利根ちゃん可愛すぎて足の間をくぐり抜け隊 (ウサギとくま)
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新しい朝が来た

二次創作は久しぶりです。口調などに違和感があったら、どしどし訂正指摘お願いします!


 

「うーん、今日も間宮さんの朝ごはんは美味かった」

 

 朝から満腹でご満悦なお腹を擦りつつ、俺は執務室へ向かっていた。

 鎮守府の廊下は、窓から入る朝の陽光でキラキラと輝いている。清潔な床を見ていると、それだけで気分が高揚する。

 昨日の掃除当番は榛名だっただろうか。会ったら褒めておこう。

 

 執務室に到着。大きく深呼吸をして、気合を入れる。今日もまた書類の山と砲撃戦だ。敵の数は多く、夜戦までもつれ込む可能性もあるだろう。

 だが、戦場に出て戦ってくれている艦娘達の為に、俺にできることをしなければならない。

 

「よっしゃ! 書類仕事の時間だオラー!」

 

 気合一閃、書類仕事をぶちのめす勢いで扉を開いた。そして待っていたのは、いつもの如く机の上を占領している書類の山――ではなく

 

「あら、おはよう司令官! じゃーん! どう? ぜーんぶお仕事片付けちゃったんだから!」

 

 と言いながらトテトテ駆け寄ってくる駆逐艦、『雷』だった。

 机の上を見ると、いつもラスボスの如くオーラを放っている筈の書類山脈は存在せず、龍驤……いや、何もない平坦な机しかなかった。

 

「お、おはよう雷。片付けたって……全部? マジで?」

 

「そうよっ。司令官の為にぜーんぶ終わらせちゃったっ。えへへっ、秘書官なんだから、当然よねっ」

 

 満足気な顔で自分の胸をトンと打つ雷。この子は嘘を吐く対応じゃないので、本当に終わらせてしまったのだろう。

 しかし、普段俺が夜までかかる書類仕事を……もう終わらせた? この子有能過ぎじゃね?

 ジワリと汗が流れ、お尻の辺りがびしょびしょになってきた。

 脳内を『提督イラズ。クリカエス提督イラズ』という電報が飛び回っていた。

 

「ねえ司令官、他にやって欲しいことはない? 何でも言ってねっ。なーんでもしてあげるんだから!」

 

「じゃあ俺の代わりに提督して」

 

「えぇー!?」

 

「フフフ……俺、退役して田舎で暮らすわ。小高い平原に白い家を立てて、犬を飼って暮らすんだ。菜園とか作ってさ……可愛くて気立てのいいお嫁さんと平凡だけど決して退屈とはいえない日常を過ごすんだ……」

 

 以前から考えていた退役後の生活を実現する時が来たのかもしれない。この鎮守府で提督をして1年、もういいだろう。最近は大規模な戦闘もないし、色々問題を抱えていた艦娘達も皆落ち着いている。もう俺の役目は終わりだ。

 

「お、お嫁さん!? えっと……私でいいんだったら、司令官のお嫁さんになるわ! 子供もたーくさん欲しいわねっ。私頑張って産んじゃうんだからっ――って、ダメよ司令官!」

 

 顔を真っ赤にして俺のお腹の辺りにぐりぐりと人差し指を押し付けていた雷だが、我に帰ったのか必死な表情で俺の手を握った。

 

「やめちゃうなんてダメっ! まだまだ司令官にはやらなきゃいけないことがあるでしょっ」

 

「いや、君が全部やっただろ。俺、今日の仕事もうないよ? 書類仕事のない司令官とか、最早ただの置物だろ……」

 

「何言ってるのっ、司令官のお仕事はそれだけじゃないでしょ?」

 

 書類仕事以外にあっただろうか……。最近書類仕事しかしてないから、他に何をしていたか覚えてない。

 近頃は自分の部屋と執務室を往復する毎日だったからなぁ……。

 

 俺が腕組みをして考えていると、雷がため息を吐いた。

 

「もー、司令官ってば本当に分からないの? 最近他の子達に全然会ってないでしょ?」

 

 そう言えば食堂と執務室以外で他の艦娘と会った記憶がない。その日の秘書官か食堂で相席する娘以外、会った覚えがない。

 

「もっと昔みたいにみんなとお話しなきゃっ。最近は書類仕事ばっかりでコミニュケーションできてなかったでしょ? だーかーら、今日のお仕事はみんなと会ってお話すること!」

 

 ピンと人差し指を立てて言う雷。

 そう確かに昔はそうだった。配属されたばかりの艦娘達は色々と問題を抱えていたり、周りと上手くいかなかったりで、俺が間に入ったり相談を受けたりで駆けまわったものだ。

 そういう日々もあった。最近の忙しさにそんな日々があったことも忘れていた。

 

「司令官に迷惑かけたくないから、みんな我慢してるけどね。ほんとは皆寂しいのよ? 昔みたいに構ってもらいたいって思ってるのよ? ……も、もちろん私だって」

 

 もじもじと消え入りそうな声で呟く。

 

 そうだな……そうだった。何も司令官の仕事は書類仕事だけじゃない。

 艦娘達と触れ合い、それぞれがベストな状態を発揮できるように保つ、それも仕事だったはずだ。いやむしろそれがメインだったはずだ。

 最近の忙しさ……いや、違うな。それは言い訳だ。

 書類仕事という名の言い訳に逃げていた。

 増えるにしたがって難しくなっていく艦娘達の関係、練度が高くなり比例するかのように厚くなってくる信頼感、こちらに向けてくる見え隠れする好意や直球な求愛行動。

 そういうものから逃げていたのかもしれない。特に後者は命の危機も感じることも何度かあった。大井っちの歪んだ愛の形は未だに理解できん。

 

 だが目が覚めた。逃げていても何の解決にもならない。

 昔のように、鎮守府を歩きまわってみんなの様子を見ることにしよう。

 

「ありがとな雷、気づかせてくれて。書類仕事もありがとう。これで安心してみんなとコミュニケーションが取れるよ」

 

「司令官の為だもん。頑張ってね司令官! ……もーっ、髪型が崩れちゃうっ」

 

 お礼とばかりに髪を撫でる。言葉とは裏腹にくすぐったそうに微笑む。

 と、髪を撫でていたその手を、雷の小さな手が握った。

 

「司令官はね、ここのいる皆にとって大切な人なの。司令官がいるから、みんな今まで頑張ってこれたの。みんなね、すっごく感謝してるのよ」

 

「雷……」

 

「みんなと会って、優しくしてあげてね。みんなほんとーに司令官と会いたがってるんだからっ。ねっ」

 

 見た目の幼さからは考えられない、慈愛を含んだ笑みを浮かべる雷。

 この笑顔があれば世界中で起こっている戦争もすぐに止まってしまう、そう錯覚してしまうような心温まる笑顔だった。

 

 雷は本当にいい子だ。この鎮守府にいる艦娘達はいい子ばかりだが、その中で一番いい子かもしれない。

 何が一番スゴイって、この子古株に見えて、まだ配属されて1ヶ月しか経ってないんだよな。1ヶ月でこれって、この先が色々と怖い。

 

「さっ、私にばっかり構ってないで、早く行かなきゃっ! ほら、ネクタイ曲がってるわ。髪型もこうやってちゃんとして……よし、カッコよくなったわっ」

 

 世話を焼くのが嬉しくてしょうがないといった雷に背を押され、執務室を出た。

 

「さて、鎮守府を歩きまわるのはどれくらい振りかな……」

 

 久しぶりに、本当に久しぶりに俺は自分の部屋とは反対の方向へ歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 



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おはようからおやすみまで暮らしを見つめる青葉


 


「うーむ、しかしどこに行くか」

 

 現在時刻はマルキューマルマル。9:00だ。遠征組は既に出発してるだろうし、第一艦隊は近海の警備に向かっているはずだ。

 この時間鎮守府に残っているのは誰がいただろうか……。

 

 スケジュールを思い出していると、廊下の角からひょこりと青みがかった髪の少女が出てきた。

 重巡洋艦『青葉』だ。青葉は俺の姿を見かけると、いつも通り軽い調子で話かけてきた。

 

「おや……おやおや? まさかと思いましたけど、司令官じゃないですかぁ! どーも青葉です!」

 

「いや知ってるけど」

 

「久しぶりですねぇ! 何日振りでしょうか?」

 

「あー……どうだろ? 前に会ったのは、食堂で一緒になった時だったか?」

 

「ハイ正解! えっと……」

 

 青葉はセーラー服のポケットから愛用の手帳を取り出し、ペラペラと捲った。

 

「そうそう、20日前の11:58ですねぇ! えっと、その時、司令官は天丼を食べていて、青葉は天ざるうどんを食べていたみたいですね! いやぁ懐かしい! あははっ」

 

 ケラケラ笑う青葉に、最近姿を見せてないことを責められているような気がして罪悪感を覚えた。

 

「いや、すまん……」

 

「あ、いえいえ! 嫌味で言ったわけじゃないですから! 久しぶりに司令官に会えて、こう……加賀さん風に言うなら、気分が高揚しているんですよぉ!」

 

 ヘラヘラと軽い調子で笑いながら、俺の腰辺りをとすとす叩く青葉。こいつに限って嫌味はないか。

 それにしても随分嬉しそうだ。本当に俺に会えて気分が高揚しているのか。だったら結構嬉しいな。

 

「いや、それにしても司令官を食堂と執務室以外で見るのは久しぶりですねぇ。むむっ、これは臭いますね、何やら事件の香りが……」

 

 サッと手帳を構える青葉。懐かしい光景だ。青葉はこうやって記者の真似事をして作った新聞を鎮守府内に配るのが趣味なのだ。

 そのクオリティは本職かと思うほど高く、みんなも楽しみにしている。

 昔は俺もその新聞に一口コラムを載せてたりしたっけ。あと4コマも。

 4コマの方は大不評で、一時あまりの不評さに読者数が激減した時期もあった。4コマの掲載を止めたら読者数が戻った辺り、俺にコメディのセンスはないらしい。

 

 記者魂を高めている青葉には悪いが、大したこと無くてがっくりする前にネタバレをしよう。

 先ほどの雷とのやりとりを説明しようと口を開く。 

 

「事件ってほどじゃないさ。実は……」

 

「いえ、待ってください! ここは青葉が培った記者スキルを発揮して、当ててみせましょう! そうですねぇ……」

 

 手帳を脇に挟み、ペンで額をノックする。眉を寄せて考えこむ青葉の表情が思いの外可愛くて、少し笑ってしまった。

 さてベテラン記者のお手並み拝見といくか。

 

「そうですねぇ……うん。恐らくですが、最近書類仕事ばかりで他の艦娘と全く会っていない現状を誰かに指摘された」

 

「ほう……」

 

 言うだけあって、最初から正解だ。

 

「その誰かですが、最近配属されたばかりで優先的に秘書官業務が回ってきて羨ましい……いえ、失礼。優先的に秘書業務が当たる『雷』ではないかと! 彼女の他人にやさしい性格的にも大いにありえますね!」

 

 ここまで完全に正解だな。

 

「そこまで推理すると、大体の会話の流れも分かります。例えば……『もっと昔みたいにみんなとお話しなきゃっ。最近は書類仕事ばっかりでコミニュケーションできてなかったでしょ? だーかーら、今日のお仕事はみんなと会ってお話すること!』、あとは『司令官に迷惑かけたくないから、みんな我慢してるけどね。ほんとは皆寂しいのよ? 昔みたいに構ってもらいたいって思ってるのよ? ……も、もちろん私だって』辺りが妥当でしょうか?」

 

 妥当どころか、一字一句合っている。よもやここまで青葉の洞察力が優れていたとは……。

 

「『司令官はね、ここのいる皆にとって大切な人なの。司令官がいるから、みんな今まで頑張ってこれたの。みんなね、すっごく感謝してるのよ』なんてことも言ってましたね! ……あ、いえ言ってたと思いますね!」

 

「いや、凄いな。完全に正解だ。青葉マジすげーわ」

 

 後半聞き取れないところもあったが、ほぼ青葉の推測通りだ。思わず拍手してしまう。

 俺の賞賛に青葉は、手帳で顔を隠してしまった。隠れていない部分が、じんわり赤くなっている。

 

「い、いえいえ! ちょっと盗ちょ……いえ、記者練度が高い者なら、これくらい簡単ですよぉ!」

 

「でも凄いよ。まるでその場にいて聞いてたとしか思えないくらいの正解率だわ。すごいすごい、ほら頭撫でてやる」

 

「あ、頭って……駆逐艦じゃないんですから。ま、まあ……青葉、貰える物は貰っとく性格なので、頂いときますけど」

 

 手帳で顔を隠したまま、スススと近づいてくる青葉。その癖のある髪の毛を強めにくしゃくしゃ撫でた。

 

「ちょ、ちょっと司令官!? 髪型が崩れるじゃないですかぁ!」

 

「ははは」

 

 俺は嬉しかった。こうやって青葉と接するのも、髪を撫でるのも。髪を撫でるのなんて、随分久しぶりだ。昔、青葉の新聞作りを手伝っていた頃は、しょっちゅう撫でていた。寝る間を惜しんで完成させた新聞を前に喜びのあまり抱き合い、珍しく恥ずかしそうに笑う青葉の髪を撫でた。その思い出が蘇ってきた。

 青葉も昔を思い出したのかもしれない。遠くを見るような表情を浮かべた。

 

「昔もこうやってくしゃくしゃに頭を撫でられましたねぇ」

 

「そうだなぁ。最近新聞はどうなんだ?」

 

「それはもう当然ながら読者数は鰻登り! ……だったらいいんですけどねぇ」

 

 あはは、と青葉は笑った。乾いた笑み、というやつだった。

 

「どうも司令官のファンが予想以上に多かったらしく、司令官のコラムが終了した途端読者数がガクッと……」

 

「落ちたかー……」

 

「ええ、それはもう目玉が飛び出るほどの急降下っぷりですよぉ……その後司令官の盗撮写真を載せるコーナーを作ったら持ち直しはしたんですけどねぇ。既に載せる写真が無いというか、後は個人的に楽しみたい写真ばかりなので……」

 

「え、なんだって?」

 

「いえいえ!」

 

 最後の方、何か小さい声で言っていたようだったけど。以前の後遺症でどうも小さな音は拾い辛い。

 

「と、いうわけでぇ」

 

 青葉は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ウインクをしながら両手を合わせた。

 

「もう一度! 司令官に新聞作りを手伝ってもらえたらなーと! いえいえ分かります分かります! 司令官も忙しい身、それは一日中見ている青葉はすっごーく理解してます! ですがそこを何とか、ほんのちょこっとだけ青葉の為に時間を頂けたら!」

 

「いいよ、手伝う」

 

「ですよねぇ! そこを何とか! はいもちろんタダとは言いません! お好きな艦娘の名前を囁いてください。青葉がその艦娘の着替え中の写真をたまたま! ここ重要ですよ? たまたま! たまたまうっかり撮影してきます! そしてたまたま通りがかった司令官の胸ポケットにうっかりその写真を落としましょう! さあさあ誰ですか? 駆逐艦の子達ならちょろいんですけど、流石に戦艦の皆様となったら時間がかかるので……あと龍田さんとか。あ、青葉だったら……今スグにでも用意できるんすけどねぇ」

 

「いやだから手伝うって」

 

「へ?」

 

「手伝うよ。正直俺も新聞作り楽しかったからさ。またやってみたい」

 

 俺がそう言うと、青葉はポカンとした表情を浮かべ、そしてその目にじわじわと潤いが……

 

「……あ、青葉、司令官ならそう言ってくれると思っていました! いやぁ、嬉しいですねぇ」

 

 溢れる瞬間、また手帳で顔を隠してしまった。ただ俺のカメラ(目)には、子供のような純粋な笑顔と目に浮かぶ涙が写ってしまったわけだが。

 

「今まで放っておいて悪かったな。これからまた新聞作ろうな」

 

「……言っておきますが、青葉は厳しいですよ? 少しでも手を抜いたらボツですからね!」

 

「ははは、コラムの書き方思い出さないとなぁ。よしっ、4コマの連載も再開するか!」

 

「あ、4コマはいいです」

 

 真顔で言われた。デフォルトが笑顔の青葉に真顔で言われた。

 

「あー……で、お礼の件は?」

 

「お礼? 何の話だ? 新聞作りは手伝うが、前と同じくたまに飯を奢ってくれるくらいでいいぞ」

 

「あーはいはい。後半は聞こえてなかった感じですねぇ、いつものことですねー」

 

 青葉はそう言うとくるりとターンし、いつものポーズ(右手をビシッと上げる)をとった。

 

「ではではっ、青葉はそろそろ失礼しますねぇ。次回から司令官のコラムが再開することをみんなに伝えなければなりませんので!」

 

「あんまりハードル上げるなよ? 書類仕事で文章力は上がったと思うけど、コラムは別物だからな」

 

「えーえー。元より司令官にコラムの面白さは期待しいないですよぉ。司令官が青葉の新聞に書くってことが重要なわけで。では司令官! 今度新聞作りの為、お部屋に伺いますので! ではではー!」

 

 そう言うと青葉は、軽い足取りで俺の前から去っていった。楽しそうでなによりだ。

 

 うん、雷の言う通り、こうして鎮守府内を歩くのはいいな。青葉とも交友を深めることができた。

 この調子で次に……

 

「……ん?」

 

 ふと床を見ると、青葉お気に入りの手帳が落ちているのを発見した。『命の次に大切にしてます!』と公言していたこの手帳、実は青葉が初MVPを取った日に俺がプレゼントしたものだったりする。

 命の次に大切にしてる物を落とすなよ。

 

 なんとはなしに手帳を開いてみた。特に意味は無い、興味から出た行動だ。青葉は普段、どのようなネタを書き留めているのか。鎮守府の風紀に関わるものだったら、少し注意しておいた方はいいかもしれない。

 

「どれどれ……あれ?」

 

 びっしりと艦娘達の個人情報で埋まっている……と想像していたのだが、実際は全く違った。

 

 全ページ白紙だったのだ。

 

 



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恋する大井っちは切なくて提督を想うとすぐ……

 青葉と別れた後も、俺は鎮守府内をうろついていた。

 

「ふーむ、誰とも会わないなぁ」

 

 まあ、当然と言えば当然か。出撃組と遠征組以外の艦娘は休日だ。部屋で過ごしているか、街に出て遊んでいるのだろう。

 新聞のネタを探して鎮守府をうろつく青葉の様な子は例外として、こうやって無駄に歩き回っていても艦娘に会う可能性は低いか。

 なら、確実に誰かがいると思われる場所、食堂にでも行くか。

 

 そう思い、食堂に足を向けようとしたその時

 

「て・い・と・く。こんにちわ」

 

 先ほどまで微塵の気配も感じなかった背後から声をかけられた。

 思わず鳥肌が立つ。この声の主、間違いなく――

 

「こうやって廊下で会うのなんて、いつ振りかしら?」

 

 ――重雷装巡洋艦『大井』だ。

 ゆっくりと振り返る。俺の想像通り、そこにいたのはいつもの如く、得体の知れない笑みを浮かべる大井だった。

 口を開こうとして、妙に喉がカラカラに渇いていることに気づいた。

 

「よ、よう……久しぶり、ですね」

 

「やだ提督ったら。どうして敬語なんて使うんですか? 私はあなたの部下ですよ?」

 

「そ、そうだな……うん、君の言う通りだ、大井」

 

「またそうやって……いじわるですか? いつもみたいに、大井っちと。呼んでください」

 

 未だ貼り付けたような笑顔のままで、そんなことを言う大井。

 俺は未だに彼女が苦手だ。付き合いは非常に長いが、どれだけ時が経っても、彼女を理解できない。扱いの難しい艦娘はたくさんいるが、その中で彼女が一番難しい。難しい以前に、何を考えているのかが欠片も分から

ない。

 唯一わかっているのは、同じく重雷装巡洋艦の『北上』を異常に大切にしているということだけだ。

 

「じゃ、じゃあ大井っち。俺は急いでるから……」

 

 と大井っちの脇を通り抜けようとするが、初動を感じさせないスライドで行く手を阻まれた。

 

「もう、つれないですねぇ。少しお話していきませんか? 久しぶりなんですし」

 

「いや、まあ……書類仕事が……あって……」

 

「もう終わった、そうですよね? そして今は久しぶりに艦娘達とコミュニケーションを図ろうとしている、ですよね?」

 

 把握されてる……把握されちゃってるよ……!

 こちらを見透かしたような視線が怖い、笑顔だけど。

 

「私も艦娘ですよ? 仲間はずれは悲しいですよ……ふふふ」

 

「す、すまん」

 

「謝らないで下さいよ。そうですねぇ……3分、くらいでしょうか。それくらいお時間頂けませんか?」

 

 確かに、どれだけ苦手でもこの鎮守府の一員には違いない。艦娘とコミュニケーションをとると言った以上、例外はあってはならない。

 

「……分かった。でも、大井っちを楽しませるようなトークを期待されても困る」

 

「いえいえ。こうやって言葉を交わしているだけで、私は楽しいですよ? 久しぶり、ですから」

 

 『久しぶり』を強調してくる大井っち。已然表情は変わらず。

 何か話さなければ……無言の空気の中、大井っちと2人でいる自信がない……!

 とにかく話題を……!

