俺と彼女と召喚獣 (黒猫箱)
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第一巻『試召戦争編』
第1問『始まりの春』



とりあえずプロローグということで。
短いですが、どうぞ。





 

 

『ねぇ、達哉』

 

『ん? なに、優子?』

 

『達哉は、その……あ、あたしのこと、好き?』

 

『うん、好きだよ』

 

『それは……友達としてじゃなくて、女の子として?』

 

『もちろん』

 

『な、なら……大人になったらあたしを、お、お嫁さんにしてくれる?』

 

『お嫁さん? それって結婚ってこと? いいよ』

 

『ホ、ホント!? じゃあ、約束よ!』

 

『うん、約束』

 

『絶対だからね! 指切り!』

 

『はは、分かったよ』

 

『行くよ、せーの!』

 

『『ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます、ゆびきった!』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺――神崎達哉(かんざきたつや)がこの文月学園に入学してから、早いものでもう二年が経過していた。

 季節は春。校舎へと続く坂道の両脇には、新入生を迎えるための桜が満開に咲き誇り、その眺めには一瞬目を奪われてしまう。

 

「遅いぞ、神崎!」

 

 桜並木を抜けて校門まで辿り着くと、目の前に浅黒い肌をした短髪のいかにもスポーツマン然とした男が現れた。彼の姿を見て、俺の表情は苦々しく歪められた。

 

「ぬわっ、鉄人!? しまったぁ! 朝からグロテスクなものを見てしまった!」

 

 思い切り殴られた。

 

 

 

 

 

 

「全く、朝から何て失礼な奴なんだ貴様は」

 

 拳を力強く握ったまま、目の前の巨漢は大きく溜息をついた。そんな彼の目の前には、大きなたんこぶを拵えた俺がいる。俺は直角に腰を曲げて、教科書の見本になりそうな謝罪態勢を作った。

 

「どうもサーセン鉄人先生」

 

「……もう一発いくか?」

 

「申し訳ございません西村先生」

 

 青筋を浮かべながら鉄人――もとい、西村先生は再び大きな溜息をついた。

 

「今年こそはお前の――いや、お前ら(・・・)のその人を舐めくさった態度を矯正するのが俺の目標だ」

 

「そりゃまた……果てしないですね」

 

 あ、鉄人の拳がギリギリと音を立てている。そろそろふざけるのはやめにしよう。

 

「ところで、わざわざ先生が校門で生徒を待ち伏せなんて、気色わ――趣味悪いですね?」

 

「……後半の言葉は聞かなかったことにしてやる。お前に渡す物がある。ほら、受け取れ」

 

 そう言って鉄人が懐から取り出したのは、一通の封筒だった。宛名の欄には『神崎達哉』と大きく俺の名前が書いてある。

 

「……これは?」

 

「振り分け試験の結果用紙――つまり、お前がこれから一年間所属することになるクラスが書かれている」

 

「あー、なるほど。そりゃあどうもです」

 

 特に関心を抱くわけでもなく、俺はその封筒を受け取った。

 

「……まあ、お前には特に関係のない物だがな。一応、形式的に渡しておく」

 

 鉄人の言葉も右から左に受け流して、俺は封筒の開け口部分を破って封を切る。この中には俺がこの先一年間所属することになるクラスが書かれているという。

 一体俺はどこのクラスなんだろう、クラスメイトはどんな奴らなんだろう――なんて感情は湧き上がらない。

 

 なぜなら、

 

 

『神崎達哉……Fクラス』

 

 

「やっぱな」

 

 最初から所属するクラスが分かっているからだ。

 

「やっぱな、じゃない! 全くお前という奴はどこまでもふざけおって! まさか、振り分け試験をサボるとは思わなかったぞ!」

 

 この文月学園は学力至上主義の学校で、二年生に上がる際、三月の終わりに『振り分け試験』というテストを受けさせられる。この試験の結果、点数が高かった者から順に最上級クラスのAクラス〜最底辺クラスのFクラスに振り分けられる。俺はその振り分け試験に出席せず、0点扱いとなってしまったのだ。

 

 しかも、その理由はというと――

 

「一日中寝ていただと? この救いようのない大バカ者め!」

 

「バカとは心外ですね。あれは仕方なかったんですよ。まさかオンラインゲームがあそこまで盛り上がるとは……誰が予想できますか! おかげで朝まで熱中しちゃって……」

 

「テスト前日に徹夜でゲームをすることがバカだと言っているんだ!」

 

「後悔はしていません。おかげでレア装備をゲットできたんで」

 

「お前のバカは一発殴っただけでは治らんようだな……」

 

「げっ、もう殴られるのはゴメンだ。遅刻しそうなんでそろそろ教室行きます! それじゃ!」

 

 再び鉄拳が降り注ぐ前に俺は退散するとしよう。

 

「こら待たんか!」

 

 鉄人の制止の声を振り切って、俺は一目散に校舎に入っていった。

 

 

 





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第2問『Fクラス』



問:以下の問いに答えなさい。
『調理の為に火にかける鍋を製作する際、重量が軽いのでマグネシウムを材料に選んだのだが、調理を始めると問題が発生した。この時の問題点とマグネシウムの代わりに用いるべき金属合金の例を一つ挙げなさい』


姫路瑞希の答え
『問題点……マグネシウムは炎にかけると激しく酸素と反応する為危険であるという点。
合金の例……ジュラルミン』

教師のコメント
正解です。合金なので『鉄』では駄目という引っ掛け問題なのですが、姫路さんは引っかかりませんでしたね。


神崎達哉の答え
『問題点……まず鍋を自分で製作しようとした点
合金の例……ジュラルミン』

教師のコメント
片方合ってるだけに正論が痛いです。


土屋康太の答え
『問題点……ガス代を払っていなかったこと」

教師のコメント
そこは問題じゃありません。


吉井明久の答え
『合金の例……未来合金(←すごく強い)』

教師のコメント
すごく強いと言われても。




 

 

 

「2年F組……」

 

 俺は現在、『2年F組』と書かれた木製のオンボロなプレートがぶら下げられた、これまたオンボロな教室の前にいた。

 いやはや、話には聞いていたが他のクラスとFクラスの設備の差が激しすぎるな。3階の廊下を歩いている際、最上級クラスであるAクラスを見たが本当に比べ物にならない。

 

「まあ、文句を言える立場ではないか……」

 

 不満があるなら良い成績を取れということなんだろうし、そもそも俺は寝坊して振り分け試験を未受験()()()()()()()()()()()。文句は言いたくとも言えないだろう。

 

 ともあれ、この中にいるのはこれからの一年を共に過ごす仲間たちだ。たとえ学園一バカな者たちの集まりだとしても、きっと彼らはこれからの俺の学園生活にとってもいい刺激を与えてくれるだろう。そんな期待を抱きながら俺は立てつけの悪いFクラスの扉を開け──

 

「死ねぇぇっ!!」

 

 そんな言葉と共に飛んできた拳を右手で受け止めた。

 

「ふんっ!」

 

「ぬおっ!?」

 

 そしてそのまま背負い投げ。投げ飛ばされた‟彼”の巨体が宙を舞い、『ズシン!』という重たい音と共に地面に叩き付けられた。

 

「……おはよう雄二。相変わらずお前は元気だな」

 

「……ああ、おはよう達哉。見事な切り返しだった」

 

 仰向けに大の字になっている彼を見下ろしながらそう言うと、彼はそう返した。

 坂本雄二。180センチという長身にボクサーのように筋肉質な体格。意志の強そうな目をした野性味たっぷりの顔にツンと立てた赤い短髪が特徴の、俺の悪友1号である。

 雄二はゆっくりと立ち上がり、埃をはたき落としてから悔しそうな顔を向けて、

 

「しっかし、やはり達哉にはなかなか一撃が入れられないな。今のは『()った!』と思ったんだが……」

 

「朝っぱらからぶん殴られてたまるか」

 

 確かにいい刺激を与えてくれるだろうとは言ったが、だからって物理的な刺激は求めていない。なぜだか知らないが、雄二の俺に対する挨拶ではよく拳が飛んでくる。いい加減そろそろやめてほしい。

 

「──まあ、そんなことは今はどうでもいいとして、先生はまだ来てないのか?」

 

「ああ、だから代わりに俺が教壇に立っている」

 

「代わりに?……ってことは、雄二がクラス代表なのか?」

 

「話が早くて助かる。そういうことだ」

 

 雄二はニヤリと悪どい笑みを浮かべた。

 

「そうか、お前がクラス代表か………かわいそうに」

 

 雄二がではなく、クラスメイトがという意味で。

 この男がクラス代表をしたらきっとロクなことにならないんだろうな。面白くはなりそうだから何も言わないが。

 

「安心しろ達哉。俺は優しい男だから問題ない」

 

「後半の言葉は聞かなかったことにしておく」

 

 言葉とは裏腹に邪悪な笑み浮かべている雄二に俺は浅く息を吐く。

 この悪の親玉みたいな男に良いように手駒にされるクラスメイト達の図、か……。

 

 ……オラ、なんかワクワクしてきたぞ。

 

「雄二、その時は俺も混ぜろよ」

 

「ああ、任せとけ」

 

 雄二に負けず劣らずの悪どい笑みを浮かながら、俺はぐっとサムズアップ。雄二もまたぐっと親指を立て返したのを確認してから、

 

「すいません、ちょっと遅れちゃいました♪」

 

「「早く座れ、このウジ虫野郎」」

 

 とりあえず、鳥肌が立ちそうなくらいバカみたいな──というよりバカな挨拶をして入って来たバカを黙らせた。

 

「二人揃って酷い!?」

 

 吉井明久。短めの茶髪に少々幼さの残る顔だちをしているなかなかの美少年ではあるが、頭の中身が小学生以下のいわゆるバカである。

 そして非常に不本意ながら、俺の友人であったりする。

 

「……達哉、なんか失礼なこと考えてない?」

 

「いや、至ってまともなことを考えていたが。気のせいだろう?」

 

「そうかなぁ……?」

 

 バカだから自分が貶されていることにも気づかない。そして、バカであるが故に明久は他の生徒が持っていない、こいつだけが持っている特別な肩書きがあるのだが、まあそれは別の機会に話すとしよう。

 

 

 

 

 雄二と明久の元からひとまず離れた俺は、自分の席を確保するために教室の後ろ側に向かった。今更ながら教室内部の説明をすると、まず「汚い」の一言に尽きる。

 机とイスなんてものは設置されておらず、代わりに卓袱台と座布団がカビの生えていそうな古畳の上にぽつんと置かれ、ヒビや蜘蛛の巣が教室のあちこちに張り巡らされている。とてもじゃないが勉強できる環境とは言えない。あと少し臭い。

 改めて最底辺のクラスに来てしまったという事実を実感して顔を渋めながら、俺は空いている場所に鞄を置いて座布団の上に座った。座布団には綿が入っていないらしく、座るとふしゅーという空気の抜ける音がした。

 

「──おはよう、達哉」

 

 凛とした声が俺の耳に届いた。少年のような、しかし少女のようにも聞こえるその声の主を俺はよく知っている。小さな頃から仲がいい、幼馴染の姉弟の片割れの『彼』に、俺は笑みを向けた。

 

「よ、秀吉」

 

 木下秀吉。小柄な体に肩にかかる程度の長さの髪をゆったりと縛った居出立ちをしており、男でありながら女子と見間違う可愛らしさを持っている、いわゆる“男の娘”というやつだ。実際、長年の付き合いである俺でさえ、秀吉は実は女なんじゃないかという錯覚に襲われる時がある。秀吉には優子という名の双子の姉がおり、彼女はおそらく──いや絶対Aクラスに所属しているはずだ。

 

 彼女に関しても──また別の機会に話すとしよう。

 

「しかし、お前がFクラスね……本来ならEかDくらいの実力はあるはずなんだけどな」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいが、生憎部活に肩入れしすぎてしまってのう。結果はこの通りじゃ」

 

 秀吉は特徴的な爺言葉でバツが悪そうにそう言った。演劇部に所属し、ホープと呼ばれるほどに高い演技力を持つ秀吉は、しかしそれ故か成績はあまり芳しくなく、振り分け試験の結果Fクラスになってしまったようだった。

 

「ま、まあ、達哉とまた一緒のクラスになれたから、ワシは嬉しいが……」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「な、何でもないぞ!」

 

 秀吉は顔を赤くして腕を前に突き出し、わたわたと大きく振った。ポーカーフェイスが売りの秀吉にしては珍しい。まあ、秀吉が何でもないというのなら俺は何も聞かない。秀吉はふぅっと胸を撫で下ろし、「聞かれなくてよかった……」と呟いた。

 

「……? まあいいや。それよりも秀吉、優子は元気か?」

 

 俺がそう聞くと、秀吉は表情を変えた。

 

「元気じゃが、その……やはり……」

 

 俯きながら言いよどむ。

 

「──引きずってる、か?」

 

 俺が秀吉の代わりに続けると、秀吉は小さく頷いた。

 

「俺はもういいって言ったんだけどなぁ……」

 

「達哉が気にしていなくとも姉上はそうはいかんじゃろう。それにワシだってまだ気にしている。‟あれ”はワシらが悪かったんじゃし……」

 

 はあ、と俺は頭を掻きながらため息を吐いた。

 全くこの姉弟は。性格は全然似ていないくせに、こういうところは似通っている。

 

「何度も謝ってくれたんだからその話はもういいって。こうして俺もピンピンしてるんだし、また前みたいに三人でどこかに遊びに行ったりしようぜ、な?」

 

「うむ……分かった。達哉がそこまで言うのならワシはもう気にせん。じゃが、これだけは言わせてくれ。──ありがとう」

 

 ようやく本来の秀吉らしい笑みが戻った。優子の方はまだ時間がかかるだろうが、幸いにもその時間は沢山ある。ゆっくり少しずつ元に戻していけばいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー、おはようございます。二年F組担任の福原慎です。よろしくお願いします」

 

 ようやく担任の教師が教室にやって来て、そのままホームルームが始まった。

 覇気のない声に寝癖のついた髪、ヨレヨレのシャツを貧相な体に着込んだリストラされたサラリーマンのような中年男性が、俺たちの担任教師だった。

 彼はぺこりと小さく頭を下げ、黒板に名前を書こうと俺たちに背を向ける。が、チョークがなかったので、そのまま何もせず再び俺たちに体を向けた。流石は最低クラス。チョークまで用意されていないとは。

 

「皆さん全員に卓袱台と座布団は支給されていますか? 不備があれば申し出てください」

 

 先生のその言葉に、生徒の一人が手を挙げた。

 

「せんせー、俺の座布団に綿がほとんど入っていないですー」

 

「あー、はい。我慢してください」

 

「先生、俺の卓袱台の脚が折れています」

 

「木工ボンドが支給されていますので、後で自分で直してください」

 

「センセ、窓が割れていて風が寒いんですけど」

 

「わかりました。ビニール袋とセロハンテープの支給を申請しておきましょう」

 

 ……酷過ぎて言葉も出ない。

 

「では、自己紹介でも始めましょうか。そうですね、廊下側の人からお願いします」

 

 結局、何の解決もされないまま先生はホームルームを進め、自己紹介が始まった。

 トップバッターは秀吉で、車座を組んでいた彼はすっと立ち上がって自己紹介をした。男ばかりのこの教室だとますます秀吉の容姿が女子に見えてしまう。別に飢えているわけではない。

 

「騙されるな吉井明久! アイツは男だぞ!」

 

 思考をダダ漏れさせている隣のバカは無視するとして、秀吉の自己紹介が終わり、続いて後ろに座っていた男子生徒が立ち上がった。

 

「………土屋康太」

 

 おっと、彼も俺の友人だ。小柄で口数は少ないが、ああ見えて体は引き締まっていて運動神経もいい。去年からいろいろお世話になっていたりする。

 しかし、見渡す限り男ばかり。これじゃあ余計に秀吉が砂漠に咲く一輪の花だ。せめて一人くらいは女子がいてほしいものだが……。

 

「──です。海外育ちで、日本語は会話はできるけど読み書きが苦手です」

 

 と、考え事をしている内に別の人の順番になっていた。この声は女子だ。なんだ、ちゃんといるじゃないか──

 

「趣味は吉井明久を殴ることです☆」

 

 前言撤回。女子は女子でも花には程遠い女子だった。隣の明久が盛大にずっこけている。この恐ろしくピンポンとかつ危険な趣味を持つ人物は、俺の知っている限り一人しかいない。

 

「はろはろー」

 

「あぅ、島田さん……」

 

 笑顔で自分の席からこちら──正確には明久に向けて手を振っているのはまたしても俺の友人。そして明久の天敵。その名は島田美波。茶髪を黄色い大きなリボンでポニーテールに纏めているのが特徴の端から見れば美少女と言える少女である。

 

 島田の自己紹介も終わり、その後は淡々と自分の名前を言っていくだけの流れ作業が続いていく。やがて明久まで順番が回っていき、明久は軽く息を吸って立ち上がった。

 

「──コホン。えーっと、吉井明久です。気軽に『ダーリン』って呼んでくださいね♪」

 

『ダァァーーリィーーン!!」

 

 野太い声の大合唱が俺の耳を貫いたので、明久を殴り飛ばした。

 

「ひでぶっ!?」

 

「キサマは俺の耳を壊死させる気か? アアッ!?」

 

 そのまま腕を取り、腕ひしぎ十字固め。

 

「腕がぁっ!? 腕がミシミシと鳴ってはいけない音をォォっ!!?」

 

 パンパンと明久がタップするが、残念、やめるつもりは毛頭ない。それくらい俺の耳にダメージを与えた罪は重い。

 

「はいはい神崎君。気持ちは分かりますが、次は君の自己紹介の番なので続きはそれを終わらせてからにしてください」

 

 まさに明久の腕の関節が外されようとしたその時、先生が俺を制止した。いつの間にここまで自己紹介が終わったのか。どれだけ前の奴らつまらない自己紹介をしたんだ。少々物足りないが、まあ終わった後に存分にやっていいとの許しは出たのでここは素直に先生の言うことを聞いておく。

 俺は明久を解放して立ち上がった。

 

「えー、神崎達哉です。普通の人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能──」

「ストーーーーップ!!! そこで終わりにして達哉!!」

 

 明久に横やりを入れられた。

 

「なんだよ明久? あ、もしかして英語の方がよかったか? It is not interested in the normal people──」

 

「そういうことじゃないから! あと、英語で言ってもここにいる全員がなんて言ってるか分からないから!」

 

「いいから普通に自己紹介して!」と明久が必死に俺を説得する。俺もそろそろ色んな所から怒られそうなのでやめることにした。

 

「冗談はさておき、改めて、神崎達哉だ。趣味は特にこれといったものがあるわけじゃないが、最近の楽しみは明久をいじめることだ。その点でいえば、俺は島田の趣味を全力で応援したいと思う」

 

「あの、達哉。それも冗談だよね……?」

 

 いや、至って真面目だが? 島田がグッとサムズアップしていたので俺も親指を立てて返してやる。それを見た明久が卓袱台に頭を垂れた。

 とまあ、そんなこんなで俺の自己紹介も終わり、再び名前を言うだけの自己紹介という名の流れ作業が始まった。

 これと言って面白いことを言う者もおらず、本格的に睡魔に襲われ始めた時だった。

 

「──あの、遅れて、すいま、せん」

 

 不意にガラリと教室のドアが開き、息を切らせて胸に手を当てている女子生徒が現れた。

 

『えっ?』

 

 教室全体から驚いたような声が上がった。かく言う俺もその一人だった。眠気に負けそうだった目はすっかり醒め、まっすぐに教室の入り口に立っている彼女の姿を見つめる。

 

「丁度よかったです。今自己紹介をしているところなので、姫路さんもよろしくお願いします」

 

 クラスがにわかに騒がしくなり始め、その中で数少ない彼女の登場にも平然としている人物の一人の福原先生が話しかけた。

 

「は、はい! あの、姫路瑞希といいます。よろしくお願いします……」

 

 小柄なその体をさらに縮こめるようにして、姫路瑞希は自己紹介をした。

 

 

 



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第3問『提案』



問:以下の意味を持つことわざを答えなさい。
『(1)得意なことでも失敗してしまうこと』
『(2)悪いことがあった上に更に悪いことが起きる喩え』


姫路瑞希の答え
『(1)弘法も筆の誤り』
『(2)泣きっ面に蜂』

教師のコメント
正解です。他にも(1)なら『河童の河流れ』や『猿も木から落ちる』、(2)なら『踏んだり蹴ったり』や『弱り目に祟り目』などがありますね。


土屋康太の答え
『(1)弘法の河流れ』

教師のコメント
シュールな光景ですね。


吉井明久の答え
『(2)泣きっ面蹴ったり』

神崎達哉の答え
『(2)弱り目に目潰し』

教師のコメント
君たちは鬼ですか。




 

 

 

「はいっ、質問です! どうしてここにいるんですか?」

 

 聞きようによっては失礼な質問が姫路に対して浴びせられる。しかし、これはクラスにいる全員の疑問でもあるはずだった。

 彼女の可憐な容姿は人目を引くし、何より凄いのはその成績である。

 入学して最初のテストで学年三位を記録し、その後も上位一桁以内に常に名前を残しているほどだ。そんな彼女が最下層に位置するFクラスにいるはずがない。学年中の誰もが、彼女はAクラスにいると思っていることだろう。

 

「そ、その……振り分け試験の最中、高熱を出してしまいまして……」

 

 緊張した面持ちで身体を硬くしながらそう言った姫路に、クラスの面々は『ああ、なるほど』と頷いた。

 試験途中での途中退席は0点扱いとなる。彼女は春休みに行われた振り分け試験を最後まで受けることができず、結果としてFクラスに振り分けられてしまったというわけだ。

そんな姫路の言い訳を聞いて、クラスの中でもちらほらと言い訳の声が上がり始めた。

 

「そういえば、俺も熱(の問題)が出たせいでFクラスに」

 

「ああ、化学だろ? あれは難しかったな」

 

「俺は弟が事故に遭ったと聞いて実力を出し切れなくて」

 

「黙れ一人っ子」

 

「前の晩、彼女が寝かせてくれなくて」

 

「今年一番の大嘘をありがとう」

 

 ……ダメだこいつら、早く何とかしないと。

 

「で、ではっ、一年間よろしくお願いしますっ!」

 

 そんな中、逃げるように小走りで空いている卓袱台に着こうとする姫路。

 

「き、緊張しましたぁ~……」

 

 座るや否や、安堵の息を吐いて卓袱台に突っ伏した。隣の明久が姫路に話しかけようと彼女の様子をちらちらと窺っている。

 

「あのさ、姫──「姫路」

 

 よし、と決心して思い切って話しかけた明久だったが、その声に被せるように雄二が姫路に声をかけた。明久は膝と手をカビ畳についてさめざめと泣き始める。

 

「は、はいっ。何ですか? えーっと……」

 

「坂本だ。坂本雄二。よろしく頼む」

 

「あ、姫路です。よろしくお願いします」

 

 律儀に深々と頭を下げた姫路。その所作の丁寧さには育ちの良さが窺えた。

 そうしてしばらくの間話し込む雄二と姫路に途中で立ち直った明久も合流して僅かな盛り上がりを見せ始めた頃──。

 

「はいはい、そこの人たち。静かにしてくださいね」

 

 パンパン、と教卓を叩いて先生が警告を発し──

 

「あ、すいませ──」

 

 

 バキィッ! バラバラバラ……

 

 

 教卓はゴミ屑と化した。軽く叩いただけで崩れ落ちるとは。どこまで最低な設備なんだ。

 

「え〜……替えを用意してきます。少し待っていてください」

 

 先生は気まずそうにそう告げると、足早に教室から出て行った。

 

「あ、あはは……」

 

 姫路が苦笑いをしていたが、その表情はすぐに苦しそうな咳によって歪められてしまった。病み上がりだそうだし、彼女にこの劣悪な環境はあまりよろしくないな。

 

「……雄二、達哉、ちょっといい?」

 

 と、不意に俺とあくびをしていた雄二に、明久が声をかけた。

 

「ん? なんだ?」

 

「ここじゃ話しにくいから、廊下で」

 

「……別に構わんが」

 

 珍しく明久の眼は真面目だった。それを見て俺も雄二も真摯に対応し、明久に連れられて廊下に出た。

 

 

 

 

 

 

「んで、話って?」

 

 ホームルーム中なだけあって廊下に人影はなかった。壁に背を預けながら、雄二が真っ先に切り出した。

 

「この教室についてなんだけど……」

 

 と、神妙な面持ちで明久が言う。この教室というのは言うまでもなくFクラスのことだろう。

 

「Fクラスか。想像以上に酷いもんだな」

 

「ある程度は覚悟していたつもりだが、これは流石に予想外だった」

 

「二人もそう思うよね?」

 

「もちろんだ」

 

「Aクラスの設備は見た?」

 

「ああ、凄かったな。あんな教室は他に見たことがない」

 

 いや、むしろあれはもう教室と呼べる代物じゃないだろう。確かに黒板やらチョークやら一般的な学校でも見られる設備もあるにはあったが、プラズマディスプレイやリクライニングシートなど、一高校にあっていい物ではない。Fクラスの設備と比べるとまさに天と地の差だろう。

 

「そこで僕からの提案。折角二年生になったんだし、『試召戦争』をやってみない?」

 

 明久のその言葉を受けて、俺と雄二の表情が変わった。

 

「戦争、だと?」

 

「うん。しかも、Aクラス相手に」

 

「……何が目的だ?」

 

 俺が問う。

 

「いや、だってあまりに酷い設備だから」

 

「嘘をつくな。全く勉強に興味のないお前が、今さら勉強用の設備なんかのために戦争を起こすなんて、そんなことあり得ないだろうが」

 

 雄二が問い詰めると、「うぐっ」と明久は顔を歪めた。

 

「そ、そんなことないよ。興味がなければこんな学校に来るわけが──」

 

「お前がこの学校を選んだのは『試験校だからこその学費の安さ』が理由だろ?」

 

 更に明久の表情が歪んだ。流石はバカ。自分がこの学校に来た理由を皆に話していたことをもう忘れていたようだ。

 「えーっと、それは……」と上手い言い訳が思い付かずわたわたとしだした明久に呆れて、俺と雄二は同時に息を吐いた。

 

