東方亡霊侍 (泥の魅夜行)
しおりを挟む

番外編 コラボ
亡霊さん、創成者と付喪神と会う


コラボ 一作目

東方創成録 作・夢哉様

主演者・箕成創哉 桜




一閃。

 空を裂いて銀の光が空気を裂いた。

 

「ふう、こんなもんか」

 

 俺は手に持った剣を離す。

 普通なら、刀は地面へ落ちるだろうがこの剣は普通では無い。

 

「よっと、お疲れ創哉」

 

 刀が光ると着物を着た黒髪の少女へと姿を変える。

 桜。俺の相棒で剣の付喪神だ。

 

「相変わらずね、創哉」

 

 そう言って声を掛けてきたのは、幻想郷の当代の博麗の巫女、博麗霊夢。

 俺は箕成創哉、死んで神様にチートを貰って幻想郷に来て、霊夢の神社に居候している人間(笑)だ。

 最近は異変も無く、平和なのでこうして修行をしてるんだが、

 

「中々巧くいかないな」

 

 剣の付喪神である桜も剣である以上は使って欲しいのか、こうして修行をすることになったのだが、難しい。

 

「大変なんだな、剣を使うって」

 

「そりゃそうでしょ! 一朝一夕で辿り着けたら剣の道なんて言葉は生まれないからね!」

 

 つまり桜よ。それは俺にもっと剣を振れと言うサインか?

 

「私の持ち主なんだから、私も剣として使われたいのよ」

 

「りょーかい。しかし、こう何もないと暇だ」

 

 いっそ剣の修行相手でもいればいいんだけどな。

 そんな疲れた修行をした日の夜。

 寝つきが悪かった俺は、暇なので月見でもすることにした。

 縁側から見る月は大きく、その存在感を良く出していた。

 

「やっぱ綺麗だな」

 

 前世じゃ月に魅了さる事なんて無かった。

 でも、ここで見る月は何処か魅力的で普遍的な美しさがある。

 

「ふぁ~、創哉どうしたの?」

 

 目を擦りながら桜がやってきた。起こしちまったか。

 

「悪い、寝付けなくてな。月、見てた」

 

「あー確かに綺麗だしね、私も見る」

 

 そう言って俺の隣に座る。

 ふわりと、凪いだ髪から花の香りがした。

 ん、やっぱこいつも女の子なんだな。

 若干、ドキドキしつつももう一度月を見た。

 

「……」

 

「……ねえ」

 

「…………何だ」

 

「月………………二つあるよね?」

 

 目をこする。二つ。

 目をマッサージ。二つ。

 

「なんでさ?」

 

「見てたけどいきなり現れたって感じじゃなかったよ。まるで最初からそこに在ったみたいに自然に気が付いたら二つだった」

 

 二つの月が重なった。

 微かに周囲が震えた気がする。

 

「異変か?」

 

 暇だとは思っていたが、別に異変が来て欲しい訳じゃないぞ? まったく。

 

「取り敢えず、見に行ってみるか。霊夢起こすの怖いし」

 

「寝ぼけて夢想封印とか嫌過ぎる……!」

 

 ともかく俺達は可笑しな様子になっていないか、空を飛んで見渡してみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として異変……と言うか以上は直ぐに見つかった。

 博麗神社は幻想郷の端にある。

 そしてそこから先は博麗大結界があるので何もないなずなんだ。

 

「……紅魔館だな、あれ」 

 

「うん、紅魔館だ」

 

 何故か、大結界の先に紅魔館がある。

 と言うか、幻想郷が見える。

 

「どいうこと?」

 

「俺も分からん。取り敢えず行ってみるか」

 

 大結界がある場所に手を伸ばしてみるが特に変わった変化は無い。

 何故かある紅魔館の近くに降りたが、特に変な所は無い。

 

「一体何なんだ?」

 

 空を見ていると先程まで軽く触れ合う程度だった満月が二つ重なり始めていた。

 満月が重なってからこの場所が現れた? 

 そう考えるけども、現状それしか手掛かりが無いからそうとしか考えるしかないとも言える。

 

「もっと情報集めないとな――――」

 

「創哉!!」

 

 桜が叫んだ。 

 見れば月夜の下で、白い髪の男性へ巨大な熊が飛び掛かろうとしている。

 

「マジか!? 桜!!」

 

 走る。走りながら俺は能力を使う。

 

「壁ェ!!」

 

 物事を確定する程度の能力を使い、男性の前に鋼の壁を創る。

 熊の突進は防がれ、頭を強かぶつけたのか、鈍い音が鳴る。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「む? ああ、怪我は無い」

 

 声は落ち着いていた。一般人なら間違いなく悲鳴を上げているこの状況で男性は狼狽している様子が一遍も無かった。

 この人、もしかして強い、のか?

 考えつつも熊が回り込み壁を抜けて来る。

 熊から発せられるのは妖力だ。

 妖獣の類だが、敵では無い。

 懐からスペルを宣言しようとした瞬間だった。

 真横を風が通り過ぎる。

 白い髪を靡かせて男性が熊へと跳ぶ。

 手に持っているのは剣。

 見覚えがある、桜が弾幕で使う剣だ。

 銀色に輝く太刀が熊の真上から振り下ろされた。

 斬った。

 少なくとも俺にはそう感じた。

 だが、剣は僅かに熊の右へ落ちて、地面へとその刃をぶつけ、大地を割った。

 「失せよ。次は斬る」

 剣の切っ先を向けられた熊。本能か、はたまた恐怖を知ったのか。

 一度も此方を振り向かずに森の中へ消えて行った。

 

「すげ」

 

 大地と言う固い物体を割ったのに刃は刃こぼれどころか、傷一つ付いちゃいない。

 

「おー」

 

 ぱちぱちと、桜が手を叩く音が聞こえる。

 

「ふう、助太刀助かった」

 

 そう言って、男性は此方へ歩いて来る。

 近くで見るが、思いのほか痩せていた。

 羽織から出る手も細い。この体であの動きをしたのか。

 

「いや、余計でした?」 

 

 そう言うと男性は首を振る。

 

「正直助かった。先程から逃げてはいたのだが、追い払う手段が無くて困っていたのだ」

 

「そうだったんですか。って、傷が」

 

 気が付かなかったが、足から少量の血が地面へ流れている。

 男性は傷に気が付き、軽く笑った。

 

「心配は無用。すぐに治るのでな」

 

 言って、血を拭う。すると、もう血は流れてこなかった。

 

「アンタ一体……」

 

 先程の動きと剣技、それに傷をすぐに治す。

 俺も幻想郷に居て長いが、こんな人は見た事が無い。

 

「私は、亡霊。名も無いただの亡霊だよ」

 

 あっけらかんと、気楽に男性は亡霊だと宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程。月が二つか」

 

 日が暮れて、霖之助殿の所へ戻ろうと急いだが、道が分からぬことに気が付いたのは日が更けて夜になった頃だ。

 来た道を戻れば大丈夫だろうと思っていたが、森を出た瞬間に、紅魔館の裏に出た時は自分の考えの浅さに嘆いたものだ。

 その後、熊と目が合い、逃げながらどうするか困っていた時に、黒く長いの少年と少女らに助太刀をしてもらった。

 突如壁が出来て驚きはしたが、少女、桜殿が言うには箕成殿が持つ能力らしい。

 護身にと桜殿の手から突然現れた剣を持たされた時は驚きはしたものの。

 箕成殿へ熊が目を付けたのを目撃した時に反射的に飛び出してしまった。

 実際、箕成殿はあの程度の相手では歯が立たないと言うのを知らずに。

 そして、今。

 幻想郷の月が二つになったことを私は、箕成殿と桜殿から聞かされた。

 そして、幻想郷で今起こっている異常の事を。

 

「つまり、博麗神社は此処から遠い場所にあり、あそこに見える博麗神社は本来ここには無い物と言うことか?」

 

「ああ、ここと博麗神社は東西の端みたいな感じなんだ」

 

「これってどういう事だろう?」

 

 二人が頭を捻る。私も考えるが如何せん、数日前に土から目覚めたばかりの男。深い知識など持つはずも無く二人と共に頭を捻る事になる。

 

「あーもう!! 訳わかんない!! 何? 幻想郷が二つあって、くっ付きでもしない限り……無……理」

 

 桜殿の叫びが徐々に小さくなり、箕成殿を見る。

 

「まさか……いや、あの月もそのせいで……?」

 

「確かに並行世界の幻想郷に行ったことはあるけどさ……マジ?」

 

「つまりどういうことだ?」

 

 二人は気まずい顔をしながら後頭部を掻いた。

 そっくりな動きだ。

 

「多分、いやあり得ないかもしれないけ、俺達の世界の幻想郷と亡霊さんの世界の幻想郷が重なってるんだと思います」

 

「なんでそうなったか、とかは分からないですけど可能性として一番高いと思いますね」

 

 要領の得ない話しだ。

 私自身、世界が二つもあると言うことが初耳なのだから。

 

「ま、まあ兎に角そう言う事だと思っていて下さい」

 

「ふむ、ではこの現象は何時終わるのだろう?」

 

「多分、あの月がくっ付いた時に震え、あれがくっ付いた衝撃で起きたなら……」

 

「あの月が離れたら戻るってこと?」

 

 二人に倣って月を見上げた。

 重なり掛けている月。

 不思議な光景であるが、綺麗だった。

 

「さて、主たちはこれからどうする?」

 

 月が離ると幻想郷同士が離れる。

 月が離れるまでに、箕成殿も桜殿もあちらの博麗神社に戻らなければならないが、

 

「そうだな。なあ、亡霊さん。ちょっと俺と模擬戦してくれないか? 一回で良いんだ」

 

 箕成殿が提案する。

 

「何故?」

 

「さっきの亡霊さんの剣技が凄かったからさ。次会えるかも分からないし、あの剣技をもう一度見たい。駄目か?」

 

目を輝かせた創哉殿。邪仙とは比べ物にならないくらい綺麗だ。

 とは言え、私の技法は凡そ正道とは程遠い、人を斬って強くなった技。そんな技を見せて箕成殿に悪影響が無いだろうか。

 

「……」

 

「……まあ、多少なら」

 

「おっし!! 桜準備だ!! 俺の能力でお前を木刀に変化させる。亡霊さんに木刀作って渡してくれ」

 

「委細承知だよ!!」

 

 そう言って、桜殿が何処からともなく、木刀を作り、自身も同じく木刀へ変化して箕成殿の手に収まった。

 

「じゃ、少しばかり勉強させて貰います」

 

「手本にはならぬと思うがな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隙が無い。

 特に構えもしていない亡霊さんに対して俺が思ったことだ。

 何処へ打ち込めばいいのか分からない。

 どう攻撃しても返されると言うより、どう攻撃しても次に何が起こるか分からないって感じだ。

 

「つっても、こうして止まってる訳にもいかないか」

 

 様子見も込めて、まず一刀を放つ。

 それに対し、亡霊さんは一歩後ろに下がる事で回避する。

 

「ここから」

 

 返す形でもう一度と思っていた。

 

「ふっ!」

 

 放つより先に手首を掴まれる。

 

「おわ!」

 

 そのまま勢いよく投げれた。だが俺は空中で体を回し同時に霊力を足に裏で爆発させる。

 空を蹴って、空からの奇襲だ。

 

「やばっ……」

 

 いつもの調子で勢いよくやり過ぎた。

 直撃すれば、唯では済まない。

 だが、木刀となった桜の刀身が破壊したのは地面。

 砕け地が割れて空を舞う。

 俺の着弾地点に亡霊さんは居た。

 激突はしていない。

 だが、割れた地と同じく宙に舞う亡霊さん。

 

「凄いな……私から学ぶ事があるのか?」

 

「なら、攻めてくださいよ? 『リミッター2段階解除』!!」

 

 自分に課したリミッターを解放し、剣速を上げる。

 俺は、霊力を使い身体能力を底上げする。

 

「マジかよ!?」

 

 当たらない。その至近距離でありながら、、亡霊さんは全てを躱して見せた。

 まるで、霞でも斬っているように感触も手応えも無い。

 そこに居るのに攻撃が当たらない。

 やべ、楽しくなっきた。

 テンションが上がる。

 まさかとは、思っていたが此処まで見切りが上手いなんてな。

 

「剣符『月光斬‐三日月‐』。これはどうします?」

 

 距離を取って放つのは、三日月を象った剣の軌跡。

 その軌跡が光り、弾幕となって飛ぶ。

 

「おお、最近の剣術はこういう事も出来るのか」

 

『いや、違います』

 

 木刀の桜がツッコんだ。

 うん、なんか勘違いしてらっしゃる。

 

「ふむ、斬れるか?」

 

 ゾクリ、と背筋が凍った。

 振るう剣が走った。

 弾幕が斬られた。

 斬られていない。当たらない弾幕が亡霊さんの周囲で爆ぜる。

 亡霊さんが振るった剣。距離は遠い。当たる筈がない。

 それが当たり前だ。

 なのに、手に持っていたのは、創成『オールデリート』のスぺカ。

 無意識に亡霊さんの剣にビビった?

 

「ははっ、何者だよ、亡霊さん」

 

 だが、こうも驚かされてばかりは気に入らない。

 

「ちょいと、俺も驚かせてみるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬れたか。

 見たことも無い光。

 攻撃の術だが綺麗だった。

 しかし、斬れるか? など思い切った事をしてしまった。

 斬れなかったら、直撃。周囲の砕けた地面を見て危ない真似は止めようと思う。 

 箕成殿も仙術使いなのか?

 邪仙が思い浮かぶが、すぐに頭から消す。

 

「しっかし、すげーな亡霊さん。弾幕斬れるなんてさ」

 

「自分でも驚いた。あの光が弾幕と言うのか」

 

「あれ? 知らないのか?」

 

「八雲姫から聞いたが見るのは初めてだ」

 

 箕成殿固まった。

 

「『や、やくもひめ?』」

 

 箕成殿と桜殿の声が被る。

 何故、こういう反応ばかりなのだろうか。

 

「八雲紫殿のことだ」

 

「ははは、またまた冗談を、あんな胡散臭いスキマが姫って……」

 

「こら、箕成殿。そんな悪口を言ってはいけない」

 

「え、何で俺が怒られてんの?」

 

『て言うか、紫が何で此処まで評価高いの……』 

 

「彼女は親切だぞ?」 

 

「う、うん。もういいっす。と、兎に角、行きますよ!!」

 

 一直線に此方へ攻めて来る箕成殿。

 何か仕掛けて来るのか?

 何も考えず突っ込んで来るとは思えないが、どう対応すればいいのか分からない。

 手の内、箕成殿がどのような力を持っているか。

 出来る事は刀を振るう事。

 一閃。

 振るう木刀は振り下ろし。

 箕成殿はどう避ける? 右か左かそれとも背後か。

 はたまた、正面切って飛び込むか。

 

「――――」

 

 その答えは直ぐに来た。

 全てだ。

 箕成殿が増えた。

 右に左に後ろに前に、箕成殿が四人に増えた。

 

「これはっ――――!」

 

「「「「『俺が四人存在』を確定!!」」」」

 

 前に捕まれて動きが阻害された。右を防ぐが、左と一歩遅れて来た箕成殿からの攻撃を防ぐことは出来なかった。

 攻撃を受けて地に足が付く。

 

「「「「どうだい、亡霊さん」」」」

 

「驚き以外の言葉が無い」

 

 何と言う摩訶不思議。四人に増えるなど予測できるはずが無い。

 

『創哉、満月が!』

 

 空を見れば、徐々に満月が離れ始めている。

 

「「「「そろそろ時間か?」」」」

 

『後、創哉。声がタブってすごい気持ち悪い』

 

「「「「ひっでぇ……!! まあ、ちとこれは卑怯か」」」」

 

 四人いた箕成殿が一人になる。

 

「悪いな、亡霊さん。弾幕斬ったり驚かされてばかりだから、驚かし返してやろうと思っちまった」

 

「そんなに、驚く事なのか?」

 

「まあ、弾幕を斬る奴はあんまり居ないっすね」

 

 苦笑する箕成殿。

 

「んじゃ、次が最後かな。短い間でしたけど楽しかったですよ」

 

「私もだ。貴重な出会いをありがとう」

 

『また、会えますか?』

 

「さて、な」

 

 私の答えに箕成殿も、顔は見えないが桜殿も不満そうだ。

 

「縁が在れば会えるだろうさ」

 

「縁、か……」

 

 そして言葉は消える。

 月同士がが離れる時間はそう長くない。

 私の背後には博麗神社、箕成殿背後には紅魔館。

 

「「いざ!!」」

 

 同時に走り出す。

 互いの距離が縮まる。

 接触まで数瞬。

 奇妙な一期一会。

 異なる世界の者との戦い。

 未知なる力。成程、少し楽しいな。

 木刀が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きろーーーー!!」

 

「「うああああああ!?」」

 

 突然、聞こえた霊夢の声に飛び上がった。

 

「いてて……って! え? 霊夢!?」

 

「はれれ? あれ?」

 

「何が、いてて、はれれ、よ。なんで二人とも縁側で寝てるのよ」

 

 周囲を見れば、朝日が東の空からゆっくりと登り、青色の空を染め始めている。

 

「あ、あれ? 亡霊さんは?」

 

「はあ? 亡霊さん? 夢でも見たの?」

 

 そう言って霊夢は台所へと向かっていく。

 

「夢?」

 

 あの出会いも、戦いも?

 

「夢じゃないよ」

 

 桜の言葉に振り返る。

 

「ほら、これ」

 

 持っていたのは、亡霊さんに桜が貸していた木刀だった。

 

「じゃあ、あれは」

 

「本当の事だと思う。なんで此処に居たのかは分からないけどね」

 

「不思議だな」

 

「うん、不思議だね」

 

 白髪の亡霊さんか。

 

「また、会えると思うか?」

 

「それこそ、縁が在ったらじゃない?」

 

 それもそうか。

 ここは、幻想郷。不思議な事なんてそこら中にあるからな。

 

「もうちょい、剣が使えるようになっとくかな……」

 

「うむ! 頑張るがよい!!」

 

 なんで偉そうなんだか。

 桜の頭をぐりぐりと撫でながら、俺は朝日を眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

 気が付いたら、紅魔館の近くに居た。

 昨夜の場所へ行けば、壊れた地面の痕。

 

「何とも不思議な出会いであったな」

 

 次、会えるなら茶でも飲みながら静かに語りたいものだ。

 

「さて、香霖堂はどっちであろう」

 

 私はまだ迷子である




「まずは、紫を姫と呼べるくらい精神を鍛えるか」

「見習うとこそこ!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本編
亡霊さん、目覚める


 私は誰で何者なのか。

 自分は今、何処で何をしているのか。

 そもそも私とは誰だ?

 そう考えるのは何度目だろう。

 動けない体、ただこうして考える事しか出来ない意識。かつて、自分が人であった事は意識が生まれた時から理解できた。

 理解できただけで、そのかつての記憶などと言う物は無く、自分がどこの誰であったかなど覚えてもいない。自分が何なのかもわからない。

 生前の知識はあった。だが、それも過去の物。今の自分にこうして考えていること以外の物を覚えているかは怪しいくらいだ。

 ただ、私は何もない。闇しかないこの場所で動けぬ意識を消さぬようにこうして思考を続けていた。

 ここは地獄なのか。何もない闇なのかで独り存在して思考し続けるのが私への罰なのか。

 ならば、私、否、かつての私はどのような大罪を犯したのだろう。

 八大地獄のように燃やされる、刺される、食われると言ったものとこの私の境遇はどちらがマシなのか。

 そんな私だが、恐怖に怯えないと言う事も無い。

 かつてここに何もなくあまりにも暇なので発狂なり、泣き叫んでみたりもしたことがあった。その結果私は自分の中の恐怖に気付いた。思い出した、とこの場合は言うべきなのだろうか?

 火だ。

 私は思いつく恐怖で自分を怖がらせてみようと思い最初に思い出したこの火と言う存在に恐怖した。

 肉体があるのなら私は全身を震わせていた。あの時は何故、そんなバカげたことをしたのか、本気で自分に後悔したくらいだ。今も私はその火が怖い。

 熱く、触れば焼けてしまうあの火を私は心の底より恐怖している。

 焼け死んだのか、それとも何か大切なのモノを火によって無くしてしまったのか。

 今では確かめる術も、思い出す事も出来ない。しかし、思い出していいのか? とも思う。

 記憶すらない自分でさえ、こうして火と言うだけで恐怖に震えてしまっているのに、それを思い出して何になる? 

 いや、それすらもどうでもいいことなのかも知れない。

 そもそも、自分がこうして存在している事すら解らないのだ。この闇の中、その恐怖を思い出して独り震えるだけに何の意味がある。

 消えたいと思っても消えることが出来ず、時間さえも感じることが出来ないこの深淵のそこで私はこうしてただ思考を続けているだけ。

 誰か教えてくれ。私は一体誰なのだ。

 

 

 

 

 

 

 日本のどこかの山のもう誰も寄り付かない、覚えている者などもういない奥の奥。

 時が経ち木々や苔、森に生きる者達が暮らす場所にそれはあった。

 草と花が周囲に芽吹き、周囲の地面より少しだけ多く土が積もった場所。

 子供が作った程度のほんの小さな土の山の上にその苔が生えた石が垂直に立って埋まっていた。

 小さな、名前すら刻まれていない墓だ。だが、この石はこの数日続いた嵐によってついに墓標としての寿命を終えようとしていた。

 石が立てられて何百年、風雨に耐え続けて来た石の墓標はとうとう倒れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 何だ?

 私は私が生まれて始めての感覚に戸惑った。

 引っ張られる。私という存在が上へ上へと引っ張られる。

 なんだこれは? 私は何処へ行くのだ?

 ここが地獄なら刑期が終わったのだろうか?

 そんな考えに苦笑しつつ、私はその上昇へ身を任せた。

 初めてだ。この先にあるのが消滅でも別の地獄への道でもいい。

 こことは違う場所へ行けるのなら、何だっていい。

 だが、未練と言うのだろうか?

 私が生まれてから持って、今まで消えることが無かった一つの想いがある。

 火への恐怖と共に、私がこうして自分を保っていた理由の一つ。

 守らなくては、――――を護らなくては。

 この想い。誰を護ればいいのかを思い出したかった。

 

「……これは」

 

 私の耳に届く疑問の声は恐らく私の声だ。

 自分の声を聴くのは初めてだが、声の低さからして男だろう。

 次に私が感じたのは体を撫でる冷たい風の感触だ。

 それを皮切りに五体に様々な世界の情報が刻み込まれている。

 空気の匂い、地面の感触、自分が居た闇とは違う、星が輝く夜の闇。

 綺麗だ。何もかもが綺麗だ。

 

「知識ではない、本物の世界。……綺麗だ」

 

 かつての私もこの世界を見ていたのだろうか。

 私は一歩足を踏み出した。

 体は私の意思に従って一歩踏み出した。

 

「おお……」

 

 思い通りに動く体に感動した。そうか、これが自由と言うのか。

 自分の意思で決めて自分で動く、なるほど自由だ。

 他にも手や首と体を一通り動かしてみる。全てが自分の意思通りに動いてくれた。

 

「素晴らしい……」

 

 とは、言いつつも感動してるだけでは意味がない。自分は何故、世界に居るのか。此処は何処なのか疑問は尽きないが、ともかく歩いてみよう。

 周囲を歩いていると、私はある感覚を持った。

 それは、蝶が花に吸い寄せられるように私はそれに吸い寄せられるように歩き始めた。

 真っ直ぐに、木々を掻き別け、一直線にそこへ向かって進む。

 空に浮かぶ星々が消え始め、東の空より朝を告げる陽が昇り始めた明朝の時、私は漸くその場所へ行き付くことが出来た。

 そこは森だ。

 何の変哲もない、今まで歩いた場所と同じ森だった。

 だが、此処で良い。私の目的地は此処で良いのだと根拠無いのに確信してしまった。

 

「これは……」

 

 私は手を虚空へ伸ばす。

 手を伸ばすとそこに何かがあった。

 壁と言えばいいのだろうか。その壁が此方と向こうの境界のようになっている。

 私は意を決してその壁に触れてみた。

 壁は私の手を拒む事無く、私の手を内側に取り込んだ。

 この壁は私を拒絶するどころか、私を受け入れようとしている。

 

「さて……」

 

 このまま、一息に突っ込んでみるか、それとも無視するか。

 先程まで吸い寄せられて此処まで来たが、ここにきて私の心中に微かな躊躇いが生まれてしまった。

 この先に何があるかは解らない。だが、私は自分が誰で何者なのか知りたいのだ。とは言え、この壁をくぐった先に答えがある保証は無い。同時に、この周囲に自分の答えがあるとも言えない。

 

「どうしたものか……」

 

「あらあら、入らないのですか?」

 

 私以外の声がした。

 声色は女性のモノ。そしてその声は私の勘違いでないのなら、私に声を掛けた。

 私は声のした右へ顔を向けた。

 

「少し早いけど、おはようございます」

 

「おはようございます」

 

 自然と挨拶を交わしたその女性は変わっていた。

 私の知識では金色と言えば良いのか、髪の毛は金色だった。僅かに森に差し込む光によってその髪の毛は美しく輝いていた。

微笑みを作る整った顔立ちは髪と合わさり世の男性を軽く魅了できるだろう。

 だが、体が上半身しかなく、下半身はよくわからない不気味な何かの中にあり見えない。美しさと不気味さが滞在している女性だ。と言うか、人間では無いな。

 それを見て驚かない自分にも驚いていた。何故だろうか? やはり独り闇の中に居たせいだろうか?

 

「驚かないのですね。こんな風に声を掛ければ悲鳴の一つでも上げるのですのに」

 

「すまない。驚くことが出来ず」

 

「いえ、別に謝る事では無いのだけれど」

 

 何故か、女性は戸惑っている。何故戸惑っているのかはわからないが。

 

「それは兎も角、入らないのですの? 亡霊の殿方さん?」

 

「亡霊? 私は亡霊なのか?」

 

 その女性は私の正体をあっさりと答えて見せた。そうか、私は亡霊なのか。

 ならば、かつての私とは生前の私の事であったと言う事か。

 ならば、あの闇は土の中だったのか。

 自分の事がいくつか分かり私の心が幾分か和らいだ。

 

「ありがとう。えっと……美しい姫」

 

 女性の美称だったと記憶していたので、使ってみると女性は顔を綻ばせた。

 

「あら、あらあらあらあら。お上手ですこと。ですが、私の名前は八雲紫ですわ」

 

「そうか、八雲姫」

 

「…………」

 

 顔を俯かせてしまった。はて、何が悪かったのだろうか?

 

「わざとですの?」

 

「姫は女性の美称ではないのか? 貴女に使うのは適切と思ったのだが」

 

「……一分程お持ちください」 

 

 そう言って八雲姫はずぶずぶと不気味な何かに入って行った。

 しばらくすると再び八雲姫が出て来た。

 

「ごほん、では、改めて亡霊の殿方は此方へ来ないのですか?」

 

 先程より顔が赤くなっていたが真剣な表情の問いだ。それに彼女の言葉が気になった。

 

「此方……つまり、八雲姫はこの先に住んでいるのか?」

 

 何故か、激しく頭を振り出した。行き成りの事に私は驚くばかりだ。

 

「え、ええ。この……先の世界の管理者のような……事、をしていますわ」

 

「この先に世界があるのか」

 

「どうやら、亡霊さんは記憶が無いようですね。私が色々と教えて差し上げましょうか?」

 

 願っても無い事だ。つい先ほどまで闇なかで思考するしかなかった私は無知と言ってもいい。

 有難く、教えを乞うとしよう。

 

「有難う、八雲姫。君に会えて本当に私は幸運だ」

 

 何故か、今度は虚空に向かって拳を撃ち始めた。

 

「どうしたのだ?」

 

「お気になさらず!! 自分の中の何かが!! どうしようもなく!! 疼いているだけ!! ですわ!!」

 

「そうか」

 

暫くすると八雲姫が落ち着きを取り戻したので、改めて私は欠けている知識や、この壁の先にある世界を教えて貰う事になった。

 

「つまり、この先には幻想郷と言う異世界がある。そして、此処は私が生前生きていたであろう私の知識として知っている世界と言うことか」

 

「ええ、その通りのはず」

 

「もし、私がこの世界へ行かない場合はどうなるだろう?」

 

「外の世界は私達のような存在は生きるのが難しい世界です。無論、生きることも出来ますが、生き辛いでしょうね。人と妖怪が生きた昔ならば問題は無いでしょうが、今は下級は直ぐに消えてしまいます」

 

「分かった。私は君の世界に入る事にしよう」

 

 私は自分が解らない。八雲姫が言うには、亡霊は未練か自身の死体が供養しなければ消えないと言う。

 ならば、こうして亡霊として動けるようになったのか、そして自分は誰を護りたかったのか、それを思い出すまでは閻魔様には悪いが成仏をする訳にはいかない。

 まずは、幻想郷で探してみるとしよう。見つからないなら、外の世界へ行って探してみるとしよう。それでも無理だったら、消えるか、閻魔様に裁かれるとしよう。

 

「では、一思いにその結界を潜ってくださいな。向こうで再び会えるのを楽しみしています。ですが――――」

 

 八雲姫の表情が変わる。

 この表情は一言恐ろしいと思えた。

 

「幻想郷は全てを受け入れますわ。無論、貴方も。しかし、それはとても残酷な事ですわ。そして、私は幻想郷に仇名す者を許す気は無い」

 

「……分かった。よく覚えておこう。心配してくれて感謝する」

 

「……警告なのよ、これは」

 

「すまない。どうも、相手の機微に疎いようだ」

 

「本当にその通りよ。貴方は」

 

八雲姫に頭を下げ、私は今度こそ壁、ではなく結界を通っていた。




「姫……姫……えへへ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、欲しがられる

とくに変わった所は無い。

 結界を潜ったと言ってもそんなに大袈裟な事も無く、唯、三歩程歩いただけだ。

 しかし、下がってみると固い壁に阻まれて戻る事が出来ない。

 

「行きはよいよい帰りはこわい。では無く、帰れないようだな」

 

 そんな事を言いつつ、私は周囲を見る。

 外の世界より、力を感じると言うのだろうか。強い気配や生命力を感じる。

 

「そういえば、亡霊は食べられるのだろうか?」

 

 この幻想郷は八雲姫曰く、妖怪も神もいる、という話だ。

 その中で妖怪は人間を餌にすることは知っている。

 ならば、亡霊を食べるものは居るのだろうか?

 

「食べられる訳にはいかないのだがな」

 

 そんな者と出会わない事を祈りつつ、私は歩くことにした。

 暫く歩いていると森を抜けた。妖怪に出会う事が無くほっと胸を撫で降ろすが、そうもいかないらしい。

 森を超えると見えて来たのは紫の桜。

 不味いな。あれは不味いと私は直感的に理解した。いや、桜だけでは無くこの場所自体に留まるのが私にとって不都合な気がしてならない。

 私はこの桜のある場所を大回りで進むことにした。

 歩きながら観察したのだが、この辺りには人魂のような物が多くいる。

 その全てが皆、奥へと進んでいく。

 

「あの先は……三途の川にでも続いているのかもしれないな」

 

 魂の行く場所。私もいつかは行かなければならないのだろうが、生憎今は逝くわけにはいかない。

 紫の桜の木々とは反対の方向に向かって進む。暫くすると、先程の紫の桜とは、また違った雰囲気の森が現れた。

 

「ここも危ない気がするが」

 

 東の空を見れば太陽が昇っている日中ならば妖怪も活発には動かないだろうと私は予想した。

 

「朝なのに動く亡霊の私が言う事でもないか」

 

 森へと足を進めていると前方から此方へ歩いて来る人影が見えた。

 その影人影は少女だった。

 八雲姫と同じく金色の髪だが、彼女とは違い短く切りそろえてある。服も見た事の無い類の物だがとても似合っている。少女の周りには少女と同じ髪の色をした小さな人形が浮いている。

 

「あら? どちら様? この先に進むのはおススメしないわよ?」

 

「私は……」

 

 そこで私は気づいた。

 私の名前が無いことに。

 何と言う事だ。考えてみれば八雲姫も私の事は亡霊の殿方としか呼んでいない。名前が無いと言うのは些か不便だ。このように誰かと会ったときのように。

 

「どうしたの? と言うか、貴方妖怪……? 可笑しな格好しているし」

 

「いや、亡霊だ。生前の記憶が無く、しかも先程動けるようになったばかりで生憎名乗れる名前が無く、名乗ることが出来ない」

 

「そうなの? じゃあ、自分の姿も確認してないのね?」

 

「済まないが私の格好はそんなに変なのだろうか?」

 

 着ている服は薄汚れてこそいるが、羽織、袴と知識にある一般的な和服で問題は無い気がするが。

 

「服じゃ……少し汚れてるけど違うわ。ちょっと失礼」

 

 そう言って彼女は近づき私の髪の毛に触れた。

 

「はら、これ」

 

 少女が私に見せたのは私の髪の毛に張り付いてる御札だった。

 少女が持っている一束の髪の毛の上から下までどういう原理かは解らぬが、兎に角髪の毛にびっしりと札が付いていた。

 

「呪われてると全力で主張しているように見えるわよ? 巫女に出会ったら問答無用で封印か消滅でも文句は言えないわね」

 

「何と……どうにか出来ないか?」

 

 言いつつ、髪の毛に付いている御札を取ろうとするが結んでいるわけでもなく、髪にくっ付いているだけの御札は取ることは出来なかった。

 

「東洋の術は専門外なの。それに亡霊に効くかもわからないわ」

 

「そうか。いや済まない、初対面の嬢に頼るなど。兎も角助かった。自分の姿が確認できただけ有難いことだ」

 

「別に気にしないでいいわ。私が気になっただけよ。ついでに聞きたいのだけどこれからどこへ行くの?」

 

「自分の未練を探しに。見つからないならそれまでだがね」

 

「呆れた。ヒントも何もないのに探すの?」

 

「ひんと?」

 

「あ、手掛かりよ。それも無いのに自分を探すなんて、そもそも此処にあるの?」

 

 尤もな言葉だ。この幻想郷と言う世界にあるのかもわからない。

 

「その通りだが、こうして動いて世界を見れるだけでも有難いさ。昨日まで動く事すら出来ない身の上だったからね」

 

「私の勝手な意見だから忘れていいわよ。後、私は嬢じゃなくてアリス・マーガトロイド。アリスでは良いわ。後ろの魔法の森に棲んでる魔法使いよ」

 

「魔法……?」

 

 一瞬、だけだが私の体はざわついた。

 何だ? 私は魔法と言う言葉に反応したのか?

 

「そう、この人形を操る魔法を使うのよ」

 

 そう言うと人形が私の周りを回る。

 シャンハーイ!!、ホウラーイ!! と楽しそうに声を叫びながら踊り始めた。

 

「凄いな。初めて見る術だ。生きているのか?」

 

「残念だけど半分は私が操作してるのよ。っと、そろそろ行かないと。ねえ、亡霊さん。良かったら、森の出口まで一緒に行かない?」

 

「いいのか? 私は亡霊だぞ?」

 

「ここじゃ、亡霊は珍しくないわよ。むしろ、こうやって落ち着いて話が出来る事に吃驚してるわ。知人は話を聞かない奴が多いから、あはは」

 

 どこか遠い目で語るアリスの姿は悲しげだった。

 周囲の人形が頭を撫でて慰めているが、あまり効果は無いみたいだ。

 

「分かった。すまないが、道案内を頼む。八雲姫に幻想郷については聞いたが、地理については聞き忘れていた」

 

 アリスが行き成り此方を別の生物でも見るような目で見た。

 

「や、やくもひめ? な、何それ?」

 

「ああ、八雲紫殿の事だ。姫は女性の美称だから、そう呼んでいる。彼女に似合っているし、何も解らない私に親切にしてくれたのでな敬意を込めて……どうした?」

 

「……ッ、ぷ……ぁはは!! い、いやなんでも無いわ……くッ……はは!!」

 

 お腹を押さえて、顔を隠してアリスが答えるるが、どうしたのだろう?

