなくなると、頬を叩いてナイフを構え息を深く吸って吐き出す。

 

「行こうぜ、祐介......奴等が来そうになったら教えてくれよ」

 

 首を縦に動かし、祐介は慎重に戦車から降りた。静謐とは言いがたいが、エントランスホールには、死者は残っていない。それでも、音をたてないよう口を両手で抑えたまま、車上に残る真一へ目で合図を送る。二人は、ジリジリとした足取りを保ち、砲撃により崩壊したショパーズモール中央吹き抜けの出入り口に進んでいく。バリケードが張ってあったのか、机や割れた板など散乱していた。踏んでしまっては音が鳴ってしまうことを危惧し、初めて自分の足で歩き始める赤子の如く、踏み場を選び、神経を尖らせたまま、残った柱に張り付いて、外広場を覗いた。中間のマクドナルドから、中央吹き抜けホールまでは、目算でもかなり離れてはいるものの、それでも死者の重なりあった肉体と声は、かなりの圧力を二人に与えた。

 舌打ち混じりに、真一はナイフを握り直し、汗を拭った。

 

「一気に駆け抜けたほうがよさそうだぜ......どう思う?祐介」

 

 その提案に、祐介は首を振った。

 

「いえ、それは危険すぎます。反対の入り口までは、距離も少しありますし、あちらも壊されてます」

 

「だとしても、他に何かあるか?」

 

 真一の額から、汗が垂れ始める。それもそうだろう。この作戦は、浩太達と同時に進行し、同時に達成しなければならない。アパッチをカールグフタフで墜落させたのちに、車で二人を回収し、脱出する流れだからだ。焦燥感から、語尾も強くなっている真一をよそに、祐介は父親の言葉を思い出していた。

 

 良いか?こんな時こそ冷静になれ。そして最も危ない橋を渡らずに済む道を探すんだ。

 

 頭の中が透けているのではないかと感じるほど、祐介は冷静に状況へ目を向けている。そこで、ある一点に思考を預けることができた。

 

「......もしかして、あちらからなら……」

 

 その呟きに、真一が視線をあげて、どうした、と尋ねるも、祐介は死者の大群がいる場所から真反対へと振り向く。この吹き抜けは、真上からみたら十字に抜けている。マクドナルドを基準にして考えた場合、祐介が注目している方角はショパーズモールの裏手になる。



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第15話

  口にすることを憚られる恣意的な判断でもある。だが、成功すれば、確実に負担を減らせるだろう。しかし、予想が外れた場合、もっとも危険な選択をしてしまうことになる。祐介は懊悩するあまり、頼りない目付きで真一を見上げた。

 

「話せよ祐介、ここで手をこまねいていても一緒だぜ?それに......」

 

  真一は、言葉を区切り、死者の群れへ顔を逸らす。重なりあう伸吟は、こうしている間にも、どんどん増えていっている。時間が足りないとも自覚した上で、改めて真一が言った。

 

「俺達がやれば、きっとどうにかなる。いや、絶対に巧くやれるぜ」

 

「真一さん......」

 

  そうだ。このままでは、アパッチを撃墜する役目を受け持った浩太と達也に顔向けすることが出来ない。意を決して、祐介は指を上げた。

 

「あちらから、死者が一人も来ていないことには、気付きましたか?」

 

 祐介の指先が示したのは、死者の群れから真逆の位置だ。真一は、神妙な顔で頷く。

 

「ああ、それには気づいていた。けれど、逆に不気味だぜ......」

 

 真一の気持ちは、痛いほど理解できる。死者の侵入がない、とは言ったものの、死者がいないとは断言できない。慎重に、かつ、大胆な行動が必要な事態ではあるが、勇気と無謀は大きく違う。真一の意見は、そんなニュアンスが含まれていることを察した上で、祐介は首を振った。

 

「不気味ではありますが、ここで手をこまねいていても時間が過ぎるばかりです。なら、現状だけでも確認しておくに越したことはないでしょう?」

 

 顎を引いて唸った真一は、ちらりと死者の大群を横目で認めた。

 未だに、集い続けている死者達が、アパッチに釘付けにされている今ならば、祐介の提案に乗れるかもしれない。いや、今だからこそだ。一か八かの賭けになるが、新たな案が浮かばない。こうなれば仕方がないとばかりに、真一は首を縦に振った。

 

「分かった、それでいこう。いいか、祐介、俺が先にいく。背中は任せたぜ」

 

 祐介が黙って首肯すると、真一が一歩を踏み出した。これほど、丁寧に地面へ注意を向けたことがあるだろうか。二人の足音一つが、そのまま、全員の死へ直結する。それを嫌というほど智見してきただけに、真一は、とても貴重な物でも扱うかのように神経を尖らせた。幸いにも、アパッチのプロペラ音が重なっており、死者から気付かれることもなく、二人は揃って吹き抜けを突破する。吐き気がしているのは、間違いなく気のせいではないだろう。




ただいま帰りました。ええ、本当にすいませんでした
お休みしていたにも関わらず、お気に入り登録が増えていて、本当に感謝です!!


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第16話

 そこで漂ってくる鉄錆の匂いが、途端に強くなり、豁然と広がった光景に二人は瞠目することになる。

 あちらこちらに飛び散る血液、それらに混ざって臓物や眼球が転がっており、それも一人や二人分どころではない。まるで、乱雑な屠殺場と化した現場を目の当たりにした二人は咄嗟に口を塞いだ。眼界を埋め尽くす内臓や屍に鼻息を荒くしつつ、祐介は死者であった死体を見下ろし、どうにも腑に落ちない点を発見し、真一の肩を軽く揺らす。

 

「真一さん......これって......」

 

  同じ違和感を真一も覚えていたのか、短い返答の後に、自身の右手を見詰めた。あまたの死体には、銃では決して残せない傷が多く見受けられる。通常、頭を撃ち抜かれれば、額を中心に焦げあとや、後頭部での炸裂痕が残るものだが、それらが面影すらない。代わりに死体には、打撲傷がある。つまり、これは銃等ではなく、素手で作り上げられた景色ということだ。そんなことが出来る人間が、果たして存在するのかは、甚だ疑問だと真一は考えるが、祐介の見解は違う。

 一人だけ、たった一人だけ引っ掛かる男がいる。そして、この場所が語る一つの真実がある。

 

 ......あの狂気の殺人鬼、東が生きている......?

 

 そんなはずはない。そもそも、片手が潰れた状態で、このような惨状を作れるものだろうか。いや、無理だ、無理に決まっている。

 青ざめた祐介に気付いた真一が、小声で尋ねた。

 

「......どうした?なんか、知ってんのか?」

 

「......いえ、なんでもないです。先を急ぎましょう」

 

 祐介は、視線を無理矢理に剥がし、真一を追い越した。無駄な不安を煽ることになるかもしれない。それならば、いっそのこと、ここでは話さないほうが賢明と判断したが、真一は見逃すことなく、祐介の手を掴んだ。

 

「何もないことないぜ?言ってみろよ祐介」

 

「真一さん......ここで話しても、奴等に感付かれるだけですから、無事に物資を手にしてからで良いでしょう?」

振り返らず、祐介はそう返すされ、真一は二の句が継げなくなるが、お返しとばかりに、祐介の手を引いて前に躍り出て言った。

 

「分かった。だけど、後で必ず話してもらうぜ?」

 

「......はい、それは、もちろん」

 

  隠しきれない動揺を携え、中間のショッパーズモールの外壁を見上げ、風に漂う独特な香りに尻を叩かれながら、二人はぐるり、と回り込み、遂に裏口へ到着した。さしたる障害もなく、拍子抜けしたとばかりに、真一が吐息をついてナイフを腰に戻すと、祐介が鋭く言った。

 

「真一さん、気を抜かないでくださいよ?これからが、本番ですから」

 

「ああ、充分に分かってる。気が抜けて見えたなら謝るぜ」

 

「いえ、俺も少し過敏になっていました......すいません」

 

 祐介は目の前のシャッターを仰いだ。恐らくは、この奥に目当てのテナントがある。しかし、このシャッターが最大の難関となる。




遅れましたがお気に入り270件突破本当にありがとうございます!!


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第17話

「これ......手動で空きますかね?」

 

「ああ、それは問題ないと思うぜ。こういう設備の出入り口は、大体がボタンで操作してる。このショッパーズモールじゃあ、電気は停まってるから、ボタンって選択肢は消える」

 

「じゃあ、あの警報ベルは......?」

 

「警報系統は、個別の電化になるから、停まってても鳴るもんだぜ、と......」

 

  言いながら、真一はしゃがみこんで下部の隙間に指を差し込んだ。少し力を込めるだけで、シャッターが僅かに軋み、渋面する。音に反応し、死者が集まる場合を憂慮しているのだろう。立ち上がり、祐介へ訊いた。

 

「なあ、このシャッターの奥には、まず自動扉があるよな?」

 

  質問の意味が分からず、祐介は首を傾けると、はあ、そうですが、と気のない返事をする。その返しに、真一は黙然と足元を眺めだし、しばらくの後に言った。

 

「一気に開けて、すぐさま自動扉を蹴破りシャッターを降ろす。それとも、ここは諦めて別の入り口を探す。どっちが良いか決めていいぜ?」

 

 唖然とした表情だった祐介は、ほんの少しだけ間を空けて短く笑った。

 

「......聞く必要ありますか?それ?」

 

「だろうな。じゃあ、やろうぜ」

 

  互いに同じ態勢になり、目線を合わせて頷きあうと、一息にシャッターを押し上げた。

 

                 ※※※ ※※※

 

  一人戦車に残った阿里沙は、鬱々としたものを胸に抱えたまま、膝を丸めた。この感情は、一体なにを意味しているのだろう、いいや、本当はわかっている。このわだかまりは、達也に向けられているものだ。阿里沙には、なぜ祐介が達也を許せるのか理解できなかった。そもそも、こんな場所に来なければ、彰一は死なずに済んだのではないだろうか。そうなると、彰一が犠牲になった理由に、達也が絡んでいると思えてしまう。こんなのは、もちろん、逆恨みだ。加えて、穴生で人を信じないのは、我が儘だとも口にしているし、その自覚もある。けれど、やはり、達也に対しての不信が拭えない。

頭にちらつくのは、いつだって彰一の顔だ。そして、その記憶に影を落としていくのは、達也の顔だった。それがとてつもない佞悪を招いてしまい、結果、これからの趨勢を顧慮してしまう、そんな自身の内面が酷く不気味だった。

  どうしてだ。どうして、こんなにも達也のことが信じられないのだろう。

  穴生での一件が関係しているから、許せないのか。はたまた、彰一を失った悲しみの延長にある情緒になるのか。

 

「違う......違う!違う!」

 

  沸き上がる怒りを堪えきれず、阿里沙は戦車の内壁に拳を叩きつけ、音に驚いた加奈子が、大きく目を見開いた。

  はっ、と意識を取り戻したのは、心配そうに歩み寄った加奈子が、阿里沙の肩に触れた時だった。

 

「......ごめん、ごめんね?大丈夫、大丈夫だから......」

 

  こんなとき、言葉を出せない加奈子が傍にいるからこそ、自問の時間が増えてしまう。自分と向き合うことは、意外と辛いことで、なによりも、まだ社会に出ていない阿里沙は、経験に乏しく、決定的な事実に達するまで、思考が巡ってしまう。

  そして、決定的な瞬間は、唐突に訪れる。

  加奈子を安心させようと、抱き寄せると、これまでとは明らかに差異のある感情が芽生えたのだ。阿里沙は、戸惑いながらも、ある結論に達する。

 

「......そっか、そうだったんだ」

 

  認める他にない。これならば、達也への強い憤りも納得がいく。彰一の顔が浮かぶことに対しても、得心することができる上に、体験もない。

 

「あたし......いつの間にか......彰一君のことが......」

 

  それから先は、加奈子の耳に届かないほどに細く弱々しい呟きとなり、冷たい壁に吸い込まれていった。沸き上がる感情というものは、いつでも、どこでも、どんなときでも不意討ちだ。




誤字報告凄まじいことになってましたね……
本当すいません……


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第18話

  浩太と達也は、足音を忍ばせながら、一段一段、着実に階段を登っていき、ようやく四階の踊り場に腰を落ち着けた。滴る汗にすら気を配り、磨り減った神経は、限りなく摩耗されていく。

  これほどの緊張を保っていられるのは、あと数十分が限界だろうと、浩太が皮肉のように口角をあげた。

 

「......なんだよ?なんか楽しいことでも思い出したのか?」

 

 目敏く言った達也は、踊り場の手摺に体を預ける。

 

「さあ、どうだかな。なんで、口元が緩むのか、俺にもわからない」

 

  胸元を探りつつ、浩太は答える。やがて、目当ての煙草を引き出し、一本を達也へ渡した。その際に、彰一との会話が記憶の片隅をかすり、ああ、そうか。口元の緩みは、あの時の緊張と似ているからかと思った。

  もう、あのような話しを彰一と交わせないと気付かされ、くわえた煙草のフィルターを噛んだ。そんな浩太に、顔の前で煙を燻らせ、達也が言った。

 

「......今度は沈んでるな。不安か?」

 

「......不安じゃないときなんか無かった。お前もそうだろ?」

 

「まあな......」

 

  あと、一つ階段を登れば、生死を賭けた闘いが始まる。今までの、どの場面よりも、激しいものになるだろう。達也は足元に煙草を捨てると、踵で踏みつけ、最後に残った煙を吹き出す。

 

「最後の一服、堪能したか?」

 

  浩太に問い掛けられ、縁起でもないことを言うなとばかりに眉を寄せてみせたが、空になったケースを投げつけられる。

 

「変な顔すんなよ。今のが最後の一本ずつだって意味だ」

 

  苦笑いを浮かべた浩太は、半分ほどを残して床に置いた。その意味を図りかねた達也が首を傾けるも、浩太は何も口にせず、しばらく眺めていた。僅かな時間、目を閉じて胸中で呟く。

 

  彰一、あとは、お前の分だ。これだけ残したんだ。力を借してくれるよな。

 

  ふと、目を開くと同時に、マガジンを確認する。装填は充分、予備も二つある。カールグフタフの準備を手早く済ませ、互いに頷きあった二人は、一段目に右足を掛けて登り始めた。もう、引き返すことはできない。引き返すつもりなど毛頭ない。ただ、目線を逸らさず、大勝負に向かうのみだ。とうとう階段を登り終えた二人は、壁に背中を壁に着けて半身を乗り出して様子を窺う。

  アパッチは、ホバリングを続けたまま、二人の正面に位置していた。しかし、距離が離れすぎている上に、夥しい数の死者がアパッチを操縦する運転手へ手を伸ばしながら、呻き、ひしめき合っており、さきほどのチェインガンによる攻撃にあったであろう死体も、足の踏み場がないほど、かなりの数がある。




さ……寒い……


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第19話

 このままでは、カールグフタフを発射したとしても、死者の壁に阻まれてしまうだろう。たった一発の希望を無駄にする訳にはいかない。

 

「こりゃ、かなり厳しいな......どうするよ浩太」

 

 声をひそめて、達也が尋ねる。

 

「......なあ、屋上から狙うのはありと思うか?」

 

「屋上?鍵もねえのに、どうやっていくんだ?」

 

「もちろん、こいつでだ」

 

 浩太は、とん、と軽く銃身を叩いて言った。呆れたように、吐息を短くついた達也が返す。

 

「そんなもん、奴等に気付かれちまうだろうが......そうなると、アパッチを撃墜させるどころの話しじゃなくなっちまう」

 

「だからこそだ。だからこそ、都合が良いんだろ」

 

 言葉の趣旨が、どうにもはっきりとしない。得心の行かない達也は、再びアパッチと死者の大群を一瞥する。

 

「なあ、浩太、どういう意味で言ってんのか、教えてくれよ。このままじゃ堂々巡りみたいなもんじゃねえか」

 

「なら、端的に言うぞ?お前は屋上に走って扉をぶち壊せ!」

 

 次の瞬間、浩太は身を乗りだし、銃撃を開始した。この馬鹿が、などと悪態をつく暇もなく、達也は言われた通りに屋上へと駆ける。浩太は、扉を壊せと言った。ならば、達也も応えるまでだ。屋上への扉の錠を弾丸で破壊する。同時に踊り場から浩太が声を張り上げた。

 

「そのまま出て、給水タンクに登れ!」

 

 そこでようやく達也にも理解が及んだ。通常、巨大な施設には、施設内を巡るポンプが存在する。加えて、定期的な内面掃除の為に、梯子が確実に備わっているものだ。達也が、タンクを取り囲む柵を一気に飛び越えると、アパッチが急速な上昇をしようとプロペラの回転数を上げ始めたのか、金切音が激しくなる。

 

 ここだ。ここしかない!

 

 梯子を昇りきるや、浩太に手を貸すことなく、カール・グフタフを肩に添え、プロペラ音と位置だけを頼りに狙いを定めた。

 絶対に外せない一撃、達也も今だけは外界から切り離された。雑音も伸吟も浩太の声でさえも遮断して、たった一瞬に全てを懸ける。黒い塊が屋上の枠外から垣間見えた時、梯子を昇りながら浩太が叫んだ。

 

「今だあああああ!」

 

 達也もまた、震える指先で引き金に指を掛けた。外す訳にはいかない。これは、命をとした覚悟の一発、そして、希望への架け橋だ。

 すう、と深く吸い込んだ空気が肺に満たされると、達也は声を振り上げた。

 

「堕ちろおぉぉぉ!」

 

 九州地方へ絶望を振り撒く切っ掛けともいえる八十四ミリの巨大な弾丸は、希望の弾丸へと変貌を遂げ、強烈な後方爆風と、七人の様々な思いと共に撃ちだされた。




ミスってました……失礼しました!


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第20話

 ショッパーズモールに集った死者の数は爆発的に今も増えている。熱狂的な支持を集める人物にでもなったかのような気分だ。

 アパッチの操縦士は、さきほど見掛けた男に、拭えぬ違和感を抱いていた。M2重機関銃へ弾丸を補充している塔乗員は、鼻唄混じりに首を上げた。

 

「おい、何を黙りこくってんだよ」

 

 操縦管を握る男は、振り返らずに溜め息をついた。少しばかり、過敏になりすぎているのかもしれない。

 

「なあ、さっき現れた男って死んだと思うか?」

 

 同乗者は大きく笑い始める。その反応は当然だろう。三十ミリの弾丸を雨霰のごとく浴びせ、生きていられるはずがない。それに、巻き添えを喰った死者の肉塊が一面に広がっている上に、新たに四階へ死者が集まり始めている。そんな中で、生身の人間が生きていたとしても、すぐさま襲われてしまうだけだ。どちらでも良い、そんな意味をこめた笑いだ。

 やはり、考えすぎだろうか。操縦士がそんなことを思い、視線をあげると、エレベーターホール内から人影が飛び出し、眼を見開いた。若い自衛官だ。反射的に声を出す。

 

「嘘だろ......?まだ、生き残りがいるのかよ!」

 

 自衛官の男は、姿を晒しだすと、すぐさま、こちらへ銃撃を開始した。だが、やはりというべきか、四階駐車場にいる死者の大群が男を目指して走り始めた。

 

「一度、高度をあげる!捕まっていろ!」

 

「了解!」

 

 プロペラを加速させ、機体を上昇させていく。まさか、駆け込んできた男の他に生存者がいたとは、思いもよらなかった。いや、どちらにしろ、こちらは任務を遂行させるだけだ。自然と操縦管を握る手にも力が入る。そこで、射撃手の男が驚愕のあまりに大声をあげた。咄嗟に目線を下げれば、死者の肉塊に混ざって、さきほどの男が、はっきりとアパッチを見据えている。その目は、間違いなく、生きるものの光を宿していた。チェインガンが攻撃を始める寸前に、運よく倒れたのだろうか。男は死んでいなかった。数多の死体に紛れ、静かに息を殺していたにすぎなかった。

 

「......マジか、あの野郎......」

 

 考えすぎなどではなかった。遡れば、あれだけの死者に追われながら、生き残る一心で四階まで走ってきた男が、そう簡単に諦めるはずもない。

 人間の奥底にある、生きる、という信念は、あらゆる奇跡を起こすのだろう。

 操縦士は、感嘆の吐息を洩らす。その数秒後、機内にけたたましい警報音が鳴り響く。

 

「なんだ!?今度はなんだってんだよ!」

 

 射撃手が慌てて操縦士へ訊くと、一瞬で口を閉ざした。

 見えたのは、給水タンクに座る一人の自衛官の姿、そして、構えたカール・グフタフから発射された特大の一発だ。

 

「なんで、あんなもん持ってんだよ!おい!急げ!高度をあげろ!」

 

 男に意識を奪われすぎた結果、操縦士は、飛来する凶弾への対処が僅かに遅れてしまう。それが、致命的な数瞬となった。急上昇させる機体に迫る一撃は避けようもない。

機体をどうにか転換させ距離をとろうと、必死に操縦管を扱うが、全て徒労に過ぎなかった。操縦士は吼えた。

 

「ちくしょう!駄目だ!間に合わ......!」

 

 眼界に広がった激しい光と、鼓膜を震わす爆発音、そして、炸裂したのちに、燃え盛った炎は、まるで悪魔の顔を模したかのような凶相を作り出す。

 

「ああ、ちくしょう、任務失敗だ、くそったれ......」

 

 悪魔の顔が崩れていき、やがてアパッチの機体は衝撃に耐えきれず、真っ二つに割れた。朦朧とする意識の中、操縦士は共にいた射撃手が、機体から落下する様を視認する。

きっと、これは、人の命を奪いすぎた天罰なのだろう。助けるという選択もあったはずだ。けれど、そうしなかった。任務だと言い聞かせ、助けを求める声を塞ぎ続けた。

 地面へと近づいていく。ふと、気づけば夕陽が操縦士を照らし出していた。毎日のように眺めていた夕陽は、どこにいようと、どこで見ようと全く同じだ。

 

「ああ、そうか......人の命は......軽くなどなかったな......」

 

 アパッチが轟音をたてて、地面に激突する寸前、操縦士はそう言葉を続け、完全に意識を手離した。

 多数の死者を巻き込んだアパッチは、爆発後、中間のショッパーズモール周辺、及び、屋上や店内を徘徊していた死人を呼び寄せていく。盛る豪炎は、再び、邪神の産声を響かせた。




次回より第24部「発展」に入ります!
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第24部 展開

 田辺にとって、この結末は予想外のものだったのだろうか、それとも、ここまで頭を回す余裕がなかったからかもしれない。

 隊長と呼ばれている男達を含め、野田を引き連れ施設から出ると、待ち構えていたのは、青い服に身を包んだ集団と、その先頭に立つ紳士然とした男だ。とても、見覚えがある。毎日のように横目でみることができる男達だった。呆然と立ち尽くす田辺へ、紳士風の男が懐から手帳を一冊つきだした。

 

「通報があって、ここに来たわけだが、どういうことか説明してもらおうか?」

 

  藤堂保信、そう書かれた手帳に一瞥くれると、田辺は心底、舌を打ちたい気分になった。手帳には、藤堂警視正とある。

 あれだけ派手に立ち回れば、こうなるのも当然だが、迎えた結果は、最悪なものになり果てた。藤堂は、ギロリ、と斎藤を睨みつけ口を開いた。

 

「斎藤、お前もだ。なぜ、お前がここにいる?」

 

  斎藤は、答えられず、ただ喉を鳴らす。署長という地位にいる人物が相手ならば仕方がない。だが、この場にいることについての言及からは逃れられない。

 

「何も答えられないのか?なら、質問を変えようか。そこにいる野田大臣が、何故、三人の男に縛られている?」

 

  厳しい詰問に対して、狼狽するように目線を泳がせる。藤堂は、そういった心理状況を読み取ることに長けた人物なのだろう。ゆるりと口角をあげ、三度質問を繰り返そうとした。

 

「いやぁ、申し訳御座いません藤堂さん......でしたか?随分とお騒がせしているみたいで......」

 

  言葉を被せるように、一歩前に出たのは浜岡だった。途端に片眉をあげた藤堂に、浜岡が大仰な動作で詰めよっていき、田辺達が眼を見開いている中、眼前に立つと右手を差し出した。

 

「御会いできて光栄です。一度、挨拶に伺おうとは思っていたのですが、いやはや、こんなところで......」

 

  怪訝に双眸を細める藤堂は、右手をちらりと視線だけで見て、すぐさま浜岡の両目に戻す。どうにも、釈然としないものを抱えたまま言った。

 

「......貴方は誰だ?社会人として名刺を差し出す、これは常識なのではないか?」

 

「ああ!申し遅れました!私、こういう者です」

 

  すっ、と懐に左手をいれれば、藤堂の背後にいる警察官達に緊張が走った。それを右手だけで収めた藤堂に、軽く会釈をしつつ、名刺ケースを高く掲げてから、浜岡は一枚を藤堂へと渡す。

 しかし、藤堂は受け取りながらも、そのまま背後にいた壮年の警官へ後ろ手で回し、内容を耳打ちで訊いていた。そんな奇妙な光景に、田辺は胸中で藤堂へ同情に似た感情を抱く。浜岡と初対面、それも、このような状況であれば、浜岡は充分すぎるほどに警戒の対象となるだろう。全く、眼を逸らしていない。壮年の警官が離れると、藤堂は少しだけ考える仕草をして言った。




第24部始まります!


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第2話

「なるほど、浜岡さんか。噂は聞いてはいたが、まさか、こんな男だったとはな」

 

 恥ずかしそうに、頭を遠慮がちに掻いてから浜岡が返す。

 

「噂ですか......いやいや、なんというか......少し恥ずかしいですね。ちなみに、どのような?」

 

「変わり者かと思えば、そうでもなく、どうにも掴みにくい人物だとな」

 

「......それは、誉められているのですかね?」

 

「さて、どうだろうな。それで、本題に戻らせてもらうが、この状況の説明をしてもらえるか?どうも、斎藤やそちらの男性方は、口が重いようなのでな」

 

 浜岡が困ったように顎を掌で隠す。ほんの僅かな間を空けてから言った。

 

「なんといいますか。ここには、取材の為に訪れただけでして......何をして、どうなったかと問われれば、返答のしようがないのですよ。取材をして終えた、それだけですから」

 

 大儀そうな溜め息が聞こえ、藤堂の目付きが鋭くなる。それは、距離のある田辺ですら、思わず怯んでしまう勢いがあった。

 

「......それを信じるとでも?」

 

 そんな眼孔を浴びながらも、浜岡は平然とした様子で首を振った。

 

「いいえ、信じるとは思えません」

 

 藤堂には、浜岡との会話がパブロフの犬のように感じた。予め決めている言葉を反射的に口にされているようだ。皮肉をこめた口調で言った。

 

「なるほど、掴みにくいとはこのことか。確かに、視線も姿勢も動かない、やりにくい相手だ。だが、こちらも手が無いわけではない」

 

 さっ、と左手を挙げると、再び、張り詰めた空気が流れ始める。

 

「どうする?我々には権利を行使することも可能だぞ?」

 

「ああ......そうきますか......」

 

 お手上げだと言わんばかりの呟きに、藤堂は口を持ち上げるが、その笑みは、浜岡の肩を引いた田辺によって曇ることとなった。

 

「浜岡さん、藤堂さん、お話の最中にすみません」

 

 驚いた反応をみせた浜岡を尻目に、田辺は藤堂に言葉を続ける。

 

「初めまして、田辺と申します。今回の件に関しまして、少しよろしいでしょうか?」

 

「......なんだ?」

 

 藤堂は棘のある口振りで短く返す。鋭角な目尻は、九重並みの敵意を孕んでいるように感じる。しかし、ここで退くわけにもいかない。田辺は、喉を鳴らすと同時に、腹に力を入れて真っ直ぐに藤堂を見据えた。

 

「藤堂さんは、九州地方で起きている感染事件について、何か見解をお持ちでしょうか?」

 

 藤堂の顔付きは、ピクリとも動かず、それどころか鼻で一笑した。間違いなく、情報を入手してはいない、そう確信をもった田辺は、藤堂の間隙を付くことができると、悟られないよう胸中で小さく拳を握る。

 

「君らは記者だろう?それを我々に尋ねることに、なんの意味のある?」

 

「......回りくどく説明しても長くなりますね。なので、単刀直入に申し上げます」



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第3話

 この状況を切り抜けるには、これしか手段はない。

 例え信じられずとも、田辺達には証拠がある。確かな勝算を持ちながらも、一度振り返った。黒服の三人に捕らわれた野田は顔を伏せている。斎藤は、瞼を閉ざして頷き、浜岡は不安と期待が入り交じった、なんとも形容しがたい面持ちで目を背けた。君が決めるべきだ、そんな声が聴こえてきそうだ。田辺は、藤堂に向き直る。

 

「九州地方感染事件、その黒幕は、そちらにいる野田大臣と戸部総理です」

 

 瞬間、警官達から一斉にどよめきが上がった。藤堂の目尻にも狐疑の色が満ちていき、ほんの僅かな時間だけ沈黙した。だが、すぐに、いつもの鋭さを取り戻していき、深い溜め息を吐き出すと首を振った。

 

「何を言うかと思えば、そんな世迷い言か......」

 

「世迷い言などではありません、事実です」

 

 藤堂が言い切る前に、口を挟んだのは斎藤だ。

 

「確かに、俺もこの目で証拠になり得る現場を目撃しています。間違いありません」

 

「......お前、頭でもおかしくなったのか?」

 

 藤堂の猜疑心は晴れない。今まで何もしていないのだから、それも当然と言える。関わらなければ、人は自分から動くことなどないし、ましてや、首を突っ込むことなど、あり得ないだろう。届かない理解ほど苦しいことはない。

 斎藤としても、野田の発言に期待するしかないのだが、当人は何をするでもなく、力なく俯いているだけだ。

やれやれ、と改めて吐息で区切った藤堂の呆れに、田辺は肩を震わせた。

 

「田辺君、だったか?そろそろ、良いか?我々も暇てまはないのでな」

 

「待って下さい!まだ、話しは......!」

 

「話しは十分に訊いた。その結果、聞く価値はないと判断する。おい!」

 

 藤堂の一声で、先頭にいた壮年の警官が身構えた。

 甘かった、と痛感する。焦りから自分一人になりすぎていた。そう、藤堂を始めとした警官達は、地下での一件には居なかったのだ。何が、例え信じられずともだ。端から、信じられぬ要素を多分に含んでいる事件と捉えていたはずなのに、自分本意で話しを進めてしまった。なんとも、情けない話しだ。一斉に、動き始めた警官達は、捜査官と二手に別れて行動を開始する。屈強な男性に取り押さえられた田辺や浜岡、斎藤は膝を着かされ、黒服の三人は背中に隠していた銃も押収された。

 奥歯を噛み締め、田辺は隣にいる浜岡へ言った。

 

「浜岡さん......すみません......」

 

「焦りすぎだよ田辺君、何をそんなに心配しているんだい?いずれは、野田大臣も発言するだろうし、ここで解決する必要はなかったんだ」




寒いな……


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第4話

 勿論、田辺の焦りには、明確な理由がある。野田の別宅、つまりは貴子と最後に会った時から募った疑懼は、戸部と新崎優奈の死を認めた時から、大きく膨らんでいた。止まらない膨張は、唸りをあげて田辺の腹を突き破ってしまいそうだ。このまま、胸の内に仕舞い込んでしまっていて良いのだろうか。いや、浜岡にならば、打ち明けるべきだ。

 斎藤が藤堂へ怒鳴り声をあげる中、田辺は浜岡にしか聞き取れない小声で語りかけた。

 

「浜岡さん、今からする僕の話しは、馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、聞いてくれますか?」

 

 神妙な声を聴いた浜岡は、誰にも気付かれないよう目配せだけで返事をし、田辺もまた、緊張感を保ったまま、やや早口で言った。

 

「今回の事件、アメリカが絡んでいる可能性があるのは、浜岡さんも知っていますよね?」

 

 野田の側近のように付き添っていたあの男のことだ、そんな意味で浜岡は首だけで返す。それを確認したのちに、田辺は続けた。

 

「僕は、九州地方における事態をどう収めるつもりなのだろうかと、考えました。それで......」

 

 言い淀んでしまい、ついつい、浜岡を横目で確認してしまう。そこにあった表情は真剣そのものだった。与太話と一蹴するでもなく、田辺の次なる言葉と真摯に受け止める準備はできている、そんな決意が伝わる熱い眼差しが、田辺の背中を押してくれた。何度、田辺は浜岡に助けられてきたのか、数えきれるはずもない。人を励ますには、相応の勇気が必要になる。

 田辺は、自身の内側で陰っていた心境を吐き出すように言った。

 

「核爆弾の使用を考えている、という結論に到りました」

 

 雲を掴むような話しであることは、田辺自身も理解している。現在の九州地方が如何に危険な場所だと指定されたとしても、その被害が世界に及ばなければ、それだけは絶対に起こり得ない。野田もそんなことはよく理解しているだろう。

だが、浜岡は一笑するでもなく、ましてや、鼻で笑うこともなく、深刻そうに眉間を狭めた。

 

「......やはり、趨勢というものは、計り知れないものだね......」

 

 浜岡の声に、田辺は短く、はい、としか答えられなかった。これから先のことなど誰にも分からない。実際に想定の通りに物事が運ぶなど、余程のことがなければ起こらない。あくまで、想定の話しだ。しかし、想定とは、あらゆる最悪の結果を先に導きだしてしまうものだ。逆説を捉えなければ最良は見付からず途方に暮れる。

 

「しかし、可能性があるということは、起こり得ることだ。そこで提案があるのだけれど......」

 



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第5話

田辺が首を傾けた。それと同じくして、施設内から喉が裂けそうなほどに大きな悲鳴が聴こえた。全員が一斉に振り返り、施設の入口へ視線を注ぎ始め、次第に、ぽつぽつと小声が上がる。やがて、息を切らせた捜査官が右腕を抑えつつ現れ、肩を震わせながら叫んだ。

 

「と......藤堂さん!中に!施設の中に化け物がぁ!」

 

「落ち着け!何があったのか、ゆっくりと説明しろ!」

 

 鬼胎に満ちた藤堂の両目は、駆け出してきた捜査官の背後に集中している。大仰な素振りで右の袖を捲し上げると、その場にいる数十人へ聞こえるよう声を張った。

 

「これは、中にいる化け物から噛まれた傷だ!藤堂さん、全員に銃の使用許可を!許可を願いま......!」

 

 捜査官の声は、そこで甲高い金切声に変わった。突如、背後から現れたのは、腹を破られた一人の男性だった。露出した臓器は、地面に垂れ下がり、片目を深く抉られ、頬も無惨な傷跡を晒している。悲惨な男性の姿は、周囲を阿鼻叫喚の地獄絵図へと一瞬で叩き落とした。

 狼狽する藤堂を始め、警察官達は、動くことも出来ず、ただただ、醜悪な男性に喉を食い破られ、声も出せずに片腕だけをあげて、助けを求める同僚が喰われていく様を眺めていることしかできなかった。

 嗚咽の音が聞こえる。誰かが、凄惨な光景に堪えきれず、吐き出したのだろう。それが、現れた男性を刺激してしまった。まるで、動物の威嚇のような通苦の獣声を洩らしつつ、真っ白に濁った双眸を警察官達へ向けると共に、これまでとは違ったどよめきが巻き起こった。

 その顔は、様変わりしているものの、テレビや雑誌で見ない日はないほど、ありふれた顔だったからだ。男性がゆっくりとした動静で立ち上がり、藤堂が掠れた声を出した。

 

「と......戸部......総理......?なんだ?なんで、そんな姿でいきているんだ……?」

 

 死者へと転化した戸部が、自身を囲む警察官たちを見回して、一足で走り出す。蜘蛛の子を散らす勢いで、警察官達が逃げ出していく。そんな中、田辺は呆然と事のなり行きを眺めていた。

 思考が追い付かない。何故、戸部があの姿で生きた者のように走れるのだろうか。まさか、新崎優菜がいた部屋の扉を開けたのだろうか。死者と成り果てた戸部が、膝をついた田辺を発見し、延吟をたて始めた。それでもなお、田辺は動けない。

 

「田辺!なにをしてる!」

 

 そう声をあげたのは、斎藤だった。走り寄る戸部をタックルで突き飛ばし、鋭く田辺を睨み付けた。




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第6話

「放心している場合か!この場で奴等と接触した経験があるのは俺達だけだろうが!」

 

 斎藤の檄に、田辺は我に返ることができた。そうだ、混乱している暇などない。

 とにかく今は、最善の策を練るほうが優先だ。その為に、必要な事と言えば一つしかない。田辺は、立ち上がるなり、藤堂へ声を掛けた。

 

「藤堂さん!施設内に入った捜査員は何名ですか!」

 

 狼狽えながら、藤堂は返す。

 

「さ......三十名だ......なあ、これは一体、何が起きているんだ?」

 

「話しはあとでしましょう!とにかく、被害の拡大を......」

 

 設内から、瞳の色が違う死者が現れてしまい、田辺の言葉は、そこで途切れることとなる。苦虫を噛み潰したような顔で、田辺は隊長と呼ばれている黒服の男へと声高に言った。

 

「隊長さん!銃は!?」

 

「ない!拘束された時に奪われた!」

 

 くそっ、と短く悪態をつけば、浜岡が藤堂へ口を開いた。

 

「銃の使用許可を出してください!このままでは、東京に被害が......!」

 

「しかし......」

 

 俊巡する藤堂の肩を両手で掴んだのは田辺だ。あまりの事態に、対処方が浮かばないのだろうが、構っている時間はない。田辺は奥歯を噛んだ。

 

「分からないのですか!中にいる捜査員は、時間が経過すればするほど、犠牲になっていくんですよ!いや、それよりも、東京全土へと被害が広まってしまう!考えている暇などありません!」

 

 既に、施設からの叫び声は途絶えてしまっている。訪れつつある最悪の結末は、もう間近に迫っていた。ここで、この場所で止めなければならない。再び、施設内から三人の死者が現れ、藤堂は目を剥いた。

 自らが送り込んだ捜査員のなれの果てが、身体に走り続ける疼痛に呻くような長く細い声を上げ、その様を見せ付けるかのように藤堂へと白濁とした両目を向ける。

 人の目は口ほどに物を言う。見据えられた藤堂は、それをありありと感じ、畏怖の念を抱いた。

 

「う......うおおおおお!」

 

 隣にいた警官のホルスターから拳銃を引き抜くと、一気に引き金を絞った。轟いた銃声に、逃げ惑っていた警官達が足を止める。着弾したかどうかなど、確認する間もなく、藤堂は叫んでいた。

 

「撃て!撃てえええええ!」

 

 東京の空に、数多の銃声が吸い込まれていき、昇った血煙は地面へと落ちていく。次々と倒れていく死者を目の当たりにした田辺は、以前、胸に去来した思いを浮かべていた。

 東京の喧騒と平和、これがいつまでも続く訳がないと思っている。どんなに栄えた国家の終末には、必ず、原因不明の奇病が関わっているのだからだ、といった脳裏を過った言葉。まさに、ぴたりと当てはまる惨状を見ていると、自然と涙が溢れだした。



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第7話

 原因がはっきりとした今、この悲劇を作り上げたのは、かつての親友である野田だ。

 こうならないよう、止めることが出来なかった。平和な日本に、さながら戦場のような銃撃を響かせる前に、どうにか出来なかった自身を責めてしまい、ついには膝から崩れ落ち、両手が地面に落ちた。

 ポタポタと両目から流れ出した染みが広がっていき、田辺は握った右手で地面を殴打する。

 

「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!ちくしょう!このバカ野郎!」

 

「田辺君!」

 

「どうしてだ!どうしてこうなってしまったんだ!何故、止められなかった!何故だ!くそお!」

 

 肩に置かれた浜岡の手を切り、皮膚が破れ、拳頭から流血するも、お構いなしに田辺はアスファルトを殴り続けた。

 鳴り止まない銃声は硝煙を燻らせ命を終わらせていく。人に訪れた僅か一度の人生、望まぬして受け取った二度目の生、それを終わらせない為に、田辺は事件を追求した。その結果が、これでは救われない。耳を塞ぎたくなる銃声が止み、右手に走った鋭痛を切っ掛けに、田辺は殴るのを止め、そのまま頭を垂れて額をぶつけた。

 腹の底から吹き上がる苦しみを放出する方法が分からない。どれだけ叫んでも、晴れる気がしない。蚊の鳴くような細い声で嗚咽混じりに突っ伏した。

 

「ぐっ......くそ......くそぉ......」

 

 小さなひとつの犯罪でたくさんの命が救えるなら、それは正義ではなかろうか。

 罪と罰の一節が浮かび、田辺は伏せていた顔をあげた。

 そうか、そういうことか。罪は消えないが、罰は姿を変える。この結果が僕の罪ならば、これは野田の罰と言える。だが、野田にとっての最大の罰とはなんだっただろうか。決まっている、東を殺せずして、自身が死んでしまうことだ。

 しかし、罰はいつでも、最悪へ変わっていくものなのだろう。現状、野田は生きている。

 田辺は、すべての歯に、有らん限りの力を行き渡らせて立ち上がると、消魂しきった野田へと詰め寄り、胸ぐらを掴みあげ、血塗れの拳で頬を撃ち抜いた。

 

「田辺!なにを......!」

 

 傍にいた斎藤が、背後から田辺を羽交い締めにして言葉を失った。田辺が、これまで見たことがないほどの鬼のような剣幕で、野田を睨目つけていたからだ。

ふうふう、と激しく肩を上下させながら田辺が言った。

 

「野田さん、分かりましたか。貴方がどれだけ現実から目を背こうと、現実はいつだって、自分の背後に迫っているんです。その結果がこれだ!」

 

 野田は、大の字で横たわったまま、空を見上げている。その瞳に写っているものは、他の者には判断出来ないが、田辺には、まるで天に唾を吐いているように思えた。

 

「あと、何人巻き込めば、気が済みむんだ......人は......命は......貴方の復讐の為の道具ではない!」




田辺……


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第8話

 行いは、必ず良し悪しに関わらず返ってくるものだ。大きかろうが小さかろうが、受け止められようが、受け止めきれなかろうが関係などない。それが、人の行いというものだ。浅ましいと思うなら思えば良い。だが、これは揺るがない事実なのだ。

浜岡は、そんな田辺の背中を見て、もう、正義感に振り回されているだけだった部下はどこにもいないのだと、一人悟った。

 野田は、九州地方に薬物を打ち込んだ人間を乗せた旅客機を搭乗させた日から、後悔の念を誤魔化してきた。吐き気を催す時もあった。それでも、東への憎しみを悪魔の供物として捧げ、人間の心に蓋をしてきた。

 難病と呼ばれるウェルナー症を罹患した新崎優奈を被験体として、研究を進めた。その父親をも利用し、九州地方を地獄へ叩き込んだ。すべては野田良子の為に、すべては東を殺す為に、野田は人であることを止めようとした。けれど、田辺に殴られた頬は、確かな熱と鈍痛を伝えてくる。この痛みは、人であるという、なによりの証拠ではないだろうか。

 人は人をやめられない。だからこそ、人としてあらゆる痛みと向き合わなければいけないのだ。苦しい時は、人を頼らなければならない。悲しい時は、誰かが傍にいてくれなければならない。助け合うことが出来る、この一点こそが人の生そのものだ。そんな誰でも知っている様なことを、野田は長らく失念していた。

 頬に走る熱は、次第に下がっていき、胸に到達する。そこから、全身に柔らかく広がっていくと、右手が震え始めた。視界がぼやけていき、唇の端に塩気を感じる。空が、景色が、眼界を埋める風景が良く見えない。東京の街の喧騒が聞こえてくる。勿論、銃声などではない、死者の呻きでもない、温かな人の肉声だ。多くの音に紛れているにも関わらず、人の声は、これほど澄んでいる。塞いでいたのは、心だけではなかった。野田は、攣縮する声で言った。

 

「田辺......お前は俺を間違っていると言ったな......」

 

 田辺は静かに、こくん、と頷いた。見えてはいないけれど、ハッキリと分かる。痺れる右腕で両目を隠した野田が続けて訊いた。

 

「間違いは......正せるものなのか......?」

 

 今度は、首を横に振った田辺が返す。

 

「貴方がやったことは、間違いなんて範疇を越えています。とても、正せるものではありません」

羽交い締めにしている斎藤に視線を送れば、意図を察したのか田辺を解放した。自由になった田辺は、様々な思索を巡らせていく。



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第9話

 二人で酒を酌み交わした時、室内に反響した戛然は、訣別の音色になった筈だった。しかし、どうだ。田辺は、今も野田を前にしている。長年の付き合いで築き上げてきた友情は、揺れはしたものの壊れることはなかった。思い返してみれば、野田には、これまで田辺を亡き者にする機会などいくらでもあったのだ。だが、田辺は今も生きている。

 

「この事態は、あの死体の山は、貴方が招いた罪の証です。そして、九州地方で起きている惨状すらも......」

 

 周囲が固唾を飲んで見守る中、横たわる野田との距離を縮めていきつつ、ピクリとも反応を示さない野田へ田辺は一方的に語りかける。

 

「だけど......浜岡さんの言葉ですが、罪は消えないものですが、罰は形を変えるものです。そして......」

 

 野田が聞いていてもいなくても、構わなかった。田辺は、倒れたままの野田へ右手を差し出して言った。

 

「罰を変えるには、周囲の人間による助けが必要です。野田さん、最後に二人で酒を呑んだ時のことを覚えていますか?」

 

 野田は、相変わらず沈黙を答えとし、田辺もまた、それを受け取り、野田の左手を掴んだ。

「僕は、あの時、野田さんとの繋がりを絶ってしまおうと思っていました......ですが、貴方を絶つ覚悟をする為の犠牲など見当たらなかった」

 

 何かを成したいのであれば、犠牲を払えとは斎藤の言葉だ。取捨選択は、時として残酷な結果を産み出してしまう。

 この場合、九州地方を助けたければ、野田を切れという意味になる。だが、野田との長年の記憶を簡単に捨てることなど出来なかった。記憶とは命だ。人や動物は、記憶があるから生きていける。

 

「見つからない......見付けることができない......それはつまり、僕には、まだまだ貴方が必要......いや、違いますね」

 

 田辺が力強く野田の腕を引っ張れば、隠れていた両目が露になった。ゆっくりと清冽な水が流れたような涙の跡は、まるで、はっきりとした答えを得た証のように、顎先でパタリと切れている。

 野田は、一人で苦しんできたのだろう。決して許されることはないが、それでも、田辺は野田の存在を消すことなど不可能だった。だからこそ、田辺は片膝をついて、視線を合わせて言った。

 

「僕は貴方との友情を壊すことなどしたくありません。世界中が敵になろうとも、僕だけは味方でいます。それだけの覚悟はできました」

 

 田辺の黒目は、震えもせず、揺れもせずに真っ直ぐに野田を捉えて離さない、毅然たる瞳だった。野田はその眼を見ていると、吸い込まれていく感覚を味わった。

 ああ、そうか。俺の時間は、あの日から、良子を東に奪われた瞬間から動いていなかった。仇をとるためだけに生きて、もし良子がいたのなら、なんと言うのかすらも考えず、自分に全て合わせてしまっていたのか。野田は奥歯を噛んで、田辺へ尋ねる。

 

「なあ、田辺......お前は何を犠牲にして......俺との友情を守る覚悟を固めたんだ?」

 

 田辺は、笑って答えた。

 

「復讐という名の瞋恚に燃える野田さんです」

 

 僕だけは、貴方を許します。

 田辺は、そういう意味を込めたのだろう。野田は、そんなものは犠牲とは呼べないと破顔した。

 どれだけ大きな事件を起こしても、最後には隣で、笑って許してくれる友人が一人でもいる。それだけで、野田は救われた気がした。

 腹の奥にあった黒い靄が霧散していくと、同時に田辺の背後に良子が立って、あの頃と同じように笑っている姿が見えた。もう、野田の胸中で、復讐を囁きかけてくる妻はいない。長くはないだろうが、また三人で共に残された時間を笑い合えるだろうか。

 

「すまなかった......田辺、良子......貴子......」

 

 ようやく、動き始めた車輪は、これから先の展開を劇的に変えることになるだろう。噛み合わない轍ほど、進みにくい道はない。



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第10話

               ※※※ ※※※

 

 とある殺人者は、自身はサイコパスであると認めた。

 サイコパスとは精神病質という反社会的人格を持った人間のことだ。サイコパスは時折、異常犯罪者と結び付けられることがあるが、心理学や精神病理学の分野では社会に適合し、ある程度の成功を収めたサイコパスの存在がある。

 あるビジネスマンは人間関係を円滑に進めたり、危険を顧みずに仕事を進めたり、仕事で成功を収める上で必要不可欠な能力を備えていた。だが、ビジネスマンの裏の顔は異常なまでに不倫を繰り返し、極度の酒好きというものだった。しかし、サイコパスが必ずしも犯罪的でありながら、排他されるべき存在である、と結論づけるには些か、早計ではないか。

 1977年、成功したサイコパスに対して、ある研究が発表された。ハーバード大学教授だった男は、心理学を専攻する中で、避けては通れないとし、成功した実例を支点として、注目を集めた。手始めに、日本で言う新聞の文通コーナーを介して、サイコパスの特徴を満たした人々に接触を試み、さまざまな調査を敢行する。調査の結果、新聞で出会った人たちの約65%はサイコパスの基準を満たしたことが判明した。

 そして、サイコパスと断定した人の中に犯罪歴を持つ人は皆無で、驚くことに、銀行員や証券会社員といった社会的地位を確立している人もおり、調査結果から、恐れ知らずといったサイコパスの特徴を英雄や偉人的な行動と結び付ける仮説をたてる研究者が現われ始め、ある学者は偉人とサイコパスが同じような遺伝子をもつ可能性があるという仮説をたてた。

 安部はどちらだろう、と東は考える。恐らくは、九州地方がこのような惨状に見舞われなければ、偉人になりえた男だ。そもそも、革命的な思想というものは、人間の育ち方と関係がある。何をして、何を見て、何を感じてきたかに尽きるから、覆そうと渦中へ身をおく。

 けれど、そういった物事には、常に危険が付きまとい、皆がそれを怖れてしまう。そう、サイコパスでなければだ。決定的に、安部は恐怖に耐える気持ちが足りていなかった。楽しむ、くらいの気概がなければ、革命は起こせない。その点、東自身はどうだろう。中間のショッパーズ・モールを後にした東は、通谷の電停を越えて、宛もなく歩いていた。肩から提げたリュックサックを揺らし、右手にあったマンションを仰ぎ、一階の駐車場へ目線を下ろし首を傾けた。真新しい車が一台だけ停まっている。どうにも、疑問を抱き、近づいてみれば、シートやハンドルも新品同様だ。それも、磨かれた跡も確認できる。つまり、この車の持ち主は、どこかに潜伏しているということだろう。




※←使うの最近忘れてました……


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第11話

 中腰の態勢から顔をあげ、再び、マンションを見上げる為に、振り返る寸前、こめかみに硬い感触があり、東は動きを止めた。

 

「......悪いことは言わない。そのリュックサックを渡して、どこかへ行け」

 

 声からして三十代ほどだろうか。ちらり、と横目で盗み見れば、東に銃を向けている男の背後に、二人組みが立っていた。

 なんとも僥倖だと、口角を捻りつつ両手を挙げる。

 

「おっかねえなぁ......よお、この車はアンタラのものか?」

 

 男は、鼻を鳴らして答えた。

 

「それが、どうした?」

 

「こんな時でも、綺麗にしてるなんざ、よっぽど車が好きなんだろうなってよ」

 

 くっくっ、と喉の奥を響かせた東に男は眉間を狭めた。トリガーに掛かった指に僅かな力がかかる。

 

「随分な余裕だな?いますぐ、頭を撃ち抜かれたいか?」

 

「そうすりゃ、銃声で集まってきちまうぞ?」

 

「ああ、そうだな。だから......」

 

 男は言い終わると同時に、銃口を東の右足に向けて発砲した。ガクリ、と項垂れるように膝をつけば、続けざまに顔面を蹴りあげられ、仰向けに倒れると、胸と腹部に四発の弾丸が撃ちこまれた。

 硝煙を揺らせる拳銃は、日本の警察がもつタイプのものだ。ニューナンブM60を腹に差し込みなおし、男は肩をすくねた。

 

「悪く思うなよ。こっちも生き残りたいんでな」

 

 二人組のうち、一人が前に出た。

 

「おい、早いとこ移動するぞ。さっきの爆音もあるし、ここにいたら危険だ」

 

「ああ、そうだな。その前に......」

 

 仰向けの東の脇に爪先をいれ、伏臥させる。目当てのリュックサックを一息に剥ぎ取ると、ポケットから車の鍵を取り出し最後の一人である女性に投げた。

 

「準備だけしてろ。どんだけ役立たずでも、それくらいなら出来るだろ?」

 

 冷たい口調で、男は言った。

 女性は、両手を胸の前で組んで、こくり、と深く頷く。年齢にして二十代前半といったところだろう。瞳に怯えの色を残しつつ、東のリュックサックを探る二人を横目に鍵穴に差し込んだ。

 

「うわああああああああ!」

 

 突如、響いた悲鳴に、女性は弾かれるように振り返った。

 東を撃った男の右手から、小指と薬指が失われている。もう一人は、なにが起きたのか理解できていないのか、尻餅をつき、リュックサックへ視線を送っている。

 

「いっ......いてえ!くそっ!ちくしょう!どうなってんだよ!くそったれ!」

 

 右手を抑えながら、鋭くリュックサックを睨みつけた男は右足をあげ、蹴り飛ばす寸前、降り提がる右足を何者かに捕らえられ息を止めた。車の鍵を受けた女、更には、尻餅をついた男すらが驚愕のあまり、声を出せなかった。胸と腹に銃痕を残した東が、伏した状態のまま、左手で男の右足を掴んでいたからだ。

 ほんの数瞬の間は、次の瞬間に絶叫に変わった。二本の指が欠けた男の右足首が、あらぬ方向へねじ曲げられた。




幼女戦記というアニメを人に勧められて見てみたが、いやはや、面白かったw
最後のセリフ……安倍と東に言ったら多分、キレるんだろうなあw


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第13話

もんどりを打ち、前のめりに倒れれば、シーソーのように東が立ち上がり、自身の胸と腹に一瞥くれ舌を打った。一度だけ、撃たれた箇所に掌を当てれば、べったりと紅く染まっている。

 

「......やっぱ、痛みはあるな。あーーあ、これで痛覚も無くなってれば、文句なしだったんだがなあ……神様ってやつもずいぶんを皮肉なもんだな」

 

何事も無かったかのように、コキコキ、と首を鳴らし、二人組を視認すれば、その様は、さながら、蛇に睨まれた蛙だ。腰が抜けた態勢で後ずさる男を尻目に、東は脂汗を滝のように流しながら、自分の足首を凝視していた男に言った。

 

「よお、一つ尋ねたいんだけどよ。テメエは、神ってやつの存在を望むか?」

 

不意に投げ掛けられた問い掛けに、男の視線が泳ぎ出す。答えを探っているのか、単純に東への憂懼を募らせているのか、どちらとも判断がつかない。ただ、分かっているのは、答えを間違えてしまえば、この小柄な男により、命を奪われてしまうということだけだ。

男は必死で思索を巡らせ、生唾を呑み込み口を開いた。

 

「か......神が、もしも本当にいるのなら......俺は信仰しない......こんな世界に落とした奴なんざ、信仰してたまるか......!」

 

きつく咎めるように、目尻を釣り上げた。無くなった指を庇いながらではあるものの、男の眼力は色あせることなく東を捉えている。しかし、その返答に対して、東は冷笑を浮かべた。

 

「おいおい、馬鹿かお前はよ?意味を履き違えてんじゃねえよ。俺は望むかと訊いたんだ、信仰するかどうか、なんざ聞いちゃいねえよ」

 

「......えっ?」

 

その頓狂な声が男が発した最後の一声となった。

東の振りかざした右拳は、吸い込まれるように男の顔面に振り下ろされる。アスファルトとの板挟みにあった頭部は、鼻を中心として、拳が埋まるほどに巨大な窪みを作られた。その光景を目の当たりにした、もう一方男の股に、大きな染みが出来ていく。

 

「ひっ......ひい!ひあああああああ!」

 

東が、ビクビク、と痙攣している身体を眺めて数秒後に、拳を引き抜けば、拳頭にゼリー状の物が付着していた。光悦の表情で舌で舐めとると、東は哄笑した。愉快で堪らなかった。少し前の東ならば、こんなことは口にしなかっただろう。だが、今となっては容易に質問できる。これも、安部さんが俺の中で生きている証といえるのかもな、と唇を歪めた東は、残った男へ双眸を預けた。



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第13話

「そんなに、ビビるなよ。こちとら聖職者みたいなもんなんだからよ。もっと気楽に話しをしようぜ、なあ?」

 

男は、首を横に振った。拒絶の意思にしろ、聖職者への否定にせよ、とても信じられるものではないのだろう。愉悦に満たされた東の笑顔は、根本にある憂懼を誘う。後ずさる男は、やがて右手の人差し指を突きだした。

 

「お、思い出した......!お......俺は......俺は、お前を知っている......!な、なにが聖職者だ!?この人殺し!」

 

ニイイ、と吊り上がった口角の奥に垣間見えた犬歯が紅く濁っている。

 

「そりゃそうだろうよ。俺を知らねえ奴はいない。けどな、今の俺を知っている奴は一人としていねえ」

 

この狂人から、これから何をされるのかと想像すれは、自然と悲鳴をあげてしまう。顔面を潰された相棒の身体は、いまだ小刻みに揺れていた。弛緩する肉体というのは、何事もない状態を見慣れている分、余計に不気味だ。ガチガチ、と噛み合わない下顎で、どうにか息を呑めば、小柄な男は続けて言った。

 

「聖職者ってのは、誰よりもイカれやすい。けどな、俺みてえな奴は、世界にごまんといるもんだ。ウラ・フォン・ベルヌスなんて、良い例じゃねえか」

 

響いた高笑いは、聖職者のイメージからは、かけ離れている。ただ、純粋に恐ろしく、男は、もはや動くことすらままならなかった。

ふと、東の笑い声が止まる。唖然と見上げていた男は、怪訝に眉を寄せた。気付けば、自身に注がれていた視線はリュックサックの方へ移行している。そういえば、あの中身を見たのは、殺された男だけだった。中身を引き出そうと右手をつき入れた時、指が二本、切断されていたのだ。男の胸中に不安が広がっていく。

 

「ああ......悪かったな、ついつい放っちまってたよ。なんだよ、そんな怒んなくても良いじゃねえか、俺とアンタの仲だろ?」

 

東の顔は、明らかにリュックサックへと向いている。奇妙な光景だった。

膝を折り、まるで高級品でも取り扱う専門の業者のように持ち上げ、リュックサックの口から中を覗き、満足気に頷く。そこから、漏れて聞こえるのは、もはや聞き慣れた声だった。呻き声や獣声に似た唸りは、強烈な向風となって男の頬を叩いた。

 

「なんだ、腹が減ってんのか?ああ、そいや、お互いこうなってから何も口にしてねえな......」

 

疑うことなど微塵もない。

男は、中身を理解してしまった。冷えた汗が全身から吹き始める。じっとりとした手付きで、東はリュックサックに両手を突き入れて引き出す。

現れたのは、男性の生首だった。目を見開いた男と女の悲鳴が木霊する。

 

「うるせえなぁ......なあ、そうは思わねえ?安部さん」

 

言いながら、首だけとなった安部を腰が抜けたままの男に、キャッチボールでもするかのような気軽さで投げた。安部の首は腹部に乗るやいなや、鋭い犬歯を皮膚へと突き立てた



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第14話

「ひあっ!ひあ!ひあああああああ!」

 

男は、苦悶と必死が入り交じった形相で安部の頭部を払おうとするが、間髪入れずに東が飛び掛かり、男の両手を押さえつけた。粘りのある声が降ってくる。

 

「裁きの邪魔をすんじゃねえよ......ひひひひひ!ひゃはははははは!」

 

食い破られた腹部から露出した臓器がだらしなく垂れ始めると、男は喉までせりあがってきた血を口から吐き出した。大量の血液が声帯に流れこんだせいで、もはやガクガクと痙攣を繰り返すことしかできないが、急所には至っていないのか、首と両足を突っ張って極限の激痛を味わいながらも生きている。血だまりに浮かんだ男の頬を、東が二度軽く叩いた。

 

「よお、まだ生きてるよな?どうだ?さいっこうの気分だろ?どんな罪にしろ、贖罪ってのは気持ちが良いもんだからなあ!」

 

涙で滲んだ眼界に広がるのは、凶悪な悪魔の笑顔だ。実に楽しそうに、東は身をあげて、飛び上がらんとばかりに両腕を横に延ばした。

 

「知ってるか?平和の対義語は、戦争じゃない!変化だ!テメエは九州がこうなって何を見てきた?この数日に起きた変化に何を感じた?表しか見れない奴等が増えたのは何故だ!平和だからだ!変化を恐れて仮初めの平和を享受する!ああ、そうだ!もはや、平和ってやつは罪の象徴なんだよ!」

 

 男の胃袋が露出する。肋が疎らに覗き、臓器が揺れ続けている。尋常ならざる重苦を受けても、何故か、死ぬことができない。急所を外されているのだ。多量の出血により、男の身体は大きく震え始め、同時に東が鎌首をあげ、大口を開くと一気に男の顔面に振り下ろした。

 

「むぐううううううう!」

 

 しっかりと噛みつかれた鼻を強引に千切り、口の中で転がして嚥下する。味わい尽くしたかのように、深い息を吐きつつ空を仰ぎ、次の瞬間、再び男の眉間へと噛み付き、力任せに皮膚を引き裂いた。一気に剥がされ、顔の半分の筋肉と血管が露出する。次の一撃で、頭蓋を砕かれ、ようやく男の呼吸は止まった。

 男の腹を掘り進めていた安部の生首を丁寧に取り出すと、東は口元を袖で拭い、真っ赤な唾を吐き捨て、残った女へ首を回し、短い悲鳴を聴きとると、再度、口角を邪悪に引き上げた。

 

「女......名前は?」

 

「わ......渡部......邦子......です......」

 

 瞬間、東は甲高い笑い声をあげ始める。訳もわからず、傍観していた女の両足は、立ち方も知らぬ赤子のようだ。一頻り、笑い終えた後に東が言った。



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第15話

「邦子か。テメエにとっての悪者は消えたぞ?さて、これからどうする?」

 

問い掛けられた言葉、それは邦子と名乗った女にとって核心をついた一言だった。何故、知っているのだろうか。邦子は、喉を鳴らす。

 

「な......なんで......?」

 

「あ?なんでだぁ?そんなもん、簡単に分かるだろ?男二人にはお前を守る利点は何一つない。だが、同行を許されてんだ。この矛盾を解決するには、たった一つだけ方法があんだろ」

 

東の視線が下がり、邦子の股で止まった。恥じらいから、両手で股間を抑えた邦子へと東は続けて言った。

 

「恥じゃねえだろ?テメエは、生き残る為に正しい判断をしてんだ。死が間近に迫った男女は、子孫を残ろうとする。本能を利用した作戦を実行したことをもっと誇れや、しかし、こいつらも俺を平気な面で撃ったからには、それなりに色々あったみてえだな。まるで、アナタハンだ!良かったな、史実みてえに、テメエが狙われなくてよお!ひゃあはははははは!」

 

縦社会の中には、横領、横流しといった横の関係が必ず存在する。上から落ちてくる圧力から逃げるには、横に逸れるしかないからだ。男には体言が難しいが、女は自身を捨てることが、もしも、万が一にも出来れば、別の横の関係を築きやすい。決して正しいことではない。人によっては、卑怯者と呼ぶことさえあるだろう。

だが、変化が起きれば話は別だ。そして、東が求めていたのは、そのような人物だ。安部の理想を叶える為には、自身にとって、この世界に生まれて、初めて現れた完全な理解者の夢である子供が犠牲にならない真の平和の実現の為には、この九州地方に対応する力をもった人間が必要なのだ。

渡部邦子が、これまで生き残ってきた軌跡は、壮絶なものだっただろう。しかし、目的は達成している。弱肉強食が全面に炙り出された現状で、いまもなお、息をしている。

東は、尻餅をついたままの邦子を見下ろすと、拳ではなく、右手を開いて差し出した。驚きから邦子は東を見上げた。

 

「どんな理屈を説いたところで、真実には到底、至らねえもんだ。テメエは、新たな世界の平和ってやつを見てみたいか?」

 

邦子は、泰然とする東の背後にある二人の死体を見やった。拳銃という武器で築かれていたコミュニティを壊し尽くした男二人は、目の前にいるたった一人に、全てを難なく奪われた。

絶対的な支配者は、邦子にとっての世界だった。それが脆くも、瓦解した今、邦子にとっての新たな支配者は、新たな世界の平和、と言った。死者が蘇り生きた人間を喰らう、そんな前代未聞の恐怖に耐え、停滞したままだった邦子にとって、とても魅力的で甘美な響きは、まるで救世主の囁きだった。

誘われてしまう。どうしても、抗えない。本当の平和がその先にあると思えてしまう。ぐっ、と握った右手から伝わる熱い感情は、衝動のように邦子を突き動かした。




次回より、部数が変わります。はい、まだ決まってませんw
UA数50000越えありがとうございます!!