「……姫路のため、か?」

 

 ビクッと明久の背筋が伸びる。

 

「ど、どうしてそれを!?」

 

「本当にお前は単純だな。カマをかけるとすぐに引っ掛かる」

 

 そう言う雄二の目からは既に警戒の色はなく、代わりに楽しげな笑顔が浮かんでいた。

 

「べ、別にそんな理由じゃ──」

 

「はいはい。今さら言い訳は必要ないからな」

 

「だから、本当に違うってば!」

 

「気にするな。お前に言われるまでもなく、俺自身Aクラス相手に試召戦争をやろうと思っていたところだ」

 

「え、どうして? 雄二だって全然勉強してないよね?」

 

「……世の中学力だけが全てじゃないって、そんな証明をしてみたくてな」

 

 どこか遠い目をしている雄二。どうやら彼は彼なりの“戦う理由”があるようだ。明久はそれが分からずに頭上に大量の疑問符を浮かべていた。

 

「達哉、お前はどうする?」

 

 雄二の視線が俺に向いた。俺は顎に手を当てて考える。頭に浮かんできたのは、姫路の姿だった。Fクラスの劣悪な環境に充てられて苦しそうに咳き込む、弱々しい少女の姿。

 

「そうだな……その話、俺も乗ったぜ。明久と同じように、俺も姫路にはいい設備で勉強して欲しいからな」

 

「だ、だから違うって!」

 

 無視する。

 

「……本当にそれだけか?」

 

「ん?」

 

 雄二の褐色の瞳が俺を捉えていた。その表情は、質問しておいて全てを察していた。

 

「分かってるじゃないか、雄二」

 

 俺が不敵に微笑むと、雄二もニヤリと唇の端を吊り上げた。俺はあくまで姫路のためにこの話に乗った。だが、乗った理由はそれだけじゃない。

 それは、いつも刺激を求めている俺ならではの理由と言ってもいい。

 

「──やっぱり、面白そうだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に戻ってからしばらくして、ようやく先生も新しい──と言っても相変わらずボロい──教卓を運んで戻ってきたので、気を取り直してホームルームが再開される。

 

「えー、須川亮です。趣味は──」

 

 特に何も起こらずまた淡々とした自己紹介の時間が流れ、やがて順番が雄二となった。

 

「坂本君、キミが最後の一人ですよ」

 

「了解」

 

 先生に呼ばれて雄二が席を立つ。そして、ゆっくりと教壇に歩み寄るその姿にはいつものふざけた雰囲気は微塵も見られず、クラス代表として相応しい威厳と貫禄を身に纏っているようだった。

 

「坂本君はFクラスの代表でしたよね?」

 

 先生の問いに鷹揚に頷く雄二。クラス代表ということはつまり、このクラスで一番の成績を取ったということ。しかし、学年最底辺であるFクラスにおいてそれはなんの自慢にもならず、それどころかむしろ恥になりかねない肩書きである。にも関わらず、雄二は自身に満ちた表情で教壇に上がり、俺たちに向き直った。

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。俺のことは代表でも坂本でも、好きなように呼んでくれ」

 

 クラスメイトから大して注目されるわけでもない。Fクラスという馬鹿ばかりの集まりの中で比較的成績が良かったというだけの、他から見れば五十歩百歩な存在。

 

「さて、皆に一つ聞きたい」

 

 そんな生徒が、ゆっくりと、全員の目を見るように告げる。

 間の取り方も上手く、全員の視線はすぐに雄二に向けられた。皆の様子を確認した後、雄二の視線は今度は教室内の各所に移りだす。

 

 カビ臭い教室。

 

 古く汚れた座布団。

 

 薄汚れた卓袱台。

 

 俺たちもつられて雄二の視線を追い、それらを順番に眺めていった。

 

「Aクラスは冷暖房完備の上、座席はリクライニングシートらしいが……」

 

 一呼吸おいて、静かに告げる。

 

「──不満はないか?」

 

『大ありじゃあああっ!!!』

 

 二年F組生徒の魂の叫び。

 

「だろう? 俺だってこの現状は大いに不満だ。代表として問題意識を抱いている」

 

「そうだそうだ!」

 

「いくら学費が安いからって、この設備はあんまりだ! 改善を要求する!」

 

「そもそもAクラスだって同じ学費だろ? あまりに差が大きすぎる!」

 

 堰を切ったかのように次々と不満の声があがる。

 

「皆の意見はもっともだ。そこで……」

 

 級友たちの反応に満足したのか、雄二は自身に溢れた顔に不敵な笑みを浮かべて、

 

「これは代表としての提案だが──」

 

 これから戦友となる仲間たちに野性味溢れる八重歯を見せつけ、

 

「──Fクラスは、Aクラスに『試験召喚戦争』を仕掛けようと思う」

 

 Fクラス代表、坂本雄二は戦争の引き金を引いた。

 

 



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第4問『作戦会議』



問:以下の英文を訳しなさい。
『This is bookshelf that my grandmother had used regularly.』


姫路瑞希の答え
『これは私の祖母が愛用していた本棚です。』

教師のコメント
正解です。きちんと勉強していますね。


神崎達哉の答え
『これは私の祖母が攻撃の際に愛用していた本棚です。』

教師のコメント
一言余計です。


土屋康太の答え
『これは      』

教師のコメント
訳せたのはThisだけですか。


吉井明久の答え
『☆●◆▽┐♪*× 』

教師のコメント
できれば地球上の言語で。





 

 

「──Fクラスは、Aクラスに『試験召喚戦争』を仕掛けようと思う」

 

 雄二がそう宣言したAクラスへの宣戦布告。しかし、それはこのFクラスにとっては現実味の乏しい提案にしか思えず、次の瞬間には最高潮に達していたクラスのボルテージは一気に熱を失ってしまった。

 

「勝てるわけがない」

 

「これ以上設備を落とされるなんて嫌だ」

 

「姫路さんがいたら何もいらない」

 

 そんな悲鳴が教室内の至るところから上がる。まあ無理もない。

 文月学園に点数上限なしのテスト方式が採用されてから四年。このテストには一時間という制限時間と無制限の問題数が用意されており、そのためテストの点数に上限はなく、能力次第でどこまでも成績を残すことができるようになった。

 加えて文月学園には、科学とオカルトと偶然によって完成された『試験召喚システム』というものが存在する。これはテストの点数に応じた強さを持つ『召喚獣』を、教師の立会いのもとで喚び出すことによって戦うことのできるシステムである。

 学力低下が嘆かれる昨今、生徒の勉強に対するモチベーションを高めるために提案された先進的な試み。その中心にあるのが召喚獣を用いたクラス単位の戦争──試験召喚戦争と呼ばれる戦いだ。

 

 その戦争で重要になるのがテストの点数なのだが、AクラスとFクラスの点数は文字通り桁が違う。正面からやりあう場合、Aクラス一人に対してFクラス三人でも勝てるかどうか分からない。相手次第では四人五人で挑んでも勝つことはできないだろう。

 

「そんなことはない。必ず勝てる。いや、俺が勝たせてみせる」

 

 そんな圧倒的な戦力差を知りながらも、しかし雄二は力強くそう宣言した。

 

「何を馬鹿なことを」

 

「できるわけないだろう」

 

「何を根拠にそんなことを」

 

 否定的な意見が教室中に響き渡る。確かに、どう考えてもこれは勝てる勝負ではない。それは俺でさえも同感だ。だが、勝てないからといってやめる気はさらさらない。

 

「根拠ならあるさ。このクラスには試験召喚戦争で勝つことのできる要素が揃っている。それを今から説明してやる」

 

 と、得意の不敵な笑みを浮かべた雄二にクラスがざわめく。

 

「おい、康太。畳に顔をつけて姫路のスカートを覗いてないで前に来い」

 

「………!!(ブンブン)」

 

「は、はわっ!?」

 

 必死になって顔と手を左右に振り、否定のポーズを取る康太。姫路がスカートの裾を押さえて遠ざかると、彼は顔についた畳の跡を隠しながら壇上へと歩き出した。

 

「土屋康太。こいつがあの有名な、寡黙なる性識者(ムッツリーニ)だ」

 

「………!!(ブンブン)」

 

 土屋康太という名はそこまで有名ではない。しかし、ムッツリーニとなれば話は別だ。その名は男子生徒には畏怖と畏敬を、女子生徒には軽蔑を以って挙げられる。

 

「ムッツリーニだと……?」

 

「馬鹿な、ヤツがそうだというのか……?」

 

「だが見ろ。あそこまで明らかな覗きの証拠を未だに隠そうとしているぞ……」

 

「ああ。ムッツリの名に恥じない姿だ……」

 

 不名誉極まりない賞賛がクラスのあちこちから挙がり、畳の跡を手で押さえている姿も相まって果てしなく哀れを誘う。しかし、たとえどういった状況であろうとも自分の下心は隠し続けるあたり、異名は伊達ではない。

 

「???」

 

 姫路が頭上に疑問符を浮かべて首を傾げていた。ムッツリーニというアダ名の由来が分からないとかだろうか。だとしたら知らない方が彼女のためだ。ただの『ムッツリスケベ』が由来だなんて、彼女にとっては死ぬほどどうでもいい情報である。

 

「姫路のことは説明する必要もないだろう。皆だってその力はよく知っているはずだ」

 

「えっ? わ、私ですかっ?」

 

「ああ、ウチの主戦力の一人だ。期待している」

 

 テストでは毎回上位に食い込み、更には保護欲を掻き立てる容姿。もし試召戦争に至るとして、戦力的にも士気的にも彼女ほど頼りになる存在はいないだろう。

 

「そうだ。俺たちには姫路さんがいるんだった」

 

「彼女ならAクラスにも引けをとらない」

 

「ああ。彼女さえいれば何もいらないな」

 

 どうでもいいが、さっきから姫路に対して熱烈なラブコールを送っている奴がいる。何なんだろう。すごく気持ち悪い。

 

「木下秀吉だっている」

 

 指名された秀吉が「むっ?」と目を見開いた。学力ではあまり名を聞かない秀吉だが、演劇部のホープとまで呼ばれるその演技力は他の追随を許さない。それは幼馴染である俺も保証できる。それに姉の優子はAクラスの中でもトップクラスの学力を持つ秀才だ。

 

「おお……!」

 

「ああ。アイツ確か、木下優子の……」

 

「当然俺も全力を尽くす」

 

 クラスメイトたちがざわつく中、雄二は更に続ける。

 

「確かになんだかやってくれそうな奴だ」

 

「坂本って、小学生の頃は神童とか呼ばれていなかったか?」

 

「それじゃあ、振り分け試験の時は姫路さんと同じく体調不良だったのか」

 

「実力はAクラスレベルが二人もいるってことだよな!」

 

 クラスの士気がうなぎ登りで上昇していく。それを察してか、雄二はフンッと鼻を鳴らした。

 

「だが、俺たちには忘れてはならない最終兵器がもう一人存在している。コイツの力があれば、Aクラス打倒は最早夢ではなくなる」

 

 追い打ちをかけるように紡がれたその言葉に、クラスが再び騒がしくなった。全員がキョロキョロと教室を見渡し、その人物が一体誰なのかと探し始める。

 

「落ち着け、皆。ちゃんと紹介する。ほら、達哉、見せ場を作ってやったぞ」

 

「無駄にハードルを上げられただけだ」

 

 とはいえ、代表直々のご指名があったことだし、ここは素直に雄二の言うことに従うとしよう。

 俺が教壇に上がると、「誰?」という空気が教室を支配した。

 

「今、こいつを誰だと思った者もいるだろう。しかし、俺たちはこの男を知っている。去年最初のテストであの霧島翔子をも上回る点数を叩き出し、学年一位の座を容易く獲得した男、神崎達哉だ」

 

『な、なんだってーっ!!?』

 

 驚愕の大合唱が響き渡った。

 

「去年の学年一位だと!?」

 

「あの霧島翔子を抜いてか!?」

 

「ああっ、思い出した! そうだ、確かにあいつだ! 名前も神崎達哉だ!」

 

「じゃ、じゃあ、Aクラスレベルが三人もいるということになるのか!」

 

 俺の紹介を受けて、いけそうだ、やれそうだという雰囲気が教室内に満ち始めた。ボルテージがMAXを飛び越えてリミットブレイクし、クラスの士気は目に見えて上がっていった。

 

「それに、吉井明久だっている」

 

 

 ……シン──

 

 

 が、ものの数秒で凍結するのだった。

 

「おいコラ明久! せっかく俺が士気を燃え立たせてやったってのに凍らせてんじゃねえよ! 氷点下まで下がったじゃねえか!」

 

「ええっ!? 僕が悪いの!? 明らかに悪いのは雄二だよね! 今の流れで僕の名前を言う必要なんて全くなかったよね!」

 

「……誰だよ、吉井明久って」

 

「聞いたことないぞ」

 

 せっかく上がりに上がっていた士気がバブル崩壊よろしく急降下していく。まあ確かに、ここで明久の名前を出す必要もなかった気もする。明久についての話なんてロクなものがないし、唯一話題として成立するであろう“あの肩書き”も、この状況で言う意味のあるものでないし……。

 

「そうか。知らないようなら教えてやる。こいつの肩書きは──《観察処分者》だ」

 

 あ、言った。

 

「……それって、バカの代名詞じゃなかったっけ?」

 

「ち、違うよ! ちょっとお茶目な十六歳につけられる愛称で」

 

「そうだ。バカの代名詞だ」

 

「肯定するなバカ雄二!」

 

 《観察処分者》とは何か──簡単に言えば学園生活を営む上で問題のある生徒に与えられる称号で、もっと簡単に言えば、どうしようもないバカに与えられる処分である。

 

「あの、それってどういうものなんですか?」

 

 姫路が小首を傾げて訊ねた。今まで頂点に近い場所にいた彼女にとって、この単語に聞き馴染みはないだろう。

 

「具体的には教師の雑用係だな。力仕事とかそういった類の雑用を、特例として物に触れるようになった召喚獣でこなす、といった具合だ」

 

 試験召喚獣は本来、物に触ることはできない。彼らが触れることができるのは他の召喚獣だけである。

 ところが明久の召喚獣は違う。物にも触れる特別製なのである。

 

「そうなんですか? それって凄いですね。召喚獣って見た目と違って力持ちって聞きましたから、そんなことができるなら便利ですね」

 

「あはは……そんな大したもんじゃないんだよ」

 

 姫路の羨望と尊敬のこもった視線を受けて、明久は苦笑しながら手を振って否定した。実際本当に大したものではない。

 確かに自分の思い通りに使役できるのならこれ以上便利なものはないが、召喚獣は教師の監視下でなければ呼び出せないというルールがある。よって明久は、雑用の時だけ呼び出され、教師にこき使われるのである。しかも、その際の召喚獣の負担の何割かは明久自身にフィードバックするというおまけ付き。とんだアフターサービスである。

 

 まあ、だからこその《観察処分者》なのだ。凄いことでもなければ便利でもない。成績不良かつ学習意欲に欠ける生徒に与えられるペナルティ。

 

「おいおい。《観察処分者》ってことは、試召戦争で召喚獣がやられると本人も苦しいってことだろ?」

 

「だよな。それならおいそれと召喚できないヤツが一人いるってことになるよな」

 

 つまりそういうことになる。しかし、そう気に病む必要もないだろう。何故なら、明久なんていてもいなくても変わらない、取るに足らない雑魚だからである。

 

「とにかくだ。俺たちの力の証明として、まずはDクラスを征服してみようと思う。皆、この境遇は大いに不満だろう?」

 

「当然だ!!」

 

「ならば全員(ペン)を執れ! 出陣の準備だ!」

 

『おおーーっ!!』

 

「俺たちに必要なのは卓袱台ではない! Aクラスのシステムデスクだ!」

 

『うおおーーっ!!』

 

「お、おー……」

 

 クラスの雰囲気に圧されながらも、姫路は小さく拳を上げた。うーむ、癒しだ。

 

「明久にはDクラスへの宣戦布告の使者になってもらう。無事大役を果たせ!」

 

 と、早速明久に指示をする雄二。

 

「……下位勢力の宣戦布告の使者ってたいてい酷い目に遭うよね?」

 

「大丈夫だ。奴らがお前に危害を加えることはない。騙されたと思って行ってみろ」

 

「本当かなぁ〜……」

 

 なかなかしぶとい奴。仕方ない、ここは俺が一肌脱ごう。

 

「明久、雄二じゃ信じられないと言うのなら、俺を信じてくれ」

 

 明久の肩に手を回し、優しく諭してやる。そして、ここ一番の笑顔で。

 

「俺たち──友達だろ?」

 

「達哉……分かったよ。達也がそこまで言うなら、僕行ってくるよ!」

 

「ありがとう。頼んだぞ、明久」

 

「うん!」

 

 クラスメイトの歓声と拍手に送り出され、明久は意気揚々とFクラスを後にした。その背を見送りながら、俺は笑顔で合掌して一言。

 

「……逝ってこい」

 

 この数分後、明久の悲鳴が校舎中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「騙されたぁっ!」

 

 ズタボロの状態で教室になだれ込む明久。息を切らせて床にへたり込んでいる彼を、俺と雄二はふむふむと頷きながら見下ろした。

 

「「やはりそう来たか」」

 

「やはりってなんだよ! やっぱり使者への暴行は予想通りだったんじゃないか!」

 

「当然だ。そんなことも予想できないで代表が務まるか」

 

「少しは悪びれろよ! ていうか達哉! 達哉も俺を信じろって言ったよね!? 友達だって言ったよね!?」

 

「ああ、友達だよ……都合のいい時の」

 

「キィィィッ!!」

 

 明久は血の涙を流しながら金切り声を上げた。うるさい。

 

「吉井君、大丈夫ですか?」

 

 そんな明久の哀れな姿を見て、姫路が明久に駆け寄る。

 

「ああ、うん。大丈夫。ほとんどかすり傷」

 

「吉井、本当に大丈夫?」

 

 島田も心配そうな顔で明久に近付く。Fクラスでたった二人の女子に囲まれて、明久は幸せそうに顔を綻ばせた。

 

「平気だよ。心配してくれてありがとう」

 

「そう、良かった……ウチが殴る余裕はまだあるんだ……」

 

「ああっ、もうダメ! 死にそう!」

 

 が、次の島田の狂気を含んだ言葉に、明久は腕を押さえて転げ回った。乙女な表情全開でそんな恐ろしいことを平然と言ってのける彼女に恐怖すら感じるが、しかし島田よ、そんなお前を俺は全力で応援するぞ。

 

「そんなことはどうでもいい。それより今からミーティングを行うぞ」

 

 と、騒ぐ明久たちを注意して雄二は教室を出て行った。どうやらミーティングは他の場所でするつもりらしい。

 

「ふう……去年も思ったが、相変わらず騒がしいのう、明久たちは」

 

 俺の隣に並んだ秀吉がポツリと呟いた。しかしその表情は言葉とは裏腹に呆れなどの感情が見られない。

 

「そう言いつつ、秀吉だって楽しんでるだろう?」

 

「まあの……達哉はどうじゃ?」

 

「俺? 俺は……」

 

 秀吉の問いに俺は笑みを溢し、ポンと彼の頭に手を置いて答える。

 

「楽しいに決まってんだろ」

 

 その言葉に、秀吉も笑顔で返した。その顔は、ほんのりと赤かった。

 

 しばらく雄二の後を追って校内を歩いていると、俺たちは屋上に出た。雲一つない青空から眩しい光が差し込む。春風と共に訪れた陽光に、風ではためく姫路のスカートを注視しているムッツリーニを除いて、俺たちは全員目を細めた。

 

「さて……明久、宣戦布告はしてきたな?」

 

 雄二がフェンスの前にある階段に腰を下ろす。俺たちもそれにならって各々腰を下ろした。

 

「うん。一応、今日の午後に開戦予定と告げて来たけど」

 

「それじゃ、先にお昼ご飯ってことね?」

 

「そうなるな。明久、今日の昼くらいはまともな物を食べろよ?」

 

「……そう思うならパンでも奢ってもらえると嬉しいんだけど」

 

「えっ? 吉井君ってお昼食べない人なんですか?」

 

 一連の会話を聞いていた姫路が、驚いた顔で明久を見る。

 

「いや、一応食べてるよ」

 

「悪いが明久、俺はアレを『食事』とは認めない」

 

「……何が言いたいのさ、達哉?」

 

「いや、お前の主食って──塩と水だろう?」

 

「失敬な! きちんと砂糖だって食べているさ!」

 

「あの、吉井君。水と塩と砂糖って、食べるとは言いませんよ……」

 

「舐める、が表現としては正解じゃろうな」

 

 どんどん明久が哀れな存在に成り下がっていく。皆の妙に優しい眼差しを受けて、明久はくぅ、と顔を手で覆った。

 

「ま、飯代まで遊びに使い込むお前が悪いよな」

 

「し、仕送りが少ないんだよ!」

 

 明久の両親は仕事の都合で海外にいる。そのため、生活費を彼らからの仕送りで賄っているのだが、このバカ、その生活費をゲームやら漫画やらの趣味に使い込んでしまうという愚を犯しているのである。

 

「……あの、良かったら私がお弁当作って来ましょうか?」

 

「ゑ?」

 

 突然の姫路の言葉に、明久はアホみたいな声を出して顔を上げた。塩と水しか食べていない(舐めていない)人間って、あまりに驚くと旧字体を使うらしい。やったぞ、バカについてまた一つ賢くなった。死ぬほどどうでも良い。

 

「ほ、本当にいいの? 僕、塩と砂糖以外のものを食べるなんて久しぶりだよ!」

 

「はい。明日のお昼で良ければ」

 

「良かったじゃないか明久。手作り弁当だぞ?」

 

「うん!」

 

 明久は相当嬉しかったらしく、この時ばかりは雄二の軽口も通じなかった。

 

「ふーん……瑞希って随分優しいのね。吉井()()に作ってくるなんて」

 

「あ、いえ! その、皆さんにも……」

 

「俺たちにも良いのか?」

 

「はい。嫌じゃなかったら」

 

 姫路の手作り弁当か……。結構楽しみだ。

 

「……達哉は、女子に手作り弁当を貰うと嬉しいのか?」

 

 と、唐突に秀吉が訊ねてきた。

 

「そりゃあ、女の子が弁当を作ってくれるっていうのは嬉しいし、それに少しドキッとするな」

 

「ふむ、そうか………これは姉上に報告じゃな……」

 

「え、優子? なんで優子が出て来るんだ?」

 

「い、いや、何でもない!」

 

 手と首をパタパタと振る秀吉に首を傾げる。たまに秀吉の言っていることの意味がよく分からないことがあるが、一度ちゃんと聞いておいた方がいいだろうか。

 

「──さて、話がかなり逸れたな。試召戦争に戻ろう」

 

 と、そこまで考えたところで雄二が話題を元に戻したので、俺は思考を中断した。

 

「雄二、一つ気になっていたんじゃが、どうしてDクラスなんじゃ? 段階を踏んでいくならEクラスじゃろうし、勝負に出るならAクラスじゃろう?」

 

 秀吉の出し抜けの質問に、そう言えばと姫路たちも一様に頷く。

 

「当然考えがあってのことだ」

 

「どんな考えですか?」

 

「色々と理由はあるんだが、とりあえずEクラスを攻めない理由は簡単だ。戦うまでもない相手だからな」

 

「え? でも、僕らよりはクラスが上だよ?」

 

「それは振り分け試験時点での成績だろう? 俺たちには姫路がいるんだぜ?」

 

「あっ、そっか!」

 

 俺の言葉で意図を察した明久がポンと手を叩く。

 

「姫路に問題がない今、正面からやり合ってもEクラスには勝てる。Aクラスが目標である以上はEクラスなんかと戦っても意味がないってことだ」

 

「でも、それならDクラスとは正面からぶつかると厳しいってこと?」

 

「ああ、確実に勝てるとは言えないな」

 

「だったら、最初から目標のAクラスに挑もうよ」

 

 明久の言葉にも一理あるが、雄二は静かに首を振った。

 

「初陣だからな。派手にやって今後の景気づけにしたいだろ?それに、さっき言いかけた打倒Aクラスの作戦に必要なプロセスだしな」

 

 つまり、このDクラス戦もAクラスに勝つために作戦の内。今の所作戦の全容は言うつもりはないらしく、雄二はここで口を閉ざした。

 

「あ、あの!」

 

 と、姫路にしてはでかい声。全員の視線が彼女に集中する。

 

「どうした?」

 

「えっと、その……さっき言いかけた、って……吉井君と坂本君は、前から試召戦争について話し合っていたんですか?」

 

「ああ、それか。それはついさっき、姫路のために明久に相談されて──」

 

「それはそうと!」

 

 雄二の言葉を遮るように明久が大袈裟に割って入った。そのまま明久は雄二の方に顔を向けて、真剣な表情で言う。

 

「さっきの話、Dクラスに勝てなかったら意味ないよ?」

 

「負けるわけないさ」

 

 しかし、そんな明久の心配を、雄二は一瞬で笑い飛ばした。

 

「お前らが俺に協力してくれるなら勝てる」

 

 教室でクラスメイトを焚きつけたように、全員の顔を一人一人見回して、

 

「いいか、お前ら。ウチのクラスは──最強だ」

 

 それは、不思議な感覚だった。

 根拠のない言葉のはずなのに、雄二の言葉には、なぜかその気にさせる“力”があった。

 自然と、俺たちの顔にも笑みが溢れる。

 

「ハッ、良いねえ。ますますやる気が出てきた」

 

「そうね。面白そうじゃない!」

 

「うむ、Aクラスの連中を引きずり落としてやるかの」

 

「…………(グッ)」

 

「が、頑張ります!」

 

 打倒Aクラス。

 荒唐無稽な夢かもしれない。実現不可能な絵空事かもしれない。

 しかし、やってみなければ始まらない。

 折角こうして同じクラスになれたのだから、何かを成し遂げるのも悪くない。

 

 それに何より、その方が刺激的だ。

 

「そうか。それじゃあ、作戦を説明しよう」

 

