魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~ (柳沢紀雪)
しおりを挟む

序章
第一話 スクライアの少年


元々にじファン投稿作品でしたが諸々の事情により転載させてもらいました。

作品の性格上、無印シリーズはスキップさせていただいていますが、別のサイトで現在投稿中です。


 奥深い森の中、獣除けの苦々しい薬草が燻る香りが一面に広がり、目を覚ました彼は一瞬眉をひそめた。

 夜明けはまだ遠い。切り分けられた深緑の壁面の中央には既に消えそうになっていた焚き火の跡が、最後の縢りを懸命に奮い立たせている。

 

「気を緩めすぎかな、こりゃ」

 

 そういって男は側の細い枝を何本か取り上げ、そっとその上に備えた。小さな赤光がようやく与えられた餌に嬉々としてまとわりつき、やがてオレンジの身体を盛大に吹き上げさせる。

 これで良しと彼、ベルディナ・アーク・ブルーネスは肩からずれ落ちた毛布を身体に巻き付け、懐から水筒を取り出し少量口に含んだ。

 暖を取るために入れてある濃い味の蒸留酒(スピリッツ)のきつい苦みが口に広がり、ベルディナは一つ溜息をついた。

 

「んん……」

 

 夜の静けさの中、先程通り抜けていった風に頬を撫でられたのか、火の側で毛布にくるまる少年が少し身体をもぞつかせる。

 

「まだ夜だ、寝てな」

 

 おそらく届いていないだろう声を、ベルディナはその少年に向けた。

 少年、ユーノ・スクライアはそれに答えるようにもう一度口を振るわせ、穏やかな寝息を立て始めた。

 ベルディナは、少し肩を落とし一息ついた。

 

「それにしても、遺跡の発掘を九歳の子供に任せるってのは、スクライアの族長も容赦がないな」

 

 ベルディナはまだ遠い朝日を思いながら、自分と彼がここにいる発端を思い返していた。

 

 

 

 スクライア族は遺跡発掘を生業とする種族だ。この世界、ミッドチルダを初めとする時空世界において、彼らの行う仕事は多くの恵みを与えている事は間違いない。

 古代遺跡より発掘される古代遺物、アーティファクト、ロストロギアと称されるそれらは、多くの魔法技術と歴史の証拠を残し、社会をより快適に便利にするための足がかりとして利用されてきた。

 スクライア族は、少数民族であるが故にそのフットワークの軽さを利用し、様々な世界を流浪する放浪民である。少数民族であるが故に、その民草は生まれた時から何らかの役割が与えられ、部族のため家族のために働くことを強要される。

 

 いや、それは強要ではなく当然あるべき義務と言うべきか。

 

 故に、例え幼子であっても何か出来る事があればそれを積極的に行う事が求められ、それを負担と感じる者は種族を見渡してもごく少数であることが伺える。

 しかし、とベルディナは考える。幾ら才能があり本人の意思があり周りもその二つを認めているにしても、年齢が二桁に至らない子供にこのような仕事を、ともすれば命の危険さえもある遺跡の調査を行わせる事は明らかに行き過ぎではないか。

 ベルディナはスクライア族の一員ではない。

 外部の流入者でもなく、あくまで客人として立場であるためスクライアの事情に意見を言うことは出来ず、族長が認めた決定を覆す権限も無い。

 

 ならば、せめて側で見守ることだけは許して欲しい。ベルディナは、族長にそう進言しそれは認められた。保護者を気取るわけではないが、少なくともベルディナはユーノの親代わりとして今まで彼を見守ってきた経緯がある。

 

「何も起こらんといいんだが」

 

 過保護すぎる嫌いがあるとは重々承知しているが、少なくともユーノにはまだまだ保護者が必要だとベルディナは考えていた。

 

「というよりは、この世界の人間は早熟すぎるってことか。所詮ガキの考えることに任せるってのは、放任主義もきつすぎだ」

 

 そう言ってベルディナは眠りに落ちるユーノを見つめた。

 

(しかも、こいつは危うい。全部自分の責任にして、要らん重責を勝手に背負いやがる。誰かが側にいてやらんとな)

 

 ならば、その者が現れるまで自分はその背を見守っていればいいと思い立ち、ベルディナは薄く笑った。それは嘲笑にも似た冷たさの笑みだった。

 

(今更、全てを捨てた俺が、こうして一人の子供に腐心するってのは笑えるもんだな。年を取はとりたくないもんだ)

 

 時折吹き付ける緩やかな冷風に混じり、野を這う獣たちの気配が漂ってくるが満月もまだ遠く、ベルディナは警戒も浅くしてそれらを見守っていた。

 

 ベルディナ・アーク・ブルーネスは三百年の時を生きる魔術士である。

 それを聞いた者の大抵は、センスのない冗談だと一笑するだろう。彼の容貌は、見る者によってはまだ十代後半か、二十代前半と言えるほど若々しい。

 コンパクトにまとめられた細い身体に、肩を軽く撫でる程度に切りそろえられた深海色の髪。身の丈も成人男性より若干低く、整えられた容貌もまるで女性のようにも感じらさせる程だった。

 しかし、彼の深い知識や経験によって裏付けされた行動理念はとても人の一生に集約される粋を超えており、十年も共にした人間なら、自らの成長や老いに比べ、彼がまったく変化しないことに驚き、そしてようやく理解するだろう、彼は、三百年の時を生きる魔術士であると。

 ベルディナがスクライアの客人として部族に身を寄せて、既に二十年。その当時赤子だった者達も、今では立派に成人して部族のために働いている。そして、彼はその間、世界の変化に取り残されたかのような停滞を続けている。

 

(そろそろ、潮時か)

 

 とベルディナが感じるのは、その停滞を不審に思う部族の者達と自身の間に垣根が生じ始めていることにも起因する。

 

(この発掘任務が成功すれば、ユーノは正式に成人として認められる。俺の思惑がどうであれ、成人した男をいつまでも保護しているわけにもいかないか)

 

 次第に足音が聞こえるほどに近づいてくる別れの気配にベルディナは少し感傷を感じながらも、やはり名残惜しさを感じていた。やはり、家族と離れることは辛い。しかし、時期を逃せば、自分が原因でユーノが部族の中で孤立してしまいかねないのも事実だった。

 

「まったく、何度繰り返しゃ気が済むのかね、俺は」

 

 ベルディナの言葉は、白く煙る吐息となり静寂の森の中へと消えていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 蒼き渇望の輝石

 目を覚ました少年、ユーノ・スクライアは身を切る寒さに一瞬身体をきつく震わせた。

 

《おはようございます、マスター。昨晩はよく眠れましたか?》

 

 どこか機械じみた女性の声がユーノが抱える毛布の中から聞こえてきた。

 

「うん、少し寒いけど。大丈夫だよ」

 

《何よりです》

 

 ユーノはその声に少し微笑み、ゆっくりと身体を起こすと首にかけられた赤い宝石を取り上げにっこりと笑った。

 

「おはよう、レイジングハート」

 

 先程まで彼と言葉を交わしていた声の主、レイジングハートとと呼ばれる宝石は答えを返すように何度か光を明滅させた。

 

「起きたか」

 

 楽しそうに会話をする二人に、ベルディナは声を掛け、ユーノに暖めた珈琲を手渡した。

 

「おはよう、ベルディナ」

 

《おはようございます、前所有者ベルディナ》

 

 レイジングハート共にユーノはそう答え、珈琲を受け取った。

 

「ああ、おはよう、ユーノにレイジングハート。今朝はちょっとばかし冷えるな」

 

 ベルディナは朝の冷気に湯気を立てる珈琲を飲み干し、読んでいた本を懐にしまった。

 

《ベルディナ、マスター・ユーノ、本日の予定を》

 

 一通り朝の挨拶を交わした二人を見て、レイジングハートはそういうとこれからの行動の確認を要請した。

 レイジングハートは、ユーノが持つ赤い宝石、デバイスと呼ばれる奇跡を体現する装置に他ならない。それは、極めて高性能な演算装置を有し、使用者(マスター)と意思疎通を行う人工知能が搭載された武器といってよい。

 時空管理局を始め、魔法と呼ばれる技術によって成り立つ文化圏において、魔法とデバイスは切り離すことの出来ない関係にあり、多くの複雑な術式を使用者を代行し行う道具である。

 ユーノはレイジングハートの提案に軽く頷くと、腰のポーチにしまわれていた小型端末を取り出し空間にモニターを投影した。

 

「これから行く場所は、既にあらかたの発掘が終了している場所なんだ。言ってしまえば、今回のこの調査は最後の締めと言ったらいいのかな。この遺跡は確かに発掘され、調査が終わったと言うことを確認するのが目的だね」

 

 ユーノの話す内容は、モニターに投影された資料を要約したものだった。その資料にはいつ頃この遺跡が、誰の手によって発見されいつ頃から発掘作業が始まり、スクライアに依託された時期やその経緯、経費など事細かい文章と数字が示されている。

 

「まあ、言ってみりゃ契約書にサインをするってことだな。楽といえば楽な仕事か」

 

 スクライアに随行してこの遺跡の発掘を一から立ち会ってきたベルディナにとって、あれだけ難航した作業の最後がここまであっけないものである事は、ある意味拍子抜けのように感じられたのかもしれない。それは、ユーノも同じ事だろうし、スクライアも同じ事を考えていることだろう。

 普段は生真面目で、不必要なほど慎重であるはずのユーノが随分とリラックスして話をすることからそれは伺える。

 

「といっても、気を緩めていいって事じゃないからその辺はわきまえてよ?」

 

「俺が油断するって?」

 

「ベルディナに言う言葉じゃなかったね。失礼」

 

「まあ、いいんだけどもよ」

 

 そういってベルディナは、固形食品を口に含み朝食を取り始めた。

 

《油断大敵です。気を引き締めましょう》

 

 レイジングハートの正論らしい正論にベルディナは肩をすくめると、ちぎった干し肉をユーノに投げ渡し珈琲をつぎ直し一気に飲み干した。

 

「とりあえず、詳しい打ち合わせは朝食が終わってからだね。それでいい?」

 

 ユーノは顎が痛くなりそうなほど難い干し肉を難なく噛み千切り、咀嚼しながら確認した。

 

「ああ、そうだな」

 

《マスターの仰せのままに》

 

 ベルディナとレイジングハートの了承を得、ユーノ達は本格的に朝食を取ることとした。

 

「ところで、あの遺跡の奥はどうなってんだ?」

 

 火を(おこ)しなおし、石で組まれたかまどで簡単な調理を行いながらベルディナはふと思ったことを聞いた。

 

「あれ? ベルディナは奥まで行ったこと無かったっけ?」

 

 煉瓦など上等なものが得られない以上、そのあたりに落ちている手頃な石を積み重ねただけのかまどは酷く立て付けが悪く、インスタントのスープを混ぜるにしてもいちいちふらつく鍋を押さえておかなければならない。

 ユーノはいまいち慣れない作業に苦辛しながら、視線だけベルディナに向け、問い返した。

 

「発掘の邪魔になるからな。俺が知ってるのはせいぜい奥の間の……馬鹿みたいに広いダンスホールまでだな」

 

「あー、それじゃあ殆ど重要なところは見てないって事か」

 

 ユーノはスープの味を確かめながら、保存のために乾かされた食材を適当に鍋に投入し味を見た。

 そして、少しだけ塩を加えながら遺跡の全容を頭に浮かべた。

 

《奥の間の先は深いシャフトとなり地下に通じています。その先には蟻の巣のように複雑な経路が何本も下に伸びており、その最下層にある広間には祭壇が設けられていました》

 

 忙しいユーノに代わり、レイジングハートが丁寧な口ぶりでその概要を説明する。

 

「なるほど。まるで大樹の鋳型だな、どれだけ大きい?」

 

「そうだね。だいたい、小さな丘一つ分ぐらいの規模はあるよ。ちなみにご明察、この遺跡の名前は〈hukc ub ged pqii〉古代語の直訳で〈大木の型穴〉という意味だよ」

 

《そのままですね……》

 

「wni nohi rnuyr wni gucy(名は体を示す)。分かり易くていいじゃねぇか」

 

 ベルディナは焼き上がったベーコンを鉄皿にわけながら肩をすくめた。

 

「そうだね」

 

 ようやくスープの味付けに満足したのか、ユーノも鉄の椀を二つ取り出しスープを注ぎ込んだ。

 

《私は改名を提案します》

 

 その名前が気にくわなかったのか、レイジングハートは益体もない提案をし、二人はそれを却下した。

 

「それじゃあ、食べよう」

 

 無神論者の多いスクライアらしく、ユーノは特に何の祈りも捧げずに黒パンにベーコンを挟み込み小さな口でそれを頬張った。

 

「だな、聖王陛下に感謝を」

 

 ベルディナは略式とはいえ、ベルカの聖王への祈りの言葉を口にするとまずはスープを口に含み、いい味だと賞賛の笑みを浮かべた。

 

《私の分はないのですか?》

 

「食えるもんなら食ってみやがれ石コロ」

 

 ベルディナは元々の所有者として、レイジングハートの教育を間違えたかもしれんと嘆きながらパンをスープに浸した。

 

***

 

 その祭壇は、それが安置された部屋の広さに比べれば実に簡素な造りをしていた。

 大きな岩を削り、中を加工し装飾を加えその外周も見事な造形を生み出していたが、古代遺産としては比較的ありきたりなものではないかとベルディナは感じた。

 

「もう中のもんは運び出したんだったか?」

 

 祭壇の内部は石造りのテーブルが設えられており、その中央には小さなくぼみが見受けられる。おそらくそこに大小なりの球が置かれていたと推測できるが、今は既に空白となっている。

 

「スクライアの保管庫にあるよ。古い時代の記憶装置のようなものだったらしい。解析には随分時間がかかるらしいけど、それが終わったらこの文明の歴史が大きく書き換わるかも知れないね。今から楽しみだよ」

 

 考古学者にとって最大のプライズは、物的価値よりそれに込められた情報だ。おそらく、ユーノや大抵のスクライアにとっては情報が満載した遺物は極上の料理や莫大な財宝以上の価値があるのだろうと予想できるが、所詮学者とはまるで縁のないベルディナにとっては拍子抜けもいいところだと思わざるを得ない。

 

「てっきり、時価数千万ミッドガルドの財宝が眠ってると思ったんだけどな」

 

 我ながら随分と即物的な事だなとベルディナは苦笑するが、やはり、肩すかしを食らわされた意趣返しとしてはこの程度は許して欲しいと願った。

 

「そんな都合のいい夢なんて、陽子の崩壊を観測するようなものだよ」

 

 一攫千金を期待していては発掘など続けられないとユーノは含ませ、横目でベルディナ見上げて、どこか不適に目を細めた。

 確かに、それほどの価値のあるものが次から次へと発掘されるのなら、今頃スクライアは発掘のためのスポンサー探しに腐心する必要はないだろう。

 ベルディナは、ユーノ達スクライアがどうしてそこまで遺跡などと言うものに執着できるのか、二十年間行動を共にしても理解できなかったが、ユーノの瞳には一切の嘘は含まれていないことだけは分かっていた。

 

「考古学は金にならねぇ学問か。フィールドワークに何十万ミッドガルドもかかるってのは笑えねぇ冗談だ」

 

 情報がものを言うようになった近年の社会であっても、重宝されるものは未来に関する情報のみで、既に忘れられ埃をかぶってカビを生やした過去の情報などに金を出すものは少ない。

 未来へと向かう情報は手に入れるためのコスト以上の莫大な利益をもたらす。

 社会が求めるものは知識ではなく利益であり、考古学者が必要とするものは、利益ではなく知識なのだ。

 

「世知辛い世の中になったな」

 

 やはり、なかなか理解できないものだと心では思いながら、ベルディナはそう呟いた。

 

「発掘できるだけましだよ」

 

《私は快楽よりも利益を優先したい》

 

 二人はレイジングハートの戯言を華麗に無視すると、祭壇の事後調査に入った。

 

「とりあえず、僕達のすることはどこか調査が不足しているところはないか、不審な箇所や残しておくと危険な物は無いかを確かめることになるよ。ベルディナは周囲全体を魔力走査で、僕は細かいところを目視と魔法で調査しようと思うんだけど……それでいい?」

 

「問題ない。だが、広域捜索はお前の方が得意だろう。役割を交代した方が良いと思うが?」

 

《つれないですね》

 

 ユーノの首にかけられた赤い石コロが何かを呟いたが、二人は空耳(ノイズ)として処理し、打ち合わせを続けた。

 

「確かに、僕の方が得意だけど、この辺りは兄さん達があらかた調べ尽くしてくれたから。系統の違う術者がするほうがいいとおもうんだ」

 

「それもそうか。だったら、さっさと終わらせて上に戻ろう。どうもここは寒気がする」

 

「それは同感。じゃあ、レイジングハート。いつも通り補助とログ取りをお願い」

 

《ようやく出番ですか、お任せください》

 

 ホッとしたようなレイジングハートの声に肯き、ユーノは慎重な目つきでまずは床を眺め回しながらけっして狭くないフロアを練り歩き始めた。

 

(生真面目なやつだな)

 

 ベルディナは床にはいつくばるように腰をかがめるユーノを一瞥し、何となくそんなことを思ったが、今は自分の仕事をする時間だと割り切り、感覚を鋭くとぎすまし身体に流れる魔力の渦に意識を移した。

 

 身体の全体を駆けめぐる神経をイメージし、極めて高性能に高効率に最適化された回路を感じる。

 ユーノ達が普段扱う魔法、ミッドチルダ式と呼ばれる魔法は、体内に存在するとされる魔導器官であるリンカーコアにより魔力を生み出す。そして、生み出された魔力をレイジングハートといった外部の装置(デバイス)に流し込むことでそこにプログラムされた効果付随させるのがミッドチルダ式魔法の基本運用方式だ。

 時折、ユーノのようなデバイスを用いることなく高度な魔力制御を行う者もいるが、扱う魔法の体系自体はまったく変わらない。

 魔法を発動させる際に発光する魔力光、足下に現れる円形を基調とした演算陣。この二つがミッドチルダ式魔法の大きな特徴となる。

 しかし、ベルディナが感じ取る魔力の動力源はリンカーコアではなく、魔術を発動させたとしても燐光を発する円陣が足下に現れることはない。

 ベルディナは目を閉じ、体内で組み上げられた方式を外部へと発動させるべく弁を開いた。

 

(構造は、シリコンを基調とする通常の岩石。視覚との齟齬は見受けられない。内部の走査開始)

 

 周囲の情報が神経を通して脳へと流れ込んでくる。それに意識的なフィルターを掛け、必要な情報のみを拾い集めていく。彼が行っていることは、魔力を照射してその反射波を読み取る作業ではなく、周囲の環境が自ら発生させる情報を読み取ることでスキャンを行うという作業だ。

 アクティブではなくパッシブ。殆ど無意識のうちに採用しているこの方式は、自ら魔力を外部に放つことなく走査することで隠密性を高める。その代わり、得られる情報は莫大となり、その取捨選択を誤れば必要とする情報が得られないどころか、膨大な情報量の前に意識を失う危険性もまた存在する。

 

 しかし、長年扱い続けたこの技術を、今更ベルディナがし損じることなどあり得ず、彼は割と余裕を持って周囲の環境の情報を次々と脳に送り込んでは捨てていく。

 

(内部構造も変わらず。データシートと比較。問題な……ん?)

 

 ふと、気になる事があり、ベルディナは目を開いた。

 

「なあ、ユーノ。あの祭壇の向こう側には何かあるのか?」

 

 ベルディナは、スキャンを続行しつつ、床にはいつくばるようにそこを調べ回るユーノに一言声を掛けた。

 

「祭壇の向こう?」

 

 ユーノは立ち上がり、データシートを確認した。

 

「何もないはずだよ? 発掘はここで終了しているね」

 

 ベルディナは「そうか」と答え、自分の勘違いかもしれないと考え、再び目を閉じそれに意識を集中した。今度はパッシブのみではなくアクティブによる走査も組み込み、そして確信した。

 

「ふーん、だったら、調査不足を発見ってとこか……」

 

 ベルディナのつぶやきにユーノは目を見開き、足早にそこへと向かうベルディナの背を追いかけた。

 そして、ベルディナは祭壇の間の入り口から反対側にある岩壁に手をつき、直接それに魔力を流し込み念入りな調査を開始した。

 

「僕には、何も見えない」

 

 ユーノも念のため、自身の捜索魔法を立ち上げベルディナが触れる隔壁に対して断層走査を行ってみた。しかし、ユーノの走査では僅かな差異を感じることは出来ても、それが異常なのか単なる測定誤差なのかを判別することは出来そうにもない。

 

「幻惑の魔法か。ミッド式の魔法では、ここに何かがあると分かった上でよっぽど念入りに時間を掛けて走査しなければ分からない構造だな」

 

 ならば、とユーノは疑問に思う。

 

「なるほど、だからベルディナには分かったんだね」

 

「そういうことだ。俺の術なら幻惑に引っかからない」

 

 そもそも、ミッド式とは異なるんだからな。というベルディナの説明に、ユーノは頷いた。

 ベルディナが使用する"アーク式"と呼ばれる魔術は、遙か昔、新暦が始まるよりもさらなる昔、現代では旧世代としか言葉が残されていない時代に発祥した魔法を動力とする技術を源流としている。

 それは、ミッドチルダ式魔法の源流が発生したころには、既に滅び去ってしまった技術であるほどその歴史は古く、同時にそれは現代魔法とはまったく異なる理論によって構築されている。

 

「やっぱり、ベルディナが一緒に来てくれてよかったよ。危うく見逃すところだった」

 

 ベルディナは走査を一旦終え、だいたいの構造を把握すると、腕を下ろしユーノと向き合った。

 

「さてと、どうする? 発見した以上無視することは出来んが、これは魔法に対しては鉄壁の隠蔽能力を持ってるわけだ。これじゃあ盗掘者おいそれと見つけることはできないだろうし、発掘終了にしてしまえばこの遺跡の価値も下って誰も見向きしない。違うか?」

 

 つまり、これはこのまま放っておいても問題ないとベルディナは言いたかった。

 

「だけど、僕は無視はしたくない。この先に隠された何かがあるのなら、それは歴史的な発見だと思う」

 

「だが、ここまで強固に隠すということは。何か拙い物。それもとびきり上等な厄介物が埋もれてるってことだ。茂みに石を投げて虎を呼ぶかもしれんぞ」

 

 ユーノは暫く口を閉ざし、目を閉じ意識を思考へと沈み込ませる。何を考え、どのような思考経路をたどっているのか。論理的、倫理的、感情的、理性的。そのあらゆる蔓を通し、ユーノは結論を出した。

 

「スクライアがロストロギアを前にして手をこまねいている道理はないよ。やろう」

 

 ベルディナは、「そう来なくっちゃな」といってにやりと笑った。

 

《応援を呼びますか?》

 

 レイジングハートの提案はもっともだった。この先何があるか分からない状況では、この人数では圧倒的に不足する。しかし、即座に応援を呼ぶわけにもいかない理由がユーノにはあった。

 

「スクライアの応援が来れば、ベルディナが関わりにくくなる」

 

 ユーノは予感していた。この先には何か、とんでもない物、それこそ多くの運命の道をねじ曲げる程の力を持つ物が隠されていると。それがもしもスクライアだけの手で行われるとすれば、それは可能なのか。

 

(僕達では異常にも気づけなかった。だから、この先の調査にはそれこそ五感を絶たれた暗中模索が強いられる。だけど、ベルディナなら闇に光を投げかけることが出来るはずだ)

 

「レイジングハートは、族長に応援を要請して。僕達は、現場主任の権限で先行調査を行う。なるべく驚異は排除しておかないと」

 

 現場主任の権限が何処まで有効になるのかは、それこそ現場の判断にゆだねられることが殆どだ。しかし、それでも踏み越えられない境界は存在し、その線引きを何処までかすめることが出来るかが大きな課題だ。

 下手にその線から向こうに足を踏み入れてしまえば、例え同族であってもいや同族だからこそそのペナルティーは大きく、最悪部族追放という憂き目を見ることにもなりかねない。

 

「とにかく慎重に、冷静に行こう」

 

 ユーノはベルディナとレイジングハートを見つめた。

 

「分かったよ。任せな」

 

《Yes,master》

 

 そして、二人と一個の孤立無援の発掘が始まった。

 

 

***

 

 

 スクライアの増援が到着したのは、それから3日後のことだった。

 あれだけ念入りに調査したにもかかわらず、調査に不備があったという報告を聞いた一族は驚愕し、すぐさま担当した調査団に腕利きのエース達を交えて人員を送り込んだ。

 久々の大部隊のお出ましだとユーノは心なしかうきうきと待ち遠しそうに調査を進めていた。

 

「よう、ユーノ。なんかどえらいもんを見つけたんだってな。さすが俺の愛弟子なだけはあるぜ」

 

 調査団を率いるその男は、豪快な笑い声を上げ茫然と突っ立ていたユーノの背中を乱暴に叩いて言った。

 

「ゾディット兄さん! まさか、貴方が来るなんて。族長は本気なんですね」

 

 そんなユーノの憧れの眼差しを一手に受け取る男、筋肉質で肌は赤茶け、ゴツゴツとした顎にはやした無精ひげををなでつけながら、ゾディットは不敵な笑みを浮かべた。

 

「可愛い孫のためなんだろうよ。あの爺さんもよっぽど子煩悩だからな」

 

 ゾディット・スクライア。スクライアの切り札、発掘護衛隊のエースにしてクラナガン大学考古学部名誉会員の名を持つ凄腕は、間違いなく彼のプロフィールだ。

 

「ベルディナの旦那も、ご苦労様でした。どうです? こいつは、役に立ちましたか?」

 

 ユーノを思うゾディットの表情は、まるで自分の息子を自慢する父親そのものだ。ベルディナもユーノ父親代わりの一人としては、思わず笑みを浮かべざるを得なかった。

 

「完璧だ。こいつは、いい発掘屋になるだろうな」

 

 二人は妙な連帯感と共にサムズアップで挨拶を交わし、ユーノは現場主任移行の手続きを取ろうとゾディットの腕を取った。

 

「それで、これ以降の調査ですが……」

 

 というユーノ言葉にゾディットは驚くべき言葉で、それも不適に華麗にサラッ流すような口ぶりでそれを発した。

 

「爺さんからここはお前に任せるって聞いてる。いよいよ、俺もお前の部下になるわけだな。よろしく頼むぜ」

 

 目をまっさらに見開きながら瞳孔を針の先程に縮めるという器用な表情を浮かべユーノはそれから二十分間その場で硬直していた。

 

 

 

 実際の所、発掘は何の問題もなく進められた。それは、凄腕のゾディットが現場にいることで調査団員の士気が高まったことも理由としては大きいが、何よりも特筆するべきはそれらを完璧な指揮の下に扱いきったユーノの手腕だろうと、ベルディナは親のひいき目を僅かに交えてそう思った。

 通常の捜索魔法では秘匿されていたその隔壁は確かにやっかいな箇所が多くあったが、ユーノはその殆どをベルディナの入念な調査によって把握しており、そこから立ち上げられた発掘手順は誰の目から見ても完璧の一言尽きた。

 

 ユーノには優秀な部下と優秀なアドバイザーであるベルディナが付き、このメンバーで不可能なことはこの次元世界の誰にも出来ないと言わしめるほどのものだった。

 そして、最後の隔壁。その向こうから流れ込む酷く冷涼な魔力波動を前に、最後の一撃が入れられることとなった。

 

「それで、いいのか? ここに俺がいて」

 

 その隔壁を前にして魔法杖(デバイス)を構える男達を左右に控えさせ、ベルディナはユーノの隣でその最前線に立っていた。

 

「もちろん。この発掘はベルディナのおかげで進んだようなものだからね。僕はいてほしいな」

 

「そういうこってす。まあ、それに関係者立ち入り禁止の看板ははねぇんだし。客人といっても旦那はスクライアの一員には違いありませんぜ」

 

 ユーノとゾディットの言葉に、その現場にいる誰もが深く頷いた。

 

「まあ、俺も興味があるから願ったり叶ったりなんだがな。意外に緩いな、スクライアの慣習ってのも」

 

 その緩さがあるからこそ、ベルディナは長年スクライアに逗留できたことも事実だった。やはり、この一族は自分の肌に合う、とベルディナはしみじみと実感した。

 

「恩義には恩義で報いをだよ、ベルディナ」

 

「別に恩を売った覚えはないんだがな」

 

 ベルディナは照れ隠しに肩をすくめ、左右に控える隔壁破壊要員に目を向けた。

 

「それでは、ユーノ現場主任。隔壁破壊を許可していただけますか?」

 

 彼らはまるで儀式のようにユーノにそう伺いを立てる。

 

「現場主任、ユーノ・スクライアの名において許可いたします。過去の英知は我らにあり、それらは全てスクライアに集約されるべし」

 

 それは、儀式なのだ。ベルディナは初めてそれを見た。

 そして、少し前にスクライアを持って無神論者と称したことを修正するべきだと考えた。

 彼らは、神を信仰していないだけで、遺跡を古代の英知をその崇拝対象にしているのだ。

 

「スクライアの民に栄光を。バンカーー・バスタァーー!!」

 

 瞬時に現れる魔法陣、二人の男が掲げる手のひらから一握の光が発せられ、それは隔壁につけられた印に寸分の狂いもなく着弾し、小爆発と共にそれは崩れ去った。

 隔壁破壊魔法【バンカー・バスター】、スクライアが伝統的に受け継ぐ古い物体破壊に特化したミッド式魔法だ。

 力加減、着弾後の崩落面積。それらは予め計算に入れら、記されたラインを正確に保持し、その先に広がる光の部屋のベールを剥いだ。

 それは、部屋全体が光で出来ていると称しても何ら疑問が浮かばない光景だった。

 優しさも無く、神秘もない、薄暗さも邪悪さも何も感じさせない、それは正に純粋な冷涼さを発する燐光と称することが出来る。

 広く、限りなく真球に近い形で切り開かれた大広間には目を見張るような装飾も、崇拝するべき神の肖像も何も記されていない。

 そこは、鏡面に近いなめらかさを備えた白塗り壁殻に被われた広間だった。

 そして、その中心。祭壇とも言えるそこに浮かび上がる21の蒼く光る宝石はまるでこの時を待っていたかのような歓喜にうちふるえているように思えた。

 そして、ベルディナは戦慄を覚えた。何故、こんな物が、これ程の数が今まで誰の目にもとまらずここで眠っていたのか。

 純粋な魔力の結晶。ベルディナであっても、噂程度にしか知り得ない古代の英知の塊がそこにあった。

 

「――ジュエルシード――」

 

 ユーノの口から吐き出されたその言葉は、静寂の空間に鈍く響き渡った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 運命の鐘は鳴り響かず

 ジュエルシード。それは、意識のある宿主に寄生し、それが内包する渇望を強制力を持って叶えてしまう古代遺失物だ。

 それだけを聞けば、様々な絵本や童話に登場する願いを叶える素敵な宝石で終わっていただろう。しかし、問題はそれが内包する莫大な、ともすれば時空間さえも脈動させるほどの莫大な魔力だった。

 魔力は概念的なものであり、それは発動させれば方向性を持った純粋なエネルギーとして発揮される。

 

 仮の話をしよう。

 

 もしもその魔力を物質化出来たとして、手のひらに載せられる程の小さな物質を形成するためにはいったいどれほどの魔力が必要となるか。

 質量はエネルギーであり、人間一人分の質量が全てエネルギーに変換された場合、その威力は惑星一つを容易に崩壊させるほどのものであると言われている。

 また、物質化された魔力は質量物質に比べ圧倒的に状態が不安定であり、僅かなきっかけでその魔力は容易にエネルギーへと変換されてしまう。

 ジュエルシードとは即ちそういったものなのだ。

 それが一つあれば、いかに巨大な都市であっても一瞬で全てが蒸発してしまうだろう。さらには、その余波によって発生する次元震によってその世界そのものの存亡の危機が訪れる可能性さえ否定できない。それほどに危険なものが、彼らの前には21個もの数が揃えられている。

 ベルディナは息を飲み込んだ。

 

「どおりで念入りな封印がされているわけだ、俺たちは石を茂みに投げて虎どころか、魔竜をよんじまったらしいな」

 

 そんなベルディナの軽口に答えられるほど余裕のある人間はそこには一人もいなかった。

 

*******

 

「後悔してるのか?」

 

 輸送船のシートに腰を下ろし、何時まで経っても顔を上げようとしない同乗者にベルディナは声を掛けた。

 

「うん。僕があれを発掘しようなんて言い出さなければ、あのままベルディナの言葉に従っておけばこんな事にはならなかったんだ。これは、僕の責任だよ」

 

 ユーノは、そういって再び面を下げた。

 

「そういうなら、最初から俺が見つけなければこんな事にはならなかったはずだ。わざわざ魔術探査を掛けなくても魔法探査で十分だったはずだ。つまりこれは俺の責任ってことで手を打つ気はないか?」

 

 まるで値切りの交渉をするかのような気楽さでベルディナは両手を掲げそう提案した。

 

「そんな、探査を頼んだのは僕の方だし。やっぱり僕が悪いんだよ」

 

「だったら、お前の調査に無理矢理付いていった俺にそもそも原因があるって事でどうだ」

 

「ベルディナの随伴を許したのは僕だ」

 

「だが、最終的な許可は族長の判断だ。お前の判断じゃないし、族長が否と言えばついて行けなかった。違うか?」

 

「それは、違わないけど……それでも、やっぱり他人のせいには出来ないよ!!」

 

 ベルディナは頑なな態度を崩そうとしないユーノに半ば呆れ気味に溜息をついた。

 

(他人のせい、か……)

 

 ベルディナは若干諦めのこもった視線をユーノに向け、目を細めた。彼は落ち込むあまり、ベルディナの視線に気がついていない。

 

(だがな、ユーノ。他人のせいには出来ないって事は、スクライアは所詮自分にとっては他人だって言っているのも同然になるぞ? お前はそれに気がついているか?)

 

 それは、決して口にしてはならないことだった。ユーノはスクライアに対して負い目がある。通常一般的な感性からしてみれば、なんだその程度と思える程のものだったが、ユーノにとっては生きる手だてとも言えるものだとベルディナは感じている。

 ユーノは正式にはスクライアの人間ではない。ユーノは孤児だ。そして、ベルディナに拾われ、その伝手でスクライアになった。

 つまり、ユーノは自分を受け入れ、育ててくれたスクライアに過剰とも言える恩義を感じているのだ。その故に、スクライアの者達を本当の身内とは感じてないのだろうとベルディナには思われた。故に、無意識からだされる言葉の端々には自分はスクライアの人間ではないという印象を醸し出してしまう。

 

(まあ、とにかく)

 

 と、ベルディナは貨物室に通じるスライドドアに目を向けた。

 

(封印は万全で、時空管理局の輸送船を手早く手配出来た。ちょっと警備が緩いが……この高速船なら問題ないだろう)

 

 ベルディナは楽観的だった。後悔するほど楽観的だった。

 

「まあ、ともかく俺たちの仕事はこいつを管理局に届けりゃあすむわけだから、そう落ち込むなって……」

 

 ベルディナは、席を立ち、ユーノの肩をぽんぽんと叩いた。

 そして、運命は扉を叩いてやってきた。

 それは突然だった、一瞬の出来事のはずがどういうわけか時間が緩慢になったかの錯覚を抱くほど、それはずいぶん長い一瞬に感じられた。

 突然にして船内の照明が赤く切り替わり、エマージェンシーの言葉とけたたましいアラートが鳴り響き、そして、船体全域を包み込むほどの爆音と衝撃、振動が襲いかかった。

 

(拙い……!!)

 

 船外殻を突き抜けてくる紫の閃光があっという間に内壁面を駆けめぐり、放電する雷の末端がまるでまとわりつく蔓のごとく内部を蹂躙する。

 

(くそったれめ!!)

 

 ベルディナは悪態を口にする暇もなくただ守らなければと考えた。

 それは、間違った判断だった。ベルディナが本来行わなければならないことは、ジュエルシードの確保であったはずだった。しかし、彼は選び間違えた。その選択の中にはジュエルシードの存在も、ベルディナの存在も含まれていなかった。

 ベルディナは、腕を掲げ、体中を網羅する神経に魔力を無理矢理流し込み、そして、その甲殻でユーノを包み込んだ。

 これがいったいなんなのか。天災なのか人災なのかそれすらも考える暇もなく、彼は自らが行える最高硬度の防御結界でユーノを囲い込んだ。

 そして、その内部にはベルディナ本人の姿は存在しなかった。

 紫線の末尾が体内に侵入する。痛みが身体を突き抜けるよりも圧倒的な速度でそれは体中を蹂躙し、神経を細切れにし、骨を砕き、臓器を吹き飛ばし、脳を暴食した。

 まるで、圧倒的な快楽の渦が彼に襲いかかりそして、彼の意識は何かに引きずられるかのように白い世界へと飲み込まれていった。

 

 ただ意識を失う事とはわけが違った。光の矢の如く迫り来る先に見える、明確な死を彼は確かに見て、それでも彼の心は穏やかだった。

 腕の中で目を見開き、何かを訴えようと唇を戦慄(わななか)せるユーノの熱が、何故か腕を通して感じられる。

 

(そうか……俺でも、守れるものはあったか……。随分、時間がかかったが……これが最後なら、後悔はないな……)

 

 急激に閉じていくすべての感覚はまるで穏やかなゆりかごに落ちていくように思われ、ベルディナはそっと目蓋を閉じた。

 

 

 蒼い光がすべてを包み込み……ベルディナはそのあまりにも長かった命を終えた……。

 

 

***

 

 

 気がつけばそよ風の感触と草と土の香りが鼻孔をくすぐった。ここは何処だろうと、まず思った。自分はいったいどうしたのだろうと、次に考えた。そして、あの後いったいどうなったのだろうと、想像した。

 そして気がついた。思い出してしまった。自分が何故、どうしてあの状況から命を繋いでいるのか。

 体中が苦痛にゆがんだ。間接がきしむ、筋肉が萎縮する、骨が悲鳴を上げる。しかし、彼の心はまるで壊れてしまえと言わんばかりに悲鳴を上げ続けていた。

 ユーノ・スクライアは身体をよじり、足を抱え込みただうちふるえた。その事実を抹消したくて、否定したくて、しかし、認めてしまった、理解してしまった。

 

「僕は、ベルディナに。ベルディナは僕のせいで……」

 

 最後の瞬間が何度も何度もフラッシュバックする。いつも側にいてくれた彼が、飄々としながらも冷静に自分を見つめてくれた彼が、親代わりとして様々な事を教えてくれた彼が、自分を守り、自らがはじけ飛んだその瞬間。

 ユーノは頭を抱え、すすり泣くように身体を震わせた。

 

(誰か……誰か助けて…………誰か…………助けて…………)

 

 その願いは誰に届けられるのか。

 ユーノの胸元で紅く光る宝石はただ澄み渡る青い空を見上げ、ただ一言《ルーヴィス》と呟くばかりだった。

 

 

 

   第97管理外世界、現地において「地球」と称されるその地域は、穏やかな初夏の陽射しに包まれていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 水泡の目覚め

 感覚が徐々に研ぎ澄まされていく。ここは何処だと始めに思った。

 まるで白昼夢のように再生される記憶と記録。そして、その最後に彩られた凄惨な風景をまるで他人事のように俯瞰し、そして緩慢な目覚めを感じた。

 

「聞いていて? 貴方の事よ、フェイト」

 

 どこか思い詰めた、狂気じみた女の声が耳朶に響き渡る。それが多少くぐもって聞こえるのは、耳に何かが侵入しているからなのだろうか、とベルディナは感じた。

 まぶたを開くことは出来ない。あれから自分はどうなってしまったのか。確かにあのとき彼は感じた、自らの身体がはじけ飛び臓物が紫電の渦に引き込まれ、沸騰する血流と共に分子へと分解される事を。

 

(絶対に助からない、死んだはずだ。例え、ベルカの技法であっても完膚無きまでに破壊された身体を修復することは出来ない)

 

 そして、徐々に開いていくまぶたが次第に眼前で繰り広げられている情景を映し出した。

 

「せっかくアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっともつかえない、私のお人形」

 

 その女はベルディナが、眠るカプセルをなでつけ、まるで愛おしい娘を抱くかのようにゆっくりと硝子をなでつける。

 

「だけど、ダメね。所詮作り物は作り物。失ったものの代わりにはならない」

 

 身体に神経が通り始めた。手の先、足の先、髪の一房までにも感覚が蘇っていく。

 

「いいことを教えてあげるわ、フェイト。貴方を作り出してからずっと、私は貴方のことが……」

 

 そして、ベルディナは感じ取った。魔術神経は正常に機能する。ならば、このような牢獄からすぐにでも脱出しよう。

 

「大嫌いだったのよ!!」

 

 まるで、その言葉が合図だったかのように、ベルディナの放った魔力は純粋な力のベクトルとなり目の前を覆い尽くしていた硝子を内部より打ち砕いた。

 

「アリシア!!」

 

 身体に力が入らない。ベルディナはそのまま地面へと落下していったが、寸前のところで目の前の女性に抱き留められた。

 

(血の臭い、そして、死の匂い。薬の匂い。間違いない、これは……こいつは……)

 

「ああ、アリシア。アリシア、大丈夫? すぐに、すぐに助けてあげるからね」

 

 僅か先に開かれているのは、通信用のモニターなのだろうか。

 像を上手く結べない視界の向こうには印象的な黄金の長い髪を持った少女が、まるで生きる人形のような佇まいでただこちらを見ている。

 そして、その周囲にあるのはおそらくは驚愕。

 ベルディナは身体を揺する振動に、薄いうめき声を上げた。

 

「アリシア!? まさか? まだ、ジュエルシードを使っていないのに!!」

 

 ジュエルシード、ベルディナはその言葉に反応し、その女性を見上げた。

 

「分かる? 分かるの!? 母さんよ、さあ私をかあさまって呼んで、アリシア」

 

 その女性を見上げた瞬間、ベルディナの脳裏には自分のものではない何者かの記憶が情報のように流れ込み、そしてすぐに定着した。

 プレシア・テスタロッサ。

 自分の母親。

 しかし、ベルディナは彼女の身体から漂う血と死の異臭に眉をひそめ、そして強引に腕を打ち振るった。

 

「俺に触れるな、外道!!」

 

 擦れがちな幼い高音が耳朶を揺さぶり、まるで自分の腕ではないような細く短い腕がその女、プレシアの腕を払いのけ、ベルディナは彼女の転倒と共に床に身を横たえた。

 

「な、何をするの、アリシア。私が、私が分からないの?」

 

 プレシアは必死に起き上がり、ベルディナの側に歩み寄ろうとする。視線の端に移るその動きはまるで病を患っているものが命を削ってまで身体を動かしている様子に見える。

 薬の匂いと死の匂いはこれだったのかとベルディナは納得するが、彼女の身体に染みついた血の臭いは明らかに他者の生き血をすすって来た証拠だった。

 

「俺に近寄るな!!」

 

 言葉がまるで破城槌の用に猛威を振るい、プレシアはそのままよろよろと後ずさり、そして壁に背を預けるように崩れ去った。

 

「アリシア、アリシア。お願い、私を……」

 

 まるで追い縋るように両手を広げ、懇願するプレシアを捨て置き、ベルディナは神経に魔力を流し込んだ。

 身体はまったく役に立たない。筋力が低下しているというより、既に身体というものが崩壊しかかっている。ならば、せめて身体に魔力を流し込み、身体を強化しなくてはならない。

 ズキッとした痛覚(ノイズ)を必死になって無視し、ベルディナはようやく立ち上がり、自分が何も着ていない事に気がついた。

 

 違和感がある。

 

 自分はどうしてここまで縮んでしまったのか、自分はどうして幼き少女姿をしているのか。

 ベルディナは、割れた硝子の破片に移り込む自分自身の容貌を垣間見た。

 

(これが、俺か。これが俺なのか!!)

 

 ルビーのような深い紅眼、千の黄金を思わせる金色の髪は背中を覆い隠し下手をすれば足にも届く程だ。そして、何よりも成熟とはほど遠い、あまりにも幼くあどけない表情はまさしく驚愕に染め上げられている。

 これが、ベルディナの意識を持つ器。これがアリシア。

 

(とにかく、ここから脱出しないと)

 

 腕を動かす度に激痛が走る。身体を支え、体重を載せる度にちぎれそうになる脚を何とか奮い立たせ、ベルディナはボロボロになったカーテンを引きちぎり身体に巻き付け、儚い声で制止を呼びかける母にも身向きせず、いまだに回線が開かれているそのモニターに向かって声を張り上げた。

 

「時空管理局と推察するが、間違いは?」

 

 モニター越しに見えるのは、時空航行艦の艦橋なのだろうか。クルーを示す制服の中には、非正規の服装をした人間もちらほら見える。そして、ベルディナは倒れ込んだ金の髪の少女を支える白い服装の少女の側に立つ少年を見て、一瞬安堵の笑みを浮かべた。

 

「ユーノ。生きていて何よりだ……」

 

 そのつぶやきはかき消されたのか、ユーノは聞き直そうと口を開けかけたところに、穏やかな女性の声が先に耳に届いた。

 

「こちらは時空管理局次元航行部隊所属、L級次元航行艦アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです」

 

 別窓のモニターが現れ、そこにはキリッとした表情の中にもどこか母性を感じさせる女性が現れた。

 

「保護を要請したい。受け入れれは可能か?」

 

 ベルディナは正直なところ立っていることさえも苦痛な状態だった。しかし、ともすれば交渉に発展しかねないこの状況で弱みを見せるわけにはいかない。

 身体に巻き付けられた布地の中でじっとりと浮かび上がってくる脂汗を必死に隠しながら、リンディと名乗った女性に鋭い視線を向けていた。

 

「要請を承認。すぐに転送を開始します。そこから動かないでください」

 

 モニターは消滅し、艦橋を移していた大きなモニターもすぐにシャットダウンされた。

 そして、ベルディナの足下からしだいに漏れ出す光が円陣となって周囲を照らし始め、光が粒子の束となって身体を覆い始めた。

 

「まって、アリシア。行ってはだめ」

 

 それでもなお追い縋ろうとするのか。プレシアは最後の気力を振り絞るかのようにベルディナの下へと歩み寄ろうとする。

 

「また会おう、母さま」

 

 ベルディナはそういい残し、光に包まれた。

 

****

 

 アースラの艦内はまるでクーデターのような動乱の渦中にあった。

 

「すぐに回収作業を。武装隊を転送ポートに配備、直ちに客人を保護して」

 

 リンディはひっきりなしに舞い込む戦場の情報をマルチ思考を駆使して処理しつつ、これから訪れる稀人の受け入れ準備を進めていた。

 

「艦長! 客人の相手は僕が」

 

 小柄で黒い髪の少年がそう言って艦橋を出ようとする。

 

「クロノ。ええ、そうねお願い。丁重に、すぐに医務室へ」

 

「了解」

 

 クロノと呼ばれた少年は、駆け足で艦橋を後にした。

 

「フェイトちゃん」

 

 その側、糸が切れた人形のように倒れ込む少女、フェイトを背中から支えながら声を掛ける白い少女は、その動乱の最中にいても動け無くいた。

 

「なのは。医務室に運ぼう。ここは邪魔になる」

 

 ユーノは白い少女、なのはに対してそういうと、フェイトの腕を肩に回し運びだそうとした。

 

「ねえ、ユーノ君」

 

 なのははその反対側の腕を支えながら、細い声でユーノに声を掛けた。

 

「あの子。アリシアちゃんって言ってた子。どうして動けるのかな?」

 

「それは、分からない。ジュエルシードの影響だと考えるしか」

 

「だけど怒ってた、それに」

 

 なのはは視線をユーノに向け、彼の目と合わせた。

 

「あの子、ユーノ君の名前を呼んでた」

 

「そうか、空耳じゃなかったんだね」

 

「どうしてだか、分かる?」

 

「分からないよ、アリシアはずいぶん前に死んだはずだから、僕とは面識がないはずだし……」

 

「他人のそら似かな?」

 

「だとおもう。けど、アリシアは僕を見て、生きていて何よりだって言った」

 

「つまり、ユーノ君が事故に遭ったことも知ってるって事?」

 

「たぶん、だとしたら、彼のことも知ってるかもしれない」

 

「ベルディナさん、だよね」

 

「うん。確かめてみよう」

 

************

 

「時空管理局、クロノ・ハラオウン執務官だ、保護といっておいて悪いが君を一時拘束させて貰う」

 

 ベルディナがアースラの転送室に姿を現してすぐ、クロノは彼女に対してそう告げた。

 

(まあ、妥当か)

 

 とベルディナは溜息をつくと、大人しく両手を差し出し、

 

「あまり乱暴にはしないでくれよ。これでも経験は薄いんでね」

 

 はっきり言ってジョークを言っていられる精神状態でも無ければ身体の状態でもなかった。しかし、こういった態度は交渉を有利に進める材料となる事は彼の経験から明らかだった。

 案の定、クロノと名乗った若い執務官は眉をひそめると、ベルディナに腕を下ろすように告げ、武装隊の一人、それも年若い女性の武装隊員にベルディナの運搬を命じた。

 

「ちょっと大人しくしててね」

 

 どうやら、彼らはベルディナを捕縛するつもりはないようだ。ならば、わざわざ拘束などという言葉を使わなければ良かったのではないかとベルディナは心の中で毒づく。

 

「医務室に運ぶ前に一つだけ確認しておきたいことがある。君は、アリシア・テスタロッサなのか?」

 

 ベルディナは少しだけ考え込み、そしてはっきりとした口調で答えた。

 

「たぶん、その通りなんだろう。目が覚めたばかりで整理がつかないがね。アリシアと呼んでくれてもかまわない」

 

 抱え上げられた分身体を強化する必要が無くなり、ベルディナ、いやアリシアはは若干余裕を持って態度でクロノを見つめた。

 

「了解だ、アリシア・テスタロッサ。時間を取らせた、すぐに医務室に案内する」

 

「感謝する、クロノ執務官」

 

 アリシアは自分が少しばかりハイになっている事を自覚していた。おそらく、あまりもの状況に脳が無意識のうちに脳内麻薬を分泌し、様々な苦痛を感じないようにしているのだろう。

 実際の所、最悪な状況だったが動けるだけましと考え、アリシアはとにかく意識だけを保てるよう腕を握りしめた。

 

「アリシアちゃん、ごめんね。子供用のお洋服がないから、暫くその格好で我慢してね」

 

 アリシアを抱える女性隊員はまことに申し訳なさそうにそういうが、アリシアは一言、気にしないでくれと告げ医務室の前にたたずむ二人の少年少女を確認した。

 

「クロノ君! えっと、その子」

 

 なのはは心配そうな表情でアリシアを覗き込む、

 

「問題ない、衰弱しているだけだ」

 

 クロノの答えになのははホッとするが、その隣に立つユーノはそれだけでは安堵できなかったのか、視線はアリシアに向けつつクロノに問いかけた。

 

「この子は、本当にアリシアなのか?」

 

「信じられないことだが、状況と本人の確認からアリシア・テスタロッサと仮定した。後々調査は行っていくが、間違いはないはずだ」

 

 クロノはそのまま問答を切り、アリシアを医務室に誘いベッドに、抜け殻のように眠るフェイトの隣のベッドに静かに横たえた。

 

「すまないがここにおける人員は居ない。出来るかぎり大人しくしていてくれ。では」

 

 臨戦状態にある艦の執務官と武装員は極めて多忙だ。クロノを筆頭に武装員全員、アリシア達に軽い挨拶を交わしすぐさま廊下を駆け抜けていく。

 

「あんた、本当にアリシアなのかい?」

 

 フェイトの側でたたずんでいた紅髪の少女が、アリシアをにらみつけながら問いかける。

 

「どうやら、そうらしいね。実感はわかないが」

 

「あんたが、あんたが居たから……。プレシアがあんたを蘇らそうとしなけりゃ、フェイトもこんなにはならなかったのに!!」

 

 アリシアは改めて隣に横たわる少女、フェイトを見つめた。

 先程の一瞬、僅かな時に刻み込まれた自分自身の容貌とその少女の容貌はまさしく姉妹と言っても何の疑問も浮かばないほど似通っていた。

 

「その仮定に意味はないな。確かに原因は俺かも知れないが、その過程はプレシアのもので、そして結果はそこの君だ。責任とれってもどうやって責任を取ったものか。取る必要もないと思うが、困ったもんだ」

 

 アリシアのまるで他人事のような口調に、アルフは更に激昂し、今にも飛びかからんとする勢いで彼女のベッドを叩いた。

 

「フェイトは、フェイトはただプレシアに喜んで欲しかっただけなんだ。それなのにあの鬼婆は、それは全部踏みにじった。フェイトの思いをたたき壊したんだ! その原因になったんなら、せめて責任取れ! プレシアを何とかしてこい!!」

 

 アリシアは、呆れ混じりにただ一つ溜息をつき、再び全身に魔力を通した。

 

「言われなくても、そのつもりだよ」

 

 苦痛の表情を浮かべながら立ち上がるアリシアに、アルフは茫然と立ちつくした。そして、アリシアは着崩れたカーテンの切れ端をもう一と身体に巻き付けると、横たわるフェイトに目を向けた。

 

「君の事情は私には分からないし、分かろうとも思わないよ。状況も今知ったばかりで、正直あやふやなところも多い。だがね、フェイトとやら。君は、いつまで人形をやってるつもりだ? 今でもあれが母だと思ってるんなら、自分でケリをつけな。私は先に行く」

 

 何も持たない自分に何かが出来るとは思えない。しかし、アリシアはそれでもこの事件の当事者として、自分を娘と呼ぶプレシアと何らかの決着をつけなければならないと感じていた。

 

「私は……人形?」

 

 儚い、儚い声だった。しかし、その声は静かな病室に響き渡り、アルフはようやく声を発した自らの主人の手をつかみ取った。

 

「フェイト、フェイトは人形なんかじゃないよ。フェイトはフェイトさ、あたしの大切なご主人様だよ」

 

「アルフ……」

 

「ふん、そんななりでは確かに人形と言えないな、肉塊。今の君はモノだ、自ら価値を否定し、ただそこに居座るだけの塊に過ぎない。せいぜい、あがいて人形程度にはなれるよう精進するといい」

 

 アリシアはアルフの殺気の込められた視線の槍を軽く受け流すと病室を後にした。

 

「では、後ほど」

 

 まるでパーティーに行くほどの気軽さで後ろ手に手を振るアリシアの背中を最後に、その姿は閉じたスライドドアの向こう側へと消えていった。

 

(存在理由を傷つけられた病人に言う言葉じゃないか。だけど、どうにも感情のコントロールが出来ないねまったく。後で土下座でもしよう)

 

 ベルディナはその飄々とした口調を蓑として常に平静に冷静に物事を観察する術を身に付けていた、これはアリシアとなった事の反動なのか、しかし、確実に言える事は今のアリシアはハラワタどころか五臓六腑肉の隅々から神経の端々、そして脳天の全てにたるまで沸騰しそうなほど怒っていた。

 そう、彼女は気に入らなかった。今の状況の全てが、これなら死んでおいた方がましだと言わんばかりに気に入らなかった。そして、プレシアの狂気に対して殺意すら抱いていた。

 

(あの阿婆擦れだけは我慢ならんな。こんな糞巫山戯た状況を作り出した報いは絶対に受けて貰う。アークの魔術士の名にかけて)

 

 そして、彼女は戦場へと向かっていった。その鬼気たる眼から発せられる暴風に立ちふさがる人間は誰もいなかった。

 

 そして、アースラと呼ばれた巡洋艦から姿を消す直後、アリシアはふと思った。

 

(いつの間にか一人称が俺から私に変わっている。これは、精神は身体に依存するっていう説も馬鹿にできないか)

 

 ベルディナは戦場に向かうにもかかわらず、その口元には冷徹で邪悪な笑みを浮かび上がっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 愚者達の結末

 アースラより強制転移を行ったアリシアは、そこにいた魔導師の誰よりも先行して戦場へと降り立った。

 まるで、床から生えてくるかのように生命体ではない兵士が既にその城門を囲みきっており、冗談ではないが今のアリシアではとうていそれを越えることは出来ないと悟った。

 

(だからどうした!!)

 

 無駄な体力を使用できないのなら、ただひたすらに真っ直ぐ最短距離を付き進むまで。アリシアはそう決意し、傀儡兵の群れの最も密度の高い場所へと足を運んでいった。

 走ることさえも出来ない、攻撃されれば回避する暇もなく身体を両断されるだろう。しかし、アリシアの眼には恐怖はみじんも浮かんでいない、そして、アリシアはその兵団を何の障害もなく歩いて抜けることが出来た。

 

(敵と思われていない? というよりは、ターゲットに設定されていないだけか)

 

 ある意味それは当然とも言える。アリシアの身体は間違いがなければ、この城の城主、プレシア・テスタロッサが自らの生涯を掛けて呼び戻そうとしたもの。ならば、その城を守る兵隊が、アリシアを攻撃するなど本末転倒だ。

 

「所詮は融通の利かない人形兵だ。これなら、あの塊の方がよっぽどましだな。まだ分別があるし、何より見目麗しい」

 

 自分が男で彼女がもう少し成熟していれば、脇目も振らず求愛していただろうとアリシアは笑みを浮かべる。しかし、すぐにその思考を切り替え、この間に自分自身を理解しておく必要があることに気がついた。

 

「魔術神経は、基部構造は既にできあがっている。この年齢でこれなら、以前(ベルディナ)の身体よりよっぽど資質があるな。だけど、リンカーコアがあまりに小さい。ミッド式の魔法は諦めるしか無いか。何より、この身体は身体能力が低すぎる。成長に期待するしかないか」

 

 一長一短。この状況では短所ばかりが目立ちそうだが、将来性はまだ捨てる必要はなさそうだと結論づけると、アリシアは更に神経に魔力を通し、この身体で運用できるギリギリの身体能力を模索しつつ先を急いだ。

 外傷は皆無。飛び散った破片で付いた傷は出血すらしていない。

 ひとまず致命的な損傷さえ被らなければ何とか生きて戻れると結論づけ、アリシアは安堵の息を飲み込んだ。

 アリシアの記憶か、魔術神経が勝手に拾い集めた情報が原因か、アリシアはこの城の構造の細部まで把握しており、既にプレシアが何処に居るのかをも見当が付いていた。

 そして、プレシアはおそらく彼女をモニターしているはずだ。取り戻したこの身を遮ることは無く、むしろ全ての障害を無くしてでもアリシアを自分の所へと誘おうとするだろう。

 

(交渉か、決別か、殺し合いか。会ってからのお楽しみというわけだ)

 

 背後に群がり、まるで自分を守るかのように密集する傀儡兵を尻目に、先程からその遙か後方ではじけ飛ぶ魔力の鱗片を感じ取りながら、アリシアは急いで歩き続けた。

 

****

 

「クソ! 何であの子を行かせたんだ!!」

 

 高性能誘導弾【Stinger Snipe】を駆使し、傀儡兵の一団をなぎ払う黒き魔導師、クロノは乱暴に舌打ちすると自らのデバイス、S2Uを振り上げ更に群がる敵勢力をその最小の労力でなぎ倒していく。

 アリシアがアースラを去った直後、プレシアはジュエルシードを臨界まで発動させてしまった。

 その反応を検知したアースラは、即座に彼らの投入を決定した。その目的は、ジュエルシードの封印、プレシア・テスタロッサの逮捕と、アリシア・テスタロッサの保護。クロノは背後に白い魔導師なのはと翡翠の結界師ユーノを従え、猛進を続ける。

 

「止められなかったんだよ。あの子普通じゃないって、こう、『行かせろ、さもないと殺す』みたいな眼で睨むんだよ」

 

 アリシアの転送要請を殆ど無意識のうちに行ってしまったクロノの補佐官、エイミィ・リミエッタは今にも泣きそうな表情でクロノにわめき散らす。

 

「エイミィ。戦闘中だ、無駄な会話は慎め」

 

「何よぉ、クロノ君が聞いてきたんでしょう?」

 

「無駄口は慎めと言っているんだ! リミエッタ執務官補佐」

 

「了解、クロノ執務官」

 

 そんな二人の痴話げんかとも取れる会話を眺めるなのはとユーノは、じゃれ合いつつも効果的に敵を排除するクロノの手腕に感嘆しながらも自分に出来ることを模索する。

 

「あの、クロノ君、私が砲撃で一掃しようか?」

 

 おずおずと、遠慮深そうな声を念話に載せてなのはは提案するが、クロノの温存しろの一言でそれを引っ込める。

 

「さすが執務官だね。威張るだけのことはあるよ」

 

 クロノとは基本的にウマの合わないユーノだったが、彼の戦闘力を見せつけられてはそう評価せざるを得なかった。

 

「ねえ、ユーノ君。アリシアちゃんは、本当に中にいるのかな?」

 

 この規模の戦団を非力な少女が超えていったとはとうてい思えない。なのはそう思いつつ、一瞬ごとに増えていく瓦礫の中に求める少女の姿がないかと心配して視線を左右に動かした。

 

「間違いないと思う。ここの傀儡兵はプレシアを守るためのモノだから、当然アリシアも護衛対象に入っているはずだよ。それも、かなり高い優先順位でね」

 

 それは希望的観測も含まれていたが、不安に瞳を揺らすなのはを安心させるため、ユーノは断言した。

 

「うん、そうだね」

 

 そして、なのはは少しうつむき、左手に持つ金の錫杖、レイジングハートを握りしめ呟いた。

 

「フェイトちゃん。大丈夫かな……」

 

 瞳の光を失い、まるで糸の切れた傀儡人形のように崩れ去った少女。なのはが固執し、ようやくその人柄の一端をつかみかけたとたん彼女は動かなくなった。

 本当は、自分はこんな所にいるよりフェイトの側にいた方がよかったのではないか。そんな感情が渦巻き、脚が上手く前に進んでくれない。

 

《There is only believing now. You did the best. Let's believe her,master》(今は信じるしかありません。あなたは最善を尽くしました。彼女を信じましょう、マスター)

 

「レイジングハート……」

 

「レイジングハートの言うとおりだよ。なのはは良くやってくれてる、後はフェイト自身が答えを見つけなくちゃいけないんだ。それに、アルフも側にいるから。フェイトを信じよう。きっと大丈夫、なんとかなるよ」

 

「うん、そうだねユーノ君。ありがとう、いつも背中を押してくれて。なんだかね、ユーノ君が居るって思うと背中が暖かいんだ。だから私は戦える。飛び続けることが出来る」

 

「嬉しいよ、なのは」

 

「側にいてね、ユーノ君。私たちなら絶対何とかなるって信じてるから!」

 

 城門を突破したクロノが二人を手招きし、なのはは桃色の翼を羽ばたかせ焦げ付いた大気の中を疾空する。

 

「僕も信じてるよなのは!」

 

 ユーノもその背中に寄り添うように飛び続ける。二人に恐れるものは何もなかった。

 

*********

 

 間断なく振動が続き、時折震度の高い爆発が城内を駆け抜ける。

 時折、足を取られ転びそうになる歩調を、しかし、アリシアはゆるめることなく緩慢な疾走を続ける。

 

(あの子達には悪いけど、傀儡兵がなるべく時間を稼いでほしいな)

 

 アリシアには時間が必要だった。アースラを抜ける際に入手した情報によれば、プレシアはすぐにでも次元震を引き起こせる状態にあるらしい。しかし、と考える。はたしてあれは、この身体を置いて一人で自滅するのだろうか?

 答えは否だ。それにあれは自滅する気など最初から持ち合わせていないだろうとも考えられる。

 徐々に整理が付いてきた記憶を参照すると、プレシアは次元震を引き起こすことで失われた都アルハザード向かう予定らしい。

 アルハザード、そんなところで何をしようというのか。アリシアは嘲笑を漏らした。

 

(確かに、アルハザードだったら死体を動かす技術もあるだろうけど、結局それは生きる屍を生み出す程度にしかならない。まったく、下らないね。そもそも間違ってるよ母さま。死者の蘇生は技術で達成できるものではないのだから)

 

 しかし、この身がここにあって彼女の計画はどのような変更が成されるのか。例え歪とはいえ、アリシアの復活はここに成就し、腐肉に過ぎなかった肉塊に魂が吹き込まれた。

 ならば、プレシアの計画は成就したのだろうか。

 いや、プレシアはあくまであの当時のアリシアを取り戻したい、あの過去を取り戻したいというはずだ。

 

 一際大きな震動が全体に響き渡り、城壁の一部が崩落した。感じるものは二種類の大規模な魔力。その二つが束となって絶大な破壊を引き起こしたことをアリシアは肌で感じることが出来た。

 ユーノはこんなにも大きな破壊を引き起こす技能を持ち合わせていない。だったら、レイジングハートを何百年ぶりかに正規起動させたあの白い少女なのだろうとアリシアは思う。そして、もう一つの種類の魔力の持ち主を推測し、アリシアはふと口の橋に笑みを浮かべた。

 

(立ち直ることが出来たのか。強いね、君は)

 

 徐々に近づいてくるその気配を察し、アリシアの旅もいよいよクライマックスを迎えようとしている。

 

(プレシア・テスタロッサ。アリシアの母親。私の母。しかし、私を失ったために狂ってしまった女性。認識が曖昧だ。私はいったい何者としてあれと顔を合わせるべきか)

 

 アリシアか、ベルディナか。彼女/彼は今ここにいる自分自身を定義することが出来なかった。

 

*********

 

 そこはまるで、毒の海に浮かぶ泥の大地のように思えた。

 

(虚数空間がむき出しになってるんだ)

 

 壁により掛かりたいほど、いやむしろこのまま眠りに落ちてしまいたいほど疲弊した身体を何とか誤魔化しながらアリシアは立ち至った。

 

「……母さま……」

 

 無意識のうちに出されてしまったその言葉。アリシアはそれにいいようのない不快感を感じ眉をきつく結んだ。

 

 しかし、プレシアはそんなアリシアに向かって両手をさしのべ、まるで死者のような儚い笑みを浮かべながら血に塗れた口を開いた。

 

「アリシア、やっぱり帰ってきてくれたのね……、さあ行きましょう。誰にも邪魔されない、二人だけの世界へ」

 

 泥の大地に膝をついていたプレシアの表情には僅かながら喜びが混じっているように思えた。

 

「残念だけど断るよ、プレシア・テスタロッサ。たぶん、私は貴女の理想のアリシアにはなれない」

 

 プレシアと視線を交差させたとたん、アリシアは意識が揺らぐ感触を覚えた。

 

 

 

 軽蔑する気持ち、       ―――愛しいと思う気持ち、

 

 殴ってやりたいと思う気持ち、―――抱きしめて欲しいと思う気持ち、

 

 殺したいと思う気持ち、   ―――笑顔を浮かべて欲しいと思う気持ち、

 

                ―――甘えたいと思う気持ち。

 

 

 

 それらがグチャグチャになって解け合い、アリシアは感情を閉ざした。

 

「だったら貴女はいったい何? アリシアの姿をしていて、アリシアじゃない。アリシアは私にそんな事は言わない」

 

 天蓋の一部が崩落し、むき出しになった虚数空間の海へと深く消えていった。

 

「やっぱり、貴女はそこに至るか。ねえ、プレシア。そもそも、人間の構成要素とは何なのかな。姿形、記憶、人格、感情。それぞれは確かに重要なファクターだけど、それぞれが別々であっても一つの人間たり得ないと思う。貴女がアリシアだと思う、思っていた人間は、いったいどれほどの要素を持ってアリシアだったんだろう」

 

「姿は遺伝子を複製すれば成り立ち、記憶や人格、感情なんてモノは所詮、脳の神経ネットワークの構成に過ぎないわ。結局は遺伝子と記憶、それさえ完璧ならアリシアは復活するはずだった」

 

「だけど、現実は貴女を裏切った。フェイトはアリシアではなかった」

 

「欠陥品よあんなもの。名前を聞くだけでも虫ずが走るわ」

 

 プレシアは視線を逸らし、広大な海に広がる虚数の波をただ眺めて息をついた。既に立って、喋ることさえも億劫なのだろう。彼女の握る杖は小刻みに震え、その腕ももはや力を入れることさえ困難となっているはずだ。

 アリシアは、深くどこか諦観の念を持つ吐息を吐き出し、ゆっくりと語り始めた。

 

「そもそも不可能だったんだ。失われたものを取り戻すことは不可能に近い。ジュエルシードも結局、テクノロジーによって発生したものだから。世界の因果を超えることは不可能だったと思う。現在あるものからそれに似通ったモノ、代換品を生み出すことが出来ても、一度失われたものは永遠に得ることは出来ない。だって、それが出来るなら、ジュエルシードを生み出した文明が滅びるはずない。結局、失われたもの、失われるものを再生することは出来なかったんじゃないかな。アルハザードも同じ、なぜ滅びたのか。答えは変わらないよ」

 

 アリシアは感じていた、かつての自分と真実のアリシアが次第に重なっていくことを。

 自分ではない誰かが、イレギュラーな記憶を己のものとする何かが次第に意識を侵食していく。これが、肉体に残った意識というものなのかどうかは分からない。あるいは魂の残滓というべきものが、一時の支配権をこの身体求めている。

 

「やめて、アリシアの姿でそんなこと言わないで。私のアリシアを返して!」

 

「母さまは初めから間違っていたんだよ。魂の器を保全することが出来ても、それに収まるはずの魂が無い。魂の定義は出来なくて、それが成功した文明なんてない。少なくとも超科学による現代魔法において神秘と秘蹟が度外視されている以上、それは不可能だったんだ。もしも、魂を完全な形で保存しておくことが出来ていたら、もしかすれば私は完璧な形で復活していたかも知れない。だけど、出来なかった。結局、肉体から離れた別の魂を持ってくるしか他がなかった。これは、藁をも掴み取るほどの偶然だったはず。私じゃだめ? 私じゃ満足できないの? 今の私なら、あなたと生きていくことも出来る」

 

 そして、重なった。今この一瞬だけ、アリシアは残されたアリシアのセグメント共に一つとなり、母と認識できる女性へと語りかけている。彼女は気づいているのだろうか。ここにいるのは、確かに自分の娘だと言うことに。

 

「言わないで! あなたはアリシアじゃない!」

 

 プレシアは杖を掲げ、もつれる脚を強引に踏みしめ、巨大に収束させた雷撃の球体をアリシアへと向けはなった。

 鼓膜が破れるほどの爆音と、衝撃波。空気中の物質の電離による不快なイオン臭が漂い、粉塵が過ぎ去ったそこにはまったく無傷のアリシアが脚を付いて立っていた。

 そして、その遙か左方に穿たれた巨大なクレーターはその電撃がいかにも強力なモノであったかを物語る。

 当てることは出来なかった。いくら狂気に駆られたとしても、最後の希望だったアリシアを攻撃することは出来なかった。

 

 何故、この思いやりを愛情を、あの少女に向けられなかったのだろうか。結局諦めきれなかった者の執念はそうして憎しみへと変換させる事でしか平静を保てなかったのか。

 ならば、とアリシアは確信した。プレシア・テスタロッサは狂人ではない、所詮はその二歩手前で踏みとどまる、ただ狂っただけの常人だったのだ。

 そして、アリシアは一瞬の邂逅から冷め、その熱は彼方へと消え去っていった。

 

「誇っても良いと思う。プレシア・テスタロッサ。貴女は、人類史上最初の死者蘇生を成し遂げた魔導師だ」

 

 これは悲しみなのだろうか。アリシアの中に溶けて広がったかつての少女の感覚が今のアリシアの感情を揺れ動かす。

 

「あ、あ、あぁぁぁぁーーーー!!!」

 

 プレシアは気づいたのだろうか。だから絶望しているのだろうか。しかし、彼女はその一瞬のチャンスを逃してしまった。もう、戻ることは出来ない、その絶望を感じただ狂いに身を任せることしかできないのだろうか。

 

「あなたにはもう、娘がいる。アリシアではない、けど、あなたが生み出した娘が。どうして、それで満足できなかった? どうして、それ以上を求めてしまったんだ。貴女さえそれを受け入れれば、おそらく誰も悲しむことはなかったのに」

 

「来ないで、来ないでぇ!!」

 

「もう少し早く貴女と出会っていれば、貴女の暴走を止められたかもしれない。私は、それが残念だ」

 

「いや、さわらないで。アリシアの手で私に触れないで」

 

「だけど、私は感謝しているよ。この身体がなければ、私はすべてを失っているところだった。ずいぶん歪な形だけど、貴女が望むのであれば、私は貴女と一緒にいる、母さま」

 

「アリシアは、もう居ないの? 行ってしまったの?」

 

「うん、おそらく貴女がこの計画を決意する前に。輪廻転生を信じるなら、たぶんどこか別の人間に宿っていると思う。アリシアじゃない別の誰かとして」

 

「だったら、それを探せば」

 

「何千億、いや何十兆分の一の確率を掴み取る自信があるんなら、それも可能かもしれない。だけど、それでも同じ人間が帰ってくることはないと思う」

 

「無駄だった、私のしてきたことはすべて無駄だった」

 

「無駄じゃない、あなたには一つだけ残されたものがある。貴女を母と慕い、その愛情を求める人がいる。ほら、来た」

 

 天蓋を貫く一条の光のレールをすり抜け、黒衣に身を包んだ黄金の少女がその従僕を連れ、この地に降り立った。

 アリシアは祈った。許してくれと、おそらくフェイトは何も得ることは出来ない。渇望したもの、残って欲しかったものは全てその手からこぼれ落ちるだろう事を。

 そして、その最後のとどめを刺してしまったのが紛れもないこの自分だったということを。

 

「母さん」

 

「何をしに来たの。目障りよ、消えなさい」

 

「私は、アリシア・テスタロッサではありません。ですが、私は、フェイト・テスタロッサは貴女の娘です」

 

「だから何? 今更娘として扱えとでも言うのかしら?」

 

「もし、貴女がそれを望むのなら。世界中の全てから貴女を守ります。私が貴女の娘だから、私は貴方を守る」

 

 フェイトは毅然と胸を張り、その眼を真っ直ぐとプレシアへと向け、緩やかに手を差し伸べた。

 

「くだらないわ。私は失敗してしまったの。もう、何の希望も残されていないわ。アリシアも、もうアリシアじゃない。もう、どうでも良いわ。疲れた」

 

「……母さん……」

 

「どうして、こうなってしまったのかしら。私がアリシアの死を受け入れられなかったからこうなってしまったのかしら。だけど、私はどうしてもアリシアを取り戻したかった。穏やかだったあの頃に戻りたかった。ただそれだけなのに。こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったのに」

 

 それは諦観だった。絶望よりも濃く、圧倒的な最後を予感させる諦め。それは病より深く浸透し、全てを停止させる最後だった。

 そして、静寂が包み込もうとした広間に隔壁を破壊する大きな音が響き渡り、そこには全身に鮮血を浮かべながらも強い意思の眼を持った少年、クロノが杖をつきながらも立ちはだかっていた。

 

「世界はいつだって…こんなはずじゃなかったことばっかりだよ、ずっと昔から、いつだって誰だってそうなんだ!!」

 

 それは世界を振るわせる奏。

 

「こんなはずじゃない現実から逃げるか…立ち向かうかは、個人の自由だ! だけど自分の勝手な悲しみに無関係の人間を巻き込んでいい権利は何処の誰にも有りはしない!!」

 

 アリシアはそっと涙を拭った。そう、だからこそ人は立ち上がっていける、それは諦観ではなく意志。それこそが、人を進ませる糧となる。

 停止した世界、停止した命と感情に生きていたかつての自分(ベルディナ)は、何を希望としていたのか。アリシアはついぞそれを思い出すことは出来なかった。

 プレシアは最後にふっと口元に僅かな笑みを浮かべ、崩落する大地と共に、停止した世界の海へと沈んでいった。

 

「フェイト、貴女はこの世界で生き続けるといいわ。優しくないこの世界で、こんなはずじゃなかった事を悔やんで生きるといいわ。その偽りのアリシアと共に、苦しんで生きていくといいわ」

 

 フェイトは手を伸ばし、落ちていく最愛の母の手を取ろうとする。

 しかし、その手は何もつかみ取ることはなかった。

 最後の崩落は、そのすべてを飲み込み深く沈んでいった。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 歪な名前(前)

 

 崩れゆく庭園、深い虚数の海へと沈み込む狂える母の嘲笑。

 アリシアが最後まで覚えていたものはただそれだけだった。

 

 自分はよっぽどこの感覚に愛されているのだなと、アリシアは既に慣れかけている感覚に導かれ緩やかに意識を取り戻した。

 

「あ、えっと……起きた? アリシア……」

 

 目覚めた視界に映りだしたのは、白色に塗られた面白みのない天井と緩やかな光に調整された人工の光だった。

 隣から聞こえる凛としていながらも、どこか儚い声は最近になって聞き慣れた声だった。自分の声にとてもよく似ている、同じ母を持つ少女の声。

 

「うん。おはようと言えばいいかな」

 

 言うことを聞きそうにない身体を何とか動かし、首を横に倒すと、そこにはどこかおどおどとした様子の金色の髪の少女、フェイトがアリシアの表情を伺っていた。

 何となく奇妙な感覚がするとアリシアは思った。今、自分をのぞき込んでいる顔は自分ではない他人のもの。しかし、その姿形、髪の色から目の色、声の質さえも同じなのだ。

 まるで自分が自分をのぞき込んできているような感じをおそらくフェイトも感じているのだろう。彼女もまた少し困惑した表情を浮かべていた。

 

「う、うん。おはよう、アリシア」

 

 フェイトはそのままアリシアと挨拶を交わすと、そのまま黙り込み、まるで椅子に縮こまるようにうつむいてしまった。

 

(まあ、あれだけのことを言ったわけだから、怖がられたり嫌われたりしても無理ないか)

 

 別段仲良くする気もないがと思い、アリシアは身体の各部を細かく動かそうとして失敗した。痛みは感じない、しかし、まったく力が入れられる感覚がしない。

 顎が動き、まぶたが上下でき、眼球を動かせる事が何かの奇跡と思えるほどまったくダメだった。

 

(20年以上死んでたんだから、しかたないか)

 

 プレシアの牙城、時の庭園で動き回ったところ、アリシアは自分の身体が4?6歳程度の年齢だという事を確認した。

 

 318年の時を生きた魔術士が、今では身体すら満足に動かせない幼子になり下がった。ベルディナの超常的な精神力を受け継ぐアリシアでも、それまでの努力と研鑽がただの知識でしか役に立たないと考えると、少しまぶたを濡らしてしまいそうな気分に襲われるようだった。

 

「命が助かっただけでも良かったかな……」

 

「え?」

 

 今まで黙りこくって会話もなかったところに、いきなりのアリシアの独白にフェイトは眼を白黒させた。そして、混乱の納まりきらないまま、フェイトの背後の扉が機械質な駆動音を奏で開かれた。

 

「そう思うなら、もう少し大人しくしていて貰いたいものだ、アリシア・テスタロッサ」

 

 アリシアは再び首を傾け、その声の主を追った。

 

「クロノ・ハラオウン執務官と、リンディ・ハラオウン艦長でしたね。それと、白い魔導師にユーノ・スクライア、フェイトの使い魔も」

 

 アリシアは正直さっさとベッドをリクライングして楽な姿勢を取らせてほしかったが、あいにくそこまで気を回せる人間はここには居なかったようだ。

 

「ひとまず、ご苦労様と言っておくわアリシアさん。それで、二、三聞いておきたいことがあるのだけど、いいかしら?」

 

 リンディはそう言うと柔和な笑みを浮かべながら、アリシアに最も近い丸椅子に腰を下ろし、にっこりと微笑みかけた。

 

(うん、魅力的な笑みだ。やっぱり、女性はこうでなくては)

 

 アリシアはその笑みに少しだけ癒されると、少し真面目な表情をしてリンディの目をしっかりと見た。

 

「ハラオウン艦長。一つお願いがあります、聞いていただけますか?」

 

「あら、何かしら?」

 

「もう少し楽な体勢が取りたいんです。背もたれがいただけると」

 

 キョトンとした表情を浮かべたのはリンディだけではなく、フェイトを初めとした少年少女たちも同じだった。

 

「あらあら、ごめんなさい。気がつかなかったわ、すぐにマットを起こすわね」

 

 ベッド脇の端末を操作しようとするリンディを制して、彼女の部下とも言えるクロノが代わりにそれを操作した。

 ゆっくりとアリシアは背を押され、普段ソファーに腰掛ける程度の自然な体勢になった。

 

「やっぱり、重力がないと人は生きていけませんね。そう思いませんか、艦長」

 

「あら、なかなか詩人なのね。確かにそうだわ。この重力のない時空間の海でも私たちはわざわざエネルギーを使って疑似重力を発生させている。結局の所、文明がどんなに栄えたとしても人間の根本は変わらないということかしら」

 

「その通りですね、艦長。そして、人間が望むものも根本的には変わらないんでしょう。たとえば、死者の復活だとか、心の有りどころの創造だとか」

 

 アリシアとリンディが世間話よろしくなにやら哲学的な事を話し出したために、置いてけぼりを喰らった若年組は、アリシアが突然はなった言葉の端々に敏感に反応を返した。

 

(当然、知っているだろうね。さて、どう言い訳をしようかな。困ったなぁ)

 

 プレシアの犯罪、フェイトの罪状、確かに管理局局員として犯罪者を取り締まる立場にある彼らだが、一番の興味どころというよりはネックともなり得るアリシアの存在は何を置いても確かめなければならない事柄に違いないだろう。本来多忙な身の上である艦長とその執務官が顔を揃えて、しかも件(くだん)の当事者であるなのは達を引き連れてまでアリシアの目覚めを待っていたのだ。

 

「本題に入りましょうか、アリシアさん。クロノから一度聞かれた事だと思うけど、貴女は何者なのかしら」

 

 にこやかな空気で腹の探り合いをするのは時間の無駄だと理解したリンディは、表情を引き締め上に立つものの顔を見せた。

 

(凛々しいのもいいなぁ。惚れちゃいそう)

 

 その思考を読まれないよう、アリシアは少しだけ目を閉じ呼吸を整えるかのように息を一つはいた。

 

「私はアリシア・アーク・テスタロッサ。この身体は間違いなくプレシア・テスタロッサの娘です」

 

 アリシアが意図的につけたアークの名に、ユーノは僅かながら反応を返した。しかし、この場での発言を許可されていないのか、彼がそれについて問いただすことはないようだった。

 

「プレシアの娘アリシア・テスタロッサは、既に26年前の事故で亡くなっている。それに関して何かいえることは?」

 

 クロノは苛立たしげな口調を演じ、アリシアをきつく睨んだ。

 

 どうやら、アリシアの交渉人は、いや尋問者というべき人物はリンディとクロノの二人となっているらしい。この調子では、この部屋の風景もあの利発そうな少女、エイミィが逐次モニターしていることだろう。

 うかつなことは言えないが、嘘をついたところでメリットはない。事実、アリシアはまともに身体を動かせる状態ではなく、どうあっても何者かの保護下に入らざるを得ない状態なのだ。

 対等の立場はあり得ない、正にこれは交渉ではなく尋問なのだ。

 だが、尋問ならある程度の黙秘権を行使させて貰ってもいいだろうと思い立ち、アリシアはその方針を決めた。

 

「でしたらDNA判定でもなんでもお好きにどうぞ。アリシアのDNA情報がなくても、フェイトのDNAと比較すれば答えは出ます」

 

 しかし、アリシアの予想ではそれは既に行われているはずだった。本来なら法執行機関の人間が例え拘束中の捕虜であっても、本人の承諾無しにそれを行えば明かな越権行為と見なされ処罰の対象となる。

 いくら現場の判断が優先される時空管理局次元航行部隊であってもその程度の権力の拘束はあってしかるべきだ。

 つまり、ここで彼らが既に調べ結果が出ている上での尋問を行っているのであれば、それを問いただすことでこちらに有利な状況が作れ、また、彼らが規定を遵守しいまだそれを行っていないのであれば、結果が出るまでの時間稼ぎが出来ると言うことだ。

 

「ふう……、いいでしょう。では、遺伝子サンプルの提供をお願いできるかしら?」

 

「もう持ってるんじゃないですか?」

 

「あら、私たちは法執行機関の局員よ? そんなことをすれば管理局員の規定違反で起訴されてしまうわ」

 

 リンディは椅子から立ち上がりにっこりと笑って私の手を取ろうとする。

 なるほど、とアリシアは目の前にいる局員を道理をわきまえた人物だと評価し、この人物は信用しても良いと感じた。

 アリシア/ベルディナはその経験上人を見る目には自信があった。

 

(少なくともこの人達にあるのは悪意じゃなくて善意だ。だったら、時間を無駄にすることはないかな)

 

「分かりました。私の分かる範囲で良ければ話します」

 

 リンディは驚きの表情を浮かべた、それはクロノも同様で彼もまたこの尋問は失敗だったと思っていたようだ。

 確かに、尋問は失敗だった。しかし、彼らはその代わりにアリシアの信用を勝ち取ることが出来たのだ。ドローゲーム、アリシアはこのテーブルをそう評価し、リンディとクロノ、そして、視界の外にある監視カメラに目を向け、居住まいを正した。

 

「ですが、条件を二つだけ。まず一つは、リンディ・ハラオウン艦長、クロノ・ハラオウン執務官、ユーノ・スクライア以外の退室。二つ目はこれから話す件は一切の例外なく秘匿義務が発生する事です。お願いできますか?」

 

 アリシアはこの二点のみは妥協するつもりが無かった。しかし、それだけ情報を限定することは、アリシアが本気で重大情報を公開する用意があるということでもある。

 リンディは一瞬だけクロノと目を合わせ、お互いに肯き合い、

 

「聞いての通りだ。なのは、フェイト、アルフは速やかに退室してくれ」

 

 終始狸の化かし合いのような会話を聞かされて退屈だったのか、気を張り巡らせていたのか、そういわれた三人の表情には安堵と同時にどこかのけ者にされる事への寂しさも含まれているようだった。

 

「うん、分かったよクロノ君」

 

 その中で一番落胆していたのはなのはだった。なにぶん人一倍正義感の強い少女であるため、いかなる事にも首をつっこまずには居られないのだろう。

 そんな彼女だったが、その首につり下げられた赤い宝石が突然言葉を発した事にはさすがに驚いた様子だった。

 

《Captain Lindy and master.Is it good even if I, too, am respectively left?》(リンディ艦長それとマスター、私もここに残ってもよろしいですか?)

 

「えっと、ダメだよ、レイジングハート。わがまま言っちゃ」

 

《I request by all means.In the reward, do I let's treat two to the lunch tomorrow? 》(ぜひお願いいたします。なんでしたら、お二人には明日の昼食を奢ってもかまいませんが?)

 

 なおも言い縋るレイジングハートに慌てたのはなのはのほうだった。

 

「ちょ、ちょっとレイジングハート。お金出すのは私なんだよ!?」

 

《Please relieve,master. We are always both 》(ご安心を、マスター。私たちはいつでも共にあります)

 

「そんなこと言ってもダメなものはダメなの。ユーノ君とパトロールするようになって出費が増えたんだから、節約するの」

 

「……ごめん、なのは。そうだよね、僕がなのはの所に止まるようになって食い扶持も増えたんだよね」

 

「ユ、ユーノ君、違うよだってフェレットさんのご飯なんてビスケットだけで十分なんだから。」

 

《Are you the man who depends on the girl in the food and clothing, not being in the ability? My original master》(甲斐性無しのヒモですか、元マスター。)

 

「レイジングハート!! そんなこと言うとまたお仕置きだからね!!」

 

《Endure only it.My best master style to respect》(それだけはご勘弁を、我が敬愛する最高のマスター様)

 

「おだててもダメ、お仕置きなの!」

 

「あ、あの、落ち着いて」

 

 レイジングハート相手に無茶苦茶怒りまくるなのはを宥めるフェイトに、すっかり気落ちして膝を抱えて部屋の片隅で震えているユーノを励ますアルフ(フェイトのヒモ)は見ていて飽きないが、アリシアはレイジングハートのさらなる成長に頭痛で涙が止まらなかった。

 

《By the way, can you get permission?》(ところで、許可はいただけるのですか?)

 

 ともあれ、レイジングハートが自らの主を生け贄に差し出してまで我を通すからには、何か重要な理由があるのだろうと、アリシアは元所有者として考えながら、クロノとリンディに肯き返した。

 

「いいわ、レイジングハートはここにおいて行きなさい。後で返しに行くわ」

 

「あ、はい。ありがとうございます。レイジングハート、くれぐれも大人しくして無くちゃだめだよ」

 

 まるで我が子に言い聞かせるように指を立てるなのははどう見ても背伸びしている子供にしか見えない。

 

《I understand it. Don't break into tears in the loneliness even if I am not.My small lady》(分かっていますよ。私がいないからといって寂しさで泣き出さないでくださいね、私の小さなレディー)

 

 なのはからユーノに託されたレイジングハートはその手のひらの上で何度か明滅し、何処となしか心配性な母親か姉のような雰囲気を醸し出していた。

 

「泣かないもん、レイジングハートの馬鹿」

 

 フェイトはアルフをつれ、なのはの背を押しながら部屋を去っていった。去り際にアルフが鋭い殺意の視線をアリシアに送り込むが、アリシアはこれ見よがしに弾けんばかりの笑みを送る事にした。

 

「あまり感情を逆撫でするのは良くない傾向だ」

 

 クロノは半ば呆れ、さっきまで腕を組んで立っていた体勢を崩し、フェイトが座っていた椅子を取り寄せると自分もそれに座って幾分かリラックスした表情を浮かべた。

 

「人の嗜好にけちをつけないでよ、執務官」

 

 アリシアはおどけた振りをして手を掲げようとしたが、手が殆ど動かなかったので止めた。

 

「それにしても、あの白い……なのは、だったっけ。あの子とレイジングハートは、いつもあんた調子で?」

 

《That state is an always and the same situation. Her reaction is very interesting. 》(おおよそ代わりありません。ノリの良い方ですから)

 

「なのは曰く、地球のテレビ番組の悪影響だと言っていたな。たしか、ワカテノゲイニンだったか、そんなところらしい」

 

《Yes, the culture of this country is onderful.Way, my recent my boom is a potted dwarf tree and that the swordplay enjoying is done. 》(ええ、この国の文化は素晴らしい。ちなみに、私の最近のマイブームは盆栽と剣術観賞です)

 

 うむ、枯れているなという言葉がどこからか聞こえてきたような気がしたアリシアはさっさとそれを振り払い、本題に入るべく表情を引き締めた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 歪な名前(後)

 さてと、どこから話したものか。と、アリシア目蓋を閉じながら、現在の状況からここに至った推移の記憶を一つずつたどっていった。

 その局所々々で彼女は自分を納得させるように小さく頷き、その仕草はまるでゆりかごに身を任せる幼子にも見え、クロノは何となくアリシアの肩を揺すりたくなる衝動を感じた。

 

「まあ、こんなものかな」

 

 誰もその様子を咎めないのをいいことに、アリシアはたっぷり10分の時間を掛け、ようやく目蓋を持ち上げた。

 

「考えはまとまったか?」

 

 クロノは、苛立たしげに腕を組みアリシアをにらみつけていた。

 

「一つだけ解決できない問題があるけど、まあ、ひとまず要点だけ」

 

 アリシアは説明した。自分はプレシア・テスタロッサの娘、アリシア・テスタロッサである事。

 自分は5歳までの記憶しか持たず、気がついたらカプセルの中で眠らされていた事。

 プレシアは、自分を復活させるために様々な違法研究を繰り返していたと言うこと。

 そのあらましが、まるで他人事のように語られる様に、二人のハラオウンとユーノは眉をひそめながらも特にその話を中断させることなく聞いていた。

 そのおよそが調査した内容と合致し、クロノは少しだけ安堵して、不意に眉をひそめた。

 

「まるで他人事だな。自分のことをそこまで冷静に話せるのはなぜだ?」

 

 その話が一区切りしたところで、クロノは口を挟んだ。

 自分が死んだこと、自分の母親が狂ってしまったこと。そして、もう二度と会うことが出来なくなったこと。そして、その娘である少女がそれに対してほとんど何も干渉を持っていないと言うことにクロノは不快感を感じた。まるであのときの自分のようだとという考えを彼は打ち払い、アリシアの言葉を待った。

 

「そうだね。これでも全然悲しくないってことはないんだ。だけど、信じられないと思うけど……私にとっては他人事でもある」

 

「どういう事だ?」

 

《Before continuing the story, give me only a little opportunity.》(その前に、私から少しよろしいですか?)

 

 アリシアがそれをどう話すか考えていたところに、レイジングハートがそれを制するかのように口を挟んだ。

 

「どうしたの? レイジングハート」

 

 ユーノは首にかけたレイジングハートに目を下ろしそう聞いた。

 

《The original master,Make Alicia have me.》(元マスター、私をアリシア嬢に持たせてくれませんか?)

 

 どういうつもりなのだろうか。レイジングハートの思惑を読み取れないユーノはその判断をクロノとリンディに託した。

 リンディは少しだけ考え、どちらにせよ身体の動かせないアリシアでは警戒状態にあるクロノを出し抜くことは無理だろうと考え、それよりもここまで積極的に関わろうとするレイジングハートに興味がわき、それを許可した。

 

「いいわ、ユーノ君、渡してあげなさい」

 

《Thank you,Captain》(ありがとうございます、艦長)

 

 ユーノは、椅子から立ち上がり少し警戒心を残してアリシアにレイジングハートを手渡した。

 

「えっと、どうぞ。アリシア」

 

「ありがとう。ユーノ」

 

 礼を言いながら嫌みのない微笑みを浮かべるアリシアに、ユーノは少しだけときめきながらも、先ほどから疑問に思っていたことを聞いた。

 

「どうして、アリシアは僕の名前を知っているの? 会ったこともないのに」

 

《It thinks that it can be now proved.The original master captain》(それは、これから証明できると思います。元マスター)

 

「本当に?」

 

《Is not to be trusted sad and before, will the original master that only that was behaving to me like the baby have disappeared ? Oh, that pretty YU-NO had become dirty.》(信用されないことは悲しいですね、昔はあれだけ私に甘えていた元マスターはいなくなってしまったのでしょうか。ああ、あの可愛かったユーノが汚れてしまいました)

 

「わっ! ごめん、レイジングハート。信用してないなんて有り得ないから。ただ、少し心配で……」

 

《When it became possible to do anxiety for me, it became an adult.Or, will it be her influence?It catches fast beforehand and it is YU-NO.Because it is not readily about such a facility stop》(私の心配が出来るようになるとは、大人になりましたね。それとも、彼女の影響でしょうか。しっかり捕まえておくのですよ、ユーノ。あんな器量よしはなかなかいませんからね)

 

「な、何いってんのさレイジングハート。僕となのははそんなんじゃ……」

 

《I said " her " only but as expected, the original master was thinking of the master.I cheer you ,original master.》(私は"彼女"と言っただけなのですが、やはり元マスターはマスターの事を考えていたのですね。応援していますよ、元マスター)

 

 単純な誘導尋問に引っかかったユーノはそのまま顔を真っ赤にして固まってしまった。

 幸いなのは、この部屋の状況が記録されていないと言うことだろう。もしも、エイミィがこれを見ていたら、ユーノにとっての悪夢の始まりだとクロノは少し背筋を冷やしながら、仏頂面を崩さず、ため息をついた。

 

「いい加減話を進めて欲しいのだが」

 

《A hasty man is disliked,The law enforcement officer. All right. Then, let's begin.》(せっかちな男は嫌われますよ、執務官。まあ、良いでしょう。それでは始めます)

 

「とりあえず、握っておけばいいのか?」

 

 レイジングハートからは何をするのか聞かされないままアリシアはそう確かめた。

 

《Yes, we request kindly.》(ええ、優しくお願いします)

 

 アリシアの脳裏には少し品のない言葉が思い浮かんだが、それをしてしまうと話が進まないため沈黙を守った。

 レイジングハートは少しつまらなさげだったが、さっさとしろと睨んでくるクロノを見、ヤレヤレと溜息(のような点滅)を吐いた。

 

《Starting the scan of the Linker core.It ended …………….It is OK already.》(リンカーコアスキャン開始………………終了。もう結構です)

 

 てっきり暫く時間を有するものかと思いきや、あっさりと終了してしまったレイジングハートに怪訝な目を向けるアリシア以外の視線だったが、アリシアはなるほどその手があったかとレイジングハートの判断に感心を覚えた。

 

《I acquired the pattern of Linker core. There is corresponding of a case. It was to do you being as expected , previous owner.》(リンカーコアのパターンを取得。一件該当有り。やはり、あなたでしたか、元所有者)

 

「どういうこと? レイジングハート」

 

 レイジングハートが"元所有者"と呼ぶ人物など一人しかいないことを知っていたユーノは、返却されたレイジングハートを手のひらに置いた。

 

《Now, it analyzed Alicia's Linker core and the slipping pattern of the magic.I have never met Alicia. However, the pattern which it is possible to assume that is identical almost with that which is recorded from the previous analysis result into me existed with a case.》(いま、アリシア嬢のリンカーコアや魔力の放出パターンを解析しました。私はアリシア嬢と会ったことはありません。しかし、先程の解析結果から、私の中に記録されているそれと殆ど同一と見なせるパターンが一件存在しました)

 

「それは、何かの間違いではなくて? 今の言葉からはまるでリンカーコアのパターンが同じ人間が二人いるということに聞こえるのだけど」

 

 リンディは断じた、あり得ない、と。確かにその通りだ。リンカーコアのパターン、そこから発せられる魔力の色であったり放出パターンやその振動数などは、最近になってそれを用いた個人認証のシステムさえも実用化されているほど個人差が大きい。

 故に、リンカーコアのパターンが同じという事はそれは同じ人間を現すことに他ならない。例え、遺伝子的には区別の付かない一卵性の双子であってもリンカーコアのパターンが酷似しているということは非常に稀であるという統計も存在する。

 

《There is not a mistake.Undoubtedly, the output pattern of Alicia's Linkercore agreed with the one of Belldina Arc Blueness who is recorded into me.As much as not being exaggerated even if it says an one and the same person in the Linkercore level》(間違いはありません。間違いなく、アリシア嬢のリンカーコアの出力パターンは、私の中に記録されているベルディナ・アーク・ブルーネスのものと一致しました。リンカーコアレベルでは同一人物といっても過言ではない程に)

 

「いい加減にしてくれ、レイジングハート!!」

 

 ユーノの叫び声が全てを停止させた。

 

「あのとき、君も見ていただろう? ベルディナは、あのとき僕を守って死んでしまったんだ。僕のせいで、僕がいたから……。君は、またそれを蒸し返すって言うの? お願いだよレイジングハート。これ以上僕を惑わせないで」

 

 アリシアは、激昂しつつも意気消沈するユーノを見て、「ああ、やはりか」と面を下げた。十分考えられることだった。むしろ、そうならなくてはおかしいはずだ。

 心優しく、実直で、責任感の強い少年。そんな少年が自分を守るために誰かがその犠牲になったと知れば一体どうなるのか。どれだけ自分を責めたのだろう、ベルディナの命に報いるためにどれだけの事を考え、それをしてきたのだろう。

 おそらく、飛散したジュエルシードを出来うる限りの力を尽くして回収しようとしたはずだ。しかし、ユーノの力量ではそれも難しいことは容易に想像できる。

 

「大変だったんだな、ユーノ。本来なら"俺"がお前についているべきだったが、本当にすまないことをした。だが、分かってくれ。あのときの"俺"の行動は最善だったと思わせてほしい。とにかく、お前が生き残っていてくれて"俺"は十分満足だった」

 

ユーノの頭を撫でてやりたい。アリシアは切実にそれを願ったが、動かない身体ではそれも不可能だった。

 

「アリシア……君は、本当にベルディナなの?」

 

《You trust my data,original master.Even if the appearance is different, the consciousness Alicia doesn't have the thing boiling errancy of the previous owner.》(私のデータを信用してください、元マスター。アリシア嬢は、姿は違えどもその意識は元所有者のものに間違いありません)

 

「だけどね、二人とも。ベルディナはあのとき死んだ事に違いはないよ。今ここにいるのは、アリシアだ。それだけは変わらない」

 

 ベルディナは死に、その意識がアリシアへと移り変わった。ならば、後に残されたものはアリシアとしての存在のみ。

 受け入れがたいことだったが、アリシアはそう覚悟を決めるしか出来なかった。

 

「どうやって気づいた?」

 

《In together how many year with me as for you, is to be forgetting? My previous owner, Belldina Arc Blueness》(何年一緒にいると思っているのですか? 元所有者、ベルディナ・アーク・ブルーネス)

 

「そうだった」

 

《You were still alive,don't you? The ordinary vital of the cockroach seems to be a word for you.》(生きておられたのですね。まったく、ゴキブリ並の生命力とはあなたのための言葉のようだ)

 

「ゴキブリ? なにそれ」

 

「ええっと、なのはの世界の昆虫で、黒くて脂ぎっていてとても素早い昆虫のことだよ。まえに、なのはがそれを見てパニックになったことがあって」

 

「あー、なんか話が見えてきた気がする」

 

《Even the divine chuter of the master could not make graze, too.In that, if comparing, the master of Balldish was to do the partner being it is easy for which to fight more very much.》(マスターのディバイン・シューターでさえ掠らせることも出来ませんでした。あれに比べれば、バルディッシュのマスターの方がよっぽど組みやすい相手でしたよ)

 

「そ、それで、なのはがレイジングハートで直接……その、叩き潰しちゃったんだ。グチョッと」

 

《Sorry, previous owner.I whom you picked up had become dirty.》(申し訳ありません、元所有者。貴女に拾っていただいた私は汚れてしまいました)

 

「それはご愁傷様。お前が初めて奪った命が害虫だなんて泣けるね」

 

《May I cry seriously?》(本当に泣いても良いですか?)

 

「泣けるもんなら泣いてみてよ、石ころ」

 

 シクシクという効果音を鳴らしながら、器用にも球体の表面に水滴を生み出したレイジングハートをアリシアの代わりにユーノが撫でつけて慰めた。

 シュールな情景だったが、何となく仲良し家族のふれあいのように感じられるとリンディは少し頬をゆるめた。

 

「ひとまず、一体どうやってアリシアに転生したのか。その事は聞かせてもらえるのか?」

 

 アリシアとユーノ、レイジングハートの話に水を差すようで心苦しかったが、クロノは執務官としての業務を優先し、事情聴取を再開させた。

 

《Isn't it possible to read air, too, in addition to being hasty,Low enforcement officer? The bill which made the scene of the reunion of the family spoiling is high and is stuck? Specifically, it is about 1 day minute of my luxurious full maintenance tour.》(せっかちな上に空気も読めないのですか? 執務官。家族の再会のシーンを台無しにしたツケは高く付きますよ? 具体的には私の豪華フルメンテツアーの一日分ほど)

 

 レイジングハートほどの高性能でありながら旧式のインテリジェントデバイスはそのメンテナンスには莫大な技術が必要となる。それを一日かけてフルメンテナンスをしようものには、どれだけの人材と資金がかかることか。

 クロノは、自分のデバイスであるS2Uの保守点検をする傍ら、レイジングハートの簡易的なメンテナンスも行ったことがあり、そのあまりにも洗練された制御システムとそれを覆う筐体の優美さにひどく感銘を受けていた。

 それと同時にレイジングハートの一筋縄ではいかない整備をよく知っており、彼女(?)の言う豪華フルメンテツアー一日招待券がどれほどの値段になるかを想像し、頭部と腹部に鈍痛を感じた。

 

 さらに、その整備中のことあるごとに、

 

《Officer,The service of you is too disorderly.》(執務官、あなたの整備は乱雑すぎる)

 

 とか、

 

《The service of the device needs the fineness as it handles the body of the woman. but however, will be wasteful even if it says to you who don't have a woman experience》(デバイスの整備は女性の身体を扱うような繊細さが必要なのです。もっとも、女性経験のないあなたに言っても無駄でしょうが)

 

 等、聞けば心的外傷(トラウマ)になるほどの言葉を浴びせられた記憶が脳裏をよぎり、さらに落ち込む始末だった。

 

 次第に頭の下がっていくクロノを無視して、アリシアはその質問に答えた。

 

「執務官の質問には、ジュエルシードの影響だとしか答えようがないかなぁ。本当は私が教えて欲しいぐらいだよ。気がついたらこの身体になってたわけだから」

 

 そして、アリシアは返事を待たず、自分自身の推論を述べることとした。

 だが、それは推論であって全く証明の出来ないことだった。

 彼女の言うようでは、おそらく輸送船が事故を起こしたとき、四散するベルディナを見たユーノがとっさに願ったベルディナの無事を、発動したジュエルシードが正しく叶えたというのが妥当な線だろうということらしかった。

 しかし、無事を願うにもすでに身体はなく。魂と呼ばれるもののみをジュエルシードが保護したのではないか。そして、魂を失い入れ物のみだったアリシアの身体を発見し、保護していた魂を抜け殻に与えた。おそらくそれにはプレシアの娘を復活させたいという真摯な願いも含まれているはずだとアリシアは述べる。

 

「だけど、これはただの推論。ジュエルシードがどんな方法を使って私の身体にベルディナの魂を封じ込めたのかは分からないな。そもそも、魂にしてもリンカーコアにしても不明な部分が多すぎるわけだから」

 

 リンディはその推測に耳を傾け、

 

「確かに、ロストロギアならそれも可能かも知れないわね。というよりは、ロストロギアぐらいでないと不可能か」

 

 と呟いた。

 

「無限に転生を繰り返し、永遠に宿主に寄生し続けるロストロギアもあることですから、アリシアの言うことは全くの見当違いだとも言えないと思います。何よりの証拠は、今ここにアリシアが生きているということに他ならないのではないでしょうか」

 

 ようやく調子を取り戻したクロノもアリシアの説を支持した。

 

「……そうね……あの魔導書の例もあることだし、そう納得するしかないかもしれないわね」

 

 リンディの脳裏に十数年前の悲しい事件が一瞬浮かび上がる。しかし、リンディは自身の業務を優先し、その感傷を振り払った。

 

「良いでしょう、アリシアさん。これで事情聴取は終わりにします。ごめんなさいね、疲れたでしょう。今日はもう休んでいなさい」

 

「いえ、曖昧な話ばかりで申し訳ありませんでした」

 

 リンディの言葉にアリシアは僅かに肩をすくめ、曖昧な笑みを返した。

 

「では、君の処遇についてはこれから検討する。決まり次第連絡するのでもう少し待っていて欲しい」

 

 立ち上がったリンディに従い、クロノは最後にそう言い残すと、ユーノをつれて医務室を出ようとした。

 

「えっと、クロノ。もう少しだけここにいても良いかな?」

 

 そんなクロノに反してユーノは、リンディとアリシアの表情を伺うようにチラチラと目配せをした。

 なるほどと、クロノは先ほどのレイジングハートの言葉を思い返した。家族の再会のシーンを邪魔されたのは何もレイジングハートだけではなく、彼もその例外ではなかったということだ。

 

「あまり遅くなるなよ?」

 

 クロノは、ユーノからベルディナが彼の父親の代わりのような人物だと聞いていた。これは、越権行為にも近いことだったが、家族というものに特別な感情を持つハラオウン親子は何も言わず快諾した。

 クロノはユーノの肩をポンとたたき、そのまま医務室を出た。

 

「ありがとう、クロノ、リンディさん」

 

 閉まる扉の向こう側から漏れた声に、クロノとリンディは少しだけ安心を覚え二人はそのまま通常業務へと戻った。

 

(死んだはずのアリシアと死んでしまったベルディナ。その両方を背負う、今の彼女。アリシア・アーク・テスタロッサか……本当に、歪な名前だ)

 

 事後処理の作業をしていたエイミィから救援の連絡を受け、クロノはふとそう思いながらアースラの廊下を静かに歩いていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 少年と少女達

 部屋に残されたアリシア、ユーノ、そしてレイジングハートは暫くお互いに目をやりながら一言も言葉を口にしなかった。

 

「……後悔してたんだ……」

 

 ユーノは静かに口火を切った。

 

「予想はしていたよ」

 

 アリシアも静かに答えた。

 

「僕がジュエルシードなんて発掘しなければ良かった。そうしたら、ベルディナは死ななくてすんだし、なのはを巻き込む事なんてなかった」

 

 ああまったく、とアリシアは天井を仰いだ。まったくこの子は、何でもかんでも自分の責任にしたがる。

 聡明なユーノはおそらく、そんなことを言ってもどうしようも無い事だと分かっているだろう。それでも自虐にならざるを得ない彼を、アリシアは哀れに思ってしまう。

 

「責任云々を言ったらあれを見つける切っ掛けになったのはベルディナだったし、最終的に発掘を完遂させる判断を下したのは族長だ。ジュエルシードが飛散した原因は輸送会社にあって、あれの危険性を知りながらもまともな護衛をつけなかった管理局にも責任があし、この事件の首謀者は母だよ。それは、分かってるんだろう」

 

 あの事件は、災害のようなものだとアリシアは考えていた。

 何も言葉を返そうとしないユーノに、アリシアはさらに言葉をつなげる。

 

「『聖王陛下でない身に運命を知る術はない。神の決めたる厄災から逃れる術はない』だ。ユーノ、君は余計な責任を感じてる。そんなのはただの重荷だ」

 

 かつてベルディナは言った、「人間死ぬときには必ず死ぬ。ただそれが早いか遅いかだけの違いだ。始まったときに既に終わりは約束されている。ただ、俺たちはそれを待つだけのこと」と。

 かつて不死身と称されたベルディナでさえもその運命から逃れることは出来なかった。

 

「だけど、考えてしまうんだ。どうしようもないんだよ。事実、僕があんなものを掘り起こさなかったら、今回の事件は起こらなかったかもしれないんだ!!!」

 

 それでもユーノは自虐を抑えようとしない。どうして、この子はここまで自分を責める生き方しかできないのか。

 アリシアは諦め混じりに口を開こうとした、しかし、それは開かれた扉の音に遮られた。

 

「それは違うよ! ユーノ君! 絶対違う」

 

 そこに立っていたのは、眼光を鋭くさせ今にもユーノに襲いかかりかねない雰囲気を纏った白い少女だった。

 

「え? な、なのは? ど、どこから聞いてたの?」

 

「あんなもの掘り起こさなかったら・・ってとこから! それ、本気なの?」

 

 なのははどうしても許せなかった。彼女はユーノに感謝していた。それは、一つの言葉で言い表すことは到底出来ないが、彼女は自分だけの道を選べるかもしれない切っ掛けを彼から与えられたのだ。

 そして、それは彼女の隣に立つ金色の少女も同じ事だった。

 

「私は、なのはが居てくれたから母さんと向き合えた。ユーノがいてくれたから私はなのはと出会えた。だから、そんなこと言わないで」

 

 あの事件が幸いだったとは言えるはずがない。多くのものが失われ、幾重もの消えない傷が残された。

 アリシアはそのすべてを知らない。彼女が知っているものは僅か一部のみ。

 それでも、二人の少女、なのはとフェイトが失い傷つきながらも得られたものは痛んだ心の支えになっている事だけはアリシアも理解でき、そして残された者達の多くはその発端となった原因を怨んでいないということを想像することが出来た。

 

「だけど、僕は、僕があんなものを見つけなければプレシアは計画を諦めたかもしれないし、なのはをこんな危険なことに巻き込むこともなかったんだ」

 

 それでも、ユーノは頑なだった。

 

「ユーノ君の、ばかぁ!!」

 

 ただじっと聞いていたなのはの掌は次第にきつく握りしめられていき、ついにはそれに耐えきれず爆発した。

 パァーンという何かが弾ける音が医務室に鳴り響き、振り切ったなのはの左手の先に、頬を押さえて倒れ込むユーノの姿が酷く鮮明に映し出される。

 

「それって、ユーノ君と私が出会ったことが間違いだったってことなの? 私はユーノ君と出会わなかった方が良かった? 私は嫌、そんなの嫌だ。そんなこと言うユーノ君なんて、大っ嫌い!!」

 

 それは子供らしい拒絶であり羨望だった。無かったことにしたくない、なのはの中にはただそれだけの思いがあり、そしてなのははただ呆然と自分を見つめるユーノの酷く狼狽した表情に耐えきれず、それから顔を背け彼の前から走り去っていった。

 

「何をしてる、ユーノ。さっさと追いかけろ!」

 

 アリシアはしっかりと見ていた。部屋を出て行ったなのはの目蓋には大粒の涙が浮かび上がっていたことを。

 ユーノは言ってはならないことを言ってしまった。

 

「だ、だけど」

 

 しかし、ユーノは立ち上がることさえも出来ず今にもその場で膝を抱え込もうとしていた。

 アリシアは、チッっと舌を乱暴にはじくと、苛立たしげにユーノを睨み付けた。

 

「君は女を泣かせたんだ。自分のしたことは自分で決着をつけなさい。フェイト、こいつを摘み出してくれ。それと、艦長にこいつがあの子を何とかするまで食事を抜きにしろと伝えておいて」

 

 いきなり名前を呼ばれたフェイトは、あまりの事に呆然と成り行きを眺めていただけだったが、自分と同じ声にハッと意識を取り戻し、力強く頷いた。

 

「うん、分かった。アリシア」

 

「ちょ、ちょっと。待って、フェイト」

 

 ユーノは情けなくも、まるで首根っ子を摘み上げられた猫のように襟を引きずられ、実に軽々しく部屋から追い出されてしまった。

 

「待たない。それに、なのはを泣かせたユーノは私も嫌い。仲直りできるまで顔も見たくない」

 

 フェイトはただそれだけを、まるでユーノを軽蔑するような冷たい視線で見下ろしながら告げると無情にも医務室の扉を閉じ、鍵をかけた。

 

《Sorry.Master and original master make noise.》(すみません。マスターと元マスターがお騒がせしました)

 

 それまで何の一言も挟むことなく、小物机の上でたたずんでいたレイジングハートが申し訳なさそうに光を明滅させると、そう二人に詫びた。

 

「問題ないよ、レイジングハート。痴話喧嘩が出来るって事は、若いって証拠。まあ、単なる喧嘩って訳でもなさそうだけどね」

 

 先ほどまでの激昂がまるで冗談だと言わんばかりに肩をすくめ、アリシアは少し疲れたのかベッドの背もたれに体重を預けた。

 

「アリシアも若い……」

 

「うん、そうだね。それで、君はどうする? あいにく、相棒達は行ったみたいだけど」

 

「私は、少しお話がしたいけど、艦長達に呼ばれてるから」

 

「それは災難だったね。待たせると印象がわるいから、すぐに行ったほうがいい」

 

「うん、そう、する……けど、ねえ、アリシア」

 

「ところで、君の使い魔の……」

 

「アルフのこと?」

 

「うん、彼女には会える?」

 

「えっと、部屋にいると思う。けど、アルフはあんまり会いたくないみたい」

 

「そう。まあ、仕方がないか。君と彼女には随分酷い事を言ってしまったしね」

 

「ごめんなさい。アリシアは何も悪くないのに、アルフがあんなこと言って」

 

「まあ、近いうちに会いに行って蟠(わだかま)りを直すしかないかな。ごめん、引き留めた」

 

「いいの」

 

「あの、アリシア。一つ……ううん、二つだけお願いがあるのだけど……」

 

「ん? なに?」

 

「私、フェイトです」

 

「うん、そうだね」

 

「だからその……。私の事はフェイトって呼んで欲しい」

 

「……まあ、難しい願いではないけど。いちいち確認することかな?」

 

「そう呼んで欲しいの」

 

「うん、良いよ、フェイト。改めて言うと照れるねこれは。それで、もう一つは?」

 

「えっと、その……、アリシアのこと……お姉ちゃんって呼んでも良い?」

 

「―――」

 

 アリシアは息をのんだ。今、目の前にいる少女はいったい何と呼んだのか。姉と呼んだのか、自分を。しかし、アリシアとフェイトの関係は――

 

「分かってる。私はアリシアのクローンで、劣化コピーに過ぎないんだって事は。だけど、私は母さんの、プレシア・テスタロッサの娘だって思ってる。そう思いたい。だから、アリシアには私のお姉ちゃんになって欲しい。我が儘だって分かってるし、アリシアの事情も分かる。だから、お願い。私のお姉ちゃんになってくれませんか?」

 

 俯き、まるで身体に回る毒に必死で耐えるようにスカートの布を握りしめるフェイト。その小さく震える身体をみて、アリシアはフェイトがどれだけの勇気を振り絞り、この言葉を発しているのかを理解せざるを得なかった。

 そして、彼女はその言葉を否定する術を持ち合わせていなかった。

 

「……私は、歪だ……。確かに私はアリシアでプレシアの実の娘。その記憶はあるし、遺伝子的にも私とフェイトは姉妹なんだと思う。だけど、私はまだ自分自身に納得できていない。だから、いきなりフェイトを妹として扱えと言われても、無理だよ」

 

 そして、それはベルディナであった頃の意識さえも阻害する。たとえ、300年間共にあった肉体が消失したとしても、自分自身であった頃の記憶と意識はそれを堅牢に固持し続ける。

 

「そう、だよね」

 

 フェイトの眼に諦めの光が灯った。彼女もまた、無理は承知だったのだろう。しかし、その失意は重い。

 

「だけど、歪であってもいいなら。私はそう努めるよ、フェイト。」

 

「うん、ありがとうアリシア。お姉ちゃん。それじゃあ、また明日。お休み、なさい」

 

「うん、お休みフェイト。良い夢を」

 

 アリシアの優しげな言葉に、フェイトは薄く笑顔を浮かべ部屋を去って行った。

 

《You got for the heart to be very kind , Ms.Alicia》(随分、心優しくなりましたね、アリシア嬢)

 

 フェイトの生体反応《バイタル・リアクション》が遠くへ消えていくことを確認し、それまで状況を見守っていたレイジングハートが軽口を叩いた。

 

「なんだ、まだいたの」

 

《Because unfortunately, I don't have a leg》(あいにく、私には足がありませんので)

 

「お前の減らず口も相変わらずだね。安心した」

 

《Can I have been useful?》(お役に立てましたか?)

 

「たたき壊したくなるぐらい」

 

《It is an extreme intimacy.Are you sadism?》(過激な愛情表現ですね。サドですかあなたは。)

 

「残念だけど、私は叩くのも叩かれるのもごめんだ。品のないジョークは嫌いだって知ってるだろう?」

 

《Of saying so comparatively, you don't have an emotion.You should attempt to touch Japanese culture a little more, Ms.Alicia》(それにしては情緒というものがない。あなたはもう少し日本の文化に触れてみるべきだ、アリシア嬢)

 

「……」

 

《――》

 

「変わらないね、私もお前も」

 

《It is as you say.Even if it supposes that your appearance changed, that you are you doesn't change.I was convinced so.》(そうですね。たとえ姿が変わったとしてもあなたがあなたであることは何も変わらない。そう確信しました)

 

「だけど、その変わらないモノでも、それ以外がすべて変わってしまった。これからどうしていけばいいのか、どうやって生きていけばいいか。予測も推測も出来ないよ……」

 

《Do you think that the condition in now is spicy?》(辛いのですか?)

 

「辛い、というよりは戸惑いかな。まあ、ともかく味方と思える人たちがいることだけが慰みだと思うけど」

 

《How if you can not decide a policy in the future, is your about your aiming at becoming the sister of Balldish's master Fate for the time being?》(方針を決めかねているのでしたら、ひとまずはバルディッシュのマスター、フェイト嬢の姉君になることを目標にされてはいかがですか?)

 

「フェイトの姉か……。そうだね、妹の手前ああ言ってしまったことだし。そうしてみるのも悪くないかもしれないね」

 

《That child is the commendable and good daughter.I don't like a few of her devices but his master is the impression which isn't bad.To that, the comparison, that device are the worst.It didn't think that it was the one which it is difficult for the partner who doesn't understand a joke to treat, being this much.》(あの子は健気で良い娘です。あのデバイスは幾分気に入らないところがありますが。そのマスターは悪くない印象です。それに比べ、あのデバイスと言ったら、冗談が通じない手合いがここまで扱いにくいものだとは思いもよりませんでした)

 

「お前にここまで言わせるデバイスとは、一度会ってみたいね」

 

《If possible, train him for becoming a a little more funny person.I permit》(出来るなら、もう少しおもしろい相手になるよう調教してやってください。私が許可します)

 

「馬鹿、お前みたいなモノをこれ以上量産したら、胃潰瘍になるマスターが続出するよ?」

 

《I want to have priority over a pleasure more than an utility.》(私は実利より快楽を優先したい)

 

「前に言ってたことと逆だね」

 

《It is adaptation to circumstances.》(臨機応変です)

 

「便利な言葉」

 

《There are only good boys and girls at all. Master Nanoha, Original Master YU-NO, Balldish's Master Fate, Low enforcement officer Crono, Captain Hraoun, Assistant officer Amy. Alf are the envoy maniac to be taking such a stand to you but to be undoubtedly good for Ms.Fate.》(良い子達ばかりですよ、ここは。マスター、なのはも元マスター、ユーノも、バルディッシュのマスター、フェイトも、クロノ執務官も、ハラオウン艦長も、エイミィ補佐官もですね。アルフも、あなたに対してはああですが、フェイト嬢にとっては良い使い魔であることに間違いはありません)

 

「お人好しばかりだ」

 

《You, too, become the part.》(あなたもその一部になるのです)

 

「私にその資格はあると? 戦場でしか生きてこなかった私が、彼らの中で生きていく資格はあるのか?」

 

《You are not Belldina arc Blueness now.You are Alicia arc Testerllosa.It will get the qualification now.Then, unless you leave, it continues to be in your origin.》(あなたはもう、ベルディナ・アーク・ブルーネスではない。あなたは、アリシア・アーク・テスタロッサだ。その資格は、これから得ていくのでしょう。そして、あなたが手放さない限り、それはあなたの元にあり続ける)

 

「もう寝る」

 

《Good night,Ms.Alicia.》(お休みなさいませ、アリシア嬢)

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 家族の終わり、そして……

 目覚めは悪くなかったと、アリシアは車椅子を動かしながらそう思っていた。

 一晩休んだおかげか、アリシアの利き手である左手は、車椅子の操縦桿を動かせられる程度には動くようになり、外傷も軽傷程度に過ぎなかったため、時間を限定してだが艦内を動く許可が得られたのだった。

 

《There is physical strength only not and the others were in good order.It was anxious and it did loss.》(体力がないだけで他は異常なし、ですか。心配して損しました)

 

 昨日なのはに返却されるタイミングを逃したレイジングハートは、アリシアの首元でチカチカと光を明滅させる。

 

「デバイスに心配されるのも癪だけどね、ひとまず礼は言っておくよ」

 

 アリシアは慣れない車椅子の操縦に四苦八苦しながらも、アースラの食堂を探してウロウロとしていた。

 

《Can you not be satisfactory only in the intravenous drip?》(点滴では満足できませんか?)

 

 アリシアは、自分の肘部に突き刺さった管と頭上にぶら下がるパックを憎々しげに見上げ、ため息をついた。

 

「カロリーは足りてるんだろうけど、空腹は満たされないのがね、どうも辛い」

 

《But however, don't think that it is possible to get a meal even if it supposes that it went to the dining room?》(ですが、食堂に行ったとしても食事がもらえるとは思いませんが?)

 

「人間は、必要分だけでは生きられないんだよ」

 

 人生には無駄が必要だと自ら論じていたベルディナの言葉通り、アリシアもその教えに忠実だったようだ。

 

《If you gaze at someone by the look like the abandoning dog, the food may be able to be given from the someone.How as for announcing some about one accomplishment, is it?》(まあ、捨てられた子犬のような眼差しで誰かを見つめていれば、何かもらえるかもしれませんね。一つぐらい芸でも披露してみてはいかがですか?)

 

 アリシアは、フム、と言って少し考えた。

 中身はどうあれ、アリシアは(黙ってさえいれば)あどけない美少女に見えるし、(出来るモノなら)首をかしげてニッコリと微笑めば老若男女に保護欲を抱かせる事も出来るだろう。

 なるほど、彼女が今身につけている真っ白な病人服である袖無しのワンピースにしても、病弱で儚い少女を演出することも可能ではないか。

 

「お前にしては良いアイディアだね。それで行こうか」

 

「何を馬鹿な事を垂れ流している、アリシア」

 

 と、方針も決まりいざ戦場へと意気込むアリシアの背に、黒のバリアジャケットに身を包んだクロノが声をかけた。

 

《Hi, Low enforcement officer.How is the mood?》(あら、執務官殿。ご機嫌麗しゅう)

 

 レイジングハートは、そう言ってアリシアにこっそりと念話を伝えた。

 

『《Whether or not it is good AliciaIt is that there is to let's vomit with the accomplishment.》(良いですか、アリシア嬢。芸とはこうすることなのですよ)』

 

『む、そうか』

 

 と、アリシアは答えながら、背後の執務官(獲物)に車椅子をゆっくりと振り向かせ、にこやかな笑みを表情いっぱいに浮かべながら、ちょこっと小首をかしげ、

 

「おはようございます、執務官様。これからお食事ですか?」

 

 まるで宇宙のどこからか、「パーフェイトだ、ウォ○ター」という声が響き渡ってきそうなほど、彼女の仕草はクロノの心臓に矢を突き立てるに十分な威力を持っていた。

 

「!!!! に、に、似合わないことをするものではないぞ!! アリシア!!! お、大人をからかうんじゃない!!」

 

 エイミィがいれば、一週間は話題にされそうな反応を返しながら、クロノは顔を真っ赤にしながら二、三歩後ずさった。

 

「ん、やっぱり駄目か」

 

 アリシアは表情筋をゆるめ、眉をひそめた。

 

《No, the easily good picture came off.Later, let's show to Limietta assistant officer.》(いいえ、なかなかいい絵がとれました。後で、リミエッタ補佐官に見せてあげましょう)

 

「やめろ!! レイジングハート、それだけはやめてくれ!!」

 

 まるで、恋人を人質に取られた男のように、クロノは今にも平伏しそうな勢いで叫んだ。

 

《If being to be, is it possible to accept the demand of Ms.Alicia?》(でしたら、アリシア嬢の要求を呑んでいただけますか?)

 

「うっ、ぼ、僕が出来る範囲なら」

 

《Its situation seems not to be distinguishing between you well.I am ordering that it isn't requesting.Can you understand this word?》(あなたは自分の立場がよく分かっていないようだ。私はお願いしているのではありません、命令しているのです。あなたはこの言葉を理解できますか?)

 

 まるで、何処ぞのマフィアみてぇだな、とアリシアは思いながらアリシアはそのまま黙って行く末を見守っていた。

 高性能とはいえ、ただのインテリジェントデバイスに傅く管理局の執務官。うん、実におもしろいシチュエーションだ。

 

「き、君は僕を脅迫するのか!?」

 

《Unexpectedly, Low enforcement officer.To follow a direction is your will.but it is of the same thing that the penalty of something is given if however, don't follow but where however》(心外ですね、執務官。命令に従うかどうかはあなたの意志です。もっとも、従わなければ何かしらのペナルティーが与えられるのは、何処でも同じ事ですが。)

 

 それを脅迫というのだという言葉はすぐに却下されるだろう。クロノは、結局首を縦に振るしか他がなかった。

 

「わ、分かった。アリシアの願いは何だ?」

 

 ようやく私に話が回ってきたか、とアリシアは終わってしまったコントを残念に思い、要求を申し渡した。

 

「腹が減ってね、出来れば飯を食わせてくれないか」

 

 クロノの目が点になった。

 そして、クロノはアリシアの顔を見、その頭上にぶら下がっている点滴パックに目をやり、そして、爆発した。

 

「馬鹿か、君は!! そんなもの、医者の許可がなければいけないに決まっているだろう!!」

 

 クロノの言い分はもっともなことだったが、アリシアにとってはそんなものどうでもよかった。自分の事に他人の許可を必要とするなどくだらない。

 そして、取得した相手の弱みを最大活用する思想をレイジングハートに教えたのは、何よりベルディナだった。

 そして、ベルディナの意志を受け継ぐアリシアならば言わずもがなな事だった。

 

「そうか、それもそうだね。なあ、レイジングハート、リミエッタ補佐官の所に行こう。手土産を持参すれば何とかなるだろう」

 

《Let's do so,Ms.Alicia.》(そうしましょう、アリシア嬢)

 

「ま、待ってくれ!!」

 

 クロノは、去っていこうとするアリシアの車椅子を掴み取り、懇願するようにそれを引き留めた。

 

「分かった、料理長と医務員には僕から話をつける。だから、それだけは勘弁してくれ」

 

 まるで、ニヤッと言う音が聞こえるような勢いでアリシアとレイジングハートは自らの勝利を確信した。

 

「そこまで頼まれては仕方がないね、レイジングハート」

 

《Let's do so, Ms.Alicia Now, let's stand the face of Low enforcement officer beforehand.》(そうですね、アリシア嬢。ここは執務官の顔を立てておきましょう)

 

 クロノは自らのプライドを犬に食わせた。

 後に彼は述する。「あれが僕にとってケチの付き始めだった」と。

 

*****

 

「あ、アリシアちゃん、おはよう」

 

 さんざん朝食の席でクロノをからかい続けたアリシアとレイジングハートは実に満足し、とりあえず確認できることを確認しようと艦内をうろついていた。

 その途中、アリシアは自分を呼ぶ声に気がつき、後ろを振り向いた。

 

「高町なのはか。今起きたのか?」

 

 先日の戦闘が過酷だった様子で、なのはは少し気怠そうに廊下を歩いている様子だったが、全体的に気力は十分の様子に見えた。

 

「あははは、朝はちょっと弱いのです」

 

 なのはは照れくさそうに笑いながら後頭部をポリポリとかき、アリシアの首にレイジングハートがかけられていることに気がついた。

 

「あ、レイジングハート。おはよう、昨日はごめんね」

 

《Good morning, master.Were you pleasant Last night?》(おはようございます、マスター。昨晩はお楽しみでしたか?)

 

「ええっと? お楽しみって?」

 

《Never mind. Please forget.》(いえ、忘れてください)

 

「ユーノとは仲直りできたかってことだよ。そうだね? レイジングハート」

 

《Yes,of course. I wanted to say so, Ms.Alicia》(ええ、もちろん。その通りですよ、アリシア嬢)

 

「うん! ちゃんと仲直りできたよ。ちょっと泣いちゃったけど、ユーノ君優しかったし」

 

 そう言ってなのはは、アリシアが聞いてもいないのに、昨日の自分とユーノがどのようにして仲直りをしたのかを事細かに説明し始めた。

 本当に嬉しそうに語るなのはは弾けんばかりの笑みと、僅かに染めた頬を撫でながら、幸せいっぱいのため息をついて話を終えた。

 

『これは、惚気ってやつだよねぇ?』

 

『《It seems only so.It is origin Master indeed.He had gotten Maste excellently.》(そうとしか思えませんね。流石元マスター、見事マスターをゲットなさってしまいました)』

 

『とりあえず今日は、テアント(日本で言う赤飯のような意味を持つ食べ物)か?』

 

『《Let's reserve it until the time when the master reaches to be the first time.》(それは、マスターの初めての時まで取っておきましょう)』

 

 アリシアとレイジングハートがそんな会話を交わしていることなどつゆ知らず、なのははニコニコとユーノはいかに頑張り屋で、頼りになって格好良くて……などという、他人が聞いていれば一日中蒸し続けたエスプレッソをがぶ飲みしたくなるような話を延々と続けていた。

 

 テアントを食うのもそれほど遠い未来ではなさそうだ、とその話を耳から耳に流していたアリシアは、ふと気がついてなのはの話を止めた。

 なのははそれに少し頬を膨らませ、アリシアにジト目を向けるが、アリシアは素知らぬ様子で首をかしげた。

 

「今の内に、レイジングハートを返しておこうと思ってね。いつまでも借りてるわけにもいかないだろうし」

 

「あ、そうか。ありがとうアリシアちゃん」

 

 ようやく戻ってくる自らの相棒に相好を崩し、なのははそれを受け取ろうとした。

 

「すまないけど、まだ腕が動きにくいんだ。首から外してもらえるかな?」

 

 医務室では担当医から首に通されたのだが、アリシアの腕はまだそれほど自由に動くわけではない。

 なのはは、あっと声を上げばつの悪そうな表情を浮かべると、一言「ごめんね」と誤り、レイジングハートをアリシアの首から引き抜いた。

 

《It is approximately a half day way that meets you in this way,master.Can you have slept at one last night?Can you have gone to the restroom neatly at one last night?》(およそ半日ぶりですねマスター。昨晩は一人で眠れましたか? ちゃんとトイレには一人で行けましたか?)

 

 ようやく定位置に帰ってこれたと安心したように明滅するレイジングハートは、まるで幼子に気遣う母親のような様子でなのはに問いかけた。

 

「だ、大丈夫だよ。私、そんなに子供じゃないもん」

 

 少しだけ狼狽した様子のなのはだったが、レイジングハートはそれ以上追求せず、ただ「そうですか、何よりです」と返しただけだった。

 もしも、これが例の執務官であったり今までレイジングハートに泣かされてきた魔導師達であったのなら、レイジングハートは嬉々として品のないジョークを連発してその様子を楽しむだろうが、流石に彼女もそれをする相手をわきまえているようだ。

 

(と、言うよりは、基本的に過保護なんだよねぇ)

 

 その傾向はユーノの時にもあったが、なのはに対するレイジングハートの対応はまるで母親か小うるさい姉のようなものだ。

 今更だが、これほどまでにレイジングハートが心を開く相手というのも珍しいとアリシアは感じていた。

 

「ねえ、アリシアちゃんはこれから何か用事?」

 

 一通りレイジングハートと報告をし終えたなのはは、それをただ見守っていたアリシアに水を向けた。

 

「この後は、少し艦内を動き回ってみようかと思ってね。暫く世話になるわけだし、中の様子ぐらいは確認したい」

 

 アースラの艦内は、人や物が行き来するために最適な作りをしており、車椅子というハンデを背負ったアリシアでもまったく問題なく移動が出来る構造となっている。

 アリシアは本当なら、フェイトが閉じこめられている営巣に足を運ぼうかと思ってもいたが、朝食の席でそれを聞いたクロノから、今はやめておいてくれと言われたためそれを断念せざるを得なかったのだ。

 

「そうなんだ、どうせだったらユーノ君を誘って一緒に行きたいけど……」

 

 正直なのはは心配だった。アリシアは、その人柄から子供のように感情を上手く扱えない様子は感じられず、何処か人生に慣れた大人の雰囲気を持っているが、それでもなのはの目の前にいるのはまともに身体も動かせない、母親が他界してしまった小さな女の子なのだ。

 しかし、と、なのははため息をついた。

 

「ごめんね、アリシアちゃん。私、荷物をまとめないといけないから」

 

 なのはは、今日でアースラを降りることとなっていた。時の庭園の崩壊の原因となった次元震が巻き起こした影響は消して小さくなく、時空間の海に若干の歪みを残すこととなった。

 故に、アースラはしばらくの停泊を余儀なくされ、つい先日まで地球への転送も不可能というわけではないものの、それには多少の危険があったのだ。

 それが先日になり海もようやく凪ぎ、なのは達は実家への帰省を行うこととなったわけだ。

 ただし、凪ぎという言葉から分かるように、この状況はそれほど長く続かないらしく、今日を逃せば次は一週間後と言うことになりそうだった。

 故に、なのはは起きてから向こうずっと荷物整理とアースラクルーへの挨拶回りに忙殺されているというわけだ。

 

「そうか、なら今日でお別れという事になるね」

 

 アリシアとなのはは出会って日が浅い、というより実際には半日強ほどの時間しか経っていなかったため、お互いにこれと言った感傷はない。

 しかし、彼女と別れるのなら、今となっては彼女の持ち物となっているレイジングハートと、高町家に居候しているらしいユーノとはしばらくの別れとなる。それを思うと、僅かながら寂寞の思いも湧いてくる様子だった。

 アリシアは思わず、ユーノとレイジングハートをよろしく頼むと言いそうになってその言葉を飲み込んだ。

 ベルディナであったのなら問題はない、しかし、ここにいるアリシアの口から出される言葉としては不適切に違いない。

 

(やはり、家族と別れるのは寂しいものだな)

 

 自分らしくもないと思いつつアリシアは頭を振った。

 

『《The previous owner,I didn't notice boredom in this about 40 year time which lived with you.I appreciate you who gave me consciousness.》(元所有者、貴方と共にあった40年あまりの時は退屈ではなかった。私に感情を与えてくださった貴方には感謝しています)』

 

 そろそろお互いの行動に戻ろうとした時、レイジングハートからの秘匿念話がアリシアに届けられた。

 

『そうか、ありがとうよ。新しいマスターと仲良くな。それと、ユーノのことも頼んだよ』

 

『《Entrust,The previous owner. I keep original master YU-NO with my master even if I make my body sacrifice.》(お任せください、元所有者。元マスター、ユーノの事はマスターと共に私の身に代えても守ります)』

 

『お前が言うなら安心だ』

 

 それは、ベルディナとレイジングハートの最後の別れの言葉だったのだろう。別れ、決別、新たな関係。

 これからの互いの関係は、アリシアとレイジングハートだという互いの確認だった。

 

「あれ? ねえ、レイジングハート。いま、アリシアちゃんと何か話してた?」

 

 レイジングハートの光の明滅と僅かな魔力の揺らぎを感じ取ったなのははレイジングハートにそう問いかけた。

 

《It makes a confidential talk Ms.Alicia only.Probably, because Ms.Alicia was to do the state being original master YU-NO which has a feeling, it thought that I would give her an encouragement.》(アリシア嬢と内緒話をしただけです。どうも、アリシア嬢は元マスター、ユーノを気にかけている様子でしたので、せめて激励をと……)

 

 おいおい、とアリシアは胸の内で毒づいた。確かにレイジングハートの言葉には何の間違いもない。しかし、それを聞いた第三者が、それもユーノに対して特別な感情を抱いている少女がそれを聞いたらどうなるか。

 

「えぇぇぇぇーーーーーー!!!!! ア、アリシアちゃんがユーノ君を? 何で? だって、出会ったの昨日だよ?」

 

 火を見るよりも明らかな事だった。アリシアは、額に手を当てて嘆きたかったが、いかんせん腕が動かないためそれも叶わなかった。

 

《Master,The relations of the man and the woman don't need time.It is as hasty as saying that there are two man and women together only for only 10 minutes and that the love sprouts up among two.Like just like vaporized gasoline, it kindles the world more instantly, it is the huger one.》(マスター、男と女の仲には時間など無用なのです。10分間二人きりでいるだけで恋心が芽生えると言うほど性急なものなのです。さながら気化したガソリンのごとく、一瞬にして世界を燃え上がらせるほど莫大なものなのです)

 

「そ、そんな……」

 

《However, a victory is given to us.The master.The master anyhow lives together with the original master YU-NO.Because moreover, you live at the room which is the same as YU-NO》(しかし、勝利は我にありですよマスター。何せマスターは元マスター、ユーノと同居しているのです。しかも、同じ部屋で寝食を共にしているのですから)

 

「そ、そうだよね! 勝算は我にありだよね!!」

 

《Because it is, it masters.It should make the same comforter an original master YU-NO from this evening.Now, it should aim to win actively by the Full-Drive-Ignition!!》(ですから、マスター。今晩から元マスター、ユーノと同衾するべきです。これからは積極的に勝利を目指すべきなのですよ、全力全開で!!)

 

「全力全開!! さっすが、レイジングハート。わっかりやすい!」

 

 アリシアは、周りに迷惑をまき散らしながら熱く燃え上がる二人にもう一度ため息をつき、もうどうにもなれとその場を後にすることにした。

 せめて哀れなフェレットが寝ぼけた娘の食事にされないことを願いながら、アリシアは人気のない場所を目指した。

 

(皆、幼いなりに自分の道を歩こうとしているわけか。だったら、私は? ベルディナとしての道は崩れ去った、それでもアリシアとしてはあまりにも歪すぎる。結局、他人のことを考えてる余裕なんて何処にもないか……)

 

 行き交うクルーと軽く挨拶を交わしつつ、アリシアは奥底には暗雲が漂いつつあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 束の間

「クロノ君って、ひょっとしてすごく優しい?」

 

 というなのはが残した言葉によるクロノの狼狽ぶりはアースラの一種の名物となっていた。

 アリシアもその場に居合わせ、それを直に目にしたわけだが、ひとしきり馬鹿笑いをして悶絶して、呼吸困難に陥ったあげく医務室の急患になるという事件を彩った当事者となってしまっていた。

 まあ、そのためになのはの肩の上でクロノを親の敵を見るような目でにらんでいたユーノの存在は(フェレットの表情が人間では読み取れないことも相まって)華麗に無視されてしまったのだが、それはまた別の話だ。

 

「うん、おいしいお茶だ」

 

 アースラで連日話題になっているその事件のあらましを一通り説明し終わり、アリシアはようやく自由になりつつある腕で紅茶の入ったカップを傾けていた。

 

「あんた、何でこんなところで茶なんてしばいてんだい?」

 

 牢獄という名目でフェイトとアルフに宛がわれた部屋のベッドに腰掛けながら、いきなりやってきた招かれざる客であるところのアリシアをアルフはうさんくさそうに睨み付けた。

 牢獄と表現したが、その内装はいわゆる鉄格子に周囲を囲まれたものではなく、アースラの一角に設えた客室に少しだけセキュリティーの高いロックが施されただけのものだ。よって、その風景は落ち着いた寝室そのものであり、フェイトもアルフも連れてこられた当時は拘束されている気分にならず少し当惑していたものだった。

 

「アルフも飲まない? 厨房で見つけた結構いいやつなんだ。しかも、料理長が隠していた極上のシングルモルトを少し垂らしてあるんだ。風味といい味といい、最高だよ。まあ、入れ方は適当だけどね」

 

 アリシアは物には拘るが、手段には拘りを見せない質のようだ。

 本来なら、しっかりとした温度管理と蒸らす時間を調整して慎重に点てるべきヴィンテージティーを実にずさんな方法で抽出しているため、味も香りも随分崩れ去ってしまっている。

 それでも、安物より遙かに上質な味と香りを保ち続けるそれは、さすがヴィンテージの許容力と言うべきか。

 

「そんな事じゃないよ!」

 

 と、アルフはベッドをたたきつけた。

 アリシアもアルフが言いたいことはよく分かっているつもりだった。フェイトの言うとおり、アルフはアリシアと会いたくなかった。それでも、フェイトのいない状態で部屋に入れてくれたということは、それほど拒絶もされていないのかとアリシアは思っていたが、どうもこの手合いは持久戦が強いられる様子に見える。

 

「あのときは悪かったと思ってる。私も頭に血が上っていたせいで、君や君のご主人様にかなり辛辣な事を言ってしまった。どうか許してくれないかな」

 

「それは、良いんだよ。あたしだって、あのときあんたには酷いこと言っちまったわけだし、フェイトも気にしてないってんならあたしからどうこう言うわけにもいかないさ」

 

 しかし、それでもアルフはうつむき、

 

「それでもさ、あたしの中ではまだあんたが元凶だ許せないって思う所があるんだよ。本当は違うって、あんたもプレシアの被害者だって事ぐらい分かってんだけどさ。あんたがいたせいで、フェイトはあの鬼婆から酷い事されてたんだって考えると駄目なんだ。押さえられないんだよ」

 

「そうか」

 

 アリシアはそんなアルフの様子から彼女の事を、感情的になりやすいが、愚か者ではないという評価を下した。

 理性的な部分がしっかりとしているのなら、後は時間の解決を待つのが常套手段だ。

 しかし、アリシアは一つだけ言っておきたいことがあった。

 

「別に、君が私を怨むことを非難してるわけではないんだ。それは君達の当然の権利だと思ってるし、私もその恨みを受ける義務があるとも思ってる。まあ、責任を取れと言われては困るけどね」

 

 アリシアは少し冷めた紅茶を飲み下した。

 

「フェイトは、あんたのことをお姉ちゃんって呼んでる」

 

「うん、そうだね」

 

「あたしはフェイトの使い魔だ。フェイトはあたしのご主人様だ」

 

「うん」

 

「だから、あたしも、出来る限りあんたとは仲良くなれるように努力する。すぐは無理かもしんないけど、頑張る」

 

「そうしてもらえると、私も嬉しい」

 

 何よりも面倒が減る、という言葉を紅茶と共に飲み下し、アリシアはアルフにカップを手渡した。

 アルフは何も言わずそれを受け取り、アリシアにされるままに紅茶を振る舞われ、そしてそれを飲み下した。

 

「ああ、ちょっと冷めてるけど美味いよ」

 

「それは、何よりだね。さすがヴィンテージ」

 

「葉っぱ、ちょっと分けてくれるかい? フェイトにも飲ましてやりたい」

 

「だったら、次はフェイトがいる時でどうかな? 料理長も当分は気づかないだろうし」

 

「はは、それ良いねぇ。だけど、ほどほどにしときなよ。ついでに次はあたしも誘いな。これでも鼻は効くんだ」

 

 アルフの笑みはやはりぎこちなかった。当たり前だとアリシアは思う。そんな簡単に割り切れることなら、最初から感情的にはならない。感情によって吐き出された言葉は単純であるからこそ、根深い。

 だが、アリシアは表面だけでも自分に合わせようとするアルフに、胸の内に安堵のため息をついた。

 そう、アルフはフェイトのことを第一に考えていればいい、守られるべきはフェイトだ。出会ったときもそうだったが、アリシアの目からしてもフェイトは何処か脆く儚い。

 最初から最後まで、全幅の信頼と下心の混じらない愛情を持って側にいる者が必要なのだ。そして、アリシアは自分ではそれは勤まらないということを知っていた。

 

(結局、私は必要なら人を騙し、信頼を裏切って仲間を見捨てる人間だからね)

 

 ベルディナが生涯に買い取った恨みや憎しみ、復讐など星の数ほどに登る。それでいて、彼はそれに対して罪悪感を感じていたが、後悔をしたことがなかった。

 

(そんな私が、自分を信頼しろとか、仲間を信じろとか言えるわけがない。結局、最終的にはフェイトやアルフを裏切ることになるかもしれない)

 

《だめぇーーー!!》

 

 一瞬、アリシアは目眩を感じた。

 そして突如にわき上がる吐き気と頭痛に、アリシアは口元を押さえ身を縮め込ませた。

 

「あ、あんた、どうしたんだい?」

 

 いきなり身を伏せたアリシアに当惑し、アルフは彼女に駆け寄り背中をさすり始めた。

 

「い、いや。何でもないよ。少しぶり返したかも……」

 

「あ?、えっと、だったらなにさ。先生呼ぶかい? それとも医務室まで送ろうか?」

 

 こいつ、なんだかんだ言って面倒見はいいのだな。とアリシアは少しだけ口の端を持ち上げながら、呼吸を整え、何とか首を振って答えた。

 

「大丈夫。少し落ち着いた」

 

 といってアリシアは車椅子の背もたれに深く背中を預けながら、ふう、と一息ついた。

 

「少しはしゃぎすぎたみたい。ごめん、そろそろ戻るよ」

 

「あ、ああ。大事にするんだよ、あんたがそんなだと、その、フェイトが心配するからさ」

 

「んん? アルフは心配してくれないの?」

 

「何であたしがあんたを心配しなきゃならないんだい!! さっさと行きなアリシア。さもないと先生にあること無いことチクルよ!!」

 

「無いことは言わないでね。ありがとう。フェイトによろしく」

 

 アリシアはその言葉を最後にアルフに手を振って彼女たちの自室から立ち去った。

 

(今のはいったい何だ。まるで、誰かの意識が私の意識に介入してきたような感じがした。まったく、気分が悪い。後でクロノでもからかって憂さ晴らしでもしようかな)

 

******

 

 二人の密かな茶会よりちょうど一週間前。なのはとユーノとの事実上の別れはそれほど感傷的なものにはならなかったとアリシアは記憶していた。

 ユーノはフェレットの姿となってなのはと共に帰って行った。確か海鳴という街だったか。緑豊かでそこに住む人々は皆心優しいとユーノが話していたことを思い出す。

 

 フェイトはその場に立ち会えなかった。名目上とはいえ拘束されている彼女がその場に顔を出すのは不適切だという配慮なのだろうが、それぐらいはかまわなかったのではないかとアリシアは思っていた。

 そのため、なのはは管理局からの表彰を受けている時でもしきりに周りを気にしていた。

 フェイトもそれ以来何処か惚けている場面が多くなった。

 

「こちらが落ち着けば特例で会わせることも出来る」

 

 とクロノはその後そう言ってフェイトを説得していたが、それがいつになるかははっきりとは分からないらしい。

 実直な男だ、アリシアはそう思った、そしてもう少し詭弁やリップサービスという言葉を覚えた方が良いとも思った。

 アリシアも、アルフと表面的な和解をした後、割と頻繁にフェイトと会う機会があるが、やはり彼女は心ここにあらずといった塩梅だった。

 

「やっぱり、早めに会わせた方が良いいよ」

 

 夕食後の珈琲を口にしながら、たまたま一緒になったクロノを正面に見据えながらアリシアはそう言葉を漏らした。

 

「僕もそう思ってるんだけどな。君がいれば大丈夫かと思っていたが」

 

 クロノも、アリシアと同じく深煎りの珈琲を口にしながら答えた。

 次元震が引き起こした影響は、まだ暫くアースラに地球周辺の海に停泊することを強いていた。管理局本局との通信ぐらいは出来るようだったが、航海をするには危険が多いという航海長の進言がそのまま通ることになっていたのだ。

 そのため、アースラの生活レベルは引き下げられ、食事量の制限に嗜好品の制限、果てには消灯時間までもが引き上げられ、アースラは節約モードに突入している。

 となれば、基本的に役立たずであり穀潰しである所の暇人アリシアにとって娯楽が必要になってくるのだが、クルーは全般的に忙しく、アリシアの暇つぶしも少し控えられているという状態だ。

 ともあれ、閉鎖された空間では人はネガティブに陥りやすくなる。

 クロノはたびたび武装隊やフェイトと共に戦闘訓練でそれを払拭しているようだが、フェイトはそれだけでは精神を保てていない様子だった。

 

「次に転送が可能になるのはいつだった?」

 

 現在は、地球に対しても転送が使用できない状態だ。通信は可能だが、専用の設備のない地球では受信できず、当然ながら念話を通じさせることも出来ない。

 

「最短で一ヶ月だな」

 

 クロノは話をしつつ、今回の事件に関する事後処理とフェイトの措置に関する書類を眺め、難しい顔をしていた。

 

「一ヶ月か。その時に会わせるのは可能かな?」

 

 アリシアからはその書類の内容を伺うことは出来なかったが、その難しさは理解していた。

 

「正直難しいと言わざるを得ないな。フェイトは大人しくしているし、供述や事実確認に対しても協力的だ。だが、今回の事件は規模が大きすぎる」

 

 確かに、とアリシアは頷いた。

 アリシアに対する措置は、比較的簡単に終わることとなった。アリシアは、プレシアの違法実験の被害者である。たとえ事件の原因であるにしても、本人は眠らされておりそれを関知できなかった。そのため、管理局のどの法律に照らし合わせてたところで彼女が犯罪者として拘束されることは有り得ない。

 

 しかし、問題はフェイトだった。フェイトは、確かにプレシアから何も知らされずに脅迫と虐待を持って無理矢理従わされていたという背景があるにしても、実質的な行動は彼女が行っていた。

 管理外世界への無許可による渡航、ロストロギアの違法所持、管理局員に対する攻撃行為、次元災害級犯罪に対する間接扶助。この四つの罪状だけでも、100年近い禁固刑か、終身刑に処されても不思議ではない。

 しかし、クロノとリンディはフェイトを助けたいと言った。

 そして、そのためにはプレシアを最大の悪として位置づけなければならない。アリシアはそうでもないが、フェイトは未だに母親を慕っている。

 故に、プレシアを希代の大犯罪者として仕立て上げる(実際にはその通りなのだが)事に嫌悪感や精神的疲弊を感じさせないかどうかが問題だった。

 

「母さまは、私からフェイトを作り出した。そして、母さまはフェイトを脅迫し虐待することで犯罪を行わせ、フェイトは自分の素性を知らなかった」

 

 それが、この事件におけるフェイトのあらましだった。

 そして、プレシアがこの事件を起こした動機は死んだ娘アリシアを復活させる、あるいはその過去を取り戻すことだった。

 しかし、それは公にしてはならない。事実、プレシアはアリシアをいびつな形でしかならないが復活させてしまったのだ。

 

「そんなことが時空世界に広まったら、犯罪件数が激増して、君は管理局のラボに放り込まれたあげく、死ぬまでモルモットとして扱われるだろう」

 

 というクロノの言葉通り、アリシアが死んだことになったのは、プレシアがアリシアを使用した違法研究を行うためのねつ造だったとするしかない。正式な死亡診断書が提出されてはいたが、それもデータ改竄でいくらでも出来るのだ。

 

「モルモットは嫌だな。篭の中で車輪を回すだけなんて、つまらなさそう」

 

 砂糖を減量された珈琲は実に中途半端な甘みを醸し出すが、元の入れ方が絶妙なせいか嫌らしい苦みは無い。

 それでも、アリシアはこの身体になって砂糖に対する嗜好が増大しているように思えた。

 

「モルヒネ漬けにされないよりはましだ」

 

 クロノはそんなアリシアに目を向けずに、冷淡な口調で答えた。

 つまらない、とアリシアは呟きながら、最近になってこういう受け返しが出来るようになったクロノの成長を憎々しく思った。

 暇だからといって少し遊びすぎた。アリシアはそう反省すると共に、今度エイミィと一緒に新しいクロノでの遊び方を模索する必要があると考えていた。

 良い迷惑である。

 いや、最近のアリシアにとってははけ口というものが全くない状態なのだ。

 以前、喫煙所に誰かが忘れていった煙草を見つけ、いつも通りの(ベルディナの)感覚でそれを吹かしていたところ、たまたま通りかかったリンディとエイミィに見つかり、その場で小一時間ほどどやされて以来監視が強くなってしまっていた。

 当然、以前厨房からくすねてきていた料理長秘蔵のシングルモルトもあえなく没収となり、その罰としてリンディの自室で三日間ほど二人の愛玩物として扱われる始末だった。

 その時に取られた画像や動画は、記録媒体諸共粉砕してあるが、僅かに残されたデータがいつの間にか流出し(絶対に二人の復讐だと睨んでいる)、今では男女問わずその手の趣味の者がアリシアがヒラヒラな服で身を飾った画像を持っているという状況だった。

 アリシアがその記録を破壊した理由は非常に単純だ。幼く綺麗な自身の身体にそれらの服が吐き気を催すほど似合っていたのだ。

 ちなみに、エイミィからそれを見させられたクロノがそれを見た瞬間、顔を真っ赤にしてあわてふためいていたという事実は無かったことにされた。

 

「こんなはずじゃなかったことだらけだね。まったく、クロノがおっしゃったことは全く真実だったよ」

 

 もちろん、そのさらに復讐としてアースラの監視カメラに残された艦長と執務官補佐の丸秘お宝映像がばらまかれたのはアリシアの仕業だ。

 復讐はさらなる復讐を呼び込み、悲劇は繰り返される。

 アリシアは実際、リンディとエイミィからのさらなる復讐に戦々恐々と毎日を過ごしている。これは、彼女だけの秘密だった。

 この一連の騒ぎにより、アリシアを初めいくつかの人間はその懐を大いに暖めたと言うが、それは別の話である。

 

「だが、まあ、フェイトに対する同情……というよりも、フェイトの有用さは管理局にも納得させることが出来たことだしね。後は、そのあたりをどうまとめていくかが問題だ」

 

 アリシアはその管理局局員らしいクロノの言葉に大げさにため息をついた。

 

「管理局というのはいつになっても節操無しだね。私は、フェイトを管理局の犬にはさせたくないんだけど」

 

 時空管理局、次元世界をとりまとめそれを統括し運営する統合組織は、その莫大な規模を運営するために常に人材を欠いている状態だ。

 アリシアにしてみれば、優秀でない人材を上手く運用できない管理局のシステム自体に問題があると思うのだが、それを言っても所詮は無駄に終わることを良く理解していた。

 所詮小さな自分が何をほざいたとしても体制に何ら影響を与えることはない。体制に影響を与える個人は現実を直視しなければならず、その現実はそうせざるを得ない現実を見せつける。

 

「それは、僕も艦長も思っているさ。だけど、管理局はあれだけの魔法資質を持った人間を野放しにはしておかない」

 

 どちらにせよ、管理局がフェイトを釣り上げるのも時間の問題ということだ。ならば、せめて目の届くところに置いておきたいというのが、リンディとクロノ共通見解である。

 

「どちらにせよペナルティは受けないとダメか。私が文句言う筋合いじゃないね」

 

 アリシアはそう言って肩をすくめるが、クロノは眉をひそめてアリシアに視線を送った。

 

「君以上に筋合いを持つ人間はいないはずだが、アリシア。自分の妹の人生が勝手に決められる事を良しとする姉はいないはずだ」

 

 フム、といいながらアリシアはフェイトをユーノに置き換えて考えてみた。

 

「確かに、家族が勝手に連れ去られていくのは面白くないな」

 

「君が守っていくべきだ」

 

「こんな身体でどうやって守っていけばいいのか聞きたいよ。今はどっちかというと私の方が守られてるって感じだし」

 

 まったくこの身を呪うよとアリシアは呟き、珈琲のお代わりを注文した。

 

「だったら、今は身体を治すことに専念した方が良い。リハビリの方は進んでいるのか?」

 

「経過は上々だね。後、一ヶ月もすれば歩き回る程度には回復するだろうと言われているよ」

 

 実際、アリシアは無理をすれば今でも歩き回ることは可能なのだ。その無理というのは、他でもない、魔術神経を利用した身体強化によるものであり、彼女が目覚めた早々に時の庭園を歩き回れた理由にもなっている。

 そう言えば、と、ユーノのことを思い浮かべた際にアリシアはずっと相談しようと思っていたことを思い出した。

 

「ねえ、クロノ。やっぱりユーノはあっちで過ごすつもりなのかな」

 

 なのはとユーノがお互いただならぬ関係であることは、既にアースラ内では有名になっていることだ。

 本人同士がどう考えているかはアリシアには分からなかったが、少なくともなのははこれからずっとユーノと過ごしていくつもりなのだろうということは想像に難くはなかった。

 

 だったら、ユーノはどうするのだろうか?

 

 あの調子でなのはの家に居候を続けるのなら、どうしても彼はフェレットの姿をしている必要があるが、本来なら人間である身の上ではいつまでもそれを続けていくことなど出来るはずがない。

 本来の姿ではない形で生活するのは精神的に辛いものだ。

 

「なのはと一緒にいたいって呟いていたな。色ぼけフェレットめ」

 

 クロノはなのはとユーノのことに関する話題には終始面白くなさそうな感情をあらわにする。

 おそらく一目惚れだったんだろうなとアリシアは予想するが、終わってしまったことをあれこれほじくり返すのも面倒なので、それは保留とした。

 アリシアは、そうか……、と呟き、それまでに考えていたアイディアをクロノに提案することとした。

 話を終えた時、クロノはその案に目を丸くしていたが、アリシアが至って真剣な表情だったため、クロノは、艦長に相談してみると言って食堂を後にした。

 

「まあ、暇つぶしにはちょうど良いしね」

 

 アリシアは夕食後に予定されている検査の事を思い、少し憂鬱気味に息を吐いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終話 君の名前は……

 人は何を持って自分を自分と認識するのだろうか? 私が私であるというその根拠は、いったいどこに存在するのだろうか?

