東方魔法録 (koth3)
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妖怪として
移ろう境界


えー、さっそく一話を書き上げました。二話目からは時間がかかります。
またよろしくお願いします。


 イギリスのウェールズ。ここには多くの魔法使いが隠れ住んでいる。かつて、魔法世界を救った英雄、ナギ・スプリングフィールドを慕った魔法使いたちが集まり、隠れ里ができた。

 そんな魔法使い以外が住んでいないこの地で、二人の特別な子供がいた。双子の三歳位の子で、兄の名前をネギ・スプリングフィールド、弟の名前をユギ・スプリングフィールドという子供だ。この子たちは魔法使いの英雄、ナギ・スプリングフィールドの実の子供なのだ。

 兄であるネギは、ナギ譲りの赤い髪に莫大な魔力を秘めている。しかし、一方のユギは朝日のようなまばゆい金髪で、魔力が一切なかったのだ。

 生物であれば必ず持っているはずであり、父親は計り知れないほどの魔力を持っているというのに。そのことが原因でこの子供はナギの子供ではないのかという話すら出たほどだ。しかし、DNA鑑定や魔法で調べた結果、間違いなくナギの子供だと判断された。

 そんな騒動もあったが子供たちは関係なく健やかに成長した。

 ただ、見た目だけではなく中身も違うのか、二人はあまりにも似ていなかったが。ネギは外で遊ぶこととナギの実績を聞くのを楽しみ、ユギは家の中で本を読み、知識を蓄えることに興味を持っていた。

 そんな二人は元々は仲が良かったのだが、ある時から溝が生まれ始めた。ナギの事を聞いたネギは、危険な目に遭えばナギが助けてくれると思い、危険なことをし始めた時からだ。犬に追われる、木から落ちる、そして湖に落ちて溺れた。その理由が父と会いたいから。ユギだって父と会いたい。しかし、危険な目に遭って村のみんなを心配させてまで会いたいとは思わなかった。その考えのすれ違いが原因となり、二人には溝ができ始めていた。

 

 「ユギ、外に行かないのか?」

 「スタンお爺ちゃん。僕はいかないよ。兄さんがしろって言うような危険なことをして、ネカネ姉さんを悲しませたくはないから」

 「……そうか」

 

 雪の降る寒い日の事、ユギはスタンと呼ばれる翁の家に遊びに行っていた。

 このころからネギは、ユギに父と会うために危険なことを一緒にしようと誘い始めていた。それをいつも拒否しては言い争いになっており、二人の仲はだんだんと冷え切り始めていた。

 スタンもそれをわかっていたために、それ以上は聞かなかった。村でも二人の仲をどうするべきかという話は出てきているのだ。どうするべきか、スタンも頭を抱えていた。

 そんなことを知らないユギは、スタンが持っている魔法書を一生懸命読み、分からないことをスタンに聞いたり、スタンが知る知識を聞かせるように頼み込むのである。そんなユギを暗くなる前にスタンが家に見送って帰らせる。それがここ最近のユギとスタンの生活だった。

 

 「やれやれ、ユギもネギ程とは言わんが少しは本以外のことに興味を持ってくれんか。あれでは本の虫というより、知識を得る事に固執しているようにしか見えん」

 

 ユギを家に帰らせてから、自身の家に帰る途中でぽつりと無意識のうちにつぶやいた言葉にスタンは戦慄する。

 ユギはまだ、子供だ。やっと文字を覚えた子供。そんな子がふつう魔法書など読むことができるか? あり得ない。自身の経験からでも十五になってようやく理解できる。魔法書を読むということはそれくらいの知能が発達している必要がある。中には十歳でも読めるほどの聡明な者もいるだろう。しかし、三歳の子が読むことができるか? 

 今まではやっと読めるようになった本を、意味を理解せず読むことを楽しんでいたと思っていた。しかし、よくよく思い出すと今日も昨日もその前も分からないことを聞いてきた(・・・・・・・・・・・・・)。つまりは、分かる部分と分からない部分を判断できる程度には理解しているということだ。

 

 「バカな……。わしの考えがあっていたらそれはもはや天才なんてものではない。鬼才じゃ。普通の人間がかかる時間より、五倍以上も早く物事を理解できるなど普通はありえん。

 これでもし魔力があれば問題はないが、あの子は魔力がない。これほどの頭脳はナギの馬鹿もんのように戦闘にしか使えない力よりもはるかに貴重だ。その頭脳を欲して元老院の老害どもがあの子を狙うやもしれん。そんな時あの子はどうやって身を守る?」

 

 一刻も早く対策をしなければならない。そう判断したスタンは町中の魔法使いに集会をかけてこのことを話し、協力を仰いだ。

 

 「ユギが? ネギもあの年でなかなか聡明だったが、ユギはそれに輪をかけて優秀だったか」

 「そんなことを言っている場合ではないぞ! もしユギの能力がわしの思い違いではなく事実ならば」

 「遠くない未来、ユギが汚い大人たちに利用されるかもしれない。そういうことだな、スタン」

 「そうじゃ」

 

 村の中にあるパブで大人たちの魔法使いは集まり、スタンからもたらされた話を聞き、驚愕する。自身たちもスタンが言うことの異常性を理解できたからだ。

 

 「ネギの方はそこまでの頭脳は?」

 「それはないじゃろうな。あいつはナギの馬鹿もんにそっくりじゃ。頭より、体を動かすことの方が優れているじゃろう」

 「そうだな。だが、これがもし本当だとしてもそこまで危機感を持つ必要もないのでは?」

 「お主! わしの話を聞いておらんかったのか!!」

 「落ち着けって、スタン爺さん。俺だってそう思うよ。けどそれはあくまで身を守るためのすべがない時だろう? ネギはユギと仲直りしたいって今日俺に言ったんだ。あの子たちの仲が良くなればネギがユギを守り、ユギがネギの参謀となるかもしれない。そうなれば問題はないだろう? 二人は安全だし、ナギを越える立派な魔法使いになれるかもしれないしな」

 

 彼にとって、やはり二人は英雄の子供としか見れないのだ。そのためにこんな案が出てしまう。それはつまり、彼らが英雄の跡を継ぐことしか許されないということだ。

 スタンはこれを聞いた瞬間に悟ってしまった。この町も変わってしまったと。昔のようにナギの行動に共感したものじゃなく、あこがれてきた者たちが多くなってしまったと。

 そんなスタンの肩にこのパブのオーナーが軽く手を置く。

 

 「スタン」

 「お前か。……ここもユギにとって危険な場所の一つだったようじゃ」

 

 そう言って二人は目の前で喜び始めた若者たちを見つめる。英雄になることができる素質を持つ人間、いや、道具(・・)ができたと喜ぶ彼らを。彼らにはそんな考えはないだろうが、実際にはそうなってしまっている。

 

 「もう良い。今日の話し合いはここまでじゃ。皆集まってもらいすまなかったの」

 

 そうスタンが集会の締めくくりを宣言し、いの一番にパブから出ていく。悔しかった。苦しかった。何より、自身の無力さが情けなかった。

 

 「ナギ。わしにはお前の子供を救ってやることもできなさそうじゃ」

 

 見上げる星空に輝く星と打って変わってスタンの心は曇天に覆われて、重苦しくなっていった。

 

 

 

 「のう、ユギ。お前は本当にこの本を理解できておるのか?」

 

 あくる日、スタンは自宅にやってきたユギに聞く。どうか外れていてくれと念じながら。しかし、希望的観測とはえてして外れるものだ。

 

 「うん? うん。この本はもう全部わかったよ。だから今日はもっと難しい本を読みたいんだ」

 

 屈託のない笑顔だが、その言葉と笑顔にスタンは絶望を感じてしまう。

 ああ、この子は。そう思い、とっさに

 

 「スタンお爺ちゃん?」

 

 強く体を抱きしめる。こんなか弱い子供を、魔法という陰謀渦巻く世界の犠牲にしてなるものかと。

 そのためにも、しばらくはこの子をありとあらゆる知識から離さなければならない。まだ、この子には早すぎる。

 

 「ユギ。今日はわしも用があるのでな。本を読ませるわけにはいかんのじゃよ。明日にしてくれんか?」

 「えー、今日は読めないの? ……分かった、明日またくるね」

 

 そう、返事を返してユギは外に出る。それは雪が降る寒い日の事だった。

 

 

 燃える。燃え盛る焔によって、里が燃え尽きていく。

 

 「クソ! なんでこれほど高位の悪魔たちが!!」

 「言っている場合か!! 魔法の射手連弾 ・火の32矢」

 

 そこかしこにいる異形の怪物、悪魔をこの里の大人たちは繰り出す魔法で撃退していく。しかし、物量で押され、さらには、

 

 「くっ! 爵位級か!」

 

 悪魔の中でもかなりの力を誇る爵位級と呼ばれる悪魔までも出現してきた。

 そのうちの一体の口が開き、光線のように魔法が放たれる。

 

 「うっわあああああああああ……」

 「石に!! 体が……」

 

 あちらこちらで地獄の光景が繰り広げられている。そんな中、里を走り続ける小さい影があった。

 

 「ハァハァ、怖いよ。お父さん。助けて!!」

 

 それはユギだった。周りが危険な中、里の入り口まで何とか逃げ切れたのだ。だが、その幸運もここまで、ユギの目の前には一体の爵位級の悪魔がいた。

 

 「逃げ出したターゲットか。悪いが死んでもらうよ。私としては子供を殺すのは後々の楽しみがなくなるのであまりしたくはないのだが、今回はそういう依頼でね」

 

 ゆっくりとユギに近づく悪魔の手。しかし、それを遮る様に強力な魔法が放たれた。

 

 「その子に近寄るな!!」

 

 それはスタンだった。だが、今のスタンにはそれほど強力な魔法は使えないはずなのだ。

 魔力は精神力だ。しかし、生命力もなければならない。老いたスタンではそれほど魔力を使うことができない。

 それなのにスタンの身を駆け巡る魔力はすさまじかった。スタンの若いころ、全盛期に勝るとも劣らないほどに。スタンの魔力を底上げしているのは怒りだ。こんな事態を引き起こしてしまった事、ユギを危険にさらしてしまった事。それらの怒りが精神力を底上げして衰えた生命力に関係なく凄まじいまでの魔力を練りだしている。

 

 「ほう!! これほどの魔力を放てる存在がまだいたとは! おもしろい。子供を葬るより先にお前を葬ろう!」

 「なめるなよ! 老いた身なれど貴様くらいは道連れにしてくれるわ!!」

 

 死をも覚悟した一人の人間。その体から放たれる魔力に、悪魔は子供であり、なんの力も持たないユギよりもスタンと戦うことを優先したのだ。

 

 「ユギ! 逃げるのじゃ!! この里から放れて、どこまでも」

 「ヒック、怖いよ。いやだよ!」

 「頼む、逃げておくれ。これは老い先短い爺の唯一の願いなんじゃ」

 

 スタンの瞳を真正面から見たユギは怯えていた表情を変え、首を縦に振り一目散に里から出て逃げ出した。

 

 「あの少年もあのような顔をできるのか。将来が楽しみだな」

 「悪いがその未来はこんよ。貴様はわしが倒すからな」

 「くっくっく。はたしてその未来に出来るかな? では殺し合いを始めよう!!」

 

 悪魔と老いた魔法使いの戦いが始まった。燃え盛る街並みすら踏み越えて。片方は守るために。もう片方は依頼と自己の愉悦のために。

 

 

 

 「ここまでくれば」

 

 そういったユギは後ろを振り返る。後ろにはずいぶんと小さくなった燃え盛る街があった。

 

 「悪いね、少年」

 「!?」

 

 正面から聞こえた声に反応してすぐさま首を戻すと、そこにはスタンが相手をしていた悪魔の姿があった。

 それはつまり、スタンは悪魔に敗れたことと同義だ。

 

 「あっ、ああ」

 

 後ろに下がるユギだったがその程度では逃げられず首をつかまれ、

 

 「さようならだ」

 

 ボキリと枯れ木を折ったような音が響く。ユギの首が折れたのだ。

 ぶらりと力なくたれ下がる首を見た悪魔はユギの体を放り投げ、還る準備をする。

 

 「ふう、残念だ。結局ほかの悪魔が乱入したせいであの翁とは決着がつかなかった」

 

 悪魔がつぶやいているそばで放り投げられたユギの体には異変が起きていた。

 折れ曲がっていた首は、しっかりと骨が正しくくっつく。瞳には光がさしており、そこには感情が見えた。憎しみという感情が。

 ゆらりと立ち上がるユギの気配に気づいた悪魔は慌てて後ろを振り向くが、

 

 「四天王奥義、三歩必殺!!」

 

 繰り出された一撃のあまりの威力に悪魔の体は耐えきれず霧散する。

 

 

 痛い、痛い。僕は死ぬの? 

 ユギの体は死を覚っていた。このまま自身は死ぬのだろうと。スタンお爺ちゃんの仇も取れずにと。

 だが、不思議と心は違った。その心には、

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

 肉体を殺す。心を殺す。魂を殺す。闇で殺す。咀嚼するように殺す。冷気で殺す。叩き潰して殺す。魔法で殺す。運命で殺す。破壊して殺す。斬って殺す。死を以て殺す。式を以て殺す。虫で殺す。歴史を殺す。狂わせて殺す。薬で殺す。永遠に殺す。炎で殺す。踏みつぶして殺す。風で殺す。毒で殺す。暴力で殺す。鎌で殺す。罪を持って殺す。厄で殺す。水で殺す。奇跡で殺す。乾で殺す。坤で殺す。道具で殺す。動物で殺す。空気で殺す。気質で殺す。鬼火で殺す。疫病で殺す。妬みで殺す。怪力で殺す。心を読んで殺す。死体も殺す。溶かしつくして殺す。無意識に殺す。水難で殺す。財宝で殺す。音で殺す。喰って殺す。雷で殺す。風水で殺す。化けて殺す。そして境界で殺す(・・・・・)

 その強い感情が魂の奥底でかけられていた鍵を外す。

 

 『識る程度の能力』『境界を変える程度の能力』

 

 二つの能力が脳裏に浮かぶ。

 幻想を識る。これによってありとあらゆる幻想を認識してその正体も力も能力も過去すらも識る。

 識った存在に合わせるように境界を変えていく。変わっていく境界によって、違う能力の行使すら可能になる。

 『老いることも死ぬ事もない程度の能力』

 この能力によってユギは一瞬で傷を治す。そして、目の前にいる憎い存在に対して最大の一撃を放つための準備をする。

 『怪力乱神を持つ程度の能力』

 これで準備は整った。

 体を起こす。その動きで悪魔はユギに気付いたけど気にする必要もない。

 一歩目で妖力を体になじませて、能力に耐えさせる。

 二歩目で能力を使い、最大級の力を発揮する。

 三歩目でその悪魔を打ちぬく。

 

 「四天王奥義、三歩必殺!!」

 

 その一撃で悪魔は肉片も残さず霧散していった。

 ここまでが限界。妖力という人間にない力を急に体になじませ、体の限界を超える一撃を放ったことで限界をむかえ、ユギは倒れる。

 そんな倒れ行くユギの体を支える人間がいた。

 

 「え?」

 

 残った力を振り絞り、上を見ると赤毛の男性がユギを支えていた。

 

 「大丈夫か!! しっかりしろ! すぐに父さんが助けてやる!!」

 

 ああ、この人が僕のお父さんか。良かった。僕のことを心配してくれるんだ。

 ユギはそこまで考え、意識を失った。




次回は救助された後のユギの生活です。
感想を書いていただけると嬉しいです。


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消えゆく幻想

今回は前作になかった部分や話があります。
リメイクにより、前作と結構変わりました。


 白い部屋。ここには一人の子供が眠りについており、その子供を囲むようにネカネとネギが座っていた。

 

 「お姉ちゃん。ユギ、起きるよね?」

 「ええ、きっとすぐに起きるわ」

 

 眠り続けるのはユギだ。あの悪魔が襲来した日からすでに一週間がたっている。なのに、いまだ目を覚ます予兆がない。

 

 「ユギ……」

 「ネギ、そろそろ面会終了時間よ。ユギを休ませてあげないと」

 「うん。分かった」

 

 ネギを伴ってネカネは病室を出る。ネギと同じくユギを心配しながらも、ずっとこうしてるわけにはいかず、後ろ髪を引かれる思いで病室を出たのだ。

 

 

 

 暗い黒い空間にユギはいた。あたりを見回しても何もない。いや、何もないわけではない。周りの空間には数多の目が浮かんでいた。それぞれが独自に動き出しており、見るものに不安と恐怖を植え付けるように動いていた。

 

 「ここは……?」

 -ここはスキマと呼ばれる空間。ありとあらゆる境界の狭間。

 

 突然脳裏に響く声にユギは驚き、周りを見回す。

 

 -無駄ですわ。その程度では私は見つけられません

 

 その答えに何故だか納得したユギは、あたりを見回すのをやめてその声に聞く。

 

 「僕をここに連れてきたのは貴方?」

 -いいえ。私ではないわ。ここに来たのは間違いなく貴方自身。貴方の能力の結果、この場まで貴方は来た。ただそれだけの事。私は一切関わっていないわ。貴方に興味を持ったからこそ、こうして会いに来てみただけよ。

 「僕を?」

 -貴方はもう私の正体に気付いているでしょう? 貴方のもう一つの能力のおかげで

 

 識る程度の能力。それは限定的であるが、限定された範囲の事ならすべてを識ることができるという能力だ。そのため、この声の持ち主にもユギは心当たりがある。

 

 「神隠しの主犯。妖怪の賢者、八雲紫」

 -正解。私は八雲紫というスキマ妖怪よ。貴方と同じね。

 「同じ?」

 -気づいていなかったかしら? 貴方はすでに人間ではないわ。強い感情によって能力が覚醒した結果、貴方の体は人間の境界から妖怪の境界に変わったわ。その境界は私でも操ることはできないし、境界を変える貴方でも変えることができないほど強固な境界となっているわ。

 

 いくら境界を操る、変える能力といえど限界はある。境界が確固として自立した存在なら手を出すことができないし、相性上白黒はっきりさせられたりしたら境界は変えられない。境界の能力でも干渉できないのものはあるのだ。

 

 「それは」

 -そう。貴方はどうあがいても人間には戻れない。たとえ、私たちより強大な力を持った存在でも変えることができない不変の理よ

 「い……やだ。嫌だ嫌だ! 僕は人間だ。幻想なんかじゃない!!」

 

 妖怪となることは人間ではなくなっただけではない。その身を幻想に変えるということなのだ。いつ消えるかもわからない幻想に。それを聞いた幼い少年の心は拒絶した。耐えられなかった。消えゆく存在ということに、妖怪という存在に。いつ消えるかもわからず、生きながらえるためには人に危害を加えなければならない存在になるしかないということに。妖怪にとって人間は食料でしかない。人間の恐怖こそが妖怪の源。ならばこそ、妖怪は人間を喰らい続ける。そんな存在になりたいという人間がいるだろうか?

 

 -……また、会いましょう。それではごきげんよう

 

 紫が言葉を発すると同時に空間が歪み、ユギの意識は遠くなり、目を開けた。

 

 

 

 「ユギ!!」

 「兄さん?」

 「よかったよ! ユギ!」

 

 涙を流しながらユギの体に抱き着くのはネギだった。ネギがネカネと一緒に病室を出てから三日が立っていた。その間もネギはずっとユギの病室にいたのだ。ようやく起きたユギはネギに聞く。

 

 「ここは?」

 「ここは魔法学校だよ。僕たちは助かったんだ」

 

 ウェールズにある魔法学校の病室で二人の兄弟は再開する。片方は英雄である父にあこがれを増して。もう片方は心の奥底で絶望をまといながら。

 ネギにもネカネにも心配させないように、ユギは目を覚ましてからごまかし続けている。その甲斐あってか、ネギは何の疑いもなくいまだ病室で検査を受けいているユギに父親のことを話し、笑っている。しかし、ネカネはそんな姿を見て疑い始めていた。

 

 「校長先生。本当にネギとユギを学校へ入学させるのですか?」

 「うむ、そのつもりじゃ。この魔法学園なら安全であるだろう。あの子たちにとって」

 「それは……そうですが」

 「何か問題でも?」

 

 学長室でネカネは校長と話をしている。内容はネギとユギの入学に関してだ。あの二人は実際襲われたことを考えると、町にいるよりも目に付く場所に置いておいた方が危険はないと判断した校長が入学を決定した。

 

 「ネギは大丈夫だと思います。けれどもユギは」

 「魔力がないか? それなら魔法薬などの授業を……」

 「違います!! そんなんじゃないんです」

 「どういう意味かの?」

 

 校長は片眉を上げ、ネカネに聞く。彼女が心配しているという事柄とは何かと。

 

 「うまく言葉に出来ないんですが、私はあの子が怖いんです。まるで儚く消えてしまいそうで。それだけじゃありません。きっと、ユギは誰にもできないことをしてしまう。そう思ってしまうんです」

 「ふむ。儚いか。確かにあの子は何というか、いつの間にか消え去りそうな、そこに存在していないような感じがするのは事実じゃな。じゃが、誰にもできないこととは?」

 「私にもわかりません。それが良い事か悪い事かは分かりません。けれども歴史に名を残す程度のことはしてしまうと思うんです」

 「昔から君の予想は外れることが少なかったが、今回ばかりは外れてもらわんとならん。あの子たちがここに来ることはもう決まっておる。ここ以外ではあの子たちを守れん」

 

 そう締めくくり、校長はネカネとの対談を終えて、部屋からネカネを出す。ネカネに見られる訳にはいかないからだ。ネカネを出した後に校長室にある机の中から一通の書状を出す。何度も読んだ。そのたびに怒りがこみ上げるその書状を

 

 「メガロめ!! 貴様らなんぞにネギもユギにも手を触れることは許さん!」

 

 怒りと覚悟を持った瞳で校長は叫ぶ。抑えきれない怒りを少しでも発散するために。

 

 「あの子たちをメガロに渡すわけにはいかん。心がボロボロになるまで酷使されるか、殺されるかが落ちじゃ。ならば、せめて少しでも時間を稼ぎ、あの子たちが自分で未来を切り開くための時間を作ってやらねばならん! そのためにならこの程度の地位などいくらでもくれてやる!」

 

 その手に持つ書状はネギ・スプリングフィールドおよび、ユギ・スプリングフィールドを魔法世界、メガロメセンブリアにある魔法学校へ入学させるように仕向けろという命令書だった。

 しかし、そんなものに従うわけがない。校長、マギ・スプリングフィールドが自身の孫をそんな危険な場所に行かせるはずがない。ただでさえ、自身の子供が魔法世界で体験したことを考えると、ネギも、そしてとくに母の血を色濃く継ぐユギには危険すぎる。

 

 「貴様らなんぞにあの子たちは渡さん!!」

 

 そう言い、マギは自身の持つコネに協力を求めていく。アリアドネー、帝国、中にはメガロの善良な人間にも。全てはあの子たちを守るために。そう心に誓いながら。

 

 

 

 「大丈夫? ユギ」

 「大丈夫だよ、兄さん」

 

 二人はそんな大人たちの話を知らずに、病室で話をしている。冷え切り始めていた仲とはいえ、別に憎んでいたわけではない。そのために、ネギはユギを心配していつもこの病室にいるのだ。ユギはいまだに検査結果が出ないために病室から出れない。検査結果が出ないことを心配して、ネギもこの頃は不安になり始めている。

 そんな中ユギは今までの生活と違い、本を読むことはなくなった。しかし、どこか物思いにふけることが多くなった。たとえ、ネギが近くにいてもほかの誰かが近くにいても関係なく、何かを考え続けている。

 

 「ユギ? ユギってば!!」

 「なんだい、兄さん?」

 「また、何か考えていたでしょ。途中から返事を返さなくなっていたよ」

 「ごめん、兄さん」

 

 目が覚めてから十日も立つと、ネギも暇になってきたのか絵本を持ってきて読んだり、外で見たことをユギに報告することが日課になっていた。そんな日々だったが、唐突にユギの退院許可が出た。いまだに検査結果が出ていないというのに。

 

 「やった!! ユギ、ユギ!! 今はね、外がきれいな花でいっぱいなんだよ! 明日はそこに行こう!!」

 

 ユギよりもネギが喜び、外へ行こうと誘うほどにネギは喜んでいた。ユギ自身もいまだ悩んでいることはあれど、退屈な入院生活よりは外に出ることの方が考えもまとまるかと思い、ネギの誘いに乗ることにした。

 そんな二人を見ている一つの亀裂があったことを知らずに。

 

 「貴方のことを知られるとまずいから、検査結果はねつ造して担当者に見せた後、消去しておいたわ。早く決めなさい。このまま泡沫となるか、それとも確固とした幻想となるかを」

 

 

 

 「ユギ! 早く早く!!」

 「焦ったって何も変わわないよ兄さん。落ち着いて」

 「う、うん。分かったよ。けど、ユギも早く来なよ!」

 

 あれから一年がたち、ネギとユギは魔法学校に入学する時期になり、こうして入学式の会場に急いでいる。

 そんな二人を微笑ましく見ているのはネカネとマギだ。

 

 「あれなら二人は無事じゃろう」

 「そうですね、きっと。私の勘は今回は外れたみたいです」

 

 以前から話していたユギの様子だが、いまだどこか希薄な存在感だが、ネカネの感じた何かは綺麗になくなっていた。そのために今はネカネも安心して二人を見ることができるのだ。

 

 「おっと、すまんの。わしも挨拶があるのでな。そろそろわしも向わねば」

 「はい。では、私も寮長として新入生の歓迎の準備をしますね」

 

 二人は気づかなかった。いや、気づけるはずがなかった。ユギの存在感が前よりもなくなっていることに。そして、ユギが二人を観察し続けていたことに。

 

 「何とかごまかせているか」

 「どうしたの? ユギ」

 「なんでもないよ。兄さん」

 

 そう言われて、いぶかしみながらもネギは先に行く。そんな様子を見ながらユギは、掌を空に掲げる。向う側が透けて太陽が見える掌を(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その掌を隠しながら、ユギはネギを追いかける。残された時間が少ないと知りながらも。




ゆかりん登場。前作では存在だけをにおわせるつもりでしたが今作はバンバン出てもらいます。原作前までは。

東方簡易キャラ紹介
名前 八雲紫
種族 一人一種の妖怪。スキマ妖怪。
能力 境界を操る程度の能力
説明 幻想郷を作った創設者の一人。理論的な創造と破壊を行えるため、神に近い妖怪と言われている。神出鬼没であり、どこにでもあらわれる。また、一人一種の妖怪とは言葉通り一人以外に同じ種族が確認されていない種の事。


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生まれ降りた妖怪

前作とかなり変わりました。主人公が妖怪と変わる過程です。


 ネギとユギが入学したことで、この魔法学校でも大騒ぎになった。当り前の事だが、英雄の子が二人も一斉に入学したのだ。騒ぎになることは当然。

 ネギはその膨大な魔力と適性があった魔法使いの基本となる魔法学(簡単に言うと魔法の射手など、一般的な魔法を習う科目だ)に並々ならぬ成績を残していた。

 逆にユギは、魔力がないために魔法学はとらず、魔法薬学や魔法歴などの授業を習っていた。この分野でユギは、学園史上もっとも成績が高い。スタンが推測したとおり、ユギの知能指数は異常なほど高いため、覚えることと決まった動作をするだけなら簡単にこなしてしまう。

 そんなネギとユギだが、学園内では孤立し始めていた。

 ネギは勉強に一身に打ち込んでいたために友達ができず、ユギは魔力がないということでバカにされ友達ができなかった。

 このことはネカネとマギもなんとかしたいのだが。子供の友好関係に大人が口をはさむわけにはいかず、どうにもできないのだ。

 そしてなにより、心配なのはユギだ。

 ユギは、二か月も立つと体調を崩し休むことが多くなっていた。授業中も突然倒れたり、休日はほとんど一日中寝ている。そんな様子に保護者である二人は、慌ててユギの体を調べたが何も異常が分からなかった。

 ネギもそんな様子を心配して、話しかけるが相手にされないことも多くなっていた。

 

 

 「ユギ。本当に大丈夫なの? 顔色が悪いし、目の下にはクマができているよ」

 「大丈夫。大丈夫だから。少し一人にしてくれない?」

 

 人通りの絶えた廊下でネギとユギは話をしていた。ネギはユギがこの頃体調を崩しがちなのと様子がおかしいために、心配して話をしかけているのだ。

 

 「でも、ユギ」

 「うるさい!! 少し静かにしてくれ!!」

 「っ!」

 「……ごめん、兄さん。けど、一人にさせてくれ」

 

 そう言い、ユギはネギを置いたまま自室へこもり、しっかりと誰も入れないように鍵を施錠する。

 扉を背に荒い息を整える。

 

 「っぐ!」

 

 思わず声が漏れたが我慢して部屋の奥にあるベッドに倒れこむ。 

 そのベッドの周りを見れば、そこは異界としか言いようがなかった。

 本来の部屋は寮らしく清潔感あふれる部屋なのだが、今この部屋はいたるところに空間の亀裂が走り、広がり、多くの眼がユギを見つめ続けている。それもすべてはユギが自身の力である能力を制御できなくなっているからだ。

 

 「僕ももうそろそろ限界なんだろうな」

 

 こんな状態になってしまったころから、だんだんと人らしさを失い始めてきた。ネギが授業で失敗し、けがをしたと聞いたときも心が動かなく、何の感慨も浮かばなくなってきていた。

 そんなユギには、人らしさを失い始めてから聞こえる声がある。本能が理性にささやき続けるのだ。それを行わねばならないと。しかし、ユギはその甘い言葉に従おうとしなかった。甘い言葉が脳裏に響くたびに、

 

 「ぐぅ、ぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 手負いの獣のようにユギは吠える。いや、まさしく手負いの獣だ。

 何かをこらえるように、ユギは自身の腕から血が出るほど(・・・・・・・・・・・・)強くかみついていた(・・・・・・・・・)

 それも、少量の血ではない。大量の血を流し続けている。歯が皮膚を切り裂き、骨を砕き、肉に食い込み、痛みを持って本能の訴えをごまかす。しかし、そうすると必ず声が聞こえる。ユギを幻想へと導こうとする声が。

 

 ―無駄よ。貴方がどれだけ我慢しても、それ(・・)は必ずしなければならないことよ。それ(・・)を行うことは負けじゃない。貴方の存在にとって正しい事よ。

 

 そんな声が脳裏に響くのだ。しかし、ユギはそれ(・・)を認めるわけにはいかないのだ。それ(・・)を認めてしまえば、本当の意味で人間ではなくなってしまうとわかっているからだ。

 それが最初の頃のユギの反応だった。しかし今では、

 

 「黙れ、僕に話しかけるな! もう、僕を惑わせないでくれ!!」

 ―たとえ、どれだけ強い意志があってもこの世の理からは逃げられない。そう、食事をしなくては誰も生きられないように。貴方はどれだけ耐えようとしても、必ず、それ(・・)をする。してしまう

 

 それだけ言うと声はなくなる。しかし、ユギの疲労はたまり続けている。そのせいもあるのだろう。本能の訴えがだんだんと強くなってきている。心はボロボロとなり、ぽつりとベッドの上で

 

 「誰か……助けて」

 

 気も狂わんばかりの訴えに、本能にさらわれてしまいそうな理性にしがみつき、今まで耐えてきたユギだが、もう限界は近い。

 運命の針は止まってくれない。永遠に同じ速度で回り続けてすべてを狂わす。英雄の人生が狂ったように。その息子の運命が針によって狂わされる。

 

 

 

 「ユギ、アンタそんな顔をして大丈夫なの?」

 「大丈夫だよ。アーニャ」

 

 嘘だ。今では常に気を貼っておかねば空間に亀裂が走りかけるし、意識を失うことも多々ある。噛みついてできた傷はすぐに癒えるが、精神はもう限界だ。あと少しでも水が入れば決壊するダムのような状態であり、もはやまともな思考すらできていない。

 え。■え。喰え! ■を食え!! 

 今もなお、アーニャと話しながらもユギの中では叫び声が響き続ける。あれから部屋を出たユギだが、数日前に会った時と比べて、あまりにも変わっていた姿にアーニャが心配して駆け寄ったのだ。

 しかし、今アーニャを近くに来させるわけにはいかないのだ。今近くに人間がいるとまずいのだ。

 

 「大丈夫だから。ちょっとそこを通らせて」

 

 ユギの言葉に心配になりながらもアーニャは道を譲る。その道を辛そうに歩くユギの後ろ姿を見送りながら、心の奥底で暗雲が広がり続けていた。しかし、どうすればいいかわからないアーニャは、そのことを信頼できる大人に話すしかなかった。もはや遅すぎたことを知らずに。

 

 

 

 「おい待てよ!!」

 

 学園の中でも人目につかない裏道にユギはいた。自身でも気づかずにここまで歩いていたのだが、そのユギの姿を見たひとりの子供がユギの肩をつかんだ。ユギよりも大きいその子はすでに十歳で、体もユギと比べれば比べ物にならないほど大きく、力も魔法の腕も強い。

 この子供はバーグス・ユビルといい、弱いもの見つけては陰でこそこそといじめるといったことを繰り返している、性根の悪い人間だった。

 もともと魔力のないユギもターゲットにして何度もいじめていたが、今日はたまたま見かけたのと、ユギが人目につかない裏道に入ったのを見て、いじめようとして追いかけてきたのだ。

 その声に幽鬼のように振り返るユギだったが、その様子を気にも留めずに、振り向いたユギの腹に拳を叩き込む。

 これがバーグスのやり方だった。暴力で恐怖を覚えこませて、ほかの人間に知らせないようにしていた。さらに大人にばれないように、腹や背など分かりづらいところを狙って暴行を加えていた。

 

 「無視するなんていい度胸だな!」

 

 ユギは無視していたわけではない。余裕がない中聞こえてきた声に、振り向いただけだ。それを無視したと言われ、いきなり殴られ、息をつまらせる。弱り切ったユギの体にはこの程度でも危険なのだ。

 ただでさえ弱り切っていた体と精神に、過負荷を与えられてユギの意識は限界を迎え、朦朧としてくる。

 

 ―喰らえ、喰らえ

 「何故?」

 ―それが幻想。お前という妖怪がするべき事。人に恐怖されてこそ、お前は生きることができる

 「いやだ」

 ―何故だ? 人はお前を傷つけるのにか? 今お前の目の前の人間を見ろ。お前という存在を傷付けているではないか。お前にとってそれは価値があるのか?

 「価値」

 

 甘い言葉。どうしようもなくその言葉にひきつけられていく。まるで誘蛾灯に集まる蛾のように。

 

 ―お前は勘違いをしている。お前はすでに人ではない。人の掟に縛られる必要もない。

 「そう……なの?」

 

 もはや心も限界を迎えた。もう戻ることはできない。かつてのように人としては戻れない。

 

 ―お前にとってそれは価値のない人間なのだ。なら、糧にしてやれ。それが自然の理。お前は捕食者なのだ。人を食う妖怪という捕食者なのだ

 「妖……怪」

 ―人の恐怖が幻想を確固とした存在にする。お前は生まれて間もない。今、恐怖を得なければ、消えるほどに。強く確固とした幻想になったお前なら人を食う必要もない。しかし、今のお前は人を食う必要があるのだ。これから先に生きて守るべきものを守るなら、それを喰らって生きろ

 

 

 「喰らう」

 

 「あ? 何言ってんだ?」

 

 その瞬間倒れこんでいたユギの体が起き上がり、ユギに蹴りを叩き込んでいたバーグスは驚く。

 

 「てっめ、何もせずサンドバッグにでもなっていろ」

 

 そう言って拳を振り上げた瞬間、景色が変わった。

 

 「え? な、なんだよここ……」

 

 黒くどこまでも広がる闇の中、数多の目玉がぎょろぎょろと動き、そして自分を見つめる姿におびえたバーグスは、後ろにたたずんでいたユギに気付かなかった。

 

 「ここは()の空間だよ」

 「!?」

 

 慌てて後ろを振り向くと、今まで前にいたはずのユギがいてバーグスは驚愕した。しかし、

 

 「て、てめえの仕業か! さっさと元に戻しやがれ! じゃないと」

 

 今までのように力で脅してこの空間から出ようとした。

 

 「じゃないと? じゃないと何をするんだ? 圧倒的な弱者であるお前に」

 

 だが、ユギはそれを拒絶した。今までいじめてきたユギに上から見下され、バーグスは怒り狂う。その怒りとこんな訳の分からない空間に閉じ込められた不安が、バーグスを過激な行動に駆り立てる。

 

 「アンディ・ドューディ・アンディティ 魔法の射手連弾・火の3矢!」

 

 魔法によって生み出され、飛来する炎の矢をユギは一閃、ただ手を横に動かすだけで消す。いや、消したのではく、スキマから外に出して無効化する。

 

 「な!?」

 

 驚いている隙を、ユギは見逃さず首に手をかける。ギリギリと首を絞められ、初めて感じる恐怖にバーグスの顔がゆがむ。

 

 「かっ、が、ゆ、ゆるじで」

 「許す? 何か勘違いしているようだけど、私は別にお前に対して怒りを覚えているわけではない」

 

 その言葉に解放してくれるのかとバーグスは感じたが、次の言葉で恐怖がさらに襲う。

 

 「ただ、お前を食うだけだよ」

 「ひぃ!」

 

 ああ、恐怖が集まる。力が湧いてくる。失い続け弱り果てた力が。首を絞めている手も力加減に失敗すると、すぐにこれの首を折ってしまうほど力が湧く。

 楽しいとも思わない。しかし、一つの幻想がこの世界に根付いたというのはうれしい。

 

 「ああ、お礼をしないと。この感覚に気付かせてくれた」

 「お、おれ、い?」

 「ええ。ゆっくりと喰らってあげる」

 

 何かを咀嚼する音が絶え間なく空間に広がっていく。そしてその音がなくなると同時に、暗い空間のどこからユギが現れた。

 

 「いるのは分かっているよ。出てきたらどう?」

 「ふふ、言った通りでしょう? 貴方はそれに従うと。食べるという原始の本能に逆らえるものはいないわ」

 

 その声が空間に響き終わると同時に黒い空間に亀裂が走り、亀裂の両端にリボンがまかれたスキマ(・・・)が現れる。そこから出てきたのは頭に特徴的な帽子をかぶり、西洋のドレスに道教(タオ)に使われるような太陰陰極図がかかれた、紫色の前掛けをたらした美しい女性だった。

 

 「こうして会うのは初めてね。私のことは知っているでしょうけど、今一度挨拶するわ。幻想郷の妖怪の賢者、スキマ妖怪八雲紫よ」

 「そう、私はユギ・スプ……」

 「あら、どうしたの?」

 「この名前は使えない。この名前はすでに死んでいる。ユギ・スプリングフィールドが、人でなくなった瞬間からこの名前は死んだ。だから今の私は名前がない」

 「そう。それは不便ね。……じゃあ、私がつけてあげましょう」

 「なんで? なんで貴方が私の名前を付ける?」

 「別にいいでしょう。そうね、私と同じスキマ妖怪だから八雲。名前はすべてが重なり合うことでできる黒かしら。貴方が気に入らなければあなたがつけてもいいわよ」

 「黒。八雲黒。うん、気に入った。私の名前は八雲黒だ。

 自己紹介を続けさせてもらうけど私は八雲黒だよ。種族はスキマ妖怪」

 

 これで二人は本当の意味でであい、一人は自身の目標を見つける。これから先にはユギ・スプリングフィールドという人間は出ない。ここから先には八雲黒という妖怪がいるだけなのだから。




どうでしょうか? これが作者の限界です。これからも東方魔法録をよろしくお願いします。


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賢者が見た一匹

今回話しがいつもより短いです。
紫視点で物語が進みます。



 結界に囲まれた世界で、一人の妖怪が何かと話をしていた。

 

 「そうですか。なら」

 「ええ、あれは貴方にとって同一存在に近い魂でした。世界はいくつもありますが、死の世界はどの世界も同じ地獄です」

 「私とほとんど同じ魂の質であり、そんな存在が自身の力に気づかず力を暴走させてはまずいと地獄は考えていらっしゃる」

 「ええ、そうです。是非曲直庁もできれば貴方に対処してほしいと。

 最悪、生まれおちた魂を殺すことも十王は視野に入れてます」

 

 少々面倒だったが、自身とほとんど同じ魂ということに興味をひかれた紫は、

 

 「良いでしょう。私がその魂を見てみましょう」

 

 そう言い、彼女は結界の中からスキマを開き、言われた世界に移動する。

 

 「頼みましたよ、八雲紫」

 

 緑色のアシンメトリーの髪型に、特徴的な冠をかぶっている少女、四季映姫・ヤマザナドゥはそれだけ言い残して結界を解き、いるべき場所、彼岸へ帰っていく。

 

 

 

 「あれね」

 

 紫が映姫に教わった世界にスキマを開いて向かうと、倒れ伏した子供とその子供を抱える赤毛の男性がいた。

 

 「くそ!!  なんで回復魔法が効かないんだ!!」

 

 男の魔力は絶大だ。それこそ、紫が知っている中でもなかなかと言わしめることもできるほどだ。

 しかし、魔力ではどうしようもできない存在もいる。今目の前で倒れ伏している男の子のように。

 妖怪へと変わってしまったその子供は魔法では癒えない。正しく言うと、人間の肉体をいやすのに適した形である魔法では、精神に依存する妖怪の怪我を治療するだけの方式が存在しない。

 

 「無駄ですわ」

 「!!?」

 

 今まで必死に魔力を使い、分かりづらいが体の中身がぐちゃぐちゃになっている男の子を治療していた男はすぐさま起き上がり、紫を警戒する。

 

 「ふふ、そこまで警戒する必要はないわ。その子を助けたいのでしょう?」

 「ほ、本当か!? この子を救えるのか! 頼む!!」

 

 藁にもすがる気持ちで、怪しいと思った相手に頭を下げてまでお願いする男に、紫は残酷な現実を教える。

 

 「けれども、それでいいのかしら? 人間である貴方が妖怪を助けて(・・・・・・・・・・・・・・)

 「妖怪……だと? どういう意味だ!」

 「言葉通りよ。その子は境界を変えた。人間という境界をスキマ妖怪という境界へとね。妖怪であり、幻想の身には肉体を回復する程度の魔法はほとんど意味がないわ。幻想にとって一番重要なのは精神。肉体が滅びても精神が無事ならよみがえることすら可能な妖怪もいるわ。貴方が使っている魔法は肉体は癒えても精神が癒えないわ」

 「それが……この子だと? そして俺ではこの子を救えないと?」

 「ええ。そうね、なり立ての妖怪。それがこの子よ。そして、貴方では幻想に一切の手出しはできない。弱い妖怪ならまだしも、大妖怪級の潜在能力を持ったこの子には、貴方の力でも力不足よ。せめて、パチュリークラスの魔法が使えるようになりなさい」

 

 男は紫の言葉に悩んだが、それでもすぐに答えた。

 

 「妖怪だろうが関係ねえ。この子は俺の子だ。子供を助けようとしない親がいるか」

 「そう。なら、救ってあげましょうか?」

 「頼む! 俺に出来ることなら何でもする。だから」

 

 そのまま紫は妖力で妖術を発動して治療する。肉体にではなく、精神に直接作用する妖術を。今までは男がいくら力を振り絞っても怪我が癒えなかったが、紫が治療した瞬間からみるみる内に回復していった。

 

 「ハイ。これで終わり。早くその子を安全なところに運んであげなさい」

 「すまねえ。だけど、俺にはこの子を運ぶ時間がない。すまないがこの子を頼めるか? アンタなら信用できる。この子を救ってくれたアンタなら」

 

 炎が視界にちらつく中、紫はふと思い出す。昔はこういった眼をした人間がいて、こういった人間こそが妖怪と友情を持つことができたということを。

 

 「見守る程度でいいならその頼みを受けてもいいわ」

 「すまねえ」

 

 そのまま、男は立ち去り紫は子供にマーキングして幻想郷へ姿を消す。

 

 

 

 「なるほど。確かにこれは私と同一存在ということを証明するのにふさわしいわね」

 

 紫の目の前には黒い空間が広がり、その中で多くの目が紫を見ている。

 そんな中を紫は散歩するように空間を歩き回る。

 

 「これがこの子のスキマね。私とはほんの少し違うようだけどなぜかしら?」

 

 紫の能力は『境界を操る程度の能力』だ。しかしこの子供、ユギが持つ能力は『境界を変える程度の能力』。非常に似ているが決定的に違う能力だ。

 

 「今はまだわからないわね。本人は能力のことを知っているようだけど無理して調べる必要もないかしら?」

 

 紫は黒い空間の中で目の前に立っている眠り続けているユギを見つめ続けて、その能力の異常さに気づいてしまった。

 

 「そんな……馬鹿な!! いくらなんでもあり得ない! こんな能力、魂が耐えられないはずよ!!」

 

 紫が気付いたのは一つ。自身の能力と比較して推測してきたことだが、その能力の使用範囲だ。なぜ、自身と違う境界に関する能力を持ったかは分からないが、その能力の範囲は理解することができた。だからこそ紫はそれを信じることができない。

 

 「他者の能力を使える? いくら私でもそんな事は出来やしない。魂に由来する能力を、いくら境界を操るといっても操ることはできないわ。私に効かないようにしたりするならまだしも、自身の力に利用するなんてありえない」

 

 境界を操る妖怪といえど、ほかの妖怪の能力の境界を操ることなど出来はしない。それは他者の魂を操ることと同義だからだ。いくらユギの能力は強大でも、さすがにそこまではいかない。しかし、他者の能力という境界をコピーして自身の能力の境界に真似させることで、ユギは他者の能力をまねれる。同じように身体能力すら真似することができるのだ。これは紫ですらできないことだ。

 

 「これが十王が殺すべきと考えた理由? 可能性は十分すぎる」

 

 常に余裕を崩さない紫ですら驚いたほどだ。十王が危機と認識するのも当然。ユギの魂が生まれる前までは能力についてそこまで詳しくは分からなかったが、それでもこの魂が持つ力は強すぎるということだけは分かり、似た力を持つ紫に判断させるためにわざわざ映姫を遣わせたのだ。

 映姫も知らない事だったが、十王はユギの能力をある程度認識していたがために、紫を誘導させてユギを見せたのだ。

 ユギを殺させるために。死後の世界の十王が、現世に干渉するわけにはいかない。そのために紫を利用した。

 

 「そう。だから地獄はこんなことを」

 

 紫は目をつぶっているユギの首に手を伸ばす。そのまま首に手をかけて力を込めて……、

 

 「やめたわ。わざわざ十王の考えに踊らされるのは癪に障るわ」

 

 そのまま手を離し、十王に目に物を見せてやると思いながらユギが目覚めるのを紫は待つ。

 

 

 

 「ふふふ。懐かしいものね。昔は私もまた、幻想の身になることを拒絶したもの。けれどもそれを拒絶する事は、絶対に出来ないものでもあるわ。幻想として存在したのなら、もう今までのように生活することは無理よ」

 

 ぽつりと自身が作り出したスキマの中で紫は昔を思い出しながらつぶやく。

 

 「それにしてもあの子は、自身が持っている力についてまだきちんと認識できてないのね」

 

 自身の力におびえて、あれから一度もユギはユギ自身の意志で境界を変えていない。しかし、体は確実に幻想へと変わった。

 そのためふとした拍子で力を使ってしまっている。能力だけではなく異常なまでの身体能力を。紫と同じスキマ妖怪だからか、その強固な肉体が武器である鬼と比べればそれほど高くはないが。幸い周りには気づかれていないよう上手く立ち回っているが、妖怪から見れば自身と同じ存在であることがすぐにわかってしまう。

 

 「それにしても、こうしてあの子の周りの動きを見てみたけど少しまずいわね。身体調査なんて最悪よ。幻想であるあの子にはまともな検査結果が残るわけがないわ。……竹林の薬師に頼んで偽造したデータを用意してもらうしかないわね」 

 

 今しなければならないことをするために、紫はスキマを開く。幻想郷へ通じるスキマを。

 

 

 

 何度も紫はユギに対して話しかけた。自身の力を認めず何度も自身を拒絶するユギに。

 なぜそこまでしてユギを気にかけるのか。それは紫自身もわからない。同じスキマ妖怪だから? 同じ境遇だから? それともほかの理由があるのかもしれない。けれどもそれは意味のないこと。彼女はユギを見守り続けて誘いつづけた。そしてその結果。

 

 「どうやら食事を始めたようね」

 

 この黒い空間に響く咀嚼音。皮膚が切り裂かれる音。肉がえぐられる音。神経が切れる音。骨が砕かれる音。血がしたたり落ちる音。そして、

 

 「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! 痛い痛い痛いイタイタいたいイタイ痛い!! あああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 響き渡る悲鳴の音。自身の体が喰われる恐怖から発する悲鳴。

 恐怖。それこそが人の恐怖から生まれた妖怪という幻想の源。恐怖されることで消えかけていた幻想が世界に根付く。

 

 「いるのは分かっているよ。出てきたらどう?」

 

 紫はその言葉に素直にユギの前に体を出す。初めて会った二人だが、両者はお互いを理解しきっている。片方は同じ妖怪だから。もう片方は能力の恩恵で。

 

 

 

 「八雲黒。種族はスキマ妖怪だよ」

 

 紫はその時、違いなく心の奥底で歓喜していた。初めての同類。今まで自身と全く同じ種族はいなかった。それも人からスキマ妖怪へと変わった自身と全く(・・)同じ存在は。

 

 「それで、貴方はこれからどうするの?」

 「分からない。何をするかも、何をしなければならないかも」

 「なら、何でもいいから貴方の知らない事を探しなさい。そこからきっとあなたがするべき事が見つかるはずよ。求めよさらばあたえられんってね」

 

 ふざけたように言う紫だが、その目はどこまでも真剣に話していた。それが分かる黒だからこそ、その忠告には素直に従った。

 

 「わかったよ。私が知らないことを探してみる」

 「それがいいわ」

 

 それだけ紫は言い残して彼女のスキマを開き、そこに滑り込むように入り込む。

 一方黒は自身が幻想であると認めた時から、能力をある程度理解することができたのか、今では自由にスキマを開くことができる。そのために誰もいない場所を選び、スキマを開く。

 これがこれから先に、この世界で妖怪の賢者と呼ばれる二人目のスキマ妖怪の誕生だった。

 4




お願いします。感想を、感想をぜひください!!
良い点でも悪い点でも一言でもいいのでください。それが作者の活力になりますので。


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見つけた望み

黒の目的が話される会です。


 紫とスキマで対峙してからいくらかの日がたっていた。バーグスが突如消えたことにより騒動があったがそんなことに関係なく、あの日から黒は図書館にこもり、あることを探している。

 

 「見当たらない。父の文献はあっても母のことがどこにもない」

 

 黒が調べているのは自身の母。父のことは嫌となるほど知っている。しかし、母となると途端に何もわからなくなってしまう。誰かが意図的に隠しているとしか思えない。それほど資料が存在しないのだ。少ないではなく、存在しない。

 

 「何故? なぜここまで執拗に消されている? 理由があるはずだ」

 

 使っている机には大量の本がうずたかく積まれている。

 『立派な魔法使いたち』『二十世紀の著名な魔法使い』『魔法の偉人』『攻撃魔法の達人』『魔法の英雄』などの多くの本を読み漁り、一字一句隅々まで探した。それでもナギ・スプリングフィールドの妻に関することにはどの本も一切書かれていない。

 そしてもう一度本を読み返そうとした瞬間後ろの方から声が聞こえた。

 

 「ユギ。アンタに客よ」

 「アーニャか。それに私に客?」

 

 黒の近くの本棚からアーニャが顔を出して黒に客人がいることを告げる。

 

 「そうよ。タカミチさんっていう人で中庭に」

 「そう。分かった」

 

 そのまま黒は本を片づけて、アーニャに言われた中庭へと向かう。

 そこにいたのはたばこを吸っているスーツを着た大人の男だ。

 その男の方に黒は行き、話しかける。

 

 「初めまして。貴方がタカミチさんですか?」

 「うん。そうだよ。君がユギ君だね?」

 

 たばこを消しながらその男は黒に返答する。

 

 「何の用ですか?」

 「少し君達に用があってね。それに僕も用は別として君達に会うのを楽しみにしていたんだよ」

 「君達?」

 「ああ。ネギ君とはもう会ったけどね。話を戻すけど君のお父さんと一緒に過ごしたことがある身としては君たちと会いたくってここまで来たんだ」

 

 厳密に言うとそれだけではない。バーグスの行方が突然わからなくなりネギと黒が同じように突如消えないかと心配してタカミチは魔法学校まで来たのだ。

 

 「そうですか」

 

 だが、そんなことは黒には関係ない。それに、タカミチが言った言葉は黒にとってもっとも知りたいことの懸け橋となるかもしれないのだから。

 心臓が跳ねる。うまくいけば知りたかったことが分かるのだ。なぜここまで母の存在を隠すのか。その理由が。

 能力を使う。いまだに完全に使えるわけではない。しかし、今回使う能力ならそこまで難しいわけではない。だから少しづつ境界を変えていく。スキマ妖怪から心を見る妖怪へと。

 

 「ねえ、タカミチさん。私の父のことをよく知っているんですよね?」

 「ああ、もちろん。ほかの人よりは良く知っているよ」

 

 能力は不完全。だけれども心を見る程度には変えることができた。

 

 「ねえ、一つ質問していいですか?」

 「なんだい? 僕が知っていることなら何でも話すよ」

 

 タカミチにとってこの質問は予想済みだった。兄であるネギは父の活躍を詳しく聞いてきたため黒も同じように聞いてくるだろうと思ったのだ。しかし、黒はそんなことに興味はない。父親の活躍など腐るほど、知っているし、自分が見たのだから。

 

 「私の母は誰ですか?」

 「……え?」

 

 英雄にあこがれる子供の質問だと考えていたタカミチはだからこそ、その言葉を一瞬理解できなかった。

 

 「母親ですよ。私の」

 「そ、それは。す、すまないけど、僕は知らない」

 「そうですか。では、もうあなたに用はありません」

 

 それだけ言い残すと黒はタカミチに背を向けて後者の方へと進む。その背中を見ながらもタカミチは何も言えなかった。本当はすべてを知っていたというのに。

 

 

 

 「ああ、私の母は魔法使いたちによって裏切られたのか」

 

 黒は一人で自室にいる。

 タカミチから覗き見たのは母の姿と名前。それとタカミチが母に対して持っている記憶の一部。

 黒はもはや人ではない。けれども、ユギ・スプリングフィールドの残滓が今見たことから一つのことを彼に突き付ける。

 

 「私がすることは見つかった。元老院の所為で酷い目にあっている私の母の民を救う。それに、私自身の願いもかなえてみせる」

 

 その瞳には覚悟が焼き付いていた。けして、あきらめず絶対に実現させるという覚悟が。

 

 「ああ、そのためには情報を集めなければならない。だが、その前にしなければならないことがある」

 

 そのまま黒は今までにないほどに能力の制御に集中する。違う世界に境界を開くために。脂汗を流し、点滅する視界に何かがちぎれる音が黒の体でしているがそれすらも強固な意志の力でねじ伏せて境界を開き続ける。そこまでやって本当に少しだけ、指が入らない程度だが確かにスキマは開いた。

 

 「驚いたわね。まだ貴方の能力では世界の境界までは変えられないと思っていたのだけど」

 

 紫の声に黒は反応して後ろを振り向く。そこには空間に走る亀裂に座った紫がいた。

 

 「何の用かしら? 用もなく貴方が無茶をしてまで世界を越えようとするとは思えないけど」

 「用ならあります。貴方にしか頼めないことです」

 「あら? そんなことを言ってくれるなんて嬉しいわ。それで?」

 

 顔は笑っていてもその瞳は笑っていない。これがもしくだらない事なら紫は黒をこれで見限るだろう。

 

 「私があなたに臨むのは“力”です」

 「力?」

 「ええ。私の望みを、しなければならない義務を達成するために。そのためには境界を操る貴方の助けが必要です。私の先の境界を見ている貴方レベルで無ければならないほどに強大な力が私には必要です。だからこそ、私は貴方に師となってもらいたい」

 

 静かに紫は黒の瞳を見続ける。

 

 「……いいでしょう。その覚悟もあるでしょうし、何より貴方がすることに興味がありますからね」

 

 口を開くと同時に紫が手を一閃する。それと同時に黒の真下に開いたスキマに黒は飲み込まれ落ちていく。

 

 「能力を全開にしなさい。でなければ死ぬだけよ」

 

 落ちていく黒を追いかけるように光の弾が十、百、千と増えて黒に襲いかかってくる。

 

 「っ! ぁあああああああああああ!!」

 

 降り注ぐ弾幕に対して能力でスキマを開き他の場所に転移させて無効化しようとするが、それすらも計算されて繰り放たれた弾幕は正確に黒を狙って襲いかかる。

 

 「どうしたのかしら? 今程度ならチルノですら対処できるわよ」

 「ま、だだ。まだ、私は何もしていない」

 

 被弾した際に発生した白煙が消え去ると同時にボロボロになった黒が現れる。腕はあらぬ方向に曲がり、額は切ったのか出血で片目が覆い隠されている。

 

 「そう。では次ね」

 

 またもや繰り出される弾幕。黒の周囲を囲み一度は止まる。それを不審がる黒だが次の瞬間に凄まじい速度で弾幕が殺到する。

 

 「ああ!!」

 

 見様見真似だが黒もまた妖力弾を作り出し放つ。だが、それは紫の弾幕に触れた瞬間かき消される。

 

 「弾の密度が薄すぎる。そんな弾幕では意味がないわ」

 

 直撃する弾幕の威力に黒は吹き飛ばされてスキマの中を何度も跳ねて転がっていく。

 

 「早くたたないと死ぬだけよ」

 

 さらにいくつも殺到する弾幕。それを痛む体を無視して移動しようとしてそこかしこに走る青と赤の光線にとらわれて、焼き尽くされる。

 

 『結界 光と闇の境目』

 

 光線に焼かれている最中にも先ほどとは比べ物にならないほどの大きさの弾幕が黒を襲う。

 

 「その程度で力が欲しいなんて甘えるな」

 

 今もなお弾幕の嵐で傷つき続けている黒に対して紫は嘲笑う。

 

 「高々生まれてから一年もたたない餓鬼が。幻想が何かも知らないお前が何を欲する?」

 

 今までの親切な様子から一転して深い怒りを黒に対して紫は向ける。

 空間が、スキマが悲鳴を上げていく。大妖怪の放つ妖力が世界に影響を与えているのだ。

 

 「不愉快だ。お前のような妖怪などどこにでもいる。力がないのに力を欲するな」

 「なにが、悪い! 叶えるための力を求めて!!」

 「すべてよ。力がないのなら力を求めるな。力が手に入るまで逃げ隠れて生きていろ」

 

 冷酷な瞳で黒を見つめている紫の瞳には一切の感情がなかった(・・・・・・・・・・)。黒はその瞳を見て、初めて恐怖を感じた。あの悪魔の恐怖を簡単に塗りつぶしてしまうほどの恐怖を。

 

 「う、ぁ」

 「その程度の覚悟ならさっさと去ね」

 

 『紫奥義 弾幕結界』

 

 いくつもの三角形状の弾幕が黒の周りを囲み、逃げ場をなくす。そして……

 

 「うああああああああああああああああ!!」

 

 黒を殺すために襲いかかる(・・・・・・・・・・)

 着弾した弾幕によって赤い霧(・・・)が出て、すぐに消え去る。

 

 「この程度ならあの時殺しておけばよかったわね」

 

 背中を見せてスキマを開いた紫はそれだけ言い残して開いた空間に足を進める。

 

 「っ!!」

 

 その背中を黒い弾幕が襲う。間一髪避けた紫だがその周りを黒と白の弾幕が覆い囲む。

 

 『結界 白と黒の対極図』

 

 太陰対極図の図形をなぞり黒い弾幕と白い弾幕が並ぶ。さらにはそこから数多の弾幕が放射されていく。

 

 「私の覚悟は貴方にとって幼稚でどうしようもないほど滑稽なのかもしれません。それは認めましょう。貴方にとって価値はないのかもしれません。それも認めます。しかし、貴方とて私の望みと義務を否定させません」

 

 静かに荒い息を整えながら黒はその姿を見せる。

 片腕を失いそこからどす黒い血を流しながらもその瞳は燃え盛る地獄の業火のように決意を燃やし続ける黒がそこにいた。

 

 「……あれをどうやって避けたのかしら?」

 「自分で腕をちぎって弾幕にぶつけて道を作っただけです」

 「なるほど。普通は貫通するけど貴方の腕の潜在妖力で弾幕が耐久限界を向けて腕を破壊するだけにとどまったのね。消失した弾幕の間を通り避けたということだけど、どうやって私の索敵から隠れたのかしら」

 「それはこれです」

 

 そう言って指差したのは瞳。黒の本来の瞳の色は黒なのだが、その色は赤く染まっていた。

 

 「狂気の瞳。波長を操る瞳で私の腕がはじけ飛んでできた赤い霧の中から貴方に干渉して私を見つけられなくしただけです」

 「簡単に言ってくれるわね。殺そうとした相手にその程度のことで隠れ切れるとでも?」

 「貴方だって本当に私を殺すつもりはなかったでしょう? もし本当に私を殺すつもりなら私の腕程度の犠牲で私は生き残れるはずがないですからね。自身の境界を操り、感情を固定させ何も感じなくして、まるで機械のように動き、一定のリミッターをつけて闘っていましたしね。それに私に恐怖を与えて私の精神の強度を確かめるためでもあるのでしょう?」

 

 そこまで言うと言葉を区切り、息を吸う。

 

 「それに貴方は私に手加減をし続けていましたからね。私の能力で発動できる能力は今のところ三割がいいところ。貴方ならその程度の幻想なら境界をいじって無効化できるはず。それをしなかったのは私を試していたから。私という存在が望みを義務を果たせるだけの力を本当にもっているかを調べるために」

 「ええ、ほとんど正解よ」

 

 くすりと今までと違い感情を顔に出しながら紫は薄く笑みを浮かべる。

 

 「厳密に言うと今のあなたの力もはかっていたのだけどね。そうね、大妖怪にはかなわなくても中級妖怪程度なら何とかなるかもしれないわね。いいわ。そこまでの覚悟に強さをこの私に見せつけることができたのならば今から鍛えれば十分貴方の望みと義務とやらを叶えて、果たせるでしょう」

 「なら」

 「ええ。八雲黒は八雲紫の唯一の愛弟子ということかしら」

 

 わずかな安堵を黒はその顔に浮かべる。願いと義務を果たすのには力が必要だ。情報も必要だ。このスキマ妖怪にはその二つがある。この師のもとで力をつけて、この策士から情報収集の方法を奪い取る。それが黒が今回紫と接触した理由だ。

 

 「ふふふ。ならば、私も準備しなければならない物があるわ。今日はここまでにしとくわ」

 「そうですか。では」

 「ええ。また明日にでも会いましょう」

 

 そう言って二人は別れる。一人は幻想郷へ。もう一人は魔法学校へ。

 

 「なんてざまだ。私は強くなくてはならないというのに」

 

 黒は寮の自室で妖力を使い、再生能力を高めて腕を再生させている。腕がなくなったが妖怪にとってこれくらいなら何の心配もない。すぐに生えてくる。

 そんな中、黒はぽつりと呟く。

 

 「誰にも邪魔させない。元老院だろうとも、立派な魔法使いでも。たとえ、血肉を分けた兄弟だとしても」




妖怪であるなら腕の一本くらいはそこまでひどいけがじゃないはず。……きっと。


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修行と違和感それと影

ようやく完成しましたので投稿します。


 黒が紫に弟子入りしてから、幾らかの日が経った。最初は妖力の最大容量を上げるために妖力を限界まで使うことで容量を底上げし続け、そのお蔭で今の黒の保有妖力は紫に弟子入りする前と比べて五割くらい増えている。

 今黒は紫が作り出したスキマにいる。時折黒の自室からスキマが開かれるのだ。そこで今の修行の経過を報告、修行をつけてもらっている。

 

 「かなり早い成長ね。とはいえ、これからも妖力は随時上がっていくでしょう。次は能力の制御ね」

 

 黒は紫が出してきた課題全てを今までこなしてきた。しかし、

 

 「けれども、これは今までの妖力の底上げ何かよりもはるかに難易度が高いわ。元々能力なんて一年二年で理解して使いこなせるものじゃないのを使えるレベルまで持ってくるのだから」

 「覚悟の上です」

 「フフフ、ならその覚悟を見せてもらいましょう」

 

 扇子で口元を隠して妖艶に笑う紫の姿は多くの知性ある生物には胡散臭いと思わせる何かがあるが同じスキマ妖怪である黒はその本意をすぐに理解する。

 

 「別に貴方を楽しませるためにしているわけではありませんよ」

 「ええ、そうね。けれど面白いもの。妖怪でありながらまるで人間みたいに生き急ぎ、自身を鍛える。これは人間が持つ特権よ? 妖怪は決してそんなことをしないもの」

 

 妖怪は長い生を過ごす。生きれば生きる程力は上がり、強くなる。だからこそ妖怪は基本的に修行なんてしない。今勝てないなら時を経て強くなってから勝てばいい。長い時間があるからこそできる事だ。

 

 「私にはあまり時間が無いので」

 「そう。何故時間が無いのかは聞かないでおくわ。それで能力の制御の話よ」

 「はい」

 「まず一つ。能力には個々の特徴が出たものとその種族固有の能力があるわ。

 前者は多くの妖怪や人間がもつものよ。例えば『怪力乱神を持つ程度の能力』や『密と疎を操る程度の能力』などよ。後者は前者より多く、その種が分かれば推測できるものばかりね。例えば『心を読む程度の能力』や『魔法を使う程度の能力』などね」

 

 前者はその能力を持った者の固有の力が凝縮した結果、生まれたもの。そのために能力は割とすぐに使いこなせる。後者も生まれた時から本能的に使いこなせるものだ。とはいえ、それでもやはり十年くらいは上手く使えないし、中にはどれだけ時間をかけても使いこなせないものもいる。

 

 「私たちの能力は非常に例外的なもの。前者と後者が混ざっているわ」

 

 元々スキマ妖怪は境界に関する能力を持っている。しかし、スキマ妖怪は人間から派生した種族でもある。そのために前者と後者が混ざり合った複雑怪奇な能力をしている。

 

 「そのためか非常に強力な力をしているけど、扱いづらさは他の能力の中で断トツのはずよ。私ですら能力を使いこなすのには百年近くかかったわ」

 

 大妖怪である紫ですらそれほどの時間が掛かるというのに黒はそれを許容しない。なぜなら彼にはするべき事があるから。その為には時間など掛けていられない。

 

 「それでも、能力を完全に制御するのに時間を掛けたくないのなら少しでも時間のロスを減らすべきね。幸い貴方には能力を使えば一時的に時間を操る事が出来るはずよ」

 

 識る程度の能力。その恩恵と境界を変える程度の能力を使えば一時的には黒がもたない能力も使用できる。

 

 「迷いの竹林にいる月の姫の能力を使いなさい。完全とはいかなくとも少なくとも一時間が一か月くらいにはなるでしょう」

 

 月の姫。その能力は『永遠と須臾を操る程度の能力』。その能力は時間の流れを司る能力だ。一秒を人では認識できない程の短い時間にすることも、逆に認識できないほどの長さにすることも可能な力だ。今の黒ではとてもではないがそこまで能力を変えることはできないが、ほんの僅かでも能力を変えられたのならそれだけで修行の時間を総合的に見れば修行自体は長く、実際の時間は短くすることができる。

 

 「貴方の能力では一割もいけば良い方かしら?」

 「そうですね。彼女の能力は今の私では扱えるようなものではない」

 「そう。ついでに言っておくわ。妖怪が生きていくうえで一番危険なことは自分の実力を測り間違える事よ。貴方には無縁かもしれないけど」

 

 黒の様子を見ながら紫は興味深そうに彼を見続ける。黒は自身の限界に近い情報を識り、それを利用して境界を変えていく。その負担は想像を絶するものであり、屈強な肉体を持つはずの黒の体ですら脂汗を大量に流して歯を噛みしめている。

 紫が手に持つ懐中時計はチクタクと動いていた時計の針がくるくると凄まじい勢いで回りだしていく。なのに、部屋にかけられている時計は一向に動く気配がない。

 

 「ご苦労様」

 「これで、準備は、終わりましたよ」

 

 息も絶え絶えに黒は紫の言葉に返す。実際今の黒には一切の余裕がない。能力の制御に無茶な使用の仕方。それらが相まって負担となっている。もし、これで黒が妖怪でなかったらすでに疲労や負担が原因で死んでいてもおかしくはない。

 

 「さて、今回の修行は能力の制御よ。妖力はもう自然と増えるのを待つしかないでしょうしね」

 

 紫が答えると同時に幾つものスキマが開く。

 

 「今日はこれらのスキマに干渉して全部同時に消しなさい」

 

 スキマは合計十個。一つずつなら黒でも時間はかかるが消せる。しかし、今回求められるのはすべて同時に消すことだ。

 この修行で鍛えるのは主に二つ。

 一つ目は能力の制御。紫の境界を変えるには精密な制御をして干渉するしかない。それだけ能力の精密さを上げるためだ。

 二つ目は能力の数だ。同時に多数の能力を行使できなければ意味が無い。その為にこうして数多くの能力を使わせる。

 

 ポタリ、ポタリと黒の額から汗が流れ落ちている。

 あれから、かなりの時間が経った。それでも、今の黒ではようやく二つのスキマを消すことが可能になった程度だ。

 

 (この子は化け物ね。才能は霊夢には届かないけどそれに近いレベル。しかも、魔理沙レベルで努力をする事が出来る。体は妖怪であるから、時間が経てば自然と強くなる。それら複合的にを考えればおそらくこの世界では(・・・・・・)五百年もたてばこの子の敵はいなくなる)

 

 

 

 「ねぇ、ネギ」

 「何、アーニャ?」

 

 ネギとアーニャは今図書館にいる。ネギは調べものを。アーニャはそれを手伝うためにだ。

 

 「あのね、この頃ユギの様子がおかしいとは思わない?」

 「え? そう?」

 「考えてみなさい。ユギは確かに部屋の中で本を読んだりすることが好きだったけど、幾ら何でもこの頃は部屋の中にいすぎよ。休みはもちろん、授業が終わったらすぐに自室へ駆け込んで明日の授業まで一切顔を出さないのよ?」

 

 アーニャはこの頃の黒の様子から拭いきれない違和感を持つようになっていた。黒がまだユギだった頃を少なからず知っている為か、この頃の様子からどうしても違和感を感じている。

 

 「そんな事ないよ。昔からユギはああだったよ? 以前だって部屋の中から一歩も出ないときもあったくらいだし」

 

 しかし、黒はかつて一日二日、食事などの生きていくうえで必要な行動以外取らずに自室で延々と本を読んでいたことがある。そのことを知っているネギからしてみればこれといった違和感を感じる事が出来なかったのだ。

 

 「アーニャの心配しすぎじゃない?」

 

 だからこそ、ネギにはアーニャの感じていることが分からずに、否定してしまう。アーニャが感じた違和感は正しいというのに。

 

 「そう。私の気のせいだったのかな?」

 

 今まで黒とずっと一緒にいたネギが言っている事を信用して、アーニャもこの時点でその違和感を捨て去り、気にしなくなってしまう。もしこの時の違和感を持ち続けていたら未来で何かが変わったのかもしれないというのに。だが、それを責めるのは酷だろう。何せ彼らは全知全能の神ではない。ただの人の子なのだから。

 

 

 

 

 「ネカネ、二人の様子はどうじゃ?」

 「大丈夫ですよ」

 

 学園長室で学園長はネカネに二人の様子を尋ねる。メガロメセンブリアに対する牽制やつい最近起きた事件のバーグスの行方を捜している為にここ最近まともな時間が取れなかったのだ。

 

 「バーグスは可愛そうじゃが、ここらで探索を打ち切るしかないじゃろうな」

 

 今までは魔法学校が主体で探索をしていたがバーグス一人に時間を割くわけにはいかない。これからは他の魔法教会へ探索を依頼するしかない。だが、魔法教会も暇ではない。その為にバーグスの探索はされないだろう。高々一人のために多くの魔法使いを使うほど魔法教会は余力があるわけではない。

 

 「……そうですか」

 「うむ。バーグスの失踪にあの二人の出自が関係しているかどうかは分からんが、警戒し無ければならんだろう」

 「そうですね。あの子たちの血筋を考えればいつ誰に狙われてもおかしくはないですからね」

 

 二人の血筋。ネカネは英雄の血についてしか知らないがそれでもその血が引き起こす事態について重く受け止めており、覚悟もしている。それでも彼女はあの二人にかかる事を許容することはできないのだ。諦めて、受け流せばいいというのに。

 

 「うむ。じゃから今から対策をとらねばならん。少なくともあの子たちが大人となり、自分たちに降りかかる火の粉を払えるようになるまではな」

 

 そのために彼は今まで築き上げてきたコネをすべて使って、二人の子供を守ろうとしている。

 

 「分かっています。今までも、これからもしなければならない事は」

 「頼むぞ。ネカネには多大な負担をかけてしまうがお前のおかげであの子たちを守れる」

 

 ネカネは足をあの悪魔の襲来から悪くしており、どうしても学園の外に積極的に赴くことはできない。だが、彼女の仮契約によって使えるアーティファクトは『泉にある眼球』と言い、全ての情報を代償を払うことで知り得る事が出来る。今まで、これを使ってネカネは二人に敵対する可能性が高い勢力を監視し続けていた。しかし、その代償は支払わなければならない。世界の知識などを望めば死は免れないが、この程度の情報ならそれほどひどくなくて済む。今は魔力を代償にしている。だが、その消費魔力は量が多くネカネには負担となってしまっている。だが、それでも彼女はアーティファクトを使用して二人を守り続ける。

 

 「気にしないでください。私に出来るのはただそれだけですから」

 

 彼女はこれ以上二人を守る事が出来ない自身の非力さに怒りを覚えながらそれでもできることをしていく。大切な小さな従兄弟たちを守るために。

 

 

 

 学園には多くの施設がある。寮、図書館、教室などだ。それらをつなぐ廊下も多々あるがその中の一つに異常な光景があった。

 三日月が夜空に浮かび光り輝く中、その廊下に一つの影が浮かんでいた。

 

 「此処にその子供がいるのか。まだ、私が望むほどの力はないだろうが、もう少しでそれだけの力を身に付けるはずだ。その時がきたら……例え×××でも望みを叶えよう」

 

 影は移動する。少しづつ、少しづつ明確な目的を目指して。




最後の影はまだ出ません。


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境界が望む世界

リメイク前に登場した文屋の登場です。彼女の登場で物語は加速し始めます。おそらくは年内は不可能でも一月位には原作突入できるかなと予想している作者です。


 黒が紫に師事してから三年の歳月が流れた。その間に黒の妖力は換算すれば大妖怪レベルまで上昇し、能力もだいぶ使いこなせるようになってきた。

 それでも、未だ大妖怪とはお世辞にも言えない実力なのだが。

 

 「遅い!」

 

 幾筋もの光が紫色のスキマから飛び交い黒を襲う。紫が放った弾幕が黒をめがけて殺到している。その速度は速く、簡単に避けれるものではない。しかしそれを黒は身を僅かにずらすだけで避ける。

 チッ、チッと、言う音が響く中黒は一枚のカードを出して宣言する。

 

 『結界 黒と白の境界』

 

 黒い弾幕と白い弾幕が太陰陰極図を描き紫を囲む。黒からは白が、白からは黒が出て中央めがけて放たれる。しかしそれは紫が張った結界にせき止められて意味をなさない。

 せき止めた弾幕が崩壊した瞬間紫はスキマを開き黒の後ろに回り込む。

 

 「喰らいなさい」

 

 後ろからスキマが伸びて交通標識が飛び出して黒の体をかちあげる。

 

 「っぐ!」

 

 吹き飛ばされた黒の体を紫は追撃し、ダメージを蓄積させていく。しかし、黒もやられっぱなしではない。吹き飛びながらもスキマを開き紫の上空から鏃型の弾幕を降り注がせる。流れ星のような美しさを秘めている弾幕だがその威力は凶悪で、たとえ妖怪でも生半な力しか持たないものでは生き残れないほどの威力だ。

 

 「なかなかの技よ。けれど、私には通用しない」

 

 飛んできた弾幕をスキマを開く事で完全に回避して、もう一度一枚のカードを出して宣言する。

 

 『廃線 ぶらり廃駅下車の旅』

 

 スキマが開きそこから幽霊列車が飛び出して黒を轢こうとする。しかしそれは僅かに進行方向をずらされて意味のないものに変わってしまう。

 

 「なら次は―」

 「そうはいかない」

 

 たった一歩歩いた。ただそれだけで黒の体は紫の目前まで近づいていた。現実の時間では三年。しかし、この時間が異なるスキマの中で彼は千年を生きた。その結果、他者の能力をある程度自由に使えるようになったのだ。

 

 「死神の」

 「ご名答」

 

 振り下ろす先には一本の傘。黒い色の番傘。紫が使う傘と殆ど同じで強度は大妖怪の力でもそう簡単に壊れない程だ。

 とっさに紫は自身の傘で鍔迫り合いに持ち込む。ぎしりと軋む音を鳴らしながらも傘にお互いを砕こうと力をかけ続ける。

 バキという音ともに折れた傘を二人は投げ捨てて代わりの武器をスキマから用意させる。しかし、ここで決定的な差が出てしまう。紫がスキマを開く速度と、黒がスキマを開く速度では比べ物にならないほどに違う。どうやっても黒のスキマでは紫のスキマを凌駕する事が出来ない。だからこそこの結果。

 

 「勝負ありね」

 「っ」

 

 紫は黒が出した武器を弾き飛ばして眼前に自身が出した交通標識を突き付ける。

 

 「まあ、此処まで実力が付いたなら私の師事はもういらないでしょう」

 「感謝はしていますよ。感謝はね」

 「フフフ。まあ、良いわ。それじゃ今日でお別れね」

 「ええ。もう会うことはないでしょう」

 

 今日この日、この戦いは卒業試験のようなものだった。紫を相手にしてどれだけ戦えるか。その結果、紫は黒を認めた。ただそれだけ。そして、もう一人立ちできる黒を紫は見守る必要はなくなり、この世界にいる理由はなくなった。

 

 「じゃあ、縁があればまた会うとしましょう」

 「そう何度も会いたいわけではないのですけどね。……さようなら」

 「ええ、さようなら」

 

 妖怪はたった一人になった。同族の存在しない世界に、もう二度と会えないかもしれない同族に別れを告げて。

 

 

 

 とある関東の人里離れてひっそりとした里。山の中腹にあるとある施設。こんな小さい山にこれほど立派な施設を本来作る必要はない。交通の便も不便だし、利用する人間がいないからだ。

 しかし、この施設に限っては違う。この施設は人目につかない場所の方がよく、交通の便は利用者にとって関係ないからだ。

 

 その施設で黒は一人立ち尽くして何かを待っている。その施設は明かりがついていないようで、一切の光が見当たらず人の目では周りを見通せない。そんな中を瞳を閉じて立っていた黒は突然瞳を開けて目の前の人影に話しかける。

 

 「以外と遅いものだね。新聞の文屋にしては」

 「失礼なこと言わないでもらえますか? これでも、ほかの天狗よりはるかに速いんですから」

 

 目の前にいるのは黒い烏の翼を持つ女の妖怪。時には仏教では仏の教えを邪魔するものとして、妖怪としては人を攫ったり、すぐれた技や知識を教える妖怪。そして、妖怪の中で最大級の社会を構成する妖怪。天狗がそこに居た。

 

 その天狗は身の丈と比べて小さすぎるのではないかと疑問に思うほど小さい翼に一筋だけ金色の髪の毛を胸のあたりまで伸ばした風変わりな姿をして、山伏のような服をアレンジした服を着ていた。

 

 「まあ、貴方がこれを行ったとみてよろしいのかしら?」

 「ええ。間違いないですよ」

 

 にっこりとほほ笑みながら周りの光景を作った者として肯定する。

 

 「いやはや、中々のものですね。うちの白狼天狗じゃこうはいきませんよ」

 「そう? だとしても、大妖怪である貴方ならこれくらい簡単でしょうに」

 「う~ん、確かに簡単ですけど私くらいの力を持つと人と余り関わる訳にはいかないんですよね。残念ながら色々しがらみがありまして」

 

 彼女はそこらに転がっている物を写真に写していく。そのカメラのフラッシュで一瞬だけそこらに転がる何かが見える。フラッシュで見える色は赤。いや正確に言うと赤い色と黒い色だ。壁一面にこびりついた色はカメラが光を放つたびにその色をてかてかと輝させる。

 

 「いや~、それにしても此処って普通の魔法使いの施設でしたっけ?」

 「ええ。関東魔法教会の所属の魔法使いが使う施設の一つ。まあ、魔法犯罪者を一時的に拘束する施設だよ」

 

 呆気なく答える黒だが、もしこの場に人間がいたら悲鳴を上げて逃げるだろう。何故なら、

 

 「ふんふん。なるほど。それで、こうしてこの施設にいるすべての人間は死んでいるんですね(・・・・・・・・・)

 「まあ、そうだね。とはいえ、少し、いやかなり期待はずれだったね。魔法使いはここまで弱いのかと」

 「それ魔法使いが効いたら殺しに来ますよ。こんな出来そこないの半人前どもと一緒にするなって」

 「おっと、そうだね。訂正させてもらうよ。普通の魔法使いって」

 

 和やかな会話の中だが、あたりの光景と照らし合わせればすぐにその異常性が分かる。彼らは人間がいくら死のうが気にしない。だからこそ、こうやって和やかな会話をつづけられている。

 

 「それで、高々その程度の力しか持たない妖怪が私に何か用があるのですか?」

 

 にっこりと笑いながらもその瞳は一切笑っていない。それ所か殺気すら放ち始めている。濃密な殺気が漂う空間で黒は笑みの質を変える。そこには妖怪としての笑みが含まれていた。

 

 「大妖怪であり、文屋である貴方にしか頼めない事でしたのでこうやってスクープを作って来てもらったのですが気に入らなかったですか?」

 「ええ。別にこの場所の人間がどれだけ死んでも構わないわ。けれどね、高々中級妖怪の上位程度しか力を持たない妖怪が私の文屋としての誇りを汚したのが許せないのよ」

 

 怒りから放たれる妖力は凄まじく並みの妖怪ではすぐさま我を失って逃げ去るだろう。

 

 「さすがは大妖怪。いえ、三大悪妖怪の一角。天狗の長である天魔すら凌駕すると言われる力を持つ程と謳われる妖怪の力。ねえ、崇徳天皇?」

 

 ヒュッという風切音とともに黒の後ろにあった柱が切り落とされる。

 

 「怖いですね。翼で柱を切り落とすとは」

 「如何でも良いからその口を閉じろ。さて、死ぬ前に何か言いたいことはあるかしら?」

 

 クスクスと笑い声が施設内に響く。その笑い声が癇に障ったのか天狗の少女は翼をはためかせ、あたり一帯を切り刻んでいく。

 

 「何が可笑しい?」

 「いえね、少々。まさか、この程度の事件で貴方を呼んだとでも? 高々百人程度の規模の人間が死んだ程度で? そんなことでわざわざ大妖怪を呼ぶ訳が無いでしょう?」

 「……では、何故?」

 「貴方が必要だから。多くの妖怪へと貴方の情報網を使えば情報を伝える事が出来る。新聞としても、天狗の噂でも」

 