 涼風がそよぐ屋上で、俺たちは勝利のための作戦に耳を傾けた。

 

 



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第5問『vs.Dクラス』



問:以下の問いに答えなさい。
『(1)4sinX+3cos3X=2の方程式を満たし、かつ第一象限に存在するXの値を一つ答えなさい。
(2)sin(A+B)と等しい式を示すのは次のどれか、①~④の中から選びなさい。
①sinA+cosB

②sinA−cosB

③sinAcosB

④sinAcosB+cosAsinB』


姫路瑞希の答え
『(1)X=π/6  (2) ④』

教師のコメント
そうですね。角度を『゜』ではなく『π』で書いてありますし、完璧です。


土屋康太の答え
『(1) X=およそ3』

教師のコメント
およそをつけて誤魔化したい気持ちもわかりますが、これでは解答に近くても点数はあげられません。


吉井明久の答え
『(2) およそ③』

教師のコメント
先生は今まで沢山の生徒を見てきましたが、選択問題でおよそをつける生徒は君が初めてです。


神崎達哉の答え
『(2)⑤』

教師のコメント
吉井君よりも酷いです。




 

 

 

 午後──。

 昼休みの終了を告げるチャイムが校舎中に響き渡ると同時に、俺たちFクラスとDクラスによる試召戦争の火蓋が切って落とされた。

 俺たちの布陣は、現在前線に秀吉率いる先攻部隊、彼らとFクラスの中間あたりに明久率いる中堅部隊が展開している。皆今回が初陣というだけあり、気合の入り方が半端じゃない。試召戦争は開戦早々から怒号の飛び交う混戦となり、それを聞きながら俺は雄二と共にFクラスの教室で待機していたのだった。

 

「……解せぬ」

 

「気持ちは分かるが我慢してくれ、達哉。お前はウチの秘密兵器なんだ。最初から使う訳にもいかないだろう?」

 

「む〜……」

 

 Fクラスの代表は雄二だから、彼の指示には基本的に従うつもりでいるが、しかしこの退屈感は如何ともしがたい。そんな俺の心情を察してか、雄二は小さく溜息をついて、

 

「なんなら、達哉が指示を出してもいいぞ?」

 

「うえ? いいのか?」

 

「まあ、今ならまだ大丈夫だろう。それに、達哉なら俺たちに不利になるような滅茶苦茶な指示は出さないだろうしな」

 

 そこまで言われてはこちらもやらない手はない。雄二の言葉を快く受け入れて俺はまず戦場全体の状況を把握するために耳を澄ました。

 

『さあ来い! この負け犬が!』

 

『て、鉄人!? 嫌だ! 補習室は嫌なんだっ!』

 

『黙れ! 捕虜は全員この戦闘が終わるまで補習室で特別講義だ! 終戦まで何時間かかるか分からんが、たっぷりと指導してやるからな』

 

『た、頼む! 見逃してくれ! あんな拷問耐えきれる気がしない!』

 

『拷問? そんなことはしない。これは立派な教育だ。補習が終わる頃には趣味が勉強、尊敬する人物は二宮金次郎といった理想的な生徒に仕立て上げてやろう』

 

『お、鬼だ! 誰か、助けっ──イヤァァッ──(バタン、ガチャ)』

 

 ふむ、把握。

 

「横田。今から俺が言う言葉をそのまま明久たち中堅部隊に伝えてくれ」

 

 教室の入り口で待機していたクラスメイトの横田を呼び寄せる。

 

「何て伝えればいい?」

 

 駆け寄ってきた横田は、右手にペンを、左手にメモ帳を持ちながら俺の言葉に耳を傾けた。そんな彼に俺は笑顔を向けながら、

 

「『逃げたらコロス』」

 

 この三十秒後、教室の外から『全員突撃しろぉーっ!!』という明久の切羽詰まった怒声が聞こえてきた。

 

「さすが達哉だな。今の指示、明久の行動を先読みして出したのか?」

 

「ああ、当たり前だろ。状況が悪くなったらすぐ逃げるのが明久だ」

 

 それは去年一年あいつと共に過ごしてきて嫌というほど理解していることである。明久に退路はない。

 

「前線部隊、今戻ったぞい!」

 

 俺と雄二が悪どく笑い合っていると、前線で戦っていた秀吉が帰って来た。彼の他に帰還したのは二人ほど。前線部隊はほぼ壊滅と言っていいだろう。今は明久たち中堅部隊が入れ替わりでDクラスと戦っている。

 

「秀吉、無事でよかった」

 

 俺は秀吉に近付き、彼の両肩に手を置いた。今はとにかく、秀吉が無事だっただけで嬉しかった。他の男どもはどうでもいい。

 

「う、うむ……ありがとうなのじゃ、達哉……」

 

 秀吉はほんのりと頬を染めながら視線を外す。その仕草があまりにも可愛いく、つい抱き締めたい衝動に駆られてしまう。別に飢えているわけではない。

 

「おいお二人さん。イチャつくのは構わないが、今は試召戦争の方にに集中してくれると助かる」

 

 と、そんな雄二の呆れを含んだ声が聞こえてきて、ハッと我に帰った秀吉は俺から一歩後ずさる。

 

「わ、ワシは点数を補給してくる!」

 

 そしてそのままテストを受けるために教室の奥に行ってしまった。折角の癒しがいなくなってしまい悲嘆する俺だったが、すぐに立ち直り、雄二の元に歩み寄る。

 

「で、状況はどうだ?」

 

「あまりいいとは言えないな。さっきの達哉の伝言の効果が無くなって、明久たちも徐々に押され始めている」

 

 いくら時間稼ぎが目的とはいえ、このまま押し切られれば一気に本陣に敵が雪崩れ込んできてしまう。そうなれば俺たちに勝ち目は無い。さてどうするかと悩んでいると、前線部隊の須川が教室に入ってきて、俺と雄二の元に駆け寄ってきた。

 

「代表、神崎! 教師に偽情報を流すよう吉井に指示されたんだが、何か良い案はないか?」

 

 あ、ピーンと来た。

 

「須川、俺にいい考えがある」

 

「本当か!」

 

 頷き、指で須川を呼び寄せて耳打ちをする。しばらく俺の考えを相槌を打ちながら聞いていた須川は、途端に顔を戦慄に歪めた。

 

「ま、マジかよ……! さすが神崎……何て恐ろしい策を思いつくんだ!」

 

「これもFクラスの勝利のためだ。頼んだぞ、須川!」

 

 恐怖と畏敬に体を震わせる須川を奮い立たせ、俺は親指を立てる。すると須川も「任せとけっ!」と親指を立て返してダッシュで教室を出て行った。

 

「須川に何て指示したんだ?」

 

「すぐに分かる」

 

 首を傾げる雄二にそう返し、その言葉に合わせるように、ピンポンパンポンと校内放送を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

『連絡致します』

 

 声の主は須川だった。

 

『船越先生、船越先生。吉井明久君が生徒と教師の垣根を越えた、男と女の大事な話があるそうなので、至急体育館裏までお越し下さい』

 

 瞬間、教室内だけでなく、戦場全体が凍り付いた。

 船越先生とは、数学を担当している45歳独身の女教師で、婚期を逃した結果、ついに生徒たちに単位を盾に交際を迫って来るという、男子にとっては鉄人以上に恐れられている存在である。

 

「た、達哉……お前……」

 

 さすがの雄二も、船越先生を使った非情な作戦にドン引きしていた。気持ちは分かるが、しかし雄二よ、俺だって鬼じゃない。明久を生贄に捧げるという行為に心が痛んだんだ。三十秒くらい。

 

 ともあれ、明久の文字通り体を張った(というか張らせた)行動に、再びFクラスの士気が上昇。劣勢だった戦況をなんとか互角まで戻すことに成功し、さらに雄二自らの援軍によってDクラスの部隊を一時撤退まで追い込むことができた。しかし深追いは危険とFクラスも一時撤退し、俺たちと明久たちは教室で合流を果たした。

 

「明久、良くやった!」

 

 生き残った前線部隊が補給テストを受けて点数を回復させた後、俺は心身共に疲れ切っている明久に近付き、満面の笑みで彼を褒め称えた。

 

「……ありがとう達哉。さっきの校内放送、聞こえてた?」

 

「バッチリと」

 

 というか、指示を出したのは俺だし。

 

「そう……それはそうと達哉、須川君がどこにいるか知らない?」

 

「そろそろ戻ってくると思うぞ?」

 

「そっか……良かった」

 

 そう笑顔で呟いた明久の懐で、キラリと包丁が光った。

 

「殺れる……僕なら殺れる……!」

 

「殺るなっての」

 

 その目に確かな殺意の色を帯びながら、明久は「早く逢いたい……」と包丁を見つめた。そんなに船越先生に追い回されたのが辛かったのか。

 

「ちなみにだが……」

 

 そんな明久の姿を見て、雄二が彼の側にやって来る。

 

「あの放送を指示したのは達哉だ」

 

「シャアァァァアッ!!」

 

 明久は鋭く踏み込み、懐の包丁を躊躇なく突き出した。狙いは避けにくい上に致命傷になりやすい肝臓。

 

「あ、船越先生」

 

 しかし俺は特に慌てず、今の明久にとって恐怖の象徴の名を口に出す。すると明久は「ちぃっ!」と舌打ちをして、卓袱台を蹴散らしながら掃除用具入れに飛び込んだ。

 

「おいおい明久、そんな所に隠れたらもしバレた時に逃げ場が無いぞ? 俺が開かないように鍵を掛けておいてやる」

 

「うん、頼むよ達哉!」

 

 明久から許可も貰ったので、俺は彼の入った掃除用具入れが開かないよう、厳重に鎖で縛り、ついでに南京錠で鍵を掛ける。これで扉が開かれることはないだろう。外からも、もちろん中からも。

 

「さ、バカは放っておいて、そろそろ決着をつけるとしようぜ、雄二」

 

「そうじゃな。ちらほらと下校しておる生徒の姿も見え始めたし、頃合じゃのう」

 

「……………(コクコク)」

 

「おっしゃ! Dクラス代表の首級を獲りに行くぞ!」

 

『おう!』

 

 雄二の号令に答えて、生き残った者たちが次々と教室から出て行く。俺もその流れに乗って教室を出る……その前に。

 

「明久、船越先生が来たって、嘘だから」

 

 その瞬間、ガタガタと掃除用具入れが激しく揺れるが、鍵と鎖でビクともしない。俺はそのまま明久を放って戦場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「下校している連中に上手く溶け込め! 取り囲んで多対一の状況を作るんだ!」

 

 雄二の声が戦場全体に響き渡る。次の俺たちの戦略は、下校時間のどさくさに紛れて敵に近付き、取り囲んで一気に討ち取るというものだった。姑息な手段と思われるかもしれないが、クラスの半数以上を既に補習室送りにされている今、Fクラスが勝つためにはこれしか手段が無いのである。

 

「Dクラス塚本、討ち取ったり!」

 

 一際大きな声が上がる。Dクラス前線部隊の指揮に当たっていた塚本を倒したようだ。各クラスのHRが終わり、先生が捕まえやすくなったということでこの作戦は非常に上手く回っていた。指揮官を失ったDクラスの前線部隊は、Fクラスの作戦の前に崩されていく。

 

「援護に来たぞ! もう大丈夫だ! 皆、落ち着いて取り囲まれないように周囲を見て動け!」

 

 しかし、ここでDクラス代表・平賀源二率いる本隊が援軍に駆け付けた。

 

「本隊の半分はFクラス代表・坂本雄二を獲りに行け! 他のメンバーは囲まれている仲間を助けるんだ!」

 

『おおーっ!』

 

 平賀の号令の下、あっという間に俺たちの周りがDクラスメンバーで囲まれる。こちらにも本隊がいるからそうそうやられはしないが、戦況はかなり厳しい。

 

「Fクラスは全員一時撤退しろ! 人混みに紛れて撹乱するんだ!」

 

「逃がすな! 個人同士の戦いなら負けない!」

 

 平賀の指示により分散していくDクラス本隊。平賀自身を守る近衛部隊をも追撃に回したことで、彼の周りの防備が一気に手薄になった。この機を逃さず平賀を討ち取りたいところだが、あいにく他のメンバーは敵の猛攻に遭い、手が回らない。

 

「達哉!」

 

 その時、雄二が俺を呼び寄せた。

 

「待たせたな、今こそお前の力を見せつけてやれ」

 

「……良いのか?」

 

「ああ、最後の策を実行するにはお前の力が必要だ。派手に暴れろ」

 

 許可が出た。その瞬間、俺は口の端を獰猛に吊り上げ、Dクラスの本隊に突撃した。

 

「おい! こっちに向かって誰か来るぞ!」

 

「Fクラスか!」

 

「ぶっ倒せ!」

 

 俺の接近に気付いた三人の近衛部隊が瞬く間に俺を取り囲み、古典教師の向井先生の承認の下で召喚獣を召喚した。

 

「へっ! Fクラスのくせに一人で突撃するとはバカな奴め!」

 

「やっぱりFクラスだな。状況判断もできないとは」

 

「お前なんか瞬殺さ!」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべながら眼前に立ち塞がる三人。しかし俺は、焦るわけでもなく、笑った。

 

「ハッ、バカはお前らの方だろうが」

 

 そして、手を前に突き出し、三つの音を紡ぎ出す。

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 魔方陣が展開し、まるで地面から木が生えるように召喚獣が形成される。

 その姿は、言うなれば日本一の兵。

 腰元まで届く長い鉢巻を額に縛り、炎のように紅い十字槍を携えた、俺の分身。

 

 

 古典

 

 Fクラス

 神崎達哉 398点

  VS

 Dクラス

 中島一郎 87点

 笹島圭吾 96点

 中野健太 92点

 

 

「バ、バカなっ!? 398点だと!?」

 

「Aクラスレベルじゃないか!?」

 

「どうしてそんな奴がFクラスに!?」

 

 驚愕しながらも攻撃を仕掛けてくる三人。それに対し、俺が取る行動はほんの一度だった。

 

 斬ッ!

 

 たったの一振り。それだけで、三体の召喚獣は胴を寸断された。

 

「くっ! まさか神崎がFクラスにいたとは……! 近衛部隊は全員、神崎の足止めに当たれ! 奴を近付けるな!」

 

 平賀が指示を出し、その指示に従って彼の周囲に控えていた近衛部隊が俺の前に立ち塞がった。その数は七人。

 

「おっと平賀、お前を守る盾を全員俺に回してもいいのか?」

 

「ああ、構わないよ。とにかく今は君を止めるのが第一だ。君の動きさえ止められれば、後は仲間たちが坂本を討ち取って戦いは終わる」

 

 なるほど、俺を足止めしている間に短期決戦で決着をつける気か。肩越しに本陣を見てみれば、数人のDクラス生徒が雄二の近衛部隊と戦闘を繰り広げていた。あのままでは敗北も時間の問題だろう。

 しかし、それでも雄二の顔に焦りは浮かんでいなかった。彼の目に映っているのは敗北ではなく、勝利の光景。

 そしてそれは、俺も同じだった。

 

 クククッ、と喉で笑う。

 

「見事な采配だ、平賀。確かにこのままでは、俺がお前を討ち取るより先に雄二が討たれ、Fクラスは負ける」

 

「そうだ。君がいると分かった時はさすがに驚いたが、それでも所詮Fクラスが俺たちDクラスに敵うはずがないのさ」

 

 平賀は勝ち誇ったように笑う。しかし俺は、チッチッチ、と舌を鳴らして人差し指を立てた。

 

「分かってないな。この作戦のメインは俺じゃない。俺はただの陽動だ」

 

「なに……?」

 

 眉根を寄せる平賀。彼も、彼の近衛部隊も、すっかり俺に意識を向けていて、その小さな影に気付くことはなかった。

 “彼女”が位置についたのを確認して、俺は小さく笑い、

 

「後は頼んだ──姫路」

 

「は?」

 

「あ、あの……」

 

 『何を言っているんだ、こいつは?』とでも言いたげな顔をしている平賀の後ろから、姫路が申し訳なさそうに肩を叩いた。

 

「……え? あ、姫路さん。どうしたの? Aクラスはこの廊下を通らなかったと思うけど」

 

 姫路の出現に理解が追いつかない平賀。無理もない。彼女がFクラスに所属しているとは、誰も予想できないだろう。俺だって予測できなかったのだから。

 

「いえ、そうじゃなくて……え、Fクラスの姫路瑞希です。よろしくお願いします」

 

「あ、こちらこそ」

 

「その……Dクラス平賀君に現代国語勝負を申し込みます」

 

「……はぁ。どうも」

 

「あの、えっと……さ、試獣召喚(サモン)です」

 

 

 現代国語

 

 Fクラス

 姫路瑞希 339点

  VS

 Dクラス

 平賀源二 129点

 

 

「え? あ、あれ?」

 

 召喚された召喚獣。西洋鎧に身の丈以上はある大剣を持った姫路の召喚獣に、平賀は戸惑いながらも相対した。

 しかし、相手にならない。

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 その得物に似合わず素早い動きで肉薄した姫路の分身は、一撃で平賀の召喚獣を粉砕し。

 

 その瞬間、長かった戦いの決着がついたのだった。

 



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第6問『戦後』



問題
以下の文章の( )に正しい言葉を入れなさい
『光は波であって、( )である』


姫路瑞希の答え
『粒子』

教師のコメント
よく出来ました。


土屋康太の答え
『寄せては返すの』

教師のコメント
君の回答には、先生はいつも度肝を抜かれます。


吉井明久の答え
『勇者の武器』

神崎達哉の答え
『闇属性に有効』

教師のコメント
先生もRPGは好きです。




 

 

 

 Dクラス代表・平賀源二──討死。

 

「うぉぉーっ!」

 

 その報せを聞いたFクラスの勝鬨とDクラスの悲鳴とが混ざり、耳を劈く大音響が校舎内を駆け巡った。

 

「凄ぇよ! 本当にDクラスに勝てるなんて!」

 

「これで畳や卓袱台ともおさらばだな!」

 

「ああ! アレはDクラスの連中の物になるんだがらな!」

 

「坂本雄二サマサマだな!」

 

「やっぱりアイツは凄い奴だったんだな!」

 

「坂本万歳!」

 

「姫路さん愛しています!」

 

 代表である雄二を褒め称える声(最後除く)があちこちから聞こえてくる。そしてとうの雄二は、ガックリとうなだれているDクラス生徒たちの奥で、Fクラスのメンバーに囲まれていた。

 

「あー……まぁ、なんだ。そう手放しで褒められると、なんつーか」

 

頬を搔きながら明後日の方向を向く雄二。照れている彼の姿はなんとも意外だ。

 

「坂本! 握手してくれ!」

 

「俺も!」

 

 完全に英雄扱いだった。この光景を見るだけでどれだけ他の者たちがあの教室に不満があったのかがよく分かる。

 

「しかし、坂本や姫路さんだけでなく、神崎も凄かったぞ!」

 

「ああ! 400点近い点数を取っていたからな!」

 

「神崎も握手してくれ!」

 

 雄二と握手をした奴らが、今度は俺に握手を求めてきた。その一つ一つに律儀に対応していると、満面の笑みの明久が近寄って来た。

 

「達哉、僕も達哉と握手を!」

 

 そう言って、明久は手を突き出す。

 

「ぬぉぉ!」

 

 ガシィッ。

 

「達哉……! どうして握手なのに手首を押さえてるのかな……!」

 

「押さえるに決まってんだろうが……フンッ!」

 

「ぐあっ!」

 

 手首を捻り上げると、たまらず明久は悲鳴を上げて手に持っていた包丁を取り落とした。

 

「………」

 

「………」

 

「達哉、皆で何かをやり遂げるって、素晴らしいね」

 

「………」

 

「僕、仲間との達成感がこんなにもいいものだなんて今まで知らな関節が折れるように痛いぃっ!」

 

「おい、クソボケバカアホ久。お前、今何をしようとした?」

 

「も、もちろん、喜びを分かち合うための握手を手首がもげるほどに痛いぃっ!」

 

「おーい。誰かペンチ持ってないかー?」

 

「ほらよ達哉」

 

 雄二が持っていたペンチを俺に投げ渡す。

 

「サンキュー雄二」

 

「な、何で雄二はペンチを持ってるの!? あと、達哉はそのペンチで僕をどうする気!?」

 

「どうするって、そりゃあもちろん爪を……あ、いや、お前は知らない方がいい」

 

「剥がす気!? 僕の爪を剥がす気!?」

 

 「いやー!」と悲鳴を上げて抵抗する明久。俺はそれを無視してペンチを明久の爪につけるが、寸前のところで秀吉に止められた。秀吉の優しい心に感謝するがいい明久め。

 

「……まさか、神崎のみならず姫路さんまでもがFクラスだったなんて……信じられん」

 

 すると、背後から声が聞こえてきた。振り向くと、そこには床に膝をついた平賀の姿があった。

 

「あ、その、さっきはすいません……」

 

「いや、謝ることじゃないさ。全てはFクラスを甘く見ていた俺たちが悪いんだ」

 

 これも勝負。姫路のやり方はまさに騙し討ちだったが、だからと言って彼女が謝る必要はない。

 

「ルールに則ってクラスを明け渡そう。ただ、今日はこんな時間だから、作業は明日からで良いか?」

 

「もちろん明日で良いよね、雄二?」

 

 項垂れる平賀を哀れに思ったのか、明久が雄二にそう訊ねる。

 

「いや、その必要はない」

 

 しかし、そんな明久の問いに雄二はあっさりとそう返した。

 

「えっ、なんで?」

 

「Dクラスを奪う気はないからだ」

 

「どういうこと? 折角普通の設備を手に入れることができるのに……」

 

「このバカ。忘れたのか? 俺たちの目的はあくまでもAクラスだろうが」

 

 打倒Aクラス。それが俺たちが至るべき到達点だ。いずれAクラスを倒すつもりなら、Dクラスの設備を奪う必要はない。

 

「でもそれなら、なんで標的をAクラスにしないのさ。おかしいじゃないか」

 

「うるさい奴だな。たまには自分で考えろ。そんなんだから、お前は近所の中学生に『馬鹿なお兄ちゃん』なんて愛称をつけられるんだよ」

 

 俺の言葉を1ミリも理解していない明久に対し、ツッコミを入れる。

 

「なっ! そんな半端にリアルな嘘をつかないでよ!」

 

「ああ、悪い。中学生じゃなくて小学生だったっけか?」

 

「……人違いです」

 

 サッと顔を逸らした。

 

「……本当に言われていたとは」

 

 軽い冗談のつもりだったのだが。割と笑えない事実を白日の下に晒され、気の毒そうに見つめる俺たちに明久は「惨めな僕を見ないで!」と顔を覆い隠す。

 コホン、と雄二が話を戻すために咳払いをした。

 

「と、とにかくだな。Dクラスの設備には一切手を出すつもりはない」

 

「それは俺たちにはありがたい話だが……それでいいのか?」

 

「もちろん、条件がある」

 

 その条件とやらが、今回俺たちがDクラスと試召戦争をした最大の目的である。

 

「一応聞かせてもらおうか」

 

「なに。そんなに大したことじゃない。俺が指示を出したら、窓の外にある“アレ”を動かなくしてもらいたい。それだけだ」

 

 そう言って雄二が指したのは、Dクラスの窓の外に設置されているエアコンの室外機だった。しかし、あれは“少し貧しい高校レベル”のDクラスのために置かれた物ではなく、スペースの関係で間借りしてあるBクラスの物だ。

 

「設備を壊すんだから、当然教師にある程度睨まれる可能性もあるとは思うが、そう悪い取引じゃないだろう?」

 

 悪い取引なはずがない。室外機の破壊など、うまく事故に見せかけさえすればせいぜい厳重注意程度で済むものだし、なによりそれだけであの劣悪なFクラスで過ごさなくてよくなるのだから。

 

「それはこちらとしても願ってもない提案だが……何故そんなことを?」

 

「次のBクラス戦の作戦に必要なんでな」

 

 かつて『神童』と呼ばれてきた雄二の作戦は、俺でもその全てを予想しきることはできない。果たして室外機の破壊が次のBクラス戦でどう機能するのかは今のところ 分からないが、しかしこれだけは言える。

 

 雄二は、俺たちが負けるような作戦は絶対に立てない。

 

「……そうか。ではこちらはありがたくその提案を呑ませてもらおう」

 

「タイミングについては後日詳しく話す。今日はもう行っていいぞ」

 

「ああ、ありがとう。お前たちがAクラスに勝てるよう願っているよ」

 

「ははっ、無理するなよ。勝てっこないと思ってるだろ?」

 

「それはそうだ。たとえ神崎と姫路さんがいようと、FクラスがAクラスに勝てるわけがない。ま、社交辞令だな」

 

 そう言って、じゃあ、と手を挙げて平賀は去っていった。

 

「さて、皆! 今日はご苦労だった! 明日は消費した点数の補給を行うから、今日のところは帰ってゆっくりと休んでくれ! 解散!」

 

 雄二がそう号令をかけると、戦争中の団結が嘘のようにFクラスの生徒たちはバラバラと雑談を交えながら帰りの支度をするために教室に向かい始めた。

 

「秀吉、一緒に帰ろうぜ」

 

 教室に戻り、帰り支度を済ませた俺は秀吉の元に歩み寄った。どこからか「神崎め、平然と我らのオアシスである木下を誘うとは……!」と舌打ち混じりの言葉が聞こえてきたが、無視する。

 

「すまぬ達哉。これから演劇部の活動があって、そっちに顔を出さなくてはならんのじゃ」

 

「あー、そっか。それなら仕方ない。じゃ、俺は先に帰るよ。じゃーな」

 

「うむ、また明日なのじゃ」

 

 秀吉と別れ、何やら会話中の雄二と姫路にそれぞれ挨拶をし、そんな二人を見て一人頭を抱えている明久を無視して、俺は教室を後にして昇降口に向かった。

 

「さて……これからどうするか」

 

 時刻は午後4時を過ぎ、廊下の窓から茜色の夕日が差し込んできている。なんとも中途半端な時間だ。どうせやることもないし、適当に駅前でもブラブラしていようかと、そう考えて昇降口に差し掛かった時だった。