 

****

 

 結果的に、なのはとフェイトの面会は制限が付きつつも許可が下りた。当然ながら、なのは達に連絡を入れることも地球へ転送するのも状況からして先のことになると言われたが、それでもフェイトの喜びようはアルフも呆れるほどのことだった。

 

「なのはと会ったら何を話そうかな。何かお土産でも持って行った方が良いかな。どう思う? お姉ちゃん」

 

 最近になって日課になりつつあるフェイトとアルフとを交えたお茶会に、ここ最近のフェイトの話題はそればかりだとアリシアは密かにため息をついた。

 

「お土産っていっても、アースラの備品は持ち出せないよ。私も最近監視が厳しいし」

 

 以前、数週間にわたって繰り広げられたリンディ、エイミィの二人とアリシアとの静かな戦争はアースラ艦内の風紀を乱しに乱しまくっていた。

 結局あの戦争は、いい加減我慢の限界を突破したクロノによって終戦を迎え、リンディには始末書と三週間の糖分摂取の禁止命令、エイミィには事態の収拾と糖分の禁断症状を引き起こす艦長の世話が言い渡され、アリシアには二週間の外出禁止が課せられた。

 当然、そこで儲けた金も没収となりそれらはアースラの維持費の一部に分配された。

 ついでに言うと、アリシアがそれまでに武装隊から巻き上げたギャンブルの金も一緒に没収されてしまった。

 つまり言えば、一文無し。アースラを降りた後の当面の生活費と考えていた予算は文字通りご破算となったわけだ。

 

 その一部始終を知らないフェイトは、どうして監視されるんだろうねと不思議そうな顔をしていたが、その一部始終に巻き込まれた(というよりはフェイトを守るために自ら矢面に立った)アルフは、自業自得だよといってアリシアの頭を小突いた。

 

「アルフ、お姉ちゃんを叩いちゃ駄目」

 

 フェイトは、ことアリシアに関しては非常に過保護になる。アリシアはアルフからの恨みがましい視線を見ないふりしながらそれを考えていた。

 確かに、プレシアのいない今となっては唯一の肉親であるアリシアを大切に思う気持ちはよく分かる。しかし、クロノから聞かされた事が少し脳裏をよぎった。

 

『フェイトは僕達の要求に良く応えてくれる、とても従順だ。だが、それだけなんだ。必要以外の会話なんて殆ど皆無だよ』

 

 フェイトは周りを見ていない、ようやく明るくなったといっても、それはアリシアとアルフの前だけだ。

 

(結局、心を閉ざしてるって事なんだよね。わかりにくい分、今までより状況は悪いか)

 

「ねえ、聞いてるの? お姉ちゃん」

 

 おっと、とアリシアは少し思案に沈んでいた意識を持ち上げ、少し頬を膨らましているフェイトに気がついた。

 

「ごめん、ごめん。少し考え事をしてた」

 

「そう、お姉ちゃんは私の話なんて面白くなかったんだね……」

 

 先ほどまでの高揚がまるで嘘のように反転するフェイトにアリシアは苦く思いながら、不器用な笑みを浮かべフェイトの髪を撫でた。

 とても柔らかで艶やかな金の髪はよく手入れが行き届いている。アルフが手入れをしているのだろうか、そうであれば良い仕事をしているとアリシアは思う。

 

「悪かったよ、お願いだから機嫌を直して、フェイト」

 

「あ、う、うん。ありがとうお姉ちゃん」

 

 そして、すぐに機嫌を直し頬を赤く染めるフェイト。

 拙いなぁとアリシアは思う。

 起伏が激しすぎる。ふとしたことで、躁状態と鬱状態が入れ替わり、余裕がない。というより、アリシアとのふれあいを何とか良い雰囲気にしようと必死になっているということが分かりすぎる。

 おそらく、と、アリシアは頬に笑みを浮かべながらも胸の内でため息をつく。おそらく、フェイトの心は既に悲鳴を上げている状態なのだろう。

 見捨てられたくない、見放されたくない、自分を必要として欲しい。酷いほどの依存。それを奪われればおそらく、フェイトはもう立ち直れない。今は自分たちがいるから何とか保っていられるが、本局の保護となり、アリシアと切り離されればその後どうなるか分からない。

 

 問題は山積みだ。しかし、フェイトとなのはが会えるということはその中にあっても良い影響になるはずだとアリシアは考えていた。

 

「そう言えばさ、アリシア。最近、チビ助(クロノ)と何かやってるみたいだけど、何してんだい?」

 

 半ば引きこもりのフェイトと違い、アルフは暇を見てはアースラを歩き回りそこそこの情報収集を行っている様子だった。

 その中でアルフはたびたびクロノとアリシアが何か打ち合わせのような、報告のようなものをしていることに気がついていた。

 

「ああ、なのはとユーノへの私なりのプレゼントの準備といったとこかな。ちなみに内容は秘密」

 

 なのはへのプレゼントというフレーズに目を輝かせたフェイトだったが、アリシアが秘密と言った事に気を落とした。

 

「お姉ちゃんはちゃんと考えてるんだね。私は、どうしようかな」

 

「まあ、フェイトなりによく考えてみるといいよ。まだ時間はあるんだから」

 

 フェイトがなのはと会えるのは、後二週間後。あの事件が一応の終結をみて、一ヶ月後の事だった。

 

*****

 

「これが最後の書類だ」

 

 なのは達との面会を明日に控えた夕食後、クロノはそう言ってアリシアに一枚の書面を手渡した。

 

「ありがとう、これで何とか間に合いそうだよ。ごめん、手を煩わせてしまって」

 

 その内容に不備がないことを確認し、アリシアは深く頭を下げた。クロノはそんな彼女の行動に目を丸くして驚いていたが、頭を上げたアリシアの悪戯好きな眼差しを見て、すぐに仏頂面に腕を組むと、

 

「別に、艦長が認めたことだ。それに、僕も艦長も君の提案をよしとした。君が気にすることではない」

 

「律儀だね、クロノは」

 

「君もたいがい過保護だな、アリシア」

 

 この二人の関係を言葉にするのは難しい。本来なら保護する側と保護される側であるはずが、いつの間にかアリシアはクロノ、リンディと何処か対等な関係を取るようになっている。

 それは、その二人がアリシアをベルディナと認めた事に起因するのかも知れないが、二人のハラオウンはアリシアをフェイトの姉として認識している部分が大きい。

 信頼関係というには浅く、友人関係というには年が離れすぎている。しかし、この三者は誰もが今の関係に何かしらの安息を与えられているのも確かなことだった。

 

「今は家族とはいえないけど、身内に対しては誰でもこんなものだと思うよ。クロノはそうではない?」

 

「ノーコメントとさせてもらおう」

 

 仏頂面ながら何処か機嫌の良いクロノはそう言いつつもにやりと笑みを浮かべていた。

 先日、フェイトの処遇が決定した。本局帰還後、フェイトは直ちに拘束され、そのままアースラの保護下に置かれる。

 その後、フェイトは嘱託魔導師(正規局員ではないが、高い権限を持たされる外部協力者)の試験を受けることとなる。それは、将来管理局に忠誠を誓う予定だとアピールすることで裁判をより有利にするための配慮だとアリシアは説明された。

 

 そして、アリシアは、一時期は自分も嘱託試験を受けようかとも思ったが、その魔法適正からは到底受かるはずもないとリンディ、クロノ両名から却下を食らった。

 元々管理局に忠誠を誓うつもりがさらさら無いアリシアだったが、役立たずの穀潰しが出来ることは足手まといにならないことだけだとあきらめた。

 アリシアの処遇はこれから追々決めていくということとなり、少なくとも本局にいるまではアースラに乗艦していることになりそうだ。

 アースラに乗艦して以来、リハビリを続けてきたアリシアは今となっては既に自分の足で歩き回れる程度には回復して来ているため、日常生活には問題はない。

 しかし、それでフェイトと離ればなれになる事は、どうも不可解な不安を感じていたのだ。

 どうして、とアリシアは考える。

 それまでの自分なら、フェイトのことなどさておいて自分自身の回復に死力を尽くすはずだ。

 ユーノに関する配慮は、言葉は悪いがベルディナであった頃の惰性と考えることも出来る。しかし、ベルディナであった頃の事を引きずっているなら、フェイトの関しては何の感情も浮かばないはずだった。

 

 他人に対しては一切関知せず。それがどのような人生を歩もうとも自分の利益には何の関係もないし興味もない。

 しかし、それを思い浮かべるたびにアリシアは頭の奥に鈍痛を感じるようになったのだ。

 何かの後遺症なのかとアリシアは考えていたが、医者の意見では脳には何の障害も見受けられない、どころか健康者よりも随分健康者然としているというのが、随分な皮肉のこもった見解だった。

 

 ともあれ別れの時は近い。ならば、今を愉快にやれればそれで良いとアリシアは実にベルディナらしい考え方で次の日を迎えた。

 

****

 

 なのはは、数日前に入った連絡に落ち着かない様子でその日を待ちわびていた。

 そして、興奮と期待、僅かな不安を抱きその日はあっけなく寝坊してしまった。

 

「何で起こしてくれなかったのーーー!!!」

 

 必死になって慣れないランニングを余儀なくされたなのはだったが、その首筋に捕まるユーノは振り落とされまいと必死で答える余裕がなかった。

 

《私の目覚ましは禁止されていましたので》

 

 と、なのはの平たい胸元の赤い石ころは皮肉混じりにそう答えた。

 

「あんなの聞いて一日を始めるのはいやなのぉーー!!」

 

 ピー音だらけのモーニングコールが頭の中に響き渡るその目覚ましは、幼いなのはであっても一生の心傷になるほどえげつないものだった。

 側にいて巻き添えを食らったユーノにしてもその日は一日中嘔吐いていたほどといえば、その凄まじさが予想できるかもしれない。

 

 ともあれ、夏も近く朝の穏やかに涼んだ霧の中、海鳴市海浜公園と呼ばれる海沿いの広場に到着したなのはは、そこにたたずむ二人の少女と一人の女性、そして一人の少年の前に足を止めた。

 

 何を話して良いのか分からない。会う前なら色々話したかったこと、聞きたかったこと、言っておきたかったこなど覚えるのも億劫なほどあったというのに、実際にそうして面と向かってしまえばその言葉もすべて頭の中から消え去ってしまった。

 ああ、そうか。となのはは納得した。そんないつでも考えられるような事なんて、最初から意味がなかったんだと、彼女は笑みを浮かべた。

 ただ会えるだけでいい。会って、お互いにお互いを確認し合い、そして笑いかけ合えばそれだけで良いんだとなのはは心が透き通っていくような思いだった。

 

「ひさし、ぶり、だね。フェイトちゃん」

 

 はにかむようになのはは眼前でうつむくフェイトに何とか声をかけた。

 何か気恥ずかしい。自分はこんなにも人見知りだっただろうかと思ってしまう。

 今思うと、寝ぼけて焦っていつもの習慣で着て来てしまった学校の制服が恨めしい。

 フェイトは、白いブラウスに白いシンプルな短いスカートを身につけ、まるでそれは等身大の人形を思わせるほど見目麗しい。黒い戦闘服を愛用する彼女だったが、白色に包まれたその姿は純真無垢な彼女の性質を現すようで、まぶしいほどに輝いて見えた。

 

「うん……。ひさし、ぶりだ」

 

 フェイトはいつまでたっても視線をあげようとしない。なのははそれでもこうしていられることに幸福を感じていた。

 

「元気だった?」

 

「うん。お姉ちゃんがいてくれたし、アルフもいるから」

 

 海からの優しい風が二人の間を通り抜けていった。

 

「前に、君は言ってくれたよね」

 

 フェイトは面を上げた。

 

「私と、友達になりたいって」

 

 なのはは、静かに頷いた。あのとき誓ったこと。悲しみの瞳に沈んだ少女を助けたい、そして友達になって一緒にそれをわかり合いたい。

 その気持ちは一切変わっていないとなのはは自信を持って答えた。

 

「私、今まで友達とかいなかったから、どうしたら友達になれるかとか分からないんだ」

 

 フェイトは悲しそうに呟いた。

 

「簡単だよ」

 

 なのはの言葉にフェイトは目を上げる。

 

「友達になるの、すごく簡単」

 

 なのははフェイトの両手を取り、そして熱を伝え合うようにそれを包み込んだ。

 

「名前を、呼んで。初めはそれだけで良いの」

 

 名前を呼ぶ。それは、相手を相手と認め合うこと。ただそれだけで、お互いの心には相手がいる。

 

「な、なの、は…」

 

「うん、フェイトちゃん」

 

「な、の、は」

 

「フェイトちゃん」

 

「なのは。私と、友達になって、くれますか?」

 

「喜んで、だよ。フェイトちゃん!」

 

 二人はいつしか頬に涙を浮かべ、お互いにお互いの熱を確かめ合うように抱きしめあった。

 

*****

 

「すっかり蚊帳の外なってしまったね、ユーノ」

 

 少しけだるそうな様子でフェンスにもたれかかるアリシアは、いつの間にか人間の形態に戻って側に立っていたユーノに声をかけた。

 

「フェイトォー、フェイトぉー。良かったよぉーー」

 

 その隣では、フェイトがなのはと手を取り合って笑っている事に感動するあまり、頬をぐしゃぐしゃにしているアルフも立っていた。

 

「良かった。本当に良かった。なのははずっと気にしてたから」

 

 久しぶりに本来の姿に戻れたことに開放感を感じていたのか、ユーノは居心地が良さそうな雰囲気でしきりに頷いていた。

 

「やっぱり、その姿の方が落ち着く?」

 

 アリシアの皮肉混じりの言葉に苦笑いを返しながらも、ユーノは頷いた。

 

「うん。だけど、なのはと一緒にいるためにはそうするしかないから」

 

《役得な部分もありますがね、ユーノ。先日もマスターと湯殿を共にした上に同衾までされておりました》

 

 いつの間にかなのはの平らな胸元からユーノの貧相な胸板に移動していたレイジングハートは、しれっとそんなことを宣っていた。

 

「言わないでよレイジングハート。僕だって、何とかして欲しいんだから」

 

 ユーノは焦るが、レイジングハートは我関せずと光を明滅させるばかりだった。

 久しぶりのテンポの良い会話にアリシアは懐かしさを感じながらも、ユーノに確認した。

 

「だったら、人の姿でこの世界にいたい?」

 

「そうしたいのは山々だけど、無理だから」

 

「ふーん……だったら、OKかな?」

 

 クロノから、ユーノはなのはの世界で生きたいと聞いていた。しかし、アリシアはそれを直接ユーノの口から聞かない限り、それを行わないと考えていた。

 そして、今、ユーノは確かにそう答えた。

 人としてなのはの側にいたい。

 ならば、と、アリシアはユーノに脇に抱えていた書類一式を投げ渡した。

 

「なにこれ?」

 

 それは、ミッドチルダの共用語で書かれたものではなかった。ユーノにとっては異国の、最近になって身近になった言葉、日本語で書かれた書類一式だった。

 

「それが、私から……正確には私とリンディ提督、クロノ執務官からの餞別だよ」

 

 そして、それを読んだユーノは驚愕に言葉を失った。

 

「日本生まれ、日本育ちのギリシャ人。両親を失って現在一人で生活し、最近になって海鳴に引っ越してきた。国籍は日本。住所は海鳴市。住民票から何からすべて正式のものだよ。いろいろと裏技を使ってはいるけどね」

 

 随分面倒な手続きだったし、リンディとクロノにはでかい借りを作ってしまったとアリシアは愚痴るように呟いた。そして、アリシアは最後の仕上げとして、懐から一枚のカードを取り出しユーノに手渡した。

 

「そして、これがベルディナからの最後の餞別。一〇〇万ミッドガルド相当の口座カード。これからこの国で生活するためのものだよ。十数年間、ユーノが成人するまでの生活費、家賃、教育費、授業料、その他込みと考えてあるから大切に使ってね」

 

 それは、日本の主要都市銀行の口座のキャッシュカードだった。ベルディナの餞別と言ったのは、かつてベルディナが所有していた個人資産のなかで、何とか回収できたものの全てだった。そして、それは文字通りベルディナからユーノへの最後の贈り物でもある。

 

「こ、これって……アリシア!」

 

「ユーノは、ずっとそうだった。スクライアに居たとき、君は周りばっかり気にしていて、自分のことを度外視してたよね」

 

「そ、それは……」

 

「だから、君が高町なのはのところにいたいって聞いたとき、私は嬉しかったよ。どんな形ででも、ユーノが初めて我が儘を言ってくれたんだ。それを後押しするのは家族としての義務」

 

「……アリシア……」

 

「結局ベルディナは君の父親の代わりにもなれなかったから。だから、これが、あの人が君にしてあげられる最後の、父親らしい事なんだ。受け取ってもらえるかな?」

 

「ありがとう、アリシア。僕は、僕は、ベルディナのことを本当にお父さんだって思ってた」

 

「それを聞いたら、きっとベルディナも喜ぶよ。彼はもう、いないけどね」

 

「アリシア……」

 

「幸せなってユーノ。それがベルディナが望んでやまなかったことだから。あの人の代わりに私……アリシアがユーノに伝えるよ」

 

《アリシア嬢、貴方は……》

 

「レイジングハートも、今のマスターと一緒に元気で」

 

《私は、ベルディナが所有者であったこと、その彼と40年間共にあったことを誇りに思います》

 

「じゃあ、行って。なのはが呼んでるから」

 

「うん、アリシアも元気で」

 

《また、お会いしましょう》

 

「その機会があればね」

 

 巣立ちを見守るのは親の努め。そうして、アリシアは愛するものの元へと旅立っていく子供達を眺めながら、ベルディナとして残っていた最後の願いが朝の霧と共に消え去っていく事を、じっくりとかみしめていた。

 

「それにしても、地球は結構良さそうなところだね。次はプライベートで遊びに来たいなぁ」

 

 澄み切った蒼穹に彼女の朗らかな声が歌となって響き渡った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑章
第一話 The Last Calm


A'S編スタートです


 

「それじゃあ、最後の確認だ」

 

 昼下がり、人流れもまばらとなった食堂でクロノはまじめな表情を崩さずに正面に座る四人の表情を一人ずつ確認した。

 

「うん」

 

 フェイトの頷きに続いてアルフ、ユーノ、そしてアリシアが無言で頷き返した。

 

「被告人のフェイトはそこに置いてある資料の通り、検事からの質問にはそこにかかれてあるとおりに答えること」

 

 フェイトはそう言うクロノの言葉に従い、目の前に置かれたモニター端末に目を向けた。

 

「一応、私の方でも確認したけど記載事項には漏れはなかったし、事件資料も完璧に証拠物件として成り立ってるから安心していいよ」

 

 アリシアは嫌みのないカジュアルな眼鏡のフレームを持ち上げながらフェイトにそう告げた。

 アリシアはこの半年ですっかりと近眼になってしまったため、プライベート以外では眼鏡を装着するようになっていた。

 

「アリシアも資料作りに関わってたんだ」

 

 その隣に座るユーノはそういうアリシアに疑問を投げかける。アリシアは、「うん」と言って肯き、

 

「リンディ艦長が色々と仕事を回してくれたから。おかげで半年間退屈しなかったよ。そのおかげで目が悪くなってしまったんだけど」

 

 と笑うアリシアにフェイトとアルフも苦笑を浮かべた。

 

「話を戻すぞ。判決はほぼ確実に無罪ということで決着はつくはずだ。判決文を確認するまでは分からないが、おそらく3年から4年間の保護観察処分ということになる。もっとも、これはフェイトの労働評価が高ければもっと短く済むし、逆なら長引く」

 

 クロノの少し意地の悪い物言いにアリシアは肩をすくめる。

 

「だが、フェイトはアリシアとは違って真面目だからな。おそらく処分は1年は短縮されるはずだ」

 

「ちょっと待ってよ、ハラオウン執務官。私はこれでも結構真面目に仕事をしていたと思うけれど?」

 

 アリシアはクロノの物言いには流石にカチンと来たのか、それほど声を荒げることなく抗議した。

 この半年間で随分言葉遣いが柔らかくなったなとクロノはリンディとエイミィによる教育に密かに嘆息した。

 

「冗談だアリシア。いちいち反応していると本当に不真面目だと思われるぞ」

 

「まあ、クロノに比べると不真面目だろうけどね。あいにく私には仕事を麻薬のように扱う趣味はないから」

 

 アリシアはクロノと同じ職場で働きながら彼の仕事量を見て、間違いなく彼が仕事中毒だとことあるごとに口にしたものだ。

 

「まあいい。続けよう」

 

 クロノはアリシアの皮肉を聞き流し、しばらく裁判に関する説明を行った。

 その説明自体、アリシアが引いたシナリオに基づくものだった。

 アリシアはその説明を右耳から左に流す程度に聴きながらこの半年間のことを思い出していた。

 ジュエルシードの事件。現在ではプレシア・テスタロッサ事件と称されるあの事件が終わった後。

 フェイトはなのはとの別れの後、管理局本局の裁判所に身柄を移され、本局保護施設に入れられた。アリシアはこの事件の被害者という立ち位置で処理されることとなっていたので、被疑者であるフェイトとはなかなか顔を合わせることが出来なかった。

 それでも、アリシアはリンディとクロノから貰った翻訳の仕事の傍ら、事件資料の作成や裁判のシナリオの作成に関わることができ、実質的に裁判のスケジュールをずいぶんと早めることに貢献したのだ。

 特にジュエルシード関係の資料としてスクライアから提出された資料の中には古代ベルカ語や古代ミッドチルダ語、それ以外の難解な文字でかかれたものも多く存在し、そこでもアリシアの翻訳技術が大いに役にたった。

 

 ただ一つ、アリシアは最後まで首謀者であるプレシアへの処置に関して納得ができなかった。

 それは、この事件に関してプレシアに本来かかるべき酌量が、アリシアの存在によって完璧に消滅してしまうこととなった。

 プレシアは自分の娘を蘇らせるためにあの事件を引き起こしたそれが真実だ。しかし、そうするとアリシアという存在がイレギュラーとなってしまう。

 死者復活は過去現在未来においても実現されない、実現してはならない技術である。死者復活の技術は命を軽くする。そんなものが認められてはならない。

 しかし、アリシアの存在が明るみに出ればその原則が崩壊し、生命というものの唯一性が失われることとなる。それだけは絶対に避けなければならない。

 故に、アリシアはプレシアの研究の犠牲者としなければならなかった。狂気の科学者プレシアは自分の娘さえも実験材料とし、その予備として作成したフェイトを使い捨てのコマとして利用した。

 そのため、プレシアは26年前アリシアを実験材料とするため、偽の死亡診断書を作成し、アリシアを事実上死亡したと偽装。その後、アリシアをそのままの状態に保存し身体の成長を止めた。

 そして半年前、生命の神秘の解明とその超越のためプレシアはジュエルシードを実験材料にする方法を思いつき、たまたまスクライア族が発掘したジュエルシードを輸送船ごと襲撃し、その奪還に乗り出した。いや、あの輸送船の事故自体はプレシアによるものかどうかは不明のままではあるが、なし崩し的にプレシアの罪状に加えられることとなってしまっていたのだ。

 

 そして、その実験中、制御を失ったジュエルシードのためにプレシアは虚数空間に落ち命を終える。

 それが、アリシアが血を吐く思い出作成した事件のあらましだった。

 

「……るのか……シア……。聞いているのか? アリシア」

 

 ふと感傷に浸りかけたアリシアを呼び覚ましたのはクロノの少し憮然とした声だった。

 

「ひょっとして寝てた?」

 

 隣りに座るユーノも少し呆れ気味にアリシアを見る。

 

「え、えっと。ああ、ごめん。昨日は眠らせてもらえなかったからね。やー、執務官の精力には完敗だったよ」

 

 はははとフランクに笑うアリシアにクロノは焦った。

 

「アリシア、下品な冗談を言うんじゃない。昨日遅かったのは聖王教会からの案件を処理するためだっただろう。時間配分を疎かにした君の責任だ」

 

「つれないなぁクロノは」

 

 この半年間でクロノをからかう楽しみがなくなってしまったとアリシアはがっかりと肩を落とした。

 クロノはそれを無視して話を締めくくり、改めて何か質問はないかとアリシア以外のメンバーに聞いた。

 

「僕の方は大丈夫だ。証言も記憶したし、イレギュラーにも対応できると思う」

 

 ユーノは自信満々に答えた。ユーノの記憶力は誰もが認める所であるため、クロノも特に心配はしていない。

 

「私も、大丈夫だと思う」

 

「あたしもだよクロノ」

 

 フェイトもアルフも問題ないと頷き、裁判に関する最終確認は問題なく終了した。

 

「それじゃあ、僕は艦長に報告してくるから。四人はこのままゆっくりしていてくれていい」

 

 クロノはんそういって端末の資料をまとめ電源を落とした。

 

「お疲れ様クロノ」

 

 フェイトも端末から資料の入ったデータチップを抜き取り、端末をクロノへと返却した。

 

「ああそうだ、クロノ。艦長に伝言をお願いしたいのだけど」

 

 アリシアは、支給された自分の端末を脇の手提げ鞄に仕舞いクロノに声をかけた。

 

「ああ、別にいいがなんだい?」

 

「例の教会からの案件なんだけど、昨日上げた資料にちょっと穴があったから差し押さえておいて欲しいんだ。改正稿はもうできあがってるけど、もう一度校正がしたいから少し待っていてもらえませんかって」

 

 クロノはさっきの話かと頷き、

 

「まあ、事情が事情だから仕方がないか。とりあえず了解した。一応こっちとしては善意でやってもらってることだから大きな声では言えないけど。、これからはこういう事のないようにしてくれ」

 

「そう思うなら、勝手にスケジュールを繰り上げた先方にいってよね。今回ばっかりは流石に無理があったよ。今日の明け方までに初稿が提出できただけでもほめて貰いたいんだけど?」

 

 アリシアの憮然とした口調と表情にクロノは肯かざるを得なかった。何より、今日のアリシアの言葉にいつもの張りがなかったのは、貫徹の疲労のためのようだ。しかも、明け方に提出した初稿の訂正稿がもう出来上がっているとすると、この少女はいつ睡眠を取っているのだろうかと心配になる。

 

 特に今回の依頼に関しては、依頼を受けた時点での重要度は"ゆっくり調べてくれていい"という程度のもののはずだった。しかし、昨日の昼過ぎ時点で急に連絡が入り"大至急、直ちに"と重要度が一気に最大になってしまったのだ。その重要度から言えばその日の内に提出する事となるのだが、流石のアリシアでも日付変更に間に合わず、クロノとリンディが何とか先方をなだめすかし何とか明日、つまり今日中にという事に改めさせたのだ。

 

「すまない。先方は僕らにとっても重要な方達だったから断り切れなかったんだ」

 

 クロノは素直に謝り、アリシアは「まあ、いいけどね。間に合いそうだし」と呟き大口をあけて欠伸を一つ吐いた。

 アリシアも今回の依頼主、聖王教会のグラシアという名前はよく知っており、それが聖王教会の重役でありハラオウンの重要な友人であることもだ。今回の用件自体、ハラオウンがグラシアにアリシアのことを紹介したことがきっかけとなって発生したもので、アリシアもグラシア家に対する挨拶がてらという事で了承したものだ。

 しかし、今回のことを考えるとグラシアとの付き合い方は少し慎重にならざるを得ないとアリシアは思う。

 

「あんたも、結構大変だったんだねぇ」

 

 アルフはクロノとアリシアのやり取りを聞いて素直な驚きの声を上げた。

 

「まあ、そこまで大変でもないけどね。全体の仕事量はリンディ提督やクロノとは比べものにならないし、本を読むだけでお金がもらえるから楽と言えば楽なんだけど。さすがに今回ばかりはくたびれたよ」

 

 アリシアはそういって笑い、もう一度あくびを付いた。しかし、その笑みを見てもアルフとフェイトは笑えなかった。

 

 食堂を後にするクロノを見送り、アリシアは「さてと」と呟き、同じく食堂に留まった三人に目を向けた。

 

「私はこのまま自室に戻るけど、三人はどうする?」

 

「アリシアはこの後仕事?」

 

 ユーノは先ほどの会話を思い出しそう聞いた。

 

「うん? 仕事は今終わったよ」

 

「え? だけど、さっきは……」

 

 眼鏡を外し、眉間をもみほぐすアリシアにフェイトは問いかけるが、アリシアはしれっとした表情で、

 

「ああ、あれは半分方便だよフェイト。修正稿は提出するけど。本当は、修正するところなんてないしね」

 

「えーっと、どういうことだい?」

 

 ユーノは「なるほど」と肯いていたが、アルフとフェイトは腑に落ちなかったようだ。

 

「つまり、警告みたいなものだね?」

 

「ご明察。さっすがユーノ」

 

 アリシアはユーノの答えにニッコリと笑いフェイトとアルフのために説明を始めた。

 

「つまりね、これ以上の無理はきかないよっていう警告みたいなもの。突貫作業で作った資料には欠陥があるとみせておいて、今後はもっと余裕を持ってお願いしますっていうアピールさッ」

 

 これで味を占めて貰ってはこっちが困るんだよと笑顔で肩をすくめるアリシアにフェイトとアルフは、すごいものを見る表情で感心していた。

 

「それじゃ、この後は暇なんだ」

 

 フェイトの問いかけにアリシアは頷き返した。

 

「部屋に戻って休憩しようか。公判まで後三時間もあることだし。お茶でも飲みながら積もる話でもどう?」

 

 フェイトは嬉々として肯いた。

 結局ユーノとアルフもアースラに宛がわれたアリシアの自室におじゃますることとなり、アリシアはひとまず昨晩入り損ねた風呂に入り、一息つこうと冷たい飲物を用意した。

 

 それからしばらく裁判が始まるまで、アリシアは眠気を押さえるために濃い珈琲をたらふく飲み。久しぶりに三人と会話に花を咲かせ、それぞれの半年間を語り合った。

 その話の主眼はやはりアリシアのアースラでの半年間と、ユーノの地球での半年間にあった。

 特にフェイトはユーノの口からなのはの名前が出るたびに頬を緩ませ、「早く合いたいな」と口にする。それは、フェイトの半年間の口癖になってしまっていたものだ。

 そして、それはもうすぐ実現する。

 フェイトは身からあふれ出さんばかりの幸福に酔いしれ身体をぎゅっと抱きしめていた。

 

 かくしてその日、フェイトの裁判は終了し、一つの節目が訪れた。

 そして、彼らとは遙か遠く、次元世界の彼方に住まうもう一人の重要人物に訪れる一つの始まりが確定した日だった。

 

 

 

************************

 

 

 ユーノが本局に旅立って一月が過ぎた。高町なのははこの一ヶ月間を思い出し、木々の狭間から吹きかける冷涼な風と共に感じる寂しさに身震いをする。

 

《そう言えば、昨日でしたね。バルディッシュのマスターの最終公判は》

 

 外界を温度と光、魔力等の情報でしか捕らえられないレイジングハートはなのはが息するたびにはき出す白霧をモニターしつつ、そう言えば冬も本番ですね、とデバイスらしからぬ感想を漏らした。

 

「うん、もうすぐフェイトちゃんと会えるんだね。楽しみだよ」

 

 フェイトに出会うよりも前から訓練所にしている山の中腹の自然公園に立ち、なのははDVDレターでしか顔を合わすことが出来ない遠い友人の事を思いやった。

 

《その割には寂しそうにしていますね。やはりユーノがいないと調子が出ませんか?》

 

「え、あ……うん……」

 

 レイジングハートから胸の内を言い当てられ、なのはは頬を染めながら俯いてしまった。

 

《連絡は取り合っているのでしょう? それだけでは足りませんか?》

 

「そんなことないけど……。ねぇ、レイジングハート。私ってこんなに寂しがりやだったのかなぁ。ユーノ君とたった一ヶ月会えないだけでこんなになっちゃって……。なんだかね、フェイトちゃんと再会できるよりもユーノ君が帰ってくる方が嬉しく感じちゃうんだ。私、薄情者なのかなぁ。ユーノ君とフェイトちゃんは同じ親友なのに」

 

《同じというわけではないのでしょう。マスターは一度ユーノとの関係を見直してみるべきだ。おそらく、答えはそこにあると私は思います》

 

「私とユーノ君の関係かぁ。友達で、大親友で、魔法の師匠でパートナーで……」

 

《少し訂正しますと、初めての男友達という事ですね。マスターの兄君と父君が目を白黒していたのが懐かしいです》

 

 レイジングハートはメモリーに残されたその時の様子を軽くロードしていた。

 あの事件が終わった後、ユーノが人間の姿で地球の日本に住むことになったと聞いたとき、なのはは本当に嬉しかった。

 

『これからはずっと一緒にいられるんだね?』

 

 というある意味愛の告白のような言葉でユーノに抱きつき、彼女は無意識のうちに涙を流してしまっていた。それほどその喜びは深いものだった。

 しかし、その後、ユーノが高町家を出て一人暮らしをすると知ったなのはは、そこから180度態度を反転させ、ユーノの家出(?)を断固反対したものだった。

 

 なのはの部屋に結界を張り、朝から晩まで口げんかのような議論を交わし、ようやくユーノがなのはを説得出来たのはユーノの結界がひび割れるほどの砲撃が飛び交った後だったとレイジングハートは記録している。

 なのはもその時のことを思い出し、頭に血が上るあまり実力行使に出てしまった当時の自分を恥ずかしく思った。

 今から考えると自分は随分ユーノに失礼なことをしていたのだなとなのはは思う。

 ユーノはフェレットの姿でなのはの前に現れた。

 当初なのはがユーノをペット扱いしていたのはユーノの説明不足ということで決着がつく。しかし、それから暫くしてユーノが人間だと分かった後でも、なのははやむなくフェレットの姿をしていたユーノをやはりペットとして扱ってしまっていた。

 ユーノは、フェレットの姿はエネルギー効率がいいからかえって楽だと笑っていたが、それを自分に当てはめてみると笑い事ではないということがよく分かる。

 

 なのはは、いくらエネルギー効率がいいからと言ってフェレットの姿で何日も何週間もペットとして扱われるのなんて無理だとようやく気がつくことが出来た。

 その後なのははユーノに必死に謝っていたが、ユーノは笑って許してくれた。

 

 兎も角、今のなのははユーノをフェレットだと認識しておらず、ユーノにフェレットの姿になることを請うこともしない。いや、確かにフェレット・ユーノの抱き心地やら撫で心地など、あの金色に近い滑らかな毛並みの感触を思い出すとつい身体の芯がゾクゾクしてしまうが、思い出しさえしなければ我慢することが出来た。

 

「はぁ……」

 

 やっぱり勿体なかったかなぁとなのははため息をつき、「会いたいなぁ」と空を見上げた。

 そして、しばらくの後レイジングハートの「訓練を開始しましょう」という言葉に頷き表情を引き締めた。

 

「それじゃあ、いつものシューティング・コントロールやるね」

 

《OK , My Master》

 

 レイジングハートの威勢のいい答えになのはは気分を良くし、先ほど飲み干したココアの空き缶を取り上げ目を閉じた。

 

「リリカル・マジカル」

 

 その言葉と共に想像するのは聖なる光、創造するのは意識ある光。それを想像の中で練り上げ形作り、球体として形成したそれを指先へと創造する。

 

(私の呼び声に答えよ。私の声は言葉に、私の言葉は祈りに、私の祈りは願いに、私の願いは力に。私の力は聖なる光となり、そのすべては私の意志に従う)

 

 瞑目し意識を深淵へと誘いながら、なのはの足下に桃色の円陣が光となって出現しその願いを刻み込みながら回転する。

 魔法学の第一原則。魔法は力であり、力は願いによって導かれる。願いは祈りによって成就し、祈りは言葉によって形を得る。言葉は声によって発生し、すべての原則は請い願う呼び声にある。

 

「福音たる輝きこの手に来たれ。導きのもと鳴り響け。」

 

 その言葉と共に掲げられた彼女の左腕の手の平に福音たる輝き、桃色に輝く光の球体が出現した。

 

《モニタリング・スタート。カウント・ゼロ》

 

 レイジングハートの準備も整い、いよいよなのははその呪文を解き放つ。

 

「ディバイン・シューター、シュート!」

 

 その言葉と共に放り上げられた空き缶に向かい、なのはの最も得意とする制御弾頭魔法【Divine Shooter(神聖なる射手)】の一撃が放たれた。

 

「Control start. Self homing set. Mode shilt to ASS(Accelerate Snipe Shooting)」

 

 なのはのその言葉と共に【Divine Shooter】の弾頭は直線射撃より高加速度精密手動誘導方式にシフトし、彼女が思い描く目標軌道に対して僅かな誤差もなく追従する。

 弾速は速い。そして、それが空中の空き缶を地上に落とすことなく着弾し、そして刹那の時を置いて反転。まるで空き缶を上へ上へと持ち上げていくように弾頭は舞い上がる。

 

《………Sixty、Sixty One、Sixy Two………》

 

 それに呼応し、レイジングハートが読み上げる数字も加速度的に向上していく。

 

「………くっ………」

 

 目を閉じ、左腕を空を舞う目標に合わせながらなのはは苦悶の吐息をついた。季節は冬。本来なら雪が降り出してもおかしくない寒気の中、なのはの額にはじっとりとした汗が浮かび上がっていた。

 ユーノによって提案されたデバイスを用いない魔法訓練はこれで既に3ヶ月以上続けていることだった。ユーノの言葉を借りるなら、なのはは莫大な魔力量と高性能なデバイスを持つが故にその魔法の術式構成がとても荒いのだというらしい。

 それまでの戦いは殆どがむしゃらに食らいつくように戦ってきたため、そのあたりを矯正する機会が得られなかった。ユーノはなのはの魔法教習の基礎過程の終了の折りに次の段階の鍛錬としてデバイスを用いない魔法訓練を提案した。

 そして三ヶ月、それも土日祝日を除けば殆ど毎日眠い眼を擦りながらなのはは頑張って訓練を重ねた。

 今となっては【Divine Shooter】の一発をここまで高速に精密に制御できるようになり、そのおかげもありデバイスを持った際、魔法制御に対する余裕が出てくるようになったのだ。

 

《Ninety-Nine,One-Handred……Last One!》

 

 弾頭が飛翔体を叩く回数が100に至ったところで、なのははようやく制御の力を抜き、ターゲットである空き缶はそのまま重力に従い徐々に速度を増しながら落下する。

 なのはは再び腕を掲げ、墜ちてくる空き缶を逃すまいと睨み付けタイミングを見計らう。

 

「ラスト!」

 

 そのかけ声と共に空中に待機していた【Divine Shooter】は再び滑空を始め、なのはの脇を通りそこに至っていた空き缶を正確に捉え、遙か前方へとそれをはじき飛ばした。

 カーンという軽快な音を立てて放物線を描く空き缶はそのままその先に設置された金網状のくずかごにホール・イン・ワン、と行きたいところだったが、それは果たされず籠の縁に着弾したままそのまま外へとはじき出されてしまった。

 

「ありゃぁ……」

 

 再び甲高い音を立てて地面に落ちる空き缶になのはは情け無い声を漏らして落胆した。

 

《マスター、お気になさらずに。終わりよければすべてよしです》

 

「あはは、ありがとうレイジングハート……って、終わりがダメだったら問題外ってことじゃない!」

 

《それがマスターの実力ですよ、胸を張りなさい》

 

「それって慰めてるのか貶してるのか、どっちなのかなぁ? レイジングハート?」

 

《さて、何のことやら》

 

「後でお仕置き」

 

《楽しみにしておきます》

 

 ―――――――なのはとレイジングハートはまるでにらみ合うように互いに口を噤んだ。

 そして、その緊張は突然わき上がったなのはの笑い声で終了を迎えることとなった。

 

「とまあ………」

 

 一通り笑い終えたなのはは一息ついた。

 

《冗談はここまでにしておきましょうか》

 

 とレイジングハートも穏やかに光を明滅させる。

 

「そうだね。お疲れさまレイジングハート」

 

《どういたしまして、マスター。随分射撃制御がうまくなりましたね。ですが、最後の最後で集中力を切らしてしまったのが残念でした》

 

「やっぱり詰めが甘いなぁ。つい安心しちゃうんだよね」

 

《良くない傾向ですね。これから改善していきましょう》

 

「そうだね、これからもよろしくねレイジングハート」

 

《Me too, Master》

 

 ようやく東の空高くに登り始めた太陽を背にして一人と一つは、まるで家族のようなうち解けた雰囲気で言葉を交わしつつ、山道をゆっくりと下っていった。

 

『そういえば、今日はフェイトちゃんからDVDが届く日だったね』

 

 帰り道、まばらではあるが人通りのある道路でなのははそうレイジングハートに念話を向けた。

 

『《その予定になっています。楽しみですか、マスター》』

 

『うん、とっても楽しみだよ』

 

『《良かったですね、マスター》』

 

 地球に住むなのはは、遙か時空間の彼方に去っていったフェイトとお互いにDVDを用いて交流を続けている。それが始まった切っ掛けは、確かユーノの提案だったと思うが、それを実行段階まで持って行けたのはクロノとリンディの尽力の賜物だと人づてに聞いていた。

 なのはは月の初めの日にユーノ、アリサ、すずかと共にフェイトに対するメッセージを動画で収録し、その様子をDVDに編集したものをフェイト宛に送っている。

 その送り先は、イングランドの少し田舎の方の住所だとなのはの代わりにエアメールを出す父士郎が言っていた。

 どうしてイングランドに送ったエアメールが時空管理局の方に届くのだろうかとなのはは不思議に思っていたが、結局今になってもその謎は解けずじまいだった。

 ひょっとすれば、イングランドの方に時空管理局が密かに設立している支部があるのか、そこにどこかの世界への中継点となるトランスポートがあるのか。おそらくそんなところだろうとなのはは想像していた。

 ともかく、そのレターによればフェイトは問題なく元気にしているらしい。また、裁判の方も殆ど無罪の判決が出るだろうと時々DVDに登場するクロノやリンディ、本当のたまにしか姿を見せないアリシアから聞いている。そのためなのははフェイトの裁判に関しては全くと言っていいほど心配はしていない。

 ただ一つあれば、直接会えないのが寂しいということだけだった。

 

「おはよう、なのは」

 

 部屋で朝の身だしなみを整え、フェイトから貰った黒い髪紐(リボン)を結んだなのはは朝食のためにリビングに姿を見せた。

 

「おはよー、おにーちゃん。おとーさんも、おかーさんも、おねーちゃんもおはよー」

 

 なのはは兄恭也からの挨拶に朗らかな笑みでおはようと返した。

 

「おう、おはようなのは」

 

「おはよー、なのは」

 

「おはよう、なのは」

 

 父、姉、母からも同様の返事を貰いなのはは家族がそろっていることの幸福をかみしめながら既に朝食の用意されているテーブルの席に腰を下ろした。

 少し前まで、兄の恭也と姉の美由紀はイギリスに住んでいる世界的な歌手の娘のボディーガードの仕事のためにしばらく家を留守にしていた。どうやら、その歌手は父士郎の代から交流がありその娘は恭也や美由紀のお姉さんのような存在だとなのはは聞いていた。

 その娘もまた歌手の卵として世界各国を回ってコンサートを開き、今回日本において難民支援チャリティーコンサートを開いているらしい。

 兄と姉は強い剣士だと言うことを知っていたなのはは、家にいない二人をそこまで心配はしなかった。しかし、家族がそろっていないことに不安を感じていたことも確かだった。

 さらにここ一月ほどはユーノがいないという寂しさも相まって少し気分が落ち込んだ期間だったようだ。

 

「あ、そうだ、なのは。エアメールが来てるぞ。差出人フェイト・テスタロッサ」

 

「フェイトちゃんから!?」

 

 なのはは兄から手渡されたエアメールの梱包紙を胸に抱き、「わぁ……」と歓声を上げ頬を染めた。

 

「そういえば、その文通もかれこれ半年以上か。結構長く続いているんだな」

 

 席に着きながら新聞を読んでいた士郎は毎月の終わり頃かはじめの頃に送られてくるそれに喜ぶ娘を見て頬をゆるませた。

 

「フェイトちゃん、今度会えるんですってね。それにフェイトちゃんと一緒にユーノ君も帰ってくるんでしょう? お母さん、目一杯歓迎しちゃう」

 

「うん、アリサちゃんとすずかちゃんも歓迎パーティーをしようって言ってくれてるの」

 

「ほう、そうか。だったら家の店でやったらどうだ? 一日ぐらいは貸し切りにしても良いよな? 桃子」

 

 士郎は、なのはの母桃子にそう目を向けた。

 

「もちろんよぉ。ぱーっとやりましょう」

 

 家族みんなが笑顔でいられる。なのはも、部屋でゆっくり自己メンテナンスをしているレイジングハートも、皆この幸せをかみしめている。

 

 

――そして、なのはは振り向いた。

 

 リビングの日だまりの一角。ただぼんやりと妙に明るい木目調のフロアになぜかヒタと一粒の水滴が落ちる音がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 Into the Groove

 

 今回もやっかいな事件になりそうだと、時空管理局人事部責任者レティ・ロウラン提督はそう呟いてため息をついた。

 ここ2ヶ月程度で頻発する魔導師襲撃事件。魔法資質の高い人間ばかりが狙われるこの事件は当初何処にでもあるような過激派テロリストの仕業だと思われていた。

 しかし、問題となったのは襲撃された魔導師のことごとくが何らかの手段で魔力のすべてを奪われた痕跡があるということだった。魔力の蒐集、リンカーコアの摘出と略奪はミッドチルダの魔法の中では相当に高度な分類に入る。それほどの魔法を乱発しその足取りがつかめないはずがない。

 しかし、現実はこの二ヶ月犯人達の足取りをつかむことが出来ない。

 それには三つの理由があった。まず一つ目が、目標があまりにも無秩序に出現すること、二つ目として目標が少なくともAAAランク相当の魔導師集団で有ること、そしてもっとも重要になる最後の項目として事件の中心と予測されている場所が第97管理外世界であるということだった。

 一つ目と二つ目はそれほど重大な問題ではない。目標のランダム性は詳しい統計を取ることが出来ればその次回出現予想ポイントはかなりの精度で割り出すことができる

 目標がたとえAAAランクの戦闘集団であっても所詮は少数精鋭。外堀を徐々に埋めていき、持久戦に持ち込めば先に根を上げるのは物量に乏しい方だと言うことは古今変わることのない真実だ。

 高ランク魔導師や才能有る新人はやはりもてはやされる風潮が根強いが、時空管理局の何よりもの武器は巨大な組織力にものを言わせた物量であるということは疑いようのない事実なのだ。

 しかし、最後の項目は非常にやっかいというしかないことだ。管理局は基本的に管理外世界に介入することが出来ない。仮にそこに次元犯罪者が潜んでいるとしても、それはその世界の政府と政治的交渉を重ねた結果引き渡されなければならないのだ。

 管理局法の重要項目にある管理外世界に関する条文には、

 

『次元航行技術、或イハ其レニ準ズル技術ヲ保有シ無イ、或イハ保有シ無イト思ワレル次元世界ノ管理権ハ当該ノ定メル国家ニ有リ、其ノ政治体制、技術、文化、及ビ其ノ世界ニ於ケル有ラユル紛争ニ関シテハ、管理局ノ定メル次元管理法ハ是ニ一切ノ介入ヲ禁止スル』

 

 とある。

 また、別の項目には

 

『管理局及ビ其ノ他ノ次元世界ニ於ケル管理内外ニ関ワラズ、有ラユル文明ヲ有スル国家世界ハ管理外世界ト定メタル有ラユル国家世界ニ対スル捜査権、捜索権ヲ持タズ犯罪者ノ取リ扱イニ関シテハ当該ノ管理外世界ノ定メル法ノ範囲ニ於イテ決定サレル』

 

 とある。

 故に、たとえその世界で重大な次元犯罪が引き起ころうとも、管理局は本来ならばその次元世界の政府の許可を取らずして捜査に乗り出すことは出来ないのだ。

 これは、文明の劣る管理外世界の主権を守るために定められた法律なのだが、その次の条文の但し書きには、

 

「但シ、重大災害級ト認メラレル古代遺物ニ関スル技術デ有レバ、現地政府ノ認識外ニ於イテ耳、管理局捜査官ハ其ノ捜査権ヲ行使スル」

 

 とある。つまり、今回の魔導師襲撃事件において重大災害級と認定されるほどの古代遺物、ロストロギアがその背後に潜んでいるという証明が出来れば、管理局は当該世界、第97管理外世界"地球"の政府に発見されない方法を用いて捜査介入することが可能なのだ。

 ただし、その証拠がない。襲撃事件現場の残留魔力にはロストロギアが使用された痕跡はあるのだが、その反応が小さすぎるのか犯人の証拠消しが万全なのだ、そのロストロギアのランクや種類、用途などすべてが未だに不明のままなのだ。

 

 しかし、もう限界だとレティは思う。二ヶ月間何の進展もなかった。今この時でもおそらく魔導師襲撃事件は起こされているだろうし、それによる被害はこれより拡大の一途をたどるだろう。

 下手をすれば、こちらも犯罪者になることを覚悟して第97管理外に捜査介入をすることになるかも知れないとレティは下から上がってきた人事案に関する意見要望書に目を通す。

 

 その中で特にレティが興味を持ったのは、最近になってリンディが一人の個人契約の民間協力者を雇ったと言うことだった。

 半年前の事件、管理局においても有名になったプレシア・テスタロッサとジュエルシードに関する事件においてリンディは二人の民間協力者を得たと言うが、今回のように正規の契約を交わした間柄ではなかった。

 レティはそれに関するリンディからの報告書を立ち上げ、その内容に目を通し始めた。

 

「アリシア・テスタロッサ。民間人でプレシア・テスタロッサの実の娘。契約内容は……【翻訳】か……」

 

 レティは先月、久しぶりに休暇を会わせることの出来た友人リンディと飲みに行ったときのことを思い出していた。

 

「そう言えば、アースラの入港は今日だったわね」

 

 少し連絡を取ってみようかとレティは考え、それまで処理していた人事案その他を一度脇に避けると、モニターに通信ソフトを立ち上げ、友人が乗艦する次元航行艦にアクセスを開始した。

 

***

 

 それにしてもやっかいなことになっているなと、その同時刻頃アリシアも部屋に籠もりつつリンディのもとから上がってきた翻訳の案件を見て肩をすくめた。

 

「今日はゆっくりなんだね、お姉ちゃん」

 

 裁判が終了し、緊張が抜けたのか昼頃まで眠っていたフェイトは未だ眠たそうな眼をこすりながらアリシアと共用のベッドに座っている。

 アリシアはかなり早い時間から起き出して、現在抱えている案件の処理を行っているが、その様子からはそれほど重要なものではないのだろう。

 

「そうだね、昨日みたいな重要な依頼が入ること自体が珍しいから、普段はこれぐらいだよ」

 

 穏やかな口調で受け答えするアリシアだったが、フェイトに応えながらもその指は止まることなくキーを打ち続けているあたりのんびりしているとは思えない。

 ということは、昨日の依頼がどれほど過酷なものだったのだろうかと予測しフェイトは少し背筋が寒くなってしまった。

 

「あんたも結構無茶するねぇ。そんなんで良く身体が持つねぇ」

 

 ガチャッと言う音と共に浴室から姿を見せたアルフは、二人の会話を聞いていたらしく半ば呆れるように声をついた。

 

「私がいえたことじゃないけど、君はもう少し恥じらいというものを持ったらどう?」

 

 アリシアは意識の中に残るベルディナの男としての部分に神経を刺激されつつも、もてる理性を総動員してアルフから目をそらした。

 

「だってさぁ、風呂上がりは暑いじゃん。それにこっちの方が楽だし」

 

 そういってアルフは悩ましく突き出た肢体をぐるっと見回して軽くストレッチをし始める。

 

「だったらせめてタオルを巻くぐらいはしてほしいよ。誰か入ってきたらどうするつもり? 鍵かけてないんだよ?」

 

「別にいいじゃん、減るもんじゃなし」

 

 いや、たぶん何かが減る。おそらく、それを目撃してしまった者の理性ゲージか誇りのゲージなどが。

 

「無垢は罪悪にでありそれは周囲への迷惑の権化である……か……」

 

「んー? 何だいそれ」

 

 首にかけたタオルで胸の頭を申し分程度に隠したアルフは風呂上がりの牛乳を飲みながらキョトンと目を瞬かせた。

 

「いや、言っても無駄だって理解したよ。忘れて」

 

 というか、フェイトからも何か言ってくれとアリシアは諦め混じりにフェイトの方に目を向ける。

 

「……Zzz……」

 

 なるほど通りでと、アリシアはため息をついた。そこにはベッドの暖気にあらがいきれず、眠りの世界へと旅立ってしまった金色の眠り姫がいた。

 

「というか寝過ぎだよフェイト」

 

(仕方がない)

 

 アリシアは部屋の惨状を見回し、タイピングの手を一時的に休め、通信回線を開いた。

 

「クロノ執務官だ」

 

 通信機の向こうに出たのは、珈琲を片手にくつろいでいる最中のクロノだった。アースラは今日中に航海任務を終え、本局に入港することが決まっている。さらに言えば、プレシア・テスタロッサ関連の事件より向こう殆ど休むことなく働いていたアースラに最近になって割と深刻な損害が確認されたのだ。

 故に、上陸前の艦内には比較的のんびりとした空気が漂っているのだが、

 

「私だよ」

 

「ああ、アリシアか。どうした。仕事の話か?」

 

「残念ながらプライベート。フェイトが退屈そうにしているから、ちょっと相手をして貰いたいと思って」

 

「相手? 僕がフェイトの?」

 

「そう、お願いできる? 最近身体が鈍っているようだからクロノと戦闘訓練がしたいらしいね」

 

「まあ、僕としてはちょうど良い組み手だが」

 

「じゃあよろしく、クロノ。鍵は開けておくから勝手に入っていいから。フェイトは今眠ってるけど、たたき起こして連れて行っても良いからね」

 

 とアリシアはフェイトの方を見る。そこには子犬の姿に戻ったアルフを胸に抱いて眠りこけるフェイトと、フェイトの胸の中で鼾をかくアルフがあった。

 

「お前も容赦がないな。まあ、任された」

 

 クロノはそういいつつもやはり将来有能な魔導師を鍛えることに楽しみを見いだしているのか、実に楽しそうな表情と声で通信を切った。

 

「さてと」

 

 アリシアはそういってブラックアウトした通信モニターと共に作業中だったモニターもすべて閉じ、席を立ち上がった。

 

「じゃあ、お休み。良い夢をね、フェイト」

 

 部屋を去り際にアリシアは幸せそうな寝顔を浮かべるフェイトの頬をそっと撫で、その額に『持ち出し可 by アリシア』と書かれた紙を貼り付け物音を立てずに部屋を後にした。

 

「さてと、ユーノでも探すかな」

 

 長時間椅子に座りっぱなしだったため、少しひりひりする尻を撫でながらアリシアは自室を与えられていないユーノの姿を探すためアースラをうろつくことにした。

 それからしばらくしてから、アースラの訓練室で少女のか細い悲鳴が数時間にわたって鳴り響いていたことをアリシアは後になって知った。

 

***

 

 入港手続きを終え、アースラはタグボートの曳航によりドッグに固定されすべての動力を落とした。

 アリシアはドックに繋留さえているアースラをガラス越しに見おろした。

 アースラは作業用のアームや資材搬入用ブームによってその外装の数カ所が剥がされ、白く流麗だった船体からは所々灰色の構造物がむき出しになっている。

 

「やはり、外層支持系統にかなりのクラックやホールが確認されたらしいですね。熱変形による残留ひずみや高サイクル疲労を起こしかけている所も数カ所見つかったらしいです」

 

 アリシアは、近くの自動販売機で購入した紙コップの珈琲をちびちび飲みながらリンディとエイミィの会話を聞いていた。

 

「次元跳躍魔法に二回も晒されたわけだしねぇ。むしろ、それぐらいで済んだのを僥倖と思うべきかしら」

 

 リンディはエイミィの報告とその報告書から得られた情報に若干憂いを秘めたため息をついた。

 

「それでもL級はハードワークですしね。アースラ以外の艦が全部外に出ちゃってますし」

 

 前にこれぐらいの整備をしたのはいつだったか思い出せないほど、アースラを含むL級次元航行警備艦には暇がないのだ。建造から既に20年が経過した1番艦、L級のイニシャル艦ともなったロス・アダムスも近代改修を繰り返しながら未だ一線級の現役艦であることから、管理局がL級にかける信頼や期待というものがどれほど大きなものかが想像できるだろう。

 

「それでも9番艦の建造計画は頓挫してしまったしねぇ」

 

 10年前に建造されたL級最新鋭艦であるアースラ以降、L級艦はそれ以降のナンバーを刻んでいない。

 

「R(ラーバナ)級計画ですね。アルカンシェル二門を常時搭載型にした管理局の切り札でしたか。それは、確かに計画が頓挫するわけですよ。そもそも開発構想が無茶すぎる」

 

 漸く自分の舌の適温となった珈琲に舌鼓をうちながらアリシアはそっと横から声を挟んだ。

 

「それは、私もあんな物騒なものを常に搭載しておくなんて反対だったわ。だけど、新型艦構想そのものを凍結させるのはどうかと思うのよ」

 

 リンディは管理局の予算委員会の決定には不服だったらしい。

 アリシアとしては、そもそも人手不足の状況に乗組員が足りるかどうかも分からない船を建造しても余り意味がないのではないかと思うのだが、やはり現場の人間としては保有する戦力が多いことには越したことはないのだろう。事実、艦の空きがないためにアースラが拘束されてしまえば、リンディ達その乗組員はこうして上陸任務に暇を飽かすことしかできないのだ。

 

「ザンシ・ヴェロニカ計画に期待するしかないわね」

 

 リンディがふと漏らした言葉に、エイミィは聞き慣れない言葉だと目をぱちくりさせた。

 

「XV(ザンシ・ヴェロニカ:Xanthe Veronica)級構想ですか。L級の艦体規模をさらに増大させた大型艦構想ですね? もう計画段階なんですか?」

 

 しかし、アリシアはその計画名に聞き覚えがあったようだ。

 

「L級よりも大型って、そんな計画があるんですか?」

 

「計画名だけよ。一応、造船部で研究はされているらしいけど計画実行にはほど遠いらしいわ」

 

 リンディはエイミィの質問に、人事部の友人がふと漏らした噂話をそのまま伝えた。

 

「でしょうねぇ。有用性や戦力保有はともかく、予算を下ろさせるのは至難の業でしょうね。何よりも建造費の見積もりがL級の2倍以上になると予算委員会を口説き落とすのは至難の業でしょうしね。一隻あたり23億ミッドガルドともなるとさすがに」

 

 アリシアは片手では持ちにくい紙コップを両手で持ち直し、小さな口を精一杯広げて珈琲を喉に送り込む。その様子は、実に子供らしい仕草でエイミィはつい微笑ましく思ってしまうが、そんな彼女の口から出される言葉が幼子の範疇を逸脱しすぎていることに妙な違和感を持った。

 

「あら? もう見積もりが出てるの? それは知らなかったわ」

 

 リンディはアリシアと同じ自販機で買った緑茶に自前の角砂糖とミルクをたっぷりと入れた液体を机に置いた。

 

「らしいですね。詳細までは面倒だったので確認しませんでしたけど」

 

「今度私の部屋にデータを送っておいて貰える?」

 

「分かりました、リンディ提督」

 

 話が一段落し、三人とも自分の飲み物に舌鼓を打っていた頃、通路の向こう側からクロノがフェイトとアルフ、ユーノを引き連れてやってきていた。

 

「艦長。フェイト・テスタロッサの拘束解除申請が受理されました。こちらが書類になります」

 

 クロノはリンディのそばにやってきて敬礼をし、彼女に手に持っていた情報端末を渡した。

 リンディは「ご苦労様」と一言告げてそれを確認し、そしてにっこりと笑ってフェイトの方に顔を向けた。

 

「はい、確認しました。おめでとう、フェイトさん、アルフさん。これであなた達は監視付きではあるけれど晴れて自由の身よ」

 

 リンディは手に持つ端末に電子署名を施し、それをフェイトに手渡した。

 フェイトはその書面を胸に抱き、わき上がる喜びに頬を染めた。

 

「はい、ありがとうございました。リンディ提督、それに皆さん。本当に……ありがとうございました……」

 

 そういってアルフ共々そこにいるアースラメンバーに対して深く頭を垂れるフェイトの肩は細かく震えていた。

 

「おめでとう、フェイト」

 

 漸く今まで彼女が味わってきた苦労が実を結んだことにユーノも感動を隠しきれず、フェイト程ではないがついもらい泣きをしてしまいそうになった。そして、何よりも地球に残してきたなのはとフェイトを漸く引き合わせることが出来ると言うことにユーノは一番の喜びを感じる。

 

「ユーノもありがとうね。ユーノがちゃんと証言してくれなかったら、私……」

 

「いや、僕は原稿通りに証言しただけなんだけどね。そもそも原稿はクロノとアリシアが作ったものだし。僕は何もしてないよ」

 

 ユーノはフェイトの感謝の言葉に赤面し、照れ隠しに鼻頭をかいた。

 

「ううん、ユーノがなのはと出会ってくれなかったら。私はたぶん、人形のままで終わってたから。私はユーノにはなのはと同じぐらい感謝してるんだ」

 

 なのはと同じぐらいと言われればユーノはどれぐらいフェイトが自分に感謝してくれているのかがよく分かった。しかし、ユーノにとってなのはとの出会いというのはナーバスな側面がある。

 アリシアは僅かに陰るユーノの表情を見て、喜びの涙に鼻をすすらせるフェイトに歩み寄り、その胸を優しく抱きかかえた。

 

「良かったねフェイト。これで、高町なのはと会えるよ」

 

「うん、お姉ちゃんもありがとう。……だけど、お昼のあれはもう勘弁してね」

 

「善処する」

 

 そんな姉妹の交流についつい涙を漏らすアルフが照れ隠しに咳払いをしたところである一種の儀式は終了した。

 

「それじゃあ、私は地球への渡航許可を貰ってきますね」

 

 エイミィは一足早く立ち上がると、かねてからの約束通りフェイトとアリシアの地球への渡航許可の申請を行うためトランスポーターの管理室へと向かおうとした。

 

「ああ、よろしく頼むぞエイミィ」

 

 まだ感動の余韻が冷め切らないフェイトの肩を叩きながらクロノはエイミィを見送った。エイミィはそんなクロノの様子をまるでフェイトの兄のようだと思いながらトランスポーターの管理室へと急いだ。

 

「やっと、やっとなのはに会えるんだね」

 

 今まで映像の向こう側でしか交流することが出来なかった初めての親友を思いフェイトはそう一言呟いた。

 

「うん、そうだねフェイト。なのは達がね、フェイトとの再開と出会いを祝してパーティーをしようって計画してるんだ。アリサとすずかも居るから、きっと賑やかになるだろうね」

 

 その計画はユーノも発案者の一人であり、この数ヶ月間地球で出来た友人達とその計画を練るのはとても楽しいことだったと呟いた。

 

「パーティーか、楽しみだな……。だけど、どうしようお姉ちゃん。私、パーティーに着ていけるような服持ってない。それに、プレゼントも用意してないよ」

 

 パーティーと聞いてフェイトは少しあわてた様子でアリシアに相談を持ちかけた。確かに、フェイトの衣食住に関してはアリシア同様、リンディが面倒を見ている状態だ。彼女が用意した衣服の中には確かにパーティーに着ていくフォーマルなドレスや煌びやかな衣装はなかったはずだとアリシアは記憶している。

 それに、フェイトがリンディから貰っている小遣いの額では親友やこれから友人になる少女達へのプレゼントをそろえるほどの余裕はない。

 

「まあ、プライベートなパーティーだったら今着てるので十分じゃないかな? プレゼントは……そうだね、私が何とかしてもいいけど、どうする?」

 

 アリシアには翻訳の仕事で得た蓄えがある。しかし、彼女は未成年の上に就職適例年齢さえもクリアしていない状態なので、その仕事は常にリンディ名義となっている上にその報酬もまたリンディが一括して管理している状態だ。

 必要な時は言ってくれれば渡すと言われている蓄えだが、この半年ほどで得られた金額はいったいどれぐらいになっているのか、実際の所アリシアはこれを暇つぶしのためにしていたため金銭的なところには余り興味がなかったのだ。

 

「だけど、お姉ちゃんに払って貰うわけには……」

 

 フェイトの遠慮深い性質が出てしまったようだ。アリシアは少し嘆息し、つま先を立てて背伸びをし、フェイトの頬を両手で包み込んだ。

 

「フェイト、たまには私にも姉らしいことをさせて貰いたいんだけどね。それともこんなに小さな姉の世話になるのは嫌だってことかな?」

 

「そ、そんなことはないけど」

 

 アリシアに頬を抑えられるままにフェイトは少しうつむいてしまった。

 アリシアは仕方がないなと、側で肩をすくめるアルフに向かって視線でフェイトを説得するように促した。

 アルフはその視線に込められた言葉を正確に理解し、フェイトの肩を叩いてにっこりと笑った。

 

「良いじゃないか、フェイト。せっかくアリシアがお姉ちゃんらしいことがしたいっていってんだからさ。それでフェイトが友達とうまくやれるってんだったらアリシアだって嬉しいだろうよ。それに、フェイトもこれからは嘱託なんだろう? それだったらいつかその給料でアリシアに恩返しすればいいんじゃないかい?」

 

 さすがはアルフだとアリシアは思い、フェイトの頬からそっと両腕を離した。

 

「うん、そうだねアルフ。あの、ごめんなさいお姉ちゃん。今回はお世話になります」

 

 嘱託の初任給は絶対アリシアへのお礼に使おうとフェイトは心に決め、そっと頭を下げた。

 

「ああ、任してよフェイト。一緒に最高のプレゼントを選ぼう。ユーノも手伝ってくれるよね?」

 

「うん、喜んで」

 

 四人はそういって微笑み合った。

 その様子を一歩引いたところで見つめるハラオウン親子は、「やっぱり家族とか友達って良いものよね」と幼い彼らの幸いを心から祈り祝福した。

 

「大変! 大変だよ、クロノ君、リンディ艦長!!」

 

 そして、エイミィのその声がすべてを決定づけた。

 

「騒々しいぞエイミィ。管理局の廊下は走るな」

 

 クロノは大声を出して息を荒くするエイミィをとがめるが、彼女はそれさえも聞き入れることが出来ずさらに声を張り上げた。

 

「なのはちゃんとの交信がとれないの。今、海鳴に広域封鎖結界が張られててたぶんなのはちゃんがそこに……」

 

 夜の緞帳はそうして幕を上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 Ignition Flame

 足下に広がる雑踏と淡い光を放つビル群。それを俯瞰する少女はどうしてこの世界の人間はこうも気楽に生きていけるのだろうかと心に思った。

 夜の闇は嫌いだ、それはどこか自分自身の深淵を浮かび上がらせる鏡のように思えるから。

 そう思い、赤いドレスを身にまとう少女はそっとため息をついた。

 

「あたしも、臆病になったもんだな」

 

 そして彼女は最近家族となった一人の少女の朗らかな笑みを思い出した。あの笑顔を守るために自分は戦うのだと決意を新たにする反面、それを守りきれなかったときそしてそれが永遠に失われてしまったときのことを考えるとどうしても自分は弱くなってしまうと彼女は感じていた。

 

「様子はどうだ、ヴィータ」

 

 背後から届いた声に赤の少女は振り向いて目を向ける。そこには一匹の蒼いオオカミが表情の読めない視線で彼女を見ていた。

 

「ザフィーラか、あんまり芳しくないね。そっちは?」

 

 上空をに吹く若干強めの風に髪を抑えながら赤の少女、ヴィータは少しぶっきらぼうに応えた。

 

「どうもはっきりとしない。やはり、直接探索をかけんと無理かもしれんな」

 

 深く沈み込むような低い声で話す狼、ザフィーラからは一切の焦りは感じられない。それが単なる振りではなく長く戦い続けて来たものの持つ余裕であることはヴィータもよく知っていた。

 その冷静さは自分も見習わなければならないことだと肩をすくめるヴィータにザフィーラは背を向けた。

 

「手分けをしよう。闇の書はお前に預ける」

 

「あいよ、そっちもね」

 

 ヴィータは手に持つ大槌を肩に担ぎ、脇に抱えた本を腰の後ろの回して服に括り付けた。

 

「心得ている。ではしくじるなよ」

 

 ザフィーラはそう一言残し、闇夜の空に悠然とかけだしていく。

 

「心配性なやつ」

 

 徐々に遠ざかっていく彼の魔力反応を背中に感じ、ヴィータは少し頬をゆるませ、表情を引き締めた。そして、肩に担いでいた大槌型のデバイスを前方へとかざし、目を閉じ意識を術式構成にシフトさせる。

 

「封鎖領域展開」

 

 ヴィータのその静かな言葉に呼応して彼女の持つデバイスは静かにその身を明滅させ、担い手の要求する術式を展開していく。

 そして彼女を中心として球状の封鎖領域が広がっていき、その広がりと共に世界が色彩を失っていく。

 徐々に消えていく雑踏、街を歩く人々の群れからヴィータは意識を逸らし、その中にあってなおも存在し続ける反応を探り続ける。

 

「……魔力反応……目標補足……」

 

 ヴィータは目を開き、確かに存在するその反応に目を向けた。巨大な魔力反応。それこそが、彼女たちがここ二、三日の間に追い続けてきたものだった。推定AAAランク、そしてそれが持つ魔力パターンとを照合し、ヴィータは間違いないと断定した。

 

「上出来だ………いこうか、グラーフ・アイゼン」

 

 漸く捕まえたと、ヴィータは口の端を僅かに持ち上げ、相棒である自らのデバイスにそう声をかけ、そして目標に向かって一直線に飛び立った。

 

(これで闇の書も一気に20ページだ。悪いけど、あんたの魔力を貰うよ)

 

***

 

「うん?」

 

 そういってなのはは、窓の外から感じた何らかの違和感に声を漏らした。

 

「何だろう? レイジングハート、分かる?」

 

《魔力反応検出、範囲拡大を確認。広域魔法術式……これは……空間封鎖結界の類です》

 

 レイジングハートの言葉と共に、なのはの身体を何かの奔流が駆け抜けた。感覚が研ぎ澄まされていく、何者かの視線が感じる。なのははその違和感と不快感に眉をひそめ、レイジングハートを取り上げて立ち上がった。

 

《何者かの索敵を受けています。魔力反応感知されました》

 

 向かってくる。なのはは漠然とそう感じた。何者かの悪意が僅かな魔力の揺らぎとなって脳裏をかすめる。

 

「ここにいちゃダメだよね」

 

 なのはの呟きにレイジングハートも光の明滅で応えた。

 

《目標がどのような思惑を持っているのは分かりませんが、管理外世界でわざわざ空間を封鎖したということは何かしらの悪意があると思われます。移動しましょう、マスター。話をするにしても戦うにしてもここにいてはあまりにも危険です》

 

 なのはは無言で頷き、レイジングハートを首にかけ部屋をでた。

 自分以外の気配がしない。一切が結界の外に追いやられた。いや、むしろ自分だけが結界の中に取り込まれたと言うべきか。

 ここには優しい母も、穏やかな父も、心強い兄も、明るい姉もここにはいない。

 

『戦場は孤独だ。そして不条理で無意味だ』

 

 なのははかつてシニカルに笑う少女の言葉を思い出した。

 

「うん、そうだねアリシアちゃん。だけど、私は信じてるよ」

 

 こぼれ落ちそうになった涙をぬぐい、なのはは深(シン)と静まりかえる高町の家を駆け抜け、闇に沈む街へ自身へと舞い込んできた戦場へと戻った。

 

 離れていても心は繋がっている。絆があれば必ずまた会える。なのははそう信じて戦うことを決めた。

 

「だけど、まずはお話を聞かせて貰わないとねレイジングハート」

 

《ええ、たっぷりと話を聞かせて貰いましょう》

 

 

***

 

 静かな警告音の鳴り響くアースラの艦内。外装をすべて取り外され整備中だった艦は一時的に息を吹き返し、艦橋にはオペレーションモニターがノイズ混じりの状況を伝え続ける。

 

「状況を!」

 

 拘束中のアースラを動かすために上層部を黙らせてきたリンディは、そう声を張り上げ艦橋に入場を果たした。

 

「現在海鳴にて封鎖結界を確認しました。内部の状況は確認できませんが、なのはちゃんの魔力反応が僅かですが検出されています。それと同時にこちらのデータにない魔力反応が一つ。おそらく戦闘中と推察できます」

 

 リンディに先行していち早くオペレーティングを開始していたエイミィが矢継ぎ早にそう報告する。

 

「結界解除は?」

 

「現在術式の構成を走査中です。しかし、こちらの使用している術式構成とかなりの違いが認められ、解析にはかなりの時間が必要となります」

 

 エイミィとは違うオペレーターがそう答え、モニターの中心には解析を示すプログラミングの実行画面と、現在海鳴において観測されている封鎖結界の様子が映し出される。

 

「アリシアさん達は?」

 

 エイミィの報告を受けていち早く行動を開始したアリシアはただ一言、「戦域に介入する」とだけ伝え駆けだしていった。それを追う形でフェイトとユーノもそれに追従した。

 

「現在トランスポーターで職員ともめているようです」

 

 本局の転送室の前で職員に突っかかり今にも噛みつかんばかりの勢いで口論を交わすアリシアの姿もモニターの端に示されている。

 

「提督権限でトランスポーターの使用要請を」

 

「了解!」

 

 リンディはそれだけ告げると一旦艦長席に腰を下ろし、一つ呼吸をつき早まる心音を押さえつけた。

 

(ともかく、封鎖結界の解除を最優先。容疑者の捕縛は状況を確認してからね)

 

 ふう、とリンディは吐息と共に肩をなで下ろし、スッと瞳を開き刻一刻と進む状況を眺めた。

 

(とにかく今は現地の民間人の安全を第一に。無事でいて、なのはさん)

 

***

 

「くぅぅ……」

 

 突然襲いかかってきた少女は、話を聞く余地も残さずただひたすらになのはの戦力を奪おうとするだけだった。

 

「お前、堅ぇな」

 

 なのはの防御をプロテクションごと吹き飛ばした少女は、空中で必死に体勢を立て直すなのはに向かってそう呟いた。

 ブン! と威嚇するように手に持つ大槌【グラーフ・アイゼン】を振るう少女になのはは戦慄と共に恐怖を感じた。

 

「なんで、こんなことするの?」

 

 プロテクション越しに衝撃を受けた腕をかばうように右手で押さえる左腕からは僅かに先決が漏れ出してくる。なのははその痛みに歯を食いしばり、必死になってレイジングハートを構える。

 シューティング・モードにシフトされた彼女のデバイスは音叉状に展開された先端フレームを輝かせ、桃色の追尾弾を4発同時に発射した。

 

「バカの一つ覚え!」

 

 先ほどから執拗に自分を追いかけるその射撃魔法【Divine Shooter】に彼女は指の間に数個の鉄球を生み出し、大槌の一降りと共にそれを高速で打ち出した。

 

《高速追尾弾接近、デコイ発射》

 

 レイジングハートは襲いかかる鉄球に対し、主の魔力反応に酷似した光弾を生成し、なのはが移動魔法【Flash move】を使用し上空高く舞い上がる行動に応じて、そのデコイを後方へと加速させた。

 

「このヤロ、ちょこまかと」

 

 半分の鉄球がデコイに誘導されて明後日の方向へと飛んで行ってしまったことに少女は歯ぎしりをして、もくろみ通り上空へと退避したなのはをねらい、大槌を振りかぶり一直線に襲撃をかけた。

 

【Protection】

 

 攪乱できなかった鉄球の追尾から逃れることに一瞬意識を向けすぎていたなのはは、その少女の襲撃に反応が遅れてしまった。

 

「くっ!」

 

 レイジングハートが展開した自動防御機構を真っ正面から打ち付けるヴィータの攻撃になのはは声を漏らし、レイジングハートの忠告通り、彼女はまともにそれと張り合わず、むしろその力を離脱に利用するようにその力の流れに身をゆだねた。

 

(やっぱり堅い。それにこいつ冷静だ)

 

 歴戦の記憶を持つヴィータであっても、なのはの戦い方には何処か年相応というものが感じられず、先ほどの誘導弾をごまかしたデコイといい、自分がもっとも得意としている結界抜き攻撃【テートリヒ・シュラーク】でさえ下手に押し切るらずいいようにあしらわれている。

 それにしては、とヴィータは後退しつつ錫杖の先をこちらに向ける少女に目を向けた。

 

(行動選択はすごく冷静で的確。だが、どうしてこいつはこんなにも余裕がない?)

 

 こちらに輝く先端を向ける少女の瞳は負けたくないという気概と、勝てないかも知れないという恐れに満ちあふれている様子だった。

 それに、ヴィータが先ほどから切り札を使わず、決定打にかける攻撃をしているのにも理由がある。

 この手合いの先ほどまでの戦い方は、何処か単独で戦うような仕様になっていないと感じられたのだ。

 ならば、どこかに伏兵が居るのか仲間がこちらに向かってきているのか。

 出来ることなら、それらが到着する前に何とか決着を付けたかったが、出来る限りそれらに備えて温存しておく必要もあった。

 

(だけど、少し時間がかかりすぎたね)

 

 少女、なのはの杖の先端から放出された大規模砲撃魔法【Divine Buster】の威力に舌を巻きながら、その奔流の影に隠されていた誘導弾【Divine Shooter】を上手いと思いながら回避を続け、ヴィータはやはり少し本気を出さないと下せる敵ではないと判断した。

 

「あんまり使いたくないけど、グラーフ・アイゼン、カートリッジロード。ラケーテン・フォームに形状変化」

 

 ハンマーで殴り返した【Divine Shooter】の光弾が近くのビルに着弾し撒き散らされる土煙に身を隠し、ヴィータは自身のデバイスにそう命令を下した。

 

《Ja》(了解)

 

 グラーフ・アイゼンはそう一言だけ報告し、ハンマーのヘッドとグリップとをつなぐジョイントをスライドさせチェンバーを開放した。

 そこにはジョイントを覆うように円状に搭載された弾丸のようなものが並んでおり、スライドさせたジョイントが元の姿に格納されると同時になにがしかの激発音が響いた。

 

「……!! な、なんなの?」

 

 土煙の向こう側へレイジングハートを構え、煙が張れるのを待っていたなのははその中心で急激な魔力の増大を感じ、一体何があったのかと息を飲んだ。

 その魔力増大と共に姿を示したヴィータはその手に持つデバイスを大きく振りかぶり、そして叫んだ。

 

「アイゼン、ラケーテン・ハンマー」

 

《Ja!!》

 

 レイジングハートは一瞬、その形状を目にして冗談だろうと思ってしまった。ハンマーのヘッド部分にあしらわれた追加武装。相手を打ち付ける本来なら平坦であるはずのインパクト部分の片方には先端のとがった角錐が設えられ、その反対側にはそれこそ冗談としか思えないような装備、あえて言えばロケット・ブースタというべき魔導推進器が装備されていた。

 

「上出来だ。貫け! アイゼン」

 

 レイジングハートは拙いと判断した。

 

《マスター! 回避を、あれを受けてはひとたまりもありません》

 

 しかし、ヴィータの追加武装による魔導推進器の出力はそれまで何処か愚鈍に思えた彼女の移動力を爆発的に向上させ、その速度に反応できなかったなのはの防御を打ち付けた。

 

「しまった!!」

 

 なのははその攻撃を反射的に受けてしまい、後悔するしかなかった。それまではたとえ防御の上から殴りつけられてもレイジングハートの判断に従いその力を後退の速度に利用することで何とか直撃を避けてきていた。しかし、今彼女が持っているのはそれまでのハンマー攻撃とは速度も突破能力も違うものだ。

 なのはは遅れた判断と共に、致命的な選択ミスをしてしまった。

 

「まともに受けられるとでも……!!」

 

 ロケット(ラケーテン)ハンマー(ハマー)のグリップから感じる確かな抵抗感と手応えにヴィータはニヤッと笑い、さらにブースターの出力を向上させブースターの排気口から莫大な量の魔力推進剤を撒き散らした。

 

「いやっ!!」

 

 大量のヒビが広がる防御障壁の表面になのはは恐怖を感じる。

 

「……思ったか!」

 

 なのはは反射的に突破してくるハンマーの衝角から身を守るべく、レイジングハートを盾のように構える。

 しかし、プロテクションを容易に突破したその推進力に魔力で強化を行っていないただの錫杖では明らかに力不足だった。

 

「レイジングハート!!」

 

 先端と取手をつなぐ結合部に亀裂の入る愛杖になのはは悲鳴を上げる。

 

《緊急離脱を敢行します。歯を食いしばってください》

 

 レイジングハートはそう一言だけ警告すると、自身のフレームから漏れ出す魔力を起爆させ、小爆発を起こさせる。

 なのははその瞬間的に過大な反発力になすすべもなく翻弄され、あっけなく吹き飛ぶとその背後にそびえるビルの壁面にまともに背中を打ち付け、窓ガラスを崩壊させながらビルに突き刺さる。

 

「けほ……、こほ……。あうぅ……痛いよぉ……」

 

 左の鎖骨にヒビが入ってしまったかもしれない。

 レイジングハートは所々にノイズの混じる制御システムを稼働させ、主の状態を確認し現状の打開策の検討にリソースを振り分けた。

 なのはは、衝突と共に飛来した瓦礫の破片に所々肌を傷つけ、数カ所からにじみ出る鮮血に気が遠のきかける。

 

「あたしをここまで手こずらせるとは、なかなか大したもんだったな」

 

 ザッという重苦しい足音が響き、もうもうと湧き出る灰色じみた砂埃の中からなのはの敵、ヴィータが姿を現した。

 なのはは痛む脇腹を右手で押さえながら、利き手である左に破損の激しいレイジングハートを持ちそれに相対するが、ヴィータは一切の慈悲もなく角張った先端のラケーテンを振りかぶり再度なのはにそれを打ち付ける。

 後退する場所はない。しかし、機能不全を起こしかけているレイジングハートではその攻撃を受けきるだけの強度のある障壁を展開することは出来ない。

 せめて、主人の魔法構成速度がもう少し速ければこのタイミングでもさらに強固な結界【ラウンド・シールド】を展開することも可能なのにとエラーの続く思考の中レイジングハートはそんな望みを持った。

 

 なのはが展開したプロテクションは、全くの防御効果さえも示さずあっさりとラケーテンの前に崩れ去り、先端が着弾したバリアジャケットは最終防衛【リアクター・パージ】を敢行した。

 なのはが身に纏う白いバリアジャケットの上着は桃色の残滓を残し魔力へと帰り、その反作用を利用してヴィータのラケーテンを僅かに押し戻す。

 

(悪あがきだ)

 

 威力をそがれ、手応えを消された事にヴィータは僅かに舌打ちをするが、それでも再度壁に激突した相手を見て、ひとまず敵の戦闘力を無効化したことを良しとしてハンマーのヘッドを元の平坦な形状に戻しそれを床に向けた。

 

「あんたには恨みはない、命を貰うつもりもないし、目的さえ果たせればもうあんたの前には現れない。だから餌になってくれ」

 

 一歩ヴィータがなのはに近づく。なのはは退路のない壁際に力なく崩れ去り、それでも最後の力と気力を振り絞り、破損し先端の赤い宝石にもヒビが入り今にも折れてしまいそうなレイジングハートをヴィータへと向ける。

 

「勇敢だな。こんな風じゃなかったら、戦友にでもなれていたかも知れないけど、残念だ。上出来だったよ、あんたは……」

 

 相手に武装解除のつもりがないのなら仕方がないと、ヴィータは再びグラーフ・アイゼンを振りかぶり、「ルーヴィス」と呟きながらなのはが手に持つデバイスを完全に破壊すべくそれを一閃させた。

 

(こんなところで終わっちゃうの? 嫌だ、嫌だよ……、誰か、誰か助けて! ユーノ君、クロノ君、フェイトちゃん、アリシアちゃん……。ユーノ君、ユーノ君!!)

 

 閉鎖された室内を切り裂くヴィータの一閃。そして、満ちあふれる翠の魔光。最後を予感してなのははギュッと目を閉じたなのはの視界に最後に映っていたのはそんな光景だった。

 

 

***

 

 

 必殺を確信して振るわれた大槌の一閃はわき上がる緑の光壁の前にあっけなくその侵略を阻まれた。

 

「なに!!」

 

 ギンッという音と共にヴィータの驚愕の声が耳に届いた。

 

「なのは、待たせてごめん」

 

 会いたくて、会えなくて、待ちこがれて、それでも待ち続けられなくて、ずっとずっと聞いていたかった側にいて欲しかった声がなのはの耳に飛び込んでくる。

 なのはは目を開き、そしてしっかりと見えた。

 

「何者だお前。こいつの仲間か?」

 

 なのはの目の前を覆う白いマント、そして彼と自分を守る翠の光盾。その盾にあっけなくはじき返され、僅かに後退したヴィータは突然現れた少年に鋭い視線を浴びせかけた。

 

「パートナーだよ」

 

 翠の魔力光を足下に携え、美しいハニーブロンドの髪を風にたなびかせ、なのはのパートナー、ユーノ・スクライアはそう言ってニッコリと笑った。

 

「ちっ!」

 

 ついに援軍の到着を許してしまった。しかもこの少年は今まで追い詰めていた少女のパートナーを名乗った。ならば、たとえ戦闘不能に近い状態まで追いやったとしてもこの二人がタッグを組んで仕舞えばパワーバランスは元に戻ってしまうかもしれない。

 何よりも自分は既にカートリッジをいくつか消費してしまっている。一時後退し体勢を立て直さなければならない。

 ヴィータはそれだけのことを一瞬で判断すると、背後にあけられたビルの穴から離脱を敢行した。

 

『報告をユーノ。高町なのはの保護には成功したの?』

 

 高速で離脱するヴィータをそのまま見逃し、ユーノはすぐになのはの元に駆け寄り彼女の状態を確認した。

 

『ごめんアリシア。こちらユーノ。なのはの保護に成功。だけど、随分酷くやられたみたい。僕はこのままなのはの治療に専念するよ』

 

 ユーノはアリシアからの報告要請に応じ、なのはの状態を簡潔に報告した。

 

「アリシアちゃん、来てるの?」

 

 多少朦朧とする意識の中、なのはは喋るたびに痛む脇を押さえながらユーノに聞いた。

 

「うん、フェイトも来てる。もう、大丈夫だよなのは」

 

 ユーノはそう優しく笑ってなのはの頭を撫でつけた。

 

「そう、良かった……」

 

 なのははそう深く息を吐き出すと、そのまま気失うようにユーノの腕の中に倒れ込んだ。

 

「だ、大丈夫? なのは」

 

 あわててユーノはそれを抱き留め、先ほど診断した中でもっとも負傷の度合いが強い脇腹に手を当て治療の魔法を流し込む。もしも折れていたら魔法だけでは直しきれなかったが、幸い骨にヒビが入っているだけに留まり、ゆっくりとながらそれは治療されていく。

 

「にゃはは、なんか安心したら気が抜けちゃって……ああ……ユーノ君の手、暖かいな……」

 

 ユーノの魔力に前身が包み込まれ、なのはは安心すると同時にさっきまで体中を襲っていた痛覚が徐々に緩和されていくのを感じた。

 

「応急処置だけど、とりあえず目立った怪我は治ったはずだよ。いったんここを出よう。なのは、飛べる?」

 

 ユーノはなのはに肩を貸し、ゆっくりと立たせた。なのはは自分の足で立てると言いたかったが、少しだけ彼に甘えることとした。

 

「私は大丈夫だけど、レイジングハートが……」

 

 一時的に待機状態に戻ったレイジングハートは、なのはの手の中で光の明滅を繰り返ししていた。

 

《破損率が30%を突破しました。通常起動に限定すれば運用は可能ですが、戦闘使用に耐えきれる強度を確保できません》

 

 レイジングハートの声は実に冷静だったが、その言葉の端々には悔しさに満ちておりいつものように軽快な会話をするような余裕はないようだった。

 

『アリシアよりユーノ。そちらの状況は? まだ移動できない? フェイトが少し辛そうなんだ。出来れば応援に行ってもらえるといいんだけど』

 

 再びアリシアの念話がユーノとなのはの元に届いた。

 

『こちらユーノ。ごめん、アリシア。今はまだ……』

 

 移動は出来そうにないとユーノが伝えようとしたが、それに割り込むようになのはが念話をつないだ。

 

『アリシアちゃん、なのはだよ。私は大丈夫。すぐに移動するから、フェイトちゃんにはもう少しだけ頑張ってって伝えて』

 

「いいの? なのは」

 

「うん、なるべく足手まといになりたくないんだ。お願い」

 

「分かった」

 

『こちらアリシア。了解したよ、ポイントを指定するから速やかに移動して。そこから南東約120mのビルの上、私もそこに居るからよろしく』

 

『分かった、すぐに行くよアリシア』

 

 ユーノはそう言って速やかにアリシアとの通信を遮断した。

 

「じゃあ、なのは。少し飛ばすからしっかり捕まっててね」

 

 ユーノはそう言ってなのはの肩をつかみ、膝裏に手を差し込んで横抱きに抱き上げた。

 

「ちょ、ちょっとユーノ君。これは……恥ずかしいよぉ……」

 

 いつかドラマやCMで目にしたいわゆるお姫様だっこと呼ばれる形で自分がユーノに抱き上げられている事になのはは羞恥を隠しきれず、少し抗議の意味も込めて手をばたつかせる。

 

「ごめん。だけどこうするのが一番飛びやすいんだ。嫌だと思うけど我慢して」

 

「い、嫌じゃないよ。全然嫌じゃないから。あの、気にしないで……」

 

「うん、じゃあ行くよ」

 

 なのはは赤い頬を隠すように俯き、こくんと小さく肯いた。

 ユーノはそれを確認し、先ほどヴィータが飛び出していったビルの穴から身を躍らせ、相手に感づかれないようにするためビル合間を縫うように極低高度で飛び続けた。

 その途中、赤い光と金色の光そして橙の光が空中で折り重なりあいぶつかり合う光景が視界の端に映り、なのははフェイトがアルフと共に戦闘を続けていることを知った。

 自分は防御するしかなかった相手の攻撃だが、フェイトなら回避することが出来るだろう。それにフェイトは一人ではない。ただ、相手の防御能力や障壁突破能力は絶大なもので、もしもフェイトがそれを食らうことがあればひょっとしたら自分よりもあっけなく落ちてしまうかも知れない。

 なのはは安心感と不安の両方を抱え、飛行するユーノの身体をギュッと抱き寄せた。

 見上げると、ユーノも若干顔を赤らめているようだったが、その表情は凛々しい眼に支配され、それだけでなのはは身体が熱くなってしまう。

 

「やあ、高町なのは。久しぶりだね。君と戦場で会えるなんて思っていなかったよ」

 

 ユーノが指定されようやく降り立ったビルの頂上に立っていたアリシアは、フェイトに対する指向性の高い念話回線を絶やさずに指示を送り、その合間を縫ってなのはとの再開を祝い合う挨拶を交わした。

 

「あは、ちょっと身体がだるいよ。アリシアちゃんも久しぶり。ちょっと雰囲気変わった?」

 

 ユーノはなのはをゆっくりと床に下ろし、なのははユーノの手を取って立ち上がった。

 

「じゃあ、アリシア。僕はフェイトの援護に回るよ。なのはをお願い」

 

 ユーノはそう言ってなのはとアリシアに視線を配り、そして未だ続く戦場を見上げた。

 

「ああ、よろしく頼むよユーノ。今、リミエッタ主席管制官を筆頭にアースラチームがこの結界の分析を進めているはずだ。この結界が解除するまで持てばいい。敵の捕縛は二の次。今は無事に帰還することを最優先にね」

 

「うん、分かってる。そのために僕達が来たんだからね」

 

 ユーノはニッコリと笑い返し「それじゃあ」といって翠の魔力光をたなびかせ空へと舞い戻った。

 

「あの子の飛行は綺麗だね」

 

 アリシアは飛び去るユーノの姿を目を細めて眺めそう漏らした。

 

「うん、ユーノ君の魔法は綺麗だよ。私も、あんな風に魔法が使えればなぁ」

 

《大丈夫ですよ、マスター。マスターの飛行も美しい。私が保証しましょう》

 

 ザザッというノイズ混じりにレイジングハートは主を励ますように声を発する。

 

「うん、ありがとうレイジングハート」

 

 ボロボロになったフレームを撫で付け、なのははレイジングハートに礼を言う。

 

《どういたしまして》

 

 まるで親友か姉妹のように言葉を交わす二人にアリシアはニヤッと笑みを浮かべた。

 

「それにしてもレイジングハート。しばらく見ないうちに随分綺麗になったね。ちょっと欠けた感じとかヒビの入り具合とかなかなかオシャレじゃないか」

 

《しばらく会わないうちに美的センスを狂わせましたか? アリシア嬢。もっとも、あなたの美意識など端から破綻しているでしょうがね》

 

「へえ、ガラクタが美意識なんて言葉を覚えるなんて驚きだね。この調子ならゴミ捨て場のスクラップでも芸術家になれそうな気がするよ」

 

《よく言いましたね腐れゾンビ。死んでも死なないほど単純な作りのあなたが美意識、知性云々を口にするとは。いつから芸術とはそれほどまでに軽々しいものとなったのでしょうかね》

 

「………」

 

《………》

 

「変わらないね、お前も私も」

 

《お互い、単純な作りをしていますからね》

 

「単純である分強固である証明かな。地球はどうだった?」

 

《やはりすばらしい。私の趣味が増えました》

 

「それは良かったね。また、いろいろと話を聞かせてくれるといいな」

 

《………それにしても、随分可愛らしくなりましたね、アリシア嬢。話す内容さえ何とかしてしまえば、まるっきりお嬢様ではありませんか。最初少し鳥肌が立つかと思いましたよ、不気味で》

 

「立てられるものなら立ててみてよ、石ころ」

 

 アリシアはそういうとにっこりと笑い、ぐいっと中指を空に向かって押っ立てた。

 

「………やっぱり、アリシアちゃん相手だと生き生きしてるね。レイジングハート……」

 

 自分の相棒が自分と話すときよりも楽しそうに他人と話すのを聞いて、なのはは些か面白くないと感じ、アリシアに若干湿った視線を投げた。

 

《時々砲撃を叩き込みたくなりますがね》

 

「それはこっちの台詞だよ、レイジングハート。私もいったい何度お前をたたき壊したいと思ったことか」

 

《何なら決着をつけましょうか? 長年の因縁を》

 

「へえ、そんなスクラップ寸前で良く吠えたねレイジングハート。くず鉄になる覚悟はOK?」

 

《もう一度あの世を見せてあげましょう、名もなき亡霊》

 

「そこまで!! 二人とも不謹慎だよ」

 

 そんな二人のどこか殺伐しつつもどこか微笑ましいやりとりに、なのははレイジングハートの球体をペシッと叩いて諫めた。

 

「そうだね、悪かった」

 

《Sorry Master》

 

 二人が矛先を納めたのを見て、なのははほっと一息ついてアリシアとレイジングハートを交互に見て、

 

「だけど、アリシアちゃんとレイジングハートは本当に仲が良いね。私だとこんなふうには出来ないな」

 

「精進あるのみだね。じゃあ、私は指揮に戻るよ。高町なのは、君は少し休んでいて。いざというときは働いて貰わないといけないからね」

 

 そう言ってアリシアはなのは後の会話を終え、再び元の表情に戻り空を睨み付けた。

 時折目を閉じて、間断なく変化する状況から導き出せる最適の戦術をフェイトに送るアリシアの姿は、まるでオーケストラの指揮者のようだとなのはは思い、ユーノが残していった結界の中で自分もそれを見守ることとした。

 そういえば、となのはは思った。ここに来るまで緊張と恐怖で震えていた身体が今は落ち着いている。これはひょっとして、アリシアとレイジングハートは自分を落ち着けるためにわざと緊張感のない会話をしてくれたのかなと思うが、それは気のせいだと判断し、今も戦闘を重ねる親友達の無事を祈った。

 

 

 

***

 

「こいつら、結構やるな」

 

 ヴィータはビルから離脱した瞬間の隙を突いて強襲してきた黒服と金の髪を持つ魔導師、フェイトの戦い方を見て正直舌を巻く思いだった。

 

「はぁぁーーー!!」

 

 フェイトはヴィータが振り抜いたハンマーを髪の数本を犠牲にして避け、その隙を突いてバルディッシュを振りかぶる。

 

『フェイトはそのまま目標を足止め。アルフはその隙にバリア・ブレイクを。解除に三秒以上かかる場合は一時離脱。同じ場所に留まらず。とにかく動くことを心がけて』

 

 アリシアからの念話の指示通りに、フェイトはそのまま大鎌の形態にシフトさせたバルディッシュを振り抜き、ヴィータの防御結界と接触させた。

 ヴィータは攻撃後の硬直から復帰しきれず、防御結界の出力に全勢力を費やすが続いて突入してきたアルフの掌打に表情には表さない焦りを感じた。

 

「バリア・ブレイク!!」

 

 接触した障壁の表面からアルフはその結界の構成式を読み取り、その構成にバグを流し込むことでそれを解除しようとする。

 

「ちい!!」

 

 ヴィータは次第に突破されていく自身の結界に舌打ちをかまし、仕方ないとグラーフ・アイゼンに命令を下そうとする。

 

『直ちに離脱を』

 

 アリシアの短い命令が届き、フェイトとアルフは疑問を挟むことなく全力でヴィータから離れた。

 そして、その瞬間ヴィータの障壁は小爆発を起こし周囲に魔力の残滓を撒き散らしつつそれは消滅した。

 【バリア・パージ】

 自分からわざとバリアを崩壊させることで生まれる反作用で敵を吹き飛ばす。荒技といえばその通りだが、守って攻撃するという戦法を主体とする魔導師には割と馴染みのある方法とも言える。

 

『相手の体勢が整うのを待つ必要はないよ。チャンスだ、たたみかけろ』

 

「分かった、お姉ちゃん」

 

「あいよ、アリシア。なのはを可愛がってくれたお礼はきっちりと返さないとね」

 

『無駄口はいらない』

 

 アリシアの素っ気ない返答に肩をすくめ、アルフは再び赤い鉄槌の少女、ヴィータと向き合った。

 しかし、アルフはふと何かの違和感を感じた。それは、野生の狼だった頃の危機感と言うべきもので、そしてアルフがそれを警告するよりも前に、一条の迅雷がフェイトに襲いかかっていた。

 

『下に避けて!! フェイト』

 

 アルフより遅れること一瞬、アリシアは突然のことに反応できずその場に固まるばかりだったフェイトを叱責するように声を張り上げ、フェイトは刹那の差でそれに間に合い、まるで墜落するように地面に向かって舵を取った。

 

「フェイト!!」

 

 フェイトは避けることを考えるあまり落下することを考慮に入れておらず、アルフは何とかそれに疾空してフェイトの背後に衝撃緩衝場【フローター・フィールド】を展開し、ゆっくりとフェイトを受け止めた。

 

 そんな二人の様子を足下に見下ろし、その迅雷の主、後ろにまとめられた桃色の髪と騎士をあしらった甲冑に身を包む長身の女性は一息ついて剣を下ろし、その後ろで何処か憮然とした表情で自分を睨む仲間に笑みを向けた。

 

「押されているようだった故介入したが、無用だったか?」

 

 そんな桃色髪の女性の何処か挑発するような笑みに、ヴィータは「ふん」と鼻息をたて、

 

「別に、あたし一人でも何とかなったさ。とりあえず、無駄足ご苦労さん。助かったよ、シグナム」

 

 明らかに強がりと分かる少女の振る舞いに、シグナムと呼ばれた剣士は緊張を崩した。

 

「負傷はないようだな。だが、やっかいな手合いだな」

 

 シグナムはそう言ってヴィータから視線をずらし、先ほど自分の攻撃をギリギリに回避したクロノ少女フェイトの方へ目を向けた

 

「避けられたのか?」

 

 ヴィータの目にはどうやら、シグナムの攻撃にあの少女が地面にたたきつけられたように見えたようだ。しかし、シグナムは頭を振り、それを否定した。

 

「私もあのタイミングで避けられるとは思っていなかった。瞬間的に下に向かって避けるとは。大した判断力だ」

 

 ビルの谷間に落ちた二人は今はシグナムとヴィータの真下のビルの頂上に立ち、二人を観察するようにじっと睨み付けてる。

 目立った負傷は見受けられない。金髪の少女のツインテールの片方が若干短くなっているように見えるのは、先ほどのシグナムの一撃からそこだけが逃れられなかったからだろうか。

 

(少し悪いことをしたか)

 

 シグナムは女の命とも言える髪を切られた少女が何を思いながら自分を見るのか類推しながらヴィータに懐から数本の短い棒のようなものを投げて寄越した。

 

「今の内に補充しておけ」

 

 それは、先ほどからヴィータが戦闘中に激発させていたカートリッジの予備だった。ヴィータは今回の任務はそれほど長続きしないだろうと高をくくり、仲間が言うのを聞かずカートリッジの予備を持たずに出てきてしまっていた。現在、グラーフ・アイゼンに搭載されているカートリッジは僅か一発。なのはに二発使用し、先ほどのフェイトとアルフとの戦闘で一発消費していた。

 それだけ消費したにも関わらず、出来たことはなのはの戦力をそぐことだけ。蒐集も出来ず、フェイトとアルフには終始決定打を入れられずじまいだった。

 

「ところでヴィータ。あれをどう思う?」

 

 シグナムは実質二対二となった状況を俯瞰し、ヴィータに意見を求めた。

 

「二対二と思いたいけど。たぶん違う。こっちを監視して指示を出す奴が居るはずだよ」

 

 ヴィータの言葉に、自分もザフィーラも同じ意見だとシグナムは返した。

 

「ザフィーラには裏にいる指揮者の探索を頼んだ。ここは私たちが押さえる。準備は出来たか?」

 

 会話をしながらグラーフ・アイゼンのフレームを開き、都合三発のカートリッジをリロードし終えたヴィータは頷き、いつでも戦闘可能だと大槌を構えた。

 

「私は黒い娘を」

 

「アタシは犬の方だな」

 

 二人は足下にたたずむフェイトとアルフを見据え、獲物を構えた。

 

「フェイト、来るよ」

 

「うん。たぶんあの剣の方は私を狙ってると思う」

 

「そうだね。だったらアタシはあのチビか」

 

「一対一だと不利だね」

 

「アリシアは一度後退しろって言ってるけど」

 

「大人しく逃がしてくれるような相手じゃないよ」

 

「じゃあ、こっちは二対三で行こう」

 

 フェイトとアルフの背後に風が舞い降りる音がし、そこから二人と親しい少年の声がした。

 

「ユーノ。なのはは、大丈夫なの?」

 

 フェイトは戦闘の最中は忘れてしまっていた親友の少女のことをやっと思い出し、泣きそうな表情でユーノを見た。

 

「大丈夫だよフェイト。軽傷……とは言えないけど、応急処置はすませておいたから。大事には至らないはずだよ」

 

「そう、良かった。お姉ちゃんはなんて?」

 

「変わらず。極力距離を離して、一対一を避けて戦えだって。細かい指示はその都度にって言ってたよ」

 

「なあ、ユーノ。あんたにあのちっこい方任せてもいいかい?」

 

 アルフはやってきた援軍にそう要請した。

 

「うん、僕もそのつもりだったから」

 

 ユーノは今のフェイトではあの剣士には勝てないと何となく理解が出来た。彼女の様子、その振る舞いや物腰から歴戦の勇士を感じる。確かにフェイトは才能のある魔導師だが、それでもあの剣士に比べれば圧倒的に戦闘の経験が足りていない。もしも、彼女の経験に勝る人物が居るとすればそれはアリシアだけだだろう。

 つまり、今は勝ことではなく負けないことを考えなければならない状況なのだ。

 それに、とユーノは呟いた。

 

「なのはを痛めつけてくれた恨みもあるから。僕はあの子を絶対に許さない」

 

 血がにじみ出るほど拳を握りしめるユーノの様子にフェイトは少し背筋が寒くなった。こんなユーノは知らない。ユーノといえばいつも穏やかに笑って、博識な知識で自分たちに様々なことを教えてくれる優しい少年だ。

 今彼の瞳に浮かんでいるような激情と憤り、そして怒りを身に纏う少年ではない。

 それは、自分にとって特別な少女を傷つけられた事への怒りか。それとも守ると誓いながら守ることが出来なかった自分への怒りか。兎も角、フェイトとアルフは確信した。ユーノは今、傍目では冷静に見えているだけでその心の内では鉄をも溶かしてしまうほどの激しさで怒っているのだと。

 

「ユーノ。少し冷静になって。許さないとか恨みとかじゃあの子は倒せない」

 

 フェイトは無駄と分かりつつもそう助言する。ユーノは、ゆっくりと笑みを浮かべ肯いた。

 

「分かってる。大丈夫、僕は冷静だよ。なんだかね、許せなくて怒って、今は逆に冷静になれてるって感じなんだ。感情が高ぶりすぎると逆に冷静になっちゃうなんて初めて知ったよ」

 

 それでも、とユーノは思った。こんな状況でもアリシアは変わらないのだろう。

 今の自分は確かに冷静だ。冷静に怒っている。ただ感情がそれに追いついていないだけで怒りが心を凍てつかせているのが分かる。

 しかし、アリシアは違うだろう。彼女は怒りながらも理性的に物事を処理する。感情と理性を完全に分立させ、必要あれば思考の中から感情のアクセスを遮断する。

 そんなことが出来るアリシアは狂っていると思う。感情のままに狂うのは二流だというアリシアの言葉に従えば、理性を持ったまま狂っているという彼女自身は正に特級の狂人なのではないか。

 

「じゃあ、行こう。ユーノ、無事でいてね」

 

 フェイトはそう言い残し、アルフを従え一直線に目標へと飛び去っていった。

 

「速いねフェイト。僕は遅いし、なのはみたいな強い魔法が使えるわけでもない。フェイトみたいに直接戦う手段も持っていない。クロノみたいにあらゆる戦場を駆け巡れるわけでもないんだ」

 

 そして、ユーノは見上げた。自分自身が戦うべき相手を見据え、その少女も自分が現れたときからその瞳にはこちらを敵とする殺気がこもっているように思えた。

 

「だけど、それでも戦わなくちゃいけないんだ」

 

 守りたい、彼女を。他の誰でもない、彼女だけを守りたい。ユーノは握りしめた拳をほどき、そして「ふう」と一息置いて唐突に大空へと舞い上がった。

 天翔る盾――大空のイージスを背負う少年はそうして守護者となった。

 

「…………グラーフ・アイゼン、ラケーテン・フォームに形状変化」

 

 漸くお出ましかとヴィータは少年の到着に組んでいた腕をほどき、グラーフ・アイゼンをなのはを打ちのめした推進衝角形状にモードをシフトさせる。

 それは、実に冷静な判断だとユーノは判断した。

 ヴィータは、ユーノが出現した瞬間、自分の攻撃があっけなくはじき返されたことを経験し、そして理解した。

 この手合いはものすごく堅牢だと。

 確かにあのときは最後のとどめを刺すため幾分か力を抜いて、さらにラケーテン・フォームから通常形態に形状を戻していたこともある。しかし、あの瞬間。殆ど出現と同時に展開されたあの盾は、まるで城壁を手槌で叩いたかのような感触に襲われたのだ。

 あの壁と称しても良いほどの盾は、自分の持つ切り札の中でもっとも突破能力の高いこの形態でなければならないと判断した。そしてもう一つ。たとえ初見で油断していたときだといえ、鉄槌の騎士を名乗り「我が槌に貫けぬもの無し」と自負する自分の攻撃がああもたやすく弾かれてしまったのだ。

 

「シグナムとザフィーラに他の用事があって運が良かったかもな……」

 

 不謹慎かもしれないが、ヴィータはこの時自らに課せられた使命を忘れていた。それこそ、さっきまで後ろ腰に結びつけていた命ともいえる闇の書がいつの間にかなくなっていたことを忘れてしまうほど、ヴィータの闘争心は臨界まで高まっていた。

 

「行くぞ、盾(イージス)。守って見せろ、お前の大切なものとやらをなぁ!!!」

 

 ヴィータを前にしても無言を貫く手合いに、ヴィータはそう一喝してラケーテンの推進剤を爆発させ自らの考え得る最高速と最大遠心力を持ってユーノに襲いかかった。

 

「ラケーテン・ハンマー!!」

 

 恐ろしいまでの運動エネルギーをまとい襲いかかる研ぎ澄まされた衝角を前にユーノは静かに両の手の平を掲げた。

 

(私の呼び声に答えよ。私の声は言葉に、私の言葉は祈りに、私の祈りは願いに、私の願いは力に。私の力は妙なる響きとなり、響きに導かれし光は私の意志に従う)

 

 声は言葉に、言葉は祈りに、祈りは願いに、願いは力を導き出す。ユーノの正面に掲げられた手の平の前方に光の円陣が出現し、それは複雑な術式と文字を刻み込みながら高速に回転を始める。

 

(こいつ、速い!!)

 

 ヴィータはその術式の構成速度とあまりにも緻密な式密度に一瞬驚愕するが、その手は一切緩めず構築された盾に衝角をぶち当てた。

 

「Round Shield」

 

 デバイスではない人の声。はつらつとした少年の声は今は低く響き渡り、その光壁は再び襲い来る暴力に立ちふさがりその侵略を防ぐ。

 

「やっぱり、堅い………だけど、あたしは……負けてられないんだよ!! こんな程度の障害に阻まれてる訳にはいかないんだよ!!」

 

 ヴィータは歯を食いしばり、そして唸った。

 

「アイゼン、カートリッジロード。最大出力で激発しろ!!」

 

 シールドに食いかかり、僅かにその軸をぶらしながらも爆音を立てる大槌は担い手の願いを聞き入れ自らの崩壊さえも覚悟してフレームをスライドさせ、カートリッジを激発させた。

 

「上出来だ。貫けぇぇーーー!!!」

 

 爆轟の響きと共にインパクトの輝きが世界を包み込みノイズまみれの空間が二人の姿を覆い隠した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 Tactical Session

「少し熱くなりすぎだね。まあ、ユーノはともかく、フェイトもアルフも良く指示を聞いてくれている」

 

《皆若いですからね、ユア・ハイネス》

 

「私たちに比べればね。最近は少しは喋るようになったじゃないか、プレシード」

 

 アリシアは懐の内ポケットから黒光りするプレートを取り出し、少しだけ微笑んだ。

 そのプレート。半年前リンディから渡されたフェイトの持つバルディッシュの実験機となったデバイスは、今となってはアリシアの良いパートナーとなっていた。

 バルディッシュ・プレシード。それがこのデバイスに与えられていた名だった。

 

《一通りの修理は受けましたから。しかし、レイジングハート卿を前にするとやはり緊張しますよ》

 

「気持ちは分かるよ」

 

 アリシアは頷いた。いくらデバイス同士に人間並みの交友関係がないと言っても、レイジングハートはベルディナが四〇年間共にしていたデバイスだ。デバイスの製造年数だけで言えばおそらく、管理局内においても屈指のものだろう。最近になってある程度人並みの感情を獲得しつつあるプレシードにとって、自分とは圧倒的に年期の違う大先輩を前にして発言を控えたくなると言うことも分かる。

 

 デバイスが気後れするなど。デバイスマスターの資格を持つエイミィや本局の知り合いの技師であるマリエルが聞いたならどれほど驚くことか。ベルディナにせよアリシアにせよ、ある意味この二者にはデバイスに人間らしい感情を芽生えさせるような一種の才能があるのかもしれない。

 

 アリシアは一旦プレシードとの会話を遮断し、空を見上げた。

 

 アリシアはなのはとレイジングハートと一通りの会話を交わした後、なのはの身の安全を確保するため自ら指揮する立ち位置を変更し。今はフェイト達が繰り広げる戦場が光の筋としか確認できない場所に立っていた。

 

《敵剣士、フェイトお嬢様とエンゲージ。お嬢様は近接戦闘を挑んでおられますが分が悪いようであります》

 

 プレシードはフェイトと敵の剣士シグナムとが戦っている様子を光点と軌跡を周囲の環境を模したワイヤーフレーム上に示す。

 

「やっぱり強いね、あの剣士。何とかアルフとやり合えるようにし向けてはいるけど。速いよ」

 

《あの速度と剣圧が相手ではさすがにアルフには荷が重いでしょう》

 

 プレシードは戦闘よりも情報収集端末としての機能に特化するように再調整されている。それは、元々バルディッシュの試験運用を目的として制作されたため、実戦に耐えうる強度を初めから持たされていなかったと言うことに起因する。さらに言えば、実質的な魔法戦も考慮に入れられていないためその制御装置もそれほど高性能ではないのだ。

 今のアリシアがそれを考慮して必要分だけに機能を特化させた結果、相手の攻撃から身を守れる程度の強度と周囲の情報を収集しそれを処理する制御機能の二つだけに機能が制限されることとなった。

 

「だけど、フェイトでは防御力が足らなさすぎる。幸い、速度自体はフェイトが上だから何とか逃げながら応戦は出来てるみたいだけど。いつまで持つのか分からないね」

 

《結界抜きのタイムスケジュールは未だ未定と出ております。そろそろ、決め手を模索するべきかと》

 

「そうだな……『フェイトは三時方向に緊急回避。アーク・セイバー発射用意……撃て。アルフはそのまま敵の背後に回り込みフォトン・ランサーを牽制で全弾発射。敵の動きを止めろ、ばらまけ』……やっぱり、決め手に欠けるなぁ」

 

 出力が不足している。今はまだ、敵もフェイト達の動きに対応し切れておらず、その切り札もまだ切られていない。しかし、今の状態をひいき目に見て五分五分。あの赤の少女が激発していたカートリッジをあの剣士まで使用してしまえばパワーバランスは崩れる。

 ユーノの方もあの鉄槌の少女の相手に全力を傾けているため、互いに連携をとるのは無理に近い。

 いや、何とか敵の動きを調整できれば個々に戦いながらも連携をとることは可能だが、果たしてあの子達にそれを期待しても良いものか。

 

《迷っている暇はないと愚考します、ユア・ハイネス》

 

「そうだねプレシード。分かった、あの子達の命は私が引き受けるよ」

 

 アリシアはそういって一度目を閉じ、息を吸い込みはき出し、そして瞼を開いた。

 

『フェイト、アルフ、ユーノ。返事はいい。これから私が言うことを忠実に実行してくれ。これより私たちは攻勢に移る』

 

 念話越しに彼らが息をのむのが分かった。今まで防戦を主体にとにかく負傷しないように相手のペースに会わせた戦いを命じていたアリシアがここに来て攻戦に移るといっているのだ。

 つまり、それは漸く敵勢力を打破する案が見つかったのか、それとも防戦では敗北の結末しか見えなくなったのか。

 出来れば前者であってほしいと戦場にいる三人は思うが、現実はそんなに甘くはないということもまた理解していた。

 それでもアリシアは宣言しなければならなかった。司令官たるもの兵の士気を上げることこそが至上義務。

 最高の作戦を立ち上げたところで兵がそれについて来られなければ、それは全く意味のないものとなるのだ。

 

『安心しろ三人とも。お前達が私の指示通り動けたのなら私たちの勝利は確実だ。私を信じろ、フェイト、アルフ、ユーノ』

 

 今は演じなければならない。アリシアは冬の寒さに包まれる夜の街の中にいながら額から汗を噴き出させ、その心臓は不快なリズムで早鐘を打つ。しかし、それを思念に乗せることはしない。

 フェイトはプレシードのリソースを全開にし、正面のモニターに都合四つの空間投影モニターを生み出しすべての体勢を整える。

 

(さあ、演じろアリシア。お前は完璧だ。完璧な指揮官となれ。お前の掌中には戦場のすべてがあり、指の一つでその状況を変えることが出来る。そう、この戦場においてのみお前は役者を動かす神となり、すべての幕引きをもたらす機械仕掛けの神《デウス・エクスマキナ》になるんだ)

 

 まるで暗示をかけるようにアリシアは自身にそう命令し、そして意識を開いた。

 

(こちらの持ち駒は、高速機動のマルチロール、中距離支援射撃と障壁破壊のサポーター、防御と束縛のディフェンサー。敵は近接格闘と中距離射撃のアタッカー、剣術格闘主体のファイター。戦力比は現状で6,5,6,9,10といったところか。敵は基本的に単体戦闘に特化した戦力。その代わりにこちらは基本的にツーマンセルを主体にした戦力保有だ。そのうちユーノはワンセルを欠いている状態)

 

 ならば一度戦力を集約させようとアリシアは判断した。こちらが連携主体の戦力構成であれば、急造ではあるがスリーマンセルでその個体戦力を向上させるしかない。

 それに対して、おそらく敵は単独戦闘に特化しているため連携に関してはそれほどの性能を発揮することは出来ないはずだ。それに、敵にはアタッカーとファイターのツーマンセルとなるため、戦力としてのバランスが悪い。

 スリーマンセルで各個撃破。敵は連携に向いていないといってもそれは確かな情報ではない。出来る限り敵に連携をとらせないことに越したことはない。

 

(戦術の基本は、いかにしてこちらの火力を集中させて、相手の火力を分散させるかに掛かってるわけだから、問題は、あの子達がどこまで連携できるか、か……まあ、そのための私ということだね)

 

『フェイト、アルフ、ユーノ。敵と戦闘を続けながら合流だ。これ以降はスリーマンセルでの戦闘を行う』

 

『だけど、僕たちは……』

 

 ユーノはアリシアの提案に不安を隠せない様子だった。

 

『お前がいいたいことは分かっている。だが、そのための私だ。信じろ、お前達の姉を』

 

『信じるよお姉ちゃんを』

 

『フェイト、そうだねフェイトが信じるならアタシもあんたを信じるさ、それに……今はガタガタ言ってられないもんね』

 

 アルフの威勢の良い叫びに、アリシアはニヤリと口の端を持ち上げた。

 

(なるほど。半年間の交流も無駄ではなかったか)

 

『ユーノもそれでいい?』

 

 フェイトはアリシアの代わりにユーノに確認した。

 

『分かった、僕も信じる』

 

 ユーノはヴィータのハンマーを障壁で横へ逸らし、チェーンバインドを鞭のようにしならせヴィータの追撃を牽制する。

 

『良し、ではまずユーノは周囲に罠を張り巡らせつつフェイトの元へ向かえ。フェイトはユーノの到着まで先ほどと変わらずに敵を牽制。相手に組ませるな』

 

『ユーノよりアリシア、了解』

 

『フェイト了解』

 

『アルフ了解だよ』

 

 フェイトは、アルフと共にシグナムに対して飽和射撃攻撃と高速回避を続け、ユーノはヴィータに対してバインド攻撃を繰り返し密かに彼女を誘導するように行動し始める。

 

(布陣は完了だ)

 

 モニターに映し出された黄色と橙と緑の光点は数メートルの間隔を置いて三角を描き、それを挟み込むように敵の二つの光点ヴィータを示す赤、シグナムを示す紫が配置される。

 それだけを見れば、フェイト達三人は敵二人によって挟み込まれたと判断されるかもしれないが、アリシアにとってはむしろ二人が分断され、かつ遊軍三人が一カ所に固まることが出来たという証だった。

 

(切り札の用意も着実に進んでいる)

 

 アリシアは作戦を開始する前、フェイト達には秘匿してなのはとレイジングハートに極秘の指令を送っていた。

 

(出来れば、使わずに済めばいい切り札だけどね)

 

『アリシアよりユーノに確認。目標赤のカートリッジ残弾は残り1と見なしても良い?』

 

『ユーノよりアリシア。たぶん問題ない。僕の戦闘で三発使って、まだ奥の手を隠してる様子だったから』

 

『フェイトよりアリシア。目標紫はまだ一発も使っていないよ。何とか、使わせずに済んだ』

 

『アリシアよりフェイト。上出来だ、だったら、第一目標は目標紫で。フェイトは接近して格闘戦闘をただし無理に組もうとしないで、力で押されそうになったら直ちに離脱してアルフかユーノの支援を受けること。アルフはそれを中距離でサポートしつつ目標紫が防御障壁を這った場合は直ちにバリアブレイクをお願い。ユーノはフェイトの防衛に専念しながら、目標赤に対して多重バインド攻撃を敢行。身体が空いているときはなるべく多くの罠を張り巡らせるようにね。以上、行動開始』

 

『チーム了解』

 

 ユーノのかけ声で、フェイトはバルディッシュを戦斧型のデバイス・フォームから大鎌のサイズ・フォームにシフトさせ、一直線に剣士シグナムへとつっこんでいく。

 シグナムはその場から動かず、真っ正面からフェイトの一撃を受け二者はそこで停止する。

 

『アリシアよりユーノ。目標紫にチェーンバインド。アルフは6時方向に向けてランサー一斉射撃』

 

 あくまでユーノに固執し彼に襲いかかろうとしたヴィータは、意識に入れていない方向から飛来したアルフのフォトン・ランサーに気をとられ停止を余儀なくされた。

 そして、シグナムはフェイトと組み合うことで停止した動きにユーノからのチェーン・バインドの襲来を受けることとなった。

 シグナムはフェイトとの鍔迫り合いを一時的に解除し、後方に動きそれから逃れる。

 

『アルフは目標紫に対して再度バインド攻撃を。ユーノはディレイト・バインドを設置しつつ目標赤から回避せよ』

 

 この一連により、敵はこちらの戦術が受動的戦術より能動的戦術に移行したということを理解したはずだ。

 それでもヴィータは執拗にユーノに向かって攻撃を加え、射撃を受けたアルフに対しては睨み付けるだけで目標にすることはない。

 

(ならば逆にやりやすい)

 

 敵は思ったよりも単純だとアリシアは笑みを浮かべた。

 

『ユーノはフェイトと交代を。アルフは前方45°範囲内にランサーを乱射二人の交代を援護して。フェイトは移動しつつ目標赤に対しアーク・セイバー発射』

 

 シグナムから一時離脱するフェイトを追う形で彼女は速度を速める、しかし、接近するユーノが放ったバインドに進路を塞がれ、手に持つ剣でそれを切り伏せる。そのまま先行しようにもアルフがばらまくフォトン・ランサーにさらに進路を塞がれフェイトの追尾を諦めざるを得なかった。

 シグナムと同じくユーノを追うヴィータもフェイとのはなったアーク・セイバーの不規則な軌道に翻弄されやはり目標の追尾を諦めざるを得なかった。

 

『フェイトは目標赤に対し射撃を主体に高機動戦闘。真正面からの近接戦闘を許可しない。フェイトとユーノに対して続けて射撃支援。目標の行動が停止次第バインド攻撃を。ユーノは目標紫の攻撃を防御しつつアルフのバインド捕縛のサポートをお願い』

 

 敵の攻撃方向はその者の意識の方向であるといっても過言ではない。特に近接攻撃を主体する戦士であればそれは如実の傾向として現れる。ならば、その敵の攻撃方向とは斜め後ろからの攻撃は等しく奇襲となる。たとえ、それが避ける必要もないような微弱な攻撃であっても、経験豊富な戦士であればあるほどそれに対する反応は機敏となる。

 

(すべてを利用し尽くす。敵の能力も経験も。すべて手中に収めてみせる)

 

『アリシアよりフェイト。回避機動が単調になってるよ。今プレシードより最新乱数回避アルゴリズムを送信したから。参考にしてみて』

 

『アルゴリズムの受信を確認。機動プログラミングに組み込み完了したよ』

 

 そしてフェイトの回避パターンが変化し、より先読みされにくい回避パターンに変更される。幻術魔法を織り交ぜた回避行動が理想的なのだが、さすがにそこまで求めるのは酷かとアリシアは思う。

 幻術魔法はレアスキルに近い能力であり、その術式には高度な魔力制御が要求される。加えて生まれ持った資質も必要となることから、おそらくこの理想は夢物語で終わるだろうとアリシアは思った。

 

『……何かやばいよ!! みんな気をつけて……』

 

 アルフが警告を発しようとした瞬間、突然アリシアのモニターに蒼の光点が出現し、それはまっすぐにアルフの正面に現れ彼女を吹き飛ばした。

 

『お姉ちゃん、アルフが!!』

 

『アリシア!』

 

 突然のことに行動を停止し、アリシアへ判断を仰ぐフェイトとユーノにアリシアは舌打ちをせざるを得なかった。

 

(やはり、こうなるか……)

 

『うろたえるなフェイト、ユーノ。一旦交代してアルフと合流、その後体勢を立て直す』

 

 アリシアは食いしばる歯を無理矢理こじ開けそう命令を下すが、敵の方が行動が速かった。

 シグナムはフェイトに襲いかかりその剣身に真っ赤な炎を宿しフェイトの持つバルディッシュを両断し、ヴィータはシールドを張る余裕のなかったユーノを打ち据え、フェイトが吹き飛ばされた反対側に彼を打ち飛ばした。

 

(分断されたか……このまま行けば、敵との一対一の状況が作られる。とにかく合流だ。だが、あの子達の戦力差ではそれも難しい。無理をすれば崩壊してしまう……高町なのはの切り札を使うか? いや、まだ速い)

 

 私が出るかという考えを振り払い、とにかく敵の状況を確認しようとアリシアはプレシードのモニターを側に引き寄せようと腕を伸ばす。

 

「……か…は……?」

 

 しかし、アリシアは突然身体の芯からわき上がった不快感に声を飲み込んだ。その感覚がわき上がってくる箇所。彼女はその部位に目を下ろした。

 アリシアの胸の部分、モニターから伸ばそうとした両腕の間からアリシアのものではない腕が伸びていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 Star Light

 

 地面に達つけられたオレンジの狼娘、ビルに突き刺さった黒金の少女、そしてビルのがれきに埋もれた翡翠の少年。

 荒い息に肩を揺らしながら、シグナムとヴィータは増援に駆けつけた男に気を許した笑みを贈った。

 

「助かった、ザフィーラ」

 

 シグナムはそういい、漸く使用することが出来たカートリッジをリロードし炎で熱せれた刀身を血払いのように振るった。

 

「別にあたしは問題なかったけどね。上出来だ、ザフィーラ」

 

 ヴィータもシグナムに習い、使い切ってしまったカートリッジをリロードしようとするが、既に予備のカートリッジが消費し尽くされていることに舌打ちし、改めて吹き飛ばされ分断された敵に目を向けた。

 

「手強かったな」

 

 「ふう……」とシグナムはため息をつき、表出させた剣の鞘にレヴァンティンを一旦しまい、身体から緊張を抜くように肩の力を抜いた。

 

「間違いないね」

 

 ヴィータもそれに応え、応援に来たザフィーラに目を向けた。

 

「ところでザフィーラはどうしてここに? 確かお前には敵司令官の探索を頼んでおいたはずだが」

 

 シグナムは本来予定になかったザフィーラの行動に疑問を挟む。

 

「シャマルの指示だ。司令官はシャマルが対応し、我はお前達を助けるようにとな」

 

 ザフィーラの応えにヴィータもなるほどなと頷き、噂の当人からの通信を受信し、念話回線を開いた。

 

『ごめんなさい、勝手に判断しちゃって』

 

 ザフィーラに指示を与えた本人、シャマルは明るい声を少し暗めに落としそう二人に詫びた。

 

『いや、気にするな。お前の判断は適切だった。それで? 司令官は?』

 

 シグナムは彼女たちのチームのリーダーらしい気風でそう言葉を贈ると、シグナムが対応すると聞いた敵司令官のことを問いただした。

 

『今発見したところ。これからあの子を蒐集するわ』

 

 シャマルは既にその準備をしているのか、戦場より少し離れた場所から微弱に感じられる仲間の魔力波動を感じシグナムは、ならば問題はないと応え、

 

「ということは、敵の指示系統は事実上瓦解し、後は個別撃破に持ち込める。どうやらこの戦、我らの勝ちのようだ」

 

 小破したビルの隙間から襲いかかるフォトン・ランサーの弾頭を、シグナムは居合い切りの要領ではじき飛ばすと再び剣を構えた。

 ヴィータも、三つの鉄球を呼び出しユーノが墜落したビルの瓦礫に向かってそれらを発射する。

 地上で何とか彼らの隙を見て仲間と合流しようとするアルフをザフィーラは油断なく睨み付けながら三者は自分たちの勝利を確信した。

 

『こちらシャマル。敵司令官の蒐集を完了。量は少なかったけど、他の子達からも魔力を貰えれば………何これ!?』

 

 シャマルの言葉尻に残した悲鳴が三人の脳裏に響き渡った瞬間、彼らは突如現れた恐ろしいまでの魔力の奔流に目を見開き、その魔力の根源へと目を向けた。

 

「あれは……」

 

 ザフィーラの呟きは夜の空に消えた。

 

「あのヤロ、まだ動けたのか!」

 

 ヴィータの憤りもまた夜の空に消えた。

 

「まずい、あの魔力量では結界が!」

 

 シグナムの叫びはさらに高まりを見せる桃色の魔力波動に拡販され消滅していった。

 そして、彼女たちが見たもの。それは、まるで夜の地上に生み出された太陽のように、ただ純粋な魔力の固まりが一人の少女の眼前にかき集められ収束していく様だった。

 

***

 

《コールです、マスター》

 

 レイジングハートの声になのはは漸く訪れた決着の時を感じ、強く頷き多少の自己修復が施された自らの相棒を掲げた。

 

「レイジングハート。ステルス・フィールド、パージ。収束魔力解放!」

 

 なのははレイジングハートに命じる。

 

《了解。ステルス・フィールド解除。収束魔力表出開始》

 

 レイジングハートの答えにより、今までなのはの周りを覆っていた銀のピラミッドに隙間が生まれ、それらは内側から吹き飛ばされるように四散し夜空に散った。

 

「スターライト・ブレイカー発射準備。カウント・ダウン開始」

 

 それこそがアリシアが出来れば使いたくなかった切り札だった。

 負傷したなのはをあえて後方に下がらせ、戦力外であると敵に誤認させる。その上でなのはの反応を消すステルス・フィールドを構築し、なのはが気づかれないように時間をかけて周囲から集めた魔力を収束させる。

 

《魔力チャージは既に完了、カウント・ゼロ》

 

 故に、発射状態のまま待機となるその最大砲撃は敵の介入を許さない程の速度を持って打ち出すことが可能となったのだ。

 

「これで、みんなを助けられる。ごめんねアリシアちゃん。そして、ありがとう」

 

 アリシアはなのはにこう命令していた。

 

『コールと同時に撃て。それで戦闘は終了する。しかし、それは最後の手段だ。おそらく、私が戦闘不能となったそのときがタイミングとなる。しくじるなよ、高町なのは。お前が最後の砦だ』

 

《やりましょう、マスター!》

 

 レイジングハートの雄叫びになのはは再度頷き、天高く構える愛杖を握りしめ、そして自分たちを閉じこめる結界の頂点を睨み付けた。

 

「スターライト!!」

 

《我らに打ち抜けぬもの無し!》

 

「ブレイカァァァーーー!!」

 

《すべてを灰燼に。私の光は闇夜を貫く!》

 

 なのはは自らの頭上に輝く魔力の固まりを光の翼をまとったレイジングハートを持って叩き付けた。

 一瞬による魔力の爆発は正しい指向性を持って夜空に向かって打ち出され、圧倒的な魔力の激流は着弾した結界の表面をあっさりと打ち抜き、そしてそれらは結界のすべてを破壊へと導く。

 昇天する帚星。

 地上より放たれる流星。

 その破壊は、分断された内界と外界とを正しく結合させ、街に光を取り戻させた。

 

 戦闘は終了し、アースラの観測チームは冷静かつ素早い判断により離脱する四人の騎士達を必死に追尾するが、多重転送によって逃れ続ける彼らについにそれは間に合わず、彼らは敵を見失うこととなった。

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん! しっかりして、目を開けてよぉぉ!!」

 

 光が戻り、それまでの破壊がなかったことにされたビルの頂上でただ一人意識を失い倒れるアリシアにフェイトは掛けより、その肩を必死になって揺する。

 

「フェイト、ダメだよ。そっとしておかないと」

 

 狼狽するフェイトを何とか宥め抑えるアルフにフェイトは必死になって抵抗し、なおも姉の名前を呼び続ける。

 

『アースラ、アリシアが負傷して意識不明なんだ。速く転送準備と医務室の確保を!!』

 

 ユーノの要求は素早くかなえられ、アリシアを含む現場の者達は薄い魔力残滓を残して地球を去る。

 よみがえった街の雑踏は、先ほどまでの激戦をまるでなかったことにするようにただ穏やかな夜を彩っていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 Knights of Night

 

 

 海鳴市住宅街、閑静な住宅街と言うには憚れるが夜になってもそれほど騒音が気になるほどではない。街の中心部からは多少離れ、近場のコンビニにも歩いて20分ほどかかる立地条件ではあるが、静かな夜を過ごしたい人々にとっては理想的な環境とも言えるだろう。

 その住宅街の中央付近に位置する一戸建てに帰宅したヴィータは、風呂上がりの火照る身体を冬の冷風でさましながら湯にぬれた赤髪をタオルでぬぐっていた。

 

「風呂あがったよ。シグナムは?」

 

 Tシャツに短パンとラフな格好をして冷蔵庫を漁るヴィータは、窓の近くのソファに腰を下ろして静かにたたずむシグナムに声をかけた。

 

「私はいい。明日の朝にでも入らせて貰う」

 

 シグナムは夕刊を折りたたみながら振り向かずそう答えた。

 ザフィーラはシグナムのその言葉に耳をピクンとさせるが、我関せずと床にうずくまる。

 

「お風呂好きなのに、珍しいわね」

 

 エプロンを脱ぎながらリビングに顔を見せたシャマルはそれを入り口近くのハンガーに掛け、そろそろ休ませて貰うと言って部屋に戻った。

 

「じゃあ、あたしも寝るよ。お休み」

 

 風呂上がりのフルーツ牛乳を飲み干し、流しに放り込んで、ヴィータは自分の寝室、彼らが主と仰ぐ少女の寝室へと向かっていった。

 バタンという二つの音がリビングに響き、そして静けさが戻った。

 

「先の戦闘か。負傷でも?」

 

 ザフィーラは軽く面を上げ、ソファにそのままの状態でたたずむシグナムにそっと声をかけた。

 

「相変わらずの慧眼だ、ザフィーラ」

 

 シグナムはそういって両の袖を捲り、数カ所に渡って走る裂傷や痣を彼に見せた。

 

「お前に負傷を負わせるとは。いや、むしろその程度で済んだと言うべきか」

 

「完敗だ。完全に手の平の上で踊らされた」

 

 相手は単体では圧倒的に劣る戦力だった。たとえこちらが二で相手が三であってもその戦力差は揺るがなかったはずだ。しかし、彼らを統率していたものがいる。それは劣る戦力を策謀によってまとめ上げ、こちらを敗北に押しやった。

 確かに、シャマルは第一目標となった敵司令官を蒐集し戦闘不能に陥らせた。しかし、結局蒐集できた魔力は、闇の書に数文字を刻むだけの量に過ぎなかった。

 あれだけの戦闘を繰り広げ、相当数のカートリッジを消費して得られた戦果は僅か数文字。戦闘には負けなかったことのみが、せめての慰みかとシグナムは自嘲するようにつぶやいた。

 

「いったいどのような将だったのか。一度会ってみたくもある。それに、私の相手をしていたあの金の少女。武器をあわせたのは数度に過ぎなかったが、済んだ太刀筋をしていた。よい師に学んだのだろう。武器の差がなければ良い戦いになっていたかもしれんな」

 

 シグナムはそういって、窓の外に浮かぶ星空を見上げた。街の光で酷く濁る夜空には目を見張るほどの星々の瞬きはない。

 しかし、それはどこかシグナムにとって心に落ち着きをもたらすようなものに思えた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 Higher Force

 

(煙草が吸いたい、酒が飲みたい。あと、女も……)

 

 目覚めたアリシアが最初に思い浮かべたのはそんなことだった。その三つにおぼれることでベルディナは戦いから日常に意識を戻すことが出来た。たとえ、どれだけ負傷したとしてもそれだけは三〇〇年間変わらないベルディナの習慣だった。

 

「ああ、楽しかった。充実した戦場だった……」

 

 見覚えのない柔らかい枕とマットレスの感触を背中に感じ、アリシアは感無量の吐息をついた。

 

「目覚めたとたんにそれか。変態か? 君は」

 

 病室のベッドに横になるアリシアのその様子に呆れた声で話しかけたのは、若干憮然とした表情を浮かべるクロノだった。

 

「クロノか。状況は?」

 

 アリシアは上体を起こし、戦場の気迫の冷めないままの視線でクロノに目をやった。

 

「君が本局に連れ込まれ、およそ二時間が経過したところだ。敵は君が気を失った直後に撤退。なのはの砲撃が結界を破ったのが理由だ」

 

「戦闘は終了したのだな?」

 

「ああ、今フェイト達を呼んだ。じきに来るだろう。それまでに、その顔を何とかしておけ。あと、口調もだ。フェイトやなのはが見たら泣くぞ」

 

「ん、そうか。そうだな……」

 

 さすがにこの身ではベルディナのような手段は使えない。そう考え、アリシアはしばらく目を閉じ瞑想して呼吸を細かく区切り自分のうちからすべての思念を追い出す。

 その側のチェアに腰を下ろし、クロノは黙って彼女の様子を見守る。

 予想以上だったとクロノは考えた。アリシアが収容された後、戦場にいたデバイス達のレコーダーを回収しその記録を分析していたクロノはアースラでは終始モニターできなかった内部の状況を知り彼らの戦いぶりに驚きの声を上げていた。

 当初、戦う力を持たないアリシアを戦域に介入させることはクロノとしては反対だった。おそらくリンディもエイミィもあの場にいた者達なら誰もが反対しただろう。

 アリシアはまだバルディッシュ・プレシードを正式起動させたことがない。それは彼女のリンカーコアがまだそこまで成長していないためであるが、デバイスを使用できない人間が魔導師同士の戦いに介入できるはずがないとクロノは考えていたのだ。

 だが、結果はどうだ。正直なところ彼女がいなければあそこまで最小限の被害では済まなかったはずだ。確かに、アリシアは敵の攻撃によって気を失い、フェイトのバルディッシュは両断され小破、なのはのレイジングハートはしばらくの使用が禁止される程の被害を受けた。だが、人的な被害は殆ど皆無であり、バルディッシュもレイジングハートも修理さえすれば全く問題ないと診断されている。

 自分でもあれだけの戦術指揮が出来たかときかれればそれは否と応えるしかない。

 

(さすがは三〇〇年生きた魔術士か。どうやら、僕はアリシアのことを甘く見すぎていたようだな)

 

 クロノの背後の扉が開く音がした。

 

「お姉ちゃん!」

 

 扉が開くと同時に金色の髪を翻し、フェイトが急いでアリシアの元に駆けつけた。

 

「お姉ちゃん、大丈夫? 怪我は? 身体がだるいとか痛いところがあるとかない?」

 

 ベッドの上で瞑想するアリシアに、フェイトは遠慮なくつかみかかり、ぶんぶんと肩を揺すって姉の容態を確認しようとする。

 目を閉じたまま身体を揺さぶられるアリシアだったが、突然目を見開き、グーにした手を振り下ろし縋り付くフェイトの脳天めがけてそれを振り下ろした。

 

「――――っっ!!??」

 

 頭を突き通る衝撃にフェイトはうずくまり、少し目尻に涙をにじませた。

 

「落ち着け愚妹。私は平気だ」

 

「ご、ごめんなさい。お姉ちゃん」

 

 それほど強く殴られた訳ではなかったのか、フェイトはすぐに痛みから立ち直りアリシアに謝った。

 

「や、心配してくれてありがとう、フェイト。いきなり殴ってごめん」

 

 アリシアは少し落ち込むフェイトの頭を撫でながら優しく笑みを浮かべた。その笑みには、先ほどクロノと相対していた鋭利な雰囲気は存在しない。アリシアは普段を取り戻したとクロノは胸をなで下ろした。

 

『ねえ、ユーノ君。アリシアちゃんって結構厳しいんだね』 

 

 そんな彼らにおいて行かれた形となったなのははちょっと複雑な顔で隣のユーノに念話を送る。

 

『そうでもないよ。アリシアは基本的に過保護だからね』

 

 ユーノはベルディナと一緒にいたときの記憶と経験からアリシアの傾向を言い当てる。ベルディナは普段は素っ気なく、好きにしろ、勝手にしろと言いながらも最後の最後ではしっかりとフォローをしてくれる人物だった。その傾向は身内に対して特に強く表れがちだ。

 レイジングハートがなのはやユーノに対して口うるさい姉のような側面があることも、その影響だと言える。

 

『なんだか、レイジングハートに似てるね』

 

『……そうだね』

 

 ユーノはなのはの慧眼に正直舌を巻きながら苦笑を込めそう応えた。

 

 フェイトも落ち着き、アリシアも普段を取り戻した。ひとまず状況が落ち着いたことを感じ、この中では一応の年長者であるクロノは咳払いを一つして医務室にそろったメンバーを見回した。

 アリシアも先ほど医者先生から完治を通達され、病人服からアースラより届けられた普段着に着替えている。ちなみに、薄緑を基調とした上着とスカートに着替える際、男の視線があるにも関わらずいきなり服を脱ぎだしたアリシアは、フェイトとなのはをおおいにあわてさせていたのだが、その話は今はおいておこう。ちなみに下は白で上は付けていなかった。何がとは言わない。

 クロノの報告は実にシンプルなもので、敵の正体、その目的は不明だがアリシアに対する最後の攻撃は、管理局でも昨今問題になってきた魔導師襲撃事件とその手口が似ているためおそらく同一犯だろうという考察にとどまった。

 続いてユーノから報告されたことは、レイジングハートとバルディッシュの修理のことだった。アリシアの予測通り、バルディッシュは小破にとどまり、レイジングハートは中破程度の被害に収まった。

 そして、なのはの話を聞く限り彼女とあの赤い鉄槌の少女とは全くの面識はなく、彼女も事情を問いただそうとしても何も応えなかったというらしい。ただ一つ、敵方はこちらの命までもとろうとはしていなかったと言うことだけが分かった。

 そうつらつらと会話をしていたところ、リンディからの通信からアリシアの退院手続きがとれたとのことで医者先生からの締め出しを食らってしまったのだった。

 

「まあ、君が無事で何よりだ。僕たちとしては民間協力者の君が負傷したとあれば何かと管理責任が問われることになるんでね」

 

 医務室から追い出され、エイミィとアルフが待機しているデバイス保管庫に向かう道中、クロノはため息をつきながらそう言葉を発した。

 

「クロノ、そんな言い方しないで素直に心配だったって言えばいいのに」

 

 なのはとユーノの隣を歩くフェイトはそんなクロノの物言いにクスッと笑う。

 

「別に心配はしていなかったさ。アリシアの頑丈さというかしぶとさはよく知っているからね」

 

「あは、それってクロノ君。アリシアちゃんを信頼してたってことだよね」

 

 なのはの曲解、もとい汚れ名のない視線にクロノは少し口を噤んで「むう」といううなり声を上げた。

 

「へえ、クロノは私を信頼してくれていたんだね。私も信頼しているよ、クロノ」

 

 クロノとなのは達のちょうど真ん中を歩くアリシアは「ほう」と息をつき、ニヤニヤと笑いながらクロノちゃかした。

 クロノは下手に返したら墓穴を掘るだけだと経験則からそう判断し、肩をすくめるだけで特に何も返事を返さなかった。

 アリシアは少し面白くなさそうに口をとがらせるが、その仕草は後ろを歩く三人の笑いを大いに誘う結果となった。

 

「それにしても、改めてになるが随分久しぶりだね、高町なのは。まさか、一人であの手合いとやり合えるなんて思ってなかったよ。いっぱい練習したんだね」

 

 突然振り向いて後ろ向きに歩くアリシアに話しかけられたなのはは面食らってしまう。

 

「え、えっと……」

 

 なのははすぐに答えが返せず、隣のユーノをチラッと見る。

 

「アリシアがそうやって褒めるなんて珍しいね。僕も同感だけど」

 

 真正面から賞賛されることになれていないなのはの狼狽をユーノは少し面白く感じる。

 

「私もそう思うよ、なのは。凄いね、ずっと一人で訓練してたの?」

 

 フェイトも横から口を挟む。

 

「一人じゃないよ、ユーノ君と一緒に。ずっと見てて貰ったんだ。魔法がうまく使えるようになったのはユーノ君のおかげだね」

 

 なのはのその言葉に、ユーノは、

 

「なのはは優秀だからね。実際、僕は側で見ているだけで、それほど役には立っていなかったよ」

 

 そう言って自身の功績を否定するが、なのはは一生懸命首を振って「そんなことない」と必死になってユーノを讃える事例を取り上げるが、その必死な様子に皆の笑いを誘うことになってしまう。

 なのはは恥ずかしそうにしながら、不満に頬をふくらませる。

 

「さて、惚気話はそこまでにして。功労者達の見舞いと行こうじゃないか、諸君」

 

 アリシアは仰々しくそう宣言し、クロノの開いたデバイス保管庫にメンバーを率いるように立ち入った。

 

「あ、みんなきたね。ちょっと遅いぞ」

 

 若干照明が暗めに落とされているデバイス保管庫でコンソールを前に負傷したデバイス達の症状を確認していたエイミィは、そう言ってクロノ達を出迎えた。

 

「ああ、済まなかったなエイミィ。少し話し込みすぎた」

 

 

 クロノは軽くエイミィに詫びると、エイミィからコンソールを受け取りそれを確認した。

 

「レイジングハート!」

 

「バルディッシュ!」

 

 クロノ達の立つコンソールの前のケースに浮かぶ相棒の状況を見て、なのはとフェイトはあわててそれに縋り付いた。

 

「ごめんね、レイジングハート。私がだらしないせいで」

 

《気にしないでください。終わりよければすべてよしです。実際、マスターの一撃が戦闘を停止させたのですから》

 

 それはいつかの皮肉だったが、今ではそれは確かな慰めとなる。なのははそんなレイジングハートのデバイスらしからぬユーモアに、目尻に滲みかけた涙をぬぐい声を上げて笑った。

 

「バルディッシュも。ごめんね、私がもっとうまく扱えていれば……」

 

《お気になさらずに。あなたは完璧でした》

 

 寡黙な戦斧のデバイスはレイジングハートのようなユーモアは口にしないが、確かな言葉でフェイトの功績をたたえた。何より、あの手合いを前にして自分自身を小破で済ませたフェイトは確かに賞賛されるべきことだ。

 

「それで、状況はどう? リミエッタ管制」

 

 他のメンバーをそっちのけでデバイス達と健闘を讃え合う二人の少女に安堵しながら、アリシアはエイミィに回収されたデバイス達の状況を確認した。

 ユーノもエイミィの隣に立って、コンソールをのぞき込み少し複雑な表情を浮かべた。

 

「損害はそれほどでもないんだ。ちゃんと修理すれば元に戻る程度で、システムにも負傷した箇所はないから。だけど……」

 

 と、エイミィは浮かない顔をして新しいモニターを起動させ、彼女が危惧している情報を提示した。

 そこには、つい数時間前まで彼らが相対していた敵の映像が映し出されていた。正確には、彼女たちが使用していたデバイスに焦点が当てられている。

 

「結局、こいつらが使ってたデバイスっていったい何なんだい? 魔法自体も何か違ってて、バリア抜きがかなり厄介だったよ。それにあの弾丸みたいなやつは?」

 

 壁に背中を付けて腕を組むアルフが口を開く。彼女は戦闘中は積極的に連中にとりつき、その防御を崩す役割を担っていたため、その防御に使用されている術式の異質さを特に感じていたのだろう。

 ユーノも彼女たちが魔法を行使する際に足下に現れる魔法陣がミッドチルダ方式の円形とはかけ離れ、三角形を織り交ぜた形式であったことに疑問を持っていた。

 そして、あの形式の魔法にどこか記憶にあるような気もしており、少し感触の悪い気分が続いている状態なのだ。

 

「ユーノなら、分かるんじゃないかな?」

 

 アリシアはそう言ってユーノに目を向ける。ユーノは、考え事をする時の癖なのか、指で眉間をこつこつと叩きながらしばらく目を閉じ沈黙していたが、漸く合点がいったのか「あ!」という言葉と共に目を見開いた。

 

「ひょっとしてあれは。ベルカ式?」

 

 ベルカ式と聞かされて頭上に疑問符を浮かべるメンバーだったが、その中で唯一頷いたのがクロノだった。

 

「さすがに知識だけは豊富だな、フェレットもどき。ユーノの言うとおり、あれはベルカ式と呼ばれる魔法だ。ミッド式とは源流を同じにするだけで全く異なる術方式をもつものだ。特に……」

 

 とクロノは先ほどエイミィが立ち上げた映像を操作し、彼女たちの持つデバイスが独特のアクションを行う場面をピックアップして投影した。

 

「このベルカ式カートリッジと呼ばれるものが厄介だ」

 

 その言葉になのはもフェイトも深く頷いた。

 

「そうだね。あの赤い子もこれを使ったと思ったらものすごい力で襲ってきてた」

 

 白煙の中、爆発的に高まる魔力と、それに応じてパワーを増したあのロケットハンマーを思い出し、なのはは包帯が巻かれた腕をわななかせた。

 

「うん、あの剣士もそうだ。バルディッシュがおられた」

 

 フェイトはその悔しさに拳を震わせる。自分の相棒が傷つけられたことだけではない、彼らはその力で最愛の人たちを傷つけた。特になのはを、姉であるアリシアを。

 

「このカートリッジがベルカ式の最大の特徴とも言えるんだ。あのカートリッジは魔力が込められていて、激発すると一瞬で爆発的なエネルギーを得ることが出来る」

 

 漸く拾い集められた記憶からユーノはそう説明を続けた。

 

「だが、その不安定さと危険性から結局ミッド式に競り負けてマイナーになった。今では、ベルカの騎士と呼ばれる者達の一部が使用するだけにとどまってる。とてもじゃないが、デリケートなインテリジェント・デバイスに組み込めるようなものじゃない」

 

 クロノはそう断じて、モニターを閉じた。

 

「対策が必要だね。少なくとも、あの人達の攻撃に耐えられるぐらいの強化は必要だと思うよ」

 

 アリシアはそう言うと、起きたてで少しだるく感じる身体を壁に寄りかからせ、そのままずるずると床にしゃがみ込んだ。膝を立てて座る彼女の膝の谷間からはむやみに見せるものではない布地を伺うことが出来るが、緊張に包まれた部屋の中にはそれを咎める余裕のある人間はいない。

 

「ともかく修理を優先に。対策は、その後に考えることにしよう」

 

 クロノはそう言うと、エイミィにデバイスの修理部品の発注を命令し、なのはとフェイトに声をかけた。

 

「どうしたの? クロノ君」

 

「君とフェイトには会って貰いたい人がいるんだ。フェイトの保護観察責任者になる提督だ」

 

「ああ、確かグレアム提督だったね。そう言えば、今日が面接だったかな」

 

 アリシアは、膝頭にあごを預けながら地球での戦闘でうやむやになってしまったスケジュールを思い出した。

 フェイトは確かに裁判には無罪となったが、それは数年間の保護観察を置いてのことだった。そして、その処置はこれからその責任者となる管理局の重鎮との最終面接をクリアした後に与えられるものだ。

 つまり、先ほどの戦闘がともすればフェイトにとって余り良くない結果を生み出すことにもなりえたのだから、今になってアリシアはフェイトを連れてきたことは失敗だったかと思う。

 だが、既にグレアム提督との面識を持つアリシアはあの提督がその程度のことで決定を翻したりはしないとも推測することが出来た。

 

「それじゃあ、僕たちは行く。後のことは任せたぞ、エイミィ」

 

「じゃあ、後でねユーノ君、アルフさん、アリシアちゃん。それにレイジングハートとバルディッシュも」

 

 なのははそう言って手を振りながら保管庫をあとにしクロノについて行った。

 

「それじゃあ、私は修理部品の発注に行ってくるよ。みんなはどうする?」

 

 エイミィは、コンソールから必要部品のリストをメモリーに抜き出し部屋を後にしようとする。

 

「僕は少し休憩しようかと。アルフは?」

 

 漸く一段落したことにユーノは肩の緊張を抜き、先ほどまでは分からなかった疲労にため息をついた。

 

「あたしもちょっと休ませて貰おうかな。アリシアも来るだろう?」

 

 アルフは部屋の隅で膝を立ててうずくまるアリシアに目を向けるが、アリシアはひらひらと手を振ってその申し出を断った。

 

「なんだか身体が怠くて。少しここで休憩させて貰ってもいいかな」

 

 そう言えば話の途中でへたり込んでしまっていたことをユーノは漸く気がつくことが出来、少し心配そうに彼女をのぞき込んだ。

 

「大丈夫? アリシア。何なら部屋まで運ぶけど」

 

 ユーノはそうアリシアに提案するが、アリシアは「そんな大げさなことじゃないよ」と笑ってその申し出も遠慮した。

 見たところ顔色もそんなに悪くなく、医者先生からも問題なしと太鼓判を押されたことからエイミィも出るときにはロックをかけていくように言って、ユーノとアルフと共に部屋を出た。

 

「何かあったら呼ぶんだよ? あんたに何かあったらフェイトが心配するからさ」

 

 去り際にアルフが心配そうにそう言い残すのにアリシアは「アルフは心配してくれないの?」と悪戯っぽい笑みを送り返し、真っ赤になって憎まれ口を叩くアルフを見送ってしばらくクスクスと笑い声を漏らしていた。

 

「さて……」

 

 アリシアはそう呟いて、静かになった保管庫を見回した。先ほどまで人の声に満ちていた小さな部屋は今ではダクトが排気する空気の音と、コンピュータの駆動音のみが響く空間となっていた。

 アリシアは少し難儀した様子で立ち上がり、服についたほこりを軽く払うとその視線の先に浮き上がる三種のデバイスに目を向けた。

 レイジングハート、バルディッシュ、バルディッシュ・プレシード。その三つのデバイスは、まるでアリシアを待っていたかのように一瞬明滅し彼女の行動を見守った。

 

「なにか、話がありそうな様子だったけど、私の勘違いじゃないよね?」

 

 アリシアは三機が保管されている特殊硬化樹脂ケースに歩み寄り、もう一度その側に腰を下ろした。

 彼女がこの部屋にとどまりたかった理由は確かにデバイス達に何か相談事があるのではないかという予測からだったが、実際身体の疲労が限界に達しつつあることも事実だった。

 実際、彼女の幼い身体は先ほどから睡眠を要求し、しょぼつく瞼を彼女はこすりつけ何とか彼らの話を聞く用意を調えた。

 

《お疲れの所申し訳ありません、姉君殿》

 

 バルディッシュのどこか恭しい物言いに、アリシアは薄く笑みを浮かべ、バルディッシュのねぎらいに礼を述べた。

 

《相談があるのはレイジングハート卿とバルディッシュです。話は二人から聞いていただけますか? ユア・ハイネス》

 

 プレシードはそう言うと、何度か光を明滅させそれ以降沈黙を守った。どうやら、スリープモードに移行した様子だ。主を前にしてそれは少し不義ではないかとバルディッシュは一瞬思うが、自身の兄機が主であるアリシアからまともに魔力供給を受けていないことを思い出し、それは自身の保全には必要なことだということを思い出した。

 そう考えれば、自分自身はなんと主に恵まれていることか。バルディッシュは改めて自分がフェイトのデバイスであることを誇りに思い、レイジングハートの言葉を待った。

 やはりこういうことは目上に譲るものだ。人間ではないデバイスであってもそういった配慮は存在し、やはり自身も圧倒的な活動年数を誇る主の友人のデバイスを前にすると僅かな気後れを感じるようであるとバルディッシュは自己診断をした。

 

《私は……いえ、私とバルディッシュは勝てなかった。戦闘には勝利したでしょうが、それはアリシア嬢の勝利だ。我々は敗北したのですよ、アリシア嬢》

 

 普段のテンポの良い会話は、どうやら成り立ちそうにないなとアリシアはどこか悲痛な叫びのように聞こえるレイジングハートの言葉にそう感じ、表情を改めた。

 

「武器の性能は言い訳にはならない? ただ、フェイトと高町なのはがまだ貴方たちを扱い切れていないって」

 

 デバイス達にとっては屈辱の言葉だろう。アリシアはそれを知りながらも敢えてそう応えた。

 

《姉君殿、我々はデバイスです。デバイスは等しくマスターのためにあるもの。自身の性能の不足をマスターの責任にすることはすなわち不義。屈辱を賜ります》

 

 レイジングハートも言葉にはしないが、基本的にはバルディッシュに賛成なのだろう。赤い宝石は光を二度明滅させることでアリシアに応えた。

 

「今以上の力が欲しいってことだね、二機とも。だけど、貴方たちはミッドのデバイスの中ではすごく高性能なんだよ? これ以上何を求めるの?」

 

 自身の強化か、それとも主の強化か。少なくともエイミィは、今回の戦闘データを参考にしたフレーム強化案を具体的に進行中だ。そうなれば、同等とは言えないにせよ少なくとも今回のような敗北は回避される。彼らはそれには不満なのだろう。自身と敵方の性能差をなくし、その上で主達には力と技を競い合う戦いを演じて貰いたい。

 そう言ったところではないかとアリシアは予想した。

 

《レイジングハート卿と話し合いました。あいにく、卿とは意見が食い違いましたが、私は力を求めます》

 

 先に言葉を放ったのはバルディッシュだった。

 

「具体的には?」

 

 アリシアは上目遣いでバルディッシュの、その黄金に光るレリーフの中心を睨み付けた。

 

《敵と同等となるには敵と同等の力を得る必要があります。よって、私はCVK792-R、ベルカ式カートリッジシステムのインストールを要求します》

 

 合理的な話だ、実に合理的だとアリシアは思った。しかし、こうも思った。このデバイスは果たして主の意向を正確に理解しているのだろうか、と。おそらくフェイトは今回の戦いの不手際を自分の力不足だと思っているだろう。そして、フェイトは自分自身がさらに経験を積み強くなる必要があると考えるはずだ。そのための方法は今のフェイトには多く用意されている。クロノや自分などの経験豊富な戦闘者を始め、共に研鑽を積むことが出来る親友達。そして、今回のアリシアが証明したように、単体で対処できないのなら群れを作ること、1+1を3にも4にもする方法があるということを彼女は知ったはずだ。

 しかし、このデバイスは単独での戦闘力の向上を望んでいる。それも手持ちの武器をより高性能にすることで。つまり、バルディッシュは一騎打ちがしたいのだ。自身が敗れた魔導師とそのデバイスに対して。

 

「バルディッシュは、本当に正しい騎士のデバイスだね。ううん、バルディッシュこそ騎士と言うべきなのかもしれないね。分かったよ、カートリッジシステムは私の方からお願いしておく」

 

《ありがとうございます、姉君殿》

 

 バルディッシュに人並みの感情と実態があれば、片膝をついて傅き瞳に涙を浮かべていたかもしれない。少なくともバルディッシュ本人はそうなる予測を立てていた。

 

「それで、レイジングハート。バルディッシュと意見が食い違ったと聞いたけど。あなたはどうするの? カートリッジはいらない。そういうことで良いのかな」

 

《私の場合は、新たな力を得ることよりも、本来の機能を取り戻すことを優先するべきと考えました。それに……》

 

「それに?」

 

《安易に手に入る力には価値がない。力とは愚直に求め時間をかけて手に入れたものこそ価値があると私は考えます》

 

「へえ、良いこと言うじゃない。誰の言葉?」

 

《あなたですよ、元所有者。ベルディナ・アーク・ブルーネスの生まれ変わりであるあなたからいただいた思想です》

 

 アリシアはなるほどねと頷いた。確かにベルディナは愚直だった。才能のない身に残された唯一の方法はただ研鑽と経験を積み上げ、努力に見合わない結果から学びさらに努力を繰り返すことだけ。

 そうして、彼は300年の時を経て最強の一翼に君臨した。

 

「だけど、それは高町なのはに苦渋を強いることじゃないかな。お前はそれをよしとするの? それはデバイスとしての不義に当てはまらないかな」

 

《戦うと決めた以上避けて通れない道ですよアリシア嬢。私はマスターなのはがその程度の覚悟も持ち合わせてないとは考えてはいません》

 

「高町なのはがその覚悟を持っていなかったら? もしくは、持つことが出来なかったら、お前はどうする?」

 

《そのときは、謹んで私を元所有者のものに返還するのみです。覚悟を決められないまま戦わせることの方がよっぽど不義だと私は考えます》

 

 アリシアとレイジングハートは改めて向き合い、お互いの腹を読み合うように視線を交差させた。

 

《もう一度要請します。元所有者アリシア・アーク・テスタロッサ。ベルディナに拾われた際に解除され、封印された私の本来武装を取り戻させてください。あらゆるデバイスのオリジナル、最古のデバイスと呼ばれたトライアル・アーツの機能を、私に与えてください》

 

 レイジングハートはそう言って一切の反応を閉ざした。光を失い暗転するその宝玉をただ黙って見つめ続けるアリシアは、いよいよこの時が来たかとどこか諦観するように一度ため息をつき、そして再び表情を引き締めた。

 

「分かったよ、レイジングハート。お前をトライアル・アーツに戻そう。間違えないで、そしておぼれないように。お前も、高町なのはも」

 

《ありがとうございます。アリシア嬢》

 

「さて、そうと決まれば行動は速くしないとね。早速リミエッタ管制官に連絡を……っと……あれ?」

 

 心機一転、立ち上がってエイミィの元へと意気込んだアリシアだったが、視界が高くなるにつれてふらつく足腰に違和感を覚え、コンソールに手をついた。

 

《姉君殿、バイタルが疲労の限界を報告しております》

 

 バルディッシュの奏でる機械音がどこか遠くに感じられる。アリシアは何とか姿勢を維持しようとコンソールの縁をつかむ手に力を入れようとするが、入れたはずの力はどういう訳か弛緩の方向にシフトしていき、いつの間にか視界の中には冷たい感触を伝える床の映像がとらえられる。

 

「ふぅ……身体に合わないことしちゃったからかな? 少し……疲れた……」

 

 息が途絶えるような唐突さで、アリシアは意識を失う。

 レイジングハートはあわててアリシアに呼びかけるが、そのバイタル反応は深い睡眠に陥ったと言うことを告げ一息つき、速やかにエイミィの元の通信を伝えた。

 眠りこけるアリシアの口元からは、年相応の幼い寝息が響いてきていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 Extension Technology

今回はちょっと悪のりです。


 アリシア達が地球で行った戦闘は思わぬ副産物を呼びこんでいたと言うことを知ったのは、夜が明けた早朝の事だった。

 アリシアがあの戦闘の最後で負傷を受けることとなった例の魔法は、昨今問題になっていた魔導師襲撃事件の手口と完全に一致するということがあきらかになったのである。

 それまで管理局は第97管理外世界地球を中心とした事件であることだけは掴んでいたが、管理局法の足かせもあり今まで具体的な介入捜査を行うことが出来なかった。

 しかし、今回の戦闘はその当該世界で発生し、その現地の人間が襲撃にあった。管理外世界での魔法行使禁止条例違反、魔法を用いて現地人民間人に対する殺傷行為。これは、実質的に管理外世界への捜査介入を行うには不十分な理由だが、現地民間人の保護の名目で地球に仮設駐屯所を形成するには問題のない理由となった。

 仮設駐屯所はあくまで仮設のものだ。その駐屯所としての運用は一年以内と定められ、現地に配備される人員も戦闘要員を含めて最小限のみが認められる。

 この事件にアースラチームが宛がわれることになったことは、リンディ達アースラスタッフにとっては渡りに船のような状態に違いない。先ほどの事件ではドッグに固定されオーバーホール中だったアースラを技術部を説得し脅し無理矢理動かしてしまったのだから、当面の間リンディ達はアースラに近づくことすら出来ない。アースラのオーバーホールが暫定的にも終了するのが最短で半月後と予想されている。

 よって、リンディを代表しアースラチームは地球の海鳴市、正確にはなのはの実家である高町家の近くのアパートの一フロアを接収し、司令所付きの仮設駐屯所を形成する事となった。

 

 地球、海鳴市。その日は洗濯物がよく乾く快晴であり、絶好の引っ越し日和となった。引っ越し日和と聞いてなのははミッドチルダにはそう言う言い回しがあるのかと首を捻るが、それはリンディ独自の言い回しだったらしく、とにかく晴れて良かったねと言うニュアンスだったらしい。

 確かに心機一転、新しい生活を始めるには快晴の日がもってこいであるし、新たな出会い、新しい友人を知り合いに紹介する日としてはよい日和とも言えるだろう。

 アリシアは冬の澄んだ空気を通して照りつける日差しにリンディから渡された鍔広の帽子を被り直し、サイズが合わずにずれたポリカーボネイト製の黒眼鏡を直し、少しため息をついた。

 

「大丈夫? お姉ちゃん」

 

 そんな何処か辛そうなアリシアに隣を歩くフェイトが心配そうに声をかけた。

 

「大丈夫、フェイトは平気?」

 

「うん、私は大丈夫だよ」

 

「そう。それは、何より」

 

 アリシアはそう言うと、フウと一息ついた。

 やはり、赤い目には強い日差しが辛い。アリシアはフェイトと同様に赤色の瞳を持つ。それ故、赤みかかった瞳孔と虹彩は光に対する耐性が低いことは避けられないようだ。気がついたのは、ハラオウン親子に連れられてクラナガンにショッピングに行ったときだった。

 基本的に太陽のない本局や船の中で生活していたアリシアは、クラナガンの太陽の下に出たとたんしきりに目を痛そうにしばたたかせ、しまいには目を閉じていないと痛くて歩くことすら出来なくなっていた。

 あわてたリンディとクロノはそのままアリシアを担いで眼科に直行し、診察を受けさせたが医師の返答は「光彩が赤いために光や紫外線に対する耐性が低い」という診断だった。これはおそらく遺伝子的な問題であり、同じ症状の患者の中ではまだましな部類だという。

 兎も角、外出時にはUVカットグラスをかけ、肌を極力露出させない。露出する部分には日焼け止め効果のあるファンデーションを施し、その上からさらに日焼け止めクリームを塗りこむ。この三つを心がければ日常生活にはまったく苦労しないと診断され、リンディ、クロノ共々胸をなで下ろしたものだった。

 

 しかし、自分と同じ遺伝子もち、自分と同じ朱い瞳を持つフェイトはこの日差しの中で目をさらしていてもアリシアのような苦痛を味わっていないと言うことはどういう事なのだろうか。

 プレシアが生前のアリシアがそれで苦しんでいた事を鑑みて遺伝子的に問題を解決したと言うことなのだろうか。ともあれ、妹が自分と同じ苦しみをしなくてもいいと分かるとアリシアは気休め程度には安心することが出来た。

 

「大変だね、アリシアちゃん」

 

 最初こそ黒眼鏡をかけて玄関から現れたときはぎょっとしていたなのはだったが、アリシアのその事情を知ってからは、世界にはそう言う疾患もあるんだと何か感心したような表情をしていた。

 同情するのでもなく哀れむのでもない。単純な驚きに満たされるその表情にアリシアは悪くないと感じた。

 ともあれ、なのはを筆頭にフェイトとアリシアが先日引っ越してきたアースラの駐屯所(ハラオウン邸と呼称される)から外出してきたのは他でもない。なのはがフェイトとアリシアに紹介したい友人が居ると言うことだった。

 

「まあ、嘆いても仕方がないのだけどね。ところで、君の友人は翠屋という喫茶店で待っているってことでよかった? 高町なのは」

 

 ハラオウン邸のマンションの廊下から見たその店らしき建物はそれほど遠くには感じなかったが、歩幅の狭いこの身体にしてみればそれなりに距離が離れた場所に感じられた。

 大人なら歩いて10分弱、アリシアの身体なら歩いて15分から20分といったところか。確かに、それなりの距離である。

 なのはは「うん、そうだよ」と肯いて、ふと思い立ち止まると、膝をついてアリシアと視線を合わせた。

 

「ん、なに? 高町なのは」

 

 アリシアは突然自分に目を合わせてきたなのはにそう問いただす。正直あまり日差しの下にはいたくない。そのため、その口調に若干の棘が生じた事は無理のないことだ。

 

「えっとね、アリシアちゃん。私のことはなのはって呼んでくれないかな?」

 

(ああ、そういうことね)

 

 そう言えば、この少女はそう言う人物だったとアリシアは思いだした。いや、というよりは今まで自分があまりにも失礼だったということか。 

 アリシアはそう判断し、ゆっくりとグラスを外してなのはの目をまっすぐ見た。

 

「分かったよ、なのは。これからはこう呼ばせて貰うね」

 

 グラスを外した瞬間、アリシアはまぶしさに目がくらみそうになるが、それをじっと耐えてなのはに手を差し出した。

 

「うん。ありがとう、アリシアちゃん」

 

 なのははその手を両手にとり、漸く読んでくれた名前を心に刻みつけるように白い小さな手をギュッと握りしめた。

 涙腺が痛む目をせめて保護しようと涙をにじませる。その涙は頬を伝いアリシアの服に薄いシミを作り出していた。

 

***

 

 子犬フォームのアルフをつれたユーノがアースラクルーと共に喫茶翠屋に到着したことでこの日来る予定だったメンバーがそろうこととなった。

 店内で様々なグループに分かれ歓談する友人達一同を見回し、翠屋のオーナー高町士郎は頃合いを見計らって立ち上がり、傾注を呼びかけた。

 士郎は店内の視線が自分に集まっていることを確認し、一度「エヘン」と咳払いをし柔和な笑みを浮かべ口を開いた。

 

「本日は喫茶翠屋をご利用いただきありがとうございました。私はこの店の店長をさせていただいています高町士郎と申します。本日はなのはの親友のフェイトちゃんとアリシアちゃんの歓迎会ということで、フェイトちゃんとアリシアちゃんにはこれをきっかけに少しでもこちらの生活に慣れていただければと思っております」

 

 といって士郎は、フェイトとアリシアの方に目を向け笑いかけた。

 アリシアはその士郎に軽くお辞儀を返し、フェイトは恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いてしまった。

 

「では、食事と飲物の準備も整ったようです。あまり長々と喋っていると嫌われてしまいそうですのでこれくらいにしておきましょうか。では、皆さんお飲み物をお取りください」

 

 士郎の言葉に同調し、皆新たに配られた飲物を手に取り軽く頭上に掲げた。

 

「それでは、フェイトちゃんとアリシアちゃんをはじめとした異国の方々への歓迎と皆さんの今後さらなるご活躍を祝して」

 

『乾杯!!』

 

 互いにグラスが重ね合わされる音が店内に響いた。

 

「な、なんだか照れくさかったね。お姉ちゃん」

 

 未だ頬を赤らめて赤いオレンジジュースを飲むフェイトが隣でウーロン茶を口にするアリシアにそっと話しかけた。

 

「そうだね。だけどいい人だったよ士郎さんは。落ち着いたら二人でお礼に行こう」

 

「うん、そうだね」

 

 フェイトはニッコリと笑い、運ばれてきたイタリアのランチをモチーフにした料理に舌鼓を打った。

 

「はやぁ、忙しかった」

 

 すると、さっきまで店の奥に引っ込んでいたなのはが若干くたびれた顔をしながらアリシア達の席に顔を出した。

 

「お疲れ、なのは」

 

 ちょうどアリシアの正面の席に腰を下ろす、これまた金髪で長髪の少女アリサ・バニングスがなのはをねぎらうように手を振って迎えた。

 

「ありがとう、アリサちゃん」

 

 なのははそう言って翠屋のロゴが入った黒いエプロンを脱ぎ、フェイトの隣りに座った。

 

「お手伝いできなくてごめんね、なのはちゃん」

 

 なのはのもう一人の友人である月村すずかもなのはに料理を渡しながら労いの言葉をかける。

 

「いいよぉ、今日はみんなはお客様なんだから」

 

 すずかにお礼を言いつつ朗らかに笑うなのはは本当に楽しそうにフェイトとアリシアに顔を向け今度は満面の笑みを浮かべて口を開いた。

 

「改めてフェイトちゃん、アリシアちゃん、ようこそ日本へ。これからは一緒に居られるね」

 

「う、うん。そうだねなのは。とても、嬉しい」

 

 はにかみやなのはこの少女を前にしても同じか、とアリシアは思いながらこのメンバーがそろっていながら姿が見えない少年を捜した。

 今は地球に住んでいる少年、ユーノはアリシア達が座る席からは少しだけ離れた席でハラオウン家の面々と共に高町家の面々と談笑をしているようだった。

 なるほど、ユーノと地球の人々の関係は良好のようだとユーノに地球での生活の場を与えたアリシアとしては改めて安心を覚えた。

 しかし意外だとアリシアは思った。あまり交友関係を広げようとしないユーノだが、一度できた友人とは極力一緒にいたいと思うのが彼だ。しかし、この場では彼は友人関係よりも大人同士の社交の方に顔を出している。

 またぞろ、変な遠慮が出ているのか。せいぜい、なのはとフェイトの再会に水を差したくないとか、女の子同士の会話に口を挟みたくないとか。まあ、そんなところかとアリシアは当たりを付けた。

 

「まったくユーノめぇ。また変な遠慮して!」

 

 どうやら、正面のアリサも同じのようだ。彼女はフェイトとなのはの会話につっこみを入れつつ、時々言葉に詰まってしまうフェイトをフォローしつつも大人達に混じって雑談するユーノに少々ご立腹のようだ。

 

「へぇ……」

 

 アリシアは泡の出る白葡萄ジュースを傾けながらアリサの様子を意外そうに眺めた。

 

「なによ?」

 

 アリシアが漏らした声を不躾だと思ったのか、アリサはアリシアに鋭い視線を向けてくる。

 

「ああ、ごめんなさい。てっきりユーノはこっちでもあまり友人が出来ていないのじゃないかと思って。だけど、その心配はなかったって事かな」

 

 その心配の仕方はまるで、子供の心配をする親のようだとアリサは一瞬思うが何となく自分の胸中が見透かされたような感じがして不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「おっと、不機嫌にさせてしまったね。お詫びにユーノを呼んでこよう。なのはとフェイト、それに……スズカだったかな? それでもいいかな?」

 

 アリシアの提案にアリサ以外は快く肯いた。

 

「アリサちゃん?」

 

 腕を組み不服そうな顔で椅子にのけぞるアリサをすずかが宥める。どうやら、ユーノに関するとアリサはどうも不器用になってしまうようだった。

 確かにこの年頃になると多少なりとも自分と異性との違いが分かり始めるものだ。それに、どうもこの少女は他の少女達に比べると幾分か早熟している様子で、今まで女だけでやってきたグループにいきなり男という異物が入り込んだことに対する拒否感を持っているのだろう。

 もっとも、アリサに関してはそれだけが理由でもなさそうだがと若干頬を染めるアリサを見てアリシアはそう思うが、それ以上の追求はやめた。茂みに石を投げて虎を出す気はない。

 

 アリシアは「まあ、仲良くしてやってくれ」と言い残し、席を立ってユーノの座るハラオウンと高町のファミリーが集まる席へと足を運んだ。

 

「ユーノ。ちょっといい?」

 

 アリシアは、歓迎会が始まる前の席でなのはの兄だと名乗った恭也という青年と談笑するユーノの肩を叩いて呼んだ。

 

「ん? どうしたのアリシア?」

 

 いきなり話を中断させられて、ユーノはきょとんとアリシアに問い返す。

 

「ご指名が入りました。あちらのテーブルのお嬢様型のお相手をお願いいたします」

 

 と、演技の入った恭しさで指さすテーブルにはなのはやフェイトが少し苦笑しながらユーノに手を振る光景を見ることが出来た。

 ユーノは「あっ!」と声を漏らし。

 

「ごめん、恭也さんと話す機会なんて珍しかったからつい。すぐに行くね!」

 

 そう言ってユーノは、恭也に一言詫び、急いでなのは達のテーブルに走っていった。

 別に遠慮をしていたわけではなかったのか。とアリシアは呆れるが、ユーノの到着にだらしなく頬をゆるめるなのはに、幸せそうななのはを見て幸せそうにするフェイト、憮然としながらも何かとユーノをかまうアリサに、アリサの行き過ぎを制御するすずかを見て安心することが出来た。

 しかし、そうなってしまうと今度はどうも自分があの輪に入りにくくなってしまった。

 

「アリシアちゃんだったね。楽しんでる?」

 

 ユーノという話し相手を妹に取られてしまった恭也はユーノの代わりに残ることとなったアリシアに声をかけた。

 

「ええ、楽しんでいますよ恭矢さん。ここはいいですね。みんな暖かい。なんだか生まれ故郷に戻ってきたような感覚にとらわれます」

 

 アリシアは帰還をあっさりと諦め、今までユーノが座っていた席に着いた。

 

「あら、嬉しい。これからもよろしくね。うんとサービスするから」

 

 同じ席に座るなのはの母、士郎の妻である高町桃子はリンディと姦しく会話を交わしながら現れた主賓の一人に新しい飲物を差し出した。

 アリシアは「ありがとうございます」と言ってそれを受け取る。

 

 高町家とアリシアを含めたハラオウン関係の者達の会話は終始和やかな雰囲気で進んだ。

 途中、フェイトの言うお姉ちゃんがここにいるアリシアだと知られたときにはさすがに先方も驚いていたが、高町家も何かと複雑な事情をもつ家庭なのか、そのことは割とすんなりと受け入れられたようだったとアリシアは感じた。

 そして、宴もたけなわ。昼頃に始まったパーティーも時計の短針が1/4回転する頃にはお開きを宣言され、それぞれその後は自由解散となった。

 ユーノを含むなのは、フェイト達年少組はそのままどこかに遊びに行こうという話になったらしいが、残念なことにユーノにはこの後用事があるということで今日はこれで解散と言うこととなったらしい。

 フェイトはこの後なのはの部屋で休憩がてら雑談をするらしい。アリシアもそれに誘われたが、アリシアにもこの後やらなくてはならないことがありそれを断った。

 なのはもアリシアとは一度ゆっくり話がしたかったのか、断られたときは意気消沈していたが、これからはいくらでも時間があるからというアリシアの説得に何とか納得をし、フェイトを引き連れ翠屋から立ち去っていった。

 

 アリシアはパーティーの後片付けをする高町家の面々に最後にもう一度お礼の挨拶を伝えると、そのまま帰路についた。

 

 既に先にハラオウン邸に到着していたユーノと共に、アリシアは当初の予定通り本局へと転送しデバイス保管庫へと向かった。

 

 これから行うことは敵への対抗手段の構築。ある意味でレイジングハートのことをもっともよく知る二人によるレイジングハートの再武装化の作業だった。

 

「さてと……」

 

 作業のため特別にあてがわれた作業室のデスクにつき、アリシアはその引き出しに自前でそろえた一週間分の保存食と清涼飲料をしまいながら一息ついた。

 

「まずは、プランを整えよう」

 

 その対面に座るユーノもアリシアと同じように長丁場を耐えられる戦力を机にしまいコンソールを立ち上げる。

 

《ご苦労をかけます、アリシア嬢にユーノ》

 

 部屋の上座に位置するケースに置かれたレイジングハートは二人にそう伝えた。

 

 アリシアとユーノはレイジングハートに気にするなと伝え、本題に入った。

 

「話が大げさになったけど、実際再武装はそれほど難しい作業ではないんだ」

 

 アリシアの話にユーノとレイジングハートは黙って耳を傾けた。

 

「結局やることは、今までレイジングハートに備えていたリミッターを解除するだけのことだから、そのコードを入力してやるだけで再武装の作業は完了する」

 

 アリシアはそこまで言って話を中断する。

 だが、それならばなぜわざわざ設備のそろった別室を用意させたのか。ユーノは一応は理解していた。ただ武装の制限を解除するだけでは話は終わらないと。

 

「つまり、私たちがしないといけないのはレイジングハートをなのはの戦術に合わせた最適化ということになる。簡単に言ったけど、これは結構厄介なことだ。その認識は大丈夫?」

 

 ユーノは頷いた。

 ただ再武装しただけでは無駄が多い。これから行うことはレイジングハートを真に高町なのは専用デバイスとして作り替えること。そして、その戦術をレイジングハートのリソースのすべてを用いてサポートできる下地を構築することだ。過不足なく、彼女の未来さえも見据えて無理のない成長を遂げられるシステムを構築する。

 これは、一人の人間の人生を作り出すようなもので、そのためには莫大な情報とそれに基づく未来予測を行わなければならない。

 なのはが歩んできた道筋、それに基づく現在、そこから予測される未来。そして、なのははまだ魔法に出会って一年と経っていない素人。それが導き出す未来はまだ無限大にあり、ともすればこれからの作業がその未来の幅を狭めてしまうかもしれない。

 

「未知への探索はスクライアの本懐だよ、アリシア。僕たちは今まで過去の道筋から今ある未知を解いてきたよね。だったら迷うことはないよ」

 

《私のデータを信用してください、アリシア嬢。私も二人を信じます》

 

 ユーノとレイジングハートの宣言にアリシアは、

 

「よし」

 

 と応え、作業の開始を宣言した

 

***

 

  作業日誌

 

・新暦65年 12月3日

 

 13:44

 本日よりレイジングハート(以下RHと略)の作業を開始した。短期による突貫作業ではあるが、後々のことも考えて作業日記を付けることとした。

 日付を書いたとき地球とミッドの時差がほとんどないことに気がつく。地球での一時間はこちらでは一時間弱。正確な計算をしたわけではないが、地球での一週間はこちらでは一週間から一時間ほど差し引いたぐらいになるようだ。これはユーノからの情報だが少し興味深い。

 

 14:30

 RHのリミットの解除に成功。思ったよりも強固なプロテクトをかけていたようだ。リンカーコアを初めとした身体的特徴によって認証していたら私(アリシア)では解除することが出来なかった。

 第一段階、プロローグは終了。これより作業は本番を迎える。その前にユーノとミーティングをして今後の方針とタイムテーブルを決定する。

 

 18:00

 ユーノとのミーティングが終了した。RHの蓄積したデータからなのはの戦術パターンと術式パターンを整理し、新たな制御アルゴリズムを構築することに暫定決定。ただし、データの膨大さからどの程度まで精密にするか、成長変数をどのように設定するか、しきい値の問題や、そもそも戦術データを定量化することが出来るかなどの議題は残るがそれは作業を進めながら決定していくことにあらかた同意。私の仕事はユーノの整理したデータから逐一必要機能の洗い出しと制御アルゴリズムの構築をすることと決定。しばらくはトライアル・アーツ(以下TA)のデータシートと管理局の発注可能パーツ目録とのにらめっこが続きそうだ。

 

 20:00

 空腹で作業効率が落ちた。地球産のインスタントラーメンなるものを食する。うまかった。こんな非常食ごときに味を求めるとは、地球の住民は些かグルメのようだ。それとも、こういう場合であるからこそ味が重要になると知っているのだろうか。うまいものを食べて作業効率が上がるかどうかは分からないが、ともかく今後はミッドの非常食を食せなくなりそうだ。もう一つ食べたかったが今後のために自重しよう。

 

 21:00

 RHの持つなのはのデータの膨大さに少し胸焼けがした。情報の殆どが映像に占められるのは致し方ないことだが、既にRHがその映像を下に簡易的に解析を行っていたことが幸いした。少し作業が楽になりそうだとユーノは笑う。ひとまず、私はユーノから伝えられた情報を整理しておこう。紙とペンを用意する。こちらの方が構想が練りやすい私はロートルなのだろうかと思う。

 バルディッシュの修理改造を担当しているマリエル・アテンザ主任から定時連絡が入った。あちらも難航しているようだ。いろいろとアドヴァイスを求められ、適当に思ったことを返しておく。彼女が趣味に走らないことを願う、フェイトのためにも。

 どうでも良いことだがRHに保存されていた映像の約4割がなのはの成長記録になってしまっているというのはどういうことだろう?