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第25部 希望

 最初は、掠れた声すら出せなかった。数多の死者から流れ出す多量の血液が、一文字に閉じた唇の隙間から侵入してくるからだ。味蕾と嗅覚を絶え間なく刺激する鉄の香りに、渋面を作りながら、必死に耐え続けた。強烈な爆発音と、慌ただしい大量の足音、それらが嵐のように過ぎ去って、ようやく息を吐き出せる。深い呼吸に混じり、口内に広がった濃い錆の臭いに吐き気を覚えたが、口を両手で塞いでどうにか飲み込んだ。

 どれだけこうしていたのだろう。時間が曖昧だ。

 あの時、アパッチの操縦士の唇が開くと同時に、駐車場の塀の影に飛び込んだ新崎は、チェインガンの凶悪な駆動音と共に撃ち出される弾丸の恐怖と、目の前で倒れていく多くの死者に対して悲鳴をあげていた。

 どしゃり、と糸が切れた人形のように力なく前のめりになった女性の死者が光を灯さない瞳を向ける。頭を抜かれ、碎け散った頭部から飛び出した子供の眼球が目の前に転がる。衝撃によるものか、千切れて吹き飛んだ男性の腕が新崎の頬を強打し、その指先が新崎の顔を示す。三十ミリの弾丸による削られた人体の一部や臓物、脳の一欠片から毛髪に至るまで、それら全てが意思を持ったかのように、新崎の頬や額、服に次々と付着していく。

 

「うあ......うあ......うあ......うううあああああああ!」

 

 新崎は、半狂乱で近場に横たわる死体を集め、子供のかくれんぼの如く、布団のように屍を羽織り、歯を打ち鳴らし、決死の面持ちで、愛娘である新崎優奈の名を呼び続け、喉が嗄れ、その声が細い吐息に変わるころ、不意に新崎の耳へ奇妙な幻聴が届き、きつく閉じた両目を見開いた。

 この惨劇はお前が作ったんだ、しゃがれた声帯で男性が言った。

 僕もまだ生きていたかった、若々しい音色の子供が言った。

 死んでまで、どうして人を憎まなければいけないの、澄んだ声音で女性が言った。

 

「やめて......くれ......やめて......」

 

 瞳に涙を溜めて、新崎は両耳を塞ぐ。しかし、消えてはくれない。

 どうして、ここまで犠牲を広げた、嗄れた初老の男性が言った。

 私達にだって、病気で悩んでいた子供がいたのに、消え入りそうな女性が言った。

 生きたまま、僕はお腹の中身を食べられたよ。なのに、どうして、おじさんは生きてるの、と幼さを残したあどけない一声が言った。

 

「やめてくれ!やめて!やめろ!やめろおおおおおおお!」

 

 喉を針で刺された鋭敏な痛みが襲う。だが、新崎は叫ばずにはいられなかった。本当に気が狂ってしまいそうだった。




第25部始まりまーーす!
……あれ?もうすぐ300じゃね……?


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第2話

 今すぐにでも脱兎の如く逃げ出したくなる。いっそのことなら、死ぬべきなのではないだろうか。過った矛盾を胸に、新崎は布団でも剥がしとるように、死者を身体からはね除けた。全身を濡らす血液が、前髪から滴り落ち、薄く開いた目に入るが、瞬きすらも煩わしい。

首をあげ、迫り来る死者を一見し、右膝を軽く曲げ、起き上がろうとした寸前、新崎は四階のエレベーターホールから人影が飛び出すのを確かに視認した。見慣れた迷彩色、聞き慣れた銃声、なによりも、その姿は、長年、共に訓練を受けてきた男のものだった。

 

「お......岡島......か?」

 

 咆哮する大勢の死者を引き連れ、岡島浩太は身を翻す。そして、アパッチもまた、その姿を追ってプロペラの回転数をあげた。上昇していく機体を、仰向けのまま眺めていた新崎は、小さく笑い始める。

 とても、一時であろうと、命を諦めた男には見えないだろう。

 

「なんて皮肉だ......なんて皮肉だよ、神様......俺に、こんな......もう一度、優奈に会えるって希望を与えるなんてよ......こんな惨めな姿を......一人娘に晒せってのかよ!」

 

 唇に血が滲むほど、奥歯を噛んだ。

 悔しかった。情けなかった。僅かな希望を垣間見ただけで、これほど命に執着してしまう。償える筈もない命の重さを背中に受けて、生きていくことなど出来るのだろうか。

いや、もう、考えている場合ではない。こうなれば、どんな泥濘を啜ってでも生き延びる。そして、もう一度、もう一度、新崎優奈をこの腕に抱き締める。

 アパッチが崩れていく。その様を見送り、新崎は決意を新たにした。どれだけ惨めだろうと、必ず、この地獄を切り抜けてやる。大量の死者が、屋上から墜落したアパッチ目掛けて階段をかけ降りていく。すべての足音が途切れると、深く息を吸って呼吸を整え、身体をゆっくりと起こしていく。痛みはあるが、動けないほどではなさそうだ。

 その時、四階のエレベーターホールから四人組の男女が現れた。一人は、まだ幼い少女、もう二人は高校生ほどの男女に見える。そして、最後の一人、迷彩に身を包んだ壮年の男が銃を構えている。新崎は、瞬間的に答えを導きだし、乾いた喉を震わせた。

 

「佐伯......お前なのか......?佐伯......助けてくれ......」

 

 その声にいち早く気付いたのは、少年だった。先頭を歩いていた自衛官の肘をつかんで、聞き取れない声量で何かを伝えている。全身に残った力のすべてを喉に込めて、新崎は叫んだ。

 

「佐伯......!俺だ......!助けてくれ......佐伯!」

 

 新崎の意識は、電源が切れたかのように途絶えた。そこから先の記憶は、すっぱりと途絶えている。僅かに残った感覚は、誰かに腕を引かれたであろう痛みだけだ。

 



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第3話

 やがて、薄い膜を張り付けた濁った眼界で見えたのは、武骨な骨組みが露出した壁だった。いや、これは壁ではなく、天井だろう。自分の身体が、どうなっているのかすら、認識できない。もしかしたら、もう自分は死んでしまっているのではないだろうか。

新崎は、ぐっ、と両腕を動かそうとするが、鋭い電流が腕を流れ、思わず、顔をしかめた。荒い呼吸を繰り返しながら、唸りをあげて首を持ち上げ、目を剥いた。両腕と両足が、太い縄で縛られている。訳も分からず、茫然と眺めているとき、不意に男の声が聴こえた。

 

「よお、目が覚めたみたいだな」

 

 視界の膜が一気に剥がれ、新崎は声の主へと視線をあげた。まず、目についたのは、自衛官が履いくブーツの爪先、次に迷彩柄のズボン、その先にあったのは、岡島浩太の仏頂面だった。

 

「お......岡島......か?なら、ここは......あの世ではないのか?」

 

 浩太は、鼻を鳴らして返す。

 

「出来ることなら、今すぐにでも逝かせてやりたいけどな。アンタには、確認しなきゃいけないことが山程あるんだ、そう簡単に死ねるなんて思うなよ」

 

 自嘲気味に唇を吊った新崎の顔面を、何かが覆った。唯一、自由の利く首を振って噛み付き、どうにか剥がしとり、盛大に咳き込む新崎に構わず、浩太が訊いた。

 

「アンタの上着だ。言っている意味は分かるか?」

 

 涙に滲んだ両目をうっすらと開く。そこで、浩太の右手に掴まれているものに気付いた。野田から連絡用にと渡されていた衛生電話だ。新崎の顔色が明らかに変わった瞬間を見逃さずに、浩太は自身の右手を一瞥する。

 

「......高卒で学のない俺には、これが一体なんなのかよく分からない。だから、アンタの口から聞かせてくれないか?」

 

 ぎりり、と歯軋りを交えた新崎は、横たわった態勢のまま顔を逸らす。途端、浩太は激昂して新崎の腹部を踏みつけ、鈍痛に呻く新崎を低い声で責め立てる。

 

「良いか?俺は、アンタがこれを、どういった理由と目的で持っていたか、それだけを聞いてんだよ。他のリアクションは求めていない」

 

 噎せかえる新崎だが、決して口を割ろうとはしていない。それは、浩太も充分に理解した。その上で、浩太は言葉を続ける。

 

「アンタが寝ている間に、軽く携帯を調べさせてもらった。着信の履歴や発信の履歴、アドレス帳やメールに至るまでことごとく消してある。ここまで周到なら、蔓延る死者達と、なんらかの関係があるとみて、まず、間違いないよな?そして、アンタがこれを持っていたということは、少なからず、繋がりをもっているってことだ」

 

 一つ一つ、確認するような口調で語る浩太を、新崎は黙然と見上げる。互いに喋らない奇妙な時間だけが過ぎていく。



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第4話

 ここが新崎にとっての次なる鬼門と成りえる場面であるのは、想像に難しくない。何故ならば、浩太の手にしている携帯は、この九州を脱出するために必要な、いわば地獄に垂らされた蜘蛛の糸だ。野田の番号は、新崎の頭にしか残っていない。これを交渉の核に置くとして、新崎は、まず、どう口を切ろうかと画策していた。

 そして、浩太が、繋がり、と声に出した時、新崎は目敏く言葉を発する。

 

「確かに俺には......繋がりが......ある。岡島、そこまで......気付いているのなら......もっと先まで......察しているんだろ?」

 

 浩太が大きく喉を鳴らし、決まりが悪いのか、舌を短く打った。

 

「......なら、単刀直入に訊く。この事件......旅客機の墜落から起きた、このクソッタレな事件の引き金を引いたのは、アンタなのか?」

 

 新崎は、はっきりと、それでいて深く頷いてみせた。顔を天井に向けた浩太の身体が震えていた。再度、口を開く。

 

「アンタは......こうなるって......分かっていたのか......?」

 

「何か......良くない事が起きる、そんな予感は......していた......」

 

 熱いものが数滴だけ、新崎の頬を濡らす。

 元部下である自衛官の両目から流れた涙が、乾ききるよりも早く、浩太が左腕を振り上げた。

 これから与えられるであろう鈍痛に耐えるべく、ぎっ、奥歯を強く締めた新崎だが、なかなか下りてこない拳に違和感を覚え、瞼を僅かに開く。

 振り上げた左腕は、浩太の怒気を表したかのように激しく揺れ、赫怒した鬼を宿らせた表情に見合った口元からは、言葉にならない憤懣を漏らしていた。

 

「くっ......!くくっ......!この......クソッタレ野郎が......クソッタレ......クソッタレがぁぁぁぁぁぁ!」

 

 下ろされた左拳は、新崎の頬を掠め、そのまま地面へと落ちた。鈍い音が耳の中に吸い込まれていく。

 目を見開いたまま、新崎は嫌味のように言った。

 

「......やっぱり、お前は利口だよな、岡島」

 

 鋭く視線を投げた浩太に怯む様子もなく、新崎は縛られた手足を突っ張り、声高に叫んだ。

 

「お前は分かっているんだろ!俺を殺せばどうなるかを!そうだよ!俺を殺れば、この九州を脱出する方法を失うことになる!その携帯が唯一の希望だ!俺だけが、俺だけがお前らの希望なんだよ!分かったら、この縄を今すぐに外せ!」

 

「黙れ、このくそ野郎が!」

 

 浩太が新崎の胸ぐらを掴みあげた。そこで、二人の背後にあった扉が音をたてて開き、わずかな光が差し込んだ。

 古いベルトコンベアーが右手にあり、左には大型のプレス機が重厚な存在感を放っていた。どうやら、ここは、なんらかの工場のようだ。中間のショッパーズモールではなかったと少しばかり安堵したのも束の間、佐伯真一が怒鳴り声をあげながら大股で近づいてきた。




ついに300到達か……長いなw
少しお休みしてる間に、お気に入り登録290件突破していました!
本当にありがとうございます!!


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第5話

 新崎に危害を加えようとした真一は、古賀達也により背中から羽交い締めにされ勢いを失った。それでもなお、真一は達也の拘束を逃れようと身を捩っている。

 

「放せ、達也!コイツは......!コイツを二、三発ぶん殴らないと、俺の気が収まらないぜ!」

 

「落ち着け真一!さっき全員で話し合っただろうが!新崎の携帯で助けを呼べるか確認するってよ!」

 

「けど、コイツは......!」

 

「分かってる!俺達だって同じ気持ちだ!けど、ここは堪えろ!」

 

 両肩を大きく震わせていた真一だが、達也の声に、徐々に落ち着きを取り戻していく。しかし、やはり、鼻息だけは荒く、目付きも鋭いままだった。真一を離さずに、達也は目配せで浩太を見やり、静かに首を振られたことに対して、明らかな落胆を顔に表すと、一拍置いて新崎を睥睨する。

 

「新崎、テメエは、どこまで卑怯者に成り下がるつもりだ?このままじゃ、ただの屑になっちまうぞ」

 

 横たわった状態で、新崎は短く笑った。

 

「なんだ?ショパーズモールで会った時とは、随分な温度差だ。あの時のお前は、がむしゃらに俺を殺そうとする気迫があったんだがな」

 

「......見くびんなよ?テメエが大地を囮にして暴徒から逃げた光景を全て覚えてんだ。俺は、浩太や真一よりも、テメエを殺してやりてえと考えてんだよ。だが、それは今じゃねえ、それだけの理由で生きてるっこと、忘れんじゃねえぞ」

 

「......なら、その狂犬の首輪にでもなってやるんだな。今にも俺に噛み付いてきそうだ」

 

 新崎の一言一句にさえ、真一が過剰に反応していることが、抑えている達也にも伝わっている。それだけに、新崎は真一から視線を外さずに警戒しつつ、浩太の右手へ神経を預けていた。

 命綱ともいえる携帯電話を奪わなければ、新崎の命はないだろう。しかし、そこで一つの懸念がある。三人の会話から察するに、あれから一度も野田は新崎に連絡を寄越していないのだろう。そして、この状態だと新崎よりも先に、浩太が通話に出てしまうことになる。

 そうなれば、任務の失敗が露見し、間違いなく野田から見限られてしまう。そんな事態は、なんとしても免れなければならない。その為には、この場の主導権を握る必要がある。新崎が、ぐっ、と眉間を狭め、改めて口火を切ろうとすると、同時に再び、扉が開いた。入ってきたのは、高校生ほどの少年だ。

 

「真一さんの声が聞こえたんだけど......大丈夫?」

 

 上野祐介は、そう言って新崎へ目を移した。

 

「......ああ、悪かったな。ちょっとゴタゴタしてしまった。安心してくれ祐介」

 

 浩太の返答に、祐介は何かを察したのか、ほんの少しだけ間を空けて頷いた。続けて、達也が尋ねる。

 

「阿里沙ちゃんと加奈子ちゃんは?」

 

「二人とも二階で寝てます。今日は、本当にいろいろありすぎましたから......」

 

 四人は揃って沈痛な面持ちで俯いた。




浜岡「うーーん、困ったねえ......」

田辺「どうしたんですか?」

浜岡「最近、虫歯が酷く染みてねえ」

田辺「虫歯......ですか?どこに?」

浜岡「左の奥歯にあるんだよ」

田辺「口に空けて下さい。あーー、あります......えっと......あの浜岡さん......これいつからあります?」

浜岡「ん?奥歯だから、生まれてからだけど」

田辺「完全に親しらずですよこれ!え?もしかして、これをずっと奥歯と思って生活を?」

浜岡「え?うん。......え?これ奥歯じゃないのかい!?」

田辺「当然でしょうが!そんなとこに歯があったら頬の内を傷つけますよ!」

浜岡「え?じゃあ、この反対にあるのは......」

田辺「親しらずです」

浜岡「上下左右にもあるんだけど」

田辺「どんだけあるんですか!?」

浜岡「しかも、歯科医が、左奥が虫歯になってます。引き抜きますか?って」

田辺「なんでRPGの選択肢みたいな......」

浜岡「引き抜く時も、固かったのか僕の額に手をつけて......」

田辺「踏ん張らなきゃ駄目って......」

浜岡「やがて、ミチミチ、ギチュって聴こえて」

田辺「うわぁ、ちょっとやめてくださいよ」

浜岡「そして最後に、ふん!って......」

田辺「どんだけ力んでんですか!?」


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第6話

 詰まった空気が流れていき、やがて、少年が切っ掛けをつくるかのように言った。

 

「そうだ。浩太さん、結果はどうでしたか?」

 

 浩太は、ああ、と力なく答えると、ちらと新崎を見る。

 

「......最悪なことに、俺と真一が話した内容で間違いなさそうだよ、祐介」

 

 上野祐介は、瞠目すると腿の位置で拳を強く握り唇を歪めた。

 腹に黒い渦が大きな揺らめきとともに、体内を駆けめぐり始めているのだろう。咄嗟に、浩太が祐介の右腕を捉えて肩を叩けば、次第に落ち着きを取り戻していく。大丈夫です、と小声で返した少年は、改めて新崎を見据えた。

 

「......初めまして、上野祐介です。新崎......さんで良いんですよね?」

 

 新崎は、瞼を落とすことで肯定の返事とした。

 これは、新崎にとっての一つの実験のようなものだ。これでくみ取れるならば、祐介ですらも警戒対象にいれなければならない。しかし、所詮は、あどけなさの残る学生、体格もあり訓練を積んだ三人には、及ばないだろう。そんな皮算用を抱いた直後、新崎は目を剥くことになる。

 

「分かりました、なら、質問があります。新崎さん、まさかとは思いますが、初歩的なミスを犯していることに気付いていますか?」

 

 眉間が縮む反応を示した新崎へ、祐介は確信を得たのか、すっ、と膝を折ると右手の人差し指を向けた。怪訝そうにする新崎に構わず、祐介が言った。

 

「まず、一つ、さっき聴こえた怒鳴り声からして、新崎さんはなんらかの交渉を、浩太さんに持ち掛けている」

 

 祐介は僅かに振り返り、浩太が首肯したのを視認すると、続けて中指を立てた。

 

「二つ目、その交渉の手段となっているのは、恐らくは携帯です。けれど、新崎さんは、携帯《電話》だということを忘れていませんか?」

 

 まるで、新崎の危惧をそのまま読み取ったかにも思える指摘の鋭さに、頭に大きな鈍器を強くぶつけられた感触を味わった。表情を変えず、祐介は目を細めた。それだけでなく、加えられた一言にも、ほんの一二分前の自分の首を絞めたくなるほどの忸怩たる気持ちを覚えることになる。

 

「そこは気付いてたか。まあ、あの地獄を生き延びたんなら当然か......」

 

 独り言を呟いた祐介の背中に、真一が声を掛けた。

 

「当然?そりゃどういう意味だ?」

 

 今度は振り返らずに、祐介は返す。

 

「今の九州は、死神が隣に居座っているみたいなもの......俺達は何度も地獄と向き合ってきました。そんな中で生き延びてきたからには、それなりの理由があると思います。親父の受け売りですが、それは、自分を見失わずに、常に冷静に物事を判してきたかどうかってこと。助け合える仲間がいなければ、尚更ですよ」

 

 命を危ぶむ限り、見えなければいけないものが、なにも見えなくなる。必要なものか、必要ではないか。これは至って当たり前なことなのだが、祐介以外は失念していたのだろう。希望を前にすれば、誰でも冷静でいられない。



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第7話

「話を続けますが、新崎さんには、選択肢なんかないってことは、もう理解してもらえたと思います。そして、これからどうしたら良いのかも」

 

 言葉を区切られた新崎の姿は、もはや陸にあげられた魚だった。後ろ手で縛られていることが、余計にイメージへ拍車をかける。もう、反論の余地はない。その場しのぎの抗弁は、自身の肩身を狭くしただけだ。

 立ち上がった祐介を見上げているだけで、口の振動が全身に広がっていく。

 

「お前......なんなんだ......?」

 

「別に驚くことじゃないでしょ、仲間がいれば、狭まった視野を広げてくれる。ただ、それだけです」

 

 淡々と述べていった祐介は、ふいと顔を浩太へ向け微笑んだ。

 

「祐介......お前......」

 

「こっから先は、浩太さんに預けます。でしゃばってすいませんでした」

 

 浩太の脇を通り、祐介が地面に腰を下ろそうと屈んだ、まさにその時、携帯電話が激しく振動を始め、肝が潰れるほどの大声をあげた浩太は、思わず、携帯を落としてしまった。

 真一と達也、祐介や新崎すらも、瞠目して規則的に揺れる携帯電話と、淡い光を放つ画面を注視している。番号だけしか表示されていないと確認した浩太が、恐る恐る拾い上げると、新崎へ画面を見せた。逡巡しているのか、眉をひそめた新崎に、刺すような冷たい声音で祐介が言った。

 

「新崎さん、その沈黙に意味はありませんよ」

 

 奥歯を噛み締め、ゆっくりと頷く。

 浩太は真一、達也、祐介の順番に首を回していき、一巡すると同時に通話ボタンへ指を伸ばし、強張った表情で携帯を耳に当てた。

 

「......もしもし?」

 

 受話越しに聞こえてきたのは、壮年の男性の声だった。

 

「ああ!良かった!繋がった!もしもし、聴こえていますか?ノイズが酷いといった弊害はありますか!?」

 

 耳を着けていても四人が聞き取れるほどの声の大きさに、浩太は反射的に耳から離す。電話相手は、興奮した口調で、いろいろと質問を繰り返している。その危険性に一早く気付いた達也が鋭く言う。

 

「浩太、早く受話側を抑えろ!死者に勘づかれちまう!」

 

 素早く親指で塞ぎ、浩太は通話口に向かって言った。

 

「頼むから落ち着いてくれ!こっちはアンタが考えてるほど、甘い状況じゃないんだ!」

 

 その一声で、相手のトーンが下がっていき、深呼吸が聴こえた後に、壮年の男は静かに謝罪を挟んだ。

 

「......本当にすいません、僕の不注意でした」

 

「今更だ。で、ひとつ聞きたいことがある。アンタ......一体、誰だ?」

 

 浩太は、尋ねてから息を呑んだ。

 男の話し方からして、新崎と繋がっていた男ではないだろう。それは、まず間違いない。だとすれば、新たな疑問が生まれる。はたして、この男は味方なのか。それとも、こちらを油断させようとしているのか。その見極めとして、浩太は新崎を横目で盗み見たが、新崎の面持ちは、訳が分からない、と如実に語っていた。電話の先で、男性が喉を鳴らす。相手もなんらかの警戒をしているのか、と頭の片隅で考えていると、不意に、浩太の耳へ男の声が吸い込まれた。

 

「......初めまして、僕は東京で記者をしている田辺と申します」



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第8話

「田辺さんか。俺は岡島だ」

 

 浩太は、そこで音声をスピーカーに切り替え、携帯を地面に置いた。生唾を呑み込んだ真一が、浩太へ掌を揺らして先を促すと、こくり、と頷き片膝をつき、改めて口を切った。

 

「それで、田辺さん......アンタは、この電話番号が誰のものか分かって連絡をしたのか?」

 

「はい、勿論です」

 

 田辺と名乗る男は、間を開けずに即答する。素早く新崎を視認するも、やはり反応は同じだった。

 判断しかねた結果、浩太は低い吐息を漏らして素直に伝える。

 

「田辺さん、申し訳ないが、はっきりと言わせてもらう。こちらは誰一人としてアンタを信用していない。だから、単刀直入に用件を言ってくれないか?信じるか信じないかは、それから決める」

 

 今回は、黙然とした時間があり、やがて、スピーカーの奥から物音が聴こえ始めた。なんの音だろうかと達也が耳を近づけていく。静謐な空間とは言いがたい沈黙を破ったのは、携帯から流れ始めた男の声だった。

 

「ああ、お待たせしてすみませんねぇ」

 

 明らかに、先程、田辺と名乗った男とは違う、間延びした独特な口調が流れだし、浩太を始めとする全員が、どうにも明朗には思えないと暗い雰囲気で小首を傾げた。それを勘良く察したのか、男は短く笑った。

 

「口調に関してはすみません、よく胡散臭いと言われるもので、こちらも直したいとは考えているのですが、いやはや、これがどうにも......長年の癖というものは、厄介なものです」

 

「......時間稼ぎのつもりか?それとも、本題に入るための前置きか?さっきの田辺とかいう奴はどこに行った?」

 

 浩太の冷めた言い草に、若干、居心地が悪そうな語調で男が返す。

 

「......時間稼ぎ、ではなく、尺稼ぎですかね。田辺君は、今、貴方達の信用を得るために、ある男性を連れてこようとしています」

 

「ちょっと待て、えっと......」

 

「ああ、田辺君の上司で浜岡と申します。電話越しになりますが、よろしくおねがいします」

 

「......浜岡さん、アンタ、なんで俺達が複数いると分かった?」

 

「岡島さん、貴方は先程、誰一人、と口にされましたよね?」

 

 どうやら、こちらと同様に、スピーカーを使って全員が、この会話を聴いているだろう。なんにしろ、あちらの人数がわからない内に、なんらかの情報を漏洩させるのは危険と踏んだ浩太は、最低限の返答のみで通話を続けた。

 

「田辺さんは、まだ戻らないのか?」

 

「ええ、少し時間制が掛かっているようですねぇ。ところで、今、そちらの状況はどうでしょうか?」

 

「......嫌味のつもりか?それに、俺達が見たこともないアンタらに命を預けるとでも?」

 

「いえいえ、まさか、とんでもない。ただ、こちらとしても、準備が必要でして......」



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第9話

準備、と浩太は反芻した。

含みのある語り口のせいで、様々な思惑を連想してしまう。どうする、と達也へ簡単な合図を送ると、首を横に振られてしまい、祐介は信用するべきと口パクで答える。間に立たされた浩太が思いあぐねる中、不意に携帯から声がした。

 

「......そちらの状態を鑑みれば、警戒するのも分かりますよ。しかし、貴方達は、必ず、こちらを信じます」

 

浜岡の主張に、浩太が反駁を加える。

 

「......その根拠は?」

 

「これから、分かります」

 

その返事から数秒後に声が響く。浜岡と名乗った男へ、来たぞ、と短く言った男は、斎藤というようだ。慌ただしく多数の声が入る通話相手に、浩太は苛立ちを覚え始めていた。信用を得るためだとは理解しているが、どうにも無駄な時間を使っている気がしてならない。九州を脱出する手段を得られる機会を逃したくはないが、他人を信用出来ない矛盾、そんな感情を孕んだ自身の心が汚れている気がして、心底、嫌になる。いっそのこと、祐介のようになれたらどれだけ楽だろうか。

しかめっ面で、指を噛んでいると、ようやく、田辺の声が入ってきた。

 

「長らくお待たせしてすみません」

 

「......ああ、それで?一体、今度は誰と話をすれば良いんだ?」

 

「そう、邪険にしないでくださいよ......それから、これから話を聴いてもらいますが、決して、最後まで口を挟まないで下さいね。質問は、最後にお願いします」

 

田辺の声が失せ、電話の向こうで新たな男が深呼吸をして一声を発した。

 

「......そちらに、新崎はいるか?」

 

パッ、と新崎が神妙な顔付きになり、真一が銃口を向けた。確認するまでもなく、この声の主が、今回の事件を裏で操っていた男なのだと予想がつく。

祐介の非難が込められた眼差しを受けても、真一は銃を下ろさずに、会話を促すために浩太を一瞥する。

 

「......ああ、ここにいる。けど、いまは話しができない状態だ。聞いてはいるから安心してくれ」

 

その肯定を挟んで、安堵した吐息がノイズのように走った。続けざま、浩太が訊いた。

 

「じゃあ、今度はこちらの質問に答えてもらう。アンタ、何者だ?」

 

「それについては、僕から説明します」

 

突然、割って入ったのは田辺だろう。浩太は、舌打ちをしてから言う。

 

「いいや、駄目だ。田辺さんではなく、本人の口から聞かせてくれ、頼む」

 

澱んだ雰囲気が電話越しにも伝わってくる。

嫌な予感がした。だが、ここで退くわけにもいかない。沈黙の後に、再び通話相手が代わり、低い声で言った。

 

「厚労省大臣の野田だ......これで分かるか?」

 



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第10話

その名前を耳にした瞬間、浩太と新崎以外の表情が、ついに九州地方へ救助がくるのだと一斉に明るくなった。

だが、浩太の懸念は違う場所にある。これまでの経緯を思い返せば、この会話は腑に落ちないところだらけだ。鼻息荒い真一と祐介は、いまにもハイタッチを交わし合いそうですらある。そんな二人を置いて、浩太は静かに言った。

 

「......なあ、一つ確認をしたいんだが、もしかして、この事件は九州地方以外にも波及してんのか?」

 

薮の中の蛇をつつかれたような、ぴりついた空気が受話器から流れ始めた。それは、もちろん、新崎も同様だ。

浩太は、新崎を眼界に捉えつつ、続けて短く訊いた。

 

「どうなんだ?誰でも良い、答えてくれ」

 

浩太の問い掛けに曇った声音で返事をしたのは、やはり、田辺だった。

 

「......東京のほうで、僅かに影響がありましたが、他県に及んではいないようで......」

 

「何故、東京で?ルートを辿るのであれば、山口や広島から派生していくものではないのか?」

 

「空気感染というやつですかね。そうではなく、感染ルートは他者から噛まれるといった場合のみのです」

 

「そうか。なら、尚更、東京に死者が出現した理由が分からないな。感染者は誰だ?」

 

田辺は、まるで試されるような浩太の詰問に対して、どうにか平静を装ってはいるが、考える間を与えられずにいた。それも、矢継ぎ早に投げられる問いは、全て核心をつこうとしている。

やがて、浩太が吐息を漏らしたのちに、心境を打ち明けた。

 

「田辺さん、これは、俺達にとっても死活問題なんだ。誤魔化さずに言ってくれないか?」

 

「......何を誤魔化していると?」

 

「......防衛省でない理由はなんだ?」

 

「それは、東京にて感染者が現れたという話しで説明がつくのでは?」

 

「馬鹿言うな。東京に現れたのであれば、WHOが動かない筈がない。だが、アンタはさっき言ったな?東京のほうで僅かに影響がでた、他県には及んでいない......俺にはどうも腑に落ちない」

 

「それが......」

 

 田辺の反論を遮ったのは、当然、浩太の鋭くも小さな声だった。

 

「矛盾してんだよ......田辺、アンタ......何を隠してんだ?」

 

 田辺は、電話越しながら、まるで、氷を直接、首筋に当てられたような悪寒がした。  つっ、と湧いた汗が頬を撫でる。しかし、言ってしまって良いものだろうかと懊悩しているのも事実だ。もしも、野田が事件の発端であることを告げれば救助を断られるのではないか、そんな憂慮が残る以上、下手に口を出せない。



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第11話

 田辺は、そこで思考を止めて一拍の間をあけた。また、自身の正義感に振り回され始めている。どうしても助けたい、そんな気持ちが専攻してしまっている。田辺は息を呑んで、薄く吐き出した。

 

「......申し訳ありません、少しばかり意識をしすぎてしまっていました。岡島さん、僕の話しを聞いて頂けますか?」

 

「......ようやく、胸襟を開いて話しがてきるのか?」

 

 浩太は、唇に指を当てて一同を見回した。充電はあと、60パーセントは残っていることを確かめて言った。

 

「話しを聞くよ。なんだ?」

 

「ズバリ、九州地方感染事件は何故、起きたのか......です」

 

 その言葉に、全員が心臓を鷲掴みにされたように大きく目を見開いた。

 生唾を飲み込んだ浩太は、締まった喉を無理矢理に抉じ開けたような痛みを伴いながら先を促す。

 

「では、まず、感染事件の概要から説明を始めます。始まりは、とある連続殺人鬼の凶行でした。彼の名前は東、日本史上、類を見ない凶悪な殺人狂です」

 

 東、と口の中に含んで眉間に深い皺を刻んだのは、達也と祐介だった。

 

「過去に東が東京に潜伏しているという情報を得た僕は、奴を追い詰める寸前、とある事件で傷心してしまい、取り逃がす失態を犯してしまいました。その事件とは、その場にいる皆さんも覚えていると思います」

 

「......どんな事件だ?」

 

 浩太がそう尋ねると、田辺は、間を置かずに息を吸い込んだ。

 

「池袋の公園で、女性のバラバラ死体が発見された未解決事件です。あの犠牲者は、僕の近しい女性でして......名前は野田涼子......現厚労省大臣の奥様にあたる女性でした」

 

「ちょっと待て......野田ってことは、つまり......」

 

「はい。あなた方の救助を申し出ている我々の内の一人です」

 

 その事件ならば、はっきりと覚えている。当時は、大きく世間を騒がせていた。様々な憶測が飛び交ったにも関わらず、報道の内容や進展もなく、いつの間にか、誰も口にしなくなった凄惨な事件だった。父親が警察官だということもあるのだろうが、若い祐介ですらも渋面しているような一件、その被害者と関わりのある人物と会話をしている違和感は、突如、火の勢いを増した対岸の火事が間近に迫ってきているような感覚に似ていた。

 

「話しを続けますが、その後、僕は福岡の警察と連絡をとり、東の情報を伝え逮捕となりましたが、ここで一人の男が、とてつもない憎悪を募らせていました。それが、厚労省大臣野田です」

 

 一言も発さず、一言も聴き逃すことなくと、耳を澄ましている為か、廓寥とした室内に、田辺の声だけが響いている。

 

「復讐心が塑性した物質のように戻らなかった彼は、東の死を強く願うようになり、やがて、ある薬品を作り出しました。それが......」



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第12話

「......感染事件の切っ掛けになった、そう言うことか?」

 

 田辺からの返事は無かったが、浩太は肯定と受け取り、納得できる筈もない事件の裏の断片を知って拳を震わせた。

 

「......じゃあ、なにか?俺達は、そんな糞みたいな私怨で、こんなことに......こんな......ふざけんなよ!到底、納得できるはすがないぜ!」

 

 怒声を放った真一は、携帯を掴みあげて、今にも叩き壊すような勢いをもって立ち上がった。咄嗟に、浩太が行く手を阻み、奥歯を鳴らして怒りを堪える真一に対して首を横に振る。

 盛大に舌を打ったあと、真一は新崎を睨目つけ指差した。

 

「じゃあ、こいつが野田って野郎に協力する理由がどこにある!?なんの為に、テメエは野田に手を借したんだよ!新崎!痛い目にあう前に答えた方が身のだぜ!?」

 

「やめろ!真一!」

 

「なら、達也は我慢できるのかよ!こんな訳の分からん状況に追い込まれて!その理由が、ただの私怨を拗らせただけでしたって......こりゃ、一体、どんな悲劇だよクソッタレが!」

 

 四肢を突っ張って吠えた真一の言葉に、電話の奥にいる男達も含めて、誰も口を開けなかった。それは、この場にいる全員が真一と同じ憤懣を抱いている証左ともとれる。

 関門橋で市民を守ろうと闘った下澤、八幡西警察署で避難民の受け入れを行っていた阿里沙の父、自らの肉体を犠牲に、子供四人を守り抜いた祐介の父親、最初の襲撃を無事に切り抜ける切っ掛けを与えてくれた坂下大地、そして、坂本彰一、ここにくるまでに失った者の大きさは、もはや、計り知れない。

 誰も口火を切れない中、バツが悪そうに舌を打った真一は、踵を返して扉へと向かい始め、その背中に祐介が言った。

 

「真一さん、どこへ?」

 

「......ちょっと見回りをしてくるだけたぜ......俺が叫んだせいで死者が集まってくるかもしれないしな」

 

「なら、俺も......」

 

 腰をあげかけた祐介に、真一は掌を見せる。

 

「......悪い祐介、一人にさせてくれたほうが有り難いぜ......浩太、隣室においてる銃を一挺もってくぜ」

 

 狼狽を隠さずに、浩太と真一へ交互に視線を預けている祐介に構わず、浩太は静かに頷き、短い謝罪を挟んで真一が退室する。

 扉が完全に閉まりきると、祐介の非難めいた眼光が浩太へ刺さった。

 

「浩太さん、あの状態の真一さんを一人にするなんて、一体、どういうつもりですか?」

 

「当然、一人で行かせる訳ないだろ?達也、あいつに見付からないように着いててくれないか?」

 

「それなら、俺が真一さんに着きますよ」

 

「祐介、気を悪くしないでくれ。これは、達也に頼まなきゃいけないんだ」




報告ありがとうございました!!


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第13話

憮然とした表情の祐介を尻目に、指名された達也は、小さく返事をしてからスタスタとした足取りで扉のノブを手に取って回す。途中、なにかを言いたそうに動きが止まるも、くっ、と唇を締めて部屋を出ていく。二人を見送った浩太は、再び、床に置いた携帯へと声を落とした。

 

「中断させて悪かった。話しを続けてくれ」

 

「いえ......こちらこそ、申し訳ありませんでした。回りくどく語るべきではなかったかもしれませんね。それでは、ここからは、本題に入ります」

 

「......本題の前に確かめたいことかある。そこに野田はいるのか?」

 

田辺が濁さずに、はい、と答えると、浩太は深く息を吐いた。

 

「代われないか?話しがしたい」

 

「構いませんよ、では......」

 

僅かな雑音が受話器から聞こえ始め、重い声が流れ始める。祐介は、喉を鳴らして服を胸の位置で握った。

 

「アンタが野田か?」

 

「ああ......そうだ......」

 

苦しそうな声音は暗く、若干ではあるが言葉を選んで返事をしている節がある。浩太は、ちらり、と新崎を捉えつつ、区切ることなく一息に言った。

 

「こんな事態を引き起こした責任は感じているか?どんな罰も甘んじて受ける覚悟はあるか?」

 

「ああ、もちろんだとも」

 

「......分かった。田辺さんに代わってくれ」

 

残された祐介は、質問の意図を図りかねていたが、あえて口を挟まずに黙していた。ただでさえ、田辺の話しと浩太から感じる不一致で、積もった疑問が爆発しかけていたからだ。頭を振っり、改めて二人の会話に集中する必要がある。

浩太が身を乗り出す。

 

「田辺さん、アンタを信用するよ。それで、本題とやらは、俺達を救出する作戦、で良いんだよな?」

 

浩太の念押しに、田辺はすぐさま返した。

 

「はい、当然、そうなります。しかし、重大な問題がありますので、まずはそちらから説明します......あの、落ち着いて聞いてください」

 

沈んだ口調に違和感を覚えたが、先を促すために、浩太はなにも返さずに言葉を待ち続け、田辺は吐息をひとつつくと、ゆっくりと語り始める。

 

「アメリカが偵察の為に送った機体との通信が途絶えたことが判明し、先程、連絡がありました。これにより、明日の18時から、アメリカ軍による九州地方への空爆が開始されます。その後に、核の投下まで行われてしまうようです」

浩太を始めとする部屋に残った三人は、信じがたい内容に耳を疑った。新崎でさえ、双眸を限界まで剥いている。

一気に引き締まった声紋に、どうにか息を通した浩太が口角をひきつらす。

 

「......冗談だろ?一体、どうし......」



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第14話

浩太の脳裏に甦った光景は、中間のショッパーズモールでの一件だった。

まさか、田辺が言っていた偵察機とは、あのアパッチのことだろうか。いや、間違いなくそうだ。生き残るための行動が、いつの間にか、破滅への足掛かりとなっていた事実に、愕然としたのは浩太だけではない。祐介も右の拳を震わせて、そんな理不尽な話しがあるかと、地面を強く殴り付けていた。

 

「なんで......ここまできて......どうしてこんな......」

 

祐介が失意の底に落とされたような目眩を覚える中、ふと、浩太が顔をあげた。

 

「......なあ、田辺さん、そんなことをしたら、世界から非難を浴びるぞ、と止められないか?」

 

「......難しいでしょうね。なにぶん、アメリカの件に関しては、野田さんが決めたことではなく、戸部総理の独断だったそうです」

 

浩太は、眉をひそめる。

 

「どういう意味だ?」

 

「戸部総理は九州地方感染事件について、あくまで一つの実験と捉えていたようです。今回の事件が終われば、他国からの助成金を受け取る計画になっていたようですが、証拠を残せば都合が悪い......そこで、アメリカへ交換条件を提示したのではないかと考えています」

 

「交換条件......?」

 

「......薬品の譲渡です。あちらの情勢は御存じと思いますが、九州地方の現状から察するに、これほど優れたものはありませんし、閉じ込めさえすれば、処理も手早く終わらせることができる。その過程は分かりませんが、こんなところではないかと推察します」

 

歯茎に血が滲むほど、浩太は奥歯を締めた。

明日の18時までに九州地方を脱出しなければ、大規模な空襲に襲われ、更に時間が過ぎてしまえば、最悪の結果を迎えてしまう。四の五の言っている暇は、もう残されていない。

 

「田辺さん、もう堅苦しい話しは無しにしよう。簡潔に言ってくれ、俺達はこれからどうすれば良い?」

 

「そうですね。そうした方が良さそうですし、現在地はどこですか?」

 

新崎に一瞥くれ、浩太は声を潜めて言った。

 

「遠賀って地区の盆地にある工場内にいる」

 

近場の机に地図でも広げているのか、受話口の奥で物音が入ってくる。やがて、小さな唸り声と共に、田辺が言う。

 

「そこから福岡空港へ向かうことは可能ですか?」

 

「不可能だ。福岡空港へは、天神や博多、隣接する都市部ならば、どこからでも地下鉄で繋がっている。死者の数は膨大だろうな......正直、こっちには武器も少ない。AK74やM16、イングラム、手榴弾が1発、ベレッタとあるけど、弾丸は合わせて百発もない」

 

「......では、北九州空港はどうでしょう?」



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第15話

「......田辺さん、実感は湧かないと思うけど、こっちの状況を一言で表すなら、弾丸の数だけ命が延びる、だ。遠賀は両空港から距離的に中間にあたる。とてもじゃないが、そこまではいけない。恐らく、ヘリかなにかでこちらに向かう計画だろうけど、空港は諦めてくれ」

 

そうですか、と田辺が肩を落とした。気の毒ではあるし、代替案を提案出きるのかと問われれば、浩太も口ごもってしまうだろう。

だが、これは、紛れもない事実だ。

 

「では、高いビル群がある街などは近場にありますか?」

 

顎に手を当てて、しばし熟考する。近場でという条件下であれば、黒崎などが該当するが、ヘリコプターが着陸できるだけの面積がある広い屋上を有するビルなどあるとは思えなかった。

祐介は、黒崎駅の真横にあるコムシティであれば、どうにかなるのでは、と提案したが、建物の内部が複雑に入り組んでいるので死者に襲われれでもすれば、ひとたまりもないと却下した。

では、あのビルならば、あのホテルならば、そんな思慮を巡らせ続けるが、やはり、どこも現実味を帯びるには、いささか物足りなく、頭を抱えた浩太は悪態をつく。そんなとき、祐介が更にポツリ、と呟いた。

 

「......小倉駅の裏口に建っている、あるあるシティはどうですか?」

 

「あるあるシティ?」

 

浩太のおうむ返しに、祐介は頷いて答える。

 

「はい、あそこなら、ビル内も単純ですし、立体駐車場なんかも隣接してます。その分、屋上にも広いスペースがあると思いますけど......」

 

妙に言葉を濁した祐介は、一度区切りながらも、真っ直ぐに浩太を見据えて言った。

 

「商業施設なので、屋上には空調設備などがあるかもしれません、中間のショッパーズモールみたいに、等間隔で並べられた消火栓ホースを収納するボックスがあれば、着陸できないかもしれない......」

 

「いや、良い視点を貰えた。小倉になら背の高いビルは多いな......なら、リバーウォークとかなら......」

 

今度は祐介が首を横に振る。

 

「駄目です。コムシティ以上に複雑な上に、建物は横に広いし、見た目の問題でしょうけど、大きな吹き抜けもありますから、厳しいでしょう」

 

「なら、チャチャタウンも厳しいか......そもそも、あそこは背が低いし、死者から追われた場合、時間を稼げない......やっぱり、あるあるシティーしかないか......立体駐車場へは建物内部から行けるのか?」

 

「はい、記憶は曖昧ですけどガラス張りの連絡通路が、五、六階から通っているはずです」



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第16話

「......もしもの場合の退路もあって、背が高く、内部の作りも単純......分かった、そこにしよう。ありがとう祐介」

 

 祐介の肩に軽く手を置いてから、浩太は携帯へ目線を移した。

 

「田辺さん、小倉のあるあるシティーってとこで決定だ」

 

「わかりました。こちらでも、調べた上で向かいます。昼までには到着するよう努めます」

 

「ああ......頼んだよ」

 

「......みなさんの幸運を祈っています」

 

 すっ、と浩太が電源ボタンへ指を伸ばそうとした直後、これまで黙っていた新崎が、突然、縛られた身体を必死に捻りながら声を荒げた。

 

「待ってくれ!田辺さん!優奈は!俺の娘は無事なのか!?それだけ!それだけ聞かせてくれ!頼む!」

 

 そんな新崎とは、対照的に、田辺は低い声で呟くように言った。

 

「優奈......?それは、新崎優奈さん......という意味ですか......?」

 

 その名前を耳にした瞬間、新崎は破顔する。憔悴しきっていた瞳に力が戻り、田辺に見えるはずもないのに、何度となく首肯したが、田辺の反応は鈍いものだった。

 新崎の表情が、快晴の空から曇天へと変わっていく。事の成り行きに着いていけない浩太と祐介は、渋面したまま首を傾げているが、周りの状況など意に介さず、新崎は這いずりながらも、携帯へ近づいた。

 

「まさか......優奈の身に何かあったのか......?答えろ!野田、そこにいるんだろうが!おい!答えろ!答えろ、野田アアアアアア!」

 

 血相を変えて携帯へと迫った新崎は、咄嗟に動いた浩太により抑えられ呻吟するも、見開かれた双眸を、決して離そうとはしなかった。新崎が鬼気迫る面持ちを保ったまま、肩で激しい呼吸を繰り返す中、ようやく田辺が重い口を開いた。

 

「......新崎優奈さんは......」

 

 そこで、突如、携帯から不穏な音声が聞こえ、三人は一斉に携帯へと視線を移す。見れば、ディスプレイの光が消えかけており、堪らず新崎は、強引に身を捩って浩太を振り払うと、電話に向かって絶叫した。

 

「優奈は!優奈がどうした!?おい!野田!田辺!おい!ざけんなよ!優奈!優奈ァァァ!」

 

「くっそ!黙れ新崎!」

 

 浩太は、新崎の後頭部を鷲掴みにすると、口を床に押し当てた。

 くぐもった声を漏らす以上、死者に気づかれる可能性があり、離す訳にもいかず、小さく悪態を吐くと、祐介に短く言った。

 

「祐介、皆を呼んできてくれ......」

 

 こくん、と認めた祐介は、素早く立ち上がり扉へと走り出す。そして、背中を見送った浩太は、深い吐息をつくと新崎へ視線を落として、再度、溜息をついた。



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第17話

※※※ ※※※

 

真一は、胸中に膨らんだ黒い塊を拭いきろうと躍起になって部屋を出てしまったことを後悔していた。まだ、重要な会話があったかもしれない、けれど、我慢など出来なかった。結果、また浩太にすべて預けて、自身は、ただただ、感情を剥き出しにして厄介事から離れてしまっているだけだ。

そんな自分が心底、嫌になるぜ、と唾を吐き捨てると胸ポケットを探り、やはり、落胆の色を表した。

 

「......煙草なんて、工場内を探せばありそうなもんだけど、意外と無いもんだな」

 

背後から聞こえた声に、真一は振り返ると、安堵の息をついた。達也は、軽く右手を挙げて、真一の隣に立つ。

さわさわと風が頬を撫で、揺れる草を眺めていると、不意に達也が言った。

 

「こうやってると、昔を思い出すな......俺達が初めて会った日のこと、お前、覚えてる?」

 

「......忘れたくても忘れられないぜ」

 

鼻で笑った達也が空を仰ぐと、真一も同じく星を見上げた。雲もなく、皮肉のように感じれるが、明日も全員の心境とは違って良く晴れそうだ。

そんな感想を胸に秘め、真一は続ける。

 

「下澤さんに俺とお前、浩太と大地が呼び出されて怒られたことだろ?あれは、今でも笑い話だ」

 

「ああ、懐かしいな、遅刻したくせに、浩太は冷静に、言い訳良いですか?だもんな。最初は、こいつ馬鹿なんじゃねえのって思った」

 

「......実は俺もだぜ」

 

二人の笑い声が夜空に吸い込まれていく。達也は、久し振りに腹を抱えてしまいたかった。しかし、こんな穏やかな時間は、死者の出現により、まるで溶けるように失われていった。あの日々に、もう戻ることはできないのだろうか。そう考えるだけで、真一は堪らない気持ちになる。それも、自身の身内が関わっていたとなると、どうしようもない喪失感に襲われる。

ひとしきり笑ったあと、真一は切り出すように言った。

 

「なあ、達也......平和ってなんだろうな」

 

言葉に詰まりながら、達也は真一を見た。真一の目付きは、ぶれることなく見据えてきて、真剣そのものだ。逃げることなどできない。深呼吸で一度、間を開けた達也は、ぐっ、腹に力をいれて返す。

 

「真一、お前さ......自分が生き残るために人を殺したことってあるか?」

 