 

「「……あ」」

 

 反対側から、一人の少女がやってきた。

 

「……達哉」

 

「よ、優子」

 

 木下優子。

 秀吉と全く同じ容姿をした彼の双子の姉で、俺の幼馴染。

 優子は俺の姿を確認するや否や、慌てて目を逸らした。

 

「久し振り……つっても、最後に会ったのが一週間くらい前だから、久し振りってほどでもないか」

 

「…………」

 

「そっちはどうだ? まあ、なんてったってあのAクラスだし、不満なんか無いよな」

 

「…………」

 

 俺の質問に対し、優子は何も答えようとはしなかった。顔を逸らしたまま、目を合わせようともしない。

 

(そういやあ、秀吉が『まだ“あの時”のことを気にしてる』って言ってたっけ……)

 

 黙り込んだままの優子を見て、今朝の秀吉との会話を思い出した俺は優子にバレないように小さく溜息を吐いた。まったく、面倒なことだ。

 

「なあ、優子。話があるんだが」

 

 俺がそう切り出すと、優子の肩がびくりと大きく震えた。

 

「ご、ごめん! アタシ、今日早く帰んなくちゃだから!」

 

「あ、おい!」

 

 そして駆け足で俺の横を通り抜けると、素早く靴に履き替えて、制止も聞かずに走り去って行ってしまった。

 一人取り残された俺は、彼女のその背を見送ってから、今度は大きく溜息を吐く。

 

「ったく。面倒くせえな……」

 

 どうやったらまともに話を聞いてくれるだろうか。そう考えながら、俺は当初考えていた駅前での暇潰しを止めて、真っ直ぐ帰路に着いた。

 

 

 



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第7問『お弁当』

 

 

 翌日。

 今日は昨日のDクラス戦で消費した点数を補給するためのテスト漬けだった。四教科目が終了した時点で多くのクラスメイトは疲労で卓袱台に突っ伏しており、特に明久なんかは一時間目の試験官が船越先生だったせいで余計に疲れが溜まっているようだった。ちなみに明久は、船越先生に近所のお兄さん(三十九歳/独身……お兄さん?)を紹介して難を逃れたらしい。バカにしてはいい考えだ。

 

「よし、昼飯食いに行くぞ! 今日はラーメンとカツ丼と炒飯とカレーにすっかな」

 

「フードファイターかお前は」

 

 勢いよく立ち上がった雄二から出たメニューの数々に思わずツッコんでしまった。

 

「つーか、今日は姫路が弁当を作って来てくれるんじゃなかったっけか?」

 

「おっと、そう言えばそうだったな」

 

「は、はいっ。迷惑じゃなかったらどうぞっ」

 

 と、姫路は身体の後ろに隠していたバッグを出す。

 

「迷惑なもんか! ね、雄二!」

 

「ああ、そうだな。ありがたい」

 

「そうですか? 良かったぁ〜」

 

 ほにゃっとした顔で嬉しそうに笑う姫路。

 

「むー……瑞希って、意外と積極的なのね」

 

 親の仇を見るかのような目で明久を睨む島田。今の所は姫路が一歩リードのようだが、しかし島田よ、諦めるな。俺はお前のことも応援しているぞ。

 

「それでは、せっかくのご馳走じゃし、こんな教室ではなくて屋上にでも行くかのう」

 

 それはさておき、俺たちは秀吉の提案に一斉に賛同して屋上に向かうために教室を出た。

 

「皆は先に行っててくれ。俺は飲み物でも買ってくる。昨日頑張ってくれた礼も兼ねてな」

 

「あ、それならウチも行く! 一人じゃ持ちきれないでしょ?」

 

 その道中で雄二と島田が飲み物を買いに売店に行き、俺たちは先に屋上へと辿り着いた。抜けるような青空と暖かく吹く春風。絶好の弁当日和だ。

 姫路が持ってきたシートを敷いて準備を始める。屋上には他に誰もいなかったので、俺たちの貸切状態だった。

 

「あの、あんまり自身は無いんですけど……」

 

 準備が終わり、シートの上に足を投げ出していると、姫路が重箱の蓋を取った。そしてその中身を見た俺たちは『おおっ!』と一斉に歓声をあげた。

 凄く旨そうだった。唐揚げやエビフライ、おにぎりやアスパラ巻きなどがぎっしりと重箱の中に詰まっている。定番ながらも豪華なラインナップに、俺たちは揃って唾を飲み込んだ。

 

「それじゃ、雄二には悪いけど先に──」

「………(ヒョイ)」

「あっ、ずるいぞムッツリーニっ」

 

 明久が取ろうとしたエビフライを、動きの素早い康太が摘まみ取った。

 そして、流れるように口に運び──

 

「………(パク)」

 

 

 バタンッ! ガタガタガタ!

 

 

 豪快に顔から倒れ、小刻みに震えだした。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「わわっ、土屋君!?」

 

 俺と秀吉と明久は揃って顔を見合わせ、倒れた康太を見た姫路が慌てて配ろうとした割り箸を取り落とした。

 

「………(ムクリ)」

 

 しかし、康太はすぐに起き上がる。

 

「………(グッ)」

 

 そして、姫路に向けてグッと親指を立てた。多分『凄く美味しいぞ』と伝えてるつもりなんだと思う。

 

「あ、お口に合いましたか? 良かったですっ」

 

 康太の言いたいことが伝わったのか、喜ぶ姫路。しかし康太よ、もし本当に彼女の料理が美味しかったとして、それなら何故お前の足はそんなにガタガタと震えているんだ? 俺にはどう見てもKO寸前のボクサーにしか見えない。

 

「良かったらどんどん食べてくださいね」

 

 康太の感想に気を良くした姫路がどんどん笑顔で勧めて来る。しかし、目を虚ろにして身体を震わす康太の姿が脳裏に焼きついて離れず、手が動かなかった。

 

(……達哉、秀吉。あれ、どう思う?)

 

 すると、姫路に聞こえないくらいの小声で、明久が話しかけてきた。

 

(どう考えても演技には見えん)

 

(演技する必要もないしな)

 

(だよね……ヤバいよね?)

 

 表情はあくまでも笑顔のまま。純真無垢な姫路にこの会話と驚愕を気取らせるわけにはいかない。

 

(お主ら、身体は頑丈か?)

 

(正直胃袋には自信ないよ。食事の回数が少なすぎて退化してるから)

 

(明久よりも丈夫な自信はあるが、それでも平均的だろう)

 

 そもそも、たとえ胃袋が丈夫だとしてもあれを口に入れる気にはなれない。

 

(ふむ……ならば、ここはワシに任せてもらおう)

 

 すると、弱気になっている俺たちに、勇気ある秀吉の言葉が囁かれた。

 

(なっ!? 何を言ってるんだ秀吉!? そんなこと、許せるわけないだろう!)

 

(そうだよ、危ないよ!)

 

(大丈夫じゃ。達哉も知っておろう。ワシは存外頑丈な胃袋をしておる。ジャガイモの芽程度なら食ってもびくともせん)

 

 それは知っている。本当にジャガイモの芽を食べてそれでもケロっとしてた時は、タフな内臓だと感心すると同時に少し引いた憶えがあるから。

 そうじゃなくて。

 

(安心せい。ワシの鉄の胃袋を信じて──)

 

 外見は美少女でありながら、誰よりも男らしい台詞を秀吉が言おうとしたところで、

 

「おう、待たせたな! へー、こりゃ旨そうじゃないか。どれどれ?」

 

 雄二登場。

 

「あっ、雄二」

 

 明久が止める間もなく素手で卵焼きを口に放り込み、

 

 

 パク……バタンッ!──ガシャガシャン、ガタガタガタ!

 

 

 ジュースの缶をぶちまけて倒れた。

 

「さ、坂本!? ちょっと、どうしたの!?」

 

 遅れてやって来た島田が慌てて雄二に駆け寄る。

 

 ……間違いない、コイツは本物だ……。

 

 康太と同様に激しく身体を痙攣させる雄二を見下ろしながら俺たちは確信した。

 すると、雄二は倒れたまま俺たちを見上げて、目でこう訴えてきた。

 

『毒を盛ったな』

 

『違うぞ雄二、これが姫路の実力だ』

 

 俺も目で返事をし、明久もうんうんと頷いた。一緒にいることが多い俺と雄二と明久の三人だからこそできる技。こういう時に非常に役に立つ。

 

「あ、足が……攣ってな……」

 

 姫路を傷つけないように気を使って嘘をつく雄二。正直かなり無理があるが、お前は優しい男だよ。

 

「あはは、ダッシュで階段の昇り降りしたからじゃないかな?」

 

「うむ、そうじゃな」

 

「だから言ったろ、ダッシュの前は入念に準備運動しろって」

 

「そ、そうなの? 坂本ってこれ以上ないぐらい鍛えられてると思うけど……」

 

 一人事情の分かっていない島田が不思議そうな顔をする。これ以上犠牲者を出さないためにも、彼女には退場してもらった方がいいかもしれない。

 

「ところで島田さん。その手をついてるあたりなんだけどさ……」

 

 すると、明久も同じことを思ったのか、そう言ってビニールシートに腰を下ろしている島田の手を指差した。

 

「ん、何?」

 

「さっきまで、虫の死骸があったよ」

 

「えぇっ!? 早く言ってよ!」

 

 無論、嘘である。しかし島田は明久の言葉を真に受け、慌てて手を避けた。

 

「ごめんごめん。とにかく手を洗ってきた方が良いよ」

 

「そうね。ちょっと行ってくる」

 

 そう言って席を立った島田。これでリスクは低減された。

 

「島田はなかなか食事にありつけずにおるのう」

 

「全くだな」

 

 はっはっは、と男四人で朗らかに笑う。一方その後ろ側で、俺たちは必死に作戦会議を行っていた。

 

(明久、今度はお前が行け!)

 

(む、無理だよ! 僕だったらきっと死んじゃう! そうだ、達哉が行きなよ!)

 

(ざけんな! 俺はまだ人生を楽しみたい!)

 

(流石にワシもさっきの姿を見ては決意が鈍る……)

 

(じゃあ雄二が行きなよ! 姫路さんは雄二に食べてもらいたいはずだよ!)

 

(そうか? 姫路は雄二じゃなくむしろ明久に食べてもらいたいんじゃないか?)

 

(そんなことないよ! 達哉は乙女心は分かってないね!)

 

(いや、分かってないのはどちらかというとお前のことだと──)

 

(ええい、往生際が悪い!)「あっ! 姫路さん、アレはなんだ!?」

 

「えっ? 何ですか?」

 

 明久が指した明後日の方向を姫路が見る。

 

(おらぁ!)

 

(もごぁぁっ!?)

 

 その隙に、雄二の口の中一杯に弁当を押し込んだ。しかし、詰めが甘い。

 

(まだまだぁ!)

 

 俺は明久の援護に回り、雄二の顎を掴んで咀嚼を手伝った。物はよく噛んで食べましょう。果たしてこれを食べ物と呼んでいいものかは微妙だが。

 ともあれ、雄二を生け贄に、俺たちは苦難を乗り越えたのだった。

 

「ふぅ、これでよし」

 

「ああ、万事上手くいったな」

 

「……お主ら、存外鬼畜じゃな」

 

 秀吉が何か言っているが、このままでは秀吉が食べる流れになっていたのだ。俺は秀吉のためなら、鬼畜にも魔王にもなれる自信がある。

 

「ごめん、見間違いだったよ」

 

「あ、そうだったんですか」

 

「ああ。ともあれ、弁当すごい美味かったぜ。ご馳走さん」

 

「うむ、大変良い腕じゃ」

 

 本当に良い腕だった。殺傷力的な意味で。

 

「あ、早いんですね。もう食べちゃったんですか?」

 

「うん、特に雄二が『美味しい美味しい』って凄い勢いで」

 

 視界の隅で倒れている雄二がフルフルと力なく首を振ったが、俺たちは無視した。

 

「そうですかー、嬉しいですっ」

 

「いやいや、こちらこそありがとう。ね、雄二?」

 

「う…うぅ……あ、ありがとうな姫路……」

 

 雄二の目は虚ろだった。俺が言うのもなんだが、やはりお前は優しい男だよ、雄二。

 

「美味しいといえば、駅前に新しい喫茶店が──」

 

 ここで明久が、これ以上下手なことを言って『また作ってきますね』なんてことにならないようにするため、話題を逸らしにかかった。

 

「ああ、あの店じゃな。確かに評判が良いのう」

 

「え? そんなお店があるんですか?」

 

「うん。今度今日のお礼に雄二が奢ってくれるってさ」

 

「てめ、勝手なこと言うなっての」

 

 そこからすっかり話が盛り上がり、姫路も弁当のことを口に出すことはなくなった。どうやら危惧した事態は避けられそうだ。

 取りとめのない会話が続き、ほのぼのした時間が過ぎる──はずだった。

 

「あ、そうでした」

 

 (おもむろ)に、何かを思い出したように姫路がポンと手を打った。

 

「ん? どうしたの?」

 

「実はですね──」

 

 ごそごそと、鞄を探る。

 何だろう、とてつもなく嫌な予感がする。

 

「デザートもあるんです」

 

「ああっ! 姫路さんアレはなんだ!?」

 

「明久! 次は俺でもきっと死ぬ!」

 

 雄二が即座に命がけで明久の行動を阻止した。二度もあの弁当という名の化学兵器を食べたことですっかり防衛本能が働いているようだ。

 

(明久! 俺を殺す気か!?)

 

(仕方がないんだよ! こんな任務は雄二にしかできない! ここは任せたぜっ)

 

(馬鹿を言うな! そんな少年漫画みたいな笑顔で言われてもできんものはできん!)

 

(この意気地なしっ!)

 

(そこまで言うならお前にやらせてやる!)

 

(なっ! その構えは何!? 僕をどうする気!?)

 

(拳をキサマの鳩尾に打ち込んだ後で存分に詰め込んでくれる! 歯を食いしばれ!)

 

(いやぁー! 殺人鬼ーー!)

 

 雄二が拳を握り、あわや肉弾戦になろうとした時、秀吉がすっと立ち上がった。

 

(……ワシがいこう)

 

(秀吉!? 無茶だよ、死んじゃうよ!)

 

(俺のことは率先して犠牲にしたよな!?)

 

 当たり前だ。秀吉と雄二では命の価値に天と地ほどの差があるのだから。

 

(大丈夫じゃ。ワシの胃袋はかなりの強度を誇る。せいぜい消化不良程度じゃろう)

 

 秀吉は自信ありげの顔で言う。確かに、毒までも無効化する秀吉の胃袋なら、万に一つの勝機があるかもしれない。

 

「あのー……どうかしましたか?」

 

 と、一向にデザートに手を伸ばそうとしない俺たちに痺れを切らした姫路が、おずおずと訊ねた。

 

「あ、いや! なんでもない!」

 

「あ、もしかして……」

 

 慌ててフォローする明久のあからさまな態度に、姫路が表情を曇らせた。

 バレたか、と俺たちの間に緊張が走る。

 

「ごめんなさいっ。スプーンを教室に忘れちゃいましたっ」

 

 バッと頭を下げた姫路。言われて俺たちもようやく気付いた。デザートはヨーグルトとフルーツのミックス(のように見えるもの)である。確かに箸では食べにくい。

 

「ちょっと取ってきますね」

 

 そう言ってスカートを翻して階下へと消えた姫路の背を見送った後、

 

「……では、この間に頂いておくとするかの」

 

 死地に向かう兵士のような面持ちの秀吉が、ゆっくりと容器に手を取った。

 しかし、秀吉がデザートを口に含もうとしたその時、俺は彼のその手を止めた。

 

「待て秀吉……俺が食う」

 

「た、達哉……?」

 

 俺の突然の行動に目を丸くする秀吉。その手から、俺は容器を優しく奪い取る。

 

「……正気か?」

 

「自信はあるの?」

 

「いや、無い」

 

 静かに訊ねた明久と雄二に素早く答えた。

 

「なら、どうして……」

 

 どうして、か……。そんなの、決まっている。

 俺は、秀吉を見た。

 

「大切な幼馴染の苦しむ顔は見たくない……ただ、それだけだ」

 

「達哉……!」

 

 秀吉の瞳がうるうると揺れた。秀吉、その涙は俺が無事に生還した時のために取っておいてくれ。

 

「……すまん。恩に着る」

 

「ごめん……ありがとう」

 

「はっ、らしくないことを言うんじゃねえよ」

 

 しかし、彼らの言葉は素直に嬉しかった。これが友情というやつか。

 

 満足だ。最早、思い残すことは何もない。

 

「それじゃあ………いただきます」

 

 決死の覚悟を決め、俺は容器を傾けて一気にヨーグルトをかきこんだ。そして口いっぱいに入ったそれを、ゆっくりと味わう。

 

「むぐむぐ………ん? なんだ、意外とふつ────」

 

 俺の意識は、そこでプツリと途切れた。

 

 



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第8問『食後』

 

 

「……………ん……」

 

「む……おお! ようやく起きよったか、達哉!」

 

 目を覚ますと、秀吉の綺麗な顔が俺の視界いっぱいに広がっていた。

 

「秀吉……?」

 

 呟いて、頭をわずかに動かすと、プニと後頭部にやけに柔らかい感触をとらえた。それは秀吉の膝だった。どうやら俺は、姫路の弁当で意識を失っていた間、秀吉に膝枕をされていたようだ。

 フッと、俺は微笑む。

 

「そうか、ここは天国か……」

 

「帰ってくるのじゃ、達哉。ここはまごう事なき現実じゃ」

 

 そんなはずはない。気が付いたら天使が膝枕をしてくれていたこの状況を天国と言わずして、何を天国というのか。

 

「お、ようやく起きたか、達哉?」

 

 ズイッと、むさ苦しい雄二の顔が視界いっぱいに現れ、俺の楽園は一瞬にして崩壊した。

 

「そうか、ここは地獄だったか………いっそ殺せ」

 

「ほほう……なら本当に地獄に送ってやろうか?」

 

「や、やめるのじゃ雄二! 達哉はまだ寝惚けているだけじゃ!」

 

 青筋を浮かべて拳をポキポキと鳴らす雄二を秀吉が慌てて止め、それを見て俺も冗談はここまでとゆっくりと頭を上げた。

 

「ほれ達哉、お茶じゃ。お主は特にしっかりと飲んだ方が良いぞ」

 

 そう言って秀吉がお茶を差し出してきた。お茶には殺菌成分が含まれているらしいから、嬉しい気遣いだ。

 

「さてと……達哉の“食休み”もようやく終わったことだし、次の試召戦争の話し合いを始めるか」

 

 手渡されたお茶を飲む俺を横目で見ながら、雄二が口火を切る。どうやら俺が倒れた件については“食休み”ということで難を逃れたらしい。一連の出来事の元凶である姫路を見やれば、「神崎君、食事の後にすぐ寝ると牛さんになってしまいますよ」とお淑やかに笑っていた。危うく仏になりかけた身としては、牛の方が何倍もマシだった。

 まあ、それはさておき、である。

 

「ねえ、坂本。次の対戦相手はBクラスなの?」

 

 次の戦いでの作戦を立てるにあたり、唐突に島田が疑問を投げかけた。

 

「ああ、そうだ」

 

「どうしてBクラスなの? ウチらの目標はAクラスなんでしょう?」

 

 俺たちの目標はAクラスだ。そう考えると、通過点にすぎないBクラスを相手にする理由が分からないのだろう。かくいう俺だって、雄二がBクラスを標的にした理由は分かったような分からないような、という曖昧な感じである。

 

「正直に言おう」

 

 そんな中で雄二は急に神妙な面持ちになって答えた。

 

「どんな作戦でも、うちの戦力じゃAクラスには勝てない」

 

 戦う前からの敗北宣言という、最も雄二らしくない回答だった。しかし、無理もないことだ。

 元々AクラスとFクラスには天と地ほどの学力の差がある。ましてやAクラスのクラス代表、学年主席の霧島翔子ならば、一人でこちらのほとんどの戦力を撃破することも可能だ。

 試召戦争は、クラス代表を討ち取らなければ勝利はない。Aクラス代表の霧島を討てない以上、すなわち俺たちFクラスに勝ち目はないのだ。

 

「それじゃ、ウチらの最終目標はBクラスに変更てこと?」

 

「いいや、そんなことはない。Aクラスをやる」

 

 雄二の言葉から推測した島田の言葉を、雄二はきっぱりと否定した。

 

「雄二、さっきといってることが違うじゃないか」

 

 島田の台詞を引き継ぐように明久が間に入る。相変わらずバカだから言っている意味が分からないようだな、とは言わないし思わない。雄二の言葉の真意を測りかねているのは明久だけでなく、他の皆も同じだったのだから。

 しかし、雄二の言わんとしていることの意味が何となく見えてきた俺は、彼の代わりに答える形で呟いた。

 

「……クラス単位の戦争ではなく、一騎討ちか?」

 

「その通りだ。相変わらず達哉がいると話がスムーズに進むから助かる」

 

 クラス代表直々の褒め言葉は素直に嬉しく思うが、雄二は少々俺を過大評価している気がある。確かに一年の時に一度学年主席になったことがあるが、それでも頭の回転が『神童』に敵うとは思っていない。現に俺が分かるのは、雄二の説明を聞いて彼が何を言いたいのかだけ。彼の立てている計画の全貌は俺でも分からない。

 

「どうやって一騎討ちに持ち込むの?」

 

「Bクラスを使う」

 

 話は進み、雄二はAクラスと戦うための計画を俺たちにどんどん打ち明けていく。『Bクラスを使う』。その説明を受けてなお全てを理解できない者たちは、一様に首を傾げた。

 

「試召戦争で下位クラスが負けた場合の設備はどうなるか知ってるよな?」

 

「え? も、もちろん!」

 

 と、目を泳がせる明久。あれは知らない目だ。

 

「……設備のランクを落とされるんだよ」

 

「そ、そうだよね! 常識だよ!」

 

「では、上位クラスが負けた場合は?」

 

「悔しい」

 

「ムッツリーニ、ペンチ」

 

「ややっ、僕を爪切り要らずの身体にする動きがっ」

 

 あながち間違った答えじゃないのが一層腹立たしかった。

 

「相手クラスと設備が入れ替えられちゃうんですよ」

 

 哀れな明久に対し姫路がフォローに入る。このすぐ前の質問にもこっそりフォローを入れていたし、姫路は本当にいい子である。

 

「まあつまり、俺たちに負けたクラスは最低の設備に替えられるってことだ。だから、そのシステムを使って交渉する」

 

「交渉、ですか?」

 

「Bクラスをやったら、設備を入れ替えない代わりにAクラスへと攻め込むように交渉する。設備を入れ替えたらFクラスだが、Aクラスに負けるだけならCクラス設備で済むから、まずうまくいくだろう」

 

 雄二の説明は続く。

 

「それをネタにAクラスと交渉する。『Bクラスとの勝負直後に今度は俺たちが攻め込むぞ』といった具合にな」

 

「なるほどねー」

 

 ここまで説明を受けて、ようやく他の者たちも理解を示したようだった。学年で二番手のクラスと戦ったすぐ後に休む暇なくまた戦争。流石のAクラスでもキツイだろう。連戦という点で言えばFクラスも同じだが、こちらには『不満』という原動力があるし、そもそもクラスのほとんどは救いようのないバカだが体力だけは有り余っている野郎どもである。

 また、勝てばAクラスの設備のFクラスと勝っても何も得られないAクラスでは、モチベーションの点から見ても違う。

 

 だが、問題点がないわけでもない。

 

「しかし雄二よ」

 

 その問題を指摘したのは、秀吉だった。

 

「Aクラスが必ずしも一騎討ちを承諾するとは限るまい。向こうとしては、一騎討ちよりも試召戦争の方が確実なのだからな。それに──」

 

「それに?」

 

「一騎討ちになったとして、そもそも儂らに勝ち目はあるのじゃろうか? 達哉はもちろんのこと、姫路もこちらにいることは既に向こうにも知られていよう?」

 

 FクラスがDクラスに勝ったということは既に学校中に知れ渡っている。となれば注目されるのはその勝ち方であり、その戦争で終盤とはいえ最前に出て暴れた俺や平賀を討った姫路の存在はもはや周知の事実となっているだろう。となると、俺や姫路に対し何らかの対策を練ることは確実である。ましてやAクラスには優子もいるわけだし、俺に関してはほとんど全ての手の内を明かされていてもおかしくない。

 

「その辺に関してはちゃんと考えがある。心配するな」

 

 しかし、そんな俺たちの不安とは対照的に、雄二はあくまで自信満々に言った。

 

「とにかく今はBクラスをやるぞ。細かいことはその後に説明してやる」

 

「ふーん……ま、考えがあるなら僕は別にいいけど」

 

「……でだ、明久」

 

 ひとしきりの説明を受け、これ以上の質問がなくなったのを確認してから、雄二は話を切り替えて明久に向き直った。

 

「今日のテストが終わったら、Bクラスに宣戦布告してこい」

 

「断る。雄二が行けばいいじゃないか」

 

 さすがに同じ轍は踏まない明久はきっぱりと断った。

 

「やれやれ、ならジャンケンで決めるか?」

 

「ジャンケン?」

 

 雄二のその提案にほんの数秒悩んだ後……。

 

「OK。乗った」

 

 こうして、明久はまんまと術中に嵌っていくのであった。

 

「よし。負けた方が宣戦布告に行く。それでいいな?」

 

「いいよ」

 

「ただのジャンケンでもつまらないし、心理戦ありでいこう」

 

 さらに雄二からの提案。

 

「分かった。それなら僕はグーを出すよ」

 

「そうか。なら俺は、お前がグーを出さなかったら──ブチ殺す」

 

 ただの心理戦と信じたいが、本当に殺ってしまいそうな分、最早これはジャンケンという名の脅迫である。

 

「行くぞ、ジャンケン」

 

「わぁぁっ!」

 

 雄二→パー

 明久→グー

 

「決まりだ、行って来い」

 

「絶対に嫌だ!」

 

 負けが決まっても頑なに行こうとしない明久。往生際の悪い。

 

「Dクラスの時みたいに殴られるのを心配してるのか? それなら今度こそ大丈夫だ、保証する」

 