 映像解析していたユーノが突然映った入浴シーンに意識をぶっ飛ばしてしまったときには正直呆れた。おかげで1時間ほど時間を無駄にした。

 癪だったので、それらを全部削除したらRHがマジ泣きしていた。うるさいので音声機能をダウンさせる。安心しろRH、バックアップしたデータは私が有効活用してやるから。

 

・新暦65年 12月4日

 

 6:00

 気がついたら夜が明けていた。私もユーノもまだまだ大丈夫だったが、ひとまず一旦休憩にして缶コーヒーとカップ麺の朝食をとる。昨日とは異なるメーカーのものを選んだ。なかなか美味だった。これが終わったら段ボールで注文してハラオウン邸の備蓄にしておこう。

 作業効率アップのためアテンザ主任に煙草を一ダース持ってこさせる。あちらも徹夜明けで判断力が低下していたのか、快く引き受けてくれた。いい人だ、調子に乗って口説いたら思い切り引かれた。少し残念。

 

 6:30

 朝食終了作業に戻る。ついでに作業スペースを排気ダクトの真下に設定する。ユーノは煙が苦手だからだ。元親としてはこの程度の配慮はしてやるべきだ。

 しばらくはユーノがまとめたデータの吟味が続く。アルゴリズムの構成はまだ見えない。出来れば今日中にアウトライン程度は作り終えてしまいたいが、無理かもしれない。

 

 12:30

 昼飯のチャイムが鳴ったので作業をしながら高カロリーサプリメントを食する。何でこんなものにまでしっかりと味付けがしてあるのか。この件が終わったら本格的に地球に移住しようかと本気で考える。食事が美味い世界に悪いところはないというのが私の持論だ。

 後ろでユーノが「もっとまともな食事が食べたい」と呟いていた。なにやら貶された気がしたのでからになったコーヒー缶投げつけてやった。

 

 13:30

 やはりアクティブレーダーは必要だとユーノと話し合う。なのははどちらかというと単体戦闘に傾倒しているという傾向がPT事件の戦闘データから推測できた。私の基本思考は集団戦闘寄りだったためそれには反対したかったが、管理局の高ランク保持者の多くになのはと同じ傾向が見られることを鑑みて、将来的には何のバックアップを得られない状態での対集団戦闘に耐えうるシステムを構築する必要があるのではないかとユーノから提案があった。

 ひとまず、それは置いておくことにするが、やはり索敵程度は自前で出来た方がいいと私も思う。必要機能のリストにアクティブレーダーを追加。幸い、TAのハードウェアには高性能のアクティブレーダーが備わっており、現代のメーカー品でも問題なくパーツを構成できるらしい。いくら高性能のものでも現代のものと互換性がなければ意味はない。

 

 15:00

 やはりなのはは砲撃と射撃かと結論を出す。理想としてはクロノ執務官のようなオールラウンダー、マルチロールなのだが、一朝一夕で近接やトラップ設置を収得させることは不可能と断定する。

 砲撃は単純に威力、射程、命中精度、魔力の効率化を行うだけだが、射撃に関しては意見が分かれる。

 私は、弾速と弾数を優先したかったが、ユーノは命中精度と誘導性能を重視するべきだという。それぞれの良いところ取りをしたいのだがうまくいくか。ひとまず、それぞれの意見を参考にしたアウトラインを制作することとする。

 

 18:30

 夕食中にアテンザ主任から連絡が入る。どうやら、プレシードをバルディッシュのテストステージとして利用させて貰えないかとのことだった。確かに、主力となるバルディッシュでいきなり試験を行うわけにはいかないということも分かる。プレシードは元々それが作られた目的だと了承しており、マスターである私の許可が必要だと言うらしい。

 ひとまず、情報収集と処理機能を落とさないのであればということを条件に了承する。プレシードの戦闘力は当てにしていないのでそのあたりは問題ない。アテンザ主任はこの期にプレシードにもカートリッジシステムを搭載しようかと提案してくる。

 正直なところ、カートリッジを搭載しても私では魔力を制御しきれないだろうから不要だとと答えるが、アテンザ主任はそのあたりのことも考慮して改良すると言っている。何でも、念のため二基発注したカートリッジモジュールの片方の使い道がないとのことだ。今後、このシステムは管理局の主力になるかもしれないので今から出来る限りの研究がしたいとのこと。

 探求心が旺盛なことは良いことだが、それでバルディッシュの完成度が下がるようなら本末転倒だと一応注意しておき、時間が空いたらということで了承する。

 カートリッジシステムか、私には不要だな。

 

 19:00

 どことなく気分がそわそわとしてきた。ずっとデスクに座りっぱなしだったため尻が痛い。股をさすっているとなにやら奇妙な気分になったのでやめた。代わりにRHに音楽をかけて貰う。地球ではやりの歌手の歌らしい。日本語というのはいまいちなじみが浅いがなかなか良い声をしていると思った。何でも日本のサブカルチャーであるアニメーションの声当てもしている歌手らしい。

 気のせいか、その歌手の声がフェイトの声に似ていると思ってしまった。今度、宴会の席で歌わせてみようか。

 ついでにRHよ、曲に合わせて鼻歌を歌うのはやめろ。気が散る。

 

 23:30

 射撃と砲撃、そして防御に特化したデバイスという構想が固まった。結局射撃に関しては弾速と弾数を上げつつ誘導性能を向上させるという、ある意味妥協のない機能とすると同意した。

 この射撃魔法を【Accele Shooter】と名付けアルゴリズムの細部の構築に入る。

 多目標自動迎撃により、射撃時も行動を停止する必要のないシステム構成としたいが、それで消費されるリソースが莫大すぎることに嫌気が差す。

 個人ユーズのアクティブレーダーを使用し、6発同時誘導でマンターゲットに正確に着弾する距離を算出したところその答えは40メートル以内という結果が出た。これは理論値であるので、実際にはもっと精度は落ちるだろう。

 ドッグファイトのみを主体にすればこれもありかもしれないが、なのははあくまで中遠距離がフィールドとなる。最低でも250メートル。弾数も従来の倍の12発を同時に制御したい。

 アクティブレーダーを増設することも考えたが、それに回るコストも考えれば却下せざるを得ない。魔力にも若干余裕がなくなることも問題の一つだ。

 何か良い案はないかと過去の文献を調べる。管理局のデータベースだけでは足りない。魔法以外の技術にも目を向ける必要があるかもしれない。

 

・新暦65年 12月5日

 

 6:00

 カップ麺美味い。二徹目で少し感覚がぼやけてきた。眠気覚ましのドリンクを飲んでおくことにする。

 

 12:00

 サプリメントをかじりながら作業。風呂に入っていないせいか体中が痒くて仕方がない。肌が弱いのでぼりぼりかいていたら腕が真っ赤になってしまったので自重する。

 データの整理もあらかた終了したのでユーノにアルゴリズムの一部を委託する。私は昨日に続いて射撃誘導の効率化の問題に取り組む。

 地球にはイージス艦なる兵器があるらしい。少し興味が湧いたので細部に関して検索を欠けるが、管理外世界の情報を閲覧するには権限が足りない。困った。お手上げかもしれない。

 

 19:00

 アテンザ主任から定時連絡。いきなり「ドリルは男のロマンですよね?」と聞かれてつい同意してしまう。お前は女ではなかったのかというつっこみは出なかった。私も疲れているのだろうか。ドリル談義でしばらく盛り上がる。終わってみて何を話しているのだ私はと思ってしまう。私の1時間を返してほしい。

 というより、アテンザ主任。付けるなよ、絶対付けるなよ、付けるなっていってんだろ。

 

 21:00

 研究ノートの一頁に「ドリルミサイル搭載に関する考察」という項目がいつの間にか出来ていた。私の筆跡のようだが身に覚えがない、でっかいバッテンを付けておく。そう言えば後ろからユーノの独り言が聞こえる。聞いていて不快だったので耳栓をする。

 地球の兵器に関する検索は、ハラオウン邸のPCにアクセスすることで解消した。不正アクセスの一種だが後で事情を説明しておこう。ちなみにハラオウン邸のPCはユーノのお下がりをやすく譲って貰ったものだ。電気動力だけで良くあそこまでのシステムを構築できると感心する。

 

 23:00

 やはり地球のイージスシステムに着目したのは正解だった。70を超える目標に対する同時迎撃機能。さらには驚異別に目標優先度を設定した上での自動迎撃。セミ・アクティブ・ホーミング。【Accele Shooter】の基本概要はこれで行くことに決定。

 セミ・アクティブ・ホーミングに関する細かい技術を解析。初期入力、中間慣性制御、終末誘導このそれぞれで異なる制御を行えば、少ない機構で効率的な迎撃が可能と考察。TAの補足用レーダー、イルミネーターを3基ほどリミットを解除する。このレーダーならアクティブレーダーよりもさらに指向性を高くし、現実的に1km先の移動目標も追尾できるはずだ。さらに使える概要がないか地球のネットを調べる。質量兵器は面白い。

 漸くアルゴリズムの構築が終了した。後は具体的にプログラム言語に書き上げていくだけだ。ゲインやしきい値はシミュレーションを行うことで修正していくことにする。なのはに引き渡した後にRHが独自に学習して設定できるように簡易的な階層型強化学習機能の搭載も視野に入れる。仕事が増えてしまったかもしれない。

 

・新暦65年12月6日

 

 6:00

 ひとまずユーノ担当のプログラムが完成したと報告を受けたので、それらをシミュレーターにかける。デジタル空間上に仮想的なデバイスを設定し、その中でプログラムを走らせる。デバイス設定にはより現実性を持たせるため、その制御部分にRHを接続させる。

 これに関する微調整とバグ取りはユーノに任せ、【Accele Shooter】の完成を目指す。

 

 8:00

 プログラミングが完了した。コンパイルもバグが200程度で収まった。殆どが記入ミスと/0(分母0)発散の問題だったので一時間ほどで修正完了。ビルド結果もセグメンテーション違反は確認されない。メモリー部分に余裕を見て設定したのでおそらくシミュレーションでも問題は出ないはずだ。

 早速【Accele Shooter】の仮想実験のためシミュレーターに接続する。ユーノはデバッグ作業に戻りしばらくシミュレーターは使わないらしい。手早く済ませる。

 

 10:00

 おかしい。シューターに諸元入力、慣性誘導までは問題なく作動するにも関わらず、終末誘導で不規則な軌道のばらつきが観測される。この部分はセミ・アクティブ・ホーミングの基幹となる部分なのでこれがうまくいかないと話にならない。

 プログラムの見直しと同時にユーノにハードウェアの確認を依頼する。レーダー、イルミネーター、弾殻形成機構に問題なし、それぞれの情報共有と通信伝達にもエラー無し。値も規定値をマークしている。ならばプログラムか。

 リアルタイム性を確保するためにRT-OSを組み込んだためそれと従来のOSの整合性に問題が生じているのかもしれない。

 同時制御のために用意した状態方程式の行列式の計算に若干の不具合があった。それで機動のばらつきはある程度解消されたが、仮想空間で完璧に作動させないと実空間での運用は無理だろう。

 RT-OSのデータシートをもう一度確認する。RHの既存OSではサポートしきれない部分がないかをチェック。

 

 11:00

 RT-OSの不整合が発見された。どうやら本体と弾殻間の双方伝達に不具合があるようだ。緒言入力と慣性誘導は基本的に弾殻からのフィードバックを受けないため問題はないが、終末誘導ではかなりの高頻度で双方通信を行うためそこにノイズが乗ってしまったらしい。

 そのノイズと弾殻機動の不規則性が殆ど一致したのでこれで間違いないはずだ。通信ゲインを下げればノイズも小さくなるが、誤差の範囲内に納めるには通信距離を100メートル以下に設定しなければいけないようだ。ノイズキャンセルのフィルターも考えたが、このレベルでは即応性と制御信号のゲインもかなり落とさなければならない。

 もっと早く気がついていれば改善策を講じることも出来たが、タイムテーブルの残り時間もあと僅かだ。ただでさえ遅れているところにこれ以上の遅延は認められない。次の作戦は決定している。最低限それまでに間に合わせなければいけない。

 気ばかり焦り上手い策が思いつかない。これは詰みか?

 

 13:00

 クロノ執務官から催促の連絡が来た。どうやら、アテンザ主任は殆どの作業を終わらせているらしい。出来ることなら今晩中にとのことだ。泣き言を言っている暇はない、とにかく解決策を模索しつつRHの艤装に取りかかる。レーダーとイルミネーターに手を出せなくなるが、それをプログラム上で解決することにする。

 

 14:00

 タイムオーバーだ。結局ノイズの問題は解消されない。仕方がないので次善策として考えていた方法を採用する。ノイズが消えないなら僅かに信号の送受信間にタイムラグを設定し、その間に出力されたノイズを解析しそれを打ち消す信号を発信することで見た目上ノイズが消えたように見せかける。このために弾殻制御のリソースを圧迫することとなり、当初予定していた多重弾殻射撃の24発同時制御を12発同時に落とすことになった。これでも従来の弾数の2倍を確保できたので及第点ということにしたい。

 シミュレーターに当てたところ揺らぎなく目標に着弾したが、やはり想定より若干の減速が見られる。弾速は【Divine Shooter】のおよそ2.2倍となり、想定の3倍を下回った。実際使用ではさらに下落するだろう。

 

 15:00

 現状の問題点をRHの内部マニュアルに記載し艤装を完了する。なのはへの受け渡しは6時間後となった。

 寝る前に腹ごしらえをしておく。最後のカップ麺を食う。いい加減我慢できないほど身体が痒くなってきた。頭からは白い粉がぱらぱらと落ちる。カップ麺が美味い、身体が痒い。

 

 15:30

 

 …カユ…ウマ……

 

 

――この日記はここで終わっている――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 Brilliant Starter

 

 武器は使わないのが一番なんだよ、とお姉ちゃんは言っていた。

 そのときの寂しそうな、悲しそうな笑顔を私はずっと忘れられないでいる。

 

***

 

 こんなに緊張したのは初めてアリシアをお姉ちゃんと呼んだとき以来だとフェイトは思っていた。

 フェイトはガチガチに身体を固めながら閉ざされた教室のドアから聞こえてくる教師の声に必死に耳を傾けていた。

 聖祥大学付属小学校。なのはやユーノ、そして先日友人となったアリサやすずかがかよう学校に今回フェイトも通うことが決まっていた。

 フェイトは制服という着慣れない服をつまみながら、着こなしに問題はないかと最後のチェックを行おうとするが、教師の「では、テスタロッサさん、入ってきなさい」という声にビクッと背筋を引き延ばし、ゆっくり深呼吸して扉をスライドさせた。

 

 教室に足を踏み入れた瞬間、クラスから「わぁ」という歓声が上がるが、緊張でがちがちになるフェイトにはそれがどういった意味合いのものなのかを類推する余裕はなく、担任教師の誘導に従いペコリとお辞儀をした。

 

「フェ、フェイト・テスタロッサです。この国には来たばかりなので、えっと、右も左も分からないのですが……よ、よろしくお願いします」

 

 昨日の晩、リンディやエイミィに付き合って貰った練習の通り、フェイトは何とか転向初日の挨拶を済ませ、ホッと一息吐いた。

 パチパチパチとわき上がる拍手の中からなのはが笑顔で手を振っているのが見えて、フェイトは頬を赤く染め小さくそれに手を振り替えした。

 

「テスタロッサさんはイタリア出身で、家族の事情で日本に来ることになりました。皆さん、仲良くしてあげてくださいね。じゃあ、テスタロッサさんの席は高町さんの隣になります。高町さん」

 

「はい!」

 

 なのははフェイトが隣の席になることを予め知っていたらしく、担任の呼び声に元気に手を挙げて答えた。

 

「今日一日、テスタロッサさんのことをよろしくお願いしますね。学校のこととか授業のこととか、色々と教えてあげてください」

 

「はーい、分かりました」

 

 なのはの元気な声に教師はにっこりと笑って頷き、フェイトを席に着くように促した。

 二人目の海外出身の転校生が珍しいのか、これからフェイトのクラスメイトとなる少年少女達は物珍しそうな、どこか期待に満ちた眼差しを通り過ぎるフェイトに向けながらこそこそと話しをする。

 

「はい、静かに。テスタロッサさんへの質問などは休み時間にするように。これで朝の会を終了します。日直、号令を」

 

 ぱんぱんと手を叩いて教師がクラスを落ち着け、日直の生徒が「起立、礼」と告げ、朝の会はそれで終了を告げた。

 

*****

 

 午前中の授業も終わり、一時間程度の昼休みに入ってフェイトはなのは達と昼食を取るために屋上に連れてこられていた。

 今の時期は外で食事を取るには気温が低く、実際春先と比べ屋上にいる生徒の数はフェイト達を含めても数人と言うところだ。

 幸いこの日は良く晴れていて、風が吹き付けない日向でじっとしていればある程度は暖を取ることも出来る。

 

「はぁぁ……」

 

 フェイトはリンディに用意して貰った暖かいお茶を飲みながら、心底疲れた様子で大きくため息を吐いた。

 

「あははは、大変だったねフェイトちゃん」

 

 心底疲れたという塩梅で深く息をつくフェイトを苦笑いで眺めながらなのははフェイトを労う。

 

「転校生の通過儀礼みたいなもんよ」

 

 フェイトに群がる少年少女達をとりまとめ質問会の音頭を取ったアリサは、こっちの苦労も分かって貰いたいもんだわ、とため息をつきながらフォークで弁当箱をつつきウィンナーを頬張った。

 

「うち私立だから転校生自体が珍しいからね。それにしても、私はてっきりアリシアちゃんも一緒に転校してくるものと思ってたけど。どうなの? フェイトちゃん」

 

 アリサの言葉にくすくすと笑いながらすずかは先日の歓迎会で知り合ったフェイトの姉の事を問いた。

 

「あ、お姉ちゃんは、その、色々事情があって……身体のこととか……」

 

 まさかアリシアは今本局の一室に籠もりきってレイジングハートの調整を行っているとは言えないため、フェイトは何とか言葉を濁すしかなかった。

 

「アリシアちゃん、お日様に弱いんだよね? やっぱり、こっちの学校に通うのは無理なの?」

 

 それを差し引いても、アリシアは事情持ちであることを知るなのはは心配そうにフェイトに聞いた。

 フェイトはそれに頷き、

 

「無理すれば何とかなるってリンディ提……リンディさんが言ってたけど、やっぱり難しいって」

 

 しかも、アリシア本人は学校に通うことを拒んでいる様子だった。実際、アリシアは本局に来て地球の勉強が遅れているユーノに勉学を教えていたこともあり、その知識は小学生の域を超えている。

 デバイスのアルゴリズムやシステムの構築には、微分方程式、行列関数、フーリエ級数やラプラス変換といった高度な数学的知識が必要であるし、それに運用される魔力もまた物理現象の一環と見なすことが出来るためそれに必要な物理知識、力学や電磁気学、魔法力学や制御工学など幅広い知識が必要とされる。

 これらの用語は地球固有のものだがそれに準ずるものはミッドチルダをはじめとした次元世界にも存在するのだ。

 

 はっきり言ってしまえば、今更小学生の学校に通ってまで勉強をするなど馬鹿馬鹿しくてやっていられないというのが本音なのだろう。現地語や歴史、文学、社会制度や産業経済などは教えて貰わなくても自分で学ぶことが出来る。実際、ベルディナは様々な次元世界を渡り歩く際に、そう言ったことは自力で学んできたのだ。

 

 だが、その側面を知らないなのはとしてはやはり学校には通うべきだと考えており、フェイトも姉と同じ学校に通いたいという願いがある。

 保護者のリンディとしてはなるべくフェイトの願いを叶えたいと思ってはいるものの、アリシアの事情を無視することは出来ない。故に、フェイトにはアリシアの身体の事情、太陽の光にきわめて弱いという先天的遺伝子疾患、を理由に今のところはアリシアの修学を控えているという状態だ。

 

「だけど、フェイトのお姉さんって何だが不思議な人よね。なんか、妙に落ち着いてるって言うか。下手したらあたし達より大人っていうかさ。っていうか、見た目あたしらより年下なのに、何でフェイトのお姉さんな訳?」

 

 もぐもぐと食事をほおばりながら、アリサは話題をそらせた。アリシアの事情というものには興味はあるが、本人のいないところで話されるべきではなく、また無責任な推測をするのもアリサは嫌った。

 

「あ、それは私も同感。なんだか、凄い大人の人と話してる感じだった。フェイトちゃんのお姉さんっていうのは違和感がないんだけど……」

 

 すずかもアリサの思惑を正確にくみ取り、彼女の話題に乗ることとした。

 しかし、何気なく出されたはずの話題にフェイトは少し困った表情を浮かべた。

 

「それは……アリシアは私のお姉ちゃんだから」

 

 説明になっていない答えだと言うことはフェイトも重々承知していることだった。実際、その答えにアリサもすずかも若干怪訝な顔を浮かべているが、フェイトの言いよどむ様子から余り他人が触れることではないと察しそれ以上の追求は差し控えることとした。

 

「それにしても。ねえ、なのはちゃん。ユーノ君はどうしたの?」

「そうよ、ユーノよ! 何であいつ学校に来てないのよ!?」

 

 すずかの問いにアリサは叫び声のようなものを上げて答えた。ユーノは既に日本に戻ってきていることは、先日のテスタロッサ姉妹の歓迎会で明らかなことだ。そもそもユーノがしばらく日本を留守にしていたのは、故郷にいる身内のことでやむを得ない事情があるとのことだった。

 その身内とは、今この場にあるフェイトのことに違いなく、アリサとすずかはフェイト達はユーノの遠い親戚なのだという説明を受けている。

 そのフェイトが、今ここにいるということはユーノの本国での用事は終わったと言うことではないか。

 そうであるはずなのに、蓋を開けてみればユーノは学校に顔を出さず、あの歓迎会の以降顔を見せていない。

 ほぼ一月ぶりの再会になり、アリサはユーノに対して不器用でしかいられなかったが、それでも心の根では彼の帰還をとても嬉しく思っていたのだ。

 

「あう、ユーノ君はまた国に用事が出来ちゃって。フェイトちゃんのお姉ちゃんと一緒にちょっとだけ帰省してるの」

 

 嘘は吐いてない、嘘は吐いていないとなのはは少し乾いた声で笑いながら冷や汗を浮かべつつアリサとすずかの表情を伺う。

 

「なのは、あんた。また隠し事してるんじゃないでしょうね?」

 

 なのはは隠し事が苦手だ。とても苦手であると言わざるを得ない。そんな彼女の虚偽が人の上に立つことを常日頃から学び続ける名家の令嬢達に通じるはずはない。

 

「あの、アリサ。ユーノは一週間ぐらいしたら戻ってくるから。心配しなくてもいいよ?」

 

 フェイトのその言葉にアリサは少しドキッとした。

 

「べ、別に心配なんかしてないわよ。ただ、なんだか、あれよあれなのよ」

 

 あれとかこれとか使い始めるのは知性の後退だぞ、とアリシアがこの場にいればそう言っていただろう。それぐらい、傍目からはわかりやすくアリサは狼狽していた。

 

「アリサちゃんは、ユーノ君がいないのが何となく物足りないんだよね」

 

 いいコンビだもんねぇとすずかは普段の二人の様子を思い浮かべながら、天然なのかわざとなのか分からない仕草でクスクスと笑った。

 

「あはは、アリサちゃんはユーノ君のこと大好きだもんね」

 

 なのははすずかの尻馬に乗りながら朗らかに笑う。しかし、なのはの飾らないその仕草に逆にアリサは頭を抱え、すずかは少し困ったような笑みを浮かべた。

 

「えっと、なに?」

 

 状況がつかめないフェイトはそう言うしかないが、状況は既にフェイトを相手にしていなかった。

 

「なのは、あんたねぇ。あんたがそんなんだとそのうちユーノが他の人のものになるわよ? それでも良いの?」

 

「えっと、ユーノ君は誰のものでもないと思うのですが……」

 

「だから! そうじゃなくて!! ああもう、このニブチンカップル!!」

 

 端から見ればどう見てもデキてるとしか思えない二人のこの朴念仁っぷりにアリサは激高するが、なのはとユーノの両者は未だ思春期も二次性徴期も迎えていない子供らしい関係であるとも言えるのだから、別段なのはがせめられる必要は無いのだ。

 それでも、家の教育の賜物なのか、同年代の少女としては多少早熟気味のアリサとしてはそんな二人の関係がもどかしくて仕方がないらしい。

 

「あの、アリサはどうして?」

 

 なのはとユーノのことになるとあそこまで熱くなってしまうのか分からないフェイトは自分と同じく話題の隅に追いやられたすずかにそっと耳打ちした。

 

「フフ、アリサちゃんはなのはちゃんとユーノ君が大好きだからね」

 

 答えになっていないような答えを貰い、フェイトはさらに困惑を強くする。

 

「ところで、フェイトちゃん。フェイトちゃんの連絡先を教えて欲しいんだけど」

 

 そんなフェイトの困惑をはぐらかすようにすずかは話題を変更した。

 

「えっと、家の電話番号でいい?」

 

 この国では主要な連絡手段が電気転送式の会話装置であることは知っていたフェイトは、ハラオウン邸の家電話の番号を思い出そうとする。

 

「あれ? フェイトってケイタイ持ってないの?」

 

 寸前までなのはに詰め寄り、組み敷いて馬乗りになって両頬を引っ張っていたアリサはフェイトの言葉にあっさりとなのはを解放し二人の話題に入ってきた。

 

「けいたい? 何を携帯するの?」

 

「あはは、携帯電話だよフェイトちゃん。ほら、こういうの」

 

 ヒリヒリと痛む頬を撫でながらなのははスカートのポケットから愛用の携帯電話を取り出し、画面を開いてフェイトにみせた。

 その画面には、半年前アースラで取った画像が示されておりフェイトは少し嬉しくなった。

 なのは、フェイトを中心としてユーノ、アリシア、アルフ、クロノにリンディにエイミィ。みんな画面の向こうで微笑みかけ、そこに写っている自分もはにかみながら笑っている様子にフェイトは少し恥ずかしくなった。

 

「ひょっとして持ってないの?」

 

 きょうびの小学生なら誰でも持ってるわよと言うアリサに、フェイトは少し困った様子を浮かべた。

 ミッドチルダにもこの手の携帯端末は存在するが、遠隔地との連絡に特化したものではない。魔法技術が主流となっているミッドではわざわざ端末を使わずとも念話という設備を必要としない技術が存在するのだ。

 

 しかし、これからしばらく地球で過ごすからにはこういった現地の端末も持っておくべきではないかとフェイトは考える。

 

「えっと、前に住んでた所はそう言うの必要なかったから」

 

 何となくみんなが持っていると聞かされると持っていない自分が恥ずかしくなってしまう。バルディッシュで代用することも出来るだろうが、管理外世界でむやみに魔法技術を使用するわけにもいかないのだ。

 

「ふうーん。イタリアって結構発展してると思ったけど、そうでもないのね」

 

 血筋的にもグローバルを地でいくアリサは久しく訪れていない遠い欧米の半島に思いを馳せた。

 

「あ、えっと。私が住んでたところが田舎だったからだと思う。この国がすごい都会で、初めて来たときはビックリしたよ」

 

 実際の所、海鳴市はミッドチルダの地方都市程度の規模でしかない街なのだが、確かにフェイトの記憶にある故郷は緑豊かな人の少ない辺境だった。それに比べれば、目もくらむような人の多さに違いない。

 嘘は言っていないよね? と焦るフェイトに、なのははフォローを敢行する。

 

「特にフェイトちゃんはあまりお外に出なかったらしいから、仕方ないよアリサちゃん」

 

 あははと自然な笑みを浮かべるなのはにフェイトは念話で『ごめんね』と礼を言った。

 

「だったら今度携帯電話、一緒に買いに行こうよ」

 

 名案とばかりに手を叩くすずかになのはも「それ良いね」と同意した。

 

「でも、リンディさんに聞いてみないと」

 

「じゃあ、リンディさんがいいっていったら一緒に買いに行きましょう。これでOK?」

 

 やはりアリサには生粋のリーダーシップというよりも親分気質というものがあるとフェイトは感じた。授業の間の短い休み時間に、クラスメイトから取り囲まれ質問の嵐を被ったフェイトを助け、見事な手腕で人々をまとめ上げた彼女だ。その物言いは確かに聞くものが聞けば高慢だと感じるだろうが、どういう訳かフェイトにとってその雰囲気は不快はおろか好感を抱くものだった。

 

(ああ、そっか。何となくお姉ちゃんに似てるんだ)

 

 フェイトはそんな自分の考えに笑みを浮かべ、

 

「うん、分かったアリサ。そのときはよろしくね」

 

 と伝えた。

 

 フェイトの了承を得て、早速なのは達はフェイトに合う携帯電話の仕様を姦しく検討し合う。

 

「携帯なんて結局どれを選んでも同じなんだから、決め手は見た目のデザインよ」

「だけど、やっぱり操作性の良いのが一番だよ」

「機能が充実してるのが良いと思うなぁ。メモリーがいっぱいあった方が写真とか音楽とかいっぱい保存しておけるし」

 

 どことなくそれぞれの友人の個性を伺える会話を聞きながら、フェイトはふと澄み切った青空を見上げた。

 

(お姉ちゃんも、早く一緒に住めるようになったらいいのにな)

 

 眼前に広がる光景にアリシアが混じること。フェイトはそんなことを思い願いながらなのは達の会話に相づちを打ちながら食事を続けた。

 

 

*****

 

 

「ただいま……」

 

 初めての学校から帰ったフェイトは照れくさそうにそう言いながらハラオウン邸、現在アースラの仮設駐屯所になっている住居の玄関をくぐった。

 リンディやクロノからは自分の家だと思ってくれて構わない、いや、むしろそう思って欲しいと言われているが、改めて「ただいま」と口にして出すのはとても恥ずかしくそして嬉しいものだとフェイトは実感した。

 

 しかし、フェイトが帰宅を告げたにも関わらず中からは誰からが出迎えに来ることも「お帰り」と言いに来ることもない。

 ここはアースラの駐屯所なのだから、いつでも誰かが詰めていなければ可笑しいのだが、皆忙しいのだろうか。

 フェイトはそんなことを思いながら日本家屋の伝統に従い履き物を脱ぎ、おろしたてのソックスを踏みしめながら廊下を歩いて広々としたリビングに顔を出した。

 

「君が言いたいことも分かる。確かに命に関することは一切の妥協をして欲しくはないが、こっちにもスケジュールがあるんだ。そろそろ具体的なタイムテーブルを示して貰わないと困るんだよ」

 

 リビングの中央、大人数が座れるソファに一人席について頭を抱えていたのはクロノだった。

 どうやら、誰かと通信をしていたらしく、背の低いテーブルの上に投影された空間モニターに映る少女となにか難しい会話をしているようだった。

 

『分かっているよ、クロノ執務官。だけど、レイジングハートは結構デリケートなんだよ。それに、なにぶん古いものだから今の最新技術とか制御理論でも使えないことが多すぎるんだ。だから、だからもう少しだけまって。何とか今日中にアウトラインを作れるようにするから』

 

 心底困ったという感情を表情一杯に浮かべながら、フェイトの姉アリシアはその通信機越しに何となくやつれた顔でクロノと応対している。

 

(ど、どうしよう……)

 

 フェイトはクロノに帰宅を告げようか少し迷ったが、どうやら二人はとても大切なことを話しているらしく、その間に割って入ることは出来ないようだった。

 実際、フェイトもアリシアと話しがしたかったし、彼女に今日起きたこと、まだ一日しか経っていないが異国での学園生活を報告したい。

 

 これがアリシアやアリサなら、ひとまず相手の会話を止めて挨拶だけでもするのだろうが、フェイトの奥ゆかしい性格がそれを阻害してしまう。

 何となく自分は性格で損をしていると思うフェイトだが、彼女の知人連中からしてみれば「それがフェイトの良さじゃないか」と言って笑うだろう。

 

 自分の良さとは自分では分からないものだ。

 

 声をかけようにもかけられない、かといって立ち去ることも出来ずフェイトはオドオドとリビングの入り口でたたずむが、それにようやく気がついたクロノがアリシアとの議論を一度打ち切りフェイトに目を向けた。

 

「いたのかフェイト。お帰り。気がつかなくて済まなかった」

 

『クロノ、貴方はもう少しトゲのない言い方を憶えた方が良いと思うよ。お帰りフェイト、学校はどうだった?』

 

 どこかぶっきらぼうに答えるクロノを諫め、アリシアは苦笑を微笑みに直し、だいたい一日半ぶりになる妹にお帰りの挨拶をした。

 

「あ、その。ただいまお姉ちゃん、クロノ。学校は、なんだか初めてのことが多すぎて。あんなに同い年の子と一緒にいるのも初めてだったから緊張したよ。だけど、なのはもいたし、新しい友達も出来たからとっても嬉しかった」

 

 それでね、それでねとしゃべり出したら止まらないフェイトの様子にクロノもアリシアも目を細める。

 おそらく、二人の考えは一致しているとお互いにそう感じていた。

 

(この子を見守るために生涯を使っても良いかもしれない)

 

 身振り手振り一生懸命に学校であったこと、嬉しく思ったこと、戸惑いに思ったこと、今度なのは達と携帯電話を買いに行こうという話しになったこと、それをリンディの許可を取りたいということ等々フェイトの口から次々と出される話しにクロノとアリシアは耳を傾け、ずっとこんなことが続けばいいのにと幻想を抱いた。

 

「それでね、リンディ提督には迷惑をかけることになると思うけど、私もみんなが携帯電話で連絡しあってるのを見ると羨ましいなって思うし……」

 

 暴走機関車のように止まらないフェイトの口にクロノは微笑ましく思いつつもいつまでも制服のままでいさせるわけにもいかないと考え、フェイトの話しを一旦打ち切らせた。

 

「話しはまた後で、食事の時にでも聞かせて貰うから。今は部屋で着替えておいで」

 

『そうだね、クロノの言う通りだ。私はまだやることがあるからこれで失礼するよ』

 

「あ、うん。分かった。それじゃあお姉ちゃん、あんまり無理しないでね。私で手伝えることがあったら手伝うからいつでも言って」

 

『うん、そのときはお願いするよ、フェイト。それじゃあ、また』

 

「うん。部屋に戻るね」

 

 フェイトはそう言って二人に手を振り、一度リビングを後にした。

 

「落ち着きがないな、フェイトは。おそらく、君がいるから舞い上がっているんだろう」

 

 クロノはパタパタと軽快な足音を立てて部屋へ引っ込むフェイトに肩をすくめながら改めてアリシアに向き直った。

 

『これでも少しは心苦しいんだよ。フェイトに本当のことを言っていないのは確かなんだからさ』

 

 アリシアは自分に関する真実をまだ話していない。自分が本当はベルディナと呼ばれる人間の生まれ変わりで、自分自身の意識が本来的なアリシアのものではないことをフェイトはまだ知らない。

 

「それは、僕と母さんが口止めしているからな。君が気に病むことはない」

 

『それでもだよ、クロノ執務官。ねえ、今からフェイトを前線から外すことは出来ないのかな? 正直なところ、私はこれ以上フェイトを戦わせたくない。過保護だとは思うけど、フェイトには戦闘の無い所にいて欲しいと思ってる』

 

「それは、僕も同感だ。フェイトだけじゃなく、なのはもね。だけど、現実的に戦力が足りないんだ。今でギリギリ。フェイト、なのは、ユーノ、アルフ。この四人でギリギリ。本局の武装隊を借りられたらまた話しは変わるだろうが、それでも今更戦力を外すことなんて出来ないのが現実だ。僕は僕でここからなかなか離れられないし、母さんも常時ここに待機してられる立場でもない」

 

『本当にギリギリだね。私が戦えればまた話しは別か。全く、つくづくこの身体が憎いよ。後5歳は肉体年齢が高かったらある程度は実践に耐えられるっていうのにね。歯がゆいな』

 

 あと五年もあれば、身体の成長と共に魔力神経を何とかギリギリ実戦段階に持って行けるかもしれないとアリシアは奥歯を噛みしめた。

 ベルディナでは十数年掛かったことも、今の自分ならその半分以下でいけるという確信がアリシアにはあった。

 

「それでも、君は先の戦闘でこちらの被害を最小限に抑えた。君のその能力を僕たちも利用できればと思うけど、残念ながら5歳児を戦場に送り込むような決まりは管理局にはない」

 

『それは分かってるよクロノ執務官。今回私が介入したことが上層部にばれれば何かと面倒なことになるってことぐらいはね』

 

「自重してくれ。僕の方からはそれしか言えない」

 

『ひとまず、今はレイジングハートの改造に従事するよ。その後のことはそのときになってまた話し合おう』

 

「君にやって貰いたいこともいくつかある。じゃあ、また。フェイトも言ったけど、身体をこわさないように注意しろ」

 

『私の身体を壊す一番の原因が何か言ってるね。本当にそう思ってくれるんだったらビールでも差し入れて。じゃあ、作業に戻るよ』

 

 アリシアは肩をすくめ苦笑しながら通信回線を切った。

 

「未成年にビールなんて飲ませられるか」

 

 仮に差し入れたとすれば、管理上の大問題になる。管理局の執務官が幼い子供にビールを与えたと言うことと、未成年の執務官がビールを購入したという二重の罠が待ちかまえているのだ。

 

 ちなみに、成人であるリンディとエイミィは二人とも日常的には酒を口にしないため、ハラオウン邸の冷蔵庫にはビールなどの酒類の備蓄は無い。

 アリシアがこの家に住むようになれば、こっそりと備蓄を増やしそうだなとクロノは思いつつ、アリシアとの会話を反芻しながら眉間にしわを寄せた。

 

 私はこれ以上フェイトを戦わせたくない。クロノはアリシアの言葉を何度も何度も思い浮かべる。

 

「僕だってそうさアリシア。そうできればどれほど良いことか」

 

 ただクロノが疑問に思うのは、フェイトが戦うことを是としているのかと言うことだ。彼女はいい意味でも悪い意味でも従順だ。それは、彼女なりの処世術なのだろうが、命の危険にさらすようなことを躊躇しないことは歪だとクロノは思う。

 

(いや、それは僕が言えたことじゃないな。情け無い、自分のことは棚に上げるようになってしまったか)

 

 思えばすべてが歪だとクロノは感じた。あるいはこの世界そのものが歪なもので成り立っているのではないかとクロノは考えてしまう。

 詮無いことだとクロノは思考を打ち切った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 No Border

 

「…………今何時かな?」

 

 レイジングハートの強化が終了し、最後の食事を食べ終わってからアリシアとユーノはそのまま折り重なるように床に倒れ込み、瞬時に意識を失っていた。

 三日ほどの貫徹は流石に幼い身体にはハードだったらしく、何となく頭の奥の方がうずいている感触も残る。

 部屋の設備を冷却するために低く設定されている室温にも関わらず殆ど身体が冷えているように感じられないのは、眠っている間に暖を求めて隣で気を失うユーノと身体をすりあわせ抱き合っていたからだとアリシアはようやく気がついた。

 

「くぅ……」

 

 まるで少女のような寝顔でアリシアを抱きしめるユーノは本当に幸せそうな表情に思えた。あの地獄から解放された反動であるのなら当たり前かと思いながら、アリシアは自由のきかない身体を何とかよじって天井近くに設置された時計に目を向けた。

 

「四時間か。そんなに寝てないな」

 

 眠る寸前に横目でしっかりと確認した時の短針は、今ではきっかり四つ分目盛りを回転させている。

 タイムリミットは後二時間。

 もう少し寝ていたいと感じるアリシアだが、これからある程度身なりを整えるのに必要な時間を考えるとちょうど良い時間だと判断する。

 

 これからシャワーを浴びて、歯を磨いて、下着から服から全部取り替えて。髪もある程度は手入れをしないとリンディやエイミィから面倒な小言を言われてしまうからそれも何とかしなければならない。

 

「女ってのはどうしてこう面倒なのかな。男は気楽で良かったのに」

 

 もちろん、男は男で身だしなみ云々で気を遣わなければならないということはあるのだが、女に比べると何倍も気楽で済むことをアリシアはようやく実感することが出来た。

 まあ、その分着飾る楽しさというものがあるのだが、残念ながら今のアリシアではそのことに楽しみを見いだすまでには至っていない。

 

 ただ不幸中の幸いだったことは、この身体が未だ成熟とはほど遠いものだということかもしれないとアリシアは考える。自分の身体に欲情するのは悪夢だ。幼い故に性欲の感情にも無縁だということも慰みになるといえばそうなのかもしれない。

 

(将来はどうなるのか、考えたくもないね)

 

 アリシアはそっとため息を吐き、いつまで経っても進展しないこの状況を打破するため少し強めに身体を動かして眠るユーノの両腕から一生懸命抜けだし、ホッと一息入れた。

 

「酷い臭い、髪も最悪。リンディ提督やエイミィが見たら激怒するどこから卒倒しそうだね」

 

 アリシアは自分の身体の臭いをかぎながら眉をひそめ、足下で昏睡したように眠るユーノに目を向けた。

 

「あれだけ揺すったのに起きないんだったら、自然に目を覚ますのを待つしかないかな」

 

 しかし、こんな形でなのはに会わせるのは酷だとアリシアは思う。やはり、元親としては将来義理の娘のようなものになる少女との関係は応援したいし、息子のようなものにこんな格好で人前に出したくはない。

 故に、誰かを呼ぶという案もアリシアは却下した。

 

「仕方ないか」

 

 アリシアはそう呟き、久方ぶりに魔術神経を少しだけ開いて筋力を強化した。アリシアは「よっこらせ」と言いながらユーノの両手を持ち上げ、そのまま特別工作室横に付けられた個室のシャワールームへユーノを引きずり込むように一緒に入っていった。

 

「少し前までは一緒に入るのも珍しくなかったから。大丈夫だよね」

 

 一応脱衣室の鍵をかけ、アリシアはそう言い訳して、自分の服と一緒にユーノの服を脱がせていった。

 一応脱いだ服は全自動のランドリーに放り込んでおき、再びユーノの両腕をつかんでバスルームに引きずり込む。

 タイル調の床は乾いて冷たかったが、滑りは良くユーノを引きずるのにそれほどの労力はいらないようだ。

 

「ふう……魔術神経で強化してるっていっても、男の子を運ぶのは少し骨が折れるね」

 

 思いの外疲労する両腕をさすりながら、アリシアは裸のままタイルにペタンと腰を下ろしここまでしてもなお目を覚まそうとしないユーノにある意味驚嘆しながらバスタブに湯を張り始めた。

 

 ユーノに聞いたことだが、どうやら日本という国はバスタブに予め湯を張っておき、それにゆっくりとつかることで身体の疲れを癒すというらしい。

 ベルディナが巡り歩いた世界でもそういう習慣、いってしまえば日本と全く同じ習慣を持つ国も極稀ではあったが存在したため、アリシアは特にそれを奇妙に思うことは無く、むしろそうした方が気分良く入浴出来ることも知っていた。

 

「さてと、お湯も張れた」

 

 アリシアは一応湯船に手を突っ込んで水温を確認する。シャワーを浴びるには少し熱い感触の湯だが、ただつかるだけならちょうど良い湯温のようだ。

 

 アリシアはよっこらせとと言って仰向けになったユーノの背中に手を差し込み抱き寄せるようにして、瞬間的に魔力神経の出力を最大にして彼を持ち上げ、自分も一緒に湯船に向かって跳躍を敢行した。

 

「もごあぁぁぁ!!!」

 

 二人分の質量が数十センチという高さから着水し、盛大に飛び散った水しぶきの中、まるで断末魔のような叫び声を上げながらユーノは一気に目を覚ました。

 

「やあ、おはよう。ユーノ」

 

 頭の先からつま先まで全身をびっしょりと濡らしてアリシアはようやく覚醒したユーノに、これ見よがしに弾けんばかりの笑みを贈ってやった。

 

「あ? え? なに? アリシア? 何で裸……って僕も裸だ。何で!」

 

 アセアセと周囲を見回して状況を把握するのに一杯一杯なユーノを眺め、アリシアはとりあえず彼の頭をポンポンと撫でて落ち着かせ、

 

「お風呂だよ、ユーノ。時間もないから一緒に入ろうと思って。どうでも良いいけど、もう少し隅に寄ってくれないかな。二人で入るにはちょっと狭いんだから」

 

 アリシアはユーノをバスタブの縁にもたれかからせるように彼を押しやり、自身は開いたユーノの足の間に身体を滑り込ませた。

 

「ちょっと、アリシア。それはないよ」

 

 ユーノはいきなり迫ってくるアリシアの細い両肩を掴み何とか引き離そうとするが、

 

「逆になったな、ユーノ。昔は、”俺”の方がこうやってユーノの背もたれになってたってのに。人間、変われば変わるもんだ」

 

 その言葉に、ユーノは肩を押しやる力を抜きざるを得なかった。

 

「あの、アリシア? 肩震えてるけど……寒いの?」

 

 いや、ユーノも分かっている。その肩の震え。どうしてアリシアが自分に背を向け表情をのぞき込まれないようにしているのか。

 波の立たない水面に落ちる水滴の音は、果たして天井から滴る雫なのか。ユーノはそれを意識から外した。

 

「湯冷めは風呂から上がってからだよ。むしろ、ユーノの心臓の音が聞こえて暖かい」

 

 アリシアはそう言って力の籠もらないユーノの腕を押しやって背中をぴったりとユーノの腹に付け、後頭部から響いてくる心地よいリズムに耳を澄ませた。

 

「そうだね、アリシア。その通りだ。だけど、僕は少しだけ寒いんだ。だから、こうさせて貰っても良いかな?」

 

 ユーノはそう言ってそっとアリシアの矮躯を両腕で抱きしめ、両手をちょうどアリシアの腹部で組むように彼女を胸の中に包み込んだ。

 

「私は結構体温が高いよ。熱すぎない?」

 

 いきなりのユーノの行為にアリシアは少し驚きつつもそれはすぐに穏やかな笑みになり、そっと下腹部を撫でるユーノの手の上に自身の手を置き、「ふう」と一息吐いた。

 

「ランプを抱いてるみたいで暖かいよ。このお湯、アリシアにはちょうど良いかもしれないけど、僕には少しぬるいんだ」

 

 ああそうか、とアリシアは理解した。子供は熱い湯を苦手とする。故に、アリシアは今の自分の感覚でちょうど良いと感じる温度で湯を貼ったために、アリシアより多少年齢が上であるユーノにとっては少し温度が低く感じられるのだろう。

 

「そういえば、”私”もユーノと入るときは結構ぬるいお湯に入らされた覚えがあるね。他人の立場にならないと、そう言うのは分からないわけか」

 

 興味深いなと呟くアリシアに、ユーノは口を噤んだ。

 

 沈黙がバスルームを包み込み、二人の耳に聞こえる者は互いの鼓動の音とそれを支える呼吸のみ。

 

「僕は、まだ何もアリシアに返せてない」

 

 ユーノはそっと呟いた。

 

「私はユーノが幸せだったら、それでいいよ」

 

 アリシアもそれに答える。

 

「僕は、それでも貰ってばかりじゃ嫌だ。何も返せないままの自分は嫌なんだ」

 

「私……彼は何かを返して欲しくてユーノを拾ったんじゃない。どっちかというと、利己的な理由だよ」

 

「僕はそれでもベルディナ―アリシアに感謝してる」

 

「私はそれを聞けただけで十分」

 

「僕はいつかアリシアに恩返しをするから。アリシアが拒んでも絶対に。拒否権なんて認めないから」

 

「……分かった、楽しみにしているよ。まあ、ひとまず手付けとして……」

 

 アリシアはそう言ってユーノの手をほどき、立ち上がって彼と正面から向き合った。

 

「髪を洗ってくれないかな? この長い髪だと一人で洗うのが凄く面倒なんだよ」

 

 手も短いから届きにくいしね、と微笑むアリシアにユーノはにっこりと微笑み頷いた。

 

 二人の関係をなんと定義づければ良いのか。仲の良い兄妹でもなく、気心しれた親子でもない。親愛と友情。その狭間で揺れ動く感情に名前を付けることは出来ず、二人はそれでもこの感覚に名前を付けなくてもいいと感じていた。

 そう、自然に。自然に側にいれば、やがて自然に離れていくだろう。すべてが自然ならば、そこになんの疑問も寂寞も挟むことはない。

 二人は、この位置に立ち止まることを心に決めた。

 

 

******

 

 

 着替えは三日分持ってきていたはずなのに、結局使ったのは元々着ていた服を入れて二着だけだと言うことにアリシアとユーノはなにやら複雑な表情を浮かべた。

 

「ちゃんと着替えて風呂に入ってたら、もう少し作業効率がアップしてたんじゃないかな?」

 

 というユーノの言葉に、アリシアは何も言い返せなかった。風呂場で身体を擦り、全身の皮膚が二三枚入れ替わったのではないかという程にボロボロとこぼれ出た垢を目の前に、流石のアリシアも目をひん剥いて唖然とするしか他がなかった。

 

 ともかく風呂から出て、全身をまんべんなくスキンケアした後に新しい服と下着を装着した時には何となく生まれ変わったのではないかと思えるような感覚にアリシアはご機嫌だった。

 風呂上がりのスキンケアはとても面倒だが、肌の弱いアリシアとしてはこうしないと肌が荒れるどころではない悲惨なことになってしまうのだ。

 

「だけど、本局はいいね。地球やクラナガンと違って憎い天敵がいないから」

 

 本局にいるときは帽子も黒眼鏡も必要ない。露出部に入念なUV対策をする必要もなく、実に自然体でいられる。

 

「そうだね。本局は照明こそ自然な光感を出すけど、そう言う対策は万全だからね」

 

《やはり、アリシア嬢は本局で住まいを探すおつもりですか?》

 

 ユーノの首にかけられた紅い宝石、レイジングハートはアリシアは地球があまり好きでは無いように感じた。

 

「まだそこまで考えていないよ。住むとこを探すって言ってもまだ未成年だし。まあ、リンディ提督について行くことになるんじゃない?」

 

《しかし、一応給料は貰っていると聞いていますが? 翻訳の仕事をされていたのでは無かったですか?》

 

 レイジングハートにそれを教えたのはユーノかな、とアリシアは類推する。

 

「給料といっても、あれはリンディ提督のポケットマネーだからね。依頼料とか成功報酬とかはクライアントから支払われていると思うけど、一人で食べていけるものじゃないよ。一応月に50ミッドガルド貰ってるけど、その分の働きが出来てるとは思えないし」

 

 アリシアはそう言って肩をすくめるが、実際の所アリシアの稼ぎは月50ミッドガルドで収まるようなものではない。

 古代ベルカ語に精通する彼女はこの半年間でそれなりに名前が広まり、特に古代ベルカの歴史の多くを貯蔵している聖王教会の覚えは良いのだ。

 

 ただ、それにしては依頼が少ないのは、彼女があくまでリンディ・ハラオウン提督付きの民間協力者であるため、外部から接触することが困難であるためなのだが。

 

 将来的に独立することも視野には入れてはいるが、今決めることではないとアリシアは実に気楽に構えている。

 

「まあ、それは置いといて。フェイトがいるならどこでも良いよ。一人になるのを考えるのは、フェイトが私を必要としなくなってからでもいいしね」

 

 そう言うアリシアにユーノは「アリシアらしいね」と言って、廊下の向こうから姿を現せたなのはとフェイト、アルフに手を振った。

 二人とも近所に買い物に行くようなラフな格好をしていた。こんな時間に出歩くことを許可したなのはの両親にアリシアは少し首をひねるが、実際の所はなのはは今日はフェイトの家でお泊まりすることになっているため時間的にも余裕がある状態なのだ。

 

「こんばんは、お姉ちゃん。お疲れ様」

 

 アルフ経由でマリエル・アテンザ技術主任から既にバルディッシュを受け取っていたフェイトは、そう言って預かっていたアリシアのデバイス、バルディッシュ・プレシードを彼女に手渡した。

 

「うん、ありがとうフェイト。そう言えば、私もアテンザ主任に預けていたっけ。すっかり忘れてたよ」

 

 アリシアはそう言って頭の後ろをかいた。そう言えば、マリエルはプレシードをバルディッシュのテスト機として使用したいと言っていた。彼女はプレシードにも新機構を搭載したのだろうかとアリシアは黙して語らないプレシードをのぞき込むが、忘れていたという言葉にへそを曲げてしまったのかプレシードは全く答えを返さなかった。

 

(後でご機嫌取りをしないとね)

 

 アリシアはそう思いながら、それにしても自分がデバイスと関わるとどうも人間くさくなってしまうのはどうしてなのだろうと考えた。

 自分にはインテリジェントデバイスのAIに人間味を持たせるような一種の才能というか、ある意味特異体質のようなものでもあるのだろうかとどうしようもないことを考えてしまうが、今はその考察をするときではないと思い立ち思考を打ち切る。

 

「なのは」

 

「ユーノ君。久しぶり。身体とか壊してない? ちゃんとご飯食べてた?」

 

「今回はちょっとね」

 

「ダメだよ。レイジングハートを直してくれたのはとっても嬉しいけど、そのせいでユーノ君が身体を壊したら意味がないんだからね!」

 

《マスター、そのあたりで許してあげてください。ユーノの仕事はパーフェクトでした。ユーノが不摂生だったのも殆どがアリシア嬢の責任でしたから、責めるならアリシア嬢にしていただけますか?》

 

「それ、ホントなの? アリシアちゃん」

 

 レイジングハートの言葉を聞き、なのはは若干子供らしからぬ鋭い視線をアリシアに投げかけた。

 

「言いがかりはやめて。確かにユーノをこき使ったけど、そうでもしないとあの難局は乗り越えられなかったよ」

 

 なんかこいつら苦手だなぁと思いながらアリシアは両手を挙げて投降のサインを送った。

 

《貴方はよりにもよって私の大切な、大切な、マスターの次に大切なデータを削除した。その恨みは一生ものですからそのおつもりで》

 

 ああ、そう言えばとアリシアはようやく思い出した。そう言えば、修理中に癪だったんでレイジングハートのデータに残っていた高町なのは成長記録なるものをすべて消してやったんだった。

 そりゃあ怒るよねとアリシアはつらつらと思いながら、「悪い悪い、そう言えばそんなこともあったっけ?」と反省のかけらも見えないような謝罪を述べながら腹の底では色々と薄暗いことを考察していた。

 

(これはあのバックアップが思いの外役に立ちそうだな。後数年、10年も経てばあれを使ってなのはを揺することも可能になりそうだ。しかも場合によれば、レイジングハートに責任転嫁してやれば言い訳だし。これは面白いことになりそうだね)

 

 それをどのタイミングで使用するか。向こう数年間の暇つぶしにはもってこいだとアリシアは考えながら、ギャアギャアとうるさいなのはとレイジングハートを宥めなる。

 

 無意識ながら、着実に弱みを握りつつあるなとアリシアは思う。クロノの弱み、ユーノの弱み、なのはの弱み、かつてアースラで繰り広げたエイミィとリンディとの情報戦争で得た二人の弱み。やはり、人生はこうでなければ面白くないとアリシアは薄暗い感情を大いに楽しんで転がした。

 

 一通りのじゃれ合いを終えたアリシア達は、さてとと肩を卸し落ち着いて地球のハラオウン邸に待機中のエイミィに連絡を取る。

 

『そう、無事受け渡しは終了したんだね』

 

 バルディッシュの通信画面に映るエイミィのホッとした様子を見ながら、アリシア達は海鳴の仮設駐屯所への直通トランスポーターに向かっていた。

 

「なかなか平穏無事とまではいかなかったけどね」

 

 なのは、フェイト、ユーノの後方のアルフの隣を歩きながらアリシアはそう言って苦笑を浮かべた。

 

「あう、ごめんなさい」

 

 ユーノのことになると暴走してしまいがちのなのはは申し訳なさそうにシュンと声を潜める。

 エイミィは「あれあれぇ」とからかうようになのはの表情をのぞき込むが、流石に通信越しにそれ以上からかうことは出来ないようで、すぐに話題を元に戻す。

 

『それじゃあ、戻ってきたら色々と説明したいこともあるから、なるべく早く……』

 

 エイミィがそれを言い終える寸前、画面越しのコンソールルームに非常警戒宣言の発令を示す真っ赤なアラートと、画面の左下に《Caution》のサインが浮かび上がった。

 

「どうしたの、エイミィ」

 

 何が起こったか、今のこの状態において非常にわかりやすい状況が舞い込んできたという証だった。

 フェイトは、その瞬間まるで風になったように駆け出し、通信画面を投影していたバルディッシュもそのまま一緒に本局の廊下を駆け出していく。

 

『至近にて警戒対象2確認。武装隊が目標朱と青を補足し、現在周囲を固めてる。えっ!? 執務官? って、クロノ君が現場に急行?』

 

「エイミィさん、私たちも行きます。クロノ君達の所に送ってください」

 

 トランスポーターに到着し、息を荒くするなのはは首にかけられたレイジングハートを手に握りしめ、はっきりとした意志を持って戦う決意を固めた。

 

『分かった、転送先を変更するから少しだけ待って』

 

 エイミィはそう言って一旦通信を終了し、そこにそろうメンバーの前から姿を消した。

 

『出撃前のこの一瞬の緊張。やっぱり堪らないな。最高の一瞬だ。戦いのすべてはこの瞬間にすべてが集約されている。そうは思わないか? プレシード』

 

 胸の前でギュッと手を握りしめ、心臓の音をレイジングハートに聞かせるように瞑目してたたずむなのは。

 そんななのはを見て、アリシアに目を向け、アルフと何か念話で話しをしている様子のフェイト。

 胸中に何かを持ち、それを果たすことを願う男の表情を見せるユーノ。

 

 皆が皆、この戦いで得たいものがあり、成し遂げたいものがある。そして、それが敵と相容れず共に譲歩できないことであるから人々は戦い続けるのだ。

 

『《私にはその気持ちは計りかねます。ユア・ハイネス》』

 

 アリシアの念話を受けて、しばらくその意味することを考察していたプレシードは結局それを理解することは出来なかった。

 

『レイジングハートなら、「相変わらず変態(アブノーマル)ですね、アリシア嬢。いえ、中毒者(ジャンキー)というべきですか。どちらにせよ、まっとうなものではありませんが」ぐらいは返してくるよ』

 

『《レイジングハート卿と同じようにせよと言われてもそれは不可能です。私の役割は貴方のサポートのみ、それ以外は余計と考えます》』

 

『……アテンザ主任に弄られてから少し性格変わった?』

 

『《いいえ、自分自身の存在意義を再確認しただけです、ハイネス》』

 

『まあ、お前がそう決めたんならそれで良いんだけどね。たまには話し相手になってよ、プレシード』

 

『《いずれ話し相手以上の存在になってみせますよ、ハイネス。それが私の願いだということを再確認しました》』

 

『そう、それは楽しみだね』

 

 果たしてマリエルはプレシードに何を吹き込んだのか。そして、プレシードの持つ願いが実現できる可能性があるということは、今回のことでそれを実行するための下地が出来上がったと言うことだ。

 少なくとも、ドリルが付いていないことだけを願いながらアリシアはプレシードとの念話を打ち切り、転送を待った。

 

『みんなお待たせ。じゃあ、行くよ。目標、強装結界内部。座標固定完了。転送、開始!』

 

 再び出現したエイミィの映像と共に輝きを増すトランスポーターの魔法陣。

 

『みんな、頑張って。怪我をしないように、生きて帰ってきて!』

 

 エイミィの願いを受け、皆はゆっくりと頷き、光によって身体と意識が引きずられる感触に身をゆだねた。

 

 アリシアは転送直前の皆の表情を眺める。この少年少女達はいったい何を思って自ら戦場へと向かうのだろうか。そして、かつての自分もこういう顔をして戦場へと向かっていたのだろうか。

 恐怖と不安の中に確かに輝く勇気と強い決意を秘め、彼らは激動たる戦場へと向かっていく。

 

(出来ることなら、この子達が戦場で何を見いだすのか。何に絶望し、何に打ちのめされ、そしてどうやってはい上がっていくのか。私は、それをそばで見守っていきたい)

 

 瞬間的に網膜を突き刺す閃光に途方にもない激痛みを感じ、アリシアは思わず両手で目を押さえた。

 

(ああ、そうだった。転送の時は眼鏡をかけないといけなかったんだ)

 

 次はサングラスをして来ることを心に決め、アリシアは転送が終わる時を待った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 Trial Arts

 

 閃光に眩み、視神経を刺激する激痛にアリシアは涙を流しながらうずくまりただそれが過ぎ去るのを懸命に耐えた。

 

「アリシアちゃん! ゴメン、警告するの忘れてた!」

 

 側に駆け寄る足音はおそらくエイミィのものだろうとアリシアは推測し、戦場に投入されるはずが自分だけここ、ハラオウン邸に移送されてきたことに舌を打つ。

 

「私の眼鏡を。早く……」

 

 この状況では、暗がりの中のコンソールルームの光でも辛いと判断したアリシアは腰のポーチからサングラスを出して貰うようエイミィに頼む。

 

「分かった、これだね?」

 

 エイミィから手渡された固い感触の眼鏡を受け取り、アリシアは素早くそれを掛けて何度か目をしばたたかせた。

 どうやら、失明はせずにすんだようだ。視界はまだ若干ぼやけ気味だが、時間をおけばやがて安定するだろうと判断し、アリシアはエイミィに礼を言って立ち上がった。

 

「ああ、ビックリした」

 

 全く油断だったとアリシアはため息を吐き、今後はこういうことが無いように心掛けようと誓いを新たにコンソールルームに投影された戦場を見上げた。

 

 そこに写るのは、管理局武装隊が展開した強装結界に閉じこめられた二人の騎士、そして、それを見上げる形で姿を現す三人の少年少女と一匹の使い魔。

 

 戦いの火蓋が切って落とされようとしている。

 アリシアはポケットの中のプレシードを握りしめ、自分はどうしてあの場にいないのかと歯ぎしりをしたくなる思いだった。

 

「聞こえる? なのはちゃん、フェイトちゃん」

 

 レイジングハートとバルディッシュをセットアップするなのはとフェイトは、その起動プログラムが以前のものと異なることに驚きの声を上げている。

 エイミィは詳細を説明する前にぶっつけ本番になってしまったことに内心焦りながら二人に声を掛ける。

 

『エイミィさん、これって』

 

『バルディッシュが、以前と違う? どうなってるの?』

 

 光に包まれ、姿の見えない二人だがその声を聞く限り驚きながらも落ち着いていることが類推できる。

 アリシアはひとまずホッとして、二人に声を届けることとした。

 

「なのは、フェイト。聞こえる?」

 

『お姉ちゃん? 今どこにいるの?』

 

 どうやらフェイトもアリシアが別の所に転送されることを知らなかったらしい。てっきり同じ場所に転送されるだろうと思っていたところ、側にはアリシアの姿が見えないとあれば転送事故でどこか訳の分からないところに送られてしまったではないかと思っているのだろう。

 心配性の妹のことだとアリシアは苦笑をしながら、ひとまずフェイトを落ち着け話を進める。

 

「フェイト落ち着いて。フェイトのバルディッシュとなのはのレイジングハートは生まれ変わった。ありとあらゆる障害を打ちのめし、この世界の王となるべく力を求め。何者にも負けない、あらゆるものを叩いて壊し、あなた達を絶対的な勝利へ導くために、バルディッシュとレイジングハートは完璧な戦闘兵器へと生まれ変わったんだ! さあ、戦ってフェイト、なのは。あなた達の勝利は既に約束されている。すべてを破壊し、すべてを薙ぎ払い、この世界のすべてを支配してみせて! 今こそ私にあなた達の覇道を示して!」

 

 エイミィは「うわぁ」と頭を抱え、通信から駄々漏れになっているアリシアの演説/戯言を聞いて目を点にしている武装隊の面々に「ゴメンね」と心の内に謝った。

 

『そ、そんな物騒なものいらないよぉ!』

『お、お姉ちゃん。冗談、だよね? バルディッシュにそんなことさせないよね? お願い、冗談だって言って!!』

 

 狼狽する二人にアリシアは細く微笑み、レイジングハートなら今頃『いいぞ、もっとやれ』とはやし立てていただろうなと推測し、エヘンと咳払いを一つした。

 

「まあ、半分は冗談だよ。半分だけね。兎も角、レイジングハートとバルディッシュは強化されているのは本当。だから、呼んでやるといい。彼等の新しい名前をね」

 

 エイミィがとなりで「アリシアちゃんがあたしの台詞取った」と嘆いているのを華麗に無視し、アリシアは門出の言葉を贈った。

 名前を呼ぶことは重要だ。それが人間同士であっても機械が相手であっても。

 

『機械とは名前を付けてあげれば機嫌良く動いてくれるものだ』

 

 とどこかのマシン・マニアが口にしていた言葉をアリシアは思いだし、少し面白くなった。

 そして、新たな関係には新たな名前を。

 

 なのはとフェイトは、その言葉を受け、自らのデバイスを再び掲げて高らかに宣言した。

 

『レイジングハート・エクセリオン』

『バルディッシュ・アサルト』

 

 なのはのその言葉にアリシアは「エクセリオンとは何とも尊大なことだ」と溜息を吐いた。

 

『セェーーット・アップ!』

『セェーーット・アップ!』

 

《Stand by ready. Set up》

《Yes Sir. Get set》

 

 そして、二人の周囲に展開していた光のカーテンが瞬間的に一際まぶしく輝き、桃色と黄金、二つの色彩が瞬時に晴れ渡った後にたたずむ二人は新たな力を得たデバイスを携え、さらに改良されたバリアジャケットを身に纏っていた。

 

「やったぞ、大成功だ!」

 

 その光景を目にしてアリシアは、技術者なら誰でも一度は口にしたいだろうベスト3の言葉を口にし、エイミィの見えないところで両手を握りしめた。

 

******

 

「………すごい………」

 

 なのはは、見た目には何の変化もない自身のデバイス。魔導師の杖レイジングハートを手に取り、それが発揮する感覚に背筋が震える思いだった。

 

「本当にレイジングハートなの?」

 

《無論です、マスター。むしろ、ようやく本来の姿に戻ったといったところでしょうか。マスター、貴方が握りしめているものこそが、世界最古にして最強のデバイス【トライアル・アーツ】の生まれ変わり。ユーノ・スクライアによって不屈の心(レイジングハート)の名を与えられ、マスターによって新たな名前をえたデバイスなのです》

 

 誇らしげなレイジングハートの言葉に、なのははアリシアの言っていた言葉があながち冗談ではないのではないかと思い知った。

 

《カートリッジシステムのような派手でカッコイイものは付けられていませんが、出力は従来の三倍は軽く出るでしょう。最大400MWの出力を持つ小型魔導炉が備えられ、制御回路もオミットされていたコアを開放し、100を超えるコアによる同時並列処理が成されていますから、制御速度がまるで違うことも心に置いておいてください》

 

「う、うん。分かった」

 

 正直なところ、400MWの魔導炉とかマルチコアとかその手の専門家でもマニアでもないなのはにはよく分からないことだが、ひとまずは今までとは全然違うのだなとだけ認識し、空中に浮かんでこちらを観察している二人の騎士を見上げた。

 

「なのは、詳しい話はまた後で。アリシアと一緒の時にするから、今はあまり全力を出さないで。危ないし、まだ最終調整が出来ていないんだ」

 

 戦闘態勢を整えたなのはとフェイトの側にユーノがアルフを伴って降り立ち、二人はなのはとフェイトを背後に庇い上空の二騎に立ちはだかる。

 

「また会ったな、イージス」

 

 二騎の内の一騎。アリシアほどの幼い体つきと真っ赤なドレスに巨大な槌を携える騎士ヴィータは、先日自らの攻撃をことごとくはじき返した翡翠の盾を睨み付けた。

 

 ユーノはその視線を正面から受け止め、背筋をのばし両手を広げてはっきりと宣言した。

 

「僕の名前はユーノ・スクライア! ミッドチルダ出身の地球移民だ。今回は民間協力者として管理局に協力している」

 

 その言葉に一瞬気を取られるヴィータとザフィーラ。そして、なのははユーノの思惑を理解し、自分も宣言することを決意した。

 

「わ、私は高町なのは! 地球出身で、ここにいるユーノ君に導かれて魔導師になったの。私も、ユーノ君と同じ民間協力者で……ええっと。事情は殆どユーノ君と同じ!」

 

 困惑するヴィータ立ちとクロノ達管理局の面々。彼等はユーノの意図するところが理解できない。しかし、フェイトとアルフ互いに頷き会い、デバイスをいったん金のエンブレムに格納し、二人で名乗りを上げることとした。

 

「私は、フェイト・テスタロッサ。私は管理局の嘱託魔導師で時空航行艦アースラに所属しています」

 

「同じく、フェイトの使い魔のアルフだよ。アタシは嘱託じゃないし、魔導師でもないけど、フェイトの行くところなら何処にだってついて行く。それだけだ」

 

 アルフの口上を最後にユーノは再びヴィータに視線を放った。

 「自分たちは名乗った。次はそっちの番だ」といわんばかりの視線を浴びせられては、ベルカの騎士を誇りとするヴィータ達には自身も名乗りを上げる以外に方法を見つけることが出来ない。

 

 まんまと乗せられたとヴィータは奥歯を噛みしめ、一度手に持つデバイスを手の中に収納し、帽子を外した。

 

「アタシの名はヴィータ。ヴォルケンリッターが一、鉄槌の騎士ヴィータだ! 良く耳に叩きこんどきやがれ、コンチクショウ!」

 

 武器をしまう相手に対して武器を構えるのは騎士の誇りに反する。ヴィータはその分、上空で油断無くデバイスを構えるクロノを横目で警戒しつつ乱暴な口調で自らの名を名乗った。

 

「ふむ。騎士の道理を弁えている。なかなか骨のある男だな、イージス。私は同じくヴォルケンリッターが一、盾の守護獣ザフィーラ。貴様らとはなかなか、長いつきあいになりそうだ」

 

 両腕の手甲以外に武器を持たないザフィーラは特に武器を納める事もせず、ただ腕を胸前に組み低い声を響かせ名乗りを上げた。

 

『直上に警戒。目標紫、結界内に進入!』

 

 武装局員の一人が念話で放った警告と共に、紫の魔力光をたなびかせ一人の騎士がフィールドへと降り立った。

 

「ふむ。なかなか面白い状況になっているな」

 

 足を踏みならし、鞘に収めた剣の柄から手を離した剣の騎士シグナムはフィールドの感覚を肌に浴びながらゆっくりと上体を起こした。

 

「私はシグナム。ヴォルケンリッターが烈火の将、剣の騎士シグナム。なるほど、このように口上を述べ合うのはどれほどぶりになるのか。実に心が躍るものだな」

 

 シグナムはそう言ってわき上がる感覚を噛みしめるように瞑目し、仲間達へ念話を送った。

 

『どうやら最初の駆け引きは相手に軍配が上がったようだな』

 

 シグナムの声にヴィータは僅かに舌を打ち鳴らし、

 

『悔しいけど、そうだねリーダー。で? シャマルは? あいつらの将はいるの? いないの?』

 

 ヴィータとザフィーラの懸念することはまずそれがあった。敵軍の将。前回の戦闘で自分たちに辛酸をなめさせた司令官。この場にいる三人はその姿を確認していないが、目の前に現れたものの中にはその存在はいないということだけは確かだった。

 

『後ろに潜んでいる可能性もある。シャマルは発見できたのか?』

 

 ザフィーラもビルの頂上に立つ敵と視線で牽制しつつ念話を送った。

 

『今のところシャマルの警戒網には入っていない。ただし、今のところは、だ。どうなるかは分からん』

 

『むう。前回は収集することで何とかなったが、今回はそれが使えない。出来ることなら、最優先に排除しておくべきなのだが』

 

 シグナムの答えにザフィーラに僅かな焦りが見えた。シグナムは鋭敏にそれを感づき、

 

『敵将はシャマルに任せよう。我らは目の前の敵を。あれもそういっていた』

 

『オーケー、シグナム。だったら話しは早いね。アタシはイージスとやる。変なちょっかい掛けないでよ?』

 

『了解だヴィータ。油断するな』

 

『誰にいってんのさ、シグナム。じゃあ、そういうことで』

 

 ヴィータはそう言って秘匿念話回線を切断し、改めてデバイスを構え細めた視線をさらに鋭く研ぎ澄まし、その先の一点にたたずむ少年を睨み付けた。

 

「来いよ、イージス。テメェの相手はあたしだろう? あの時の借り、返させて貰うよ」

 

 ユーノはその眼差しに大きく首を振り肯定し、夜の空へと舞い上がろうとする。

 

「待って、ユーノ君」

 

 それを引き留めたのは、その隣でレイジングハートを握る少女なのはだった。

 出鼻をくじかれた形となったヴィータは「ああん?」と怪訝に眉をひそめるが、なのははそれにも負けず、はっきりと瞼を開き、グッと視線に力を込めた。

 

「私も一緒だよ」

 

「なのは」

 

 ヴィータは一騎打ちを望んでいる、そう感じるユーノはヴィータの表情を伺うが、果たしてそこに浮かんでいたのはユーノが予想した通りのものだった。

 

「あたしは、そいつと戦うって言ったんだ。関係ねぇ奴は引っ込んでろ!」

 

「関係なくない! だって、私は、ユーノ君のパートナーだから! それに、私もヴィータちゃんとは関係、あるよ。私はいきなりヴィータちゃんに襲われた。私は、ヴィータちゃんの話が聞きたい。それじゃ駄目?」

 

 それに、ユーノとヴィータではどう考えても対等ではない。確かにヴィータの鉄槌を防ぐことが出来るのはこの中ではユーノだけだろう事はなのはも予想が出来る。しかし、ユーノはまともな攻撃魔法が使えないのだ。守っているだけではいずれヴィータに軍配が上がるのは歴前。だったら、自分がユーノの火力を受け持たなければならない。

 今まで、そうやってきた。ユーノとしてきた練習も、本来よりそれが前提としてくみ上げられているのだ。

 

「……いいよ、だったら二人まとめてかかって来なよ。じゃあ、行くよ」

 

 ヴィータは自身の敵を見定め、グラーフ・アイゼンを振りかぶりカートリッジをロードした。

 

「アイゼン! ラケーテン・フォーム!」

 

《Ja! Raketenform》

 

 グラーフ・アイゼンはヴィータの命令を受け入れ、その姿を変貌させる。

 鋭利に研ぎ澄まされた角錐の尖頭と、後方に備えられた魔導推進器。その威力の恐ろしさを思い出したなのはは足が震えそうになる。

 

『落ち着いて、なのは』

 

『ユーノ君?』

 

 突然響いたユーノの声になのはは思わず念話を送り返す。

 

『大丈夫。僕が守るから。なのはは落ち着いてヴィータを狙ってくれればいい』

 

『う、うん。そうだね』

 

『信じてるからね!』

 

 その言葉を最後に、ユーノは「はあああ!」と哮りを振りかざし、ただ一直線に空中へと踊り出し、点火されたヴィータの魔導推進器の襲い来る切っ先に手をかざし、

 

「ラウンド・シールド。チェーン・バインドもおまけだよ!」

 

 右手にシールドを、左手にバインドを。高速思考と並列処理の粋を見せつける彼に、ヴィータは「流石だな」と呟きながらただ真っ正面から大槌を振りかぶり、シールドに喰らいかかろうとする。

 

「そうしたいのは山々だけど……」

 

 しかし、そのインパクトの寸前。ヴィータはスッとグラーフ・アイゼンの尖頭を逸らし、さらに魔導推進器の推力を増幅させユーノのシールドとバインドをすり抜けるようにユーノの脇をかすめ、そのまま地上へと真っ逆さまに爆進した。

 その先にはいったい何があるのか。

 

「しまった! 避けて、なのは!!」

 

 ヴィータの目的に気がついたユーノは慌ててそう叫び、一点に目標を見定めたヴィータを追尾するように自身も下方へと飛翔する。

 

「えっ?」

 

 状況がつかめないなのは。

 

《緊急回避を!》

 

 そんな彼女に出来ることは、ただレイジングハートの警告に従い上空へと緊急回避をする事だけだった。

 

「!!!」

 

 なのはは何も考える余裕もなく、ただいつものように飛行魔法をロードしその進路を頭上へと設定するだけだった。

 

 なのはの足下に展開される飛行安定補助翼【Flier Fin】から進化した【Accele Fin】が二対の翼を羽ばたかせ、なのはは次の瞬間訪れた莫大な加速度に悲鳴を上げてしまった。

 

「ぐっ、ゲホゲホ……な、なに? 今の……」

 

《お気を付けくださいと言ったとおりです。微調整がすんでいませんので慎重な制御を要求します。下手をすれば、音速を飛び越えて大気圏の向こうへ突っ切ることになりかねませんよ?》

 

 一瞬で高度数百メートルまで飛び立ってしまったその速度に驚愕しつつ、なのははここに来て初めて自分はなんて恐ろしいものを持っていたのだろうかと自覚するに至った。

 

「余裕だな、お前」

 

 上空で静止してしまったなのはを待たせることなく、自身もカートリッジを消費して上空へとんぼ返りしたヴィータが再度なのはに向かって槌を振るう。

 

 今度は、避ける暇さえもない。それに、あんな加速を再び味わうのは恐怖しか湧いてこない。

 なのははレイジングハートに防御を命じ、レイジングハートは【Protection】の魔法をロードする。

 瞬間的に展開される桃色の障壁がなのはの前方を覆い尽くし、インパクトしたグラーフ・アイゼンの尖頭を捕らえる。

 

「な!? か、堅てぇ!」

 

 推進器から魔力を吹き上げるグラーフ・アイゼンだが、なのはの展開する障壁に傷さえも付けることが出来ない。一撃で勝負を決めるため、ありったけの障壁破壊の魔法を込めておいたのにである。

 

 驚愕するヴィータだったが、障壁を挟んでたたずむなのはもまた苦痛の表情を浮かべていた。

 

「きつい……きついよ。レイジングハート。出力が、強すぎるの……」

 

《もっと魔力を引き絞ってください。後15%ほど軽減されれば問題はありません!》

 

「無理……だよ……。緻密な魔力制御は、苦手なの……!」

 

《一度設定を組み直します。一旦離脱してください》

 

 レイジングハートの要求になのはは応えられそうにもない。今ここでバリア・バーストを発動させ、シールドを爆発させては、自分に降りかかる被害も甚大になってしまうだろう。

 

「なのはぁ!!」

 

 ユーノは停滞した二人に対してチェーン・バインドのアンカーを投げつける。

 ユーノの掲げた手の平の先から直線軌道で放たれた鎖状の魔力はかなりの速度を持ってヴィータへと襲いかかる。

 

「ちい!」

 

 おそらく、そのチェーンが着弾したところでそれほどのダメージはないだろう。しかし、それが物理攻撃の特性しか持たないと考えるのはあまりにも危険だ。

 着弾後、それらがばらけ自分を束縛するかもしれない。あるいは鎖の檻のように自分の行動を阻害するかもしれない。

 そう考えれば、ヴィータに残された選択肢は離脱することしか存在しなかった。

 

「なのは、大丈夫?」

 

 ユーノは即座になのはに駆け寄り、すぐさま彼女を背に回しヴィータと対峙した。

 

「う、うん。だいじょう、ぶ……」

 

 大きく肩で息をするなのはにユーノは思わず介抱をしたくなるが、今はそんな余裕はないと断念した。

 

《設定値の修正に成功。入出力ゲインを15%ダウンさせました。即応性はミリセック単位で減少しますが、おそらくこの程度がマスターの最適値かと思われます。なお、魔導炉の出力も30%から20%に設定し直しましたので、先ほどのような事は起こらないと思われます》

 

「あ、ありがとう。レイジングハート」

 

 なのはは、レイジングハートからの報告に礼を述べた。それにしても、さっきの状態でまだ魔導炉は3割程度しか稼働していなかったのかとなのはは知り、もしもこれが全力運転を開始すれば、自分の身体はどうなってしまうのかと恐怖に身をすくめた。

 おそらく、命を賭けなければならない絶対的な状況にならないとそれは使用することは出来ないだろう。そして、そのときこそが自分にとって最後の戦場になることも絶対的に決められたことだ。

 力を持つこと。その恐ろしさ。その片鱗をかいま見て、なのはは自身を奮い立たせる。

 

(やせ我慢でもいい。私は、一人じゃないんだから!)

 

 なのははそう自分自身に檄を飛ばし、再びレイジングハートを構えた。

 

「ユーノ君、今度は、こっちからいこう。私が撃つから、その隙にユーノ君が捕まえて!」

 

 先ほどはイレギュラーが生じたとはいえ彼女の攻撃を受けきることが出来た。しかし、出力を抑えた今の状態ではおそらくあれだけの防御性能と即応性を発揮することは出来ないだろう。つまり、先ほどと同じ状況を作られれば、敗北するのはこちらだ。

 だったら、打って出る。先手を打たせない。相手の行動すべてをこちらの制御下に入れる。

 それは、先の戦闘でアリシアが示した事だ。それさえ完璧に行えれば、たとえ劣る戦力であっても十分相手を追い詰めることが出来る。

 

「分かった。僕の後ろから。ヴィータの死角から撃って」

 

 ユーノはなのはに託し、自分のやるべき事を確認した。

 

「うん。行くよ、レイジングハート」

 

《Yes,Master. 【Accele Shooter】stand by》

 

 レイジングハートは新たに組み込まれた、今回の改良の真骨頂とも言える魔法プログラムを儀式のように一つずつロードし、なのはの魔力と魔導炉から供給されるエネルギーを先端に収束させ輝かせる。

 

「アクセル・シューター……シュート!」

 

《Ready!》

 

 なのはとレイジングハート。一人と一つの声が重なり、一気に発動した魔力は12状の桃色の軌跡となって爆発的に加速される。

 

《諸元入力。中間弾頭制御良好。マスター、照準をあのリトルへ。終末誘導はすべて私の制御で行われます》

 

 瞬間的になのはの脳裏にもたらされる情報に彼女は目を見開く。

 アクティブ・レーダーから供給される周囲の情報。そして、新設されたイルミネーターの制御のみが自分に与えられ、自身が行うことはただその方向を制御する事のみ。

 

 軽い。となのはは感じた。

 

「んな!?」

 

 突然ユーノの背後から放たれた12の光線。それが魔力弾頭だと気がついたヴィータは「バカな奴」と思ったが、それらが曲線を描きそれぞれ異なる軌道を描いて自分に襲いかかってくる様を見せつけられそれは「バカな!」という驚愕に入れ替わった。

 

「こんな膨大な弾。一人で制御できるはずはねぇ!」

 

 ヴィータは一瞬全方位防御魔法【Panzerhindernis】の展開を思い立つが、行動を止めればユーノに喰われるだけだとそれを棄却し、乱暴に舌をうちながら襲い来る魔法弾頭を必死の思いで回避する。

 

《セミ・アクティブ・ホーミング良好。誤差既定値内》

 

「なんだかよく分からないけど、いけてるんだね?」

 

《Yes,Master. You are perfect》

 

 なのはは空中の足場に立ち、いつものように行動を止めてただイルミネーターの照準を必死に動き回るヴィータに会わせ続ける。

 なのははまだ三基のイルミネーターの一つしか活用できていない。今回の目標が一体であることからそれは十分と言えるのだが、一体の目標に対して三基のイルミネーターを同時運用すれば、その分精度も向上する。

 しかし、求めるのはまだ先だとレイジングハートは判断し、いずれこれが動きながらも出来るようになれば良いと密かに思いながら弾頭の制御を続けた。

 

「チェーン・バインド! いい加減、捕まってよヴィータ!」

 

 グラーフ・アイゼンを振り回し、ユーノが召喚した鎖となのはが発射した弾頭を地道な作業で打ち落とすヴィータはようやく焦りから復帰しつつあった。

 

「捕まえてみやがれ! イージス。うらぁ!!」

 

 密度が減りつつある弾頭の合間を縫ってヴィータはユーノへと打撃を放つ。

 

「捕まらないから言ってるんじゃないか! 往生際が悪いよ。僕となのはのタッグは絶対負けないんだからね!!」

 

 ラケーテンから通常のフォルムに戻ったグラーフ・アイゼンをシールドで受け流しつつユーノは間隙を入れずリング・バインドでヴィータを空中に固定しようとするが、ヴィータはインパクトが通らないと判断すればすぐに離脱を繰り返すため思うように彼女を捕らえることは出来ない。

 

「だったら、ベルカの騎士に負けはねぇ! 負けねぇってことは、絶対勝つって事だ!! はや……主のためにも、あたしは絶対負けられねぇんだよ!」

 

 最後の弾頭を打ち落としたヴィータはようやくカートリッジをロードし、そのフォルムを再びラケーテンへとシフトさせる。

 

「もう一度、アクセル・シューター、シュート!」

 

 弾をとぎれさせるわけには行かない。自分がイルミネーターをもっと美味く使えていたら一基あたり12発の三倍の弾頭を制御できるはずなのにとなのははもどかしくなるが、無理は出来ないと心に言い聞かせ再び12発のアクセル・シューターを射出する。

 

「まだくんのかよ!」

 

 ヴィータは、鉄球を三発生み出しそれを大槌で薙ぎ払うように打ち出した。

 

「!!!」

 

 なのははその鉄球の向かう先が自分だと気付いた瞬間、照準機をそれらの一発一発に合わせ各個迎撃を開始する。

 幸い、その鉄球の軌道は非常に単純でなのははヴィータに照準を合わせながら別の照準機で鉄球に狙いを付けることが出来たが、その分ヴィータに対する照準が甘くなってしまう。

 

「今度こそ!」

 

 甘くなった弾頭軌道。それを最後のチャンスとばかりにヴィータは推進器を点火し、ユーノへと襲いかかる。

 

「ラウンド・シールド!」

 

 ユーノは先ほどの間違いを犯さないと歯を食いしばり、バインドの構成をキャンセルしそれらのリソースをすべてシールドへと叩き込んだ。

 

「上等だ! 貫けぇぇぇぇ!!」

 

 ヴィータもそれが最後の手段。すべての力を込めて発射されたハンマーはインパクト時においてもフレームをスライドさせカートリッジを激発させる。

 これは、あの時と同じだ。

 ユーノはそう判断し、すぐさまバリア・バーストを敢行させる。

 

 爆発と閃光。そして、まき散らされる魔力の奔流に一瞬フィールドがホワイトアウトし、レイジングハートのアクティブ・レーダーもヴィータの姿を見失う。

 

「ようやく、捕まえた!!」

 

 その声がしたのはなのはの背後だった。

 振り向いたなのはの目に映るのは、バリアバーストの余波に晒されジャケットに穴を設けながらも猛禽類のごとく視線を浴びせつつグラーフ・アイゼンを振りかぶるヴィータの姿だった。

 

《Protection》

 

 なのはの判断では間に合わないと悟ったレイジングハートは自身に備えられた自動防衛機構を発動させ、障壁を生み出す。

 

 なのはは驚きを隠せなかった。この少女は、いったいどれほどの戦力を秘めているのか。鉄球を放つことで自分の照準を甘くさせ、その隙にユーノに襲いかかる。そして、ユーノのバリアバーストを見込んだかのようにその余波に紛れ本来の目標へと肉薄する。

 まだ、全然駄目だとなのはは実感した。これだけやってもまだ相手を制御下におけない。むしろ、自分たちがいいように活用されている。

 1+1を3や4にするのが戦術ではあるが、彼女はこちらの1+1を2以下にしてしまった。それもまた戦術のなせる技なんだ。

 

 プロテクションを直接叩かれ、なのははその衝撃のままに吹き飛ばされ、その先に未だ困惑して立ち止まるユーノに向かってぶつけられた。

 

「ぐぅ。な、なのは……」

 

 飛来するものがなのはだと確認したユーノはシールドを貼ること共出来ず、所々ヒビの入ったバリアジャケットでなのはを受け止め、かなりの距離を後退させざるを得なかった。

 

「ゴメン、ユーノ君。油断した」

 

 肩口を思い切りユーノの腹に撃ち込んでしまったなのははすぐさまユーノから離れ、彼に顔を合わせることも出来ないまま謝る。

 

「だ、大丈夫だよ……ゲホ、ゲホ。これぐらい、へっちゃらさ」

 

 やせ我慢をしている事はなのはにも理解できた。ユーノの咳き込みに違和感を感じるのは、ひょっとしたら骨に異常を与えてしまったのかもしれない。すくなくとも身体の中がでんぐり返っていることは確かだろう。

 この状態でユーノに前衛をさせるわけには行かない。かといって今の状態では、とてもではないが自分が彼女と接近戦をやり合うことは出来ない。

 

(詰んじゃったかな?)

 

 かたかたと震えるレイジングハートの先端はなのはの感情を如実に物語る。

 

 しかし、すぐさま襲いかかってくると思われたヴィータは何故か明後日の方を向いて念話で何者かと会話をしているように思えた。

 

 そして、ヴィータは「チッ、シャマルのドジ!」と呟くと、改めてなのは達の方へと向き直り口を開く。

 

「あんたら、防御しといた方が良いよ」

 

 ヴィータのぶっきらぼうな物言いに、一瞬「えっ?」と言葉を失うなのはだったが、次の瞬間、強装結界の頂点から響き渡る轟音に上空を見上げた。

 

「なに? あれ」

 

 それは、全天を覆う半球状の結界の頂上になにやら真っ黒な雷が落ちたような光景だった。それは、結界に阻まれ、まるでボールの表面を伝って地面に流れる水流のように分解されていくが、その圧倒的なエネルギーを前にして強装結界は徐々にヒビを生み出していく。

 

「ま、守らなきゃ……」

 

 いち早く状況を察知したユーノは印を結び、なのはを抱きかかえ地面へと急降下を敢行した。

 

「とりあえず勝負はお預けだ。だけど、次会ったら……命の保証はしないから」

 

 命の保証はしない。そう言ったヴィータの声がとても悲しいものに包まれていたのはユーノの気のせいだったのだろうか。

 そして、彼女が去り際に『楽しかったよ、イージス。また、会おうな……』と念話で話しかけてきたように思えたのはユーノの錯覚だったのだろうか。

 

 ともかくユーノは念話でフェイトとアルフを呼び出し、四人で円陣を組み考え得る限り最高の結界を構築しその災害に備えた。

 

 黒の雷が結界を打ち破り。漆黒の波動が激流となってユーノ達を襲いかかる。

 

『目標撤退。追尾開始!』

 

 ノイズだらけの通信を通してエイミィの声が彼らに届けられるが、彼らがそれに耳を傾けていられる余裕はどこにも存在しない。

 

 時間にして数秒の爆撃。しかし、それは結界を保持するために魔力を放出し続けたユーノ達にとって100年にも思える時間だった。

 

 霧が晴れるように徐々に輪郭を取り戻していく視界。結界が破られ、光が戻っていく町並み。ユーノ達はバリアジャケットを解除し徐々に雑踏を取り戻して再生していく町並みの中にたたずみ空を見上げた。

 

「負け、ちゃった……」

 

 なのはの呟きが星のない空へと消えていく。

 

「エイミィ、追尾は?」

 

 いつの間にかなのは達の側に下りてきていたクロノが独白のように呟く。

 

『ごめん、間に合わなかった……』

 

 現実を取り戻した街の中にモニターを生み出すわけには行かず、エイミィの声は念話の回線を通じてのものだったがクロノには彼女が今コンソールに突っ伏して自責の念に駆られている様子が目に映るようだった。

 

「そうか……ご苦労」

 

 クロノはエイミィに慰めの言葉を掛ける間もなく武装局員全員へ念話回線を開き速やかに撤収することを決定した。

 

「ごめんなさい、クロノ。止められなかった」

 

 人気のないところに向かう途中、フェイトは重々しく口を開きクロノに詫びた。

 アルフもそれに同意するように口を噤み表情に暗い影を落とす。

 ユーノとなのはがヴィータとやり合っていた時、同時にフェイトとアルフはシグナムとザフィーラと相対していた。実質的な一対一。ある意味望んだその状況にフェイトは善戦したが、その刃先が終ぞシグナムに届くことはなかった。

 フェイトとアルフの連携は完璧だったとクロノも思う。しかし、相手の連携はその何倍も熟練したものだったというだけだ。むしろ、あれだけの歴戦の勇士達を前にして無事に戻ってこられたことこそが何よりもの功績だとクロノは確信する。

 

「いや、フェイト達は完璧だった。なのはとユーノもね。今回は僕の失態だ。僕が油断していなかったら、あの爆撃は無かったはずだから」

 

 クロノは手を握りしめた。

 クロノが追っていたもの。それは前回アリシアの不意を突き――あれはアリシアがあえて誘導しそうなった結果だが――彼女のリンカーコアを収集した魔導師を捕縛する事だった。

 ユーノの索敵に頼ることが出来ず、駐屯所のエイミィの力を借りることでようやく発見できた彼女だったが、逮捕を目前にした寸前、それに介入するものがあった。

 

「あの仮面の男。いったい、何者なんだ?」

 

 現在駐屯所の電算室ではエイミィがその解析を行っているはずだった。あれも、騎士達の一員なのだろうか。いや、吹き飛ばされる寸前に見たあの魔導師の表情から察するに、彼らは初対面であるはずだ。

 

「三つ目の勢力ということか。忙しくなるな」

 

 特に最重要案件である闇の書を目前にして回収に至れなかったことが最大の失態だとクロノは判断する。

 作戦失敗の責任は誰にあるかと言われれば間違いなく自分にある。

 わざわざ本局より優秀な武装局員の一個中隊を借り受けて立案した本作戦。騎士達を閉じこめ、全員の捕獲までは行かないにせよ、最低一名の捕獲と闇の書の奪取。そのどれもが成し遂げることが出来なかった。

 AAA+ランクの自分、AAAランクの魔導師二人と、推定Aランクの魔導師二人を投入してさえ成し遂げられなかったとあってはなんの言い訳の言葉も浮かんでこない。

 

(アリシアなら。何とか出来ただろうか? 初見とはいえ、前回は今回に劣る戦力しか持たずフェイト達を勝利に導いたアリシアがここにいれば、結果は変わっていたんだろうか?)

 

 しかし、アリシアを戦場に投入しないことを決定したのは他でもない自分と母、リンディだ。いくら有能とはいえ、幼児の域を脱しない少女を戦場に送り込むことは出来ない。

 だが、そんな管理局の正義や自分たちの倫理観でこの場を危険にさらし、今後さらにこの世界や他の世界に与える危険を増大させることになってしまったことも事実なのだ。

 今後、さらに犠牲者は増えるだろう。今のところは人的な被害は出されていないが、追い詰められた彼らが最終的にどのような手段を講じるのか、それを推測することは容易にも思えた。

 

(いったい僕たちは、何を優先しないといけないんだ。管理局の正義か? 次元世界の法か? 自分たちの既存概念か? それとも、この世界の安全か?)

 

 この世界の安全と自分たちの正義感。それのどちらが果たして優先するのか。クロノは答えをだす事が出来ないまま駐屯所への転送を開始する。

 

 嵐の過ぎ去った町並みは、それまでそこで何が行われていたのかも知ることはなく、ただ日常という名のノイズの渦へと埋没していった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 Introduction

 本日二度目の入浴を終え、暖まった身体の熱を心地よく思いながらタオルで髪を拭きながらアリシアはハラオウン邸のリビングに姿を現した。

 

「湯加減はどうだった? アリシアさん」

 

 扉を開いたアリシアに真っ先に声をかけたリンディはそのままアリシアをソファへと呼び寄せた。

 

「少し熱かったですが、すっきりしましたよリンディ提督」

 

 アリシアはほっこりとそう微笑むと、冷蔵庫を我が家のように開き風呂上がりのビールに手を伸ばした。

 

「そう、それは良かったわ」

 

 リンディはアリシアの手をペチっとはたき、無理矢理彼女を抱き上げるとソファに腰を下ろした。

 これ以上いらないことをしないようにとの配慮なのか、アリシアはリンディに抱きかかえられれたまま彼女の膝の上に座ることになってしまった。

 

 アリシアは「ビールぐらい良いじゃない」と呟くが、リンディの有無を言わさない笑顔に負け、すごすごと口を閉じた。

 実際アリシアの発達途上の味覚ではビールの苦さはむしろ不快に感じられるのだが、こういうのが雰囲気が大切だと彼女は考えていた。それを封殺されては面白くない。いっそのこと、ハラオウン邸に用意されている自室に自前の冷蔵を入れようかなどと考えているが、将来のプランの一つとして今は考えないことにしておいた。

 

「さて、ユーノ君とアリシアさんは食べながらで良いから少し話しをしておきましょうか」

 

 実は、アリシアとユーノは夕食を取らないまま戦闘に乗り出していた。それを聞いたリンディは二人のために少し豪華な夜食を用意して待っていたようだ。

 その殆どがミッドチルダで言う家庭料理というらしいが、それらはこの国では洋食と呼ばれる類のものらしい。

 鶏の香草焼きにスマッシュポテトのフライ、生ハムとレタスのサラダに自家製パン。ラインナップを見ると、ランチとディナーの中程といったことろで、腹ごしらえにはもってこいだ。

 アリシアとユーノは早速フォークを掴み取りほぼ3日ぶりになるかもしれないまともな食事をかきこみ始めた。

 

 なのはとフェイト、アルフも軽くそれらを摘みながらクロノとエイミィが示したモニターに目をやる。

 

 部屋の照明が若干落とされたリビングに浮かぶモニターには先ほどの戦闘と一週間前の戦闘の両方の映像が映し出されている。

 

「(モグモグ)結局(ゴックン)、あの連中の(ムシャムシャ)目的は判明したの? 美味しいなこのポテト。ねぇユーノ、もう少し肉を食べた方がいいよ(バリバリ)ただでさえ細いんだから。アルフは肉ばっかり食べてないで野菜も食べなさい」

 

 アリシアは口に肉を頬張りながらフォークで画面を指し示す。

 

「(ゴックン)そんなに肉ばっかり食べられないよ。(モグモグ)僕がヴィータから感じたことだけど(ムグムグ)、彼女たちは主のためって良く口にしてたから、裏であの人達を操ってる人がいるんじゃないかな?」

 

 

 アリシアが指し示した巨槌の紅騎士(ヴィータ)を見てユーノもそう言葉を放つ。

 ユーノとしては、紅い少女はなかなか感情と行動が直結しているようであっても自分の分をわきまえているという印象があった。

 彼女がことあるごとに呟く『主』と言う言葉がどう考えてもこの件の主幹になっていることは明らかだ。

 

「狼が野菜なんて食べらんないよ(ガツガツ)。アタシも(ガツガツ)ユーノと同じだね。あの蒼い犬もなんかそんなこと言ってたからねぇ(ガツガツ)。ちょいとアリシア、アタシが取っといた肉食わないでおれよ!」

 

 アルフが犬と称する盾の守護獣(ザフィーラ)に結局勝てなかったアルフは、少し悔しそうな表情を浮かべながら骨付きの羊肉を何本も口に頬張りながら腹いせにお茶(ノンシュガー)を飲み干した。

 

「早い者勝ちだよ、欲しかったら唾でも付けといて。そう考えると、あの人達は望まない蒐集をしているってことになるけど。私は自分から進んで蒐集しているって感じたよ」

 

 彼らが何者かによる精神操作が行われている様子はないとアリシアは断言する。彼らは彼らの思惑があり、それに従い行動しているのだ。

 

「それは(パク)、私も思った(モグモグ)。あの、剣士も『これは私たちが選び、そして背負うと決めたことだ』(ゴクリ)って言ってたから」

 

 フェイトの言葉になのはも首肯で答えた。フェイトはアリシアとユーノ、アルフに釣られてだろうが、両親の躾の行き届いているなのはは彼らと違い口にものを入れたまま喋ろうとはしないようだ。

 

 それとも、ミッドチルダでは別段マナーに違反することではないのだろうかと一瞬なのはは考えるが、リンディとクロノ、ついでにエイミィまで三人に多少冷めた視線を送っているところそのあたりに関してはミッドも地球も変わりがないようだとなのはは思う。

 

「(ゴックン)ねえ、フェイトちゃん、アルフさん、ユーノ君にアリシアちゃんも。食べながら話すのはお行儀が悪いと思うよ?」

 

 なのははそう四人に注意し、アリシア以外の三人は思わず口を押さえ恥ずかしそうに口の中のものを咀嚼し「ゴメン」とわびを入れた。

 アリシアは「良いじゃないか、細かいことは」といって聞かないが、リンディの一睨みで口を閉じ二人に習って口の中を空にした。

 

 クロノはため息を吐き、温かいお茶(ノンシュガー)を一口飲んで気を落ち着けた。

 

「彼らに関してはまず結論から言おう……と思ったが、ひとまずアリシアとユーノは食事を済ませてくれ。話しはそれから改めてしよう」

 

 クロノはそう言って一応母リンディの顔を伺うが、リンディもまた温かいお茶(フルシュガー=りんでぃ・すぺしゃる)で喉を潤しながらゆっくりと頷いた。

 

 アリシアはとりあえず「ありがとうございます」と礼を言ってユーノと本格的な食事(第何次食卓戦争)を繰り広げる事とした。

 ちなみに、お預けを喰らったアルフは恨みがマシそうにクロノを見るがフェイトに「そんな目で見ちゃダメ」と言われると犬らしくすごすごと引っ込み、不機嫌をアピールするためか子犬モードに変身しソファーのすみにうずくまり丸くなってしまった。

 

「ああ、そうだ。リミエッタ管制主任。今のうちにフェイトとなのはにデバイスのことを話しておいた方が良いんじゃないかな?」

 

 最後のミートボールを巡ってユーノとフォークでチャンバラを繰り広げながらアリシアはエイミィにそう提案した。

 

「あ、そうだね。時間ももったいないし」

 

 アリシアとユーノの勝負の行方を動画で取りつつトトカルチョなどをしながらのんびりしていたエイミィは映像を取る手はそのままでなのはとフェイトを呼ぶことにした。

 ちなみに言えば、トトカルチョは4対2でユーノ有利だ。金品を賭けなければ別段、賭自体は禁止されていない。

 

「頑張ってお姉ちゃん!」

 

「勝つのはユーノ君だよ!」

 

 共に贔屓にする身内に声援を送りつつ、フェイトとなのはは明日の朝の食事当番の行方を賭けて手に汗を握っていた。

 それをどこか遠目で眺めるクロノは『体格的にユーノの勝ちは確実だ』と考え、その隣でまだお茶(フルシュガー=りんでぃ・すぺしゃる)を飲むリンディはユーノに賭けながらも『それでも勝つのはアリシアさんでしょうね』と細く微笑んでいた。

 

「なのはちゃん、フェイトちゃん、ちょっと良いかな?」

 

 勝負の行く末を見守れないのは残念だが、証拠となる動画はそのまま二人にフォーカスしたまま置いてあるので、エイミィは安心して二人に話しかけた。

 

「あ、はい。なんですか?」

「なに? エイミィ」

 

 呼ばれた二人は仲良く振り向き、その手に自身のパートナーであるデバイスが手渡された。

 

「レイジングハート! メンテナンスは終わったの?」

 

《終わったからここにいるのですよ、私の小さなレディ。私がいないといって泣いていませんでしたか?》

 

「な、泣いてなんかいないもん」

 

《そうですか、マスターは私がいなくても大丈夫なのですね? ああ、マスターの成長を喜ぶべきか、頼りにされないことを悲しむべきか。バルディッシュ、今夜は一杯付き合ってください。オトナになったマスターのために乾杯をしましょう》

 

 大げさに声を上げるレイジングハートに呆れるバルディッシュは金色のエンブレムの表面を一瞬光らせる。

 

《我々には酒を飲む口は存在しないはずですが? レイジングハート卿》

 

《ノリの悪いデバイスですね、貴方は》

 

《私にノリという機能は搭載されておりません》

 

 しきりに表面を点灯させながら会話をする二機のデバイスにフェイトは少し驚いた。

 

「バルディッシュ、良く喋るようになったんだね」

 

 これも改造された影響なのだろうかとフェイトは思う。正直なところ、フェイトはなのはとレイジングハートが互いに気が置けない友人のように会話を交わすのを少し羨ましく思っていたため、バルディッシュのこの変化を嬉しく思っていた。

 

《申し訳ありません、サー》

 

 フェイトへの返答は今までと変わりのないものだったが、フェイトはバルディッシュの表面を慈しむようになで、

 

「いいんだよ、バルディッシュ。これからいっぱいお話ししよう。私はバルディッシュがもっといろんな事を話してくれると嬉しい」

 

 と暖かな笑みを浮かべる。

 

《善処します》

 

「うん」

 

 エイミィはそんなフェイト達を見て、「いいなぁ」と頬を緩めた。すぐ側でバカみたいな熱戦を繰り広げているまるで可愛げのない年下の姉に比べれば、フェイトの浮かべる笑みがどれほど子供らしい暖かなものか。

 

(やっぱり、フェイトちゃんがリンディ提督の養子になるのはすっごくいいね)

 

 この空気がハラオウン家に満ちあふれ、クロノも同じように笑っていてくれるならそれはなんと幸せな世界なんだろうかとエイミィはそんな未来を幻視し、そんな中に自分も一緒にいられればと希望を持った。断じてそこにいるのは、姉の方に弄り倒されてハンカチを涙で染める自分ではない。

 エイミィは「よし! 頑張ろう」とガッツを入れて二人に話を続けた。

 

「まずはフェイトちゃんのバルディッシュから」

 

「はい」

 

《Sir》

 

「基本フォームはアサルトで、接近戦特化のハーケン、そしてフルドライブのザンバーの三つね。一番の変更点は、もう知ってると思うけどカートリッジシステムって呼ばれるもの。本当だったらインテリジェントデバイスに組み込むようなものじゃないけど、バルディッシュの要求で取り付けることになったんだ」

 

「そうなの? バルディッシュ」

 

《その通りです、サー。貴女があの者達に勝つためには私も強くならなければならないと判断しました。そのために求めた力です》

 

「そういうこと。だけど、カートリッジはまだまだ不安定で危険がない訳じゃないんだ。だから、あんまり乱発しないように。これだけは約束してね」

 

「分かりました」

 

 フェイトは決意を新たにバルディッシュをキュッと握りしめた。フェイトの小さな手の平の中でバルディッシュも誇らしげに輝く。

 

「あの、レイジングハートはどうなっちゃったんですか?」

 

 フェイトの話しが一段落したのを見計らい、なのははそうおずおずと口を開いた。

 

《失敬な。それではまるで、私がおかしくなったようではありませんかマスター》

 

「そ、そんなこと、………ないよ?」

 

 アリシアならさしずめ「おかしいのは元からだから気にしなくてもいいよ」と言いそうだなとなのはは予想しつつレイジングハートを宥めた。

 

《間の空白が気になりますが、まあ良いでしょう。リミエッタ管制主任。説明をお願いします》

 

「あ、そうだね。えーっと、レイジングハートに関しては実際手がけた人に聞くのが良いんだけど……」

 

 「やりにくいなぁ」と感じながらエイミィはふとソファに目をやるが、そこでは未だアリシアとユーノがデットヒートを繰り広げている最中だった。

 

 まだ勝負が付いていなかったのかとエイミィはため息を吐き、

 

「あのー、二人とも。そろそろ決めてくれない?」

 

 と声を掛けた。

 

「だったら、奥の手だ!」

 

 というアリシアの雄叫び。

 その瞬間、均衡を保っていたフォークははじけ飛び、その隙を狙ってアリシアはテーブルの下に潜めていたナイフを一閃させ宙に浮いたミートボールめがけて一直線に王手を掛けようとする。

 

「それぐらい予想の範囲内だよ!」

 

 返す刀とまでは言わないが、ユーノも空いた手になのはが使っていたフォークを掴み、アリシアの一閃に滑り込ませるようにそれを振るった。

 

 ギィンという鉄のこすれる不愉快な音が部屋に響き、一瞬背筋が氷るような感覚に面々は息を潜め勝負の決着をその目で確かめた。

 

 アリシアが振り抜いたナイフの先、ユーノが刺し通したフォークの先、それにはそれぞれ半分に引き裂かれたミートボールが突き刺さっていた。

 

「えっと……ドロー?」

 

 その結果に思考が付いていかないフェイトは小首を傾げながら呟くが、チッチッチと舌を鳴らしつつエイミィは指を降り固まる面々の視線を集めた。

 

「ドローは親の総取りだよ。つまり、私の一人勝ちってことだね」

 

 誇らしく宣言するエイミィにアリシアとユーノ以外の面々は共に言葉を無くしてしまった。

 

「なるほど、上澄みをかすめ取るというのはそう言うことだね」

 

 というアリシアの朗らかな笑みがとても印象的だとクロノはぼんやりと感じていた。

 

******

 

 決着の興奮も冷めないままアリシアとユーノは食後の祈りを聖王へと捧げ、なのはにレイジングハートの説明を行った。

 途中、ハラオウンの面々から「ナイフを使うのは違反じゃないか?」という異議申し立てがあったが、そもそもルールなど定めていなかったことを理由にアリシアはエイミィと共にその異議を棄却した。

 

 レイジングハートの説明を聞いたなのはは端的に言えば驚いていた。

 

 それもそうだとアリシアは思う。

 何せ、今まで自分が使用していたデバイスが現在のデバイスの源流を生み出した最古のデバイスだと聞かされたのだ。

 

 そして、驚愕はさらに続く。

 個人装備のアクティブ・レーダーによる高精度索敵機能。イルミネーターによる自動弾頭誘導。今までと違い、魔法弾頭をいちいち自前で誘導しなくても、さらに高性能な誘導装置がレイジングハートに備わり自分はただ狙いを付けて撃つだけになった。

 その方式のヒントになったのが、自分の住む国の兵器だと聞かされてさらに驚愕。

 

 しかし、最も驚愕したものは新たに限定を解除された人工魔導炉の存在だった。

 最大400MWの出力を持つ魔導炉は確かに瞬間的なエネルギー供給としてはカートリッジに遙かに劣る。しかし、時間割合に対する供給量はカートリッジなど問題にならないほど膨大なものとなるのだ。

 400MWと聞いてピンと来ないなのはだったが、アリシアが「なのはの国で言う中規模の原子炉一発分に匹敵する出力だよ(※参考:美浜原発2号機=500MW)」と言ったところ彼女の表情は引きつった。

 流石に小学生であっても原子力の凄まじさを学校の授業で勉強済みの彼女には効果はてきめんだったようだ。

 

 さらに、その魔導炉のエネルギー源となっているものが魔導炉内部の対消滅エンジンであるとアリシアが説明したとき、今度はミッドチルダの面々の表情が凍り付くこととなった。

 

 僅か0.7グラムの対消滅物質でこの国に投下された”小さな少年”の核爆弾(15ktクラス)に相当するエネルギーを持つと聞かされては流石のなのはも思わずレイジングハートを手から落としてしまう程だった。

 

「うわぁ!」

 

 と叫ぶ面々に、「ギリギリセーフ!!!」とスライディングでレイジングハートを受け止めるエイミィにアリシアは肩をすくめ。

 

「いや、ジェットコースターの何倍も安全だと思うよ? 計算上は安全率100を超えてるからね」

 

 冷や汗を流す面々を笑い飛ばしアリシアはひとまずの説明を終えた。

 

「まったく、心臓に悪いな! なのは、後でレイジングハートを預けてくれ。念入りに調査する」

 

 バリケードのつもりだったのか、ソファの裏側から顔を出したクロノはフゥと息を吐き、ソファに腰を下ろしバリアジャケットを解除し、S2Uを待機状態へと戻した。

 

「一応、管理局の規定には触れないように調整はしてあるから問題は見つからないだろうけどね」

 

 アリシアもそれに習って床に臥せるユーノやフェイトを踏んづけながらソファに腰を下ろした。

 

 アリシアが軽いせいか、それほどのダメージを受けなかった二人もおそるおそる面を上げ、どうにもなっていない身体を見つけホッと一息吐いて同じくソファの席に着いた。

 

 アリシアの言葉に「それでもだ!」と答えながらクロノは再び部屋の照明を落とし、モニターを起動させた。

 

「さて、話しを戻しましょうか」

 

 リンディはそう言いながらお茶(フルシュガー)をテーブルに置き居住まいを正した。先ほどの騒ぎでも振る舞いを乱さなかった彼女だが、湯飲みを置く手が僅かに震えていたことから冷静ではいられなかった様子だった。

 アリシアはそれを追求せず、口を噤みモニターに傾注した。

 

「彼らに関して結論から言おう」

 

 クロノはそう言って一度深呼吸を付いた。

 彼らに関しては流石のクロノであっても冷静であれない。それでも執務官として、現場を掌握しなければならない立場として冷静を貫いた。

 

「彼らは人間でも使い魔でもない。闇の書に併せて魔法技術で作り出された疑似人格。本来なら彼らは人間らしい感情も持たないはずなんだ」

 

 フェイトは隣に座るアリシアの手をキュッと握りしめる。

 

「疑似人格というと……私みたいな?」

 

 フェイトの漏らした言葉にクロノとリンディは過剰とも言えるほどの反応を示した。

 

「フェイトさん、それは違うわ!」

 

 リンディの言葉にフェイトはビクッと肩を震わせた。

 

「フェイト、君は生まれが少し特殊なだけで人間と何も変わらない。検査でもそう出ただろう?」

 

 クロノは静かに憤りを示し、少しばかり厳しい目でフェイトを睨んだ。

 アリシアは、自分が特に何も言わなくてもきっとこの二人が諫めてくれるだろうと思い特に何も言わなかったが、クロノとリンディの厳しい視線が『テメェも何か言いやがれ』と言っているように思えて「仕方がない」と瞑目し、一生懸命腕を伸ばし両手の平でフェイトの両頬を包み込んで自分の方を向かせた。

 

「ねえ、フェイト。気付いてる? 貴女の言葉はクロノやリンディ提督を侮辱したんだよ? 二人は貴女を一度でも普通じゃない存在として扱ったことがあった? もしもそうだったら言って。私がこの二人を殴るから」

 

 フェイトは驚き目を見開き、必死になって首を横に振って否定した。

 

「だったらなのはが? それともユーノかな? アースラの人? プレシア母さんだったらゴメン。母さんにそうさせたのは私だから。謝っても謝りきれないけど、フェイトが望むのなら私はフェイトに殴られてもいい。殺したいと思うのならそうして欲しい」

 

「ち、違う……そんなんじゃない」

 

 アリシアの問答無用とも言える物言いにフェイトは涙を浮かべる。なのははそんなフェイトの様子に「やめてあげて」と言いそうになるが、それはリンディの手によって防がれた。

 

『フェイトさんにとっては重要な事よ。今は、アリシアさんに任せましょう』

 

 リンディからもたらされた念話を前にすれば、姉妹の間にはいることの出来ないなのはは口を噤むしかなかった。

 

『なのは。大丈夫だよ、アリシアなら大丈夫』

 

 ユーノの声。

 

『アリシアなら何とかなるだろう。悪魔みたいに口も頭も回る奴だからな』

 

 こんな時にでも皮肉が口から出るのはクロノなりの信頼の証なのだろうかとなのはは思う。そう言えば、アースラに逗留していたころはユーノに対しても何かと彼は皮肉っていたなとなのはは思い出しながら事の推移を見守った。

 

「違うっていうなら、貴女はいったい何者? ねえ、フェイト。貴女は いったい 何者 なの?」

 

 アリシアの強い口調にフェイトはギュッと瞼を瞑り、スゥと息を吸い込んだ。

 

「私は、フェイト・テスタロッサ。私はアリシア・テスタロッサの妹で。人間、人間だよ! お姉ちゃん!」

 

 アリシアはフェイトの宣言ににっこりと笑い、彼女の頬から手を離し、一生懸命背を伸ばして腕を伸ばしフェイトの頭を優しくゆっくりと撫で付けた。

 

「よく言えたね、フェイト。それが真実だよ」

 

 結局、他人がどれだけフェイトが人間だと言っても本人がそれを認識しなければ意味がない。だからこそ、アリシアは無理矢理に近い手段を講じてフェイトからその言葉を言わせた。

 

 これで安心だな、とクロノは頷き、やはりフェイトにはアリシアがいなければ駄目だと思い知った。いくらその関係が歪であっても血の繋がりとはやはりそれだけ重いのだ。

 リンディは半年前の一時期、アリシアを手放して他の権威ある家へ養子にやることも考えていた。しかし、今のこの状況を鑑みてやはりフェイト共々アリシアも守りきろうと決めたことは正しかったと考えていた。

 

 もしも、今この場にアリシアがいなければ。かつて計じた案をそのまま実行してしまっていたら、フェイトはどうなっていたか。考えたくもない事だった。

 

「あの、ごめんなさいみんな。変なこと言っちゃって」

 

 フェイトはまだ鼻をグスグスいわせていたが、その顔に浮かべられた表情からはなんの陰りも感じられない。

 

「良いのよ、フェイトさん。じゃあ、話を続けましょう。エイミィ」

 

 リンディは、この件はあっさりと終わらせた方が得策だと判断し、エイミィに事の説明を求めた。

 

「了解しました。あの騎士達は本来、人間らしい感情を持つことは無いはずなんだよ。少なくとも過去の情報からそれが確認された記録はない。だけど、今回の騎士達はどう考えても人としての感情を持っているね。このあたりはもう少し調べないといけないんだけど……」

 

 エイミィはモニターを操作しながら、撤退する騎士達の一人が持っていたものを拡大させ、横目でチラッとクロノの表情を伺った。

 

「問題は、彼らが持つもの。あれは、闇の書と呼ばれる大規模災害級ロストロギアだ」

 

 クロノは苦々しい表情を隠すことなく立ち上がり、モニターの前に立ちそれを見上げた。

 騎士の一人。妙齢の女性が胸に抱く書物のようなもの。大人の女性であっても一抱えほどの大きさとその表紙には剣を十字架にアレンジしたような紋章が埋め込まれている。

 

「魔導師、魔法生物の持つリンカーコアの魔力を蒐集することによりページを埋め。それが666ページになれば発動する古代のデバイス。それが発動した際、その場にあるすべてを破壊し尽くすまで止まらない。きわめて危険なロストロギアだ」

 

 クロノの独白のような説明にアリシアは耳を傾け、

 

「666ページか。意味深な数字だね」

 

 と呟いた。

 

「うん? アリシア、意味深とはどういう事だ?」

 

 アリシアの声は非常に小さなものだったが、クロノの説明の間隙を縫って撃たれた言葉に、その場の全員がアリシアに視線を向けた。

 

「たいした事ではないんだけど。666といえば、確か地球ではデビルナンバーっていわれてたよね?」

 

 アリシアはそういいながら確認のためになのはに目を向けた。

 

「え? そうなの?」

 

 しかし、なのははそう言ったこと、特に国民の大半が無神論者であるこの国出身のためか、アリシアにそれを聞かれても答えようがなかった。

 

「確か、この世界の一神教では6という数字が不吉っていわれてるね。特に666は悪魔の数字っていわれていたと思うよ」

 

 なのはの代わりにユーノが答え、アリシアは頷きを返した。

 

『凄いね、ユーノ君』

 

 自分より地球のことをよく知っているのではないかと思うなのははそっとユーノに念話を送った。

 

『色々調べたからね。地球にも興味深い事がたくさんあるよ』

 

 それはスクライアの(さが)なのか。とにかく何かしらの情報があればそれを収集して自らの血肉としたくなるのは自分の持病みたいなものだとユーノは笑う。

 

『私も勉強しないとなぁ。本当だったら、ユーノ君に地球のことを色々教えてあげないといけないのに』

 

 なのははそう伝えながら、よく考えればユーノは自分から地球の事、特にその歴史や文化とまでは行かず、土着のルールやこの国の人々の価値観などを教えるまでもなく、実に自然にとけ込んでいたことを思い出した。

 それが、次元世界を旅する部族の環境適応能力なのかと思い知り、そう言えばいつの間にかユーノとは翻訳魔法を使用せずに会話をしていた事も思い出す。つまり、ユーノは出会った半年足らずでこの国の言語をネイティブ並に理解してしまったということなのだ。

 

(遺伝子は意地悪だ)

 

 国語や社会の成績が悪い自分に比べればなんと高性能な頭なのだろうかとなのはは少し自分の至らなさを情け無く思ってしまう。しかも最近では得意分野であるはずの算数や理科などの成績もユーノに僅差で負けがちになってしまっている。実際、ユーノは既にミッドチルダの学問所を卒業しており、スクライアでさらに高度な学を修めているため、本来なら普通の小学生であるなのはでは学問の面では何を持っても太刀打ちできないはずなのだが。

 算術や理学に関してはなのはもそれなりに他者より優れるものを持つということだ。

 

 閑話休題。

 

 アリシアはユーノの情報を得て、再び話しを始める。

 

「地球ではそうなんだね。だけど、ここで少し面白い話しがあるんだ」

 

 アリシアはピッと人差し指を指し示した。全員の視線が否応なくその指先に集まり、アリシアはわざとそれを回転させ、それに釣られてくるくると面々の首や眼球を回させた。

 

「宗教的なことになってしまうけど、ベルカ領、聖王教会では6というのは縁起の良い数字とされているんだよ」

 

 クロノは「なるほど、それは興味深いな」と呟きながらアリシアに先を促した。

 

「そもそも聖王教会では3という数字が安定の意味合いを持つ神聖な数字とされているんだよね」

 

 アリシアはそう言いながら、説明のため机の上に指を二本立てた。

 

「この状態では系は左右に揺すぶられ不安定になる。だけど、もしもここに三本目の概念を持ち込めば……」

 

 そして、アリシアは指をもう一本追加し、その三本で支えられた手、つまり系は初めて安定することを示した。

 

「このように系を安定させるには3という数字が重要になってくるというのは分かるかな? ベルカ式魔法も発動の魔法陣は基本三角形をしているのもベルカが3というものを重要視していたということの証明とも言われているんだ。実際それが本当なのかは諸説あるけどね。ちなみにミッドチルダの魔法陣が円形なのは、円というものが完璧な図形だという概念かららしい。安定を求めるベルカ、完璧を求めるミッドチルダ。数秘学的、象徴学的にもこれはとても面白いよ」

 

 アリシアは学者が浮かべる悪戯っぽい笑みを頬に宿しながら手を膝の上に戻し、話しを続けた。

 

「その最初の倍数である6もその次ぐらいに神聖な数字なんだ。そして、その6の数字が3つ。666。特にこの数字はセイクリッド・ナンバーと言われていて、特に聖王陛下関連の象徴図にはそれを連想させるものが数多く含まれている。それどころか、古代ベルカでは666の数字は聖王陛下もしくはそれに近しいものを表記する以外では使用してはいけないっていう不文律のようなものまで存在していたから。闇の書のページ数、666ページというのはとても意味深なんだ。ひょっとすれば、元々は古代ベルカ、特に聖王陛下にちなんだアーティファクトなんじゃないかってね。ごめん、話しを続けて?」

 

 つい長く話しすぎたとアリシアは反省し、クロノに話しの続きを促した。

 

「いや、とても有意義だったよアリシア。闇の書に関しては実際はこれくらいなんだ。むしろ、アリシアの話しは管理局もつかんでいないような新事実かもしれない。ともかく、闇の書はとても危険なもので下手をすれば、世界一つを滅ぼすだけの力を持つということ。今後は、闇の書の騎士達が主と呼んでいる人物の捜査と騎士達の蒐集の妨害。主にはこの二つ。フェイト、なのは、ユーノには特に騎士達の妨害と逮捕をメインに動いて貰うことになる。それで良いんだな、三人とも」

 

 クロノは少し言葉を鋭角に研ぎ澄まし、横一列に並ぶ三人にサッと視線を這わせた。

 

「うん。今更後には引けないよ、クロノ」

 

 フェイト、

 

「私も、あの人達がどうしてあんな事をするのか知りたい。知った上で止めたい、と思う」

 

 なのは、

 

「僕も二人と同意見だよ。それに、ヴィータは決着を付けたがってた。僕もそうしたいと思う」

 

 ユーノ。三人の決意表明にクロノは「ふう」と肩を落とした。

 

「まあ、君たちが下りないことは予想していたよ。分かった、だけど絶対に無茶はするな。そして、絶対に僕たちの指示に従うこと。この二つが最低限守れなかったらその場ですぐに下りて貰うからな。半年前の洋上のようには行かないから注意しろ。特になのは、ユーノ。独断専行は二度とゴメンだ」

 

 本来なら民間人が捜査に協力することは非常に厄介な問題を孕む。基本的に民間人は法執行機関の指揮下には入れない、故にもしも彼らが勝手な行動により負傷をしたり命を落とすことがあっても組織はそれに責任が持てないのだ。

 それでも、責任あるものが責任を取るのは世の当然であり、場合によっては不要な足枷を背負わなければならない場合もある。

 つまり、管理局にとって民間人を戦闘に徴用することは殆ど最終手段に近いものであるということだ。それでもクロノとリンディ、件の責任者である二人はそれを背負い込むことを覚悟した。

 フェイト達三人はまだその重みを理解できていないだろう。しかし、アリシアは心の内にクロノ達に感謝と謝罪を述べ、そっと頭を垂らした。

 

「さてと、話しはこれくらいかしらね」

 

 リンディは面々の方向性が定まったことを見計らいそう言いつつ時計を見上げた。

 

「あ、もうこんな時間なんだ。そろそろ帰らないと」

 

 その時計の針が深夜にさしかかっている事を確認したユーノは少し慌てて帰り支度に取りかかろうとするが、リンディがやんわりとそれを征した。

 

「これから帰るっていってももう遅いわ。この国の治安は冗談みたいに良いらしいけど。それでも夜道は危ないから、今日は家で止まっていきなさいなユーノ君。なのはさんも今日はお泊まりだし、ちょうど良いんじゃないかしら?」

 

「え? でも、寝室は埋まってるんじゃ?」

 

 ユーノはそう言って遠慮しようとする。実際ハラオウン邸には来客用の客間があるのだが、家族と同居人達の寝床を確保するために、その部屋の調整を後回しにしてしまい、未だベッドさえ置かれていない状態なのだ。確かに寝袋なり毛布があれば寝られないこともないが、それでは気を遣わせてしまうのではないかとユーノは思う。

 

「ああ、それなら私の部屋を使えばいいよ。あのベッドは私一人では大きすぎるから、二人で寝ればちょうど良いよ」

 

 ほんの数時間前には一緒に風呂に入ったんだから、同衾/添い寝ぐらいは問題ないだろうとアリシアは判断した。

 

「だめーー!! それだけは、絶対に、駄目、なの!!」

 

 アリシアとユーノがベッドを共にすると耳にしたなのはは条件反射よろしく叫びまくり、思わずその場にいた面々全員が耳をふさいだ。ちなみに、至近距離でそれを喰らったフェイトは呆然として目を白黒させている。

 

「だけどね、なのは。ユーノを床で寝させるわけには行かないでしょう。ただでさえ部屋が足りないんだから、我が儘は言わない方が良いよ」

 

 端から見れば、5歳児に説得されている9歳児という何ともシュールな光景なのだが、どういう訳かアリシアがそれをしている様子はなんの違和感もないのが不思議だった。

 

(アリシアちゃんって、生粋のお姉ちゃんだねぇ)

 

 アリシアの事情を聞かされていないエイミィはそうほっこりと思いながら、リンディと今後の打ち合わせをするために共にリビングを後にして電算室へ姿を消した。

 

「だったら、私がユーノ君と一緒に寝る! アリシアちゃんはフェイトちゃんと一緒に寝て! ほら、姉妹水入らずで夜通し語り合えるよ。とっても良いんじゃないかな!?」

 

「なのは。貴女はその年で親御さんに孫の顔を見させるつもり? 子供は我が儘を言わず大人しく寝てなさい」

 

「アリシアちゃんも子供でしょう!?」

 

「少なくとも貴女より大人だよ」

 

 収集が付かなくなった状況を眺め、ユーノは横目でクロノに目をやった。

 クロノは「仕方がない」とため息を吐き、二人のいがみ合いに割り込みをかける。

 

「そこまでだ、二人とも。どうせお互い納得出来ないなら、いっそのこと全員一緒に寝たらどうだ?」

 

「え? それって、お姉ちゃんとなのはとユーノ三人一緒って事?」

 

 それって何かおかしくないかと思いながらフェイトはクロノにそう聞き返すが、クロノは面を振って否定した。

 

「全員といったらフェイト、お前も入るに決まってる。ちょうどアリシアの部屋のベッドはちょっとした手違いでダブルサイズのベッドだから、ちょうど良いだろう」

 

 つまり、クロノはアリシア達に川の字どころか冊の字になって寝ろとそう言っているのだ。

 

 クロノのあまりにも意外すぎる提案にアリシア、フェイト、ユーノは一瞬沈黙してしまうが、なのはは手を叩いてそれを絶賛した。

 

「それ、いい! クロノ君、良いよそれ、四人一緒なんて最高! そうしよう、ね?」

 

 よく考えれば二人にこだわる必要はなかったのだ。ただ、なのはは何となくアリシアとユーノが一緒に寝るということが気にくわなかっただけで自分がいて二人っきりじゃなかったらそれで良かったのだ。それにフェイトも加わって一夜を共にする。

 最高の提案だとなのはは思った。

 

「じゃあ、私はフェイトちゃんの部屋で準備してくるから。後でね!」

 

 と、実にすがすがしい朗らかな笑みを浮かべつつフェイトの自室に走っていくなのはに、クロノ、アリシア以下、ユーノとフェイトさえも呆然とそれを見守ってしまった。

 

「クロノ……この落とし前、どう付けるつもりだったの? 流石に無茶だ」

 

 ユーノは恨みがましくクロノを睨むが、クロノはクロノで実にバツが悪そうに目をそらし、

 

「いや、ああいっておけば流石に黙るだろうと思ったんだが。ついでにフェイトからも反対意見が出れば諦めざるを得ないだろうと思ってだなぁ。僕だって、こんな事になるなんて予想できるか!!」

 

 半ば逆ギレよろしくクロノはそう喚いてソファーにドスンと腰を下ろした。

 

「えっと、やっぱり……四人一緒? 流石に恥ずかしいな」

 

 フェイトは苦笑混じりにアリシアの顔見るが、アリシアもまたフェイトと同じような苦笑を浮かべつつ諦め混じりのため息を吐き、

 

「まあ、こんな事が出来るのも今のうちと思っておけば良いんじゃないかな? とにかく、フェイトも用意してきなさい」

 

 そう言ってアリシアはポンポンとフェイトの背中を叩き、一旦自室へ戻ることを促した。

 フェイトは最後にため息を吐き、いつの間にか子犬モードですやすやと寝息を立てていたアルフを胸に抱き上げる。

 

「うん、分かったよお姉ちゃん。じゃあ、後で」

 

 ソファに腰を下ろし、俯き加減でヒラヒラと手を振るアリシアに手を振り替えしフェイトはリビングを出た。

 

「はあ……、一応話しがまとまったようだな、アリシア。すまないが一つ頼み事を聞いてくれるか? 本当なら母さんの方から言うべきなんだろうけど。君に提督付きの民間協力者として依頼したい」

 

 依頼と聞いてアリシアはだらしなく伸ばした足を引っ込め、若干乱れた髪と服の裾を直し、表情も真剣なものになって居住まいを改めた。

 

「いや、そこまで改まらなくてもいい」

 

 急に人が変わったのように振る舞うアリシアにクロノは少しだけ気押しされ、アリシアの対面の席に腰を下ろした。

 

「いえ、依頼の話しとなればこれぐらいは妥当でしょう。ハラオウン執務官」

 

 フェイトとユーノは本局にいたときからアリシアのその振る舞いを見慣れていたためその対応も素早かった。

 ユーノは少し長くなりそうだなと察し、アリシアに先に部屋に行っていると伝えリビングを後にした。

 

「まずは、契約書と今回の依頼書だ。契約書には変更はない。依頼書もその契約書の範囲内に収まるように作られている。母……いや、ハラオウン提督のサインも入っているからとりあえず確認してくれ」

 

 アリシアは、無言で頷き、クロノから渡された契約書の書類一式と今回の依頼書という一枚の紙に目を通し始める。

 細かい字を読むときに掛けるようになった眼鏡を見て、クロノはただそれだけでも見るものに与える印象が随分変わるのだなと改めて感じる。

 

 何度も言うようだが、アリシアはリンディによって雇われた民間協力者だ。つまり、彼女の給料はリンディ提督の私財から出されている。先日、アリシアはその状況を省みて「小遣いを貰う口実のようなもの」と言っていたが、リンディとは契約書を交わしている間柄であることからそれは正当な労働の報酬といっても実は全く問題がないのだ。

 

 まあ最も、社会的にはなんの身分も地位も持たない未成年と交わす契約書など法的になんの力も発揮しないと言われればそうなのだが、そこはリンディとクロノの人柄のおかげが、今のところその契約違反になるような依頼はアリシアにもたらされていない。

 

「無限書庫での資料探索ですか……闇の書の。確かに、契約の範囲内のことですね」

 

 アリシアの確認にクロノは「ああ」と頷いた。

 

「提督とも話し合ったが、これは君に頼むのが一番いいと判断した。無限書庫にいてくれれば、今回のような無茶をされる心配もない。一石二鳥の案だとエイミィも絶賛していたよ」

 

「こういうことはユーノの方が得意だと思いますが?」

 

 アリシアは一度書類をテーブルに置き、眼鏡を外してクロノに向き合った。

 

「分かっている。しかし、色々と面倒な理由があってね。最初は僕もそうした方が良いんじゃないかと提案した」

 

「やはり、ユーノが管理外世界の人間だからですか?」

 

「そうだ。元ミッドチルダ人だといっても、あいつの戸籍は地球だからな。流石に、局員でも嘱託魔導師でもない管理外世界の人間に管理局の施設を自由に出入りされるのは面白くないということのようだ」

 

「確かに、役所にとって前例のないことを行うのはかなりの労力がいりますからね。そんなものに力を使っているぐらいなら多少質は落ちても素早くかかれる私ということですか」

 

「君を甘く見ている訳ではないことは保証する。実際僕たちは君とユーノはこの手のことに関しては殆ど同等と考えている」

 

「ありがとうございます。それで、明日から早速ですか?」

 

「ああ、その前に会って貰いたい人がいる。具体的に二人。君もよく知っている提督の使い魔だ」

 

 提督に使い魔と聞いてアリシアは「ああ」と閃くものがあった。

 

「あの猫姉妹かこの間送ったプレゼントの感想を聞いてなかったな」

 

 その瞬間、アリシアの瞳が醜悪な悪戯心に輝いた事をクロノは見逃さなかった。

 明日はどうなる事やらと、クロノは来る嵐を予感しつつ苦笑いを浮かべるしか方法を見いだせなかった。

 

 

******

 

 

 クロノと明日に関する事の打ち合わせを終え、契約書と依頼書になんの不備もないことを確認し合った頃には時計の針はそろそろ日付を変更しそうな時間となっていた。

 

 アリシアはクロノにお休みを良い、自室に引っ込むと、そこには既に二人仲良くベッドでお休みなっているなのはとフェイトと、広いベッドの端に腰を下ろしなにやら難しい顔で俯いているユーノがいた。

 互いに抱き合いながら実に幸せそうに眠るなのはとフェイトにアリシアはつい頬を緩めるが、ユーノの様子から少し真剣な雰囲気を感じ取った。

 

「どうしたの? ユーノ。何か考え事?」

 

 アリシアは今にも落ちてしまいそうな瞼を擦りながらクローゼットを開いて寝間着に着替え始めた。

 時折背後から「うーん、ユーノくぅーん」というなのはの声や、「おねえちゃーん」というフェイトの声を左から右に聞き流しながらアリシアは服のボタンを一つずつ外し始める。

 

「ちょっとね、気になることがあって」

 

 アリシアは「ふーん」と呟き、下着と同色のシンプルで地味なパジャマのズボンを履き、上着のボタンを止め鏡台(ドレッサー)に腰を下ろした。

 

 風呂上がりには適当で済ませてしまったスキンケアをやり直すため、アリシアはUVカット素材の入ったジェル状の化粧水を手に乗せ顔や腕など露出している部分に塗り始める。化粧水といってもこれは立派な医薬品で、それなりに値段のするものなのだがアリシアはそんなことお構いなしにたっぷりと肌に塗りつけた。

 

 美容のためではなく生きるための手段としてやらなければならない対策に、当初は嫌々だったものの最近は随分慣れてしまったなとアリシアはぼんやりと思う。

 

「さっきアリシアが言った3の数字のことで引っかかってね」

 

「ああ、そのこと」

 

 化粧水が乾くのを待ちながらアリシアは医者から処方された眼薬を差しながらユーノの言葉に耳を傾ける。

 

「どうして、ヴィータ達は4人なのかなって思って」

 

「………確かに、そうだね……古代ベルカ、闇の書の666ページだと、4人は確かにおかしいな。これだけ凝るんだったら本当なら3人か6人というのが妥当か……」

 

 既に電源が落とされた暖房のせいで次第に冷涼になっていく部屋の空気にアリシアは若干眠気を奪われ、その分ユーノの言葉に集中することが出来た。

 

「安定を好むなら中途半端は嫌うと思うんだ。ひょっとすれば、そこまで神聖な数字でそろえるのを聖王に対して遠慮したとも考えられるけど。それなら最初からそこまでそろえないはずだと思う。そもそも666なんて数字を出さない」

 

 アリシアは「難しいな」と呟きながら、寝るときには邪魔になる長い髪を丁寧に一つにまとめ上げ始める。眼鏡を外した視界には鏡に映る自分の姿が若干ぼやけて見える。

 

(あれのせいでまた視力が落ちたか……嫌だな)

 

 いつか失明してしまうのではないかとアリシアは僅かに恐怖を感じながら、ユーノの提示した課題に思考を走らせる。

 

「だから、こう考えられないかな? 後二人いるって」

 

「二人? 主の他にまだ一人いるって事?」

 

 ヴォルケンリッター達4人に主を含めると5人という数字が浮かび上がってくる。古代ベルカ的に言えば何となく5は避けたくなる数字だ。悪魔の数字とまでは言わないが、何となく締まりのない感覚がするといったもの。騎士団を名乗る集団がそのような数字を採用するとはとうてい思えないというのがユーノとアリシアの双方は意見を一致させる。

 

「ヴィータ、シグナム、ザフィーラ、アリシアを収集した――たぶんシャマルって名前だと思う人。それに、闇の書の主。そして、後一人。僕は、6人目がまだどこかにいるんじゃないかって思うんだ。まだ誰の前にも現れていないだけで。そして、それがこの事件のものすごい重要なキーパーソンになるんじゃないかって。そう思えて仕方がないんだ」

 

 時折なのはとフェイトがもぞもぞと身体を動かす衣擦れの音が静かな部屋の中で妙にはっきりと響き渡る。

 

「後一人か……ひょっとすれば、それは闇の書そのものかもしれないね。闇の書が意識を持っていて、人の形になれるならだけど」

 

 アリシアはそう言いながらまとめ上げた髪がほどけないか確認すると、そのままのそのそとした足取りでユーノが腰を下ろすベッドに潜り込んだ。

 隣で眠るなのはとフェイトの体温で暖められたシーツがとても心地よく、冷気で奪われていた眠気が一気にアリシアに襲いかかる。

 

「僕の考えすぎだとは思うけどね。照明、消すよ?」

 

 ユーノは立ち上がり、蛍光灯のスイッチを切り、自分も布団をかぶって横になった。

 側で感じるアリシアやなのは、フェイトの吐息や鼓動がどこか心地が良い。確かに、恥ずかしいという感覚はあるが、これはこれでなにやら得難いものを身に受けているのではないかと思えてしまう。

 なのはの幸せそうな寝顔、フェイトの安らかな寝息に当てられ、ユーノも次第に感覚が冗長的になってくる事を感じた。

 

「お休み、ユーノ。明日は早いから……出来れば起こしてね」

 

「うん、お休みアリシア。なのは、フェイト……」

 

 ストンと落ちていくような感覚に二人は抗うことなく身をゆだね、部屋に訪れた暗闇に心地よく身体が溶けていくような感覚に襲われる。どこかそれは自分というものがなくなってしまうのではないかという恐怖を一瞬だけ与えるものだった。しかし、今自分は一人ではなく孤独でもないと思えて、ユーノはむしろこのままみんなと一緒に溶けていけるのなら、それはそれで良いかもしれないと薄れていく感覚の中でそう思い浮かべていた。

 

 カーテンの向こうから差し込む月明かりが四人を包み込み、部屋には安息の静けさが満ちた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 The Infinite Library

 

 それほど久しぶりではない、ともすればとんぼ返りとも言えるほど懐かしくない本局の廊下を歩きながら、アリシアは未だ襲いかかる眠気に何度も欠伸を付きながら重い足取りでクロノの背中に付いていく。

 

「昨日は随分遅くまで話をしていたようだな」

 

 クロノはそんなアリシアを見ながら少しあきらめの入った口調で声を掛けた。

 

「うん。ユーノがなかなか寝させてくれなくて……私も少し熱くなっちゃったし」

 

 瞼を擦り、アリシアは少しだけ足下をふらつかせる。あの後、ヴォルケンリッター達の奥に潜む6人目の存在という議題が思いの外面白く、二人は日付が変わってからも数時間の間なかなか熱く議論を展開させていたのだった。

 流石に、それらすべては机上の推論に過ぎず無いもので何か新たな事実が判明したと言うことにはならなかった。。

 とりあえず闇の書そのものがどうも怪しいというのが一番可能性としては高いが、実際の所6人目なんていない方が安心できるという結論で終わることになった。

 それでも、二人とも実に有意義な時間を過ごせたと感じる事が出来たのが一番大きかったのかもしれない。

 

「アリシアちゃん。その言い方は色々と誤解されるから気をつけないと。特に、なのはちゃんが聞いたらすっごく怒ると思うよ?」

 

 なのはではその言葉からオトナな意味合いを類推することは出来ないだろう。それでも最近身につけつつあるオンナの感がそこから不快感をもたらす可能性はかなり高いとエイミィは判断する。

 

 ともかく、本人達はまだ自覚の域に達していないだろうが、恋する乙女とは何かと最強なのだ。

 

「『恋する乙女の一匙あれば、世界を救うも滅ぼすも思いのままだ』ということだね。今のなのはにはすごく合ってると思うよ」

 

 エイミィに右手を採られることで何とか歩容を安定させるアリシアはどこかの書物で読んだ言葉をそのまま引用して口にした。

 

「ふうん、そんな言葉があるのか。いったい誰の?」

 

 やはり、アリシアは博識だとクロノは思う。

 

「誰の言葉かは忘れた。どこかの小説だったか解説本にちょこっと引用されていたのが印象的だったからたまたま憶えていただけだね。言葉の収集は結構いい暇つぶしになるから、船乗りにはお勧めしたいな」

 

 エイミィはアリシアの話しを聞いてなるほどと頷いた。彼女の口達者はそう言うところから発生しているのかもしれないと思い、それなら自分も対抗できるようにならないといけないような気にもさせられる。

 将来的に身内になるかもしれない相手のことだ、今からそれに対抗できるよう努力するのも悪くはない。

 

「まあとにかく。今から会う連中がいくらアレでも曲がりなりにも提督の使い魔のお二人なんだから、せめての礼儀は果たすように。いいな? アリシア」

 

 アリシアと話をし出すと止まらなくなるということを知るクロノは少し強引ながら方向をねじ戻し、若干きつめにアリシアに言い聞かせる。

 

「あちらさんがそれなりの儀礼を果たしてくれるなら、考えてもいい」

 

 アリシアの返事にクロノは肩をすくめるが、アリシアの言い分ももっともだとも思えるためそれ以上の追求はやめた。

 

 これから三人があいにく人物はリーゼアリアとリーゼロッテという二人の使い魔だ。この二人はハラオウンと関連が深く、まずは彼等の恩人でありリンディの亡き夫であるクライド・ハラオウンの指導者であるギル・グレアムの使いまであること。そして、クライド亡き後強くなることを望んだクロノに魔法技術と戦闘技術を徹底的に叩き込んだということだ。

 クロノにとって、リーゼアリアとリーゼロッテはいわゆる魔法の師匠ということになるのだが、彼女たちが幼少の頃のクロノに行った児童虐待にも近いような訓練は彼に少々の心的外傷をもたらすこととなる。

 

 故に、クロノはこの二人を苦手とし、グレアムの前ではあるが極力この二人とはかかわりあいになりたくないと考えているのだ。

 

 アリシアは時の庭園から救助されて以来、アースラのハラオウン家の保護下に合ったためグレアム

そして双子のリーゼと知り合うきっかけがあった。

 元来猫としての性質を色濃く持つ使い魔の二人、そして猫のような好奇心と前世から続く悪戯好きなアリシアが出会うことによって悪夢は始まるとクロノは考えていた。

 

「失礼します。クロノ・ハラオウン執務官、到着しました」

 

 クロノはそう言って控え気味な陰鬱さを表に出すことなく、双子のリーゼとの面会を予定してる部屋の扉を開いた。

 

「クロ助ー!!」

 

 扉を開けたとたん、それを待ちかまえていたように一人の長身でショートの銀髪の女性がクロノに躍りかかってきた。

 

「うわぁ!!」

 

 クロノはそれに一瞬もんどり打って倒れ込みそうになるが、そこは流石執務官というべきか何とか後ろ足で踏ん張り体制を整え、飛びかかってきた女性を引き離すことに成功した。

 

「なんだよぉ、クロ助。お師匠様に向かってつれないぞ」

 

 女性は頭の両脇からはやした耳をピクピクさせながら獲物を狙う猫のように尻尾をピンとたてながらじわじわとクロノに向かって近づいてくる。

 

「うわ、やめろ来るな!」

 

 まるで女性恐怖症にでもかかったのかと言いたくなるような様子でクロノは後ずさり、壁際に追いやられることになるが猫耳の女性、リーゼロッテは「ふふふふ」と言いながら目を輝かせている。

 

「相変わらずねぇ、リーゼロッテは」

 

 そんな光景を尻目に、エイミィはさっさと部屋に入り奥のソファに腰を下ろしていたリーゼアリアに声をかけた。

 

「まあ、ロッテはクロノが好きだからね。これくらいは許して欲しいのだけど……久しぶりね、エイミィ、それとアリシア」

 

 リーゼアリアは双子の姉妹とその毒牙にかかりそうになっている少年を微笑ましいものを見るように眺め、エイミィとアリシアに挨拶をした。

 

 アリシアは既にソファに腰を下ろし、テーブルに置かれた紅茶のセットから勝手にお茶を入れていた。

 

「確かに、ザッと4ヶ月ぶりだねリーゼアリア。グレアム提督の様子はどう? そろそろお迎えが来ていないか心配しているんだけど」

 

 リーゼアリアはアリシアの無礼な物言いに少し耳をそばだてるが、父グレアムはイングランド的なユーモアを大いに理解するアリシアを重宝していることを知っており、そう言った物言いにもそれほど過敏に反応することもなく微笑みを浮かべた。

 

「私たちが頼むから休んでくださいと言っても聞いてくださらないほど元気よ」

 

 アリシアは「そうか、なによりだ」と呟きながら、未だにじゃれ合う猫のようににらみ合っていたクロノとロッテを横目に見て「ああ、そう言えば」と口を開いた。

 

「少し前に提督宛に『イリアスティール・コースタス』の名前で荷物が届かなかった?」

 

 『イリアスティール・コースタス』そして荷物という言葉にリーゼロッテとリーゼアリアはものの見事に硬直して言葉を失った。

 

 アリシアはその様子を見て、「これはしてやったな」と細い笑みを浮かべた。

 

「思い出すのも腹が立つ……あれのせいで……って、何でアリシアが知ってんの?」

 

 リーゼロッテは髪を逆立てながらぶつぶつと振り向き、その様子からはクロノからの興味は多少薄れてしまったように思えた。

 

 その後ろでクロノは「ふう」と安堵の溜息を吐き、こっそりと彼女から離れた位置に移動した。

 

『貸しにしておくよ、クロノ』

 

 アリシアはそう言ってこっそりクロノに念話を送り、クロノも今回ばかりはアリシアに助けられたと肩を下ろし、

 

『今度何か食事でもおごるよ』

 

 と約束した。

 

「どうして知っていると聞かれてもねぇ。『イリアスティール・コースタス』英語の綴りはこうかな?」

 

 アリシアはそう言って空間上にモニターを生み出し、そこに『Iriasteal Coastas』の文字を浮かべた。

 

「うん、そうだねぇ」

 

 アリシアによって興味の矛先をそらされたロッテはそのままひょこひょことソファに座り、そのモニターに目をやった。

 

「ここでちょっとしたパズルをしてみると……」

 

 アリシアはそう言ってモニター上の文字をいったんばらばらにしてそれを再び並び替え始める。

 

(というか、アリシアちゃん。いつの間にこんなの作ってたの?)