背中に湧いた冷たい汗を、確かに意識しながら否定する。これまで、数多の死者を葬ってはきたが、殺意を抱いたまま人を殺めるなど、想像すら出来なかった。その態度に、再度、間を空けた達也は、一言一句に神経を研ぎ澄ますようにはっきりと述べていく。




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第18話

「俺はある。穴生でお前らと別れたあと、立て籠った民家で故意に女を階段から突き落としたんだ。その階下に、沢山の死者がいたにも関わらずにな。必死だったんだ、死にたくねえって......死者が女の身体から内蔵を引き摺りだして、指や腕を噛み千切って、捻りきって解体されていく様を、途中まで俯瞰して踵を返した。そん時によ、こう言われたんだ、お前さえここに現れなければってさ。その絶叫を聞きながら、俺は笑ってたんだ」

 

真一は瞠目しながらも、なんと声を掛ければ良いのか分からず狼狽していたが、達也は苦笑を漏らした。

 

「軽蔑するだろ?立派な人殺しだ。だから、こんな俺が言うのも変だけど、平和ってのは、真逆のことなんじゃねかって思うんだよ」

 

「......真逆?」

 

「平和ってのはさ......二文字しかねえけど、裏側にはいろんな意味がある。その一つは、自分にとっては他人でも、大切な人でも、どちらでも良い......人と幸せを分け合えることを言うんじゃねえか?」

 

達也は、歯を見せてニッ、と口角をあげた。

その自分に向けての皮肉まじりな笑顔を直視することは、話しを聞いてしまった真一には不可能だった。達也が女性から奪ってしまったものは命だ。比喩や暗喩にすることなど、出来ようはずもないたった一つの大切なものだ。つまり、達也の笑顔の意味は、他者から利己的に奪った以上、もう人と幸福を分け合うような立場にはなれない、ということだろう。

真一は俯いて、自身の発言を後悔した。知らなかったから、なんて言い訳にすらならない。ただただ、達也へこう言うことが精一杯だった。

 

「......達也、ごめんな......本当、詫びのしようもないぜ......」

 

涙を堪えているのか、喉が震えていた真一の肩に、達也は黙って手を置いた。

 

「俺の弱さが招いた結果だ。お前が気にするようなことじゃねえよ。それによ、そんな世界に落とされて、それでもまた、お前らに会えた。それに、脱出の算段もたっている。それだけでも、こうも思えんだよ、案外、希望ってやつも捨てたもんじゃねえなってさ」

 

その忖度が有り難かった。どれだけ、救われただろうか。真一にとって、その一声は強く背中を支えてくれる言葉となった。

 

「達也......お前、生き延びたら何がしたい?」

 

「俺は、この先を懸けて償っていきたい。その為の一歩として、その女の墓を建てたいんだ、もう一生、間違わない証しと証明としてな......お前は?」

 

「俺は......まだ見つからないぜ......平和ってやつを自分なりに手に入れることからかな」

 

「なら、早いとこ見付けることだ。それだけでも、気合いが入る。平和を手に入れるには、まずは希望を手にしねえとな」

 

二人は、またも声を揃えて笑い始めた。互いに分かっているのだ。平和とはこの穏やかな時間をなんの憂慮もなく過ごすこと、そのものだということをだ。



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第19話

※※※ ※※※

 

阿里沙と加奈子は、もともとは、工場内の事務所であろう一室で、机を並べて横になっていたところ、階下から響いた怒声で目を覚ました。そこから、さほどの間を置かずに誰かが扉を開いたのだと分かる。この工場を発見してから身を隠し、新崎を拘束した部屋からの音だと理解が及ぶまで、約二分を費やした。

隣で眠る加奈子が起きていないかを確認していると、またも扉の開閉音が聞こえ、阿里沙は警戒心を強めつつ、机から降りると、引き出しを開き、あらかじめ見付けておいたマイナスドライバーを服の腹にいれて、眠る加奈子に、ちょっと行ってくるね、と囁くと事務所を出て、二階から達也の背中を確認する。その瞬間、腹部から胸にかけて、例えようのない、どす黒い何かが濁流として押し寄せてきた。

あまりの勢いに、胸を抑えて膝をつき、階段の手摺を左手で握りしめ顔をあげた。

彰一への気持ちに気付いた時から、生まれた渦は、確実に阿里沙の胸中を渦潮のように呑み込んでいっていると自覚しつつも、どう抗って良いのかも分からず、ここまで来てしまった。

阿里沙は、足音を忍ばせたまま、達也に気づかれないように細心の注意を払いながら、階段を一段一段、慎重に降りていく。

達也は、工場の出入り口で沈んだ面様をしていたが、両頬を叩いて気持ちを取り戻したように見え、物陰から顔だけを出して窺えば、真一と言葉を交わしているようだった。

阿里沙は耳をそばだて、二人の会話を盗み聞く。そして、阿里沙にとって、決して許すことなど出来ない決定的な言葉を達也が漏らしてしまう。

 

「俺はある。穴生でお前らと別れたあと、立て籠った民家で故意に女を階段から突き落としたんだ。その階下に、沢山の死者がいたにも関わらずにな。必死だったんだ、死にたくねえって......死者が女の身体から内蔵を引き摺りだして、指や腕を噛み千切って、捻りきって解体されていく様を、途中まで俯瞰して踵を返した。そん時によ、こう言われたんだ、お前さえここに現れなければってさ。その絶叫を聞きながら、俺は笑ってたんだ」

 

動揺はない、そのまま、呑み込めるだけの余裕はある。その上で、阿里沙はきつく奥歯を噛み締めた。その後、達也はこうも口にする。

 

「平和ってのはさ......二文字しかねえけど、裏側にはいろんな意味がある。その一つは、自分にとっては他人でも、大切な人でも、どちらでも良い......人と幸せを分け合えることを言うんじゃねえか?」



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第20話

彰一と笑い合った八幡西警察署、幸神で潜伏したホテル、穴生の住宅街での一幕、そして、中間のショッパーズモール、彰一と過ごした三日間、かけがえのない、尊い感情を抱くまでの三日間、それら全てを否定された気分だった。人と分かち合えなければ、幸せではないのか。ならば、彰一は不幸のまま死んでいったと、そう告げられたのだと、阿里沙は思い、隠し持ったドライバーを鬼の形相で握りしめた。佞悪していく胸の内は、もはや、阿里沙自身では止められないのだろう。

これは、怒りなのか悲しみなのか、どちらとも判断できず、嗚咽混じりに、凶器から手を離して踵を返す。

 

「......わかんない......わかんないよ、彰一君......あたし、どうしたら良いんだろう......」

 

押し寄せては返す波の乱れ、女性の初恋というものは、男性と比べて、それほどに心を乱雑にさせるものだ。不安と怒りの過渡期は、阿里沙から容易に思考を奪いさってしまい、自身がどこを歩いているのかさえ曖昧になったいた時、突然、階下から声を掛けられて、阿里沙は意識を戻す。

 

「阿里沙、そんなとこで何してんだ?」

 

「......祐介君......?」

 

暗がりで顔は見えないが、聞き慣れた音色は、少なからず阿里沙の動揺を拭ったようだ。

阿里沙は、そこでいつの間にか寝床としていた部屋への階段を登っていることに気がつき苦笑し、その薄い声に祐介が眉を寄せる。

 

「......阿里沙、大丈夫か?」

 

「......あたしは大丈夫だよ」

 

「......泣いてるのか?」

 

「泣いてるよ......」

 

努めて阿里沙は暗くならないように返した。

こんなときにまで、祐介は優しさを忘れていない。それが、とても重くのし掛かってくる。さきほどまで、胸中に渦巻いていたものへの皮肉にすら感じてしまう。そんなことを知ってか知らずか、祐介は明るく言った。

 

「不安だよな。けど、大丈夫だ!東京の記者やいろんな人達が手を組んで、救助にきてくれるって!だから、俺達は、希望を捨てなくて良いんだよ!」

 

ぴくり、と片眉をあげた阿里沙が呟く。

 

「......希望?」

 

「そうだ!希望だ!今から、俺は真一さんと達也さんを呼んでくるから、阿里沙は加奈子ちゃんを連れて浩太さんがいる部屋に集っておいてくれ!」

 

そう残して工場の入り口へ向かう祐介の背中へ、唇を噛んだ阿里沙が蚊の鳴き声のような小声で囁いた。

 

「希望なんて......希望の象徴がなければ、意味がないじゃない......」

 

再度、阿里沙は階段を登り始めた。

恋に愛が加わり、初めて恋愛になる。

大きなものを失った翌日の朝を迎えるのは、夜の帳が降りるよりも遥かに辛いことなのかもしれない。



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第21話

                  ※※※ ※※※

 

  工場の一室に集まった一同は、浩太の話しを訊いて様々な感覚を持っていた。浩太、真一、達也、新崎、祐介、阿里沙、加奈子、それぞれが生き残る為に動き出さなければならないことを否応なく自覚する。

  期限は僅か一日と差し迫っており、一刻も無駄にはできない。誰もが口を重くする中、切っ掛けを作ったのは真一だった。

 

「......核や空襲、銃や弾丸が入り乱れてのパーティータイム......まったくもって笑えねえ冗談だぜ。連中、戦争でもおっ始めようってのか、クソッタレ」

 

  不意に真一が言いながら鼻を鳴らした。それに、浩太が同意するように頷く。

 

「ああ、だが、事実はどうあれ、この機会を逃す手はないと思う。みんなはどうだ?」

 

  まず、浩太は阿里沙へ視線を投げ、察した阿里沙は、鳩首の場ということもあってか、遠慮がちに口を開いた。

 

「......あたしは、浩太さんに賛成です。その東京の人達を信用は出来ないけど、彰一君ならそう答えると思いますから......」

 

  その返答に、人知れず影を落としたのは達也だった。隣に座る真一は、さっ、と一瞥したが、何も言わずに目線を戻して、意見を述べる。

 

「俺も阿里沙ちゃんに同意するぜ。けど、やっぱり不安材料は、しっかりと取り除いておきたい」

 

  不安材料との言葉と共に、全員の目は自然と新崎へ向いた。凶悪な三拍眼を携えて、真一が詰め寄っていき、芋虫のような状態で横たわる新崎の胸ぐらを掴みあげた。

 

「新崎、そろそろ、手を借した理由を話さないとマズイことになるぜ?九州脱出の段取りはついたんだ。言うなれば、お前は蟻の巣穴に連れ込まれた虫だ。俺には、その程度の価値しかお前に見いだせないぜ」

 

  両手足を縛られたまま、呼吸をしようともがく様は、まさにその通りだと、達也は納得しつつ、真一を制するように右手を突きだした。

  怪訝そうに目を細めた真一だが、新崎を解放せずに振り返る。

 

「なんだ、達也?」

 

「真一、ひとまずは新崎を放したほうがいい。そいつ、窒息しちまうぞ」

 

  真一は、新崎を睨目つけると、一拍だけ空けて乱暴に胸ぐらから手を放し、噎せ返る新崎を俯瞰して、一旦、その場から退く。

  涙目で咳き込み続けている新崎に対して、聞こえてるか、と尋ねたのは浩太だった。首肯が見えると、少しだけペースを落として言う。

 

「悪いが真一の言う通り、今のアンタは全く立場がない。俺達はアンタを置いていくことも、外で死者の大群と出くわした際に囮にすることも出来る」



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第22話

 言葉の終わりに、新崎はすがるような視線を加奈子へ預けたが、怯えた表情で阿里沙の背中に隠れてしまう。

 

「重ねて悪いが、あの娘は両親を死者に殺されたショックで言葉を発することができない。それも、お前が招いたことだ、新崎」

 

 新崎は愕然としたのか、顔付きが一変する。それを見逃すことなく、浩太は目元を暗くした。

 

「......なんか、思うところがあるみたいだな」

 

「......俺は......俺には、優奈という娘がいる......」

 

「優奈って、さっきお前が叫んでいた......」

 

 ああ、と低く頷いた新崎は、顔をあげて、もう一度、加奈子に目を向ける。

 

「......その娘は、亡くなったのか?」

 

「いいや......ウェルナー症候群という不治の病に犯されている......」

 

 聞き慣れない病名に、全員が眉を八の字に曲げるも、構うことなく、新崎は語り始めた。

 

「早老症と言えば分かりやすいか。その病気は、現代の医学でも解明できない難病でな......優奈は......もう限界だった......いや、俺よりも早く、外見だけでも年老いていく優奈に耐えられなかったんだ」

 

 そこで、何かに行き着いた阿里沙は俯いて、加奈子を抱き寄せた。もしも加奈子が、と想像してしまったのだろう。その行動に浩太は首を傾げたが、あまり気にせずに新崎へ目線を戻す。

 

「荒んだ俺にとって優奈は天使だった......本当に辛かったんだ......だから、奴の口車に乗ってしまった......」

 

「......奴だと?そいつは、誰だ?」

 

 抑揚のない喋り方で尋ねた真一は、見るからに怒りを抑え込んでいた。爆発しないよう、達也と祐介が周辺に座っているが、今にも飛びかかりそうな怒気が伝わってくる。

 そんな居心地の悪さの中で、新崎は喉の奥から絞り出すように、ある男の名を告げた。

 

「......野田だ。娘を治す治療薬があると、莫大な金額を提示された......俺は、娘を助けたい一心だった......」

 

「要するに、アンタは多くの命よりも娘一人の命を優先させた。そうだな?」

 

 きっぱりと言い放った浩太の目を、どうにか顔をあげた新崎が見据えて首を縦に動かす。瞬間、真一が背中を預けていた壁を無造作に殴り付けた。響いた音に、加奈子が肩を震わせる。

 

「......そんなことまでやってやがったのかよ......やっぱり最悪な気分だぜ......よりにもよって、この事件の張本人が助けにくるなんて、どんな皮肉だよ、クソッタレが......」



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第23話

 ぎりっ、と血を滲ませた真一の唇からは、途切れ途切れに息が洩れだしており、はっきりとした憤懣を顕にしつつ、頭を切り替える為に長い呼吸をしてから浩太へ言った。

 

「それで、だ。浩太、こいつをどうする?」

 

「......どうするって?」

 

「決まってる、ここに置いていくのかどうかだぜ。論点がズレそうになってたけど、もともとは、新崎を連れていくのかどうかって話だ」

 

 びくり、と顫動した新崎は、恐々と真一を仰ぐ。

 その目付きから察するに、真一は連れて行くことなど微塵も考えていないだろう。それほど、眼光が冷めきっていた。

 判断を委ねられた浩太が、答えあぐねていた時、祐介が右手を挙げた。

 信じられないとばかりに、首を振る真一を一見はしたものの、しっかりとこう口にする。

 

「俺は連れて行っても良いと思います」

 

「祐介......お前、それがどういう意味か分かって言ってるんだよな?そんな、簡単に答えを出して良い問題じゃないんだぜ?」

 

 緩急をつけた口調だが、すっ、と心には入ってこなかった祐介は、一度だけ首肯すると、分かっていますと前置きを加えた上で心境を吐き出す。

 

「けれど、やっぱり親ってのはそうなんじゃないかと思うんです。俺の親父とお袋もそうだった......二人とも俺達を身を犠牲にして助けてくれた。俺は親にはなれないけど、その気持ちはわかっているつもりです。だから......」

 

「......あたしも......連れて行くことには、賛成......です」

 

「阿里沙ちゃんも......改めて聞くけど、こいつは、二人の両親を間接的に殺したってことだぜ?それでもか?」

 

「勿論、許せない。だけど、あたしや祐介君よりも武器を扱える強みがある......今は生き延びることを優先すべきだと思う......そうしなきゃ、きっと彰一君だって怒ります......」

 

 阿里沙と祐介の意見は、趨勢を見越した上での発言でもある。感情が先走りつつある真一は、入り込む余地がなくなり、困り顔のまま、達也に助成を促そうとしたが、顔を逸らされてしまう。恐らくは、彰一の件もあり、口出しなど出来ないのだろう。

 諦念の息をついて、真一は浩太へ言った。

 

「......分かった......民主主義万歳だ畜生......けどな、新崎の背中は俺に預からせてもらうぜ。何か起きそうなら、真っ先に糞野郎の心臓をぶち抜いてやる為にな」

 

「......ああ、それで良い。みんなも同じでいいか?」

 

全員が一斉に頷いたのを視認して、浩太は続けて言った。

 

「じゃあ、これからのことを説明する。まず、目的地は小倉のあるあるシティってとこだ」

 

 その間、浩太の言葉に耳を傾けながらも、終始、阿里沙は達也を、真一は新崎を盗み見ていた。

 生まれた軋轢はあるものの、それぞれが差し込んだ光明へ手を伸ばし、脱出へ向けてのスタートを歩み始めた。




痴漢冤罪……
いやあ、東京って怖いわーー……


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第24話

               ※※※  ※※※

 

 とあるマンションの一室で、ベッドのスプリングが激しい音をたてている中、潤沢のある声が、一際、高く響き渡る。少しして、肩で小刻みに呼吸を繰り返す女性を覆っていた影が、のそりと動いた。

 明らかな男女の営みを終えたばかりの男は、足元に置いていたリュックサックを顔の位置まで持ち上げて無言で眺め、テーブルへと、まるで鎮座でもさせるかのような丁重な手付きで置きなおし、引き出しの中から煙草の箱を取り出すと、ゆっくりと火を点ける。

 ぽっ、と灯った赤い光に意識を戻した女性が、小柄な背中に声を掛けた。

 

「......東さん、どうしたんですか?」

 

 煙を燻らせつつ、東は箪笥に無遠慮に開くと、引っくり返して服を物色する。

 布団を手繰り寄せ、布団で身体を隠した邦子が、それ以上、東が放つ独特な雰囲気に圧されて何も言えずにいると、不意に投げ付けられた服に視界を奪われ、慌てて顔から取れば、黙々と服を選別していた東の盛大な舌打ちが聞こえた。

 

「......白がねえ......どんなダセエセンスしてやがんだよ......」

 

 溜め息混じりに、火の点いた煙草を床に擦り付ける。そして、ようやく、呆然と自身を見やる邦子に気付き、呆れたような面で首を横にふり、一息に邦子から布団を剥ぎ取った。

 短い悲鳴をあげ、思わず胸元を両腕で隠した邦子に東が言う。

 

「......なにしてんだ?さっさと着替えろ、置いていかれてえのか?」

 

「......あの、行くって......どこにですか?」

 

 遠慮気味に、恐る恐るといった具合で尋ねた邦子の髪を、東は左手で乱暴に掴むや否や右手でベッドに散らばった服を顔面に押し付け、邦子の耳元で囁く。

 

「お前は、黙って連いてくりゃ良いんだよ......理解できたか?」

 

 問い掛けに対して、邦子は無反応だった。首を傾げた東が右手を顔面から離せば、妖艶に瞼を歪めた邦子がいる。光悦、そう捉えても間違いではないだろう。かたや、東は、とても苦々しい表情だった。元からから備えていた性癖なのか、それとも、東との出逢いによって何らかの枷が外れたのかは分からないが、この傾向に、東は明らかな嫌悪感を抱いた。

 

「1999年、あるカップルが二人を殺害する事件があった......当時、男は24歳、女は19歳、二人の関係性は周囲からすれば常軌を逸していた。一日に数回に渡り、男は女の身体を求め、専用の器具で肉体を吊るし、様々な手法で行為に耽った。そして、遂には女の親を殺害し埋めてしまう......日本で起きた事件だ」

 

 きょとん、と目を丸くしている邦子を無視して、東は新たな煙草を取り出した。




鼻が……鼻があああああああああああああああああ!!
鼻炎があああああああああああ!いてええええええええええええ!!


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第25話

「俺が見るに、男には、もう一つの顔が存在した。それは、内側に潜んだ夢見勝ちな向上心だ。ここから、とある傾向が読み取れるが、なにか分かるか?」

 

 端から答えなど期待していないのか、東は、煙草の煙を吐き終えると同時に語り始める。

 

「それはな、向上心ってやつは、そのまま他者への支配欲に直結するってことだよ。それは、現在社会でも容易く見てとれる。例えば、学校だ。過去や現在、日本のみならず、海外でも教師による事件が多く存在する理由はなんだ?将来を夢見たからには、向上心がなれけばいけない。やがて、その向上心は学校という閉鎖空間内で支配欲になる。それが、理由だ」

 

「......支配......欲」

 

 邦子の呟きに、東は一度だけ頷く。

 

「その点を踏まえて、とある話しをしてやる。ザッハー・マゾッホ、マゾヒズムの語源となった男だ。こいつは、生涯、妻となる女へ隷属する誓約書を交わしている。つまるとこ、マゾヒズムは他者による支配への渇望だ。ならば、その支配欲を手っ取り早く得られる方法はなんだ?決まってる、肉体と精神を同時に蝕む過剰な暴力行為だ」

 

 思い至る節があるのか、邦子の呼吸は徐々に水気を帯びていく。生唾を呑み込んだ喉が先を促すように上下する。

 

「だが、サディズムとマゾヒズムは、決して対とは言えねえ......何故なら、サディズムがマゾヒズムに与える快楽は最上ではないからだ。なら、真性のサディズムにとっての最上の快楽はなんだろうなぁ......決まってる。同じ真性のサディズムを従えることだ」

 

 東の語り口は、徐々に熱を帯びていき、最高潮に達した瞬間、左手で顔面を隠し、右手で腹を抱え、心底、愉快とばかりに声を張り上げた。

 

「世間の認識はそこからズレてんだよ!マゾヒズムとサディズムが同調する性質な訳がねえだろうが!快楽の度合いが、まるで真逆なのによお!服従を求ている奴を服従させて何が面白いんだってんだ!ひゃーーはははは!」

 

 甲高い笑い声に、邦子の表情がひきつった。何度訊いても、慣れそうにはない。目の前にいる男が何者なのか、なにをしてきたのかを再認識させられる。サディズムとマゾヒズム一つをとっても、そんなことを今まで考えたことなどなかった。何故、このような結論を導きだせるのか、不思議でたまらない。

 

「そう考えると、一人だけ異質の男が見えてくるなぁ?そう、アルバート・フィッシュだ!あらゆる性的倒錯、なかでも秀でていたのは、マゾヒズムとサディズムの両面、自分で自分を支配し、加えてカニバリスト!さいっこうにイカれてやがる!」



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第26話

 もはや、邦子の瞳には叫声なのか、破顔しているのか、どちらともとれる笑いをあげる東しか映っておらず、そこに緩んだ目付きなど無かった。固まった瞼が閉ざすことを拒否している。知らぬ間に唇が震え、かち合った歯が音をたて始めた時、東の爆笑が不気味なほど、ぴたり、と止まり、激しく狼狽する邦子を見据えた。

 

「......俺はな支配したいんじゃない。服従なぞお前には求めていない。俺は理解者を求めているだけだ。俺が、何故、お前を抱いたのか。安部さんが何故、子供を必要だと説いたのか、お前はこれから考えて理解していく必要がある。邦子、さっき俺が話した日本人みてえな、曖昧な性質を持つな。それは、お前を深い所で壊しちまう」

 

「わ......私を心配して......?」

 

「......ガキを産めるのは女だけだ。そして、俺と安部さんの理想を受け継げるのも、子供だけだ」

 

 冷淡と言い放った東は、再び衣類へと顔を下げると、言葉を付け加える。

 

「だが、子供に理想を語れるのは女の特権だ。邦子、テメエは安部さんと俺の為にも死ぬな」

 

 はい、と邦子は短く返した。

 東にとって、第一は安部だ。第二は自身、第三は邦子となる。それは、安部の、唯一の親友と呼べる男の夢を叶える為のパーツとして加えられていることを暗に示した言葉だった。それでも良い。東との繋がりを残せるのであれば、邦子は満足なのだろう。

 そして、邦子は、さきほど聞きそびれた質問をする。

 

「あの......東さん......これから、どこへ向かうのですか?」

 

「小倉に忘れ物を取りに行く」

 

「......小倉......ですか?一体、なにを?」

 

「俺と安部さんにとって、一番の繋がりと言える物だ」

 

 愛おし気にテーブルのリュックサックを眺め、適当に選んだ服を着ていき、一息に背中にからうと足早に東は寝室の扉を開く。

 その背中を追い掛ける邦子を一瞥すれば、不意にある二人組を思い出して微笑した。

 それに、気付いた邦子が首を傾ける。

 

「何か、楽しいことがありましたか?もしかして、さっきの話しを思い出しでも?」

 

マンションの外階段を降りながら、東は首を振った。

 

「いや、ある男女を描いた映画を思い出してな」

 

「......東さんも映画とか見るんですね」

 

「結構な名作と名高い映画だがな。アメリカ全土を股に駆けた、実在した男女二人組の犯罪者の話しだ。英雄的な扱いまで受けていたんだが、最後は警察に銃殺されちまう」

 

一階に到着し、非常口を開けば、すぐ目の前にある車に乗り込んだ。助手席に座る邦子が、再度、訊いた。

 

「その映画のタイトルは?」

 

「......俺達に明日はない」

 

 東の返答に、邦子は随分と皮肉なタイトルだと眉をひそめた。

 特に、この九州地方における惨状を考慮すれば、もっともなタイトルだ。そんなことを考えているのかなど、問い掛けることも出きる筈もなく言葉を呑み込んだ。車内に微妙な沈黙を残したまま、東がアクセルを踏み込めば、車はゆっくりと速度を上げていき、二人は小倉へと出発した。




次回より「作戦」に入ります。
予想以上に長くなったので区切ります……
あと忙しくなってきたんで申しわけありませんが6月いっぱいお休みするかもしれません!


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第27話

「......明日には、この地獄から離れられるんだな」

 

「そうだな......」

 

 工場の外、浩太の一人言のような囁きに、真一が律儀に返した。

 他が静かな寝息をたてる中、どうにも寝付くことができず、見回りでもしようと起き上がった真一は、膝を抱えたまま、踞っていた浩太に声を掛け今に至る。

 二人は、車まで歩き、タイヤに裂け目やパンクに繋がりそうな傷がないかなどを入念に確認した後に、改めて周辺を窺う。

 

「......今でも......信じられないんだよな......」

 

「ん?なんだよ浩太」

 

 不意に言った浩太は、ほんの僅かだけ目尻を下げた。

 

「俺達が暮らしてきた場所が、こんな地獄に様変わりしたこと......だな。言うだろ?銃を使った人間は幸せになれないってさ......だけどさ、はっきりしない靄を抱えてきたけど、田辺さんと電話で話して、ようやく晴れた」

 

 深く吐息をつき、拳銃を一瞥した浩太に、真一は何も返さずに言葉を待った。

 空にある無数の星は、姿や形を変えて同じ夜空に浮かんでいる。地上や海上で、どれだけの変化があろうとだ。

 東京でも、似たような事態が起きつつあるとすれば、物事が悪い方向へ流れ出す際、湖に手を差し入れた時のように、濁りが波及するのは、とても早いのかもしれない。

だが、それでも、人々は助け合いたいのだろう。浩太は、そんな人間の根底を田辺を通して見ることが出来た。

棚から落ちてきた希望は、掴んでこそ意味がある。

 

「例え、銃を使ったからといって、奇跡ってやつは......希望ってやつは、まだ捨てたもんじゃないのかもな......」

 

 車のボンネットに寝そべった浩太は、果てなく続く夜空に手を伸ばす。そんな様子を傍らで見ていた真一が、短く笑う。

 

「随分と、ロマンチックなったもんたぜ......なあ、奇跡って言葉の語源を知ってるか?」

 

 首を振っただけで返した浩太に、真一は続けた。

 

「少数の部隊が大勢の敵に囲まれて、玉砕覚悟で突入した。けれど、その大部隊は野営地だけを残して消えていたんだとよ。残されていたのは、野営地に所狭しとある、この世にいる生物とは思えない奇妙な足跡だけだった、それから奇跡って呼ばれるようになったらしいぜ」

 

「そりゃ、興味深い話しだな」

 

「だろ?まさに、今の俺達と同じだぜ」

 

 浩太は、鼻で一笑して立ち上がった。

 

「なら、起きるだろうな、奇跡ってやつがさ」

 

「浩太、奇跡ってのは、自ら起こすもんなんだぜ。それ以外は、努力ってんだ」

 

 浩太は、とんだ屁理屈だと一蹴してみせた。だが、地獄に置かれた身体を奇跡に預けるには、心許ない。

 やはり、努力の賜物のであろうことは、否定しようのない事実なのだろう。そこには必ず、死んでいった仲間達の思いもある。小倉の基地で失った命、関門橋で散った下澤や民間の人々、多くの犠牲があった。明日、全てが終わる。そう信じて、浩太は、仲間の待つ工場へと踵を返した。




すいません、忙しくて6月過ぎました……
そして、まだ忙しいです……
しかも、嘘つきました。ここは、この部数にいれておかなきゃだめだと思いました……
本当、すいません!まだ、ちょっと忙しい時期が続きそうです……


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第26部 作戦

 九州と連絡がとれた翌日のことだ。警視庁の会議室に、田辺の声が反響する。

 

「もしもし!もしもし!」

 

 何度となく呼び掛けてはみるものの、電話の先から聞こえてくるのは、機械の音声だけだった。受話器を置いても、時間を空けても、やはり結果は同じだ。警察署内の広い会議室に集まっていた八人全員が固唾を呑んで見守る中、これで何度目になるのかと、首を振った田辺に諦めの息を吐き出した。

 田辺、浜岡、斎藤、野田、藤堂、野田の雇った男性三人、各々が重い表情で椅子に腰かけている中、田辺が荒々しく机へ拳に降り下ろす。

 

「......伝えられなかった。僕は、彼に伝えなければならなかったのに......」

 

 田辺が悔やんでいるのは、新崎優奈の一件だ。

 自身が引き絞って放った一発の銃弾が、新崎優奈の頭蓋を破壊して死に至らしめたのだと、言うべきだったのだと頭を抱える田辺へ浜岡が言う。

 

「田辺君、伝えなかったのだと悔やむのならば、彼を絶対に救い出せば良いんじゃないかい?それに、伝えなかったのは正解だったかもしれない」

 

「そうだな。娘の為に、これだけのことを仕出かした男だ。死んでいるとなれば、命を諦めてしまうかもしれない」

 

 浜岡の言葉に頷いた斎藤の声で、田辺は目線を上げた。

 これで良かったのだろうか、などと口を開いている場合ではないだが、今になって新崎優奈の生命を断ってしまったことに、とてつもない罪悪感を覚えてしまう。それは、野田としても同様だ。考えを切り替えなければならない。そうしなければ、いつまでもこのまま時間だけが無為に過ぎてしまう。

 田辺は気を入れる為に、両頬を強く叩くと、静まりかえった会議室に着信音が響き渡り、全員の顔が藤堂へと向けられた。やや、狼狽を見せながら、藤堂が携帯を耳に当て、二度、三度と返答を繰り返し、頭を下げて電源を切り、同時に田辺が尋ねた。

 

「......どうでしたか?」

 

 藤堂は、短く溜め息をつく。

 

「大丈夫だ。ヘリを飛ばす許可は下りた、あとはお前達次第だ」

 

「俺は行かせてもらう。いや、俺は行かなきゃいけないんだ......」

 

 真っ先に手を挙げたのは野田だ。それに異論を唱える者はいない。

 

「僕と野田さん、あとは......」

 

 田辺がちらっ、と見たのは、隊長と呼ばれていた壮年の男と先輩、後輩と呼びあっていた部下二人組みだ。若い男は、言われるまでもないと名乗りをあげるも、もう一人は渋い顔付きでそっぽを向く。

 

「......俺はごめんだ。あんな奴等がうじゃうじゃいるとこなんざ、命が幾つあっても足りないしな」




第26部始まるよ
すいませんです!
徐々に時間できてきたんで、頑張ります。


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第2話

 明らかに不機嫌な口調で、若い男が言う。

 

「要するに、ビビったって素直に言ったらどうですか?」

 

「ああ!?テメエは誰に言ってんだよ!」

 

「止めんか!二人とも!」

 

 隊長の一喝に、二人は押し黙る。ほんの少しだけ間を空けると、隊長は一歩だけ前に出た。

 

「分かった。この二人を連れて行ってくれ。こちらには、私が残る」

 

「はあ!?ちょっと待ってくれよ隊長!どうして俺が!?」

 

「良い経験になるだろう。これ以上は聞かんぞ」

 

 ぐっと喉を締めた男は、悪態をつきながら顔を下げる。そして、続けて鼻息荒く立候補したのは斎藤だったが、浜岡により遮られた。

 

「斎藤さんは、残ってくれると助かりますねぇ」

 

 納得がいかないと、斎藤は声を荒げる。

 

「何故だ?人手は多い方が良いだろ」

 

「ええ、だからこそですよ」

 

 理解出来ない。そう首を捻る斎藤に田辺が補足する。

 

「斎藤さん、墜落事故が起きてから、もうすぐ四日が経過します。となれば、今までよりも......いや、今まで何も無かったことのほうが、少し不気味なんです」

 

「......何もなかった?」

 

「はい、つまりは九州地方の全域に渡り、謎の感染事件が起きている。となれば、まず、真っ先に不安視されることと言えば......多くの国民の安否、そして国が関わる行政機関、その他にある自衛関係の施設や米軍関連、そういった内面もあるということは、特定の団体が動き出す良い口実でもあります。切り崩せる箇所から打ち倒す、どんなことにでも通じる争いの手段です」

 

 田辺が椅子から立ち上がると、斎藤は納得したように、こくんと頷いた。

 ここは、日本の首都だ。争いの切っ掛けを窺っている人間がどれだけいることだろう。勿論、東京だけでなく、日本全国にいる思想家や活動家達にとって、最高の撒き餌になりえる事態となっていることを改めて認識した。更に、言うなれば、それは国規模の問題にも発展する可能性すらある。

 この場で奴等と接触した経験があるのは俺達だけだろうが、とは斎藤自身の言葉だ。それは、どんな状況下でも同じことが言える。そう、納得したのだろう。

 田辺は、浜岡に深く頭を下げてから、顔をあげずに言った。

 

「......浜岡さん、本当に迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

 

 あれだけ、不安定だった田辺という青年が、この数日で見違えるほど、立派になったものだ。浜岡は微笑して、下がったままの田辺の後頭部へ優しく手を置いた。

 

「君に足りていないのは、大きすぎる正義感に見合うだけの覚悟だ。田辺君、人は体験を覚えただけ幸福を得るが、同じだけの悲しみを知ることになる。君の正義感の根本に何があるのか、正しさを掲げたいのであれば、それだけの責任を負えるのかい?」




……亜里沙のお父さんごめんなさい……
誤字報告ありがとうございました!


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第3話

ぱっ、と額を見せた田辺は、腹から込み上げてくる熱いものを必死に堪え、ニコリ、と微笑む浜岡にしっかりと返す。

 

「......はい!」

 

九州地方感染事件が発覚した翌日に、田辺が出した退職願いを破り捨てた直後、浜岡は同様の問い掛けをした。その時は、分からないと答えた田辺だったが、今は、揺らがない心根を持っていると分かる力強い返答だった。

 

「良い返事だね。ただ、ちくりと釘を刺すとすれば、君は焦りすぎな面がある。そこを留意するんだよ」

 

田辺の苦笑を受け、浜岡は声に出して笑った。

そこで、隊長から現地行きを命じられた男が仏頂面で田辺に声を掛ける。

 

「平山だ、不本意だが、よろしくな」

 

男に続いて、若い青年が右手を差し出す。

 

「松谷です。よろしく田辺さん」

 

互いに握手を交わし、田辺が名乗った所で会議室の扉が開かれた。入ってきた、現職の警官であろう数人の男性達は机に大きく重量のある鞄を置いて、チャックを開く、中には、拳銃が数挺収められていた。

現地に向かう平山と松谷が手にとっていくが、眺めたままでいる田辺に、斎藤が訊く。

 

「田辺、使い方が分からないのか?」

 

田辺は首を振って、ポケットから取り出したカメラを顔の位置まで上げた。

 

「......僕の武器は、これですから」

 

それは、浜岡から預かったデジタルカメラだった。当然のように、渋面を崩さない斎藤が、なおも食い付こうと口を開く寸前に、田辺が言った。

 

「僕が記者になった理由は、理不尽に起こる事件を明るみにして、被害者の関係者に事実を伝えたいからです。その為には、必ず、映像が必要になります。斎藤さん、僕は記者なんですよ」

 

そこで、斎藤の肩を浜岡が掴み、思わず、斎藤は振り返ったが、それ以上は何も言わずに、黙って身を引いた。

 

「おい、そろそろ屋上に行くぞ!」

 

藤堂の一声が会議室に響き、全員が屋上に向かい、到着して扉を開けると、凄まじい風圧が田辺の顔面を叩いた。まるで、九州地方への出発を阻んでいるようにさえ思えたが、誰よりも先に一歩目を踏み出す。操縦士に軽く頭を下げ、ヘリに乗り込んだ田辺は、視線を落として浜岡を見ると、大声で言った。

 

「浜岡さん!僕にとっての最高と呼べる一枚を撮ってきます!必ず......必ずです!」

 

「ああ、楽しみにしているよ!だから、絶対に帰ってくるんだ!」

 

プロペラの煽られた浜岡の服が風を孕んで靡く。それが、まるで手を振っているように感じた。

田辺が持っているとデジタルカメラは、浜岡が会社や職場を取り払い、田辺が九州地方感染事件へと向き合えるようにしてくれ時に預けてくれたものだ。ぎゅっ、と握り締めると、あの日、胸に去来した決意を再び思い出す。




もう、本当……
誤字すいません……


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第4話

 浜岡に報いることだけが、田辺にとっての礼だ。全てが終わった後で、ありがうございました、と頭を下げれは良い。

田辺は一人呟く。

 

「約束は守りますよ、浜岡さん......」

 

 平山、松谷、最後に野田がヘリに乗り込むと、プロペラが回転数をあげて機体が浮上し、充分な高度をとってから飛び立った。

それを見届けた浜岡は一同へ向き直る。

 

「......さて、それでは、我々は我々の戦いを始めるとしましょう」

 

 踵を返して、署内へと歩き始めた浜岡は、すれ違い様に斎藤の肩を軽く叩いた。

 

「斎藤さん、頼りにしていますよ」

 

 からかうように唇を曲げた斎藤が言う。

 

「田辺よりもか?」

 

「......それは、有り得ませんね。こちらにとって、彼はもっとも優秀な部下ですから」

 

 そう真顔で返された斎藤は、なんとも不思議な顔つきでいる浜岡の背中を追いかけた。

 

「俺はお前の部下ではないからな!」

 

                 ※※※ ※※※

 

 黎明の時は訪れた。

 一夜にして、九州地方は変わり果てた。皿倉山に墜落した旅客機、あれから、どれだけの命が犠牲になったのだろう。一万、十万、五十万、もしくは、それ以上かもしれない。

大切なものを失いながらも、または、大切なものを得るために、こうして生き延びている人間は、どれだけ残っているのか、そんなことを考えていた浩太は、首を横に振ってから晴天の空を仰いだ。出発の時刻は近づいている。聞こえてくる死者の伸吟は、いまはまだ遠く、まるで山彦にでもなったような気分だった。

 中間のショッパーズモールを脱出する際に使用した軽車両、その運転席に座っていた達也がドアを閉める音で振り返った浩太が右手を挙げた。

 

「機嫌はどうだ?御機嫌か?」

 

「ああ、俺の体調はすこぶる良いな。煙草でもあれば、もっと良い」

 

「違う、車のだよ」

 

 笑って返した浩太に、達也は僅かだけ眉を寄せ、分かりづらいと悪態をつく。

 

「......好調に決まってんだろ。ここで動かないとか、笑い話にもなんねえよ」

 

「みんなの様子は?」

 

「中で支度してる。浩太、新崎の件だけどよ、あいつに銃を持たせるのか?」

 

 達也の憂慮は、浩太も抱えていることだった。

 これから向かうのは、小倉方面ということになる。だとすれば、あの皿倉山へ近づかなければならない。出来るだけ、気分的にも避けたいところだが、どのルートを使おうとも、死者に囲まれたり、追われたりすれば、状況は一気に傾いてしまうだろう。そんなとき、阿里沙も言っていたが、一人でも武器を扱える人間がいれば、打破することもできる。



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第5話

「ああ、そのつもりだ。確かに、不安は残るけど、生き残りたいって気持ちは新崎も持ってる以上、間違いはないと思う」

 

「そっか......まあ、真一もいるしな。けど、用心にこしたことはねえぞ、それだけは覚えといてくれ」

 

 浩太が首肯したのを視認して、達也は小倉への道順へ話題を変えた。

 高速道路は、途中で車の事故が起きている場合も考慮すると使えない。ならば、浩太と真一、達也が門司から黒崎へ移動した際の道順が、馴れているという意味でも最適だろうか。それとも、夜になると、大勢の走り屋が現れていた貯水地の山道をいくべきか。だが、ただでさえ、爆発的に増えている死者を相手に、見通しの悪い山道を進んでいメリットはどこにあるのかと首を傾げてしまう。

 

「陣原から黒崎バイパスを抜けるのは、どうだ?」

 

 達也の提案に、浩太は思案気に口元を掌で隠してから、渋面する。

 

「その道は、まだ通ったことがない。少しばかり不安があるな......」

 

「けど、一気に黒崎を通過できるだろ?」

 

「......バイパスは黒崎の渋滞を避けるために作られたもんだ。玉突き事故が起きている可能性は十分に考えられる」

 

 浩太の反駁に、押し黙った達也は再び、思考を巡らせ始め、やがて、頭を抱えて唸り始めた。

 

「それなら、やっぱり桃園を通って八幡東区に入る方が良いと思うぜ」

 

 その声に振り返った浩太は、新崎の背中に銃口を突き付けた真一を認めた。新崎の肩越しに、真一の提案を訊いた達也が尋ねる。

 

「もう、準備は終わったみてえだな」

 

「ああ、どうにかな。もうすぐ、三人も来るだろうぜ。それよりもだ、まだ、どう小倉に行くのか決めてないなら、俺が言ったルートはどう?」

 

 真一が、ぐりっ、と視線を浩太に向けた。

 

「ああ、俺もそう思ってはいるけど......」

 

「何、引っ掛かってるって言い方だぜ?話してみろよ」

 

 浩太は、一度だけ息をついて、苛立ちからだろうか、頭をかきむしった。そして、改めて二人を見てから口を開く。

 

「小倉から俺達が来たときは、まだ三人だけだったろ?けど、今は祐介達がいる、そう考えるとな......」

 

 なるほど、と達也は呟く。

 八幡西警察署に辿り着く前、あの時の出来事が浩太の決断に陰を落としているようだ。黒崎地区に集う死者の数は、数えるのが嫌になるほど膨大だった。それに加えて、達也のこともあり、浩太が慎重になるのも無理はないだろう。もしも、また、誰かと離れてしまった場合、田辺のことを視野に入れれば助けに戻れない可能性が高い。浩太にとって最大の憂慮は、まさにそこにある。




あっちい……世界、あっちい……


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第6話

 真一が、銃口を新崎から外すことなく、車に身体を預けながら、工場の入口を一瞥して言った。

 

「......お前の気持ちも分かるけどよ、先に進むなら、相応のリスクってもんは付き物だぜ?それは、あいつらも分かってるだろうぜ」

 

 これまでの経験もあるしな、と真一が三人の前では口にするのも憚れる一言を小声で付け加えた。蛇足ではあるが、三人に対する信頼が窺えた。そこで、工場の入口から、三人が姿を現すと、浩太は、諦念の息を吐き出して何も言わずに頷く。

 

「......分かった、桃園から小倉へ向かおう。三人には俺から話して良いか?」

 

 そう確認をとられた達也は、納得したのか車の運転席へと戻っていき、同時に祐介が視線で達也を追いかけつつ、浩太に声を掛ける。

 

「達也さん、どうしたんですか?何も言わずに、車に乗っちゃいましたけど......」

 

「ああ、気にしないで大丈夫だ。小倉までのルートが決まったから、車のエンジンを暖めてんだろうよ」

 

得心したのか、祐介は刻んで首を縦に動かした。加奈子を抱き上げた阿里沙は憮然とした顔付きのまま、車のフロントを眺めていたが、ぱっ、と表情を変えて、浩太を見る。

 

「それで、どんな道で行くんですか?」

 

「ああ、桃園を通って八幡東を経由して行こうと思ってる」

 

「スペースワールドの裏側からって意味ですか?」

 

「まあ、そうなるかな」

 

 阿里沙は、特に反論もなく加奈子を腕から下ろし、自身の腰に差していた拳銃を取り出すと、浩太に渡してから新崎を打見して頷いた。その意味を汲み取った浩太は、祐介の肩を軽く叩いて新崎のもとへ歩く。途中、新崎に着いたままの真一が凶悪な仏頂面をしていたが、下がることのない溜飲を抱えたままでは、それが直接、危険を招くと、自分の気持ちに折り合いをつけたのか、小さな舌打ちで嫌悪感を示したのみに止まった。

 

「......新崎、お前の銃だ。渡せる弾丸は少ないから、大切に使えよ」

 

 浩太から、しっかりと拳銃が手渡され新崎は瞠目したのか、手元の銃と浩太の顔を二度、三度と繰り返し眺めてから言った。

 

「......良いのか?俺に武器を渡しても」

 

 真一が鼻を鳴らす。

 

「あいつらに感謝したほうが良いぜ、俺は銃を持たせるなんざ、今でも反対だけどな......」

 

 新崎は、祐介と阿里沙をみやり、銃を握り締めた。

 

「新崎、絶対に生き延びてやるって気持ちはお前も同じだよな?だからだよ、あいつらは、生き延びる為に、お前の力が必要だと言ったんだ。そして、自分達で俺に銃を渡してくれた。その意味を理解してくれ」



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第7話

 彼らが、と目線を上げた新崎は、目頭に熱を感じる。

 昨夜、両親が亡くなった間接的な理由とまで真一に言われたにも関わらず、こうも直向きに命を守り抜こうとする意思を思い知らされると、一度は命を諦めたことがある新崎にとって、これほど衝撃的な出来事はない。同時に、自身が情けなくも思えた。大切な娘を救うために、ここまで生き延びた筈なのだが、彼らは無くしたものを、時間を取り戻す為に、先を見据えている、そう感じられた。

 項垂れる新崎を無視して、浩太は助手席のドアガラスを叩く。ほどなくして、センターコンソールの確認を行っていた達也が、親指を立てる。それを合図に、浩太は声を張った。

 

「みんな、準備は良いか?」

 

 全員が揃って頷く。

 助手席に浩太が座り、その後ろに真一、順に新崎、祐介、阿里沙、その膝に加奈子が乗り込んだ。時計の針が、早朝六時を指すと、達也がアクセルに右足を添えた。

 

                 ※※※ ※※※

 

 北九州市小倉北区鍛冶町に日本聖公会小倉インマヌエルという教会、その中央に男女の姿があった。一人は、黒のスーダンに身を包んだ東だ。そして、その背後には、従者のような邦子が胸にリュックサックを抱いて付き添っていた。赤を基調とした内壁は、以前と変わらず明るさを強調しているが、床面は、一部が黒ずんでいる。かつて、そこには、死体があったはずだ。

 懐かしそうに、東は眼を細めると膝を折って、黒い染みに右手を置き、左手にある辞書のように分厚い本を指で器用に開く。

 

「......覚えてるか、安部さん......最初に会ったときの俺達の会話をよ......」

 

 声による返答はない。しかし、リュックサックから聞こえてくる呻きは、確かに東の背中を震わせる。パタン、重厚な見た目通りの音を鳴らして、聖書を閉じた東は、そのまま、黒染みの中心に落とす。

 

「アンタは、俺を人間だと言った。そして、多くの声を耳で聞き、答えを口にできる。そんな人間が、王になる時代は終わりを告げたとも口にしたんだ。聖なる審判が訪れるともな......」

 

 東を知らない者には、誰に語りかけているのか、判断がつきにくいだろう。それほどに、抑揚のない読経のような声色だった。

 スーダンの裾を翻して立ち上がった東は、襟元を正して振り返る。

 

「あとは、俺に任せとけよ、アンタの理想は俺が叶えてやる。だからよ、この服は俺とアンタの繋がりの証だ......全てが終わったとき、俺は改めて白を纏う、それまでは、このままだ」



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第8話

 邦子がリュックサックのジッパーを滑らせ、東に渡す。その後、安部の首を取りだし、床に置いた聖書の上に、慎重な手付きで鎮座させる。白濁とした双眸で東を見上げ、顎を動かし歯を合わせ続けている姿は、東が使徒と呼ぶ者達と寸分も違わない。短く息をついた東は、自身の胸に両手を重ねた。

 

「未来というのは、いくつもの名前をもっている。弱き者には不可能という名。卑怯者にはわからないという名。そして勇者と賢人には理想という名がある......安部さん、アンタは間違いなく賢人だ」

 

 そこで、ようやく東は邦子を見る。同時に、教会の周囲から、無数の使徒の伸吟が幾重にも聞こえ始める。狼狽する邦子は、上擦った声で言った。

 

「東さん、早く行きませんか?彼ら、ここに集まってきていますよ」

 

「ああ、みたいだな......」

 

「みたいって......」

 

 そこで、邦子は喉を絞めた。東の両目が憂愁を帯びていたからだ。真っ直ぐに見れず、邦子は顔を背ける。

 やがて、窓に覚束ない足取りの影がチラホラと写り始め、足音が次第に、窓を揺らす甲高い響きへと変わり始めた。短い悲鳴をあげ、邦子は尻餅をつく。張り付いた陰影は、その数を増やし続け、色濃く教会内部へと獣声を届かせている。もう、邦子は限界だった。

 

「東さん!東さん!早く逃げましょうよ!早く!早く!」

 

 その叫びが終わると同時に、ついに数枚の窓が激しく音をたてて破られた。

 侵入してきたのは、腹から臓器を垂らした者、口を裂かれ舌を引きちぎられた者、喉から胸にかけて開かれた者と、様々な姿を呈している。歪に残った窓に上半身を預け、ずるずると枠に腸を残して頭から落下した一人の使徒が、生気の抜け落ちた顔と白濁とした眼球を二人に向けて吼えた。

 

「いやぁぁぁぁぁ!東さん!東さん!」

 

 矢継ぎ早に増えていく使徒に、とうとう邦子は堰が切れたのか、四肢をバタつかせながら後退りを始め、東の右足にすがり付く。東は仲間と遭遇したかのような呻き声をあげる安部の生首を見下ろしていたが、ようやく、動きを見せ始めた。邦子を乱暴に払うと、形容し難い染みを表紙につけた聖書から生首を持ち上げ、視線を合わせた。まるで、なんらかの儀式でも行っているような厳かな雰囲気を纏いつつ、東は邦子にも聞こえない声量で呟いた。

 

「安部さん......アンタと俺は、この場所でこそ完璧になれる」

 

 次の瞬間、東の足元に伏していた邦子の顔面に真っ赤な液体が降り注いだ。



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第9話

 思わず、きつく瞼を閉じた邦子は、生臭さと、妙な粘着力から、それが一体どういうものなのか瞬時に悟った。続けて聞こえてきたのは、咬筋力任せに硬いものを砕く音と、その真逆、柔らかな質感をもつ何かを飲み下す音だった。

 現実離れした光景を眼界に収め、呆然としてしまう。東の喉が上下し、剥いた眼球を手元に戻せば、安部の顔面は、ざっくりと上顎から額にかけて抉られている。間違いなく、失われた部分の行き先は東の胃袋の中だろう。

 悦に入った面持ちで、東は天井を仰ぎ、すっ、と目線を下げていき、色鮮やかなステンドグラスで止めた。

 

「よお、神様......いい気なもんだなぁ?これだけ血にまみれた世界にいながら、テメエは綺麗なままでいやがる」

 

 そこで、東の身体が、やや前のめりに傾いた。先頭を走り、寄ってきた使徒が右肩へ深く噛みついたのだ。啼泣しながら、邦子は右足から放れた途端に、これまで教会内部に侵入した使徒の存在に無頓着だった東が低い唸り声を喉から絞り出した。

 

「つうかよお......テメエらは、誰の許しをもらって、この場所に入ってきてんだよ!ああ!?この不心得者どもがぁ!」

 

 ブチブチと痛ましい悲鳴が肩から聞こえてくるも、怒りを顕にした東は身を捩る訳でもなく、噛み千切られた肩の肉を咀嚼する使徒の頭を振り返りもせずに左手で鷲掴むと、力任せに背骨ごと引き抜いた。続けざま、両手を突きだした使徒を左手の頭蓋で打ち倒し、迫り来る男の顔面に拳を埋め、腹部から臓物を露出させた女性に対して、腹に左拳を撃ち込み、更に臓器を引きずり出しつつ固定し、再び、頭を引き抜き、それを武器として、多数の使徒を素手で圧倒していく。

 教会中に、鉄錆びの匂いが蔓延するころには、倒れ伏した使徒の数は、三十以上に達していた。壇上の奥で震えたままだった邦子は、突然の笑い声で我に返る。瞬間、邦子の頭上を黒い球体が通り抜け、ステンドグラスに当たると同時に、鮮やかな朱色が弾け、邦子は小さく悲鳴をあげた。

 

「ひひ......ひゃは......ひゃーーははははは!おら、皮肉屋ァ!これでテメエもおあいこだなぁ!おい!ひゃーーははははは!」

 

 上半身を反って高笑う東は、ステンドグラスに彫られた男へ告げると、勢いを落とすことなく語り始める。

 

「神ってやつは所詮は偶像だ!プロテスタント達、ムッソリーニは正しい判断をしてるんだよなぁ!そうだ、神は自身の中の信仰に宿るもんなんだよ!だからこそ、俺にとっての神はテメエじゃねえんだ!」



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第10話

 東がビッ、とステンドグラスを指差す。その背面から明るい光が差し込んできて、正面から顔を照らしたが、瞬きもせずに一息に声を荒げた。

 

「過去を遡れば、テメエはいつも高みの見物をしてやがる!神だぁ?だったら降りてきてみろや糞野郎!人間にことなんざ、生まれた瞬間から、ゆっくりと死に向かう家畜だとでも思ってんだろ!ようやく血にまみれて、こっちと同じになったんだ......奇跡のひとつでも起こして証明してみろや!」

 

 肩で荒い息を繰り返しながら捲し立てた東は、一呼吸いれて、だらんと腕を下げた。その先には、もう、囁くような唸りもあげようもないほどの損害がある安部の首があった。

 額から溢れだした脳の一部を掌で掬い上げ、それを口へと運んでいく。グチャグチャと下品に歯で擂り潰し、空っぽになった頭蓋を一気に噛み砕いていく姿は、二人が使徒と呼ぶ者達と瓜二つだ。

 

「善と悪、それが揃って初めて人間、それなら、俺達は人を超越した完璧な人間だ......俺達だからこそ、成し遂げられる。以前はなにになるかが重要だったが、今は誰になるかだ。分かってくれるだろ安倍さん、俺達だからこそ......」

 

 安部の頭部は、目に見えて小さくなっていく。そして、最後に残った耳を拾い上げ、顎をあげてから口に運ぶと、眼を閉じて味わい、喉を細かく上下させ、満足気に吐息を洩らして言った。

 

「この世界の神になれる。そうだろう、安倍さん……?だからよお、テメエは、もう用無しだよ……神様」

 

 最後の手向けとばかりに、中指をステンドグラスに向けて立てた東は、嫌な事を思い出したと舌を打ち、眉を寄せて不機嫌さを滲ませながら、スーダンを翻す。

 

「邦子、置いてっちまうぞ……早く来いよ」

 

 短い返事のあと、重厚な扉が横倒しなっているのを発見する。さきほど訪れた使徒の一団が破壊したのだろう。

 その木製の扉を踏みつけ、東は小倉の市内を見渡す。

 血と煙と呻き声、それらが小倉駅方面から響いてきていることに気づき、三日月形に口角をひりあげた。

 

「さぁ......選別の時間だ......ひゃーーははははは!」

 

 目に入る情報は、その量を増していくと、単純な暴力の数を増やしていく。この九州地方も含めた日本は、あまりにも優しすぎた為に極端な暴力に弱い、そんな内面が見え隠れしている。

 東は、そんな世界に負けることはない強い人間を探し出す為に、新たな一歩を踏み出す。時計の長針は、朝の九時、太陽が真上に昇り始めた時刻だった。




UA数57000突破ありがとうございます!!
それと、この部が終了したら、次回の章にいくまえに少し本文とは関係ありませんが遊ばせてもらいます!(あと一話か二話ですが)w


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第11話

               ※※※ ※※※

 

 プロペラを回し海上を飛行するヘリの中で、田辺は両手を組んで、静かに隣に座る野田の表情を窺った。どうにも、心境が伝わってこない曖昧な横顔だ。どこを見ているか、そう問うたとして、どこを見ている訳でもないと返されるだろう。田辺は、組んでいた腕をほどき、デジタルカメラを取り出して、どこを撮るでもなくフラッシュを焚き、平山が眉間を狭めた。

 

「......おい、いきなりカメラ使うなよ。肖像権ってのがあんだろうが」

 

「肖像権は法律で明確に定義されてはいませんし、それを引き合いにだすのならば、僕は貴方ではなく、なんでもない機内を撮っていただけです。問題はないと思いますが......」

 

 平山が、盛大に舌を打つと、苛立ちを隠さずに田辺を睨みつける。

 

「これだから、お前みたいな人種は嫌いなんだよ。一言に対して、屁理屈を二言は返してきやがる」

 

 機内に再び沈黙が降りた。松谷と名乗った若い青年ですら、余裕を持っていたからこその口数が少なくなり、黙々と支給された銃を弄っている。この調子で大丈夫なのだろうか、そんな一抹の不安を抱いても、四人を乗せた機体は、ぐんぐんと九州地方へ向かって進んでいく。恐らく、野田を除いた二人の脳裏には、新崎優奈の変わり果てた姿が浮かんでいるのだろう。醜悪な見た目で人間を貪り喰う少女は、あまりにも衝撃的だった。

緊張の面持ちで、松谷が喉を震わせる。

 

「......田辺さん、確認しておきたいのですけれど、奴等は頭を撃てば動かなくなるんですか?」

 

 松谷の言葉に、平山は過剰なまでに肩をあげて田辺を見た。ひとつ頷いて、田辺が口を開く。

 

「はい、間違いありません......そうですよね、野田さん」

 

「......ああ、そうだな」

 

 気を利かせた田辺が会話を振るが、野田は、やはり喋ろうとはしない。それも当然だろう。今、野田の両肩には、普通の神経では、とても抱えきれそうにもない重みが掛かっている。それでも、田辺は野田へ声を掛けなければならなかった。

 

「野田さん、聞いて起きたいことがあります。アメリカの攻撃は、18時で間違いありませんか?」

 

「......ああ、もしもの場合に至ったら、そう聞いている。そこは、戸部の考えであった部分だから、というのもあるからこそ、俺には断定しづらいけれどな。だが、18時は間違いない」

 

 いつもより歯切れは悪いが、野田はそう答えると、松谷が腕時計に目を落とす。時刻は、朝の八時を指している。



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第12話

残り十時間、世界で一番長い十時間、世界でもっとも危険な十時間のなるだろう。田辺は、デジタルカメラを一際強く握り締めた。この調子ならば、約束の時間には間に合うだろう。しかし、万事が順調に進むはずもない。きっと、なんらかのアクシデントは起こる、それに備える必要性もだ。

田辺は、腰を浮かして操縦席から外を覗いてみると、船影がちらほらと確認でき、田辺を奥歯を締めた。奪い合うことでしか、歴史は刻まれないのか、そんな陰鬱な錯覚に陥いそうになる。人と人、国と国、同じ地球、同じ人間なのに、どうしてこうも違いが生まれてしまうのだろうか。

田辺はそこで、今は、他のことに気を取られている場合ではないと、頭を振って元の位置に腰をおろした。

 

「田辺......お前には、先に伝えておこうと思う」

 

ふと、野田が言った。田辺は、その声に顔を向ける。野田は、なんとも形容できない微妙な表情で唇を噛んでいた。

 

「本当に......すまなかった。これから先、俺の代わりに貴子を......」

 

「野田さん、そこから先は、言わないで下さい、充分です。罰と同じく、人も変わる。僕が言えることはそれだけですから......」

 

野田の言葉を遮り、人は変わる、もう一度だけ田辺は呟き微笑んだ。

変わること、それが果たして、人の幸福に繋がるかは分からない。しかし、それは人の一生を年数で数えるのか、日数で数えるのか、そんな質問以上に意味のない考えなのかもしれない。答えは、限りなく自身の中に眠っているのだ。人は、結婚を幸せと定義することもあり、子供を産み、育てることも心を満たすには、充分かもしれない。ただし言葉は悪いが、因業な生まれであれば、死さえも幸福だと思える者もあるだろう。何を慶福と捉えるかは、やはり人それぞれがどう捉えるかにある。趣味に生きることも、趣味を捨てることも幸福に繋がることだってある。だが、望まぬ死を迎えることだけは、決して幸福などではない。

田辺は、無機質な天井を眺めて、見えない空を仰いだ。

 

「......本当に、人間というものは、難儀なものなのですね、浜岡さん......」

そこで、思考を断ち切ると、視線を下ろして三人の顔を見回し、九州地方まで、残り一 時間だと操縦士が大声で言うと、プロペラが回転数をあげ、グングンと地獄の門へ進んでいく、そんな心境の中で、田辺はカメラをポケットに戻して深く息を吐いた。

 

「誰の言葉だったか......間違ったことの言い訳をするよりも、正しいことをする方が時間がかからない......本当に、その通りだな......」

 

田辺の囁きは、機内に響く音で遮られた。




次回より、ちょっと遊びますw
お気に入り登録320件突破ありがとうございます!!
本当にうれしいです!本当ありがとうございます!