 

「そういえばさっき青葉と会って……」

 

「他の艦娘の話はしないで下さいね」

 

 口調こそ穏やかだが、ピシャリとまるで防火シャッターを下ろすかのような勢いで言われた。

 汗がじわじわと流れる。今スグ汗まみれの上着を窓から投げ捨てたい。その勢いで窓から飛び出したい。青い海に飛び込みたい。

 

「えっと……ほら、大井っちは最近どうだ? た、楽しくやってる?」

 

「んー、そうですねぇ。提督があまり構ってくれないから、ちょっと退屈ですね。北上さんと2人で色々な所に出かけたりはしてますけど、やっぱり。手をつないで歩いていると、どうしても空いたもう片方の手が寂しく感じるんです、ふふっ」

 

「そうか……。あれだ、他に誰か誘ったらどうだ? 球磨とか?」

 

「他の艦娘の話はしないで下さいね」

 

 姉妹艦でもダメなのか。は、話が広がらん……。

 

「ところで提督? 今度の休日はお暇ですか?」

 

「今度? 確か……まあ予定はなかったけど」

 

「そうですか」

 

「……」

 

「……」

 

 

 なんだよ! 人の予定聞いといて何もないのかよ!? 本当に分からん……。

 大井は変わらず、ニコニコと微笑んでいる。

 対する俺の心臓は『早く逃げましょうぜ!』とばかりに脈打っている。

 

 そのままニコニコと笑みを浮かべる大井と、額に汗を滲ませながら心臓を抑える俺、という構図が続いた。

 永遠に続くかと思われた息苦しい空間、それを破ったのは大井だった。

 

「さて、3分経ちましたね」

 

「え? そ、そうなのか?」

 

 驚くほど密度の濃い3分間だった。殆ど言葉は交わしていないのに。

 

「提督、久しぶりに会話ができてとても楽しかったです。それではまた次の機会に」

 

「じゃあ……また」

 

「あ、提督。私がここを離れるまで、一歩も動かないで下さいね?」

 

「な ん で ! ?」

 

「ふふっ、お願いですよ」

 

「ま、待ってくれよ! どうなるんだよ!? 俺動いたらどうなるんだよ! 教えてくれよ!」

 

「うふふふ……」

 

 大井は笑いながら俺に背を向けて歩き出した。残されたのはただ立ち尽くすだけの俺。

 俺は彼女の姿が見えなくなるまで、1歩も動くことができなかった。得体の知れない彼女の言葉を律儀に守っていた。

 お願いとやらを破って歩き出した途端に魚雷が直撃して『だから言ったのに……お願いしたのになあ』みたいな展開になるのはゴメンだ。

 

 大井の姿が見えなくなってすぐ、俺の後ろから何かが近づいてくる音が聞こえてきた。

 音はどんどん近づいてきて……俺の背中を衝撃が襲った。

 

 

「ひ、ひぃ!? 魚雷直撃!?」

 

「ちょっとちょっとー、いきなり失礼だねー」

 

 何かが背中にしがみついている。その何かが肩越しに声を発していた。

 

「だ、誰だ!? 大井が差し向けたアサシンか!? 暗殺艦か!? い、言っておくけど、俺を殺してもこの鎮守府には何の影響もないぞ!?」

 

「自分で言ってて悲しくないそれ? おーい、私だって私。こっち見れー」

 

 声の主は蟹挟みの要領で俺の腰を足で挟み、自由になった手を俺の首へと回した。

 そのままグイッと首を回転させられる。

 捩じ切られる!……と思ったが、回転は途中で止まり、俺の目に入ってきたのは黒髪の少女だった。

 

「き、北上?」

 

「そだよ~、北上様だよ~。提督お久~」

 

「びっくりさせんなよ! つーか重いから降りろ!」

 

「え、やだ。ていうか、女の子に重いとか言わない方がいいよー。私だったから良いけど、気にしてる子なら下手したら魚雷で股間を殴打されるか

もよー」

 

 いつもの通り、飄々とした調子でえげつないことを言う北上。思わず股間を抑えた。

 

「でも本当に提督いたんだね。最近ずっと執務室に篭ってたからさー、超ヒマだったよ」

 

「あー……すまんな」

 

「ま、いいよ。こうしてみんなに会う為に出てきてくれたんでしょ? でも大井っちの言う通りだったなー」

 

「な、何故そこで大井が?」

 

「あー、なんかね。この時間にここに来ると提督が馬鹿みたいに突っ立てるよーって、そういう情報教えてくれたの」

 

「馬鹿みたいてお前」

 

「実際馬鹿みたいだったよー。魚雷直撃!?だって、あははっ」

 

 体をゆすり笑う北上。密着した体が振動を直に伝えてきた。

 しかし、大井っち……一体何のつもりなんだ……?

 

 北上はツボに入ったのか、ケラケラと笑い続ける。

 笑われてはいるものの、不快感は感じなかった。北上は一緒にいて殆ど気を遣う必要がない、まるで親友のような存在だ。

 俺も背中から降りろと言ったものの、こうやって久しぶりに背中に感じる暖かさを手放すのは惜しい。

 

 ふと何気なしに廊下の角に背を向けると、先ほど去った筈の大井が壁から顔を半分覗かせてこちらを見ていた。

 思わず悲鳴をあげたくなる光景だが、これはいつものことだ。

 大井はじーっと真顔でこちらを見つめている。

 

 大井は俺と北上がこうやってじゃれあっていると、いつの間にかそれを遠くで覗いているのだ。

 その内心にどんな感情が渦巻いているのか理解できない。俺が大井を苦手とする理由がこれだ。純粋に得体が知れなくて怖い。

 今でこそ真顔だが、昔は殺意が剥き出しで睨みつけるようにこちらを見ていた。その表情の変化が何を表しているのか、俺には分からない。

 ただ俺のことを嫌っているということだけは分かる。

 

 俺の視線に北上も気づいたようで、口を開いた。

 

「おっ、まーた大井っちが覗き見してるなー」

 

「あれなんなの? マジであれなんなの? 俺マジでアレ怖いんだけど」

 

「あれねー……まあ、一言で言うと大井っちの趣味かな? すっごい楽しそうでしょ?」

 

「びっくりするほど真顔なんだけど」

 

「ま、顔はね。でも内心『キタコレ!』って小躍りしてると思うよー」

 

 誰よりも大井について詳しい北上の言葉なら、本当なんだろう。

 

「こうやって……」

 

 北上は両手を俺の胸元に回し、更に密着してきた。

 

「もっと密着すると……ほら。見てみて」

 

 北上に促され大井を見ると、その表情にわずかながら朱色がさしていた。

 

「私と提督がこうやってイチャイチャするのを見るのが、大井っちの趣味なんだよー」

 

「……」

 

 俺は絶句した。その趣味について全く理解ができなかったからだ。

 好きな女と嫌いな男がくっついてるのを見て悦ぶ? 

 そんな趣味が……あるか。

 

 俺の脳裏に以前、秋雲から聞いた『寝取られ』という言葉が浮かんだ。

 好きな相手が別の誰かに抱かれて興奮するという、正直度し難い趣味だ。だが需要はあるらしい。世の中ほんと怖い。

 

 だが提督としては、多少変な性癖を認める度量の広さを持つべきか……。それも個性と受け入れよう。

 俺は穏やかな心で大井の性癖を認めることにした。

 

「変態じゃねーか!」

 

 ごめん、やっぱり無理。

 

「ちょっとー、変態っちのこと大井って呼ぶのやめなよー、可哀想でしょ」

 

「お前もやめてやれよ」

 

「まあ、大井っちが変態であることは否定できないからねー」

 

「他でもないお前は否定してやれよ。しかし……大井が寝取られ趣味か……今度からどんな顔して話をすればいいんだ」

 

 あれか? 本人の目の前で北上の良さを語ったりしなきゃいけないのか? それ拷問以外のなにものでもないんだが。

 

 俺が深刻に悩んでいると、北上がぽちゃぽちゃ頭を叩いてきた。

 

「ちょっとちょっと、大井っちに変な性癖つけないでよ。寝取られ? よー分からんけど、そんなんじゃないよ?」

 

「え? 違うのか? でも、俺と北上がじゃれあってて興奮するんだろ?」

 

「そだよ。え? 何で大井っちが嬉しそうなのか、提督分かってないの? うっわ、流石の北上さまも引くわー」

 

「うるせーよ」

 

「そんなもん乙女心に決まってるじゃん。ほら、大井っちって私のこと好きでしょ?」

 

「ああ、そうだな」

 

「レズだし」

 

「お前レズっちのこと大井って言うのやめろよ」

 

 寝取られ趣味について理解はできないが、同性愛については……まあ、否定はしない。

 実際、容姿の美しい少女が乳繰り合っていても、興奮はすれこそ不快な思いはしないし。

 大井以外にもこの鎮守府には、程度の差さえあれどもそういった性癖を持った艦娘がいる。まあ、9.9割女性しかいない空間だ、そういったこともあるだろう。

 

 でー、と北上は続ける。

 

「大井っち提督のことも大好きじゃん? そんな大好きな私と大好きな提督がイチャイチャしてたら……そりゃ興奮もするでしょ。私だって大井っ

ちと提督がイチャイチャしてたら、すんごい気持ちいことになると思うし」

 

「待てや」

 

 北上の気持ちい発言は置いといて、大井が俺のことを好き? 何を言ってるんだこいつは? 頭が大破してんのか?

 

「どう考えても俺嫌われてるだろ」

 

「えー……なにそれギャグ?」

 

「ギャグじゃねーよ! 殺意剥き出しの視線向けられてたっつーの!」

 

 思い出しても震えが止まらない。もし殺意が物理的な効果を持っていたら、俺はとっくに殉職していただろう。

 

「そんなの昔の話でしょ? 今は違うじゃん」

 

「い、いやそうだけどさ……でも、なぁ……」

 

 殺意の視線が無くなったからと言って、それがどうだというのだろうか。今は殺意を潜め、虎視眈々と俺の命を狙っているだけかもしれない。

 

「ま、ね。昔は実際……大井っち提督のこと殺っちゃおうとしてたけどねー」

 

「お前サラッとすげえこと言ってるぞ」

 

「部屋で毒薬とか作ってたし、事故に見せかけて殺っちゃう計画とかこっそり立ててたしねー」

 

「何で俺今生きてんの?」

 

 心の底から疑問に思った。大井が殺ると思ったら、その時点で俺は殺されているはずだ。

 俺の疑問には北上が答えてくれた。

 

「そこは感謝してよー。ヤバイなーって思った時にさりげなー『あぁー、提督がもし何かしらの事故でも死んじゃったら、私も後追い自殺とかし

ちゃうかもなー。かもなー』って抑止力かけてあげたんだからさ」

 

「お前そこまで俺のこと好きなの? 逆に引くわ……」

 

「いやそんなわけないっしょ。提督自意識過剰だねー、気持ち悪いねー。あくまで相方を殺人者……殺人艦? それにしない為に言っただけだって

。その時はそこまで好きじゃなかったよ」

 

「だよなー」

 

 だが少なくとも配属された当初は、俺のことをマジで殺す気だったってわけだ。

 先ほどの大井が俺のことを好きな件、ますます信じられん。

 

 そんな俺の疑問に、再び北上が答える。

 

「まあ、最初はそんな感じだったけどさ。……色々あったじゃん」

 

「あー……まあ、色々あったな」

 

 北上の言葉に、この一年の日々が走馬灯の様に蘇った。

 色々では片付けられない出来事があった。必死にただ必死に駆け抜けた日々。その結果が今の穏やかな日常だ。

 

「大井っちのこと何回も助けてあげたじゃん? 洒落にならないミスした時も、怒らないでさあ……フォローもしてたし」

 

「別に大井だけじゃないだろ。俺は平等にそうやって接してきたぞ」

 

「それそれ。みんなと同じようにしてくれたのがいいんだよ。殺そうと思っていたのに、そんなことされてたらさぁ……普通はクラッとくるでしょ?」

 

「まあ……普通な、普通だったらな」

 

 その普通に大井を入れてもいいのか、それが問題だ。

 

「それにほら、大井っちと提督が戦場から流されて二人きりで無人島で過ごした事件あったじゃん。アレが決定的だと思うね。あれから目に見えて

大井っちの態度変わったもん」

 

 そんな出来事もあった。アレはなかなかにしんどかった。

 何せ結局島を脱出するまで、大井は一言も言葉を発しなかったのだから。

 だが確かに北上の言うとおり、アレ以降俺に向ける殺意の視線がなくなったように思う。

 

 相変わらずこちらをジッと見つめてくる大井。

 

「ま、その段階まで行けばデレるのもおかしくないでしょ? 大井っち不器用だから、デレ方が意味分からんけど」

 

「ううむ……正直まだ、なんとも言えん」

 

「北上さまを信じなって。それにほら、大井っちさ、こっちを覗く距離が以前より近くなってきたと思わない?」

 

「む、確かに」

 

 北上の言う通り、大井の距離がどんどん近づいてきた気がする。ずっと前は目視で確認するのが難しいくらい距離が離れてたし。窓の外から見て

たりしたし。

 それが意味をするものは?

 

「多分、あの距離は大井っちが感じてる提督への壁の厚さなんじゃないかな? 北上さまが思うに大井っちがデレていったら、最終的に私と提督が

イチャイチャしてるのを目の前で見つめる大井っちって構図ができあがると思うよ」

 

「こえーよ!」

 

 想像しただけで大破してしまいそうな、恐ろしい光景だった。

 

 だが、本当に大井が俺に好意を持ってくれているのなら、接し方を変えなければならない。

 今までのように一歩どころか二歩も三歩も引いたやり方じゃ、大井も傷つくだろう。

 

「ま、このままじゃその距離も一向に縮まんないけどねー。というわけでこの北上さま、提督に一つ提案があります。あ、その前に提督って今度の

休み暇?」

 

「まあ、暇だけど」

 

「おっしゃっ。じゃあ、私達と遊びに行こうよ。はい決定」

 

「返答をさぁ……いや別にいいんだけどさ暇だし。……私達?」

 

「そそっ、私達。私と大井っち。両手に魚雷じゃーん、提督もてもてー!」

 

「そんな言葉はねーよ。北上と……大井かぁ」

 

「そそ。大井っちが提督とちゃんと話せるようにする為に、遊びに行くの」

 

「そうか……」

 

 まあ、いつまでも苦手意識を持っているわけにはいかないか。これもいい機会だし、北上の提案に乗っておくとしよう。

 今思えば大井の沈黙は、俺を遊びに誘おうとしていたものかもしれない。

 

「分かった分かった。今度の休み付き合うよ。今まで構えなかった詫びも込めてな」

 

「ちゃーんと、大井っちも構ってあげてね」

 

「……善処します」

 

「おしおしっ」

 

 体が軽くなった。北上が背中から降りたのだ。

 

「じゃ、約束忘れたらいかんよー? あ、私もう行くから。こっち見ないでね? 今私の顔ちょーっと、見せられない感じになってるから」

 

「見せられないって、化粧でも失敗したのか?」

 

「違わい。まあ、提督と久しぶりに会えたしねー。そりゃ北上さまの顔も嬉しくて顔もふにゃふにゃになってるって話ですよ。じゃ、ばーい」

 

 そして背中越しに感じる北上の気配は去っていった。気づけば大井の姿もない。

 しかし、あの北上で人に見せられない顔するくらい喜ぶって……好かれてるのは非常に嬉しいのだが、他の艦娘に会うのが怖くなってきたぞ。

 



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あなただけを見つめてる……

 大井&北上の重雷装艦コンビと別れた俺は、特に目的地もなく鎮守府内を歩き回っていた。

 鎮守府内はシンと静まりかえっている。

 廊下を歩いていても、誰かと擦れ違うことはない。

 

 出撃していない艦娘もいるだろうが、部屋で休んでいるか、街に繰り出しているのかもしれない。

 そうするとこうやって歩き回るのは意味がないのじゃないか? できるだけ多くの艦娘とコミニュケーションを図りたい今日、この時間は非常に無駄なのではないか?

 

「うーむ」

 

 日差しが差し込む窓から外を見てみる。鎮守府に面した海は今日も太陽の光を照り返し、キラキラ輝いていた。

 あの海でみんな頑張っているのだ。俺も頑張らなければならない。

 

 とはいっても、現状誰が鎮守府に残っているのかすら分からない。最低限出撃メンバーは把握しているものの、艦娘の数が増えた今、待機中で鎮守府にどれだけの人数が残っているか。

 秘書艦なら把握してると思うが……一旦、執務室に戻るか?

 

 ――などと考えていると

 

「お困りのようですね……司令官……」

 

 背後から声がかけられた。どれだけ至近距離から声が発せられたのか、耳に吐息がかかってくすぐったい。

 恐る恐る振り返ると

 

「……早霜か」

 

「ええ、司令官。お久しぶり……ですね……」

 

 特徴的な髪型(といっても、艦娘は変わった髪形の子が多いのだが)――腰まで届く黒髪、そしてその髪に覆われている右目。

 駆逐艦『早霜』がそこにいた。ほぼ密着しているくらいの至近距離で俺の前に立っていた。

 

 ここは廊下のど真ん中であり、近づいてくる足音も気配も全く感じなかったが……まあ早霜ならいつものことだ。

 気づいたら背後に立っている、それが早霜だ。

 

「前から言ってるけど、いきなり背後に立って話かけてくるのはやめてくれ。心臓に悪い」

 

「ごめんなさいね。 ……でもその割には驚いた風には見えないですけれど、フフフ……」

 

「もう慣れたからな」

 

「残念……司令官の驚く声と顔が好きだったのに……」

 

 上官を驚かせるのが趣味な部下というのは如何なものか。

 まあ他所の提督同士を絡ませる本を書くのが趣味な艦娘よりは大分マシだが。

 

「それでどうした?」

 

「司令官がお困りのような気がしていたので……馳せ参上しました……」

 

 まあ……ちょうどいいか。早霜は鎮守府内の状態についてかなり詳しい。詳しすぎるくらいに。

 他の艦娘がどうしてるか聞いてみるのもいいだろう。

 

 その為にはまず、俺がどうしてここにいるかということから説明しないといけない。

 

「ああー、実はな。今日――」

 

「想定外にも書類仕事が片付き、余裕ができたので久々に鎮守府内を散策して出会った艦娘と交友を深めているのね」

 

「……青葉と会ったりしたか?」

 

「青葉さん? いえ、特に会ってはいませんよ。……フフッ、変な司令官」

 

 頬に手を当て、クスクスと笑う早霜。

 どうやら青葉から俺の状況を聞いたわけではないらしい。

 だったら何故俺の状況について完全に理解しているのか? まあ……早霜だからな。知っててもおかしくない。

 早霜はミステリアスな部分が多い。

 一度詳しすぎる情報源などについて問いただしたことがあるが、それ以降の記憶がなく気づいたら自分の部屋で目を覚ました経験があるので、その辺りには突っ込まないようにしている。ちなみに何故かその時、早霜に膝枕をされていた。

 

「先ほどから鎮守府内を散策しているけど、どうにも艦娘と遭遇しない。……それでお困りなんですね?」

 

「ああ、うん。そんな感じそんな感じ」

 

 まるで俺が執務室にいる時から現在まで見ていたような状況把握。

 だが話は早い。

 

「そういうことなら……これを使ってください……」

 

 と言うと早霜は懐から折りたたみ式の電子手帳のような物を取り出し、俺に手渡した。

 新品なのか、大きな液晶画面には指紋一つついていない。

 

「これは?」

 

「先ほど完成したばかりの『艦娘図鑑』です」

 

「……艦娘図鑑?」

 

 聞きなれない言葉を繰り返す。

 

「電源を入れてみてください」

 

 言葉に従い、電源を入れる。

 液晶画面に光が灯った。

 画面上に文字が流れていく。

 

『指紋認証しました。――ようこそ司令官! 私の名前はゆう……げふんげふん。謎の発明家――UBR。この艦娘図鑑を使って楽しい鎮守府ライフをエンジョイしてね!』

 

「なにこれ?」

 

「ふふっ、とりあえず進めてみてください」

 

 色々と聞きたいことはあったが、とりあえず進めてみる。

 謎の発明家ことUBRのチュートリアルを聞くと、これはどうやらこの鎮守府に所属している艦娘のデータを閲覧することができるツールらしい。

 

 試しに検索欄に『夕張』と入れてみた。

 

『夕張――夕張型 1番艦 軽巡洋艦。状態……疲労。待機状態。現在位置……工房。備考……徹夜で何かしらの道具を作っていたため、3日間不眠状態』

 

 と、夕張の顔とその下にパーソナルデータや現在の状態が表示された。他にも現在の装備、改修履歴、最終出撃記録、スリーサイズ……などなど。

 

「こんなこともあろうかと、作成の依頼をしていたのですが……司令官にお渡しするのが遅くなってごめんなさいね」

 

 こんなこと……というのは俺が今行っている、艦娘とのコミニュケーションのことだろうか。

 今日このタイミングでそんな便利な道具が完成するなんて偶然あるのだろうか。……いや、深く考えまい。

 

「しかし、便利だなこれは」

 

 色々な艦娘の状態を閲覧していく。

 リアルタイムで更新しているのか、現在出撃している艦娘の弾薬燃料の状態まで記録されている。

 なるほど……赤城は変装して出禁になった焼き肉食べ放題の店にいるのか……。だが島風の衣装を借りて変装は無理があると思うぞ。

 むっ、加賀も一緒なのか。こっちは……まるゆの衣装(スク水)か。……何も言うまい。

 

 便利だが、しかしこれは……

 

「いくら部下とはいえ、プライバシーの侵害が……」

 

「ふふっ、大丈夫ですよ……しっかり本人達の許可はもらってます……」

 

「許可って……全員の?」

 

「ええ、もちろん」

 

「曙とか満潮とかも?」

 

「全員です……ふふっ。司令官にお渡しする物、といったことも伝えてますよ」

 

 信じられんな……。あの俺を嫌ってやまない曙や満潮が、俺に逐一プライベートを把握される道具の許可を……?

 信じられないが、早霜は俺に嘘を吐く子ではない。

 早霜が許可をとったの言うのなら、それは真実なんだろう。

 

「それを司令官の素敵な行いの役に立ててくださいね」

 

「ああ、うん……」

 

 まあ、これを使えば誰か鎮守府にいるか分かるし、非常に捗るだろう。

 

 ふと、色々な艦娘情報を見ていると、妙なことに気が付いた。

 

「ここに表示されてる顔なんだが……何で殆どがこう……アンニュイな顔なんだ?」

 

 何故か殆どの艦娘の表情が切なそうだったり、悲しそうだったり……例えるなら、浜風の胸を見る龍驤のような顔をしている。

 

「そこに表示されている顔は、今のみんなの気持ちを表しているんですよ」

 

「……ウチの鎮守府は大丈夫なのか? 何故こんな……ん? 青葉や北上、大井の顔は随分とにこやかだな」

 

「そこに気づくとは……流石司令官……ふふっ、それで理解できたでしょう?」

 

 殆どの艦娘が悲しげな表情で、先ほど会った青葉達は機嫌よく笑顔を浮かべている。

 つまりこれは……

 

「……俺と会ったからか?」

 

「ええ……その通りです……。ふふっ、司令官の素敵な行いが早速効果を表していますね……」

 

 気軽な気持ちで始めたこの散策だが、この図鑑を見て非常にプレッシャーがかかるものとなった。

 今現在この鎮守府にはモチベーションが低い艦娘がかなりいて、恐らくだが俺と会うことでそのモチベーションは向上される。

 ……この鎮守府には現在、何人の艦娘がいただろうか。

 

「……ま、信頼関係が構築されてる分、昔よりはマシか」

 

 昔は信頼関係なんてない、それこそ悪意を持たれている艦娘もいた状態で今と同じようなことをしていた。

 あの頃に比べれば、随分と楽だろう。それに仕事とはいえ、今日までコミニュケーションをサボっていたツケが回ってきただけだ。

 

 それに、みんなと久しぶりに言葉を交わすのは、考えるだけで楽しみだ。この鎮守府の艦娘の子達は皆いい子ばかりで、俺も今日まで助けられてきた。

 大げさだが、その恩返しになるかもしれない。

 今まで一緒に闘ってくれた皆と役に立てる、それは考えるだけで気分が高揚する行いだ。

 

「フフッ……ウフフ……」

 

 見ると早霜がじんわり赤くなった頬に手をあて、笑みを浮かべている。

 

「なんだ?」

 

「いえ……今の司令官の顔、とても素敵ですよ……フフッ。ずっと……ずっと見ていたいくらい……」

 

「そ、そうか」

 

 ふと、ページを閲覧していると、時折艦娘のデータの中に魚雷のようなアイコンが表示されていることに気づいた。

 魚雷が表示されている艦娘の表情は、非常にこう……深刻だ。目に光がない。

 

 例えば……駆逐艦『不知火』。彼女のデータには大きな魚雷のアイコンが点灯していた。

 

「あら……」

 

 早霜が図鑑を覗き込んでくる。

 

「これは大変ですね……」

 

「このアイコンは何なんだ? 魚雷に見えるが」

 

「見ての通り魚雷です。それも……この大きさ……いつ爆発してもおかしくないですね」

 

「爆発だと?」

 

 穏やかじゃない台詞だ。

 

「本当に爆発するわけじゃありません。これはストレスを表したアイコン。これが大きければ大きいほど抱えているストレスが大きく……爆発したときは……私にも分かりません」

 

「ストレス、か」

 

 不知火を思い浮かべる。鋭い目つきと武人然とした冷静な言動。会った当初こそ、とっつき難い気難しい艦娘に思えたが、付き合いの長い今なら分かる。

 完璧主義に見えてちょっとうっかりした面もあり、褒めると普通に照れた表情を見せる……普通に可愛らしい艦娘だ。

 

 そんな彼女がストレスを……?