 

 というエイミィの考えも尤もだが、ひとまずクロノとリーゼアリアも含めてその行く末を見守った。

 

「つまりは……こういうことだね」

 

 『Iriasteal Coastas』のアルファベットが先頭から順番に異なる配置に入れ替えられ、そして最終的に出現した『Alicia Testarossa』に面々は感心したような、何処か複雑な表情を浮かべた。

 正確に言えば引いていた。

 

「つまり、イリアスティール・コースタスと私アリシア・テスタロッサは同一人物でしたー。どう? びっくりした?」

 

 その表情は悪戯が成功した子供そのものだった。エイミィはそれを見て「うわぁ、可愛いな」と呟くが、その声はリーゼロッテがチャブ台返しよろしく目の前のテーブルを思い切りひっくり返した音に阻まれた。

 

「あんたかぁーーー! 小包にマタタビ爆弾仕掛けて送りつけやがったのは!!」

 

 ドンガラガッシャンという景気のいい音と共に宙に舞うティーセットを空中で受け取りながらクロノは『なにやってんだ、このガキ』と言わんばかりの視線をアリシアに投げ付ける。

 

「提督に対する贈り物のついでだよ。アリシアの名前で一緒に送っておいたブライア根のパイプには何も仕掛けられてなかったでしょう?」

 

「確かに、あれはお父様のお気に入りになったけど。だからといって私たちにあれは無いと思う」

 

 リーゼロッテと共にその餌食になったリーゼアリアも怒りにガタガタ震える腕を懸命に押さえながらついでに震える声でアリシアに抗議した。

 

 アリシアにとって、グレアムとは何かと恩のある人物だった。法的な保護者となってくれたリンディと同等、自分の法的後見人として戸籍の復活のために裏から手を回してくれた人物であるし、フェイトの保護観察の責任者となってくれた。

 このままして貰いっぱなしも何か感触が悪いと、アリシアはリンディ付きの民間協力者になった初任給をやりくりしてリンディと共にグレアムにも贈り物をしたのだ。

 グレアムが煙草を吸うかどうかは分からなかったが、イギリス紳士が感じのいいパイプを持っているだけでも絵になるだろうなと思い思い切ってそれを贈ることにしたのだ。

 ベルディナは、煙草と名の付くものは何でもやっていたので、それの善し悪しに関しては下手な愛好家よりもよっぽど造詣が深いのだ

 グレアムのお気に入りになっていると聞いてアリシアは嬉しく思う。

 

 しかし、グレアムに対する感情と双子のリーゼに対する感情には割と乖離がある。

 

「さて、ここでクエッション。アースラに逗留していたとき、リミエッタ管制主任やリンディ提督が勝手に撮ってた私の記録映像を裏で勝手に流して居た誰かさんの行為と私の行為。どちらが許し難いことだと思う?」

 

 そう、それは歴然とした復讐だったのだ。それを言われてはリーゼロッテは口を閉じるしか無く、実質的にそれには関わりのないリーゼアリアは姉妹のしでかしたことに恨みがましい視線を向ける。

 

「君たちはそんなことをしていたのか。まあ、とにかくこの件は喧嘩両成敗だな。リーゼ達は責任を持ってそのデータを回収して処分すること。アリシアはこの件をリンディ提督に報告する。減給なりなんなり懲罰は提督の方から追って下されることになる。いいな?」

 

 アリシアは誰にも与せず、誰のいいなりにもならない。やられたことは等しくやり返すし、作った借りは必ず返す。故に何があっても敵に回したくない類の人物なのだが、唯一彼女が命令に従うと言えばその直接の雇い主であり保護者であるリンディだけだろうとクロノは理解していた。

 故にアリシアに対するペナルティーはリンディによって直接下されるのが一番効果的なのだ。

 

 実に見事な執務官お裁きを受け、リーゼ姉妹共々アリシアも「ははぁーー」と平伏して了解した。リーゼ姉妹が素直にクロノに従うのも、このことを父グレアムに報告されればたまったものではないからだ。

 

「さてと。本題と行こう」

 

 ひっくり返されたテーブルをひっくり返した本人とその原因にやらせ、紅茶を入れ直して一息ついたところでクロノはようやく今日の本題に移ることを宣言した。

 

「リーゼ達には前もって伝えておいたことだけど。このアリシアを無限書庫で色々と手伝って欲しいんだ」

 

 座りながら上体を前屈みにし、両肘を膝の上に着きながらクロノはリーゼ姉妹の表情を伺った。

 

「それはいいんだけど、あたしらも教導とかお父様の手伝いとかあるから、常時無限書庫詰めは無理だよ」

 

「それに、書庫といってもあそこはどちらかと言えば倉庫。雑多なアナログ媒体の情報がまったく無秩序に仕舞われているだけだから、特定のことに関して調べるのは正味無理があると思う」

 

「十人単位の捜索隊が組織されて、数ヶ月かけてようやくそれらしいものが見つかるかどうかだからねぇ」

 

 二人の言い分は無限書庫の現状を如実に示すものだった。

 

 無限書庫。管理局が設立される前よりそこにあり、それはどういう作用かは不明だが、次元世界に存在する情報を本という媒体で保存する機能を持つ巨大データベースだ。誰がいつ何を目的にして作り出したのか。それさえも不明で今となっては管理局の誰もその実体を把握していないという状況だった。

 

 しかし、あらゆる情報が埋葬されているのなら適切な方法でそれが発掘できれば、ありとあらゆる情報を事前に入手することが出来るはずなのだ。

 何度かそれが試みられたが未だ無限書庫の有効活用が現実的なものとなった試しはない。

 発掘隊が任務後に口にする言葉は「あれは、巨人の胃袋だ」というらしい。

 ただひたすらに情報という名の餌を食らい、途方にもなく肥大化した巨人。まるで自分たちはそれと一緒に飲み込まれた餌のように感じられるとも言っていたとリーゼアリアは呟いた。

 

「なるほどね。巨人か……、色々な童話でかかれてるけど。巨人を倒すのは身体の中に侵入した小人というのがセオリーなんだよね」

 

 リーゼ達の言葉がアリシアをその気にさせるための策略であるのなら、それは全くの大成功だと言えるかもしれない。

 

 何百年もの時を生き続けてきたベルディナにとってその最も重要視するものとは正に「暇つぶしになる面白いこと」なのだ。

 

「うん、実に面白そうだよ。特に、何百年もかけたとしても至らないかもしれないなんて聞かされちゃあクルものがあるね」

 

 今の自分が男であれば、股ぐらがいきり立つ思いだとアリシアは思い浮かべる。

 

「いや、百年もかけてもらえるほどこっちは余裕はないんだ。出来れば年の瀬の感謝祭までに何らかの答えをもらわないと」

 

 クロノは妙なテンションとなるアリシアを宥める用にそう言うが、アリシアは平然として笑い、

 

「なに、何千万もある内の一つの概念だけを探し出せばいいんでしょう? それだったら全体の数千万分の一じゃないか。全部調べるのに数千年かかったとしてもその一万分の一だから、ザッと一月もあれば十分さっ!」

 

 なんだ、そのとんでも論はとクロノは言いたくなるがアリシアの表情を見る限り彼女はまったく冗談で言っているわけではなさそうに思えた。

 

「まあ、あたしらは何にも言わないけどさ」

 

 リーゼロッテはそう言ってやれやれと肩を落とす。

 

「私たちもお父様の命令もあるから協力はするわ。基本的には補助だけ。その他は協力できないし、人を貸すことも出来ない。殆どがアリシア一人の作業になる。こういうのは何だけど、かなり精神的に辛い作業になるわ」

 

 リーゼアリアはアリシアに目を向け、「本当にそれでもいいのか?」と目で問いかけた。

 

 「孤独には慣れている」と言いそうになったアリシアはクロノやエイミィ、ここには居ないリンディに配慮してそれは口に出さず、ただ無言で肯いた。

 

 このことはクロノもリンディも了承済みのことでアリシアもその要請に対して既にYesと答えているからにはリーゼ達が何を言ってもそれが覆ることはないのだ。

 

「分かった、案内するから着いてきて。クロ助とエイミィはもういいよ」

 

 クロノとエイミィもこの後仕事が待っている。緊急事態には休日など存在しない。それに、放課後になればなのはとフェイト、ユーノも学校帰りに本局によって調整訓練が予約されているのだ。

 

 クロノとエイミィは最後にアリシアにエールを送り応接室を後にした。

 

「心配性なお兄ちゃんとお姉ちゃんだねぇ」

 

「私には弟か妹みたいに感じられるよ」

 

 

*******

 

 

 この光景を見上げれば無限という言葉も生まれてくるだろうな、とアリシアはようやく納得した。

 無限書庫。無限などというが誰がそんな大げさな表現をしたのかと笑い飛ばしてやろうと思って立ち入った書庫には、アリシアにして笑い飛ばせないような光景が広がっていた。

 

「まぁ、空間が歪んでるから。実際は見た目より何十倍も広いよ。それに、目に見える場所なんて氷山の一角にも満たなくて年々その領域も拡大しているらしい」

 

「これは、数千年じゃ足りないかもしれないね」

 

 もしも今の自分がベルディナのように寿命を保たない身体であれば、無限書庫を暇つぶしの材料してしまおうかと考えていたが、これは永遠の寿命を持っていたとしてもたどり着けるかどうか分からないとアリシアは思った。

 

「とにかくこんな中から検索する訳だけど、当てはあるの?」

 

「ひとまず古代ベルカ、それにまつわる聖遺物に聖王書記。後は、夜天の魔導書とか熾天の盾とか、翔天の剣とか。ああ、アーギスの鏡の書にグリモア666の書巻もすこし関係がありそうだなぁ。ふーん、ヴィタの福音書、シグナの福音巻、ザフィア書、シャムの黙示録とか。色々だなぁ。これに闇の書との関連が見つかれば万々歳なんだけど、先は長いよ。闇の書そのものの情報も一から洗い出す必要もありそうだね。今までの事件資料に調査書、性質や特徴に至るまで。先は長いよ。一ヶ月で終わるか心配になりそう」

 

 古代ベルカ、聖遺物関連、書物の姿を取るアーティファクトや、敵の名前から連想されるワードを口にしながらアリシアは懐からバルディッシュ・プレシードを取り出した。

 プレシードは武器としての機能は殆ど使えない状態だが、情報端末としては随分優秀にセッティングされている。ついでに言えば、先日マリエル・アテンザ技術主任の手によって抜本的なオーバーホールが成されていたため全体的に使い勝手は向上しているはずだ。

 

 アリシアは無重力空間に身体を横たえ、中空にヒラヒラと揺れるスカートをそのままにプレシードに呼びかけその機能を復活させる。

 無限書庫の実体に関しては意外と知らないことが多く、普段着で来てしまったことをアリシアは後悔する。

 

《………おはようございます、ハイネス。お役に立てますか?》

 

「うん、久しぶりとは言わないけどおはよう。よく眠れた?」

 

《上々です》

 

「いい子だ。それじゃあ、いつも通り情報処理と索敵……いや、検索といった方がいいか……頼める?」

 

《では、私のセットアップを》

 

「えっと、正規起動(セットアップ)は出来ないんじゃなかった?」

 

《可能のように改良されております。アテンザ主任の配慮です》

 

 そう言えばと、アリシアは思い出した。プレシードはフェイトのバルディッシュ・アサルトの改良のため、カートリッジシステムのテスト機として利用されていた。

 その際、アテンザ主任は予備で発注したカートリッジシステムのモジュールをプレシードにも組み込むと言っていた。

 

 どちらにせよ自分はプレシードを正規起動できないのだから搭載しても無駄だろうと高をくくっていたが、どうやら自分はアテンザ主任を甘く見ていた用だとアリシアは思い知った。

 

「なるほどね、アテンザ主任には感謝しなくちゃいけないな。じゃあ、プレシード、バリアジャケットは構成しないでいいから、セットアップをお願い」

 

《ですが、アテンザ主任からは初期起動時には必ずバリアジャケットも構成するよう指示を貰っています。色々と新しいシステムラインや機構を組み込んだので、その実用データが欲しいとのことでしたが》

 

「それって本当に? フェイトみたいなキワドイ格好は流石に嫌だよ?」

 

 フェイトには悪いと思うが、アリシアとしてはあの妹にして唯一の不満がそこだった。いくら幼いと言ってもあれは羞恥心というものが不足しすぎているのではないかとアリシアは時々思う。

 まるでワンピースの水着の上におざなり程度の装飾を施しただけのバリアジャケットは、ふくらはぎから太もも、うなじ、二の腕に至るまでまるっきり外にさらけ出してしまっている。

 

 下着とか裸とかが見られる(・・・・)のは別段どうということはない。まだまだ羞恥心を感じるほどこの身は成熟していないのだから。

 しかし、見せる(・・・)となると話は別だ。自分はたいした人間であるとは思わないが、そこまでするほど安いとも感じていない。

 

 何ともちぐはぐな感性だとは理解しているが、それが今のアリシアの素直な考えだった。

 

《そのあたりはご安心をと聞いております》

 

「本当に?」

 

《信用を》

 

「まあ、信じるよ。じゃあ、プレシード・セットアップ」

 

《Stand by ready . Get set》

 

 こいつ、レイジングハートとバルディッシュのまねをしやがったとアリシアは密かに思いながら全身からわき出るように展開される魔法人陣と灰色じみた白のな光に慌てて彼女は目を閉じた。この間の二の舞はゴメンだと、閉じた目の上からさらに手の平も当ててその光を極力眼球に入れないようにする。

 

(私の魔力光は灰白か。黒にも白にも染まらない中途半端。ぴったりといえばピッタリね)

 

 そして、外部より視覚的に遮断された光の中でアリシアの服は肌着や下着と共に微粒子へと還元され一瞬真っ白な素肌を晒す。

 色素が薄いため普段より光から遮断している肌は不健康に思えるほど白い。そして、全く起伏というものが存在しない身体をプレシードから伸びる黒い線が包み込み、それは徐々に衣服の形を取り始める。

 

 そして、光が晴れ閉じていた目を開き、アリシアは自分の姿を見下ろし「ほお」とため息を吐いた。

 

 その身体は袖のない上着とそこから下に伸びる無地のロングスカートに包まれ、さらには随分長い薄手のロンググローブによって二の腕も覆われている。若干肩と背中のほんの一部が出ているだけで全体の露出度はほとんど無いといっても良いぐらいだった。

 

 色彩はものの見事な黒。まるでこれは、フェイトのバリアジャケットの逆を狙ったような感じだとアリシアは思う。黒いシックな普段着に使用してもそれほど違和感のないロングスカートドレス。

 

 もしも、この間であった赤毛の少女のような真っ赤なゴシック調のドレスのようなヒラヒラした形であれば、一瞬でジャケットパージを敢行してやろうと考えていたが、シンプルで嫌味のない、カジュアルにもフォーマルにもどちらでも対応出来そうなこのバリアジャケットは「悪くない」という感想を下した。

 

《如何でしょうか? アテンザ主任の最高傑作だそうです。なお、このバリアジャケットはUV光を軽減する機能があるらしく、今までよりも随分楽になったと思うのですが?》

 

 フリフリと首を回して全身を見回すアリシアに、彼女の身の丈を超える長柄の戦斧となったプレシードはそう声を掛けた。

 

 それを聞いて、アリシアは「確かに」と感じた。今までに比べれば身体が軽くなったような感触もある。

 しかし、彼女は無限書庫の薄暗い光源をじっと見つめ「やっぱり駄目だ」と声に出してそれから目を背けた。

 

「眼球から入る分はそれほど軽減されていないみたい。残念だけどね」

 

 確かに、視界や視野を変えずに眼球を守れるのならそれに越したことはないのだが、それを魔法的に行うにはアリシアの魔力は不足している。

 

《了解しました。まだ改良の余地ありと報告しておきます》

 

 ひとまず、正規起動させられただけでも実験は成功だろうとアリシアは思うが、プレシードにしろマリエルにしろそれだけでは満足できない拘りがあるようだ。

 

 アリシアとしてはそれはそれはとても有り難いことなのだが、ひとまず本来の業務に差し障りのない程度にと釘を刺しておき、さらに「色々してもらっても私には支払えるモノがないから」と至極まっとうな事も言っておいた。

 

 プレシードも金のことを言われてしまえば何も言えなくなる。主の懐事情を思いやるデバイスも奇妙なものだ。しかし、アリシアは民間協力者で本来なら事務系の雇用契約となっているので、デバイスに関しては完全に自費で行われていなければならないのだ。

 今回のことに関しては、戦闘要員の嘱託魔導師のフェイトのデバイスを修繕するためのベースとされたため、このような事になってはいるが、これからとなるとどうしても私財を削るかマリエルに負担を強いることになってしまう。

 マリエルとしては個人的な研究のためという動機があるのだが、アリシアとしてはなにやらマリエルに借りを作っているようで承伏できない部分がある。

 

 人間関係は基本的にギブアンドテイク。一方的な善意は身内以外はノーサンキュー。特に金に関わることであれば身内相手でもはっきりとしておきたい。それがアリシアの基本原則である事は代わりのないことだ。

 

「そのデバイス、君の妹さんのとそっくりだよねぇ。バルディッシュって言ったかな?」

 

 プレシードとの会話が一段落したところを見計らい、リーゼロッテは無重力空間にフヨフヨと遊泳しながらアリシアの側に近寄り、何となくそのデバイスを指でつついた。

 

「まあ、バルディッシュの姉妹機……兄弟機というべきか……だからそっくりなのは当たり前。唯一の違いは、カートリッジシステムがマガジン方式になってることかな」

 

 そう言ってアリシアはプレシードの先端の方向、斧刃の取り付けられているヘッド部分より僅か下方のジョイント部分に目をやる。

 

「なるほど、予備の方を使ったと聞いた。これがそうか」

 

 そこに設えられたバナナ状に歪曲した弾倉に排莢装填をサポートするスライドフレーム。そして、その内部にはカートリッジを激発させられるチェンバーが備えられている。

 それに使用されているのは、フェイトやあの騎士達が使用するカートリッジより二回りほど口径の小さいものだ。アリシアにはあの大口径のカートリッジを扱うには負担が大きすぎる。故に、それより二段階ほど小さな口径のものを使い不可能を可能としている。

 

 それ故、フェイトのシステムの装弾数が6に対してアリシアのものはそのほぼ1.5倍の9+1発という仕様になっている。

 弾倉はダブルカアラムで若干太いがそれも特に気になることではない。

 

(問題は私が扱いこなせるかと言うことだね)

 

 ミッド式とかベルカ式はあまり自身はないがやるしかないとアリシアは思い、捜索の開始を宣言した。

 

「それじゃあ、プレシード。一応ユーノから貰ってきた検索魔法と読書魔法を用意して。カートリッジ・ロード」

 

《Yes , Your Highness. Load cartridge》

 

 ガシャンとマガジンからカートリッジがチェンバーへ送り込まれる音が静かな書庫に響き、アリシアの体中を自分と異なる異質な魔力が道行く。

 アリシアは、慣れないその感触に僅かに眉をひそめ不快感を露わにしながら、ユーノがアリシアに会わせてくみ上げた検索魔法と読書魔法をゆっくりとロードさせていく。

 

 ミッドチルダ式の魔法を使うのは初めてだ。アーク式魔術の様式とは明らかに異なる。そもそも使用する魔力という概念が異なる。

 

 全身の細胞を活性化させるような熱がこみ上げてくる。アリシアは、その感触を目を閉じて制御しながら、「ひょっとして」と思うことがあり、同時にアーク式魔術の魔術神経を活性化させてみた。

 

(やっぱりか……違和感はあるけど……馴染む……)

 

 アリシアは徐々にカートリッジよりの魔力が魔力神経を浸食する感触を「粘っこい」と称した。

 

(だけど、応用は出来る……試してみよう)

 

 ”粘っこい”魔力を焦らずゆっくりと神経へと通していく。その感触は、水を吸うストローできわめて粘性の高い油を吸い込むような感覚だった。どこか詰まる感触がするが、吸引する力……つまりは魔力を流し込む圧力……を増してやればズルズルと引きずるようにだが確実に魔力が神経に通っていくことが分かった。

 

《術式のロードを確認。検索開始します》

 

 アリシアはじっとりとにじみ出る汗をぬぐいながらホッと一息吐いた。

 

 ものすごくリソースを消費する。リンカーコアへの負担は極小に済ませる事が出来たが、魔力神経に対する負担が半端ではない。

 しかし、魔力神経を使用できることが分かれば先は明るいとアリシアは思う。

 何せ、この身体はミッドチルダ、ベルカ式の魔法に対する適性は皆無ではあるが、アーク式魔術への適性、才能と呼ばれるモノはまさに100年に一人の逸材。

 アリシア・テスタロッサは、ミッド式魔法に関して100年に一人と呼ばれる高町なのはやフェイト・テスタロッサのような天才と同じように、一つの天才と呼ばれる身体なのだ。

 

『検索領域拡大。カートリッジロード』

 

 アリシアはプレシードにさらに一発のカートリッジをロードさせ、術式を発現させるために消費したカートリッジ一発分の魔力を補充させた。

 

『領域拡大を確認。術式保持。プレシード、カートリッジロード』

 

《Yes,cartridge load》

 

 術式を発動させるのにカートリッジを一発消費し、その効果を広げるためにさらに一発。そして術式を保持するためにさらに一発。

 

 この一連の作業。通常の魔導師ならば、なんのコストもなくごく自然に行えるものだろうが、アリシアは都合3発のカートリッジを消費してようやく成し遂げられたことだった。

 

 しかし、それまで魔法に対して全くの適性も才能もないと言われていた人物が、こうして多少高度な部類に入る魔法を発動させそれを保持するに至ったのだ。

 

「なんか……あたしら歴史の転換点に立ち会ったんじゃない? アリア」

 

 それを側で眺めていたリーゼロッテは、アリシアが行ったことが魔導師的に考えればかなり信じられない光景だと言うことを理解し、言葉を失った。

 

「コストの問題が何とかなれば……ひょっとすれば……ね」

 

 リーゼアリアはそれが何かとは口にしなかった。しかし、それが何か大変な事を成し遂げるだろうと言うことは何となく想像が出来たのだ。

 

「アリシア、そろそろあたし達仕事があるから、帰っても良いかな?」

 

 ここにいると時間の間隔が喪失してしまうとリーゼロッテは感じる。二人は次の用事のために移動を開始しなければならない時間だと気がついた。

 

『うん、分かったよ。お疲れ様』

 

 目を閉じ、身の丈のおよそ二倍はあるかというデバイスにしがみつくように中空に漂うアリシアは念話で二人に返事をした。

 もしかしたら、喋る余裕が無いのかもしれないとリーゼ姉妹は少し心配してアリシアを見上げるが、アリシアの表情は、穏やかとは言い難いが、何かを耐えるような苦痛の色でもなかった。

 

『安心して、良いのかな』

 

 リーゼロッテはアリシアに聞こえないようにそっとリーゼアリアに念話を飛ばすが、リーゼアリアは「分からない」と面を振り、

 

「無茶はしないで。暇なときはなるべく来るから、そのときは頼って」

 

 そう言い残し、彼女はリーゼロッテの手を引いて無限書庫を後にする。

 

(行ったか)

 

 アリシアはそう思い、ふうとため息を吐いた。

 

 平気なフリをするのはとても疲れる。アリシアは一度術式の発動を停止し、思いっきり肺に溜まった空気をはき出した。

 

(発動には成功したけど……リソースが圧倒的に足りないなあ。やっぱり、この身体が邪魔なんだ)

 

 この身体ではすべてが制限されてしまう。意識が身体に残る故に、捜査領域の拡大が限定的になり、距離が僅かに離れればその精度や密度が圧倒的に低くなる。

 アリシアは消費したカートリッジを予備から三発引っ張ってきて、マガジンにそれを装填した。

 

(それを解決する方法は、ある)

 

 アリシアはそれを決意し、再び術式の構成のため目を閉じる。

 

 術式の発動と同時にアリシアは自らの意識を拡大させる。

 それは、まるで眠りにつくような、意識そのものが身体を抜け出して中空へと漂うように。まるで自分自身が世界にとけ込むような感触だ。

 そうすることで、意識の効果範囲を押し広げ検索範囲を底上げする奥の手。

 

 それは、非常に危険な手段ではあったが、アリシアは戻ってこれるギリギリを認識しながら眠りにつく。

 

 空中に漂い、眠りにつく少女。その意識に入ってくるモノは夢と現実の区別のつかない情報体そのもの。

 夢の領域まで意識を拡大させ、自我が肉体を超えて拡大していく。

 

 しかし、その感触はアリシアにとってまるでゆりかごに寝かされた幼子のように感じられていた。

 

 彼女の手に握られているバルディッシュ・プレシードは主よりもたらされる膨大な情報を一つずつ確実に取得し、処理を開始した。

 

 夜の闇の深淵のような書庫の空間に、プレシードの放つ光の明滅だけがただ無機質に繰り返されていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 Dis-

 

 アリシア、リーゼ姉妹と別れ次の仕事を処理するため本局の廊下を歩くクロノとエイミィに、リーゼ姉妹から『アリシアが無事に無限書庫の業務に就いた』と知らされ、二人はひとまずホッと一息吐いた。

 

「ちょっと心配だった?」

 

 本局の空気は地球とは違う。風の流れは空調の流れ。完璧に人の手によって制御され、あらゆる不純物を取り除いて流される空虚な風だとクロノは感じた。

 

「アリシアの優秀さは僕がよく知っているからね。母さんほどは心配していなかったさ」

 

 クロノは今まで気にならなかったその感触に少し眉をひそめながら、そのまま表情をぶっきらぼうな様子にシフトしてエイミィに答えた。

 

「あー、結構心配性だもんね。特にあの二人のことに関しては」

 

 エイミィには苦笑いをしながら出かけしなにリンディが浮かべていた表情を思い出していた。

 クロノのことに関しては割と放任主義的なリンディではあるが、それが事フェイトやアリシアのことになるとそれはまるで過保護な母親のような様子に一変してしまうのだ。

 

 それはおそらく、手のかからない(ようにしてしまった)クロノへの反動なのだろうとエイミィは推測しているが、やはり母親を知らない二人、特にフェイトに対してせめて親らしい事をしてあげたいという真摯な願いなのだろう。

 

(つい甘やかしたくなっちゃうのは分かるんだけどねぇ)

 

 とエイミィは思うが、彼女としてはその矛先がアリシアにも向かうことがどうにも理解が出来ない。

 アリシアはエイミィにとって守るべき対象と言うよりは、越えるべき壁としか感じられないのが現状だ。特に、アースラに逗留していた半年を含め、その後に受けたアリシアからの仕打ちを思えばそれも致し方がない。

 それでも、アリシアがいると楽しいと思えるのは彼女にしても不思議に思うところでもある。

 

「フェイトはともかく、アリシアに関しては一切心配する必要はないとは僕も言っているけどね。そのあたりは感情的な所なんだろう。実のところ、あまり理解は出来ないが」

 

「あっは、それ、同感。クロノ君ももうすぐお兄ちゃんになるんだから、やっぱり義妹の事は心配になっちゃう?」

 

「当たり前だ」

 

 エイミィはそう断言するクロノに「おっと」と二の足を踏むことになる。彼女の想定では、てっきり照れ屋よろしく「そんなことはない!」とムキになって反論するはずだった。

 しかし、それも仕方のないことなのかなとエイミィも思い直すことが出来た。

 

「うん、そうだね。クロノ君がお兄ちゃんだと、フェイトちゃんも安心だ」

 

 エイミィがあえてそこにアリシアの名前を出さないのは、どうしてもアリシアがクロノの義妹になる状況を思い浮かべることが出来ないのだ。

 

「アリシアちゃんは、どっちかというとお姉さんって感じだよねぇ。いつもはフワフワしてるけど、ここぞって時は有無を言わせない感じ? 不思議だよねぇ、あんなに小さな子なのに」

 

 フワフワしているというエイミィの例えをクロノは理解できないが、後半のことに関しては「当たり前だ」と声に出さす呟いた。

 エイミィはアリシアの事情を知らない。フェイトも、なのはもそうだ。

 アリシアが年相応ではない知識と思考能力を持っていることは、プレシアによって知識が与えられていたという説明にもなっていない説明でごまかしているが、それが今後の彼女に関する人間関係にどう影響してくるのかは予測が立たない。

 

 果たして、彼女が本来的に彼女自身ではないと言うことが明るみに出ればいったいどうなるか。

 

(アリシアなら、「そのときはそのときで、なるようになるだろう」と答えるだろうな)

 

 そう、クロノは口に笑みを宿した。

 

「さってと、午後からはなのはちゃん達も来るわけだし、お仕事頑張ろうか」

 

「仕事といっても、機能の作戦失敗の報告書と始末書に追われるだけのことだがな。ああ、司令部への弁明も入っていたか。全く、頭が痛くなるな」

 

 クロノはこの先に待っている煩わしい業務を思い額に手を当てた。

 

「あれは、ちょっときついよね。弁明の余地は無しか……」

 

 あれだけの作戦を構築し、人員を投入し、管理外世界での作戦行動というリスクまで背負ったのだ。作戦の目的である敵性勢力の捕縛、闇の書の拿捕、最低でも敵性勢力の逃避経路の割り出しと題打たれて行われたあの作戦。

 その結果が、そのすべてが果たされず終了では文字通り話しにならないのだ。例え、敵性勢力の戦力が未だ把握し切れていないことであっても、予期せぬ介入者の存在があったとしてもだ。

 

 グレアムの後ろ盾が無ければ、今頃自分たちはこの事件から下ろされていただろうとクロノ達は認識している。

 

(だけど、僕たちは無事で生還できた。かなわない相手じゃない)

 

 クロノはそう心に言い聞かせ、本局施設の一角にある執務室の扉をくぐった。

 

 なのは達が本局を訪れるまでおよそ6時間。そのときにはデバイスの調整を兼ねた戦闘訓練という密度の濃いスケジュールが待っているのだ。

 

「それまでにへばってしまわないように。エイミィにもデータ取りを頼むつもりだからね」

 

 クロノは一言エイミィにそう伝え、仕事に取りかかった。

 

*****

 

 夢を見ている。そう錯覚してしまいそうになる。

 いや、人の見る夢が記憶の整理を役割としているのなら、あながち今自分が見ているものも夢の一環に違いないとアリシアはふと思った。

 

 そして、その感情も流れてくる情報の奔流に流されて消えてしまった。

 

 まるで、今の自分はただの情報機器の端末のようだとアリシアは考える。

 広大な空間にひしめく膨大な情報。ただ無造作に垂れ流されるだけの情報の波を摘みとり、そしてその流れを整えるのに必要なもの。

 人間一人の機能ではとても足りず、それを何とか補うためにアリシアは自分自身の自意識の枠を広げ、自我を保てるギリギリまで発散させることで対応した。そして、それは同時に自信にはそぐわない両の魔力を制御する助けにもなっている。

 

 今のアリシアには、自分自身を定義づける身体というものが認識できず、自分の感覚や感情、理性といったものでさえ単なる情報の海の淀みとしか感じられない。

 

 こんな事が出来るのは、この身体と自分という意識が一度は死んでしまったモノだからなのだろうかとアリシアは考察をする。

 今ひとたび、自分が自分であると定義しているこの自意識を手放してしまえば、自分もこの海の中のただ一つの情報へと還元されてしまうかもしれない。

 ひょっとすれば、それこそが魂という情報体であり、それこそが死後の世界というものなのかもしれないとアリシアは考察するが、それを試す欲求は浮かんでこない。

 

 カートリッジより送られてくる魔力の固まりが、自身の構築する術式に供給された。アリシアの視界は外界を投影していないため、自分の周囲に広がる術式の構成式がどのような変化を遂げたのかは視認できない。しかし、その魔力は確実に自己の認識できる術式の強度を上げ、一瞬だけではあるが流れ込む情報の勢いが増したように感じられた。

 

《警告。カートリッジマガジンが空となりました》

 

 空間に浮かび上がるその文字を認識し、アリシアは「またか」と呟いた。

 

 朝から始めてこれで都合4マガジン目。およそ2時間で9発のカートリッジを消費し尽くすため、アリシアは空の弾倉の交換をするため二時間おきに覚醒を余儀なくされるのだ。

 

(今何時だろう)

 

 とアリシアは術式に対して終了のシークェンスを流し込みながらそんなことを考える。先ほど弾倉を交換するために目覚めた時にはミッド標準時間で14時を示していたはずだった。

 あの時から正確に2時間経っているのなら、現在は16時そこそこのはず。

 この空間にいるとそう言った感覚が実に曖昧になる。

 認識できない自分の身体がどの程度の疲労を感じているのかさえも分からない。

 

(起きたら医務室、というのは勘弁だね)

 

 アリシアは「ふう」とため息を吐きながら、自身の意識の広がりをゆっくりと収束させ始める。

 この作業で何が最も疲れるかと聞かれれば、アリシアは間違いなくこの覚醒処理だと答えるだろう。意識を広げること。それを持続させることにはそれほど労力を必要としない。自意識とは常に拡大していくものであり、それを自力で広げるためには自意識の枠を取り外してやれば良いだけだ。後は、自己の認識を消したくないという自己防衛本能がそれの過多な拡散を防いでくれる。

 

 徐々に収束し、自分の形を取り戻していく意識を感じアリシアはようやく戻ってきた人間らしい感覚に安堵の息を吐き出し、未だ鈍い身体感覚を接続し身体をモゾモゾと動かした。

 

 意識によらず自律する領域にはこの発散は適応されていない。そのため、意識を失った身体は無意識の自律作用により身体機能を保持し続ける。何度か眠り目覚めを繰り返すたびにプレシードにモニターさせていた自身の身体的コンディションは常にグリーンを示していたため、アリシアはそれに関しては全く心配していない。

 

 ただし、この状態の間に大規模な魔力攻撃を受けた場合、情報収集シークェンスの破壊と共に自分の意識もそれと共に霧散してしまう可能性が高いことも示唆されているためあまり笑えない話しではあるのだ。

 

(ともかく、この状態をあの子達には見せられないか)

 

 死んだように眠る自分を見て、過保護なフェイトなら卒倒する程驚くだろうし、冷静なユーノも下手をすれば取り乱してこの術式を解除してしまうかもしれない。

 

 正直それは仕事の邪魔になる。ただでさえこの無限書庫は長年放置されていたため、そのセキュリティーも酷く甘いのだ。今のうちに、こちらが認めた人物以外の立ち入りを禁止するセキュリティーを構築するべきだなとアリシアは考えた。

 

「ふう……」

 

 ようやく身体に馴染んだ感覚にアリシアは一息吐き目を開いた。

 

「やっぱり、ここは暗いな」

 

 書物を保管するための適切な環境を作り出すためか、重力のない書庫には赤系統の暗い光の照明しか無く、湿度も極小、温度も体感では随分低く抑えられている。

 

 本来なら、気圧も下げる必要があるのだが、これだけ広大な空間の空調を制御する機構は流石に設けられないらしく、特に重要な書物以外は半ば野ざらしにされているという状態だった。

 

 バリアジャケットを着ていれば、寒さに震えることはない。アリシアは再度マリエルに感謝の念を送り、プレシードより空になった弾倉を引き抜き、それと入れ替えに腰のパウチから予備の弾倉を取り出した。

 

《ハイネス、通信が入りました》

 

 弾倉のヘッドを膝で軽く叩きながらアリシアはプレシードの報告に耳を寄せた。

 

「クロノ?」

 

《いいえ、お嬢様からです》

 

 お嬢様、といえばアリシアは頭に浮かぶ人物を何人か想像するが、プレシードの言うお嬢様といえば一人しかいないかと思い立ち、プレシードの通信回線を開いた。

 

『あ、お姉ちゃん? やっと繋がった』

 

 空間上にモニターとして投影された【Sound Only】という表示を少し怪訝に思いながら、アリシアはスピーカーから聞こえてくるのが妹のフェイトであると確認する。

 

「ゴメン、少し立て込んでて繋がらなかったみたいだ。ところで、フェイト。顔が見えないんだけど、何かあった?」

 

 デバイス間同士の通信なら地球にいてもモニター回線で通信が可能のはずだ。となれば、今フェイトは見られては問題のある場所から通信をしているということなのだろうかとアリシアは思うが、自分でそんなところからは掛けないだろうと思い少し疑問に思った。

 

『顔? あ、そうか。ゴメンね、説明不足だった。今、携帯電話から掛けてるんだ。本局で使えるかどうか試したくて』

 

「けいたいでんわ? ああ、地球の通信端末だね」

 

 そう言えば、友人達に進められて購入したと先日嬉しそうに話していたなとアリシアは思い出した。さしずめ、ようやく携帯電話の改造が終わったついでに通話テストをしたかったのだろう。

 なのはやユーノの持つ電話もそうなのだが、彼女達の携帯電話は少し特殊な改良がしてあり、管理局の通信網にアクセスして異世界間通信が出来る仕様となっているのだ。

 通信費やそのた云々は国際電話と認識されるため、少し割高になってしまうのがネックだと彼女は言っていたが、それも最近はやりの”掛け放題”の定額プランを採用したため問題は解消しているらしい。

 

 まあ、それはあくまで地球での問題であって、異世界間通信を構築する費用であるとかそのための通信費は実際の所ハラオウン家が負担している状態であるのはなのは達には秘密となっている。

 実質的に個人レベルで払える値段ではないということぐらいはアリシアも推測することが出来るが、まったく、ハラオウン家の資産とはいったいどうなっているのだとたまに疑問に思ってしまう。

 

『お姉ちゃんは、今忙しい?』

 

 忙しいか、と聞かれれば忙しいと答えるしかないだろう。なにぶん、アリシアが今受け持っている仕事は非常に緊急性の高いモノであり、本来ならチームを組んで数ヶ月単位で取りかかるべき事をたった一人で受け持っているのだから、時間などいくらあっても足りないのが現状だ。

 

 だが、休息は必要にかとアリシア思い、ちょうど良いとフェイトに答える。

 

「少し休憩しようと思ってた所。一緒にお茶でもしようか? なのはとユーノは?」

 

 確か今日は、三人でデバイスの調整ついでに訓練の予定が入っていたはずだ。デバイスの調整中はユーノは暇だろうが、何かと暇つぶしに彼なら問題はないだろう。

 

『うん、二人とも一緒。迎えに行った方が良い?』

 

「あー、こっちから行くよ。本局の食堂? ラウンジの方が眺めは良いけど」

 

 詳しいことは分からないが、なのはとユーノには無限書庫に立ち入る許可は出されていないだろうとアリシアは思った。フェイト一人だけならもしかしたら大丈夫かもしれないが、無限書庫までの道は何かと入り組んでいるので、フェイだけを来させるのはそこはかとない不安がある。

 問題は、許可されていない人間でも入るだけなら出来ることなのだが。

 

『そうだね。ユーノもそうしようって言ってるし。じゃあ、先に行くね』

 

「ん、後で」

 

 その言葉を最後に、フェイトは携帯電話の通信を切り、アリシアの眼前のモニターも消滅した。

 

「プレシード。今までのデータをサーバーに移して休憩にしよう」

 

《了解》

 

 休憩から戻ったら、一度蒐集した情報のまとめをしないといけないなとアリシアは後のスケジュールを何となく決め、プレシードの本体に残っていたカートリッジからの魔力を拡散させた。

 予備の弾倉はそのまま本体に装填せず、そのまま腰のあいたパウチに差し込んでおくことにした。

 まだ、管理局ではカートリッジの安全規則は定められていない。しかし、戦闘時以外に実装されたカートリッジを装填したまま持ち歩くのは何かと体裁が悪かろうとアリシアは思い、プレシードの排莢スライドもオープンにしておくことにした。

 

 そして、アリシアは腰のポーチに入れてあったフックショットを取り出し、それを最も近い出口付近に狙いを付け太さ三ミリ程度のワイアーが取り付けられたフックを射出した。

 フックとってもその先端に取り付けられているのは0.5テスラほどの強力な電磁石で出口付近に設えられた鉄を基調とした軟磁性体によって捕らえられるようになっている。

 また、射出速度もゆっくりに設定できるため万が一それが書架に衝突しても書物を傷めることはほとんど無く、出入り口付近の書架にはそれほど重要な書物も置かれていないため特に気を張る必要もない。

 先端の磁石と接合されているワイヤもカーボン・ナノチューブ拵えであるため、強度も完璧だ。この細いワイヤ数百本あればL級時空航行艦一隻が係留できるというのだからたいしたものだろう。

 魔法技術全盛のこのミッドチルダであっても、こういったアナログな装置は単純で信頼性があるのでなかなか重宝されており、研究も現在でも盛んに行われているのだ。

 

 十メートルも離れていない出入り口のキャッチャーに上手くフックが固定され、アリシアは念のため何回か引っ張ってそれを確認すると、手元の装置のボタンを押して最低速でワイアーを巻き上げた。

 

 歩く程度の速さでふわふわと移動し、アリシアは無重力空間と通常重力空間の境目である書庫の隔壁にたどり着き何とか浮き上がる身体を支え、地面に脚を付いた。

 

「プレシード、転送装置にコネクト。戻ろう」

 

《了解。接続開始》

 

 無限書庫は本局内の施設ではあるが、それには少しだけ語弊がある。無限書庫はその空間の特殊性から直接本局と空間を繋いではいない。それは、同一平面上に異なる重力場を形成することを禁止した物理法則のせいだろうとアリシアは考察するが、それも確かな情報ではない。

 ともかく、無限書庫と管理局本局は転送という手段を用いてでしか行き来が出来ないのだ。その転送に必要なエネルギーは管理局本局の動力と無限書庫が保有する独自の動力でまかなわれているため、転移者が魔力を消費する必要はない。

 アリシアは、次第に活性化する転送魔法陣に慌ててサングラスをかけ目を閉じた。

 流石に二の舞はゴメンだ。次やったら確実に失明すると医者の太鼓判を押されてしまえば従うしかない。

 

「……っ!」

 

 サングラスをかけ、きつく目を押し閉じても僅かに光が差し込むほど転送の光は強い。いっそのこと、30°ごとに六層になった偏光板で作られたグラスでも購入しようかとアリシアは考える。光を一切遮断してしまえば、こうして光に恐怖する必要もない。

 

 しかし、眼球に痛みが来ないのはまだマシであることは確かだ。

 アリシアは消える光を前にため息を吐き、突如襲いかかった強い加重に思わずプレシードを取り落とし、そのまま姿勢を保つことも出来ず頭から地面に倒れ込んでしまった。

 

「痛っっ!」

 

 思わず出してしまった手の平が床にあたり、じんわりとした熱い感触が痛みと共に腕を昇ってくる。そして、その腕もその勢いを殺しきれず、アリシアはそのままばったりと床に突っ伏してしまう。

 

「あーーー、重力って重い」

 

 何となく矛盾しているような言葉を吐いているなとアリシアは自覚しながらも、床に倒れ込んだままサングラスを外し、落としてしまったプレシードを何とかたぐり寄せ、「よいこらしょ」とかけ声を上げながらプレシードを杖について何とか立ち上がった。

 

 立ち上がってぱんぱんと服に付いた埃を払いながら、アリシアはもう一度ため息を吐いた。

 

「次は、座るか寝転がってから転送しよう……」

 

 まだ体重が軽いおかげで骨にも関節にも異常はなかったが、もしもこれが背の高い人や肥満体質の人だったら、下手をすれば脚の骨を折るかもしれないとアリシアはブルッと背筋を震わせた。

 

(ついでに言うと、お腹すいた)

 

 無重力空間では色々と身体的な代謝機能に異常が走る。やはり、人は重力がないと上手く生きていけないようだ。無限書庫ではカスの飛ぶものは口に出来ないし、水分も取りにくい。さらに言えば、ものを食べても上手く食堂を通過してくれないし、三半規管にも異常が走って何もしなくても車酔いのような症状が訪れる。

 ついでに言えば、食欲も減衰するし喉の渇きも感じにくくなるのだ。

 

 あんな空間に一週間もいたらそれだけで身体を壊しそうだとアリシアは思い、震える膝に鞭を打ちながら本局の廊下を歩き始めた。

 

 途中でプレシードを杖代わりにしながらアリシアは何とか本局の展望台付近のラウンジに顔を出した。

 

 来る途中、何かと難儀そうに杖を突くアリシアを怪訝な顔で見る局員も何人かいてアリシアは少し居心地の悪さを感じていた。ついでに言えば、20メートル歩くたびに駆け寄ってくる親切な局員もいて、託児所に連れて行かれないよう対処するのにも骨が折れた。

 迷子のアナウンスが本局中に流れるなどしゃれにもならない。今度所属を示すネームタグを作ってもらおうとアリシアは堅く心に誓い、既に到着して自分を待っていた馴染みの三人の姿を探した。

 

 今の時間帯はこれから残業を迎える局員が束の間の休憩を取っている様子だ。就業中にはまばらなラウンジも、今の時間帯が昼休みと同じぐらいに忙しいらしく、厨房や給仕をするウェイター、ウェイトレスが忙しそうにフロアを駆け回っている。

 少し割高だが軽食もここで出されるため、夕食代わりに食事を取っているグループも多数確認できる。

 

(少しだけ何か食べようかな)

 

 アリシアはそう思いながら、ラウンジの奥喧噪からは少しだけ離れた場所に目的の三人を見つけた。三人はそれぞれ好みの飲み物を口にしながら仲良く会話を楽しんでいる様子だった。

 

 アリシアは身長よりも長いプレシードを引きずるようにして奥の席へと向かっていく。途中、すれ違った人からは『こんなところでデバイスを出しっぱなしにするとは』といった視線を貰うが、そのあたりは身体の都合と言うことで許して欲しいとアリシアは思う。

 どうも、プレシードは正規起動させる際もカートリッジを消費しているらしく、一度待機状態に戻してしまえばセットアップにも余計な労力を使うことになるのだ。

 

「お待たせ」

 

 ずりずりという斧杖の石突きを引きずる音と共に顔を見せたアリシアに、三人は少し驚き一瞬会話が止まってしまった。

 しかし、お互いに視線を交差させて、アリシアのことだ何か理由があるのだろうとお互いに納得した上で三人はアリシアを歓迎した。

 

「お疲れ……みたいだね、アリシアちゃん」

 

 お疲れ様と通例通りの挨拶をしようとしたのだろうが、なのははアリシアの心底疲れた様子を見て苦笑いと共にアリシアを労った。

 

「そんなに疲れた顔してる?」

 

「してるよ、アリシア。無限書庫ってそんなに大変なんだ」

 

 そう答えるユーノに、「快適だけど疲れるのは確かだね」という返答に困るような答えを返しつつアリシアはプレシードを床に置いて席に着き、近くを通りかかった給仕に「アールグレイをホットで」と頼んだ。

 ふと、ここで『りんでぃ・すぺしゃる』を頼んだら給仕はどのような対応をするのだろうかという悪戯心が湧いたが、本当にそれが運ばれてきた時のことを考えるとぞっとしないので挑戦するのはよっぽど頭が狂った時だけにしようと心に誓った。

 

(いや、それ以前にこの子達が止めてくれるか)

 

 どういった経緯かは恐ろしくて聞けないが、リンディの”アレ”を経験済みの三人なら顔を真っ青にして

 

「お姉ちゃん、お仕事ご苦労様」

 

 と、アリシアの隣に座るフェイトはそう言って彼女の側に砂糖の容器を差し出した。

 

「うん、ありがとうフェイト」

 

 アリシアは早速砂糖をスプーンですくい、この混雑の割には早く運ばれてきたアールグレイに適量振りかけるとごくりと一口飲んだ。

 

 身体的な疲労はそれほどもでもないが、やはり脳が随分と酷使されていたらしく、砂糖の甘みがことのほか美味に感じられた。

 アリシアは時折周囲から流れ込んでくる「何で、こんな所に子供が?」「親はどうしたのかしら」という何となく無粋に感じられる視線を無視してひとときのティータイムを堪能した。

 

「おいしい? お姉ちゃん」

 

 アリシアがあまりにもくつろいだ様子で紅茶をすするので、フェイトはよっぽどその味が満足のいくものだと思った。

 

「いや、実に適当な味だね。出来合のものか、インスタントのどちらかだろうね」

 

「そりゃあ仕方がないよ。アリシアの舌を満足させられるものなんて、それなりのティーハウスでもないと」

 

 こんな大衆向けのラウンジで何を言っているのかとユーノは苦笑してコーヒーを口にする。

 

「こういう所だからこそ最高のものを出さないと思うんだけどね。局員の憩いをその程度に見られているなんて少し残念だな」

 

 安い葉っぱでもそれなりに気を遣えば美味に入れられるのだ。それをしないのは、ラウンジのマスターの怠慢かそれが出来る人員を投入しなかった人事部の無精だろうとアリシアは断じる。

 

「こういう細かいところを充実させれば、自動的に局員のモチベーションが高まって、結果的に仕事の効率が上がって事件の解決率にも貢献すると思うんだけどね。時航艦の食事が陸とか空に比べると比較的味が良いのも閉鎖された空間でのストレス解消の意味合いが強いし。食が人に及ぼす影響って言うのはかなり大きいと思うよ?」

 

 アリシアは紅茶のマグカップでユーノを指しながら風が吹けば桶屋が儲かるような理論を展開した。

 

 アリシアの横ではフェイトがしきりに頷いている。それが果たして理解して納得していることなのか。それとも「アリシアの言うことには間違いはない」という盲目的な信頼のなせるものなのか。

 ユーノはおそらく後者だろうと判断しつつアリシアに反論を返す。

 

「じゃあ、例えばアリシアの言うと入りになったとして、本局のラウンジや食堂の質が向上したとするよ? それにかかるコストがどれくらいになるのかな? たぶん、多くの局員の人は――僕が判断するのは失礼かもしれないけど――それに予算を割くぐらいならもっと他に掛けるものがあるって思うだろうね。それに、そうなったとしたら食事の値段がどうしても高くなっちゃう。それは、局員の人にとってはかえって負担にならないかな?」

 

「その負担に勝るだけの改善が出来ればなんの問題もないだろう」

 

「だったら、初めからそんなコトしなくてもプラマイ・ゼロって事じゃないか」

 

「味が良くなった上で±0なら言うことなしじゃないか!」

 

「それは! 食事だけのことだろう!? その予算を他に回せば良いんじゃないかって言ってるんだよ! 僕は」

 

 決闘で打ち合う剣のごとくマグカップを当て合う二人に、それまで防戦としていたなのはとフェイトは慌てて二人を止めにかかる。

 

「ユーノ君、アリシアちゃん! こんなところで喧嘩しないで。特にアリシアちゃん!」

 

 普段は優しくて、誰とも喧嘩などしそうにもないユーノがどうしてことアリシアに関してはこうけんか腰になってしまうのだろうか。なのはは、どこか釈然としない感情が胸にざわめかせるのを感じながら、レイジングハートに助言を求めようとする。

 しかし、肝心のレイジングハートは訓練後の調整のためメンテナンス・ルームに拉致されているためそれも不可能だった。

 肝心なときに役に立たないとなのはは思いそうになるが、この場にレイジングハートがあれば、火に油を注ぐ事になっていたかもしれないと思いつき、少しだけ背筋を震わせた。

 

 レイジングハートがいなくて良かった。と、主にさえこのような感情を持たれるデバイスとは実にあっぱれである。

 

「お姉ちゃん、ちょっと冷静になって。ユーノもあんまりお姉ちゃんを困らせちゃダメだよ」

 

 この半年で重度のシスコンになってしまった親友を眺め、ユーノはため息を吐きながら、今にも接吻をかましそうになるほど近づけていた上体を引いた。

 

「この続きは今度だね。アリシア」

 

「受けて立つよ、ユーノ」

 

 二人はお互い威嚇するような笑みでにらみ合い、この場を終わらせた。

 

(最も、半日もすれば綺麗さっぱり忘れるだろうけどね)

 

 と二人とも同時にそう考えていたのは、今更確認し合うまでもないことだ。

 実際、ユーノとアリシアにとってはこういった議論のぶつけ合いはそれほど珍しいことではなく、これは一種の暇つぶしであり、趣味の一環のようなものになっている。これらはベルディナの生前にはよく行われていたものであり、二人をよく知るものにとっては放置しておいても問題のないことと認識されている。

 どれだけ後に引いても最長で半日。それだけあれば、二人ともケロッとしていつもの調子に戻ってしまうのだ。

 

「そ、そう言えば、今日の訓練は凄かったよね!」

 

 どことなく悪くなってしまった空気を払拭するようにフェイトはにこやかに、少し頬に汗を浮かべながら話題を転換しようとする。

 

「う、うん! クロノ君があんなに強かったなんて知らなかった」

 

 なのははフェイトの配慮を正確に理解し、彼女の話題に乗った。

 

「確かにクロノは執務官だから、並大抵じゃないだろうね。私は直接は知らないけど、そんなに強かった?」

 

 口では自分とエイミィに絶対勝てないクロノを思いやりながらアリシアはそう口を挟んだ。

 

「強いね。クロノは。僕たち三人係でもちょっとかなわなかった。まあ、時間切れで引き分けだったけど……」

 

 無制限で戦っていたらどうなっていたか分からない、とユーノは言外にそう示唆するように言葉を切った。

 

「ふーん。あのクロノと引き分けたんだ。結構やるね、三人とも」

 

 アリシアとしては、ドは付かないにせよ素人であるはずの三人がいわゆるプロであるクロノと引き分けまで持って行けたと言うことの方が純粋な驚きと感じられた。

 クロノが執務官試験を合格したのが正確には覚えていないが、おそらくなのは達と同じぐらいの年頃だろう。

 その頃から常時鍛錬と実践を繰り返してきた彼に、まだその僅かにも満たない時間しか魔法に触れていない彼らが至ることが出来たのだ。

 

(凄まじい成長速度だな。まさに、戦うために生まれてきたと言うべきか)

 

 アリシアはPT事件の事件資料を作成する際に目にした戦闘記録を思い出し、少し身震いを感じた。

 確かに、稚拙で荒削り。膨大な魔力にものを言わせるしかできないような効率の悪い戦術。決闘まがいの単独戦闘しか行えないような経験不足。それでも、まだ二桁の年齢にも至っていない少女達が互いに互いを削り合い、我を貫き通すための決闘を演じたのだ。

 

「ん? なぁに? アリシアちゃん」

 

 アリシアはなのはに少しだけ鋭い視線を向けた。

 その視線を感じたのか、和気藹々と先ほどの訓練に関して意見を交わしていたのをやめ、なのははアリシアに向き直った。

 

「なんでもないよ。それにしても、なのははよっぽど戦うことが好きなんだね。私にもそれだけの力があったらいいのになぁ」

 

 にこやかに、それでいて鋭く。そのあたりのさじ加減に細心の注意を払いながらアリシアはスルッとその言葉を口よりはじき出した。

 

「えっ?」

 

 突然投げかけられた言葉になのはは驚愕と困惑の声を漏らした。

 

「なのはやフェイト、ユーノみたいな力が私にもあったら、私も戦えるのに。残念だよ」

 

 アリシアのそれは本音だ。そして、あまりにも自然に紡ぎ出されたその言葉にフェイトとユーノは少し苦笑を浮かべる。

 

「アリシアは無限書庫で調べ物をしてくれてるじゃないか。むしろ、その方が有り難いってクロノも言っていたよ」

 

「そうだよ、お姉ちゃん。私がお姉ちゃんの代わりに戦うから、安心してね?」

 

「頼りがいのある妹達だね」

 

 アリシアは肩をすくめながら、それでも自分は戦いたいという雰囲気を僅かに示しながら紅茶を傾けた。

 

「あ、あの。アリシアちゃん。私は……そうじゃなくって……」

 

 まるで心臓に突き刺さった小さなナイフを引き抜くようになのはは言葉を紡ごうとするが、アリシアはプレシードに届いた通信の音にそれを遮り、プレシードに対して通信を開けと命じた。

 

 なのはの狼狽を横目で見ながら、アリシアは特になんの感情も浮かべずに通信モニターに目を直した。

 

《アテンザ主任からです》

 

 プレシードはそう伝え、回線をオープンに設定した。

 

『あ、休憩中? もう少し後の方が良かった?』

 

 モニターに現れたマリエルはアリシアの前に置かれたマグカップとその隣に座るフェイトの姿に気がつき、そう聞いた。

 

「いいえ、ちょうど話題も捌けたところですから」

 

 アリシアはなのはの存在をあえて無視してマリエルに笑みを送った。笑顔は相手の心の壁を薄くする。そして、正論以上に相手を黙らせる武器ともなるのだ。

 アリシアはよく微笑む。その笑顔の中にはそう言った思惑があることを知るの人間はそれほど多くはない。

 

『そう? ありがとう。ちょっとお願いなんだけど、またプレシードを貸して貰えないかなって思って。バルディッシュの調整に必要になりそうなんだ。プレシードの調子も確かめたいし、出来ればレイジングハートのメンテナンスも手伝って欲しくて』

 

 マリエルはアリシアが別件で仕事を任されていることを知っている。それでも、なのは達の命に関わることであるため、それを承知での頼みだった。

 アリシアは少し考え、無限書庫の探索も重要だが、フェイト達の安全には変えられないと判断し、それを快諾した。

 

『そう? ありがとう』

 

 マリエルはホッと息を吐く。

 

「今すぐの方が良いですか?」

 

 気分転換にもなるからむしろ助かりますとアリシアは伝えながらマリエルに確認をする。

 

『うん、出来れば早めに来てくれると助かるわ』

 

 アリシアはチラッとモニター右下に移るミッド標準時刻を確認した。

 休憩終了にはちょうどいい時間だとアリシアは判断する。よく見渡せば、周辺の席に座って談笑していた局員達もそろそろ席を立ち上がろうとする頃だ。

 ラウンジは先払い方式ではないため、少し時間をおくと出るのに時間がかかるなとアリシアは判断し、

 

「分かりました。すぐに向かいます」

 

 と答えた。

 

「僕たちも一緒の方が良いですか?」

 

 レイジングハートとバルディッシュのメンテナンスと聞けば、自分たちにも関係のあることだとユーノは考え、そう提案した。

 

『みんなはまだいいよ。調整が終わるまでもう少し時間が掛かるから、もうちょっとそこでゆっくりしていて』

 

 マリエルの言葉にフェイトは頷いた。

 

「じゃあ、お姉ちゃん。また後で」

 

 後がいつになるか分からないけどとアリシアは思いながら、アリシアは頷きながら席を立ち、テーブルの伝票を手に取った。

 

「あ、アリシア。それ、僕たちの分もあるよ?」

 

 ユーノは慌てて伝票を分けて書いて貰おうとウェイターを呼ぼうとするが、アリシアはそれを制した。

 

「給料を貰っているから、ここは私が払うよ」

 

 アリシアは手違いで呼び出されてしまったウェイターに三人分の飲み物の追加を注文し、更新された伝票を貰い席を離れようとする。

 

「あ、ありがとう。お姉ちゃん」

 

 正直なところ、フェイトの小遣いではここの支払いは割ときつかったのかアリシアの配慮に素直に感謝をした。

 

「少しは姉らしい事が出来たかな?」

 

 と笑いながらアリシアは三人に手を振ってその場を離れた。

 

「あ、あの、アリシアちゃん」

 

 それまで口を閉ざして俯いていたなのははそう言ってアリシアを引き留めようとするが、

 

「何? 出来れば早くしてね」

 

 アリシアの微笑みの前に口を噤んでしまう。

 

「何でも、ないです……」

 

「そう? まあ、後で時間が出来れば聞くよ。それじゃあ、ごゆっくり。ユーノ、私がいないからってフェイトを口説いちゃダメだよ?」

 

「しないよ!!」

 

 ムキになって言い返すユーノに、「HAHAHA」と上品とは言えない笑い声を上げながらアリシアはレジスターで支払いを済ませラウンジを後にした。

 

「まったく、アリシアは! 僕がそんなことするわけじゃないか! ねえ、なのは」

 

 プンスカと擬音を立てそうな勢いで憤るユーノに、なのはは「そ、そうだね」と弱く答えを返すことしかできなかった。

 

「どうしたの? なのは。気分でも悪い?」

 

 アリシアの雰囲気に流され、なのはが少し気落ちしている様子にようやく気がついたフェイトは心配げになのはの顔をのぞき込む。

 

「あ、えへへ。ちょっと疲れちゃったかも」

 

 なのはは友人達からこぞって鈍いと言われているユーノでさえも分かるような、無理をしている笑みを浮かべ、運ばれてきた追加の飲み物を口にした。

 

「あの、気分が悪いなら……」

 

 ちょっと看ようか? というユーノの言葉を遮るようになのはは両手をパンと打ち鳴らし、

 

「そう言えば、クロノ君達にちょっと聞きたいことがあったんだった!」

 

 と叫び、慌てて席を立ち上がった。

 

「えっと、なのは?」

 

 なのはの突然の行動に面食らい、フェイトはどうにも行動がとれなくなってしまう。

 

「ゴメンね、二人とも。ちょっと、行ってくるね。あ、お金は後でちゃんと払うから」

 

 なのはは拝むように合掌して二人に詫び、

 

「あ、別にそんなこと気にしないで良いんだけど」

 

 というユーノの言葉に、最後に「ゴメン!」と謝りながら何をそんなに急ぐのか、まるで何かから逃げる課のような足取りでラウンジを後にした。

 

 アリシアの言葉によって変わってしまったなのはの様子。

 よく冷静に見ていれば簡単に気がつくことを、アリシアの話術に陥った二人では気がつくことが出来なかった。

 

 理由も分からず姿を消してしまったなのはの跡を目で追いながら、二人は呆然とその場にたたずむ。

 人が引き始めてもなお賑わいを残すラウンジの喧噪がどこか白々しい雑音のように二人には感じられた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 Miss a Thing

 

 

 タタタという軽快な足音になのははえもしれない感覚を覚えながら、次第に苦しくなっていく呼吸と鼓動に歯を食いしばりながらそれでもがむしゃらに廊下を駆けた。

 何故こんなに心がざわめくのか。居心地の良いはずだったあの場所から逃げ出して自分は一体何処へ向かおうとしているのか。

 

 なのはは荒ぶる吐息と共にいい知れない驚異に心を乱しながらそれでも翔る足をゆるめることはなかった。

 そして、その脳裏に響き渡る一つの言葉になのはは立ち止まり頭を抱える。

 

『なのはは戦うことが好きなんだね』

 

 何の前触れもなくはき出されたその言葉になのはは一瞬心臓を鷲づかみにされた感覚だった。

 

 戦うことが好き。それはどういうことなのだろうか。何故彼女は自分を見てそんなことをったのだろうか。

 心当たりはある。自分は、一人の少女を助けたいがために戦った。そして、そのために鍛錬を続けてきた。

 それは、自分にとって誇らしいことだった。何の役にも立たないと思っていた自分自身が、こうして人のために何かできると分かったことが何よりもの喜びだった。

 そして、その戦いが終わった後も、自分は「いくら何でもやり過ぎじゃないか?」というクロノの言葉を笑い飛ばして鍛錬を続けた。

 

 だったら、それは何のためだったのだろうか。

 

 なのはは、そこに思い当たる。フェイトと対立していたとき、その時は必要あっての事だった。訓練をしないと彼女に言葉を聞いてもらえない、悲しみに沈む彼女を助けられないし、出来たばかりの何処か放っておけない友達のユーノを助ける事も出来なかった。

 

 だったら、その後に自分は何を思って魔法の訓練を続けていたのだろうか。

 

(分からない。私は、ただみんなと繋がっていられるから。魔法を使うことが楽しいから練習してた)

 

 クロノやアースラの面々に対しては、『有事に備えるため』という理由で管理外世界での魔法行使を黙認して貰っていたのだ。そうしないと、管理外世界での異邦魔法行使で逮捕されちゃうからねと笑うユーノにと一緒に笑いあっていたものだ。

 

 そして、有事は起こった。それまでの訓練が無駄にならないどころか、これからさらなる訓練を積み重ねる必要が生じた。

 それは、本来なら来ない方がいい状況だったはずだ。

 

(だけど、私は……喜んでたのかもしれない)

 

 なのははあの戦闘が終わってからの自分というものを正確に分析を始める。

 怖かった、嫌だと思った。いきなり襲いかかってこられて、大怪我寸前の負傷をして、レイジングハートが壊れ、友人達も傷ついた。何よりも、本当なら一番傷つかないはずのアリシアが意識を失うほどの負傷を受けた。

 あんな戦いを二度と繰り返しちゃダメだと思った。しかし、それでも心の奥の方で、自分はまた戦えるという喜びを感じていなかったか。

 今度は、親友になったフェイトと初めての男友達であるユーノと一緒に戦えると、嬉しく思っていなかったか。

 

『なのはは戦うことが好きなんだね』

 

「違う。それは、違う……私は、争うことが好きなんじゃない!」

 

 だったら、何故戦おうとするのか。

 この事件が起こったとき、クロノとリンディは確かにこういった。

 

『なのはは無理に戦う必要はない。確かに、なのは程の魔導師が協力してくれればこちらも大いにありがたいが、今後あれ以上の危険にさらされる可能性も高い。僕達のことを心配しなくても大丈夫だ。そのための訓練は受けているからね』

 

 その時自分はなんと答えたのか。

 

『大丈夫だよ、クロノ君。私は、私が協力したいから協力するんだよ。だから、心配しないで』

 

 そう、自分は協力したいから協力すると答えた。それはつまり、考えようによっては『戦いたいから戦うんだ』と宣言したようなものではなかったか。

 

「分からないよ。私は、戦いたくないのに。傷つけたり、傷つけられたりするのはいやなのに」

 

 なのはは俯いて目をギュッと閉じた。

 見たくない現実から逃れるためか、それでも心に浮かんだ疑念は晴れない。

 このままでは自分は戦えない。

 

「どうした? なのは」

 

 そんなとき、なのはの耳に一人の男の声が届いた。

 

「クロノ君……?」

 

 なのはは親しい人の声に面を上げた。

 

「ああ、僕だが。どうしたんだ? 随分顔が赤いが」

 

 なのはは「ふぇっ!?」っと声を上げ、走ったせいで少し火照った頬に手を当て、少し恥ずかしそうに俯いてしまった。

 

「本当にどうした? 誰か人でも探しているのか?」

 

 何となく、クロノは居心地が悪かった。いつもなら、朗らかに聞いているこちらが赤面してしまいそうな事を臆面もなく口にして微笑む彼女が、今は全くその逆になってしまっている。

 クロノの印象としてのなのはは人見知りしない、物怖じしない、ある意味厚かましいほど優しくて、それでいて押しつけがましい印象を与えない。そして、何より周囲に笑顔を振りまいて、いつの間にか不安も何もかもを和らげてしまう、そんな女の子だった。

 

 ただ、唯一彼女が平静を失う要素をクロノは知っていた。

 

「ユーノが何かしたか?」

 

 なのはにとってユーノは地雷だと分かっていながらそれを指摘するのは中々勇気のいることだった。しかし、クロノが知る彼女が比較的ネガティブ寄りにならざるを得ないような要素といえば彼の存在しかないのも事実だ。

 

 ユーノという言葉が出てなのはは一瞬惚けたようにまじまじとクロノの顔をのぞき込むが、ハタと自分が何を言われているのかに気がつき、一生懸命首を振ってそれを否定した。

 

「ユーノ君は関係ないの! ユーノ君じゃなくて、アリシアちゃんに……えっと……」

 

 改めて言うには難しいとなのはは思った。少し冷静になって考えて見れば、アリシアが何気なく言った一言に自分が勝手に狼狽して勝手に悩んでいるだけだととらえることも出来る。

 

「またアリシアか……あいつの言うことはあまり真に受けないほうが良いぞ。アレはアレで結構行き当たりばったりの適当なことを言う事が多いから、一から十まで気にしていたら負けだ」

 

 クロノは額に手を当てて、あいつはどうしてこう厄介ごとばかり持ち込むのかと本気で呪いを送りたくなってしまった。

 

「で、でも。とっても重要なことだと思って……」

 

「あいつがそういう言い方をするからだ。時々あいつなら口先だけで世界がとれるんじゃないかと本気で思うよ。それで、なんて言われたんだ?」

 

 クロノは実際本気でそう思っていたが、それでもその中の一部には本当に重要になるものが含まれている事も理解していた。しかし、そう言うことに限って何気ない風を装って言うものだから、彼女と話しをするときは常に頭を回転させておかないといけないのだ。

 端的に言えば、彼女と話すのはとても疲れるのだ。しかし、脳に余裕があるときであればまるで思考ゲームをしているような楽しさがそこにはある。そのため、休日の空いた時間にはリンディを交えて日もすがら会話に花を咲かせていたものだった。

 

 クロノはなのはの様子から、またぞろアリシアのバカみたいに壮大に装った話術になのはがはめられたのだろうと予測した。

 しかし、なのはが心根を砕いている事が先ほど述べた全く何気ない風を装って言われた言葉だと知っていればもう少し対応が違ったかもしれない。

 

 結局の所、この時のクロノはなのはを甘く見ていたと言うことだ。

 

 何を言われたのかを聞かれたなのはは少し逡巡して、それを言うべきかどうかを迷った。

 

『なのはは戦うことが好きなんだね』

 

 言ってしまえばそれだけの言葉なのだ。しかし、もしもそれがアリシアだけではない自身の周囲の共通見解だったらと考えるとなのははやはり怖く感じる。

 なにぶんクロノはなのはにとって二人目の指導教官のようなもので、その彼から見た自分というものがいったいどういうものなのか。実直な彼の事だ、おそらく嘘偽りなく客観的な事実を持ってそれを告げるだろう。一人目であるユーノが飴の役目なら彼は鞭の役目を担っているといえばいいのか。

 故に、なのははそれには答えず、問いを返すことにした。

 

「クロノ君は、どうして執務官になったの?」

 

 クロノは、それがアリシアから言われたことかと疑問に思うが、どうやら違うようであると察した。そして、その問いかけがアリシアの言葉とどう関わるのか、推測は出来ないがなのはがこうして面と向かって自分に聞いてくることなのだから、何か重要な意味があるのだろうと察し、真剣に答えることとした。

 

「そうだな。一番最初の理由はたぶん……強くなりたかったから……弱い自分を否定したかったらだろうな」

 

 こうやって改めて自分のことを話すのは照れくさいと感じながら、クロノはまだ誰にも話したことのない自身のルーツを語り始めた。

 

 淡々と語られる言葉になのはは引き込まれるようにただ黙り込み、時折相づちを槌ながら耳を傾けた。

 

 クロノの父親がかつて、アースラの同型艦の艦長を務める有能な提督だったこと。その指導員がつい先日顔を合わせることとなった老提督グレアムだったこと。

 そして、父の指揮する艦が任務中にロストロギア関連の事故に遭い轟沈し、ただ一人残された父のみがその犠牲となったということ。

 

 その葬儀で涙を見せず気丈に振る舞う母リンディを見て。この人を守れるように、二度と悲しい思いをさせないことを心に誓ったこと。

 そのために力を欲したこと。

 

 話し終えてクロノが思ったことは、自分はどうしてこんな事を出会ってまだ間もない年下の少女に話しているのだろうかと言うことだった。

 

 ただ一つ、父の殉職の原因となったロストロギアが今自分たちが追っている闇の書だったということをクロノは隠した。

 

「ありがとう、クロノ君」

 

 昔を思い出したのか、少し感情が少しセンチメンタルに沈むクロノの横顔を見ながら、なのははいつの間にか浮かび上がっていた涙をそっとぬぐい、朗らかな笑顔で彼に礼を述べた。

 

「いや、少し話しすぎた。とにかく、僕の事情は特殊すぎてあまり参考にはなら無かっただろうけど」

 

 なのはが何を悩んでいるのか分からないクロノは、この話が彼女にとってどういった影響を与えるのかは推測しきれない。

 自分に執務官になった理由を聞いてきたと言うことは、おそらく、自分の将来に関する悩みなのだろうと当たりを付け、クロノは言外に「自分を参考にするな」とほのめかすだけで済ませた。

 

「ううん。とってもためになったよ。ありがとう、クロノ君」

 

 なのははそんなクロノの思惑をカケラも理解せず、ただ自身の悩みの解決の参考になりそうな予感に喜び、ペコリと彼に頭を下げた。

 

 自分の言ったことを真摯に受け止めようとする少女にクロノは少し肩をすくめ、改めて「参考にはするな」と言おうとしたが、彼の鍛えられた聴覚があわただしくこちらに近づいてくる足音を感知した。

 クロノは面を上げ、その間の悪い足音の主を視界の捕らえた。

 

「なのは!」

 

 突然背後から響いた高い声になのはは一瞬肩をビクッと震わせ、名前を呼ばれた方向へとおそるおそる首を向ける。

 

「ユーノ、くん?」

 

 そこには息を荒くして、何故か自分たちに鋭い視線を向けるユーノの姿があった。

 

*****

 

 その光景を目にしたとたん、いい知れない不快感が胸に襲いかかってきたことをユーノははっきりと自覚していた。

 なのはがラウンジを飛び出して行った折りに一瞬だけ確認できたその表情にユーノは見覚えがあった。

 あれは、悩みがあるにもかかわらずそれを自己の内面に押しとどめて平気なフリをする時の顔だった。

 

 ユーノが一番見たくない彼女の笑顔。それを見せられては居ても立ってもいられず、気がついたときには困惑するフェイトを置いてラウンジを飛び出していたのだ。

 

 なのはの支えになりたい、悩みがあるのなら分かち合いたい。それは、命の恩人でありずっとパートナーで居続けると誓ったユーノの心からの望みだった。

 

 そして、がむしゃらになのはを求めて走るその視界の端に映った求める彼女の姿に彼は想わず声を上げた。

 

 そして振り向いた彼女の表情には先ほどの憂いの籠もった笑みは既に無く、何かを吹っ切ったような朗らかな暖かみのある笑顔だった。

 

 これは、どういう事だろうか。ユーノは愕然として彼女の側にいた人物に目をやった。

 

「ユーノか。どうかしたか?」

 

 その声を聞いたとき、ユーノはビシリと胸の中で何かが割れる音が聞こえた。

 

「あ、ユーノ君。どうしたの?」

 

 なのはの笑顔はユーノが好きな笑顔に違いはなかった。ならば、この笑顔を取り戻させたのは一体誰なのかとユーノは少し困惑してたたずむ少年、クロノを睨むような視線を送った。

 

「何があったのかは知らんが、いきなり人を睨むな。不躾だぞ」

 

 半年前の彼なら、ここで一言二言なり嫌味を言って来ていただろうが、久しくあった彼はそんなトゲが取れて随分丸く柔らかくなっていた。

 

「別に、たいした理由はないよ。なのはがいきなり居なくなったから心肺になっただけ。僕は、なのはの……パートナー、だからね」

 

「ゆ、ゆーのくん。恥ずかしいよ……」

 

「だったら、恋敵を見るような目をするな。僕となのははなんでもないんだからな」

 

「こ、恋敵って。クロノ君!」

 

「僕はまだ仕事中で忙しいからな。まだ上への報告書と始末書が仕上がってないんだ」

 

「あ、そ、それは……ごめん」

 

 その始末書を書く原因の一端となったユーノとしてはそう言われてしまえば申し訳なさしか生まれない。

 なのはと一緒にいたクロノは気にくわないと思うが、彼も自分の仕事を裂いてなのはの話を聞いてくれていたことには感謝するべきだと思い直す。

 見るとユーノの手を取るなのはも少し申し訳なさそうにしているのが分かった。

 

「君たちが気にすることではないさ。責任者は責任を取るために居るんだからな。それじゃあ、僕は仕事に戻るよ。君たちはもう少しゆっくりしていくといい」

 

 クロノは年上ならではの余裕を持って手を振り、そのまま書類の束を抱えながら廊下を後にした。

 

「ゴメンね、ユーノ君。わざわざ探しに来てくれたんだ」

 

「ううん。あまりたいしたことがなさそうだったから安心した。クロノから……何か言われた?」

 

「えっと、うん。だけど、恥ずかしいから内緒」

 

「………そう」

 

「えっと、そうだ! レイジングハートの様子を見に行こうよ。メンテナンスもそろそろ終わってるかもしれないよ」

 

「うん、分かった」

 

「じゃあ、行こう?」

 

 なのはは少しホッとした様子でユーノの手を引きレイジングハートが居るメンテナンスルームへと足を向けた。

 ユーノは手を引かれるままになのはの後を追い、フェイトに念話で「なのはとメンテ室に行く」とだけ伝え足を進めた。

 

(なのはを守るのは僕の役目だ。僕じゃないとダメなんだ。僕が、なのはを守るんだ!)

 

 ユーノは軽い足取りでなのはの背を追いながら心の内に誓いを立てた。

 

*****

 

 デバイスは嘘を吐かず、人を裏切らない。その言葉を聞かされて一体何年経ったのだろうかとマリエル・アテンザは濃いめに入れたコーヒーを口にしながらふとそんなことを思い起こす。

 

「調子はどうですか? アテンザ主任」

 

 先ほど扉を開いて入ってきた少女は、そう言いながらマリエルに差し入れのクッキーを差しだしながら件の進捗状況を確認するように、マリエルの前のモニターを横目で伺う。

 

「あ~、まあまあかな。ありがとう、アリシアちゃん」

 

「アリシアかテスタロッサでいいですよ。ちゃん付けで呼ばれるのは背中が痒くなりますから」

 

 アリシアはそう苦笑しながら隣の席から椅子を拝借し、懐からプレシードを取り出して彼女に渡した。

 

 マリエルはそれにお礼を言いながら受け取り、早速プレシードのコンディションを確かめるべく演算装置にそれを接続し、モニターを呼び起こした。

 

「やっぱり、調整は難航していますか」

 

 アリシアはレイジングハートとバルディッシュのデータシートが示されたモニターを吟味しながら、そこに示された数値が先日見たものから殆ど変化してないことを確認した。

 

「そうだねぇ。バルディッシュに関してはプレシードのおかげで何とかなりそうなんだけど」

 

「問題はレイジングハートですか。まあ、なにぶん古い機構を使用していますからね。今の理論が通用しない部分とか、既にマイナーになったものとかも多いですし」

 

「それなんだよねぇ。最新のものとかは結構頻繁に確認するから手慣れたものなんだけど。ここまで古いと、それこそ一から勉強し直さないとダメって部分が多くなるからどうしても」

 

 マリエルは額を指で押さえながら、比較的甘みの強いクッキーを頬張りため息を吐いた。やはり、頭を酷使すると脳が糖分を要求するものなのか、上品な味わいのクッキーがことさら舌に快感をもたらす。

 こういった不規則な間食は健康を害するものだとは分かってはいるが、そうでもしないと気力を保つことが出来ない。

 

 人間とは完成されているように見えて完成されていないものだという事が身をもって分かる瞬間だった。

 

「ひとまず、レイジングハートに関するメンテは私がした方がいいですか?」

 

 アリシアはモニター横に置かれた紙のデータを手に取りながら現状の問題をざっと頭に思い浮かべる。

 

「技術者としては悔しいけど、お願いできる?」

 

「良いですよ。ちょうど良い気分転換にもなりますから。先ほどの戦闘訓練のデータシートの閲覧に権限は?」

 

「私が許可するから大丈夫だよ」

 

「分かりました、主任。では、取りかかります。対面の端末を使用しますね」

 

 アリシアはそう言うと、そこに置かれていた書類データをまとめ、ついでに先ほどの訓練の評価が書かれているであろう記録ディスクを取り上げ指定された端末に着いた。

 

《お手数を掛けます、アリシア嬢》

 

「いいよ。やっぱり、レイジングハートは私が面倒を見たいからね」

 

 アリシアはそう言いながらすでに機動状態にあった端末のデバイスメンテナンスツールを起動させ、レイジングハートからの情報を取得させた。

 

「魔導炉の調子は?」

 

 情報取得を始めた端末はモニターに経過のインジケータが、その作業の経過を報告するが、それがいっぱいまで溜まるまでしばらくの時間を要しそうだ。

 アリシアはその間の時間稼ぎとして、この部屋のツールでは取得しきれない情報をレイジングハートから直接聞いておくこととした。

 

《一切問題ありません。現在は待機状態にして出力も最小にしていますが、不安定性は観測されていません》

 

 ここにもレイジングハートを整備する問題がある。管理局のツールではサポートしきれない諸々の装置に関しては、何らかの専門ツールを開発するか、直接そのAIに報告させるしか方法はない。故に、通常のデバイスであればメンテ中はその機能がシャットダウンされるのだが、レイジングハートに関してはメンテの作業中も逐一様子をうかがわなくてはならない。

 つまり、レイジングハートと円滑なコミュニケーションが取れないことには内部をのぞき込むことさえ出来ない。

 

「燃料の残量は?」

 

 レイジングハートの考えとしては、『信頼の置けない人間に自分の中を弄らせたくない』という見地からそれはかえって有り難いことだというだろうが、安全性信頼性の観点からは承伏できない事柄でもある。

 

《今までで使用した分で、せいぜい数百μgといったところですね。先の戦闘と訓練においても出力が25%を上回ったことがありませんし。魔導炉の解放以降、平均出力はせいぜい数百kWというところです》

 

 実際、レイジングハートがアースラやマリエルの整備を受けているのは単にレイジングハートのマスター、なのはの言いつけによるものである。主の命令であれば、デバイスである身としては従うしか無く、実際の所レイジングハートはまだマリエルとそこまでの信頼関係を構築し切れていない事もあり、今回無理を言ってアリシアに来させたという事情もある。

 

「ということは、燃料はまだ2kg以上残ってるって事かな」

 

 とにかく他のデバイスに比べ気位の高いデバイスだとアースラの技術班は口をそろえる。故に、レイジングハートを扱ったアースラの技術チームはこれを扱う際には『注文の多い客』のように扱うようにしているのだ。

 

《はい。正確には2.4999986kg。将来的に使用する魔力量が増えると予測されても、計算上後200年は補給無しで稼働可能です。反陽子の寿命(およそ10の33乗年)が長い事も助けになりますからね》

 

 さらにいえば、本来の機能を取り戻したレイジングハートは一朝一夕ではその機構や機能を解析しきれないほど膨大なシステムを得ることとなった。

 

「補給といっても、今の技術じゃあ反陽子燃料を補給する手段は無いけどね」

 

 その最たるものは、対消滅エンジンをエネルギー源とする魔導炉であることはいうまでもないことだろう。

 

《kg単位の生成も不可能とあれば、この数値が私の寿命ということになります。最も、今の待機状態のまま出力を絞り続ければ計算上は3000万年は稼働していられますが》

 

 精製、ケーシング、輸送。このすべてにおいて反陽子燃料は安全性を確実なものにすることは出来ない。

 地球においても近年盛んに研究が進められてはいるが、その生成のためには街一つ分にもなりうる巨大な粒子加速器を用いる必要がある。そのために投じられる国家予算レベルの巨額の資金。その設備を稼働させるために必要な膨大なエネルギー。そして、実験であるが故に発生する多大なリスク。そんなものを背負ってようやく得られる反物質は量にして数mgにも達しない。

 動力機関の燃料として運用するにはあまりにもコストがかかりすぎるのだ。

 

 しかも、それは僅か数gの反陽子で街一つを灰にすることができ、さらにその起爆方法は単に通常物質と触れさせるだけという危険性も付いてくる。

 それ故、反陽子は強力な質量兵器にも転用可能であるから、現在の管理局法に引っかかる恐れもある。

 ただし、現状では反陽子の運用に関する法規制は定められていないため、レイジングハートに関しては実質的に違法でも合法でもなく判断不可というものに落ち着いている。

 

 次元世界広といえ、まともに反陽子を生成できる技術は未だ存在していないのだ。それが、魔法技術の発展により素粒子技術が軒並み衰退してしまった事が原因となっているのだが、ともかく普段よりその手の兵器諸々の事に当たっている執務官や提督ならいざ知らず、反陽子、反物質、対消滅に関する語句を知っている局員というのも思いの外少ないのだ。

 

 故に、今後反陽子に類されるものが次元世界において大規模な問題にならない限り、レイジングハートの所持に関して将来的にも問題はなさそうだとアリシアは個人的な解釈をしている。

 

「それにしても、3000万年か。それぐらいあれば、補給の問題ぐらいは何とかなりそうだね」

 

 時間は技術的な問題を解決するものだ数年後、十数年後では分からないがそれが数十年、百数十年後とあれば現状で存在する技術の問題はある程度解決は成されていると信じたいものだとアリシアは思う。

 実際、数百年前には実用不可能として研究が放棄されてしまったトライアル・アーツが、今となってはその後継機達が次元世界の技術を席巻しているのだから。

 

《技術革新は凄まじいものですからね。もっとも、3000万年後では確実に人類は滅びているでしょうから、あえてその問題を解決する必要もないとも判断できますが。難しいところです》

 

 自己修復機能を持つインテリジェント・デバイスの対応年数を論じることは実は難しい。日常的に受ける損傷や、戦闘中のハードな損傷であっても自己修復機能をフル活動させてしまえば数日のうちで元の機能を取り戻すことも可能なのだ。

 しかし、デバイス全体の平均寿命というものは思いの外短い。それは単に自己修復が不可能なレベルにまで損傷するか、それに関する重要システムが破損してしまう場合が殆どであるが。

 そのようなイレギュラー的な損傷では対応年数を決定させる要素にはならない。

 

 アリシアは現状では割とどうでも良いことを思い浮かべながら端末のツールが情報取得を完了した事を確認し、本格的な評価を開始した。

 

 データに上がってきた過去の使用ログが時系列順に並べられ、端末のツールはそれを比較的わかりやすいグラフに示すことで使用者の視覚情報の助けとする。

 

 使用魔力量のログ、使用したシステムのログ、入力者の指令値に対する出力値との誤差。それらを見て、アリシアはまだまだなのははレイジングハートの全機能を十全には使用し切れていないという評価を下した。

 

「アクセル・シューターをまだ停止状態でしか使用できていない……か……。開発者としては少しがっかりだね」

 

 アクセル・シューターは従来の誘導射撃魔法と異なり、その誘導機能の大半をデバイスに依存することで術者にかかるリソースを大幅に軽減しているのだ。実際、なのはの口頭でのレポートからは『魔法を使っている気がしない』程軽くなっているはずだ。

 

「だけど、『狙いを付け続けなければならないからどうしても注意がそっちに向いてしまう』か」

 

 人間とはどうしても視覚情報に文字通り”目が向いて”しまいがちになる。人間は外部の情報の大部分を視覚情報から得ているのだ。距離、方位、姿勢、物質の判別に、オプティック・フローによる速度。

 イルミネーターを相手に向けて補足するために使用されるものはやはり視覚である以上それに集中するということは同時に外界情報をそれのみに制限しているということのほかならない。

 

「やっぱり、イルミネーターも自動化するべきかなぁ」

 

 アリシアはそう呟き、煙草代わりの禁煙パイポを加えながらチェアの背もたれに乗っかかった。

 

《自動化したとしても私の軌道予測システムではまだ限界があります》

 

 レイジングハートはアリシアの独り言にわざわざ意見を述べた。

 

「分かってるよ、それぐらい……」

 

 アリシアは深く息を吸い込み、パイポから供給された煙ではない白い蒸気を口から吐き出しながら自身の長い金髪をくるくると弄り始めた。

 

 アクセル・シューターに使用されているセミ・アクティブ・ホーミング機能は、イルミネーターから照射される魔力波を相手にぶつけることにより反射してくる魔力波を弾頭が追尾するというものだ。

 故に、常に相手を追尾し続けられればきわめて高い着弾性を誇るものだが、反面追尾を振り切られてしまえば弾頭の誘導性は消滅するというリスクがある。

 また、魔力波がターゲットを正確に捉えられるようにその有効範囲はきわめて狭いものとなっているため、僅かな照準の狂いが生じてもいけない。

 

 きわめて高い技術を要するものであり、それは熟練の戦闘機乗りでも扱いに困るような代物なのだ。

 

「やっぱり、なのはにそれを期待するのは少し早すぎたって事かな?」

 

 先の戦闘ではユーノの援護があったからこそなのはは立ち止り、落ち着いて相手をねらい打つことが出来た。もしも、これが単独によるドッグファイトであったのなら、おそらくはまともにそれを扱うことが出来ず、それまで使用していた【Divine Shooter】にシフトしていた事だろう。

 【Divine Shooter】は弾頭単独の誘導性が非常に高く、その分移動していても正確に相手を追尾するものだが、その反面使用されるリソースが【Accele Shooter】の数倍にもなり、自動的に同時に制御できる弾数はそれの半分以下ということとなる。また、誘導性を考慮するあまりその弾速は目視で十分追尾できるほどの速度でしかなく、実際先のPT事件のフェイト今回の騎士達ほどの技量持ちであれば回避は比較的容易となる。

 

 弾速と弾数、誘導性そして移動中も使用できる低コスト性。そのすべてを貪欲に追求した結果生まれたものが【Accele Shooter】なのだ。

 

「半自動化で手を打とうかな。軌道予測システムによるアルゴリズム追尾は全面的にレイジングハートが受け持って、後の細かい調整はなのはがするって事にしたら、随分使いやすくなると思う」

 

《後は乱数軌道のシステムも付加させていただければ。少なくとも先の戦闘のような無様は晒さないことかと。私の理想としては【Accele Shooter】で目標の行動を制限しつつ【Divine Buster】を確実に当てるという手段をとりたい》

 

「攻撃に関してはひとまずそんなところかな。防御の面はどう?」

 

《緊急回避の速度、加速は十分過ぎるほどに。【Protecsion】の方も最適出力の計算は終了しています。ただし、緊急回避にせよ通常回避にせよ口頭による警告では反応速度が劣ると思われます》

 

 レイジングハートはそう進言し、その状況をモニターで示した。

 それは、主になのはがヴィータの近接による強襲を受け、慌てて回避をするという状況だった。

 

 アリシアの目から見れば随分と危なっかしく、避けることに意識が採られすぎているため、避けた後の行動に数瞬程度のディレイタイムが存在しているところだった。

 

「耳からの情報は結構反応が遅れるからね。やっぱり、視覚情報にダイレクトに投影できるようにした方が良いか。航空支援システム(アビオニクス)と視覚投影魔法(EPM:Eye Projection Monitor)をリアルタイムで発動させるのが懸命かな。いや、なのはほどの魔導師が素材だと本当にいろんな事が充実させられるね。弄り甲斐のある高ランク魔導師だよ。やっぱり、なのはは天才だなぁ」

 

《あまりマスターをおだてないでください、アリシア嬢。私としてはあまりマスターを戦場には出したくないのです。武器の分際で生意気を申しますし、自身の存在意義を否定することに繋がりますが、私や貴方とは違い、本来ならマスターは戦場に近しい存在ではないのです》

 

「それは、なのはが決めることだろう。一応種はまいてきたから、今後どう芽吹くか楽しみだね」

 

《まさか、マスターなのはに何か良からぬ事を吹き込んだのでは無いでしょうね?》

 

「それこそまさかだよ。私が他人のためにわざわざ何か助言すると思う? それに、私の言葉は偏ってるからね。戦いたいのならどんどん戦えばいい。それで戦場で死ねれば儲けものだ。ずっと物言う死人として生き恥をさらしてきた私が、今更”命を大切にしろ”とか”戦うことで得られるものなど虚しさだけだ”なんていっても笑われるだけだよ。それこそ虚しいだけさ」

 

《あなたはベルディナではない、アリシア嬢》

 

「うん、確かにそうだね。私はアリシアだ。だけどね、時々私は自分が一体何者なのか分からなくなるときがあるんだよ。私は一体何者? 私はどう生きればいい? ベルディナとして? それともアリシアとして? どっちも正解だしどっちも嘘だ。だったら私は私のやりたいようにやる。それを止めるのなら、レイジングハートが相手でも容赦はしないからね」

 

 アリシアはそう言って赤い宝玉を睨み付けた。マリエルは突然アリシアが声を荒げたことに驚き彼女に目を向けるが、アリシアは「何でもありません。レイジングハートとと少し意見のすれ違いがあっただけです」と笑顔で答え彼女の注意をこちらに向けさせなかった。

 アリシアとレイジングハートはミッドチルダの公用語で会話をしてない。それは、アリシアにとって長年慣れ親しんだ言葉、古代ベルカ語でされたものであるから、傍にいるマリエルであってもその会話の内容を理解できていない。

 

《ですが、アリシア嬢。これだけはいわせてください》

 

「なに?」

 

《あなたが自分のしたいことをするのは私も賛成です。あなたの前世はしがらみが多すぎた。それから解放されたとあなたが言うのであれば私はこれ以上の喜びはありません》

 

「まだ、そうでもないけどね。ありがとう」

 

《しかし、それでもしあなたが道を外れるようなことがあれば、私はこの身の全力をもってあなたを止める。それだけは宣言させていただきたい》

 

「そう、それはとても面白そうだよ。もしそうなったら、楽しみにしているね」

 

 アリシアはにっこりと笑い、少し上機嫌になって作業に戻った。

 

 それでも、アリシアは頭の片隅でこれを使用し続けることになる少女のことを思いやった。

 

(なのはは本当に天才だ。まさに魔法を使うため、魔導の道を歩むために生まれてきた人物だといっても過言ではないぐらい)

 

 アリシアは込み上がってくる歓喜を押しとどめ、ただ機械的に端末を操作し続ける。

 

(高町なのはか……あの子は一体どういう遺伝子をしてるんだろう)

 

 彼女の指先がまるで精密機械のようにコンソールに舞い、それによって芸術的とも言える制御アルゴリズムがどんどん形を作っていく。

 

(優しい、慈しみがあり、そして意志が固い。そして、遺伝子に組み込まれた莫大な闘争本能と戦闘に関する絶大な学習能力がその感情を押し流して闘争という手段を執らせてるんだ。そう、そうじゃないと、未知の敵相手に逃げるという手段よりも攻撃する手段を真っ先に選択できるはずがない)

 

 彼女は白い幼子が戦場を飛び回る姿を想像しながら、彼女の思考を忠実に再現し攻撃のタイミング、判断速度とその選択基準をシミュレートしアルゴリズムの制御値を次々に変化させていく。

 

(本人は自覚していないだろうな……なのはの家庭には、何人か本式で人を殺してきた人がいるんじゃないかな?)

 

 彼女の目の動きは弾頭軌道であり、意識の方向は相手の未来の予測点である。半自動化しさせたイルミネーターの軌道予測アルゴリズムを修正し、それに乱数軌道アルゴリズムを付加させることでそれはまるで敵の背後を執拗に追い求める蛇の牙へと変貌する。

 

(とにかく、あの子は私の食指を大いに満足させてくれる狂気を身に宿していると言うことだね。うん、見てみたい。完璧な戦闘者として覚醒した彼女が理性を持って狂気を制御する。みんなを安心させる笑顔で戦場を飛び回るその姿を、見てみたいなぁ)

 

 アリシアの瞼の裏側には、数年後、十数年後の彼女の姿がまさに克明に映し出されていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 Hyperventilating

 

 蛍光灯の明るい光が部屋に満ち、静寂に沈む夜の空気の中でコンピュータの冷却ファンの音だけが静かな部屋の中に響き渡る。

 その中でガチャガチャという軽快なキータイプの音が一定のリズムを奏でて鳴り響き、机上に設えられた薄型の液晶モニターからは様々な種類のデータやグラフが細かくその様相を変えていく。

 

 ユーノはそんな中作業を一旦停止させ、少し天井を仰ぐように息をつき、冷めてしまって久しいコーヒーに手を伸ばした。

 

 何となく気分を落ち着かせるために始めた趣味のプログラミングだったが、思いの外のめり込んでしまったようだ。ユーノはそのままゆっくり画面の時計を確認すると、帰宅からずいぶんと時間が経過してしまっていたことに気がついた。

 

(なのははもう寝たかな?)

 

 ユーノはそう思い、そばに置いてあった携帯電話を充電用の卓上ホルダーから抜いてモニターを確認した。

 

「やっぱり、まだ来てないな」

 

 なのはと色違いのおそろいの携帯電話は、彼の魔力光にあわせたライムグリーンの色をしている。同機種同士なら通話料が安くなるということで彼女が進めてきたものだ。

 おそろいの携帯電話ということでこれを学校で披露した日には、アリサを筆頭にして何人かのクラスメイトからいろいろと邪推というやっかみを受けたが、今となってはそんな日々も懐かしく思えてしまう。

 

 そのときは、まだまだ彼はクラスになじめず、アリサやすずかといったなのはの親友ともどこかよそよそしく、今のように一緒に行動をしたりする仲ではなかった。

 ある意味、この携帯電話にまつわる一件がその後の交友関係を円滑にしたきっかけともいえるもので、ユーノはそのことに純粋に感謝をしている。

 

 ユーノはしばらく携帯電話の画面、アリサに強引に設定された友人たちの写真を眺めそっとモニターをたたんだ。

 

「訓練で疲れてたもんね」

 

 何にいいわけをするわけでもないがユーノはそうつぶやき、携帯電話を再び卓上ホルダーに戻しておいた。

 

 なのはは就寝の前に友人たちへお休みのメールを入れる習慣がある。そこに示される文面は、今日の出来事や楽しかったこと、少し残念に思ったことが書きつづられており、気の知れた人に見せる日記のようだとユーノは感じる。

 そして、いつしか自分もそれが来るのを楽しみにするようになっており、その返信もただそれに対する返答だけではなく、今日という日をどう思ったのかをなるべくライトな文面で送り返すようにしているのだ。

 

「それにしても、きつかったなぁ、訓練……」

 

 ユーノはなのはがヘトヘトになるまで扱きあげられた訓練を思い出し、少し背筋をふるわせた。

 

 あの後にアリシアがなのはに施した訓練は過酷もいいところだった。なのはの射撃性能の限界をみると言って、それこそ文字通り限界までなのはは射撃魔法を使用することとなった。

 とにかく今回は半自動化されたイルミネーターの性能チェックと移動しながら敵に照準を合わせ続けるという少しばかり高度な訓練となったわけだ。

 最終的になのはは、攻撃してくる移動目標の魔法弾を回避しながら同時4目標の迎撃に成功するなど、アリシアの目から見ても『上出来』とされるような結果を残していた。

 

 そして、その後新たに設けられたレイジングハートの近接戦闘モード、【ストライク・モード】の試験運用と実地試験が行われることになる。

 そこでなのはは、頑丈な合金製の棍棒を構えるアリシアを相手に近接格闘訓練を施されていた。

 レイジングハートの新モードは、槍を模した形となっておりその二本に分かれた先端の間からは【ストライク・フレーム】と呼ばれる魔力刃が展開されていたのだ。今後、レイジングハートを起動する際にはそのストライク・モードがデフォルトとなるらしい。

 

 ともあれ、最初はアリシアを相手にすることを躊躇していたなのはだったが、その初撃で棍棒によってレイジングハートを絡め取られ取り落としてしまうことになる。

 『どうした?』と不敵に笑うアリシアを前に、なのはは持ち前の負けず嫌いな気風を爆発させ積極的にアリシアと組み合っていた。

 

 アリシアには戦闘力がない。それは全くの誤解だったということをなのはとフェイトは思い知ることとなる。

 一応、なのはは飛行を含む魔法を許可されていたが、アリシアの戦闘の組み立て方の巧さの前ではそれらを有効活用することができず、後ろに引けば棍棒のリーチの餌食となり、、無理に近接格闘を挑もうとすれば死角から拳打や蹴撃が舞い込んで来、高速移動で背後をとろうとしてもあっさりと読まれた上に進路方向をずらされ投げ飛ばされた上に組み敷かれて関節技に持って行かれるかだった。

 また、飛行魔法によって上空に退避したところで距離を開けた油断を突かれ、投擲された棍棒にあえなくノックアウトされていたものだ。

 

 アリシアの体繰りや筋力はある程度魔術によって強化されていたとはいえフェイトやクロノ、果てはユーノに比べても遅くて弱いとしかいえないものだった。しかし、それでも相手の物理的な死角や精神的な死角を上手く利用し、自分ではなく相手の力を利用して戦えば十分戦力なると言うことの証明だった。

 

 なのはは必死になって体を動かし、何とかアリシアの裏をついて果敢に近接戦闘を挑んでいたが、結局それがアリシアの身体をとらえることをなかった。

 

 そして、その訓練の終わりにフェイトが姉を絶賛して、『お姉ちゃんならシグナム達にも勝てるんじゃない?』と言ったところ、アリシアは苦笑混じりに肩をすくめた。

 

『今回はわざと私が有利になる状況で訓練をしていたから私が勝つのは当たり前だね。初めからなのはが空を飛んでいたらさすがに勝てないよ。それに、いくら魔法戦闘といっても近接戦闘で最終的にものを言うのはその人の技量だと言うことを体感してもらいたかったからね。ちょっと、極端な例だったけど』

 

 ただ見学していただけのユーノではあるが、アリシアがベルディナと変わらず近接戦闘(CQB:Close Quarters Battle)のエキスパートであることが確認できたため実に有意義な時間だった。

 フェイトにとっても近接戦闘の奥の深さを感じることが出来ただろうし、なのはも魔力の量が戦力の差には必ずしもつながらないということを学び取れたと言っていた。

 

 

 アウトラインによる回想を終え、ユーノは天井を仰いだ。

 つい数時間前、今日に起こったことを反芻することで思い出したくもないことが脳裏をよぎる。

 どうして、あのときあそこにクロノがいたのだろうか。クロノはなのはにいったい何を告げたのだろうか。

 

 なのははあの瞬間、確かになにがしかの悩みを持っていた。悩みといえるのかどうかはわからないが、何らかの迷いをうちに秘めていたことは確かだ。

 しかし、ユーノにはあのとき彼女の中で何が起こっていたのかを推測することができなかったのだ。その原因がいったい何かということさえ彼には理解できなかった。

 

 しかし、クロノと短い間にせよ言葉を交わして、その結果なのはがいつもの笑顔を取り戻したことだけは確かなのだ。ユーノが好きな笑顔。それをみているだけで幸せになれるような笑顔を彼女は取り戻した。

 

(それが出来たのがクロノなんだ。僕じゃなくて)

 

 薄暗い感情。おそらく嫉妬ともいえるような感情が意識を支配していくことをユーノは確かに感じていた。

 

--PiPi--

 

 その感情に引きずられるように陥っていく寸前、ユーノの携帯電話が音を立てた。

 

(なのは?)

 

 それがメールの着信音ではなく、通話受信音であることに少し首をかしげながらもユーノはそれを取り上げた。

 その先にあるのは『非通知発信』という文字であり、相手側が誰なのかをうかがい知ることは出来ない。

 セキュリティーの問題もあり、それに出ようかどうか一瞬迷ったユーノだが、結局通話ボタンを押すことにした。

 

「もしもし?」

 

 相手側には失礼かもしれないが、ユーノは自分の名前を名乗らずに相手を促した。

 

『ああ、私だよ、私。分かる?』

 

 耳に当てたスピーカーから聞こえる声はどこかで聞いたことのあるような声だったが、ユーノはため息をつき、

 

「申し訳ないけど、僕は『私』なんて言う人を知らないんだけど……振り込め詐欺なら他を当たってくれないかな?」

 

 最近テレビでよくやっている【オレオレ詐欺】への対応マニュアルに沿って言葉を返した。

 

『振り込め詐欺? 何それ? ともかくアリシアだけど、ユーノだよね?』

 

 アリシアと名乗った相手は耳慣れない言葉に怪訝な声を上げるが、果たして彼女がそれを知らなかったのか、知っていて惚けているのかはユーノには判断が出来なかった。

 

「そういう新手の詐欺が地球では流行っているんだよ。こんばんは、アリシア。どうしたのこんな時間に」

 

 ユーノはそういって改めて時計に目を向けた。時計の短針と長針はすでに良い子は寝る時間を指し示していた。

 まあ、アリシアが良い子とは鳥肌が立つようなお世辞でも言えないが、一般的な感覚では電話をするには少し躊躇するような時間ではある。

 

『ちょっとお腹が空いたからこっちに戻って来たんだけど。どうも、食べ損ねたみたいでね。良い子のフェイトは眠ってしまったし、クロノとリンディ提督は本局で、エイミィも電算室から出てこないから外で済ませようと思ったんだけど……』

 

「フェイトはアリシアと違って規則正しい生活だからね。それにしてもこんな時間まで何も食べなくて大丈夫だったの?」

 

『無重力空間では食欲が減衰するからね。時間感覚も崩壊してしまうようなところだから』

 

 アリシアは苦笑混じりにそう答えた。ユーノは無限書庫が無重力空間の広がる非常に薄暗い場所と言うことは知っていたが、それが具体的にどのような場所なのかを知らず、アリシアの言葉にも『そういうこともあるのか』と実に軽く考えた。

 

「なるほどね。それで、僕に何のよう? 僕の部屋には食べられるものなんてほとんどないよ?」

 

 正確にはインスタント類の非常食的なものはそろっているのだが、身体的に5歳児であるアリシアにそれを食べさせるのは少し気が引ける。それに、ユーノ自身も今日の夕食は本局で済ませてきたため食材の買い出しなどは行っていなかったのだ。

 何せ、いくらその精神や知能が圧倒的な老成を誇るとはいえ、その身体はまだおやつやお昼寝が必要になるような年齢に違いないのだ。

 

 この時期に偏った食生活を送れば確実に成長に障害が生じるだろう。

 

『さすがに年下の男にたかろうなんて思わないさ。外に出るにしても何がどこにあるかが分からないから、安くて美味しい店があれば教えてもらえないかなって思って』

 

「年下って、アリシアの方が小さいじゃないか。それに、こんな時間に出歩いたら補導されるよ?」

 

 僕でも危ないんだからさというユーノの言葉にアリシアは少し声を飲み込んだ。

 

『うーん、そうか。何とかならないかなぁ』

 

 アリシアの声から類推するかぎり、随分辛そうに思えた。これは、カップ麺でもいいから何か食べさせた方がいいかなとユーノは思うが、その脳裏に妙案がひらめいた。

 

「そうだ、ちょっと待ってて。後で念話でかけ直すよ」

 

『ん? 分かった』

 

 ユーノは「それじゃ、後で」と言い残し一度携帯電話の電源を切った。アリシアからかけられてきた通信先はおそらくプレシードだろうと予測が付くが、携帯電話からデバイスに対しては通信回線が開かれていないため、ユーノからアリシアに連絡を送るためには直接念話で通信する必要がある。アリシアの念話が可能な距離はそれほど長くはないが、スクライア邸からハラオウン邸程度の距離なら問題はないだろう。

 そう思いながらユーノは携帯電話の電話帳を開きその二番目にある連絡先へと回線を開いた

 

 

『はい、高町です』

 

 通話音が暫く程の時間もなくとぎれ、その代わり人なつっこい女性の声がスピーカーから響いた。いつものことなのだが、電話越しの声とは少し音の質が変化してしまうようでユーノにはまだその感触がどうも慣れられずにいる。

 

「あ、こんばんは。夜分に申し訳ありません、スクライアです。美由希さんですか?」

 

『あ、ユーノ? どうしたのこんな時間に。なのははもう寝ちゃったけど?』

 

 対話口に出たのは、高町家の長女、なのはの義理の姉である高町美由希だった。

 ユーノとしてはフェレットとして高町家に逗留していた時に何かと弄り倒された相手であるので、若干の苦手意識があるのだが関係は良好だ。

 

 今話している彼女は少しよく聞くと声に若干の疲れが混じっているように感じられ、どうやら彼女の兄との夜の鍛錬から戻ったばかりのようだった。

 

「あ、いえ。なのはじゃなくて、ちょっと桃子さんにお願いがありまして……」

 

『んー、なに?』

 

「えーっと。なんて言えばいいのかな。フェイトの姉妹でアリシアって子がいるんですけど」

 

『うん、知ってるよ?』

 

「そのアリシアにちょっとご飯を食べさせていただけないかなと……」

 

『あー、いいと思うよ? ちょっとかーさんに聞いてくるから待っててくれない?』

 

 美由希はそう言い残して電話を一度保留にする。ユーノは保留を示す軽快なメロディーを聞きながらぼんやりと待つことにする。

 

 思えば、こういったやり取りにも慣れたとユーノは思った。放浪の民であるスクライアの性質上、異なる文化や環境に対する適応能力は高いと感じていたが、それまで異文化とここまで深く付き合う事はなかったことを彼は気がついたものだった。

 

 スクライアの人間関係とは基本的に一期一会。特定の世界、文化に依らずむしろそう言った異なるものを単なる研究対象として位置づけ、自らは特定の神をあがめることもしない。

 スクライア族の源流は未だ不明であり、彼等は自分たちがどこから発生しそして、何処へ向かおうとしているのかその源泉ともなるものが存在しないのだ。故に部族全体を一つの個としてまとめ上げるしか他がなかった。スクライアが過去を発掘し始めたのは、自分たちがやがて帰るべき故郷を探すためだとも言われてる。

 

 この世界、この国の人達とはまるで逆だとユーノは感じた。

 最近ではずいぶんと薄れたと言われているが、この国の人たちが持つ一種独特の連帯感や、ともすれば他や新しいものを拒絶する一種の閉鎖感。そして、9割の者達が自分を無神論者だと口にするほどに生活にとけ込んだ宗教観。自然に対する敬意、恐れ、遙か古代2000年もの昔に建造された宗教的寺院等の建造物を現世においても残し、復元し、構成へと伝えていく。ともすれば、この土地には神や精霊というものが住まっているのではないかと感じられるような感覚。

 

 スクライアは未来へと向かっていない。ひたすら過去というものを追い求める種族だと教えられ、この国の過去を追い求める気風と未来へと向かって貪欲に足を進める気概にユーノは素直な驚きを感じたものだった。

 

『はーいもしもし、ユーノ君?』

 

 何となく感傷に浸りそうになったユーノの耳に親友の母親、高町桃子の明るい声が響いた。

 

「あ、こんばんは桃子さん。急にお電話してしまい申し訳ありませんでした」

 

『んもう、そんな他人行儀な事いわないで良いのよ? 何だったらお義母さんって呼んでくれてもいいのに』

 

「いや、まあ、それは追々と言うことで……」

 

 実質的には桃子はユーノの保護者とは何の関係もなく、ユーノの現在の保護者はリンディ・ハラオウンということとなり、その法的な後見人は遙かイギリスのギル・グレアムということとなっている。

 つまり、もしもフェイトとアリシアがハラオウン家の養子として引き取られるとすれば、実質的に彼女たちとユーノは兄妹に近い間柄と言うこととなるのだ。

 

 しかし、桃子が言っていることはそんなことではないということはユーノも何となく知っていた。

 ユーノとしては馴染みの浅いことになるのだが、どうやらこの国の習慣として結婚をすればどちらかの姓を名乗るようになるらしい。本来なら生まれて死ぬまでスクライアでしか有り得なかったユーノとしては、それを最初に聞いたとき本当に奇妙な感覚を覚えたものだが、名字が変わるという感覚は一体どのようなものなのか分からない。

 

『美由希から話は聞いたわ。アリシアちゃんね。桃子さんとしては大丈夫なんだけど、ハラオウンさんはどうしてるの?』

 

 桃子の疑問は当然のことだろう。アリシアにご飯を食べさせてやって欲しいと言うことは、アリシアはハラオウン、つまりはリンディからまともに食事を与えられていないという事にもなるわけだ。

 まさかあのリンディがそんな子供を虐待するかのようなことをするはずがないと桃子は信じたかったが、聞かずにはおられないということなのだろう。

 

 ユーノは少し説明が難しいなと感じながら、管理局と魔法、アリシアの事情などには触れない範囲で正直に言うこととした。

 

 ユーノ曰く、リンディは遠くに働きに出ていて、その息子のクロノも既に社会に出てリンディのサポートをしている。フェイトは学校に火曜と言うことでこちらに居ることが多いが、アリシアはまだその年ではなく身体にも何かと障害を抱えているから今はリンディと同じ職場に居ることが多い。そして、今夜は色々と手違いがあってアリシアが夕食をとれない状態になってしまったのだ。

 

 桃子からはどういう状況だとそうなるのと聞かれてしまったが、ユーノは詳しいことは聞いていないと答えざるをえなかった。ここで下手に答えてアリシアのカバーストーリーと矛盾を生じるのは拙いのだ。

 

『んーー、分かったわ。後のことはアリシアちゃんから聞くとして……士郎さんに迎えに行って貰うから少し待っててね。ハラオウンさんのマンションの前でいいのかしら?』

 

「分かりました、アリシアにもそう伝えます」

 

『ユーノ君も一緒に来ないかしら?』

 

「僕は夕飯はちゃんと食べましたし、もうそろそろ寝ようと思っていたので」

 

『そーよねー。それじゃあ、お休みユーノ君』

 

「はい、おやすみなさい」

 

 ユーノと桃子は電話越しにお休みの挨拶を交わし、ユーノから先に通話を切った。

 

 ユーノは「ふう」と一息つき、少し緊張で握りしめてしまった汗をペーパータオルで拭うと、すぐさまひもじく待ちぼうけを食らって居るであろうアリシアに対して念話の回線を開いた。

 本来なら、管理外世界での魔法行使は条約で禁止されているのだが、念話や簡単な治療魔法など、比較的生活に密着した小規模な程度の魔法行使は事実上黙認されているという状態だ。

 禁止はされているが、目くじらを立てる程度のことではない。もしもそれらが現地の環境、たとえば電波障害を引き起こしたり、治療魔法が現地人の遺伝子やその他諸々に悪影響を与えるなどの事が起こらない限りその程度の魔法をわざわざ摘発するほど管理局も暇ではないのだ。

 

『アリシア、アリシア。聞こえる? ユーノです』

 

『ああ、ユーノ。待ちくたびれたよ。もう少しで餓死するかも』

 

『ごめんごめん。ちょっとだけ手間取って。桃子さん……なのはのご両親に事情を説明してご飯をもらえるようにしたから、マンションの前に出ておいてもらえるかな?』

 

『なのはの両親に? それは、迷惑をかけることになるな……先方はどうって?』

 

『アリシアがリンディさん達からご飯を貰えなかったのに少し疑問があるみたいだけど、おおむね良好だった。事情は聞いていないって言っちゃったから、言い訳はアリシアの方で用意しておいて』

 

『騙すみたいでなんだか心苦しいけどね。了承したよ、ありがとうユーノ、命の恩人』

 

『命なんて大げさだねアリシアは。それにしても心苦しいだなんてアリシアらしくないようにも思えるけど?』

 

『こう見えても意外と律儀な男……じゃなくて、意外と律儀な女なんだよ私は』

 

『律儀なのは認めるよ、容赦ないないもんねアリシアは』

 

『恩義には恩義。不義には不義で返せってやつさ』

 

『立派なものだね』

 

『君の皮肉は心に響くよ。それにしても、こんな時にも高町を頼るなんて、少し妬いてしまうな』

 

『どういうこと?』

 

『ただの感傷だよユーノ。喜ばしい中にちょっとした後悔といくらかの寂しさ。後は、戸惑いといったところかな』

 

『よく分からない』

 

『むしろ忘れてほしいことだよ。ユーノが果たしたいことを私も応援したいのは今になっても変わらないからね』

 

『アリシアは、僕がしたいこと分かるの?』

 

『さあ? 予測は出来るけど正確には知らないね。まあ、もっとも君が今日不機嫌だったことがその理由によるものではないかと邪推する程度のことさ』

 

『………アリシアには分かったんだ………』

 

『何年一緒にいるとでも? ”俺”としてはおまえがそういう感情を表に出すようになってくれてうれしいと思うがね』

 

『都合良く自分の立場を変えないでほしい』

 

『ごめんごめん。ともかく、私はユーノがそうやって不機嫌になるのを悪いことだとは思わないからね。子供は子供らしく時々は感情に身を任せてしまうのもいいんじゃないかな』

 

『子供のアリシアから言われるととても心に響くね』

 

『ユーノの皮肉は何となく聞いてて気持ちがいいな。まあ、私が子供だというのは事実だから否定しないよ。それに、いろいろと便利な部分もあるからね。……っと、高町さんが来たみたいだ。じゃあ、また今度』

 

『分かった、それじゃあ』

 

 ユーノは最後にそう短く受け答えをし、アリシアはそのまま念話の回線を遮断した。

 窓の外、少し遠くの方から車が停車するブレーキ音が聞こえた。念話は電話とは違い、周囲の環境の音が聞こえてこないものだから、ひょっとすれば彼女は会話の途中で外に出ていたのかもしれないと思いながらユーノは「ふぅ」と一息ついた。

 

「時には子供らしく……か」

 

 自分が子供らしくない子供だと言うことはよく理解している。スクライアにいるときも、8歳でミッドの魔法学園を卒業したときも、その在学中も自分はずいぶんとひねくれた子供だったという自覚もある。

 

 それは、自分よりも年上でありながら子供らしさというものをなくすことをしなかったベルディナの影響だったのか、それともスクライアに対する恩義を果たすために早く大人になりたいという感情からだったのか。そればかりは今となっては思い出すことが出来ないが、ユーノは置き去りにしてきてしまった子供である自分を取り戻すことも悪くはないかもしれないと思った。

 

 ユーノはしばらくうつむいてその気はなくとも背中を押してくれた少女と自分の理由となってくれた彼女の姿を思い浮かべ入浴のために部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 Lonely Guardian

 

 朝、目覚めたユーノは身体に残る多少の疲労感を感じながらゆるゆるとベッドからはい出す。昨日の訓練の後夜遅くまで起きて魔法の構成式をいろいろといじっていたためずいぶんと夜更かししてしまっていた。

 

 再び学校に通い出してずいぶん規則正しい生活になったなとユーノは思い、寝間着のままリビングで朝食の準備を始めた。

 

 つい数週間前にはもっと早い時間に起きてなのはと一緒に魔法の練習を行っていたものだが、最近は前日までに申請を出しておけば本局の訓練施設を使えるようになったため、それはしばらくの間お休みということになっていた。

 

 何せ、なのはがヴォルケンリッターに狙われるようになったのもその練習が原因の一端であるとも考えられるため、不用意に地球で魔法を使うわけにもいかなくなったのだ。

 

 敵はどこに潜んでるか分からない。あの騎士達の気風であれば人通りの多い町中でいきなり奇襲をかけてくることはないだろうが、クロノの言を借りれば第三勢力の介入が危ぶまれると言うらしい。

 

 あの戦闘からそろそろ二週間がたとうとしている。

 

 クロノ達アースラの上層部からの報告に因れば彼らは現在、管理局の目の届きにくい世界でランダムに出現しては消失を繰り返しているらしく、その足取りは未だつかむことが出来ていないらしい。

 

 つまり、今は次なる作戦を打つための前準備の段階だという訳であり、ユーノ達地球に在住する戦力にはあれ以来お呼びがかかったことがないのだ。

 

 ユーノは朝食のトーストと深煎りのコーヒーを口にしながら、眠気覚ましがてらに今日のスケジュールを思い描いた。

 

 学校に登校して放課後まで授業を受けることは休日以外はすべて同じ日程となるが、その放課後となると今までは大抵学友達の予定に合わせた行動となる。

 アリサとすずかの稽古事がなければそのまま夕暮れ近くまで町を散策するか、誰かの家に集まってお茶をしながら談笑となり、なのは、アリサ、すずかが塾に行く日であればユーノは大抵フェイトとともにハラオウン邸で話をしたり本を読んだり、時々アリシアの話し相手になったりしている。

 そして、アリサとすずかが名家の令嬢らしい固有の稽古事がある日はそれになのはが加わり本局での魔法訓練に明け暮れる。その時はどこからかアリシアもその情報を入手してその訓練につきあってくれる。アリシアが受け持つのは主になのはの訓練であり、それはレイジングハートの微調整という名目なのだが、ユーノとしてみれば何となくなのはをとられたような気がして少しおもしろくない。フェイトもそれは同じのようで、いつもそれを横目で見ながら『お姉ちゃん、なのはとばっかりでずるい』とつぶやいている風景がよく見られる。

 

 そのヤキモチがいったいどちらに向いているのか、なのはを取られたアリシアに向いているのか、アリシアを取られたなのはに向いているのか、それともその両方なのか、ユーノには判断しがたいことだった。

 

 ユーノはそんなことをつらつらと思い浮かべながら無言でトーストを咀嚼し壁際においてある20インチの薄型テレビを付け、朝のニュースから天気予報を一通り目を通した。

 

 世界情勢は相変わらず、先物投資の影響から原油の値段が年明け頃から一気に上がりそうだとか、高速道路無料化の話題が現在の野党から提案されたとか、隣の大陸の中央に駐留する同盟国の軍隊が自爆テロの影響で多数の死者が出たとか。

 そういったことが相変わらずと感じられるほど自分はこの世界になじむことが出来たのかと思うと少しだけ不思議な感触もする。

 何となく、今君は何人だと聞かれればミッドと地球のどちらを選べばいいのかと迷いそうだとユーノは思い浮かべトーストの最後のひとかけらを口に補折り込み、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

 

 そして、ユーノは寝室に戻り寝間着から学校の制服に着替え鞄を持ち住まいを後にした。

 

 ガチャリと言うどことなくレトロな音を立てて扉が閉じられ、その音の原因となった鍵をポケットの奥にしまい込み、ユーノはアパートから見下ろせる町並みに少しの間だけ目を奪われた。

 

 早朝よりも遅い時間、見下ろす町並みはすでに人の動きが活発となり夜や夜明け間近の身を切るような冷涼さよりもずいぶんと穏やかな雰囲気を醸し出している。

 

 そして、その視線の先に小さく移るこの国の伝統的な家屋に遠目でも広く感じられる庭と道場のある家。

 なのははもう家を出ただろうかとユーノは思いやる。

 

 そして、そろそろフェイトとの待ち合わせの時間が差し迫っていることに気がつき、足早にエレベーターホールへと向かいアパートを後にした。

 

 ユーノのアパートから送迎バスの停留所までの道のりの中程にはハラオウン邸のあるマンションが建てられている。

 このあたりでは高級分譲マンションとして有名で、その一階層を丸ごと購入したというハラオウン家は近所だけでなくここいら一帯においてそれなりに有名にもなっているのだ。

 故に、そのハラオウン家の娘と認識されているフェイトはマンションの前でたっていれば道行く人から軽く会釈をされる程度には有名な存在とも言える。

 

 ユーノもその近隣に住む住民の一人としてまことしやかに流される噂話はそれなりに耳にしており。ハラオウン家はそれなりに奇妙に思われてはいるが、それほどネガティブなイメージが誘発されていることもない。

 

 その中でユーノが印象的に感じたのは、マンションの入り口付近でしきりに時計を気にしながら周囲をキョロキョロと落ち着きなさげに見回すフェイトのことだろう。

 

 ユーノはフェイトの名を呼びながら軽く手を振ってそのそばに歩み寄っていった。

 

 ハラオウンの娘はどこぞの名家のお嬢様か、貴族の忘れ形見か。なるほど、こうしてほっとして笑顔を見せるその雰囲気は確かに深窓の令嬢を思わせるに違いないとユーノは思う。

 

 アリシアもよく口にすることだが、フェイトは将来はとんでもない美人になるだろう。その話を聞かされるたびにユーノはアリシアに、それは遠回しな自画自賛だと皮肉ったものだが、その意見にはなのは共々大いに賛成だった。

 

 フェイト本人は気づいていないだろうが、クラスでも彼女を見る男女の目はなかなか尋常ではない。

 

 フェイトとユーノは朝の挨拶を交わしながら雑談混じりに歩き始め、いつも時間を決めている送迎バスの停留所へと向かい始める。

 

 こうして話しているとよく分かる。フェイトはとても綺麗だ。見た目だけではなく心も何もかも。そして、この半年でよく笑うようになった。あの事件が終わったばかりの頃は、まだ感情の表現の仕方がよく分からず、夜になれば母の夢にうなされ幼子のように夜泣きを繰り返していたという。

 

 その頃のフェイトは大変だったとクロノ、アリシア共々口にしている。特にアリシアは夜に泣くフェイトを宥めるために毎晩寝所をともにしていたというらしいことからそれが伺えるものだ。

 

 ともかく今はいろいろなことが安定している、とユーノはバスの後部座席に並んで話の華を咲かせる四人の少女を眺めながらそう思いやった。

 この平穏を、フェイトに幸せのきっかけを与えた少女の平静を守れるなら、自分はあらゆるものから優先してそれを行うとユーノは誓いを新たに脳裏にマルチタスクを展開させ、昨日の夜に途中で終わってしまった魔法の構成式を練り上げ始めた。

 

(なのはを守れるのは僕だけだ。クロノなんかじゃない……!)

 

 それが今の彼が至ったもの。”置き去りにしてきた感情”から導き出された決意だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 Naked Emotion

 

 適度な緊張感のある教室は教師の言葉とホワイトボードをたたくペンの音が響き渡り、その板書をする鉛筆やシャープペンシルのこつこつという音に包まれている。

 その中に混じって時々欠伸や寝息など気の抜けるような音も耳にはいるが、この学校ではそれらは自業自得として教師も手厳しく諫めることもしない。

 

 中には優秀すぎるが故に学校での勉強が退屈すぎるために居眠りの常習犯になっているものもいるが、それは希な例であると言えるだろう。

 実際、彼女と同等程度の優秀さを誇る彼は眠たそうな雰囲気の一つも見せず、ただ黙々とノートに文字を走らせているのだから。異邦人でありながら彼のノートに記されている文字の4割強は日本語であることから彼の実直さを伺うことが出来る。

 

 しかし、この時間になってくると午前中にある緊張感も次第に緩んでくるものだ、と少しだけ離れた席で高鼾をかく親友アリサと、ゆるみ始めている教室の空気の中でしっかりとペンを走らせるユーノとを見比べながら向けながらなのははクスッと笑った。

 

 半年前であれば、なのははこうして授業を受けている最中でも魔導師の特性でもあるマルチタスクを利用して様々なイメージ・トレーニングをしていたものだった。

 しかし、それが原因かどうかは分からないが、それをし始めた後になって学校の成績が目に見えて悪化してしまうという事態に直面した。しかも、成績表に『注意力散漫』という注意書きが記載されるようになってからは両親に咎められたこともあり、授業中にマルチタスクを展開することは控えるようになった。

 

 それでも、今ばかりは一つのタスクを使用してまで考えておきたいことがあった。

 

 なのはは、ホワイトボードの文字に集中しながらも横目でそっとユーノの表情を伺った。

 

(最近、ユーノ君がよそよそしい気がする)

 

 それがなのはの最近の悩みの一番を占めている事柄だった。

 何となく、なのははユーノと隔たりを感じる。あるはずのない溝を感じてしまう。少し自分と彼の距離が離れてしまったような気がする。

 それを彼に内緒で友人達に聞いてみたところ友人達、フェイト、アリサ、すずかは「気のせいじゃないか?」と口をそろえるばかりだった。

 確かに、日常的な場面ではユーノは何も変わらないように思える。

 学校にいるときでも、なのは達女子だけのグループの蒼一点であるがために少し居心地の悪そうな、何となく遠慮深そうにして話の輪にも入りにくそうにしている。だが、そのそばで自分たちを見ながら微笑むその表情は変わりなく、それだけならなのはも気のしすぎだと思えたかもしれない。

 

 今日の昼休みにもお決まりのようにアリサから「あんたももう少し会話に入りなさいよ!」と叱られていたほどだ。

 

(うん、いつも通りだった)

 

 しかし、なのははその中にあっても時折ユーノが自分を見つめる目になにがしかの決意を秘める光を感じ取っていた。

 酷く澄んだ、純粋な視線。思わず心臓が高鳴るほどの熱い眼差し。そして、それは同時に何かいい知れない予感を孕んだ眼のように感じられた。彼が、自分をおいてどこか遠くに行ってしまうのではないか、彼のその視線の先に移るのは自分ではなくほかの何かなのではないのか。

 

 教室の雰囲気は弛緩の最高潮にあった。授業を行うクラス担任が少しため息をついてそれを咎めようとする寸前、ホワイトボードの上方に設置されたスピーカーから本日の授業の終わりを示すベルの音が鳴り響き、担任教師はそのまま日直に挨拶をさせ授業を終えた。

 

「終わったぁー」

 

 教室の様々な場所からそんな声がつぶやかれ、あるいは堂々と宣言されながら後はHRを残すばかりとなった。

 

「なのは、今日はどうする?」

 

 チャイムが鳴ると同時にすっぱりと目を覚ましたアリサが口の中で欠伸をかみしめながらアリサはなのはの机に足を組んで座った。

 名家のお嬢様としてそれはいかがなものかとなのはは思うが、それもアリサらしくて小さくほほえみを返した。

 

「アリサ達は、今日は何もない日だよね」

 

 それを聞きつけ、フェイトも少しだけ眠たそうな目をこすりながらゆるゆると会話に混ざった。

 

「そうよ、塾もないし、今日はパパもママも帰ってこないし……すずかの家に泊まりに行こうかしら」

 

 一人だけの食事は美味しい料理も味っ気がなくなってしまう。アリサはそうつぶやきながらすずかに目を向けた。

 

「私はいいよ? その前にちょっとお見舞いに行かないといけないけど……夕方からは時間が空いてるし……。なのはちゃん達もどう?」

 

「お見舞い? 誰か病気?」

 

「うん、ちょっと前に知り合った子で、八神はやてちゃんって言うの」

 

 すずかはそう答えながら新しい友人である八神はやてがどんな子か、どういった経緯で知り合ったのかを笑顔いっぱいに話し始めた。

 

「ふーん、本好きなんだその子。だったら、ユーノ君と気が合うかも知れないね。だけど、私たちと同い年で入院なんて大変なんだねぇ」

 

 なのははそういいながら横目でチラッとユーノの席を伺った。彼は、机の教科書やノート、体操服を鞄にまとめ帰り支度をしながら隣の席や前の席の男子生徒と軽く話をしているようだった。

 

 何となく面白くないとなのはは感じた。

 女子には女子のつきあいがあるように男子には男子のつきあいがある。

 また、この頃になると男子と女子の性差というものを感じられるようになるのか、女子の集団に男子が混じる、男子の集団に女子が混じるとその周囲の雰囲気に少し刺のようなものが生じるようになってくるのだ。

 

 ユーノに気の合う友達が増えるのはなのはとしてもうれしい。しかし、そのせいで何となくユーノと話す時間が減ってしまうのは面白くない。

 

 ジーッとユーノの横顔を見つめるなのはに、アリサとすずかは肩をすくめ苦笑し、フェイトはぽかんとした表情で二人を交互に見る。

 

「な~の~は~!」

 

 アリサはまるで怨嗟のような間延びした声を上げながら、彼女の頭からちょこんと飛び出ているお下げの片方をひっつかみ、結構強い力でぐいっと上に引っ張り上げた。

 

「ふわぁぁぁ!! 痛い、痛いよアリサちゃん。引っ張らないで!」

 

 突然頭が引っ張り上げられる激痛というほどでもない痛みが襲いかかり、なのはは腕を振り回しながらガタガタと椅子を蹴って立ち上がった。

 

「ユーノが気になるのは分かるけど、今はあたしらに集中しなさい!」

 

 学校が終わればいくらでもユーノと話すことが出来る。アリサは眼力でそうなのはに伝え、なのはは頷くしかなかった。

 

『大丈夫? なのは』

 

「!!」

 

 突然届いたユーノからの念話になのはは思わず叫び声を上げそうになり、何とかそれを飲み込んだ。

 

 ユーノからなのはに念話がされたことを把握していたフェイトはともかく、いきなり背筋をビクンとさせて口を押さえるなのはの挙動にアリサとすずかは怪訝な表情を返す。

 

「な、何でもないの」

 

 なのははまだ聞かれてもいない弁明をしながら両手を振りながら愛想笑いを浮かべる。

 

『驚かせてごめん、なのは』

 

 横目で確認したユーノはこっちに目を向けることなく周囲の男子生徒と話をしている。何となくだが、なのははずるいと思った。

 

『……後で、いっぱいお話ししてくれたら許してあげる……』

 

 念話でもユーノにそんなわがままを言うのは恥ずかしい。そう、これはわがままだとなのはは自覚している。思えば、こうやって他人にわがままを言えるようになったのはユーノが最初だ。

 

 ユーノは何というか、強くあろう、他人に迷惑をかけないようにしようと頑なになる心をまるで平気な顔で解きほぐしまう人物だとなのはには感じられる。

 

 なのはは帰宅前のHRで教師の諸連絡を耳から耳に流しながら、やっぱりユーノはずるいと思ってしまう。たった一言でこっちの心を乱し、そばにいるだけで背中を温かくしてくれて、目に見えない所に行かれては寂しさで笑顔を浮かべることが出来なくなってしまう。

 

 存在そのものに心が揺さぶられてしまう。自分がそうでありながら、彼はいつだって平然としてまるで自分を年下の妹みたいに扱って……ずるいと感じながらもそんな関係に安らぎ、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。

 

『ユーノ君は、卑怯だ……』

 

 何となく納得できない、対等ではない気がするとなのはは思う。そして、その思考が念話のラインに乗っていたことを彼女は気づくことが出来なかった。

 

『……………』

 

 

********

 

【魔法技術が神秘に端を発しているかどうかは厳密な証拠となる記述はどこからも見つかっていない。しかし、現代魔法においてもベルカに代表される古代魔法においても願い、祈り、求めるという魔法の基本原則から鑑みると、それらは自然界の何らかな超越存在に対して協力を願い、それより力を得るという一種の自然崇拝的な宗教的儀式を思わせるものである】

 

「うーん……」

 

 なのははハラオウン邸、仮設駐屯所のリビングで腰を落ち着けながらアリシアより「訳して読むといいよ」と言われた本を開きながら、辞書を片手にペンを走らせる。

 

【そもそも魔法技術とはそれまで定義が不可能だった超自然的な……】

 

 と、なのははそこまでノートに記してその先の単語を見、眉をひそめた。

 

「えーっと、”in other word”? 違う言葉で……でいいのかな?」

 

 なのはは念のため【ワイズマン出版、現代ミッドチルダ語辞典(日本語訳版)】をパラパラとめくりその言葉の意味を確認しておいた。

 この辞書は、ミッドチルダで出版されたもっともポピュラーな辞典を日本語訳されたものだ。

 元々、これはユーノの所有物で彼が日本に住む際にアリシアからもらったものらしい。

 この辞書の翻訳自体はアリシアが行ったものであるが、出版物の関係から勝手にそんなことをしてもいいのかという疑問に対して彼女は「売り物にしない限りは問題ないはずだ」という実にグレーな回答をもらっている。

 

 それをなぜなのはが持っているのかというと、つい先日、アリシアが『魔法を習得するには身体で覚えるだけではなく体系的な修練も必要だ』とのことを言われ、そのためには本を読むのが一番だということからこのようなことになったのだ。

 

 一日最低でも二ページは翻訳するようになのはは指示され、今のところは何とかそのノルマを達成できていると言うことだ。

 

 二ページ程度なら大したことはないと思うだろうが、多少英語に似ているとはいえ習ったことのない異国の言葉に使われている文体は専門書特有の非常に硬い表現。しかも、小学生であるなのはが両手で抱えなければならない規模の書物で一文字あたりの大きさも小さくそれらがびっしりと敷き詰められた非常に細かい紙面。

 

 ある意味、ミッドチルダ出身者であるフェイトやクロノでさえ『目が痛くなる』というものを翻訳しながら勉強せよと言われているのだ。

 正直良くやっているとユーノやクロノも言葉をそろえる。

 

「えーっと、【言葉を換えると、超越した状態の現象】ああ、超常現象か……【超常現象を確たる……】えっと、【数学的、物理的な論法で書き示すことこそが魔法技術の発祥であると私は解釈する】……あうぅ、難しいよぉ……」

 

 目が痛くなるどころか頭が痛くなる。知恵熱で倒れそうだとなのはは思いながら単語の意味をつなげながらその意味を解釈していく。

 

【しかし、現代魔法に代表されるような、デバイスを用いてその儀式的奇跡をプログラム的に行使する方法論がいつの時代に発案され主流になっていったのか、それを示す記録は未だ発掘されていない。私が十年近くの時間をかけて無限書庫にこもり調べ上げたものであっても、それが1000年近く昔にさかのぼること、そして、その始祖であるデバイスがどうも[トライアル・アーツ]と呼ばれていたらしいということしか分からなかった】

 

《おお、私のことが書かれていますよ、マスター。この著者はなかなか目の付け所がいいですね》

 

 なのはが書き記していく文章の中にかつて自分に付けられていた名前を発見し、レイジングハートはどことなくうれしそうに紅い光を点滅させる。

 

「もう、邪魔しないで、レイジングハート」

 

【このように、我々が今日次元世界で広く使用している魔法技術にはその原初において未知の部分が多く存在する。特にインテリジェント・デバイスに関してはいかにして人間的な知性を機械に与えることが出来たのか、その目的に至るまで数多くの謎が隠されている】

 

「えーっと、【この論文では、インテリジェント・デバイスの自意識やその目的に関しては詳しく追求する予定はないが、それら魔法技術に関していかに未知の部分が多いかを知るきっかけとなっていただければ幸いである】。ふーん、結構分からないことって多いんだね」

 

《人の行うことには時にナンセンスな目的も多く含まれているものですからね。それらすべてに意味を求めることは難しいかと》

 

「分かってなくても使えるんだから、不思議だよねぇ」

 

《技術というものは得てしてそういうものだと思いますよ? マスターも、PCのような中身がどうなっているかよく分からないものでも使い方は分かるでしょう? 語弊はありますが、それと同じようなものかと》

 

「ああ、そっか。わかり易いや。えーっと【魔法技術に関する未知。それらを提示することで本稿の緒言を終えたいと思う】。やっと、見出しが終わったんだ。長かったぁ……」

 

《どうやら、残りの部分は謝辞や参考文献の列挙のみのようですから、とばしてもかまわないでしょう。お疲れ様でした。ノルマ達成です》

 

「ふう……ありがとう、レイジングハート」

 

《それにしても、アリシア嬢も要求が厳しいですね。本人はセーブしているつもりでしょうが、ユーノと同じものを要求するのはいささかマスターには荷が重いかと》

 

「むう……」

 

 なのはにしてみれば、レイジングハートの言葉はまるで自分があまり頭がよろしくないと言われているように感じ、面白くない。

 だが、クラスの秀才やアリサのような天才に肩を並べるほどの知性があるユーノと比べられればなのはは何も言えなくなってしまう。

 

「ただいまぁー」

 

 少しだけ落ち込んでしまうなのはだったがリビングを開くと同時に買い物に行っていたエイミィの帰宅に面を上げた。

 

「あ、お帰りなさい。エイミィさん。それと、フェイトちゃんも一緒だったんだ」

 

 リビングに同時に顔を見せたフェイトは、今度アリシアに会うときに差し入れるお菓子を買いに行っていたのだ。

 なのはは先ほどまでしていた課題があったため、残念ながら一緒は出来なかったが

どうやら途中でエイミィと合流していたらしい。

 

「うん。スーパーでばったりと。なのははもう終わった?」

 

 フェイトはそう言って微笑み、なのはの手元のノートをのぞき込んだ。

 

「なのはちゃん、お勉強してたんだ?」

 

「あ、はい。学校のじゃないんですけど」

 

 エイミィはキッチンとリビングとを隔てる木板のカウンターに近くのスーパーで買ってきた食材や飲料水を置いて、少し肩を回して一息ついた。

 

「ふーん、なんだか難しそうなもの読んでるね。雑学書?」

 

「えーっと、論文です。アリシアちゃんのお薦めで……」

 

 なのははアリシアの本『魔法学概論』と銘打たれた表紙をエイミィに見せた。

 

「うわぁ、これあたしも士官学校でやったよ……懐かしいなぁ」

 

 しかも卒業間近の最終学年の最後の課題で出されたものだとエイミィは溜息を吐き、当時は寮に住む友達や級友達を集めて大勉強会を開催したと呟く。

 

「そんなに難しかったんですか?」

 

「難しいってもんじゃないよ。はっきり言って理解不能。特にあたしなんか魔法が使えないから実感できる部分も少ないし。クロノ君やリンディさんは『ためになった』って言ってたけどねぇ」

 

 なのははこの本をアリシアから渡されるに当たり、「魔導師だったら座右の書にするべきものだよこれは」と言われていたが、それもあながち間違いではないと思い至る。

 

「だけど、なのはちゃんは翻訳しながらだから、私たちより大変かもね」

 

 エイミィは本に熱い視線を注ぎ始めたなのはに少し苦笑をしながらトートバックに詰められていた食材を冷蔵庫へと移し始めた。

 

 フェイトはエイミィの後ろ姿を見ながらなのはのノートを軽くチェックして、赤ペンで小さく丸を付けノートの隅に小さく【合格】とサインを入れた。

 

「ありがとう、フェイトちゃん。どうだった?」

 

 なのはは【合格】と日本語で書かれたサインを嬉しく思い、恒例となったフェイトの評価を聞く。

 

「所々直訳過ぎて意味が通りにくいところがあったけど、大きな間違いはなかった。これならお姉ちゃんも合格にしてくれると思う」

 

 完璧だとは言えなかったが、ミッドチルダ語を本格的に習いだしてまだ一月も経っていない状態でここまで訳せれば上出来だとフェイトは判断した。

 

 普段、なのははミッドチルダの人間と話をする際には翻訳魔法というものを使っている。それは、クロノ達ミッドチルダの者達が地球で生活する際もなのはと逆の理由で翻訳魔法を使っている。

 しかし、翻訳魔法はあくまで相手に対してイメージを伝達してこちらの言いたいことを”相手に”理解させるものであるため、実質的にその言語を理解したとは言えないのだ。

 

 故に、こういった書物や書類などに記されているミッドチルダの言語は翻訳魔法で理解することはできない。

 

 それでは些か(自分がわざわざ翻訳するのが)面倒だろうというアリシアの提案からなのはは彼女の指導でミッドチルダ語を習い始めたのだ。

 

「本当になのははお姉ちゃんとマンツーマンだね。羨ましいなぁ」

 

 訓練にしてもこういったソフト面においても、アリシアは何かとなのはに付き合い、色々なことを直接伝えようとしている。

 なのはとは逆に地球や日本の言葉や文化、歴史を習わなければならないフェイトやユーノ。非常に多忙でなのはに付きっきりになれないクロノやエイミィ、リンディ。

 

 ある意味、地球の文化にある程度精通していて、かつクロノやリンディほど多忙というわけではないアリシアこそこの仕事にうってつけと言えるのだ。

 だが、この半年で若干シスコンの気が生じつつあるフェイトとしては、自分も戦闘訓練や語学に関して、アリシアの手取り足取り教えて欲しいと考えてしまう。

 

「うう、だけどとっても厳しいんだよ?」

 

 なのははその風景を思い出して少し背筋を凍らせる。

 

 なのはの言う厳しいとは、何も鬼のような形相で何処ぞの海兵隊の教官よろしく下ネタだらけの卑猥な言葉を垂れ流すということを言うのではなく、また、少しでも反抗すれば直ぐに折檻をしてくる類のものではない。

 

「そんなに厳しい?」

 

 フェイトも、その様子をいつもとなりでユーノと鍛錬をしながら見ているのでなのはが普段どのような訓練を受けているのかは知っているつもりだったが、それのどこから厳しいという言葉が出てくるのかよく分からなかった。

 

「厳しいよ、だって。容赦ないんだもん」

 

 アリシアは、なのはの訓練を行う際、前述した直接的な厳しさを表に出すことはない。

 どちらかといえば、アリシアは常に笑顔を浮かべて慈しみ深く、そしてまったく遠慮をすることなく相対者の欠点を突き詰め、それを克服するための方法論をその本人に考えさせ、そこから出された答えを容赦なく問い詰める。それも、端から見れば優しい口調と笑顔を浮かべてだ。

 

 それを聞かされてもやはり、フェイトとしては厳しくともアリシアにかまって貰えるなのはを羨ましく思えてしか仕方がないのだった。

 

 それにしても、となのははふと思った。

 

(何でアリシアちゃんは、こんなに私にかまってくれるんだろう?)

 

 フェイトが羨ましいと言って少しばかり嫉妬の混じった視線を送ってくる。アリシアがそれに気がついていないはずがない。

 アリシアは、どちらかといえば身内の事情を優先する。

 

 その優先対象の順位の詳しい所は分からないが、それでも、自分はフェイトやユーノに比べれば低く設定されているという事は確認する必要もなく察することが出来る。

 何せ、自分は最近になってやっと名前で呼び合える仲になったばかりなのだから。

 

 ならば、そんな優先順位の低い自分のために何故彼女はわざわざ自分の時間を削ってまでかまってくれるのだろうか。

 

 なのはは、少しばかりふてくされるフェイトに「今度アリシアちゃんに会ったらお願いしてみるから」と言って宥めながらそんなことを考えていた。

 

「やっぱり人気者だねぇ、アリシアちゃんは!」

 

 エイミィはそんな二人の様子を見ながら肩をすくめた。

 

「うーん。人気者って言えるのかなぁ」

 

《私としては、マスターとバルディッシュのマスターにはあまり関わって貰いたくないと思うのですがね》

 

『毒薬口に甘しです』

 

 と、なのはの世界のことわざをもじるレイジングハートに、それまで電算室に籠もって何かをしていたユーノが同意するように首を縦に振った。

 

「なのはは、あんまりアリシアに深入りしない方がいいと思うな」

 

 それまでずっとデスクワークに明け暮れていたのだろうか、ユーノはそう言いながら肩や首を揉みほぐしながらソファに腰掛ける。

 

 なのはは少し疲れて見える彼に、何か飲物を持ってこようと席を立ち上がるが、それはユーノの「気にしないで」という言葉によって遮られた。

 

「お疲れ様、ユーノ君。メンテの方はうまくいきそう?」

 

 トートバックから人の頭サイズの南瓜を取り出しながら、ようやく姿を見せたユーノにエイミィは声をかける。

 

「何とか、ですね。地球のコンピュータとミッドチルダの端末は似ていますけど全然違いますから。結構マッチングの問題でセキュリティに脆弱性がありましたから」

 

 その際に、この世界とミッドチルダの両方に部品を発注しいと言って彼はエイミィにその見積書を提出した。

 

「なるほど、インテリジェント・デバイスをサーバー間の処理に使うのか……面白い案だね。マリーと話をしてみるよ」

 

 エイミィはユーノが提示した【スカイネット】構想に対して興味を持った様子で了承のサインを記し、それをそのままアースラの主計主任へとメールを送信した。

 

「ユーノは端末をさわってたんだ」

 

 慣れない頭を使ったために急性知恵熱を発症し、「うにゃぁ~~」と情けない声を上げながら机に突っ伏すなのはを半ば放置気味にフェイトはそう言ってユーノに少し砂糖を多めに入れた珈琲を手渡した。

 

「うん、こっちの端末(パソコン)の知識を持ってるのが僕かなのはぐらいだからね。なのはは……こんなだし」

 

 ユーノは笑いながらなのはの小さな頭を撫で、そのとなりに座りつつ彼女がそれまで訳していた本を手に取った。

 

「あ、これ。アリシアの本だね。『魔法学概論』か、懐かしいな。僕もベルディナに勧められて読んだことがあるよ」

 

 あれは、魔法学校を卒業するあたりだったから7,8歳ぐらいだったなぁとユーノは少し遠くを見るように、些か使い古された書物をパラパラとめくり始める。

 

「ユーノ君もこんな難しいの読んだの?」

 

 ようやく熱も収まって来たなのはもフェイトから甘いオレンジジュース(エイミィ秘蔵)をもらい一息ついた。

 

「うん。『魔導師を志すなら、この程度は読んでおけ』って言われたから」

 

「私も、お姉ちゃんに勧められた」

 

 なのははフェイトもアリシアからこの本を薦められた事を知り、自分ももう少し頑張って読もうと心がけた。

 もっとも、フェイトの場合はまだ全部読み切れず自室の本棚に飾られている状態なのだが、やる気を見せるなのはの手前それは言い出せなかった。

 

「あ、そうだ。アリシアから必要機材の要求が来てたんでした」

 

 ユーノは先ほどエイミィに渡した見積書と同じファイルから今度は別の要件の書類を取り出した。

 

「アリシアちゃんから? ふーん。艦長に直接持って行けばいいのに」

 

 アリシアはリンディ提督付きの民間協力者なのだから、わざわざユーノやエイミィを介せずとも要求を伝えることが出来るはずだ。

 しかし、事件によって連日多忙なリンディやクロノに対して遠慮したのか、逆に彼等に直接言っても要求が受理されるのに時間がかかると判断したのか。

 エイミィには判断が付かないことだったが、ひとまずアリシアからの要件の書類に目を通すこととした。

 

「えっと、検索用の簡易デバイスと速読用の簡易デバイス一式を5セット追加発注。低装カートリッジ7マガジン分……いっぱい使ってるなぁ。それと、煙草2カートンにワイン1ケースって。ダメでしょこれは」

 

(代わりにラベンダーの禁煙パイポと無糖の葡萄ジュースだね)

 

 まるで課題の添削のようにマルとペケを付けながらエイミィは呟きつつその案件をマリーへの要求書に転載し送信をチェックする。

 

 それにしても、アリシアのジョーク(本人にしてみれば至って真面目なのだろうが)にそれほど驚かなくなったとエイミィは気がついた。

 元々本人も冗談好きだったこともあり、馴染んでしまったかと思うが、何となくアリシアのあれに慣れてしまうのは自分でもどうかと思ってしまう。

 

「そう言えば、エイミィさん。今日はクロノ君とリンディさんは居ないんですね」

 

 なのははそう言って部屋を見回した。先ほどまで買い物に行っていたエイミィとフェイト。同じ屋根の下に居ながら話が出来なかったユーノと、それ以外の人物がリビングに出現しそうな様子は無い。

 

 通常であれば、本件の責任者と副責任者であるリンディとクロノのどちらかが即応体制を整えておくために仮設駐屯所に詰めて居るはずなのだが、今はその両者とも姿が見えない。

 

「それがねぇ。クロノ君と艦長は二人とも本局なんだよ」

 

 エイミィは少し困った素振りで肩をすませると、少し戯けた仕草でやれやれと口元に笑みを浮かべた。。

 

「何か特別な用事でもあったんですか?」

 

 ユーノの問いにエイミィは「鋭いねぇ」と答えた。

 

「機密に関することだから、あんまり大きな声では言えないんだけど。アースラにアルカンシェルを搭載することになっちゃって。そのために二人は本局の偉い人と話をしてるんだよ」

 

 アルカンシェルと聞いてユーノとフェイトは『うぇ』と声を漏らした。

 

「えーっと、アルカンシェルって、なに?」

 

 未だミッドチルダの固有名詞には慣れないなのはは、口をあんぐりと開ける二人に恐る恐る問いただした。

 

「次元反転消滅砲って言っても……分からないよね」

 

 エイミィの言葉に「うんうん」と肯くなのはに、彼女はどういえばいいのかと説明に困る。

 

「えーっと、その、なのはのスターライト・ブレイカーを何十万倍にもしたような武器、かな?」

 

 なのはの世界の何を例に取ればいいのか分からないフェイトは、とりあえず彼女に想像しやすい表現を選ぶが、なのはは自分のスターライト・ブレイカーがどれほど物騒な魔法なのか自覚がないため、いまいちぴんと来なかったようだ。

 

「なのはの世界のヒロシマって所があるよね? 昔そこに落とされた爆弾の……1000倍ぐらいかな……それぐらいの威力がある兵器だよ。もちろん、魔法技術で出来てるし、放射能とかそう言う毒性は無いんだけどね」

 

 最近自分は驚かされてばかりだとなのはは思う。しかし、自分が今首から提げているレイジングハートの魔導炉が持つ反陽子の総エネルギーがさらにそれの70倍を越えると言われれば、そう言うこともあるのかと思ってしまう。 もう自分はダメかもしれないとなのはは密かに心涙をこぼした。

 

「だけど、そうなると今はエイミィがクロノ達の代理?」

 

 指揮官と責任者が軒並み席を外している以上、この仮設駐屯所の式はそれに準ずるエイミィが執り行っているはずだとフェイトは思う。

 

 エイミィは正にそれこそが問題だと言わんばかりに溜息を吐き、

 

「そうなんだよねぇ。こんな時に敵が来たらって思うとお腹が痛いよ」

 

 アリシアが居ればおそらく、「貴様の胃液はアースラのバリアも融かすのか?」と言っていただろう。

 

 なのは達、三人もエイミィの様子から彼女がそれほど緊張しているようには感じられず、いつものようにおちゃらけて自分たちを安心させ用としているのだろうと判断した。

 

 エイミィ・リミエッタはリンディほどではないが、アースラの知能と呼ばれる人物だ。その彼女のポーカーフェイスぶりは見事なものだった。

 

 だからこそ彼女は思う。自分ではクロノを変えることが出来なかった。彼と付き合って既に数年。

 小さいくせに大人顔負けの理想を持って士官学校に入り、年上から見ても過酷としか言い様のない鍛錬を続けて、最年少と言われる年齢で執務官にまで上り詰めた。

 彼が、それまでに犠牲にしたものは一体どれほどのものになるのだろうか。

 

 彼は、歪んでいる。初めて彼と目を合わせたとき、エイミィが感じたことはそれだった。

 

 自分より小さいくせに、何か思いものを背負って生きている様子。その時は彼が背負っているものが、単に名門ハラオウンであることだけだとエイミィは勘違いしていた。

 

 だが、それは違った。彼は命を背負っている。ある日突然失ってしまった父親。それからまるで火が消えたようになってしまった母親。彼は幼いなりにそれを理解できるほど聡明だったのだ。

 

 せめて、自分が彼の荷物を肩代わりできればと彼女は思った。

 何とかして、自分という存在が彼にとっての宿り木になれればと思った。

 慣れない冗談や、ひんしゅくを買うようなジョークを何度も口にしてそのたびに彼を呆れさせて。それでも側で笑っていてくれればいいと彼女は思った。

 

 だが、最近の彼を見ていると使命を帯びつつも肩の力が抜けている用に思える。

 それは、エイミィが成そうとして今まで出来なかったことだ。

 

(クロノ君を変えたのは、私じゃないんだ。クロノ君を変えたのは……アリシアちゃんなんだ!!)

 

 アリシアと向き合う中で、彼女は何度それを羨み、そしてその感情を笑顔の裏に押し込めただろうか。

 

 だから、今こそ。クロノがいない今こそ、自分が本当の意味で彼を支えることが出来れば、自分はクロノにふさわしい女になれるのではないか。

 そんな感情がエイミィ・リミエッタの脳裏を渦巻く。

 

 一週間分の食材をすべて保冷庫へと押し込み終えたエイミィは「ふう」と溜息を吐き汗もにじんでいない額を拭いながら三人とお茶をしようとソファへ向かおうとする。

 

 しかし、何故こういうときに限ってトラブルが舞い込んでくるのか。

 

 突然に証明が切り替わりリビングに彼等の眼前に出現する『緊急』を示すアラートの表示。

 

 警告を示す赤い照灯にその場にいた者達は全員身を堅くして何かを探し求めるように視線を天井へと向ける。

 

『近距離次元世界にて対象の活動を検知』

 

 機械的なアナウンスに何処か現実を置き忘れてきたような表情のまま、なのは、フェイト、ユーノはエイミィの表情を伺った。

 

「……!! 非常事態宣言。総員即応体制解除! コンソールにて状況確認を!」

 

 エイミィのその宣言を受けて、赤の証明が紫に切り替わる。緊急の赤(クリムゾン)正常の青(グリーン)の中間。

 

 なのは、フェイト、ユーノはエイミィの力強い宣言に応答し、しっかりと頷き返した。

 

 彼等に先行してコンソールルームへと向かうエイミィはその表情をきつく結び、その内心では自らを必死に落ち着かせるように叱咤しながら状況の想定に理性のリソースを振り分ける。

 

(大丈夫、私ならやれる。私は……クロノ君の補佐官なんだから!!)

 

 今まで何度も失態を繰り返してきた。結界の解析が遅れたためにアリシアを負傷させた。敵勢力の走査妨害のためにその追尾を失した。主席管制官としてそれぐらいしか出来ないくせにそれをし損なってきた。

 

 誰も彼も何も追求しない。全員が全員自身の失態だと言って自分を責めない。

 

 それがどうしようもなく悔しくて、今度こそ失敗しないように心がける。

 あのときの状況を想定して、それ以上の状況を仮想して、誰にも内緒で何度も何度も何度もシミュレーションを繰り返した。

 

(今度こそ失敗しない! 今度こそ、捕まえてみせる!!)