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お遊び

saijya「ここが全日本ゾンビ協会事業所か......呼び出し喰らうなんて、考えてもみなかったし、一体、どんな理由なんだろ......とにかくノックしてみるか」

 

?「はい、どうぞ」

 

s「失礼します、本日はお招き頂きありがとうございま......えぇーー......めっちゃ身体腐ってるやん......もしかして、あれが会長なん......?超嫌やわぁ......」

 

ゾンビ「おお、よお来たのぉ......まあ、座れや」

 

s「えぇーー......めっちゃ流暢に喋るやん......つうか、喋れるんじゃん......失礼します」

 

ゾ「ん?同じ視線なんだ?」

 

s「え?というと......?」

 

ゾ「いやいやいや、え?なんで呼ばれたか分かってる?」

 

s「いえ、申し訳ありませんが、ちょっと見当つかずでして」

 

ゾ「ああーー、そゆこと?うん、分かった分かった。とりあえず、君、正座」

 

s「えっと......」

 

ゾ「せ、い、ざ、な?」

 

s「ええーー、めっちゃキレてるやん......アウトレイジの人みたく両目が煌めいてるやん......淀みの中に煌めきがある矛盾生まれてるやん......」

 

ゾ「あのさ、君、サイトでさ、ゾンビを取り上げた小説あげてるでしょ?」

 

s「ええ......そうですね、あげさせてもらっていますね......」

 

ゾ「だよね。そこでさぁ、納得いかないとこがあるんだけど、言っても良いかな?」

 

s「納得......ですか?」

 

ゾ「まずさぁ、ここなんだけど、このダグってとこ。よーー見てみ」

 

s「......もしかして、このゾンビってやつてすか?」

 

ゾ「そう、そこそこ。なにか違和感ない?」

 

s「違和感と言われましても、特には......あの、なぜ煙草に火を?」

 

ゾ「察しが悪いの?それとも、気付いてないの?」

 

s「正直、なんのことだか......」

 

ゾ「あーー、マジガッカリだ。君には、ガッカリだよぉ!」

 

s「あっつ!?ちょっと!煙草投げるとかなに考えてんすか!?」

 

ゾ「誰が足崩せっつったよ!正座だろうが、このド低脳がぁ!」

 

s「ええーー......ド低脳とか言われたん中学生以来だわぁ......いや、本当、マジなんなんすか......?」

 

ゾ「あーー、マジこいつねえわぁーー、マジ食っちまいそうだわぁーーマジ歯が疼いてきたわぁーー」

 

s「虫歯っすか?」

 

ゾ「ちげえーーよ!タグの話ししてんだよタグのよお!まだ違和感湧かねえの?」

 

s「違和感言われましても......なんだろう......そもそも、タグってなんだろう......正直、いまだに良く分かってない。検索に引っ掛かりますよ的なやつですよね?」

 

ゾ「そこ分かってたら、違和感あるだろ?」

 

s「いや、ガチでわっかんないすね」

 




遊びます


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お遊び2

ゾ「ちょっとは考えろよ!口調も崩れてんだろうが!正座してる奴の口調じゃねえんだよ!」

 

s「あ、じゃあ、崩すわ」

 

ゾ「くちょおおおおおおおおう!ついに、そこまできたか!?」

 

s「いやさぁ、だって他人の違和感とか分かんないじゃない?そうなるとさぁ、そんな押し付けられても困るし?大人として対面するのであれば、話しを先に進めること考えようぜ?」

 

ゾ「よーーし、分かった。そんなこと言うんだな?そんなこと言うんだな?じゃあ、答えてやる。まずな、この数ヵ月、お前さぁ......」

 

s「ほんっと、すいませんでしたぁぁぁ!!」

 

ゾ「はっや!?そして綺麗!お手本みたいな正座じゃん!」

 

s「いや、違うんですよ!忙しかったんですよ!休みなんかリアルに無かったんですよ!」

 

ゾ「しかも、そこじゃねえし!ここ数ヵ月さぁ......」

 

s「ほんっと、すいませんでしたぁぁぁ!!」

 

ゾ「まず聞けやぁああああ!」

 

s「なんですか!?腹切れば許してくれるんですか!?三島由紀夫みたいに!」

 

ゾ「一か十しかねえの!?まずは落ち着け、良いか?俺達の不満はな、ここ数ヵ月、俺達の出番がまったくなかったってことなんだよ」

 

s「あ、そんなことっすか?おいおい、ビビらすなよ兄弟」

 

ゾ「そんなことじゃねえよ!」

 

s「ええーー......また、目がアウトレイジみたいなってるやん......」

 

ゾ「いいか!タグにゾンビってあるだろ!にも関わらず、ページにして40近く、日数にして4ヶ月、一切俺達出てないじゃん!どういうつもりだよ!ああ!?」

 

s「......だって今は弾込めてる最中だったしさあ......」

 

ゾ「足を崩すなあぁぁぁぁ!なに!?今ならいけるとでも思ったの!?それ勘違いだぞ?本題入ったばっかじゃん!」

 

s「てか、前のページ出たじゃん」

 

ゾ「殺戮されたけどな?恐ろしいデストロイヤーへ向かわされたけどな」

 

s「殺戮て、はなから死んでるんじゃん、君、面白いねーー」

 

ゾ「指さすな!馬鹿にしてんだろ!?」

 

s「それでさぁ」

 

ゾ「足を崩すなあぁぁぁぁ!お前マジで、いい加減にしろよ!?」

 

s「これから、起承転結の結に入っていく訳だけど、あと100以内で終われるかなぁって心配なんだよね」

 

ゾ「ついに、自分の話し始めだしたよ、こいつ......」

 

s「今、現在、300ちょいじゃん?けど、回収できてない伏線はちょっとした数だしねぇ......確実に100過ぎるなぁって」

 

ゾ「まあ、あるみたいだな。それで?」

 

s「まあ、それだけなんだけどさ」

 

ゾ「なら、今すんなや!話し逸らそうと必死か!」

 

s「だって、要するに、君ら活躍したいってことだろ?」

 

ゾ「いや......ええーー......分かってんじゃん......」

 

s「そりゃ、分かってるよ。君らの不安は......ね」

 

ゾ「こいつ、うざえわぁ......」

 

s「安心しなよ。君らの活躍はこれからだからさ、ほら、映画とかドラマでもそうじゃん?途中出なくなるでしょ?」

 

ゾ「お前、ロメロとウォーキング・デッドしか知らねえのに、なにドヤッてんの?」




あと3回くらい続けます
なんか、申しわけないです……


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お遊び3

s「それは言うなよ......けど、ロメロ監督は、ゾンビってものを躍進させた重要人物だから。最初にゾンビって映画見たときは衝撃だったよ。これは、これまでの世界の歴史に対する風刺だって」

 

ゾ「......ん?どゆことよ?」

 

s「だって、未知のものが押し寄せて、それまでの世界を壊しちゃうんだよ?考えてみ?王政が崩壊したのも、資本への共産にしても、それまでの時代には、未知のものだったろ?これをゾンビ映画にあてはめてみ?ほら、見えてきたろ?だから、ロメロ映画の人はゾンビに勝てないんだよ。わかる?これはね、ある種のプロパガンダ的な意味合いもね、含まれてるんだと思うんだよね」

 

 

ゾ「ロメロ監督は、そんな側面持ち合わせてないけどな。話し逸らすにして下手くそすぎね?」

 

s「いや、語らせて?お願いだから俺のパッション受け止めて?」

 

ゾ「いや、無理じゃね?こじつけもいい加減にしてほしくね?プロパガンダって言葉の意味分かってなくね?大袈裟にするにしても、やっぱり下手くそすぎね?てか、俺らがしたい話しはそこじゃなくね?」

 

s「だって、しゃーないじゃん!ゾンビを使うなら、こういう場面も必要じゃん!」

 

ゾ「ストーリー展開の為ってのは分かってやるけどさ。だとしても、タグにゾンビってあるから、わざわざ時間割いてまで読みにきてくれてるにも関わらず、ゾンビ出てこない期間にガッカリしてる方、必ずいるからね?」

 

s「それは、ほんっと、すいませんです、はい......」

 

ゾ「そこで俺達を活躍させんで、どうすんの?正直、暴れたくて疼いてんだよこっちは」

 

s「前歯っすか?奥歯っすか?」

 

ゾ「歯の話しはしてねえよ!」

 

s「いや、正直、これから君らの時代がくるからさ、そこは安心してよ。うん、活躍させられなかった点については、ほんっと、ごめんな?」

 

ゾ「......もう、この際、口調は良いや......それは間違いないんだな?嘘だったらただじゃおかんぞ?」

 

s「そらーーもう、俺を信じてよ、うん、大丈夫だから」

 

ゾ「......分かった。なら、信じよう。じゃあ、この話しは終わりだ、悪かったな、わざわざ、足を運んでもらって」

 

s「いえいえ、そんな滅相もねえよ!こっちこそ、すいません、いや、マジで」

 

ゾ「もはや、ごっちゃになってんじゃねえか......逆によくそんな喋りかたできるな......」

 

s「じゃ、俺はこの辺で、失礼しるわ」

 

ゾ「おう、本編のほう、よろしくな。それと、お前、誤字多いぞ」

 

s「それこそ、今、それを言うなよおおおお!」

 

ゾ「しるわってなってるしな」

 

s「やめてよおおおお!」

 

ゾ「あと、9月2日に東京行けないからって落ち込むなよ」

 

s「お前、ぶん殴るぞ?」



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お遊び4

ゾ「ロメロ監督が亡くなって、ガチで落ち込んでたしな」

 

s「膝から崩れそうやったわ......」

 

ゾ「そして、ロメロ監督追悼オールナイト上映が東京であると」

 

s「行きてえけど......行きてえけれども!」

 

ゾ「けど、お前、ゾンビについてはにわかだし、行ったら周囲から浮くんじゃん?さすがに、ロメロとウォーキングだけじゃねえ」

 

s「浮く位なら、まだ良いよ......上映に気付くのが遅すぎてよぉ......休みとってねえし......とれねえし......」

 

ゾ「まあ、しゃーないな」

 

s「......ねえ......殴らせてくんない?この悲しみをぶつけさせてくれない?」

 

ゾ「殴られるかは、ともかくとして、解決策を授けてやるよ」

 

s「......なんすか?」

 

ゾ「自宅で三部作くらいなら見れんじゃね?それこそ夜勤終わったら時間あんだろ?」

 

s「そんな当たり前のこと......良いか?スクリーンで見れるんだぞ?日本での初上映、こっち生まれる前だぞ?ちくしょう......あーーあ、職場にいるかなり年上の先輩と、よくいろんな映画の話をすんだけど、その人は観に行ってんだよなぁ......そりゃもう自慢することすること......」

 

ゾ「何歳よ?」

 

s「60だね」

 

ゾ「度肝抜かれたわ、よく話あうもんだ」

 

s「そりゃ、俺ってば映画好きだもん」

 

ゾ「へえーー、なら、お薦めはなによ?」

 

s「戦場のメリークリスマス」

 

ゾ「重いわ!普通、こんなときは、明るい映画だすだろ、おい!」

 

s「名作よ?デビット・ボーイがこれまたカッコいいんだ」

 

ゾ「そこに拘るな!明るい映画だっつってんだろ!」

 

s「ブラザー」

 

ゾ「お前、ただ北野武が好きなだけじゃね?」

 

s「GO、凶気の桜」

 

ゾ「俳優代えんな馬鹿野郎、しかも、また暗いし」

 

s「ピンポン」

 

ゾ「やっと明るいの出たじゃん!」

 

s「あんま好きじゃないけどな。あれは、アニメが良すぎた」

 

ゾ「いい加減に噛み殺すぞ?」

 

s「ガチやん、ミスターローレンス」

 

ゾ「誰が戦メリだバカ野郎」

 

s「けど、最近、忙しくて映画も見れてないんだよね。やっぱこっち優先しちゃうしね。久しぶりにハロウィンとか見たいな......マイケル・マイヤーズの不気味さを味わいたいな。そいや、先日、妹が顔面パックで真っ白になった画像をラインで送ってきた時に、完全にマイヤーズって返したら画像検索したスクショ送られてきて、妹に、ふざけんなおいって言われたわ……めっちゃ笑ったな、ふふふ」

 

ゾ「ブギーマンとは、またちょっと古いな……」




次で終わります
……終わります……多分……
注意saijyaは20代ですからね!?


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お遊び5

s「まあ、ともかくよ、あげ始めてもうすぐ3年か?ようやく、ここまで書けたよね。残すは結のみだ」

 

ゾ「もう、結末まで決めてるんだろ?」

 

s「もちろん、最初から決めてる。ネタバレはしないけど」

 

ゾ「当たり前のことを昂然と言えるお前って......」

 

s「ただねーー、この3年ずっと決めては変え、決めては変えの部分があるから、そこだけは悩みの種ってね」

 

ゾ「言ってること二転三転する奴だな......さっきの話しも信用できなくなってきた......」

 

s「ああ、そこは大丈夫、ちゃんと、君らの肉体はちぎっては投げちぎっては投げされるから」

 

ゾ「決めては変え、決めては変え......ちぎっては投げ、ちぎっては投げ......おお、すげえな口が気持ち良い。釈然としないけど......する奴もなんとなく察しがつくし......」

 

s「なんか、ごめんな?」

 

ゾ「いや、謝るなよ。俺達だって自分の役所は分かってるつもりだからさ」

 

s「あ、そう?なら良いや。遠慮なくやり尽くすわ」

 

ゾ「......そう言われると無性に腹立つな......」

 

s「きっと、みんなが、え!?ってなるような展開を考えてはいるし、ちゃんと君のスミス仲間も関係するから」

 

ゾ「ちょっとまて、スミスってRPGのあれだよな?ドラクエ的なあれだよな?」

 

s「おーー、よく知ってるねーー」

 

ゾ「やかましいわ......誰がくさった死体だボケ」

 

s「あの仲間にしても役立たずなとことか、もうね......ガックリくるよね、あはは」

 

ゾ「はい、ころーーす、今ので殺し確定ーー」

 

s「まあ、待ちなよ。そんなイライラしてたら駄目よ?俺が某女性議院みたいになるよ?」

 

ゾ「ハゲか?ハゲってやつか?舐めんな、こちとら頭皮からいかれとるっつうねん、めっちゃ剥がされたつうの」

 

s「痛かった?」

 

ゾ「そりゃ痛いだろ」

 

s「大変だったね」

 

ゾ「他人事かテメエ」

 

s「俺に親身になってほしいの?」

 

ゾ「もうちょい労わりの気持ちは持ってほしいな」

 

s「けど無理だわ、だってスミスじゃん」

 

ゾ「せめてゾンビっていえや!」

 

s「あ、ちょっと待って、ガルパやってるからさ」

 

ゾ「こっち向けこら」

 

s「よし、終了。さて、じゃあ、時間も時間やし、ちょっと続きにとりかかるとするわ」

 

ゾ「ああ、もう分かったよ。さっさと行けや、お前ウゼエもん……あ、そうだ、くれぐれも誤字には気を付けろよ」

 

s「お前がなーー」

 

ゾ「最後に責任押し付けんなやあああああああああ!!」




てことで、遊びました。次回より、第27部「獣害」に入ります。


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第27部 獣害

 一台の軽自動車へ向けて、唇を耳まで裂かれた死者が両腕を突き出す。しかし、車が走り去る速度に追い付かず、真横を通り抜けられた勢いで、よろめきながら地面に倒れた。それでも、鎌首をあげてナンバープレートを、何も写らない瞳で見送り続けている。七人が乗った車は、ようやく桃園を抜けて、八幡駅前のさわらびモールにある大きな交差点に差し掛かっていた。このまま、右に抜ければ、春の町を通って、ようやく八幡東区へと突入することになる。それを過ぎれば、小倉までの道程は、ほぼ直進のみだ。まさに、中間地点ともいえる八幡駅の前で、運転する達也がブレーキを踏んだのには理由があった。

 まず、目に付いたのは、玉突き事故の現場だ。中央の車に至っては、前後が大きくひしゃげており、シートベルト等で動きを抑制されているのか、車中で死者が数人蠢いている。巻き込んだ多くの事故車両は、ドアが外ており、車内に人影はない。それよりも、浩太は助手席から一望できる光景に絶句した。さわらびモールから八幡駅までは、直線にして、約二百メートルほどだ。辺りは駅前ということもあり、景観を気にしてか、花壇や植木に、花や四季の葉を咲かす彩りも鮮やかな木々が植えられいた。

しかし、どうだ。駅を降りてすぐ視界に広がる広場から十字路まで、二百メートルにも及ぶ広大な面積が、真っ赤な色で染まっている。加えて、恐らくは死人へと転化した人々の四肢が、場を埋め尽くすように転がっていた。脚や腕、果ては胴体のみといったものも点在しており、初日の墜落現場を再現したような凄惨とも悽愴とも捉えきれない状況に耐えきれず、浩太は口を両手で塞いでしまう。一気に車内の湿度が増したことにより、それほどの時間は経過していないと考えた浩太は、急いでバックミラーを確認したが、何かが近付いてきている気配はなかった。

 達也が生唾を呑む音で、顔を向ける。

 

「野外でこいつはすげえな......何が起きたってんだ......」

 

「さあな......ただ、車から降りて確認する気になれないのは確かだ」

 

 座席の間から、真一が顔を出して眉を寄せた。

 

「......戻ったほうが良いと思うぜ?何か良くない予感がする。小倉へ行くには、まだ裏道があるしな」

 

「けど、東区の警察署がありますよ。それも、正面を走り抜けることになるし、避難所になっていた可能性も......」

 

 祐介の言葉に、車内に沈黙が降った。もしかしたら、八幡西警察署のようになっているかもしれない。




第27部始めるよ
……40万字突破してました。お遊びの間に……ちょっとショックだった


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第2話

 それぞれが、そう思索しているのだろうか、加奈子の怯えからくる振動が、浩太の座るシートへと伝わってくる。

 

「どうする浩太?」

 

 運転席から答えを求められた浩太は、懊悩した末、切り出すように言った。

 

「......このまま進もう。時間には余裕があるが、出来るだけ早く到着しておきたい」

 

 浩太の提案に、阿里沙が返す。

 

「良いんですか?ここから先、何かがあるかもしれませんよ?」

 

「それなら尚更だ。わざわざ、裏道に回って狭い道路を走るより、少しでも広いほうが対応しやすい」

 

 助手席からの声に、阿里沙は納得したようだ。浩太は念のため、もう一度、全員へ確認をとり、異論がないことを認めてから、達也へ頷いてみせた。

 アクセルを柔らかく踏み、達也が呟く。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか......」

 

 さわらびモール前の十字路を右折し、春の町へと入る。

 外の景色は、相変わらず同じだった。散らばった四肢をタイヤに巻き込まないよう注意しつつ、達也がハンドルを慎重に操作していると、不意に祐介が頓狂な声をあげ、怪訝に眉間を下げた真一が尋ねた。

 

「どうした?」

 

 あれ、と祐介が指差したのは、道路に横になった死者だ。もう動くことはない証拠とばかりに、頭蓋の半分が砕かれ中身を散乱させている。しかし、真一は祐介が死体のどこを疑問に思ったのか分からず首を傾げた。

 

「何が気になったんだ?正直、分からないぜ?」

 

 キッ、と車を停め、車内の全員が問題の死体を眺めた。あまり、気分の良いものではないが、確かに妙な違和感を覚える。その不一致さに、いち早く気付いたのは新崎だ。

 

「......噛み殺されている?」

 

「何を当然のことを......」

 

 鼻を鳴らした真一をよそに、その一言を受け、浩太が改めて傷口を凝視する。

 仰向けに横たわる死者は、上顎から後頭部にかけて失なわれており、残された傷は、スッパリと切り取られているなどではなく、鋸状になっていた。それも、ドアガラスから窺える僅かな部分ですら分かるほどに深い。

 

「......ついに、死者同士で共食いでも始めためたってのか?胸糞悪いぜ」

 

「......違うな、あれは動物の仕業だ」

 

 真一の見解に応えたのは、新崎だった。

 

「傷の広さからすると、恐らくは大型だろう......犬か?」

 

 とある記憶が脳裏を過り、真一と祐介が一気に目を剥いた。八幡西警察署へ武器を回収した際、二人は転化した犬に襲われている。二人は同時に視線を交差させると、お互いに首を縦に振った。



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第3話

「浩太、前に俺が話したこと覚えてるか?」

 

一拍置いて、浩太は察したように息を呑んだ。

 

「......穴生で落ち合った時か」

 

こくん、と祐介が首肯する。だが、惨状の原因が犬だとしても、腑に落ちない点がある。まず、死体の損傷具合だ。どれだけ大きな犬でも、いくら転化していたからとはいえ、人間の四肢を食いちぎるなど可能だろうか。子供ばかりの死者集団がさまよっていた訳ではなく、複数で一人に飛び掛かったとしても、八幡駅前に展開されていた陰惨な場面など作れるはずもない。だとすれば、シベリアンハスキーなどの大型犬とすればどうだろうかとも考えたが、どうにも思考のピースに嵌まらなかった。

 

「......悩んでいても仕方がない。ひとまずは、このまま行こう。真一と新崎は、一応、銃の準備を頼む」

 

了解、との返事を聞いて、達也が改めて車を進ませた。それから、数十分後、八幡東区中央町の交差点にて、乱雑としていた死者の亡骸が、ぷつりと途切れたように無くなっていた。

それと同時に訪れた、車体を叩く異様な静けさに、七人は喉を鳴らし、澄んだ硝子のような冷たい空気が、車内へ流れ込んでくると、阿里沙が身を乗り出す。

 

「なんか......ここ......」

 

車は、右手にある郵便局前を過ぎた所だった。あと数メートルで八幡東区の名物ともいえる古い商店街が顔を出すが、フロントガラスから見える交差点の風景、ハンドルを握る達也の心境はいかほどだろうか。このまま車を走らせても良いのか、そんな思いが全員の胸中に沸々と広がっていく。

 

「......どう思う?」

 

達也の重い口調が、緊張を高める。浩太も胃が痛む気持ちだった。気を揉んでも仕方がない、先に進もうなどとは口が裂けても言えないが、六人の視線を一手に引き受けるには、あまり余裕を持てないのも事実だ。

浩太は、ちらりと空を見上げ、完全に朝日が登る前だと確認する。時刻にして朝の七時三十分ほどだろう。ルートの変更には充分に間に合う。一度、九州国際大学通りまで戻り、八幡駅のトンネルをくぐって、戸畑方面から小倉へ向かえば良い。いつだって、最上手が最善手とは限らない。浩太が達也と目を合わせ、くるりと後部座席に振り返る。それと同時に、達也がギアをバックに入れた瞬間、浩太以外の全員がありえない光景を目撃する。

 ぽっかりと口を開けた商店街の入口から、上半身のみとなった死者が、地面と平行して滑るように吹き飛んでいく。ほどなくして、吸い込まれるように、対面にある広場の白い壁に頭から衝突し、壁を浅黒く染め上げた。

 力任せに大きな西瓜を叩きつけた、そんな音が響き、浩太は咄嗟に顔を戻して絶句する。

頭部が潰れ、胴体のみとなった死者の外傷は、胸に残された一つだけ、明らかに強烈な一撃を加えられたものだった。



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第4話

 人体を作る骨や筋肉が、いくら転化して脆くなっていようと、それらを一切意に介さず、それもただの一発で下半身と上半身を切り離されていた。そんなことが可能なのだろうか。いや、死者の胸に残された傷痕は、そのすべてを肯定するに充分な代物だった。

 深さを如実に現す胸に刻まれた三本の創傷は、右上から左下へと斜めに降り下ろされており、そこから覗いていた臓器が路面へと、ぼとり、と落下する。

 

「......なあ、どう思う?」

 

 達也が改めて言った。その質問に誰もが答えることなどできない。

 車内にある十四の瞳が固まった。商店街の入口から新たに黒い巨体が飛び出したからだ。鼻息荒く、さきほどの死体に食らい付き、一心不乱に口を動かしている。その見た目は、成人した男性を軽々と越える背丈を有し、全身が黒い体毛で包まれた、四足で走る動物だ。

 

「なんで......あんなのが......こんなとこにいんだよ......」

 

 後部座席で、真一が詰まった喉を震わせながら、誰にともなく囁いた。祐介が律儀に返す。

 

「......知りませんよ、そんなの......」

 

 所々、体毛の奥に咬傷があるのか、流れた血が凝固している。やはり、この動物すら一度は死んで甦ったという意味だろう。

 真一と祐介の不安は的中したが、想像を遥かに超越した現実を目の当たりにして、声紋が塞がってしまったのか、それ以上、声を出せなかった。ガフガフと聞こえる呼吸音に、加奈子は身体をすくませて小さくなっている。そんな矮躯を抱いた阿里沙が蚊の鳴き声のような声量で言った。

 

「......逃げよう......駄目だよ......」

 

「賛成だ......ゆっくりだ、達也、ゆっくり下がって距離をとれ......」

 

 浩太の指示に、こくりと首だけで応じた達也が、じわり、と靴底をアクセルに当てた。タイヤが回転を始め、ゆっくりと車が後退していく。永遠にも感じられる長い時間、件の動物は、仕留めた獲物を夢中に貪っている。そして、その均衡を破ったのは、後輪がなにかを踏み砕いた音だった。恐らくは、路上に転がっていた死者の頭部だろう。バキバキと頭蓋を砕く音と共に、車が縁石に乗り上げたような違和感が車内に伝わる。全員が思わず息を止めた。ピクリ、と双肩を震わせた動物は、食事を止めると、七人が乗る車を紅い双眸で捉え、同時に吼えた。

 

「達也!走り抜けろ!」

 

 浩太が右手でギアをDに合わせ、反射的に達也がアクセルを踏んだ。途端に、車は前進を始める。

 動物の正体、それは巨躯を揺らしながら迫り来る熊だった。車の接近に合わせ、熊が怪腕を振り上げた刹那、達也がハンドルを切る。

 

「クッソ……!があああああああああああ!」

 



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第5話

身を捩り、ハンドルを回す。降り下ろされた腕が直撃する寸前、車体は大きく左に曲がり攻撃をかわす。すぐさま、達也は両手を忙しなく動かし、ブレを修正すると、二撃目が放たれる前に熊の傍らを通りすぎた。

 

「はっはーー!ざまあみやがれってんだよ!」

 

達也の高笑いに被せるように、祐介が叫んだ。

 

「達也さん!スピードあげて!早く!」

 

バックミラーには、血が混じった大量の涎を滝のように流しつつ、前屈の態勢を保ったまま、四つ足走行で駆けてくる巨体が写っていた。

一般的な熊の走行速度は、六十キロと言われているが、転化した影響で制限が外れているのか、どれだけ自身の肉体を傷付けても、気にも留めていないのだろう、速度がグングンと延びてきているようだ。咆哮をあげながら走り寄ってくる姿は、まさに化物と呼ぶに相応しい。

 

「駄目だ!これ以上は出ない!」

 

乗車人数過多の影響か、スピードメーターの長針は、八十を指した時点で、すでに激しく揺れていた。

 

「こうなりゃ窓から身を乗り出して......」

 

真一がドアガラスを下ろす前に、浩太が言った。

 

「馬鹿!スピードは向こうにあるんだ!追い付かれて、お前から喰われちまうだけだぞ!」

 

「なら、どうしろってんだ......」

 

「伏せて!」

 

真一が言い切る前に、阿里沙が鋭く叫んだ。直後、リアガラスに蜘蛛の巣状の皹が入り、まるで、耳元で吠えられたような咆哮が、真一の鼓膜を震わせた。

 

「やべえぞ、浩太!リアガラスが保たねえ!」

 

「分かってる!お前は、前だけ見てろ!」

 

達也へ怒鳴りつつ、シートベルトを外した浩太が、身を捩って銃を片手に振り向くが、皹のせいで全く狙いが定められない。

クソッタレが、そう舌を打つと同時に、遠吠えが響いた。恐らくは、車を殴りつけた後、バランスを崩し、一度止まっていたのだろう。立ち上がる際の重い足音が、巨熊の接近を知らせる合図のように感じる。

 

「くそっ!一体、どうすりゃいいんだよ!」

 

握った拳でダッシュボードを叩き、浩太がバックミラーを一瞥する。巨体は、並外れた脚力を使って走りはじめており、追い付かれるのは時間の問題だ。

次の一撃が加えられる前に、熊の速度を落とすか、殺さなければならない。しかし、相手は動物であろうと、死者に変わりはなく、生半可に銃弾を撃ち込もうとも、その勢いを失わせることはできないだろう。突き出された頭部を撃つかとも考えたが、互いに動いている以上は、それも難しい。

 

「浩太!次の交差点を右折して、宮の町へ入るのはどうだ?あの速度なら、曲がりきれないんじゃねえのか!」

 

達也が前方に見えてきた交差点と右手の銀行を視界に入れ、そう提案する。ハンドルは手汗にまみれているのか、僅かな光沢を発している。

 

「駄目だ!宮の町は坂道が多い!これ以上スピードは落とせない!」

 

「けど、小倉まで、ずっと直線が続いてんだぜ!追い付かれるなら、そっちに賭けてみるほうが......」

 

「古賀!このまま、真っ直ぐ走れ!佐伯、銃をつかわせてもらうぞ!」



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第6話

 真一の声に被さったのは、新崎だった。ばっ、と振り向いた浩太が見たのは、新崎が銃底でリアガラスを叩き割る背中だ。

 真一が上擦った声で言った。

 

「おい!何してんだ、おい!テメエ新崎!」

 

 割れた破片が身を沈めていた祐介と阿里沙にも降りかかり、二人は揃って顔をあげた。シートに胸を預け、拳銃を構える新崎の姿に、ついに気でも狂ったのかと瞠目しているようだ。

 獣声が、より鮮明になる中、真一が新崎のこめかみへとイングラムの銃口を押し付けた。

 

「ふざけんな!そんなに死にたいのなら、いますぐ俺がテメエの死体を引き摺り降ろして奴の餌にでもしてやんぜ新崎!そうすりゃ、時間稼ぎもできるかもな!」

 

「違う!生き延びる為には、奴を撃つ必要があるだろ!その為だ!」

 

 聞こえ始めた熊の呼吸音、距離は残り数十メートルにまで近付いている。堪らず、浩太が大声で尋ねる。

 

「頭でも撃つってのかよ!」

 

「あれだけ動いているとなれば、それは無理だ!だが、奴が走っている限り、必ず、規則的になる箇所がある!頼む!今だけは、この子供達のように俺を信じてくれ!」

 

 新崎の眼光は、死を求める者では宿せない強い光を持っている。眉を寄せた浩太は視線を下げて、後部座席の祐介と阿里沙、加奈子をみやり、続けて顎をあげ、紅い両眼を車へ向ける巨大な熊を眺めた。距離は、もう数メートルほどしか離れていないだろう。

 掻き回されたかのように、思考が定まらない浩太は、悪態まじりに目線を下げる。そこで祐介と阿里沙が同時に頷いた。それを認めた浩太は声を張る。

 

「......分かった、新崎、お前に任せる」

 

 直面している飄忽とした事態は、一刻の猶予もない。浩太は、睥睨する真一を無視して言った。小さく礼を延べ、新崎が改めて熊を見据える。

 その距離は、もはや、数メートルほどしか離れていなかった。

 新崎は、鼻から吸った空気を腹に溜めて、あがった肩を下がていく動きと同じくして、口から吐き出し、ピタリ、と止めた。黒目には、しっかりと熊の姿が写りこんでいる。チャンスは少ない。発砲は多くて二発、外せばシートに胸を当てて他よりも前に出ている分、自分が狙われることになるだろう。

 新崎は、そんな暗い趨勢を頭から振り払い指先に力を入れた。狙うべきは眉間ではなく、動きを止める為に必要な場所だ。熊の巨躯と頭が下がった、須臾とも言える小さな針の穴のような間を縫って、新崎がトリガーを引き絞ると、乾いた銃声が車内を巡った。



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第7話

 撃ち出された九ミリ弾が着弾したのは、獣の巨体を支える爪先だ。猛獣にとっては痛みもない箇所に過ぎないのだが、だからこそ、突然の強い衝撃に、揃っていた四つ足の一本が対応しきれなかった。熊の巨躯は、けたたましい騒音を辺りに散らしながら路上を転がっていき、ガードレールを突き抜けて、ようやく、その勢いを無くす。

 道路上に残された夥しい量の血液の線が、どれほどの衝撃だったのかを物語るように引かれており、それを視認してから、新崎を除くメンバーが安堵の吐息を洩らすも、冷たく場が凍りつき、新崎の一喝が入る。

 

「まだだ!小倉の入り口にある登り坂を過ぎるまで油断するな!」

 

浩太は、咄嗟に疑問を投げた。登りきるまでは油断するなとは、これから先、まだ何かがあるのどろうか。

 

「どういう意味だ?これから先に何があるのか?」

 

 浩太の質問に新崎が即答する。その声音は僅かな怒気を含んでいた。

 

「奴の性質が変わっていないと分かった以上、熊は長い前足のせいで下りに弱い!そこまでは、何事にも備えておけ!」

 

 言い切った直後、リアガラスの奥から、心臓を掴むような咆哮が轟いだ。車内にいる全員が一斉に身を縮め、真一が苦々しそうに振り返り、口を開く。

 

「確かに、ヤバそうだ。達也、出来るだけ急いだほうが良さそうだぜ......新崎、礼は言わないからな、分かってるよな?」

 

 脂汗が涌き出た額を拭っていた新崎が、分かっている、と荒い呼吸で呟き、乱れた呼吸を戻す為に、深呼吸を挟んだ達也が短く首を動かす。ドッとした疲れが押し寄せてきたのだろう。

 今もなお、あの猛獣は、起き上がろうともがいているのだろうか、その様子を想像してしまわないよう、祐介はきつく目を閉じた。朝日が真上に到着するまでは、残りあと数時間といったところだ。浩太は、田辺との会話を反芻する。田辺は確かにこう言っていた。

 昼までには、小倉のあるあるシティーに到着する予定、と言っていたはずだ。

  この調子ならば、どうにか間に合いそうだな、そんな気持ちを胸中に詰まった不安と共に、深い溜め息として吐き出し、車はついに、小倉北区へと到着する。小倉に戻ってきたことに、浩太は深い吐息をついて助手席から街並みを眺めてみる。見慣れた空間がsこいは広がっている。仲間とともに休日を過ごした最高の時間が脳裏をよぎっては消えていく。

 ここから、出口の見えない深い洞窟を抜けるような、命のやり取りが待ち受けていることを、七人はまだ知るよしもなかった。




saijya「な?ちぎっては投げされてたろ?」

ゾンビ「……納得できねえ!!!!!!!」

saijya「あとさ、しばらく東京、しかもラストに入るから、君らあんまり出番ないわ」

「……え?」

次回より新章にはいります
そして、すこし忙しくなってきたので、数日お休みします


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第28部 人間

 都心のビル街が虹色に染まった。踊る横断幕や小旗、うちわが大勢の人間や風に煽られていた。

 そこに掲げられたプラカードには、説明責任を果たせ、テロを許すな、等の多用なメッセージが乱暴な筆遣いで書かれていた。一団の中には、涙を流す姿もあり、沿道にいる通行人達が、何事かと目を丸くし、その行進が通りすぎていくのを見送っている。本当にこの世の中は現金なものだ、と浜岡が苦笑し、その隣で斉藤がぽつりと慨嘆を口にした。

 

「なんて光景だ......これがお前の危惧していた事態というやつか?こんなことをして、一体、なんになると......」

 

「退廃した日本、世間からすれば、そのように見られてしまいますしねぇ......さて、どうしますか......」

 

 集団が掲げた文字を見る限り、九州地方感染事件がテロリストの仕業だと発表しているのに、なぜ何もしないのか、ということだろう。九州に住んでいる親戚や家族がいる、そのような訴えが拡声器を通して朝のビル街に響き渡った。

 そんな中、浜岡はある一人の人物に目をつける。先頭を率先して歩く男に見覚えがある。とある有名な団体を組織していたはずだ。口の中で、なるほど、と呟くと、斉藤の肩を一度叩いて言う。

 

「斉藤さん......少し、手伝ってもらえますか?」

 

「それは、構わないが......何をするつもりだ?」

 

 ふと、浜岡を見れば、随分と苦い顔つきをしていた。珍しいこともあるものだ、と口に出す前に、浜岡は踵を返して階段へ向かい始める。その背中を慌てて追いかけた斉藤は、階段の手摺を掴んだ。

 

「浜岡!待て!何をするんだと訊いているだろう!」

 

 しかし、振り返りもせずに、スタスタとした迷いのない足取りで降りていく。悪態混じりに斉藤も倣う。急ぎ足の音色を聞き取ったのか、甲高い階段の音と浜岡の声が重なった。

 

「先頭にいた人物に、以前、会ったことがありましてねぇ......まあ、こちらからは、もう、会うことはないとは思っていましたが......」

 

 浜岡の後頭部が、いつもより揺れているようだ。それほど、この男に嫌悪感にも似た感情を抱かせている人物とは、いったい誰なのだろうか。膨らむ疑問に蓋をして、斉藤は歩みを早めると、先を進む浜岡の隣に並んだ。

 

「お前が、そんな顔をしているとは、本当に稀だな......」

 

「ええ、彼は個人的に得意ではなくてですねぇ......どうにも気乗りしませんが、あちらで頑張っている方々や田辺君に申し訳が立ちませんし、仕方がありませんね」

 

 諦念を吐いた口元が薄く開いているみたいだ。その微妙は、いつものゆとりを含んでおらず、斉藤は思わず、浜岡の肩を掴んでいた。




日常が落ち着いてきたので復活します!


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第2話

「......浜岡、良いか?俺は田辺のようにお前を理解できていないかもしれないが、俺は、田辺よりも付き合いが長いんだ。背中を守るには頼りないだろうが、なにかあれば、俺に任せろ」

 

 ここで、浜岡はようやく首を回し、しっかりと頷いた。心地よい音頭を聞いた時のような気持ちになる。それは、選りすぐりのどんな音楽よりも、浜岡の心へ、すっ、と光を灯す。

 

「......ありがとうございます、斉藤さん」

 

 浜岡はビルの回転式扉を押した。

 行進を続ける一団というのは、俯瞰するよりも、眼前に立つ方がその圧力を増す。浜岡は、団体の先頭を塞き止めるように立ち塞がると、身体を叩く圧に唾を呑んだ。だが、それを支える斉藤が三歩後ろに居てくれている。喉を開き、先頭にいる男へと浜岡は声を張った。

 

「お久しぶりですね、信条さん」

 

 そう呼び掛けられた白髪混じりの男は、眉をひそめて、じっ、と浜岡の顔を見ると、一度だけ唸ってから言った。

 

「......誰だろうか、私の記憶にはないが?」

 

「やはり、覚えられてはいませんか。そうでしょうね、お会いしたのは、もう十数年以上、前になりますしねえ......」

 

 こちらも歳をとりました、と小声で呟く。怪訝そうな信条は、後続にいた壮年の男性へ顎をしゃくった。硬派な服装に隠れてはいるが、肩の盛り上がりや顔つきから察するに、信条のボディーガードといった立場にいるのだろう。鋭く浜岡を睨み付けるが、その眼光は、すぐに曇ることとなる。

 

「......浜岡、少し下がってくれ」

 

 斉藤が胸元から取り出した手帳は、ボディーガードにとって苦いものとなった。しかし、信条は能面のように張り付いた皺を僅かも動かすこともなく言った。

 

「......浜岡......浜岡、思い出した。あの時の小僧か。なるほど、なるほど、思い出せぬのも無理はない」

 

 うんうん、と頷く姿に浜岡が歯軋りをしていた。気にも止めずに信条が語る。

 

「以前、私に自己満足の正義感を振りかざし、不様な泣き面を晒した小僧だったな。あれほど、情けない男のことなど記憶に留めたくもなかった」

 

 嘲笑を加えつつ、信条が浜岡を見た。

 

「......ええ、その通りです。思い出して頂けたようで何よりですね」

 

「それで?その小僧が何をしに?」

 

「それはですねぇ......この無意味な行動を即刻、止めさせる為に来たんですよ」

 

 莞爾として言い放った浜岡に信条とボディーガードの目付きが、はっきりと険しくなった。

 ゆっくりとした動静で動きだそうとする男を信条が右腕で制し、一歩を踏み出す。明らかな怒気を孕んだ重い口調だ。

 

「無意味......だと?」

 

「はい、無意味です。わかりませんか?」



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第3話

対照的に、浜岡は極めて明るく答えた。明らかな挑発ともとれる。

二人がやり取りを交わせば、それだけ、場の緊張が増していく。斉藤は、卒爾な事態にも対応すべく両足を外側に向けて素早く身構えた。

 

「果たして、どういう意味なのか、詳しく教えて頂こうか?」

 

「それでは、まず、お互いに一つ下がることにしませんか?これでは、まともに話しもできませんよね?」

 

信条が、すっ、と右手を掲げれば、一団は、ざっ、と後退した。最後部にいるのは、見たところ一般人のようで、反応が少し遅れている。そう気を配りながら、斎藤も同じく一つ下がった。浜岡に余裕がないのであれば、そちらを意識するのは、斎藤の役目だ。

 

「......結構です。それでは、話をしましょうか、信条さん」

 

口火を切ったのは、浜岡だった。

 

「ならば、最初の質問といこうか。浜岡、なぜ、我々の行動が無意味だと言うのだ?」

 

「それは、火を見るよりも明らかでしょう。周囲をご覧なさい、誰一人として無関心、あるいは、好奇の目を向ける者だらけです。珍しい行動というものは、それだけで目を引く、そちらにとっては、それで成功かもしれませんが、実りは果たしてあるのでしょうかねえ?」

 

浜岡が口にした、実り、その一言で信条は破顔した。

 

「実り、とはよく言ったものだ。私の背後を見てみろ、これこそが私にとっての実りではないか」

 

その返しに、今度は浜岡が莞爾として言った。

 

「そうですかね?こちらには、集団心理としか写りませんが?」

 

「集団心理とは一つの理想に基づいて発生する、いわば、団結だ。そして、団結とは小さな力を大きなものへと発展させる。政府には今回の事件を国民に説明する義務があるにも関わらず、未だ、公表していない。ならば、我々のような団体が動くしかないのではないか?」

 

「公表なら行われています」

 

「ならば、尚更だ。テロ行為であれば、日の本という国に立つ我々が決起しなければならない。愛国心の欠片もない無能な人材などに、この国を救えるはずもないのだ!」

 

声高な宣言と捉えたのだろう、信条の背中を強烈な鬨の声が叩く。

経験と実績からくる確固たる自信、加えて、あげられた歓声を収める器量、やはり、厄介な相手だ。不安そうに眉を寄せた斎藤が、横目で浜岡を窺う。信条が満足気に受け止めた所を見て、浜岡が苦い顔を作っているように感じた。

 

「政治が腐っている、その意見はお前とて同じなのではないか?どれだけ国民が苦しんでいるか、今の若者がどれだけの負担を強いられているか、お前ならば理解しているだろう?学生は輝かしい未来、夢、などという詭弁に惑わされ、現実を知って少女は身を売り、自ら命を絶つ者も多い。しかし、国は動きも見せられず、あまつさえ、今回の事件に対し、沈黙を貫いている。嘆かわしいとは思わないのか?日本人の誇りは、一体、どこに消え失せたというのだ?九州とて、私からすれば、大切な一国である。だが!動きなど見せずに、ただ無為な時間が流れているだけだ!今こそだ!今こそ、我々、日本国民が矜持を取り戻し、この脅威に立ち向かわなければならない!」




やばいなあ……ガルパのキャラが可愛すぎて……やばいなあw



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第4話

一際、大きな喝采があがった。

プラカードが激しく揺られ、口々に浜岡への野次が飛ばされる。

口角を曲げた信条は、津波のような大声を、まるでコーラスのように流しながら両手を掲げた。しかし、その行為は突如として耳に入ってきた笑い声で止まることとなる。怪訝な視線で見渡した信条の視線は、腹を抱えて、膝を折った浜岡にぴたりと合わさった。眉を寄せ、信条は静かに訊いた。

 

「......何が可笑しい?」

 

 浜岡は、ひとしきり笑い終えると目頭に溜まった涙を左の人差し指で拭い、身体を起こすと、一息ついた。

 

「いやいや、すみません、ついつい可笑しくて可笑しくて......日本人の誇り、詭弁に惑わされる若者と......いやぁ、まるで、アドルフ・ヒトラーですね。それとも、思想という点を付けるのであれば、石原莞爾も外せませんかね......」

 

 信条の瞳に、ぐっ、と力が入り、明らかな嫌悪感を示す。隠さずに冷たく言った。

 

「ヒトラーなどと比べるな!私は違う!」

 

 浜岡は首を横に振ると冷静な口ぶりで返す。

 

「いえ、なにも変わりませんよ。そちらも説明が必要ですか?日本人の誇り、矜持、そのような主張が全面に押し出されている、その点です。歴史に対する優越感を得られる奇術のような言とは、いつの時代も便利なものです」

 

 目くじらをたてた信条が反駁する。その瞳には、決して逃さないという意思が宿っている。

 

「ならば、ゴビノーの人種不平等論を盾に、アーリア人などという存在せぬ人種を作り上げた男とは違うではないか。日本人には、はっきりとした確かな歴史がある」

 

「まだ、理解が及びませんか?全く、貴方も耄碌してしまいましたか......歳はとりたくありませんねえ......それならば言い換えましょうか?こちらに思想はあっても、あちらに思想はない、とでも言いたいのですか、と」

 

 溜め息混じりに述べた浜岡に、怒りを顕にしたのは信条のボディーガードだった。固めた拳を浜岡の右頬へ叩きつける為に、大きく弓を引き放つ。ほぼ同時に動き出した斎藤を左腕で制止した浜岡は、頬骨に走った鈍痛と共に地面に倒れた。その姿を黙って見ているほど、斎藤はお人好しではなく、怒声を一気に振り絞った。

 

「浜岡!」

 

 狼狽した斎藤の悲鳴にも似た声は、ボディーガードの男を睥睨した途端、嗔恚を宿した声に変わる。

 

「貴様ァ!」

 

 男も身構える。今にも飛び掛かろうとする斎藤の足を止めたのは、自身の背に打ち付けられた怒声だ。

 

「斎藤さん!」




UA60000越えありがとうございます!!