 真っ直ぐな瞳で雄二は明久を見る。しかし、流石に明久もその目を信じてはダメだと分かっているようで、あからさまな不信感を示していた。

 

「なぜなら、Bクラスは美少年好きが多いらしい」

 

「そっか。それなら確かに大丈夫だねっ」

 

 なんてちょろい奴。

 

「でもお前、不細工だしな……」

 

「失礼な! 365度どこからどう見ても美少年じゃないか!」

 

「5度多いぞ」

 

「実質5度じゃな」

 

「5度も無いだろ」

 

「三人なんて嫌いだっ」

 

 ちくしょーっ、と泣き叫びながらBクラスへと逝った明久を見送って、昼食がお開きとなった後に再びテスト漬けの午後が始まった。

 

 



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第9問『vs.Bクラス(前編)』



問題
『ベンゼンの化学式を答えなさい』

姫路瑞希の答え
『C6H6』

教師のコメント
簡単でしたかね。


神崎達哉の答え
『C6H6』

教師のコメント
君の正解解答を初めて見て、先生とても嬉しくなりました。


土屋康太の答え
『ベン+ゼン=ベンゼン』

教師のコメント
君は化学を舐めていませんか。


吉井明久の答え
『B-E-N-Z-E-N』

教師のコメント
後で土屋君と一緒に職員室に来るように。




 

 

 

『ねぇ、達哉』

 

『ん? なに、優子?』

 

 夢を、見た。

 確か、俺が優子と秀吉と出会って、三年くらい経った時のことだったろうか。

 

『達哉は、その……あ、あたしのこと、好き?』

 

 俺たちは家の近所にある公園でよく三人で一緒に遊んでいて、ある日、秀吉がトイレに行って俺と優子の二人きりになった時に、ふと優子が聞いてきた。

 

『うん、好きだよ』

 

『それは……友達としてじゃなくて、女の子として?』

 

『もちろん』

 

 覚えている。もう何年も前のことだから、背景は大分霞みがかってはしまっているけれど、彼女が何を言い、俺が何を言ったのかは、はっきりと憶えている。

 

『な、なら……大人になったらあたしを、お、お嫁さんにしてくれる?』

 

『お嫁さん? それって結婚ってこと? いいよ』

 

『ホ、ホント!? じゃあ、約束よ!』

 

『うん、約束』

 

 あの時は、俺も彼女もまだ子供だった。だからこんな約束も、所詮はただの子供の口約束だと捉えていたつもりだった。

 

 しかし──

 

『絶対だからね! 指切り!』

 

『はは、分かったよ』

 

『行くよ、せーの!』

 

『『ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます、ゆびきった!』』

 

 小指同士が絡み合い、テンポのいい言葉に合わせて上下に揺れた。

 

 今でも、はっきり憶えている。

 

 その時の彼女の笑顔が、世界の何よりも、誰よりも、美しかったということを──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──さっさと起きんかこのバカ弟がァァァァッ!!」

 

「グバッハア──ッ!!?」

 

 今日の俺の朝は、情け容赦のないかかと落としから始まりを迎えた。突如として雷に打たれたような衝撃と激痛に襲われ、俺は腹を抱えて悶えながらベッドから転げ落ちる。

 

「が………かはっ……! な、何しやがるクソ姉貴……!!」

 

 しばらくの間腹を押さえながら蹲り、俺はかかと落としをかましてくれた犯人を怨みのこもった目で見上げた。

 しかしとうの本人はというと、そんな俺の視線もどこ吹く風と受け流し、虫を見るかのような目付きで俺を見下ろしていた。

 

「なに、文句あんの? せっかくあたしがわざわざ起こしに来てやったってのに、さっさと起きないアンタが悪いんでしょうが?」

 

 正直、あまり紹介したくないのだが、これが俺の姉──神崎達希(たつき)である。

 年齢21歳。文月学園のOGで、東京の某一流大学を首席で合格したいわゆる『天才』だが、『超』の上に更に『超』が付くほど凶暴な性格で、特に弟の俺には情け容赦のない暴力女である。

 

「……アンタ、今とっても失礼なこと考えてるでしょ?」

 

「いえいえそんな、滅相もないです魔王様」

 

「フンッ!」

 

「ひでぶっ!」

 

 首をグキリと一捻りにされ、俺は床にピクピクと痙攣するハメになった。

 

「ったく。くだらないこと言ってないで、朝ご飯できてるからアンタもさっさと食べて着替えて学校に行きなさいよ? 確か、今日は試召戦争があるんでしょ?」

 

 倒れる俺を見下ろしながら姉貴は言う。だったらかかと落としで起こすんじゃねえよと言ってやりたいが、今度は何されるか分かったもんじゃないので黙って頷いた。

 

「新学期早々ご苦労なことだけど、あまり問題ばかり起こして先生方に迷惑を掛けんじゃないわよ? この前も電話口で西村先生が愚痴ってたんだから」

 

 教師を目指している姉貴は、卒業後もアドバイスを聞くために高校時代の先生たちと連絡を取っているらしい。中でもかつて担任だった鉄人こと西村先生とは頻繁に連絡を取っているという。彼の教育姿勢を一番尊敬しているらしく、曰く、「西村先生みたいな厳しくて容赦のない教育が良い」とか何とか。鉄人2号が誕生する日は近い。

 ともあれ、呆れたように息を吐いた姉貴は、思い出したように腕時計に目をやって「ヤバっ」と呟いた。

 

「もうこんな時間……それじゃあアタシは大学行くけど、さっさとご飯食べなさいよ。食べた食器は自分で洗って自分で片付けること」

 

「へいへい」

 

「『ハイ』は一回! あと、家出る時は戸締りをしっかりすること。この前アンタ、リビングの窓のカギ開けっ放しで学校行ってたわよ?」

 

「分かったっての! お母さんかお前は!」

 

「アンタがガキなだけよ。それじゃ、秀ちゃんと優ちゃんにもよろしく言っておいてね〜」

 

 じゃ、と手をヒラヒラと振って階段を降り、すぐにガチャリと玄関のドアが開いて閉じる音が聞こえてきた。まるで嵐でも通ったかのように一瞬にして騒がしくなり、一瞬にして静かになった我が家に独り残されながら、俺は大きなため息を吐き、制服に着替えて一階に降りた。

 

 リビングの食卓には姉貴が作ったフレンチトーストとミニサラダが置いてあった。とても美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──さて皆、総合科目テストご苦労だった」

 

 午前中に行った補給テストを終わらせ、昼食を取り終えたクラスメイトたちに対し、教壇に立った雄二が机に手を置いて向き合った。

 

「午後はBクラスとの試召戦争に突入する予定だが、殺る気は充分か?」

 

『おおーっ』

 

 テスト漬けの午前を過ごしても、設備改善に向けて下がる気配を見せないモチベーション。この暑苦しさは何の美点もないFクラス唯一の武器と言っても良いだろう。

 

「今回の戦闘は敵を教室に押し込むことが重要になる。そのため、開戦直後の渡り廊下戦は絶対に負けるわけにはいかない」

 

『おおーっ!』

 

「そこで、前線部隊は神崎達哉と姫路瑞希に指揮を取ってもらう」

 

「が、頑張りますっ」

 

「テメーら、死ぬ覚悟はできてるかーッ!」

 

『うおおーーッ』

 

 雄二の紹介を受けて前に出る俺と姫路。俺たちの言葉を聞き、男共のボルテージに一気に高まった。特に姫路の部隊に充てがわれた奴なんかは、一気に燃え尽きそうな勢いで燃え盛っている。

 今回の戦争において渡り廊下は戦略的価値を持つため、雄二も渡り廊下戦では本気で勝ちに行こうとしていた。投入する戦力も、元学年一位と三位の俺と姫路を先頭にFクラス総数五十人中四十人を注ぐというのだから、その本気度が窺い知れる。何にせよ、ここまでの戦力を投入して負けることはあり得ないだろう。

 

 

 キーンコーンカーンコーン……。

 

 

 昼休み終了のベルが鳴り響く。Bクラス戦開始の合図だ。

 

「よし行くぞ! 目指すはシステムデスクだ!」

 

『サー、イエッサー!』

 

 俺の掛け声と同時、Fクラスのほぼ全戦力を投じた前線部隊が廊下を猛スピードで駆け出した。

 初戦の目標は渡り廊下を確保することと敵を教室に押し込むことなので、ここではとにかく勢いが重要となる。

 

 今回の俺たちの主力武器は数学。Bクラスは比較的文系が多いのと、数学担当の長谷川先生は召喚フィールドが広いというのが理由だ。他にも英語のライティングの山田先生と物理の木村先生もいる。立会いの教師の数も申し分ない。

 

「いたぞ、Bクラスだ!」

 

「高橋先生を連れているぞ!」

 

 Bクラスの教室へと突撃する俺たちの向こうから、ゆっくりとした足取りでBクラスの生徒が歩いて来た。人数は十人程度。偵察部隊といったところか。

 

「いくぞお前ら! 一人残らずぶっ殺せ!」

 

  俺のそんな言葉が皮切りとなり、Bクラス戦が開幕した。

 

 

  総合

 

 Bクラス

 野中長男 1943点

  VS

 Fクラス

 近藤吉宗 764点

 

 

 ふむ、やはりFクラスとBクラスじゃあ個々の戦力差は圧倒的か。

 

「……となるとやっぱ、俺がやるしかねーか」

 

 第一陣がことごとく崩され、その勢いのまま向かってくるBクラスの前に俺が立ち塞がる。

 

「行かせるかよ──試験召喚(サモン)!」

 

 声と同時に展開される魔方陣。そして、そこから発生した炎に包まれながら、俺の召喚獣が現れた。

 

 

  英語W

 

 Fクラス

 神崎達哉 439点

  VS

 Bクラス

 野中長男 188点

 里井真由子 191点

 

 

「くっ、よりもよって神崎が相手かよ……!」

 

「それに、彼の召喚獣に付いてる腕輪……あれって、まさか……!?」

 

 と、俺と対戦することになった二人が、俺の召喚獣の腕に付いている腕輪を見て血相を変えた。

 

「ほう……知ってるのか。ならちょうど良い。お前らにいいモン見せてやるよ」

 

 そんな二人に対して不敵に笑むと、俺の召喚獣の腕輪が輝きを放ち始めた。

 そして──

 

「喰らえ……!」

 

 

 轟ッ──!!

 

 

 次の瞬間、俺の召喚獣が薙いだ槍から灼熱の炎が生まれ、敵の召喚獣を呑み込み焼き尽くした。

 

 試召戦争のルールの一つとして、教科ごとに一定以上の点数を獲得した生徒の召喚獣に送られる特典として特殊能力が付与される腕輪が送られる。その能力は人によって様々であるが、俺の場合は点数を消費して炎を生み出し操ることができる。更に点数を消費することで火力を調整することも可能だ。

 

「うおーっ! さすが神崎だぜ! 俺たちも続くぞーッ!!」

 

『おおーーっ!!』

 

 俺の戦いを見たクラスメイトたちが、雄叫びをあげながら敵の偵察部隊に突撃していく。そこにさらに、遅れていた姫路がようやく到着した。

 

「お、遅れ、ました……神崎君、ごめん、なさい……」

 

「問題ない。姫路、来たばかりで悪いがお前も戦ってくれ」

 

「は、はい。行って、きますっ」

 

 荒い呼吸を整えてから、トタトタと怒号飛び交う戦場に突入した姫路。その後ろ姿に和まされていると、早速彼女は前方に立ち塞がったBクラスの生徒二人を撃破し補習室送りにした。

 再びFクラス陣営から歓声が上がる。

 

「うおおおおーーっ!!! 姫路さんサイコーッ!!」

 

「結婚してーーッ!!」

 

 信者急増中。とうとうプロポーズまでされる始末。とりあえず姫路の安全のためにも、そいつは始末しといた方がいいかもしれない。

 

「中堅部隊と入れ替わりながら後退! 戦死だけはするな!」

 

 けたたましい怒号の中、Bクラスのそんな指示が聞こえてきた。それと同時にBクラスの守備が崩れていき、俺たちは徐々にBクラス教室に近づいていった。とりあえず第一目標は達成。じきに戦闘も終了するだろう。

 

「達哉!」

 

 姫路と二人で戦況を見守っていると、後続に配置されていたはずの秀吉が俺の元までやって来た。

 

「どうした、秀吉?」

 

「ワシらは教室に戻るぞ」

 

「……は?」

 

 唐突な言葉に、俺は思わず首を傾げた。

 

「理由を聞いてもいいか?」

 

「うむ。実はムッツリーニからの情報によると、Bクラスの代表は“あの”根本らしいのじゃ」

 

「根本?……って、根本恭二か?」

 

 問い返すと、秀吉はこくりと頷いた。

 根本恭二……また面倒な名が出てきたものだ。

 根本という男の評判は、俺たち二年の間ではすこぶる悪いことで有名だ。目的のためなら手段は選ばず、『球技大会で相手チームに一服盛った』だとか、『喧嘩に刃物は当然装備(デフォルト)』だとか、とにかく黒い噂が絶えない。

 

「そうか……確かに、奴が代表なら何か仕掛けてくるかもしれないな」

 

「雄二に何かあるとは思えんが、念のためにの」

 

 秀吉の言う通り、用心に越したことはない相手だ。俺は指示に従い、姫路にこちらのことを任せて、数人の仲間と共に教室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ、こりゃ酷い」

 

「まさかこう来るとはのう……」

 

早足で教室に戻った俺たちを迎えたのは、穴だらけの卓袱台とへし折られたシャーペンや消しゴムの山だった。

 

「ちっ、陰湿な真似しやがる。これじゃあ補給試験もままならねえじゃねーか」

 

「うむ。地味じゃが、点数に影響の出る嫌がらせじゃな」

 

「あまり気にするな。修復に時間がかかるが、この程度なら作戦に大きな支障はない」

 

 教室の惨状を見てもなお余裕の姿勢を崩さない雄二が皆を宥める。雄二がそう言うのなら本当に大丈夫なのだろうが、正直、腹の虫が治まらない。

 

「ていうか、そもそもどうして雄二は教室がこんなことになってるのに気付かなかったの?」

 

 使い物にならなくなった卓袱台や文房具を手分けして片付けながら、明久からの当然の質問が飛ぶ。昼休みが終わるまではこれらは無事だったわけだから、壊されたのは必然的にそれ以後ということになる。であるならば、戦争中ずっとこの教室に詰めていたはずの雄二が気付かないはずがない。

 一身に視線が注がれる中、雄二は腕を組みながら明久の問いに答えた。

 

「……協定を結びたいとの申し出があってな。調停のために教室を空にしていたんだ」

 

「協定じゃと?」

 

「ああ。四時までに決着がつかなかったら戦況をそのままにして続きは明日午前九時に持ち越し。その間、試召戦争に関わる一切の行為を禁止する。ってな」

 

「それ、承諾したの?」

 

「そうだ」

 

「でも、体力勝負に持ち込んだ方がウチとしても有利なんじゃないの?」

 

「出来なくはない。だがその場合、姫路には少々荷が重くなる」

 

 俺がそう指摘すると、明久は「あ、そっか」とデメリットに気が付いた。明久の言う通り、勢いがあり、かつ戦況が有利な今こそ一気に片を付けようと思えば付けられるが、そうした場合、姫路の体力が持たなくなってしまう。彼女のリタイアまでに決着が付けられなければ、代表が“あの根本”のBクラスにどんな手を使われて逆転されるか分かったものではない。

 姫路がいなくても、その時は俺がいるから作戦の立てようはいくらでもあるが、相手が相手だけに雄二としてもリスクは少しでも潰したいのだろう。

 

「じゃあ、この協定は姫路さんが明日万全な状態で臨めるように引き受けたってわけだね」

 

「そう言うことだ。俺たちにとってもこの協定は都合がいいからな」

 

 なるほど、と頷く一同。しかし、雄二の説明を受けてなお俺の顔は晴れなかった。何故かは分からないが、得体の知れない不安がのしかかっていた。

 甘すぎるのだ。雄二はではなく、根本がである。いくらでも替えがきく卓袱台や文房具を狙うために、こんなにも対等な条件の協定を結ぶなどという愚を奴が犯すことがあるのだろうか。

 

「達哉、明久、とりあえずワシらは前線に戻るぞい。向こうでも何かされているかもしれん」

 

 そんな秀吉の声が聞こえ、答える前に彼はさっさと前線へ走って行ってしまった。

 

「秀吉の言う通りだね。達哉、僕たちも行こう」

 

「………ああ」

 

 結局、のしかかる不安を拭い去ることができぬまま、俺は明久の後に続いて教室を出た。

 しばらく走って先行した秀吉と合流し、戦場が見えてきたところでそれぞれの部隊に戻る。俺と明久は同じ前線部隊なので、そのまま最前へと向かった。

 

「神崎、吉井! 戻って来たか!」

 

最前に赴くと、須川が俺たちに駆け寄ってきた。

 

「待たせたな、戦況はどうだ?」

 

「かなりまずいことになっている」

 

「えっ!? ど、どうして!?」

 

 Bクラスから本隊が出てきた様子もない以上、戦力的にも苦戦のしようがないはずなのに『まずい』とはどういうことか、と俺と明久は揃って首を傾げる。

 

「島田が人質に取られた」

 

「なっ!?」

 

「チイッ、今度は人質か。王道な手段で来やがって」

 

 須川に連れられて人垣を抜けると、彼の言う通り、二人のBクラス生徒に捕らえられた島田とその召喚獣の姿があった。そして彼らの側には、きっちりと補習担当の鉄人もいる。

 

「島田さん!」

 

「よ、吉井!」

 

 明久が叫び、島田が応える。なんか、安っぽいドラマを見ているような心地だ。

 

「そこで止まれ! それ以上近寄ったら、この女の召喚獣にトドメを刺して補習室送りにしてやる!」

 

 敵の一人が俺たちを牽制した。野郎ばかりのFクラスでたった二人しかいない女子をただ戦死させるのではなく、人質にして補習室送りをチラつかせ、こちらの士気を削ぐ作戦のようだ。卑怯だが、うまいやり方だ。

 

(チッ、どうする……)

 

 思ったよりも効果覿面な敵の策に俺が歯噛みしていると、スッと明久が俺の肩に手を置いた。

 

「達哉、ここは僕に任せてくれ」

 

「……明久?」

 

 自信満々な明久の顔。まさかこのバカ、島田を救う方法を思い付いたというのか。

 

「僕たちだって共に戦う仲間なんだから、いつも達哉ばかりに任せるわけにはいかないよ」

 

 と、そう言った明久の姿がとても頼もしく見え、そんな彼に俺は「分かった」と大きく頷いた。

 

「お前に任せるぞ、明久」

 

「ははっ、任されました」

 

 笑い合い、キッと表情を引き締めて明久は前に出た。並々ならぬ明久の雰囲気に敵が身構える。

 

「吉井……」

 

 島田も、かつてない明久の姿に見惚れ、頰を真っ赤に染めていた。

 戦場全体が明久のオーラに支配され、そこにいる全ての者が明久の一挙手一投足を注視した。

 そしてその数多の視線の中で、明久は大きく息を吸い込み、学校中に響き渡る声量で叫んだ。

 

「総員突撃用意ぃーーっ!!!」

 

「………………」

 

 あのバカを信じた俺がバカだったようだ。

 

「ま、待て、吉井!」

 

 戦場全体の空気が凍りつく中、ハッと我に返ったBクラスの生徒が慌てて声を上げた。

 

「お前、コイツがどうして俺たちに捕まったと思っている?」

 

「バカだから」

 

「殺すわよ」

 

 瞬間、とてつもない殺気が島田から発せられ一直線に明久を貫いた。

 

「コイツ、お前が怪我したって偽情報を流したら、部隊を離れて一人で保健室に向かったんだよ」

 

「な、なんだって!? 島田さん、それって……」

 

「な、なによ……」

 

 Bクラス生徒の言葉に驚愕した明久は真っ直ぐに島田を見つめ、島田はそんな彼の視線から頰を赤くしながら顔を逸らした。島田は、普段の明久とのやり取りから暴力的というレッテルを周りから貼られているが、本当はとても健気で一途な少女なのである。それを知っているからこそ、俺は彼女の行動に共感し、また感動した。

 が、

 

「怪我をした僕にトドメを刺しに行くなんて、アンタは鬼か!」

 

 このバカには彼女の気持ちが伝わらなかった。

 

「ち、違うわよ!」

 

「島田美波、なんて恐ろしい子!」

 

 俺はお前のその腐った思考回路の方が恐ろしいよ。

 

「ウチがアンタの様子を見に行っちゃ悪いっての!? これでも心配したんだからね!」

 

「え……島田さん、それ、本当?」

 

 きょとんと明久は目を丸くした。ようやく彼女の行動が自分を心から心配してのことと理解したらしい。まったく、本当に世話のかかる奴だ。

 明久が落ち着きを見せたのを確認したBクラス生徒が、安堵して再び話を戻した。

 

「へっ、やっと分かったか。それじゃ、大人しく──」

 

「総員突撃ぃーーッ!!!」

 

 絶句。

 

「どうしてよ!?」

 

「どうしてだって? そんなの決まっている! お前は島田さんの偽物だ! 彼女は変装している敵の仲間だ!」

 

 本当、どうしたらこういう考えに至ることができるのか俺には理解できない。一度このバカの脳を解剖して調べた方が良いのではなかろうか。きっと人類の医学史上重大な欠陥が見つかるに違いない。

 

「いい加減にしとけ、このバカ!」

 

ともあれ、さすがにこれ以上は島田がかわいそ過ぎるので、明久の背中を蹴飛ばし、さらに踏み付けて俺が出る。「ふぎゃっ!?」とカエルが踏み潰された時みたいな悲鳴が聞こえたが、無視。

 

「安心しろ島田。今俺が助けてやる」

 

「んなっ!? か、神崎だと!?」

 

「ひ、ひいぃぃっ!?」

 

 俺の登場に敵が恐れをなした隙に、俺は召喚獣を召喚する。

 

 

英語W

 

 Fクラス

 神崎達哉 389点

  VS

 Bクラス

 鈴木二郎 33点

 吉田卓夫 18点

 

 

 普通に行けば島田の召喚獣も殺られてしまうので、腕輪の力を使って一瞬で片をつけた。

 

「ぎゃあぁぁぁ………」

 

「たすけてぇ〜………」

 

 鉄人に担がれて補習室へと連行された二人を見送ってから、ぺたりと床に座り込む島田の元へと歩み寄った。

 

「大丈夫か、島田?」

 

「ええ……ありがとう、神崎」

 

「何やってるんだい達哉!? そいつは島田さんじゃない! 早く離れるんだ!」

 

「……………」

 

 いつまで島田を偽物だと思っているんだろうこのバカは。そろそろ俺も腹が立ってきた。

 

「よ、吉井、酷い……ウチ、本当に心配したのに……」

 

「まだ白々しい演技を続けるか、この大根役者め! 島田さんはそんな優しい台詞を吐いたりはしない!」

 

「本当よ! 本当に心配したんだから!」

 

「取り囲むんだ! いくらBクラスでも、この人数相手に勝てるわけない!」

 

 ぎゅっと体を縮ませて必死に訴える島田。しかし一向に明久は信じようとしない。

 

「本当に、『吉井が瑞希のパンツ見て鼻血が止まらなくなった』って聞いて心配したんだから!」

 

「包囲中止! 彼女は本物だ! そんな嘘に騙されるバカは島田さんしかいない!」

 

 いっそ清々しいほどの手のひら返しだった。

 気まずい空気の中、もはや救いようのないバカはハッハッハと陽気に笑いながら島田に近寄っていき、自ら死地に飛び込んだ。

 

「島田さん、無事で良かったよ。心配したんだからね」

 

「………………」

 

 島田は答えない。

 

「教室に戻って休憩するといいよ。疲れてるでしょ?」

 

「………………」

 

 答えない。

 

「それにしても、まったく卑怯な連中だね。人として恥ずかしくないのかな?」

 

「………………」

 

 俺は静かに、それでいて速やかにその場から避難した。

 

「あー……島田さん。実はね」

 

「なによ……」

 

 島田の沈黙に耐えきれなくなった明久は、彼女の顔が既に修羅へと変わり果てていたことに最後まで気づかぬまま、最高の笑顔を作り、

 

「僕、本物の島田さんだって最初から気付いてたんだよ?」

 

 虐殺が始まった。

 

 



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第10問『罠』

 

「……ここはどこ?」

 

 今日の試召戦争が協定によって終わってから教室で待機してしばらく、ようやくバカ(明久)が目を覚ました。

 

「あ、気が付きましたか?」

 

 すぐ側で看病をしていた姫路が、明久の覚醒に伴って安堵の溜息をこぼす。

 

「心配しましたよ? 吉井君ってば、まるで誰かに散々殴られた後に頭から廊下に叩きつけられたような怪我をして倒れていたんですから」

 

 大正解。まるでその場にいて一部始終を見ていたんじゃないかと疑ってしまうくらい一言一句完璧な解答だった。

 

「いくら試召『戦争』じゃからといって、本当に怪我をする必要じゃないんじゃぞ?」

 

 と、秀吉は注意する。あれは戦争というより一方的な虐殺だったように思える。とはいえ、それもこれも全部このバカの自業自得だから同情はしない。

 

「ち、ちょっと色々あってね……それで、試召戦争はどうなったの?」

 

「今は協定どおり休戦中だ。続きは明日になる」

 

「戦況は?」

 

「一応、計画通り教室前まで攻め込んだ。もっとも、こちらの被害も少なくはないがな」

 

 雄二がこちらの被害が書かれたメモを読み上げる。予想の範囲内とはいえ、かなり大きい。渡り廊下での戦闘も、一見圧勝に見えるがそれはこちらがほぼ全戦力を注いだ結果なだけで、全体を通して見れば決して良いとは言えなかった。

 

「ということは、ハプニングがあったけど今のところは順調ってわけだね?」

 

「まあな」

 

 雄二は頷いた。明久の言う通りだが、根本のことだ、他にも何か企んでいるに違いない。

 

「…………(トントン)」

 