 

 多くの意志が交差し合う。

 絶対に譲れないもの。絶対に守りたいもの。それが譲れないからこそ人は争い合うのか。

 

 何故なのか、どうしてなのかと思ってしまう。それは、今は亡きベルディナが300年間もの間思い続けてきたことだった。

 

******

 

 優しい彼女。気丈に振る舞う主。朗らかな笑みに乗せて紡がれる言葉はすべてが祝福であり福音であり黙示録のように彼女には感じられた。

 

 それは、自分たちという家族がいるからこそ彼女の身からあふれ出す喜びという感情なのだろうと思う。

 

 しかし、彼女に喜びを与える自分たちの存在そのものが彼女自身の命を枯渇させるものだと分かったときには、いっそのこと自害してしまいたい感情にとらわれた。

 

 それでも今、自分はここにあり続ける。

 そんな自分が望むべきは、主の平穏、主の無事、主の健康、主の幸せ、主の笑顔、主の日常、主の心、主の命、主の……、主の……。

 

 それ以外に自分の望むものはない。そのはずだった。

 

「どうした? ヴィータ。何か、浮かない様子だが?」

 

 野太い男の声。それでいて落ち着きを持ち、激昂した自分自身を時には苛立たせ、そして冷静にさせてくれる彼の声がヴィータの耳朶を打つ。

 

「っと、ザフィーラ。何かよう?」

 

 奥深い砂原。照りつける三つ子の太陽にさらされ、騎士甲冑に包まれているにも関わらず額にじんわりと浮かび上がる汗雫をさっと拭いながらヴィータは背後を振り向き、無表情にたたずむ大柄の男、ザフィーラに表を向けた。

 

「いや、なにやら動きが止まっていた様子だったのでな。何か問題があったのかと思ったのだが」

 

 ヴィータは少し強力な敵を蒐集した刹那の思案に浸っていたものかと思っていたが、それは思いの外長い間だったようだと気がついた。

 

 ヴィータは少し面白くなさげに鼻を鳴らしながら手持ちの大槌、グラーフ・アイゼンを一振りしてそれにこびりついた血色の汚れを振り払うとそれを一時的に首飾りの形へと戻した。

 

「余韻に浸ってただけだよ。問題ない」

 

 ヴィータの相変わらずのぶっきらぼうないいざまにザフィーラは少し安心を覚えた。

 

「そうか、ならばいい。シャマルより次のターゲットの指定だ。いけるか?」

 

 シャマルまで出張ってきているのかとヴィータは思いながら、ザフィーラに対して了承の意志を示す。

 

 八神はやてが倒れた。

 

 ヴィータはそれを思いやり拳をギュッと握りしめた。

 

 それは、先日と言うには少し前のことになる。

 彼女たちが時空管理局の警戒網に捕まり、強装結界の内部に閉じこめられた数日後、八神はやて――彼女たちが主として添い慕う少女――はある日突然、夕食の準備の最中に倒れた。

 

 心臓を押さえて苦しそうに笑う彼女の表情は絶対に忘れられない。それはすべて自分たちの不手際によって生じたことだった。

 

 せめて、後20頁あればとヴィータは思う。

 

 あのとき、白い少女、イージスと称した少年、黒金の少女、橙の狼と出会ったとき、当初の目的の通りその中で最高位の魔力を持つ彼女を蒐集できていたら、この事態は避けることが出来たはずなのだ。

 

「ヴィータ、もしも負傷したのなら……」

 

 いったん帰投してもいいのだぞと言いかけたザフィーラをヴィータはグラーフ・アイゼンを起動してそれを制した。

 

「はやてのためだから、あたしはいくらでも行けるよ。それで、次は?」

 

 焦っている。その自覚はヴォルケンリッターの全員が持ち合わせている感情だった。

 入院した主、八神はやてが家にいないために今となってはヴォルケンリッター全員がこうして日中でも外に出ることが出来る。

 故に蒐集の効率が上がっていると思いたいが、それでも管理局の監視下において活動するについては制限が多すぎるのも事実だ。

 

 無理は承知。無理に無茶を重ねて至った今でも主の病状は思わしくない。

 

 軽く様子を伺っただけで不調を察する事の出来るヴィータを止められないほどにザフィーラも現状を焦っていたのだ。

 

「そうか……、シグナムのいる世界にとりわけリンカーコアの強い生物がいるようだ。サンドワームといったか。それを蒐集してくるとのことだ」

 

 サンドワーム。その名を聞いてヴィータはにわかに背筋を奮い立たせた。

 

 砂原を縄張りとする胴長の砂中生物。その大きさはまるで砂漠の中を進む要塞のごとくと言い伝えられている。

 

 砂の中の王。それによって壊滅した集落は後を絶たず、時には鉄壁を誇る都でさえ僅か数体の群れを成すそれらに滅ぼされた記録さえある。

 

 それらが数を成して生息する世界。

 

 嫌が負うにも奮い立たされざるを得ない。

 

「うちの参謀も容赦がないね。了解したよザフィーラ。座標をお願い」

 

 ザフィーラは「うむ」と肯きながら彼等の参謀、シャマルより預かったカートリッジの半ダースほどをヴィータへと譲渡し転送のための座標を彼女に告げた。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

 転送の光に包まれながらヴィータは「ふう」と息を吐きながら呟いた。

 

「抜かるなよ。油断をしていい相手ではない」

 

 後を追うといってザフィーラも指の骨を鳴らしながら次第に輪郭を曖昧にしていくヴィータにエールを送った。

 

「心配性だね、ザフィーラは。じゃあ、後で」

 

 そう言ってヴィータは転送時固有の意識が引っ張られる感触に逆らわず目を閉じてそれに感覚をゆだねた。

 

(もし、イージスが今のあたしを見たら……やっぱり止めてくれるよね……会いたいよ……イージス……)

 

 ヴィータの脳裏に浮かぶ翡翠色の彼の姿。蒐集をするたびに、主のためと誓い、罪もない原生生物を狩るたびにその脳裏に浮かぶ彼の姿。

 

 会えるのではないか、今度こそ決着を付けられるのではないか。

 期待する自分を自覚するたびに彼女は自己嫌悪に陥る。

 

 自分は主のためだけにあるはずだ。それ以外のものなど単なる障害、ノイズとして処理するべきだと彼女の理性は告げる。

 しかし、自分では制御しきれない感情の部分がいつも告げている。あいつと決着を付けろ、あいつを求めて戦え、あいつを手に入れろ。

 

 ヴィータは、自身が振り回される不快であり何処か心地よく感じられるその感情に名前を付けることが出来ないでいた。

 

***

 

 モニターに映ったもの。それを確認して、四つの感情はまったく異なる結果をはじき出した。

 

『こちら近傍観測指定世界警備隊スケアクロウ。現在当エリアにて違法次元転移者を確認』

 

 現地守備隊より送られた音声メールを聞いたとき、エイミィは早鐘を奏でる心音を押さえられず、しかし、それを持ち前のポーカーフェイスで隠しながら指揮官代理の任務を全うする事を心がけた。

 

「こちら第97管理外世界、仮設駐屯所ブランチ・アースラ。それは当方の案件において重要と確認される目標と断定した」

 

 警備隊員、おそらくその隊長なのだろう、彼の姿が映し出されるとなりに先方が違法次元転移者という対象の姿が映し出された。

 

 巨大な芋虫のような、足のないムカデのような、節を持つミミズのような生物。そして、それに相対する紫色の魔力光をたなびかせる麗しい女剣士。

 

 間違いないとエイミィは判断を下した。

 

『了解、ブランチ・アースラ。当方はこのまま監視を継続する。直ちに対応されたし。チーム・スケアクロウ、以上』

 

 辺境に位置する第97管理外世界近傍の観測指定世界はかつて巨大な技術を持っていた世界でもなければ、重要な鉱物資源が発見される世界でもない。

 国土には砂漠が一面に広がるだけであり、現住生物も種類は少ない。

 その中で彼等が監視、管理をしているものが先ほどモニターに出されたサンドワームだ。

 次元世界において殆ど死滅してしまったとされる彼等がここでは彼等の楽園を築いている。それを監視し、管理することが先ほどの警備隊の役割なのだ。

 故に、次元犯罪者に対する対策部隊を持たず、その保有戦力も戦力と言えないほどに低く設定されている。

 

「協力を感謝します。ブランチ・アースラは直ちに作戦行動へ移行。こちらの魔導師を転送します。以上」

 

 故に、こういった場合では彼等は周辺付近に展開する管理局の戦闘部隊に応援を要請することが通例となっている。

 故に、こうしてクロノ達アースラチームはそう言う世界と連携して目標を探索し続けてきた。

 そして、その網にようやく彼等が捕らえられたのだ。

 

 モニターの向こうに移る剣士。フェイトはその姿をしっかりと目に焼き付け、腕に抱く子犬のアルフと頷きあった。

 

「エイミィ、私が出るよ。シグナムとは、決着を付けないといけないから」

 

 エイミィはフェイトからの提案を受け、アースラが現在レンタルしている武装隊の展開状況からそれしか他に手段はないと判断した。

 

「アタシも行くよエイミィ。どうやら、アタシの方にもちょっと因縁がありそうだ」

 

 あの近くには自分の同類がいる。アルフは動物的な直感で自分も決着を預けている蒼の狼の存在を嗅ぎつけた。

 

「……分かったよ二人とも。フェイとちゃんとアルフの即応体制を解除。戦闘態勢への移行を許可します」

 

 エイミィの許可が下りた。アルフは「よっし」と吼え、フェイトの胸元から床へと降り立ち、子犬の姿から成熟した大人の姿へと自身を取り戻した。

 

「じゃあ、私たちも……」

 

 デバイスを起動させ、バリアジャケットを顕現させるフェイトになのはもレイジングハートを握りながら続こうとした。

 

「なのはちゃんとユーノ君は引き続き即応体制を維持。行って、フェイとちゃん、アルフ」

 

 しかし、その出鼻を挫くようにエイミィはなのはの出撃を許可しなかった。

 転送ポートへと走り去るフェイトの背中をただ見送りながらなのはは抗議の意識をエイミィへと向ける。

 

「エイミィさん、どうして!?」

 

 今にもレイジングハートを起動させて詰め寄りそうななのはにエイミィは心音を落ち着ける。

 

「敵はあの人だけじゃないのよ。もしも、フェイとちゃんとなのはちゃんの二人とも出てしまったら、他の対応はどうなるの?」

 

 なのはは「あっ」と声を吐き、自身の浅慮を思い知った。しかし、それでもだ。

 フェイトが戦っていながら自分だけがこうして見ているだけなど我慢が出来ることではない。

 

 もしも、フェイトが戦う相手、シグナム以外の目標がこちらの捜査網に引っ掛からなければ、引っ掛かったとしても対応する前に逃亡してしまったら。

 

 一体、何のために自分がいるのか分からなくなる。

 役立たずで守られるばっかりの自分ではいやなのだ。自分には魔法という力がある。自分にも取り柄が出来た。誇らしく語ることが出来る力を得たのだ。

 

 心の内で焦りながら、なのははシグナムとエンゲージを果たしたフェイトをモニター越しに見守る。

 フェイトはどういう訳かサンドワームの束縛からシグナムを開放してしまい、エイミィから「助けるのではなく捕獲するのが目的なんだから。しっかりして」とのおしかりを受けていた。

 

「なのははそんなに戦いたい?」

 

 なのはのとなりに立つユーノは、まるで何かに取り憑かれたかのようにモニターを睨み付けるなのはに、そっと言葉を贈った。

 

 アリシアと同じ事、同じようなことをユーノからさえも言われた。

 なのはの感情がどこかで決壊した。

 

「何で、ユーノ君までそんなこと言うの……」

 

 まるで呪詛のように紡ぎ出された言葉に、一瞬ユーノは圧倒される。

 

「なのは?」

 

 それはユーノにとって青天の霹靂のようなものだ。ちょっとした皮肉。アリシアが緊張する自分に対して良く皮肉を言って気分を和らげてくれた経験を実行しただけに過ぎない。

 しかし、今のなのはにとってその言葉は激発のトリガーワードだった。

 

「私は、戦いたい訳じゃないのに……ただ、みんなの役に立ちたいだけなのに……助けたいだけなのに……。何で? なんで、アリシアちゃんもユーノ君もそんな事言うの!? 私が、そんなに戦うことが好きに見えるの?」

 

 瞳に涙を浮かべながらユーノに詰め寄る。

 両手を握りしめ、今にもつかみかからんほどの勢いにユーノは一歩後ずさり、彼はただ彼女の変容に目を丸くするしか他がなかった。

 

「なのは、落ち着いて……お願いだから……」

 

 弱々しく掲げられるユーノの両掌をふりほどくようになのはは首を振る。

 

 その様子を背中に感じながらも、エイミィは何か一言伝えたい衝動に駆られるが刻一刻と変化する状況に意識を取られ、終ぞそれに仲裁の手をさしのべることが出来なかった。

 

 この二人が最悪の状況に陥るはずがない、エイミィはどこかでそんな楽観を持っていたのかも知れない。

 

 そして、観測隊が提供する状況モニターにさらなる目標の姿が映し出されたとき、二人のたどる道筋に確固たる行く末が示されてしまった。

 

『状況地至近にて新たな騎影一確認。間違いなく目標朱です!』

 

 目標朱。その言葉を聞いてなのははその視線をユーノからそれが映し出されたモニターへと投射される。

 

「……ヴィータちゃんだ……」

 

 紅いドレスに巨槌を携える幼い剛騎士。なのはは一瞬たりとも逡巡を巡らせることなくレイジングハートをつかみ、エイミィへと言葉を投げはなった。

 

「エイミィさん、私を出してください!」

 

 エイミィは一瞬だけ悩んでしまった。現状、なのはを出さないことには目標を補足することは出来ないことは確定事項だ。フェイトとアルフだけで先の目標の対処を任せたのも、こういった事態を想定してのことのはずだ。

 ならば、その事態が引き起こされてしまった今となっては、なのはをここに置いておく事に何の意味があり、それを納得させる道理があるのか。

 

「分かった、行って、なのはちゃん」

 

 今、なのはを出撃させるのはまずいと思う。しかし、エイミィはそれを押さえつけるだけの建前と余裕を持ち合わせていなかった。

 

「じゃあ、僕も一緒に……」

 

 そして、エイミィにとってもユーノにとってもあの手合いに対して二人で対処することは確認するまでもないことだった。

 

「ユーノ君は……いいよ、ここで待機していて……。私一人でも大丈夫だから……」

 

 しかし、なのはの言葉はそれを超越する。ユーノが味わったもの、かつてヴィータに食らわせられたあらゆる攻撃を凌駕する衝撃に違いない。

 

「なのは、何を言って……」

 

「敵は……まだいるかも知れないんだよ? もう一人、あのときアリシアちゃんを蒐集した人が残ってる……今はクロノ君がいないんだから、ユーノ君が対応するべきだよ」

 

 なのははユーノに背を向け、胸の奥からわき上がる不快感に奥歯を噛みしめ、呪詛のように言葉を紡いだ。

 

「………」

 

 なのはの言うことは、正論に違いなかった。シグナムにはフェイトが、ザフィーラにはアルフが対応している。故に、ヴィータに対してなのはが、シャマルに対してはユーノが対応するという図式には何ら不自然な点は存在しない。

 実際、エイミィもそれを聞かされては頷くしかなく、結局その空白はなのはの行動を抑制するタイミングを逃した。

 

「それじゃあ、行ってきます……」

 

 何も答えないユーノに最後まで顔を合わせることなく、なのはは俯きレイジングハートを握る手を振るわせながらトランスポーターへとかけだした。

 

******

 

 バサリという音をエイミィは背中越しに聞いた。

 

 そして、その気持ちは痛いほどに理解できた。

 

 必要とされたいのに必要とされなかった。助けたい人にいらないと言われた。もしも、自分も彼にその言葉を投げられたら、おそらく自分では立ち上がることは出来ないだろうと思う。

 

「なのは……どうして……僕たちはいつだって一緒に……」

 

 一緒にいたいと思った。そばで守りたいと思った。いつまでもパートナーとして彼女を支えたいとそう思っていた。

 しかし、それは所詮は自分だけだったのだろうか。彼女はあのとき確かに言ってくれた『背中が温かい』と。

 

 自分は所詮ここにいられる人間ではなかったのだろうか。そばで戦うなんて身に余るような行為だったのだろうか。

 

「ユーノ君は、それでいいの?」

 

 レンタル武装隊への指示と現地観測隊への要請の合間にただ一言エイミィはそうつぶやいた。

 

「―――!!」

 

 そして、その声は確かにユーノの元に届いた。

 

***

 

 意識を引きずられるような感触。光の収束とともに閉じたその感触になのはは面を上げ、いつの間にか滲んでいた涙を打ち払い、眼前に立ちふさがる紅い少女にきつい視線を浴びせかけた。

 

「……イージスは、いないのか……」

 

 紅い少女が浮かべる表情、つぶやいた言葉、そのすべてがなのはには不快に感じられた。

 

「ここにいるのは、私だよ……ヴィータちゃん。だから、ユーノ君じゃなくて、私を見てよ……」

 

 なのははそう呟き、レイジングハート・エクセリオンを起動させた。そして、ヴィータは起動したなのはのデバイスが、従来の丸みを帯びた形状ではないことに眉をひそめる。

 

「武器を変えた……訳じゃなさそうだな」

 

 ストライク・モード。長槍の形状にも見えるその姿に、ヴィータは彼女が遠距離から近距離にレンジをシフトさせたのかと思い立つ。それはある意味では間違いであり、本来的にはなのはの戦闘範囲に近距離という選択肢が加わっただけのことだ。しかし、見た目の印象からくる無意識の誘導は強く、ヴィータもある意味でミスリードを余儀なくされてしまう。

 

 それまでのなのはであれば、極力距離を離さず積極的に接近戦を挑めば、魔法弾頭や砲撃を封じることが出来た。しかし、今のなのはの武器からは近接戦闘も油断が出来ないと思うしかない。それがヴィータに常に一定距離を離して戦うべきだという思考を生み出す程度にはアリシアの狙いは当たっているようだった。

 

「投降して、ヴィータちゃん。自首すれば罪を軽くできる、私も一生懸命弁護するから。リンディさんもクロノ君も、絶対にヴィータちゃん達の不利にならないようにしてくれるはずだから。お願い……」

 

 戦闘を行う前に必ず投降を呼びかけろとクロノは前線へ出るメンバーに厳命している。なのははそれに従い、必死に自分の言葉で自分の思いを重ねてヴィータに語りかける。

 

「あのさ、ベルカの古い諺……だったかな? それにこういうのがあるんだよ。『和平の使者は槍を持たない』。そうやって話し合いをしたいんだったら最初から武器なんて持ち込むんじゃねぇ」

 

 正確にはそれは諺ではなく、小話のオチなのだが、なのはもヴィータがいいたいことを理解することは出来た。

 

「だったら、何で……武器を持ってないユーノ君の話も聞いてくれなかったの?」

 

「……イージスは関係ねぇ……」

 

 ヴィータは何度も相対して、ことあるごとに自分に語りかけてくる少年の名を耳にし、痛む心臓をギュッと押さえつけた。

 

「関係、あるよ。ユーノ君はずっとヴィータちゃんと話をしたがってた。言葉で理解し合えればきっと助け合える。それは、私も同じ。ヴィータちゃんの助けになりたい!」

 

 助けを求める人がいて、それを助けられる力があるなら迷ってはいけない。ああそうだ、それが私の源流ではないかとなのははようやく思い出した。

 なぜ、忘れていたのか。そうして自分はユーノを助けようと思ったのではなかったか。だからこそ、自分は何が何でもフェイトを助けようと思ったのではないか。

 

「あたし達は、助けなんていらない!」

 

「だったら何で、ユーノ君がいないって悲しい顔をしたの? ヴィータちゃんはユーノ君に助けてほしかったんじゃないの? ねぇ、答えて、ヴィータちゃん」

 

「妄言も……いい加減にしやがれ! 白い奴!!」

 

 ヴィータは激高した。戦闘中はいかなる場合においても冷静でいられるはずが、今はその冷静という言葉さえも忘れた。

 回路を焼き切らんばかりに加熱する感情思索プログラムが冷徹さを維持するはずの戦術思考プログラムを凌駕してしまう。

 彼女はグラーフ・アイゼンを振りかざし、カートリッジを連続でロードさせる。

 

「私の名前は、高町なのはだよ。ヴィータちゃん」

 

「うるさい、いちいちあたしの名前を呼ぶな! あたしはテメェが気にいらねぇ。いつもいつも分かったふうな顔で見下しやがって!」

 

 羨ましかった。彼女はいつでも彼の隣に立って、時には前を時には後ろを支えてもらえる。まるでそれが当たり前のように手にしていて、そして今はただ一人。彼女はそれを手放してしまったのかと思えばそれさえも気に入らない。自分は、何をどうしようとも絶対に手に入れられないものなのだから。

 

「そんなつもりはないよ!」

 

 なのはは怒りに全身を朱く燃やすヴィータに槍を向けた。

 

《ストライク・フレーム展開。アビオニクス起動、航空情報支援開始、視覚情報モニター異常なし。アクティブレーダー正常。イルミネーター二基順調。魔導炉規定値をマーク。全システム、オール・グリーン》

 

 二股の平行な先端の間から展開された光の刃、ストライク・フレームの輝きが天に浮かぶ双子の太陽を閃き返し美しい光沢を放った。

 そして、なのはの視界に映り込むアビオニクスによる情報支援。敵との相対距離、自身の速度と相手との相対速度、対象へと誘導する赤色の矢印。アクティブレーダーが映し出す周囲の状況の簡略図。イルミネーターを向ければ視界の中央にたたずむヴィータの映像を包み込む円形の中心に十字の光点がまとわりつく。

 レイジングハートはその魔力反応を正確に学習し、イルミネーターの半自動追尾をそれにロックさせる。

 

 この視界に投影する情報支援システムは非常に優秀であることは、すでにフェイトやクロノとの訓練で把握している。アクティブレーダーが習得した情報を元に本来視界では映らないはずの場所でさえその視界に投影する。

 この遮蔽物のない開かれた上空では果たしてそれがどこまで事を有利に運ぶのか。

 

(初めての実戦だよ、アリシアちゃん)

 

 アリシアによってもたらされた新システム。そして、彼女にみっちりとたたき込まれた接近戦での対処方法。大丈夫、練習通りにやれば絶対にうまくいく。なのははそう自分に言い聞かせヴィータとの戦闘に移行した。

 

 

 

 

 

 

************

 

 

 たった一人の戦場。孤独にまみれた闘争。何者も携えず、自らのみを持って戦うその様を彼女はただ美しいと感じる。

 無限書庫の闇の中に浮かぶアリシアは薄いほほえみを浮かべた。

 

「ああ……やっぱり君はそれを選ぶんだね……」

 

 桃色と朱の魔力光が軌跡を描くその戦場を、彼女は酷く楽しげに眺めるばかりだった。

 

「ねぇ、なのは……やっぱりあなたには戦場が似合うよ。今の私では描けない戦場を君は彩ってくれる。あなたの力は叶える力。絶対的な力を持ってすべてを打ち砕き、傅(かしず)かせ、その望みを叶える力なんだ。あなたの先にはいったい何が待つんだろうね? 私は……そのすべてをみたいと思う。あなたがたどるべき戦乱と闘争、そして、あなたが望む平穏が崩されることを私は夢に見たいと思う。なのは、あなたは私の理想なんだと思う。あなたは、その永遠を戦うことに費やされる人間なんだと思う。あなたはきっと否定するだろうね。あなたもまた、私と同じ平穏を望んで愛する人なんだろうと思うよ。だけどあなたの力はそれのことごとくを否定するんだろうと思う。昔の私のようにさ……。だからこそ、あなたがどうしてそれを打ち払い、本当の意味の平穏を得ることが出来るのか、私は見てみたいんだ……」

 

 アリシアは瞑目し胸前に拳を当ててただ一言、「ルーヴィス」と呟いた。

 

 

 

************

 

 

 

【君はどうしてここにいる。こうして守りたいと思った彼女を見守るためだけに君はここにいるのかな】。

 

(違う)

 

【だったらどうして、君はここでただ立ち止まってそれを見上げるしかしないの?】

 

(なのはが必要ないって言ったんだ)

 

【だから君はそうして彼女の思いを尊重するだけで自ら何も行動をしようとしないのか】。

 

(だったら、どうすれば良いんだ。あのとき僕はなのはを立ち直らせてあげられなかった。それどこか、今の今までなのはが何を悩んでいたのか理解さえ出来なかった。僕はなのはを傷つけたんだ)

 

【しかし、彼女が戦いを求めたことは事実だ。見てごらんよ、彼女の表情を。とても充実しているように見えないかい?】

 

(それを導いてしまったのは僕だ。僕がなのはに戦う力を与えてしまったから、なのはは戦わざるを得なくなってしまったんだ)

 

【君はそうやって瞑目して自傷行為にふければそれで良いんだろうけど、結局君は自分が何も出来ないことを彼女のせいにしているだけじゃないかな?】

 

(違う!)

 

【聖王陛下の宣わく、『誇りを持って戦え』。君の誇りはなんだろう? 君はそもそもなぜここにとどまろうと思ったのかな? スクライアであることをやめてまで君がしたかったことはなに? ただの惰性?】

 

(僕は……僕は……)

 

 

 

************

 

 

 

「ユーノ君は、それでいいの?」

 

 耳に届いたその言葉に、ユーノはようやく面を上げた。

 忙しく動かされる手元、めまぐるしく移り変わる戦況を前にして指示を下す彼女の背中。

 閃光に包まれたモニター向こうの情景が彼の目に映し出され、そこにあるのは決して有利とは言えない二人の少女が、それでも賢明に杖を振り自らに襲いかかる暴力を打ち払う姿だった。

 

『お前はただここで見ているだけで良いのか?』

 

 コンソールに座り、何も伝えないエイミィの背中が確かにそう自分に言葉を発しているとユーノは理解した。

 

 なぜ、自分はここにいるのか。ユーノはもう一度それを思索する。

 

 そして、膝をついてしまっていた足を賢明に持ち上げ、少しだけふらつく感覚を鼓舞しそして心に決めた。

 

「エイミィさん。僕を、なのはの所へ。お願いします」

 

 ユーノはもう一度モニターの向こうで戦う二人の少女、かつて自分をパートナーと呼んでくれたなのは、そして、自分をイージスと呼び『また会おう』と言葉を投げかけてくれた少女ヴィータをしっかりと目に映した。

 

(僕は、こんな二人を見たかったんじゃない)

 

 鉄槌と槍。その手に持つ武器を重ね合わせ、火花を飛び散らせながら戦う二人の少女。ある意味、自分が導いてしまったその二者の対立にユーノは拳を握りしめた。

 もう、話し合いの時期を過ぎているのかも知れない。自分たちと彼女たちは決して相容れない存在なのかも知れない。自分の言葉はもう誰にも届かないかも知れない。

 それを思うと足が震える。

 

(それでも、僕はここにいるって決めたんだ)

 

 ガタガタとふるえる腕を押さえつけ、ユーノはエイミィの答えを待った。これは、自分のわがままだ。なのはの言葉通り、自分はさらなる増援を警戒して即応体制を保っておくべきなのかも知れない。なのはとヴィータ、あの二人は見た目互角の戦いをしているように思える。それに自分が介入することは、戦力の偏りと見なされるかも知れない。

 

「分かった、行って、ユーノ君」

 

 レンタル武装隊も出払い、クロノもリンディも本局にいる。戦力の要であるなのはとフェイト、アルフも出撃してしまっている。ここでユーノさえも行かせるということは、この仮設駐屯所の警備を甘くするということだ。仮にユーノが出て行った後、予想される第三勢力によってこの駐屯所が強襲されればなすすべもなくブランチ・アースラは崩壊するだろう。

 それでも、そのリスクを覚悟してまでエイミィはユーノを行かせることを決意した。

 

「ありがとうございます! エイミィさん」

 

 ユーノは勢いよくそう答え、身体の震えを押さえつけるようにコンソールルームを走り去った。

 

「がんばれ、男の子。あたしのぶんも戦ってきてね……」

 

 その言葉はユーノには届くはずがなかった。エイミィは遠くなっていく少年の駆ける音を耳に残しながら、後先を考えずに飛び出せる彼を羨ましく思った。

 

「さってと、エイミィ姉さんは後ろでみんなを支えますかね!」

 

 エイミィはじんわりとわき上がってくるザラッとした感情を打ち払うように両掌で自身の頬を叩き、改めてコンソールと向き合った。

 

 そして、コンソールルームに大規模な警告音とともに照明が敵襲を告げる赤に移り変わった。

 

「うっそ!? 敵襲? どこから!?」

 

 エイミィはその警報に驚き、一瞬我を忘れながらもその手はいかなる奇襲を受けたのかを確認するべく動き回った。

 

 そして、モニター上に示された【Emergency:cord 0004】にエイミィはさらなる驚愕を覚えた。座標0,0,0に対して状況4の襲撃が確認される。座標0,0,0とはまさに仮設駐屯所への直接攻撃、そして状況4が示すものとは、

 

「情報攻撃。まずい、サーバーがクラッキング受けてる!」

 

 それを把握したエイミィはすぐさま電算室の情報端末を呼び出し、外部接続されている全ポートの入出力をモニターに映した。

 そして、敵が侵入している地点を確認しエイミィは舌を打った。それは、先ほどユーノのメンテナンスによって見つかった、地球製の端末とミッド製の端末の双方回線に出現したセキュリティーホールを利用したサイバーアタックだったのだ。

 

(まだ、解決してないのに!)

 

 徐々にノイズが混じり始める戦場を映し出すモニターにエイミィは焦りを覚えるが、今はそれよりも駐屯所のコントロールをなんとしてでも死守することが先決だと判断し、駐屯所のネットワークより独立させてある緊急用の端末を起動させた。

 

 

 

************

 

 

 

 転送光が晴れ渡り、頭上に広がる青空と眼下にたたずむ荒野がユーノの視界に出現した。自分の周囲に何があるのか、すぐさまエリアサーチを飛ばしユーノは状況の収拾を始める。

 

 座標がずいぶんずれているとユーノは理解した。仮設駐屯所の転送装置に入力された位置座標は確かになのは達が戦っている近傍の空間となっていたはずだ。

 しかし、実際に自分が吐き出された座標は、彼女たちが戦っている場所から離れること十数キロメートルの彼方。範囲を拡大したエリアサーチによって彼女たちが戦う場所と方位を知ることが出来た。

 

 このまま個人転送で向かうことは出来る、しかし、駐屯所からの転送の座標がずれてしまった原因が分からない以上、不用意な転送を行うにはリスクが高すぎる。

 

(間に合って!)

 

 ユーノは祈りを捧げるように自ら飛行魔術を展開し、直接その場所へ赴くことを決断した。

 

 足下に展開された魔法陣が円環を描き身体にまとわりつき、そして次の瞬間には翠の魔力光をなびかせた飛翔痕を吹かせ、ユーノはフェイトやなのはのそれにはかなわない速度で飛翔を開始した。

 

 なのは達の姿はまだ視界の中には現れない。どうやらこの世界は比較的小さな惑星の上に成り立っているらしく、わずか十数キロメートルとはいえそこはまだ地平線の向こう側であるようだ。

 

 しかし、彼女たちが奏でる戦場より漂ってくる大規模な魔力の波動をユーノは肌で感じることが出来た。

 

 広い空間を満たす魔法弾頭、それを縫って発射される砲撃の残滓。時折出現するピーキーなエネルギーの反応は、ヴィータがカートリッジを激発させたものだと推測できる。

 

 なのはの使う【Flash Move】やフェイトの【Blitz Action】のように瞬間的に加速力を増すような魔法をユーノは使えない。たとえそれらが永続的に加速度を提供する類の魔法でないにせよ、断続的にそれらを行使すればトータルとしての飛行速度は圧倒的に増加する。

 そして、ユーノの纏うものは防御力を重視するあまりかなりの重装備となってしまっているため、加速減速にどうしても時間がかかってしまい、旋回速度や最小旋回半径もなのはやフェイト、クロノ比べても酷く無駄が多いとしか言えない。

 

 ユーノはそれでももてる魔力の全出力を飛ぶことに費やし、自らの出せる限界推力に額から汗を滲ませる。

 

 一匙でも早く、一刻も早く。本来なら風防として運用される防御障壁さえも構成を甘くし、その脆弱な風防の隙間から流れ込む鋭い風の刃にユーノは瞼を開けていることさえ辛くなってくる。

 

 地球のジェット戦闘機に比べれば圧倒的に遅く、地上を走破するレーシングビークルよりもなお遅い。

 

 水平線の向こう側から、光にまみれた空間が顔を見せた。

 米粒よりもなお小さく見えるそれは、ユーノにははっきりとそれが自分が求める彼女たちの姿だと言うことが分かる。

 桜色と朱色の魔力光が時折ぶつかり合い、圧倒的な光の波動と魔力の波動を周囲にまき散らしている。

 

 本来悲しいはずのその情景に、ユーノは一瞬心を奪われた。なんて綺麗なんだと思ってしまう。それはまるで儚く、一瞬で夜空を彩り消えていく夏空の花火のように感じられる。

 

 そして、美しくも儚く消えていく大火の輪花のように彼女たちの命もまた、儚く空に消えていってしまうのか。

 

(それだけは、だめだ!)

 

 ユーノは打ち払い、その念を消した。

 

(守りたいんだ)

 

 徐々に大きくなっていく彼女たちの姿。

 

(一緒に居たいんだ)

 

 朱の光が突然に停止した。その片方の手にまとわりつく桜色の円環。空中に貼り付ける捕縛魔法【Restrict Lock】。

 

(離れたく……ないんだ!)

 

 荒く息を吐きながら肩を振るわせ、なのははレイジングハートを油断なく捕縛しかけたヴィータへと向ける。そこから発射されるであろう【神聖なる鉄槌(Divine Buster)】。しかし、彼女はそれに集中するあまり、自らに近づくもう一つの影に気がつけない。

 

(僕は……)

 

 ユーノはそれをはっきりと視界に取り込んだ。

 

(僕は……!)

 

 わずかにドレスの裾を焦がすなのはの背後、認識阻害の魔法を纏っているのだろう、あまりにも存在感の薄いその長身の影。ユーノは心に念じた。

 飛んでいては間に合わない。ユーノはリスクの高いと判断した転送魔法の術式を呼び出しそれを加速させる。

 

 他人ならいざ知らず、結界、補助の魔法に一家言を持つ自分が、目に映るその場所に転移する事をし損じるものかとユーノは咆えた。

 

「なのはぁぁ!!」

 

 未だに遙か遠くに感じる彼の猛り。耳障りな風の音に乱され届くはずのない叫び。なのはは確かにそれを耳にした。

 

「えっ?」

 

 突然背後に出現した小さな陰り。自分を包み込むようにたたずみ動かない黒い影。抵抗を止め、片腕を完全に空中に貼り付けられるヴィータの表情。それが自分ではなく、その背後に向けられ驚愕に染まる様子をなのはははっきりと知ることが出来た。

 

 冷たい風が一陣舞い上がる。遙か彼方、青々と広がる海より発生した湿気混じりの冷たい風が頬をさっとなでていく。

 静寂が耳にうるさい。心の空白によって発動をキャンセルされた砲撃を忘れ、壊れたおもちゃの人形のような散漫な動きでなのはは背後へと目を向けた。

 

「………、………、……ゆうの……くん……?」

 

 翡翠の彼の双眸が彼女を映し出す。微笑む彼。なびく外套。消えていく翠の魔力の残滓。冷たい背中が温められる感触。自分が守られていると感じるその瞬間。

 そしてそれは、彼の胸を貫きのばされる彼のものではない何かの腕によって完膚無きまでにたたき壊された。

 

「僕はただ、君のそばに居たかったんだ……」

 

 その呟きが世界を動かした。背中を貫き胸を通り過ぎて伸ばされる掌の先に灯る翠の破片。

 

「君がいらないって言っても、ここにいる理由も誇りも何もなくても、僕は君が行くところに行きたい、君がたどり着きたいと思うところにたどり着きたい」

 

 そっとつかみ取られる翠のリンカーコア。

 

「君がいるから、君が居たから、僕は一人じゃないって思えるんだ。君が居るから心が温かくなるんだ。だから、僕は一生手放したくなかったんだ……」

 

 包み込まれるようにのばされた彼の腕が次第に力を失い、掌握されたリンカーコアはその腕とともに引き抜かれた。

 

「ごめんね、なのは。僕は、君から離れられない。君が居ないと僕はだめなんだ……だから、お願いそばにいさせて……君を守らせて……」

 

 拘束を失ったユーノの体躯が押し出されるようになのはへと向かって倒れてくる。

 

「……さよなら……なのは……」

 

 ユーノ・スクライアはハイライトの失った瞳のままに高町なのはを抱きしめるように意識を失った。

 

「やだ、やだよユーノ君……ねぇ、目を開けてよ。目を、開けて……嫌だ、こんなの嫌、起きて、起きてよユーノ君。ねぇ、こんなの嫌だぁ!!」

 

 静寂は少女の慟哭に満たされ、腕の拘束をようやく解除したヴィータは生気を失った少年と彼に抱きしめられたなのはを見つめることしかできなかった。

 

「さあ、奪え」

 

 ヴィータはその言葉に目を見開き歯を食いしばった。

 

「テメェ……よくもイージスを!」

 

 もう感情がグチャグチャだった。本当なら自分を助けたはずのその仮面をかぶった男に対して憎しみしかわき上がらない。

 本当なら、抜き取られたリンカーコアを早急に蒐集して撤退しなければならないはずが、ヴィータの脳裏にはユーノを奪ったこの男に対する攻撃意志しかわき起こらない。

 

 感情を見失っている。ヴィータの中で唯一冷静な部分がそう警告を発するが、今の彼女はその感情にまかせて暴れることが最良の選択としか判断できない。

 

「見失うな。お前の主を死なせたいのか?」

 

 仮面の男の表情を読むことは出来ない。その口からもたらされる言葉はあまりにも冷たく、そしてあまりにも的確だった。

 

「――――ちくしょう……ちくしょー!!」

 

 ヴィータは瞳に涙を浮かべ、彼から乱暴にそれを奪い取った。翡翠に輝く魔導の根源。掌から感じる暖かな光。そのすべてが自分を断罪しているようで、ヴィータはわき上がる嗚咽を必死に噛みしめ、未だ髪を振り回して慟哭するなのはを一瞥し、撤退を決意した。

 

 ヴィータは転送魔法に仲間達と合流するポイントをたたき込み、三角の魔法陣を加速させた。

 

 そして、最後にそばに控えるように立つ仮面の男をにらみつけ、ヴィータは転送を開始した。

 

『……ごめん……イージス、高町なのは……』

 

 それは呟きではなく、誰かに当てた思念通話でもない。ヴィータは心の内にそう念じながら、転送魔法の光とともに意識を引っ張られる感触に身をゆだねた。

 

 

 

******

 

 

 

 転送が終了し、近傍世界の荒れ地に降り立ったヴィータは空っぽになってしまった心をもてあまし、ただ濁った空を見上げるばかりだった。

 

「ヴィータちゃん」

 

 背後から柔らかな女性の声が響いた。

 

「シャマル……」

 

 ヴィータは振り向いた。

 

「大丈夫?」

 

 緑色に染まるドレスのような甲冑を身に纏い、あの少年と同じ色彩、魔力光、髪の色を持つ女性シャマルは未だ残る転送魔法の残滓を身に纏いながらゆっくりとヴィータのそばに歩み寄った。

 

「うん……」

 

 ヴィータは小さく頷いた。

 

「見てたわ。辛かったわね……」

 

 シャマルは、そっと膝をつき視線をヴィータに合わせて彼女の頬に手を置いた。

 

「……一番辛いのはイージスとあの白い奴だ……」

 

 それに比べれば、自分の胸の痛みなど軽いとヴィータは呟いた。

 

「……シグナムとザフィーラは合流するまでもう少し時間がかかるって言ってたわ」

 

 彼女たちの仲間、シグナムとザフィーラも因縁のある相手とやり合い、そこそこの負傷を被った。追尾を巻くために二人は少し事なる次元世界を経由してこちらに来るとシャマルは報告を受けている。

 

「うん」

 

「だから、泣いても良いのよ? みんなには、内緒にしておくから、ね?」

 

 シャマルは唇を振るわせて耐えるヴィータをそっと包み込むように抱き寄せた。

 優しい温度。ふんわりと頬に当たる彼女のふくよかな乳房。もう、限界だった。

 感情が堰を切ってあふれ出す。涙を止められない。戦慄く唇を開けばもう後には引けない。

 

 それでもヴィータはその一時の感情に身をゆだね―――泣いた―――。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 XYZ

 

 アースラチームに与えられたの本局のミーティングルーム。大人数が収納でき、大規模な情報を処理できる演算装置がいくつも搭載された長テーブルの上座一つ下がる席に座るクロノはエイミィより提出された事後報告書と始末書の両方を眺め、深く溜息をついた。

 

「今回もまんまと……というわけか……」

 

 机に両肘をついて瞑目するリンディに代わりクロノが重々しく口を開いた。

 

「……申し訳、ありませんでした……私の責任です」

 

 エイミィはそういってうつむいた。彼女の目元は分厚い化粧に覆われ、普段の彼女の印象を覆い隠している。しかし、それでもまだ隠しきれない赤く腫らした頬を見て、クロノは彼女の無念を思いやる。

 

 今回も逃がしてしまった。それどころか、目標にリンカーコアという餌を与えてしまうという失態付きでだ。

 戦闘後、リンカーコアを抜き取られ気を失ったユーノとフェイトは直ちに本局の医務室へと搬送され治療を受けている。

 

 この二者の魔力により闇の書は相当量のページを稼いだだろう。

 

 このことが上層部に知れたとき、リンディはお偉方に、「これ以上捜査を続けることは、闇の書の手助けをするようなものだな」と皮肉をいただいたのだ。

 リンディはその嘲笑ともとれる笑みを思い出し口元にくまれた両手をきつく握りしめた。

 

 そして、何よりも現地協力者を負傷させてしまった。問題はユーノだ。フェイトはまだいい。彼女は嘱託魔導師として戦場に赴いたのだから、それは局員の失態として処理することが出来る。

 しかし、ユーノは局員ではない。アリシアのような正規の契約書を交わした協力者ではなくあくまでその立ち位置は現地協力者。故に、今回の治療に関しても局員の保証を適応することは出来ない。

 たとえ、ユーノのミッドチルダでの国籍は未だ生きているとはいえ、現在の彼は地球の移民であり、地球に国籍を持つ管理外世界の住民なのだ。

 管理外世界の国民であるユーノにかかる医療費がどれほどのものになるのか。

 

(そんなことはどうでも良いのよ。ユーノ君の治療費は、私が払えば良いんだから)

 

 リンディは考えたくない事より逃れるためにつらつらと回していた思索を打ち消し、目を開いて面を上げた。

 

「仮設駐屯所の状況は?」

 

 リンディの問いにエイミィが重い口を開いた。

 

「現在第三勢力のクラッキングによりシステムのおよそ4割が使用不能。サーバーのデータ自体は常時バックアップを取っていましたので無事でした。しかし、現状では非常回線を主回線に接続することでなんとか動かしている状態ですので……」

 

「駐屯所として活用することは無理……か」

 

 予想通りの結果にリンディは気づかれないように溜息をついた。

 

「それで、ユーノの様子は?」

 

 クロノは視線をエイミィからアースラの医療担当者に向け、特に負傷が酷かったというユーノの容態を聞いた。

 

「はっ、ユーノ・スクライアに関して本局の医務局の報告によると、リンカーコアに致命的ではないにせよ重大な損傷を受けたとのことです。これが、その最新の報告書、カルテになります」

 

 クロノは医療担当者から数枚になるカルテの写しを受け取り、報告書よりも詳細に記載された医師の所見に目を通した。

 

 その報告をかみ砕いて言えば、ユーノのリンカーコアは外部より過剰な魔力と圧力を受け、その形状に歪みが生じ、その外装にも数カ所の亀裂が確認されたということだった。

 再起不能の一歩手前。本来ならなのはのリンカーコアを抜く事が目的でなされた攻撃を彼のリンカーコアは正面からそれを受け止めたのだ。

 当然ながらなのはの魔力に合わせられたリンカーコア抜きの魔法がユーノのリンカーコアに適合するはずがなく、不適合の魔力がオーバーロードした。そして、なのはの大規模なリンカーコアを抜くために使用された魔力はユーノの彼女に比べれば小規模で強度も低いリンカーコアでは耐えられるはずもなかった。

 

 リンカーコアは魔導師にとって心臓と呼ぶべき器官だ。それでいて、現在においてもリンカーコアというものはそれほど解明された物ではない。よって、リンカーコアを直接治療する術を管理局は持っていない。

 

「覚醒後2週間のリハビリを行い経過を見る……か」

 

 今すぐどうなるという物ではないが、将来的に何かしらの後遺症を抱えることになるだろうという締めの文句にクロノは安心して良いのか嘆いて良いのか分からない感情をもてあます。

 

「なのはさん、辛いわね。責任を感じていないと良いのだけど」

 

 無理な話かしらねとリンディは思いながら、気が狂ったように泣きながら医務室に運ばれるユーノにすがりついていたなのはを思い出した。

 

「フェイトの様子は?」

 

 そして、今回の事件のもう一人の負傷者であるフェイトの容態もクロノは問いかけた。

 

「フェイト・テスタロッサに関しては全く問題はないとのことです。まだ目を覚ましていないようですが、数日もあれば全快するだろうと言われています」

 

 医療担当官の言葉にクロノは今度ばかりは胸をなで下ろす。リンディもそれは同様だった様子で、医療担当者に「ご苦労様」と労い、退出を許可した。

 

 担当者は「失礼します」と言い残し、ミーティングルームを後にして仕事に戻る。

 

「事実上、アースラは戦力の半分を失ったと言うことになりますね、艦長」

 

 フェイトとユーノ、戦力の主軸とされていた二者が負傷ししばらくの戦闘は不可能と診断された。そして、その一翼であるなのはも現状では戦力と数えられないだろう。

 残された戦力は、本局より借り入れた一個中隊分の武装局員とアースラの切り札とされたクロノ一人。PT事件の当初に戻ったと言えば聞こえは良いが、相手は手練れの複数の騎士と破壊の権化であるロストロギア闇の書、そして未だ全容がはっきりとされていない第三勢力。半年前の事件に比べ、対処するべき敵が多すぎる。

 それでもなんとかならないことはないだろうが、そのためには相応のリスク、ともすれば全滅さえも覚悟しなければならない状況が待ち受ける。

 

 アリシアならこの状況を見て「ここまでくるとむしろ清々しいな」と笑い飛ばすだろうかとクロノは思う。

 

「決定を伝えます」

 

 そんなクロノの思考をリンディの凛々とした声が打ち切った。

 うつむいて今にも泣き出しそうなエイミィと陰鬱な感情を隠しきれないクロノは面を上げ、リンディにしっかりと視線を向ける。

 

「これよりアースラは係留をほどき、抜錨後地球へと向かいます」

 

 駐屯所が使用不可能であるのならアースラをひっさげて持って行くしかない。すでに、リンディはこの状況を予測し、上層部へアースラの管理外世界への渡航許可を所得し、ドックに係留中のアースラも急ピッチで再艤装が行われているところだ。

 

「海鳴仮設駐屯所には最低人員のみを残して撤収。以後の捜査、および作戦指揮はすべてアースラにて行うこと。全クルーにこれを通達、以後別命あるまでアースラにて待機。駐屯所に残す人員の選定はリミエッタ管制主任に一任とします」

 

 名前を呼ばれたエイミィは奥歯をグッと噛みしめ、「はっ」と直立してリンディに敬礼を送った。

 

「それと、これはオフレコで。上層部からの通達よ。『君たちにXYZのカクテルを与える』とのこと。以上、行動開始」

 

 XYZ、つまりこれより後はないということかとクロノは上層部の薄暗いユーモアに拳を握りしめ、リンディの行動開始の合図とともに敬礼を送り、エイミィを伴いながらミーティングルームを後にした。

 

 人の去ったミーティングルーム。

 照明が暗く落とされ、そこには安息をもたらす青白い光のみが満たされる。しかし、それは同時に憂いの青を連想させるように感じられ、リンディは張り詰めていた感情を弛緩させクッションの効いた上座の座席に深く背中を預けた。

 

 しなければならないことは数多くある。決断しなければならないことも、覚悟しなければならないこともたくさん。

 だが、今のリンディは感情の裏にこもる陰鬱を払拭したい気分にとらわれた。

 

「……景気づけにレティとセブン・セブンでも飲みに行こうかしらね……」

 

 これが最後のチャンスになるかもしれない。

 リンディはそう思い、個人端末から通信システムを呼び起こし、未だ仕事中であろう同僚の友人に連絡を入れた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 Wind Climbing

 

 

 本局の購買にはろくな物がおいていない。

 アリシアは本物と見まがうほど精巧に作られた造花の束を抱えながらゆっくりと本局の廊下を歩く。

 

 いや、年の瀬であるためにただ品揃えが悪くなっているだけかも知れないとアリシアは時折鈍痛のする頭をトントンと叩きながら、医療施設の一角、先ほど受付で聞いた病室を探す。

 

 無限書庫での資料検索は正直なところ熾烈を極めている。最近になってようやくアリシアの依頼を叶えるデバイスシステム一式が技術部より届けられ、アリシアにかかる負担が軽減されたとはいえ、得られる膨大な資料の情報を吟味しまとめ上げるのはすべてアリシアの仕事なのだ。アリシアが今日までまとめ上げた情報を資料化してハードコピーすれば、クロノ執務室程度なら容易に紙の海に沈めることが出来るだろう。

 

 正味な話、ここ4,5日ほど彼女はまともな睡眠を取っておらず、口にする物も栄養液剤や高カロリーブロック食品だけである。成長期にも至っていないような幼児がするようなスケジュールではないが、それでもアリシアは特に文句を言うことなく業務を行っている。

 

 アリシアは気を抜けば惚けてしまう意識を奮い立たせるため、ポケットから気付け薬(脳内麻薬の分泌を制御し、アルファー波を抑制して強制的に脳を覚醒させる薬物)の入った無針注射器を取り出し、それを首に押し当てて注入した。

 

(……これで三時間は保つ……)

 

 浸透圧によって体内に流れ込んでくる薬液が脳に到達する感触にアリシアは口の端から嬌声に近い音を漏らしながら、時折身体をけいれんさせる。

 そして首筋を覆っていた熱っぽい感触が全身に広がる事を確認し、「ふぅ」と一息ついた。

 クロノやリンディがこれを見れば、すぐさま取り上げられ頬を叩かれるような物だが、最近のアリシアにとってこれは良いパートナーになっていることも確かだ。

 

 時刻は、すでに夕暮れ時。本局の照明もそれを表すようにオレンジの色彩の混じった物に先ほど切り替えられ、仕事締めに奔走する局員の波ににわかにあわただしくなる。そんな時間だった。

 

 アリシアがフェイトが戦闘で負傷したことをクロノから報告されたのはつい先ほどのことだ。

 

 アリシアは無限書庫で地球の仮設駐屯所のモニターをリークし戦闘の状況を伺っていたのだった。しかし、ユーノがなのはの元へと派遣されたあたりになってそれを映し出していたモニターが突然ダウンし、それ以降の状況の推移を彼女は知らない。

 

 クロノの報告がてらにそれを確認してみたところ、どうやら駐屯所のシステムが何者かの介入を受けて使用不能になってしまったというらしい。

 

 アリシアはすぐにでもフェイトの元へと行きたかったのだが、彼女にも無限書庫で行わなければならない仕事があったため、結局こんな時間になってしまったのだ。

 

「F病棟の453号室……ここか」

 

 アリシアは部屋の表札に掲げられた「フェイト・テスタロッサ」という文字を追いながらほっと溜息をつき、その下に連名のように示された名前にも目をやった。

 

 ユーノ・スクライア

 

 フェイトと同じ病室に運ばれた少年の名前がそこにあった。

 アリシアはその名前を前にして少しだけ躊躇するが、意を決したように面を上げて扉を軽く叩いた。

 

「…………」

 

 返事がない。

 アリシアはもう一度ノックを繰り返したが、それでも中からは何の反応も返ってこなかった。

 二人はまだ目覚めていない。それはすでに聞かされていることだ。しかし、中にはまだもう一人の少女が居るはずだともアリシアは聞かされている。

 

 一緒になって眠ってしまったのだろうか。

 アリシアはそっと横開きのドアをスライドさせ中をのぞいてみる。

 鍵はかけられていなかった。部屋の中央にかけられた大きなカーテンが部屋を二つに仕切り、その両方の壁際に設えられたベッドの白いシーツが見える。時折シーツが揺れるのは、空調のせいだろうかと思う。本局の施設には窓がない。医療施設であればリラクゼーションのために自然の風景を投影するモニターが設置されている事もあるが、人工の映像では風は流れてこない。

 

 部屋は静かだった。聞こえる物と言えばカーテンの片方の区画から聞こえる心音を測定する信号音と時折深く息をつくこもった音のみ。

 ユーノが重傷らしい。ならば、沈黙を保っている方の区画にはフェイトが眠っている事は容易に予想できる。

 

 なのははどこへ行ってしまったのだろうか。スライドドアの隙間から様子をうかがう限り、彼女はここには居ないように思えた。

 

 アリシアは返事がない事から部屋にはいるべきかどうかを少しだけ悩むが、こうしていても仕方ないと思い立ち、ゆっくりとなるべく音を立てないようにドアを開き、素早く部屋の中に足を踏み入れた。なにぶんこの後のスケジュールも詰まっている。ようやく作れたこの間隙を逃せば、もう二度と二人を見舞うことは出来ないだろう。

 

 アリシアはひとまずフェイトが眠っているだろうベッドへと足を運び、その脇に置かれた小さな丸椅子に腰をかけ、造花の花束を持ち上げた。

 見舞いの品に造花を送るのは礼儀としてはあまり良いことではない。造花は枯れないのだ。

 本物の花であればいくら長くても数日で葉を落としてしまうだろう。

 故に、その花が病人の代わりに厄を吸い取り枯れていくというイメージから、枯れない造花は控えるべきだという風習がミッドにはある。

 

「ごめん、これしか売ってなかったんだ」

 

 それよりも何も持たないよりは幾分はましということでアリシアは仕方がなく売れ残りのこれを購入したのだ。二束ある方の片方を近くのテーブルにおかれた小さな花瓶にをそれを生ける。

 

 フェイトはよく眠っている。リンカーコアを蒐集された反動で気を失ったと言うが、アリシアの受けたものに比べるとフェイトが受けたそれは幾分か重いと言うことだった。

 アリシアのリンカーコアは極小だ。故に被った被害も極小で済んだ。しかし、フェイトのリンカーコアはアリシアのそれに比べれば膨大といってもいい。故にその被害もアリシアとは比べものにならないほど大きな物となってしまった。

 

 アリシアはそっと眠るフェイトの頭をなで、若干寝乱れた髪に手櫛を通す。

 瑞々しい豊かな金髪は彼女が自分の姉妹である事を語る。今のアリシアの髪は連日のハードワークによって乱れ艶も幾分か喪失しているが、彼女の物は良好の質を保っていることが分かりアリシアはフッと笑みを浮かべた。

 

「ハラオウンは、君を大切にしているみたいだね。ごめん、フェイト。本当なら、私がその役目を負わないといけないのに、最近は君と顔を合わせるのも希だ。こんな事で久しぶりの再会なんて、本当に嫌になるよ」

 

 アリシアになでられる感触が気持ちいいのか、フェイトは時折短く息を付きながら、その寝顔も満ち足りたような穏やかさに包まれていく。

 もしも夢を見ているのならどんな夢を見ているのだろうか。

 

 フェイトにはアリシアとしての幸せな記憶がある。PT事件においても時折それを夢に見て自身を奮い立たせていたらしいが、今でもその夢を見るのだろうか。

 

 自分の出生を知ってもなお、フェイトにとってその夢は幸せなものに映るのだろうか。

 

 とりとめのない考えだった。それをフェイトに確認するのは怖いと感じる。ともすれば自分は恨まれても仕方のない位置にいる。にもかかわらず、フェイトはアリシアを姉と呼び、ともに歩いていこうと約束を持ちかけた。

 

 アースラに拘留されていたときも、怖い夢を見たときにはアリシアの布団に潜り込み、人寂しいときはアリシアについて回り、面白いかどうか分からないアリシアの話を頷きながら熱心に聞いていた。

 

「だけど、ごめん、フェイト。まだしばらくは君に会えないと思う。見つけたんだ、ひょっとすれば闇の書をどうにか出来るかも知れない方法が。だけど、それはとても怖い。やらない方がましだって思うぐらい勝算が低いんだ。ひょっとすれば、クロノやリンディ提督、君や君の親友達を裏切ることになるかも知れない」

 

 無限書庫で検索するにつれ、闇の書に関する情報とは別に確信できないある法則をアリシアは知った。

 それが果たして何を意味するのか。その答えは殆どでかかっている。

 そして、その結果がもたらす未来をアリシアは何となく想像することが出来る。

 

「だけど私は、もう繰り返したくないんだ。今度こそ、今度こそは繰り返さないって誓ったんだ。ごめん、フェイト。君には辛い思いをさせるかも知れない。今のうちにさよならを言っておくよ」

 

 アリシアはそう言って軽く息を付き立ち上がる。

 

 窓の外に映し出された擬似的な夕焼けの風景が二人に柔らかな陽光をさしのべ、その光の中でアリシアはフェイトの額に小さな唇をそっと重ねた。

 

「お休みフェイト。今は良い夢をね」

 

 アリシアはそう言い残し、生けられた造花の花瓶のそばに置いておいたもう片方の花束を手に取り、そっと静かにフェイトのベッドを後にした。

 

 この病室は元々一室を二つに仕切ることが前提にされた物であるらしく、仕切り壁の代わりに設えられたカーテンはきわめて高い遮光性を持つため、その向こう側のシルエットが映ることはない。

 また、その長さも床に届くほどの長さが確保されているため足下が見えることもない。

 アリシアはユーノが眠る区画に足を踏み入れたとき、その静けさを感じるとともにそこにいるのが一人ではなかったことに驚きを感じられなかった。

 

「居たんだ、なのは」

 

 フェイトが眠る壁際の反対側に設えられたユーノのベッドは両区画が鏡写しの間取りになっている事を示す。

 そのベッドのそば、先ほどアリシアが腰を下ろしていた物と同様の丸椅子に腰掛ける人物が居た。

 

 なのははアリシアの問いかけに答えず、ただじっと管によって酸素供給されているユーノの寝顔を見つめているだけだった。

 

「いつから?」

 

 アリシアはなのはのそばに歩み寄り、その近くのダッシュボードの上に見舞いの花束をのせた。

 ユーノもフェイトと同様、搬入されてから今まで目を覚ましていない。しかし、その表情に浮かんでいる物はフェイトのような安息ではなく、何の感情も乗せられていない空虚なものだとアリシアには感じられた。

 

 なのははただ黙っている。アリシアの声も聞こえていないように押し黙り、辛そうに唇を噛みしめ膝におかれた両の手は血の気が引くほどに硬く握りしめられている。

 

 さもありなん、とアリシアは思う。

 詳しい状況はアリシアには分からない。しかし、クロノ達の言葉によればユーノはなのはをかばって敵の蒐集にあったのだ。

 そして、ユーノはフェイトや自分と違いかなり重い損傷を受けた。本来なら自分が見に受けるはずだったそれを被ったユーノを見て、なのはが心穏やかに居られるはずはないのだ。

 

 だが、とアリシアは思う。

 

「不幸中の幸いだったね」

 

 その言葉を聞いてなのはが初めて反応を返した。

 きつく握りしめられた両の手がさらに力を増し、その口元からは歯と歯がこすりあわされる不快な音まで漂ってきそうに思えた。

 

 アリシアはその幻聴を隅に禁煙パイポの端を折り口にくわえた。

 

「何が……何が、幸いだって言うの……」

 

 呪詛のように漂う幼い少女の声にアリシアは煙のように白んだ水蒸気を口から吐き出した。

 アリシアは少しだけ目を閉じ心を落ち着かせた。

 今から自分は、まだ二桁の年にも到達していないような少女に自分自身の傲慢な思想をたたきつけなければならない。その上で彼女が何を思い、何を考え、何を判断するのか。アリシアはそれを知るために、きわめて冷徹な表情を顔に浮かべ、パイポを加えたまま振り向き壁に背を預けた。

 

「幸いだよ、少なくともあなたたちは生きて戻ってこれた。それ以上の幸運なんてない。生きていれば次がある、もう一度戦うことが出来るんだから、それを喜ばないで何をしようって言うの?」

 

 最悪の思想だと言うことはアリシアは理解している。しかし、ベルディナの感覚を用いればこそ、それはアリシアにとって揺らぐ事のない真実なのだ。

 

「っっ!!」

 

 頬をはじかれる感覚、椅子が床に倒れ込む甲高い音が響き、アリシアは横っ面に状態を崩し床に尻餅をついてしまう。

 

「……戦えるから嬉しいなんて……最悪だよ、アリシアちゃん」

 

 振り抜いた掌に痛みを感じるようになのはは自身の左手を押さえ、苦しそうな声を上げた。

 

「戦いを喜べない? なのは」

 

 先ほど投与した気付け薬は確かに意識をしっかりと保ってくれる物だが、それは身体的疲労を軽減するものではない。さらには無重力に適応し始めている筋力や骨格が明確な衰えを示すため、アリシアはしばらくそのまま立ち上がることが出来なかった。

 

「喜べるはずない! 戦うことは辛いし、怖いし、悲しいんだよ。ユーノ君は、私のせいで怪我しちゃった!」

 

 髪を振り乱し激高するなのは。まるで全身の痛みに耐えるように身体を抱きしめ、そのまま下身の力が抜けるように膝を折った。

 

「もう嫌! こんな辛いのはもう嫌なの! もう、誰にも傷ついてほしくないのに!」

 

(……ああ、なんて綺麗なんだ……)

 

 伏して身体を震わせる彼女を見て、アリシアはそれを美しいと感じた。

 なぜこの少女のシンボルである色彩が無垢なる白と幸福の色彩である桜色なのか。アリシアはその意味にようやくたどり着いた。

 

「誰にも傷ついてほしくないんだったら、なのははどうして戦うの?」

 

 自分は彼女を導く立場におらず、その資格もない。

 

「誰かを傷つけることをよしとしないのに、君はどうして戦ってきたの?」

 

 しかし、アリシアはどうしようもなくこの少女に関わりたいと思うようになっていた。

 

「私には貴方の気持ちが分からない。だから、教えてくれないかな?」

 

 本当なら放っておけばいい。自分は戦う立場にいないのだから、この少女が何を思い何を信じて戦おうとも自分には関係がないはずだった。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。確かにそのきっかけはレイジングハートが現状ではアリシアぐらいでしか弄ることが出来ないということだった。そのよしみで、レイジングハートの調子を把握するためになのはの訓練に付き合うようになった。

 

 そして、今となってはこんなにも彼女が気になってしまう。

 

 今でも、本当ならただ労いの言葉をかけ、次は頑張れとか、今は身体を休めた方が良いとか、そんな杓子定規のような言葉を贈っておけば済む話だったはずだ。

 

「私は、なのはの話が聞きたい」

 

 アリシアは立ち上がり、未だ膝をついて惚けるなのはの肩をそっとなでた。

 

 

************

 

 

 バタンと扉の閉まる音が廊下に鳴り響き、硬質な靴のかかとが踏みならされる音が静寂な病棟の壁に反響する。

 

 アリシアは今は静かになっていく胸の振動を身体に感じながら、その病室でふるえる少女が口にした言葉を何度も何度も反芻していた。

 

 行き交う人の波が徐々に増えていき、病棟から出る頃にはこれより仕事仕上げのスパートをかけるべく肩に力を入れる者、すでに深夜までの残業が決まっており陰鬱に吐息を吐く者、それに入れ替わるように休憩に入る者など、様々な人々の往来が増え始めていく。

 

 その中でも異質であると自覚しているアリシアは時折向けられるいささか無粋な視線に愛嬌のある笑みを返しながらその脳裏には薄暗い歓喜を感じ取っていた。

 

(やっぱり、なのはは戦うことから逃れられないんだねなのは)

 

 行き交う人々の中、アリシアの視線からはとても広く感じられる回廊の中央において彼女は立ち止まり、薄い空色に染められた天井を仰ぎ見て目を細めた。

 

(そう、なのはには力がある)

 

 人の波は小さなアリシアを物ともせず、その流れを淀ませることなくすり抜けていく。

 まるで世界が自分を認識せず、停止する自分を無価値なものと定義するようだ。

 

(力があるからこそ迷わないのか。その力を持って何かを助けようとするのだろうか)

 

 時の流れより見放され、常に同じ所にとどまり続けるその感触は、今まさに感じている感覚と同質のものだとアリシアは認識していた。

 

(私は、なのはが羨ましい)

 

 アリシアは再び歩みを進めた。

 

(彼女には力がある)

 

 自身の歩みの速度は流れる人々の歩みに比べれば酷く散漫でたまらなく遅々としたものだ。

 

(私になのはほどの力があれば、あるいは私も悩むことなく戦うことを選択できたんだろうね)

 

 体感覚の整わないこの身はともすればわずかな外乱に翻弄され地に膝をつくだろう。

 

(だけど、私にはその力がない)

 

 しかし、見上げればそれを見守る瞳がある。

 

(だから、私は……私なりに戦ってみせる)

 

 自分を見ていてくれる視線がある。

 

(ありがとう。あなたのおかげで私も決心が付いた)

 

 時にはそれは手をさしのべ、柔らかな笑みとともに側を支えて歩いてくれるだろう。

 

 道は決して平坦ではない。それでも、共に歩むものがあれば、その道は決して険しいものではない。

 

 彼女の物語はここにおいてようやく産声を上げた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終話 Holy Night

 

 何となく見上げた夜空は何処かどんよりと曇っていて、身を切るような寒さが地上を覆い尽くしている。

 フェイトは僅かに吹き抜けた冷風に首をすくめオーバーコートの襟に頬をこすりつけた。

 フェイとの着ているコートは聖祥学園指定のコートだが、その機能性とデザインが気に入ったのか、彼女はプライベートでもよく着るようになっていた。

 

 フェイトは何となく隣りを歩く親友に目をやる。せっかくのお呼ばれにこんな天気になってしまって少し残念そうにしているように思えたが、となりを歩く少年は何処か期待したような眼差しで空を見上げていた。

 

「曇ってるね」

 

 いつもなら晴れ渡った空を愛する少女、なのはなら今頃どんな表情を浮かべながらこの空を見上げているのかフェイトは気になった。

 

「うん、そうだね。雪が降りそうだ」

 

 雪と聞いてフェイトは小首をかしげた。フェイトはミッドチルダ南部、アルトセイムに住んでいた記憶がある。

 これは、ミッドチルダ全般で言えることだが、ミッドチルダ自体温暖な気候をもつ世界であるため、冬でもそれほど気温が下がらない。特に、南部のアルトセイムになればその気候は常に温暖で雪と言われてもフェイトにはぴんと来ないだろう。

 

「ホワイト・クリスマスっていってね。クリスマスに雪が降るのは良いことだって言われているんだ」

 

 いつまで経っても小首をかしげたままのフェイトにユーノはクスッと笑いながらその意味するところを告げた。

 

「クリスマスに雪が降ったらホワイト・クリスマスか……なんだか素敵だね」

 

 育ちの殆どを時空間で過ごしたフェイトにしても、四季の移り変わりや空から氷のかけらが降ってくると言われても何となく想像が出来ない。

 

「なのはの家でもツリーに飾り付けるの?」

 

 ミッドチルダのこの時期とはまったく異なる賑わいを見せる人通りを眺めながらフェイトはユーノから離れないように彼のコートの裾をちょこんとつまんだ。

 

 ユーノはフェイトが指し示した街頭の木に飾られたイルミネーションを眺める。

 

「本物の木に飾るわけじゃないらしいけど、ツリーにガラスの宝石とか星とかを飾って枝にいろんな色の電球を巻き付けるらしいよ」

 

 アリサとすずかの豪邸の広い庭には作り物でも鉢植えでもないモミの木が植林されているとユーノはなのはから聞いている。毎年彼女たちの家はそれらをデコレーションをして聖者の聖誕祭を祝うらしい。

 一度は見てみたいなぁとフェイトは思いながら、何処か気恥ずかしさを覚えながらユーノのコートをつまみながらゆっくりと道を進んでいった。

 

 何となく不思議な感触がする。

 クリスマスとはどういうものか、その源流は何かと照れ隠しに様々に説明するユーノはフェイトと何処か同質の感情を抱いていた。

 

 自分とユーノの関係とはいったい何なのだろうかとフェイトは考える。

 

 かつてのフェイトであれば、それは敵対する少女の単なる従者でしかなかった。そんな彼が人間だと知ってその少女なのはと親友になったときには彼は親友の友人という関係になった。

 

 なのはとユーノがまだアースラに滞在していた頃、フェイトはまともにユーノと言葉を交わしたことはなく、彼と顔を合わせるのも姉のアリシアを介してのみだったような記憶がある。

 その頃は、自分よりアリシアと親しく話をするユーノをうらやましく思ったものだ。

 そして、それからしばらく経って、ユーノはフェイトの裁判の証言者として半月の間だけ本局を訪れた。

 

 本当なら学校もあり、なのはやその友人達と離れてしまうにも関わらず、ユーノは嫌な顔を一つもせず証言をやり遂げた。

 その頃からだろうか、ユーノが親友の友達ではなく、本当の意味で親友だと思えるようになったのは。

 

 フェイトは寒さに頬を若干染めるユーノの横顔を伺いながらそんなことをつらつらと思い浮かべた。

 

「そもそも子供達にプレゼントを配るサンタクロースって言うのはね、元々聖(セント)ニコラスっていう聖人が貧しい家に金貨を投げ入れたっていう……」

 

 ユーノは大仰に指を掲げながらふとフェイトの方へと視線を向けた。

 交差する彼女との視線にユーノは言葉を飲み込んだ。

 

 ユーノがミッドチルダから地球に移住する時、管理局提督であり地球イングランド在住のギル・グレアムが後見人となり、そして彼の保護責任者はリンディ・ハラオウンということになっている。

 つまり、法的な事を考えれば現在のユーノの親はリンディだと言うことになる。

 

 そして、フェイトはいずれはハラオウン家の養子となる少女だ。

 

 先日、それを指摘したエイミィが漏らした『それだったら、ユーノ君もフェイトちゃんのお兄ちゃんって事になるね』という言葉にユーノは少なからず動揺した。

 

 しかし、フェイトにとってそれはサプライズである以上にとんでもないプライズに思えたのだ。

 

 家族が増える、絆が増える、ただそれだけのことではない。

 ユーノときょうだいのようなものとなることでアリシアとユーノの輪の中に入ることが出来るかもしれない。

 ユーノのように言葉を必要としない信頼感をアリシアと共有できるようになるかもしれない。

 

(そうなったら……嬉しいなぁ……)

 

 フェイトはニッコリと笑い、今度は躊躇せずユーノの手を取ってかけだした。

 

「さっ、早く行こ? 遅れたら失礼だから」

 

「ちょっと、フェイト。いきなり走ったら危ないよ!」

 

 腕を引っ張られて、ユーノは照れくささを感じる暇もなくつんのめりそうになる足を整えて彼女に追従した。

 

 今日は二人は高町家の晩餐会に呼ばれている。それは、ユーノとフェイトの快気祝いという意味合いが強いが、高町家ではクリスマスより数日先んじてクリスマスパーティーを行うのだという。

 高町家は家業の関係上、クリスマスとイヴには家族にかまっていられないほど店が忙しくなる。そのため、毎年クリスマスより数日先んじてその日を祝うのだと聞かされている。

 

「お姉ちゃんは後から来るのかなぁ。早く会いたいな……」

 

 その家族の団らんに自分たちも呼ばれた。

 そして、今日の日はアリシアも呼ばれているだろうから、久しぶりにゆっくりと話が出来るかもしれない。

 無限書庫は既に追い込みに入っており、最近では夕食を一緒にするどころかアリシアはハラオウン邸にまともに帰ってきてさえいないのだ。

 

 姉、アリシアの名前を出して微笑むフェイトにユーノは少しだけ表情を沈めた。

 ユーノは腕の力を少し強め、フェイトの歩調を抑制するように歩みをゆるめる。

 

「どうしたの?」

 

 フェイトは繋いだ手をそのままに振り向きユーノの表情をのぞき込んだ。

 

「うん、その。言いにくいんだけど……アリシアはたぶん来ないよ」

 

 ユーノとフェイト、二人の間に酷く乾いた冷風が吹き抜けた。

 

*****

 

 ベランダの向こうの空には夜空を彩る星々の代わりに街の光に彩られた輝く粉雪が降り注ぐ。

 海鳴に降る今年初めての雪は朝になれば消えてしまうだろう。この空の向こう。遙か時空間の海の彼方にいるアリシアは、今頃何を思っているのか。

 フェイトは何となく空いてしまった感覚の間にそれを思い、少しだけため息をついた。

 

「大丈夫? フェイトちゃん」

 

 ベッドの脇に腰を下ろし、窓辺に寄り添って空を見上げるフェイトになのははそっと声をかける。

 

「うん、大丈夫。いきなり泣いてごめん」

 

 フェイトは空から視線をおろし、床に座って心配そうに見上げるなのはに笑みを送った。

 

「フェイトって、意外と涙もろいよね」

 

 なのはの正面で胡座をかいてお茶を飲むユーノが少し意地悪な笑みを浮かべながら少し今までのことを思い出していた。

 

「そ、そうかな?」

 

 フェイトはそういわれて、ここ半年間で自分は思いの外涙を流す機会が多かったと思い、少し赤面してうつむいた。

 

 なのはと分かち合った早朝の海辺。悪夢に悩まされる夜に感じた姉のぬくもり。裁判で自由になり再び親友と会えると分かったとき。ハラオウン家での最初の団らん。

 そして、そのどこにも悲しい涙が無かったこと。

 

「そ、そうだ、プレゼント開けてみない?」

 

 何となく漂った沈黙。それが嫌な沈黙ではなく、どことなく落ち着きのあるものだったが、なのははそれを払拭するように声を上げた。

 

「そうだね。アリシアが何をくれたのかちょっと気になるな」

 

 ユーノはそういってなのはの思惑に乗り、三人のちょうど真ん中あたりに集められた三箱のプレゼントを引き寄せた。

 

 アリシアは晩餐会に出席できない代わりに早いクリスマスプレゼントを三人に届けていた。

 それが夕食の終わりに高町夫妻から手渡されたとき、アリシアなりの気の使い方を三人は感じた。

 

 桜色、明るい黄色、新緑色の包装に包まれた小さな箱。それぞれがそれぞれの魔力光に対応し、その表紙に名前が記されていなくても誰に向けて送られたものかを類推することができる。

 

 なのははその中の黄色の小箱をフェイトに手渡し、フェイトは「ありがとう」と言ってそれを受け取った。

 

 中には何が入っているだろうかとユーノは考える。箱の大きさは両手で包み込めるほど。握り拳二つ分ほどの小箱。

 

「本とか人形じゃないよね。アクセサリーかな」

 

 ユーノは中身を透かすように持ち上げて蛍光灯の光に掲げるが、さすがにそれで中身が分かるものではない。

 

「ユーノ、別に危険なものじゃないんだから」

 

 フェイトはまるで爆弾小包を調べるような手つきのユーノを笑いながら包装を解き、中から現れた軽金属製の化粧箱を軽く振り音を聞いた。

 

「それは甘いよフェイト。アリシアの贈り物には細心の注意を払わないと。マタタビとか唐辛子とか。開けた瞬間に噴出したら怖いでしょう?」

 

「ユーノ君。さすがにそれはアリシアちゃんに失礼だよ」

 

 なのはは三人分の包み紙を丁寧に折りたたみながら苦笑いする。

 ユーノはアリシアの性質をよく理解していたが、さすがに妹への初めてのプレゼントにそこまで酷いブラックセンスを発揮しないだろうと判断できる。

 

「そうだね。じゃあ、開けようか」

 

 軽金属製の化粧箱。シルバーの表面に刻まれた『I wish that your Fate is not Doom and is Fortune』の文字はアリシアから自分達へと向けられた願いなのだろう。

 

 ユーノとフェイトにとっては慣れ親しんだ文字、そしてなのはにとっては最近最低限読み書きができるようになった文字。

 アリシアにしては実直な。それでいて切実な願いを確かに三人は受け止め、それぞれに目配せをした。

 

『いっせいのーで』

 

 三人は呼吸を合わせ、シルバーケースの箱を開いた。

 

 ユーノは怪訝な表情をし、なのはは目を見開き、フェイトは驚愕に唇を掌で覆い隠した。

 フェイトが取り落としたシルバーの蓋が床に転がる音が部屋に響く。

 

《なるほど、アリシア嬢も粋な計らいをするものですね》

 

 その箱の中身を確認し、レイジングハートは机の上で興味深そうに紅い光をちかちかと明滅させた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本章
第一話 Grave


新章開始です。この物語はこの章を持って完結と相成ります。(1/19)


 ミッドチルダの首都。クラナガンの町並みは行き交う人の数も少なく、濁った星空のもと、静寂に近い空気を保つ。

 年の終わり、聖王崩御の日とされた鎮魂祭。地球で言う聖者の聖誕祭であるクリスマスより数日さかのぼるこの日は、ミッドチルダにおいてもっとも静かな夜とされた日だった。

 

 今頃フェイト達は高町の家で晩餐を堪能しているだろうか。なのはの実家高町家は、数日後に控えたクリスマスの夜は一年のうちで最大の忙しさを誇る日だという。故に彼らは毎年クリスマスの数日前にあらかじめパーティーをしてしまうのだとなのはは楽しそうに話していた。

 

 クリスマスには身内にプレゼントを贈るのが習慣であると聞き、アリシアは事前にクロノに頼んでフェイト、ユーノ、なのはにプレゼントが渡るようにしていたのだった。

 

(あの子達は喜んでくれたかな?)

 

 いや、喜ぶと言うよりは驚く方が大きいかもしれないとアリシアはそんなことを思いながら、荘厳な雰囲気の漂う礼拝堂にただ一人腰を下ろし、分厚いコートを抱きかかえるようにたたずむ。

 

 クラナガンと管理局本局をつなげる長距離用トランスポーター。その施設のもっとも近隣に位置する礼拝堂においても、今日この日にここを訪れるものは少ない。多くの本局局員は鎮魂祭の日にも次元世界の平和を守るために奔走していることだろう。アリシアの保護者であるリンディもその息子のクロノも、それ以下アースラの全乗組員も同じこと。誰もが闇の書の無事な回収と事態の収束を願っている。

 

 ならば自分はどうしてこんなところにいるのかとアリシアは自問する。

 

(結局、逃げたかっただけなんだろうね)

 

 どうしようもないこと。ただの個人では動かせない世界。たとえ巨大な武力と組織を持っても逃れられない運命を見通し、ただそれを見たくないと思っただけなのだろうとアリシアは自己分析を終えた。

 

 今頃ベルカ教区自治領では一年でもっとも大きく、そして厳粛な儀式が静かに執り行われている頃だろう。

 聖王崩御の鎮魂祭は聖王教会にとって最も重要な行事であり、他方では古代戦争終結の記念日ともされている。

 日没とともに鎮魂歌が鳴り響く礼拝堂においてもその厳粛さの一片を感じることが出来、アリシアは目を閉じ、心の内に聖王とともにかつて散っていった者達への祈りを捧げた。

 

 礼拝堂の中央にそびえる大聖剣十字の背後を彩るステンドグラス。そのきらびやかな象徴画の上方に備えられる小さな小窓には双子の月が寄り添うように浮かんでいる。

 

 アリシアはその双月を痛む胸を抱きながらただ見上げる。言葉にならないため息が白霧となって天井へと浮かんで消えた。

 

 今の人々は、あの月を見上げるとき、果たして自分ほどの感傷を持って見上げるのだろうか。アリシアは今となっては忘れ去られた二つの月の輝く夜の意味を思い抱く。

 

 かつて、ミッドチルダと古代ベルカが戦争をしていた頃。かつての旧ベルカ領首都ゼファード・フェイリアにおいてもここと同じ、双子の月が夜空を彩っていたものだった。

 しかし、かつての人々、ミッドチルダにせよベルカにせよ、その両方の月が満ちる夜には誰も出歩かず、ただ家にこもり月を見上げて祈りを捧げていた。

 

 月は巨大な墓石なのだ。そこにはかつての戦争によって死んでいった者達が今でもなお埋葬されている。いつまでも風化することなく、月の最後の時まで彼らはそこにいる。

 

 故に、アリシアは今となっても月の満ちる夜にはあまり外を出歩かないようにしている。なぜなら彼女の前世、ベルディナはその戦争において多くのミッドチルダの民を殺し、多くの仲間同胞達をミッドチルダの民によって殺されているのだから。

 

 今、彼女が見上げる月にも彼がかつて殺してきた者達の魂が宿っている。月は死後の世界への扉であり、人は死ねば月へと導かれる。

 

「私は、いつまでも地べたをはいずり回るゴーストだね」

 

 何度そういって彼女/彼は自身を嘲(わら)っただろうか。

 

「何度もこうして繰り返さないと誓って……だけど、繰り返し続けた」

 

 死なせないと誓い、その誓いを果たせず大切な人たち失い、そして次こそはと誓い、同じ事を繰り返す。それでも彼はその最後の最後にその誓いを果たすことが出来たはずだった。

 その身をもって彼は守られるべき少年を守り、そして時空間の海へと散っていった。それで良かったはずだ。それで終わることが出来たはずなのだ。

 その結果、助けられた少年に一生残る傷を与えることになろうとも、彼は満足して終えることが出来たはずだったのだ。

 

「どうして、私は続いているのか……運命の神は私に何をさせたいのか。その答えがずっと分からなかった。だから、これはただの余生だと思っていた。このまま緩やかに死んでいくまでのたった数十年間の余生。だから、せめて最後は楽しくやっていこうと思った。それ以外に、今の自分の有り様を定義する事なんて出来なかったから」

 

 彼女は語りかける。月に眠るかつての同胞達、敵でありながら互いに認め合い求め合って戦った多くの人々へと彼女は語りかける。

 

「ベルディナとしての一生は終わった。アリシアとしての一生はすでに終わったものだった。だから、私はその燃え滓としてやっていければ良いはずだったんだ」

 

 しかし、気がついてしまった。

 無限書の膨大な情報に触れるうちに彼女はそれに至った。

 そして、そこから導き出された答えは、自分と同じ仲間を失って生きる意味を見失いかけた人物の像だった。

 彼は、何を持ってそうすることを決意したのか。

 

「だけど私は、ベルディナの一生がまだ終わっていない事に気がついたんだ。闇の書……夜天の魔導書のことがまだ残っていた。全く300年も何をしていたんだか。まだまだこの世界にはやり残したことがあるみたいだ」

 

 闇の書が夜天の魔導書の暴走体であること。古代ベルカに編纂され、名前のない旅する魔導書に夜天の名前が与えられ、そしてその最後の使用者もろともこの世から消え去って以来それは滅びることなく世界に災いをまき散らし続けている。

 

「だけど、私は結局は無力だったよ。あれだけの情報を抱えながら、結局は繰り返させない手段を得ることはかなわなかった。今度ばかりは、し損じるわけにはいかないというのに……」

 

 しかし、アリシアは結局のところその災いを沈静化させる確固たる方法を得ることはかなわなかった。

 もう少し時間があれば、自分自身の魔力や体力に余裕があれば。せめて、身体年齢が後5年はあればと思ってもそれは詮無いことだ。

 

「私を導いてくれ、メルティア」

 

 そして、アリシアはかつての――ベルディナの戦友であり、彼が唯一愛した女性の名前を呟きながら、目を閉じ右手を握り胸の前に当て、「ルーヴィス」と祈りの言葉を空へと贈った。

 

「まさか君がここにいるとは、意外だったよアリシア君」

 

 瞑目し思案にふけるアリシアは突然頭上より降ってきた言葉にそのときまで気がつけなかった。

 アリシアははじかれるように面を上げ、最近になってさらに視力が落ちた目をこらし、そこに立って自分を見下ろしている人物を認識した。

 

「……グレアム提督……」

 

 管理局提督の制服の上からグレーのコートを羽織り、白い手織りのマフラーで襟を包みながら、グレアムは紳士らしい手つきでコートと同じデザインのシャッポを手に持ってアリシアに微笑みを向けていた。

 

「ああ、座ったままでいいよ。隣、よいかね?」

 

 いきなりのことで多少気を動転させたアリシアは驚いて立ち上がり提督へ儀礼を送ろうとするが、グレアムはそれを手で制し、その代わりにアリシアの隣に座る許可を求めた。

 

「ここは私の家ではありませんから。提督の自由にしてもよろしいと思います」

 

「いや、教会、礼拝堂とは等しく迷える人々の家だと故郷の牧師は言っていたよ。だから、君や私にとってもここは自分の家だと思っても構わないのではないかね? 隣、失礼するよ」

 

 グレアムは「よいこらせ」と年寄り臭い言葉を吐息とともにつき、ベンチを揺らさないようにゆっくりと席に着いた。

 

「では、この場では私と提督は家族のようなものと言うことですか……」

 

 先ほどグレアムが言った言葉を反芻し、アリシアは苦笑するように頬をゆるめるが、彼女自身それも悪くはないと思っていた。

 

「なるほど、おもしろい考えだね。では、どうかね、アリシア君? 家族である私に君の悩みを聞かせてみるというのは」

 

 グレアムはアリシアの表情を伺わず、自身も彼女に習うように礼拝堂の中心にそびえる大聖剣十字の象徴を見上げ問いかける。

 

「……提督は、どうして今日ここに?」

 

 アリシアはあえてグレアムの問いに答えず、彼がどうしてこの日ここに訪れたのかを問いかけた。

 

「今日この日に礼拝堂を訪ねる理由など、一つしかないと思うがね」

 

「祈る故人がいるということですか?」

 

「この仕事を長く経験していると、それこそ両手に余るほどだよ。特に11年前。私はこの手で友人を一人失った。後悔と懺悔、そして許しを請うために私はここにいる。しかし、君は幼いにもかかわらずたったの一人でここの門を開いたらしい」

 

 アリシアは少し乾いた吐息をついた。口元から立ち上る白い煙が天井へと舞い上がり、アリシアはそれが消える様を見つめ、口を開く。

 

「半年前、母を亡くしました」

 

 その知らせはグレアムの下にも届いているはずだった。それでいてあえて彼がそれを聞いたのは、いったい何の思惑があるのだろうか。

 アリシアはどこか自分がこの人物に対して疑心暗鬼になっているような心持ちを味わう。しかし、それは意味のないことだと思いその感情を打ち払った。

 

「そうか、君の母は君に何を語りかけるのかね?」

 

「それは、分かりません。私は聖王陛下を信頼していますが、信仰心というものに恵まれていないようで、死者の言葉を聞くことは出来ないようです」

 

「なるほど、私も残念ながらその信仰心が足りていないようだ。あの日以来、私はクライド君の声を聞いたことがない」

 

 信仰心があれば死者の言葉を聞くことが出来るのか。それが出来れば、プレシアももう少しはまともな最後に出会うことが出来ただろうとアリシアは思う。

 

「クライド……クライド・ハラオウン元提督ですか。クロノの父親の」

 

 アリシアもその名前を知っていた。リンディやクロノ本人から聞いたことではない、単に無限書庫で闇の書に関する過去の調書を調べていたところ最初に発見したものだ。

 

「私は彼を殺した。二人は何もかも変わってしまったよ。だからこそ、それに報いるために今度こそ闇の書を何とかしなければならない」

 

「提督は……リンディ提督はその手段を知っているかもしれません」

 

「どういうことかね?」

 

 グレアムは見上げていた表を下げ、初めてアリシアの横顔に目を向けた。

 彼女は、何とも形容しがたい表情をしていると彼には思えた。

 何か口にはしたくないことを腹にため込んでいるとグレアムは感じた。

 

「無限書庫を探索中に奇妙なことがありました。オカルトやホラーのたぐいではなく、闇の書のことに関して調べていく内に何者かに誘導されているような感覚がしたんです」

 

 アリシアはそのことに気がついたときのことを詳細に思い出すことが出来た。

 

「ふむ」

 

 グレアムはアリシアの言葉を待った。

 

「私が得たい情報、必要とする書物が妙に近い場所にあった。後々よく調べてみれば、それはまるですでに何者かが同じことを調べて整理していたような配置に並べられていた。間違いなく、私よりも以前に誰かが闇の書に関して長い時間をかけて調べていた。まるで自分はその人物がたどった道筋をトレースしているように感じられ、酷く違和感をもったんです。それだけのことをしているのなら何らかの形で闇の書に対する対策計画なり対策案が発表されているか、現在研究中か。しかし、そのような情報はどこにもなかった。多少違法な手段を用いて深く調べてみても、それは存在しなかった」

 

「つまり、極秘裏に何者かが独自に闇の書に対して何らかの方策を練っていたということかな」

 

 グレアムは目を細めた。

 

「サーバーの使用履歴を復元してみた結果、それはだいたい10年前から地道に行われていました。利用者の履歴を復元することは出来ませんでしたが、誰が調べていたのかはおよそ見当がつきました。10年前、闇の書、無限書庫を秘密裏に私的使用が出来る権限者というキーワードを用いれば、浮かび上がる人物はほとんど特定できてしまいます」

 

「それが……リンディ君ということかね」

 

「その確立が最も高いのがリンディ提督だったというだけのことです」

 

 グレアムは言葉にならない息を付き、沈み込むようにベンチの背もたれに寄りかかった。

 リンディが何をしようとしているのか、アリシアには高い確率で推測することが出来る。もしも、それが真実であり、もしもそれを成し遂げるために裏で仮面の男を操っているのであれば。

 身内を疑うことは精神的に負担がかかるとアリシアは思う。

 

「それで、君はその計画のどこまで知っている?」

 

 グレアムの問いかけにアリシアは少し逡巡した。

 言うべきか言わざるべきか。実質的にこの件に関するグレアムの権限は低い。本来的に部外者であるグレアムに話しても良いことかとアリシアは思うが、グレアムが現在の無限書庫の管理者であること、彼の使い魔の姉妹が何かと自分に気を遣ってくれたこと、そして何より彼もまた闇の書に関しては部外者ではないということを鑑みれば迷うことはないと彼女は判断した。

 

「闇の書の永久凍結……いえ、むしろ長期間行動不能にするだけの計画と言うべきでしょうか。闇の書は真の持ち主以外によるシステムへのアクセスを認めない。それでも無理に外部から操作をしようとすると、持ち主を呑み込んで転生してしまうという馬鹿みたいな念の入れようです。だから、完成前ではプログラムの停止や改変ができませんから、完全な封印も不可能になります」

 

「やはり、そうなのか。では、11年前の事故は何者かが無理矢理それにアクセスしようとして発生したものという説明が付く」

 

「ええ。ですからこれを調べた人物は封印ではなく凍結を選んだんでしょうね。闇の書をその主ごと大規模凍結魔法で無理矢理行動不能にしてしまう。確かに理にかなってはいます。しかし、それですべてが解決するわけではない。それで封印が出来たとしても良くて100年、短く見積もれば50年間の凍結でしかない。それではまた同じことが繰り返されてしまう」

 

 それでも、最低50年間の安息が得られるのなら悪くない方法である。アリシアはその思いを捨て去ることも出来なかった。

 完璧な方法など無い。常に多数にとって正しい判断を下さなければならない。たとえ、その計画が結果的に一人の命を確実に犠牲にするものであっても、おそらくその判断は正しいのだろう。

 

(たぶん、私が同じ立場に立たされれば同じ判断をした。だから、私は……ベルディナは――暴走した夜天の書の主だったメルティアを殺した)

 

 暴走した夜天の魔導書を闇の書と呼ぶのであれば、あるいは、メルティアこそが、闇の書の最初の主だったといえた。

 

(歴史は――300年間繰り返し続けてきたんだ。私……ベルディナの知らないところで……)

 

「君はそれに納得できるのかね?」

 

「正しい判断だと理解は出来ても納得は出来ません」

 

「では、君は納得できる手段をもっているのかね? 無限書庫で何か見つけたと?」

 

「確実は手段は何一つとしてありません。ただ一つ、不確実な希望のみです。そんなものを選ぶわけにはいかない」

 

 グレアムは奇妙な感覚にとらわれていた。自分の隣に座るこの場限りの娘は自分よりも圧倒的に幼い少女のはずだ。それこそ、自分に比べれば10分の1も人生を経験していない。それどこか、人生さえもまだまともに始まっていないような少女のはずだ。

 しかし、言葉を交わすにつれこの少女がまるで自分と同じ程の、いや、自分よりも長い人生を経験してきた人物に思えてしまう。

 それは錯覚だと思いながらもグレアムは言葉を続けた。

 

「その……方法とは?」

 

 この娘なら至れるかもしれない。グレアムはそう感じていた。

 

「ゼファード・フェイリア。かつて世界を旅する名もない魔導書に夜天の名前が与えられたところ。そして、夜天の魔導書が闇の書へと変貌を遂げた場所。滅び去った古代ベルカ王国の首都。ゼファード・フェイリア(忘れられた都)であれば、何かしらの方法が残されているはずです」

 

 そして、そこはベルディナが生を受け、すべてを失った場所でもある。戦争のため……祖国を守るためにメルティアが夜天の魔導書を兵器に変え、それによって闇の書が生まれた。

 それはまさに、この悲劇の原点とも言える場所だった。

 

「しかしそこはすでに人が立ち入れる場所ではないと聞くが」

 

 古代ベルカ王国の首都。古代大戦の最後の主戦場があったとされるその世界は、今では全土に汚染が広がっており、一呼吸するまもなく命を落とすと言われている場所でもあった。

 しかし、アリシアはグレアムの言葉に首を振る。

 

「それは、聖王教会が神聖性と不可侵性を保つためのプロパガンタに過ぎません。確かに全土凍結によって生命が住める場所ではありませんが、生きて帰ってくることは出来ます」

 

「それを証明する証拠は?」

 

「古代ベルカの生き残りのベルディナ・アーク・ブルーネスがついこの間まで生きていたのがその証拠です」

 

 ベルディナ・アーク・ブルーネス。グレアムもその名前は知っていた。しかし、彼が古代ベルカの生き残りであることは初めて聞かされることだった。

 

「つまり、一つとして確かなことはないということかね?」

 

 アリシアは何も言わず、沈黙をもってYESと応じる。

 

 確証など提示できるはずがない。それらはすべてアリシアが持つベルディナの記憶から導き出されたことなのだから。

 ベルディナ・アーク・ブルーネスが古代ベルカの生き残りであること自体が眉唾物の噂程度に過ぎず、300年生きた魔術師という言葉でさえ疑うものは数限りない。

 

「確かに、それでは報告書として提出するわけにはいかないね」

 

 アリシアは法執行機関の有り様をよく理解しているとグレアムは感じた。

 たとえ99パーセントの確信があっても人命に関わる重大な危険が存在するのなら決定的な手段を講じてはならない。

 優先するべきはロストロギアの回収や封印ではなく、そこに住まう人命なのだ。ロストロギアの回収や封印は人命救助のための手段であって目的にしてはならない。古い時代の局員であるグレアムにとってそれは本来至上理念であり、自ら犠牲を強いる決定を下すことはたとえそれが正しい判断だったとしても悪行と認識することだったはずだ。

 

(私は、どこで間違ってしまったのか)

 

 グレアムの沈鬱な表情に、しかし、アリシアは気付くことが出来なかった。

 

 礼拝堂の鐘が鳴り響く。その鐘は日付の更新を告げ、先ほどまで周囲を奏でていた鎮魂歌(レクイエム)がその響きを止めた。

 鎮魂祭の終わり。慰霊の時は終わりを迎え、礼拝堂の照明も徐々に落とされていく。

 天窓より見上げる空の双月もすでに姿を隠し、アリシアは祈るべき対象を失った。

 

「では、私は戻ります」

 

 アリシアはそういって立ち上がり、席に着いていながらも見上げなければ表情を伺うことの出来ないこの一時だけの家族へ別れを告げる。

 

「ああ、子供は寝ていなければならない時間だ。では、さようなら娘。風を引かないようにな」

 

「ええ、父上もご自愛ください。聖王陛下の慈悲を」

 

 ルーヴィスと重なり合う二人の声が礼拝堂に残響し、アリシアはそれを背負いながら凍てついた冬の夜空の元へと戻っていく。

 

 クラナガンでは珍しい雪のちらつきそうな寒空を見上げ、アリシアは気付けば自分たちはずいぶんと恥ずかしいやりとりをしていたと思うが、不思議と彼を父と称したことに何の不快感も抱かなかった。

 

(だけどこれで私が出来ることは全部終わった)

 

 悔しく寂しい話だとアリシアは感じる。しかし、戦う力を持たない自分の戦いはこれで終わったのだと思い立ち、堅い靴底のローファーを踏みしめ石畳の通路をゆっくりと歩く。

 

(あとは、天命を待つしかないか)

 

 薄い雲の切れ目からのぞく星々の光が静かに彼女を見下ろしていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 Doom

ようやく彼女の登場です。(2/19)


 

 病院とは人生のゆりかごのようなものだ、と病室より差し込む茜色の陽光を見上げ八神はやては次第に光を失っていく町並みの様子に感情のこもらない視線を投げかけた。

 

 多くの人はここで生まれ、そして、多くの人はここを最後に旅立っていく。

 

 生と死が入り交じる場所。そんな場所に、今までの多くを過ごしてきた自分は、いったいどちらのサイドに立つ存在なのだろうかと、はやては思い浮かべた。

 

 

 

 死後の世界を考えることは彼女にとってとても馴染み深い。なぜなら、今の家族を得るまではただ一人でぼんやりととりとめのないことを考える時間しか無かったのだから。

 

 自分が死ねば誰が悲しんでくれるのだろうかと考えたことなど両手で数えることも億劫なほどだった。死ねばどこへ行くのか、私というこの意識はどうなってしまうのか。古今東西、死にまつわるテーマをあつかった書物は数多くあるというのに、彼女の読んだ書籍のどれにもそれに確たる答えを与えてくれはしなかった。

 

 それは当然のことともいえる。

 生きている人間が死を表現しきることは出来ない。なぜなら、生きている人間はまだ死を経験することが出来ないからだ。

 死ななければ死を経験することは出来ない。そして、死んだ人間はもう生きていないのだから、それを誰かに伝えることなど出来ない。だから、生きている人間が死を理解することなど出来ない。

 

 だからはやては考え続けた。

 

「死んだ経験のある人か……そんな人から話が聞けたら、なんぼか救われるんやろか」

 

 はやてはそうつぶやき、そっと自身の胸に手を置いた。

 目覚めに聞く最初の心音の一声だけが生への実感だった。

 はやては作曲家の書く音楽よりも、風に揺られる梢の音色よりも、この世のすべての音の中で、自身の中心で脈打つ心臓の音に最も心を落ち着かされる。

 

「…………」

 

 はやては無言でベッド脇に置かれた書物に手をそっと置いた。

 思えば、自分にとって本は家族のようなものだったとはやてはふと思う。

 退屈なときには愉快な物語を、寂しいときには暖かな物語を、泣きたい夜には感動の物語を。今の家族を得るまでは、そうして本はことあるごとに自分を励ましてくれていた。

 

「私は、いつまで生きてられるんやろ?」

 

 長いのだろうか、短いのだろうか。長ければこの苦しみが多く続く。短ければ今の安らぎが瞬きをする間もなく終わってしまう。

 

 自分の死を前提として生きてきた彼女にとって、この半年間の日常はあまりにも暖かすぎて、直視できないほどの輝きに満ちていた。

 

「死んだら、どこへ行ってしまうんやろ。やっぱり、ひとりぼっちなんやろうか……これからやったのになぁ……せっかく、せっかく家族になってくれる人が出来たのに……」

 

 なぜ神は希望を与えるのか。なぜ神は希望を与えておいてそれを奪うのか。最初から何も与えてくれなければ、何も感じないままに終わることが出来た。

 感情が空っぽになっていく感覚をはやては感じた。ついこの間まで慣れ親しんだ感覚に、今となっては違和感しか感じない。最初から感情をからにしておけばいい、そうすればいかなることがあっても自分は平静を保っていることが出来る。せめて気が狂わないように、いや、こうなっている時点で自分は気が狂ってしまっているのか。

 

 彼女には何も分からなかった。

 

 ただ、彼女には考える時間はあった。人はなぜ生きるのか。そしてその生にどうして意味を求めるのか。

 最後には誰もが死んでいき、そして死ねばすべてが終わる。それは、最初から定められている絶対真理。人は産まれて生きて死ぬ。人だけではなく、生命と名付けられたものすべてが絶対的に決められたそのサイクルから逃れることは出来ない。

 なぜ人は生きるのか。生きると言うことは死への道をただひたすらに歩き続けるだけだというのに、人もその他の生物もただ生き続ける。

 彼女は考え続ける。この命がつきるまでに何かしらの答えが得られることを望んで。

 

 

 

 

 

 ガチャリと扉が開かれる音が病室に響き、はやてはふとドアの方へと目を向けた。ノックの音がしただろうかとはやては思い、それすらも確認できなかった自分を恥じながら口元に笑みを浮かべた。

 

「起きておられましたか、主はやて。ノックをしても返事がなかったもので、失礼いたしました」

 

 扉の向こうから姿を示した背の高い女性は笑顔でこちらを向くはやてに軽くお辞儀をしながら病室に入った。

 

「ごめんな、シグナム。ちょっとボーッとしてて」

 

 いたずらが見つかった子供のような仕草ではやては後頭部をポリポリとかき、身体にかけられたシーツを横に倒しながらベッドの脇に何とか腰を移動させた。

 

「無理しないでね、はやて」

 

 シグナムの陰に隠れるように後から病室に入った赤髪の少女ヴィータは、移動しようとするはやての手を取って補助しながら、心配そうな表情ではやての顔をのぞき込んだ。

 

 考える必要はないとはやては思う。

 少しだけ瞳をしめらすヴィータを抱きしめ、はやては「うん、うん」と頷き、ズキリと痛む心臓からの刺激を笑顔の内に隠し込んだ。

 

「ありがとうな。心配してくれてありがとうな。私は大丈夫やから。何も心配せんでええんよ?」

 

 そう、自分は大丈夫だ。最後まで家族がいてくれれば、自分は何もいらない。はやてはこの刹那の幸福に身をゆだね、考えることをやめた。

 

「いきなり倒れられては心配するのは当たり前です!」

 

 シグナムとヴィータ、そして自分のコートをハンガーに掛けながらシャマルは指をピンと立てながら口やかましい姉のようにはやてを叱る。

 

「そんなこと言うたかて、ちょっと手と胸がしびれただけやん。みんな大げさやで」

 

 シャマルは、そういって穏やかな笑みを浮かべるはやてを見て「もう、仕方がないですね」と言いながら笑顔を浮かべる。

 そして、彼女はその笑顔の奥に涙を押し隠した。

 

 どうしてここまで強くあれるのかとシグナムは思う。

 どうして笑顔を浮かべられるのかとヴィータは思う。

 どうして死を恐れないのだろうかとシャマルは思った。

 

 そして、今は別世界で戦っているはずのザフィーラもまた自身の主の強さと歪みを嘆いている。

 

『だからこそだ』

 

 はやてと他愛のない会話の華を咲かせながらシグナムはそっとヴィータとシャマルの二人に念話を送った。

 

『ああ、後ちょっとなんだ』

 

 ヴィータはベッドの上ではやての隣に座りながら彼女の膝をさすりながらそれに答える。

 

『ええ、もう、戻れない。やるしかないのよ』

 

 たとえそれが、自らの誇りを犬に食わせることになろうとも。最後までやり遂げる。最後まで、最愛の主には何も知らされずに、やり遂げなければならない。

 

『覚悟はすでに完了している』

 

 シグナムはブラシを取り、若干寝癖の付いたはやての髪を梳る。

 

『うん、はやてが倒れたあの日から』

 

 はやてに頭を撫でてもらいながら、ヴィータは翡翠の盾が地に伏した時の光景を頭に浮かべた。そして、シャマルの胸の中で置き去りにしてきた感情が戻らないように、もう一度はやての表情を見上げる。

 

『はやてちゃんのために』

 

 シャマルは遠い昔に忘れ去った祈りの言葉をつぶやき、そっと眼を伏せた。

 

 そして、病室のドアがノックされる軽い音に四人は振り向いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 Hope

アリシア、SEKKYOUするの巻(3/19)


 

 気温と湿度が一定に保たれ、照明さえも暗く落とされた無重力空間はそこに漂う者に安らぎを与えはしない。

 ただ静かに、時折書籍検索のための簡易デバイスが機械的な音を立てて動く以外には何の音もない空間だ。

 

 莫大な広さと深さを持つ円筒の外郭に据え付けられる本棚。そのちょうど中心あたりに円環状に鎮座する巨大なサーバーマシン。

 いったい、この空間にはどれほどの書物が埋葬されているのか。そもそも、この書庫はいったいどれほどの広さを持つのか。

 無限の名を持つ通り、その姿はクラインのツボのごとく無限に空間を内包しているのか。それとも、人の感覚にして無限に近似できるほどの広さを持つ有限な空間なのか。

 

 隣接する本局施設とは異なり、書物の保全のために人工的な重力を発生させていない空間は人間が生きる場所としては作られていない。

 

 この世界に住まう物は書物であり、情報であり、人という要素はそれよりも優先度は低く設定されている。

 

(そう考えると、人間って言うのはつくづく進化がないよね)

 

 人は重力がなければ生きていけない。太陽の光がなければ身体に異常を来す。生殖機能や呼吸機能にも支障を来し、果てには重力ある空間に戻れば立って歩けなくなるほど衰弱してしまう。

 

 次元航行の開闢時代を遙かに過去のものとして繁栄の頂点にあるこの世界においても、人々はわざわざ貴重なエネルギーを消費して擬似的な重力と自然光に近い照明サイクルを構築しなければならないのだ。

 

(人間は宇宙や次元空間で生きるようには出来ていない……か)

 

 いつかリンディと語り合ったことを再び思い出し、アリシアは人のあり方そのものを嘲笑するかのようにそっと口の端を持ち上げた。

 

 無限書庫には重力がない、自然光もない、サーカディアンリズムを整えるための照明サイクルも存在しない。それならば、まるでここは次元空間そのものだと感じるのも無理はないことだ。

 

 アリシアはまるでモニュメントのように備えられたサーバーマシンのてっぺんに腰を下ろしながらひっきりなしに開いては閉じるコンソールを眺め回し、足を組んでため息をついた。

 

「やっぱり、永久凍結しか方法はないのかな」

 

 アリシアはレモン味の禁煙パイポを口から外し、吐息とともに酸味の強い蒸気を吐き出した。

 可燃物の多い書庫で火を扱うことは厳禁だ。さらに言えば、空調の関係から貴重な酸素を燃やしてしまうわけにもいかない。

 それでも今のアリシアはリスクを冒してまでタバコに逃げたい思いだった。

 

「結局、すべてが予定調和なんだったら、私がここにいる意味なんてないよね」

 

 答えはすでに用意されていた。闇の書の永久凍結。何者かが11年前から持続的に計画していたことを、自分はただ跡をたどっただけに過ぎない。

 それを超える解決策は無く、唯一の可能性も成功する確率が一切分からないのであれば、それは縋るに値しないことだ。

 0か1か。成功すれば60億の人類が助かる。しかし、失敗すれば60億の人類を死なせることにもなりかねない。

 成功する確証の得られないことにそれだけの人命を賭けるわけにはいかない。

 

(グレアム提督に託したデータが有効に活用されれば良いんだけど)

 

 聖王崩御の鎮魂祭の日。双子の月が天窓を彩っていた礼拝堂でアリシアが残していったメモリーチップには、闇の書の永久凍結に関する概要とそれに必要なもの、考えられる具体的な作戦内容やその問題について、アリシアが考えられることすべてが記載されている。

 仮にリンディがこの計画の黒幕であるのなら、グレアムというリンディの実質的な上官の存在がおそらくは重要なファクターになるだろうという考えだった。

 そして、それに加え、アリシアはベルディナの記憶から導かれる確たる証拠の提示できない案をも記載していた。

 闇の書の前身、夜天の魔導書が兵器として生まれ変わった場所。古代ベルカの首都、ゼファード・フェイリアであれば、壊れてしまった夜天の魔導書を正常化する方法が残されているかもしれないということ。

 

 だがそのための前提条件は、安全な形で闇の書を拿捕することだった。

 

「それが出来たら苦労しないよね」

 

 アリシアは自嘲してモニターを閉じた。

 

(もう、ここで私が出来ることはないか……)

 

 アリシアはそう思い浮かべながらモニュメントから腰を上げ、そっと無重力空間へと身をゆだねた。

 

 緩い回転とともに漂っていく身体。アリシアはそっと目を閉じてその感覚を味わうように口を閉ざす。

 

 最初にクロノが提示した期限まではあと数日。しかし、あと数日会ったとしても現状の課題をクリアする妙案が得られる可能性は低く、例えどのような案を提示したところ、現状では闇の書の永久凍結を超えるだけの良案が得られるとは考えられなかった。

 

 管理局の法制上、永久凍結の案は違法すれすれといっても過言ではない。

 しかし、最小の犠牲によって何十億の人命を救うことが出来る案としてはこれ以上にないことでもある。例え、その猶予が50年から100年程度であっても、その間世界は闇の書の驚異から解放される。

 

 人々が求める物は法的な正義ではなく、日々の安息。しかし、人々に与えられる安息は法の正義の下にもたらされた物である必要もある。

 

「悩むだけ時間の無駄ってことかな……」

 

「何が無駄なの?」

 

「うん?」

 

 アリシアは閉じていた目を開いた。自分以外の声がこの場所で聞こえるわけがない。少し前までは相棒として所持していたプレシードも今となってはここにはいないのだ。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

「フェイト。どうやってここに入ったの?」

 

 少しだけ襲いかかってきていた眠気を覚ますようにアリシアは目をこすり、自分に寄り添うように宙に浮いている妹、フェイトに問いかけた。

 

「えーっと、普通に入れたよ?」

 

 フェイトはクリッとした赤い瞳を瞬かせ、小首をかしげた。

 

 そんなはずはないとアリシアは思うが、自分とフェイトの関連性を考慮すればそれもあり得るかと思い至る。

 一般的な双子はDNA以外の個人認証パターンは割と異なるらしい。しかし、自分達はそれどころの話ではなく、プレシアが人為的に様々な部分を同じにしているはずだ。

 だから、現状の無限書庫の個人認証システムのレベル程度ではアリシアとフェイトを識別することが出来なかったのかもしれないとアリシアは判断する。

 

 無限書庫は情報の墓場だ。莫大な情報が眠っているにもかかわらず、その開拓時代以降それらを有効活用できた実績は存在しない。そんな場所に比較的高価に分類される高レベルの個人認証システムが設置されることは無かった様子だ。

 

 アリシアは、まだ不思議そうにしているフェイトの手を取り、身体の回転を止めた。

 

「今日は本局に用事があったんだ」

 

 フェイトは飛行魔法を使ってアリシアは中央のモニュメントに腰掛けさせ、自分もその隣に腰を下ろした。

 

「うん。今日はデバイスの調整とユーノの検診があったから」

 

「そう。ユーノは元気にしてた?」

 

「なのはと一緒に元気に飛び回ってるよ」

 

 それは良かったとアリシアはホッと一息ついた。

 

 ユーノは先の戦闘でリンカーコアに重傷を負った。

 適合しない多大な魔力を直接リンカーコアに打ち付けられてしまった。

 ユーノのリンカーコアはヒビが入っており、現在の管理局の技術力ではリンカーコアを直接治療することは出来ない。リンカーコアの負傷は魔導師にとっては心臓を患うことと同じことだ。リンカーコアが完全に破損してしまえば魔法を扱うことが出来なくなる。魔法を使えない魔導師はすでに魔導師ではない。

 

 ユーノの場合はまだそこまでの重傷ではなかったが、魔導師としての寿命が確実に縮んだことは確かだ。

 

 しかし、幸いもあった。

 ヒビが入ったリンカーコアはそのヒビから魔力が漏れ出すようになったらしい。それだけではデメリットに思えるかもしれないが、その漏れ出した魔力を有効活用することが出来れば、ユーノの魔力の出力は爆発的に高まるだろうと言われている。

 

 しかし、爆発的に高まった魔力出力は同時にそれまでユーノの強みであった術式構成の緻密さとストレージデバイスに匹敵するほどの高速詠唱を阻害している。

 

「いろいろ課題は多いみたいだけど、何とかやっていけるって言ってたよ」

 

 フェイトは連れだって医務練に消えていった二人の親友を思いながら、少し寂しそうな笑みを浮かべる。

 

 二人の意図は理解している。自分たちのことで時間を使わせたくないという思いやりと、ここ最近まともに話も出来ていない姉と会わせてあげたいというお節介なのだろう。

 しかし、それでもまるで一緒に行くのが当たり前のように立ち去った二人の絆を見せられれば、何となく嫉妬を覚えてしまいそうになる。

 

 初めての親友を取っていったユーノなのか、はたまた近い将来の兄妹を取っていったなのはなのか。

 

「そう、それは、何よりだね」

 

 アリシアの表情が僅かにかげったことにフェイトは気がついた。

 アリシアは身内に甘い、その中でも特にユーノのことになるとアリシアは過敏になる。

 

「大丈夫だよ。お姉ちゃんのプレゼントのおかげで全く問題ないみたいだから。私もなのはも、助かってるから……」

 

 フェイトは飛行魔法の行使のため手に握る二つのデバイスにそっと目を落とした。

 

 金のエンブレムのバルディッシュ、そして、黒光りするエンブレム、バルディッシュ・プレシード。

 アリシアからフェイトに送られたクリスマスプレゼントがそれだった。

 

「プレシードの調子はどう? 結構、生意気だから扱いにくいかもって心配してたんだけど」

 

《あなたほどではありませんよ、エルダー・シスター》

 

 フェイトの掌からどこか憮然としたような合成音が響いた。

 フェイトは、いきなりのことに驚き「ひゃっ!」と可愛らしい悲鳴を上げた。

 

「元マスターに対して失礼なデバイスだね、プレシードは。少しレイジングハートに毒されたのかな?」

 

《私なりに考えたあなたとのコミュニケーションの取り方です。下手に反論するよりも皮肉を返した方が円滑な会話が実現できるとレイジングハート卿からお言葉もいただいておりますが》

 

「まったく、あの石ころは、妹のデバイスに何を教えているのやら。バルディッシュもまさかそんな風になってないよね?」

 

 プレシードの思わぬ成長に少しだけ面白さを感じながらも表面では「困ったやつだ」と嘆きながら、アリシアも確認がてらバルディッシュにも水を向けておいた。

 

《……》

 

 しかし、フェイトの掌の上でプレシードの隣に位置するバルディッシュからはこれといった反応が返ってこない。

 あきれて物がいえないのか、自分は会話に入る気がないのか。

 フェイトのことを誰よりも思っておきながら、そういった寡黙さを持つバルディッシュに男気を感じながらアリシアはフウとため息をついた。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

 

 フェイトが少し低い声で問いかけた。ささやきに近いその声にアリシアは、うん、とフェイトの掌から顔を上げた。

 無限書庫の暗がりが少し深くなったような気がした。フェイトはうつむいて握りしめた手を見つめるばかりでその表情がどのような物なのかをアリシアは察することが出来ない。

 

 悲しい表情をしているのだろうかとアリシアは思う。それなら、頭を撫でてやりたいとも思うが、なぜか、アリシアはそれが出来なかった。

 今は、黙ってフェイトの言葉を聞くべきだ。アリシアは何となくそう感じて口を閉ざした。

 

「お姉ちゃんは、どうしてプレシードを私にくれたの?」

 

 空気の流れを作り出す人工的な涼風に乗せられ、フェイトの言葉がアリシアの耳に確かに届いた。

 そのことか、とアリシアは声に出さずつぶやいた。

 

「そんなにたいした理由じゃないよ。今の私にはこれがあるから、プレシードがそれほど必要じゃなくなったんだ」

 

 アリシアは懐から一枚のプレートを取り出した。それは灰色の金属板で、その大きさはクロノが持つS2Uの待機状態の姿とほとんど変わらない。つまり、それはアリシアが無限書庫を整備する際に技術部に作らせたデバイスだということが分かる。

 

「それは?」

 

 しかし、フェイトはアリシアがプレシードに変わるデバイスを手に入れたことを初めて聞いた。

 

「無限書庫統括ユニット<タグボード>だよ。といってもこれは、ただの簡易デバイスで、情報を扱う以外に使い道はないけどね」

 

 アリシアはそれを指でいじりながらそっと懐に戻し、腰掛けているサーバーシステムを軽くたたきながら、「タグボードはこれに直結されていて、<ザントマン>と<ホークアイ>からの情報を処理することが出来る」と説明を続けた。

 ザントマンとホークアイ、それぞれがアリシアが技術部に依頼して無限書庫に配備した速読と書籍探索に特化した簡易デバイスである。

 それにより、アリシアは初期に行っていたようにプレシードのカートリッジを集中運用して、無理矢理速読魔法と検索魔法を使用する必要が無くなった。

 

 そのため、プレシードを使用していた頃と違い、それほど頻繁に休憩を取る必要が無くなったため、ますますフェイト達を始め、アースラチームと直接顔を合わせる機会が減ってしまったのだが。

 

 閑話休題

 

 フェイトは、自分の知らないところでアリシアが色々なことをやっていることに感心を覚えた。

 

「だから、プレシードにとって有効活用されない私のところにいるよりもフェイトのところにいたほうが良いと思ったんだ……それに……」

 

 アリシアはさらに言葉を続ける。

 プレシードを有効活用することは確かに重要なことだったが、アリシアにとってそれは最優先されることではなかった。

 

「それに?」

 

 フェイトの問い返しにアリシアはフッと微笑み、腕をいっぱいに伸ばしてフェイトの髪にふれた。

 

「速度を重視するあまり守ることを捨てようとする馬鹿な妹を側で守って欲しかったからね。それが一番の理由だよ」

 

「あっ……」

 

 アリシアは知っていたのだとフェイトは気がついた。

 

「確かに、敵は強い。フェイトがこだわっているあの剣士――シグナムだったかな? 確かに強い彼女に勝つためにはそれも必要なんだと思う。だけどね、フェイト」

 

 アリシアはフェイトの髪から手を離し、微笑みを消し、表情を引き締めた。

 

「はい……」

 

 怖いとフェイトは思った。しかし、恐怖は浮かんでこない。

 

「いくら勝つためだといっても、命を賭けちゃダメだ。フェイトの命だけで物事が解決するわけじゃないし、誰もそんなことをフェイトに求めてない。自己犠牲精神はとても尊くて賞賛されるべきことなんだろうけど……もしもそれでフェイトが命を落としたら私はフェイトを許さない。絶対に許さない。これだけは覚えておいて」

 

 我ながら過保護だとアリシアは思う。しかし、彼、ベルディナはそれを望みながらかなえることが出来なかった。

 同じことは繰り返さない。戦場で守ることが出来ないのなら、せめてそれが出来る物を与えておきたい。

 

 身内を失う覚悟は出来ている。彼らが自ら望んで戦場に赴き、誇りを持って命を捨てたのなら、おそらく自分はそれを賞賛するだろうとアリシアは自覚している。

 そういって多くの者を死地に追いやり、そして自分も多くの者を手にかけてきた自分が今更こんなことを思うのは傲慢なのだろうとアリシアも理解していた。

 

 それでも、とアリシアは思う。

 

「私は、みんなに生きていて欲しい」

 

 アリシアはフェイトの手を取った。

 

「うん……私は、絶対に死なない。生きて帰ってくるよ」

 

 自分は守られている。フェイトはそれをしっかりと心に刻みつけ、アリシアの小さな手を両手で強く握りしめた。

 

「痛いよ、フェイト」

 

「ごめん、お姉ちゃん。だけど、もうちょっとだけ……」

 

「仕方がないね」

 

 誓いは立てられた、そしてそれは伝わった。

 

(後は、訪れる結果を受け入れるだけ)

 

 アリシアは終わる世界に思いをはせ、無限書庫のすべての機能を眠りにつかせた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 The Winner

………………(4/19)


 

 人生を物語と例えるのなら、その主幹ともなるものはいったい何なのだろうか。多くの人はそれは自分自身だと答えるだろう。人生という物語において唯一自分の思い通りにな者は自分自身のみ。人は自分という者にどこまでも束縛されている。自分は他人には成れない。

 

 故に人生の主幹を他人に譲ることなど出来ない。

 例え、やむを得ず他人となってしまった者であっても、そこから始まる新たな自分自身を手放すわけにはいかない。

 

 しかし、と、アリシアは思う。

 

 おろされたブラインドの隙間から強いオレンジ光が差し込む、閑散とした病室に広がる光景。見慣れた敵。そして、その中心で横になる少女を見てアリシアは息を詰めた。

 

 この少女こそが、この物語の主幹だとアリシアは確信した。

 

「すずかちゃんにアリサちゃん。それに、みんな来てくれたんや」

 

 朗らかな笑みを浮かべ、病室の主八神はやては予期せぬ来客に歓迎の声を上げる。

 無限書庫を出て海鳴へと帰還したアリシアを待っていたのは、友人のお見舞いに行くという妹たちの一団だった。ほとんどなし崩し的に一緒することとなったアリシアだが、病室にたたずむ者達の姿を見れば、運命とはまさに自分以上のいたずら好きなのだろうと思うしかなかった。

 

『――――――』

 

 はやての側に膝をつくヴィータはシャープに切り結ばれたまなざしをなおも厳しくすぼめ、視線で射殺す勢いでなのはとユーノをにらみつける。

 

 クリスマス・イブに入院しているはやてへサプライズ・プレゼントを渡すこと。それがこの来訪の目的だとすれば、確かにこれは両者にとって予期せぬ邂逅となるだろう。

 そうでなければ、わざわざ彼らが敵対している自分たちとここでまみえようとは思わないはずだ。

 

 強い太陽の光を避けるために、フェイトの影に隠れていたアリシアの姿はどうやら彼らの目には写されていない様子だ。

 ならば、ここでいったん自分だけ退避するかと思うアリシアだったが、背後で扉が閉められる音に振り向きかけた足を止めさせられた。

 

 退路は閉ざされたようだとアリシアは音を漏らさないように下を打ち鳴らし、フェイトの背後から全員に見られるように姿を示す。

 

「ん? なんや、ちっこい子がおる。こんにちは、フェイトちゃんの妹さん? お姉さんがいるって聞いてたけど」

 

 はやてはそういってフェイトとアリシアの顔を交互に見比べる。恐ろしいほどよく似ている。

 

「あら、フェイトちゃんには妹さんがいたのね。こんにちは」

 

 凍り付いた場の雰囲気を少しでも解きほぐすために、シャマルは穏やかな笑みを浮かべてアリシアへ近づこうとする。

 

「!!!」

 

 フェイトはアリシアの前に立ちふさがり、シャマルの歩みを止めさせた。

 

『主の前で争うつもりはない。お前の妹のためにもここはおとなしくしておいてくれ。テスタロッサ』

 

 フェイトに向けられたシグナムからの念話がアリシアの脳裏にも響いた。

 それでもとフェイトはなおも周囲の視線からアリシアを隠そうとするが、アリシアはそっとフェイトのスカートの裾をつかみ、フェイトにどくように示唆した。

 

「だけど……」

 

 アリシアが念話を使わずわざわざスカートの裾をつかむことで意思表明した真意を知ってか知らずか、フェイトは小さな声でそっとアリシアに声をかけた。

 

「今は向こうの話に会わせておこう。私はフェイトの妹。いい?」

 

 反論しようとするフェイトだけに聞こえるようにと声を落とし、アリシアは視線でフェイトを納得させ続いてユーノへと視線を向けた。

 

 彼には何も打ち合わせをする必要はない。

 ユーノはすぐに軽く頷いて、未だ目を剥いてヴィータへと視線を固めるなのはを伴いアリサとすずかにそっと耳打ちをした。おそらく、アリシアとフェイトの関係を説明するのは難しいから、今は妹と言うことにしておくように言ったのだろう。

 

 ユーノなら上手くやってくれる。アリシアはそう信じて、フェイトの影から身体を出し、フェイト達に向ける視線に比べれば幾分か柔らかなそれに対してペコリと頭を下げた。

 

「アリシア・テスタロッサです。初めまして」

 

 幼い子供が精一杯背伸びをして礼儀正しいあいさつをしていると彼らには映っただろうか。アリシアは胸中でそう思い、お辞儀をしながら少し上目遣いに視線を彼らに向けた。

 

「礼儀正しい子やね、アリシアちゃんは。おいで、うちの子も紹介するわ」

 

 はやてはそういってアリシアを側に呼び、アリシアはゆっくりと、少し人見知りをするように視線をうろうろとさせながらベッドの側へと足を進める。

 

 シグナムとシャマルの正面を通り過ぎ、未だなのはとユーノを睨むヴィータの側へとアリシアは移動することが出来た。

 

 ヴィータはアリシアに対して意識を向けていない。そして、アリシアは身体の力を抜きながらリクライニングしたベッドに身を預けるはやてに目を向けた。

 

 柔和な笑みを浮かべながらも、その奥には悲しみの光が見え隠れする瞳。

 今ここで身体を動かせない少女を人質に取れば後手に回ったこの状況を打破できるかもしれないとアリシアは一瞬思うが、隣のヴィータも、少し離れて控えるシグナムとシャマルの二騎もリラックスしているように見えて隙がない。さすがだとアリシアは思いながら、気弱な風を装い周囲をきょろきょろと見回した。

 

「なのはちゃん達も会うのは初めてやんな? 紹介するな、この子はヴィータ、それに、シグナムとシャマルや」

 

 はやては少しふるえる手を掲げながら、一人ずつ皆に紹介していく。

 

「八神シグナムだ。今日は主はやての見舞いに感謝する」

 

 背筋を伸ばし、浅く頭を垂れるシグナムに続いてシャマルも膝の前に手を重ね深々とお辞儀をした。

 

「八神シャマルです。はやてちゃんのためにありがとうね」

 

「……ヴィータ……」

 

「こら! ヴィータ。わざわざお見舞いに来てくれはった人になんて口の利き方なんや!」

 

「ご、ごめん、はやてぇー」

 

「それやったらちゃんとあいさつしい」

 

「うん。八神ヴィータです。今日はわざわざありがとうございましたです」

 

 ヴィータの表情はまだまだ鋭い。

 

「ごめんな、うちの子が」

 

 はやてはヴィータの様子に苦笑を浮かべる客人に対してペコペコと謝りながら、今日の来客の目的を問いかけた。

 

「大丈夫? ヴィータちゃん」

 

 アリシアは鼻を摘まれて涙目のヴィータを気遣うように、優しくその鼻の頭を撫でた。

 

「あ、うん。大丈夫」

 

 その側でサプライズプレゼントとしてクリスマスプレゼントを受け取ったはやてが目を輝かせて喜んでいる。

 ヴィータはなのは達を気にしながらもはやてが喜ぶ姿を見られて嬉しい様子で、その相好は幾分か緩んでいる様子だった。

 

「そう、良かった」

 

「アリシアちゃんは優しいなぁ。さすがフェイトちゃんの妹さんや」

 

 優しく撫でつけられる感触に頬を染めながら、アリシアは自分への警戒心が薄れただろうかと周囲を、特にシグナムとシャマルの様子をそっとうかがった。

 

 シグナムとクローゼットにコートを預けながら念話で何かを話している様子だった。

 

 そこから僅かに漏れ聞こえることから判断すれば、現在この周囲の空間はシャマルの手によって通信妨害がされており、なのは達はアースラへと連絡することが出来ない。

 

 やはり、こうしておいて正解だったとうち解けた感じのヴィータ、はやての二人と会話を交わしながらアリシアは今後のことを検討し始める。

 残念ながら、今ここでそのことをなのは達と相談することは出来ない。自分は魔力を持たない無関係な人間を装ってこの場から問題なく立ち去り、通信妨害網の無くなった場所で改めてアースラに連絡をしなければならないのだ。

『闇の書の主を発見した』とアリシアは伝えなければならない。

 

 しかし、とアリシアは朗らかに笑うはやての表情をのぞき込みながら、どこか胸が痛むことを自覚した。

 

 自分が、ここから無事に向け出すことが出来、そして、アースラへとそのことを告げれば、おそらくこの少女は死ぬ。

 

 リンディがとらえた少女を問答無用に凍結するほど冷血ではないと信じたいが、彼女は常に正しい選択をすることが出来る人物だ。

 地球、海鳴にすむ多くの人々と一人の少女の命のどちらを取るか。その天秤の目盛りを読み違えるような人物ではない。

 

 アリシアは表情を落とし、はやての目をのぞき込む。

 

「ん? なんや」

 

 会話の中にアリサやすずかを交えながらほほえむはやてはアリシアの視線に気がつく。

 

「んーん、何でもないよはやて」

 

 アリシアは笑顔の奥に感情を隠した。

 

「そうか? なんや、言いたいことがあったみたいに思えたけど」

 

「はやてが楽しそうだったから。病気なのに、何でそんなに楽しそうにしてられるのかなって、ちょっとだけ思って……」

 

 子供らしい無遠慮さに少しだけ気後れの感情を交えてアリシアは言葉を吐いた。

 

「私には、家族がいるからやね。みんな、ここにいてくれる。友達もいっぱい出来た。やから嬉しいんよ。ただ、それだけや」

 

 そして、終わりが近いからこそ悲しい顔をしていたくない。アリシアはそんな言葉を幻聴を聞いた。

 

 親がいない。親戚もいない。知り合いといえば直接会ったことのない遙かブリテンの後見人と病院にいる医師のみ。

 その中で彼女は笑みを浮かべ続けてきたのだろう。そんな彼女が、後少ない時間後にはこの世界から姿を消す。何も救われることなく命を潰える。

 

(そんなことが許されるはずがない)

 

 そして、彼女が苦しむ原因の一翼に自分/ベルディナが関わっているという事実もアリシアを悩ませる。

 

 救いたいとアリシアは思った。

 

******

 

 静まる病院のロビー。診察時間も終わり、先程までにぎわっていた広間にも今は入院患者と看護師が僅かに行き交うだけのものとなった。

 

 はやての見舞いはそれほど長くは行われず、アリサとすずかはプレゼントを渡し、その後少し会話を交わしただけでおいとまする旨を伝えた。

 

 そして、アリシアは今ただロビーのソファに腰を下ろし、待ち続けている。

 

 アリシアは病室での一連の行動によってヴォルケンリッター達からの警戒心を解除した。

 アリシアはただ姉であるフェイトについて来ただけで、闇の書事件に関しては一切関わりがない。今までの戦闘でフェイトは何度か姉についてのことを話し、ヴォルケンリッター達はフェイトの姉を警戒していたが、見た目妹にしか見えないアリシアへの警戒はほとんど皆無と言っても良かった。

 

 しかし、フェイト達をこの場からみすみす帰すほど彼らは楽観的ではなかった。

 確かにアリシアに対する警戒は皆無に近かったが、それでも彼らは話が終わるまでアリシアにはこの病院から出ないようにと要請を下したのだった。

 

 アリシアは天井を見上げた。この状態ではその向こう側で何が起こっているのか知ることは出来ないが、時折空間を伝わってくる念話の残滓がフェイト達がどのような状況にあるのかを知らせる。

 

 まだ戦闘は始まっていない。それどころか、屋上ではすべてが凍り付いたように何の動きも見受けられなかった。

 

「覚悟したみたいだね。本当に、悪魔みたいな子達だよ」

 

 アリシアはそういうと、ソファーの敷座に背中を預け、ごろりと寝転がった。

 こうしておけば、小さなアリシアの身体を長くて背が高いソファーが隠し、側を歩く病院関係者からとがめられることが無くなるのだ。

 

 今、子供達が屋上で戦っている。孤立無援で、自分たちが願う理想を貫くために幼い身体を懸命にふるいながら戦っている。

 

 アリシアは思う。すでに自分が出来ることはない。出来ることと言えばせいぜい自分が彼らのハンデにならないようにこうして身を潜めていることだけだ。

 

(だけど、私はそれで良いの? あの子達が戦っているというのに、私はこうして何もせずに、ただ無駄な時間を過ごしているだけでいいの?)

 

 おそらく、ここで待っていればいずれはすべてが終わるだろう。それが幸せな最後であろうと不幸な終わりであろうとも、いずれは終わりが来る。

 闇の書の永久凍結が成功するのか、海鳴の周囲百数十キロがもろとも消滅するのか、それともそれらを超える完璧な最後が描かれるのか。

 

 自分に出来ることはもう、何もない。無限書庫を後にするとき実感したことが今では揺らいでしまっている。

 

(私はここにいる。闇の書の主も騎士達も、フェイト達もここにいる。すべてがそろっているここなら……)

 

 アリシアは面を上げ、もう一度周囲を見渡した。

 エントランスの向こう側。広いガラスの壁面の向こう側には、僅かな夕日の残滓が漂い、世界は急速に闇に沈もうとしている。

 太陽のない世界。闇へと向かう世界。

 むしろ、自分にとって過ごしやすい世界が始まるとアリシアは感じた。

 

(まだ、私にも出来ることはある)

 

 アリシアはソファーから飛び降り、堅いリノリウムの床を踏みしめた。

 

**********

 

 クリスマス・イブに相応しい酷く冷たい風が屋上に吹き付ける。海からの風は湿り気と潮の香りを含むが、周囲の木々を通り抜けたそれらには清涼な香りが込められており、潮風特有のジメッとした感触はない。

 

 そこにたたずむ5人は先程からほとんど言葉を発していない。

 

「それじゃあ、はやてが闇の書の主と言うことですか?」

 

 その沈黙をフェイトが破る。探しても見つからなかった闇の書の主がまさかこんなに近くにいて、しかもそれが自分たちと同い年の少女だと聞かされ、運命とはいかに皮肉なものかと思う。

 

 魔法の世界に巻き込まれたなのは。犯罪を犯してまでジュエルシードを集めなければならなかったフェイト。輸送船の事故に巻き込まれ、育ての親を亡くし、単身この世界に放り出されたユーノ。

 そして、両親を幼くになくし、闇の書の主として破滅の運命を背負わされたはやて。

 

 この世界は、いかに幼い子供達に過酷な運命を背負わせるのか。思えば、ここにはいない彼らの兄貴分、クロノ・ハラオウンも幼い頃に父を亡くしていた。

 

 悲しみは鎖のように繋がっている。

 

 ユーノはなのはとフェイトの前に出て、面を上げた。

 

「聞いてください、闇の書は危険なんです。今すぐ、蒐集をやめないと取り返しの付かないことになる」

 

 ユーノの言葉に、相対するシグナムとシャマルは眉をひそめた。

 

「それが、受け入れられるとでも思うのか」

 

 シグナムの声はとてつもない重量を持って三人にのしかかる。

 

「やめられるんだったら、とっくにやめてるよ……」

 

 響いた声はユーノの背後。

 なのはとフェイトは驚いて振り向き、そしてそこに立つ赤い少女を初めて確認した。

 

「ヴィータちゃん……」

 

 すでに騎士甲冑を身にまとい、その手に巨槌【グラーフ・アイゼン】を握りしめながら、ヴィータは面を低くしてたたずんでいた。

 前髪が作り出す影が瞳を覆い隠し、彼女が今どのような表情をしているのかを知ることは出来ない。

 しかし、なのはは彼女が泣いているのだと直感的に分かった。

 

「だけどな。やめれば、はやては死ぬんだ……。だからやめられない。最後まで背負って、はやての笑顔を取り戻すんだ……」

 

 ブンと振り回される巨槌がそこに込められた魔力を僅かに放出し、なのはは少し目を閉ざした。

 そして、弱音を吐く心臓を左手で打ち付け、一歩ヴィータに向かって足を進めた。

 

「戦う前に話をしようよ。私達、まだ何も話し合ってない。お互いに何も知らないままで戦うのは嫌だ。話をして、納得するまで話し合って、それでお互い納得してから戦おうよヴィータちゃん」

 

 それが、あの病室でアリシアとユーノに誓った言葉だった。戦うことは嫌い、戦わないと何も解決できないなんて悲しすぎる。だったら、話をすればいい。言葉を交わして、話し合って、そしれそれでもなお戦わなければならないのなら、自分はそれを納得した上で戦う。

 そして、最後まで戦わずにすむ方法を探し続ける。

 

 アリシアはそれを傲慢だと言った。それは、戦う人間を馬鹿にしていると。しかし、なのははそれでもいいと答えた。

 

『それでも私は言葉をかけ続ける。だって私は、戦うことが大嫌いだから』

 

 矛盾していることは重々承知だった。しかし、なのははその道を選んだのだ。

 

「何いってんのかわかんないよ。馬鹿か、お前」

 

「馬鹿でもいいよ。私は、私らしいやり方で話を聞いてもらうから」

 

 ヴィータは微笑むなのはを前にして一歩後ろへ下がった。

 こちらはすでに甲冑を身にまとい、必殺の武器を掲げている。しかし、相対する少女は武器を構えようともせず、それどころか自らの身を守るジャケットさえもまとっていない。

 全く無防備な姿。今の状態で一撃を浴びれば、例え非殺傷の手加減した一撃であってもその身体は枯れ木のように無惨に散っていくだろう。

 

「なのはの言うとおりです。私達は逃げず、あなたたちと向き合います」

「そう、これが僕たちの意志だ」

 

 見れば、それはなのはだけではない。その隣で二人を見つめるフェイトも、彼女たちの背後でシグナムとにらみ合うユーノも、まるでなのはと心は同じと押し黙り、何ら行動を起こそうとしない。

 

「………くっ……!」

 

 うなり声がシグナムの口より漏れた。

 烈火の将。ヴォルケンリッターのリーダーであるシグナムでさえ、攻撃することも守ることもしない彼らを前にして手を出せずにいる。

 すでに彼女も騎士の剣【レヴァンティン】を顕現させ、その身にヴィータと同じく甲冑をまとっているにもかかわらず、フェイト達は一歩も動こうとしない。

 

『シャマル。テスタロッサ達の様子はどうだ?』

 

 苦し紛れにシグナムはそうシャマルへと念話を送る。

 

『変わりなし。リンカーコアの活動も休止させてるみたい。本当にあの子達、吹けば飛ぶような状態よ』

 

 恐ろしい子供達だとシグナム同様シャマルも思い知らされる。

 

 今の状態であれば勝負は一瞬で付く。例え、どれほど訓練された魔導師であっても、休止状態のリンカーコアを活性させ、ジャケットをまとい、武器を構えるまで1秒以上の時間が必要になるはずだ。

 

 この瞬間でも、シグナムとヴィータがタイミングを合わせ一直線に彼らに襲いかかったとすれば、彼らは何の抵抗も出来ずに身を地に伏すだろう。

 

 しかし、シグナムの胸中にはそれで良いのかという感情が渦巻いている。おそらくそれはヴィータも同じことだろうと予測が付く。ヴォルケンリッターの中では最も冷静でいながら一度感情に火が付けば誰よりも激しく行動する、そんなヴィータでさえ今の状況には武器をふるえないでいるのだ。

 

 仮に武器を振るったとすれば、それによって受ける傷はおそらく彼らに目覚めの来ない眠りを約束する。

 それは、例え道を踏み外そうとも主のために絶対に行わないと決めた絶対の誓いに反することだ。

 

『これが、命を懸けて戦うということか……』

 

 シグナムが漏らした念話を聞き、ヴィータとシャマルは驚き彼女に目を向ける。

 

(あるいは未練がましく騎士を名乗り続けていた時点で我々の負けだったのかもしれん)

 

 自分たちは外道に徹することが出来なかった。ヴォルケンリッターという騎士団を名乗り、それぞれが誇りある騎士を名乗っていた時点で彼らは騎士であることを捨て切れられなかったのだ。

 

 シグナムはゆっくりと構えを解き、腕の力を抜き剣を地へと向けた。

 

「シグナム!」

 

 ヴィータとシャマルの声が重なった。しかし、シグナムははっきりと面を上げ高らかに宣言した。

 

「武器をおろせヴィータ! そして、シャマル。我々は負けたのだ!」

 

 ヴォルケンリッターの将が自らの敗北を宣言した。そして、それはヴィータとシャマルの心に揺さぶるほど激しく届き、そして二人はそれを理解した。

 騎士である自分たちでは今の彼らには勝てないと理解したのだ。

 

「どうした? 幼き勇者達。私達は敗北を宣言したぞ。お前達の話とやらを聞かせてもらおうではないか!」

 

 シグナムの声に状況をつかみかねていた三人は、ハッと気がつき、緊張していた心をゆるめた。

 

「ありがとう、シグナム」

 

 今にも糸が切れて床に崩れ落ちそうになる足を懸命に奮い立たせ、どこかふるえる調子でフェイトはシグナムの側へと歩み寄った。

 

「礼はいらない。敗者に情けをかけるなテスタロッサ」

 

 シグナムはそういって剣を床に突き刺し、武器から手を離した。

 

「それでも、ありがとうございます、シグナムさん。絶対にシグナムさんやヴィータちゃん、はやてちゃんに不利益が行かないように頑張りますから」

 

 なのははまぶたに涙を浮かべながら、そっとシグナムの方へと歩み寄った。

 

「ヴィータも、武器を放してくれる?」

 

 向こうではユーノが未だ憮然として武器を手放さないヴィータに声をかけている様子だった。

 

「うるせぇぞイージス。そんなのあたしの勝手だ」

 

「だから、僕はユーノだって。いい加減名前で呼んでよね。なのはのことは名前で呼ぶくせに、僕のことは呼んでくれないの?」

 

「あたしは、イージスってのが気に入ったんだ!」

 

「だけどねぇ……」

 

 まるで、気の合う親友のようにじゃれ合う二人を見て、シグナムはフと笑みを浮かべた。

 

「もう、ヴィータちゃんは相変わらずだなぁ」

 

 なのはもそれを見て、呆れたような、どこか肩の荷が下りたような声を奏でる。

 

「ああ、得難い者達だ。このような出会い方をしていなければ、どれほどの友と成れただろうか。残念でならない」

 

 シャマルもフェイトの指示に従い、指輪をおろし甲冑を元に戻した。

 

「まだ、間に合いますよ。これから、です。ヴィータちゃんもシグナムさんもシャマルさんもこれから友達になっていきましょう」

 

「お前は勇敢だった。お前の言葉が世界を変え、戦うことなく我らを負かした。私が知る騎士よりもなお誇り高く。まさにお前は勇者と言うべきものだろう」

 

「そんなことありません。みんながいてくれたから。私に考える機会を与えてくれた人がいたから。私はこうなれたんです。その人達がいなかったら、きっと私はここまで覚悟して言葉をかけようとは思わなかったと思います。きっと、話を聞いてもらうために同じこと――戦うことを選んでいたと思いますから」

 

 なのはは恥ずかしそうに頬を染め、うつむいた。

 圧倒的に身の丈が勝るシグナムからは彼女の頭蓋の頂点が伺える。

 そして、シグナムはそっとつぶやいた。

 

「だから――許せ――高町なのは」

 

「えっ―――――」

 

 ドスっという音が響いた。

 

「なのは?」

 

 妙に重く響き渡る音。ユーノは振り向いた。

 

「シグナム?」

 

 それは、まるですべての破滅を呼び込むような響き。フェイトも振り向いた。

 

「―――あ――――」

 

 なぜだろうとなのはは思った。

 なぜ、こんなにも胸が痛いのだろうと思った。

 そして、どうして見上げたシグナムは、身を切るほどの悔やみに彩られているのだろうと思った。

 

「なのはぁ!!!」

 

 ユーノの叫び声が遠い。自分はどこにいるのだろう。

 

「シグナム!!!」

 

 フェイトの悲鳴が遠い。自分は何をされているのだろうか。

 

「シグナム! いったい何を?」

 

 シャマルの声が遠い。どうして? 自分たちはわかり合えたのではなかったのか。

 

「何でだよ!? 何でだぁ、シグナム!!」

 

 ヴィータの声が遠い。どうして、自分はシグナムの腕に胸を貫かれているのだろうか。

 

 そして、なのはは気がついた。

 自分の身体から何か大切なものが奪われている。胸を貫く腕が背中から外へ出ているはずなのに、全く鮮血があふれ出ない。

 そして、感じるものはその掌に捕まれた力の脈動。

 

 そうか、となのはは気がつく。これがリンカーコアを蒐集される痛みなんだと。

 

 どさりと地に伏す音が夜の闇に響き渡った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 Will

(5/19)


 

 

 祭りの後はどこか寂しい気分におそわれるものだ。そのよく言われることを、八神はやては経験したことがない。

 創作の世界で決まり文句のように表現されるフレーズにはやてはそれまでそれがどのような感覚なのかを理解することが出来ないでいた。

 

 祭りには行ったことがない。人の多い場所も、一人で行けないような場所もほとんどなじみがない。

 

 しかし、友人達が去り、家族もその出迎えのために病室を後にした時、この世界にいるのが自分だけだと感じたときに襲いかかった寂寞の念が、今まさに思い浮かべた祭りの後の静けさなのかと思い至ることが出来た。

 

「私は、何にも知らへんかったんやなぁ」

 

 本で読んだだけで理解した気になっていた。それは、半年前に家族が出来てからずいぶん思い当たったことだったはずだ。

 文字で知ったことよりも実際に経験したことの方が強い印象を得ることが出来る。

 

「百聞は一見にしかず……か……変なの」

 

 はやてはそうつぶやき、何気なしに窓の外、夜の闇に沈みつつある黄昏の街を見下ろした。

 光が山の端の向こう側へと姿を隠し、空にはようやく出番を得た月が冷たく凍えるような冬空で輝きを増しているようだ。

 

 終わりが近いとはやては根拠もなく思った。

 

 時折感じるゾワッとした感触は、普段感じる胸の痛みとは異なる。痛みを伴わない、悪寒のような感触。それが身体の表面だけではなく、体中を起点にして脈動する。

 

 何かが自分の中で生まれようとしている。それもおぞましい何かが、自分の中で蠢いていて、今にも自分自身を中から食らいつくして奪っていく。

 

 せめてもう少し、せめてもう少しと必死に胸を押さえて耐えても、身体の震えは止まらない。

 

 自分ではない者の悲しみが身体の中に染み渡っていくような感触だ。まるで、何百、何千もの怨嗟が波を持って襲いかかり、自身を飲み込んでいくような感触。

 

「嫌やなぁ。こんなの慣れっこやったのに。何で、こんなに辛いんやろ」

 

 誰もいないのは寂しくて辛い。どこまで行ってもぬくもりを求めてしまう。

 今でも、病室を後にしてしまった家族が戻ってくるのを心待ちにしている自分がいて、どうしてそんなことを感じるのか不思議でたまらない。

 

「きっとこれは、神様がくれた最後の贈り物やったんや。せめて最後くらいは願いを叶えてくれた、意地悪な神様の贈り物で……それだけで満足せなあかんのに……」

 

(それでも先を求めてしまう)

 

 短い人生も最後は暖かな色彩に彩られて、自分は満足してこの世を去ることが出来る。

 闇の書がそれを与えてくれたのなら、はやては闇の書こそ、神が与えてくれたご褒美だと考えられる。

 

 そうでも思わないと辛くて、生きることも死ぬことも出来ない。

 

 物思いにふけるはやては、ふと病室の扉が優しくたたかれる音に気がついた。

 

(ヴィータかな?)

 

 コンコンという音は、扉の思いの外下方から響いてきているようで、この病室を訪ねるその程度の背丈の人物をはやては彼女ぐらいしか知らない。

 

(や、もう一人おったな)

 

 はやては少しだけ口元に笑みを浮かべた。

 もしそうなら、彼女は自分が寂しがっていることを知って訪ねてきてくれたのか。そうであれば嬉しいとはやては思い、いつまでも鳴りやまないノック音に「どーぞ」と努めて明るい声で答えた。

 

「失礼します。もう寝ちゃったかと思ったよ」

 

 一生懸命背伸びをして頭上のドアノブに手を伸ばしながら、その人物、アリシア・テスタロッサはただ一人、はやての病室に足を踏み入れた。

 

「やっぱり、アリシアちゃんやったか。どうしたん? 何か忘れ物?」

 

 アリシアのその仕草がどうしようもなく微笑ましく思い、はやてはクスクス笑いながらアリシアを側に招き寄せた。

 

「忘れものというか、言い忘れたことがあったからかな……座ってもいい?」

 

 アリシアはそういってベッドの側に置かれたいすを指さしてはやてに聞いた。

 

「どうぞ、歓迎するでアリシアちゃん」

 

 はやての許しも得て、アリシアは少し背丈の高い椅子によじ登り腰を下ろした。

 

 地面に足が付かないとついついそれをぶらぶら揺らしてしまいたくなるのは人間の自然な感情だ、と何となく最近そういった仕草まで幼くなってしまいがちな自分に彼女は苦笑を浮かべた。

 

「それで、言い忘れてたことって、何?」

 

 はやては早速話を切り出した。彼女が一人でわざわざ訪ねてきて話したいこととは何か。はやてには少し想像の付かないことだった。

 ひょっとすれば、ヴィータとお話しがしたかったのではないかとも思うが、彼女の雰囲気からそれもなさそうだと思う。

 

 アリシアは「そうだね……」とつぶやきながら、椅子に座り少し高くなった視線を、窓の外に映し出された夜の街並みへと向ける。

 

 ぼんやりとした視線は何かを映し出している様子はなく、はやてはその風景の向こうに彼女が何を見ているのか気になって、自分も窓の外へと目を向けた。

 

「暗いなぁ」

 

 夜の闇に沈むもうとする人々の街。

 

「だけど、明るいよ」

 

 ぼんやりとした薄明は、まるで世界そのものが霧り渡っているように感じられ、何となく感情までもがぼんやりと薄くなっていくようだった。

 

 はやては振り向いてアリシアを見るが、黄昏/誰彼の気配の中では、彼女の表情もまたぼんやりとしてうかがい知ることが出来ない。

 

「私は、まだ迷っている。果たして、これは君に言うべきことなのか。そうでないのか。知らないことはある意味幸せなんだろうけど、何も知らないままただ終わりを迎えるのはあまりにも無慈悲だと思う」

 

 アリシアの言うことは、はやてには理解が出来ない。

 自分には知らないことが多すぎる。それはすでに確認したことだった。

 

「私に分かるように言ってくれへんかな」

 

 はやては不安を感じた。全く具体性のない言葉。誰に何を伝えるのか。それさえも伝わってこない、言葉にはやては何か背筋を摘まれるような感触を覚えた。

 

「そうだね、ごめん……ちょっと焦ってた」

 

 残された時間は僅かだ。ことはすでに後戻りできないところまで迫っており、おそらく今回のことで闇の書は完成を見るだろう。

 屋上での戦いは未だ膠着が続いているようだが、ひとたび戦闘が始まれば、フェイト達が勝てる確率はそれほど高くないとアリシアは見込んでいる。

 

 なのははまだ収集されていない。闇の書の残りのページがどれほどになるのかはアリシアには分からないが、相当に少ないだろうと言うことは予想できる。

 もしも、次元世界においても稀とされる彼女の魔力が闇の書の糧となれば、一つの終わりが訪れることとなる。

 

 これは最後のチャンスなのだ。ようやく至ることの出来た闇の書の主、本件の柱となる少女が目の前にいる。

 

 アリシアは柄にもなく緊張する表情を何とか笑顔でゆるめ、表情にクエッションマークを浮かべるはやてを真正面からしっかりと見つめ直した。

 

「話したいことは、他でもない、君のことなんだ。そして、闇の書。君の家族のこと。どうして君がベッドから起き上がれなくなってしまったのか。君の家族が何をしているのか。闇の書がどういうものなのか。全部伝えたいと思う」

 

「闇の書のことはシグナム達から聞いてる。むっちゃ古いもので、完成したらすごい力をくれるんやろ? それが、私の身体と何か関係があるん?」

 

(やっぱり、はやては何も知らなかったんだね。当たり前か……騎士達も知らないことをはやてが知ることが出来るわけないよね)

 

 それは、この病室を訪れたとき、すでに分かっていたことだった。シグナム達闇の書の騎士は、主であるはやてに何も伝えていない。

 

 だから、はやては何も警戒することなく自分たちを病室へと招き入れた。

 知らせないことが騎士達の優しさなら、それを知らせようとする自分はおそらく悪に違いないとアリシアは自覚する。

 

「遠回しに言う時間がないから、単刀直入に言うよ。闇の書は、すでに壊れてしまっているんだ。例え、闇の書が完成しても君の身体は元には戻らず、それどころか、君もろとも世界が破壊されてしまう。闇の書は危険なものなんだよ」

 

 アリシアの言葉にはやては一瞬反応が出来なかった。世界が破壊されるなど、一言で言われても把握できない。それどころか、闇の書は寂しがる自分を何度も慰めてくれた、家族の一人だ。

 それが危険なものだと言われても、理解が出来ない。納得など出来るはずもない。

 

「へ、変なこと言ってからかうのはあかんよ」

 

 しかし、はやてはこうも聞いていた。

 

『遙か古代に栄えた文明の遺産。ロストロギアには危険なものも多く、それによって滅びた世界も存在する』

 

 闇の書は関係ないと思いつつ聞き流していた言葉。世界には物騒なものもある。そんな迷惑なもの、最初から作ったりしなければいいのにと考えていた。

 

 闇の書が、いわゆるそういった危険なものと考えたことが、今まで自分にあっただろうか。どうしてこの書物が闇という名を付けられたのか、はやては考えたことがなかった。

 

「残念なことだけど、これは事実なんだ。証拠を見せられないけど。私はこういうことで嘘は言わない」

 

「もし、そうやったとしても、私らは蒐集はしてない。闇の書は完成せぇへんのやから、危険はないはずや。シグナム達かて……そういって納得してくれたんや……」

 

「やっぱり、君は何も知らされていなかったんだね」

 

「どういうことや」

 

 はやてはその整った表情をゆがめた。何となく、家族がけなされたような感触がした。

 アリシアの言葉、口調、たたずまい。それらがすべてはやてには不快に思えた。

 

 アリシアもまた、はやての声が低くとぎすまされたことを知り、彼女が自分に対して警戒心のようなものを抱いていることを理解する。

 

 無理もないとアリシアは思った。

 

「君の家族……闇の書の騎士達はね、蒐集をしているんだ。私も、ついこの間蒐集された」

 

「嘘や、そんなこと、あるはずない! そもそも理由がないやん。私は闇の書の力なんていらへん。みんなで一緒に、楽しく暮らせれば私は満足なんや!」

 

 彼女の悲しみは、家族に裏切られたという悲しみなのだろうかとアリシアは思う。

 

「私は言ったよね。私はこういうことでは嘘を言わないって。それに、理由はあるよ。君が今、死に瀕している。それが、彼らが蒐集を決意した理由だ」

 

 はやては目を見開き、言葉を失った。

 

「君の身体が上手く動かないのは、他でもない。闇の書が君を浸食しているからなんだ。そして、君の家族……闇の書の騎士達はその浸食から君を救うために、闇の書を完成さようとした」

 

 それは、アリシアの想像や推測が多分に含まれてはいたが、病室での彼らの様子や、彼女が無限書庫で得た情報から類推すればそれが最も妥当だろうという予測でもあった。

 

「―――知ってたよ―――」

 

 はやてのか細い声にアリシアは目を細く切り詰めた。

 黄昏時の光は柔らかで淡い。しかし、その光さえも、アリシアには辛く、先程から目の奥が鈍く痛む。

 

 それでもアリシアは目を開き、うつむくはやての表情を見ようと努めた。

 

「私の足が動かへんのも、最近胸まで痛くなってきたのも、何となくやけど、闇の書がそうさせてるんやなって、知ってたよ」

 

 知っていてもなお、彼女はそれを知らないふりを続けていた。それを言ってしまえば、今の家族というものが足下から崩れていってしまいそうで怖かったから。

 アリシアは「そうだったんだ」とつぶやき、目を閉じた。

 今にも眼球から涙があふれそうだ。鈍い痛みは次第にはっきりとした痛みに変わり、眼がそれを守るために涙腺を刺激する。

 そんな表情を、アリシアは誰にも見られたくなかった。

 

「――せやけど、私は、それでもええって思ってたんよ――」

 

 アリシアは目を開いた。瞳に涙が浮かび、雫が今にも流れ落ちそうになる。

 水滴によって薄ぼんやりと映る彼女の表情をうかがい知ることは無理に近い。

 それでも、アリシアは、今はやてはいかなる感情も排除した表情を浮かべていることを確信した。

 

「君は、もう諦めてしまっているの?」

 

 生きることを、彼女は諦めてしまっているのだろうかとアリシアは思った。

 

 はやては頷きもせず、否定もせずに言葉を続ける。

 

「どうせ、先の短い人生やから、せめて誰の迷惑にもならんように。誰も悲しませんようにって一人で死ぬつもりやったんや」

 

 アリシアは目蓋を両手でぬぐい、「ああ、聖王陛下よ」とつぶやいた。

 

(あなたは、この幼子に何という運命を背負わせたのか)

 

 アリシアの脳裏に、かつてベルカの街角に立てられた『死を待つ人々の家』に掲げられた慈愛の聖王女オリヴィエの肖像画が浮かび上がる。

 

「せやけど、シグナムが、ヴィータが、シャマルが、ザフィーラがうちにきてな。家族になってくれて。ものすごく幸せで……死にたくないって思ってしまったんや」

 

 はやては面を上げ、アリシアへとしっかりと向き合った。

 その表情、その目には力がこもっている。アリシアにはそれがまばゆく思えた。

 

「なあ、アリシアちゃん。私は……死ぬんかな?」

 

「私は、君を死なせたくない。私はもう、繰り返したくない」

 

 ああ、そうか。とアリシアは思った。これは、ギフトだったのだ。死ぬはずだった自分が生き延びた理由。それは、まさにこのときのためにあったとアリシアは思った。

 かつて、自分の生き方を根本的に決めてしまったあの罪悪を雪(すす)ぐためのチャンスが、今ここに与えられているのだとアリシアは理解した。

 

「それやったら、アリシアちゃん。私を生きさせて欲しい。私が死なないその方法を、どうか、私に与えて欲しいんや。アリシアちゃんは、その方法を知ってるんやろ?」

 

「そのためには、多くの障害がある。君を死なせようとする人々は多い。犠牲を君一人に抑える方法を考えて、それを実行する人もいる。君の騎士達は、君を死なせる最大の障害になるよ。そして、私は君を生きながらえさせる確たる方法を持っていない。むしろ私は、犠牲が君一人ですむのならそれが最良の方法だと思っていたんだ。そんな私を、君は信頼できる?」

 

「私は、死にたくない。生きていたい。やっと……やっと手に入れた幸せなんや。みんなが頑張ってくれてて、私に生きていて欲しいと願って、その結果が終わりやなんてあんまりや! 私は……生きていたいんや!」

 

 はっきりとした口調で、闇に沈む街の光を背後にたたずませ宣言するはやてを見て、アリシアは歯を食いしばり面を落とし、目蓋から溢れんばかりの涙をこらえた。

 

(私は、なんて傲慢でおろかだったんだ。何が最小の犠牲だ! そんなもの、犠牲を払わざるを得なかった者の言い訳に過ぎなかった。結局私は、失敗を恐れて足踏みしていただけだ)

 

 完璧な方法などない。いかに堅実な方法であっても、そこに完璧なことなどない。ならば、いかに確率が低いとはいえ、何者も犠牲にすることのない道を選ぶことこそ正しい選択だった。

 

――ならば、その道を選ぼう。例え、茨の道であっても――

 

 アリシアは、最後の覚悟を決めた。

 

 

 アリシアとはやてはお互いにのばした手をつかみ合い、決意の握手を交わし、ただ静かに、何の言葉を交わすこともなく病室を後にした。

 

 はやての座する車いすを押しながら、アリシアは様々なことを思い浮かべた。

 どうして、自分は死に際してもそれが受け入れられなかったのか。

 

 自分は、あのとき死に際して、ユーノの願いを受けたジュエルシードに魂を保存された。そして、プレシアの願いを受け、器であるアリシアの身体に宿らされた。

 

 完璧にかなえられなかった願い。ユーノの願いは、ベルディナの形を伴わない形で成就され、プレシアの願いはアリシアの心を伴わない形で成就された。

 

 

 

  ならば、この少女の願いはどのような形で成就されるのか

 

 

 

 キィィっという音と共に開かれる屋上の扉の音に感覚が乱され、アリシアはそのまま何も感じることなくはやての車いすをその先に押しやった。

 戦闘が行われていた気配はない。果たして、その行く末はどうなったのか。未だ膠着状態なのだろうかとアリシアは、車いすの影になって見えない屋上の様子に思いをはせる。

 

「…………これは……どういうことや……………」

 

 ドサリという音。突然軽くなる手の感触に惑わされ、アリシアは思わず歩みを止める。

 

「はやて……だいじょぅ……」

 

 はやてが車いすから転げ落ちた。アリシアはそれを助けるべく、椅子の影から姿を現し、それを見た。

 

 陽光が彼方に沈み、澄んだ大気に浮かぶ月。街の光に負けない一等星達。

 遙か頭上に輝くオリオンの三連星。

 

 そして、僅か数歩先にたたずむ、長髪の剣の騎士の持つ、桃色の地上の星。

 

「申し訳ありません、主はやて。我々は、貴方の命に背きました」

 

 止める余地も残さず、彼女は腕を掲げ、その手に姿を現せた書物の紐を解く。

 

 開かれる剣十字のエンブレムを掲げた書物は、次第に闇の魔力をまとい、彼女の意志に従い力を示す。

 

「此度のことは、すべて私に責があります。すべては私が行い、決めたこと」

 

 『蒐集』の声が書物より響いた。彼女の掌に浮かぶ桃色の光は霧散し、粒子となって書物へと取り込まれていく。

 そして同時に刻まれる白紙のページ。何が記載されているか理解の出来ない文字を持って、闇の書にページが刻まれていく。

 

「どうか、主。お幸せに……私がおずとも、主自身の幸せを得られますように……」

 

 闇の書に足らないページ。それを補うため、シグナムは自らを差し出した。

 

「嫌や……そんなの嫌や!! シグナムがおらんかったら、私はどうやって生きていけばええの? みんなが、みんながいて。全員そろって。そうやないとあかんのや! 主の命令を聞きい! シグナム。消えたらあかん! 死なんといてぇーーー!!!」

 

 けして動かない足を引きずり。はやては、地を這い間に合うはずのないそれをせめて言葉で引き留めながら、ただただ前へと進んでいく。

 

「ああ、主。主はやて。貴方と過ごした半年間は、私にとってこの上のない幸せでした。戦うことしかなかった私達を家族として迎えていただき。私達を人並みに扱っていただいた。私にはそれだけで十分でした。主のため、主が幸せで生きていけるのなら。私は何も悔いはありません」

 

 『蒐集』という声が再度響き渡った。シグナムの胸前に浮かび上がる紫じみた光の結晶。

 人にあらずプログラムであるはずのシグナムにとって、それを失うと言うことは、すなわちこの世界からの消滅を意味する。

 

 誰も止められなかった。

 

 なのはは今にも閉鎖しようとする意識を奮い立たせ、ユーノはそのなのはを支え、フェイトはあまりの状況に感情が追従せず、ヴィータは自らの将の行ったことが理解できず、シャマルは涙を流しながらもそれで望みが叶えられるならとどこにもいない神に祈りを捧げた。

 

 アリシアも、シグナムとはやて。その二者を前にしてただ瞑目してはやての肩を抱くことしかできなかった。

 

「あかんのや! それでは誰も救えへんのや!」

 

 引き留めようとするアリシアを必死に振り払おうとするはやては、それでも消えゆくシグナムに追いすがることも出来ず。

 

 シグナムは、闇に染まる書物と共に、その身をただの光の粒子へと変えて、消えていった。

 

「私達は……遅すぎたんだ……」

 

 アリシアははやてを抱きしめながらつぶやき、必死に抵抗して腕を振り回す彼女を押さえつけるように彼女のうなじに顔を埋めた。

 

「なんでや!? なんで……結局、私が……。あぁぁぁ……うわぁぁあぁぁぁ……」

 

 響き渡る少女の慟哭。そして、その足下に広がる鈍色の魔法陣。それらがすべてを飲み込み包み込み、広がり回転する。

 

 

――闇の書に最後のページが刻まれた――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 Vibration

(6/19)


 地上で輝く星のような街明かりを前に空の星々はくすんで見えて、冬の冷涼で澄んだ空気の上では少し欠けた月が煌々と輝く。

 

 地面より遙かに高い屋上に吹く風は強く、フェイトの着る裾長のスカートが音を立ててはためいている。

 

 何が起こってしまったのか。何が終わり、何が始まろうとしているのか。

 フェイトはただ呆然と立ちつくすだけで、それらを何一切理解することが出来なかった。

 理解してしまうのがたまらなく嫌だった。

 

 一瞬で広がった闇の固まりは二人の少女を包み込み、飲み込み、そして今では消え去ってしまっている。

 先程までそこには、はやてがいたはずだ。シグナムがなのはのリンカーコアを蒐集し、足りないページを補うために自分の命を捧げ、そして闇が広がった。

 ただそれだけのことなのに理解が追いつかない。感情が追いついてこない。

 フェイトは、そこに立っている一人の背の高い女性を呆然と見つめる。

 

「ユーノ、なのは。お姉ちゃんは? お姉ちゃんは、どこにいるの?」

 

 ガタガタとふるえる膝に何とか力を込め、フェイトは虚ろなまなざしを周囲に向けるばかり。ふるえる歯と歯が擦りあわされる音が酷く耳障りで、いっそのこと目と耳をふさいでしまいたかった。

 

「フェイト……」

 

 隣から届くユーノの声もはっきりとしない。

 

「ねえ、ユーノ。お姉ちゃんがいないの。さっきまでそこにいたはずなのに。どこに行ったのかな? お姉ちゃんは、どこに行っちゃったのかな?」

 

 ユーノは魔力の枯渇でもうろうとするなのはを抱きしめる手を強め、ゆっくりと指を持ち上げた。

 ユーノの指の先、そこにたたずむ長身の女性。銀色の長い髪に、アリシアと同じ真っ赤に染まった瞳。

 そして、その瞳から涙を流してただ月を見上げる女性をフェイトははっきりと目に映した。

 

「アリシアは、たぶん。あそこにいる」

 

 どこにもいないとフェイトは叫びたかった。不自由な足で地を這う少女もそこにはいない。

 すべて、闇が飲み込んでしまった。

 

「……また……すべてが終わってしまった……いったい、幾たびこんな悲しみを繰り返せばいいのか……」

 

 闇を纏う少女が、涙ながらに見上げる月にはどのような理由があるのか。

 フェイトはアリシアに月の明るい夜はあまり外に出ない方が良いと言われたことがある。

 月は死者の眠る場所だと言っていたアリシアのその表情をフェイトは忘れられない。

 

 ならば、眼前にたたずむ銀色の女性もまた、死んでいった人々への悲しみに涙を流しているのかとフェイトは思った。

 

「……なんで……」

 

 その悲しみがいったい誰に向かっているのか。どうして彼女は月を直視することが出来るのか。

 

「フェイト?」

 

 手を握りしめ、身体を振るわせるフェイトをユーノはどこか危ういと感じた。

 

「しかし、主の願いの通り、私は主の安息と無事を実現するためこの世界のすべてを破壊しよう」

 

 銀髪の女性。闇の書の意識体はそういって溢れる涙をぬぐい、その細い腕をゆっくり頭上へと掲げた。

 焦げた色の帯に包まれた驚くほど白く細い腕は、まるでフェイトの目からは月を握りしめる魔手のごとくそびえ立つ。

 

「安息の闇に沈め、世界よ……」

 

 掲げられた掌には、その言葉に呼応するように一握の闇が生まれた。

 ドクンと脈動する黒く輝く闇。

 

「まさか、空間攻撃!? そんな、こんなところで……」

 

 シャマルの悲鳴のような叫びがフェイトの耳に届けられる。

 

「シャマル。これ、どういうこと」

 

 豹変した主と闇の書を見て狼狽するヴィータはシャマルに縋るように近づく。

 

「分からない。分からないわ。こんなこと……起こるはずがないわ。これじゃまるで……暴走……」

 

「まさか、イージス達が言いたかったことって……。それじゃあ、あたしらは今まで何のために……」

 

 自分たちのしてきたこと。自分たちがあのときしようとしてきたこと。シグナムのあの行為が引き起こした答えが目の前にある。

 動けないと二人は感じた。

 

「ヴィータ、シャマルさん!」

 

 言葉を失うヴィータとシャマルにユーノは鋭く声を投げつけた。

 

 ヴィータはその声に振り向く。その目には屋上の床面から僅かに浮き上がるユーノの姿が映し出された。

 ユーノに抱えられたなのはは未だに息が荒い。

 それを見れば、シグナムがどれほど強引に彼女のリンカーコアを引き抜いてしまったか良く理解できる。

 ヴィータは、ズキリと胸がうずいたような気がした。

 ユーノの腕に包まれるなのは。不謹慎と分かっていながらもヴィータは、どうしてあそこにいるのが自分ではないのかと一瞬考えてしまったのだ。

 

「とにかく、いったん離脱しよう。ここはどう見ても危ない!」

 

「ああ、分かったよイージス。行こう、シャマル」

 

 ユーノの言葉にヴィータは先程までの感情を振り払った。

 自分は感情に従って行動するわけにはいかない。彼のリンカーコアを蒐集した時に立てた誓いを再び胸に宿し、ヴィータは素早くシャマルへと言葉を投げかけた。

 

「ええ、分かったわ」

 

 シャマルは素早く感情を切り替え、待機状態へ戻していた自身のデバイス――リング状のアームドデバイス<クラールヴィント>――をペンデュラム(振り子)に起動させ、ヴィータの手を取った。

 

「無の安息に沈め……。デアボリック・エミッション……」

 

 無の安息。それは何もないが故に何の苦しみも悲しみも存在しない世界。すべてを破壊するため、その破壊の一撃を生み出すため、闇の書は己が掲げる闇の固まりを発散させた。

 

「まずい。行くよ、フェイト、急いで!」

 

 徐々に広がっていく闇。それはすでに闇の書の少女さえも包み込み、ユーノはなのはを抱く力を強め、飛行魔法のシーケンスを起動させた。

 眼下には未だその場を動こうとしないフェイト。いつの間にかバリアジャケットを身にまとい、バルディッシュをその手に握りしめてただたたずむフェイト。

 

「返して……」

 

 フェイトは思い出していた。時の庭園が闇に沈んでいくときと同じだと感じた。

 あの時、彼女はただ虚数空間に沈んでいく母をただ呆然と見守ることしかできなかった。

 捧げた手は振りほどかれ、捧げるはずだった愛情は拒絶され、それでも構わないという誓いは受け入れられなかった。

 そして、母は自分達を置いてただ一人で旅立ってしまった。

 

「フェイト! 早く!!」

 

 だが、アリシアは違った。アリシアはフェイトを受け入れた。不器用ではあったが、彼女は精一杯フェイトの家族になろうとした。

 

「返して! 私のお姉ちゃんを、返してよ!!」

 

《Sonic Form》

 

(もう、あのときのような悲しみを繰り返したくない。大切な人が、家族が目の前で消えていくのを見るのはもうたくさんだ!)