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第5話

 引いた弦を打ち出すことが出来ず、斎藤は強かに頬を殴られたが、よろめくことはあっても倒れはしなかった。それどころか、目線だけは外さずに男を見据えている。その眼光に男が二の足を踏んだのち、締めた奥歯を緩め、踵を返し、浜岡に肩を借す。

 

「すみません、斎藤さん......」

 

「......痛かったぞ......」

 

 すくと立ち上がり、自らの足で歩き、浜岡は再び信条の眼前で止まった。変わらぬ佇まい、しかし、その口調には先程までの余裕ではなく、明らかな怒気が含まれていた。孕んだ熱はあるのに声質は冷たい、そんな矛盾がまぜこぜになっている。

 

「信条さん、貴方に一つお伝えしたいことが、こちらにはありました」

 

 異なる空気に触れ、信条は喉を締めた。粘ついた唾が口内に満ちていくのを防ぐようなしゃがれた声で訊いた。

 

「......なんだ?」

 

「もう、十年以上前、最後の二十代を終えようとしていた頃、取材のために、貴方に会いに行きました。その時、こちらは貴方の欺瞞を突いて失脚させてやろうと......けれど、こちらは貴方に対して何も言えなくなってしまった。まあ、畢竟とでも言いましょうかね、この十数年、本当に悔しかった......陥穽にはまり、言い放たれた言葉を覚えていますか?」

 

 信条は、顎を傾けると、短く唸った。まるで、覚えがないのだろう。まったく予想通りだとばかりに、抑揚もなく浜岡が言った。

 

「物事を観察する時に必要なのは適切な距離をどれだけとれるか、あの一言は胸に楔を打ち込まれたかと錯覚するほど、強烈なものでしたよ」

 

 浜岡の後ろで、斎藤が、はっ、と顔をあげた。そのフレーズどこかで聞いたことがある。

 首を傾ける斎藤は置いて、先を進める。

 

「今、部下にある男がいましてねえ......当時のこちらに、よく似ているからこそ、危なかっしくて肝を冷やされていまして......彼の教育には、さきの一言、非常に役立っています。ありがとうございました」

 

 始めこそ言われた意味が分からずに、呆けていた信条だが、次第に剣が強まっていき、声高に吠えた。

 

「若造ごときが!私が本質を見抜けていないと言うのか!」

 

「ええ、その通りですよ。貴方は本当に大切なことを知らない。いや、自身の為に目を背けている」

 

 ボディーガードが三度踏み出すも、力強く突き出された信条の右腕に阻まれ、オズオズと下がっていく。

 信条は、もう、浜岡しか見えていない。

 

「小僧がよくぞ言い切ったものだな!ならば、貴様に訊こう!私が見えていないものとはなんだ!」



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第6話

 浜岡は、信条が口を閉ざすと共に、歩き始め、信条の傍らを通り過ぎる。予想外な行動に、目を丸くしたのは、信条だけではなかった。そして、大衆に向けて叫ぶ。

 

「人の繋がりとはなんだ!血筋か!言葉か!それとも、重ねた年月の長さか!違う!そうではない!人の繋がりとは!」

 

 どん、と胸を拳で叩き、浜岡は更に大声を出す。

 

「心だ!歴史があろうと、どれだけの言葉で彩ろうとも、何も込められていなければ意味がない!みんな人を助けたい一心で集まったと聞いた!血縁者、友人、理由はそれぞれだろう!けれど、人を助けるとは、それほど簡単なことなのか!」

 

 ふっ、と過ったのは田辺の顔だった。

 

「一人で駄目なら人数を集めるなど安直だ!自身の命を燃やすほどに考え、行動しなければ、意味をなさない!それが何かを、誰かを助けるという物事の本質だ!」

 

 最初は、自身の正義感に振り回されている若い田辺と自らを重ねた。変化の兆しが覗いたのは、あの辞表を破り捨てた時からだ。

 

「団体などという便利な言葉に逃げるな!自分の弱さを隠すな!人を救うのであれば、全てを掛けてでも一人でも助けてみせる、そんな気概を持たなければならないのではないのか!」

 

 彼は多くの苦悩を抱えることとなる。殺人鬼東、野田大臣、その娘貴子、様々な関わりが結び付き、立ち塞がる巨大な壁に遮られながらも、あらゆる困難を乗り越えた。いつの間にか、いつも一歩後ろをついてきていた田辺が、浜岡と肩を並べて隣に立っており、見送る際には、奇しくも自身が見上げていたことに気付く。多分、これが成長というものなのだろう。

浜岡が斎藤に言った、もっとも優秀な部下、との評価は間違っていない。そして、更なる大きな飛躍を遂げようとしている。田辺が貴子へ黒幕の存在を伝える時、これからが本番か、そう尋ねると、僕たちの戦いを始めます、と返した。

 戦いとは、人をどこまでも高めるものなのだろうか。

 

「一人でも戦う!それが無ければ、望みは果たせない!意思とはそういうものだ!その姿勢が人の心を打つんだ!」

 

「綺麗事ばかりをほざくな小僧!」

 

 信条が浜岡の肩を掴んだ。その手を浜岡が振り返らずに握り、低い声で続ける。

 

「......信条さん、こちらは人間です。綺麗事も言います。汚いことも言います。けれど、貴方が述べた思想や理念を前提に置いた話ではない」

 

 首だけを回し、ようやく振り向いた浜岡の目付きは、まるで射ぬくような鋭さを携えており、信条は思わず後ずさってしまう。長い人生を過ごしてきた中で、これほどの強い瞳を見たことがなかった。ぶれることなく、揺れることなく、ただただ、強い思いを込めただけの黒目に臆した信条は、掴んだ手を離そうとするが、浜岡の手に阻まれた。




リベラル派排除とかふざけんな


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第7話

「人間とはなんだ。こちらが、そう問われた時、こう言いますよ。人間とは心だ!思想、理念、思惑、企み、そんなものを排した人間の根本!それが心であり、それこそが!」

 

 自ら信条を解放し、奥歯を限界まで噛み、喉を極限まで広げ、四肢を突っ張り、青空を仰ぎ、喉が裂けようと、声がでなくなろうと一切構わずにこれまで以上に声を振り上げた。

 

「俺達!人間というものだろうがあああああああああああああ!」

 

 信条の背中に冷たい汗が吹き出す。肩で呼吸を繰り返す壮年の男は、最後に深呼吸を挟んだ。子供の我儘と切り捨てることも容易い言い分だが、そう易々と捨てきれないのはなぜだろうか。次第に、掲げられていたプラカードがポロポロと下がっていく。その様子に斎藤は息を呑んだ。浜岡の心根が、巨大な大木を倒す光景のように見えたからだった。

やがて、とある男性が、真っ二つに折られたプラカードを右手に歩みでた。蚊の鳴くような薄い声紋で短く言う。

 

「......なあ、アンタ......」

 

 喉を抑えた浜岡が、掠れた声で咳を混じらせつつ短く返した。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 震えながら男性が訊いた。

 

「その......アンタが言っていたことを......実現するとしたら......いや、あれだけ声高に言ってのけたのなら......そんな人を......アンタは知ってるのか?」

 

そんな問いに対し、浜岡は力強く頷く。

 

「はい、知っています。彼は一人で戦いを始め、こちらを初めとした多くの味方を得て、巨大な壁を飛び越え、今は九州地方へと向かっています。事実を明るみにし、九州地方にいる方々を救うために、彼は今も戦っています」

 

 言い終えたのち、浜岡は満面の笑みを浮かべた。戦い、と口にした男がするには不釣り合いな笑顔だが、話し掛けた男性は、それだけで胸を撃たれたのだろう。

 ゆっくりと、しかし、はっきりと男性が言う。

 

「......俺はさ、事件が起きてから、一度も笑えないんだ......俺は九州出身で、九州にいる昔の仲間が心配でさ......けど、俺は一人で何も出来ないって......情けない話し、俺だけで出来る事なんてたかが知れてるって勝手に諦めてたんだ......だから......だからさ......」

 

 男性の目頭から溢れだした涙が、タッタッ、と路面を濡らす。集団心理を育む土壌である空気、それを抜くには水を差せば良い。男性の流した水は、確かに、一団の空気を抜きつつある。



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第8話

 浜岡は、こくり、と縦に首を動かした。男性の肩に手を置き、静かな声音で言った。

 

「......ええ、一緒に考えましょう。生き延びた方々へ何をすべきなのか。犠牲になった方々へ何が出来るのかを......そして、これからみんなで何ができるのかを……今を生きている我々で」

 

 両手で顔を覆った男性が嗚咽を漏らしながら、膝から崩れたのを皮切りに、行進に参加していた多くの人々が次々と名乗りをあげていく。それは、一人の人間に捧げられた拍手や喝采ではなく、一人一人が、確かな言霊を宿した、意思のある言葉だった。開いた口を閉じることも出来ずにいた信条は、繰り広げられる景色に、ただ唖然として立ち尽くしている。

 浜岡が呼吸を整え終えると同時に、斎藤が声を掛けた。

 

「初めて聞いたぞ、お前が俺、なんて言うなんてな。人生でも初めてのことなんじゃないか?」

 

 からかうような軽い口調に、浜岡は苦笑して、胸ポケットに伸びた手を戻して鼻の頭を掻いた。

 

「......らしくなかった、ですかね?」

 

 斎藤は首を振って言った。

 

「いいや、いつもの冷めた感じも嫌いではないが、さっきのお前も良いと思うよ。一緒に酒でも呑みたいくらいだ」

 

軽く浜岡の肩に拳を当て、斎藤が笑う。その言動を受け、浜岡の記憶にあった古い漢詩の一節が広がった。

贄髪、各、已に蒼たり旧を訪えば、半ば鬼と為る。驚き呼んで中腸熱す焉ぞ知らん、二十戴重ねて君子の堂に上らんとは昔、別れしとき、君未だ婚せざりしに男女、忽ち行をなす。夜雨に春韮をきり新炊に黄梁を間う。主は稱す会面難し一挙に十觴も亦た酔わず子が故意の長きに感ず、明日山岳を隔つれば世事、両つながら茫茫たり。

杜甫の贈衛八処士に贈るだ。

まだ、この詩を詠めるほど、年齢を食ってはいないのだけれど、と唇を緩め、やはり、らしくないですねぇ、と囁く。

 

「......でしたら、もう一度だけ、らしくないことをしましょうか。斎藤さん、これからのこと、出来れば田辺君に言ってほしくはないので目を閉じてはもらえませんかね?」

 

「はっ、そいつは無理な相談だな」

 

 恥ずかしそうに、胸ポケットから抜いたペンで頭を掻く、そんないつもの癖を見て、斎藤は破顔する。どこまで行こうと、どうなろうとも、浜岡は、浜岡のままでいてくれている。その事実が、堪らなく嬉しかった。

 冴えた東京の青空の下、この空のどこかにいる田辺へのメッセージを込め、浜岡は右手を突き上げた。口にはしないが、ありったけの心を込めて胸中で叫んだ。

 

 田辺君、次は、君の番だよ。絶対に、必ず、無事に帰ってくるんだよ。




次回より新章にはいります
そしてちょっと、逃げます。そろそろラスト近いので、舞台の小倉を巡りに行って煮詰めます。休みの日に……(いつになることやら)
その間、久しぶりに短編でもあげていきます(めっちゃ恥ずかしいSSですけれども)


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番外編(報告)

saijya「いまから数日前だった。何時頃だっただろうか、確か、20時頃、友人とSkypeで話しているとき、ある違和感が俺を襲った」

 

ゾンビ「……うん、いきなり、語りだしたとこ悪いけど、いろいろおかしいな」

 

s「最初は、うーーん、まあ、大丈夫だろうさ、気合いだろうさってね。やがて床についた。そうさね、大体、22時だったかな……そこから、約4時間30分ほど俺は眠れなかった。何故だか、分かるか?」

 

ゾ「……うん、もう良いや……」

 

s「腹がさ、めっちゃ痛かったんだよ。いい大人がよ?半泣きになってんのさ、痛すぎて息も切れて、歯の隙間から細い呼吸が漏れだしてんのさ……分かる?少し痛みが柔らかくなるまで、歩くこともままならないんだよ?この辛さ分かる?」

 

ゾ「いや、多分、俺のが痛いと思うよ?だって、生きたまま噛み殺されたんだもん」

 

s「……それでさぁ、あまりの痛みに喋れない時間長かったけど、一瞬の隙をついて、親に連絡したのよ……助けてくれと」

 

ゾ「一人暮らしは怖いな」

 

s「けれども時刻は深夜2時、普通にそんな時間は寝てんじゃん?そこで、先輩に連絡したのよ……でも、寝てんじゃん」

 

ゾ「まあな」

 

s「腹の痛みは加速する。しかし、どうにもならん、最後の力を振り絞って救急車呼んだのよ」

 

ゾ「マジで?ヤバかったんだな」

 

s「けれど、まあ、仕方ないことだけどさ、電話先の相手はいろいろ聞き出してくんじゃん?こっち余裕ないってのにさ……最後、叫んだもん」

 

ゾ「なんて?」

 

s「住所言ったろうが!はよ来い!頼む!って……」

 

ゾ「いやぁ、それはないわぁ……ちょっと……いやぁ、無いわぁ……」

 

s「うん、反省した。俺が気絶しないよう必死に呼び掛けてたんだろうなって。けど、あえて言わせて?あれ、事故で呻いてる人に同じことしたら、多分キレられるよね?w」

 

ゾ「笑ってんじゃねえよ、確かに思うかもしれんけれども」

 

s「で、病院に到着すんじゃん?そしたら、いきなり点滴からのレントゲンよ。もう、モデルの撮影並みに撮られたね、パシャパシャ!って。あとで、ポーズとったほうが良かったかな?と思ったもん」

 

ゾ「例えよ……」

 

s「やがて、先生に訊かれたのさ。昔、盲腸の手術しました?俺は言ったさ、うん、って……」

 

ゾ「お前何歳?」

 

s「まだ、余裕なかったんだよ!そしたらね、ああーー、これはそれだわぁ、それそれそれよって」

 

ゾ「えらい軽いな、その先生」

 

s「なんか、腸が開いてなかったらしくてね。盲腸の手術した人には起こりがちの現象らしいよ」

 

ゾ「盲腸になったの何年前よ」

 

s「8年くらい前かな?」

 

ゾ「結構経ってから出るんだな。なんていうか、怖いな」

 

s「盲腸を罹患した経験がある人は、発症の可能性高いらしいよ。とにかく、痛い。で、先生に詳しく時間とか聞かれてたら、段々、眉間に皺が寄ってきてね、一言……よく耐えたね?並みの痛みじゃなかったでしょって」

 

ゾ「そんなにか……」

 

s「するとさ?俺ってさ、やっぱ、こっちとしては若干?若干よ?あるじゃん?俺、やるやろ?的な?とこ、あんじゃん?」

 

ゾ「お前のことなんざ知らんし、そんなに興味もないわ」

 

s「そしたらさ、先生に、いや褒めてないよ?むしろ、なにしてんの?死にたかったの?すっごい痛かったでしょ?なんで激痛に耐えんの?って怒られたw」

 

ゾ「笑ってんじゃねえよ。まあ、当然だわな」

 

s「うん、だって仕事行かなきゃとも思ってたしね」

 

ゾ「ただの馬鹿だな」

 

s「うん、反省した。その後、鼻に管を通されてるとき、あっ、トマス・ハリスの小説みたいって思ったw」

 

ゾ「ん?どゆこと?」

 

s「レクター博士だね」

 

ゾ「……羊たちの沈黙にそんなシーンあったか?」

 

s「ねえよ!なにいってんの?お前、馬鹿なんじゃねえの?頭腐ってんじゃね?あっ、ゾンビかお前、あっはっは」

 

ゾ「よーーし、レクターばりにお前喰うこと確定したわぁーー、赤ワイン傾けるわぁーー、よっしゃ、そこ動くなよ」

 

s「まってまってまって!腰あげないで!なんかさ、あんじゃん!そゆときあんじゃん!その時に受けたインスピレーションが相手に伝わらなかったとき、イラッてするときあんじゃん!それよ!」

 

ゾ「どれよ!」

 

s「まあ、話の本題すると、そのまま入院して小説の更新が出来ませんでした、加えて小倉にも行けませんでしたってことです、はい」

 

ゾ「もう、体調は大丈夫なんか?」

 

s「いや、それがさ、まだ腹張ってんだよね。痛みもある」

 

ゾ「マジか?よく退院できたな」

 

s「高齢化社会ってやつさ。身に染みてるね」

 

ゾ「ベッドぐるぐる回ってんの?」

 

s「言い方やらしいなお前」

 

ゾ「最近、お前の姦譎さが嫌になってきたよ俺は」

 

s「いやいやいや、今のはそっちの言い方も悪いと思うけれども……」

 

ゾ「……とにかくだ、今日から、またあげてくの?今は、短編いってるけど、あれ別のとこで書いてたやつだからコピーして張り付けてるだけだし、それも終わりかけじゃん」

 

s「うん、多分、小倉には間に合わないから、やっぱり遅れます。本当にすいません」

 

ゾ「それは、読んでくれてる方々が許すかどうかじゃん」

 

s「……頑張ります……はい……」

 

ゾ「おう、頑張れよ」

 

s「ところでさ、入院中ずっと本読んでて、結局、三冊読み終えたんだけど、面白い小説があったんだよね、勿論、全部、面白かったんだけど、特に、お!?これは!?ってなったやつがあってさ」

 

ゾ「……なに?」

 

s「獣の城ってやつでさ。途中までは、ああ、消された一家だねえって読んでたんだけど、最後に、衝撃受けた。何故だ!何故、ここまでの展開は全て読みきれてたのに、こんな初歩的なとこを見抜けなかったんだって!」

 

ゾ「隠しかたが巧かったのか?」

 

s「いや、それはない。だって、ミステリー系の小説読むときにキャラが多かったら簡単な相関図作りながら読むし、ん?ってなったら読み直し作業入るもん。けど、え!?ってなったんだよね」

 

ゾ「深読みしすぎたってこと?」

 

s「それもないと思うんだよなぁ」

 

ゾ「なら、読解力がなかっただけじゃん」

 

s「……精進します」

 

ゾ「おう、頑張れよ」

 

s「お前は、語彙を増やせよ?」

 

ゾ「その最後の最後に、上にいこうとするのなんなの?お前も対して多い訳じゃねえじゃん」

 

s「……お前には絶対謝んねえから」

 

ゾ「なんで上にいこうとすんだよ!?どこ目指してんだよお前」

 

s「あ、じゃあ、時間だからそろそろ行くわ」

 

ゾ「おい!立つな!俺に心の靄を残していこうとすんな!おい!」

 

s「あと、支払い頼むわ」

 

ゾ「支払い?なんの……おい!行くな!おーーい!……んだよもおおおお!なんだよこれ……一、十、百、千、万?」

 

ゾ「……これ入院費だろうがあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




という訳で緊急入院してました
いやあ、びっくりしたw
死ぬかと思ったw
また、頑張ります、はい……


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第29部 念願

 小倉の街並みは、すっかり表情を変えてしまっていた。平日ですら、賑わっていた旦過市場やアーケード街には、もはや人の声など聴こえてこないだろう。響いてくる獣声は、彼岸と此岸の境に落とされた者達の、死ぬに死にきれない慚愧の念のようにすら感じられた。

 運転席に座る達也が、ちらとドアガラスを一瞥すれば、リバーウォークと呼ばれる建物が見え、ようやく小倉に到着した実感が湧き、短く吐息をつく。小倉城へ続く鴎外橋を遠目で認め、紫川に掛かる勝山橋を越えた所で車を停め、助手席の浩太に尋ねる。

 

「左に曲がって高架下を通る道と、突き進んで駅前で曲がる道、どちらに行ったほうが良いと思う?」

 

 小倉駅の光景はよく覚えている。

 基地を脱出したあと、下関に向かう途中、歩行者デッキから多数の死者が降りてきた。中間のショッパーズモールの人数には及ばないかもしれないが、やはり危険は避けるべきだろう。

 浩太は後部座席にいる祐介に言った。

 

「祐介、場所はどの辺りになるんだ?」

 

 淀むことなく、祐介が返す。

 

「西日本展示場は分かりますよね。そのすぐ側に大きなホテル、ありますよね?」

 

「ビジネスホテルか?」

 

「いえ、歩行者デッキから直接いけます。そのホテルと隣接してる建物がそうです」

 

 顎を抱えたあとで、浩太は合点がいったと短い声をあげる。

 

「ああ、アパホテル……だったか?分かった、とにかく達也、ここを左に曲がって行こう」

 

 手短に操作を済ませ、達也はアクセルを踏んだ。

 右手に舟頭町を覗けば、多くの死者が闊歩し、こちらを睨めば、両腕を突きだして歩み寄ってくる。糜爛した肉体から垂れ、路面で弾けた臓器は、潰瘍を連想させた。さすがに、何度見ても慣れないとばかりに祐介が目を外す。

 

「植物だけだよ......こんな世界でも平和に暮らしているのは......踏みつけられても、そこから頑張って這い上がってきてる......」

 

 不意に聴こえた阿里沙の低語に反応を返したのは、隣に座っていた祐介だ。当の本人は窓から外を眺めているままなので、無意識のうちに口に出しているのかもしれない。皹割れたリアガラスから入る隙間風が一層、寒く感じてしまうほど、冷たい口調だった。膝の上に座っていた加奈子も、きょとんとした表情で阿里沙を見上げていた。

 車が高架下に入り、先の交差点を右に曲がれば、見えてきたのは小倉駅裏口のタクシー乗り場だ。やや入り組んだ道路ではあるが、車内の全員か目撃した景色は、想像を遥かに越えていた。




第29部始まります。けど、まだ小倉に行けていないので、ゆるりと更新していきます。そして、のちのち編集すると思います。いや、確実にします。ホテルの名前絶対違います。


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第2話

 群集する死者が、所狭しとタクシー乗り場を埋め尽くし、それでもいまだに、小倉駅の構内から湯水のように溢れている。達也は、大きく距離を空けて車を停めた。中間のショッパーズモールや、小倉の駐屯地襲撃の比ではない。九州中から死者を集めてきた、そう言われても信じてしまうだろう。

 

「......おいおい、冗談だろ?こりゃ一体、どんな悪夢だよクソッタレ……」

 

 希望を目前にして、辟易しなければならないのかと真一は唇を歪めた。リアガラスに不安を残したまま、こんな場所を通り抜けることなど不可能だ。死者が気づく前にルートの変更を提案したのは、浩太だった。小倉駅の北口へ車を走らせ、バスステーションでクラクションを響かせて呼び集める。その方法しかないだろう。達也は、溜息まじりに頷きつつ、恐々とギアを入れる。

 再び走り始め、小倉予備校の脇を通り、高架下を抜けた直後、さきほどの死者が道路へ飛び出す。車体に激しく衝突して突き飛ばされた。フロントガラスが鮮血に染まるが、ワイパーで作業のように拭う。どうにも、未だに慣れない感覚だと、祐介が顔をしかめた。

 

「......やっぱ、みんな慣れてしまったんですかね?それとも、俺たちにとっての現実ってやつが変わってしまっただけなんですかね……」

 

 祐介の問い掛けに、車内の空気が重くなる。現状、暗澹とした現実を裂く光が射し込んではいるが、もしも、このまま東京へ避難したとして、昔のような日常を送れるのだろうか。そう考えると、途端に自分が恐ろしくなる。

 同様の鬼胎を抱えているのは、祐介だけではなく、浩太もなのだろうか、沈痛な面持ちで言った。

 

「......大丈夫だろうさ、ここまで生き延びれた俺達なら、きっと大丈夫だ」

 

 まるで、自身に言い聞かせているような、細い語勢だった。それを受けた祐介も、糸のように短い息を吐く。以前、真一が八幡西警察署で上手く伝えられないと口にしたが、まったく同じ心境が垣間見える。切迫した状況では、不敵な笑みですら場違いとなるのだ。

 達也が、車を小倉駅のバスターミナルへと走らせれば、案の定、そちらも多くの死者が蔓延っている。まるで、巣穴だな、と囁くとクラクションへ手を添える。リアガラスの破損を考慮すれば、息を整えている暇もない。ここから先は、時間と死者、ありとあらゆるものとの戦いとなるだろう。

 

「......押すぞ」

 

 空気を引き裂く甲高い音が、魔都となり果てた小倉の上空へと吸い込まれていった。



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第3話

※※※ ※※※

 

安部と同化した中間のショッパーズモールから一睡もしていない。

腹は満たされ、充分なほどに動き、身体に疲労が溜まっていることが自覚できる。けれども、一向に睡魔というものが襲ってくる気配がない。不思議な感覚だった。目を閉じても、瞼の奥に見えるものは、色鮮やかに冴える鮮血だ。自身が慣れ親しんできた匂いは、想像するだけで鼻から口へと抜けていく強烈な鉄錆の香りだ。生憎と、体格にはめぐまれなかったが、身体の変化を、はっきりと体感しているのは、成長期以来だと東はほくそ笑んだ。あの頃は成長痛に苦しみ、歯軋りを繰り返していたものだが、今は充実感に満たされている。

 

「......かなりの数が集まってますよ」

 

「ああ、そうだろうな......なんせ、ここには奴等にとっての神がいるんだからよぉ」

 

とある大型商業ビルの三階で東が唸るような声で答え、邦子は振り返らずに俯瞰し続ける。

 

「時代の坩堝に落ちちまった奴等は、どうしようもなく脆くなっちまう......結果、何かを忘れて、何かを求めちまうんだよ」

 

くっくっ、と喉の奥を鳴らし、ゆっくりと立ち上がると、邦子と肩を並べる。

 

「そうすると、人間ってやつは、だんだんと意識ってやつが薄れていき、やがて全員が同じ場所に行き着くんだ......」

 

邦子が首を傾げ、尋ねる。

 

「......同じ場所?」

 

東は、鏡張りを掌で叩き、興奮気味に続ける。

 

「殺人とセックス、そして、宗教だ。分かるかよ?この三点は、いずれも旧約聖書にすら描かれているもの......つまりは、人間の根底だ。アダムとイヴから始まり、カインとアベルへと継がれていく。連綿と続く正負の遺産、その真意に気付けた奴は、この世界に存在しねえ......だから、まっさらな子供が必要なんだよ」

 

そうだろう安部さん、そんな呟きと共に東が胸に手を当てた。

ドクドクと感じる血脈は、安部の同意を得たかのように早くなる。鼻を膨らませ、きひっ、と微笑を漏らした東は、上半身を大きく反らして爆笑する。

 

「そうだろうなぁ!ようやく、アンタと同じ場所に立てたぜぇ!ひゃーーははははは!」

 

勢いのまま、バン、と両手をガラスに着ける。

 

「ジム・ジョーンズ!チャールズ・マンソン!これまで、この世界に存在した愛欲まみれの奴等とは違う!俺達こそが本物だ!本物こそが純粋なんだろうが!」

 

くるりと翻り、天井を仰ぐ。

 

「自分には信念もモラルもあり、どんな状況においても惑わされないと思いたがっている反面、ほとんどの奴等は、他人の行動に引きずられちまう!フランス革命、魔女狩り、個が確立されてねえ社会の中心で、集団になると意味不明で、暴力的で狂気な行動に走る!過剰な集団心理は、差別を助長する重大な要素だ!差別化は、手段ではなく考え方だ!その根底こそが、人間だよ!ひゃーーははははは!」



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第4話

 甲高い笑い声が木霊する。真っ向からの否定の言葉に、邦子は深く頷いて同意を示す。やがて、落ち着きを取り戻した東が小さく言った。

 

「モラルの低下を嘆く前に、やるべきことはあった......それが、この悲劇の鐘を鳴らした。目を逸らした報いを......真実を見る目を持たなかった人間への鉄槌を下すのは、俺達だ」

 

 吐息をつき、靴音を鳴らしながら東が階段へ向かう。

 

「......どちらへ?」

 

 邦子の質問に一度立ち止まった東は、肩を揺らしつつ短く答えた。

 

「空を見てくる」

 

 それだけを残した東の背中を見送った邦子は、眼下に広がる景色に魅せられたように、股間に手をあてがった。止まらない下腹部の痺れが、全身から頭へと登っていく。指を噛んで声を圧し殺すも、笑う膝に耐えられず、ぺたりとその場に踞る。艶のある吐息に混ざり、響いてくる死人の伸吟は、まるで聖歌のように邦子を満たしていった。

自身が壊れていく。けれど、それも今更だ。

 濡れた指を口へ運び、首を回して、再度、東が立っていた場所を溶けた黒目で撫でていき、愛し気に腹部を触った。

 

                 ※※※ ※※※

 

 古い時代の女子が作った縁起物で天地の袋というものがある。天と地の狭間は多彩な華や幸せに満ちており、そこに溢れた幸福を入れて逃がさないように、上も下も縫い付けた袋のことだ。

 酷い矛盾だと、東はくぐもった声で喉を鳴らした。

 人の一生は苦しみ、それは生きている限り永遠に続くものである。だからこそ、悟りを開かなければならない、この教えこそが仏教の基本だ。日本に仏教が伝わったのは、説として六世紀頃、つまりは飛鳥時代にまで遡る。それから千年以上を重ねた現在を生きる者は、不確かなものを信じない。目に見える何か、目に見えない何か、その境界線が曖昧になっている。

 東は、屋上への扉を開く。射し込んだ朝日は、頭上まで登っていた。

 そのまま屋上に出た瞬間、多数の白濁とした瞳が一斉に向けられた。十数人分の視線を受け、東は食傷気味に溜め息をつく。屋上の給水タンクを囲んだ柵から伸びた鎖は、悉く使徒の手首に繋がれている。しかし、そんな中、もともと腕が皮一枚で繋がっていたであろう男性は、強引に腕を引きちぎり、獣声で喉を震わせ、駆け出した。東は大儀そうに正面から右手のみで顔面を鷲掴み、容易く頭蓋を軋ませる。左手で扉を閉めた東は、男性を放り捨て、読経のように語った。

 

「変わらねえものなんざ、この空くれえのもんだな……地面はどうにも混雑しちまってやがる」

 

 ツカツカと靴音を鳴らす。伸吟を響かせ、自由の利く腕を伸ばす様々な使徒達を尻目に、屋上の縁に立った。




すいません、多忙でして更新できず……
そして、まだいけてないという……


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第5話

「よお……安倍さん、見ろよ。こいつらは、全員、俺達を理解してくれるようだぜ?」

 

 

 空に浮かぶ厚い曇が切れて、透明なカーテンのように日差しが漏れていた。ヤコブの梯子というものだ。梯子を登ると天国へいけるとう伝説がある。天にいるであろう安部の足掛かりとなったであろう梯子を見て、東の記憶が引っ掛かた。誰だっただろうか、無頼派と呼ばれる小説家が、空腹という感覚が分からないと書いた。空腹とはなんだろうか。今、東には、まさに空腹というものがない。

 恐らく、その作家にとっての空腹とは、満足感だ。隙間なく、余計なものが入る余地もなく埋めつくされていることを指す。意味合いは異なるだろうが、着地した思考を変える必要もない。

 見下ろした先には、地面を覆う死人の群れが、例外なく両腕を掲げて咆哮している。それを喜色満面で俯瞰する東に、どのような光景と思われているのだろうか。午前十時過ぎ、これから約一時間後、生者、死者が入り乱れる戦場となるあるあるシティの屋上で、東の笑い声が木霊した。

 

                 ※※※ ※※※

 

「達也!さっさとここを抜けるぞ!」

 

「分かってるっての!」

 

 ぐん、と圧力を増した車内を目掛けて、小倉駅から地震でも起きたかのような地響きを 伴って、死者が飛び出してきた。巨大な蟻塚に棒を突き入れたとき、その数を一から数えるはずもない。

 達也は、すぐさまレバーを操作する。

 

「古賀!後ろからもきてるぞ!」

 

 新崎が声を張った。

 魚町のアーケードを闊歩していた死者達をも集めてしまったのだろう。一斉に囲まれてしまえば、目も当てられない。奥歯を噛んだ達也は汗ばむ掌でハンドルを固く握った。

 

「車に言うことじゃねえけどよ……根性みせろよ!」

 

 その言葉を口にするやいなや、後部座席の重力がはねあがった。続けざまに、下腹にまで響く不快な音がする。急速に下がった車は、容赦なく死者を撥ね飛ばし、踏み潰す。ギャリギャリと空回りしては車体を傾け、路面に乗り走り出す。ひび割れたリアガラスの隙間から入り込んでくる多量の血液により、後部座席は、さながら、屠殺場ともいえる様相を呈していた。

 

「あと少し……!」

 

 バスターミナルを抜ける直前、達也の呟きは、後部座席の悲鳴にかきけされた。脆くなったリアガラスを、撥ねられた死者の一人が頭から突き破ったからだ。亜里沙が咄嗟に加奈子を抱き寄せるが、その肩を咆哮を放つ死者が無遠慮に掴む。車内に響く獣声は、ナイフを抜いた新崎の一撃により止まる。息を整える間もなく、ナイフを引き抜いた。

 

「大丈夫か!?」

 

「はい、噛まれていません!」



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第6話

 浩太は、祐介の返事に胸を撫でるも、新崎の怒声に気を持ち直す。危険はまだ、去っていない。真一の判断で飛び込んできた死者でリアガラスを真一と新崎で塞いではいるが、効果のほどは期待できないだろう。激しく呻りを上げる死者の大群は、そんな肉壁など問題にせず、次々と手を伸ばしては車両の激突に倒れていく。踏み砕かれた頭蓋や肉体の振動を数えきれなくなる。白煙を視認したのは、その時だった。

 

「浩太!ヤバイぜ!煙が流れ出してる!」

 

 真一の悲鳴に、浩太は叫んだ。

 

「あと少しで抜ける!」

 

 答えにならない返事の直後、車が大きく左へ傾いた。真っ赤に染まったリアガラスから、外の光景が見えないが、どうやらバスターミナルを抜けきれたようだ。ボンネットに乗り上げた死者を、振り落とすと、ハンドルを素早く戻し、アクセルをいれた。噴き上がる煙をバックミラーで一瞥した達也が言う。

 

「頼む……!もってくれよ!」

 

 不快な音をたてながら、車が走る。小倉駅の交番を抜け、郵便局に差し掛かった直後、祐介が身を乗り出した。

 

「そこを左へ!」

 

「了解!」

 

 現れた高架は、簡易的な駐輪場となっている。けれど、今となっては、蓋がポカリと開いた地獄の釜のような雰囲気だった。あらゆる悪意や敵意、殺意が混ぜられた釜戸へ向けて、達也は更に深くアクセルを沈める。既に、あるあるシティの地下入り口は見えており、もう、後戻りなど出来る筈もない。

 ぎゅっ、と唇を締めた亜里沙が加奈子を抱き締めて目を閉じた。

 

「行けえええええええええ!」

 

 達也の咆哮は、高架下駐輪場を抜けるまで車内に轟いた。短い爆発にも似た音が響いた瞬間、フロントガラスが激しく割れ、浩太と達也へ破片が注がれた。大きくへしゃげたボンネット、そして、目の前には、上下のエスカレーターが軋みを鳴らす。どれだけの速度で衝突したのだろうか、車の後輪が浮き上がっている。つまり、これは、ようやく六人が目的地へとたどり着いたことへの確かな証左となりえた。エアーバックを外し、粉砕したフロントガラスの先を見た達也は、痛む左肩をあげ助手席の浩太を叩く。小さな呻き声が返ってきたことを確認すると、後部座席へと声を掛けた。

 

「みんな……大丈夫か?」

 

「……なんとか、な。あーー、こんな衝撃は、門司港レトロ以来だクソッタレ……」

 

「いや、あの時のほうが、ヤバかっただろ……それより、急がなきゃな……駅で引き付けた奴等が戻ってきちまう……亜里沙ちゃん、加奈子ちゃんは大丈夫か?」



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第7話

咳き込みつつ言った浩太は、銃を持ち上げて態勢を戻し亜里沙へ問い掛ける。短く返した亜里沙が祐介の肩を揺らせば、分かっているとばかりに、首を動かした。

 

「車はここに残しておきましょう。この施設を昇る方法は、エスカレーターかエレベーターしかありませんし……時間稼ぎにはなります」

 

祐介の提案を受け、まずは加奈子から破損したフロントを抜けて車外へ出ると、ボンネットの上で、驚愕の色を表情に表した。

破壊された出入口の先、そこから、あの地震の響きが聴こえ始めたからだろう。苦い顔付きで舌を打った真一が吼えた。

 

「早くいけ!俺と新崎で時間を稼ぐ!」

 

 途端、真一が引き金を絞り銃口が光った。吐き出された弾丸が、先頭にいた男の眉間から入り頭蓋を砕く。新崎も加勢に入り駆け寄る死者を転倒させれば、多勢の死者に踏みつぶされて見るも無残な死体だけが晒されるこことなる。あまりにも生者と死者の数が違い過ぎる。焦燥を隠し切れず、浩太が声を張った。

 

「亜里沙ちゃん!早く!」

 

 浩太が差し出した手を掴んだ亜里沙が身を起こした時、突如、浩太の肩を何者かが凄まじい握力で引き寄せた。頭を窓枠で強打した浩太は、割れたドアガラスの奥で、メイド姿の死者が大口を空けて肩口へと噛みつこうとしている光景に、咄嗟の判断で身体を沈め距離をとり、起き上がる勢いを利用して死者の顔面へ後頭部を打ち付けた。

 

「反対からも来てるぞ!浩太!」

 

 浩太の顔を切るように突きだされた達也の右手には、ナイフが握られており、起き上がった死者の眉間を真っ直ぐに貫き、引き戻すと同時に浩太のAK74が火を吹いた。

 

「亜里沙ちゃん!こっちは抑える!早くいけ!」

 

 三十九ミリの弾丸が続々と撃ち出されていく中、浩太は一瞬だけ目を落とした。残弾はマガジン一つ分、つまりは三十発、現在、銃口から吐き出されている分と合わせても五十発もないだろう。対して、迫りくる死者の人数は膨大だ。切り抜けるには、残された手りゅう弾を使うべきか。響き渡る銃声の感覚が縮まっている所から察するに、後部座席の二人も手持ちが少なくなっているのだろう。渋面し、奥歯を噛んだ浩太の背中を亜里沙が抜けていく。次に動くよう浩太が指示を出したのは、祐介だ。

 反論もなく、祐介は迅速にフロントからボンネットへと到着し、二人を連れてエスカレーターを駆け上がっていく。迷っている暇などなかった。なにをやるばきか、なにをやらずべきか、その一つの判断の過ちすらが、命を晒すことに直結してしまう。




こっから先は、ちょっと現地に行かなければ厳しいです。すいません、少し期間をおきます


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第8話

 銃声が響く中、次いで車から出たのは達也だ。開ききったエアバッグを押し退け、ボンネットから車のルーフへ飛び乗る。

 

「浩太!早く出ろ!長くは保たねえぞ!」

 

 達也へ短く返事をした浩太は、空になった弾倉を落とし、新たに取り出した一本を叩き込んだAK74を後部座席の二人に渡して言った。

 

「先に出るぞ!」

 

「俺達を死なせたくないなら、早く行ってほしいもんだぜ!」

 

 受け取った銃のトリガーを引いたのは真一だった。新崎は弾丸が尽きたのかベレッタを接近する死者へ投げつけてナイフを構える。

 

「佐伯、次はお前が行け」

 

「はっ!馬鹿かお前!ナイフ一本しかないくせに、よく言えるもんだぜ!」

 

 連続した破裂音と死者の集団が続々と倒れていく中での会話だった為、振り返った浩太の耳には届いていなかった。

 ルーフに登り死者の様子を見ていた達也が、浩太を確認する。そこで助手席に寄ってきた死者の登頂部へ一撃を見舞い、髪を掴んで割れたドアガラスへ頭から突き込んだ。

 

「どちらでも良い!次、急げ!」

 

 ルーフから飛び下り、浩太と共にボンネットから車内へ手を伸ばす。先に振り返ったのは新崎だ。

 伸ばされた手を握り、男二人がかりで車外へ引き出される。残った真一も素早く振り向き手を伸ばした。死者との距離もあり、ドアガラスは死体で塞いでいる。誰もがこれで無事に乗りきれたと考えた。けれど、悲劇はどんなときでも起きるのだろう。

 真一の全身がフロントから抜ける直前、達也が頭部を貫いた死者が蛇のように鎌首をあげ、突然、真一の股を両手で捕らえる。驚愕のあまりに全員が喉を閉め目を剥いた。

 両腕を引かれている真一に、防ぐ手段など無かった。

 

「ぐうああああああああ!」

 

 押し寄せる激痛の波に、真一が悲鳴をあげる。ズボン越しとはいえ、容赦なく顎を締める死者に、信じられない、といった表情を達也が向けた。貫いた筈の頭頂部、そこから確かに流血している。ならば、なぜ、この死者は動けているのだろうか。

 

「真一ィィィ!」

 

 浩太が絶叫とともに、死者の頬を殴れば口は右の股から離れたものの、再度、真一を喰らおうと獣声をあげ、それを新崎のナイフが止めた。改めて車外へ引き出された真一に、達也と浩太が肩を貸し、殿を申し出た新崎がエスカレーターを登りきり二階に到着すると、車を乗り越えた死者の大群が獲物を逃すまいと白濁とした眼球を上げて駆け始める。

新崎が悪態を挟むよりも早く、背中を裕介の声が叩いた。

 

「こっちです!早く!」

 

 フロアーの反対で大きく両手を振る裕介を見つけると、新崎が叫んだ。

 

「二人に手を貸してくれ!」

 



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第9話

 訳もわからず眉を寄せた裕介だが、通路を走る浩太と達也に手伝われながら歩く真一をみて顔から血の気が引いていく。何があったのかなんて聞かなくても分かる。ぐっ、と唇を噛んだ裕介は、三人に一息に近付く。

 その間にも、遠慮なく接近する死者を確認しつつ、新崎は三階へのエスカレーターに足を掛け、中腹で振り返ると押し寄せる大群の先頭を蹴りつけた。エスカレーターから転がり落ちた男性の死者は起き上がる間もなく多数の後続に踏まれていく。このままでは間に合わない。そう、新崎が覚悟を決めたとき、三階から声が降った。

 

「新崎!伏せろ!」

 

 耳を通るのはエスカレーターの手摺りに添って何かが滑り落ちる音だ。視認するよりも早く、新崎が伏せた直後、頭上を黒い影が通り抜けた。まるで滑車にでも送られるかのように、勢いよく滑り落ちていったものは本棚だ。死者を巻き込みつつ、レールの切れ間に達し、二階のフロアーに落下する。

 

「呆然とするな!早く上がってこい!」

 

 死者が二階で蠢いている隙に、新崎は全速力で三階へ走り、到着するやエスカレーターの入口を塞ぐ為に裕介が用意していた物資を積み重ねる作業に加わった。

そして、最後の本棚が重ねられると同時に、死者の一人が突進するも鮮血を散らして崩れ落ちた。やっとの思いで、あるあるシティに着いた一同だが、心が晴れてなんていない。

壁に凭れ掛かり、荒い呼吸を繰り返す真一の右足は真っ赤に染まっている。短い悪態をつき天井を仰ぐ。

 

「はは……やっちまったぜ……」

 

 傷口を抑えた右手の指の間から流れる血を達也が呆然と眺めている。頭にあるのは、何故あの死者が生きていたのか、だ。その疑問は、浩太の一言で解決することとなる。

 

「達也、お前のナイフ……見せてみろ……」

 

 黙然とナイフを引き抜き、折れた刃先に瞠目する。骨というものは意外と硬く、単純な殴り合いでも拳を骨折することがあるほどだ。そんなものに向かって、これまで幾度、勢いよく突き刺してきたかなど数えたくない。

 どれほど丈夫でも物には必ず限界がくる。恐らくは、達也が死者の頭に突き立てた際に、ナイフの刃は頭蓋骨を貫く直前に折れたのだろう。だが、弱点である脳に強い衝撃を受け、一時的に気絶のような現象が起きたのだろう。そして、真一が抜ける寸前に覚醒することとなった。達也は悔いても悔いきれない。この四日間、どれだけの血を浴びてきたか、どれだけの血をナイフに吸わせてきたことか。それがこの結果を招いてしまった。膝から崩れた達也の脳裏に、昨夜の出来事が甦った。




今更ながら戦姫絶唱シンフォギアってアニメにハマってしまった……超面白いwww


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第10話

 生き延びたら何をしたい、その問い掛けに真一は、まだ見つかっていない、と返し、希望を手にしなければ平和を掴めないと言ったのは、他ならぬ達也だ。真一にとっての希望、その芽を摘んでしまったことに、達也は涙を流す。

 

「真一……俺は……お前になんて事を……」

 

 ナイフが手から滑り落ち、小さな音をたて膝から崩れた。語るべき言葉が見付からず、嗚咽を漏らすことしかできない。そんな中で、深く息を吸い込んだ真一は、片足を引摺りながら項垂れる達也の肩に手を置いた。

 

「お前が悪い訳じゃないんだぜ?全部、俺が自分で招いたことだ……」

 

「達也……」

 

 低く呟いた浩太に振り向き、真一は口角をあげる。汗が浮いた額をみるに、耐え難い激痛に苛まれているのだろう。それでも、真一は笑っていた。

 

「こうなっちまった以上、どうするかな……お前達をこの地獄から助け出す、それしか残っちゃいないけど……ケジメの付け方がな……」

 

 自身の手にあるAK74を裕介に差し出す。困惑しながら、裕介は真一から受け取った。

 

「俺は真一さんを撃てません……これは、仲間を守る為に使いますが良いですか?」

 

 真一はひとつ頷き答える。

 

「ああ、充分だぜ……」

 

 俺達には、お前みたいな奴が必要なんだよ。だがよ、仲間がピンチの時は頼んだぜ、八幡西警察署での約束、裕介がそれを覚えており、はっきりとした決心を口にした。それが嬉しくもあるのか、真一は充実した表情を浮かべる。

 

「浩太、俺には時間が残されちゃいない。だから、この命はお前らの為に使わせてくれ……頼んだぜ」

 

 浩太は言葉を返さずに首を縦に動かし、懐から手榴弾を取り出すと真一の掌を両手で包んで渡す。肩を揺らし微笑した真一は、頼もしいぜ、そう呟く。

 上階から甲高く卑俗な声が降ってきたのは、まさにその時だった。

 全員が見上げる先には、スーダンを着た小柄な男がいた。悦に入って笑う様は、まるで死神そのものだ。達也にとっては聞き慣れた佞悪な哄笑を携え、男が口を開く。

 

「地はやせ衰えた。世界はしおれ、天はしなびた。地球は人間によって汚れた。人々は神の掟に背き、定めを変え、神の永遠の契約を破ったからである。それゆえ、呪いは地を食らい付くし、人は罪あるものとされる」

 

 語り口もさることながら、男が歩く度に異質な空気が場を支配していく。浩太は生唾を呑み込もうとしたが、急速に口内の水分を奪われていき、喉を鳴らすに止まり、真一ですらも咬傷から意識を外し、新崎は化け物でも眼にしたかのように眉を寄せた。




お薦めのシンフォギア小説あれば教えてくださいwwww


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第11話

亜里沙は震える歯が音をたて、抱き寄せられた加奈子も目を見開いて顔を向け、裕介は蚊の鳴く声で、嘘だろ、と言った。

 

「ひ……ひが……し」

 

唯一、達也だけが声を発することができたが続かない。纏っていた異様な雰囲気が、これまで以上に変貌を遂げていたからだ。何がと問われれば、返すことはできないが、それでもはっきりと理解したことがある。

 

……全員ここで殺される……

 

「 私は誰を遣わそう。誰が我々の為に行くのだろう、と言っておられる。主の声を聞いたので言った。ここに、私がおります。私を遣わしてください」

靴の音が止まると、小柄な男は鼻から息を吸って吐き出した。一連の動作を見上げる七人は、咄嗟に身構えるが、男は服を正して言った。

 

「預言者イザヤの書……なんともこの世界にぴったりなもんだな。よお、こんな話しを知ってるか?とある国の少女には、夢があった。優しい人になって困ってる人を助けたいと、少女は語った。そんな少女が、身体に爆弾を巻かれ、遠隔操作で人間爆弾として使用される事件があった。これが悲劇じゃなくてなんだというのか。これは、世界の悲劇そのものだ。小さな願いすら叶えられない世の中をどう見詰めれば愛せるのか、今、我々は試されているのかもしれない」

 

コツ、と再び歩き始める。規則的な足音は徐々にではあるが確実に近付いてきていた。けれど、杭でも打ち込まれたように動けなかった。眼球で男の姿を追うだけで精一杯だ。そして、男は七人がいる三階へと到着した。と死者の伸吟が響く建物の中、エスカレーター脇の通路を挟んで八人は対峙する。真っ先に口火を切ったのは浩太だった。

 

「お前が……東……か?」

 

「ああ、そうだよ。俺が東だ」

 

 前髪を右手で掻きあげる仕草を見た裕介が驚愕して言った。

 

「その右手……」

 

「これか?神の思し召しってやつだろうな。ああ、そうだ。テメエには感謝してる。あの時、お前に会えてなければ、俺は以前のままだったからな……」

 

 感慨深そうに右手を顔の位置まで上げると、小指から一本一本を折って拳を作り広げた。義手でもなんでもなく、本物の右手だ。一体、どんな奇跡が起きれば、あれほど損傷していた手が短期間で治るというのだろうか。おののく裕介を置いて達也が言う。

 

「随分、似合わねえ恰好になったもんだな……その服が世界で一番似合わねえのはテメエだろうが」

 

「なんだぁ?知らない仲じゃねえんだからよぉ、褒めてくれてもいいんじゃねえの?ちったあ人間らしくなったってよ」

 

 達也は鼻を鳴らす。

 

「テメエが人間?ふざけてんじゃねえぞ」

 

 静かな怒気に、男は笑って返す。

 

「俺は誰よりも人間だ。この世界を含めて誰よりもな」

 

 くっくっ、と低くひきつるような声の後、一息つき右足を前に出す。

 浩太と新崎、そして達也が四人を下がらせ前に出た。粘りつく男の目線を切るように、浩太がスーダン姿の男を睨み付けるが、全く動じずに男は哄笑する。

 

「お前ら全員にそれを今から教えてやるよ!誰が人として生きるべきで、誰が死ぬべきかをなぁ!ひゃーーははははは!」




UA数64000及びお気に入り件数350件突破ありがとうございます!!
次回より第30部「獣人」に入ります


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第30部 獣人

 人生を切り取って生きてきた。生まれてこれまでの人生をだ。

 刹那的な生き方だと、揶揄する人間もいることだろう。無意味だと笑う者もだ。そんな生き方は、獣と変わらない。生きる為に襲って、食べて、排泄して寝て、起きてを繰り返す、まさに獣だ。

 あるあるシティの三階で、東は、恐らく、九州地方最後の生き残りであろう七人と対峙する。さっ、と目を流せば、それぞれが緊張の面持ちで身構えていた。口角を吊り上げ、東は笑う。

 思えば遠い道のりだった。生まれてこれまで、一瞬だけを生き、一瞬だけの為に死ぬものだと想像していた。だからこそ、今現在を、いや安部と出会ってからこれまでを思い出と昇華することができる。人の在り方とはこういうものだ。思い出を残せることこそが人、そして、感情というものなのだろう。ならば、この闘いは人間としての優位性がより高い者が生き残れる。いつ死んでも良いなどと考えてきていた、これまでの東ならば、この試練を乗り越えられなかったかもしれないが、今は違う。

 死すらも遠ざけた今ならば、どんな苦境も一足飛びで突破できる。

 駆け出した東は、まず新崎に狙いをつけた。理由は二つ、新崎という男が未知だから、加えて中間のショッパーズモールでの僅かな情報だ。戦車を奪おうとした際、戦力であった岩神を切り捨てる怜悧な判断力を見せ付けられたことを踏まえれば、最後まで生かしておけば、後々に響いてくるのは間違いない。

 新崎は迫り来る男に対して、ナイフを右手で逆手に持ち直し迎撃の態勢をとるも、腰を沈めた男が、左手を頬の傍に添えたことにより刃物での攻撃を諦めざる得なかった。男のほうが実戦に慣れている。それもそのはずだ。この小柄な男は岩神を暴力で制している。

新崎は、見抜けなかった自身の浅さを悔いると共に、迫り来る男に蹴りを放つ。攻撃は防御をされていない顎を狙ったものだったが、待ってました、とばかりに男は唇を吊り上げた。

 がら空きの顎に爪先が直撃する。しかし、男の踏み込みの勢いが止まらない。それどころか、増していた。防御の為に添えていた左手で新崎が振り上げた足首を捕らえ咆哮する。

 

「なっ!?」

 

 男は新崎の身体を片腕で振り回し、丸太でも扱うように達也へとぶつけ、壁に二人が衝突するよりも早く、浩太との距離を詰めた。新崎への間の詰め方から、流動的な動作、計算された上での動きだ。

 浩太は、肉薄する東が握った拳を引いているのを見て、直観的に右へ飛んだ。そして、それは正しかった。



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第2話

 浩太の背中を支えていた厚壁が東の一撃を基点として大きくひびが入り、挙げ句、貫通していた。

 

「抗うなよ……折角、一発で終わらせてやろうとしてんのによぉ」

 

 ゆっくりと腕を引抜いた東は、浩太に向かって腕を振り破片を飛ばす。目眩ましの狙っての行動だとはすぐに分かった。だが、下手にはね除けようものなら、回避後に強烈な攻撃を受けてしまう。浩太にとって、絶望的な展開だった。

 そこで助け船を出したのは真一だ。

 

「おらあ!」

 

 鋭痛が残る足を庇いながら駆け出し、東が飛ばした破片を避けもせず、渾身の力で握り締めた拳を繰り出す。その際に、偶然だが破片の一部が拳頭に付着した。簡易なメリケンサックとなった状態で頬を撃ち抜かれた東だが、身動ぎもせず真一の腹部へ膝をつきたてた。

 呻きながら、かくり、と腰を落とした真一の後頭部目掛けて右を打ち下ろし、直撃の寸前、新崎の胴タックルが東を弾き、さきほど穴を穿った壁へ背中をつけた。浩太は、立ちあがりつつ東を睨み付ける。ここまでの動きで、ある推測が確信に変わった。

 東にダメージが残っていない。体格差を考慮すれば、人間離れした頑丈さ自体考えられない。だとしても、達也と裕介の前情報では、東はイカれた「人間」だったはずだ。ともすれば、闘いの中で興奮してアドレナリンが過剰に分泌されているのだろうか。いや、その仮定も考えにくい。それならば、浩太を仕留め損なった時の静かな口調が矛盾してしまう。

 いくら考察を重ねても、答えに辿り着けず、浩太は眉間に皺を刻んだ。

 

「怪人が怪物になるなんざ、どんな神話だよクソッタレが……」

 

 四対一、圧倒的有利なのは、果たしてどちらなのだろう。壁に手を着け、東は淀みなく一歩進み自衛官を見回す。

 

「……俺は慈善事業家ではない。ましてや、キリストなんてものとは正反対だ……自身が正しいと信じるものがあるならば、手に入る武器は何でも使う。自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、敵を打ち負かすことを優先する」

 

 引き抜いたナイフを構え、東の声に達也が吠える。

 

「ゲバラ……テメエが英雄だとでも言いてえのかよ……このサイコ野郎が……!」

 

 同時に距離を潰し、達也はナイフを振りかぶるも、東により一歩を踏み込まれ懐への侵入を許す。ざわり、と襟足が総毛立つのが分かる。避けられない。

 

「英雄だぁ?そんな小せえ枠に俺を嵌め込むなよ、自衛官!」

 

「古賀ァ!」

 

達也は一瞬の浮遊感を覚えた。気付けば、背中を床に強打して男の背中を仰いでいた。

そして、その背中には奇妙な点がある。背中の中央に、人間の左手が生えていることだ。あり得ない光景に達也は言葉を無くす。



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第3話

 眼前を鮮血が覆った。突き出た左手が撹拌するように捻れ伸びてくると、肘で止まり一気に引き抜かれた。弛緩と硬直を繰り返す肉体が達也に向かって倒れてくる。

訳もわからず、両腕で支えた達也は、小さく言った。

 

「あら……さき……?」

 

 呼掛けに新崎は、全身が痙攣しながらも虚ろな瞳を投げ掛けた。胸を貫かれ、肺に深刻な傷を残されているのか、喋ろうとする度に吐血を繰り返す。涙を浮かべ、達也の袖を掴み、顔を浩太と真一、裕介、亜里沙、加奈子へと向け、唇を震わせる。声などはない。だが、六人は新崎が何を言っていたのか、すぐに分かった。

 

 人としての最後、信じてくれてありがとう。

 

 直後、東の剛腕が達也を襲う。態勢が悪く直撃とまではいかなかったが、達也を弾くには充分な威力がある。

 達也から放れた新崎の死体を見下ろした東は、首から持ち上げ大きく振りかぶった。

 

「まさか……おい!やめろ!東!」

 

「まずは、一人目だなぁ?予定とは違うが、一番、厄介そうな奴を片付けられたのは、僥倖ってやつかあ?ひゃはははは!」

 

 駆け出す浩太を一瞥し、東は新崎の肉体をエスカレーターへ放った。背の低い柵を越えた先は、通路を塞がれ立往生している死者の大群がいる。

 浩太は怒りで震える声で叫んだ。

 

「ひぃぃぃがぁぁぁぁしぃぃぃいい!」

 

 浩太の足の筋肉が肥大する。今すぐにでも飛び掛かり、東の喉元を裂いてしまいたかった。だが、その思考は予想外の音が響いたことにより寸断された。階下へと投げ出された新崎の身体が、床へと叩きつけられたのだ。そこに全員が違和感を抱く。通常てあれば、そんな音が鳴るはずがない。死者の波に呑まれてしまうからだ。

 しかし、それならば、現状の説明がつかない。怪訝に眉を曲げた東が階下へと続くエスカレーターの柵を覗き頓狂の声を出す。

 

「どうなってんだ、これは……」

 

 密集した大群がいたエスカレーターはもぬけの殻となっていた。それどころか、伸吟のひとつも聞こえてこない。水を打ったような静寂に、ようやく浩太達も気付き、首を捻る。生と死が入れ代わったあの日から、途切れることのなかった呻き声が切り落としたように無くなっていた。

 戦闘に気を回しすぎたと、東は小さく舌打ちを挟む。これほどの変化に対応できなくなるなどあってはならない。それとも思っていたより、生残り達に手こずっていたのだろうか。とにもかくにも、異常への対処の為に、東が取るべき行動の順序を変えなければならないことは確かだ。




いやあ……本当すいませんでしたあああああああああああああああ!!
投稿時右クリック連打してました!!
教えていただきありがとうございました。


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第4話

 東は達也を睥睨し、次に浩太を映す。真っ先にやるべきは障害の排除、そして、順番決めとなる。新崎がいないのならば、手負いの真一は最後、ある程度の接点がある達也よりも、全く知らない浩太を狙った方が後々、都合が良い。背後の少年、裕介は使徒となった真一にでも処理をさせれば終わりだ。

 そんな計算をたてた東は浩太を定め、反射のように身構えた浩太へと詰め寄ろうと右足を踏み出す。瞬間、聞き慣れない唸り声が鼓膜を激しく揺らす。一体、何事だろうかと、振り向いた矢先、再度、腹の底を掻き回されるような不快感が襲い掛かる。また、あの声だ。確実に人間ではない。外連味のない大音声は、建物内部から聞こえてきている。八の字に眉を歪め、東は思案する。

 聞きなれてはいない、しかし、どこかで耳にしたことがある。どこだ、一体、どこで耳にした。

 意識を奪われた一同は、声の主が近付いてきていると、ほぼ同時に察した。やがて、重苦しい足音を響かせて姿を現したそれに、東は言葉を呑み込んだ。

 鼻息荒く揺れる巨体は、成人した男性を軽々と越える背丈を有し、全身が黒い体毛で包まれた四足の動物だった。ガフガフという乱暴な呼吸と合わせ、口元から大量の涎を落とす様は、まさに獣に相応しい。

 

「……マジかよ……」

 

 ぽつり、と出た東の声に反応したのか、獣はふいと面を上げ、紅い瞳に東が映ると喉を小刻みに動かて咆哮し、新崎の死体に目もくれずエスカレーターへ重音を響かせると、その怪腕をもってバリケードとしていた本棚を横に殴り付けた。まるで、木の葉のように砕かれた本棚の先にいた浩太は、その獣の爪先に明らかな銃痕が残っていることに対して瞠目する。

 

「まさか……ここまで追ってきたってのか……」

 

 現れた獣は、八幡東区で苦しめられた熊と同じだった。執念なのか、それとも野性がそうさせているのか、判断はつかないが、これだけは言える。奇跡なんてものがあるとするならば、神を心底憎んでやる。

 だが、そんな浩太の心境とは違い、熊はキョロキョロと辺りを見回していた。加えて、何かを探る鼻を引きつかせている。不思議な光景に、全員が声を潜めて成行を見守る中、熊の動きがピタリ、と止まった。

 視線の先にいるのは、東だ。

 驚愕の表情を浮かべた東は、自身の左腕が新崎の血液でベッタリと濡れていることを思い奥歯を締めた。さきほどの匂いをかぎわける仕草、その理由が明確になる。

 

「ヤベエ……」

 

 熊は四肢を突っ張り、一息で東との間を詰めた。やはり、獣は弱っている獲物を優先するのだろう。新崎の血液を一目して、それを東自身が流していると判断したようだ。



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第5話

死人の弊害である思考力の衰えが東にとって最悪な展開へと発展した。

熊の豪腕が東の右肩を打ち抜く。胸骨にまで達した衝撃、それは膂力などという言葉の範疇では収まらないものだった。壁面に吹き飛ばされた東は、まず自身の胴体へ視線を落とす。達磨落としのように首と下半身以外がすっぱ抜かれてしまったかと思ったからだ。

次に左手を右肩に当てる。肩が筋肉ごと亀の頭のように内側に押し込まれている。

 

「良かった……あった……」

 

悄然とした呟きの後、大口を開けた熊が東の右肩にかじりついた。

 

「ギイヤアアアアアア!」

 

※※※ ※※※

 

喉が裂けるほどの悲鳴が木霊する中、浩太は膝をついていた真一を見る。熊と東は、達也と亜里沙、加奈子と浩太、真一と裕介、ちょうど六人が別れる位置にいる。この機会を逃す訳にはいかない。

田辺がこちらに到着するまでには、あるあるシティの屋上へ向かわなければならない。あと、どれほどの時間が残されているのだろうか。そして、なにより気掛かりなのは、真一が負った傷の具合だ。駆け寄った裕介に肩を抱かれて立ち上がろうとしても渋色を示している。

 

「真一さん……傷は……」

 

裕介が不安そうに訊くと、真一は深い溜息をして言った。

 

「最悪だぜ……さっきので悪化しちまったらしい……」

 

ズボンを捲りあげる勇気はないけどな、と付け加え腰からイングラムを抜き浩太に手渡す。

 

「俺にとっちゃ無用の長物だ。お前が持ってたほうが有意義だぜ」

 

浩太は何も言わずに受けとり、フロアの対面にいる三人へ目線を預ける。どうやら、達也と亜里沙もひとまずの態勢は整えたようだ。

東を貪る熊がこちらに注意を向けぬよう、浩太は指を二本たてて達也へサインを送る。次に人差指だけを残し腕を真上へ伸ばす。

二人は任せる、屋上で合流だ。

それを汲み取った達也が頷くまで待って三人はエスカレーターを登り始める。

裕介から、ここで待っていたほうが良いんじゃないか、との提案があったが、達也と亜里沙、加奈子はフロアを半周してエスカレーターに辿りつかなければならないので、一足先に男三人が上階でなんらかの障害があった場合、排除しておかなければならない。それが分かったのか、裕介は静かに喉を鳴らし、真一から譲り受けたAK74の存在を汗ばんだ掌で強く感じた。