 似たような事を八雲姫もやっていたが、こういうのが幻想郷では流行っているのか。

 

「いいわ。最高よ……ぷっくく!! 魔理沙と霊夢が聞いたら何てリアクション……あははは!!」

 

 アリスは目尻に涙を浮かべ、私の背中を叩きながら魔法の森を案内した。

 時折、思い出すかのように笑っていたのが、そんなに可笑しなことだったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 魔法の森の出口でアリスと別れ、再び当ても無く歩くいている。

 

「……魔法か。あの時、自分の奥底がざわついた気がしたが」

 

 生前、私は魔法と縁があったと、仮定するならばもう一度何か魔法を見れば思い出すのかも知れない。

 

「まずは魔法使いを訪ねてみるか。それと、名前だな」

 

 何時までも亡霊さんと呼ばれるのも複雑な気分だ。生前の名前が思い出せるまでの名前を考えるとしよう。

 

「さて、何がいいかな? ナナシ……は少し安直過ぎるな。そもそも名前無いと宣言しているような物だ」

 

 周囲の木々や草花からとってみるかと考えるが、草花の名前が解らない。

 どうしたものか、そう考えながら私は歩きながら考える。

 そのやって考えることに集中していたせいか、足が何か固い物にぶつかり躓いてしまった。

 

「おわっ!?」

 

 地面に顔がぶつかる前に手を付いて事なきを得たが、上の方から何やら強い圧迫感を感じた。

 自分の周りが影に隠れ、何事かと私は顔を上げた。

 視界に映ったのはクワだったり用途の解らない大量の道具の数々だった。

 

 

 

 

 

 

「すまぬ」

 

「いやいや、あんなになるまで何もしなかった僕も悪いよ」

 

 魔法の森の近くに建っている『香霖堂』と言う店の店主に謝罪をしていた。

 先程の道具の数々はこの店主の森近霖之助殿が集めた商品で、私はそれに足を引っ掛け転んでしまったのだ。その倒れた振動で積み上げていた商品が崩れて私はさっきまでその商品の山に埋もれていた。

 

「しかし、亡霊と言う者は頭にクワが刺さっても大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫だが、痛みはある。大丈夫そうだが、もう一度喰らいたいとは思わないが」

 

「それもそうだね」

 

 森近殿に出されたお茶を飲む。

 美味い。記憶は無いので初めてのお茶、と言うより飲食だ。

 亡霊は食わなくても死ぬことがない、と八雲姫から言われたが、こうやって飲んでみると感動した。同時に食事と言うのもしてみたいと言う、願望も生まれた。

 

「大丈夫かい? 泣いているけど」

 

「……ッ! と、すまん。飲むと言う行為とお茶の味に感動していた。とても美味しいお茶だ。ありがとう」

 

 無意識に泣いてしまったか。これでは食事をしたら号泣するかもしれん。

 

「ははは、それくらいならいくらでもお変わりしてもいいよ」

 

「もう一杯頼む!」

 

「ああ、いいよ。そうだ、君は亡霊だと言ったね。これからどうするんだい? あ、僕を呪うのは勘弁して欲しい。まだ、命は惜しい方でね」

 

 君か、やはり早急に名前を決めた方が良いな。

 

「呪う方法なんて私は知らんよ。私が此処に来たのは自分の未練を、それを無くして成仏したいのだが、その未練が解らなくてな。適当に歩くだけだったが、ひんと、を幸運にもアリスから貰った」

 

「へえ、彼女と知り合っていたのか。で、そのヒントはどんな……っと、失礼だったね。どうも好奇心が強くてね」

 

「別に言いたくない類の話では無い。むしろ、情報を得たい、森近殿。貴殿の知り合いに魔法使いはいるだろうか?」

 

「いるね」

 

 おお、幸運だ。亡霊にも運と言う物があるかは知らないが。

 

「その方の魔法を見せて貰える事は出来るか? 小さな奴でもいい。どうも魔法と言う言葉を聞いた時に心がざわつく感じがしたのだ。もしかしたら、生前魔法と関わっていたのかもしれない」

 

ふむ、と森近殿が顎に手を当てて視線を落とすが、すぐに私の方を見た。

 

「彼女なら喜んで自分の魔法を見せてくれるだろうさ。何分、派手好きな性分でね。しかし、何時ここに来るかは……」

 

「そうか……済まないが来るまで近くで待たせて貰ってもいいだろうか?」

 

「良いけど……何時になるか解らないよ?」

 

「問題は無い。今までの動けなかった時間よりは短いだろう? それなら短い筈だ。なに、地面に埋まっていたから野宿も大丈夫だろう」

 

 どれくらいかは解らないが私が独りだった時間よりは短い、それくらい短い事は解る。

 

「……魔理沙を呼んでこようか?」

 

「? 別に待つのは得意だ。その方にも用事があるだろう? 無理強いは出来ない」

 

「これ程、速く魔理沙が来て欲しいと思ったことは無いよ。」

 

「……?」

 

 何故、肩で息を吐くのだ? 森近殿は?

 

「部屋を貸すから、野宿は勘弁してくれないか? 店の近くで野宿されると流石に胸が痛む」

 

「いいのか? 別に野宿で構わないのだが」

 

「君も中々に変わっているよ」

 

 埋まっていたからな。

 

 

 

 

 

 結局、森近殿の家に魔理沙殿は来ることは無く、私は森近殿の好意に甘えて森近殿の店の一室に泊まる事になった。

 しかし、此処で問題が発生した。

 

「……眠れん」

 

 眠る。生きている者が休息を得るための行為なのだが、睡眠自体初体験の私にはどうすれば眠れるのか解らなかった。眠ると言うのが目を瞑り睡魔に身を任せると言うのは、解るがその睡魔が来ない。

 そもそも、疲労を取る為に睡眠と言う休息をする訳だが、疲労と言うのが解らなかったのだ。そもそも亡霊に疲労があるかも怪しい。

 

「外にでも出るか」

 

 森近殿を起こさぬように物音を立てずに外へ出る。

 夜も初めて見るが、月や星と言った夜景もまた美しかった。

 

「人はこの景色を当たり前に見ているのか。成程、羨ましい限りだ。そうは思わぬか?」

 

 私は周囲に生えた木の一本に寄りかかる人物へと問いかけた。

 

「あらあら、気づかれてましたか」

 

 そう言って木の陰から出て来た者が月明かりに照らされてその姿を見せる。

 

「なんとなくだ」

 

「ふふ、面白い人ですね。初めまして、亡霊さん。私は霍青娥。仙術を少々齧っている者ですわ」

 

 そう言って女性は私に挨拶をしてきた。

 女性は綺麗な青い髪をしていた。後ろ髪を変わった簪で結ったのが特徴的だ。その青い髪の毛に合わせる様に青い服を着ている。全身が青で統一され、彼女が纏うように着ている半透明の羽衣、そして、足が地面より離れ浮いている。まさしく普通では無い事が証明された。

 

「初めまして、霍青娥殿。生憎名乗る名を持っていなくてな。名乗りたくとも名乗れない」

 

 そう言うと、彼女はまるで役者の様に大袈裟に項垂れた。

 

「ああ、何という事でしょう! 貴方のような者が名乗る名を失ってしまうとは!! 可哀想に。とてもとても可哀想……!」

 

 言葉だけなら私に同情しているのだろう。しかし、彼女の目にそんなモノは無い。むしろ、都合が良いとさえ思っているようだ。

 

「……率直に聞くが何用だ? 私に声を掛けたのは共に空を眺める為ではないだろう」

 

「ええ、その通りですわ。この辺りを散歩していましたら、とてもとても上質な魂の気配を見つけまして。気配を辿っていくと、貴方が居たのですわ。その時の私の心情は……この想いをなんと例えましょうか!? 亡霊でありながら恨み辛みを持たぬ無垢なる魂はさながら、穢れを知らぬ乙女のそれ……っ!」

 

 大仰に手を広げ演説の様に彼女は言葉を紡いだ。

 

「まるで、あの子を見つけてた時の様……この霍青娥、久方振りに舞い上がってしまいますわ」

 

「そうか、つまりどういうことだ?」

 

 彼女が喜んでいることは理解できるが、何故喜んでいるのかが不明だ。自らの名すら持っていない亡霊一匹見つけただけではないか。

 そんな私の心情を知ってか知らずか彼女は説明してくれた。

 

「亡霊は基本的に恨み辛みを持っていますわ。何せ、亡霊は死んだことを認めたくない。ある理由で死にきれないから亡霊になるのです。その殆どは、憎しみと言った負の感情によって出来ている。そうでしょう? 世の中、正の感情よりも負の感情の方を持って死ぬ方が多い。貧困、飢餓、戦争、病気その他諸々。その亡霊の中で誰かを護りたい。死してなお護りたい。そんな思いを持って亡霊となる者は本当にごく少数。そして、その魂はとてもとても綺麗で美しいの……」

 

 汚したくなるくらい。

 嗤いながら彼女が呟いた。

 彼女、霍青娥殿と私の距離はいつの間にか無くなっていた。目と鼻の先に顔が触れ合う距離で彼女は真っ直ぐに私の目を見る。彼女の手は、ゆっくりと、逃がさぬように、私を包んでいく。  

 

「ねえ、名無しの亡霊さん。私のモノになってくれませんか? 私ね、貴方の全部が欲しいの」

 

 親に強請る子供の様に彼女は私の胸元で私を欲しがった。 




「なんて綺麗な魂、欲しいわ……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、断る

「断る」

 

 私は彼女の願いを拒否した。

 

「あら、振られてしましましたわ。青娥泣いてしまいそう」

 

 私から離れ、手で顔を覆った。

 

「泣いているだけならまだ可愛げがあろうよ。本気ならな」

 

 本気で泣いてなどいない、言葉だけのものだ。

 

「それに、主は涙さえも武器にする。自分さえよければそれでいい。そういう類のモノだろう?」

 

「あらひどい。それでは私が悪女のようではありませんか」

 

ああ、その通りだ。まさしく、――――とは対極だ。

 

「……っ!?」

 

「あら、どうかしましたか?」

 

 私は今、誰を想った? 無意識にこの女と誰かを比較した?

 

「いや、何でもない。できれば、この辺でお開きにしたいのだが」

 

「嫌」

 

 私の提案を両断し、再び身を更に寄せて来た。

 

「私は貴方が気に入ったのよ? 絶対に手に入れるんだもん」

 

「生憎、私は自分の未練を探していて、見つかればすぐさま成仏の予定だ」

 

「なら、簡単な解決法がありますわ。私のモノになって、ずっと私の隣にいる」

 

 何と言うか、私の話を聞いてない。私の意思を全て無視している。

 青娥がさらに身を寄せてくる。妙な匂いに鼻がツンとした。

 

「ああ……甘美な匂い。穢れない魂の濃厚な匂い」

 

 頬をゆっくりとした手つきで触り、首筋に顔を埋めて来る。

 青娥の手が私の腹部を軽く撫で始める。

 何故か離れる事が出来なかった。

 拒否することも出来ず意識が浮いているような浮遊感に襲われた。

 青娥は手の動きを止めない、柔らかく優しい手つきで私の体を触る。

 腹から横腹に進み、足の付け根に、頬を出ていた手は背中へ回される。

 

「あぁ……温かい、美味しい」

 

 首に顔を埋めた青娥が舌を出して、私の首筋を舐めた。 

 私の背筋がゾクリ、と反応した。

 はっ、として私は浮いてるような感覚から、地へと引き戻される。

 思考が動く。私は何をしていた!?

 彼女を拒めず、為すがままにされていた。

 反射的に私は青娥の手を掴み離す。

 

「ああん、意外と乱暴がお好きかしら?」

 

「今、私に何をしようとした。いや、先程の行為もだ。何故、私は主を拒めない? いや、拒もうとする事すら思い浮かばなかった。思考が浮いたような感覚で、複雑な事が考えられなかった。何をした?」

 

「あら、気づいてしまわれましたか。そう怒らないでください。ほら、甘い匂いがしません?」

 

 軽く息を吸うと、確かに不快にならない心地が良くなる匂いがする。

 甘いと言うのは、まだ解らない感覚だがこれが、甘い匂いか。

 

「そして、その効力が全身に回るには十分な時間ですわ」

 

「主……ッ!?」

 

 離れようとしてガクリと力が抜ける。私の意思を無視して膝が折れた。

 地面に無抵抗でうつ伏せに倒れ込んだ。

 力が入らない、何だこの可笑しな感覚は!?

 思考はしっかりしている。だが、体中に力が入らない。

 だが、痛みは感じない。感じるのは、綿で軽く縛れているような感覚。

 体を動かそうとすると倦怠感ですぐに体が地面へ落ちる。

 

「人を癒す香りは効き過ぎると相手から力を奪うのですわ。動きたい、でもこの倦怠に身を置いて置きたいそんな風に」

 

「……ぁ……くぁ……」

 

 言葉も出す事が出来ない私を青娥はうつ伏せから、仰向けにした。

 青娥の表情が見え、その頬は朱色に染まり上気し、笑っている。

 服を着崩し、四つん這いで私に乗りると、顔を近づけて来る。

 

「ん…ぁ……ちゅぅ………ちゅる」

 

 舐める。体を密着させて、私の顔を舐め、啄んでくる。唾液で頬が濡れて気持ちが悪い。

 鼻の頭を吸い、唾液で濡れた私の頬に指を軽く押し付けて揉む。

 

「…………ぁ……せ」

 

 離せと口にしるが、声は殆ど出ていない。

 

「ふふ、離せ、かしら? 大丈夫よ」

 

 何がだ。この邪仙は何がしたい? 

 足を絡ませ、右手を私の腹部に置いた。

 その光景は衝撃的だった。

 私の体に青娥の手が吸い込まれている。

 いや違う、これは青娥の手が体へ入って来ている。

 まず、指が入る。次に手の根本、ゆっくりと手首まで沼に沈める様に私の中に侵入する。

 痛みは無い。抵抗できずただされるがままの自分に苛立ちが募る。

 

「怒らないで、ほら」

 

「くぁ!?」

 

 何だ!? 今青娥の手は何を掴んだ!? 本質を鷲掴みされたような。 

 

「今触れたのは貴方の魂よ、亡霊さん。むき出しの霊だから生身より掴みやすいのよ。ほら、こうやって弄って捏ねて、ふふふ魂を掴まれる気分はどう?」

 

 最悪だっ!

 睨む。声が出せない事をこれ程悔やむことになるとは。

 

「ああ、魂を掴んでいると貴方を支配しているようでとてもいい心地。もしかすると魂に刺激を与えれば名前も分かるのでは無いですか? でも、その前に――――」

 

 青娥が顔を寄せ、顔と顔の距離はゆっくりと縮まり唇に青娥の人差し指が触れる。

 

「私のモノにしませんと」

 

 薄く笑うその表情が、何よりもおぞましい。

 これで、終わりか? こんな一日も経たずに私の旅は終わるのか。

 嫌だ。駄目だ。私は、こんな終わりを認めない。断じて……断じて認めない!!

 ――――とは誰だ。それを知るまでは、私の未練が消えるまでは――――!!!!

 離れろ。触れるな。主は私から、

 

「『離れろ』!!」

 

 力の限りに叫んだ私の声に反応するかのように私の上に居た青娥が飛んだ。

 自分から飛んだようではなかった。まるで、見えない人間に押されたように飛ばされた飛び方だった。

 

「今のは……」

 

 まさか、私の言葉によって起こった出来事なのか? 亡霊の呪術でも使える様になったのか、私は?

 そして僅かだが、体に力が入る。怠惰感はまだある。それ以外に胸が詰まったような息苦しさを感じる。

 

「痛い……な」 

 

 状態を起こして、猫背の格好で青娥を見た。

 飛ばされた青娥は無傷だ。

 先程の『離れろ』と言う言葉通りなら、私から文字通り離れただけなのだろう。

 若干、勢いのある離れ方だったが。

 

「これは貴方の能力? ……ふふふ、あはははは!! 力も持っている何てますます素敵。是が非でも私のモノにしたいですわ」

 

 内心、舌打ちをした。

 これで、一度考え直してくれればよかったものをますますやる気にさせてしまった。まったく、私の力よ、もう少し役に立たずで、この悪女を追い払う力であってくれれば。……自分で言っておいてよくわからん力だな。

 

「帰って貰えぬか? この力、際限が効かずに主を殺してしまうかもしれん」

 

 嘘だ。自分ですら分からない力だ。

 ハッタリ以外の何物でもないが、少しでも警戒してくれれば、今日の所は帰るかも知れぬ。

 

「あら? 私は力が入らず、思考を鈍らせるだけの術を使ったのに、何故貴方はそんなに息をきらしているのかしら? もしかして、その力のせいなのかしら?」

 

「……ッ」

 

 ……無駄か。どうする? 言葉一つでこの息切れと辛さ。しかも、力の全容が把握できない。

 

「ハッタリは無駄ですわ。こう見えて仙人としても実力があるのですよ。私と貴方では実力が違うのです」

 

「だが、主に屈服するわけにもいかんのだ!! 『砕けろ』!!」

 

 先程は青娥が離れろと強く願った。あれが発動の条件ならば、先程と同じように強く願い言葉にすれば力が使えるかもしれぬ。

 私の予想は当たった。だが、その力は青娥の少し横の地面で発動し、地面を砕いた。

 

「あら、怖い。使えることが出来ても、使いこなすことが出来ないようですわね」

 

「次は当てる……失せろ」

 

 掠れた声だった。今、私の胸の内側が殴られているような痛みが発生してる。

 視界がブレて、青娥が二重三重に見える。

 これでもう一度使えば、意識を保つ自信が無い。

 

「ふふふ、なら、当ててみましたら? 殿方からの傷を付けて貰うなんて……とても興奮します」

 

「…………」

 

 顔を上気させた青娥だが、私としては正直これ以上ないくらい距離を取りたい。

 動け!! なんか妙な性癖持ってるぞあの悪女!! 痛い! 体が動かぬ!! 当たり前か!!

 

「来ないならこちらから」

 

 近づいて来る青娥。使えるのは後一度。外せば、私の負けだ。

 

「さあ、どうします? 助けでも求めますか?」

 

 そんな呼べば来る程、都合の良い者がいるか。

 だが、その者は突如現れた。

 風が私と青娥の間を通る。そして、彼女は風と共にやって来た。

 桃色の髪を靡かせ、右腕に包帯を巻いたその女性だった。

 

「貴女は!?」

 

「美しい月に誘われて、邪仙が現れましたか。人を邪淫に誘うその所業、見つけてしまった以上は見過ごす事は出来ません!!」

 

 女性は掌底を勢いよく、青娥に放つ。

 突然の奇襲と近距離だったせいもあり、青娥は真正面から掌底を受けると、後方へと跳ね飛ばされた。

 

「大丈夫ですか!? 貴方は……亡霊!?」

 

 私を人と思い、救ったのだろう。

 だが、彼女は一度目を瞑り、そして開くと私の肩を掴み自身へ抱き寄せた。

 

「事情は後で詳しく聞きます。逃げますよ」

 

「……すまぬ」

 

 女性は口に指を咥えると、笛のような音を鳴らした。

 すると、空からそれは巨大な鳥が降りて来た。

 

「久米!!」

 

 私を抱え、女性は久米と呼んだ、巨鳥の背に乗った。

 

「逃がしませんわ!!」

 

 飛び立とうとする私達の耳に入るのは、青娥の声だ。

 先程の一撃はかなりの威力のはずだ。だが、青娥は既にこちらへと飛んでくる。

 

「茨木華扇、私の邪魔はしないでくださいませんか?」

 

「断る。どういう理由だろうと、邪仙の企みを無視する程落ちぶれてはいない」

 

「そう、なら痛い目に合って貰いますわ」

 

 何かする気だ。青娥が何をするかは皆目見当つかぬが、碌な事では無いだろう。

 まだ、痛みはある。しかし、まだ何もしていない今だからこそ、何かを仕出かす前に止める事が出来る。

 青娥が自身の髪に差していた簪を手に取った。

 今だ!! 今しかない!!

 体から残る力を吐き出す様に、青娥への敵意を込めて私は叫んだ。

 

「『斬れろぉぉぉぉぉぉ!!!!』」

 

「何をッ!?」

 

 華扇の疑問より先に結果は出ていた。

 甲高い金属音のような音が聞こえ、

 

「え……」

 

 簪を持つ青娥の手首が斬れた。

 完全に斬れた訳では無い。だが皮の一枚程で繋がっているか、いないか、そんな腕では簪は持てるはずが無かった。

 コトン、と音を立てて簪が地に落ちる。

 

「は……や……ッ…………く!!」

 

 激痛だ。全身が砕かれるような痛みが断続的に起こり、呼吸が上手くいかない。

 だが、声は届いたようだ。

 

「え、ええ!! 久米飛んで!!」

 

 彼女が命じて、鳥は私達を乗せて大空高く飛び上がった。

 空に浮かぶ月を見ながら、私は痛みに耐えれず目を閉じて、暗闇に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 血。

 

「……あは」

 

 流血。

 

「…………あはは」

 

 痛い。痛くてしょうがない。

 だけど……良い。

 

「…………あはははははははははははは!!!!」

 

 ああ、なんて甘美な痛み。

 彼が送った殺気と敵意の言葉は私の手を切り裂いた。

 先程まで為すがままの彼が発したあの感情は大きさ、その激しさとうねりに思わず、ゾクリとしてしまった。

 斬られてもいい。この体を切り裂いて。貴方の感情の赴くままに私を切り刻んで。

 そう思ってしまった程、真っ直ぐで純粋で心地の良い殺気だった。

 

「斬られてもいいなんて、心地の良い殺気なんて……初めての思いましたわ」

 

 ああ、もう駄目だ。体の昂りが抑えれない。

 

「欲しい……」

 

 欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいッッッ!!!!!!!!

 もう一度いえ、何度も何度も何度も!! あの殺気を敵意を私へ向けて!!

 そして、そんな彼から溢れ出す愛情はどれ程のモノなのかしら。

 私に向ける愛憎。私だけに向ける愛憎。

 想像し、打ち震え、不覚にも達してしまった。

 

「必ず……全てを、愛も憎も意思も魂も私だけに向けて、私だけを見て貰いますわ」

 

 ねえ、素敵な亡霊さん♪

 




「この方は一体……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、死神と出会う

 気が付けば私はそこにいた。

 身に着けた服は上から下まで白色だった。

 だった。そう、私の脛の辺りまでは白色だった。

 そこから下は赤い水に浸かっていて見ることはできない。

 赤い水は前後左右、遠く地の先まであり、私と赤い水以外は無かった。

 血だな。

 何故か、そう判断できた。

 一歩足が動く。

 私の意思では無い。勝手に足が血海を進む。

 百歩歩くと、血の海に浮かぶモノが在った。

 人だった。

 男の死体だと判断できた。

 動かず、半身が血の海に沈んでも動かぬ姿はまさしく、意思無き肉と骨の塊だ。

 そして、その死体には数多の傷が在った。

 傷を見るに、刃物によるものだ。

 何度も何度も何度も、斬って突いて刺して、この男が死んだ後もそうしたのだろう。

 裂傷は皮膚を剥ぎ、肉と内臓を露出させている。

不快な気持ちが無かった。私は死体を見た感想は一つだけ。

その裂傷の跡はとても綺麗だった。

 私の足は、再び勝手に動き出すと、死体の横を通り過ぎて地平へと進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生……いや、亡霊生、初の寝起きだ」

 

 ん? 待て待て、既に死んでるのだから生ではないな。亡霊死? それでは亡霊としても死んでるように思えてしまうのではないか? ……亡霊生でよいか。

 少しばかりくだらない事を考えつつ寝ている体を起こすと、体に掛かっていた布団が捲れる。

 ? はて、何か忘れているような? もしや、夢でも見たか?

 頭の中で何か引っかかる感じがするが、思い出す事は出来ない。

 まあ、いいか。そう思い、私は周囲を見回した。

 私が寝ている部屋は畳と白い壁の和室だった。

 畳の匂いが鼻孔を擽った。昨日の甘ったるい匂いよりも遥かに心地よい薫りだ。

 

「あの女性が助けてくれたと言う事ならば、此処はあの女性の家……なのか?」

 

 ならば、無暗に動くことは出来ない。恩人の家をうろつくのは流石に気が引ける。

 そこまで考えて、はっ、として私は自分の胸元を開いた。

 

「痛みは……無いな」

 

 よくわからぬ力を使い、その激痛によって私は気を失ったのだ。その痛みは心臓部から始まり、最終的に全身が激痛に呑まれていた。

 それを忘れて、平然と起き上がっていた自分は、鈍感なのかそれとも寝起きでボケていたのか。

 

「あまり使いたくない力だ」

 

「起きていますか?」

 

 私の右、障子の先から声がした。

 

「ああ、起きている」

 

 障子が開き、入って気のは間違いなく私を助けてくれた女性だった。

 

「起きましたか。体の方は大丈夫でしょうか?」

 

「ああ、痛みも無い。体が軽くて宙に浮いてしまうそうだ」

 

「亡霊ですからね、浮くでしょう」

 

「亡霊だからな。……そうか、浮くのか」

 

 考えてみれば、亡霊が歩いて移動しているのも変な話かもしれないな。

 

「ですが、昨夜は驚きました。まさか、邪仙と出会う事になるとは」

 

 む、そうだった。この女性は私を助けてくれたのだ。

 

「昨夜は助けていただき、誠にありがとうございました。貴女がいなければ私が助かることは無かったでしょう」

 

 正座をし、両手を膝の付近で合わせて深く頭を下げる。

 頭上から少し慌てた声で女性は返答があった。

 

「い、いえ。礼には及びません。修行の身とはいえこれでも仙人の端くれ、邪仙を放って置く事が出来なかっただけですから」

 

「ですが、礼を言わせてください。ありがとうございます……えっと、あの」

 

 そう言えば、この女性の名を聞いていなかった。

 待て、こういう場合は私が名乗るべき……名前が無いのだったな。

 

「茨華仙。仙人修行中の身です」

 

「茨華仙殿で御座いますか。私は、生憎名乗る名は無く、今は、亡霊とお呼び下さい」

 

「華仙で良いですよ。では、此方からは亡霊殿と呼ばせて頂きます。亡霊殿、率直に聞きますが貴方とあの霍青娥との間に何が?」

 

 私はその質問に頷き、昨日の青娥との出会いから茨華仙殿が助けに入るまでの事を出来るだけ丁寧に説明した。

 何故か説明途中で、華仙殿が顔を真っ赤にして、何処かへ飛び出してしまった。

 少ししたら、戻って来たのでまた話を始める。華仙殿の顔はまだ若干赤かったが。

 

「……と言う経緯です」

 

「そうですか。納得しましたよ」

 

 華仙殿は既に元に戻っていた。少し、厳しい顔だがどうしたのだろう。

 

「私の説明が分かりにくかっただろうか? もっと詳しく説明できればいいのだが」

 

「いえ! しなくていいです。しなくてよろしい!! とても解りやすかったので、二度としないでください」

 

「分かった」

 

 よかった。初めてだったがしっかり説明できたようだ。

 

「しかし、あの邪仙が興味を持つのが分かります。こうして見ても、怨霊などのように不快な感覚が無い。なによりも、私ですら、注意深く見ないと人との見分けが付かぬかもしれません」

 

「そのせいであれに目を付けられた訳か……」

 

 もっと普通でありたい。ん? いやいや、この場合の普通ではこういう風に動ける保証は無いな。

 

「亡霊殿は、何故現世に留まっていのですか? あまり褒められる行為ではありませんよ?」

 

 その目には警戒の色が薄らと見える。

 確かに、死者が世に居る事は理が合わぬこと。

 死者はあの世、生者はこの世、そうあるべきだ。

 だが、

 

「華仙殿。私には未練があるのだ。それが何処にあるのかさっぱりわからぬが、確かにこの私を此処に存在させているのは、その未練なのだ。『護りたい』。生前の私が何を護りたかったのは解らぬ。しかし、その護りたかったのが誰だったのか、もしくは私は何故死んだのか。それを知るまでは成仏は出来ない。例え、迎えが来ようとも。済まぬ、華仙殿。未練が消えればすぐにでも消えることを約束する」

 

 頭を下げる。先程とは違い、畳に頭を擦り付け私は必死に願った。

 

「亡霊殿……私は仙人であって死神ではありません。私が深く言う事はありません。しかし……」

 

「しかし……」

 

「人に害すれば、私が問答無用であの世へ送ります。そうでないなら私は何も言いません」

 

 気を付けて下さいね。

 華仙殿の言葉は何よりも私にとって有難いものであった。

 

「済みませぬ」

 

 私は下げた頭を上げた。

 目の前で私を見ている華仙殿。

 そして、その後ろに鎌を構えた赤い髪の女性が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反射的に華仙殿の頭を右手で掴み下へ。

 だが、鎌は華仙殿では無く、真っ直ぐに私へ向かってくる。

 私が華仙殿を置いて背後へ飛べば避けれただろう。

 つまり、この赤髪の女性は私が華仙殿を庇う事を前提で鎌を振ったのだ。

 鎌の切っ先は首筋へと一直線だが、此処で取られる毛頭は無い。

 刈られるより先に頭を沈めることで鎌は間一髪頭上を通り過ぎた。

 私が狙いならば、華仙殿を危険な目に合わせる訳にはいかない。

 体を後方へ回し、華仙殿から離れる。

 しかし、部屋は狭く壁にぶつかり動きが止まってしまった。

 

「ほら、行くよ」

 

 声と同時に私は衝撃を受けて壁にぶつかり、一瞬の後壁が破砕。壁の破片ごと外へと投げ出された。

 部屋が一階であったのが、幸いだった。地面を転がることで体への負担を軽減する。

 

「……参った。華仙殿へ弁償しなくては」

 

「おや、余裕だね」

 

 破壊された壁から赤い髪の女性が出て来た。

 鎌の柄を肩に乗せている姿は様になっていた。

 

「主は……」

 

「小野塚小町。死神さ」

 

 簡素な説明だったが、分かりやすい。

 

「死神か」

 

「そうさ、魂を地獄へご案内ってね」

 

 私は腰を落とし、構えた。

 

「生憎、まだそちらへ逝くわけにはいかぬ」

 

「お前さんの気持ちはどうでもいいさ」

 

 鎌をこちらに向けた。話し合いは無理か。

 隙を見せる訳にはいかない。

 だが、

 

「いきなり何をしているんですか!! 死神(あなた)は!!」

 

 怒気を含んだ声で、華仙殿が外へ出てきた。む、額が赤くなっている。私が畳へぶつけてしまっのかもしれぬ。後で謝罪しなければ。

 

「何って、死神らしく働いてんのよ。あー、あたいって真面目だねぇ」

 

「ふざけないで!! あなたはそもそも――――」

 

「なあ、亡霊さん。お前さんは何がしたいんだい?」

 

 激昂状態の華仙殿を無視して私へ問いかけて来た。

 

「何、とは?」

 

「未練が本当に見つかると思ってんのかい? ってことさー。お前さんが死んだのが何時かは知らないよ。でもさ、五年? 十年? そんな短い日数じゃないだろう?」

 

「確かに」

 

「それでいて、護りたかった人を探す? とっくに死んでるだろうさ。つまり、やるだけ無駄ってことさ」

 

「……」

 

「それに、だ。万が一見つかったとしよう。お前さんの護りたかった奴は、自分を護れなかった奴が現れてなんてて思うかねぇ? お前さん、そいつと会って何をするんだい? 護れなくてごめんなさいって言って頭下げて、許しでも請いて、それで自分は満足成仏大団円? あっはっはっ!! ……くっっっだらねぇ、そんなくだらない事するならさっさと逝けってんだ」

 

 その鋭い視線は、小野塚殿が持つ鎌以上に鋭く、言葉は私の心に衝撃を与えた。

 

「あなた!!」

 

 華仙殿の諌める声が聞こえるが、私は既に小野塚殿の言葉に、気圧されていた。

 小野塚殿が、流し目で華仙殿を見て、すぐに視線を私へ戻す。

 

「黙りな、悪いが仙人じゃなくてこの亡霊に聞いてんだから。自分の自己満足の為にお前さんは未練を探すのか? それでも結構、相手の事を一切考えない自己中心的な考え方はまさしく人間だ。でもね、こんなのが私でも稀に見る綺麗な魂だと思うと、泣けてくるよ。情けなくてね」

 

 綺麗な魂。霍青娥も華仙殿も自分をそう例えた。だが、私はそんなに上等な者なのだろうか?

 自分はそんな良い者では無い。本当に綺麗な魂ならば、そもそも未練など残しはしないと思うからだ。

  

「……正しい」

 

「ん?」

 

「小野塚殿の言葉は正しい。相手がどう思うかなど考えていなかった。私は自分の都合だけで行動していた。生前の未練がこうして強く残っているのなら、私は護れなかったのだろう。人か、妖怪か、災害か、それ以外の何かから……護れることなく死んだのだろう」

 

 体が知る火への恐怖もまたそれが原因なのかもしれない。

 

「だったら――――」

 

「だが」

 

 言葉を遮り、此方を見つめる小野塚殿を見返す。

 

「それでも、私は知りたい。そして、私が護れなかった人がいるのなら会いたい」

 

 そうだ。そうでなくてはいけない。 

 

「どんなことを言われるかは解らない。怒っているかもしれない。泣いているかもしれない。恨まれているかもしれない」

 

 何故、私は覚えていないのだろうか。何処かの誰かに例え会えたとしても自分は覚えていないのだ。覚えていない、私がその人を見て何を想う? 何も想わないのではないか。

 

「それでも、会って頭を下げなければいけない。護ることが出来ず申し訳ありませんでしたと、謝らなければいけぬっ!! 例え、許されなくても、何を今さらと蔑まれても、殴られ蹴られようとも、私に何も言わずに消える選択肢は何処にも無いッ!! 自分自身が納得できぬから……それ以上にそんな不誠実なことはしたくないから」

 

 何よりも会いたい。私は―――生達に会いたい。――――に会いたい。

 何を言われようとも、もう一度会いたい!!