 すると、いつの間にいたのか、今までずっと情報収集に当たっていた康太が雄二の肩を(つつ)いた。

 

「お、ムッツリーニか。何か変わったことはあったか?」

 

「…………(ヒソヒソ)」

 

「……なに? Cクラスの様子がおかしいだと?」

 

「…………(コクリ)」

 

 康太の報告によると、どうやらCクラスが試召戦争の準備を進めているとのことだった。まさか俺たちのようにAクラス相手に戦おうだなんてぶっ飛んだことは考えているわけがないだろうから、おそらくこちらの勝者を潰すため──つまり漁夫の利を狙っているのだろう。

 

「どうする、雄二?」

 

「ふむ、そうだなー……」

 

 俺が雄二に訊ねると、雄二は顎に手を当てながらチラリと時計に目をやった。時刻は四時半。まだそんなに遅い時間ではない。

 

「……よし。ならCクラスと協定でも結ぶか。『Dクラスを使って攻め込むぞ』とか言って脅してやれば俺たちに攻め込む気も無くなるだろうさ」

 

 と、ともすればそれは当然の判断だった。雄二でなくとも思い付ける最善の策。俺たちも、彼のその判断に誰一人異を唱えることはせず、言われるがままにCクラスの教室へと向かった。

 

 だからこそ、俺は後悔することになる。

 

 当然の判断だったからこそ、雄二でなくとも思い付ける策だったからこそ。

 

 そこに“奴”の罠が潜んでいることに、気付くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。Cクラス代表はいるか?」

 

 Cクラスに到着するなり、雄二はガラリと乱雑に扉を開けてCクラスの生徒たちに告げた。メンバーは俺を入れて雄二、明久、康太、姫路、島田の六人。秀吉は万が一の時に行うという作戦のために顔バレしないよう待機となった。

 

「私だけど、何か用かしら?」

 

 雄二の呼びかけに対し、一人の女子生徒が前に出てきた。鋭くつり上がった目に混じりっけのない黒髪の少女──Cクラス代表・小山友香である。

 

「Fクラス代表としてクラス間交渉に来た。時間があるか?」

 

「クラス間交渉? ふーん……」

 

 あまり女子の悪口は言いたくないが、小山は穏やかな性格とはとてもじゃないが言い難く、雄二の言葉を聞いていやらしい笑みを浮かべていた。

 

「どうしようかしら……ね、()()()()?」

 

「なに……!?」

 

 唐突に振り返り、教室の奥の机に腰掛けていた一人の男子生徒に声を掛ける小山。彼女が口にしたその男の名を聞き、俺たちの顔は驚愕に染められた。

 

「当然却下。だって、必要ないだろう?」

 

 そう言って立ち上がり、奥からやって来る“彼”。

 

 目下の俺たちの敵であるBクラス代表──根本恭二。

 

「協定を破るなんて酷いじゃないか、Fクラスの皆さん。試召戦争に関する一切の行為を禁止したはずだよな?」

 

「何を言って──」

 

「先に協定を破ったのはそっちだからな? これはお互い様、だよな!」

 

 根本が合図を送ると同時、Cクラス生徒の人混みを縫って現れたBクラス生徒。そして俺たちの背後には、先ほどまで戦場にいた数学担当の長谷川先生が配置されていた。

 

「長谷川先生! Bクラス芳野が召喚を──」

 

「させるかよ! Fクラス神崎達哉が相手をする! 試獣召喚(サモン)!」

 

 

 数学

 

 Fクラス

 神崎達哉 345点

  VS

 Bクラス

 芳野孝之 161点

 

 

 Bクラスの敵が雄二に攻撃を仕掛けようとしたところを、俺が割り込んで間一髪防いだ。

 

「雄二! ここは俺に任せて、お前は皆と共に退却しろ!」

 

「ま、待ってよ達哉! 僕たちは協定違反なんかしてないじゃないか! だって、これはFクラスとCクラスの──」

 

「無駄だ明久!」

 

 あくまで平和的に解決しようとする明久を、雄二が強い口調と共に制した。

 

「そう言ったところで、根本は条文の『試召戦争に関する一切の行為』を盾にしらをを切るに決まっている」

 

「ま、そーゆーこと♪」

 

 俺たちが結んだ協定はあくまでFクラスとBクラス間のものであり、この二クラス間以外での試召戦争に関する行為は正確には協定違反には当たらない。

 しかし、そう思っているのは俺たちだけであり、『試召戦争に関する一切の行為』が対象を明確に指定していない以上、Cクラスとの協定を違反と先に指摘されてしまえばこちらに反論の余地はなくなるのである。

 

 全ては根本の策だったのだ。

 

 俺たちは敵が教室に妨害工作をすることが目的で協定を結んで来たとばかり思っていたが、正確にはその逆、()()()()()()()()()協定を結び、『試召戦争に関する一切の行為の禁止』という条約の穴に気付かせないために妨害工作をして俺たちの目を欺いた。

 そして次なる一手──Cクラスに試召戦争を匂わせる動きを見せることで俺たちを誘き出し、俺たちから条約を破らせるように仕向けた。

 

 完全に根本の策略勝ちだった。

 

 俺はギシリと歯を食い縛った。

 雄二が協定を結んだあの時から嫌な予感はしていた。にも関わらずその不安を放置してしまった。

 その結果がこれである。どうしてあの時に気付けなかったんだ。俺は大バカ野郎だ!

 しかし、後悔してももう遅い。今はとにかく雄二を逃すことが最優先である。

 

「とにかく今は逃げろ! 明久たちは全力で雄二を守れ! 雄二が討たれたら、その時点で今までのことが全て無駄になるぞ!」

 

 襲い来る芳野の召喚獣を一刀の下に斬り伏せてから、怒鳴る。その声を聞いてようやく我に返った仲間たちが一人、また一人とCクラスの教室を飛び出した。

 

「達哉……どうか無事で!」

 

「殺られるんじゃねーぞ! 秀吉を悲しませんな!」

 

 背中越しに聞こえてきた明久と雄二の激励に俺は振り返らず、グッと親指を立てるだけで返した。二人がそれを見たのか見てないのかは分からないが、その時には足音は遠くに行ってしまっていた。

 俺の前に、根本と彼が率いるBクラスが近寄って来る。その数はおよそ十人といったところか。

 

「神崎……仲間を逃がすためにたった一人で俺たちに立ち向かうとは、英雄だな、お前は」

 

「そりゃあどうも。お前に言われても全く嬉しくないがな」

 

 軽口を軽口で返すと、ハッ、と根本は鼻で笑った。

 

「だが、正直失望したぜ。かつて学年主席の座を獲得した男が、学園最底辺のゴミクラスに所属しているとはな。しかも、そのゴミクラスの代表を逃がすために囮にまでなるとは……もしかしなくとも、奴らのバカが感染ったんじゃないか?」

 

 途端、嘲笑の渦が巻き起こった。まあ九割がた事実だから反論をする気はないが、ここまでバカにされるとカチンと来るわけで。

 

「……ゴチャゴチャうっせーなァ、クソ野郎」

 

「………あン?」

 

 無意識のうちに、俺自身あまり好きではない“もう一つ自分”を、久しぶりに解き放ってしまっていた。

 

「御託は良いからさっさとかかって来いよ。雄二たちが逃げ切るまで、俺がたっぷりと遊んでやらァ!」

 

「ッ……じょ、上等だ! ここで貴様をぶちのめして補習室に送ってやる! お前ら、殺れッ!!」

 

 根本の号令と共に召喚呪文が唱えられ、数体の召喚獣が俺に襲い掛かる。

 

 Fクラスの命運を懸けた殿戦が、開幕した。

 

 



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第11問『反撃の狼煙』

 

 

 

 辺りには、俺が討ち取った敵の死体が転がっていた。

 戦端が開かれて既に七分が経過。雄二たちはとっくにFクラスに逃げおおせていて、俺も退却しようと思っていたが、予想以上に敵の攻勢が激しく機会を完全に逃してしまった。

 

「驚いたな。数ではこちらが圧倒的に有利なのに、まさかここまで粘るとは……」

 

 仲間たちの屍を眺めながら、根本はゴクリと息を呑む。しかし、その顔にはまだ余裕の色が見て取れる。当然だろう。

 

 

 数学

 

 Fクラス

 神崎達哉 116点

  VS

 Bクラス

 加賀谷寛 167点

 井岡隆文 125点

 入江真美 189点

 

 

 まだ何とか三桁得点を保ててはいるものの、今戦っているどの相手にも点数が負けている。それでもなお戦死していないのは、もはや根性論としか言いようがない。ヒットアンドアウェイ戦法で、攻撃を与えてからすぐ離脱の操作に全神経を集中させていた。

 倒せそうで倒せない現状に業を煮やしたのか、根本は大きく溜息を吐いた。

 

「まったく、本当恐ろしい奴だよ……そんなお前に敬意を表して、選ばせてやる」

 

「なんだと?」

 

「なに、簡単な選択だよ。まず一つは、このまま俺たちに殺られて無様に補習室に連れられ、鉄人にガッツリと扱かれる」

 

 チラリと根本は横に目を向けた。そこには、自分の召喚獣を倒されて戦死したBクラス生徒を両肩に担いだ鉄人が目を光らせて俺を睨んでいた。

 

「……で、もう一つは?」

 

「今すぐ投降し、明日の試召戦争には参加しないと俺たちに誓え」

 

「………………」

 

 まあ、そう来るだろうとは思っていた。

 

「悩むまでもないだろう? このまま戦死すれば地獄の補習が待っているが、投稿すれば避けらるんだ。安心しろ。素直に降れば危害は加えないと約束する」

 

 危害を加えないというのは、おそらく本当のことだろう。投降して明日の試召戦争の不参加を宣言すれば、危害を加えるまでもないのだし。そう考えると、消耗しきった今の俺にはその提案が魅力的に思えた。

 

 鉄人の補習は死んでも嫌だ。なにせ、あれを受けたら趣味が勉強、尊敬する人物は二ノ宮金次郎になってしまうのだ。そうなってしまうくらいなら本当に死んだ方がいっそマシである。

 ならば投降はどうだろうか。明日の試召戦争には出られなくなるが、鉄人の補習を受けなくて済む。雄二たちには申し訳ないが、まだこちらには姫路という切り札がいるわけだし、いくらでも挽回のチャンスはある。

 ほら、魅力的だ。確かに悩むまでもない。

 

「…………根本」

 

「ん〜? なんだ、神崎?」

 

 俺が根本を呼ぶと、彼はニヤリと口元を吊り上げた。正直言って薄気味悪いが、そんなことはもう気にならなかった。

 

「俺が投降すれば、お前たちは俺に危害を加えないんだな?」

 

「ああ、加えない」

 

「本当だな? 信じて良いんだな?」

 

「もちろんだ。もし破ったら坂本の所に行って敗北宣言をしても良い」

 

「そうか……」

 

 根本からの確約も取った。もう聞くことは何もない。俺は大きく息を吸い込んだ。俺が何を言おうとしているのか根本も察せたようで、期待に大きく目を見開き、

 

 そして──

 

「だが断る」

 

「…………は?」

 

 瞬間、根本はキョトンと目を点にした。

 驚いているようだな。根本はてっきり俺が素直に降伏すると踏んでいたのだろう。

 

「どうやら話を聞いてなかったようだな?」

 

「聞いてたよ。一言一句聞き漏らしなく。だが残念だったな、この神崎達哉の最も好きなことの一つは、自分が一番強いと思っている奴に『NO』と断ってやることだ!」

 

「どこの露◯先生だお前!」

 

 なんだ、知ってたのか。シリーズの中でも特に有名な名言だから当然か。

 

「ま、真面目に答えるとだな。例えどんなに魅力的な提案をされたとしても、お前の言いなりになるってのがただ単純に気に食わないだけだ」

 

「くっ……上等だ。だったら今ここで貴様をぶっ殺して補習室に送ってやるよ! 殺れッ!」

 

 激昂した根本が指示を下し、それに従ってBクラス生徒が一斉に飛び掛かる。余裕綽々に根本の提案を蹴った俺だが、だからと言ってこの場を切り抜ける打開策があるわけではなかった。点数も限界だ。俺はおそらく戦死するだろう。しかし、タダで殺られるつもりなど毛頭ない。

 

 たとえ斃れたとしても、一人でも多く敵を道連れにしてやる!

 

 そう覚悟を決め、俺は拳を固く握り締めた。

 そして、槍を構えた俺の召喚獣と敵の召喚獣がぶつかり合おうとした、まさにその時だった──

 

「──試獣召喚(サモン)!」

 

 この場にいるはずのない、いて良いはずのない少女の声が全員の耳を打つ。そして次の瞬間、突如として間に割り込んできた一体の召喚獣が三体のBクラスの召喚獣を一刀両断した。

 

 

数学

 

 Aクラス

 木下優子 376点

  VS

 Bクラス

 加賀谷寛 0点

 井岡隆文 0点

 入江真美 0点

 

 

「な、なにぃっ!?」

 

「お前は……木下優子!?」

 

 現れたのは、優子だった。煌びやかな装飾が施された西洋鎧を纏い、長大な突撃槍(ランス)を構えた召喚獣と共にBクラスを睨み付けて立ち塞がっている。

 

「優子……どうして……」

 

 俺でも予想できなかった彼女の登場に戸惑いながらも訊ねる。その問いに答えるためか、優子は振り返ろうとして、

 

「どういうことだ、木下優子! これは俺たちBクラスとFクラスの戦いだ。なのに何故Aクラスのお前が邪魔をする!?」

 

 その前に根本からの怒りを含んだ質問が飛んで来て、彼の方に顔を向けた。しかし、優子が答えたのは根本の問いではなかった。

 

「ほら、なにボサっとしてるのよ。さっさとここから逃げるわよ!」

 

「あ、ああ!」

 

 背を向けたまま優子は俺に告げる。俺も彼女の言葉に頷き、召喚獣を優子の召喚獣の隣に立たせた。

 

「くそっ、どうしてこんな時にAクラスが乱入してくるんだよ!?」

 

「せっかくもう少しで神崎を討ち取れるところだったのに……」

 

「どうする、根本?」

 

 優子の乱入に気勢を挫かれ、敵の包囲網が僅かに崩れる。俺も優子も、その一瞬を見逃さなかった。

 

「優子、敵を引きつけてくれ!」

 

「分かったわ!」

 

 俺たちは同時に動き出す。優子は敵の注意を引くために単身突撃し、俺は別の方向に駆け出し、その先にある消火器を手に取った。

 

「ま、まずい! 今すぐ神崎を討て!」

 

 俺の行動の意味を悟った根本が慌てて指示を出すが、ことごとく優子に阻まれてしまった。俺は消火器の安全弁を引き抜き、ホースの先を根本たちBクラスへと向けた。

 

「覚悟しろ根本。どんなに姑息な策を練ろうと、俺が──俺たちが全力でお前をぶっ潰す。せいぜい首を洗って待ってるんだな」

 

 射殺さんばかりの視線と挑戦状を叩き付け、悔しそうな表情を浮かべる根本たちに向けて一気に消化剤を噴射する。粉塵が辺り一面を覆い尽くし、現場は一気に混乱に陥った。

 

「今のうちに逃げるぞ、優子!」

 

「ええ!」

 

 敵が俺たちの姿を見失った隙に俺は優子の手を取り、粉塵の中に突入。粉まみれになりながらもなんとか戦線離脱に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふい〜〜……なんとか逃げられたぜ」

 

 かなり遠回りになったが、追っ手を撒いてFクラスのある旧校舎へと戻ってきた俺と優子。教室へと向かう道中、俺は大きく息を吐いた。

 

「もう、粉まみれじゃない。ホント最悪……」

 

 と、隣で優子が愚痴をこぼした。俺も優子も、消化剤の中を突っ切ったことで全身真っ白に染まっていた。

 

「悪かったよ、優子。だけど、あの状況じゃああれくらいしか打開策が思い浮かばなくてな」

 

 俺が持っていたハンカチで白く染まった顔を拭いてやると、途端に優子は顔を赤くして俯いた。

 

「ちょ、ちょっと! 一人でできるってば……」

 

「っと、すまんすまん。つい子供の時の癖が出た」

 

 小さい頃、今よりもずっと活発的だった優子はいつも土や泥まみれになって、そんな彼女の顔を俺が拭いてやっていたっけ。

 

「もう……そう言う達哉だって、顔中粉だらけよ?」

 

「わぷっ!? お、おい、やめろっての!」

 

 仕返しなのか、今度は優子が自分のハンカチで俺の顔を拭く。これも子供の時と同じ。俺が優子の顔を拭いてやれば、今度は逆に優子が俺も汚れた顔を拭く。まったく同じ状況だった。

 

「……ふふっ」

 

「……くっ」

 

 俺も優子も、つい可笑しくなって笑ってしまった。

 

「なあ、優子。どうして助けてくれたんだ?」

 

 一通り笑って、お互いに落ち着いてきた頃、俺は思い出したように訊ねた。

 

「それは……その……」

 

 すると、優子はモジモジと赤面した。その可愛らしい姿に俺も思わず頬が熱くなってしまった。

 答えるのに迷っていた優子は、やがて意を決したように顔を上げる。

 

「達哉が負けるところなんか、見たくなかったから……」

 

「……………」

 

 チクショー、可愛い。人差し指と人差し指をツンツンと突き合わせているところなんか特に。

 

「ま、まあとにかく、おかげで補習室送りにならなくて済んだよ。ありがとな」

 

 そう言って俺が優子の頭を撫でてやると、優子は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「うん……それに、達哉と話したいって思ってたし」

 

「え?」

 

「あの……この前はごめんなさい。本当は逃げるつもりはなかったんだけど、いざ顔を合わせたら、なんて言えばいいのか分からなくなって……」

 

 この前……というのはおそらく、Dクラス戦後の昇降口での出来事を言っているのだろう。

 

「……やっぱり優子は、“あの時”のことまだ気にしてるのか?」

 

 単刀直入に聞くと、優子はコクリと小さく頷いた。

 

「だって“あれ”はアタシたちが悪いもの。アタシたちが“あの時”ちゃんとしていれば、達哉があんな怪我しなくて良かったのに……!」

 

 悔しそうに歯を食い縛りながら、優子はぎゅっと拳を握り締めていた。そんな彼女の姿を見て、俺は大きく溜息を吐き、

 

 ぴしっ。

 

「ひゃう!?」

 

 優子の額に軽く指を弾いてやった。額を押さえながら、何が起こったのか分からないといったような表情をしている優子の肩に手を置き、俺は言う。

 

「だから、何度も言ってるだろう。俺は気にしてない。後悔もしていない。俺がそうしたかったから、お前たちを()()()()()()()()したことなんだ」

 

 むしろ、“あの時”何もしなかったら、その時こそ俺は後悔したに違いない。はっきりと断言できる。

 

「でも……」

 

 それでも納得してくれない優子。こういう頑固一徹なところは昔から全然変わっていない。

 まったく……、ともう一度大きな溜息をこぼした。

 

「よし、分かった。じゃあこうしよう」

 

 そして、あまりに埒があかないので、俺は一つの提案をした。

 

「俺たちFクラスは、じきにお前たちAクラスに戦争を仕掛ける。この件については、その時に決着をつけよう」

 

「?……どういうこと?」

 

 俺が何を言おうとしているのか分からず、優子は首を傾げる。俺は、フフン、と口の端を吊り上げて、

 

「簡単さ。戦争の時、俺は優子と勝負をする。その勝負で俺が勝ったらこの件に関しての全てを水に流してもらう。お互い、何も言いっこなしだ」

 

「……アタシが勝ったら?」

 

「優子が勝ったら、優子の言うことを何でも一つ聞いてやるよ」

 

「な、何でも?」

 

「ああ、何でも。その代わり、それで“あの時”のことは終わりにしてもらう」

 

 そう言うと、優子はフフッ、と小さく笑みをこぼした。

 

「結局、どちらにしても水に流さなくちゃいけないんじゃない」

 

「ああ、そうだ。ちなみに拒否権はなし。もう決定事項です」

 

「何よそれ」

 

 いささか強引ではあるが、優子みたいな頑固者にはこれくらいの強引さが時として必要だ。優子も優子で、言葉では文句を言いつつも、本心から不満はないようだった。そのまましばらく、優子は考え込むような仕草をしていたが、やがて納得したのか、大きく頷いた。

 

「……分かった、それで良いわ」

 

「よし、決まりだな」

 

 交渉成立。俺たちは握手を交わした。

 

「そうと決まれば、アタシはもう帰るわ。さっそく勝負の時のために勉強しなくちゃ」

 

「ハッハー、やる気満々だな。ま、俺も負ける気はさらさらないがせいぜい頑張れ」

 

 そう言うと、優子はムッと頰を膨らませた。

 

「なに余裕かましてんのよ? そもそもあなたたちはまだBクラス戦が残ってるんでしょ? 言っておくけど、あんな奴らに負けたら“あの時”のこと関係なしに言うこと聞いてもらうからね」

 

「ハッ、確かに今日はしてやられちまったが、同じ轍は踏まないさ。最終目標はAクラスのシステムデスク、元からBクラスごときに負けるつもりは毛頭ない」

 

「ふーん、言ったじゃない。だったらアタシたちは、そんなあなたたちをコテンパンにして卓袱台以下の設備にしてあげるわ」

 

 さっきまでの仲睦まじい雰囲気はどこへやら、バチバチとお互い火花を飛ばし合う。そこにあるのは幼馴染という関係性ではなく、FクラスとAクラス──倒すべき敵同士という関係性だった。

 

「それじゃあね、達哉。あっ、あと達希さんにもよろしく言っておいてちょうだい」

 

「はいよ。姉貴も今朝まったく同じこと言ってたよ」

 

 手を振って去っていく優子に俺も手を振り返して、彼女の姿が見えなくなってから俺はFクラスへと帰還した。

 

「ただいまーっと」

 

「達哉──っ!!」

 

 できる限り消火器の粉を払い落としてからガラリと扉を開ける。すると、入ってすぐに涙目の秀吉が抱き着いてきた。

 

「良かったのじゃ達哉。お主が一人で殿を務めたと聞いて、生きた心地がしなかったのじゃ……!」

 

 ぎゅーっと痛いくらいに締め付けられて、俺も二重の意味で生きた心地がしなかった。物理的意味と、癒しという意味で。

 

「無事で良かったぜ、達哉」

 

「本当だよ。なかなか戻って来なくて心配してたんだから」

 

 雄二と明久が俺の帰還に嬉しそうな表情で近付いて来た。何故か明久は傷だらけだった。

 

「……何があったんだ、明久?」

 

「……色々あってね」

 

「実は神崎君と別れた後、Bクラスの別働隊の人たちに襲われてしまって、吉井君と美波ちゃんが囮になってくれたんです」

 

「そうだったのか」

 

 根本は徹底的に俺たちを潰すつもりだったようだ。しかし幸いにもこの奇襲での戦死者はおらず、その結果を受けて根本が悔しそうに表情を歪めている姿を想像すると、なんとなく愉快な気分になった。

 

「でもアキったら、ウチのことも囮にして一人で逃げようとしたのよ? 酷いと思わない?」

 

「やだなー。僕は美波を信用していたからこそ進んで生贄にしようと腕がかつてないほどに痛いぃぃっ!!?」

 

「アンタ今ウチのこと生贄って言ったでしょ!?」

 

 なるほど、つまりいつも通りバカなことをしてその罰を食らったわけか。いつも通りだから同情はしない。

 しかし、『アキ』に『美波』か。経緯はどうあれ、島田に“進展”があったのは確からしい。よくやった島田。その調子で頑張れ。

 

「さて、と。しかし雄二、今日は随分と痛い目にあっちまったな。『神童』ともあろう男が、まさかこのままで終わるとは言わないよな?」

 

 話を切り替えて、俺は雄二に問い掛ける。すると雄二はニヤリと笑った。

 

「当然だ。舐めた真似をしてくれたことを、奴らには後悔させてやる」

 

「だったら今回は俺も全力で手を貸す。明日の試召戦争、陽動なり捨て駒なり、好きに使ってくれ。大暴れしてやるよ」

 

「ほう……珍しくやる気だな。殿の時に何かあったのか?」

 

「まあな。少なくとも、絶対に負けられない理由ができただけだ」

 

 そう言って、俺は教室の窓に目をやった。空はとうに茜色に染まっており、美しい夕陽が薄暗い教室を照らしている。

 

 この夕陽の下を、彼女は今歩いている。その姿を想像して、小さく笑みをこぼすのだった。

 

 





ジョジョネタは正直やりたかっただけ。後悔はしていない。

ご意見ご感想等、随時受付中です。



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第12問『vs.Bクラス(後編)』



問:以下の問いに答えなさい。
『goodおよびbadの比較級と最上級をそれぞれ書きなさい』


姫路瑞希の答え
『good ─ better ─ best
 bad ─ worse ─ worst』

教師のコメント
その通りです。


吉井明久の答え
『good ─ gooder ─ goodest』

教師のコメント
まともな間違え方で先生驚いています。
goodやbadの比較級と最上級は語尾に‐erや‐estをつけるだけではダメです。覚えておきましょう。


神崎達哉の答え
『bad ─ worse ─ best』

教師のコメント
そんな下剋上はありません。


土屋康太の答え
『bad ─ butter ─ bust』

教師のコメント
『悪い』『乳製品』『おっぱい』




 

 

 

 

「よしっ! んじゃあ早速、作戦を始めるとすっか!」

 

 翌朝、補給試験のために早めに登校した俺たちに向けて、雄二が開口一番にそう告げた。

 

「作戦? でも、開戦時刻はまだまだだよ?」

 

「Bクラス相手じゃない。Cクラスの方だ」

 

「あ、なるほど……で、何をするの?」

 

「秀吉に“コイツ”を着てもらう」

 

 と、そう言って雄二が自分の鞄から取り出したのは、うちの学校の女子制服だった。赤と黒を基調としたブレザータイプで、他校にも“オトナのオトモダチ”にもかなり人気のある垂涎の逸品である。

 

「ああ……さてはこれで秀吉に優子に化けてもらい、AクラスとしてCクラスに宣戦布告しようってわけだな?」

 

「大正解。そういうことだ」

 

 さすがだ、と言うような顔で雄二が頷く。これで昨日、雄二が秀吉をCクラスに連れて行かなかった理由が分かった。もし昨日秀吉がCクラスに行っていれば、Cクラスの連中に顔が割れて、優子に化けて乗り込んでもバレる可能性がある。

 いやはや、まさかそこまで予想して考えていたとは、さすがなのは雄二の方だ。『神童』とはよく言ったものだ。

 

「……で? その女子制服はどうやって手に入れたんだ、神童?」

 

「そんなゴミを見るような目で俺を見るな! 言っておくが、盗んだわけじゃないぞ! ちゃんと借りたんだよ!」

 

 借りたって、雄二みたいな男臭い奴に自分の制服を貸す女子が一体どこの世界に………ああ、いるか。そう言えば雄二にも幼馴染がいるんだったな。しかし、だからと言って“彼女”が制服を貸すことなどあり得るのだろうか。俺だって優子に頼んでも貸してもらえないというのに。どころか、パンチが飛んでくるのに。

 閑話休題。

 ともかく、雄二の指示で着替えた秀吉と共に俺たちはCクラスへと向かった。

 

「さて、すまないがここからは一人で頼むぞ、秀吉」

 

「気が進まんのう……」

 

 あまり乗り気ではない様子の秀吉。正直俺もあまり乗り気ではない。か弱い秀吉を敵地のど真ん中に送り込むなど、絶対にさせたくはない。

 しかし、これもFクラスの勝利のため。気が進まないが、やるしかない。

 

「秀吉」

 

 俺は、秀吉の肩に手を置いた。

 

「どうか頼む。Fクラスの命運がお前の演技に掛かっているんだ」

 

「達哉……うむ、分かった! 言ってくるぞい!」

 

 秀吉の瞳に強い意志が宿る。俺も大きく頷き、秀吉は悠然とCクラスへと向かっていった。

 

「相変わらず気持ち悪いくらいの信頼関係だな、お前らは」

 

「気持ち悪いって言うな……ま、幼馴染だからな」

 

 付き合ってきた時間が違う。明久と康太が悔しさのあまり目から血の涙を流していたが、あえて無視する。

 

「お、秀吉が教室に入るぞ。ここからは静かにな」

 

 雄二が口に指を当てて全員に告げる。別にここからなら俺たちの話し声は中に聞こえないとは思うが、素直に指示に従っておく。

 秀吉が、Cクラスの扉に手を掛け、

 

 ガラガラガラッ!