 

※※※ ※※※

 

浩太達が行動に移ったことにより、達也も亜里沙と加奈子を立たせた。手持ちの武器はなく、二人を守るのは相当な負担がかかるだろうが迷っている時間はない。

亜里沙に抱えられた加奈子に目を落とし、怪我をしていないかなどの確認をさっと行い亜里沙に言う。

 

「怪我はねえか?」




……眠い……


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第6話

その問い掛けに亜里沙は緘黙したまま頷く。達也は精神的に参っているのだろうと思い、それほど気に止めず熊と東へ振り向いた。

熊は夢中で東の肉体へと歯を埋め続けており、これならば、時間を稼げるだろう。あとは逃走ルートだが、最短距離ならば熊の背中を通ることになるので、素直にフロアを半周するしかない。ただ一つの気掛かりとしては、やはり死者の存在だ。熊がここに来るまでに蹴散らしてきたであろう死者の大群だが、それに匹敵する人数が集まりつつあるかもしれない。ただでさえ、熊の一撃によりバリケードを破壊されてしまった今、いつ死者が押し寄せてきても不思議はない。武器無くして乗り越えられる修羅場ではないだろう。

そこまで考えた達也が、一刻も早く屋上へ向かおうと振り返ろうとした瞬間、背中に重い衝撃を受け、鋭くも鈍い激痛が腰に走った。

 

「……え?」

 

首だけで振り向いた達也の目に亜里沙の頭が映る。次いで視線を下げていけば、腰の位置に亜里沙の両手が添えられており、マイナスドライバーの刃を伝ってポタポタと落ちていく血を視認した。

亜里沙が震える身体と両手を引いた直後、達也の膝が笑い始め、力が入らずカクリと折れた。

 

「あ……亜里沙……ちゃん……?」

 

「あ……あ……あぁ……」

 

亜里沙はひどく狼狽しながら後ずさっていき、壁に背中がつくと、強引に喉を抉じ開けるように唾を飲んで言った。

 

「だって……だって、しょうがないじゃない……アタシだってこんなことしたくなかった……けど……だって……こうでもしないと彰一君が……アタシ……アタシは……」

 

ぎっ、と唇を締めた亜里沙は、膝をついた達也を見下ろし、再び、マイナスドライバーを水平に立てる。まるで、リングを囲むロープで反動をつけるように壁から背中を放し、達也の頭部を目掛けて尖端を向けた。

達也の顔から血の気が引いていく中、亜里沙は目を見開いてマイナスドライバーを振り掲げ、呼吸を挟まずに振り下ろす。頭上でどうにか止めることは出来たものの、腰に走った鋭痛に表情を歪ませ、その隙をついたのか、亜里沙が一息に体重を乗せた。

 

「ぐっ……うぅぅぅ!」

 

堪らず仰向けに倒れこんだ達也の目前に迫る刃物のように重いマイナスドライバーの尖端は、額の中心へ狂いなく落とされようとしている。

もしも、腰の怪我がなければ、すぐさま亜里沙をはねのけて武器を奪い説得に入るのだが、それもできそうにない。歯を食い縛った達也は、マウントを取った亜里沙の両手を下から支えることしかできなかった。亜里沙の顔が、穴生で出逢い達也が殺した女医と被ってしまう。



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第7話

唯一、違う点は、刃先の奥にある亜里沙の目からは、大粒の涙が溢れていることだけだ。

 

「達也さんがいなければ、あの時、中間のショッパーズモールに行くことはなかった……達也さんさえいなければ、あの時、彰一君が犠牲になることもなかったんだぁぁぁぁ!」

 

亜里沙からの圧力が更に増す。下から掴んでいる達也は、背中に生温いものが広がっていくのを確かに感じた。加えて、亜里沙の声で熊の耳が僅かに揺れ始めている。焦燥に駆られた達也は、脈を打つ腰の傷に構わずに言った。

 

「あ……亜里沙ちゃんは……彰一君のことが好きだったのか……?」

亜里沙が震える声で返す。

 

「分かんないよ……分かんないけど、彰一君がいなくなってから、胸におっきな穴が空いたみたいで苦しいの……こんなの耐えていきていくなんて、アタシには出来ないよ……」

 

グンッ、と体重を加えられた達也は唸った。寒気だった両腕と背中は限界を迎えそうだ。それでも、マイナスドライバーにかかる重さは消えそうにない。

 

「これが恋心ならそうなのかもしれない……けど、確かめる手段はもう……」

 

「亜里沙……ちゃん……俺は彰一君に救ってもらったと思ってる……だから……」

 

「じゃあ、ここで死んでよ!ねえ!」

 

亜里沙は涙で崩れきった顔のまま叫んだ。

戸惑いや不安、そんな感情が混ぜ込められた面持ちで肩を入れた。もう、マイナスドライバーの尖端は達也の額に当たっている。それでも達也は話しを続けた。

 

「死ね……ねえ……彰一君の……為にも……俺に全てを託した奴の為……にも……」

 

押し返す力は残っていない。

達也が生きるには、とにかく話しをするしかなかった。

 

「亜里沙ちゃんも……そうだろ……?」

 

亜里沙は東を喰らい続ける熊を一見して頭を振った。

 

「アタシはもう良い……ここで達也さんを殺したらアタシも死ぬから……だからぁ!」

 

マイナスドライバーにかけていた体重が無くなり、達也は、亜里沙が両腕を頭上に掲げたのだと直感する。渾身の一撃を受けとめるだけの体力はない。

 

ああ、ちくしょう……これは罰なのかもな。悪い、小金井、約束は果たせそうにねえや……

 

達也は胸中で呟き、ゆっくりと瞼を閉じた。熱をもった水滴が頬に数粒落ちてくる。

これで良かったのかもしれない。最後に人の涙の温かさを知れた。九州地方に蔓延る多くの死者は、この温もりを知らずに死んでいったのだろう。

獣と変わらない死者では、決して流せない熱い涙をだ。

覚悟は出来たものの、達也の額にはいつまでも衝撃が訪れなかった。



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第8話

怪訝に眉間を狭めると、細い声が鼓膜を揺らす。

 

「だめ……お姉ちゃん……だめだよ……」

 

達也はおろか、亜里沙でさえ耳にしたことがない幼い声音だった。

何が起きているのか理解が追い付かない達也は、意を決して両目を開き瞠目した。

マイナスドライバーを振り上げた亜里沙の背中から胸に回された小さな掌が、絡めた指を精一杯に締めている。そして、あの幼い声が再び亜里沙の背中から聞こえた。

 

「彰一お兄ちゃんは、そんなことしてほしくないって思ってるよ……裕介お兄ちゃんだって……お姉ちゃん、覚えてる?彰一お兄ちゃんが言ったこと」

 

亜里沙は、彰一君が、と囁くように口にした。加奈子は亜里沙の背中に抱き付いたまま、俯いて続ける。

 

「私たちの誰かが、死んじゃったら、誰かに殺されちゃったら、それをした人がもしも、お友達だったらすごく怒る……けど、そうしたら、お友達を信じる気持ちが無くなっちゃう……お姉ちゃんが達也のおじちゃんにそんことをするなんて……彰一お兄ちゃんだって絶対に嫌だよ……」

 

矮躯を背中にぴったりと付け、啜り泣く加奈子の言葉に、亜里沙の瞳が小さくなり、唇が顫動する。掲げた両手からマイナスドライバーが滑り落ちると、大の字で横たわる達也の左手にマイナスドライバーの柄が当たり音をたて、薄く開いた亜里沙の口から漏れだしたのは嗚咽だった。

 

「分かってるよ……加奈子ちゃん、そんなことは分かってる……けどね?もう、お姉ちゃんはどうしたら良いかが分からないの」

 

亜里沙の背中から加奈子の温もりが離れる。お腹に回された腕は残っているので、単純に加奈子は疑問が沸き上がり、頭を離したのだろう。

小首を傾げるような、無垢な口調で加奈子が言った。

 

「お姉ちゃんは生きたくないの?甘いものをいっぱい、たべたくないの?」

 

加奈子の一言に、亜里沙は息を詰まらせ目を剥いた。

八幡西警察署で、生き残った裕介、彰一、加奈子、そして亜里沙は、九州地方を脱出したときにやりたいことを決めた。甘いものを一杯食べる、それが亜里沙の目標だった。彰一の目標は、自分を犠牲にしてでも誰かを助ける人間になりたいだ。中間のショッパーズモールで、彰一は自身を盾にして三人を逃がす為、安倍という男を命を掛けて足止めしてくれた。そのお陰で亜里沙は今も生きている。

 

「加奈子はね……生きたいよ。生きて、彰一お兄ちゃんが悔しがるくらいな女の子になりたい……彰一お兄ちゃん言ってたよ、お姉ちゃんを見本にしろって……だから……」

 

加奈子は、再び、亜里沙の背中に頭を乗せてる。

 

「お姉ちゃん……こんなところで居なくならないで……」



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第9話

亜里沙の背中に、じわりと広がってく涙が皮膚や背骨を通って心臓に届き、身体の奥から噴き出した真っ黒な塊を溶かしながら浸透していく。

亜里沙は、彰一のように何かを成し遂げたか。違う、何もしていない。じゃあ、なぜ死ぬなんて言葉を口にしてしまったのだろう。決まっている。亜里沙は、結局、人に甘えているだけだった。そして今、生きることにすら甘えている。自分が生きていく理由を人に預け、他人の命を奪って死のうとしていた。命を繋ぐことに、自身の全てを使った彰一への明らかな侮辱に他ならない。

亜里沙は、加奈子へ首だけで振り返り、腹部に回された小さな手を握る。

 

「ごめんね……加奈子ちゃん……」

 

達也の苦しそうな声がする。

 

「亜……里沙ちゃん……俺は、取り返しのつかないことをしちまった……俺はいつだって命を掛けれらる……けど、ごめん、それは今じゃねえんだ」

 

「達也さん……アタシ……なんてこと……」

 

「俺はこうなっちまって当然だ……」

 

生きたい、いや、生きていかなければならない。

亜里沙に産まれたそんな気持ちの萌芽、それを改めて抱くには、少し遅すぎた。

東という獲物を捕らえて離さず、貪り続けていた熊の荒々しい咆哮が響く。

三人は揃って身体をすくませた。立ち上がった巨体には、びっしりと血が付着しており、東の体は陰惨を極める状態になっている。

しかし、一点だけ腑に落ちない。達也が亜里沙に組伏せられていた時間、なぜ、熊はこちらに意識を向けても襲ってこなかったのだろうか。達也の疑問など、気にもせず、熊は四つ足になり、新たな獲物を見定める。この状況でもっとも弱っているであろう人間は達也だ。

苦痛に歪んだ声音で達也が言った。

 

「二人とも逃げ……ろ……」

 

再度、熊の咆哮が轟いだ、そのときだった。

熊の背後で影が揺らめいた。三人が余りにも現実離れした光景に目を丸くする中、影から伸びた右手が熊の頭を掴んだ。

 

「よお……この糞獣……人の身体を、散々、好き勝手食い散らかした上にシカトしてんじゃねえぞ?」

※※※ ※※※

 

あるあるシティの五階まで響いた獣声に三人は足を止めた。途方もない不安を煽る雄叫びに、裕介は手にした銃のトリガーに指を掛けて振り返る。

 

「……やっぱり、三人とも遅くないですか?」

 

「ああ、確かにな」

 

浩太の淡々とした返事に、裕介は噛みつくように浩太の背中に言う。

 

「確かになって……浩太さん、今の聞いてましたよね?心配じゃないんですか?」

 

浩太がちらりと横目でみた真一は、荒い呼吸を繰り返している。

 

「……心配に決まってんだろ。けどな、俺たちはアイツらの為にも先に進まなきゃ駄目なんだ」




あーー、駄目だ
ショックが大きすぎる……


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第10話

「けど……」

 

「裕介の憂慮はよく分かる。だが、この状態の真一を連れて戻れば、逆に足を引っ張ることになるのも事実だ。悔しいが、今やるべきは真一を安全なとこにやることだ」

 

自分で口にしておきながら、浩太は自嘲してしまう。安全なところなど、この九州地方のどこにあるというのだろうか。裕介は得心のいかない様子だが、ここで口論を繰り広げても意味がないとばかりに、エスカレーターのステップを踏んだ。

 

「分かりました、それなら急ぎましょう。下手をすれば間に合わなくなるかもしれないし」

 

「ああ、そうだな」

 

真一を担ぎ直し、三人は六階へ到着する。相変わらずの円形ホールが続いていた建物内だが、この階から隣接する立体駐車場への連絡通路が現れる。ここで籠城していた生存者、もしくは、東が用意したのかは定かではないが、立体駐車場を繋ぐ連絡通路側奥と、あるあるシティの側の扉には大きな板が打ち付けられていた。上階に死者がいなかった理由はこれだったのかと納得した浩太が真一に声を掛けた。

 

「真一、少しここで待っててくれるか?」

 

その問い掛けに対して、真一は悄然とした様子で首を振る。

裕介にとっても意外な反応だった。これほど弱気な真一など想像もしたことがない。狼狽する裕介をよそに、浩太は真一を落ち着かせる為に手を握った。

 

「大丈夫だ。絶対戻ってくる」

 

だが、真一は浩太を睨んだ。

怪訝に眉を寄せた浩太は、一瞬、裕介へ顔を向けたが首を傾げられた。訳も分からず、互いが口籠っていると、真一が重い唇を開いた。

 

「聞こえて……ないのか?なるほどな……俺は死ぬことが確定したからビビッちまってるみたいだぜ……」

 

白金のような顔で言った真一は、壁に背中を預けて立ち上がろうとするが、死者に噛まれた箇所に力が入らずよろめいた。倒れる寸前、咄嗟に浩太が真一を抱えようとするも、右手を突き出し浩太の動きを止め、乱れた呼吸を整えるように一息つき天井を扇ぐ。

 

「うっすらとだが……聞こえてくるぜ……もうすぐだ……」

 

「真一……?」

 

呼び声に真一は無反応だった。もしかしたら、もう限界なのかもしれない、そう浩太が考え始めた時、背後にいた裕介が声をあげた。

 

「これ……浩太さん!この音!」

 

「音……?」

 

「耳を澄ませてみて下さい!」

 

言われるがまま、耳に手を当てた途端、確かに音が聞こえてくる。バリバリと唸る回転音、そして、僅かに流れてくる風切り音だ。これは一体、なんの音だろう。いや、こんな音をたてながら上空を飛行するものなど一つしかない。

 

「まさか……田辺さんが到着したのか?」

 

浩太の呟きとともに、裕介が身を翻して窓際へと走り、覗き込むように空を見上げた。それから数秒後の午前十一時四十分に、歓喜に満ちた笑い声を出した。



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第11話

※※※ ※※※

 

田辺は、腕時計を一瞥した。

現在十一時二十二分、岡島浩太との約束の時間が迫る中、操縦士の男が声を張った。

 

「見えてきたぞ!関門橋だ!」

 

田辺が操縦席に目を向けると、本州へと続く関門橋の中央付近は、大きく崩れており、すっぱりと大きく裂けた口を広げているようにすら映り、その光景に絶句する。さながら、希望の梯段を壊されたヤコブのような気分で喉を鳴らし、田辺は視線を真っ直ぐに戻した。九州にくるのはこれで数回目だが、ハッキリとした地理を覚えていない。待ち合わせ場所になっている小倉のあるあるシティを探す為、田辺は両目を皿にして見回している。そんなとき、ふと、平山が言った。

 

「そういえば……田辺さん、そのあるあるシティってとこの場所、知ってるんですか?」

 

田辺は振り返らずに首を振った。

 

「いいえ、けれど、地図で確認はしています。位置としては小倉駅の裏にあたるようです」

 

門司港レトロを眼下に捉えて首を横に向ければ新幹線の路線が確認できる。博多から続く路線には、小倉駅が含まれているので、目印としては充分だろう。あとは、建物の看板等を早急に探しだせば良い。

残る問題は、着陸場所の確保だ。それは岡島浩太も気にしていたことだが、屋上に消化機材などがあった場合、着陸が難しくなる。電話での会話で理路整然と話していたからこそ、着陸に関することは慎重にならなけらばいけない重要事項だ。

忙しなく腕時計へ目を移しながら、パイロットと共に下関の街並みを俯瞰していると、やがて、長い直線道が見えてくる。目的地の小倉まであと少しといったとこで松谷の屈託そうな溜息が聞こえた。

 

「さっさと、こんなシケた場所からオサラバしたいもんだ。なあ、野田さん?」

 

嫌味な言いぐさに、平山が弾倉のチェックを行いつつ微笑する。

 

「まーーだ、ビビッてるんすか先輩?あんまりそんなこと言ってると、映画の脇役みたいに真っ先に死んじまいますよ?」

 

「んだと?コラ、平山もういっぺん言ってみろよ」

 

「何度も言わなければ分からないようなことじゃないでしょ?それでも分からないってなら、もう一度だけ言いましょうか?」

 

「平山よぉ……良い度胸してんな。どうせ、これから一暴れするんだ、お前で肩慣らしでもしてやろうか?」

 

「遠慮しときますよ。体力は無駄にしたくないですし」

 

「なんだ?ビビッちまったのか?」

 

意趣返しのような言葉に、平山のこめかみが僅かに動き、大袈裟に溜息を吐き出すと素早く銃を松谷へ向けた。深く暗い穴が松谷の目に止まる。

 

「いい加減うるせえってんだよ。腰が引けてんなら、足手まといになるし、ここでリタイアしとくか?先輩」




報告ありがとうございました
マウス買いなおそうかな……多分、マウスのせいです.....多分……


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第12話

機内に流れ始めた不穏な空気に、野田は伏していた気持ちを晴らすような真似をせず、黙って成行を見守っていた。いや、そうではなく、口を挟む資格がないと思い込んでいるのだろう。ギロリ、と双眸を銃口に預けた松谷は、肩をすくねて荒くなった鼻息を静めていく。君子は和して同せず、小人は同じて和せず、とは孔子の有名な言葉だが、まさにその通りだと、田辺は感じた。隊長と呼ばれていた男が、何故、この松谷を送ったのかよく分かる。

田辺が呆れ気味に吐息をつくと、操縦士の男が突然叫んだ。

 

「なんだありゃあ!?」

 

田辺は鋭く男の目線を追い、その先を、注視する。

あれはなんだろうか、大小様々な黒い影が、凄まじい人数を伴い、ゆらゆらとした足取りで、とある建物へと向かっている。その周辺もバケツをひっくり返したような鮮やかな朱色で彩られており、上空にいる五人にまで鉄錆びのような臭気が漂ってきている。目を疑う光景に一同は声も出せずに剥いた瞼を閉じない。

これこそ、まさに、世界の地獄であり、終末の景色というものはこういうものなのだろうか。操縦士の喫驚に機内の三人も操縦席に集まり、やはり、瞠目した。東京で見た新崎優奈という少女が戸部総理を貪り食べる凄惨な姿と重なったのか、松谷と平山は生唾を飲み込む。これから先、自分も戸部のような末路を迎えるかもしれない、そんな恐怖心を振り払う為に、平山は田辺へ訊ねた。

 

「……正直、予想はしてましたけど、これほどとはね。田辺さんはどうです?揺らいじゃってませんか?」

 

問われた田辺は俯いた。

五人が搭乗したヘリコプターに気付いた集団の一人が、いつまでも止まらない痛苦に耐えるような雄叫びを出し、それに反応する形で黒い影が大きく震え始め、やがて数多の伸吟が重なりあい、一つの合唱のように響き始める。強引に開かれた声紋から漏れだすのは声ではなく呻き、それはまるで、救われない新たな生を受けた自身への鎮魂歌のようだった。悲壮的な現実から、逃げ出したくなったのではないか、そんな意味が込められた平山の質問に田辺が返す。

 

「揺らぐ、そんなことはありませんよ。僕は全てを受け入れます」

 

言いながら、田辺はカメラを取り出すとシャッターを切った。焚かれたフラッシュに渋面しつつ、野田は目頭を押さえる。それがこんな現状を産み出した自分への後悔なのか、それとも揺らぐ意識から行われた動きなのか、それを知るよしもないが、太陽が真上にくるまで、残された時間は少ない。

 

「昔みた映画思い出すな……地獄が定員オーバーになって釜を閉じられなくなり、そこから溢れた死者が現世を歩きだすってよ……まあ、実際はそんな生温いもんじゃないけどな……」

 

松谷の呟きに返事はないが、全員の脳裏に同じことが過る。しかし、走行中に外れたブレーキをなおす手段はない。五人を乗せたヘリコプターは着実に小倉駅へと進み続けた。




次回より第31部「英雄」に入ります。
UA数65000突破ありがとうございます!


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第31部 英雄

肉体を開かれ、顔を突きいれられ、あらゆる臓器を噛み千切られる感覚は東としても不快だった。自身の自由を奪われること、それは直接的な殺人と同じだ。そして、なにより、この身体は東でもあり、安部でもある。

神の恩恵を受けていなければ、熊の一撃により事切れていただろう。いや、よしんば耐えきれたとしても肉体を貪られる最中に間違いなく死んでいた。

しかし、結果はどうだ。人間には引けない弦が張られた強弓で放たれた矢のような熊の剛腕を受けた右腕は元に戻り、開かれた腹部も、そこから垂れた臓器も、徐々にではあるが回復しつつある。

死ぬべき所で生き延びる。死ななければいけない事態に直面したとしても生き残る。それは何故か。答えは決まっている。世界が、天が、時代が、時間が、世界の救世主として東と安部を選んだという証左、それこそが答えだ。それこそが本物の英雄であり救世主だ。悦に入った様子の東とは対照的に達也達の表情は凍り付いていた。腹部から臓器は垂れ、顔面の皮が半分剥がされ生々しい赤色が覆っていながら、それでも、尚、生きている。

そんな固まった時間を動かしたのは、熊の雄叫びだった。勢いよく立ちあがり、標的を再び東に定めたようだ。しかし、大口を開けた熊が振り向くと同時に、東が左拳を口内を打ち込んだ。肘まで沈んでいっているところを見ると、恐らくは喉から食道にまで達しているだろう。間を置かず、左足を熊の前足に絡め、埋め込んだ左拳を起点に押し倒す。巨体が崩れるも、左拳は抜かずに右拳を掲げ、容赦なく振り下ろす。ガチャッ、と堅く脳を守る骨を砕く厭わしい音が響き加奈子が短い悲鳴を出すが、四肢をばたつかせ、必死の抵抗を続ける熊の獣声にかきけされた。

熊の抗戦は、胸や露出した臓器などに当たってはいるものの、東は何事も起きていないような気楽さで、再度、右拳を振り上げ、硬めて落とす。

その最中、亜里沙は気付く。筋肉が剥き出しになった横顔の口角が上がっていた。浩太が言っていた怪人が怪物になった、との一言は、本当だったのかもしれない。亜里沙の意識は、東への恐怖で塗り潰されていく。

 

「ば……化け……物」

 

「獣風情が誰を貪ってやがったのか分かってんのかよ!テメエにゃあ、この身体は勿体ねえんだよ!死ねや糞獸がぁ!ひゃーーははははははは!」

 

震える歯列の隙間から、ようやく絞り出した声に応えるように、東の高笑いが木霊した直後、変形した熊の頭部への一撃により、熟れすぎた果実を地面へ叩きつけたかの如く破裂した。



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第2話

「ひ……東、お前……」

 

 達也の掠れ声を無視した東は、右手に付着した肉片を蛇のような長い舌で舐めとると、左の肩口からズタズタに引き裂かれたスーダンを破り棄てる。露になった全身に、亜里沙は息を呑み口を両手で覆った。

 腹部だけでなく、胸部にも臓器が窺えるほどの深い傷がある。収縮と膨張を短い間隔で繰り返しているのが心臓だろう。垂れた内蔵を掬って体内へ押し込んだ東が、ニヤリ、と笑みを作る。これまで、異様な光景など幾度も目にしてきたが、この東という男だけは、もはや人間の範疇では語れない。亜里沙が加奈子を抱き寄せる中、達也は東にとある変化が起きているのだと悟った。理由としては只一つ、熊に引き剥がされたであろう顔面の皮膚だ。

 熊との格闘中、東の顔面は、左耳の付け根まで朱色になっており、首から上は、さながら人体模型のような様相を呈していた。だが、今となっては頬の半分まで皮膚が延びてきている。そんなことがありえるのか、と達也は尚も注視して、二の句が継げなくなった。皮膚の先端が、まるで化膿した傷口に密集した蛆虫の大軍が身を捩って這うように、グチュグチュと鼻へ進んでいっている。これが熊が東から離れなかった原因なのだろう。食って、喰って、貪ろうとも戻り続ける肉体など二つと存在しない。

 酸いた臭いが胃から喉に登ってくるのが分かり、達也は唾を呑んだ。何があったのかは知らないが、東の身体は驚異的な速度でどんな傷でも塞げるのだろう。さきほど、亜里沙が呟いた化け物がまさにびたりと当てはまる。

 

「よぉぉ……自衛官……なあに呆然としてやがんだぁ?現実を受け入れねえと、神様から見放されちまうぞぉ」

 

「はっ……人間やめて化け物になっちまった奴に言われても……説得力ねえよ」

 

 愁眉を帯びた達也の目付きに、東は肩を揺らす。

 

「随分と強がってんじゃねえか。分かってんだよ、そこの女に刺された傷が傷むんだろうが」

 

 達也は瞠目する。あのときは、まだ東が熊に喰われている最中だったはずだ。つまり、東は達也から一寸たりとも双眸を外していなかったということになる。その事実によるものか、はたまた痛みのせいか、それとも畏怖の念か、自身の背中で、ひどく冷たい汗が吹き出るのを感じた。不意に沸き上がった達也の怯懦に構わず、東が続ける。

 

「女ァ、蝿みてえに鬱陶しい自衛官を刺すなんざ、良い仕事してくれんじゃねえかよ。お陰で殺りやすくなったぜぇ……ひゃーーははははははは!」

 

 嬉々とした笑い声は、三人の意識を丸々と呑みこんだ。



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第3話

「裕介、真一を頼む」

 

踵を返した浩太の背を真一は虚ろな瞳で上階に登るエスカレーターで見えなくなるまで眺めていた。遠ざかる足音が聞こえなくなり、懐にいれていた手榴弾の存在を確かめようとしたが、どうにも見つけられない。実のところ、死者に噛まれた数分後から、眼界に小さな黒点が現れ始め、ゆっくりと、しかし、大きくはっきりと形を成そうとしていた。だが、それがなにかは分からず、濃霧の中にいるような視界に対して、真一は自嘲気味に薄く笑んだ。黒点の広がりと比例して感覚が失われていっているのだろう。

次第に、次は何を奪われるから、いつまで生きていられるのか、に思考が切り替わっていく。

 

「はは……この後に及んで、生きていられるか、なんて考えちまうなんて……浩太と新崎の言う通り、気楽な奴だぜ……俺はよ」

 

尻餅をついて壁に凭れていた真一が立ち上がろうとした所で、裕介が肩に手を置いた。

 

「真一さん座ってて下さい。すぐに浩太さんが戻ってきますから」

 

「ああ、そうだな……浩太ならすぐに戻ってくるぜ……あいつは、そういう奴だ……だからこそ、裕介、お前に言っておきたいことが……」

 

そこで真一は激しく吐血した。迷彩柄のズボンで目立ちにくいものの、普通の血にしては少し黒ずんでおり、はっ、とした裕介が叫んで膝を折ると項垂れた真一に声を掛ける。

 

「真一さん!」

 

血の色で分かったのは、真一の体内で起きている異状が一つではないことだ。

死者に噛まれた右足は、紫に腫くれ上がり膿も流れ出している。そして、もう一つは、内蔵の損傷だった。あるあるシティで、突如、姿を見せた東に翻弄されていた浩太を助ける為、殴りかかった真一は東の膝を腹部に受けている。

裕介は、中間のショッパーズモールで戦車に閉じ込められた時のことを思い出していた。常軌を逸した耐久力と、膨れ上がった筋肉、更には、あるあるシティの壁を拳で貫くような破壊力をもつ男の攻撃を食らって無事でいられる訳がない。恐らくは、臓器の一部が潰れてしまっているのだろう。それをここまで隠しておけたのは、真一の凄まじい精神力に他ならない。

 

「真一さん!真一さん!」

 

呼吸も浅くなりつつある。素人目からしても非常に危険な状態だ。

それでも、真一は息も絶え絶えに続ける。

 

「裕介……頼む、浩太には……こんな俺を見せたくない……」

 

「しん……いち……さん?」

 

裕介の瞳が揺れ、真一に父親の姿が重なり、過った映像は八幡西警察署でM360を渡す父親の顔だった。裕介はブンブンと首を横に振る。



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第4話

「駄目だ……真一さん……そんなこと考えちゃ駄目だ……」

 

自然と溢れだした涙を拭わずに、裕介は嗚咽を交えながら続けた。

 

「死ぬことなんてないよ……きっと、なにか方法が……」

 

「裕介……なんか……勘違いしてるぜ?」

 

えっ、と目を丸くした裕介が顔をあげれば、青白い血色とは不釣り合いな笑顔を浮かべた真一がいた。ぽんっ、と軽い調子で裕介の頭に右手を乗せる。

 

「俺はさ……九州がこうなる前に……浩太と新崎から言われてんだぜ……?その気楽さが羨ましいってさ……そんな奴がお前に殺してくれなんざ、頼むと思うか?」

 

微塵の不安もなさそうな真一の微笑みに嘘はない。けれど、裕介は首を縦には振れなかった。母親に父親、彰一、これ以上、大切な人を失うことが恐ろしくもあり、真一に対して何も出来ない自分が情けなくもあったからこそ、裕介は俯いて唇を噛んだ。歯列から洩れるような細い声を出す。

 

「真一さん……俺、何も出来ないんだ……真一さんの頼みだって……果たせる自信が萎んでしまってる……情けない、情けないよ俺」

 

佐伯真一の強さを目の当たりにし、坂本彰一の強さを見届けた裕介にとって、辛い一言だった。だが、心の奥に閉じ込めていた本心からきた一言だ。九州地方から生き延びる為に、大切な人を守る為に身につけた装いは、怜悧な自分を演じること。新崎への詰問も裕介にとって処世術の一つだったのだろう。しかし、それは弱さを露悪的に晒すことが出来ないという弱点を生み出してしまっていた。それでも良い、そう言う者もいるだろう。ただし、 それは正解なのかと問われればそうではない、誰にも答えられない。

人は、生き方で変わっていく。真一の気楽さもまた、生き方であるのと同じようにだ。

 

「お前は……情けなくなんかないぜ……」

 

「けど……!」

 

「よく聞けよ?本当に……情けない奴ってのは、根子をもってねえ木みたいな奴だ……お前は、どんだけ苦しくても……人の為って本質は変えてない……どんなときも、自分より他人を心配する甘ちゃんとも見えるけどよ……普通は出来ないぜ?そんな男を情けないなんて誰にも言えない」

 

ニッ、と笑んだ真一の口角から、一筋の血が垂れている。それでも、裕介には瞼を塞ぎたくなるほどの眩しい笑顔だった。とても、死を目前にしているとは思えない。

直後、真一は噎せ始める。大量の吐血が迷彩柄のズボンに再び染み込んでいく。

 

「真一さん!」

 

身体をあげて真一の肩を掴んだ裕介は、ふと気が付いてしまった。



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第5話

右足からの流血が変色し始めている。違う、血ではなく、それは膿だった。父親の時と全く同じ症状が表れており、裕介は苦々しく唇を閉めた。

 

「エグいことになってるだろ……?」

 

しまった、と表情を固めたまま、恐る恐る裕介は顔をあげた。言い繕うように喉を鳴らす。

 

「あ、いえ……まだ大丈夫ですよ」

 

「裕介、お気本当、優しいよな……気をを使う必要ないぜ……もう分かってるからよ……」

 

嘆息をつきつつ、真一は裕介の手を肩から外す。

 

「だから、浩太と達也には傷の悪化を黙っててくれ……達也は感情で先走っちまうことがあるし……浩太は浩太で冷静を保とうとして、ポカをやらかす時があるしな……俺の頼みなんてのは、ただそれだけだぜ……裕介、最後の頼み……訊いてくれるか?」

 

含まれた意味を汲み取り、裕介は首を縦に動かした。

真一は、最後の最後まで、人として生きようとしている。どれだけの覚悟を注いだのか、裕介には計り知れないところで真一は腹を決めている。

 

「分かりました、約束は守ります。けどね、真一さん……ひとつ言わせて下さい」

 

怪訝に振り返った真一の顔を見て、裕介は右袖で溢れだした涙を拭って言った。

 

「真一さんは、お気楽な奴なんかじゃないですよ」

 

「そんなことないぜ?俺は……」

 

「どんなときも、自分より他人を心配する甘ちゃんとも見えるけどよ……普通は出来ないぜ?そんな男をお気楽野郎なんて誰にも言えない。いや、俺が言わせない」

 

疑問を遮る形で続けられた裕介の言葉に、真一は恥ずかしそうに鼻を掻いた。そして、同時に響いていたプロペラのモーター音が止まった。

 

※※※ ※※※

 

「やめて!もう、やめてよ!」

 

頭を抱えた亜里沙の悲痛な声に、甲高い笑い声が被る。

ぐったりとした達也の胸倉を引き寄せ、膝をついた状態で強引に立たせた東は、軽く達也の頬を叩き、小さな呻き声を出させ耳元で言う。

 

「おい、まだ逝っちまうなよ?テメエだけは、なるだけ苦しませてえからよお」

 

続け様、東は項垂れる達也の髪を左手で引きあげ目尻を落とす。狂気を孕んだ歪な笑顔だ。そのまま振り向けば、亜里沙 が短い悲鳴をあげた。

 

「なーーにを怖がってんだ?もっと楽しめよ!テメエは、こいつを殺してぇんだろうが!楽しまなきゃ損しちまうぞ?ひゃはははは!」

 

奥歯が亜里沙の意識とは関係なく音をたてる。 力なく垂れた達也の両腕を見て、もしも、自分が達也を刺していなければ、こんなことにはならなかったのだろうかなど、泉のように涌き出てくる無駄な疑問が亜里沙から判断力を奪っていく。ただ、一つだけ分かることは、達也の死期が近付いてきている、そんな一点だけだ。



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第6話

まるで、子供が昆虫を生かさず殺さずの塩梅をつけるように、東は達也の肉体を追い詰めていく。それでも、達也は気を失わず、毅然と東を見据えており、顔を戻した東はその眼光に対して首を傾ける。

 

「自衛官よぉ?お前、現状を理解してんのか?随分、楽しそうじゃねえか」

 

髪から胸倉へ掴みなおし、問い掛けた東への返答は唇から飛び出した唾液だった。頬に当たり、忌まわしげに達也を睨目付ければ、満足そうな笑みが溢れていた。

攣縮する頬を右手で拭った東が口を開く。

 

「前にもこんなことがあったよなぁ?なんのつもりか知らねえが、これ以上、俺を挑発すんな。俺は、テメエみてえな奴が嫌いだってよ……」

 

鼻を鳴らした達也が返す。

 

「言ったよな……俺もお前が嫌いだってよ……」

 

肺に溜めていた空気を抜くように言った達也に、東はあのときと同じ言葉を繰り返した。

 

「……良い度胸じゃねえか」

 

虚ろな視線を送る達也の顔面へ振り下ろす為、東は右拳を掲げる。

達也を苦しめるのは、やめだ。そもそも、分かっていたことではないか。この男は例え、全ての歯を折られようと心までは砕けない。ならば、あの糞ガキへ標的を変えれば良いだけだ。

 

「じゃあな、自衛官」

 

更に拳を固めた瞬間、東はこの状況にそぐわない違和感を覚え眉をひそめた。それは、ごく僅かな変化だ。達也の頬に、潰れたニキビから滲みでた血が作った水泡がある。

達也は痘痕面などではない。ニキビなども確認できなかった。だとすれば、これは一体なんだ。また不思議なことに、その水泡は細かく揺れている。

 

「久しぶりだな、東」

 

鼻につく声が背中を叩き、ピクリ、とうなじがざわつく。懐かしい声音だった。

達也の頬にあった水泡は、今、東の後頭部に当てられているのだろう。思わず、笑いが込み上げてくる。

 

「久しぶりだぁ?なんだよ、そんな言葉を交わす仲だと思われてたのかよぉ……嬉しいもんだなぁ、ええ、おい」

 

達也を開放した東は、両手を頭よりも高く挙げ、続けて言う。

 

「お前には、また会いてえと考えてたけどよ、それがまさか、ここまで来てくれるとはな。お前には感謝してんだ」

 

少しの沈黙の後、再び落ち着いた声がする。

 

「感謝?お前が僕に?随分、人間らしくなったな」

 

亜里沙が達也へ駆け寄る際も、東は目もくれずに男との会話を続行した。動けなかっただけなのかもしれないが、東の表情を一瞥した亜里沙は、そうではないと確信をもって口にできる。

この男は、畏怖や恐怖とは無縁なのだろう。もしも、この男が恐れることがあるのなら、それは死に直面したときだけだ。

 

「ああ、感謝だよ。俺は、ここにきてようやく色を手に入れた。大切な人間を作り、失って変われたんだ、やっと俺は自分を誇れるようになれたんだ。天よ、母よ、この世に産み落としてくれて、海より深く感謝しますってなあ」

 

「お前が命を語るなんてな……皮肉のつもりか?」



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第7話

途端、東は破顔して振り向く。

 

「皮肉だと?ひゃはははははは!ちげえよ!俺は人間がなんたるものかってのを学んだんだ!人間とは、叡智と暴力を履き違えた存在だってなぁ!深い叡智に伴い、暴力が生まれたんじゃねえ!暴力の果てに叡智が生まれたんだよ!これこそが人間の変異性ってやつだ!なあ!そうは思わねえか偽善者ァ!」

 

視線の先には、首からカメラを提げた壮年の男がいた。

その周囲には六人の男がいる。見覚えがあるのは四人、自衛官に学生、そして、かつて自身が殺害した女性の夫だ。鋭い目付きからは、例えきれない憤怒が読み取れる。カメラの男が首を振った。

 

「偽善者、そう呼ばれるのも久しぶりだな。だけど、僕にはれっきとした名前がある。覚えていないか?」

 

「名前だぁ?折角、再会できたんだ。んなもんどうでも良いだろうが!」

 

「よくはない。名前とは、自分を示す大切なものだ。そして、僕は偽善者じゃないよ」

 

東は小首を傾げ、頓狂な声を出した。丸くした目をそのままに、一歩を踏み出す。

 

「身勝手な正義を振りかざして、無関係な人間を巻き込んだお前がか?おいおい、随分と傲慢な口振りじゃねえか」

 

「そうだ。けれど、正義に振り回されていた、あの頃の僕はもういない。東、お前の言うように人は変わるものなんだよ」

 

語りからの不意打ちを目論んでいた東は、あと三歩の間合いにまできて、そこで歩みを止めてしまう。以前とは、何かが違う。あの青臭かった男からは想像も出来ない眼光が東を見据えていた。イメージがあまりにも不釣り合いだ。

銃を向けている一人が、照準器の点を眉間に当てるのを見て、東は唾を吐き捨てた。

 

「人は変わるだぁ?偽善者ごときが……テメエがそれを語る資格があんのかよ?」

 

男は毅然とした態度を崩さずに答える。

 

「あるさ、それを証明する為に僕はここにいる。東、僕がお前を止めてやる。僕がお前を救ってやる」

 

東のこめかみが小刻みに震えた。口の端をひきつらせながら声を沈ませる。

 

「偽善者……しばらく見ない間に、冗談が上手くなったなぁ……?」

 

「何度も言わせるなよ。偽善者なんて名前ではない……僕は田辺、田辺将太だ。それに、お前も知ってるだろ?僕は記者だ、冗談なんか言わない。もう一度だけ言うよ、僕がお前を止めてやる、そして救ってやる」

 

場の緊張が高まっていくのを肌で感じた浩太は、亜里沙に肩を借りて歩く達也へ叫ぶと、同時に東の怒声が重なった。

 

「二人とも!はやく!」

 

「誰に物言ってんだ!ああ!?偽善者風情がぁ!」



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第8話

東が怒号と共に駆け出すも、成行きを見守るように田辺は一歩も動かない。それが、東の忿懣に拍車をかけ、歯を食い縛った瞬間、腹部に鈍痛を感じた。横隔膜が狭まった感覚により、意思とは無関係に勢いが弱まると、間髪いれず足を払われ、尻餅をついた直後、視界に広がったのは鼻頭に迫る銃底だった。鼻の芯が真っ二つに割られ後頭部から床へ倒れ込んだ東は、パチパチと瞬きを繰り返す。何をされたのか理解が及ばないほど、スムーズで、なおかつ、正確な攻撃だった。痺れた鼻を触り、走った電気に片目を閉めて、ようやく顔をあげることができた。

レーザーサイトで東に照準を合わせていた二人の男が、倒れた東を見下ろしつつ、銃口をピタリと定めた。その顔付きは躊躇いなど微塵も含んではいない。

 

「田辺さん、コイツ……どうします?」

 

若干、若い男の問いに田辺は首を振った。

 

「平山さん、僕は彼も助けるべきだと考えてはいます。松谷さん、お願いできますか?」

 

男が鼻を鳴らす。

 

「はっ!こんな奴を助けるだ?さっきのやりとりでも思ったけどよ、コイツ、心底、真性だろうが!助ける必要なんざあるのかよ?」

 

平山と呼ばれた男とは対照的に、松谷という男は、感情的に唾を飛ばした。今にも引き金を絞ってしまいそうだ。銃口を外さずに小さく続ける。

 

「俺なら、この場で撃ち殺す。俺ならな……」

 

松谷の腕の筋肉が準備は出来ているとばかりに僅かに膨らんだ。

睨み合う二人の傍らを亜里沙達が抜け、浩太達と合流すると、田辺が浩太に言った。

 

「岡島さん、先にヘリに向かって下さい。女性が乗っていますが、噛まれてはいないようなので、心配はありません」

 

「……アンタはどうすんだ?分かってるとは思うけど、死者の大群が向かってんだろ」

 

一息置いて、田辺が返す。

 

「僕らは、東との因縁にケリをつけなければならない。大丈夫、すぐに追い付きますよ」

 

田辺が、ちらりと野田を見れば返事はなくとも深く頷いた。

この両者には、東と深い関わりがあるようだ。浩太は、それを聞くのは野暮だろうと踵を返す。

 

「分かった。すぐに来いよ」

 

「ええ、必ず」

 

達也の肩を抱え、走り去る浩太達の足音が上階へ吸い込まれるように消えていく。仰いだ天井から田辺は顔を落とし、改めて東と向かい合う。

 

「偽善者ァ、こいつらはテメエの仲間か?」

 

こいつら、と指された二人組みは、決して東を捉えた銃口をぶれさせない。正体についてはある程度の察しはついているのだが、確実なものとする為の質問だろう。だが、田辺は答えを返さなかった。

 

「東、人の強さってなんだろうな」



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第9話

頓狂な質問に対し、間の抜けた声を出すも、分が悪い現状に舌打ちする。

 

「強さだぁ?そんなもん、時代によって変わるもんだろうがよ。金の使い方を決めれる奴、自分の身を守れる奴ってよ」

 

「そうか。確かにな。けど、それだけじゃないんだ」

 

「あ?なにが言いてえ?」

 

「お前は、理想主義だって笑うかもしれないが、強さの根底は昔から変わっていない。強さというのは、人を許すことが出きるってことだ」

 

「……だからなんだってんだよ、どうも要領を得ねえなぁ」

 

先を促しつつ銃口を一瞥した東は、ようやく田辺の隣に立つ男の存在を認識した。怒りの余り、また視野を狭めてしまっている。どこかで見たことがある筈だが、と記憶を巡らせながらの会話は若干の遅れが生じていた。この不利を切り返すには、田辺を利用してはいけない。二人組のうち、気性の荒い男か、それとも見覚えがある男か、それを見極めるには時間が必要だ。胸の霞を体内に霧散させ、冷静に視界を広げる。

 

「東、僕はお前を許す。だから、自らの罪と罰を受け入れてはくれないか?」

 

「罪と罰を受け入れる……ねぇ……ラスコーリニコフみてえに罪悪感に苛まれている奴なら泣いて喜ぶだろうけどなぁ……善意と悪意は比例しねえってこと理解してんのか?」

 

「そうかもな。けど、それは人としての言葉だ。これまでのお前を振り返れば獣同然、僕はお前を人にしてやりたい。だから……」

 

「だから?やってきたことに対する対価を罰として受けろってか?おいおい、ガッカリさせんなよ偽善者よぉ……」

 

田辺にしてみれば、この返答は当たり前のことだった。

こんな逸話がある。人々が姦淫の罪を犯したひとりの女を捕らえ、律法に定められているとおり石で打ち殺すべきかと問いかけたとき、キリストは、あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げてみろ。結果はあきらかだった。キリストと女、二人を残し、全ての者が立ち去っていった。罪の受けいれと、心に罪があるかどうか、それはまったく違うものだ。それは、東が対価と口にしたことからも窺える。

人間性の欠落、そんな問題に直面した程度では、この稀代の殺人鬼とは話すらできない。

 

「罪と罰に形をつける。そいつは、人類史においての最大の難問だ。偽善者ごときが語って良い問題じゃねえんだよ!偽善者は偽善者らしく、マスでもかいて悦に入ってろや!」

 

田辺は、苦い顔をすると同時に、しかし、これはどういうことだろうかとも疑問視していた。もともと思想に偏りがあった男だが、更に拍車がかかっている。この九州地方感染事件が、東という狂人じみた男を変えたとでも言うのだろうか。口の汚さは改善されていないが、言葉の端々にどこか人間らしさがある。やはり、人は変われるのだ。



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第10話

「東、罪は変わらないが罰は変えられるんだ」

 

唾を吐き捨てた東が返す。

 

「テメエは典型的な日本人だなぁ?世界に対して視野が狭すぎだ。歴史を鑑みてみやがれ……同じことが言えんのかよ、ああ!?」

 

語尾を荒げた瞬間、東に向けられている銃口が近付くが、眉根を寄せるも口を閉ざさない。

 

「この世界は、虐殺と強奪で発達してきてんだよ!農耕民族だった時代、他はそうやって発達してきて、その思想は現在も深く根付いてやがんだ!その為に、俺が、この俺が世界を変えてやんだよ!救ってやんだよ!罪を受け入れろだぁ!?そりゃ、テメエらみてえな糞共が吐いて良い言葉じゃねえんだよお!」

 

東の憤懣が男達の身体を叩く。銃口を突き付けている松谷は、ぐっと唇に力を込めた。

好奇心は人間を殺す場合がある。それがただの興味本意であってもだ。道を外れた思想や行動は、悪にも正義にも容易に変わる。

松谷は、無意識に頬の筋肉を弛めて銃のトリガーを僅かに引いた。生かしてはおけない、生かしておけば災いを引き起こしかねないこの狂人は、今、この機会を逃せば仕留めきれない。頭蓋を揺らす警鐘を止めたのは、これまで一言も発っすることなくいた野田の声だった。

 

「東、お前が言っているのは世界に対する復讐なのか?それは、本当にお前の言葉なのか?」

 

語りかけられた東ですらも、目を丸くしている。その様子は、野田の存在にようやく気付いたことを如実に現しているようだった。記憶を巡らしているのか、東は質問に答えずに首を捻り、数秒して短く呟いてから言った。

 

「ああ、テメエは、あの時の政治屋か。意外だな、どうして臆病者の集まり、それもそのトップの一人がこんなとこにいやがんだぁ?あ、もしかして俺に復讐でもしにきやがったのかぁ?いやぁ、悪かったなぁ、あんときゃ、そこの偽善者に嗅ぎ回られてイラついてたもんでよぉ」

 

どこまでも挑発的な態度を崩さない東とは違い、野田は冷淡ともとれそうなほどに落ち着いた口調で言った。

 

「それがお前の本心ではないのなら、自分を偽るのは、もうやめておけ……それは例えお前であろうとも辛いだけだぞ」

 

「あ?なに露骨に無視してくれちゃってんの?これから、お前の女がどんな言葉を残したのか聞かせてやろうと思ってんのによぉ」

 

「お前の口から語られる偽物の良子などに興味はない」

 

「……へえ、政治屋にしては偽物だとか本物だとか、んなもん口にするんだなぁ」

 

背が低い東は、野田を覗き込むような姿勢になってしまう。それが挑発に拍車を掛けていることに田辺は気付いていた。野田が強く握った両手には血が滲んでいる。



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第11話

海底の火山が噴き上がるような勢いを持つ感情を必死に抑え込んでいるのだろう。限界を迎える前にと、田辺が口を挟もうとした直前、東は野田との問答をバッサリと断ち切る。

 

「なあ、アンタもそう思わねえか?」

 

不意に声を掛けられた松谷は、肩を震わせた。銃口の奥にある瞼が、ピタリと東を見据える。

 

「政治屋ってのは、どいつもこいつも頭が固くていけねえよなぁ?だーーから本物と偽物の区別が出来なくなる。なあ、アンタみてえな奴なら分かんじゃねえの?そういう生業なんだろ?」

 

松谷は喉が締まっていくのを感じた。先の見えない会話は、無言を貫くほどに重圧を増していく。

それこそが東にとっての狙いだと気付けたのは、田辺だけだった。

 

「松谷さん!東の話しに耳を傾けてはいけない!平山さん!松谷さんを!」

 

田辺の指示に平山が動き出すよりも早く、連射音が建物に木霊した。聞き慣れない破裂音に強く目を閉じ、数秒の沈黙の後に聞こえたのは、重い咳と床に大量の液体が落下する独特の音だった。空気に流された硝煙の匂いが鼻腔を擽り、田辺が恐る恐る瞼を開けば、膝をついた東が前のめりに倒れる光景が映り、その眼前に立っている松谷の銃から薄い煙が登っていた。

腹部を両腕で抑えた東は、もう一度だけ大きく咳き込み、銃を提げた松谷を睨目つける。

 

「愉快なことしやがって……」

 

息も絶え絶えに何かを探るように腕を延ばした東は、松谷のズボンを握るが冷淡に掴まれた右足を引き顔面を蹴りあげ、鼻血を吹きながら大の字に仰臥した東へと銃口を定める。荒い呼吸のまま、黒々と塗り潰された暗澹とした穴を見た東は、はっ、と微笑を浮かべた。

 

「松谷さん!駄目です!」

 

駆け出した田辺の叫びは、連続する射撃音によりかきけされた。次々と鉛が埋め込まれていく度に、身体が跳ねている様は、まるで俎上の魚のようだ。飛び散る血液は、周辺を濃度の高い鉄錆びの臭気で満たしていく。

やがて、銃から戛然の音が鳴り、松谷は一気に息を吐き出し、呼吸を整えてから弾倉を落とし、新たな一本を叩き込んだ。

空になった弾倉が床に落下した音で田辺は我を取り戻す。

 

「松谷さん……何故?何故、東を……」

 

言いつつ田辺は東を一瞥し、その凄惨を極めた姿を視界に入れると口を押さえた。

激しく撃ち込まれた弾丸は東の腹部を破り、露出した臓器にすら数多の損傷を残し顎にまで及んでいる。下顎を失って、だらしなく垂れた舌は右の頬へと流れ、濁った双眸は固定でもされているように、ただ天井へと注がれていた。

あれほど、東への憎しみを募らせていた野田ですら目を背けるほどの有様を前にして、松谷が平然と言った。



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第12話

「田辺さん、コイツはアンタが思ってるような人間にはなれやしねえよ」

 

涙目になった田辺は、口元を拭ってから松谷へ言った。

 

「それは、誰にも分から……」

 

「分かるから言ってんだよ」

 

発言を強引に断ち切った松谷は、東の死体を股越して鼻を鳴らし、深い皺を刻んだ田辺へと近づいていく。

 

「こんな偏った奴ってのは、どいつもこいつも石頭ばっかりだ。そういう人間は、いずれ必ず、大きな害悪に成り果てちまう、だったら、ここで始末しておくほうが世の中の為になるってもんだ」

 

何も返さずに、田辺は近寄る松谷を待っていた。松谷もなんらかの返答があるとは思っていないのだろうか、足を止めることもなく田辺の眼前に立ち、吐き捨てるような言い放った。

 

「それが世界を保つ為のルールってやつだろ」

 

「松谷さん……」

 

田辺は、松谷の目を見て溜め息をつきたい気分になった。

松谷自身は気づいていないだろうが、彼はすでに東に取り込まれているようだ。言動が少しずつ東に似てきている。松谷が周囲の影響を受けやすいのか、東の影響力が高過ぎるのか、東が死んだ今となっては判断がつかない。

そんな事を考えつつ、田辺が見納めとばかりに殺人鬼の死体に目を向けて瞠目した。そこにあるはずの死体が、大きな血溜りを残したまま、消え去っていたのだ。

松谷の行動に意識を奪われていた二人も、田辺の頓狂な顔付きを目にして、ようやく事態に気付いたようだ。そして、数瞬の間の後に、平山が甲高い声で言った。

 

「先輩!後ろおおおお!」

 

首だけで振り向こうとした松谷は、違和感がある胸へと流れるように視線を下げる。驚愕の表情をつくる時間もなく、奇妙に隆起した胸部を見詰めた。

 

「……え?」

 

盛り上がった皮膚の奥で、胸骨や肋骨が次々と小枝が折れるような音を鳴らし始める。

ぐぐぐっ、と押し上げられていく胸部は、松谷自身が視線を上げても確認できる位置にあり、次第に限界を迎えた皮膚の頂点がゆっくりと裂けていく。何が起きているのか全く理解できていなかった松谷の顔色が急速に褪せていき、皮膚の隙間から赤い筋肉が覗き始めると、泥水を連想させる吐血をするが、それでも、隆起は止まらない。

 

「が……あ……ああああぁぁぁ……!」

 

胸部が盛り上がっていくにつれ、松谷の呻きが細くなっていく。弛緩した両腕が痙攣から上下に振られ、やがて隆起の頭頂から紅い岩のようなものが見え始める。よく目を凝らさなければ分からなかったが、それは何かを掴んだままの状態で松谷の肉体を貫いていく拳だった。



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第13話

瞠目する松谷は、改めて地面へ広がる泥濘にも似た血を吐き出す。大量の血液が胸元を染める朱色と混ざった瞬間、松谷の背中から貫通した左腕が姿を現した。掌に包まれているのは、未だに伸縮を繰り返している心臓だ。

 

「あ……れ……?俺……俺の、心……臓?」

 

肘の位置まで突き入れられた左腕が曲がり、抉り出された心臓を松谷自身の眼前へ持ち上げる。滑り落ちた銃身が鳴らす金属音とは違い、穏やかな脈動が徐々に静まっていく中、松谷の右耳が男の声を拾う。

 

「綺麗な色してんじゃねえか……なあ?そう思うだろ?」

 

顎を揺らし、生気が失われつつありながらも松谷は首だけで振り返る。眼球が映し出したのは、驚愕すべき光景だった。

半分下顎を失い、情けなくベロを垂らした顔は、見紛うことなく、さきほど自分が引き金を引いて、多量の弾丸を浴びせた男だ。

目の前で揺れていた左手が松谷の右耳へ寄せられ、熱い吐息がかかると共に、ぐちゅっぐちゅっ、という音が何度も鼓膜を叩く。明らかな咀嚼音だろう。血で塞がった口内に、ブツブツと湧いていた気泡の数が減っていき、同時に松谷の瞼は、重石でもつけられたように沈んでいった。

 

「先輩ィィィィィ!」

 

ここまで僅か数秒、それだけの時間で有り得ない出来事が幾度となく起こり、答えのない疑問を振り払うかのごとく平山は銃を持ち上げた。

引き金に指を掛け絞る直前、東は屍となった松谷を片腕で掲げ射線へ重ね、肉壁として扱う。平山は、野田にすら聞こえる勢いで歯噛した。

 

「ひゃははははは!どうしたよ!撃てや!コイツは、もう動かねえんだからよお!」

 

「こ……の!腐れ外道がぁぁぁぁぁ!」

 

「平山さん!」

 

意を決した平山がトリガーを引く寸前、田辺が鋭く声を上げそれを制するも、赫怒した鬼のような凄まじい顔付きで平山が叫んだ。

 

「止めんな!先輩の言った通りだ!奴はここで殺すべきなんだよ!」

 

「駄目です!今、目の前で起きた事を忘れている!あれだけの弾丸で撃たれながらも、東は生きているんですよ!」

 

平山は、頭を抑えて呻く。

松谷の死に興奮してしまったのは事実だが、確かに冷静さを欠いていた。下顎を砕かれ、臓器が露出するほどの銃弾を受けて尚、昂然と立っている男に銃口を向けても意味はない。東の目標が平山に定まり松谷の二の舞になるだけだ。けれど、憎まれ口を叩き合った間柄だろうと長い時間を共に過ごしてきた人間を殺されているだけに、溜飲の下げ処が見付からない平山が黙っていられるはずもない。



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第14話

 尋ねられた東は、小首を傾げて松谷の死体の脇から顔を出す。見れば、砕かれた下顎すらもほぼ元通りになっていた。

 

「あ?こいつは、俺の神様からの贈り物だよ。この九州地方で出逢った唯一の理解者が授けてくれた最高のプレゼントだ」

 