 

「皆に会うのはいいですけど、できるならこのアイコンが表示されている艦娘からお会いになるのをお勧めします」

 

「ああ、そうするよ」

 

 原因は分からないが、とにかく会ってみるしかない。

 

「早霜、助かったよ。便利な道具を届けてくれてありがとう」

 

「フフッ、司令官の力になれたのなら私も嬉しいです……とても、ウフフ……」

 

「この図鑑費用はいくらかかった? 流石に運営費からは出せないから、俺のポケットマネーから出す」

 

「いえ。司令官からお金を戴くなんて……でも、一つお願いが……」

 

「お願い? 何だ?」

 

「手を……握って……くれませんか?」

 

 早霜が手を差し出す。

 

「……手を? そんなんでいいのか?」

 

「ええ。それで十分……十分すぎます……」

 

 本人が望んでいるのだから……これでいいのだろう。

 俺はそっと早霜の手を握った。

 ひんやりと冷たい。そしてなめらかな手触り。

 少しでも暖めたくて、心持ち強く握った。

 

「ああ、そんなに強く……」

 

「痛かったか?」

 

「いえ……嬉しい……。司令官の手は、とても暖かいですね……心まで……温かくなります」

 

 うっとりと笑みを浮かべる早霜。

 ミステリアスな部分が目立つが、たまにこうやって触れ合いを求めてくるところは可愛らしい。

 出会った当初こそ、何を考えているのか分からない雰囲気と意味深な言葉の数々で苦手にしていたが……親しくなれば分かる。

 ミステリアスなだけで、その根っこは俺を慕ってくれている愛らしい少女のものだ。

 

 握っていた手を離す。一瞬、髪で隠れた右目に寂しげな憂いが浮かんだような気がした。

 

「……ありがとうございました司令官」

 

「いや、俺こそこんな事くらいしかできなくて悪い」

 

「ふふっ、これで十分です。これだけで私は……幸せなんですから……」

 

 微笑む早霜に一瞬見惚れる。

 俺はちょっと赤くなったであろう頬を誤魔化すように咳払いをした。

 

「あー……ところで図鑑のことで、もう一つ気になる表示が」

 

「はい、どれですか?」

 

「この銀色の輪っかのようなアイコンはなんだ? 結構な数の艦娘……それも主に古参のメンバーを中心に表示されているんだが」

 

 この鎮守府設立当初のメンバー、それと比較的出撃数の多い艦娘……共通するものはなんだろうか。

 

 俺の問いかけに早霜は首を傾げ笑った。

 ジッと俺を見て、長い間をとった後、口を開いた。

 

「……私も全ての機能を聞いたわけではないので……ごめんなさいね」

 

「そうか、いやすまん。ちょっと気になっただけなんだ。まあ後でゆうば……いや、謎の発明家とやらに聞くとしよう」

 

 さて、まずは不知火だ。不知火は……この真上の階か。廊下で何をやってるんだ?

 

「では司令官、頑張ってくださいね。私はずっと見ていますから……ウフフ……」

 

「ああ、早霜。また時間ができたら食事でも食べよう」

 

「ええ、ぜひ……」

 

 早霜は現れたときとは違い、普通に歩いて去って行った。勘違いかもしれないが、その足取りは普段より軽くみえた。

 ふと早霜のデータを見ていないことに気づいて、本人のページを表示してみた。

 先ほどのやりとりで彼女も楽しんでくれたのだろうか。

 

『早霜――夕雲型 17番艦 駆逐艦。状態……高揚。遠征中。現在位置……南方海域。備考……遠征任務「東京急行」旗艦』

 

 なるほど、遠征中か……。

 そうか、遠征中かぁ……。

 

「まあ、早霜だしな」

 

 そういうことにした。

 

 



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ぬいぬいマジぬいぬい! ぬいぬいぬいっ、ぬい……ぬいぬい? ぬいぬいっ? ぬいぬい……ぬいぬーい!

不知火の改二が来たらPS4買います。

次話のタイトルは『今日のワンコ』です。


「……」

 

 一人の艦娘が鎮守府の廊下を歩いていた。

 夢遊病患者のようなおぼつかない足取りで、ゆっくりと歩いている。

 

 今にも倒れかねないふらついた足取りはある扉の前で止まった。

 理性の感じられない曇った瞳が、ゆらりと扉を見上げた。

 

 『執務室』

 

 ジッと扉に書かれている文字を見つめていたその艦娘――不知火。

 時間にして3分ほどだろうか。その間微動だにしなかった体が動いた。

 右手が――扉のノブに伸びた。割れ物を扱うかのようにドアノブを握りこむ。

 

 そしてその手を回転させ――

 

 

 

「――はっ」

 

 

 

 長い時間潜っていた水から出たような苦しげな声と共に、不知火は覚醒した。

 瞳には目覚めたばかりの理性の光が灯っている。

 辺りを見渡し、そこが執務室の前であることに気づくと溜息と共に額に手を当てた。

 

「――また、ですか」

 

 驚くほど硬くドアノブを握りこんでいた手をゆっくりと引き剥がす。

 引き剥がした勢いで背後にたたらを踏み、そのまま窓がある壁に背を預けた。

 

 ずるずると壁と背中を擦らせながら、座り込む。

 座り込んだ状態で目を上げると、やはりそこには『執務室』と書かれたプレートがかかった扉が一枚。

 

「不知火は……どうしてこんな……」

 

 執務室を見上げながら膝を抱え込む。

 その扉の先にいるであろう人を見透かすように扉を見つめる。

 扉の先で今日も書類作業に追われているであろう提督を。

 

 

■■■

 

 

 

 陽炎型2番艦駆逐艦『不知火』。彼女はこの鎮守府の中でかなり古株の艦娘だ。まだ鎮守府に両手の数で数えるほどしか艦娘がいなかった時に着任した。

 難関と呼ばれた作戦のほぼ全てに参加しており、仲間共にその全てを突破してきた強者である。

 古参故に練度も高く、その戦闘能力はずば抜けている。

 

 あのビッグセブン、戦艦『長門』をして「凄まじい胆力の持ち主」と言わしめるそのメンタルは強靭で、駆逐艦でありながら敵戦艦相手にも全く物怖じすることなく、何度大破しても決して折れない鋼の心を持っていた。

 

 他の艦娘からも一目置かれており『不知火なら……それでも不知火なら何とかしてくれる……』何度もそういう状況にあり、そしてそれらの期待に応えてきた百戦錬磨の英傑である。

 戦場外でもその強さ発揮されており、以前難関作戦中、海域を突破できずこのままじゃ作戦を遂行させるのは危ういのでは……と鎮守府内が葬式ムードになった時も

 

『どうしました皆さん? まだ諦めるのには早いのでは? 不知火達が心配することは何もありません。ただ司令の命令通り、何度でも何度でも出撃して、いつか勝利をもぎ取ればいいだけです。轟沈の心配? 何をバカなことを……今まで何を見てきたんですか? 司令の采配に従っている限り、不知火達が轟沈することなんて決してありません。不知火達は指令の命令通り、自分達の役割をこなせばいいんです……決して落ち度のないように』

 

 という言葉が消沈していた艦娘達のやる気に火をつけた事件は有名だろう。

 

 艦娘『不知火』は強い。では戦艦と殴り合って勝てるのか……そういう話じゃない。だが司令が命令すれば何度でも何度でも戦艦に立ち向かい、小数点以下しか存在しない勝利をもぎ取るに違いない。

 

 不知火はそういう艦娘だった。

 だったのだ。

 

「……はぁ」

 

 そんな強靭なメンタルを持つ不知火だが、最近自分の身に起きている異変に悩まされていた。

 

「不知火に落ち度はない……はず」

 

 膝を抱えながら、自分に言い聞かせるように呟く。

 

 近頃、不知火には突発的に記憶が飛ぶといった症状が見られている。

 突如記憶が飛び、気づいたらここ――執務室の前にいる。そういったことがもう何度も起きていた。

 今も記憶が飛ぶ前は、普通に同じ陽炎型の駆逐艦達と部屋で雑談をしていたはずだ。

 だがその記憶は途中で途切れ――今こうしてこの場所にいる。

 

「……最近ますます頻度が……多くなってきたわね」

 

 最近――ここ数日その症状は顕著になってきた。

 この症状自体は2週間ほど前から見られていたが、その時点では2~3日に1回ほどでしかなかった。

 故にただの体調不良――艦娘の間でたまに流行る『艦娘風邪』からくるものだと思い、そこまで深くは考えていなかった。

 自分が艦娘風邪をひいたことを偶然耳に入れた提督が、お見舞いに来る……そんな都合のいい妄想を一瞬でも浮かべて内省する――そういう余裕はあった。

 

 だがここ数日は――1日に3回以上記憶が飛ぶことがある。

 流石の不知火もこれには困った。これは異常な事態だと……今更ながらに思った。

 そして次にこの症状を誰かに相談しようと思い……できなかった。

 何故相談できないのか――提督に迷惑がかかるからだ。

 古参であり戦力の一つでもある自分にもし、この様な異常な事態が発生していると知られたら……指令に手間をかけさせてしまうだろう、と。当然出撃はできない。自分が抜ければスケジュールを大きく変更しなければならないだろう。

 誰よりも艦娘のことを想っている提督のことだ。自分のためだけに、艦娘専用のカウンセラーを雇ってしまうかもしれない。実際他の鎮守府では精神的に問題を抱えてしまった艦娘用にそのようなカウンセラーを雇っているらしい。

 だがこの鎮守府にはいない。今まで上手くいってきたからだ。提督が自ら駆け回り、艦娘の話を聞き、体を張り……結果今の鎮守府がある。

 そんな鎮守府にわざわざ自分の為だけに無駄な手間をかけさせるわけにはいかない。

 

 そして何よりも――

 

「解体……されるかもしれないわね」

 

 現在、出撃中にこの症状は出ていない。だがこれからはどうだろうか。

 仮に出撃中、この症状が出たら……被るであろう被害は想像したくもない。

 

 闘えなくなった艦娘の末路は解体だ。解体して普通の人間になる。そして普通の社会に放り込まれるのだ。

 それは別にいい。不知火はいきなり普通の社会に放り込まれようが、それなりに上手くやっていく自身があった。

 

 だが――

 

「司令の側を離れるのは……イヤ」

 

 それが本音だった。それ以外の理由など建前でしかなかった。

 

 だから不知火は詰んでいた。

 誰にも相談できない。かといって症状が改善する気配はない。

 このままどうすればいいのか、不知火には分からなかった。

 故にこうして膝を抱えることしかできない。

 

「そもそもどうしてこんな……」

 

 症状の理由。

 

 そんなものは分かっていた。ただ認めたくなかっただけだ。

 認めてしまえば楽になるのは分かっているが、それを認めてしまうのは自分の弱さを認めることと同義だ。

 自分の中にある弱さを認めること――それはとても恐ろしいことだ。

 

「情けないわね。こんな姿……司令には見せられない」

 

(ならどうしてここにいるの? 見つけて欲しいのでは? 見つけて優しい言葉をかけて欲しいのでは? 抱きしめて不知火大丈夫か?と司令に――)

 

「黙りなさい……!」

 

 胸の内から響く言葉に強く言い返す。声が震えていた。正論だからだ。

 胸の内から上る言葉は、いつだって正論で不知火の心を揺さぶる。

 

「……いつまでも……ここにいるわけにはいかないわね」 

 

 立ち上がる。足元がふらつく。壁に手を当てながらゆっくり立ち上がった。

 立ち上がったことで頭もふらついた。貧血の症状だ。深く深呼吸をする。

 

 最近はまともに睡眠がとれていない。

 睡眠がとれていない故に肉体面も不調だ。

 肉体面の不調を改善しようにも睡眠がとれない。悪循環だ。

 何故睡眠がとれないのか。

 

 ――悪夢を見るからだ。

 

 轟沈する夢、提督に解体される夢、提督に失望される夢――違う。

 

 提督に優しくされる夢だ。

 

 夢の中の提督は優しく、自分を抱きしめて頭をなでて甘い言葉を囁いてくれる。

 そして不知火はその夢の中の提督に身を委ねようとして……自ら無理やり覚醒する。

 提督の姿をしているとはいえ偽者に触れられたくない、そんな気持ちがあった。

 そして目を覚まし、そんな夢を見る自分の情けなさに涙が出そうになるのだ。

 だが涙は流さない。不知火は周りから強い艦娘と思われている。そんな自分が涙を流すところなど見せられない。

 だからぐっと涙を押さえ込む。

 

「……ふぅ」

 

 壁に手を当て体を支えながら、ゆっくりと歩き出す。

 歩き出してすぐに何かの気配に気づいた。

 

 ――目の前に提督がいた。

 

「……あ」

 

 一瞬立ち尽くす。安堵の為か脱力し、倒れそうになる。

 口角が自然と笑みの形をとりそうになり――歯を噛み締めた。

 倒れこみそうになった体を残ったわずかな体力で無理やり立たせ、目の前の提督を睨み付けた。敵深海棲艦を相手にする時のような敵意の篭った瞳で。

 

「……情けない。不知火は自分が情けない」

 

 提督を睨み付けたまま歩き出す。正面に立つ提督に向かって。

 そのままぶつかる、瞬間――

 

「消えなさい」

 

 吐き捨てるように不知火が言い、その言葉通り提督の姿をした何かは霧散した。

 その場には何も残っていない。最初から何もなかったかのように。

 

 ――幻覚だ。夢の中で見たものと同じ。ここ数日から現れだした幻覚。提督の姿をした幻覚。木偶のように立って笑顔でこちらを見ている、ただの幻覚に過ぎない。

 

 そんなものが現れた時点でこの症状の理由なんて分かりきっていた。

 

 最後に提督に会ったのが3週間前。久しぶりの秘書官を勤め、一日側にいた。

 それから今日まで、一言も会話をしていない。姿すらも見ていない。

 以前であったら提督の方が時間を見つけては鎮守府内を歩き回り、コミニュケーションが不足している艦娘に話しかけていた。

 不知火の下にも必ず1度は顔を見せた。

 だがここ数日は先日の大規模作戦の後ということもあり、完全に執務室に篭りきりの状態だった。

 

 ただ、それだけのことだ。3週間会えていない。それだけのことなのだ。

 それだけのことで、不知火の体調は今までにないほど悪化していた。

 だから認めたくないのだ。

 

「不知火に落ち度はないはず……落ち度なんて、ないのに」

 

 半ば無意識に呟きつつ、廊下を歩く。

 『戦艦並みの眼光』と評され、常に名工が鍛えた刀の如き鋭い光を浮かべていたその瞳は――今にも折れそうな鈍い光を灯していた。

 

 

 

■■■

 

 

 

 目的の艦娘は向こうの方からやってきてくれた。

 

「お。本当に図鑑の通りの場所にいたな」

 

 廊下の途中、こちらに向かって歩いてくる人影。桃色の髪に鋭い眼光、白い手袋が目立つ艦娘――駆逐艦『不知火』だ。

 俺がこの鎮守府にやってきて間もなく着任した、付き合いの長い艦娘だ。

 キツイ目と愛想のない口調で勘違いされがちだが、根は優しい思いやりのある艦娘である。

 容赦のない言動がたまに見られるが、その言動の中にこちらを思いやる感情が確かに含まれており、俺はいつも心を支えられた。

 

 例の書類の山により、最近会えていなかったが……不知火は昔からの付き合いだ。俺と少し会えないだけで心のバランスを崩すような柔な艦娘じゃ……ない、とは言えないか。

 

「おーい不知火」

 

 手を上げて声をかける。

 図鑑で見た魚雷からして凄まじく荒んでいる様子を想像していたが、至って普段通りの不知火だ。

 安心した。

 

 だが、どうも歩き方がおかしい。泥酔状態がデフォルトの隼鷹のような……とまでは行かないが、おぼつかない様子。

 不知火は昼から酒を飲むような爛れた性格をしていないので、他に原因があるはず。

 

 近づいて行く。

 

 近づいて行くにつれて、先程の思考を撤回した。普段通りの不知火じゃない。

 遠くからでは分からなかったが、顔がやつれている。

 目の下には隈が深く刻まれており、まともな睡眠を何日もとっていないことを伺わせた。

 

 彼女の特徴でもある鋭すぎる眼光も、普段の切れ味が感じられない。

 

 恐る恐る声をかけた。

 

「お、おい不知火。お前いったいどうしたんだ? 大丈夫か?」

 

 俺の言葉に不知火は一瞬視線をこちらに向け……そのまま俺の横を通り過ぎて行った。

 

「……え?」

 

 無視、された? 

 一瞬こちらを見たものの、その目は完全に俺を捉えていなかった。

 まるでその辺の石ころを見るような乾いた目。

 

「い、いやいやいや……」

 

 慌てて小さな背中を追いかけ、再び正面に回りこむ。

 

「不知火? どうしたんだよ。何かあったのか?」

 

「……」

 

 不知火はゆっくりとこちらの視線を向けた。

 鋭すぎる眼光が俺を射抜く。慣れていないものなら思わず土下座、もしくは仰向けになって無防備な腹を向ける……そんないつもの眼光は、どうにも様子が違った。

 まるで雨に濡れた捨て犬が餌を与えてくれた人間を必死に睨み付けるような、そんな無理をした弱々しい眼光。

 

「お前寝てないだろ。飯は食ってるのか? ……くそ、どうして気づかなかったんだ。最後に会ったときは変わった様子なんてなかったよな?」

 

「……は」

 

 不知火が初めて口を開いた。

 嘲るような、皮肉気な笑み。

 

「……今度は、喋るようになりましたか。ふふっ、これはますます重症ですね」

 

 言葉の意味が理解できない。

 

「どういう意味だ? 喋る?」

 

「……ふぅん。受け答えもできるのね。何というか……不知火は自分がますます惨めに思えますよ」

 

「なあ一体どうした?」

 

「黙ってください。そして速やかに不知火の前から消えてください」

 

「いや、無理だな。こんな状態のお前を放っておくわけにはいかない」

 

 どう見ても正常じゃない。

 

「なあ不知火……」

 

「黙れ、と言ったはずです。不知火の名前を勝手に呼ばないでください幻覚風情が」

 

「幻覚?」

 

「ええ、あなたは幻覚です。不知火が生み出した……幻覚。こうして話をしていますが、触れもしない……ただの幻覚」

 

 どうにも予想以上に『魚雷』という表現は正しかったらしい。

 俺を幻覚として捉えているようだ。

 言動からして、もう何日も幻覚を見ている状態と思われる。

 

 取りあえず休憩室にでも連れて行って休ませよう。このままじゃ近いうちにぶっ倒れる。

 

「よし不知火。取りあえず休憩室に行こう。な? 少し眠ったほうがいい」

 

「不知火に命令しないで下さい。不知火に命令できるのは司令だけです」

 

 だからその司令が俺なんだが……。

 困ったぞ。

 無理やり連れて行く……今の弱っている不知火の状態ならそれも可能だろうが、下手に暴れられて怪我でもされたら困る。

 

 まずは俺が幻覚じゃないと認識してもう。

 

「いいか不知火。俺は幻覚じゃない」

 

「ふふっ、面白いことを言いますね。幻覚が自分自身を否定しますか。そんな幻覚を生み出す不知火の頭を本当に取り返しにつかないほど壊れているのかもしれませんね」

 

 不知火はそう言って再び、俺の横を通り過ぎようとした。

 慌てて手を掴む。

 

「待て! どこに行く気だ!?」

 

「……不知火に触れている?」

 

 不知火はぼんやりとした表情で俺が掴んでいる手を見た。

 

「幻覚なのに……不知火に触っている? これは……」

 

「ああ、そうだ。俺は現実だ」

 

「……幻覚が実体を伴っていると錯覚するほど不知火の症状は進行している、ということですか」

 

 これは……相当だな。ストレスとはこれほどのものなのか?

 今までこんな症状は見たことがない。

 

 一体何が原因……って考えるまでもないか。俺が原因……か。コミニュケーションをサボった俺の責任だな。

 だったら俺にできることをしなきゃならない。

 

「工房に……向かいましょうか。こんな不知火ではいつか司令に迷惑をかけてしまう。それなら解体されて資材になった方が司令の為に……」

 

 うわ言のようにつぶやく不知火。

 どうすればいい。

 

 ……いや、違うか。

 悩むのは俺の性分じゃない。俺がいつだって勢いで動いてきた。これまでも、そしてこれからもそうだ。

 

 今までやってきたことをするだけだ。

 俺の想いを伝える。これまでやってきたことだ。

 

「おい不知火」

 

「……なんですか? いい加減この手を放してくれると嬉しいんですけど。いや、これは幻覚だって本当は掴まれていない……それなら……」

 

 ぶつぶつと呟く不知火に向かっていった。

 

「今からお前を抱きしめる」

 

「――はぁ!? な、なにをいきなり……っ!? い、意味が……!」

 

 初めて動揺の感情を見せた不知火。

 よかった。動揺できるくらいは余裕があるらしい。

 

「分からなくてもいい。とにかく抱きしめる」

 

 掴んだ手をそのまま引き寄せる。

 

「や、やめっ、不知火から離れて!」

 

「離れない」

 

「げ、幻覚なら不知火の言うことを聞きなさい!」

 

「幻覚じゃないから聞かない」

 

 徐々に近づいてくる不知火の身体。

 不知火は掴んだ手と反対の手、足を使い必至で抵抗してくるが、その拳も蹴りも力の入っていない弱弱しいものだ。多少痛みは感じるが、耐えられないものではない。

 

「……っ」

 

 不知火を抱きしめた。

 抱きしめた体の内で暴れ周り、不知火の手や足が体中に突き刺さるが……弱々しい。駆逐艦とはいえ艦娘の力は並の人間を凌駕している。

 そんな彼女がその気になれば骨の一本や二本容易く粉砕できるはず。

 だがそれができないのは、不知火は弱っているか、相手が俺だからか……。

 

「……ぁ」

 

 強張っていた体から、徐々に力が抜けて行った。

 

「……ああ。司令の匂い。司令の体……」

 

「落ち着いたか?」

 

「匂いまで感じるなんて……不知火は……だめぬいに……」

 

 不知火が体を預けてくる。何やら突っ込みを入れたい発言があったが、それは後にしよう。

 既に抵抗は見られない。不知火の手が弱々しく俺の胸元を掴んだ。

 

「だから……だからイヤだったんです。例え偽者でも、幻覚でも……それが司令のものならきっと、不知火は認めてしまう。抱きしめられたら……体を委ねてしまう、それが分かっていたから……必死で拒絶していたのに……」

 

 諦めるような口調。

 

「不知火が弱さを見せるのは……司令の前だけと、決めていたのに。だから必死で我慢して……耐えて、いたのに」

 

 不知火が俺の胸に顔を押し付けてくる。押し付けられた胸にじわりと水気を感じた。

 

「すまない不知火。辛かったかだろう」

 

「辛かった、です。司令に会えなくて……寂しくて、体も辛くなって、いつもみたいに相談に行きたくても、司令は忙しいから……不知火の我侭で迷惑をかけたくなくて……」

 

 不知火は時々、俺の部屋にやってきて自らの想いを吐露することがった。

 普段の凛々しい表情ではなく、年相応の少女の顔を浮かべて……俺に心を預けてきた。

 皆の期待に応えたい、でも応えることができなかったときのことを考えて怖くなる、失望されたくない。

 そんな悩みを俺に預けてきた。そして二人で悩み、考え、今日までの俺達がある。

 

 近頃は部屋に来ることがなくて少し寂しい気持ちがあったが……まさかここまで溜め込んでいたとは。

 

「……司令はどうして、不知火に会いに来てくれないのですか? 前は……1日に一度は絶対に会いに来てくれたのに……。不知火は、不知火は……寂しい、です」

 

「すまない」

 

「……謝らないで下さい。こんなのは不知火のわがままです。本当は分かっているんです。それでも、不知火は……怖いんです。提督がいなくなるのが。提督がいなくなったら不知火は誰に弱い不知火を見せればいいのですか? 不知火は……不知火はこんな自分を他の誰かに見せるのはイヤです。提督にだけ、ずっと提督の前でだけ弱い不知火を……」

 

 いつもそうしていたように、頭をなでる。

 そして不知火はいつもそうするように、声に涙を含ませながら話し続けた。

 

 長い時間そうしていたように思える。

 

「不知火は……不知火は提督の側にずっと……いたいです。できることなら戦争が終わっても……側に……」

 

「ああ、そうだな。俺も不知火にはずっと側にいて欲しい」

 

 不知火の言葉に本心で応えた。これは以前から薄々考えていたことだ。

 これから先のこと。この戦争が終わって、それからのこと。

 

 俺の言葉に、不知火が顔をあげた。

 涙の滲んだ瞳と高潮した頬が目に入る。

 

「本当、ですか? 不知火を側に……?」

 

「ああ。不知火はイヤじゃなければ、な」

 

「……嬉しい。不知火はずっと、その言葉を……」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 その前に不知火の体が脱力し、完全に体を預けてきた。

 どうやら安堵のためか、気を失ったらしい。

 

 その表情は最近鎮守府に入ってきた艦娘が見たら目を疑うだろう――とても穏やかな笑みだった。

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 驚くほど安らかな気分で不知火は目を覚ました。

 横になったまま視線を動かすと、自分が寝ているのがベッドであることに気づいた。

 

「ここは……休憩室? 不知火は眠って……一体どれくらいの時間を……」

 

「30分くらいだよ。まだ寝とくといい」

 

「え?」

 

 すぐ隣からかけられた声に思わず起き上がろうとして

 

「寝とけって」

 

「あぅ」

 

 額に手を添えられ、そのままベッドに横にされた。

 不知火は横になったまま声の主を見た。

 椅子に座って自分を見つめる提督を。

 

「……司令? どうして司令がここに? 不知火は何故休憩室で……?」

 

 先ほど触れられ熱を持った額に手を当て、まとまらない思考に振り回される。

 

「覚えてないのか?」

 

「確か不知火は……また執務室の前にいて、そして幻覚を見て、それから……それか――らっ」

 

 幻覚相手に抱きしめられ吐露した言葉の数々を思い出してしまい、恥ずかしさの余り顔に火がつく。

 そのまま枕に顔をうずめてバタバタしたい衝動に駆られたが、隣に司令がいることを思い出し部屋に帰った後に延期することにした。

 

(……司令?)