 脳裏に一瞬だけ浮かぶ人影と、胸の奥から突如として泉の如く湧き出る感情を抑えて宣言した。

 

「死神殿、お引き取り願う。まだ私に其方へのお迎えは不要だ」

 

「……ほんと、自分勝手だねぇ。納得と不誠実かい」

 

 小野塚殿は、思案顔をしながら鎌を手足の様に自由に振り回している。それが、不意に止まり、鎌の先端をこちらに向けた。

 

「ま、それはそれで人間らしい、か……。よし、合格!」

 

「は?」

 

 突然、緊張の空気が作り出した本人より破壊された。

 流石に私も意味が解らなかった。

 

「どういう事だ?」

 

「言葉通りさ。おーい、仙人。そろそろネタばらししようじゃないか。亡霊も困ってるよ」

 

 華仙殿に親しそうに声を掛ける小野塚殿だが、そんな事態に私の思考は付いて行けない。

 先程のまで華仙殿を襲っていた小野塚殿が軽く笑いながら、華仙殿に近づていく。

 華仙殿は表情を顰めているが、ため息を一度すると顔から険しさが消えた。

 

「申し訳ありません。亡霊殿、実は少しばかり貴方を試していました」

 

 此方へ歩み寄り、華仙殿は頭を下げた。

 

「試していた、とは?」

 

「亡霊って奴は厄介なものでね。人と見分けが殆どつかないんだ。特にお前さんはその中でも飛びっきりね。亡霊本人には解らないかもしれないけど、亡霊に触れているうちに死んでしまう事も珍しくない」

 

 人差し指を立てた小野塚殿が説明してくれたが、私にとっては驚くべき事実だ。

 死者が居る事は不味いと解っていたが、そこまでとは。今後一層自身の行動に注意するしなければならないな。

 

「特に恨み辛み持っている奴は厄介でね。死んだ後にその恨みが凄まじくて、祟りで雷落としたり、呪いの力で病気がグワーっと広がったりする」

 

「ですので、貴方がどういう者なのかを知りたかったのです」

 

「で、私が来た時に良い笑顔で迫られたのさ。手伝えって、こっちはただの船頭だっつーのに」

 

 疲れたーと、ため息を吐いて小野塚殿は座り込む。

 

「では、あの奇襲も芝居?」

 

「貴方を試したことを深くお詫びします。しかし、ああでもしないと貴方の本質を見抜くことが出来なかった。危機に置いて、亡霊殿がどういう行動をするのか」

 

「そんな無茶な……。もし、私が華仙殿よりも逃げることを優先したならば」

 

「ああ、気にしなさんな。修行中でも仙人。あれくらいじゃ死なないよ」

 

 それはそれでどうなのだろう。華仙殿が得意げな顔をしているが反応に困る。

 

「だが、お前さんはこの仙人を助けた。そして、己の未練を否定されても、開き直って言い返して来やがった。悪霊なら逆上して襲い掛かってくる所を、己の意思で答えた。まともな部類の亡霊ってことさ」

 

 そう言って小野塚殿は立ち上がると、背を向けて歩き出した。

 

「ああ、そうだ。さっきのお前さんへの問いだが、口調は芝居でも質問自体は言葉通りだよ。このまま現世に留まってもお前さんへの願いが叶う保証は無い。それでも、お前さんは探すのかい?」

 

 先程と違い、小野塚殿の口調は此方を気遣うような優しい声色での問いかけだった。

 

「ああ、私は探す。その道中でもしかしたら記憶が戻るかもしれない。もしかしたら会えるかもしれない。可能性が完全に無くなるまでは私は逝く気は無い。それまでは、閻魔殿への済まぬと、謝罪しておいて欲しい」

 

 言うと、小野塚殿が吹き出して愛嬌良く笑った。

 

「ははは!! いい根性だねぇ、成仏した時は覚悟しときなよ? うちの閻魔様は……怖いぞぉ」

 

 




「あーあ、死神が亡霊見逃しちまったよ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、香霖堂に帰宅する

小野塚殿が帰り、私と華仙殿は壊された壁を潜って部屋の中に戻っていた。

 

「華仙殿、この壁なのだが」

 

「ああ、元々は私が貴方を試す事をしたから壊れてしまったのです。気にしなくていいですよ」

 

「そうなのか? しかし……」

 

「良いと言っているでしょう。お茶を持ってくるので待っていて下さい」

 

 そう言って華仙殿は部屋から出て行ってしまった。

 お茶?

 何か頭の中で引っかかった。

 お茶関連の事だと……霖之助殿。

 

「…………」

 

 気づいた。気づいてしまった。

 昨晩、私に寝室を提供してくれたのは誰だ?

 霖之助殿だ!! いかん、朝起きたら居なくなっていたなど、失礼にも程がある!!

 華仙殿足音が廊下から聞こえるので、まだ遠くへは言ってない。

 私は立ち上がり、障子を開けて左右を見ると、歩いている華仙殿を見つけた。

 

「華仙殿ォォォォォォ!!!!」

 

 焦りのあまり、本気で走ると逆に華仙殿を越してしまった。

 足を止めて体勢が僅かに崩れるも速度を落とす。

 

「ど、どうしました? 亡霊殿」

 

 慌てる華仙殿に詰め寄り私は事情を説明した。

 

「成程。それは早急に戻らなければいけませんね。分かりました。私と久米が送りましょう」

 

 久米と言うのは昨夜、青娥から逃げた時乗った大きな鳥の名だったな。

 

「ですが、廊下は走ってはいけません。先程、転びかけたのですから」

 

「申し訳ない」

 

 走る訳にはいかないが、早歩きで華仙殿と玄関まで移動し、外へ出る。

 

「久米ー!!」

 

 華仙殿が名を呼ぶと空から大きな鳥が羽ばたいて降りて来る。

 うむ、昨夜助けてくれた鳥である。

 

「さあ、乗ってください」

 

 飛び乗った華仙殿から声が掛かる。

 私は頷くが、乗るその前に鳥、久米殿へ頭を下げた。

 

「昨夜は助けて頂き誠に感謝する」

 

 頭を下げると久米殿が一鳴きして、私の頬へ顔を擦り付けた。

 

「む、羽でくすぐったい」

 

「久米に気に入られたみたいですね。さあ、背に」

 

「うむ」

 

 私が久米殿の背に登ると、勢いよく久米殿が羽を羽ばたかせ、空へと上昇する。

 

「凄いな。大空を飛ぶと言うのは、やはりいい」

 

「やはり? 亡霊殿は一度の空を飛んでいるのですか?」

 

 華仙殿が振り向き聞いて来るが、私も経った今首を傾げていた。

 

「……いや、始めてなのだが何故か、そう思ってしまったのだ」

 

「もしかすると、記憶が戻ったのでは?」

 

 確かに、先程小野塚殿へ言い返した時に、私の頭に人影が過った。

 黒く顔すら見えなかったが、髪の影を見ると女性の様であった。

 

「一瞬だけなら戻ったのだが、駄目なようだ。まだ、思い出せない」

 

「ふむ、無意識に呟いたと言う事でしょうか? 飛ぶ事など普通の人間ではありえぬ行為ですからね。もしかしたら生前、亡霊殿は空を飛ぶ経験をしていて、今のこの飛行により記憶が刺激されたのかもしれません」

 

 確かに、この空から見下ろす山の風景を見ると初めてでは無いような気がしてくる。

 幻想郷を見下ろしていると、突然視界が揺れた。頭痛によって頭を強く叩かれる感覚共に、視界に映ったのは幻想郷では無く、木の板だった。

 だが、その光景は一瞬で消え去った。

 

「ッ!! 今……のは」

 

 頭痛の余韻に頭を押さえながら私はふら付いた。

 

「亡霊殿!」

 

 華仙殿が、肩を掴み体を支えてくれたが、結構な高度があったのか突風が私を押して華仙殿の方へ倒れてしまった。華仙殿も突然だったのか、二人して久米殿背に倒れたてしまった。

 

「いたた。華仙殿、申し訳ない」

 

 目を開けると、顔を真っ赤にした華仙殿が飛び込んできた。

 

「どうされた華仙殿? 顔が真っ赤だが」

 

「い、いえ……取り敢えず退いて下さい。私の拳が暴走しないうちに!!」

 

 そう言われ、自分が華仙殿に覆い被さっているという事実に気付いた。

 

「すまぬ、すぐに」

 

 退く、と言いながら起き上がろうとすると、背後から何やら聞きなれない音がした。

 

「……」

 

「華仙殿、何故そんなに顔を青くさせているのだ?」

 

 華仙殿も起き上がるが、様子が変だ。先程の音と関係があるかもしれない。

 私が音がした背後を向くと、小さな四角い箱を持った、黒髪女性が浮いていた。

 背中に見えている黒い翼からするに人間でないことは確かだ。

 

「あやや~お気になさらず。さっ! 続きをどうぞどうぞ。次の一面は『真面目仙人に白髪の殿方の影? 空の逢引』、って所ですね」

 

「そこを動くな烏天狗ゥゥゥゥゥゥ!!!!」

 

顔を真っ赤にした華仙殿は右手を烏天狗の女性に向けると、勢いよく右手が飛んだ。

 仙人とは手が飛ぶのか……。

 

「おお、危ない危ない」

 

 それを女性は右へ体を傾けると、一瞬で私達の背後へ周っていた。

 

「速いな、これが烏天狗の速度なのか」

 

「感心している場合ですか!? 烏天狗からあのカメラを取り返さないと……ッ!!」

 

「かめら?」

 

 女性が手に持っている黒色の小さいな箱、成程あれが、「かめら」か。だが、用途が解らぬ。先程の音もかめらが音を発したのだろうか。だが、何故華仙殿はこれ程に慌てているのだ。

 

「もし、天狗殿。そのかめら? とは何なのだ?」

 

「あやや? カメラを知らない? 幻想郷でも下級妖怪か妖精くらいな物ですよ? 人間にしては……そのあやや? その髪に張り付く御札は……あなた人間ですか? むむむ、これは面白い。よろしい!!」

 

 矢継ぎ早に繰り出される言葉の嵐に少々面喰ってしまった。と言うか、一気に詰め寄られた。

 

「おっと、これは失礼。私、こういう者です」

 

 そう言って差し出されたのは小さな紙。

 

「『文々。新聞 記者 射命丸文』?」

 

「ええ、そうです。清く正しい射命丸で御座います。以後よしなに」

 

「先程のまでの行為の何処に清く正しいが含まれているのか、しっかりと確認したいのですがね!!」

 

 凄まじい剣幕の華仙殿を、まあまあと射命丸殿は抑える。

 

「実はですねー。そこの殿方に興味が湧きまして、取材を受けてくれれば先程の写真は忘れてあげますよー」

 

「是非、受けさせていただきます!!」

 

「華仙殿……私はまだ受けるとは言ってないのだが」

 

「良いですか? これはとても大変な事態なのです。今後、幻想郷を歩く上でこの天狗の新聞が出回ればどうなると思いますか?」

 

 分からぬと言う意味で私は首を傾げた。

 

「うわー、あの方よー。やだー、仙人と逢瀬ー? 爛れてるわー。など!! 貴方は謂れのない誤解を受ける!!」

 

「事情を話せば良いのでは?」

 

「ダメです!! 幻想郷では噂好きの者、それを曲解して面白可笑しくさせる者が多数います。そんな風に楽観的な思考は敗北を意味する!!」

 

 突き付けれた人差し指から思わず仰け反った。

 

「そ、そうなのか」

 

「そうです。ですから、ここは取材を受けるのです」

 

「わかった」

 

「話は纏まったようですね。やれやれ、すっかり尻に引かれてますね。亭主さんは。駄目ですよー? 益荒男の威厳くらい見せてどうですかー? まあ、痩せた体型では無理かもしれませんが」

 

「誰が亭主ですか!? この亡霊殿はつい昨日会ったばかりです!!」

 

「何!? 亡霊殿!? この人間が亡霊!?」

 

 驚きの顔の射命丸殿としまった、と言う表情の華仙殿の事は、眼中になかった。

 私が痩せている? 体を見下ろせば確かに力強いと言う印象から離れた痩せていると言う表現が合っている姿だ。心がざわついた。何処かへ引っ張られる感覚がする。

 脳裏に突如映る風景は、土、土、土。どこまでも痩せ細った土地と村が見える。生命が感じられないその場所は世界から色を落としてしまったようだ。

 死んだ土地にあるのは死の痕だ。

 肉のある死体、腐った死体、骨だけの死体。様々だ。

 朽ちた廃墟、空っぽの水釜、痩せて獰猛な瞳の狂犬、枯れきった木に捕まり獲物を探す烏。

 私は知っている。この風景を知っている。何故なら、私が体験したのだから――――。

 

「……殿? 霊…………殿……! 亡霊殿っっっ!!」

 

 耳元で華仙殿の声が聞こえた。

 水底から引き揚げれるように、私は虚像の風景が目の前から消えていく。

 視界は、過去から現実へ。二人が蒼空の下、此方を見ている。

 

「どうしました? 突然黙ってしまって」

 

「なーんか、心ここにあらずと言う感じでしたが、正気に戻れました?」

 

「うむ……華仙殿、少し己の過去を思い出した」

 

 華仙殿は驚き顔だ。だが、その中に少し喜色の表情がある。とはいえ、思い出した内容が内容だけに話し辛い。

 

「それはよかった。ようやく手掛かりが掴めたのですね」

 

「おやおや? これは中々面白い話の予感」

 

「言っておきますけど、貴女に話す気はありませんよ。人の事情に踏み込み過ぎるのは見過ごせません」

 

「おお、こわいこわい。では、気を取り直して取材させて貰います」

 

「うむ、分かった」

 

 射命丸殿は小さな手帳に棒の先端を付けて、手を動かしだした。

 この時代の筆なのか? 後で聞いてみるか。

 

「ああ、今から香霖堂へ向かいますので、移動しながらにしてください」

 

「了解です。えーっと、まずは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、面白いネタが出来ましたよ。これは久々にヒットの予感です。ありがとうございます、亡霊さん」

 

「よく解らぬが、どういたしまして」

 

 射命丸殿の質問に答え、ようやく取材が終わった。

 

「亡霊殿、香霖堂が見えましたよ」

 

「む、そうか。華仙殿、送っていただき有難う」

 

「いえ、お気になされずに」

 

 久米殿が停止してゆっくりと下降して、地面へと降りる。

 一度、久米殿が鳴いて羽を畳み私達は久米殿の背から降りた。

 

「久米殿、送っていただき有難う」

 

 答える様に久米殿が一声上げた。

 

「鳥に礼を言うとは律儀な方ですね」

 

「ええ、そうね。何処かの不誠実な烏天狗と違って好感が持てるわ」

 

「なんと、そんな礼儀知らずな天狗が居るとは!! 同じ烏天狗として許せません」

 

「鏡見なさい」

 

「外が騒がしいと思ったら君か。大勢での御帰宅かい?」

 

「霖之助殿!!」

 

 香霖堂の扉が開き、霖之助殿が出て来た。すぐさま、地面を滑りながら、正座、一度背筋を伸ばし、ゆっくり頭を地面まで降ろす。所謂土下座だ。

 

「何と言う、美しいフォーム。取り損ねたのが悔やまれますね」

 

後ろから、カメラの音がするが無視した。

 

「申し訳ない!! 昨夜は邪仙が魂を掴んで華仙殿が吹き飛ばし起きたら朝で死神殿と問答していたのだ」

 

「ごめん、僕も読解力はある方だと思うけど、全然解らない。取り敢えず、中でも入ってゆっくり話してくれ。御飯も作ってあるから」

 

「霖之助殿ぉぉぉぉぉぉ!! 感謝する!!!!」

 

「分かった。分かった落ち着いて」

 

 御飯! 生前は食べてたであろうが、記憶の無い今、初めての食事!! 心が自然と踊ってしまうのだ。

 恥ずかしい事に霖之助殿を待たずに香霖堂へ入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさぁい、亡霊さん。貴方の青娥娘々がお出迎え」




「いつでもどこでも貴方の隣に即参上の娘々だにゃん♪ ってね」 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、鬼ごっこする

 湯気を出した、白米は暖かく作り立てであり先程から私の好奇心を刺激してやまない。

 茶色く濁った味噌汁からは味噌の匂いが立ち込めて、その中を浮かぶ豆腐が良く似合っていた。

 焼き魚は、塩を塗した鮎。見ているだけで、喉が鳴ってしまう。

 亡霊になって初めての食事。それを食べてみたいと言う欲求が自分に合った事、二つの喜びを手放しで噛みしめたいところだ。

 

「さあ、食べて下さいな」

 

 この邪仙がいなければ。

 香霖堂の扉を開けたら邪仙がいた。いったい何の冗談だと思いたいが、私の目の前で笑顔を振りまいているので、現実と受け入れざるを得ない。認めたくないが。

 

「霖之助殿、これは一体」

 

 隣で食事を取る霖之助殿にこの状況の説明を私は求めた。

 白米を口に運びよく噛んで飲み込むと霖之助殿が此方を見た。

 

「いや、彼女の話だと昨夜、君と偶然会って月見をしたらしいじゃないか。楽しかったからお礼がしたいと言ってね。君にご飯を作ると言って聞かなかったんだよ。材料は彼女が持って来たから僕は調理場を貸しただけだし」

 

 この邪仙、肝心な所を一切話していない。何が、楽しく月見だ。

 

「あら? 亡霊さん食べないのですか」

 

「貴女が何を企んでいるか、分かりませんからね」

 

 そう言って隣に座っていた華仙殿が青娥を見た。

 

「そんな! 私はただ亡霊さんが美味しく食べる姿が見たいだけなのですわ」

 

 なら、口元に浮かぶ笑みをどうにかして欲しい。笑いながらでは説得力が無い。

 

「と言うのは四割冗談で、本題に入りましょう」

 

「聞くのも面倒になって来たのだが……」

 

「亡霊さん、私の物になって」

 

「帰れ。今すぐ帰れ」

 

 何故だ。何故ここまで気に入られるのだ。

 

「一晩でかなり進ん関係を作ったね」

 

「霖之助殿、誤解だ。私にその気は一切無いし、私自身何故こうなったかも解らない立場である」

 

「これは、邪仙の部類です。無視しないと破滅の道が待ってますよ」

 

「あら、酷いわ、華扇ちゃん。私は自分の素直に生きているだけですわ」

 

「自身に素直だからこそ、目的の為に他者を陥れる躊躇いが無いのではないか?」

 

 私の言葉を無視して青娥は指を一つ伸ばした。

 

「ゲームをしましょう?」

 

「げーむ?」

 

「遊びですわ。里の子供達もよくやっているお遊び。私の従者と亡霊さんの鬼ごっこ」

 

 断りたい。しかし、これを断れば、次に何をしてくるか分からないうえに、碌でもない事だろうと予想できた。しかし、この邪仙が用意する『鬼ごっこ』もまた、普通では無いと解りきっている。

 

「その遊びで何がしたい。ただ、童の様に遊ぶ事が目的か?」

 

「いえいえ、賭けをしませんか、亡霊さん? 私の従者が勝ったら、貴方は私の物になる。私が負けたら――――」

 

「纏わり付くな。それならば勝負を受けよう」

 

「勝負成立ですわね。では、先に外でお待ちしております。御安心を、毒など持ってません。久しぶりに作ったから御味が不安ですけれど」

 

 そう言って、青娥は外へと出て行った。

 

「些か無謀ではないですか? 亡霊殿」

 

 華仙殿が顎に軽く手を当てながら聞いてきた。

 

「しかし、此処で断ると後が怖い。あっちは邪仙だろうが、仙人。いかなる術を使ってくるか皆目見当がつかぬ。ならば、まだ単純明快な鬼ごっこの方がマシである……と思いたい」

 

「最期を聞かなければ、感心したのですがね」

 

「まあ、ともかくご飯を食べたらどうだい?」

 

 それもそうだ。

 霖之助殿言葉に従い、いただきます、と言って私は先程華仙殿に教わった通りに箸を持った。

 ……ご飯に罪は無かった。初めての食事と食べることに涙を流し、ご飯もとても美味しかったが、あの邪仙に泣かされた気分になって少々複雑だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、食べ終わりましたのね……亡霊さん泣いているのかしら?」

 

「泣いておらん……」

 

 可愛いと呟かれますます馬鹿にされている気がしてならない。

 

「では、鬼ごっこを始めましょう。芳香ちゃん」

 

 青娥が名前を呼ぶと、青娥の少し前の地面から動き盛り上がる。

 土を押し退けて出て来たのは右腕だった。次のその隣から左腕が飛び出し、土を捲りながらそれは現れた。

 星が付いた帽子と額から顎に掛けて素顔を隠す様に貼られた大きな札が特徴的な少女が現れた。

 

「うー? あれ? 抜けない」

 

 上半身で下半身は地面に埋まっていたが。

 

「青娥!! 動けない!!」

 

「あらあら、もうしょうがないわねー……よいしょ」

 

 青娥が芳香と呼ばれた少女の脇を掴んで持ち上げると埋まっていた下半身が抜けた。

 

「……華仙殿、あの少女は一体?」

 

「キョンシーと呼ばれる人食い妖怪です。簡単に言うと動く死体です。強い未練を持つ者や、術士によって術を施された死体が死後蘇りキョンシーとなります……」

 

 キョンシーの出自を説明して貰う。

 私もあのまま青娥に捕まっていたらキョンシーになっていたのかもしれない。

 

「ふふふ、この子が私の可愛い従僕の宮古芳香ちゃんです。ほら、芳香ちゃんご挨拶」

 

「芳香だ!! よろしくー!!」

 

 札でよく見えないが、邪気の無い笑みと声だ。青娥に使えてはいるが悪い子ではないのか?

 

「ほら、芳香ちゃんあの亡霊さんが、新しい仲間になるのよ」

 

「おおー!! 仲間が増えるのか!! じゃあ、キョンシーになるのか!!」

 

「そうよー、でも亡霊さんは嫌だって言うから捕まえきてね」

 

「分かった!!」

 

 凄まじくやる気を上げた芳香が私を見る。完全に標的にされたか。

 

「ルールは簡単です。芳香ちゃんに捕まったら負け。一時間逃げ切れるか、芳香ちゃんを倒したら亡霊さんの勝ちですわ。そして、逃げれる範囲は幻想郷全体とします」

 

「一時間?」

 

「……? ああ、亡霊さんは今の時間の単位を知らないのですのね」

 

「なら、僕が時計を貸すよ。ほら、これを」

 

 そう言って霖之助殿が手渡したのは、小さな金属の塊、中には一から十二までの数字が円状に並んでいる。

 その中心からの伸びる大小二つの針は動く速さは違うが円を描いて動いている。

 

「これは?」

 

「時計と言って時間を知るための道具さ。読み方は後で教えるけど、今はこの短い針が一から二へ動いたら一時間と思えば良い。これで時間を確認をしてくれ」

 

「忝い、霖之助殿」

 

「では、始めですわ。芳香ちゃんは六十秒は動かないので好きに逃げてくださいな」

 

「委細承知」

 

 ともかく離れよう。私は香霖堂へ来た獣道へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一分ですわね。芳香ちゃんゴー」

 

「うお――――――!!!!」

 

 青娥のキョンシーが亡霊殿の逃げた道へと飛んで行った。

 

「霍青娥、貴女は何を考えているのです?」

 

「あら別に、悪い事は企んでないわよ。華扇ちゃん」

 

 悪いことは企んで無くても、碌でもない事は企んでるでしょうが。

 

「何故、こんな回りくどい事を? 貴女の力なら亡霊殿を捕えることが出来る筈だ。昨夜の様に」

 

 この邪仙は考えていそうで考えていない。考えていなさそうで考えている。だが、共通することは一つ。

 どちらであろうとも、この仙人が得をすると言う事だ。

 

「この鬼ごっこ、何を仕組んでいるのかしら?」

 

「別に仕組んでいませんわ。ただ、亡霊さんが私の遊びに乗ってくれただけですわ」

 

 笑う邪仙に背筋が寒くなる。

 

「そうですわねー。亡霊さんこの辺りの地理など把握してませんので道に迷わないか心配ですわ。それに邪仙が用意した食べ物を安易に口に運ぶなんて些か不用心ですわね」

 

「貴様!! 何か毒を盛ったのか!?」

 

 青娥の服を掴み問いただすが、青娥は軽く微笑んだ。

 

「毒なんてそんな卑怯な事を、この私がする筈ないでしょう?」

 

 どの口が言う!! この邪仙に拳の一つでもくれてやりたいが、今更言っても無駄だ。既にゲームは始まってしまったのだから。

 

「落ち着いて、芳香ちゃんが好きな匂いを発するようになるだけで、動けなくなるとかそういう事は一切ありません」

 

 そんな事をしたら詰まらないじゃない。

 その言葉で私は服を掴んでいた手を離した。この邪仙にこれ以上の言葉は無駄だと解ったから。

 

「それに、このゲームは亡霊さんの勝ちでしょうし」

 

「え?」

 

 何ですって? この仙人はたった今、自らの敗北を予想した?

 

「あくまで予想ですけど。芳香ちゃんに一つ命令を出しました」

 

 人差し指を立てて、それを私に突きつけた。

 

「もし、お腹が空いたら近くにいる者を食べてもいいわよ。特に人型はとても美味しいわ、と」

 

「まさか……」

 

「優しい亡霊さんなら見捨てませんでしょう? それにそれが切っ掛けで記憶が戻るかもしれない。ふふふ、どうなるんでしょうね?」

 

「霍青娥、もう一度問う。貴女は何がしたい?」

 

「ねえ、あの方は何者でしょうか? 私が欲しいと思ってしまった程の純粋な想いと綺麗な魂を持ち、それでいて身の毛がよだつ程美しい殺気を持つ。貴女の方が至近でその殺気を体感したのでは?」

 

 確かに、彼の昨夜この邪仙に向けて放たれた殺気は変わっていた。

 澄んでいる。殺気に使うのも変でしょうが、彼の殺気はまるで日本刀の様に清らかで美しいとさえ、思ってしまう程に。

 

「私は、彼が欲しい。そして、彼の全てが知りたい。どんな生い立ちで、どんな生き方をして、どんな人に会って、どんな風に死んだら、あのような人が出来るのか。それを知り、その上でその全てを私の物にする。このゲームはほんの始まり。万が一、亡霊さんが負ければ私の物に。勝ったなら、彼には何かしらの成果があるでしょうから。とても楽しみ。別に私が困る事なんてありませんわ」

 

 その吊り上がる口角によって出来るその表情は、まさしく邪仙。

 己が負けることは無い。亡霊殿が手に入る事を確信している上から物を見下ろす強者の笑み。

 そして、彼女は己の腕を見た。それは、昨夜亡霊殿によって斬られた部位。

 既に治癒は出来ているが、傷跡がある。

 彼女はその傷を蕩けた目で見て、頬を上気させた。

 正直、引いた。傷口を見てうっとりする理由が解りません。

 

「ああ、今度はちゃんとした逢瀬をしてみたいわ」

 

「負ければ纏わり付くな、と言われたでしょう」

 

「会いに来るな、とは言われません」

 

「屁理屈ね」

 

「でも、理屈ですわ」

 

 睨み、私は邪仙から離れた。

 そして、遠くの方から破砕音が聞こえた。次に聞こえるのはメキメキと、木の倒れる音。

 

「始まりましたわね。さあ、亡霊さんも芳香ちゃんも頑張って」

 

 亡霊殿、どうかご無事で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「付いて来るか」

 

 後方に見える木々の隙間を潜り抜けて芳香は飛んでくる。

 まだ、此方を見つけていない。

 

「しかし、私の方向が分かるかのようだな」

 

 芳香は立ち止まったりもするがほぼ、私の通って来た道を真っ直ぐ進んで来る。

 最初に木々に登り、後方を確かめてみると、真っ直ぐこちらに向かって来たのが見えて驚いたものだ。

 

「青娥か」

 

 十中八九彼女の仕業だろう。何か仕込まれても可笑しくは無いが、厄介な事をしてくれる。

 それに、芳香の速度は獣のように速い。

 私も亡霊だからなのか、この体で疲れと言うのが見られない。

 

「しかし、一時間走れるものだろうか?」

 

 速度を上げて振り切るより、複雑に動いてみるか。

 木々を掻き別け、雑草に飛び込み、右へ左へ大きく旋回して芳香の背後へ向かう。

 すると、芳香が動きを止めた。

 

「うー? あれ? 右? 左? 匂いが沢山あるぞー?」

 

 匂いか、成程、青娥が私に触れたことは無い。

 だが、私は青娥の作って食事を口にしている。

 

「食事の感動が台無しだな。後で、霖之助殿に作り直して貰おう」

 

 そう決めて、私は芳香の動きを観察する。見つからない事にだんだん腹を立て始めているらしい。

 

「うー!! どこだ! どこだー! 食べてやる!! 出てこーい!!」

 

 食べれれる事前提で何故、出て行かなければならん。

 

「お腹空いたァァァァァァ!! 何か食わせろーーーー!!!!」

 

 待て、あ奴凶暴になって来ていないか? 

 離れた方が良い、そう判断して私はこの場から離れた。

 そう、途中で、芳香が御札に隠れていた凶暴な牙と本能をむき出しするまでは。

 

「……アハっ! えさ、みっけ」

 

 私の耳に確かにそう聞こえた。

 見つかった? 

 私は咄嗟に体を落とし茂みから芳香を見た。

 だが、芳香は私では無く、明後日の方向を見ていたのだ。

 

「えさだー!」

 

 むき出しに歯はまるで牙の様に鋭い、しかしその牙の奥から発せられる声は先程と変わらない無邪気な声だ。

 私は大変な思い違いをしていた。

 悪い子では無い? 愚かな。あれは子供のソレだ。邪気の無い悪意、蟲の羽を毟る子供の性質と同質だ。

 あれに、善悪など意味が無い。本能とそして、青娥に従っているだけだ。

 私とは朝手の方向へ飛んで行く芳香、嫌な予感がする。

 これは、私と芳香のお遊びで、げーむだ。

 他者が傷を負うなど、有ってはならない!!

 私も芳香を追って走り出していた。

 芳香の飛ぶ速度は速いが、木々に邪魔されているせいか本来の速さではないのだろう。

 だが、それでも距離は離れて行く。

 

「くッ……一か八かやってみるか」

 

 私は跳躍した。

 木の枝を掴み振り子のように勢いを付けて跳んだ。

 根がしっかり張った木々の腹を蹴る。

 一歩で二歩分前へ。

 さらに勢いを付けて三歩分前へ。

 木々を飛び移り私と芳香の距離が詰まっていく。

 成功だ。上手くいくとは限らない。だが、私の体は慣れ親しんだように木々の場所を把握し、最善の動きを取っていた。

 頭は覚えておらずとも、体は覚えている……か。

 

「きゃああああああッッッ!!!!」

 

 前方から悲鳴が聞こえた。

 不味い!! 誰かが襲われたか!?

 私は速度をさらに上げて、芳香の進んだ道を一直線に駆け抜ける。




「頼む、間に合ってくれ……ッ!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、斬る

「あ、綺麗な石見っけ」

 

 水底に沈んでいる石の一角に私は水面から伸びる光の筋に光る綺麗な石を見つけました。

 石を拾って水面からお空に掲げると綺麗に反射します。

 

「うん、綺麗!」

 

 久々の綺麗な石に私の心は弾みます。

 最近は良い石が見つからなくて詰まらなかったのでこれは嬉しい事です。

 

「湖から上流へ来たかいがあったな~」

 

 でも、熱中し過ぎて疲れました。少し、体を休めようっと。

 私は体を川の縁に上げて、一息つきました。

 ですが、人魚である私は陸に上がると動くことが大変になるので下半身は水につけたままです。

 

「収穫はこの石一個。うん! もう少ししたらもう一回探してみよう」

 

 綺麗な石を見つけて、影狼さん達に自慢しよう。

 でも、見せる度に生暖かい視線を送られるのは何でしょう?

 

「綺麗なんだけどな~」

 

 友達から中々理解されないのが悔しいですね。

 

「よし、こうなったら絶対綺麗な石を見つけて驚かせよう!!」

 

 決意を決めて、もう一度私は潜ろうとしました。

 

「えさぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 凄く怖い声が聞こえ、気が付いた時には私は水底へ叩き連られていました。

 

「な、なに!? 何なの!?」

状況を確認する暇も無く、私は強い力に動きを止めらる。

 

「えさぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 声と共に私に飛びついて来た女の子。

 札の下から覗かせる鋭い歯と大きな口、そして叫んでいる言葉によって私は理解しまいた。

 あ、食べられるっと。

 

「きゃあああああああああああ!!!!」

 

 悲鳴を上げて無我夢中で体を動かすけど、私の肩を掴んだ女の子の力は私でびくともしないくらい強かった。

 

「いただきまーす」

 

 大きく開いて近づいてくる口。

 いや!! 死にたくない!! 死にたくないよぉ!! 誰か……助けて!!

 

「た、助けて……」

 

「私との遊びはどうしたぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 私を掴んでいた女の子が消えて、私の視界にいたのは、

 

「大丈夫かっ!?」

 

 白い髪と、札が髪にくっ付いているのが特徴的な男の人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間に合ったか!!

 芳香を蹴り飛ばした勢いで川から丘へ着地。 

 胸を撫で下ろしつつ、私は助けた者を見た。

 

「なんと、人魚か」

 

「あ、は、はい」

 

 頷く少女を一瞥し私は、茂みに顔を埋めた芳香を見た。

 

「嬢。早く逃げるがよい。あの者は私が何とかする」

 

「え、でも……」

 

「早く行くのだ!! 私とて勝てるかはわからん」

 

「……ッ!! ご、ごめんなさい!!」

 

「待て、餌ぁ!」

 

 いかん! 芳香は既に起き上がり、少女へ飛び出していた。

 反射的に飛び出すが、間に合わない!! 私より先に芳香が少女へ飛び掛かるのが速い!! だが、手はある。 

 

「『吹っ飛べ』!!」

 

 私の言葉通りの現象が芳香に怒った。

 言葉通り芳香は見えない壁にぶつかったように明後日の方向に跳ねた。

 

「がぁ!!」

 

 そして、予想通りの激痛が私の全身を襲う。

 何なのだ、この痛みは? 何故、こんな痛みが起こる?

 飛べぬ私はそのまま川へ落ちる。

 息が出来ない上に、激痛で体が動かない。

 亡霊が溺れ死んだらどうなるのだろう。

 意識が消える直前、体が引っ張られる感触がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかりしてください!!」

 

 私を助けてくれた男の人が沈んでいく。

 彼を抱き留め、背負った私は水面に上がり、彼の顔を出して呼吸が出来る様にします。

 

「あれ? 餌が無い!? どこだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 森の奥から聞こえる声に体が震える。

 駄目だ。早く逃げないと。

 このまま潜って逃げれば多分、あれには見つからない。

 

「でも……」

 

 今、自分が背負っているこの人が窒息する。

 

「二度も助けてくれた人を見捨てる気はありません」

 

 私はこの人を背負い直し、水上へ顔を出したまま、最高速で泳ぐ。

 

「逃げるなぁ!!」

 

 背後から聞こえる声、見つかったけど声は遠い。

 なら、逃げ切れる!!

 湖までいけば、あの女の子を撒けるかもしれない。

 もしもの時は、紅魔館の門番さんに助けて貰おう。

 弱い私にはそれくらいしか、方法が無いのだから。

 

「……ッ!!」

 

 悔しい。思わず歯を噛んでしまう。二度も助けてくれた人をこんな風にしか助けられない自分が悔しい!

 

「ごめんなさい」

 

「すまぬ」

 

 謝罪の言葉が背後から聞こえました。

 肩越しに彼を見ると彼は薄らと目を開けています。

 

「助けるがはずが、助けてもらうとは……」

 

「そんな、私じゃこれくらしか出来ないんです」

 

「だが、主は私を助けてくれた。ありがとう」

 

 そう言って目を閉じました。

 

「ありがとう……」

 

 この人を助けよう。私を助けてくれただけじゃない。逃げる事しか出来ない私にありがとう、と言ってくれたこの人を。

 

「必ず助けます……ッ!!」

 

「いただきまーす」

 

 それはと突然過ぎました。

 影が私達を暗く覆います。

 体から冷汗が流れ、体に緊張が生まれ、様々な疑問が私の頭を埋め尽くす。

 何故何故なんでなんでなんで!!!!