 

 フェイトは静かに燃え上がる激情を今一度奮い立たせ、バリアジャケットの外装をパージさせた。

 

 風になびくマントが取り払われ、腰を覆っていた柔らかなスカートは姿を消し、つま先から太ももまでを覆っていた丈長のソックスは身を隠した。

 そして、姿を示したのは、極めて薄防のアンダースーツのみ。

 

《Sonic Sail action》

 

 防御を捨てた馬鹿な妹とアリシアに言われたほどに、潔いほどに速度を上げるためだけに構築されたその形態が姿を示した。

 身体の各部、各間接から伸びる白い光の羽は加速度を強化させる。

 

《Haken-form》

 

 バルディッシュはそんな主の意志を受け、自ら鉤状の魔力刃を展開する。

 フェイトはそれを深く構え、わき上がる魔力を爆発させ、流星のごとく光の航跡を描きながらただまっすぐと広がる闇の中心へと飛び立った。

 

「フェイト! ダメだ、戻って!」

 

 彼女が何をしようとしているのか。共に研鑽しあった仲として、やがて家族なる者としてユーノはそれを理解した。

 

 そして、それだけは何が何でも止めなければならないと思った。

 

 手を伸ばす手はあまりにも短く、そして傍らで気を失いかける少女のことを思えばこれ以上前に出ることも出来ない。

 

 向かってくる闇の波動。その奔流にユーノはラウンドシールドを展開しつつ、今にも飛び去ろうとするフェイトに向かって声を張り上げるしか出来ない。

 

 フェイトを助けるために闇の中へと飛び込めば、満身創痍で動くことすらままならないなのはを見捨てることとなる。

 

「僕は……」

 

 しかし、なのはを助けるためにはフェイトを見捨てなければならない。

 

 ラウンドシールドという声がユーノの口から漏れだした。

 フェイトが飛び去った方向から怒濤のごとく漂ってくる魔力の余波がユーノの生み出した翡翠の障壁によって減衰する。

 

「どうすれば……」

 

 ただの余波でも直接肌に感じるにはあまりにも鋭く重い。

 例えユーノの盾が強固であっても、なのはを守りながら突き進むことは出来ないだろう。

 

 ユーノではフェイトを助けられない。

 

「先に離脱していろ、イージス……あの娘、テスタロッサは我が回収する」

 

 ユーノは振り向いた。野太い男の声。盾を名乗る揺るがない巨漢の存在が脇をすり抜けていく。

 

「……分かりました、フェイトを、お願いします……」

 

 手強い敵であった存在。それが味方についてくれたとユーノは悟った。それが、どれほど心強いことなのか。

 

 ユーノは同時に彼のような揺るぎない心を持てない自分を悔い、なのはを抱える腕をいっそう強めながらその空域から離脱を決意した。

 

 

 

***********

 

 暗く重い。深淵まで黒に染まるその光景を前に、しかし、フェイトはそれでもなお目を見開き身体をコンパクトにたたみながら進撃を続けた。

 

《オートディフェンサー展開》

 

 左腕のガントレットが、その中央に備えられた黄石を光らせた。

 フェイトの眼前に出現する金色に彩られた薄膜が出現し、それは闇の激動からフェイトを守る。

 

『ありがとう、プレシード』

 

 フェイトの意志によらない自動防御機構。防御を捨てたフェイトのために、せめてもの守りをと考えたアリシアが持たせた唯一の機能。

 

《お気になさらずに。これが私の役目であり、貴方の姉君が望んだことです》

 

 プレシードは少しだけ黄石をちかちかと点滅させ答えた。

 フェイトにはそれが、照れ隠しのように見えて少しだけ微笑んだ。

 

《我々は貴方と共にいます。私は剣として》

 

 バルディッシュは言葉を発する。

 

《そして、私は盾として》

 

『この身が朽ちるまで』

 

 フェイトの盾と剣、時を超えて再びであった二機の兄弟はそう主に誓った。

 

『そうだね、ありがとう二人とも。行こう! お姉ちゃんが待ってる』

 

 黄色の障壁にヒビが入る。そして、その障壁を補うようにプレシードはもう一つのシーケンスを発動させ、さらに強固な盾、ラウンド・シールドを重ねて展開させた。

 

 かき分けられる闇の激流。終わりがないかと思われるほど深い黒の空間。しかし、フェイトはその先にたたずむ一つの存在を確かに感じ取った。

 

(あれが、あいつがお姉ちゃんを飲み込んだ。あそこに、いるんだ!)

 

 バルディッシュとプレシードによって一度は落ち着き欠けたフェイトの激情に再び火がともされる。

 冷静にあれ。嘱託試験の時も、その後のあらゆる訓練でもフェイトはいずれ兄となる上司、クロノから聞かされたことを忘れ、今はただ燃えさかろうとする感情のトリガーを引いた。

 

「……かえ、して……」

 

 ラウンド・シールドの表面にヒビが入った。プレシードは、激減する盾の強度を何とか保持するため、自らに搭載されたカートリッジを一発激発させ、魔力を盾へと流し込む。

 それでも、プレシードが出来たことは崩壊の進行を僅かに和らげるのみ。

 いかにアリシアの願いより構築されたシステムであっても、自ら死へと向かおうとするもののことは考慮されていない。

 

「返してよ!! もう、これ以上取らないで! 母さんみたいに、お姉ちゃんを持って行かないで!」

 

《防御強度半減。カートリッジロード……魔力充填完了》

 

 プレシードは危険警告を発するが、それはけしてフェイトの足を止めるものではなかった。本来なら、マスターの安全のために、プレシードに搭載されたAIの一部は【即時離脱】の勧告を提示し続けるが、それがプレシードの音声に乗ることはなかった。

 それは、それなりの時間を二人の少女と共にしたプレシードなりの決意の表れだったのかもしれない。

 フェイトはなおも加速し、襲い来る黒の圧力を打ち破らんと進行を続ける。

 

「無茶をするな! テスタロッサ」

 

 黒い空間で、フェイトは自分以外の声を聞いた。

 こんなところに誰もいるはずがない。自分で死にに行くような馬鹿が自分以外にいるはずがない。フェイトのその思考は幸いなことに彼女の進撃を一瞬減衰させる。

 

「障壁!」

 

 そして、フェイトの前方に青い粒子が渦巻き広がっていく。

 その渦はまるで自分を守ってくれているかのように暖かく、優しい、そして力強かった。

 

「ザフィーラ?」

 

「その無茶は、まるでヴィータのようだ」

 

 振り向いたその先にたたずむ青い巨漢。フェイトの使い魔アルフがライバルと認めた因縁を持つ男。

 フェイトは少しだけ身構えて彼に視線を向けるが、ザフィーラは肩の力を抜き、フェイトの肩に手を置いた。

 

「捕まれ、離脱する」

 

 肩に置かれた手が脇に差し入れられ、もう片方の腕がフェイトの膝裏へと回される。

 フェイトはようやくザフィーラの意図を読み取り、手を振り回して抵抗した。

 

「放して! 私を行かせて!」

 

 ザフィーラは自分を連れ戻しに来た。フェイトはそれが許せなかった。

 

「ならん! 面倒をかけさせるな!!」

 

 フェイトが振り回す腕に頬や胸板を叩かれ、腕に爪痕を付けられてもなおザフィーラは苦痛に表情をゆがめることもなく障壁を張り続け、離脱へと飛行ベクトルを定めた。

 

 闇の書からの広域攻撃、デアボリック・エミッションからの圧力もあり、突入時の数倍の速度で離れていく状況にフェイトは気が狂うかと思った。

 

「いや! お姉ちゃんが、お姉ちゃんがあそこにいるんだ! 私が助けないとダメなんだ!」

 

 徐々に緩んでいく闇の圧力と共に次第に明らかになっていく夜の街の風景。

 先程まで地上の星のように輝いていた街並みは、今は灰色じみた空間に閉ざされ、なりを潜めている。

 

 空間を覆い尽くしていたデアボリック・エミッションの波動は徐々に拡散の方向へとシフトしていき、ザフィーラが皆の待つビルの影へとたどり着いた頃にはそれは完全に消失し、一時の平穏を取り戻した。

 

「やめて! なんで、何で止めるの!? お姉ちゃんが、お姉ちゃんが」

 

 それでもなお、平穏を打ち破らんとしてフェイトは抱えられた腕の中で手足を振り回し、必死になってその拘束から逃れようとする。

 

 パチンという乾いた音があたりに響いた。

 

「ユーノ……くん?」

 

 朱色の足場、ヴィータが用意したフローターフィールドに身体を横たえるなのはは、振り抜かれたユーノの掌と、呆然と頬を押さえるフェイトを見比べながら声を漏らした。

 

 ユーノがフェイトの頬を張った。

 

 呆然とするフェイトに、ユーノは彼女を叩いた手を押さえながらゆっくりと口を開いた。

 

「いい加減にするんだ、フェイト。君が一人でつっこんでも、何にもならない」

 

 叩かれ方の何倍も痛そうな表情を浮かべ、ユーノは低い声で言葉を紡いだ。

 押さえ込まれた怒りがにじみ出る。

 フェイトの頬がズキリと痛んだ。母から受けた痛みに比べればそんなものは優しく撫でられた程度のものはずだった。

 しかし、フェイトにはその何倍にも頬が痛んだように思えた。

 

「そう……だよ、フェイトちゃん。一人で何とかしようと思わないで……一緒に……助けようよ……」

 

 息も絶え絶えで、とても意識を保っていられるような状態ではないなのはの言葉に、フェイトはようやく落ち着きを取り戻すことができた。

 

 頬の痛みは胸の痛みとなってフェイトは胸を抱く。

 

「ご、ごめんなさい……ユーノ、なのは。みんなもごめんなさい。ザフィーラも、叩いちゃってごめんなさい……」

 

「構わん。お前の細腕では軽傷にもなっていない」

 

 フェイトの腕が当たった場所は痕にもなっておらず、ザフィーラはどことなく照れたような様子でフェイト解放した。

 

「もう終わった? じゃあ、これからどうするか話したいんだけど」

 

 その様子を始終興味がなさそうに、なのはの隣で胡座をかいていたヴィータはようやく終わったかとため息をつき、服の埃を払いながら立ち上がった。

 

「ヴィータ」

 

 ザフィーラの短い諫めの言葉にもヴィータは「ふん!」と鼻を鳴らすばかりで取り合おうとしない。

 ユーノとシャマルはお互いに視線を交差させ、苦笑を浮かべながら、共にチームの参謀として、共にリーダーのいないこの状況を把握するべく面々を見回し会議に入ることとした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 DownForce

(7/19)


 ユーノが展開した封鎖結界が夜の空を灰色に染め上げる。

 彼にして急造で構成が甘いと称されたその結界も今ではシャマルとザフィーラ、そしてヴィータの補助を受けて闇の書の力でもそう簡単には突破できないほどの強度を保っている。

 

 闇の書の目的がこの世界の破壊であれば、彼女はまず第一にこの結界を破ろうとするだろう。

 実際、フェイト達が隠れるビル影の向こう側では、闇の書が上空に向かって何度も攻撃を行っている様子だった。

 

 しかし、それを破ることが出来ないと彼女が判断すれば次に攻撃対象となるのはこの結界の起点である魔導師となるのは明白だった。

 

「ごめんなさい、みんな。迷惑をかけました。ザフィーラも、ありがとうございました」

 

 ようやくフェイトも落ち着き、場が冷静を取り戻したとき、フェイトはもう一度先程までの無茶と勝手を侘びた。

 

「あの程度の攻撃では我を突破することは出来ん」

 

 皆がフェイトに頷く中、特に名指しされたザフィーラは己の誇りを滲ませてフェイトに答える。

 

《いい男ですね、盾の守護獣。貴方はそういってどれほどの雌狼をたぶらかしてきたのでしょうか?》

 

 突然響く機械じみた声にザフィーラを始め、ヴィータとシャマルは少し周りを見回しその声の主をおった。

 

「我は盾だ。そのような不埒なことはせん!」

 

 ザフィーラは己を愚弄するような物言いにきつい視線を投げかけるが、その声の主、レイジングハートを胸に掛けるなのはがその視線を浴びて少しひるむ。

 

《なるほど、硬派ですね。無自覚に女を泣かせてきたと言うことですか。罪な男のようです。ユーノもお気をつけを。無自覚と鈍感は時に他者を傷つけるものになるでしょう》

 

「何で僕なの!?」

 

《ご謙遜を。スクライアでどれほどの女性を落としてきたか。私はしっかりと記憶していますよ?》

 

「それ、本当なの? ユーノ君……」

 

「ちょっと、なのはまで。嘘だから、全部レイジングハートのでっち上げだから」

 

 満身創痍であるはずのなのはがどうしてこんな、殺気じみた気配を放てるのか。

 ある意味人体の神秘を感じながらもユーノは必死に弁明を重ねる。

 

《その鈍感さがいずれマスターをも傷つけるかもしれない。その可能性を覚えておいてください》

 

「意味が分からないよ。なのはもそんな目で僕を見ないで」

 

 頬をふくらますなのは。背筋に冷や汗をかきながら手を振り回して言葉を重ねるユーノ。

 一見すれば幼い痴話喧嘩を見ているようでフェイトやシャマルは少しだけ感情が和やかになるが、なのはの側に座るヴィータが何とも面白くなさそうな表情をしているのにシャマルは気がついた。

 

「あのぉー、今はそんなことしてる場合では……」

 

 おずおずとシャマルは手を軽く挙げながらじゃれ合いを続ける二人と一つに声を掛けた。

 

「そ、そうだよなのは。今は、闇の書を何とかしないと……」

 

 フェイトもシャマルに同調し、とりあえず二人の口げんかをやめさせようとした。

 

「一応、あたしとシャマルで隠蔽魔法使ってるけど。いつまで持つか分からないよ」

 

 付き合いきれない。という風体でヴィータはやれやれとため息をつき、なのはを横たわらせている自分のフローターフィールドの上で胡座をかいた。

 

「行儀が悪いぞ、ヴィータ」

 

 ザフィーラはそんなヴィータの様子に少し呆れながら口を挟む。

 ヴィータは組み合わされた足の間を手で押さえているため、スカートの中身が見えているわけではないが、どう考えてもそれは淑女の振る舞いではない。

 

「うっせ」

 

 しかし、ヴィータは取り合わず、グラーフアイゼンの柄尻でザフィーラをこつぐ。

 

 ユーノとなのははお互いに顔を赤くしながら何とか立ち直り、皆と現状を確認し合う。

 

「それともう一つ。スクライア君達が私たちに話したかった事を、教えていただけませんか?」

 

 シャマルはそう言って双眸をことさら真剣切り詰めてユーノ達に目を配った。

 

 隠蔽結界から魔力が漏れないように、最小限の出力でなのはのリンカーコアに魔力を供給していたユーノはフェイトと一瞬目配せをした。

 確かに、互いに冷静になった現状であれば、今まで自分たちが彼等ヴォルケンリッターに伝えようとして伝えられなかった事を聞き入れて貰えるのではないかとフェイトは思った。

 

 しかし、今更それを言ったところで大本の原因である闇の書の発動を阻止することが出来なかった。今は余計な情報を伝えるべきではないかもしれないとユーノは考えた。

 

 それでも、彼らには知る権利があり、その責任もある。そして、同時に彼らのそれまでの様子から闇の書がただ破壊を振りまくだけのものと言うことをおそらく知らなかったのだろう。

 

 ひょっとすれば、もしもこの事件が問題なく終結した暁には、このことが彼らを擁護する材料となるかもしれない。ユーノは何となく打算的に物事を考えてしまいがちな自分に少しだけ自己嫌悪を覚える。

 

 ユーノはシャマルだけでなく、一歩引いたところから周囲に気を配りつつこちらを見るザフィーラと、未だフローターフィールドの上であぐらをかくヴィータの様子も確認した。

 

 二人は沈黙して、ただユーノへと視線を向けるばかりだ。しかし、その表情、視線からこの二人もシャマルと同様、真実を知りたいという願いを持っているように思えた。

 

『やっぱり、三人には言った方がいいと思うよ、ユーノ』

 

 フェイトはユーノ手を取り、シャマル達に聞かれないように接触回線での念話を試みた。

 

『うん。僕もそう思う』

 

 いきなり手を取られて少し驚いたユーノだが、フェイトの声が脳裏に響くとその意図を理解して、同意の念を送る。

 

『任せても良い? こういう事はユーノの方が適任だと思うから』

 

 まあ、そうだろうなとユーノは理解していた。フェイトは頑固であるがこれでなかなか口下手な面がある。その点に関して言えばユーノも同類なのだが、少なくともフェイトよりは弁は立つと言っても良いだろう。

 

(本当なら、アリシアに頼むのが一番なんだけどね)

 

 ユーノはそう思いながらチラと横目でフェイトを伺い、「エヘン」と咳払いを一つ吐いた。

 

 あまり細かいことまで話している暇は無いだろう。それでも、出来る限り正確に、過不足無く伝えなければならない。

 ユーノは一度自分が持つ情報――アリシアが無限書庫で蒐集した情報――を整理するべく宙を仰いだ。

 

「たぶん、ヴィータ達もそろそろ気付きかけてる事だと思います。おそらく、聞けば辛いと思います。時間がないのと、僕自身人伝で聞いたことばかりで情報に正確性を欠く場合もあります。ひとまず、それだけを念頭に置いておいてください。最終的な判断は皆さんにお任せします」

 

 ゆっくりと、ユーノはシャマル、ザフィーラ、ヴィータの表情を伺った。

 

 シャマルは冷静で、何処か青ざめたような表情で頷き、ザフィーラは表情を変えずにただ肯いた、そしてヴィータは少し頬を紅くしながらユーノから目をそらすばかりで頷きもしない。

 機嫌を損ねたかなと思うユーノだが、今はなだめている暇はないと感情を打ち切った。

 

「じゃあ、話します」

 

 ヴィータを除いて二人の了承を得られた。ユーノはゆっくりと語り出した。

 

「言葉を選んでいても仕方がありませんので単刀直入に言います。闇の書はすでに壊れています。闇の書はその主を蝕み、蒐集を行わせ、そして完成したらその力は破壊すること以外には使い道がない。そして、それを何とかしようとしても、主以外の人間が外部から闇の書にアクセスしようとすれば、主を飲み込んで転生を繰り返す。これが僕が知っている闇の書です」

 

「それの証拠はあるの?」

 

 ユーノに問いただすシャマルの声は震えていた。もし、それが本当なら、今まで自分達が行ってきたことはいったい何だったのか。自分たちの存在意義とはそんなことのためにあったのかと、自身が崩壊するほどの衝撃を受けるだろう。

 

 自分たちの存在が、行為が、望んだこととは真逆のものだった。辛いだろうとユーノは思った。

 そして、それを知らせることがまるで彼らの存在意義を否定することになるように思えて、ユーノの胸が痛んだ。

 それでもユーノははっきりと頷き、毅然とした表情と視線を持って答えた。

 

「11年前、闇の書が管理局の次元航行艦エスティアを飲み込み、その艦長もろともアルカンシェルによって蒸発しました。それ以前の、管理局が関わった事件資料やその他諸々。フェイトの姉のアリシアが無限書庫で調べ上げた情報すべて、このメモリーチップに入っています」

 

 ユーノはそういって懐からクロノを経由して渡された一枚の記録素子を取り出し、シャマルに手渡した。

 

「いいの? ユーノ」

 

 シャマルにチップを渡そうとしたユーノに対してフェイトはそう声を掛ける。

 ユーノの持つ情報は一種の機密情報だ。例えそれが一般的に知られたことであろうと無かろうと、管理局がその捜査のために入手した情報は部外者に公表してはならない。

 公表にはいくつかの法的手続きが必要であり、ましてや彼らは未だ事件の重要な容疑者。

 

「クロノには内緒にしていてね、フェイト。なのはも」

 

 しかし、ユーノはすべて承知だと言って微笑んだ。

 フェイトは少し肩をすくめ、呆れたようにため息をついた。

 ようやく上体を起こせる程度に回復したなのはも少し苦笑いしている様子だった。

 

《You are affected by the Little Alicia, YU-NO. Well It is not the tendency that it is all right to resemble only a place not to want you to be similar》(アリシア嬢の影響を受けましたね、ユーノ。まったく、似て欲しくないところばかり似るのはよろしい傾向ではありません)

 

 なのはは一瞬、アリシアの影響を受けきった将来のユーノというものを想像してみたが、途中で怖くなったのでやめた。

 何となく、あの暖かい笑顔で人をおちょくり回して遊ぶユーノというのは色々な意味で見たくないと思ってしまったのだ。

 

(気をつけないと……)

 

 なのははそれだけ思い、思考を戻した。

 

 シャマルは手渡されたメモリーチップをそっと握り、心を落ち着けるように息を一つ付き、自身のデバイス、クラールヴィントに情報をコネクトさせた。

 

 シャマルは瞑目し、クラールヴィントからもたらされる情報を素早く処理し、そして理解した。

 

「私達は……結局はやてちゃんを助けるどころか、はやてちゃんを破滅に導いていただけなんですね」

 

 しゃくり上げるような嗚咽がユーノ達の耳に届いた。膝をつくシャマルに、ユーノ達は掛ける言葉を見つけられず、フェイトはグッと手を握りしめた。

 

 真実を告げられるのは辛いものだ。フェイトもまたプレシアより自身の真実を告げられたときは、泣くことも出来ずに一切を停止させ、拒絶した。そのときの感情が何となくフラッシュバックして、膝が震える。

 

『大丈夫だよ』

 

 そっと握りしめられる手の感触にフェイトは面を上げた。

 

『大丈夫、大丈夫だから。そんな顔しないで……みんな、いるから……』

 

 自分を見上げて心強い視線を送るなのはの表情にフェイトはただ頷いた。

 

『ありがとう、なのは。大丈夫、私はもう……諦めないから』

 

 フェイトの力強い言葉になのはは微笑み、少し名残惜しそうに手を離した。

 手の中に残るなのはの温もりをフェイトは握りしめた。

 

「シグナムは……そのために消えちまったってのに……こんなの、あんまりだよ……」

 

 許せないという感情をヴィータは持て余して、フローターフィールドに拳をたたきつけた。

 何が許せないのか。壊れてしまっていた闇の書なのか、終焉への駒を進めることしかできなかった自分たちなのか、それともこうなることを導いた運命そのものなのか。

 

「すまぬ、高町、スクライア、テスタロッサ。いかに侘びようとも取り返しの付かないことを我らはしてしまった……」

 

 ただ、誰もがそう思った。何とかしたい、このままで終わるのは嫌だと感じていたのは確かだ。

 

 まるで土下座をする勢いで膝をつき面をたれるザフィーラ。

 未だ膝を折ってすすりなるシャマル。

 チクショウ、チクショウと悪態をつきながら床を殴り続けるヴィータ。

 

「謝るのは、まだ早いです」

 

 なのはは絞り出すように声を上げ、ふらつく上体を振り絞って、ゆっくりと立ち上がった。

 驚いて補助に回ろうとするユーノとフェイトをやんわりと断り、なのはは不安定な足取りで崩れ落ちる騎士達の側へと歩み寄っていった。

 

「アリシアちゃんが巻き込まれてしまいました。はやてちゃんも大変なことになっています。シグナムさんも、まだ中にいます。私は、三人を……はやてちゃん、アリシアちゃん、そして、シグナムさんを助けたいんです」

 

 なのははまだ希望を見失っていない。なのはがいたから自分たちは希望を捨てなくてすむ。ユーノとフェイトは共通するその考えに頷き合い、なのはの側へと足を進めた。

 

 ユーノがなのはの肩を、フェイトがなのはの左手を支え、三者は互いに向き合った。

 

「今度こそ。今度こそ、私たちに協力してくれませんか? 私たちでどこまで出来るか分からりません。だけど、私はこのまま終わるのは嫌なんです」

 

 なのはの手が伸ばされた。

 

 そして、かつて自分たちへもさしのべられた希望の手にユーノとフェイトは自身の手を重ね、言葉を発さずに宣言した。『共に行こう』と。

 

 伸ばされた手。重ねられた手。

 騎士達はあっけにとられたようにそれを見上げ、そして、互いに頷き合い、居住まいを正した。

 

 片膝を着き、片方の手を地面に着き、もう片方の手は立てられた足の膝の上へ。

 

「この命にかけても」

 

 ザフィーラの宣言が夜を震わせ、

 

「あなたたちに協力します。いえ、させてください!」

 

 シャマルの誓いは悲しみを打ち払い、

 

「はやてを……アリシアを助けたいのはあたし達も同じなんだ」

 

 ヴィータの願いはあまりにも真摯で。

 そして、三人はしっかりと面を上げ、自らの手をさしのべられた手へと重ねた。

 

 誓いは立てられた。

 

******

 

《さて、騎士達の協力を得られたわけですが、何か対応策はあるのですか?》

 

 レイジングハートの冷静な、どこか皮肉混じりの合成音にフェイト達は重ね合わせたままだった手をほどいて、何となくお互い照れくさそうに視線を合わせたり外したり落ち着かなかった。

 

「別に、協力っつっても今だけだかんな! お前らと馴れ合うきはねぇ、勘違いすんな!」

 

 明らかに照れ隠しと分かる仕草で鼻を鳴らしながらヴィータはそっぽを向いた。

 

「ヴィータって、結構かわいいんだね」

 

 悪態を吐かれているにもかかわらず嫌な気分にならないフェイトは頬をゆるめながらそっとシャマルに耳打ちした。

 

「そうなんですよ。あの子も素直じゃないから」

 

 まるで娘や妹を見るような暖かなまなざしでヴィータを見るシャマルを、フェイトは「なんだかいいな」と思った。自分もアリシアからこういう目で見られているのだろうかと思う。そうだったら嬉しいとフェイトは思い、そして、そのアリシアが今どこにいるのかを思い出し表情を引き締めた。

 

『必ず助けましょう』

 

 シャマルの声がフェイトの脳裏に響いた。

 

『はい。はやてとシグナムも、必ず!』

 

 シャマルとの秘密の会話はフェイトに安らぎと決意を与えたようだ。ヴォルケンリッターの協力が得られた、なのははずいぶんと衰弱しているが、命の危険性はない。それでもまだフェイトの心には幸先が見えない状況に言いようのない不安があった。

 

(言葉ってすごいなぁ)

 

 ただ一言が安らぎを与えもすれば不安を煽りもする。思えば、先程レイジングハートがふざけた話を引き起こしたのも、そういう言葉の力を知っているからこそなのかもしれないとフェイトは思う。

 アリシアやレイジングハートと一緒にいるとなぜか不安を感じることがない。自分も、そういうふうに誰かの安らぎになれるような人間になりたいとフェイトは思った。

 

「ともあれ状況は悪い。レイジングハート卿の言うとおり、我々がこの後どのようにすればよいのか、決めるべきだ」

 

 ザフィーラの低い声が何となく緩んだ場の空気を引き締める。

 

「そうですね。といっても僕にはこのまま闇の書を閉じこめておく以上の対策が思いつきません。フェイトになのははどう?」

 

 ユーノからの問いかけにフェイトはなのはと少し目を合わせ、一緒に首を横に振った。

 

「闇の書ができあがる前なら、はやてと一緒にアースラに来てもらえたけど、今の闇の書を捕獲するのはすごく難しいと思う」

 

 フェイトは一瞬、”アルカンシェル”というあまり思い出したくない言葉を思い浮かべたが、すぐにそれを打ち払った。

 管理局が過去にとってきた闇の書に対する具体的な対策は、その世界が崩壊する前にアルカンシェルを打ち込み、闇の書を消滅させるというやり方ばかりが目立つ。

 しかし、それでははやてやアリシアを含め、この周囲一帯の都市をもろとも消滅させてしまうことになる。

 確かにそれは、世界一つを犠牲にする事に比べればよほどマシと言えるだろう。しかし、フェイトはこの一月の間にこの世界で出会った人々のことを考えれば、例え家族を人質に取られても頷く事が出来ない事だった。

 

「私は、闇の書さんとお話ししたいと思う」

 

 なのはの呟きに全員が怪訝な目を向けた。

 

「お前、正気で言ってんのか? だったら、あたしはお前の正気を疑うぞ」

 

 ヴィータの言い分は最もだった。相手は闇の書だ。彼女が先程宣言した、『主の安息と無事を実現するためこの世界のすべてを破壊する』という言葉からあれが話の通じる類のものではないはずだ。

 

「なのは、それはちょっと……」

 

 それに関してはフェイトも無理だと断言できた。しかし、フェイトの言葉はユーノの手によって遮られ、フェイトはいぶかしげにユーノへと目を向ける。

 

 発言を遮るように掲げられた掌の向こう側。フェイトは彼がとても真剣な表情をしている事を知り、心なしか一歩後ずさりした。

 

(なのはの話を聞こう)

 

 彼の表情がそう告げているように感じ、フェイトは口をつぐむ。

 

「なのははどうして闇の書と話がしたいって思ったの?」

 

 ユーノと同じぐらい真剣な表情をするなのはに問いかける彼の声は、なぜかフェイトにはアリシアの表情が重なって見えた。

 そして、フェイトは「そうか」と気がついた。

 アリシアはどのような意見に対しても否定しない。なぜそのような考えに至ったのか、その根拠とその本人の考えを理解しようとする。

 

 フェイトは何となくユーノに嫉妬を覚えた。

 

「闇の書さん、泣いてた……何がそんなに悲しいのか、どうすればその悲しいことから助けてあげられるのか、私は知りたいの。だから、闇の書さんの話を聞きたい。闇の書さんは絶対こんな事望んでないよ! だから私は、一緒に考えてあげたいの……」

 

 フェイトの脳裏に月を見上げて涙を流す少女の姿が思い浮かべられた。

 あの時は激情に駆られて自分のことしか見えていなかったが、確かに彼女は涙を流していたのだ。

 

 月は墓標だ。そこは死んでいったもの達が眠るゆりかご。彼らは月に召されて地上を見守る守り神なのだとアリシアは言っていた。

 

 彼女は月を見上げ、誰のために涙を流していたのか。

 

「そうだね、なのは」

 

 フェイトは自然にそう言葉を漏らしていた。

 

「フェイトちゃん」

 

 賛同されるとは彼女も思っていなかったのだろう、なのははフェイトの声に少し驚いたような声を上げた。

 

「望んでないことをするのはとても辛い。きっと闇の書も誰かに喜んでもらいたくて、でも、それが出来なくて、結果的に誰かを傷つけてしまうのが悲しいんだと思う。あの子は、ちょっと前の私と同じなんだ」

 

 フェイトはなのはの手を握りしめた。彼女の手は小さく細い。この手でどれだけの救いを与えられるのか、どれだけの希望を自分達に与えてくれるのか。そう考えればとても心が温かくなる。

 しかし、フェイトは同時に彼女の手が小刻みに震えている事に気がついていた。

 

「だけど、お願い、なのはは休んでいて。なのはの分は私がちゃんと届けるから。無理はしないで」

 

 フェイトの言葉になのはは唇を噛みしめてうつむいた。

 フェイトの言うとおりだとなのはも理解できる。今の自分には使える魔力がほとんど無い。シグナムに無理矢理リンカーコアを抜き取られ、魔力をすべて蒐集された。

 今の自分は足手まといにしかならないと否応なく自覚させられる。

 

「僕も一緒だよ、フェイト。なのはの分は僕も肩代わりする。それとついでに僕自身の思いも乗せてね」

 

 ユーノもまたなのはを励ますように彼女の肩に手を置いた。

 

「ユーノは反対じゃなかったの?」

 

「いつ僕がなのはに反対したって言うの? フェイト。僕はいつだってなのはの味方だよ。世界を全部敵に回しても、僕はなのはのパートナーだ」

 

「あぅぅ……ユーノ君、恥ずかしいよぉ……」

 

 ユーノの熱い言葉に頬を染めてもじもじと身体をくねらせるなのはを見て、フェイトの感情はまたゾワリとしたささくれを生み出した。

 

(ああ、まただ。私はたぶん、羨ましいんだ。ユーノが羨ましくて、なのはが羨ましい。こんなの忘れないとダメなのに……)

 

「お前ら、そういうことは他所でやりやがれ、うざったい!」

 

 「ケッ」と悪態と共に唾を吐き出したヴィータだが、それはシャマルに咎められ、ザフィーラからゲンコツをもらうことで封殺された。

 

「幼児虐待だ」

 

 とヴィータはザフィーラに恨みがましい目で睨むが、ザフィーラは泰然自若として腕を組むばかりだ。

 

「痛くなければ分からん。本来ならシグナムの役目なのだが我が代行した。何か文句でもあるのか?」

 

 確かに武闘派のシグナムであれば手の一つや二つはあげるだろうが、ザフィーラの物言いも彼女と違いどこかすごみがある。ヴィータは黙るより他が無く、シャマルの「そんなんじゃスクライア君に嫌われるわよ」という言葉に拗ねてそっぽを向いた。

 

(本当に素直じゃないんだから……)

 

 とシャマルは思いつつも、おそらくヴィータはまだ自分の感情がどういうものか気がついていないのだろうなと確信していた。彼女が本当に素直に自分の感情に名前を付けることが出来れば、悪態を吐く事などせず積極的に相手の懐に入ろうとするだろう。適切な距離を意識しながら、最も有効となる一撃を常に模索しつつ、最善の行動を取ることが出来るはずだ。

 

 過激にして冷徹。

 

 紅の鉄騎は本来ならそうあるものなのだ。

 

 そして、シャマルはまた彼女たちの目の前で頬を染め合う二人の少年少女もまた似たようなものだと分析していた。

 二人はまだ親友の立ち位置で止まっている。今が幸せに感じられる故にそれ以上歩み寄ることが出来ない。本質的に彼らは変化を恐れているとシャマルは考える。

 素直になれない妹分にも、まだまだ対抗の余地は十分に残されているとシャマルは判断できるのだ。

 

(まあ、今はそんなことを考えている余地は無いわ。ともかく現状、どうすれば良いのかを考えないと………)

 

 何となく思考の方向性がずれている思われる現状をシャマルはヴォルケンリッターの参謀に相応しい、どこか冷たい眼差しと感情で見回し、おもむろに空を見上げた。

 

(……何かしら……)

 

 空には一面の灰色のもやが掛かっていて、星空は隠れ、月の光もまた輝きに欠けている。

 その空の一角で何かが動いたように思えたのだ。

 それは、闇の書が放った魔法の残滓か。それとも、何か別のものなのだろうか。

 

『フェイト、なのは、ユーノ。どこにいるんだい!?』

 

 何となく思索にふけようとするシャマルの脳裏に、まるで叫び声のような衝撃が襲いかかった。

 

 思わず耳を押さえても、本来空気を伝わって届く声ではなく、それは否応なく頭の中を駆けめぐっていく。

 

 見るとシャマルだけではなく、今まで拗ねていたヴィータやザフィーラ。手と手を取り合って頷き合う二人と、その側でなにやら複雑な表情を浮かべている少女も同じように頭を抱えて歯を食いしばっていた。

 

「もしかして、アルフ? あんなに大きな念話はダメだって言ってるのに……」

 

 フェイトは自分と彼女との間にある精神リンクを開き、彼女がものすごく心配しているということを知り、それなら仕方がないかもしれないと思った。

 海鳴の一角に突然封鎖結界が出現し、その中で大規模な魔力が観測されたと知って気が気ではなかったのだろう。

 

 このタイミングでここにこれたと言うことは、おそらく彼女はクロノやリンディの制止を振り切って急行したのだろうとフェイトは予測する。

 そして、自分達が隠蔽魔法を使って姿をくらませていたこと、万難を排したフェイトがアルフとのリンクを一時的に閉じていたことが裏目に出てしまった。

 

「今ので、闇の書がこっちに気付いたみたいだ」

 

 眉間を指で叩きながらようやく落ち着きを取り戻したヴィータが、憎々しげに飛来するアルフをにらみつける。

 

「とにかく、アルフにも隠匿魔法を……」

 

「いや、遅い。来るぞ!」

 

 ユーノの提案を打ち払うようにザフィーラは鋭く言葉を発し、同時にビルの影から身体を踊り出した。

 

「危ない!」

 

 なのはの悲鳴と同時にビル群の隙間から数条の光線が飛び去り、それはまっすぐに飛来するアルフに向かって恐ろしい速度を持って襲いかかる。

 

「させぬ!」

 

 その光線、血塗られた赤に染まった短い投擲ナイフのような形状の魔力弾頭は、アルフに着弾する寸前にザフィーラが振るった腕によってたたき落とされた。

 

「あんた! 性懲りもなくまたかい!?」

 

 目の前に現れた目の敵とも言える青い狼の巨漢にアルフは素早く腕を構え、臨戦態勢に入る。

 

「間違えるな、使い魔。敵はあれだ」

 

 ザフィーラは短く答え、アルフを背中にかばうように立ちふさぎ、今度は両手を前方へと構え一枚の魔法陣を召喚した。

 

「我が盾を貫けると思うな!」

 

 間髪入れずに飛来する幾重もの血塗られた魔力弾頭。

 それはザフィーラが展開した盾によってはじかれ、あるいはそれに突き刺さり、所々に細かいヒビを作りながらもザフィーラはすべてを防ぎきった。

 

「アルフ!」

 

 ザフィーラに遅れてフェイトはアルフの側に飛来して、自身の使い魔の無事に胸をなで下ろした。

 

「フェイト、無事だったんだね」

 

「私は大丈夫。そうじゃなかったら、アルフは今頃消えてるよ」

 

「そ、そりゃあそうだけどさ……」

 

「だけどありがとう。心配してくれて嬉しかった」

 

「あ、当たり前だよ。あたしはフェイトの使い魔なんだから、フェイトの心配をしないはずがないじゃないか」

 

 自分より背の高いアルフを撫でながらフェイトはそっと微笑んだ。

 

「話は後。なんか、拙そうだ」

 

 理想的な主従関係にヴィータは少し張り詰めた緊張が緩むのを感じながらも眉をきつく結びながら、油断無く構えたグラーフアイゼンで眼前に広がりつつある光景を指し示した。

 

 ヴィータが指し示す先に広がる光景。闇の書が再び手を掲げ、前方に桃色の魔力を集束させていく。

 フェイトは息を呑んだ。

 あの日、海上で行った決闘において最終的に自分がどのような結末をたどったのか、震える顎がカチカチと音を立てて身をすくみ上がらせる。

 

「あれは、スターライト・ブレイカー!?」

 

 なのはの声が緊迫する空に響き渡ったように思えた。

 闇の書が前方に掲げた魔法陣向かって、まるで流星のごとく寄り集まっていく魔力の固まり。間違いないとユーノは判断した。

 

「そうみたいだね。さすがにあれを食らうと」

 

 フェイトはバルディッシュを手に持ちながら両手で身体を抱きしめ身体の震えを押さえ込んだ。本人ですら自覚していなかったことだが、どうやらフェイトはスターライト・ブレイカーに対して一種のトラウマのようなものを持ち合わせているようだった。

 ユーノはそんなフェイトのことを何となく察して、ソニックフォームでむき出しになっている彼女の肩を優しく叩いて落ち着かせた。

 

「もしかしてあの時のやつか。確かに、あれを食らったら真っ二つだね」

 

 ヴィータは自慢の封鎖結界が粉砕された後の時の戦闘を思い出した。

 あの時、なのはは高レベルの隠蔽魔法を使用して姿を隠し、気の緩んだこちらの間隙を付く形で桃色の波動を空へとうちはなった。

 結界を貫通するのではなく、無効化するのでもなく、単純に破壊した。それがどれほどばかげた魔力によって行われたのか。

 心なしかヴィータも背筋がブルッと震えた。

 

「一度散開するべきか」

 

 ザフィーラの声にフェイトとユーノは強く頷いた。その威力を身をもって経験しているフェイトに、かつてヴィータ同様自分の結界を完膚無きまでに破壊されたユーノはこの中ではその恐ろしさを最も良く知る。

 

「ザフィーラさんとシャマルさん、それにアルフは隠蔽魔法を使って離脱してください。三人には結界の保持を最優先でお願いします。ヴィータとフェイトは、なのはをお願い。出来る限り早く、可能な限り遠くへ逃げてください」

 

 ユーノの素早い指示に反論するものはいなかった。本来ならこの現場を掌握するべきなのは、民間協力者であるユーノではなく、嘱託魔導師であるフェイトなのだが、現状それを気にしていられる余裕はない。

 

「良いけど、イージスはどうするんだ?」

 

 ヴィータは頷き、なんとか空を飛んでいられるだけのなのはの腕を捕まえて引き寄せた。

 

「闇の書が最初に狙うのは、この結界の起点になっている僕のはずです。だから、僕がおとりになれば、最悪の場合僕一人ですみますから」

 

「ちょっと待ってユーノ。さっき私に言ったのと矛盾してるよ!」

 

 フェイトはユーノの決定に思わず声を荒げた。それではまるで、ユーノが自ら犠牲になって被害を押さえようとしているようではないかとフェイトは思い至った。

 それはあまりにも不義理ではないかと彼女は思う。

 

「そうだね、フェイト。だけど、僕は冷静だよ。それに、この中で一番堅いのは僕だ。僕なら、距離を稼げばあの攻撃から身を守ることが出来る」

 

「ユーノ、待って!」

 

 フェイトが呼びかける制止にもまともに言葉を返すことなく、ユーノは単身で翡翠の光跡を残しながら飛び立ってしまった。

 

「ああもう! なのはといいユーノといい、何でこう人の言うことを聞かないの?」

 

 残されたフェイトとしては憤るばかりだ。ユーノは確かにあの時言った、『一人でつっこんでも何もならない』と。

 だったら、彼の今のこの行動はいったいどういう事なのか。確かに今のユーノは先程のフェイトと違い、敵の攻撃に対して離脱の方向を選んでいる。しかし、それでも自身に攻撃を集中させて、自分自身を危険にさらしている事に変わりないではないか。

 

「ヴィータはなのはをお願い、私はユーノのフォローにはいるから」

 

 フェイトはそういい残し、ヴィータとなのはが返事をするチャンスを与えることなく、飛行魔法を最大出力でロードさせ、残像さえも残さない速度で一気に加速を開始した。

 

 

 

 突き抜ける風は身を切るほどの冷たさを持ち、速力を向上させるためにバリアジャケットをパージしてしまったフェイトの頬に高速で飛来する空気がナイフのように突き刺さっていく。

 

 月を背負い、背後にはその光を覆い尽くすほどの大きさへと膨張しつつある桃色の太陽。闇の書の生み出したスターライト・ブレイカーの巨大スフィアがそびえ立つ。

 

 背中から漂う莫大な魔力の高まりを感じつつも、フェイトの胸には恐れはなく、むしろ憤りのような怒りを感じていた。

 

 空に浮かぶ飛行機雲のように漂うユーノの緑色の光跡をたどり、徐々に姿がはっきりとなってくる彼の姿。

 風になびく白いマントとハニーブロンドの短い髪。

 

(もう少しだ)

 

 ユーノは早くなった。リンカーコアの破損の副次的な効果によって出力が増した彼の魔力は、彼のありとあらゆる魔法行為を底上げし、かつては自分達に比べれば鈍足に思えていたその飛行速度も、今では遜色が無いほどとフェイトは感じる。

 

 しかし、フェイトはそれを感心する以上にムカムカと腹から感情が駆け上ってくる。

 

(人には無理するなとか無茶はダメだとか言っておきながら、自分は平気で無理するし無茶もする)

 

 矛盾だらけだとフェイトは思った。

 そして、彼の姿がようやく捉えられ、手を伸ばせば届くところになってフェイトはさらに加速を強めた。

 

 まるでユーノが自分に向かって来ているような感覚を味わいながら、フェイトはようやく彼の手をとらえた。

 

「フェイト! 何で着いてきたの!?」

 

 急激に引き寄せられる感触にユーノは驚き、飛行の最中にもかかわらず彼は振り向いた。

 

「ユーノ!」

 

 フェイトのその鋭い言葉と共にはじかれるような音が風に流されて消えていく。

 ユーノの頬に残る、ジンジンとした熱。それは、自分がフェイトに頬を張られた事を如実に教えてくれていた。

 

「バカ!」

 

 フェイトの表情はまるで泣いているようだとユーノは感じた。

 

「なのはを悲しませないでよ、ユーノ!」

 

 頬を抜けていく風の中でもフェイトの声はユーノの耳朶に深く打ち付けられた。

 

「だけど、フェイト。僕は……」

 

「いくらユーノでも至近距離であれを食らったら無事じゃ済まないでしょう? なるべく早くなるべく遠くに逃げるには私と一緒にいる方が良い」

 

「そうだけどフェイトは……」

 

「私はユーノよりも防御力は低いよ。だけど、私にはプレシードもいる。きっと大丈夫。それよりももっと遠くに。出来るだけ距離を離さないと防御の上から食われる」

 

「はは、さすがに経験者は言うことが違うね」

 

「言わないで。なのはには内緒だけど、ちょっとトラウマみたいなのあるんだから」

 

 翠と黄金の光跡がまるで蛍のつがいように折り重なり、互いに混じり合わせながら夜天に煌びやかな光彩を奏でる。

 

「行こう、ユーノ。私がフォローするから。信じて」

 

 フェイトはそう言ってユーノの手を取り、飛行魔法の出力をさらに向上させた。

 優しく引っ張られるような手の感触。自分では実現できないほどの速力を感じ、ユーノは目を伏せた。

 

「やっぱり、フェイトは速いね。僕じゃ君に追いつけないよ」

 

「だけど、ユーノは私より堅い。私じゃ、貴方みたいにみんなを守ることは出来ない」

 

「僕は、みんなの盾だ」

 

「だったら、私はみんなの翼になる」

 

「一緒だね」

 

「一緒だ」

 

「分かった、行こうフェイト。なるべく遠くに任せるよ」

 

「了解。行くよ!」

 

 フェイトはそう言って一気に飛行魔法の出力を最大へと引き上げた。

 

 段階的に引き上げられる加速力にユーノは一瞬間接が引っ張られ、その苦痛に少しだけ歯を食いしばった。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫、もっと速く!」

 

 拡大する桃色の太陽はその輝きで世界を照らし尽くし、その魔力の固まりは今にも激発されそうな様相を示す。

 

 まだ近い。

 

 フェイトは重いユーノの身体を賢明に引っ張りながら、限界まで方向制御を切り詰めながらただ速く、ただ遠くと願いながら、追従する光跡を拡大させる。

 

 もっと遠くに。

 

 まるで肌を焦がす熱気のような魔力が背中を覆い尽くすように迫ってくるようだとフェイトは感じていた。

 

「フェイト! 前、誰かいる!」

 

 突然耳朶にたたきつけられたユーノの声に、フェイトは一瞬言葉と思考を遮られた。

 

《Sir. There is the reaction of the private citizen within the range of 150 maters of front》(主、前方150メートルに民間人の反応があります)

 

「まさか、取り残された人が? そんなはずは……」

 

 ユーノは狼狽じみた声を発した。つい先程ユーノが展開した結界は確かにこの領域から自分が認知する人間以外をすべて排除したはずだ。実際、このフィールドにはユーノやなのはをのぞいた民間人は存在してない。それでも、バルディッシュが言う民間人が取り残されているとすれば。

 ユーノは巻き込んでしまった事となる。

 

「どうする? ユーノ」

 

 とにかく速度を落とさずフェイトはユーノに問いかける。

 

「とにかく、何とか保護しないと。フェイト、このあたりでおろして!」

 

 闇の書が放つ魔法は、自分達が普段扱うような人体や物体に損害を与え無いような類ではないはずだ。

 直撃すれば、リンカーコアはおろか命がもぎ取られる。

 自分達はバリアジャケットや魔法の防御が存在するが、それらのない地球現住の民間人であれば、確実に死亡する。

 

「うん、分かった」

 

 死なせてはならない。

 

 フェイトの手から自分の手を柔らかく離し、飛行ベクトルを減速力の方向へとシフトさせつつ足下に展開したフローターフィールドを地面にたたきつけながら、数十メートル地面を擦りながら停止した。

 

 上を見上げれば、空中で円軌道を取りつつ減速して背の高い街灯の頂上に足をおろした。

 

 高い位置から見える風景には何も動きがないように見える。フェイトはもう一度バルディッシュに探査魔法をロードさせ、保護するべき人物を捜し続ける。

 魔法技術による探査は魔力を検出することに特化している。故に、魔力を持たない対象への探査は精度が劣る。

 

 フェイトは小さく舌を鳴らし、必死に闇に目をこらした。この近くにいることは確かだ。焦る気持ちばかりがわいてくる。

 

「フェイト、前方50メートル、反応二つ。そのビルの影だ」

 

 ユーノの鋭い声にフェイトは素早く面を向けた。ユーノの探査能力はその範囲と精度に関して群を抜いている。

 

 ユーノが向ける指の先、こちらの挙動に気がついたのか、彼の言ったビルの影から駆け出る二つの人影がはっきりと見えた。

 遠目と夜目でその姿を鮮明に伺うことは出来ないが、その背丈は自分達とほとんど変わらず、その身の繰りはひょっとして女の子なのではないかとフェイトは感じた。

 

「申し訳ありません。ここは危険です、すぐに私達の保護に入ってください」

 

 フェイトは逃れようとする二人を引き留めるため、街灯の頂上からコンクリートの地面に降り立ち必死に声を張り上げた。

 

「僕たちはあなた方に危害は加えません。とにかく、落ち着いてください」

 

 ユーノの制止の声も、フェイトの少し後方からはっきりと響き渡る。

 ユーノとフェイト。ビルの谷間に響く高く朗らかな声に、二つの影は、まるで恐ろしいものを見たようなそぶりで立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向いたように思えた。

 

「この声……」

「まさか……ユーノ君とフェイトちゃん?」

 

 それは、聞き慣れた声だった。

 二人はゆるゆると、まるで風になびく柳のような足取りで進み出て、まるで夜の闇にあいた虫食い穴のような街灯の光の下に姿を示した。

 

「アリサ……すずか……」

 

 ユーノとフェイトの声が重なった。

 そして、ユーノはこのときになって初めて自分のミスに思い当たる事が出来た。

 あのとき、闇の書の攻撃が迫る事にあまりにも急ぎすぎて、彼は内部に残す人物の選定を闇の書の関係者と自分の仲間という、考えれば曖昧な判断で行ってしまった。

 自分の仲間。なのはとフェイトだけではなく、無意識のうちに結界の範囲内にいた、彼が仲間だと思う人物さえも内部に残すように選択してしまった。

 

 ユーノは無意識でさえもこの二人、アリサとすずかを仲間だと思っている。

 

 ユーノはとても複雑な感情を持て余していた。

 しかし、今はそんなことに気を向けている暇はない。ミスの精算をしなければならない。全力で二人を守らなければならない。

 

「フェイト、時間がない。二人のフォローをお願い。砲撃は僕が防ぐ」

 

 闇の書との距離は1000メートルは開いているだろうか。それでも、あの規模の魔力とスターライト・ブレイカーの特性から言えば、何とか防御できるかもしれないといったところだろうかとフェイトは判断し、素早く頷くと未だ驚愕の眼差しを自分達に向けている二人の友人、アリサとすずかの前に歩み寄った。

 

「ごめん、二人とも。少しだけじっとしてて」

 

 フェイトはせめて防御力を向上させるために、今までソニックフォームだったバリアジャケットをもとのライトニングフォームに戻した。

 

「後で、ちゃんと話を聞かせてもらうわよ」

 

「うん、分かってる」

 

 アリサの毅然とした声にフェイトは頷き、アルフと共にユーノから習った魔法、特定の範囲を半球で覆い、外部の攻撃から身を守る結界、【ラウンド・ガーダー】を展開し、二人を包み込んだ。

 

「こっちは大丈夫だよ、ユーノ」

 

 フェイトは上手く展開できた魔法にひとまず胸をなで下ろし、自分を彼女たちと桃色の太陽の間に挟むように位置を取り、バルディッシュをしっかりと握りしめて構えた。

 

「分かった。こっちは僕に任せて」

 

 ユーノは背後から届くフェイトの声に、背中で頷き、一度深く息を吸い込んで吐き出した。

 

「行くよ、ジェイド」

 

 ユーノは腕に回されている銀の腕輪をそっと撫でた。

 ユーノの手首を覆うように身につけられた銀色の腕輪、ジェイド・ブロッサム(翡翠の蕾)。リンカーコアが損傷し、副次的に出力が上がり不安定となったユーノの魔力出力を安定化させる道具。

 それこそがアリシアがユーノに送ったクリスマスプレゼントだった。

 インテリジェント・デバイスではなく、ストレージ・デバイスとも異なる。簡易デバイスと言うにもその構造はあまりにも単純な要素。

 電子パーツで言えばただの安定化電源ともいえるそれは、その構造の単純さ故に即応性はあらゆるデバイスを凌駕し、ユーノにとって邪魔とも思えるデバイス的な魔力制御機能も搭載されていない。

 

 答えの返す機能を持たないジェイド・ブロッサムにユーノは僅かに微笑み、そしてキッと表情を引き締め、両腕を正面に掲げた。

 

 桃色の魔力の固まり向かって堂々と腕を広げて立ち向かうユーノの姿。その背中にフェイトは守られていると感じ、心なしか頬に笑みが広がるように感じた。

 

「バルディッシュ、プレシード、ディフェンサーをフルパワーで展開」

 

《Yes,sir》

《OK,sister》

 

 フェイトをサポートする二機のデバイスの音声が重なり、バルディッシュは自らジョイントカバーをスライドさせ、二発のカートリッジを激発させた。

 

 訓練以外で久しく感じる感覚。

 自分のものではない莫大な魔力が自分のリンカーコアに適合した形で供給される。

 まるでリンカーコアが空気の入れられた風船のように肥大化する感覚が胸を駆け上ってくる。

 

 正直フェイトはこの感覚を好きになれない。

 

 桃色の魔力スフィアが激発される衝撃が、色彩のない波動として大気を揺るがし拡大する。

 魔力が一気に解放される予兆に過ぎない衝撃でさえ、ユーノの身体に後ずさりする程の圧力を掛ける。

 

 ユーノは細く息を吸い込み、そして織り込まれた魔力を拡大させ、回転させ織り込む。

 

 闇の書がその拳をスフィアにたたきつけ、膨大な魔力の奔流が砲弾となって放たれ、それはユーノ達の前方300メートルほどに着弾した。

 

 着弾と共に広がる半球の魔力衝撃面がユーノの網膜に焼き付けられる。それは、なのはのスターライト・ブレイカーとは違う。

 

(そうか、闇の書の特性は放出と拡散。スターライト・ブレイカーも広域攻撃なるんだ。だったら、エネルギー密度と魔力流束はなのはのよりも薄いはずだ)

 

 いけるとユーノは確信確信した。

 

 そして、ユーノは練り込み織り込んだ魔法のシーケンスを最後の言葉によって解放させる。

 

「ラウンドシールド=マルチレイヤー・クローズ」

 

 ユーノの腕の先に出現する翡翠の盾。

 それはいつもと変わらない、極めて緻密に練り込まれた盾。

 生み出される一枚の防壁、そしてそれに続いて展開されるもう一枚の防壁、そしてさらに重なり、さらにもう一枚が眼前に出現する。

 

 計四枚。四つのラウンドシールドが折り重なった、ユーノの切り札。

 

(我が城壁を越える者なし)

 

 フェイトはその光景に息を呑み、そして確かにその声を聞いた。それは、果たして誰の言葉だったのだろうか、ユーノの声か、それとも声を持たないジェイド・ブロッサムの意識なのか。

 

『来た!』

 

 拡大する桃色の魔力。その衝撃面が目の前に迫り、グングン、グングンとけして速いとはいえない速度で迫り来る。そして、それは、二人の防御壁に接触し、莫大な魔力圧が世界を振るわせた。

 

 ユーノの魔力防壁に阻まれて拡散する桃色の衝撃の一部がフェイトのディフェンサーに接触し、所詮それは減衰したただの衝撃の残滓であるにも関わらず、バルディッシュとプレシードはフェイトに危険警告を発していた。

 

 桃色の激流が視界を覆い尽くす。ミシミシという幻聴が聞こえそうな防御面がガタガタと震えて、その振動は今にも防御の崩壊を引き起こしそうな予感を与える。

 

 今、一つでも障壁にヒビが入れば、この振動はすぐさまそれを拡大され、自分は自ずとこの激流に飲まれて藻屑となるだろう。

 

 それでも、自分よりも圧倒的に強力な圧力に曝されるユーノの障壁は、その第一層が崩壊を始めているとしても、それはまだ自身を頑全に保持し続ける。

 

 そして、背後には半球の防御障壁に囲まれた二人の友人。

 アリサとすずかの怯えたような、不安をはらんだ視線が背中に突き刺さる。

 

 負けられないとフェイトは思う。そして、突然脳裏に響いた声にフェイトは思わず声を漏らした。

 

『やっと繋がった。ユーノ君、フェイトちゃん、みんな無事?』

 

 それは、ようやく届いた、姉のような女性からの通信だった。やっと、来てくれたとフェイトはまるで肩から荷が下りたような感覚にとらわれ、何かよく分からない複雑な感情が体中を駆けめぐる。

 

『無事といえば無事なんだけど……』

 

 姿が見えないにもかかわらず、彼女、エイミィの声はなぜか自分を安心させてくれる。

 アリシアとは異なる姉の感触にフェイトは「ハァ」と息を吐いた。

 

『こっちはやっと即応体制が解除され臨戦態勢になったところ。ともかく、闇の書が発動したってことで大丈夫?』

 

 おそらくアースラにとって情報不足のまっただ中なのだろう。シャマルによって展開されていた隠蔽魔法と通信阻害の魔法が晴れた瞬間、海鳴の中心から莫大な魔力が発動し、それは間髪を入れずに広域に展開されたユーノの封鎖結界によって再び遮断されることとなる。

 これで外部がこの状況をつぶさに認識していたとすれば、それはいかなる超能力を使用したかと思うほどだろう。

 

『ごめんなさい。力不足だった』

 

 フェイトは歯を食いしばり、今にも崩壊をし始めそうなディフェンサーに魔力を送り込む。ユーノの盾と違い、フェイトの障壁は魔力量の高さにものを言わせたものだ。

 フェイトの多大な魔力を受けて頑強に保持される盾は、まるでフェイトの意地を示すように、背後のアリサとすずかを守り続ける。

 

『責任は私達の対応の遅れにあるわ。とにかく、今は闇の書の被害を拡大させないことを最優先に。クロノは別件で行動中だから、しばらくは応援に向かわせられないの。何とかそちらで対応できるかしら?』

 

 リンディの声もフェイトとユーノの脳裏に響いた。

 クロノはまだこちらに向かっていない。別件とはいったい何なのか、それはフェイトにもユーノにも判断できないことだったが、リンディの判断は常に”正しい”。故に、二人はそのクロノも自分達を援護するために頑張っているのだと自身を納得させた。

 

『ヴォルケンリッターの協力も得ていますから何とかしてみます。それよりも、僕のミスで結界の中にアリサとすずかが取り残されているんです。アースラで何とか対応できませんか?』

 

 全力で攻撃を受け続けるユーノでは、アリサとすずかの転送の準備をすることはかなわない。闇の書の攻撃が止んだとしても、あれがユーノの転送を待ってくれるとは思えない。

 

『了解。今は攻撃でノイズが酷すぎるから、止み次第すぐに対応するよ』

 

 これで二人は大丈夫だとユーノは一つの懸念が解消され、ホッと息を付いた。

 

 広域攻撃に変化したスターライト・ブレイカーの奔流の流速と密度が徐々に弱まってきている。

 すでにユーノのラウンドシールドも二層を突破され三層目に細かい傷がつき始めている。

 出力が向上したとはいえ、フェイトのように魔力を補填して強度を確保するほどの余裕も無く、カートリッジによる魔力供給の手段もない。それでも、何とかユーノの障壁は二層を残して闇の書の攻撃を防ぎきった。

 

 世界に再び暗がりが戻った。

 

 砲撃に威力によって半壊した建物が、爆風の戻り風によって粉塵をまき散らし、フェイトは一瞬ユーノの姿を見失う。

 

 フェイトはディフェンサーの構成に終了のシーケンスを流し込み、魔力を霧散させ、次いで振り向いてアリサとすずかを覆うラウンドシールドの半球結界も消失させる。

 

「本当にフェイトちゃんだったんだ」

 

 アリサの腕にすがりついてフェイトを見つめるすずかの眼差しはおびえが混じっていた。それでもはっきりとした声を出すことの出来るすずかをフェイトは強いと思った。

 

「うん……ごめん……」

 

 自分が何に謝っているのか、フェイトには理解できなかった。しかし、二人に隠し事をしていたのは確かなことだ。対象の見えない申し訳なさにフェイトはただごめんと繰り返す。

 

「終わったら、話してもらうわよ。何もかも」

 

 アリサの声が転送の光に混じって届いてくる。フェイトはただ頷き、アリサとすずかの姿が輝く粒子になって消え去るまで彼女たちを見送っていた。

 

「とうとう知られちゃったね、フェイト。すずかはともかく、アリサは後が怖いなぁ」

 

 コンクリートの粉塵の霧が晴れ、ユーノはフェイトの隣に歩み寄ってなんとなしに頬をかく。

 こんなところでもユーノはアリサが苦手なのかとフェイトはクスッと声を漏らし、どことなくホッとした表情を浮かべるユーノにほほえみかけた。

 

「失敗だったね、ユーノ。だけど、私は何となく安心してるんだ。肩の荷が下りたというか、もう二人に隠し事をしなくても良いって思うと、ね」

 

「そうだね、フェイト。僕もなのはもたぶん同じ気持ちだよ。友達に隠し事をするのは、やっぱり辛いね」

 

 二人は何となくアリサとすずかが消えた空に目を剥け、そっと微笑んだ。

 あの二人は結界を維持しているシャマルとザフィーラ、そしてアルフの護衛が付き、手厚く保護される事となっている。

 あの三人に任せれば大丈夫だとユーノは振り向いて空に浮かぶ災いの禍根を見上げた。

 空に浮かぶ闇の書の少女。

 必殺に相応しいスターライト・ブレイカーを防がれて次はどのような行動を選択するのか。

 

『闇の書接近! 二人とも気をつけて』

 

 エイミィの声が届く。遙か彼方の空に浮かぶ闇の書の少女が月よりも小さくたたずんでいる。

 その赤い双眸に見つめられ酷く居心地が悪い。魔力の残滓と熱せられた大気の陽炎、そして、街中から立ち上っていると錯覚しそうな程の多量の粉塵がまるで雲のように濁った星空を覆い、彼女の姿は鮮明に見えない。

 それでも、二人は彼女から見つめられていると感じることが出来た。

 

『ユーノ君、フェイトさん。現在、発動した闇の書を最重要対象と認定し、二人に交戦許可を与えます。具体的な対策は現在検討中、アースラの体制が整うまで二人は現状維持を最優先に。とにかく闇の書を結界の外に出さないように』

 

「スクライア、了解!」

「テスタロッサも了解しました」

 

 闇の書の少女の姿が次第に鮮明になっていく。先程までは月の光に身を隠していたそれは、今では月の姿を覆い隠し、まるで背後に光を背負う破壊の天使のように見えてしまう。

 銀色の長髪、真っ赤な両の眼、背には黒い三対の翼はまさに古代ベルカの告死天使(ザフィアル)だ。

 

『全力でサポートをします。二人とも、無事に戻ってきなさい』

 

 リンディの声が消えた。彼女の姿は見えない。それは遙か空の上、最も月に近い衛生軌道上にいる彼女たちの温もりもどこにもない。

 それでも、ユーノとフェイトはいずれ自分達の母親になるかもしれない女性の温もりを背中に感じていた。

 

 とても、背中が温かい。

 

 近づいてくる闇の書の少女。彼女の姿がその表情を伺えるほど近くなる。

 ユーノは荒く胸を打つ鼓動をなだめるように少し息を吐き出して目を閉じ、念話の回線をヴィータへと繋いだ。

 

『イージスか? なのはは無事だよ。こっちからはそっちがよく見えないけど、大丈夫?』

 

 なぜか焦ったようにまくし上げるヴィータにユーノはやれやれと思いながら用件だけを伝える。

 

『これから闇の書と一戦交えるから、結界の起点だけ僕に残して構成の維持を頼んでもいい?』

 

『……分かった、後ろは任せろ……しっかりな』

 

 ヴィータもユーノの要請に簡潔に応じ、ユーノがゆるめた結界の構成を補うようにその上からヴィータの魔力がかぶせられるように全域に広がっていった。

 

 がさつに思えて彼女は繊細だとユーノは思い、最後に隣に経つフェイトへと目を向けた。

 ユーノの視線を感じたフェイトも彼に目を向ける。

 互いが互いに落ち着いているなと思った。

 フェイトから見るユーノの眼ははっきりとした意識が宿っているように思え、ユーノから見たフェイトの眼差しにも不安げな光は伺えない。

 何となく、安心するとフェイトは思った。

 

「こうやって二人だけっていうのは初めだね、フェイト」

 

 少し向こうの空で闇の書が減速をかけたようだ。

 フェイトはその姿を見ながらユーノの呟きに答えた。

 

「うん。そういえばそうだ。なのはにはちょっと悪いけど」

 

 自分とユーノの関係とはいったいどういうものなのだろうかとフェイトはまた考えた。

 

「合わせられる?」

 

 なのはのようなパートナーではない、クロノのようなナンセンスな冗談を言い合えるような仲でもない。ヴィータのような、どこかライバルじみた間柄でもなければ、リンディやエイミィ、そしてアリシアのような一歩引いて見守る関係にしては距離が近すぎる。

 

「大丈夫だよ、だって――」

 

 フェイトはそう言って横目でユーノの表情を伺う。彼は先程と変わらない、ただ一心に向かってくる闇の書の少女に視線を傾け、迫り来る激震に手を震わせているだけだ。

 

「――兄妹みたいなもの、でしょう? 私達」

 

 ふわりと舞い上がった一陣の鋭い風がその言葉をさらっていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 Justice

(8/19)


(ついに始まってしまった……)

 

 時空間の海にそびえ立つ巨大な時空管理局本局施設の一角、提督身分を持つものに与えられる広い個人用のオフィスの机に座り、ギル・グレアムはただ一人祈るように目を閉じた。

 

 彼の眼前には夜の闇に沈む町並みが映し出されたモニターが展開されている。

 多くの人々が行き来する町並み。高層ビルの群れが連なり、その谷間にはいつもと変わらない日常を謳歌する人々が生きている。

 そして、その町並みの中核には明らかに、その周囲とは異質なものが存在した。

 

 街並みの中核を覆い尽くす封鎖領域。魔力やリンカーコアを持たない、あるいはある一定の探査能力のない魔導師では知覚することさえ困難な領域が存在している。

 

 そして、彼の使い魔が内部に放った監視用のスフィアが伝える映像には、今まさに闇の書と二人の少年少女がそれと向き合い戦を繰り広げようとしている。

 

 グレアムはそれを眺め、ただ一つ深い吐息をついた。

 

『ごらんになっていますか? お父様』

 

 結界を遠目で監視するスフィアの映像が動き、そこに出現した男がモニター越しにグレアムに声をかけた。

 仮面をかぶり、その体躯は中肉中背。青みがかった銀の短髪はとりわけ特徴のない様子だった。

 表情を覆い尽くす仮面によって彼が今どのような気分でそこに立っているのか分からない。その仕草も直立不動で感情を感じさせる要素はない。

 しかし、グレアムにはその様子がどこか迷いを持っているような気がしてならなかった。

 

「ああ、見えているよアリア。ご苦労だ」

 

 グレアムは閉じていた目蓋を起こし、面を上げてその男、自身の使い魔と同じ名前を持つ彼に労いの言葉を与えた。

 

『いかがいたしましょう。闇の書は復活してしまいました。今なら、あれを凍結させる絶好の機会だと思われますが?』

 

 アリアと呼ばれた一人の仮面の男の背後からもう一人の仮面の男が姿を示した。まるで瓜二つの二人の男。

 それが、自分の使い魔の姉妹が姿を変えたものに過ぎないと分かっていてもグレアムはその様子に何となく違和感を感じてしまう。

 もう一人の仮面の男、リーゼロッテの提案にグレアムは答えを返せなかった。もっともなことだとグレアムも思う。

 自分達はこのときのために多くの協力とリスクを背負ってきた。何度も何度も、自分達は正しいのかと自問し続けて、それでも前に進むことをやめなかった。

 

 

   求めてきた状況が今、眼前に広がっている。

 

 

『今すぐ命令をいただければ、後は私達が対処いたします』

 

 手の内に白色のカードを握るリーゼアリアの声がグレアムの鼓膜を揺すぶる。

 

 しかし、グレアムは何も答えを出すことが出来なかった。

 待ち望んでいた状況が今、目の前にある。このときのために自分達は犯罪と分かっているような行為を繰り返してきた。

 

 闇の書を破壊することが出来ない。あれは破壊したとしても再びこの世界に復活する。前は11年前だった。次はいったい何年後になるのか分からない。下手をすれば何十年後か、その可能性も否定できない。それでも、いつ始まると分からない闇の書の驚異に怯える毎日は続く。

 

(アリシアの言うとおり、私達の計画ではそれほど長い時間、あれを封印しておくことは出来ない)

 

 天窓に双月の輝く冬の礼拝堂。そこで出会った一人の少女。神の御前で一時の家族となった娘の言葉がグレアムの脳裏に蘇った。

 

(たとえそれでも、確かに救われるものはあるはずだ)

 

 グレアムはそう思い浮かべ、モニターの側に置かれたメモリーチップを取り上げた。

 それは、聖王崩御の鎮魂祭の夜にアリシアから渡されたメモリーチップだ。それには、アリシアが無限書庫で至った答え――闇の書の永久凍結に関する計画を予想するレポートが記されている。

 

 そして、もう一つ、アリシアが誰にも伝えることの無かったもう一つの解決案、ゼファード・フェイリアに望みを託す計画案も同時に記載されていた。

 果たして、この計画は有用性があるのか。仮にそれがあるとして、現在の計画を放棄してそれに託す程の価値のあるものなのか。時間的な制約は果たしてどれほど許されるのか。

 それを推察している間にグレアム達の意図しない事態が起こってしまった。

 

 

   闇の書の主の露見と闇の書の発動。

 

 

 その知らせを受け、彼は大至急リーゼ姉妹を現場に急行させたが、事態はすでに急展開を迎えていた。

 

 

   闇の書を凍結させるには、暴走直前の僅かなタイミングを狙う以外に方法がない。

 

 

『闇の書は現在、結界にとらわれています』

 

 リーゼロッテの言葉にグレアムはゆっくりと頷いた。

 

『そして、闇の書の目標はあの結界を構築した魔導師に向かっています』

 

 リーゼアリアのどこか悲壮感を持つ声に、グレアムは肯定の言葉を漏らした。

 

『つまり、タイミングを計るには、絶好の状況ということだ』

 

 グレアムの言葉を代弁するような声がモニター越しに響いた。

 その声は、リーゼアリアでもないリーゼロッテでもない。未だ成熟しきらない少年の高い声が二人の背後から聞こえてきた。

 

「クロノか……」

 

 振り向いた二人の視線に追従するかのように視界を変えるモニターの先にたたずむ、小さな黒い影。

 月の影に隠れてグレアムやリーゼ姉妹にはその姿単なるシルエットにしか見えない。

 

『だけど、それをさせるわけにはいかない』

 

 その影は一歩前に歩み出し、その姿は月の光に当てられて輪郭を取り戻す。

 感情の宿らない表情。まるで引きずるように先端が下ろされた黒いデバイス、S2U。

 

 クロノ・ハラオウンは冷え切った表情を示しながらも、どこか認めたくない現実に悲しむように、二人の数歩手前で歩みを止めた。

 

『クロノ・ハラオウン執務官か』

 

 頭上に浮かぶ月の光が明るすぎるとリーゼアリアは思った。

 太陽のような不躾な輝くではなく、ただ透き通った、冷たい輝き。それはまるで、太陽の光よりも人というものをはっきりと映し出すように思えて、リーゼアリアは思わず目を背けたくなった。

 

『何をしに来た? 闇の書はあそこだぞ」

 

 そう言って視線で遠くの封鎖領域を示唆するリーゼロッテは、おそらく彼は自分達のことをすでに知っているのだろうと確信することが出来た。

 

 クロノは深く頷く。

 まるで無防備だと二人は感じた。

 故に、何も出来ないと二人は思い知った。

 

『そうだな。だけど、それよりも前に済ませておきたいことがある』

 

 クロノの声には抑揚がない。彼は必死に感情が声に現れないように押さえ込んでいるとグレアムには理解できた。11年前と変わらない表情がそこにある。彼は父の死を前にしても今と同じ、何かを押さえ込み飲み込んで、決してそれを表に出さないように耐え続けていた。

 また、この表情をさせてしまったとグレアムは眼前で組まれた手をきつく握りしめた。

 

『もう、いい加減姿を見せてくれないか。アリア、ロッテ』

 

 リーゼアリアとリーゼロッテの名前がクロノの口から出されても、グレアムもその従者もとりわけ驚くことはなかった。

 クロノを前にしては気付かれても当然だとグレアムは思い、いつのまにかこわばっていた口元をゆるめた。

 

『二人とも、クロノの指示に従いなさい』

 

 本局から地球へ。400次元距離程の離れた地球への念話は、デバイスなどの機器のサポートがあれば大規模な装置が無くても送ることが可能だ。

 その念話を受けて、モニターに浮かぶ二人はクロノに気がつかれないようにグレアムの方へと目をむけた。

 

『しかし、お父様』

『それでは闇の書が』

 

 リーゼアリアとリーゼロッテの言葉が重なる。

 表情から彼女たちの感情を読み取ることは出来ない。しかし、瞬時に回復したグレアムとの繋がり――使い魔と主人との間にある精神的な繋がりがグレアムに二人の動揺を知らせた。

 久しく開かれる精神リンク。思えば、いつの頃からか、年を経るにつれて自分は不用意に感情を示すことが無くなっていた。怒りも悲しみも押し込めて、変わらない現実を嘆き、そしていつの間にか感情の表し方を忘れてしまっていた。

 リーゼアリアも、リーゼロッテもそんな父への気遣いからか、いつしか精神的な繋がりを閉ざすようになっていた。

 

(どうしてこうなったのか)

 

 モニターを見つめつつ指示を待つリーゼアリアとリーゼロッテを一瞥し口を開いた。

 

「命令だ、従いなさい」

 

 開かれた精神リンク。グレアムより伝わってくる静かな激情。

 命令の言葉の裏に隠された、久しく感じられる主の感情に二人のリーゼは息を呑んだ。

 

『了解しました……お父様』

 

 まるでため息のような声が、グレアムへと届き、リーゼアリアとリーゼロッテは肩を落とし、仮面を片手で押さえながら足下に魔法陣を展開する。

 わき上がる光の粒子に身体が撫でられる。

 仮面をかぶった角張った男の体格がその光と共に徐々に変化を見せていく。がっしりとした肩が縮み、すらりとした腰部曲線をなして、厚い胸板は徐々に前にせり出していき、それは女性らしい丸みを帯びた体格へと変化していく。

 尖りを見せていた髪はなだらかになり、頭部の左右にちょこんと張り出した獣の耳、そして、尾てい骨あたりから伸びるしなやかな尻尾。

 片手で押さえられた仮面はゆっくりと取り払われ、まるで鏡写しのような表情が月明かりに映し出された。

 

 感情の無い表情にもかかわらず、その容貌はどこか勝ち気で悪戯好きのネコのような印象をクロノに与えるものだった。

 

 クロノは無言で二人に視線を送り、ゆっくりとS2Uを下ろした。

 

『認めたくはなかったよ、リーゼアリア、リーゼロッテ』

 

 表情に貼り付けた能面のようだったクロノの表情が僅かに歪む。

 信じていたものに裏切られた。クロノの悔しさはモニター越しに見るグレアムにも良く理解できた。

 信頼と裏切りは常に鏡あわせなのだとグレアムは理解していた。魔法というものを知り、その力を善のために活用したいと志した正義感溢れる青年時代。

 そして、武装隊を経て執務官になり、多くの権限を持つにつれ、世界は決して美しいもので成り立っているのではないと知らされた。

 

 クロノにはこのような世界を知って欲しくなかった。

 

『落ち込むのは、私達を逮捕してからだよクロ助。しっかり仕事しな』

 

 言葉を失ったクロノにロッテの軽口は軽口を叩くが、クロノは「うるさい」とそれを一括し、再び面を上げた。

 その表情には何の陰りもない。犯罪者を前にした執務官の表情そのもの。憎しみも悲しみも感じられない。ただ、法の執行者としてのクロノ・ハラオウン執務官がそこにいた。

 

『ギル・グレアム提督の使い魔、リーゼアリアとリーゼロッテの二名を管理局服務規程違反と公務執行妨害、民間人に対する傷害の容疑で逮捕します』

 

 リーゼ姉妹はもう一度隠匿されたサーチャーを見上げ、グレアムに視線を送った。

 これで良いのか、このまま黙ってクロノの指示に従い闇の書への決定的な行動を行わないのか。

 リーゼの視線にはそんな言葉が載せられているとグレアムは理解し、ゆっくりと頷いた。

 

「執務官の指示に従いなさい」

 

『分かりました』

 

 グレアムの恫喝のような命令を受け、二人のリーゼはおとなしく両手を挙げ、クロノに対して投降の意志を示した。

 クロノはすでにデバイス、S2Uを二人に向けていない。それは、リーゼ達に対する信頼の一つなのか、それともすでに武器を向けるほどの覇気を失ってしまっているのか。

 通常なら、ここでクロノは二人に対してバインドなり手錠をするべきなのだが、彼はそれを行うそぶりを見せない。

 それは、彼の甘さだが良さでもあるとグレアムはふと思った。

 

『グレアム提督、おそらくあなたもこちらを見ているのでしょうね』

 

 グレアムが見るモニターはリーゼアリアが作り上げた、極めてステルス性の高いサーチスフィアからもたらされる映像であるため、クロノの方からはグレアムの姿を確認することは出来ないはずだった。

 しかし、クロノはそれをふまえ、空を見上げグレアムの名前を呼んだ。

 

『……言いたいことは、山ほどありますが、これよりそちらに事情聴取に向かいますので、そこから動かないでください』

 

 彼の目はグレアムのモニターからすればまったく明後日の方向でしかなかったが、グレアムは確かに彼のどこか空虚な視線を感じることが出来た。

 

 おそらくもう、逃げ道はないとグレアムは理解していた。先程から部屋の外に何名かの魔導師の気配が感じられる。おそらく彼らは、クロノによって派遣された警備局員なのだろうとグレアムは予想していた。

 無理に逃げようと思えば可能だ。しかし、閉ざされた本局の施設内ではそれこそ逃げ道など時空間の海の彼方しか存在せず、生身で外に出てしまえば一瞬で命が失われる。

 

 モニターの向こうのクロノは足下に魔法陣を展開し、それはリーゼロッテとリーゼアリアを巻き込んで展開し、拡大していく。

 そして、その光が晴れる間近になってグレアムの見るモニターはブラックアウトし、通信が途絶えた。

 

 闇の書への決定的な手段が失われた。

 

(この11年間は、結局、無駄に終わったということか……)

 

 いや、むしろこうなって当然のことかもしれないと、黒く染め上がったモニターを閉ざしながらグレアムはそう思い至った。

 

 グレアムは閉じたモニターの下に置かれた小さなメモリーチップに目を落とした。

 あの深(シン)と静まりかえる冬の礼拝堂。僅かひとときの家族だった少女と交わした言葉。最後に何も言われずに託されたこの記録を見て、グレアムはとても心が揺さぶられたのだ。

 

 自分の計画の不完全さは理解できていた。針の穴を通すような計画。そして、たとえそれが成功したとしても、僅か十数年から数十年程度の平穏しか生み出さない。

 それでも、僅かな時であっても平穏が得られるのなら、それでも良いとグレアムは思いもした。その僅かな平穏のために一人の少女を犠牲にするのも致し方がないと、自分を納得させるしかなかった。

 

(だが、それも詭弁に過ぎない。結局私は……)

 

 物思いに沈みそうになる寸前、グレアムは通信機のインジケーターが着信を告げる赤ランプを点滅させていることに気がついた。

 警備局員によって封鎖されそうになっている今になって通信してくるものとはいったい何者なのか。

 グレアムは、数ある可能性の中からこのタイミングだからこそコンタクトを取ってきそうな人物を一人思い当たり、少し苦笑を浮かべた。

 

 音を立てずに静かに赤色光を点滅させる通信機のスイッチを押し、グレアムは回線を開く。

 秘匿性の極めて高い専用回線。

 しばらくしてようやく繋がったその回線のモニターには黒地をバックにして”Sound Only”の文字が浮かび上がった。

 

『よう、俺だ、ギル』

 

 まるで遊びに誘う友人のような気さくな声がモニターから響いてきた。

 若者のような伸びやかな声でありながら、その奥底には年齢に裏付けされたしたたかさを感じさせる声を聞き、グレアムは「相変わらずだな」と呟き少しだけ表情をゆるめた。

 

「やあ、アル。その様子だと、見ていたようだね」

 

 グレアムは旧知の仲にして同士である声の主、アル・ボーエン提督の名前を呼び、片肘をついて肩の力を抜いた。

 

『まあな。リアルタイム情報はさっき遮断されたが、地球のことも闇の書のことも、お前の使い魔が捕まったこともだ。お前の部屋に警備員がいったときにはどうなったのかって思ったぜ』

 

 肩をすくめ、両手を広げておどける彼の姿がグレアムの脳裏によぎった。

 

「すまない、私は、結局何も決められなかった」

 

 Sound Onlyの回線では彼が今何を思って通信をしているのかを類推することは出来ない。彼もまた、自身の感情をうちに秘めることに秀でた人物だ。もしも、これが映像を交換し合う通信であっても、彼の表情から彼の感情を読み取ることは出来なかったかもしれない。

 

『仕方ねぇさ。俺達は闇の書を破壊したいというよりは俺達の無念を晴らしたいだけだったし、もしも破壊も凍結もせずにうまくいくかもしれねぇって言われちゃあ、どうしようもなくなる。俺もお前も、エルやエス、ズィーにワイも闇の書の復讐のために八神はやてを犠牲にするべきなのかどうか、最後まで答えが出せなかったわけだ。お前のせいじゃねぇよ。だた、時間が足りなかった。それだけだ』

 

「それでも私はやると宣言した。結局、その宣言は叶えられず、私はここで終わる」

 

 答えが出せなかった。だから、同郷者として自分がやると名乗り出た。グレアムはそのときの意志を間違っていたとは思えなかった。自分が、すべての罪を背負ってみせると心に決めたはずだった。

 

『地球は、ダメかもしれねぇな。お前の故郷のことだ。さぞ無念だっただろうが、俺からはすまんとしかいえねぇ』

 

「私の世界だけを特別扱いすることは出来ないよ、アル。同じ事が何度も繰り返されてきた。私の世界も……運がなかった。おそらく、それだけのことなのだろう。もしも仮にそうなったとしても……」

 

『ああ、あいつらとも話が付いてる。テスタロッサのお嬢だったか、あのガキがよこした情報は確かに有益だった。今後はゼファード・フェイリアの捜索と夜天の魔導書の正常化の方向に話が向いていくだろうって程度にはな。仮に地球が破壊されて闇の書が転生しても次は何とかなる』

 

 自分が11年間、いや、彼らにすればそれ以上の時をかけて模索してきたことを凌駕するものを彼女は僅か一月に足らない時間でたどり着いた。もしも、せめて10年早く彼女と出会えていればとグレアムは思い至り、そして苦笑を浮かべた。10年前ではまだ彼女はこの世界にはいない。少なくとも生きていなかった。

 

「しかし、まだ決まったわけではない。現場にはまだ希望が残されている。まだ、奇跡起こる可能性は残されている」

 

『奇跡がそんなに簡単に起こるんなら、苦労はしねぇよ』

 

「そうだな。しかし、信じたいのだよ私は。あの子達なら、私達が理想とした世界を紡いでくれると、信じたいのだよ」

 

『”世界は唯一結果によってのみ時を刻む”お前が言った言葉だぜ? 自分で言ったことも忘れるほど耄碌(もうろく)したか? グレアム先生』

 

 アルの言葉にグレアムは皮肉な笑みを浮かべた。

 世界は唯一結果によってのみ時を刻む。それは、彼の生まれ故郷の異国、日本の諺の一つ”終わりよければすべてよし”を皮肉って作った言葉だった。

 

「そうだったな、希望的観測はすべての破滅に繋がるということか。すまない、君たちにも苦労をかけることになる」

 

『気にすんな。俺達は”次”のためにお前をトカゲの尻尾にして逃げるわけだからな。むしろ恨んでくれた方が気が楽だ。本件に関して俺達はお前と何の関係もなく、ただ俺とお前とはただの友人だったってだけのことだ。記者会見の供述もすでに決まっていて、情報隠滅も今行ってるところだ。「まさか、あいつがこんな事をするとは思ってもみなかった」。おきまりのセリフだな。ともあれ、俺達はお前を切り捨てた。それだけが真実だ』

 

 次の計画――ゼファード・フェイリアを捜索する計画のために、彼はグレアムにエスケープゴートになることを望んでいる。

 グレアムが逮捕されることで引き起こる騒動を隠れ蓑として、彼らは次の計画を闇の中で実行していくだろう。

 彼らは何度も失敗してきた。グレアムさえもその流れの一つに過ぎない。

 彼らは流された血を涙として何度も、何度も繰り返してきた。

 

 

――すまない、すまないと何度も何度も闇の書の犠牲となった人々に頭を下げながら――

 

 

――次こそは……次こそは……と――

 

 

「トカゲの尻尾か……君も、地球の言葉に慣れてしまったようだな」

 

 彼、アル・ボーエンもまたグレアムより以前に闇の書によって故郷の世界の一部と共に最愛の家族を失っている。

 彼だけではない、彼が先程口にしたエル、エス、ズィーにワイもそう言った被害者の一部だ。

 11年前、辛くも闇の書を捕獲できたのはひとえに彼らの働きがあったからだとグレアムは彼らと関わりを持つことで知ることが出来た。

 しかし、その結果は記憶の通り、闇の書を捕獲しても危険が去ったわけではなく、むしろあれが次元航行艦ではなく一つの世界、あるいは本局だったらもっと多くの犠牲が払われていただろうという結果だけだった。

 

『皮肉が効いてる言葉は好きだ。この回線もそろそろ危ないな。じゃあ、俺はこれで消えるぜ』

 

「ああ、後は頼んだ」

 

『じゃあな、戦友』

 

 通信機が再びブラックアウトする。

 

 グレアムはSound Onlyの表示が消えたモニターをしばらく見つめ、おもむろに側に置いてあったメモリーチップを取り上げて眺めた。

 

(希望は繋がった。もう、私に出来ることは、何一つない。後は、足かせにならないことだけだ)

 

 グレアムはメモリーチップを掌に包み込み、グッと握りしめ瞬間的に掌に魔力を込めた。

 瞬間的にわき上がる光と共に、それは僅か一条の煙となって姿を消した。

 

 

***

 

 時空間の海は静かだった。しかし、管理局本局の時空要塞はにわかに騒ぎだっているとクロノは感じた。

 

 本局施設の長い廊下を走りながら行き来する制服姿の局員達が口々につぶやく言葉には、やはり『闇の書の発動』と『グレアム提督の部屋を警備局員が固めている』というフレーズがかなりの割合含まれている様子だった。

 

 管理局の黎明期を生きた英雄ギル・グレアムと闇の書との因縁はとても有名な話だ。このたびの闇の書の発動とグレアムが半ば拘束されている事実が同時に入り、それらを別々の事実だと思える人間は少ない。

 

 クロノは今更ながら表だって行動しすぎたかもしれないと僅かな後悔を覚えた。

 

「なんか、騒ぎになってるね、アリア」

 

 クロノの後方を歩くリーゼアリアがその隣を歩く姉妹、リーゼロッテに声をかける。

 

「仕方がないわよ。一つの世界が滅びそうになっているときには、ここはこんなものよ」

 

 たとえ、それが管理外世界であっても、大規模災害級ロストロギアの発動によるものであれば、管理局の魔導師達は無関心ではいられない。しかも、地球は管理外世界の中では比較的この本局要塞施設に近い所に位置するのだ。

 

 対岸の火事と言っていられる程、大規模災害級ロストロギアとは甘いものではない。

 

 そして、その会話を背中で聞くクロノにとってはそれは自分達に対する皮肉のようにしか聞こえなかった。

 

(だけど、事実だ。結局僕たちは、最後の最後まで後手に回ってしまった)

 

 事態は非常に困難な局面へと急激に移行してしまった。管理外世界での作戦行動という制約がすべての足かせとなってこの事態を招いてしまったのは事実だ。もしも地球が管理世界――同盟国の一つであれば、管理局はアースラ一隻と武装隊一個中隊のみの小規模な戦力ではなく、L級艦数隻からなる大規模戦隊を組織して地球をはじめとした周辺世界の全域をネズミも通さない網を張ることが出来ただろう。

 

 今頃クロノの母、リンディ・ハラオウンは艦隊司令部に対してアルカンシェルの使用許可を求める打信を続けているだろう。

 

 このままの状態であれば、アースラはアルカンシェルを使用せざるを得なくなる。11年前、自身の父親の命を奪った破壊兵器を使用せざるを得なくなる。

 

 それによってもたらされる被害は、100万名に達するほどの人命と被害総額数十億ミッドガルド規模の災害だ。

 

 それでも、地球を含む周辺世界住まう数百億の人命が失われることに比べればとクロノは思う。

 

(詭弁だ。そんなもの、何の言い訳にもならない)

 

 ならばどうすれば良いというのか。どれだけの犠牲であれば自分達は満足できるのかとクロノは思う。

 

 11年前。闇の書の事件にしてみれば奇跡的な程に犠牲者が少なかったとされるあの事件をクロノは思い出し、そして首を振った。

 父のように、最終的に自分が犠牲になればいいと一瞬考えてしまった自分をクロノは呪った。

 

 長い廊下の端にグレアムのオフィスに通じる扉が姿を見せた。

 

 クロノは僅かに揺らいだ感情のさざ波を律し、黒いバリアジャケットの裾をただした。

 

 グレアムの執務室の白い扉の前。クロノはその左右を固める警備局員に「ご苦労」と一言告げ、呼吸を整えながら二度、コンコンと扉をノックした。

 

『入りたまえ』

 

 扉横のコンソールから柔和な老紳士を思わせる声が響いた。その声には何の陰りも無い。

 それは、自分の正しさを確信する故の余裕なのか。それとも、諦めの境地なのか。あるいはまだ何かしらの手段を残していることの証明なのか。

 しかし、クロノにはその声にはどこか力が抜けた、憑き物が落ちたような印象を受けていた。

 

 彼は何を思い、闇の書の猛威に晒されている地球を見ているのか。

 クロノは少しだけそれを思い、グレアムの声に従い扉を開いた。

 

 小綺麗な、提督の執務室にしてはずいぶんと殺風景な様子の内装は、人生の大半を管理局のために尽くしてきた英雄に相応しいものだとクロノは思う。

 思えば、自分もこの提督から与えられた影響は強いと改めて思う。

 

 無駄なものが無い。あるとすれば、部屋の脇に小さく鎮座するティーセットの納められた棚だけだ。

 それは、まるで自分の部屋をそのまま広げただけのようだとクロノは思った。

 

「失礼します」

 

 何となく感傷に誘われているとクロノは気がつき、居住まいを正すように声を研ぎ澄ませグレアムの執務机の前に足を運ぶ。

 

 グレアムは席に着いていなかった。

 

 普段は閉ざされているはずの窓を開き、特殊硬化樹脂(ベークライト)越しにその先に拡がる時空間の海をただ無言で眺めているだけだった。

 

「何が見えますか?」

 

 つい最近までグレアムは船に乗り時空間の海をすみかとしていたはずだ。今更、その風景にはいつまでも眺めているほどの珍しさは無いだろう。ならば、彼はいったいその向こう側に何を見ているかとクロノは気になった。

 

「多層次元空間と通常次元空間の境界面が見えるね。まるで、あちら側とこちら側を明確に分ける境界線のように見えないかね? しょせん、お前達人間は狭い通常空間で群れて生きていればいいと言われているように私は思うよ。今もしも、このガラスが割れてこの外に投げ出されてしまえば、私達はただの一秒もそこで存在することは出来ない。テクノロジーの力によって守られ、管理されたこの小さな箱庭でしか我々人間は生きられないのだと改めて実感しているところだ」

 

 人は重力と光と大気を忘れることは出来ない。いかに大地を離れ空に昇り、果ては多次元空間へと進出して行ったとしても、人はわざわざ貴重なエネルギーを費やしてまでその環境を生み出し、その中で生きることしかできなかったのだ。

 

「ですが、僕たちはここに存在しています。人の力であるテクノロジーの力で僕たちは生きています」

 

「しかし、人のテクノロジーは同時に人を殺すものでもある」

 

 グレアムはそう言って、眼前に向き合うガラスをそっと撫でてそこにいくつかの映像を投影し始めた。

 そこに現れた映像は、今まさに地球で行われているその世界の存亡をかけた戦いだった。

 

 グレアムは「見たまえ」と呟きながら振り向き、しっかりとクロノの目を見ながら口を開いた。

 

「こうして多くの世界が人の力によって生み出されたものに滅ぼされてきた。おそらく地球もその運命をたどることとなるだろう。アルカンシェルの存在によってその犠牲は最小に押さえられるかもしれないが、それでも多くの世界が失われる。それによって犠牲になる人々の持つ世界が終わってしまうのだ」

 

「そうならないために僕たちがいるのです。こんなはずじゃなかった世界をこれ以上作らないために、悲劇をもう二度と繰り返さないために僕たちはいると提督が教えてくれたはずのことです」

 

「我々は、そう言って繰り返してきた。悲劇を繰り返さないと言いながら多くの悲劇を生み出すこともあった。本来の悲劇に比べれば確かにそれは小さな悲劇に収まったと言えるだろうが、悲劇に大小は無い。そもそも我々は矛盾しているのだよ。その矛盾を抱えながらも我々はそれでもすべてが無に帰るよりはましと言いながら戦うしかない。その矛盾を自覚していなければ、いかに正義を語ろうともそれはすべて詭弁となる」

 

「だからあなたは、法の正義よりもご自分の正義を優先されたのですか」

 

 グレアムは答えない。無言は肯定の意を如実に示す。

 彼はクロノが優先できなかった自分自身の正義を押し通そうとした。

 

 

  法執行機関の局員として、グレアムは一番してはならないことを選択してしまった。

 

 

「聞かせてください、グレアム提督。貴方は何をしようとしていたのか、なぜリーゼ達を使って僕たちの邪魔をしていたのか。何もかも」

 

「君はもう、おおよその事は知っているのではないのかね?」

 

「推測の域を出ないことばかりです。提督が闇の書に対して何らかの行動を起こしていた。そして、その成就のためには闇の書の完成が必要だった。仮面の男がリーゼだと気がついてからそれほど時間がありませんでしたから、提督が何をしようとしていたのかまでは調べきれませんでした」

 

「いいのかね、そんなことを言っても。私がシラを切る可能性もある」

 

「僕は、提督を信じます」

 

「なるほど、そう言われてしまえば、確かに私では拒む事は出来ないか。よく考えられている。さすがリンディ君の息子だよ君は。彼女もこういう交渉が恐ろしくなるほど得意だった」

 

 グレアムはふと口元に笑みを浮かべ、両横にたたずむリーゼ姉妹を伴い、窓際のラックに手を伸ばした。

 グレアムの手に掴み上げられた一枚のフォトスタンド。彼が持ち上げるまで面を倒されていたため、クロノにはそこに何が写されているのか判断が出来ない。

 

「あんなものなど、この世界に無ければ良かったのだ。そうすれば、私はクライド君を殺すこともなく、クロノ、君にこの道を歩ませる事もなかったのだ。だから、私は闇の書を破壊しようと決意した。動機はただそれだけのことだ。何のことはない、ただの復讐のためだよ」

 

 グレアムはフォトスタンドをグッと握りしめる。そこに納められた一枚の写真には、不運を背負いながらも笑顔を絶やすことの無かった一人の少女。現在の闇の書の主、八神はやての家族写真が納められていた。

 

「闇の書を破壊したとしても、ただ転生するだけで意味がありません。見つけたのですか? 闇の書の永久封印の方法を」

 

「永久など呼ぶにもおこがましい計画だ……と、彼女は言っていたが、それでも救われるものがあるのならきっと正しいことなのだろうとも彼女は言っていた」

 

 グレアムの口から出された彼女という言葉に、クロノは少し怪訝な表情をするが、おそらくそれはグレアムの計画の加担者の一人なのだろうと考え、今は追求しなかった。

 

「その方法とは?」

 

「非常に単純なことだよ。闇の書が暴走を始める前にその主もろとも凍らせてしまえば暴走も加速せず、破壊されなければ転生することもない。後は誰もいない、誰も立ち寄ることの無いであろう世界に投棄するか、あるいは虚数空間にでも捨ててしまえば闇の書が世界を破壊し続けることはない」

 

「闇の書の凍結は、闇の書が完成して暴走を始めるまでのほんの数十分しか機会がないんだ。お願い、クロノ。全部終わったら自首するから、今だけ私達を見逃して!」

 

 アリアが横から口を挟む。

 

「お父様は、この計画にはじめから反対だったんだ! それをあたしらが勝手に進めて来ただけ。お父様には何の関係もない」

 

 ロッテもアリアに追従する。

 

「やめないか二人とも。そんなことを言って今更どうなる。もう、終わったのだよ私達は」

 

 グレアムは二人をなだめ、フォトスタンドを元のあった場所に立てた。クロノの目にもそれがしっかりと映る。車いすに座り、今まで自分達と敵対していた騎士達に囲まれ、それはクロノ自身も過去に置き忘れてきた暖かく穏やかな家族の風景だった。

 

 

  クロノは闇の書によって家族を失った。そして八神はやては闇の書によって家族を得た。

 

 

 クロノはにわかにわき上がる、形容しがたい感情を手に握りしめ押し殺した。

 

「私には復讐しか残されていなかった。あんなものがなければと思ってしまってからはもう、転がる石のようだったよ。私は必死になって探した」

 

「提督は、今回の闇の書の主が彼女だと知っていたのですね」

 

「ああ、血眼になって探し続けた。そして、発見した」

 

 グレアムは言葉を切り、机上の端末を操作して、一枚のモニターを呼び起こした。

 まるで局員の履歴書のような規格で示された八神はやてのパーソナルデータが出現し、クロノはそれにさっと目を通した。

 

「八神はやて。地球の民間人で、本来なら魔法とは何の関わりのない少女ですか」

 

「見つけたときにはすでに彼女は闇の書の浸食を受け、足が動かない状態だった。そのときばかりは運命というものを恨んだよ。なぜ、よりにもよって地球なのかと。そして、どうしてこんな幼い子供に転移してしまったのかと。闇の書は私を苦しめるために生み出されたのではないかと思ったほどだ。馬鹿げたことではあるが」

 

「復讐は何も生み出しません。たとえ、闇の書を完璧に破壊したとしても父さんは戻ってきません」

 

「その通りだ、君は正しい。しかし、残念ながら私は君ほど強くはないのだ。復讐が私を生かしていた。それを捨てることは私に死ねと言うようなことだった」

 

「それでも、闇の書の主は暴走が始まるまでは凍結封印されるような犯罪者じゃない」

 

「ああ、その通りだ。君の言っていることは正しい。管理局の正義に正しく従うことだ。そして、私はその法の正義に反目したただの犯罪者というわけだ」

 

 グレアムは様々な感情が込められた吐息と共にソファーに身を沈めた。

 後悔は無いと信じていた。しかし、自分は法の正義に反し、そして今その法の正義によってとらわれようとしている。その現実を思い、何か大切にしてきたもの、生涯をかけて守ってきたものがサラサラと崩れ落ちていくような感覚にとらわれる。

 

「正義とはいったい何なのだろうね。クロノ、君は執務官として法の正義を優先せざるを得ないだろう。私は自分の正義を優先して法の正義から外れた。ヴォルケンリッター ―― 闇の書の騎士達も自分達の正義を確信し、道を誤った。迎合すること無い正義は互いに争い合う事しかできないのか。それはとても悲しいことだ」

 

 あの娘なら、今の自分にいったいどのような答えを返すだろうかとグレアムはふと思い浮かべた。

 

「それでも僕は、法によっても守られる社会は、法の正義によって維持されるべきだと信じています。ですが、それでも時々、僕も自分達の正義を優先するべきなのか、法の正義を優先するべきなのか迷うことがあります。それでも、少なくとも暴走前の闇の書のとその主は、凍結封印を受けるほどの犯罪者ではないはずです」

 

 手を握りしめるクロノ。それを見て、グレアムは若かりし時の自分を重ね合わせる。

 まっすぐに育ったと思った。まっすぐに育ちすぎたとも思った。

 やがて、この子は自分と同じジレンマに悩まされ、生涯を苦悩の中に過ごすことになるだろうと直感した。

 あるいは、自分では終ぞ得ることの出来なかった自分だけの家族を手にすれば、生涯を共に歩む伴侶を得ることが出来れば、あるいはその苦しみから解き放たれるかもしれない。

 

(私のようにはなるな)

 

 口に出すことなく、グレアムはそう思い、振り向いて背を見せるクロノを見守った。

 

「……現場に戻ります。フェイト達が心配ですし、アリシアはまだ闇の書の中に囚われたままですから」

 

 事情徴収とも言えない事情徴収だったとクロノは断じ、部屋の外にいる警備局員に現場を任せようと部屋を後にしかけた。

 

「待ちなさい、これを、持って行ってくれ」

 

 グレアムは立ち去ろうとするクロノを呼び止め、懐から一枚の金属板を取り出し、クロノに差し出した。

 

「これは?」

 

 薄い白いプレート。その大きさは掌に収まる程度、まるでクロノ自身が持つデバイス、S2Uの待機状態の形状のようだ。

 

「これが闇の書凍結の切り札。氷結の杖デュランダルだ」

 

 デュランダル。それはグレアムの故郷、欧州と呼ばれる地域の神話より名付けられた英雄の剣の名前だった。

 光の御子が死ぬ間際に折ろうにも折れなかった頑強な聖剣。それはまるでグレアムがこの計画に不屈の意志をゆだねていたように思い、渡されたクロノはその重みに手が震える思いだった。

 

 デュランダルの担い手、英雄ローランはその聖剣を持ちながらも戦場で死んだ。それは、グレアムらしいユーモアの一つなのか、それともこの武器を持つ者の運命を暗示するものなのか。クロノには判断が出来なかった。

 

「これをどう使うのかは君に任せる。どうか、彼女たちを救ってやってくれ」

 

 グレアムの言葉にクロノはそのカードを握りつぶしそうになった。

 何を無責任なことをと言いたくなる欲求をクロノは必死に押し殺した。

 

 自分はグレアムの計画を否とした。

 

 自分は誰も犠牲にしない方法を模索しなければならない。それはまさに、神懸かりとも言えるほどの奇跡を引き起こさなければ至れないような道だとクロノも理解している。

 不可能かもしれない。最終的にはアルカンシェルを海鳴に撃ち込む決意をしなければならなくなるかもしれない。

 そして、最終的にそのトリガーを引くのは自分ではなく、今も現場で戦場を指揮しているアースラの艦長、母親であるリンディなのだと言うこともクロノは理解していた。

 

 

  もう二度と母を、大切な人たちを悲しませたくないと誓っていながら、またその悲しみを繰り返すことになるかもしれない。

 

 

「……当然、です」

 

 世界はこんなはずじゃなかったことだらけだ。改めて自分自身が将来の妹達の母親に投げかけた言葉が重くのしかかる。

 

 

  こんなはずじゃない現実から逃げるか、立ち向かうかは、個人の自由だ。しかし、自分の勝手な悲しみに無関係の人間を巻き込んでいい権利は何処の誰にも有りはしない

 

 

 シュンとスライド式の扉が閉められる音が背後から響く。

 クロノは先程歩いてきた長い廊下の先を見つめながら、しばらく立ち止まり思いを紡いだ。

 

(そうか、だからグレアム提督は……自分の復讐に誰も巻き込まない方法を選んだのか……)

 

 しかし、それでもその復讐心には無関係であったとしても、せめて自分達には教えて欲しかったとクロノは思い、一度だけ振り向いて閉ざされた白い扉の向こう側に思いをはせ、そして歩き出した。

 

 

  道はどこに繋がっているか分からない。だけど、自分はこんなはずじゃない現実に立ち向かおうと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 Empty

(9/19)


 

 空には月だけがあって星がない。夜の空と呼ぶにはあまりにも濁った夜の闇に染まっている。

 何故か月だけが明るく輝き、喧噪の消えた町並みの光を覆い尽くすように輝いていた。

 

 太陽に比べればあまりにも暗い光。親友達を真昼の太陽だとすれば、自分はあの深夜の月だと思うことがよくある。

 

 フェイトはバリアジャケットに守られているにも関わらず、吹きすさぶ夜の冷たい風に剥き出しの肩を細かく震わせた。

 

「大丈夫? フェイト」

 

 となりからユーノの声が届く。肩を震わせるフェイトを見て、怖くてたまらないと思われているのかもしれないとフェイトは思った。

 実際、この寒さは頭上にたたずむ破壊の根源、暴走を始めようとしている闇の書への恐れなのかもしれないとも思う。

 

 しかし、フェイトは震える肩をそのままに、出来る限りの強がりでニッコリとわざとらしいほどの笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だよ、ユーノ。プレシア母さんに比べたら。全然怖くない」

 

 あのときの孤独はその恐怖を倍増させるものだったが、今は違う。今は一人ではないと心の底から信じることが出来る。

 だから、たとえ恐怖を感じていても皆がいれば何とかなると確信できるのだ。

 

「怖くない、全然怖くないから」

 

 アリシアのような笑みを浮かべることは出来ない、しかし、フェイトはそう繰り返すことで自身の戦意を鼓舞させる。

 

 つい、さきほどクロノから連絡があった。彼はまだ別件の任務が終了していないらしく、今はまだ本局にいるらしい。

 ユーノは職務怠慢だとクロノをなじったが、そこからはいつも通りの口論にまでは発展せず、『闇の書への停戦勧告、停戦に応じなければ現状維持』というクロノの指示に二人とも素直に了承の意を返した。

 

 フェイトの表情にはちょっと前まであった危うさというものが見受けられない。

 おそらく、怖くないというのも強がりの一つなのだろうが、その強がりも彼女の心の余裕が生み出している事なのかもしれないとユーノは考える。

 そして、その隣りに立つ自分が、彼女の余裕を生み出す原因の一端を担っていると考えれば、ユーノはとても嬉しく、そして誇らしく思った。

 

「まだ、存命だったか……存外、しぶといものだ」

 

 空から降ってきた声に二人は面を上げた。

 ゆったりと夜空に翼を広げる闇に染まった少女、闇の書は二人の頭上に羽を休めるように停止した。

 

 その瞳に涙はない。全くの無機質に、機械的と呼ぶにふさわしい表情が浮かべられてはいたが、フェイトにはその声に何かしらの感情が込められているように思えてならない。

 

「あなたを止めるまで、お姉ちゃんを返して貰うまで、私たちは倒れません」

 

 そして、なのはの思いと願いを届けるためにも、フェイトは屈するわけにはいかなかった。

 

「攻撃をやめてください。これ以上の攻撃は重大犯罪となります。投降すればせめて罪を和らげることが出来ます。それに、あなたも、本当はこんな事をしたくはないのでしょう? 闇の書!」

 

 あのとき、闇の書は月を仰いで涙を流していた。

 その涙の意味はいったい何なのか、フェイトは知りたかった。

 

「私はただ、主の意志に従い、主の願いを実現させるために存在するのみ。故に私はお前達の言葉に従うことはない」

 

 闇の書の目的は世界の破壊であって人を殺すことではない。それは副次的な効果であって、それ本来の目的には含まれていないのだ。

 

「お前達だけなら逃げられたものを、何故こうして私の前に立ちふさがる? 私はお前達がいようといまいとこの世界を破壊するだけだ。しょせん、お前達が行っていることは時間稼ぎにもならない。暴走が始まれば、このような結界などものともせず世界は崩壊していく。何故だ、何故、お前達はこのような無駄な抵抗を続けるのだ?」

 

 無駄になるかもしれない。それは、闇の書が目覚めたその時に決められた運命なのかもしれない。

 

 闇の書の言葉は、確かに正しいとユーノは思った。

 

 しかし、正しさが人を動かすものではない。

 

「それは、無駄じゃないって信じているから」

 

 フェイトは叫んだ。

 

 時には愚かと思われるようなことでも貫き通す事こそが奇跡を起こし、人を、世界を動かす力となるはずだと彼女は信じていたかった。

 

「そう、貴方は決してこんな事をしたい訳じゃないと信じられるからだよ」

 

 ユーノの静かな声は夜天を震わせる。

 どうにも出来ないことがあっても、最後まで目を閉じず、向かい合っていくこと。それが、彼が友である彼女から得た一つの答えだった。

 

「愚かな……私など、所詮はプログラムに過ぎない。それ故、私は、命令されたことを過不足無く実現することしかできない。何があっても……それだけは絶対に変わりようがないのだ」

 

「だったらどうして……どうして貴方は泣いているの?」

 

 フェイトの叫び声に闇の書もようやく気がつく。闇の書の頬には一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 

「これは、主の悲しみが生み出すものであって私の感情によるものではない。この私に感情などというものなど存在しない」

 

「だけど、貴方は悲しんでいた。悲劇を繰り返す自分自身を嘆いていたはずだ。話し合おう。一緒に考えようよ、悲しみを繰り返さない方法はきっとあるから」

 

 フェイトは両手を掲げて、闇の書を受け入れるように天を仰ぐ。

 

 それは正に少し前にヴィータが口にした言葉、『和平の使者は槍を持たない』という言葉を忠実に再現したものだった。

 平和を願うものの手は武器を取るためのものではなく、慈悲を持ってすべてを受け入れるための腕のはずだ。

 

 舞い落ちた粉塵の残滓がにわかに吹き付ける夜の涼風に晒され、僅かに宙に舞う。

 ゆったりと空に舞い上がった握塵は薄雲となって月の光を僅かに覆い、闇の書の少女の表情を隠した。

 

 静寂が世界を支配する。

 

「それでも私は、止まることが出来ない。たとえそれがいかなる悲劇であっても、私はただ私の使命を執行するのみ」

 

 まるでそれが変えようのない運命のように闇の書の少女は高らかと宣言した。

 

 聞き入れて貰えない言葉。自分の使命と志す事を曲げないそのあり方は何処か儚い美しさをフェイトは感じる。

 そして、その様子は半年前の自分と同じだとフェイトは理解した。

 

 ただ一人、母のために、悪いことをしていると自覚していながらも、何度も危険に足を踏み入れ、手をさしのべる敵や従者の声にも耳を傾けることはなかった。

 

 優しさが信じられなかった。そして、あのときの自分がなのはやユーノ、自分を何とか救いたいと願っていたすべての人々にこのような憤りと理不尽を感じさせていたのかとフェイトはようやく悟ることが出来た。

 

(私は、なのはみたいに出来るかな)

 

 頑なな人間にいくら言葉をかけても無駄だとはフェイトは思いたくない。しかし、それでも時には力を持ってそれを成し遂げる覚悟も必要なのだとフェイトは思い至る。

 

 それが正しいことなのか間違っているのか、フェイトにはまだ分からないことだ。しかし、たとえ間違っていても、それによって自分は救われたのだ。

 

 

  けっして無駄にはならない

 

 

「どうあっても、君は僕達の言うことを聞き入れてくれないのか」

 

 ユーノは果たしてどう思っているのだろうかとフェイトは思った。

 ユーノの投げかけた言葉は、とても冷静で、そこから彼の感情をくみ取ることは出来ない。

 横目で見る彼の翡翠の双眸もまた、奥に熱い光を蓄えている様子ながらも、その表面に現れるものはただ星のない夜空を映し出した闇だった。

 

 ユーノは感情を隠すのが得意だ。しかし、短いとはいえ、それなりに側にいて見守ってきた彼が、今は悲しみの感情に支配されているということをフェイトは感じ取ることが出来た。

 

「プログラムである私には、主の意志に反する行動を選択する事は出来ない!」

 

 ユーノの悲しみは何を映し出しているのだろうかとフェイトは思う。

 自分はかつての自分を見つめる悲しさを、彼は何を思って悲しみを瞳に宿しているのか。

 

 それが理解できないのは寂しいとフェイトは思い、横目で眺めていた視線を元に戻し、再びまっすぐと闇の書に目を向ける。

 

 

 

  理解したいと思った

 

 

  ユーノの悲しみも、なのはの情熱も、アリシアの心の内も

 

 

  すべてを理解したいとフェイトは切に願った

 

 

 

 そして、自身の決意を宣言しながらも、再び双眸より涙を流し始めた闇の書の少女をその破滅の運命から開放する方法を、フェイトは知りたいと願った。

 

「フェイト!」

 

 感情が入り乱れ、フェイトは一瞬世界を見失った。

 隣から耳朶を突き刺すユーノの声にフェイトは何とか己を取り戻し、そして、その瞳が映し出したのは闇の書の少女から放たれた幾重もの闇の閃光だった。

 

「あっ!」

 

 致命的だとフェイトは感じた。

 それは、闇の書より放たれた飛翔する刃――ブラッディー・ダガーと呼ばれる攻撃魔法の一種だ。

 

《Auto Defencer Select》

 

 フェイトの危機感と周囲の状況を読み取り、フェイトの左腕を守るプレシードは瞬時に自動防御を選択し、金色の薄膜の盾を一瞬で主の眼前に展開する。

 

(ダメだ!)

 

 しかし、フェイトは瞬時に理解した。自分の防衛力では、あれを防ぎきることは出来ない。

 

 ユーノのラウンド・シールドであればいざ知らず、いくらプレシードによって強化された防御機構であっても、自分ではあれを正面から受けきることなど出来ない。

 

 接近する魔力の刃はその数を増やし、既にフェイトを波状攻撃する状況が整えられていた。

 もう、ここまで接近されては、回避することが出来ない。

 フェイトの素早い判断が、そう結論をたたき出し、プレシードは初期防御であるディフェンサーの内側から主防御であるラウンド・シールドを発現させようとしている。

 

 間に合わないことは自明だった。

 

(ごめん、はやて……お姉ちゃん……)

 

 フェイトは目を閉じて身体を硬くした。

 目蓋の裏に広がる闇は外界を閉ざし、二度と開くことはないかもしれないと彼女は思い至る。

 たとえ、それが、魔導を志して戦うことを決意したものが背負わなければならない事であっても、恐怖に膝がカタカタと震え出す。

 真実を知り、自分を失っていたあの時にはいっそのこと閉じた目が開かなければいいと思ったこともあった。

 

 しかし、今はそれが怖い。ようやく見つかったと思った未来(さき)が消えてしまうのがとても怖いとフェイトは思えるようになった。

 

 喜ばしくはある。自分はまだ死を恐れることが出来るのだと思えるのは嬉しいことなのだろう。

 

《ならば、抗(あらが)いなさい、娘よ》

 

 脳裏に響いた声が耳朶を叩く。

 はじかれるようにフェイトは目を見開き、そして、襲い来る魔刃をはっきりと目蓋に焼き付けた。

 

 そして、同時に眼前に広がる暖かな翠の光の障壁が自分自身を包み込もうとしていることも、フェイトは感ずることが出来た。

 

『ユーノ!』

 

 まさか、彼はあのタイミングで盾を呼び起こすことに成功したのだろうか。

 フェイトは素早く眼球を動かし肩口の向こう側へと視線を移す。

 視界の端に僅かに移るユーノの姿が映る。

 

『油断大敵。今のは危なかったよ』

 

 ユーノの声は少し厳しくフェイトに伝えられた。

 

 ブラッディーダガーが着弾し、ユーノが展開したラウンドシールドに火花のような魔力の剥離痕を周囲へとまき散らせる。

 

 彼のシールドはびくともしない。

 闇の書の少女の弾頭がノーウェイトで放たれたため、その構成に荒があったのかもしれないとフェイトは思い、もしもそれならば自分だけでも何とか対処できたかもしれないと思い至った。

 

『ごめん、ありがとう、ユーノ』

 

 フェイトは短くユーノへ詫びと礼を告げ、翠のシールドによってすべての赤黒い弾頭がはじかれるよりも前に武器を手に構えた。

 

《Sonic Sail Open. Sonic Move Stand by》

 

 バルディッシュの宣言と共に、フェイトのバリアジャケットが四散し、まるでインナースーツのような薄い装甲のバリアジャケットが出現した。

 

 防御力を犠牲にしたソニック・フォーム。

 そして、その防御力を補うためにアリシアが贈ったプレシード。

 フェイトでは解決できなかった防御力の問題が解決され、ソニックフォームは既に自滅を覚悟した最後の切り札では無くなっていた。

 

 ブラッディーダガーの最後の一撃がシールドへと着弾し、細かいひび割れをこしらえていたシールドはその一撃と運命を共にし四散した。

 

 翠と黒の魔力光が粒子となって四方に飛び散る。

 大気へと還っていく魔力は吸い込む空気を僅かに濃密にさせ、それにふくまれた魔力は肺を通じてリンカーコアに僅かに魔力を送り届ける。

 

 

  自分のものではない魔力が、内臓器官を通して自分の色となり胸の中に解けていく。

 

 

 その中には闇の書の少女の魔力と、自分自身、そして自分を守ってくれたユーノのものが含まれていると気がついたフェイトは、少しこそばゆいような感触を味わう。

 

『抜き打ちであの威力なんて、やっぱり闇の書は強いよ』

 

 攻撃態勢を整えたフェイトをサポートするため、ユーノは自ら前に歩を進め、フェイトを背中で庇うように、もう一度闇の書と向き合った。

 

 闇の書はもはや何も言葉を紡がない。

 噤まれた形の良い唇に切れ目の良い優美な美貌はその感情を閉ざして表に出さない。

 

 まるでそれは人形を目の前にしているようだ。

 そして、その姿さえもかつては母の人形であった自分自身に重なって見える。

 

 フェイトは何度も思い至る。

 

『私は、あの子を助けたいんだ……』

 

 心の内で念ずるはずだったその言葉は、フェイトの意図しない思念の声となりユーノの脳裏に届けられる。

 

 その言葉はあまりにも真摯すぎて、ユーノは僅かに表情を曇らせた。

 

『間違えないで、フェイト』

 

 自分の願いはユーノと同じだと確信するフェイトに、ユーノの乾きを持つ言葉が届く。

 

『……何を? 私、何か間違っていた?』

 

 ギリっと踏みしめた左足を軸にフェイトは前身を低く落としつつ、鈎状に展開した魔力刃を携えるバルディッシュもそれと同じように低く構える。

 ユーノの言葉にフェイトは僅かな動揺を覚えるが、それを表情にも体繰にも表さず、ただ一点に闇の書の少女へと視線を打ち付ける。

 

『間違っていないよ、フェイトは正しい。とても正しいよ。僕も、フェイトの考えには大賛成だ。たぶんなのはもそうだと思う』

 

 フェイトの姿を体で隠すように、ユーノは背筋を伸ばし、腕を垂らし、その姿から何処か余裕の念さえも示しながらただ、少女の眼下に立ちふさがる。

 

『だったら!』

 

 迷うことなど無いではないかとフェイトは思う。

 しかし、フェイトの目から見えるユーノの背中は彼女の言葉を肯定しているようにはとても見えない。

 

『目的を間違えちゃだめだよ、フェイト。僕達は、クロノから、リンディさんからなんて言われたか忘れたの?』

 

 ユーノの静かな声はフェイトの動揺を助長する。

 クロノが自分たちへ指示した事の内容は、単純であり明快だった。

 

”闇の書への停戦勧告と、それが受け入れられない場合は現状維持を最優先とする”

 

 闇の書の砲撃―― なのは最強の切り札をコピーした、スターライト・ブレイカー ――に晒されていたときに入念された通信では、リンディもまた二人に”闇の書の被害を拡大させないことを最優先”という命令を下していたのだった。

 

『もちろん、僕だって闇の書を助けたい。アリシアは、絶対に死なせたくないし、はやてちゃんも無事でいて欲しいんだ。だけどね、フェイト……』

 

『今、僕達の双肩には地球の人たちの命がかかってるんだよ』

 

『それは……』

 

『だから、優先することを間違えちゃダメだよ、フェイト』

 

『ユーノは……正しすぎるよ……そんな風に言われたら、反論なんて出来ないじゃない』

 

『ごめん、フェイト。だけど信じて、僕だって今すぐアリシアを助け出したいんだ。出来ることなら、はやてちゃんも、シグナムさんも、みんな。僕もフェイトと同じだよ』

 

『謝るのはこっちだよ、ユーノ。ごめんなさい。一緒に頑張ろう。きっと、何とかなるから。みんなで力を合わせれば、きっと』

 

『フェイトは……』

 

 ユーノはそう言って言葉を切った。

 フェイトは闇の書を睨み付けていた視線を僅かに彼の背中へスライドさせ、飲み込まれた言葉を待つ。

 

『私が……なに?』

 

 隠された言葉にユーノはどのような感情を乗せていたのか、フェイトは気になった。

 

『うん、とても強くなったね。僕よりもよっぽど』

 

 ユーノの声は、朗らかだった。何か胸の内に秘められた暗い感情を隠すような朗らかさに思える。そんな声だった。

 

『なのはのおかげ……かな』

 

 誰でも隠しておきたいことはある。自分もまた、この言葉を言いながら心の中ではまた別のことを思い浮かべているのだから、自分よりも複雑な事情を持ってここに立ってるユーノなら、おそらくは自分では類推しきれないほどの複雑さを内に秘めているのだろうとフェイトは思う。

 

 ユーノに対する複雑な感情が確かにフェイトにはある。

 

 例えば、いつもなのはの隣にいるユーノに対する嫉妬。

 例えば、アリシアと自分以上に家族の間柄でいられる事への嫉妬。

 

 それ故、本局とアースラに拘束されていた初期には、彼のことが嫌いだった事もあった。しかし、今は違うとフェイトは確信できる。

 

『……うん、そうだね』

 

 聡明なユーノなら、ひょっとすればこの感情を察しているかもしれない。

 月を仰いで夜の風を吸い込むユーノの背中がフェイトには少しだけ寂しそうに見えた。

 

『でもね、それはユーノのおかげでもあるんだよ』

 

 だから、蛇足かとも思える言葉をフェイトははっきりと彼に届けた。

 

『僕は……助けを請うことしかできなかったよ』

 

 普段は淑やかで明るく、なのはやアリシアに対しては若干意地悪な側面を持つ彼であっても、半年前の事件に関してはネガティブになる。

 

 あの事件は、自分のせいで引き起こったと彼はことごとく口にするのだ。

 何度も何度も周りの人間はそれを否定する。なのはにおいては涙を流して彼を怒鳴りつけるほどに否定しても、彼がその立ち位置を変えることはなかった。

 

 フェイトにはどうして彼が、そこまでして自分を責めるのか理解することが出来ない。あの事件は、母プレシアと自分こそが巻き起こした事件だという自覚があるために、ユーノの言葉の裏にあるものを知ることが出来ない。

 

 ただ、なのはがふと漏らしたことから類推すると、彼は事件の発端に親しい人……親代わりでもあった人と死に別れているというのだ。

 

 人の死は、それがいかに自業自得な事であっても心に重くのしかかる。フェイトに理解できることはただそれだけだった。

 

 理解できない、故にフェイトに残されたことは自分自身の考えを述べることのみ。

 それを言うのはとても恥ずかしいことだ。しかし、フェイトは何とか勇気を振り絞って想いを念に込めて彼の背中へとそっと投げかけた。

 

『ユーノはなのはと出会ってくれた。そして、私はなのはに助けられた。ユーノがなのはと出会ってくれなかったら、きっと私はここにはいない。だから、私は……なのはと同じぐらいユーノに感謝しているんだ』

 

 ユーノが後ろを向いてくれている事をフェイトはとてもありがたく思った。とてもではないが、今の自分の表情を彼に見せるわけには行かない。

 幼いながらも自分の言葉が、ともすればとても誤解を受けるものだと言うことをフェイトは理解している。

 

 赤面しそうになる表情をフェイトは必死になって押さえ込み、歯を食いしばった。

 

『意外だね、てっきりなのはよりも下だと思ってた』

 

『こういうときは心外って言えばいいのかな。私は二人を区別する事なんて出来ないよ。どっちが上かじゃなくて。二人とも大好きなんだ』

 

 フェイトはシリアスに固めた表情を僅かに緩め、声が漏れない程度の笑みを口からこぼした。

 

 マルチタスクの一つを使用して行われた会話は終息し、なし崩し的に睨み合いとなってしまった闇の書へと再びすべての意識を傾けた。

 

 闇の書は動かない。

 

 先ほど放たれた、フェイトでもギリギリの反応しかできなかった射撃魔法をかろうじて防がれたことから戦術の組み直しを行っているのかもしれないとユーノは考察する。

 

 それとも、こちらが密かに念話で会話をしていることを知っていて、あえて、見逃してくれているのかもしれないとユーノはこっそりと考えた。

 もしもそうであれば、この闇の書の少女もなんと奥ゆかしい騎士の気風を持っているのだなとユーノはふんわりと思う。

 

(だけど、どうしようか。闇の書は強い。正面からやり合っても競り負けするのは自明だし、小細工の通用するような相手じゃない)

 

 彼女はまだまだすべての出力を発揮していない。それでいて闇の書が放つ自然放出魔力は、それだけでユーノの通常戦闘出力の魔力を上回っているのだ。

 

 おそらく、彼女に内包する魔力の総量は、なのはを含めた自分たち全員の魔力量を遙かに凌駕しているだろう。

 

 ユーノは背後のフェイトに意識をおろした。

 

 まだまだ自分たちは十全だ。フェイトもまだ殆ど魔力を消費していないし、負傷も無い。

 

 しかし、どれほどコンディションが整っていようと、圧倒的に強大なものが相手であれば、結局何をしても無駄なのではないかとユーノの脳裏に不安がよぎる。

 

『難しく考えるのはやめようよ、ユーノ』

 

 打開できない現状に焦りを感じ始めたユーノに、フェイトはしっかりとした口調で念話を送った。

 

『何か、策があるの?』

 

『無いよ。だって、私たち程度が策を練ったって、きっと正面からつぶされると思う。お姉ちゃんなら、それでも上手くやれるだろうけど、たぶん私たちじゃ無理』

 

 フェイトの言葉に、ユーノは悔しながらも同意するしかなかった。

 フェイトもユーノも、基本的にこの二人で戦うことを目的に訓練をしてきたわけではない。それぞれのパートナーと位置づけられているアルフになのはは今はここにはいないのだ。

 

 実質的に共闘した経験は、フェイトにとっては半年ぶり、ユーノにとっては一月ほどぶりに地球を訪れた夜のみ。それも、殆ど個別に戦っていた程度で、その指示もアリシアがしていた。

 

 

  ユーノとフェイトはパートナーになり得ない

 

 

『だから、小細工が出来ないんだったら、真正面から。全力全開の一発勝負を仕掛けよう。私とユーノでこれ以上にないってぐらいの一撃をあの子に見せてあげようって思うんだ』

 

 正に最初に切り札を切る。それが通れば勝ちで、通らなければ結局自分たちには切り札など有り得なかったと言うことだとユーノは解釈した。

 

 あまりにもリスクが高すぎるとユーノは思った。

 管理局の作戦としては到底認められない作戦だろう。いや、作戦とも言えないほどの愚行だと、クロノやアリシアは口を揃えそうだ。

 しかし、ユーノの脳裏にふと、死んでしまった義父の不敵な笑みが思い浮かべられた。

 

『”正気の沙汰とは思えない。だけど、面白い。面白いと言うことは重要なことだ”ね』

 

 ユーノらしくない、何処か冷静で愉快さを持った言葉にフェイトは少し驚いた。

 絶対反対すると思っていた。もしも反対されても、自分は押し通すつもりだったが、フェイトは少なくともユーノはリスクの高いギャンブルを行う人間では無いと思っていたのだ。

 

『ユーノらしくないね、誰かの言葉?』

 

『うん。僕のお父さんだった人の言葉だよ。Cool & Pleasure(冷静にかつ楽しく)があの人の口癖だったんだ』

 

 お父さんだった人という言葉にフェイトは言葉を飲み込んだ。過去形で話すと言うことは、その人物が今どうなっているのか。孤児であるユーノ。両親の顔を知らず、今は一人だと、彼は以前漏らしていた。

 

『強い人だったんだね』

 

 フェイトは彼の言う父の予想と自分の姉の姿とを重ね合わせた。

 

 Cool & Pleasure

 

 常に冷静に楽しくあれ。

 

 なるほど、これは正にあの姉が言いそうな言葉ではないかとフェイトは少し肩の力を抜いた。

 

『僕は、あの人とは8年ぐらいしか一緒にいられなかったから、あの人が強いかどうかは分からなかったよ』

 

 父は自分のことを話さなかった。常に、自分の話を聞いて、冗談交じりに助言を与えてくれるだけだった。

 ユーノは終ぞ彼の本心が何処にあるのか、知ることは出来なかった。

 彼が生きてきた300年間、そして、彼が経験してきた幸運と絶望を思いやることも出来ない。

 

『だけど、まあ。いい人だった。それだけは言える……じゃあ、タイミングを計ろう』

 

 ユーノは話を打ち切り、左右に垂らしていた腕を持ち上げ、その両手の平に翡翠の小さな魔法陣を展開させた。

 

『分かった。合図はユーノが』

 

 フェイトはそう言ってバルディッシュのヘッド部分を回転させ、開いた斧刃の間から半月状の魔力刃を展開させる。

 

《Harken Form》

 

 バルディッシュのジョイント部分のスライドが稼働し、内部に備えられたシリンダーが回転し、カートリッジを二発激発された。

 

 ソニックフォームの薄い装甲と、ジャケットの各部に展開された小さな翼にフェイトは提供された魔力をすべて分け与える。

 

(あの子が反応出来ない速度で接近して……切る)

 

 フェイトはただそれだけを念じ、ユーノの合図を待った。

 

 カートリッジより送られる魔力は、レイジングハートの魔導炉には及ぶはずもないが、それでもフェイトのリンカーコアに小さくない負担をかけるほど莫大なものだ。

 

 その魔力を一瞬で爆発させるのではなく、ため込み制御する。

 いくら、彼女が魔法に対して多大な才を持っていると言っても、それが彼女に取って大きな負担になるのは間違いない。

 

 闇の書はその二つの驚異に対する優先順位付けを一瞬迷う。

 

 自身の目的を果たすには結界の基点となっているユーノを優先するべきである。しかし、その背後で魔力を高めさせるフェイトを無視することは出来いない。

 闇の書にとって、フェイトもまた間違いなく驚異となっていた。

 

 その迷いをユーノは見逃さなかった。

 

「フェイト!」

 

 ユーノはそう短く言葉を投げかけ、掲げていた手のひらの魔法陣を一気に加速させる。

 

 ユーノの魔法に対する特性から、彼の選択肢は広くはない。

 かつて蒐集した彼のリンカーコアから与えられた彼の魔法のバリエーションを闇の書は思い浮かべた。

 彼には戦闘レベルの攻撃魔法は使用することが出来ず、出来ることと言えば少しは得意と謙遜する結界を初めとした束縛、防御などの支援魔法。

 

 防御は相手の攻撃がなければ展開したところで意味はない。

 

 闇の書はそれを瞬時に判断した。

 

「チェーン・バインド」

 

 ユーノの両掌から放たれる三対、計六条の翠の鎖。

 まるでそれは夜空を流れる星空のように天を駆け抜け、轟々とした勢いを持って闇の書へと殺到する。

 

 それだけでは終わらず、掌から放たれたものとは少し遅れ、彼が足下にも展開した魔法陣の円周部よりさらに5本の鎖が姿を見せ始めている。

 

 それは、まるで鎖によって作られた樹海。その一つ一つは闇の書にとっては避ける必要もないものにすぎないが、それでもひとたび拘束を受ければ解除するには一秒近くの時間がかかるものだ。

 しかし、今彼女へと向かうバインドは11本。同時に拘束されてしまえば、それから抜け出すのにおよそ10秒の時間がかかってしまう。

 

 闇の書には回避する以外の選択肢は存在しないだろうとフェイトは判断した。

 

 閉所における近接戦闘はフェイトが最も得意とする戦法の一つだ。

 仮にここにいるのがフェイトではなくなのはだったとしたら、ユーノはバインドを周囲に張り巡らせるのではなく、極力なのはが自由になれるように積極的に闇の書と絡み合っただろう。

 ユーノはフェイトのためにあえて限定的な空間を作り出した。

 

(ありがとう、ユーノ)

 

 後衛が自分にとって戦いやすい状況を提供してくれた。ならば、自分はその期待に応えるだけだとフェイトは身を引き締めた。

 

「行くよ、バルディッシュ、プレシード!」

 

《Yes sir. Sonic Move》

《Yes Sister. Active Defensive Mode Select》

 

 力強いフェイトの声に応え、彼女が担う二機のデバイスはそれぞれに与えられた役割を忠実にこなす。

 

 既に激発されいるカートリッジ二本分の魔力が畜魔器(キャパシター)より開放され、その魔力の大部分はフェイトに莫大な加速力を与える力となる。

 

「はっ!」

 

 フェイトの短い息づかいと共に彼女は一気にその速力を開放させ、体に密着した黒いボディスーツを身に纏う小躯が夜の空中へと投げ出された。

 

 プレシードが展開した薄い風防壁の表面をかき分けられた空気がこすりつけられる。

 表面より剥離した流体が後方へと抜けていき、それらはカルマン渦となってフェイトの体を左右に僅かに揺さぶりをかけるようだった。

 

(最短距離で!)

 

 闇の書をにわかに覆い尽くそうとする鎖の群れは、まるで渦を巻く強風にあおられる樹木の枝のようだとフェイトは捉えた。

 下手に突入すれば、その鎖が自分の進路を妨害する可能性もある。

 

(大丈夫、ユーノなら絶対に大丈夫)

 

 フェイトはただユーノを信じ、その速度をゆるめることなく闇の書へと進路を向ける。

 

《進言:デコイ発射》

 

 プレシードのTISS――戦術情報支援システムがはじき出した最適戦術がフェイトの視界に文字として投影された。

 なのはのレイジングハートが持つ視界投影式モニター(EPM:Eyes Projecting Monitor)は音声支援よりも素早く確実にフェイトに情報を供給する。

 

 フェイトは何も言わず高速の中でフォトンランサーの詠唱に入る。

 全力で加速魔法=ソニックムーヴを行使するバルディッシュの僅かに残されたリソースの余剰では発現できる発射体は僅かに2発。

 フェイトはその2発のフォトンランサーをプレシードのリソースさえも利用して高速詠唱を行った。

 

「フォトンランサー。ファイア!」

 

 フェイトの左掌から二発のフォトンランサーが放たれた。それは、フェイトの魔力の色に染まり黄金の飛翔痕を漂わせながら一直線に飛翔していく。

 

「……反応が三つ……」

 

 翠の鎖の間から風に紛れて声が漏れ聞こえた。

 闇の書の少女はフェイトを視認できていない。そして、フェイトが放ったフォトンランサーの反応を誤認ている様子をフェイトは知ることが出来た。

 

 こちらの油断を誘う罠かもしれない。フェイトは一瞬だけそう思うが、元々より真っ向から勝負することを決めている。

 罠があろうと無かろうと関係ない。

 

「貫いて、ブラッディーダガー」

 

 鎖が遮る彼女の表情をフェイトは伺い知ることは出来ない。その声はとても平坦で、何の感情も込められていない、まるで機械のようなものに感じられた。

 

(そんなの、悲しすぎる)

 

 闇の書によって鎖の樹海は徐々にその密度を減らしていくが、壊される鎖の数よりも多くユーノは新たに鎖を生み出し、蔓となって闇の書を飲み込もうとしている。

 

 フェイトは闇の書へと突入していき、ついに闇の書を射程に捕らえた。

 

「これで――」

 

 フェイトはバルディッシュを振りかぶり、バリアを展開する暇もなかった闇の書へとそれを全力で振り下ろそうとする。

 

《Harken Slash》

 

 バルディッシュの声が響き、フェイトの三日月状の魔力刃はにわかに輝きを増す。

 

「――ストップだ!!」

 

 振り下ろされたバルディッシュ。

 しかし、そんなフェイトに向かって闇の書はしっかりと視線を向け、口を開いた。

 

「そうか、ようやく理解した。お前は、私の中に眠る少女と同じなのだな」

 

 その呟きは極度の緊張状態にあるフェイトにはただの大気の揺らめきとしか捕らえられず、それよりも自分自身の全開全速がこうもあっさりと悟られてしまったことに焦りを感じる。

 

(すごい反応速度)

 

 それでもフェイトはそのまま速度をゆるめることなく、まだ防御障壁を展開していない闇の書に対してハーケンを振り下ろした。

 

「ならば、お前も私の中で眠れ。幸せな夢に溺れれば、すべての苦しみから解き放たれる」

 

 轟々という幻音を奏でるほどの速度で襲いかかるハーケンの輝く刃。闇の書は慌てる素振りもなく、赤黒い帯に包まれた腕を掲げた。

 

 守りに入られては突破できないかもしれない。フェイトはそれを考えるなとただひたすら胸中に念じて、一点の陰りもない、今の自分には最高の一撃を叩き込む。ただそれだけを感情の中に残した。

 

 まるで鉄と鉄がぶつかり合い、擦れ合わされて火花が飛び散るような音が耳朶を叩いた。

 

(硬い!)

 

 闇の書の障壁はユーノの盾のしなやかさに比べれば全くの硬質だった。

 

 フェイトは歯を食いしばり、視線を研ぎ澄ませて闇の書を見つめる。そして、闇の書の少女が掲げるものが盾ではないことにようやく気がついた。

 

「なんだか変だ。離脱して! フェイト!」

 

 ユーノの声が遠くから響く。彼が立つところはそれほど遠くは無いはずだったのに、彼の声がやけに遠いとフェイトは感じた。

 

「なに?」

 

 何かに引き寄せられる感覚にフェイトは声を漏らした。

 何もかもが遠くなっていく。ユーノの声も、夜のとばりも、僅かに浮かぶ街頭の光さえも遠くなる。

 頭上に輝く月の光も歪んで見える。

 それはまるで、闇の書の少女が掲げた掌に収まる一冊の開かれた書物の中に吸い込まれていくような、そんな不気味な感触だった。

 

「……お前も安息の闇に沈むと良い……」

 

 離脱を選択しようにも、既に身体に自由はなかった。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、すべての身体感覚が自分自身の制御を離れていくようで、フェイトは歯をガタガタと震わせた。

 

「いや……消えたくない……」

 

 身体から光の粒子が立ち上り、戻らない身体の感覚が徐々に消失していく。

 

「助けて」

 

 とフェイトは呟いた。

 フェイトの視界の端にたたずむ少年の姿が遠く見える。

 

「行かないで」

 

 とユーノは確かにその声を聞いた。

 

「助けて……助けて、ユーノ!」

 

 延ばされた手はゆっくりとまっすぐ伸ばされ、ユーノはその手に手をさしのべようとする。

 

 

  その手は虚空を掴んだ

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 Twister

なのは、起つ! (10/19)


 

 助けてと懇願して、それでもその願いは届かず彼女は消えてしまった。

 その光景をただ傍観するしかなかった自分は、いったい何のためにここにいるのか。

 なのはは歯を食いしばり、風に靡くバリアジャケットの裾をきつく握りしめる。

 

《落ち着いてください、マスター。まだ、希望は残されています》

 

 なのはの左手にたたずむレイジングハートも、自分自身奇妙な憤りを感じながらも主をなだめるべく言葉を投げかける。

 

「…………」

 

 モニターに映るユーノはただ虚空を掴み、その表情にはレイジングハートの言う希望が宿っているとは到底考えられなかった。

 

 なのはは自分の周囲を覆う薄緑の結界を見上げる。

 ユーノの魔力光に比べると幾分鮮やかな緑の結界

 これは、せめてなのはが早く回復できるようにとシャマルが残していった回復結界だ。

 その効果はユーノがかつて用意してくれたラウンド・ガーダー=エクステンドの効果に似ている。

 湖の騎士であり、風の癒し手を名乗る彼女は流石にそれに特化した魔法特性を持つだけにそれはユーノの展開したものよりも高い効果を持つようになのはは思う。

 

 しかし、それでも、シャマルには悪いと思うが、彼の結界の方が包み込まれる暖かさを感じられて安心できるとなのはは思った。

 

「ユーノ君が戦ってる、戦ってるんだよ、レイジングハート。守るために戦ってるんだ」

 

 なのははレイジングハートに目を落とした。

 ユーノから賜り、アリシアによってすべてを取り戻したデバイス。世界最古にして最強の魔杖。人が扱うにはあまりにも強大な力を持ち、ひとたびこれのすべてを暴走させれば、都市の三つや四つを容易に蒸発させる事が出来る最終兵器。

 

 何とかなるはずだとなのはは思った。

 あの時、彼の言葉を聞かず、ただ独りで戦地へ赴いた。そして、自分は彼に助けられた。

 彼の胸を貫いた腕。彼に抱きしめられた感触。そして、ただ自分を守りたいと告白され、そして別れを告げられた。

 

 なのははあの時、本当にユーノが二度と戻れ得ぬ場所へと旅立ってしまったかと思った。

 

《…………》

 

 レイジングハートは何も答えを返さない。こういうところはずるいとなのはは思った。

 普段はお節介な姉のように、何かと自分に小言を呈するくせに、こういう重要な場面になるととたんに機械然と口を閉ざしてしまう。

 ただ何も言わずに、正悪を問わず、ただ全力でこちらの要求に応えてくれるのだ。

 

 

  そんな愛機(レイジングハート)をなのははこの上なく頼もしく思う

 

 

 なのはは天を仰ぎ、立ち上がって自分を包み込む緑の魔力光をそっと打ち払った。緑の魔力が光の残滓となって空気の溶け込み、ヴィータは虚空を見上げていた視線を背後で立ち上がった少女へと向け直した。

 

「何のつもりだ?」

 

 ヴィータはその言葉のまま杖にしていた大槌――グラーフ・アイゼンを持ち上げ、その尖端をなのはの足下に向けておろした。

 

「見ての通りだよ、ヴィータちゃん。私は、もうこれ以上見てるだけなんて嫌だ。私はユーノ君の所に行く」

 

 その瞳には一切の曇りも陰りもない。純粋すぎる眼差しにヴィータは僅かに気後れを感じた。

 

「あたしは……イージスとテスタロッサからお前を守れって言われた。だから、あたしはお前を行かせるわけにはいかねぇ」

 

 足手まといになるとは言わなかった。シグナムに強制的に蒐集され、本来なら満身創痍であるはずのなのははそんな雰囲気を一切感じさせない。あるいはただの強がりかともヴィータは思うが、たとえ強がりであってもなのはは揺らぐことはないだろうと思い直す。

 彼女はあまりにも強い。故に脆いとヴィータは感じた。

 

「ねえ、ヴィータちゃん。ユーノ君とフェイトちゃんとの約束と、二人の命。どっちが大切なの?」

 

 ゾクリとヴィータは背筋が震える気がした。まっすぐと突き刺さるなのはの視線を直視できない。その表情は朗らかで柔らかな笑顔。しかし、この状況で、そんな笑みを浮かべて彼女は命の選択をヴィータに迫った。

 天使が悪魔のフリをしているなんて生やさしいものではない。それはまるで墜ちた天使が浮かべる愉悦の笑みのようだとヴィータは思う。

 

「…………」

 

 ヴィータは何も答えられない。命に代えても約束を守ることと、利害を同じにした共闘者達の命。それを天秤に乗せることは出来ない。

 

「私を行かせて。お願いだから」

 

「あたしは、イージスとテスタロッサの約束を破らない。それは絶対だ」

 

「……そう……」

 

 なのははその呟きと共に落胆に肩を落とした。たとえ一時的に共闘関係になったとしても、本質的に自分たちはわかり合えないのかと思ってしまう。

 たとえ言葉を尽くして語りかけても、頑なな相手の心を解きほぐすには足りないのかとヴィータの口調を鑑みて思う。

 

「それでも……私は……」

 

 パートナーの所へ、ユーノの下へ行くことは何も変わることはない。言葉で理解してもらえないのなら、実力を行使してもなのはは目的を果たす。

 

 

  それは、とても悲しいことだ

 

 

 武力を用いるのは、最終手段であるべきだ。しかし、時間がそれを許さない。何度も何度も立ちはだかり、そしてついには戦い勝つことが出来なかった相手を前にして、ともすれば言葉をかけるよりも長い時間が必要になるかもしれない。

 だが、今すぐにでも飛んでいかないとすべてが手遅れになりかねない。なのはは痛みを伴う鼓動をそのままにレイジングハートを両手で握りしめ、その先端をヴィータへと向けた。

 EPM(Eyes Projecting Monitor:視界投影式モニター)の色彩が変わり、レイジングハートの戦術情報支援システム(TISS:tactical information support system;旧称=アビオニクス)が刹那の時間もかからずに起動し、自動制御式イルミネーターの照準がヴィータへと向けられる。

 

[Battle preparation complete]

 

 戦闘準備完了。EPMのすみにその文字が浮かび上がり、なのはは息を飲み込んだ。視界の中で目標を示す赤い円形とそれにまとわりつく十字の交点が対象のロックオンをなのはに知らせる。完璧にとらえたとなのはは実感した。

 レイジングハートの最終アップデートバージョンとして追加されたシステムは完璧に作動している。追加され、二基になったアクティブレーダーは探査精度と距離を広げ、イルミネーターは自身の視線を追従する半自動制御とレイジングハートが制御する完全自動制御、そして本人が制御する手動制御の三つで構成されている。アビオニクス(航空情報支援システム)より名前を変えたTISS(戦術情報支援システム)。

 

 それはまるでシステムの鎧だとなのはは感じた。

 半年前まではすべて自分の感覚だけで行ってきたことを、今となってはプログラムされたシステムに頼っているという現実。そして、その恩恵により自分の戦力は格段に向上することとなった。

 

 

  自分がシステムを支配しているのか、それともシステムが自分を支配しているのか

 

 

 今考えるべきことではないとなのははその思考を遮断する。

 ヴィータは動かない。得物を万端ななのはの足下に向けるばかりで、その表情には何も浮かんでいない。闘争心に身を焦がすこともなく、悲しみに暮れることもなく、そして蔑む表情も浮かび上がってこない。それはまるで乾いたマスクで覆われているようで、なのははレイジングハートを握りしめただその場に張り付けられるしか出来ない。

 まるで、あの時の逆だとなのはは思った。今思えばなにやら遠い昔のように感じられてしまう、つい先程の屋上での戦いを、まるで再現されているような感触になのはは陥った。

 

「……ふん……!」

 

 鼻を鳴らす音が聞こえた。そして、ヴィータは僅かに足を動かした。

 

「!!」

 

 緩みかけた緊張が彼女のそんな小さな行動に誘発させられてビクリと反応する。

 しかし、なのはが見たものは大槌を構えてこちらに向かってくるヴィータではなく、足下に向けられていたグラーフ・アイゼンを翻し、そしてこちらに背を向ける少女の姿だった。

 

「ヴィータ、ちゃん?」

 

 このまま自分を通してくれるのだろう。しかし、彼女の『絶対』という言葉は何があっても揺るがないはずだった。

 なのははヴィータの意図するところを理解することが出来ず、ただ呆然とレイジングハートを下ろしてしまった。

 

「じゃあ、行くぞ」

 

 ヴィータの投げ遣りとも受け取れる言葉を、にわかに呆然とするなのはにはどこか遠く聞こえた。

 

「え? どこへ?」

 

 自分はずいぶん間抜けな表情をしているのだろうなとなのはは自分で理解しながらもそんなことしかつぶやけなかった。ヴィータが背中を向けていてくれて助かったとなのはは益体もないことばかり思い浮かべてしまう自分を叱咤したかった。

 

「お前、イージスを助けるんじゃなかったのか?」

 

 まるで自明の理を説くような口ぶりで、ヴィータは若干視線を戻し、肩口越しになのはに目を向ける。

 

「なんで? ヴィータちゃんは私を止めるんじゃないの?」

 

 ヴィータの表情、視線には何も変化はない。何も諦めずに何も妥協をしてない。そんな強さをなのははかいま見た。

 

「約束は守る。絶対に。あの二人との約束とあの二人の命。あたしは、両方守るっていってんだよ」

 

「…………」

 

 強いとなのはは感じた。紅の鉄騎、かつて彼女が名乗ったその二つ名は確かに彼女のその有り様を明確に現しているとなのはは覚えた。

 

「約束通り、アタシはあんたを守る。あんたは、あいつを助ければいい。一緒に、はやてとテスタロッサ達を救えれば、それで完璧だ」

 

「ヴィータちゃん……ありがとう!」

 

 自分も彼女のように強くなれればと思う。

 そして、ヴィータもまたなのはの強さをまぶしく思う。自分には既に無い、どこまでも真っ直ぐで純真にして純朴な強さ。自分にもそんな時期があったのだろうかと、忘れさせられてさえいる記憶を掘り起こせなくてヴィータはため息を吐く。

 

「礼は終わってからだ、なのは」

 

「うん! レイジングハート!」

 

《マスターの御意のままに》

 

 レイジングハートはそう言って戦闘準備状態だったシステムを再起動させ、ヴィータに対する敵対マーカーをすべて一新させ、その表示を遊軍を示す緑の表示に置き換えた。

 

 もう、彼女に対してクロスヘアを向けることはない。なのははただそれだけを幸いに思った。

 

 そして、なのははバリアジャケットのポーチに腕を滑り込ませそこに入れられていた一枚のディスクを取り出した。

 それは、つい先日、早いクリスマスパーティーの際にアリシアから送られたプレゼントの中身。

 他の二人に比べてあまりにも飾り気のない。一見すればおよそプレゼントにはそぐわないものだったが、なのはは、ともすればアリシアはこの状況を既に推測していたのではないかとも思う。

 

「使うよ、アリシアちゃん」

 

 レイジングハートは気を利かせ、なのはの命令を待たずにディスクのスロットルをフレームの表面に出現させた。

 なのははその配慮に一言だけ礼を言ってそのディスクをカチリとレイジングハートの中に挿入した。

 

《ディスクの挿入を確認。システムアップデート開始……………………完了。エラーは認められず。システム全て正常。アップデート終了》

 

 直前までの調整が間に合わず、ただこのシステムのインストールだけを残していたレイジングハートが、ここに来てようやく全ての作業を完了させた。

 なのははゆっくりと頷き、レイジングハートの先端を遙か向こうにいるパートナーの方角へと向け、一呼吸ついた。

 

「レイジングハート・エクセリオン=モード・ストライクよりAWS(Artificial Wing System)起動。スーパー・アクセル・ウィング展開!」

 

《Yes Master. Mode Artificial Wing System load》

 

 一人と一機の声が重なり、なのはの足下より桃色の光が粒子となって湧き上がる。魔力の欠乏より若干の時間をおき、そしてシャマルの治療を受け、そして今はレイジングハートの魔導炉から多少無理のある魔力供給を受けている。魔力に余裕があるとは言えない。万全にはほど遠い。しかし、ヴィータにはそれが灰の中から起き上がる不死鳥のように思えて、しばしその光景に目を奪われた。

 湧き上がる魔力はその全てがレイジングハートの中心に位置する中央制御装置に送り込まれ、そのフレームのサイドの平坦な部分に切れ目のようなものが入り、それは正確な長方形を描き内部にスライドするように取り込まれ、開いた孔部に排気口のようなノズルが姿を示した。

 

《ノズル開放を確認、スーパー・アクセル・ウィング展開》

 

 出現した三対のノズルは、その発信音に呼応するように、何度か試運転をするように魔力を噴出し、そして最後に三対計六枚の桃色に輝く光の翼を展開した。ひときわ大きな主翼とも言うべき一対の翼と展開角を僅か上下にずらせた、尾翼とカナード翼と呼ぶべき翼が羽ばたくように魔力の粒子を周囲にまき散らせた。

 スーパー・アクセル・ウィング。それは、なのはにとって最後の課題であった機動力を、防御力と火力を削ることなく実現させる切り札だった。大型の加速魔法を行使し、まるで空飛ぶ戦車のごとく重装のなのはを莫大な推進力で無理矢理動かす。スマートとはほど遠いながらも、実に理にかなった方法だとアリシアが称したそれは、理論上であればライトニングフォームのフェイトの機動力も凌駕すると言われた。

 

「ド派手な杖だな。扱えんのか?」

 

 レイジングハートのフレームより展開された新たな翼がどのような機能を持つのか。それを直ちに推察したヴィータはそれを考え出した技術者の正気を疑いながらも、その発想が自分の武器に用いられている方式に似ていると感じた。

 ハンマーヘッドのインパクト部分に魔導推進器(マギリンク・ブースター)を搭載させることで、自分もまた高速機動の補助にしている。本質的にそれはハンマーの突破力を向上させるものではあるが、そう言う使い方もまた有効な手だてだった。

 

「ヴィータちゃんのロケットハンマーに比べたらおとなしい方だと思うよ?」

 

 確かに、見た目はあまりにも過多な装飾に見えるかもしれない。しかし、何となくなのははそれを認めたくなくて、少しだけヴィータのデバイスを皮肉った。

 

「ラケーテンだ。間違えんな」

 

 何となく見透かされた気がしてヴィータは憎まれ口のような言葉を返す。

 

《ベルカ語とミッド語の違いで意味は同じかと思いますが?》

 

 レイジングハートはモニターしていたヴィータの身体情報を読み取り、彼女がどこか焦りのようなものを感じていると分かっていながらもそう註釈を述べた。

 

《ロートルは黙っていなさい》

 

 レイジングハートの皮肉のような嫌みに、意外にも直ちに反応したのは普段は寡黙なヴィータのデバイス、グラーフ・アイゼンだった。

 

《クズ鉄男爵にロートル扱いをされたくはありませんね》

 

 実際の所、レイジングハートはグラーフ・アイゼンにロートル呼ばわりされる覚えはなかった。レイジングハートは最古のデバイスを名乗っているが、グラーフ・アイゼンとて既に数百年を稼働する老製のデバイスであることは確かなのだ。

 デバイスの年齢感覚をなのはは推察することは出来ないが、少なくともグラーフ・アイゼンがクズ鉄扱いされる言われもないと感じた。

 

《もう一度破壊してあげましょうか? ロード・オブ・ロートル》

 

 調子が狂わされるとヴィータは感じた。このデバイス――レイジングハートが関わると、なぜか知能を持つデバイスは穏やかにはいられなくなるようだとヴィータは思いやった。

 かくいう自分もまた、闇の書というロストロギア級のデバイスに属するものとしてレイジングハートの前では僅かに心根を揺さぶられる感触もあるのだ。

 

《真っ二つにしてあげましょう。クズ鉄卿》

 

 なぜか口げんかを始めてしまったデバイス達に両機の主は「はぁ……」と深いため息を吐いた。

 グラーフ・アイゼンとレイジングハートは割と……いや、かなり仲が悪い。

 初戦に二機は真っ正面からぶつかり合い、レイジングハートは(その当時はまだ武装解除されていた状態であったが)完全に競り負け、中破に近い損傷を受けた。そして、それ以降は主達の間ではある一定の決着が付いているにもかかわらず、デバイス同士としてははっきりとした決着が付いていない状態なのだ。

 自分達と同じようなライバル関係にあるフェイトとシグナムの愛機同士はそれなりに互いに認め合い、尊重し合う間柄だというのに。

 

「やめろ! いい加減にしとけ、アイゼン」

 

「レイジングハートも、ダメだよ仲良くしなくちゃ」

 

《……》

《……》

 

 たとえ気にくわない相手であっても主から止められれば逆らうわけにはいかない。しかし、それでも詫びの言葉を発しないのはせめてもの抵抗だろうかとヴィータは思う。

 

「ヤレヤレ。そのデバイスがいると調子が狂うな……」

 

「ごめんね、ヴィータちゃん。後でちゃんと言いつけておくから」

 

「まあ、良いんだけどな」

 

 ヤレヤレと二人は肩を落としながら共に息のあった嘆息を漏らす。

 何となく、先程まであった緊張が和らいでいるように二人は思うが、それは口にすることではなかった。

 

「じゃあ、さっさと行くぞ。イージスが待ってる」

 

 すっかりと黙りを決め込んでしまったグラーフ・アイゼンを肩に背負いながら、ヴィータは飛行魔法をロードしようと足下に魔法陣を展開し始めた。

 

「うん。だけど、その前に一つだけ良い?」

 

「なに? 時間がないから早くしろよ」

 

 せっかく意気込んでユーノの下へ向かおうとするのを邪魔されて、ヴィータは若干いらだちを感じながらも律儀に身体をなのはの方に向けた。

 

「うん。分かってる。……ねえ、ヴィータちゃん。ユーノ君のこと、名前で呼んであげて?」

 

「……」

 

 そのことか、とヴィータは思った。

 

「イージスなんて呼び方じゃなくて、ちゃんとユーノ君のことを認めてあげて欲しいの」

 

 なのはにとって名前を呼ぶことは重要な意味を持つ。半年前、別れの際フェイトに告げた言葉。自分の名前を呼んで欲しいという願いは、彼女の真摯な感情だった。名前を呼び合うことでお互いがお互いを対等として認識できる。故になのはにとってヴィータがいつまでも彼のことを本当の名前で呼ばないことは、どうしても承伏出来ることではなかったのだ。敵対していない今だからこそ、それを願うことが出来る。

 

「…………別に、あたしはあいつのことを認めてないわけじゃないさ。むしろ……尊敬してる……と思う」

 

 ヴィータが常々ユーノを前にすると引き起こされる感情。その名前を彼女はまだまだ明確な一言で表すことが出来ない。ヴィータは言葉にしにくいその感情を、単なる尊敬という一言にまとめ口にした。明確な違和感を持ちながらもヴィータはそれで納得することとした。

 

「呼んであげて?」

 

「……分かったよ……」

 

「ありがとう。きっと、ユーノ君も喜ぶよ……ううん、絶対。絶対ユーノ君も喜んでくれると思う」

 

「ああ、そうだといいな」

 

 ヴィータはにわかに空を見上げ、煤けた緑色の天球の薄膜を通して差し込む月の光に目を晒した。

 月を見上げると、心の中に罪悪感が襲ってくる。あそこにいるのは、もはや記憶にはない歴代の主とそのために犠牲になってきた、おおよそ数えることの出来ない数の人々だ。

 おそらく、何も分からずに世界が滅びて亡くなった人々も多くそこに眠るだろう。たとえ、その世界の月がまったく別の場所にあったとしても、月は象徴としてそこにある。

 

 自分達はプログラムにすぎない故に、破壊されても月に昇ることは出来ない。ならば、自分達が行くべき場所はどこなのだろうとヴィータは思い浮かべ、その考えを打ち払った。

 

(そのうち分かる。今は、戦うときだ……)

 

 ヴィータはそう胸の内に言葉を吐き捨て、待機状態だった飛行魔法の残されたシーケンスを実行に移した。

 

 ヴィータは最大速度こそフェイトやなのはに比べれば早いわけではない。しかし、遊撃手として瞬間的な加速力は誰よりも高いという自身があった。

 

 しかし、飛び立ったヴィータの後方で少し遅れて飛び立つ彼女の反応がそんな加速を圧倒するかのような速力で迫る様子を伝え、ヴィータは少し面白くなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 Eden

(11/19)


 

「……んっ……」

 

 優しい光が差し込んでくる感触にフェイトは少し声を漏らし、緩やかに立ち上ってくる感覚にゆっくりと目蓋をあげた。

 

 柔らかな陽光に暖かな感触。自分がベッドに寝かされていると分かるまで、フェイトは少しだけ時間がかかった。

 

 目蓋越しに感じる柔らかな光と、薄く見えるぼんやりとした真っ白なシーツはどれもこれも暖かい太陽の香りが感じられて、とても心地がよいとフェイトは感じた。

 

「いいにおいだな……」

 

 カーテンの隙間から差し込んでくる朝の木漏れ日。頬を撫でる柔らかい枕の感触と身体を覆う太陽の匂いのするシーツ。

 隣で眠る人のぬくもり。

 

 そして、フェイトは目を見開き弾かれるように身体を起こした。

 

 ガバッという音を立ててまくり上げられるシーツ。見回す寝室と呼べる部屋は、一人で使用するにはあまりにも広く感じられ、置かれている調度品もそれほど多くはない。

 しかし、穏やかな朝の陽気に混じって漂う雰囲気はどこか懐かしく、そして心が落ち着くようにフェイトは感じた。

 

「ここは……庭園? どうして?」

 

 窓の外から見える風景。青々とした森林と緑に包まれた庭から吹き込む風が、僅かに開いた窓の隙間から流れ込みカーテンをゆっくりと揺らす。

 

 その風景をフェイトは直接その目にしたことはない。しかし、記憶の中に映る幸せで何処か悲しく感じる情景の記憶が、ここは自分が生まれ育った庭園――時の庭園――だと言うことを知らせた。

 

 これは、夢か、それとも過去に流されたのか。

 フェイトは持ち上げた掌をジッと見おろし、今実在している自分自身が一体何者なのか定義できずにいた。

 

「ん~~、あさぁ~?」

 

 自分のことしか見えていなかったフェイトは、隣でもぞもぞと身じろぎしながら寝ぼけた声を出す少女のことを認識できていなかった。

 普段から聞き覚えのある声にフェイトは身を堅くする。

 

「まだ眠いよ」

 

 そして、密着するほど隣から聞こえる、人の声としては少し違和感のある声。

 それが一匹の赤い子犬の口から漏れだしているとフェイトは気がついた。

 

「アルフ?」

 

 その姿にフェイトは見覚えがあった。そして、その隣でゆるゆると身体を起こして短い腕を懸命に持ち上げて身体を伸ばす幼子にも、フェイトは見覚えがあった。

 

「アリ……シア?」

 

 口に出してから、フェイトは何処か違うと感じた。とっさに出たその名前、自分はふだん彼女のことをなんと呼んでいるかを考えればそれは違和感のある呼び名だったはずだ。

 

「うん、そだよ? おはよ、フェイト」

 

 ”アリシア”はそう言ってフェイトに朝のあいさつを言い、子犬アルフの尻尾を掴んでベッドから飛び降りた。

 

「わぁ!」

 

 寝ぼけ眼に野性を感じさせない警戒心の欠如した欠伸を付いていたアルフはとつぜん、尻尾が引っ張られる感触に前足をばたばたとさせて必死に空を掴もうとする。

 

 しかし、その爪は天国のように感じられたシーツを掴むことはなく、その代わりにぐるっと視点をかき回されて、ついには投げ飛ばさられるような勢いで抱き上げられてしまった。

 

「アルフもおっはよ~」

 

 キャハハという声を上げながら、”アリシア”はアルフの両脇に手を入れながら頭上高く掲げてぐるぐると回り始めた。

 

「あわわぁぁ。フェ、フェイト。助けて~」

 

 端から見れば、小さな子供が小動物と全身全霊を賭して遊んでいるような、そんな微笑ましい情景に見えるのだが、遊ばれる側のアルフにとっては迷惑この上ないことだ。

 