 

『静かになさい、この薄汚い豚ども!』

 

 勢いよく扉を開け放ち、開口一番優子の声で罵声を浴びせた。

 

「さすが秀吉。これ以上ない挑発だな」

 

 もう何も言わなくともCクラスの敵意はAクラスに向いているのではないかと思ってしまうくらいに強烈な一言だった。

 

『な、何よアンタ!?』

 

『話しかけないで! 豚臭いわ!』

 

 代表の小山が怒気の込もった口調で応対するが、優子(秀吉)はピシャリと小山の言葉を遮った。

 

『アンタ、Aクラスの木下ね? 昨日も根本君の邪魔をしたそうじゃない! 今度はCクラスに何の用なの!』

 

 昨日優子が俺を助けに乱入してきたことは既に伝わっていたようだった。根本が伝えたのだろう。あの二人、どうやらそれなりの関係っぽかったし。

 

『私はね、こんな臭くて醜い教室が同じ校内にあるなんて我慢ならないの! 貴女たちなんて豚小屋で充分だわ!』

 

『なっ!? 言うに事欠いて私たちにはFクラスがお似合いですって!?』

 

 おいおいおい、そこでFクラスの名前がさらっと出てくるのはいくら何でもおかしくね? 事欠きすぎじゃね?

 

『それに貴女たちには、アタシの大切な幼馴染を卑怯な手で苦しめてくれた恨みもあるから、本当は手が穢れてしまうから嫌だけど、特別に貴女たちを相応しい教室に送ってあげる!』

 

「む……」

 

「ハッハー。愛されてるなぁ、達哉?」

 

 不意に出た秀吉の言葉にほんの少し顔が熱くなり、雄二がニヤつきながら肩で突いてきた。

 

「……………(ギリギリッ)」

 

「……………(メキメキッ)」

 

 明久と康太が後ろで血の涙を溢れさせながら拳を握っているが、やっぱり無視する。

 

『ちょうど試召戦争の準備もしているみたいだし、覚悟しておきなさい。近い内にアタシたちが貴女たちを始末してあげるから!』

 

 変わって、そう言い残して大きな靴音を立てながら教室を出た秀吉。直後、Cクラスからヒステリックな叫び声が聞こえてきた。

 

『何なのよあの女!! アッタマきた! もうFクラスなんか相手にしてらんない! Aクラス戦の準備を始めるわよ!!』

 

『うおぉぉーーッッ!!』

 

「ふう……これで良かったかのう?」

 

 けたたましい怒声を背にどこかスッキリした顔で戻って来る秀吉。正直、Cクラスに罪悪感がないこともないが、まあ戦争だから仕方ないと割り切って、とにもかくにも、これで彼女たちが俺たちに戦いを仕掛けに来ることはもうないだろう。

 

「秀吉、ありがとな」

 

 俺は近寄って来た秀吉をグイと引き寄せ、胸に彼の小さな体を収めた。途端に、秀吉の顔が真っ赤に染まる。

 

「な、ななな、何をしておるのじゃ達哉!!?」

 

「悪い悪い。でも嬉しかったんだよ。演技とはいえ、秀吉がああ言ってくれてな」

 

 『大切な幼馴染』とも言ってくれたしな。

 

「……あ、あれは演技ではなく、ワシの本心からの言葉じゃ……」

 

「え?」

 

「今回はワシも根本を許すつもりはない。ワシの大切な幼馴染を──達哉を襲ったことを後悔させてやろうと思う」

 

「秀吉………はは、ありがとう」

 

 優子といい秀吉といい、俺は良い幼馴染を持った。嬉しさのあまり、もう一度ギュッと抱き締めた。

 

「「キシャアアアア!!!」」

 

「さっきからウザいわァァッ!!」

 

 とうとう耐えきれなくなった明久と康太が包丁を振りかざして襲って来たので、咄嗟に蹴りを入れてぶっ飛ばしてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドアと壁をうまく使え! Bクラスに戦線拡大の隙を与えるな!」

 

 午前9時、チャイムと同時に再びBクラスとの戦争の火蓋が切って落とされ、俺たちは昨日中断されたBクラス教室前から進軍を開始した。

 俺は雄二の『敵を教室内に閉じ込めろ』という指令の下、三人単位のBクラス生徒の相手をしながら前線の各部隊に指示を飛ばしていく。しかし、ここで一つの問題が発生した。

 姫路の様子がおかしい。本来は俺と共に前線の司令官を任されて部隊の半分を指揮する手筈だったのだが、今日は一向に指示を出す気配がない。それどころか、戦争自体の参加にも躊躇っている様子だった。

 そのため、急遽俺が全体の指揮を執ることになったが、昨日の一件で完全に根本からマークされてしまったために敵の主力が俺の所に雪崩れ込み、それらの対処で指揮まで手が回らない。一応、副司令の秀吉や島田、明久などに各所の指揮をしてもらっているが、俺と姫路が思うように動けなくなっていることで徐々に押されつつあった。

 

「左側出入り口、押し戻されています!」

 

「古典の戦力が足りない! 援軍を頼む!」

 

 三人を倒した矢先に再び現れたもう三人の敵と戦う俺の元に報告が届く。戦いに集中しながら横目で左翼を見れば、充てがっていた自軍の部隊が崩され、突破されようとしていた。

 

「ちっ、まずいな……姫路! 左翼の援護を頼む!」

 

 増援として姫路を呼ぶ。俺に呼ばれた姫路がビクリと肩を跳ねさせて、俺に顔を向けた。

 

「か、神崎君……あの……その……」

 

 しかし、姫路はそれでも動こうとしなかった。泣きそうな顔をしてオロオロしている。一体どうしたというのだろう。いくら何でもおかしすぎる。

 

(根本め、今度は何をした?)

 

 俺は舌打ちをして教室の奥にいる根本を睨んだ。根本は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、まるで姫路に見せつけるかのように手に持った何かをヒラヒラと振っていた。

 

 ハート型のシールが貼られている、ピンク色の可愛らしい封筒を。

 

 それを見るたびに動こうとした姫路が悲痛な表情を浮かべて動作を停止する。

 

 疑問が、確信に変わった。

 

「そういうことかよ……!」

 

 根本恭二……下衆野郎め!

 

「明久ッ!!」

 

 飛び掛ってきた敵を一閃で断ち切り、俺は左翼にいる明久を呼んだ。左翼はその明久の策によって何とか戦線が持ち直しつつあった。俺はまた敵が襲ってくる前に秀吉にその場を任せ、明久と合流した。

 

「達哉! 姫路さんのことなんだけど……」

 

「お前も気付いたか。分かってる」

 

「達哉……僕、もう耐えきれそうにない」

 

 俯いた明久は、拳をギュッと握り締めていた。そんな彼の肩に手を置き、俺は言う。

 

「我慢しなくて良い。俺はもう()()()()キレてるからな……」

 

 俺は今、どんな顔をしているのだろう。中学生の頃、俺はかなり尖っていたが、あの時の感覚に近いかもしれない。

 

「あの野郎は完全に俺たちを怒らせた。なら、俺たちは何をすれば良いか……言わなくとも分かるよな?」

 

「ああ、もちろん!」

 

 俺と明久は頷き合い、戦場とは反対方向に──Fクラスへと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「雄二っ!」

 

「うん? どうした、明久。それに達哉まで。脱走か? チョキでしばくぞ」

 

 Fクラスの教室に飛び込むと、雄二はノートに報告された現在の戦況をノートに書き込みながら、こちらを向かずに答えた。

 

「雄二、悪いが冗談に付き合うつもりはない」

 

「話があるんだ」

 

 一切のふざけもなく真面目な口調で言うと、雄二は手を止めて、ノートから目を離して俺たちを見上げた。

 

「………とりあえず聞こうか」

 

「根本君の着ている制服が欲しいんだ!」

 

「……お前らに何があったんだ?」

 

「どけバカ。俺が説明する」

 

 非常に不愉快なことをのたまったバカを突き飛ばす。俺まで頭のおかしい奴と思われたくない。

 

「言っておくが、根本の制服に一切興味はない。俺たちが欲しいのは、奴が“持っているもの”だ。そのために、俺たちはどうしても奴の制服を手に入れなくてはならない」

 

「よく分からんが……まあ、勝利の暁にはそれくらい何とかしよう。で、それだけか?」

 

「いいや」

 

 呆れ顔の雄二の問いに首を振って否定すれば、明久が後に続いた。

 

「それと、姫路さんを今回の戦闘から外して欲しい」

 

「……理由は?」

 

「言えない」

 

 俺たちが口にしていいものでもない。

 

「どうしても外さないとダメなのか?」

 

「うん、どうしても」

 

 雄二が顎に手を当てて考え込む。かなり無理な頼みなのは分かっていた。承知すれば、負ける確率はドッと高くなる。そうすればその責任を問われるのは雄二であり、慎重にならざるをえない。

 分かっている。

 分かっているからこそ。

 

「「頼む、雄二!」」

 

 俺たちは揃って雄二に深々と頭を下げた。

 普段なら絶対行わない行為に目を丸くした雄二は、やがて、はあ、と大きく溜息を吐き、

 

「……条件がある。姫路が担う予定だった役割をお前たちのどちらかがやれ。どんな方法でもいい、必ず成功させろ」

 

 この無茶な頼みを受け入れた。

 

「分かった! それで、僕らは何をしたらいい?」

 

「タイミングを見計らって根本の攻撃を仕掛けろ。科目は何でもいい」

 

「皆のフォローは?」

 

「ない」

 

 なかなかに難しい注文だ。当然の代償だが。

 

「もし、失敗したら?」

 

「失敗は許さん。必ず成功させろ」

 

 いつになく強い口調だった。つまり作戦の失敗はすなわち俺たちの敗北。

 

「それじゃ、上手くやれよ」

 

 考え込む俺たちを置いて、雄二が教室を出ようと立ち上がる。

 

「どこか行くの、雄二?」

 

「Dクラスに指示を出してくる。例の件でな」

 

 例の件とはおそらく、室外機のことだろう。作戦始動の刻は近い。

 雄二が教室を出て行き、俺たち二人が残される。

 

「よし、それじゃあ達哉、姫路さんの代わりよろしく!」

 

 沈黙を破り、明久がいい笑顔で俺の肩を叩いた。ぶっ飛ばしたい衝動に駆られたが、俺は冷静に首を振った。

 

「いいや。明久、お前が姫路の代わりを務めろ」

 

「そ、そんな! 僕に姫路さんの代わりができるわけないじゃないか! 達哉がやってよ! 元学年主席でしょう!?」

 

 こいつ……何も分かってないな。

 

「いいかよく聞け。これは“お前にしか出来ない”任務だ。他の誰でもない──『観察処分者』のお前にしか出来ないことだ」

 

 明久にしか出来ないこと。『観察処分者』だから出来ること。雄二もそれが分かっていたから、俺たちの無茶な頼みを聞き入れたのだろう。

 ヒントは与えた。気付くか気付かないかは明久による。

 吉が出るか凶が出るか。まさしく運次第である。

 

「僕にしか出来ない………あっ、そうか!」

 

 どうやら、吉が出たようだ。

 俺は一度小さく笑った後、明久に背を向けて教室を出ようとする。

 

「待って達哉! 達哉はどうするの?」

 

 その背を、明久が呼び止めた。俺は振り返らずに答える。

 

「俺にしか出来ないことをやる」

 

 幸運を祈るぜ、戦友。

 

 

 

 

 

 

 明久と別れて、俺は再び前線へと戻った。前線では変わらず熾烈な戦いが繰り広げられており、FクラスとBクラスの怒号と悲鳴が轟いていた。

 

「達哉、戻って来たか!」

 

 最初に俺に気付いた秀吉が駆け寄ってくる。

 

「ああ、しばらく任せきりにして悪かったな」

 

「問題ない……とは決して言えぬが、まあ何とか持ち堪えておる」

 

「そうか」

 

 報告を聞き、秀吉の頭を撫でる。しばらく秀吉はされるがままだったが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

 

「そうじゃ。お主の指示通り、準備は整えておいたぞい」

 

「……俺の指示?」

 

 指示をした覚えはないのだが。

 俺が首を傾げると、なぜか秀吉も首を傾げた。

 

「なんじゃ、違ったのか? 雄二がお主の指示だと言ったから、“彼”を連れてきたのじゃが……」

 

 と、秀吉が指を指した方を見ると、そこには雄二と、その隣には一人の教師の姿があった。彼の姿を見て、俺は自然に笑みをこぼす。

 

「雄二の奴、気が効くじゃないか」

 

 ちょうど俺も頼もうとしていたし、手間が省けた。ニヒルに笑って親指を立てている代表に同じく親指を立て返して、俺は再び秀吉に向き直った。

 

「ありがとうな、秀吉。後は任せろ」

 

「うむ……武運を祈っておるぞ」

 

「心配ないさ。俺が“この”勝負で負けることはない」

 

 そして、雄二たちが連れてきた“彼”を引き連れてそのまま前線部隊に合流する。

 

「来たか神崎……昨日の続きと行こうぜ! 殺れぇ!」

 

 俺の姿を確認した根本が恨みのこもった声で号令を出した。それに従い、Bクラスの本隊が一斉に俺に雪崩れ込む。しかし俺は、悠然と立ったまま逃げようとはしなかった。

 逃げる必要はない。何故なら、こいつらが何人来ようと、“この教科”で俺が負けることなど、あり得ないのだから。

 

「……Fクラス神崎達哉、Bクラスに試験召喚バトルを申し込む」

 

 さあ、教えてやるよ根本恭二。元とはいえ、学年主席をとった俺の実力というヤツをな!

 

「試験召喚獣──試獣召喚(サモン)ッ!!」

 

 紡ぐ三つの言葉。炎と共に生まれる召喚獣。

 

 

  日本史

 

 Fクラス

 神崎達哉 547点

  VS

 Bクラス

 佐山孝信 177点

 冴島杏花 186点

 村岡大成 184点

 杉山徹  197点

 中島葵  179点

 

 

 Bクラスの召喚獣は、炎に包まれ一瞬で灰塵となり果てた。

 

「ば、バカなぁぁっ!!?」

 

「ご、五百点オーバーだと!? そんな点数あり得ないだろっ!?」

 

「こんなの……勝負にならないじゃない……!」

 

 Bクラスからは絶望の悲鳴が、Fクラスからは歓声が轟き響く。

 雄二たちが連れてきたのは、日本史教師の大東壮太先生だった。日本史は俺が最も得意とする分野である。この教科でのバトルで、俺の敵はない。

 

「神崎……貴様ァ……!!」

 

 教室の奥では、根本が歯軋りしながら顔を醜く歪めていた。全くもっていい気味だ。

 

「達哉に続くぞ! Fクラス総員、突撃開始ッ!!」

 

 一方反対側では、雄二が先頭に立って全部隊に突撃指示を出していた。Bクラスは一気に激戦地へと変わり果て、怒号と悲鳴に一層激しさが増す。

 Bクラスのエアコンが止まっていた。どうやら雄二の方もDクラスを上手く使って空調機の破壊に成功したようだ。Fクラスが大挙したことで、教室内は一気に熱気を帯びていく。

 

「どけどけどけぇッ! 神崎達哉がまかり通る! 狙うは根本恭二の首ただ一つ! 邪魔する者は叩き斬る!」

 

 俺は一直線に根本の元に向かっていった。途中で進軍を阻もうと根本の近衛部隊が立ち塞がったが、その全てを宣言通りに叩き斬って邁進する。

 

「ひ、ひいぃ……!」

 

 恐れをなした根本は恐怖の表情を浮かべながら壁際へと逃げていく。俺は内心でほくそ笑んだ。そう、それでいい。お前はもう、“俺たち”の掌の上だ。

 俺はピタリと前進をやめる。すかさず近衛部隊が俺を取り囲み、形勢が逆転したと確信した根本は一転して表情を元に戻した。

 

「ハ、ハハハハっ! どうやらお前の快進撃もここまでのようだな?」

 

 見下すような歪な顔で俺を見ながら、厭らしく笑う根本。どうやら奴は気付いていないらしい。

 この怒号と悲鳴が入り混じる戦場に紛れて、ある音がさっきからずっと響いていることに。

 

 

 根本が笑うその後ろで、壁がパラパラとひび割れていっていることに。

 

 

「──だぁぁーっしゃぁーっ!!!」

 

 

 突如聞こえてきた、明久の叫び声。

 そしてそれと同時に砕け散るBクラスの壁。

 Dクラスから壁を殴り壊して、明久が奇襲を仕掛けた。

 

「な、なんだとぉっ!!?」

 

「くたばれ、根本恭二ぃーっ!!」

 

 思いがけない場所からの奇襲に虚を突かれた根本。その隙を見逃さずに明久と、彼が連れていた島田が根本に突撃する。

 

「遠藤先生! Fクラス島田が──」

 

「Bクラス山本が受けます! 試獣召喚(サモン)!」

 

 しかし、ほんの僅か、最低限の根本の護衛に回っていた近衛部隊が明久たちの対処にあたり、奇襲は失敗に終わった。

 

「ハハッ! 神崎といい、どいつもこいつも驚かせやがって! だが残念だったな! お前たちの奇襲は失敗だ!」

 

 勝ち誇ったように笑う根本。俺は近衛部隊とBクラス本隊の数人に取り囲まれ、明久たちも奇襲を阻まれてしまった。対して雄二のいるFクラス本隊は、元々の点数差に押されて雄二が殺られるのも時間の問題だ。

 もはや俺たちに打開の一手はない。根本はそう思っていたようだ。

 

 それが、命取りとなる。

 

 

 ダン、ダンッ!

 

 

 出入り口や室内を人で埋め尽くされ、四月とは思えない熱気がこもった教室。そこに突如現れた生徒と教師、二人分の着地音が響く。

 エアコンが停止したので、涼を求めるために開け放たれた窓。

 そこから屋上より、ロープを使って二人の人影が飛び込み、根本恭二の前に降り立った。

 

「………Fクラス、土屋康太」

 

 Dクラスを使ってこの教室の空調機を破壊したのも。

 

 俺が()()()突貫して多くの敵を引き付けたのも。

 

 明久が壁をぶち壊して奇襲を仕掛け、残る近衛部隊を引き剥がして根本を丸裸にしたのも。

 

 全部が全部、この時のために。

 

「………Bクラス根本恭二に、保健体育勝負を申し込む」

 

 それが、『神童』と恐れられる坂本雄二の、対Bクラスのプロセスの全てだったのだ。

 

「──試獣召喚(サモン)

 

 

 保健体育

 

 Fクラス

 土屋康太 441点

  VS

 Bクラス

 根本恭二 203点

 

 

 康太の召喚獣は手にした小太刀を一閃し、一撃で敵を斬り伏せる。

 

 今ここに、長かったBクラス戦は終結を迎えた。

 

 



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第13問『茜空の想い』



問題:以下の問いに答えなさい。
『女性は( )を迎える事で第二次成長期になり、特有の体つきになり始める』


姫路瑞希の答え
『初潮』

教師のコメント
正解です。


吉井明久の答え
『明日』

神崎達哉の答え
『日の出』

教師のコメント
随分と急な話ですね。


土屋康太の答え
『初潮と呼ばれる生まれて初めての生理。医学用語では、生理の事を月経、初潮の事を初経という。初潮年齢は体重と密接な関係があり、体重が1.5kgに達する頃に初潮を見るものが多い為、その訪れる年齢には個人差がある。日本では平均12歳。また、体重の他にも初潮年齢は人種、気候、社会的環境、栄養状態などに影響される』

教師のコメント
詳しすぎです。



 

 

「さて、それじゃあ嬉し恥ずかしの戦後対談といこうか、負け組代表?」

 

 終戦後、壁を壊した痛みのフィードバックにむせび泣く明久の手を俺と秀吉で応急手当てする傍らで、雄二が力なく床に座り込む根本を見下ろして言った。

 

「………………」

 

 根本は、黙ったまま応えない。さっきまでの威勢はもはや微塵もなくなっていた。

 

「本来なら設備を明け渡してもらい、お前らには素敵な卓袱台をプレゼントするところだが………特別に免除してやらんでもない」

 

 そんな雄二の言葉に、BクラスだけでなくFクラスまでもざわざわと騒がしくなる。

 

「落ち着け、お前ら。俺たちの最終目標はAクラス。ここがゴールじゃないだろ?」

 

 俺が宥めて説明すると、仲間たちは納得して落ち着きを取り戻した。

 

「ここはあくまでも通過点だ。だから、Bクラスが条件を呑めば解放してやろうかと思う」

 

「………条件はなんだ?」

 

 力無く根本が問う。

 

「条件? それはお前に決まってるだろう、根本恭二?」

 

「お、俺、だと……!?」

 

「ああ。お前には散々好き勝手やってもらったし、正直去年から目障りだったんだよなぁ」

 

 なかなか凄い言い様だが、そう言われるだけのことをこの男はやっているのだから、Bクラスの人間も誰もフォローできなかった。根本本人もその自覚があるらしく、反論はない。

 

「そこでお前らBクラスに特別チャンスだ。Aクラスに行って試召戦争の準備ができてると伝えて来い。そうすれば設備については見逃してやる。ただし、宣戦布告はするな。あくまでも戦争の意思と準備があるとだけ伝えるんだ」

 

「……それだけでいいのか?」

 

 疑うような根本の視線。当初の予定ではこれだけで良かったのだが、今は違う。

 

「ああ。根本(おまえ)が“コレ”を着て言った通りに行動してくれたら見逃そう」

 

 と、そう言って雄二がFクラスの一人から受け取った紙袋から出したのは、先ほど秀吉が着ていた女子制服だった。背中には『これは趣味です。』と書かれた刺繍が縫い付けてある。

 これは俺と明久の要望の制服を手に入れるための手段だ。ちなみに、女子制服については雄二の個人的感情で『これは趣味です。』の刺繍は俺の趣味である。雄二に制服が欲しいと頼みに行った後、もしかしたらまた使うかもしれないと思い手芸部の奴に頼んだのだが、無駄にならなくて良かった。

 

「ば、馬鹿を言うな! この俺がそんなふざけたことを……」

 

 根本が慌てふためいて俺たちの条件を拒否する。お前に拒否権はねえよ、と俺が無理矢理制服を着せようとすると、

 

「Bクラス生徒全員で必ず実行させよう!」

 

「任せて! 必ず実行させるから!」

 

「それだけで教室を守れるならやらない手はないな!」

 

 Bクラスが思わぬ形で助力に入ってくれた。根本の人望の無さが如実に表れている会話だ。

 

「よーし、決定だな! じゃあ根本、着ろ」

 

「よ、寄るな! 変態ぐふぅっ!」

 

 うるさいからとりあえず殴って黙らせた。

 

「ふう、これで静かになったな。さあ皆、着せ替えの時間だ」

 

『はーいっ!』

 

 パンパンと手を叩くと一斉に根本に群がっていくBクラス生徒たち。協力するって素晴らしい。瞬く間に根本はパンツ一丁にひん剥かれ、剥ぎ取られた制服がゴミのように俺の足元に投げ捨てられる。

 

「これで目的のものはゲットだな。ほれ、明久。後はお前が何とかしろ」

 

 制服を拾った俺は、それを明久に投げ渡し、明久は不意を突かれながらも何とかキャッチした。

 

「ありがとう達哉! あっ、根本君の制服はどうしよう?」

 

「ゴミはゴミ箱だ」

 

 根本にその制服は必要ないだろう。替えもあることだし。

 俺の言葉に「分かった!」と元気よく返事をした明久は、そのまま一足先にFクラスへと戻っていった。

 

「ったく、あのバカは……」

 

 男物の制服を宝物でも扱うように大事に抱えて持って行く、一種の変態にすら見える明久の背を苦笑して見届けてから、俺は再び根本を見る。

 すっかり根本は女子制服を着せられていた。

 