「そんなことは聞いていない。いつからだ?いつからお前はそうなった?どうやってその体質を手にした?」

 

 目尻をあげて詰問する野田に田辺が言った。

 

「野田さん、何か思い当たる節でも?」

 

 野田は頷いて答える。

 

「あれは、九重が目指した研究の最終課程だ。爆発的な細胞増殖に耐えうる肉体を獲得することさえできれば、彼女の悲願は達成できたはずだった。耐えきれない肉体を用いて、この九州地方の状態にしてしまったのは、俺だがな……」

 

 沈痛で影を落とした野田の弁に、もっとも眉を八の字にひそめたのは東だった。

 

「あ?今、九州地方をこの状態にしたって、そう言ったか?」

 

  野田は答えずに、ただ首を提げている。それだけで、東は充分だとばかりに哄笑する。

 

「なら、テメエにゃあ感謝しなくちゃなあ!俺に足りなかった理解者を与えてくれた上に、この体質を手にいれてから、眠る必要もなくなったんだからよお!で、目的はなんだったんだ?やっぱ俺への復讐かあ?ひゃははははは!」

 

 ここまで胸くそ悪い人間は初めてだと、平山が呟く。

 あるあるシティ内に、東の甲高い笑い声が木霊する中、田辺は野田にとっての最大の試練が訪れたのだと思った。

 人の強さとは、人を許すことにある。古い外皮を破り、新たな道へ踏み出せるかどうかは、今このときにかかっている。さきほどより握り続けている拳から、ポタリ、と一筋の朱色が垂れ落ちた。握り拳と握手はできないとは、有名な言葉だが、どの時代にも当てはまる格言なのだろう。

 

「この惨劇の引き金になったのは、確かにお前だ。復讐の為だというのも合っている。いや、あっていた、と言い換えたほうが良いか……」

 

「言い淀んでんじゃねえよ!俺を殺してえほど憎んだからだろうが!だから、こんな状況を作り出したんだ!こんなハッピーな世界をよぉ!」

 

 死体となった松谷の首にかじりつき、肉を犬歯で裂く。大量の出血にも関わらず、傷口から濁流のように流れ出した血に口を付けて飲み下す。

 以前と比べても常軌を逸した行いについて、田辺は強い疑問を抱く。何故だろうか、破壊された下顎の再生は終えているのだが、腹部に刻まれた銃創は痛々しい傷痕を残している。そう見ていれば、傷が瞬く間に塞がっていく。眉唾物の発想だが、田辺はある仮説を頭の中で練り上げた。



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第15話

九重の研究は、詰まるところ細胞の活性化を促すものだ。ならば、細胞を動かすに必要なこと。決まっている、適切な食事と睡眠、ただそれだけだ。爆発的に増えていく細胞を補う為に、東は適当な物を口にしている、そう考えた。それは自身の肉体を維持する行為そのものだ。ともすれば、死者にも同じことが言えるのではないだろうか。

摂食行動は視床下部を中心として、大脳皮質から脊髄までの神経ネットワークによって制御されている、九重はそう語っていた。つまり、ネットワークの繋がりが細胞の補完に応じて強くなっている分、より貪欲な食欲が顕著に現れたということだろう。その二次要素が活性化した細胞による肉体修復に結びついている。ならば、如何にして、東の肉体は細胞の活性化に耐えているのか、それはまだ思考が及ばない。

けれど、東にその自覚がないことは、睡眠の必要がないとの発言から既に分かった。だが、眠ることにより生み出される細胞分すらも他者の肉体によって補ってきたのならば、それはとんでもない危険を孕んでいることになる。

そこで、田辺の思考を断ち切ったのは、野田の声だった。

 

「東、さきほど、理解者を与えてくれたと言ったな。つまりは、お前も学んだんだろう?人というものを……大切なものを失うという感情を!」

 

沈痛な面持ちで詰問する野田は、東に必死に訴え続けていた。それでも口先だけの言葉とばかりに鼻を鳴らす。

 

「政治屋らしくなってきやがったじゃねえかよ。そうだよな、政治屋ってのは理想と現実の境に立ってなきゃいけねえもんだ。大切なものを失うってのは、テメエみてえな奴等には似合いな奇麗事だよなあ!」

 

「どういう意味だ?」

 

険しい口調で問うた野田に、東は今にも跳梁でもしそうなほどに嬉々として言った。

 

「大切なら失わなければ良い!いつでも手元に手繰り寄せられるようにしていれば良いだろうが!それすら出来ずに、大切なものを失うなんざ口にしてんじゃねえよ!ひゃははははは!」

 

発言の意味を図れず、野田と田辺は顔を合わせる。そんな二人の疑問を直接、投げ掛けたのは平山だった。

 

「一人でここにいるお前も同じだろうが!」

 

途端、東の哄笑がピタリと止まり、大口が閉じると口角を吊り上げて嫌悪感を抱かせる笑みを浮かべた。まるで、自分は違うとでも言わんばかりだ。

苛立ちから、平山のこめかみが震え始めると同時に、東は掴んでいた松谷の死体を放して握り拳で自身の胸を叩いた。

 

「違えよ……俺は一人じゃねえ、俺の中には、もう一人いるんだよ……文字通り一つになってなぁ」

 

「……一つになった?」



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第16話

田辺がその返しに反応する。心の中に人が住んでいるといったニュアンスでもない。文字通り、その言葉が引っ掛かる。そこで、最悪な想像をした田辺の顔から一気に血の気が抜けていく。

松谷の心臓を抜いて食したこと、身体を維持する為にしていることはなんだ。

考えたくもない。いや、人として考えてはならない。だが、もうそれ以外に考えられない。田辺は、確かめなければならないと細い声で訊く。

 

「東……お前、まさか……自分を唯一、理解してくれたとまで言った人間を……」

 

そこから先は、東が引き継いだ。

 

「そうだよ!喰ったんだよ!俺が!奴と!一つに!なるために!喰った!腹を裂いて内臓を喰った!鎌首あげて暖かい臓物を引摺りだして!極上の赤ワインみてえな血を呑んだ!上物のステーキみてえな心臓を喰った!今まで喰ってきたどんな肉よりも絶品だった!満腹感からくる充実感、そして、一つになれる事実、まさに最高の時間だった!これが本当の意味で一つになるってことなんだと、はっきりと自覚したぜぇ!ひゃははははは!」

 

三人は揃って愕然とした。

信じられるはずがない。日本犯罪史上、類をみない凶悪な殺人鬼は唯一の理解者とまで称した人物を、あろうことか喰ったと言い放ったのだ。どのような状況下で行われたのか、そんなことは些末な問題だ。

突き付けられた言葉に、田辺は爪先から頭まで弛緩していく身体をどうにか意識で支えようとしたが、たたらを踏んでしまい平山に腕を取られた。

 

「……田辺さん、コイツを更正させるなんて無理だ。ハッキリと言ってやるよ、奴はただの狂人、それも拍車をかけて狂っちまってやがる……生かしておけば犠牲者が増えるだけだ」

 

抱えられ田辺は、横目で平山を見た。こめかみから流れた汗はひどく粘着性を持っており、緊張が窺える。銃のトリガーに掛かる指の震えを止める為に、短く息を吸い込んだ平山は、吐き出しながら言った。

 

「小を殺して大を生かす。そんな大それたことでもない。奴はいずれ大きな災害にも勝る……生きてちゃいけない人間なんだよ。それに、さっきの死者達もここに迫ってきてるんだ、時間がない」

 

これまで闘ってきて、学んできた答えを果たせずに、田辺は選択を迫られた。平山の言い分もよく理解できる。稀代の殺人鬼でも救いたい、それは甘い考えただったのだろうか。取捨選択は、どんな状況下でもやってくるものだ。

田辺は、ここで覚悟を決めるしかなかった。掬いあげられるものは掌に収められるものだけにするか、それとも手の届かないものにまで両手を広げて迎えるのか。

時間がないからこそ、東を救う為の手段をここで決断するしかない。田辺は奥歯が軋むまでに締め付けた口を開く。

 

「……分かり……ました……東を……東にこれ以上、業を背負わせる訳にはいかない。アイツはここで……僕達で止めましょう」

 

強い眼差しを受け、平山は頷いた。

 

「だったら、俺達だけじゃ無理だ。そこで、経験者達にも協力してもらおう」

 

経験者、と訝しげに尋ねた田辺の視線は自然と天井を見た。経験者ならば、あの自衛官と学生達以外は該当しない。田辺は目線を東に戻すと、平山から離れて立ちあがり、溜息をついて野田の手をとった。そうとなれば、とるべき行動は一つだけだ。

 

「野田さん!走って!」

 

引かれるがまま、田辺と野田は踵を返して背後のエスカレーターを掛け上がり、殿を勤める平山の銃声を背中で受けた。時刻は午後13時、田辺、野田、平山、浩太、達也、真一、裕介、亜里沙、加奈子、そして東、九州地方での最後の時が刻一刻と迫っていることを各々が自覚しながら、その深い一歩を踏み出した。




次回より第32部「正命」にはいります!
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第32部 正命

この世の中に確かなものなど一つもないなどと言われているが、それは大きな誤りだ。絶対に裏切らない出来事は、二つある。生まれたことと死ぬことだ。決して逃れられない事実は、さながら呪いのようだと、憔悴しきった真一を見て思案した。血の気が失せた顔付きは、死者と変わらない。

消魂した様子で、亜里沙と両手で口を塞ぎながら、加奈子を抱き寄せ、達也は背中に走る痛みも忘れて真一の頬に触れる。

裕介は付き添っていただけに、ひとしお沈痛な面持ちで浩太を迎えた。細い声で名前を呼ばれた浩太は、呆然と立ち尽くしていたが、連絡通路の扉に背中を預けた真一に目線を合わせる。薄く開いた瞼の奥の瞳は、僅かに濁り始めており、見えているのかどうかも判断できない。

達也の掌に付着した血の温かさと強い匂いに真一はゆっくりと口角を動かす。

 

「ああ……浩太、戻ったんだな。達也に亜里沙ちゃん、加奈子ちゃんも……まったく、待ちくたびれたぜ」

 

「悪かった……遅くなって……」

 

掠れた呼吸を挟みんでいる真一に、浩太が喉を震わせた。弱々しい見た目は、力強かった真一の面影を曇らせている。

あるあるシティの六階にまで響いてくる連続する甲高い銃声に身震いした加奈子が、さっ、とエスカレーターを見やり、亜里沙の服に皺を作った。

 

「なあ、浩太……もしかして、下の階にまで奴等は来てんのか?」

 

真一の質問に浩太は首を振る。

「いや、まだ死者は来てない。多分、あれは田辺さん達が東に対して発砲したんだ」

 

「東……?けど、あいつは……」

 

「あいつは、正真正銘の化物になっちまったんだ」

 

懐疑的な真一の頬から掌を離して、そう被せたのは達也だ。

 

「襲ってきた熊に腹を喰われても生きてやがった。それも、ただ生きていた訳じゃねえ……傷口がみるみる内に塞がりやがる……今のアイツは不死身だ」

 

忌々しそうに達也は渋面する。それは、浩太も同意見だった。

あの状態で生きているとなると、どうなれば死に至るのか皆目検討もつかない。いっそのこと、このまま逃げ切れるのならそうしたいが、同じ建物内にいる以上、簡単に事が運ぶことはないだろう。

生きることや死ぬことからは逃れられない、そんな場面が迫ってきている。

階下で鳴っていた銃声が止まり、加奈子が裕介へ言う。

 

「裕介お兄ちゃん……」

 

聞き覚えのない幼い声に、裕介は目を剥いた。ぱっ、と声の先に顔を向ければ不安そうな加奈子がいる。

 

「今の……まさか、加奈子……ちゃん?」

 

おずおずと亜里沙から手を離した加奈子は、一度、こくんと頷く。しかし、次の一言は、裕介の心臓を巨大な氷柱が貫くような冷たさをもたらした。

 

「私達……死んじゃうの……?」



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第2話

 異常な事態、人間と直面した加奈子の心は甚大な影響を受けてしまったようだ。しかし、それはこの場にいる全員が共有しているであろう感情だった。暗澹とした黒く深い穴に陥っていく恐怖の前には、希望の光など射し込む隙間もない。特に、これまでの経験があるにしても裕介や亜里沙、加奈子が現在の状況を包み込めるはずもなく、呑み込めない不安を吐いた一言は、自衛官三人にも楔のように打ち込まれた。今すぐにヘリコプターへ三人を乗せておくべきかと思議した浩太が、その提案を口にしようとした矢先、階下から再度、銃声が聞こえる。

 恐らく、どれだけ攻撃を重ねても、ことごとく立ち上がる東になす統べがないのだろう。だとすれば、あの殺人鬼がここに来るまで時間の問題だ。

 浩太は、達也と真一を一瞥して、裕介達にとって残酷な決断を下す。

 

「達也、真一、先に三人をヘリコプターに乗せる。俺達三人は田辺さん達がここに現れるまで待っていよう」

 

 渋面していた達也は腰を抑えながら短く笑い、真一は首だけで頷く。だが、そこで異論を唱えたのは裕介だった。

 弾かれたように加奈子から浩太へと振り返り、火を吹く勢いで浩太へと詰め寄り胸倉を掴み、半ば、叫ぶような声量で言う。

 

「ふざけんな!三人を残して、俺達だけが安全な場所に行けってことかよ!」

 

 熱のある声音の裕介に対して、浩太は自分の胸を握る裕介の右手に、自身の左手を被せて柔和な口調で返す。

 

「それが一番の選択なんだよ、分かってくれ裕介」

 

 ぎっ、と裕介の奥歯が軋んだ。

 

「分かんねえよ!どうしてもって言うなら俺も……!」

 

「裕介!」

 

 裕介の怒鳴りを鋭く断ち切ったのは真一だった。

 困惑や悲しみ、そして怒りが混在した裕介はどんな表情をして良いのか分かっていないようだ。涙や鼻水で覆われたような顔を向ける。

 真一は、短い笑いを洩らして一息おくと続ける。

 

「八幡西署に……二人で武器を取りに行った時……話したはず……だぜ?どんな状況になろうと……人間として生きようとする意思を持ってる奴が必要で……そんな奴だけが、諦めかけた人の背中を押してやることが出来るんだってよ……」

 

 真一の声は、絶え絶えながらも、確かに裕介の心根にまで吸い込まれていった。

 八幡西署で死者に転化した警察官を倒せず、危機に陥った際、真一の助力でどうにか切り抜けた後の言葉だ。

 

「お前がいたからこそ……俺達は東みたいな獣にならないでいられた……だからこそ、次は亜里沙ちゃん達の……背中を押してやってくれ……それが出来るのはお前だけなんだぜ……?」



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第3話

 両手に力を込めれば、傷口から熟した膿が噴き出す。目を逸らしたい光景だったが誰一人として真一を見詰めていた。壁に背中を預け、どうにか立ち上がった真一は、肩で息を繰り返しながら、もたらせていた首をあげ、前髪の奥にある白みがかった双眸で浩太と達也を見る。

 

「それは、お前らも……同じなんだよ……裕介を支えてやれんのはお前らだけだ……」

 

 ぐっ、と唇を噛んだ達也が真一の言葉を引き継ぐように言う。

 

「浩太、俺もこの傷を負ったままじゃあ厳しいかもしれねえな……」

 

 愁眉した様子の亜里沙へ達也は小さく首を振った。大丈夫だ、心配することはない、そんな意味だろう。達也は、背中に当てていた手を外して吐息をつく。

 

「死ぬつもりはねえ……けど、東にやられた傷もある。だからさ、もしもの時は俺を置いていってくれねえか」

 

 浩太は、瞠目するも下唇を内側に引きつつ頷いた。命に順番をつけるなど許されることでない。しかし、最悪の事態に陥った場合のことも想定しておくべきだ。

 裕介は愕然としながらも、さきほどの真一の語りと、ある一因があり口を閉ざし、目元に影を作ったまま俯く。頭の中を巡っているのは、彰一との約束だった。

 加奈子の未来を暗くするような真似を俺にさせないでくれ、と三人を安部から逃がす前に言った彰一に、裕介は、あとのことは任せてくれと返している。感情ばかりで乗り切れるほど、現状は甘くはなく、そんな場面にまで状況は追いやられている。

 

「なら、達也の……」

 

 次は俺だな、そんな浩太の声を寸断したのは、階下からの足音だった。死者かもしれないと六人は一斉に身構えるが、エスカレーターの脇から垣間見えた頭部に安堵する。

 足音の正体は、田辺と野田だった。

 

「田辺さん!無事だったんだな!」

 

 ここで二人が現れたことにより、田辺達を待っていなければならない憂いが一つ解消された。しかし、続け様に浮き出した疑念が頭をもたげる。詳しくは聞いていないが、恐らく、田辺と野田の護衛で同行していた二人が見当たらない。随分と荒事に慣れていたように見えていたが、まさか、東に殺されてしまったのだろうか。

 エスカレーターに手を掛けて踏板を走る二人と合流するまで、倉皇していても仕方がないと分かってはいるが胸中に吹く暗い風を早く止めたくなり、浩太は少しでも時間を短縮したいという気持ちから、無意識に右腕を伸ばしていた。

 それに気付いた田辺が、伸ばされた右手を掴んだ途端、強引に引き上げられる。



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第4話

 バランスを崩し、田辺が膝をつくと同時に野田が七人に合流する。激しく呼吸と嗚咽を繰り返す田辺に比べれば、まだ余裕がありそうな野田へ浩太が口火を切る。

 

「残りの二人は!どうしたんだよ!」

 

 詰問する浩太に、野田は要点のみをまとめて返す。

 

「一人は東に殺された。若い方は東の足止めをしつつ、こっちに向かっている」

 

「じゃあ、さっきの銃声は……」

 

 破裂音が再度、浩太達の鼓膜を揺らす。つまりは、殿を務めているのだと納得したものの、あの化物を一人で足止めなど到底不可能だ。

 浩太は考えるよりも早く、エスカレーターに足を出した。

 

「待って……ください……」

 

 息も絶え絶えになりながら浩太の足を止めたのは田辺だった。

 視線を落とした浩太は、田辺が咳き込んだ様子を目にして、なにか傷をつけられたのかと野田へ目をやる。

 

「……ただの運動不足だ。なにもされてはいない」

 

 肺に溜めていた空気が溜息となる中、ようやく呼吸が整い始めた田辺は、肩をあげズボンを握り締め、浩太を仰いで言う。

 

「岡島さん今は……今は駄目です。今、行った所で、東を倒すことなどできない……!」

 

 浩太は田辺の手を振り解き、声を荒げる。

 

「だからって、ここまで助けに来てくれた男を見殺しにするなんざ出来ないだろうが!」

 

「だからこそです……だからこそ、今、ここにいる僕達全員が助かる方法を探すべきです!奴をどうやって……!」

 

 ぐっ、と剣を強めた田辺は、そこから先を呑み込むように俯いた。

 何か口にしたくない一言なのだろうことは容易に分かる。田辺が吐きたくない一語、予想する中でも数種類あるが、現在の状況に一致するものはこの言葉だろう。浩太は敢えて言った。

 

「奴を殺す方法があるのか?」

 

 ビクリと双肩を震わせた田辺は、ゆっくりと額を上げていき、自身を見下ろす浩太の澱みのないまっすぐな瞳を見た瞬間、代弁することにより田辺の心にかかる負担を減らしてくれているのだと察した。日常で実現しにくい言葉ほど、実行するとなれば莫大な覚悟を注がなければならない上に、費やした時間に反比例して揺らぎやすい。それだけに、浩太が引き継いでくれたお陰で、田辺は立ち直ることが出来た。言霊というものは、本当にあるのかもしれない、そんな感慨に耽る間もなく、達也が口を挟んだ。

 

「それで……どんな内容なんだ?」

 

 ひとまず、田辺は全員を見回す。

 重症が二人、三人は学生だろう。まともに動けそうな男は、浩太に野田、そして自身だけだ。

 田辺は、息を吸いこんだ。

 

「正直に言います。この方法は成功する可能性が極めて低く、恐らく、犠牲も出てしまうでしょう」



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第5話

 田辺が区切りをつければ、亜里沙がおずおずと手を挙げた。

 

「あの……このままヘリコプターで逃げるのは駄目……ですかね?」

 

 間髪いれずに田辺が返す。

 

「それも一つの手ではあります。けれど、東は必ず我々を逃がしません。仮に逃げ切れたとしても、奴は爆撃などものともせず間違いなく生き延びる。そうなれば、この日本は……いえ、世界は終わります」

 

 田辺の語口が大袈裟に聞こえたのか、世界、と裕介が呟く。

 

「良いですか、これは決して大袈裟ではない。東は九州の現状を日本全域に広げます。この悲劇は、やがて世界にも及ぶでしょう。つまり、ここで奴を、東を止めるしかないんです。その為の方法は、悪いことにここでは実現することが……」

 

 途端、強烈な破裂音が鳴った。一斉に八人が音の方向へ顔を向ける。見えたのは、エスカレーターを駆け上がる男の姿だった。着ている服から九州組を救出に来た若い男だと分かり、田辺が叫ぶような声量で男へ声を掛ける。

 

「平山さん!東は!」

 

 平山と呼ばれた男は、エスカレーターを登りきると歯噛みして悪態をつく。

 

「くそっ!あの野郎、余裕のつもりだか知らないが、こっちを追い詰めようともせず悠長に歩いてやがる!舐めやがって!くそが!」

 

 苛立ちを隠そうともしない平山とは対照的に、浩太は僅かに声を落とす。

 

「時間があるのは好都合だ。東はいまどこに?」

 

 息を整えた平山は、浩太を一瞥して言った。

 

「最後に確認したのは、二階下のエスカレーターを登っていたところだよ」

 

 分かってはいたことだが、どちらにしろ時間は浩太達の味方をしてくれない。しかし、今は田辺が語る方法が最優先事項だ。

 浩太が、どう時間を工面するかと考えていた時、いつもの声が耳に入った。

 

「なら……俺が……ここで時間を稼いでやるぜ。お前らは、さっさと……奴を倒す方法を聞いておけよ……」

 

 エスカレーターに立ち塞がるように手摺に凭れかかった真一を助けるように、真っ先に走り出した裕介は、すかさず真一の腕をとり肩を貸した。苦笑混じりに礼を言った真一に、裕介は首を振る。

 

「……俺はまだ……納得してませんから……」

 

 囁くような小ささだった。けれど、真一は微笑んで頷いてみせる。それだけで裕介は膝から崩れて泣き出したい気分になった。いっそのこと、そうしてしまおうかとも考えてしまったが、そんな場面など、真一に見せる訳にはいかない。彰一のときも、父親ときもそうだった。様々な感情の渦の中で答えを見つけた人間だけが出せる気丈な笑み、真一の笑顔は、まさにそれだ。



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第6話

 そんな男に自身の弱さをを露呈できない。裕介は、真一を安堵させる為に、渡されたAK74を触ってみせた。込められたメッセージは言葉にする必要もない。

 

「真一……俺は……」

 

 浩太は真一が傍を通り抜けるときも、その場から動けなかった。ようやく、喉から絞り出すことができたが続けることが出来ずに両手を握った。立ち尽くす浩太へ、真一は鼻を鳴らす。

 

「情けない……面になっちまってるぜ……浩太……」

 

 真一は、ヨタヨタと歩き浩太の胸を軽く小突く。

 

「浩太……お前とはいろいろあったけどよ……俺はお前のこと……一番の相棒だと思ってんだぜ……そんな面で見送ってほしくないぜ……」

 

 浩太は一際、唇を一文字に締めた。

 全身が意思とは関係なく顫動していたが、大きく息を吸って気を持ち直す。九州地方を死者が跋扈する以前より、多くの時間を共に過ごしてきた男の最後の頼みを果たす為に、浩太は唇を開き、広角をあげた。

 

「俺もそう思ってたよ。いつか向こうでもそうなりたいな、相棒」

 

 ははっ、と短く笑い、真一は達也へ視線を預ける。

 

「達也……諦めるなんて、お前らしくない真似はするなよ……?お前らなら……どんなことでも出来るって信じてるぜ……」

 

「真一、俺は……いや、なんでもねえ……」

 

 達也は、涙を見せずに力強く首肯する。そして、一言だけ、またな、と加えた。別れを述べる訳でもなく、また会えると信じている、そういった意味も含まれているのだろう。

 

「亜里沙ちゃん……元気でな……絶対に生き延びろよ……約束だぜ」

 

 呼ばれた亜里沙は、はい、と前置きして言った。

 

「真一さん、今までありがとうございました……真一さんのこと……アタシは絶対に忘れません」

 

 満足そうに笑った真一は、最後に加奈子へ声を掛ける。

 

「加奈子ちゃん……最後に声が聞けて……良かったぜ……大きくなっても、おじさんのこと覚えててくれな……」

 

 亜里沙にしがみついていた加奈子は、大きく両手を広げ、真一のもとへ駆け出し抱きつく。

 

「おじさん……また会えるよね?いつか……きっと……また……」

 

 清冽な加奈子の幼い声は、真一の胸へとなんの抵抗もなく流れていく。心地よい温かさを確かめるように、真一は裕介の肩から離れて膝をつき、柔らかく加奈子を抱き締める。

 

「あったけえなぁ……」

 

 人の温もりを感じられること。それは、まだ真一が人間であることの、なによりの証左だ。

 俺はまだ、人間でいられている。

 真一が確認を終えたように加奈子を解放して微笑んだ。そんな外界と切り離す天幕が張られたような安心感を切り裂いたのは、階下から響いた甲高い笑い声だった。



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第7話

「ひゃはははは!なんだよ!んなとこで集まりやがって!逃げ回るのは、もう終わったのかよ!」

 

 不快な哄笑を放つ男を真一は鋭く睨みつける。

 最後となる瞬間が、刻一刻と近付いていく中、真一は裕介と二人になった際、感触で確認していた手榴弾を懐から取り出して隣に立つ裕介に渡した。

 

「何かに使えるかもしれない……お前に託すぜ」

 

 裕介の返事は聞かず、真一はエスカレーターの床板に立ち塞がる。

 その姿に、ゆっくりとエスカレーターを登っていた東は怪訝そうに目を細めた。押せば倒れそうなほど、真一は見た目にも弱っている。そんな男が何故、ただ一人で佇んでいるのだろうか。

 真一は、横目で全員が走っていく様子を見届けて東へと視線を下ろす。

 

「なあ……テメエは、一度でも誰かの為に……本気になったことあるか?」

 

 突然の質問に、東は頓狂な声で言った。

 

「ああ?あるに決まってんだろ?馬鹿にしてやがんのか?俺は世界で初めて仲間だと思える男に出会った。そいつを助ける為に本気で……」

 

 その返答に鼻を鳴らした真一は、被せて言う。

 

「けど……お前は生きてるぜ?テメエは本質が違うんだろうなぁ……人生の中で一度だけでも……誰かを助ける為に本気で命をかける……そんなことがあっても良いんだぜ?いや、なくちゃ駄目なんだよ」

 

 今度は、東が滑稽だとばかりに返す。

 

「命だぁ?分かってねえなぁ……命ってのは巡るもんなんだよ!奪われた分だけ新たな命が生まれる!そいつらを正しい道に誘うのは、神の使いたる俺達なんだよ!」

 

「哀れなもんだぜ……正しい道ってのは百通りあるもんなんだ……それを自由に選べない人生になんの意味があんのか、皆目検討がつかないぜ……」

 

 東のこめかみが、ピクリ、と動いた。

 

「死にぞこない如きが言うじゃねえか……ならよぉ、テメエはここにいることを望んだってのか?」

 

「ああ、俺は望んでここにいるぜ……言ったろ?人生の中で一度でも誰かの為に命をかける……そんなことがあっても良いんだぜってよ……」

 

 大義そうに深い息を吐き捨てた東は、エスカレーターを一段あがった。

 

「あの達也って奴といい、もう一人といい、自衛官ってのはどうしてこうも生意気なのが多いんだろうなぁ……テメエらみてえなのは、自己犠牲っつうエゴイズムを正命だとでも捉えてやがんのか?ならよぉ……望み通りに、テメエの原型が無くなるぐれえ、グチャグチャにしてやんよ!後悔するくらいになあ!ひゃはははは!」

 

 加奈子を抱き締めた温もり、人間である証が、消えかけていた命の蝋燭に再度、火を灯してくれた。その種火を盛らせるように、真一は全身全霊を込めて吼えた。

 

「自衛官じゃねえ!俺の名前は、佐伯真一だぜ!かかってきやがれ!サイコ野郎!」




次回より第33部「血戦」に入ります。
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第33部 血戦

主はわが牧主、我は羊、主は我を導き給いて、緑の牧場に我を伏させ、憩いの水際に伴い給う。主は我を魂を蘇らせ、その手に我が手をとって、正しき道に導き給う。神の名に添うために、死の影の谷を歩むとも、我は悩みを恐れず、主は常に我と共にありて。

ふと、脳裏を過ったのは、どこかで見た一節だった。

こだっただろうか。いや、そんなことは今となってはどうでも良いことだ。

ピチャリ、と足元で鳴った水音は東の足音に埋もれて消えた。膝を曲げて伸ばし階段を一段あがる、それだけの簡単な動作にも力が込められているのか、東が右手で無造作に持っている物体が大きく揺れている。

 

「戦争で罪のない命が奪われるのは許されて、害のある命を奪うことは許されないのか。老婆を殺したが、犯罪だとは思わない。こちらに罪はないのに、なぜ懲役刑という罰を受けなくてはいけないのか。懲役刑を受けることは、なんの意味があるのか……ラスコーリニコフも粋なもんだよなぁ」

 

階段を登りながら語り掛けるような口調で呟いた。

視線の先は右手に提げたものの当てられており、さきほどの東の言葉は、独り言のつもりで語っていないのだろう。返事はないが構わずに続ける。

 

「やっぱよぉ、戦争ってのは殺人の聖化しちまうんだよなぁ……そうしてみると、果たして正義と悪ってのはなんなんだろうなぁ」

 

再び、段を上がったとき、頭上で爆発音がした。東は口角を吊り上げると、衝撃で天井から落ちてきた埃が肩に落ちる。それらを軽く払いながら新たに一歩を踏み出す。

 

「正義ってのは世の為に、悪ってのは自分の為にだ。しかし、人類の歴史が逆転させちまってるとは思わねえか?今の世の中、世の為人の為ってイディオムが狂っちまってやがんだよ。悪が自分の為ってんなら、世の中は悪人だらけだ」

 

東はついに、あるあるシティの七階へ到着した。そこから上に行くには、梯子を使い天井にある鉄板をずらすしか方法はない。だが、そちらを動かした形跡はなく、次に連絡通路を見やるも、使徒を阻む為に打ち付けられた板にも損傷が見当たらなかった。響いた爆発音からすれば、必ず痕跡が残るはずだ。だとすれば、残された道は一つしかない。

東は振り返り、真っ直ぐに視線を伸ばす。その先にあるのは、一枚の扉、つまりは屋上だ。

 

「科学は、たいていの害悪に対する解決策を見出したかもしれないが、その何にもまして最悪のものに対する救済策を見出してはいない。つまりよぉ、これはこういう意味なんだろうな」

 

靴音を響かせ東は歩きだし、瞬く間に屋上への扉に手を掛けた。

 

「人間の無関心さに対する策は、科学では解明できねえってよ」

 




第33部始まります


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第2話

 扉の先は、広い空間だった。

 東が鎖で捕らえていた死者達は頭を撃ち抜かれて倒されている。その中心には、九州地方最後の生残りグループ四人と、東京から遥々と救出に乗り出した四人組みがいた。

 屋上は、柵がぐるりと四方を囲んでいたのだが、東の真正面に位置する個所に黒く煤けた跡があり、荒々しく切り抜かれたかのように大きく損傷している。そこから視線を真横に滑らせれば、東京組みが乗ってきたヘリコプターがプロペラを停止させた状態で鎮座していた。運転手の男は降りてくる気配はなく、座席部にはもう一人分の影が確認できた。

東が一通りの状況確認を終えたとき、真っ先に口を切ったのは浩太だった。

 

「東……お前がここにいるってことは、そういうことなんだな……」

 

 発言の意味が読み取れず、少しだけ間を空けた東は、右手に持っていたものを見て合点がいったとばかりに頷くと、右腕を軽く振り上げて投げた。

 受け止めた浩太は、一瞬だけ瞠目するが、すぐに深呼吸をして、そうかと呟いた。

 東としては、浩太の反応はまったくもって意外なものだった。僅かな動揺はあったが期待を大きく下回る。落胆した様子で東が言った。

 

「なんだぁ?もうちょい狼狽えてやれよ。それとも、首だけ持ってきてやった俺に感謝でもしてんのか?」

 

 東が投げたのは、額に穴を開け、目を閉じて唇を結んだように閉めた真一の首だった。

けれど、浩太だけでなく達也や裕介まで、どこか納得した表情をしている。女性は狼狽してはいるようだが、それも予想以下だ。どうにも面白くないとでも言いたげに東は鼻を鳴らす。

 

「冷てえもんだなぁ?ここまで苦楽を共にしてきた大切なお仲間だろうによぉ」

 

 東の挑発に対して、田辺は穏やかな口調で返す。

 

「これまで苦楽を共にしてきたからこそ、彼らにしか分かり合えるがあるんだ。東、お前には決して理解できないことだろうけどね」

 

 東にとっては、どうでも良いことなのだろう。下らない洒落でも聞いたように、口の端をあげ眉間を狭めた。

 唯一の理解者との一体化により、欠けていた人間性、つまりは、拠り所を得た東にとって、見えない絆の繋がりなど滑稽にしか映らない。人は一つになることで、子供を作り進化を繰り返してきた。その究極を体現し、求め続けた「色」を獲得した東にとって人間性というテーマの答えは既に出ている。多面的な妄想、多重な思想、それら全てを内包し、実行できる種族、それこそが人間だ。

 思想に見えない絆など必要はない。理解者が一人いれば、それで良い。肌で存在を感じることこそが最大の重要事項だ。



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第3話

「下らねえなぁ……俺がこれからやろうとしてる事に比べりゃあ、個人の感情なんざ掃いて捨てるみてえなもんだ。結局のところ、テメエらは周囲を守るだけで世界へ目を向けてねえんだよ!」

 

「……それの何が悪いんだよ」

 

 真一の首を置いた浩太が、不意に言った。怪訝な目付きの東を見据えながら立ち上がる。

 

「俺達は仲間を守ることが精一杯なんだよ。誰一人として死なせたくないと必死になって、辛くても歯を食い縛って、そうやって生きてきたんだ。それをテメエは下らねえと笑うかよ……」

 

 東は、淀むこともなく、それどころか一層にも増して表情を明るくする。純粋な子供を思わせる無邪気な笑顔で、両腕を広げて昂然と言った。

 

「ああ、下らねえな!暗い視野と狭い思考に未来を生み出すことはできねえ!元来、人間って奴は常に先駆者へと集ってきたんだよ!子供が大人に従い、大人は国に従うようになぁ!」

 

 鬼の形相を浮かべているのは裕介だ。森が強風に煽られたかのような、ざわついた胸中を吐き出す。

 

「違う!命は……人の命はそんなことの為にあるんじゃない!未来はいつだって人が作り出してきた!誰かに従うだけの命なんてあって良い筈がないんだ!」

 

 裕介の声を受けた達也が継ぐ。

 

「少なくとも、テメエのような歪んだ奴に従いたくねえのは確かだな……自分が人間の進化を体現してる、そんな口振りだ。勘違いも甚だしいぞ?」

 

「勘違い?そうじゃねえだろ?俺は事実を述べてるだけだ。現実から目を背けんのはやめろ」

 

 やや落ち着いた声音に戻ってはいるものの、視界に捉えた獲物の隙を鋭く狙う目付きは全く変わらない。前髪の奥で怪しく光る瞳の動きが次の発言者となるであろう田辺で止まる。

 

「よぉ、偽善者……お前なら俺の言っている意味は分かるよなぁ?」

 

 田辺は首を振った。

 

「僕はお前の理解者にはなれない。なりたくもない……けど、お前を助けたいって気持ちは本物だった。それは野田さんも同じだ」

 

「そいつは、心の折合いをつけるための妥協じゃねえか。俺のことが憎いなら、憎み続けてりゃあ良かったんだよ。それなら、ちったあ骨がある奴だと認めてやったのによぉ……随分と丸くなったまったもんだなぁ……昔のお前のほうが、まだ張り合いがあったのになぁ、偽善者」

 

 心底、残念だとばかりに東は嘆息を洩らした。

 しかし、田辺はそれを涼しい顔で流すと続けて口を開いた。

 

「東、僕はあの頃に比べて強くなったんだ。だからこそ、ここにいることができる」



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4話

「そりゃ、理想的な正義だけじゃなく現実的な正義を手にしたって意味か?」

 

田辺は力強く首肯する。自己満足の正義など、なんの役にもたたない脆く脆弱な理想でしかない。時代の趨勢にすら左右される場合もある。田辺にとっての正義を表すのであれば愚直の二文字だ。自分の信念を貫くだけでなく、どこまでも馬鹿正直に、そして、正しき道を自身で見つけること。当然、迷うときもあるだろうが、信念さえ持っていれば、どんな難題にも向き合える。

そう、田辺は愚直に向き合うことこそが正義なのだと信じた。

だが、東は頷いた田辺に対して唾を吐く。

 

「正義ってのは理想なんだよ、理想なき正義はゴールの見えねえ洞窟をひた走ってんのと同じだ。そして、現実的な正義も存在しねえ……何故なら、正義はこの俺達にこそあるからだ」

 

なんの冗談だろうかと耳を疑いそうになるが、この男が誰よりも本気であることは全員が理解している。

田辺は、いまさらながら、東に正義とまで口にさせる理解者とやらに興味が湧いてきた。一体、希代の殺人鬼のなにを理解し、どこから寄っていけば、これほど彩りを増やすことができるのだろう。田辺や野田が受けてきた印象とは真逆、人間らしさというものが確かに感じられた。だが、今となってはもう遅い。

東は、手首の緊張を解すように軽く鳴らして言った。

 

「ここに揃ってる限り、もう邪魔は入らねえ……お前らに教えてやんよ、どちらがより優れた正義なのかをなぁ!ひゃーははははは!」

 

哄笑に真っ先に反応を示したのは平山だった。銃身を持ち上げバレルの高さを合わせるも、東はすぐさま身を翻す。撃ち出された銃弾が、壁に無数の穴を穿つと同時に、東が駆け出す。最初の狙いは達也だった。

肉薄する東に達也がとった行動は、中腰になり自ら後ろへ飛んで攻撃の衝撃を和らげることだ。すぐさま、東の拳が腹部に突き刺さり呻き声を出すも命までは奪われていない。間髪挟まずに、浩太が引き金を振り絞り弾丸を放つも、瞬時にバランスを取り戻した東のもみ上げだけが数本舞う。

舌打ちをする暇もなく、そうなるだろうと読んでいた浩太が繰り出した蹴りは、東の顔面を捉え、感触が残っている状態で振り抜く。

勢いがついた一撃に大の字に転がりはしたものの、東はまるで効いていないことをアピールするように後転して立ち上がり、舌を顎へと垂らす。

 

「おいおい、自衛官よぉ!やる気あんのかよ!」

 

ぐっ、と短く喉を鳴らした浩太は、対峙する男を倒す唯一の手段を頭の中で反芻する。



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第5話

 提案者の野田が言うには、現在、東は過去に九重という女性が作り上げた細胞によって、再生する体質を得たのではないかということだ。どのような経緯を経てそのようなことになったのかは分からないが、厄介な肉体であることは確かだ。

 そこに残るキーワードは細胞であり、全身に巡られた神経などのネットワークにより、加速度的に循環を繰り返している状態であるとのことだった。ならば、その役割はどこからくるのか。通常であれば心臓のポンプが血液を送り続けて体内を走っていく。

 心臓を潰せば良いのか、浩太の問い掛けに野田は首を振った。

 熊に襲われた時、腹の臓器を貪られていた東は、今も生きている為、その可能性は限りなく低い。

 では、頭を撃てばどうか、と達也が訊けば、野田は少し唸って言った。

 

「……死者の摂食行動の原点は、大脳から脊髄までのネットワークによって促進されている。それが東にも適用されていることは、多分、田辺も気付いていたと思うが、どうだ?」

 

 突然、話しを振られた田辺は、僅かに動揺を見せたものの、しっかりと返す。

 

「そうですね……以前、九重さんに取材した際に聞いていた部分との符号は、さっきの松谷さんとのやり取りで感じました。恐らくは、爆発的に増えていく細胞に肉体が追い付いていないのではないかとも……しかし……」

 

 言い淀んだ田辺に、野田は言った。

 

「お前が気にしていることはクールー病のことだろう。そうだ、俺もそこに着眼してみた」

 

 二人の間での話し合いに置いて行かれていた浩太達は、首を傾げることしか出来ず、ついに達也が声をあげた。

 

「ちょっと待ってくれよ。俺らにも分かるように言ってくれねえと何がなんだか……」

 

 はっ、とした様子で野田は短く謝罪を挟んだ。

 

「分かりやすくするなら、クールー病というのは、一昔前に流行った狂牛病が人間で起きた状態のことだ。覚えているか?」

 

 亜里沙が、前置きをして記憶の引き出しを開く。

 

「脳がスカスカになっちゃうってやつですか?前に、テレビでやってたから名前だけは知ってる程度なんですけど……けど、確か、その病気になった牛は死んじゃうんじゃ……」

 

「そう、その通りだ」

 

 頷いた野田は一拍空けて、その場にいる全員へと目を配った。その途中、浩太が突然、頭を叩かれたような衝撃を受けて瞠目している光景があり、野田は、そうだ、と呟くと声の調子をあげた。

 

「君らが東の言動に小さな違和感を覚えたことがあるか、どうかなどは知らないが、確かなことが一つある。奴は、そう長くは生きられないだろう」




UA70000突破ありがとうございます!
アリソンとは言わないがリリトレのアニメお願いしますよお……
やっぱアリソンのリメイクお願いしますよお……


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第6話

「なら、やっぱりここで逃げちゃえば……」

 

 野田の言葉に強く反応を示した亜里沙を遮ったのは田辺だった。若干、厳しさを携えた目付きと口振りで言う。

 

「駄目です。長くは生きられないとは言え、一年を過ぎても生きている可能性は大いにあります。いや、一年と言わずも半年あれば、東は必ず行動を起こします。ここで止めなければならないんです」

 

「ならさ、早いとこ結論を言ってくれませんか?こうしてるだけでも、真一さんが命を懸けて稼いだ時間を無駄にすることになるんですよ」

 

 冷静に両者の間に入った裕介の促しを受けて、田辺は自身が熱を帯びていたことを自覚した。一人の人間が全てを捨ててまで助けようとしているのに、何を向きになりかけているのだろうか。

 田辺は、改めるように両頬を叩き、野田に尋ねた。

 

「野田さん、結論だけを伝えて下さい。原因などはどうでも良い。今は、命を繋ぐことだけを考えましょう」

 

 野田は短く息を吸って頷く。

 

「奴を完全に殺すには、脳を一度で潰す。これしかないと思う。それも銃弾などで一部を破壊するだけではなく、完全に叩き潰すことだ」

 

 その答えは一同を沈黙させるには十分だった。並外れた腕力と回復力、認めたくはないが、闘いにおいての判断力もある。そんな狂人の頭部を完膚なきまでに叩き潰すなどできるのだろうか。臍を噛む思いだが、そんな場面の想像すら湧かず、絶望の淵に立たされた浩太は、肩に手を置かれるまでの数秒の間、呆然としていた。

 

「……やりましょう、浩太さん」

 

 浩太の意識を戻したのは裕介の声だった。虚ろになりかけていた瞳に、少年の姿が鏡のように映る。置かれた掌から裕介の強い感情が伝わってきたが、抑えきれないとばかりに言った。

 

「諦めてどうするんですか!ここで諦めたら、俺達の為に犠牲になった人達を裏切ることになる!親子やお袋……彰一や、今も俺達を助けてくれている真一さんを!俺は裏切りたくない!」

 

 裕介の手は、浩太の双肩を握っており、今なお送られる熱により発火した篝火のような記憶の中で、浩太は振り返る。明かりの中には、市民の救助に全力を注いだ下澤がいた。仲間を守る為、必死に呼掛けた大地がいた。日常に居場所がなく、ようやく手にした家族と呼べる人達を守る為に孤軍奮闘した坂本彰一がいた。そして、なにより、佐伯真一の声が明かりの中から聞こえてくる。

 

「なあ、浩太……奇跡って言葉の語源を知ってるか?」

 

 遠賀にある工場で、皆が寝静まった頃に二人だけで話した内容が腹の底から響いてくる。



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第7話

「少数の部隊が大勢の敵に囲まれて、玉砕覚悟で突入した。けれど、その大部隊は野営地だけを残して消えていたんだとよ。残されていたのは、野営地に所狭しとある、この世にいる生物とは思えない奇妙な足跡だけだった、それから奇跡って呼ばれるようになったらしいぜ。まさに、今の俺達と同じだ」

 

 全身に広がっていく心地よい声音は、様々な角度から浩太の身体を抜けていき、小さくなっていく。やがて、はっきりと残すように力強く最後の声が響いた。

 

「浩太、分かるだろ?奇跡ってのは、自ら起こすもんなんだ。それによ……お前らに不可能なんてないんだぜ」

 

 浩太の眼前にあった光が萎んでいく。同時に明りの中にいた仲間達も、いつの間にか見えなくなった。しかし、浩太の中に確かなものを残してくれたのだろう。

 

「……引き寄せる努力もせずに終わることなんか、出来ないよな……真一、俺も信じてみるよ、奇跡ってやつをさ」

 

 肩に置かれた裕介の手を優しく離し、浩太は達也を一瞥する。背中の出血は未だに続いてはいるものの、瞳に宿った炎は消えていないようだ。

 

「達也、キツい所で悪いが何か案はあるか?」

 

「わりぃ、思い付いてねえ……一応は考えてるんだけどよ……」

 

 分かった、と短く返した浩太は、続けて田辺と野田に訊ねるも、揃って首を振られてしまう。

 暗澹とした時間が流れていく中、平山がフェンスに囲まれた周囲を見回して言った。

 

「なあ、ここって何階だ?」

 

 浩太は特に深く考えずに返す。

 

「……七階だが……それが?」

 

「ここから奴を真っ逆さまに突き落とすってのはどうだ?」

 

 平山の突飛な提案に、論外だと否定したのは達也だった。だが、達也以外の面々は至って真面目な表情になっている。愕然と達也が言った。

 

「おいおい、浩太まで本気かよ?そもそも、あの化物を担いでフェンスを昇ろうってのか?そいつは、無茶ってもんだろ」

 

「なら、いまの提案以上のものがあるか?」

 

 浩太の切り返しに達也は口をつぐんだ。けれど、実際問題、突き落とすにはどうすべきか、そこから先が思い付かなかった。一気に広がった濃霧に包まれるような気分に陥りかけたが、裕介の一声で霧が晴れた。

 

「あの、さっき真一さんに渡された手榴弾が一つ残っているんですけど、これでフェンスを一部、破壊的できませんかね?」

 

                ※※※ ※※※

 

 手榴弾の爆破により破壊したフェンスの間から突き落とす。目の前の男を倒す方法、それは至ってシンプルなものだ。

 固い頭蓋に守られていようとも、七階から落下させれば、如何に東の体質をもってしても、ひとたまりもないのではなかろうか。あくまでも希望の域をでないが僅かな可能性にも賭けるしかない。



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第8話

 浩太は、様々な不安を吹き飛ばすように有らん限りの力で咆哮した。それは、達也すらも耳にしたことがない魂すら吐き出してしまいそうなほどの気合いの叫びだ。

それでもなお、対面する東は平然としている。

 突きだされた浩太の右拳を軽く首を傾けて避け、きひっ、と歪に笑う。

 

「吼えたところで、何が変わるってんだよ!ああ!?」

 

 お返しとばかりに繰り出された東の攻撃は、突然の銃撃により遮られた。横腹に無数の穴を穿られたものの、みるみる内に傷が収縮していき、完全に塞がる。薄い硝煙をたゆらせる銃を握ったまま、平山は舌を打ち悪態をつく。

 

「化物が!」

 

 マガジンを落とし、腰から弾倉を抜く間、東は冷静に順番を組み立てていく。まず、厄介な者は平山だろう。次に、見た目以上にダメージの少ない自衛官である浩太、この二人の排除することを優先すべきだろう。

 さしあたって、個人的な感情は後まわしにし、東は平山に狙いをつける。浩太と肉薄した中で正確に東のみを撃ち抜いた射撃能力は間違いなく後々に響いてくる。平山が新たなマガジンを叩き込むと同時に、東は腰を落として走り出した。

 

「平山さん!こちらに来ています!」

 

「分かってる!」

 

 田辺の声に、半ば叫びつつ平山は引金を引いた。真っ直ぐに向かってくる東は平山にとって格好の的と変わらない。だが、いくら弾丸が肉体を貫こうと、まるで意に介さない東は、奇声をあげ右手を掲げる。

 鷹揚としている場面ではない。けれど、平山の卓越した射撃は、右手が挙げられた瞬間、握り拳のみに弾丸を撃ち込んだ。苦悶の表情を一瞬だけ浮かべた東に、平山は心の中で小さくガッツポーズを作った。

 

「それがどうしたよ……」

 

 抑揚のない声がし、平山の胸部を太い焼鏝を当てられたような熱く重い衝撃が襲った。後方に弾かれた平山が見たのは、失った右手をそのままに、腕を前に出した東の姿だ。まさか、と思い自身の胸の位置に視線を下げれば、血がべったりと付着している。

 

「今更、こんなもんで怯む訳ねえだろうが!ひゃははははは!」

 

 加えて平山が瞠目したのは、その再生スピードだ。ほんの数秒足らずで筋繊維が形を成してきており、元通りになるまで数分も掛からないだろう。明らかに、復元までの時間が短縮されている。

 

「くっ……そ……がぁ!」

 

 歯を締めた平山が立ち上がる。

 東の常軌を逸した怪腕の一撃を受けて生きている、それだけは僥倖だった。拳で打たれていれば、恐らく胸骨などを砕かれて臓器に損傷を与えられていただろう。

 平山が次の行動に移る直前に、東は間合いを一息に詰めた。



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第9話

 ぞわり、とうなじが冷気を帯び、下げられた顔が平山を見上げ、そして凄まじく歪んだ笑みに彩られた。

 平山の鼻腔に、濃い鉄と錆の匂いが漂ってくる。もしも、死に香りがあるのだとすれば、きっとこれがそうなのだろうと、はっきり自覚する。弾倉の中に銃弾は残っているが引金を寄せる暇すらも潰されてしまっている。

 まるで、コマ送りのように全ての動作が網膜を通して伝わってきた。東が左の拳を固めて平山の側頭部へ振り上げる動き、それを避けようとはしているが直撃を免れないことも察知できた。

 

「死ねや!」

 

 拳から送られる風により、揉み上げがそよいだ、そのときだった。野田が裂帛の気合いとともに、鉄砲水のようなタックルで東の腰を抱えたまま連れ去っていった。目を閉じていた平山が、数瞬、遅れて気付けば、その距離は一メートルほどにまで開いている。

 

「野田さん!駄目だ!」

 

 田辺の声に反応した平山は、当初、思考が追い付かず視線を泳がせたが、途中、眼界に破壊されたフェンスが入り込み、その直線上に野田に抱えられた東がいることに気付く。

 野田は、自分ごと東をフェンスから突き落とそうとしている。

 

「おお?意外に力あるじゃねえのかよ!楽しいなぁ、おい!」

 

「これでも元ラガーマンだからなぁ!」

 

 フェンスまでの距離は残り二メートル、田辺が伸ばした掌が虚しく空を切っていた。野田の勢いは増すばかり、誰もが止めることなど出来ないはずだった。残り一メートル、その地点に到着した途端、野田と東があげていた埃が打ち水をした後のように静まった。

 何が起きたのか、一同が理解するよりも早く、野田の下半身が浮き上がる。地に足がついていないにも関わらず、東は体格の優れた野田の腹部に腕を回して持ち上げていた。

 

「な!?」

 

 力を込める為に塞いでいた野田の唇が割れる。見開かれた両目に映っていた景色が、無骨なコンクリートから一転して、色鮮やかな空色へと変わる。東が野田の身体を擡げて肩に担いでいた。

 

「よぉぉ、政治屋ぁ……最悪な状況になっちまったなぁ?」

 

 粘着力のある低い音が鼓膜を揺らした。

 この態勢からなら、どんなことをしても死に繋がってしまう。タイル張りのコンクリートへ叩き付ければ、首の骨は無事では済まず、それこそフェンスから放り投げることも可能だ。平山が発砲し東の肉体へ着弾するも、身動ぎのみで腕を下げる様子はなく、それどころか野田を更に天へと掲げた。

 

「やめろおおおおおお!」

 

 田辺の悲嘆に満ちた喚声に、東の面容が喜色へ変貌する。堪らず駆け出した田辺は、野田の口が小さく震えているのを見た。

 

 貴子を頼む、済まない、田辺

 

「野田さあああああん!」

 

 身体を逸らし、反動をつけた東は微塵も勢いを落とさず、野田を地面へと叩き付けた。



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第10話

ぱっ、と散った鮮やかな朱色に混じり、幾多の固形が田辺の頬へ付着する。

割れた頭蓋から垂れ流れる脳漿の一部だが、田辺は拭いもせずに膝から崩れて両手をつく。悲壮、悲哀、悲嘆、哀情、どれともつかない嗚咽が空へと吸い込まれていき、無惨に破裂した野田の眼球を踏み潰した東は、悦に入ったように田辺を見据え、鳴き声を塗りつぶす高いトーンで笑い始める。

 

「ひゃあはははははは!偽善者ァ!芯が折れたみてえだなぁ!それだよ!その姿だ!それがテメエが偽善者である証だよお!」

 

後方の扉が大きく軋む音をたてた。続けて聞こえてきたのは、これまで何度も耳にしてきた獣声だった。

浩太は、咄嗟に扉へと目を向ける。幾重に連なる伸吟に、扉を軋ませるほどの重圧、奥になにがいるかなどは明白だろう。死者が、このあるあるシティに向かっていた死者の大群が、ついにここにまで到着したのだ。激しく殴打される度に扉の蝶番が頼りなく揺れている。

最後の時が近付いてきているのだと、浩太はありありと自覚した。そして、それは、恐らく、自身と自身の仲間にとってという意味でだ。奇跡を手繰り寄せる為の奮闘は、あの稀代の殺人鬼、いや、怪物によって脆く砕かれてしまった。

まだ、浩太達に戦力は残っている。しかし、達也を始め、平山、そして浩太自身も手負い、仮に時間を掛けて倒せたとしても、先に死者が押し寄せてくれば一巻の終わりだ。どちらに転んでも生き延びる道は残されていないのではないだろうか。

 

「東京でもそうだったよなぁ!テメエの身勝手な正義は犠牲しか生まねえんだよ!なにが、変わっただ、テメエの本質は何一つとして変わっちゃいねえんだよ!この偽善者が!」

 

「あ……あぁぁぁぁ……うわあああああ!」

東から逃げる為か、田辺は耳を塞ぐ。それでも、東は叫び続ける。

 

「命は、生命は、こんなにも簡単に壊れちまう!だから、巡るんだ!それを俺達が育んでやるんだよ!選別を生き延びた命を!まだ先が決まっていない命をこの俺達が……ぁ……!」

 

突如、連続した破裂音が鳴り、底気味悪い絶叫がぶれ、同時に右の側頭部が弾けた。東は、油断からたたらを踏んで、残された左目のみを使い周囲を見回す。

銃を持っていた平山は瞠目しており、田辺は理解が追い付かず、呆然と東を仰いでいる。浩太すらも狼狽の色を浮かべて、達也は、顔面蒼白でありながら立ちあがり、さきほどまでの流れを止めようとしていたのか右足だけが前に出ていた。三階で取り逃した亜里沙と加奈子が銃を持っているとすれば、銃ではなく、達也をわざわざ刺した理由が見付からない。



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第11話

だとすれば、残りは一人しかいない。

硝煙をあげる銃口はイングラム、東の頭を爆ぜたものの正体は、九ミリの弾丸、そして撃ち出した男は、立ち上る硝煙の奥で言った。

 

「俺の両親も……彰一や真一さんの命も……この地獄で落ちていった沢山の命は……アンタみたいな奴が手を伸ばせば届くほど浅い所にない……命は……命は誰の手にも届かないくらい、深い所に根付いているものなんだ!アンタみたいな奴に、笑いながら人を殺せるようなお前に命を語る資格はない!」

 

彰一から真一、やがて裕介へと巡ったイングラムが再度火を吹いた。初めての射撃なのでバラつきはあるが、裕介は東を被弾させていく。それを補っているのは、裕介が感じている背中の温かさ。裕介の背中から伸ばされた手が、亜里沙と加奈子が、そっ、とイングラムの銃身を支えている。そして、家族を守る一心で犠牲を顧みない強さをもった友の手も、共にあるように感じられた。これほど心強いものはない。裕介が銃声を打ち消すほど猛々しく吼える。

 

「ウオオオオオオオオオ!」

 

「こ……の……糞ガキィィィィィィ!」

 

東と裕介、両者の声が重なると、裕介のイングラムが戛然の音をたてて、三十二発の九ミリの弾丸を撃ち出すのをやめた。はっ、とした裕介が目線を銃へ切れば、東の足の筋肉が肥大する。這いずる蛆虫のような皮膚の再生を待たずに裕介を始末する為だ。しかし、駆け出す直前に、東は腰に軽い衝撃を受けた。

腰に回された腕は、東が偽善者と呼ぶ田辺のものだ。確固たる熱を帯びた瞳が、凪いだ海のような生き方をしてきた者には決して携えることができないであろう黒目が震えることなく東を見据え、そして、はっきりと口にした。

 

「僕は……僕は……偽善者でも構わない!それでも必ずお前を止めてみせる!」

 

「ああああぁぁぁぁぁぁ!うっとおしいんだよぉ!大人しく鬱ぎこんでろや!偽善者ァァァァァァァァァ!」

 

その隙を縫うように、裕介の傍らを二つの影が抜けた。その背中を裕介は見守りながらイングラムを下ろし、小さく呟くが二人の耳には届いていない。だが、二人は確かな足取りで駆けていく。それだけで十分だ。

苛立つ東は、田辺を振り払う為に、密接した状態で膝蹴りを見舞う。拘束は呆気ないほどに容易く解かれた。大の字に横たわる田辺は、胸骨を損傷したのか、大きく咳き込み血を交えた唾を飛ばす。

そのほんの数秒、野田と田辺、裕介が繋いだ時間があったからこそ、浩太と達也は走り出すことができた。

この場にいる全員が傷付きながら、手繰り寄せた最後のチャンス、最後の希望、最大限に引き出された最後の奇跡だ。



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第12話

 田辺が振りほどかれると同時に、達也はこの地獄と化した九州地方で出逢った人物の中で、もっとも勇敢な男の意思が宿った右の拳へ、身体に残った全ての力を注ぎ込んだ。骨が折れるのではないかと思えるほどに固く握り締めた一撃はどんな攻撃よりも重い。

東が二人に気付いた瞬間、態勢を整えるよりも早く、達也は右腕を引いて叫んだ。

 

「小金井からの預かりもんだ!受け取れ東ィ!」

 

 達也の拳は、東の左頬へと吸い込まれるように沈み、身体を後方へと弾き飛ばす。

 ぐっ、と短い呻きをあげた東は、背中を預けるフェンスが破壊されていることを事前に確認していた為、ふらつきながらも、どうにか縁の手前に踵を置くことが出来た。吹き抜けていく風が東のうなじを撫でた所で顔を戻せば、崩れるように倒れた達也を見て哄笑をあげた。

 

「ひひ……ひゃあはははははは!残念だったなぁ!ええ!自衛官よお!」

 

 達也の背は、ゆっくりと上下はしていたが、腰にある血痕の広さは、限界をとうに超えていることを如実に物語っている。東は嬉々として達也へ止めを刺そうと一歩を踏み出し、異変に気付いた。

 もう一人、残された浩太という自衛官はどこにいったのだろうか。

 そう、思考に過った次の瞬間、裕介のイングラムにより奪われた右側の死角から声がした。

 

「まだ終わりじゃねえ!これが俺達の奇跡が生んだ一撃だぁ!」

 

「しまっ……!」

 

 咄嗟に顔を動かした東のこめかみに、浩太の拳が直撃した。ぎりっ、と奥歯を喰い縛り、全力で東の頭部を打った拳に全体重をかける。

 

「ウオオオオオオオアアアアア!」

 

 浩太の絶叫も伴った一発は、ついに振り抜き、東の身体ごとフェンスの外へと吹き飛ばした。

 

「うっ……あ……あ……?」

 

 途方もない無重力、途轍もない違和感、東の左目に映るのは、白い雲が漂う空だった。

 呆然とした意識の中、東は凄まじい勢いで、あるあるシティの屋上が遠ざかっていくのを実感する。

 違う、屋上が遠ざかっていっているのではない。これまで味わったことのない背中に当たる気圧、目だけを下げれば破壊されたフェンスの奥から覗く浩太の顔があり、それらが意味することを理解するも、全てがもう遅かった。腕や足は万力に絞められたように動かせず、浩太の一撃により逆様の状態で落下していくことに抗えない。

 徐々に皮膚や損傷が回復していくにつれ、視界を取り戻したが、それが東に新たな感情を生み出した。いや、思い出したという方が正しいかもしれない。

 股間が縮まり、意思とは関係なく歯列が震えて音をたてる。やがて、胸から去来した黒い渦のような強い不安により、東はそれが何という感情であるかを悟った。



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第13話

「うあ、うあ……うああああああああ!」

 

 同時に東は大声で喚いた。

 こんな高さから落ちたら自分でも、どうなるか分からない。眼前に突き出された「恐怖」が、輪郭をぼやかしてきていた「死」を意識させた。

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、誰か、誰か助けて!誰か!