 そのために呼び出した。大妖怪である彼女の情報はそれだけでかなりの信用がある。だからこそ、黒は彼女を望んだ。

 

 「私が貴方を呼び出した理由は一つ。幻想の郷を創る事」

 「え?」

 

 唖然として固まってしまった彼女をそのままにして黒は話を進める。

 

 「消えゆく幻想が消えない世界。そこでは人間が古き信仰と、古き恐怖を持って生活する。神は崇め祭られて、妖怪は畏怖と共に語り継がれる」

 「そ、それは」

 「人を喰らう妖怪も、人を守る神も、そして人自身もすべてが平等であり、外の化学からは干渉されない世界」

 

 誇大妄想。そうとしか表現する事が出来なかった話しだったが、それは彼女、いやすべての妖怪が、神が望んできた世界なのだ。

 

 「そんな世界は不可能です」

 「いいえ、できます。その証拠に此処とは違う世界では既に成功している。明治時代という基点は違うが、それでも、幻想をいまだ信じている者たちはまだいる」

 「ど、何処に!!?」

 

 いつしか、彼女は黒に対して持っていた怒りを忘れていた。怒りを持つ事よりも彼が話す内容の方がはるかに重要だからだ。もしその世界が本当に実現できるというのなら? それは自身の種、天狗をはじめとする妖怪を残すことも可能になるという事だし、これからの未来が生まれる。

 

 「魔法世界」

 

 たった一つの言葉。しかし、そこに込められた意味を理解して、大妖怪は哂う。

 

 「アハハハハハ!! そういう事ですか! なるほど、彼らは科学を知らない。ならばこそ、幻想を信仰して恐怖する。だとしても、その郷は何処に作るつもりですか? 誰もが知らない世界くらいではないとその世界は科学が入り込むか、普通の魔法使いたちが壊そうとしますよ?」

 「一つだけありますよ。誰もが知っているようでその本当の姿を見たことが無く、人間も普通の魔法使いも入れ無い世界。科学によってしか入れない世界でありながらその世界に近づけるほど科学が発展すれば間違いなく郷は完全に忘れられて誰も入れなくなる世界が」

 

 たった一つだけこの世界にはそんな場所が存在する。そして、その世界に行くためには、境界を変える力が必要なのだ。

 彼女は翼をしまう。それはもはや彼女に殺意が無いという証。

 

 「それで? 私を呼んだ理由は?」

 「貴方達天狗だからこそ情報を手に入れられて、宣伝することもできる。私が貴方に頼みたいことは二つです。

 一つ目は情報をそろえてほしいという事。どんな情報でも良いから妖怪たちの噂などを集めてほしいというわけです。

 二つ目は幻想の郷の情報を広めてほしいという事です。広がれば広がるほど良い。その為に貴方達天狗の情報網がどうしても必要なのですよ」

 

 黒が頼んだ内容が気に入らなければ彼女は断り殺すこともできる。しかしこの内容では断ることなど出来なかった。むしろ大きな興味がわいた。

 この妖怪は確かに力があるが、そんなことが可能とはとても思えない。しかしこの瞳には光がある。自身の力に奢った者の光ではなく自身の力を理解して確信している物の光が。

 だからこそ、彼女はこの話に乗ることにした。これ以上ないといっても良いスクープだという事と、この先上手くいけばこれ以上のネタが手に入るかもしれないから。

 

 「良いわ。貴方に協力しましょう。崇徳白峰の名に懸けて」

 「そう。それは良かった。私の名は八雲黒。スキマ妖怪という種族の名に懸けて幻想郷を必ず作り上げる」

 

 黒はこれによって、世界中でもトップクラスの情報網を得る事が出来た。その情報はこれから先黒にとってどうしても必要になるものであり、だから彼は自身の命を賭けて賭けに勝った。

 

 「ああ、これで漸く彼らを救える」

 

 次の瞬間には施設の中では血を流し続ける死体が残されているだけで、生きている者は誰もいなかった。

 

 

 

 



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黒というスキマ妖怪

今回も魔法学校内ではなく外での行動です。


 とある霊山。荒倉山と呼ばれる山を黒は妖力を発しながら登っていく。学園の長期休みとなっている今だからこそこうして危険な山を登っている。この山はある伝説の舞台。そして伝説の通り大妖怪の住処。そんな場所を妖力を発しながら歩くのは土足で立ち入るようなもの。決して許されるものではない。だがいくら土足で踏みにじった者とはいえ警告位はする。

 

「っ!?」

 

 その結果、山が震えた。ただ妖力を黒めがけて放たれて。言葉にすれば簡単だが、山を震えさせるほどの妖力を放つなどそうそう出来ない。これは人間でいえばただ睨みつけたようなもの。それなのに、黒の頬に一直線の傷跡を作り上げていた。

 

 「ただ妖力を発しただけでこれほどとは。最強の妖怪の名は伊達じゃないという事か。いや、ただ単に彼女の力が規格外というべきか」

 

 垂れてきた血をなめ、黒は思わずこぼしてしまう。いくらなんでも格が違いすぎると。

 

 「それが分かっておるならさっさと主は元の居場所へ帰った方が良いぞ?」

 

 妖艶な声が黒の目の前から聞こえる。先ほどの規格外の妖力と全く同じ波長の妖力を垂れ流しながら彼女はいつの間にかあらわれていた。

 

 「驚かんのか?」

 「呪術にも優れるている事は知っているからね。おそらくはこの山の範囲ならどこからでも何処にでも転移できるだろうね」

 「正解じゃ。ならば、分かるな? 主はもう二度と逃げられんという事が。まあ、さっき言った通りこのまま帰るというのなら何もせんでも良い。しかし、帰らぬのなら主を蹴落とすだけじゃ。黄泉比良坂へ」

 「怖い、怖い」

 

 紅葉のように紅く染まった瞳、髪、そして緑色、黄色、紅色で美しく模様付けされている着物を着た額に短い角を持つ女性を見ながら黒は正直な感想を述べる。

 

 「ただ力があるだけではなく、歴史の中でも類い稀な妖術の使い手である貴方に命を狙われるとは」

 「そうか。なら死ぬ覚悟は済んでいるようじゃな」

 

 すぐさま黒は空を飛んだ。スキマを開かなかったのは正解だった。もし開こうとしていたらその時点で死んでいただろう。一直線に極光が黒がいた場所を貫く。

 

 「ほう、避けたか。人間の言うれーざーとやらなのだが、これを避けれるのは妖怪でもそうはいないぞ? 誇るがよい」

 

 それは何の冗談だろうか。もし、そのレーザーの過ぎていった後を見た人間ならこう言うだろう。『此処は紛争地帯か?』と。極光が過ぎた場所は何も残さずえぐれた地表のみがあり、周りの木は余りにも莫大な熱が近づいたことで自然発火してしまっている。もはやお世辞にもレーザーとは言えない。更に恐ろしいのがこれほどの破壊をまき散らしながら、彼女は一切本気を出してもいない。ただの様子見。それだけでここまでの被害を出す。これが最強の妖怪。そう呼ばれる鬼の力。力と耐久力ならこの妖怪を越える存在はそういない。

 

 「冗談が過ぎる。避けれないではなく、蒸発するの間違いじゃ?」

 「おお、そうじゃな。訂正しよう。大概の奴は此れで消えてしまうのでな。つまらんのじゃよ」

 

 久方ぶりの面白そうな妖怪に彼女の血が沸き立つ。その証拠にさらに妖力が荒々しく発揮される。

 

 「おっと」

 

 それを見た黒は懐から扇子を取り出して一振りする。紫から渡された扇子だが、幻惑しながら戦う際に術の基点を見破りにくくするために重宝している。

 発動したのは結界。場所を区切る。この山を少しだけ異界に変えて、どれだけこの異界を破壊しても現実の山には一切問題がないようにする。

 

 「結界か。儂は結界が苦手なのでな。少々羨ましいの」

 「その代わり、呪いと大規模な破壊力を持つ呪術を得意とするでしょうに」

 「確かにの。じゃが、隣の芝生は青く見えるというじゃろう?」

 

 豪快に彼女は哂い、黒は笑わない。笑う余裕が無いからだ。少しでも気を抜けば今にもこの首が胴体と枝分かれすることを理解している。先ほどから彼女の妖力は黒の首しか狙っていない。剣豪のような鋭利な殺気などではお世辞にも言えない。野生の動物ですら放たないほどの猛々しい殺気だ。

 

 「さて、わざわざ力を振るうても問題はないようにしてくれたんじゃ。久方ぶりの本気を出すとしようじゃないか」

 

 彼女から沸き立つ妖力はさらに膨れ上がる。今までは本気ではなかった。だが、今からは彼女の本気だ。

 

 「は?」

 

 しかし、その本気に黒は反応できなかった。いや、わずかばかりの反応はできたが。いつの間にか目の前に立っていた彼女がただ殴った。だが、注視していた相手に悟られないで接近など出来やしない。普通は。

 だが、此処に居るのは普通の妖怪じゃない。最強の妖怪の中でも現在最強と呼ばれる大妖怪。戸隠れにおいて鬼女となった伝説を持つ大妖怪。常識などでは決して語れない。

 彼女が立っていた場所は後ろに楕円形に大きくえぐれており、今もなお地盤の一部が吹き飛んでいる。

 地面が吹き飛ぶほどの加速から生まれた運動エネルギーに鬼の腕力で殴られた黒はただ吹き飛ぶしかない。

 

 「っが! ゴホ、ガハッ!」

 

 吹き飛んでいった黒は山に叩きつけられ、黒を中心とした深いクレーターに埋め込められた。ただ殴る。それだけでもこの威力。さらに笑ってしまうのがこれが妖力を一切付与していない、純粋な腕力で行われたということだ。

 指がピクリとも動かない。叩きつけられた衝撃で背骨の一部が折れたのか痛みすら感覚が得られなくなっていた。いや、そもそも生きていること自体が奇跡なのだ。叩きつけられた結果深いクレーター、百メートル以上すり鉢状に凹んでいる。この一撃で生き残れる妖怪はそう多くない。

 

 「予想外じゃの。これで体は砕け散ると思うていたのじゃが。存外耐久力があったようじゃ」

 「これでも、妖……力だけなら大妖怪。咄嗟に結界をはって直接……殴られるのだけは避けただけ」

 

 息も絶え絶えに黒は答える。朦朧とし、点滅する意識の中、ありとあらゆるシュミレートをしながら。そして、また動き出す。

 

 「なんじゃ、その気持ち悪い動きは?」

 

 まるで括られた人形のように。いや、傀儡子に操られる人形のような動きで黒はたちあがった。霊視能力が格別高いものなら見ればすぐに何をしたか分かるだろう。黒の体の至る所に糸が巻き付いており、その糸が体を動かしているという事が。

 

 「さあ? 少しは考えたら如何?」

 

 軽口を無理やり出して答える。激痛が走る体を無視して更に能力を使う。

 

 「おっ! 初めて見るの。何じゃその奇妙な空間は」

 『幻巣 飛行虫ネスト』

 

 のんきな声を聴きながらも幾つものスキマを今出せる最大速度で展開して、弾幕を射出する。その一撃一撃が地面をえぐり飛ばすほどの破壊力を秘めた弾幕。大妖怪といえどもまともに喰らえば軽くはないダメージを喰らう一撃。それらが飛び交い、主の命で彼女を狙って殺到する。

 

 「中々美しいの。しかし、だ。その訳の分からん空間を開くのが致命的に遅すぎる。その程度の初速では儂は倒せんぞ?」

 

 スキマが開いた瞬間には彼女は既に迎撃の用意をしていた。これがもし紫のスキマだったら間違いなく命中していただろう。しかし、このスキマを開いたのは黒。紫よりも速度がはるかに劣るスキマしか使えない。だからこそ、弾幕は殴られて意味もなくなる。鬼の規格外の怪力で殴られたことで弾幕が崩壊して妖力が飛び散るだけで終わってしまう。

 

 「これで終わりなら、止めといくかの」

 「安心してもらっても構わないよ。これ以外にもまだあるのでね」

 「ならば、見せてみろ。良い退屈しのぎじゃ」

 

 ある能力を黒自身に付着させる。この鬼に力負けをしないように。

 

 「鬼相手に格闘戦か? それは無謀じゃぞ?」

 「それは如何でしょうかね?」

 「っ!!?」

 

 先ほどの反対に今度は黒が彼女を殴り飛ばした。本来の黒の力では決してそんなことは不可能だ。ほかの妖怪ならいざ知らず、最強といっても過言では無い存在を殴り飛ばすなどは。しかしだ、今の黒の力は比類なき力。訳の分からない理屈のない怪力といっても良い。物理学や理から外れた怪力。故に何物もその力を受け止めることはできない。鬼の四天王の能力を使い、力だけを無理やり拮抗させているのだ。

 

 「いつつつ、これほどの一撃は早々見んな。数百年前のでえだらぼっちとの喧嘩を思い出すわ」

 「国津神の子孫と同じ位の一撃を痛いで普通は済ませられないでしょうに。まともに喰らって動けるなんてそれだけで降参したくなる」

 「なら降参するか? 其れだとお前の目的は達成できんぞ?」

 「おや」

 

 目を少し丸くしながら言う黒に対して彼女は笑いながら、

 

 「そう驚く必要はないだろう。妖怪を始め、神の間ですらお前の事は噂になっておるぞ。最近では河童もお前の言う幻想郷とやらへの移住を決めたとやら。東西問わず、ありとあらゆる妖怪を幻想郷へ招こうとしている所から考えて大方鬼も招こうとしているのじゃろう。その中でも鬼は力の強きものの願いなら簡単に断らない。じゃから、儂と戦い鬼との交渉を有利にしようとしたんじゃろうて」

 「正解。しかしそこまでばれているのなら何故貴方はわざわざ戦おうと? 妖力だけなら大妖怪級でも私は今のところ中級妖怪レベルなのですがね? 貴方のような大妖怪は誇りを汚されるといって断る可能性もあったのですが?」

 「面白いからじゃよ。幾年も過ごしてきたが、こんな大言壮語したのは早々おらん。そこが気に入った。だからお前の思惑に乗ってやったというわけじゃ」

 

 カラカラと笑いながら彼女は一歩一歩黒に近寄る。彼女の足取りは確かであり、一方黒は立つことすらままならない。今にも崩れても可笑しくはない疲弊のなか糸を支えに気迫だけで何とか立っている。

 

 「とはいえ、此処で儂程度に殺されるのでは大言壮語も嘘になるじゃろう。鬼は嘘を嫌う。故に、だ。此処で儂から生き残れるか試させてもらっておるというわけじゃ。じゃが、そろそろそれも終わりかの?」

 

 そう言いながら腕を後ろに回して、彼女は続ける。

 

 「惜しかったな。あの時、もしあの美しい妖力弾の展開速度が早ければ儂は負けていたかもしれんかったな。敗因はそこじゃろうな。主は自身の能力をきちんと理解しておらん。強大すぎる能力を持った者が多くはまってしまう落とし穴に主もはまってしまったようじゃの」

 

 落とし穴? そんなはずはない。能力の制御は確実に上昇して今では大妖怪との戦いでも問題なく使える。その何が問題なのだろうか?

 

 「何かを操って(・・・)あの奇妙な空間を作り出しておったようじゃが、本質とはずれておったようじゃな。だからどこまでもじゃじゃ馬のように上手く制御する事が出来ない」

 

 操る(・・)? そう言えばなぜ自分は境界を操路うとしたのだろうか? 自分の能力は境界を変える(・・・)力なのに。 

 

 ダメージから意識を失いそうになりながらも必死に留めて思考を開始する。今が最後のチャンスなのだから。今ここで何かを掴み取れねばただ死が待つだけ。それを避けるために黒はスキマ妖怪の持つ類い稀な頭脳を最大限に回転させる。

 

 そうだ。私が境界を操っていたのは紫のまねをしていたからだ。紫は境界を操る妖怪。変えることはできない。ならばそのスキマも空間と空間の境界を操った結果発生する。だが、自分は何だ? 同じスキマ妖怪といえども自身の能力は『境界を変える程度の能力』。操ることなど出来やしない。それを無理にしていたからスキマがうまく開かなかった?

 

 そこまで思考が回った時にはすでに彼女は腕を振るえば間違いなく当たる距離まで近づいていた。

 

 「さらばじゃ。主のような妖怪がまた現れると良いのだがな」

 

 後ろで回していた腕をその遠心力を利用して砲弾のように放つ。その拳はまっすぐ黒の顔めがけて飛び、中空で空振りするだけに留まった。

 

 「……何?」

 

 外れるはずはなかった。しかし、現に外れた。その事実に彼女は一瞬思考が追い付かなかった。

 

 『多重 十一次元の境界線』

 

 困惑する彼女の耳に静かに紡がれる声。その声に気が付いて上を見上げるとそこにはぼろぼろの姿でありながらスキマを開いてそこに腰かけている黒がいた。

 

 「そこか!!」

 

 一歩踏み出して今度こそ彼女は本当に驚愕してしまう。

 

 「何だ……これは?」

 

 目の前の見慣れているはずの山が変わっていた。いや、見た目は変わっていない。しかし、説明のつかない部分で根本的に、致命的なまでの変質が山になされていた。

 その結果、一歩踏み出して彼女が踏んだ落ち葉が燃え上がる。

 

 「ぐうっ!?」

 

 息をのむ。化かされているのかと一瞬疑った彼女だがそれはあり得ない。彼女とて呪術家として一流だ。なら幻術くらいすぐに見抜ける。だからこそ、これが幻術ではない事を認識する。

 

 「何が起きている?」

 

 踏み出した足が今度は下がる。その際に石を蹴り飛ばしてしまった。そして、その石がまるで岩のように重かった。

 もはや動くことすらできない。此処は彼女が知っている山ではなくなっていた。動いた結果何が起きるかわからない。ある程度なら我慢して突き進むこともできなくはないが、それは少々危険すぎる。

 

 「何をした! 小童!!!」

 「『十一次元の境界線』 これは単純明快。私が使える能力を最大限まで高めて境界を変えるだけ。境界が変わったものは元の物質ではなくなり、新たに与えられた境界の法則に従う。今ここは貴方が知る境界は一つもない。酸素は火を消して、河は上に登り、木は鋼鉄のように固くなった。そんな風に世界を変える。これこそが私の本来の能力の使用方法。間違っても境界を操るのではなく、境界を変える」

 

 それはもはや妖怪の範疇ではない。それは人が神と崇める存在でしか行えない。しかしその一点という制約はあれど黒は間違いなく神の領域に手をかけたのだ。

 

 「……くっ、くくく」

 

 肩を揺らしながら彼女は笑い出す。心の底から可笑しく、力の限り笑い出す。声だけで山全体が震えあがり、その強大な力を見せつける。

 

 「くははははははは!!!

 わしの想像以上だったか。大言壮語? 主では小言でしかなかったか! 

 良い良い良い!! 此処まで楽しめたのはいつぶりじゃ? もはや思えだせんわ!」

 

 強敵となった黒が嬉しく彼女は笑いを止められない。

 

 「しかしだ、お前がたとえ能力を完成させたとして、儂とお前の差は埋められんぞ? 儂はお前の一撃では傷つかん。しかし、お前は後一撃でも喰らえば肉体ではなく精神が耐えきれず死ぬ事になる。これを如何覆す?」

 「覆さないさ。私はね」

 「? 何? では如何するんじゃ?」

 「こうするだけ」

 

 空間に奔っていたスキマを閉じて黒は地表まで降りる。そして今日最後の能力を使う。

 

 「私の能力のもう一つの使い方にしてもっとも強大な使い方。『識る程度の能力』との併用で使えるようになるもの。あいにく初めての試みなので一度しか使えないが、貴方達鬼にとって最も懐かしく強大な力を使えば良いだけ」

 

 そして、その能力が使用された。その結果を見た彼女はすべてが吹き飛んだ。大妖怪の矜持も鬼の誇りも。ただただ自分が望む戦いを。そんな願望だけを抱えて。

 

 

 

 

 気が付いた時には山の面影など一つもなくなっていた。結界内に取り込んだ荒倉山に近くに有った一つ二つの山がなくなっていた。山は消え去り、川は埋め立てられ、空は赤く染まっている。

 そんな中を、ボロボロの姿の黒と、彼女は立っていた。

 黒は片腕が折れ曲がり、片足に至っては根元から千切れ飛んでいた。一方の彼女は、額から流れ落ちる血によって視界がふさがれ、腕の途中が握りつぶされていた。足からは今もなお引き裂かれた筋肉が見える。それ以外にも大きな傷、小さな傷は多々ある。しかし二人はそんなことも気にしない。彼女は鬼の腕力は支えきれず空回りしてしまうため使わず、黒は能力を使用する余裕がなくただ我武者羅に腕を振り回すしかなかった。

 一撃を相手が当てると今度はこちらが当てる。もはや泥仕合といっても良い戦いだった。それでもなお彼らは戦うのをやめない。今ここで止めるわけにいかないから。片方は鬼として、もう片方は自身の夢のため。

 

 「ハァ、ハァ、ング。これで最後としようか」

 「ぜぇ、ぜぇ。良いじゃろう。そうしよう」

 

 荒い息を付きながら二人は最後のために妖力を高める。なぐり合うのももう不可能になった。さっきの殴り合いでお互いの拳が限界を迎えて骨が皮膚を突き破っているからだ。これではいくら妖怪といえども殴れやしない。

 だからこそ、残りの妖力を全てぶつけ合う。相手の妖力弾を打ち負かした方の勝利。ただそれだけの単純な理論。それ以外の理論は今この場に入らなかった。

 最大まで高められた妖力。血のように赤い、夕焼けのように朱い、染まり切った紅葉のように紅い巨大な弾。全てを塗りつぶすかのように黒い、吸い込まれるかのように黒い、無を思わせるように黒い弾。両者が激突して、お互いを喰らおうとする。黒が赤を塗りつぶして、赤が黒を照らして。歪み、押し合いではじけ飛んだ妖力が辺りを無差別に破壊する。大妖怪級の妖力の衝突。それは無差別な大規模破壊兵器と同じ。しかし、この二人には当てはまらない。どちらもその得意とするものは妖力を使った術。だからこそ、この程度の被害。

 

 「おおおおおおおおおお!!!」

 「ぬううううううううう!!!」

 

 顔を苦痛に歪ませて、妖力をすべて使い切る勢いで消費していく。妖力を支えている体は限界を超えての酷使に悲鳴を上げて破裂していく。

 そして、その結果。

 

 「負けじゃのう」

 

 赤い弾は黒い弾に塗りつぶされていく。

 

 「くくく、まさか負けるとはの。良い良い、久方ぶりに楽しめた」

 

 黒い弾が彼女を飲み込み、吹き飛ばした。

 しかし撃った黒もまた限界を迎えて崩れ落ちる。そしてそのまま意識を失って倒れ伏していった。目の前に存在する影に気が付かず。



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主従の契約

遅くなりまして申し訳ありません。かなりの難産でした。


 日の暮れた荒倉山に二人の妖怪が倒れていた。

 片方は鬼の妖怪。荒倉山、つまりは戸隠れにおいて鬼女になったという伝説を持つ鬼女。都から追われてそれでも都に恋い焦がれた哀しき女。

 もう片方は人に知られていない妖怪。ありとあらゆる伝説に語られず只々人を、妖怪を、神を隠す妖怪。空間と空間のスキマを変えて違う存在へと変えていく妖怪。

 そして、そんな二人の近くに一本の影があった。その影をたどるとそこには一人の女性がいた。緑色の髪にすらりと伸びる背。細い白魚のような腕。肩に引っ掛けているのは何処にでも売っているような釣り道具。川釣りならまだしもその釣竿は海釣り用の竿。そんな違和感の中、最も有り得ないのが此処は黒の結界の中という事だ。これほどの結界は早々見破ることなど出来ない。かなりの実力者でなければ絶対に見抜けないしたとえ見抜けたとしても侵入することなどはさらに限られる。その限られた存在がそこに居た。

 

 「ようやくだ。ようやく父を解放できる。あの忌まわしき天津神の封印から」

 

 碧眼を倒れ伏している黒に向けて彼女は腕を伸ばしていく。そして、

 

 「グッ!?」

 

 喉を掴み目の前まで持ち上げた。ギリギリと凄まじい力で首を締め上げながら彼女はただ一言つぶやく。

 

 『起きろ』

 「ッ!!? お、お前は?」

 

 黒が意識を取り戻すと同時にその事態を把握した。だからこそ分からない。自身の結界を乗り越えられる存在など草々いない。その例外のような存在が何故今まで自分と鬼に悟られなかったのかと。

 

 「私の正体などは今必要ない。今必要なのはお前が只私に従うか否かだ」

 

 首にかける力を強めて彼女は冷淡に黒めがけて言う。

 首にかけられた手を振り払おうと黒は抵抗するが今までの戦いで死にかけている今の黒では抵抗にすらなっていない。それでもなお腕に力を込めて手を払おうとする。

 

 「無駄だ。普段でも力自体は弱いお前が今の状態では到底私の力に勝る訳が無い」

 

 スキマ妖怪。それは鬼のように力に優れた種族ではない。むしろ知略に優れた妖怪だ。術を、能力を持って自身が戦いやすいように戦場を操作するような妖怪だ。

 首を絞め続けながら彼女はその目的を告げる。

 

 「お前に協力してもらうぞ? スキマ妖怪」

 

 それは知られてはならない情報。後々ならまだしも今の段階で黒の種族が世間に知られてはまずいのだ。種族が分かれば対処方法がとられる。鬼は酒で酔わせて斬られてしまえば死んでしまう。鵺は正体を見破られて矢を射られてしまえば死ぬ。それが妖怪。圧倒的な力を誇りながらも神話や伝承に縛られる存在。だからこそ黒は自分の種族名を隠していた。スキマ妖怪はどの伝承にも載っていないがそれでも如何いう存在かは名前から読み取れる。名は体を表すと言うように。スキマ妖怪という種族であるがゆえに分かるのはスキマに関係する力。それに対して警戒されてしまえば幾らかの効率が下がってしまう。それは彼にとって望むことではない。

 

 「くっ、貴方……に協力が必要? 神であ……る貴方に?」

 

 黒は呼吸を遮られながらもなんとか声を絞り出して聞く。目の前にいるのが神族であるからこそ何故自身に協力を求めるかが分からない。神という種族の名は伊達ではない。神の名がつくものはたとえ土地神だとしても強い力を持つ。それこそ大妖怪とはいえ一介の妖怪に協力など必要としないはずなのに。

 

 「ふん。簡単なことだ。私では叶わない願いだ。それを叶えるためには貴様のスキマに関する力が必要だ。だからこそこうして今此処に居る」

 

 感情を殺した二つの瞳が黒を睨みつける。しかしその瞳には焦燥がわずかに残っていた。だが、それが分かったところで今の黒の状態では何もできない。一切の抵抗ができない状態で、

 

 『私に従―』

 

 そこまで言葉が聞こえた瞬間黒は目の前の彼女と一緒に吹き飛んだ。

 

 「くっ、この程度の火力しか出んか」

 

 いつの間にか起きていた鬼が目の前の女に妖力弾を放ったためだ。その妖力弾で女は黒を手放し、黒は解放され、地面に叩きつけられる。

 

 「ゲホッ、ゴホ! ガハッ!!」

 

 せき込みながらも動かない体を無理やり糸で動かしてすぐさま女に対して警戒する。

 

 「さて、こそこそ隠れて勝負に横槍くれたのは貴様か。今すぐ五臓六腑引き裂いて地獄の鴉に喰わせてやろうか」

 

 ボロボロの体ながらも力強く立ち上がり、鬼は吠える。

 

 「儂の名は戸隠(とがくれ) 紅葉(こうよう)!! 戸隠れの山に住みし鬼女! 主が神であろうと儂が最も嫌う事の一つをしたのじゃ。その命失ったものと思え!!!」

 

 ボロボロの体。それこそ今なら押せば倒れるような体。それでもなお感じられる覇気は強くなり、妖力はさらに荒々しく吹き上がる。これが鬼。そう思えてしまうほどの力が。

 

 「確かに普段のお主なら私は抵抗もまともにできずに死ぬだろうな。しかし、今なら違う。先ほどまでの戦いでお主は疲弊している。それこそ闘いの神ではない私ですらお前に勝てるほどに」

 

 事実、今の黒と紅葉が協力したところでこの神と戦えばまともな戦いにすらなりはしない。それを理解しながらも紅葉は立ち上がり、戦う。

 

 「戯け、鬼の回復力をなめるではない。すでに妖力だけなら九割がた回復したわ! 此処は儂の山じゃぞ? 周りから妖力を回収することわけないわ!!

 さて、主には良いものを見せてもらった。これから見せるのがその謝礼だ。大妖怪ならこれくらいの力は持たぬといかんぞ? 格を見せつけて下級の妖怪を従わせよ。それによって主の郷の治安は守られる。主の大妖怪の格と威光でもって郷を守れ」

 

 今まで只吹き荒れるように紅葉の体を巡っていた妖力が変化する。洗練された技術によって裏打ちされた正しく術式へと。

 

 「さて、儂の軍勢を呼び出すとするか」

 

 バチバチと紫電が放たれる。あまりの妖力の密度に空間が悲鳴を上げているのだ。その莫大な妖力をたった一つの術式に。

 

 「莫迦な!!? その術式は!」

 「有り得ない。それは私たち神ですら一部の存在を除いて行使不可能な術式!」

 「そうじゃ。しかし、不完全ながら西行法師はこの術式を持って死者を蘇らせた。ならば、大妖怪の力をもってすれば不可能ではない。とはいえ、一時間も満たずにまた死の淵へ戻ってしまうのだがな」

 

 カラカラと笑う。しかしそれについていける者はいない。当り前だ。今から行われるのは禁断の術。それを防ごうとしても今の紅葉の近くに行けばそれだけで吹き飛ばされるほどの妖力が放出されている。黒を傷つけた妖力などが児戯としか思えないほどの妖力が紅葉の居る空間に漂っている。

 

 「さて、行くぞ! 黄泉帰れ!! 主らの主の呼び声に従い黄泉の狭間より!!」

 

 地面から腕が伸びる。幾つも、幾つも。泥をかき分けて甲冑に身を包んだ男たちの腕が見えてきた。

 

 「西行法師ですら不可能だったこの術。儂自らが完成させた! 目を開いて視るが良い! 反魂の術を!!」

 

 かつて西行法師と呼ばれた僧は山籠もりの最中に死者を蘇らせたことがあった。蘇らせた理由は分からない。しかし、その死者はゾンビでしかなく、まともな思考能力を有してはいなかった。

 

 「主風に言うと、『反魂 蘇る盗賊団』というべきかな?」

 

 そう言って笑う紅葉の後ろにはまさしく軍があった。蘇った死者たち。しかし、その瞳にはしっかりと知性が見てとれ、会話すら交わしているのだから。

 

 「久方ぶりだなぁ、お頭!」

 「久方ぶりに主らを呼び出す事にしたのでな」

 「かっかっか! そうかい。お頭をぶちぎれさせてしまったんかい。相手が可愛そうになるねぇ」

 

 快活に笑う死者の一人。それに合わせてほかの死者たちも笑いだす。

 

 「これこそが儂の力。戸隠れの盗賊団」

 

 一人の死者がその武器を構える。それに合わせてほかの物たちも一斉に構えていく。弓を、槍を、刀を、薙刀を、槌を。

 

 「普通の鬼は卑怯な手段をされたら激怒して真っ向から吹き飛ばすが儂は違う。儂なら卑怯な手段を持って愚かな行為をした者に対しては数という最も強い力を持って駆逐してきた」

 

 まさしくそれは最強と謳われている妖怪に相応しいといっても良いほどの力。数の暴力。それは本来か弱い存在が自衛をするために集まるが例外がある。それは王だ。王は身を守るために多くの数で身を守る。しかし、此処に居るのは違う。王であったとしても隠れて潜むのではなく戦場でその拳をふるう妖怪の王。そしてそれに従う盗賊という名の軍。

 

 「さあ、行くぞ。神程度で儂らを止められると思うか?」

 

 咆哮が響き渡る。それは幾つもの口から出る歓喜の声。敵を打倒すことのできる歓喜の声。死んでもなお自身の主と一緒に戦えることの歓喜の声。その勢いは神ですら早々止める事が出来ない。

 

 「殺れ!!」

 

 紅葉の鬨の声とともに軍団が走り出す。ただ目前の神を倒すために。主が生きることを許さぬと決めたのだから目の前の存在を討ち滅ぼすまで彼らは止まらない。

 しかし、また眼前の神もただの神ではない。

 

 「ちっ!! そう来るか!!」

 

 一瞬にして隠蔽していた神力を解放させる。神力の圧力で軍団の進行を一瞬だけ遅らせると同時に彼女の能力を使う。

 

 『動くな!!』

 

 ただ一言。それだけで軍勢の動きが鈍り、止まってしまう。

 

 「無駄だ。神の言葉に逆らえる人間はいない」

 

 事実、神託に従わない人間はいない。例え死者であろうとも人間であるがゆえに神の言葉に従わなければならないという強制力がある。神託を持って人を導く。其れもまた神の仕事の一つ。そして目の前の神が司るのは言葉だ。その言葉全てが神の言葉となり人間も、妖怪ですら従わせる。だからこそ紅葉の軍は動かなくなる。

 

 「なめるなよ!! 小娘が!!」

 

 だが、大妖怪を止めるだけの力はなかった。確かに動きが鈍くなっているがそれでも紅葉を止めるのに必要な力には遠く届かない。

 

 「っく!!」

 

 剛腕から繰り出される一撃。それを受け止めて彼女は、

 

 『止まれ!!』

 

 神託によって世界の理すら歪めて押しとめる。後ろに吹き飛ぶはずだった体を無理やり止めて反撃をする。

 肩に担いでいた釣竿にしなりを加えて解放する。まるで鞭のような速度に神木の硬さと妖怪に対する優位性によりそれは絶大な威力を発揮する。下から掬い上げるように放たれたその一撃は紅葉の頭を跳ね上げさせた。

 だが、彼女は失念していた。もし彼女が闘いの神や軍神や武神なら話は違っただろう。だが彼女はあくまでも言葉を司る神。戦う事に慣れているわけではない。

 

 『結界 白と黒の対極図』

 

 彼女の周りを白と黒の弾幕が覆う。円を描いて白色の妖力弾は下に、黒色の妖力弾は上に。そこから反対の色の妖力弾が彼女めがけて殺到する。

 

 「な!?」

 

 しかもその速度が速い。言葉を言うだけの時間を取らせないほどに。だが幸いこの一撃は三次元的な攻撃ではなく二次元の平面的な攻撃であり避けやすい。だからこそ彼女は避けられた。そう避けてしまった(・・・・・・・・・)

 地上に立っていた人間が上下に移動するなら上に行くしかない。弾幕を放った後の黒はすぐさま移動しており、最大威力の一撃を放つ用意をしていた目の前に。

 

 『廃線 ぶらり廃駅下車の旅』

 

 スキマが開く。彼女の目の前に。スキマから出てきた幽霊列車に轢かれて彼女は今度こそ吹き飛んだ。

 

 「ッグ!!?」

 

 吹き飛び地面に叩きつけられた彼女にさらに紅葉の拳が迫る。

 ズドンと重い音が響きもうもうと土煙が舞う。

 

 「避けたか」

 「ええ」

 

 倒れ伏している彼女は首を曲げてギリギリ紅葉の拳を避けていた。紅葉の拳は地面にめり込んで皹を作り上げている。

 倒れていた彼女は足を曲げて紅葉の顔面めがけて蹴りを放つ。それ自体は紅葉に簡単に止められたがその間に体勢を整えることに成功した。

 三者の間でにらみ合いが起き、うかつに動けなくなる。数的有利は黒と紅葉だがその体は限界を迎えている。しかし彼女もまたダメージはある。だからこそこのにらみ合いが成立している。

 

 「ねえ、紅葉さん? この件私が決着をつけても良いかな?」

 「何?」

 

 にらみ合いの中黒が唐突にそう言いだした。

 

 「唯妖怪としての格をあなたに見せつけるだけ」

 「面白い。ならば存分に見せつけてみろ」

 

 笑いながら紅葉は術を解く。蘇っていた死者はまた骨になり山の土へと変える。もう紅葉は参戦しないという意思表示だ。

 

 「さて、貴方と少し話をしましょうか」

 「話か。今から無理やり話を聞かせるくらいわけないのだが?」

 「いいえ、それは不可能ですよ。貴方の正体は分かりました。そこから能力も推察できる。ならば貴方の能力に対して境界を変えれば良い。それだけで貴方に操られることもなくなる。そうでしょう? 神託を司る神。国津神の頂点に存在するダイコク様の子供の一人」

 「……何故分かった?」

 「まあ、貴方が持っている釣り道具に能力ですね。あれ程能力を使っていたらそこから正体を推察できますよ」

 

 笑いながら言うがそれは簡単な事じゃない。ありとあらゆる情報をあらかじめ入れておいて初めて分かる。それは紛れもない天才の頭脳でなければ不可能なことだ。そして黒はその天才に含まれる。

 

 「まあ、能力のおかげもありますがそれでも貴方の優位性は薄れています。それにここから逃げ切る程度には私も回復していますから」

 「そして私はここから逃げ切られたら負けという訳か」

 「そういう事です。しかし、私もまた力は欲しい。ですからあなたに一つ提案があります。貴方が私に協力してくださるというなら私もまた貴方に協力しましょう。心配せずともここには鬼がいるんです。約束は破りませんよ」

 「……分かった。その提案に乗るとしよう」

 

 何も黒はただ味方が欲しくてこの話を言ったわけではない。今の黒が彼女と戦えばある程度の抵抗はできるだろうがそれ以上は不可能だ。逃げる程度しかできない。それは彼女にもわかっている。しかし彼女も今逃げられる訳にはいかない。此処で逃げられてしまえばもはや会う事が出来るかどうかすらわからないからだ。

だからこそこの話に乗った。今逃げられる訳にはいかないから。

 

 「紅葉さん? これが私という妖怪の格ですよ。只戦うのではなく、より優位に場を持っていく。貴方達鬼にはない格」

 「確かにな。確かにそれもまた一つの格。主の格を認めてやろう。それと、だ。紅葉で良い。さんは要らぬ」

 

 紅葉に放していた黒が彼女に向き合い、一つの札を手渡す。 

 

 「では、貴方に式となって貰います」

 「式? 何故だ」

 「簡単なことですよ。協力する貴方に対しての保険です。貴方がいつ私の寝首をかかないとは限りませんからね。式である最中なら私に危害を加えることはできません。式を外れることもできますが式を外した瞬間私にもその情報が伝わります」

 「首輪か」

 「ええ。それが私が貴方に架す首輪。神である貴方には屈辱かも知れませんがね」

 「構わない。すでに神の誇りなど私にはない。あの時父が封印されると分かっていながら兄妹を、子供を、人間を守るために実の父神を見捨てた時にな」

 

 かつて高天原にて下界は天照大御神が治めるべきという話が出た。その際に葦原の中つ国、今の日本を治めていたダイコク様、大国主の神から国を奪い取った。その際に彼らはその報復を恐れて彼を封印してしまった。彼女はそうなることが分かっていながらも一人の父より多くの神と人間を取った。今でもそれを後悔している。だからこそ、彼女は黒を望んだ。スキマ妖怪の力である境界を変化させる力を。その力を持って父にかけられた封印を解こうとしていたのだ。

 

 「私の名は事代(ことしろ) 八重(やえ)だ。確かに父を解放するのに協力してもらうぞ?」

 

 手渡された札を自分に張り付けて事代は黒に強い瞳で言った。その瞳をまっすぐ見ながら黒もまた言う。

 

 「ええ。貴方が私に協力する限り私も貴方の願いを叶えましょう」

 

 此処に後の幻想郷で最も敵対してはならないと言われた主従の契約が交わされた。




前作での蒼です。今作では早くに名前が出ましたのでwikiですぐにわかると思います。
因みに結界の中は時間軸がずれていますので結界を出たとしてもまだ昼にもなっていません。ですので怪我を治療してから結界を出ました。じゃないと魔法学校で大騒ぎになりますから。事代と戦っていた時ですら体の一部を失っているという状態ですからね。


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それぞれが抱える内側

卒業式とそこに関係する裏話です。


 荘厳な講堂に多くの魔法使いが集まり、今進行している魔法使いの儀式を見守っている。一人一人の生徒の名前が呼ばれて校長から卒業親書を手渡されていく。大きくなった自分の子供の晴れ姿に親の中には涙を流す者もちらほらいる。

 校長に呼ばれた生徒の中にはネギとユギ、つまり黒の名前もあった。飛び級によって本来より遥かに早く卒業する事となった為に。

 本来ならネギと黒はまだこの魔法学校で授業を受けるべき年代だ。どれだけ優秀であっても魔法の秘匿などの意識を持たせるために飛び級をさせないはずなのだ。当り前だが数えで九歳。しかも魔法を常に使うような環境で育った幼い魔法使いがいきなり外の世界に出て魔法を使わないで暮らせる訳が無い。だからこそ本来どんな理由が有ろうとも飛び級は認められていない。少なくともウェールズの魔法学校ではマギが校長になってからはそうだ。

 しかし、二人は違う。魔法学校の上、つまりは魔法世界のメガロメセンブリアからの要望で飛び級を無理やりさせられたのだ。メガロメセンブリアは自分たちの手元にネギと黒を抑えて都合の良い人形に育てたかった。その為に幼い内からメガロでの修行を付けさせるために圧力をかけてきた。しかしその実態は修行とは名ばかりの洗脳であり、道具作りなのはすぐにわかったマギはそれに抵抗するために数年前に手を打っていた。

 

 

 

 

 「そうじゃ。頼むぞ」

 

 学校長室でマギがイスに座りながら念話で話している相手は近衛近右衛門という。麻帆良学園の学園長であり、関東魔法協会の理事長でもある。近右衛門にマギはある協力を頼んだ。近衛門に頼んだ理由としてはメガロに二人を任すよりかはこの狸の方がまだましだと。その為にネギたちの進路先へとなるように裏で交渉をしし続けていた。今日、お互いの間で何とか妥協案を付ける事が出来た。

 マギにとってはメガロの手から確実に守れる政治手腕を持った近右衛門に預けることで二人を守れる。近衛門には英雄の子供を育てるという栄誉を手にする事が出来る。二人にとって利点は存在し、デメリットもあるが目を瞑らなければならない。メリットと比べれば妥協しても十分なのだから。

 

 「これで良い。これでメガロは早々二人に手を出す事が出来なくなる」

 

 そのままマギはイスを立ち上がり、卒業式に配られる卒業賞与へととある魔法をかける。その魔法の効果は発動するはずの魔法効果をある程度自由にコントロールできるという高等魔法の一つだ。発動するはずの魔法を全く違う形で発動させるという魔法の効果で卒業証書の修行先についての内容を改ざんするために。

 

 「狂え、精霊よ。

 神は悪魔となり悪魔は人へ。

 人は神へと成りあがる。

 セフィロトの樹は崩れ去り、新たな理を築き上げよ!」

 

 掛けられた魔法は正しく作用して卒業証書の精霊を狂わせる。狂い、混乱しているうちに術者であるマギの望んだ形に精霊たちの性質を変えていく。これほどの魔法を行使できる魔法使いは旧世界では片手の指で数えて足りるほど。魔法世界ですら両手の指で十分なほどだ。魔法に絶対に必要な精霊の性質を変えるなどトップクラスの術者ですら行使できない方が多い。この魔法に限っていってしまえば英雄であり、ありとあらゆる魔法をあんちょこを使っていたとはいえ行使できていたナギですら使えない。同じようにエヴァンジェリンでも使えない。之だけでこの魔法がどれだけ難しい魔法かは分かるだろう。その魔法を使ってマギは卒業証書の修行先を捏造した。

 

 「親のしがらみを子供に残すしか儂らにはできんのか? 儂はあの子たちに何をしてやれただろうか?」

 

 余りにもちっぽけな自分の力に情けなく思いながらマギは苦悶を続ける。自分の孫を助ける事が出来たのだろうかと。

 

 

 

 

 イギリス、ウェールズから遠く離れた埼玉県の麻帆良学園都市では近右衛門が自分の城である学園長室にて今の念話の内容を何度もシミュレートしていた。

 英雄の息子。自身の娘の婿である詠春がかつて所属していた組織紅き翼。その実質的リーダーの息子。その子供をうまく育てられる事が出来れば近右衛門に、関東魔法協会にとってこれ以上ない栄誉となる事が出来る。しかし、逆に失敗する可能性もある。特にこの地にはかつてナギによって封印されたエヴァンジェリンがいる。彼女が彼らに危害を加えようとしないという保証はない。だがそれはなんとでもなる。学園結界を使えばエヴァンジェリンは完全に抑える事が出来るのだから問題にはならないだろう。

 

 「タカミチ君、君はどう思う? あの二人を実際に見た君はどう感じたかの?」

 

 近右衛門は自身の座っている席の近くに立っていた高畑・T・タカミチにそう話しかけた。

 

 「そうですね。ネギ君は良い子ですよ。立派な魔法使いを目指して頑張っています」

 「そうかの。ではユギ君の方は?」

 

 一瞬、タカミチの口がそこで止まる。言葉を探し、何かを探すように目を揺らしてしまう。

 

 「……何か問題でも?」

 「いえ、そういう訳ではありません。只、僕が彼を苦手としているだけです。

 ……そうですね、ユギ君は何と言ったら良いのか分かりませんが見通してくるような子です」

 「見通す?」

 「はい。ネギ君は気にしなかったことですがユギ君は母親の情報を知りたがっていました。どんな方法でも知ることはできないはずですがあの時僕に向けた瞳は軽蔑でした。まるで心の中で浮かんだ光景を見られてしまったかのように」

 

 タカミチの人生は綺麗なものではない。むしろ大人の汚さに翻弄されてきた人生でもある。その最大の悲劇の一つがネギとユギの母親であるアリカ王女の件だ。もし、あの時心に浮かんだ光景をユギが見たとしたら軽蔑されるのも当然と思えてしまう。

 

 「なるほど。あい分かった」

 

 それを聞いた近右衛門は自身の脳内で考えていた道に修正を加えていく。如何すれば一番よく魔法使いという世界を動かせるか。如何すればもっとも効率よく英雄を作れるかを。

 老人はかつて魑魅魍魎集う政治の世界で数多くの敵を蹴散らし、自身を守ってきた人間だ。その頭脳から考えだされるものは彼にとって一番うまみが強く、そして世界にとっても一番の方法だ。だが、この時彼は一つ大きな勘違いをしていた。彼にとってネギも黒も立派な魔法使いを目指していると思っていた。しかし黒はそもそも『魔法使い』ではない。例え魔法使いだったとしてもそんな事に自身の魔法を使うはずはないがそれでも近右衛門の勘違いは余りにも大きすぎた。どうあがいても好転する可能性が今この瞬間閉じきってしまった。近右衛門とマギの選択で黒は後々その本性を見せる事となる。

 

 

 

 

 卒業式の数日後の太平洋上空。とある格安旅客機のエコノミークラスの席の片方に彼、黒は座りながら麻帆良学園の資料を読んでいた。普通は黒のような幼子が一人で外国へ出かけるのなら異常であり、出国許可が下されるはずはないが魔法使いの力を持ってその常識破りは行われた。

 

 「それにしてもこれが飛行機というものか。此処から釣糸をたらせば何が釣れるかの?」

 「何も釣れないよ。こんな高速で飛んでいる物から垂らされた釣糸なんて魚からみたら何が何だかわからないし喰いつく時間が無いよ」

 

 そもそも高度数キロメートルの上空でそんな事をしようなんて考える方が可笑しい。まあ、彼女にとってその程度の物理現象なら影響されないのだが。

 呆れた声とともに今まで読んでいた麻帆良学園のパンフレットを閉じながら黒は顔をあげて隣を見る。先ほどまで誰も座っていなかったはずの席には一人の女性が座っていた。彼女の名は事代 八重。国津神の一柱であり、神託を司る神だ。少し前に黒と殺し合いをして最終的に彼女の願いをかなえる代わりに式となる契約を結んでいる。

 

 「それにしても何故お主は胡散臭い卒業証書の内容に従うのだ? 占いなら私が行っても良いのに」

 

 彼女の言う通り、そもそも精霊が選択した修行というのは実は適当だ。上手くいけば確かに大きな修行となるがあまり効果が出ない事が多い。修行の成果はむしろ人と人との触れ合いで精神的な面が鍛えられるだけだ。その面も別に精霊の力を借りずとも良い。だが魔法使いにとって精霊の選択した修行とは絶対的なイメージを持っている。だからこそ今までこの修行先の決定の方法について一度も変えられたことはない。

 その点、事代が行えばそれこそ言葉通り百発百中の占いすら可能だ。

 

 「そんなのは簡単。そもそも修行なんて興味はないしする気もない。ただ単純に日本という国がこれから行う行為の下地に相応しいから。あの地は普通では有り得ないほどに幻想を否定している(・・・・・・)。消え去ってゆく妖怪はあの場所が最も多い。それこそインディアンが今も暮らしている場所に住む妖怪と日本の妖怪では圧倒的に消える速度が違うくらいにはね」

 

 妖怪は実在しない。その身は幻想であるがゆえに肉体的な縛りはほとんどない。しかしその代り精神に依存する。その結果、人に忘れられてしまえば妖怪は消滅してしまう。忘れられたという事に妖怪は絶望を感じてしまうからだ。存在意義を失った妖怪はたとえどれほど強大な妖怪でもそう長くはもたない。今の日本は妖怪やそれに準ずる幻想にとって最悪な土地だ。だからこそその地はもっとも危機感に襲われている。その危機感から救済案を出したのは黒だ。上手く世論や情勢を操作すれば幻想郷へ参入する妖怪も多くなる。

 

 「だからこそ日本へ行く。元々日本は最初に訪れる予定だったから渡りに船だっただけ。それ以外だったら態々魔法使いの卒業試験なんて受けるはずがない」

 

 簡潔な内容だが事実、黒は絶対に魔法使いの修行などはしない。唯でさえ短い時間を無駄遣いしてしまう。

 

 「さて、蒼、貴方の疑問には答えた。そろそろ寝かせてもらうよ」

 

 自身の式神であり事代の式神としての名前を言いながらいそいそと黒はアイマスクをかけて毛布をスチュワーデスに頼み込み持ってきてもらう。

 

 「まあ、それにあえて言うのなら、あの地には大妖怪、いや神の一柱分の力がある。それを使えば計画がある程度楽にはなる」

 

 それだけ言い残して黒は眠りにつく。黒が眠ってしまったことを確認した事代はため息をつきながらその場から消えた。あとには只眠りつく黒と今まで起きていた全ての異常に気がつけなくされていた乗客だけ。人が現れて消える。話声を一切小さくしていないというのに周りの乗客には理解できなかった。そしてそれに疑問を突くことすら許されなかった。

 飛んでいる飛行機の隣で飛行しながら事代は黒の妖術で意識をずらされている乗客と黒を見ながらぽつりと漏らす。

 

 「会う度に妖力が増えているか。このままでは本当に人間性を失ってしまうぞ?」




サーバーの変更などでしばらくは書く事が出来ないので次回の投稿は今回かそれ以上かかってしまうかもしれません。


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麻帆良の歪み
麻帆良入り


お待たせしました。最新話です。


 麻帆良学園にはあまりにも広大なスペースの移動のために電車などの交通機関が発達している。黒はその一つの路線を使い麻帆良学園まで移動していた。

 時間帯は昼ごろ。黒は麻帆良学園に存在する一つの駅に降り立っていた。麻帆良学園中央駅。そこから見える風景は日本にして西洋風の建物が広がっておりまるで異国にいるかのような光景だ。そんな街並みの中、朝日のように輝く金髪に異国情緒あふれる服装を着た黒はまるで絵のように似合っていた。

 

 「少し早く着すぎたかな?」

 

 時計を見れば11時十分前を指しおり、約束の時間は11時。余裕を持って黒は待ち合わせの麻帆良学園中央駅に来たのだがどうやら待ち人はまだ来ておらず黒は駅の前で暇を持て余している。しかし、五分もしない内に関東魔法協会の関係者と思われる女性が黒の方へ歩み寄ってくる。

 

 「大変お待たせしました。関東魔法協会の源しずなです」

 

 そう言って挨拶をしたのはロングにウェーブのかかった髪の眼鏡をかけた大人の女性と言われるような女性だった。

 

 「いえ、こちらも来たばかりですのでお気になさらず。

 私はウェールズ魔法学院今期卒業生のユギ・スプリングフィールドです」

 

 挨拶を交わし手から黒はしずなに尋ねる。

 

 「それで学園長は? 挨拶をしたいのですが」

 「はい、今から案内させていただきます」

 

 黒の言葉にしずなはうなずいてから麻帆良女子中学校への道筋を案内する。

 

 「醜悪なまでの歪み。まあ、スキマ妖怪としてはこういった光景の方が好ましいのだけれども」

 「何かおっしゃられましたか?」

 「いえ、何も」

 「そうですか」

 

 道案内されながら黒は麻帆良学園の光景を眺め続けていた。普通の人間、或いは魔法使いにとってただの風景として見えるこの光景だがスキマ妖怪である黒から見ればありとあらゆる境界が狂わされている。常識と非常識の境界が混じり合い非常識を普通の常識と思えるように。都合の悪い事は忘れやすくなるように、都合の悪いところに目を向けられないように意識と無意識を操ろうとする魔法の境界。そう言った光景が黒の瞳には映っていた。

 

 しばらく学園内を歩いた後に黒としずなは女子中学校の前に到着した。

 

 「……まさかとは思いますけど此処に理事長で有られる近衛近右衛門殿がいらっしゃるなどはあり得ませんよね?」

 「いいえ、此処に普段近右衛門はいます」

 

 余りの事に黒は一瞬愕然としてしまう。何故こんな所に最高責任者がいるのだと。

 当たり前の話だが関東魔法協会は日本での心象は最悪だ。明治時代高圧的な魔法使いによって聖地ともいえる土地を奪い去り傲慢にも一般人を学校という隠れ蓑を利用して盾にし、他の勢力が攻めてこないようにしている。それが各地の呪術、神道、道教、修験道等の神秘を利用する結社や組織の印象だ。そんなところにさらに近衛という苗字を持つ近右衛門が理事となって運営している。近衛の祖は阿部清明だ。日本屈指の陰陽師の血をひきながら西洋魔術師に協力している近右衛門を憎む術者は多い。むしろ日本において憎んでいない術者は皆無といっても良い。そんな存在が一般人の近くにいつもいるというのは余りにも無警戒すぎる。

 

 「それが如何しましたか?」

 「……いいえ、何でもありませんよ」

 

 普通こういった場合一般市民には有事の際に被害が及ばないように離れる、もしくは近づけないようにして一般人の安全を図るべきなのだ。大規模な呪いをかけられたら? 一般人ごと大規模な攻撃を仕掛けられたら? そんな事態が起きても一般人を巻き込まないようにトップは最低でも考慮しなければならない。確かにこれほどの規模を持つ魔法協会なら敵対するものは早々いない。だがそれでも起きるときは起きる。敵対した術者が一般人も巻き込むつもりでテロを起こす可能性だってある。それなのにむしろ一般人という名の盾に囲まれている近右衛門は一般人を盾にしたとしても何も思わない下種か、その程度の事すら考えられない愚図のどちらかだ。そして関東魔法協会理事長まで上り詰めた近右衛門が愚図なはずがない。つまり近右衛門は一般人を盾にしても構わないという思想の持ち主だ。

 そう黒は判断してわずかばかりの嫌悪感を持つ。黒は妖怪である。人の事をとやかく言うつもりはない。言う資格はない。しかしそれでも他者をむさぼってまで醜悪に生き続けようとする思想を嫌悪する感情はある。

 

 「そうですか」

 

 しずなに案内されながらも黒は近右衛門を油断してはならない寄生虫だと判断する。隙を見せればメリットの身をむさぼりデメリットはこちらに対処させようとする。そして自身の糧を手にしてきたような人種だと。そうして近右衛門という人間に対するある程度のプロファイリングをしながら黒としずなは学園長室に入る。

 色々な調度品や応接室代わりに使われるのか上等なソファーなどがそこには用意されていた。

 

 「長い旅路お疲れ様じゃ、ユギ君」

 

 異常に長い後頭部やまつげに目を隠しながらフォフォフォと長いひげをさすり快活に笑う老人、近衛近右衛門と、

 

 「久しぶりだね。ユギ君」

 

 学園長の隣に立っていたスーツを着て無精ひげを生やした壮年の男性、高畑・T・タカミチが黒を出迎えた。

 

 「初めまして近右衛門殿。私、ユギ・スプリングフィールドこの度は大変お世話になります。そしてお久しぶりです。高畑教諭」

 

 淡々と黒は学園長とタカミチに挨拶を交わしていく。

 

 「フォ、気にする事はない。君たちのような若輩を導くのも儂らの務めじゃ。

 ネギ君は確か」

 「はい、ネギはまだ日本語の習得の最中で遅れます。私は一応まほネットで日本向けの魔法薬を売っていたため、日本語は喋る事が出来ます。ですので早めに日本を訪れて日本に慣れようと思い、ネギより早く先に来させていただきました」

 

 まほネットでの魔法薬販売。本来は業者などが行うが苦学生などが小遣い稼ぎに魔法薬を売ることなどがある。もちろんその魔法薬がきちんと使えるかなどのチェックは受けており、ユギも魔法薬を売る際にきちんとチェックを受けている。また、魔法薬を注文されるなど日本語やその他の言語を使う機会がユギには多く多種多様な言語をこの年で使いこなすこともできる。

 

 「確かにまほネットでの魔法薬販売について君のお爺さんから聞かされておる。優秀な薬師だという事ものう」

 「お褒めに預かり光栄です」

 「そう謙遜することはないよ。僕の知り合いも君が調合した魔法薬を使っている人物がいてね。以前使っていた物より魔力のノリが良くなったって喜んでいたよ」

 

 タカミチの世辞も黒にとっては如何でも良い事。しかし今はそれに合わせるしかない。合わせることで魔法使いにとって都合の良い存在のイメージを形作っていく。

 

 「そうですか。それは良かったです。私が作った魔法薬で誰かが助かるのならうれしい限りです」

 「ハハハ、彼女も喜んでいたからね。これからも直接的ではないにしても間接的に多くの人間を救える可能性の高い君の魔法薬は僕たちも期待しているからね」

 

 朗らかに笑うタカミチに軽く相槌を打つ黒に学園長はこれからの学園での予定を話し始める。

 

 「ふむ。ではこれから少し大切なことを話すとしよう。

 これから君には麻帆良学園女子中等部の理科の教師となって貰う」

 「はい」

 「ではこれから君が住む場所は―」

 「その点に関してはお気になさらず」

 「む?」

 

 今から黒の住む場所を指示しようとした瞬間に黒が発した言葉に疑問の声を上げて止まる。

 

 「住む場所は既に決めておりますので」

 「いや、そういう訳ではなく子供である君一人が―」

 「魔法使いにとって卒業したら成人したようなもの。自分の暮らす家も自分で用意するべきでしょう」

 「あー、確かにそうじゃが」

 

 近右衛門にとってこれは不味い。できるだけ恩を売っておけば後々黒から利益を貰える可能性が高い。人の情というものは意外と強いものだ。それが特に感謝という気持ちなら操りやすい。だからこそ近衛門は居住地という用意しやすいものである程度の恩を与えたかったのだ。しかしこのままではそれも上手くいかない。

 一方黒のいう事は魔法使いとしては当然だ。黒とネギの同期の卒業生、或いは過去の卒業生の多くは自分で仮の居住地を用意したり下宿先を決める。そこからすでに修行。そうして一般人に不信がられないような行動を覚えていく。そのため今回の話は黒の方に理がある。

 

 「しかし、そうもいかん」

 

 それでもなお近右衛門としては折れるわけにいかない。単純に恩を売るだけではなく住む家の場所などはこちらの用意した場所に置くことで都合の良い状態へ持って行けるからだ。

 

 「それに日本には保証人も必要じゃろう。知り合いの大人の射ない状態の君が借りれる訳が無い。幾ら決めたとしても実際には借りれん」

 

 近右衛門のいう事も当然だ。子供が借りるという摩訶不思議な状態は魔法薬で大人に化けたりほかにもさまざまな方法でクリアすることはできるが保証人という問題がある。普通(・・)は信頼される大人の印が必要なのだ。

 

 「だから儂らが用意した場所を使うと良い」

 

 フォフォと笑いながらそう最後を締めくくった近右衛門に黒は懐から一通の封書を見せて近右衛門に渡す。

 

 「む? 何じゃ?」

 

 その封書を開けてそこに書かれている名前を読んだ瞬間近右衛門は驚愕に動きを止めてしまい、それを不審がったタカミチが封書を覗き見てしまう。

 

 「なっ!!?」

 

 そこに書かれていたのはとある一軒家の持ち主の名前。そしてその人物との賃貸契約の証。借主の欄にはユギ・スプリングフィールド。保証人にはマギ・スプリングフィールド。そして何より持ち主の名前はタカミチにはなじみ深い名前だった。かつての仲間にして袂を分かってしまった男。持ち主の大家の欄にはクルト・ゲーデルと達筆な筆記体で書かれていた。

 

 

 




次回生徒たちとの顔合わせです。


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初顔合わせ

今回余り長くはありません。


 学園長室には静寂が訪れていた。その原因は黒が持ち込んだ一通の封書。その封書にはメガロメセンブリアの最高意思決定機関である元老院の政治家、クルト・ゲーデルの名前が書かれている。其れこそが問題。関東魔法協会としては容易に許容できる内容ではない。

 

 「こ、これは?」

 「クルトさんとは知人でして」

 

 学園長の疑問に黒は短く返す。

 

 「ある時知り合いましてそれから良くしてもらっている良い人です」

 「な、彼は――」

 「高畑さん、私の知人に何か問題でも?」

 

 それは明確な拒絶として高畑に帰ってきた。当り前だ。誰も知人の事で口出しするべきではない。そう言った形で黒は警告したのだ。これで無理やり黒を学園の都合の良い形にしようとしたらクルトというルートを通じて圧力がかかる。その為に学園長は手を出すわけにはいかない。手を出せない。

 

 「それではこれで失礼しても?」

 「あ、ああ、構わんよ。しばらくは補佐として他の先生にも協力してもらいなさい」

 「はい、分かりました」

 

 失礼します。そう言い残して黒は学園長室から退出した。

 あとに残された二人は現状の拙さを認識するしかなかった。学園長としては余計な事をしすぎて不信感を持たれればすぐさまクルトを通じて元老院が動き出す。高畑としてはクルトのような考えを下手すれば持つかも知れないという可能性に危機感を覚えている。

 

 「学園長」

 「分かっておる。しかし、正当なのはあちらじゃ。今から何を言ったところでそれは難癖じゃし、如何にもならん」

 

 高畑は顔を俯かせて悔しさの余り奥歯をかみしめる。

 何故、ネギ君ばかり見ていた? あの子の事だってきちんと見ていたらクルトに騙されなかったかも知れないのに。そう脳裏で悔やみながら。

 

 

 

 

 学園長室を出た黒はしずなと一緒にある教室へ向かう。そこは2年A組と書かれている表札が掲げられており中からはざわめきが聞こえている。

 

 「此処がこれから貴方が教える生徒たちですよ」

 「そうですか。案内ありがとうございます、しずな教諭」

 「いえいえ。では少し待っていてください。今から彼女たちに話をしていきますので」

 

 そう言ってしずなは教室の中に入っていった。てもちぶたさな黒はしずなから渡されたクラス名簿を覗きながらしばらく教室の外で待つことにし、生徒の顔と名前を憶えていく。

 

 「それでは、ユギ先生」

 

 丁度、黒が生徒の顔と名前を覚えた時にしずなは教室の扉を開けて黒を中に招く。

 

 「失礼します」

 「え!? 子供?」

 「しずな先生、本当にこの子が先生なんですか?」

 「かわいい~~~~~♪」

 「西洋人形みたい!」

 

 黒が入って最初に感じたのは敵意。しかしそれもすぐに消え去り今度は多数の人間による興味が黒を襲う。突然の新しく入る先生に元々好奇心旺盛な彼女たちにさらに子供が入ったことによってさらにその好奇心が刺激された結果通常ではありえないほどの興奮状態にまでなってしまう。それこそすぐにでも黒に飛びかかりそうなくらいには。

 

 「落ち着いてください、皆さん。このままでは挨拶ができないので」

 

 黒がそう年齢に合わない落ち着きを見せながらそう注意すると彼女たちも少々騒ぎすぎたと気付いたのかほんの少しだけ声のトーンを落とし、落ち着きを見せる。

 

 「本日から三学期という短い時間に限りますが副担任という形で指導させていただくユギ・スプリングフィールドと申します。多くのご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします。またもう少ししたら私の兄にあたるネギも来ますので重ね重ね宜しくお願いします」

 

 黒のスプリングフィールドという家名に反応したのは4名。その4名の彼女らは裏の関係者だというあたりを付けて黒はさらに続ける。

 

 「幸い、この時間はLHRとお聞きしています。しずな先生さえ宜しければ私は皆様との距離を縮めるために質問タイムとしたいと思います」

 「ハイハイ! しずな先生、良いですよね!!」

 「ええ、まあ今日はこれと言って特に大事なことはありませんから良いですよ」

 「「「「「ハイハイ! 質問質問!!」」」」」

 

 クラス内の多くの生徒たちが手をあげて黒に質問をしようとしている。その一人一人を見ながら黒は適当な人物の名前を挙げる。

 

 「それでは出席番号16佐々木まき絵さん」

 「え? 先生私たちの名前もう覚えたの?」

 「ええ、先ほど廊下で待っている間に軽くクラス名簿を見て覚えました」

 「「「凄い!! え、天才なの?」」」

 

 髪の左側に髪留めを付けた女生徒の一人、まき絵を指名するとその記憶力に多くの生徒が驚いた。当り前だが三十名の名前など簡単に覚えきれるものではない。しばらく時間が掛かってしまう。しかし黒はそれを余りにも短期間に覚え切ってしまったのだから生徒たちの驚きも決して大げさではない。

 

 「それでまき絵さん。質問は?」

 「あ、はい。えっと、年齢はいくつですか?」

 「年齢ですか。数えで十歳なので今は九つですね」

 「えっ、ウソ!」

 「本当ですよ」

 

 更に黒がもらした情報に多くの生徒が驚きをさらしてしまう。自分たちも十四位とはいえいくらなんでも九歳の先生なんているのかと。ただそれはすぐさま結界の作用で心の底からきれいさっぱりなくなってしまう。それを知覚できる黒だからこそほんのわずかに顔を歪める。しかしそれは本当に僅かに動いただけ。誰にも気づかれる頃なく消えていった。

 

 「では次は」

 「ハイハイ、私! 私! 麻帆良のパパラッチ事朝倉和美に!」

 「そこまで自己主張できるのならその積極性に免じて朝倉さんにしましょうか」

 「やった! 話が分かるぅ!」

 

 そうして黒はこの日の最後の授業の時間を使い、生徒たちの輪に入ることに成功した。無邪気で無知な彼女たちはそれが学園の思惑だとは知らない。そしてその思惑を知りながら黒がその思惑を利用したことも。それは後々に分かる事。それでも彼女たちの一部しかそのことは知らず、多くの生徒は黒の事をただの先生としかとらえられない。そうなるように黒が誘導するからだ。

 

 

 

 あの質問攻めと学校が終わり、黒はクルトに用意させておいた使うつもりもない家にて待ち続けていた。ならば何故家を用意したかというとそこで情報のやり取りをする為と学園側からの余計な手出しを防ぐためだ。

 

 「すみませんね、遅れてしまって」

 

 ソファーに座っていた黒の目の前に何時の間にかつむじ風を発生させて崇徳白峰がその場に立っていた。今日この家で黒が待っていたのは目の前の人物と情報の交換をする必要があったからだ。預けている件についての新着状況を知るために。

 

 「別にかまいませんよ。時間はまだ十分ありますからね」

 「そうですか。では頼まれていた件ですが、もう少し時間が欲しいですね。大分形にはなってきていますがまだまだな部分も。とにかくやる気を出させないとそう簡単には進まないでしょうね。できれば貴方に来てもらって励ましてもらえればすぐに準備は終わりますよ」

 「……私にあそこに行けと?」

 

 苦々しい表情で黒は白峰を睨みつける。今の彼には崇徳が言った場所にはとてもではないが行けない。それを知っていながらの皮肉にいつもの余裕を見せずに黒は睨みつける。それは黒を知っている者なら驚くことだ。あの冷静沈着な黒がこうして感情を表に出すことは少ない。全くないわけではないのだがそれでも表に出すことはそうそうない。

 

 「とはいえ将来的には確認しなければならないのも事実。それまでは貴方達天狗に任せる。貴方達にはぴったりの仕事でしょう」

 「確かにまあ、そうですが。あと少しの期間だけですがしっかりと預からせてもらいます」

 

 瞳で余計なことはするなよと釘を刺して黒はスキマに消えていく。そうして白峰もまたこの家から静かに闇夜に飛び去って行った。

 

 

 

 これから先黒は誰にも知られない歴史の裏で暗躍する。妖怪らしく暗闇に紛れて誰にも気が付かれず、裏で策略をし、全てを支配する。それは光あふれる英雄の道とは真逆。決して人からは賞賛されず誰にも理解されない道。けれどそれこそが黒の望む道。人間ではなく妖怪として生きる黒が進む道なのだ。




顔合わせと裏での暗躍で終わりです。


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彼女という幻想は?

 「ユギ先生、どこか行かない?」

 

 そう言ったのは明石裕奈だ。黒は見た目は可愛らしい西洋人形のような子供だ。生徒たちからはその容姿も相まって人気が高い。その為、こういったお誘いはよくある。

 

 「申し訳ありませんが、今日はする仕事がありますので」

 

 そう断る黒に、裕奈は幾分がっかりしたがすぐに気を取り直して別れの挨拶をして下校していく。

 そんな彼女を見送った後、黒は自分で用意した仕事を片付けていく。仕事で他の人より遅くなっても可笑しくはないような量の仕事を。 

 

 

 

 かちこちと時計の針が進み、既に七時を過ぎている。周りの教師はほとんど帰宅しており、残っているのは黒が魔法関係者と知っている教師だけだ。その教師も黒が帰ればすぐに帰るだろう。教師は学園長の指示で黒を監視しながら、護衛も兼ねている。だからこそ、こうして黒が帰るまでこうやって残り続けている。

 

 「瀬流彦教諭」

 「ん? 何だい?」

 「少々教室に忘れ物をしたので、取りに行ってもよろしいでしょうか?」

 「何だ、そんなことかい。大丈夫だよ。唯、できるだけ早く来てね。君が帰ってからじゃないと大人の僕も安心して帰ることはできないから」

 

 瀬流彦は魔法先生でもありながら、その感性はあまり一般人と変わらない。だからこそ、こうして子供である黒が帰るまでの面倒を見ることを許容している。それに瀬流彦としてもこの年齢から生徒の為に行動している黒には好感を持てる。

 

 「ありがとうございます。唯、探すのに時間が掛かってしまうので三十分くらいかかってしまいますが」

 「……少し長いね? 僕も探すのを手伝おうか?」

 「いえいえ、大丈夫です。忘れたのは万年筆でして。祖父から送られたものなので取りに行くだけです。唯小さいので探すのに時間が掛かるだけですから」

 「そうかい? もし見つからなかったら、僕にも言ってくれよ。探すのを手伝ってあげるから」

 「そうですか。見つからなかったらお願いしますね」

 

 黒は職員室にある教室の鍵を手に取り、真っ直ぐと進む。その顔に笑みを張り付けて。

 

 

 

 黒が探していたものはすぐに見つかった。なぜならそれは何時も同じ場所にいるのだから。時には違う場所に行くが今日は此処に居た。いや、此処に居るように昼間、誘導しておいた。

 

 「こうして話するのは初めてですね、さよさん」

 「え?」

 

 あたりは薄闇になった世界に、そうやって忘れられた幽霊と、忘れられていく妖怪が対面した。

 

 「えっと、ユギ先生? 私が見えるんですか?」

 「ええ、視えますよ。私には貴方の境界がはっきりと視えます」

 

 さよは黒の言い回しに違和感を感じたが、それよりも今の状態の方がよっぽど重大な事として感じた。だからこそ一瞬でその違和感を忘れてしまった。

 

 「本当ですか! う、うう! ようやく私を見てくれる人が!」

 

 長い間誰にも気が付かれないでいたさよにとって、黒が見つけてくれたという事実は非常に重い。何十年という孤独。誰にも気が付かれないで過ごしてきた年月の重みがさよを縛り付けていた。そしてそれを解放したのが黒だ。

 

 「大丈夫。私はずっと貴方を視れますよ。普通の魔法使いなどの中途半端な存在とは違ってね」

 「魔法……使い? それに普通?」

 「ええ。此処、麻帆良学園は魔法使いにとって都合の良い街です。そうなるように作られた。だから貴方も自我を失わないで亡霊に近い形で幻想として存在し続けていた。

 とはいえ、幻想として存在するあまり、幻想を認識できない普通の魔法使いでは貴方はそうそう見つけられないでしょうがね」

 

 くすくすと愉快そうに笑う黒。しかし、彼はさよの疑問に一切答えていない。

 

 「あ、あの普通の魔法使いって?」

 「半人前の魔法使いですよ。これで幻想を知っているのなら、そこから魔法使いにも至れるかも知れないのですが。とはいえ、それは彼らに期待する方が酷というもの。

 幻想というものは共有できない。それなのに大衆化させるためにありとあらゆる物を吸収し、はては科学を混ぜ切った時点で彼らの魔法は幻想にとって余りにもかけ離れてしまいましたが」

 「は、はぁ」

 

 言われた言葉がさっぱり分からなかったさよは生返事で返す。その返答を聞きながらさらに黒は嗤う。

 

 「ねえ、さよさん? 貴方は幽霊(幻想)から違う存在(幻想)になりたいですか?」

 「え! そ、それってどういう意味ですか!!?」

 

 今にも黒に掴みがからん勢いで、さよはその話に喰らいついた。

 

 「それって私が生き返られるっていう事ですか!」

 

 生への執着。それに死してなお、人間という魂は縛られる。

 蘇る。それが可能だとしたらどれだけさよは救われただろうか。しかし、いくら規格外の力を誇る黒でも勝手に人間を生き返らせるだけの権限はない。肉体が有り、死んだばかりならまだ是非曲直庁に悟られていない間に生と死の境界を変えられるが、さよは余りにも遅すぎるし、肉体自体が無い。

 

 「いえ、それは不可能です。しかし、似たような方法があると言ったら?」

 「ほ、本当ですか! それは!」

 「簡単ですよ。貴方は肉体を失った。しかし、今の貴方に魂はある。亡霊になってしまうのも良し。但し、こちらはあまりお勧めできません。単純に弱点となる死体が何処にあるか分からないですからね。

 私がお勧めするのは、魂を純化させて縁の深い物品に付着させて仙人になる事ですね」

 「せ、仙人?」

 

 さよの頭の中では髭の長い老人が雲に乗ってフォフォと朗らかに笑っている姿が浮かんでいた。

 

 「まあ、正しくは尸解仙という仙人の種類ですがね」

 「そ、そしたら!?」

 「仙人にとって肉体なんていくらでも作れるでしょうね。魂が劣化しない限りはいくらでも生きることはできますし」

 

 仙人にとって重要なのは肉体ではない。その肉の器の中にある魂だ。

 

 「仙人になれば、私は食事ができますか?」

 「できますとも」

 「仙人になれば、私はお買い物ができますか?」

 「できます」

 「仙人になれば、私は、私は孤独から解放されますか?

 この永遠に一人っきりだと思っていた孤独の闇から。けして触れられなかった人の、現世の世界に」

 「解放されるでしょうね。人とだっていくらでも触れ合えます」

 「あ、ああ! 私は、私は!」

 

 それだけで十分だった。さよはあまり賢いとは言えないだろう。でも、黒が何かをたくらんでいるくらいは分かる。それでも、利用されているだけだとしても、彼女にとって孤独から解放されるのなら何でも良かった。

 

 「お願いします。私は何だってします。だから私に仙人になる方法を教えてください!」

 「良いですよ。それと私から望むのは唯一つ。私の事を誰にも知らせない事(・・・・・・・・・・・・・)。私の事を他の人物に話したらその時点で貴方は仙人になる事は不可能になり、再び永遠の孤独に飲み込まれるでしょう」

 「決して、決して誰にも言いません。ですから、私にその方法を教えてください」

 

 黒は笑いながら彼女を招待する。ありとあらゆる幻想を取り囲み、守護する結界の中へ。誰にも知られずに、誰にも悟られずに彼女という幻想を守るために。そして彼女は今、その為の片道切符を知らずに切ってしまった。

 

 「貴方にとって生前愛用していた道具を言ってください。そしたら私が用意しますから。用意したその道具に、あなたの魂を付着させて吸収させます。とはいえ、いきなり人間一人分の魂を物に吹き込んだら壊れてしまうので時間が掛かりますが」

 

 当たり前の話だが、仙人になった魂というものは非常に容量が大きい。そこらの道具を使ってはすぐに壊れてしまう。

 

 「で、でも私覚えていないんです。昔の事は」

 

 だからこそ、愛用していた道具など、仙人の魂に一番触れ合う機会の多い道具を使用するのだ。しかしその方法はさよには使えない。さよには生前の記憶が無い。だからこそ道具を用意することはできない。

 

 「そうですか。では貴方の魂を納められるだけの道具は私が用意しましょう。とはいえ、それまで待つのも酷というものですね。……それならば、体が用意できた時の為に自衛手段も覚えても良いかもしれませんね」

 「自衛?」

 「ええ。仙人というのは比較的狙われやすいのですよ。ですから身を守るためにその術を覚えませんか?」

 「身を守る? それは?」

 「何、ただ本当の魔法使いになって貰いたいのですよ」

 

 黒は何も話さない。それが如何いう意味を成すのか。そして、彼女はそれを知ることはできない。それでも彼女には従わないという選択肢は存在しない。

 

 「では、また後日。それと申し訳ありませんが私の情報は他人に話せないようにさせていただきました」

 「え?」

 「ああ、特に気にされなくても結構ですよ。日常では困ることはないでしょうから」

 

 その言葉を最後に、黒はさよと別れて職員室へ向かう。嘲笑を浮かべて。

 

 「まあ、貴方は仙人にも、魔法使いにもなれませんがね」

 

 くすくすと廊下に哂い声が響く。黒にとって必要なのは彼女の肉体ではない。彼女の魂だけ。それでも一応道具は用意しているが、それは使わないだろうと黒は予測している。

 

 「さて、貴方は如何して亡霊と間違えるほど、明確な意識を持っているのでしょうかね?」

 

 そしてそれこそ、彼女が仙人にも魔法使いにもなれない理由。

 

 「まあ、それを乗り越えたというのなら、それだけで貴方の魂は今の人間とは比べようがないほど優れている。そう時間もかからずに天人になるほどに。とはいえ、貴方の魂はそうならないでしょうがね」

 

 理由が分かるこそ、黒は哂ってしまう。哂い、そして。

 

 「ああ、くそったれ。あの老害が(・・・・・)!」

 

 怒り狂う。黒は本来そう怒る性質じゃない。それでも、怒りを覚えるほどの理由なのだ。

 

 「お前は一度知れ。お前が無いがしろにした者の怒りを。そして、その怒りを持ってこの美しく、穢れきった世界から住ね!」

 

 廊下を歩く黒の背中には確かに怒りが存在している。ふつふつとわき立ち、そしてそれらは全てが黒の内面に溜り淀んでいく。

 

 「おや、早かったね?」

 「ええ、早く見つける事が出来ました」

 

 しかし、それは誰にも気が付かせない。それが気が付かれる時は黒の目的が達成した時だけなのだから。 

 

  



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ネギの修行の始まり

 麻帆良学園女子校エリアで、一人の少年が立っていた。そう、女子校エリア(・・・・・・)で。

 その少年はネギ・スプリングフィールド。黒の兄にして、真実魔法使いから望まれる英雄の子だ。今日から麻帆良学園で教師という修行内容を務めるために、こうしてやってきたのだが……。

 子供一人がこんな場所にいるのはまだ、まだ許容できるだろう。しかし、大きな杖を持っているのは余りにも異常すぎる。それが普通の感性だが、彼とこの場所においては違う。

 ネギにとって、魔法の発動媒体である杖はもっていて当然だし、結界の効果が効くこの麻帆良の地では、その程度の事は異常にすらならない。本来ならこの時点で修行は失敗といっても良い。修行の目的の一つは、魔法をばれないように暮らすという内容でもあるからだ。だが、ネギは違う。失敗していても、黙認される。この場所であり、英雄の息子である限り。

 

 「ここが麻帆良か。ユギが先に来て頑張っているんだ! 僕も頑張ろう!」

 

 そう言ってネギは魔力で身体能力を強化して、周りの生徒たちと一緒に走り始める。それが本来ならどれだけの異常なのかを理解しないで。十歳にも満たない子供が、スケボーやその他の道具を使って走る学生と一緒に走っている。それがどれだけの事なのか、ネギは分かっていない。とはいえ、それも仕方がない。今の今まで、ネギは魔法使いのいる場所から出たことが無い。その為に、一般常識というものを知らないのだ。

 だから、諍いを引き起こしてしまう。

 

 「行き成り出てきて、なんていう縁起の悪い事を言うのよ!」

 

 オッドアイが特徴的な少女に、ネギは頬を掴まれて持ち上げられている。それもすべてネギが悪いのだが。

 少女が黒髪の友人と占いの話をしている時に、ネギは話に入ってしまった。これでもし友達だったら、笑い話で済んだかもしれない。しかし、彼女にとってネギは見ず知らずの子供。しかも、その子供が話した内容は彼女にとって、見過ごせるようなものではなかった。

 ネギからしてみれば、縁起が悪いから注意した。それだけだが、生憎ここは日本。ネギの住んでいたイギリスと違って、こういった話は軽々と話すべきではないのだ。それを知らないネギはイギリスと同じ感覚で話してしまった。それが間違いだった。

 だがネギはそれに気が付かない。当り前だ。彼にとって、今の状態は親切に教えたのに理不尽に怒られている。そう思っているのだから。

 

 「如何したのですか、明日菜さん?」

 「ふんぎぎぎぎ!」

 「ああ、ユギ先生。おはようさん」

 「ええ、おはようございます。木乃香さん」

 

 だがそこにネギにとっては救世主、明日菜にとっては苦手なガキンチョがその場を通りかかった。三人での騒ぎは人通りの激しいこの道でも姦しく、あたりの注目を集めきってしまっているため黒が近寄ってきたのだ。

 だがネギを持ち上げている少女、明日菜に話しかけても何も返ってこない事が分かった黒は、隣にいる黒髪の少女、木乃香に話を聞いた。

 

 「これは?」

 「それがなぁ、この子がアスナに失恋の相が出ているって言っちゃたんよ」

 

 それだけ聞くと黒は額に手を当ててため息を付き、明日菜に話しかける。

 

 「申し訳ありません、明日菜さん。貴方の怒りはごもっともですが、愚兄を放してもらっても宜しいでしょうか?」

 「嫌よ! 私はこいつに!」

 「それなのですが、文化の違いという事で理解してくれませんか? 私も兄もイギリスで暮らしていたため、日本の文化とは違った考え方なのです。兄としては、貴方に失恋の相が出ているから注意しないといけませんよ。と言いたかっただけなのです」

 「う! で、でも!」

 「もちろん明日菜さんの怒りは当然です。しかし、ここは私の顔を立ててくれませんか?」

 「わ、分かったわよ!」

 

 そんな話を聞いた木乃香は、隣で降ろされたネギを見ながら「兄弟なん?」「え、はい」と呑気に会話していたが。

 自身の苦手とする“理屈の上手な餓鬼”である黒を相手に、明日菜は渋々怒りを飲み込んだ。ここで何を言ったところで上手く丸め込まれて、怒りを飲み込まされる。そう理解しているのだからこそ、明日菜は怒りをこらえて内に籠めた。

 

 「おーい」

 

 明日菜が怒りを堪え切った時、一人の中年の男性の声が響いた。その声はネギにとって懐かしい友人の声であり、その声に返答した。

 

 「久しぶり、タカミチ!」

 「久しぶりだね、ネギ君」

 

 その様子に明日菜は、自身の担任であり、恋心を秘めている相手との知り合いと驚いている。

 

 「し、知り合い!?」

 「ええ、そうですよ。私の父と高畑さんは知り合いらしいので」

 

 「そういう事は早く言いなさいよ!!」と言っている明日菜を無視して、黒はネギに話しかける。

 

 「先にあいさつを済ませたらどうです? 相手との友好な関係を作るには、まず挨拶からと言いますし」

 「う、うん。分かった。でも、何でさっきからユギは敬語を使っているの?」

 「ここは社会ですからね。兄弟だから、子供だからといった理由で礼儀を失うわけにはいきません。ですから、学校内では私はユギ・スプリングフィールドであっても、ネギ・スプリングフィールドと兄弟ではないと考えてください」

 「そ、そこまでしないといけないの!?」

 「ええ、私はそう思っていますので。貴方は貴方が思った行動をすればよいでしょう。別に誰もそれを否定しませんし、責任は自分で取れば良いのですから」

 

 ネギはそこまで聞くと、少しだけ不満を見せて目の前の少女たちに挨拶を交わす。

 

 「初めまして。今日から先生となります、ネギ・スプリングフィールドです」

 「えっ? ええええーーーーー!!!?」

 

 それを聞いた明日菜は大騒ぎになり、対照的に木乃香は落ち着いて明日菜に説明する。

 

 「忘れたん、明日菜? ユギ先生が来た時、最初にお兄さんが後々来るって言うてたやん」

 「え? 言っていたっけ?」

 「言うてたよ」

 

 そんな様子を眺めていた黒とネギだったが、ここで一つの不幸が巻き起こった。

 

 「それでね、出張の多い僕の代わりにネギ君が君たちの担任になるんだよ」

 

 恋する高畑の言葉にショックを受けた明日菜は、ネギに掴みかかり文句を言う。

 

 「何であんたみたいな餓鬼が私たちの先生なのよ! まだ、ユギ先生なら納得しきれないけど納得するわ! けど、アンタみたいな礼儀も何も出来ない餓鬼が先生なんて納得できる訳が無いでしょう!」

 

 そう言ってネギに掴みかかったのだが、それが不幸の始まりだった。

 明日菜のツインテールにした長髪が、ネギの鼻をくすぐり、くしゃみをさせてしまったのだ。

 それが普通の相手ならまだ良かっただろう。唾が飛んだ程度で済んだ。だが、ネギは違う。魔力の莫大さと引き換えに、魔力コントロールの低いネギはくしゃみで魔法を発動させてしまうのだ。そしてその魔法は『武装解除呪文』と呼ばれる、相手の武装を解除する初歩魔法の一つだ。だが、この魔法一つだけ欠点がある。

 それは、対象者の服まで吹き飛ばしてしまうという効果があるのだ。黒が何度も魔力コントロールを上げたほうが良いと忠告していたのだが、ネギは魔力コントロールを鍛えなかったのか、今も変わらずくしゃみでこの魔法を放ってしまう。

 そしてその魔法の矛先は、

 

 「きゃああああああ!!!!! なによ、これ!!」

 

 目の前にいた明日菜だ。明日菜は来ていた服を武装解除されて、下着姿にされる。しかも、好きな相手の目の前で。

 それは少女とはいえ、女の身にはあまりにも酷すぎる行為だ。なのに、それを行ったネギは、

 

 (失礼な人だ! せっかく、占いだって親切に教えたのに! それにユギができるのなら、僕だってできる!)