 

 再度提督に視線を受ける。

 

「ど、どうして司令が……?」

 

「幻覚じゃなかったから」

 

「は?」

 

「だからさっき不知火は幻覚だと思ってたの、俺だから。本物の俺。何回も言ったけどな」

 

 理解できない言葉の羅列を、ゆっくりと噛み砕くように租借する。

 

(つまり――)

 

 先ほど幻覚だと思って抱きしめられて抱きしめ返して、募り募った想いをぶちまけたのは本物の司令だった。

 

(なんだ。それだけですか)

 

 実に簡単な話だった。

 そんな簡単な話を再度思い起こし……顔に炎が上がった。

 

「し、しらっ、不知火に落ち度はありま、ありませんからっ!」

 

「だから寝とけって」

 

 度を越した恥ずかしさの余り、窓をぶち破り飛び出そうとした体を再び司令の手が止めた。

 体がベッドに横たわり、額の当てたままの司令の手を、ゆっくりと不知火の手が握った。

 

「……この温かさ。本物なんですね。本当に本物の司令……なんですね」

 

「ああそうだ」

 

「仕事はどうしたのですか? まさかサボって……」

 

「違うっつーの」

 

 ジト目で司令を見つめる不知火。

 提督は今行っていることについて不知火に説明した。

 

「艦娘とのコミニュケーション、ですか」

 

「ああ。必要だと思ったからな」

 

 不知火は自分の状態について考えた。

 ああ、確かに……必要ですね、と。

 

「……随分と懐かしい、ですね」

 

「そう思うか」

 

「ええ。あの頃の司令も同じようなことをしていましたね」

 

 不知火は目を閉じ、あの頃について思いをはせた。

 自分は身体的にも精神的にも未熟だったあの頃。目の前の男も同じように未熟で、だがその未熟さを必死で乗り越えようと走り回っていた。不知火はそんな男をずっと側で見ていた。

 

「不知火にも随分と手を焼かされたよ」

 

「……不知火に落ち度はなかったと記憶していますが?」

 

「『不知火さんが怖い』」

 

「……うっ」

 

「『不知火さんの言葉がキツイ』『目が怖い』『食べられそう』『』『あの目は絶対何人が殺ってる』『あの手袋の下は染み込んだ血で真っ赤』『目玉焼きに血をかけて食べてそう』『手袋の下に謎の紋章とか隠してそう』……あ、これは天龍か。そんな感じで全員から距離置かれまくっていたのはどこの艦娘だ?」

 

「……しらないですね、しらぬいだけに」

 

「……」

 

「しらないですね、しらぬいだけに」

 

「不知火、いくら涙目になろうが笑わないぞ」

 

 

 

■■■

 

 

 

 不知火と司令は、久しぶりに2人だけで話をした。

 懐かしい日々を語る不知火の顔は驚くほど穏やかな笑みを浮かべており、凛々しい不知火しか知らない艦娘がこの光景を見たらそれだけで軽く少破してしまいそうな、そんな光景だった。

 

 不知火は自分が驚くほどに満たされていることに気が付いた。

 たかだか数10分言葉を交わしただけだ。

 だがそれだけで渇き切っていた心が潤い、精神的な充足感が身体中を駆け巡っていた。 

 もう夢で司令を見ることも幻覚を見ることもないだろう。そんな確証があった。

 

(……随分と現金な体ね)

 

 言葉を交わしながら、自分自身に呆れた。

 

「そろそろ行って下さい。不知火ばかりに時間を割いては、どれだけあっても時間が足りないですよ」

 

「いや、でも……」

 

「不知火はもう大丈夫です。自分の体は自分がよく知っています。心配は無用です。司令が去った後、もう少し休むことにします」

 

「そうか。食事もしっかりとれよ。あと一度明石に診てもらった方がいい。それから……」

 

「司令」

 

「ああ、分かった。そんな目で睨むなよ。もう行くよ」

 

 やれやれと被りを振りながら、司令が立ち上がった。

 そんな司令に不知火が声をかける。

 

 言葉にするのを戸惑ったが、今を逃せばいつ言えるか分からない。

 勇気を奮い起こして聞いた。

 

「あの……司令。最後の言葉。あれは……」

 

『ああ、そうだな。俺も不知火にはずっと側にいて欲しい』

 

 先ほどの言葉を思い出し、思わず顔が熱くなる。

 もしかして先ほどのあれは自分の妄想で、そんなやりとりはなかったのでは……と一瞬言ったことを後悔したが、次の提督の言葉に妄想ではないことを知った。

 

「本当だ。俺はずっと側にいるつもりだ。不知火達とな、戦争が終わっても……望む者がいれば全員と側にいる」

 

「達、ですか」

 

「ああ、全員とな」

 

 自分が望んでいた言葉とほんの少しズレがあり、ムッとした表情を浮かべてしまう。

 そんな表情を見た提督の顔が困り顔になり、不知火は慌てて補足した。

 

「不知火は今こうしてみんなと一緒にいるのが好きです。だから戦争が終わった後もそれが続くならそれは考えるだけで……気分が高揚します。我侭を言わせてもらうなら……2人だけの方がよかったのですが」

 

 不知火の言葉は全て本心からのものだった。

 みんなで一緒の生活がこれからも続く、それはとても素敵なものだ。不知火はこの鎮守府が好きだ。確かに苦手な艦娘もいるし自分のことを怖がっている艦娘もいる。だがそれを含めて今の鎮守府がすきなのだ。

 色んな艦娘がいて、その上に提督がいる。今の生活は不知火の人生の中で最も幸せな日々だった。

 

 最後の方の言葉は消え入りそうで、当然のように提督の耳には入らなかった。

 だが聞かれていたら聞かれていたで恥ずかしさのあまり、今度こそ窓から飛び出していたであろうから、安堵した。

 

「じゃ、俺は行くよ。ちゃんと寝ろよ。……あまり時間はとれないが、これからはちゃんと毎日会いに行くから」

 

 ベッドに横たわったまま、不知火は司令の背を見送った。

 先ほど触れいてた額はまだ熱を持っている。そこに触れながら先ほどの言葉をリフレインする。

 

「……ずっと、ですか」

 

 それは想像以上に大変なことだろう。自分達は艦娘であり、仮に除隊されたあとでもその多くが場所を共にするということは難しいことだ。

 だが、それでも。

 自分や、自分達が共にいれば、できる気がした。これまでと同じように、何だってできる気がした。

 

「……ふふっ」

 

 不知火は自分のポケットを探り、その中にある物を確かめた。

 金属製の輪だ。今はまだ、ただのリング。最近、とあるルートで手に入れたそれ。手に入れたものの、指にはめるのは結局できなかったそれ。

 

 戦争が終わってから……なんて不穏過ぎることは言わない。

 だが今、心の整理がついた今なら。

 

「次、秘書艦になったときに手渡すとしましょう」

 

 そして自分の手にはめてもらう。

 何だか手順がおかしい気がしたがしょうがない、と不知火は納得することにした。

 その時の司令の顔を思い浮かべてみる。

 驚愕しているだろうか。羞恥を浮かべているだろうか。余裕な笑みを浮かべているかもしれない。

 

 でも、もしかしたら。

 自分と同じように無愛想な顔をしているかもしれない。いつもの自分と同じように頑張って表情を押し殺してるかもしれない。

 

 不知火は他の艦娘のように色々な表情を表に出すのは苦手だ。提督の前では自然に出せるそれも、それ以外ではできない。

 決して表情がないわけではない。心の中では色々な表情が渦巻いているのだ。ただぞれを表に出せないだけ。

 それはそれでいいと不知火は思っている。それも一つの個性だと不知火は思っているし、提督もそう言ってくれた。

 

 代わりといってはなんだが、不知火は自分以外の色んな表情を見るのが好きだ。

 困っている顔、笑っている顔、悲しんでいる顔。見ているだけで飽きない。

 

 提督が自分の渡したリングを見た時、どんな表情をするか。

 不知火はそれを想像しながら眠りについた。

 幸せな眠りはすぐに訪れた。



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ダイジョウブデース。愛ノ前ニ、深海棲艦ノ犠牲ハツキモノデース。

 一人の艦娘が部屋の壁に向かって立っていた。

 目を閉ざし、深く息を吸い、自らの肉体に気を巡らせていく。

 

「スゥー……」

 

 

 彼女が着ている巫女服を改造した様な衣装がパタパタとひらめいた。窓は閉まっているので、外からの風ではない。彼女自身が放つ静かな気合によるものだ。

 

 彼女の名前は金剛。金剛型1番艦戦艦。金剛型戦艦の長女であり、金剛型の中で最も早くこの鎮守府に所属した艦娘だ。

 初期の作戦から参加している彼女の練度は極めて高い。

 

「ハァー……」

 

 先ほど取り込んだ空気をゆっくりと吐き出していく。

 ゆっくりと、空気と共に吐き出した気を体に纏うように。

 

 そして閉ざしていた目をカッと開いた。

 無駄のない動きで、左手を腰に、右手を斜め上方に突き出す。

 

 最後にもう一度深く息を吸い――吐き出した息と共に発声した。

 

 

 

「――バーニングゥ! ラァァブ!!」

 

 

 

 その言葉は正面にある壁に貼られている、等身大提督ポスターに直撃し反響――金剛の身体を通り抜けて行った。

 謎の科学者に頼んで作らせた、部屋の壁に取り付けた特殊な吸収素材は、金剛が発した音を全て吸収した。

 

 金剛は満足げな笑みを浮かべて頷いた。

 

「イエーイ! 今のはいいバーニングラブだったデース! もっともっと練習して……提督の心を鷲掴みデース!」

 

 

■■■

 

 

 今更言うまでもない話だが、彼女――金剛は提督を愛している。

 心奪われる異性として、命を預けるに値する上司として、または尊敬すべき人間として。

 

 同じようにこの鎮守府には程度の差はあれども、提督に好意を向けている艦娘は多く存在する。

 そしてその愛情表現の方法も実に様々だ。

 特に言葉を用いた方法。

 

 直球の言葉で愛を伝える、回りくどい言葉で愛を伝える、敢えて刺々しい言葉で伝える、消え入りそうな言葉で、酒が回り呂律の回らない言葉で、関西弁で、ドイツ語で……数えきれないほどの種類の言葉。

 

 金剛は直球型だ。とにかくどんな時だろうと真正面から己の愛を言葉にして伝える。

 自分が提督を愛していることを、声高々に本人に向かって叩き付ける。

 

 そんな金剛は提督と会うたびに己の愛を伝えている。

 以前は毎日提督に会って愛を伝えていた金剛だが、ここ半年ほどあるルールができたため、その事情は変わった。

 

 艦娘の数が増えてきたことによってこの鎮守府にできたルール。

 具体的には提督と一緒に過ごすシフトを遵守しなければならないというルールだ。

 

 たくさんの艦娘が我先にと提督に会いに行っては、提督に迷惑がかかる。そういう事情から作られたシフト。

 シフトは基本的に、全ての艦娘が平等な時間、提督と過ごせるように作られている。

 秘書艦業務、起床時、食事時、鎮守府の巡回時、休憩時間、就寝前……時間を区切って、全ての艦娘が提督と同じくらいの時間過ごせるように。

 

 だが例外もある。

 新しく所属した艦娘は早く提督と鎮守府に慣れてもらう為に、優先的に秘書官や時間を割いている。

 また、この鎮守府内だけで流通しているTeitoku-Point通称T-Pointを使えば、自分の順番を割り込ませたり、増加させたりすることができる。

 

 更に専用グッズの購入や月の1度ある宴会の際に自分の席を指定できる、などT-pointの使い方は多岐に渡る。このポイントについては後日説明しよう。

 

 他にあまり綺麗な手段を用いない方法や、えげつない方法、闇取引染みた方法を以って提督と過ごそうとする輩がいるとの噂があるが……噂は噂だ。

 秘書艦をする予定だった艦娘が、前日の晩にニンジャらしき人影に闇討ちされるなんてことはない、いいね。

 

 とにかく、以前のように好きな時に提督に会うことはできなくなったのだ。

 いつもラブラブ言って非常識に見える金剛だが、この鎮守府の中では比較的常識人の部類に入る。

 妹たちの模範である為にも、会いたいのを我慢してシフト通りに提督と会うことにした。

 

 そして金剛は考えた。

 会える回数が少なくなるなら、その分会った時の密度を高めればいいと。

 

 それから提督と過ごせるシフトに当たるまで、金剛はひたすら勉強した。

 少ない時間でもっと提督に愛を伝える為、様々な愛の伝え方を学んだ。

 ツンデレ、ヤンデレ、デレデレ。絡み酒、セクハラ、誘い受け、結婚願望を吐露する。この鎮守府には様々な艦娘がいて、伝える方法も多岐に渡る。勉強のし甲斐があった。

 

 そして様々な方法を学び、シュミレートして最後に残ったのは――やはり己のバーニングラブだった。

 どうにも回りくどい方法や敢えて距離を置く方法はしっくりこない。正面から愛を伝えないと伝えた気がしない。そう思った。

 

 何はともあれバーニングラブだ。

 提督のハートを貫く炎の愛(ほうだん)。金剛にとっての愛の一式徹甲弾。

 

 その結論に至り、金剛はバーニングラブを更に昇華させることにした。

 ひたする練習する日々。

 

 

 そして――金剛錬度70……夏

 

 己の愛の伝え方(バーニングラブ)に限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果、彼女がたどり着いた結果――感謝であった。

 

 自分自身を形作る愛への感謝。

 

「もっともっと……バーニングラブを極めマース!」

 

 1日1万回感謝のバーニングラブ。

 気を整え、愛を込めて、笑い、ポージングをとり――バーニングラブ。

 一連の動作を1回こなすのに当初は8~10秒。

 一万回バーニングラブするまでに初日は大破した加賀が入渠を終えていた。

 バーニングラブを終えれば倒れるように眠る。

 起きてはまたバーニングラブを繰り返す日々(毎日ではなく、週に5回程度。休みの日は普通に休んだ)

 

 半年が過ぎた頃異変に気づく。金剛錬度80。

 1万回バーニングラブを終えても、まだ加賀が入渠している。

 

 錬度90を超えて完全に羽化する。

 感謝のバーニングラブ午前中に終わる!

 かわりに姉妹と遊ぶ時間が増えた。

 

「バーニングゥラァァブ!」

 

 そして今日も金剛はバーニングラブをしている。

 バーニングラブをしている最中に想うのは勿論、最愛の相手――提督のことだ。

 

 自分にここまで愛を抱かせてくれた提督への感謝、提督へ向ける自身の愛への感謝、提督が働いているこの鎮守府への感謝、提督が生まれたこの国への感謝、提督という人間の種を生み出したこのホシへの感謝、提督という命を生み出したホシが所属するこの宇宙への感謝、自分達が生きるこの艦これというブラウザゲ――

 

「おっと! これで1万回終わりデース!」

 

 一瞬何らかの真理を悟りかけた金剛だが、1万回を終えて感じる心地よい疲労と胸に溢れる提督への愛で忘れてしまった。

 

「現在の時間は……んー、もうお昼デース。そろそろお腹が空きましたネー」

 

 金剛含め他の姉妹艦は、今日丸一日休みだ。

 比叡と霧島は朝から街に出かけている。

 

「そういえば榛名が何やら食材を買い込んでいたネー」

 

 顎に手を当てながら思い出す。昨夜、人参やらじゃがいも、牛肉などを買っていた榛名を。

 恐らくは今日の昼食にカレーでも作るのだろうと金剛は思った。

 

「今日のお昼は榛名が作ったカレーをご馳走になりマース! グッドアイデアデース!」

 

 榛名は料理が上手い。この鎮守府でも5指に入るだろう。

 将来提督に嫁いだ時に備えて、榛名の料理スキルを学んでいる金剛だが、一向に追いつける気がしない。

 学べば学ぶほど榛名の料理スキルの高さを感じるのだ。

 

「うー……我が妹ながらあっぱれデース。そ、それでも提督への愛は負けてませんからネ!」

 

 次に提督に会うのは3日目。

 今日は榛名のカレーを食べて、3日後の昼食を御馳走するときに参考にするのもいいかもしれない。金剛はそう思った。

 

「じゃあ提督! 3日後のお昼ご飯楽しみにしててネー! ちゅっ!」

 

 壁に貼られた等身大提督ポスターに向かって投げキッスを飛ばし、金剛は部屋を出た。

 向かうはすぐ隣にある榛名の部屋。

 

 

■■■

 

 そのほぼ同時刻。

 

 金剛がバーニングラブをしていたその隣の部屋。

 金剛と同じ改造巫女服の上にエプロンを装着した艦娘――金剛型3番艦戦艦『榛名』が、おたまで鍋をかき回していた。

 その顔は真剣そのものだ。額には汗が浮かんでいる。

 

 鍋の中にあるのは茶色い粘性の物体――カレーである。

 

 室内はそのカレーが発する香ばしい匂いで満ちていた。

 

「これで……完成です」

 

 火を止める。

 榛名はおたまで鍋の中のカレーを少量掬い、自身の艶やかな唇に近づけた。

 おたま内のカレーを啜る。

 舌の上でしっかりと味わい、コクンと小さな音と共に嚥下した。

 

「――やりました! おいしいカレーのできあがりです!」

 

 満面の笑みを浮かべ、袖を巻くり上げガッツポーズをとる榛名。

 完成したカレーは文句なしの出来栄えであり、どこに出しても恥ずかしくない完成度だった。

 

 若干高潮した頬に片手を当てる。

 

「これなら……提督にも喜んでいただけ――って違います!」

 

 慕っている相手が自分のカレーを食べているところを想像してにやけていた榛名だが、突然頭を抱えた。

 

「違います! 普通に美味しいカレーを作ってどうするんですか!? バカ! 榛名のバカバカ! 榛名は大丈夫じゃないです!」

 

 ポカポカと自身の頭を軽く叩く榛名。

 

 何故美味しいカレーができたのに、まるで失敗してしまったようなリアクションなのか。

 榛名は自分の目的を思い出す。

 

「うぅー……どうやっても美味しいカレーしかできません! どうして、どうして――」

 

 目の端に涙を浮かべる榛名。

 

「どうして――比叡姉さんの様なカレーができないんですかぁ!?」

 

 美味しいカレーができたのに自分を責めている理由がこれだった。

 榛名は比叡が作ったカレーを作ろうとしているのだ。

 

 まず比叡カレーとは一体どういうものか。

 

 敢えて味や見た目について説明はしない。

 だがあの夕ば――もとい謎の科学者UBRが『これ兵器に使えますよ!』と本気で言い、提督にそのカレーを用いた兵器の詳細な案を提出したことから、そのカレーがどういう存在なのかはある程度理解できるだろう。

 

 榛名はそのカレーを作ろうとしていた。

 

「何回やっても……何回やっても普通に美味しいカレーしかできません……比叡姉さんから貰ったレシピ通りに作ったのに……」

 

 ガクリと項垂れる榛名。

 榛名はレシピ通り作れば比叡カレーが出来ると思っているが、それは間違いだ。

 そもそも比叡カレーのレシピは、それ自体は普通のレシピだ。

 では何が違うのか。

 無論、料理を作る艦娘だ。

 比叡はカレーを作る途中、自らの直感でレシピに書いていない物を投入する。それらが恐ろしい比率で混ざり合い、比叡カレーは完成するのだ。

 榛名はそれを理解していなかった。

 

 だが、そもそもなぜ榛名が比叡カレーを作ろうとしているのか。

 

「こ、このままじゃ作戦が失敗してしまいます……!」

 

 まず最初に……榛名は提督を慕っている。無論異性に対して向ける意味で、だ。

 

 最初、自分より先に着任した金剛が提督に好意を向けているのを見て、いつか自分もそういう対象が現れるといいなぁ……それくらいしか思っていなかった。。

 そして鎮守府での日々を経て、様々な海域を突破する提督の手腕、艦娘たちを心から労わる優しさ、大破した艦娘を手厚く看病し時には大破させた自分のふがいなさに涙する弱さ……その他諸々を経て、気が付いたら榛名は提督に好意を抱いていた。

 いつも考えるのは提督のことだったし、提督のことを考えると心がふわふわと落ち着かず、枕に顔をうずめて愛の言葉を叫びたくなる。他の艦娘が提督と話しているのを見ると心がざわざわ落ち着かない。

 料理が上手くなったのもそんな提督に美味しい物を食べてもらいたいという一心からだ。時には愛が溢れていけない妄想に耽る時もあった。

 気がつけばいつの間にかそうなっていたのだ。

 

 だがその提督に会える幸せな時間は、徐々に少なくなってきた。艦娘が増えたことにより作られたシフトのためだ。

 シフト通りなら5日に1回、それもごく短い時間会えるだけだ。

 榛名は思った。もっと会いたいと。もっともっと側にいたいと。

 