 助けを求められたフェイトは、しかし、突然の事態と今のこの状況を把握する出来ずに、ただ呆然とそれを見守ることしかできなかった。

 

「アルフ、ア~ルフ♪」

 

「目が回るよぉ~」

 

 いい加減この暴挙を阻止しなければ、アルフは口から魂をはき出して昇月してしまうだろう。

 いい加減止めないととフェイトは心に誓って立ち上がろうとするが、ベッドから随分遠くのように見える扉が開く音にフェイトは身を止めてしまった。

 

「おはようございます、アリシア、フェイト、アルフ」

 

 鈴の鳴るような声。従順そうでいて、何処か気まぐれそうで、気の強そうな声がフェイトの耳朶に響き。そして、フェイトは同時に、「そんなはずはない」と叫びそうになった。

 

「……リニス……?」

 

 フェイトの呟きはあまりにも儚すぎて、リニスと呼ばれた女性のような少女の耳を僅かに震えさせただけで、彼女はチラリとフェイトに目を向けた。

 そして、彼女は目の前で行われているフェイトの姉妹が繰り広げる残虐プレイに思わず声を張り上げてしまった。

 

「アリシア! アルフをいじめてはいけないとあれほど言っておいたでしょう!! どうして貴方はそれが守れないのです!?」

 

 怒声にしてはあまりにも柔らかで優しく、幼い頃からそれを聞いてきたフェイトの胸にその声がじんわりと染み渡っていくように思えた。

 

 

  二度と会えないと思ってた人が目の前にいる

 

 

 これは喜びなのか、それとも他の何かなのか。腹の底からこみ上げてくる感覚にフェイトは名前を付けることが出来ない。

 

「いじめてないもん、一緒に遊んでるだけだもん」

 

 リニスに叱られた”アリシア”だったが、彼女はそれでも自分は悪くないと言い張った。

 

「あなたがそのつもりでもアルフは違うんです。相手の気持ちをよく考えなさいといつも言っているでしょう」

 

「だって……」

 

 リニスに叱られてしょぼんとしている”アリシア”の拘束が緩んだことを見逃さずに、アルフはここぞばかりに野生の俊敏さでその腕から逃れて、フェイトの胸の中に避難した。

 

「フェイト~、怖かったよぉ~」

 

 胸の中でガタガタ震えるアルフは、よっぽど身体を振り回される感触が嫌だったのだろう。フェイトは今にも泣き出しそうな従者を慰めるようにゆっくりと彼女の身体と頭を撫でつけた。

 

 懐かしい感触がする。今でこそ凛々しいアルフだが、使い魔としての契約を結んだばかりの頃は、こうやって様々なものにおびえてたものだった。そうして、アルフが震えていたら、そっと近くに寄り添ってフェイトよりも大きな身体を撫でて落ち着かせていた。

 

「大丈夫だよ、アルフ。大丈夫だから。怖い事なんて無いから……」

 

 庭園の闇にまみれて、優しいものも嬉しいものも何もなかったあの頃。そうしてアルフを慰めることで自分自身を奮い立たせていたとフェイトは思いを巡らせる。

 

「う~ごめんなさい、リニス。もう、アルフの嫌がることしません」

 

 言葉尻に涙の気配を浮かべながら、”アリシア”はそう言ってリニスに謝り、ようやく落ち着いてきたアルフに対しても頭を下げる。

 その頭の髪が若干乱れているのは、リニスからお仕置きの折檻を受けたからだろうか。

 

「アリシアもこういっていますから、許し貰えませんか? アルフ」

 

 リニスの優しい言葉に、アルフも肯く。仲直り完了といったところだった。

 

「さて、では朝食にしましょう。プレシアが食堂で待ちくたびれているでしょう」

 

 何故か、硬く握手を交わし合う”アリシア”とアルフを眺め、何とも形容しがたい溜息を吐きながら、リニスは気を取り直すようにパンと手を打った。

 

「わ~い、ご飯、ご飯♪」

 

 普段のアリシアであれば、違和感しかないような喜び方をする”アリシア”だが、フェイトはそんな彼女の振る舞いに気を向けていられる余裕はなかった。

 

 今、リニスは何を言ったのか。誰の名前を呼んだのか。そして、彼女がここにいるのなら、必ずいなくてはいけない人物の事をどうして自分は忘れていたのか。フェイトの脳裏にそんなことばかりが渦を巻いて駆けめぐり、ただ呆然と小首をかしげて自分を見るリニスを見上げることしかできなかった。

 

「プレシア……母さん?」

 

 自分の声が遠く聞こえる。暗い根源の象徴。闇と血と死の象徴であるその言葉。

 それでいても、未だそれを愛しく思い、果たせなかった後悔の象徴でもあるその名前。

 ゾクリとフェイトは背筋を凍らせた

 

 

***

 

 体中がじんわりとしたしびれに覆われて、震える膝や腕は過酷な訓練を行った直後よりも酷い。

 リニスに先導され、”アリシア”に腕を引かれながらようやくたどり着いた食堂らしき広間で一人静かに席に着いてた紫の女性を目に移した瞬間、フェイトはまるで弾かれるたように側の大柱の裏に逃げ込んでしまっていた。

 

 思い出すのは闇と痛み。何度も目を閉ざして耳を塞ごうとしても闇は常にそこにあって、空を切り裂く鞭はいくら耳を塞いでも現実的な痛みとして体中を削っていく。

 

 フェイトは身体を抱きしめ、未だ二の腕の裏側に残る鞭打ちの痕がジクリと痛むように感じられた。

 それは、ただの幻痛だといくら自分に言い聞かせても痛みは記憶の片隅にはっきりと残されている。

 

「どしたの? フェイト。早く行こうよ。ご飯冷めちゃうよ?」

 

 いつまでも動こうとしないフェイトに業を煮やした”アリシア”はそう言いながらグイグイとフェイトの腕を引っ張った。

 

「あ、えっと……その……」

 

 なんと言い訳をして良いのかフェイトには分からない。

 しかし、無垢な幼さを前にしてはフェイトも抗いきれず、ゆっくりとゆっくりと柱の影から姿をだしてしまった。

 

「おはよー、母さま」

 

 厨房から漂う温かいスープの香りに抗いきれず、プレシアの横を軽快にかけていく”アリシア”の声に、プレシアは振り向いた。

 まるで闇を感じさせない穏やかな双眸がはっきりとフェイトの姿を映し出す。

 その視線に晒されて、フェイトはまるで条件反射のように身体を硬くさせ俯いてしまった。

 

「おはよう、アリシア、フェイト。今朝は少し時間がかかったようね。夜更かしはダメよ?」

 

 優しい声だった。それはまるで、記憶の中でだけ覚えている母の声のようだと硬直するフェイトは感じる。

 

「どうしたの、フェイト。何か様子が変だけど。アリシアにいじめられでもしたのかしら?」

 

「む~、かあさま酷い。いじめないもん」

 

 プレシアの軽口に不満いっぱいの声を漏らす”アリシア”の声を前にしてもフェイトは石化の魔法をかけられたように何一つ動くことが出来なかった。

 

「プレシアも何か言ってあげてください。フェイトはどうも、これが夢か幻かと思っている様子なのです」

 

 厨房より食事を運んできたリニスが大盛りのサラダを”アリシア”の手の届かないところに置いて、困惑したような溜息を吐いた。

 

 ここの自分は普段はどのような答えを返すのだろうかとフェイトは思った。思えば、先ほどのプレシアと”アリシア”の言葉の応酬は”何故か”萎縮する自分を和ませるためのものだったのだろう。

 このような光景は、おそらく26年前までは当たり前のようにあったのだろうとフェイトは思う。そして、夢の中や朧気な記憶の中でしか存在しないその空間に今の自分自身がいることを、フェイトは想像することが出来ない。

 

 

 夢にまで見た情景。二度と手に入らないと諦めていたものが今、目の前にあっても、彼女はそれを享受することが出来ないでいる

 

「怖い夢を見たのね、フェイト」

 

 そっと差しのばされる手にフェイトは痙攣するように肩を震わせ、ギュッと目を閉じてしまう。

 

「もう大丈夫よ。ここには母さんがいるわ。リニスも、アリシアも一緒よ」

 

 ふわりと包み込まれる両頬が暖かく、震えも恐怖も背中を包み込んでいた極寒も消えていくようにフェイトは感じた。

 驚いて見上げた母の表情は静かで暖かく、それはまるで春の日溜まりのように包み込まれていく。

 

「プレシア、アタシも~」

 

 フェイトの足下で子犬のアルフも声を上げる。

 

「そうねアルフ。ごめんなさい」

 

 微笑むプレシアの表情にフェイトは心が融かされていくように思えた。

 「どうかしら?」と言葉を出さずに見つめられるその表情にフェイトは言葉を発することが出来ず、ただ無言で肯くことしかできなかった。

 言葉を発するのが怖い。声を出してしまえば、これが本当に夢幻のように消えてしまいそうで、フェイトはただそうする以外に出来ることを見つけられなかった。

 

「それじゃあ食事にしましょう」

 

「ええ、フェイトはこちらの席にどうぞ」

 

 プレシアの声に応じてリニスが”アリシア”の対面の椅子を引き、アルフは意気揚々とその席の下に座った。

 

「お腹すいた。ねーリニス。早くごはん持ってきてよ」

 

 四人で使用するテーブルにしては些か広すぎるテーブルに寝そべり、足をぶらぶらさせる”アリシア”はよっぽど空腹なのか、正に待ちきれない様子だった。

 

「お行儀が悪いですよ、アリシア。温め直してきますので少し待っていてください」

 

 そう言うリニスにプレシアとフェイトは無言で肯いた。

 

「はぁーい」

 

 と”アリシア”も不満がありそうな声を上げて、少しだけ姿勢を正した。

 

 そうして且く待ち、リニスが暖かな湯気を上げる野菜スープを配膳したところで朝の食事が始まった。

 

「美味しいわ。このバジルは、庭に植えたものかしら? 後はセロリとタイムかしら。なかなかバランスが整ってるわね」

 

「ご名答です、プレシア。前栽のものが良い感じに茂っていましたので早速使わせていただきました。一晩ほど水に浸してあくを抜いていますので、口当たりはよろしいと思います」

 

「いっそ生でドレッシングをかけていただきたいわね」

 

 そう言ってプレシアは足つきのグラスに注がれた透明なワインを口に含み、満足げに微笑んだ。

 

「えー? 私、苦いのいやぁ」

 

「好き嫌いはいけませんよ。何でも食べないと大きくなれません。プレシアも朝からお酒を飲まないでください」

 

 口うるさいリニスに少し鬱陶しそうに手で答えながら、しかし、プレシアの口元には幸せそうな笑みが広がっていた。

 

 隣に座るリニスに好き嫌いを咎められながらも食べることに夢中な”アリシア”。

 足下では子犬のアルフが顔ほども有るような骨付きの肉を口いっぱいに頬張っていて。その尻尾は千切れんばかりに振り回されている。

 

 

  どれもが嘘だとは思えない。

 

 

「あれ?」

 

 フェイトは声を漏らした。

 ポタリとスープに落ちる水滴の音。

 スープの湯気に視界が曇って見える。

 

 誰もが笑っていて、その笑みはあまりにも暖かく穏やかで、幸せしかない食卓。

 届かないと諦めてもなお渇望し続けたものが、目の前に広がっているにも関わらず、フェイトはどうして今自分が涙を流しているのか理解できなかった。

 

「どうかしましたか? フェイト」

 

 とつぜん食事をとめてしまったフェイトにリニスは何か粗相でもしたのかと心配になった。

 

「な、何でも……ないよ、リニス……」

 

 今この時間を壊したくない。どれだけ有り得ない光景であっても、今この時に嘘はない。だから、せめて時間が許す限りそれに浸っていたい。

 

 現実から逃げているのかもしれないとフェイトは思う。

 しかし、最上の幸せを手放してまでこの幻と夢を否定出来るほどフェイトは強くもなかった。

 

 

***

 

 

 前庭を少し歩いた先にある森の入り口は、少しだけ小高い丘となっている。

 小さい頃、ここで母プレシアに花冠を作ってもらったという記憶がフェイトにはある。薄ぼんやりとして、それこそ正に夢のような記憶ではあるが、それでもあの頃はそれこそが唯一の心の支えだった。

 

 光が照りつけている。穏やかな陽光が木の葉の間から差し込み、それはまるで深緑の空にちりばめらた満天の星空のようだとフェイトは思った。

 酷く明るい庭園。気候のはっきりとしないアルトセイムの常春の空気。しかし、そこに浮かぶ太陽はまるで月のような静けさを持ち、どこか儚い。

 

 そんな光の中でくるくると駆け回る”アリシア”にフェイトはふと目を向けた。

 先ほどまでは花を摘んで髪飾りや腕輪を作っていたが、今ではどこからともなく飛んできた蝶を追い掛けて走り回っている

 

『光は天敵だけど、どうしようもなく憧れてしまうものでもあるんだ。それは夜空の星を掴むようなもので、決して手が届くものではないけど、途方にもなく求めてしまうんだよ』

 

 何時しか聞いた姉の言葉が蘇る。なぜ、とフェイトは思った。日の下に出れば彼女はあんなに辛そうに、憎々しげに空を見上げているというのに、その眼差しに憧れの念があるとはどうしても思えなかった。

 ともすれば自分の命を奪いかねないものを、心の底では求めている。それをフェイトは理解できないと感じた。

 

 この世界は誰にとっての憧れの世界なのだろうかとフェイトは思う。

 決して得ることの出来なかった、本物の家族の暖かさを求めた自分のものなのか。それとも、今こうして自由に光の中を駆けめぐる”アリシア”のものなのか。

 

「ねぇ、フェイト、フェイト」

 

 肩を叩かれる感触にフェイトは少し驚いて目を上げた。

 

「あ、えっと? なに、アリシア」

 

 目を向ければそこにはキラキラした笑顔で手を引く”アリシア”が立っていた。追い掛けていた蝶はどこかへ行ってしまったのだろうかとフェイトは思いながら、手を引かれるままに立ち上がる。

 

「ねえ、フェイト。空飛んでよ。いつもみたいに私を抱えて。ね? いいでしょ?」

 

 どうしていきなりそうなるのか。フェイトには少し理解が出来なかったが、おそらく彼女の中には明確な理由など無いのだろうと予想が出来た。

 見上げる空に一羽の白鳥が円を描き舞い飛んでいる。空の蒼にも大地の青にも染まることなく、ただ一つで飛び続けるその鳥はどこか寂しそうに見える。

 

「一緒に飛びたい」

 

 フェイトを見上げる”アリシア”の眼差しはとても真剣だった。フェイトはそれに抗う方法を知らず、ただ請われるままに肯いた。

 

「ありがとう、フェイト」

 

 そう言って抱きついてくる”アリシア”を少し離れさせ、フェイトは魔法行使を開始する。

 飛行魔法は自分自身に特異な力場を発生させるため、魔法的な防御能力のない”アリシア”が側にいると何かと危ないことがある。

 

「置いてかないでね?」

 

 引き離された”アリシア”は少し不満そうな目を向けながらも大人しくフェイトに従い、少し離れた木の根元に立ってそれを見守る。

 

 フェイトは一度肯き、リンカーコアを通じて体内で練り込んだ術式をゆっくりと開放させた。

 バルディッシュのない状態での魔法行使は、随分久しぶりだとフェイトは感じた。

 しかし、魔力を徐々に開放していくにつれ次第に軽くなる身体と上に引き寄せられる感触をみて、フェイトは成功を確信した。

 

「良いなぁ、フェイトは。私だって母さまの娘なのに。魔法は全然だし、フェイトの方が頭が良いし。背なんて全然勝てないし、おっぱいも……」

 

 と、”アリシア”は自分の平たい胸元をペタペタと撫でながら、フェイトの胸とを見比べて溜息を吐いた。

 

 フェイトとしてはそんなことを言われてもなんと答えて良いのか分からない。自分がそれほど大きいとは思えないし、母や恩人の提督に比べれば無いも同然だとも思う。

 

 ともかくフェイトは何時までも飛行魔法を待機させているわけにも行かず、”アリシア”を呼び寄せて彼女を胸の中に抱き留めた。

 

「えへへ♪」

 

 幼い故に体温が高い”アリシア”の熱を感じ、フェイトはどこか心が落ち着く感触を味わう。

 思えば、こうしてアリシアを抱きしめるのは初めてだとフェイトは思った。

 自分は、どちらかといえばアリシアに抱き留められ、専ら慰められて、頭を撫でられる側だった。

 こうして改めてアリシアを腕の中に治めてしまえば、彼女がいかに小さく儚い存在なのか、フェイトはその新鮮な驚きを胸の中にしまい込んだ。

 

 行くよ、というフェイトの声に”アリシア”は元気に頷き、フェイトは彼女に極力負担をかけないようにゆっくりと、それこそ蝶の飛ぶ程の速度で空中へと舞い上がった。

 

「すごーい! はやーい! やっぱり、フェイトはすごいね」

 

 頬を撫でて通り抜ける風と、どんどん小さくなっていく庭園の木々を見おろし、”アリシア”はフェイトの腕の中で手を振り回してはしゃいだ。

 

 バルディッシュの補助のない今は、フェイトはあまり機敏に飛行することは出来ない。

 フェイトは遅い速度をさらにゆっくりにして、”アリシア”の脇を通して腹の前で組む腕に力を入れた。

 

「あっちだよ、フェイト」

 

 ”アリシア”が指さす先、月のように穏やかな太陽の中に映る小さな影。

 ただの一羽で空を飛び続ける白鳥の姿をフェイトは捕らえ、飛行魔法の方向指示シーケンスをゆっくりと水平より若干斜め上方向へと向けた。

 

「あれ? 逃げちゃう?」

 

 先ほどまで上空で円を描いて滞空していた白鳥は、とつぜん現れた見慣れない飛行物体に驚いたのか、それは太陽へと向けて一路航路を変更して飛び去ろうとした。

 

 徐々に離れていくその姿。腕の中で”アリシア”は追い掛けてと何度も何度も声を上げるが、その距離は広がっていく一方だった。

 

 自由に空を飛ぶ鳥には勝てない。人間はそもそも空を飛ぶようには出来ていない。その後ろ姿はまるでそう自分に告げているようにフェイトは思えた。

 

「行っちゃったね。残念、一緒に飛びたかったのに……」

 

「うん。そうだね……アリシア……」

 

 あの空の向こうには一体何があるのか。あの鳥が飛び立っていった向こう側には何が待っているのだろうかとフェイトは思いめぐらせる。

 そして見おろす庭園は、奥深い森を背景にして、その中を切りとられた一角にそびえる。緑豊かで花が生い茂る。

 それは、まるで、外界から切り取られた箱庭のようにフェイトには映った。

 

 周囲を森に囲まれ、行き来できる道はその中程を通るただ一本のみ。

 母の、そして自分のかつての心境を映す鏡のようにフェイトには思えてならなかった。そして彼女達の母は、やがてそれすらも直視できなくなり、庭園ごと時空間の海に逃れた。プレシアはおそらく逃げ出したのだ。死者との思い出しか残っていないこの場所から。そこには過去しかなく、未来がない。

 絶対的な孤独。絶対的な拒絶。そして、それを引き起こした原因が今、自分の胸の中で歓声を上げてはしゃいでいる。

 

「ん~? どしたの? フェイト」

 

 白鳥に手を振りながら別れを惜しむ”アリシア”がフェイトの視線に気がつき、おもむろに首を回してフェイトの表情を覗き込んできた。

 

「……何でもない……そろそろ、降りようか?」

 

 フェイトは小首をかしげる”アリシア”に小さく首を振って答える。

 もう少し飛んでいたいという”アリシア”に、空は気温が低くて身体を冷やすからと言って、答えを聞かずゆっくりと高度を下げ始めた。

 

 頬を膨らませていかにも私は不満ですと告げる”アリシア”を何とか言葉でなだめながら、徐々に足下に大きくなっていく庭園の木々を見おろし、フェイトはそっと溜息を吐く。

 

 自分に残されてたこの庭の風景。しかし、その記憶は母から与えられたアリシアの記憶で、記録上のこと言えば、自分はこの風景を見たことがない。はたして、自分が覚える故郷の風景には、どれほどの価値があるのかとフェイトは思う。

 

 降り立った地面の柔らかい芝生にそっと”アリシア”を下ろし、フェイトはそのまま近くの大木の木陰の根本に腰を下ろした。

 ”アリシア”はそのまま空を見上げ、飛び去って今ではもう裁縫針の先ほどの大きさにしか見えない白鳥の行方を何時までも見つめ続けていた。

 

「鳥は、どこまで飛び続けられるんだろうね……」

 

 ふと”アリシア”の口から漏れだした言葉にフェイトは少しだけ考え、そして口を開いた。

 

「たぶん、空がある場所までだと思うよ」

 

 そう言ってフェイトはふと思い浮かべた。

 ミッドチルダの空、地球の空、そしてこのアルトセイムの空。世界は違えども空は同じだった。もしかしたら、すべての空はどこかで繋がっているのかもしれないと。

 

 馬鹿馬鹿しいとフェイトは首を振った。

 

 そして、フェイトは”アリシア”に習い空を見上げた。そこにはいつの間にか薄雲が漂い始めていて、澄み切った青空、柔らかな陽光が次第に雲間の端々に追いやられていく。

 

「ひと雨来そうだね」

 

 ”アリシア”の呟き。それに呼応するように、細い雨がぽつりぽつりと降り始めてきた。

 巨木の影に身を寄せるフェイトと違い、空に身をさらす”アリシア”はその雫に次第に身体を濡らしていく。

 酷く冷たい雨だった。

 

「そろそろ戻ろうか」

 

 ”アリシア”は振り向いてフェイトに庭園の建物を指さして誘った。

 

「私は、もうちょっとここにいる」

 

 この雨は長く続きそうに思えた。本当なら、”アリシア”の言うように建物に戻る方が正しいのだろうが、フェイトはまだそこには戻りたくはなかった。

 戻ればもう、出ることは出来ない。フェイトはそう根拠のない思いにとらわれ、自分自身のあり方をもう一度見つめ直したかった。

 

「そう? だったら、私も、雨宿り」

 

 ”アリシア”はそういってフェイトの隣に足を伸ばして座った。フェイトに身を寄せるように。雨に打たれて少し冷えた身体を温めるように。

 フェイトの温もりを感じて”アリシア”は「フェイトは暖かいね」と言いながら微笑んだ。

 

 フェイトは膝を持ち上げ、折り曲げられた脚を抱え込むようにうずくまった。

 

 深(シン)と降り続ける霧雨の中、二人は言葉を発せずにただたたずみ、雨がやむのを待つ。

 

「ねえ、”アリシア”」

 

 フェイトの声がその沈黙を破る。木の葉の間から滴る雫のように降ってきた言葉に”アリシア”は少しだけ視線を上げた。

 

「どうしたの?」

 

 ”アリシア”に目を向けず、少しだけ俯いて、膝の間に顔を沈めるフェイトの表情は”アリシア”では形容のしがたい感情が渦巻いていた。

 悲しみと寂しさ、安心感ととまどい、そして迷い。

 

「これは……夢……なんだよね?」

 

「…………」

 

 ”アリシア”は口を閉ざす。その沈黙はフェイトの問いへの答えを明確に述べており、フェイトは否定されない問いに一つの終わりを感じた。

 

「私が見ている夢。欲しくて、手を伸ばしても届かなくて、諦めていた夢」

 

 夢と現実の境は非常に曖昧であるといつか聞いたことがある。

 現実も夢も突き詰めれば自意識が認識する世界であり、その自意識が夢と現実を区別している。覚めるものが夢であり、覚めないものが現実であると。

 

「母さんはもういない。それに、本当の母さんは私にあんなに優しくはしてくれなかった」

 

 それが夢であればどれほど幸せだっただろうかとフェイトは何度も何度も思い、夢に見てそのたびに覚めてきた。

 アルフがいてリニスがいて、その側にはアリシアが居て、それを笑顔で眺める母の姿と、その中でただ幸せでいるだけの自分。

 何度夢見たのか、数えるのも億劫なほどだった。そして、そのたびに自分はまだまだ未練が抜け切れていないと理解させられる。

 思えばそれこそが、リンディから養子にならないかという誘いに二の足を踏む要因になっているのだろう。

 

「優しい人だったんだよ。優しすぎたから壊れたんだ」

 

 自分の死が招いた悲劇。どうしてこうなってしまったのか。”アリシア”は自分自身の死よりも、それによってもたらされた結果に悲しむ。

 

「フェイトも、最初から気付いてたよね? 私は、フェイトが知っているアリシアじゃないって。だから、私をお姉ちゃんって呼んでくれないんだよね……」

 

「……うん……ごめん」

 

「謝らなくても良いよ、フェイト。確かに私は、あの人とは違う。けどね、私もアリシアなんだ。私も、フェイトのお姉ちゃんなんだ……」

 

「うん」

 

「ここなら、私もフェイトのお姉ちゃんでいられる。母さまもリニスも、アルフだっている。ねえ、フェイト。私じゃダメかな? 私じゃあ、貴方のお姉ちゃんにはなれない? 私は、フェイトのお姉ちゃんでいられないのかな」

 

「ありがとう、アリシア。でもね、たぶん、お姉ちゃんならこういうと思う。『夢に甘えるな』って……ううん、違うかもしれない。もしかしたら、『自分で考え自分で決めろ』って言うかもしれないね」

 

 そして、彼女はそうして自分が出した答えに肩をすくめながら『莫迦な妹に苦労させられるのは姉冥利に尽きるよ』と言って、すべてを受け入れてくれるのだろう。

 

「うん。そうだね、きっと私ならそう言うと思うよ」

 

「だから、私は……逃げちゃいけないと思うんだ。『捨てれば良いってわけじゃない。逃げれば良いってわけじゃ、もっとない』。自分で決めたことを忘れるところだったよ」

 

 ”アリシア”は思う。フェイトの姉は、きっと逃げることを否定しないだろうと。

 逃げ場さえないなんて、悲しすぎるから。

 そして、彼女は、捨てたいと思うのなら捨てれば良いとも思うだろう。

 自分の意志でそれを決めたのなら、胸を張って捨ててしまえばいい。

 逃げることも捨てることも出来ないなんて。それはあまりにも無慈悲だとおそらくアリシアは思うだろう。

 

 しかし、”アリシア”はその思いを閉じこめ、頷いた。

 

「強いね、フェイトは」

 

「そんなことはないよ。なのはのおかげで、私は自分を始めることが出来たんだ」

 

 自分はまだ何一つ自分の力だけで生きてきていないとフェイトは思う。なのはとユーノに救われて、アースラの皆に道を与えられ、ハラオウン親子によって愛情を与えられている。

 何よりもアリシアが心の支えとなり拠り所となってくれたお蔭で、今の自分はこうしてここにいるのだと胸を張って言える。

 

「いつか、恩返しがしたいんだ。だから、私は…………ここには、いられない……」

 

 一人で生きていない人間は強いと”アリシア”は思った。誰もが弱さを補い合えば、誰かが絶対的に強くなくとも人は強くなれるのだと。

 それは非常に簡単な話だと”アリシア”も思う。そして、ここにいてはその強さも意味が無くなる。

 諦めるしかないと”アリシア”は思った。

 

「あーあ、これで私もフェイトと一緒にいられるって思ったのになぁ。失敗しちゃった」

 

 飲まずにはやってられないと思えてしまうのは、自分ではない彼女の影響を受けているのだろうかと”アリシア”は思い、一笑の下にその考えを消し去った。

 

「ごめんね、アリシア」

 

 フェイトの表情、その視線にあるのは下心のない申し訳なさだった。

 フェイトと一緒にいたい、母とかつての猫の友達と一緒に暮らしたいという下心を持っていた自分と比べると、彼女はまぶしすぎると”アリシア”は感じ、怨む余地も憎む余地も何もないと思い至る。

 少しだけフェイトが心配だ。これから生きていく世界はここに比べてとても汚れが多い。変な男に引っ掛からないと良いなと”アリシア”は考え、立ち上がった。

 

「いいよ、フェイトが決めたことだから」

 

 湿った土に少し汚れてしまったスカートをバサバサと払いながら、”アリシア”は雲間から僅かに差し込み始めた陽光に手をかざしながら仰ぎ見た。

 この世界は誰の意志を受けて移り変わるのかと考えていた。最初はこの夢の主題であるフェイトかとも思ったが、少しだけ自分の感情も受けて移り変わっているのではないかと”アリシア”は思った。

 差し込む陽光は強くはないが暖かい。月のような冷たく儚い光ではなく、夏の日のような無遠慮な灼光でもない。

 深緑が芽吹いていくような優しい光。この胸を次第に包み込んでいく達成感みたいな満足感にそれは同期しているように思えた。

 

 アリシアはポケットを探り、そこから二枚のプレートを取り出しフェイトへと差し出した。

 それは、この世界から解放されるための鍵。

 

「そっか、アリシアが持っていたんだね」

 

 彼女の小さな手の上に鎮座する二枚のプレート――バルディッシュとバルディッシュ・プレシード――はようやくまみえることが出来た自らの主に、無言で光を明滅させる。

 

「フェイトとバルディッシュなら、きっとここから出ることが出来る」

 

 出ようとする意志があるのなら、道は開くと”アリシア”は告げた。

 

「だけど、お姉ちゃんとはやてを置いては……」

 

 闇の書に取り込まれたのは自分だけではない。二人の少女――助けると誓った彼女たちを置いては外に行くことは出来ない。

 

「大丈夫。あの私ならきっと上手くやるよ。悪運ばっかり高くて、殺しても死なないような人だからね。きっと、大丈夫。はやてに関しては……たぶん、フェイトの出る幕は無いと思う。ごめんね、厳しいこと言っちゃった」

 

 フェイトは”アリシア”より二機を受け取り、そっと彼女を抱きしめた。

 

「フェイト?」

 

 もうお別れかと思っていた”アリシア”はそのとつぜんの抱擁に驚く。

 フェイトの肩が震えている。雨に打たれて寒いのかと思い、”アリシア”もフェイトの背に手を回して熱を伝えるように撫でつけた。

 

「私は……母さんに生きていて欲しかった。どんな形でも死んで欲しくなかった。愛してくれなくても、抱きしめてくれなくても、私をみてくれなくても、私は母さんに生きていて欲しかったよ」

 

「うん。分かるよ……たぶん、私も同じだとおもう」

 

「だから、ほんの少しの間だったけど。夢幻でしか無かったけど、私は幸せだった」

 

「忘れないで。それだけで、たぶん私たちはフェイトの側にいられると思うから」

 

「うん、絶対に忘れない」

 

「さよなら、フェイト。現実でも、フェイトのお姉ちゃんでいたかったなぁ」

 

 ”アリシア”の身体から光が放たれる。その光は粒子となって、次第に”アリシア”を包み込み、彼女の姿はその光と共に空気に溶けていくようだった。

 抱きしめる身体の感触が希薄になっていく。抱え込んだ熱が発散されるように、彼女の気配そのものが次第に周囲に同化して輪郭を失う。

 

 ”アリシア”は笑顔で消えた。

 

 残された空気、熱の残滓を抱きしめるようにフェイトは自身の肩を抱いて、瞳よりあふれ出そうになる涙をこらえた。

 

「さよなら、アリシア。さよなら、リニス。さよなら……プレシア母さん……」

 

 抱きしめた肩のふるえが収まり、フェイトは目元を拭って、手の中に収まった二機に、強い意志の宿る視線を送り込んだ。

 

 そして、フェイトはしっかりとした足取りで立ち上がり、バルディッシュとプレシードを起動させる。

 

「外に出るよ、バルディッシュ、プレシード」

 

《Yes,sir》

《Of couse,Little sister》

 

 主の強い声に二機は誇り高く吼え、戦斧と戦衣を顕現させる。

 金色の光を纏いながらフェイトは黒い装束に身を包み、手に持つ杖は鋭角のフレームを力強くスライドさせた。

 スライドするジョイントカバーと激発された二発のカートリッジが莫大な魔力をフェイトにもたらした。

 

(我に打ち払えぬ闇は無し)

 

 フェイトの耳にそんな声が届いた。

 

「バルディッシュ、ザンバーフォーム」

 

 闇と幻覚を打ち払うために、フェイトはそれにふさわしい武器を求める。

 

《Zamber Form Get set.》

 

 バルディッシュは応じて、自らのフレームを変質させた。

 

 杖頭の斧槍が大きく展開し、それは二つに分かれて引き延ばされ、グリップは徐々に短縮されていく。

 斧槍の刃はなだらかになり、一対となった。その間からは短縮されたグリップの代わりに尖端のとがったブレードが延ばされていく。それは諸刃の剣身。

 広く長く展開された鍔より、フェイトの身の丈を遙かに凌駕する金色の魔力の剣身がブレードを包み込むように展開し、その金色の光は広い庭のすべてを照らしつける。

 

 月よりも明るく、星よりも輝かしく、太陽よりも淑やかな光。

 黄色は黄光を放ち、フェイトは自らの光を確信することが出来た。

 

 フェイトは自らの光を振りかぶり、その剣身は天を指し示し、脚は大地を踏みしめる。

 

「雷光一閃! スプライト・ザンバー!!」

 

 その一閃は世界を切り裂き、幻想空間は音を立てて崩れ去る。その先にあるものは深(シン)とした闇。

 

 闇の中に光があった。その光は金色であり、それは金色の道となり、導きの光跡となった。光に彩られた道はまっすぐと天へと伸び、その先に僅かな白い光を生み出すに至る。

 

(あそこだ!)

 

 あの光の向こうには世界が広がっているとフェイトは確信し、空も大地もないただの闇の空間へと躍り出る。

 

『さようなら、フェイト』

 

 そしてフェイトは、視界が白く塗りつぶされる寸前にそんな言葉を聞いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 RaisingMoon

(12/19)


 

 

 闇のゆりかご。それはまさにそう表現するに相応(ふさわ)しいとはやてはゆっくりと思い浮かべた。

 

 何もない空間に空っぽになった自分がただ一人。ただ、足下でゆっくりと円を描く魔法陣からわき上がる光のみが世界を照らす。

 照らされた世界はやはり空虚でしかなく、生命の存在しない深海もまたこのような光景が広がっているのではないかと緩やかに思い浮かべた。

 

 静かだった。世界の終わりとはこういうものではないかと思うほど静かだった。

 人は死に際したとき、それまでの一生分の記憶を走馬灯のように見ると言うが、あいにくはやての脳裏には何も浮かんでこない。ただ空虚なままだった。

 

(一生ゆうても、たったの9年分やったらほんの一瞬やろなぁ)

 

 酷く眠い。このまま眠ってしまえばもう目が覚めないのではないかと思うほど眠い。

 夢さえも見ないほど深い、深い眠り。

 恐怖は、不思議とわいてこなかった。

 

 希望などなく、ただ静かに死んでいこうと考えたあのとき。そのときを境に悲しみを感じることがなくなった。最初から望まなければ絶望することもなく、悲しみに涙を流すこともないと気がついた。

 

(せやけど、それは違ったんや)

 

 半年前、突然出来た家族にそれは覆された。

 最初は、いきなり地震と共に書物から出現した彼らを幾分かは怪しいと思った。しかし、彼らは非常に誠実だった。

 自分に傅く騎士達。

 この人達なら信頼できる。自分を同情することなく、腫れ物を扱うこともなく、ただ家族として側にいてくれるのではないかと、はやては久しく感じた希望に胸を躍らせた。

 

 与えられた喜び、他人と共にあることの幸福。たった半年ではやての世界は大きく変えられてしまった。

 

(そう長くは続かへんとも思ってたんよ。そしたら、案の定や)

 

 ハハ、とはやてはため息のような笑みをこぼした。

 

 与えられないことは覚悟していた。人並みの幸せも、無類の愛情も自分には無縁だと理解していた。

 

 しかし、与えられたものを奪われる痛みをはやては今まで感じたことがなかった。

 

「闇の書は世界を滅ぼす、かぁ……」

 

 病室で自分よりも遙かに年下の少女から告げられたこと。あまりにもスケールが大きすぎて理解することができなかった。それは、幼い少女特有の虚言なのかとも考えることもできた。

 

「やけど、アリシアちゃんは嘘は吐いてなかった」

 

 彼女の真摯な瞳。彼女の口から出された言葉には静かな力があった。そう感じることができたから、はやては彼女の言葉を信頼し、その手を取ることができた。

 

「それでこの体たらくや。結局、私はみんなを押さえられんかった。ほんまに主失格やなぁ」

 

 信頼を裏切られたとは思わない。ただ、どうしようもなく間に合わなかった、ただそれだけのことだ。もう少し早く自分にたどり着いていてくれていればと、ともすればこの悲劇は回避できたかもしれない。そう思いながら、はやてはふと口に笑みを浮かべた。

 

「歴史にIFは無いなんて、ありきたりで使い古されたことを言うようになるなんてなぁ。まあ、ええわ。もう、疲れた。このままゆっくりと眠ってしまえばええんや……」

 

 目を閉じれば、そこに浮かぶのは幸せな日々。求めても手に入らずに諦めていた日常の風景。この幸せを抱いて寝れば、おそらく苦しむことはないとはやては願い、意識を閉ざす。閉じた目蓋の向こうに広がっていたものも、やはり闇に過ぎなかった

 

 

「主は、それで良いのですか?」

 

 しかし、それは聞き覚えのない女性の声に遮られた。こんな闇の中で自分以外の人間がいるとは、祖像もしていなかった。はやてはゆっくりと目蓋をあげる。閉ざされる前に、自分を目覚めさせようとする声の主を確かめておきたいと思った。

 

「なんや? もう寝ようと思ったのに、私の安眠を妨害せんといてや」

 

 最後ぐらい自分の好きにさせて欲しいとはやては切に願っていた。何せここは酷く居心地が良い。自身の安眠を妨害しようとするその声の主をはやてはボンヤリとして定かにならない視界の中に捕らえた。

 

「主は、本当にそれで宜しいのですか。それで満足なされるのですか?」

 

 いつの間にか膝をついて、車椅子に座るはやてと同じ高さにある紅の双眸。それは、病室で出会った二人の少女の瞳の色にとてもよく似ていた。その両の眼で見つめられればはやての心は落ち着かなくなる。どうしても安眠を得たいのなら、この少女は邪魔になるとはやては感じ、その視線から目をそらせた。

 

「私は、もう奪われるのはいやなんや。悲しいことも苦しいことも、もうたくさんや。このまま眠ってしまえば、誰にも邪魔されない安息が待っているような気がする。もう、私につきまとわんといて」

 

 その声に灼眼の少女は、まるで仮面のように凍り付かせていた表情を僅かに歪めた。これは、自分が招いた、いや、招き続けてきた結果なのだと深く理解する。今も、今までも、こうして直接顔を合わせた主はこの数百年の間でさえも数えるほどもいなかったが、それらもことごとく得られた結果は同じだった。

 

 

  悲しみの輪廻は断ち切ることができない。故にこれが運命であると諦めてきた

 

 

 しかし、此度の主はそれまでの主とは大きく異なっていた。ただ、家族と共に穏やかで幸せな日々を過ごしたい。闇の書が存在して以降、自分にそのような願いをかけたものがいただろうかと思う。いや、そもそもこの主は力を必要ともしなかった。

 

「しかし、私は主の言葉――死にたくない、生きていたいという言葉を、その願いを忘れておりません。そして、彼等もまた希望を持ち続けています」

 

 彼等という言葉にはやては面を上げた。目に飛び込んでくる紅の双眸に身体を覆い尽くすほどに長い銀の髪。黒く染められた衣服はまるで彼女を縛り付ける拘束衣のように見えて、はやてもまた彼女も自分と同じように呪われた運命に縛られているのだと感じた。

 

『ご覧ください』

 

 と彼女は無言で告げながら跪いていた上体を起こして立ち上がり、振り向いて手を虚空に掲げた。

 はやての見つめる闇の中、そこに光が灯り、その光は闇を方形に区切り、動きのある情景を生み出した。

 ノイズ混じりの窓が次第に鮮明になっていき、はやては息を飲み込んだ。

 

「ヴィータ、なのはちゃんにユーノくん?」

 

 朱い光に翠の軌跡が螺旋に絡まり、その二つの光を包み込むような桃色の光が入り乱れる。

 

『こんなの、はやてが望むわけねぇ! いい加減目を覚ましやがれ!』

 

 遠方で円を描いていた朱い光がとつぜん近づき、それは大槌を振りかぶる少女となって襲いかかってくる。

 撒き散らされる真朱の光と、その光を打ち払う黒い闇。

 幾重も放たれた黒い刃が赤い光を散らすように交差するが、それは黒と朱の間に割り込んだ翠の盾に防がれ離散する。

 そして、視界の端に映る桃色の幾重もの光弾が恐ろしい速度で襲いかかる。

 それはまるで今まさに自分自身に襲いかかってきているようで、はやては思わず目を閉じる。

 先ほどまで目蓋の裏側に広がっていた闇は、弾ける桃色の光の残滓に染められている。

 

 はやては目蓋に力を込め、すべてを拒絶するように耳に手を当て、蹲るように自身の胸を抱きかかえた。

 

「それでも……それでも、私は辛いのはもういやや。下手な希望を持って絶望するのもいやや。もう、嫌なんや……もう失いたくない」

 

 人は何故苦しむのか。それは、期待するからだと気がつき、すべてに対して彼女は期待することをやめた。望みを持つこともやめた。何も望まず、何にも期待することがなければ、いかなる事が起こっても「そういうものだ」と言って諦めることができる。諦めることができれば心穏やかにいられると彼女は信じていた。

 

 

  すべてをありのままに受け入れようと誓ったはずだった

 

 

 それはまるで、すべてを運命の定めたる仕業(しわざ)として滅びを受け入れてきた闇の少女と重なる。そうか、と闇の少女は思い至った。どうして、プログラムに過ぎない自分がこうも此度の主に対してここまで心砕くのか。まるで同じなのだ、自分と今代の主とは。

 

「私は管制人格です。本来、プログラムに過ぎない私はただプログラムに従うのみ。主がここで眠りたいとお思いであれば、私はそれに従い、すべてを時の流れにゆだねます」

 

 しかし、それもここまでだと闇の少女は考える。たとえ、いかに自分が此の主の救いを求めても、自分自身はただ闇の書を管制するプログラム体に過ぎない。たとえ今、自身の母体となるものが管制体である自分自身の意志を受け入れなくても、自身ができることは主が望むことのみ。

 

「……私は……」

 

 そうしてしまえば、この世界は亡びるという言葉がはやての脳裏に蘇る。しかし、それに肯けば自分はようやく安らかに眠ることができる。

 もう、眠くて仕方がない。いっそのこと、すべてを保留にして放り出して眠りにつきたいともはやては思った。

 

「最後にお聞きいたします、主……いえ、八神はやて。貴方は何をお望みか? 本当の願いを、私にお聞かせください」

 

 その答えは既に出しているとはやては思い浮かべた。自分はもう、傷つきたくない。期待を裏切られたくない。絶望に沈むのはこりごりだと述べた。だから、自分はもう眠りたいのだとことごとく言葉にした。

 それが最後の言葉で、それをもって願いが成就されるのなら、迷うことはないとはやては思った。ずいぶんとボンヤリとして曖昧な意識の中で思い浮かべた。何故か口には出せなかった。何故かとはやては思った。そして、眼前の虚空に浮かぶ外界を映し出す窓にふと目を向けた。そこには桃色の光があった。強い光だった。広げられた三対の大翼。そしてその白い小躯を繊細に揺れ動かす二対の小翼が目に映りこむ。

 桃色の盾を掲げ、黒い衝撃を正面から受け止めてその小躯が吹き飛ばされ、相殺しきれなかった衝撃によってその煌びやかなドレスの裾を焦がす。

 頭側に揺れる小さな可愛らしいお下げは熱風に晒され尖端が千切れ千切れに乱れる。

 

「……なのはちゃん……」

 

 正にその姿は満身創痍。それでもなお、その瞳からは光が失われてない。強い意志が込められた光だった。どうして、彼女は此の絶望的な状況においてもその意志を失わずにいられるのだろうか。はやてはそれが不思議で不思議でならなかった。

 

『なぜ戦う?』

 

 はやてはそんな言葉を聴いた。誰の言葉だったのかは分からない。酷く硬質で平たく。それでいて悲しみを内包させる声に思える。

 

『それは、負けたくないから!! みんな一緒だから!! ユーノ君が一緒に戦ってくれてる。ヴィータちゃんも一緒だから。はやてちゃんも、アリシアちゃんもフェイトちゃんもきっと一緒に戦ってくれていると思う。きっとこんなはずにならないように頑張ってると思うから。だから……負けられないのぉ!!!』

 

 あまりにも強い声だった。まるで太陽のようだとはやては胡乱(うろん)な意識の中で思い浮かべた。

 

『僕はもう、誰も……誰も失いたくないんだ! 二度と……絶対にだ! 僕はもう、ベルディナみたいに、誰かがいなくなるのは嫌なんだ!!』

 

 翠の少年の声が白い少女の声に重なった。それは、失うことを知っている者の叫びだった。

 

「なんで、みんな私のためにそこまでやってくれるんや?」

 

 確かにこのままでは彼らの住まう世界も滅びてしまう。家族も友人も何もかも消え去ってしまうだろう。しかし、彼らがただそれだけのために戦っているとはとうてい思えなかった。はやてはその光景を眺めるまま、ただどうしてと呟くばかりだった。

 

「それはただあなたを助けたいからでしょう。彼らはあらゆる悲劇を容認しない。愚直なまでの理想をただ持てる力のすべてを使って実現させようとする。主はやて、あなたの目指すもの、夢見るものは何ですか?」

 

 闇の書の少女はもう一度跪き、はやての滑らかな頬を両手で包み込んだ。遠い昔、はやてにとって記憶も定かではない頃、まだ彼女の両親が存命だった頃、自分もまたこのような暖かな掌に包まれていた記憶が蘇る。

 あの頃はもう戻ってこない。しかし、彼女は確かにそれに匹敵する、それを凌駕するような暖かさを確かに得ることができていた。

 

『私は、君を死なせたくない。私はもう、繰り返したくない』

 

 夕日の差し込む静寂な病室で金髪灼眼の幼子が口にした言葉が蘇る。耳の底に残る声はどこか悲壮な願いが込められていて、ただ無条件に信じてもいいと思わせるような確かな意志が込められていた。

 

「私は死にたくない、生きていたい。そのことは……今も変わらへん。……忘れるところやった」

 

 自分には多くの願いがかけられている。消えてしまったシグナムははやての無事と幸運を、ヴィータもシャマルもザフィーラも同様にそれを願う故に道を違えた。そして、なのは、ユーノ、フェイト、そしてアリシア。彼らの願いが確かに届けられたとはやては覚えることが出来た。

 

「私はここからでたい。ここはどうもあかんわ。居心地が良すぎて、眠とうなって、あかんくなる。私に協力してくれんかな?」

 

 そう、この闇の空気はあまりにも穏やかで包み込まれているような安心感がある。それはまるで、地獄ほど居心地がよく見えるという恐ろしさがあり、ここにいてはダメだとはやては判断した。

 

「主がそう望まれるのであれば」

 

 主に従うデバイスとして、彼女は無上の喜びを得た。それは単なるプログラムの導き出す擬似的な感情であることは理解している。しかし、人としての情に目覚めた騎士達と同様、その影響下にある自分にもそのような感情がもたらされたと思えば、それは喜び外の何者でもない。

 

「ところで、あんたはいったいなんて言うんや?」

 

 御前(みまえ)に傅(かしづ)く闇の書の少女の髪に手を置きながら、はやては彼女の名を問うた。しかし、少女はそれに答える術を持たない。

 

「私は闇の書の管制人格です。それ以外の名前など持ち合わせておりません」

 

 自分を表す名前など、自分自身の要素と機能から名付けられた機構名に過ぎない。たとえ、構成要素の全体に名前をつけるものがいたとしても、歯車にまでわざわざ名前をつける者はいない。それと同じく、彼女には愛称といったものは存在してこなかった。

 

「せやったら、私が名前をあげる。あんたの名前はリインフォース。闇の書の呪いとかそんなの関係ない。呪いを打ち払う希望、強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース」

 

 少女は身が震えるような思いだった。よもやこのような日が来ようとはと思う。そして、主に名前を与えられること。それがいかに歓喜をもたらすものかと知った。

 

「リインフォース。それが私の名前……」

 

 リインフォースと彼女は何度も何度も呟き反芻した。希望の風。祝福のエール。

 彼女はアル意味、その名前を恐ろしく感じた。呪われた魔導書として何百年もの時を在り、幾多の人の命を奪い去ってきた。そのような自分に、希望と祝福の願いを与えられて、それを享受することができるのかと彼女は思った。

 

「リインフォースはな、私にとって希望の象徴なんや。闇の書のおかげで私は家族と一緒に過ごせた。そして、これからもみんな一緒にいられる希望。そんな私たちを祝福してくれる一陣の風」

 

「私は……」

 

 少女は恐れ多いと感じた。

 

「これからも、ずっと一緒にいてくれる? 私はリインフォースとも本当の家族になりたい」

 

「主の御意のままに。主が私を必要としなくなるその日まで。私は貴方と共にあることを誓います」

 

 そして、少女は祝福の風リインフォースの名前を受け入れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 Storm

(13/19)


 

 月はまだ沈まない。鈍色の空の下、街を染め上げているのは湧き上がる炎の色であり、冬の冷たくあるはずの夜風には焦げた熱の感触がこびりついている。

 

「まだ、終わらないのかしら」

 

 風に靡く髪を押さえながら、少女――アリサ・バニングは時折水平線の向こう側から姿を見せる朱や桃色、そして翠の光に思いをはせた。

 

「みんな、戦ってるんだよね? フェイトちゃんにユーノ君。あそこにいるんだよね?」

 

 彼女の親友のすずかはアリサにしがみつく腕の力を強めながらそっと呟いた。

 

「なのはもよ」

 

 すずかの言葉にアリサは呟きを返した。そして、自分で言った言葉を聞いて、やはり信じられないと面を振った。

 

「なのはちゃんも?」

 

 自分たちは彼女の姿を見ていない。ならば、何故アリサは確信してそういえるのかとすずかは思った。

 

「フェイトとユーノは、なのはが基になってるのよ。あの二人が関わってることを、なのはが関わってないはず……ないじゃない……。結局、あたしらは何処まで行っても部外者のなのよ……あの時と同じじゃない! 誰も、何も話してくれない……」

 

 アリサはそう呟いて歯を食いしばり、すずかに捕まれていない方の手を握りしめた。

 

 思えばユーノと初めてあったはずのあの時、なのはと彼は既に親友以上の関係にあった。親友の自分の目から見ても、二人の繋がりはただごとではなく、それは絆と言えるほどのものだとも感じられた。

 

「あたしは、最初ユーノのことが嫌いだったわ」

 

 あの時、ユーノが転校生として教壇の前で挨拶して、そしてすぐになのはと親しく話し始めた時。アリサは確かに心の中で薄暗い感情を自覚していた。

 

「アリサちゃん……」

 

 すずかはそっと面を下げた。驚いたのはアリサだけではない。親友のなのはが自分たちのあずかり知らないところで男の子と仲良くなっていた。しかも、見た目も名前もどう考えても海外人としか思えない少年と。ひょっとしたら、なのはの両親や兄弟筋の間柄だったのかもしれないとも思ったが、それとなく聞いてみたところではそれもなさそうだった。なのはとユーノの関係の始まりが見えてこない。それに関して、すずかも僅かながらとまどいを覚えたものだった。

 

「今思えば、莫迦みたいな嫉妬だったけどね」

 

 それは、敵意の混じった嫉妬だったとアリサは記憶している。それを感じて以来、彼女はユーノのすべてが気に入らなくなっていた。彼の優しい言動、柔らかな笑顔に落ち着いた物腰。それらのすべてに何か裏があると邪推して、疑心暗鬼になっていた。今となっては馬鹿げているとしか思えない。

 

「気持ちは、分かるよ。いきなりだったもんね」

 

「なのはを取られると思った。だから意地悪とかしてた。なのはに気付かれないように。あのユーノの性格なら、なのはに告げ口しないだろうって思って」

 

 彼がなのはとおそろいの携帯電話を持っていたことをからかったのもその一端だった。そういう噂を立てることで彼がクラスで孤立してしまえばいい、と悪戯っ子の笑みの奥で彼女はそんなことを確かに考えていた。そして、自己嫌悪もした。彼の優しさを前にしてしまえば、誰も彼を敵視することなど出来なかったのだ。

 

「私の時みたいに?」

 

 すずかがクスリと笑う表情にアリサはやはりばつの悪そうに口元を歪めた。アリサにとってすずかとの一件は、ユーノとの一件以上に思い出したくない過去だ。そうであると同時に、ユーノとの一件はあの頃の自分と今の自分が本質的に何も変わっていないことの証明のようにも感じられて、とにかくアリサは恥じることしかできない。

 

「すずかの時とはちょっと意味が違うけどね。気に入らなかったのは同じだけど……ごめん……」

 

 アリサの嘘のつけない不器用な気質にすずかはクスリと笑みを浮かべた。アリサは嘘をつくのが苦手だ。他人に嘘をつく以上に自分に対して全く嘘がつけない。故に他者とぶつかり合うことが必然的に多くなってしまう。しかし、結局のところ誰もアリサを嫌いになれないということは、やはりアリサには生まれもった人の上に立つという気質があるということの証明だろうかとすずかは思う。

 

 すずかは、そんな我を貫き通すことの出来るアリサを憧れに思う。

 

「だけど、それって本当に最初だけだったよね?」

 

 しかし、すずかはアリサとユーノの関係が微妙だったのは、出会って間もないほんの僅かな間だけだったと確信が持てる。半月か、一月ほどか。それぐらいの時間がたった頃には二人はまるでじゃれ合う猫の姉弟のような関係になっていたはずだった。

 

「……そうね……」

 

 アリサはふと遠い目をしながら呟いた。

 

「何があったの?」

 

 何もないはずがないとすずかは確信した。何よりも、そっぽを向くアリサの表情がそれを如実に宣言しているようなものだ。

 

「…………言いたくない…………」

 

 アリサのその物言い、その憮然としつつも真っ赤になった頬を見れば、アリサほど人の感情の機微に聡いわけではないすずかでも、アリサとユーノの間にただごとではない何かがあったと確信することができた。

 

「え~~、教えてよ。そこまで言われたら気になるよ」

 

「言いたくないのよ!!」

 

「教えてよ。教えてくれないと、なのはちゃんに無いこと無いこと言うよ?」

 

「せめて有ることを最初につけなさい!」

 

 別になんと言うことはなかった。すずかが予想しているだろうような、色のよいロマンスにはほど遠い。どちらかといえば泥臭い、醜いくいと思えるものだった。

 アリサにとってはとても屈辱的なこと。自分の中になる独善と支配欲がはっきりとさらけ出されて、そして、その汚れを一身に受けてすべてを飲み込み受け入れた少年とのつまらない衝突があった。ただ、それだけのことだった。

 

「まあ、だけど。あんただったらなのはの隣を譲ってあげてもいいわ、ユーノ。パートナーなんだもんね、あんたとなのはは……」

 

 色めき立つすずかを尻目に空を見上げ、アリサはそう呟き、そっと瞑目した。

 

『頑張って、負けるんじゃないわよ!!』

 

 アリサは心に念じる。その思いは彼に伝わると、なぜかよく分からない確信を持って、彼女は強く思いを込めた。

 

 彼女は目を開き、仰ぎ見た月から目をそらした。錆色の空にあってもなお、煌々とした月の輝きが、アリサには妙に目にしみる光に感じられ、彼女はそっと目元を拭った。

 

 

 

************

 

 

 

 月下の夜海には嵐があった。見る者が見ればそこには四つの光がつむじとなって風を纏って巻き上がっているようで、それによって舞い上がる海の雫は光を内包して静かに輝く。そのつむじの一つを彩るユーノは、不謹慎ながらも、その嵐が形作るものどもを美しいと感じた。吹き付ける風は、自身が飛び続ける故に起こり、たとえ結界によって静止した世界であっても、人の動きは世界を動へと導く。

 そして、ユーノはふと陸へと目を向けた。誰かに名前を呼ばれ、激励を貰ったようにユーノは感じた。それは、強風の向こう側から響く鳥の羽音のようにも思え、ただの空耳とも感じられるものだった。

 

「今の声って……まさか……」

 

 しかし、その声は確かに知っている声に思えた。耳に届くのではなく心に届く。まるでそれは、意識に直接語りかける思念通話のような感触に似ていた。

 

「余所見してんじゃねぇ、バカヤロウ!」

 

 その声は一体どこから来たのだろうと意識を傾けるユーノの耳朶に、直接少女の粗い叫び声が届いた。

 ユーノはその声に身構える。見上げれば、自分に襲いかかろうとしている闇の少女を、自分よりも幾分か幼く小さな少女が、真っ赤なドレスを振り乱しながらその手に持つ大槌をふるうさまが眼の中に飛び込んできた。

 

「テートリヒ・シュラーク!」

 

 ヴィータはそう叫び声を上げ、手に持つ長柄のハンマーを闇の書に打ち付けた。

 

 闇の書は瞬時にシールドを展開させるが、ヴィータ自身の十分な運動エネルギーによって高められた威力にたいして真っ向から立ち向かうつもりはない様子だった。

 姿勢を安定させたままわざと吹き飛ばされ距離の開いた闇の書に対してヴィータは憎々しげに舌打ちをする。闇の書は無傷だった。そして、その闇の書を追撃するように放たれたなのはのアクセル・シューターもまた、彼女の展開していた破損のないシールドによって防がれ、あるいは避けられ、撃ち出されたブラッディー・ダガーの弾頭によって打ち落とされていく。

 

「ごめん、ヴィータ」

 

 ユーノは詫びながら闇の書の少女にチェーン・バインドを投げ付ける。どれもこれも決定打にならないとユーノは感じた。それは、ヴィータも同じようで、若干いらついた手つきで使用済みのカートリッジを排出する様子から彼女にも決定的な一撃を放つ機会が模索し切れていないことが見て取れる。

 

「ああ、お前のせいでカートリッジを一発無駄にした!」

 

 はき出すようなヴィータの言葉は、幾分か理不尽な八つ当たりが込められていたが、事実であるためユーノは反論できない。

 

「二人とも! 喧嘩してる場合じゃないってば!」

 

 そんな二人を視界の隅に捕らえながら、なのはも声を荒げる。先ほどからEPMの警告サインが消えない。驚異度最大と指示される闇の書の少女に対して彼女のTISSは即時撤退を申告し続けているが、なのはにはその選択は有り得ないことだった。

 しかし、自慢の射撃魔法もことごとく防がれ、避けられ、打ち落とされている。イルミネーター3基すべてを彼女に費やしているにも関わらず、戦闘開始から向こう、レイジングハートの制御システムが常に彼女をロックオンし続けているにも関わらず、弾頭が闇の書を捕らえた試しがない。

 苛立ちと焦りがつのる。なのはにしてもヴィータと同様、このストレスを八つ当たりという形で発散したくなってしまう。

 

「うるせぇ! あたしとユーノの問題に口を出すな、なのは」

 

 ヴィータもなのはに習って、銀の球状弾頭を数発発射するが、もとよりなのはの弾頭より遙かに誘導性能の劣るそれが闇の書を捕らえられるはずもない。

 闇の書は速くて堅い。それに加えて火力も目を見張るものがある。近接戦闘を挑んでも多くは無駄に終わってしまうのだという事実をヴィータは認めたくなかった。

 一対一の戦いでベルカの騎士が負けることは許されない。それが三対一であればなおさらのことだ。闇の書の存在は、その騎士としての誇りに傷をつける。

 ヴィータは歯を食いしばり、屈辱に耐えた。

 

「逆ギレかっこわるい!!」

 

 身も蓋もない言い方だと、それを聴いたユーノは思った。そんな言い方をすれば火に油を注ぐようなものだ、とユーノは国語の授業で習ったばかりの言葉で評する。

 

「んだと、このガキャア!」

 

 怒髪天を衝くとはこういう事と言わんばかりにヴィータは無駄な魔力を発散させて、三つ編みの髪やスカートの裾を巻き上がらせながらなのはに向かって罵声をぶち当てた。

 

《ヤレヤレ、ガキですね》

 

 この余裕のない状況で喧嘩をしている主達をモニターしてレイジングハートは、主達に聞こえないように音声を放った。

 

《真実、幼くはあります》

 

 その音声を正確に捉えることのできたグラーフ・アイゼンは珍しくライバル機であるレイジングハートに同意する。

 騎士が感情に翻弄されて有限な魔力の無駄遣いをするとことは非常に情けない、とグラーフ・アイゼンのAIはそう判断したようだった。

 しかし、数百年を存在する彼の主はともかく、ライバル機の主である白い魔導師は彼の主に比べると一瞬ほどしか活動していない。感情的になるのも仕方がないのではないかとグラーフ・アイゼンは思う。

 

《(私の主であれば、感情に流されて行動を見誤る事はありません。情けないことと思っておきます)》

 

 レイジングハートはそう短く思い、自身もAIから感情プログラムを切り離した。

 故に、レイジングハートは口喧嘩をしている故に誰からの援護も受けられずに四苦八苦しているユーノをモニターしても特に何も感じなかった。

 

「ちょ、ちょっと二人とも。フォローしてよ!」

 

 どういうわけか闇の書が放つ弾丸の波状攻撃を受けながら、それでも何とかラウンドシールドを多数展開しつつ凌ぐユーノは、二機のデバイスから見ても良くやるといった感想だった。

 

 四方八方から飛来する高速弾頭を両手背後の三面のシールドを振り回すことでユーノはそれらを止め、あるいは弾いて防ぐ。

 ユーノによって弾かれて襲ってくる魔力弾頭をヴィータはデバイスを持たない方の手で振り落とし、「ちっ!」と乱暴に舌を打った。ユーノのシールドによって運動エネルギーを随分と減衰させられた魔力弾頭だったが、それでも薄手のグローブの上から殴りつけては痛みを感じないわけにいかなかった。

 

「元凶が泣き言を言うな! アイゼン、カートリッジロード!!」

 

《了解。これが最後です、ご注意を。お嬢様》

 

 グラーフ・アイゼンからお嬢様と皮肉を言われたヴィータは、さらに感情を苛立たせるが、思えば自分も騎士あるまじきことをしていたと若干反省し何も反論しなかった。

 

「分かってる! ラケーテンフォーム、急げ!」

 

《Ja》

 

 それよりも重要なことは、グラーフ・アイゼンに装填されているカートリッジが残り僅か一発であるということだ。カートリッジの消費が激しすぎる。流石のヴィータであっても、この状態が続くようであれば勝利を諦めなければならないと思えてしまう。

 

「……っち! 推進器点火」

 

 ヴィータは弱音をはね除けるように、ラケーテンフォームに形状変化した愛機のブースターに火をつけ、それをなのはのAWSのごとく、それを総て加速度へと向かわせる。

 三軸加速制御を行うなのはのAWSと違い、ヴィータのラケーテンが制御できるのは僅か一軸。その加速性能こそAWSよりも優れると確信できるが、外れれば総てのバランスを取り戻すには圧倒的な時間がかかってしまう。

 

 霧雨のように空に満ちる海の水の中、ヴィータは真っ赤な彗星のごとく魔力光を後ろに纏い靡かせながら、今にもユーノのシールドに取り付いてそれを破壊しようとする闇の書の少女に向かい、一直線で激走する。

 

「離脱しろ、ユーノ」

 

「ありがとう」

 

 ユーノはそれに応じて、バインドを投げながら一時的に離脱を敢行する。

 

「ラケーテン・ハンマー――――」

 

 何度も述べなくてはならないほど闇の書の少女は速くて堅い。単身で音の壁を突き抜けることのできないヴィータでは、その攻撃がインパクトする前の僅かコンマ数秒の間で闇の書の少女に迎撃の機会を与えてしまう。

 

 

  ならば、その防御など問題にならないほどの一撃を与えてしまえばいい

 

 

 その念は鋼をも貫き通す。シンプルであるが故に強く、剛健であることこそがヴィータの誇りであるべきである。

 ハンマーのインパクト部分に設えられた角錐形の尖頭がラケーテンのエネルギーに後押しされて闇の書の少女が掲げるシールドにたたきつけられた。インパクト部分から撒き散らされる火花のような魔力の飛沫が空を染め上げる。

 しかし、ヴィータの眼前には揺るぎない闇の盾が立ちふさがっていた。

 

「――――ブレッヒェン・エギーデ!」

 

 故にヴィータは、破壊するべき壁と認識していた少年を叩き潰し破壊し、勝利するために組み上げた切り札を、勝利の笑みを浮かべながらテーブルへと叩きつけた。それは勝利のテーブルであり、かけるチップは自らの誇り。「我に貫けぬもの無し」という純粋な誓いだった。

 

 ラケーテンの角錐はねじれ、それはまるで無骨なドリルのような形状へとその姿を変じ、次の瞬間には耳を刺す甲高い音を立てながら高速回転を始めた。

 

 ブレッヒェン・エギーデ、すなわち、ブレイク・イージスは正にイージスを壊す、破盾槌。

 

「僕は、そんなにヴィータに恨まれてたんだ……」

 

 ユーノはその攻撃に込められたヴィータの感情を自解し、誤解を含んだ言葉を漏らした。

 それはつまり、彼女がイージスと呼ぶ少年、自分の盾を破壊するために作られたものだとユーノは気がつき、少しだけ悲しくなった。

 

「だけど、当たり前だよね……」

 

 ユーノは改めて思う。自分たちは間違ってはいなかった。しかし、同時に彼女たちの思いもまた間違っていない感情と判断によって起こされたものだ。故にぶつかり合い、互いに互いの意志を削りあった。怨まれることは覚悟上のはずだった。それでも悲しみを感じている自分をユーノは蔑む。何を今更と自嘲する。

 

(これから……だね……)

 

 ユーノは僅かに下がった面を上げて、頭上で行われている闇と朱、二人の少女のせめぎ合いを真正面から見つめ直した。

 先のとがったエンドミルが鋼を切削するかのように、闇の書の少女のシールドを火花を撒き散らせながら削り抜けようとするグラーフ・アイゼンの姿がユーノの瞳にまばゆく映り込む。

 ユーノは両手を掲げた。

 

「流石だな、紅の鉄騎!」

 

 闇の書の少女は僅かにヒビが生じ始めた己のシールドを見おろし、声を漏らした。引けば翡翠の鎖が鎌首をもたげ、捕まれば桃色の砲撃が無防備となった身を貫く。バリアバーストを敢行したとしても、その次の瞬間には無防備になることは変わりなく、進退は窮まった。

 

「当たり前だ。ベルカの騎士に負けはねぇ。ましてやあたし達なら……」

 

『不可能はない』

 

 とヴィータの呟きが聞こえたようにユーノとなのはは思った。たとえそれが幻聴だったとしても、ユーノは何故か救われたと感じた。

 

 闇のシールドが波打ち、大気を震わせて崩壊していく。シールドが崩壊する音は、たとえそれが倒すべき敵のものであっても愉快な音には聞こえない。ヴィータはユーノを横目で一瞥して片目を閉じた。

 

『あたしのことは気にするな、やれ!』

 

 彼女はそう言っているとユーノは何故か確信することができた。

 

「今だ。なのは、撃って!」

 

 千載一遇の機会。これを逃せば後はないとなのはは理解する。分かっていてもなのははほんの刹那の時間、自分には聞こえなかったヴィータの声をまるで息をするかのように理解したユーノをみて、少しココロがざわめく。

 

 あの瞬間、ごく僅かな視線の交差だけで二人は分かち合うことが出来た。口の上では仲が悪そうに見えても、彼と彼女はそれほどの信頼を傾けあっている。

 

「……行くよ、レイジングハート!」

 

 静かにそう言葉を紡ぐことで、なのはは一時わき上がるその感情を封じた。ユーノが掲げた両手から翡翠の鎖が高速で打ち出され、ヴィータの攻撃によって停止した闇の書の少女の師資にまとわりついた。

 たとえ、ユーノが放つ鎖が強固であっても、闇の書の少女の機能を用いれば数秒もかからずにそれらは解除されるだろう。しかし、僅かだと思われるその時間であっても、既にそのために準備をしていたなのはにとっては十分すぎる時間だった。

 

《ファイアリング・ロック解除。ディヴァイン・バスター、スタンバイ・レディ》

 

 蒐集されて一度は枯渇してしまった魔力はまだ殆ど回復していない。なのはは魔導炉からもたらされる高レベルの魔力にリンカーコアを圧迫される気分に襲われながらも、何とかその魔力をまとめ上げ砲弾を形成する。

 

「ディヴァイーーーン」

 

 レイジングハートの尖端に桃色の光が脈を打つように集まり拡大していく。たとえ自分の魔力と適合された魔導炉の魔力であっても、本来自分のものでない魔力を扱うのは非常にストレスがかかるとなのはは覚えながら、その砲弾をさらに拡大させていく。

 

 なのはは刹那に闇の書の少女と視線を交差させる。いつの間にか彼女はユーノが投げ付けた翡翠の鎖に四肢を絡め取られていたが、その眼はしっかりとなのはの方へと向けられている。

 しかし、ヴィータの尽力によって破壊されたシールドを直ちには修復できない様子がうかがえて、ヴィータもまた崩壊させたシールドを突き破って闇の書の少女に攻撃を加え彼女の動きを停止させている。

 

 二人は死力を尽くしてこの時をなのはに与えた。自分はそれに応えなければならない。

 

「バスタァーーーー!!」

 

 レイジングハートの先端部分、グリップ、石突きの各部分に展開する魔力加速の魔法陣が一際光を放ち、尖端に集められた魔力は前方へとまっすぐ突き進んだ。

 

「相変わらず、スゲェ魔力だな……」

 

 莫大な魔力の奔流が背後から迫り来る。ヴィータは背中にそれを感じ、闇の書と鍔迫る力を緩め、間に合わないかもしれないと自覚しながらも離脱を敢行した。

 

 直ぐ側を抜けていく桃色の砲撃はまるで、飛来する大柱のように太く、闇の書を拘束する翠の鎖をその余波で引きちぎりながら闇の書へと殺到した。

 

 極めて眩い爆発が巻き起こった。その爆圧は莫大な海水を巻き上げ、水煙がまるで大瀑布のように降り注ぎ、その場にいる総ての者の視界を覆い尽くした。

 

 手応えはあった、と砲撃によって千切れ飛んだバインドを消しながらユーノは思う。

 砲撃が拡散し、霧散したため大気に撒き散らされた魔力がユーノの魔力探査を一時的にホワイトアウトさせる。それは、レイジングハートのアクティブレーダーも例外ではなく、全員が全員一瞬世界を見失っていた。

 

(これでダメなら……もう……)

 

 打つ手がないとユーノは思った。この状況に置いてなのはの攻撃はできうる限りの精一杯だったのだ。

 ヴィータにはもうカートリッジは無く、そして自分は先ほどから胸の奥から湧き上がってきている痛みに集中力を保つことが難しい。

 たとえ、なのはがAWSによって機動力という弱点を克服していても、化け物のような戦力を持つ闇の書と一人で相対することはあまりにも無謀すぎる。

 

 すべてが満身創痍だとユーノは横目でなのはの様子を確かめる。なのははレイジングハートのフレームを解放し、冷却ガスを噴出させ、息粗く肩を震わせている。

 

「気をつけろ、ユーノ」

 

 海水の煙幕の向こう、薄ボンヤリと映る人の姿をした影が声を放ったようにユーノには思えた。

 

「ヴィータ?」

 

 耳に届く声が籠もって聞こえる。煙幕の向こう側から徐々に近づいてくる人影の姿が大きくなっていく。

 それがいったい何なのか、ユーノは一瞬判断が遅れた。

 

「すばらしい攻撃だった……」

 

 鋭利に研ぎ澄まされた少女の呟きがはっきりとユーノの耳に届けられる。

 

「まさか、そんな!」

 

 はっきりと姿を示した影にユーノは言葉を失った。

 

「しかし、私を破壊するには足りない。総てを破壊するにはさらに足りない……」

 

 全くの無傷とは言えない、しかし彼女は透き通る銀色の髪を月の光によって輝かせ、その拳を握りしめた。

 

「くっ!」

 

 闇の書の少女を閉じこめる結界は、その構成や維持こそ既にシャマル、ザフィーラ、アルフの一名と二匹に委託しているが、その基点となる部分は未だにユーノが受け持っていた。そうすることで、闇の書の攻撃が結界を維持する三者に向かわないように考慮されている。故に、闇の書が真っ先にユーノへと攻撃を加えようとするのは必然であり、それをにわかに忘れていたユーノは自分の不注意を呪った。

 

「……私を破壊したいのなら……総てを破壊し尽くせるだけの力を用いよ!」

 

 振りかぶられる闇を纏った拳。ユーノは腕を前方へと掲げた。

 闇の書は速く、強い。その攻撃をまともに受け止めれば、いかに防御の優れた自分であっても崩されてしまう。

 しかし、自分は一人ではないとユーノは確信する。僅か数秒、それだけの時をシールドを用いて稼ぐことができれば、仲間が必ず助けに来てくれる。

 ユーノはそう確信し、自らの盾を呼び起こす。

 

「ラウンド――――」

 

 ユーノはシールドを呼び起こそうとした。リンカーコアへと魔力を流し込み、意識の上で練り上げた構成の術式を共に流し込む。

 そして練り上げられた理路整然とした魔力の法則をただ、外に発散させればいい。何百回、何千回と繰り返してきた唯この一連の作業。

 しかし、ユーノは胸の奥底から湧き上がってくる激痛に息を飲み込んだ。

 それはまるで、身体を二つに裂かれるような衝撃。

 

「ぅ――ぁ――――」

 

 ユーノは確かに胸の奥にあるリンカーコアがミシリと音を立てたと感じた。

 

(傷が……広がって……)

 

 ヒビが広がったとユーノは直感し、ラウンドシールドは闇の少女の拳が当たるよりも早く粒子となって霧散してしまう。

 

 まるで世界が凍り付くように、その眼に映る総ての情景が酷く散漫になっていくように彼は感じた。

 

「ユーノ君! いやぁ!!」

 

 なのはの悲鳴が耳朶を打った。

 

「ユーノ! 間に合え、チクショウ!!!」

 

 ヴィータの乱暴な声が、それなりに距離が離れているにも関わらず、まるで耳元で聴いているように大きく聞こえた。

 視界の端に、歯を食いしばりながら懸命に急行してくる二人の姿が映る。しかし、間に合いそうにないとユーノは理解した。

 

(ごめん……フェイト、はやて、アリシア。助けられなかった。……ごめん……なのは……)

 

 ユーノは目を閉じた。暗闇が視界を覆い尽くした。

 

 自分の最後を見たくはない。湧き上がってくるものは、恐怖、後悔、未練。死ぬかもしれないという恐ろしさ、助けられなかったという後悔、成し遂げたいと思うことがまだまだ残されているという未練。

 しかし、それでも、ユーノは最後の感情にこの痛みを持つことの誇りを感じていた。これは、かつて自分がなのはを、大切なパートナーを守ることができた証だとユーノは確信している。

 

(そうか、ベルディナはこう思いながら逝ったんだ)

 

 守りながら死ねること。守りきって死ねること。それは、守護者であると、盾であると誓いを立てた者にとってどれほど誇り高いことか。しかし、ユーノは理解している。そうして残された者の感情、かつての自分が壊れかけたほどの絶望と自責。ともすれば、かつての自分のようにそれをパートナーに強いることになるかもしれない。

 

(僕は、同じ事を繰り返したんだ)

 

 ごめんとユーノは心に念じて、最後を待った。

 

 随分と長い最後だと思った。

 

 冗長的に切り取られた最後の瞬間は、その総てを自分に見せたいのだろうかとユーノは思った。

 

 そうして、絶望をさせたいのか、それとも自ら納得できる言い訳を用意する時間を与えさせてくれているのか。

 

 ゆるゆると動く目蓋を無理矢理開き、ユーノは眼前に広がる今を認識しようとする。

 見上げれば、そこには闇の書の少女がいた。振りかぶった帯に包まれた細腕と、今にも自分自身に打ち付けんとする拳。

 それらはすべてが静止していた。まるで糸に縛られている人形のようだと、まるで空に磔にされているかのようだとユーノは思った。

 そして、闇の書の少女はその拘束に抗うように細かく揺れ動き痙攣するだけだった。

 

 奇跡が起こったのかもしれない、とユーノは思い浮かべて、面を振った。

 緊張が抜け、飛行魔法さえも維持できなくなったユーノは総ての力が抜けるように、空から落ちていった。

 頭上が反転し、海面が空と入れ替わった。海は空を映す鏡。空の鈍色が映り込む鏡面には自分の姿は映らない。空に溶け込むように消えていくのも、悪くはないのかもしれないとユーノは思った。海面に映る月が最後に昇るべき場所だと誘っているようだった。

 

「ユーノ君!」

 

 月と海と空に溶けていこうと眼を閉ざしたユーノは何かに引き上げられる感触を覚えた。

 

「なのは? どうして? 僕は、空と一緒になって……」

 

 空に落ちていくはずだったとユーノは呟いた。それが最上の幸いだと間違いなくユーノは自覚していた。

 

「しっかりして、ユーノ君!」

「ユーノ! 大丈夫か!?」

 

 赤い光に横たえられるように感じた。自分を覗き込む二対の視線に、ユーノは助けられたんだと実感した。

 ユーノは、ヴィータが展開したフローターフィールドに片手を付き、なのはの膝からゆっくりと身体を起こして、何とか微笑みを返した。

 

「うん……僕は大丈夫……、それより……」

 

 ユーノの笑みは、それはそれは痛ましく思えて、なのははズキッと痛む胸を押さえながら、疲労を隠す彼の上体を支え、ユーノの視線が指し示す空へと目を向けた。

 

「止まったのかな?」

 

 なのはの眼に、拳を振りかざす形で制しを続ける闇の書の少女の姿が映る。一体何が起こったのか、なのはには推察することができない。

 

「なのはの砲撃でシステムがいかれたか?」

 

 ヴィータはそう言いながらデバイスのチャンバーをオープンさせた。円柱の側面に規則正しく配置された四つのくぼみからは、使用済みのカートリッジ一発が排莢され、総てのカートリッジが消費されたことを示す。予備のカートリッジを装填しようと、スカートのポッケに手を伸ばすが、その中にはアイスのあたり棒やキャンディーの包み紙などのゴミしか出てこなかった。

 

 ヴィータの言うことは的を射ているように思えたが、彼女が停止する寸前の瞬間を知るユーノは、ただそれだけが原因ではないとも思えた。

 私を破壊したければ世界を破壊できるだけの力を用いよという彼女の言葉はの裏には絶対的な自信というものを伺うことができた。

 

「気を、つけて、二人とも……」

 

 ともあれ、闇の書は行動を停止しているだけで健在だ。しかし、そう言って立ち上がろうとするユーノをなのはが無理矢理止めて、彼の背中を自分の胸に寄りかからせた。

 

「あんまり喋っちゃダメだよ。まだ痛いんでしょう?」

 

 ユーノが胸を押さえて墜落しかけた理由をなのはは正確に理解していた。そして、その原因の一翼になったのが……いや、その原因の最たる理由となったのが自分自身であることをなのはは自覚する。ユーノは、自分のせいで傷ついた。口に出すことはないが、なのはにとってそれが絶対真理として深く根付いていることは間違いない。

 

「ごめん……」

 

 ユーノの短い謝罪は、果たして何に対するものなのだろかとなのはは思う。不甲斐ない自分に関する謝罪なのだろうか。なのはに迷惑をかけている事への謝罪なのだろうか。それとも、なのはに薄暗い自責の念を抱かせていることに対する謝罪なのだろうか。いくら考えてもなのはにはその正確な答えを出すことはできなかった。

 

 弱みを見せないユーノに対する憤り、そしてそんな彼を完全に理解できないことの悲しみになのはは胸の中の彼をギュッと抱きしめた。

 

 ヴィータはそんな二人を横目で眺めながら、実に面白くない感情に揺さぶられながら「フン!」と鼻を鳴らした。

 そして見上げた闇の書の少女は今だ停止状態にあり、ヴィータとしては一体何が起こっているのか、正確な情報をつかめない限り下手に手出しができないと感じた。茂みに石を投げて虎を出すわけにはいかないとヴィータは古いベルカの諺を思い浮かべながらも手に持つ大槌は今だ油断なく構えられ、その先端部分は闇の書の少女へとまっすぐ向けられていた。

 

『…………えてますか……』

 

 ふと、ヴィータは耳を澄ませた。風の鳴る音、夜の暗がりと嵐の中に訪れた一瞬の静寂の中に聞こえるさざ波の音に混じって、かすかに人の声が聞こえたような気がした。

 こんな所に自分たち以外の人間がいるはずはない。そう思って背後で身を寄せ合うなのはとユーノにそっと目を配らせても二人は相変わらずで、何かの声を聞き入れた様子はない。

 空耳かとヴィータは思った。しかし、その声はヴィータの感情をいたく揺すぶり、彼女から落ちつきをなくしてしまう。

 

『…………聞こえてますか?』

 

 また聞こえた。空耳にしては声がはっきりとしてきている。なのはとユーノもふと面を上げて周りを見回した。

 

「誰?」

 

 なのははそう呟きながらユーノを赤いフローターフィールドの上に座らせて、レイジングハートを構え立ち上がった。

 

「ヴィータちゃん……」

 

 姿の見えないことは恐れをもたらす。不安げにレイジングハートを腕に抱き、なのははヴィータの背中に寄り添った。

 

「静かにしろ、声が聞こえない」

 

 ヴィータはそんななのはに静かに、それでいて強く言葉を投げ付け、なのはは必然的に口を閉じた。

 風が緩やかになってきた。先ほどまで聞こえていた波のざわめく音も次第に遠くなっていく。

 

『ヴィータ、なのはちゃんにユーノ君。聞こえてますか?』

 

 聞こえた、とヴィータは確信し、面を上げた。その声が発せられた方向へ視線を投げ付ければ、そこには行動を停止した闇の書の少女がいた。

 そして、その声は確かに彼女の内から漂うように聞こえてきていた。

 彼女はそこにいるとヴィータは確信することができた。

 

「はやて! はやてなの!?」

 

 間違いない、ヴィータは確かに主の声を静止する闇の書の内側から聞いた。張り上げる声は、先ほどまでの冷徹な騎士のなりを潜め、それは純粋に家族を心配する少女のものとなっている。

 過激にして冷徹。そんな彼女の在り様がたった一人の朗らかな少女のたった一言だけで溶けてなくなってしまっている。言葉とは不思議だとユーノは思った。たとえ自分が彼女に同じような言葉を、同じような声色で語りかけても、彼女は冷涼な気風を変えることはないだろうと思う。いずれ、彼女とも和解できる日が来ればとユーノは思いをはせた。

 

『ああ、やっと届いた。ごめんな、遅くなってしまって』

 

 やっと届いたとはやては口にした。ということは、ずっとはやてはこちらの行動や声を見て聞いていたのかもしれないとヴィータは考えた。そうなれば、自分は八神はやての騎士として恥ずかしくない戦いができていたか、少しの不安が訪れる。

 

「大丈夫……?」

 

 曖昧な質問だとヴィータは思った。しかし、おずおずと表情を伺うように出された声に主、はやてはクスリと微笑んだようにも彼女は感じた。励起される人としての感情が恥ずかしいという感覚をヴィータに告げた。身体はぼろぼろで、はやてより賜った甲冑である真っ赤なドレスもすすだらけで所々穴が空いてしまっている。

 

 闇の書の少女から僅かながら漏れ聞こえる「クスクス」という音がやはり、はやてに笑われていることを告げ、ヴィータは頬を真っ赤に染め上げた。

 

『やっぱり、ヴィータは可愛いなぁ……諦めんで正解やった……。ごめんな、色々と話したいこともあるんやけど、今は私のお願いを聞いてくれんかな?』

 

 はやての言葉には希望が込められている。まだ、誰も諦めていないとなのはは感じ、「はぁ」と息を吐き出した。溜息は幸せを逃すとはよく言われる言葉だ。しかし今の自分の溜息は諦観や虚無感等というものを外にはき出す効果があるような気がしてならなかった。普段であれば、溜息は心に暗雲が漂う時にはき出されるものであるのに、今の自分は何故かとてもすっきりとしている、なのはにはそう思えた。

 だから、なのはは不安に抱きしめていたレイジングハートをゆっくりと下ろし、飛行魔法により緩やかに上昇して胸を張り、眼をしっかりと見開き闇の書を正面に取られた。

 

「何でもいってよはやてちゃん。私たちは何をすればいい?」

 

 トクン、トクンと熱を伴って登ってくる血潮とそれに反比例するように冷静になっていく感覚に酔いしれるような快感をなのはは感じる。これは、危うい感覚だとなのはは思うが、止められそうもなかった。思えば、自分の父と兄妹達は皆武術を嗜んでいる事をなのははふと思い出す。ひょっとすれば、自分にもそんな彼等の血が確かに受け継がれているのかもしれないとなのはは思い浮かべた。今まで家族の中にとけ込めず、どこか浮いていると感じていた自分に、家族との繋がりができたように思えて、なのはは思わず歓声を上げそうになってしまった。

 

 

 そして同時になのははこの身の矛盾を思い知った。戦いが嫌いだと言っておきながら、自分は戦うことがこんなにも充実している、歓喜の哮りを上げそうになるほど高まってしまっている。

 

 

 

  いったい自分とは何者なのか

 

 

 

 自分の存在とはなんなのか。私はどうしてこうなってしまっているのか。それがどうしようもなく恐ろしい考えに思えて、なのはの肩が一瞬湧き上がってきた悪寒に震えた。

 

『ありがとな、なのはちゃん。お願いしたいのは他でもない。みんなの前にいる子のことなんや。今、闇の書の中で管制人格って子と一緒なんやけど、防衛体っていう、闇の書の暴走した部分が表に出てて二進(にっち)も三進(さっち)もいかへん』

 

 なのはは面を振って、肩を震わせる寒さを打ち払った。

 

「つまり、何とかして今表に出てる暴走してる部分を一時的に停止させればいいってこと?」

 

 声の主、足下より届く少年の声になのははふと目を向けた。ユーノは、はやての声に対応しながら、ヴィータの手を借りてゆっくりと立ち上がっていた。その様子になのははホッと胸をなで下ろした。異常な自分が見られていない事への安堵。それ以上に、手を取り合う二人の様子を見れば、この二人は問題ない、上手くやっていけると考えられて…………なのはの胸がズキリと痛んだ。

 

『その通りや、話が早いと助かるわ。お願いできへんかな?』

 

「何とかしてみせるよ」

 

『お任せします』

 

 ユーノははやてとの会話を終え、上空を見上げる。月を背負うようにして空に浮かぶパートナーの姿がその目に映り込んだ。隣に立つヴィータは少しだけ不安げな表情をしながらも何も言わず、その様子はまるで自分を信頼して総てを託してくれているようにユーノは思った。

 

(大丈夫。僕達ならやれる。僕となのはの二人なら月の向こう側にだって行けるさ)

 

 なのはだけではない、ここにはヴィータという心強い味方がいて、陸ではアルフにザフィーラ、シャマルが影ながらサポートを続けていてくれる。そして上空遙か向こう、地球の静止衛星軌道上にはアースラがいて、リンディをはじめとしたクルーもまた自分達を見守りつつ全力で支援をしてくれているのだ。

 これで何とかならなければ嘘だ。

 ユーノは目を閉じて、静かに細く息を吸い込みはき出した。

 

『なのは、良く聞いて。これから僕が言うことをなのはができれば、はやてちゃんは助かる』

 

 ユーノは頭上のなのはに向けて思念を送り込む。ユーノのリンカーコアはたかだか念話を行っただけであるにも関わらず、細い針で突かれるようにチクチクと痛んだ。余り時間は残されていないとユーノは否応なく気がつかされるが、今は些末なことだと断じた。

 

『うん、私は何をすればいい? どうすれば、みんなの助けられるの?』

 

 なのはの思話には一切の陰りがなかった。

 

『することは簡単だよ。なのはなら絶対にできる。いや、なのはしかできないことなんだ』

 

『うん』

 

『闇の書に魔力攻撃を叩き込んで。全力全開、手加減無しで!』

 

 その答えは非常にシンプルなものだった。余りにもシンプルすぎて、なのはの口元に笑みが浮かぶ。

 

「さすがユーノ君。とっても、とっても分かりやすいよ」

 

《ユーノはマスターの扱い方を良く心得ている。将来尻に敷きたいのであれば、精進するべきかと思いますよ》

 

「レイジングハートはいつも一言多いの! 少しは自重してよ……。行くよ、エクストリーム・バースト。ぶっつけ本番だけど、いけるよね」

 

 レイジングハートとの会話がとても心地がいいとなのはは感じた。ユーノがいて、レイジングハートがいて、そしてヴィータがいる。まるで、あつらえたかのように巡り会った仲間達をなのははこの上ない宝物だと思った。

 

《マスターの口より”本番”と言われると、別のことを想像してしまいます。むろん、マスターができるというのであれば私にできない道理はありません。魔導炉、全リミッター解除、全力運転開始》

 

 レイジングハートは最後に少女に言うにはあまりにも不適切な発言をしながらも自分自身に与えられた役割をしっかりと実行に移した。

 レイジングハートの中央に設えられた赤色の宝玉が数度明滅し、そのフレームの内部からは低く深い音が響いてくる。

 魔導炉の全力運転、それまで抑制されていた出力の総てを解放したレイジングハートはまるで総ての枷を解き放つかのように、誇らしげに全身を静かに輝かせた。

 

 把持するグリップからもレイジングハートの熱が伝わってくる。冷却ガスを排出するノズルが総て解放され、そこからは断続的に薄い白煙が吐き出される。

 

「魔力集束開始……」

 

 レイジングハートから届く魔力が次第に自分の限界を超えていく。なのははそれよりもましてなおも供給される魔力の制御を手放し、純粋な魔力エネルギーとしてそれらを外へと排出する。

 

 なのはが制御できる魔力など、魔導炉の全出力の三割にも満たない。全力運転をすればその残された七割は外部へと放出するしか他がない。

 まったく無駄になるエネルギーだ。ならば、その無駄なエネルギーをどうすれば有効活用できるか。

 なのはの呟きがその答えを提示する。

 

「すごい」

 

 レイジングハートから排出された莫大な魔力を、なのはは己の集束技能によってかき集め、一つにまとめ収束させていく。それは、他人の魔力を扱わないスターライト・ブレイカー。彼女の魔力とレイジングハートの動力のみで自己完結された最大単独魔力砲撃。正にそれは極限(エクストリーム)というなに恥じぬものであるに違いない。

 

「化け物だな、あいつもあのデバイスも」

 

 呟くヴィータにユーノは思い浮かべる。おそらくレイジングハートであればこういうだろう。「私のマスターであるのなら、これくらいできていただかなければ困ります」と。

 

 しかし、ユーノとしては可愛いなのはが化け物呼ばわりされるのはどうしても承伏できないことだった。

 

「なのははなのはだよ。化け物とかそういうことは言ったらダメだ」

 

「……そうだな、化け物でもまだぬるいか……」

 

 ヴィータはそういって空で拡大しつつある桃色の光を見上げた。レイジングハートの先端に収束しつつも肥大化していくその桃色スフィアは、月の輝きにもまして明るく光を放つ。まるで、夜の太陽だとヴィータは思う。

 

《集束魔力、安定限界に到達。いつでもどうぞ》

 

「うん。ありがとう、レイジングハート!」

 

 レイジングハートの言葉になのはは強く肯く。集束された魔力が安定と不安定の間を遷移するように不規則な震動を奏でている。これ以上魔力を注入すれば、おそらくこの魔力は無秩序な方向性をもって発散してしまうだろう。

 これが、自分の限界だとなのはは額に汗を浮かべながら、もう一度闇の書へと目を向けた。行動を停止する闇の書の四肢には緑色の枷がはめ込まれている。万が一のことを考えてのさりげない彼の配慮になのはは静かに頬を緩め、改めて杖を構えた。

 

「ディヴァイン・バスター=エクストリーム・バースト!!」

 

 なのはの言葉に桃色の球体が脈打つ。

 

《Divin Buster》

 

 レイジングハートの紅珠も月光を跳ね返し煌びやかに輝き、魔力を加速させる円環状の魔法陣の回転をさらに高速に変化させる。

 先端より先に四つの円環状魔法陣を展開させ、それはまるで桃色の魔力によって織り込まれた巨大な砲身を連想させた。

 

「シューーーート!!」

 

 なのはの声が世界を震わせた。その瞬間に解放された総ての魔力は、円環状加速魔法陣に誘われ、その魔法陣の回転は総ての魔力に等しい方向を与えて加速させる。

 それはまるで莫大な魔力を持つ津波のように、極めて高密度の魔力奔流は唯一直線に空中に磔にされた闇の書の少女へと殺到した。

 いかなる災害も力で押し戻す。たとえ月が落ちようとも地上より放たれた流星はそれすらも凌駕して空を貫き通す。それは正に神聖なる鉄槌の名を恣に示す一撃だとユーノをはじめ、その光景を眺める全員が思い浮かべた。

 

 闇が光に包み込まれ、その瞬間に爆発するような鋭い閃光が夜空を白く染め上げた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 ReinForce

 

 ゆりかごのような穏やかで優しい闇が、外部よりもたらされた衝撃によって震え、揺らぎを見せる。闇の書の随分奥の方に位置しているはずのここにもその震動が与えられると言うことにはやては驚きを隠せなかった。

 

「防衛体、過剰負荷により機能を一時停止いたしました。これより闇の書管制人格リインフォースは、八神はやてを新たな主とし、夜天の魔導書として再起動いたします」

 

 闇の中で立ち上がった銀髪紅眼の少女はそう呟きながら、虚空を見上げるように佇む。

 

「良かった……ありがとうな、なのはちゃん、ユーノ君、ヴィータ」

 

 その側に座るはやてはホッと一息ついて、先ほどまでボンヤリとして曖昧だった感覚が徐々に戻ってくる事を感じていた。自分を包み込む闇はとても柔らかで落ち着かされる。しかし、それは自分を籠絡するための幻だったことが改めて理解することができた。

 

(悪魔は優しい声で近づいてくるって言うけど、こういう事なんやね。正気に戻れたのが奇跡みたいなものやった)

 

 それはひとえに自分に願いをかけ、最後まで諦めなかった人たちのお蔭だとはやては思い、そして、自分に諦めない根拠を与えてくれたアリシアに改めてはやては感謝の念を送る。

 

「夜天の魔導書の再起動、及びマスター認証に成功しました」

 

「ご苦労様。闇の書の暴走してる部分も何とかするべきなんやけど、そっちはどう?」

 

 たとえ、自分たちが外に出られたとしても、闇の書の暴走の大本である部分を何とか停止させなければ危機は立ち去らない。管理者権限を取得して、正式に闇の書――夜天の魔導書の主となった今であれば、それも可能なのではないかとはやては思う。

 

「闇の書の防衛体とのコネクトの切断は成功いたしました。しかし、防衛体そのものは排他的制御がまだ生きていますので、内部に侵入しない限りこちらからのアクセスは受け付けません」

 

 しかし、それはリインフォースの機能を持ってしても不可能であると言われ、夜天の魔導書に与えられたシステムの改竄が随分念の入ったものだとはやては改めて理解した。かつての所有者達が悪意のある改竄を行わなければ、おそらくはこの悲劇は起こらなかったとはやては恨み言を言いたくなったが、それは意味のないことだと思い、口には出さなかった。

 

「そうか、ここからは何ともならへんか……」

 

 しかし、そのような改竄がなければ今自分はこうしてリインフォースと出会い、話をすることは出来ず、家族を得ることも出来なかったはずだ。闇の書の浸食により脚を患うこともなかっただろう。しかし、両親が亡くなったことは闇の書の運命とは何の関係もない。もしも闇の書がなければ、自分は五体満足にただ孤独に生きているだけだったかもしれない。下手をすれば、叔父のグレアムの支援の上に胡座をかき、自堕落な人生を送るだけのものだったかもしれない。故に、はやてはその巡り会いの不思議に複雑な感情を持つばかりだった。

 

 はやては、グレアムと闇の書の関係を知らない。故に、仮に闇の書が存在しなければ、そのグレアムとの出会いさえもなかったことにはやては思いを寄せられない。

 

「申し訳ございません」

 

 複雑な表情をするはやてをみて、リインフォースは深々と頭を垂れた。どうやら、その表情を不機嫌と受け取ってしまったようで、はやては慌てて手を振ってそれを否定した。

 

「ええよ、リインフォースの謝ることやないから。また後でなんとかしよ。外には出られそう?」

 

 リインフォースは意外に感受性が高いようだとはやては思い、これでは下手に表情を陰らせるわけにもいかないと、笑みを浮かべる。

 過去を考えることも、もしもの可能性に思いをはせるのも合理的ではない。何せ今は、そう言った過去のしがらみや降ってわいてきた不運を払拭できるかもしれない岐路に立たされているのだ。

 

「問題ありません。ご命令を」

 

 この子の主として、毅然としていなければならない。はやては頭を垂れていたリインフォースの髪をそっと撫で、ホッと一息ついた。

 

「……命令なんていらへんよ。一緒に……一緒にいこ? 私を、連れて行って」

 

 はやては願いと共に手をさしのべる。それは、救いを求める手であり、同行の意を欲(おも)う手だった。自分にはその懇願と意志を受け入れ、導くことが出来るのか、その資格があるのかとリインフォースは思う。

 

「……分かりました、主はやて」

 

 リインフォースははやての手を取り、目を閉じる。自分はこの名――リインフォースという名を受け入れると決めたはずだった。

 

(逃げるわけにはいきません)

 

 リインフォースの強い念に呼応するように、二人の周囲に雲霧のように広がる闇が拡張し、光を拒絶する闇の境界面は速やかに後退をし始めた。その向こう側にもまた闇が広がっていた。しかし、それは薄ボンヤリとして光を拒絶する闇ではなく、透き通った純粋な闇だった。

 そして二人の頭上には一条の光の道が出現する。それはまるで地上より放たれた帚星のように、黄金の光の道となって闇の空間の地平線よりもさらに向こう側へと延ばされているようだった。

 

「綺麗や。あれをたどっていけば……」

 

「ええ、あれは導きの光路です。まさか、こんなところで”聖王導光の輝路”に会えるとは、思いもよりませんでした。まさか、聖王陛下がこのようなところにおわしますとは思いもよりませんでした」

 

 はやてはそう呟くリインフォースが微笑んでいるように見えた。それはまるで遠い過去を懐かしむような笑みであり、喜びの裏に寂しさを内包する表情のようにも見える。彼女が一体どのような時を歩んできたのか。世界の歴史比べればほんの僅かでしかないであろうその時は、人の身に換算すれば余りにも遠大すぎる。

 彼女の悲しみや苦しみを理解できないことにはやては寂しさを感じながらも彼女を見上げ、握りしめた彼女の手をそっと引き寄せた。

 

「じゃあ、お願い、リインフォース。私を外へ……」

 

 彼女の手は冷たかった。しかし、自分の熱が徐々に伝えられて、その手はしだいに暖かさに満ちていくようだった。

 

「承知いたしました、主はやて」

 

 リインフォースはその熱を心地よく、そして心強いと感じた。幾星霜の時を経て、ようやくたどり着くことができた温もりは余りにも甘美で、冷えて固まっていた人としての感情が霜解け水のように流れ出してくるようにも感じられた。

 こうして人の温もりに触れなかった故に、自分を含めた騎士達は氷のごとく感情を凍てつかせてきた。そうしなければ、残酷な現実を越えることなどできなかったとリインフォースは思う。思えば、転生した騎士達がことごとく記憶を継承できないと言うことは、機密保持の意味合いよりもむしろ、彼女たちの凍結した感情を守るためだったのかもしれない。

 

(詮無きことです)

 

 たとえそうであっても、それで何かが変わるわけではない。ただ、自分たちの深すぎる罪を償うことが出来るのであれば、それにすべてを託してしまっても良いとリインフォースは思い、はやての足もとに展開されていた魔法陣を消去した。

 

「わっ……っとっと」

 

 魔法陣が消えると同時にそれまでは感じられていた重力もまた消え去り、とつぜん失った上下感覚にはやてはとまどいの声を上げた。

 

「しっかりとお捕まりください」

 

 リインフォースは力場のない空間であってもその姿勢を崩すことなく、はやての手を優しくゆっくりと引き取り、膝の裏に手を差し入れて横抱きにし、そっと中空へと飛翔を始めた。

 はやてが見おろす眼下の闇は遠ざかることなく常に側にあるが、頭上の光は次第に強く眩くなっていき、はやてはその光に手をかざす。

 その光は幸運と栄光へ至る道であるとはやては思うが、何故か足もとに佇む闇に後ろ髪が引かれる思いがあった。

 何故かと思い、はやては最後に一度だけ眼下を見おろし、それまで自分がいたそこをまなこに映し込む。

 

 そして、はやては「ああ」と呟いた。

 

 闇もまた自分の一部だった。考えてみればあたりまえだと思った。人は日の下で生き、夜に抱かれて眠る。暗がりがなければ光を感じることはなく、闇は光によって成り立つ。言い古されて言い尽くされた言葉が胸をよぎって、はやての心に一握の寂しさが舞い降りた。

 

 それでも自分は戻るわけにはいかない。そして、自分は闇を見捨て旅立つのだとはやては自覚して、リインフォースに捕まる腕をギュッと強くした。

 

「さよなら……」

 

 その言葉と共に光が満ちた。闇は消えてただ光だけがあった。ようやく得ることの出来た希望への喜び、そして自分の一部分がなくなってしまったという喪失感。その相反する感情が同時に励起され、はやては吐息をはき出す。その息には様々な感情が入り交じり、同時にはき出したものによってはやては心に落ちつきを取り戻した。

 

「リインフォース?」

 

 気がつけば光の中に浮かんでいて、今の今まで自分を包み込んでいたしなやかな腕が消失していた。はやては彼女の姿を探してその名前を呼ぶが、彼女の姿はまるで光に照らされた影のように消えてしまっていた。

 光に当てられても影が生まれず、それはまるで光の雲霧の中に浮かんでいるようで、はやては先ほどまで自分を包み込んでいた衣服さえもが消失していることに気が付いた。

 

《私は側にいます》

 

 脳裏に響くその声にはやては胸前に浮かぶ一冊の本の存在に気がついた。

 

「闇の書……やなくて、これが夜天の魔導書か」

 

 その姿は、今まで側にあった闇の書と何も変わらない。しかし、はやての知る闇の書とはそれからもたらされる感覚が僅かに異なるように感じられた。

 

《名をお呼びください。貴方の求める者達は直ぐ側にいます》

 

 近くに感じる家族達にはやては微笑み、書の表紙の中央に設えられた剣をモチーフにした十字の紋章を手に取り、包み込み、胸に抱き、祈りを捧げるように瞑目して呟いた。

 

「おいで、私の騎士達。ただいまや」

 

『……お帰りなさい……』

 

 そんな声が耳朶を震わせたような気がした。そして、何もないはずの光の雲霧の中に、朱、緑、青の光の粒子が出現し、それぞれの粒子の下側にそれぞれの色の光を放つ魔法陣が土台のように出現した。

 

 激情の朱、優美な緑、泰然とした青。その三つの光は徐々に拡大し、光の固まりは人の姿を形作っていく。

 明滅する光が粒子となって回転し、魔法陣より湧き上がる奔流となって彼等は輪郭を取り戻していく。

 

「我ら、夜天の主の下に集いし騎士」

 

 青い光からは堅牢な体躯を有するザフィーラが、

 

「主ある限り、我らの魂尽きる事なし」

 

 緑の光からは水面(みなも)よりも穏やかな意志を宿すシャマルが、

 

「この身に命ある限り、我らは御身の下にあり」

 

 朱い光からは融鉄にも似た静かな熱情を持つヴィータが再誕をはたした。

 

 

 

 

 

 四人はお互いに顔を合わせて無言で互いを労い合う。

 

「お帰り、はやて」

 

 ヴィータの言葉にはやては微笑み、はやては手を掲げた。

 

「リンカーコア送還。守護騎士システム修復開始。おいで、シグナム」

 

 その言葉と共にはやての手のひらの上に紫の光の粒が生み出される。しかし、その光は他だ佇むばかりで人の形を取ろうとしない。

 

『…………私は、過ちを犯しました。このような私では到底主のもとに傅く事はできません。その資格を、失ってしまいました』

 

 はやては寂しそうに俯き、紫の粒を両手で包む。

 

「シグナムにそれをさせたのは主である私の責任や。闇の書の主やって言っておきながら、私はみんなのしてることを把握できへんかった」

 

『それは違います、主。あれは我らが勝手に行ったこと。主に罪はありません』

 

「それでもや。責任云々よりも、私はみんなに辛いことをさせてしまったのが悔しい。せやから、もう一度やり直そ? もう一度みんな一緒に償っていこ?」

 

『しかし、私は…………』

 

「罰が欲しいのなら、夜天の主である私がシグナムに罰を与える」

 

 その声に呼応するようにシグナムの光粒は静かに明滅する。断罪の階段を上る聖者のように、シグナムは潔く自らの罰を受け入れようとする。

 

「私よりも先に死なないで」

 

 その言葉にヴィータは息を飲み込む。

 

「常に私の側にいて、何があっても離れずに」

 

 シャマルは口に手を当て言葉を失う。

 

「時には叱って私の道をただして欲しい」

 

 腕を組むザフィーラもまた僅かに目を細めた。

 

 はやては胸に抱いた光の粒を解放し、それに向かってはっきりと宣言する。

 

「この言葉で、シグナムのこれからを縛ります。剣の騎士、烈火の将シグナム。騎士としての誓いを私にください」

 

 それは、罰なのだろうかとシャマルは思う。確かに、それはシグナムの今後の人生を縛りつけるものだとザフィーラは考える。しかし、それは正しく償いの道を与える言葉だとヴィータは思い浮かべた。

 

 沈黙が光の中に降りた。はやて達の中心に佇む夜天の魔導書はただ沈黙を守り、騎士達もまた何の言葉も発することは出来ない。

 彼等の主であるはやては、紫の光の前に立ち、口を噤んでただその光に強い意志の眼を差し向ける。

 

 戻ってこいとヴィータは言いたかった。これほどのことを主に言わせておいて姿を見せないのは騎士の名折れだとザフィーラは呟きたかった。生きて償いなさいとシャマルも伝えたかった。しかし、そのすべては既に主の口より賜れている以上、僕である彼等にはただ沈黙して見守るより他がない。

 

 どれほどの時間が経過したのか。まるで迷うように不規則に明滅していたシグナムの光粒は、決意を新たにするかのように一際輝き、その輝きは次第に集束して人の形を作っていく。足もとに現れた紫の魔法陣が誇らしく哮りを上げ、光と魔法陣の去ったその場には長身壮麗の女性が傅き片膝を上げ頭を垂れる姿が現れた。

 

「私の命。私の名。私の誓い。その総てを、我らが主、夜天の王、八神はやての御名の下に」

 

 はやてはその力強い声にゆっくりと肯き、右掌を上げ、一言「剣を」と呟いた。

 

《レヴァンティン開封》

 

 夜天の魔導書よりどこか安心した女性の声が響き、書は一瞬脈打つように光を灯し、その光ははやてが掲げた手のひらに宿ってそこに一降りの剣を生み出した。

 

 それは、鞘に収められた白銀の剣。シグナムの剣。業火の大剣レヴァンティン。

 はやてはそれをそっとシグナムの眼前に捧げ、一際まぶしく微笑んだ。

 

「お帰り、シグナム……」

 

「お待たせいたしました」

 

 このような名誉は身に余るとシグナムは震えた。誓いの御名(みな)の下に主の御前(おんまえ)に傅(かしづ)き、主より剣を給(たま)わる。騎士として、これ以上の誉(ほま)れは存在しない。

 

『羨ましそうね、ヴィータちゃん』

 

 頭を垂れたまま両手を掲げて剣を受け取るシグナムを見ながら、シャマルはヴィータに念話を送る。

 

『シャマルこそ』

 

 からかうようなシャマルの声にヴィータは冷静に返した。ヴィータの言葉は当たっている。シャマルの表情からは最上の喜びと同時に僅かに羨望の念が伺えた。

 

『仕方あるまい。シグナムは、騎士としての最高の誉れをいただいたのだ』

 

 ザフィーラの声にヴィータは『ああ』と短く肯いた。

 

 そして、はやては振り向いてそこに立つ三人をそれぞれ目を合わせた。

 三人は頷き、シグナムも立ち上がり、ヴィータ達の側に歩み寄った。

 既に言葉は必要がなく、全員が一つの意志のもとにまとまっていることをはやては確信した。

 

 

  もう言葉はいらない。

 

 

 はやては、微笑む表情を夜天の主にふさわしい、毅然とした表情に持ち直し、騎士達と自分とを隔てる場所に浮かぶ魔導書へと手をかざし、静かに息を吸い込みはき出した。

 

「夜天の書、私に甲冑と杖を。祝福の風リインフォース、セット・アップ!!」

 

 

 

 はやての手の中にベルカの象徴たる剣十字杖が舞い降り、ついで服が顕現し、その髪は銀に、目は紺碧へと変貌し、背中に三対の黒い翼が展開される。

 魔力で織られたその騎士甲冑は彼女の家族全員の要素を併せ持つ、正に彼女たちの象徴であるような姿に思えた。

 

 はやては、身にあふれかえる魔力を放出し、その光の空間をはねとばす。

 

 光が晴れた向こう側には、月の輝く夜天が広がっていた。天に浮かぶ月は優しい光で、海と陸を包み込み、白銀に染まるその光は、冷たく研ぎ澄まされていると言うよりはむしろ、何者にも染まらない純粋さと力強さを感じさせるものに見えた。

 

 それは、はやてに「帰ってこれた」としみじみと思わせる幻想的な風景だった。はやてが今し方身の回りに纏っていた銀色の光の残滓が雪のようにあたりに降り注ぎ、その風景の中ではやては、ふと金色の軌跡の気配を感じて背後を振り向いた。

 

 はやての碧眼に映り込んだ、金髪灼眼の少女。薄いボディースーツのような黒い戦装束(バリアジャケット)に身を包み、手には黄金の刃を持つ大剣を携えた少女は、自分を覗き込むはやてに少し怪訝な様子だった。

 はやての姿とその容姿はリインフォースを起動し融合することで変質し、おそらくフェイトは一瞬彼女が何者なのか分からなかったのだろう。

 

「そっか、私を導いてくれたのはフェイトちゃんやったんやね?」

 

 地上より放たれた黄金の帚星。自分達を外へと誘った導きの光。それがはやてには余りにも印象に残りすぎていて、目を閉じれば闇の中に浮かぶその軌跡をはっきりと思い浮かべることが出来る。

 

「えっと。なんのこと?」

 

 はやての考えを、当然フェイトは理解することが出来ない。自分はただ剣を振って一心不乱に外へ向かって飛んでいっただけなのだから、何かを導いた、誘ったなどと言われても要領を得ることが出来ない。

 

「私らはフェイトちゃんの後を追って外にでたんや。リインフォースが言ってた”聖王導光の輝路”はフェイトちゃんの光やったんやね」

 

 それでも、はやては感謝を述べた。本人がそれを意図していなかったとしても、自分がそれをどう受け止めたのかが重要なのだとはやては思う。そして、いずれ自分も彼女のような美しい導き手になりたいと思えるほどはやてはあの光に惚れ込んでしまっていた。

 

「聖王? 何を言っているの、はやて」

 

 頭がおかしくなってしまったのかとフェイトは一瞬そんな失礼なことを思い浮かべるが口にしなかった。聖王の名前は姉の口から幾たびも聞いたことがあるが、それがどのようなものなのか分からず、フェイトはただ困惑する以外になかった。

 

「まあ、気にせんといて。私がそう思いたいだけやから」

 

 頭上にクエッションマークを浮かべるフェイトを眺めながら、はやてはクスリと笑う。バリアジャケットを身に纏い、身の丈を越えるほどの大剣を手に持つ彼女は、初対面の時も戦っている姿も非常に凛々しかった。しかし、はやての言葉にポカンとした表情を浮かべるフェイトをはやてはとても可愛いと感じていた。

 口の中で「聖王、聖王、せいおう」と文字のゲシュタルトが崩壊しそうなぐらい繰り返し繰り返し反芻するフェイトをさしおいて、はやては眼下を見渡す。

 空の夜を映し出す海面に浮かぶ、半球状の巨大な闇の固まり。まだ、終わっていないと言うことをはやては心に抱きしめ、自分の周囲を固める家族達に一人一人目を配る。

 彼等は言葉を発せず、ただ、ゆっくりと肯くだけ。しかし、やはりそれで十分だとはやては感じた。言葉にしてしまっては、この決意と感情は一基に陳腐なものとなっている。あえて言葉を交わす必要もない、とはやては思い、今だ何かを思索するフェイトを一瞥して、「まだやっとったんかい!」と口の中でツッコミを入れた。

 

「まあ、ともかくや。あと一踏ん張り、頑張っていこか」

 

 はやてはフェイトの眼前で、パンと手を打ち鳴らしフェイトを何とか正気に戻させた。

 いきなり目の前で打ち鳴らされた音にフェイトは一瞬「に゛ゃっ!?」と、何とも情けない声を上げ、首をブンブン振って周りを見回した。

 そんな間の抜けた仕草にシャマルやヴィータが笑いを殺し、シグナムやザフィーラが「情けない」と額に手を当てているの見て、フェイトは赤面と共に両頬を叩いて意識をはっきりとさせた。

 

「あ、うん。そうだね、はやて……。はやてとシグナムと、お姉ちゃんが戻ってきたんだったら、遠慮はいらないよね!」

 

 フェイトははやての勝ち誇ったような笑みに目をやり、シグナムの静かな闘志の猛りを伺い、その隣でヤレヤレと肩をすくめ佇む姉アリシアを幻視した。

 

「お姉ちゃん?」

 

 それは、ただの幻視だった。

 

「どうした? テスタロッサ」

 

 凛々しい表情を浮かべたと思えば、再び呆然として、今は狼狽を浮かべているフェイトにザフィーラは何かゾワリとこみ上げるものを感じた。

 

「ねえ、はやて。お姉ちゃんは? アリシアお姉ちゃんは……どこ……?」

 

 フェイトの声に応えるものはいなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 Radical Dreamers

 

 さようならという言葉を永遠の別離のための言葉とできるのは一度だけだと彼女は思う。記憶の中にある、僅か五年間にも満たない一生の内に、自分はどれだけの言葉を使うことができたのかと彼女は思う。

 

(私にあるのは、幸せな記憶だけだったんだなぁ)

 

 あるいは、幼すぎた故に幸不幸の概念も理解できていなかったのか。

 

(母さまがいて、リニスがいて、友達はいなかったけど、寂しくなかった)

 

 時に母に「弟か妹が欲しい」とだだをこねたこともあった。母は困った顔をしていたが、それでも優しく抱き留めてくれていた。

 

(ずるいって思ったけど、暖かかったなぁ……)

 

 母の抱擁の熱が、自分の妹となってくれるかもしれなかった少女の熱が、まだ身体の奥底に残っている。

 遺跡に眠っていた少年を抱き上げたときの熱もまた、自分のものではない彼の記憶に眠るそれもまた心を温めるようだった。

 

(だけど、私じゃダメだった)

 

 少女が求めたものは彼女ではなく、彼女ではない彼女だった。そんなことは、少女に初めてであったときに理解していたことだった。

 

(みんなが幸せになれればいいのになぁ)

 

  そして、少女は身体が浮かび上がっていくような感覚に身をゆだね、既に形を失っている目蓋を閉じた。

 目蓋を閉じても闇は広がらない。すべてが白く明滅する光の中にあって、身体もなければ形もない。

 自分という意識の境界が極めて曖昧で、自分という自覚を手放せば、すべては水面に垂らされたインクのごとく、広い一つへと拡散してしまうだろう。

 

(さようなら……)

 

 ”アリシア”は声にならない、音にならない呟きを最後として、自らの意識を閉じた。

 

 閉ざされた意識は広がり散ろうとする。しかし、その寸前で、彼女の意識は光の中に穿たれた針の先ほどの黒い孔へと墜ちていった。

 浮遊感が一転し、終わりのない墜下となり、”アリシア”は地獄への堕落を連想した

 

 そして、気がつけば”アリシア”は木々の中に立っていた。

 

「……どゆこと?」

 

 ”アリシア”はそう呟き、周囲を眺め回す。終わりのない落墜が終わる前に終わってしまった。

 

「すっごい矛盾……」

 

 ”アリシア”は片手で頭を押さえた。理解が追いつかないほどの矛盾だらけだった。そして、”アリシア”は眺める風景に対しても溜息を吐く。

 

「知ってるのに……知らない場所だ。これも矛盾だよね」

 

 既視感とは違う、経験を伴った既知感。

 

「誰か……いるのかな?」

 

 ”アリシア”は呟き、木々の間を通り抜ける風に肩を震わせた。

 風が通り抜けた木々の隙間から光が差し込む。

 

「どう考えても、誘われてるよね。……良いよ、会いに行くから」

 

 ”アリシア”は光に向かって歩いていく。木の根に足を取られつつ、その向こう側に広がっていたのは、だだっ広く開かれた草原だった。

 

「……すごい……」

 

 青い空には雲が浮かんで、そよ風が背の低い草花にダンスをさせる。まるで理想的な、この世の楽園とも言えるような風景に”アリシア”はただ呆然と歩くより他がなかった。

 

「まさか、本当に天国とか、アルハザードとか……そんなんじゃないよね?」

 

 この風景を見せられては、そう言われたとしても否定することができないとアリシアは思う。

 気がつけば、大樹の影にいて、”アリシア”は緑の枝葉の狭間に光の瞬きを眺め、そして足もとに目を下ろした。

 

「……なんで?」

 

 その足もと、木陰になって涼しい所、

 

「なんで、ここにいるの?」

 

 木漏れの日溜まりをまるで毛布の代わりにして、ただ穏やかに眠る少女がそこにいた。

 

「なんで、私がいるの?」

 

 金色の髪が草花と共に靡き、風と共にステップを踏む。

 薄い緑色のワンピースから伸びる白くて細い腕と脚は、横たわる身体に包み込まれるように折り曲げられ、その姿に”アリシア”は自分のものとまったく同じでありながらも一瞬見とれてしまいそうになった。

 

「……スゥ……スゥ……」

 

 とても穏やかな寝息は、彼女がよい夢を見ている、あるいはフェイトと同じように幸せな夢を見させられている証なのだろうかと”アリシア”は思いながら、自分も大樹の幹の側に腰を下ろして、隣のアリシアの寝顔をただジッと見つめた。

 

「あなたは……なんで、こんなところで寝てるの? 外でフェイトが待ってるんだよ?」

 

 ”アリシア”は広がってしまったアリシアの髪を撫でながら、そっと問いかけた。

 指の間を流れる髪の質は、少しざらついているだろうかと”アリシア”は思う。それは、彼女がここに至るまでに積み上げてきた労力を物語り、”アリシア”は少しだけ表情に影を作った。

 

「あなたは、……頑張ったんだよね……だけど、何も上手くいなかったんだ」

 

 こうして側にいると、朧気ながらも彼女の記憶が流れ込んでくるように”アリシア”は感じた。

 まるで幻想のように浮かび上がるその記憶の殆どは悲劇に彩られており、あるいは空虚な灰色の情景が占めている。

 

「貴方は、辛かったのかな。悲しかったのかな。もう、このまま眠ってしまいたいって、そう思っているのかな」

 

 だったら、もう良いではないかと”アリシア”は思う。

 既に死の終わりは足もとより漂ってきているように感じられる。闇の書ははやてという主を失い、そして同時に管制人格をも失い、残されたのは暴走した破壊心のみだった。ここにいれば、いずれその破壊がやってくる。終わりは既に用意されている。

 

「私は……もう終わっちゃっているから、あなたがそれで良いんだったら私もいいよ?」

 

 ”アリシア”はアリシアの頭をそっと撫でる。指の間から長い金の髪が僅かに引っかかりを感じさせながらもサラサラと流れる。投げ出された小さくて肉の薄い腕は握りしめれば儚く壊れてしまいそうなほど繊細で、とてもではないがこの少女がかつて一つの戦場を掌握していたとは考えられない。

 

「一人じゃ寂しいから一緒に……」

 

 終わってしまっても良いと”アリシア”は思い、そっと目を閉じた。どちらにせよ、自分には生きる術がないのならと思い、結局自分が寂しいから一緒にいて欲しいだけだと思い至る。

 

「莫迦も休み休みに言った方がいい」

 

「ふぇ?」

 

 とつぜん側から湧き上がってきた、そんな不躾な言葉に”アリシア”は驚いてアリシアの髪から手を放してしまった。

 素っ頓狂な声を上げてしまったと”アリシア”は理解している。しかし、聞こえてきた声を前にするとそれも仕方がなかった。

 

「まったく、誰が終わりたいっていった? 勝手なことを言うもんじゃない」

 

 ”アリシア”は口をぱくぱくさせながら、その声の主、今の今まで穏やかな寝息を上げていた自分の分身へと視線を下ろした。

 ぱっちりと開かれた二対の紅い瞳が重なり合い、交じり合う。不敵に細められ、つり上げられたその双眸は自分のものではないと”アリシア”は理解することが出来た。

 

「……ベルディナなの?」

 

 ”アリシア”はそう呟き、身体を解きほぐしながらゆっくりと上体を起こすアリシアをジッと見つめた。

 

「そうだな、アリシア。今の”俺”はそう呼ばれれた方がしっくり来る」

 

 アリシアはそう言って、久しく感じる感覚……自意識に何となく違和感を感じる。それも当然かとアリシアは思い直した。

 

(今の俺と、この身体があってないってことか)

 

 そう自答してアリシアは自分の身体を見おろした。

 

「どういうこと? そもそも、ここは、いったいなに?」

 

 小さな手、長い髪に低い地面をじっくりと味わう前に、”アリシア”の問いかけを受けてアリシアは面上げた。

 対面するこの身体の主は、どうやら今この状況を完璧には理解できていないようだとアリシアは気が付く。だったら自分はどうかとアリシアは周囲を見回してみるが、その風景はベルディナとしては随分と見慣れた場所だった。そして、自分自身の中で脈動するものからもたらされる情報をかみ砕き、アリシアは覚ることが出来た。

 

「おそらくここは、闇の書の最深部で、闇の書の暴走の根源だろうよ。まったく、難儀なところに連れてこられたもんだ」

 

 アリシアは肩をすくめて溜息を吐いた。その仕草にはネガティブな様子を感じることは出来ない。しかし、”アリシア”にはその様相の奥に何らかの寂寥感が秘められているいるように思えてならなかった。”アリシア”はここが闇の書の奥深く、いわば闇の書の闇が納められている場所であることよりも目の前に座るアリシアが今何を思っているのかが気になって仕方がなかった。

 

「ねえ、ベルディナ……貴方は、どんな夢を見てたの?」

 

 これは夢だと”アリシア”は感じていた。消える前にみさせられる走馬燈のような夢。しかし、夢の中で眠る彼女はいったいどのような夢を見ていたのか。今こうして自分が立っている場所は、果たして夢なのか現実なのか、区別がつきそうにもない。

 アリシアはそんな彼女の問いに少し困ったような表情を浮かべ、ポリポリと頬をかいた。

 

「そうだなぁ……色々あってまとまらないな」

 

 アリシアそう呟きながら立ち上がり、スカートをパンパンと払って草や土の片を払い落とした。”アリシア”もそれに習って立ち上るべく地面に手を突こうとするが、アリシアはそれに手をさしのべて立ち上がらせる。

 

「あ、ありがと……」

 

 礼を述べる”アリシア”にアリシアは特に何も言わず、

 

「少し歩こうか。ずっと眠っていて身体が凝った」

 

「いいけど、何で起きなかったの? 寝不足?」

 

「そうだな。まあ、おそらく君が来たからだろう」

 

「……分からない」

 

「だろうね。まあ、歩きながらまとめるよ」

 

「もー、待ってよ、ベルディナ!」

 

 立ち去ろうとするアリシアはを目で追い、”アリシア”は急いで立ち上がり彼女を追い掛けて、隣に立って歩き始める。

 

「何から話すべきかな……」

 

「いい夢だった? それとも、悪い夢だった?」

 

「そうだな。最良と最悪が入り交じった……中途半端な夢か。俺の、ベルディナの生き様を見てきた。初めて世界を認識したところから死ぬまでのすべてを見た」

 

「それは……どんな?」

 

「単純な話だよ。戦争に行ってたくさんの人を殺して、たくさんの仲間を殺された。そして、結局は自分で自分の仲間を殺して……息子みたいに思っていたやつの為に生命を投げ出した」

 

 アリシアは眠りの中で見続けた情景を思い浮かべる。自分が、ベルディナが歩いてきた道は決して平坦なものではなかった。戦争が孤児を生み、自分もその中の一人だった。そして、自分はのたれ死ぬことなく掬い上げられ、生きる希望を与えられた。やがて最愛となる女性――夜天の魔導師メルティアとの出会い。やがて自身の全てをかけて忠誠を誓うこととなるベルカ聖王女オリヴィエとの邂逅。ベルカの最後の国王、聖王オリヴィエに従い、翔天の剣士として駆けめぐった最後の戦場。その全てが鮮やかな記憶であり、誇りある日々だった。

 

 しかし、その全てが戦争という大波にさらわれていった。

 

 津波のさったあとには最愛だった人を殺した自分のみが残され、全ては無に帰した。

 

 足を進めながら空を見上げ、後悔しているのか、それともただ懐かしいと思っているだけなのか分からないアリシアの表情を見て、”アリシア”は言葉をかけることが出来なかった。たとえ、その記憶の一部を共有して、その経験の上澄みのみを知るとはいえ、”アリシア”が生きてきた時間はたかだか5年に過ぎない。300年間の孤独を生きてきたアリシア/ベルディナの想いを類推することは”アリシア”には不可能だった。

 

「思えば、それほど大した人生でもなかった。改めて客観的に見させられると、俺みたいな人間は、あの当時だとそれこそ数え切れないほどいた。俺だけが取り残されたみたいに勘違いして、結局何もしなかっただけだ。情けない話さ。これでは、メルティア達に顔向けが出来ない」

 

 それに早く気が付くことが出来てさえいれば、ベルディナももう少しましな人生が歩めていたかもしれないとアリシアは思う。それに、ベルディナはけっして不幸ではなく一人でもなかった。彼には家族がいた、最後に身を寄せられる場所を見つけ、そこで息子と言えるものを得ることが出来たのだ。それを、幸いと思わずして何を幸いと言うべきかとアリシアは思う。それを得ることが出来ずに消えていく者も数えきれぬほどに存在するのだから。

 

「母さまも……だね。私が死んだ事故で亡くなったのは私だけじゃなかった。母さまみたいな人は……いっぱいいた……」

 

 ”アリシア”は自分の最後の瞬間を僅かながら覚えている。ヒュードラと呼ばれる新型魔導炉によって酸素が奪われ、一瞬で意識が奪われていったこと。隣で先に息を引き取っていった友達の猫リニスや、周囲から聞こえるたくさんの悲鳴。ものが落ちる音やガラスが割れる音、大きなものが何かに衝突する音など、終わりを演出するひび割れたシンフォニーのように、何時までも耳の底に残っている。

 プレシアにも心の拠り所に出来るものはたくさんあったはずだった。だが、彼女は差し伸べられていた救いの手をすべて拒絶し、壊れて暴走した。妄執と狂気に駆られ、自身を滅ぼす手を取ってしまった。

 

「だが、そのお蔭で俺はユーノに出会って、フェイトが生まれた。何がどう転ぶかは分からんもんだ」

 

「そうだね……」

 

 禍福はあざなえる縄のごとしとはよく言ったものだと二人は思う。過去のすべてから逃げて放浪することでベルディナはスクライアに助けられ、ユーノを引き取ることが出来た。そのお蔭でユーノは生きることが出来、孤児である彼は親を知ることが出来た。そして、プレシアが壊れることでフェイトが生まれ、フェイトは本当の親友達を得ることが出来た。今ある現実は、過去の過ちによって成り立っている。過ちを全て無かったことにしてしまえば、今ある幸せもまた存在しない。

 

 しかし、”アリシア”はその幸せが、自分が死んだ上で成り立っているものだと言われ、目の前が歪むような思いに駆られた。この世界は自分が死ぬことが前提になっている。まるでそれは、自己の完全否定だ。”アリシア”は踏みしめる地面が心なしか揺らいでいるように思えた。サクサクと踏みつける芝の感触さえも、デジタルによって再現された幻想だと思えば、なるほど、この世界は自分にこそふさわしいと思ってしまう。

 

 いっそのこと消えてしまいたいと”アリシア”は思った。

 

「過去を忘れず、過ちを繰り返さないこと。当たり前すぎることだが、それが一番重要だと思う。結局、俺は繰り返し続けることしか出来なかったが……」

 

「うん……」

 

 繰り返したくないというアリシアと繰り返すことすら出来ない”アリシア”は共に歩みを止めた。アリシアは空を、”アリシア”は足もとをそれぞれ見上げて見おろし、それぞれ内観して感情を整理した。

 別れが近いと”アリシア”は漠然と感じた。こうしてここいられる今はそれほど長くは残されていないとアリシアも感じていた。湧き上がる終焉の気配は既に膝元にまで迫っている。

 

「今度こそ繰り返さない。今度こそ、この悲しみの輪廻を断ち切りたい。今は強くそう思う」

 

 アリシアは面を下ろし、”アリシア”へと目をやった。

 

「どうすればいい?」

 

 ”アリシア”は面を上げて、アリシアへと目をやる。

 

「闇の書の暴走した防衛体は今、俺のリンカーコアと一つになっている。よっぽど寂しかったんだろう。今は、少し落ち着いているらしいな」

 

 アリシアはそう言って、自分の胸に手を置く。心臓のすぐ近く、仮想的にリンカーコアがあると言われている身体の中心部分からは比較的穏やかな鼓動が聞こえる。自分自身の心臓の音と、自分のものではない穏やかな脈動が重なり体腔を響かせていた。

 

「寂しい……そう、だよね……」

 

 闇の書も、自ら好んで闇に落ちたわけではない。近づく物を滅ぼすしかない故に用意されているのは絶対的な孤独。たとえ、それを自覚していてもぬくもりを忘れることは出来ない。たとえそれが、ただのプログラムに過ぎないマシンであったとしても。僅かなりとも知性を持つ物であれば、なおさらだ。

 そこに人の肌を見つければ、まるで親を見つけた赤子のように縋り付き、その胸の中で眠るのだろう。

 

「つまり、この子を何とかしてしまえば、闇の書の暴走は沈静化して、全てが元通りになるはずだ」

 

 アリシアは子宮の赤子を撫でつける母のように自身の薄い胸に小さな手を置いた。

 

「うん。そうすれば、みんな助かるんだね」

 

「そう言うことだ。ある程度のプランは考えてある。分の悪い賭だが、成功すれば全てが上手くいくはずだ。」

 

「そう……じゃあ……」

 

(お別れだね)

 

「ああ、だから、手を貸してくれないか? 俺が自分を保ち続けられるように、捕まえておいて欲しい」

 

「私? どうして? だって、私は……」

 

 消えなければならない存在であるはずだと”アリシア”は思っていた。この世界そのものは自分の死を前提にしている。自分が生きていれば、この世界にどうしようもない矛盾を引き起こすことになると彼女は本気で考えていた。

 

「確かに君は実体を持っていないね。だが、君の身体は君の目の前にあるだろう?」

 

 しかし、アリシアはそれを僅かに異なって解釈し、”アリシア”は単に実体を持たない故に手を貸すことが出来ないと言っていると誤解した。しかし、その誤解は”アリシア”に取っては考えも着かない事をはらんでいた。

 

「私の目の前って……何を言ってるの?」

 

 それは、考えてはいけないことだと”アリシア”は思っていた。目の前に自分の身体がある。”アリシア”の眼前に立つアリシアは本来は”アリシア”が宿るべき器であり、そこにはベルディナの居場所は本来的には存在しないはずだった。しかし、そうなればその器を占有することとなり、異物である彼の意識は霧散して無くなってしまうだろうと”アリシア”は感じていた。それではダメだと彼女は思う。フェイトが求めたものは自分ではなく、目の前に立つアリシアなのだと自分に言い聞かせる。

 

「分からないか? フェイトが願ったアリシアは、俺だけでは成り立たない。そして、君だけでもダメだということだ。俺が俺(ベルディナ)である以上、フェイトの姉のアリシアにはなり得ない」

 

 思い出せば、ベルディナの意識が宿ったアリシアは自分自身がベルディナであるのかアリシアであるのか定義することが出来なかった。普段ならそれを感じることはない、この身はアリシアの器にベルディナの意識が宿った歪な存在であると自覚できる。

 しかし、あの時、時の庭園の最深部でプレシアと対面したとき、アリシアは確かに”アリシア”として母と向き合っていたのだ。それに向かう途中であっても、プレシアに近づくにつれて励起される愛しいと思う気持ち、甘えたいと思う気持ち、抱きしめて欲しいと思う気持ちが入り交じり、そして、最後の時にそれらは一つに融合した。

 

「……それは……本当?」

 

 縋るような眼で見つめる”アリシア”に、アリシアはしっかりと肯いた。実際的にはそれはまったく根拠のないことだった。いわば、そう考えなければ説明の付かないだけで真実はどこにあるのか分からない。しかし、今の自分にあるのは、久しく感じる生のベルディナの感情だけだとアリシアは理解していた。

 

「ああ、フェイトを悲しませないためには俺――ベルディナだけではだめなんだ。どうしても、君が必要になる。一つになろう、アリシア。俺は君と歩いていきたい。俺は、これからはベルディナとしてではなく、フェイトの姉として生きていきたいんだ」

 

「だけど、怖いよ。もしも一つになって、私がベルディナを飲み込んじゃったら、嫌だ」

 

 アリシアの器には”アリシア”が優先されるはずだ。もしもそれが正しいのなら、今し方”アリシア”が思い浮かべた事が現実となる。”アリシア”の意識がベルディナの意識を押しやり、消滅させてしまう可能性も確かにあるのだ。行わなければ結果が分からないこと、しかもそれはやり直しが聞かない。300年を生きて既に老成した達観を有するベルディナであればまだしも、幼い”アリシア”であれば、恐れ躊躇することは致し方がない。

 

 それでもなお、アリシアはニコリと不敵な笑みを口許に浮かべ手を差し伸べた。

 

「Cool&Pleasureだよ、アリシア。この言葉があれば、世界は自ずと道を開く」

 

 目の前に差し出された小さくて真っ白な手を”アリシア”は眺めた。振り払うことは出来るだろう。そして、これを振り払えば、自分はおそらく問題なく消えることが出来る。フェイトが差し伸べた手を振り解き、ただ一人で闇に沈んで消えていった母プレシアのように。

 それは、認めることが出来るのかと”アリシア”は自問した。誰かが認めるのではない、自分自身がそれに甘んずることが出来るのかと問いかけた。

 

  答えは出た。それは非常にシンプルで当たり前のことだった。

 

「冷静に、楽しく……か。本当にベルディナらしいや……。分かった、一緒になろう? ベルディナ」

 

 思えば単純なことだった。答えは既に自分で用意していたことだった。現実でもフェイトの姉でいたかった。それが自分の望みだったと”アリシア”は思い出した。

 

 未来があることはこんなにも嬉しいことかと”アリシア”は思い、アリシアの手を取った。。

 

「それにしても、これではまるでプロポーズだな。もう少し言葉を選ぶべきだったか」

 

 僅かに照れくさそうに頬をかくアリシア。繋いだ手と手の間から光が漏れだしていく。いよいよこの世界に別れを告げるときだと心の内に思いながら、アリシア/ベルディナはどこか悪くない達成感を感じた。

 

「ベルディナの情熱はしっかりと心に届いたよ。だから、一緒になるんでしょう? これって、結婚みたいだね」

 

 もしも全てが上手くいったら、はじめに世界にこんにちはを言いたいと思いながら、”アリシア”は口に手を当てて笑みを漏らした。

 

「文字通り、月夜も白夜も共にということだな」

 

 月に召されるわけではなく、地上にいながら終わりを経験する。それは、一帯どのような感覚なのだろうとベルディナは考える。ただ言えることは、月での再会約束しあった仲間達とは永劫の別れをしなければならないということだけだった。

 

 光が拡大していく。繋がれた手は灰色の光の中に溶け込んでいき、次第に身体の表面からは光が粒子となって立ち上り、それは二人のアリシアの中心へと集束していった。

 

 冗長的に引き延ばされていく感覚はまるで眠りに落ちる寸前のように思え、拡大して身体を包み込んでいく光はまるで幼子を安らげる揺り籠(かご)のようだった。

 

「おやすみなさい、ベルディナ」

「お休み、アリシア」

 

 二人は目を閉じ、輪郭を失う身体に身をゆだねて眠りについた。光は一つとなり動きを止めた。

 ゆっくりと表面を回転させる光は徐々にその姿を変じていき、縮小していく。終に光は割れ、光は細かい粒子となって拡散して、その残滓は空気に溶けるように消えていった。

 一人のアリシアは吹き始めた風に髪をなびかせるまま、ただ瞑目して空を見上げる。その目蓋からは一条の雫が滴り、頬を伝っていた。

 

「……さようなら……」

 

 それは悲しみの言葉なのか、それとも感謝の言葉なのか。あるいは再誕した喜びなのか。

 その呟きは風に晒され、草原を越えて丘を登り空へと消えていった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 Reconquista

 

 夜の海はとても静かだった。フェイトは仲間の輪の中にいながら、ずっと闇の書の暴走体に目を向けている。今自分がどんな表情をしているのか、フェイトには把握できなかった。ありとあらゆる感情が湧き上がってきて、それらが混ざり合ってそれぞれの感情の高まりを打ち消しているような感じだと、妙に冷静に判断していた。

 

 外に出れば全てが上手くいくと信じていた。きっとはやても立ち直っていて、あとはただ全力で事に当たれば良いだけだと確信していた。今思えば何故そんな確信を持っていたのか信じられない。絶対に守る、絶対に助ける。そのために自分はここにいるはずが、結局一番助けたい者を置いて自分だけが外に出ることとなってしまった。

 なんのために自分はここにいるのか。フェイトは本気でそれが分からなくなってしまった。

 少なくとも分かることは、自分は姉であるアリシアを置いて一人助けられてしまったと言うことだけだった。

 それがどうしようもなく悔しくて、アリシアであれば何が起こっても上手くやれると言われて、根拠もなくそれを信じてしまったことにフェイトは後悔するばかりだった。

 

「お姉ちゃん……」

 

 その呟きに、その場にいた全員が僅かに身を堅くした。取り乱すわけでもなく、泣き出すわけでもない。その声にはなんの感情も伺うことが出来ず、それでも呆然とするわけでもなく、フェイトはただ直立して出現した闇の固まりを睨み付けるだけだ。

 冷静を失ってくれ方が気が楽だったとクロノは思う。それなら、声をかけて彼女を平静に戻すことも出来た。声をかけることが出来るということは、声をかけられる方だけではなく、声をかける方にとってもある一つの安心を得る材料になるということだ。

 近い将来家族になり、自分の義理の妹になるはずの少女に何も出来ないと言うことにクロノは悔しさを覚え、それでも今はこの状況を打開するために執務官としての責務を果たすべきだと思い至る。

 

「大丈夫か? フェイト」

 

 それでも一言だけクロノはフェイトに言葉をかけておきたかった。

 フェイトは且く闇の固まりを凝視し、そしてその視線をクロノの方へと向きなおし、

 

「……うん、私は大丈夫だよ、クロノ。なんだかね、もの凄く冷静なんだ。本当は悲しくて、情けなくて、もの凄く腹立たしくて……だけど、そんなのが全部ごちゃごちゃになって、何も分からないんだ」

 

 そう呟くように答えを返した。クロノはそんなフェイトを非常に理性的だと感じた。一気に押し寄せた感情によって理性がはち切れるのではなく、その感情を理性的に理解しようとしている。

 

「フェイトちゃん……」

 

 クロノが展開したフローターフィールドの上に腰を下ろすなのはの呟きはフェイトの耳には届かなかった。なのはは今のフェイトの眼差しに危うさを感じている。あれはまるで、半年前、初めて彼女と出会ったときの表情に良くいていた。無表情の奥に見える深い悲しみ。それは、かつては自分も浮かべていた途方にもない寂しさを押し隠すものだった。

 

「大丈夫だよ、なのは」

 

「ユーノ君……」

 

 足もとに着いた手が温かいものに包み込まれる感触がなのはを襲った。見れば、なのはの手にはユーノの手が重ねられていて、視線を戻せばユーノの翠の双眸がしっかりとなのはの両目を見つめていた。

 その表情から感じるものは、悲歎と自責、そして明確に伝わってくる強い意志があった。

 

「大丈夫。きっとフェイトは繰り返さない。信じよう、フェイトを」

 

 ユーノのその様子は既に満身創痍。魔力の過剰運用によって拡大したリンカーコアの損傷は本来なら彼に声も出せないほどの激痛を与えているだろうにも関わらず、彼の声にはそんなものなど無いと思わせるほどはっきりと筋の通ったものだった。

 

「……うん……」

 

 彼は強すぎる。そして、フェイトもまた脆そうに見えて強い。クロノは堅固で揺れることが無く、アリシアはしなやかで強靱な意志を持つ。

 どうして彼等はそうある事が出来るのだろうかとなのはは思い、そうならざるを得なかった事情に思いをはせて、どんどん気分が下降していく。思えば、彼等は人の命を背負って立っているのだ。肉親の死を彼等は知っている。ただそれを二度と繰り返したくないという悲壮な意志をもととして彼等は強くならざるを得なかった。

 それはとても悲しいことだとなのはは思い、下がっていく面を何とかして持ち上げた。

 

「助けよう、アリシアちゃんを。私たちで……」

 

「うん、なのはの言うとおりだ」

 

 フェイトはなのはの言葉に深く肯いた。

 やはり、自分たちにとってなのはは眩しすぎる。そのあり方も、生き方も、何もかもが太陽のようだとフェイトとユーノ、そしてクロノさえも思う。自分たちのような歪なあり方で得た強さではなく、なのはは純粋な強さを持っている。

 フェイトは思う。自分も、いずれはなのはのような本当の強さを手にすることが出来るのか、そうあって欲しいと。

 

「……エイミィ、現状を報告してくれ」

 

 あの三人が一緒にいれば、大丈夫だ。クロノは頷き会う三人になんとか安心して、現状打開のためにアースラに通信を開いた。

 

『了解、クロノ執務官』

 

 呼ばれることを待ち受けていたのか、クロノの呼び出しに僅かなタイムラグも生じさせずにエイミィがクロノの眼前に通信モニターを開いてきた。

 

『現在、闇の書は暴走開始前の小休止状態になってる。内部を走査した結果、魔力エネルギーがすごい勢いで発散し始めてて、もう暴走開始までそんなに余裕はないみたい』

 

 エイミィはそう言いながら忙しく指を動かし、自分のモニターの横に闇の書の現状を説明するための解析モニターを投影させる。

 ワイヤーフレーム状にモデリングされた闇の書の巨大な固まりの周囲、あるいは内部に様々な数値や三次元グラフが投影され、それらはめまぐるしく移り変わっている。

 それを凝視するフェイトにはその数値の示す意味を読み取ることが出来なかったが、フェイトにとってただ一つ確かめておきたいことがあった。

 

「エイミィ、お姉ちゃんは?」

 

 フェイトの抑揚のない声にエイミィは一瞬口を噤んだ。出来れば、フェイトを安心させるために、ただ大丈夫と告げてあげたいとも思う。しかし、今の自分の立場を考えれば、全てをありのまま伝える以外にエイミィに出来ることはなかった。

 

『それが、分からないんだ。アリシアちゃんの反応は確かにあるのに、その位置がどうしてもはっきりしなくて』

 

 その様子はまるで、量子の雲のようだとエイミィは呟いた。あまりにも揺らぎが多く、一度観測されてもその次の瞬間を予測することが困難であること。あるいは離散的に観測されて一つにまとまらない。

 アリシアは確かに中にいる。しかし、どこにいるのか分からない。

 

「お姉ちゃんは……生きてるんだね?」

 

『うん、それだけは確実だよ』

 

「そう……」

 

 フェイトは心なしかホッと息を吐いた。生きているのなら、まだ助け出す余地があるということだ。僅か一瞬で永遠に手の届かない所へ行ってしまった母とは違い、アリシアは本当に目の前にいる。

 しかし、それを眺める周囲の者達はフェイトのその様子に調子を狂わせられる。本来なら、一番焦って声を荒げなければならない子が一番冷静で聞き分けが言い。

 なんだか、居心地が悪いとはやては感じながら、一同に黙ってしまった面々を眺めておずおずと手を挙げた。

 

「あの、それで、クロノさん、何か対策はあるんですか?」

 

「今のところ、二つだ」

 

 クロノはそう言って手に持っていたS2Uを懐にしまい、代わりに一枚の白銀のプレートを取り出して、全員に見えるように掲げた。

 それは、先ほどグレアムより託されたデュランダルと呼ばれたデバイスだった。

 

「まずは、このデュランダルで大規模な凍結魔法を使用し、闇の書を凍り付かせる」

 

 そして、クロノは感情のこもらない酷く覚めた表情で空を見上げ呟いた。

 

「あるいは、静止衛星軌道上のアースラからアルカンシェルをあれに打ち込むか」

 

 それは、フェイトには聞きたくない言葉だった。

 

「それはダメだよ、クロノ。それじゃあお姉ちゃんを助けられない」

 

 フェイトが首を振ってそれを否定する。確かに、アルカンシェルを使用すれば、ここにそびえる災いは全て文字通り蒸発するだろう。しかし、それでは救えないものがある。

 

「それにアルカンシェルを打ち込んだら、僕達の街も消えてしまう」

 

 ユーノはアルカンシェルの有効射程や効果範囲を頭の隅で計算しながら面を振った。ここは陸より随分と距離が離れている。しかし、いくら距離が離れていると言ってもそれは僅か十数km程度の事だ。アルカンシェルはその爆心地より半径百数十kmの球状空間内にあるものを例外なく消滅させる。

 ユーノは陸でこちらを見守っているだろうアリサとすずかのことを思いやる。この半年間のこと、アルカンシェルをここに打ち込めば、その全てが消えてしまうこと。たとえこの街が消滅することで、この星に住まう60億の人命が救われるといわれても、自分の世界が崩壊することと天秤にかけることは出来ない。

 それは、誰もが分かっていることだった。人の命に貴賤がないのなら、一つ一つの命は平等に扱われるべきだ。それならば、60億の人命と街に住む100万足らずの人間の命、あるいはアリシアただ一人の命、それらのどれがもっとも重たいものか、考えなくても分かる。足し算をしてもっとも大きなものがもっとも優先されべきものだ。しかし、それを選択することは人の道を外れた行為だということを誰もが感じていた。僅か数名に過ぎない自分たちがそれを判断することは出来ない。

 判断できない故に、誰もがそれを判断する人間をほしがり、沈黙に包まれる場の中で必然的に皆の視線はクロノへと集められる。クロノに辛い決断をさせる事になるかもしれない。それはとても悲しいことだと誰もが思った。

 

 フェイトはただ一人、視線の集まるクロノへと目を向けず、その紅い双眸を海上に佇む黒の半球へと向けた。

 それは表面を見る限り何らかの変化をしているようには思えなかった。しかし、内部の状況をモニターする映像には確かに変化が見られ、残り時間を示すタイマーの数字は時々増減を繰り返し安定しないが、確実にその数を減らしていく。

 

 その数字が全ての終わりとなる。良きにしろ、悪きにせよそれで全てが終わる。

 フェイトは震える肩を押さえるように自身を抱きしめた。終わってしまう。全てが終わってしまう。そのことが突然双肩にのしかかってきているようで、怖かった。縋り付くものもなく、この場にいる全員が縋るものを必要としている。

 

(お姉ちゃん……何をやってるの? みんな、お姉ちゃんがそこにいるから困ってるんだよ? なんで……一緒にいてくれないの?)