 

 そう、自分勝手なことを考えていた。だから、黒は明日菜と木乃香が着替えるために立ち去った後に、ネギの頭をはたいたのだ。

 

 「いた!」

 「いた! ではありません。明日菜さんと比べれば、まだはるかにマシです。彼女は往来で裸にされたんですからね」

 「で、でも」

 「でももしかしもありません。貴方が彼女を裸にさせたというのは変わりありません。そのことを反省するのならまだしも、貴方は自分勝手に彼女が悪いと考えていたでしょう」

 

 言われたことが正論であり、自分が考えていたことを当てられてしまったネギには反論する事が出来ない。

 

 「はぁ。確かに日本に来る前に行ったはずですよ? くしゃみで武装解除しないように魔力コントロールを付けておくようにと。それをしていないでああなったのですから、本来は貴方の責任で、彼女に謝らなければならないのですよ?」

 

 次から次へと出てくるネギを責める言葉に、さすがのネギもどんどんと顔色を悪くして落ち込んでいく。それを見ていたタカミチも、さすがに慌てて黒を止める。

 

 「はいはい、そこでストップ。ネギ君は外に出るのは初めてなんだから、次から気をつければ良いよ。ユギ君もそれ以上は、ね」

 「分かりました」

 「うん」

 

 タカミチはここで間違った選択をしていることに気が付かない。もし本当にネギの為なら、ここで怒るべきだというのに。だが、タカミチはそれを選ばなかった。それは間違いなく、ネギの中にある歪みを増長させてしまうというのに。

 

 「ええ、貴方の愚かさはね」

 「? 何か言ったかい?」

 

 黒は一人、ぽつりと誰にも聞かれないような声でもらす。もう、如何仕様もないほどに腐り切ってしまった英雄の弟子に向けて。



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ネギと2-A

この作品内で、教師について言及していますが、あくまでも作者個人の考え方です。他の方に強要するつもりはありません。


 学園長室に幾人かの人間が集まっていた。

 ジャージに着替えた明日菜と、着替えに付き添っていた木乃香。それにネギと学園長だ。

 

 「学園長先生、一体どういう事ですか!? 私は納得いきません!」

 

 その集団の中で、明日菜は学園長に掴みかからんとしている。先ほどのネギとの出会いから、明日菜のネギに対する第一印象は最悪だ。だからこそ必死になって、彼が先生となる事を否定させようとしているのだ。

 しかしそれはかなわない。

 

 「そうは言われても、決まっている事じゃしのう」

 「ユギ先生ならまだ納得します。けど、あんな礼儀も何も知らないような子供が先生なんて!」

 「まあまあ」

 

 落ち着くようにと近右衛門が明日菜をとりなし、何とか話ができるようにまで落ち着かせてから、近右衛門はネギに話しかける(・・・・・・・・)。不満を持っている明日菜を無視して。

 

 「ネギ君、修行は大変じゃ。失敗すれば国に帰らないといかん。それでもするか?」

 「はい、もちろんです!」

 「うむ。良い返事じゃ!」

 

 二人だけが盛り上がる中、木乃香とアスナは二人の話している内容を理解できず不審がっているが、それらを無視して近右衛門は続ける。

 

 「うむ。ではおぬしの面倒を見る指導教員の先生を紹介しよう。困った事が有ったら、彼女に聞くと良い」

 「宜しくね」

 「あ、はい。よろしくおねがいします」

 

 入ってきたのは胸の大きな女性で、ネギはその胸に頭を突っ込んでしまう。ふつうそんな事が起これば、セクハラになるが、今回は子供という事で彼女は許したらしい。

 

 「あ、後木乃香に明日菜ちゃん。おぬしたちの部屋にネギ君を止めてやってくれぬか?」

 「ええ! 何でですか!」

 「それがの、ネギ君はまだ泊まるところが決まっていなくてのう」

 「それだったらユギ先生の所に行けば!」

 「それが断られてしまってのう。ユギ先生との賃貸契約をした家主が、ユギ先生以外は入居させるつもりはない。そう強く断られてしまっての」

 「う、うう」

 

 さすがに家主が拒否した状態で無理を言うつもりはなく、明日菜は下がったが事実は違う。そもそも近右衛門は、ユギにそんな話を一切していない。例え話をされたところで断られただろうが。

 近右衛門としては、木乃香に上手く魔法をばらしてもらえればそれで良いのだ。木乃香の魔力量なら、近衛家でも歴代有数の術師になる。そう予測して幼いころから魔法を教えようとしていた。

 しかし、それは実の娘によって邪魔され、今までも西の長となった詠春の命令で来た少女によって、邪魔をされている。もし、この状態で近右衛門が魔法についてばらしてしまうと、重大な政治的問題に発展する。

 今のところ木乃香の親である詠春は、木乃香に魔法を覚えさせるつもりはないのだから。それなのに、関東魔法協会の地位に就く近右衛門が魔法をばらしたら、関西呪術協会は速攻で木乃香の返還を詠春を含めて全ての人間が望むだろう。そしてその場合、近右衛門にはもう二度と木乃香に手を出せなくなる。それだけは避ける必要がある。その為に、ネギを利用しようとしているのだ。

 木乃香の父親である詠春と、ネギの父親は古い知り合いであり、戦友だ。だからこそ、ネギからばれた場合、詠春は何も言わないだろうと近右衛門は推測している。確かに、詠春は何も言わないだろう。詠春は。

 下がどう思うか。それを考えていない時点で、この案は破たんしているといっても過言ではない。だが、その考えは近右衛門にとって、絶対的な成功事案としてすでに組み込まれている。下など押し付けて従わせれば良い。そう判断して。

 実際にそんな事をトップが考えるようになったら、組織はおしまいだ。そんな事を考えるトップに、下はついていかない。だが、当の昔にそれを忘れ去ってしまった老害は、呑気にもさらに新たな策を得る。近衛の名にさらなる名声を与えるために。

 

 「ではの、頼んだぞ」

 「そんな! 学園長先生!」

 

 だからこそ、彼女達の事を考えずに近右衛門はネギを任せた。それが本来ならどれだけの負担になるかも考えずに。

 十歳の子供を、いきなり中学生に任せて生活できるだろうか? 答えはノーだ。少し考えればわかるだろう。預かるという事は責任を持たなければならない。ネギは関東魔法協会(・・・・・・)が預かることになっている。それが中学生に預けて問題が起きたら? そんな事が起きてしまえば、話にすらならないだろう。しかしそんな簡単な事すら、近右衛門は考えていない。

 それにネギだけではない。中学生というのは多感な時期だ。それを幾ら子供だからといって、男の子を預けさせるだろうか? それは二人の情操教育上良くない。だが、そんな事は近右衛門にとっては如何でも良いのだ。

 

 「良い!? 私はアンタなんて認めないからね!」

 

 だからこそ、明日菜はネギを認めなかった。もし、この時近右衛門が誠意をもって話し合えば、明日菜だって真剣にネギの事を考えただろう。だけど、近右衛門は実際にはしなかった。

 その結果、明日菜にとってネギは訳の分からない餓鬼であり、礼儀のない失礼な餓鬼でしかない。話し合えば、礼儀のなさは世間を知らないことによる無知だとわかっただろうし、訳の分からない餓鬼という印象も、少しは薄められたかもしれないのに。

 

 「え! ええ~~!?」

 

 しかし、それはネギには理解できない。世間知らずで、ある種甘やかされて育ったネギは、人の機微を図るのは不得意なのだ。いや、むしろ今の段階ではほとんど理解できてない。だからこそ、このようなことを漏らしてしまう。

 

 「むう! 何なんですか! あの人は!」

 

 そうは言うが、多くの一般的な日本人はこういう言うだろう。お前が言うなっ! と。大きな杖を持ち、初対面の相手に失礼なことを言いたい放題。しかも、自分がしたことを考えない。まあ、これは幼いネギに求めるのは少々酷かもしれないが。しかし、黒に怒られたことくらいは理解しなければならないというのに。

 

 「大丈夫よ、ネギ先生。あの子は元気だからああいったけど、優しい子だから。すぐに打ち解けるわ。実際、苦手としているユギ先生とだってある程度上手くいっているんだから」

 

 この時、しずなは間違えた。とはいえ、これは彼女に責が有ったわけじゃない。むしろ、そんな状態を許してきた、ネギの周りの大人たちにあるだろう。

 今回、しずなはアスナのフォローをした(・・・・・・・・・・・)。しかし、それは間違いだ。今回しなければならなかったのは、ネギに対してのフォローだ(・・・・・・・・・・・・)。何もフォローは手助けだけではない。時には説教をすることで、説教をされた人間に成長を促すこともできる。ネギの言葉ははたから見れば、子供のいう事なのかもしれない。しかし、彼の成長をしている人から見れば、それは歪みとして映っただろう。何せ、彼の周りの人間は、全てに対して肯定した。だから、自分が悪いという点を理解できなかったのだ。

 しずなとしては、ネギが自分の悪い点を理解していると思っていた。何せ弟である黒が、あれ程優れた知能を示したのだ。だからネギもまたすでに自分の悪い点を理解していて、それでも明日菜の態度に怒っているのかと思っていたのだ。

 それは黒から先ほど起きた事を聞いていたので、余計そう思い込んでしまっていたのだ。黒がネギに少々説教したことを知っていたため。しかしネギは自分がすべて正しいと思っていた。怒られたことが無いから、『自分が悪い』という事が理解できないのだ。

 

 「はい、これがクラス名簿よ。授業の方は大丈夫かしら?」

 「ちょ、ちょっと緊張してきましたが大丈夫です」

 

 そんな話をしていた時、ネギたちは2-Aのクラスの前を通りかかった。

 

 「ここが貴方のクラスよ」

 「この人達が」

 

 恐る恐る覗き込んだネギの目には、多くの生徒たちが思い思いに過ごしていたところが見えた。30名近い生徒が元気に動いているのだ。彼女たちをきちんと導く事が出来るのだろうか、とネギは不安になり始める。

 

 「そ、そうだ、クラス名簿!」

 

 しゃがみ込み、ネギはクラス名簿を開く。そこには先ほどの生徒たちが映っていた。中には文が書き込まれており、前任の先生であるタカミチからの注意もあった。

 中にはどう考えても必要の無い事も書き込んであるが。

 

 「早く皆の顔と名前を覚えられると良いわね。頑張ってね、ネギ先生」

 「は、はい」

 

 (でもこんなに多くの、しかも年上の人がいるのか。大変そうだな)

 

 心配や不安で胸を膨らませながらも、ネギは一歩踏み出した。

 幸いなことに、トラップなどは仕掛けれていなかった。黒が先にネギのことを話していたために、ネギに対するトラップは仕掛けられていなかったのだ。

 緊張した顔持ちでネギは教卓まで歩いていき、挨拶を始める。

 

 「あっ、その、ボク、ボク、今日からまほ、英語を教えることになったネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですが、宜しくお願いします」

 

 突っかかったり、拙い単語をもらしかけたが、それでもネギは挨拶を終える事が出来た。

 それを見て、聞いた2-Aには、一つの感情が生まれてしまった。それは子犬が、一生懸命餌を貰おうとして芸をするさまを彼女たちに想起させてしまったのだ。そうなれば、後は。

 

 「可愛い! えっ! 本当にユギ先生のお兄さん? 髪の色が全然違う!」

 「本当にこの子が担任なんですか?」

 「ええ、そうよ」

 

 一気に押し寄せた生徒たちは、わしゃわしゃともみくちゃにしながら、ネギで遊び始めた(・・・・・)

 それが意味することは、ネギは彼女たちにとって自分たちより下と思われたのだ。

 黒の場合はそうならなかった。彼女たちが黒を相手に抱き着こうとしたら、きっちりと叱られて上下関係を植え込まれた。その為黒は下として見る事が出来ず、その分も含めてネギは生徒たちより下として見られた。

 本来、生徒と教師というのは上下関係が無ければならない。教師が絶対的な上でなければならないのだ。相手を下として見ているのに、その相手に説教されたって誰も聞きはしない。だから教師は生徒より上に立たなければならない。厳しく当たる先生もいれば、生徒から尊敬されて上に立つ先生もいる。だが、ネギはそれを理解できなかった。

 ネギは、この時生徒たちを叱らなければならなかった。教師というのは、生徒に遊ばれているようでは務まらないからだ。だが、勉強はできても人間関係という点では不慣れなネギでは、この事を理解できなかった。あろうことか遊ばれていることを、歓迎されているとネギは思ってしまったのだ。

 

 「ホラ、皆様そろそろ席に。先生が困っていますよ?」

 

 そうやって遊ばれている中、一人の少女が2-Aの全員に落ち着くよう、呼びかける。そして、この瞬間にネギの立ち位置は決定的に決まってしまった。ネギの立ち位置は2-Aではペットと変わらない、最下層と変わらなくなってしまった。

 委員長と呼ばれる少女雪広あやかに、生徒たちは従った点から見れば分かるが、彼女はこのクラスのトップである。それは実力ではなく、カリスマという一点で。

 下をまとめる相手に、フォローされた。それは知らず知らず生徒たちの中で、自分たちのグループのリーダーに面倒を見てもらっている新参者という認識になってしまう。

 こうして最初から大きくつまずきながら、ネギの最初の授業は始まる。




実際、ネギって最初は遊ばれていますよね。教師としてではなく、子供として。


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教師としての問題点

 麻帆良学園の職員室の中で、黒は与えられた席に座り紅茶を楽しんでいる。いや、厳密に言うと楽しんでいるというより、息抜きというべきか。黒の前には処理した書類に、採点した宿題などが置かれていて、それらを片付け終わり一息ついているというところだろう。

 黒がティーカップをソーサーに置いた瞬間、空間に亀裂が奔る。空中に現れた一本の線の両端に黒いワイヤーが結ばれており、その亀裂の線が広がっていく。その異常な光景の中現れたのは、一人の女性だ。

 

 「少し苛立っているようだが?」

 「蒼、いきなりあらわれて第一声がそれ? 私は十分に落ち着いているのだけど」

 

 蒼と呼ばれた女性は、かつて黒を利用しようとした神。事代八重だ。式神となった時点で、本来の名前を使う訳が行かなくなったので、新しく蒼という名まえを黒はつけた。

 名前というのは強力な呪となる。名前一つで古代の神官は全てを支配した。ピラミッドを作った方法の一つに、言霊を使って神官が石を積み上げたという説だってある。

 日本においては言霊と呼ばれるそれだが、蒼の本来の名前は呪ではなく、祝福になる。それも主の力すら簡単に超える可能性すらある祝福に。だから違う名まえにする事によって、力を抑えさせているのだ。

 

 「私にはいら立っているように見えるのだが」

 「……」

 

 ティーカップの角度をずらして、中にある紅茶を飲みほして、黒は嗤う。

 

 「ネギはダメですね。まあ、今までの行いは仕方がない。むしろ、アレにしては良くやっていた」

 

 そう言って黒はティーカップの中を見る。先ほどまで紅茶が(・・・・・・・・)なみなみと入っていた場所を(・・・・・・・・・・・・・)。そこには水が入っており、ネギが生徒たちに英語を教えている風景が映っている。

 

 「それは如何いう意味だ? 如何考えても失敗ばかりだったような気がするのだが。」

 

 蒼の目から見れば、全てが失敗しているように見えた。まあ普通はそうだが、ネギという存在を詳しく知っている人間からすれば、まだマシだったのだ。有る一つの事をしていないまでは。まあ、それは元々期待できなかった事であるが。

 

 「簡単な事さ。多少拙い単語も出たが、ごまかしはできていた。その他もまあまあ対処はできていた。唯、一つ言うのなら、ネギは教師としてこの時点で失格だ」

 「それは遊ばれているという点で?」

 「いや、違う。そんなもの後で如何にでもなる。しかし、これは知らない限り直らない」

 

 評価というものは、後からいくらでも取り返せる。そして取り返せる力がある者こそ、真に他者に信頼される。

 だが今回黒が言っている事は違う。それはすでに終わってしまった事で、それこそ時間を巻き戻さない限り、取り返せない。

 

 「蒼、貴方学習指導案って知っていますか?」

 「何だそれは?」

 

 学習指導案とは、言ってしまえば生徒たちに何を教えるかを記したものだ。当然ながら、教師は基本的にそれに従って授業を進める。だが、ネギはその存在をそもそも知らない。だから、それに沿った教えをする事が出来ない。

 学習指導案が存在するのは、画一的になるが最低限の知識を学ばせるためだ。それなのに、それを考慮していない授業など、殆ど意味が無い。最低限の基礎を学べなくなるという事なのだから。つまり、ネギがしていることは単純に言うと、ただ教科書を読ませているだけという事になってしまう。厳密に言えば授業をしているから、大なり小なり身につくことはあるが、指導案に沿った教え方でない限り、現代日本ではその授業内容は簡単には認められない。これが、教師が熟考して、学校側からの許可を得て、指導案から離れるなら別なのだが、ネギは違う。唯、教科書の英文を訳すだけ。確かにネイティブの発音は役に立つだろう。イギリスでは。日本の英語はアメリカ式であり、ネギの使うイギリス式英語は使われることが余りない。

 そう言った意味でも、ネギの行動は余りにも空回りしすぎている。

 

 「つまり、お前の苛立ちの原因はあの少年と、魔法関係者に対してか」

 「そうだよ。そもそもこれは学園側で対処しなければならない事なんだけどね。恐らくは、魔法に関しての時間を取れなくなるという推測の元に、教えられていないのだろう」

 

 教師という仕事は大変だ。実際、教師は余りの仕事量に体調を崩す人も多い。そんな仕事をネギに与えてしまうと、ネギの魔法の習得に対して悪影響が来るかもしれないと考えた学園の上層部は、指導案についてネギに話していない。少しでも教師としての仕事を無くすために。そして、ウェールズの片田舎で学生だったネギに、日本の学習方針など知る由もない。

 

 「私は既に多くの人の未来を奪っている。そして今もなお、未来を奪っている。これからも奪うだろうね。だからこそ、私と関係ない生徒たちの未来の道まで、奪うわけにはいかない。私は分からない(・・・・・)妖怪の一種であって、奪う妖怪ではないのだから」

 「だからか」

 「だからだよ」

 

 黒の机の所には、前任の科学の教諭の指導計画が置かれている。麻帆良に来た日に教諭から譲り受け、何度も読んで一言一句間違わぬよう暗記した物だ。実際黒は、今まで生徒たちに授業をしたが、それらはきちんと学習指導案に沿い、新田先生に確認を取ってから行っている。

 教師という職業は聖職の一つだ。人を育てるというだけではなく、その職の厳しさは並大抵のものではない。だからこそ黒はネギを認めない。他の魔法先生の事は、黒は認めているのに。

 彼らは魔法使いとしてだけではなく、教師として毎日を過ごしている。少ない睡眠時間を削り、授業内容を考えたり、疲れているのに異様なまでに力がありふれている麻帆良の生徒を相手にしている。それは黒とて認めている。認めて、尊敬している。

 

 「まあ、そんな事を私が言うなという話だけどね」

 

 自嘲しながら、黒は遠見の術を解除する。これ以上その光景を見ていても意味はなく、無駄なことに力を使い続けるのは黒の主義ではない。

 

 「そういうものか」

 「そういうものだよ」

 

 その言葉に満足したとは言えないのだろうが、ある程度の納得をしたのか、蒼はスキマを開く。用件は終わったのだ。ならばあとは帰るだけ。蒼の時間はほぼ無限にあるが、今は急がないといけない時だ。こうしている時間も本来は少なくしなければならないというのに。

 とはいえ、黒としては蒼が心配してきていることくらい理解している。だからこそ、何も言わない。心配をかけてしまったのは黒なのだから。その代わり違う事を頼む。時間を有効活用するために。

 

 「ああ、少し頼みごとが」

 「頼みごと?」

 「アレの完成を確かめてもらいたいんだよ」

 「アレか。だが、アレはお主が確かめたほうが良いのではないか?」

 「それが出来たら頼みはしないさ」

 「仕方がない、見に行くとしよう。全く式というのも面倒なものだな」

 

 主から与えられた新しい仕事に蒼は愚痴をこぼしてから、スキマへと消えていく。

 その様子を眺めながら、黒は新しく紅茶をカップに入れようとして手を止める。

 

 「ネギの授業は終わった、か。次は私の授業の番か」

 

 校内に流れるチャイムの音が鳴りやむのと同時に、境界を変えていく。

 認識の境界を元に戻して黒を認識できるように。周りにいる人間は今起きた現象を把握できない。何が起きたか。いやそもそも黒がいたことも、唐突に意識に入ってきたことも理解できず、もとから黒がそこに居たという認識を縫い付けられて。

 そんな中、認識できるようになった黒に気が付き、新田先生が話しかける。

 

 「おや、ユギ先生。いらっしゃったのですか。そう言えば今日はお兄さんが初めての授業でしたね」

 「ええ、そうです。新田先生」

 「そうですか。ネギ先生にユギ先生。お二人がこのまま立派な教師になられることを期待していますよ」

 「頑張らせていただきます」

 「ええ、ぜひ頑張ってください。何かあったら私も手伝いましょう」

 

 黒とネギに期待している新田先生との話を終えて、2-Aに向かう途中の人ひとりいない廊下で黒は、先ほど返せなかった言葉を呟いた。

 

 「そんな事は何が起きようともあり得ませんよ。絶対に、絶対に……」




学習指導要領は作者の曖昧な知識の中から出したので、何処か違う可能性があります。
追記 さっそく一つ。指導要領ではなく、正しくは指導案だそうです。早速修正させていただきました。


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真実を視てしまう人間

 ネギが着たその日、その放課後、黒は頭を手で押さえて唸っていた。

 先ほど行われたネギの歓迎パーティーにて、タカミチに読心術を使い、更にはその内容をアスナに押していたのを見て、黒は何が起きたのか大体把握していたからだ。

 

 「いくらなんでも早すぎるでしょう」

 

 魔法使いの修行は唯魔法を覚えるだけではない。魔法の秘匿も修行の一つだ。学園上層部の思惑が有れども、いくらなんでも秘密が漏れるのは早すぎる。こればかりは黒にも想定できず、驚いていたくらいだ。

 

 「とはいえ、それは私もというべきか(・・・・・・・・)

 

 黒は今、面接室にいる。その顔に不審を張り付けた長谷川千雨と共に。

 先ほど、ネギの歓迎パーティーが終わった後、千雨は近寄ってきた明日菜より早く黒を捕まえ、相談したい事が有るとここまで無理矢理連れてきたのだ。

 机を挟んで対面したまま、黒の奇行を見ながら、しかしそれは努めて無視して、千雨は口火を切る。

 

 「先生、答えてもらうぞ。アンタは一体何者だ?」

 

 そう言う千雨は、ポケットに携帯を隠し持っており、いざとなればすぐに通報する用意が出来ている。

 千雨の瞳には確かな核心が込められていて、それと同時に警戒も込められている。だからこそ、このようないざという時の対処法を持って今この場所に来ている。

 

 「なあ、先生。一応言っておくが、私に危害を加えようとするのなら、警察へ連絡が行くようにしている。だから、変なことを考えるはやめてくれ。私は私の安全さえ図れれば良い。危害を加えなければ、私はアンタの事を無視すれば良いんだから」

 

 もしこれが、2-Aの中で彼女以外の人間なら、黒に対してこのような対処を行わないだろう。

 そしてもし、黒の秘密を知ったのが朝倉や明日菜だったら、警戒せず興味本位で安易に近づいて、場合によっては黒の手で消されていただろう(・・・・・・・・・)

 逆に、龍宮や長瀬なら、カマをかけて情報を探ろうとするだろう。情報とは集めなければ危険だからだ。

 しかしそれは土台無理な話だ。黒の頭脳は単純に考えれば、スパコンを軽く凌駕する。スキマを変えるという行為にはそれだけの計算が常に必要となる。その計算能力は、カマを簡単に見抜き、真偽も区別できない完璧な情報操作を実行し自覚しない操り人形にしていくだろう。

 だが、彼女は違った。無鉄砲に黒を糾弾するのではなく、カマにかけるのでもなく、自身の安全をはかり、それでなお情報を求めた。

 その姿勢はまさしく、強欲な人そのものだ。情報という利だけではなく、己の安全をも図ろうとする人の欲望を持って。

 そして、黒はそれらを評価する。

 

 「さて、何だと思います?」

 

 しかしだからこそ、黒は彼女をさらに試さなければならなかった。黒は既に彼女に対して、ある確信を持っていた。それは能力の恩恵でもあり、自身の推測で確信を掴んだ。

 

 「……知らねぇよ。知っていたら、こうして聞いていたりしてはいないだろう」

 「まあそうですね。では少し質問を変えましょう。貴方には私が何に見えました(・・・・・・・)?」

 

 だからこそこの質問は唯の質問ではない。回答によっては、これから千雨が辿る先の未来が大きく変わらざるをえない質問だ。

 

 「……私から見たら、お前は唯の化け物だよ。お前の周りに正常なものなんて一切ないんだから」

 

 千雨から見て、黒とはそういう存在だった。黒の周りの光は歪み、空気の流れが変わり、全てが変質することを強要されていた(・・・・・・・)。そんな中心にいた黒を人間とは到底思えない。

 

 「ふ、ふふ」

 

 その回答に満足、いやそれ以上の感情を覚えて、黒は笑みを浮かべる。その笑みは余りにも禍々しすぎた。浮かんだ笑みは大きく弧を描き、見ている相手に不安感を植え付けるほどには。

 

 「ふふふふ」

 「お、おい?」

 

 その笑みに不穏な何かを感じ取り、千雨は話しかけようとした。しかし、それは叶わなかった。声をかけることはできても、その後に続いた現象を把握することに一杯になってしまったからだ。

 

 「な、何だよ、ここ!?」

 

 先ほどまでの面接室とは違う、訳の分からない空間。いきなりそんなところに立っていた自分が信じられず、千雨は混乱して辺りを見回してしまう。そんな事に意味などないというのに。

 

 「ここは私の世界。ありとあらゆる境界が変わる瞬間を切り取った世界」

 

 いくつもの目がぎょろぎょろと見渡す中、声の主である黒は千雨から見えないところで一方的に話し始める。

 

 「さて、先ほどの回答、お見事としか言いようがないね」

 「どういう――」

 「簡単な事。私の世界は本来だれにもわからない世界。共有することも、理解することも絶対にありえない世界。そして私の世界は見る事すらもかなわない。……普通、いえどれだけの力を持っていても本来は、ね」

 「っ!」

 「貴方も本当は分かっているのでしょう? 唯、周りから拒絶されたくないがゆえに、その能力を隠して拒絶している。全てはこの学園に張られている、虚言の結界の所為」

 「な、何で! 何でそれを!」

 

 黒が話した内容は間違いなく千雨にとってのトラウマだ。

 幼いころ、周りの異常(・・)を見る事が出来、認識できた彼女は、それを周りに言った。幼いがゆえに、嘘を吐くという事を知らなかったのだ。その為、周りから迫害された。

 嘘を言う子だ。可笑しい子供と呼ばれて。真実は周りが可笑しいというのに。

 

 「ぅあ、あ」

 

 だから、それを見破られて、突き崩されて一気に脆くなる。

 

 「だけど、それは貴方の境界を視れば一目瞭然。貴方が可笑しいのではなく、貴方の能力が正しすぎる」

 「た、だしすぎる?」

 「ええ。貴方はありとあらゆる嘘を拒絶できる。貴方()真実であり、それ以上にもそれ如何にもなる事は許されない存在」

 「お、お前は何なんだよ!!?」

 

 それは最初に黒に言った言葉。だけど、意味が違う。中に籠められた畏怖が違う。

 空間を割くように叫んだ千雨の声が、余韻すら残さない頃に、漸く黒はそれを告げる。

 

 「私が何か? 私は唯の、妖怪ですよ(・・・・・)

 

 

 

 

 黒が麻帆良にて千雨と対面している時、白峰は目の前の光景をただ見つめていた。

 

 「崇徳様?」

 「ああ、貴方か。何か用?」

 

 白峰に話しかけたのは、白狼天狗と呼ばれる天狗の最下級の妖怪。木端天狗とも呼ばれる存在だ。

 白い毛並みを持ったその天狗は、恐る恐るというように、目の前の光景について尋ねる。

 

 「何ですか、……この破壊の嵐は」

 

 目の前にはかつて美しい自然が有った。沢山の木々が生え、穏やかに渓流が流れていた山々の頂上。だが今は、目の前には何もない。いや正しくは、削り取られている。何らかの力によって。

 

 「これ? 一寸一匹の大天狗が暴走してね」

 「は、はぁ。大天狗様が破壊したのですか。それなら納得がいきますが」

 「はぁ? アンタ、何言っているの?」

 「え?」

 

 その天狗は勘違いしていた。目の前の破壊は大天狗によって行われたものだと。

 

 「これはアレの成果よ」

 「……え?」

 

 白峰の言った言葉をその若い天狗は信じられなかった。目の前の破壊がアレによって行われたという事が。

 だってそれは妖怪でもなんでもないのだから。それ(・・)は器に阻まれるもの。幻想のように肉体の影響を受けづらい存在とは違う。器以上の力など発揮できない。だが、目の前の光景は違う。

 

 「くくく! あははははは! それにしてもあの若造、何処で見つけたのやら。これなら若造が作り出すと言っていた世界、退屈しなくて済むようだ」

 

 本来の、天狗独特の見下した言葉で白峰は笑っていた。心の底からその時が楽しみだと。かつてのように、日ノ本を統一しようという意気込みはとうに無くしたが、白峰には妖怪としてのアイデンティティがある。

 

 「どれだけの変化が訪れるのやら」

 

 崇徳白峰は傍観者だ。できるだけ関わりを少なく、変化を見届け続ける。それこそが彼女の願いにして、存在意義。

 かつて自身の家族へかけた呪いの成就を見届けたように、ありとあらゆる世界の変化を見届けたいという妖怪としての欲。それが今の白峰のアイデンティティとなって支えている。

 実際、彼女が新聞を作っているのは、その欲を発散させるためでもある。ありとあらゆる場所で、変わっていく世界を写し取っていく。それこそが新聞の醍醐味だ。そう考える程度に。

 

 「ああ、楽しみだ。そうは思いません? ねぇ?」

 「は、はぁ。私にはさっぱり分かりませんが」

 「ダメですねぇ。風情を理解しろとは言いませんが、これ位の愉悦は理解してもらいたいものです。妖怪ならこれくらいは理解しておかないと、退屈に身を滅ぼされますからね」

 

 それだけ告げ、白峰は空に飛び立つ。人間から天狗になったせいで、他の天狗よりひときわ小さい翼を翻して。

 

 「さあ、まずは何処に何を見に行くか。どうせ、もう二度と見に来れなくなるのだ。最後の最後に生まれ故郷を眺めに行くのもまた良しか?」

 

 楽しそうに、楽しそうに一匹の天狗は空を跳ぶ。変化していく世界という風に乗り。 

 

 

 




次回はまるっきり千雨回の予定です。


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境界という幻想と生まれ変わった幻想

リメイク前と比べて、千雨の詳細はぼかしています。


 目玉が浮かぶという、現実の理が存在できない空間で対峙する二人。その二人は余りにも対照的だ。

 さらさらと絹のように流れる金髪に、西洋人形のように整った顔立ちの黒は、余裕を持っており、笑みすら浮かべている。しかし、もう片方の伊達メガネをかけている千雨は過呼吸になりながら、青ざめた顔色で空間に立ち尽くしている。

 

「さて、ここならば、誰にも話を聞かれずにすむ」

「な、何を話すんだよ! 私はお前に対して何も話す事なんてないぞ!」

 

 怯えて、つい叫んだ千雨に対して、黒は何処までも落ち着き払い、話を進める。

 

「そう怯えなくても大丈夫。私は貴方に特にこれと言って、何かしようという気もないからね」

 

 そう告げて笑っているが、その笑みこそがどこまでも恐ろしい。その顔を見るだけで、自分の中にある何かが崩れそうな、そんな感情が千雨の中から湧き上がってくる。それは一度認識すると止まらなくなっていき、目の前が暗く、陽炎のように揺らめいていく。

 

「あ、れ?」

 

 千雨は目の前の顔が暗い陽炎に包まれていくように見えた。暗い炎が黒の顔をぼかして、顔を見せなくさせていく。それだけで恐ろしい。恐ろしいのだ。じゃあ、

 

「じゃあ、何でそれが間違いだと最初に(・・・)思うんだ」

 

 ぽつりと、自分でも理解せず、無意識に千雨は呟いていた。それこそが、黒の狙いという事を知らずに。一度、認識してしまえば、急速に変化は起きていく。目の前の陽炎は消え去り、視界が広がっていく。比喩ではなく、本当に周りの空間が見えるのだ。スキマに隠された本当の空間を。

 イスが一つ倒れた面談室。それが千雨の目には見えている。今いる場所は、不気味な目が漂う訳の分からない場所だというのに。

 

「な、何だよこれ!? 何で、違う世界が見えている!?」

 

 訳が分からず、千雨は叫ばずにはいられなかった。十数年という短い時間しか千雨は生きていない。だが、それでも今、千雨に起きている現象は、理の外れた力だという事が分かってしまう。分かるからこそ、怖くなっていく。

 

「わ、私に、私の体! 何が、起きているの?」

 

 怖くて、怖くて肩を掻き抱き、震えていく体。カチカチと歯が噛まれ、呼吸は浅く、速くなっていく。顔は先ほどよりも青くなり、見ているだけで救急車を呼んだ方が良いと判断されるくらいに、悪くなっている。

 

「それこそが、貴方の力。貴方の血統がなせる能力」

「血統? 能力?」

 

 もう、何が何だか分からない。千雨は逃げ出したくなっていた。だけど、今逃げる場所はない。それに、何となく分かるのだ。ああ(・・)到達してしまった(・・・・・・・・)、と。

 もう、起きていることから逃げられない。混乱している頭でも、それだけは分かり、無理やりにでも、落ち着かせていく。暴れまわる心臓は、ゆっくりと、だが確実に普段のペースになっていく。呼吸はそれに伴って、落ち着いていく。

 

「さて、何から話すべきか。少々私としても、貴方の状態を話すのは色々と考えが有るのでね。何処まで話すべきか、或いはどこまでを話さないべきか」

「それは変わらない事だろう」

「全然違うさ。話すことは自分のため。話さないのは相手のため。ほら、全然違う」

 

 よっこいせ。そう面倒くさそうに呟きながら、黒はスキマを開き、そこに腰を下ろす。

 

「ああ、貴方も座ったら如何?」

 

 自分だけ座っていることに気が付いた黒は、何処からか、一組のイスと机を取り出す。どちらも、学生の千雨では、見たこともないような高級品だ。

 

「これって」

「地球で云う、マホガニー製のイスと机ですよ。そうですね。最高級の材木を、職人が一つ一つ、時間をかけて作った貴重品だそうで」

 

 笑ながら言うが、座るように言われた千雨はたまったものではない。一体どれだけの値段がするのか。そもそも、そんな貴重なものに本当に座って良いのか。違う意味で、頭が混乱していく。

 

「高々数百程度。気にせず座れば良いのに」

「座れるか!!?」

 

 結局、千雨は座らず、立つことにした。

 その状態で、黒はこれまた何処からか出してきたティーセットでお茶を入れ、口を潤してから、千雨へ説明を始めていく。

 

「まず、貴方に理解してもらわないといけない事は一つ」

「何だよ」

「それは、私たち(・・・)は幻想で有るという事」

 

 私ではなく、私たち。その言葉が意味することは千雨にも分かった。だからとっさに、怒りを込めて罵倒しようとした。でも、間違いなく今の自分は人間ではない。化け物が空間に何かしたのに、それを化け物曰く、千雨自身の力で破ったと言うのだ。それが本当なら、確かに目の前の化け物が言う言葉の通り。認めたくはないが、それでも認めなければならない現実が目の前にあった。

 千雨は、現実を否定したくても、一度でも否定しきったことはなかった。何故ならそれは、現実を否定するという事は、真実を拒絶する事。真実というものに、幻想を抱くほど幼くはないが、それでも千雨は真実ほど尊いものはないと思っている。特に、幼少のころからのトラウマの所為でより強く。

 

「幻想である私たちは、この地を統べる魔法使いと比べて、余りにも力が強すぎる。ここで、間違えてほしくないのは、肉体面ではなく、精神面という事で強すぎるという事。私たちは精神によって、支えられている。だから、普通の人間より精神が成長しやすい」

「それが本当だとしても、何か私に関係あるのかよ」

「もちろん」

 

 千雨の質問は即答されて、逆に質問した千雨の方が、面を喰らったくらいだ。

 

「麻帆良学園には全体を覆う結界があり、その結界は精神に作用して、都合の良い人間を作り出す。それこそが、魔法使いの狙いであり、ここまで隠れる事に成功してきた理由。だけど、それは人間程度にしか効かず、人間以外には簡単に防がれてしまう程お粗末なもの。それどころか、人間でも簡単に防げ、最悪素人が無意識に無効化できるほどに、効力が低い。まあ、それでも人間でここまでの規模の結界を張れるのは、珍しいけれども」

「……つまり、私は化け物だから、その結界の作用を受けない。そう言いたいのか」

「言いたいのかではなく、それが事実。さて、貴方は幼いころ、麻帆良に来て、こう思ったはずです。この世界は間違っている。正しくしなければならないと。その思いに押されて、貴方は周りにそのことを伝えていった。だが、結界の影響を受けている人間たちは、貴方の言葉を受け入れなかった」

「……」

「貴方はね、人とは違う世界が見える。聞こえる。理解してしまう。……人とは一緒に居られない存在なんですよ」

 

 黒の言葉は、静かに辺りに消えていく。

 

「で、だ。お前は私に何を伝えたい?」

「おや」

「お前は今の今まで、話をしているようで、関係のない話をしてごまかしている。お前がしたい話は、こんな話じゃない。私が幻想であるかは確かに重要だが、本題ではない。私にごまかしや嘘は通じない(・・・・・・・・・・・)

「そこまで能力が覚醒しているのか」

「ああ、そうみたいだな。そして、私が何かも見えた(・・・・・・・・)

「そう。ならば、後は分かるでしょうに」

「確かに分かるさ。でも、これだけは言わせてもらうぞ。後で全てが終わったら、お前は殴ってやる。一発殴らないと気がすまない」

「ご自由に。ですが、貴方に殴れるとでも?」

「殴れるさ。お前と私なら、私は一方的に有利な状態でいれる」

「でしょうね」

 

 クスクスと笑いながら、黒はスキマから立ち上がり、空間を縦に一撫でする。その指の動きにつられるように、スキマは開かれていき、面談室への道が出来ていく。

 

「くだらない世界へ帰りましょうか」

「それを言うなら、虚構にまみれた、じゃないのか?」

「ああ、確かにそちらでも通じそうですね」

 

 二人だけしかわからない会話を終え、スキマという幻想の中から、現実へと帰っていく。

 

「じゃあな。境界の狭間にいる、真理の怪物」

「それではまた。人の過去を裁く、正義の怪物」

 

 軽口を叩きあいながら、千雨は面談室から出る。その顔は、ずっと有った険が取れ、自然な笑顔だった。



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明日菜の災難

ネギが使おうとした記憶消去魔法って、絶対危険すぎる魔法だと思うんですよね。ですので独自設定を作ってみました。


  ネギ・スプリングフィールドは、困っていた。

 いや、原因は彼自身にあるが、彼だけが原因なのではない。

 今日、ネギは魔法使いとして初めての修行で、途中まで危ないところもあったが――主に神楽坂明日菜に対する魔法など、それでも彼はごまかせていたのだ。今のこの状態以外は。

 宮崎のどか。彼女が本を持ちながら階段を歩いていた時、偶々足を踏み外して、階段から下の地面に向かって落ちてしまった。それを防いだネギの行動に、一切の間違いはないだろう。ここまでは良かったのだ。

 しかし、問題はそれが誰かに見られてしまったという事。そして、その相手がネギを少しとはいえ、敵視している神楽坂明日菜であったのが一番拙い。

 

 「アンタ!」

 

 震えながら指を突き付けている明日菜を見て、ネギは顔色を青くしていく。魔法が一般人にばれてはならない。それが魔法使いの常識。それを違反してしまった事に、ネギは顔色を変えるほど動揺してしまった。

 

 「一寸来なさい!」

 「えっ! うわ!!?」

 

 だから、明日菜がネギのスーツの襟元を掴んで引っ張ったのにも対処できなかった。言われるがままに引きずられ、ネギと明日菜の二人は雑木林へと消えていく。

 

 

 

 しかし、そこで落ち着いて説明すればよかったのだ。明日菜という人物は、人が本当に嫌がる事はしない。まあ、あったばかりのネギ、しかも対人関係に関して本格的な問題があるネギでは、こんな短時間に人柄を理解するというのは難しかったかもしれないが。それでも、誠意を見せてお願いをすればそこで終わったのだ。

 だが、ネギは混乱して、してはならない事をしてしまう。記憶をいきなり魔法で消そうとしたのだ。それは魔法使いでも最終手段。記憶を消すのは簡単なことではない。熟練した人間でも、記憶を消すことはためらう。

 なぜなら、記憶とは脳にある細胞そのものだからだ。記憶を消すのは、脳の細胞を故意的に傷付けて、記憶している所へシナプスを届かなくさせて、思い出せなくさせるという手段をとる。そんな事、下手をしなくとも脳が傷つくし、最悪、脳にある機能の内、生命の維持を司る部分を破壊してしまう可能性もある。だからこそ、その魔法は使ってはならないのだ。

 さすがに、今の記憶消去魔法ではそこまでいかない。最悪の場合は、記憶消去魔法が出来た当初の話。今は改良されて、最悪思考に悪影響が出るだけまでに改良された。だが、それでも成果と危険がまったく釣り合わない。だから、魔法使いはこの魔法を使おうとはしない。安易に使う魔法使いは協会どころか、本国の中でも重罰として扱われ、下手すれば死刑を行う事もある。――とはいえ、この件での死刑自体は、数十年ほど行われていないが。

 結局、ネギの放った記憶消去魔法は明日菜に対して有効性を見せず、またしても服を剥ぎ取るセクハラ魔法としてしか発動しなかった。

 ネギは知らない事だが、これでもし明日菜に対して成功していたら、かなり拙い事態になっていた。安易にその魔法を使ったネギの事を、いくら英雄の子とはいえ、周りの魔法使いは許容しなくなる。魔法使いもバカではない。禁呪すれすれ、必要悪としてでのみ違法ではなくなっているこの魔法。かなり厳しく取り扱っている。そして、近くで発動されたら、魔法使いは大概驚き、慌てて駆け付ける。どこの馬鹿がそんな危険極まりない魔法を使ったのかと。その結果は、ネギがしでかした行為が露見しただろう。

 だが、今回魔法は失敗して、意味のない只の魔力放出と変わらない結果になった。そのために、魔法使いは誰も近寄らなかった。そう、魔法使いは(・・・・・)

 

 「如何したんだ、ネギ君?」

 

 少々慌てながら、見知った魔力の放出を感じ取ったタカミチは、雑木林の中へ入ってしまった。明日菜が着衣の一部を吹き飛ばされて、ブレザー以外殆ど全裸の状態と変わらない時に。

 

 「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 余りにも、余りにも神楽坂明日菜は哀れだった。

 

 

 

 

 黒が教室へ向かうと、推測通りに神楽坂明日菜がいた。教室で黒を待っていたのだろう。

 

 「あ、アンタ!」

 「おや、如何かしましたか? 明日菜さん」

 「如何かしましたか? じゃないわよ! アンタ、あれなんでしょう?」

 

 少しだけ、声を小さくして、明日菜は黒にぼそぼそと聞いてくる。

 

 「あれ? 一体何の事です?」

 「とぼけなくて良いわよ。ネギに全て聞いたし」

 「はてさて、一体何の事でしょうか。それよりも、明日菜さん。貴方だけですが、課題を提出していないのは」

 「うっ!!」

 

 明日菜は今日提出期限の課題を出さなかった。正確に言うとしていなかった。だからこそ、それを突かれて息をつまらせるしかなかった。

 

 「い、今はそんな話していないし!」

 「口調が可笑しくなっていますよ」

 「ううっ。いや、もう良いって。アンタ魔法使いでしょ?」

 「おや、私が? ……明日菜さん。もう中学生なんですから、現実を見ましょう。先生はどんな状況でも協力しますから」

 「何で憐みで見られなきゃいけないのよ! って、だ、か、ら! ネギから聞いたから、ユギ先生が魔法使いって言うのも知っているわよ」

 「それで」

 「え?」

 「それで、貴方は如何します?」

 「如何、って」

 「いえ、言葉通りですよ。魔法に関係した人間二人が、身近にいる貴方は私たちに何を望みますか?」

 

 軽い口調で放たれている声に、明日菜は軽く返してはいけないような気がした。

 

 「……私は、私は別に何もしないわ。魔法使いだからって、何でもかんでもできる訳じゃないでしょ?」

 「ええ、確かにそうです」

 「だったら、別にアンタたちに頼らないわ。……さっき頼って失敗したしね。それに、ネギを見れば、魔法だって万能じゃないことくらい分かるもの。そう言えば、アンタも魔法が使えるんでしょ?」

 「私が? あははは。明日菜さん、それは魔法使いを莫迦にしすぎです。私程度が、魔力も持たないのに魔法を使えるわけないでしょう」

 「え、そうなの? その、ごめんね」

 

 黒の言葉に、明日菜は珍しく、声を弱くして謝る。彼女も悪気が有ったわけではない。単純に、兄と変わらず、魔法を使えると思って聞いたのだ。だが、返ってきたのは自嘲したかのような内容。だから、明日菜は地雷を踏んだと思い、謝った。

 しかし、黒は別にそんなこと気にしていないし、そもそも魔法を使えるものなど、もはやこの世界には数えるほどもいない。それに、黒は魔法使いではない。只の妖怪。だからこそ、別段普段の通りに答えた。

 それを単純に勘違いして悪くとったのは、明日菜だ。しかしこれは、明日菜が悪いわけではないだろう。むしろ、そう取れるとわかって言った黒が悪い。

 

 「さて、それでは貴方が聞きたい事は答えたみたいなので、帰らせていただきましょう」 

 「あっ、うん」

 「あ、それと、明日の朝、職員室に課題を持ってきてください。でないと、新田先生による補習が待っています」

 「嘘!!!!!」

 

 辺り一帯を震わす悲鳴を無視して、黒は麻帆良学園を出ていく。

 残された明日菜は、次の日に酷いクマを作り、課題を何とか提出する事に成功した。




記憶消去魔法。使っても良いが、使った場合、他の魔法使いから軽蔑されます。


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さよの認識の変化

 黒が放課後に職員室で一服をしようとしている時、慌てた様子でさよが黒に突撃をかますように高速で黒に接近してきた。慌てているさよとは対照的に、黒は冷静に自身に迫ってきているさよを近くに置いていたティーポットで殴り飛ばし、

 

「ふべぇ!?」

 

 そのまま流れるように、そして何も見なかったように紅茶を飲み始めた。黒の座っている職員室のイスの近くには、真っ赤になった頬を抑えているさよがうずくまっている。

 

「って、何で私をぶつんですか!?」

「当り前でしょうに。私にぶつかりそうな邪魔な存在を殴り飛ばすのは。それに、貴方には少しづつ教えているはずですよ。魔法を使うのなら、常に落ち着いて行動しなさいと」

「うう」

 

 納得いかない顔をしながらも、さよはパンパンと制服をはたきながら立ち上がる。いや、そもそも足もなく宙を浮かんでいるので、転ぶはずがないのだが。しかし幽霊であるはずの彼女は、何故か生前の出来事に強く引き寄せられているようで、転ぶ事を始めありとあらゆる人間的な行為をしてしまう。それこそが普通の幽霊とは違う点なのでもあるのだが。

 

「で。随分と慌てているようですが、何の用でしょうか?」

「あ、それがですね。今、皆さんが可笑しくなっちゃって。それで如何したら良いか、相談しに来たんです」

「変に?」

 

 さよの言った言葉に何か気になる点があったのか、黒はすぐさま手元のコップの中の液体を通じて、遠見の妖術を使う。うっすらと浮かび上がった光景を見た瞬間、黒の顔はとてつもなく嫌そうなものを見た顔をしていた――黒い悪魔、Gと呼ばれるものを見つけた時のような顔に。

 

「……放っておきましょう。あれに関してはもう私は諦めています」

「いやいやダメですよ! 先生と生徒の恋愛なんて!」

 

 黒が遠見の妖術で見た光景は、余りにも莫迦らしく、そして何度も経験してきた事件の焼き増しだった。何らかの魔法薬の影響で、生徒たちがネギを追いかけている。だが、そんな事黒にとっては良くある事。何せ、ネギは似たような事件を八回繰り返している。膨大な魔力を保有しているネギは、魔法薬は不必要という子供じみた考えを持っている。その為か、魔法薬の授業については他の教科ほど熱心ではなく、結果魔法薬の失敗を良くしていた。

 それだけなら失敗話で済むのだが、ネギは適切な処分をしない事が多かった。その為に周りの生徒たちが魔法薬の成分を知らず知らずに摂取していた、という事件が多数あった。本来なら処分物のこの事件、多くの教師によって握りつぶされて隠蔽されていた。そんな経歴を持つネギが、まともな魔法薬を作れるはずがない。できるとしたら本当に簡単な魔法薬か、力任せの効力がランダムになっている魔法薬位だ。分かり易い例でいえば、正しく作れば魔法の矢十本分の魔力が凝縮している魔法薬が有る。これをネギが作ったとしたら、魔法の矢は一本出るか出ないかもあれば、五十本出る場合もあるといった具合に、余りにも性能が安定しない。

 

「ですからね、私はもうこの件については関与しません。何度ウェールズで治療薬を作る羽目になった事か」

「あ、あの、ユギ先生?」

 

 黒くて禍々しい何かを放出し始めた黒に引きながらも、さよはそれでも何とかするべきではないかと訴えかける。話はできず認識してもらえないが、それでもクラスメイト。さよにとっては大切な者達だ。だから、彼女たちにかかっている魔法薬の効力は許せない。女性にとって、何よりこの年代の少女にとって大切な恋をもてあそぶかのような魔法薬が。そして、それを作って服用したネギに対しても嫌悪感を持って。だから、必死になって止めてくれと黒に訴えかけているのだ。クラスメイトを守るため、そしてネギの横暴を許せないため。

 さよがここまで嫌悪するのにも、訳がある。さよは魔法使いになり始めている(・・・・・・・・・・・・)。その為、ネギの作った魔法薬の正しい効力と使用方法を黒によって教えられていた。クラスメイト全てにほとんど見境なく効く魔法薬など、禁制品位のものだ。そんなものを作って服用したネギを許せないのは常識的に考えて当然だ。

 さらに、さよは何故ネギがこんなことをしでかしたのかを知らない。最初から見ていたわけではないので、明日菜の為に作ったという事を知らない。さよにとっては、ネギがモテたい為に禁制品の魔法薬を服用したくらいにしか映らない。

 

「まあ、あの莫迦も少しは懲りるという事を覚えるでしょう、これで。赴任一日目で魔法バレ。二日目には、禁制品の密造と服用。これ、本国で裁判したら間違いなく終身刑ですよ」

「それって! じゃあ、何でこの学園の魔法使いは動かないんですか!?」

「簡単なことですよ。上層部が、末端に情報を送っていないからです。脳が指令を出さなければ、末端が動けないのは当然。脊髄反射でもしてくれれば、まだ助かるのですが。それはそうならないように上層部で制御されているでしょうね」

「だから、だから何でですか?」

 

 涙目になりながら、さよは黒に尋ねるしかない。普通の(・・・)魔法使いというのは、誰かを救うためにあると黒は言っていたのに、救うどころか、心を操っている極悪人でしかないじゃないかと。その答えは決まっている。

 

「そうですよ。普通の魔法使いは、結局そんなもの。自分たちが何のために、正義という目的を掲げて動いているか。その理由すら考えず、只盲目的に動き続ける働きアリ。そんな存在が、真の意味で誰かを助けられる訳ないでしょうに。この学園にいる普通の魔法使いは、そんなものですよ。上から言われた通りの事をしていれば、正義である。そう言った考え方にさせられている」

「……させられている?」

「ええ、学園結界で。そもそも、学園結界は基本的に二つの作用を持っています。一つ目は、魔を縛る効果。だけど、こちらは肉体を持つ魔には効いても、精神に依存する存在に対しては効果が薄いですがね。中級の妖怪ならまだしも、大妖怪ならそもそも結界が感知できる容量を軽々と超えていますし、感知したとしても、力の一厘すらそぎ落とせないでしょう。残りの、二つ目の効果は、人の精神を操るという効果。魔法使いにとって都合の良い都市にするための効果。ですが、それが何故魔法使いにかかっていないと考える事が出来るのですか?」

 

 魔法使いであっても、学園結界の影響をしっかりと受けてしまっている。でなければ、いくらなんでも一般人の前で気を使ったり、魔法を使ったりはできない。魔法の効いていない相手には、魔法使いがしている異常を理解されてしまうのだ。それを理解してなければならない学園の魔法使いは、しかしそれを考えない。そんな事を意識したこともない。その結果が、安易なまでの魔法使用だ。と言うよりも、七不思議の一つになっている時点で、秘匿が失敗しているという明白な証拠が存在してしまっている。なのにそれを認識することはできていない。

 そもそも、学園結界の魔力源は世界樹。あのクラスの力なら、きちんと使えば大妖怪にも影響を与えられるほどの魔力がある。その一端は、僅かな量と言えども人間の浅知恵で操れるものではない。結界を張った人間たちにも、しっかりと効果を残していたのだ。

 

「つまり」

「ええ。学園の魔法使いの思考能力は、特に常識と非常識の認識能力は間違いなく低下しています。それこそ、長期的に外に出ると異常が露見するほどに。タカミチは基本的に短期の依頼をしているし、そもそもの依頼場所が本国だから問題はないですがね」

「……」

 

 血の気のなかった顔をさらに真っ青に染めたさよは、金魚のように口を只ぱくぱくと開け閉めするだけしかできなかった。

 

「本当に、人間は愚かですよね。因果応報、自業自得、自縄自縛。彼らを指す言葉はいくらでもある。この学園の人間は本当にくだらない。おや? 如何やら貴方が懸念していた件は片が付いた様ですよ。ネギは気絶させられて、生徒たちも魔法薬の効果はなくなっていますね。良かったですね。何もなくて」

 

 そう告げて、イスから立ち上がり去っていく黒を眺めながら、今初めて目の前の存在が自分の知らない、そして怖い存在だという事をさよははっきりと理解した。そしてそれと同時に、自分の知らない存在だからこそ離れることもできないのだと。せめて、目的である仙人になるまでは。 

 

 




あれ? ネギの失敗だけだったのになぜか話が広がっている。


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中等部と高等部

久方ぶりに連続投稿できました!


 麻帆良学園は巨大な学園都市である。その為に、生徒同士でいざこざが起こる場合がある。特に、公共施設の区割りでかなりの問題が頻発してしまう。例えば、野球部とサッカー部が同じグラウンドを選択してしまって喧嘩に発展したり、道場を柔道部が使うか、空手部が使うか、はたまた他の格闘関係のクラブが使うかなどは毎年の恒例になってしまっている。それはもちろん、部だけではなく、日常的にも起きてしまう事が有る。

 黒が出くわしたのも、その現場だ。どちらが悪いかは知らないが、それでも教師として止めなければならない黒は、その喧嘩の場へ近づいていき、顔を歪ませるしかなかった。

 

「何をやっているのだか」

 

 高等部の女子たちに、もみくちゃにされたネギの姿を見たためだ。本来喧嘩を止めなければならないネギが、遊ばれている。それだけで、黒は頭痛を覚えてしまった。

 息を吐きながら、パン! と勢いよく手を鳴らして、その場の注目を集めて、黒は仲裁を行い始めた。

 

「何をやっているのですか、皆さん」

「ユ、ユギ先生」

「か、可愛い……!」

 

 呆れた口調で話す黒の声に、2-Aの生徒たちは全員固まってしまう。何せ、何度か授業中にあの声を出させてしまい、その後かなり辛辣な言葉が飛ぶのだ。トラウマまではいかなくとも、その声に苦手意識を覚えてしまっている2-Aの生徒たちは動けなくなってしまう。だが、高等部の生徒たちはそんな黒の事を知らずに、今まで遊んでいたネギと同じようにもみくちゃにしようとした。

 

「い、痛い!! イタイタイタい!!?」

「全く、怒られているという事を貴方達は認識しているのですか?」

 

 不用意に手を出した高等部の一人は、黒に親指を掴まれて、反対側に逸らされた。下手をすれば突き指、脱臼の可能性がある行為をされて、女生徒は黒の事すら忘れて痛みにのた打ち回るしかなく、それを見た高等部の生徒たちも動きを止めるしかなかった。

 

「え?」

「え? ではありませんよ。さて、一体何が有ったのですか? 明石さん、説明してもらっても?」

「あ、はい。私たちがここで遊んでいたら、突然高等部の生徒たちが現れて、ここを明け渡せって言われて。それで反論したらバレーボールをぶつけられて」

「そうですか。では、高等部の皆さん、何か反論はありますか?」

 

 黒の言葉に誰も反論する事が出来ず、悔しそうな顔に歪む。何せ、非は中等部の生徒にはなく、高等部の生徒にあるのだ。ここで反論したところで、目の前の、人形のように綺麗な教師には理論的に反論されるのが目に見えて分かる。だから、悔しい顔をしながら、

 

「……ありません」

「そうですか。では、貴方達がすべき事も分かりますよね?」

「はい」

 

 悔しそうに顔を歪めながら去っていく高等部に対して、中等部の生徒たちは同情の籠った視線を送るしかできなかった。

 

 

 

 黒の説教を眺めていた明日菜とネギだが、ふと明日菜がある事に気が付く。

 

「ねえ、ネギ。ユギ先生、何か知らないけどすごく機嫌悪くない?」

 

 明日菜は普段黒に説教をされるために、普段と覇気がけた違いな事に唯一生徒で気が付けた。実際ネギも黒の様子が普段と違うという事を理解して、昔の事を思い出しながら明日菜に返答していく。

 

「ものすごく機嫌が悪いようです。以前これほど機嫌が悪かったときは、上級生の男子生徒に告白され続けたときくらいです」

「え? 一寸待て、ネギ。ユギ先生、男子に告白されたの?」

「それどころか、記録持ちだそうです。ユギの性別を知らない人から、一目ぼれした、付き合ってくれと言われ続けたそうで。ある時なんか、完全に怒っちゃって、皆の前で裸になって性別をわからせようとした事が有りましたし」

「嘘でしょう!!? あのユギ先生が!!」

 

 普段ネギと違って落ち着いている黒が、そんな暴挙を行ったという事が信じられずに、明日菜はついつい大きい声で叫んでしまった。だが、事実黒は一度本当に裸になろうとした事が有る。その際は近くにいたネギやアーニャ。同級生が慌てて羽交い絞めにして何とかその暴挙は止められたのだが。

 

「ユギは女性と間違えられるのが嫌らしく、さらに可愛がられるのも嫌いなようで」

「だからあれだけ機嫌を悪くしているのね」

 

 何となく納得いった明日菜は、それ以来黒を見る瞳にどこか優しさが混じっていた。

 

 

 

 

 しかしそれでも納得いかないのが麻帆良の生徒なのだろうか。黒が体育の先生に頼まれて、ネギと一緒に監督する際、黒は前の授業が長引いてしまい一緒に行けず遅れてしまった。そしてまたもや先ほどの焼き増しの光景を見てしまう。

 

「貴方達は」

「ゲッ!」

「ゲッ! ではありませんよ。何故こんな所に?」

「べ、別に良いじゃないですか! 今回は私たちが最初に使っていたのですから」

 

 あと一歩で喧嘩になるという状況の中、黒が発言すると高等部は慌てて、反論してきた。とはいえ、それはまともな反論にはなっていないのだが。

 

「全く良くありませんよ。そもそもここは中等部の敷地。高等部が使って良い場所じゃありません。そもそも、屋外のこんな高所でバレーボールなんかして、何をしたいのですか? ボールを無くしたいのですか?」

「う、うう!」

 

 一切の容赦ない黒の言葉にがすがすと高等部たちの何かが削られていく中、哀れに思ったのかネギは慌てて黒に向かい叫んだ。

 

「ちょ、一寸待てユギ! そんな一方的に言ったって何も始まらないよ!」

「じゃあ、如何しろと? 良い案が有ればそれに賛成しても良いですが」

「それだったら、せっかくだからスポーツで決着をつければ良いと思うんだよ。スポーツでならさわやかに決着がつけられるし」

「なるほど、それはそれは」

 

 黒の言葉にほっとしたのか、ネギと高等部は息をついて安心し始めた。

 

「却下です」

「ええ!!? 何で!!」

 

 その後の黒の声で地獄に落とされてしまったが。

 

「簡単なことですよ。ここは屋上。スポーツをするにしても、狭すぎる。どこかほかの場所を用意するならまだしも、こんな場所では危険すぎて許可できません」

「で、でも」

 

 案が通らない事に、不満があるのだろうが黒の正論に反論できず、ネギはうじうじと言葉を濁らせ続けていく。そしてその様子は、昼からイラついていた黒を怒らせるには十分すぎた。

 

「ならば、さっさと行動しなさい!! 校庭か体育館の許可を取りに行けば良い話でしょう!! 動かなければ何も変わらないというのに、自分から動かないお前の案が使われるとでも!?」

「ヒ、ヒィ!!?」

 

 余りの剣幕にネギは恐怖しながらも、慌てて職員室にかけていく。その後ろ姿を見ながら黒は周りにいた生徒たちに宣告する。

 

「さて、貴方達もこれで終わりにしますよ。ネギ教諭が最後のチャンスとして、貴方達の不満をぶつけ合う場所を用意してくれたのです。これを最後に、子供じみたばかげたことはやめなさい」

 

 先ほどの剣幕を見ていた生徒たちは、素直にうなずき従った。

 結局その後は、走って帰ってきたネギによって体育館を借りて、ドッジボールの大会を繰り広げどこかの青春漫画のように死力を振り絞り、友情が芽生えてこの騒動は一件を終えた。

 まあそれ以来、中等部のユギ先生を怒らしてはならないという暗黙の了解が学園に生まれたのだが。

 

 

  



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会議は踊り、公儀は隠される

 冬の凍てつくような空気が、だんだんと柔らかく温かくなってきた頃に、ネギと黒に最終試験という内容の書状が届いた。そこには、学園長の文字で2-Aを最下位から脱出させる事が出来たら、正式な教員として採用しても良い。そんな事が書かれていた。その書状を呼んだ二人はそれぞれ全く違う行動をとった。ネギは大喜びをして、2-Aに駆けていく。しかし黒はそれをつまらなさそうに見た後、すぐにゴミ箱へ無造作に投げ入れた。黒にとって、その書状に書かれていることは意味の無い事であると同時に、あまりにも浅はかすぎて、失笑すら出なかった。

 学園長の書状にはこう書かれているが、何らかの処置をとって2-Aを最下位から脱出させるだろう。ネギをこの学園から手放す訳が無い。それが分かるからこそ黒は内容を読んですぐに捨てた。余りにも人を莫迦にしすぎているし、くだらない浅知恵に付き合う気もしない。

 だがそれでも教師として麻帆良にいる限りは、黒個人として生徒の面倒を見るという義務は生まれている。何せ、生徒は魔法とは何の関係もない一般人。そんな存在を巻き込む必要はない。黒は冷酷であるが、外道ではない。関係のない人間を巻き込んで良しとはしない。

 

「さて、クラス底辺に燻っている数名の成績を向上させれば、十分最下位から脱出できるでしょう」

 

 独り言をつぶやきながら、黒は廊下を歩いていく。まさか、その数名の生徒と幾らかの生徒が愚かな行為をするとは考えもせずに。

 

 

 

 

 黒とネギが書状を貰った次の日、職員室での職員会議はかなり混乱していた。何故なら、ネギと数名の生徒が行方不明となってしまっているからだ。しかも行方不明となった場所は、図書館島。危険な罠などが幾つも存在しており、教師陣から幾度も学園長に陳情がされていた場所だ。安全に利用できない施設に等意味が無い。だが、その施設と呼べない施設は存在していて、現に生徒たちはそこで危険な目にあっている。教師たちの精神に計り知れない恐怖が忍び込んでくる。もし、生徒たちが怪我をしていたら? はたまた罠にかかってすでに……。

 考えれば考えるほど、教師陣の空気は重苦しくなっていく。すぐに捜索隊を用意したのだが、学園長の鶴の一声によって必要ないと言われてしまった。しかも一切の詳しい説明もなく。数名の教師は、こんな事態にもかかわらず捜索隊を出さなかった学園長に、隠しきれない不審を持ち始めている。一般人の教師であるがゆえに、何も教えられない教師だ。似たような事例は何年も続いており、特に年若い教師陣は、高畑教諭に詰めかかっている。

 普段、高畑教諭と学園長は学園長室にて何か密談することが多く、今回も学園長室に数名の教師と集まっていたのを彼らは知っているのだ。だからこそ、彼らの怒りはそちらに向けられる。

 

「また貴方達のくだらない何かですか!!」

「お、落ち着いてください。さきほど学園長が説明したとおり――」

「説明!? アレの何が説明か! 只一方的に捜索を中止させただけだろう! 私たちを莫迦にするのもいい加減にしろ!」

 

 こうなってしまうのは当然だ。詰めかかっている教師たちは、それぞれが生徒を心配しているからこそ焦っている。だが、高畑は違う。高畑にとって、今回の件はすでに決着が見えており、後はイレギュラーを排して決められたレールを通過させるようにすれば良いだけ。言ってしまえば、彼ら教師は生徒を思い、高畑はネギを思っている。その違いがお互いの溝を生み出す原因となっている。

 さらに、こういった事態が起きた時、一部の教師、つまりは魔法先生は学園長から詳しい説明を受けており、幾らかの安心を覚えている。その安心は余裕につながり、態度にわずかに出てしまう。そしてその態度こそ、一般人の教師をイラつかせる原因となるのだ。生徒が行方不明となったのに、悠長にしている。しかも上層部は捜索しようとせず、一部の人間にだけ説明されて自分たちにはその説明が降りてこない。それに不信感を覚えない教師はいない。抗議していない教師は、既に麻帆良学園の悪習として、諦めきってしまっているのだ。

 

「で、ですが」

「アンタは本当に教師か!? 生徒が行方不明で、しかもその生徒はアンタの教え子なんだぞ!! それを笑いながら、落ち着け!? 貴様の頭は狂っているんじゃないか!!」

「っ!」

「そこらへんにしておけ」

「に、新田先生! しかし!」

「そんな事より、もっと大切な事が有るだろう。ユギ先生を見ろ。ご家族であるネギ先生が行方不明になっているというのに、必死になって耐えている。私たちが焦って、バラバラになってしまっても意味が無いだろう」

 

 掴みかかっていた教師は、そう新田教諭に諭され、渋々、しかし立場など忘れて高畑を睨みつけてから手を放した。その後、顔を歪めながら新田教諭に頭を下げた。

 

「すみません、新田先生。そうですね、ユギ先生が一番辛いですよね。なのに、俺は自分の感情を優先してしまい」

「私に謝る必要はないだろう。それより、対策会議を進めよう。いつものように学園長は何か隠している。結局私たちが生徒を守るしかないんだ。それに、君の怒りは恥すべき事じゃない。生徒の為にそれだけ怒れるのは、教師として大切な資質だ」

 

 ぽんと肩に手を置き、新田教諭は落ち着かせていく。学年主任である彼には、長い教師生活で築き上げてきた経験則と、強い信念がある。今ここで折れるわけにはいかない。自分が折れてしまえば、周りの、特に若い先生が崩れてしまう。そう感じとり、本当は今すぐにでも生徒たちを探しに行きたいのを我慢して、会議に加わる。無事でいてくれ。そう願いながら。

 そんな会議の様子を眺めながら、黒は一人俯きながら、その顔を周りから隠し続けていた。その歪み切った嘲笑を隠すために。

 下らない、下らない。本当に下らない。そう思う。高々生徒数名、この学園ではもっと消える事件などいくらでもあっただろうに。だが、魔法使いも魔法使いだ。態々二足の草鞋を履いて、不和を招き入れているのだから。確かに、黒は魔法先生の一部は尊敬してはいた。しかしそれはあくまでも、教師としての仕事と、魔法使いとしての役割を両立しているからだ。主義の違い、立場の違い、守るべきものの違い。それらのかけ違いによって出来ていく修復不能な境界。境界に生きる黒だからこそわかる。わかるからこそ、嗤ってしまう

 すでに今回の一件で、麻帆良学園が張りぼてだという事が分かった。確かに外から見れば立派に見えるだろう。しかし、裏側を見れば、それは違うという事がすぐに理解できる。一般の先生は一般の先生と繋ぎ合い、一般人という派閥(・・)が出来てしまっている。それら全ての元凶は、魔法使いにとって、一般人は邪魔ものでしかないという認識だ。その認識の所為で、魔法使いたちは魔法使いで集まり、全てをこなそうとしていく。それが如何いう結果を作る事かも理解していないで。重宝されなくなった存在は、恨みを残す。その恨みは一人一人は小さくとも、麻帆良学園全体で考えれば、その呪は莫大な量となる。それはいつしか呪いとなるほどに。そして、それが分かってしまうからこそ、黒は余りのくだらなさと可笑しさに嘲笑を向けてしまう。

 自分たちが全能の神にでもなったかのように振る舞う普通の魔法使いたち。それなのに、その下で支える教師たちが何時しか、彼らの意志がその神輿を放棄するだろう。放棄してしまえば、決してもう魔法使いを担ごうとはしない。人間というものはそういうものだ。一度追い出した物を取り戻そうとすることは少ない。フランスが王政を排除した後のように。

 すでに、麻帆良学園はその体制を変えなければ、後々崩壊するほどに手遅れとなっている。それらに気が付かない魔法使いは、その権力をふるう事に夢中になれるだろうか。莫迦騒ぎを眺めながら、冷めた瞳と思考で黒はその様を観察し続けていた。




普通、大騒ぎになりますよね。生徒たちが行方不明になったのなら。
それなのに、原作で、担任であるタカミチは動きませんでした。ですので、一般人から見れば、タカミチは信頼されていない先生とこの作品では設定しました。


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最終課題

 結局ネギたちは捜索されることもなく、試験日に遅れてやってきた。殆どの教師は生徒が無事であったことに安堵して、それと同時にネギに怒りを覚えた。生徒と一緒に行方不明になって、さらには生徒たちと一緒に今頃学校へ登校したのだ。本来なら、無事麻帆良へ帰ったのなら、何をおいても連絡するべきだというのに。しかし、ネギはそんな事をしなかった。連絡の重要性を知らなかったからだ。

 それでいながら、ネギは他の教師に詳しい話を求められても誤魔化すばかりで、きちんと最後まで話をしなかった。魔法が関係しているために、一般人である彼らに話さないというのは、魔法使いとしては正しかった。しかし、それは教師としては不正解だった。ネギは知らず知らずのうち、教師の一部、つまりは魔法先生のみに、認められ、一般の教師たちからは認められなくなっていく。

 ネギの修行は今この時、完全に失敗していた。周りから不審を覚えられてはいけないというのに、不審しか与えていないネギが、如何して修行を続けることを認められる? 普通なら修行は失敗と判断されて、学園に戻されるだろう。しかし、ネギは違う。例えいくら怪しまれて、不審に思われてもネギだけは麻帆良学園は放さない。どれだけ一般人と感性が離れたとしても、結局ネギに求めているのは只の英雄という分かり易い旗頭。それだけ作れれば良いのだ。

 だから、学園の上層部は今回の件を起こして、ネギに相応しい人材をマークさせた。戦闘能力、状況判断能力。そしてネギを支える心理的なサポート。それらを誰がどれくらいできるか。それを調べるために。

 それを一瞬で理解した黒は、だからこそ下らないと判断して彼らの論争には触れなかった。どのような結果が出ようとも、黒は別に良かった。例え、学園から追い出されても、イギリスへ帰るときに事故を起こして死を偽造して自由に行動する事が出来る。だから、積極的に関係する必要もない。傍観して、最適な状況を見極め続けていた。

 

「どうやら、私たちは最終試験は失敗のようですね」

 

 今、黒たちの前には巨大な電光板があり、そこには最下位2-Aと大きく表示された看板がある。それを見たネギが何かを振り払うかのように大広間から出て、走っていくのを傍目で確認しながら落ち着き払いながら生徒たちに挨拶を交わしていく。

 

「今まで短い間ですが、ありがとうございました」

「そんな、ネギ先生だけではなく、ユギ先生までいなくなってしまうなんて!」

 

 大げさに反応する生徒もいれば、中には困惑する生徒もいる。

 

――先生! 先生が居なくなってしまったら、私は如何すれば!!

 

 涙を流しながら、さよは黒の胸に飛び込みすり抜けていく。

 

――もう! 何ですり抜けちゃうんですか! 普通こういうときは抱きしめて安心させるとか――

「大丈夫ですよ。別にいなくなりませんから(・・・・・・・・・・・・)

――へ?

 

 さよがすっとぼけた声を上げた時、電光掲示板の表示が切り替わり、そこには『審議中』と書かれていた。

 黒はこの事を知っていたのだ。というより、ネギが居なくなったせいで、本来の教科以外にもテストを作成する必要が出来てしまい、黒は2-Aの英語と理科の採点を行う羽目になった。その為、今回騒動を起こした生徒たちのテストが無い事を知っており、あの結果は不適切であるという事も理解していた。

 単純に先ほどの行動は、落ち込んだフリだったいう事だ。

 

――じゃあ!

「最下位はさすがに脱出できているでしょう。あとはどれくらい上がっているかですね」

 

 明るい声をさよは上げ、喜び始める。さよは今回の件で、クラスの全員に負い目が有った。さよは死者の魂であり、現在は亡霊と呼ばれるような状態だ。つまりは、生きていない(・・・・・・)。だというのに、クラス名簿に書かれており、自動的に定期テストなどで零点を取ってしまう。何せ、そもそもテスト事態を受けられないのだから、仕方がない。だから、常々他の全員に負担をかけてしまっていると思い込んでいた。それなのに、今回はさらに自分の所為でネギと黒が辞めてしまうかもしれないと、ショックを受けていた。

 だが、それがなくなったのだ。さよの周りの空気が、普段よりもずっと軽くなっていく。しかし、それに反比例している存在も近くにはいた。

 

「さて、それでは春休みの期間、愚兄と数名の生徒には、新田教諭の説教と補習を受けてもらいますか」

――は、はわわわぁあああ!!

 

 のちにさよは語った。笑顔が威嚇というのは本当だったと。

 良い笑顔を浮かべたまま、黒は新田教諭に近づいていく。そして、

 

「あんの、莫迦どもが!!!!!」

 

 新田活火山が噴火した。只でさえ、噴火寸前だった状態なのに、行方不明になった生徒たちの探していた物を言われたことで、限界を越えてしまったようだ。顔を真っ赤に染めて、室内にいるすべての生徒が新田教諭を見るほどの怒声を上げてから、ドスドスと足音激しく去っていく。

 

――な、何したんですか?