 だがあの提督LOVEを公言して止まない金剛でさえ自重しているのだ。

 妹である自分がわがままを言っては、金剛型戦艦の名に泥を塗ることとなる。

 

 そう自分を律するものの、やはり自分の恋心は抑えきれない。恋はいつだって理屈通りに動かないのだ。

 そして悩みに悩んだ末、会えない寂しさという悪魔に身を委ねてしまった榛名は恐るべき計画を立てた。

 

『比叡カレーを作って大丈夫じゃない榛名を提督の手で大丈夫にしてもらう作戦』

 

 である。

 

 以前姉である比叡のあまりにアレな料理の出来栄えに提督が『このままじゃ将来比叡の旦那になる男が可愛そうだ』と比叡の料理スキルの向上にひと肌脱いだことがあったのだ。何日も提督が時間を費やし、比叡と付っきりで料理の練習をして……比叡の料理はそれなりになった。そういうことがあったのだ。その出来事から、以前は姉である金剛にベッタリで提督に殆ど興味を持っていなかった比叡がこっそり着飾ったり提督の好きな料理を練習するようになったが……それはまた別の話だ。

 

 重要なのは比叡につきっきりで提督が練習をした、この部分だ。

 提督は自分の意思で特定の艦娘と過ごすことを決めた時、シフトは無視されることになる。あくまで提督の行動目的優先だからだ。シフトは特に目的がない提督が平等に艦娘と会う為に、委員会が決めただけ。

 

 榛名は考えた。もし自分の料理が突然、比叡が作ったようなカレーになってしまったら。

 提督はどう思うだろうか。

 榛名はこうなると考えた。

 

 

■■■

 

 

 

『おい何だ榛名! このカレーは!? まるで……まるで比叡カレーの如き様相じゃないか! 味も……ひぇぇぇ! 地獄を舌で舐めたような致死的な味! 一体どうしたんだ榛名!?』

 

『ご、ごめんなさい提督。榛名も分からないんです。一体どうすればいいか……』

 

『ええい! 榛名の美味しいカレーが食べられないなんて、俺の人生これから何を生きがいにしていけばいいんだ!? よしこうなったら!』

 

『きゃっ、ど、どうしたんですか提督っ? 急に榛名の手を掴んで……!』

 

『相変わらず綺麗な手だな! 口直しに後で舐めてもいいか? ……これから特訓を行う!』

 

『特訓、ですか?』

 

『ああ、特訓だ! 美味しいカレーを作れるようになるまで、ビシバシしごいてやる!』

 

『ふ、二人きりの特訓ですか!?』

 

『当然の如き采配だろうが! いいか? 厳しい特訓になるぞ?』

 

『は、はい! 提督と一緒なら……榛名は大丈夫です!』

 

『あの比叡が特訓の厳しさに『ひぇぇぇ』ではなく『むーりぃー……』と言ったくらい厳しい特訓だが……それでもついてこれるか?』

 

『はい! 提督になら……榛名どこまでもお供します! 世界の果て――いえ、暁の水平線まで』

 

『その言葉が聞きたかったぁ! よし行くぞ榛名! レリゴーレリゴー!』

 

『ひゃっ、お姫様だっこなんて……は、榛名……大丈夫じゃなくなっちゃいます……!』

 

 

 

■■■

 

「提督……ああ、ダメですよ……お姉様が見てます――はっ」

 

 都合のいい妄想に区切りがついた榛名は、現実に戻ってきた。

 先程まで自分の体をかき抱いていた手を離し、よだれを拭う。

 目の前にあるのは、先ほど完成した美味しいカレーの鍋。

 ここからいくら調味料を投入しようが、美味しいカレーがまあ美味しいカレー、または普通のカレーに変わるだけだろう。

 

「こ、こうなったら……」

 

 覚悟を決めた表情で、懐から何かを取り出す榛名。

 

「……ゴクリ」

 

 取り出したのは――錠剤の入った瓶。瓶には夕張メロンのシールが貼られている。このマークが貼られている物はメイドインUBR。謎の科学者UBRが発明したものだ。

 先日比叡カレーが作れなくて悩んでいた榛名の下に、UBRが現れこの瓶を手渡していったのだ。

 曰く

 

『その錠剤を入れるとどんな料理でも比叡さんが作った物と同等な料理になるよ。1錠だと凄く疲労している比叡さんが作った物、2錠だとそこそこ疲労している状態、3錠で普通の時、5錠以上で凄く高揚している時に作った料理と同等の物質に。それ以上入れちゃうと鎮守府に設置してるパンデミック感知するセンサーが反応しちゃうからダメだよ。この錠剤? えっと、前に比叡さんのカレーを兵器に転用できないかを考えてた時にたまたまできたんだ。……あ。悪用しちゃだめだよ?』

 

 とのこと。

 

「こ、これを入れれば……比叡姉さんが作ったカレーが……」

 

 自身が作った美味しいカレーを見下ろしながら、ゴクリと唾を飲み込む。

 錠剤を入れれば瞬く間にこのカレーは比叡が作ったあの冒涜的なカレーに変化するのだろう。

 そしてそのカレーを提督に食べさせる。食べた提督は榛名の妄想通りなら、自分に付っきりで料理の特訓につきあってくれるだろう。

 二人っきりで秘密の特訓。時には手が触れ合うだろう。もしかしたら密着して背後からあすなろ抱きのような形で指導されるかもしれない。上手く作れなかったら叱咤もされるだろう。優しい提督のことだ。叱咤のあとは優しく慰めて、頑張ろうとギュッと手を握ってくれるはず。練習が深夜まで続いたら、練習をしている提督の部屋で眠ってしまうかもしれない(比叡の時もあった)。眠っている自分に優しく布団をかけてくれる提督。寝返りを打った際、自分の服がはだけ胸が際どいところまで見えてしまうかもしれない。提督も男だ。もしそんなことになったら、絶対に過ちを犯してしまうだろう。ゆっくりと胸に手を伸ばす提督。提督の手が胸に触れ、実は起きていた自分の口から声が出ないように必死で堪えて――

 

「はっ!」

 

 再び妄想の世界に突入していた榛名。この間わずか1秒である。

 だが、とにかく。

 作戦がうまく行けば、この錠剤を入れれば……恐らく提督は自分につきっきりになってくれるだろう。そしてもしかしたら妄想通りにことが運ぶかもしれない。

 

「……」

 

 榛名はジッとカレーを見た。

 目的はどうあれ、提督のことを想って作ったカレーだ。込めた想いに比例して、とても美味しく出来た。提督のことを考えながら作った料理は、いつだって美味く出来上がる。

 

「榛名は……」

 

 提督の顔が浮かんだ。

 自分の料理を食べて笑顔を浮かべる提督。

 

『榛名の料理は本当に美味しいな』

 

 その言葉を思い出すだけで榛名の心は幸せでいっぱいになる。

 連日の出撃に疲れても、それを思い出すだけで榛名の精神は高揚する。

 榛名にとって提督の笑顔は、どんな甘味よりも甘くて美味しい、最高のご馳走なのだ。

 

 榛名はゆっくり息を吐いた。

 

「……やっぱりダメです。いくら提督に構ってもらう為とはいえ……そんな物を提督に食べさせたくありません」

 

 榛名は提督の笑った顔が好きだった。自分の料理を食べて笑顔を浮かべる提督、その顔が何よりも好きなのだ。その顔が曇ることを想像しただけで、榛名の胸の内にどんよりとした黒い雲のような感情が生まれた。

 ふるふると頭を振る。黒い雲を振り切るように。

 

「この薬は捨ててしまいましょう。夕張――謎の科学者さんには悪いですけど、榛名には必要ありませんから」

 

 榛名は作戦を諦めることにした。

 だが不思議と榛名の心は晴れやかだった。爽やかな笑みを浮かべる。

 

「やっぱり、提督には美味しい料理だけを食べて貰いたいですからね」

 

 榛名は姉である金剛とは違う。何度もあの直球的な愛の伝え方を羨ましいと思ったが、自分にはできない。アレは姉だけのものだ。自分には自分の伝え方がある。美味しい料理を作って、提督に喜んでもらう。そういう愛の伝え方もあるのだ。

 

「……えへへ。榛名もう少しで大丈夫じゃなくなるところでした。このカレーは……隣にいる金剛姉さんと一緒に食べましょう」

 

 榛名は微笑んだ。

 愛しい相手と食べる食事は、何よりも幸せだ。

 提督に向ける愛とは違うが、姉である金剛を愛している。

 そんな金剛が自分の料理を食べて笑みを浮かべる光景を思い浮かべ、くすくす笑った。

 

 金剛のことを考えていたからだろうか。

 

「ヘーイ榛名ぁー! お姉ちゃんはお腹が空いてマース! 一緒にランチターイムデース!」

 

「ひゃっ!?」

 

 唐突にあけられたドア、自分を呼ぶ金剛の声。

 思いとどまったとはいえ、決して自慢できない行為に及ぼうとしていた榛名は、その後ろめたさからビクリと体を震わせた。 

 

 自分の手から滑り落ちる錠剤の詰まった瓶。

 慌てて落下する瓶を掴もうとする手が――空を切った。

 

「ああああ!?」

 

 ポトンとカレーに沈む瓶。

 

 食欲を誘う香りを発していたカレーから、通報されるだろうレベルの悪臭が生まれじわじわと広がっていく。

 色も茶色から紫に。ドス黒い煙がもくもく立ち上る。

 落下して半分ほどカレーから姿を見せていた瓶が……ジュウジュウ音を立てて溶けた。

 

「はわわわ……」

 

 自分が想像していたよりも遥かにヤバイ物に変化していくカレーを前に、榛名は顔を真っ青にして口を覆うことしかできなかった。自分はこんな物を作ろうとしていたのか……と。

 

 悪臭に気づいた金剛が戦場で見せるような険しい表情を浮かべた。

 

「シット!? なんデスかこの匂いは!? 敵の新兵器デスカー!?」

 

「ね、姉さん、そのこれは……」

 

「榛名ぁ! 大丈夫!? さあ、取りあえず外に出まショウ!」

 

「あわ、あわわわわ……」

 

 金剛に手を引かれ、カレーだったものから離れていく榛名。

 鍋の底に穴が空き、その下のコンロを溶かし始めた物体を見て、榛名は自分のやってしまったことがどれだけ恐ろしいものかを今更になって理解した。

 

 

 

 だがもう遅い。地獄の窯は開いた。

 この世にあってはならない存在、それがこの瞬間、顕現したのだ――。

 

 異常を察知した鎮守府の防犯システムが、榛名の部屋をパージし海に射出。

 ある深海棲艦の巣に着水した元カレーは、その巣にいた数多の深海棲艦を飲み込んだ。

 全てを溶かし混ざり合い、急激に圧縮する。拳大の大きさまで凝縮されたそれは――卵の形をしていた。

 それは海の底で小さく脈動する。

 ドクンドクンと。

 生まれる落ちる前の胎児のように、ただひたすら海の底でその時を待つ。

 

 これよりずっと先、最強の敵としてこの鎮守府を恐怖のどん底に陥れた『それ』はこうして誕生したのだった。

 だがそのことを知るものはまだ誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 



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ちゃん那珂先輩とアニメ版の主人公さんのお話です。
次回は多分、わんこ2人の話になると思います。


 

 

 不知火と別れた俺は、鎮守府建物の外を歩いていた。

 空は晴天。日差しも気持ちがいい。外に出た甲斐がある。

 こうやってお日様の下を歩くのは久しぶりだ。

 大規模作戦の前は、こうやってよく散歩をしていた。その際は必ず誰かが側にいたものだ。

 散歩をすれば誰かしらが必ず目の前に現れて、俺に付き合ってくれた。不思議なことに、まるで順番でも組まれているかのように、毎回毎回違う艦娘だったのだが、まあ偶然だろう。

 

「……なんだ?」

 

 一瞬、鎮守府全体が揺れた気がした。

 

 まるで凄まじく巨大な質量が発射されたかのような揺れ。

 そういえば以前もこんなことがあった。あれはいつのことだったか。

 夕張が発明した新兵装――80cm3連装砲塔の発射事件の時も、こんな風に鎮守府が揺れた。

 

 あれは酷かった。大和と武蔵の2人がかりでしか発射できず、しかも目標を大きく逸れて鎮守府近くの無人島を半分以上ふっとばすという最悪な結末となった。何が酷いって俺の承認もなく開発して勝手に実験をしたってことだ。

 何故こんなものを開発したのか本人に問いただしたところ『だってタカオさんが当たり前のように全体攻撃してるの見たら、そりゃ挑戦したくなっちゃいますよ! 作ってみたくなるのが私のサガなんですよ! ビームとか意味分からなくて無理だからとにかく砲弾を大きくするしかなかったんですよ!』とのこと。

 正直意味が分からなかった。工廠に篭りすぎて頭がおかしくなっているのではと疑ってしまった。

 高雄が云々と言われても、ウチの高雄は普通の重巡洋艦だ。夕張の発言は意味不明だった。

 タカオ……レーザー? クラインフィールド……カーニバルダヨ……うっ、頭が……。

 

 当然の如く夕張はレベル3クラスの懲罰房で2週間ほど過ごしてもらうことになった。

 レベル3クラスの懲罰房は『カーンカーン』という音が延々と響く部屋だ。流石の夕張も3日で参ってしまったようで、泣いて許しを請うてきた。そこで房から出してしまう辺り、俺は甘いのかもしれない。

 

 アレに懲りて無茶な兵器をまた作ったとは思えないが……一応後で工房の方に顔を出しておくか。

 

 

■■■

 

 

 温かい日が差しこむ道を歩いていると、俺の目の前をちょっと理解し難いものが通った。

 

「ほら、那珂ちゃん先輩。駄々こねてないで行きますよっ」

 

「うぅー引っ張らないでよ吹雪ちゃん。やだよぉー、どうして那珂ちゃんがこんなことしなきゃいけないのー」

 

 1組の人影が目の前を通っている。

 会話の内容を聞くに、吹雪と那珂……なんだろう。

 正直自信がない。

 1人が渋るもう1人の腕を引っ張って歩いている。

 

「もうやだやだー。何で那珂ちゃんがこんな格好してお仕事しなきゃいけないの? 那珂ちゃんアイドルなのにー」

 

「しょうがないですよ。この間のライブ成功したのはいいですけど、鎮守府のみんなにサクラしてもらったんでしょ? それで皆にT-Point払って足りない分は前借りして。だからしょうがないですよ。こうやってコツコツ稼がないと。下手なことしてるとペナルティで当分シフトから外されちゃいますよ」

 

「わ、分かってるよぅ。……うー。それにお客さんはいっぱい来たけど、本当に来てほしい人は忙しいから来れなかったし、那珂ちゃん的には……」

 

「え、なんです?」

 

「な、なんでもないよー。那珂ちゃんはみーんなのアイドルだからねー!」

 

 2人が吹雪と那珂と断定できないのは、2人の格好が原因だ。

 格好はいつもの2人だ。1人は吹雪型の象徴であるセーラ服、もう1人は川内型の制服である白と赤の服にフリルをつけた那珂特有の格好。そこはいつも通りだ。

 

 だが俺の目の錯覚じゃなくれば、2人の人影は――ごついガスマスクを装着している。

 何度目を擦ろうとも、ガスマスクを装着している吹雪と那珂らしき人物が目の前を通っている事実は変わらない。

 

 正直声をかけるのを戸惑う。一見何の変哲もないいつもの鎮守府に、明らかにおかしい2人組。

 だが声をかけないでそのまま通り過ぎるのを見送るのはもっと怖かった。

 

 俺は戸惑いながらも声をかけた。

 

「お、おーい。そこの2人」

 

「はい?」

 

「この声……!」

 

 2人が振り返る。俺の下へと駆け寄ってきた。

 怖い。ガスマスクを装着した人間が2人も駆け寄ってくるのは、思っていた以上に恐ろしい。悲鳴をあげて逃げたくなる。だが俺も日本男児だ。そんな無様な真似は見せられない。……だが怖い。

 

「やっぱりー! きゃはっ、提督だー! 那珂ちゃんだよーっ」

 

 那珂らしき人物が、俺の目の前できゃるーんと可愛らしくポーズをとった。

 普段なら容姿も相まってウザ可愛いところだが、ガスマスクが全てを台無しにしていた。怖い。

 

「どーしたのこんな所で? あ、もしかしてー……那珂ちゃんに会いに来ちゃった? だっめだよー提督! 那珂ちゃんはぁ、みーんなの那珂ちゃんだから、提督を特別扱いできないの、ごめんね! でも、那珂ちゃん優しいから……ハグしてあげちゃう! これ別に提督を特別扱いしてるわけじゃないからねっ。那珂ちゃんがハグしてくれるチケットを消化してるだけだからね? 誤解しちゃ……ダ・メ・ダ・ゾ」

 

 ガスマスクを装着した那珂らしき艦娘が、俺にハグをしてきた。正直怖い。このままヤバイ薬をかがされたあげく捕まってどこかの実験施設に送られそうだ。

 行動だけ見れば那珂だ。那珂はこうして会う度にハグをしてくる。というのも俺は以前、那珂が出したCDを複数枚購入したのだが、その中に『那珂ちゃんと握手できるチケットだよっ』と書かれたものが入っていたのだ。ファン向けのサービスであるそれは俺にも適応されるようで、こうして会う度にチケットの分を消費してくる。握手がいつからハグになったのかは覚えていない。

 他のファンにもハグをしているのか、だとしたら勘違いしたファンが危うい行動をとらないか……と心配したこともあったが、マネージャーをしている神通曰く、握手だけしかしていないらしい。

 

「ぎゅーっ、ぎゅぎゅーっ」

 

 ハグをしながら胸の辺りにぐりぐりと顔を擦りつけてくるガスマスク女。マスクがごつごつ当たって痛い。

 

 もう一人の吹雪らしき艦娘に視線を向ける。

 

「お疲れ様です、司令官!」

 

 いつも通り、見ていて気持ちのいい敬礼を向けてくる吹雪らしきガスマスク女その2。

 

「いや敬礼はいい。今日は休日だからな。……あー、その……吹雪、でいいんだよな?」

 

「はい? そ、そうですけど……あっ、そっか」

 

 吹雪らしき艦娘はいそいそとガスマスクを外した。

 ガスマスクの下から現れたのは、見慣れた艦娘の顔……吹雪だ。

 

 俺はホッと安堵の溜息を吐いた。

 

「えっと、司令官は見回りのお仕事ですか? でも、休日だって……あれ?」

 

「いやまあな。最近コミニュケーションが足りてなかったから、こうやって鎮守府を散策がてら皆に声をかけているんだ」

 

「はぇー、そうなんですか。いつもお仕事で忙しいのに、私たちの為に……流石司令官です!」

 

 グッと拳を握って俺を持ち上げてくる吹雪。

 

「ところで吹雪。それなんだが……」

 

 俺はあまり聞きたくないが、ガスマスクについて聞いてみることにした。

 頼むから「最近みんなの間で流行ってるんですよー」とか言い出さないでくれ……! 若い娘たちの間では俺のような男では理解できないものが流行るが……これだけは勘弁してくれ。怖い。どれだけ皆が可愛かろうと全てを台無しにしてしまう怖さ。こんなもんが流行り始めたら、俺はここを辞める。

 

 俺の質問に、吹雪はちょっと気まずそうに笑いながら答えた。

 

「こ、これですか? あはは……これはえっと何て言ったらいいのかな。バイトの制服、です一応」

 

「バイト?」

 

「はいバイトです」

 

 別段バイト自体は珍しいことじゃない。バイトだけでなく、この鎮守府には本業である軍務とは別に副業を行っている艦娘もいる。よその鎮守府じゃどうかは知らないが、ウチでは兼業を許可している。あくまで本業に支障をきたさない、という前提ではあるが。

 戦争が終わったあと、戦いだけしか知らないままでは将来が心配なると考え許可をしたのだ。

 今では結構な数の艦娘が副業をしている。鎮守府内に居酒屋やバーを開いたり、塾を作って教師をしたり、那珂のアイドル活動もそうだ。中には下手をすれば本業よりも有名になっている艦娘もいる。秋雲とかな。

 秋雲は漫画を雑誌に連載していて人伝手に聞いた話だが、なかなか評判がいいらしい。何やら映像化の予定もあるとか。有名になるのはいいことだ。それだけ将来の選択肢も多くなる。俺も『筋肉を書く練習台に』と頼まれて、裸体を披露した甲斐がある。

 

 しかしガスマスクを着用するようなバイトか。正直怪しすぎる。

 

「そのバイトは大丈夫なのか? 危険なことじゃないだろうな」

 

「きゃはっ、もしかして那珂ちゃんのこと心配してくれてるの?」

 

「いや、今吹雪と話してるから。黙ってハグしときなさい」

 

「はーいっ」

 

「で、どうなんだ?」

 

 那珂に邪魔をされたので、再度吹雪に訪ねた。

 

「大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます。ちょっとしたお掃除のお手伝いみたいなものですから」

 

「そうなのか」

 

 まあ吹雪がそう言うならそうなんだろう。

 

「それに結構お給料もいいんですよ!」

 

「へー。しかし、吹雪。バイトをして何か欲しいものでもあるのか? そんなに高いものでないなら、俺が買ってやるぞ」

 

「い、いえいえ! そんな司令官に買ってもらうなんて……! そ、その嬉しいですけど……お金じゃなくてポイントだから司令官は買おうと思っても買えないというか。……そ、そもそもアレやアレを司令官が欲しがるわけないし」

 

「なんだって?」

 

「な、なんでもないですっ」

 

 金の使い道なんてほとんどないし、いつも頑張っているからプレゼントしたかったんだが……。

 だが本当に欲しい物は自分で買わないと意味がないかもしれないな。

 

 ……そういえばいい機会だ。

 吹雪には聞いておきたいことがあった。

 

「吹雪。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 

「はい? 何ですか司令官?」

 

「その……同室の睦月のこと、なんだが」

 

 睦月と吹雪は同じ部屋で暮らしている。

 あのことがあってから、吹雪には睦月のフォローをお願いしたのだが……。

 

「……」

 

 睦月名前を出した途端、吹雪の表情が辛そうなものになった。

 その顔だけで睦月がどういう状態か分かってしまった。

 

「あー……やっぱりまだ、落ち込んでいるのか?」

 

「……はい」

 

 項垂れるように頷く。

 

「その、前よりは大分元気にはなったんですけど……やっぱりまだ」

 

「そうか……」

 

 あの元気だった睦月が落ち込んでいる事実は辛いものがある。

 時間が睦月を癒してくれると思ってあまり触れないでいたが……俺からも何らかのフォローは必要だったか。

 

「私も遊びに連れて行ったり、頑張って元気づけようとしてるんですけど……どうにも上手くいかなくて、ごめんなさい」

 

「いや、謝らないでくれ。吹雪はよくやってくれている」

 

 面倒見のいい吹雪だ。きっと俺が想定している以上に、睦月の心を癒そうと頑張ってくれているのだろう。

 ただ睦月の心の傷が想像以上に大きかっただけだ。

 

 睦月が心を痛めているのは――如月のことだ。

 

「そうか……。そこまで如月のことを……」

 

「はい。睦月ちゃんにとって……如月ちゃんは一番の親友だったから」

 

 睦月型の同型艦である睦月と如月。

 この2人はとても仲がよかった。それこそ家族とも呼べるほどに。

 いつも一緒に行動していたし、2人が別々にいるのを見たことがなかった。

 