 逃げたはずなのに! まだ、あんなに遠くにいたはずなのに!!

 

「なんでッ!!」

 

 分からない事だらけでした。でも、分かった事は一つだけ。

 私が突き飛ばされて、あの人の腕が喰いちぎられたことだけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グぁァァァあああオオオおおッッッッ!!!?」

 

 声を抑えることが出来無かった。

 喰われた。左腕を喰いちぎられた!

 芳香は私の腕を喰いちぎり、そのまま川へ思いっきり己の体を叩き付けた。

 川の水は吹き飛び、川底が露出。その勢いで私は陸へ飛ばされて、木へと背中を強か打った。

 

「ごは、はぁ……! ッ……彼女は無事か……!?」

 

 咄嗟に突き飛ばしたが、怪我はしていないだろうか?

 

「だが、不味いな」

 

 亡霊だからか、失血は無い。ただ、腕が無くなっただけだ。

 

「いっそ生えてくれ。亡霊だからそれくらいは有りだろう」

 

 痛みを堪えつつ、立ち上がる。

 聞こえる音は、固い物を砕く音と、モノを食べる咀嚼音。

 

「喰われたか」

 

 私の左腕だろう。

 音が無くなると、芳香がゆっくりと水面から浮いてい来る。

 

「美味い……美味しい。お前、美味しいなぁ!!」

 

「そんなに褒めるな」

 

「お前を食べたい! もっと食べたいぞ!!」

 

「主ら主従は私に恨みでもあるのか」

 

 何故、主従揃って私に興味を持つ。

 

「イタダキマス!!」

 

「ちっ!!」

 

 飛び掛かる芳香を躱し、距離を取る。

 どうにかしなければ、何か無いのか?

 モッテイルダロウ?

 武器は無いのか?

 モッテイタダロウ?

 木の枝……。

 オモイダセ。

 ソウダ、思イ出せ、私の武器ヲ。

 ああ、そウだ。

 如何に殺スカ。

 それを理念としヒトが練り上げたチカラを。

 ヒトきり道具、殺人ブグ。

 刀。

 私の……俺の……武器ハ……。

 木の枝を適当な長さに折る。

 

「コレハ……『刀』だ」

 

 そう、これは『刀』。

 

 『木の枝』ではナイ、『刀』。

 

 私の言葉が木の枝を侵食する。理を壊し、変化させ、形成する。

 ハラリ、と札が落ちる。

 私の髪の毛に付いた札が一枚、地に落ちて塵となり消えた。

 

「う? なんかお前変わった?」

 

「言葉を纏わせる……」

 

「ん?」

 

 思い出した。久方振りだ。

 バケモノを斬るのは。

 人をキルノハ。

 生キ物を斬るのは。

 

「斬る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたた。……ッ! あの方は!?」

 

 体を起こしました。吹き飛ばされて、水の中から地に打ち上げらえていたようです。

 

「川に……戻らなくちゃ」

 

 幸いだったのは川のすぐ近くだったことでしょう。

 体を引きずりながら私は川を目指します。

 あの人が心配ですが、人魚である私は陸ではまともに動けません。

 移動速度がかなり遅いですが、ゆっくりと川へ。

 

「つ、着いた……」

 

 息を乱しながら、私は川へ滑り込みます。

 

「早くあの人を探さないと!」

 

 だけど、水に潜ろうとした時、私は動きを止めました。

 

「なに……これ」

 

 肩に軽く当たった川上から流れて来た漂流物。

 流木と思ったけど違いました。

 腕でした。

 そして、足が流れてきました。

 ごつごつとした腕では無く、私の様に細く華奢な腕。

 

「これ、男の人の手じゃない。これ……女の子の手だ」

 

 川上で何かが起こってる。

 

「何が」

 

 私は、流れて来た腕と足を持って上流へ向かいました。

 そこで、私が見た光景は、あまりにも衝撃的で。

 左右に真っ二つになった、女の子と、左腕と右の脹脛が無くなって木に背を預けている男の人がいました。

 でも、それ以上に私が気になったのは、男の人。

 私を助けてくれたその人はとてもとても深い、水底のような悲しい目をしていました。




「私は……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、幼き己を知る

 忘却していた記憶の奥底に、私の始まりがあった。

 まだ、私が私では無く、童で在った頃。

 やせ細り、枯れ果てつつある、その村に童は生を受けた。

 父も母も痩せていた。それでも童は受け入れられて、愛されて生まれて来た。

 食べる物は少なく、その中で父と母は己が子に自分たちの分を減らしててでも食べさせてくれた。

 幸福。私は何も理解できぬ童の身でありながら、両親からの愛を貰っていた。

 だが、その幸福も童が自らの足で歩き、言葉も話す様になった頃までだ。

 その年だ。童が見た地獄の始まりと、人をやめて餓鬼と畜生の世界に落ちてまで生き延びる化外となったのは。

 もともと生まれた土地は痩せていた。それでも村は今まで生き抜いてきた、これからもそうである筈だと童である私は思っていた。愚かしい考えだ。いや知らなかったそう思っていたのだ。

 天災は起きたのだ。

 大地は絶え間なく続く日照りで枯れ果て死んだ。

 少ない水と食料を巡り、人々は争った。昨日まで共に居た者が敵として、奪う者として襲い掛かり、己の喉の渇きを癒す為に、友を殺す。

 それは家族すら同じ。食料も無い、水も無い。

 次々に殺し殺される人と天が作る地獄で正気な者など一人もいない。

 人々は気づく、殺した友、家族から溢れる鮮やかで赤い水を。

 昼夜続く殺し合い。

 父が死んだ。殺されて血を飲ん出ていた男は、父とよく話していた優しい男だった。

 最早それに優しさなど無い。目が血走り、人と思えぬ奇声を上げたては吸っていく、一滴すら残さず、大地に落ちれば砂ごと吸ってでも。生きる生きる、生きる為に殺していく。

 

『――――せ』

 

 肉を喰らい、臓物を喰らい、やがては私を抱きしめる母へとその狂気を向けた。

 

『――――ね』

 

 童は突き飛ばされる。母の悲鳴と男の奇声、全てが私の眼へと焼き付き、頭を殴るような衝撃を与えて、童の記憶へ刻み、焼き付け、否が応でも恐怖を叩き付ける。

 

『――――ろ――――――せ』

 

 全ては終わる。幸福が消えていく。動けぬ童を捕える者達。

 

『――――ね――――ね』

 

 皆、知っている。幼い記憶ですら覚えている人達。

 正気な目を持つ者はいない。

 

『――――こ―――――――ろせ』

 

 押さえつけられ、狂乱の群れの中、童もその一つとして叫びを上げる。

 渦巻く恐怖と、意味すら理解できぬ死への恐怖。

 

『――――し――――ね』

 

 死ぬと言う概念すら解らぬ、童を捕える人の目と、父と母の末路に己がどうなるか本能的に理解していたのかもしれない。

 力の限り暴れ、喉が枯れるほど叫び、血が流れるほど泣いて、その果てに、

 

『しね――――――――おまえらころしあってしね』

 

 その言葉の意味を童は知らない。ただ、自身に対して人々が叫ぶ言葉を覚えたから。

 誰が与えた力か、童は己が想い全てを乗せて世界へと言葉を吐き出した。

 何も知らぬ童。初めての憎悪と憤怒から紡がれた言葉の力は、まさしく神代のモノ匹敵した。

 人だった餓鬼と畜生が死ぬ。植物が死ぬ。土地が死ぬ。家が死ぬ。村が死ぬ。

 童の身体より溢れ流れ出る死の色と言葉は、通る場所全てに死を与えていくと言う蝗の群れに他ならない。

 黒が塗りつぶす、紙の上に零れ、侵食する墨の如く万の色を死へと塗り替えた。

 だが、それも終わりが来る。

 死が消える。死すら理解できぬ童に、その力は大き過ぎた。

 死が去った場所に唯一人、死の痕が残った土地に子供一人。

 吐いて、泣いて、慟哭と怨嗟の声が一つ。

 一晩の後、声が途切れて童から涙は消えた。 

 童は歩く。生きる為に。

 既に童は童では無くなっていった。

 生きる為に、己が受けた恐怖を少しでも消す為に。

 腹が減ると恐怖が現れる。食べる為に殺した。

 喉が渇くと恐怖が現れる。潤す為に殺した。

 歩けば、餓狼が現れ、烏が狙う。追い払うために殺した。

 そう、気が付けば童は殺す事が、生きる為の行為と化していた。

 呼吸するように、息をするように、殺していった。

 殺意? 罪悪? ある訳が無い。親が死に、己に群がる全てが敵に映る童が善い、悪いなど覚えるはずもない。

 確実に命を奪わなければ、己が命を落とす場所で見逃す選択肢も無い。

 泣いても殺し、詫びた頭を落とす。

 己が泣いても助けはなかったから。既に餓鬼に等しい童に言葉は通らない。

 血の足跡を作る童の手には何時しか『刀』が握られていた。

 何時、それを手に取ったかは覚えていない。

 何処かの誰かから奪い、その使い方を見た。

 死体のそばの刀を見て、これを使う方が楽だからと思って手にとった気がする。

 最初は上手く斬ることが出来なかった。

 動かなくなった死体を何度も刻み、斬る感覚を覚えた。

 二人目は五太刀で。

 三人目は四太刀で。

 四人、五人、六人と、皮肉にも童の前に現れる敵が童の剣技を洗練していった。

 そして幸か不幸か、童を討伐する者が居なかったことだ。

 その年は、一年を通しての災害が国を襲い、都から離れた場所を彷徨う童一人を気に掛ける余裕など無かった。

 近隣の者は恐れた。しかし、童一人を恐れ殺す、偉い者達は下らぬと言って、恐れる者達の言を無視した。

 結果、童を止める者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、気が付きましたか?」

 

 青い、水のような青い髪、そして、優しそうな目が私の視界に入った。

 

「主は……」

 

「貴方に助けて貰った者です。自己紹介がまだでしたね。私はわかさぎ姫と言います」

 

 そう言って、わかさぎ姫は微笑んだ。

 

「わかさぎ姫か。私は……名無しの亡霊……そうだ!! 芳香は!? ……っ!」

 

 起き上がりるが、頭に刺すような痛みが走り、思わず唸る。

 

「あ、無茶をしないでください!」

 

 そう言ってわかさぎ姫は、私の肩を掴んでゆっくり横にして、己の膝へ置いた。

 

「……済まぬ」

 

「左腕に、右の脹脛が無いんですよ!? 普通ならとっくに死んでます」

 

「もう、死んでる」

 

 睨まれた。

 

「……でも、休んでください」

 

「芳香、主を襲った者は?」

 

「真っ二つになって、事切れていました」

 

 そうは言っても、元々あの者も私と同じ死人。そしてあの青娥の従者だ。

 鬼ごっこの前に青娥が芳香を可愛がっていたことは知っている。

 あの邪仙ならば、蘇らせることも出来るのではないか。

 

「それともう一つ、ここは何処だ? かなり大きな湖だが」

 

 私とわかさぎ姫が居るのは、霧が深く先が見通せぬ、湖畔。

 

「ここは霧の湖と言って、幻想郷でも結構有名な場所ですよ? まあ、吸血鬼の館が近くにあるのも原因ですが」

 

「亡霊になったばかりで、幻想郷の地理には疎いのだ。此処へ君が運んでくれたのか?」

 

 そう言うとわかさぎ姫は頷いた。

 彼女の話によると、真っ二つになった芳香の傍の木に体を預けていた私は、わかさぎ姫が言うには『暗い目』から涙を流し、そのまま寄りかかっていた木から地面へ倒れて気を失ったそうだ。

 

「二度も助けて貰った恩人をそのままほっとくわけにもいきませんし、そう思って此処に」

 

「ありがとう。治療もしてくれたのか」

 

 肩口に包帯が巻かれて、右足は……包帯が白い塊になっていた。

 

「ごめんなさい。私、治療とかできなくて」

 

「心配は無用だ。そもそも、死人で亡霊だ。これが生きた人間なら既に死んでいる」

 

 その辺り、亡霊のほうが頑丈かもしれない。

 懐から、時計を取り出すと短い針は三を指していた。

 

「一時間は過ぎて……時間は三時間なのか?」

 

 かなり眠っていたらしい。空を見れば陽は西へ傾きつつある。

 そして、脳裏に映るのは、血にまみれた幼き私。

 ……あれが私の生前か。

 幼少の記憶は思い出せた、が、最悪を通り越してした。

 どうやら、思っていた以上に私は救いようの無い存在なのかもしれん。

 罪悪すら感じぬそれはまさしく餓鬼と畜生。何が、美しい魂だ。

 私が忘れていただけ、蓋を開けば血にまみれた怪物の魂だ。

 

「待て……」

 

 今私は何故、後悔をしている? 何故、罪悪で苦しんでいる? 

 少なくとも、幼少で死んだのならば、あの様だ。こんな感情を持つことも無い。

 私は何処で、悔いる感情を、あれを酷い事だと思う感情を手に入れたのだ?

 

「まだ、探さなければいけないな」

 

 あの生前ならば地獄逝きは決まったも同然。

 だが、その前に探さなければ。

 あの女性の影。■■先生。■■■■。まだ私は何もわかっていないのだから。

 

「亡霊さん?」

 

「あ、いや、何でもない。私はそろそろ行かなければ」

 

「怪我してるんですよ!? 駄目です!!」

 

「とは言ってもな……」

 

 わかさぎ姫は本気で心配している。目の端に涙が浮かんでいるので、罪悪感があるが、私に関わると最悪あの邪仙の目にも留まる可能性がある。

 それ以上に私のような者に関わるのべきではないだろう。

 

「では、我が館にいらっしゃいますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気配は無かった。気が付けばそこに居た。まるで、いきなりそこへ現れたように。

 

「主……は?」

 

「始めまして、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜と申します」

 

「初めまして、名無しの亡霊と申す」

 

 取り敢えず、自己紹介されたので返す。

 上を見上げれば、わかさぎ姫が震えていた。

 

「どうされた。わかさぎ姫」

 

「な、何の用ですか? 別に悪い事はしてませんよ?」

 

「いえ、お嬢様が面白い亡霊を見つけたと言われまして、連れてくるように命令を受けただけです」

 

「私か?」

 

「イエス。出来れば素直に着いて来てくれればいいのですが」

 

 十六夜殿はわかさぎ姫を見る。

 

「お、恩人を危険な所に送るなんて事が出来ますか!!」

 

「人も襲わぬ人魚が吠えますね。ですが、その気概は認めます。約束しましょう。危害は加えません」

 

「信用しろと……?」

 

「よい、わかさぎ姫」

 

 体を起こし、片足で立ち上がる。

 

「亡霊さん!!」

 

「十六夜殿。付いて行けばいいのだな?」

 

「ええ、来てもらえるならば何もしません。その人魚にも」

 

「考えはお見通しか」

 

「では、行きましょうか」

 

 いつの間にか肩を支えられていた。

 

「わかさぎ姫、治療していただき感謝する。この恩は忘れぬ。だが、主は忘れてくれ」

 

「え、何ですか! 亡霊さん!!」

 

「私は主が思っているような人物では無い。地獄逝きが相応しい人物だ」

 

 そして、十六夜殿が私を連れて空を飛んだ。

 きゅうけつきか、どのような妖怪かは解らぬが、邪仙よりはまともであることを願うとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら~。予想通り亡霊さんの勝ちの様ね」

 

 しかし、これは凄い。

 

 芳香ちゃんが真っ二つに札ごと斬られている。

 

「ふふふ、どんな戦いをしてたのかしら?」

 

 ああ、亡霊さんに何をしようかしら?

 

「その前に……」

 

 芳香ちゃんの体をくっ付けて、お札を張る。

 

「芳香ちゃんの記憶、少し見せて貰うわよ」

 

 頭に手を入れて、この子が見た記憶を吸い取る。

 記憶を私へ取り込みむと、芳香ちゃんから見た鬼ごっこが再生される。

 逃げる亡霊さん。

 すると、芳香ちゃんが走り出して人魚に襲い掛かる。

 それを助ける亡霊さん。

 

「あら、羨ましい。亡霊さんに助けれらるなんて。でも、蹴られるのもいいわね」

 

 次に亡霊さんの左腕を食べているところ。

 

「つまり、芳香ちゃんのお腹に亡霊さんの腕がある……グッジョブよ、芳香ちゃん」

 

 思わず芳香ちゃんの頭を撫でてしまう。

 そして、亡霊さんに変化が訪れる。

 枝を取った亡霊さんの様子が変わる。

 

「あぁ……」

 

 なんて凄い殺気。

 体験をしていない。見ているだけの私ですら震えてしまうほど。

 芳香ちゃんは、それに気づかず亡霊さんの足を喰い千切った。

 そして、視界が縦にズレる。

 

「喰いちぎった所を、後ろからバッサリってことね」

 

 それが芳香ちゃんのこの姿。

 でも、この子の敗北などどうでもいい。

 私の心を揺さぶり、高鳴らせるのは、やっぱり亡霊さんの殺気。

 

「なんてこと……昨夜の腕に匹敵するわ」

 

 記憶の映像ですら、この腕を斬り落とした時の殺気があった。

 

「これを、直接……ああ!! そんな……!?」

 

 想像するだけで、耐えられない

 交わりたい。

 殺気を向けられながら、愛されたい。

 願望が、強くなっていく。心の奥底から湧き出る欲への抑えが効かない。

 

「ですが、抑えるなどさらさらありませんわ」

 

 私は邪仙。欲を持ち、欲によって行動し、己の赴くままに貪ること、抑えなどいらない。

 でも、もう少し、もう少し、彼の記憶を戻す。

 まだ、実は青い。もっと、記憶を取り戻させて熟成させて落とす。

 熟成しきった所で私が犯して壊して、作り変える。

 私は腐りかけが好きだから。

 殺気を向けられながら――――愛されたい。

 

「ん~? はれ? 青娥だー」

 

「おはよう、芳香ちゃん。ねえ、芳香ちゃん亡霊さん美味しかった?」

 

「あいつか? 美味しかった!!」

 

 無邪気に笑うこの子の頭を撫でる。

 

「ねえ、もっとも食べたくない?」

 

 亡霊ならば、仙術で再生もできる。

 

「うん、食べる!! 食べたい!!」

 

 なら、頑張って貰おう。

 胴体は渡せないけど、手足ならね。

 

「あの殺気に合うのは、絞首プレイがいいかも。絞めるのも、絞められるのも。次は首に噛み付かれながら……ああ、楽しみだわ」

 

 きっと、楽しい。きっと、嬉しい。きっと、私を――――。




「面白い運命が見えそうだわ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、体を治す

 赤い。

 それが私の感想だ。

 入り口から館の隅々まで、真っ赤に染まっている。

 紅魔館……成程、紅い魔が住む館とはまさに言葉通りだ。

 しかし、この紅は血を連想する。

 脳裏に、過るのは己の過去。

 

「此方です」

 

 そう言って、十六夜殿が私の肩を持って歩を進める。

 館への入り口、門は大きい。門の前い立つ人影が見えた。

 

「…………」

 

 門の前に居たのは、赤く長い髪が特徴的な長身の女性だった。

 その女性は何というか、独特な動きをしていた。

 動きはゆっくりだが、一挙一足ともに戦いの為の動き。

 流れる汗を気にも留めずに真剣な表情で行うそれは、演武と言っても過言では無い。

 このような動きは初めて見る。

 

「あら、起きてるなんて珍しいじゃない、美鈴」

 

「あ、咲夜さん、お帰りなさい。ええ、修行と言うか、健康法を……あ、其方がお客様ですか?」

 

 美鈴と呼ばれた女性は、真剣な表情から一転して人懐っこい笑みを浮かべた。

 先程の真剣な表情との差があり、少々面喰った。

 

「そうよ。貴女が寝ていたら、お客様に血みどろの惨劇を見せるところだったわよ」

 

「うわぁ、危ない危ない。と言うか、お客様に見せなければいいんですよ」

 

「働かざる者にはナイフを、でしょ?」

 

「多分、違います。絶対違います」

 

 十六夜殿が何処からか取り出したナイフを振ってみせると、美鈴殿は悲鳴を上げて後退した。

 

「じゃあ、お嬢様の所にこの方を連れていくから、門番お願いね」

 

「失礼する」

 

「ハイ! あ、初めまして紅美鈴と言います」

 

「ご丁寧に。済まないが事情があって、名が無い。私の事は亡霊とでも呼んでくれ」

 

「はい、亡霊さん、お気を付けて!!」

 

 手を振る美鈴殿へ手を振り返しながら、私と十六夜殿は館へ入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外部も紅ならば、内部も紅。歩いているだけで目が痛くなってしまう。

 時折、ある窓から外を見ながら進んでいくと時折、十六夜殿が来ている服とよく似ている服を着て、背中より羽を生やした少女とすれ違う。

 

「この館で働いている妖精です」

 

 わたしの疑問に答えるかのように、十六夜殿が答えた。

 

「と言っても、彼女達は幼い、精神的には子供大差有りませんので、雇ってもあまり働いてくれませんが」 

 

 確かに彼女達とすれ違うと、興味津々の好機の目で私と十六夜殿を見てくる。

 その度に、いつの間にか妖精の近くの壁だったり、床に銀の短刀が刺さり、我先にと彼女達は逃げていく。

 

「楽しそう……だな」

 

「働いてくれないこちらとしては困りった以外の何物でもありません。……と、此方です」

 

 そう言って十六夜殿は一際、大きい扉の前で止まる。

 

「お嬢様へ報告へ行きます。少々お待ちください」

 

 十六夜殿が消える。右足に力が入らず倒れそうになるが、体は地面に付かない。

 いつの間にか背後に椅子が設置してあった。丁度私が倒れる場所にだ。

 

「……面妖な術だ」

 

 暫くすると、十六夜殿が扉を開けて戻って来た。

 

「此方へ。中でお嬢様がお待ちです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、亡霊」

 

 中に入った私へ声を投げ掛けたのは、部屋の奥、白く丸い机と椅子に座って此方を見る幼い少女だった。

 しかし、幼いのは見た目だけ。その口から紡がれる透き通る声と、全身から放たれる「気」は、子供が出せるそれでは無い。

 これが、きゅうけつき、か。

 しかし、何故、幼子の姿を取っているのだろうか。

 ……私を油断させる為に、敢えて子供の姿を?

 勘繰りながらも、十六夜殿とゆっくりと進み、少女と机を挟んで向き合った。

 

「座りなさい。その怪我じゃ立っていても辛いでしょう?」

 

「忝い」

 

 椅子に座り、同じ目線で見る少女はますます幼く見えてしまう。

 

「咲夜、お茶」

 

「出来ていますわ」

 

 机を見れば、白く小さな碗に橙色の液体が湯気を立てている。

 出来た出の様だ。

 

「そう、なら下がっていいわよ。後、中国を中庭に呼んで置いてちょうだいな」

 

「畏まりました。では……」

 

 十六夜殿が消えた。足音も気配も一切、残さず消える。

 

「ふふ、凄いでしょう? 私の自慢の従者よ」

 

「ああ、私も此処に来るまで、助けられた。速度を合わせてくれたり、よくできたお嬢さんだ」

 

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう? 当たり前よ、この私の従者なんだから。ふふふ!」

 

 楽しそうに笑う少女の姿に、十六夜殿の事を本当に誇っているのだと解った。

 

「では、お互いに自己紹介をしましょうか。紅魔館が主にして吸血鬼、レミリア・スカーレットよ。東洋的には名がレミリア、性がスカーレット」

 

「名無しの亡霊。名も性も覚えていない。そして、何故、初対面の私を此処へ呼んだのか? 正直すかーれっと殿と、こうして向かい合ってることすら、不思議でしょうがないのだが」

 

「まあ、そうでしょうね。それはこれから話すわ。その前に貴方は、その怪我を治しなさい」

 

「いや、治すと言っても無理ではないか?」

 

 包帯に巻かれた傷口を見る、すかーれっと殿はため息を吐き、おもむろに自身の右腕を此方へ伸ばす。

 ゴトン、とすかーれっと殿の右腕が机に落ちた。

 声すら発することが出来ない。

 自身の目がたしかなら、すかーれっと殿は自身の腕を自分で斬り落とした。

 何も持っていない左手でどうして落としたかだとか、何故、斬り落としたのだと、問いたいが、それ以上に血が流れていく。白い机を鮮血が染めていく。

 

「す、すかーれっと殿!?」

 

 慌てる私だが、すかーれっと殿は私を左手で制して私を止めた。

 

「いい? よく見てなさい」

 

 そう言うと、すかーれっと殿の切り落とした右腕が独りでに動き出す。

 宙へ浮き、流れ出た血液が次々と球体の塊となって宙へ舞い、切り落とされた傷口へ戻っていく。

 やがて血が無くなると、右腕がすかーれっと殿の切り落とした傷口へ癒着し、傷すら残らず、綺麗な肌へと戻っていた。

 

「……」

 

 言葉も出ない。つい先ほどまで血の流れる机は元の純白へ戻り、すかーれっと殿も切り落とした右手で碗を手に取って飲んでいる。

 

「いい紅茶ね。さすが、咲夜。で、どう? こんな感じよ」

 

「済まぬ。何が何のなのかさっぱりで、どこでどういう反応をすればいい?」

 

「今の要領で貴方も腕生やしてみろって事よ」

 

「無茶を言うな!?」

 

 思わず叫んでしまったが、これはしょうがないだろう。

 何せ、今の光景すら、悪い白昼夢かと思えるほどに現実感がしなかったのだ。

 それをやってみせろと?

 

「いいかしら? 私は吸血鬼。血を吸う鬼よ。貴方は亡霊。お互い共通点があるでしょう?」

 

「人では無い?」

 

「正解。癪に障るけど、私達はこの幻想郷で生きている外の世界では幻想の存在よ。そして、人間と違いその強さは肉体では無く、精神寄りなのよ。つまり、基本意思が肉体に作用している」

 

 紅茶を飲み終えたすかーれっと殿が肩を組んだ。

 

「私はさっき、自分の腕を切り落とした。そして、こう思ったの『手を繋がれ。血よ戻れ』って。それがこの結果。いい? 貴方は人では無い。亡霊よ。肉体では無く、意思や精神の具現存在。体なんて貴方の意思次第でどうにでもなるわ。まずは人としての認識を捨てなさい。そして、強く思う。『腕を生えろ、足よ治れ』と」

 

 ……人では無い、か。

 念じてみる。治れと、生えろと。だが、体に変化は起こらない。

 

「ま、いきなりは無理ね。貴方、亡霊になったばかりだったわね。じゃ、こっちよ」

 

 立ち上がり、私の横を通るすかーれっと殿。

 

「待て、何故私が亡霊になったばかりだと知っている?」

 

 初対面であるはずの、すかーれっと殿に私は話した覚えは無い。

 すかーれっと殿は首だけ振り返り、此方を見た。

 

「これからする事が出来たら教えてあげるわよ。なんで貴方を此処へ呼んだかも含めて、くだらない事だし教えてもいいけど、それじゃあつまらないでしょう? そもそも――――」

 

 嗤う。楽しそうに。

 

「何でもかんでも優しく丁寧に教えるほど、聖人君子じゃないの。知ってる? 私って人間じゃないのよ?」

 

 無邪気な笑顔は、まさしく夜を生きて人を脅かす畏怖すべき怪物のそれであった。

 

「……ああ、よく知っている」

 

 私は理解した。青娥から離れたが、再び厄介な者に捕まった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が見える。既に日は西の地平へ沈み始めた時間だ。

 夕焼けと薄暗い青と黒の空に彩られた紅魔の館はより一層、不気味さをかもしだしている。

 その館の中庭。紅の壁でぐるりと、四方を囲ったこの場所にて私は片足で立っている。

 相対するのは、構えながらもやや心配そうに此方を見る。紅殿。

 

「あの、お嬢様」

 

「中国。言ったはずよ。その男と全力で戦いなさい」

 

 そう、すかーれっと殿の一言で私と紅殿はなぜか戦うことになった。

 

「すかーれっと殿。何故、私と紅殿は戦う事になったのだ?」

 

「すかーれっとじゃなくて、レミリアでいいわよ。簡単な話。そこの門番と戦えば教えてあげる」

 

「だから、何故紅殿と戦わなければいけない」

 

「そうね。どっかの邪仙のキョンシーと戦ったときに、記憶が思い出したのでしょう? なら、こうやって戦えば思い出せるんじゃなくて?」

 

 馬鹿な、私は戦慄で身が凍った。何故、彼女がその戦いを知っている? 見られていた? 否、興味すらあれど、この館からは結構な距離がある。それを偶々見たなど、そして記憶を取り戻したと言う事情を何故、彼女が知っている?

 

「慄いた? まあ、ネタバラシは後にしましょうか? 中国、戦いなさい。でないと、門番はクビよ!! リストラ!!」

 

 りすとら、と言う言葉に紅殿が悲鳴を上げる。

 

「すすすすすいません、亡霊さん!! リストラは駄目なんです!! この就職難にクビは嫌なんです!! 戦いましょう今すぐに!!」

 

 この慌てようだ。とは言え、この足と腕では断って逃げる事も出来まい。

 片足での戦いなどやった事はないが、惨敗は回避しよう。

 

「い、行きますよ」

 

 弱気な声色だった。直後、紅殿が纏う空気が変わる。

 先程の弱気が嘘の様に、表情は鋭く抜身の刃の様に変わった。

 これは不味いな。

 恐らくかなりの手練れだ。接近戦に持ち込むにしてもこの片足と片腕では出来ることなどたかがしれている。

 

「シッ……!」

 

 吐き出す息と共に、紅殿が動く。

 速い。

 矢の如き速度、そして一直線に私へ接近する。

 初撃の狙いは腹部。

 右足を前に出して右の拳が伸びる。

 片足を曲げて伸ばす事で左へと跳んで攻撃を躱した。

 ぐるりと拳を突き出した紅殿が右足を軸に体を回す。

 読まれたかっ!?

 来たのは左の蹴り、回避し宙に身を投げている私は迫り来る一撃に右腕をぶつけた。

 勢いに乗りきる前の蹴りが止まるがそれも一瞬、そのまま右腕ごと飛ばされた。

 地面を転がり止まる。

 片腕では立ち上がるのも一苦労だ。

 腕が在れば。足が在れば。

 そう思わずにはいられない。

 

「……なんだ?」

 

 傷口が痒い。包帯の中の痕が、右足が震えている。

 

「中国、何をしているの? 追撃しなさい」

 

「え、いや、お嬢様。怪我してるますし……」

 

「私がしろと命令したのよ? 従いなさい」

 

「で、ですが――――」

 

「よい」

 

 何とか立ち上がった私は紅殿を見る。

 

「追撃するがいい。何、こう見えて丈夫だ」

 

「そんな……」

 

 優しいな。そう思うが、私には攻撃を受ける必要がある。受けなければいけない理由に気付いてしまった。

 

「これはなんとも……荒療治だな」

 

 躊躇を浮かべたながらも紅殿が構えた。

 

「あの、すぐに参ったといってくださいね?」

 

「ああ、心配はいらない」

 

 来る。

 そして、肉体へ衝撃が突き抜ける。

 

「――――がぁっ!」

 

 この館の門番だ。普通では無いと思ってたが、腹に雷を受けたように錯覚する。

 動ければ何とかなったかもしれない。足が在れば躱す動作くらいは出来たかもしれない。

 体に巻かれた包帯を解いていく。

 傷口をむき出しに、もう一度立ち上がる。

 直後、起き上がりと同時に、蹴りが顔面を打った。

 意識が持っていかれそうになるが、地面へぶつかったの衝撃で目が覚める。

 

「うぐがぁっ……はあ、はあ!!」

 

「……っ!」

 

 一瞬、痛ましそうな顔をした紅殿。だが、攻撃をやめない。そう、それでいい。

 殴られ、蹴られる。

 顔面へ拳が迫る。これは避けれない。

 手が在れば。足が在れば。

 さらに強く、強く想い想い続ける。

 なら、生やせばいいだろう。

 私の中で何か、切り替わる感じがした。

 反射的に無い筈の右腕を動かした。 

 

「嘘!?」

 

「ほう」

 

 声が聞こえる。

 そして、私の体に変化が起こっている。

 

「はは、生えるものなのだな、亡霊とは」

 

 紅殿、拳を掴むのは失ったはずの右手。

 それを飛ばされずに、踏ん張るのは左足と、喰われかけていた損失していた右足。

 体が元に戻った。

 

「戻ったようね」

 

 そう言ってレミリア殿が此方へ歩いて来た。

 

「人が悪いな、主も」

 

「人じゃなくて吸血鬼よ。悪い妖怪なんだから、協力して治してやったことを有難く思いなさい」

 

「それにしても、荒療治にも程が無いか?」

 

「ゆっくり教えるより、必要に駆られて体験したほうが良い事もあるんじゃないかしら?」

 

「だが、先に説明して欲しい。紅殿の方が辛そうだったぞ」

 

 紅殿の拳を離して、体に刻まれた傷を見る。

 治れ。

 もう一度念じると、傷は瞬く間に消えた。

 

「痛みは……治らぬか」

 

「す、すいません」

 

「謝る必要は無いよ、紅殿。むしろ、主の方に謝ってほしい」

 

「いやよ。私だってこんな面倒くさいことしたくなかったんだし」

 

 そうだ、何故レミリア殿はこうして私に荒療治とはいえ、傷を治す事に協力したのか、何故私の事を知っているのか。それを問いたださなければいけない。

 

「分かってるわ。貴方の事を知っていたのはね……あの妖怪賢者のせいよ」

 

「八雲姫が?」

 

 私の言葉に、レミリア殿が蝉の抜け殻でも見るような目になった。

 

「マジで八雲……姫って言ったわよ、こいつ」

 

「何故、彼女がレミリア殿へ私の話を?」

 

 すると、レミリア殿が拳を握り、体を震わせる。

 

「貴様のせいだ!! 全て貴様のなァ!! いいか!? 貴様があの賢者を姫なんて呼んだせいで私の精神がどれだけ削られたと思う!? いきなり現れて、盛りの付いたメスのような表情で、やれ姫と呼ばれただの、やれ私に時代が追い付いただの訳の解らん妄言を三時間以上垂れ流されたんだぞ!? 移動すれば背後から、トイレに行ったら天井から、鬱陶しいから弾幕撃ったら、乙女みたいにやんやん体を震わせて弾幕見らず神回避するわ!! 貴様のせいで私の精神はボロボロなんだよぉ!!!! せめて弾幕見ろよぉ……!!」

 

「……済まない」

 

 謝ることしか出来なかった。

 紅殿も苦笑いしながら乾いた笑いで流している。

 

「だから、諸悪の根源のお前を少しくらい苛めてもいいだろ!! いや、もうしたからな! 結構気分が晴れた、あははははは、ザマーミロ!! …………とまあ、こんな経緯だ」

 

「いきなり冷めたな」

 

「鬱憤はらせたから、すっきりしたのよ。で、八雲を可笑しく……はいつも通りか。八雲を色ボケにした奴に興味を持ってね。私の能力で少し弄って此処にこれるようにしてみたの。そしたら――――」 

 

 レミリア殿が笑う。

 

「中々面白そうな運命を持ってるみたいじゃない。だから面白そうだから私が出会えばどういう運命に変化するのか見て見たかったの」

 

「いい性格をしているな、レミリア殿は。そのせいで先程もまで傷だらけだ」

 

「怒ったかしら?」

 

「いや、なんであろうとこうして体を治す方法が分かった。これは私としては有難い限りだ」

 

 ありがとう、そう言って頭を下げた。

 

「成程ね。そうやって八雲を落としたのね。その純粋で誠実な性格で」

 

「いや、あれは別に礼と彼女にはそれが相応しいかと思ってだな」

 

「うわ、天然ね。どう思う中国?」

 

「いやぁ、幻想郷でも珍しいタイプですね。これは生前もモテた感がしますよ」

 

 二人で何を話しているのだろうか。気にはなるが盗み聴くのはしたくない。

 

「それで、私はもう帰っていいだろうか? 霖之助殿へ、二回目の土下座をすることになりそうなのだが」

 

「そう……なら、帰っていいわよ。それと、貴方の記憶とか、邪仙とかは運命から断片的に読み取っただけよ、どんな過去は知らないから安心しなさい。そして、貴方の運命だけど――――さっきまでは進めば泥沼の底なし沼へ腐った糸が引っ張っていく感じだったけど、今は暗い闇しか見えない。運命が変化したのかもしれないわね」

 

 泥沼の底なし沼か、何故だろうか? 心当たりがないのにとても助かった気がする。

 

「そうそう、もし貴方が記憶を取り戻したら私にも教えてくれないかしら? 最近暇でしょうがないの。暇つぶしになると信じているから」

 

 そう言って、レミリア殿は紅殿を連れて帰っていった。

 

「闇か……何も無いよりはいいのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美鈴を門へ戻し、私は私室のベッドに倒れ込む。

 

「これで満足かしら? 八雲」

 

 頭上で空間が裂ける。出て来るのは八雲紫だ。

 

「ええ、ありがとうございます。レミリア・スカーレット」

 

「約束通り、良いワイン寄越しなさいよ」

 

「分かっていますわ」

 

 胡散臭い笑みだ。しかし、この笑みを見てるとあの色ボケも演技じゃないかと勘繰ってしまう。

 まあ、どうでもいいか。

 

「でも、何でアンタは自分でしないのよ? あの亡霊程度アンタならどうとでもなるでしょう?」

 

 すると、途端に顔を赤くした。

 

「い、いえ……別に少し顔を合わせづらいとか言うか、別に恥ずかしかったりはしてませんから……」

 

 ダレダコイツハ? なんだ? この目の前にる八雲紫の見た目をしたナニカは?