「いえ何、ズルをしたのなら、その報いを受けるのは当然でしょう? 因果応報ですよ」

 

 クスクスという笑い声の後に、数名の生徒の悲鳴と、ネギの叫び声が学園内に響き渡った。




新田先生大激怒。彼女らにはたっぷりのお説教が行われて、泣きながら罰を受けることに。ズルは良くないという事ですね。


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日常に迫る異変

 ネギと黒が最終課題を達成できたことにより、正式に採用されることが決定された。しかし、だからと言って問題がないわけではない。ネギの勤務態度から、採用を拒否する嘆願書が一般の先生から出された。とはいえ、それを上層部が受け入れる訳が無い。ネギは鶴の一声で採用されて、次第に周りの教師からは避けられるようになっていく。それでも気が付かない辺り、ネギの対人スキルは壊滅しているのだろう。

 だがまあ、それはネギに知らされていない。上層部としてはそんな些細な事を気にされたくないし、他の教師たちは近寄りたくもないという状態で、話しかける事すら少なくなっている。魔法先生以外には、まったく相手をされなくなってきた。

 それでも、ネギはその変わっていく空気に気が付かず、毎日を過ごしていた。黒はそれらには気が付いていたが、あえて何も言わないでいた。そんな流れていく日常という名の日々に、一つの異変が起きた。

 

「それじゃあ、皆さん。自習していてください」

 

 そう言うのは、教壇でうつろな瞳を虚空に向ける黒だった。普段の授業でも厳しい先生なので騒げないのだが、今の状態では違う意味で騒げない。これで頬がこけていたら、間違いなく栄養失調の患者だ。そんな黒相手に騒ぐ勇気は、さすがの2-Aでも持っていない。

 ざわざわと困惑の波は広がるが、それでもどうすれば良いのか全くわからない。そんな中、二人の人物が誰にも気が付かれないようにひそひそと話を始めていた。

 周りに気が付かれないように、教科書で口元を隠したうえでだ。

 

「おい、さよ。何があったんだ。あれ?」

――そ、それが

 

 一人は千雨。もう一人はさよと呼ばれる幽霊。お互い、少し前までは何の接点もなかったのだが、黒という接点によって関係性を持った。それに、クラスの中で唯一さよを見続けられる存在でもあるため、黒の近くにさよがいないときは大概千雨の周りにさよはいる。今は黒の余りの様子に、逃げてきたのだ。

 

――朝からあんな感じで。職員室では燃え尽き症候群じゃないかと噂されていましたが

「燃え尽き症候群? いや、ありえないだろう。つーか、何でそんな事に?」

――試験で頑張りすぎたんじゃないかって

 

 期末試験で、黒はネギの分もすべてこなした。その為に、その負担は凄まじく、周りの先生はその努力が終わったために燃え尽きたのではないかと思われているようだ。

 

「絶対にねえな、それ。あいつの処理能力、スパコンを軽く上回っているんだぞ。試験程度で燃え尽きるたまじゃないしな」

――そうですよね。私もそう思って、恐々尋ねてみたんですが

「それで?」

 

 少し言いづらそうにしたさよは、しかし決心がついたのか口を開く。

 

――実は、食事制限をされてしまったらしく

「はっ?」

 

 千雨は目を丸くして、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。すぐに口を押えたから周りには聞こえなかったようだが。だとしても、千雨が驚くのは当然だ。高々食事であそこまで疲弊するのか? そう疑問に思わざるを得ないほどに、黒は疲弊している。ふらふらと体を揺らして、何時ものような覇気がない。

 

「というか、食事制限て何だよ。妖怪が食事制限されるなんて聞いたことないぞ?」

――一応、普段の食事を聞いたんですけど。

「どんな食生活していたんだ?」

――朝は食パンに

 

 何だ、普通じゃないか。そう考えていた千雨は次の言葉に顔を歪めた。

 

――たっぷりの蜂蜜とチョコをかけた状態に、ココアを飲むそうです。

「い、いや、まあ朝は甘いものが欲しくなるもんな」

――そして、昼は昼でキングサイズのパフェを一つ平らげるそうですけど、その際にデザートとしてあんみつをさらに平らげ、そこに甘味が引き立つように塩を入れて……

「もういい。最後まで言わないでくれ。絶対想像だけど、というより、想像だけで気持ち悪くなってきたから」

――私はもうなっています。というよりも、これ人間だったら一か月以内に糖尿病になるほどですよ

 

 頭を使うと甘いものが欲しくなると言うが、幾らなんでも黒は食べすぎた。それを見かねた蒼により、甘味禁止令がとうとう出てしまったのだ。黒の周りにある甘味という甘味が捨てられ、さらには蒼の能力すら使い、甘味を口にする事が出来なくなってしまった。その結果が、今の黒だ。

 

「何というべきか。自業自得なのか、それとも……」

――多分、自業自得で会っているとは思うんですけどね。ユギ先生は甘いもの摂りすぎでしたから。誰かが止めないと、そのうち体が砂糖で出来ている何て事になりかねませんでしたから

 

 そんな話をされているとはつゆ知らず、黒は教壇に額を押し付けながら、未練がましく呟いていた。

 

「甘いもの~、甘いもの~」

 

 




仰々しいタイトルの割に、起きていることはくだらない事です。
因みに、黒の毎日の食事から摂取される糖分は、角砂糖五十個くらいです。


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妖怪たちの望んだ時節

 うすら寒い夜を、一人の少女が歩いている。少女はそこでとある噂を思い出した。『桜通りには吸血鬼が出る』。その噂を思い出したのか怖がりなのか、草木が風で揺れる音や、少しの動きでびくびくしている。そんな少女を黒いローブを羽織った人物が襲った。三角帽子と黒いローブからはおとぎ話のようなウィッチを思い浮かばせる。しかし、その少女の犬歯は鋭くとがり、ドラキュラ伯爵を思い浮かばせる。

 そんな魔女を見てしまった恐怖で少女、宮崎のどかは気を失ってしまった。そのままでいたのならば、彼女は噂の怪物に襲われたのだろう。だが、巷で流れていた噂から、自主的な見回りをしていたネギはそれに気が付き、その騒動に首を突っ込んだ事によってのどかは救われた。

 

「エ……エヴァンジェリンさん!?」

 

 ネギの放った捕縛の魔法の矢は防がれてしまう。その事から、ネギは相手が魔法使いという事に気が付いたが、そこに居たのはネギのクラスの生徒の一人、エヴァンジェリンだった。ネギをほめるような言葉を吐きながらも、エヴァンジェリンはネギに戦いを仕掛けた。

 

 

 

 

 「お前の血を吸えば、こんな馬鹿げた呪いは解けるんだよ」

 

 数分後、ネギはエヴァンジェリンによってとらえられていた。

 自身に掛けられた呪いの消滅。それこそが彼女の狙い。その為に、一人飛び出してきたネギは絶好の的だった。そうして繰り広げられる攻防。いや、一方的なお遊び。ネギは真剣に戦っていたが、エヴァンジェリンは本気ではない。本気を出せないというのもそうだが、今蓄えている魔力だと少々心もとないものがある。だから様子見をしていた。しかし、それも途中でやめた。様子見で終わるには、余りにもネギの力は弱すぎたのだ。エヴァンジェリンはこの程度の相手に苦戦する程度の実力ではない。例え、力を封じられていようが今のネギ位は完封できる。

 だから、エヴァンジェリンは途中で様子見を止めた。ネギが使った魔法を受けて、装備の一部がなくなったことからも、限が良いと判断したのだ。だから、パートナーを呼び出し、ネギを捕縛した。その血液を吸い、呪いを解こうとした。

それは当人たちにとって、予想外の事態が置きて終わりを告げた。

 ネギをパートナーによって封殺しきり、その状態で血を吸っていたエヴァンジェリンは、しかし明日菜の飛び蹴りを喰らい、吹き飛んだ。エヴァンジェリンが避けられなかったのは、その攻撃を喰らうはずがないと思っていたからだ。普段、彼女は魔力があるときは魔法で防壁を作っている。それは、一般人の一撃で砕けるはずがないのだ。しかし、その一撃は確かに通った。絶対に有り得ない一撃によって動転してしまい、有利な状況であることを忘れてエヴァンジェリンは去っていった。

 残されたネギと明日菜は、自覚していないが助かったのだ。

 

「あんたどうすんの? ユギ先生に協力を求める?」

「だ、駄目ですよ! ユギは魔法が使えないから、こんな危ない事に巻き込めません!」

 

 それを理解していない二人は、だからいまだに呑気に話をしている。すぐにでもその場から離れて、危険から身を隠すべきだというのに。

 

 

 

 

 一方、そんな二人とは違い、エヴァンジェリンとその従者である絡繰茶々丸は、自宅であるログハウスで気炎を上げていた。

 

「何だ、アレは! 私の魔法障壁を破るだと!?」

「落ち着いてください、マスター」

 

 あと一歩の所でネギを逃がしてしまった。そのことが原因で腹を立てているのだ。そんな主の様子見を見て、茶々丸は一つの疑問を提示する。

 

「マスター、何故ネギ先生を狙うのですか? ユギ先生なら100%の確率で成功すると思われますが」

「ふん。私は戦う力がないものを襲わん。それは私自身の誇りを傷つける。魔法が使える坊やなら、まだ戦いを行う事もできるだろう。だからこそ、私は自身の誇りの為にもう一人の坊やには手を出さん」

 

 そんな事を言いながら、茶々丸に頬を冷やされて、エヴァンジェリンはカリスマを演じていた。

 

 

 

 この事件は、エヴァンジェリンの独断で行われている。とはいえ、麻帆良上層部の中で、さらに最上級の理事である近右衛門はこの事を知っている。エヴァンジェリンは知らない事だが、エヴァンジェリンと結界はリンクしている。だからこそ、今エヴァンジェリンがどこで何をしているかを調べるなどは、簡単だ。だからこの事を知っているのは、エヴァンジェリンの勢力に学園上層部。そしてネギと明日菜くらいしかいない。そのはずなのだ。

 しかし、今その例外がいた。

 

「これが今回起きている事件、いやままごとか。まあ、その顛末みたいだね」

「ふうん。成程。しかし、何と言うべきか。あの幼子は本当に幼いな」

「まあ、そうだね。自分がいった事が矛盾していることに気が付いてない。本当に力ないものに手を出さないのなら、ネギには手をかけず独力で呪いを解くべきだ」

 

 普段の敬語を使わず、本来の口調で黒はくつろいぎながら返答した。何処から用意したのか、売店などに設置されている様なベンチを取り出して、そこに黒と蒼は二人並んで座っている。黒はスキマを閉じて、退屈そうに瞳を閉じた。しかし瞳とは正反対に、口元は厭らしい笑みを浮かべている。

 

「お前も人、いや妖怪が悪いな」

「妖怪だからね」

「ハァ。まあ良いだろうて。それで、これからはどうする?」

「決まっているでしょう。今回の事件、関係がないのなら無視するに限る」

「そうだな」

 

 納得したのか、首を縦に振る蒼に、黒はそのまま続ける。

 

「それに、今年こそが一番良いんだから。計画を実現するのには」

 

 どこか暗い笑みに表情を切り替えて、黒は言う。

 

「天照は天津甕星に負けた。つまり今年は妖怪の年。今年こそが、私たちにとって最大の機会なんだから」

 

 だからこそ、余計な時間は費やしたくはない。今年は黒の力も活発化する年。だからこそ、しなければならない事が沢山ある。そして、それは黒と蒼。さらには幾人かの協力者を持ってしても、時間が掛かり、不安定な結果を導けるかどうかというもの。ならば、高々その程度の些事に付き合う道理はない。むしろ、付き合う理由が無さすぎる。だから、黒は兄を見捨てた。

 閉じていた瞳を開く。黒と蒼の二人が見つめる先には、人が一人もいないのに、都市として機能し続けている街があった。

 

 




この作品の中では天照が負けて、妖怪たちの勢いが増長している状態です。

作中にある天照が天津甕星(あまつみかぼし)に負けたことで妖怪の勢いが増大したという話については、東方にてそういう話がありました。大晦日に儀式を行い、天照が天津甕星の光を消せばその年は普段と変わらず、しかしもし天津甕星の光を消せない場合は妖怪の年となるらしいです。
天津甕星について
古事記には登場しない神様です。日本書紀において日本最大軍神のうち、二柱を破った天照最大の敵でもあります。天照が葦原の中つ国(日本)を孫のニニギ孫に渡すようにさせた際に、反対した神です。星の神であり、一説によると金星の事ではないかと。東方では、金星の光として書かれて、ルシファーと同一視されていました。


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黒とさよと千雨の日常

今回は、日常編の様なものです。


「先生! 先生って王子様なんですか?」

「は?」

 

 放課後、何時ものように黒がさよの面倒を見ていると、いきなりさよがそんな事を言い始めた。以前黒がさよに言った通り、さよは自衛のため魔法を覚え始めてきた。その指導の為に、黒はさよと共に人気のない林の中にいるのだ。

 

「いきなり何を言っているんですか?」

「クラス中で話題になっていますよ。ユギ先生とネギ先生はどこかの王族じゃないかって」

 

 頭を抱えて、黒はため息を吐く。

 

「そんなわけある訳ないでしょう。王族だったらこんな所に居ませんよ」

「……それもそうですね」

 

 コロリとさよも考えを改めてすぐに忘れてしまった。幾ら学園結界の影響を受けているとしても、話しの規模が大きすぎて信じ辛かったのだ。それに、近頃さよは結界の影響から独立し始めている。魔法を修めれば修めるほど、普通の魔法使いが作り上げた結界の効果が薄らいでいるのだ。これは段々とさよが幽霊からより強い幻想へと変わり始めている証でもある。

 だが、彼女はその事を知らされてはいない。

 

(まあ、実際は確かに王族ですしね。しかも、王位継承権持っていますし)

 

 しかし、実際には彼女の言うとおりで合っている。黒の母親は王族であり、その血筋は確かに王として認められるにふさわしい。だが、その話は外に出て良いものではない。今回は只3-Aの妄想が拡大した結果だが、これがもし何らかの理由で拡げられた噂だった場合は、黒は容赦なくその人物たちを滅ぼした。

 黒とネギが王位継承権を持っているのは母親が理由だが、その母親が問題なのだ。下手をすれば、メガロメセンブリアが何かを要求する、或いは接触しようとする可能性が高い。それを防ぐためにも、余計な噂は立たない方が良いのだ。おそらく、学園側も今回の件は火消しするはず。この噂は今までのくだらない話と違い、危険すぎる。

 そこまで考えて、黒はさよに対して話を逸らしたのだ。

 

「さて、くだらない事を話しているさよさんには追加課題として、特殊理論で想定された大魔法の術式を暗唱して頂きましょうか」

「ぎゃぴ!?」

 

 泣く泣くさよは、必死になって呪文をぶつぶつ唱え続けるのであった。

 

 

 

 さよと魔法の修行をしていた次の日、黒と千雨は一緒にいた。麻帆良にある喫茶店で、千雨が一方的に日々の愚痴を言い続けているのだ。というのも、今まで千雨はイラつきの理由は分かっても、その原因までは分からなかった。その為に、対症療法的にネットで日々の不満をぶちまける事で、うさを晴らしていた。しかし、今はその必要性が薄まった。こうして存分に裏の話をできる相手に文句を言い、日ごろのストレスを解消していた。

 しかし、付き合わされる方はたまったものではない。笑顔の割に口角をひきつらせ、何度も時計を見て「忙しいんですが」アピールを黒はしている。全く相手にされていないが。

 こんな事なら、この人に買い物の付き合いを頼むんじゃなかった。そしてお礼に喫茶店なんかに連れてくるんじゃなかった。そう後悔していた。

 

「つーか、彼奴らも彼奴らだよ。何で学校なんか作ったんだよ。世界樹の周りに人払いをして、誰も近寄らないようにすればそれで良いものを。それなのに、学校なんて作るから、こんな面倒くさい状況になるんだよ」

「そーなのかー」

「そうだよ。そもそも、……(中略)だから、……(中略)、そして、……(略)。分かったか?」

「そーなのかー」

 

 もはや面倒くさくなったのか、そーなのかーしか返さない黒だったが、それでも気が済んだのか千雨はうんうんうなずきながら、店に入ってきた時に注文しておいたコーヒーを啜る。

 

「……冷めている」

「そりゃそうでしょう。あれだけ長い間話し続けていたんですから。……新しく注文でもします?」

 

 ちらりと黒が見た時計は、長針が一周している。それに気が付かないで、話し続けたのを知り、僅かに頬を赤く染めて千雨は場をごまかそうとする。

 

「いや、良い。これで十分」

 

 しばらくの間、冷めたコーヒーを啜る千雨と、その前でコーヒーと一緒に注文していた、アイスの部分が溶け始めている巨大なパフェを食べ続ける黒がいた。しかし、そこでふと千雨はある事に気が付いた。

 

「あれ。お前食事制限されていたんじゃ?」

「言うな」

 

 今までになく鋭い声で言われたため、怪訝な表情を浮かべた千雨だったが、次の言葉に納得したのか、それ以降その話題を口にすることはしなかった。

 

「ようやく、あの言霊を解除できたんだ。束の間の天国を味わなければ割に合わない」

 

 手に持つスプーンがぐにゃりと曲げられ、そしてまたすぐに真っ直ぐになるのを数回繰り返し、黒は気が落ち着いたのか、また幸せそうにパフェを食べるのを再開した黒だが、家に帰ったら速攻で蒼にバレて、また言霊をさらに厳重にかけられることを知らない。

 

「そういや、お前って結構金を持っているんだよな。いつもいつもパフェを頼んでるし。案外浪費家だもんなお前」

「いや、浪費家って。私そんなに浪費していないでしょう?」

「いいや、している。何せ、その証拠が私の右斜めにあるからな」

 

 千雨が見る先には、山積みの商品が置かれている。全て黒が購入したものだ。スキマで片づけようにも、さすがに真昼間からこれだけの量が消えたら不審すぎる。その為に、こうして態々不自由な思いをして持っているのだ。

 

「仕方がないでしょう。これは私が使うものじゃありませんよ。知り合いの服を頼まれて買っているんです」

「そりゃよかった。とうとう女装するのかと思ったからな」

 

 一番上の商品は結構有名な女性の下着メーカーの品だった。黒本人は男であるため、女性用下着に詳しくない。その為、千雨に頼み込んで購入を手伝ってもらったのだ。……悲しい事に黒の場合店員が性別を間違えるので、別に女性用下着のコーナーに居ても問題にならないのだ。以前も、黒のいとこであるネカネの下着を購入するとき、幼い黒の面倒を見るために連れて行かれ、その際に黒の分も「購入されますか?」と店員に優しく言われるくらいには間違われてしまった事があった。

 

「おい、止めろ」

 

 ぎろりと黒は千雨を睨みつけて、言葉を吐き出す。そう言った内容の事は、黒が最も嫌いな事なのだから、言葉が荒くなるのも仕方がないというもの。

 

「まあ、それは置いといて、浪費家じゃなくとも気になる事はある。お前どれだけ金を持っているんだよ?」

 

 黒が購入していた物は、結構値が張る。それをたくさん購入していたのだ。学生の身であるが、千雨自身も金銭感覚というのは周りと比べてしっかりと出来てきている。だから、これだけの商品を簡単に購入できる黒の財布が気になった。

 

「持っているというより勝手にたまるんですよ。私は学生時代に魔法薬を作って販売していましたが、その利益を株に投資して、その投資先が好景気に成るように能力で調整していたら、いつ間にか自分でも消費しきれなくなるほど成長していましたし」

「ふうん。まあ、使いすぎなければ問題ないんじゃないか」

 

 くだらない事を楽しそうに話す二人を見ると、相性は最悪に近いが意外とその仲は悪くないのかもしれない。

 

 

 

 

「やれやれ。ここで最後か」

 

 山桜の葉が落ちて肩に乗るのを蒼は気にせず、目の前にある穴を眺めている。精神病棟で23号と呼ばれた男がかつて落ちた穴。河童の国へつながる穴を。




最後はあれです。kappaと発音してください。
冗談はさておき、意外と黒と千雨の相性は良い方です。実際、内側にかなりストレスを蓄えていますし。共感できる点が多いんです。


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悩むネギたち

カモが来て、エヴァンジェリンに挑戦状を届けた後と考えてください。


 麻帆良女子寮の一室で、三つの人物が額を合わせて密談をしている。

 ネギと明日菜、それについ最近こちらへ来た魔法生物のオコジョであるカモ。彼らが集まり、輪を作っている。彼らの顔は、それぞれ違う感情に彩られている。ネギと明日菜は相手を睨むかのようにしているが、お互いの内心は心配と反骨である。残りのカモは何かを考えながら、煙草をくわえて普段騒がしく、騒動の原因を作る彼らしからず静かである。

 

「ネギ、私はユギ先生にもきちんと話をした方が良いと思うわ」

「ダメです!! ユギが知ったら危ない目に合うかもしれないんですよ!」

 

 三人は、先日のエヴァンジェリン襲撃の事を相談していた。

 その中で、明日菜はきちんと黒にこの件を話しておいた方が良いと主張していた。

 彼女にとって黒は苦手な人物であるが、頼りになる人でもあると無意識のうちに理解しているがゆえに、助けを頼むべきではないかとネギに伝えたのだ。それに、下手をすれば黒もエヴァンジェリンに狙われる可能性がある。彼女はガサツなところはあるが面倒見は良い。だからこそ、黒がこの事を知らないで危険な目に合うなんてことは許せない。もし襲われた時にエヴァンジェリンの事を知っていたら、彼ならば一人で対処できるのではないかと頭をめずらしく働かせたのだ。

 しかし、一方のネギは明日菜に対して、反対を声高に叫んだ。ネギにとって、黒は弟で守るべき存在なのだ。そしてエヴァンジェリンの言っていたことからネギが推測する限り、黒が狙われる理由はない。下手に今の状況を話して、心配をかけたくないのだ。子供の意地ではあるが、それは兄としての意地でもある。たとえ苦しくとも、ネギは一人で頑張ると決めていた。

 

「ううん。二人の意見も確か何スよね」

「如何いう意味? カモ君」

 

 お互いが意見を譲らないために、平行線となっていた議論。これまでずっと同じところをぐるぐるとまわり続けていた話だが、第三者視点からみれるカモが話し合いに参加したことで、只お互いが譲らない状況から帰る事が出来る。

 知らず知らず頭に血が上っていた二人と違い、カモは冷静さを保っていた事から、二人の意見を比べて考察するだけの余裕を保っている。しかし、二人の話を総合的に考えられるからこそ、逆に頭を抱えてしまう部分もある。

 

「いや、簡単なこと何スよ。兄貴が言う事は、確かに正しいと言えるんス」

 

 それ見た事かと言わんばかりに、ネギは明日菜に胸を張り、頭を何度も上下に振る。しかし、その運動も次のカモの言葉に止まり、不満そうな顔をして今度は明日菜が勝ち誇りながら首を振り始めた。

 

「だけど、それはあくまでもエヴァって奴が真実を語っていた場合の話。600年も生きた吸血鬼なら、兄貴を騙す事や、こちらが思いもしない策を二重、三重に張っていても可笑しくはないはずだと俺っちは思うっスよ。だから姐さんの考えも正しいと思うぜ」

 

 ここにきて三人は行き詰まり、また最初のようにお互いの額を突きつけるばかりで、進展を起こせずにいた。

 しかし、三人がダメでもさらに多くの人間が集まれば、より良い考えが浮かぶというのも道理。彼らに、天の、いや地獄の仏がやってきた。

 

「お~い、近衛。頼まれたパソコンのインストール終わったぞ」

 

 扉を開けて入ってきたのは、長谷川千雨だ。私服姿の千雨は、何故か無駄に豪華な服を着ていた。白と黒のツートンカラーであるが、様々な場所に、カラフルなリボンがつけられており、ただ綺麗な服というわけではない。心に何か訴えかけるような服装だ。

 明日菜はその姿に、彼女の趣味って、こんなのだったっけと思いながらも、彼女が振るパソコンに注意を向けた。千雨の手には、ピンク色の可愛らしく、しかし彼女があまり好まないデザインのノートパソコンがある。

 

「あれ? なあ、明日菜。近衛知らないか?」

「千雨ちゃん、どうしてここに?」

 

 滅多に明日菜の部屋に、それどころか他人の部屋に入る事も、他者を自分の部屋に入れることを嫌う千雨が こうしてここに来たことに明日菜は首をかしげている。

 

「いや、近衛が最近新しくパソコン買ったらしくってな。葉加瀬たちに初期設定とか手伝ってもらおうとしたらしいんだけど、あいつ等の要件が忙しいらしく私に助けを頼んだんだよ。それで、初期設定なんかはあいつと一緒にやっておいたんだが、このノーパソ、CDドライブが最初からないのを買ったらしく、私の部屋でソフトをインストールしてやったんだ」

「ゴメン、千雨ちゃん!! 何言っているか、さっぱりわからない!」

 

 ネギとアスカは頭を押さえて、辛そうな顔をしている。唯一千雨の話が分かったカモは、しかし一般人であると思っている千雨の手前、大人しくオコジョの振りをするしかない。

 そんなカモの様子を、しばらく誰にも気が付かれないように眺めていた千雨だが、ため息をついて明日菜にノートパソコンを手渡した。

 

「悪いが、近衛に届けてくれないか? 私が探して渡すよりも、同室のお前なら確実に渡せるだろう?」

「うん。分かった。木乃香に渡しておくね」

 

 受け取ったノートパソコンを机に置き、明日菜は千雨を見送りに玄関まで出て行く。その間ネギは、千雨が持ってきたノートパソコンをじっと見つめ、行き成りその表情を明るくした。急いで玄関まで飛び出して、廊下を歩いていた千雨に感謝の言葉を大きな声で叫んだ。

 

「ありがとうございます!! 千雨さん!!」

「行き成りなんですか、先生。それに声が大きすぎです。周りの人の迷惑ですよ」

「へっ! あの、その。とにかくありがとうございます!」

 

 口に手を当てて声が小さくなるようにして、ネギは手をあたふたと振りながら、しかし結局まだ大きすぎる声で、ネギは千雨にもう一度感謝を伝えた。

 

「ほら、少しは落ち着きなさないネギ」

「は、はい」

 

 顔を下に向け、今度は声が小さくなったネギは、千雨を見送りアスナと一緒に部屋へ入って口を開く。叱られたばかりだというのに弾んだ声のネギに、明日菜は顔を訝しげにしたが、部屋の中に入るまでは何も聞かなかった。扉を閉めて、声が外に漏れないようにしてから、ネギに尋ねる。

 

「ネギ、アンタ何か良い考えがひらめいたの?」

「ハイ! 何も話す必要はなかったんです」

 

 ネギの語る内容に、明日菜はため息をつきながらもう一度諭そうと試みた。

 

「あのね、ネギ。私はさっきから言っているけど、話す――」

「アスナさん、違います。話はしませんけど、ユギに警戒させるための方法はあります」

「え、そんな方法あるの? というより、どういう事よ?」

 

 すぐさまネギは魔法で紙と鉛筆を取出し、明日菜に見せて、誇らしげに説明を始める。

 

「紙と鉛筆? それが」

「手紙で書けば良いんですよ! 下手に話そうとするくらいなら、最初からある程度の情報をまとめて書いて渡せば良かったんです。それならボロも出ませんし、ユギの事だからきちんと安全対策を取ってくれるはずです」

 

 机に向かい、ネギは鉛筆を走らせて様々な情報を選びながら書き連ねていく。少しでも弟が安全でいるようにと思い。不器用であまり意味が無いかもしれないが、弟を想い行動するその姿ははたからみれば、心から弟を心配していることが良く分かる。

 そんなネギの様子を見て、明日菜はどこか苦笑した後、

 

「ほらほら、ネギ。そんなにあわてて書かないの。カモも含めて三人で何を書くか決めるわよ」

「そうだぜ、兄貴。俺っちにも手伝わせてくれよな!」

「あ、はい!」

 

 こうして、最初とは全く違った形で三人は額を突き合わせることになった。 




明日菜が手紙で納得したのは、きちんと自分の意見も取り入れて考えてくれたからです。
この作品のネギの基本路線は、弟思いの兄とします。まあ、その弟は全く違う感情しか向けていませんが。


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最後の境界

 麻帆良学園に存在するすべての明かりから光が消えていく。蝋燭の火が風に吹き消されるように、人が苦心して作り上げてきた光が電気が供給されないというだけで消えていく様は、何かの幻を見ていたかと思わせる。

 静寂な闇に包まれて、麻帆良はひと時の間静粛な空気に満たされる。誰もこの空気をかき乱そうとはしない。本来人は闇を恐れる生物なのだから。闇を恐れて日が出るまで安全な寝床で隠れるように身を休めるのが人間という生物だ。

 しかしこんな時、麻帆良の学生は必ずと言ってよいほど外に出て騒ごうとする。闇を恐れるということを、人としての本能すら忘れて。

 だが何故かお祭り気質な彼らはこの日に限って外に出ない。何故なら彼らは外へ出るという意思を、知らず知らず奪われているのだ。今外へ出られると困る学園側の思惑によって。

 そうして生まれた人ひとりいない麻帆良の地は、寂しい。寂しくて、錆びれてしまっている。

 麻帆良を囲む人の手が加えられていない深い森。その森を通り越すと突然現れるレンガ造りの古い町並み。そしてそこらに転がっている路面電車や、有り得ない程に進んでいる科学技術で作成された機械の類い。様々な歴史と世界が無理やり混ぜ込められ、共存することを強いられ、壊れている世界。

 そんな中を、誰も外を歩けないはずなのに一人の少年が歩いていた。

 陰陽対極図の描かれた前掛けを付けた服を着た黒だ。彼は先ほどから麻帆良を回り、ある決まった場所で立ち止まり、そこの地面に何かの図形を、チョークとあらかじめ用意しておいた符に、さらに魔法薬を使って書いていた。

 それは複雑な模様を描いている図だ。外周は幼い黒の手のひらぐらいしかない円で、その内側に五芒星が描かれている。さらにその中に、五行を意味する字と四方を司る四聖獣の名も刻まれている。それらの文字が月明かりに照らされて麻帆良に散らばっている図形と同調するように光っていたが、黒が世界樹前の広場の中央にそれらの図と同じものを描くとすぐに光は図と一緒に消えていってしまう。

 

「これで術式は書き終わった。あとは、呼び寄せるだけか」

 

 ぽつりと黒が呟き、空を飛ぶ。音が置き去りになるほどの速さで上昇し、麻帆良が上空写真のように見えるほどまで飛び、そのばに止まる。

 麻帆良に電力が供給されないために、今現在黒のいる空は星と月がその光を一層強めて輝いている。それでいながら、暗闇は優しく黒を包み込み、懐かしい友を歓迎するかのように抱擁する。

 黒はその空の上から麻帆良を視る(・・)。但し、それはただ見ているわけではない。地表を透かし、大地を循環している霊脈。それを目を細めて観察しながら数本の脈を見つけ、それをつぶさに眺めていた。彼が見ているその霊脈は違うある場所から麻帆良へ向かい流れているものだ。見つけた霊脈の先を眺めながら、彼は懐から一体の式神を放つ。

 白い紙の鳥を模したそれは、陰陽師が使うものに非常によく似ている。しかし、性能や性質は大違いだ。陰陽師が式を使うのは魔を祓うため。しかし、この式は違う。使用者が妖怪であるがゆえに、その性能はむしろ魔を招き入れるという奇怪な代物になってしまっている。

 式は黒が作り出したスキマを通じて、どこかへ消えていく。その際、スキマからわずかに見えたのは山の中にある施設だった。かつて黒が訪れて、そこにいた全ての人間を虐殺したあの関東魔法協会の。

 

「あと少し。あと少しで完成する。だから利用されろ。貴方たちは」

 

 誰にとはなく黒は話しかける。その場に誰もいないというのに。目を瞑り、歯を喰いしばる黒。その姿は神に懺悔する罪人の様でありながら、言葉は自分のエゴを貫くために他者を犠牲にする独裁者だ。

 そうしている間にようやく式が帰ってきた。式の下に、霊脈の中を移動する黒い何かをひきつれて。

 それは魂だ。人が死に、そこで生み出された怨念が集い、霊魂となった人間の最後。怨霊と呼ばれるそれらは、全てたった一つの思いで式を追っている。復讐を果たすために。

 彼らは式からにじみ出る黒の妖力に引き寄せられて式を追いかけているのだ。かつて黒に殺された憎しみ、恨み。それらの念によって生まれた彼らは、だからこそ黒にしかその執念を示さない。逆を言えば、彼に対してはどんな状況下でも復讐しようとする。

 だからこそ恐ろしい。彼らは何も考慮せず、復讐しようとする。彼らはお岩の亡霊よりもなお復讐心は強いのだ。そしてその強い思いは、大妖怪である黒ですら相手にしたくないと思わせる程。

 

「だけど、それは何の対処も用意していないとき」

 

 麻帆良に入った彼らは、黒を見つけて彼のいる地点へ向かい流れ込んでいく。空を飛んでいる彼に襲い掛かっても、逃げられないように布陣を作っているのだ。

 霊脈から霊脈を移動して、黒を囲んでゆっくりと確実に近づいていく。猫がネズミにそっと近づくようなさまはまさしく狩りだ。

 だが、それは黒が何もせず、獲物であることを許容した場合の話。彼らの魂全てが有る地点を越して世界樹にまで近づいた時、彼らを囲むように円状の光が出てきた。その光を浴びると、霊脈の怨霊はだんだんと動きを鈍くしていく。次第に光は腕のような形に変化し、彼らを掴んで抑え込み、引きずり込もうとする。一つの巨大な陣に。

 先ほど黒が描いていた図は、この陣を形成するために必要なものだ。そして陣の役割は封印。土地に縛り付けて、決して逃がさないようにする一種の結界。それにとらわれた彼らの魂、怨霊は逃げる事すら許されずに、麻帆良という土地に封印されてしまった。

 

「さあ、すべての準備は整った。これで幻想は救われる!」

 

 麻帆良の地を空から見つめながら、黒はそう言葉を漏らした。

 

 

 

 

 麻帆良のはるか下、地下にある特殊な空間。そこに一人の人間に似た何かがいた。

 

「おや、誰でしょうか? こんなものを麻帆良に招きよせ、あまつさえこの地に封印するとは」

 

 ローブに隠れてその素顔は見えないが、発したその声で男だという事がわかる。そんな彼は、麻帆良の魔法使いが分からなかったことを、最強種と呼ばれるエヴァンジェリンですら気が付かなかったことを、あっさりと知覚したのだ。この麻帆良に何が起きているのかを。

 彼は少し気だるそうに椅子に座り、一冊の本を机の上に出す。

 

「まさか、このご時世に同類、いえ私以上の力を持つ幻想が動き出すとは。彼らは力が強すぎるがゆえに、めったに大きな活動をしないというのに。いや、こんな時代だからこそ、彼らは動き出したのかもしれませんね」

 

 それだけ言い残し、煙のように彼はその場から消えてしまう。残っているのは蝋燭についた火と机に置かれている本だけだった。



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修学旅行前の頼み

「京都に父さんの別荘があるんだ! 一緒に探しに行こう、ユギ!」

 

 目を輝かせたネギは、カフェの屋外に設置されているプラスチック製の白いテーブルに身を乗り出して、掴みかからんばかりに、一方的な勢いで黒に話をしていた。

 麻帆良大停電から数日経過した今日、ネギは黒に突然会いたいと電話で伝えてきた。黒自身は最初断ったのだが、如何にもネギの押しが強くて断り切れず、こうしてわざわざ会う羽目になってしまった。

 ネギが黒を呼んだ理由は父親の手掛かりが見つかったからだ。ネギにとって父親に関することはとても大切な事だったのだ。それこそ、自身の中で優先する事の第一になるほどに。その為、弟である黒にも伝えたかったのだ。一緒に探してくれると思い込んで。もっとも、黒本人はその情報に対してどうも思っていなかったが。

 黒は組んでいた指を一度ほぐしながら、ネギに一度落ち着くよう言ってから尋ねた。

 

「それで、如何するつもりなんです? まさか、修学旅行中に行くとでも言いませんよね?」

「え? ダメなの? 僕はそのつもりだったんだけど」

 

 呆けた表情をさらすネギに、顔を覆うように手で抑えながら黒は、努めて冷静な声で教える。

 

「ダメですよ。私たちは一個人でもありますが、その前に教師なんです。何処の世界に生徒を放って自分の事を優先する教師がいるんです」

「そ、それは……」

「もちろん学園からの許可を得たのなら別ですが、今回私たちが向かう京都では、あくまで麻帆良学園の教師であることを求められています。それを父親のためとはいえ、勝手に放棄するわけにはいかないでしょう?」

「そ、そうかもしれないけど」

 

 黒の正論に対しそれでもネギは諦めきれないのか、か細い声でぼそぼそと否定の言葉を口に出そうと何度も口を開こうとする。だが、幾ら考えても結局黒を論破するだけの話をはネギの中にはなく、最終的には押し黙ってしまった。

 それをしばらく紅茶を飲みながら眺めていた黒だが、項垂れたネギを見てまた一つ違う提案を話した。

 

「どうしても行きたいのなら、学園長にでも頼みなさい。学園長の許可があれば、誰一人文句は言わないでしょうから」

 

 びっくりした顔を黒に見せながら、ネギはしばしの間固まっていた。

 

「本当にユギなの?」

「それは如何いう意味? 場合によっては……」

「う、うん! ユギだよね。うん。そうそう」

 

 慌てて手を振りながら何度も手を前に出して横に振るネギ。黒は一度ため息をついた後に、伝票を取ってレジへ向かう。

 

「あっ! 一寸――」

「代金は私が払っておきます。貴方は早く学園長に許可でも取りに行きなさない。ああ、それと私の許可は要りません。さすがに担任と副担任が一緒に居なくなるのは拙いですからね」

 

 それだけ告げて黒はさっさと一人カフェを出て行ってしまう。置いてかれてしまったネギは、てもちぶたさに視界をあっちこっちに向けた後、テーブルの上にある温くなった紅茶をちびちびと飲み始めた。

 

 

 

 

 ネギと別れた黒は、麻帆良学園の学園長室にいた。もともとネギよりも先に学園長に呼び出されていたのだ。それをネギの為に彼は無理をしてスケジュールを変えていた。もしこれがほかの人間なら、これほど温情にまみれた判断はしなかっただろう。

 先ほどのカフェの安っぽいテーブルと比べて、はるかに高額な、品格の漂う机を挟んで、黒は近右衛門の前に立っていた。

 近右衛門は笑いながら、自身の長いあごひげをさすっていた。その姿を黒はただ黙って見つめて続けている。

 

「君にはこれを、修学旅行の時にある場所へ届けてほしいのじゃよ」

 

 そう言って近右衛門は、年齢が刻まれた皺だらけの手で一通の手紙を黒に渡す。それを受け取った黒は、なめるように一度全体を観察した後、反論した。

 

「関東魔法協会に所属していない私にこの手紙を届けるのは無理です。それに、修学旅行でさすがに生徒からここまで離れてしまうのは拙いのでは?」

 

 黒が握る手紙には、封の所に関東魔法協会を示す印が使われていた。それも、魔法で複製することが不可能なように作られた最高級の物が。つまりこの手紙は関東魔法協会の正式な外交の一つであり、それを渡しに行く使者は魔法協会に所属しているものだという事を示している。

 それを渡すよう伝えられた黒は、しかし関東魔法協会に所属していない。未だ魔法世界的な身分としては修行中の身である黒が、関東魔法協会の使者をするのは身分不相応すぎるのだ。

 だが、近右衛門はそれを理解していながら無視した。この手紙を利用して、黒を関東魔法協会の名前で取り入れようとしていたのだから。

 

「ああ、それには及ばんよ、ユギ君。向こうたってのお願いでな。君以外には任すわけにはいかなくなったのじゃ。もう一つ特使が必要な場所はあるんじゃが、そっちの方、関西呪術協会にはネギ君に行ってもらう事になっての。君には向こうのもう一つの組織、神道関連の組織へ向かってもらう。何、安心してもらって構わん。関西呪術協会と違い、向こうは儂らに対し、悪意を持っておらん。危害を加える者はおらんから、君でもこの任務は達成できるじゃろう」

 

 答えたように思えながら、何も答えていない回答だ。確かに黒が特使なる理由は説明した。しかし、その理由は趣旨をすり替えているだけで、実質一つも理論的な回答をしていない。さらに、生徒に関しての回答もない。だというのに、それで完結したかのように近右衛門は立ち上がり、黒に背を向けた。

 

「では、頼んだぞ。向うの組織については後で資料を届けさせるからの」

「……ええ、わかりました」

 

 だからこそ近右衛門は気が付かなかった。策が成功したのは近右衛門ではなく、歪にゆがんだ笑みを近衛門の後ろでうっすら浮かべていた黒だという事を。

 

 

 

 

「成功したようだな」

「まあね」

 

 麻帆良学園から数駅先の住宅街の一軒で、黒とその式である蒼は大きな黒い旅行用バッグに荷物を詰め込みながら話をしていた。彼らは床に座りながら、周りに並べた衣服や様々な小物を手に取りながら、修学旅行用のしおりと見比べて入れていく。一週間後にある修学旅行の準備をしているのだ。

 

「どうやって彼のお方とお目にかかる機会と時間を作るか。それが問題だったのですがね。蒼がいてくれて助かったよ」

「ふん。別に問題はない。それくらいの事ならば、私にとっては簡単な事だ」

 

 近右衛門は一つ失敗をしていた。なぜ急に相手側が黒を指定したのかを考えなかったのだ。これがネギのように、父親譲りの魔力を持っていて、つい先日に悪の魔法使いと言われるエヴァンジェリンを倒したというのなら分かる。それは裏の世界でも知れ渡るには十分な実績だからだ。

 だが、黒はこれといって何もしていない。確かに黒の魔法薬はまほネットでは有名だ。しかしそれもハンドルネームを利用していて、黒にたどり着ける情報は一度もまほネットに乗ったことはない。言ってしまえば、黒は英雄の子供であるが、別に有名ではない。誰も知らないと言ってよい。なのに、彼らは黒を指定したのだ。親書の特使として。

 確かに近右衛門も多少訝しみはしたが、それでも彼にとっては都合が良かった事と、相手先は昔から政治に直接関与しようとした事がなく、安心してしまい流してしまったのだ。

 

「あの人に頼み、その旨を伝えてもらった。私がしたことはそれだけだ」

「それだけでも、かなりの成果。あなた以外にそんな事ができる者はそうそういないからね。やはり彼のお方と会えるのならば、早いうちに会った方が私もやりやすいし」

 

 手にしていた服をたたみながら、黒はバッグの中に詰めていく。

 よどみない手口で詰め込みながら、黒は蒼にいつもよりも饒舌に尋ねる。

 

「私の話は与太話と笑われるか、それとも現実的と思われるか。一体如何なると思う?」

「知らん」

 

 そっけない言葉に、肩をすくめながら魔法協会の親書に黒自身が厳重な封印をかける。その届け先を確認しながら。そこには近右衛門の達筆な文字でこう書かれていた。『八雲立つ出雲にある大社』と。



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古の魔都、京都
いざ京都に


 東京駅を出発した新幹線の中、一つの車両丸々を貸し切る形で、一つの団体が利用していた。麻帆良学園が京都への修学旅行の為に、新幹線を利用しているのだ。

 その借り切った車両内では一種独特な空気が醸し出ていた。静かではあるのだが、何とも言えない熱気が生徒達から放出されている。特にそれが一番強いのは生徒を監督するはずの担任のネギであった。

 

「――特にけがには気を付け……」

 

 麻帆良学園の生徒達がそれぞれの席に座り、ネギの言葉を大人しく聞いていた。しかし、車両の一番前で生徒に注意事項を説明していたネギは、他の車両から来た車内販売のカートにひかれてしまう。

 元々中学生活一度しかない修学旅行を楽しみで待ち焦がれていた少女たちが、それを見てすぐに騒ぎ出すのは当然。ネギの醜態に笑い、騒ぎ始めた。ネギ本人も、生徒に笑われていたが自分もつられて苦笑し、よくある旅行のハプニングとして片づけられた。

 本来なら新田先生が、既に騒いでいる生徒たちに静かにするよう怒っているだろう。しかし、さすがに生徒の気持ちを汲んで、精々「他の車両に迷惑をかけないように」と注意する程度で終わっていた。

 その慈悲を免罪符として受け止めた生徒たちは、さらに騒がしくなり始めた。中には、席を移動してゲームをし始めて騒ぎ出す者もいる。とはいえ、それも学生たちにとっては醍醐味の一つ。ネギを始めとした教師たちも口うるさく注意することなどはしなかった。

 これからの予定を話し合ったり、生徒と一緒になって遊び始める教師もいた。流石に一緒に遊んでいるのは少数派であったが。

 各自が修学旅行の楽しみと期待を胸に、興奮しながらも各々で楽しんでいる中、突如甲高い少女たちの悲鳴が車内に響き渡った。

 車両内に蛙が行き成りわらわらと湧いて出てきたのだ。少女にとって、蛙というものは嫌悪感の象徴だ。ヌメヌメとした体表、ぎょろりとした目玉、気持ち悪いほど長くのびる舌。それが水筒やらカバンの中から突然出てくるのだ。それらに生理的な嫌悪感を感じてしまい、生徒たちはパニック状態になってしまうのも当然と言える。

 

「……まあ、恰好はともかく妨害にはなっているか」

 

 そのあまりに馬鹿馬鹿しい妨害の仕方を目の当たりにした黒は一人後部座席で、テレビの画面を見ているかのように目の前で繰り広げられている茶番を眺め続けていた。態々自分で事態を解決するのに動く必要もない。彼はそう判断した、というよりも実際は関わると面倒なことになると思って、黒が関わるのを忌避したのだ。

 それこそ、能力を使って自分の事を他人から認識できないようにしてまで。

 

「成果云々ではなく、こんな莫迦らしい手を打ってくるのを相手にしないといけないというのは、さすがに不憫だとは思うよ。ネギ」

 

 親書を使い魔に奪われ、慌ててその使い魔を追いかけているネギを憐みの目で見ながら、黒はため息をもらして呟かずにはいられなかった。

 

 

 

 新幹線内でハプニングはあったが、無事京都駅を降りたネギたち教師と麻帆良学園の生徒は、まず清水寺へバスで向かった。

 清水寺へ着くまでに、清々しい快晴のお蔭で先ほどの気分も治ったのだろう。バスから降りると玄亀に駆けだしていってしまった。

 ネギが最後尾で追いかけて漸く追いついた時には、3-Aのメンバーは持ち前の元気を解き放って、清水の舞台で騒いでいた。

 だが、中学生である彼女たちにとって美しい光景や希少な歴史よりも、その先に有る物の方が強く興味を惹かれるのだろう。恋占いで有名な神社や音羽の滝の話を、夕映から聞き、そちらに駆けて行ってしまった。

 ネギも彼女たちに背中を押されて、結局満足に清水寺を見る事が出来ずに地主神社につれて行かれてしまう。

 しかし、そこでもまた関西呪術協会だと思われる妨害がネギを襲った。

 恋占いをしていたあやかとまき絵が落とし穴にはまってしまい、穴の中に落ちたのだ。さらに中には先ほどの蛙がいた。

 二人を引っ張り出したネギだが、そこで視線を感じ振り返ると、先ほどの新幹線で怪しい動きを見せていた桜咲刹那がネギを観察するように見つめていた。しかも、ネギの視線に気が付くと、彼女はすぐに違う場所へ移動してしまう。

 カモはその怪しげな態度に、刹那が西のスパイではないかという疑いを深め、こっそりとネギに伝えた。だが、ネギは自分の生徒がスパイであってほしくないという願いの為に、自分自身かすかな疑いを持ちながらもカモの話を否定した。

 だが、一度抱いてしまった疑念はそう簡単には消えない。ネギの頭は刹那の事でいっぱいになり、ぐるぐると回り続けている。

 そうやって考えながら歩いていた為、ネギはいつしか3-Aから離れていることに気が付かずにいた。それは間違いなく一つの隙であり、その隙の所為で関西呪術協会からの妨害を許してしまう。

 

「星が見える~」

「うぃ~」

 

 漸くネギが異変に気付いたころには、3-Aのほとんどの生徒が前後不覚の状態で潰れていた。

 

「な、何が起きたの!?」

 

 何が起きたかわからずパニックになりかけたネギだが、後ろから慌てて走ってきた人物に声をかけられて、少しだけ冷静さを取り戻す事が出来た。

 

「ああ、ネギ先生丁度良いところに」

「新田先生」

 

 よほど急いでいたのだろう。後ろの方で生徒たちを見ていたはずの新田教諭が、額に汗を光らせ肩を震わせたまま立ち止まる。

 

「どうされたんですか、新田先生?」

「どうやら……ネギ先生はまだお知りではないようですね。先ほど先頭で生徒を見ていたユギ先生から……連絡が来て、観光客に対する悪質な悪戯で、酒が滝に混ぜられていたと。それを生徒たちが誤って飲んでしまい、倒れてしまったそうです。ネギ先生、私は事態を把握してから警察に……届け出をしますので、酒を誤飲してしまった生徒を旅館に連れて行き、休ませてあげてください」

「は、はい」

 

 新田教諭はネギにそう告げて、呼吸が落ち着く間もなくふらふらと倒れた生徒たちの元へ走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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月の下にて二つの御前試合

 ホテルについた麻帆良の教師たちは、ひとまず事情をホテル側に説明して大部屋を借り、協力して3-Aの生徒たちを並べた後に点呼を取ったり彼女たちの健康状態を確認した。

 高々酒を飲んだ程度とバカにしてはならない。この年頃の飲酒は脳に悪影響を強く与えるし、アルコールに慣れていない体に大量の酒を摂取してしまえば、急性アルコール中毒になる可能性もある。特に今回は水で薄められていたとはいえ、我先にと競争するように、そして浴びるように生徒たちは酒を飲んでいた。下手をすれば彼女たち全員が急性アルコール中毒になる可能性もあり、教師たちはそれを心配していたのだ。

 養護の教師が軽く見た限りであるが、幸い生徒たちは酔っている程度で済んだ。その事を知らされた教師たちは、漸く肩をなでおろす。倒れた3-Aの生徒たちをそれぞれの部屋に寝かしつけた頃、警察に事情を説明しに行っていた新田教諭が帰ってきた。

 修学旅行に付添の教師で、今日起きた様々な事件の対処の為急遽職員会議を行う事になり、借りている一室に全員が集まった。彼らは例外なく険しい顔つきをしている。今まで起きたハプニングや事件が生徒を危険に晒したこともあり、彼らは怒っているのだ。実際、教師たちの口調はかなり厳しく、固いものだった。

 会議では、明日また何か起きた時の連絡の方法や対処方法など、様々な事が決められ、警戒を強くする事が話し合われた。

 

「では、明日回る予定の場所には連絡はついているんですね?」

「ええ。警察の方が連絡してくださったようです。ですが、警戒しなければなりません。愉快犯というのは必ず規模を大きくしていきます。今回の件だって笑い話ではないんですから。各自気を付けて、生徒たちに危害が及ばないようしてください」

 

 会議の最後には新田教師がそう締めくくり、麻帆良学園の教師たちは解散していく。

 各々受け持ったクラスの生徒たちが不安がっていないか様子を見に行ったが、ネギと黒はその生徒の大多数が倒れていて何もできない。

 ネギはせめて自分にできることをしようと考え、ハプニングや事件を起こしているのが裏の住人であることからも、魔法使いである自分が生徒を守らなければならないと、パトロールに向かった。

 しかし黒はネギと違い、ホテルの一室で静かに月を眺めて休む事にした。スーツは脱ぎ捨てられて、何時の間に道教の服を模した物を着ていて、その瞳はまっすぐと月に向いている。

 暫く窓の縁に座りながら静かにぼんやりと月を眺めていた黒は、しかし月光を遮った影に気が付く。月から目を外し、窓から先ほど見えた影の主を探し始めた。

 すぐに窓から見える場所に、木乃香を抱えたサルの着ぐるみを模した式を着た女性と、女性を追うネギたちを見つけた。

 恐らくは彼女が関西呪術協会の中で、関東魔法協会との友好を望まない勢力なのだろうと当たりを付けた黒は、しばらくその追いかけっこを楽しげに窓から見下ろしていた。しかしネギたちが駅に入り、電車を使って移動してしまうと窓から眺めていた黒には様子が分からなくなってしまう。

 

「夜の散歩というのも、なかなか風情があるものだ。それに、面倒だけど私を邪魔するかもしれない術者の力量くらいは知っておいた方が良いか」

 

 特使はあくまでもネギであるが、黒も関東魔法協会である麻帆良から来た者だ。関西からしてみればネギと変わらない。ついでとばかりに襲われる可能性もある。別に今の(・・)陰陽師を恐ろしいとは思わないが、それでも黒としては万全を期しておきたい。彼らを追いかけることにした黒は、スキマを開いて移動した。

 

 

 

 

 ネギたちがいる場所を見下ろせる高層ビルの屋上に黒はいた。ビル風に吹かれ、黒の髪の毛は横になびく。それを少し鬱陶しそうにしながらも、彼は面白そうに嗤いながらネギたちの戦いを見ている。

 

「呪符使い、ね」

 

 ネギたちと式を纏った女性との戦いは、女性がかなり優位に立っていた。彼女が使う呪符は、呪文を唱える必要はあるが、それでも西洋魔法よりも短い。さらに、彼女は間合いを広く取り、剣士である桜咲刹那を近寄らせようとしない。ネギの西洋魔法より即効性に優れ、遠距離からの攻撃は今のネギたちではそう簡単には崩せないだろう。何より実力もそうだが、経験が違いすぎる。

 今の所ネギたちの勝ち目は薄い。しかし、黒は別の見方をしていた。確かに女性はネギたちを押している。だが、その優位性は彼女から緊張感を奪い取り、油断を招き始めていた。絶対的な実力差ならばまだしも、彼女とネギたちの実力差は実はそれほど広くない。ドジを踏むかぼろを出して負けると彼は予想していた。

 これ以上見る必要はないと考え、黒はスキマを開こうとした。しかし腕を前に出した構えで止まり、虚空に話しかける。

 

「成程。あの女が実力以上の策を練れたのはお前が原因か」

 

 先ほどまで誰もいなかったはずの場所に、一人の少年が唐突に姿を見せた。感情が見られない無機質な瞳に、真っ白な髪の毛が特徴的な少年は、転移魔法を使って黒の背後に現れたのだ。

 完全に不意を突いたはずだった。転移魔法では背後を取り、存在を覚られる前に終わらす。それが少年の任務だ。だが、気配で気づかれたのならまだしも、転移魔法の兆候を察知されるとは思っていなかったのだろう。少年が驚いて一瞬動きが強張ったところを、黒が開きかけていたスキマを開き、そこから引きずり出した鉄扇で横凪に殴られて吹き飛ばされる。

 鉄扇は少年の頬を歪め、確かな衝撃を彼に伝えた。しかし、それは起きるはずのない現象だ。少年は身を守るために特殊な防御魔法を幾つも張って、一種の結界を自身の周りに構築している。だというのに黒の鉄扇は、何もないかのように結界をすり抜けて少年を殴りぬいたのだ。

 黒は冷めた瞳で、吹き飛ばされた少年の方向を眺めている。そもそも、少年がしたすべての行動は黒にとって何の意味をなさないものだ。意味をなさない行為を連続でされた黒が呆れてしまうのも仕方がない。

 転移魔法は空間を行き来する魔法だ。存在自体が空間の狭間にいる黒相手に、空間と空間の間を移動する行為が隠し通せる訳が無い。防御魔法を重ね掛けして創りだした結界は、結界自体を変化させることのできる黒相手には盾とすることはできないのだ。

 

「やれやれ。まあ記憶を覗かせてもらったら、消えてもらおうか」

 

 黒の物騒な要求に対する少年の回答は反撃だった。

 少年が吹き飛ばされた先から、莫大な質量を持った岩の塊が飛んでくる。しかも、先が鋭くとがった槍状のものが。それが高速で飛来してきている。もし当たれば人間の肉体程度なら簡単に貫くだろう。

 だが黒は迫る脅威に対して、一歩も動かない。岩の塊は黒に当たる寸前、空中で衝突音を響かせて粉々に砕け散った。

 

「?」

 

 岩の塊は石の槍と呼ばれる魔法で、その付与効果に結界破壊の力があった。だというのに、少年の放った一撃は黒が普段自身の周りに張り巡らせている結界を撃ちぬく事が出来ず、敗れた。それは少年にとって余りにも不可解で、追撃をする事が出来ない。

 

「驚いたよ。まさか本気ではないといえ一枚目を破られ、二枚目にまで到達されるとは。なるほど、人間ではないと思っていたが、それも違うのか。さっきの一撃を見る限り、普通の魔法ではないみたいだし」

 

 黒は常に自身の周囲に結界を張っている。それも少年が防御魔法を何重にも張って作り出す結界と違い、結界そのものを幾つも作り続けて身を守る規格外な性能なものを。

 だからこそ黒は、一人ぶつぶつと敵対している少年を無視して呟いていた。目の前に自分の命を脅かそうとしている敵がいたとしても、彼にとって脅威ではないのだから。

 

「なるほど、確かに彼よりも君の方が驚異だ」

「私を襲撃させた奴は私の事を知っているのか。悪いけど、少しだけさっきの発言を訂正させてもらうよ。お前を消した後、この襲撃を命じた主犯も一緒に消えてもらおう」

「悪いね。僕も簡単に殺されてしまうわけにはいかないし、彼も今失っては僕たちが困る」

 

 吹き飛ばされた先でボロボロになりながらも、少年は痛みを感じさせない動きで立ち上がる。彼は黒の言葉を拒絶し、その姿をかき消した。

 少年は次の瞬間に、黒の懐に飛び込んでいた。

 瞬動。クイックムーブともいわれる技法のひとつを使ったのだ。足裏に気か魔力を集めて瞬時に解放することで、一直線だけだが高速での移動を可能とする技法だ。

 瞬動を使って、少年は黒の懐に潜り込んだ。彼は手の平を黒に向けて、魔法を発動させる。彼は瞬動で黒に近づく前に、あらかじめ呪文を唱え、魔法をストックしていた。それを、今解放したのだ。

 少年の手の平から濃い霧が噴出される。魔法自体は黒の結界に阻まれたが、視界を潰されてしまい、さすがの黒も動く事は出来なかった。その機会を見逃さず、少年は転移魔法を使い、どこかに逃走してしまう。

 

「……まさか目くらましで逃げるなんて。……まあ、いいか」

 

 少年を追いかけることはできる。しかし、むやみにちょっかいを掛けて余計なものを敵に回すわけにはいかない黒は、追跡を諦めた。

 少年には何らかの後ろ盾がある事が、少年の言葉でわかっている。下手に手を出せば、その後ろ盾とも戦わないといけなくなる可能性が高く、些か面倒すぎる事態になってしまう。それならば、今回の事は目を瞑った方がマシだ。確かに容認できない事はあったが、それでも今から何かされたところで黒の邪魔にはならないのだから。

 

「帰るか」

 

 ビルの手すりから後ろ向きに飛び降りた黒は、落下中に広げたスキマにのまれホテルの自室に帰っていった。

 

 

 

 

「どないしたんですか、フェイトはん? そないボロボロになって」

 

 京都市から少し離れた山のあばら屋に、ゴシックロリータを着て腰に二刀の脇差をさした可愛らしい少女が囲炉裏の前に座り、料理を作っていた。囲炉裏で踊る炎を火箸で操りながら、鉄鍋の中でぐつぐつと煮えるイノシシ肉を美味しそうに見つめていた少女は、扉を開けて入ってきた人物の様子に少し驚いて、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ああ、君か」

 

 フェイトと呼ばれた少年は、先ほど黒から逃げた少年だ。

 彼はあれから何度も転移魔法を重ねて、かなりの距離を連続で飛び続けた。短時間に何回も転移魔法を使用したことで、かなりの魔力を消費した事と、黒から受けたダメージによって今の彼の姿は酷い。

 目の下には魔力不足の疲労の所為かクマが浮かび、体中は吹き飛ばされた時のすり傷や切り傷が幾つもある。彼が着ている服は、既にボロボロになってしまっている。

 

「そんな辛気臭い顔をせんといてください。ウチまで辛気臭くなるんで」

「意外と君は毒舌だね」

「そうですか?」

 

 火鉢を置いて先が皿になっているしゃもじで、イノシシ肉を使った味噌汁を掬っておわんに入れ、フェイトに渡す。にこやかに笑いながら味噌汁を差し出しされ、彼は彼なりに感謝しながら彼女に歩み寄って受け取り、直接床に座り込む。

 

「ありがとう」

「ところで、どないしてそんなに傷を負ってるんです? フェイトはんの力量なら、早々遅れを取らんでしょうに」

「まあ、そうだね。相手が普通なら」

「じゃあ、普通じゃなかったんですか?」

 

 首をこてりと傾けて、少女はフェイトに尋ねた。しかしフェイトはすぐには答えず、受け取った味噌汁を啜ってから漸く答えた。

 

「悪いけど、君には詳しく教えられないよ。君は誰よりも危ないからね」

 

 

  

 

 

 




黒が強すぎると思う人が多いかもしれませんが、単純にこれは相性が良いので一方的でした。
基本的にこの作品での力関係は魔法使いと妖怪では、相性的に妖怪>魔法使いという形になります。


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湯船で繰り広げられるドタバタ騒ぎ

 急遽決めたパトロールを行う前に、ネギは自分の体から漂う汗臭さに気が付いた。とはいえ数えで十歳という若さの為か、それほど強いにおいがしないというのが救いだが。

 今日は様々なことが起きたのだ。特に3-Aの生徒を、ネギは子供の身で運んだりもした。魔力で身体能力を向上しているとはいえ、それはネギにとって結構な運動になり、本人も気が付かないうちに結構な量の汗をかいてしまっていたのだ。

 普段ならば風呂ギライという事もあって、ネギは湯船につかろうなどとは思わなかっただろう。しかし、せっかくの旅行と温泉という日本文化にひかれて、ネギは温泉に浸かってからパトロールを行う事にした。

 ネギが温泉に浸かりながら、リラックスしていると引き戸の音が鳴り誰かが入ってきた。男子教師が入ってきたのかと思い、ネギがそちらを振り向くとそこでは桜咲刹那が温泉のふちでお湯を救い、体にかけていた。

 刹那の幼いながらも美しい白い肌、大人の魅力はないがスレンダーで締まっている艶やかな肢体を見てしまったネギは、顔を赤くしながら見惚れてしまう。

 

「おい、兄貴! 見惚れてないで逃げないと!」

「う、うん」

 

 カモに諭されてふと今の状態に気が付いたネギは、湯煙や温泉にある岩に隠れて逃げ出そうとした。

 西のスパイと疑っている相手。しかも剣士である相手に、ここまで接近されてしまっている。どうにかして離れないと、逃げるにしても戦うにしてもやりようがない。

 

 「ふう。困ったな。ユギ先生は頼りになるけど魔法が使えない。ネギ先生は魔法は使えるけど、頼りにならない。どうするべきか」

 

 そそくさと逃げるネギだったが、刹那の発した言葉に力がこもってしまう。

 本人としては唯の愚痴だったのだろう。しかし、その発言は裏の世界に住んでいる人間しか言えない内容であり、ネギたちの中に巣食っていた疑惑を確信にまで近づけてしまった。

 魔法発動体を握りしめた事により、一瞬ネギの気配が強くなってしまい、刹那に気づかれてしまう。

 刹那はどこかに隠していたのか、長大な太刀を取出し、逃げようとする気配目掛けて居合の要領で抜き放ちながら奥義を繰り出す。

 

「神鳴流奥義 斬岩剣」

 

 刹那の一撃はネギの髪の毛をも巻き込みながら、湯船の中にあった巨大な岩を名前の通り切り裂く。

 岩陰に隠れていたネギは刹那の技後硬直を狙い、振り向きざま武装解除呪文を発動させて獲物である刀を吹き飛ばす。

 その事に安堵したネギと、獲物が無くともある程度戦える神鳴流の刹那。さらに接近戦には大きな実力差もある。一瞬でネギの首とある一部を握りしめて、強い口調で宣告刹那は宣告する。

 

「何者か答えねば、……潰すぞ?」

 

 淡々とした、それでいて一切の慈悲無く告げられた言葉と握られた部分、その所為でネギは体を固くして動けなくなってしまう。

 硬直して上手く口もまわらなくなってしまったネギは、このままあそこ(・・・)を潰されてしまうのかと恐怖していた。しかし刹那が自分が握りしめているモノ(・・)の主が、自身の担任であることに気がつき慌てた様子で手を放す。

 

「す、すいませんネギ先生!!」

 

 慌てふためく二人だったが、そこにカモが怒りを込めながら刹那を糾弾した。

 

「やいやい桜咲刹那!! テメエ、関西呪術教会のスパイだったんだな!!? 兄貴に何かしやがったんなら、ただじゃおかないぞ!!」

「ち、違います!! 私は敵ではありません! 一応、先生の味方です」

 

 敵意を無い事を示すためか、刹那は夕凪と名を打たれた剣を鞘に収める。

 その態度にネギとカモは呆けた表情を晒して、口を開いてぽかんとしている。

 

「あ、あのそれって――」

 

 ネギが疑問を聞こうと尋ねようとしたとき、近くから絹を裂くような甲高い悲鳴が響いた。

 その悲鳴に浴場にいた三人は音のした方向へ振り向く。刹那に至っては鯉口を切りながらすでに疾走していた。あまりの勢いに、ネギは出だしが遅れて後から刹那を追いかける形で、走り始めた。

 引き戸を開け放って中の様子を伺おうとした三人は、見えた光景に何も言えなかった。ネギに至っては走った勢いの所為もあり、こけてしまったほどだ。

 脱衣所では可愛らしくデフォルメされたサルが、木乃香と明日菜の下着を剥ぎ取ろうと二人の体にまとわりついている。

 抵抗していた木乃香だったが、二人が駆け込んできたのに安心してしまったのか、力が抜けてしまいとうとう下着を脱がされてしまう。

 

「見んといて~~~~! ネギ君にせっちゃん!!」

 

 羞恥心に顔を赤くした木乃香は、肢体を隠そうとしながら懇願する。

 木乃香の現状を見てしまった刹那は、体を震わし刀を抜き放つ。その額には怒筋がくっきり浮かんでいた。

 

「木乃香お嬢様に何をする!!!?」

 

 突如抜き放たれた白刃を見たネギと明日菜は、サルを斬ったら可哀そうだと思い必死に止めようとする。そのサルは低級の式神であり、斬らなければならないという事を知らずに。

 

「邪魔です! ネギ先生! こいつ等は式で切ったところで紙に戻るだけです」

 

 しかし既に遅かった。先ほどまでお湯につかっていた足は滑りやすく、ネギが羽交い絞めしてきた所為もあり、刹那はバランスを崩してしまいこけてしまう。

 その際に体を覆っていたタオルが剥がれ落ちる。身を隠していたタオルがなくなってしまい、刹那の裸体はネギに見られてしまう。

 

「なっ!!?」

 

 赤面した刹那は、叫んだ。

 

「何でさっきから邪魔をするんです! 私は敵ではないと申したでしょう!」

 

 刹那としては当然の話だった。先ほどからネギは協力するどころか、刹那の足を引っ張り続けている。

 そんなネギを責めずにはいられない。幾ら裏の世界に浸っている刹那とて、まだ中学生くらいしか生きていない。

 ネギ一人を責めても何も変わらないというのを理解していても、とっさに苛立ちをぶつけてしまう。人生経験が少なすぎるのだ。

 だが、そんな事をしている余裕が果たしてあったのだろうか。

 

「二人とも、そんな事を言っている場合じゃないわ! 木乃香がさらわれているわよ!!」

 

 先ほどまで木乃香と明日菜にしがみついていたサルは、木乃香を抱え上げるとそのまま浴場へと駆けて行き、木乃香を連れ去ろうとしている。明日菜の叫び声で木乃香の危機を知った刹那は、ネギの相手をしている場合ではないと判断し、飛び出しながら刀を構える。

 

「神鳴流奥義 百烈桜華斬」

 

 お湯ごと式神を切り裂きながら、奥義は放たれた。まさしく名前の通り、舞い落ちる桜の花びらを斬るかのごとく幾度も放たれる斬撃は、全てのサルを切り裂く。

 サルから木乃香を奪還した刹那は、木乃香を傍らに抱える。それは大切なものを守ろうとする騎士の様であった。

 刹那は急にこの場から離れて行く気配を感じ、敵を逃がしたことを悟る。思わず舌打ちをついた刹那だったが、傍らに抱えている木乃香に話しかけられてしまい、慌てた様子で逃げ出してしまう。

 

「あれ?」

「いったい、何だったの?」

 

 事態の急変についていけないネギと明日菜とカモは、ただ茫然と逃げて行った刹那と哀しそうに手を伸ばす木乃香を見る事しかできなかった。

   

 

 

 



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芽生える不信

お久しぶりです!


 慌てて走り去ってしまった刹那に木乃香は手を伸ばすが、何もつかめずその手は虚空をかいてしまう。

 

「あっ」

 

 さびしげな声が木乃香の形の良い口から漏れる。手は小刻みに去ってしまった刹那の後を追うように、縋るように伸びては胸元に返る事を繰り返す。木乃香の様子は、ネギと明日菜にとって信じられるものではなかった。いつも明るく、面倒見の良い彼女らしくない。その姿が、二人を不安にさせる。

 ただ黙って立ち尽くしている木乃香に、ネギは大きな声で、本人はその気がなかったのだろうが強く刹那について問い詰めてしまう。幼いネギには、未だ人の機微というものが分からない。昔よりはましになってきたとはいえ。しかし友人としてずっと一緒にいた明日菜は、木乃香の心情を慮り、優しくそして聞きづらそうに刹那の事を尋ねた。

 明日菜のおどおどした頼りない声を聞いた木乃香は、辛そうに顔を歪めて胸の中に押し込めていた思いを吐露していく。最初はぽつりぽつりと呟かれていた言葉は、だんだんと勢いを強めていきとめどなく流れる。それは木乃香がため込んでいた思いの濁流となって二人に伝えられた。

 

 まだ木乃香が幼いころ、彼女はとても大きな屋敷に住んでいた。その屋敷は武家屋敷というよりも、平安時代の貴族が住むような屋敷で、独特の歴史の重さと同時に、美しさと神聖さを合わせ持つ屋敷だった。とても広く立派なその屋敷は、大人たちにとっては好ましいものであったのだが、木乃香にとってはこれといってうれしくもなく、家というよりも檻のような存在であり続けた。山奥にひっそりと建てられている屋敷に住む彼女には、一人も遊べる友達がいなかったのだ。民家は周りになく、ずっと一人で毬をついて遊ぶだけしかできない一人ぼっちの寂しさ。遊んでいても楽しくない日々。それが彼女の日常だった。

 そんなつまらない日常は、刹那と出会い変わった。

 ある日屋敷を訪れた神鳴流の師範の裾をつまんで、刹那は何かに怯えるように隠れながら木乃香と出会った。最初は木乃香から挨拶をし、「一緒に遊ぼう」と誘ったのだ。その事がきっかけとなり、二人はそれから常に一緒に過ごすようになる。ようやく一人でなくなった木乃香に、ある事情を抱えるが故に、何時も一人だった刹那。お互い友達が欲しかったのだろう。すぐに仲良くなっていく。それを見る大人たちの目も、どこか温かみのある、微笑ましいものを見守る目であった。

 しかしそんな幸せな日々は長く続かなかった。

 ある日のことだ。木乃香が覚えている限りでは、その日は屋敷にいる大人たちと花見をしていたはずだ。大人たちは木乃香たちの住む山に流れる川の近くに咲く、見事な桜の木の下で各々酒と桜吹雪に舌鼓を打ちつつ、春を楽しんでいた。

 大人たちはそれで良いかもしれない。だが子供である刹那と木乃香は花を見るだけでは退屈してしまう。確かに綺麗な花は美しく、最初こそ見とれてはいた。それでもずっと見続けていたら飽きるというもの。暇を持て余した二人は、花見に夢中になっている大人たちを放って、勝手に遊びに行ってしまう。

 そして悲劇が起きた。二人が川の近くで遊んでいた時、木乃香が濡れている足場に足を取られて、川へ落ちてしまった。

 溺れて流されていく木乃香の近くにいた刹那は、パニック状態となってしまい我武者羅に木乃香を助けようとする。しかし、子供の体では、どうあがいても溺れている子を助けることなど不可能。結局刹那も木乃香と一緒に溺れてしまう。

 幸いすぐに大人たちは二人が溺れていることに気が付き、二人は救出されたが、刹那は助け出された後ずっと泣き続けた。

 木乃香を、大切な友達を助けられなかった悔しさから。何もできない無力さが嫌になったのだ。

 それ以来二人は疎遠になってしまう。刹那は大切な友達を守る事の出来る力を求めて剣に打ちこみ、木乃香は大人たちの事情に付き合う羽目になり、麻帆良へと引っ越してしまい会えなくなってしまう。

 中学生になった頃久方ぶりに再開した時には、刹那は木乃香の知っている刹那ではなくなってしまっていた。何を話しても淡々とした口調で返し、すぐに話を終わらせ、まるで木乃香を遠ざけようとするように。

 それが木乃香には悲しい。昔のように、笑いあうことはできないのだろうかと。

 

 浴場から出て、休憩所まで移動しながら木乃香は昔の事を語り続けた。休憩所にたどり着いたころには、話はだいぶ終わりに近づいていた。

 湯上りの客が休めるよう設置されている椅子に座りながら、話し終えた木乃香は目尻にたまった涙をぬぐう。小粒な涙は、それでもあとからあとから出てきて、袖を濡らす。

 

「何でやろうね。ウチ、せっちゃんに何かしたんかな。だから話してくれへんようなってしまったんかな」

「木乃香……」

 

 初めて見た弱弱しい木乃香の様子に、明日菜もネギもただ黙り込むことしかできない。励ますために何かしたくとも、何をすれば良いかわからない。結局何もできないという現実に、歯がゆさばかりが二人に募る。

 泣いている木乃香を部屋まで送り、二人は今日会った様々なことを相談しながら廊下を歩く。そんな二人に、カモが刹那にも事情を聞こうぜと提案した。

 ネギの為にも、刹那が敵か味方をはっきりさせるためだ。しかしカモとしてはそれだけでこんな提案をしたわけではない。普段は変態な行動ばかりが目立つカモだが、彼は情に厚いところがある。でなければ、わざわざネギの元まで来やしない。

 木乃香の話を聞いてカモは周りに悟られないように、心の中でむせび泣いていた。何とか二人の仲を取り持ちたいとも思った。それに、今は二人とも落ち込んでいる。少しでも何か行動することで、気がまぎれるのではないかと考えたのだ。

 そんな事は知らないが、それでもカモの言葉の裏に隠された(あつ)さが伝わったのか、ネギと明日菜も賛同し、刹那を探すことにした。とはいえネギにも仕事がある。刹那を探しながら就寝時刻を過ぎていても起きている生徒たちを注意しながら進んでいく。

 幸い刹那はすぐに見つける事が出来た。ホテルの入り口に真言で書かれた札を、脚立に乗りながら背を必死に伸ばして、ペタペタと貼っていた。その様子がつい気になってしまい、ネギは刹那に声をかけてしまう。

 いきなり声をかけられた事と、仕事の邪魔をされた事。さらには背後から聞こえた声に敵襲かと考えてしまった刹那は少し不機嫌になり、ただでさえ固い口調をさらに固くしてネギに返事する。

 

「式神返しの結界です」

 

 言葉を口にすると同時に符を貼り終えて結界の準備を終えたのか、刹那はフロントに誰もいない事を確認したうえでソファーに座る。ネギと明日菜も刹那につられて座った。

 

「刹那さんは日本式の魔法も使えるんですか」

「一応そう思われても問題はないです。厳密に言えば陰陽術ですが」

 

 刹那は返事を返す前に一度明日菜をちらりと一瞥し戸惑ったが、この場所にいる事から魔法の関係者と判断してネギに問い質すことはしなかった。

 刹那は出来るだけ分かり易いよう説明を重ねていく。西洋魔術との違い。陰陽術では準備さえすれば速攻で、強力な術を使える事。また、善鬼や護鬼が術者を守り、そのコンビネーションを崩すという事が難しい事。さらには木乃香が立たされている微妙な立場までも。

 色々な事を教わったネギと明日菜だったが、まだ頭の中で上手く噛み砕けていなかった。あやふやなイメージのまま、刹那の話を聞いていたのだ。木乃香の話だけは理解できたのは、幸いだったのだろう。

 話疲れたのか一度ため息をつき、刹那は今度は全く違う話をし始める。

 

「敵の妨害がエスカレートしてきています。このままでは、お嬢様にも危害が及んでしまいます。対策を講じなくては」 

 

 先ほどの説明口調とは違い、明らかに呆れた声音で刹那はネギへ伝えた。

 

「ネギ先生は優秀な西洋魔術師と聞いていましたが、対応が余りに不甲斐なくて、敵も調子に乗ってしまったようです。実際、ユギ先生が対応した滝の一件以外、何の対処もできませんでしたからね」

 

 生徒に自身の失態を告げられ、ネギは恥ずかしさの余りに項垂れてしまう。

 

「あぅ。すみません、まだ未熟者で(・・・・・・)

 

 その言葉を聞いて、刹那の眉が動いた。ネギの発した言葉が信じられなかったのだ。刹那はいまだ中学生という幼さ為れど、裏の世界で戦ってきた。その様々な戦いの中で多くの経験を経た。裏の世界は甘くない。弱いと死ぬ。それがまかり通る世界だ。言い訳など許されない。必ず成果を出さねばならない。それが裏に関わる人間の務め。それなのに言い訳をするものなど、裏をなめているとしか思えない。

 ――本当にこの少年は戦えるのか。

 刹那がネギに対する――もともと少ない、信頼が揺さぶられてしまったのも当然だ。

 本当にネギを頼りにして良いのかと訝しむ刹那だったが、それでも麻帆良の実力者である近右衛門の言葉を信じ、刹那はネギに頭を下げた。自分で見たものではなく、評判を刹那はとった。

 

「せ、刹那さん!?」

「お願いです、ネギ先生。私はお嬢様を守りたいのです。お力を貸してください」

 

 その様子に、刹那がどれだけ本気で木乃香を守りたいかが二人にはわかった。明日菜もネギも、刹那が木乃香に対して悪感情を持っておらず、それどころか心配している事を知れて、先ほどの落ち込みぶりを感じられないほど元気になっていった。

 椅子から力強く立ち上がった明日菜は、刹那の肩を叩く。

 

「一緒に木乃香を守りましょう!!」

 

 その言葉に、刹那は胸をなでおろした。しかし、次の言葉にまた眉を寄せる羽目になった。

 

「じゃあ決まりですね。3-A防衛隊結成ですよ!!」

 

 何故、木乃香を守るというのに、3-Aが出てくるのか。刹那には不思議でならなかった。敵の狙いは木乃香ただ一人。敵とて裏の世界に住む者。一般人に手を出しはしない。言い換えれば、木乃香さえ守りきれればクラスには被害が及ばない。それなのに、なぜ3-Aを守らなければならないのか(・・・・・・・・・・・・)。刹那はわからなかった。

 しかしそれを問い質す前に、ネギは3-Aを守るために、と言ってパトロールへ駆けてしまう。余りの行動の速さに、ネギを止めようとしたが、間に合わなかった。

 運よく刹那の追及をかわしたネギは、カモと一緒にホテルを飛び出そうと走っている。しかし前をよく見ていなかったせいか、ネギは入り口で台車を轢いていた女性に衝突してしまう。幾つかのタオルが宙を舞い、地面に落ちてしまった。ネギは相手に謝りながらタオルを取って女性に渡す。クシャクシャに歪んだままのタオルを女性は受け取り、そしてまた台車に置き直した。

 

「いえいえ、良いんですよ」

「あ、ありがとうございます。それと、本当にごめんなさい」

 

 頭を下げた後にまた走っていくネギを、メガネをはずした女性はじっと見つめていた。ネギの背中が見えなくなる寸前、女性は刹那の張った結界の内側から(・・・・・・・)、歪んだ笑みを浮かべる。

 

「わざわざ結界へ招き入れてくれたんやから」




原作でネギが言った3-A防衛隊。まあ、そこまでは何とか納得はできるんです。だけど、あれ結局はその後の内心見る限り、刹那と明日菜に頼ろうとしましたよね? あれが何かすごく納得いかないですよね。まあ、それは置いといて、次回かませ犬役だったあの女性が大活躍します。だって、裏の世界であれでも何年も生きているんですよ? 間違いなく刹那よりかは強いでしょう。普通に考えれば。


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現れる敵

 ホテルの入り口で、ネギを利用して結界をすり抜けた女は眼鏡を取り出してかけた。すると先ほどまで人のよさそうな従業員の様だった彼女は、一瞬で冷たく鋭い瞳に変わり、雰囲気が急変する。人気があまりないのを一度だけ確認した彼女は、台車を早歩きで押しながらどんどんと進んでいく。ある一室を目指して。

 その一室の前に女はたどり着くとまたもや、今度は念入りに廊下に誰もいない事を確認し、気配を探ってから、前もって用意しておいた呪符を使い、式神の一種を召喚して着込む。その式神はサルの着ぐるみを着た馬鹿馬鹿しい恰好にはなってしまうというデメリットはあるが、身体強化を自動的にかけてくれるなど、なかなか高性能な式神だ。それを着込んだ彼女は、ひっそりと音を鳴らさないように扉を開けて、素早く部屋の中の人間に違和感を覚られないようにトイレの個室へ隠れた。

 ひっそりとただただ彼女は待った。扉の向こう側から足音がし、誰かが近づいてくる。膨大な魔力を感じ、女は口を弧に歪め笑う。

 光のない真っ暗闇に一筋の明かりが入り込む。その光を合図に女は動き出した。

 

「入っとりますで」 

「へ?」

 

 開け放たれた扉の前には、寝間着として浴衣を着た木乃香が立ち尽くしていた。誰もいないと思っていたトイレの中から聞こえた、聞いたこともない声が返ってきたのに驚いて、少女は動くこともできずにいた。そんな少女に女は襲い掛かった。 

 木乃香が悲鳴を上げるよりも早く動き、口を押えて呪符で眠らせ部屋から連れ出す。その際に自分たちの身代わりとなるよう、一枚の呪符を便器に張っておいて。

 

 

 

 三日月を背に木乃香を抱きかかえた呪符使いの女は、幾度も跳躍してホテルからどんどん離れていく。彼女が使った呪符はそう長く敵を騙す事が出来ない事を、彼女自身よく理解していたからだ。しかし僅かな時間でも稼げるのなら僥倖。そのための術だ。

 ――今頃気が付かれているか。

 そう考えていた時だった。女の目の前には、結界を潜り抜けるとき利用した西洋魔法使いが、着地点に居たのだ。携帯電話を使って誰かと話していた魔法使いは、彼女の登場に驚くばかりで何もしない。

 

「あら。さっきはおーきにな。可愛らしい魔法使いさん」

 

 行き成りの事態に困惑してしまい動けないネギを見下した口調で、呪符使いは礼を言い去ろうとする。去ろうとした女の腕に、木乃香が抱えられていることに気が付いたネギは、携帯用の杖を取り出して呪文を唱え始める。木乃香を取り戻そうとしたのだ。普段のネギからすれば、良い判断だった。しかし、式を出し終えている呪符使いを相手にするには、あまりにネギは接近し過ぎていた。一旦距離を取るか、仲間を待つべきだった。

 呪文を唱えるどころか始動キーの最中に、温泉の時に現れた子ザルの式によって妨害され、魔法を放つ事が出来ない。しかも体全体にしがみつかれて、歩く事すらままならない状態になってしまう。カモも必死になってサルを追い払おうとするが、それには彼では力不足だ。

 

「ネギ!!」

 

 動けなくなってしまったネギに、先ほどまで携帯で連絡を取っていた明日菜が気づいて近寄り、子ザルを追い払う。

 子ザルから解放され、ようやく動けるようになったネギは、刹那と明日菜と一緒に木乃香を攫った敵を捕まえるため走り出す。必死に足を動かすが、なかなか追いつく事が出来ず、焦りばかりが三人の中に広がっていく。ようやくサルの女に追いついたのは、駅の前だった。

 木乃香がさらわれたという事と、夜遅いとはいえ客どころか駅務員すらいない駅に、やはり計画的な犯行と刹那は確信した。確信すると同時に、腹の底で蠢く黒い泥を押さえつけなければならなかった。今にもそれは体を内側から破り、全てを切り裂くまで止まらなくなる勢いで震えていた。ただ木乃香の安全のために、最後の弁は壊れていないだけ。今にも溢れだしそうなそれを、刹那は何とか押しとどめているに過ぎない。

 駅を発車寸前の電車に女を追いかけて滑り込みで入った三人は、いまだ逃げている呪符使いを前の車両に追い詰めていく。だが敵もそう簡単には追い詰められない。一枚のお札を取り出して、術を発動した。

 それは古くからある山姥の話などで登場するお札だ。逃げる存在に協力し、追いかける魔を打ち払う術。その原型はとうの昔に無くなっているが、それでもなお現代でも高い効力を発揮する。

 

「お札さんお札さん。ウチを逃がしておくれやす」

 

 紡がれたキーワードに反応し、お札から大量の水が飛び出す。それは後方の車両全てを埋め尽くすほどの水を、たった一枚の札で出した。それでも本来の効力からすれば少なすぎる水は、しかし鉄の箱という密閉空間で最大の効力を発揮する。追跡者である三人を窒息という形で殺すという形で。本来の使い方ではないが、それも一つの呪符の使い方。正しく女は呪符使いであった。

 

「ほな、さいなら」

 

 何の感慨もなく女はネギたちを殺そうとする。只追いかけてきた相手を妨害するのではなく、処分するという事を理解したうえで。呪符使いの女は裏の世界で生きながらえてきた猛者だ。その程度覚悟はとうの昔に出来ている。惜しむらくは、彼女の詰めが甘かったという事だけだ。

 水に溺れていた刹那は、激流に身を取られて動く事が出来ずにいた。力の抜けていく体を理由に、木乃香を救う事を諦めようとしていた。その心は崩れ、折れて、溶けようとしていた。それでもたった一人を救いたい。近衛木乃香を助けたい。その感情が彼女の心を支え、後押しする。

 感情は理性を廃棄し、わずかな未来を作り出す。それは今の刹那には決してできない境地。だが、そんなものは関係ない。彼女はできると信じたのだ。ならば刹那が変わるのではなく、世界が変わるべきなのだ。

 体にまとわりつき動きを阻害しようとする水を、刹那は意に介さず刀を振るう。それは今まで刹那が振るってきた斬撃の中で、最も速かった。それはまさしく幻想。斬撃は水を切り裂き、鋼鉄の扉を押しのける。水の中に衝撃を通したのではなく、言葉通り水を切り裂いたのだ。

 それは神鳴流剣士でもできる事ではない。他の刹那より上位の剣士ですら、水を吹き飛ばすことはできても、切り裂くことなどはできないだろう。だが、今の刹那は違う。断水。水を断ち切れる。そう思い、切り裂いた。

 刹那の斬撃は、扉を破壊した。物理法則に縛られる今の呪符では、密閉された空間から解放されようとする水を押しとどめる力はない。術を放った女は、自らの呪符の力で押し流されてしまう。

 

「なあ!?」

 