 だがそれも過去の話だ。今、睦月の隣に……如月はいない。いないのだ。

 

「……すまないな吹雪。艦娘のフォローは提督である俺がしないといけないのに。お前に任せるような形になってしまって」

 

「い、いえいえ! だって司令官は忙しいから仕方がないですよ! そ、それに私が任されたのも提督が私を信頼してくれているからで……う、嬉しかったので」

 

 赤くなった顔を伏せる吹雪。

 

「俺があの時、如月を止めてさえいれば……こうはならなかっただろう」

 

「そう、かもしれませんけど! ………でも、あれは如月ちゃんが、自分自身で決めたことですから。司令官のせいじゃないですよ」

 

「そうは言うがな。だが辛そうな睦月を見ていると俺の選択は間違っていたと思ってしまう」

 

 確かに決めたのは如月だ。

 アイツは自分自身で選択をした。その選択を俺は止めることができなかった。

 

 如月の選択。

 その選択の結果、今如月はここにいない。

 俺たちの手の届かない……ずっと遠くにいる。

 

 如月は――

 

 

「今でも信じられない。――まさか、如月がアイドルになるなんてな」

 

 

――アイドルになったのだ。

 

 

■■■

 

 睦月2番艦駆逐艦――如月。

 彼女は今をときめく現役アイドルである。その知名度は高く、町を歩いていれば広告や雑誌、街頭テレビと、彼女の姿を見ないことはないだろう。

 彼女はアイドルとして踊り、歌い、喋り……国民にその愛を振りまいている。

 

 そもそも何故如月がアイドルになったのか。

 発端はなんだっただろうか。はっきりとは分からない。だが考えられるとしたら半年前の出来事だ。

 

 その日の秘書艦は如月だった。

 彼女が発するこちらを誘惑してくるような言葉と雰囲気に慣れた俺は、リラックスしながら仕事をしていた。

 如月がお茶を淹れている間、ふと窓の外を見た。

 

「なにを見てるんですか提督?」

 

「ああ、アレだよ」

 

 寄り添ってきた如月に分かるように、窓の外を指した。

 その先では、那珂が鎮守府の裏庭で一人踊りの練習をしていた。

 

「那珂ちゃんですか」

 

「ああやって誰も見ていないところで努力しているところを見ると、アイドルになりたいってあいつの想いが本物だって感じるよ」

 

「ふふっ。そうですねぇ」

 

 くすくすと如月が笑う。

 

「アイツはこの時間になると、あそこで練習しているんだ」

 

「詳しいですねぇ。ふふっ、もしかして毎日見ているんですか?」

 

「ああ」

 

「……え、そう……なんですか? ……ふぅーん。那珂ちゃん羨ましい……」

 

 如月の呟くように耳を撫でる言葉。くすぐったくて最後の方は聞こえなかった。

 

「その、司令官は……那珂ちゃんが好きなんですか?」

 

「どうしてそう思う?」

 

 いきなりの如月の発言に意図が分からず、眉をひそめた。

 

「だって毎日見ているのよね? だから……」

 

「いや、那珂個人が、というわけではなく。そうだな……俺は、頑張ってる奴が好きなんだ。何かに向かってな」

 

「……頑張ってる。だからアイドルに向かって頑張ってる那珂ちゃんが……」

 

「ああ、好きだ」

 

「……そうなんですかぁ。ふぅーん」

 

「あとはまあ、個人的にだが……アイドルが好きってのもある」

 

 好き、というより好きになったというべきか。

 那珂に付き合ってアイドルの何たるかを勉強し、その途中でその生き様というべきものに好感を持った。

 みんなに元気を振りまき、楽しませる。俺にはとてもできないその生き方は、憧れすら抱いた。

 そういうわけで、アイドルを目指している那珂を応援しているのだ。

 是非ともみんなに元気を振りまく立派なアイドルになってほしい。

 

「そうなん……ですか。なるほど……提督は頑張ってる女の子が好きで、アイドルが好き……」

 

 そういうことがあった。

 そしてそれからちょうど2週間後、執務室にやってきた如月はアイドルのオーディション合格通知を俺に提出し、そのままアイドルと艦娘という2足のわらじをはく事になった。

 

 それからの活躍は目覚ましいものだった。

 彼女はあっという間にアイドルの道を駆け上り、今やあの有名アイドルグルーブ『KSRG48』のメンバーになってしまったのだ。

 説明するまでもないと思うが、KSRG48とは今最もホットなアイドルグループだ。各鎮守府の中から選ばれた如月が48人のチームを組んでアイドル活動をしている。

 歌や踊りだけでなく、トークや体を張ったイベントなど、その活動は多岐に渡る。ただ歌うだけの前時代のアイドルとは違う、次世代のアイドル……それがKSRG48なのだ。

 

 

■■■

 

 

 現在如月は本業であるの軍務を休業し、アイドル活動に専念してもらっている。

 軍務以外で目覚しい活躍を見せた艦娘には、そういった処遇を下せるのだ。

 

「まあ、寂しいよな。ずっと一緒だと思ってた親友が今やトップスターだ」

 

「はい。アイドルになりたての頃は時間を見つけては睦月ちゃんに会いに来てたんですけど……最近は忙しいみたいで」

 

 今や如月をテレビで見かけない日にないといってもいい。

 テレビだけでなく、ラジオ番組やイベントの司会、提督就任式のサプライズゲスト……などなど、文字通り引っ張りだこだ。

 噂では小説の執筆活動も行っているとか。

 

「なまじテレビで毎日顔を合わせる分、寂しさが募っちゃうみたいで……」

 

 吹雪に言うことも理解できる。

 俺もテレビに如月が写っていると、誇らしい反面、この鎮守府で一緒に戦っていた頃を思い出してしまい不思議と寂しい気持ちになってしまう。相方だけが有名になってしまったお笑い芸人もこんな気持ちなんだろうか。

 

「睦月のことだが、俺もこれからは気にかけることにする。吹雪には負担をかけてしまうが……これからも睦月を頼む」

 

「よろしくお願いします司令官。睦月ちゃん、如月ちゃんに会えない寂しさもありますけど……司令官に会えないことも寂がってると思うので」

 

 如月に会えない分、俺が少しでも睦月の心の隙間を埋める手助けになればいいのだが。

 

「そうだ吹雪。今、他に欲しいものはないか? 睦月のことを頼んでいる代わりと言ってはなんだが、欲しいものを買ってやるぞ。なんだったら、特別休暇を申請してもいい」

 

「へ? そ、そんなの別に――」

 

 俺の言葉に、いつも通りの謙虚さを見せる吹雪。

 が、その目がキラリと輝いた。

 

「……はっ! こ、これはチャンスなのでは? 提督から直々のお誘いなら、ルールには触れないはず……ごくり」

 

 吹雪は勇気を振り絞るように言った。

 

「で、でしたら! そ、その……今度のお休みの日に私と――」

 

「よーん、さーん、にー、いーーーーーーーーーーーち――はいっ、那珂ちゃんのハグタイムしゅうりょー! えっと、今日は10分ハグしたからー……えっと提督は500枚CDを買ってくれて、今日までで30枚分ハグタイム使って……んっとー、残り300分くらい? わーっ、提督うらやましー。那珂ちゃんとそんなにハグできるなんて、幸せ者ー」

 

 吹雪の言葉を遮った那珂がくるくる回りながら俺から離れた。

 

 確かに俺は那珂のCDを購入したが、どうも桁が一つ増えている気がする。ついでに言うと、CD1枚買う度に貰えるハグチケットとやらも最初は1枚1分だったはず。

 まあ……本人が言うなら、別にいいだろう。

 

「すまなかったな吹雪。で、なんだって?」

 

「……いえ、なんでもないですぅ。……はぁ」

 

 先ほどまでの勢いはどこへやら、しおしおとため息交じりで言った吹雪。

 一体なんだったんだろうか。

 

「それで何の話してたの? 那珂ちゃんにも教えてー」

 

「ああ、睦月が如月に会えなくて寂しがってるって話をだな」

 

「司令官!」

 

 吹雪が突然、俺の言葉を遮った。

 吹雪はブンブンと首を左右に振っている。それ以上はいけないと。

 

 そして俺は自分が地雷を踏んでしまったことに気づいた。

 那珂を見る。

 

 いつもの元気はどこへやら、目から光が消えてぶつぶつとうわ言のように言葉を吐いている。

 

「……き、如月せんぱいの話? へ、へー……あ、あれだよね。き、きさらぎ先輩頑張ってるよねー。な、なかちゃんあんまりテレビとか見ないからよくわかんないけど、結構頑張ってるらしいね。音楽番組とかだけじゃなくて、ドラマとか……こ、今度映画にも出るらしいねー、よく知らないけどぉ。べ、べつに那珂ちゃん羨ましいとか思ってないよ? だ、だって那珂ちゃんはほら、なんていうか……ファ、ファンを大切にする地元密着型だから……べ、別にテレビに出たいと思ったりなんか……してないし」

 

 どうやら俺は地雷を踏みぬいてしまったらしい。

 そりゃそうだろう。後からアイドルに転身した上、一気に自分を追い抜き今や誰もが知るスターだ。

 那珂も有名になってきたとはいえ、まだローカルアイドル。

 俺の配慮が足らなかった。

 

「げ、元気だして下さい那珂ちゃん先輩! あ、あれですよ……! き、如月ちゃんはもうトップまで行っちゃって、もう上には上がれないけど、那珂ちゃんさんはまだまだ上があるじゃないですか! 登りたい放題ですよ!?」

 

「おい吹雪、そのフォローはどうなんだ?」

 

 フォローになっているのか?

 那珂を見てみる。

 

「――だよねぇ!? 那珂ちゃんにはまだまだ登るべき坂があるもんね! 如月せんぱ……如月ちゃんはこれ以上上にいけないけど、那珂ちゃんはまだまだこれからだもん! そうだよっ、那珂ちゃんはぁ、まだ登り始めたばっかだもん! 果てしないアイドル坂を……!」

 

「元気出てるし」

 

「ありがとね、吹雪ちゃん! 那珂ちゃん頑張る! きらんっ!」

 

 まあ、那珂がそれでいいなら俺は何も言うまい。

 那珂は元気が取り柄だし、このポジティブな元気を武器にひたすら頑張って欲しい。

 

 気合を入れたせいだろうか、那珂のお腹の辺りから『ぐぅ~』という気の抜けた音が響いた。

 

「……」

 

 お腹を押さえる那珂。顔が赤い。

 口を開く。

 

「――も、もう吹雪ちゃんっ、はしたないよぉ? 女の子なんだから、男の人の前でお腹なんて鳴らしたら……ダ・メ・ダ・ゾ?」

 

「えぇぇぇぇぇ!? ちょっと那珂ちゃん先輩、それはないですよ!?」

 

「ああ、そうだ。いい機会だし、2人ともこのまま食事でもどうだ?」

 

 そろそろ昼時だ。俺もお腹が減った。

 

「い、いやいや! 提督も否定してくださいよ! 今のどう考えても那珂ちゃん先輩の音ですよ!?」

 

「アイドルはお腹なんて鳴らさないもーん」

 

 分かっている。本当のことを言って那珂を追い詰めたところで、逃走するか『みんなに苛められたよー』と神通に泣きつくかのどちらかだから、正直面倒くさい。

 

「那珂ちゃん先輩ひどいです……」

 

 涙目の吹雪には悪いが、ここは罪を被ってもらおう。あとでしっかりフォローはしておくが。

 

 さて、食事に誘ったわけだが。

 

「えー、どうしよっかなぁ。那珂ちゃんアイドルだからファンのみんなに誤解されたら困るしなー」

 

「それは大丈夫じゃないか?」

 

 アイドルの那珂がガスマスク着けてるなんて誰も思わないだろうし。というより俺も思わなかったし。

 那珂は腕を組み悩んでいる素振りをしながら、ちらちらとこちらに視線を向けている。

 

「でも提督はどうしてもって言うなら仕方ないからー、ちょっと今ジャーマネさんに電探でジュルスケ確認するねー。ピ・ポ・パ、と。もしもーし、那珂ちゃんだよーっ

 

 背を向けながらどこかと連絡をとる那珂。

 艦娘は艦娘同士で連絡を取り合うことができる能力を持っている。

 戦場でもこの能力を使うことで、臨機応変な戦術を可能としているのだ。

 

「……え、そうなの? うっそー、本当に? ――うん、それぜーんぶキャンセルねっ! かわりに神通ちゃんが出といてっ」

 

 連絡が終わったのか、那珂が笑顔でこちらに振り向いた。

 

「提督! 那珂ちゃん基本すっごく忙しいけど、今から奇跡的に時間空いてるってさ。提督ラッキーっ、きゃはっ」

 

「吹雪はどうだ?」

 

「私のお腹の音じゃないのに……。で、でもお食事のお誘いは、嬉しいです! 喜んで……っとちょっと待ってくださいね」

 

 今度は吹雪がどこかと連絡を取り始めた。

 

「あ、はい。そうです、吹雪……じゃなかったFBKです。そのことなんですけど、今日はお休みに……え!? 緊急!? 拒否権なしですか!? ……う、うぅ。わ、分かりました……えっと、榛名さんの部屋、だったところ?……ですか? ……は、はい分かりました。うぅ、すぐに行きます……」

 

 吹雪が申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい提督……! バイト先から今すぐ来いって急かされちゃって……。今日はどうしても休めないみたいで。誘ってくれたのはすごく、すっごーく! 嬉しいんですけけど……」

 

「いやいいさ。急に誘った俺が悪い。また次の機会にするよ」

 

 残念だ。

 

「で、どこ行くー? あっ、那珂ちゃんパスタ食べたいー。こないだ神通ちゃんと一緒に行ったイタリアンが凄く美味しかったんだっ。隠れ家的なお店で、本当は内緒にしときたいんだけど……提督は那珂ちゃんのファン第一号だから特別に教えてあげるねっ、きゃはっ――ってあれ? ちょ、ちょっと吹雪ちゃん! どーして那珂ちゃん引っ張っていくの!?」

 

「早く行かないと遅刻でペナルティついちゃいますよ」

 

「えっ、やだやだっ! 那珂ちゃん提督とランチするのー! ランチの後にそのまま町に行って、観覧車に乗ったり映画見に行ったりするの!」

 

「残念ですが諦めてください。……私だって本当に残念なんですからぁ」

 

「やだやだー! やだよぉー! ひ、久しぶりなのにぃ、こんなのってないよぉ!」

 

「な、泣かないで下さいよ那珂ちゃん先輩……。私だって泣けるものなら泣きたいですよ。せっかく司令官が誘ってくれたのに……くすん」

 

 吹雪と吹雪に引っ張られる那珂が離れていく。

 みんな忙しいんだな。本当に残念だ。

 

 

 ■■■

 

 涙目で那珂を引きずる吹雪と、アイドルが見せちゃいけない泣き顔を浮かべる那珂。

 

「とりあえず現場に行く前に装備室寄って行きますよ。第二種装備着けてくるように指示が出たので」

 

「えぇ!? あの宇宙服みたいな全然可愛くないやつ!? や、やだー! あんなの着てるの見られたら、那珂ちゃんのファンに幻滅されちゃうっ」

 

「大丈夫ですよ。顔も体も全部隠れますから、誰も那珂ちゃん先輩だって気づきませんから」

 

「オーラが! 那珂ちゃんのアイドルオーラで気づかれちゃうよぉ!」

 

「大丈夫ですよ。夕張さんが作った防護服ですから、炎から細菌、宇宙空間でも活動できるらしいですし、オーラだって遮断されますよ」

 

 引きずられる那珂の目にキラリと小さな炎が灯った。

 密かにメラメラと燃えるそれは野望の炎だ。

 

「……くすん。那珂ちゃん負けないもんっ。いつかアイドルのトップに立って、武道館とかに行って至上最高のライブをした後に、サプライズで提督に告白して電激引退するんだもん! それで子供ができたらアイドルに育て上げてどっかのプロデューサーに『アイドルの母親も元アイドルだった!? これはもう母娘アイドルユニット那珂那珂シスターズとして売り出すしかない』って感じで電撃復活するんだもん!」

 

 那珂の壮大かつ無謀な夢を聞いていたのは、鎮守府の海だけだった(あと吹雪)

 海は今日も全てを抱きしめる。壮大な夢も無謀な夢も。全てを平等に受け入れる。

 だがガスマスク着けて夢を叫ぶ女はちょっとなぁ……海はそう思った。

 思ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七駆逐隊と無謀な意思

今回は思いのほか長くなったので、前後編となっています。
第七駆逐隊のお話です。


 とある艦娘の4人部屋。

 4人の艦娘達が生活をしているその部屋は、まだ昼間だというのに暗闇に包まれていた。

 電気を消してカーテンも完全に締め切っている。

 光源は部屋の中心に立てている蝋燭の灯りのみ。

 

 その灯りを囲むように、4人の艦娘が座っていた。

 1人――不知火ほどではないが目つきの鋭い、鈴型の髪飾りをした艦娘が口を開いた。

 

「……で。その情報は確かなの? クソ提督が鎮守府を1人でうろついているって」

 

 その言葉を受けた別の艦娘がニヤリと笑みを浮かべた。

 桃色の髪をツインテールにした少女だ。ウサギのマスコットが肩に乗っている。

 

「ふっふっふ……クソツンデレちゃん? 今までこの私、クソメイドの情報が間違っていたことがありましたかな? いや、ない」

 

「あるわよ。この間あんたが仕入れてきた情報を鵜呑みにして、秘書艦になった時、語尾に『ニャン』付けてたらクソ提督に喜ばれるどころか医務室に連れて行かれたわよ」

 

「……そ、それはそれで役得だったでしょ? あけぼ……クソツンデレちゃん裏山C! 私も看病してもいたいなー」

 

「本気で頭の心配されて、艦娘専任のカウンセラーまで呼ばれそうになって……本気でそう思える?」

 

 鋭い目つきに睨まれ、笑顔のまま額に汗を浮かべるツインテールの少女。

 仕切り直すそうに手を合わせた。

 

「こ、今回は! 今回の情報は間違いなく、パーペキに! 間違いなんかじゃないんだから……! 実際にご主人様と会った子からの証言もあるし!」

 

「へー。それって誰?」

 

 別の少女。頬に絆創膏を貼った少女が興味深そうに聞いた。

 

「不知火ちゃんですよ。クソカニちゃん」 

 

「不知火さん?」

 

「そうそう。何かものすっごーく、機嫌よさそうだったんで話を聞いたら久しぶりにご主人様に会ったって。で、詳しく聞いたら、どうもご主人様今日はお休みで、鎮守府をうろうろしてるとか」

 

「機嫌よさそうな不知火さんってあんまり想像できないなぁ」

 

「スキップしながら鼻歌とか歌ってたよ」

 

 クソカニと呼ばれた少女が「マジで?」と信じられないものを見る表情を浮かべた。

 クソツンデレが口を開く。

 

「ふーん。不知火さんが言うなら、その情報は間違いないみたいね」

 

「だからそう言ったでしょ。本当にクソツンデレちゃんはもっと私を信用して下さいよー」

 

「あんたは前科が多すぎんのよ。というか……この呼び方はなんなの漣? 何で名前で呼んじゃいけないわけ?」

 

「しっ! あけぼ……じゃなくてクソツンデレちゃん! 誰が聞いてるか分からないでしょ!? 私たちが今から行おうとしている作戦を誰かに聞かれたら大変じゃないですか! こうやってコードネームで呼び合うことで、情報の漏洩を防いでるんですよ!」

 

「誰も聞いてる人なんていないでしょ……」

 

「分からないじゃないですか! モニターの向こうでマウスカチカチしながら漣達の話を盗聴、もとい盗視している人がいるかもしれないじゃないですか!」

 

「あんたが何を言ってるか分からないんだけど」

 

 クソメイドの意味不明な発言に、クソツンデレがため息を吐いた。

 

「……じゃクソメイドの情報が正しいとして、今日決行するってことでいい?」

 

「そりゃ今でしょ! ご主人様がフリーの日なんてチャンス、次いつあるか分からないし!」

 

「アタシもクソメイドに同意でー」

 

 クソツンデレの問いかけに、クソメイドとクソカニが肯定した。

 3人の目には決意の炎が小さく灯っている。もうすぐ行おうとしているある作戦へ意気込みを感じさせる小さな勇気の炎。

 意思を固めた3人の視線が――まだ1度も発言をしていない4人目の少女に向いた。

 

「……あ、あのね」

 

 視線を向けられた少女が、おずおずと口を開く。

 

「や、やっぱりやめない……? こ、こんなの……悪いことだし……ダメだと思う」

 

 胸の前で自分の手を握りながら、震える言葉を紡ぐ少女。

 自分達が行おうとしている作戦に怖気づいているのが、誰から見ても明白だった。3人の目に灯っている決意の炎が、少女にはない。目には不安の感情が潤うように揺れている。

 

「……失敗したら大変なことになっちゃうし……提督にも迷惑をかけちゃう……」

 

 少女の言葉にクソメイドがやれやれとため息を吐きつつ声をかけようとした。

 が、それをクソツンデレが遮り、口を開く。

 

「ねえ……潮」

 

「クソおっぱいだよ、クソツンデレちゃん」

 

「……」

 

 クソメイドを睨みつけるクソツンデレ。

 睨み付けた後、再度クソおっぱいと呼ばれた少女に視線を向けた。

 

「ねえクソおっぱい。あんた……本当にそれでいいの?」

 

「あ、曙ちゃん……」

 

「クソメイドだよ、クソおっぱいちゃん」

 

「朧。ちょっとそこの漣の口を塞いどいて」

 

「おっけ」

 

 朧が漣の背後に回りこみ、その体を拘束した。口を塞ぐ瞬間『言論の自由を!』『漣死せども自由は死せず!』などと意味不明なことを言っていたが、誰も聞いていなかった。

 これで邪魔者は消えた、と曙は小さくため息を吐いた。

 改めてクソおっぱいに視線を向ける。

 

「ねえ、本当にそれでいいの? 確かにあんたの言う通り、あたし達がやろうとしていることは、悪いことよ。きっとクソ提督にも迷惑をかけると思う」

 

「う、うん……だから……」

 

「だから? だから止めるの? それでいいの? そんなんだとずっと……このままよ。あたし達の……あんたの欲しいものは一生、手に入らないわよ」

 

「……っ」

 

 責めるような言葉とは裏腹に、曙の口調は穏やかなものだった。

 

「これから艦娘も増えていって、クソ提督に会える時間もどんどん減っていく。戦艦とか空母とかの強い艦娘はいいわよ。大規模作戦で頑張って貢献すれば、クソ提督に褒められる。いつまでも側に居られる。……でもあたし達みたいな弱い駆逐艦だとそうはいかない。どう頑張ったって戦艦には勝てないし、クソ提督の側にいられる機会は少なくなっていくわ」」

 

「……」

 

 クソツンデレの言葉に、クソおっぱいがギュッと唇を嚙んだ。

 

「それでもいいの?」

 

「……やだ」

 

 くそおっぱい改め、潮の口から搾り出すように小さな声が出てきた。

 掠れるような震えた言葉だが、その言葉にはハッキリとした意思が篭っていた。

 

「潮、あんたはどうしたいの?」

 

「……提督の側に……いたいよ」

 

「最初からそう言いなさいよ。全く、世話が焼けるわね」

 

 口調こそ棘があるが、その顔は穏やかだった。手のかかる妹を見るような慈愛を含んだ顔。

 泣きそうになるクソおっぱい(の頭)を優しく撫でる。

 