 

 声も出せなくなった。ただ、地面が近付いてきているのだけは分かった。

 

 誰か!助けて!お願いだ!安部さん!この手をとって、俺を救いだしてくれ!

 

 気圧の変化が明確に伝わってくる。もう地面はすぐそこにまで迫ってきているのだろう。けれど、伸ばし続けた掌を掴んでくれる者は誰もいない。それも当然だ。東は地面に触れる寸前に呟いた。

 

「あぁ……そっか……安部さんは……もういないんだった……俺が喰っちまったんだった……けどな、覚えとけ、命は巡るんだ……どんなことがあろうともなぁ」

 

 東の眼界で夜に映えるであろう鮮やかな紅色が一気に広がり、それを最後に、東は意識を手放した。

 

               ※※※ ※※※

 

 破壊されたフェンスから顔を出していた浩太は、遥か下方で赤い火花のようなものが散ったのを見届けて、大きく息を吐き出した。

 きっとこれで良かったのだろう、そうに違いないと言い聞かせてはいるが、どうにも心の霞が払い難い。どれだけの変質をもったとしても、東とて人間の一人であった事実はある。できることなら、違う結末も迎えられたのではないだろうか。そこまで考えた浩太は、首を振って気持ちを切り替えた。今は、とにかく次の行動へ移るべきだ。

 浩太は落下した東から目を切り離し、未だ倒れたままの達也に声を掛ける。

 

「よお……生きてるか?」

 

 達也は浅く息を継ぎながら言った。

 

「……この状態を……生きてるって言うならな……」

 

「……そんだけ喋れりゃ上等だな」

 

 浩太が達也へ手を伸ばせば、弱々しくも握り返す。引き上げる途中、二人のもとに田辺が駆け寄り、達也の腕を肩に回して立ち上がる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫とは言いづれえな……まあ、生きてるだけでも儲けもんだ」

 

 達也の軽口を流した浩太は、懸念が残る扉へと目を向ける。蝶番がさきほどよりも大きく歪んでおり、一刻の猶予もないようだった。

 浩太は、裕介達を一瞥し、首だけでヘリコプターへ乗るように指示を送った。

 

「急げ!早く!」

 

 平山の声と共にエンジンが唸りをあげ、プロペラが回り始める。機体を持ち上げる為の、けたたましい音が響く中、浩太は真一の首を一瞥し簡単な敬礼を送った。時間が迫ってさえいなければと渋面しかけたが、相棒にそんな面は見せられない。



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第14話

 ヘリコプターのハッチを開いた平山の誘導で加奈子と亜里沙が乗り込み、機内へ避難していた妙齢の女性と会釈を交わす。続けて、裕介が乗り込んだとき、それは起きた。

 バギン、と屋上への扉が死者の圧力に耐えきれず派手な音をたてて倒され、一気に錆のような匂いが屋上に風が吹いているにも関わらず周囲を満たす。老若男女入り交じった死者の大群は、爆音を鳴らすヘリコプターへ一目やり、揃って走り出し、平山の銃が火を吹いた。

 

「三人とも!急げ!間に合わないぞ!」

 

 達也は浩太と田辺に抱えられた形で、どうにか移動できている。こんな状況に置かれた今となっては、それは致命的だった。恐らく、浩太と田辺だけなら全力疾走すればヘリコプターのハッチに乗り飛び出せるだろう。だが、達也を抱えたままでは間に合わないことは明白だ。

 それでも、浩太と田辺に達也を見捨てるような真似はできない。

 浩太と田辺は、必死の形相で両足を動かしているが、ヘリコプターに乗り込む前に死者の波に飲み込まれるという結末は変わらないだろう。沈吟を奪われた浩太に平山の怒号が飛んだ。

 

「弾丸も少ない!奴等が一斉にきたら終わりだぞぉ!」

 

 銃声が空へ吸い込まれていく。平山の射撃は死者の頭部へ一つ一つ丁寧に撃ち込まれているが、入口は大人が横に並んで三人分、それでも我先に獲物を喰らおうと身体を潰しながら、侵入してきている為、扉の奥から止めどなく溢れてくる大群を相手にするには、弾丸は勿論、集中力も保たない。

 死者の一人が圧迫され、破れた腹部から露出した内蔵に足を滑らせ後続を巻き込み、数人がドミノ倒しになった瞬間、田辺が言った。

 

「今です、走ります!」

 

 浩太も頷き互いに足並みを揃えたが、突然、肩にかかる重みが増した。

 がくり、と支えきれずに膝をついた浩太は呼吸が酷く乱れている達也に気付き、耳元で呼び掛けた。

 

「達也!おい!達也ァ!」

 

 同じく膝を折った田辺が達也の顔の前で小さく手を振り、鼻の位置で止めた。掌に微弱な風が当たってはいる。しかし、血の気が薄い面容から意識を失いかけているのは間違いなかった。さきほど、東に与えた一撃は、真の決死の覚悟だったのだろう。

 浩太の呼び声に反応した数人の死者が嘯き、喉を震わせ走り出す。

 

「クソッタレが!」

 

 達也の腕を肩から下ろし、浩太は構える。先頭の死者の顔面を殴り、転ばせると同時に体重を乗せた踵で腐敗した頭部を踏み潰し、二人目の胸を両手で突き飛ばすと、振り返らずに田辺へ言った。

 

「フェンスまで下がる!田辺さん、達也を!」

 

 今は迫りくる死者と距離を離す。その判断を下しつつ、浩太は死者と組み合った。



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第15話

 目の前では紅い固形物を歯に付着させたまま、ガチガチ、と音をたてる死者の顔がある。腕力で横倒し、浩太もステップを踏むように下がっていけば、フェンスとの距離が縮まり、ヘリコプターとの距離が開く。それでも死者の進軍は止まらない。今は、まだ引き潮の段階だが巨大な海嘯となるまでには、時間も残されていないのだろう。

 ヘリコプターと三人の間を割るように、押し寄せてくる死者を微睡みの中、粗い眼界で見た達也が細い声で言った。

 

「潮時……みてえだな……浩太、田辺さん……俺を置いていけ……今なら間に合うかもしれねえ……」

 

「そうか、そんな無駄口を叩く元気があるなら、まだ余裕だな」

 

 死者を前蹴りで遠ざけ、倒れた一人を踏み潰しながら新手が迫ってくる。イタチゴッコな現状を打破するには、強力な武器が必要だが、そんなものは持ち合わせていない。

 時刻は、十六時になる。田辺から聞かされた時間まで残り二時間、死者が扉の周囲の壁を破壊するか、空から巨大な死神が堕ちてくるか、どちらかで浩太達に確実な死が待っている。ジリジリと目の奥がひりつき、喉も渇きから引っ付き、呼吸すらままならない、だからといって、下澤や彰一、新崎や真一まで失っている以上、もう奪われるのはごめんだった。

 だが現実問題、一体、どれほどの人数がいるのか。唯一、その指針となりそうなのは、入口付近の壁に大きな亀裂が走り出したことだ。

 それを見て悪態をついた平山は、一旦、射撃を中断して踵を返しヘリコプターへ乗り込んだ。僅かに目線を切った間に、亀裂が縦横に走り出し、砂となって落ち始める。加えて、浩太達もヘリコプターとは離れており、弾丸も残り数発、もう、限界だった。

 平山がヘリコプターのハッチに手を掛ける。その行動に異を唱えたのは裕介だ。

 

「おい……おい!一体なにを!」

 

 平山は返事もせずに、力一杯ハッチを閉じ、機内から聞こえたハッチへの衝突音にも振り返らない。その後、窓を叩いているのは裕介だろう。機内には亜里沙と加奈子がおり、開きたくても開けない。

 平山は、迫りくる三人の死者の頭部へ弾丸を放ち、浩太達を目掛けて走り出す。

 

「……うおおおおお!」

 

 自分が何をやっているのか理解している。わざわざ、死地に向かう必要などない。ならば、なぜ自分は走っているのか。答えは簡単なことだ。田辺の味方についた時、平山自身が言っている。

 仕事と感情、人間として優先するのは、感情だとは思いませんか。平山は感情のままに、人として駆け出していた。




報告ありがとうございました……
ほんと!すいません!!!!!!!!!!!!


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第16話

 入口から接近していた二人の顔面を銃挺で叩き潰し、三人を囲っていた死者達の頭部へ弾丸を埋め込むのと、カチッカチッ、と銃から聞こえたのは、ほぼ同時だった。唖然とする三人を尻目に、平山は銃を投げ捨てるように放って口角をあげた。

 

「今ので弾丸はなくなっちまった……」

 

 目を丸くした浩太は、喉から絞り出すように言った。

 

「アンタ……何したか分かってんのか?」

 

 むっ、と不機嫌そうに平山が返す。

 

「なんだよ、まずはありがとう、感謝の言葉は人間にとって基本だろ?」

 

「だからって……」

 

 言葉を詰まらせる浩太の肩を叩き、首を傾けて背後にいる田辺を見てから言った。

 

「子供は大人の理想を押し付けられる、だったよな。だったら、俺も田辺さんの言う大人ってやつみたいだ。だから、付き合うよ田辺さん……大人としてさ」

 

 平山の落ち着いた声に、田辺は目尻を下げ頷いた。

 ヘリコプターに残された裕介と亜里沙、加奈子の三人はこれからを背負っていかなければいけない。今回の九州地方感染事件の全容も、そこさら先のことすらもだ。ならば、浜岡には心苦しいが、ここで彼らを逃がす為に奮闘するのも悪くない。

 死者の一人を殴り飛ばした浩太の背中を眺めていた田辺が拳を握り締めれば、ついに屋上への扉を囲む壁が死者の圧力により崩れてしまう。押し寄せる津浪のように、様々な物体を包む勢いをもった死者の大群は、大音量の呻きを伴いながら四人へ目を向けると地鳴りを響かせて走り出す。

 限界を悟った操縦士がヘリコプターの周囲を囲む死者達を振り切るようにコネクティブスティックを引き機体を浮上させる。ある死者は野田の肉塊を求め、ある死者は真一の首を奪い合い、多くが浩太、田辺、達也、平山へと餓えた獣のように一心不乱に駆け寄ってきていた。

 浩太は、ヘリコプターの窓を一見し、なにかを大声で叫んでいる裕介に右手を突き上げてみせる。浩太にとっては簡単だけれども別れの挨拶のつもりだったのだが、その結末の予想は大きく外れることになる。それは、死者の大群から発せられる圧力を肌に感じられそうなほどに距離が縮まったまさにその時に起きた。

 裕介達が乗り込んだヘリコプターのモーター音が重なっている。その音が徐々に聞き取れるようになり、四人が空を煽ぎ目を剥くと同時に、三台のヘリコプターから途方もほどの銃声と弾丸の雨が、まるで雷雨のように降り注いだ。

 次々と倒れていく多数の死者や突然、現れたヘリコプター、訳もわからず視線を泳がせる四人の元に、拡声器を使った声が届く。

 

「田辺!良かった!無事だったか!」

 

 それは、田辺にとってこの数日間に聞き慣れた声だった。



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第17話

 しかし、なぜだ。どうしてあの人がここにいるのだろうか。あまりにも卒爾な事態に、田辺はヘリコプターの轟音により流されるような小声で言った。

 

「さ……斎藤……さん?」

 

 ただでさえ強い錆の匂いが、ぐっ、と濃度を増していく。

 ヘリコプターからの銃撃に撃ち抜かれ、這っていた死者の頭部を踏み潰した浩太が振り返る。

 

「知りあいか、田辺さん!」

 

「は……はい、東京での僕の仲間です。けれど、どうやってここに……」

 

 頭の処理が追い付かずにいた田辺は、ヘリコプターの腹部に気付く。そこには、警視庁と大きな文字が入っていた。つまりは、斎藤が東京で動き、説得を試みた結果、協力者を得られたのだろう。搭乗者達も迷彩柄の服を着用し、使用されている銃も警察に採用されていないものだった。恐らく、多くの助力を得て斎藤や三台のヘリコプター、そして同乗者達は、この九州地方にやってきたのだ。報道に規制をかけられ、九州地方への連絡も遮断され、交通機関もなく、立ち入りすら許されなかった、この見捨てられかけていた九州地方にだ。拡声器から斎藤の声が響く。

 

「お前達は、急いでヘリコプターへ乗り込め!そいつらは、俺達で引き受ける!」

 

 鳴り止まない銃声は、まるで四人を鼓舞しているかのようだ。身体の奥から熱が甦り全身を巡っていく。

 まだ、ここで死ぬ訳にはいかない。この九州地方感染事件を、今回の事件を明るみにし、被害者の関係者に事実を伝えなくてはならない。

田辺が記者を志した理由は、まさにそこだ。

 

「僕は、まだ世間に何も知らせていない。岡島さん、走って!」

 

「言われるまでもない!俺と田辺さんが道を作る!平山、達也を頼んだぞ!」

 

「了解!」

 

 浩太がヘリコプターからの銃撃を潜り抜けた死者の一人を殴りつけ、二人は互いに頷きあった。もう後戻りも、死ぬこともできない。ならば、あとは生き延びるだけだ。

 

「ウオオオオオオオオ!」

 

 揃って雄叫びをあげ、二人は駆け出した。

 着陸地点まで浮上していたヘリコプターが戻るが、押し寄せる死者を警戒してかハッチは開かず、四人の到着を待っており、窓から覗く裕介の表情は不安で歪んでた。それで良い。無理なリスクを背負う必要はない。

浩太は、正面にいた死者を蹴りつけ、平山に言う。

 

「達也は大丈夫か!」

 

「ああ!まだ、細いが息はある!」

 

 平山の返事に胸中で安堵し、ヘリコプターへの距離を目算で計れば、百五十メートルといったところか。広い屋上を抜ける間に流れ弾に当たるような間抜けな真似はできない。直進距離を一気に抜けること、それが現状では最善だ。



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第18話

 そこで、浩太の右側から飛びかかってきた死者の胸板を両手で田辺が押し返す。

 

「まだ油断はできませんよ、岡島さん」

 

「ああ!ありがとよ!」

 

 気を取り治し、浩太は肺に空気を貯めて一気に吐き出す。

 慎重に大胆に歩み続けた浩太と田辺は、ヘリコプターまで残り五十メートルまで近付く。それに対し、裕介が憂慮のない嬉々とした顔つきでハッチを開く。

 

「みんな!急いで!」

 

 ハッチから身をのりだし、右手で大きく手招きする裕介の腕が突如、機体の側面より現れた一人の死者に掴まれた。瞠目する暇もなく引摺りだされ、転がった裕介に影が重なる。慌てて、死者の首と肩を下から突き上げ口を離せば、幽鬼のように白濁した眼球と視線が合致し息を呑んだ。

 

「裕介君!」

 

 亜里沙の叫び声を聞き、反射的に浩太が駆け出すが裕介が鋭い声で制した。

 剥き出しになった頭蓋、鼻を奪われぼっかりと穴がある顔面、皮一枚で繋がり揺れている耳と変わり果てた面容をしている死者だが、名残のように漂う雰囲気を裕介は忘れられるはずもなかった。

 

「親父……」

 

 ぐんっ、と体重がかかり裕介は唸る。吐息が鼻にかかり、裕介を喰らおうと激しく打ち合う歯の音が聞こえる。

 八幡西警察署で裕介達を死者から助ける為に犠牲となった父親の姿に、裕介は喉を鳴らしつつ、腹の底から噴き上げてくる感情を吐き出すように吼え、奥歯を締めると、かつて父親だった死者の腹部に添えた右膝で蹴り上げる。よろめいた死者は、ヘリコプターに背中からぶつかり転倒を免れるが、既に立ち上がっていた裕介により右頬を拳で打ち抜かれ横倒しになり、すかさず裕介が跨がり、息子を襲った慚愧の念に苛まれているかのように感じられる濁った父親の眼を見下ろした。

 

「親父、覚えてるか?」

 

 感慨に耽る呟きは、父親から発せられる獣声により遮られた。だが、構わずに裕介は続ける。

 

「言ってたよな、正義ってのは生きて誰かを守ることだってさ……」

 

 下から両手を突きだし、裕介の胸倉を掴んだ父親は、そこを起点にして上半身だけを浮かべたが、首を捕らえた裕介の右手により押し戻されれば、何かを訴えるように、更に騒然と喚き始めた。その様子に裕介は柔らかな笑顔を浮かべて言った。

 

「そんなに心配するなって……俺にも出来たんだよ、守りたいもんってやつがさ……その為に、俺は強くなるから……」

 

 裕介の瞳から流れた滴が父親の額を僅かに濡らす。

 

「お袋と天国で胸張って見守っててくれよ。二人の息子だってことを俺も誇りに思うから……だから……いつまでも二人で幸せに……」



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第19話

 八幡西警察署で幼い頃に見てきた父親の大きな背中と、最後に見た背中が脳裏で重なると同時に、裕介は頭を振り上げ、剥き出しなった頭蓋へと渾身の力で振り下ろした。骨と骨が衝突し、肉を押し潰す篭った音がする。引き上げた裕介の顔面は鮮血に染まっているものの、本人は落ち着いた調子で立ち上がる。そこに、到着した浩太が裕介の肩を叩いた。

 

「大丈夫か裕介!」

 

 ビクリ、と肩を震わせた裕介は、数秒だけ黙然と俯いたまま浩太を見ようともせず、ただ動かなくなった死者を眺めていた。

 その様子に、まさか噛まれてしまったのかと、浩太の顔付きが曇っていく。しかし、その顧慮を吹き飛ばしたのは、他でもない裕介本人だった。

 

「大丈夫です、浩太さん……ただ……」

 

 裕介は、自身が手を掛けた死者を一瞥して言葉を切った。浩太が不安そうに先を促す。

 

「ただ……どうした?」

 

 裕介は次々と撃ち抜かれていく死者の大群に無言で目を向ける。

 裕介にとっては、誰とも知れぬ人々にも、当然ながら家族や友人がいたのだ。もしかしたら、その繋がりを持った人間へ怪物のように襲い掛かったり、襲われたりして今に至っているのかもしれない。

 裕介は、今になって感染した父親が自身を撃てと迫った理由を理解できた。あのとき、日常へ戻ろうと口にした裕介に、父親は男として死ねなかった自分を人間として殺してくれと言った。死ねば怪物へ、人間として死ぬならば血を分けた息子の手で、それができるだけ、この現実と向き合えるだけ俺よりも強くなるんだ、と。

 裕介は、再度、父親に視線を戻した。砕かれた頭蓋の下、濁りきった眼球から頬にかけて、僅かに涙の跡を見てとれる。激しい痛苦の中で流したものだろうが、そうも思えない裕介は、胸中で言った。

 

 親父、俺……親父を越えていくよ。今までも、そして、この瞬間に巡り合わせてくれて、ありがとう。

 

 すう、と鼻で息を吸って口から吐き出した裕介は、顔をあげる。その表情は憑物が落ちたような晴れやかな笑顔だった。

 

「……いや、なんでもないです。ほら、みんな乗り込んでますし、俺達も急ぎましょう」

 

 そう言ってヘリコプターへと向き直った裕介の背中に、浩太も曖昧な声しか出せなかった。だが、声や表情からは、遠賀の工場で垣間見た裕介よりも、一段と力強さを感じられる。きっと、裕介の中で新たなものが動き出したのだろう。浩太は、それ以上の詮索をせず、ヘリコプターへと足を掛け振り返る。

 広がる光景は死屍累々の地獄絵図、航空機の墜落事故、突如として起きた九州地方感染事件、絡み合った裏側、それら全てに決着がついたとは言えない。だけど、彼らは、俺達は生き延びた。それだけで良かったのだろう。どんな地獄でも世界に命ある限り、きっと未来は広がっていく。

 浩太が、ハッチを閉めると、操縦士が改めてレバーを引いて機体を浮上させる。少しだけ高くなった視界を照らす夕日を真っ直ぐに見つめながら、浩太は小倉の街を一望して、静かに敬礼を送り続けた。




次回より第34部「未来」へ入ります。
お気に入り360件突破本当にありがとうございます!!


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第34部 未来

「九州地方感染事件から今日で一年が経過しました。都内の公園に建てられた献花台には多くの参列者が訪れ、犠牲者の追悼を……」

 

 岡島浩太は、そこでテレビを切った。

 2LDKのリビングでスーツに袖を通し、鏡の前に立ってネクタイを整える。カーテンの隙間から入る日差しに一目やり、テーブルに置いていた車の鍵を手に玄関を開いて鍵を掛けた。よく晴れた青空に眉を寄せ、エレベーターに乗り込むボタンを押す。腕時計を確認すれば時刻は朝の十時、予定よりも少し遅れているものの、目的地までは充分に間に合うだろう。

 九州地方感染事件と呼ばれる出来事は世間に広く知れ渡ってはいるが、騒ぎは半年足らずで落ち着き、今となっては普通の日常を送れるようになっている。いや、普通の日常とは言えない。エレベーターを降りた浩太は、ロビーの柱に身を隠し自動扉の外側を覗き溜息をつく。

 田辺から事前に連絡をもらった通り、マンションの出入口には、さすがに一年の節目ということもあるのだろうが、人いきれが起きそうなほど大勢のマスコミが押し寄せてきていた。

 大儀な仕事みたいだとばかりに、浩太は踵を返し住民専用の裏口から抜け出し、駐車場まで息を殺し車に乗った所で、まるで一年前の頃のようだとキーを回した。もっとも、緊張という点では比べようもない。

 浩太はアクセルを踏み、駐車場の出入口でマスコミ関係者に車ごと囲まれる前に、なに食わぬ顔でマンションを後にした。腕時計は十時十五分を指している。約束の時間まで残り一時間十五分、目的地までは三十分もあれば到着するだろう。ドアガラスを開け、煙草に火を点けると、助手席に一本だけ残した箱を置いた。

 

               ※※※ ※※※

 

 県境にある閑静な墓地に車が一台停まっているのを見た田辺は、念のためにナンバーを確認してから自身の車を停めた。約束の時刻より十分前、ピッシリと折り目がついたスーツを着こんだ田辺は、後部座席にいる三人に声を掛けて、新聞紙を片手に車を降りた。

喪服ではアイツに会いたくないし、多分、逆の立場なら同じことを言うだろうな、という見解を受けスーツにしてみたのだが、墓地との不釣り合いは自分でも正しいのだろうかと首を傾げたくなる。

 ここまで来てしまったからには、今更、戻る訳にもいかず、田辺が目的の墓まで歩き始めてすぐに、墓石の前で紫煙を燻らすスーツ姿の男を発見し微笑する。

 

「岡島さん」

 

 田辺の声に気付いた浩太は、軽く会釈すると携帯灰皿に煙草の火を押し付け、さっ、とポケットに納めた。

 

「久しぶりです。田辺さん、いや、支局長って呼ぶほうが良いですかね?」




第34部始まります!
もう終わり近いんですけどね!www


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第2話

 意地悪く言った浩太に、田辺はやや眉間を狭めて胸ポケットに差していたボールペンで頭を掻く。気恥ずかしさなどではなく、純粋に呼ばれ馴れていないのだろう。

 

「やめてくださいよ、岡島さん……普段の呼び方、話し方でどうか一つ」

 

「そうか?なら、言葉に甘えるとするよ」

 

 短く笑った浩太は、すいと目線を墓石に戻す。二つ並んだ墓石の碑石には佐伯と坂元が刻まれ、香炉にはそれぞれ煙草が一本ずつさされていた。田辺は、なにも記載されていない墓誌を一瞥して息を吐く。

 

「キチンとした墓を贈りたかったのですけど、こればかりは仕方がありませんね」

 

「そうだな。けど、いつかは九州に墓を移すつもりだし、その時でも良いさ」

 

 いつなるかは分からないけどな、そんな意味が含まれた言葉に、田辺は影を落とす。

 現在の九州地方は完全に隔離された状態だった。放射能などの影響もそうだが、なによりも危惧されているのは、未だに生き残った死者がいるかもしれないという部分だ。何度も九州地方の上空から爆弾を落としてはいるが、生き延びた五人の証言をもとにした政府は対策に追われている。

 そこで田辺は、手にした新聞紙を差し出して言った。

 

「読みますか?九州地方感染事件について、僕がまとめた記事です」

 

 浩太は、差し出された新聞を手にはしたものの、広げることなく顔の横で小さく振った。

 

「新聞ってやつは、どうにもいけない。ある程度の知識があることを前提に文字を連ねるからな。俺みたいに学がない人間からしてみりゃ、厄介なもんだ」

 

 不貞腐れるような言い種に、田辺は吹き出した。あれほどの逆境を乗り越えたとは思えない佞悪としていて、幼稚な返答だ。学がなければ身につければ良い。それこそ、命にしがみつくよりは、よっぽど楽なのではないだろうか。けれど、人とはこんなものだ。

 目の前の困難に立ち向かう時、人は本物になれる。

 

「……岡島さんらしい返答ですね」

 

「どんだけ学がない奴でも面白い記事ってやつを作れないもんかな?」

 

「面白いとは、面が白いと書きます。新たな物を白紙に連ねるとき、それが出来上がるのかもしれません。それは果てしなく難しいことなのでしょうけど」

 

 浩太は不敵に返す。

 

「知らないのか?俺達には不可能ってもんはないんだ」

 

 その言葉の説得力を伴いながら、さきほどの学がないという発言との矛盾、そこを突くことなく、田辺は短く笑って返す。

 

「ええ、そうですね。不可能を可能に、それが人間なのでしょうね……良くも悪くも……それが始まりというものですかね」



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第3話

 少し離れたところから軽い足音がする。二人は揃って顔を向けると、厚い雨雲が遮る空から、差し込む光のような笑顔の加奈子が柄杓と手桶を持って駆けてくる。その様子を眺めていた浩太が不意に言った。

 

「いいや、過ぎ去ったから終わった訳じゃない。過ぎ去ったから始まるんだ」

 

 柄杓と手桶を地面に置いた加奈子を浩太が抱き上げると、満面の笑みを浮かべた。大人でも気が滅入る体験をしてきたというのに、やはり子供は強いものだ。すぐに、花をもった亜里沙と線香や供え物を持参した裕介も合流する。

 

「浩太さん、マンションはどうでしたか?」

 

 裕介の問い掛けに、浩太は苦笑する。

 

「聞かされた通りだった。三人を田辺さんのとこに行かせて良かったよ……もしも四人で出て行たら今頃、ここにはいない」

 

 亜里沙は、花立を抜きとり拝石に花を置きつつ言った。

 

「けど、加奈子ちゃんは田辺さんの所でお菓子ばっかり食べてたんですよ?田辺さんも浜岡さんも加奈子ちゃんに甘いんだから……」

 

 溜息混じりの言葉を受け、抱き上げたまま加奈子の口元を見れば、田辺の車でも何かを食べていたのか、少し汚れている。浩太はハンカチを取り出してバツが悪そうな加奈子の口元を拭う。

 

「けど、家でご飯もちゃんと食べてるんだ。良いんじゃないのか?」

 

「だけど、このままじゃお肉が付きすぎるんじゃないかって……変な病気になっても……」

 

「亜里沙は、心配しすぎなんだよ」

 

 ぽん、と肩に手を置いたのは裕介が彰一の墓石に目を向けながら続ける。

 

「それにさ、俺達は九州地方を生き延びたら、それぞれにやりたいことを決めただろ?今はまだ、これで良いんだよ」

 

 不服そうに唇を尖らせた亜里沙が、横目で浩太に抱えられた加奈子を盗み見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。慌てて立ちあがった亜里沙は、加奈子へ両手を伸ばす。

 しばらく亜里沙の腕を見詰めていた加奈子は、ついと涙目を合わせ訊いた。

 

「お姉ちゃん……怒ってない……?」

 

「うん、怒ってないよ」

 

 向日葵のような笑顔が咲き、浩太から亜里沙へと移った流れに、田辺は両親を無くした少女という悲劇的な側面を持ちながらも、煢然たる様子が全くない加奈子が少し羨ましく思えた。

 野田貴子は、学生でありながらも現在、厳しい管理下におかれ田辺であろうとなかなか面会はできない。浜岡や斎藤も尽力した結果、どうにか自宅から学校、買い物にも行けてはいるが、不自由な生活を余儀なくされている。

 

「野田のことでも考えてるのか?」



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第4話

 不意に浩太の声が聞こえ、田辺は頷く。

 

「相変わらず、岡島さんは鋭いですね」

 

「達也が手にかけたっていう女医の名前を調べてるときと同じ顔してたよ。けどさ、俺が言えたことじゃないけど、田辺さんはよくやってくれてるよ。俺達にも、そして、野田の娘にもな……それと、一つ尋ねたいんだけど良いか?」

 

 田辺は再度、頷いて先を促す。その仕種を認めてから浩太が口を開く。

 

「ここに来る前、ニュースで献花台を設置したって流れてたが、あれは田辺さんが?」

 

 首を横に振った田辺は、落ち着いた口調で返す。

 

「いえ、あれは浜岡さんが用意した物です。僕は場所の相談を受けただけですよ」

 

「俺もあれからいろいろと聞いてるけど、あの公園って……確か野田の奥さんが……」

 

 浩太の暗い声とは逆に、田辺はきわめて明るく答えた。

 

「ええ、良子さんの遺体が発見された場所であり、あの事件が発生する原因ともなった公園です。けどね、岡島さん……僕らはこの一年を乗り越えてここにいます。それは新たなスタートを切る為にです。ならば、あの公園には僕らが乗り越えるべき最初の壁であり、世界が新たな一歩を踏み出す場所でもある。野田さんと良子さんの話しは絡んでいませんよ」

 

 澱みなくハッキリと言い切った田辺に、浩太は短く、そうか、とだけ残して煙草に火を点けた。

 

「そういえば、平山って奴とは連絡とれたのか?」

 

「いえ、どこにいるのか検討もつきません……常識の通じない仕事をしているようでしたし……まあ、いずれ再会できますよ。そんな予感がします」

 

 香炉に残った煙草が半分ほどになり、ポロリと灰が落ちたとき、一台の車からクラクションが響く。一斉に顔を向け、車から降りてくる人物に浩太が手を振った。

 

「達也!こっちだ!」

 

 ジーパンとシャツというカジュアルな服装で現れた達也は、短い返事をして歩いてくる。その途中、二人の装いに気付いたようだ。自身の格好を一度見直す。

 

「なあ……俺が間違えたのか、お前らが間違えたのか、この場合どっちだ?」

 

裕介と亜里沙が吹き出す中、浩太が達也の胸を小突いて言った。

 

「どっちもだよ、馬鹿野郎」

 

 達也は笑い、改めて碑石へと向き、その間に、助手席から私服の浜岡が線香や花などの一式を持って降りてくる。浩太と田辺の一礼を受け、浜岡は裕介の足元にある線香のセットを見た。

 

「ああ、やはり、持ってきていたね。不慣れだろうからと用意してきたのだけど不要だったね」

 

「いえ、お気持ちはありがたく頂きます」

 

 裕介が腰を折り、亜里沙もそれに倣う。年齢のわりには立派だと浜岡が感心していると、浩太が声を掛けた。



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第5話

「浜岡さん、献花台の件と度々の支援、ありがとうございます。本当にどうお返しすれば良いのか……」

 

 浜岡は首を振った。

 

「それは、こちらだけじゃない。ここには来れていない斉藤さんを始め、様々な人の助力があったからだよ。それに見返りなんか求めていないよ。もう充分に頂いているからね」

 

 眉をひそめた浩太は続けざまに首を傾げ、俺達がなにを、と呟く。浜岡は満足そうに頬を弛ませた。

 

「岡島君、人間という二文字はとても裕福な文字なんだ。どういう意味だと思う?」

 

 まるで、子供への謎かけのように浜岡が尋ねる。その楽しそうな表情は崩れることなく浩太を真っ直ぐに見据える。

 柔和な口調とは真逆の意思を宿した双眸に、浩太も本気で熟考したが、やがて、お手上げだと諦念の息をついた。どうにも、浜岡を相手にしていると、いろいろ深く考えてしまい溝に嵌まってしまう。それも浜岡の手の上で転がされているようだが、答えが出ない以上は仕方がない。少しして、浜岡が喋りだす。

 

「人はね、間に立つことができるから人間なんだよ。今の世の中、人と人の間に立てる人物はそういない。けれど、君達を九州地方から救う為に、こちらの人間は確かに繋がった。繋げることが出きるのは間に立っている人だけ、離れた両手を繋げられるのは、間にいる人だけだ。君達はこちら側を繋いでくれた、それだけで充分だよ」

 

 浩太の心に浜岡の声が、すとんと落ちた。その後、破顔した浜岡は、亜里沙に持参したお菓子を手渡している。

 そうだ、人間は繋らなければ意味がない。それが絆というものだ。

 だとすれば、浩太や達也、真一、裕介、彰一、亜里沙、加奈子、全員が強く結びついていた。数々の犠牲になった人物達とも、歪であろうと繋がっていた。繋がること、繋げていくこと、それこそが人間なのだ。

 浩太は胸の位置を強く掴み、小さな声で囁く。

 

「俺達は……誰かと繋がっている限り……人間なんだ」

 

 墓前にいた達也が香炉に、それぞれ煙草を供えて浩太の隣に並んだ。その顔付きは九州地方にいたときよりも晴れている。

 

「なんの話しをしてたんだ?」

 

「ああ……人間って素晴らしいものなんだって話しだよ」

 

 達也は笑って言う。

 

「そうだな。その通りだ……だからこそ、俺達は生きていけるんだからな。真一や彰一の分も」

 

 二人は互いに碑石へと拳を掲げた。見えない手が二人の拳に当たった気がする。

 亜里沙が花立を彩り、裕介が蝋燭の準備を終え線香を立てていき、全員で手を合わせる。こうして繋がりを保っていれば犠牲になった者でも人間でいられる。

 新たな煙草を香炉にさしていると、やがて、久し振りに揃ったということもあり、食事に行こうと田辺が提案した。勿論、異論はない。六人が墓地を去っていく中、浩太はもう一度、碑石を仰ぎ、香炉へと目線を下げる。

 さきほど香炉にさした二本の煙草は、まるで誰かが吸ったように、半分ほど灰になっていた。

 浩太は、頬を弛ませ肩を揺らし、踵を返すと背面にある二つの墓石に吸い込ませるように言った。

 

「またくるからよ。大丈夫、絆がある限り、繋がっている限り、俺達の未来は明るいさ」

 

 ざあっ、と吹き抜けた風に混ざった緑の匂いを嗅ぎ、浩太は六人の待つ日常へと歩きだした。




次回エピローグを一話挙げて本編終了です
ここまできて長年やろうやろうと思いながらも、いつしか忘れてしまっていた編集をしています……


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エピローグ

 都内の病院に一際大きな産声が響いた。

 二千六百グラムの適正体重で産まれた男の子は分娩室で助産師にとりあげられ、約九ヶ月を経て母親と対面する。

 当然、母親は積み重なった疲労と心労、そして満面の笑顔をもって泣きじゃくる子供と出会う。

 この瞬間だ、この命を産み出す瞬間とは、なんと素晴らしいものだろうか、と助産師の女性も、つい目頭を熱くさせてしまったようだ。そもそも生まれることが難しかった赤子が健康児と同じ体重、そして大きく泣き声を発していることが堪らなく嬉しかった。

 額に大粒の汗を水を被ったように浮かせ、穏やかな眼差しで我が子を抱く母親に助産師が声を掛けた。

 

「おめでとうございます。本当に、本当に……」

 

 堪えきれなくなった助産師の頬に涙が一筋流れ出す。それを受けた母親は、一度だけ頷く。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 慈愛の表情に見合う声音は、助産師の鼓膜すら優しく揺らす。

 元気な産声が徐々に小さくなっていく頃、ストレッチャーに乗せられた女性と助産師が分娩室を出て、赤ん坊が無菌室へ運ばれた。現在、出産直後から同室となるのが一般的になっているが、こればかりは仕方のないことだと助産師が顔をしかめる。心苦しいが、母親はあの九州地方感染事件から生き延びた数少ない人間の一人、赤ん坊は少しの検査を余儀なくされてしまい、母親も了承済みだった。

 病室に到着し、ストレッチャーからベッドに移る途中、助産師は励ます為に女性に言った。

 

「大丈夫ですよ。きっと、何事もなく検査も終了しますから」

 

 女性は微塵の不安も感じていないのか、分娩室と同じ顔付きで微笑んだ。

 

「はい、私もそう思います。なにせ、あの人の子供ですから……」

 

 入院期間、見舞いにきたのは同じく九州地方を生き延びた数人のみ、しかし、事件を思い出してしまうからと面会を拒絶してきた。そうした経緯を思い出し、助産師は謝罪を口にした。きっと、あの赤ん坊の父親は、もうこの世にはいないのだろう。それでも、女性は生きて新たな命を、亡くなった男性の一部とも言える男の子を産み落とした。そんな偉大な女性は、助産師の謝罪も、気にしないでください、とだけ返す。それでも感じてしまう気まずさを払拭しようと、助産師は話題を変える為、明るく訊いた。

 

「そうだ、お子さんのお名前は、もう決められたのですか?」

 

 女性は、首肯して顔をあげた。

 

「ええ、彼の名字はそのままに……彼にとって、とても大切な方の名前をあげようと思っています」

 

「是非、聞かせてもらってもよろしいですか?邦子さん」

 

 本来であれば旦那となる男の役目なのだろう。けれど、その役目を果たせる人がいないのであれば、と助産師は考えて言った。

 女性はその気遣いを知ってか知らずか、変わらぬ口調で言った。

 

「勿論……あの子の名前は、東……東孝之です」

 

 邦子の病室へ一際甲高い泣き声をあげながら、簡単な検査を終えた赤ん坊が戻ってくると、再び、母親となった邦子の腕に、長い旅を終え、巡ってきた小さな命が包まれた。

 

                感染 終わり




次回あとがきです
遊びますw


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あとがき1

s「また呼び出されたよ……なんなんだよ……こっちは疲れてるってのによ!マジでゾンビなら片腕とか盗られて呻いてろよ!だんだん腹たってきた……扉蹴り開けてやろうか!おらぁ!」

 

ゾ「おーー、よーーきたのーー痛い!?」

 

s「おお!?奇跡のようなタイミングで開けてきやがった!すげえ!」

 

ゾ「スゲエ!じゃねえよ!お前、救急車で運ばれた辺りから全く進歩してねえな!」

 

s「人ってそんな簡単に変わるものなのだろうか?」

 

ゾ「絶妙に哲学ぶってるくせに外してるとこが痛いな」

 

s「めっちゃ恥ずいからやめて!」

 

ゾ「まあ、良いや。ほら、早く入れよ。完結のお祝いしてやるからさ」

 

s「え?お祝い?マジで?腐った肉とか嫌よ?」

 

ゾ「お前、俺をなんだと思ってんの?」

 

s「え?スミスだけど?初めて仲間になったときは友達と爆笑したもんだ」

 

ゾ「俺が笑われてるみたいな流れやめろ」

 

s「冗談だよ」

 

ゾ「冗談ではねえだろ!思い出を捏造したみたいなってんぞ」

 

s「で、そのお祝いの席ってどこよ?下らねえとこだったら、マジ、バチコーーンいくよ?」

 

ゾ「はあ……ここだよ、この扉の奥……痛ぁ!?」

 

s「ここに良い思い出ねえんだよ!正座させられ、煙草投げつけられてよお!忘れたとは言わせねえぞ!」

 

ゾ「しょうがねえだろうが!じゃあ、何か?お前、俺みたいなゾンビが入店できるとこでも紹介できんの!?」

 

s「……土下座で許してもらって良いっすか?」

 

ゾ「もういいっての!くそっ!マジで損した気分だ!」

 

s「まあ、そう怒るなよ。寿命縮まるぞ」

 

ゾ「俺もう死んでるぞ?」

 

s「…………酒って用意してる?」

 

ゾ「あ、お前マジボケかましたな?とりあえずは、用意してるから入れよ」

 

s「最近、茜霧島ってのにハマってんだけどある?」

 

ゾ「おお、あるある。そこ座れよ。ロックで良いか?」

 

s「うん、あ、できればちょっと水もいれといて。すぐ酔うかもしんないから」

 

ゾ「あいよーー、こんなもんか」

 

s「おお、丁度良いな。んじゃまあ、乾杯ってことで良い?」

 

ゾ「おう、完結おめでとさん」

 

s「……ほーー、やっぱ茜旨いねーー」

 

ゾ「悪くはないなぁ……でさ、本題といきたいんだけどよ」

 

s「ん?完結パーティーじゃねえの?本題そこじゃねえの?」

 

ゾ「まあ、それは建前ってことで……お前に聞きたいことあんのよ、感染のことで」

 

s「水差すようなこと聞かないなら良いよ」

 

ゾ「うわ、ずっる……安全面強化してきやがった」

 

s「んで、なに?」

 

ゾ「まあ、良いや。多分、大丈夫だろうから。じゃあ、質問するわ、最後にさ東の子供できたじゃん?あの下の名前って感染内ででた?」

 

s「出てないな。番外編にはでてるけど、これ読んでない人にとっては?ってなるよねw」

 

ゾ「笑ってんじゃえよ!それってありなの?」

 

s「ありじゃないの?本編では安部って両親からもらった名前捨ててるからね」

 

ゾ「ん?てことは、ああ、なるほどな」

 

s「どしたん?」

 

ゾ「だから、最後のほうで真一と田辺に名前を強調させたのか」

 

s「おーー、よくぞ気付いたねーー……自分で書いててすごい違和感あるけど……」

 

ゾ「声ちっさ!?なんて言ったのいま!?」

 

s「なんでもないのよ、なんでも」



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あとがき2

ゾ「それあれか?ミナリン……」

 

s「で、次の質問は?」

 

ゾ「こいつ……次はあれだ。東についてだ。結局、東はなんだったんだ?人間らしくなったの?」

 

s「アイツはねぇ、結局、最初から最後まで人間だったんだよ。どれだけ驚異的な力を持ったとしても、それをどう選んで使うかは人間しか考えないだろ?神様までいきたいなら持って生れたもんで勝負しなきゃね。だから、途中で狂わせたんだよ。初期から中盤の序盤までは持って生れたもんを全面に出してたけど、後期には丸まって人間の枠から外れようとしてたから狂っちゃって主張を乖離させちゃった」

 

ゾ「じゃあ、アイツは初期のままなら生きてたの?」

 

s「それはねえよ!俺、アイツ嫌いだもん!」

 

ゾ「こーーんな面倒な奴だったかなぁ、お前……」

 

s「アイツ出てくる度に、言動に大きな違和感を覚えられないように少しずつ変えていって……俺の苦労が分かるのか!?正直、忙しいから更新してなかった期間にも奴の台詞だけはパソコンに打ったりしてたからな!本当、なんなのアイツ!」

 

ゾ「お前のキャラだろうが!そこまで言うなや!それに他のキャラの台詞だってやってたろうが!」

 

s「他キャラ× 三くらいかな」

 

ゾ「いや、そんなにいるか?」

 

s「パターン用意してたからな」

 

ゾ「ああ……そういう……」

 

s「しっくりきそうにない、絶妙なとこをね、ちょっとずつね。そしたら面倒になっちゃってね。最後はもう俺が東絶対殺すマンになってたw」

 

ゾ「自分のキャラそこまで乏せるのってお前くらいだよな、多分」

 

s「まあ、世間ってコミュニティから外れてた東は、他人の視点で見れば人間の思考や道徳観から離れてるからね。みんなが一律で持ってる常識が異なる奴は弾かれちゃうんだよ。人間だけど人間じゃないって認識持たれちゃう。だから理解者を求めて、理解者に依存して、けれど理解者を理解できないっていう訳の分からん状況になって間違えちゃう」

 

ゾ「けど、東って理解してやるって言ってたけど?」

 

s「それは東自身にも初期で言わせてるんだけど、人殺しの思想ってのは同じ人殺しでも理解できないんだぜって。その後に、誰も理解したくねえっての、ひゃはははは!ってね。依存相手の思考に寄っていく、だけど、つまるところ、東は全てにおいて自己完結しちゃう。それは理解ってのと反対にあるよね。この自己完結が肝なんだよ」

 

ゾ「ていうと?」

 

s「自己完結、簡単に言い代えれば自分なりの答えを持ってるってこと。人間、言い切られたら弱いからねーー……俺も仕事中に……うっ、頭が……!」

 

ゾ「こいつ、嫌な思い出ありそうだな……」



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あとがき3

s「まあ、あれだ。東ってやつを一言で表すなら甘いってことだ。よく言うじゃん?家庭環境のせいで、俺は不良になりましたってさ、それも甘えだよね。俺はそうはなるまいって頑張ることもできたんだから。ただ、その道が険しいもんで楽なほうへ流れる。それと東も同じだよ」

 

ゾ「ほーーん、つまりは甘えん坊ってことか。いやはや、こう聞くと佞悪しすぎじゃね?とも思うが、長くなりそうだし、もういいや」

 

s「やっつけみたいになったな。極端にまとめるとね、信じるより疑うほうが楽だってことでよろしく」

 

ゾ「じゃあ、次はその流れで安部についてなんだけど」

 

s「もう本編に書いてるから、安部は飛ばしても良いんじゃね?書いてる以上のものはないよ」

 

ゾ「え?そうなの?」

 

s「うん、ていうか、まだ番外編が終わってないし、バレは嫌」

 

ゾ「ああ……そういう……なら、次は何を書く?ドロップのほうにとりかかるのか?」

 

s「ドロップはねーー、悲しいことにねーー、プロットと資料をねーー、無くしちゃったんだよねーー」

 

ゾ「え?どうやって?」

 

s「引っ越しの時にねーー、手伝ってくれた友達とねーー、適当に段ボールをホイホイしててねーー、よく確認せずにねーー、ネタに使おうと新聞の切り抜き集めてたスクラップ帳とかねーー、入れてた段ボールをねーー」

 

ゾ「その喋り方イラッ、とするな」

 

s「んで、新居で片付けてたら、あれ?あれれれれ?おかしいですよぉ?あれ?あれーーって」

 

ゾ「加藤一二三の真似はええから……」

 

s「多分、そのタイミングしかないんだよ。あれだけ探して見付からないんだから……感染終わるまでにはとか思ってたら終わったし」

 

ゾ「けど、更新はしてんじゃん」

 

s「うん、出来るかな?と思ったけど先を考えたら難しいね。本来、書こうとしてたのと変わってしまうし、なにより資料がないってのが痛い。今から集めるにしても再開が遅くなるし、うーーんってとこ」

 

ゾ「図書館行ってコピーしてくりゃ良くね?読んでたんなら年代は覚えてんだろ?」

 

s「……貴方は天才か?」

 

ゾ「いや、気付けや!」

 

※本当に気付いたの2日くらい前です

 

s「まあーー、いろいろ事情もあって結局は、新しいの手つけることにしてね。どうせなら書いたことないやつにしよってことで」

 

ゾ「sinってやつ?」

 

s「そそ、いやぁ、難しいね。ストーリーの流れはあるけど、どう文字にしたら良いか分かんない。軌道にさえのればってとこだ」

 

ゾ「どれもそうだと思うけど……じゃあ、しばらくは新しいやつと番外編の更新なんだな?」

 

s「そーーなるねーー」



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あとがき4

ゾ「てか、番外編の一人称苦手なんだろ?書き上げられんの?」

 

s「それを言うなよ……ネタは全部、というより構成はあるんだから、頑張ればなんとか……うん」

 

ゾ「うん、で切るな!奥歯に物が挟まったみたいな違和感があるから!」

 

s「ぶっちゃけ一人称で書いてる人は、マジでリスペクトっす……それに慣れるって目的でもドロップ書いてたのもあるけど……」

 

ゾ「まあ、ドロップはそうなってる訳だしな」

 

s「とにかく、頑張って番外編は書き上げるよ。現在ファンタジーはただいま勉強中です。難しすぎて書いては消し、書いては消しの繰り返しです」

 

ゾ「ん?勉強中って?まさか、内容考えてねえの?」

 

s「いや、あるにはあるけど、書いたことないジャンルなんだよねw」

 

ゾ「いきなり笑い出すな、怖いからマジで」

 

s「けど、そっちも頑張る。うん、頑張る」

 

ゾ「言い聞かせてるなーー自信の無さが滲み出てんなーー期待できそうにないなーー」

 

s「自信の無さって点では、感染もそうだったなぁ……最初は仲の良い創作友達に、このサイトで二次創作書いてみ?お前ならイケんじゃね?って言われてハーメルン知ったんだけど……」

 

ゾ「えらく買い被られてんな……」

 

s「そうなんだよ!んで、テイルズと遊戯王の二次な!ってジャンルも決められてねえ……けどさぁ、自分が書きたいやつじゃないから楽しくないじゃん?速攻で止めたよね、多分、両方とも一万字にも達してなかったよ。だから、書いたとも昂然と口に出来ないw」

 

ゾ「まあ、分かる気はする。書きたいものじゃないとモチベーションも下がるだろうしな」

 

s「それから数ヶ月は書きたいもん書こうと思って、それがドロップだったのね。それからは資料とか、昔読んだ本とか引っ張りだしたりして……その過程でゾンビもん書いてみたいと思ってたなって。ホラー好きだし、こっちが書き始めた頃はオリジナルのゾンビものほとんどなかったしね」

 

ゾ「チャンスやと思ったん?少ないならいったれーー!みたいな心持ちやったん?」

 

s「それはないなぁ……むしろ、自信がなかったからドロップのことしか考えていなかった」

 

ゾ「読めたぞ?お前、別のサイトで短編してたときに無くしたことに気づいたな?」

 

s「うっわ、嫌な奴だなお前……匂いだけにしてくれよ」

 

ゾ「臭いか!?臭いのか俺は!?」

 

s「まあ、結果そうなんだけどさ。だったら一本に絞るかってことで、ここまできたんだ」

 

ゾ「長かったな」

 

s「あっという間って気もするけどね」



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あとがき5

ゾ「じゃあ、話題変えるけどさ、反省点ってあんの?」

 

s「めっちゃあるに決まっとるやないかい!ありすぎて困惑しつつあるが!」

 

ゾ「えぇーー……急にキレてるし……」

 

s「ああしておけば、こうしておけば、あの台詞がもっと違えば、あの行動はないわぁ……とか、あげだしたらキリがないよ」

 

ゾ「例をあげれば?」

 

s「いや、すんません、正直ありすぎて……どっから手をつければ良いやら……」

 

ゾ「じゃあ、逆に気に入ってるとこは?」

 

s「全部に決まっとるやないかい!終わらせたくない病を発症してるってえの!」

 

ゾ「こいつ、もうわかんねえな……」

 

s「人が面白いと思うかどうかは別にして、自分が面白いと思えるから気に入っちゃうんだよね。みんな、そんなもんだと思うよ」

 

ゾ「テンションの上がり下がりが激しすぎて疲れるわ……」

 

s「反省点も沢山あるってのも本当だし、むしろ、反省点しかないかもしれないけど、やっぱり書き上げたら嬉しいもんだ。エピローグとか、あの場面に物語を向かわせてただけあって超好きw」

 

ゾ「自惚れてんなーー、展開バレバレだったじゃん?やっぱりとか言われてたし」

 

s「そりゃ、よく読んでくれてる方だし、当てられるのは分かってたよ!むしろ、ありがとうございます、と直接、お礼を言いたいくらい」

 

ゾ「ありがたい話しだよな」

 

s「本当にね。三年前の一話から、ずっーーとだよ。仕事が忙しいとか、別の場所で書いてて休んだ期間も見捨てずに待っててくれてるなんて感動したよ。それに、推薦してくれる方もいたりして、すっごい嬉しかった!」

 

ゾ「推薦されたとき、半泣きになってたもんな」

 

s「目頭が熱もってたね。いやぁ、本当にありがとうございます」

 

ゾ「そして、最後の最後にやらかしたと」

 

s「……はい、あとがきをsinにあげてしまい、申し訳ありませんでした……報告ありがとうございました!面倒かけて本当にすいません!最後の最後まで本当に申し訳ありませんでした!」

 

ゾ「よっしゃ、じゃ、ひとまず質問は置いとくとして呑み直しといくか。ほら、グラス持てよ」

 

s「ああ、そうだった。そういう流れだったな……」

 

ゾ「まあ、とりあえずお疲れ」

 

s「はい、お疲れ様でした。最後になりますが、これまで付き合って頂いた沢山の方々に厚くお礼申し上げます。正直、お気に入り登録やUA数が予想よりも十倍以上多くて、本当に感謝しかございません。長い間ではありましたが、ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします!」

 

ゾ・s「かんぱーーい!」

 

あとがき 終わり

 



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