 水に飲まれ、電車内にいた全ての人間は苦しみながらも、次の駅で解放された。扉が開き、中の水全てが扉から排出された。その水の流れに押し流されて、全員ホームに投げ出される。

 

「なかなか、いやかなりやりますな。正直、おたくをなめっておったんが、アンタだけは警戒しなきゃいけないようどすな」

 

 サルを纏った女はせき込みながらも、今までの刹那たちを見下していた態度を改めた。未だに西洋魔法使いであるネギとそのパートナーである明日菜は心の底から見下している。だが刹那だけは違う。彼女の中で、刹那だけは油断ならない強敵として映った。

 土壇場で自分の力量以上の事が出来る。それができる人間は強い。経験から女はその事を知っている。そして、そんな相手とは必要以上に付き合うべきではないという事も。

 

「ですが木乃香お嬢様は逃しまへんよ」

 

 女は木乃香を抱え、走り出す。木乃香に危害を加える。それが関西呪術協会に対する裏切りであり、死罪に相当する事も知っておきながら、

 彼女は既に行動してしまったのだから。すべては関西呪術協会を守るために。今抱えている少女の父親と祖父が破壊しようとしている、父母が愛したかつての呪術協会を取り戻すため。

 

「あんたが強うなるいうんなら、ウチは不退転の決意でそれを打ち砕くだけや」

 

 戦いの中で急激に強くなるものは大概、譲れない何かを持っている。ならば自分自身も強くなればいい。譲れないものを持っているのは自分もそうなのだから。呪符使いの女は逃げながらそう覚悟した。

 

 

 

 ネギたちはようやく女に追いつく事が出来た。駅から出た長い階段の途中に、彼女は待ち構えていた。刹那たちを見下ろすように、そしてかなりの距離を取って。逃げるのを諦めていた。刹那の速さと彼女の速さでは、刹那の方が速い。その判断から、ここで決定的な差をつける必要性を感じていた。

 そんな彼女はサルの式神を脱ぎ、三枚目の札を使い全てをお仕舞いにしようとする。

 

「お札さんお札さん――」

「!! させるか!」

 

 呪文が女の口から発せられた瞬間、刹那は最後まで言わせないために飛び出す。その速さはかなりのものだ。だが、階段を昇らなければならないという事と、距離があったために刹那はついに詠唱を妨害することはできなかった。

 

「ウチを逃がしておくれやす」

 

 炎からは莫大な炎があふれ出し、大の字に広がって刹那の進行方向を埋め尽くす。

 

「京都大文字焼き。並みの術者では、その炎は越えられまへん。まあ、もうアンタらには関係ないどすが」

 

 確かにその符は並みの術者では越えられない。そして女から見て三人の中でそれだけの力量を越える者はいなかった。しかし、力量ではなく才覚でならばそれができる者がいた。

 ネギ・スプリングフィールド。英雄であるナギ・スプリングフィールドの血筋を引いた彼の魔力量は、異常と言ってよいほど多く、目の前の炎を術式の力ではなく、馬鹿魔力を利用した力技で吹き飛ばした。

 

「なんつー、馬鹿魔力や!! だけど、恐ろしいのはそれだけやな」

 

 呪符使いは確かに一瞬驚いた。だけどそれだけだった。西洋魔法を知らない彼女でも、今の魔法がただの魔力頼りで、その技術はかなり低いという事を今の魔法から読み取った。確かに魔力は恐ろしいまでの力ではあったが、それだけならば別に怖くない。

 その為すぐに戦意を持ち直し、彼女は新しい呪符を使って式を召喚する。それはファンシーなサルのぬいぐるみ二体で、やはり見ている側からすれば気勢をそがれそうになってしまうが、その実力を知っている刹那は明日菜に警告する。

 

「気を付けてください。あれが呪符使いの善鬼護鬼です!!」

 

 こくりと頷いた明日菜とネギはそれに対抗するように、カードを通じて魔力供給をし、身体能力を向上させる。それと同時にパクティオーカードの力を使い、武器を取り出してアスナに渡す。

 明日菜のカードに描かれていたのは大剣だった。しかし実際に現れたのはただのハリセン。その違いに明日菜は焼けになりながら、その『ハマノツルギ』と名付けられているハリセンを大上段に、召喚された式神に切りかかった。

 スパンという小気味良い音が響く。明日菜の一撃だけで、式神は返されてしまう。それは神鳴流剣士でも有り得ない事態だ。腕はダメ、腰も入っていない、剣術の評価で言えば論外であるその一撃は、しかし最大の効果を出す。その一撃に先ほどの余裕を失った呪符使いは、驚愕で思わず叫ばずにはいられなかった。

 

「何やと!!?」

 

 自身の実力に自信があったからこそ、女は明日菜の一撃を信じられずにいた。だがそんな彼女をおいて時は進んでいく。驚愕による思考の停止。その隙を狙い、刹那は女目掛けて疾走していた。

 

「それは悪いですけど、止めさせてもらいます~」

 

 間延びした声が響き、刹那はとっさに後ろに跳躍してその一振りを避ける。そのまま進んでいた場所には、鈍く輝く刃がその存在を示していた。

 一つは打刀。日本刀と言われるもの中でも一番多い形。そしてもう一つは小太刀。あまりにも間合いが小さく、使うのなら無手と同じくらいの距離でないと当たらないという超接近戦用の刀。

 その二つを構え、ロリータ服に身を包んだ少女がそこに立っていた。くねくねとした動きは媚を売っているようで、刹那からしてみれば不快だった。服装も態度も刹那には信じがたいものではあったが、確かに刀の太刀筋は間違いなく自身と同じ神鳴流と気づき刹那は顔色を悪くする。

 神鳴流の力は、何よりも神鳴流剣士である刹那が一番よく知っている。ふざけていながらも、目の前に立つ少女が、あまりに危険だという事も。

 妖怪退治の為に、神鳴流は普通野太刀を使う。長大な刀から生み出される一撃こそが、肉体の強度の優れている妖怪に効くからだ。だが相手を妖怪と限定しないのであれば、むしろロリータ服の少女のように、普通の刀を使った方が強い。

 つまり刹那の前に立ちはだかる少女は、妖怪を相手にしない神鳴流。妖怪を相手にしないのなら後は一つだけ。

 

「人斬りか!!」

 

 人間相手の殺戮をするもの。

 人間を相手する事が慣れている敵。さらには刹那の持つ野太刀では小回りが利かない。あまりにも刹那に不利な状況だ。

 動揺で動きを鈍らせてしまった刹那の懐には、すでに少女が迫っており小太刀を鳩尾目掛けて突き出していた。

 

「っつ!?」

 

 速い。それが刹那の最初の感想。野太刀という重い武器を捨てたことで、ここまで神鳴流は速くなるのか。場違いながら、刹那はそう思わざるを得なかった。

 そして繰り広げられる斬撃の舞。刹那が力による一撃だとしたら、少女は華麗に繰り広げる切れ味と技による連撃。

 そして実際の勝負において、刹那の攻撃は当たらない。一撃がどうしても刀の形状上大降りになってしまう刹那と、二刀の間合いの違う刀を自由自在に操り、刹那の一撃に二振りで対応できる少女。どちらが優位になるかは火を見るより明らかだ。

 

「どうしたんです? その程度の実力ですか~? 先輩、そんな温い太刀筋だとなにもできへんよ~」

 

 ほんわかした口調で、少女は刹那を殺そうとする。

 

「ふふふ。このままだと、お嬢様は私たちのものになりますよ~」

 

 その言葉が刹那に火をつけた。

 先ほどまで押されていた刹那が、上段の小太刀に野太刀で鍔迫り合いへ持ち込み、持てるすべての力で弾き飛ばした。

 間合いが開いた今、今度は刹那が攻勢に出た。先ほどと違い、月読が刹那に押されだす。小回りが利く獲物を選んだ月読だが、逆を言えば刹那ほど間合いが広くはない。刹那に一太刀浴びせるためには、嵐のような荒々しさと、暴風の勢いを保った刹那の連撃の中を潜り込まなければならない。

 さすがの月読もそれはお断りだった。危険という意味ではなく、単純に面倒だという意味で。今の刹那に彼女はそこまでの価値を見出していない。可能性はあるかもしれないと思いながら。

 

「仕方あらへんか」

 

 呪符使いの女は、眼下で繰り広げられている戦いに決着がつかない事を悟った。式神を返せる少女は小型の、無数の式神で無力化できるが、それ以上はできない。

 一方の神鳴流剣士は月読との戦いで動くことはできないが、決着がどうなるかまでは剣に疎い彼女には分からない。なら、最初の予定を進めるだけと彼女は割り切った。

 式はいつでも術式を破壊することはできる。月読はそもそも雇った傭兵。自分のことくらい自分でどうにかするだろうと、そう判断して女は木乃香を抱えたまま撤退を選んだ。

 だが、そうはいかない。女が忘れていた人物が一人いた。あまりに弱いとなめられたゆえに忘れられていた人物が。

 

「魔法の射手・戒めの風矢!!」

「しもうた!?」

 

 四方八方から迫る魔法の矢。どれだけの魔法であるかは、女にはわからない。だが今ここでわざわざ使った魔法だ。喰らってしまえば、今の情勢を逆転される可能性がある。喰らってはならない。

 だが彼女がネギを意識していなかったのは、意識する必要がなかったからだ。

 

「――とでも言うと思うたか?」

 

 一枚の札が落ち、大きなサルのぬいぐるみを模した式神がもう一体現れる。その式神は、ネギの放った魔法の矢に絡め取られ、召喚早々意味を無くしてしまうが、身代わりとなる事で女にまでネギの魔法は届かなかった。

 

「そ、そんな!?」

「ぬるいな。西洋魔法使い」

 

 式神を拘束するその呪文を見て、女は嘲笑った。

 

「お嬢様を殺すくらいの一撃も放てんか」

 

 女の物言いに、ネギは怒りを覚えた。よりによって、女はネギに生徒を殺せといったのだから。

 

「そん――「だからぬるいんや。あんた、本当にわかっておるんか? 連れ去られた人間がこの世界でどうなるか?」

「え?」

「なんや、やっぱり知らんかったんか。教えてやる。薬物や術で意識を奪われるのはまだいい方。人体実験の材料、或いは奴隷商に売られる。これだって、まだまだ良い方や。一番最悪は、木乃香お嬢様は女やからな。……あとは言わんでもわかるやろ? 敵にさらわれるっつ事は、一生の傷もんですめばもうかったくらいの最悪や。そないな目にあわすくらいなら、さらわれる前に殺る優しさもあるんやで?」

 

 冷たい瞳。黒い瞳がネギには恐ろしかった。その目は今彼女が言った事を事実として知っている目だったのだから。

 

「ウチの知り合いは、敵にさらわれたことがある。助け出すことにこそ成功したけど、最初の一声は殺してくれやったよ。坊や、悪い事は言わん。お前たち西洋魔法使いは裏に住むには温すぎる。魔法を捨てて、一般人として暮らせ。それがよっぽどアンタの為や」

 

 女はネギを蔑視した視線を送りながら、つまらない事を言ったと呟く。

 

「退きぃ。アンタがどんな気持ちで来たかは知らんが、温いわ。ウチはとっくの当に覚悟を終えてるんや。お前みたいな中途半端なやつが出てくるな」

 

 気圧されたネギは何も言えない。彼には何もないのだから。その胸にあるのは立派な魔法使いになるという一種の呪い。父と一緒にならなければならないという。だからこそ、ネギの言葉は軽い。自分で考えて動くことのできない彼の言葉に、一体どれだけの価値があるというのか。

 

「う、うぅ!」

 

 薄っぺらなネギは口を金魚のように開閉し、そこからうめき声を漏らす。世界が異様に重苦しく、自分がペラペラの紙のようにネギは感じた。動きの止まったネギの様子を見た女は、もう興味を無くし、背中を向けた。

 

「ふ、ざけんじゃないわよ!!!!?」

 

 だからこそ突然響いたその声に、呪符使いの女は驚いた。

 

「アンタの屁理屈なんて知らないわ! 私はね、友達の木乃香を助けに来たのよ! ネギ、アンタも言ってやりなさい! こんな時にアンタの馬鹿みたいに賢い頭を使わないでどうするのよ。覚悟? そんなもん知るか! アンタもアンタよ! 一々覚悟しなきゃ何もできないんなら、どこかへ行って隠れて何もするな!」

 

 拘束されながらも明日菜は吠えた。

 納得いかない。そんな事ないと。

 その叫びは、重かった。友達を助けるんだという強い意志。それが言葉に重く入り込んでいた。

 

「ふうん。成程、ね。お嬢ちゃん、アンタのいう事も一理あるんやろうな。だけどな、そんなもん、ウチは知らんわ。ウチは木乃香お嬢様を利用する。アンタらはそれを阻止しようとしている。ただそれだけの話や。薬や呪符を使い、自由意思を奪って人形にする。ただそれだけ」

 

 最後の一言に、明日菜と刹那は堪忍袋の緒が切れた。特に刹那はこれまで貯めていた怒りがすべて爆発した。

 一太刀。横薙ぎに振るった一太刀だけで、月読を吹き飛ばす。込められた力に耐えきれず、彼女の足元はへこみ砕け散る。刀を振るって流れた体勢のまま、刹那は全てを投げ出し前へ進む。

 

「甘っちょろいわ!」

 

 しかし呪符使いの女も負けていない。さらに一枚のお札を取出し、刹那の進行上に投げ飛ばす。力を込められた呪符は淡い輝きを発しながら、その力を発揮しようとする。

 

「させるか!!」

 

 だがその呪符に籠められた力を完全に無効化できる人間がここにはいた。

 明日菜が必死に伸ばしたアーティファクトのハリセンで、呪符を叩き落した。それだけで呪符は効力を失い、術式は崩れ去っていく。

 

「しもうた!」

 

 守りはなくなった。女の懐を深く侵した刹那は刀を振るう。この距離は剣士である刹那の距離。女は何をする事も出来ず、その一太刀を浴びるしかできない。

 

「秘剣 百花繚乱」

 

 その一太刀をもろに受けてしまった女は吹き飛ばされ、建物の壁に激突してようやくその動きを止めた。

 

「っつ!」

 

 呪符によって作られた防壁の上からとはいえ、秘剣の威力と壁に激突したダメージは、女の体から力を奪った。

 よろめきながら立つ女は、冷静に今の状況を見極める。木乃香は先の一撃の際に刹那に奪われ、手元にいない。今更このダメージで戦う事もできない。もう一度攫うことなど不可能。

 ならばここは引くしかない。一瞬で判断した女は月読を呼び戻し、式神を召喚して戦線離脱を図った。

 それを防ごうとしたのは刹那だけだったが、その刹那は傍らに抱えていた木乃香の重みに、動く事が出来なかった。

 だが桜咲刹那の手元には、彼女が大切にしている近衛木乃香がいる。

 彼女を守れただけ良しと刹那は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 




原作ではかませ犬も良いところの彼女ですが、現実的に考えたらこのくらいの事はできるだろうと思うんです。何せ鬼神を木乃香の魔力だよりとはいえ制御できたんですから。


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幽霊少女の一日

早いものですね。もうこの小説を投稿してから一年だそうです。そうなると、リメイク前の物も含めてどれくらい前から書いているんでしょう。
今回は置いてかれたさよの一日です。


 麻帆良学園には様々な施設がある。学校や図書館等の公共性の高い施設があると思えば、すぐ近くの通りに映画館やショッピング街などの娯楽施設が所狭しと並んでいる。特にショッピング街では、お金をできるだけ使いたくはないが恰好を付けたい男子と、欲しいものをできるだけ彼氏に買わせようとする女子の仁義なき決戦が休日にはよく見られる。

 血塗られたとまでは言わないが、男の涙がしみ込んだショッピング街を、一人の少女が歩いていた。古い麻帆良の制服を着ている少女は、ウィンドウに飾られている可愛らしい洋服を見ると、一瞬動きを止めて食い入るように見つめる。暫く何かに集中するかのように目を瞑った少女の服は、みるみるうちに色合いや素材が変わっていき、ウィンドウに飾られているものと全く同じものに変わる。魔法を使ったわけでもなく、超能力でもない。他のなんらかの法則で、服の複製がなされていた。

 それがどれだけの異常かも理解せず、少女は頬を膨らませながらショッピング街を練り歩く。

 

「むう。せっかく着替えても、ユギ先生くらいしか私を見れる人はいなかったのを忘れてました」

 

 そこにはかつて地縛霊に近い存在として、麻帆良に縛られていた少女はもういない。黒に鍛えられた結果、霊としての存在が強くなったからか、悪く言えば時代遅れな少女だったさよは、カジュアルな現代風なコーディネートを楽しみ、様々な場所に出歩く事すらできるようになっていた。

 ずっと同じような行動をとり続けるしかなかった反動なのか、先ほどからコロコロと服を変え、ウィンドウを鏡にして映る自分の姿を見ては楽しんでいる。時にはどう見ても、服に着られているのが丸わかりな服もあったが。抑圧されていた欲求は留まる事を知らず、あふれ出すばかりで中々止まらない。そもそもさよは止めるつもりもないのだろう。いまも頬をだらしなくゆるめながら、フリルだらけのロリータファッションに手を出そうとしている。

 

「これも可愛いけど、こっちも可愛い。あれなんか知的でかっこいい!! あっ。嘘! これなんて、かなり質の良い着物! こんな着物お姉ちゃんの嫁入り道具位でしか見た事ないなぁ」

 

 その顔は本当に楽しそうで、自然な笑みが浮かんでいた。もし彼女が生きていたのなら、恐らくは今頃ナンパの嵐だっただろう。それほど今の彼女は生への輝きで光り、魅惑的だった。

 

「ああ、早く仙人になってもう一度人生をやり直したいです!」

 

 

 

 冷め止めぬ興奮はあるが、しかしショッピング街の全ての店を踏破してしまったさよは、ふわふわと浮かんだまま、気の向くままに麻帆良中を回る事にした。暇で暇で仕方がないという理由で。体が有れば食事をするなどの暇つぶしはできるのだろうが、霊体である彼女はそう簡単に物質に干渉することはできない。今の彼女なら、日常生活程度ならば干渉することくらいできるだろうが、それでも世間を騒がせてしまうということくらい分かる。まあ、この麻帆良でどこまで騒ぎになるかは分からないが。

 それでも様々なところに出没しながら、さよは楽しもうとしていた。ゲームセンターでは、クレーンで一喜一憂する子供たちを見ては羨ましがり、対戦格闘ゲームで友達と騒ぐガラの悪い不良には、少し怯えながらも後ろで応援をしたり。公園では幼い子供たちが走り回るのを微笑ましそうに見て、体が誰にも悟られない事を良い事に、公園のブランコに相乗りして童心を思い出す。日がしずむまで遊びほうけたさよだが、鴉が鳴きながら巣に帰っていくのを見て、少しだけその後ろ姿を見続けていた。昔の自分は家に帰れなかったなと思いながら。もうすでに死んでいるであろう父母を思い出し、もうすっかり記憶から失われてしまった遥か彼方の友達を憂いその瞳に涙がたまる。

 

「おや、おやおや。貴方は確か、なるほどなるほど。さよさんですか?」

 

 そんなアンニュイな気分に浸っていたさよに突然声がかけられた。驚いて肩が跳ね上がり、涙は空に消えていく。

 

「ふぇ!? わ、私ですか?」

「他に誰がいるというのです」

 

 風が吹いたと思うと、一房だけ金色に輝く髪をした少女が、世界樹の頂上で黄昏ていたさよの目の前に突然現れて立っていた。突然少女が現れた事と、まさか自分を見れる相手がいるとは思わず、さらには恥ずかしげなところを見られたかも知れないと思ったさよは、ただ相手を前に黙り込むしかできなかった。

 

「ああ、そうですね。自己紹介をしないといけませんね。交友関係というものは自己紹介からですもの。私は崇徳白峰と申します。まあ、この羽を見れば分かると思いますが、天狗と言われる種族です」

 

 「ほら」と言いながらパタパタ上下する小さな翼。黒く夜空の墨で染めたような翼は、黒曜石などよりもはるかに美しかった。

 

「は、はあ。私はさよです。相坂さよです」

 

 白峰の勢いに押されっぱなしのさよは、自分の名前を滑らせてしまう。もうこうなったら、白峰は引くという言葉を忘れる。ギラリと瞳が光ったかと思うと、手帳と筆を持ち出して身を乗り出す。

 

「ええ、さよさんですね。私も貴方の事に関してはある程度知っております。こちらで働いている人物から伺っておりますからね。ですが、読者は貴方についてはわからない人が多いのです。私の読者はここに非常に興味を持つ者が多くて。ですから、貴方には取材に協力して頂きたい。もちろん謝礼は十分いたしましょう!! これもジャーナリズムの為です! お願いします」

 

 言葉の雪崩に巻き込まれたさよは、もはや沈むほかない。元々さよは活発とは到底言い難い性格だ。幽霊になってからある程度はっちゃける部分はできたが、それでも生来の大人しさはいまもある。押し押し状態の白峰に、勢いで勝てるはずがない。

 

「あ、はい。わかりました」

「おお、それは良かった。ではさっそく、貴方は何故クラスメイトから置いてきぼりにされているんですか?」

 

 ぐさりと何かがさよの心を貫いて引き裂いた。

 何か出てはならないおどろおどろしいものが背中から沸き立ち、酷い影を作り出す。その中心にいるさよは、先ほどの明るい表情と打って変わって、異様なほど暗く、瞳にはハイライトが無かった。

 

「あれ?」

「酷いんですよ。酷いんです。ねえ、聞いていますか? ユギ先生は私を仙人にして、また生きていた頃と同じような生活を送れるようにしてくれると言ってくれたのに、信じているのに、私は修学旅行に行ってはいけないんですって。何ででしょう。何ででしょう。良いじゃないですか。私だって、偶には知られなくても、友達と何かをしたいんです。幽霊の権利を侵害していますよ。どう思います? 白峰さん。白峰さんだって、酷いと思いますよね。本当、何であんなことするんだろう。ユギ先生……がもげちゃえばいいのに。しかも他にもいろいろと禁止事項があるんですよ。なんですか、寺社仏閣に近づくなってのは。私が除霊されるという事ですか? 私は悪い幽霊じゃないですよ。今まで人を傷つけたことはありませんよ。昔の事はあんまり覚えてはいませんですが、それでも人を傷つけたのなら覚えています」

 

 唯々諾々と雪崩どころか津波の勢いで放たれる愚痴は、さすがの白峰でもわずかに頬をひきつらせるだけの力はあったようで、苦笑いを浮かべて逃げようと後ずさる。

 

「ああ、さよさんも大変なんですね。それじゃ、私はこれくらいで」

「何言っているんですか。まだ話は終わっていませんよ」

 

 天狗の服の裾を掴み、さよは血走り始めた目で白峰を縫い付けさせた。その目は語っていた。あなたも私を置いていくの? と。それを見て、白峰は覚った。――ああ、やばい。

 白峰が解放されたのは、月が頭上に高々と上がった頃だった。 




さよは現在不安定な時期になっている所為で、情緒不安定になっています。ですので、生前しなかった行動を取ったり、生前の行動に立ち直ったりを繰り返しています。


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春眠ではないが暁を覚えず

 早朝まだ生徒たちが目を覚ますよりも早く、教師たちは一室に集まり今日の生徒たちの行動について話し合っていた。何せ昨日は酷い悪戯をしかけられ、生徒たちが飲酒してしまうなどという事態が起こってしまったのだ。警戒しないはずがない。多くの教師たちは昨日の怒りを引きずっているらしく、険しい顔つきをしている人や、少しイラついている人もいた。

 そんなピリピリとしている教師たちの中で、一人だけ異様な様子をさらしている人物がいる。黒だった。首は前後に動き、瞼はもはや開いているのかすらわからず、膝は時折崩れかける。もはや完全に眠る寸前の様相で、最初こんな状態で会議の部屋に来たときは周りを唖然とさせた。

 

「ユギ先生、大丈夫ですか?」

 

 あんまりな黒の様子に、思わずと言った風に新田教師は話しかけた。もっとも、幼いころからこの黒の様子に慣れているネギはともかく、他の人たちは普段見せない黒の状態にどうするべきか結局わからず、放置するしかなかった。それでも黒が話をきちんと聞いているか分からないと困る事も出てくる。もし分かっていないのなら、もう一度きちんと説明しなければならない。幾ら黒が学園長の命で今日一日京都から離れるとしてもだ。

 その事自体、実は今日の会議で問題視された。緊急事態と思える今、学園長の命など拒否して、黒も生徒たちを見まわるべきだという意見が出て、会議を長引かせた。それを提案した教師は当然の言葉として話し、おおむねほとんどの教師はその言葉に納得し、頷いていた。慌てていたのはネギ位だ。

 最終的には結局学園長の命令に納得はいかなくとも、その命令の内容が出雲大社への挨拶と知らされており、その重大性を知っている新田教諭によって取り持たれ、最初の予定通りに行われることになったが。

 

「眠いですが、何とか」

「ほ、本当でしょうな? 一応、信頼しますが」

 

 それにコクリと首が動くのだが、眠気なのか肯定なのか正直周りの人間には分からず、いつ地面に倒れるかとはらはらしている。しかし信用のある黒の言葉だ。不安は覚えても、もう一度聞き返すことはなかった。

 

「ま、まあでは皆さん、今日はよろしくお願いします」

「「「はい!!」」」

「……はい」

 

 一つだけ締まらない声が遅れて挙がった。それに苦笑を浮かべた教師たちが解散していく中、ネギは黒を支えるように歩かせる。もはや黒は完全に歩く気もないのか、ネギに引きずられているばかりで、活力のかの字も見当たらない。

 

「ああ、もうこのまま連れて行ってくれません? 出雲まで。眠くて眠くて」

「いや、もうちょっとしっかりしてよ、ユギ!」

 

 倒れかかる黒を支えたまま、ネギはとにかく黒を朝食の場まで運ぶ。そこには既に生徒たちが行儀よくとは言えないが並んでおり、二人を待っていた。ネギが入ってきたのを見て、生徒たちの瞳が輝き始める。

 

「あ、ネギ君! 早く早く!」

「ネギ先生、こちら開いていますわ」

 

 まき絵やあやかがネギを自分の隣まで案内しようとするのだが、ネギは黒を抱えている為そちらに行くことなく教職員用の席に座った。朝に弱いという言葉すら生ぬるい黒を誰かが世話しなければならないからだ。

 二人の誘いを断ったネギを、残念そうに見つめる生徒は、その二人以外にも結構いた。食事が始まっても、何人かはまだ不穏げな光を瞳から発し、隙を伺っている。その様はなぜかハイエナを思わせる。ネギはブルリと体を震わせ、草食動物を思わせるような動きで辺りを見回した。

 ただそんな中で、ネギではなく黒にも注目する生徒が数人いた。

 

「珍しいですね。ユギ先生があんなにだらしない姿をさらすとは」

 

 そう言うのはストローで牛乳をちゅうちゅう吸っていた夕映だった。普段ネギと違い冷静で、生徒たちの悪ふざけを鎮圧する傾向の強い黒が滅多に見せないだらしない姿に、瞳を丸くしていた。

 

「そうだねぇ。意外と言っちゃ意外かな。でも、そう可笑しくはないかもね、ユギ先生なら」

 

 夕映の呟きに、彼女の親友の一人であるハルナは話に入り込んできた。彼女は面白そうなものを見つけたと、持ち前の好奇心から顔を突っ込もうとしていたのだ。上手くすれば何かに生かせないかなとでも考えているのだろう。頭の触角がレーダーのように動いている。

 

「それはどういう意味です?」

「う~ん? 何だ気が付いてなかったの、ゆえっち。ユギ先生、授業中はうるさいけど、休み時間は基本的羽目を外しすぎない限り、怒りはしないよ? 今はユギ先生から見ても、“休み”なんでしょ。だからああして、眠そうにしていると思うんだけどね」

「なるほど」

 

 それもそうかと納得した夕映の目の前では、頭から茶碗にダイブしそうになって、ネギに慌てて受け止められている黒の姿があった。頬をネギにぺちぺち叩かれても反応が鈍く、やはりほとんど眠っているように見える。

 あの可愛らしい顔立ちであるが、怖いと思える教師(・・)に随分と子供らしい所があるものだと、ハルナは思わず笑いを浮かべていた。

 結局朝食を食べ終わる頃まで、黒はまともに動けず、隣にいたネギに付きっきりの世話を受けて何とか朝食を摂り終えた。

 黒が出雲へ行くために、他の人よりも早く出ようとロビーについたころようやく目が覚めてきたらしく、眠たげに閉じられていた瞼は、普段通りになっていた。それを見てネギはようやくか、と胸をなでおろす。

 

「大丈夫、ユギ? そろそろ起きた?」

「ええ、大丈夫です。ようやく目が覚めてきました」

 

 返事の最中に黒は生あくびをしたが。それに対して思わず苦笑をネギは漏らす。

 

「それじゃ、ネギ先生。副担任の私は学園長からの命令で、今日一日は離れますが、生徒をよろしくお願いします」

「う、うん。大丈夫! ユギ、先生も頑張ってね」

 

 いまだ先生と付けるのが慣れないのか、たどたどしい部分はあるがそれでも頑張ってけじめをつけようと悪戦苦闘しているネギに、黒は笑いそうになるのを耐えて告げた。

 

「ただ親書を届けるだけなんですけどね」

 

 ――ただ届けるだけならば、ここまで内心は荒れないのだけど。

 そう心の奥底でつぶやき、黒は一人だけ早くホテルを出発し、駅へと向かう。スキマを開いて移動することはできるが、それだと相手方を刺激してしまうかもしれない。そう考えると、たとえ時間が掛かってもこちらの方が心象は良くなるだろうと判断した。

 

 

 

 

 黒が駅へ向かうのを見送ったネギは、ホテルへ入ってそうそうあやか達の争奪戦に巻き込まれた。どこの班と一緒に回るか決めてくれと。本来ならネギも教師であり、一班だけを見るという事は許されないのだが、今回は子供であり外国から来たネギに、日本の文化を知ってもらおうと考えた新田教諭の手で、どこかの班と一緒に回りないさいと言い渡されていた。その為ネギは少し迷いながらも、様々な要因から五班と一緒に回る事にした。

 ネギを誘ったのどかがどんな気持ちで誘ったのかを知らずに。そのせいで起きてしまう騒動を防げず。まあ、これに関しては珍しくネギは悪くないのだが。




次の話は少し飛んで、ドキドキキッス大作戦の所まで進みます。出雲での話はまたどこかですると思いますが。



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秘密を知るものは少ない方が良い

 ホテルのロビーで奇行を繰り返すネギを、影からひっそりと隠れて見る幾つもの視線があった。転がりまわったり歩き回ったりとせわしない様子に心配をしたのか、影からあやかとまき絵が出てきて、ネギに話しかけた。

 

「ネギ君、何かあったのかな?」

「ネギ先生、私たちに相談してください。一人で悩んでいても、解決しませんわ」

 

 二人の純粋な好意。心配そうにしている二人を普段ならば有り難いと思ってしまうネギでも、今は別段有りがたくもない。だからといって無下に扱うわけにもいかず、慌ててふためきながらなんとか今の状態をごまかそうとするのだが、焦りからついつい舌を滑らせてしまう。

 

「い、いや誰も僕に告ったりなんてしてません!」

 

 その言葉に過剰反応をする3-Aの生徒たち。それにあてられ、ネギもまたさらに落ち着きを失っていく。口が滑る滑る。スケートリング以上に滑る自分に、何を言っているかだんだんと分からなくなって冷静さを失い、ネギはとっさに逃げてしまった。今逃げても、何にもならないというのに。

 しかしそれも仕方がないだろう。ネギは数えで十歳。嫌なところから逃げようとする傾向はある。エヴァンジェリンに襲われた時も、風邪を引いたと嘘をついて学校へ行こうとしなかった。今回もそれと同じで、心がいっぱいいっぱいになり、処理しきれなくなってしまったのだ。年を考えるならばむしろ健全的な行動だろう。

 

「ううん。大丈夫かしら、あのガキンチョ」

「さあ、知りません。それよりもお嬢様は」

 

 逃げるネギの様子を見ていたアスナと刹那は、全く違う態度でいた。

 

 

 

 一方ネギに逃げられた他の3-Aの生徒たちは納得がいかないでいた。あの可愛らしい遊び道具(・・・・)が、告白されるなんて。独り占めするなんてずるいと。一部の生徒だけは、真剣に恋愛感情で考えていたようだが。しかし納得がいかないのはどちらの考えも一緒。せめて犯人くらいは知りたいと考え、彼女たちはある人物に捜査を頼みこんだ。

 いきなり部屋に尋ねて来て、凄まじい勢いで話すあやかに若干引きながらも、その人物は快諾した。

 

「それで私の出番? まあ、良いけどさ。この朝倉和美にお任せあれ。スクープであるならば、必ずものにするよ」

 

 自信満々に胸を張り、朝倉はカメラ片手に答えた。とはいえ他の少女たちと違い、冷静さを失っていない朝倉はすぐに告白した相手が分かっていたので、さっさと話を伺いに行くことにした。この行動力を他にいかせればもっと多くのことをできるのに、とは麻帆良の教師全員の談だが。

 そんなものを知らんとばかりに朝倉は、持ち前の行動力でテープレコーダ片手に、とある部屋で目的の人物を見つけた。

 挨拶もそこそこに、朝倉は言葉を投げかけた。

 

「アンタ、ネギ先生と寝たって本当?」

 

 投げたといってもキャッチボールではなく、凄まじい豪速球ではあったが。捕球を失敗して、のどかはせき込んで顔を真っ赤に染め上げる。口はもごもご動き、何か言いたい様子ではあるが上手くしゃべれない。朝倉はとりなすようにのどかへ話を続けるが、それは全て彼女が聞きたい事を騙るように誘導するものであった。結局のどかはそれに気が付かず、今日有ったネギへのアプローチと告白したという経緯全てを朝倉に話してしまう。

 

「可愛いな、もう♡」

 

 そんなのどかの様子が可笑しく、朝倉は彼女の肩をたたいて笑い、部屋を後にした。廊下を歩いている最中に、テープレコーダーの音声は消去して。さすがの朝倉も、これが有名人ならともかくも、クラスメイトの初々しい初恋を邪魔するつもりはなかった。

 持ち込まれた話はたわいもない話だったけど、他に何かスクープはないかな、とホテルを徘徊していた朝倉。そんな時だ。彼女の前をネギが通ったのは。のどかにも話を聞いたんだし、一応ネギにもインタビューしておくか、と持ち前の好奇心から思い立ち、朝倉はネギを追いかけた。

 幸いネギは彼女に気付いておらず、簡単に後を追う事が出来た。近くまで来て朝倉は気が付いたが、どうやらネギは俯き気味にぶつぶつと呟いて歩いていた。何か悩みでもあるのかなとは思いながらも、話しかけるために口を開こうとしたら、ネギは突然車道に飛び出してしまう。身を投げ出すときは違い、まるでアスリートがピストルの音を聞いたかのように全力で。

 

(ネギ先生!!?)

 

 背景として車道を走行していた車を認識していた朝倉は、顔を青くする。彼女の脳裏では、ネギが車に轢かれ血だらけの肉塊になったイメージが沸き立った。

 ――ならば、目の前で起きているものは何だろうか。

 朝倉は動かない頭でそう思った。宙に浮くトラック。ネギが手に持つ長い杖。まるで都市伝説に出てくる魔法使いのようだ。現実にはありえない光景に、彼女の時間は止まった。

 ああ、こんな所にスクープがあった。それも特大の。もはや朝倉の思考は止まらず、暴走を開始する。咄嗟に体をネギから見えない場所に隠し、物陰でネギを伺いながら何としてでもこのスクープをものにしようと決心した。たとえどんな困難が有ろうとも、必ず。それがジャーナリストとして私の使命だと。

 その数時間後、ネギの秘密を知る生徒が一人増えていた。



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千の怒り

今回結構批判されやすいかもしれません。気に入らない点がありましたら、かんそうなどでおしゃってくだされば、より詳しく説明させていただきます。


 馬鹿馬鹿しい。千雨は傍観者としてその騒ぎをつまらなそうに眺めていた。

 修学旅行二日目、麻帆良の異常な結界によって起こされる煩わしい事件に関わる必要もなく、担任の教師が原因の騒ぎにも巻き込まれずホテルに帰るまで酷く上機嫌だった。鼻歌を高らかに歌い足取りは軽く、今にもスキップをしそう。普段の感情を表さない仏頂面と違うその様子に、周りのクラスメイト達は奇異なものを見るかのように遠目で眺めていた。

 しかしホテルに入って、すぐにそんな愉快な気持ちはしぼみ、またもとの面構えに変わってしまった。クラスで話題になっている話が心底不愉快でしかなかった。ネギとのどかの恋話が。千雨にとって許せるものではなかった。

 教師と生徒の恋愛など許せるものではない。故に千雨は、のどか(・・・)に対して怒りすら覚えていた。別に恋をするのは良い。誰だって、人を好きになる権利はあるだろう。けど、現状を見ずに告白するのは、可笑しい。恋というものは自分の欲望を叶えるためにあるのではない。それでは只の自己満足だ。恋をしたんだというだけの満足。

 ネギは教師。のどかは生徒。これだけでも社会的にどれだけ否定されるか。しかも、その教師であるネギはのどかより幼い。何故待てない? のどかが卒業したその日に告白したというのならば、賛成はしないまでも、否定もしなかっただろう。どうぞご勝手に、千雨がそう思うだけで終わった。

 そもそも、今ののどかの行為は恋ですらないだろう。本当にネギを愛しているというのなら、彼の立場を陥れるような行動をとれるはずがない。それがのどかという少女がおそらく本来的にとる行動だ。それなのに、のどかがネギに告白したということは、相手のことを考えるほど強い思いを持っていないという事を逆説的に証明している。告白をせず胸に潜め、青春のほろ苦い経験と、年を取って誰かと笑いあえる。

 ではなぜ告白したのか。その原因が分かるからこそ、余計千雨の機嫌も悪くなる。のどかとしては自分の常識に従ったのだろう。つまりは、社会的規範に縛られない麻帆良の常識、麻帆良大結界で構築させられた非常識な常識に。それで理性が止めるべきはずだった未成熟な感情を止められなかった。

 結局、麻帆良の魔法使いが悪いのだ。全ての原因は麻帆良大結界で常識が歪まされていたため。狂った常識は、時に人を不幸へ貶める。淡い恋とすらいえない感情を、まるで愛という名の業火に見せかける。惑わされたのが、たまたまのどかなのだ。だからこそその怒りをぶつける訳にもいかず、内側で籠り続ける。

 千雨にとって麻帆良の魔法使いというものは虫唾がはしる。そもそもが、彼らがいなければ千雨は小学生の頃いじめられることもなく、クラスから孤立する事もなかった。今もこうやって人の人生を滅茶苦茶にしている。すべては麻帆良の都合が良い世界を生み出すために行われた様々な行動の結果。そのしわ寄せを一心に受けた彼女が魔法使いを嫌うのは仕方がないだろう。そして今もまた、魔法使いによって犠牲者が増えた。怒りを覚えないはずがない。

 それで一気に機嫌が悪くなり、そこへ阿呆臭い事件が人為的に起こされた。――くちびる争奪!! 修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦。

 もはや耐えられるものではなかった。「馬鹿馬鹿しい」と一人静かに、そして素早く班の部屋に立てこもり、意思表示を示した。即ち、関わるなと。そもそも魔法と関わるつもりは千雨に一切ない。平穏に日常を過ごす。それが夢だ。ネギと魔法関連で付き合うつもりはないし、卒業したら精神安定のためにさっさと存在自体を忘れようとすら思っている。

 それなのに、傍観者であろうとしている千雨に、先ほどからクラスメイトの朝倉和美がしつこくそのふざけたものに出てくれと頼み込んでいた。

 

「ねっ、ねっ? 出てくれるだけで良いから。絵になるんだって。普段ネギ先生に興味を見せない人が参加するとさ」

「断る。私は忙しいんだ」

「何言ってんの。修学旅行で忙しい訳が無いじゃん」

 

 何を言ってもしつこく詰め寄るその態度に、とうとう千雨の堪忍袋の緒が切れた。

 

「いい加減にしろよ、朝倉」

 

 顔を赤くしたわけでもない。大声を出したわけでもない。けれど冷たい鉄のような音色は、朝倉を驚かせるには十分だった。

 

「私は参加したくないって言っているんだ。これ以上、私に関わるなら新田を呼んででもお前を邪魔するぞ。それが嫌なら、もう私に付きまとうな」

 

 ヤバイと朝倉が思ったときにはすでに遅く、千雨は扉を開けた。最後通告をされてしまった朝倉は、しぶしぶと出ていく。

 締め出される形になった朝倉は、後ろで勢いよく閉じられた扉の音に驚きながら、後で謝らないと、と気楽に考えていた。自分のすることがどういう意味を持つか知らなかったのだ。それも仕方がない。あくまで魔法というもののさわりに触れただけ。力が何を意味するかなど分からないのだ。むしろこの年代でそこまでわかっているのならば、それこそ異常だ。それを考えれば一概に彼女を責められるものではない、真に責めるべきは、都合の良いことばかり話した魔法関係者だ。この場合入れ知恵をしたのは、ネギのペットとされているオコジョのカモミール。

 追い出されながらも機嫌よく歩き、千雨の代わりとする人間は誰にしようかと考えながら、朝倉は廊下を去っていった。

 一方、朝倉を追い出した千雨は、部屋の中で髪をかき乱していた。いまから何が起きるかが、彼女には分かっており、同時に止めるわけにはいかないから(・・・・・・・・・・・・・)。なぜ朝倉がそれに関与しているかは分からないが、主犯の一人であることに変わりがない。それが悲しい。接点が無かったとはいえ、それでもクラスメイトが間違った方向へ(・・・・・・・)進んでしまったのだから。

 千雨は窓に近づき、大地を見下ろした。うっすらと暗闇で見えづらいが、その瞳にはそれが映っている。彼女が望めばどんな真実であろうともあらわになる。魔法で隠蔽されていようとも、物理的に見ることが不可能だったとしても。

 そして顔を盛大に苦々しく歪め、舌打ちをついた。

 その魔法陣の効果がまたふざけている。日本国の法に真っ向から喧嘩を売っているようなものだった。キスをした者たち同士で、仮契約を強制的に結ぶという術式が、ぐるりとホテル全体をカバーして書かれている。お互いの同意があるならまだしも、勝手に契約を結ばされてはたまったものではない。魔法のイザコザに巻き込まれる方としては。どこの世界に、地形を変えられる攻撃が飛び交う危険極まりない世界に飛び込みたいと心の底から思える人間がいるのか。

 ネギのペットとされているあのオコジョの仕業だろう。確信を持って窓から書かれている、隠蔽されているはずの術式を見下ろすその瞳は、ガラス球をはめ込んだかのように光がともっていなかった。何時の間にか、格調高い装飾の施された、大辞林ほどもある本が千雨の手にはあった。それをパラパラとめくりながら、あるページに到達したところで窓硝子から目をそらす。そのまま椅子に座り、その本をめくり続ける。暫くの間、部屋の中は本をめくる音しかしなかった。

 参加者がどんな不利益を被ろうが、今の千雨には一切助けるつもりがない。風俗的に問題ある行為に手を出した者たちが悪い。しっぺ返しを食らっても、それが()だ。故に助けない。人の世と関わるべき身分では(・・・・・・・・・・・・・)すでにないのだから(・・・・・・・・・)

 

「本当に、魔法使いってのは厄介なことしかしない」

 

 その言葉が全ての気持ちを表していた。

 

 

 

 千雨が班の部屋で一人本を読んでいる頃、ロビーは大騒ぎになっていた。あり得ない事態をロビーにいた人たちが見てしまったからだ。全く同じ顔形をした四人のネギがロビーに集まった。摩訶不思議な光景を見て騒ぎにならない筈がない。

 そもそもの発端は、ネギが自分の身代わりを作ろうとして刹那からもらった式神を召喚するのに失敗し、その処分をきちんとしなかったことや、朝倉とカモが共同して開いたネギ先生ラブラブキッス大作戦、本来は仮契約大量GET大作戦が悪い具合に重なり、五人のネギがホテル内に現れてしまったのだ。

 しかし幸い既に一体に関してはのどかと夕映によって撲殺された。しかし残り四体が暴走を始めてしまっているのだ。麻帆良大結界下で普段生活している3-Aの生徒たちは、今の状況を只のイベントとしか見ていない。しかし他の人間たちから、一般的な常識を持っている者達から見ればそれは全く違う。目の前で起きているのは、正真正銘の怪現象なのだ。ホテルに泊まっていた人たちは携帯で写真を撮っている者もいるし、悲鳴を上げてネギから遠ざかろうとする者もいる。逃げようとする者の中にはホテルの女将も含まれていた。

 

「いったい何が起きっているって言うのよ!」

 

 髪が白くなるまで働き続けて、それで初めて見る現象に、パニック状態になるのは仕方がない。愛着を持つ、全てを知り尽くしたともいえるホテルに訳の分からない何かが混ざり込んでいるというのもまた、一つの恐怖を浮かび上がらせる。腰が抜けて倒れてしまうのも仕方がない。むしろ恐怖が湧き上がらないとしたら、そちらの方が可笑しいだろう。実際周りで携帯を使っている人間たちも、目の前で起きている怪現象を日常の動作へと取り入れて何とかごまかそうとしているにすぎない。

 

「なあ、これって」

「莫迦! そんな訳ないだろう。これはアレだ。ほら」

「あれって何だよ」

「アレだよ! そうだ、四つ子だよ。きっと」

 

 うすうす本当は違うとわかっていても、彼らはそれから目を背ける。そうしなければならない事を本能で理解しているから。心を守るため、出てきてはならない者を封じ続けるために。

 四人のネギと生徒たちが去った後も、しばらくロビーは整然としていた。誰も今起きたことを話したくなかった。したら戻れなくなる(・・・・・・)。ふとそう思ってしまったから。

 

「これは、まいったなぁ。やりたくはないけどしょうがないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 騒ぎになっているロビーに足を踏み入れたのは麻帆良の教師の一人だった。スーツを付けていると個性というものが見当たらないほど影が薄く、どこにでもいる商社マンにしか見えない人物だった。

 スーツの内ポケットから一本の短杖(ワンド)が出される。15cmあるかないかの杖ではあるが、使用するのに些かの問題も無いようで、すぐに魔法が発動された。

 

「ごめんなさい、でもこれもネギ君の為なんだ」

 

 そう呟く男の顔には、何の気負いもなかった。禁止されているも同然の記憶消去魔法を使ったというのに。

 麻帆良の魔法使いである彼からすれば、一般人などどうでも良いのだろう。ネギと黒の為に優秀な生徒を集めるなどを平然とする彼らだ。人身御供を容認し、諸手を挙げているような魔法使い達はすでに腐りきっている。自浄作用など望めるはずもない。

 

「あれ?」

「俺達って何やっていたんだっけ?」

「さあ」

 

 おぼつかない視線で、うろんな眼のままロビーにいた人たちはバラバラに散っていく。何をしていたのかを忘れさせられて。散っていく人にまぎれて男もロビーから離れて行く。もうロビーには誰もいない。ただ一人を除き。

 

「あ、あら? 可笑しいわね。私何で座り込んでいるのかしら?」

 

 何度も立ち上がろうとするのだが女将は立つ事が出来ず、たまたま通りかかった従業員の手を借りてようやく立ち上がれた。それからひどい頭痛や手足のしびれ、力が入らない事に悩まされるようになる。不思議がりながらもそれでも淡々と仕事をしていたのだが、麻帆良学園がチェックアウトした日の午後、女将は脳溢血で急死した。

 

 

 




多分珍しいかと思いますけど、あえて一般人のかたを登場させてみました。第三者から見た場合、魔法がどう見られるかを描写したかったからです。
また、記憶消去魔法についてですか、ハリーポッターみたいな、完全なファンタジーならこうしません。葉加瀬が言っていましたが、この世界の魔法は物理法則に従うようです。つまりは、万能とは言えません。ですので、記憶を消すという過程で代償を支払う必要があり、それが脳細胞への傷という形で現れると私は定義しました(過去の話で確か書いたはずです)。女将は運悪く脳の血管も傷ついてしまい、脳溢血で亡くなりました。


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関西呪術協会の翳り

今回は主人公勢まったく出ません。ネギも黒も。その代わりに、関西呪術協会の勢力が出てきます。


 京都から東に車で走り続けて一時間ほどかかる山のさらに奥、山頂にほど近い場所に一件の建物がある。誰からも忘れられたかのようにぽつねんと立っていて、藁葺き屋根の粗末な家にしか見えず、一見するとその価値は無いように見える。持ち主すらも忘れているのではないかと思えてしまう程、周りは寂れている。しかし見る者が見れば、驚きとともに絶賛すらするだろう。

 建物の周りに張られている結界は、中を守るために用意されたものだ。その精密さはさながら熟練の時計技師が丹精を込めて作った時計のようで、術式を見ているだけで一種の芸術作品を見ているかのように錯覚させる。それでいて、術式の複雑さから期待される以上の強度を併せ持つことに成功していた。それはたとえ名のある魔法使いの一撃であろうと寄せつけない程のものだった。

 さらにはその結界と中にある建物が決して露見しないよう隠蔽用の結界も用意されている。それはこの場所を認識していないと、たとえどんな方法をもってしても決して近寄る事が出来なくなるという、近代魔法では有り得ない効力を発揮していた。

 そんな城のような堅固な建物の中に、狭いながらも多くの人が詰め寄り、何やら額を寄せ合って密談を交わしていた。そこにいたのは、関西呪術協会における支部の長たちだった。上座に近い方から滋岳(しげおか)(いさむ)三善(みよし)(ゆたか)加茂(かも)重孝(しげたか)知徳(ちとく)三蔵(さんぞう)蘆屋(あしや)道気(どうき)葛木(かつらぎ)縁矢(えにし)日下部(ひかべ)要蔵(ようぞう)菅原(すがわら)是孝(これたか)大津(おおつ)(ひこ)。彼らが皆一様に険しい面構えで座っている。

 彼らはいっさいはばかる気はないのか、激しい内容の言葉を、声を潜めることなく堂々と話し合っている。何せこの場所には長が来れないのだから当然(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)の事だろう(・・・・・)

 

「さてもさても。まさか天ヶ崎の小娘、おっと、千草と言うたか。少し前までは小んまい小娘だったというのに、いつのまにやら大きくなったものよ。あやつがした事、皆の者どう思う?」

 

 天ヶ崎千草は関西呪術協会の長の一人娘である近衛木乃香を攫い、今現在関西呪術協会への反乱を起こしている女の名前だ。その名前を口にした滋岳勇はなぜかどこかうれしそうだった。

 

「決まっておろう。正しい行為だ(・・・・・・)

「然り。あの子はただ正そうとしているだけ。たかだか公家の子孫を担ぎ続けてきたが(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)それが間違いだった(・・・・・・・・・)。近衛程度では、この世界に住む闇を認識できなんだ。我らが集まりこの国を守り続けてきたのは、高々利益を守るためではない。そんなものならば、我らの祖先はあのような事などせん。戦友を乏しめ、それでもなお世界を守ろうとするなどはな」

 

 口々に挙げられたのは千草に対する罵りではなく、むしろ賛美する声ばかり。この時点でどれだけ長が軽視されているか良く分かるものだ。普通の組織ならば、長の娘がたぶらかされて、賛美されるはずがない。だというのにこの有様。この時点で関西呪術協会がもはや組織としての体を保っていないのが丸分かりだ。

 

「そも、近衛が我らに口を出したのが全ての原因よ。何も知らぬくせに後からしゃしゃり出て、公家だからこそある程度の面倒を見ていたら増長するだけ増長しおって! 青山の小僧もそうだ。陰陽師でもないくせに、長になるだと! 少し考えれば筋違いというのが簡単にわかるだろうに。その所為で、神鳴流が全国から今もなお睨まれているというのが分からんのか!」

「分かる訳がなかろう。あれはただの傀儡よ。一人では何もできず、周りの選択に賛同するだけして、従う事を喜びとする、本当の愚昧よ」

「待て待て! あの長がどうしようもない事などすでに分かり切っておるだろう! 今は我らがどうするべきかを考えるとき。祖先たちから受け継いできた大願を叶えるためにはどうすべきかをな」

 

 もはや彼らの中では長というのはどうしようもない存在なのだろう。全員の瞳には、長に対する憤りが込められていた。そこには忠誠というものは一切ない。

 

「だからこそ変えねばならんだろう」

 

 今まで黙っていた大津彦が口火を切った。静かに、それでいて意義は許さんとばかりの強い断定の口調に、長に対して愚痴をしていた者どもは一様に黙り切り、彼を見た。この中でも一番若い彼は、常に口を閉ざし物思いにふけるようによくよく考える性格だ。滅多にその考えは口から洩れることはないが、漏れ出た場合は道理を踏まえ、多くの成果を挙げる様な考えばかりだった。

 

「本来の形に。その為だけに(・・・・・・)ようやく探し当てた(・・・・・・・・・)

 

 腹の底に沈澱してた思いごと絞り出されたその声と共に、狐火が誰も座っていない上座で燃え上がる。その炎の中から現れた男は、狐を思わせる面構えをしていた。そして、この場にいる超一流と言える陰陽師を足元にも許さないほどの力を、ただ垂れ流している。その姿を見てこの場にいた人間は目を丸くした後、慌てて平伏した。

 

「これが、今の陰陽寮(・・・)かい。随分とまあ、弱くなったものだ(・・・・・・・・)

 

 もし他の者が語ったのならば、今頃怒り狂った彼らに八つ裂きにされているだろう。しかし上座に座っているこの人物に限って言えばそうはならない。それが許されるのだ、彼だけには。

 

「申し訳ありません、安倍晴明様!!」

 

 安倍晴明。陰陽師として最強の名を欲しいままにしながら、神格としても崇められた日本でトップクラスの術者の一人。その影を追えるものは、陰陽師では道満ぐらいしかおらず、あとは畑違いで空海、或いは役小角など少しの人間だろう。それほどの力を持つ彼は、しかし既に死人でなければならない存在であるはずだ。

 だが、確かに清明は生きていた。心臓は間違いなく動いているし、誰かに黄泉の国から召喚されたわけでもない。単純に彼は、不可能な方法を可能にしてまで生き延びていた。古来から多くの権力者が求めた方法。つまりは不老不死の法によって。

 

「まあしかたがあるまい。それに、まだましだろう。あの時は早く忘れなければならなかった(・・・・・・・・・・・・・・)。それだけに関して言えば、成功したのだ。陰陽寮も存在し続けてきたかいがあったというものだ。だが今はそういうわけにもいかないようだ。忘れてはならない者たちがいるというのに、愚かな人間の所為で歴史を教えられもせずとは。嘆かわしいことだ。陰陽寮の人間だけは、あれら(・・・)を忘れてはならんというのに。……さて、お前たち。一つ訪ねよう。一人の娘が戦っている。本来の、正しい形に組織を治そうと。間違っている者たちに虐げられながらも、祖先の願いを、父母の思いを守るために。それを只座して待つと言うのか? それとも」

「決まっておりまする。なぁ、皆のもの」

「ああ。我らも久方ぶりに動かなければならんな、あの愚か者どもに教えてやろう。陰陽師とはいったい何なのかを」

「しからば、儂は天ヶ崎に連絡を付けよう」

「ならば我は一族の者をひきつれて、他の者たちを説得に回るとしよう」

 

 各々は素早く自身がすべきことを決めていく。統率のとれたその姿は、まさしく歴戦の戦士を思わせる。

 

「では我も動くとしよう。くっくっく。久方ぶりだな、世に知られてはならぬ闇が蠢くのは。この魔都にいる幾つかの妖(・・・・・)め。目に物を見せてやろう。まだ失っていない者もいるということを。お前たちを忘れておらず、刃向かう人間は残っていることを」

 

 夜の闇を鴉が飛び、月へと消えて行った。



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修学旅行三日目の朝

 修学旅行三日目の朝、麻帆良学園の生徒たちは前日と同じように朝食を摂っていた。朝食の献立は、京野菜をふんだんに使ったおひたしに、ほかほかと湯気を立ててふっくらと美味そうに炊きあがっているつやつやなご飯。そして白味噌を使い、きちんと鰹節から削って昆布も使ってだしを取った香り豊かな味噌汁だ。昨日の食事が惜しかったからか、座っている生徒たちは今か今かとそわそわしている。新田教諭の挨拶が終わり、全員で『いただきます』と唱和し、それぞれが食器を取った。

 

「これ、美味しい! ほら、この野菜すごくおいしいよ!」

「こっちのお味噌汁も。普段と違った味がしてなんか新鮮!!」

「いや~、子供たちの味覚もバカにならないものですねぇ。私なんて酒にやられたのか、昔はわかった味の差異がさっぱり分かりませんもの」

「俺もそうだよ。まあ、俺の場合は辛いものを食いすぎたせいかもしれんが」

 

 古めかしくとも風情溢れ、古の絵巻物を思い浮かべさせる京の都に相応しく、どこからか小鳥のさえずりがする。

 多くの教師たちは和やかで平和な朝の空気に笑みをほころばせ、今日も無事生徒たちが伸び伸びと、しかし楽しい思い出を作って過ごせることができるようにと願う。生徒たちは生徒たちで、麻帆良では聞こえない鳥の鳴き声に興味を示していたり、これから回る場所をがやがやと騒ぎながら班で話し合っている。全員が明るく笑っていた。

 しかしそんな清々しく和気藹々としている朝だというのに、周りと比べてどんよりとしている集団がいた。3-Aの生徒達とネギだ。彼らはとても居心地が悪く、通夜のような面持ちで食事をしている。何せ、彼らのすぐそばには、絶対零度の目で彼らをにらみ続ける人物がいるからだ。生徒たちを冷え冷えとさせているのは教職員の席に座り、ネギの隣に並んでいる背が誰よりも低い黒だ。しかし威圧はこの場にいる誰よりも大きい。ぐつぐつと煮え立った火山が背後に見えてしまい、生徒たちは気圧されている。

 眠たげにしていた昨日とは違い、ぶすっとした顔で黒は食事を進めている。普段ならば下手な日本人よりも洗練された作法に乗っ取って食べる黒ではあるが、今日は違う。むしろかなり荒々しく箸を動かしている。

 黒が箸や食器を降ろす度に、生徒とネギはどきりと肩を震わせて、恐々と様子をうかがうのだが、その度にあの冷たい、まるで夏場に大繁殖する黒い蟲を見るかのような目を直視してしまい、すぐに顔をそむけて冷や汗を垂れ流す。

 生徒たちは一言もしゃべらずただ遮二無二食事を急ぐ。今口にしているものがどんな味をしているかなど誰も分からない。それでもたとえ小食だろうが、早食いを嫌っていようが彼女たちは急ぐ。一人、一人と食事を終えた者からそそくさと何も言わずにすぐ部屋へ戻っていく。まだ食べているものは、去っていく少女を恨めしそうな目ですがり、それを背に一身に受けている少女は涙を呑んで振り切る。救いたくとも、今動くわけにはいかない。すでに導火線には火がついている。その火をより強めるなど誰もしたくはない。故に食事を終えた3-Aの生徒たちは、足早に逃げていく。

 お嬢様育ちであり、早食いなどをしたことなどない雪広や、のんびりとした性格の五月などは食べるのが遅くなりがちで、最後の方まで残っている。彼女たちには、雪広は別として、めったに浮かばない涙が浮かんでいた。もう3-Aの生徒たちはほとんど残っていない。そんな中をネギは何とか食事を終え、立ち上がる。残された周りの生徒からはまだいかないでと視線で訴えられが、ネギも我が身は可愛い。必死に出入り口しか見ないようにして、ネギはその場を抜け出した。

 無言地獄から抜け出せたネギは、誰にも見つからないように隠れながら通路を行く。五分くらいしたところにある自動販売機と長椅子の所には、明日菜と刹那と朝倉がいた。それを見たネギは涙をためながらアスナに突進して抱き着いた。

 

「う、うう。どうしましょう、明日菜さん。ユギが、ユギがすごい怒っているんです」

「私に言われても分かる訳ないでしょ、莫迦ネギ」

 

 すがりつくネギに明日菜はため息すらつきそうにして突き放そうとする。しかしネギはより一層強く明日菜の足にしがみついてしまい、明日菜からしてみればうっとうしいことこの上ない。

 

「兄として、兄としてあの目は辛いんです!! 僕はお兄ちゃんだからユギのお手本とならなきゃいけないのに!!!」

「ああ、もう! 分かった、分かった! だから足から手を放して元気出しなさい!」

 

 しがみ付くネギを力づくで引きはがし、明日菜は自分たちを呼び出した昨日の事件の主犯を睨む。

 

「アンタらもアンタらよ、カモ! それに朝倉! ネギ何も悪くないのに、ユギ先生から睨まれているじゃない!」

「あはははは……」

「いや、それに関しちゃ、俺っちも予想外だったんだ(忘れていたともいうけど)。ま、まあ、一寸姐さんに渡したいものがあるんだよ」

 

 そういってカモはネギが持つカードと全く同じものをみんなに見えるように差し出した。

 

「何これ?」

 

 興味を引かれたのか、今さっきの怒りをすっかり忘れたままカードを受けとり、裏返したりして観察している明日菜に、カモがたばこを吸いながら詳しい説明をし始める。

 

「それは仮契約カードの複製さ。これさえあれば念話だけではなく、姐さん一人でもアーティファクトを出せるようになるぜ」

「へえ」

「出し方はアデアット、しまい方はアベアットって言えば良い。そうすれば、姐さん専用のアーティファクトが姿を見せる。兄貴がいなくても武器が出せるんだ、戦力は一気に上がるって寸法さ」

「へぇ、普段役立たずのくせに珍しく役に立ったわね、アンタ」

「役立たずって、酷くねえっすか?」

 

 感心して何度かアーティファクトを出し入れする明日菜の様子に、周りにいた刹那もネギも朝倉もそれを興味深そうに見ていた。それで気がつく事が出来なかった。彼らを覗き見る瞳が会った事に。通路の曲がり角、そこにいた宮崎のどかがネギの様子を伺っていたことに、最後まで彼らは気づくことが出来なかった。

 

「何をしていたんだろう。えっとアデアットがどうたらって」

 

 廊下の角で淡い光が飛び散った。

 

 

 

 ホテルの裏口で、黒はネギを待っていた。黒は子供用のスーツという珍しいものを着ながら、裏口に体を預けるように寄りかかっている。大方生徒から逃げるために裏口を通るだろうとネギの行動を予測し、黒はこうして待っている。しかし、予想よりネギが来るのが遅く、すっかり待ちくたびれていた。それに、昨日の疲れに、帰ってきたら聞かされた馬鹿騒ぎの所為で朝機嫌が悪く、十分な睡眠をとったとは言い辛く、かなり黒は眠かった。

 うとうととまどろみ始め首が傾き始めたころ、ようやく黒の推測通り、ネギは裏口からホテルを出ようと黒が待っていた場所へ向かって来た。誰にも見つからないようにひっそりと裏口に向かっていたのに、そこに黒がいてネギはびくりと大きく体を震わせた。そして朝の事を思い出したのだろう、あたりを見回して逃げ道を探し出した。その様子に気がついた黒は、呆れとあくび交じりにネギへ話しかける。

 

「落ち着きなさい、みっともない。もう怒っていませんよ」

「えっ、本当に!?」

 

 こくりと黒がうなずくと、喜色満面で今にもスキップしそうにネギは今黒から逃げようとした事すら忘れて、近寄ってくる。

 

「少し、渡すものがありまして。はいこれです」

 

 黒の言葉にネギは首をかしげながらも、素直に手を差し出した。弟からもらえるものを断るということは、ネギの頭にはない。黒が懐から取り出したのは、丸底フラスコに入れられた緑色の薬品だ。僅かに漂う魔力から、ネギはそれがあるものだということを確信した。

 

「これは魔法薬?」

「ええ。いざという時使ってください。効果は私のお墨付きです。ただし、これは兄さんに合わせたものです。他人に使えばひどいことになりますから。何やらきな臭いことに巻き込まれているようですしね」

「あ、ありがとう! 僕頑張るね、ユギ」

「ええ、頑張ってください兄さん」

 

 弟からの励ましによって、勢い勇んで走っていくネギを裏口から見送りながら、ポツリと黒は漏らした。

 

「今あなたに死なれると、隠れ蓑がなくなって困るんで」

 

 ネギが見えなくなるまで、黒はずっとそこにいた。



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周りからの評価

一旦日常パートです。この後はもうしばらく黒の出番はない予定です。


 麻帆良学園の生徒が全員修学旅行の自由行動の為に出発してしまい、熱気あふれ騒がしかった先ほどと打って変わり物静かになったホテルで、黒は教職員が使っている部屋にある布団を敷き眠っていた。すうすうと穏やかな顔で寝息を立てて、黒は布団の中で体をネコのように丸めている。その金色の、腰まで伸びている髪が布団を色鮮やかな金色に染め上げている。昨日の疲れと今朝無理に起き続けた反動なのか、深く眠っており、目を覚ましそうにはない。

 仕事中ではあるが、今日は生徒たちが自由行動のため、教師が引率をする必要はない。それでも起きているのが当然ではあるが、黒は見た目は子供だ。周りの教師も連日の疲れで眠っていると思っており、こうして黒は惰眠を貪れていた。

 眠っている黒の近くには、同じようにホテル内で待機をしている先生方がいた。彼らも暇を持て余しているのか、それぞれ好きなことをし始めている。中には穏やかな顔で眠っている黒に、母性本能を刺激されたのか微笑ましそうな顔を浮かべた中年女性の教員がそのさらさらとした金糸の髪をなでた。そして膝から崩れ落ちた。

 

「髪の毛がさらっさら! 私よりも……」

 

 悲嘆にくれている教師に同じ女性の教員が近寄り、肩に手を置く。絶望に染まり切っていた教員は、目の前で悲しそうに顔を歪めている教員にすがりつく。

 

「男の子に、男の子に負けたのよ!!」

「あの子はきっと特別なのよ。見なさい、顔立ち何て西洋人形か何かみたいでしょう? 私たちじゃ、手に入らないのよ」

「若さって一度失うと二度と手に入らないのね」

 

 眠りにつく黒の周りは、いつのまにやら大勢の女性が暗い顔をして取り囲んでいた。

 

「……何をしているんだ、彼女たちは?」

「あ、新田先生。どうしてこちらに?」

「少しユギ先生に用がありまして。ああ、眠っているなら起きてからで良いです」

 

 

 

「何で私はホテルの布団の中じゃなく、京の都を散策しているのだろうか」

 

 少し前まで眠っていた黒は、何故かホテルではなく京都の町にいた。というのも昼ごろにようやく起きた黒を新田教諭が

 

「先生も京都の町を出掛けたらどうです? 日本固有の文化が根付く街です。かけがえのない経験になりますよ。生徒たちは私たちが見ますから」

 

 とすすめ、半ば無理やりにホテルから追い出したからだ。その際、周りの教師たちも率先してユギをホテルから追い出そうとしていた。というよりも、お小遣いとして一万円を持たされてしまっている。半ば寝ぼけていた黒は素直にホテルの外を出て、気がついたら京都の町を散策していた。

 

「この年になって観光地で騒ぐというのは、それはそれは恥ずかしいものだし。だからと言って帰っても新田先生にどこかへ行ってきなさいと言われそうだし、一体どうしようか」

 

 古い商店が並ぶ地元の商店街で、黒は思案していた。観光地ではないのでそれほど人は多くないが、やはり黒のような幼子がスーツを着ているという物珍しさに幼いながらもはっきりと分かるその美麗さに注目を集めてしまっている。見世物のような現状の中、背後から「ユギ坊主」という聞きなれた声が飛び、黒はそちらを振り返った。

 

「やっぱりユギ坊主アル」

「おや、クーフェイさん。ここらには特に見るものはありませんがどうしてここに。いえ、なるほど、そういえば貴方達は。なるほど二班はこの商店街で肉まんの材料探しと言ったところですか」

「そうアル。良く分かったアルネ」

 

 そこにいたのは、麻帆良学園3-Aの二班だった。四葉・春日・楓・葉加瀬・超・クーフェイの六名だ。春日は朝の黒の雰囲気をまだ覚えているのか、少しおろおろしていた。

 このうち、クーフェイに四葉、そして超は超包子と呼ばれる屋台を経営していることを知っている黒は、おそらく京野菜を使った肉まんの構想でもしているのかとあたりを付けたが、それはあたっていた。

 

――先生はどうしてここへ? 何か買いに来たのですか?

「いえ、特に何も考えずに歩いていたらここについてしまっていました」

「それなら、先生も一緒に来ますか? やはり私たちとしても、意見を出してくれる人は大勢いたほうが有りがたいというものです。科学的なアプローチも、データを多くとる事から始まりますから」

「ええ、私も暇ですから構いませんよ。まあ、新田先生にはいろいろ言われるかもしれませんが、生徒と一緒に食べ歩くというのも京の街を堪能したことになるでしょう。ああ、それとリクエストとして甘い肉まんを作ってください」

「「「「「「流石にそれは無理『アル』『でござる』『です』」」」」」」

「何でこんなに私の味覚は否定されるのでしょうか?」

 

 その後、商店を巡り、様々な京特産の食材などを見て回った黒達は、地元の人お勧めの甘味所で舌鼓を打っていた。もちろん、そのお金は黒の財布から出されることになるが。

 

「先生ごちそうさま」

「まあ、これでも給料はもらっていますからね。この程度ならば問題にはなりませんし、生徒から奢ってもらう方が恥というものでしょう」

 

 そういう黒達の前には、店お勧めの団子の皿が幾つも置かれている。机に置いてある皿のうち、十皿までは生徒達が食べた分だが、残りの四十皿程は、黒が一人で食べきった皿だ。店の従業員は、その小さい体のどこにあれだけの団子が入るのか分からず、目を丸くして黒を凝視している。

 

「さて、それで肉まんの構想は出来たとしてあとはどうするんですか?」

「ううん。どうするネ、皆。予定より早く構想が出来上がってしまったからネ。今から帰ったら早すぎるヨ」

 

 確かにまだ時計は三時をさして間もない。今日の自由行動時間は、ホテルに六時までにつけば良いことになっている。それほどの時間をホテルでただ待つというのは面白くない。

 

「しかしどうするでござる? 拙者たちは今日一日肉まんの案を作る事にしていたのでござるよ? 予定より早くなってしまったでござるが、いまから遊ぶ予定を作ろうにもそれでは遅すぎるでござる。それにあまり神社仏閣へ行ったとしても正直ありがたみなどはないでござる」

「そうアルネ。私が信ずるのはこの体だけネ。神や仏に祈って強くなれるわけではないネ。一体どうするアル?」

 

 悩む二班をよそに、黒はさらに団子を追加で注文していた。

 

 

 

 

 結局彼女たちはホテルに早く帰り葉加瀬が作って持ってきた、持ち運び用の簡易キッチンで肉まんを作ることにした。二班の部屋では肉まんからわずかに漂う香りが広がっている。

 黒とはさきほどの店で別れている。というより、まだ団子を食べているのでおいてきたというのが正しいが。

 

「それにしても、ユギ先生意外と優しかったね。今日の朝があんなだったから、あった瞬間思わず腰が引けちゃったけど」

「そうでござるな。拙者も少し予想外だったでござる」

「もしかしたら朝はただ単に機嫌が悪かったのかもしれませんね」

 

 わいわいがやがやと完成した試食品を口に運びながら、姦しく二班の人間は話に華を咲かせている。話題はさっきまで一緒にいた黒の話だ。

 

「というより、普段が怖すぎるアルネ! 答えを間違っても笑わずに丁寧に教えてくれるのは有りがたいけど、授業中話し声一つ許さないというのはやり過ぎネ!」

――まあ、先生は先生ですから。授業をしている方としては騒がしいのは許せないのでは?