「むごぉ! だ、大丈夫だよ潮ちゃん! みんなで力を合わせればきっとうまくいくよ!」

 

 朧の拘束を逃れた漣が、潮を元気付けるように言った。

 

「だって私たち第七駆逐隊は……仲間だもんげ!」

 

「そう、だよね……。力を合わせれば……上手くいくよね」

 

 漣の言葉に、潮の瞳にも小さな火が灯った。決意の火。蝋燭のように小さいが、決して消えない火。

 その目を見た曙が穏やかな表情で頷いた。

 

「ん。……じゃ、潮もいいわね。全員の意見が一致したところで……今日、作戦を決行するわ」

 

「ほいさっさー!」

 

「りょうかーい」

 

「う、うん頑張る……!」

 

 4人が決意を固めた表情で頷く。

 彼女達の間には、見えないが確かな繋がりがあった。絆という何よりも固い繋がりが。

 

「じゃあ改めて作戦を簡単に説明するわよ。――クソ提督を拉致ってあたし達のものにする、以上!」

 

「曙ちゃんそれ肝心なところ言ってないでしょ。ご主人様と拉致って監禁して、みんなで力を合わせてご主人様のアレを色々アレして――既成事実を作る、これがメインでしょ」

 

「……わ、分かってるわよ」

 

 曙が頬を染めてキッと漣を睨みつけた。

 今日の日のために、何日も話し合って練った計画だが、後半部分のアレをアレする部分だけは、どうも恥ずかしいと思う曙だ。

 朧も潮もアレする部分を想像したのか、顔を赤くしている。朧はあまり興味がないような素振りをしながら、潮を顔を伏せて……だが、耳まで赤くなっているので隠せていない。

 漣だけは普段通りの笑顔を浮かべながら、アレをアレするところを嬉々として説明している。

 どこから取り出したのか、薄い本(by秋雲)を取り出しアレをアレする場面を詳細に説明する始末。

 3人は生唾を飲み込みながら、漣の説明を聞いた。

 

 

 そもそもこの第七駆逐隊が何故、この作戦を決行するに至ったのか。

 

 

■■■

 

 話は1月前に遡る。

 

 その日はお互いのT-pointを出し合って提督を1日中自由にする権利を得ていた第七駆逐隊。

 前日に綿密な予定を立て、行く場所の下見も行い、1日の中で2人きりになる時間も決めて……準備は完璧だった。

 完璧だったのだ。

 

 だが――

 

 その予定はおじゃんになってしまった。

 大本営に提督が呼び出され、丸一日不在になってしまったからだ。

 

「ま、しょうがないわね」

 

「……う、うん。残念だけど」

 

「だよねー」

 

「これも全部大本営ってやつの仕業なんだ!」

 

 と、それぞれ納得はした。残念だけど、仕方が無い。

 せっかく準備をして、楽しみにしていたけど……仕方が無い。

 提督の仕事だから仕方が無い。子供じゃないのだ。急に仕事が入って遊園地にいけなくなった子供のように駄々をこねても仕方が無い、分かっている。

 

 そしてその日は特に何もせず、眠りについた。

 

 真夜中。

 

 4人が布団を並べて眠る部屋。

 誰が言ったか分からないが……確かに誰がが言った。

 消え入りそうな、小さな声が部屋の中に響いた。

 

「――さみしい……よ。仕方ないなんて……思えないよ」

 

 嗚咽の混じった言葉で、誰かが言ったのだ。

 親の帰りを待つ子供のような、心細さを堪える嗚咽。

 その嗚咽は部屋に響き……1つだった泣き声は気づけば2つになっていた。

 2つから3つ。3つから4つ。

 全員が泣いていた。

 部屋の天井を見上げながら、全員が泣いていた。

 同じ感情を共有した彼女達は、布団から出した手を握り合っていた。

 

 誰かが言った。

 

「もう……我慢できないよ」

 

 誰かが答えた。

 

「……うん。私も」

 

 答えた。

 

「じゃあどうする?」

 

「提督とずっと居たい……」

 

「駆け落ちとかしちゃう?」

 

「うーん、ちょっと現実的じゃないかも。すぐ見つかるだろうし」

 

「……だったら、提督を捕まえて……みんなで一気にメロメロにしちゃうとか」

 

「メロメロ?」

 

「そうメロメロ。私たちに釘付け。そうしたらずっと一緒に居られるよ」

 

「キタコレ! そのプランで行こう!」

 

「漣。夜だから。静かに」

 

「……しょぼん」

 

「で、捕まえるたってどうするの? それこそすぐに見つかるでしょ」

 

「……あ、そう言えば夕張さんが『あー、無性に秘密の部屋を作りたい! 地下室とか作ってみたい!』って呟いてたの聞いたよ」

 

「「「「それだ!」」」」

 

 

 

■■■

 

 

 

 かくして計画は始動した。

 提督を拉致して地下室に監禁する。そして速やかに既成事実を作り、これから先、戦争が終わったあとも側に居られるようなポジションを確保する。

 恐ろしい計画だ。鎮守府のトップである提督を拉致監禁しようとしているのだ。

 もしバレれば処罰は免れないだろう。下手をすれば解体処分されるかもしれない。

 

 だがそれでも――それでもやらなければならない。

 それほどまでに追い詰められていたのだ。増えていく艦娘と、将来自分達の立場がどうなるか分からない不安感。

 その感情が今回の作戦の後押しとなった。

 

 自分達は弱い。戦力的にも弱いし、それぞれが将来的に側に居られるほど愛を上手く伝える自信がない。

 だが4人なら。1人じゃダメでも4人なら。

 1本の矢は簡単に折れるが、4人では折れない。

 4人が力を合わせれば、なんだってできる。

 

 4人は力を合わせて計画を進めた。

 各々の役割を検討して、準備して、リハーサルをして、検討しなおして……とうとう今日が来たのだ。

 

 あとは決行するだけ。

 

「じゃ、それぞれ配置につくわよ」

 

「……う、うん」

 

「大丈夫よ潮。みんなでやれば……きっと上手くいく」

 

「曙ちゃん……」

 

 不安感の押し潰されそうな潮を見た曙が、彼女の震える手をギュッと握り締めた。

 

「なんとかなるって」

 

「朧ちゃん……」

 

「そうそう。ウィーアーザベストフレンド! 我ら、第七駆逐艦なりってね」

 

「漣ちゃん……ちょっとそれよく分からないけど」

 

「ヒドス!」

 

 漣のおどけるような仕草に、笑顔を浮かべる4人。

 潮の手を覆うように、全員が手に触れていた。もう震えは止まっていた。

 

 曙が3人の顔を順に見る。

 全員が頷いた。

 

「よし。じゃあ――オペレーション『ハイエース』! 現時刻を持って開始とする! ……ねえ、漣、この作戦名なんとかならなかったの?」

 

「んんwwww今更言うとか遅すぎですぞwwwww」

 

「でも『提督をメロメロキュンキュンにしてみんなで幸せ王国建国』とかお花畑感満載の作戦名よりマシじゃない?」

 

「ひ、酷いです……! 朧ちゃん……!」

 

 作戦は始動した。

 時計の針は戻せない。後はただ進んでいくのみ。

 

「じゃあ……それぞれ配置に着いて。ってこら漣!? 何で蝋燭の火消すのよ!? 何も見えないでしょ!?」

 

「いやここは火を消してみんなが『サッ』と散る場面でしょうJK。大丈夫だって、みんな目がいいからこのくらいの暗さで転ぶとかウボァー!? 何か具体的に言うと朧ちゃんの蟹と思われるものに躓いて転んだぁぁぁ!?」

 

「だから言ったでしょうに」

 

「床にぶつか……らない!? 何だろうこれ柔らかい……イヤ、違う地面じゃないな。地面はもっと固いですもんね。……ん、これはもしかして……モミッ、これはうしおっぱい! 潮ちゃんのおっぱいがクッションに!?」

 

「も、揉まないで漣ちゃん……」

 

「はいはい。漣、いいからさっさとどきなさい。朧、カーテン開けて。じゃ、ぼちぼちみんな動いて」

 

 計画のリーダー的立場である、曙は思った。

 この面子で上手くいくのだろうか、と。

 カーテンが開かれ、潮に馬乗りになって胸を揉む漣を見て、心の底からそう思うのだった。

 

 

■■■

 

 

「しかし腹が減ったな」

 

 那珂と吹雪を誘い損ねたのは痛い。

 別に1人で飯を食いに行ってもいいのだが、ずっと誰かと一緒に飯を食ってきたので今更1人で食えと言われたら、ちょっと戸惑ってしまう。

 食堂に行ったら誰かいるだろうか。

 誰か食べている艦娘がいたら、混ぜてもらってもいいかもしれない。

 

 

 

『――すん、ぐすん』

 

 

 

 間宮の足を向けようとした瞬間、俺の耳は小さな、本当に小さな音を捉えた。

 誰かがすすり泣くような声。聞き覚えのある声だ。

 

『……くすん、すんっ』

 

「聞き間違いじゃないな」

 

 泣き声の方に向かって歩く。

 流石に提督として、泣いている艦娘がいるとしたら見過ごせない。

 歩いていくと建物の隙間、人気の無い場所に辿り着いた。

 置かれている資材で人の目が届かない路地。

 

「誰かいるのか?」

 

 路地に入る。

 すぐに泣き声の正体と遭遇した。

 背を向けて屈み込んでいる少女。長い黒髪の白いヘアバンド。

 

「潮……か?」

 

「……ていとく?」

 

 背を向けながら発せられたその声は、確かに『潮』のものだった。

 聞き覚えのある泣き声。どうやら潮のものだったらしい。

 

「どうした? どうして泣いている?」

 

 潮が泣いている姿を見るのは随分と久しぶりだ。

 心優しく、そして気の小さい彼女は何かとよく泣いていた。戦場で敵と戦って、他の艦娘と上手くいかなくて……よく泣いていた。

 その度に俺が慰めていたものだが……最近は泣く姿を見ていない。漣や曙といった第七駆逐隊が揃ってからだろうか。彼女達と一緒になってからは、彼女達のフォローもあってか、落ち込んで泣いたりする姿は見ていない。

 最後に見たのは改ニになった祝いの席で、嬉しさのあまり号泣したときだ。

 

 そんな彼女が泣いている。人気のない場所で。

 どう考えても嬉しさのあまり泣いているようになんて見えない。

 

「あれか? 曙にキツイことを言われたのか? だがアイツの言葉はキツイがちゃんと相手を思いやってのことだから……」

 

「……ち、ちがいます」

 

「じゃああれか。漣にまた胸のことで弄られたのか? アイツは本当にしょうがないな……今度しっかり言い聞かせてやる」

 

「……そ、それも違います。い、いえよく弄られることは弄られるんですけど……そのことで泣いてたわけじゃありません……」

 

 うなじが赤く染まっている。

 

「そうか。何で泣いてるか分からないが……俺に相談してくれ。俺にできることなら何でもするぞ。俺に相談しにくいなら、相談しやすくて口の堅い艦娘を紹介する」

 

「……提督は優しいですね」

 

 いつの間にか、泣き声は止んでいた。

 

「いつも私のことを気にかけてくれて……助けてくれる。提督は私にとっての……王子様なんです」

 

「……王子様って柄ではないけど」

 

「本当にありがとうございます……。提督がいなかったら私、今までやって来れなかったと思います」

 

「いや、俺がいなくても潮は上手くやっていけたさ。俺はちょっと手助けをしただけだ。お前にはもともと力があった」

 

「……そうやって、いつも優しくしてくれる。そういうところが……大好きなんです」

 

 突然の言葉に、体が硬直する。

 金剛のように日ごろから俺のことを好きだという艦娘はいるが、潮はそういうタイプじゃなかったはずだ。

 

 潮が立ち上がり、ゆっくり振り向く。

 

「その優しさを……私たちだけに向けて欲しいと思う私は……悪い子です」

 

「潮……?」

 

 俺に向けられた表情は泣き顔ではなく……何故か戦場に向かう凛々しい表情だった。

 瞳にわずかなためらいの揺れを感じた。が、それ以上に何かを決意した力強い意思を感じる。

 それだけの感情が瞳に詰め込まれているのに――不思議なことに、瞳には光が無かった。

 

「どうした潮? 何かあったのか?」

 

「大好きです提督。それから……本当に……ごめんなさい」

 

 その謝罪を意味を問いただす前に、俺の背中に何か固いものが押し付けられた。

 そしていつの間にか背後に現れた気配。

 振り返る瞬間に相手を攻撃しなかったのは、その相手に全く敵意を感じなかったからだ。

 

 振り返った俺の目に入ってきたのは……曙。

 

「久しぶりねクソ提督」

 

「曙? 一体何を――」

 

「あとでゆっくり話しましょ。じゃ、おやすみ――」

 

 瞬間、俺の腹部に突き刺さるような痛みが生じた。痛みは全身に伝播し、頭を突き抜ける。

 体の自由が奪われ、そのまま地面に倒れ付した。

 意識がゆっくりと失われていく。

 

「はぁ!? ちょ、ちょっとこれこんなに効くなんて……こら漣! 話が違うじゃない!?」

 

「はいはーい呼んだカニ? ってうお!? ご主人様の体が打ち上げられたイ級のようにビクンビクンと!? さ、漣ちゃんなんてことを……」

 

「このスタンガン、あんたが用意したんでしょ!?」

 

 完全に意識が失われる寸前、そんなやり取りが聞こえ――俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 



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第七駆逐隊と秘密の小部屋

 

 

「……う」

 

 鼻腔内に入ってきたカビの匂いに、俺はゆっくりと覚醒した。

 目を開ける。まず目に入ってきたのは鉄でできた扉だ。

 周囲を見渡すと、薄汚れた壁で囲まれていることに気づいた。狭い部屋だ。

 天井には申し訳程度にランプが吊るされていた。扉には窓もついておらず、光源はそのランプしかない。

 どこかの地下室だろうか。

 

 自分の状態を確認してみる。

 椅子に座らされていてようだ。そして……

 

「くっ」

 

 椅子から立ち上がることはできない。なぜなら、両腕を椅子の後ろで縛られ、足も椅子に縛り付けられている。

 どうやら完全に拘束されてしまっているようだ。

 体調は……問題ない。外傷も見られないようだ。若干腹部が痺れるが、それ以外に傷むところはない。

 それよりも問題は頭だ。

 なぜ、自分がこんな所で拘束されているのか、その経緯にあたる記憶がすっぽり抜け落ちている。

 久しぶりの休みに、鎮守府の散策をしていたところまでは覚えている。そして潮に出会って……その辺りがはっきりしない。

 

 いくつか自分の状況に当てはまる可能性を考えてみる。

 一番高い可能性は……敵対勢力に拉致されたという可能性だろう。

 敵と言っても、深海棲艦ではない。連中はあくまで海だけの敵だ。

 この場合の敵は……軍の連中だろう。上の連中か、それとも同期か……自分で言うのもなんだが、俺はかなり戦果をあげている。当然ながら仲間である艦娘たちの頑張りのお陰だ。そしてそんな俺をやっかむ連中――敵は多い。ここだけの話、何度か俺を亡き者にせんと刺客が送り込まれて来たことがある。だが俺が今こうして生きているのは、力強い護衛がいたからだ。何度も命の危機を救ってくれた護衛。

 だが、今こうして捕まっている以上、その護衛が張っている網をすり抜けたということ。つまり敵はかなり手強い。

 くそ、いったいどこの誰なんだ……。

 

――カチャカチャカチャ

 

 どこからか音が聞こえた。随分と近い。

 

「このっ、えいえいっ……なんだこれ。全然外れないじゃないですか」

 

 音と共に声も聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。

 

「どうしてこう、ベルトってのは外しにくいんですかねぇっ。やっぱりズボン履いてるような連中はダメですね」

 

 ――カチャカチャカチャッ!

 

 無理やり知恵の輪を外そうとするような、そんな音が聞こえる。

 音の発生源は……俺の股間辺りからだ。

 

 視線を下げてみる。

 

「もういっそ切ってしまいましょうかっ……あ。外れた。おっしおっし。後はご主人様のズボンを下ろして……って、座ってるから脱がせないじゃないですかぁ! あーもう、本気で切っちゃいましょうかね」

 

 桃色の髪をツインテールにした何者かが、そんなことを言いながら俺の股間の辺りに顔をうずめていた。

 見る人が見たらまず間違いなく勘違いをする光景だ。

 

 そして俺はこの声の主に心辺りがあった。

 

「漣。おい漣」

 

「んん? 何ですかこのジッパーは? 漣のログには残ってませんけど……おう゛!? ジッパーを下ろしたらご主人様の下着が現れた。何を言っているか分からないと思いますけど、漣自身もよく分かりません……ゴクリ。つ、つまり今漣の目の前にある下着をちょいとずらせば……レッドスネークカモンってことですかにゃ?」

 

 あ、コイツ間違いなく漣だわ。

 

「おいっ、漣! 聞こえてるのか!? さざな……おい! 下着に手をかけるな!」

 

「はぁ? もー、何ですかさっきから。漣は忙しいんですよ――」

 

 溜息を吐きながら頭を上げる漣。

 視線が交差する。

 

「おやご主人様? 目が覚めたんですか? ……チッ」

 

「ああ、お陰様でな。つーかお前今舌打ちしただろ」

 

「いやいやまさか。尊敬するご主人様に対してそんな失礼なことするわけないじゃないですかー」

 

 ヒラヒラと手を振りつつ笑う漣。

 このふざけた態度、間違いなく漣だ。

 

「まあいい。おい漣、色々聞きたいことはあるが、さっきから俺のズボンを下げて何をしようとしている」

 

「何ってあれですよ。これからたっぷりお世話になるご主人様の単装砲ちゃんをを一足先に拝見しようと思っているんですよ。言わせないだください恥ずかしい」

 

 こちらを咎めるような口調の漣。

 頭が痛い……。腕が自由なら頭を抱えているところだ。そして漣の頭にキツイのを一発お見舞いしているだろう。

 

 ともかく、漣の奇行については後でしっかりお灸を据えるとして……助かった。

 敵に捕まってどれだけの時間が経ったかは分からないが、そこまで時間は立っていないと思う。

 助けに来るのが漣だったことに少々驚きはしたが、ともかく助かった。

 

「とりあえずこの縄をさっさと外してくれ」

 

「え? イヤですけど」

 

 何言ってんだこの人、みたいな目で見てきた。

 

「イヤってお前……俺を助けに来たんじゃないのか?」

 

「はぁ? 何言ってるんですかご主人様。頭に魚雷でも食らっておかしくなっちゃったんですか?」

 

 頭に魚雷を食らったら普通は死ぬ。

 だが一体どういうことだ? 漣は別にふざけている様子は見えない。本気で俺の言っていることの意味が分からないようだ。

 

「確認したいんだが。俺は何者かに拉致されて、ここに監禁されている。そうだな?」

 

「なんだ、分かってるんじゃないですか」

 

「そしてお前はそんな俺を助けに来た……というわけじゃないのか?」

 

 俺と問いかけに漣は腕を組み首を傾げた。

 そのまま思案顔を浮かべ……ポンと手を打った。

 

「あーはいはい! そういうことですか。オーケーオーケー把握しました。どうやらご主人様は何か勘違いしてるみたいですね」

 

 勘違い?

 

「ご主人様? よーく思い出してください。つい30分前の出来事ですよ? ご主人様は鎮守府の人気がない路地に入ったんです、潮ちゃんの泣き声に誘われて」

 

「……ああ、そうだ。潮の泣き声が聞こえたんだ。泣かした相手をどうしてやろうかと考えながら、そこに向かった」

 

「はぁー、いいですねー。潮ちゃん愛されてますねー、うむむ、羨ましい……」

 

 そして潮を見つけた。だが俺の前に現れた潮の目に涙はなく、それどころか凛々しい表情を浮かべていた。

 それから……目だ。あの目、倒れる前の不知火と同じような、胡乱な目。そんな目で俺を見ていた。

 

「そして……」

 

 思い出す。俺の目の前に現れたのは――

 

 

『久しぶりねクソ提督』

 

 

「曙だ。曙が俺の前に現れて……曙が……俺に?」

 

 曙は手に何かを持っていた。すぐに意識が吹っ飛んだのではっきりとは言えないがアレはスタンガンのように見えた。

 だとしたら俺を拉致したのは……曙?

 今この状況を作った犯人は――曙なのか。

 

「思い……出した……!って感じですかご主人様?」

 

「……ああ。あまり信じたくはないが……曙に拉致されたのか」

 

「そうですよー」

 

 その事実に俺の心はナイフで刺されたような痛みを走らせた。

 普段から罵声を浴びせられてはいたし、間違っても好かれていないとは思っていたが……まさか、ここまでとは。

 

 全ての艦娘から慕われているなんて厚かましいことは考えていない。中には曙のように俺を嫌っている艦娘もいるだろう。

 それは仕方ないことだ。だがよもや俺を拉致するほど嫌っていたとは……非常にショックだ。

 

「まさかここまで嫌われていたとは……」

 

「えぇ!? い、いやそういうわけではなく……ああでも、状況を考えると間違いなくそう考えちゃうかー。ど、どうしよう。何て説明すればいいんでしょうか」

 

 何故かおろおろとうろたえる漣。

 しかしだとしたら、目の前の漣は何なんだろうか。

 曙が俺を拉致した犯人だとして、漣はどうしてここに……。

 

 そんなことを考えているとゴンゴンという鉄を叩く音が扉から聞こえた。

 次いで棘のある声。

 

「おーい漣。巻雲を部屋に連れて行ったわ。全く……まさかクソ提督を運ぶところをあの子に目撃されるなんて。一応用意しておいた即効性の睡眠薬と短期間の記憶を消す薬ががあったから助かったけど。索敵の甘さが仇になったわね……とにかく早く開けなさいよ」

 

「あちゃー、このタイミングで帰ってきちゃいましたかー。間が悪いですねぇ。……ま、いっか」

 

 漣が扉にかかっていた鍵を外し開けた

 扉の向こうに立っていたのは、今しがた話していたばかりの艦娘――曙だ。

 

「あ、クソ提督。目が覚めたのね」

 

 俺を見た曙はいつも通り睨みつける表情のまま、ツカツカと歩み寄ってきた。

 思わず体が強張る。

 曙が何の目的で俺を拉致したのか分からないが、危害を加えられる可能性もあるだろう。……考えたくはないが。

 

「ちょっと捲るわよ」

 

 突然、曙が俺の上着を捲り上げた。素肌が地下室のひんやりした外気にさらされ、鳥肌が立つ。

 曙は俺の素肌、腹部辺りに手を這わせた。

 ひんやりとした手が、何かを確認するようにペタペタ這いまわる。

 くすぐったいが状況が状況だけに、笑うこともできない。

 

「痛むところはない?」

 

「は?」

 

「だから痛むところはないかって聞いたのよ」

 

 問い詰めるような言葉に、首を横に振ることで答えた。

 

「そう。じゃあ気分が悪いとかは? 頭痛は? ちゃんと喋れる? 寒くない? 喉渇いてない?」

 

 こちらを睨みつけながら、実家にいる母親のような心配の言葉を発する曙。

 そんな曙にひらひらと手を振りながら漣が言った。

 

「だから大丈夫だってー。あのスタンガン後遺症は絶対にないって、ゆうば……UBRさんも言ってたでしょ?」

 

「わ、分かってるわよ! でも、一応確認しておかないといけないでしょうが!」

 

 顔を赤くして漣を睨みつける曙。

 どうやら危害を加えてくる様子はなさそうだ。それどころか、気絶させた俺の体調を心配している。

 ますますもって曙の目的が分からない。

 

「なあ、曙。お前が俺を拉致した、ってことでいいのか?」

 

「ええ、そうよ」

 

 どうやら本当に曙の手で拉致されたらしい。

 とすると漣は……。

 

「漣も共犯ですよ。ついでに言うと、潮ちゃんも朧ちゃんも共犯ですねー」

 

 俺の視線を受けた漣が笑顔で言った。

 

 どうやら漣も共犯で、更に第七駆逐の全員が絡んでいるようだ。

 頭を抱えたくなる。

 

 どうしてこんなことを、理由を尋ねたい。

 だが、その前に今行われている行為がどれだけ無謀なものかを言いたくなった。

 

「どんな理由で俺を拉致したのか分からないけどな。やめとけ。こんなことすぐにバレる。こう見えても俺はこの鎮守府のトップなんだ。不在が分かればすぐに捜索される。ここがどこかは分からないが、見つかるのも時間の問題だ。今ならまだおふざけで済まされる。だから早く俺を解放しろ」

 

「それはできかねますねー。あ、ちなみにここ漣達の部屋の地下なんで」

 

「近すぎだろ!?」

 

 てっきり鎮守府の外に監禁されているのかと思ったら、まさか部屋の地下だったとは。

 だが、なおさらここがバレるのも早いだろう。

 

 俺が考えてることを見透かしたのか、曙が腕を組んだまま言った。

 

「ま、いずれはバレるわ。でもね、あたし達が何の考えもなしに、クソ提督を拉致したと思う? あんたの発見、ここの発見、両方が遅れるような手段はとってるわ」

 

「手段、だと?」

 

「そうよ。とりあえずあんたの不在がバレないように……影武者を立ててるわ」

 

「朧ちゃんですよー」

 

 漣が曙の言葉を補足するように言った。

 朧が俺の影武者を……?