 

「とにかく、私も興味があるのですよ記憶の無い亡霊さんがこの世界でどういう風になるのかが」

 

 八雲の微笑みは、何時もの胡散臭さが抜けていた。

 本当にこいつは八雲紫なのか。

 あの亡霊、結構すごい事を平然としているのかもしれないな。

 

「それに……姫なんて、つい嬉しくて味方してしまいますわ」

 

「それが本音か!!」




「うわああああん!! 当たれよー!! いい加減当たれよーーーー!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、人里へ行く

「すみませんでした」

 

「まさか、人生で同じ人に二度も土下座されるとはね」

 

 私は今、霖之助殿へ土下座している。

 昨日、紅魔館から帰ろうとして、重大な事に気が付いた。

 ここから香霖堂ってどっちだ?

 そう、私は完全に道が分からなくなっていた。

 妖怪に襲われたり、少しばかり不思議な事もあったが、夜通し歩くことで道に迷いながらも漸く、香霖堂へ這う這うの体で辿り着くことが出来たのが明朝だ。

 

「ともかく、別に僕は気にしてないから顔を上げてくれ」

 

「霖之助どの~!!」

 

 ああ、なんと良い方なのだ。朝ご飯も作ってくれて正直、有難い以外の言葉が無い。

 

「いや、それ作ったの僕じゃないよ」

 

「……青娥?」

 

 嫌な経験が蘇る。御飯は美味しかっただけに怒るに怒れない。

 

「いや、八雲紫だ。ほら、置き手紙」

 

 そう言って膳に乗せられた見るからに美味しそうなご飯と共に紙が一枚添えられていた。

 

『暇なので作ってみました。宜しければお食べ下さい。暇だったからですわ、他意はありません。by八雲紫』

 

「なんと、八雲姫が……礼を言わなければ」

 

 何故か霖之助殿が呆れた目で見てくる。

 

「君は本当にどういう縁を持っているんだい? 妖怪賢者がご飯作るなんて明日にでも幻想郷が滅びるんじゃないか戦々恐々だよ。持って来た九尾の式のこの世の終わりみたいな顔は僕でも引かざるを得ない」

 

「何故? そこまで、皆は驚くのだろう? 八雲姫は良い女性ではないか」

 

「ああ、成程。無知ゆえに、か」

 

「??」

 

「いや、それよりも食べながら話でもしようじゃないか。昨日の鬼ごっこから、朝帰りになった事情をね」

 

 うむ、と頷き、私はご飯を頬張った。

 美味い!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程、腕を喰われて、記憶を取り戻して、人魚に運ばれ紅魔館で治療か。中々密度の高い経験だ」

 

「酷く疲れた」

 

 そう言うと霖之助殿が笑う。

 全部は話していない。自身の過去も思いだしたしか言っていない。

 微かに自分の体が震えていた。

 ああ、そうか。怖いのだ。霖之助殿や華仙殿、八雲姫、小野塚殿、皆に私は自分の過去を知られるのが怖い。

 情けない。過去に起こった事は取り返しが付かないし、覆ることは無い。

 最悪だ。最低だ。そう言いつつも、ここへ帰る足を止めることは無かった。

 人殺しが、安息を得るか。そんな声が私をせせらと笑っている。

 

「さて、君はこれからどうするのつもりだい?」

 

「……幻想郷を歩いて回ろうと思う。見つかる見つからないにしろ、私にはそれしかない」

 

「なら、その前に僕の用事のついでに人里へ行かないか?」

 

 人里。幻想郷で人が暮らす事が出来る安全圏だと、八雲姫が言っていた。

 そこは妖怪お入ることが出来るが、一度暴れれば八雲姫が地獄を見せるとも言っていた。

 まさに、人の安全圏だ。

 

「行ってもいいのか? 亡霊は人に悪影響を及ぼすらしいが」

 

「長くいた場合はね。短時間なら特に問題は無いよ。それに悪い事する訳でもないだろう」

 

 当たり前だ。幼き私のような事は絶対にしない。

 

「ああ、そうだ。君との約束漸く果たせそうだよ。人里へ行く前に見ておこうか?」

 

 はて? 私との約束? なにかしただろうか?

 首を捻っていると、霖之助殿が、やれやれと首を振る。

 

「忘れたのかい? まあ、仕方ないか。ほら、最初に出会ったとき君が見たいと言ってた魔法だよ」

 

 背後、店のドアが勢いよく開いた。

 

「おーっす!! こーりん遊びに来たぜー!! 全力でもてなす事を許す!!」

 

「はは、本気も大概にしなさい。あれが、僕の知ってる魔法使い、霧雨魔理沙だ」

 

「ん? お前誰だ?」

 

 三角な被り物と金色の髪。黒と白の変わった服が特徴の嬢がそこにた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほうほう、つまりこの私の魔法が見たい訳だ。いやー、亡霊は見る目があるぜ!!」

 

 背中を叩かれる。

 何と言うか、明るい子だ。口を開けて笑う霧雨殿は、男勝りだが一緒にして心地いい。太陽のような少女だな。

 

「良いぜ! 飛び切り派手なの見せてやる!」

 

 香霖堂の外にて、霧雨殿が懐から取り出したのは掌ほどの大きさの八角形状の物体だ。

 

「それは何だ?」

 

「へへん、これはミニ八卦炉と言って小さな火から攻撃にまで使える便利なマジックアイテムさ」

 

「まじっくあいてむ?」

 

「魔法の為の道具って認識でいいぜ」

 

 霧雨殿はそう言って、みに八卦炉を空へと向けた。

 黄色い、星のような輝きが虚空から現れ、みに八卦炉へと集約していく。

 光は渦を描き、みに八卦炉の中心へと続く螺旋を描く。

 

「聞いて驚け、見て震えろ!! これが霧雨魔理沙だけ楽しいスペルカード。恋符『マスタースパーク』だ!!」

 

 まず、空気が揺れた。その揺れに続いたのは七色の帯と爆音だ。

 七色の光。まるで虹が龍になったかの如く、空へ、天上へ登っていく。

 そして、その身から飛び出す、星が帯を彩る様は感嘆のに尽きた。

 私はその光景に見惚れた。

 

「美しい」

 

 口から自然とその言葉が零れた。

 魔法。これがその力の一端。

 自然が作った物では無く人が作りし、魔の技。だが、これ程とは。

 私が魔法に見惚れていると、大きさが小さくなっていく。

 光の帯が徐々に消え、龍の如き身が少しずつ中心へ向かって収縮していき、最期には一本の線となって消えてしまった。

 

「ふう、どうだ?」

 

 此方を振り向く魔理沙殿。

 

「うむ」

 

 この場合率直な感想を言おうと決めた。

 

「綺麗だ!! 魔法がこれ程凄い物だとは思わなかった!!」

 

「そうかそうか。お前は見る目があるな!!」

 

「だが、何も思い出せん」

 

 霧雨殿と隣に居た霖之助殿がずっこけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛い……」 

 

 あの後、霧雨殿に箒で叩かれた後頭部を押さえる。

 

「まあ、仕方さないさ」

 

 苦笑しながら霖之助殿が肩を叩かれた。

 

「正直な感想を言っただけなのだが」

 

「ナチュラルにボケる君に対するツッコミだと思えばいいさ」

 

「しかし、ここが人里か」

 

 周りを見回しせばいろんな店や、人がいる。

 

「霖之助殿はどのような用事なのだ?」

 

「食料が無くなって来てるから、買い出しだよ。ついでにこの幻想郷の歴史に詳しい人物の所へ行こうじゃないか」

 

「幻想郷の歴史?」

 

 霖之助殿の話によると、この幻想郷が出来る前から人や妖怪、異変などを記した『幻想郷縁起』なるものを先祖代々編纂している家系があるそうだ。

 

「正確には先祖代々では無く、ある人物がしているんだ」

 

「そのものは人では無いのか?」

 

「いいや、人さ。稗田家は少々特殊でね。幻想郷の記録を任されている」

 

 霖之助殿の話では、初代稗田阿礼が時代に合わせた縁起を作るために、『御阿礼の子』として転生したのが始まりだそうな。稗田家の当主は、死後閻魔の元で百年働くことで、再び『御阿礼の子』として転生し、『幻想郷縁起』を作る。しかし、短命で三十前後しか生きられぬと言う。

 これから会うのは、九代目の当主、稗田阿求。

 

「しかし、転生か。凄い話だな」

 

「本人は前世の事は殆ど覚えていないみたいだけどね。と、ここだ」

 

 着いたのは、人里の民家と比べて大きな屋敷。

 

「大きいな」

 

「これくらい、無いと記録を貯めて置けないだろう?」

 

 それもそうか。そう考えていると何やら中が騒がしい。

 次の瞬間、甲高い音が一度響いた。

 

「ごらぁ!! このボケ妖精!! また悪戯したかぁ!!」

 

 もう一度響く。

 

「逃がすかァ!! 脳天ぶち抜いてやるから逃げんじゃねエエエエ!!」

 

 音が連発した。

 塀の上から、青い髪に青い布を巻いて、背中に透明で青い羽根のようなものを付けた少女が逃げて行く。

 

「逃がすかぁ!! ……あ」

 

 目の前の戸から先端部分から白い煙を吐く筒のような物を持った少女が飛び出した。

 

「……」

 

「…………」

 

「…………………」

 

「ど、ども~」

 

「初めまして」

 

「阿求、相変わらずだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞどうぞこちらへどうぞ」

 

 案内された部屋は、凄まじいものだった。

 まるで熊でも暴れたかのような痕跡がそこら中にある。

 墨が飛び散りる床のを歩き、何故か部屋の隅あった無傷の座布団を三つ置いた。

 

「どうぞ、お座りください」

 

「えっと、もう少しマシな部屋は無いのかな?」

 

「残念ですが、他の部屋は現在、本の整理などで埋まっています」

 

 稗田殿と私達の丁度真ん中に上から、机の脚が落ちて来た。

 

「妖精相手に君は何を使ったんだ」

 

 呆れた様子の霖之助殿に、稗田殿は、舌を出して照れた。

 

「てへ!」

 

「まあ、いいさ。阿求、実は用事があって来たんだ」

 

「はい、何でしょうか? 隣の見知らぬ御仁と関係が有りそうですが」

 

「初めてまして、稗田阿求殿。私は、名無しの亡霊だ」

 

「……亡霊ですか」

 

 私を上から下へと観察するように稗田殿は見る。

 

「用事と言うのは、私の事だ。私は成仏したいのだが、未練がある。そして、その未練を知るには少なくとも私の過去を知らなければならないのだが、記憶が欠如していてな。もしかしたらここに私の手掛かりが無いかと参った次第だ」

 

「成程、事情は分かりました。しかし、貴方個人を特定する。と言うのは、限りなく無理かと思われます。あくまで幻想郷縁起は幻想郷の妖怪と歴史についてなので」

 

「最低限、私の生きた時代が分かればいい。生前の記憶は少し戻っている。飢餓と飢饉が起きた時代は無いか?」

 

 阿求殿が手を組んで考え込む。

 

「そうですね……。そう言う事も記されてはいます。外の世界でもそう言うのは良くありましたから特定は難しいと思いますが」

 

 そうか。やはり見つからぬか。だが、そういう記録はあるのだ。見ないよりは良いだろう。

 

「……探してみても良いだろうか? もしかしたらと言う事もあるかも知れぬ」

 

「分かりました。此方へどうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中、目の前に広がるのは数々の書物。

 これが全て稗田殿が書き連ねたのか。

 

「ここは初代から三代目の阿礼の子が書き連ねた書物です」

 

「恩に着る」

 

「いえいえ、私くらいしか読む者もいませんし、この機会にたっぷり読んでください。本は読んでこそですから」

 

「うむ」

 

 本は部屋の中で一定感覚が置かれている。

 端から置いていある本を手に取って、開いた。

 

「どうだい?」

 

 霖之助殿が聞いて来るが、私にはその声が耳に入って来なかった。

 

「……読める」

 

 紙書かれた文字。私はこの文字を知っている。

 初めて見た文字では無い。

 誰だ。私は誰にこの字を教わった?

 オモイダセ。筆を何時持った。思い出せ。紙を手で押さえた。思い出せ。手を添えて貰い字を教わった。

 いろんな文。いろんな字。丁寧に。何度も。

 誰に? 誰に誰に誰にだれにだれにだれにだれに?

 読む。思い出しながら読む。

 記録に書かれている、災害、飢餓、飢饉。

 私の体験したのはこれでは無い。これでは無い。これでは無い。これでは無い。

 読み、理解し、選別する。

 これでも無い。手を伸ばして、次の書物を見ようとしたが空を切った。

 

「む……?」

 

 無い。

 そこで私は漸く我に返った。

 

「あ、読み終わったんですね」

 

「稗田殿」

 

 先程までいたはずの稗田殿が何故か、廊下から入って来た。

 

「一心不乱に読み始めるから驚きましたよ。何言っても声が届いて無かったので」

 

「……霖之助殿は?」

 

「買い物を済ませてくると言ってましたよ。もう二時間は経ってます」

 

 二時間? 芳香との鬼ごっこが一時間。ふむ、大分長く読んでいたようだ。

 

「どうも没頭してしまったらしいな」

 

「いえいえ、惚れ惚れする読みっぷりでした。まさか二時間でこの本を読んでしまうとは。見つかりましたか?」

 

「いや、無かった。しかし、この文字が読めた。私はこれを誰かに教わっていた。それは思い出す事が出来た」

 

「かな文字や漢文なども結構ありましたが全部読めましたか?」

 

「ああ、読めた」

 

 内容も全て理解できる。

 

「成程。霖之助さんも交えて話し合いましょうか。丁度お昼なので外食へゴー! ですよ」

 

 そんな稗田殿に捕まれて、着いたのは『わっしょい! 定食屋』と書かれた店。

 そこにて途中で捕まった霖之助殿も含めて椅子が四人席に座る。

 

「で、どうだった? 手が掛かりは見つかったのかい?」

 

「文字が読める事だけは分かったのが、これと言ったのは無かった」

 

「ですが、生前に読めたはずの文字が、漢文やかな文字。恐らく初代から三代目辺りの時代だとは予測できますが……」

 

「それでも広すぎないかい? 阿礼の子は転生まで百年。三百年は開きがあるからね」

 

「だが、何も分からぬよりは良い。調べる範囲が分かっただけでも充分だ」

 

「では、午後からも引き続き調べましょう。ですが、今は御飯ですよ!!」

 

 ここの御飯、美味しいですよー、と嬉しそうに語る稗田殿が微笑ましい。

 すると、丁度頼んだ品が運ばれてきたようだ。

 

「定食・壱が二つに、定食・参が一つですわ」

 

 ですわ? 待て、妙に聞き覚えのある声が口調と声がしたのだが……。

 気のせいであってくれ。そうだ、先程まで没頭して書物を読んでいたから疲れているのだ。

 

「お代はいりませんわ。私の奢り。だから代わりに――――」

 

 ああ、天よ。私を見捨てたか。

 

「亡霊さん、ちょーだい!!」

 

 何故貴様が此処に居る、霍青娥ぁ!!!!




「なんだこれは何が起こった? 紫様が料理? この世界滅びるのか? アハハハハ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊さん、その名は――――

 反射的だった。

 椅子を軽く押して机と椅子の間に出来た僅かな隙間から体を飛ばし、店から外へと飛び出す。

 霖之助殿と稗田殿には申し訳ないが、あの邪仙とは一秒も関わりたくない。

 走る私に驚く人々の中を私は走る。

 だが、

 

「え~い」

 

 邪仙の声と共に左手と右足が背後へ引っ張ら得るような感触がした。

 背後は引っ張ら得るような感触と共に前へ進む事が出来ずに、地面へ盛大に転んだ。

 

「っ痛……! なんだ、一体?」

 

「いきなり逃げないで下さいな。そんなに私がお嫌いかしら?」

 

「お嫌いでは無く、近づきたくないだけだ」

 

「嫌では無いのですね!!」

 

「話を聞け!! と言うか、纏わり付くなと言ったではないか!?」

 

「別に会いに来るなとは言われてませんわ」

 

 ああ、駄目だ。これに口で勝とうとするのが間違いだった。

 

「この左手と右足の引っ張ら得るような感覚は何だ? 何をした」

 

 動こうとするが、邪仙が空で引っ張るような動作と連動して左手と右足が動く。

 

「芳香ちゃんに食べられた体を有効活用してみましたの。私の手の中にある二つの球には亡霊さんの左手と脹脛が入っています。これが亡霊さんに近づくと、体と千切られた部位同士が元の場所に戻りたいと願い、亡霊さんの肉体とこの欠損部位が一本の糸で繋がれるます。結果、亡霊さんへ縄が巻き付く。そして、その手綱を握るのは私。仙人は力も強いのですわ」

 

 成程、そう思うが状況は最悪だ。

 つまり、自分の体の一部が青娥に支配されているような物。

 どうする? 人も集まって来た。これ以上、目立つのも霖之助殿や稗田殿へ迷惑が掛かる。

 

「……随分直接的になって来たな、青娥」

 

「いえいえ、これはただ、見せたかっただけですわ。これで貴方を何時でもどうこう出来るって……」

 

 背筋が冷える。

 この邪仙に体を支配されているなど、悪夢の未来しか浮かばぬ。

 

「まあ、今回は人里ですし、私と逢瀬をしてくれれば何もしませんわ」

 

「……」

 

 断れば確実に終わる。何がどうと説明できぬが確実に終わると私の勘が言っている。

 しかし、

 

「分かった。素直に言う事を聞くとしよう」

 

 今は、大人しく従うとしよう。

 

「やりましたわ!! では、お二人の元へ戻りましょうか」

 

 立ち上がることが出来た。

 青娥は私の手と足が封じられた球を懐へ入れる。

 そこか。

 

「では、行きましょう!」

 

 青娥に手を引かれ、もと来た道を戻ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霖之助殿、稗田殿……」

 

 逃げられた。

 もしかしたら、着いて来てくれるかと希望を持っていたが、にやにやと笑った稗田殿に霖之助殿が連れてかれた。

 確実に勘違いをしている。絶対に勘違いをしているぞ、稗田殿。

 このような邪仙となど、有り得ぬからな。

 

「あの子良い子ね~、今度お礼にいきましょうか?」

 

「黙れ。で、何処へ連れて行くつもりだ」

 

 視界に邪仙を入れず、これからの行先を聞く。

 

「そうですね。まずは、お着替えしましょうか? 亡霊さんは痩せていますけど素材は良さそうですから……」

 

「何故、涎を垂らす。離れろ」

 

「あん!」

 

 妙に艶やかな声を出して青娥はからだを揺する。

 その肢体から鼻孔を擽る花の香りと、ふくよかな胸部が揺れた。

 近くに居た男数名が目を見開いて一斉に此方を見た。

 

「あら~、服がズレてしまいましたわ。亡霊さん、直して?」

 

 無視した。

 

「もういけずですわね。私を無視した事をすぐに後悔させてあげますわ」

 

「服屋でどう後悔させるのだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「あー、青娥?」

 

 服屋に入った。この服屋は外の世界から来た者が店主をしているらしく、和服の外にも見た事の無い服がたくさんある店だ。

 そこで私が青娥に渡されたのは、着ぐるみと言う服だった。

 全身を服で隠し、顔しか露出出来ない。

 顔の上には、ぺんぎんと言う動物の顔が付いている。

 不思議な生物だ。店主によると寒い所に住んでいる飛ばない鳥らしい。

 何故、そんなところに住んでいるだろう? 暑がりなのだろうか。

 それは兎も角、着ぐるみと言うのを着てみたが、動きにくくてしょうがない。

 手も服の中にあるので細かい動きが出来ない。

 全身ふっくらとした感触で、一回り程大きくなってしまった。

 そして、無反応だった青娥が、無表情で鼻血を垂らした。

 

「グッジョブ店主……ッ!」

 

「良い笑顔だな。ともかく鼻血を拭け。そして、脱いでいいか?」

 

「待って下さいまし! 写真!! 写真を撮るまでは!! 天狗!! 天狗は何処!?」

 

 何処かへ走って行った青娥。

 もしかして逃げられるのではないか、これ?

 

「脱ぐか……」

 

「何を……しているんですか?」

 

 振り向くと、呆れた目の華仙殿がいた。

 

「おお、華仙殿。このような所で会うとは奇遇だ」

 

 歩こうとして服に足を取られて転びそうになる。歩きずらい服だ。

 一歩一歩進んで華仙殿へ近づく。

 

「奇遇と言うか、その格好は……」

 

 華仙殿の視線が上から下へ動く、確かに変わった格好であるがな。

 

「邪仙に無理矢理着せられた」

 

 邪仙と聞き、険しい顔になる。

 

「まあ、華仙殿。流石に邪仙も人里では動けないだろうさ」

 

「あまり、油断が過ぎるのでは? 動けないなら、貴方は此処へ来てませんでしょう?」

 

 痛い所を突かれる。

 

「まあ、少しばかり体を人質に取られているが」

 

「人質!? 亡霊殿、大丈夫なんですよね!?」

 

 私は華仙殿の剣幕に押されて背後へ一歩下がろうとした。

 着ぐるみとは思いの外、動きづらい。

 下がろうとしたらそのまま服を踏んで床へ倒れてしまった。

 

「う、動けぬ!!」

 

「何をしてるんですか……。ほら、手を出して」

 

「いや、華仙殿、そろそろ青娥が戻ってくるだろう。助けるより少し教えて欲しいことがある」

 

 私の問いに、華仙殿は首を傾げながらも答えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ、まさか転んで立てなくなるなんて可愛らしい事ですわ」

 

「……五月蠅い」

 

 あの後、華仙殿が離れるとすぐに青娥が戻って来た。

 かめらとやらが見つからず残念だったようだ。

 

「夕暮れは綺麗ですわね」

 

「ああ、数回も見ていないが綺麗だと断言できる」

 

 人里が薄暗く、橙色に染まり始め、提灯や家の中に光が灯る。

 

「私の体を収めた球を返して壊してくれるか?」

 

「嫌。何度も言いますが、私は亡霊さんが欲しいの。あれがある限り、私は亡霊さんを好きに出来るもん」

 

「聞くが、何故、すぐに私をどうこうしない? あの時の様に」

 

「されたいのですか?」

 

 まさか。死んでもごめんだ。あ、もう死んでいるか。

 

「不思議に思っただけだ。芳香をけし掛けたり、このように逢瀬の真似事をしたり、貴様は何を考えている」

 

「亡霊さん。私は、今まで好き放題してきましたわ。仙術を覚え、自身の欲求に従い。貪り、喰らい、壊して直して汚して捨てて。沢山してきましたわ」

 

 嗤う。初めて会って、私の魂を掴んだ時とは違う、侮蔑を含んだ笑い。

 

「私に靡かない。私に面と向かって邪魔者扱いする。そんな殿方は初めて。そして、綺麗な魂。ふふ、こんな方は今まで出会ったことありません。初めて見たから、私のモノにならないから。でも、逆に欲しくなってしまう」

 

 私へもたれ掛る。

 

「そうか」

 

 この場所だ。

 私は、もたれ掛る青娥を掴み、一本の路地へ押し入れた。

 

「あら? まさか、亡霊さんの方からだなんて……。でも、私は何時でも準備は良いですわよ?」 

 

 壁に無言で青娥を押し付ける。

 左手には闇。その闇の一歩手前にあるのは木箱。

 中には大工か何かが使わなくなって放置している、長い木の棒がある。

 華仙殿に教えて貰った。木材が置きっぱなしになっている場所だ。

 家の改築時に残り物として放置され、家の人も捨てようと思うが中々捨てず放って置かれた物。

 華仙殿が引き取って小屋の修復に使おうと思っていたものを、一本使わせて貰う。

 私の体を封印した球は懐に隠し持っているはずだ。

 服だけ切り裂いて、球を奪う。

 もう少し、もう少し完全に邪仙の注意をこちらに持っていく。

 

「さてな。しかし、私にそれ程の価値があるとは思わぬ。何せ、血で塗られた獣の魂かも知れぬぞ?」

 

 軽口のはずだった。

 だが、青娥はその言葉を待っていたかのように、笑みを深くした。

 

「その通り。貴方のその内側に潜んだ狂気にも惹かれたのですわ」

 

 な……に?

 私の動きが止まる。

 そうだ。私は獣だ。あの過去を思い出すたびにそう思う。

 だが、何故こいつがそれを知っている。

 れみりあ殿の様に運命を見たのか? 

 それとも、もっと別の方法で?

 何にせよ。私は動きを止め、青娥へ言葉を返してしまった。

 

「狂気? 可笑しな話だ。綺麗だと言ったのは主だろう?」

 

「ええ、貴方の魂はとても綺麗で美しい。それは見惚れるほどに。でも、その実、貴方自身も気づかぬ狂気が貴方には眠っている。この場合、自身だから気づかないのかしら? 自分は正常だと思っているなら、なおさらね。妖怪にとっての当たり前の食人が人にとっては禁忌であるように、貴方の想いもはたから見れば狂気でしかないのに」

 

「……」

 

「その内に眠る、狂おしい程の想い。無意識なのかしら噴火する火山に蓋をするその在り方は。ねえ、誰を護りたかったの? 誰を護れなかったの? 何故、後悔してるの? 想いは見える。感情もみえる。でも、記憶は分からない。覚えない。私はね、貴方の全てが知りたい。だから、貴方の過去も知りたい」

 

「そうか。私も何度も言おう。断る」

 

 笑いは崩れない。私の返答が分かっていたと言わんばかりに。

 

「そう、じゃあどうするの?」

 

 こうしようと、手を伸ばした。

 だが、それよりも先に私は闇の中から飛び出した飛来物によって通りへ弾き出された。

 

「が……っ!!」

 

 着地。

 しまった。完全注意を逸らすどころか、私が引きつけれらていた。

 路地から出て来るのは、青娥と芳香。

 言葉など無視していればよかったと、悔いるが終わった事だ。

 それよりも、私はかなり不利な状況に立たされている。

 既に日は沈んだ。

 相手は二人。片や邪仙と言えどその実力は屈指の青娥に、片や不死身のキョンシーの芳香。

 それに対して武器も無く、左腕と右足を何時でも封じられてしまう私。

 それでもまだ救いなのは、ここが人里であり、民家がある通りである事。

 ここで暴れれば確実に、騒ぎになる。

 

「ここでは戦えない、とでも思っているのでしょう? 御心配なさらず別に戦う気はありませんわ。だって、まだ果実は熟していないのですから。ですが――――」 

 

 芳香が消える。

 上。

 どう移動したのかは分からない。だが、口を開けて芳香が落ちて来る。

 

「四肢を奪うのもまた一興かと思いまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちたのは手首。

 咄嗟に避けたが右の手首を噛み切られた。

 血は流れない。死した者は血すら流さぬ。

 傷一つ無い手を想像し、手を生やす。

 

「貴様……っ!?」

 

 駈け出そうとした瞬間、青娥が指を鳴らした。

 地面から飛び出した、腕に足首を掴まれた。

 

「馬鹿な!?」

 

 それだけでは無い。次から次へと地面から生える手、手、手。

 地面を突き破り見えた者達は、腐り果てた死体だった。

 

「……っ!?」

 

「私の死霊術です。私の得意分野ですわ」

 

「この、者達が何故、人里の地下から出てこれる!!」

 

「違います。私が召喚したの」

 

 指を振って、青娥が否定する。

 体中を掴まれ、青娥の元へ引っ張られた。

 

「どうです? よくわかってくださいましたか? 結局、私と亡霊さんでは戦いにすらならない。これが必然、これが結果」

 

「さてな。そうとは限らんかもしれんぞ? 何せ、自分から近づいてくれたのだ、有難い」

 

 青娥の顔に疑念が走る。

 遅い。

 

「『吹き飛べ』」

 

 その言葉を、私の体を拘束する死した者達が青娥へと勢いよく飛んで行く。

 

「……なッ!?」

 

 激突。青娥に死した者達がぶつかり、飛ばされていく。

 今までの様に痛みは無い。

 これにより、私は自分の持つ力を完全に把握した。

 私は発した言葉にその言葉通りの力を宿し、それを纏わせることが出来る。

 木の枝に『刀』を纏わせることで刀へと変化したように。

 体を拘束した者達へと、『吹き飛べ』と言う言葉通りに吹き飛んだように。

 

「これが、私の力か」

 

「青娥ー!」

 

 芳香が地面へ倒れた青娥へと近づく。

 派手にやり過ぎた。今の音で周囲が慌ただしくなり、民家から人が出て来る。

 逃げるか、と思うがその者たちは、私達を見ても声も上げず、首を傾けながら戸を閉めた。

 

「何?」

 

「……ふ、ふふふ、素晴らしいですわ。こんな力を持ってるなんて」

 

 ゆっくりと青娥が起き上がる。

 

「主、何をした?」

 

「認識の阻害、この辺りの者は私達に気付きませんわよ」

 

 ゆっくりと、傷がついた頬を撫でる。

 

「ああ、痛いわ、痛い、痛い痛い痛ぁぁぁぁぁい!!!! でも、気持ちいい!! 出来ればこんな塵よりも貴方自身が殴ってくれればよかったのに」

 

 私が吹き飛ばし、直撃した死人達を片手で掴みあげ、一瞬のうちに頭蓋を握り潰した。

 

「もう、いらない。芳香ちゃんと亡霊さん以外いらないわ。さあ、いってらっしゃい。これが貴方達の最後の見せ場よ」

 

 再び地面が隆起する。だが、先程の比では無い。

 噴き出す様に死体が吹き出した。

 手が欠けた者、目が無い者、肉が無い者、夥しい死臭を撒きらして私を囲み、飛び掛かる。

 

「この!!」

 

 一人を殴り、背後からのを蹴飛ばし、飛び掛かる者を掴んで投げ飛ばす。

 動きを止めず、集団の隙間を掻い潜り、飛び上がっては頭を足場に飛び移る。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

「きりが無いな!!」

 

 殴り飛ばそうが、蹴り飛ばそうが、何度でも彼らは立ち上がる。

 

「さあさ、亡霊さん頑張って!! ほらほら、もう貴方達は亡霊さんを魅せるだけに存在してるのよ? もっと亡霊さんを彩って!」

 

「死人と亡霊の舞など見たくも無いわ!!」

 

 だが、何故だ。この光景、否、この状況、何故か心がざわめく。

 恐怖? 確かに恐怖だろう。

 死人の群れが襲ってくるのだ。恐怖はあるのだろう。

 だが、違う。そんな恐怖では無い。

 心の奥底より湧き上がるこの感覚。

 恐怖、焦燥、悲嘆、漠然として感じるこれは何だ?

 思い出すな。

 思い出せ。

 二つの感情が私の心でせめぎ合う。

 不意に、死人達の動きが止まる。

 何だ、と青娥を見た。

 

「あらやだ、ばれちゃった」

 

 直後に何かが砕け散る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何をしている!!」

 

 聞こえたのは鋭い声。

 

「何だっ!? これは……!!」

 

「あらら、戻りなさい」

 

 青娥の声で、死人たちが一瞬で消える。

 

「霍青娥だな!! 人里で何をしている!?」

 

「あらやだ、ごめんなさいね。ちょっとした余興よ」

 

 青みが掛かった銀の色の髪を持つ女性だった。

 厳しい雰囲気とその怒気から真面目な雰囲気が伝わってくる。

 

「――――!! ――――」

 

 だが、その声も私には聞こえない。

 その女性の隣。

 私は声も出せずにその女性を見ていた。

 金、それに紫の色味が掛かった長い髪。

 

「ああ――――」

 

 瞳の金色は吸い込まれる程に美しく、優しい色。

 

「あああ――――」

 

 服は違う。

 私の知っている服では無い。

 だが、変わっていない。

 何も変わっていない。

 

「嘘……」

 

 声が聞こえた。か細いその声すら、私には鮮明に思い出せる。

 護れなかった。

 

「ああああ――――」

 

「加持……丸……?」

 

 私のナヲヨンダ。

 全てが、一斉に蘇る。

 全て全て全て全てすべてすべてすべてすべてすべてスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテスベテ……!!