 

 フェイトは目を閉じて、心の内でそう念じた。闇の書の中に声が届くとは到底思えない。アリシアの位置は不明のままだ。それに加えて、闇の書には極めて強固な排他性があるため、よっぽど強い指向思念波を用いなければ内部まで声を届けることが出来ない。

 しかし、それでも正に藁に縋るような思いでフェイトは念じる。この声が祈りとなって届いてくれればと思う。

 フェイトは胸の前で腕を組み、握りしめられた手にキスを送ってただひたすら念じ続けた。この祈りは何に捧げるべきか。あるいはこの夜が始まって常に自分達を天から見守り続けてきた月に捧げればよいのか。フェイトは神仏の存在を知らず見たことも感じたこともない。しかし、ことあるごとに姉が思いをはせるあの月なら、あるいはこの祈りを聞き届けてくれるかもしれない。

 

『……フェイト』

 

 吹き付ける海風と空風の狭間に一塊の声のような音が差し込まれた。今のは空耳だったのだろうかとフェイトは面を上げた。誰かに呼ばれたような気がしてフェイトは後ろを振り向いた。

 クロノが呼んだのだろうか、それともなのはか、はたまたユーノだったのだろうか。しかし、振り向いた先に集まる面々は、今だ答えのでない議論を続けるばかりで誰もフェイトに気を向けていない。

 希望があると思いたかった。

 

『フェイト……』

 

「だれ?」

 

 今度は聞き逃さなかった。誰かが自分に話しかけている。フェイトはそう確信し、両耳に手を当てて外部からの雑音を遮断し、ただ意識をすませて心の耳をとがらせる。

 

『私の声を聞いて……お願い、届いて……』

 

 間違いないとフェイトは確信した。その声は聞き間違えるはずもない。自分と同じであるのに、やっぱりどこか異なる声。届いたとフェイトは涙を流しそうになった。

 

『お姉ちゃん!? どこにいるの。大丈夫!?』

 

 アリシアからの呼び声にフェイトは必死になって言葉を念じる。その思念波は周囲に放出するのではなく、ただ前へ指向性を持たせつつ、呼び声に応じて欲しいという願いを乗せてフェイトのもとから闇へと届けられる。

 

『もしこの声が届いていたら、できれば私の言うとおりにしてほしい。そうすれば、おそらくだいたいが上手くいくから』

 

『お姉ちゃん!? アリシア!』

 

 会話がかみ合っていないとフェイトは感じた。アリシアからの声は届いているにも関わらず、こちらの声は届けられていない。話がしたいとフェイトは切望した。一切の余裕も認められない状況だと言うことは承知していた、しかし、それでもたった一言だけでもいい、言葉と言葉を交わし合いたいとフェイトは願った。

 

「どうした? フェイト」

 

 話し合いの輪から離れて、声を上げずに取り乱すフェイトにクロノが気が付き、そっと声をかけた。

 

「うん、今お姉ちゃんの声が聞こえたんだ」

 

 フェイトのその言葉に、その場にいた全員がフェイトへと視線を向けた。

 自分たちには何も聞こえない。それだけなら、単なるフェイトの妄想かとも思えるが、藁にも縋りたいという思いは何もフェイトだけのものではない。

 

「話せるのか」

 

 クロノは焦る感情を沈め、静かにフェイトに問いただした。とても冷え切った声だったが、フェイトは確信を持って肯いた。

 

「うん。だけど、私の声が届かないんだ。お姉ちゃんに何か考えがあるみたい。上手くいけば、みんな助かるって……」

 

「提案? それって、どんな?」

 

 少し苦しそうに声を上げるユーノだったが、フェイトの「少し待って、集中するから」という言葉に口を噤んだ。

 

 ユーノ達の焦燥感の込められた視線を体中に感じながら、フェイトは無言で目を閉じ、外界の雑音を遮断するするように両耳に手を当てて深く意識を研ぎ澄ました。

 聞き漏らすわけにはいかない。こちらの声が届かない以上、アリシアに復唱を求めることも出来ない。

 

『私は今、闇の書の深淵。暴走した防衛体の中心にいる』

 

 アリシアの声はとてもゆっくりとしたものだった。

 

『暴走体のコアが私のリンカーコアと融合している。だから、今から私は闇の書の暴走を解放して、防衛体から暴走した部分を順番にパージしていく』

 

 情報を正確に伝達するために、殆ど箇条書きに近い言葉で淡々と状況と提案を告げられる。

 

『だけど、パージするには暴走体が攻撃と再生に集中している必要がある。そのために、みんなには表に出ている暴走体を全力で攻撃して欲しい。外から私が観測できるようになったら、何らかの方法を用いて私を外に引きずり出して欲しい』

 

 アリシアの提案は余りにも端折られたもので、根拠も不明に近い。

 しかし、フェイトはそれに一切の疑問を挟むことなくただ貪欲にその一言一句までも全て飲み込み消化しようとしていく。アリシアの声は自分以外に届いていない。その通信プロセスが不明な以上、この通信記録をバルディッシュに残しておくことも出来ないのだ。

 

『私が外に出られたら、後は…………』

 

 アリシアは最後の言葉を伝え、そしてフェイトの意識の中からアリシアの声が完全に消えた。

 

「分かった。絶対に助けるから、待ってて……お姉ちゃん」

 

 フェイトの眼差しが蘇った。面を上げて全員にむき直されたその双眸から感じられるものは先ほどの無感情な冷ややかさではなく、むしろ燃えるような決意を秘めた熱だった。言葉を交わすことも出来ず、ただ、彼女の声を聴いた。それだけであるのに、フェイトは自分自身を取り戻すことが出来たのだ。クロノはやはり、フェイトにとってはアリシアがもっとも重いものだと実感し、それは当たり前だと理解した。それが血の繋がりというものだ。

 

「みんな、落ち着いて聞いて。今からお姉ちゃんが言ってたことを話すから」

 

 そして、フェイトは話し始めた。アリシアの言葉通りに話した。それはまるで、アリシア本人のようだった。その口調、言葉と連動して動かされる腕の仕草やその表情に至るまで全てがアリシアのものだとそれを聞くユーノには感じられた。

 

「アリシアが暴走体のコアと融合している……か……少し信じられないな」

 

 フェイトの報告が終了し、与えられた情報の反芻が一通り終えたクロノは思わず額に手を当てながら呟いた。

 

「お姉ちゃんはこんな嘘を吐かないよ、クロノ」

 

「いや、それは僕もよく分かっている」

 

 アリシアは嘘つきで悪戯好きだ。クロノも、この半年でそのことに関しては身にしみて分かっている。そして、同時に彼女は嘘をつく場合をわきまえている。とりわけ命に関わることに関しては、彼女は不必要な嘘はつかない。単に、嘘だと思いたいだけだとクロノは自答して、フェイトから伝えられた情報をもう一度整理するべく口を閉じた。

 

 絶対うまくいくという確信はない。アリシアの提案に間違いはないという根拠もない。ともすれば、彼女はこちらが決定的な行動を躊躇するようなことを伝えていない可能性もあるのだ。しかし、迷っている時間はない。クロノは横目でエイミィが映し出した暴走までのタイムリミットを確認し、奥歯を食いしばった。

 

「……残された時間はない。まだ確証は持てないが、アリシアの案で行く。何か反論のある者は?」

 

 この状況で反論できる者はおそらく居ないだろうとクロノは予想した。仮にもしも反論されたとしても、決定的な代替案が提示されなければ、クロノは自分の決定を押し切るだろう。

 

(これは、僕の独断だ。だから、もしもすべてがうまくいかなかったら、責任はすべて僕にある)

 

 果たしてその決意は皆に行き渡ったのだろうかとクロノは自分に向けられた視線を一つ一つ確認していった。それぞれの双眸、その奥に込められた光にはよどみがない。皆が皆希望を託している。のしかかる重責は、もう何度も経験してきたことだ。自分の決断が一つの世界の命運を決めることも何度もあった。成功するときもあり、失敗するときもあった。こんなはずじゃなかった状況が何度も何度も襲いかかり、そのたびに後悔と自責に駆られる。

 

(だけど、僕はそれでも前に進んできた。今こうして僕はここにいる……それだけは事実だ)

 

 クロノは最後にフェイトの表情を伺った。フェイトには迷いがなかった。そう、クロノには感じられた。

 

「やろう、クロノ。私たちでお姉ちゃんを取り戻すんだ」

 

 それは全員の決意の言葉だった。フェイトは大剣型のバルディッシュを握りしめ、おもむろに固まりとなった闇をに目を向ける。

 別れを告げた人々の言葉がフェイトの脳裏をよぎる。自分を夢に誘い、それでもただ自分のために背中を押して消えていった、姉ではない姉の最後の笑み。手を伸ばしても決して届かない、渇望さえした夢の家族たち。幻と分かっていてもなお、それはかけがえのない者だった。

 そしてフェイトはちらりと横目で、自分を見る心配そうなクロノの表情を伺った。義兄になるかもしれないクロノ、そのクロノの側で呼吸を整えるユーノもまた、いずれ自分の義兄妹となるかもしれない人だ。家族にならないかと声をかけてくれたリンディ。皆、優しくて暖かい。本当の幸せが間近に迫っているかもしれない。

 

 そして、その光景は姉であるアリシアが居て初めて完璧となる。

 

「暴走開始まで残り60秒だ。全員配置につけ! いいか、この一戦で全てにケリをつけるぞ!」

 

「了解した、執務官。前は私とヴィータに任せろ」

 

 ようやく出番だと言わんばかりにシグナムは鞘より剣を解き放ち、猛々しい炎のような魔力を存分に振りまいた。自分は主より許しを得たが、それで償いが終わったわけではない。今この状況は間違いなく自分の不義がもたらした結果であるとシグナムは胸に刻み込む。それは死をもって償うとか、誰かに罰を与えられるとかそう言うことではないとシグナムは自己に言い聞かせた。不義の償いは義をもって行う。それが主より与えられた唯一の許しの道だとシグナムは誇りを持って剣を担うのだ。

 

「ああ、全部たたきつぶしてやる」

 

 ヴィータもそれに同調するように大槌を一降りしてカートリッジを二発激発させる。ただ破壊すること、己よりそれに勝る者はないと言わんばかりにグラーフ・アイゼンもまた誇らしげに筐体を震わせて白煙をなびかせた。

 

「ナビは任せてください、みんなは攻撃に集中して!」

「雑多な者は我が担う。一つたりとも撃たせん」

「守りはアタシにまかせな! 誰にも指一本ふれさせないよ!」

「もう、悲しいことはたくさんや。これで終わりにするで、みんな!」

「もう一頑張りだよ、なのは。身体は大丈夫?」

「うん、私はだいぶ楽になったよ。ユーノ君こそ、無理はしないでね」

 

 皆のその様は正に威風堂々。互いが互いの不安を払拭し、全てをもってすれば開かない道はないとフェイトは確信される。そして、フェイトは最後に闇の書の巨大な闇に目を向けた。それはまるで今にも孵化しようとする黒い卵だ。そこから生まれるのは災いなのか、それとも未来への希望なのかとフェイトは思いやる。

 

「帰ってきて、お姉ちゃん」

 

 出来ることなら、闇の中に光のあらんことをとフェイトは祈りを捧げ、剣を持つ手を強め、そしてそれを眼前へと構えた。

 世界は一瞬の静寂に包まれ、見上げた空には月が輝く。フェイトにはその月が今一際輝いているように思えた。

 

************

 

 闇の書の暴走が始まったとアリシアは見上げる空が静かに脈動し始めたことからそれを感じていた。

 草木の生い茂る庭園の中、先ほどまで穏やかに流れていた風は止まり、何時の間にかわき出してきた雲が照りつける陽光を徐々に徐々に覆い隠していく。これは、自分の深層を映し出す鏡なのか、それとも闇の書が終焉を迎えたことを歎く有様なのか。

 アリシアはそっとヒラヒラとした服の上から真っ平らな胸を押さえ、自身の心音に耳を傾けた。

 

 闇の書も生きている。その音は自身の鼓動に会わせ重なり手を介して耳に届けられていた。寂しいという感情、一緒にいたいという感情、一人でいるのは嫌だという感情。これは一体どこから湧き上がるのかとアリシアは考える。

 自分の感情なのか、それとも暴走した闇の書の感情なのか。もう、その二つが身体の中で交じり合って一つになり、区別することなど出来なかった。

 

 アリシアはそっと目を閉じて、湧き上がる感情に身をゆだねる。目蓋の向こう側に映るものは、今正に闇の書の防衛体が直面している現実という苦しみだった。

 何も壊したくない、終わりをもたらしたくない。それが悲しみの叫びとなり、その叫びは醜悪な咆哮となり、海を空を振るわせる。

 見上げればそこには月があって、その光の下に色とりどりの光が浮かんで折り重なりあるいは離れて自身を囲む。

 

(良かった、通じたんだ)

 

 アリシアはそう思って手を伸ばそうとするが、その手が彼等を掴むことはなかった。それが自分の手だとは一瞬考えられなかった。

 

(そうか、融合するというのはこういう事なんだ)

 

 自身が掲げた手だと思っていたもの、それは先端に眼球のような砲座を持つ蛇の鎌首だった。

 

『砲撃など撃たせん!』

 

 青い光が空に灯された。その光に立つ白髪の大男が腕を掲げ、そこからは莫大な広さを持つ鋼色の刃が一閃して襲いかかってくる。

 切り取られる鎌首からはヘドロのような体液が流れ出て、アリシアは思わず目を開き自身の腕を押さえた。

 

「くぅ……ぁぁあ゛ああ゛……」

 

 腕は無事だった。切り取られたのは自分の腕ではない、しかしその衝撃はまるで自身に与えられた者と等しい。

 

『アリシアを……返しやがれ! この化け物!!』

 

《Gigantschlag》

 

 紅の戦騎の哮りが脳裏に鋭く突き刺さり、そして、アリシアは頭上で巨大な鉄槌が振りかざされる様子を見た。

 叩きつけられる衝撃が自身を襲うが、それはまるで何かに守られているようだった。見上げれば自身を覆う四枚の防御壁が、天来の巨槌を押しとどめている。守られているという安心感と、そしてその内の一枚がその圧倒的なエネルギーの前に崩壊していく様を見せつけられる恐怖が同時に襲いかかり、アリシアは目を背けたかった。

 

(私が感じてる恐怖は、メルティアが感じた恐怖なんだ。逃げてはダメだ)

 

 攻撃はまだ自分/暴走体に届いていない。この防壁を突破され、自身の身体にその刃が届くまで、まだ何も出来ない。

 

 胸よりこみ上げる恐怖と悲しみ。アリシアはそれをなだめるように胸を押さえ、撫でつける。

 

「これに耐えれば、きっと楽になれる。どうか、頑張って。私も一緒だからきっと怖くないし寂しくもないよ」

 

 それは泣いている幼子に言い聞かせるようであって、自分に対する誡めだった。

 

『此度のことは私の不義が致したこと。闇の書よ、お前も過ちを犯したくて悲劇を繰り返してきたのではないのだろう。しかし、すまない。私ではお前を救えない。赦せ!!』

 

《Sturmfalken》

 

 紫の光が月を覆い尽くす程の光を放ち一閃し、出現した白銀の矢が障壁に到達して爆発を起こした。脆く砕け散る守りの盾は否応なく終わりを予感させる響きとして体中を駆けめぐる。

 その光景は、断罪の名の下に圧倒的な力で叩き伏せたあの時を思い起こさせる。国のため、仲間のためと剣を振るい力を持って敵を屈服させた300年前の戦場の縮図をアリシアはそこに見いだした。

 

『私はお姉ちゃんを助ける。それで、取り戻すんだ。邪魔をしないで。私はみんなと一緒に居たいんだ!!』

 

《Jet Zamber Execution Pillar》

 

 黄金の光が空を貫き、まるでそれは天を支える柱のごとくそびえ立ち、その中心にいる少女はなんの曇りもない眼をもってそれを振り下ろした。

 

 ついに最後の城壁が崩され、それでも金刃は速度を失うことなくアリシア/闇の書の頭上へとたたき落とされた。

 

 まるで半身に両断されるような衝撃がアリシアの身体を駆けめぐり、アリシアは声にならない叫び声を上げて膝を突き、頭から地面に倒れ込んだ。

 

(これは、私に対する罰か……)

 

 今にも薄れて消えていきそうになる意識の中でアリシアは唇を振るわせた。

 

(私……ベルディナが殺して死なせてきた者達の苦しみを受けているのか)

 

 祖国を守るため、忠義を尽くすため、愛するもの、気の置けない仲間達を守るためと言って彼は血屍(ちかばね)の道を築いてきた。

 

「だけど……」

 

 アリシアはそれでも立ち上がった。震える膝を叩き、自由にならない腕に鞭を打って地に足をつけ、立ち上がった。

 

「それでも……」

 

 外からの衝撃が内部まで届き、地鳴りのような震動が足もとを覆い尽くす。

 

「たとえ赦されなくても……」

 

 自分だけでは立っていられなくなり、アリシアはゆるゆると足を運び、側に出現した大樹に背中を預けて面を上げた。

 

「ベルディナは……最後には身を挺して命を救ったんだ」

 

 アリシアは胸に手を置いて、それを縛り上げる鎖を千切り、闇の書のコアを拘束する暴走を切り離していく。

 

『辛いのも、悲しいのももうたくさんや! 私は、自分の足で立って、歩いていきたいんや! もう、誰も……誰も失わせへん』

 

 銀色の槍が降り注ぎ、身体を貫いていく。手を、足を、心臓を、腹を貫き、そして固められていく。石化の槍(ミストルテイン)がハリネズミのように体中に突き刺さる感触、そして固められた表面が崩壊していく様は、まるで生皮を剥がれるような感覚に酷似していた。

 痛みを取り越して身体の感覚が壊れていく。

 

「そして、死んだ後も彼は苦しんだ。死ねないこと、終われないこと、自分が自分でなくなっていくことに苦しんだ。そして、私に願いを託して逝った」

 

 崩壊した身体の内部が盛り上がり膨張し、再生していく。まるで臓物が足りない表面を補うために膨れあがり、内と外が反転するような感覚がアリシアを襲う。

 目を閉じれば、自分を見おろす視線はそのあまりの醜さを蔑むように思えた。ここまで醜くなってもなお生き続けようとするのかとその視線は物語る。しかし、それでも生きていたい、終わりたくない、終わらせたくない、何も破壊したくないと闇の書の心臓は叫んだ。

 

『見ていますか? グレアム提督、母さん。今こそ僕達は悲劇の鎖を切ります。最後まで見守っていてください』

 

《Eternal Coffin》

 

 空色の光が緩やかに夜空に咲いた。吹き付ける風は海の水を空に持ち上げ、その光はその飛沫を真っ白な雪へと変えていく。拡大する氷の空間はブリザードを生み出し、海面を覆い尽くしていく氷床は雪原となり、それは月の墓標を連想させた。

 それは永遠の眠りをもたらす棺。光の御剣の名を冠する復讐者の杖だった。

 

 身体が氷河となる。永久凍土に閉じこめられる身体。しかし、アリシアの身体には一つとして傷はなく、そして感覚もない。

 

『…………見つけました…………』

 

 凛とした声が耳朶を叩いた。見上げればそこには緑の光があり、それは鏡のように輝く扉を開き、アリシアはズブリと心臓に腕が差し入れられる感触に溜飲をかみ殺した。

 

 もうこれ以上、犯さないでと泣き叫ぶ声がアリシアの耳を痛く振るわせている。

 

「もう少しだから、もう少しだけ我慢して。私も頑張るから……ほら、迎えが来た」

 

 眼前に扉が出現した。それは、庭園の空をにヒビを入れ、空間を割って浸食する。天蓋を乗り越えて到達した亀裂はアリシアの目の前で開眼するように左右に開かれ、薄ボンヤリとした境界面からは細くしなやかな女性の腕が伸ばされてきた。

 

「さあ、行こう。みんなが待ってる」

 

 何かを求めるように必死に延ばされる手をアリシアは掴み取った。

 自分の折れそうなほど小さな手が、白い手に優しく掴み取られ、そしてゆっくりと引き取られていく。心臓に突き立てられた痛みが和らいでいく。それは苦痛ではなく、快感でもない。ただ、幼い頃、母だった人に手を引かれて歩いた時の温もりに似ていると感じた。ベルディナの保護者であり母親だったソフィア・ブルーネスと”アリシア”の母親だったプレシア・テスタロッサ。生きる時代も異なり、思想も価値観も異なる。しかしそこにあったのは正しく母親の顔だった。

 その記憶はアリシアにとって他人事ではない。どちらも等しく自分の記憶として深く心に刻み込まれている。

 

(私は、フェイトの手を引いて歩いてあげられるのかな)

 

 それは、ベルディナと”アリシア”から願われたこと。ベルディナだけでは果たせず、”アリシア”だけでは至れない。フェイトの姉としての自分、フェイトを悲しませないため、フェイトのために生きることを今の自分は望まれた。

 

 アリシアはふと後ろを振り向いた。そこには暗黒の空間にぽつりと浮かぶ、緑にあふれた庭園が浮かび上がり、そしてそれは徐々に姿を消していった。

 夢は終わったとアリシアは感じた。そして、手を引かれていく闇の向こう側に小さな光の孔が、まるで夜空に浮かぶ一番星のように明るく瞬いている。

 

(あの光の先には、何があるんだろうか)

 

『来ます、準備をお願いします!』

 

 シャマルの声が響く。アリシアは闇の書の暴走体が見る最後の映像を心の中に深く焼き付けようと目を閉じた。目蓋の裏側に映るのは満天の星空だった。

 

「ちょっと我慢してておくれよ、アリシア!」

 

 自信に満ちた少女の声が耳朶に直接打ち付けられた。

 

「アルフ? そうか……私は、帰ってきたんだ……」

 

 満天の星空は目の前にあった。闇の書が見つめた星空はただただ広く雄大だった。それに比べ、自らの肉眼で見上げる夜空は狭く遠くに感じられた。見おろせばそこには残骸が海に浮かんでいる。それらはアリシアが切り離した暴走体の末端であり、それは拠り所を探して身をくねらせて、今にもその根源であるアリシアのリンカーコアに寄り添ってくるようにアリシアは思えた。

 

 先ほどまで自分の身体の一部だったそれらは今は唯の残骸としてうち捨てられている。

 

(だけど、貴方たちを受け入れるわけにはいかない……ごめんなさい。私は、貴方たちを見捨てます)

 

 気が付けばアリシアの右腕には橙色をした鎖がくくりつけられていて、それらはアリシアが海に落ちないように空中につり下げられた。

 

 全ての状況が整った。アリシアは目を見開き、毅然とした眼差しで僅かに上空に浮かぶ桃翠青金(とうすいしょうごん)の光に拘束されていない腕を精一杯広げ、

 

「お願い!」

 

 と声を張り上げた。

 

「決めるぞ、しくじるな!」

 

 デュランダルより持ち直したS2Uを掲げ、クロノはそう短く自分の側に待機する三人の少年少女に声を送った。

 

「ようやく出番だ」

「うん、アリシアちゃんは絶対に助ける!」

 

 魔力の枯渇と回復魔法では治療できない疲労のために攻撃に参加できなかったなのはとユーノはようやく訪れた役割に胸を躍らせ、ユーノはジェイド・ブロッサムがはめられた腕を掲げ、なのははAWSの翼を靡かせたレイジングハートを両手でしっかりと把持してその先端をアリシアへと向けた。

 

「みんな一緒に、タイミングを合わせよう」

 

 大剣を戦斧に戻したフェイトもユーノとクロノの間に身を滑り込ませ、バルディッシュに残された最後のカートリッジを全て激発させた。

 

「リリカル、マジカル……」

「妙なる響き、光となれ……」

「レイデン・イリカル・クロルフル……」

「アルカス・クルタス・エイギアス……」

 

 それは奇跡を起こすための言葉に違いなかった。

 その言葉と共に四種の色は四種の光を放ち、拡大し膨張し、全てを飲み込む大津波へと変じていく。

 

「封印するべきは悲劇の根源……」

「幾星霜を旅する呪われし器……」

「闇に染まりし邪悪なる禍根……」

「幻に生き続ける偽りの楽園……」

 

 しかし、その光は破壊の光ではない。全てを正常な姿に戻すためのもの。荒れ狂う幼子を優しく包み込み、揺り籠の眠りに誘うための子守歌。世界を調律する調和の提琴の奏でだった。

 

『闇の書防衛体……封印!』

 

 四種の光は線となり、清浄の旋律となり、羽ばたいた鳥の歌を響かせながらただまっすぐと宙に浮かぶアリシアに向かって殺到し、弾けた。

 一瞬、世界は光に包まれる。四色の光は一つになって混ざり合い、純粋な白い光となって輝きを放った。それはまるで、光の嵐。星空を映し出す海に現れた白夜の太陽だった。

 

《…………ありがとう……ありがとう…………》

 

 ようやく晴れた光の嵐にフェイトはゆっくりと目蓋を持ち上げた。あまりに強い光が瞬間的に目に差し込んできたため、まだ視界の中に薄膜のような残光がちらつく。

 

『闇の書の正常化を確認! やった、成功だよみんな!!』

 

 通信機越しにエイミィの興奮した声が響き渡る。

 

 フェイトは目をこらして光が爆ぜたその中心を必死になって見やり、アリシアの姿を探した。

 封印魔法の衝撃によって海に滴が霧となって周囲を覆い隠し、月の光を乱反射してじんわりとした白光を蓄えている。風によってそれは薄くたなびき、その中で確かに揺れ動くものをフェイトは確認した。

 

「お姉ちゃん!」

 

 その小さな影はゆらりと揺れて、身体の支えを失ったかのようにゆっくりと墜ちていく。アリシアの天地は反転し、頭上には海が待ち受け、足下には空が広がる。フェイトは封印魔法を行使することで疲労したリンカーコアに急いで魔力を流し込み、考え得る限り全力で身体を加速させた。身体に張り付くソニック・フォームのジャケットが空気を切り裂き、空力的にきわめて優れたその表面構造はまるで無気圧の大気中を移動するかのようにフェイトは感じられた。

 重力にとらわれ、アリシアの身体は徐々に徐々にその速度を増しながら墜ちていくが、その身が海面にたたきつけられる一歩手前で、フェイトはアリシアの身体をとらえることが出来た。

 

 アリシアの身体には傷一つない。そして、気を失う彼女からは規則正しく、可愛らしい寝息が聞こえて来ていた。

 

「お帰りなさい、お姉ちゃん。お疲れ様……」

 

 星々と月の光が彩る天の伽藍、フェイトはその中に立ち胸の中で眠るアリシアをそっと抱きしめる。

 

 

  世界はなんと美しく静かなのか。

 

 

 星空の下に広がる大海原は、寂静の天鵞絨(ビロード)を身にまとい眠りについた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 Samsara

 

 消毒液が放つきついアルコール臭というものは、人ではないプログラムの身である自分にも不快に感じさせるものとリインフォースはふと思い浮かべた。そして、自分自身の快不快の感情がどこより誘発されるのかを思いやればとたんにその思索が停止する。おそらく、それを考察し始めれば答えが無く矛盾に充ち満ちた自意識の根拠というロジックの泥沼にはまってしまうため、最初からそれに対して考察しないようにプログラムされているのだろうとリインフォースは思いやる。

 愛おしいと思う感情、悲しいと思う感情、道具であるはずの自分を含めた騎士達にどうしてそのような概念が持たされているのか、そればかりはリインフォースでさえも分からないことだった。ひょっとすれば、それは暴走した闇の書が寂しさを紛らわすために生み出したものではないかというのが、リインフォースの眼前で眠るアリシアの意見だったが、それには殆ど根拠など無い。闇の書の管制人格だった自分自身、そして闇の書の騎士だったシグナム達ヴォルケンリッターは本来なら夜天の魔導書にはない機能だ。夜天の魔導書が闇の書に身を落として後、いつ誰が何を目的に自分達を作り出したのか、その記録は存在しない。

 リインフォースはベッドで眠るはやてとアリシアをじっと見つめる騎士達に目を配らせた。剣の騎士シグナム、鉄槌の騎士ヴィータ、湖の騎士シャマル、盾の守護獣ザフィーラ。彼らは多くの時を共に歩んできた家族のようなものだ。しかし、彼らが生み出されたときはおそらく相当に異なるだろう。自分たちの出生が不明であること。それが彼らにとっていかなることなのか、リインフォースには想像することが出来なかった。

 

「二人の様子はどうだ?」

 

 扉が開く音が消毒液の匂いと心電図の規則的な機械音に満たされた病室に響いた。

 リインフォースは投げかけられた声をきっかけにして自身の思考を打ち切り、面をそちらに向けた。

 

「相変わらず」

 

 部屋の端の壁にもたれかかりながら手と足を組んで立つヴィータは、部屋に入ってきたクロノとなのは、そしてフェイトに向かって短く告げた。

 

「バイタルは安定しているのですが……」

 

 時折ベッドに眠る二人の少女の額に手を置いたり、脈拍を取ったりしているシャマルはそう呟きながら、枕元の記録ボードに二人分のデータを書き込む。

 

「主はやてに関しましては、単に魔力に慣れないための疲労です。よって、まもなくお目覚めになるでしょう」

 

 リインフォースはアリシアの隣で眠る自身の主の体調を良く知っていて、問題も心配もないと全員に告げた。リインフォースは夜天の魔導書の制御人格(管制の管ははやてに移行したので、残ったのは制御の制となる)としてはやての身体の調子を殆どリアルタイムに近い状態でモニターできていた。

 

「主はやては既に闇の書の浸食から解放されて、もう身体を蝕む呪いは存在いたしません。確かに、筋力の衰えや神経系の不全などが確認されますが、リハビリを行う事で十分な回復が可能です」

 

 リインフォースの声は非常に硬質的で事務的なものだった。しかし、なのはは堅苦しい言葉の端々に彼女が心底はやての無事に安堵の感情を持っていることが感じられ、緊張していた表情を緩め、ホッと息を吐いた。

 

「そう、良かった……」

 

 これでもう自分は武器を持たなくて良い。ようやくヴィータやシグナム達とわかり合えることが出来る。たった一ヶ月ほどのことだったが、なのはには今までの人生以上に長く感じた一月だった。

 肩の荷を下ろして全身から力を抜くなのはにヴィータはそっと側に歩み寄り、なのはに耳打ちした。

 

「ユーノは?」

 

 ヴィータは秘かになのはの背後やその向こうの閉ざされたドアをちらちらと見ながら、ここにはいない少年の行方を問うた。自分たちは闇の書事件の重要参考人および被疑者として管理局に投降しとらわれている。クロノやリンディは彼らに手錠をかけることはなかったが、それでも艦内を自由に動くことは許可できなかった。

 ヴィータではユーノを探しに行くことは出来ない。

 

「……本局のお医者さんのところだよ……。ここじゃあ対処できないからって……」

 

 あの戦闘の後倒れたのははやてとアリシアだけではなかった。闇の書の正常化が報告され、アリシアの無事が確認されたと同時にユーノもまた糸が切れるように気を失ってしまっていた。無理な魔力運用によるリンカーコアの半壊。身体的な損傷はほとんど無い。地球での日常生活に支障は皆無のはずだ。しかし、リンカーコアの損傷は重大で、下手をすれば二度と魔法を使うことが出来なくなるかもしれないとなのはは告げられている。ユーノが皆と共にはなった封印魔法は、正に彼の最後の全てをかけた魔法だったのだ。

 

「そっか……ごめん」

「ヴィータちゃんが謝る事じゃないよ。悪いのは……私、だから……」

 

 なのはの脳裏に緊急入院のためにストレッチャーに乗せられて転送室に運ばれるユーノの表情が思い浮かべられた。それは、苦痛にゆがんだものではなく、死者のような安らかなものでもなかった。ただ穏やかに、後悔の曇りのない聖者のような表情だったとなのはには思えた。

 そして、同時に思い知らされる。ユーノのリンカーコアが破損し、彼が苦しまなければならない原因を作ったのは自分だと。

 なのはは後悔に手を痛いほど握りしめた。あの時、自分がユーノの手をはね除け、一人で戦おうとさえしなければ、パートナーである彼を信じることが出来ていれば、あるいは彼にあのような苦しみとハンデを与えることはなかったかもしれない。誰もがなのはの責任ではないと口をそろえる。しかし、なのはにとってこれは自身の教訓として深く心に刻み込まれていた。魔法は誰かを助けることの出来る素敵な力だと思っていた。しかし、魔法は容易に人を傷つけることが出来、生命を奪うことも出来る。自分にとって魔法とは何か、戦うとはどういうことかをなのははもう一度真剣に考えなければならないと秘かに思っていた。

 

「それで、お姉ちゃんは、どうなっているんですか?」

 

 病室に入ってからずっと、ベッドに横たわるアリシアを凝視していたフェイトは、ひどく冷静に、それでいて胸の奥にくすぶる感情を押し込んでいるように思われる口調で問いかけた。その質問にリインフォースをはじめヴォルケンリッターの面々も少し表情を陰らせる。フェイトは、はやての無事を聞いた。それは素直に安堵することが出来た。しかし、フェイトが本当に知りたいこと、姉であるアリシアの容態に関して全く言及されていないことを考えると、どうしてもネガティブな推測しか浮かんでこない。

 

「まさか、闇の書の浸食で……はやてみたいに?」

 

 自分の言葉にフェイトは心臓をひやりとさせた。闇の書の暴走は確かに表面的には正常化した。しかし、それは目に見えるところから目に見えないゆがみへとシフトしただけなのではないか。そんな考えが後から後からわいてきて、収拾がつかない。

 

「いえ、そうではありません。確かにアリシア嬢の内部には闇の書の防衛体が存在しますが、それは浸食ではなく共存と言った方が言葉は適切です」

 

 しかし、リインフォースはフェイトの推測を否定するように首を振り、フェイトの肩に手を置いて落ち着かせた。

 

「詳しく話してくれ」

 

 リインフォースの言葉の端々には詳しく確認しなければならないことが多々ある。そう感じたクロノは、取り乱しかけるフェイトをなのはに任せ、リインフォースに説明を求めた。

 

「分かりました」

 

 リインフォースはそう言って、もう一度全員の表情を順番に伺った。皆が皆自分の言葉を待って口を閉ざす。

 どう説明するべきかとリインフォースはすこしの間口元に手を当て、ゆっくりと口を開いた。

 

「皆様と主はやて、そして、アリシア嬢の尽力もあり、闇の書は呪いより解放され、本来あるべき姿、夜天の魔導書に戻ることが出来ました。」

 

「今後暴走する可能性は?」

 

 クロノは口を開きそうになったフェイトを手で制して、彼女の代わりに質問を担う。フェイトは眉間にしわを寄せながらクロノを睨むが、クロノはそれに気を止めなかった。

 

「皆無とは言えませんが、極めて可能性は低いと言えます。暴走していた防衛体は、封印魔法を受けることでアリシア嬢の中でほぼ無力化され、今後正常な状態で成長していけば夜天の魔導書が暴走することはあり得ません」

 

「そうか、何よりだ」

 

 暴走する可能性はほとんどない。今後、闇の書によって犠牲になる人々はもう生まれない。それを思い、クロノは瞑目してゆっくりと胸の中から空気をはき出した。この会話は艦長室のリンディと、未だ本局のオフィスで軟禁となっているグレアムも聞いているはずだ。二人は今何を思い、これを聞いているのか。クロノには確実なことは分からない。しかし、やはり二人も自分同様どこか解放されたような感覚を感じているだろう。

 クロノはその感触に安心しながらも、どこかで自分を構成していた一つの要素が消失したような寂寥の思いを感じた。

 

「ええ。本当に良かった……。後は、正常な状態で成長した防衛体を私が認証すれば、たとえ防衛体が破壊されても私が再生させるものは暴走体ではありません」

 

 仮に、防衛体が暴走したまま消滅していれば、あるいは問題は解決しなかったとリインフォースは呟いた。それは、主と約束が果たせないことを意味する。闇の書の内部ではやてとリインフォースが交わした約束、「ずっとともにいること」、そして「本当の家族になること」を果たせなかった。月に召されて空より見守ることも悪くはないとリインフォースは思う。しかし、側で見守りともに歩んでいけることがどれほど喜ばしく、誇りに充ち満ちていることだろうか。

 

 リインフォースは僅かに口を閉ざし、こみ上げる感情を反芻するように軽くうつむいて目を閉じる。

 クロノは横目でチラリとフェイトの表情を伺った。クロノの命令で口を閉じている彼女だが、言いたいことがあると言わんばかりに身体をうずうずとさせている。隣で彼女の手を握って落ち着かせようとするなのはもやはり聞きたいことが多くあった。

 クロノは誰にも覚られないようにすこしだけ肩をすくめ、二人が本当に聞きたいこと、そして同時に自分も確かめておきたいことをリインフォースに問いただすこととした。

 

「それで……アリシアは、どうなっている?」

 

 曖昧な質問であるとクロノも自覚していた。あるいは自分もまたそれを聴くのが怖いと感じているのか。リインフォースも少し口を閉ざして目下で眠り続けるアリシアに目配せをした。昏々と眠り続けるアリシアの表情は穏やかで、寝息も落ち着いていた。頬をつねれば驚いて飛び起きてきそうな程安らかだった。

 何の異常もあるように思えない。しかし、アリシアは封印魔法を受けて以来目覚める兆しが一つもなかった。

 

「…………先ほど申しましたように、アリシア嬢の体内――嬢のリンカーコアは今、防衛体と融合……共存状態にあります。同時に防衛体が正常に成長すれば、すべてが上手くいくと述べました」

 

「ああ」

 

 クロノは短く答え、先を促した。

 

「一つだけ問題があります。防衛体の成長には時間がかかるということです。例えるなら、今の防衛体は生まれたての赤子のようなもの。おそらく、アリシア嬢の内部より取り出しても問題ない程にまで成長するにはそれなりの時間が必要となるでしょう」

 

「では、防衛体が成長するまでアリシアは眠り続けるということか?」

 

「そうなります」

 

「今すぐ取り出す事はできないんですか?」

 

 なのはがおずおずと手を挙げて質問する。クロノは発言を許可した覚えないと少しだけなのはを睨むが、なのはは少し後ずさりしながらも発言を取り消さなかった。

 

「確かに、シャマルの旅の鏡があればアリシア嬢より直ちに防衛体を摘出することは可能でしょう。しかし、今の状態でそれを行ってしまえば、ほぼ確実に防衛体は暴走を始めるでしょう」

 

 なのはは話題にあがったシャマルに目を向けた。シャマルは何も言葉を発しなかった。しかし、向けられた視線から逃げることなく正面から受け止め、うなずいた。それは、言葉よりも強い意志をなのはに返す。

 リインフォースの言葉に間違いはない。成長段階にさえ入っていない防衛体を今の状態で取り出せば、それはまるで揺り籠から落とされた赤子のように腕を振り回し、あらん限りの力を発して暴れ回るだろう。それは悲劇の再来を意味する。それだけは許すわけにはいかないとクロノは思った。

 

「だったら…………いつ、なんですか?」

 

 底冷えした夜の空気のような声が病室に響き渡った。静かな声だった、静かで低く抑えられた声だった。重くのしかかるような声だった。

 

「フェイトちゃん……」

 

 その声の主、フェイトはなのはの手をふりほどき、なのはが声を漏らた時には、まるで詰め寄るように数歩前に進みリインフォースに冷たい眼差しを叩きつけるように向けていた。

 

「いつになったら、お姉ちゃんは帰ってきてくれるんですか? それなりの時間ってどれぐらいなんですか!? 明日ですか、明後日? 一月ですか一年ですか? それとも何十年も待たなくちゃいけないんですか!?」

 

 聖祥学園の制服のスカートを握りしめ、フェイトは強く声を上げた。それは荒々しい声ではなく、取り乱したような声でもなかった。それらを必死に押さえ込んで、冷静になろうとするが故の叫び声だった。クロノとなのは、そして騎士達もまたそれに口を挟むことが出来なかった。なのはとクロノは冷静にフェイトを止める自信がない故に。騎士達はこれが自分たちの受けるべき咎であるが故に。

 

「もう、いやなんです……。お姉ちゃんを帰してください、お願いします。お姉ちゃんを……かえ、して……」

 

 服の裾を握りしめるフェイトの手の甲にぽつりと雫が一つ舞い落ちてはじけた。

 

「……申し訳ありません、フェイト嬢。私にはまだはっきりとしたことは申し上げられません。ですが、少なくとも何十年もかかるようなことはありません。永遠に眠り続けることは絶対にあり得ません。しかし、その目覚めがいつになるか、何一つ確信できる答えを返すことは出来ないのです」

 

「…………」

 

 うつむくフェイト。

 

「申し訳ありません」

 

 リインフォースはそういって深く頭を下げた。今の自分にはこうすることしかできない。

 

 病室に沈痛な静寂が訪れる。聞こえるのは、こらえきれずに漏れ出した嗚咽のみ。

 どうして、完璧に行かないのかとクロノは思った。今度は繰り返さない、繰り返したくないと常に言葉にしていたアリシアは今は何の答えも返さない。

 

(君が繰り返してどうするんだ、アリシア……)

 

 「馬鹿者」とクロノは呟いた。

 

「心配せんでもええで」

 

 静寂に沈んでいた病室に、凛とした声が響き渡った。

 

「えっ?」

 

 驚いて面を上げるフェイトが見たものは先ほどまで眠っていたはずのはやてだった。はやては、少し身体がだるそうな様子でゆるゆると上体を起こすと「ふう」と一息ついて、ベッド脇のコップから少量の水を口に含んで口を開いた。

 

「はやて! 無茶しないで」

 

 はやての覚醒に気がつけなかったヴィータは驚いて彼女の側に駆け寄り、靴を履いたままベッドに飛び乗ってその背中を支えようとした。

 しかし、はやてはベッドに膝をついて側に来ようとしたヴィータを手で制した。

 

「アリシアちゃんは、私の背中を押してくれた。大切なことを思い出させてくれた恩人や。やから、私が絶対にアリシアちゃんを目覚めさせてみせる。一秒でも早く、フェイトちゃんとお話しできるよう頑張るから……リインフォースを許してあげてもらえへんかな?」

 

 はやての言葉にフェイトは気がついた。はやてにそれを言わせてしまったと思い至った。

 はやての言葉には強い決意が感じられる、シグナム達ヴォルケンリッターの犯した罪、闇の書が犯してきた罪を彼女はすべて背負おうとしているとフェイトは直感してしまった。

 

「責を言うのであれば、すべての責任は将である私にある。すまないテスタロッサ。責めるのであれば私を責めてほしい」

「私からも、お願いします。アリシアちゃんがこうなると予想できなかったのは参謀である私の不手際でした」

「あたしも、頼む。あたしだってもっと早く気づけてたはずだったんだ」

「盾であるはずの我の為体(ていたらく)を許せ、テスタロッサ」

 

 シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラさえもはやてとリインフォースの周りに集まり、皆一様に深々と頭を垂れた。

 

「…………」

 

 フェイトは何も言わず、ただうつむくことしかできなかった。何を許せばいいのか、何を咎めればいいのか。感情から出された言葉には根拠はなく、しかし、それ故根深い。感情に折り合いをつけることも出来ず、かといって一度出された言葉をなかったことにすることなど出来るはずもない。

 

「フェイト……」

 

 背中から届くクロノの声にもフェイトは言葉を返せない。

 フェイトには分からない、自分は何を許して何を許さないべきなのか。ただ一つ理解できたことは、はやて達は今あることをすべて受け入れ、そして背負っていくことを決意してたということだけだ。

 

 

  今のフェイトには彼らが眩しすぎた、夜の終わりを示す暁のように直視するにはつらすぎた

 

 

 黙り込むフェイトにそれ以上誰も声をかけることが出来ず、許しを請うた騎士達もまた許しをもたらされるまで一歩たりともそこを動くことも出来なかった。

 誰もがフェイトの言葉を待っている。しかし、フェイトは言葉を紡ぐことが出来ない。

 

『取り込み中のようだけど、少しいいかしら?』

 

 硬直していた空気をそんな柔らかな声が壊した。うつむいて身体を震わせるフェイトに集中していた視線のすべてがその瞬間空気を切る勢いでその声の主へと向けられた。

 

『あらあら……時間を改めたほうが良かったかしら?』

 

 モニターに映されたのは可愛らしく小首をかしげた女性、リンディだった。クロノはそんな母のあまりにも年甲斐のない仕草に頭を抱えたくなったが、この硬直した空気を抜いてくれたことに感謝の念を送った。

 

「いえ、何かご用ですか? 艦長」

 

 クロノはリンディがリアルタイムでこちらの様子を見ていたと言うことを知っているため、おそらく彼女はこの硬直した空気を一新させるためにわざと場違いな通信を送ることにしたのだろう。それはあまりにも露骨なやり方だとクロノを含めた全員が思ったが、不思議とリンディに不満を述べたがる者はいなかった。

 

『はやてさんも起きたことだから、そろそろ調書を取りたいのだけど。もう少し後にしましょうか?』

 

 リンディはそういってベッドで上体を起こすはやてと、その周りに集まる騎士達に目配せをした。

 視線を送られたはやては少し困ったような表情でリインフォースやシグナム達、クロノに目を向ける。

 フェイトのことは放っておけないことだ。しかし、今ここでこれ以上話を続け多ところで、互いに歩み寄れるかと言われればそれは全く確信の持てないことでもある。

 はやての視線を受け、シグナムはリインフォースと互いに目配せをして、はやてに軽く頷いた。

 

 ここは少し時間をおいた方がいいかもしれない。

 

 はやては二人の仕草からそれを読み取り、改めてリンディに対して了承の言葉を告げた。

 

「分かりました、今から行きます。こういうことは、早いほうがええでしょうから」

 

 ヴィータとシャマルははやての体調を心配したが、足が動かないこと以外は至って健康だとガッツポーズで答え、ザフィーラに抱えられ病室備え付けの車いすに乗せられた。半年前、アリシアが使っていた異世界の車いすの乗り心地はなかなかのもので、先の戦闘で壊れてしまったものの代わりにほしいと思ってしまったほどだった。

 

「では、艦長室まで案内……いや、護送する。ついてきてくれ」

 

 クロノは出立の準備が出来たはやて達を誘導しつつ部屋の扉を開いた。病室の入り口を固めていた四人の武装魔導師にはすでにリンディから事情が伝達されていた様子で、はやてと騎士達の前後を二人ずつで固めるように素早く配置された。

 はやては、その四人の様子に僅かなおそれを感じ、隣のリインフォースの手を取るが、四人がこちらに向ける視線には敵対ではなく、同情の念の方が多かったことに安堵した。

 

「先に行っていてくれ、僕は後から行く」

 

 クロノは護衛の魔導師にそう伝え、四人はちらりとクロノの後ろにいる二人の少女の様子を確かめ、背筋を伸ばして敬礼でその命令を受理した。

 

 はやて達は最後に自分たちに背中を向けてたたずむフェイトに視線を向け、互いに頷きあい廊下を歩いていった。

 彼女たちの姿が廊下の曲がり角の向こう側へと消えていったことを確認し、クロノは開けっ放しの病室の扉の中へと改めて身体を向けた。

 

 未だ微動だにしないフェイトと、どうしていいのか分からず、落ち着きなく視線を揺れ動かせるなのはが残されていた。クロノは気分が沈む感覚を覚えるが、それでも態度だけは執務官らしい毅然な風を装い姿勢を正した。

 

「おそらく、彼女たちの事情聴取にはまだ且く時間がかかると思う。今日はもう海鳴りに戻ってゆっくり身体を休めろ、いいな?」

 

 クロノの命令になのはは少しとまどいながらもゆっくりと頷いた。そして、横目でチラリとフェイトの様子もうかがうが、フェイトもクロノと目を合わさないままコクリと小さくうなずいていた。

 

 フェイトがすこしであっても反応してくれたことに二人は心の内で安堵の念を浮かべた。クロノはそのまま二人にトランスポーターの使用許可の入ったメモリーチップを渡し、許可の有効期限が本日いっぱいであることとアースラ経由なら本局を一度だけ往復できることをよく説明し、部屋を辞した。

 本局への一回分の往復許可は、クロノなりの自分に対する配慮だろうとなのはは確信した。ユーノに会いたい、その感情をクロノに見抜かれていると言うことは何となく恥ずかしい感覚を覚えるが、なのははクロノに素直に感謝することにした。

 

「あの、フェイトちゃん……私、ユーノ君のお見舞いに行こうと思うんだけど……一緒に行く?」

 

 気分を入れ替えるために一度場所を移した方がいいとなのはは思った。会話は弾まないだろうが、なのははフェイトを放っておくことは出来ない。ユーノもまたアリシアと同様に今は眠りについているだろうが、彼を前にすれば自分も思うところが素直に言えるのではないかとなのはは思った。

 

 しかし、フェイトはなのはの誘いには答えず、小さく首を振るだけだった。

 

「もう少し、お姉ちゃんの側にいたいから……ごめん、ユーノのお見舞いは、明日にする」

 

 なのははそれに何の反論も出来なかった。仮にフェイトが自分だとして、アリシアをユーノに置き換えてみれば、おそらく自分も同じことを言っただろうとなのはは確信できる。なのはにとってはパートナーの側にいたいという思いから、そしてフェイトは唯一の血を同じにする肉親の側にいたいという思いから。ともに自分よりも重い相手に対する感情として、なのははフェイトの気持ちを痛いほど理解することが出来た。

 

 

「分かったよ。フェイトちゃんも、無理しないでね。また、明日……」

 

 明日になればすべてが元通りになっていることを願い、そんなことは起こりえないと分かっていながらもなのははそういって病室を後にした。

 

 病室に静けさが残った。人の醸し出すぬくもりは消え、空調によって管理されているにもかかわらず随分と冷え冷えとした空気が訪れたようにフェイトには感じられた。この空気を作り出したのは自分だとフェイトは知っていた。

 

「私が、闇の書の中でもっとうまくやれてれば良かったんだ……」

 

 それを彼らに言えれば、それで良かった。そう言えていれば、こんなにも皆が悲しい気分になることもなく、はやて達に重荷を背負わせることもなかった。自分もまた、こんな寒さの中で震えることもなかった。何事もなかったはずで終われていたはずだった。

 しかし、言えなかった。頭で分かっていても感情がそれについて行かない。冷静にならなければならないと分かっていても、感情が言うことを聞いてくれない。

 

 フェイトは面を上げ、アリシアに背を向けて歩き出した。病室の扉が開かれ、フェイトの手によってその照明が落とされる。暗闇に沈む病室にはアリシアの穏やかな吐息と心電図の規則的な発信音のみが響いて聞こえる。

 フェイトは扉の向こう側に立ち、振り向いた。

 

「私、強くなるから。今度は守れるぐらい強くなるから……お休みなさい、お姉ちゃん……」

 

 閉ざされた扉により廊下より差し込んでいた光が遮られ、廊下より僅かに届く硬い感触の足音も次第に弱まり、消えた……。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 After The Midnight Phase

 

 

 彼に関する事では印象に残ることが多すぎる。休日の昼下がり、友人宅のバルコニーでお茶を傾けているときでも、ふと空を見上げたり、少しだけ目を閉じただけでその状況は余りにも鮮明に、余りにも鮮烈に浮かび上がってくる。

 少女――アリサ・バニングはそれを思い浮かべる度に心にわき上がってくる感情をもてあます。

 身体の芯を暖かくさせる想い、そして、後悔にも似た冷たい痛みを伴う想い。その二つがない交ぜになって、はき出される吐息には憂いしか込められなくなる。

 

 彼は、自分から大切なものを奪い、そして、同時に大切なものを与えてくれた。とても歓迎できるものではなかった。

 

 その歯車がずれてしまったのはどの時点だったのだろうかとアリサは今になっても思う。おそらく、決定的になったのは、彼がなれない仕草で朝の教室で転校の挨拶をしたときだったのだろう。彼の容姿は同世代といっても余りにも浮世離れしているように思えた。それは、アリサだけでなく、クラスの女子と男子全員を含めても同じだったのだろう。彼の言葉は透き通っていて、純粋に思えた。

 その一声で、クラスからはとても年相応と思えない、少しばかりの熱が篭もった息が漏れだしていた。アリサもその中の一人だったことは幼馴染み達にさえ秘密のことだ。彼の薄く輝く蜂蜜色の髪と、見つめられれば誰でも素直にならざるを得ないような、翡翠の宝石のような光をたたえた瞳。

 

 仲良くなれればいいなとアリサは、初対面の人間に対して珍しく好意的な感情を抱いたものだった。それは、アリサにとって実に希な感情だった。両家の息女として、彼女は同年代の少年少女とは違い、滅多なことで他者を信頼しないようになってしまっていた。そんな自分が、一目見ただけでそんな感情を抱いてしまったというのは、彼女にしてみればとても恥ずかしいことに思えたのだ。

 

 しかし、彼女のその感情は、彼の視線が一人の少女に向けられたとき、彼の表情が緊張から解き放たれるように開かれたときに終わりを告げた。その視線の先にいた少女――高町なのはも彼と同じような表情を浮かべていることが分かったときに、アリサにとってユーノとは何となく気にくわない男子という感覚に一気にシフトしてしまった。応にそれは急転落下だった。自分にこれほどまで激しく揺れ動く感情があるとは、彼女も初めてのことだった。

 

 そして、その後の自分の態度は、ある意味そのせいで平静を失っていたことに原因があるのかもしれない、とアリサは友人の侍女(メイド)が入れた紅茶を口に含みながら思い返した。

 

 この感情をなんと名付ければいいのだろうか。まるで、心がむき出しにされたような、痛みを伴う感情を、アリサは名前を付けることが出来ずにいた。名前を付ける事がどうしようもなく怖くなってしまった。

 

 彼は、初めて会ったときから高町なのはの側にいて、まるでそこにいることが当たり前のような態度で、彼女の隣に居座った。まるでそれは、今まで自分がいたはずの場所を取られたような。自分自身の心根を奪われたような、そんな不快な感情が決壊した堤防から流れ出す濁流のように次から次へとわき上がってきた。

 

 奇麗だと思った彼の声が、まるで媚びるような声に聞こえた。見つめられれば心が解きほぐされるように思えた彼の瞳が、打算的な悪意を隠すための嘘のように見えてしまった。

 どうしてお前がそこにいるのか。どうして、誰にも断り無くそこに居座ろうとするのか。

 思えば、子供っぽい感情だったとアリサは思う。そして、自分にはまだそんな感情が息づいていることにアリサは驚きを感じていた。それはまるで、かつて気にくわないという理由でいじめていた、今は親友となった少女――月村すずかに対して抱いていた感情そのものではないかと彼女は思い至った。

 

(結局、私は何も変わってないだけなのかもね)

 

 アリサはそう思いながら目を開き、バルコニーを覆うひさしの向こうに広がる、一面に澄み渡った冬の空を見上げた。いつまでたっても空は変わらない。もう、何年も同じ空がそこには広がっている。しかし、今の自分たちはどこか、決定的に変わってしまったとアリサは予感している。

 親友達から隠されていたことがあった。そして、おそらくはその原因を作った少年が、今日特別に時間を作って、自分たちに会いに来る。

 アリサは視線を空から下げ、目の前に座って本に目を落とすすずかをチラリとうかがった。

 

 彼女はどう思っているのだろうか。彼女もまた、少年に願われていまここにいる。彼女も、自分と同様、聖者の夜にその決定的となる光景を目にしていた。彼女は、既に受け入れてしまっているのだろうか。彼女は、このテーブルに着いたときから一度も口を開こうとせず、ただ一冊の書物を読みふけるばかりだった。

 彼女が何を考え、そして、これからどうあろうとするのか。聞いてみたいと思った。しかし、聞くことが出来なかった。それによって、自分と彼女の間になにか決定的な差異が生じてしまう予感があった。それが、今のアリサにとっては自分の心臓をつかみ取るほどにおそれる事だった。

 

「……来たみたいだよ……」

 

 ふと、すずかは本より視線を上げて、読書の時にだけかけている眼鏡を外し、そっと机の上に置いた。

 彼女はバルコニーの向こうへと目を向ける。その先にそびえる、月村の屋敷の門。その、鉄格子の向こう側に、ただ一人たたずむ少年の姿がアリサの網膜に飛び込んできて、彼女は思わず身体を硬くした。

 

「アリサちゃん」

 

 はっきりとした声がアリサの鼓膜を震わせた。

 

「なに?」

 

 随分と硬い声がアリサの口からはき出される。

 

「ユーノ君は、私たちの友達だよ。それだけは、見失わないでね」

 

 すずかの言葉を聞いて、アリサは「ああ、そうか」と思い至った。結局は、彼女も同じだった。変わってしまうかもしれない自分たちの関係に、彼女もまた自分と同じような恐れを感じていたのだ。

 

「分かってるわ。親友だから……ね」

 

 故に、アリサもその言葉を自分の胸に刻み込んだ。どのような事が起こっても、どのようなことが彼――ユーノ・スクライアの口から紡ぎ出されようとも、それだけはぶれないように、と。

 

「ユーノ様がおつきです」

 

 アリサはバルコニーに顔を出してそう告げるすずかの侍女、ファリンの声に頷き、そして居住まいを正して彼を待った。

 

 到着した彼は随分と思い詰めた、追い詰められた表情をしていた。少なくともアリサにはそう思われた。

 到着早々、本題を切り出しそうになったユーノを制して、すずかはファリンに命じて、彼の為にお茶とお菓子を振る舞わせ、それが終わるまで何も話をしないと告げた。それは、強い感情が込められていた。

 

「お茶を飲むときは、お茶の話をしよう?」

 

 思えば、すずかもまた、彼を目の前にして少し時間が欲しかったのかもしれないとアリサは思った。改めて彼を目の前にしてわき上がる感情をそのままにしないように。落ち着ける時間が欲しいとアリサも思っていた。

 

「今日のお茶は、ダージリンのビンテージものよ。良く味わいなさい」

 

 時間をかけてゆっくり味わえば、その分だけ心は平静を取り戻すだろうとアリサは願った。しかし、それはおそらくかなわないだろうとも思っていた。なぜなら、彼が静かに頷いて、随分と堂に入った作法で紅茶を口に運ぶ姿を見るだけで、自分の感情がどんどん落ち着かない何かで満たされていくから、とてもこのまま落ち着いて話が出来るようになるとは思えなかった。

 

「美味しい?」

 

 穏やかに微笑むすずかに、ユーノはうなずき、「美味しいよ」と返した。

 

「すごく良い香りで、こんなに美味しいのを飲むのは初めてだよ」

 

 そういいながら、ユーノはチラリとアリサの表情を伺った。

 

「ふん! 当たり前じゃない。ファリンは、お茶を入れるのだけは上手なんだから」

 

 いつの間にか彼の仕草、一切挙動を目で追ってしまっていたことにアリサは気が付き、そう憎まれ口を叩きながら彼の視線から目を離した。すずかが自分を呆れた表情で見ている、その視線がアリサには痛いほど感じられた。

 

「アリサちゃん。そんなこと言ったら、ファリンに失礼でしょう?」

 

 確かに、すずかの専属の侍女であるファリンは、まだまだ子供っぽく、未熟でドジな所がある。しかし、そんな風に見える彼女でも、月村の侍女でいられる程には優秀なのだ。

 

「分かってるわよ、それぐらい」

 

 どうして、自分は憎まれ口しか叩けないのだろうかとアリサは自分自身を殴ってやりたい衝動に駆られた。いつだって自分はこうだ、本当は素直になった方がいいことなど昔から分かっている。どうしてこうなってしまったのか、アリサは何もままならない自分自身を嘲笑するような、憂いの籠もったため息をまた漏らした。

 

 溜息を吐けば幸せが逃げていくとはよく言われているが、幸いだと思えることの何もない今の現状から、どうすればこれ以上幸せが逃げていけるのだろうかとアリサは思う。既にない幸いを、たぐり寄せることも戻すことも出来ないからこそ、人は諦観を込めて溜息を吐くのかもしれない。

 

「それにしても、クリスマス・イブ以来だよね。ユーノ君と会うのは」

 

 何となく話しづらそうな様子のアリサに助け船を出すようにすずかがそう、ユーノに語りかけた。

 

「そうだね、色々あったから」

 

 ユーノはそう言ってカップに口をつけ、言葉を切る。いろいろあったことは分かっている、しかし、それがなんなのかアリサはまだ知らない。なのはとフェイトも何も話そうとせず、結局年越しのイベントと新年の祝いを過ぎて、明日には新学期が始まろうとしている所にようやくユーノから連絡が来たのだった。

 クリスマスのあの日。闘争にまみれたあの夜以来、アリサとすずかは初めてユーノと会うことが出来た。

 

「その色々っていうの、そろそろ話して欲しいんだけど」

 

 もう、アリサは我慢できなかった。あの夜を越えて、なのはもフェイトも変わってしまった。会ったときから朗らかな笑みを浮かべて、日々の幸せをかみしめるように過ごしていたはずのフェイトが笑わなくなった。そんなフェイトを見て、そして、隣にいないユーノを想って笑顔を失ったなのは。何が原因となったのか、何を取り除けば二人は戻ってくるのか。結局、アリサは何も分かっていなかった。

 分からないということが、たまらなく嫌だった。

 

「うん。今日はそのつもりで来たから」

 

 ユーノは二杯目の紅茶を一口に飲み干し、そして、それをソーサーにおいた。ふと彼の手元を見ると、カップを今だ掴み取る指が小刻みに震えている。

 結局、同じだとアリサは思った。結局、自分もすずかも、ユーノもここにいる善因が一つのことを恐れて聞くことを、いうことを躊躇している。

 それは、そこまで自分は彼らを大切に思っているのかということの証明でもあった。

 

 アリサはゴクリと唾を飲み込んだ。空になったカップにポットの中で少し冷めた紅茶を手酌で注ぎ、それをまたゆっくりと飲み始める。

 何かを口にしていなければ、いらないことをいってしまいそうだった。

 

(あたしは、臆病だ)

 

 アリサはそう思いながら、掲げたカップの向こう側のユーノをしっかりと目で捕らえ、首を縦に振って促した。

 

「じゃあ、話すよ…………どこから話したらいいのかな……たぶん、始まりはいろいろあるんだろうけど、決定的だったのは半年と少し前ぐらいになるのかな……」

 

 そして、ユーノは語り始めた。それは、全てが決定的となった時。ジュエルシードがこの街にばらまかれて、力不足だったユーノがやむを得ずになのはに助けを求めてしまったことから始められた。

 

 そして、フェイトという一人の悲しい少女との出会い。相容れないかと思ったその少女に対して、なのはは粘り強く声をかけ続け、そして、最終的にはクロノやリンディ達の助力を得ることで、なのははフェイトを助け出した。フェイトに関することはあまり深くは話されなかった。家族で悲しいことがあったということだけは事実だったが、そればかりはユーノの口から話されることではない。しかし、フェイトはアリシアという姉を得て、幸せになるはずだった。

 

 しかし、その状況はそれから半年後、つい先日起きた事件によって覆されることになった。

 闇の書と呼ばれるものがあった。それに魅入られた少女がいた。

 

「それがはやてちゃん?」

 

 すずかの呟きにユーノは肯いた。どうして、すずかはそれに気が付いたのか。ユーノがそう聞くと、すずかは感情のこもらない表情を浮かべ、口を開いた。

 

「あの、空を飛んでた黒い女の人から、何となくはやてちゃんらしい気配みたいなものを感じたから」

 

 あのとっさにそこまで感じ取ることが出来たのはユーノにとって驚きだった。今まで気が付かなかったが、ひょっとしたらすずかには魔法の才能があるのかもしれない。あるいは魔法以外の何か、レアスキル的な要素が彼女にあるのかもしれないとユーノは思い、それ以上の考察を打ち切った。今はそれが重要なのではない。

 

「続けて」

 

 アリサの短い声にユーノは再度頷き、その事件のあらましを伝えた。はやては、闇の書に飲み込まれ、それと同時に近くにいたアリシアまでもが飲み込まれた。

 フェイトも結局は同じように飲み込まれてしまうが、三人は結果的に助かった。どのようにして助かったのかは、随分複雑で説明することが出来なかったが、三人は助かり、二人は無事に帰ってきた。ただ一人、アリシアを除いては。

 

「それが――フェイトが笑わなくなった理由?」

 

 ユーノが唇をかみしめる様子をアリサは確かに感じ取ることができた。アリサとすずかは、はっきりと言えばアリシアとそれほどの交流はない。直接顔を合わせたのは、一月と少し前に行ったフェイトとアリシアの歓迎会のみ。そのときも、結局アリシアは自分たちの輪の中には加わらず、大人連中と談笑をしていただけだった。しかし、フェイトにとってアリシアとはただ一人の肉親だ。彼女がアリシアをいかに大切にしていたのかは確かめる必要もないことだった。

 

「アリシアちゃん、どういう様子?」

 

 すずかの問いかけにユーノは首を振った。それは、答えられないことか、それとも単に知らないだけのことか、あるいは、何一つ予測できない自体なのか。少なくとも命だけは無事だということだけを二人は聞かされた。

 

「じゃあ、もう一つだけ――」

 

 アリサは黙ってすずかの声を聞いていた。すずかの瞳にはアリサの目から見ても良くない光が灯っているように思えた。しかし、アリサはすずかを止めなかった。

 

「うん、なに?」

 

「なのはちゃんがね、最近すごく辛そうにしてるんだ」

 

 ユーノは歯を食いしばった。その様子にすずかは、やはりか、と理解した。

 

「心当たり、あるんだね?」

 

 すずかの表情はとても研ぎ澄まされていた。答えなければ何をするか分からない。そんなことを思わせるような、冷たい表情に思えた。

 

「隠すつもりじゃなかったんだ。だけど、なんていえばいいのか、分からなくて」

 

 ユーノの表情に浮かんでいるのは、後悔の念だった。フェイトとアリシアの話をしているときには、辛そうにしていても彼は決して表情を崩すことはなかった。真剣にそして冷静にただ事実を伝えるように彼は淡々と言葉を続けていた。しかし、彼女の名前が、高町なのはの名前が出たとたん、彼の表情はあっけなく崩された。彼の心根に深く息づく彼女の名前は彼からいくらでも冷静を奪い去ってしまう。たとえ、目の前に彼女がいなくても――いや、むしろ彼女がいないからこそ、彼はその表情に感情を乗せることが出来るのかもしれないとアリサは思った。

 

 彼の心の奥深くに住まう彼女の名前を羨むべきなのか、それとも彼は決して彼女の前ではあらわさない感情を自分たちの前では表してくれることを喜ぶべきなのか。アリサは対立するその二つの感情をもてあますばかりで言葉を放てなかった。

 

 ユーノの話は、確かにまとまりに欠けるものだった。彼は、ふとした理由で迷った彼女を助けたいと思ったが、それも上手くいかず、形だけでも彼女を立ち直らせたクロノに僅かな妬みさえも抱いてしまった。

 しかし、ユーノはなのはを助けることが出来た。自分自身の魔導師の命とも言えるリンカーコアを犠牲にすることで、ユーノはなのはを守ることが出来た。しかし、それはなのはの中に大きな傷をつけてしまうことになった。

 

 自分のせいでユーノが傷ついた。それは、彼女にとって何よりも恐ろしいことだっただろうとすずかは胸を痛めた。

 なのはは自分が傷つくことを厭わない。時には力を用いても誰かとわかり合おうとする気概も持ち合わせている。

 

「なのは、辛かったでしょうね……」

 

 アリサにはその情景がはっきりと見えた。暗い病室に眠るユーノを前にしてただうなだれるだけのなのはの姿が実感をもってアリサの脳裏に浮かび上がる。

 

「僕は、守れたと思ってたんだ。傷も痛みも、なのはを守れた証みたいに思えて、誇らしかった。こんな僕でも、なのはには助けてもらうことしかできなかった僕でも、なのはを守れるって、そう思えたんだ……」

 

「だけど、ユーノ君はなのはちゃんの心は守れなかったんだね?」

 

 すずかの言葉は余りにも容赦のないものだった。アリサはすずかにもうこれ以上はユーノを責めないように言うべく口を開こうとするが、それはすずかの一瞥によって封じられた。

 

(今は、私に任せて)

 

 そんな声が聞こえた気がして、アリサは口を噤む。

 

「ねえ、ユーノ君」

 

「なに? すずか」

 

 ユーノは面を上げてすずかを見た。これ以上何を言われても、それをしっかりと受け入れる。彼の表情にはそんな覚悟が透けて見えて、アリサはそれを痛ましく思った。

 どうして彼はそこまで背負おうとするのか。

 

「私が言うのはこれが最後だよ」

 

「うん」

 

 ユーノは頷き、すずかは「すぅ」と大きく息を吐き出した。

 

「――ありがとう――」

 

 透き通った響きが空気を震わせた。

 

「えっ?」

 

 それは、まるで祝福の風のように舞い降り、ユーノは目を見開いた。

 冷たい、まるであらゆることを容赦なく切り刻まんばかりの表情をしていたすずかはその一言で表情を崩し、ゆっくりと穏やかな表情を形作っていった。まるで、冬空に浮かんだ暖かな太陽のように。ユーノはその表情を見て、思わず涙を流しそうになった。

 

「ありがとう、ユーノ君。ユーノ君がいてくれたお蔭で……なのはちゃんは無事だった。ユーノ君がいてくれなかったら、なのはちゃんだけじゃない、フェイトちゃんも、はやてちゃん達もどうなってたか分からない。だから、貴方がいてくれて、私は嬉しい。ユーノ君が私たちの友達でいてくれて、私は本当によかったと思う」

 

「すずか……あんた……」

 

 アリサは言葉を失った。この友人は、いったいどこまで懐が深いのか。すずかは、ただそのの一言だけでユーノのすべてを包み込んだのだ。ただ許しただけではない、許すも許さないもない。それらを含め、すべてを内包してすずかという人間がユーノ・スクライアという人間をすべて認めたのだ。

 とてもまねが出来ない。自分ではその領域にたどり着くことなど不可能だとアリサは思うしかなかった。

 

「私からは以上だよ」

 

 まるで呆然としてただすずかに目を向けるしかなかったユーノを一瞥し、すずかは「ふぅ」と何かから解放されたような吐息を一ついて、おもむろに席を立った。

 

「すずか、どこ行くのよ!?」

 

 アリサもあわてて席を立ってすずかを追おうとするが、バルコニーの大窓に手をついたまま振り向いた彼女の視線を前にして足を止めた。

 

「ちょっとネコちゃん達の様子を見に行くだけだよ。アリサちゃんは、ユーノ君と待ってて」

 

 ユーノが振り向くまでの瞬間に、すずかはアリサにほんの少し鋭い視線を投げかけた。

 そして、去っていくすずかの後ろ姿をガラス越しに見守りながらアリサはその眼が語った事をまるで、念話の如くはっきりとした声で聞いていた。

 

『次は、アリサちゃんのばんだよ?』

 

 結局、すべて彼女の手の内かとアリサは天井を仰いだ。すずかは自分の意志と言葉で筋を通した。しかし、自分はただそれを聞いていただけ。すずかの尻馬に乗ってそのままうやむやに事を終わらせることも出来ない。彼女が許さなかった、そしてそれは、何よりもアリサの矜持が許さないことだった。

 

(相変わらず、あたしのことはよく分かってるわね、すずか)

 

 敗北宣言に近い思いを抱き、アリサは肩を落とし、心の内で両手を挙げた。

 

「あの……アリサ?」

 

 背後からユーノの弱々しい声が響く。普段のアリサなら、「なによ!?」と腰に手を当てながら振り向き、眉間にしわを寄せながら彼をにらみつけただろう。

 実際はそんなことをしたくないのに、自分の意地っ張りな性格がそれをさせてしまう。しかし、今は普段より幾分か落ち着いているようで、いつもなら落ち着いてくれない胸中も一面に小波(さざなみ)が立つ程度には凪いでいる様子だった。

 

「ちょっと…………散歩でもしましょうか」

 

 アリサはそういって振り向いた。思った以上に落ち着いた声を出すことが出来た。そして、側に座って、どこか居心地の悪そうにこちらを見るユーノは、アリサの言葉にただ無言でうなずいた。

 

 もう少しだけ考える時間が欲しい。

 そう思いながらアリサはユーノを背後に従えるようにバルコニーから離れた。

 

 

***********

 

 

 月村の屋敷の周囲には庭にしては随分と広い林が広がっている。ほんの一、二年前には良くこの林で、なのはとすずかと共にネコを追いかけたり、ピクニックのようなことをしたり、秘密基地を見つけたりとよく遊んだものだとアリサは昔を懐かしむように緑の天蓋を見上げた。

 町中にいながら、ここには俗世間的な喧噪が存在しない。まるで、人の世から切り離された静かな世界のようだ。風が木立を吹き揺らし通り抜けていく感覚に身を預け、木の葉が揺れる響きに耳を傾ければ、心は否応なく落ち着いていく。

 普段なら、足下にひなたぼっこをしながら昼寝をするのんきなネコの一匹や二匹はいるはずだが、今日に限って彼らはここにはいない。今頃すずかがそのご機嫌取りをしているだろうと思いながら、アリサはふと木々の間に見える月村の屋敷の楼閣に目を向けた。

 僅かに見える窓はすずかの部屋のものだとアリサは気がついた。彼女はいま、自分たちを眺めているのだろうか思いながらアリサはそのまま振り向いて、背後で立ち止まり、どこか感慨深そうな表情で木漏れ日の注ぐ天上を見上げるユーノに目を向けた。

 

「何かあった?」

 

 アリサも彼に習って頭上を見上げるが、そこには代わりのない緑の覆いが広げられているだけで、何か物珍しいものがありそうにもなかった。

 

「うん……何かって言うんじゃなくて……ここで、なのはと僕はフェイト出会ったんだなって思って」

 

 昔を懐かしむほどの時間は過ぎていない。しかし、今を思うとあの時は余りにも遠くて、ユーノはどこか眩しそうにそれを見つめ続ける。

 

「そっか……ここだったんだ」

 

 それなら、フェイトにとって思い出の場所となるのだろうとアリサは感じた。そして同時に、なのはとユーノにとってもここは、一種特別な場所になるのかもしれない。

 

「春ぐらいになのはがここで木から降りられなくなった子猫を助けて、自分も一緒に落ちたってことがあったよね。そのときだよ」

 

「あ~、あの時か……なるほど、おかしいと思ってたわ。運動音痴なあの子が、いくら正義感が強いからって、いきなり木に登るなんて出来るはずないって。すずかも不思議がってた」

 

「うん、隠しててごめん」

 

「そうすると、なのはが追ってたフェレットのユーノって……ひょっとして……」

 

「うん、僕だったんだよ」

 

「そうだったんだ、動物にしては賢すぎると思ったわ」

 

「ごめん」

 

「別に、あたしもさんざんいじり回しちゃったから、むしろあたしが謝るべきね」

 

 フェレットのユーノと今、目の前にいるユーノ。その二つを一緒と考えるのは、随分と無理があったが、言われてみればユーノの体毛はこのユーノと余りにもにていて、その瞳の光や、その仕草もどことなく重ね合わせルことが出来るように思えた。

 アリサはそれで色々と納得することが出来るような気がした。人の姿をしたユーノと交流を深めていくうちに何故か、もっと前にも会ったような気がしていたのだ。

 そう考えると、あの時の自分はユーノをペット扱いしていたと言うことかとアリサは考え、何となく申し訳ない気もしていた。自分も犬猫のように扱われるのは、犬や猫には悪いが、冗談ではないと思ってしまうからだ。何よりもペットフードを毎日食べるなど、飼い主に反逆してでも拒否するだろう。それを彼は一月以上もその状況を続けていたというのだ。

 

「いや、まあ、あんたも結構大変だったのよね」

 

「分かってくれるとありがたいよ」

 

「あんた、その間になのはに変なことしてないでしょうね? というより、あんたの方がなのはに変なことされてた可能性もあるのか……」

 

「えっと、そのあたりはノーコメントで……」

 

「ふん、まあいいわ。その内吐いてもらうから」

 

 ユーノの苦笑いでアリサは、二人の間にそう言うこともあったのだろうと殆ど断定した。実際はどれもこれも幼い子供の微笑ましいやり取りのに近いものであるのだが、それを出汁にしてユーノをからかってやるのは、アリサにとって、とても面白いことのように思えた。

 実際、それ以外に彼女はユーノとの付き合い方を知らない。

 

(よく考えたら、まるっきりいじめっ子ね、あたし)

 

 なぜ、こうもユーノを弄りたくなるのか、それはアリサにも分からないことだったが、なぜか、彼とはこうしているときが一番楽しく感じてしまう。

 

「言わなきゃいけないことは、すずかが全部言ったから。私からはもう、何もいうことはないわ」

 

 重要なこと、確かめなければいけないことは既にアリサは聞いている。なのはのこと、フェイトのこと。多くは納得の出来ないこともあり、それらが自分の手の届かないことで行われて、聞かされるのが結果だけであることに対しては気に入らないと思うこともある。

 

「うん」

 

 ユーノはしっかりと肯いた。それは、背負っている表情だとアリサは思った。おそらく、この少年は、誰に言われなくても、これからもなのはとフェイトを背負っていこうと思っているのだろうとアリサは理解した。それは、果たして彼が背負うべきものなのか。自分が負担できる所はないのか。それは、今の課題ではない。

 

「当然、納得できないこともあるし。あんたが、なのはを落ち込ませてるっていることも、正直許せないって思う所もある」

 

「ごめん」

 

「あたしに謝ってもなんにもならないわ。それでなのはとフェイトが立ち直るなんてことないんだし」

 

「うん、ごめん……」

 

「まったく、あんたは…………あたしの友達だったら、もっとシャンとしなさいよね」

 

 その言葉は自然に紡ぎ出すことが出来た。どうすれば、自分の考えが伝えられるのか。どうすれば、すずかのように心からの言葉を素直に綺麗に口にすることが出来るのか。

 先ほどまで悩んでいたことが莫迦らしくなるように思えた。

 

 そして、アリサが見つめるユーノは、自分が何を言われたのか分からず、ただ呆然とアリサの目を見つめていた。綺麗な翠の瞳がまん丸に見開かれて、その瞳にはっきりとアリサの姿が映し出されている。

 

「アリサは、僕が友達で良いの? だって、僕はずっとアリサ達を騙してたんだよ?」

 

 騙していたなど、言葉が大げさではないだろうかとアリサは思った。騙していたと言うよりは言えなかったと表現した方が、何となくだが適切に思える。

 確かに、内緒にされていたことは癪に思えるが、それで関係が終わりになるようであれば、それは果たして本当の友達といえるのかどうかとアリサは思う。

 

「それで友達じゃないんだったら、なのはとフェイトも友達じゃなくなっちゃうじゃない。あたしはそんなの嫌。だから、あたしはあんたと……ユーノと友達でいたい。ダメ?」

 

「ダメなんて……そんなはず無いよ。嬉しい、とても、嬉しいよ……」

 

「なのはのこともフェイトのことも、これからみんなで何とかしていきましょう。はやても巻き込んで、すずかにも助けてもらってね。ユーノは一人じゃない。それだけは忘れないで」

 

「ありがとう、アリサ。これからもよろしく」

 

「友達としてね。よろしく、ユーノ」

 

 アリサとユーノは手を握り合い、お互いに少し恥ずかしそうにしながらも笑顔を向け合った。

 

 おそらく自分たちは上手くやっていけるだろう。時間はかかるかもしれないが、諦めなければどうにでもなるはずだ。それはアリサの確信だった。そうならなければおかしいと思えるほど、アリサの表情には迷いがなかった。

 なのは達は戦い続けてきた。おそらくユーノとフェイトはこれからも戦い続けるのだろう。それを止めることはおそらく自分では出来ないだろう。しかし、これからも自分にとっての戦いが始まるのだとアリサは心を燃やした。

 

 相手はひどく強くて手強い。何せ人の心を相手にするのだから、100の強者を相手にするよりもなお困難な道だろう。

 

(あたしは、負けない。絶対に負けないから……)

 

 力を込めて握りしめるユーノの手から伝わる温もりが、心強く思えて、アリサは身体の芯から湧き上がってくる熱を一身に受け、高鳴る心臓の鼓動に身をゆだねた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終話 Dearest

 

 桜の花びらが風に舞い、それはこれから新たな旅路へ向かう者への祝福の舞を演じているようにフェイトには思えた。耳を澄ませば校舎の向こう側の校庭からは様々な人たちの喧噪が響いてくる。普段は光の降りない影となる校舎の裏側にも、今はそこからあふれてくる賑わいに満たされているようにフェイトは思った。

 

 周囲に人はいない。当たり前だとフェイトは思う。どうして、この祝いの日に、自分のようにわざわざ人のいないところでただ一人佇むものがいるのだろうかと思う。

 そして、自分はどうして親友達と一緒にいないのだろうかとフェイトは重ねて思った。

 フェイトは手に持つ筒に目を下ろした。それには、卒業証書が入れられている。

 聖祥学園初等部を卒業した証、しかし、春には同じ学園の中等部に入学し直す事が決められている。

 

「フェイト、こんなところにいたんだ」

 

 ただ一人佇んで桜を見上げるフェイトの背後から声が届く。

 フェイトは振り向き、そこに立つユーノを確認し、ほほえみを返す。

 三年前にフェイトの義理の兄となったユーノ――ユーノ・S・ハラオウンは義理の妹の姿を見つけ、少し安心したようにホッと胸をなで下ろしていた。

 

「お義兄ちゃん……うん、ちょっとね。最後にしっかりと見ておきたかったから」

 

 この義兄はもう一人の義兄、クロノのように表情には出ないが家族への思いやりはハラオウンの中でも一番と言っていいほど強い。口うるさく心配するのではなく、それはアリシアのような見た目ではそれと分からない過保護さを持つ。落ち込んだとき、一人で痛いときにはいつの間にか側にいて見守ってくれる。なのははが彼が居てくれると背中が温かくなるという言葉をとても実感できるとフェイトは改めて思った。

 

「そうだったんだ。確かに、綺麗だよね」

 

 ユーノはただそれだけを呟き、先ほどまでフェイトが見上げていた桜の木を仰ぎ見て「ほう」と溜息を吐いた。

 彼は何も言わない。「辛いのか」とも「大丈夫?」とも、「何があったの?」とも聴かない。フェイトとしては当初、それはユーノがまだ自分に心を開いていないためだと思っていたが、今はそれが彼なりの優しさなのだと気付いている。姉の温もりを求めて泣いていた夜も、フェイトが眠りに落ちるまで隣で背中をなで続けてくれた。その温もりがなければ今頃自分はどうなっていたのか、想像も付かない。

 

「なのは達は?」

 

 現れたのはユーノ一人だけだった。彼の背後にも隣にもいつも側にいる彼女の姿はない。

 

「ん? 向こうでフェイトのことを探してたよ? そう言えば、アリサに探して来い命令されてたんだった」

 

 ユーノの平坦な声は何の抵抗もなくフェイトの胸に染み渡っていく。まだ背は若干ながら彼女の方が高いにもかかわらず、片手をポケットに入れて桜を眺めるユーノは、なにやら妙に大きく見えた。すらりと伸びてがっしりとした体格になりつつあるその背中が支えてくれている。フェイトは少し恥ずかしそうに目をそらし、

 

「いつも私を捜してくれるのはお義兄ちゃんだったよね」

 

 と呟きながら、枝から離れて地に落ちていく一片(ひとひら)の花びらを目で追った。

 一陣の少し強い風が二人の間を駆け抜けていく。風は地に落ちようとしていた桜色の花びらを再び空に舞い上がらせ、フェイトは靡く丈長のスカートの裾を押さえながら飛び立っていって花びらを目で追い空を見上げた。

 ユーノも空を見上げる。見ているもの、世界は同じのはずだが、自分とフェイトはおそらく違う世界を眺めているのだろうとユーノは思った。思い出すのは三年前の冬の日々、そのときにすべてが始まったのだとユーノは思う。

 

「ねえ、お義兄ちゃん。私、変わったかな? 強く、なれたかな?」

 

 やはり、門出の日が幾分か自分を感傷的にしているのだろうかとフェイトは感じた。普段なら口に出来ない言葉が全く自然に舌を滑り降りてくる。

 

「フェイトは十分強いよ。魔導師としても管理局のトップエースだし……何よりも心が強くなった」

 

 彼女は強くならざるを得なかった。そうでなければ、おそらく生きてはいけなかった。

 ユーノはその言葉を飲み込み、代わりに口元の笑みを消して真剣な眼差しを彼女へと向けた。

 

「ありがとう、お義兄ちゃん。だけどね、時々思うんだ。あの時、今の半分でも力があったらって。そんなこと考えても意味がないのにね」

 

 ふと笑うフェイト。その笑みには、数年前にはよく見られた自虐的なものでも、仮面のようなものでもない。とてもきれいで、どこか儚い、それでいて見る者に安心を与える笑みだった。

 

「フェイトにとって、力とか強さというのは、何のためにあるんだい?」

 

「それは……たぶん、ユーノやなのは、はやてと同じだと思う。私は一人じゃないから……」

 

 空から目をおろし、ユーノの目をしっかりと見つめてにっこりと笑うフェイトをユーノは眩しく思った。

 

「……大丈夫、フェイトは強くなったよ。僕やなのはよりもずっとね。はやてには……少し負けるかもしれないけど……」

 

「やっぱり、はやてには勝てないな……。だけど、そう言ってもらえるとうれしいな。でも、私はまだまだ弱いよ。だって、私は今でも――――」

 

 表情を落としたフェイトの言葉をを風がさらっていく。

 ユーノは肩をおろして、フェイトの肩に手を置いた。さらわれた言葉はしっかりとユーノに届いていた。いなくなった者のために生きるのは不条理だとユーノは思う。しかし、それ故に忘れることが出来ずにすがりつきたくなる。ユーノにとってのベルディナがそれなら、フェイトにとってのそれはいったい何だろうかとユーノは思いをはせる。答えは明確だった。

 

「それは、僕も同じだよ。全然変わらない、みんなにはおいて行かれてばっかりだ」

 

「お義兄ちゃんは強いよ、だから私もなのはも自由に飛んでいられるんだ」

 

 フェイトは肩に置かれたユーノの手を握り、胸に抱いた。

 

「そうだったらいいんだけどね……」

 

 自分のことは分からないよと呟くユーノにフェイトは大丈夫と告げながら、彼の手を解放した。

 

「今日も行くかい?」

 

「うん。夕方から翠屋でしょう? それまで報告しておきたいんだ」

 

 誰よりも早く、リンディやクロノよりも早くフェイトは今を伝えておきたい人がいる。ユーノにとっても大切な人で、彼もフェイトと一緒に報告に行きたいと少し思ったが、今は水入らずに踏み込む事はないと胸の内で面を振った。

 

「そうだね。それが良いよ。そうだと思ってはやてから伝言をもらってきたよ。『夜天の王の名の下、フェイト・T・ハラオウンにベルカへの渡航許可を与える。せやけど、夜までや~。宴会までには帰ってきーや』だってさ。これ、許可証が入ったチップ。往復回数は二回までで、期限は夜までだから気をつけて」

 

 ユーノは制服の胸ポケットから一枚のメモリーチップを取り出しフェイトに手渡した。

 

「ありがとう。はやてにもありがとうって言っておいて」

 

「分かったよ。もう、あまり時間もないから早く行った方がいいよ。アリサに見つかったらやっかいだからね」

 

 何かとアリサを引き合いに出すユーノに、二人は相変わらずだなとフェイトは笑う。ユーノとアリサはなのはとはまた違った意味で仲が良い。なのはとユーノが互いに支え合うパートナーであれば、アリサとユーノは喧嘩仲間のような関係を築き上げている。特にアリサは学業の面においてユーノをライバル視している様子で、結局最後の最後まで決着がつけられなかったことに悔しいような安心したような、複雑な表情を浮かべていた。

 

 定期試験後や成績表の配布、小テストの時でさえ、アリサはことごとくユーノに突っかかって百面相を演じていた。その光景を思い出し、フェイトは少しだけ頬を緩めた。

 

「うん、そうさせてもらおうかな……」

 

 クスクスと笑いながらフェイトは頷き、踵を返してユーノに手を振った。

 

「じゃあ、また後で。遅れないようにね」

 

「うん、後でね、お義兄ちゃん」

 

 フェイトはそういい残し、学園の裏門へと向かって歩く。正門は今生徒達にあふれかえって、旅立っていく先輩達と最後の別れを惜しんでいるところだ。フェイトもお世話になった先生達、交流のあった後輩達やクラスメイト達と話をしておきたかったが、今はそれよりも優先したいことがあった。

 

 さくさくと地面に落ちた桜の花びらを踏みしめて歩いていくフェイトの、ここ数年得一気に女性らしくなった後ろ姿を眺め、ユーノはなのは達へのいいわけを考えながら、ふと空を見上げる。思い浮かぶのは、失った瞬間、出会ったときのこと、再開の時のこと、自分のすべてをかけて守ろうと誓ったときのこと。そのすべてに彼女がいて、今も隣で彼女は笑い続けている。

 

 風によって舞い上げられた桜の花びらが地上に戻ってくる。それは、まるで浅紅(うすくれない)の雪が舞い落ちるように見えて、ユーノは両手を広げてその空気を胸一杯に吸い込んだ。

 

「さてと、なのは達への言い訳でも考えておこうかな……」

 

 大人になっても忘れない。この風景は永遠に記憶にとどめておきたい。今のこの感情も、永遠でないからこそ忘れないように。ユーノはそう胸に刻みつけ、校舎裏から姿を消した。

 

 

***********

 

 

 ハラオウン邸より管理局本局を経由して、フェイトは遠くミッドチルダの南、ベルカ教区自治領の静かな庭園へと足を踏み入れた。

 まるで、古のスピリチュアル・ガーデンのように通り抜ける風に草木が舞い踊り、涼やかで穏やかな音楽に満ちる庭園をフェイトは歩く。

 

 この場所は本来なら、フェイトのような人間が立ち入れる場所ではない。フェイトでなくても、例え提督となった義兄、クロノや統括官である義母のリンディでも特別な許可がなければ足を運ぶことは出来ないだろう。

 フェイトが今こうしてここで立っていられるのは、ベルカの聖王教会の要人であり、一般的な騎士達からは閣下と呼ばれるはやての口添えがあってのことだ。

 

 フェイトはまるで森の中に立てられた秘密の花園のような医療院を見上げて、ほうとため息をついた。

 いつ見てもこの建物は美しい。空から見下ろしていては知ることの出来ない美しさが地上にはある。翼を持つ鳥が、どうして地に着く為の足を捨ててしまわないのか。ともすれば彼らもまた地上に這うことで得られる喜びを知っているからなのかとフェイトはふと思う。

 自分にとっての止まり木はいったいどこにあるのだろうかとフェイトは思いを巡らせながら、建物のてっぺんに飾られた剣十字のシンボルに一礼し「ルーヴィス」と言葉を捧げ、建物に入った。

 

 

************

 

 

 フェイトは真っ白な廊下を一人で歩く。先ほどまでは周囲の病室から人の声がしていたが、それも今は聞こえない。

 ここには多くの眠り人が居るとフェイトは初めてここを訪れたときにそうきかされた。自律的に呼吸の出来ないもの、心を閉ざして目覚めを拒否してしまったもの。様々な者がここで眠っていると聞いて、フェイトは思い知った。自分のような思いをしている者は数限りなくいる。分かっていたことなのに、理解していなかったとフェイトは思い知った。自分ばかり不幸な気になって、それでも強くなろうとして無茶をして。そして、一年前のあの日、撃墜された。冬の荒廃した遺跡には雪が積もり、白い絨毯を真っ赤に染め上げる自分自身の鮮血が記憶の隅にしっかりと残っている。

 あの時、同行していたシグナムが異常を察知してくれなければ、おそらく自分はあのまま雪に埋もれて命を落としていただろう。

 

 今ここにいることがどれほど幸いなのか。身体には消えない傷が出来た。リンカーコアにも歪みが生じたが、ユーノほど酷いものではない。フェイトはユーノと違い、まだ魔導師を続けていられる。

 

 静かに思いを巡らせて歩く内に、一つの病室の前でフェイトは足を止めた。

 病室の表札にはアリシアの名前があり、フェイトはここの売店で買った白い花の束を脇に抱え、ゆっくりと二度ドアをノックした。返事はない、当たり前だとフェイトは思いながら、もしかしたらという希望からこれをやめることが出来ない。

 

「失礼します」

 

 フェイトは扉を開き、中に入る。閉められたカーテンから僅かに漏れる光はとても柔らかく、ベルカにも短い春が来たのだなと実感できる。

 

 真っ白な病室だった。壁も天井も床もシーツもカーテンも調度品も全てが白一色の色彩に染め上げられ、それらは部屋の照明を照り返して明るい光を放つ。そして、その中にあって一点だけ白に染まっていない色彩がベッドに横たわっていた。

 

「こんにちは、お姉ちゃん」

 

 純白のシーツに覆われるベッドの上で、金色の色彩が一際眩しく輝く。介護と治療のため、長かった髪は肩の位置で切りそろえられ、その色素の薄い表情はひたすら穏やかだった。今にも目を覚ましそうな期待と、そのまま安らかな眠りについてしまいそうな危なげさの両方が感じられる。今日もアリシアは変わらず長い眠りの中に沈んでいた。

 

「……」

 

 フェイトは口を閉じ、しばらくの間沈黙して耳を澄ませる。聞こえてくるのは、そよ風が窓を撫でる音に、遠くの方で子供達が遊ぶ小さな歓声と眠り子の規則正しい吐息のみ。

 今日も返事はない。分かっていたことだ。しかし、願わずには居られないことだとフェイトは瞑目してこみ上げる感情を抑え込むのではなく受け入れ、受け流した。

 

「窓、開けるね」

 

 感情とは身体を駆け抜ける風のようなものだと捕らえ始めたのは一体何時の頃だろうか、とフェイトはベッド脇に備え付けられている棚に花束と学校の鞄を置きながらそう思い浮かべた。

 それは三年前、理不尽な感情を、罪を償おうとしていた騎士達に向けてしまったときから始まっていたのかもしれない。そして、それから自分は感情を全て押し殺して表に出さないようにしていた。もう、あのような後悔を繰り返したくないと思ったため、人を傷つけるような感情を外に出さないようにと心がけていた。

 しかし、それも失敗した。身体や心に多くの教訓を刻み込み、フェイトは失敗を繰り返してしまった。それは、アリシアが眠りについた時にフェイトが感じていた感情を、今度は自分が周りの者達に感じさせる事となったのだ。

 

「今日も良い天気だよ。風がすごく気持ちいい」

 

 フェイトはアリシアに光が直接当たらないようにカーテンを開き、窓を開けた。窓の向こう側に眺められる広葉樹の林と、その中央に一際大きくそびえる大木。それはまるで、アリシアの故郷アルトセイムを思わせるものだった。

 

 繰り返さないということはいかに難しいのか。人はどうしようもなく繰り返してしまう。繰り返さないと思っていても繰り返してしまう。

 感情を理不尽にさらけ出すのではなく、無理矢理押し殺すことも良くないとフェイトは理解し、そして、それらの事全てを受け入れようと考えた。

 

「………」

 

 アリシアは、フェイトの言葉に何一つ答えを返さない。フェイトは窓より吹き込んできた風で乱れた彼女の髪を指で梳(くしけず)りながら、すこしだけ表情に影を作りながらベッド脇のチェアに腰を下ろした。

 

「今日は、学校の卒業式だったんだ。本当は、みんなと一緒に居たほうが良いんだけど、どうしても最初に報告したくて」

 

 フェイトはそういって鞄より黒い筒を取り出し、その中から丸められた一枚の厚紙を取り出し、眠るアリシアにも見えるように広げた。卒業証書、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンと達者な筆文字で描かれた文字が描かれているそれは、フェイトが聖祥学園での生活を終えたことを証明するものだった。わずか三年でしかなかった学園生活は、それでもフェイトにとっては新鮮な驚きと、ふれあうことの喜びを知らせてくれたかけがえのない時間だった。その多くは笑顔の消えていた日々だったとフェイトは思う。しかし、今はここでこうして笑っていられる。

 

「不思議だよね……私はもう笑えないと思ってた。お姉ちゃんが帰ってくるまで、私は笑顔を浮かべちゃいけないなんて思ってたんだよ。それなのに、私は笑顔でいられる。幸せだって思えるんだ。お姉ちゃんがいないのに、眠ったままなのに」

 

 時折、フェイトはそれに罪悪感を感じている。ふとしたことで笑顔を浮かべている自分や、幸せを感じている自分に違和感を持ってしまう。本当に自分はこれでいいのか。こうして笑顔を浮かべ、幸せをかみしめている時に自分はアリシアのことを忘れてしまっていないか。それがたまらず怖くなって、明くる日には必ずフェイトはここに足を運んでいた。自分のあり方の根源を確かめるように。何度も何度もそれを繰り返してきた。

 

「ねえ、お姉ちゃん。私、大きくなったでしょ? なのはもユーノもみんな、大きくなったんだよ? クロノお義兄ちゃんもすっごく背が伸びて……格好良くなった」

 

 しかし、人は変わっていく。周りの者達だけでなく自分さえも刻一刻と変化していく。何一つ同じ時はない。すべては常ではなく、万物は移ろいゆく。

 

「私は、とても幸せだと思う。なのは達がいて、お義兄ちゃんが二人に義母さんまで居る。とても幸せなんだ、怖くなるぐらい、幸せなんだよ、お姉ちゃん」

 

 幸せであるが故に怖い。いつかこれが崩れてしまわないかと思うとおそれしか浮かんでこない。今こうして姉を思うこの感情もまた風に流されるようにどこかに消えてしまうのではないかと考えれば、生きていることこそが怖くなってしまう。

 

「だけどね、どこにもいないんだ。ここにしかいない。幸せなはずなのにどこな満たされないって思うんだ。時々無性に寂しくなって、みんなとご飯を食べてるときに、泣いちゃったことだってあるんだよ?」

 

 三年経った。まだ三年というべきか、もう三年も経ってしまったと言うべきなのか。酷く長い三年間だった。様々なことが起こり、良いことも悪いことも多く起こった。繰り返される運命に翻弄され、それでも前を向いて歩き続けてきたとフェイトは胸を張って言える。しかし、その風景にはアリシアが居ない。どこを探してもアリシアがおらず、思い起こせるのは眠り着いているアリシアだけ。

 

「寂しいよ、お姉ちゃん……。やっぱり私は……お姉ちゃんが居ないとだめなんだ」

 

 フェイトの涙の滴がアリシアの手の甲にぽとりと落ちて弾けた。カーテンの隙間から差し込む光が、弾ける水滴を一際輝かせ消えていった。

 

 

 

「泣かないで、フェイト。フェイトが泣いていると、私はどうすればいいのか分からなくなる」

 

 

  そして、声が届いた。

 

 

 フェイトは面を上げてそれを見た。流れ出ていた涙は彼方へと飛んで消え、紅い瞳はただ呆然と見開かれていて、今が現実なのか夢なのか分からなくなってしまう。

 背後には、庭園が織りなす幻想的な風景が広がっている。それは、自分はまた闇の書の中で夢を見ているのではないかとフェイトに錯覚させた。

 これは、夢なのか現実なのか。

 ただ分かることは、一つだけ。アリシアはベッドに横になっていること、そして横たわる体勢のまま、自分を映し出すルビーのような紅い双眸をフェイトに向けて晴れやかに微笑んでいることだけだった。

 

「お姉ちゃん……」

 

 もしもこれが夢なら、どうか目覚めないでほしいとフェイトは切実に思った。

 

「おはよう、フェイト。なんだか、随分大人になったね」

 

 しかし、もしもこれが現実であるのなら、どうか夢に陥らないでほしいとフェイトは願った。

 

「お、お姉ちゃんだって……背、伸びたよ……」

 

 声を出す口元が戦慄(わなな)く。まるで、聞かれたことを端的に答えるだけのストレージデバイスのように、様々に浮かび上がる感情がすべてを打ち消してしまう。目を覚ましたら言いたいことや話したいこと、叱り付けたいことや、約束したことがたくさんあった。それを考えるのが唯一の楽しみだった頃もあったにもかかわらず、フェイトは上手く言葉を紡ぐことが出来ない。

 

「そう、自分では分からないものだね」

 

 あははと少し辛そうに笑うアリシア。彼女の様子は眠る前とまるで変わりようがなく、フェイトがいかに心を壊してきたか知るよしもない笑みを浮かべていた。

 

「あっ……っぐ……うぅ……」

 

 もう、言葉も口に出来ない。ふるえは体中に広がり、胸の奥底、身体の至る所からわき出る熱がまぶたを焼き、まるでそれを冷やそうと言わんばかりに暖かな雫が幾重も幾重もこぼれ落ちて膝をぬらしていく。

 

「……フェイト……」

 

 口元を押さえ、震える身体を押さえ込むように身体を閉じるフェイトにアリシアはかける声を失った。手をさしのべ、まぶたをぬぐって頭を撫でたいと思っても、衰えきった身体はまるで動こうとしてくれない。

 

「遅すぎだよ、お姉ちゃん」

 

 震える声が耳朶を打った。

 

「ごめん」

 

「私が、私たちがどれだけ待っていたか。寂しかった……とても、寂しかったんだよ」

 

 しゃくり上げる音が鼓膜を震わせた。

 

「ごめん、寂しい思いをさせて」

 

「ずっと、ずっと待ってたんだからね……もう、待ちくたびれたよ」

 

 しかし、フェイトの声は震えながらも強く響き渡っていく。

 

「ありがとう、フェイト。待っていてくれて、ありがとう」

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」

 

 アリシアの視界がすべてフェイトで埋め尽くされた。その香りが、熱が、全身を通じて感じられる。

 アリシアは言葉をなくしてただ大声を上げて泣きじゃくるフェイトの背中をそっとなでつけながら、おもむろに空を見上げた。窓の向こう側にはただ一点の曇りもない蒼空が広がっていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭章
The only easyday was yesterday 01


 結局、あの事件とは何だったのだろう。

 

 リクライングされたベッドのマットレスに深く背中を預けながら、アリシアは公開されたその事件資料を、ただ同じ日々が繰り返されるばかりの病室の中で、ただゆっくりとめくり続ける。

 

 形式張ったその資料は、むしろ報告書というべきもので、何の面白味のない文章の羅列が続くばかりで、自分が僅か数日前に経験したはずの、あの強烈で鮮烈な日々がまるでただ味気のない方程式に沿って起こされただけの事象であるかのように示されていて、アリシアははっきり言ってこれ以上読み進めたいと思うことができなかった。

 

「こんなんじゃ、クロノのお願いなんて聞かなきゃよかった」

 

 アリシアが、あの事件が原因となった眠りより目覚めて数日後、つまり、昨日になってようやくお見舞いに訪れたクロノが、労いの言葉もそこそこに言い放ったことが、あの事件の中でアリシアがいったい何を行って、その結果どうなったのかという報告書を書けということだった。

 

 その時は、これから姉弟としてやっていくことになった家族の目覚めを前にして、よくそんなに事務的でいられるなと思ったものだが、少なくとも、これからしばらく続く入院生活の退屈を紛らわすよい材料になるだろうと思い、また、これから弟分になる彼の願いを聞き入れないのは姉として失格だろうという、今になっては後悔しかない感情のままに、アリシアはニッコリと笑って、

 

『分かったよ、クロノ。お姉ちゃんに任せなさい!』

 

 と、胸を張って引き受けたのだった。

 

 その言葉を聞いたクロノは、なにやら複雑そうな、何となく納得できないような表情で礼を言っていたが、アリシアはその態度を、いきなり頼れる姉ができた不出来な弟の持つ一般的な感情だろうと割り切り気にしないようにしたものだった。

 

 それを思い出してまた、アリシアは少し気分が沈み込むようだった。

 

「任せなさいっていっちゃったからなぁ……これで、やっぱりイヤなんていったら、お姉ちゃんとしての面子が保てないよね」

 

 アリシアは、手持ちの資料を読みながら、何度目になるか分からない陰鬱なため息をつき、エイヤッといってまだあまり自由にならない腕を振り上げてベッド脇に置かれた小型端末を取り上げ、そのモニターを立ち上げた。

 

 空間に投影されるモニターと、そこからスライドしてくる入力装置に手を置きながら、アリシアは指で何度か膝頭をトントンと叩きながら、目を閉じて天井を仰いだ。

 

 思い出されるのは、数日前の光景。彼女にとって数日前のことは、この世界では既に3年も前に過ぎ去った事に過ぎない。悲劇の中心にいた、憐れな少女は、今となっては両の足で地面を踏みしめ、力強く前を向いて歩み続けている。その根源ともなった悲しい魔導書は、常にその側にあって彼女をささえ、そして共に歩き続けている。

 

 アリシアは何となく寂しくなった。彼女たちは今、未来を信じて希望の道を歩んでいる。この3年間、彼女たちは歩み続けて来たことだろう。しかし、アリシアはそれを知らない。彼女たちの今がアリシアの知る僅か数日前の彼女たちと全てが一致しない現実に、納得できないでいる。

 

「なんで、私はあそこにいないんだろ……私だって、みんなと一緒に歩きたかったのに……なんで、私だけ取り残されちゃったんだろ」

 

 あるいは、それを紐解くためにクロノは自分にこの仕事を持ってきたのかも知れない。納得のできない今を受け入れるためには、ただ過去を振り返り、過ぎ去った時間を受け入れていくしかない。

 

「ま、クロノがそんな殊勝なこと考えられるはずもないよね。たぶん、リンディ提督か、エイミィの入れ知恵だよ、きっと」

 

 アリシアは「ふぅ……」と大きく息を吐き出し、肩の力を思いっきり抜いて、一度身体を解きほぐし、そして、「えいやっ」と拳を強く握りしめると、モニターからせり出した入力装置に、勇ましげに向き合い、手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 結局、私のとってあの事件とは何だったのだろうか。

 

 全く冷静な目から見れば、旧世代より世界の安全を脅かし続けてきた大規模災害級のロストロギアが封印され、次元世界が一つの安全を勝ち取っただけの、今のこの世界であれば、希ではあっても、そこまで珍しいとは言えない事象が展開されただけのことだったのだろう。そういうことは、現に今世界中で起こっていて、それが理由で消えてしまった世界も少なくはない。

 

 地球――第97管理外世界も、その前例に従うのなら、あの事件において消滅した世界の一つに数えられていたのかもしれない。

 

 だけど、そうはならなかった。

 

 地球は幸運にも、それまで次元世界で希に引き起こされてきた悲劇を免れることができた。それは稀有の中の幸運。殆ど奇跡とも言えるほどの事だったのだろう。そしてその過程は、私たちが最悪の壊滅を何とか回避しようとした結果起こった事象でもある。

 

 私が私の視点で、私が経験したその時の全てを書き記すことは、今後起こされる最悪の事態を壊滅の結果で終わらせないための一つの道しるべを示すためのものだと思う。

 

 できることなら、この一筆が、未来に引き起こされる壊滅を少しでも回避するための礎になることを、私は願わずにはいられない。

 

                   【新暦78年 アリシア・T・ハラオウン記す】

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02

大幅改編です


 ようやく、あのときの事件が終わ終わりを迎えようとしている。

 アリシアの目覚めの報をきき、その時、翠屋の厨房で卒業パーティの準備のために包丁を振るっていたはやては、身体が震えるほどの喜びを味わったという。

 

 はやては、アリシアが眠りについた時、フェイトに対して一方的に宣言した約束をどう果たすかずっと考え続けてきた。その結果が今こうしてここにあると言うことは、アリシアが目覚めた喜びよりも、自分が一つのことを成し遂げることができたという喜びを与えるものに違いなかったのだった。

 

「ベルカにも結構いいお茶があったんだね。母さまのお茶にはかなわないけど」

 

「確かに、思い出の味と比べられたら、聖王陛下でも両手挙げて降参するやろうなぁ」

 

 久しぶりに酷使してしまった指先を撫でながら、アリシアは、はやてが持ってきてくれた紅茶の香りをめいっぱいに堪能しながら、主治医に許可されたどこか味気のない淡泊なクッキーをかじりながら一息ついた。

 はやてがアリシアの病室に現れたのは、アリシアが報告書を書き始めてしばらくしたところで、彼女の集中の具合は、はやてが側に来て彼女の肩を強めに叩いてようやくはやての存在に気がついたというほどのものだった。

 

「それにしても、アリシアが物書きするなんて、ちょっと意外……でもないんかな? よく考えたら、なかなか絵になってたように思えてきたな」

 

 何を書いているのか、とアリシアのモニターをのぞき込もうとしたはやてだったが、アリシアは、そんなはやてを押しのけるように、「まだできてないから見ないで。恥ずかしい」と頬を染めながらモニターを隠してしまったのだから、あるいはなにか人に見られたくないような日記とか、そういった類の物でも書いていたのだろうとはやては当たりをつけ、表面上はなにも気にしていないという風を繕ったのだった。

 

「ん~、たぶん意外だと思うよ。私、勉強嫌いだから、よく母さまに怒られてたし。難しい本とか読むとすぐ眠たくなって、そのまま本をマクラにしたことだってよくあったし」

 

 そして、マクラの本によだれを垂らしてしまってさらに叱られるというオチまでついてきていた。懐かしい思い出だとアリシアは肩をすくめた。そして、同時にあの時を愛しい思い出だと認識できることにわずかな寂しさも感じていた。

 ともあれ、アリシアも作業に疲れたと言うことで、はやてはせっかくだから少し話をしたいと思い、そのまま自然な流れでお茶会を開くことになったのだった。

 

「それこそ意外やな。あのとき、アリシアが一生懸命書庫で調べ物をしてくれたから私が助かったんやって、ずっとそう聞いてたから」

 

 アリシアはそんなはやての言葉に肩をすくめた。

 

「それは、言い過ぎだよ。私がいなくても、フェイト達だったらきっと、何もかも上手くやれたはずだから」

 

 アリシアは、陶器のカップを軽く掲げながら肩をすくめた。

 

 アリシアが思い出すのは、無限に広がる本棚の谷底で感じた自身の無力さだった。はやて達にとって、それはもう3年も前のこと――はやてだけではなく、彼女たちにとってはすでに過ぎ去った過去に過ぎないものであろうが、その全てが欠落してしまったアリシアにとって、それは未だに鮮烈な昨日としてそこにそびえ立っている。

 

 あのとき、書庫で感じた違和感。あの、聖王崩御の鎮魂祭の夜に、ただの一時の間だけ父娘となった提督に告げたことのとおり、自分があの書庫で行っていたことは、既に誰かが通り過ぎ、アリシアがたどり着いた一つのことは既に何者かが至っていた答えだったということを、アリシアは確信していた。

 

 アリシアは先駆者達である巨人の肩から羽ばたくことができなかった。

 

「それより、はやてに聞きたいことがあるんだ」

 

 アリシアは、紅茶の僅かに残ったカップをからにして、はやての少し寂しそうな表情を払拭するように声を少しだけ張った。

 

「ん? なんや?」

 

「私の主治医の助手さんの見解として、私は今どういう状態なの? リインフォースとずっとあわせてもらえないのも、それが理由?」

 

 カチャリとカップがソーサーに下ろされる音が響いた。

 はやての表情を堂々と正面から見つめるアリシアは、はやてが浮かべた表情に、状況はそれほど芳しくないことを察した。

 彼女は何とも表現の難しい表情をしていて、言うべきかいわざるべきかを悩むと言うよりは、言わなければならない時が来てしまったことへの一種のあきらめのように思えたが、アリシアは少なくともそこには悲壮感が込められているわけではない事だけは知ることができた。

 

「一言で言えば、難しい状態やねぇ」

 

「二言で言えば?」

 

「割と難しい状態や」

 

「答えになってないよ」

 

「ごめんな、ちょっと待っとって、順を追って説明していくから」

 

 はやてはそう言って、下ろしたカップをソーサーごとベッド脇のワゴンに乗せ、顎に手を添えながら、こっくりこっくりと小刻みに首を左右に揺らし始める。

 

 アリシアはそれを見つめ続けていては、自分も釣られて顔を揺らしそうになってしまいそうだったので、少し視線をそらし、はやてが話を始めるまで放っておこうと思い、枕元に常備している資料に手を伸ばし、書きかけの報告書の草案を頭に浮かべながら文字を追い始めた。

 

 一昨日あたりに提出した、報告書の緒言とも言える、アリシアとしては割と傑作だと思えた部分は、「文章が情緒的すぎる、書き直せ」という、あまり可愛くない方の弟からバッサリ切られてしまっていた。その、あまりにも無遠慮な物言いに、アリシアはムッとしてフェイトからもらった夜眠の共である猫のヌイグルミ(リニス二世と名付けた)を投げつけて、彼を病室から追い出してしまったのだったが、今思えば申し訳なかったと反省している。

 

 いくら命の宿らないヌイグルミでも、あんな可愛くない方の弟に向かって投げつけられるなんて気の毒だっただろう。

 

(それにしても――そうか、結局闇の書の防衛体は私の中に入って、今も一緒なんだね。よく死ななかったな、私……)

 

 絶対に口外できないことではあるが、あのときのアリシアは自分自身の身の安全など全く考えていなかった。生への執着があまりなかったオリジナルのアリシアの感情と、夜天の魔導書に対して罪悪感しかなかったベルディナのそれとが混在していたために、アリシアはその時、このまま闇の書の闇と心中しても後悔はしないという感情に満たされていたのだ。

 

(私は二人が一緒になって私になった。なんだか変な感じ……。これじゃ、ますます私って何だろうって思えてきちゃうよ)

 

 これは、自分探しの旅をするべきかもしれないと、アリシアは横目で未だに腕を組んでうんうんうなっているはやてを眺め、肩をすくめた。

 

「さてと……。ねぇ、はやて、そうやって悩んでるフリして時間稼ぎしようとしても無駄だよ?」

 

 さしずめ、首をメトロノームのように揺らすことで、それを見るアリシアを眠りの世界に誘おうという魂胆だったのだろう。

 最もそれは、アリシアの妄想に過ぎなかったのだが、時間稼ぎをしようとしていたことは事実だったらしく、はやてはもくろみが外れて少し落ち込んだ様子を見せた。

 

「まあ、そうやろうね。分かってたよ……。と言っても、後5分ぐらいで私も回診にでなあかんから、どちらにせよ日を改めてってことになるんやけどな」

 

「そっか、残念だな。はやてともっとおしゃべりしてたかったのに」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいんやけどね。まあ、師匠(センセ)と相談して、近いうちに時間をとれるようにするわ。できたら、ハラオウンの人らみんなを集めてな」

 

「うーん……難しいと思うよ? みんな、責任ある立場になって忙しいって言ってるから。特にクロノとかだめだね。仕事にかまけて、お見舞いすら一回しか来てくれなかったし」

 

「あーそうやなー。まあ、その辺は何とかしてみるわ」

 

 アリシアの言葉とは反対に、仲間内でアリシアを一番心配して、最も足繁く見舞いに訪れているのはクロノであることをはやては胸の内にしまい込んだ。アリシアがそれを知らないのは、クロノが忙しすぎるあまり、ここに来られる時間にはすでに夜も更けてアリシアも就寝していたことが原因ではあるのだが。

 

(それに、クロノ君も照れ屋さんやからな。アリシアちゃんにだけは知られたくないって思ってるやろうし)

 

 アリシアが自分でそのことに気がつけばよし、もしも気がつかずにいたとしてもなんの問題もないと思えるほどハラオウンの絆は強い。

 

「さて、そろそろ時間やわ」

 

 はやては部屋に置かれた時計をちらりと確認し、席を立った。

 

「うん、お仕事がんばってね、はやて」

 

「そっちも、患者さんらしく大人しくしてるんやで」

 

「任せてよ!」

 

 と、アリシアは自信満々に胸をたたいてむせ返った。

 

 はやてはそれをクスクスと笑い、手を振って病室を後にした。

 

 

************

 

 

 背後で病室のドアが閉じ、オートロックが作動する音にはやては軽くため息をつき、そのままドアに背中を預けた。

 

「タイムリミットは近い……か……」

 

 はやては手持ちの端末を一瞥し目を細める。そこには先ほどの診察によって得られたアリシアに関する最新の情報が、冷徹な文句によって映し出されていた。

 アリシアのリンカーコアの観測結果。診察をすれば必ず異なる結果が現れ続けるにもかかわらず、観測している間はその様子を変化させるひどく一定に安定しているように見えること。

 

 それはまるで、目を向けているときは大人しくしているが、目を離したとたんに何をするのか分からない子供のような印象をはやては受けた。

 観測している間はひどく大人しくしているが、観測をやめたとたんそれが今どういう状態にあるのかまるで検討がつかない。それが、アリシアのリンカーコアにいかなる影響を与えているのか計り知ることができない。

 

 文字通り爆弾を抱えているようなものだとレクター博士は評価している。

 

 しかし、はやてにはアリシアの中にいるそれが爆弾であるとは思えなかった。爆弾であるなら、あのような変化を起こすはずがない。そうであるなら、それはなんの変化も見せず、条件がそろうまでは全くの安全を装い、一つのきっかけですべてがはじけ飛ぶのだ。

 

「まるで、子供や。それも、とびっきり恥ずかしがり屋で人見知りな……それでも、何とかしようって動き回ってる優しい子」

 

 はやてにはその姿さえ目の裏に浮かび上がるように思えた。それは果たして夜天の魔導書とほとんど直接と言っていいほどの繋がりがある自分だからこそ感じ取れることなのだろうかと彼女は思った。

 

「あまり惚けているとサボタージュと判断されますよ、はやて」

 

 かけられた馴染み深い声にはやては面をあげた。

 

「どうしました? アリシア嬢に問題でもありましたか? はやて」

 

 風になびく風鈴のような(リン)とした声に、腰まで届く美しい白銀の長髪をなびかせながら、すらりと伸びた長身から赤眼の双眸が不思議な輝きを放つ女性の姿に、はやては家族でありながら思わず一瞬心を奪われた。

 

 白銀の髪を際立たせるように色彩の押さえられた黒のスーツを完璧に着こなしたその女性――リインフォースののぞき込むような視線にはやては、照れ隠しのように視線をそらし、「ふぅ」とため息をついた。

 

 悪い癖だとはやては思った。それは、何度言っても突然現れて、前触れもなく言葉を投げかけるリインフォースのことではなく、無意識に彼女の胸元の膨らみを凝視してしまう自分自身に対するものではあったが。

 

「なんでもないよ。お疲れ様、リイン。師匠(せんせい)の用事はもう済んだんか?」

 

「ええ、少し複雑なデータを分析し評価する程度のことでしたので、それほど時間はかかりませんでした」

 

「そうか、さすがリインやね」

 

 リインフォースの言葉にはやてはわずかに苦笑した。リインフォースの言う少し複雑なデータを、自分や師匠であるダニエル・レクター博士が分析するとなると、おそらく一週間はその仕事にかかり切りになっていたことだろう。

 

 そのあたり、レイジングハートをはじめとするインテリジェント・デバイスと、より人間に近い感覚や感情を持つユニゾンデバイスの強みと言ってもいいだろう。

 

「ダニエル医師からはこの後、はやての補助に入るように言われて来ましたが、いかがでしょう?」

 

「そうやね、これから小児科の子らを見に行くことになるけど、リインがいてくれたら心強いね。リインは、人気者やから」

 

「いえ……私など……。はやての方が家庭的で親しみやすいと憶われますが」

 

「うーん? この白いのを着てるとね……。やっぱり、私は一歩引いてあの子らを看る立場やから、そのあたりどうしてもあるなぁ。私としてはもう少し子供達と仲良くしたいんやけどね」

 

 はやては、スーツの上から羽織る白衣をつまんだ。

 

(それにしても、私がこれを着るなんて、予想もしてなかったなぁ)

 

 立派な医者になること、はやてはそれを志し、このベルカ医療院の扉を叩いた。

 眠り続けるアリシアのために、自分ができることは何だろうかとはやては、3年前のあの夜から考え続けた。

 

 彼女が眠り続ける事になったあの、アースラの医務室でフェイトに宣言したこと――「私が絶対にアリシアちゃんを目覚めさせてみせる。一秒でも早く、フェイトちゃんとお話しできるよう頑張る」と言う自身の言葉が、ずっとはやてを悩ませ続けていた。

 

 私がアリシアを目覚めさせると宣言したが、当然のことながらはやてには、どうすればアリシアが目覚めるのか全くわからなかった。

 

 だったら、その方法を探そう、と医療の道を選んだのは我ながら向こう見ずだったなとはやては自嘲気味に肩をすくめた。

 

「さてと……無駄話もこれぐらいにしとこか」

 

 ネガティブなことなど考えればいくらでも沸いてくる。今するべきことは現実を直視し、ベストと思えることを着実に行っていくことだけだと、はやては身に力を入れた。

 

「ええ、それがよろしいでしょう」

 

「それじゃ、いこか、リイン」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03

大幅改編です(其之二)


 八神はやては二つの名前を使いこなす。

 

 一つは、ベルカの医療院に勤めるパートタイムの医療補助士である八神はやて。

 

 そして、もう一つは、300年ぶりにベルカに帰還した従王機関の主席である夜天の王八神はやてである。

 

 それが、この3年間ではやてが手にした二つの顔であった。

 

 

************

 

 

 はやてはベルカ医療院のスタッフではあっても、所詮はアルバイトのような身分であるため残業をすることができない。そのため、たとえ仕事が残っていても定時になればすべて切り上げて医療院をでなければならない義務がはやてには課せられている。もちろん、よっぽどの緊急事態が発生すればその限りではないが、優秀な医療院のスタッフによって管理運営されている職場では、今のところそのような事態は、少なくともはやてが知る限りでは起こったことがない。

 

 ミッドチルダの就業倫理協定だの、委員会の監査だのいろいろとややこしいことをはやては就業初日に説明されたが、それは良くもあり悪くもあると感じている。

 

 確かに定時で帰宅できるなら、プライベートの時間がしっかりと確保されると言うことにはなるのだが、仕事を残してきた場合はそれが逆に心残りになって落ち着かない夜を何度か過ごすことがあった。それを解消するためには、どうしても仕事の効率を上げざるを得ず、それが逆に負担になることもままあった。

 体調を崩せばその分仕事が山積みになってしまうため、体調管理を常に万全にしなければならない。それらをふくめ、リインフォースが自分につきっきりになっていてくれなければ、おそらく今頃は、「仕事なんてしたくない!」といって自室に引きこもってしまっていただろう。

 

「リインには感謝やな、ほんまに」

 

 夕食後の水仕事をおえ、リビングに戻ってきたリインフォースにお茶を勧めながら、はやては、今夜ばかりはリインフォースを最大限ねぎらおうと心に決めた。

 

「それはお互い様と言うべきです。はやてがいなければ私はこのような日々を願うことさえできなかったのですから」

 

 リインフォースは少し照れた様子で、少し濡れたエプロンを外しながらソファに腰を下ろした。

 なんというか、そのすべての所作にはやては見ほれるようだった。まるで、おとぎ話に登場する絶世の美女が、その悩ましい肢体を揺らして家事をする姿が、アンバランスでありながらその中に絶妙な調和を生み出しているように思えるのだ。

 これは、はやての保証人を名乗り上げてくれたカリム・グラシアが彼女に古風なメイド服を勧めるのも理解できるというものだった。もっともそれは、リインフォース本人の、「効率の悪い服装をするつもりはありません」という一言で取り下げられてしまったのだが……。今思えば、あそこは夜天の王の権限を使ってでもリインフォースに言うことを聞かせるべきだったと、はやては後悔している。

 

「リインも家のことが上手くなったね。今日の晩ご飯も、ひょっとしたら私より上手やったんとちゃう?」

 

「いえ、やはりはやてにはまだまだおよびませんよ。私もまだまだ精進しなければなりません」

 

「もう十分やと思うけどなぁ。せやけど、なんでリインは料理とか家のこととかやろうと思ったん? 言い方は悪いかもしれへんけど、リインがそういう風になるとは思わなんだわ」

 

「そうですね……なにかを破壊する以外のことを、私でもできると証明したかったのかもしれません」

 

「そうか……」

 

 そう言ってはやては言葉を切った。リインフォースも差し出されたお茶を少しずつ口に含みながら、まるで過去を思いやるようなまなざしで、揺れるカップの水面をじっと眺めた。

 

 おもむろにはやてが目を向けるリビングのガラス戸の向こうには、静かな夜に沈む、広大な庭園が広がっていた。深い森の中心を切り取られて作られた庭園は、ベルカ医療院の中庭を何倍にもしたような様相を示す。

 

 中心にそびえる巨大な樹木とその周囲に広がる深い池には、大樹を守護するように三つのオブジェクトが立てられている。その内の一つ、聖王教会にとって特別な方角といえる西側に立てられた、黒いオブジェクトが示すものに今自分が立っていると考えると、はやてはいつでも居心地が悪くなる思いだった。

 

 大樹である聖王とその三方を守護する三人の従王。聖王の庭園と呼ばれるこの場所を象徴するにはこれほどふさわしいものはない。

 

「夜天の王か……」

 

 聖王の庭園はベルカの歴史と伝統、そして誇りと信仰を象徴する聖域だとはやては聞かされた。そして、そこを住まいとすることを十分によく考えて欲しいとはやては自身をここへと導いた女性の言葉を何度も何度も反芻する。

 

 背中と肩が重くなる感覚をはやては味わった。そして、立ち上がった。

 

「もうお休みですか? はやて」

 

 茶請けのクッキーに手を伸ばそうとしていたリインフォースが、前触れもなく立ち上がったはやてを上目遣いに見上げた。

 はやては、何となく言いづらそうに頬をポリポリと、少し恥ずかしそうな様子でリビングの奥の扉を眺めた。

 

「ん……ちょっと、元気をもらいに行こかなって……」

 

 それはずいぶん曖昧な物言いだったが、リインフォースにとってはそれだけではやてが何をしようとしているのかすべて理解することができた。

 

「分かりました。明日も仕事がありますので、あまり遅くならないようにお願いします」

 

「ありがとな、リイン。じゃあ、ちょっと行ってきます」

 

 そして、はやてはリビングを後にした。誰にも邪魔されない、はやてだけの秘密の逢瀬へと。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04

やっと書けた……今回はネタありです。分かる人は偉い、分からなくてもそれは当たり前、つまり、お気になさらずと言うことでヨロシク。


 聖王の庭園は古代ベルカの聖王によって作られたものではないということは、意外にも知られていないことだ。そもそも、古代ベルカの首都ゼファード・フェイリアはここより遙かに離れた世界に位置しており、かつての崩壊戦争の以前に、聖王を名乗る人物がこの世界、ミッドチルダを訪れたという記録は残っていない。

 なぜなら、その当時、このミッドチルダはまだまだ未開の次元世界でしかなく、フロンティア精神旺盛で物好きな移民による開拓の真っ最中だったため、次元世界のどこからも見向きもされない世界であったためだ。そんなところに、当時次元世界最高権威とも言われた聖王がわざわざ足を運ぶはずもない。

 

 今では次元世界第一の発展を遂げたこの世界を思うと、何とも時の流れとは不思議なものだ、と、はやては教育係としてグラシアから宛われた修道士見習いのシャッハ・ヌエラと査察官候補生であるヴェロッサ・アコースによる歴史の講義を聴きながらそんなことをつらつらと思ってたものだった。

 

 歴史的に見れば聖王ゆかりの庭園でも内にもかかわらず、ここは作られた当時から聖王の庭園と呼ばれていた。

 

 では、誰がここを作り、そして誰がここを聖王の庭園と名付けたのだろうか。

 

 それには諸説あるが、はやてが思う最も有力な説は、最後のゆりかごの聖王が幼少期に、まるで兄妹のように育ったシュトゥラの覇王が、戦死した彼女を想ってここを作った憩いの……ある意味で過去を懐かしみ、そして思い出に浸るために作った庭園であるというものだった。

 

 そして、それは現在ではベルカの最大の聖域として神聖化され、創設から100年以上が経過した今でも、この庭園は人々の信仰を集め、美しく保たれている。シュトゥラの覇王は、終戦後この庭園にとどまり、天寿を全うしたと言われている。そして、その末裔は今もこの世界で生きていると言う。

 

 同じ古代ベルカゆかりの者として、いつか会ってみたいとはやては思った。

 

 

 

************

 

 

 二人の人間がようやくすれ違うことがようやくできる程度に狭い通路には、灰白色の照明が等間隔に並んで伸びている。

 

 美しい庭園の地下に位置するにしてはあまりにも殺風景な通路は、むしろ巨大な排気口と言っても間違いはないと思えるほど人間味にかけた場所だといえた。

 

 ともすれば傾きなど感じない程度に緩やかに落ちていく通路の先には、四角く形成された通路の四辺が交わり、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。

 

 通路は曲がることなく、分岐することもなく、ただ一直線に伸ばされていてその先に何があるのかを想像することは難しかったが、時折ほほを撫でる空気の流動からは、少なくともこの先は行き止まりではないことを感じ取ることはできた。

 

 空気の流動はあれども、それを生み出していると思われる送風機の音はなく、地上の夜の静けさにも様々な音色が混じっていたのだと思わせるほど、ここは静まりかえっていた。

 

 進める歩が生み出すコツコツという音が、妙に印象的な響きとして耳を撫でる。

 

 一人歩きするにはあまりにも不安をかき立てる空間ではあったが、はやてはそれでも歩調を緩めることなくただ、まっすぐと前を向き、何のつぶやきも漏らすことなくそこへと近づいていった。

 

 もう、どれほど歩いたのか。時間間隔を喪失させるほど変化の内風景だったが、それもようやく終わりが見えかけてきていた。一歩を重ねるごとに大きくなっていくそれに、はやては緊張を押し隠すように「ふぅ」と息を一つはいて、八神はやては眼前にそびえる無骨な扉を目の前に、まるで天に祈りを捧げるように右の拳を胸に当て、凛々とまなこを持ち上げた。

 

 目の前にそびえる重厚な扉は、はやての接近を予感していたのか、ぼんやりとした光を放ち、そして問いかけた。

 

『ここから先は、登録された乗組員以外の通行は、かたく禁じられております。定められた手続きを行い、セキュリティを解除してください。ゆりかごの許可なく侵入する者の生命は、保証のかぎりではありません。すみやかにひきかえしてください』

 

 はやてはその言葉に驚かなかった。はやてがここに来たのはこれが初めてではない。はやてが聖王教会の洗礼をうけた次の日、初めて聖王の庭園に連れてこられ、暖かく誇らしげに微笑むカリム・グラシアより「これからここがあなたの住む家になるのです」と告げられた日の夜、訪れた聖代(聖王代務官:聖王教会の管長職につく)とその枢機卿に連れられ訪れたのがここだった。

 

『指紋、網まくパターンおよび魔力反応の照合を行います。証を示してください』

 

 そのときもまた、はやては聖代の導きによりこの扉の言葉を聞いた。

 証を示せとはやては言われ、その証とは何かと考えた。

 同行の聖代も枢機卿も、その他、カリム・グラシアを筆頭にした聖王教会の重鎮たちも、戸惑い視線を揺らすはやてに何も告げず、彼らはただはやてを見守り続けるだけだった。

 

《あなたはあなたがここにいる証を立てるだけで良いのです、主はやて》

 

 そして、そのときはやてはその声を聞いた。自身と常にともにある夜天の魔導書の中にいるリインフォースの言葉によって、はやては迷いを消されたのだった。

 

「おいで、夜天の書」

 

 あのときも、はやてはそう言って右手を軽く掲げ、自身の奥底にあるただ一つの書物を思い浮かべていた。自分がここにいる証。自分が何を理由に、何を期待されてここに立たされたのか。その答えはそれしかなかった。

 

 手のひらの上に一握の闇があらわれ、それは徐々に形をあらわにし、一冊の書物がそこに出現する。自身が夜天の王としてここに立っている証はただそれだけしか存在しなかった。

 

 そして、扉はいっそう輝き、まるで、はやてのすべてを見通すように様々な色彩を持つ光を放ち、そして一瞬の後に静まりかえった。

 

『魔導書の起動を確認。使用者の指紋、網膜、DNA照合および魔力反応、オール・グリーン。データに若干の差異が認められるものの、測定誤差による許容範囲内と断定。96%の確率で最終登録された本人であることを確認。ロックを解除します』

 

 巨大な留め金が外される音があたりに重く響き渡り、真空中へとエアロックが投げ出されたかのような衝撃をもって、眼前の扉は一気に開放された。

 

『おかえりなさい、夜天の王(ロード・メルティア)

 

 歓迎の言葉が扉より放たれ、そして、再び静寂が場を支配した。

 

「おかえりなさい……か……」

 

 はやては、その言葉に対してまだ自覚的になれない。自身の帰るべき場所、聖王教会の風に言えば、帰依するべき場所をはやてはまだ見つけられずにいる。

 

 しかし、扉をくぐり、そして、目指してきた場所の前に立つと、それまでの緊張感がいくらか和らいでいくことだけは自覚的になれた。

 

「ただいま……みんな……」

 

 飾り気のない、一人の人間がいるにはいささか広すぎるとも思われるその場所に立ち、素っ気なく飾られたそれらを見上げてはやてはいつもの言葉をつぶやいた。

 

 ベルカ教会最深度地下施設。ここがどういう経緯で作られたのか、それを詳しく知るものはすでに存在しない。おそらくここは、聖王の庭園が造られた当時か、あるいはそれよりも前に存在してた場所なのだろうとはやては聞かされていた。

 

 そして、その上に聖王教会が設立されてから発掘されたこの場所には、その当時からこれらが安置されていたと言われている。これを持ち込んだのは、はやての信じる一説を信頼するのなら、おそらくシュトゥラの覇王なのだろう。

 

 今では、ベルカ聖王教会が所有する最重要宝物庫としてここは位置づけられている。はやての視線の先には、身の丈ほどもある一枚の布……聖王崩御の最、その亡骸を包み込んだとされる聖王の聖骸布と、かの聖王が身につけていたと言われる聖王の武具……聖王の剣、聖王の鎧、そして聖王の楯と、かの王の三方を守護したと言われる従王……夜天の王の魔導書(ヴィルムハーガス)翔天の王の剣(ブリュドガラン)、そして熾天の王の楯(ゼルドガリス)が、冷たい空気をまといながら静かにたたずんでいた。

 

 果たしてこれは、本物なのだろうか、それともレプリカなのだろうか。それに言及するのは、聖王教会では一種のタブーとされている。信仰の象徴であるものの真贋を問うことは信仰を疑うことと同義である、と、厳しい教育係に言われていらい、はやてはそういうものなのだろうと思うことにしていた。

 

 しかし、少なくとも、はやてが今手に持っている夜天の魔導書を考えれば、安置された夜天の王の魔導書はレプリカであると言わざるを得ないが、それもはやては考えないことにした。

 

「また、来てしまいました、聖王陛下……ほんまやったら、あんまりここに来たらあかんのやろうけど……堪忍してな、みんな……」

 

 はやては自分の言葉に苦笑いを浮かべた。

 

「それでな……やっと、アリシアが目を覚ましたんよ。私のために、ずっと眠ってたあの子が……今はもう元気すぎてちょっと困るぐらいやけど……やっとみんなが本当の笑顔を浮かべてくれるようになって、すごく……すごく嬉しい。がんばってきたことが無駄やなかったって、やっと思えるようになったんよ」

 

 思い浮かべるのは、あの日、親友の一人であるフェイトが涙をぼろぼろ流しながらも輝かんばかりの笑みで戻ってきた時のことだった。

 

「あの時は肩の荷がおりたって思った……やけど、まだ終わってない……アリシアの中には、まだ闇の書の闇が残ってる。師匠(せんせい)は、あれが悪いもんやって思ってるみたいやけど……私は、そうやないって思う。そう信じたい……だってあの子も、リインと一緒にいたんやから、ぜったい仲良くなれるはずや。そう信じたい」

 

 はやては手を握りしめた。

 

 答えは返ってこない。過去に声をかけても、過ぎ去った時が今にもどすものは、ただ記録された言葉のみだ。そして、彼らの生き様を知るものがいない今となってはその言葉さえも聞くことはできない。しかし、彼らがいたからこそ今があり、彼らを称えるからこそ道は開かれる。少なくとも聖王教会ではそのように教えられてきている。

 

 夜天の王であるからこそ、それを信じなければならない。

 

「みんな見ててな。私は絶対にやり遂げてみせるから……」

 

 はやては最後に胸に握り拳をあて、軽く頭を垂れるとそのままくるりと後ろを振り向き、来た道を引き返していった。

 

「それじゃ、お休み、みんな……良い夢を……」

 

 その言葉を最後に、宝物庫の扉は再び閉じられた。

 

 ベルカに生きる人にとって、そこは身もすくむほどの静謐に包まれたもので、それを目の前にすれば、いかに信仰から遠い生活を営んできたものでも、心の内に信仰心が芽生える感覚を味わっていただろう。それほどに、この場所はベルカの民にとって特別で、立ち入ることがはばかれる場所に違いなかった。

 

 そんな場所に一人立ち入ったにもかかわらず、懐かしさや望郷の念、そして仲間とまみえる心地よさを感じているのは、あるいは自分が夜天の王としての自覚が芽生えてきている証拠かもしれないとはやては思った。

 

 

 




次はいつになるのやら……気長に書きます。

次はなのはとユーノの話かなぁと思いつつ、アリシアとフェイトの話を書くかもしれません。どっちがいいのか、少し意見を聞いてみたい思いもあり、難産が予想されますが、がんばります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05

はやて涙目です


 アル・ボーエン提督が天才であると言うことを疑う人間はおそらくいない。しかし、彼が気さくな人物であると言われて納得できる人間は次元世界広しといえども、その数は五本の指で数えられるかどうかと言ったところだろう。

 彼は今は引退して故郷に帰ってしまったギル・グレアム元提督の古いなじみで、一番の理解者であり、彼の一番弟子であることを自称しているが、その馴れそめをしる者を探そうと思えば、おそらく無限書庫にでも調査依頼をかけない限り知ることはできないだろうと言われている。

 

 それほど謎に包まれた二人の来歴ではあるが、彼らのコンビは時空管理局史上においても伝説と呼ばれるほどであることは、その辺にある情報端末で二人を連名にして検索をかければ、一生かけても読み切れないほどの量の情報が出力されるほど有名である。

 

 彼らの魔導師の戦闘力にしても、四年に一度の割合で開催される、管理局総合戦技演習にて、常にトップの二座を争い続けてきた歴史からも明かであるといえる。

 

 しかし、彼らが書いた始末書の数もまた、管理局歴代一位であると思えば、何とかと天才とは紙一重の違いしかないという言葉が思い浮かべられる。

 

 英雄として名を連ねてきた彼らが、幕僚なり議会なり、そういった政治的な世界に身を置かずに歳を重ねてきていることには、上記のような理由があるのではないかとまことしやかに噂されているが、深く知ろうとすれば減給12ヶ月は覚悟しなければならないため、注意を。

 

 とはいえ、ボーエン提督にそれを聞いたのなら、

 

「政治屋のやることに興味はない。くだらないこと聞いてる暇があったら本の一冊でも読んどけ」

 

 と返されるのは間違いない。

 

 以上のような不良がそのまま老人になったような人物が、どうして提督などになれた理由を知るには、無限書庫に一年でも潜ればよいのかもしれない。。

 

 彼は決して慈善家ではないが、物事の筋の通し方はわきまえている人物であることは、グレアム辞職後に彼がフェイトの保護観察官とはやての法的保護者を引き継いだことからも明かだろう。

 

 老人と言われるような歳にそろそろなろうかという彼は、生涯にわたって独身を貫いたが、はやてという義理の娘を持つことでその人柄も柔らかくなりつつあることをしる人間は、リンディ・ハラオウンを除けばほとんどいない。

 

 はやてにとってこの新しい義父は、グレアムの古いなじみだと言ってもグレアムとあまりにも性質が異なっている故に、3年たった今でもまだなじめずにいるのだった。

 

 

************

 

 

 八神はやての朝は早い、と言うわけではない。教会の王という立場上、やるべきことはいくつかあるが、そのほとんどは彼女が(名目上)所属する従王機関の事務局がそのほとんどを代行しているため、実務的な仕事は全くと言っていいほど回ってこない。

 教会の大聖堂に隣接する従王機関事務局の最奥にはたしかに、夜天の王のために作られた特別な部屋と座席があるが、実際そこにはやてが座るのは、一年に2度か、3度もあればいい方だろう。

 さらに言うと、はやてはつい先月まで海鳴の学校に通っていたため、ベルカ自治区を訪れる頻度も、月に4度程度、その理由もほぼベルカ医療院でのパートタイムの医療補助士の仕事をするためで、それ以外となると、教会の重要な宗教的儀式に出仕するぐらいのものだ。

 

 今は海鳴の小学校を卒業し、次の学校に登るための準備をする時期……つまり、春休みに入っているため、ベルカに長期滞在しているため、ベルカ医療院に出勤する頻度も高くなっている。夏冬春の長期休暇は聖王の庭園に逗留することが、ここ3年間の習慣となっている。

 

 この日も、普通の会社員と同じぐらいのスケジュールで起床、出勤を果たしたのだが、そんな彼女が補佐役のカリム・グラシアからのプライベートメッセージを受け取ったのは、食事休みに入った直後のことだった。

 

「入学手続きの締め切り? それって、来週やなかったっけ?」

 

 行きつけの医療院近くの食堂で、いつもの日替わり定食をつつきながら、はやては中空に投影された通信モニターの前で首を横にかしげた。

 

『そうね、確かに、締め切り日は来週末だけど……書類自体はもうそろってないといけないわね。不備があったら大変だもの』

 

 モニターの向こうの美女……カリム・グラシアもはやてにつられて小首を小さくかしげて見せた。紅茶をたしなみながら、緑いっぱいの庭園が映るラウンジを背景にされると、まるで美術館の絵画のように思えてしかたがない。

 

 それでいて、作られたようなわざとらしさが一切感じられないのは、ひとえにカリム・グラシアの穏やかな人柄によるものだろうことは疑う余地のないことだ。

 

 安い食堂で、出来合いの肉団子をフォークに突き刺しているはやてに比べれば、月にスッポン、提灯に釣り鐘と言われても反論できないだろう。教会の王がそれでいいのかという意見は聞こえないことになっている。

 

「書類か……そういえば、最近忙しくて頭からすっぽり抜けてたなぁ……リイン、あと必要なものって何やろ?」

 

 カリムの映るモニターの向こうで、置物よろしくじっとたたずんでいたリインフォースに、はやては目を向けた。

 

「だいたいのものはそろっています。はやての顔写真は、私のアーカイブから一番出来の良いものを選んでおきましたし、はやての署名も先日いただきました……あとは……保護者の署名の欄ぐらいでしょうか」

 

 リインフォースは自分の周囲にいくつかのモニターを出しながら、一つ一つ確認し、最後に残った空欄をはやてとカリムに見える位置に移動させた。

 

『大丈夫? ボーエン提督はお忙しいわよ? 今もたぶん航海中だったと思うわ』

 

 はやては保護者という言葉をきいて、少し苦い表情をつくった。

 

「これって、電子署名でいいんやったっけ?」

 

「そうですね、この端末とボーエン提督の端末を直接リンクさせて送信されたものなら問題ないようですが……航海中の警備艦と、ここにある端末を直接リンクさせるためには、いくつか犯罪行為に手を染める必要がありますが……やりますか?」

 

 リインフォースの表情を伺うに、「やれと言われれば、いつでもやれる」と言われているようではやては少し怖くなった。フルパフォーマンスの夜天の魔導書であれば、管理局の時空警備艦のセキュリティーなど豆腐に穴を開けるような程度のことなのだろう。

 

『教会の王が犯罪に手を染めたら、おそらく教会は木っ端みじんでしょうね。やめておきなさい』

 

 カリムの笑顔も怖かった。

 

「や、ややなぁー、こんな軽いジョークに本気になるなんて、大人げないよ、カリム」

 

 恐怖のサンドイッチを食らったはやてとしては、ジャパニーズスマイルを浮かべながら話を流す以外に方法はなかった。

 

『まあいいわ、ともかく、次のお休みにでもボーエン提督にアポを取って署名をもらってくるべきね。リイン、はやての次のお休みはいつ?』

 

 怖い笑顔をいつもの笑顔に戻したカリムは、モニタをくるっと回してリインへと声をかけた。

 

「今から週明けまでお休みをもらいました」

 

 ふと見れば、リインフォースの目の前のモニタには、レクター博士の署名入りの休暇申請が浮かんでいた。

 

「はやっ! 今からって、それは無茶やよ」

 

 さては、聞こえないところでカリムとリインフォースが策謀を巡らせたのだろう。

 

「ついでにダニエル医師より伝言です。『君は子供にしては働き過ぎだ。労働局の査察が入ったら少し言い訳できないぐらいでね。この際まとめて休みを取りたまえ』とのことです」

 

 しかも、レクター博士もすでにこの策謀の中にいたらしいことに、はやては全面的な敗北を感じた。

 

『そうね、その通りだわ。こちらも、私の名前ではやての乗艦許可を取り付けたところだし、この際ちょっと親子の親睦を深めてきなさいな』

 

 すべては、そのためだけに、この三者は結託したのだろう。そして、自分はその決定事項を、録画されたお芝居のように告げられたに過ぎない。

 

 まるで茶番劇だ。馬鹿馬鹿しすぎてため息が出る。

 

 頭を抱えてうなだれるはやてだったが、その口元にはなぜか喜びが浮かんでいたのだった。

 

 ともあれ、この日、はやての、ぶらりミッドチルダの旅の火蓋が切って落とされたのだった。

 

 




ちょっとインターバルです。
次はなのはとユーノ、あるいはフェイトがでてくるかも。

アリシアの出番が少なすぎるのが悩みどころ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

The Twins of Libra 01

何となく筆が滑っているような感じ。

しかし、この二人と一機は書きやすくて困る。


『というわけだ。本日10:00より、ベルカ教会の最重要人物が、この船の視察に来る。おまえらは、この艦専任の執務官とその補佐として、そいつの護衛および案内をしろ、以上だ』

 

 と、上官のボーエン提督より一方的な命令を聞かされたのは、なのはとユーノがまだ寝間着姿で、そろそろ朝ご飯を食べようかとだらだらしていた時だった。

 幸い、通信自体は【Sound Only】だったため、寝乱れた寝間着や髪を見られずには済んだが、朝っぱらからあの口調で話されるのは精神衛生上良くなかった。

 

《ふむ、この時期に視察とは、ずいぶん物好きなお偉方ですね。何者でしょう?》

 

 ボーエン提督の回線をつないだレイジングハートは、おまえこそ何様のつもりだと言われんばかりに表面をチカチカと明滅させた。

 

「確か、昨日の昼ぐらいじゃなかったかな? 『ひょっとしたら面倒な人が来るかもしれない』って副長がぼやいてたのは」

 

 仕事用ではない、艦内では唯一のプライベートな自室の、少しゆったりした椅子の上で足を組み、ユーノはゆらゆらと上体を揺らしながら、起き抜けでまだあまり早く動かない頭を指でたたきながらつぶやいた。

 

「それ、私知らない……」

 

 髪を下ろしたままのパジャマ姿で、少しむくれるような表情のなのはは、仮にも上官である自分より、補佐官であるユーノの方がいち早く情報を仕入れていたことに納得いかないようだった。

 しかし、上官にとって重要な情報をいち早く仕入れておくのも補佐官の仕事であるため、ユーノは「まあまあ」と悪びれることもなく、なのはをなだめすかした。

 それでもふくれっ面を直さないなのはに、ユーノは少し肩をすくめながら立ち上がって、「なのはにはもっと大切な仕事があるんだから、こんなことぐらいですねないでよ」といいながら、椅子から立ち上がり、彼女の頭をなでつけた。

 

「なんだか、扱いがだんだんぞんざいになってきてる気がするの」

 

 果たして、この補佐官は上官の頭さえ撫でておけばご機嫌が取れると思っているのだろうかとなのはは思う。

 

「そんなことないさ。なのはの気にしすぎだよ」

 

 しかし、ユーノの表裏のない笑みを見せつけられたら、何でも許してしまえるのは、幼なじみである弱みなのかもしれないとなのはは思う。少なくとも、彼が自分にとって最高の補佐官であることには間違いないのだから、それでいいかもしれないと思ってしまうのは、彼女がユーノの策略にまんまとはめられてしまっている証かもしれない。

 

《お二人とも、仲睦まじいのは大変結構なのですが、そろそろ準備をしないと仕事に遅れますよ?》

 

 いい加減見飽きた光景を前に、レイジングハートは何ら思うことなく二人の空間を破壊しにかかった。

 

「うん、分かった」

 

 ようやくユーノの懐柔作戦から解放され、なのははゆるゆるとベッドから腰を上げ、一度大きく背を伸ばした。

 

「じゃあ、僕は一度部屋に戻るよ」

 

 ユーノの方も実にあっさりとなのはを解放すると、片手をゆるゆると振って、部屋の奥にある扉の向こうへと引き上げていった。

 

 念のために言っておくが、別段二人は同じ部屋で夜をともにしたわけではない。二人の寝所は扉でつながれているとはいえ、壁一枚で隔たれた場所であり防音も完備されている。ただ、二人は日頃、先に起きた方が片方を起こしに行くという習慣を作ってしまっているので、以上のような様子がほとんど毎日繰り広げられているだけで、特に他意はない……と本人達は考えている。

 

 まあ、何というか、仕事上のパートナーとして、プライベートの親友として、古い(といってもまだ二人は過去を懐かしむほどの年齢ではないのだが)の幼なじみと言う関係が、どこか悪いところに深まり続けた結果と言っていい。

 なお、この結論はレイジングハートが出したものであるため、割と信頼性は高いと申し添えておく。

 

 ともあれ、ユーノも去って行ったので、なのはは今では習慣となってしまった起き抜けの準備体操よろしく、パジャマのまま屈伸運動や腕立て伏せ、腹筋などを行いながら、就寝時に固まった身体を解きほぐし……ふと気がついた。

 

「ねえ、レイジングハート」

 

《YES Master》

 

「今日来る教会の……最重要人物の人? なんて人だっけ?」

 

 言われてみれば、それほど重要な人物であれば名前を知らされていないことは、奇妙なことだった。

 

《はて? 私のデータベースには存在しませんね……この艦のメインサーバーにアクセスすれば得られるかもしれませんが、いかがいたしましょう?》

 

「レイジングハート! そういういけないことは冗談でも口にしちゃだめっていってるでしょ!」

 

 今にも艦に対して不正アクセスを敢行しようと表面を光らせていたレイジングハートになのははしかりつけた。

 

《冗談でなければ良いのですか? と聞くのはあまりにも普通すぎてつまらないですね。とりあえず善処いたしますと答えておきましょう》

 

 レイジングハートのそんな人を食ったような言いざまにももう慣れてしまった自分に、なのははため息をつきたくなった。

 

「あのね、レイジングハート。私は真面目に言ってるんだよ? 執務官の私が少しでも法を犯すようなことをしたらどうなるかって、いつも言われてるでしょう? 自覚してよね、私のデバイスとして」

 

《ほほう、小さなマスターが私に立場としての自覚を説きますか。ずいぶん大きくなりましたね、Little my master》

 

「もう……私ももう中学生になるんだよ? いつまでも子供じゃないの」

 

《そういうことはせめて義務教育を終えてから言うべきでしょう。My sweet》

 

 むむむ……となのはとレイジングハートは詰めより……というよりも、自立行動できないレイジングハートになのはが一方的に襲いかかり、交差する視線に火花を散らせ……といってもレイジングハートには目がないため、なのはが一方的ににらみつけ、一触即発の雰囲気を漂わせていた。

 

『そろそろ行くよ、なのは。準備はできた?』

 

 しかし、その険呑さはユーノからもたらされた念話の一つであっけなく霧散することになる。

 

『う、うん。すぐ行くから、先に行ってて』

 

『分かった、ちょっと急がないと、食堂がいっぱいになっちゃうからね。場所だけとっておくよ』

 

『ありがとう、じゃあ、また後で』

 

 廊下の向こうから、隣の部屋の扉が開く音がかすかに聞こえた。そんな小さな音でさえかろうじて聞こえるほど、なのはとレイジングハートの間は静寂に包まれていた。

 

《そろそろ着替えた方が良いのではありませんか?》

 

「そうだね、急ごうか」

 

 そうして、二者の何度目になるか分からない、事実上の休戦協定が結ばれたのだった。

 

 以上が、時空管理局次元航行部隊所属時空警備艦アルトセイムにおける、割とありふれた日常の一コマである。

 

 




以上、「リア充爆発しろ!」の回でした。二人に爆弾を送付したい場合は是非感想欄へ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02

《質量波センサーに反応あり。EPMに反映します。どうやら、オプティックハイド(熱光学迷彩)の強化版のようですね》

 

 とつぜん視界から消えた目標に一瞬慌てたなのはだったが、レイジングハートの鋭敏なセンサーに浮き彫りにされた対象が、すぐさま視界の面に浮かび上がってくる。

 

『センサー有効範囲は?』

 

 たとえ面の意識が慌てていたとしても、その奥底に生み出した冷静な第三者である自分を何とか揺り動かし、なのはは短くレイジングハートに問いかける。

 

《半径8mほどとなります。それ以上はほかの質量物質との判別がほぼ不可能となりますのでご注意を》

 

 なのはのEPM(Eye Projection Monitor:視覚投影型モニター装置)に本来なら肉眼で見ることのできないはずの対象の姿が、いささか薄ぼんやりと映し出される。目標の姿形はぼやけ、かろうじて人の形をとっている程度にしか見ることはできないが、それがそこにいることは理解できた。そして、おそらく対象もまた、彼女が自分を網膜の表面でとらえていることを理解しているのだろう。

 

 しかし、熱光学的に姿を消してもなお相手にとらえられている以上、彼の作戦行動は失敗したと判断するのは早計であることをなのはは理解している。

 

《これによりイルミネーター(照準器)の使用が不可能となりましたのでご注意を》

 

『分かってる、弾頭制御フラグの変更を急いで』

 

 それは、なのはの虎の子であるアクセルシューターの高速弾の精密誘導が事実上封じられたことがレイジングハートから伝えられ、なのはは少し歯ぎしりしたい思いに駆られた。事実、先ほどまで空間を占拠していた20を超える数のアクセルシューターが目標を見失い、迷走し、あるいは障害物に接触し霧散する様子からも明かだ。

 

 レイジングハートに設えられた高性能誘導装置と、レイジングハート本体の有り余るリソースによってもたらされる弾頭制御システムがなければ、これほど高速度に空中を飛び回りながら、通常ではない数の高速弾頭を制御することはできない。

 

 その核となる誘導装置……イルミネーターの魔力波による反応を消されてしまっては、アクセルシューターによる大規模飽和攻撃による早期決戦を諦めざるを得ない。

 

(いつの間にこんな魔法を覚えたのかな? すごいよ)

 

 しかし、なのはの心に浮び上がってくるのは、相手に対する純粋な賛嘆ばかりだった。

 

(私じゃこんなこと、絶対できない……)

 

 自他共に補助魔法に対する適正不足が認められる自分では、このような戦術をとる発想さえ生まれなかっただろうとなのはは思う。

 

《制御システムの一部変更を行いました。射程および同時制御数は大幅減ですが、誘導制度は確保できます》

 

 視界に映る薄ぼんやりとした目標に、再度アクセルシューターのロックオンサインが表示された。

 

「逃がさないよ――――ユーノ君!」

 

 そして、なのははAWS(Artificial Wing System)を魔導炉に直結し、もたらされる強烈な加速力に歯を食いしばりながら、目標――ユーノ・S・ハラオウンに対して肉薄をはかった。

 

(ユーノ君なら、絶対何か罠を用意してるはず。だけど、今なら対処できる)

 

 たとえ、設置型のバインドが向かう先にあっても、それが発動する瞬間に方向舵を切りさえすれば、回避することは可能だとなのはは判断した。

 レイジングハートの400MWの出力を誇る魔導炉に直結したAWS(三軸高加速推進システム)の機動力は瞬間的であれば、最高速のフェイトにすら並ぶ。

 

 熱光学どころか、魔力反応さえ消してしまう幻術魔法だ。本来ならレアスキルにも分類されるそれを、その適正のない彼がそれほど長い間使用していられるなどとうてい思えない。たとえ、長い間それを使い続けたとしても、それによる魔法消費は、カートリッジを持たない彼にとってきわめて重く影響することは間違いない。

 

 そう、間違いないのだ。

 

「いくよ! レイジングハート!」

 

 薄ぼんやりとした彼のシルエットとも思えるそれは、回復したなのはの高速誘導弾に翻弄され、陽炎のように揺らぎ始めた。

 

《Stand by Ready》

 

 槍のように先がとがったレイジングハートのフレームから魔力で構成された刃――ストライク・フレームが展開された。

 

『AWS全開、スーパー・アクセル・ウィング最大出力』

 

《All Readily》

 

 なのはの声に呼応し、レイジングハートのフレームが展開し、三対計六枚の身を包むほどに大きな光の翼――スーパー・アクセル・ウィングが雄々しくきらめき羽ばたいた。

 

 白兵戦はなのはの得意とする戦法ではない。それでも、これ見よがしにストライク・フレームを展開して見せたのも、半分はったりのようなものだ。初見の相手であれば、ミスリードを誘発することも出来るが、相手は公私ともにパートナーであるユーノだ。

 

 この戦法もおそらく見破られているだろう。

 

『レイジングハート、なにか、設置されてる?』

 

《今のところはなにも反応はありませんが、油断は禁物です》

 

 そして、同時に、なのははユーノの戦い方を熟知している。3年間、ともに空を飛び続け、今では“天秤座の双子(The Twins of Libra)”と呼ばれるようになった。

 

 家族よりも理解し合う二人。二人で一人の魔導師。

 

 精密に調整された天秤の両皿は決してどちらかへ傾くことはない。オプティックハイドによって一時的になのはの追尾を振り切ったユーノだったが、それほど特殊で高度な魔法が何時までも続くはずはなく、質量波センサーを全開にしたレイジングハートから、完全に姿をくらませることは出来ず、一進一退の攻防がその後タイムアウトまで続くことになった。

 

 

************

 

 

「お前らの模擬戦が、新人の手引き本(マニュアル)に使えるようになるのには、あと何年かかるかね」

 

 模擬戦後のシャワータイムから上がってきた二人にボーエン提督は、皮肉交じりに出迎えた。

 

 警備艦アルトセイムに新たに配属になった新人に対する公開模擬戦の最後を飾った二人の模擬戦は、ベテランにとっては味わい深いものだっただろう。しかし、当該の新人達は何が起こっているかすら分かっていなかったのかもしれない。

 

 訓練場から退場していった研修中の札を下げた年上の新人達がどこか放心状態だったことが、少し気がかりだったが、提督の様子からはそれほどの問題にはなっていないのだろうとユーノは勝手に判断した。

 

「僕と高町執務官だと、どうしても何でもありになってしまいますからね」

 

 シャワーでぬれたなのはの髪や頬をタオルでぬぐいながら、ユーノは苦笑を浮かべた。

 

「それにしても、ユーノ君……じゃなかった……ハラオウン補佐は、あんな魔法、いつの間に覚えたの?」

 

 あんな魔法という曖昧な言葉だったが、ユーノはそれが何を示しているのかすぐに理解が出来た。

 

「この間、無限書庫に行ったときにたまたま見つけたんだ。元々は軍用のステルス魔法だったんだけど、そのままじゃちょっと使えなかったから、オプティックハイドに組み込んでみたんだよ」

 

 ユーノは、なのはの髪に櫛を通しながら、何のこともなく答えるが、それを魔法研究に携わっている者が聞いたら、何百という白い目を浴びることになっていただろう。

 

「へぇ、無限書庫で……そうなんだ。一瞬レーダーから消えちゃって、ちょっとだけだけど、焦っちゃったよ」

 

 なのはとしては、ユーノが何を言っても今更驚くことはなかった。ユーノが無限書庫でいろいろ拾い物をしてくることは、今となってはさほど珍しいことでもない。

 

 ユーノはなのはの補佐官として、戦闘や訓練以外にも様々な情報収集を行い、それをレポートにまとめることも重要な仕事の一つだ。特に、二人が主に担当する案件と言えば、古代遺物の捜索や封印であるため、必然的にユーノが無限書庫や古代遺物管理部に出入りする頻度は高くなる。

 

 そのため、ユーノはアリシア同様、無限書庫の所属ではないにもかかわらず、無限書庫の司書資格を持つという、珍しい職員になってしまったわけだ。

 

 そのため、最近でいえばユーノが「情報収集に行ってくる」といえば、8割方無限書庫に顔を出してくるという意味になり、なのはは、無自覚ではあるが、それが何となくおもしろくないと感じているようだった。

 

「僕としては、もう少し優位に立てるかなって思ったんだけど、やっぱりなのははすごいね。すぐに見破られちゃった」

 

 やはりユーノはずるいと、なのはは思った。それぐらい切り札にしていた魔法を、あの短時間で見切られたにもかかわらず、その表情に浮かべられるのは、純粋な賞賛だけだったのだから、何となく自分がちっぽけに思えてしまう。

 

「べ、別に私がすごいんじゃなくて……レイジングハートがすごいんだよ」

 

 謙遜しているのかしていないのか、微妙に判断しづらいことを言いながら、なのはは、少し小さくなる思いだった。

 

《エッヘン》

 

 レイジングハートの誇らしげな音声をまともに聞いている者はいなかったが、実際の所はなのはの言うとおりなのかもしれない。

 

 あのとき、レイジングハートがユーノの魔法の特性にいち早く気がつき、モニターを質量波センサーに切り替えたために、戦闘態勢を何とか維持することが出来たのは確かなことだった。

 

 しかし、その状況変化に速やかに対応できたなのはの柔軟性も特筆するべき事だろう。

 

 ともかく、状況が早く動きすぎて、入局して日の浅い新人職員では理解が追いつかなかった部分が多かったのは事実だ。

 

「さてと、お前ら、そろそろ約束時間だが……先方がトランスポーターの渋滞に巻き込まれたみたいでな、少し遅れるって事だ。その間に飯でも食っとけ」

 

 少し不機嫌そうな様子を隠さず、ボーエン提督は、なのは達の答えを聞かず立ち去ろうとした。

 

「了解しました。……えっと、その、今日来られる教会の要人って、いったい誰なんですか? レイジングハートも知らないって言うし……」

 

「来るまで秘密にしとけってのが、あっちの希望だ。ほかに質問は?」

 

「ありません」

 

「だったら、お前らは飯に行ってこい。要人が来るまでは通常業務でもして暇でもつぶしてろ。以上、解散」

 

「「了解!」」

 

 後ろ手を振りながら訓練所のミーティングルームから立ち去ったボーエン提督に、二人は背筋を伸ばし敬礼で見送った。

 

「提督、なんだか機嫌が悪かったね、あまり会いたくない人なのかな?」

 

 ドアの向こうにボーエン提督の姿が消えて、ユーノは少し疲労感のある腕をもみながら、そうつぶやいた。

 

「うーん、機嫌が悪いんじゃないと思うな。提督って、ちょっと天邪鬼さんなところあるから。嬉しいけど、気づかれたくなくて、不機嫌のふりをしてるみたいな感じじゃないかな?」

 

 先ほど無視されたせいでヘソを曲げてしまったレイジングハートを、指先でなだめながら、なのははボーエン提督のことを思いやった。

 

 なのはとユーノがボーエン提督の下で任務に当たるようになってそろそろ3ヶ月が立とうとしている。その辞令が二人に下されたのは、地球のクリスマスの数日前……ミッドチルダでは聖王崩御の鎮魂祭(ベルカ大祭)の厳粛さから、人々がそろそろ目を覚まそうかという頃だった。

 

 それまでアースラで執務官の研修を割と長い間行っていた二人には、全くの寝耳に水で、年末から年明けまでその準備に追われていたものだった。

 

 二人がそれまでアル・ボーエンとは何の縁もなかったというとそうでもない。アル・ボーエン提督が伝説的な天才魔導師で、管理局の英雄的立場にあったこともあるが、彼がハラオウンに縁のあるグレアム元提督の旧知の仲だったため、なのはとユーノにとってけっして無縁の老人というわけではなかったのだ。

 

 特になのはにとって、アル・ボーエンはハラオウン・ファミリーよりも縁のある存在といえるかもしれない。なぜなら、次元世界での市民権を持たないなのはの、保護者代理として法的な身元保証を自ら進んで引き受けてくれた人物なのだから、なのはとは義理の父娘のような関係でもあるのだ。

 

 ぶっきらぼうでありながら、どこか過保護な一面がある。ユーノが、その姿をかつて自分の父親代わりだった彼に重ねてしまうのも無理からぬことだった。

 

「……なのはの感は良く当たるからね。たぶん、それで正解だよ。そうなると、ますます先方のことが気になるなぁ。提督が喜んで……だけど、照れくさいから隠したくなる人……あんまり多くはないような気がするけど」

 

 ベルカ教会の要人で、おそらくボーエンの身内ともいえる人物。そこからユーノが想像できる人物と言えば、一人しか思い当たらなかった。

 

「私、答え分かっちゃったかも」

 

 おそらく、なのはもユーノと同じ答えに行き着いたのだろう。ある程度彼と交流があれば、それは容易に導き出せることかもしれない。

 

「だけど、抜き打ちみたいなタイミングで視察を入れる理由が分からないな。この船は、確かに管理局にとって重要だけど、教会にとって重要だとは思えないし」

 

「ひょっとしたら、提督に会いに来たのかも」

 

「それは……あり得るかなぁ、カリムさんとか、ヴェロッサさんあたりならニコニコしながらやりそう。ダニエル先生も、あれで結構悪のりするところあるし」

 

「きっとそうだよ。賭けてもいいよ?」

 

「法の番人である執務官が賭博をするのはどうかとおもうけどね……賞品は、明日の晩ご飯でどう? 負けた方が勝った方に好きな物をおごるってことで」

 

「うん、それで行こう。負けないからね?」

 

「こっちこそ」

 

 商談成立とばかりに悪い笑みを浮かべながら握手を交わしながら、ユーノはおそらくこの勝負はなのはの勝ちだろうと直感していた。

 

 しかし、たまにはなのはにおいしい物をごちそうしてあげるのも悪くはないと思っていた。ちょうど今は春休みで、明日は昼から非番で街に出ることもできる。

 

 二人で街を歩く口実ができたとばかりにユーノは、さらに笑みを深めるのだった。

 

 




やっぱり、この二人と一機は書きやすくて困る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03

とても久しぶりの投稿です。久しぶりすぎて書き方を忘れてしまった……。
且くはリハビリ感覚でいければなと思います。


 アルバート・ボーエン提督が乗艦するC級時空警備艦アルトセイムは、管理局における次元世界警備活動における主軸を担う艦の一つだということは、管理局に所属する局員であれば誰もが知ることだ。

 

 アースラに代表されるL級艦の主任務が特定警戒地域の定点監視任務およびその周辺世界への捜査活動にあることに対して、C級艦の主任務はミッドチルダを中心とした円形領域の巡回航行にある。その任務は長く、一度航海に出てしまえば、最低でも1年は寄港することなく航海を続けることにある。

 戦時中であれば、僚艦の2,3隻でもつけて時空連合軍の警戒網をくぐり抜けた敵性勢力との交戦を行うこともあるが、平常時である現在では単艦による比較的地味で平凡な警備航行をひたすら続ける事となる。

 

 実際に次元犯罪者や時空災害の前線で活躍するL級艦と違い、C級艦には安定した警戒網の主軸となることが求められており、艦内の業務はほとんど完璧といえるほどのルーチンワークが成り立っている。

 

 なのはやユーノのように、管理局の重要な職に就いておりながらも地球での学業を両立出来ているのも、C級艦における完全なローテーションのたまものであるともいえる。

 

 C級艦は一度航海に出てしまえば、滅多なことでは帰港しない。しかし、C級艦であるからこそ、位置の特定はたやすく、さらに言えば艦内のスケジュールも一定である。教会の王八神はやてが突然ともいえる視察をねじ込むことが出来たのもそのお蔭ともいえた。

 

 

****

 

 

 艦は家であり、乗組員は家族のようなものであると言われることがあるが、それに乗っ取れば自分はうろんな客であるといえるだろう。突然教会の重鎮から自分のような面倒な人物を受け入れろと言われて、ハイハイと従った管理局の上層部の対応もどうかと思うが、実際にそれを行う現場としてはややこしい客をどのようにすれば早急にお帰りいただけるのかをまず考えるはずだ。

 

 そのため、はやてはアルトセイムに乗艦して初めて向けられる視線は、非常に冷たいものであると覚悟していた。

 

「なんというか、これから管理局の警備艦を視察する要人には見えんな」

 

 はたして、そのはやての予想をこれでもかと言うばかりに実現してしまったのは、はやてが乗艦する目的となる初老の提督だった。

 

「あー、えっと、さすがに聖王の庭園へ、荷物の発送をお願いするのはどうかなって思って……ですね……はい」

 

 はやてはしどろもどろに、両手いっぱいにつり下げられたクラナガンの有名ブランドの買い物袋を、何とか背中に隠そうと身をよじった。

 

 もしも、この光景をカリム・グラシアが見たとなれば、額に手を当てて深くため息をついただろう。ついでに言えば、その夜はシャッハ・ヌエラとヴェロッサ・アコースを伴い説教の3時間コースも予想できるほど、王としての威厳は存在しなかった。

 

 従者であるリインフォースとザフィーラが荷物持ちとして機能していない理由は、単にその二人の両手背中もまた同様の(ブランドは異なるが)荷物に埋め尽くされていたからに他ならない。

 

《フォローの言葉も思い浮かびませんね。さすが、リインフォースのマイスター》

 

 レイジングハートの呟きが耳に入ることはなかった。自重しないデバイスの音声をあらかじめ切っておく事など、なのはとユーノにとっては容易なことだ。

 

「C級艦は観光客向けの遊覧船ではないんだがな」

 

「かんにんです、ボーエン提督……」

 

「別に怒ってるわけじゃない、もう少し自分の立場に自覚的になれとは思うが、気にするな」

 

 

 この口調でどこが怒っていないといえるのかとはやては思うが、ちらりと助けを請うように目を向けたなのはとユーノは、はやてに、

 

『大丈夫だよ、はやてちゃん。怒ってない、怒ってない』

 

『なのはの言うとおりだよ、ちょっと照れくさいだけだね、これは』

 

 わざわざデバイスを介した暗号回線で励ましの念話を送った。

 

『ほ、ホンマやろか?』

 

『怖がらなくても大丈夫だからね』

 

 なのはとユーノはニコニコとはやてに笑みを送っているが、それと対比するとなおさらボーエン提督の仏頂面が強調されて見えててしまう。

 

『お前ら、もう少し暗号の勉強しとけ、この程度なら筒抜けになるぞ』

 

 なのはとユーノの励ましに少し心落ち着きつつあったはやてだったが、その会話の中にボーエン提督が割り込んできて、思わず手を額に当てたくなってしまった。

 見ると、ボーエン提督の背後に整列するアルトセイムの士官の面々も、どこかほほえましそうな視線をはやてに向けていることから、先ほどの会話はボーエン提督の言葉通り、皆に筒抜けになっていたのだろう。

 

 恥ずかしさで顔が大火災になってしまいそうだった。

 

「……ところで、食事はもう済ませたのか?」

 

「えーっと、朝ご飯はホテルでしっかり食べたんですけど……お昼はまだ……」

 

「だったらちょうどいい……おい、高町執務官とS・ハラオウン執務官補佐」

 

「は、はい!」

 

「なんでしょうか?」

 

「教会の王閣下の荷物を客室に運んで差し上げろ。その後別命あり次第閣下を士官食堂へ案内のこと」

 

「了解しました」

 

「では、閣下、お荷物をこちらに……部屋へ案内いたします」

 

 一応業務としてはやてに最敬礼を行いながら、手を差し出すユーノに対して途方にもない違和感を感じながらも、

 

「よしなにお願いします」

 

 と、精一杯がんばって見せたはやては、なのはの先導に従い、そそくさとトランスポーターから撤退を果たすことが出来た。

 

 スライド式ドアの空気圧シリンダーが奏でる独特の音を耳に、アル・ボーエン提督は、「ふんっ」と勢いよく鼻から空気を吹き出して見せた。

 

「実に可愛らしい閣下でしたね、提督。流石の提督も、今にも下がりそうな目尻を押しとどめるのにご苦労なされた様子で」

 

 アル・ボーエン提督と長い付き合いのある者ならではの率直な意見を口にするアルトセイムの副艦長・ジョン・マイヤー二等海佐に、アル・ボーエン提督は、ギロリを目を向けた。

 

「口を慎め二等海佐。お前の目が節穴のせいで、いつまでたってもお前の上に居座らんとならん俺の身になってみろ。いい加減お前が提督にならんと下に示しがつかんだろうが」

 

「それは濡れ衣ですね、提督。天下のアル・ボーエン提督の下で働く者にまともな出世街道がおありとでも? ところで話は変わりますが、閣下との会食には何名ほど参加させましょうか?」

 

「士官には通常任務をやらせとけ。食事には俺とお前、高町とハラオウンだけでいいだろう」

 

「私もですか? 義理とは言え、家族水入らずのチャンスでは? それに、高町執務官以下はすでに食事を取っていたと思いますが……提督のご指示で」

 

「何とかするよう給養班に伝えておけ。なるべく地球風の味に仕上げるようにともな。それに、艦内で水入らずも何もない。会食も仕事の一環なら、お前も参加するべきだ、副長」

 

「提督がそれでよろしいのであれば、私は何も言いませんがね……。しかし、相変わらずの無茶ぶりですね。そういうことは事前に通達しておくべきですが……まあ、補給長になんとかするよう伝えてみます。準備ができ次第お呼びいたしますので、回線は空けておいてくださいね」

 

 アル・ボーエン提督の無茶なオーダーにジョン・マイヤー副艦長は指で眉間の皺をなでつけながら、早速回線を開き、様々に細かい指示をし始めた。

 

 二人の軽い口げんかの間に、以下の下士官はすでに退室しており、トランスポーターに一人残されたアル・ボーエン提督は、手のひらで顔を覆い、落ち着かない様子でたたずんだ。

 

「一番の無茶ぶりはカリム・グラシアだ。少しは心の準備ぐらいさせろ」

 

 この件の発端となった某教会のの女史の、朗らかにして腹の黒く染まった笑みを思い出し、ボーエン提督は深々とため息をついた。

 その様子は普段は交流のない娘を前にして話題を考えあぐねる父親の姿だった。

 

 

************

 

 

「やっぱり、私、ボーエン提督に嫌われてるんやろうか?」

 

 客室に荷物を置き、一息ついたはやてが付き添いの二人に初めて口にしたのはそんな言葉だった。

 

「それはないと思うよ。絶対」

 

 はやて達の上着を預かり、備え付けのクローゼットにしまいながらなのはは答えた。

 

「そうやろか? ボーエン提督、すごく怖かったし……。こんないきなりのことで、艦のみんなにも迷惑かけてるやろうし……」

 

「まあ、ちょっと大変だったことはあるけど、こういうサプライズはみんな結構歓迎するところはあるかな。それに、提督が不機嫌そうなのはいつものことじゃないか」

 

 はやてのクラナガン土産の置き場所をようやく決めたユーノは額の汗をぬぐいながら、少女のような笑みを浮かべ、リインフォースが勝手に淹れたお茶を差し出した。

 

「ありがとな、ユーノ君。リインも、お茶淹れるの上手くなったね」

 

 淹れ立ての紅茶を一口飲み、はやてはようやく落ち着いた雰囲気を取り戻した。

 

《しかし、あの提督がどこぞの好々爺よろしく目尻を下げっぱなしにする様子は想像しても不気味なものです。あの老人は今がちょうどいいのではないでしょうか》

 

 ようやくプライベートを取り戻し、音声が復活したレイジングハートはここぞとばかりに表面をチカチカさせた。

 

「それは、レイジングハート卿といえど、ボーエン提督に対して不敬であると思いますが」

 

 手持ちぶさたで自然とはやてのそばに控えるリインフォースは、レイジングハートのあまりの物言いに苦言を呈するが、レイジングハートはどこぞ吹く風と言わんばかりに表面をチカチカさせるだけにとどまった。

 

「しかし、今になっても分からんことが一つ。なぜ、提督は主はやてや高町の、こちらでの保護者を名乗り上げたのか。ハラオウン縁の提督であることは分かるが、本来これはリンディ・ハラオウン統括次官の役割と思うのだが」

 

 リインフォースの対をなすようにはやてのそばに控えるもう一人の従者、八神ザフィーラは堅牢な面持ちを崩すことなく、常日頃からの疑問を明らかにする。

 

(あるいは、高町をハラオウンにしてしまえば、後々ユーノとの関係が面倒になるという配慮があったのかもしれんが)

 

 と、ユーノにくっついて思案顔を浮かべるなのはを横目で見ながら、ザフィーラは口にすることなくそう思った。

 

(しかし、主はやてがそのおまけと言うには無理があるか。教会の王をそのように軽く扱えるはずもない)

 

 

「どうでしょう? はやてさえよろしければ、一度ボーエン提督の経歴を細部まで洗ってみるというのは。私とレイジングハート卿の処理能力を合わせれば、一般公開されている以上の情報を手にすることも可能ではありますが」

 

 リインフォースは胸の前で腕を組み、そのわがままな身体を強調するように胸をはった。それを見る少女二人にとっては、実に挑戦的な仕草で、ユーノはそそくさと目をそらした。ちなみにザフィーラは、本来が狼であるためか特に興味を持っている様子はなかった。

 

《ふむ、それはおもしろい。世界最古にして最強のデバイス(私)とその2番目(リインフォース)の力が合わされば、管理局のセキュリティも敵ではないでしょう》

 

 なのはの薄い胸元から動けないレイジングハートは、対抗してかことさら派手に表面をチカチカさせ、その目に痛い明滅を注目する者は誰一人としていなかった。

 

「まあ、冗談はおいておいて……」

 

《私は冗談ではありませんよ?》

 

 何とか話を戻そうとするユーノを混ぜ返すようにレイジングハートは光り輝くが、誰もがそれを無視して閑話休題とする。

 

「自分から言い出したことではあるが、本人に確かめない限り話しても無駄と考えるべきか」

 

 比較的常識的な感性を持つ守護獣は、終始表情を変えず、レイジングハートととしては、まるでバルディッシュのような堅物だと言って不満げだったが、誰も気にもとめなかった。

 

「結構、分からないことが多いね、ボーエン提督は」

 

 なのはのため息がすべての答えのように思える。

 

「寡黙な人だからね。本音を引き出すのは至難の業かも。それができるのは……はやてだけかもしれないね」

 

「ユーノ君の言うとおりやといいんやけどな」

 

「だったら、今日はチャンスだよ、はやてちゃん。一緒にお食事なんて、すごく久しぶりなんでしょう?」

 

「そ、そうやね。ずいぶん久しぶりな気がする……」

 

 はやてが苦笑するのは、これが久しぶりどころか、初めてだからだ。食事や買い物、進路相談や雑談。そういった家族らしいことを面と向かってしたことがない。

 

 しばらくして、準備が整ったとの連絡が副艦長直々に通達され、はやては身を引き締めた。

 

 家族なんてものは一概に定義することはできない。かつて家族となった守護騎士達との関係と、これから何度も対峙していくことになるであろう新たな保護者との関係が同じとなることは絶対にない。

 

 今までお互いに逃げ続けてきたことを、一からやり直すきっかけとなればいいとはやては思った。

 

 そして、それは同時に、彼女をこの場へ放り込んだカリム・グラシアの思惑でもあった。

 




今後はいろいろと合流させていければなと思います。
焦らず、ゆっくりと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。