「おーい、折角だから可愛くしてやってくれ」

 

「それは無理。土台が腐ってるから」

 

 酷い言いようだ。

 

「確かにそうだが、根本が起きたら撮影会を始めたいし、吐き気を催さない程度にはマシにして欲しいな」

 

「それもそうね。ま、女装してるって時点で既に吐き気がするほど気持ち悪いけどね!」

 

 本当に酷いな。どれだけ人望が無いんだよ、根本の奴。この人望の無さにはむしろ尊敬の念すら抱いてしまいそうだ。抱く気はさらさらないが。

 しかし、根本も起きる気配がないな。少々強く殴りすぎたかもしれない。

 

「早く起きてくれないと、こっちも暇だなぁ………ん?」

 

 溜息を吐いて、何とはなしに教室の外に目をやった俺は、そこに一人の少女の姿を認めた。

 

「あー……雄二、後はお前に任せていいか?」

 

「うん? 構わないが、どうした?」

 

「別に。世にもおぞましい撮影会を見て吐きたくないだけだ」

 

 ここでようやく根本が目を覚ましたが、俺も“もう”暇じゃないから正直どうでもいい。

 

「なるほど……まあ、後は俺たちがやっておく。今日は達哉には働いてもらったからな、ゆっくり休んでくれ」

 

 雄二の許可も出たことだし、俺は真っ直ぐに教室の出口に向かった。いや、正確には出口にいる“彼女”の元へ。さっきからこちらの様子をちょこちょこ見ていたようだが、バレバレだ。しかも彼女自身はまだバレていないと思っているらしく、俺が近付いてきていると分かるやすぐさまサッと体を隠した。しかし、またすぐにヒョコッと顔を出すので正直無駄だった。

 

(ま、そういう一周回ってバカなところも魅力の一つなんだろうけど)

 

 苦笑しながら、そう思う。そのまま俺は出口まで到達し、すぐそばの“彼女”に声を掛ける。

 

「よっ」

 

「あ……よ、よっ」

 

 軽く手を挙げると、戸惑いながらも同じように返してきた。それがあまりにも“らしくなかった”ので、俺は小さく噴き出してしまった。

 

「な、なによ?」

 

「いや、別に」

 

 笑われて気に障ったのか、頬を膨らませる。それを「まあまあ」と宥めてから、

 

「一緒に帰ろうぜ、優子」

 

そう言うと、優子は頬を染めながらコクリと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり陽は傾いていた。

 茜色に染まった帰り道を優子と二人、並んで歩きながら、俺は今日の戦果を語った。

 

「ふーん、そんなことがねぇ……なるほど。あの時の大きな音は、吉井君が壁を破壊した音だったんだ」

 

「ま、そういうこと。あの時の根本の驚愕に満ちた顔、お前にも見せたかったよ」

 

 話しながらその場面の出来事を思い出し、ククク、と笑う俺。反対に、優子は呆れ顔で溜息を吐いた。

 

「なんて言うか、バカね」

 

「また随分とバッサリだな」

 

 まあ、事実だから言い返すつもりもないが。壁を破壊してまで奇襲を仕掛けるなどバカでもやらないことだ。しかし、それを平気でやってしまうバカが明久なのである。

 そして、

 

「バカにもバカなりの戦い方がある。それを考えて実行に移すのがウチの代表だ」

 

 「だから……」と、俺は横目で優子を見下ろす。

 

「油断してると、本当に負けるぞ?」

 

 優子も、余裕たっぷりの表情で俺を見上げた。

 

「言ってくれるじゃない。FクラスがAクラスに勝てるだなんて幻想、まだ抱いているのかしら?」

 

「勝てるさ。Fクラスには俺がいる」

 

「無理ね。達哉はアタシが倒すもの」

 

 視線が交差し、火花が飛び交う。絶対に引けないという意地がそこにはあった。

 

「あ………」

 

 すると、不意に優子が目を逸らし、前方に映るとある一角を複雑そうな表情で見つめた。俺もそこに目をやって、優子が表情を変えた理由を悟る。

 公園だった。姉貴曰く、俺が生まれるよりずっと前からあったというこの公園は、遊具の所々に年季が入っているものの今でも近所の親交と憩いの場として賑わうスポットである。

 

 そして、“あの出来事”が起きた場所でもあった。

 

「………………」

 

 きっと優子も思い出しているのだろう。思いつめたように、公園から目を逸らそうとはしなかった。

 

(ったく……そんな顔すんじゃねえよ)

 

 俺は、はあ、と優子に聞こえないように小さく溜息を吐いて、彼女の頭にポンと手を置いた。

 

「達哉……?」

 

「そういやあ、小学生の頃はこの公園でよく遊んだっけか」

 

 不思議そうに見上げてきた優子を無視して、今思い出したかのように俺は語る。本当は、この公園が目に映った時点で思い出していた。

 

「俺と優子と秀吉。遊ぶ時はいつも三人一緒だったよな」

 

「………うん」

 

 この公園には、思い出がたくさん詰まっている。

 

 鬼ごっこをした。優子が転んで大泣きした。

 かくれんぼをした。高い木に登って降りられなくなった。

 砂遊びをした。泥まみれになって揃って親に怒られた。

 

 とにかくたくさんの思い出が、ここには詰まっている。

 

 

 

『『ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます、ゆびきった!』』

 

 

 

「…………っ!」

 

 風に乗って、歌が聞こえた気がした。二人の子供の、楽しそうな歌声だった。そして思い出す。

 

(そういえば、あの“約束”を交わしたのも、この公園だったっけか?)

 

 そのことを、優子は覚えているのだろうか。そう思い、思い切って聞いてみようと俺は優子に顔を向けた。

 

「……ねえ、達哉」

 

 が、その前に優子が先に話を切り出してきたので、出鼻を挫かれてしまった。

 

「なんだ?」

 

「そういえば、あの約束を交わしたのも、この公園だったわよね?」

 

 言葉に詰まってしまった。驚いた。優子は俺とまったく同じことを考えていたようだ。あまりにドンピシャすぎて、俺の頭は一瞬真っ白になる。

 

「覚えてないかしら?」

 

「あ……い、いや! ちゃんと、覚えてる」

 

「良かった………アタシ、この前まであれは所詮子供の言葉だからって、あまり本気にしてなかったの」

 

「……ああ」

 

 頷く。俺も本気にはしていなかった。子供の時の他愛ない思い出として、記憶の片隅に押し込んでいた。

 

「でも……でもね。“あの出来事”が起きて以来、何度もあの時の夢を見るの。あなたとアタシ、二人で約束を交わしたあの場面の夢を」

 

 同じだ。俺も、同じ夢をよく見る。思えばその時からかもしれない。あの約束が、ただの子供の約束に思えなくなってきたのは……。

 

「ずっと頭から離れなかった。どうしてなのか分からなかった………でも、ようやく気付いたわ」

 

 不意に、手に暖かな感触が伝わる。

 優子が俺の手を握っていた。

 

「アタシ……アタシね……」

 

 俺を見つめる優子の顔は赤かった。きっと夕陽のせいではないだろう。

 ゆっくりと、彼女の顔が近付いてくる。

 

「達哉のことが………」

 

「優子………」

 

 2センチ、1センチ……距離がどんどん縮まっていき、俺も彼女の想いに応えるべく顔を近付けた。

 

 そして、二人の距離は、ゼロになる──

 

「おーい! 達哉ー、姉上ー!」

 

「「────ッ!!?」」

 

 その前に、聞こえてきた秀吉の声に俺たちは一瞬で距離を取った。

 

「ひ、秀吉!? ど、どうして……確か今日は演劇部の活動日だったはずじゃ……」

 

「うむ。そうだったのじゃが、Aクラス戦の準備のために早退させてもらったのじゃ」

 

 余計なことを。

 顔を赤くしたまま俯く俺たちに構わず、秀吉はどんどん話を進めていった。

 

「む? おお、この公園は懐かしいのう! 小学生の頃はここでワシら三人、よく遊んだものじゃ」

 

 そのくだりはもうやった。優子の体がプルプルと震えてきた。しかし秀吉は気付かず、「そうじゃ!」とさらに続ける。

 

「確かここで鬼ごっこをした時、姉上が転んで大泣きしたことがあったのう。思えばあの時くらいかもしれんな、姉上が泣いているのを見たのは。のう、姉う──」

 

「──こんっっのバカ秀吉がアアァァッッ!!!」

 

 優子、大爆発。

 

「ぬわあああっ!? な、なんじゃ姉上!? ワシが何をしたというのじゃ!?」

 

「うっさいわッ!! いいところで邪魔しやがって! もうちょっとだったのに……! もうちょっとだったのにぃぃぃッ!!」

 

「ど、どういうことじゃ!? た、達哉! お主からもなんか言ってくれ!」

 

「い、いやそのー…………秀吉、ごめん」

 

「ええええっ!!?」

 

 いつもなら全面的にお前の味方をさせてもらうが、今回ばかりは無理そうだ。言わせてくれ。

 空気読め、と。

 

「ま、待ってくれ姉上! まずは事情を説明してくれ!」

 

「問答無用!!」

 

「いたたたたっ! ち、違う! その関節はそっちには曲がらな──ぎゃああああっ!!」

 

 ボギンッ! と何かが折れる音と共に一輪の花が夕陽の下に散るのを見ながら。

 俺はどこかで、アホー、とカラスが鳴くのを聞いたのだった。

 

 



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第14問『戦前交渉と隠れた決意』

 

 

 二日後、朝。

 いよいよラスボスのAクラス戦を残すのみとなった俺たちは、教室で雄二から最後の作戦の説明を受けていた。

 

「まずは皆に礼を言いたい。周りからは不可能だと笑われながらもここまで来れたのは、他でもない皆の協力があってこそだ。感謝している」

 

 壇上の雄二が、一緒にいることが多い俺や明久すらも覚えがないほど素直に礼を言った。

 

「ゆ、雄二、どうしたのさ。らしくないよ?」

 

「ああ、自分でもそう思う。だが、これは偽らざる俺の気持ちだ」

 

 笑顔を向ける雄二。そんなことを言われると、こっちまで胸がいっぱいになってきてしまう。

 

「ここまで来た以上、絶対にAクラスにも勝ちたい。勝って、生き残るには勉強だけじゃないということを教師どもに突きつけるんだ!」

 

「おおーっ!」

 

「そうだーっ!」

 

「勉強だけじゃねぇんだーっ!」

 

 最後の勝負を前に、全員の気持ちが一つになっている。そんなような気がした。

 

「皆ありがとう。それで残るAクラス戦だが、これは一騎討ちで決着をつけたいと考えている」

 

 途端、クラスが一気にざわつき始めた。

 

「落ち着いてくれ。ちゃんと説明はする」

 

 雄二がパンパンと机を叩いて皆を静まらせる。

 

「一騎討ちで戦うのは、俺と翔子だ」

 

 Aクラス代表の霧島とFクラス代表の雄二。クラス間の戦争を代理で行うとなれば、このカードになるのは当然といえば当然だ。問題は現学年主席である霧島にどうやって雄二が対抗するのかだが、詳しいことは分からないが雄二のことだ、その辺りのこともしっかり考えているだろう。

 

「達哉よ」

 

 すると、雄二の話を聞いていた俺のそばに秀吉がやってきた。

 

「どうした、秀吉?」

 

「昨日から姉上が『達哉と戦う』と意気込んでずっと部屋で勉強していたのじゃが、雄二の作戦で行くとその対決ができないのではないか?」

 

 俺と優子は個人的に戦う約束を交わしている。秀吉の言う通り、このままではそれが実現できずに終わってしまうのは確実だ。

 

「ああ。その点ならまあ、大丈夫だろう」

 

 しかし、俺は焦るでもなく秀吉にそう告げ、そっと耳打ちする。

 

「(ここだけの話、実は優子にだけ事前に俺たちの作戦を話した)」

 

「(なっ!? し、しかし、それはれっきとした裏切り行為で、もし雄二や他の皆にもバレたら……)」

 

「(ああ、そうだ。だからあくまで俺と優子が戦えるように、かつこっちがあまり不利にならないよう対策を練っておいた。恐らく雄二も大した問題じゃないと了承するはずだ)」

 

 そう言うと、秀吉は「むう……」と一応の納得を見せた。

 

「(だからと言って許されることじゃないのは分かってる。雄二には全部終わったら俺から話すさ。だから秀吉、それまでこのことは他言無用で頼む)」

 

「(うむ……了解じゃ)」

 

 秀吉が大きく頷いた。そして話が終わったところで、俺たちは再び雄二のいる壇上に目をやった。壇上では、ちょうど雄二が詳しい作戦の説明を行っているところだった。

 

 雄二が展開しようとしている一騎討ちは、教科を日本史に限定。ただしレベルは小学校レベルで百点満点の上限あり。勝負方式も召喚獣バトルではなく純粋に点数でバトルするというものだった。

 確かにこの方法なら満点が前提となり、ミスした方が負けるという注意力の勝負になるから、正面きって挑むよりかははるかに勝ち目がある。

 

「でもその場合、同点だったらきっと延長戦だよ? そうなったら問題のレベルも上げられちゃうだろうし、ブランクのある雄二には厳しくない?」

 

「おいおい明久、あまり俺を舐めるなよ? いくらなんでも、そこまで運に頼り切ったやり方を作戦などと言うものか」

 

 と、明久の指摘を雄二は鼻で笑った。

 

「?? じゃあ、霧島さんの集中を見出す方法を知っているとか?」

 

「いいや。アイツなら集中なんてしていなくても、小学生レベルのテスト程度なら何の問題もないだろう」

 

 それもそうだ。教師の監視がある中での妨害などたかが知れる。その程度のことに学年主席の集中が乱れるとは到底思えない。

 ならば雄二の策とは何なのか。いい加減じれったくてイライラしてきた。

 

「雄二、あまりもったいぶるんじゃねえよ。そろそろタネを明かしたらどうだ?」

 

 他のメンバーも、俺の言葉に頷いた。

 

「おっと、すまないな達哉。俺がこのやり方を選んだ理由は一つ。“ある問題”が出れば、アイツは確実に間違えると知っているからだ。その問題とは──『大化の改新』」

 

「大化の改新? 誰が何をしたのか説明しろ、とか? そんなの小学生レベルの問題で出てくるかな?」

 

「いや、そんな掘り下げた問題じゃない。もっと単純な問いだ」

 

「ふむ、単純というと……何年に起きた、とかかのう?」

 

 顎に手を当てて呟いた秀吉に、雄二は「おっ」と眉根を上げた。

 

「ビンゴだ秀吉。お前の言う通り、その年号を問う問題が出たら俺たちの勝ちだ」

 

 自信満々に言う雄二だが、正直あまり信じることができなかった。大化の改新の年号などという基礎的な問題を、果たして霧島が間違えるだろうか。

 

「大化の改新が起きたのは645年。こんな簡単な問題、明久ですら間違えない」

 

 と、雄二は言ったが、明久は恥ずかしそうに手で顔を覆い隠していた。先生、ここに小学生以下がいます。

 

「だが、翔子は間違える。これは確実だ。そうしたら俺たちの勝ち。晴れてこの教室とおさらばできるって寸法さ」

 

 うーむ、と各所から唸り声が聞こえる中、姫路がおずおずと手を挙げた。

 

「あの、坂本君」

 

「ん? なんだ姫路」

 

「坂本君は、霧島さんとは、その……仲が良いんですか?」

 

 雄二はさっきから霧島のことを『アイツ』とか『翔子』とか呼んでいた。それは二人が幼馴染だからだと俺は以前に雄二から聞いて知っているが、他の者たちは知らないので姫路の問いに一様に頷いていた。

 

「ああ。アイツとは幼馴染だ」

 

「総員、狙えぇッ!!」

 

「なっ!? なぜ明久の号令で皆が急に上履きを構える!?」

 

「黙れ、男の敵! Aクラスの前にキサマを殺す!」

 

「俺が一体何をしたと!? そもそも、それなら達哉はどうなんだ! アイツは秀吉だけでなく、その姉の木下優子とも幼馴染だぞ!」

 

 雄二が俺を指差した。あの野郎、さらっと俺を巻き込みやがって。

 

「あっ、そうだった! 達哉にも攻撃準備ッ!」

 

 明久の指示で雄二を狙っていた半分が俺に上履きを構える。半分か。まあ、これくらいの数なら返り討ちにできないこともないが……。

 

「ちなみに、達哉はよく木下家に飯を食べに行くそうだ」

 

「総員、標的変更! 狙いは達哉一人だッ!」

 

「うおいっ!」

 

ていうか、何で雄二はそのことを知ってるんだよ!

 

「覚悟はいいか、達哉?……待つんだ須川君、靴下はまだ早い。それは押さえつけた後で口に押し込むものだ」

 

「ま、待つのじゃ皆の衆! 達哉を狙うでない!」

 

 包囲された俺の前に立ち、必死で皆を宥める秀吉。なんて優しいんだ。男じゃなければ惚れてるよ。

 しかし秀吉。今この状況において、お前の行動は男たちの俺に対する殺意を増大させるだけだ。

 

「こ、この男……秀吉と幼馴染というだけでも大罪だというのに、身を挺して庇われている、だとぉ……!?」

 

「もう我慢ならん! この大罪人の穴という穴に履き古した靴下を詰め込んでやる!」

 

 男たちの得物が上履きから靴下へと変わり、強烈な臭いが風に乗って俺の鼻腔を破壊する。

 

「ちっ……おい明久。今すぐこいつらの武装を解除させろ。さもないと、血を見るのはお前だぞ?」

 

「ふんっ! この状況でそんなことが言えるとはな。やれるものならやってみろ!」

 

 言ったな。後悔してももう遅いぞ。

 

「明久はこの前、ラブレターを貰っていた!」

 

 嘘。嘘だが、次の瞬間、男子全員の標的が明久に変わった。ついでにその輪に姫路と島田も加わった。

 

「えっ、ちょ、な、なに? なんで皆、達哉じゃなくて僕を狙うの? それに姫路さんと美波もどうして僕に向かってカッターを投げようとしてるの? ちょ、ちょっと待って。一旦僕の話をきい──」

 

 明久は血を見ることとなった。

 

「ま、とにかくだ。俺と翔子は幼馴染で、小さな頃に間違えて嘘を教えていたんだ」

 

 集団リンチに遭っている明久を無視して話を再開した雄二。しかし、ほぼ全員が明久の処刑に夢中のため、聞いているのは俺と秀吉しかいなかった。

 

「アイツは一度覚えたことは忘れない。だから今、学年トップの座にいる」

 

 一度覚えたことは忘れないほど頭がいい。しかし今回はそれが仇になる。

 

「俺はそれを利用してアイツに勝つ。そうしたら俺たちの机は──」

 

 ──システムデスクだ!

 雄二は高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一騎討ち?」

 

「ああ。Fクラスは試召戦争として、Aクラス代表に一騎討ちを申し込む」

 

 もはや恒例の宣戦布告。今回は代表の雄二を筆頭に、俺、明久、秀吉、姫路、康太、島田と首脳陣勢揃いでAクラスに来ていた。

 このメンバーの中で一番注目を浴びていたのは明久だった。そりゃあ集団リンチに遭ってミイラ男と化してれば、嫌でも注目される。もはや誰なのかすらも分からない。

 

「うーん、何が狙いなの?」

 

 そして現在雄二と交渉のテーブルについているのは、優子だった。優子には俺が事前にこちらの作戦を知らせているためにこれらの反応は全て演技ということになるが、彼女に秀吉ほどの演技力はなく、『やっと来た!』という期待たっぷりの笑顔がだだ漏れだった。

 

「もちろん、俺たちFクラスの勝利が狙いだ」

 

 そんな優子の態度に首を傾げつつ、雄二は粛々と語る。

 

「……ところで、Cクラスとの試召戦争はどうだった?」

 

「時間は取られたけど、それだけだったわ。何の問題もなし」

 

 秀吉の挑発に乗って昨日Aクラスへと攻め込んだ小山率いるCクラス。その勝負は半日で決着がつき、今や彼女たちはDクラスと同等の設備で授業を受けている。

 

「Bクラスとやりあう気はあるか?」

 

「Bクラスって………昨日来た()()……?」

 

 言って、優子はわずかに俺に視線を向けた。その目には明確に責めの念が込もっていた。まあ、無理もない。

 

「ああ、“アレ”が代表をやっているクラスだ。幸い宣戦布告はまだされていないようだが……さてさて、どうなることやら」

 

「……でもBクラスはFクラスと戦争したから、三ヶ月の準備期間を取らない限り試召戦争はできないはずよね?」

 

 試召戦争を行う上での規則の一つ『準備期間』。

 戦争に敗北したクラスは三ヶ月の準備期間を経ない限り戦争を申し込むことはできないというもので、負けたクラスがすぐさま再戦を申し込んで試召戦争が泥沼化しないための取り決めである。

 

「知っているだろ? 実情はどうあれ、対外的にはあの戦争は『和平交渉にて終結』となっていることを。規則には何の問題もない………Bクラスだけでなく、Dクラスもな」

 

「……それって、脅迫?」

 

「人聞きの悪い。ただのお願いだよ」

 

 俺は根本のことが嫌いで、あいつのやり方を全否定したが、この交渉を見ているとどうにも雄二が根本のように見えてきて胸が痛い。心なしか優子も苛立ち始めているようだ。気持ち的には『焦れったい前置きはいいから早くこっちに条件を言わせなさい!』と怒鳴りつけたいのだろうが、優等生はこういう時に辛い。

 

「うーん………分かったわ。何を企んでいるのか知らないけど、その提案受けるわ」

 

「え? 本当?」

 

 あまりにあっさりした(本当は焦れったくなった)答えにミイラ男、もとい明久が声を上げる。

 

「ええ。代表が負けるなんてありえないし………そもそもあんな格好した代表のいるクラスと戦争なんて嫌だもの」

 

 そして満を持して、優子はここ一番に笑顔を見せながら、

 

「その代わりこっちからも提案。代表同士の一騎討ちじゃなくて、そうね……お互い五人ずつ選んで戦わせ、三回勝った方の勝ち、っていうのなら受けてもいいわよ」

 

「(なるほどのう。これが先ほど言っていた対策じゃな?)」

 

「(ま、そいうことだ)」

 

 優子を見れば、『やっと言えた!』とでも言いたげなすごい嬉しそうな表情で俺を見ていた。可愛いが、もう少し我慢しなさい。

 

「なるほど。こっちから姫路が出てくる可能性を警戒しているんだな?」

 

「ええ。多分大丈夫だとは思うけど、代表が調子悪くて姫路さんが絶好調だったら、問題次第では万が一があるかもしれないし」

 

「安心してくれ。Fクラスからは俺が出る」

 

「無理ね。その言葉を鵜呑みにはできないわ」

 

 これは競争じゃなくて戦争だからね、と優子は付け足す。雄二はしばらく口元に手を当てて考え込み、やがて口を開いた。

 

「いいだろう。その条件を呑んでもいい」

 

「ホント? 嬉しいな♪」

 

 言葉はあくまで冷静に、しかし体いっぱいに優子は嬉しさを表現した。

 

「だが勝負する教科の決定権はこちらが貰う。そのくらいのハンデはあってもいいはずだ」

 

「え? うーん……」

 

 と、笑顔から一転、真面目な表情で悩む優子。大きな目的は俺と戦うことにあるが、しかし彼女は交渉としてAクラスという看板を背負う立場にある身。この会話如何でクラスの将来が決まってしまう。それだけは何としても避けなくてはならない。

 自然、判断も慎重にならざるをえないのだ。

 

「……受けてもいい」

 

 すると、場にもう一つ凛とした声が鳴り響き、Aクラスの輪の中から一人の少女が姿を現した。

 

 Aクラス代表・霧島翔子である。

 

「……雄二の提案、受けてもいい」

 

「代表、いいの?」

 

「……その代わり、条件がある」

 

「条件?」

 

「……うん」

 

 頷いて、霧島は雄二を見た後に姫路を値踏みするかのようにじっくりと観察した。そして再び雄二に顔を向けて、言い放つ。

 

「……負けた方は何でも一つ言うことを聞く」

 

 何の因果か、それは俺と優子が交わした約束と全く同じものだった。

 

「交渉成立だな」

 

「ゆ、雄二!? 何を勝手に! まだ姫路さんが了承していないじゃないか!」

 

 ミイラ男がまた訳の分からないことを言っているが、無視してもよさそうだ。

 

「心配すんな。絶対に姫路に迷惑はかけない」

 

 雄二もきっぱりと言い放つ。実際、どっちに転んでも姫路に迷惑はかからないしな。

 

「……勝負はいつ?」

 

「そうだな……10時からでいいか?」

 

「……分かった」

 

 両クラスの代表の了解をもって交渉は終了。クラスに報告するために俺たちはAクラスを後にする。

 

 “俺たちの”試召戦争の終結は、すぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、これで万事オッケーね。ありがとう代表。アタシの……ううん、“アタシたち”のわがままを聞いてくれて」

 

 Fクラスの面々がAクラスを出て行った後、優子は空気を抜くように大きく息を吐いてソファーに背を預け、傍らに立つ自らの代表を見上げた。

 優子の言葉に、霧島は小さくかぶりを振る。

 

「………気にしなくていい。優子にとってこの戦いが大事なものなら、私はどういう形になろうと一向に構わない。それに、お礼を言うなら私も同じ」

 

「え?」

 

「……私も、“きっかけ”を作ることができた」

 

 霧島はほんのりと頰を染めながら言った。その姿を見て、優子も「あ〜」と思い出す。

 

「そういえば、代表“も”だったわね」

 

 学園生活において優子が最も親しくしている女友達は霧島である。だから優子も霧島も、お互いのことはよく知っているつもりだ。

 想いを寄せる人物なんかは、特に。

 

「アタシたちも、負けてはいられないわねぇ……」

 

「………うん。でも、私はともかく、優子は大丈夫? 神崎は強い」

 

「ええ、油断はできないわ。でも、絶対に負けられない。勝ってみせるわ。アタシのためにも、もちろんAクラスのためにもね」

 

 優子は、力強く笑った。

 

 



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