 私は……俺は……――――。

 白蓮先生――――一……輪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もが反応出来なかった。

 悲鳴が上がる。その悲鳴は、悲憤であった。

 心を締め付けると同時に震え上がらせる声。

 次にドス黒い煙が男から噴き出した。

 銀の髪の女性、上白沢慧音が慌て。

 青の髪の女性、霍青娥は驚愕した。

 そして、金と紫の女性、聖白蓮は、わき目もふらずに男に駆け寄った。

 後、一歩の距離で男は消えた。

 何処へと皆が思った瞬間だ。

 霍青娥と宮古芳香が斬られた。

 ズタズタに。それこそ、紙ふぶきの如く肉片が舞う。

 男は黒いナニカに飲み込まれていた。

 男は跳んだ。

 屋根を足場にまるで、獣の如く空へと身を躍らせて里の壁を一息に飛び越えた。

 

「待って!! 加持丸――――ッッッ!!」

 

 白蓮は外聞を捨て叫んだ。

 だが、もう男は、白蓮が加持丸と呼び、亡霊と呼ばれていた男が戻ることは無かった。

 

「嘘嘘嘘うそうそうそ……!! 加持丸、本当に貴方なの!?」

 

 白蓮から、涙が流れた。

 あらゆる感情が、マーブルのように掻き混ぜられ白蓮の中に生まれ、それをぶちまけ、吐き出すような涙。

 人々が集まる。

 だが、聖白蓮の、涙は止まることは無かった。




「あらら、壊れちゃった」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蓮さん、過去を想う

 今でも悔いている。

 自身の行いに悔いは無い。

 報いだと自分の事は納得できている。

 でも、あの子を殺したのは私だ。

 良い子だった。

 ずっと、慕ってくれた。

 先生と呼んでくれた。

 真面目で己の罪と向き合い、背負って贖おうとした。

 私のせいだ。

 私の優しさがあの子を殺した。

 この罪は、生きる限り死ぬまで背負わなければいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は死を恐れたから。

 最愛の弟が死んで、死ぬことが怖くなって、魔道と外道に落ちてまで若さを求めた。

 妖怪を退治する。その一方で、妖怪を助けて妖力を貰い若さ保っていた。

 あの時も同じだった。

 山に童の姿をした妖怪が現れたと聞いた。

 何人も殺されたらしい。

 山へ赴き、そして山中であの子を見つけた。

 ボロボロの服、伸び切った髪。

 小さな五つも超えていないような子。

 その背には刃こぼれが激しい身の丈に似合わない大太刀が背負われていた。

 

「君……なのかしら?」

 

 獣のように川の水を飲み、近づけば唸る。

 飢餓と飢饉で親を亡くして生きる幼子など珍しくも無い。

 だけど、この子は何故ここまで暗い、まるで死者のような暗い瞳をしているのか。

 何よりも、怒り、憎悪、悲哀、あらゆる負の感情が髪の間から除く瞳より感じられた。

 手を伸ばしたの何故?

 同情? 憐れみ? 何とでも言えば良い。

 ただ、救いたい。

 その一心で手を伸ばしていた。

 獣の如き叫びをあの子は上げた。

 刀を回し私に斬り掛かる。

 私はそれをあえて受けた。

 私の肉体をやすやすと切り裂く斬撃。

 憎しみが、彼の受けた痛みが籠っているように感じる。

 だが、魔の力で強化した骨で刀を止める。

 そして、そのままあの子を抱きしめた。

 

「―――――――――――――!!!!!!」

 

 悲鳴。だけど、離すことはしない。

 でないと、この子を救えないから。

 ああ、大丈夫。私は君を傷つけない。

 君の悲鳴が消えるまで抱きしめてあげる。

 頭を撫でた。

 優しく何度も撫でて上げた。

 その度にあの子は激しく暴れ放せ放せと訴えて来た。

 その行動が先程の刀傷が響いた。

 力が一瞬弱り、あの子は凄まじい速度で山の奥へ消えて行った。

 ただ、一度私を見て。

 傷を癒し、もう一度あの子の元へ行く。

 

「……」

 

 飛び掛かれることは無く、じっと警戒した目で私との距離を保っていた。

 野犬と同じ行動、人から獣へと変わった姿。

 いや、獣にならなければ生きていけなかったのだ。

 

「大丈夫。私は君を救います」

 

 それからは、根競べ。

 山に赴き、あの子に会ってご飯を食べさせてたり、少しずつあの子から警戒を解いていった。

 

「う……あうーーー」

 

 犬のように懐き始めたあの子の手を引いて寺へ連れて帰った。

 言葉を教え、意思疎通を覚えさせる。

 この子に自分を獣では無く、人だと教える為に。

 

「ぇ……ん」

 

 髪を切り、ご飯を食べさせた。

 体を洗い、服を着せ四つん這いでは無く、足で歩く練習をさせた。

 身なりを整えると、思っていた以上に整った顔立ちだった。

 

「ばくれーん……」

 

 挨拶を、常識を、服の着方まで一つ一つ覚えさせていく。

 苦では無かった。

 日々のこの子の成長が嬉しくて、子供がいたらこんな感じなのだろうかと、考えたことも一度や二度では無い。

 

「おはようございまーす。白蓮先生」

 

 童であり、獣だった子は人へ、少年へ、と成長し、笑顔の挨拶に私は不覚にも涙を流してしまった。

 それが、私とあの子、加持丸の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人里の混乱を慧音さんと納めると、一度帰った方がいいと彼女から言われた。

 

『彼と何があったのかは聞かない。だけど、酷い顔だ。一度、気分を落ち着かせた方が良い。彼を探すのはその後だ』

 

 後、慧音さんは何か言っていたようだったけれど私は聞くことが出来ず、フラフラと言葉に従って帰った。

 どうやって寺へ戻ったか、定かでは無い。

 気が付けば、寺の門の前へ座っていた。

 

「加持丸……」

 

 人里の方角を見た。

 見間違う筈がない。

 髪の色も違った。痩せてもいた。

 でも、あの子だ。絶対に間違えない。

 あの時、伸ばした手は届かず、あの子は黒い煙を纏いながら何処かへ消えていった。

 

「生きては……いないのよね?」

 

 加持丸は人。私のように魔法を使ってもいない。

 寺の皆のように妖怪でもない。

 寿命は五十そこらで尽きてしまう、唯の人。

 

「亡霊……」

 

 恐らくそうだろう。

 未練を持った亡霊。

 このうちに渦巻く感情を何と表現すればいいのだろう?

 禅定すら、今の私では出来ない。

 喜び? 罪悪感? 考えれば考えるほどに底なしの沼に嵌って行くのが分かる。

 

「どうすれば」

 

 途方に暮れていると、背後から足音がした。

 

「聖、帰っていたのか」

 

「ナズーリン……」

 

 古参の皆は知っている。加持丸と皆が仲が良かった。

 ナズーリンとは、軽口を言い合っていた。

 星は、あの子の名付け親。

 村紗とは兄妹のようで。

 一輪とは、互いを想い合っていた。

 最も、あの子はそれを表に出さなかったけど。

 皆が仲が良かった。

 私が、村紗達が封印されるまで。

 地上に残されたのは、ナズーリン、星、そして加持丸。

 追われる最中、加持丸とはぐれあの子の最期はナズーリンが看取ったと聞いている。

 一輪は、まだ立ち直れていない。

 あの子の形見である刀を何時も持っている。

 人前では明るく振舞って、寝静まれば独り泣いているのだ。

 雲山は言っていた。

 自分ではどうしようも出来ない。一輪の悲しみは取り除けない、と。

 星もだ。

 封印が解かれた日。何度も何度も彼女は謝り泣いていた。

 許しを請う子供のようだった。叱ってくれと懇願しているようでもあった。

 ナズーリンの話では、まだ良くなったほうで、最初は飲まず食わずも多く、無気力な時期もあったと。

 そして、人里での奇跡とも言える出会い。

 何て……言えばいいのかしら。

 この子や、村紗。

 そして、星。

 なによりも一輪に。

 

「どうした? 顔色が悪い。顔色が悪いのはご主人と一輪だけにして貰いたいよ。これ以上寺が暗くなって欲しくないしね。いや、ご主人も一輪も立ち直ろうと努力してるのは――――」

 

「加持丸に会いました」

 

 ナズーリンの声が途切れた。

 

「聖、言っていい冗談と悪い冗談がある。貴女は一番それをよく分かっている筈だ」

 

 言葉の節々から怒気が発せられているのが分かる。

 私もその言葉には同意するだろう。

 そんな事を聞かされたらまず、怒るだろう。

 だけど、本当の事だから。

 伝えなければいけない。 

 

「人里で、髪も白髪で痩せこけてもしました。でも、加持丸でした」

 

「白髪に、痩せている……だっ…………て?」

 

 ナズーリンの声が震えていました。

 振り向けば顔を蒼白にした、普段の彼女には凡そ考えれない程深刻な顔。

 

「聖。本当なんですね? 本当に見間違いとかじゃなくて、本当に! 加持丸だったんですね!?」

 

 語彙が荒い。

 でも、はっきりと私は頷いた。

 ナズーリンが手で顔を隠し、天を仰いだ。

 

「ああ、そうか……加持丸か、何故此処に……? 考えられるとすれば亡霊かその辺りか。ああ、ご主人と一輪に何てい言えば良い? ああ、糞!! でも、居たのか。また、会えるのか……ははッ! あのバカ野郎が!!」

 

「ナズーリン?」

 

「聖。歩きながら話しましょう。皆にも伝えます。そして、私が今まで嘘を付いていたことを言わなければならない」

 

 速足のナズーリンに引っ張れるように私の足も命蓮寺へと向かう。

 

「嘘を付いていた……事?」

 

 一度の沈黙。

 ナズーリンは俯き、震える息を整えながらゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「あいつの……最期ですよ」

 

 私の、自分自身の心臓が一際跳ねるを感じた。

 

「皆には隠していた。聖や皆が……特にご主人や一輪が知れば本当に立ち直れなくなってしまうから」

 

「前に話してくれましたよね? ……病死、だと。私達を追放した者達から追い掛けれられて、矢を受けた。その傷がもとで息を引き取った、と」

 

「違うんです。あいつの……死因は、し、いんは――――っ!」

 

 尊大な態度の多いナズーリンが体を震わせ、表情を歪ませた。

 泣きそうな声で、後悔しているような声で、それでも言わなければと必死に嗚咽を堪え、手を握り絞めながら、彼女は自らの嘘を告白した。

 

「打ち…………首、なんで……す……」

 

 

 

 

 

 

 

「――――!!」

 

 歓喜。ああ、何と表現すればいいのかしら!?

 自身の分身が殺された。

 粉々に、微塵の容赦も無く、一切合財の躊躇無く寸刻みのバラバラに。

 

「思い出しのですか? 亡霊さん。いえ、加持丸さん」

 

 加持丸、加持丸と口に出してその名を記憶に刻んでいく。

 

「ああ!! 熟しているのですね? もう我慢しなくていいのですね?」

 

 彼が何処にかなど分かっている。

 戦うたびに彼は何を思い出したり、変化している。

 一度目は、力。

 二度目は剣技。

 芳香ちゃんを両断する技。

 様子見として、加持丸さんを吹き飛ばした時に分身に変えていてよかった。

 

「斬り刻まれたたら、復活が遅くなって加持丸さんに会うのが遅れてしまいますからねー」

 

 斬り刻まれた程度では、死ぬほど私は弱くない。

 でも、今は一分一秒だって惜しいのだ。

 芳香ちゃんを復活させつつ、加持丸さんが逃げた方角へ進む。

 

「ふふふ、ようやく知れる! 貴方の過去! 未練! その最期まで!! ああ、楽しいですわ楽しいですわ。愉快で痛快なのでしょう? 楽しくて辛くて嬉しくて悲しいのでしょう? 痛くて気持ちよくて憎くて愛しいのでしょう? 私は全て受け入れます。私が受け入れますわ。そうして、壊して直して犯して侵して冒して、全部私のモノになるのですわ!!!!」

 

 心が踊る。謳う。

 

「見ーえた」

 

 彼がいる。

 全身から黒い煙を噴き出しながら、蹲る加持丸さんが居た。

 周囲の草木に生気と言うモノが存在しない。

 何もかもが枯れ果てて死んでいた。

 

「すごぉい。加持丸さんの力なのですね」

 

 答えは無い。

 

「ふふ、少しは返答を期待してなのですけど、そんなにショックなのですかぁ? あの女、聖白蓮に会ったのが」

 

 反応した。

 聖白蓮と言う言葉に確かに反応した。

 

「駄目ですわよ? 忘れましょう? 貴方は何も考えなくていいの。全て私にくださいな」

 

 毒を一つ入れる。

 真水に毒を入れればそれはもう真水に戻れない。

 ただの一滴だけでいい。

 取り返しがつかなくなればいい。手遅れにすればいい。

 誰の声も届かない。()の声だけが届けばいいのだ。

 

「さあさ、加持丸さんの人生を辿りましょうか?」

 

 私は手を加持丸さんの胸と頭に沈ませる。

 前は邪魔が入ったけど、気配はしない。誰も来ない。

 

「ふふふ、あははははははは!!」

 

 流れ来る、加持丸さんの全てが。

 気持ち悪い、悲しい、苦しい、痛い。

 気持ち良い、嬉しい、心地いい、暖かい。

 なにこれ? なにこれ!? なにこれ!!

 

「私、可笑しくなっちゃいそう……!!」




「…………」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亡霊の過去 始まりと終わり
童さん、名を貰う


 眩しい。

 眠いけど目を開けると日差しが昇ってた。

 

「……」

 

 暖かい布が体に掛かってた。

 

「先生……」

 

 先生が掛けてくれたのかな。

 布を抱きしめるとまだ温かい。

 寒くない。

 洞窟で寝ていた時とは比べ物にならない。

 ずっと独り。

 みんな敵でみんな殺して、僕だけで生きてきた。

 白蓮先生。

 助けてくれた人。

 ずっとずっと僕に手を伸ばしてくれた優しい人。

 先生は僕を人にしてくれた。

 字を教えてくれた。

 言葉を教えてくれた。

 たくさんの事を教えてくれた。

 だから、僕は先生に付いて行く。

 いつか必ず先生の役に立つ為に。

 先生に恩返しするんだ。

 でも、まだ先生のする事がよく分からない。

 妖怪も人も平等に救う。

 それを僕はどうすれば手伝えるのかいつも考えている。

 でも、白蓮先生がいつも誰かを助けた後は、皆笑ってる。

 先生にお礼を言ってるんだ。

 

『僕も出来るかな?』

 

 そう言って、先生は僕の手を握って笑ってくれた。

 

『出来る。君も必ず』

 

 だけど、まだ怖い。

 白蓮先生以外の人が皆怖い。

 独りぼっちの時は、怖くなかったのに。

 体を起こして、先生の所に行く。

 今日は、誰か来るとか言ってた。

 

「どんな人……だろ」

 

 先生は新しい仲間って言ってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、来ましたね。おはよう」

 

「おはようございます」

 

 広い部屋に行くと、白蓮先生と、知らない人が二人いた。

 でも、頭から耳みたいなのを二人とも生やして、髪の色も変わってるから妖怪かもしれない。

 

「ああ! 聖殿が仰ってたのはこの子ですね? おはようございます!」

 

 そう言って僕に近づいて来たのは、髪の毛が黄色と黒の縞々女の人。

 優しそうだけど、先生の後ろに僕は隠れた。

 

「……聖殿ー、私、嫌われました? 泣いていいですか?」

 

 泣いてる。

 

「大丈夫。この子は少し警戒心が高いだけよ。きっと貴女にも懐いてくれるわ」

 

「ほらほら、仮にも毘沙門天様の代行が子供に避けれらたくらいで泣かないでくれませんかね?」

 

 先生の肩から見ると、灰色でおっきい耳が付いた女の子が縞々の人の肩を掴んで引っ張って来た。

 

「だって、子供にも懐かれない私が毘沙門天様の代行なんて出来るますか? はははは。やっぱり無理ですよ。皆私を選んでくれたけど、やっぱり山でひきこもって暮らした方が私の器です――――」

 

 灰色の人が叩いた。

 

「しゃきっとしてくれ、代行殿。いや、寅丸星。私が仕替える方がこんな弱気じゃ前途多難だ」

 

「やっぱりですよね。そうですよね? 情けないですよねごめんなさい気弱でごめんなさい初対面の時美味しそうと思ってごめんなさい」

 

「おい、今、話し合いが必要な内容が聞こえたぞ? ん?」

 

「ふふ、二人とももう仲が良くなったのね」

 

 仲良いの? 先生に質問したら頷いた。

 

「聖殿、別に仲良くない」

 

 灰色の人がため息吐いた。

 

「さあ、二人ともこの子にも自己紹介していくれないかしら?」

 

 白蓮先生に抱っこされて二人の前に出された。

 うう、やっぱり怖い。

 

「と、寅丸星です。今日からこのお寺の毘沙門天様の代行を務めさせて貰います。よ、よろしくお願いいますね?」

 

「ナズーリンだ。毘沙門天様の監視役で来た。よろしくな坊ちゃん」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「君、名前は?」

 

 寅丸さんに聞かれた。

 

「無いです」

 

「え? いやいや冗談だろう? 聖殿から聞いた話じゃもう一年になるんだろう?」

 

「えっと、たくさんあります」

 

「聖殿? どういう事でしょうか?」

 

 寅丸さんが首を傾げました。

 先生は顔を赤くして、気まずそうに答えた。

 

「い、いろんな名前を考えていたら、その、どれがいいか分からなくなってしまいまして……その一年間」

 

「いやいや、聖殿。それは無いだろう。流石に無いだろう。じゃあ、この一年、この子は名無しで生活してたのか?」

 

「坊って呼ばれてます」

 

「「聖殿……」」

 

「ご、ごめんなさい……。この子の大切な事だから慎重に慎重にって選んでいたら、決まらなくて。いっそ候補の名前を全部くっつけようかなって、例えば、じゅげ……」

 

「それは、別の方に譲ろうか。何か危ない」

 

「でも、この子にはしっかりした名前を上げましょうよ!! いくら大切な事でも決めないといけませんよ!!」

 

「じゃあ……星。貴女が名づけ親になってくれないかしら?」

 

 見上げると、驚きの表情の星さん。

 

「え? わ、私がですか?」

 

「ええ、毘沙門天が名付け親って言うのも素敵じゃないかしら?」

 

 名付け親って何だろ?

 

「ううう……わ、分かりました!! 不肖、寅丸星。この子に立派な名前を付けてみせます!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから僕と先生が住んでいた場所に寅丸さんとナズーリンさんが加わった。

 二人とも優しい、妖怪だけど。

 でも、やっぱり怖い。

 妖怪だからとかじゃなくて、触れられるのが怖い。

 誰かとの会話は殺意を乗せて叫び合う事しかなかったから。

 殺し奪う以外で人と触れ合う事しかなかったから。

 聖先生に出会って一年にもなるけど、僕はまだ怖い。

 

「おはようございます」

 

 笑顔で挨拶してくれる寅丸さんが怖い。

 

「……おはようございます」

 

 自分の耳にしか聞こえないくらいの小さな声しか出なかった。

 

「小さいですねー。もう少し大きくしないと駄目ですよー?」

 

「きこ……えたの?」

 

「ええ、私こう見えても耳が良いんですよ!」

 

 胸を張る寅丸さん。

 

「おっと、それはそうと君の名前が決まりましたよ。三日間待たせてしまいましたね」

 

「名前って……そんなに大事?」

 

 この三日間寅丸さんは頭を唸らせながら一生懸命考えてた。

 聖様もずっとずっとずっと考えてた。決まらなくて僕に謝ってた。

 でも、僕には何でそこまで一生懸命なのか分からなかった。

 すると、寅丸さんがしゃがんだ。目線が僕と同じになる。

 

「そうですね。まだ難しいかもしれませんが、名前って言うのはとっても大切な物なんです。名前が無いと君が何者なのか、他の人から認識が出来ない。君自身も君を定義する物が無い。君は人間である人間、でも君は人間の何なのか。名とは君が君である為に必要な物なんですよ」

 

 よくわかんない。

 そう言ったら寅丸さんは、僕の頭を撫でた。

 

「まだ難しかったかな? でもね、いつか分かるから。何時か欲する時が来る。君が自分の名を求める時が必ず。でも、探し求める名前が無いと君は君自身を認識できなくなってしまう。此処で私が君に名を与える事にする。ふふ、何て、かっこよく言ってるけど、子供に名前が無い事が私にとっては嫌なだけです。そして、何時か名前を誇ってほしいですね、名付け親としては」

 

 怖くなかった。

 寅丸さんに頭を撫でられたけど怖くなかった。

 名前。

 僕は、名無し。

 僕は何だろ?

 

「星! 名前決まったのですね!」

 

「はい、聖殿。今朝方に」

 

 走って来た先生が僕と寅丸さんを見て驚いてる。

 

「あらあら、頭を撫でて」

 

「……寅丸さん、先生と一緒」

 

「あらあら、よかったわね。ほら、ナズーリン。貴女も来て」

 

 お寺の屋根にいたナズーリンさんを先生が呼んだ。

 

「ふむ、寅丸殿は一体どんな名にしたのかは気になる所で」

 

 寅丸さんが咳払いして、僕の名前を呼んだ。

 

「加持丸。この子は加持丸です。仏あるいは菩薩が不可思議な力によって衆生(人々)を守るという鎮加護持(ちんかごじ)神変加持(じんべんかじ)からとってみました。人を護ることが出来るそんな人になって欲しいと願って」

 

「いい名じゃないか、加持丸か」

 

 加持丸。

 僕の名前は加持丸。

 僕は加持丸。

 寅丸さんがつけてくれた名前を何回も声に出さないで反芻した。

 

「加持丸。良い名ね。ありがとう、星。立派な名をこの子に付けてくれて」 

 

 先生が僕を持ち上げた。

 

「一年間も待たせてしまってごめんなさい。改めてよろしくね、加持丸」

 

 名前。寅丸さんが言ったことはまだよくわからないけど、でも先生に呼んで貰ったら、何故か嬉しくてとっても嬉しくてしょうがなかった。

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が流れ時は進む。

 加持丸の名を貰い、僕が俺になった。

 先生の教えを受ければ受けるだけ自分自身のかつての過去がの罪深さを知り、理解出来て行く。

 経を読み上げ、名も知らぬ斬った者、かつての村の人へ手を合わせる。

 仏教の修行、そして刀の修行。

 殺す為では無い、護る為の技を得る為に。

 

「せい!」

 

 寅丸様の突き。

 鋭く速く重いと三拍子揃った動きを連続で繰り出すそれはまさに毘沙門天様だ。

 それを躱す。

 己の力と勘で躱す。

 見てからの反応では駄目だ。もっと素早く寅丸様の槍が放たれるより速く予測しなければ直撃だ。

 寅丸様が持つ、槍の先端は潰し、布で覆われているので大きな怪我は起きない。

 しかし、その迫力と闘気によって真剣で戦っているように感じるのは、一度や二度では無い。

 

「……!」

 

 腹部を狙った一撃を手に持った木刀を下段から打ち上げ、槍を弾く。

 寅丸様の両手が上がる。

 隙を逃さずに懐へ飛び込む。

 

「これで」

 

「まだまだ」

 

 顎に衝撃を受ける。

 足だ。

 槍をかち上げ、後方へと体勢が崩れた寅丸様が俺が懐へ飛び込む瞬間に合わせ、右足を蹴り上げたのだ。

 

「ぐ……ぁ!」

 

 倒れ込む。

 立ち上がるより先に槍の先端を付きつけられた。

 

「私の勝ちですね」

 

「参りました」 

 

 痛む顎を摩りながら立ち上がる。

 何十回目の敗北か。

 

「お強いですね。情けない限りです」

 

「いや、足を出すのが偶々上手くいっただけですよ。数瞬遅ければ敗けてました」

 

 その数瞬に合わせる事が出来る寅丸様も大概だ。

 

「今日の朝の修行は此処までです」

 

「ありがとうございました」

 

 修行場である山を下りて命蓮寺に向かう。

 

「そう言えば、最近とても巨大な妖怪が現れている噂を聞きますね」

 

 下山しながらふと、寅丸様が思い出したように言った。

 

「巨大な妖怪?」

 

「ええ、何でも山よりも大きいとも言われてます」

 

 山よりも大きな妖怪。想像付かないが、それ程大きな妖怪なら、すぐに見つかるのではないか。

 

「それが急に人前に現れては直ぐに消えてしまうそうです。跡形も無く」

 

「何とも不思議な話ですね」

 

 とはいえ、妖怪ならばよくある事、目の前で消えるなど珍しい事では無い。

 その時は、特に気にすることも無く単なる噂話程度にしか思っていなかった。

 命蓮寺へ戻ると、聖先生と男の人達が数名話している。

 近隣の村の人だ。

 男達を代表して老人が頭を下げている。

 

「寅丸様は裏の方からお入りください」

 

 毘沙門天様の代行でもある寅丸様はあまり表に出ない方が良いだろう。

 ましてや、耳と尻尾を出していると妖怪と疑われることもあるかもしれない。

 寅丸様を裏へ送り、自分は門から入り先生達の所へ向かった。

 

「聖様、お願いします。どうかお願い致します」

 

「分かりました。お任せ下さい」

 

 話が終わったのか帰っていく村の人とすれ違い、先生に声を掛けた。

 

「どうしたんですか? 先生」

 

「それが、噂の巨大な妖怪をこの近くで見たらしいの。それで退治を頼まれた所よ」

 

噂の。この近くだったのか。

 

「でも、妖怪の皆さんへの修行も見ないといけなくて、昔の様に自由に動けないのが辛いわね」 

 

 ここ数年で、聖様の元へ来る妖怪達も増えた。

 人間と妖怪。その両方へ教えを授ける聖様も当然忙しい。

 

「ナズーリンは、毘沙門天様の所へ戻っているし」

 

「先生。俺が行きます」

 

「でも……」

 

 確かに先生のように、魔法によって高い身体能力も持っていない。

 だが、現状手が空いているのは俺だけだ。

 

「お願いします。俺に任せてくれませんか。恩返しもしたいのです」

 

 俺を人に戻してくれた白蓮先生。

 俺はこの人に何も返せていない。

 背も高くなった。子供では無くなった。

 体も鍛えた

 もう、男として先生におんぶ抱っこは嫌だ。

 

「……わかりました。でも、気を付けて。絶対に帰って来なさい」

 

「必ず」

 

 そうとなれば、準備だ。

 噂だけで、正確な情報が無い。

 解決には何十日も掛かるかもしれないので、しっかりと準備をしないとな。




「どこだ入道。私が必ず倒してやる」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加持丸さん、彼女と入道との会合

 食料を包み、懐へ入れる。

 遠出の為の服へ着替え、腰に刀を差す。

 木刀では無い、真剣だ。

 かつて自分が使っていた刀。

 遠出の支度を整え、息を吐いて外へ出た。

 門には寅丸様と聖先生。

 

「行って参ります」

 

 先生が頷いた。

 

「頼みますね、加持丸」

 

 はい、と頷き自分が高揚しているを自覚した。

 初めて、先生に頼まれた仕事だ。

 

「忘れ物は無いですか? 御飯も忘れてませんね? いいですか、危ないならすぐに引くんですよ?」

 

「寅丸様、大丈夫ですって」

 

 かなり心配されているが、不快じゃない。

 正体不明の妖怪を探し、場合によっては退治することになる。

 その妖怪が鬼、もしくは都の鵺、花の大妖怪と言った存在かもしれないのだ。

 

「引き際は心掛けてますよ。それに寅丸様との修行の方が怖いですから」

 

「な! どういうことですか!?」

 

 怒り出した寅丸様の横を走って通り過ぎる。

 眼下の階段を飛び下りながら手を振った。

 

「行ってきまーす!!」

 

 うん、こっちの方がしっくりくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、まずは噂を確かめないといけないが」

 

 視線の先には山の麓の村。

 人と喋る事も出来るようになった。

 だが、村を見る度、その中へ入る度あの狂気と飢えに満ちた目を思い出す。

 夢に怯え泣き出す子供では無い。世間では元服する歳でもある。

 気分が不快になる程度だ。

 それでも、嫌な気分には変わりない。

 噂の出所や妖怪が現れる場所を探す為に我慢しよう。

 それに、先生からの頼みならばこれくらい苦では無い。

 先生のお供でこの村にも来たことがある。

 多少顔見知りの者も居るので、初対面の者よりも大分気が楽だ。 

 村の門番へ一礼して、村へと入る。

 この時期は田植えの時期か。

 水田で田植えをしている者が多い。

 此方に気付いたのか手を振っている人、手を振り返し村の中心進む。

 

「あー、正体不明の妖怪ねぇ。え、この辺りにでるのか?」

 

「噂の妖怪? 何でも山より大きいらしいじゃない」

 

「ありゃ鵺じゃ! 鵺に決まっとる!」

 

 顔見知りや、飯屋でそれと無く聞いたが確固とした話は無かった。

 しかし、鵺か。

 先程、爺さんが騒いでいた。

 都で暴れてるあの妖怪が此処まで来るだろうか?

 妖怪には常識は通用しない。

 最低限、鵺であるかもと考えて置こう。

 

「……じー」

 

「…………なんだ?」

 

 先程から俺の後に付いて来る子供。

 恐らくこの村の子供だろう。

 

「おっちゃん」

 

「お兄ちゃんだ」

 

「鬼ちゃん」

 

「一応、人間なのだが」

 

「兄ちゃん、何してんだ?」

 

 子供の純粋な眼差し、子供に聞いても意味が無いだろうが、まあ休憩ついでに話してみるか。

 

「今、この辺りに出るらしい大きな妖怪を探してるんだ」

 

 すると、子供は、あ、と声を上げた。

 

「知ってる! おら知ってる! あのお山で妖怪みた!」

 

「待て、君は無事だったのか?」

 

「うん、助けてもらった」

 

 助け? この辺には陰陽師も退治の専門家もいなかったはずだ。

 

「きれーなおねーちゃんに助けてもらった! 熊みたいなの追い払った」

 

 情報が増えたな。大きな妖怪にこの近くの山に現れた女か。

 ありがとう、と子供の頭を撫で、山を見る。

 行ってみるか。

 実際に見て確かめるしかないだろう。

 そう思っていたが山へ向かっていると村の者から止められる。

 どうやら夜な夜な山から声が雄叫びが最近、聞こえ始めたらしい。

 村人は皆、異様に怖がって口々にやめろと言ってくる。

 とはいえ、俺が此処へ来たのは噂の妖怪を追い払い、事にとっては退治することだ。

 危険など承知の上。

 村人の声を無視してそのままの足で山中へ入ったが、山の中は驚くほど静かだった。

 否、静かすぎた。

 鳥の無く声すら聞こえない。

 風が靡き、草が揺れる音、一見すれば豊かな森だが、ここまで異様に静まり返っていると不気味だ。

 生きているようで死んでいる。そんな感想を抱いた。

 日は傾き、夜が地下付いて来る。

 人の時間から魑魅魍魎の時間へと変わっていく。

 

「火を焚くか」

 

 その雄叫びが夜に響くなら、今夜この火に元に来るかもしれない。

 薪を集め、俺は日が落ちるのをじっと待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れた。灯となるのは轟々と燃えている小さな焚火と空の満月と星の僅かな光。

 火に炙られた木が割れる音のみが響く。

 可笑しい。遠吠えすらこの森から聞こえない。

 明らかな異常だと漸く俺は理解する。

 その時、音がした。

 焚火からの音では無い、此方に近づいて来る足音。

 腰に差した刀に手を掛ける。

 音は焚火を挟んで正面から聞こえて来る。

 動く影が燃えて瞬間、刀を鞘ごと影に突きつける。

 

「「何者だ!」」

 

 何? 声が重なった。

 見れば、白く尖った切っ先が自分の胸に突きつけられていた。

 鞘の先に居たのは、女だ。

 青い、空のような髪を持った女。

 その髪の下の瞳は鋭く獣のような目をしていた。

 服もまた汚れた布を被っているだけ、まともな人間とは思えない。

 

「妖怪か?」

 

 俺に問いかけた来た。すぐさまどうこうするようでは無いみたいだ。

 

「人間だ。俺としても主が人間か聞きたいところだ」

 

 ゆっくりと胸に突きつけられた切っ先が降ろされる。

 

「……すぐに山を下りろ、死ぬぞ」

 

 そう言って女は背を向ける。

 

「待て、ならば主はどうなのだ? こんな夜にこんな場所で何をしている。主こそ危険だろう」

 

「……私はいいんだよ」

 

 睨むように吐き捨てる言葉。 

 

「何を言っている。そんな事を言われてほっとけるか」

 

 私は引き止める為に彼女の腕を掴む。

 暗く見えなかったが、触れた箇所に、そして手の甲に傷があるのが分かった。

 

「うるさい! 離せ!!」

 

「貴様こそ五月蠅い!! 傷だらけではないか!」

 

 伊達に先生と暮らしていた訳では無い。

 先生の、仏教の教えもしっかりと習っている。

 

「傷の手当てをさせろ。それが終われば好きにしろ、いいな」

 

「……何だよお前」

 

「人に名前を尋ねるなら自分から……まあ、いいか。加持丸。俺は加持丸だ」

 

「……一輪」

 

「そうか、では一輪そこに座れ。薬をつける」

 

 まだ不満顔の一輪を私の座っていた場所に座らせ、命蓮寺より持って来た包みを開き、水を掛け傷薬を一輪の腕へ付ける。

 

「いた! 痛いぞ、これ。大丈夫なんだろうな」

 

 睨む一輪を無視して傷口に薬を塗る。

 傷は最近出来た物もあればかなり前に出来た物もある。

 手の傷は、恐らく打撃によって出来た傷だ。

 一体彼女にどういう経緯があったのか気にある所だが、詮索はしない。

 

「心配ない、先生の特製の物だ。俺も怪我をしたらこれを塗った。主の様に痛がったりはしてないが」

 

 その言葉に怒ったのかそっぽを向く。

 

「村の子供を救ったのは主か?」

 

「ああ、あの子供か。別に子供の死体が見たくなかっただけだよ」

 

「そうか。でも、主が助けて子供は嬉しそうだったよ。誇らしく助けて貰った、と」

 

 目を逸らす一輪。本人は嫌々やったように言うが、照れ隠しだな。頬が赤い。

 

「さ、出来たぞ。古傷は完全には治らないが、それでも目立たなくなるだろう」

 

「……ありがとう。なあ、お前は何でこんなことをする? こんなのまた傷が出来るだけだ」

 

「四無量心」

 

「はい?」

 

「さてな、ただの俺のおせっかいだ。気にするな」

 

 一輪は不満そうな顔をしながらも、あらがと、と言って暗闇へ歩いていった。

 

「さて……」

 

 追いかけるか。

 どんあ理由があるにせよ。この可笑しな森で女一人と言うのはどうも変だ。なによりも、心配だ。

 瞬間だ、一輪の消えた闇から大きな破壊の音が森に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 松明を持って、一輪のいる方向へと走る。

 火によって見えたのは、木をその拳で砕いた一輪だった。

 

「な、何を一輪!!」

 

「……っ!? お前……! 避けろ!!」

 

 空を切る音が背後から聞こえる。

 反射的に頭を下げたのは正しい判断で、そしてかなりの危機だと理解する。

 頭上を巨大な拳が過った。

 頭を下げ、地面を滑るように前に跳んで、一輪の横に止まる。

 

「馬鹿!! なんで来た!?」

 

「主が心配だからだ」

 

「……っ! このボケ!」

 

 続いて木々を倒しながら、先程の巨碗が真っ直ぐに此方に飛んでくる。

 俺は左に、一輪は右へと跳び避ける。

 木々はまるで紙のように引き裂かれた痕を作る。

 凄まじい破壊力だ。

 

「一輪、こいつは何だ!!」

 

「こいつは敵だ!! 私の!! こいつだけは私が殺す!!」

 

「一輪……?」

 

 彼女から発せられる殺気は尋常では無い。

 あの巨碗と一体何があった。

 考えている暇は無かった。

 松明の明かりに大きな影が出来た。

 上。

 敵がいる。

 あの巨碗の主が、俺達を見下ろしている。

 

「でかいな……」

 

 月と星を隠す様にその巨人はいた。

 全身が蠢いて、その姿は不定型だが、巨碗が二つ、頭が一つのたくましい上半身。

 

「これが、噂の巨大な妖怪か」

 

 俺が呟く横、一輪が妖怪目掛けて走り出した。

 

「待て!! 無茶をするな!!」

 

「ああああああぁぁぁぁ!!!!」

 

 呼びかけの声を無視して彼女は恐ろしい程の速度で走る。

 妖怪が動く。目を凝らして見えると、息を吸っているように見える。

 

「まさか……」

 

 予想が当たる。息を吸った妖怪は一気にため込んだ空気を眼下の自分達に叩き付けて来た。

 

「ぬ……ぐ」

 

 凄まじい風が吹き荒れる。

 松明の火が燃え上がり消える。火の消えた松明を捨てて、体が吹き飛ばぬように体を地面に伏せる。

 

「うっああああ!!」

 

「一輪!!」

 

 暴風によって飛ばされたのだろう。一輪が勢いよく飛んでくる。

 

「ちぃ!」

 

 体を起こし、飛んでくる彼女へ飛びついた。

 風の勢いは強く、二人分の体重すら空へ待った。

 

「がっ!!」

 

 背中を強か打った。恐らく木か何かにぶつけたのだ。

 

「ぐぅ!!」

 

「ぁあ……ごほっ、ごほっ!!」

 

 衝撃が殺せなかったのか、一輪も咳き込んでいる。

 

「大丈、夫か? 一輪……」

 

 声が掠れながらも一輪の安否を問う。

 

「くそぉ、遊びやがってぇ……!」

 

 拳を握り、地面へ叩き付けた。彼女から伝わる尋常では無い怒り。

 

「あいつとはどういう関係だ」

 

 そう質問した。

 

「……あいつが、あの入道が!! 私の村を、母さんを殺した!!」

 

「!!」

 

 声を出そうとしたが出なかった。

 初対面の俺が彼女に何と言えば良い? 慰める事などできやしない。

 なによりも、俺自身は自分の親すら殺したのに。

 

「……」

 

 痛む背中を無視して立ち上がる。

 

「お前、何を、する」

 

「加持丸だ。俺が引きつける。いいな」

 

 返答を聞く前に俺は走り出した。

 暗い。月の光と慣れて来た夜目。そして、直感を頼りに木々の中をすり抜ける。

 速く。一秒よりも速く。

 ふ、っとさらに暗闇が出来た。

 

「見つけたぞ!」

 

 木々の枝を足場に上へ上へと昇る。

 

「……!!」

 

 入道の険しい気配が強くなる。

 木の天辺にてついに入道を見上げた。

 

「待て、なんかさっきより大きなってないか?」

 

「……」

 

 幸い、まだ気が付かれたいないようだ。

 何故、大きなったかは分からぬが先手は打たせて貰う。

 腰の刀の柄を握る。

 これでいいのか。

 ふと、そう思ってしまった。

 自分は怒っている。一輪の、彼女の、家族を奪ったこの入道に。

 だが、怒る権利が俺にはあるのか。

 彼女はこの妖怪を殺すだろう。

 家族の仇。あの傷は、拳の傷は彼女がこれとの戦いか、倒す為の修行で出来たの物だろう。その仇を許せるものでは無い。当たり前だ。

 だが、また殺すのか?