「まあ、バカレンジャーにはきつくても、他の生徒は別に特に厳しく怒られている訳ではないからネ。私みたいな天才ならば、怒られるようなへまは踏まないから新田とは違ってやりすごしやすいネ」

「超は頭が良いから問題ないけど、私みたいなバカにはキツイアル。ネギ坊主みたいに授業中に眠れるのならまだ楽アル」

――そんなことばかりしているから怒られるんですよ

「うぐ! 五月の正論はきつすぎるネ」

 

 そうこうしているうちに、近くの部屋から大きな声が聞こえてきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!! 貴方方は何を仰っているんですか!?」

「この声、新田アルカ?」

「そうでござるな。公共の場でここまで声を荒げるなんてそうそうないでござるが。様子を少し伺ってみてくるでござる」

 

 そう告げて、楓はその場から姿を消した。再びその姿を見せたのは、教師に用意されている部屋の前だった。扉に耳を当てる必要もなく、中からは興奮した新田教諭の声が聞こえる。閉じている様な糸目を僅かに開いて楓は中の話を聞き取り始める。

 

「だからどういうことなんです!! 木乃香さんがご実家に今いるということ事態、可笑しいんですよ!! 今は修学旅行中です。ご実家に戻るのは夏休みなどでも十分にできます。それに、百歩譲って木乃香さんはまだしも、何故木乃香さんのご実家に生徒とネギ君が泊まるというんですか!?」

「何が起きているでござる? というより、木乃香殿は京の都に実家があるのでござるか」

「あっ!? くそ、切られた!! これも学園長がネギ君にやらせていることが原因なのか!!」

「ふむ。何やら色々込み合った事情があるようでござるな。一旦、報告に戻るでござるか。このままだと誰かに見つかってしまうでござるし」

 

 またもや姿を消した楓は、すぐに二班達の前に現れた。

 

「あ、どうだったの新田は?」

「かなり怒っているでござるな。今日はあまり新田を怒らせない方が良いでござる。昨日の比では無いほど機嫌が悪いでござるよ」

「ええ、マジで! うっわ、皆にも一応伝えておくか」

 

 まだホテルを照らす陽が明るい時のことだった。

 

 

 

 

 麻帆良学園の生徒達が修学旅行を楽しんでいる頃、エヴァンジェリンと近衛近右衛門は学園長室で囲碁を打っていた。学園長が黒石で、エヴァンジェリンが白石を打っているが、すでに碁盤は白が圧倒的な優勢になっている。

 

「ぬう。まいった。儂の負けじゃ」

「ふん。賭けは私の勝ちだ。私の言うとおりにしてもらうぞ」

「分かった、分かった。儂の負けじゃ」

「さて、それじゃあ貴様が知っているユギ・スプリングフィールドについて教えろ」

「ほ?」

 

 二人は賭け碁をしていた。暇というのもあるが、この二人ならではのコミュニケーションでもある。彼らは良く秘蔵の酒を賭けて碁を打つなど、日常的にこの賭けをしている。今回は珍しく近右衛門からではなくエヴァンジェリンから賭け碁を持ちかけられ、もめ事をよく引き起こす3ーAがいないので暇で仕方がなく、喜んで近右衛門は碁を打っていた。近右衛門はどうせ酒を要求されると思っていたからこそ、エヴァンジェリンの言葉に首をかしげた。

 

「なんじゃ、儂秘蔵の酒じゃなくても良いのか?」

「別にそれくらい幾らでも手に入る。それよりも、アイツの事を知りたい」

「構わんが、それは儂から巻き上げるという意味じゃなかろうな。教えるのはやぶさかではないが、その理由が分からんのじゃが?」

「簡単なことだ。あいつが分からないからだ。坊やは言ってしまえば簡単に理解できる」

 

 ぱちりと全ての碁石を片付けた碁盤上に、エヴァンジェリンが白石を置く。そしてその上の方、近右衛門の方に黒石を一つ置く。

 

「この白石が坊やだ。坊やは常にこの黒石、つまりはナギを目指している。だが」

 

 そう言い、エヴァンジェリンはもうひとつ白石を取り出すと、今度は碁盤にではなく机の上に置いた。

 

「これがユギ・スプリングフィールドだ。父親にあこがれているかは知らんが、少なくとも、父親を目指している訳ではないようだ。ではアイツの中には何がある? 坊やがあれだけ歪んでいるのだ。同じ環境下で生きてきたアイツも何かしら歪んでいるはずだ。しかしその歪みは私ですら分からない。だからこそその歪みを知るために、バックボーンを知ろうとしているにすぎん」

「それは、ユギ君に興味を示したということかの?」

「ああ、何せメガロメセンブリアの元老院であるクルトがバックについているのだ。興味を持たないはずがないだろう。お前もそう思っているからこそ、ひそかに調べているのだろうが」

「ばれておったか」

 

 近右衛門は自身の机まで行き、一番下の引き出しをあけ、中にある全ての書類を取り出して底を外す。底が外れた場所には、ひとつの書類が置かれている。表紙には、『ユギ・スプリングフィールドについて』と書かれている。

 

「これで良いか?」

「十分だ。さて、ユギ・スプリングフィールド。貴様はその腹に何を抱えている?」

 



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狗神の少年

あれ何か文字数が半端無い事に……


 京都市内に炫畏古社(かがびこのやしろ)という、大神神社と似たように山自体をご神体としている神社がある。入り口は大きな石造りの鳥居が聳え立ち、その奥には数えきれないほどの、一番最初の鳥居と比べれば小さな、鳥居が並んでいる。周りはまっすぐ高く育った木々が生えており、行き来するには不便だが昔からの山岳信仰が見て取れる神社だ。

 そんな神社の鳥居の前に、ネギと明日菜とカモがいた。

 ネギたちは修学旅行三日目の自由行動時間を利用し、親書を届けることにした。そのために隙を見て、ゲームセンターに夢中となっている明日菜の班からこっそりと抜け出して、関西呪術協会があるこの神山を訪れていた。

 入り口から見ると先は遠く、山林が作り出す影で道の半ばから見えない。その薄暗さが作り出す不気味さは、入ってはならぬと警告しているようであり、三人をただ圧倒していた。

 

「ここが、関西呪術協会の本山なんでしょうか?」

「ううん、伏見神社ってのに似ているみたいだな。教会とは全然違うから良く分からないが、その神社と同じ神を祀っているのか?」

「私に聞かれても分かる訳ないでしょう」

 

 彼らはまっすぐと鳥居に近づいていく。人気のない神社とはいえ大きな道なので、二人が道の端にでも行かない限り、十分な広さがある。

 

「とにかく、さきを進みましょう。明日菜さん、ここから先は、最後の妨害が出来る場所です。警戒してもしたりないということはないでしょう」

 

 ネギの堅い口調に、明日菜も自然と体に力が入る。辺りを見回し隠れられそうな場所を探し、明日菜が見つけた鳥居の影にさっと隠れ、ネギを手招きする。ネギはこくりと頷くと、すぐに明日菜の後ろに回った。

 

「分かったわ。役に立つか分かんないけど、一応ハリセン出しておくわ」

 

 明日菜がアーティファクトを取り出し、隠れた鳥居の影から奥を覗き込む。そこから見える範囲には敵影は見当たらず、十分な確認をしたら勢いよく飛び出していく。

 それを見ている人間に気がつかずに。

 山に生えている木々のうち、特に高い木の枝に、二人の人物がいた。一人は着物をはだけさせた女性であり、木乃香を攫った天ヶ崎千草だった。その近くにいるのは前を開いた学ランにニット帽をかぶった、つまらなそうな顔をしているネギと同じくらいの少年だ。二人は鳥居から一直線に飛び出してきたネギと明日菜を見ながら話を交わしていた。

 

「あいつ等、アホちゃうん?」

「……そうやな、阿呆やな。隠れるんだったら、最初から隠れろっちゅうねん。何で道のど真ん中を堂々歩いてきて、鳥居に隠れるんや。とっくに見つかっとるわ。最初から隠れろっていう話や。頭痛くなってきた」

「あんな奴らにやられたって、恥やな」

「うるさいわ。あんな奴らだけならそれこそ満身創痍でも勝てるっちゅうねん。問題はもう一人や。そっちは私がやるから、あんたはあいつ等を蹴散らしい」

「うえ。俺もあんな奴らよりそっちの方がええわ。姉ちゃんが認めるんなら歯ごたえがありそうやし」

「阿呆抜かせ。一応これでもあんたの戦力は信頼しているんや。やるべき事はきちんとやれ。何のために雇った思うんや。ほれ、何枚か式をやるから、あの姉ちゃんの様子も調べや。調査し終わったら好きにせい。あんた女はできるだけ殺さん主義やったろう。目瞑っておいてやるさかい、その代わりあの坊やはさっさと仕留めや」

「応!!」

 

 にぃと獰猛な野生動物、それも犬の様に裂けた口から牙を見せ、少年はその場から消えた。

 

「やれやれ。こっちはこっちで色々せんとな。それに、なんや知らんうちに支部長たちが私たちを応援しておるんや。負けるわけにはいかんなぁ。ハッ! 東の田舎の奴らに教えてやらんと。陰謀渦巻く都の中で研磨され続けた陰陽術は、ぬくぬくとした平穏を生きたお前ら(・・・)よりはるかに優れておるとな」

 

 後を追うように、千草もその場から離れて行く。千草は鳥居のある方角とは全く別の場所から、京都の中心地へ目指して翼を持った式に乗って飛んでいく。

 

 

 

 自分たちがすでに蜘蛛の巣にかかっていることに気付くことなく、ネギと明日菜は鳥居の間を走り続けている。体力に自信のある明日菜ですら、だんだんと息が切れてしまい、いったん鳥居の影に隠れて息を整える。ネギもすぐさま明日菜のように影に隠れて、あたりの様子を探る。さわさわと風に揺れる木の葉の音しかしない。走って熱がこもり始めた体には、その風が涼しい。

 

「な、何も出てこないわよネギ?」

「魔力も感じないです」

「行けるんじゃないの、これ」

 

 明日菜の言葉に数秒考え、ネギは決断を下した。

 

「一気に行っちゃいましょう」

「OK!!」

「行くぜ、二人とも!!」

 

 精神的な重圧からか、それとも自身の索敵能力を過信してかネギは軽率な判断をしてしまった。十年も生きていない少年が、裏の世界で戦い続け生きてきた陰陽師を相手取るには役不足と自覚しないで。

 五感で探そうにも注意深く痕跡を消せば、人間程度いくらでも隠蔽できる。それはゲリラ戦法が軍隊相手にも有効なことからも分かる事だ。姿かたちをかき消すということは専門的な知識と練習が必要だが可能である。裏の世界で生きているならば、それくらいは出来て当然だ。待ち伏せというのは古来からあるもっとも有効的な策の一つだ。

 さらに魔力を探ろうにも人間が持つ魔力はそもそも神域であるこの場所には豊富に存在し、微量ならば周りの魔力にまぎれて分からなくなってしまう。敵影も、魔力の痕跡もなかったから、敵がいないというわけではないということをネギは認識できていなかった。

 走っていく二人とカモが潜った鳥居の柱に梵字が浮かび上がったことに、だからこそ誰も気がつく事が出来ない。

 それからしばらく二人は走り続けた。しかしいくら走っても終わりが来ない。明日菜ばかりではなく、魔力で身体を強化しているネギもだんだんと疲れ始め、息が切れかかっている。

 

「な、長すぎでしょ! 一体どれだけ長い石段!? さすがに疲れたわ」

「た、確かに長すぎです。もう三十分は過ぎています」

 

 とうとう明日菜は地面に手をついた。彼女は息を荒げている。そこまでいかなくとも、ネギにも大分疲れが見え始め、膝が笑っている。

 

「……」

 

 カモだけはネギの肩に乗っていたので疲れてはいないが、眉を寄せたばこを吸っている。自身が走っていないからこそカモは、二人と違い客観的に事象を見つめる事が出来ていた。

 

「兄貴、ちょっと確かめたい事があるんだが」

「確かめたい事? 一体何、カモ君」

「いや、簡単なことなんだがこのまま兄貴は走ってくれれば大丈夫さ。姐さんはこの場所にいてくれ」

「? 僕はいいけど、明日菜さんは大丈夫ですか?」

「私はここで少し休んでいるわ。何かするのならアンタらでやってなさい」

「じゃあ、行ってきます」

 

 座り込んで休んでいる明日菜を置いて、ネギは先を進んでいく。幾ら進んでもやはり鳥居が途切れる気配はない。変わらない景色に、だんだんと肩に乗っかっているカモの顔が険しくなっていく。

 

「兄貴――」

「お前本当に駄目な奴やな」

「なっ!?」

 

 カモがネギに話しかけた瞬間、一人の少年が横の林から飛び出してネギに殴り掛かった。奇襲に反応しきれなかったネギは、横っ面をまともに殴られその小さな体を吹き飛ばされる。道の両端にあった石でできた手すりに激突して、ネギの体は止まった。

 この時ネギはようやく気付いた。自分たちがすでに罠にかかっていたということを。

 

「はぁ、本当こんな依頼受けるんやなかった。おい、西洋魔術師。こっちはさっさと終わらせたいんや。さっさと立てや。期待はしてへんけど」

「グッ」

 

 顔を歪め、唾を吐き捨てネギは立ち上がろうとする。しかし先ほどの奇襲が効いたのか、膝は笑い今にも崩れかけている。吐き捨てられた淡は血で真っ赤に泡立ち、石段を汚している。

 

「君、はさっきの」

「なんやまさか気づいてへんかったんか。そうや、あのゲーセンでお前を倒した俺や」

 

 先ほどネギたちがここに来るまでいたゲームセンターで、ネギは目の前にいる少年を見た。自身が生徒と一緒に遊んでいた時に、乱入してきて打ち負かされた相手だ。

 

「それにしても、本当に西洋魔術師は弱いんやな。術師やから元々期待はおらんかったけど、それでも酷すぎる。罠は見抜けない、戦いの覚悟はできておらへん。敵の罠に嵌まったゆうのに仲間とバラバラになる奴がおるかっつーねん。こんなんがあのアラルブラの、ナギ・スプリングフィールドの息子なんか。ハァ、最強やって言うからいつかは闘ってみたかった相手なんやけど、この分じゃ期待できへんな」

「っ!! 父さんを莫迦にするな!!」

「うるさいわ。それに参道に唾吐くなや」

 

 父を侮辱され、怒りに染まって真っ直ぐに殴り掛かってきたネギに、少年は簡単にカウンターを合わせる。顎に右の掌底を当てられ、ネギの頭骨はミシリと軋んだ。先ほどよりも力の込められた一撃は、ネギが普段から張っている簡易的な魔力障壁をやすやすと貫いた。

 

「脆いなぁ。本当、お前は期待外れやったわ。あの姉ちゃんには大怪我まではさせんけど、その代わりや、お前さんには悪いけど死んでもらうで? 恨むんなら、力のないお前を恨め」

 

 少年の足が上げられ、ネギの頭めがけて振り下ろされる。

 

 

 

 

 ネギと別れた場所で座り込んでいた明日菜は突如体を襲う悪寒に、とっさに飛び起きて辺りを警戒しだした。何処から来ても対処できるように素人考えながらもハリセンを竹刀のように構えている。構えはめちゃくちゃで滑稽ではあるが、それでも彼女はできるだけの事をしようとしている。

 

「へぇ、覚悟はできておるんか。向こうの西洋魔術師よりかはよっぽどマシやな」

 

 どこからか声が聞こえる。その声の発生源こそ分からなかったが、明日菜でもその声を発した者が敵だということは分かる。明日菜の体が強張る。息が荒くなっていく。汗がふつふつと出てきてくる。いつもの喧嘩とは違う重苦しい空気。知らず明日菜はつばを飲み込んだ。

 

「だれ!?」

「こっちや、姉ちゃん」

「アンタは」

 

 林の中から大きな蜘蛛の上に載った少年が姿を見せた。好戦的な笑みを浮かべているが、敵意は発していない。その事に疑問を抱きながらも構える明日菜の前に、少年は足場としている蜘蛛に命令して蜘蛛ごと跳躍して降りてきた。そこに居た少年は、ネギと戦っているはずの少年だった。

 少年の瞳には敵意よりもどちらかという賞賛の色が含まれている。

 

「そうや、ゲーセンで会ったな」

「あの時から私たちをつけていたのね!」

「違うなぁ。最初からここで罠張っとったん。それにのこのこかかったのはお前たちや。ああ、安心せい。俺は女に手を出すのは趣味やない」

「はぁ? だったらどうするって言うのよ」

「こうするだけや」

 

 少年の学ランの裾から取り出された幾つもの符が、パラパラと宙を舞う。舞い上がって頂点に達すると同時に、全ての符が音を立てて煙を吐き出し姿を変えていく。

 そこには人の身の丈を悠々と超える蜘蛛の群れがいた。額にはそれぞれ異なる梵字が描かれており、ぎょろりとした幾つもの複眼が明日菜を捉える。

 

「姉ちゃんはこいつらが相手してくれるから、心配すんな。俺が相手するよりかは怪我をせえへん」

「なめているの」

「なめられる程度の力しか持ってないなら、なめられるのは当たり前や」

 

 蜘蛛は人には理解できない金切声をあげて明日菜へと八つの脚をしゃかしゃかと動かし突進してきた。

 

「なめんじゃ、ないわよ!!」

 

 

 

「避けてください先生!!」

「おおう!? 何で一般人がこんな所に!?」

 

 あと少しで頭を踏みつぶされるという瞬間、ネギの耳に届いたのは昨日自分に告白してくれた一人の少女の声だった。その声に、朦朧としていた意識が反応し、体をひねって転がることで、ネギは少年の足元から抜け出し少年の足元から離れて行く。少年の足は何もない場所を踏み砕いた。石段は亀裂が奔り、靴跡に沿って凹んでいる。

 間一髪のところで助かったネギを見た少女は、ため息を漏らした。

 

「はぁ。なんでこんな面倒なことになるねん。俺何か悪いことしたか?」

 

 おどおどしている少女を一瞥した少年は額を抑えていた。ネギを見ることもせず、ただなぜかいるいてはならない少女の方を向いて、少女とは違ったため息をついている。

 

「なあ、表の看板みえへんかった? あそこ、入っちゃいけませんってことで『立ち入り禁止』って書いとったはずやけど」

「……書いてはいました。でも、ネギ先生が――」

 

 もうそこまで聞けば十分だった。少年には。

 

「良いこと教えといてやる、嬢ちゃん。『好奇心は猫も殺す』ちゅう言葉を」

「え?」

 

 長く鋭い爪が少女、宮崎のどかを襲う。のどかは恐怖でしゃがみ込み、両腕で顔を守った。そのために、少年の一撃は両腕を掠める程度で済んだが、それでも鋭い傷が五筋両腕に刻まれ、血が流れ出す。少年の爪はのどかの血で染められ、赤くなっていく。

 

「痛いっ!!」

「悪いな、でもな、わざわざ忠告しとったのにルール破ったのはお前や。まあ、因果応報。自分の浅慮を後悔しい。世の中には触れちゃならんもんもあるんやで」

 

 追撃。右腕を振り上げる。少年の爪についていたのどか自身の血が飛び散り、彼女の頬を汚す。生暖かさがどこか現実味がなく、命の危機だというのに手の甲で血をぬぐった。

 

「あ、ああ……!!」

 

 赤い液体を見て、ようやく現状を理解して生きようと後ずさるのどかに、少年はもう一度爪を振り下ろす。

 その振り下ろした爪目掛け、一本の魔法の矢が飛んできた。爪を途中で止め、少年は迫ってくる魔法の矢をそのまま切り裂いた。

 

「おっと、何のつもりや」

「のどかさんから……離れろ!! ラス・テルマ・スキルマギステル 魔法の射手・連弾雷の矢――」

「遅いわ。ま、顔つきはマシになったみたいやけど」

 

 呪文詠唱の途中で、既に少年はネギを間合いにとらえていた。そこに武術の極意などはない。ただ速い。それだけでネギにとって唯一あったアドバンテージである距離を潰されてしまう。詠唱の速度を速めようとしたネギの腹部に、深々と少年の左拳が突き刺さる。鳩尾を打たれたことでネギの息が一瞬止まり、肺の中にある空気全てが吐き出されてしまう。くの字に体が曲がり、ネギは腹を抑え込む。

 

「あ、あがぁ!!」

 

 失った空気を求め顎が上がった瞬間を、少年は狙い撃つ。全体重を込めた少年が出せる最大威力の一撃に、ネギの障壁は簡単にぶち抜かれてしまう。顔面の中央を的確にぶち抜いたストレートは、確かな感触を右手から少年に伝えた。

 少年の拳の威力に、ネギの体は木の葉のように吹き飛ばされる。吹き飛んだネギはうつ伏せになったまま動かない。

 

「ネギ先生!!」

「ううん。やっぱダメか。立ち上がった時は何とかいけるかもしれへん思うたけど、やっぱりこの程度か」

「ま、て。のどかさんに手を、出すな!」

「おお、なんや気合はあるようやな」

「何でのどかさんを傷つけようとするんだ」

 

 力なく開いていた指先が砂利をひっかく。手を握りしめネギは震えていた。

 

「そんなん簡単なことや。確かに俺は女と闘うのは趣味やない。けどな、闘いと処分(・・)は別物や」

「処分、だと?」

「そうや。なんや、お前一度もしたことないんか? こんな家業に浸かっていると、一年もすれば死体の山を築く事くらい当然になるもんやで? お前と一緒にいたあの姉ちゃんは闘える。つまりは甘ちゃんやけど裏の人間や。やったら殺す殺さないにせよ、俺らの事を表に話すわけはないやろ。だったら無理に殺す必要はない。俺は女と闘うのも、殺すのも好きやない。けどな、こいつはちゃう。戦う事もできん、さりとてこの場で有った事をだまってろと言っても端から聞く気はなさそうや。なら、俺たちのような存在が表に出ないようにするには処分する必要があるやろ」

「そうか、君は」

 

 震える膝を拳で押さえつけてネギは立ち上がる。もう闘える体ではないことは、のどかにすら分かる。目の横を決して少なくない量の血が流れている。目は霞んでおり、光が弱弱しい。

 

「だ、駄目、ネギ先生!!」

「のどかさんは黙ってください!」

「――!!」

「僕は先生です。ですが一人の英国紳士として、僕を好いてくれた人を見殺しになんてできません!!」

「はっ! なんや、お前たちできとったんか。だとしてもどうするんや? お前に何ができるんや? お前の彼女守れる言うんか」

「それは」

 

 歯噛みしたネギは、力なく漏らす。守りたくともネギの力では守れない。その事実が分かるからこそ、何も言えなくなってしまい、ネギは顔を俯かせてしまう。握りしめた拳が震える。そんな時だ。助けが入ったのは。

 

「兄貴!! のどかの嬢ちゃんを抱えて逃げろ!!」

 

 ネギの背中から250㎖ほどのペットボトルが一本少年目掛けて投げつけられた。カモの為にネギが用意した水が入ったペットボトルだ。中にはなみなみと水が入っている。それをカモが引っ張り出して、投げた。

 少年は慌てることなく、しかし警戒をしたままそのペットボトルを叩き落とそうと手を振り上げた。その瞬間を狙い、カモは自身が使える魔法を使う。

 

「オコジョミスト」

 

 少年にはたかれる前にペットボトルが破裂して、中の水分がすべて濃い霧となって辺りに漂いだす。

 

「しもうた! 目くらましか!!」

 

 霧を晴らそうと暴れまわる少年を置いて、ネギは震える体を叱咤してのどかを抱えその場から離脱した。

 逃げたネギたちがたどりついたのは、少年がいた場所から少し離れた湧水の出ている場所の近くで、そこでネギは横たわらされていた。のどかは傷だらけのネギを甲斐甲斐しく介護している。

 

「ネギ先生、大丈夫ですか」

「ええ、のどかさんのおかげでだいぶ楽になりました」

「ありがとよ、のどか嬢ちゃん」

「いえ、そんな」

 

 ネギの体は、幾つもの布きれがまかれている。本好きののどかは以前本で見たことのある応急手当を、うろ覚えではあるがネギにしていた。幸い水は近くにあり、ハンカチやソックスを引き裂けば、包帯として十分使える。

 

「ところでよ、のどかの嬢ちゃん。何でこんな所にいるんだ?」

「その、昨日の景品でもらったカードが本になって」

「アーティファクトか!! 嬢ちゃん、ちょっとその本見せてくれ!」

「は、はい。構いませんよ。あの、ところで気になっていたんですがあなたは? それに今までの事は?」

「あ、すまねぇ。忘れていた。俺っちは兄貴の使い魔でカモっつうんだ。よろしく。もう一つの疑問に関しては後で詳しく説明するから待っていてくれ」

「はい、分かりました。それと私の方こそよろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げるのどかに、たばこを吸いながら親指を立てているオコジョと、かなりシュールな光景が広がっている。

 本当ならばもっときちんとした挨拶をかわしたいところだが、今はその余裕もない。カモはのどかがおずおずと手渡した本を、一度落としそうになりながらも受け取った。

 

「うお、結構でかいな嬢ちゃんのアーティファクトは。どれどれ、効果はっと。おお!! すげえ! これは名前が分かる相手の心を見れるのか!! あ、でも今は使えねえか。あいつの名前が分からねぇし」

 

 のどかのアーティファクトの強力さに興奮していたカモではあったが、その強大さの引換である代償にすぐにその興奮は消えてしまう。

 

「ご、ごめんなさい」

「あ、いや嬢ちゃんの所為じゃないんだ。別に責めている訳じゃないから安心してくれ。だが、どうする兄貴。このままじゃあ、あいつに見つかっても何もできないぜ。あいつはプロだ。幾らネギの兄貴でも、実戦経験の差は埋められないぜ」

「うん」

「少なくとも増援は期待できねぇし、姐さんがどうなったかも分からねぇ。現状は最悪の一言に尽きる。ここで取れる方針は二つだけ。一つは、あいつを倒してここから脱出する方法。もう一つはあいつを倒さずここから出る方法を探ること。この二つだ。どうする兄貴。俺っちは腹をくくったぜ。兄貴がしたい方を選んでくれ!!」

「あの、先生。私はまだ状況が良く分かりませんが、それでも先生がしたい事をしてください。私は先生の助けになりたいんです」

「カモ君、のどかさん。ありがとう。……これは僕の我が儘です。でもそれでも、勝算も何もないけど僕は彼を倒したい!」

 

 

 

 ネギは先ほどの鳥居がある道のど真ん中に陣取っていた。どこから奇襲が来ても対応できるように辺りを警戒している。杖を持つ手はじっとりとした汗で湿っている。のどかはカモを肩に乗せて道の端にいる。両手を胸の前で合わせ、祈っていた。

 少年はそう時間もかからずに来た。ネギを探し回っていたらしく、かなりの速度で鳥居をくぐりながら近づいてくる。先ほどの目くらましでとさかに来たのだろう。顔は真っ赤になり、体中を激流のように気が廻っている。

 

「ようやっと見つけたで!!」

「……」

「何や、言葉もしゃべれんようになったんか。まあええ。いくで!!」

 

 少年がネギに飛びかかった。かなりの距離があったというのに、少年は一秒もせずにその距離を潰した。手を出せば当たる接近戦(インファイト)の間合い。それでもネギの攻撃は当たらず、少年の攻撃が一方的にネギを打つ。

 

「くっ!!」

「トロいで!!」

 

 ネギの周りを旋回しながら、少年はネギをタコ殴りにする。確かにネギと比べてしまえば、少年は戦い慣れており強い。しかしそれだけならば、どうにでもなる。遠距離から魔法で攻撃するも良し、手当たり次第殴り掛かって無理やりにでも泥仕合にするも良し。ネギの魔力ならばそれでも勝てる可能性は高い。幾ら強くとも、人がダムに勝てる道理などない。しかしそれが出来ないのはひとえに少年の速度(・・)にあった。

 遠距離から魔法を使おうにも、詠唱を許さない圧倒的速度。そしてその速度は攻撃能力と回避能力に直結している。少年はネギが反応する前に数発打ってくる。それでいて反撃に拳を出しても、すでに少年は位置をずらしており、ネギの攻撃が当たらない。そしてまた数発カウンターの雨を入れられてしまう。

 ネギが反応できる限界をはるかに上回る少年の速度に、ただネギは圧倒されるしかない。威力は少なくとも、このままラッシュを喰らい続ければ、ネギは負ける。

 段々と手を出す事すらできなくなっていき、反撃する事も出来ずネギは磔にされていく。亀のように身を守るしかネギには許されず、次第に追い込まれていくしかない。

 

「頑張って、頑張ってネギ先生!!」

「兄貴、勝ってくれ!!」

「何や応援団でもできたんか。せやけど、いくら応援されてもお前は弱いまんまやな」

 

 ガードの隙間を縫うように少年の拳がネギに突き刺さっていく。顔面を守れば腹部を。腹部を守ろうとしたら顔面を。ときにはフェイントをいれて少年はネギを追いこんでいく。

 左のアッパーがネギの顎をかち上げ、ガードが緩む。

 

「もろた!!」

 

 緩んだネギのガード。開いたがら空きの顔面目掛けて少年は全力の一撃を放つ。唸りを上げて右手はネギの顔面へ迫る。踏みこんだ足から伝わる力は、少年の拳の威力を飛躍的に高める。連打で倒すものから、一撃で倒せるものへと。

 しかしそれは間違いだった。

 

「ようや、く止まった!」

「何!?」

「契約執行1秒間ネギ・スプリングフィールド」

 

 とどめを刺すために大降りになった少年の拳に合わせ、ネギは莫大な魔力を身体強化一本に絞った状態で、少年の拳をぎりぎりで掻い潜り、殴り返した。ようやくネギの一撃が少年にあたった。

 もし少年が今までのように足を止めずに闘っていたらネギは負けただろう。しかし少年は勝ちを目前に自分の持ち味を殺してしまった。その為にそこを狙われてしまった。

 

「ガッ!!?」

 

 最初のネギをなぞるように、少年もまた吹き飛んでいく。しかし先ほどのネギと違うのは、ネギには遠距離でも攻撃できる魔法があるということだ。

 

「ラス・テルマ・スキルマギステル 闇を切り裂く一条の光我が手に宿りて敵を喰らえ 白き雷!!」

 

 ネギの手から放たれた白き雷は宙を飛ぶ少年にあたり、そのまま広場の一角まで吹き飛ばす。

 

「どうだ、これが西洋魔術師の力だ」

 

 

 

 

 ネギが戦っている頃、明日菜の方でもまた戦いが繰り広げられていた。

 

「おー、おー。がんばるねぇ、姉ちゃん。さっさと諦めたらどうや? まあ、殺しはせんよ」

「冗談じゃないわよ!」

 

 すでに明日菜はボロボロだった。武器であるハリセンこそあるものの、魔力が無く生身で戦い続けて疲弊しきっている。最初は順調だった。式に対して絶対的ともいえる力を持つハリセンのお蔭で、蜘蛛を一撃で倒していった。しかし五体も倒した頃になると、蜘蛛の方も明日菜のハリセンを警戒して当たらなくなっていった。ハリセンを振り上げれば狙われた蜘蛛は離れ、背後などの死角から別の蜘蛛が襲いかかったり、離れたからと油断していたら糸を吐いてきたりなど、蜘蛛の式神たちの動きとコンビネーションに明日菜は翻弄されていた。

 

「あと三体なのに!! 当たれば一撃で勝てるのに!」

「無理や、無理。反応こそ良いけど、姉ちゃん経験なさすぎや。気の一つもまともにできんようじゃ、死ぬで?」

「うっさい! そんなに言うなら気の使い方っていうのを教えなさいよ!!」

「はぁ!? 姉ちゃんアホか! なんで敵対している奴に教えなあかんねん!」

 

 ギャーギャーわめく二人であるが、その実少年の方は驚きを隠せなかった。

 

「それにしても、素人同然だった姉ちゃんがまさかこんな短時間で半人前程度にはなるとはな。思いもせえへんかったわ」

「何か言った!?」

「なーんも」

 

 振るわれるハリセンは、一振りごとに速く鋭くなっている。さらには死角からの攻撃すらも反応し、受け流すことをし始めているアスナに、少年は体が震えるのを抑える事が出来なかった。

 

(これ程度の相手でここまで強うなるんや。もっと強い相手と闘ったらこの姉ちゃんどこまで行くんや? これで男やったら……!)

 

 少年が考え事をしている間に、明日菜の戦いは終わりかけていた。ハリセンに気を取られていた蜘蛛の脚を思いっきり力いっぱいけたぐり、よろめかせたところをハリセンで殴り、一体を還した。残り二体は、一体を還されて慌てている所を、全力で駆け抜けてその手で持つハリセンで殴った。

 

「でりゃあ!!」

「おう!!? まさか、低級とはいえ式八体を倒せるとは思わんかったで!」

「ハァ、ハァ、どんなもんよ」

「いや、正直すごいと思うで、姉ちゃん」

「あとはアンタだけね」

 

 明日菜がハリセンを少年に突き付ける。それに対して少年は動きはしない。ニット帽を左手で押さえながら、

 

「いや、その必要はないで。今の俺は影分身。言ってしまえばニセモノや。闘う力はあるんやが、姉ちゃん相手にそれは侮辱になりそうや。残念ながらここらで逃げさせてもらうで」

「あ、アンタさっき言っていた事と違うじゃない! じゃあ、騙したの!?」

「騙される方が悪いんやで。ほな、さいなら」

 

 少年は明日菜から背を向けると目にも止まらぬ速さで走って逃げていく。

 

「あ、ちょ、まちなさ、ああもう!」

 

 追いかけようとした明日菜だが、すぐに視界から少年が消えてしまい結局追いかけることはできなかった。だがみすみす逃げられたのが悔しいのか、明日菜は少年が消えて行った方へ走る事にした。

 

 

 

 

「ガッ、クソ!!」

 

 白い雷によって撃ちぬかれた少年の体は、帯電して動けない。無様に地面に倒れ、這いつくばる事すらもできずにいる。痙攣した体は陸地に上げられた魚のように跳ね続けている。

 

「す、すごいネギ先生♡」

「よっしゃあ! さすが兄貴だ!」

 

 しかしネギも体中を駆け巡った凄まじい魔力の影響で、荒い息をついている。体中を大粒の汗が噴き出ては、湯気になって蒸発していく。

 

「やる、なぁ。さっきまでの全て撤回するわ。認めてやる。俺が、犬上小太郎がその強さを認めてやる」

 

 倒れ伏していた少年がうめきながらネギに話しかけてきた。いまだ体中を流れる電流によって、時折痙攣して体を跳ねている。いまも電撃に苦しんでいるのか油汗をかき、歯を食いしばってる。それでも少年は言葉を止めなかった。

 

「なあ、ネギ(・・)スプリングフィールド(・・・・・・・・・・)

「?」

 

 少年の様子が可笑しい。苦しそうな顔の中に、笑みが浮かぶ。

 

「だけどな、この程度で負ける訳にいかないんや。切り札切らせてもらうで」

 

 少年の体が歪む。骨格が軋み変貌し、それに合わせて皮膚も伸びていく。体毛は白く長くなり、犬歯が鋭くとがって狼のような姿に変わっていく。姿が変わっていくに従い、服は破け少年から感じ取れる気が上昇していく。

 

「ぉおおおぉおおおぉぉぉおおお!!」

 

 遠吠えを上げ、小太郎は立ち上がった。いまだ彼の体は帯電している。ダメージは毒のように溜っていく。それでも関係ないと、小太郎は立った。

 

「最後の勝負や、ネギ!」

 

 そう吠えた小太郎の姿が掻き消えた。今までの速度の比では無い。すでにネギには小太郎がどこにいるかなど分からなかった。

 

「右の方から蹴りですネギ先生!!」

「っ!!?」

 

 のどかの叫び声にネギはとっさに杖を持ち上げて、言われた通り右の方から襲いかかってきた小太郎のかかと落としを防いだ。

 

「何やと!?」

「ぐぅ!」

 

 杖はぶるぶると震え、ネギの方へと押し込まれていくが、ネギもまた体に魔力を流し込み何とか小太郎を弾き飛ばす。

 

「お前俺の思考が分かるんか!」

「ね、ネギ先生!」

「やべぇ兄貴!!」

 

 思考が読み取られていることに気がついた小太郎は、標的をネギからのどかに切り替えた。

 怒筋を浮かべている小太郎は、のどかのいる場所目掛けて走る。ネギもそれを防ぐために走るが、小太郎の方が速い。

 

「死ね!」

「届いて!」

 

 小太郎の爪が、のどかの胸に近づいていく。ネギの手が小太郎の手首をつかもうと伸びる。小太郎の爪がのどかの服を貫いた。ネギの手はまだ小太郎の手を掴めていない。

 

「もろうた!!」

「何やってんのよアンタ!」

「ほぺぇ!?」

 

 ネギの顔が絶望で染まった瞬間、小太郎が横から白いハリセンに殴り飛ばされて吹き飛んでいった。ネギの手は空を掴み、凄まじい勢いで飛んでいった小太郎を呆然と見ている。

 小太郎は吹き飛ばされた先で、うつ伏せになったまま動かない。その小太郎を吹き飛ばした張本人は、地面をがりがりと削りながら、無理やり立ち止まり、力強くのどかの肩を掴みその顔を覗き込む。

 

「本屋ちゃん大丈夫!? 何かされてない?」

「え、はい」

 

 小太郎の貫手で空いてしまった穴をのどかは顔を赤くして手で隠しながら、目の前に突然現れた明日菜に目を丸くしていた。

 

「明日菜さん!」

「あ、ネギいたの。気がつかなかったわ」

「明日菜さん……。ってそんな場合じゃないです!」

「大丈夫、今何をするかくらい分かってるわ」

 

 千鳥足で小太郎は立ち上がった。頬は赤く染まっており、ハリセンで殴られた跡がくっきりと残っている。

 

「な、なめた真似してくれるやないか」

「はん! さっきの仕返しよ! それにこの餓鬼、本屋ちゃんに乱暴するなんて!」

「っち! ネギ! この勝負預けるで! それに姉ちゃん、俺は別に乱暴するつもりなんてなかったわ! 殺すつもりやったけど」

「え? 勝負を預けるって」

 

 小太郎は懐から一枚の式を取り出して投げた。現れたのは、猛禽類の口ばしを持つ翼人だった。翼人は何も言わず、しゃがみ込んだ。

 

「待て!」

「待たん」

 

 その式の背中に飛び乗り、小太郎は空から逃げる。その際に、ネギたちが迷い続けていた原因の結界をほどきながら。その結界は特殊な空間に作用するもので、半径五百メートルを球体上に通常空間から隔離し、異界と化す術の一つだ。これにより、ネギたちは同じ場所をぐるぐると回らされていた。それが今解除された。

 はるか上空、ネギたちから見えないところで小太郎の変化は解けた。力なく肢体は弛緩し、先ほどまであった覇気も感じられない。左腕を額に置き、青空を見ながらぽつりと小太郎は呟く。

 

「ああ、畜生。効いたなぁ、最後の雷。無理して変身したけど、もう動けへん。負けやな」 




ちなみにちび刹那はいません。それには理由があります。次回で明かしますが。


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覚醒

 桜咲刹那は近衛木乃香の手を引きながら走る。木乃香と走っているために気こそ使っていないが、その速度は女子中学生としてはかなりのものだ。班の班員は、追いかけるのに精いっぱいで、先ほどから時折刹那の手が不審な動きをしていることに気がついていない。

 今も彼女の腕は心臓、首、頭部、腰椎などの重要な場所を庇うように動く。誰にも見えないように隠した手には、幾つもの鋲が握られている。敵から遠距離攻撃を仕掛けられており、それから避けるために刹那は走っていた。もしこれが刹那一人狙われているならば班員をその場に置いてきぼりにし、攻撃している相手を探し、攻撃する。しかし今はそれが出来ない。

 息が少し上がりながら、刹那は右手に感じる体温を力強く握りしめる。自分と違い疲れ始めている木乃香に胸が痛む。しかし今は逃げなければならない。護衛であり、彼女の命を守る必要がある刹那は、後手に回り続けてしまうように誘導されていた。事態を好転させようにも、策はない。攻撃から逃れるためには、走って狙いを絞らせないようにすることしかできずにいた。

 とにかく動き回っているうちに、だんだんと人が多くなってきている。人影にまぎれても的確に狙いを付けた攻撃は来るが、一般人を傷つけないためにその回数自体は減っており、敵も迂闊に動けない。

 

「ちょ、せっちゃん! どこ行くん? 速すぎんよぉ~」

「も、申し訳ありませんこのかお嬢様」

 

 そうこうしているうちに、刹那とこのか、それに他の班員である綾瀬夕映に早乙女ハルナは観光施設であるシネマ村へたどり着いた。大勢の人がいて、さらにこのシネマ村ではレンタルで衣装を借りられる。その事を知っていた刹那は、躊躇することはなかった。

 

「すみません。ハルナさんに夕映さん。私たちは二人で回らせてもらいます」

「え? いや、私は別に」

「よ、ようや、く追いつけ、ました」

 

 二人の返答など元々聞く気はなかった刹那は、そのまま木乃香を抱きかかえ、気を使いシネマ村の中へ飛び込んだ。人間の限界を簡単に越えて、白い塀を飛び越えた刹那は、真っ先に衣装を借りられる場所へ急ぐ。シネマ村ではほとんどの人がせっかくだからと衣装を借りており、まるで江戸時代になったかのような状態だ。そんな中を、麻帆良学園の制服と、現代風なコーディネートで身をかためている木乃香では目立ってしまう。それではわざわざ逃げ込んだ意味が無い。

 

「ではこちらでお着替えください」

「うん、せっちゃんもなにか着替えたら?」

「は、はい」

 

 木乃香よりも早く着替え終わった刹那は、刀の柄に手をかけ辺りを見回している。

 

「ネギ先生にちび刹那を張りつかせなかったのは失敗だったか」

 

 刹那には、自身の分身に近い身代わりを作る符がある。しかしそれを使うだけの気を惜しんで、今回刹那は使っていなかった。ちび刹那を使うだけの気も、木乃香を守るために利用したかったからだ。

 今の所、刹那が見る限り敵が仕掛けてくることはない。乱れていた息はすでに落ち着き、精神的にも余裕が出来た。いきなり襲われたことで混乱していたが、いざ落ち着けば逆に腹をくくれ思考も明確になっていく。

 関西呪術協会へ逃げ込む事を行動指針に置き直し行動する。それが木乃香の身を守るために最適な事だ。あまり近寄りたくはなかったが、仕方がない。

 

「せっちゃん♡ どう? 見てくれへん?」

「お嬢様?」

 

 振り返った先には、木乃香がいた。ドラマに出てくるような姫君の衣装に身を包んでいる。着飾るというよりも余計な装飾を省くことで若々しい生命力にあふれた可憐さが際立って見える。思わず刹那は顔を赤くしてしまう。同性であるはずの刹那ですら見とれてしまう程、木乃香は美しい。しばし呆けていた刹那は思わずと言った風に賞賛の言葉を漏らす。

 

「お綺麗ですよ、木乃香お嬢様」

「せっちゃんの衣装も勇ましくてかっこええで」

 

 満面の笑みを浮かべた木乃香は、刹那の姿を見てそう言った。

 刹那が着ているのは新選組をモチーフにしてある衣装だった。服の上に胴当てをつけその上に陣羽織を羽織っている。確かに刹那の凛々しい顔立ちと相まって勇ましく見える。しかし本人としては納得がいかないらしく、先ほどから打刀と違う大太刀を腰に差しているのを何度かいじくっている。地面すれすれまで切先が落ちているのだから、だらしなく見えてしまうのは仕方がない。

 

「せっちゃん、こっち行こう、こっち」

「あ、お嬢様! どこへ行かれるのですか!?」

 

 刀をどうにかできないかと試行錯誤している刹那の手を握り、今度は木乃香が刹那を引っ張っていく。慌てて追いかける刹那ではあるが、それもすぐに終わった。様々な商品が並んでいる場所で木乃香は止まった。

 

「ここは、お土産を売っているお店ですか?」

 

 なにかこのお店に用があるのだろうか。しかし今危険な状態であるため、木乃香には我慢してもらわなければならない。そう思い、木乃香へその旨を伝えようとしたが、

 

「せっちゃんせっちゃん」

「お嬢様?」

「ふぉれ」

 

 口いっぱいに饅頭を頬張った莫迦らしい顔に、刹那は吹き出してしまう。それが失礼であるということは分かっているのだが、それでも笑いは止められず噴き出し続けている。

 

「ぐっ、も、申し訳……くっ!」

「やっと笑ってくれたせっちゃん♡」

「え?」

 

 饅頭の食べかすを頬に付けたまま、木乃香は満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔を一体いつぶりに見ただろうか。刹那は覚えていなかった。影に日向に刹那はいつも木乃香を護衛していた。笑っている顔は何度も見ていたが、今のように屈託のない笑顔を浮かべていたのは刹那と木乃香が仲の良かった、刹那が距離を取る前しかしなかった。

 その笑みを向けられ、刹那は何も言えない。本当に楽しそうな木乃香を、久方ぶりに見た気がする。

 

「お嬢様……」

「あ、ほらせっちゃんあそこ面白そうやよ」

「ああ、お待ちください!!」

 

 それからも刹那は振り回され続けた。こんな風に遊んでいる場合ではないと分かりながら、刹那は止められなかった。楽しくて仕方がない。命を狙われているというのに、こうして遊んでいることが純粋にうれしかった。気は緩み、刹那の眉間のしわは解ける。

 そんな様子を影から見ている者たちがいた。刹那たちを追ってシネマ村に入ったハルナと夕映に、その後合流した雪広あやか、朝倉和美、長谷川千雨、那波千鶴、村上夏美が路地裏から二人を覗き込んでいる。年頃の彼女たちは、二人の様子に禁断の愛という妄想を想起し、勝手に興奮していた。

 

「怪しいね~♡ できているみたいだ」

「いやいや、幾らなんでも」

「分かんないよ。木乃香はともかく刹那はあまり人と関わるタイプじゃないし」

「あ、なんか来た」

 

 蹄の音が響く。凄まじい速さで、馬車が二人の前まで走ってくる。客車の部分には、中世の貴婦人じみた格好の女性がいた。

 

「お、お前は!!?」

「どうも、神鳴流です。じゃなかったです、今は。そこの東にある洋館の主でございます。そこな剣士、今日こそ借金のかたにお姫様を貰い受けに来ましたえ」

 

 客車から降りた女性は恰好こそ違えど、初日に木乃香を攫おうとした一味の女剣士であった。顔を扇で隠し、刹那にだけ見えるように口元を上げてみせる。

 

「な、何を言っている? それにこんな場所でするというのか?」

「せっちゃん、これお芝居みたいやで? せっかくやから参加しよ」

 

 劇と見せかけて木乃香を攫う。敵の目論見が分かった刹那は叫んでいた。

 

「そうはさせん! お嬢様は私が守る!」

 

 刹那本人はそれ以上の意味を持たせてはいなかった。自分にとって最も大切な親友を助ける。その気持ちが素直に表れただけだった。しかしその言葉は今の刹那の恰好では違う意味にも取れてしまう。周りの人間はざわめきと共に拍手をして、男に見えなくもない刹那を応援している。

 

「良く言った!」

「頑張ってお姫様を守って~!」

 

 周りからの声援に気を取られている刹那に、女剣士はドレスグローブを外すと刹那の胸目掛けて投げた。それほど勢いもないそのグローブは刹那の手によって掴み取られる。

 

「ではこの月詠、木乃香お嬢様をかけて決闘を申し込ませていただきます。三十分後、シネマ村入口の日本橋にてお待ちしております」

 

 告げられたその内容に周りが沸き立つ中、月詠は刹那と木乃香にだけ殺気を送った。木乃香を殺すわけにはいかないが、それでも彼女の(さが)がそうしてしまう。

 怯える木乃香を刹那は庇うため、月詠との間に割り込みその殺気を散す。

 

「いいだろう。三十分後だな?」

「ほな、また。刹那先輩」

 

 にんまりとした笑みは、可憐である彼女にあっているのだが、とかく不気味過ぎた。笑みを向けられた刹那は、月詠が余計にわからなくなってしまう。なぜ自分を狙うのか。そして彼女の瞳にあった希望(・・)が分からなかった。殺し合いをするのになぜ希望の光などを目に灯らすのか。

 逃げるべきではあるのだろうが、もし逃げた場合月詠が何をしでかすか分からず、刹那は退却をふさがれた。

 これから起きる事に覚悟を決めた刹那は、とてつもない速度で自分たちへ駆け込んでくる人影に気がついた。気がついた時には既に反応できるような距離ではなく、その人物たちに囲まれてしまう。そこにいたのは、先ほどから木乃香と刹那を伺っていた3-Aの生徒達だった。

 特に千鶴、朝倉、ハルナなどは、興奮しすぎて刹那が反応を返せないほどの勢いである。囲んで姦しく騒ぐ彼女らの、勢いやパワーに押されっぱなしの刹那では、抑え込むことなど出来るはずもなく、刹那と木乃香の恋を応援するとまで言われてしまう。

 

「な、何の話ですか!!」

 

 刹那からしてみればたまったものではない。自分が木乃香を守るのは、あくまでも大切な友人であり失いたくないからで、間違っても恋愛感情からではない。しかも刹那からしてみれば彼女たちは邪魔でしかない。裏の世界を生きるものにとって、表に世界を生きる人間は守るべき弱者であり、間違っても応援される(・・・・・)ような関係ではない。それだけの力関係がある。

 それでも手伝うというのならば、せいぜいが肉の盾となって木乃香を守らせることしか刹那は思いつかない。そしていくら疎遠であってもクラスメイトに、いやそもそも表の人間にそんな事を言う程刹那は冷酷無情ではない。

 やる気満々の彼女たちには申し訳がないが、どこかへ行ってほしい。それが刹那の偽らざる思いだった。それでも自分たちから離れる気配を見せないクラスメイトに内心でため息をつきながら、刹那は日本橋へと向かっていく。

 

 

 

 日本橋の橋の中央、刹那が来るまで川を見ていたため、欄干の近くに月詠はいた。相変わらず薄気味悪い、人形じみた笑みが顔面に張り付いている。可愛らしいその顔立ちは逆光によって影が作り出され、不気味さを際立てさせていた。

 

「ああ、来てくれはったんですね。楽しいひと時になりそうです。ほな、始めましょう? 先輩。それと助っ人の皆さん」

 

 刹那は何も語らずに一歩踏み出した。

 前へ進んでいく刹那へ何か語ろうとした木乃香であったが、刹那がそれを押しとどめる。

 

「大丈夫です。木乃香お嬢様」

「せっちゃん……! うん!!」

 

 不安だらけだった木乃香の顔に、笑みが取り戻された。

 

「ツクヨミ……だったな」

「それくらい私も心得てます~~~。私のかわいいペットに相手してもらいましょう『百鬼夜行』」

 

 現れたのはデフォルメされた、馬鹿馬鹿しい姿の妖怪たちを象った式神だった。

 しかし馬鹿馬鹿しい姿であっても、マスコットにすら見えるその姿は可愛らしいものがある。まだ中学生であり、女の子である3-Aの生徒達が心奪われるのも仕方がない。ほかにいた観客たちも、その妖怪たちをCGと思い込み、感心している。ここがシネマ村であるという事が秘匿という意味でプラスしていた。

 騒ぐ人が多い割に、彼らの顔には危機感などは出ていない。単純にシネマ村のアトラクションを楽しんでいた。

 

「このかお嬢様、ここをから離れられないように」

 

 刹那が木乃香のいる場所へ符術を使う。単純だからこそ効力の強い守りの符だ。これで戦っている最中に木乃香を攫われるということは起きないだろう。安心した刹那は刀の柄に手をかけて走り出す。それに呼応して、月詠もジャンプした後欄干を一度蹴って三角跳びをし、刹那との距離を急速に詰める。

 

「二刀連撃斬鉄閃」

 

 二刀であるが故の速さは、先の戦いと同じく刹那の長刀とは相性が良い。それが分かっているからこそ、刹那は借り衣装のひとつである模造刀を、気を使って強化して疑似的な二刀流で応戦した。しかしあくまでも模造刀。おもちゃのような刀では、斬鉄閃を受けきれるはずもなく、一度の交差で砕け散ってしまう。

 しかし刹那にとってはそれで十分だった。その大太刀を振るい、月詠を吹き飛ばし欄干へ自身もまた飛び乗る。高所という地の利を刹那は手に入れた。刹那の刀は、欄干の上からでも十分な間合いを持っている。しかし月詠が持つ二振りでは間合いが足りず、斬撃を振るうためには踵を上げる必要が有ったりなど、斬撃の速度も威力もなくなってしまう状況になった。これならばたとえ今の刹那でも、二刀流に対抗できる。

 橋の欄干から振るう太刀と下から掬いあがる小太刀。獲物こそ違うがそれは義経と弁慶の五条大橋での大立ち回りと同じだ。

 月詠も不利を無くすために欄干へ移ろうとするのだが、それを刹那はさせない。優位になろうと二人は橋の上を走りながら刀を振るい続ける。けたたましい鋼のかち合う音が続く。一瞬の隙が命を奪う殺し合い。そしてそこにある高速の駆け引き。それは刹那の精神を少しずつ、薄皮を剥ぐように摩耗させていく。良く鍛えているが、それでも刹那の精神は常人のそれと殆ど変わらない。

 摩耗していけば集中力も乱れる。だからこそそれは必然だった。

 

「え?」

「せっちゃん?」

 

 月詠と一進一退の攻防を繰り広げていた刹那の胸に、一本の矢が突き刺さった。

 刹那も木乃香も、そしてなぜか月詠もその矢に唖然としている。何故何故何故? じわりと血が刹那の服を染めていく。困惑した表情を浮かべ、それでも最後に木乃香を見て安堵した顔になり刹那は欄干から落ちていった。

 

「せっちゃん!!」

(ああ、約束守れんでゴメンな、このちゃん。でも、無事で良かった)

 

 水柱が立った。刹那が川に落ちた。ついでもうひとつ水柱が立つ。

 木乃香が川に飛び込んでいた。着物が絡まり、溺れそうになっている。しかしそれでも彼女は諦めずに泳ぎ続ける。橋脚に刹那の体が引っ掛かっていた。

 

「せっちゃ、ゴボッ! ゲホッ! せっちゃん! せっちゃん!」

 

 刹那の体に触れた手が赤く染まる。流れ出る血が冷たく、木乃香は怖かった。涙が頬を伝い川へ飲み込まれる。

 

「嫌や、せっちゃん!!!」

 

 莫大な魔力が指向性もなくただ暴れだす。行き場のないほど濃密な魔力は、刹那の体に流れ込み、木乃香が望む形へ変貌させる。“桜咲刹那には傷ひとつない”という形に。

 

「お、……嬢様?」

「せっちゃん!」

 

 木乃香は刹那に抱き着いた。

 

 

 

 

 橋の上、そこで月詠は無表情にシネマ村にある城の上にいた天ヶ崎千草を睨む。戦いを邪魔しただけではなく、千草はあわよくば自身を含めて葬れるよう式神に命じ刹那を射った。いくら神鳴流は遠距離からの武器が効かないといわれていても、それはあくまでもそう嘯いているだけに過ぎない。技量以上の遠距離からの攻撃は捌けないし、そもそも今みたいに認識外からの攻撃は防げない。殺気に反応しようにも、刹那は月詠からの殺気で気づけず射抜かれた。またいくら式神程度の矢といえ、その鏃を向けられて反感を覚えないはずがない。しかし、

 

「まあ、いいか。それは私にとって当然だし」

 

 月詠は周りの喧騒にまぎれるように消えて行った。この程度の勝手でも、文句は言わせない。そもそも邪魔をしたのは天ヶ崎千草である。

 千草も天守閣から誰にも知られず消えて行った。

 

 

 

 

 



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関西呪術協会に迫る影

 ネギが回復するのを待っていた一行は、参道からやってきた集団に度肝を抜かされた。なにせそこには3-Aの生徒達が呑気に騒ぎながら歩いている。ここが危険という事を理解していないで。

 なぜ敵の本拠地近くに生徒たちがいるのか。あってはならない事態に休んでいたネギは、あわてて起き上がろうとしてふらつき、結局明日菜に担がれた。

 

「あれ、ネギ先生、それに明日菜と本屋も。はは~ん、なるほどなるほど」

「あれ? ネギ君汚れているしてるけど、どうしたの?」

「馬鹿ね。若い男女が人気のない屋外で汚れているったらあれしかないでしょう」

 

 にやにやと笑うハルナを明日菜は無視して刹那へ近づいていく。刹那は困った顔をしており、助けをこうて目じりを下げているが、興奮している明日菜がそんな細かな表情に気が付くはずもなく、竹の葉を踏み荒らしながら刹那のそばまで行き尋ねた。

 

「なんであいつらがいるのよ」

 

 ネギも現状を理解できず、明日菜の質問の答えをその背中で待っている。

 助けがないと分かった刹那は、一度俯いてすぐに答えた。

 

「それが、お嬢様を抱えてここまで来たのですが、どうやら発信機をいつのまにやら入れられたらしく……。申し訳ありません。これは私の落ち度です」

「あ、いや別に責めようとした訳じゃ」

「そういう問題ではありません。もし発信機が爆弾だったら今頃お嬢様は……。護衛として失格です。それも素人の仕掛けた物に気付かないとは」

 

 刹那は顔を青ざめ、首を振った。その様子に二人は何も言えなくなってしまう。責めるつもりはなかったのに、そこまで自分を追い込むことはないと言いたかったが、口にする事が出来ない。

 そうこうしているうちに大きな門が見えてきて、ハルナたちが騒ぎ出す。明日菜たちが会話に夢中になっている間にそれを見つけた少女たちは、門の雰囲気を見て『いかにも』と思い駆けて行く。

 

「あ、待って皆!」

「何があるか分からないんです。止まってください」

 

 ネギと明日菜の二人は敵の本拠地である関西呪術協会へ、笑みを浮かべて向かっていく彼女たちを呼びとめようとした。しかし興奮している彼女たちが止まるはずもない。門を勝手に越えていってしまう。慌てて追いかけ門を潜ったネギたちの目前に、幾人もの巫女衣装をした女性たちが人形のようにまったく同じ笑顔を浮かべて待ち構えていた。とっさに杖を取るネギ。

 

「おかえりなさいませこのかお嬢様」

「へ」

 

 間の抜けた声をネギと明日菜は漏らし杖が力なく垂れ下がる。二人の阿呆面と違い、木乃香は顔を赤くし出迎えに来た人々に挨拶をしていく。巫女たちは柔らかい笑顔で木乃香に挨拶を返す。傷はないか、麻帆良でなにかされなかったか、はたまた体が大きくなったなど、とにかく話せる事があるならばすべてを話そうとする勢いだ。

 

「大丈夫やよ。元気にやっとるよ」

 

 その歓迎ムードが理解できない二人は、今度こそ刹那に詰め寄った。

 

「これはどういうこと!?」

「ええと、つまりはですね。ここは関西呪術協会の総本山であると同時に、木乃香お嬢様が生まれ育った場所なんです」

 

 つまりは今まで散々明日菜たちが敵だと思い込んでいた関西呪術協会は、木乃香にとってもっとも信頼できる家でもある。それを理解した明日菜たちは、肩の力が抜けていく。

 

「先に言ってよ、桜咲さん」

「す、すみません。今ここに近づくのは政治的な問題から危ないと思っていたのですが、その判断が裏目に出ておりまして。ですので、こうして総本山に来て保護を求めようとしたのです。ここならば安全です」

 

 そのままネギたちが通されたのは謁見の間で、古来よりこの国に伝わる楽器が鳴り、古めかしい武装をした女性たちが厳めしく儀礼的に立ち並んでいる。ドラマでしか見たこともない光景に、少女たちは戸惑いながらも楽しんでいた。良く現状を理解せずとも、気にしない。

 長が来る。そうネギと明日菜に耳打ちされた。

 奥の方から頬が痩せこけて青白い顔をした男性が降りてくる。それを見た木乃香は立ち上がり男性の胸元へ飛び込んだ。

 

「お父様久しぶりや――♡」

「これこれ、このか。お客様を待たせてしまうよ」

 

 まんざらでもない様子で木乃香を受け止めた長は、ゆっくりと彼女を降ろし続いてネギがおずおずと差しだした文書を受け取った。

 

「確かに承りました。ネギ君、大変だったようですね」

 

 そう言いながら、長は親書を開き中身を確認する。そこには二枚目までは公式な書として書かれていたが、三枚目は私的な事が書かれていた。

 

『下も抑えられんとは何事じゃ。しっかりせい婿殿!!』

 

 ご丁寧に近右衛門のイラストにぷんすかという擬音すらつけて。

 苦笑いを浮かべた詠春は、手紙を懐にしまう。

 

「分かりました。東の長の意を汲み、私たちも仲たがいの解消に尽力すると伝えてください。任務御苦労でしたネギ・スプリングフィールド君!!」

「は、はい!!」

 

 喜ぶネギに、何が何だか分からないが目出度い気配を感じとり騒ぎ出す生徒。その姿を見た長は、落ち着くのに時間が掛かりそうだと察し、ネギへ提案する。

 

「どうでしょう、ネギ君。今から山を下りると日が暮れてしまいます。君たちも今日は泊まっていくといいでしょう。歓迎の宴をご用意いたしますよ」

「で、でも僕達修学旅行中だから帰らないと」

「それは大丈夫です。私が身代わりを立てておきましょう」

 

 喜んでいる生徒と案内を買って出た長に促され、ネギも結局泊まる事に賛同した。長自ら案内を買って出る。

 奥へ進んでいた一行を見送った後、武装している一人の女性が舌打ちをした。

 

「ッチ。あの剣士風情が何を考えている。一般人がいるというのに、関西呪術協会の総本山であるここへ泊まらせるだと。恐れ多いという事分からんのか! それにあの小僧もそうだ。仮にも長相手にため口。ハッ! さすがは西洋魔術師様だ!!」

 

 誰もその言葉に何も言わない。それどころかほとんどの者は険しい顔をし、手に持っているものを強く握りしめている。それ以外の者はうつむいて、長が去っていた場所を眺めては床へと視線を逸らした。

 

「これで分かったろ、お前さんたちも。あの長が私たちの事を考える訳がないちゅう事を。東の言葉に唯々諾々として、下の諫言を無視する。あいつは東の人形や」

 

 俯いていた女性たちは涙を流している。

 

「今の長はダメや。東や西や言う前に、人として信用ならん。あの計画私はのるで」

 

 

 

 どんちゃん騒ぎは夜まで続いた。人工の明かりがないせいか、夜闇でとっぷりと暗くなった本山で、ネギたちは宴会を楽しんでいる。中には雰囲気に酔ったのか、へべれけになった者もいるが。

 その宴会の真っ最中、長が刹那の元を訪れた。

 

「こ、これは長。私のような者にお声を」

 

 すぐさま蹲踞(そんきょ)して、(こうべ)を垂れる。

 

「そうかしこまらないでください。……この二年間木乃香を守ってくれ、ありがとう。私個人のわがままでしたが、それに君は答え、尽力してくれました。苦労を掛けましたね」

「いえ、お嬢様の護衛はもとより私の望みなれば。それよりも私ではお嬢様を守りきれない事もあり、私の不徳です」

「ええ、話は聞きました。木乃香が力を使ったそうですね。しかしそれも君の命を守るため。友の為にならばあの力を使うのも正しいことなんでしょう」

 

 長は笑みを浮かべ、すぐに苦い顔になる。

 

「このかには普通に暮らしてほしかったのですが、それでももう無理なようです。刹那君、君の口からこのかに伝えてくれますか」

「ハッ、長」

 

 伝えられた事がどれほどの思いを込められているか分からない刹那ではない。決意を胸に秘め、刹那は唇をかんだ。

 

 

 

 宴も終わり、生徒たちは借りた和服を着てそれぞれ思い思いに楽しんでいた。

 明日菜が部屋に入りすぐに木乃香を呼ぶ。刹那からの言伝で、来てくれとの事だと。木乃香と刹那の仲を怪しんでいた他の者たちにとって、それは疑惑に火をつけたらしく茶々を入れてさらに騒ぎ始める。

 

「馬鹿な事言ってんじゃないわよ。じゃあ、行きましょう木乃香」

「うん」

 

 廊下を進んでいく明日菜と木乃香。話をしながら歩いていた明日菜は頭をぶつけてしまう。

 何が当たったのか気になり額を撫でながら前を見る。そこには部屋から逃げ惑う姿をした石像が障子の間から覗いていた。

 

「なによ、これ」

 

 明日菜の額から痛みではなく汗が流れていく。

 

 

 

 すべては迅速に行われた。ネギたちが宴を楽しみ部屋へ戻った頃、天ヶ崎とフェイトが本山へ正面から入っていった。

 

「ホンマに、私の行動を支援しくれてるんか」

「はい。我が一族は、偽りの長を降ろすつもりです。その為にも、貴方の協力をせよと族長は命を私に与えました」

 

 正門の所には一人の女性が立ち、二人を迎え出ている。その目には何の迷いもなく、呪術協会にとって秘匿しなければならない情報を包み隠さず二人へ伝えていく。

 

「ところで、ひとつお尋ねるのをお許しください」

「なんや」

「木乃香お嬢様はどうされるのでしょうか。長はどうなってもかまいません。しかしお嬢様は先代の忘れ形見であり、私たちにとっても実の子供と変わりありません」

「安心しい。うちかてその大恩忘れたことなどありゃせん。忘れたのは今の長くらいや。自分の嫁さんが、ここ守るにどれだけ心血を注いだことか。お嬢様の力の一部を利用するが、それが終わったらすぐに安全な場所まで避難してもらう手筈や。……ウチかて本当は傷付けとうない。やからその記憶を認識させないためにも少しの間だけ、人形のようになってもらう」

「そう、ですか。分かりました。ではこちらに」

 

 天ヶ崎が案内されたのは、長に忠を尽くしている巫女達の所だった。突如現れた二人に最初はなんの反応も示さなかったが、フェイトが詠唱し始めた時にようやく逃げ出そうとした。しかしそれは遅すぎて、放たれた石化魔法に、彼女達は逃げ惑い、何をすることもできず石と化した。

 

「ここまで練度が悪いとは思わんかったわ」

「……行きましょう」

「せやな」

 

 次に向かったのは長の部屋だった。そちらもすぐに終わってしまう。

 

「む。誰かな。ここには今日来ないよう伝えたはずだが」

「連合の英雄も落ちたものだね、青山詠春」

「なっ!!?」

 

 書き物をしているその背中に向かって放たれた石化魔法はレジストこそされたものの、確実に長を石にしていく。事態のまずさに、長は闘う事をせず、逃走の一手を決めた。とっさに手にした刀で壁を切り裂き、腕力だけで体を浮かばせ飛んでいく。

 二人はもはや長に出来る事がなにもないなど分かったから、見逃す。その程度の人間に関わるほど暇ではない。

 

「錆びついた刃に価値はないよ」

 

 フェイトは詠春の逃げた方を見て、そう呟いた。

 

「これで、ええ。あとはお嬢様だけや」

「いや、まだだよ」

「うん? ああ、そうか。まだ一般人がおったんか。何をホンマ考えていたんやろうか、アイツは。裏の本部に表の人間連れ込んで」

「さあ、知らないよ。というよりも、知りたくもない。まるでメガ、いやなんでもない」

「……そうか。聞かなかったことにしといたる」

「ありがとう」

 

 詠春は固まる足を引きずりながら、人を探している。今も動ける人を。真っ先に助けを求めた詠春の忠臣は全員石化されており、助けにはならない。

 それでも諦めずに歩き続けた詠春は運よく近くにいたネギと刹那に出会えた。

 

「二人とも、も、申し訳……ない。本山の結界を些か以上に過信していたようで。か、かつてのサウザンドマスターの盟友が情けない」

「長ッ!!」

「ネギ君刹那君。気を付けなさい。白い髪の少年は別格だ。助けを呼びなさい。すまない。木乃香を、木乃香を」

 

 

 

 夕映は枝を振り払いながら山を走っていた。曖昧になっていく自己の常識と闘いながら。

 カードゲームをしていた数分前、夕映たちは白髪の少年に襲われた。部屋の入り口から入ってきた少年が何か呟いたと思うと、いきなり白煙が出てきてそれを浴びたハルナが固まり、のどかすら石となった。全員が石と化す前に朝倉が機転を利かせて夕映だけは逃がされた。言葉でまとめてみても、理性がそれを否定する。そんな事有り得ないと。しかし実際にはそんな馬鹿げた行為が起きている。

 朝倉のお蔭で逃げられた夕映は、とにかく石にされた彼女たちを助けたかった。

 どうすればいい。いくら麻帆良での異常事態に慣れているといえ、こんな事を話したとしても警察が本気にするはずがないと分かる。考えに考えた結果、携帯電話で彼女はある人物へと連絡を取った。

 その電話を取ったのは、ホテルにいた長瀬楓だ。

 

「おや? バカリーダー? 落ち着くでござるよ。ふむふむ。ほう……なるほど。つまり助けが必要でござるな」

 

 それと同じく全く別の場所でも電話が鳴る。麻帆良学園の学園長室で、囲碁を打っていた学園長は電話を取り、最初こそ機嫌の良い声をしていたがネギの話に冷や汗を垂れ流す。

 

「何じゃと!? 西の本山が……! 婿殿までが!? 助っ人か。し、しかしタカミチは今海外じゃ。それにいますぐそちらへ行け戦力となる人材は」

 

 そこまで言い、近右衛門は気が付いた。目の前にいるのが魔法使いの中でも最強であるエヴァンジェリンであることを。

 




この話をかいている時一番疑問に思ったのが、原作で刹那がバッグにGPSを入れられたと苦笑いで済ませていた事なんですよね。プロのボディーガードでしたら、それだけでもう失格ですよ。爆弾が入っていたらそれだけでアウト。まあ、本職じゃないと考えれば仕方がないのでしょうが。


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流れる水の如く

 人気のない廊下でネギは仮契約カードを取り出す。カードには湿った汗でぬれている。それに不快感を覚えながらも、ネギは仮契約カードに付属している機能のひとつである念話によって、明日菜と木乃香の居場所を探す。すぐに明日菜からの返答があり、一時の安心を覚えたネギであるが、すぐにその安心は冷や汗と変わる。

 

「明日菜さん!! 聞こえますか! 返事をしてください!!」

 

 念話が途中で切れた。ネギと刹那は顔を見合わせるとすぐに風呂場へ駆けていく。扉を開け、浴場へ入ると明日菜が裸で床に息も絶え絶えで倒れている。抱き起すと、その頬は朱に染まっている。

 

「あ、明日菜さん!?」

 

 抱き起された明日菜は、荒い息のままネギを見た。必死に言葉を絞り出そうとしている。

 湯気と上気した頬がなまめかしく、話を聞かなければならないとは思っていても明日菜の体に傷一つないことも相まって、刹那はよこしまな考えが頭によぎってしまう。

 

「ま、まさか、アスナさんエッチな事をされたんですか?」

「そんなわけないでしょうーッ!!」

 

 涙目に否定する明日菜の顔をネギは見れなかった。

 

「そ、それよりも気を付けて、あいつまだ近くにいるかも」

 

 すぐさま二人の意識が変わる。抜け始めた緊張感が一気に戻り、強くなる。

 しかしそれにはあまりにも遅かった。すでにここは戦場だという事をネギたちは理解していなかった。

 二人の後ろ、その空中に突如少年が現れる。微妙に変わった風の動きに、刹那は背後に何者かがいることを悟った。そしてその少年が攻撃をする直前だということも。

 振り向きざま裏拳を繰り出した刹那だが、その腕は少年によって軽くいなされ、逆に強化された腕の一撃を喰らい吹き飛ばされる。床をバウンドし壁にぶつかってそれでも威力は殺され切れず跳ね返り、もう一度壁に叩きつけられた。その壁に亀裂が入り、刹那はようやく止まる。

 温かい湯気の中に、刹那の苦痛の息が漏れだす。

 

「刹那さん!! ま、まさか君が!」

 

 ようやく敵に気が付き、その姿を見たネギは眉根を寄せ叫んだ。

 

「こ、このかさんをどこにやったんですか?」

 

 白髪の少年は表情ひとつ変えることなくネギたちを見ている。しかしそれにしてはその瞳にはなにもない。

 

「みんなを石にして、刹那さんを殴ってこのかさんをさらい、先生として……友達として……僕は許さないぞ!!」

 

 珍しいまでの怒気をみせるネギだったが、それでも少年はなにも変わらずにいる。当り前だ。蟻が怒ったところで気にする人間はいない。一々そういった有象無象を相手にするのは馬鹿馬鹿しく、付き合っていられないものだ。

 それに、少年は先日化け物(・・・)と闘っていた。ネギとは格が違う者を知っているために、余計なにも感じない。

 

「それで、満足かいネギ・スプリングフィールド。やめた方が良い。君程度で僕は倒せない」

 

 浴場に残っている水が少年の体を包む。

 

「あっ待て!!」

 

 ネギの声に頓着せず、少年はそのまま水を媒介にした瞬間移動を行う。

 カモはその魔法を使った少年に泡を食っている。彼が知る限り、なにかしらを媒介にしてでも瞬間移動を行える魔法使いは数少ない。それどころか片手で数えられるほどだ。それほど瞬間移動とは難しい。それをあそこまで簡単に扱える、それだけでどれだけの力があるか分かる。

 ネギもまた魔法使いとして格の違いを見せつけられ、顔を歪ませるのを止める事が出来ない。

 

「だ、大丈夫ですか明日菜さん……」

「う、うん。刹那さんこそ」

 

 刹那が腹を抑え、ふら付きながらも立ち上がった。歯をかみしめ、青筋を立てている。体の限界など無視して飛び込む事すらいとわないほどの激情だ。

 その怒りに当てられて、明日菜は唾を呑む。凄まじいその怒気が周りを歪めているように見えた。

 腰の引けたその体になにかが掛けられた。

 

「えっ?」

 

 それはネギが念力で脱衣所から運んできたタオルだ。

 裸を見ないようそっぽを向き、しかし今までにないほど強い意志を持ってネギは言う。

 

「このかさんは必ず取り戻します」

「う、うん」

 

 少しどもった明日菜は胸の鼓動を強めネギの横顔を見ている。

 

「と、とにかく追いましょうネギ先生! 気をたどれば……ぐっ」

 

 殴られた箇所が痛み、刹那は横腹を抑えずにはいられなかった。ネギはそれを見てすぐに治療魔法を行うことを提案したが、刹那はそれを拒否して無理に動こうとする。そんな時間があるならばお嬢様を、と。結局理詰めで無理やり丸め込み、ネギは傷を治療していく。そのわずかな時間でも有効に使うために、カモが問題提起をした。

 こういった点ではカモは非常に役立つ。ネギたちと違い、悪知恵が働くというのもあるが、元々人間と比べて非力なオコジョという存在だ。策を弄するという事には慣れている。

 

「だけどよ、どうする兄貴たち。このまま無謀に突っ込んでいっても、勝てねぇぜ」

「重要なのはお嬢様です。お嬢様さえ取り返せれば、後は逃げ続けるだけで他の地域からの応援が来るでしょう」

「そうか。だとしても、どうやって木乃香のお嬢ちゃんを取り返す?」

 

 せめて戦力がもっとあれば。そう口にして、カモは気が付いた。戦力を簡単に増やせるであろう方法を。

 

「そうか、これなら!」

「なにか策でも思いついたんですか!!」

 

 それに真っ先に喰らい付いたのは刹那だった。身を乗り出して、詳しく聞き出そうとしている。

 

「簡単なことさ。刹那の姉さんと兄貴が仮契約をすればいい。そしたら気と兄貴の魔力で戦力は乗数のように上がるって算段さ」

 

 胸を張っているカモに、しかし刹那は顔を暗くするだけで、なにも答えない。予想と違う反応に、カモも顔を伺いながら尋ねた。

 

「あ、あら? 刹那の姉さん、兄貴が嫌いか?」

「い、いえそうではなく、もっと根本的なことからその策は成り立ちません」

「え?」

 

 視線を合わせず、刹那は続ける。

 

「気と魔力は反発します。本来似通った性質を持つ両者なのですが、それらを合わせようとすると拒絶し合うんです。油と水の関係のように。中にはその反発した勢いを利用する技法も存在しますが、それ自体究極技法と呼ばれる最高難易度の技術です。私が今すぐ使えるものではありません」

「う、うそ~ん」

 

 せっかくの策だが実現不可能と知り、髭と尻尾が垂れ下がりカモは虚ろな目になった。さすがに可哀そうになり、明日菜はカモを手に乗せ背中を撫でる。

 

「アンタは良く考えたわよ。だからさっさと元気になりなさい」

「うう、姐さん」

 

 後ろの光景を振り切り、刹那は先を急ごうとする。あわててネギもその後を追いかけようとした。

 

「そ、それじゃあ、アスナさん行ってきますんで、ここで待っててください! カモ君!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 私も行くわ」

 

 

 

 森の中に湖がある。揺蕩う水音とかすかに香る杉の香りが漂う湖面の上に月詠はいた。天空に登る月の輝きを反射する刀の腹に、その顔が映る。それはとてもつまらなそうな表情だった。口を尖らせ曲げている。子供が欲しいものが手に入らず駄々をこねているように。

 

「ああ、来たようですねぇ」

 

 虫の鳴き声がぷつりと途絶えてすぐ、険しい表情をした刹那が木々の奥から飛びだし鋭いまなざしを月詠へ向ける。しかしやはり月詠の顔は浮かないままだ。

 ネギと明日菜も息を切らしながらであるが、刹那に追いついた。

 

「さて、ではやり合いましょう。契約さかい、そないに恨まんといてください」

「退け」

「お断りします~。貴方たちを斬る事くらい簡単です。貴方こそ、その刀を放ってどこかへ逃げなさい」

 

 明らかな挑発であり、そのことを悟りながら刹那は怒気を抑えずにいられない。彼女が鍛えた技の数々は木乃香を、友達を守るための技。それをまるで価値がないかのように言うその言葉を許せるはずがない。刀の柄がミシリと鳴る。

 

「ならば、貴様が斬られるが良い。そうしたら分かるだろう。私の技の鋭さと――」

「冗談はおよし下さいな。先輩、いえ貴方程度の技など精々町道場の師範代程度です」

 

 もはや限界だった。しかし刹那は木乃香を救うためにも最後に言わなければならない。

 

「ネギ先生、先に行ってください」

「で、でも」

「行けと言ったんだ、私は」

 

 固い声に、ネギは刀で首を斬られたイメージが沸き立つ。青ざめた顔でとっさに首を覆い、つながっているかを確認した。

 

「わ、分かりました。明日菜さん、すみません」

 

 ネギは箒で空を飛べる。同乗者もその身にある魔力からすればいくらいても問題にならない。しかし明日菜だけは違う。明日菜を乗せると、箒で上手く飛ぶ事が出来ない。かつて明日菜を箒に乗せた経験から、ネギはそのことを知っていた。そのために明日菜を連れて行く事が出来ず、この場に残さなければならないということに罪悪感がいっぱいになり、ネギは弱弱しい目で明日菜を見る。

 

「私の事なら安心しなさい。アンタはちゃっちゃと木乃香を取り返してきなさい」

 

 だからこそ、明日菜はネギを送るために胸を張った。ネギの顔を明るく、力強くなる。

 

「は、ハイ!」

「俺ッチと兄貴に任せてくれ! 絶対に助け出すからよ!」

 

 箒で飛ぶネギたちを見もせず、月詠は刃を構える。

 

「では行きますで」

「さっさと貴様を倒させてもらうぞ」

 

 一歩刹那は踏み出し、刀を振りかぶり前へ進む。いくら大太刀でも離れすぎた間合いではなにも出来ない。だからその選択は間違いじゃない。神速にはおよそ届かないにしても、疾風と見間違うほどの踏込の速さだ。

 だがしかし相手はそれを許さなかった。刹那が一歩分足を出したところにはすでに月詠がいた。

 

「え?」

「遅すぎます」

 

 振り下ろされる刀。とっさに前へ行こうとした体を無理やり横へと動かす。ぶちぶちと足の筋線維から音がするが、刹那はそれをすべて無視した。

 神鳴流の太刀筋ではなかった。それどころか、その太刀には気が存在しない。気を込めていないただの鉄の塊だ。それでも刹那はそこから漂う圧倒的な斬るという執念を感じとり、避けずにはいられなかった。そして次の光景に顔を青ざめた。

 ただの刀は地面を切り裂いていた。十メートルほども。今まで刹那が相手した月詠の技ではない。それ以上のなにかだ。

 

「お前――「話している余裕があるんどすか」っ!」

 

 刺突された二撃目を、刹那は夕凪で逸らしながらなんとか躱す。しかしこれでもう終わりだ。完全に体勢を崩しており、既にもう一度月詠が振りかぶっている刀で切り裂かれる。

 

「でやぁああああ!!」

 

 神楽坂明日菜がいなければ。

 ハリセンが月詠の顔を横から風を起こしながら迫る。それを避けるために月夜見はバックステップで刹那から離れて行った。

 

「分かったですか。彼我の実力差を。これでもウチ、本気やないどすからね」

 

 あれだけの馬鹿げた技量を見せながら遊びだと言う月詠に、刹那は化け物を見る目をした。そこには確かな怯えすらある。剣を知っているからこそ、刹那は目の前でたたずむ剣鬼を信じられず、恐ろしく思う。鍔迫り合いなどしようものならば、夕凪ごと斬り捨てられる。それを理解したがゆえの(おそ)れだった。

 だがそれでも戦わなければならない。木乃香を取り戻すために。心が熱く燃え上がる。恐怖も何もかもを捨てて、刹那は前へ飛ぶ。

 

「ぉおおおおお!!」

「はは。残念どす。貴方が私と同類じゃないのが」

 

 

 

 森を流れる水が辿り着く静かな湖畔の中央に、厳島神社の高舞台のように神楽舞を踊るための舞台がある。その前には巨大な岩があった。その岩は注連縄をされ、磐座(いわくら)のように扱われている。その舞台に、天ヶ崎千草と犬上小太郎、そしてフェイトがいた。

 

「なあ、姉ちゃん。俺ずっと気になってたんやけど、なんでさっきから補助術式ばかり幾十とかけてんの? そこの嬢ちゃんが持つそないな魔力ならば、いくら神と言われる存在でも御しきれるやん」

 

 頭の後ろで腕を組み、小太郎はつまらなそうに作業を見つめながら千草へ尋ねた。

 確かに千草は木乃香を攫ってから一向に召喚の術を使わず、それどころか馬鹿みたいな量の術式を補助するために存在する補助術式を作動させ続けている。これだけの術式があれば、一人で地形を変えられる魔法を行使できるとまで思えるほどの量を。

 

「阿呆抜かせ。お前は、ああ、そうやな。仕方がない。あんさんみたいなやつならば、そう思うのも仕方がないか。知らんのやから。忘れたんやから。良いか、今からするのはかの大鬼神リョウメンスクナノカミの降臨に近いものや(・・・・・)

「はぁ? なに言うてんねん。これからリョウメンスクナを嬢ちゃんの魔力で呼び出して支配するんやろう?」

「阿呆。そないなことしてみい。良くて私とお嬢様の魂が砕けるわ。悪くて存在したという歴史すらもかき消されるわ。神を人間の尺度で考えるなや。これからするのは、行ってしまえば封印されているリョウメンスクナノカミの息吹を引き出すだけや」

「はぁ!? 息吹やと! たかだか呼吸やないか! いくら神の名を与えられたからやったとしても!」

「呼吸ひとつで人間なんぞ幾らでも殺せる。例えそれがかのサウザンドマスターであってもな。それが神や。忘れしまった者は多いがな。お前こそ、神を馬鹿にしすぎや。ウチらが使う式神なんぞと一緒にしているんやないだろうな。式神なぞ、神からしてみれば埃と同じや。そないな存在いくら東洋一の魔力だとしても、雀の涙も意味が無い。操れるはずがないやろう。やから、息吹をお嬢様の魔力で無理やり引っ張り出し、召喚する。息吹事態に神性はあっても、意志はない。それならば無理すればなんとか方向性程度ならば指示できる。その罰は下されるやろうが」

 

 ――ああ、駄目や。これはあかん。

 小太郎は語る千草の目を見て悟った。そこにあるのは、死ぬ覚悟をした目だ。すでに命を使い潰す覚悟をしてしまっている。止めようがないその目を。

 それでも小太郎は、言葉を紡ぐ。

 

「姉ちゃんは、それでええんか?」

「ええんや。それですべてが変わるなら。たったひとりのちっぽけな命で大勢の、未来の命を救えるなら。関西呪術協会は存在しなければならんのや。少なくともその目的が果たされるまでは」

「俺、馬鹿やからよぉ分からん。でもな、姉ちゃんそれ俺より馬鹿やで」

「知っとる。さあ、そろそろ行きぃ。アンタならあの小僧くらい軽いやろう」

 

 言葉はなかった。小太郎はこぼれ落ちる涙を乱暴に袖で拭い、その場を去っていく。

 その後ろ姿を千草は優しく見つめている。

 

「ウチみたいな輩より、アンタみたいなもんが生きる方がええ。その礎となれるなら陰陽師本望に尽きるっちゅうもんや。なあ、小太郎。がんばれや。これから先どんなつらいことあっても、負けちゃならん。私みたいに。ああ、父様、母様。今行きます。閻魔様のお裁きを償い終えるまで、どうかお待ちください」

 

 湖面に映る月は寂しく震えた。 




千草さんが大分格好良くなってしまいました。


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三面の戦い

一万字越え……だと?