 

 いや、流石にそれは無理があるのではないだろうか。

 拉致されている身でありながら、心配になってしまう。

 

 

■■■

 

 

 

「……はぁ」

 

 朧は執務室の提督の椅子に座りながらため息を吐いた。

 

「なんであそこでチョキを出しちゃったかなぁ」

 

 役割をジャンケンで決めた時、まず一番最初に負けたのは朧だった。

 そして与えられた役割は提督の影武者。

 提督不在がバレないように、提督として振舞うのだ。

 

 その期限は未定。

 作戦の最終段階、提督をメロメロの骨抜きにするまで自分の役割は続く。

 漣と曙が上手くやらなければ、自分の役割は終わらない。

 

「羨ましいなぁ……」

 

 羨望の対象は漣と曙だ。

 提督をメロメロの骨抜きにするということは、アレをアレしてあれしちゃうということだ。

 密かに枕の下に提督の写真を入れるくらいには提督を好きな朧は、自分がその役割だったら……そう思って顔を赤くした。

 

 そこそこ骨抜きにした後、役割を変わるように約束はしているが……それがいつになるかは分からない。

 

「あーあ」

 

 この役割に当たったことで得したことなど、提督が先ほどまで来ていた軍服を着用できることくらいだ。

 朧に不釣合いな大きさの白い軍服。着ていることで、まるで提督に包まれているように錯覚する。

 

「……すんすん」

 

 匂ってみる。提督の匂いに混じって何やら焦げ臭い匂いがした。

 曙がスタンガンを使用したときに焦げてしまったのだろう。

 

 ふと、朧の心に邪まなものが浮かんだ。

 

(匂いだけじゃなくて……舐めたりしたら……どんな感じかな)

 

 好奇心には勝てない。

 朧は軍服を舐めようとして……そのために邪魔な頭をすっぽり覆っている物を外そうとして――

 

 

「――グーテンモールゲーン! この時間からは私が秘書艦を勤めまーす! アドミラールさん、よろしくねー!」

 

 

 扉を勢いよく開けて元気な挨拶をしてきたプリンツオイゲンを見て、慌てて外そうとしたものを被りなおした。

 

「あれれぇ? アドミラールさん、何か……身長縮んだ?」

 

 首を傾げながら、ツカツカと歩み寄ってくるプリンツ。

 

「い、いや……特には……変わってないぞ」

 

「それに声高いねー?」

 

「……そ、それは……ちょっと風邪をな」

 

 朧の非常に苦しい弁解は、プリンツがかなり天然ちゃんだったため「そうなんだー」と納得された。

 ホッと胸を撫で下ろす朧。

 

 今のところ、朧が影武者であることはバレていないようだ。

 提督が着ていた軍服と、そして――被っている提督のマスク。

 それを着用している朧は、完全に提督の影武者と化していた。

 

(それにしてもこのマスク、よくできてるなぁ。全然バレそうにないし) 

 

 生活用品や嗜好品が売っている購買部――ではなく、提督に関する物品が売っている裏購買部に置いてあったこのマスクは、安価だったが非常によくでてきていた。質感も人間の肌とほぼ変わりなく、一見すると提督の生首にしか見えない。問題があるとするなら、マスクなので表情は変えることができず、その表情が――海外のホームドラマに出てくるテンション高めの父親のような満面の笑みである、ということだろうか。

 

「大丈夫アドミラールさん? あんまり無理しないでね? あっ、そうだ! オカユ! オカユ作ってくるね!」

 

「え、いや……」

 

「すぐ作ってくるから! ダンケいっぱい込めたオカユ! 待っててねー!」

 

 そう言うとプリンツはパタパタと走り去ってしまった。

 1人になった朧は、机に突っ伏して深くため息を吐いた。

 

「はぁー……こんなのがずっと続くのかー」

 

 改めて自分の役割の面倒くささを思う。

 

「とりあえずプリンツさんが帰ってくるまで休憩しとこーっと」

 

 手持ち沙汰なのか、ほぼ無意識に机の中を漁る。

 書類やら筆記用具など朧にとって面白みもないものしか入っていなかった。

 

「あれ?」

 

 3段目の机を漁っているとき、妙なことに気づいた。

 2段目の机に比べて、妙に底が浅い。

 外から見ると全く同じ高さなのに。

 

「何かでっぱりが……あ、外れた」

 

 妙に浅い底を触っていると、底が外れた。

 二重底だ。

 

「こ、これは……」

 

 ニ重底の奥に隠されていたのは……明らかに未成年が買うことのできない肌色多めの雑誌。

 どうやら朧は提督の秘密の小部屋を開けてしまったらしい。

 ゴクリと生唾を飲み込む。

 

「そ、そっか。提督も男の人だからね。しょ、しょうがない……カニ」

 

 慕っている提督の生々しい部分を見つけてしまった動揺からか、妙な語尾をつけてしまう朧。

 他人の秘密を暴いてしまった罪悪感に追い立てられるように、慌てて引き出しを閉めようとする……が、手が止まってしまった。

 心臓の鼓動がうるさい。

 その心臓から生まれた邪まな感情に身を任せて、雑誌を手にとってしまった。

 

「これを読めば提督の好みが……分かる」

 

 既に罪悪感は微塵もなく、朧の心を占めているのは他人の秘密を覗き見る背徳感と慕っている異性がどんな女性の興味があるのかを知りたいという好奇心だった。

 

「こ、これくらいいいよね? だって、ほら、私って今提督だし。うん。だから大丈夫大丈夫」

 

 誰が見てるわけでもないのに、自分を納得させるかのように呟く。

 

 朧は震える手でページを開いた――

 

 

 

■■■

 

「何だか嫌な予感がする」

 

 背筋を這い回るような予感。

 根拠の無い直感だが、俺は今までこの直感に助けられていた。

 その直感が告げている――何かヤバイと。

 戦場であればこの直感に従い撤退指示を出すのだが、残念なことにここは戦場でもなければ物理的に撤退もできない。

 

 朧が影武者をしてるってことは、執務室にいるんだよな。まさかと思うが、俺の机の中にあるアレを見つけたりなんかはしていないだろうか。アレは俺の物じゃなくて、秋雲が絵のモデルのお礼にと渡してきたものだ。折角もらったものだし捨てるわけにもいかないし、だからといっておおっぴらに置いておくわけにはいかない。そういうわけで机に仕掛けをして隠しておいたんだが……大丈夫だろうか。

 

「さて、提督の不在は朧ちゃんが頑張ってくれてるので大丈夫です」

 

 俺の予感など露知らず、漣は不敵な笑みを浮かべつつ対応策について語った。

 

「ではもう一つの対策ですが、この地下室の入り口には門番がいます」

 

「門番?」

 

「ふっふっふ……もし誰かが部屋に入ってきても、彼女を倒さなければこの地下室には入ってこれません」

 

 一体誰だ……って、残りのメンバーから考えるに潮以外にいないか。

 

「彼女は私達の中で最強――もとい最胸の艦娘!」

 

 潮の姿を思い浮かべる。

 第七駆逐隊の中で特に誰かと争うといったことが苦手な彼女だ。 

 門番という役割は明らかなミスチョイスに思えた。

 

 

■■■

 

 

 地下室の真上、第七駆逐艦の部屋、その中心に潮は座布団を敷いて正座をしていた。

 体はガチガチに強張り、誰が見ても緊張をしている。

 

「うぅ……」

 

 周囲を落ち着きなく見渡し、今にも泣きそうな顔をしていた。

 彼女の役割は地下室への入り口――座布団の下にある入り口を死守すること。

 もし自分が突破されたら、今回の作戦は全て水泡に帰す。

 そのプレッシャーが潮の精神をじわじわと押し潰そうとしていた。

 

「お願いだから誰も来ないで下さい……」

 

 祈るように両手を絡める潮。

 だが潮の祈りは届かなかった。

 

――こんこん

 

「ひっ!?」

 

 部屋がノックされた音に、思わず短い悲鳴をあげてしまう。

 口を塞ぐがもう遅い。

 

「どもー青葉でーす。ちょっといいですかー」

 

 部屋の外にいるのは青葉のようだ。

 潮は自らが大きなミスを犯してしまったことに気づく。

 もし悲鳴をあげてさえいなければ、居留守なりなんなりしてこの場をしのぐことができたのに。

 

「誰かいますよねー?」

 

 既に声をあげてしまった以上、ここで居留守を使うのは逆に不自然。

 そう思った潮は震える声を恐る恐る扉に向けて発した。

 

「は、はい……あ、あの……いますけど」

 

「あ、潮ちゃんですか? ちょっと聞きたいことがあるので、入っても?」

 

「え!?」

 

 入られるのは不味い。何せ潮の足元では提督が絶賛監禁中なのだ。

 この計画の大前提として、他の艦娘にバレてはいけない。

 自分の役目はこの地下への門を守って、他の艦娘に監禁を悟らせないこと。

 

「あ、あの……い、今はちょっと、その……困り、ます」

 

「はい? 困る? えっと……何か問題でも?」

 

「い、いえいえ……! も、もももっ、問題なんてないです!」

 

 実は問題だらけだ。鎮守府のトップである提督を監禁するなんて問題以外のなにものでもないだろう。

 

「んー? 何か事件の匂いを感じますねー。まさか、部屋の中で人には言えないことでもしてるのでは?」

 

「ひぃ!? し、してないれす! じ、じじじ事件なんてないですからっ!」

 

 潮は自分の背中にジットリ汗をかくのを感じた。

 どうして自分がこの役割なんだろう。こういう役割はむしろ曙の方が向いてんじゃないだろうか。彼女なら少々きつめの言葉で誰か尋ねてきても追い出せるのに。ジャンケンで負けてしまった自分が悪いのだが、それを呪わざるをえない。

 

「問題も無い。事件もない。……だったら入ることに何の問題はないのでは?」

 

「……そ、そうですね。……はい、どうぞ」

 

 潮は諦めた。

 いや、考え方を変えたのだ。

 部屋に入れても、地下室の存在を感じ取られなければいい。それだけだ。

 

「じゃあ、入りますねー」

 

 扉が開く。

 いつも通り飄々とした笑顔を浮かべた青葉が入ってきた。

 入ってきて一言。

 

「おや? 模様替えでもしたんですか? 家具の配置が変わってますね」

 

 潮は思った。

 

(あ、これすぐにバレちゃいます……)

 

 速攻で部屋の配置変えに気づいた青葉を前にそう思った。

 部屋の下に地下室を作る際、どうしても家具の移動が必要だったのだ。だが、まさか自分達の部屋の家具の配置を把握しているなんて思わなかった。鎮守府で起こった出来事なら何でも把握している、と噂されている青葉……その噂は間違いないらしい。

 

「どもどもー。あれ? 潮ちゃんだけですか?」

 

 潮の前に座り込む青葉。

 当たり前のように自分の座布団を差し出そうとする潮だが、その座布団の下の地下室への入り口があることを思い出し、慌てて思いとどまった。

 

「他の皆さんは?」

 

「え、えっと……ちょっと用事で……」

 

「へー。珍しいですね。いつも一緒なのに」

 

「あ、あはは……」

 

 青葉が入ってきてから、潮の心臓は爆音を奏でている。

 この心臓の音がもし青葉に聞こえたら、鋭い彼女に一瞬で秘密を看破される……そんなことを思ってしまう。

 心臓の音が少しでも聞こえないように、ギュッと胸の前で手を握り締めた。

 駆逐艦にしては大きすぎる胸がぐんにゃりと歪んだ。

 

「お、シャッターチャーンス」

 

 恐ろしいまでの速さでカメラを取り出し、居合い抜きの要領で撮影する青葉。

 青葉のカメラに、不自然なまでに冷や汗をかいて荒い息を吐く扇情的な光景の潮が保存された。

 あまりに速さに潮には気づかれなかった。

 

 撮影されたことに気づかない潮は、自分を落ち着かせるように深く静かに深呼吸をした。

 一刻も早く追い出さないと……。

 自分に言い聞かせるように、胸の内で呟いた。

 

「そ、それで……聞きたいことってなんですか……?」

 

「あ、はい。ズバリ聞きますけど……司令官見てませんか?」

 

 今度こそ潮は悲鳴をあげそうになった。

 

(ば、ばれてる!? え、でもだって誰にも見られてないし、で、でもでも青葉さんなら――)

 

 言葉がぐるぐると頭を回転する。

 

「ちょっと新聞作りに集中して目を離した隙にどこか行っちゃったんですよねー。とりあえず適当に聞いて回ってるんですけど……潮ちゃんは知りません?」

 

 どうやら監禁に気づいてこの部屋にやってきたのではないらしい。

 潮は内心でホッと安堵の息を吐いた。

 性格上、嘘を吐くのは苦手だが、頑張って口を開いた。

 

「ご、ごめんなさい……そ、その……見てないです」

 

「そうですかー」

 

 青葉はため息を吐いた。

 潮の心に罪悪感がチリチリと燻るが、それ以上にこの場をしのげそうなことに安心した。

 

 潮の返答を聞いた青葉が、ゆっくり首を傾げた。

 

「でも……おかしいですねぇ」

 

「え?」

 

「司令官に付けてた発信機の電波が――この部屋から発信されているんですよね。リアルタイムで」

 

「……っ!?」

 

「ねぇ潮ちゃん。本当に……知らないんですか?」

 

 青葉はいつものように笑顔で潮を見ていた。

 だが、その目に光はなく、潮は恐怖を感じた。自分1人しかいない戦場で、水の中から出てきた手に足を引っ張られるような背筋が凍る恐怖。

 自分の口から「はぁはぁ」と吐息が漏れている。心臓がまるで喉のすぐ下にあるように感じるほど音が煩い。

 

 微動だにせず潮を見つめる青葉の視線。

 思わず逃げ出したい衝動にかられるが、自分が逃げたら下にいる仲間に迷惑がかかってしまう。

 そして何より自分が本当に欲しいものが手に入らなくなってしまう。

 その小さな勇気が、何とか潮を支えていた。

 

 だが、現状、青葉を納得させる方法は浮かばない。

 そもそも発信機とは一体。提督の体につけられているとしたら……もう既に状況は詰んでるのではないか?

 1度地下室に連れて行って、そこにいる2人と協力して青葉を無力化する方がいいのでは……。

 そんな無謀とも思える策が浮かぶ。

 と、極度の緊張に座布団から腰を浮かせた潮のスカートのポケットから、何かが零れ落ちた。

 

「あっ、これですよ!」

 

「え?」

 

 青葉が零れ落ちた物――提督の上着に付いていたボタンに飛びつく。

 

「これですこれ。これが発信機なんですよー。潮ちゃん、これどこにありました?」

 

「へ? え、えっと……その……庭で」

 

「あーなるほど! そういうことですかぁ! 潮ちゃんが拾ってたから、ここから電波が……なるほどなるほど」

 

 青葉が腕を組んで何度も頷く。

 青葉が嬉しそうに手に乗せているのは、軍服のボタンだ。

 

 庭で提督を気絶させた後、潮はボディチェックを行った。

 念のため武器がないかを調べる為だ。

 その時、上着の第3ボタンを見て、何故か違和感を覚え……回収したのだ。

 全く根拠の無い直感。だがその直感は正しかったようだ。

 

(提督、ありがとうございます……)

 

 潮はここにいない提督に内心で礼を言った。

 以前何気なく提督が潮に語った『直感の重要さ』の話が潮を救ったのだ。

 

「いや、お騒がせしましたー。青葉、てっきりこの部屋に司令官がいると思って来たんですよー。で、部屋に入っても司令官はいない。おや、これはもしかして……クローゼットの辺りにでも監禁しているのかな? なーんて! そんなバカなことを考えてしまいましたよー!」

 

「あ、あはははは……」

 

 ケラケラ笑う青葉。

 対する潮は青ざめながら笑みを浮かべていた。

 

「一瞬でも潮ちゃんたちを疑った青葉、恥ずかしい限りです! 青葉素直に謝ります! ごめんなさい!」

 

「い、いえ……私がその……発信機を拾ったのが悪かったですし……」

 

「いやいや! 拾ってくれてありがとうございます! それでは貴重な時間どうも! 青葉はこれで退散しますねー」

 

 提督を探して適当に部屋に聞きに回っているというのは嘘で、本当は発信機の信号があったこの部屋が本命だったのだろう。目的を果たした青葉は立ち上がった。

 そのまま部屋の扉に。

 

「……ふぅ」

 

 絶体絶命の危機を脱し、ホッと胸を撫で下ろす潮。

 

「あ、そういえば潮ちゃん」

 

「は、はい?」

 

 まだ何かあるのだろうか。潮は泣きたくなった。

 扉の前に立ち、潮に背中を向けたまま青葉は続けた。

 

「青葉、一つ言いたいことがあります」

 

「な、なんですか?」

 

「潮ちゃん……嘘は吐いちゃだめですよ?」

 

「う、嘘……ですか?」

 

「はいー。司令官を見てないって、嘘、ですよね。――だって、部屋から司令官の匂いがしますから」

 

「……っ」

 

 潮は失神したくなった。失神すれば楽になるだろう。

 だが、暴れるように跳ね上がる心臓の鼓動が、気絶を許してくれない。

 潮の精神的疲労は限界に来ていた。

 

「この部屋に来たんですよね? 司令官」

 

「……はい」

 

 もう隠すことができない。

 諦めるように顔を伏せる潮。

 このまま提督を拉致していることを告白しよう。青葉のことだ。その情報は瞬く間に鎮守府に広がるだろう。

 そして自分達第七駆逐隊は罰として解体処分されるだろう。

 悲観的な未来を思い浮かべ、潮の目に涙が浮かんだ。

 

 だが青葉から潮が予想していたような追及の言葉はなかった。

 

「そうですかー。うんうん。司令官頑張ってるみたいですねー。部屋にまで訪問してコミュニケーションをとるなんて、凄まじいやる気です……! うーん、青葉も司令官のやる気に負けないよう、頑張って新聞を作るとしましょう! ではでは!」

 

 そう言って青葉は部屋を出て行った。

 残された潮は、そのまま倒れこんだ。

 

「……え、えへへ……潮、頑張りました……頑張って秘密守り通しました……。提督……褒めて……くださ……い」

 

 潮の精神的疲労は限界を迎え、幻覚の提督に抱きしめられて気絶した。

 その顔は幸せ以外のなにものでもなかった……。

 

 

 

■■■

 

「ククク、潮ちゃんは私たち第七駆逐隊の中でも最胸……もし誰かが訪ねて来ても豊満なバストでこう……上手いこと追い返してくれるでしょう」

 

「あたし、今更だけど潮に門番を任せたのは間違いだった気がするわ」

 

「……」

 

 俺の不在が気づかれないように影武者を立て、この地下室の存在を気づかせない作戦。

 色々とツッコミたいところはあったが、それなりに計画をしていたようだ。

 今回俺を拉致したのは、突発的な思いつきではなく事前に計画を立てていたものらしい。

 

 だとしたらやはり気になるのは『理由』だ。

 なぜ俺を拉致したのか。そしてその目的は一体なんなのか。

 

「目的は何だ? ……処遇改善か?」

 

 とりあえず思いついたことを言ってみた。

 艦娘には大本営から給金――いわゆる給料が発生している。

 その金額に不満があって俺を拉致したのだとしたらどうだろうか。

 俺を誘拐して大本営に身代金を請求する……自分で思いついておきながら馬鹿でた話だ。

 

 俺の指摘に曙と漣は「はぁ……」とため息を吐いた。

 どうやらやはり違うらしい。

 

「別にお金には困ってないですよー」

 

「そうよ。……ていうかクソ提督、あんたこそ大丈夫なの? よくみんなにご飯奢ったり、プレゼントあげたりしてるけど、貯金とかできてるの?」

 

 何故か曙に心配されてしまった。

 曙の言うとおり、俺はよく艦娘に食事を奢ったり、お菓子や嗜好品のプレゼントをしている。

 戦場で戦うみんなへの労いと戦意高揚の為に、できることなんてこれくらいだからな。

 

 貯金ができているかの質問に対しての答えは……イエスだ。

 

 将来、俺の元へ来たいという艦娘のことを考えて、金はいくらでもあった方がいい。

 将来の資金、そして艦娘に渡すプレゼントなどの金をどこから捻出しているかというと……雪風を連れて、ちょっと遊びに行くだけだ。馬がたくさんいる所にな。これ以上は言えない。あまり褒められた行為でないことは分かっているが、別に犯罪を犯しているわけでもないし、構わないだろう。

 そういうわけで、俺自身、金に困っているということはない。

 

 しかし給料の値上げ交渉でもないとすると……一体なんなんだ? 

 

「むぅ、分かりませんか?」

 

「……ふん」

 

 曙と漣が不満そうに見つめてくる。

 だが、分からない。

 俺を拉致するなんて無謀過ぎる行為をするほどの理由が思い浮かばない。

 

「はぁ……ま、仕方ないですね。ご主人様は凄まじい鈍感さを持ちながら恐ろしいジゴロ魂を持ったスーパー朴念仁ですからね」

 

 漣がやれやれとかぶりを振った。

 そして自分の胸の前で、両手を使って桃を逆さまにしたような形を作った。

 

「では大ヒントです。ネクストサザナミズヒントは――『愛』です」

 

「……愛?」

 

「ええ、愛ですよご主人様。英語で言うとLOVE。ドイツだとリーベ、フランスだとアムール。その愛です」

 

 曙に視線を向けてみる。

 無言で頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 曙のツッコミが入らないということは、漣が言っていることは間違いないらしい。

 

 つまり俺を拉致監禁した理由は――愛。

 

 ますますもって意味が分からない。

 俺は頭を抱えたくなったが、腕を縛られてるから抱えることができなかった。

 

 

 



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