 殺す事を手伝って、それが俺の善行なのか。

 それでいいのか。頭の中に迷いが出た。

 

「糞……」

 

 鈍る。こんな時に、いやこんな時だから。

 視線を感じた。

 見上げればさらに大きなったような入道が此方を見ていた。

 しまった、馬鹿か俺は。自身を叱責して、再び木から木へ飛び移る。

 兎に角攪乱しよう。

 一輪より、俺に意識が向くように。

 

「どうする」

 

 どうするどうするどうするどうするどうする!!

 先生、寅丸様。

 

「っ!」 

 

 また、頼るか。自分でやると言って置いて、また甘えるか加持丸。

 太い木の枝を思いっきり踏み込んだ。

 跳躍。

 下半身は見えない。

 俺がいるのは入道の右のわき腹の下。

 そこで漸く気づいた。この入道の体は雲だ。

 だが、寅丸様との修行、そして、俺自身の力なら雲でも問題ない

 刀を抜き放つが、向きを棟に返す。

 

「峰打ちだ、斬りはしない。『肉体強化』『伸縮・伸』『硬化』」

 

 構え、言葉を紡ぐ、言葉は文字となり、宙を飛んで肉体へ、刀に宿る。

 これが俺の力。言葉を文字し、その意味を肉体や持ち物に宿す力。

 気を付けるべきは、遠くの対象に使えない事だ。飛ばせば十寸も飛ばすことも出来ず力を使い、無理に飛ばせば肉体に激痛が走る。かつての力の暴走で村を殺した時は一日動くことが出来なかった。

 そんな使い方はもうしない。

 体から力が溢れる。

 刀の刀身が伸びて、長さ六十尺。

 伸びた分の重さが手に乗るが、今の俺には少し重い程度。

 

「少し痛いぞ! 我慢しろ」

 

 横へ一閃。空を裂いて勢いよく入道の脇腹へ直撃した。

 

「―――――!!」

 

 入道が大きく左へ仰け反った。

 

「どうだ!?」

 

 刀身を戻し、落ちて行く最中、入道の巨大な肘が右から飛んで来た。

 攻撃の意思を感じ無い。

 恐らく、仰け反って偶々右腕が動いたのだろう。

 偶々でもあろうとその巨体では一つ一つの動作そのものが俺にとっては恐るべき攻撃だ。

 全身に『硬化』と『肉体強化』を纏う。

 

「――――――――っっっ!!!!」

 

 意識が飛んだ。

 凄まじい勢いで飛んでいるのだろう。周りの風景が線にしか見えない。

 木々を体が破壊し、勢いは止まることなく進む。 

 地面を削り体止まる。

 血をくちから吐き出し、刀を支えに立ち上がる。

 やばいな。想像以上に強い妖怪だ。

 

「加持丸!!」

 

「一、輪……何故、来た」 

 

「馬鹿! 自分の心配しろ!!」

 

 一輪が私の体を支えた。

 

「あいつの倒し方を教えてやるから! よく聞けよ!」

 

 耳打ちした私はあの入道の大きさの理由を知る事になった。




「ああ、加持丸は大丈夫でしょうか? 不安です。名付け親として不安です。ああ……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加持丸さん、敵を知る

「いいか? あの入道を見上げるな。あれは見上げれば見上げるだけでかくなるんだ」

 

「それでは、どうやって戦えば良い? あの大きさでは見上げなければ戦えないぞ」

 

 見上げようとして、一輪に頭を叩かれる。

 仕方がないとは言え、結構痛い。

 

「見上げるな。つまり、相手と真正面でぶつかればいいのさ要は上を見なけりゃいい」

 

 難しいな。相手の視線を読むことである程度動きを予測出来るがそれが使えないと言う事だ。

 ただ、あの大きさだ。読んだとしても回避は無理か。

 

「分かった。見上げる事無く戦えばいいのだな」

 

 痛みが少し引いて来た。体に鞭打って立ち上がり刀を構えた。

 

「一輪……やはりあの入道を倒したいか」

 

「殺したい」

 

 殺気を滲ませて一息つかぬ間に返される。

 

「そうか」

 

「悪いね。こんな事に巻き込んで」

 

「気にするな。一輪、俺がもう一度引きつける。隙を見つけろよ」

 

 体を落として夜の森を駆け抜けた。

 復讐。殺し殺され。正しいのか何て分からない。

 これで良いのか何て分からない。

 ひょっとしたら、俺と一輪が間違っているのかもしれない。

 いや、妖怪と人間の正しい姿がこの現状だろう。

 先生は妖怪も人も平等に接している。

 でも、その先生だから俺は慕っているし、そんな先生だから俺は人に戻れたんだ。

 

「わかんねぇ……。でも、女子が、あんな汚れた布を着て殺気まみれなんて絶対に変だろがっ!」

 

 頭の悪い、答えが出せない頭でも分かる。それだけは違うと、間違っていると。

 

「行くぞ入道ぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 跳ぶ。

 木々を飛んで頭上を覆っているであろう入道へ一直線に近づく。

 

「――――!!」

 

 闘気を感じた。全身を震わし、血が猛る程の精練された闘気。

 馬鹿な。

 何故、この妖怪がこんな真っ直ぐで雄々しい闘気放てる。

 こんな。こんな闘気はまるで、

 

「寅丸様みたいじゃねぇか……」

 

 鉄拳が巨大な大岩とも思える拳が落ちて来る重圧に全身が粟立つ。

 

「にゃろ!」

 

 落ちて来る鉄拳を前に跳躍し、その腕に刀を突き刺した。

 

「……っと。この大きさ。蚊の気持ちが少し分かるな」

 

 刀を突き刺そうがこの体格差。それこそ蚊と人程の差がある。

 一息と同時にその腕の上を走り出す。

 雲のようで落ちるか心配だったが、今の所下に抜けて落ちることは無い。

 上は見ない。

 左右の森との距離を見ながら自分のいる高さを把握。

 地面が、腕が動き出した。

 上へと上へと昇って行く。揺れによって動くことが出来ず、振り落とされない様にしがみ付いているのが精一杯だ。

 

「あ?」

 

 腕の動きが止まった。

 そして、顔を上げた視線の先に道が出来ている。

 俺がいる手と肘の中間から、一直線に肩へ。つまり、いま入道は右手を真っ直ぐ伸ばしているのだ。

 

「どういうことだよ」 

 

 分からない。一直線に来いと言っているようなものだ。それとも、蚊のように潰すならこの直線が一番楽と言う事なのか。

 

「――――」

 

 入道と視線が合った。水平故に見上げることは無く、入道は大きくならない。

 

「お前は、一体何だ」

 

 此方を見るだけで攻撃もしてこない入道は一体何を考えている。

 その腕の上を俺が走り、頭部へ近づいて来ようとも入道は此方を迎え撃つ意思が感じられない。

 

「――――」 

 

 入道からの返答は無いが、入道は何かを知らせるような視線を俺に向けた。

 何が言いたいんだ。

 無抵抗では刀を振れない。敵意が無ければそれは戦いでは無い。

 俺は入道の肩で立ち止まった。

 

「おい、何なんだ? お前は何を言いたいんだ。お前は俺に何を伝えたい? 何故、喋らない」

 

 腕を掴まれた感触がした。

 自分の足の下。入道の肩から雲で出来た紐のような物が俺の手首に巻き付いた。

 

「これ……っは!!」

 その雲を通して俺の中へ幾つもの情景が濁流の様に押し寄せて来た。

 情景には信じられない出来事があった。

 そんな……。

 信じられなかった。

 だが、これならばこの入道が喋ることが出来ないのが納得できる。

 

「これは真実か」

 

「――――」

 

 入道が頷いた。

 頭に衝撃が走り、心の奥から怒りが込み上げて来る。

 これがこんな事が!!

 頭の中が真っ赤に染まる中で入道が雲で私の肩を叩く。

 流れ込んで来る意思、そしてその意志の流れが終わると私は寸分足らずで頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れる入道。

 巨体は人より一回り大きい程に小さくなっていた。

 腕は切り落とされて、胴体だけがそこに横たわっている。

 

「加持丸!!」

 

 背後から一輪の声が聞こえる。

 走って来たのか息を乱して、私の横で膝に手を置いて呼吸を整えている。

 

「よかった、無事だったか。行き成り入道が真っ二つに割れたから驚いたよ」

 

「斬っただけだ。で、どうするのだ」

 

「殺す。絶対に生かして置けないからね」

 

「それがお前の意思か?」

 

「当たり前だろ!! こいつのせいで……!! こいつのせいで皆死んだ!! 殺された!!!!」

 

 胸元を掴まれその剣幕で俺に一輪は迫った。

 

「本当にそうか?」

 

「何だと……」

 

 真実ならば、これがあの情景が本当の事ならば、引くことは出来ない。

 

「本当にこいつが殺したのか?」

 

「……ふざけてんのか、加持丸。手伝ってくれたことには礼を言うけどさ」

 

 言っていい事と悪い事くらい分かってんだろ?

 殴られそうに鬼気迫る怒気だった。

 

「済まない。俺が悪かった」

 

 俺が謝ると、一輪が手を離す。

 

「いきなり訳わかんない事を言わないでくれよ」

 

「悪かった。俺がどうかしていたよ。君の仇は君が討てばいい」

 

「ああ、そうさせて貰う。悪いけど、刀貸してくれ。確実に殺すから」

 

 俺はそれに答え、刀を手渡した。

 

「なあ、加持丸。刀って凄いよな」

 

「そうか」

 

 刀を軽く振りながら一輪は唐突に呟いた。

 

「そうだよ。人ってのはさ。短くて命で小っちゃい癖に支配者気取りだ。訳解んねぇ、考え広めたり、自分たちで殺し合ったりさ。この刀も、敵を殺す為に作ってんだろ? おっそろしいよなぁ? こんな鉄屑よりも怖いもん何ていくらでもあるのによぉ!!」

 

 一輪が、手で振っていた刀を握り俺の首へ目掛けて斬りつけた。

 息を吸うように、それが当たり前のように首を狩りに来た。

 分かっていた。

 そう来ると分かっていたから反応出来た。

 上半身を逸らす事でその必殺を躱し、同時に足で刀の刀身をしたから蹴り上げた。

 刀が一輪の手から離れ、空を舞う。

 くるくると回転する刀、同時に入道が起き上がり、一輪のその体を拘束した。

 

「はぁ!? 糞が!! お前なんで動けてんだ、オイ!!」

 

「――――」

 

「何言ってるかわけわかんねぇんだよ!! 糞爺が!!」

 

「化けの皮が剥がれたな。いや、出て来たと言うべきか」

 

 その荒い口調は、勝気に感じつつも不快感の無い一輪のそれでは無い。

 ただ罵詈雑言を吐きだす、それはただ不快なものでしかない。

 だが、声は一輪であることが腹立たしかった。

 その悪意に塗れた言葉をその声で発するな。

 

「入道殿から、雲山殿から話は聞いたよ。貴様が一輪に憑り付いているとな」

 

「なぁ!? この爺は声が出ねぇ筈だ!! なんせ俺自ら潰したんだぞ!!」

 

 こいつがか。

 やはり、雲山殿が見せた真実は本当だったか。

 

「黒入道、入鉢阿子木。それが一輪の中に存在する貴様の名前だな」

 

 暴れ続け拘束を解こうしていた一輪の動きが止まった。

 

「……はははは!! おいおいおいおい、俺の名前まで分かるかよ。こりゃ驚きだ。びっくりだ!! 糞爺に何吹き込まれた? まあ、いいやー別にーどーでもっ! で、何? 君、どこまで知ってる? ねぇ、どこまで? このちょー可哀想な幸薄女の事も知ってる訳かな?」

 

 頭が沸騰仕掛けた。

 この見下し目に映る全てを馬鹿にし尽す言葉が、この中に潜む妖怪の性質を嫌が応にも分からせてくる。

 

「あ!! その反応全てかー!! ああ、そうそう!! きゃはははは!! 知っちゃたのね、そうなのね!? そうだよ! その通り!! 俺が、僕が、私が!! みーんな殺したんだよ。この女に憑りついて村の奴ら一人残らず、この手でねぇ! あ、この手って言うけど、俺の手じゃないよ? 憑り付いた一輪ちゃんの手でしたー!!」

 

 やめろ。口を閉じろ。喋るな黙れ一切合財金輪際口を開くな。

 今すぐにでも黙らせたかった。だが、阿子木は一輪に憑り付いている。無理にでも黙らせれば一輪の体を傷つけることになる。

 

「よしよし。じゃあ、あれだ。なんでこんな事になったのか、一から十までくわーしく教えてあげようか! むしろ聞け。むかーしむかーしな訳なく、半年前の事でした。私はこと入鉢阿子木はそれまで雑魚雑魚雑魚と呼ばれ続けて来た落ちぶれ入道でござりんした。それはもう、悔しくて悔しくてでも、何時の日か馬鹿にした奴ら皆殺しにしてやろうと頑張って血反吐を吐いて、恨みと憎しみを溜めてぇ、溜めてぇ、溜めまくってたのでした」

 

 力を溜める。だが、この声は嫌が応にも耳へ纏わり付いて来た。

 

「そして、神様は俺に力をくれました。山に迷い込んだ人間の餓鬼を甚振っていると、不思議と力が湧いて来るじゃありませんか。その時、俺は自分の力を知った。他者を絶望させ、恐怖させ、苦しみを与えれば与えるほど俺がそれを喰って強くなるって力だったんだよ!! それは大きければ大きい程強くなっていく。そうだよ、この女みたいにねっ!!」

 

「黙れ」

 

「僕は入道で妖怪だ。人に憑りつくなんて楽なもんさ。偶々目に入った。人として当たり前の生活をしている幸福そうな女。村の中で生きて、人と触れ合い、家族と過ごす。そんな幸せを自分の手でぶち壊す。いやだ、やめて! 体が勝手に動き出す! もうやめてよ! 私、皆を殺したくない! くーーーーひゃっひゃっひゃぁ!! 最っ高の絶望をくれたよ、一輪ちゃんはね。もう大好き! 愛してる!!」

 

「――――ッ黙れや!! この外道がッッッッッッ!!!!」

 

 刀に込めた言葉は『妖魔退散』。この刀で斬るのは妖怪、入鉢阿子木のみ。

 一輪の肉体を通過し、中に居るこの外道だけを切り裂く。

 

「んで、何でこんな話をしてるかって言うとね? 君らと同じ時間稼ぎだよ」

 

 刹那、雲山殿が崩れ落ちた。

 一輪の肉体が自由を取り戻し、予備動作無しの跳躍で上空の木へと跳んだ。

 

「なっ!?」

 

 慌てて刀を振る腕を止める。

 

「あひゃひゃ、君の力で俺だけを斬るんでしょう? いい案だけど時間掛け過ぎだね。何? あの話で集中出来なかったの? あーあ、何やってのさ。なんで一輪ちゃんごと斬らないかな? あ、無理かぁ君じゃあーねー」

 

 見下す様に一輪の顔が愉悦に浮かぶ。否、阿子木の笑みだ。

 一輪の身体から黒い、夜の闇とは違う、月にも反射しない黒の煙が噴き出している。

 

「ああ、そうだ。君にお知らせして置くよ。一輪ちゃんねずーっと意識だけで今までの事見続けて来たんだ。泣いて泣いて恨んで恨んで、もうさ傑作だよ? だって、そのおかげで俺は強くなるんだからさぁ。で、今一輪ちゃんなんて言ってると思う? 「加持丸さん、お願い殺して」だってさ! さっき俺ごと斬ってあげれば一輪ちゃん幸せだっただろうなぁ……。ねえ、そこんところどう思う?」

 

 自分の中の何かが切れた音がした。

 我慢の限界だった。

 すみません、先生。すみません、寅丸様。

 罪を重ねます。仏様の様な悟りなんて出来ないし、こいつを調伏する力すらないただの男です。

 先生なら、どうにか出来たかも知れない。

 でも、俺はこいつを生かしておきたくない。

 俺は人を救う為に殺します。人を救う為にこの外道を斬ります。

 

「手前みてえな外道が世の中にいるんだな。先に言って置く……」

 

 一輪、主は死にたいと言ったな。

 悪いが死なせない。君が死んでいいはずが無い。君は何も悪くない。

 俺の意思で君を救う。その外道を斬り外す。

 

「殺すぞ、糞野郎」

 

 嗤う。外道が高らかに嬉しそうに俺の宣言を笑う。

 

「やってみろよぉ、加持丸ちゃぁぁぁんんん!! 殺せるもんならねぇ!」

 

 黒い雲だった。

 見るだけで不快感を醸し出し、悍ましい臭気が周囲の広がって行く。

 肌が冷たく冷めて行く。全身で感じるそれは胸を締め付け倦怠感を付加されていく。

 哀しみ、悲嘆、絶望。

 人の限りない負の感情があの一輪を覆う雲であり、外道、入鉢阿子木に他ならない。

 これ程のになるまでこいつは何をした。

 一体、どれ程の苦しみと悲しみを人に与えて来た。

 体の奥底から全身に広がる熱は怒りだ。

 冷めて行く体は怒りによって沸騰する。

 

「希望は伸ばしても届かない。絶望は足元に転がってんのよねぇ。ああ、本当に神様って残酷だ。怒れる君より俺はずーっと強いからねぇ」

 

「あああああぁぁぁぁ!!!」

 

 跳んだ。一瞬で黒い雲の一角を切り裂いた。

 

「無駄なんだよねー。君の刀じゃ、君じゃ俺は斬れないよ。ざーんねん」

 

 言葉など聴く気も無い。

 斬る。

 袈裟から逆袈裟。

 中段で薙ぎ払い、下段で肩と腕を裂き、上段から頭部叩き割る。

 息を止めて、連続で、斬って斬って斬り続ける。

 

「無理、なんだよ。その刀に退魔の力宿してんだろう? でも、俺に効きませーん! 何故でしょう?」

 

 突きを放つ。

 風を切り裂き、一輪の肉体の横の空間を穿つ。黒雲が発生した風によって散らされる。

 だが、一輪が地へと降りると黒雲も彼女を追って再び集まった。

 

「答えない? おいおい、面白くないなぁ。正解は……君の力不足だよ。山火事が掌で掬った水が消えると思うかい? 無理だろう。そう言う事だよ」

 

 地へ着地と同時に、刀へさらに退魔の言葉を重ね掛ける。

 効かないなら、力を上げればいい。手前に効くまで力を上げてやる。

 

「さて、じゃあ俺も動くとするかな」

 

 一輪の腕が懐から何かを取り出した。

 輪だ。鉄の輪を一輪は握り絞めて向かってくる。

 

「一輪!!」

 

「……」

 

 返答は無い。ただ無反応で、だが確実に俺を撲殺しに来ている。

 厄介だ。操られている。意思が無い故に殺気を感じ取れず、反応が遅れてしまう。

 

「そらそら! どうしたよぉ!!」

 

 阿子木の黒雲が集まり拳を作り襲ってくる。

 此方は阿子木の意思が介在している分、予測しやすい。

 特に足や顔と言った部位を積極的に狙ってくる。

 この外道の性格がよくわかる攻撃箇所だ。

 だが、こいつは俺へさらに怒りを重ねて来た。

 

「――――」

 

 一輪の横腹に黒雲の拳が撃ち込まれた。

 後ろへ一歩下がり、黒雲の飛来する拳を躱した時だった。

 俺を追って一歩進んだ一輪のその拳は撃ち込まれた。

 

「ありゃりゃー。ごめんね、一輪ちゃーん、ま、いっか。どうせそろそろ替え時と思ってたし」

 

「手前!!」

 

「怒るなよー。つーか、君が躱さなきゃいい訳じゃん! ああ、そうか! そうれはいいなぁ!」

 

 周囲の黒雲の拳が一斉に動く。狙いは俺じゃない。

 

「一輪!!」

 

 走る。

 黒雲が動く。

 間に合え! 間に合え!! 間に合えっっっ!!

 

「一輪――――!!」

 

「はい、残念。はい、馬鹿」

 

 軽い口調の阿子木に反応するように黒雲の動きが突如、俺へと向きを変えた。

 嵌められた。俺が助けに来る前提でこいつは一輪に拳を向けた。

 俺が全力疾走をしないと間に合わないから。走ることに意識を傾け、防御を疎かにさせる為に。

 

「ごぁっがああぁ――――――!!」

 

 全身を殴打された。

 砕ける音と破裂する音が耳に届くが、その耳を殴られる。

 倒れる瞬間に、髪と肩を掴まれて無理矢理に立ち上がらせられる。

 

「一輪ちゃんから守ってくれたお礼だよー?」

 

 鉄の輪が腹へとめり込む。

 もう一撃、脇腹へと叩き込まれ骨が砕ける音がした。

 

「ぎ……! ぁ、ぐ……て、めえ……っっ!!」

 

「痛い? 痛いですか? 痛いよねぇ!? だよねぇ、僕だったら泣いちゃうよー」

 

 一輪が腕を振りかぶる。

 不味い。全身が動かない。特に足が動くのかすら分からない。

 血が流れ、口から落ちて草花を濡らす。

 死ぬのか。

 救うと言って置いてこの様か?

 まだだ。死なない。一輪を助けるまでは。

 

「必ず……助ける」

 

「――――」

 

 危険な、この状態すら忘れ俺は一輪を見た。

 涙が。

 彼女の意思無き瞳から一筋の涙が零れた。

 その涙は、悲しみの涙。

 俺の謝っているようだ。

 そして、それは助けを求める涙では無い気がした。 

 まるで、殺してくれと懇願するような。

 瞬間、眼前が真っ暗になった。

 視界が黒く飲まれ、体中の感覚が消えて行く。

 俺は―――。

 俺は――――――。




「心配し過ぎですよ、星。あの子は強いんですから」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加持丸さん、決着

 かつて、生きる為に力を使った。

 その結果、皆が死んだ。

 あのどす黒い体から湧き出る何かに恐怖した。

 あの力は先生に救われる前も極力使うことは無かった。獣の本能と言う奴か。

 先生に救われると自身の所業を知ってこの力を恐れた。

 だが、それは違うと先生は言った。

 力とは力でしかない。力は使う者によって異なると。

 人を殺す事が出来る俺の力もまた、俺の手によって違う結果を生み出すと。

 出来るかも分からない。

 だが、やるしかない。涙した彼女を救ってみせよう。

 俺がそう決めたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれー? なんだそれー?」

 

 阿子木は首を捻った。

 先程から不可解な事象が続いていることに対してだ。

 操り人形同然の女が涙を流している。それは別にいい。流しているだけで操れない訳でもないし、この涙の源の女はこれ以上なく今の現実に絶望しているのだから。

 

「……」 

 

 一輪と阿子木の真下。

 一輪によって殴って殴って殴って殴られ続けた男がいた。

 体中を万遍無く殴り続けたので、もう動くことも出来ない。

 骨も内臓も肉も適度に柔らくなってるだろう。

 

「なのになんで死んでないのかなー?」

 

 殴殺したはずなのに、まだ心臓は動いている。

 

「殴っても駄目かー、じゃあ穿るか」

 

 体の中で一輪が悲鳴を上げている。

 もうやめて、その強い懇願に阿子木はますます笑みを深めた。

 力が強化されていく。

 

「見たかよーじいーさん? あんたの助っ人そろそろしぬぜー?」

 

「……!!」

 

 動こうとするが雲山の身体が動くたびに泥の様に崩れた。

 

「ひゃはは!! まあ無理だわなー。俺の瘴気喰らってんだ。あんたももうじき死ぬしな」

 

 この阿子木は既に入道と言う妖怪から外れていた。

 あらゆる感情を持つ生物の絶望を喰らい、舌で弄び、享楽に浸る何かに変質していた。

 

「ひひひ、情けねー。情けねーよ爺。入道の中じゃ最強だったあんたが崩れて死ぬんなざ誰が予想した!? しかも殺すのが一族の恥! なーんて言われたこの俺様!? ああ、さいこーだよ」

 

 弱かった。ひたすらに妖怪で入道である癖に小さく、非力で目の前で瀕死の雲山に庇って貰わなければ生きていけなかった自分がだ。

 

「なあ、俺すげー悔しかった。すげー憎かった。見下す奴らが、俺より強い奴らが、俺を笑う奴らが、そして、俺を庇うあんたも憎くて憎くて仕方なかった」

 

 全てが手に入った今。もうこんな所には要は無い。

 もう、この女もいらない。

 

「さぁーて、京にでも行こうかね? 最っ高の悲劇を作ってやるんだ。何人死ぬのかな? 何人泣くのかな? 最高に楽しいだろうな! ぶっ壊してぶっ壊して俺が憎くて憎くてしょうがないんだろうな!? でも、俺の事が分かんなくて、誰に怒りをぶつけるんだろうな!? ああーもうなんて幸福だよっっっ!!」

 

 だから、殺す。

 死にぞこなってるこの加持丸とやらを殺して、村に捨てて、皆殺し。

 

「あれ?」

 

 そこで阿子木は動きを止めた。

 

「なんで死体がねーんだよ、おい」

 

 加持丸が消えた。

 そして、

 

「なんで立ってんの? 君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、死ねと言ったことで皆が死んだ。

 自分の力は言葉を発し、言葉に力を与える。

 その言葉は俺の意思が強ければ強い程に力を増す。

 『生きろ』

 死の淵であるからこそ、その言葉がいつも以上に力を増して俺の命を体を治した。

 骨は繋がり、内臓が再生され、血が止まり、傷が消えた。

 さらに俺は言葉を紡ぐ。

 

「言葉にて御力を拝借願う、オン・ガルダヤ・ソワカ。『迦楼羅天』。纏え、三毒を燃やす浄化の炎」

 

 火が吠えた。足元より噴出する揺らめき揺蕩う焔は生きているかのように私を包んだ。

 

「……ぅあ!!」

 

 全身が痛むが体は燃えてはいなかった。それはそうか。俺の言葉によって生まれたとは言え、これは迦楼羅天の炎。貪り、怒り、無知を焼き尽くす浄化の火は俺も対象であることに間違いは無い。

 燃えているのに燃えていない不思議な感覚だ。

 これも苦行かもな。

 

「行くぞ……」

 

 俺は文字通り火だるまと化して阿子木へと迫った。

 

「うおおおおお!!」

 

 手を伸ばす瞬間、阿子木が身を引く。

 成程、この火を恐れたか。

 

「おいおいおい、なんだそれ!? 馬鹿か? お前馬鹿だろ! 訳解んねぇって!! 頭可笑しんじゃねぇの、おい!!」

 

「かもな!!」

 

 痛い。この激痛に何時まで耐えれるか。

 

「聞け、一輪!! 泣いてもいい。俺の声を聴け!!」

 

 呼びかける。

 阿子木を倒すと同時に、一輪も救う。その為に俺がやることは一つ。

 

「いいか! 俺はお前よりも最悪だ!!」

 

 紅蓮が揺らめく拳を阿子木が避ける。

 

「俺は、獣だった!! いや、それ以下の外道だ!!」

 

 取り落とした刀を拾うと、刀にも火が燃え移る。火が踊る刀は阿子木の黒雲を一振りで灰塵に変える。 

 

「飢饉だった。村の皆が飢えまともではなくなっていた。童だった俺は問答無用で襲われた!」

 

 一輪の顔に浮かぶ焦りと困惑は阿子木のもの。芝居では無く本物の焦燥を浮かべている。

 

「俺は恐怖した。死を目前に俺は俺の力で村を、皆を殺した!! 一人残らずだ!!」

 

 その驚愕は阿子木が、一輪のものか。

 

「齢三の童が、だ。そしてその童は生きる為に他者を殺し続けた! 一人をころした、二人を殺し、三人を、四人を。殺す事が当たり前の鬼か何かの怪物だ!」

 

 阿子木が木の上へと跳ぶ。

 

「ははは!! まともな男と思ったら、存外狂った過去持ってるじゃないか!? ひょっとして君に憑りつくのも悪くないかも……!?」

 

 言葉を続かせない。刀に乗った火を球として撃ち出すことで阿子木を地へと落とす。

 

「それでも、俺は……俺は人に戻れた。罪と業を背負い人として生きている。俺はある方に救われ、獣から人へと戻り、こうして生きている。いいか、一輪よく聞け! 主は悪くない。普通に生きて来た主が死ぬ意味なぞ無い! だから死ぬな! 殺してくれなどと言う下らない事を考えるな。主は生きて良いのだ!」

 

「鬱陶しぃぃぃんだよぉぉぉ!! 何? 生きていて良い? 生きていても意味ないだろこんな女ぁぁぁ!! もう誰も居ないからねっ! 僕がこの手で殺したから!」

 

「なら、俺の所に来い、一輪!!」

 

「はいぃ!?」

 

 黒雲目掛けての蹴りは、一瞬動きを止めた阿子木により直撃した。

 体勢が崩れた一輪の身体を抱き留める。

 燃えることなど無い。一輪が燃える理由は無いのだから。

 そして、この炎から一番の痛みを受けるのは、

 

『ぎ……!? ぎゃあぁぁあああああああああっっっ!?』

 

「聞け、一輪。俺の所へ来い! 主が生きたいと思うまで。生きることが楽しいと思えるまで。自身で涙を拭えるその時まで俺が隣にいてやる!」

 

「――――ぁ」

 

「俺がお前を護ってやる! だから、死ぬんなて考えるな――――!!」

 

 届け。ただそう思った。

 決して死なせはしない。そう決めた。

 

「……の。わ、わた、し、……いきていいの……?」

 

 一輪の眼から涙が零れた。

 

「当り前だ!」

 

 涙は止まらない。涙を流したまま一輪が私へ抱き付くと大声を上げて泣いた。

 

「うえああぁああ!! こわ、かった……こわがった!! ずっど、な゛い゛でも、だれも……! み、んな、じんじゃっでっ……!!」

 

「大丈夫だ。涙が止まる時まで好きなだけ泣け」

 

 同時に、一輪の身体周囲から勢いよく黒雲が噴き出した。

 炎に炙られ転げまわる阿子木に黒雲が集まり纏わり付くと、炎を包むようにくっ付いて行く。

 火が水によって消える音そして、焦げて鼻を顰める匂いが周囲に広がって行く。

 雲が動く、泥の様に形を自在に変え、黒色の人の姿へと変わる。

 まるで、影が地面から浮き出てきたようにも見える。

 

「あーあーありえねー」

 

雲が口の様に二つに割れた。紡ぎだされた声に寒気が走る。

 これが入鉢阿子木の本当の声か。

 

「なんなんですか? なにそれ? なんで喜んでんの? なんで救っちゃってんの? ああ、何だこれ? 胸糞悪い、見てるだけで気持ち悪い……気色悪い……」

 

 早口で呟くように阿子木が頭を下に向けていた。

 一輪を背後に下がらせる。

 

「ふ、ふはは……なあ、加持丸ちゃーん。本当にふざけた事してくれたね。……死ねや、もう」

 

 黒雲の先端がぶれた。

 目の端に映ったそれに刀をぶつけた。

 甲高い金属の音。刀が止めた物は、先端がひどく尖った黒い針だ。

 

「二発から十発発射ー。おっちね塵芥」

 

「!!」

 

 迫る高速の針が俺では無く一輪を狙っていることを直感的に理解した。

 まずい、数が多すぎる。反射的に一輪の盾になるように前へ。

 だが、俺が反応するより先に、俺の盾になるように雲山殿が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雲山殿!!」

 

 崩れ落ちる雲の身体。駆け寄ろうとする俺を雲山殿が視線で止めた。

 体を貫く黒雲を纏まるように握り、根元である阿子木の動きが止まった。

 それが何を意味し、何をするべきか分かった。

 体中に周る焔を刀に集め一直線に阿子木へと突っ込んだ。

 

「馬鹿が! 切り離し……!?」

 

 言葉が途切れた。阿子木が伸ばした黒雲が雲山殿が居る方へ引っ張られた。

 伸びて阿子木が僅かに、前へ俺が向かう方向へ倒れ込んで来る。

 

「ひっ! 待て! もう人殺しませ……」

 

「黙れ」

 

 一閃、頭から股まで裂いた。

 二閃、首を飛ばす。

 三閃、右肩から斜めへ斬る。

 四閃、胴と足を断つ。

 五閃、落ちて来る首へ突きにて貫いた。

 

「あ、ぇ……」

 

「許しはあの世で言え」

 

 貫いた首が炎によって焼かれて消えた。

 それを追うように周囲に飛散した体も後を追うように形を消した。

 

「はぁっ……!」

 

 緊張が切れた。疲労と痛みが徐々に大きくなり立つのもままならなくなって地面へと体を投げた。

 息を吐き、一呼吸置き雲山殿の安否を思い出した。

 

「雲山、殿!」

 

 息が上がり上手く声を出す事が出来ず、痛みに耐えながら体を雲山殿のへと向けた。

 

「……っ!」

 

「か、加持丸さん……!」

 

 一輪が雲山殿を持ち上げようとしているが、崩れる様に一輪の手から零れて行く。

 

「糞!」

 

 無茶苦茶に体を動かし漸く二人の所へ戻ると、雲山殿の眼から生気が消え掛けていた。

 

「雲山殿! 起きて下され!」

 

「……」

 

 反応が無い。

 

「雲山殿!」

 

 この戦いで戦うべき敵を教えて貰い、たった今私と一輪の命を救ってくれた。

 その恩人が死ぬのを見ている事しか出来ないのか!?