 杖に跨ったネギは、全力で眩い星が散りばむ夜空を飛び続ける。その速度はまるで流れ星のように速い。しかしそれだけの速さを出す代償に、その身に宿る魔力はあっという間に減っていく。

 さらには仮契約カードを通じ、明日菜の身体強化魔法へ魔力供給をしなければならず、常に飛行魔法以上の魔力が減っていくが、それでも速度が落ちることはない。歯を食いしばり、杖を握る手に力が込められている。

 真下の森はネギが起こす突風にあおられ、騒々しく叫ぶ。

 

「いいか、兄貴。無理な魔力運用はダメだ! 俺たちは木乃香嬢ちゃんを救い出す。それ以上は救援が来るまで逃げればいい。その為には魔力がすっからかんになっちゃダメだ! 難しいけど、姉貴に送る魔力も最低限にしてくれ」

「うん、分かってるよカモ君」

 

 額から流れる汗。苦悶に歪む表情。莫大な魔力を精密に扱うという無茶をし続けなければならない負担。それらが重くのしかかり、ネギを押しつぶそうとする。

 苦しみ、それでも力を振り絞るネギ。その姿を見て、なぜ自分はオコジョで、こうして言葉を投げかけるだけしかできず、ネギを直接助けられないのか、カモは悔しくてならなかった。

 それでもカモは自身に出来ることをする。それ以外出来ないなら、それだけでもして、ネギの助けになりたかった。

 カモに出来るのは考えること。その矮小な体は戦いでは邪魔になるだけだし、その少ない魔力では、攻撃魔法を使うこともままならない。だから考える。策を練り、ネギを少しでも勝ち目のある戦いへ送り出す。それがカモのできることであり、すべきことである。

 

(確認できる敵は四人。そのうちあの女は二人が相手している。あとは三人だが、そのうち一人は兄貴と同等。もう一人に至っては格上だ。あの首謀格は実際それほど強くはないだろう。残りの三人の中でも中堅くらいか。だが経験と覚悟が凄みとなってやがる。あれだけの覚悟は、強さとなりやがる。間違いなく真っ向から挑んだら負ける)

 

 考えにふけていた。だからカモは気が付けなかった。

 

「しまっ! カモ君!」

 

 とつじょカモはネギの胸元に抱きかかえられる。振動と浮遊感を覚えた。すぐにそれは視界が滅茶苦茶に回転し、落ちていく感覚へと変わる。下から吹き上げてくる風に、本能的な恐怖を覚えるが、それはすぐに消えた。なにせ今カモがいるのは信頼するネギの胸元だ。

 

「兄貴!!」

「風よ!」

 

 風を操る魔法で大気をクッションにし、ネギは傷一つなく地面に足を付けた。

 カモは、素早く肩に登り、あたりを警戒している。

 

「兄貴、なにが」

「後ろから黒い犬のようなものが来て、杖を攻撃したんだ」

「狗神っちゅうんや。それは」

 

 杖を突きだして構え、周囲をうかがっていたネギは、すぐさま後ろを振り向く。そこには先ほどまでいなかった犬上小太郎が立っていた。少し俯いているせいで、ネギからはその顔は伺えない。だが、小太郎のあたりから足元を這うように迫る、いやな空気は感じ取っていた。

 小太郎を中心に、草木が外向きになぎ倒されている。黒い霧のような、視認(・・)できるまで濃密な魔力が彼を中心に渦巻いていた。莫大な魔力量を誇るネギから見れば、決して多くはない。しかしその濃度はけた違いだ。ネギでは到底真似できないほど、彼の周りは魔力が色濃く存在している。

 そもそも小太郎は魔法使いでない。だというのに、魔法使いであるネギが驚くほどの現象を引き起こしている。魔力が視認化するなど、高位の魔法使いでもそうそう起こせるものではない。ネギは唾を飲み込んだ。

 魔力とは精神に依存する。心が強ければ強いほど、魔力もそれに比例して強くなる。ならば、魔力が強ければ? それは心が強いということにほかならない。魔力を具現化させた小太郎には、ネギの知らぬ覚悟を持っていた。

 

「悪いが、こっからは遊びやない。俺は本気でお前を殺す。そうしなきゃ、あかんのや」

 

 顔を上げ髪の隙間からかすかにみえる小太郎の瞳は、殺意が刻まれ、猛禽類のように鋭く、強く威圧している。ネギはその眼に射抜かれ、息を呑んだ。

 戦う戦わない以前に、ここまで強い殺意と敵意をネギは受けたことがなく、自然と体が震えだす。エヴァンジェリンとの戦いが、その実、子供だましの遊び(・・・・・・・・)でしか過ぎなかったことに、今ネギは気が付いた。彼女の伝聞と実力は、ネギが知る限り、小太郎をはるかに超えるというのに、今の小太郎の方がはるかに恐ろしい。そうネギは感じていた。

 畏れは動きを鈍らせる。ネギの体は、意思とは無関係に大きな隙を晒していた。力なく垂れ下がった杖、そして棒立ちに立っているその構え。それは小太郎には十分すぎた、命を奪うには。

 

「うらぁああああ!!」

 

 昼間よりもその動きは速かった。小太郎の攻撃は、迷い、怯えているネギがついていける速度ではない。ただ突き出されているだけの杖をかいくぐり、小太郎は爪を振り上げてネギの喉を貫こうとする。

 ネギの目だけが、その手をとらえていた。だが、体が動かない。

 

「あっ」

 

 小太郎の爪は気で覆われており、鋭く固い剣のようになって貫手の威力を脹れあがらせる。ネギの魔力障壁を呆気なく切り裂いた。

 

「おっと、わるいがそこまででござる」

 

 あとわずかで貫ける、小太郎が確信とともに笑みを浮かべた瞬間、巨大な手裏剣がネギと小太郎の間に突き刺さった。小太郎は手裏剣を避けるために、後ろへ跳んで間合いを取らざるをえなかった。

 突然の横入りに、笑みは消え去り、青筋を立て小太郎は拳の骨を鳴らす。開かれた手は憤怒と憎悪で戦慄いている。小太郎は睨んだ、土煙がまだ立つ手裏剣がある場所を。

 そのそばに、一人の少女が立っていた。人の身の丈ほどもある手裏剣を、狙ったところにこの速度で投合する事が出来る相手の存在に、小太郎の口は憎々しげに歪み、眼は吊り上る。

 

「誰やッ!」

「拙者、でござるか。長瀬楓という者でござるよ」

「そうか。そうか」

 

 小太郎は明らかな怒気を楓に向ける。荒れ狂う気が、あたり一帯を蹂躙し吹き抜けていく。

 小太郎の姿が変わる。小さな少年の体は、灰色の毛に覆われ骨格ごと変わってしまう。人から犬へ。犬から狗へ。そこにいたのは憎しみを糧に人を呪うと伝えられてきた狗神がいた。相手を呪い殺す呪術の力は、小太郎にない。そういった意味では、狗神とは違う。だが、そう思わせるほどの禍々しさだけは確かにあった。

 その小太郎の様子に細めの目を見開き、楓は後ろにいるネギへ強い口調で話す。

 

「これは、いかんでござるな。ネギ坊主。すぐ逃げるでござる」

「で、ですが!」

 

 躊躇うネギに対し、楓は少し苛ついた声でもう一度告げる。 

 

「勘違いしてもらって困るでござるが、おぬしがいた方が拙者にとっては危険なのでござる」

 

 楓は強くネギを見つめる。

 足かせだという事実を突き付けられ、しばらく陸に上げられた魚と同じように、口を開閉して苦しみ喘ぐネギ。

 

「ネギ坊主。おぬしはなんのために戦うでござるか? ここで、拙者とともに、眼前の敵を倒すのでござるか? 違うであろう。今、おぬしがすべきことは、そんなちっぽけなことではないでござる」

「そうだ、兄貴! 今、俺たちがここで足止めされたら、木乃香の嬢ちゃんはどうなるんだ! 俺たちを信頼してくれた姉さんも、木乃香の姉さんにも面目が立たねぇ!」

 

 二人の言葉に、ネギはしばらく黙ったのち、涙をこぼして体を震わせ、叫んだ。

 

「分かりました! ですが、約束ですよ、楓さん。絶対に怪我ひとつしないでください! 先生として許しませんよ‼」

「うむ。ではがんばらねばならないでござろう」

 

 懐から出した苦無を駆け寄ろうとした小太郎へ突き付けて牽制し、楓は言う。

 楓の牽制で生まれたその僅かな隙に、ネギはまた空を飛んでいく。それを見送ることもせず、彼女は振り返る。

 

「邪魔をするなぁあああああ!!」

「悪いでござるが、それは無理というもの。甲賀中忍、長瀬楓。いざ、参る。いくぞ、化生! 永劫の間鍛えし人の(わざ)についてこれるか!?」

 

 気による分身を産み出す楓。しかしそれらすべてを無視して、小太郎はその嗅覚を駆使してたった一人、長瀬楓の本体を探り当て狙う。

 

「死ねぇえええええ!!」

 

 月夜に爪と苦無が交錯する。

 

 

 

 木々は光が発せられるごとに切り裂かれ、足元を流れる水は踏み砕かれて吹き飛ぶ。風は乱れ、三人の間で渦を巻く。鋼のかみ合う音が、いつまでも続いている。

 刹那と明日菜、そして月詠。彼女たちは舞を踊っていた。しかしそれは優美なものではなかった。ひとつ間違えれば死にいたる、そんな恐ろしい舞踏だ。

 二人対一人。

 有利なのは刹那と明日菜だというのに、二人はたった一人に押され続けていた。

 刹那の技量はその年から考えれば素晴らしい。確かな剣の才と、努力によって鍛えられた技。同い年で、彼女を超すものは数えられるほどもいない。しかしそれだけの技をもってしても、月詠の前では霞んでしまう。鍛え抜かれた光は、眼前に存在するおどろおどろしい(わざ)にかき消される。いくら刹那が技を放っても、切っ先は遠く、まるで指導者に稽古を付けられているかのごとく、軽くあしらわれていく。

 一方の明日菜は、そもそも戦闘と呼べるようなものはできなかった。元はただの中学生。喧嘩慣れこそしているが、荒事に慣れているとは到底いえない。対して相手は荒事を専門とする者。どうしても戦力不足になってしまう。

 それだけの実力差があるというのに、月詠は必ず刹那が明日菜を庇えるように間合いを調整している。だからこそ、刹那は押されている状況で明日菜を守れていた。しかし元々ある実力差に、さらにお荷物を抱えさせられては、刹那に勝ち目などあるはずがない。

 そのことが分かるからこそ、刹那は悔しげに唸る。

 

「うふふ、その程度ですか」

「っく!」

 

 先ほどから執拗に続く、浅い踏み込みとそれに伴う斬撃。明らかに、もっと深く、致命的な一撃を放てるというのに、月詠は決して勝負を決めようとしはしない。刹那は執拗に切りつけられ、それでも動けるがゆえに、戦い続けてしまう。細かい傷ばかりではあるが、体全体につけられたそれらから、多くの血が垂れ流される。白い制服は、赤く染まり始めていた。しかし、彼女は刀を振るうのはやめない。

 流れ出た血が柄を伝い、滑りそうになっても。呼吸を止めた全力の一撃を放ち続け、視界が暗くなっても、刹那は刀を振るい続ける。すべては、敬愛する木乃香のために。汗と血が混じり、脂臭いにおいが立ち込めていく。

 だが、力を振り絞り、幾度も幾度も斬撃を放ってもなお、刹那の刀は届かない。月詠が神鳴流の技すら使っていないというのに、切先をその身に触れさせることすら出来ない。刹那は、相手が月詠ではなく、剣鬼か何かだと思った。でなければ、神鳴流の技が当たらないはずがない。刀身がぶれる。

 しかしそれは刹那の思い違いだ。そもそも神鳴流の始まりは、京都を襲う魑魅魍魎の退治だ。人間を赤子と扱うような化け物を前提に作られた剣術は、妖怪相手にはかなりの力を誇った。当たり前だ。そもそもが、怪異を殺すためだけの剣術なのだから。

 しかし妖怪殺しの剣術は、人殺しの剣術ではない。確かに、対人用の技もあるが、決してそれは主流ではない。ある人物が戦場で刀を振るうまでは、神鳴流と言えば退魔の剣だった。人を相手に刀を向けることなど、考えられていなかったともいえる。

 その証拠に、神鳴流の技で、人に対して使われるほとんどの技は、無手のものだ。剣を向けるのは、あくまでも妖怪。それが神鳴流の誇りだった。

 妖怪殺しは、人殺しには成り得ない。妖怪の身の丈は、人とは大きく違う。体格が違う相手前提に組み立てられた神鳴流の技は、人を相手にするに不向きだ。大振りで、威力だけを重視した剣。鉄をも力で切断する剛の剣。だが、人を殺すのに、そこまでの力は必要ない。首を切れば死ぬし、心臓を貫いても死ぬ。人を殺すには技で十分すぎる。

 では、その人を殺す技とは? 簡単だ。そこいらの町道場でも教えられているものだ。仰々しい退魔の理など必要ない。必要なのは、隙を貫くという教えだけだ。

 大振りで、力こそ強いがその分隙も多い神鳴流。対して、隙を見せず、隙を貫くことを重視する剣術。想定している相手も妖怪と人間という差がある中で、さらには獲物も野太刀という馬に乗って振るう剣と、打ち刀という地上で人を相手取るために発達した剣。人間を斬るにはどちらの方が効率的か。

 火を見るより明らかだ。神鳴流は、対人戦では他の流派に劣ってしまう。確かに、決戦奥義を使えば、話は別だが、それは対人とは言わない。対軍だ。どうしても、人間同士の一対一の戦いを、神鳴流は苦手としている。

 しかし刹那はそのことを理解していない。神鳴流というネームバリューに踊らされて、自身の流派が最強と信じ込んでしまっている。神鳴流が最強といわれる所以は、とある剣士が最強と思われているがためだということを忘れて。

 頑なに、刹那は神鳴流の技ばかり使う。神鳴流の意義を理解せずに。

 そんな刹那の様子に、月詠はため息をついて、言う。

 

「さあさあ次はどこを斬りましょう? 踵にします? 背にします? 腕にします? 膝にします? それとも、心の臓?」

 

 喋りながら適当に、やる気のない顔で月詠は休まず刀を振るう。それらすべては、神鳴流のものではない。他の剣術で教わる技だ。一撃を破壊力ではなく切れ味によって斬る、あるいは貫く。その隙の少ない剣戟は、刹那にとって最悪の相性だった。

 

「くそぉおおお!」

 

 事態の悪さに、木乃香を攫われた焦り。傷から流れる消耗していく血と体力。それらがとうとう刹那の刀を鈍らせる。普段よりもさらに大降りになった上段の隙を見逃すほど、月詠も甘くはない。

 刀が振るわれる。横薙ぎの斬撃は刹那の一撃よりも後出しなのに、はるかに速い。大きな円を描く刹那の一撃と違い、まっすぐに銀光が首目掛けて奔る。

 

「さようなら」

「刹那さん!!」

 

 金属音が響き渡った。

 月詠の刀は刹那の肌を薄皮一枚切ったところで止まり、彼女は振り下ろされる刀から逃れるために後ろへ跳んだ。

 

「らしくないじゃないか、刹那」

 

 声がする。刹那には聞きなれた声が。

 

「た、龍宮!?」

「おお、なんだか知らないアルがとてもまずそうネ!」

「クーフェ! なんであんたがここに!?」

「なに、助っ人さ神楽坂」

 

 木々の影から、褐色の肌をした二人の人物が現れた。一人は龍宮真名。裏の世界に住む銃を主力兵装とした傭兵。そしてもう一人は、古菲。中国からやってきた拳法家。表の世界の住民なれど、その実力は裏にも十分通用する。

 龍宮は、月詠へ銃を向け目線を話さず、刹那へ語りかけた。

 

「どうした刹那、こんなところで。お前ならば『お嬢様』とすでに駆けだしているのではないか?」

「そ、それは」

 

 ふっと笑い、龍宮は告げた。

 

「仕方がない。私が格安でこの場を受け持ってやろう。お前は早く近衛を助け出せ」

「だが! 月詠は!」

「言っただろう。私はこの場を受け持った。なに、傭兵なんぞ死にぞこないがなるものだ。今回も精々死にぞこなうだけだ。さっさと行け。今の集中しきれていないお前よりかは、生き残れるさ」

「龍宮」

 

 刹那は僅かに見える龍宮の瞳を見て、夕凪を納刀した。

 

「行きましょう、明日菜さん」

「え、で、でも大丈夫なの?」

「大丈夫です。龍宮ならば絶対に」

 

 月詠を置いて先に行く刹那とそれを追う明日菜。二人を見送った真名と古菲はそれぞれの構えを取る。真名は拳銃を両手に取り、二丁拳銃を胴と頭に向ける。古菲は片手の拳を握りしめ前へ出し、残りの手は手刀に構え、頭の前に置く。月詠は黙って二人が来るのを待っている。

 刹那と明日菜の足音が消えて、古菲は隣にいる真名へ向かって呟き聞かせる。

 

「さて、真名どうするネ、アレ? 一寸やばいヨ」

「ほう。お前がそうまでいうのか」

「うん。強いとかそうじゃなく、アレ邪悪ネ。存在してはならないなにかネ、きっと」

「言いますね、本人の前で」

 

 クスクスと月詠は笑う。先ほどまでの退屈さがどこかへ飛んだかのように、楽しげに

 

「初っ端から本気出さないと、死ぬネ」

「そうか。お前からの助言だ。参考にしよう」

 

 二人が体に覇気を込める。僅かなで隙で、体を動かせるように。しかし、なぜか月詠は刀を下げた。

 

「なに?」

 

 ひとしきり楽しそうに笑った後に、月詠はまた人形のような無表情へと戻った。その瞳からは元々なかった熱がさらに失われて、濁り切ったガラスのように汚い色合いになっている。

 そうして突如、ブラブラと、拳銃と拳を向けられているというのに、散歩をしているかのごとく気ままに歩き出す。草木の枝を態々踏み折って。その突然の豹変に、二人はついていけない。しかし油断だけはしなかった。

 戸惑う二人をよそに、とうとう月詠はその身を地べたに投げ出す。そよそよと流れるだけになった風に、声を乗せる。

 

「ああ、もういいでしょうこんな程度で。約束は果たしましたし。だけど、それ以上は人の助けなんぞしたくはあらへん。あいつも期待していたほど、虐げられていなかったわけだし。態々したくないことまでしたというのに、運があらへん」

「なにを言ってるアル?」

「ううん? こっちの話ですよ。さて、どうしましょうか。消化不良というのはあるんですけどね、もう人間がなにをしようがその手伝いをしたいとは思わないんです。あの時から」

 

 よっと、と月詠は体を丸め、勢いよく伸ばしてその反動で立ち上がる。

 

「ほな、ここらで仕舞いにします。斬り殺すというのも、ある種の楽しみですが、このままあの人間の計画に従い続けるのは癪ですし」

「行かせるとでも?」

「行けないとでも?」

 

 引き金に力がこもる。龍宮は今、らしくないと理解しながら怒っていた。自分など眼中にないとする、月詠に。

 

「やめるアル、マナ。見逃してもらえるなら、見逃してもらうべきネ。負けは負けだけど、死じゃないアル。いつか勝てばいいネ」

 

 銃を突きつけた龍宮の手を抑え、古菲は言った。彼女もまた怒りこそあったが、それをこらえていた。今この場にいる戦力で、目の前にいる敵をどうにかできると古菲は思わなかった。

 

「あらあら。そちらの拳法家さんの方が話は分かるようですね。では、ほなさいなら」

 

 一跳びでその場を後にする月詠。二人はそれぞれ腕をおろし、力を抜く。

 

「やれやれ。これでは依頼料をせしめる事もできんか」

 

 わざとらしく、大仰に龍宮はそう口にした。

 

「格安言っていたネ」

「そうだな。仕方がない。貸し一としておこう」

「がめついアル」

 

 

 

 祭儀場で千草はとうとうリョウメンスクナの力を召喚する最終段階へ入った。

 神楽が舞われ、祝詞が挙げられる。その光景は神秘的で、場を気とも魔力とも判別できない力があふれ、あたりへ浸透していく。

 変化はまず、磐座からだった。磐座が力強く眩い発光をし、徐々にそこから莫大な力が漏れ出す。光が発しているところから、四方に向けすべてを吹き飛ばすかのような風が吹き、水面を揺らし月を乱す。

 風が強まるにつれ、千草の舞いは激しくなり、四方八方を舞い狂う。徐々に舞は激しさばかりでなく速度も増していく。

 踊り狂う千草の顔には表情がない。それどころか、彼女自身自分が何者であるかを認識することはできていない。格の違い過ぎる相手との交信に、トランス状態へ入っている。こうなっては、周りがなにをしてももう儀式は止められない。

 舞が終わりに近づくにつれ、磐座の光が形を取り始める。幾度かその形を大きく崩したが、それでも人の形をゆっくりと作り始めていく。

 しかしそれは人というにはあまりにもおかしな姿だった。二つの頭に四つ手。そして身の丈は人間をゆうに越えて、高層ビルに匹敵するほど。二面はそれぞれ禍々しい形相と、神々しい相貌をしている。四つ手もまた、右半身二つはごつごつとした筋肉質な男らしい肉突きで、反対側の二つはなめらかであり女性のような丸みを帯びている。顕現した力の塊は、只その場に立ち尽くしている。

 磐座に巻かれていた注連縄が、ぷつりと切れてどこかへ吹き飛んでしまう。

 

「ぎぃい!!」

 

 注連縄が磐座から外れると同時に、千草の喉が膨らみ、口から大量の血が吐き出された。それどころか、目は毛細血管が切れて赤く染まり、濁り切った輝きを灯している。せき込み、口から血の塊がもう一度吐き出されるが、千草は狂笑を浮かべていた。

 

「うぅん」

 

 近くの台に寝かせられている木乃香がうめく。しかし千草と違い体には一切の傷がない。確かに東洋一と呼ばれた魔力は底をついているが、その程度だった。鬼神の力を召喚した代償というには。

 本来ならば木乃香もまた、千草程でないにしても何らかの(きず)を受けていた。決して癒えぬ神罰の傷を。それを変わり身として受けたのは千草だった。その為にあれ程補助術式を用意していた。神罰の対象を移すという軌跡を起こすために。

 その甲斐あって、木乃香は五体満足でいられる。だが、そのためには、彼女の負担を千草が背負わなければならない。

 ――それがどないした。

 千草は、のどに詰まる血を吐き、血で馬鹿になった鼻で大きく呼吸した。もともと、木乃香は関係なかった。それを、利用したのは自分だ。ならば、神罰を受けるのは自分一人で良い。いや、そうでなければならない。

 そう、千草は思っている。壊れ、気を緩めると死出の旅路へ向かいかける体に、喝を入れる。少しでも、制御を誤れば、すべてが台無しになる。そうするわけにはいかなかった。

 だが、その決意すらも、簡単に削られる。リョウメンスクナの姿を模した力の塊がうめく。それだけで、千草の体にさらなる負担が重くのしかかる。肉体と魂をつなぐ糸がぶちぶちとちぎれるのを、彼女は自覚した。赤かった視界が暗く染まりゆく。あれ程、鉄臭かったが、今はなにも感じない。

 

「ゴボッ!」

 

 血がまた、吐きだされた。すでに、致死量と思われる量は出ている。だが、千草はまだ立ち続けている。千草の体が熱病に侵されたかのように震えだす。肌は、とうに青白くなっている。しかし血にまみれ、死にかけているその姿は、ただただ美しかった。絶世の美すらも、今の彼女を前にしては、ただ醜悪なものにしか見えないほどに。

 だが、それだけの犠牲を払っても、完全な復活ではなく、力の一部をほんの少し借り受けただけの召喚しかできない。それこそ本体のリョウメンスクナノカミからしてみれば、一厘ほどの力も持たない不完全な降臨。それでも、千草の体は限界を迎えた。あれほど入念に準備をしてきたというのに、そんな浅知恵に意味などないというように。

 体が傾く。視界は霞んだままだが、床板が近づいているのを、千草は歯が錆びついた(のこぎり)で斬られているように痛む頭で認識した。

 

「大丈夫かい」

 

 舞台の端で邪魔にならないようにしていたフェイトが、ぐらりと傾いた千草を瞬動で近寄り支えた。血で服がぬれ冷たくなっていくが、不思議とフェイトは嫌悪感など湧かず、それどころか抱きかかえた彼女に純粋な尊敬を感じ、胸が熱くなる。

 それは不思議なものだった。一般的にクールと呼ばれる存在だと自分自身でも認識していたフェイトだが、今はその胸にあふれた思いで体が内側から焼かれそうだった。まるで、こうして触れることすら、罪深い行いであるかと思ってしまう。

 ――ああ、そうか。これが、聖母という者か。

 神をこの地に産み(召喚)なおした千草。それは確かに、聖母というのにふさわしかった。

 

「お、……さま。……た、むぅ」

 

 もはや千草は言葉をまともに話すこともできない。頭を垂れたまま、力なく呟くしかない。しかしフェイトはその意志を汲み取った。頼られることがうれしい。フェイトはそう思った。

 なにを考えているか分かりづらい無表情な彼は、その瞬間はっきりと笑っていた。

 

「分かったよ。お嬢様は関西呪術協会へひとつの怪我もなく届ける。必ずね、約束するよ」

「あ、り、う」

 

 そうしているうちにも千草の肌を血が伝い、落ちていく。指先から途切れることなく滴り、血だまりが広がる。祭儀場が赤々と濡れていく。

 

「お嬢様、悪いけどもう少しだけ我慢してね」

 

 フェイトが木乃香を抱えて、背を向けて消える。転移魔法を使って移動した。最後に一言だけ残して。

 

「千草さん、貴方は僕が見てきた人々の中で誰よりも凄い人だったよ」

「わたしは、すごくない。こんな、ことしか、できんかった」

 

 それが天ヶ崎千草と、フェイトと呼ばれている少年の別れだった。

 

 

 

 小山よりも高い空で、ネギとカモは冷や汗を垂れ流す。距離はまだあるというのに、濃密な力を感じ取っていた。肌が泡立ち、空気が重い。背中に力士が乗ったように、押しつぶされそうになっている。

 ネギは、(たたず)み淡く光り輝く巨大な鬼神の姿に、自身がとうに手遅れだったことを悟った。だがそれでも木乃香を救うためだけに、祭儀場へ全速力で向かう。確かに鬼神は恐ろしいが、戦う必要はない。その事実がネギに現状をあらがうだけの勇気を与えてくれた。

 飛行中の高速移動であるが、ネギは祭儀上に人影を見つけた。いくら魔力で強化しているとはいえ、今のネギの速度では、影以上には見えない。その影の人物こそが、木乃香を知っているはずだ、ととっさに判断し、杖から身を乗り出し、飛び移るように、舞台へ躍り出た。

 

「よう、来た、な」

「え?」

 

 そして見た。千草の惨状を。いたる所から血を流し、もはや死んでいなければおかしくないその姿を。それでもなお生き抜き、敵意をぶつけてくる天ヶ崎千草。淀んでいるくせに、ぎらつく眼光。眼前にいる女性が、ネギには人と認識することが出来ずにいた。なにかの化け物。そういわれた方がまだ納得できる。

 血を吐き、力なく立ち尽くしているだけの千草。だがその周りを、薄暗い闇が覆っているように、ネギには見えた。重苦しいその闇は、ネギの手足を掴み、引きずり込もうとするかのように這いよってくる。

 

「あ、ぅうう……!」

 

 怯え、ネギは足を下げた。込み上げる吐き気に、口を押さえる。小太郎を前にしても、木乃香を救おうとした勇気は消えうせた。千草の常軌を逸した殺意だけで、ネギはすべてを投げ出して、逃げたくなった。

 

「あ、兄貴! しっかりしろって!」

 

 鼓舞しようとしたカモの声も、今のネギには届かない。息が荒く、早い。瞳孔は狭まり、手が震えている。怖いという言葉がネギの頭をただ埋め尽くしていく。

 ――なぜそこまでしてあの人は戦おうとするのか。

 戦いとは意見がぶつかり合い、話し合いで解決できないからこそ行われる物であり、だからこそ、最後はお互い分かりあえる。ネギは戦いという行為をそう捉えてしまっている。エヴァンジェリンとの戦いも、お互いの主張をぶつけ合い、最後は分かりあえた経験から。彼にとって戦いは、未来に向けた一種の競争であった。

 しかし戦いとは綺麗なものでは元来ない。それどころか、結局相手を拒絶する力から行われる殺戮にすぎない。相手を殺せるのならばわが身も惜しくはない、という人間もいる。そして今回千草はそういう人間だった。ネギと千草の認識は悲しいまでにずれていた。

 

「やれ、リョウメンスクナノカミ!」

 

 咆哮が響き渡る。低く轟くそれは、声だけですべてを吹き飛ばしかねない力を持っていた。

 前から吹き付ける音の壁で、舞台から吹き飛ばされないようネギはしゃがみ、床板を掴み体を押さえつける。それでもなお、体は浮き上がり、体が後方へ流れそうになる。魔力で強化した腕力だけが、吹き飛びそうになるネギを支えていた。リョウメンスクナの声が途絶えて二秒して、ようやくネギの体は地面に落ちる。

 

「っあ、し、視界が……!」

 

 首を振り、ネギは衝撃で白く染まりぶれて見える世界を元に戻す。

 その間に大鬼神は、ゆっくりとその四つある腕のうち一つを振り上げる。ネギは、地面に移る影でそのことに気が付いた。

 ネギに向かって打ち下ろされた拳で、あたり一帯は吹き飛ばされてしまう。祭儀場は僅かしか残らず、湖すらその水位を減らす。拳が撃ち込まれた地点は、ハリウッド映画に出てくる、爆撃された場所のようなありさまだ。

 それだけの攻撃の的にされたネギは、とっさに箒で避けていた。空へ逃げることで、避けようとした。だが、その程度でよけられるほど、神の一撃は温くはない。

 振り下ろされた拳の衝撃だけで、ネギの障壁は砕け、体は打ち据えられ、ボロボロになっていた。

 そして、

 

「ッガァアアアアアアアアアア!!」

 

 千草の腕がはじけた。磐座の前、わずかに残った祭儀場で彼女はうずくまる。壊れた腕を残った腕で抱えこみ。生臭い鉄の匂いが広がる。血霧が、水蒸気と混じり、彼女の周りを紅くした。

 鬼神を操る代償だ。体が限界を迎えていた。それに顔色を変えたのは、千草ではなくネギだった。

 

「や、止めて下さい! それ以上は貴方が死んでしまいます!!」

「お、お前たちを、おいだせるんなら、うちの命なんぞいらん。かんさい、じゅじゅつ……協会が、もく、てきをはたす、いしずえになる、のならば」

 

 叫ぶネギに、息も絶え絶えながら、千草は返す。敵の言葉に心が動くほど、彼女の覚悟は軽くない。暗い光を伴った目で、天ヶ崎千草は叫んだ。

 

「ウチごとやれ! スクナ!!」

 

 リョウメンスクナノカミは千草のいた祭儀場を踏みつぶし、ネギへ殴り掛かった。 



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鬼と吸血鬼

 林にある薄暗がりのけもの道を、刹那と明日菜は走っている。デコボコな道に、先ほどから額辺りに何度もぶつかる枝や木の葉に、刹那はうっとうしさを覚え、夕凪で枝葉を切り払う。切り開かれた道は、先ほどよりもわずかに明るくなった。

 だが、山道に慣れていないこともあり、いくら身体能力に優れている二人といえども、息が乱れてくる。それでも速度こそしだいに遅くなるものの、二人は前へと進むことをやめない。

 

「木乃香は、この先にいるん、でしょう、刹那さん?」

「ええ、そのはず、です。お嬢様の気が、このさきにある祭儀場から、感じられます」

 

 息も絶え絶えに会話を交わし、悲鳴を上げる体に鞭を打って速度を上げる明日菜と刹那。魔力や気で強化していることもあって、周りの風景が流れるように後ろへ行く。

 先へどんどん進む刹那。その後を追う明日菜。刹那はある地点を目指して走っている。しかしその目的である森の先あたりから、眩く神々しい光が発せられた。それと同時に、彼女はあることを感知して、立ち止まってしまう。

 今まで走ってきた方角を刹那は振り返っている。

 

「せ、刹那さん? どうしたの?」

「これは、どういう!?」

 

 明日菜には分からなかったが、気を感知できる刹那には、ふたつのことが分かった。ひとつはある存在が召喚されたということ。もうひとつは、木乃香の気が移動したということだ。それも木乃香にいたっては、先ほどまでいた関西呪術協会の総本山に。

 ――囮か? いや、そんなことをする必要はない。

 敵が木乃香を総本山へ連れて行く理由が刹那には分からない。ならば、囮かというと、それも刹那には肯定することが出来なかった。なにせ、囮をする必要も相手にはない。戦力は向こうの方が上であり、正面からぶつかり合えば負けるのはこちらということぐらい、兵法に疎い刹那でもわかる。さらに、今発せられている光の正体が刹那の予想通りであるならば、それこそ小細工ともいえる策などねる必要がなくなる。

 ――戦力の分散を狙ったか、あるいは。

 それでも無理やり解釈をしようとしたが、刹那はやめた。そんなことを考えている余裕などないし、敵の考えが分かるほど頭に自信があるわけでもない。

 刹那はすぐに、少し前で立ち止まり、わけのわからない状況に苛立っている明日菜に伝えた。

 

「明日菜さん、貴女はこのまままっすぐ行ってください。そうすれば、祭儀場につくはずです。私は、一度総本山へ戻ります」

「ど、どういうことよ、刹那さん! 敵は向こうにいるんじゃないの?」

「それがお嬢様の気が、総本山に移られたのです。罠かもしれません。ですが、もしかしたらお嬢様はそちらにいられるのかもしれません。私が総本山を確認し、明日菜さんはネギ先生を追いかけてください! おそらく、ネギ先生は空からの探索で、祭儀場を見つけていることでしょう。お嬢様の力を利用するならば、あそこ以外あり得ません! それにあの光はおそらく、この地に封印されている鬼神が召喚され、その際にあふれ出た力の残照です」

 

 それだけ告げると、刹那はまだ納得のいっていない様子の明日菜に背を向けて、来た道を駆け戻る。しかし月詠のいた場所を大きく迂回しなければならず、総本山へ戻るのに時間がかかってしまう。

 ――総本山にお嬢様がいなければ、私は。

 刹那は一度、自身の背中に目を向けた。

 

 

 

 リョウメンスクナは強大だった。しかし強大過ぎる力がゆえに、ネギは生き残ることが許された。

 かの鬼神が振るったその腕は、御身に触れるという反逆すら許さず、副次的に起きてしまう衝撃だけですべてを吹き飛ばす。矮小で、重さもほとんどないネギでは、鬼神の拳圧が巻き起こす暴風に耐えられなかった。

 急に体が押された感触をネギは覚えた瞬間、肌全体が震え、視界がいきなり黒く染まりかけた。

 

「ガアッ!?」

 

 声が漏れる。砲弾のように、小石を子供が蹴るかのように、その体は呆気なく吹き飛ばされ、湖畔にたたきつけられた。口から血を吐いて、ネギは腹を押さえている。

 暴風にうたれたときに、骨が折れてそれが内臓に突き刺さっていた。体の内側で焼けつく痛みが、今まで味わったすべての痛みを越えて、ネギを襲う。あまりの痛みに、のた打ち回ることしかできない。

 

「兄貴!」

 

 カモもまた酷い有様だった。体中傷がついている。白い毛は、大概が赤く染まっている。足も一本おかしな方向に曲がっている。だがそれでも、ネギよりかは幾らかましだった。それが分かるからこそ、彼は痛みをこらえている。

 

「クソッ! ふざけんな! どんな力があれば拳圧だけで、兄貴にここまでダメージを負わせられるんだよ!」

 

 おびえながら、カモは湖の中央を睨みつける。千草がリョウメンスクナと叫んだ化け物がいるであろう場所を。そして驚愕した。

 

「なっ!」

 

 湖の水がリョウメンスクナを隠すほどの大きさで、高波となって迫ってきている。

 カモは思い出した。リョウメンスクナが、殴りかかってきたとき、一歩足を動かしていたことを。ただ歩いただけで、災害染みたことを引き起こす。その尋常ではない力。カモは、体の震えを抑えきれない。

 

「兄貴! 兄貴! 頼む、逃げろ。逃げてくれ!」

 

 出せるだけ声を出す。しかし悲しいことに小動物ほどの大きさしかないカモでは、その声も小さいものであった。

 

「ぐぅうう!?」

 

 カモの声は、ネギには聞こえなかった。痛みがひどく、周りに意識を迎える余裕などなかった。そして、

 

「あに――」

 

 二人はなにもできず高波に襲われ、一本の樹木にたたきつけられて意識を失った。

 

 

 

「ぬぅう!? いかん! ネギ君が気絶してしまった! エヴァ、スクナを倒してくれ、頼む!」

「ふん。まあ、いいだろう。せっかく全力を出し切れるのだ。敵は強ければ強い方がいい。まあ、坊やが気絶しているせいで、オーディエンスがいないというのいささか寂しいがな」

 

 麻帆良学園の学園長室で、近右衛門とエヴァンジェリンが水晶玉越しに、ネギの戦いを眺めていた。エヴァンジェリンに掛けられた登校呪いをごまかすための準備中であったが、さすがの近右衛門も事態の推移が気になっており、準備をしながらであるが覗いていた。

 水晶玉が先ほどまで映し出していた光景は、生徒たちの協力もあって、主犯格のところまでネギがたどり着いた姿だ。それに幾ばくかの安堵を覚えた近右衛門ではあったが、リョウメンスクナがすでに召喚されており、振るわれたその一撃だけでネギが気を失ったその姿に、近右衛門は焦りだす。予想以上のリョウメンスクナの強さもあるが、もしネギが死んでしまったら、大変なことになってしまう。準備は途中であったが、エヴァンジェリンに京都で戦うよう伝えた。

 一方のエヴァは冷静に、水晶玉を使い、様々な角度から湖の付近を観察していた。まるでなにかを探すように。しかし目当てのものは見つからず、同時に近右衛門にその気配を覚られないために、相槌を打って誤魔化した。

 そして部屋の隅に控えていた茶々丸に命を下す。

 

「茶々丸、今から最大武装をして来い」

「最大武装ですか? しかしマスター、あれは威力がありすぎるがゆえに、使いようがないとおっしゃられていましたが」

「ふん。あの程度の威力がなければ、傷ひとつつかん。あれは、お前が今まで相手してきた魔と比べ別格だからな。それこそ、私に匹敵する力を有している」

 

 その言葉に、茶々丸は警戒を跳ね上げる。敬愛する主たる、エヴァンジェリンが聡明なのは重々承知している。だが、同時に誇り高い存在であるということも。相手の強さを客観的に見る知性があり、そしてそのうえでほとんどの存在を格下と侮れる。主以外ならばただの慢心であるが、ことエヴァンジェリンのそれは事実であった。少なくとも力を失っている今ですら、茶々丸はエヴァンジェリンが本当に追い込まれた姿を見たことはない。

 だというのに、そのエヴァンジェリンが同格と言葉にしたこと自体、茶々丸には信じがたいことだ。まだ動き出してから数年もたってない彼女は圧倒的に経験が足りない。ゆえに主の言葉が大きな衝撃となって襲う。

 CPUが高速で計算を導き出す。水晶玉から得られる様々な観測結果。エヴァンジェリンの言葉。それらからある答えを。だが、それと同時に、計算領域とは全く別の場所から、その答えを否定する信号が送られていた。論理的に矛盾する状態であるが、茶々丸は出された答えと、エラー信号すべてを無視した。

 

「分かりました。今すぐ武装を変更してきます」

 

 普段より、いくらか機械のような堅苦しい声だ。信号を却下しているというのに、いまだ出続けるエラー信号。それらの処理で負担がかかっているために、少しでも負担を軽くしようとしていた。しかし茶々丸は気が付かなかった。自身のモノアイが僅かに細まっていたことに。

 

「ああ」

 

 エヴァンジェリンの言葉に一礼して、茶々丸は部屋から出ていく。その気配が遠くなったのを確認し、エヴァンジェリンは近右衛門へ向き直った。

 

「さあ、さっさと京都へ飛ばせ」

「むぅ? 茶々丸君はどうするのじゃ?」

「ふん、あのポンコツロボでは、スクナとの戦いで邪魔になるだけだ」

 

 そう吐き捨てると、エヴァンジェリンは近右衛門へ視線で促す。近右衛門も、すぐにうなずき魔法を発動させる。

 

「うむ、分かった。今すぐ京へ送ろう」

 

 床が集められた魔力に発光していく。あらかじめ描かれていた複雑な陣に、ラテン語の文字が浮かぶ。そして、

 

「すまん、茶々丸」

 

 目を伏せて謝りながら、京都へエヴァンジェリンは転移された。

 京都の、リョウメンスクナの佇む湖のほとり上空。そこにエヴァンジェリンは転移した。麻帆良ならば魔法が使えないので落ちるしかないが、麻帆良外に出た影響でエヴァンジェリンは魔法が使えるようになっている。飛行魔法で、彼女は空を飛んでいる。

 

「ああ、この感覚、久方ぶりだ」

 

 熱く、吐息が漏れる。

 エヴァンジェリンの体を魔力が迸る。学園結界外に出たことで、彼女の力をしばる鎖は解けた。解放された力が体になじんでいく。多くの魔法使いが恐れた、悪の魔法使いがそこにいる。

 だがそれでも、エヴァンジェリンの眼前にいるリョウメンスクナは強大だ。単純な力ならば、今の彼女に匹敵している。

 

「くくく! これだ! この力だ! そうだ、お前もそうなんだろう! ようやく出せる全力だ。出し惜しみなどするまい! いくぞ、大鬼神。神話に描かれたその力、存分に振るえ! 古き貴様に引導を渡してくれる。今の世は、鬼ではなくヴァンパイアの世界だと!」

 

 ――リク・ラク・ラ・ラック・ライラック

 高高と、朗朗に始動キーが謳われる。大気中に宿る、わずかな精霊がエヴァンジェリンのもらす言霊に誘われていく。それらの精霊にエヴァンジェリンの魔力が受け渡される。精霊は、その魔力でエヴァンジェリンの望む現象を引き起こす。

 

「契約に従い我に従え! 氷の女王! とこしえの闇、永遠の氷河!」

 

 パキパキと音をたてて、世界が凍る。リョウメンスクナを中心とし、150フィートが凍りつく。稀代の魔法使いに、上級の魔法。その威力は凄まじい。少なくとも、近代の魔法使い程度では足元にも及ばない。

 

「やはり、出力不足か」

 

 だが、その魔法を受けたのもまた、神格を持つ存在。人知を超えた力を誇る。本来ならば、完全に凍りついたところを、『終わる世界』『凍る世界』という別種の魔法へつなげられるが、リョウメンスクナは凍りついた周りの空気を粉砕して(・・・・・・・・・・)、傷一つついていない姿をさらす。

 リョウメンスクナはぎろりと、その四つの眼で辺りを見渡し、空を飛んでいるエヴァンジェリンを見つけた。すると、四つの腕のうち、一本がラリアットをするかのように、横なぎに振るわれた。ただの人間ならば問題はないが、リョウメンスクナ程の巨体だと、その腕一本を避けること自体が難しい。氷雪と闇系統の魔法を得意とするエヴァンジェリンは、速度に優れているわけではない。最初からよけることは諦めていた。

 

「はっ! 貴様が最強の体を持つのならば、私の体は無敵の体だ!」

 

 リョウメンスクナが振るう腕に、体が木端微塵にされ、バラバラになったはずの体が一瞬で蝙蝠へと変じ、また元のエヴァンジェリンの形へと戻る。彼女の言葉通り、体には傷ひとつない。

 この攻防で、エヴァンジェリンは理解した。このままでは千日手になると。彼女の魔法は強力だが、リョウメンスクナへのダメージには至らない。一方、自身の体はダメージこそ受けるが、不死者の特権である“無敵”がその身を守る。ゆえに、決着がつかない。

 このまま戦い続けて、リョウメンスクナの存在を維持できなくさせるという方法もあるが、その方法をエヴァンジェリンは選ばない。彼女の誇りが許さない。強大な敵は、さらなる力を持って、粉砕する。それがエヴァンジェリンの戦い方だ。

 ゆえに、エヴァンジェリンは己が誇りのために、切り札を切ることを決心した。

 

「誇るがいい! これからするのは、私が編み出した魔法の極致だ!」

 

 どれくらいだったか、この魔法を使うのは。エヴァンジェリンは内心で呟いた。

 まだ力のないころに産み出した魔法。強くなった今ではその魔法を使うほどの相手などいなかった。本気の全力。それが出せる事実に、エヴァンジェリンの口元が吊り上っていく。

 

「刺激がなければ人生はつまらんというが、なるほどどうやらその言葉は本当だ!」

 

 喉から振り絞り、エヴァンジェリンは世界へと告げる。憎しみと憎悪によって産み出した魔法を。

 

「契約に従い我に従え! 氷の女王 疾く来たれ 静謐なる千年氷原王国! 咲き誇れ終焉の白薔薇! 術式固定! 『千年氷華』 掌握 術式兵装 氷の女王!」

 

 冷たい女王が闇夜に現れた。

 エヴァンジェリンの周りにある空気が零下になり、さらに際限なく温度が下がっていく。これこそが彼女の扱う魔法で、最大の魔法『闇の魔法』だ。自身の発動した攻撃魔法を体内に吸収することで、一時的に精霊になるという幻想化(・・・)することで、莫大な戦闘能力を得る。もちろん、攻撃魔法を吸収するため、制御を失敗すれば内側から傷つくことになる。生半可な魔法使いが手を出せば、血だまりになってしまう。それほど扱いが難しい魔法だ。

 

「行くぞ? リョウメンスクナ」

 

 空一面を塗りつぶすようにスノーダストが生み出される。作り上げたのは、エヴァンジェリンだ。彼女が発する冷気が、自然と周りを極地に匹敵する環境へ変えてしまう。その結果が、このスノーダストだ。彼女を追うように、スノーダストが一拍遅れて降り注ぐ。

 円を描くように、小粒の氷が生まれては、湖面に落ちていく。莫大な魔力を利用して、風魔法を使う魔法使いをはるかに上回る速度で、リョウメンスクナの周囲をエヴァンジェリンが旋回している。

 極低温のエヴァンジェリンが旋回することで、産み出された氷が下の湖へと落ちては埋め尽くして凍っていく。固まっていく湖に、リョウメンスクナの足がとられる。先ほどまで、空間を凍らせた魔法を粉砕したリョウメンスクナの足を。

 湖面の氷は、肉体を凍らせる普通の氷結魔法と違い、魂を凍らせる。魂魄に近い存在であるリョウメンスクナにとって、今のエヴァンジェリンが生み出した氷は自身をしばる力を持っていた。

 

「はっ! いくら貴様であろうとも、太陰の影響は受けるか!」

 

 エヴァンジェリンが湖面を凍らせたのは、太陰五行説を利用するためだ。

 世界が混沌だったとき、暖かい陽は上に登り、冷たい陰は下に落ちた。それが太陰といわれる考えだ。この暖かいとは五行においては火であり、冷たいとは水を指す。そして氷とは水の派生形だ。水が地面に落ちるということは、太陰五行説の影響を受けて、その影響が強まることにほかならない。それこそ、神という陽の存在を縛り付ける陰になるほどに。

 太陰の理を利用した湖面の氷は、リョウメンスクナに匹敵する力を発している。だからこそ縛り付けることを可能としていた。

 

「とはいえ、それもそう長くはもたんか」

 

 だが氷にはすでにひびが入り、場所によっては割れている。いくらエヴァンジェリンの最強の魔法であっても、限界はある。鬼神の力はその限界を超えることが可能だった。いつ氷が砕けるかもわからない状態だ。

 だが、ある程度の時間はある。それだけあれば、エヴァンジェリンには十分。

 リョウメンスクナの顔に、エヴァンジェリンはそっと手を置く。

 

「解放 千年氷華」

 

 吹き荒れる氷がリョウメンスクナの顔を凍らせる。

 

「砕けろ」

 

 その言葉とともに、氷を握りつぶして手が握られる。凍りついたリョウメンスクナの顔が砕けた。まるで、大紅蓮地獄に落ちた罪人のように。

 




エヴァンジェリンさんの活躍です。一応彼女は作中最強の魔法使いですから。他の魔法使いには不可能でも、彼女ならば鬼神の吐息ですが敵います。それ以外だと、ナギ・スプリングフィールドでも相手になりません。


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刹那の闇

 関西呪術協会は常と違い、夜闇と静けさに包まれていた。刹那は自身の足音だけが異様に響くことに、かつて慣れた親しんだ屋敷の面影を見つけることが出来ず、少しの不安が胸をかすめ足を急かした。

 所々で石となってしまった見知った人物を見かけるたびに、心が痛む。長と深いかかわりがあった刹那に、良くしてくれた相手ばかりが石化している。もしかしたら、木乃香も石とされているかもしれないと思うと、手を引いてくれていた相手を失った迷子のように、孤独がささやくように広がっていく。

 刹那は拳を握り込む。夕凪の白鞘が嫌に柔らかく感じる。愛刀が頼りなく感じたのは初めてだった。

 それでも木乃香の気をたどり、刹那は奥の間へ進んでいく。できるだけ音をたてないように歩いていたが、きしりという木が軋む音が僅かになる。疲れと緊張にダメージで、彼女は普段の技法を使いこなせていなかった。

 それでもできるだけ夜闇にまぎれるように、刹那は奥へどんどん進む。焦りから汗が流れ落ち、僅かなそよ風も感知できるほど気がたっていく。そして気付く。前から吹く風に僅かな血なま臭さが混じっていることに。

 息をのみ、刹那は我を忘れて飛びだした。床を踏み抜かんとした足音が耳に残る。ふすまに映る、木乃香と明らかに体格が違う影目掛け、全力の一撃を叩き込む。

 

「神鳴流奥義 雷鳴剣!」

 

 雷へと変換された気が、夜闇を眩く切り裂いて空間を焼きつくすかのごとく放電している。刃に触れたふすまは、斬るよりも早く焼けていく。

 

「驚いたね。まさかこちらに人が来るなんて」

 

 だが刹那の一撃は、白色の髪をした少年が張っている魔力障壁に止められた。

 

「っ!?」

 

 どれほど力を込めようとも、切っ先は障壁に阻まれるばかりで、切り裂くことはできない。それどころか、少年は顔を刹那に向けることもなく、反撃をすることもなかった。まるで興味などないと言わん態度で。

 ぎしり、と歯をかみ砕かんばかりに力を込めるが、それでも夕凪が進むことはない。

 

「無駄だよ。かつてのサムライマスターならば話は別だけど、君の技量では僕の障壁にダメージを与えられない」

 

 それでも刹那は力を緩めない。少年の背後にある布団に、木乃香が横たえられていた。傷こそ見える範囲にはないものの、なにかされた可能性がある。刹那にとって、それだけでもう許せることではなかった。

 

「邪魔だ!」

「やれやれ。話を聞かない相手というのは、案外疲れるもんだね。こういうのを猪武者って言うんだっけ?」

 

 突然夕凪が横にずれる。力をいなされたと気付いた時には、すでに少年の拳が腹部に突き刺さっていた。重くて低い音が内外で響く。

 

「カハッ!」

 

 吹き飛ばされ、廊下を刹那は二転三転と転がって、止まる。手足に力が入らず、視界もぶれる。耳鳴りがひどい。呼吸が詰まる。床の固さと冷たさが、安らかな微睡へ誘おうとしていた。

 

「安心しなよ。僕はお姫様を傷つけようなんてこれっぽっちも思っていない。それどころか、今の僕は彼女に傷ひとつつけないように、護衛をしているくらいさ」

 

 ノイズまみれの耳でも、その声は聞こえた。同時に頭に血が上り、顔が火照る。霞んでいた視界がはっきりした。

 

「信じ、られるか、そんなこと。血だらけのくせに」

 

 刹那が痛む腹を押さえながら息も切れ切れに叫ぶと、少年は一瞬いぶかしげに顔を歪めた。そして服を見るといま初めて気が付いたとでもいうように、少し目を見開いた。

 

「白々しい! それほどの血だ。一人くらい殺しているだろう。そんな危険な存在をお嬢様に近づけさせられるか!!」

 

 夕凪を杖に、立ち上がる。

 震える足を、刹那は気で無理やり押しとどめる。腹が熱く燃え上がっているように痛むが、それを無視して刹那は瞬動を使い少年の胸元目掛けて飛び込む。

 

「馬鹿の一つ覚えかい?」

 

 今度は瞬動を終えた瞬間に起きてしまう硬直という、わずかな隙をつかれて手首を押さえつけられ、弧を描いた拳が頬を貫く。首から先がねじれ、顔が跳ねあげられる。膝から力が抜けて、刹那の体は部屋の入り口付近で崩れ落ちた。

 足が震えていたのと違い、気で強化しても今度は体全体の痙攣が止まらない。立ち上がるどころか力を入れることが出来ず、夕凪を杖にして立つことすらできなかった。

 

「脳震盪を起こさせてもらったよ。もう、その足は動かない。少なくとも、数分間はね」

 

 体が震える。怒りが力を生み出すが、それでも足は動かない。刹那は、拳を床にたたきつけた。床板を砕き、拳は幾度も打ち振るわれる。だが、怒りはなくならない。ふつふつと溶岩のようにあとからあとから湧き出ては、内側を焼き尽くしては膨れ上がっていく。体を破裂せんばかりの怒りは、押さえつけることなど彼女にできるはずもなかった。

 

「畜生! 畜生!!」

 

 すでに背を向け、興味を向けようともしない少年が、刹那は憎かった。まるで力がないとあざ笑うかのようなその態度が。

 

「立て! 立て! お嬢様を、このちゃんを助けるんだ! 助けられなかったら、意味がない! だから立ってよ。お願いだから、立って…………」

 

 頬を涙が流れ落ちる。

 どれほど手を伸ばしても、木乃香に手が届かない。幼いころ、おぼれてしまった木乃香を助けられなかった時と同じように。

 助けようとして黒い水に飲まれたときのように、視界が黒ずんでいく。

 

「いやだよ、このちゃん。置いていかないで」

 

 這いつくばったまま、進む。手の力だけでしか先へ行けず、遅々として進まないが、それでもあきらめることはできなかった。ここで諦めたら、敗北だ。桜咲刹那は近衛木乃香を守れないということになる。もう二度と、木乃香に向ける顔がなくなってしまう。木乃香を守れないのならば、刹那という存在に意味はない。そう刹那は信じていた。

 手を伸ばす。少しだけ、木乃香に近づける。それがうれしくて、刹那はさらに手を伸ばしていく。ゆっくりと、ゆっくりと近寄っていける。

 

「悪いね。これ以上先へは行かないでもらおうか」

 

 そんな刹那をこれ以上先へ行けないよう、木乃香と刹那の間を遮るように、少年の足が置かれた。

 刹那は一瞬呆け、すぐに激怒した。少年を睨みつけ、殺気をたたきつける。だが少年は気にも留めない。

 

「今の君は危険だよ。気付いていないのかい? 自分の瞳が何色に染まっているか分かっていないみたいようだね。神鳴流剣士は魔と交わることもあったから、反転しやすいというのは聞いたことがあるけれども、君はそれ以上だ」

 

 少年が言う言葉の意味を刹那は理解できなかった。ただ、お嬢様の元へ行きたい。それだけが彼女の心だった。

 

「もし君の手がお姫様に届く場所にあるのなら、君はなにをするんだい? 僕には分からないけど、少なくとも手を取り合うわけじゃないことくらい分かるよ。今の君はきっと、お姫様を欲してしまうだろうね。それも友情とかそういうものではなく、己がものにするために。魔の影響かそれとも君の精神性か分からないけど、下手をすれば自分のものにならなければいっそその手に掛けるということもあり得ないわけじゃない」

 

 少年の言葉など、刹那には聞こえていなかった。ただあるのは、目の前にいる木乃香のもとへ行くこと。それしか頭にはない。

 

「それ以上先に行こうとするならば、排除しないといけないんだけど。…………仕方がない。千草さんとの約束だ。今の君は危険だと判断して排除させてもらうよ」

 

 木乃香との間に少年が立ちふさがる。刹那はそれがひどく気に障った。彼女にとって、今一番重要なのは木乃香だ。彼女へ手が届く場所に行くこと。だというのに木乃香に近づくのを邪魔する存在はすべてが許せない。

 

「邪魔、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔だ!!」

 

 這ったまま、刹那は夕凪を振るう。技量もなにもない、お粗末なそれはあっけなく少年にはじかれた。

 

「さようなら。今度はまともな人間に生まれるいいね」

 

 閃光が少年の手に集まっている。それは解放すれば、刹那をなす術もなく無力化するだろう。そうなれば、もう二度と木乃香に会うことができない。それは嫌だった。考えれば考えるほど寒気を感じた。

 刹那を認めてくれた大切な友達。離れたくないという気持ちが膨れ上がる。ただ、木乃香だけはこの胸元に欲しい。いつまでも触れられるようにしたい。そう刹那は思った。

 

「石化の邪眼」

 

 完成した少年の魔法が解き放たれる。光は床板を石にした。

 

「!?」

 

 口を開け、僅かに固まった少年に、刹那は空から奇襲した。

 重力の力も得た斬撃は、先ほどよりも深々と少年の障壁を切り裂いたが、それでもまだ曼荼羅模様に発光する障壁の一部によって止められてしまった。

 

「なるほど。君は烏族のハーフなのか」

 

 刹那の背中には真白な翼があった。身長ほどもある大きな翼をはばたかせ、さらなる推進力を得る。障壁こそ切断できないものの、少しずつ少年が後ずさりしていく。

 

「僕を押せるほどの力? それだけのポテンシャル、いったいどこに」

 

 斬ることはできなくとも、退かせることはできる。刹那が選んだのは、力づくだった。しかしその選択は正解だったようだ。翼の付け根がちぎれるほど強く、速く羽ばたかせて押す。少年もまた吹き飛ばされないように全身に力を込めて押し返しているが、刹那の力がわずかに上回っている。障壁ごと、少年を押しのけていく。

 

「どけぇええええ!」

 

 刀をもう一度大きく振りかぶり、横なぎに振るう。縦から横への唐突な変化に、少年は対処しきれず、またもや障壁で受け止めるしかなかった。だが、刹那の力を受け止めきるには、少年の気は散り過ぎていたようで、留まり切れずに吹き飛ばされる。幾つものふすまごと少年を外へ切り飛ばし、刹那は夕凪を投げ捨て横たわっている木乃香を抱きしめた。

 

「このちゃん。このちゃん」

 

 抱きしめた木乃香は安らかに眠っている。目を見開んばかりにあった魔力こそないものの、体は無事だ。暖かなその体に、刹那は安堵を覚え、強く抱きしめる。

 

「う、ん。せっちゃん?」

 

 抱きしめる力が強すぎたのか、木乃香が起きてしまった。

 起きた木乃香は、刹那を見た。翼を出した刹那の姿を。異形である彼女の血筋を示すものを。

 

「う、ああ……!」

 

(見られた。見られてしもうた。嫌、嫌や。このちゃんもみんなと同じようになってしまう。そんな目で見ないで! 離れないで! 私から離れていくんならいっそ――)

 

 手が伸びる。木乃香の首元へ。

 

「綺麗や、せっちゃん」

「え?」

 

 呆けた声を刹那は上げた。木乃香の口から発せられた言葉を彼女は認識できなかった。

 刹那が持つ翼は異形の証。人に恐怖を与えてしまうものだ。かといって、同族には烏族であるというに白い翼が縁起悪いと言われ、拒絶されてきた。白い翼は刹那にとって、災厄しか招かないものだ。それを綺麗なんて言われるなど思ってもいなかった。

 

「天使みたいや。柔らかくて、白くて。暖かそうや。まるでせっちゃんみたいに」

「あ、ああ。ごめん、ごめんこのちゃん!」

 

 刹那は熱く頬を流れるものを感じた。




刹那がヤンデレになってしまったような。


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天ヶ崎千草

 ちゃぷちゃぷと、波が岸に穏やかに押し寄せては引いている。湖は静寂と、星々の明かりで優しく満たされていた。波の音以外せず、夜闇の色を吸った波が動くだけで、他に動くものはあたりになかった。

 だがその黒い波は次第に赤く染まっていく。水に絵の具を垂らしように。とどまることなく赤が黒を塗りつぶす。その赤は、岸にある物体から流れ出ている。天ヶ崎千草がうつぶせで岸辺に倒れ伏していた。

 彼女の体から流れ落ちる血は止まることなく、水も地面もそこに群生している芝のような背の低い植物までもを染め上げていく。湿っぽい空気に錆びた鉄の血生臭さが混じりあう。

 リョウメンスクナの初撃で吹き飛ばされた千草は、湖が踏みつぶされたことで起きた高波に巻き込まれて、岸辺に漂着していた。

 僅かに胸を上下させ、千草は息をしている。体が冷え切り寒く、押し寄せる波が温かく感じられる。血染めになっていない場所などなく、満身創痍というよりも、とっくに死んでいてもおかしくはない。それでも彼女は生きていた。

 ほとんど力の入らない体を、千草は力を振り絞って仰向けになる。それだけで瞼が重くなる。視界も黒く染まっていく。だがほとんど見えない目でもぼんやりと、しかしそれでも眩く光る星が目に入り、彼女の口は思わず動いた。

 

「ああ、そこにいましたか。父様、母様。うちは、やりました。これで、関西呪術協会は幻想を思い出します。今うちらが相手をしている、まがい物の幻想(・・・・・・・)と違う、本当の敵を」

 

 笑い声が漏れる。掠れて今にも消えそうな声しか出せないことに、自分は死ぬのだと千草は覚ってしまう。一度覚ると、体中から力が一気に抜けていく。

 本当なら、もっといろいろなことをしたかった。陰陽師として腕を磨きたかったし、なにより女として好きな人を作り、恋人となって結婚くらいしたかった。自分の子供に、大好きな父母の話をしたかった。伝えて、語り、繋げたかった。その命を。だが、それは無理だ。もう彼女には生きるだけの力がない。本能でわかってしまう。あと一時間も生きれないということを。

 だったら後は、無理にでも笑うだけ。天ヶ崎千草が歩んできたすべては、とても大切だったと証明するために。悲しい顔をしたまま、父母に会うわけにいかない。それでは心配をかけてしまう。笑みを作って千草は喋る。

 

「今から、そっち行くんや。迎えに来てくれる? 昔みたいに。帰り道、いつものようにお話ししよう? お父様 ああ、そうや。帰ったら、お母様の卵焼きが、食べたいんや。作ってくれへん?」

 

 千草は目をつむった。疲れや痛みはもうすでにない。ただただ父と母に会える。それがうれしかった。だがしかし、

 

「フェイトはん、きちんとやれたんかな?」

 

 それだけが未練だった。

 

 

 

 水気をたっぷりと吸って、柔らかくなっている泥を踏み、八雲黒がスキマから現れた。意識こそ失っているが、まだわずかに息がある千草の近くまで来ると、屈みこむ。冷たい彼女の額へ触り生きていることを今一度確認すると、口角を上げる。

 

「やれやれ。まさか本当に召喚と使役をできるとは思わなかったよ。天ヶ崎千草、だったか」

 

 黒はスキマを利用して集めていた情報から、千草の名前を思い出す。

 彼女たちのことは、修学旅行の初日から不確定要素として監視をしていたため、ほとんどすべてを黒は知り尽くしている。それぞれが持つ個人情報は当然、生活の様子などまでも。

 そして今回行われた計画をも知った。黒としても、あまりに荒唐無稽な計画であったが、もし成功した場合、それは千草が人間の中でも最高に近い術師である証明になる。そのチャンスを逃すわけにはいかなかった。彼にとって、強い人間はぜひとも欲しくてたまらない人材だ。天ヶ崎千草の力が証明された今、彼女を欲さないわけがない。

 

「貴方には、幻想郷に来てもらいましょう」

 

 手を伸ばす。両手で彼女の体を抱きかかえ、黒はスキマを開く。行先は、黒しか知らぬとある家。かつてマヨヒガといわれたものを、自身の能力で神隠しに合わせ、外界から完全に隔離した場所へ。

 そこでゆっくりと千草を洗脳をし、黒にとって都合の良い駒にする気だった。死にかけていても、黒ならばその傷は癒せる。それに、たとえ死んでも困るわけではない。むしろ魂を支配しやすいため、死んでもらった方が黒には大助かりだ。

 一歩、足を踏み出す。

 

「な!?」

 

 足が地面に触れた瞬間、千草の体が発火し炎に包まれた。その火が黒の右手に燃え移る。

 

「グッ!」

 

 あまりの熱に、とっさに黒は千草を放り捨てざるをえなかった。

 火は未だ消えず、黒の右手をなめるように燃やしていく。すでに手首までは炭化しきってしまっていた。妖力を使い、鎮火しようにも全く黒の干渉を受け付けない。それどころか、むしろ勢いが増していく。

 手の炎から火の粉が飛んで、円を描いて檻のように、まるで逃がさないといわんばかりに彼を囲って燃え盛る。あまりの熱さに、蜃気楼が立つ。

 

「その子を連れて行かれるわけにはいかないのでな」

 

 投げ捨てられ倒れ伏している千草の手前で、鬼火が付く。あっという間に真っ赤に染まって大きく燃え上がったその火から、一人分の人影が見えてくる。それは、直衣(のうし)を着た一人の男だ。鋭い眼で、呪符を三枚、指の間に挟んでいる。その符に書かれているものは、妖が使う文字だ(・・・・・・・)。黒も時折使う力ある言葉。人が本来使えるものではない。

 

「ここは晴明神社ではないでしょうに」

 

 墨となった右腕を抱え、黒は苦々しく思いながら安倍晴明から距離を取った。

 符に描かれた五芒星。妖が使う文字に、直衣を付けた陰陽師。そして京の都。様々な可能性の中から、もっともあり得る可能性は、安倍晴明しかいなかった。

 冷や汗が頬を伝う。右腕が痛む中、黒は気勢を張る。だが現状が不味いということは、よく分かっていた。敵は、妖をも退治してきた正真正銘の化け物。黒の力は妖怪の力。妖を調伏してきた晴明に通用しづらい。一方、晴明の攻撃は、黒に対して良く効く。古来からの退魔の力を練られた術は、黒であっても危険だ。現に、炎は黒の手を焼き尽くしている。大量の妖力を使ってなんとか消化こそできたものの、片腕はしばらく使い物にならない。

 鈍く腕を奔る痛みに思わず黒が目を細めてしまったその瞬間、晴明から三枚の符が放たれる。黒い炎を纏ったそれは、拳銃の弾丸よりも早く黒を穿とうとする。晴明という陰陽師が最も得意と伝えられている術を使わないことに、黒はわずかに安堵したがすぐに表情を固まらせる。

 

「なっ!」

 

 炎は黒い蛇となって、体をとらえようとしてきた。黒は背後にここから離れるためのスキマを作り、そこへ跳んで逃げる。追撃を避けるために、千草へと弾幕を放って。

 右腕が炭化しきっている状態で、陰陽師の神を相手にすることはできないと判断してのことだ。

 しかし、

 

「そう簡単に逃がすとでも思うたか。妖よ」

 

 背後にあるはずの隙間が突如閉じる。能力に干渉されたことに、黒は思わず息をのんでしまう。黒が放った弾幕を防ぎながら、スキマの性質を一瞬で読み切り、ふさぐ。それは今まで黒が相対してきた敵で出来る者はいなかった。それほどの術師は。スキマを閉じるか、攻撃を防ぐか。そのどちらかが出来る人物は知っていた(・・・・・)。だが、それを一度に両方できる相手など、黒は一度もあったことがない。

 とっさに黒はさらなる弾幕を放つ。速度を追求し、誘導性のない弾幕は、速い。晴明を貫こうと、音よりも早く殺到する。

 

「邪気退散!」

 

 ただ一喝するだけで、黒の弾幕に込められた妖力が跡形もなく消滅させられた。圧倒的な実力差。それをただもう一度把握するだけで終わってしまった。

――敵わない

 黒の脳裏をその言葉がかすめる。このままでは滅せられる。それが分かるからこそ、黒は逃げる手段を全力で模索していく。すでに、天ヶ崎千草はどうでもいい。あの程度ならば、手に入れられるならば手に入れた方がいい程度だ。損失は痛いが、リカバーできないほどではない。自身が死ぬのと比べれば。

 同時に結界を張る。さしものの晴明も、黒の張った結界を上から塗りつぶすことはできないようで、なにもしてこない。それどころか、感嘆の声すらあげている。

 

「ほう。見事な結界だ。世界から切り離す。それを一瞬で行うとはの」

 

 黒が張った結界は、ある特徴を持っている。それは主従はこの空間にいられないという性質だ。主と式の関係は、まさしく主従である。この結界がある限り、晴明は最も得意とする式神を召喚することが出来ない。それでもなお、黒は追い詰められているが、それでも最悪だけは回避できた。

 晴明が符を放る。上空からひらひらと舞い落ちるそれは、月光をたっぷりと吸い込み、放出する。レーザーとなった光からは、霊力が込められているのが感じられる。少なくとも、妖怪である黒が触れたら、存在自体が消されるほどの力が。

 小型の結界で光を遮断し防いだ黒は、お返しに瞬間的に作れる最大級の妖力弾を放つ。地面を飲み込みながら迫る妖力弾に、さしもの晴明も一瞬体をこわばらせ、五芒星を描く形で空中に符を置き、妖力弾を受け止め上空へそらす。

 

「散!」

 

 上空で、人よりも大きな妖力弾がバラバラにはじけ飛ぶ。鳳仙花のように、地上目掛けて。それらを晴明は見もせずに避けるか、呪術を用いてそらす。

 思わず舌打ちを漏らした黒は、すぐに幾つもの妖術を晴明の周りへと放っていく。妖力弾や、妖術が晴明を囲んだのを確認し、一気にそれらを連鎖的に発動させる。

 火、土、金、水、木。五つの属性を帯びた妖力弾が、円の中心、晴明へと殺到していく。お互いが近づけば近づくほど、弾幕一発一発の威力が高まっていく。晴明の隣には、いまだ天ヶ崎千草が存在している。千草を守るように、晴明は符を使ってある程度の大きさをした結界を張り、彼もまた五行の術を持って迫り来る妖術を相克に持ち込んでいった。

 しかしその隙に、こんどこそ黒はスキマを開いて這う這うの体でこの場を離脱した。

 

 

 

 晴明は逃げた妖に、苛立ちを覚えた。

 最近噂になっている妖だろうと、当りを付ける。なかなかどうして高い実力を有していた。そういった手合いほど、大きなことをしでかす。経験から、噂話が本当かもしれないと、晴明は思う。

 

「やれやれ。京の都はいまだ魔が蔓延るか」

 

 人間が造り上げた世界が、人間の作りだした幻に怯えている。その滑稽さに、晴明はわずかに自嘲してしまう。逃げ出さぬように燃え盛っている幻術(・・)を、解く。

 

「誰、や? そこにおるんは」

「ほう。まだ生きていたか」

 

 先ほどの騒ぎで起きたのか、うめく千草の元へ、晴明は歩きよる。息が絶え絶えで、血は既に止まっている。肌は白くなっており、血の気がさっぱりない。すでに血はなくなっているのだろう。その証拠に、体はくぼんでいる。もういつ死ぬかもわからない。

 だが、ふと不思議に思った。なぜまだ生きている? と。

 晴明が長い時で見てきた中、ここまでの怪我で息をし続けた人間はいない。それこそ幻想ならばまだしも。

 

「お前はなぜ生きている? 死出の旅路に迷うようには見えなかったが」

「なんで、うちのこと、知っとるん?」

「お前をしばらく見ていたからだ」

「ほな、うちの、守護霊、か」

「まったく違うが、別にかまわん。陰陽師であるならば、ある程度手を貸そう。それはこの身に望まれたことだ。なぜお前は死なない? もう死んでも良いだろう。お前は成し遂げた。誇りすら抱いて死んでも良いはずだが?」

 

 千草は、虚ろな目であたりを見回す。すでに目が見えていないらしく、声がした方角でしか晴明がいる場所を判断できていない。

 だが、不思議と晴明と目が合うと、にっこりと笑ってかすれた声で呟いた。

 

「ただ、心配なんよ。お嬢様は無事かと。私の勝手に突き合わせてしまった御身が」

「そうか。あの娘ならば、傷ひとつない。今、笑っておるよ」

「ああ、これで安心していける」

 

 千草の瞳が静かに閉じられる。穏やかな笑みだ。晴れ晴れとして、見る物を魅了するほど美しい笑い顔だ。

 晴明は、符を取り出す。そこから白煙が立ち籠り、一匹の白鳥が現れた。

 

「案内してやれ。父母の元へ」

 

 白鳥は一度千草の元まで行くと、今度は天目掛けて飛んでいく。その姿が見えなくなるまで、晴明は見守っていた。

 




残念ながら彼女はここでリタイアです。


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関西呪術協会の終結

追記 祝五十話
これからもがんばります。
koth3


 外から鳥の可愛らしい鳴き声が聞こえる。静寂の中に染みわたるその鳴き声が、人心地つかせると同時に、目覚まし時計のアラームのように響いているが、暖かで柔らかく心地よい布団から出たくなく、ネギは寝返りを打った。

 ふかふかと体を包み、ぬくい温度の布団は、少しの肌寒さも相まって、怠惰の心を捉えて離さない。寝ぼけた頭でネギはもう少しだけ寝ようかなと考えた。

 

「…………え? 布団!?」

 

 寝ぼけていた頭に妙な引っ掛かりが生まれ、一拍置いてネギ現状の異様さに気づき布団を手荒く剥ぐ。わずかな布団の隙間から冷たい外気が一気になだれ込む。

 波音もせず、陽に暖められた草の香りが漂う部屋にネギはいた。障子越しに届く柔らかな光に、一気に寝ぼけていた目が覚め、ネギは呆然としてしまう。そして自分の体をぺたぺたと触り始める。触った部分は腫れや痛みもなく、普段通り、いやそれ以上に調子が良かった。覚えている限り、灼熱の痛みが体の内側で襲い、暴れ続けていたというのに。

 慌てて杖を探すと、すぐそばに、布団の横にスーツと一緒に置かれていた。杖を素早く握ってあたりを警戒し始める。

 

「なにが起きているの? それにあれだけ使った魔力が全快している?」

 

 そして次に気が付いたのは、魔力がネギの体に満ち溢れている事だった。リョウメンスクナとの戦いの前に、かなりの量、それこそ一日休んでいた程度では回復しきれないほどの魔力を使った。だというのに、現存魔力は枯れ果てているどころか水源である泉のごとく満ち満ちている。

 わけのわからない状態に思わずにぎる杖を眺めて考え込んでしまう。

 

「どういうこと? なにが起きたの?」

「起きたか、兄貴!」

「カモ君?」

 

 魔力が僅かに籠る聞きなれた声がした方へ顔を向けると、カモが手鏡をどこからか引っ張り出しており、それに姿を映して丁寧に毛づくろいをしていた。毛並みに満足が行ったらしく、一度うなずいて小さなカモサイズの櫛をしまってからネギの肩までするすると登ってきた。良く見ると、足に小さくはあるが清潔な包帯が巻かれている。一瞬怪我をしているのではないかと心配になったネギだが、けろりとした顔つきに先ほどの軽快な動きから、ほとんど治っているらしいと分かり、胸をなでおろした。

 

「カモ君、なにが起きているの? リョウメンスクナは? 木乃香さんは? それに明日菜さんは」

「木乃香姉さんは無事さ。リョウメンスクナに関しては、俺っちよりも説明してくれる人がいるぜ。姐さんならすぐ会えるさ。それにそろそろ朝食の時間だ。その時に皆と会えるだろうから、そこで色色聞けばいいさ」

 

 カモの話す内容に、ネギは余計現状が分からなくなってしまう。リョウメンスクナの一撃をもらって吹き飛ばされてからが、さっぱり分からない。体の傷がなくなったのも、木乃香が無事なことも、明日菜がどうしているかも。

 特に木乃香と明日菜は生徒だ。ネギが守らなければならない者たちである。無事な姿を攻めて一目見なければ安心できるはずがない。

 カモに、朝食よりも先に二人に会えないかと尋ねようとした時、ネギの後ろからふすまの開く音がし、振り返るとここにいるはずのない――麻帆良に呪術で囚われ、離れることのできない――見慣れた金髪の少女がいた。

 

「起きたか。ほらさっさと来い」

「え、エヴァンジェリンさん?」

 

 とうとう、ネギの頭は現状を理解することを放棄した。

 

 

 

 多少の足音こそあるものの、物静かな渡り廊下を歩きながら見る限り、関西呪術協会は元通りになっていた。一部に騒動で出来てしまった破壊の跡が残っていたが、それ以外はすっかりと綺麗にされている。

 様々な書類や呪具を持って足早にすれ違う人々の姿に、ネギの目は自然と追い出す。石化魔法という最も忌まわしい魔法をかけられたが、無事元の姿に戻れた関西呪術協会の人員の背中を。

 気が散ったまま歩いていたネギに、エヴァンジェリンが前を歩きながら語りかけてきた。慌てて彼女の方を向くが、エヴァンジェリンはネギのことなど気にせずただ前を向いて歩いている。

 

「さて、坊や。どうせ、なぜ私がここにいるかと聞きたいのだろう? いちいちギャーギャー喚かれながら聞かれるのも鬱陶しい。最初から全てを教えてやる。お前の救助要請で、爺が送った助っ人が私。それが答えだ。リョウメンスクナは私が倒した」

 

 簡潔に、あくび交じりにそう語ったエヴァンジェリンの後頭部を、ネギは茫然と眺めた。人を蟻のように吹き飛ばすような化け物をたった一人で倒す。ネギには決してできない圧倒的な力。それはまるでナギ・スプリングフィールド(英雄)と同じように思えた。

 

「ふん、それでお前の体が無事なのは、お前が持っていた魔法薬を使ったからだ。良くあんなものを持っていたな? どうせ爺が用意した代物だろうが。後で感謝しておけ。あれがなければ貴様は死んでいたんだからな。それとだ。関西呪術協会からさっさと私たちは出るぞ。爺の孫娘と、刹那だけを残してな」

「ど、どういうことですか?」

 

 途中の言葉で冷や汗をかき魔法薬という言葉にユギへ感謝をしたネギだが、その後のエヴァンジェリンの言葉に、かみつかざるをえなかった。狙われている木乃香に、その護衛である刹那。二人だけを残してこの場から離れるわけにはいかない。現状が分からずまだ危険があるのかもしれないというのに。教師として、立派な魔法使いとして。

 だがその心はエヴァンジェリンにバッサリと切り捨てられてしまう。

 

「馬鹿者。もう危険はない。すべては昨夜で終わったんだ。それに関西呪術協会で起きたゴタゴタに、私たちが関わってはいけないんだよ。下手を打てば内政干渉と取られ、関西だけでなく、東北や沖縄。あるいはアイヌの生き残りである術師たちが関東魔法協会を侵略者と完全に認定する可能性があるんだぞ。それくらい分かれ。それに木乃香と刹那は元来あちら側だ。あちらの話を聞く必要がある。だがな、私たちにそんな資格はひとつもない。理解しろ、坊や。餓鬼の我が儘に付き合ってくれるほど、組織というのは温くない。関東魔法協会の人間がいてはできない話もあるんだ。なに、向こうも朝食を済ますくらいは待ってくれるさ」

 

 納得できないネギは、しかし反論することが出来なかった。エヴァンジェリンの言葉が正しいと、頭は理解してしまったから。関東魔法協会の人間である自分がいては、迷惑だということを。

 なにも言えないが、それでもネギはうつむいて足を止めた。それがネギにできる精一杯の抗議だった。エヴァンジェリンの足音もついで止まる。ため息をネギは聞いた。

 

「はぁ。坊や。後で、詠春がお前の親父について話をするそうだ」

 

 優しく言われたその言葉に、ネギは大きく心を揺さぶられた。

 

 

 

 

 午後を過ぎ、人気のない指定された場所に向かったネギたちは、無事何事もなく詠春とその傍らにいる木乃香と刹那に再会した。

 スーツに身を包んだ詠春は、どこぞの企業戦士のようだ。長の姿より様になっている。

 今日、初めてあった詠瞬は昨日より幾分頬がこけているように見えるが、それ以外不調な様子は見当たらない。石化魔法の後遺症などはないようだ。

 

「あっ、ネギ君!」

 

 こちらに気が付いたらしく元気よく木乃香は手を振り、刹那は軽く会釈をしてきた。

 

「木乃香さん、刹那さん。それに長さんどうもお待たせしました」

「いえいえ、来たばかりですから。今回の件申し訳ありません、ネギ君。いろいろ内輪もめに巻き込んでしまい」

 

 第一声で謝りながら、詠春はネギたちを迎えた。その声にはわずかな疲れが込められている。疲れているというのに、案内を態々してくれるということに、ネギは感謝を覚えた。

 ネギたちを案内しながら、詠春とエヴァンジェリンは魔法関係の話を進めていく。はたで聞いているネギは、あまり口を出せなかった。純粋な魔法ならばともかく、政治がかかわるとネギにはさっぱり分からない。ただ、今回の騒動における死者が主犯である天ヶ崎千草一人であるということと、犬上小太郎はあまり重い罪に問われないということだけは理解できた。

 死者というその言葉に、ネギは気分が沈む。命を懸けてまで戦う必要はないというのに。ネギには天ヶ崎千草が理解できず、恐ろしい狂った人間にしか見えなかった。

 だが、小太郎の罪が重くないという言葉に、気が楽になった。同い年ということもあるが、ぶつかり合った相手が牢に閉じ込められるというのは悲しいことだった。

 

「ここですよ、ネギ君」

 

 一件の家を前に、詠春は立ち止まった。草木が生い茂り外見が見えないが、魔法に欠かせない天文を調べるための天体ドームがあるなど、ネギの持つ父のイメージと、ぴたりと合うような家だ。

 家へ入ると中は細長く、壁の至る所に本棚が所狭しと並べられ、様々な書物が置かれている。近くにあった書物を抜き取り広げてみると、どうやら魔法がかけられているようで、いたる所に暗号化された文章が書かれていた。ネギの頭脳をもってしても、そう簡単に解けそうにない。鍵となる魔法が基礎から変質していたりなど、基礎的でありながらその実高度なトラップが仕掛けられているからだ。

 

「さすが、父さん! これ一冊だけで、こんな高度な魔法がかけられているなんて!」

 

 夢中になって読み進めていたネギだが、詠春に声をかけられ読み込んでいた本から顔を上げた。ほほえましげなその表情に、恥ずかしい姿を見られたと、顔が熱くなる。あわてて本を閉じて、誤魔化そうとした。

 ナギの家についての感想を詠春に聞かれ、ネギは言葉を尽くして感謝を伝える。その際にこの家の鍵を渡され、いつでも来ていいと言われネギは一瞬喜んだが、すぐにずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「僕の父さんについて聞いていいですか?」

「ふむ、そうですね。木乃香に刹那君、そして明日菜君にも聞いてもらった方がいいでしょう」

 

 上層階のバルコニーに呼び出された三人と、エヴァンジェリンを含めたメンバーを一度見回し、詠春は口火を切った。

 

「これを見てください」

 

 詠春が手に取ったのは机にあった写真立てだ。その写真には、若い詠春に、タカミチに似た中年の男性、大柄で褐色な男、ネギとそう変わらない少年に、ローブを頭からすっぽりとかぶり、一冊の本を胸に抱いた中性的な人がいる。そしてそのまん中に目を釣り目にしたネギとそっくりな赤毛の男の人がいた。

 

「真ん中にいるのが、ナギ、サウザンドマスターです。私はかつて、彼とともに大戦と呼ばれる争いに参加して戦いました。その戦いは、世界の命運を左右する、それほど大きな戦いだったのです。それを終わらせ、平和を造り上げたあいつを、いつしか人々はサウザンドマスターと称えるようになりました。しかし、十年前、突如あいつは姿を消したのです。誰にも、なにも言わずに」

 

 それ以上のことは分からないと首を振り申し訳なさそうに告げる詠春に、ネギは心の底から感謝を伝え、バルコニーから家全体を眺めた。在りし日の、ネギが知らない父の姿を求めながら。

 

「ネギ君、これを持っていきなさい」

「え?」

 

 そうしていると、最後に詠春から一巻の紙を渡された。それの正体はまだわからないが、自由時間も押しており、ネギはそれを大切に持って生徒たちともに家を後にした。

 

 

 

 ネギをナギの家に案内した後、詠春は疲れ切った体に鞭を打って、関西呪術協会へ舞い戻った。

 いまだ昨日の天ヶ崎千草の襲撃とリョウメンスクナ召喚による後処理が終わっていない。有能な部下がたくさんいるため、ネギのために僅かな時間が取れたが、それでもやはり忙しいことに変わりはない。やはり自分は事務などではなく、刀を担いで戦う方が気は楽だ、と大量の書類を前に詠春は思う。とはいえ、戦友の忘れ形見に娘とその親友と出かけられたのは、心安らぎ少しだけ肩の荷が取れた。

 未処理の書類を取り出し、机に置く。仕事はまだまだある。早いところ終わらせなければならない。この仕事を終わらせたら、詠瞬には関東魔法協会の融和を進めるという仕事がある。手間取るわけにはいかない。第二、第三の天ヶ崎千草を生み出してはならない。

 

「やれやれ、そうしないためにもいろいろ頑張らなければなりませんね。次はこの書類ですか」

 

 文机に置いた書類を眺め、詠春は筆を取ろうとした。

 

「いや、もうその必要はない」

「っ!?」

 

 素早く振り返り、近くに置いておいた無銘の、しかし名刀に匹敵する刀の柄に手をかける。襲撃された昨日の今日。警戒は密にしていたというのに、それをあっさりと抜かれた事実に、詠春は驚愕を覚えた。汗で刀の柄が湿っていく。

 

「動くな」

 

 いくつものまったく異なる符が、眼前に突きつけられる。関西呪術協会において、最高権力に匹敵する九人の幹部が、詠春へと符を向けていた。

 この状態では神鳴流のどの技を放つよりも、彼らの術が発動する方が速い。相打ちにすらできない。

 だが、なによりも。

 

「ば、馬鹿な! なにをしているか、分かっているのですか!」

 

 詠春はこの状況を理解する事が出来なかった。幹部までもが、関西呪術協会を裏切ると、詠春は考えていなかった。

 戦慄きながら叫んだ言葉に、幹部たちは冷たく、白けた瞳に敵意だけを光らせて返答する。

 

「ああ、当然な。どうせ、貴様は我らがクーデターを起こしたとでも思っているだろうが、違う。これは関西呪術協会の意志だ。今の長はいらないというな。貴様の無能さには腹が立つが、感謝するよ。お前への呆れで我らの意志がひとつになったことだけは」

 

 それと同時に、幾人もの荒々しい足音が渡り廊下から聞こえてくる。恐らくは本山にいる呪術師だろう。今ここにいるのは、詠春についてきてくれる長派といわれる穏健派ばかりだ。このままここに来れば、長である詠春を守るために戦おうとしてしまう。しかし目の前にいるのは幹部。一介の陰陽師にどうにかできるものではない。だからといって、声を上げることもできない。それだけの隙を見せるわけにいかない。

 部屋を開けたのは、自分に忠誠的な、信頼できる部下だった。

 

「な、ぜ?」

 

 だが彼女たちは顔色ひとつ変えずに、幹部たちへ符を向けるのでなく、詠春へと向けてきた。その眼に、憎しみを込めて。唖然として、詠春が柄を握る力が緩くなる。

 淡々と、一人の少女が前へ出てきて言葉を紡ぎだす。

 

「貴方は言いました。戦いはおろかだと。そして憎しみは、いつしか戦いを呼び寄せてしまうと。だから憎しみを持ってはいけないと。たとえどれほど憎くても、災厄の鎖を断ち切るために、関東と手を結ぶ必要があると。私たちはその考えに共感して、貴方についていきました。関西呪術協会がバラバラになっていったのを理解しても、それが最善だと信じて。それが、どうですか。誰よりも関西呪術協会を愛していた天ヶ崎千草が本山を襲いました。多くの仲間が関東の魔法使いたちが使う呪術で石化しました。すべて、貴方が言った通りにしていたがためです。私たちは貴方を信じられなくなりました。戦わないことが平和へとつながるというその言葉を。それに、貴方は私たちを見ていないじゃないですか。先ほど、貴方は石化魔法から解放された私たちより、一人の少年を優先しました。そこで理解してしまったのです。貴方は私たちを見ていない。当の昔に、私たちは貴方に見捨てられているということを」

 

 そう言う彼女の言葉に、周りの長派が無言で涙を流す。

 ようやく詠春は覚った。自分がしてきたことは、無駄どころか、彼女らを傷つけてきたということを。自分についてきてくれた相手を裏切ったということを。

 

「ここは陰陽師の居場所。神鳴流剣士などいらない。さっさと去ね!」

 

 その言葉とともに、詠春は関西呪術協会の長ではなくなった。それを突きつけられ、なにも言うことが出来ないでいた。

 黙って詠春は立ち上がる。幸い、政務の忙しさで私物はほとんどない。服などはいくらでも後で用意できる。だから服もいらない。せめてと木乃香の写真が入ったアルバムに、あとは刀さえあれば、それでいい。生きていける。彼にはそれだけで事足りた。

 そこまで考え、詠春は理解した。先ほど考えていた、刀を持つ方が気楽だというのは、生ぬるい。自分は刀しかなかった男だと。

 荷物をまとめるのに五分もなかった。本当に必要な物だけは簡単に用意できた。

 詠春は本山を出ていく。道行く人々はすべて敵意と警戒をあらわにし、ひどい場合には符を向けてくることもあった。もし刀を持っていなければ、符を投げつけてきたかもしれない。そう思うと、悲しくなった。

 近衛家に婿入りして、長として頑張った。木乃香を守るために。だが、それは誰にも理解されなかった。いや、理解されないではない。自分が間違えていたと、詠春はいやでも突きつけられた。木乃香だけを考えていたがゆえに、他者をないがしろにしていた。それで着いて来てくれる者などいるはずもないというのに。

 本山の門を出た瞬間、新たな結界が背後で張りなおされる。それは、詠瞬がもう二度と足を踏み入れられないようにするための結界だ。本山の結界は、悪しき者などを阻む。関西呪術協会は、詠春を妖と同列に扱うことにしたということだ。

 

「私は、どこで間違えたのでしょうか?」

 

 額に手を当て、詠春は呟いた。言葉に出さずにはいられなかった。夢のようにふわふわと曖昧で、それでいて現実の苦しみが襲う。

 

「そんなもの簡単だ。お前は刀を持って戦うだけで良かった」

 

 声がした。振り向くと、烏帽子をかぶった、神々しさすら感じられる男がそこにいる。門に背中を預け、こちらを見ている。

 警戒とともに、一応誰何(すいか)する。

 

「誰ですか、あなたは?」

「お前なんぞに教えるほど、我が名は安くない」

 

 怒りすら詠春は湧かなかった。

 

「お前のようなものは、刀を手にして前に出ることしかできん。それは歴史が証明している。見てみろ、武士が建てた幕府は、せいぜい三代までしかうまくいかん。それはなぜか分かるか? 分からんだろう。武士は戦うことがすべてだ。それをはき違え、同じ貴族だからと上位の貴族の仕事である政治を奪った。それがお前たちの間違いの原因だ。武士は刀を持って戦うだけでいい。それを忘れた者にまともなことができるはずもないだろう」

 

 そう言い、男は門の中へ入っていった。

 後に残された詠春は、なにも言わず背を向け、山を下りていく。涙すら流れず、ただ打ちのめされて。




 詳しい説明というか言い訳みたいなものですが、そもそも本部を襲撃され、その長が本部を無視して客を案内するって、どうなの? という疑問から、長派の人間が離反するきっかけにしました。というより、見ず知らずの相手を優先されたら、そりゃ人心が離れていくのも仕方がないと思うのです、作者は。
 また作中に出てきた高度な魔法云々は、完全にネギの深読みです。基本的な魔法はネギの方がナギより上手いです。力任せのナギの魔法では、術式が歪んでしまうのでは? 特に細かい魔法は。(登校地獄は実際めちゃくちゃっぽいですし)


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幕間 刹那と木乃香の一日

幕間なので短いです。
戦いが集結し終えた後の話です。


 白髪の少年と戦った跡が残る、星明りに照らされた血が付き壊されたふすまといった光景が広がる部屋の中央、そこに白い翼を広げながら木乃香に抱きついて泣いている刹那が、えもいわれぬ幸せに浸っていた。

 長い間木乃香と触れ合わないようにしていたというのに、再び会話を許されるだけでなく、さらには悩ましい呪いとしか思っていなかった血をも受け入れられたことに。

 

「せっちゃん、せっちゃん。ちょっと、泣くのやめ」

「このちゃん?」

 

 だから木乃香が刹那を止めようとして語った言葉を悲しく思う。たとえどんなことであろうとも、彼女に否定されることが、桜咲刹那という存在すべてを否定したかのように聞こえてしまい、内側から体を引き裂かんばかりに鋭い痛みが刹那の心から生まれていく。

 思わず刹那はすがるように、木乃香の服を掴み見上げてしまう。

 

「そんな悲しそうにせんでも大丈夫やよ。ただなぁ、ウチかて恥ずかしいもん」

「…………へ? 恥ずかしい?」

 

 見上げる木乃香の顔は苦笑している。その顔に、刹那は小動物をかわいがる聖女の面影を見ると同時に、自分は木乃香にとって小動物でしかないのかと考え、すぐにそれでもいいかと花畑のようなことを考えた。

 緑の草原が視界いっぱい広がる中、木乃香と一緒に刹那はいて、一緒に遊ぶ。それだけで彼女は幸せになれる。頭の中で、そんな光景が広がる。

 だがすぐに恥ずかしいという言葉に気付き、刹那は気を使って音速に匹敵するかの速さで振り向く。首の痛みなどは気にならなかった。

 部屋の入り口には、一人の男性がいる。光が逆行となって、その顔は見えづらい。

 

「気付いたか」

 

 しわがれているが力強いその声に、刹那は熱くなっていた思考がすぐに冷たくなった。絶望という言葉が脳裏を埋め尽くす。

 刹那の目の前にいる人物は、術師として最高位の陰陽師であり、関西呪術協会の屋台骨とも言われる、幹部の一人、菅原是考(これたか)であった。

 目が逆行に慣れ、刹那にも声だけでなく姿も見えてくる。藍色の最高級品質の着物に、烏帽子を被り、しわだらけであるが細くしかし力強い眼で部屋の中央の様子を覗き見ていた。

 恥ずかしい場面と知られはならない血の秘密を見られたことに対して抱いた怒りは、すぐにしぼんでいく。後に残ったのは、氷柱で突き刺された冷たさだ。血管という血管が、凍てついていく。そのくせ、頭の中はめちゃくちゃに沸騰していた。

 刹那の血を知ってしまわれれば木乃香に近づく事すら二度と許されるはずもない。だからといって力づくで排除しようにも、刹那がどれだけ刀を振るったとしても、関西呪術協会幹部を相手に手傷を負わせられると思うほど、驕ってもいない。

 刹那は目の前が暗く感じられた。

 このままでは木乃香と距離を取らされてしまう。それだけは避けなければならない。だが、どうすればいい。なにをすれば木乃香とずっと一緒にいられるのか。そんなことばかり頭の中で堂々巡りする。

 

「二人とも、案内するからついてきぃ。ここはちと、物騒なもんが見え隠れするさかいに」

 

 くるりと背を見せた是考に、刹那は戸惑いを覚える。幹部になれるだけの実力者が、刹那が隠している殺気に気付かないはずがないだろう。だというのになにも言及されない、それどころか見逃されているような現状に、不安が湧いてくる。すでにこの身は殺されており、それに気が付いていないだけではないか、と。

 

「二人とも、言うたやろ。桜咲、…………刹那やったな。たしか」

「は、はい。刹那と申します。そ、その、わ、私の」

「いらんこと言わんでええ。ただ黙ってついてきぃ」

「ほら、せっちゃん行こう? 大丈夫やて。是爺皺くちゃで暗闇だと怖いけど、子供好きなええ人なんよ」

 

 木乃香がそういうと、刹那の目も不思議なことに、是考が孫に囲まれて幸せそうな笑顔を浮かべるような好好爺(こうこうや)に見えてくる。先行きの見えぬ、薄闇を泳ぐような漠然とした不安が襲うが、先を行き握っている手を引っ張ってくれる木乃香に勇気づけられ、刹那はついていく。

 木乃香と離れ離れにならなくても済むのかな、と刹那は思った。

 

 

 

 翌朝早く、刹那は木乃香と一緒に部屋で緊張していた。

 昨夜是考に案内された場所は、襲撃の際に無事だった一室で、案内された後、部屋から出ず寝ているようにと厳命され、勝手に出られないよう結界まで張られてしまった。そのため、刹那はなにもできないという現実に、傷だらけの体が限界を迎えたことも合わさり、木乃香と話をすることもできずに、すっかりと眠りこけてしまった。

 朝日で目が覚めたときなど、慌てて飛び起きて心配そうに見つめていた木乃香の額にぶつかってしまうという、とんでもない不敬すらしてしまったくらいだ。償おうと夕凪で切腹しようとしたが、それは木乃香に止められた。

 

「それにしても、是爺おそうない、せっちゃん」

「お嬢様「せっちゃん? なんか言うたか? アブでもおるんかな? 変な言葉が聞こえたで」そ、その……このちゃん」

 

 恥ずかしさで顔が熱くなったが、このちゃんという言葉ににっこりと笑う木乃香に、恥ずかしいが我慢して言った甲斐はあった、と刹那は心の中でガッツポーズをする。

 

「きっと大切な話があるんですよ。関西呪術協会関連で」

「ほうか。せっちゃんがそういうなら、もう少しこうして待っていようかな。あ、そうやせっちゃん」

――なんや、こ、このちゃん――

 

 言おうとした言葉は空気が漏れる音にもなりはしなかった。

 木乃香が刹那の膝に頭を置いて横になっていた。

 

(こ、こここ、これはあの、ひ、ひ膝枕というものでは!?)