 

「加持丸さ、ん。わ、わたし……」

 

「どうした一輪」

 

 焦燥を持っているが、何か決意を持っているそんな表情を一輪はしていた。

 

「う、雲山さん、もしかしたら、どうにかなるかも……」

 

「何?」




「で、ですが……! ああ、やっぱり今からでも加持丸追った方が!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加持丸さん、少し分かる

 東の空から日が昇り始め、葉の青臭い匂いが鼻につく。刺すような光に目を細めてゆっくりと体を動かそうとした。

 

「……無理、か」

 

 全身が悲鳴を上げる。一歩でも動けそうになかった。

 当たり前か。阿子木との戦闘で一度全身を砕かれ、強制的に肉体を治癒したせいだろう。迦楼羅の炎もまた響いている可能性がある。

 背を木に置いて死んだように寝ていたようだ。ふと右に重さを感じた。

 

「一輪」

 

 夢のような一夜だった。穏やかに眠る一輪の顔を見て安堵の息が零れた。

 

『起きたのか』

 

「雲山殿か」

 

 頭に響くように聞こえた厳格な雰囲気を発する声。

 

「体調は大丈夫でしょうか?」

 

『問題は無い。むしろ彼女を心配してやってくれ』

 

 深い眠りに落ちる一輪へ視線を落とした。

 

「阿子木に憑りつかれていたいたからこそ、受け入れられる、か」

 

 瀕死の雲山を助けるために一輪は雲山を己から憑かせたのだ。

 

『あの時は驚いた。それ以上にこの子に申し訳が無かった。自らの不始末を果たせぬどころか同じように私を憑りつかせ助けようとしてくれたことに』

 

 深い息が聞こえる。怒りに申し訳なさ様々な感情が含まれている。

 

『阿子木は……生まれながら弱かった。何故かはわからぬが人を驚かせようともその肉体が畏れを持って成長することは無かった。恐らく能力のせいだろう。畏れでは無く、絶望、恐怖、そして死。そこから作られる物だけがあやつを強くするしかなかった』

 

「だが、妖怪は人を襲う。当たり前だ。何故、雲山殿はそれを止めようとしたのだ」

 

 返答は直ぐには来なかった。暫くして吐き出す様に雲山殿は言葉を発した。

 

『既に阿子木が言ったが、皆が阿子木を見下していた。儂は結構長生きなのでな、あやつが皆にいじめを受ける度に庇っていた。それすらあやつには不快でしかなかったようだがな。半年ほど前か我らの入道の集まりににて阿子木は突然現れるとその場にいた皆を殺した。偶々遅れた儂は阿子木に向かったが喉を破壊された。これで死ぬのかと思いつつも奴は儂を無視して笑いながら消えた。そして、この子に悲劇が起こった』

 

 雲が現れる。桃色の雲は手の形となって一輪の髪を軽く撫でた。

 

『酷いものだ。妖怪である儂すらあの惨状には言葉が出なかった。同族を殺し、人妖関係なく無差別に死をばら撒く阿子木をもはや見過ごすことは出来なかった』

 

「ままならぬな、生きる事とは」

 

 生まれた場所は選べぬ。持った力も選べぬ。俺は運が良かった、それだけだ。何時骸の上に転がっても可笑しくない童だったからな。

 

『ああ、奴が入道として普通ならば……いや、考えても無駄か。阿子木の暴走を止めることが出来ず、死の間際に救われた。阿子木を何よりも恨む少女に』

 

「でも、助けてくれた」

 

 声は俺でも雲山殿でもなく一輪の声だった。

 

「一輪、大丈夫か? 体調は悪くないか?」

 

「少し疲れてるくらい。加持丸さんこそ大丈夫?」

 

「体が全く動かん」

 

 答えると一輪が微かに笑う。花が咲くような笑みに少し見惚れた。

 

「雲山さん、私は阿子木を恨んでる。今も何時か消えるかもしれないし、消えないかもしれない。でも、雲山さんは私を助けようとしてくれた。昨日のあの攻撃から私達を庇ってくれた。私も加持丸さんも死んでいたかもしれない。貴方のおかげよ」

 

 息を軽く吸った。

 

「ありがとう」

 

『……済まぬ』

 

 零れるような小さな声。

 

『済まぬ済まぬ済まぬ済まぬっ……!!』

 

 震えた声は、彼の持つ苦しさが吐き出されるようだった。

 雲山殿が泣いている。

 地平から登る陽へと視線が向いた。

 朝が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「済まぬ……」

 

 俺が謝る番だった。

 一輪と雲山殿の手に肩を預けて下山していた。

 

「謝らないでください。恩人にこれぐらいの事しか出来ない私の方が不甲斐ないです。加持丸さんの家に届けるまでは私と雲山さんが運びます」

 

「ありがとう。……一輪、一つ聞くがその後君はどうする気だ?」

 

「父や母や皆の弔いを、その後は分かりません」

 

「駄目だな」

 

 俺は一輪の提案を拒否する。

 

「え?」

 

「いいか、一輪。昨夜の言葉は嘘では無いぞ? 俺達の所へ来い一輪。弔いも協力する」

 

「え? ……っ!! いや! そんな、その! 何というか、会ったばかりでいきなり過ぎで、いいいいや嬉しいです!! でも、順序って言うか! そのー……」

 

「慌てるな。きっと一輪も好きになる」

 

「えええええ!? か、確定!? で、でも……か、加持丸さんなら……」

 

『両者の間にすれ違いある気がするのは気のせいだと思いたいのぅ』

 

「大丈夫だ。皆も一輪を受け入れてくれる」

 

「………………え」

 

 一輪が石像のように固まった。

 

「え、えと、皆さん?」

 

 恐そる恐そると言った雰囲気で一輪が尋ねて来た。

 

「おお、そうだまだ言っていなかったな。改めて、俺は加持丸。聖白蓮先生教えの元、毘沙門天様を信仰する仏教徒だ。今は本山の門番の仕事をしている」

 

「……俺の所に来い、とは仏門へ?」

 

「ああ、先生も訳を話せばきっと暖かく歓迎してくれる。一輪の様に優しい者なら尚更だ。どうした?」

 

 何故か一輪が項垂れた。ついでに雲山殿が深いため息を吐かれた声がした。

 

『主はあれだな。阿呆だな。後、色々残念過ぎる』

 

 何かがよく分からぬが、酷く貶された。

 

「はあ、心躍った私が悪いのか、自覚なしの加持丸さんが悪いのか。でも、本当にいいんですか? いきなり私達が言っても。それに私には雲山さんも憑いてしますよ? 普通なら」

 

 普通ならな。妖怪憑きの少女を受け入れる仏門はまずないだろう。

 だが、あの方々はそんな者達をも救う。妖怪も人も関係なく苦しむ者を。

 何故、そんな事が出来るのか。少なくとも自身には無理だ。

 いつか、だったか自分も聞いたことがある。深く考えずにただ、何でと。

 先生は何と答えたろう。幼かった故に出来事は覚えているが何と言っていたのか詳細が思い出だせない。

 小さい俺に合わせ屈んで、頭を撫でながら微笑んでいた。

 

「普通ならばな。残念なことに普通では無い。一輪も驚くだろう。あの人の思い描く理想は大きく果てしない」

 

「そんなに?」

 

「ああ、だが何時か叶って欲しいと思う。そして、少しでもその理想を護れたらと思っている。それが俺が先生への恩返しだと思っている」

 

 生半可な事ではない。決して上手くいくと思ってもいるほど子供でもない。

 だけど、いつか理想が叶い幸せな先生を望むぐらい想ってもいいのではないか。

 

「加持丸さんは凄いんですね」

 

「凄くなどないさ」

 

 背負うべき業。殺めた者へ経を唱えるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体がまともに動かず、結局命蓮寺まで帰り着くのは一日程遅れてしまった。体から痛みは少しづつ引きながら命蓮寺へ帰り着くと涙目の寅丸様が駆け寄って来た。

 先生に事情を聴くとこの数日間、俺の事をかなり心配していたらしい。心配してくれたのは嬉しいが、少し大げさすぎるので恥ずかしくなってしまった。

 寅丸様を落ち着かせながら、一輪の事、今回の依頼の顛末を先生に報告した。

 全てを話し終えると、先生は一輪と雲山殿と話たいとのことで二人を連れて奥へと行ってしまった。

 

「加持丸! 早く来なさい! 怪我の手当をしまから、ほら!」

 

「自分で出来ますよ。それに能力で治癒したのでそこまで酷いものでは……」

 

「それでも、もしもの事があったらどうするのです!! 嫌でも連れて行きます」

 

 首根っこを掴まれ、抵抗も無駄だと悟り俺は大人しく寅丸様に引き摺られて倉庫に入る。

 

「そういえばナズーリンは」

 

 薬草を探している寅丸様の背を見ながら聞いた。

 

「もう……帰ってますよ。疲れているみたいでしたので、部屋で眠っています」

 

「そうですか」

 

 薬草を見つけた寅丸様が俺の身体に付いた小さな切り傷に塗っていく。

 

「大変なことに巻き込まれましたね。今は大きな傷もありませんが、話を聞いた時は意識が遠くなりましたよ」

 

 布を巻かれつつ俺は、その時の事を思い出す。

 阿子木。己の弱さを呪いその怨念が力を手にした。状況は違えど自分と同じ。一歩間違えば俺もまた奴と同じ末路を辿っていたかもしれない。いや辿っていた。

 まだ、幼かったから? 善悪の区別がつかなかったから? それよりもたくさんの要因もあるだろう。

 だが、決定的な違いは、阿子木は他者を拒んだ。雲山殿の手を掴めばあるいは、違う道もあったかもしれない。

 

「はぁ、雲山殿の言うように考えても無駄か……」

 

「何がです? 加持丸」

 

「いや、世の中は本当に分からないな、と」

 

 きゅっ、体を絞めるの布の圧迫が微かに痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、一輪と雲山殿は命蓮寺に入る事となった。しかし、先生が俺と一輪を微笑ましい目で見ていたのは何故だろうか?

 首を傾げつつも、治るまで一輪に看病されることになった。傷自体大したものでもないのだが、一輪が頑として譲つことはなかった。一週間ほどすれば体に傷は治り約束であった一輪の村の者達への弔いへ行く事になり、先生も仏教を広めることを名目にして同行し、五日程歩くと一輪の村に着いた。

 

「……」

 

 荒廃。その表現ですら表しきれない惨状だ。阿子木がこの村を徹底的には破壊して心行くままに遊びつくしたとしか言えない光景。

 遺体は近隣の村の者が埋めたそうで、村の奥に埋葬されていた。

 埋葬と言っても、簡易なもので死体を埋めて土の山が出来ているだけだ。

 皆が無言で手を合わせた。不意に先生が経を唱え始めた。その口から紡がれる言葉の一つ一つに無念の内に亡くなった村の者達への供養となるように、苦しみの無い浄土へ逝けつるようにと切に願う経だった。

 如何程経ったか、先生の経が終わる。一輪は先生に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。きっと、皆安らかに眠れます」

 

 気を張っている。一輪の言葉が震えてたいた事に気付くが俺も先生も雲山殿も何も言わなかった。

 一輪が頭を下げたまま、震えた。少しずつ声が抑え消えれなくなって一輪は崩れる様に座り込み泣いた。

 先生がそっと一輪を抱きしめる。堰を切ったように一輪は声を上げた。溢れる涙は頬を伝い、止まることなく流れ続けた。

 俺は一輪の頭を撫でた。彼女が泣き止むまでずっと。

 この時、俺は誰にも言う事無く心に誓った。彼女を笑顔にしよう。何時か心から笑ってくれと。幸せになってくれと。この刀で護る者が何なのか少しだけ分かった気がした。




長らく遅れて申し訳ありません。
次話は出来るだけ早くします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加持丸さん、終わりの始まり

 刀の切っ先が天へ伸びる。呼吸を止めて一瞬で刀を振り下ろす。日課の鍛錬だ。

 一輪が命蓮寺で暮らし始めて数年が過ぎた。先生の護衛が増えると、俺は一人称を「私」へと改める。公然の場で礼儀知らずと言われれば、先生の名に傷がつくからだ。

 この数年で身長も伸びた。力も上がり刀の腕も上がったと感じる。とはいえ、寅丸様には未だに追い付けない。

 息を整え呼吸を乱さず刀を振るう。

 命蓮寺も人と妖怪問わずに先生の仁徳のおかげか信者が増えている。特に先生が新しく連れて来た船幽霊の娘っ子は驚いたものだ。まさか宙を浮く船を見ることになるとは思わなかった。

 木々が風に揺れて葉が落ちて来る。一太刀目で葉の中心を両断。返す刃で左右に葉が離れる前に一閃。葉は十字に断ち切られた。

 鍛錬をしていると様々な事が浮かぶ。それは泡の様に浮かんでは消えて行く。すると段々、頭の中に何も無くなって最後には無心で刀を振っている。

 自分の事も、先生の事も、一輪の事も、この瞬間だけは浮かぶ事無く刀を振るう。

 

「加持丸」

 

 そう呼ばれ私は漸く刀を鞘へとしまった。

 

「一輪、雲山殿。おはよう」

 

「おはよう。そろそろ戻ろうよ御飯の時間だし」

 

 何時からか、一輪が私の事を呼び捨てで呼ぶようになった。これは嬉しかった。何と言うか、お互いの距離と言うものが近くなったからだ。初期は一輪が顔を紅くして挙動不審だったが、今は普通に呼んでくれている。

 

「相変わらず凄い動きだね。そして、それに勝つ寅丸さんも凄いわ」

 

 然り然りと雲山殿が相槌を打つ。

 

「なら、一輪も一緒に鍛錬をするか?」

 

「やめておく。私、人やめてるけどあれに付いて行けないし。……加持丸、人間だよね?」

 

「手足は四本、胴は一つ、頭は一個だ」

 

「違うそうじゃない」

 

 何がだ。

 

「ねえ、加地丸。私が此処に来て結構経つよね」

 

 不意に一輪がそんな事を言い出した。

 

「そうだな。三年か?」

 

「四年」

 

「そんなに経っていたか」

 

 普段はそんな事を気にする事など無いが、そう言われると一輪と雲山殿と出会って結構な時が経っていた。 

 

「加持丸は……さ、その、なんだ、あの……」

 

 一輪にしては妙に歯切れが悪い。何だ? 

 

『ほれ、さっさと聞いておかんかい。でなければ色々遅くなるぞ』

 

「いや、ほら、やっぱこういうのを聞くのって変じゃない?」

 

『この先生一筋男が話題に出すと思っておるのか?』

 

「うぐ……っ! あ、あのさぁ、加持丸ってこ、ここここ婚約とかそう言うのは……」

 

 婚約。男女の契り。夫婦となる事。つまり一輪は私にそう言う願望があるのか知りたいのか?

 

「無いな」

 

 時が停まったような気がした。いや、正確には一輪と雲山殿が静止した。

 

「…………そ、そうかー、何で?」

 

「少し朝食が遅くなるがいいか?」

 

 私は二人をある所に連れて行くことにした。私がそう言う事を考えぬ理由がある場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……?」

 

 一輪の呟いた言葉。命蓮寺が鎮座する山の頂上のそれより少し下、私と先生と寅丸様しか知らぬ場所。

 私が整地し、作った小ささ広場だ。そこには荒く不恰好な仏とその周りに小さな墓が造られている。

 

「一輪、私の過去は知っているだろう? 四年前、彼奴との戦いの最中に言ったことだ」

 

「うん……」

 

「ここは彼らの墓だ。私が殺した者の墓。しかし、名前など分からぬ、知らぬ。言葉すらうろ覚えの歳だったからな」

 

 何人殺した? 何十人? 命乞いは聞こえない知らないの殺しの日々。つまりは私は彼らの骸の上で生きていた。

 

「救われて、人の理を知って、人になって漸く分かったのだ、自分のしてきたことの所業をな」

 

 後悔しても遅い、知らなかったら幸せだったろう。それでも、私は知ったから……

 

「彼らか彼女らかは分からないが、私は一生を掛けて祈る。彼らがせめて極楽いける様にな。私が殺した人間は、善人だったかもしれないし、悪人だったかもしれない。でも、私にはどっちでもいいのだ。どちらも救われて欲しい。生きたいと思う人として、当たり前の事を私は奪って行ったのだから」

 

「でもっ……そうじゃないと加持丸が生きれなかった」

 

「そうだな。でも、あの飢饉のときに死んでいれば、少なくともこの中の幾名かは死んでいなかった」

 

 瞬間だった。私の横っ面に一輪の拳が叩き込まれて、そのまま地面を跳ねて木に背中から強か打った。

 

「……ぐ……ぉ……! な、なにをする」

 

「雲山」

 

「ちょっと……待て! 雲山殿! ま……ごふ! がぶっ! 落ち着つっぶぅ!!」

 

 溝にいいのが何発か入った。不味い不味い!

 

「加持丸、今も昔も私はあんたの気持ちなんて想像なんてつかないよ。多分、温い同情くらいしか出来ないと思う」

 

「ま、待て、なら何故殴った!?」

 

「怒ってんだよ、分かりなよ。死ぬべきだった? そんな奴に私と雲山は救われたんだよ!」

 

「っ!」

 

「私も雲山も加持丸が居なかったら死んでた。いや、私は多分生きてるだけど心は死んでた! 阿子木に! でも、助けてくれたのは加持丸だよ!? 私は加持丸が居たから生きることに……っ!」

 

 一輪は私から目を逸らし、そのまま麓へと駈け出していった。

 

「……やってしまったな」

 

『門番としては優秀だがそれ以外はまだまだだな』

 

 痛む腹をさすりながら吹かくため息が出た。

 

「私自身、人殺しだ。そんな人間が人並みの幸せを望むなど……」

 

『本音はそれか? 今の時代珍しくはあるまい』

 

「時代がそうでも、私が……俺が納得せんよ」

 

「気づいているのだろう? 一輪の気持ちは」

 

「私なんぞには勿体ない素晴らしい女性だ」

 

 そうだ、これでいい。私はもう恵まれている。この命蓮寺にいるだけでも幸せだ。もうこれ以上は……。

 だが、一輪が去る時、最後に小さく呟いた言葉。それが強く心に残る。

 

「幸せになれた、か……」

 

 本当に、私には勿体ない女性だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおー! 加持丸ぅ! おかえりおはよー!」

 

 雲山殿と微妙な空気の中、命蓮寺に戻ると此方へ向かって手を振って来る小さな人影。

 その快活な少女の声で誰なのか分かり返すよに声を掛ける。

 

「ああ、おはよう水蜜」

 

「ムラサで良いって言ってるじゃん! ま、いいか。ねね、さっきから一輪の機嫌が悪いけどなんかあったの?」

 

 純粋な顔でいきなり確信を突かれた。雲山殿に助けを求めようと視線を向ければ既に居ない。

 逃げられた。そう考えつつも、ねー? ねー? と声を掛けて来る水蜜を曖昧な返事でのらりくらりと躱しながら本殿へと向かう。

 

「よ、おはようさん」

 

 廊下で会ったのはナズーリン。何故か憎らしい笑いを顔に張り付けていた。

 

「よお、振られ女泣かせ」

 

「待て、ナズーリン。色々誤解があるようだがな、決してそう言う事では無く……」

 

「え、一輪に振られたの!?」

 

 頼む、水蜜あまり大きな声で驚かないでくれ。

 

「何!? 振られた!!」

 

 横の障子が突然開くと寅丸様が出て来た。不味い、この流れはいけない。

 

「どういう事です!? 一輪を怒らせたのですか!?」

 

「待ってください落ち着いて下さい一度話し合いましょう」

 

 三人、特に寅丸様の勢いが凄まじい。名づけ親と言う事で此方を大分気遣ってくれるのはとてもありがたい事だが、寅丸様はどうも大袈裟に対応してくるのだ。

 この騒ぎをいかにして納めるか、朝から大変な労働になりそうだ。

 取り敢えず、してやったな顔をしているナズーリンは後で拳骨をくれてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から凄まじく気を使った。

 軽く吐息を吐き、山の下の門へと向かいながら私は思考する。

 朝の朝食を終えて、ついぞ一輪は口を聞いてくれなかった。と言うより、無視された。視線を抜けるだけで目を逸らされるほどだ。水蜜達からの視線が気まずかった。

 先生にばれる事が無かったのが救いか、いや、気づいて無視してくれたのかもしれない。先生は鋭いから。

 一輪……。

 

 『気づいているのだろう? 一輪の気持ちは』。

 

 雲山殿の言葉が頭に反芻した。分かっているさ、雲山殿。分かっている。だからこそ、駄目なのだ。

 私は奪った。死にたくないから他者を殺してここに居る。

 人の屍を背負い、祈り、懺悔し、生きる。それが私の生涯であるべきだ。人殺しはそうであるべきだ。

 先生のおかげで人に戻れた獣はそれでいい。

 幸せは望まない。せめて彼女の幸せを護りたい。

 だから、神でもいい、御仏でもいい。

 

「どうか一輪に幸いを……」

 

 門の前にたどり着いた。門番として周囲に警戒を飛ばす。

 

「加持丸」

 

「っ!?」

 

 振り向けば、先生が此方を見ていた。

 

「先生? どうしました? わざわざ出向かなくとも呼ばれれば其方に向かいましたのに」

 

「加持丸。一輪と何かあったようですね?」

 

 柔和だが、問答無用な威圧。自然と目が逸れてしまう。

 

「一輪の好意は知っています。それに貴方が答えないと言う事も」

 

「ええ、その通りです」

 

「加持丸は一輪の事をどう思っていますか?」

 

「好きです」

 

 嘘偽りは無い。

 

「何故と言われても、答えるのは難しいですがね」

 

「想っているからこそですか? 自分を遠ざける」

 

「はい」

 

 沈黙が満ちる。

 

「そうですか。私が無遠慮に横やりを出すのも無粋と言うものかもしれません。ですが、お互い仲違いをしてはいけませんよ? 今日の様に」

 

「日を置いてお互いに話し合おうと思います」

 

「はい、しっかりね」

 

 話に区切りが付いた。再び周囲を見ると、此方に近づいて来る影が見える。

 人数は一人。服装は浄衣。陰陽師が着る服である。布で顔を隠しているが歩きからして男と予想した。

 此方と数十歩の距離で止まる。

 何もしない。向こうは此方に声も掛けずに黙り込んだままだ。

 何者だ? と警戒するが、このままと言うわけにもいかぬか……。

 

「もし、どちらでございましょうか?」

 

「此方が命蓮寺で間違いございませんでしょうか?」

 

「はい。その通りでございます。何か御用でしょうか?」

 

「実はこの地方の領主様がご病気になりまして、どうかご病気を消して貰えないかと思い此処へ」

 

「失礼ですが、お医者様へは?」

 

「いえ、これは命蓮寺でしか治せぬのです。そう、妖怪を匿う魔僧・聖白蓮殿と言う病を消すには、ね?」

 

「どういう意味だ!?」

 

 声を荒げて、差した刀へと手を伸ばす。ばれた!? 馬鹿な、何処から漏れた。

 

「そのような事を何処から?」

 

「いえ、ね。私こう見えて陰陽師でして、妖怪退治もよく行っているのですよ。何時もの様に妖怪を殺していると、死にぞこないから声が聞こえたのですよ。『助けて聖様ー』でしたっけ?」

 

「……っ」

 

 先生を見る男の前へと動き牽制を掛けつつ、この状況に歯噛みする。

 この男にばれていると言う事は、この地方の領主も知っている。この状況を一刻も早く寺の皆にも知らせなければいけない。

 仕掛けるか? いや、男の力量が分からない。

 

「で、気になったので、怪我を治して拷問したら吐いてくれましたよ。簡単ではありませんでしたけどね。四肢潰して目玉抉ってやっとですよ、ははは」

 

「惨い事を……」

 

「惨い? 人を喰ってる化け物に惨い事しちゃ駄目でしょうか? 何時も人間が惨い事されてますよ? それとも貴方も化け物だったり?」

 

「……一人か?」

 

「さあ? 一人かも?」

 

 周囲、地面から、茂みから、畑の中から、黒装束の者達が一斉に現れる。黒装束の者が一斉に何かを投擲する。

 狙いは先生。

 

「先生!!」

 

 反射的に先生の元へ走り出す。投擲されたのは小型の刃。飛び道具として特化しているのか速い。

 滑り込む込むように先生を掴み、勢いを止めずに飛ぶ。

 

「加持丸! 狙いは私です。早く……」

 

「時間を稼ぎます。急いで寺へ!!」

 

 この瞬間、一番優先すべきことは先生の安全。全ては二の次でしかない。

 

「早く! 御逃げ下さい!! 失礼!」

 

 先生を階段の上へと放り投げた。先生の身体能力ならばこの程度の着地は容易。

 階段に着地した先生は一瞬此方を見て、すぐに上へと消えた。

 

「凄いですね。流石、妖怪を手なずけているだけはある」

 

 軽い拍手をしながら、男が階段に足を掛けた。

 

「先生をどうするつもりだ」

 

「殺すと言えば」

 

「させぬ」

 

「出来ますかね?」

 

 時間を掛けることは出来ない。速攻でこの男を倒す。

 

「命蓮寺護衛兼門番、加持丸参る!」

 

「陰陽師。妖怪退治専門、安倍と名乗っておきましょうか」

 

 刃と札の中へと飛び込んだ。

 

 




「加持丸の馬鹿やろー」
『……どうしかもんかのー』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

安倍さんと……

 つまらない。

 それが私、安倍清人の人生の悩みでした。

 陰陽師の名門の端っこに生まれ、家の教えを受け育つ。親の命令、下らぬ都の政治。貴族の相手、何もかもが詰まらない。家中で花を愛で、詩を綴る事も何をやっても心を打つことが無い。

 もしも、陰陽師の才能が無かったのならばまた違った結果になったのでしょうけど、鬼才天才と褒め讃えられるほどに力を持ってしまいました。

 ならば、強いからこそ強い妖怪を退治しよう。鬼を倒そう。いやいっそ最近噂になっている緑の髪を持った妖怪でも倒してみようか。

 強いからこそ倒せば達成感もこの空虚な心にも生まれるだろう。敗北し殺されようとも絶望、悲鳴を上げて死ぬのもまた一興。そんのような感じで上に掛け合ってみましたが、命を大切にしろだの、無暗に喧嘩を売るなと御叱りを受け、暫く謹慎を言い渡されました。

 

「……つまらないですね」

 

 庭を歩きながら、何百回目かのため息を吐いていると道の端に蟻が群れを成しているのが見えました。

 何気ないその姿、考え見ればこうして自分以外の生き物をじっくりと観察するのは初めてでした。

 それはほんの出来心でした。

 地面を這う蟻を一匹、指先で捕まえて眼前に持って来る。

 親指と人差し指、二つの指の間で体を動かすことが出来ずにもがくだけの蟻。

 命。人と比べればとても小さな命。

 さらにぐっと力を入れて、ゆっくりと右へ左へ動かして、もっと強く動かして、潰した。

 指を離して見れば、潰れて体がばらばらになって潰れた蟻が一匹。

 潰れた。殺した。指二つで死んで無くなった命。すると、心に小さな達成感が生まれたのです。

 もう一匹。今度は掌に載せて、爪の先で体を割る。もう一つ、もう一つと気が付けば私は命を潰す事に夢中になってきました。言いよう無い衝動が私を突き動かし、私はそれを止める気が無かった。幾度も幾度も蟻を潰して続けました。

 しかし、馴れると言う事が人間の性。蟻では物足りなくなっていきます。

 ならばと、次は、飛蝗。手の上で中身が潰れて動かなって心に小さな達成感が生まれました。

 次は、蜘蛛。次は、蝉。庭に居た生き物達をあらかた潰していくと私はもっともっと求めて行くようになりました。

 痩せた猫、犬達を景観が損なわれると言う名目で一匹一匹、自分が思いつく限りで潰して殺す。

 首を絞める。四肢を捥ぐ。腹を捌く。殴る。蹴る。自分の手で動いていた生き物が冷たく動かなくなることが、自分が命を奪って行くことを私は何時しか止めることが出来なくなっていきました。

 殺す事への罪悪など一度も感じる事無く、心のままに殺していきました。

そして、行き付く果ては最も目に映り、最も傍にある自分と同じ姿の、人の命を奪う事は必然であったのかもしれません。

 陰陽師。妖怪を祓う為の術も使い手の使い方次第と言う事。人よりも強い妖怪を殺す術は、妖怪よりも弱い人に使えばその命を容易く奪うことが出来る。

 痩せた子供、甘言で誘い、術を掛け、殺しました。吹き飛んだ顔、痙攣を起こしてやがて動かなくなる体躯。

 楽しい。楽しくてしょうがない。つまらないと思っていた人生が色づいていくのを確信しまいた。

 だからこそ、

 

「面白そうな殿方ですこと、夜の散歩も偶にはしてみる者ですわね」

 

 その時に、彼女に出会えた事は、

 

「ねえ、私に見せてくださらないかしら」

 

 運命だったのだと思います。

 

「貴方の生き方を」

 

 霍青娥。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが変わったとしか言いようがありませんでした。

 彼女は私にとって人生における師となり、私の全てを肯定してくれた。

 

「邪悪? 外道? よいではありませんか。それもまた人の一面に過ぎません。確かに貴方様は善と言う概念とは真逆で常人からすれば、あらゆる罵倒が飛び出す事が必至です」

 

「ですが、人は誰しもそんなモノなのです。理性が働きより良い行いが好きなだけ、誰しもが憎しみを持ち、破壊の衝動を持ち、殺意を持っているのです」

 

「このまま生きるのならば、貴方はいずれ死ぬでしょう。今までの行いの報いを受けるが如く。それでも、殺したいと言うのなら私が手伝いましょう。邪仙として貴方の人生を肴にしてお酒を飲むのも一興。貴方が死ぬまで貴方の御傍にいますわよ?」

 

 私は差し出された手を迷いなく取った。

 彼女は、私に人の苦しみや美しさ、醜さ、楽しさ、それら全てを伝授してくれました。苦しみにおける死、快楽の果ての死、私では思いつかない限りの死を。

 肉体的だけでは無い、言葉による死と言うのも肌には合うことは無かったが魅力的だった。

 貴族に言い寄り言葉を弄して互いの嫉妬を煽った。占いでわざと不安を植え付けた。

 生まれて来る怒りは他者を害し、恋慕の憎しみには呪いが付き纏う。

 どれもこれもが楽しくてしょうがない。見ているだけで他人は私を楽しませてくれる。私は子供の如く無邪気に思うがままに行動しました。

 

「ふふ、清人様。とても楽しそうですわね。初めて会った時よりも輝いていますわ」

 

 そうでしょう。家の者も私の変化に驚いていました。しかし、何故私が笑っているのか、その真実を知る者は青娥様のみ。悪行、善行、何方にしても心の底から楽しいなら無邪気な笑顔には変わりないと言う事です。

 まあ、青娥様が少しずつ私の家に出入りしていることから、両親は私が変わったのは色恋のせいだと思ってるようですが。

 しかし、それも正しいのかもしれません。私は青娥様が好きなのでしょう。

 私を肯定してくれた始めたの者。私を導いてくれた恩師。

 そして美しい容姿は確かに惚れていると言われても、否定出来る自身はありません。

 しかし、それは叶うことは無い。

 彼女は私が好きなのでは無い。彼女は私の生き方が好きなだけなのだから。

 私の行いが成功すれば彼女は喜ぶでしょう。その一方で、私の所業が見破られ、憎まれて恨まれて塵の様に打ち捨てられても彼女はきっと同じ様に喜ぶのだから。

 でも、それでいい。それがいい。

 私が惚れたのはそんな彼女なのだ。邪仙、霍青娥はそんな女なのだ。だから、どうか私を最後まで見て欲しいのです。

 苦しませよう、憎ませよう、苦痛を与えて、惨たらしく殺して魅せよう。

 苦しもう、憎まれよう、苦痛を与えられて、惨たらしく殺されて魅せよう。

 私の人生こそ貴女に送る私の恋文だ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、その尼が妖怪を匿っていると」

 

 上よりその事を聞いた。

 どうやら都から離れた領地にて、一人の高尚な尼が実は妖怪を匿い、その力を利用しているそうだ。と言うのもその尼が年を取っていないと言う噂から発生したものなのですが。

 都の政治も緊張気味であり、貴族へのごますりの為に少しでも怪しい者を消して欲しいと言う事。

 そして、私の所へと依頼が来た。

 

「面白そうですわね」

 

「そうですね。なら、この依頼を受けようと思います」

 

 ここで残念なことになった。青娥様が用事で出かける事になったのだ。

 聴けば、かつての弟子の様子を見に行くと言う事だ。

 その弟子に嫉妬を覚えた。彼女の中では自分はその弟子よりも下と言う事がどうも我慢ならなかった。

 青娥様は私の考えに気付いたのか、そっと抱きしめてくれた。 

 

「すぐ戻りますから、帰って来たらお話を聞かせて下さいね」

 

 嫉妬など消えた。ああ、そうだ。そんな事よりも彼女に喜んでもらわなければ、それからの行動は早く迅速だ。

 調べによると、その尼は村からの信頼も厚く、従者の男を重宝しているらしい。

 その二つを奪う。

 信頼された村からの憎しみはどれ程か、従者を殺されれば嘆きと怒りは、その中で死んでいく様はどれ程の者なのか。

 きっと素晴らしいのだろう。きっと声を上げてくれるでしょう。

 準備は念入りに、彼女に聴かせる盛大な物語を作りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しずつ、慎重に村々へ流すのは根も葉もない噂。だが、続ければ勝手に人は真実だと思い込む。

 さらに辺り一帯の妖怪、特に話が通じる者を拷問にかけた。

 すると、出て来たのは尼である聖白蓮は妖怪も人も救うと常日頃言っていると言う事だ。

 笑いが込み上げる。何と甘い、何と言う可笑しな思想。言えた義理では無いが、まさしく狂人のそれだ。

 毘沙門天代理を含めて聖白蓮の周りに存在するのは妖怪のみかと問えば、従者である加持丸だけは人間でありながら聖白蓮の元に居ると言う。

 

「ははは、加持丸、ね」

 

 興味が湧く。人でありながら聖白蓮の人妖平等の思想を肯定しているのかい?

 成程、もしそうならば是非聞きたいな。その思想に付いて行った理由。

 青娥様に伝える物語は面白くあるべきだから。

 

「よし、拷問お疲れ様。最後に手伝って貰いたいことがあるんだ。これを引き受けてくれるなら助けてあげよう。断るならさらに無残な拷問を加える。絶対に殺さないし、狂わせません。……ありがとうございます。引き受けて貰えて嬉しいですよ」

 

 では、さっそく初めましょうか。妖怪による殺人、神隠しその他諸々、聖白蓮に一切身に覚え無い悪行を全て聖白蓮が行った事にしてね。




「いつでもどこでも貴方の隣に即参上の娘々だにゃん♪ ってね」


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。