「ああ、せっちゃん足ほっそりしているから、丁度ええ高さや。それに暖かくて気持ちいいで。色色あって、ウチも疲れてしもうた。少しこうさせてくれへん?」

 

 このちゃんの方が気持ちいいです。その言葉はなんとか隠し通した刹那だが、鼻からこぼれてくる熱いものは止められなかった。

 

「わわ! せっちゃん鼻血、鼻血!」

「だ、大丈夫です、お嬢様!」

「このちゃんや! ってそれよりもティッシュティッシュ!」

 

 それから後は、朝食に呼ばれるまでワイワイ木乃香と騒ぐばかりで、刹那はよく覚えていなかった。

 

 

 

 朝食の席にはすでにネギ達がおり、すっかり存在を忘れていた刹那は胸に張りつく罪悪感からできるだけ彼らの方を見ないよう、しかし心配していたそぶりだけは一応しておくことにした。

 しかし刹那としては、ネギよりその傍らにいるエヴァンジェリンに気を取られていた。なぜ学園にいるはずの彼女がいるのか、かなり気になった刹那だが、木乃香の「これ、美味しいでせっちゃん」の言葉に、忘却の彼方へ全力で投げ飛ばす。

 結局、ネギたちが一度旅館へ帰らされた後、また部屋にいるよう厳命され、長と一緒に出掛けるまで、刹那は片時も離さず木乃香のそばにいた。

 

「それじゃ、行ってくるで皆。昨日は大変やったみたいやし、十分休んでぇな」

「行ってらっしゃい、お嬢。それと桜咲、お嬢をお守りせいよ」

 

 玄関に見送りに来た集団から是考が出てきて木乃香へ挨拶を交わすし、後半の言葉を刹那にだけ聞こえるよう耳打ちをした。

 

「はっ! 命に代えても」

 

 刹那もまた、木乃香に聞こえぬよう細心の注意を払い、答える。

 

「ならええ」

 

 高ぶりを抑えきれなかった。長だけでなく、刹那は幹部の人間にも木乃香を守ることを認められた。そう思うと、体の震えを抑えきれない。

 

「ほな、いくで。お父様も、せっちゃんも」

「ああ、ほら木乃香そう慌てないで。まだ時間は十分ありますから」

「お、お待ちくださいこのちゃん」

 

 背後から聞こえてきた鈴の鳴るような可愛らしい声に、刹那は慌てて追いかける。木乃香の隣にいるために。




ちなみに是考は石化魔法を解除するために来ました。また、二人を部屋に閉じ込めている間に、長派の説得をしています。


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月下の鬼鬼

グロ注意


 泳ぐような闇がすべてを覆い尽くす。木々も草むらも、なにひとつ例外なく。人には決して見通せない暗闇。あまりの暗さに、平衡感覚すら失うほどの。だが月詠は躊躇いを持たずに走り抜ける。足元さえ普通の人間にはおぼつかないはずなのに。それどころか真っ昼間であっても、森の中というものは木々の根でうねり、予想だにしない変化をみせる地面は転びやすく、慎重に歩くものだ。だというのに彼女は視界が効かないはずの暗闇で、それらの常識を一切合切無視している。

 月詠には見えていた。行く先にある障害となる物、隆起した地面。それどころか視覚だけでなく、フクロウが羽ばたく無音といってもいい僅かな音や、先ほどまでいた場所に流れていた水の匂いが分かる。どんどんと五感が研ぎ澄まされていく。さながら、打ちあげられた刀が研がれることで、真の切れ味を発揮するように。彼女にとって、闇は敵でなく味方だった。

 

「さて、どないしましょう。先輩、おっと神鳴流の真似はもう終わったんでした。桜咲刹那は、私にふさわしくなかった。どこかに、私と同じ感情を共有してくれるお方はおらんどすか」

 

 掌を頬に当て、首をかしげる。もう何百年と同じことを月詠は考えてきた。自身にふさわしい相棒を、相方を、担い手を。しかしどこにもいない。だからこそ、こうして現世を彷徨い続けている。はるか昔の、まだ今のような()()と呼ばれなかった普通だったころの、幸せだったころを思い浮かべ。

 

「あのころ、か。うん、あのころは本当に幸せだった。いまみたいに余計なことを考えることはなく、斬り続けることが出来たなぁ。迸る血汗、滾る闘志。息詰まる読み合い。なんとも言えぬ至福の時やった」

 

 とろりと頬の力が抜ける。鏡を見なくとも、月詠は分かった。自身が今凄惨な笑みを浮かべていることを。だが抑えようとも思わない。この瞬間、昔を思い浮かべるときだけが、幸福な時間だ。それを態々手放そうとは到底思えなかった。

 だから、月詠は探す。かつての至高を再び体感するために。その為に必要な人間を。だが、同時に彼女はある理由から人間が嫌いだ。だからこそ、共有できる思いを人間が持っていなければ、我慢できない。その人間が月詠と同じく、迫害されて不幸せでなければ。でなければ、彼女が殺してしまうだろう。

 天ヶ崎千草に協力したのも、条件に合う人間を探し出す一環だ。

 もしその奇妙な人間が見つかったら。月詠の頭ですっと他の考えを押しどけて、その言葉が幅を利かせた。

 思わず剣気が漏れる。堪え切れない。なにかを斬らなければ、内からこみあげる欲求に耐えきれなかった。

 目の前にあった大木が――二十メートルに至ろうかという――バッサリと縦に斬れる。真中から断ち切られ、倒れた木の切断面はつるりと鏡のように光りそうなほど、滑らかだ。

 

「ああ、こんなんじゃ斬り応えがない! 人間が斬りたい。人を! あの柔らかな脂肪、そしてそれを包む斬り応えのある筋肉。それを越えた先にある、刃毀れをしそうと思える堅い骨。斬って、斬って、斬って! 屍山血河の果てに、剣鬼と罵られたとしても!」

 

 ぞわり。

 肌が泡立つ。素晴らしい考え、にでなく存在の消滅に対する危機反応として、体が唐突に震えあがった。

 とっさに月詠は、後ろへ全力で跳び逃げる。跳び退った空中で、彼女は見た。どこからか投げつけられた、あまりにも巨大な樹木が、先ほどまでいた場所を粉砕するのを。

 大樹が生み出す衝撃波は、宙を浮いていた月詠をも襲い、吹き飛ばす。避けたと弛緩していた体を、衝撃が蹂躙していく。中身をシェイクされ、凄まじい速度で吹き飛ばされた月詠は幾本の木にぶつかっては折り、飛んでいく。ようやく止まったのは、百メートルも飛ばされ、幾本の木を折って、ひときわ太い杉にぶつかってだ。

 

「な、にが?」

 

 突然襲った出来事に、月詠はふらふらと立ち上がり呆然とするしかなかった。

 そしてそれが致命的だったことを理解した。もうもうとへし折れた木々を隠すように立ちこめる砂煙。その奥から、鬼灯のように赤赤と、爛爛と輝く一対の瞳が見えた。ジャリジャリと土をかむ音も聞こえる。なにか(・・・)がそこにいた。影がうっすらと見えてくる。

 

「なんや、あんた」

 

 痛む節々を無視し、月詠は気丈に言う。影はなにも答えない。そうこうするうちに、影はさらに濃くはっきりとしてきた。

 大きい影だ。ともすれば、男性と言えるほど大きい。だが体格は華奢。歩き方もどこか気品がある。それも花魁のようなものでなく、貴族の歩き方だ。しゃなりとした動きひとつひとつに美しさと気品が満ち溢れている。思わず状況を忘れて見惚れるほどに。そして、最後に顔の影が見えた。赤い瞳に気を取られそうになるが、すぐにそんなことは気にならなくなる。

 土煙が風でさっと払われた。瓜実顔の額に、二本の小さな角が天目掛けて延びている。口元からわずかに見える牙。漂う圧倒的な強者だけが有する誇り。

 鬼がそこにいる。最強の妖怪が、そこに。

 

「儂を見て覚らぬものに答える価値なし、儂を見て覚ったのならば答える必要なし。そうじゃろう、小童」

 

 紅葉柄の着物の裾で、口元を隠し鬼は笑っている。

 鬼の言葉通り、月詠はすでに答えを必要としていなかった。名前など意味がない。鬼という種族であるだけで、誰何に応えている。

 息が詰まる。なぜこんな場所に鬼がいるのか。月詠は刹那と戦うためだけに用意していた刀を抜き放って投げつけ、身を翻した。

 

「そう逃げるな。別に喰らうわけではない」

 

 その言葉を無視し、逃げる。ただできるだけ遠くにと。

 しかし月詠の足を砕けた刀が後ろから貫き、地面に縫い付ける。脹脛(ふくらはぎ)を貫いた刀に足を取られ、転んでしまう。すぐさま抜こうとするが、月詠の力ではビクともしない。少なくとも、気を使った人間よりもはるかに強い力を使っているというのに。

 

「逃げるな言うているであろう、小童。やれやれ、やはり最初が悪かったか。しかしな、貴様程度が鬼を名乗ろうとしたのだ。その傲慢さと比べればあの程度軽い罰と思わんか?」

 

 気付かぬうちに蟻を踏んでしまったがまあいいか、といわんばかりの口調で、鬼は語る。

 だからこそ、月詠は逃げることを止めざるをえなかった。機嫌を損ねれば、存在が消える可能性もある。ならば、余計な事をして鬼を怒らせるわけにはいかなかった。

 

「それでなにか用ですか? でなければ鬼がうちみたいなもんを相手にこないなことなんかせんでしょう」

「正確に言うと、儂でなく知り合いの頼みといったところか。本人は今、道具になりそうな者を回収に行っているとか」

「そうですか」

 

 倒れ込んでいる月詠に近づいてくる足音が聞こえてくる。音が鳴るごとに、彼女の額から汗がふつふつと湧き出て流れていく。

 先ほどまで分からなかったが、血の気が抜けある程度冷静になった月詠には分かる。近くにいる鬼が、ただの鬼ではないことが。底知れぬ妖力。自身が人の皮をかぶった狼とするならば、紅葉柄の鬼は熊のようなものだ。好き勝手をして、生きていける。それだけの力がある。

 そして好き勝手して生きていけるからこそ、その本質は我が儘だ。気に食わない者はいらないと判断され、壊される。生き延びるためには、この鬼に嫌われてはならない。

 今鬼は、なにが楽しいか笑っている。

 

「そろそろ話をしようではないか。のう、小童」

 

 剣を引き抜かれる。勢い良く血が噴き出して、すぐに足を赤く染めていく。

 鬼は舌なめずりをして、月詠の首根っこを掴み掲げる。

 

「その程度の傷ならば、すぐ治るだろう。話をするにも、こう周りが木に囲まれているのは良くない。野で話し合うなど、獣そのものじゃからの」

 

 指をはじく。ただそれだけで、周りの景色が歪む。だんだんと世界が黒く染まっていく。闇夜をもものともしない月詠ですら、なにも見ることが出来ない。

 

「そうら。これでいいだろう」

 

 急に視界があけ、藁葺の古いものの立派な合掌造りで立てられた家が目の前にあった。

 

「え!?」

 

 驚いて周りを見渡すと、先ほどまでいた森の面影がさっぱりとない。斜面に建てられた家々や、僅かに漂う獣の気配。それに星明りに照らされる頂に、山の中にいるということが分かる。しかし本山のある山とは植生がまるっきり違う。

 鬼は辺りを見回す月詠を抱えたまま、目の前の家に入っていった。

 

 

 

 家の中は囲炉裏があり、なぜか関東近辺に良く見られる造りをしていて、外見とはあまりにもギャップがあった。その違和感の大きな要因である囲炉裏の上には鍋が置かれ、なにかが煮えられている。グツグツと音を立てて、肉と味噌の香ばしい匂いが広がっていた。

 鍋を挟み、月詠と鬼は対面して座っている。じんわりと汗が浮かび上がり、目の前にいる鬼に気が付かれないよう、願う。震えそうになる膝を握った拳で押さえつける。正座は苦にならないが、しかし現前している鬼がただただ恐ろしい、と月詠は体を震わせてしまう。

 

「さて、話をするか。少しは落ち着いたであろう?」

 

 冗談ではなかった。落ち着けるはずがない。

 鬼の住まいに招待されるなど、どんな理由があろうとも喰われるためにしか思えない。自身を食いたがる物好きなど、いない。そう思っていたため、鬼に浚われた我が身を諦めきれずにいた。

 しかしだからといってなにもできないのも事実。暴れたところで、実力差は天と地ほどもあり、逃げようにも先ほどの転移があるならばどこへ逃げても逃げ切れない。(へりくだ)ろうにも、鬼は弱者をも嫌うがなによりも不誠実を嫌う。おもねったら、それは殺してくれと嘆願するようなもの。

 

「まず駆けつけ一杯と行こうか。先ほど小童は走っていたから、丁度いいだろう」

 

 そう鬼は告げると、大きな声で部屋の奥、おそらく台所へ向け叫んだ。

 

「白湯を!」

 

 すぐふすまが開かれ、奥から大柄の日に焼けたような赤銅色の鬼が現れ、湯気を盛んに吹く白い小ぢんまりとした湯飲みをお盆にのせ、運んできた。二メートルを超える大鬼が、こぼさないよう重々気を付けて、小さい湯飲みを月詠の前に置く。その際おそらく笑ったのであろうが、大きな馬すら噛み千切れそうな牙を見せて強面を晒すので、月詠は気を失いかけてしまった。

 煮える一歩手前の白湯は熱く、口内と喉を火傷しそうになったが我慢して飲み干す。涙が僅かに出たが、それでも月詠は我慢して一気に飲み干した。

 鬼が飲み干した椀を見る。

 

「さて、では話をしようじゃないか、小童」

 

 かんらかんらと笑うその姿に、話を聞くだけでなくなんでもするから早く解放してほしい、そう月詠は思った。

 

「まあ、そう青い顔をするな。なに、この話は、そう悪いものじゃない。儂らに協力さえすれば、もしかすると小童の相方が見つかるかもしれんぞ?」

 

 その言葉に、月詠の中にあるなにかが刺激された。

 

「楽しいどすか」

「うん?」

 

 嫌らしい笑みを浮かべたその鬼の顔が、醜く思え、月詠は顔をそむける。

 

「人の夢貶して、楽しいどすか」

「別に貶してなどおらん。それに貴様は人でなかろうに」

 

 睨みつける。先まであった恐怖より、怒りが込み上げてきて仕方がない。殺されてでも、その澄ました顔を一文字に切り裂きたい。そんな思いが月詠を突き動かす。

 

「中々の剣気よのう。しかしその程度で鬼が切り裂けるとでも思うか? だがまあその程度の覇気もなければ面白くない」

 

 僅かに漂う鉄火場のような欲望と憎悪が渦を巻く。空気がちりちりと火花を散らす。牙をむき出して笑う鬼。そこに優雅さはないけれども、凄みと飾らない美しさがある。内面の誇りが、肌を通して光り輝いているようだ。

 

「だからなんやというんですか。たとえ鬼相手でも、許せない一線くらいうちとて持っております」

 

 毅然として、鬼灯の瞳を睨む。しかし表情一つ変わることはない。

 

「かっかっか! そう睨むな。なにお前を馬鹿にしているわけではない。お前の夢を儂は知っておる。少々けったいな知り合いがおるのでのう。そしてだからこそ告げてやる。お前では見つけられんよ」

「なにを……」

「はっ! 斬り貫くことしかできぬ身で、人探しなどできるはずもなかろう! 貴様は誰かに仲介されねば、人間になど会えぬ」

 

 歯が鳴る。ギシギシと。

 そんなこと月詠にだって分かっていた。それでも諦めきれないからこそ、捜し続けていた。運命を。

 

「かっか、かっかっか! だからこそ儂らに協力しろ。しかる後、貴様にふさわしい相手を見つけてやろう。儂らが造るのは、理想郷。すべてのものがたどりつく楽園。拒絶され、忘れられた者たちが集う幻想の都。そこになら、お前の求める相手もいるだろう」

 

 鬼は口元を扇子で隠す。もう語るつもりはないらしく、ただ月詠をねめつけている。

 正直、月詠としては怒りを抑えきれおらず、腹立たしかった。しかし鬼が言っている言葉が事実だということも理解しているために、反論することもできずにいた。理想郷を作るという噂は、彼女も耳にしたことがある。

 胸をかきむしりたくなるほど不快だったが、結局月詠は忌々しそうに決断を口にする。

 

「ええでしょう。鬼が嘘を吐くとは思えへん。いな、つくはずがあらへん。その話信頼させてもらい、うちで良ければ協力いたしましょう」

「そうか。ではこれからよろしく頼む。ついでだ、夜食でも(しょく)していけ。あまりものだがな」

 

 そう言って、鬼はまたもやあの大柄の鬼を呼び、囲炉裏に掲げられていた鍋から中身をよそわせた。やはり大鬼はおっかなびっくりと、漆が塗られ見事な紅葉柄の描かれた椀を丁寧に手渡してくれる。

 

「あ、ありがとう」

「気にするな」

 

 つい月詠が受け取ってしまい礼をすると、その大鬼は後ろ頭をかいてそっぽを向いた。あんまりにも似合わない姿に、一瞬呆けてしまいそうになる。

 

「そいつは恥ずかしがり屋で、ついでに家のこまごまとしたことをするのが好きでな。女官みたいなやつだ。仕事はできる。安心しろ、それはそいつが作ったものだ。味は保障するぞ」

 

 椀の中は骨に身が付いたあら汁で、上には香草がまぶされており、立ち込める湯気に閉じ込められた香りが鼻をくすぐる。本当はさっさと返してほしかった月詠だが、思わずつばを呑みこんでしまう。

 先ほどまでの怒りを忘れて、もらえるのならばもらうとしよう、と思ってしまうほど、美味しそうなあら汁だった。

 

「ほ、ほないただきます」

 

 骨についた肉を箸で丁寧に剥がす。きちんと処理されているらしく、箸でも簡単に取れる。鬼が作ったものだから、大ざっぱなものと思っていたがそうでないと知り、月詠は期待を膨らませる。

 口に入れると、まずは見事な旨味と臭いががつんと襲う。独特な臭みであるが、この臭みがあるからこそ、すぐさま臭いをかき消す香草が生きてくる。さらに香りが変わったことで、肉の旨味が膨れ上がる。甘いだけでなく、僅かな苦みが大人の味だ。

 

「ああ、美味しい」

「そうだろう、これは新鮮な()を使っているからな! 自慢の一品、人間のあら汁だ!!」

 

 月詠の椀には、熱が入って白く濁った眼球がぷかぷかと浮かび、虚空を見つめていた。




晴明の言っていた暗躍している妖どもの片割れです。


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揺れ動く日本

ちょっと量が少ないですが、投稿します


 麻帆良学園女子中学校二年生の修学旅行が終わり、無事埼玉の麻帆良学園へ彼女たちが帰ってきて次の日、魔法先生と呼ばれる魔法関係者たちは、学園長室に集まっていた。

 日曜日いきなりの収集命令ではあったが、多くの魔法先生たちは押っ取り刀で駆け付けた。

 

 近右衛門は、懐に一通の封書を入れ、学園長室で魔法先生たちが集まるのを待っていた。近右衛門は、時折机を指で叩く。コツコツと骨ばった指が鳴らす音が次第に大きくなるにつれ、魔法先生たちも顔色を変えていく。

 

「学園長、どうやらこれで麻帆良にいる関係者は全員集まったようです」

 

 隣にいたタカミチが、そう学園長へ耳打ちする。首を振って近右衛門は、何度目かの魔法を使う。認識阻害魔法に、探査術式だ。今から話すものは、決して外へ洩れてはならない類のもの。その為に、狭くても態々学園長室に魔法先生たちを集めた。

 学園長室は麻帆良において最大の防諜が効いているといえる。ここでの会話を盗み聞けるものなどいないと言えるほどに。それでもなお、近右衛門は魔法を使った。魔法の効力が確かに効いているという確信を持ち、ようやく近右衛門は口を開く。

 

「皆の者、休日だというのに朝一で駆けてもらってすまぬの。しかしそれだけ重要な件ができてしまったのでな」

 

 顎から生えた長い髭をさすり、近右衛門は懐に仕舞い込んだ封書を取り出す。そこには関西呪術協会の刻印が刻み込まれている。間違いなく、関西呪術協会の人間が書いたものであり、封をしている蝋には、長を表す魔法刻印が刻まれていた。少し前に、関東魔法協会から関西呪術協会へ送った封書と完全に同じ形式を取られている。

 そして最大の問題は、長の名前が書かれる場所に、近衛詠春の文字がないことだ。

 

「どういうことですか!?」

 

 真っ先に声を上げたのは、葛葉刀子だった。神鳴流剣士である彼女は、誰よりも関西呪術協会と深い結びつきを持っているといえなくもない。なにせ関西呪術協会の長は、彼女が修めている神鳴流の宗祖の血を引く青山詠春、つまりは近衛詠春が長だ。そして神鳴流剣士と関西呪術協会は、最近こそぎくしゃくしているが、元来かなり親交のある組織だった。だからこそ、誰よりも早く反応した。

 

「関西呪術協会は、近衛詠春を長から罷免させたようじゃ」

 

 ざわめきが広がる。近衛詠春は、親魔法使い派で、日本最大の勢力を率いていた。その旨味は計り知れないものがある。関東魔法協会が幅を利かせられていた理由のひとつでもある。というのも、関西呪術協会は、昔から日本最大勢力であり続けた。その最大勢力の方針に真っ向から反対できる土着勢力など、この日本にはそうそうない。腹の中に黒い物をため込めさせながらも、にらみを利かせる呪術協会があるからこそ、関東魔法協会は大手を振って、日本中で動いていた面がある。

 逆を言えば、関西呪術協会の協力がなくなれば、関東魔法協会は多くのことに不利益ができてしまう。他地域で行動したくとも、その地域の勢力が許可をしないなどの可能性もある。

 そして、封書に書かれている新しい長の名前は、若いとはいえ能力があると裏の世界でも名が知れた、反魔法使い派だ。こうなっては多くの勢力が、手のひらを返すように――押さえつけられていた感情の爆発で――関東魔法協会の行動を批判するだろう。それは逃れようがない。

 

「それは、なぜですか? 学園長」

 

 近衛詠瞬が罷免されたという衝撃で頭が冷めたのか、青い顔をした葛葉がもう一度尋ねた。近右衛門は、なにも言わずに背を向ける。

 

「学園長!」

「……分からぬ。ネギ君が親書を渡すまでは上手くいっていたようじゃ。しかし今日いきなり、こんな封書が儂宛に送りつけられたのじゃ」

 

 そう言い、封書を開く。封書に込められた魔法――関西呪術協会からすれば呪術である――が発動し、一人の長と呼ぶには少し若々しい男が空中に投影される。

 格調高い服装、平安時代の貴族がするような和服を着、その男は坦坦と話す。内容は簡単に言えば、相互不干渉の提案だ。しかしその実、言外に他勢力の協力を匂わせておきながら。

 現状、どれほどの勢力が関西呪術協会へ着くか分からない。

 いくら関東魔法協会を外来の術者と嫌う輩が多いからと言って、魔法先生たちの実力自体は変わらない。麻帆良の教師は精鋭だ。凡百の術者程度ならば、退けられる。だが数で攻められると、いくら精鋭がそろう麻帆良といえど、危険だ。その為に、敵勢力が分からない今、下手に敵対するのはまずい。

 

「今聞いてもらった通りじゃ。どうやら関西呪術協会は、和平の道を閉ざし、徹底抗戦に近い形へと持っていきたいようじゃ」

 

 だからこそ近右衛門もまた、準備を進める。

 

「まだ戦争とならんだろうが、警戒を怠るわけにはいかん。明石教授、お主を筆頭に土着勢力たちの動向を調査する班を作る。調べてくれ。タカミチ君にガンドルフィーニ君達は、夜の防衛をより強く警戒して行うようにしてくれ」

 

 関西呪術協会が告げたのは相互不干渉という、要求であるというのに。しかし近右衛門はあたか関西呪術協会が関東魔法協会へ戦を仕掛ける気があると見せかけた。近衛近右衛門は、関西にもある程度のつながりは残している。しかしそれはあまりにも脆弱であり、一部の人間にしかつながらない程度のコネでしかない。だが今まではそれで良かった。詠春への指示ができるのならば、それだけで。

 だというのに長が変わってしまったせいで、もう近右衛門の力は関西呪術協会へもぐりこめない。使えない権力など邪魔でしかない。ゆえに、近右衛門は関西呪術協会を敵と断定した。

 

「分かりました」

 

 そしてまた魔法先生たちは気が付かない。関西呪術協会と長い間仲が良くなかったという前提条件もあるが、しかし近右衛門の言葉が彼らにある言葉を思わせたがため、冷静な判断能力を失っていた。

 戦争、そしてその勝者に与えられる称号。英雄という言葉に踊らされて。

 その様子に、近右衛門は一人、ほくそ笑んだ。

 



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過去より来る悪夢
罅割れていく世界


 黒は修学旅行から帰ってきた翌朝、麻帆良中学校近くにあるカフェで、ネギを待っていた。修学旅行から帰宅した後、どうしても話したいことがあると昨日の内に電話でいわれ、こうしてわざわざ時間を取っている。

 これがもしネギ以外であるならば断わっただろう。黒にとって、今は大切な時期だ。計画の細部を詰めていく時期である。些細なことにかかわりを持ち、余計な時間を使うわけにはいかない。

 だが黒は時間を取り、こうして待つことにした。

 朝早いため、カフェには通勤前のサラリーマンがコーヒーを飲む程度で、客入りはそれほどよくない。内密な話をしやすいよう、黒がわざわざ指定した場所だ。そう遠からず、ネギも来るだろう。

 手持無沙汰だったので黒が頼んだ紅茶の湯気が、朝特有のさわやかな風で鼻孔に運ばれていく。ほのかに香る淡い香りを楽しみ、黒はショートケーキの甘みを紅茶で流し込む。砂糖の甘みに隠れているがしっかりと存在する茶葉本来の苦みが、口内をリフレッシュさせてくれる。

 そうしてもう一口甘みを入れるために、フォークをかるいさっくりとした生地に差し込む。と、丁度フォークが皿に触れたとき幼い子供の高い声が店内に響く。見るとネギが手を振りながら黒の方へ駆けてくる。

 

「ユギ! ごめんね、待たせて!」

「待ち合わせ時間までまだ十五分はあるのですが」

「えっ?」

 

 息は乱していないが頬を紅潮させ、ネギは素っ頓狂な声を上げた。黒に指差された方にある、店内の時計は待ち合わせから十五分前を確かにさしている。

 かっと頬の赤身が顔全体に広がり、ネギは慌てて腕を振りながら言い訳する。

 

「ほら、落ち着きなさい。別に時間を間違えた程度、とやかく言いません」

「う、うん、ありがとう。でも、ユギも楽しみにしてくれているだろうと思ったらどうにも早く出過ぎちゃったみたい。待ってて、今見せるから」

「いや、そもそもなんの用かなんて聞いていないのですが?」

「あれ?」

 

 首をかしげるネギに、ひとまず席に座るよう促して黒は一息つく。

 なにかしたがっているネギだが、とかく落ち着かせなければ話にならない。慌てたネギの言葉は支離滅裂になってしまう。

 それを知っている身として、黒は真っ先に椅子へ座らせた。

 

「それで、話とは?」

「あっ、うん。えっと、ね」

 

 座ったおかげで落ち着いたのか、少しどもりながらもきちんとした言葉が返ってくる。

 ガサゴソとネギが鞄の中を探し出す。鞄の中から取り出されたのは、一枚の紙だった。あまり保存状態はよろしくない。また、広げると大きすぎるために、他の机を借りてそこに置かざるを得ない。客がいないからこそできることだ。

 広げられたものには絵と文字が書かれている。

 

「…………」

「すごいでしょう!! 父さんが残したものなんだ!」

 

 それは地図だった。麻帆良の地下通路を示しており、所々に汚い手書きの文字で文章が書かれている。

 そして、ある個所に、これまた汚い文字の上、そこに下手くそな絵が描かれていた。

 ナギ・スプリングフィールドをデフォルメしたような絵が。

 

「父さんの手がかりがここにあるんだ! ユギ、行こう!」

「…………」

 

 黒はなにも答えない。ただじっとその絵を見続けている。

 その様子に、ネギは不満なのか、頬を膨らませた。

 

「ユギは父さんに会いたくないの?」

「……会いたいと言ったら?」

「なら、僕と一緒に行けばいいじゃないか! なにをそんなに尻込みしているの!」

 

 とうとう椅子から立ち上がり、机をたたいて顔を真っ赤にして怒鳴るネギ。あたりの客や従業員が立ち止まって様子をうかがい始めている。

 

「そうですね」

 

 興奮しているネギと比べ、静かな声色で黒は言葉を口にする。

 

「だから」

「魔力があれば」

 

 二人の間が静まり返る。

 ネギは赤かった顔を青くし、続けて出そうとした言葉を飲み込んだ。

 

「魔力があれば、魔法を使える。魔法を使えれば、父に会いに行くこともできる。だけど、私にはない。だからいけないんですよ。どんな危険が待ち受けているかも分からない。だというのに足を引っ張ってしまう私がいては邪魔になるだけです」

 

 ふらふらとネギは崩れるように椅子へとへたり込む。

 

「……ごめん、ユギ。僕、最低だ。魔法が使えないのを知っていて」

「構いませんよ。もうそれに関しては慣れています。存外魔法が使えない生活というのも、それはそれで面白いものですよ」

「……うん」

 

 それ以上、ネギはなにも口にしなかった。ただ黙っているばかりで。

 黒はすっかり冷めた紅茶を飲み干す。伝票を掴み、その場を後にする。

 残されたのは、沈み込むネギとさらに残ったケーキだけだった。

 

 

 

 そこは清浄な世界だ。邪というものがなく、楽園と言える世界がどこまでも広がっている。空気は澄み渡り、流れる水は甘露のごとく甘い。大地は暖かく、吹く風は優しい。建てられた建物は、見事な彫刻が彫られており、ひとつひとつがとても大きい。しかしだからといって金持ちが作るような、権威を主張するかのごとく醜さはない。

 だがそこは清すぎる。水清ければ魚棲まずという言葉通り、ここには生物の気配がない。ただいるのはぽつりと立つ黒一人。

 忘れられた都はただそこにある。どれほどの月日がたとうと、変わらずそこに。

 

「つまらなさそうだな?」

 

 世界が歪む。黒の隣にスキマが生みだされる。それはゆっくりと、務歯(むし)が壊れてしまったジッパーのごとく開いていく。

 

「そんなことはありませんよ」

「そうか、ならいい。それにしてもここはこれが効きづらいから困る。私個としては住みやすいがな。お主ほどの力を持つならばまだしも、ほとんど多くの妖怪はここでは住めんぞ?」

 

 静寂(しじま)を乱すその言葉に、黒はなにも語らず目をつむる。

 言葉にできないほど、感情が胸の中で渦を巻いている。うれしさと悲しさ。喜びと悔しさ。幸せと苦悩。それらが重なり合い、万華鏡のごとくさまざまな色合いに代わっていく。

 

「そうですね。確かにこのままでは住めないでしょう。妖怪どころか、あのどんな環境下ですら逞しく生きる人間ですら生きいけません。ここは清浄すぎる。仙人といわれる者すらも、ここでは不浄でしか過ぎない」

「まあ、な。仙人など他より長く生きたいものがなるもの。生にしがみついたそれらがどうして清浄と言える?」

「私たちと比べれば、どこまでも清浄でしょう。結局、問題は簡単なんですよ。ここには生にしがみつき、生きるために他者を喰らうという欲望が長い間存在しなかった。だからこそ、ここまで清くあり続ける。ならば解決法も簡単。この世界を汚せばいい。生きるという執着を持ってどこまでも」

 

 黒は歩き出す。それに従うように、蒼も一緒に歩く。

 二人はなにも語らずに、ただこの世界を眺め続ける。惜しむように、憎むように。

 立ち止まる。そこは他よりわずかに高い丘陵だった。そこからは、この世界を一望できる。造られた世界を見下ろし、黒は口にする。

 

「幻想郷を今ここに」

「よかろう。その覚悟、確かに成就させよう」

 

 その言葉は、空に広がる青い海だけが聞いていた。



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不審なネギの様子

「ねえ、ユギ先生。ネギがなにをしているか知らない?」

 

 神楽坂明日菜がそう切り出したのは、修学旅行から数日経った、英語の授業後だった。いつもならば、授業を終えるチャイムの音に、身を机に投げ出すというのに。授業を終え、教科書などをしまっている黒を捕まえているのは、それほどネギが心配だからだろう。

 というのも、ネギの顔は頬がやつれ、クマができ、教室を後にしようとしていたる所に頭をぶつけている。心配するのも当然だろう。

 一見すると明日菜はガサツな性格と思われやすいが、その実ネギの面倒を半年近く見ているなど、面倒見は良い方だ。それこそ、よく騒動を起こしてしまうネギを、できの悪い弟だと思っていてもおかしくはない。だからこそ、あまりの様子に不安になっているのかもしれない。

 

「修行をしているだけだそうですよ。そこまで心配することはないでしょう」

 

 ネギは修学旅行後、なにかを考え込んでいた。珍しいこともあるものだと、黒が邪魔にならぬようにと一人にしていた。するとなにを思ったか、いつの間にかエヴァンジェリンに師事するようになっていた。そのことは、ネギから知らされているので、黒も知っている。

 最初はなにを考えているか分からなかった黒だ。いくら一度負かされているからと言ってエヴァンジェリンが、ナギの血を継いでいるネギの血を諦めているとは思えない。なんとか考え直すように諭そうとしたが、それらすべては伝わらなかった。そればかりか、黒を守れるくらい強くなるとキラキラした目で断言したくらいだ。強くなる前に、判断能力を鍛えてほしい。それがネギに対して持った願いだ。

 もはやなにを言っても聞きやしないだろうとあきれ果て、黒はそれ以上ネギの修行に関与するのをやめた。

 

「でも、あんな様子よ?」

「魔法使いの修行は肉体だけでなく、精神面に強い負荷がかかります。ですから疲れはどうしても残りやすいですし、疲労は大きくなってしまうんです。それでも心配というのならば、兄を問いただせばどうですか?」

「う、ううん。さすがに問いただすのは……」

「なら、兄を信じてあげてください。時折どうしようもない馬鹿をしてしまうような兄ですが、あれで一応は考えているんです」

 

 それだけ言い残して、黒は明日菜を置いて教室を後にする。

 

 ユギが去った後、明日菜は物思いにふけていた。

 弟であるユギがああいったのであるならば、安心して待つべきなのだろう。しかしエヴァンジェリンはかつてネギを襲ったりなど、明日菜からしてみれば悪い子ではないがあまりいい印象もない。それにネギが修行をお願いしているが、それほどに強いのかもわからない。実際、ただの中学生である明日菜の蹴りを喰らい、吹き飛んでいた始末だ。本当に修行がネギを強くしてくれるだろうか。

 そもそもエヴァンジェリンがするという修行がまともなのかも分からない。

 

「やっぱり気になるわ。あそこまでやつれるなんて」

「なら、さ。調べに行く?」

「わっ! 朝倉! 脅かさないでよ」

 

 いきなり後ろから声を掛けられ、明日菜は驚いてしまう。しかも相手はパパラッチと揶揄される朝倉だ。色んな意味で心臓に悪い。

 ネギが修業をしているというのはあまり広げるものではない。それくらい明日菜にですら分かる。

 だというのに、次々に人が集まってくる。のどかに夕映にクーフェ。さらには後から木乃香と彼女についてきた刹那までもが加わってしまった。

 押されるように、明日菜は彼女たちによって尾行させられてしまう。

 

「ちょ、ちょっと! やっぱりネギに直接聞いた方が……」

「でも、聞いても答えてくれなかったんしょ? だったら、こうやって真実を突き止めるしかないじゃん。安心しなよ、これでも報道部期待のホープよ!」

 

 明日菜の口で朝倉に勝てるはずもなく、結局尾行は続くことに。前を行くエヴァンジェリンと茶々丸の背中を追いかけ続ける。

 いつしか雨が降り始めた。最初は小雨だったのが、すぐにも強い雨へと変わる。

 天を仰げば、重苦しい黒い雲が低く広がっていた。

 

「天気予報は外れちゃったか。それにしても、エヴァちゃんとネギは修行って言って、いったいなにをしているんだろう?」

「ううん? なんだろう。まさか、エッチという意味でマル秘的ななにかを……!」

「んなわけあるかーっ!」

 

 馬鹿なことを言われ、頬を熱くして明日菜は朝倉へ突っ込む。からかうためだけだったのか、朝倉は笑みを浮かべるだけだった。

 

「それにしても、おかしいですね」

「どうしたの、刹那さん」

「それが、どうにも気配がないんです。あの家の中にある気配が」

 

 朝倉との口論に押し入るように、刹那が口にした。明日菜には分からないが、気を使い、実力者である刹那が言うのならば、間違いないのだろう。今、あの家にはネギとエヴァンジェリンはいないらしい。

 

「ネギ? エヴァちゃん?」

 

 一応ノックをしてみる。しかし返答はない。

 

「エヴァちゃん、入らせてもらうわよ」

 

 カギはかかっていない。物騒だとは思うが、しかしよくよく考えると、こんな人気のない場所には、そもそもそういった類の人間も近寄ってこないだろう。人家があるとはとうてい思えないような場所に立っている。

 そもそもがエヴァンジェリンのこと。家になにか仕掛けていることだろう。あれだけ魔女と高言しているならば、小説みたく。となれば麻帆良の治安の良さも相まって、この家は表裏関係なく、安全なのだろう。

 

「おかしいな。確かに二人が家に入ったのは見たはずなのに?」

「トイレにも、お風呂にもいないアル。もちろんベッドにも」

 

 家に入ってみると、刹那の言うとおり、誰もいない。軽く見まわってみるが、やはりどこにもいない。

 鞄はふたつ、丁寧に並んでかけられている。だからいるはずなのに、エヴァンジェリンと茶々丸の姿は見当たらない。

 明日菜が困り果てていくつかの部屋を何度も覗いていると、のどかの声が聞こえてきた。

 

「み、みなさんこっちへ~~~っ」

 

 なにかあったのではないか。慌てて明日菜たちが声のした方へ行くと、のどかが地下へ行く階段の前で立っていた。明日菜は知らなかったが、どうやらこの家には地下室があるようだ。その階段を指差すのどかに怪我はないようで、ひとまず安心した。

 階段を下った地下室は、一階と同じくたくさんの人形が所狭しと並べられている。西洋人形が多いが、時折日本人形やロシア人形。どこの人形か分からない物までもが見つけられる。しかし所々埃がかぶっている。そのせいか、他の部屋と違ってほこり臭い。

 その地下室の奥も奥。そこに木乃香と刹那、夕映がいた。

 彼女たちは奇妙なガラス球を中央に置き、輪を描くように立っている。中央にあるガラス球はとても大きく、なかには建物らしきものが入っている。まるでボトルシップであるが、大きさも精度もけた違いだ。人ほどもあるガラス球というのも聞いたことがない。

 

「なんだろうこれ?」

 

 しばらく触れずに眺めていると、明日菜は急に辺りが静かになったような気がした。慌てて顔を上げると、周りにいたはずのみんながいない。

 

「え? ちょっと、どうなっているの!?」

 

 誰もいないことに、置いてきぼりにされたとき特有の、心臓が破裂するかのような不安が襲う。

 不安に突き動かされて、慌てて足を踏み出すと、カチリという小さな音がする。足元に魔法陣が浮かび上がった。逃げようとするが間に合わず、明日菜は光に飲まれてしまう。

 

 

 

 気が付くと明日菜は、暖かい、見たこともない場所にいた。見渡す限りキラキラ光る海原が広がっている。温かい潮風が海特有の、べたついた塩辛い香りを運んでくる。

 さらに奥にはどこかで見たような建物がある。それはあのガラス球の中にあった建物そっくりだ。

 

「ここは……?」

「どうやらあのミニチュアと同じような建物のようです」

「夕映ちゃん!?」

 

 振り向くと、夕映が体育座りでいた。立ち上がってスカートをはたき、

 

「こちらです、明日菜さん」

 

 夕映は橋を渡っていく。横幅は十分あるものの、あまりの高さに、明日菜の足がすくむ。

 

「なんでこんな高いのに、手すりがないのよこの橋は! 非常識(ファンタジー)すぎるのも大概にしてよねっ!」

「そうですか? 私はここ最近の非日常的(ファンタジー)な出来事には、心躍るばかりです。学校のどうでもいい授業よりも、はるかに胸が沸き立ち充実した思いです」

「そういう夕映ちゃん、膝震えているけど」

「……武者震いで」

 

 なんとも締まらない夕映に、明日菜は苦笑いを浮かべながら、若干軽くなった足取りで橋を渡っていく。

 

「明日菜さんがここにくるまでの三十分、あたりを調べてみました」

「えっ? 三十分。私みんながいなくなったのに気が付いたのは、そこまで遅くないわよ?」

 

 わずかにわいた疑問だが、すぐに聞こえてきた朝倉の声に気を取られ、後でもいいかと後回しにする。それに、もしかしたら結構な時間夢中になってミニチュアを覗いていただけかもしれない。そう、心の中で納得させた。

 

「明日菜、こっちの下から声がしたってさ」

「この階段のした?」

 

 そこはガゼボ、西洋風東屋の屋根の下にある階段で、下るにつれて聞き慣れた声がはっきりしてきた。

 

「……もう少しいいだろう?」

 

 どこか艶やかな響きをした声は、エヴァンジェリンのものだ。

 

「だ、駄目です! もう限界です!!」

 

 そう答える切羽詰まったような声は、ネギの声だ。

 続いて聞こえる言葉は、先ほどから過激な物ばかりで、皆は顔を真っ赤にしていく。のどかにいたっては、震えながら言葉にならない声を出している。

 壁に隠れている明日菜は興奮しながらも血の気が引くのを感じた。

 

――もしや。

「ま、まさかほんとに?」

 

 その朝倉の言葉に限界が来て、明日菜は飛びだす。

 

「コラーーーァ! 子供相手になにやってんのよ」

 

 壁から飛び出した明日菜が見たのは、

 

「ん?」

 

 ネギの腕から血を吸っていたエヴァンジェリンだった。




ここから原作では重要な場所です。ネギから見た黒の話なども出てくるので、主人公がいないとならないはずです。


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別荘

 ガゼボにて明日菜たちはエヴァンジェリンから説明を受けていた。外では雨が降っているはずなのに晴天で、夏が過ぎているというのに真夏のように暑いこの不可思議な場所の。明日菜としてここがどこかという説明よりも、ネギの修行環境について尋ねたかった。実際、先ほどの吸血行為は、ただエヴァンジェリンの魔力補充ということで納得したが、だとしてもネギの疲れ方は異常だ。保護者として知らねばならない。しかしクラスメイトたちはネギよりも、現状の方が知りたいらしく我慢するしかない。この説明が終わったら、ネギのことを絶対聞き出すと決め、明日菜はエヴァンジェリンの説明を聞き始めた。

 エヴァンジェリン曰く、この世界は外で明日菜たちが見た魔法球の中であるらしい。たしかに外で見たのは大きなガラス球だったが、とうてい人などは入れる代物でない。それなのにエヴァンジェリンの言葉通りだとすると、広大な空間が小さなガラス球に広がっている。それだけでも驚きだが、続きの言葉には顎が外れるかの衝撃を明日菜は受けた。

 

「ここでの一日は外の世界の一時間に設定している。浦島太郎の逆のようなものだ。昔使っていた別荘だが、坊やの修行のために引っ張り出した」

 

 こともなげに話すエヴァンジェリンだが、聞いている方は頭が追いつかない。一時間が一日になる。まさしく学生にとっては垂涎物のアイテムだ。とくに、夕映は時と空間を変えられるということに先ほどから食いついている。

 明日菜としても、一日が増えるのならばいろいろなことができる。ネギの修行以外に使わないならば、開いている時間に利用させてほしいくらいに。そうすれば、美術部の作品や普段できない料理の練習ができるだろう。あわよくば、高畑先生へのプレゼントを作れるかもしれない。

 

「まあ、欠点として時間軸の整合性を整えるため、一日経たんと出れん。特殊魔法力学第四法則に沿った安全装置があるからな」

「それでも時間を延ばすことができるなんて。素晴らしいです。時間という概念を根本から変えることなく、“影”を変えるなんて! 時間軸の影響を変えるというのはSFでよくありますが、実現することが不可能なと言ってもおかしくはありません。そもそも時間という概念自体が人間の作りだしたものでありますから。だというのに、非日常(ファンタジー)の力を使って、それを変えるなんて! これは素晴らしいとしか言いようがありません」

「お、おう? 綾瀬夕映、貴様人が変わっていないか?」

 

 冷や汗をかいて引いているエヴァンジェリン。ネギはその様子に乾いた笑いを浮かべ、なにもしない。明日菜としても、今の夕映とかかわりを持ちたくない。というよりも、語られる言葉が先ほどからまったく分からない。

 ただ分かることはひとつ。

 

「つまり、ネギ君教師としてだけでなく、ここで一日修行をしているん?」

「そうだな。ちまちましてもあまり意味がない。まあ、こいつの弟レベルで仕事ができるんなら話は別だが」

「ユギ先生? そんなに優秀なの?」

 

 エヴァンジェリンの言葉に、思わず明日菜が聞き返す。確かにユギ先生はネギよりも頭が良いらしく、場合によってはネギよりもよっぽど頼りになる。魔法が使えないらしく、魔法関係ではまったくあったことがないが。

 

「そうだな。一教師がする仕事の二三倍は平気にしているさ。それこそあの新田と同レベルの仕事をこなしている。麻帆良の教師陣ではトップクラスの優秀さだぞ。坊やは教師としては平凡だがな」

 

 最後の毒のある一言に、ネギが顔を顰めた。ただ、何も言い返さないことから、それほどユギ先生はすごいのだろう。

 

「って、そんなこと聞きたいんじゃなかった。ネギ、あんた大丈夫なの? そんな無理をして」

「大丈夫ですよ。それに、修学旅行のようなことがまたあったとき、今度こそみなさんを守れるよう、力をつけないと。ユギも守れるように」

 

 意気込むネギだったが、明日菜はその顔を見ると不安の嵐が生まれ、心を揺さぶった。

 

 

 

 別荘内を斜陽が照らす。赤みのかかった世界は麻帆良でもなかなか見られないほど、優しく静かに移り変わっていく。木乃香や刹那はそのあまりの美しさから、夕日に見惚れているほどだ。

 明日菜たちは、ガゼボで宴会染みたどんちゃん騒ぎをしていた。綺麗な夕日もいいが、それよりもみんなで楽しむ方がおもしろいらしい。別荘内の貯蔵しておいた肉やら野菜やら飲み物をバーベキューのように焼いて、食べて、飲んで楽しんでいる。エヴァンジェリンは、ワインを片手に、もう片方の手を額においてため息を吐く。

 

「それで、綾瀬夕映。私になにか用か?」

「その、実は魔法を習いたいのですが」

 

 後ろから近寄ってきた綾瀬に、エヴァンジェリンは振り返りもせず尋ねた。

 しばしエヴァンジェリンはワイングラスを傾け、綾瀬の方を振り向く。

 

「笑わせるなよ、綾瀬夕映。魔法というのは貴様が考えているほど非日常(ファンタジー)ではない。高度な理論で体系化された技術だ」

「それは分かっています。たとえどれほど難解だとしても――」

「バカレンジャーが良く言う。そもそも、だ。貴様になぜ私の魔法を教えなければならん? 長い時で磨き抜いてきたそれらを。それに、知っているか?」

「なにをでしょうか?」

「武道家というのはな、師を見つけることも大変だ。なにせ、頭を下げた程度では技を教えられん。そもそも道場をまたぐことすら許されん。頭を下げ、殴られ、それでも敬意をもって教えをこい、それでようやく道場の末席にいることを許される。そこからも礼儀を失えば、その瞬間には破門だ」

 

 なにを話しているか理解できないのだろう。綾瀬は眉を顰めながら「はぁ」と気の抜けた返事をしている。

 

「ふん。人に教えをこうというのはそれほど大変なことであり、礼を尽くさなければならないものだ。人の家に押し入り、好き勝手している貴様になぜ教えを授けなければならん? 家の鍵をかけ忘れた私も悪かったからこそ、侵入自体は目をつむったがな、あまりふざけたことを抜かすなよ?」

 

 ようやく意味を理解したのか、顔を俯かせている綾瀬を一睨みし、エヴァンジェリンは別荘内の自室へ向かった。

 別荘ではエヴァンジェリンもある程度の力を取り戻す。吸血鬼と蔑まられるその身体能力もそうだ。だからこそ、石でできた天井で遮られるはずの話し声も聞こえる。

 先ほど魔法を教わろうとした綾瀬が、今度はネギに魔法を教わっている。うまいこと言い含められたらしいネギは、おそらく笑顔で教えていることだろう。

 

「愚か者が。魔法は非日常なんかじゃない。いつも唐突に襲いくる、災害のようなものだ。それすらも理解していない貴様が、魔法を覚えたってなんにもならん。そうさ。いつも勝手にすべてを奪うんだ。魔法は」

 

 

 

 



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誘う過去

 真夜中、満月が傾き始めるころに、明日菜はふと目が覚めた。

 花を摘み終えて、エヴァンジェリンから借りているベッドへ戻ろうとすると、音が聞こえてきた。空気を切り裂く鋭い音に、肉と肉がぶつかるような、格闘技の試合でするような音だ。

 誰が音を鳴らしているのだろうか気になり、明日菜はその音源を探す。音の正体は、それほど遠くないところにいた。ネギだ。ネギがクーフェから習っている中国拳法を、別荘の広場にて練習している音だった。さらに、魔法を使った練習もしている。黄色い光が視界を焼く。とうとつな光に、眠気はきれいさっぱり吹き飛んだ。

 ただなぜだかは分からないが、ネギの手から放たれた雷はどこか弱々しく思う。

 

「すげぇっ! さすが兄貴だ。こんなに早く雷の斧を発動できるなんて。これならばマスターするのもすぐだぜ!」

「ダメだよ。威力も全然だし、それにここは魔法が使いやすいらしいし」

 

 それでも明日菜はすごいと思った。いつから雷の斧という魔法を習ったかは分からないが、それでも天才の面目躍如か、カモが驚くほど覚えが早いのは羨ましいくらいだ。

 それでも拍手をしながら、ネギたちへ近づいていく明日菜。魔法のことなどとんと分からないが、見たこともない魔法を使えるよう練習をがんばっている姿は、ほほえましい。

 

「流石魔法先生って言ったところね。天才は違うわ」

「明日菜さん!」

「でも」

 

 近寄ってきたネギを()めながら、明日菜は怒る。

 

「頑張りすぎて体壊したらどうするのよ」

「ご、ごめんなさい。今日は遊んじゃったから、その分……」

「息抜きも修行のひとつよ」

 

 色々と溜まった鬱憤を晴らし、すっきりとした明日菜はネギを放す。これまでの騒ぎですっかり眠る気をなくした明日菜はネギを連れて夜の散歩へとしゃれこんだ。

 波の音が静かな夜に良く響き、風も気持ちが良い。あまりしゃれたことは好きでないが、それでも綺麗な満月も見れるならば、時にはよいかもしれない。

 風に涼んでいると、ネギが明日菜に「聞いてほしいことがあるんです」と話しかけてきた。ただネギの顔が自身なさげに俯き、言葉を探しているようで、明日菜は少し驚いた。 

 

「パートナーとして、明日菜さんには知ってもらいたいんです。僕が父さんと会った時のことを」

 

 エヴァンジェリンとの戦い、リョウメンスクナとの戦い。その中で、ネギが誰かに頼ろうとしたことはあまりない。特に、身近であればあるほど。ユギを魔法関連とかかわらせようとしないのも、明日菜にそう思わせる要因だった。

 だが、そのネギが明日菜へ相談するという形であるが頼った。驚きが強かった、だけどうれしさもあった。

 

 

 エヴァンジェリンは別荘内で妙な魔力が流れるのを感じ取れた。封印されている身ではあるが、技量までもが失われるわけではない。陣地ともいえる場所で、他者の魔法発動を見過ごすなどありえない。

 最初はネギが再び自己練習を始めたのではないかと思ったが、しかし攻撃用の魔法の流れではない。それに、この魔力の質はネギと比べてあまりにもお粗末だ。しかも弱々しい。どちらかといえば、妖精の類が使う魔法だ。

 気になり、寝床から抜け出すことにしたエヴァンジェリンは、満月に照らし出されたネギと明日菜の姿を見つけた。さらに、二人をガゼボの柱から覗いている宮崎の姿も。

 ネギたちが使っている魔法が意識をシンクロさせる系統の魔法であることを見抜き、さらにはちょうどいいことに、近くにいるのが心を読むというアーティファクトを持つ宮崎。エヴァンジェリンの心にある悪魔が顔をもたげる。

 

「あれは意識シンクロの魔法だな」

 

 柱の陰から顔を少し出している宮崎に、エヴァンジェリンは背後へ足音を立てず近寄り、耳元でそうささやく。

 

「ひゃい!? え、エヴァンジェリンさん!?」

「お前、心を読む系統のアーティファクトを持っていたな? あれで坊やの心を読め」

 

 顔を赤くして首を振る宮崎にエヴァンジェリンは追撃をかけていく。

 

「ほう。心優しい私が、高々その程度で別荘への侵入を許してやろうと思っているというのに。しかも、あれほど言ったというのに、魔法へ関わろうとしていたな? 私が綾瀬にした説教を聞いていなかったとは言わせんぞ?」

「な、なんでそれを!?」

「優秀な魔法使いならば、自分の近くの魔力がどう使われているかなど分かるものさ。さて、どうする? 私の怒りを買うか?」

「そ、それは……」

 

 宮崎がこれだけでは落ちないことなど分かっている。いうなれば、これは鞭。エヴァンジェリンへの罪悪感を覚えさせるための行動だ。

 これだけでは気が弱いものは委縮するだけであり、宮崎がとれるであろう行動は口を紡ぐことだ。だからこそ、飴を見せつけてやる必要がある。

 

「それにいいのか? このままでは神楽坂明日菜がリードしてしまうぞ?」

「えっ?」

 

 ことさら優しく、諭すようにエヴァンジェリンは言葉を続ける。

 

「坊やの姉貴面をしている神楽坂明日菜が一人だけ坊やの内緒話を知れば、その後のことが手に取るようにわかる。あいつは単細胞だからな。予想しやすい。いっそう坊やのことをかまいだすぞ。そうしたらいろいろ越されてしまうかもしれんな? だが、貴様のアーティファクトがあれば話は別だがな」

 

 支離滅裂であるが、それでもかまわない。結局言葉で人を操るというのは、冷静さを奪い、勢いで押し切ることが一番簡単な方法だ。

 顔を真っ赤にして、宮崎は食虫植物に誘われる虫のように、エヴァンジェリンに本を手渡した。

 

 

 

 麻帆良の近くにある街中を一人の少年が歩いていた。すでに空は暗いが、大通りはビルの灯りで十分明るい。

 冷雨が風に乗り、少年の服を濡らす。その冷たさに身を震わせて、息を吐く。周辺地図の前で帽子を脱ぎ取る。そこには髪の毛だけでなく、獣のような耳が生えていた。

 

「ううん。今夜はどこで寝ようか? やっぱ関西で仕事すればよかったか? 関東のもんは冷たくてやりづらいったらあらへん。まあ、前回の仕事で拠点変えなぁ、まずかったけど。しかし子供の姿じゃ、泊まるところもあらへんからな。今日は公園にでも寝て、明日からさっさと拠点を用意しよう」

 

 少年は、八重歯を剥き出しにしながらどこかへ消えていった。雨が降りしきる中、これから出会うであろう強敵との戦いに心震わせ。

 

「待っていろよ、ネギ。今度は必ず勝つからな! それと、あの姉ちゃんも!」

 

 首元の細い切り傷を擦り、犬上小太郎はネオンライトから離れ、闇へ消えていった。

 

 



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ネギの過去

久方ぶりに五千文字超えました。


 意識が白く染まる中、光が見えてくる。白いその光は、淡いもので、今にも消えそうに光っている。

 明日菜は気が付くと、山脈に囲まれた街にいた。山々は、白化粧に染まり、街全体も雪が降り積もっている。思わず身震いしてしまいそうになる。

 あたりを見渡すと、どこか麻帆良に似た雰囲気をしている。西洋的な建物ばかりで、テレビでやっている、いわゆる世界を見ようというコンセプトの番組が映し出すような光景ばかりだ。

 

「って、私裸じゃない! ど、どういうことよ、ネギ!」

 

 辺りを見渡した際、自分の姿が裸だということに気が付いた明日菜は、どこかにいるはずのネギ目掛けて体を隠しながら叫ぶ。

 

『す、すみません! でもこの魔法を使うとそうなってしまうんです。ぼ、僕からは見えませんから、安心してください』

 

 パクティオーカードを使った念話のように、頭に直接ネギの声がし、明日菜は頬を赤く染めながら抗議する。

 

「そういう問題じゃないでしょう! またアンタは脱がして!」

『あわわ! すみません。でも、もう記憶が!』

「え?」

 

 明日菜の後ろから、舌足らずな高い子供の声が聞こえてくる。慌てて振り返る。

 

「お父さん、どこか遠くへ引っ越しちゃったの?」

 

 そこにいたのは、小さいながらも間違いなくネギだ。無垢な瞳で、近くにいる女性に何かを訪ねている。

 

「そうね。遠い、遠い国へ行ってしまったの。『死んだ』ということはそういうことなのよ」

「じゃあ、僕たちが大きくなったら、いつかお父さん所へ行けるんだね。いつか、お兄ちゃんと一緒にお父さんに会いに!」

 

 ネギの影から、一人の少年が出てきた。金髪の、ネギとは似ていない顔立ち。だけど血縁のある、ユギ・スプリングフィールドだろう。

 けれど、明日菜はそれがユギ先生と認識できずにいた。あまりにも雰囲気が違い過ぎる。利発そうなところは変わらないが、無邪気さがそこにあった。顔つきも、まだ子供らしくてかわいいものだ。西洋人形のような、切れ長の目をしていない。

 

「あれって、ユギ先生?」

『はい。ユギです』

 

 ネギが肯定するが、それでも明日菜はなかなかそれが信じられない。

 

「それは……ね、ユギ」

「お姉ちゃん?」

 

 言い淀んでいる女性を見た少年のころのユギ先生は、不思議そうに首をひねっている。

 

「馬鹿ね、あんた達。死んだ人には二度と会えないのよ」

 

 ローブを着た可愛いらしい女の子が、腕を組み自信ありげにネギとユギ先生に突っかかってきた。負けん気が強そうな子供だ。少なくとも、明日菜にはそう見える。おませなところもあって、めでたくなる。

 ただ、ネギはその女の子の言葉が気に入らなかったらしく、苛立たしげになりそのまま口喧嘩をし始めた。後ろでは、女性の裾をユギ先生がつかんでいる。

 

「あの子誰かしら?」

『幼馴染のアーニャです』

 

 喧嘩が収まると、アーニャはネギに星形の杖を、ユギ先生には三日月形の杖を渡した。さっきみた初心者用の杖だ。ネギが偶に使っている杖は、これだったのか、と明日菜は納得がいった。

 

「少しは魔法の練習でもしておきなさい。お父さんみたくなりたいならね」

 

 ネギはじっと杖を見ており、心有らずだった。

 

 

 

 記憶が飛んだ。

 バーなのだろう。一人の三角帽子をかぶった老人がナギの奴と騒ぎ、執事然としたマスターに酒を飲み過ぎだとたしなめられている。だが、老人はむしろ火がついてしまったのか、余計に声を荒げた。

 ネギとユギ先生の後ろを浮かびながら、明日菜はその様子を冷たく見つめていた。

 『馬鹿じゃないの』。そのナギの子供たちがいるというのに、騒ぐ老人に明日菜は怒りを覚えた。

 

「もう、スタンさんたらまた……」

 

 困り顔な女性を置いて、ネギとユギが老人に近づいて尋ねだす。

 

「お父さん、悪い人だったの?」

「ああ、悪ガキじゃったわい」

 

 ネギの質問に老人がそう答えた。明日菜は記憶であろうとも我慢ならん、と腕を上げて張り倒そうとした瞬間、ひときわ大きな叫び声がした。驚きのあまり腕を振り上げたまま、横を見る。

 

「謝れ! お父さんに、謝れ!」

「ユ、ユギ!」

 

 小さなユギ先生が涙を目じりにためながら叫んでいる。幼いその手をぎゅっと握り込んで。慌てて女性が近寄ろうとする。

 

「お兄ちゃんに謝れ! 謝ってよ!」

 

 けれどそのままユギ先生は老人の足をポカポカと殴る。「謝れ、謝れ」と泣きわめきながら。ネギはその姿を呆然として眺めていた。明日菜もまた、なにを言っていいのか、なにをすればいいのか分からなかった。

 しばらくすると、殴られていた老人がユギ先生の小さな拳を優しく受け止めた。

 

「そうじゃな。すまんかった。ネギ、それにお前たちの父さんにも」

 

 わんわんとそれでも泣きじゃくるユギ先生を、ネギは涙をこらえながら頭をなでだす。

 

「泣いちゃダメ、ユギ」

「そういうお兄ちゃんだって、泣いているよぉ」

 

 二人して涙を流している。女性が後ろで涙を流して、二人のことを抱きしめた。明日菜は目じりにたまるものを感じ、手で擦って拭い落とした。

 

 

 

 記憶が飛んだ。

 女性とアーニャを、ネギとユギ先生、それに老人が見送っていた。赤いバスが後ろで待っている。

 

「お姉ちゃん、どこか行っちゃうの?」

『はい。ウェールズの学校があったので、偶の休みにしか会えなかったんです」

 

 女性たちを見送ったネギとユギ先生は、大人しく家に帰っていた。ネギは広い部屋で呪文を唱えながら杖を振り回し、ユギ先生はなにか大きな図鑑みたいな本を開いている。

 広い部屋には暖炉が焚かれているが、それ以外の暖かさはほとんどない。精々お互いのぬくもりだけだ。明日菜はただ二人だけいるのがなんとなく寂しく感じていた。

 

「なんか出たかも」

「本当? ねぇねぇ、お兄ちゃん。これ見て、これ。今度はこの魔法をやって見せてよ」

「ええ、この魔法? できるかな? 『千の雷』?」

「きっとすごいんだよ。お父さんがサウザウンドマスターっていうんだから、きっとお父さんの魔法なんだよ」

「うん、そうかも。頑張るね」

 

 だが、明日菜は二人の様子を見て、首を振った。この二人ならば、寂しさなんて感じないだろう。なにせ、頭を突き合わせ、楽しそうに笑っているから。

 

 

 

 記憶が飛んだ。

 ネギが犬の首輪につなげられたリードを切ったり、湖に飛び込んだ。

 

「なに、なに考えているのよ、ネギ?」

『……』

 

 ネギの行動が、明日菜にはなにひとつ分からなかった。なぜそこまで自分の身を危なくさせるのか。

 熱を出したネギは、寝かされていた。苦しいのだろう。呻いている。当たり前だ。周りの大人たちの話では、四十度を超えていたらしい。小さい子供ではよけい苦しいだろう。

 だけど今ネギを苦しめているのはそんなものじゃなかった。熱よりもなお苦しいであろう、糾弾だった。

 

「バカ! もう、お兄ちゃんなんて知らない!」

 

 それはユギ先生が行っている。かつて老人へ食って掛かったように、目から涙を流してネギへ怒りをぶつけている。

 

「そんなにお父さんに会いたくて危ないことするなら勝手にすればいいよ! 僕はもう知らない! なにをしようとも、もう関係ない。話しかけないで! 心配させてばかりのお兄ちゃんなんて、いらない!」

 

 そこが限界だったらしく、そのまま外へ駆けて行ってしまった。残されたネギは、ただ枕をぬらす。

 ちくちくした痛みを、明日菜は感じた。あんなにも仲が良かったのに、ネギの行動で二人の仲は引き裂かれてしまった。これからネギとユギ先生はあの寂しい部屋でなにをするのだろうか。明日菜には分からなかった。

 

 

 

 記憶が飛んだ。

 雪の降る日だ。ネギは一人、湖で歌を歌いながら釣りをしている。だが、その顔は少しも楽しそうに見えない。やはり、隣に誰もいないのが寂しいらしく、時折ちらりちらりと横を窺っては落胆している。

 

「あっ。そういえばネカネお姉ちゃんが返ってくる日だった」

 

 ネギが立ち上がり村へ帰ろうと走り出す。

 小さな足を精一杯動かしている様は可愛らしい。それに、顔も先ほどのような顔ではなく楽しげなものだ。

 

「ふふ。可愛いものね」

 

 明日菜は笑いながら後を追いかける。だが、その楽しげな気持ちは長く続かなかった。

 

「「え」」

 

 記憶のネギと明日菜の声が重なる。

 ネギが住んでいた街が、火に包まれていた。とても強い火だ。陽炎で景色がゆがむほどに、火がうなって街を飲み込んでいる。

 明日菜が動けないでいると、いてもいたってもいられなかったのか、ネギはその炎へ飛び込んでしまった。

 

「馬鹿! ネギ危ないわよ!」

 

 あわてて明日菜がネギを抑え込もうとするが、小さなネギの体はすり抜けて止めることができない。

 

「ちょっと! なんで!」

「ネカネお姉ちゃん! おじさん! ユギ!!」

 

 声を張り上げているネギ。火の熱におびえながらも、街を駆け巡る。

 しばらくして町の中心にほど近い場所。そこでネギは固まった。ネギの視線をたどった明日菜は、目が見開き、顔全体が固くなるのをはっきりと感じ取れた。

 

「なによ、これ」

 

 そこには町の住民たちが、石にされていた。まるで修学旅行の時のように。

 驚く明日菜を他所に、事態は進行していく。背後から重厚な物音がした。振り返るとそこには、地面からはい出てくる異形がいた。

 異形の怪物に青ざめて震えているネギは、動くことができそうにない。ただ杖を握りしめているだけだ。このままではネギが殺されてしまう。

 

「誰か、誰でもいいから! 誰かいないの! ネギが、やられちゃうわよ!」

 

 明日菜は叫び辺りを見渡すが、見えるのは異形と揺れる火の海だけ。

 とうとう怪物がネギに拳を振りかざした。建物ほどもある化け物だ。凄まじいパワーを持っているだろう。殴られたら、幼いネギの体が耐えられるはずもない。

 

「逃げて、ネギ!」

 

 明日菜の言葉に反して、ネギはただ涙を流すだけ。明日菜は無力な自分に苛立った。

 

「お父さん、お父さん」

 

 振り下ろされた、異形の拳が。

 フードをかぶった誰かに止められた。

 

「え?」

 

 いつの間にか、もう一人この場にいた。

 そこからは一方的だった。フードをかぶった、背の高さからおそらくは男性だろう。男の独壇場だ。一撃で拳を振り下ろした異形を葬り、次々に怪物たちを()して、最後にはネギが良く使う『風の暴風』ですべてを吹き飛ばした。

 ただ、それはあまりにも一方的で残虐だった。数多くの怪物を踏みつけ、立つたった一人の男。揺らめく火が逆光となり、顔はまったく見えない。だがそのせいで余計に男が恐ろしい。いったい誰なのか。いや、明日菜にはそれが誰なのか、分かった。考える必要すらなく。

 悪魔の首が握りつぶされる。

 そのあまりの光景を見てしまったネギは、火がついたように逃げ出してしまう。

 

「……っ! ネギ! そっちは危ないわよ! まだ化け物がいるかもしれないわ」

 

 言葉を言い終えた瞬間、瓦礫となった建物の上に怪物が移動してきた。そいつはアルファベットのWのような角を持ち、卵のようなつるりとした顔立ちをしていた。禍々しく口を開くと、そこに光が集まる。

 

「ネギ!」

 

 光は一切の考慮もなく放たれた。ただ、その光は女性と老人の手によって防がれていた。だが、それはネギにまで届かなかっただけで、二人の体はどんどんと石になっている。

 女性がバランスを崩した。足が砕けて、倒れ込む。

 だがそれでも老人は燃える光を灯した目で化け物を睨み、力強く言葉を紡ぐ。

 

『六芒の星と五芒の星よ 悪しき霊に封印を 封魔の瓶』

「馬鹿な! まさか、私を封じるほどの術者がいるなど!?」

 

 石化していく老人はネギを襲った怪物を小さな瓶へ抑え込んだ。

 脂汗がひどい。息も荒く、絶え絶えだ。今にも死にそうな姿で、老人はネギへ近寄っていく。すでに体の半分以上は石と化しているというのに。

 

「無事か、坊主」

「スタンおじいちゃん!」

「泣くでない。いいか、坊主。ワシャ、もう助からん。だがな、ネカネは助かるだろう。お前は逃げて助けを呼べ。そうすれば、ネカネも助けることができる」

「できないよ、僕には」

 

 弱音を吐き、うずくまるネギ。無理はない。幼い身ながら、むしろ良く堪えていた方だろう。少なくとも明日菜には突然こんな事態になったら耐えきれる自信がない。

 

「いいや、できる」

 

 だが老人は力強く、ネギの言葉を否定した。

 

「ユギはできたぞ。ユギは儂の言葉通り逃げ出した。たとえ悔しくとも、怖くとも命を守るために。いいか、格好つけて命を放り出すのは馬鹿がすることだ。お前はそうなってはならん。なに、弟ができたんだ。兄のお前ができないわけがない。分かったか、ネギ」

 

 本当にもう限界なのだろう。老人はわずかな身じろぎをして、最後に言葉を残した。

 

「お前……たち、守る……それが儂の……ちか……い……」

 

 完全に石と化した老人。しばらくネギはその体を揺らした。だがなんの反応も帰ってこないのが分かると、ネギはボロボロと泣きながらネカネを起こそうとした。幸いといっていいかは分からないが、ネカネの石化は足が膝から砕けたせいで進行はかなり遅いようだ。

 ネカネを起こそうとしているネギの背後に影が差す。そこにはあの男がいた。

 男は優しくネギを抱え、ネカネを魔法で浮かばせると、街が見える丘まで一飛びに移動した。

 

「すまない。来るのが遅すぎた」

 

 男は燃え盛る街並みを見て、苦しげに謝っている。顔が見えなくとも、その表情は分かる。しばらくすると、男はネギの方を振り向いた。

 男は少し驚いた様子になった。ネギが男と女性の間に立って、小さな杖をしっかりと握りしめている。

 男が近寄ると目をつむり震えるが、けしてそこから逃げようとはしなかった。

 

「大きくなったな」

 

 男がネギの頭をなでる。

 

「えっ?」

「ネカネはもう大丈夫だ。石化魔法は止めた。……そうだな、お前にこれをやろう。俺なんかには過ぎた物だった。だが、きっとお前なら十分使いこなせる。こんなこと言えた義理じゃないが、元気に育て。そしてネギ、ユギを頼む」

「お父さん?」

 

 ネギの疑問に答えず、男はそのまま浮かび上がる。どんどん離れていく男をネギは走って追いかける。

 

「お父さん!」

「ユギを、頼むぞ。お兄ちゃん」

 

 

 

 明日菜は気が付くと、エヴァンジェリンの別荘にいた。

 目の前にはネギがいる。

 

「あははは。ごめんなさい。みっともないところを見せてしまい」

「馬鹿、みっともなくなんかないわよ。……そのあとどうなったの」

 

 しばらく黙っていたネギは一度、空を仰ぎ言葉を紡ぎだした。

 

「三日後、僕とネカネお姉ちゃんは救助されました。ウェールズの山奥の魔法使いの街へ引っ越して。そこでユギと再会したんです」

「あ、そうなんだ。途中からユギ先生出てこなかったから心配だったのよ」

 

 不思議とネギは顔をくしゃくしゃと歪めた。

 

「……ユギは一週間以上も目を覚ましませんでした。目を覚ました後も、どこか様子がおかしく、病気がちになって」

 

 悲しそうにつぶやくネギは、諦めの交った微笑を浮かべた。

 

「その時思ったんです。お父さんと一緒にいたいからって、馬鹿ばかりをしていた僕に天罰が下ったんだって。ユギがあれだけ苦しんだのはすべて僕のせいなんだって」

 

 その言葉に明日菜は叫ばずにはいられなかった。

 

「ふざけるんじゃないわよ! 罰なんてあってたまるもんですか!」

 

 そう。そんなことあっていいはずがない。明日菜はそう確信する。苦しさは、痛みは罰として襲い掛かっていいものじゃない。もしそれを罰とする神がいるのならば、そんな神殴ってやる。そして説教のひとつでもしてやる。

 

「あんたはお父さんに会いたかっただけなんでしょう! だったら、その思いに間違いなんてないわ! ユギ先生が怒ったのは、やり方が間違えていたからよ! ユギ先生だって、会いたかったに決まってる!」

 

 勘違いしているネギに明日菜はきっぱりと伝える。

 

「会いたい気持ちが間違っているはずがない。だって、それは言葉にできないほど素敵なことだもの」

 

 どうしてか、明日菜は頬を熱いものが流れ落ちていた。



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忍び寄る魔の気配

 カチコチと時計の音が響く。人も減った放課後の職員室で機械的に。針が進むにつれて、人影はいよいよ減っていった。つけられたテレビには、ニュース番組が映っている。これからの天気をキャスターが抑揚のない声で語っていた。これからどんどん雨脚は強くなるとのことだ。それを聞いた一部の教師が仕事の速度をさらに速めていく。雨脚がひどくならないうちに帰ろう、とのことだろう。

 一時間が経ち、時計の短針が真下を刺す頃、部屋に残っているのは黒に新田先生にあと数人の若い先生ばかりだった。広々とした部屋にこれだけの人数しかいないと、どこか物悲しさがある。降りしきる雨が窓を叩き奏でる音は、単調でその物悲しさを助長していた。

 黙々と一人、プリントの採点をしていた黒は、赤ペンの動きを止めた。にじみ出る赤インキが、円の途中で膨らんでいく。

 

「……見つけた」

 

 ぽつりと言葉を漏らす。同時にペンが手の中で砕け散る。飛び出た赤インキは、すぐさま蒸発させられ、空気中へ消えていく。黒が顔を上げる。

 机の上に置かれている鏡に映った黒の顔には、狂笑が浮かんでいた。

 

 

 

 雷が今にも落ちてきそうなほど力強く轟く。雨は勢い良くアスファルトを叩く。小雨だったものはあっという間に大降りになった。アスファルトは黒く染まり、滑りやすくなっていく。

 

「こらアカンわ! まさかこない雨が降るなんて。さっきテレビでやっていたゲリラ豪雨ちゅうやつかいな!?」

 

 小太郎は街中を走る。雨がパーカーにしみ込み体が冷える。気を使うことで体を暖めることはできるが、たかだかその程度で気を使うわけにもいかなかった。

 小太郎は関西では少し名が知れた裏稼業の人間である。だが、関東においてはただの術者の一人だ。下手をすれば侵入者と扱われてもおかしくはない。近くには関東魔法協会の総本山、麻帆良学園がある。距離が少しあるからと言って、気取られないとは言い切れない。そのため、軽々しく気を扱うわけにはいかなかった。

 なぜそんな面倒をしてまで、関東に小太郎は渡ってきたか。それは単純な目的があったからだ。

 

「くぅう! ネギや姉ちゃんみたく強い奴がおるからそれ以上の奴らがおるはずやと思って来たはええが、前途多難すぎるやろこれ!」

 

 強いものと戦いたい。一種のバトルジャンキー特有の、欲望がそこにある。ギラギラと、雷鳴が轟くたびに瞳の中で光が強く蠢いている。

 

「んっ?」

 

 足が止まる。小太郎がかぶっているフードが奇妙に動く。まるで中に生き物がいるように。

 しばらく動いていたフードが止まる。小太郎が顔を上げる。笑っていた。

 

「なんや。前途多難なんて言うたけど、そうでもあらへんみたいやな」

 

 舌なめずりをする。牙がむき出しになる。体に抑え込んでいるはずの気が、暴れ回って解放しろと要求している。

 小太郎は、歓喜の声を上げた。

 

「おっしゃあ! 待っとれよ!」

 

 足を麻帆良学園の方角へ向ける。意味もなく気は使わないが、意味があるのならば気を使う。小太郎は気を使ってすさまじい速度で街を駆けていく。

 感じ取った力を追いかけて。

 

 

 

 帽子のつばからは視界が遮るほど、それこそ鬱陶しく思うほどに雨が垂れ落ちていく。せっかくの仕事であるが、こうも天気が悪くては気が滅入ってしまう。これで、雨でなくほのかに降る小雪ならば風情もあるが。ヘルマンはそう思わずにはいられなかった。

 

「愚痴よりもこれからの期待に胸を躍らせるとしよう」

 

 足を麻帆良学園の入り口へ進めると、わずかな違和感が身を襲う。しかしすぐにその違和感も消え去る。麻帆良学園に張られている結界を無事すり抜けられたようだ。

 胸元に怪しく光る魔道具を窺う。麻帆良学園の結界を無効化する道具らしい。魔に触れ続けた身であれども、ここまで見事な魔道具をヘルマンは見たことがない。それほどの一品を今回の依頼主はそれを簡単に用意した。それだけでもどれほどの力を依頼主が持つか分からない。

 ヘルマンは思う。目的の“彼”は恐ろしく、運がないのだろうと。いや、もしかしたらあるというべきかもしれない。

 

「英雄を目指すならば、乗り越えるべき敵はいるからね。そうだろう、ネギ君?」

 

 それが自身であるならば、光栄というべきか? 疑問は口から出なかった。

 道を進むにつれて、建物が見えてくる。麻帆良女子中学校の寮だ。

 コートの内ポケットから、瓶を取り出す。この中には、スライム状の生物がいる。自身と一緒に封印された者たちだ。長い間一緒に封印されてきただけあって、気心は知れているし性格も把握しきっている。潜入任務には最適な逸材だ。

 ヘルマンと違い、雨がうれしいのか瓶をガタガタと揺らしている。ふたを外すと、勢いよくスライムが飛びだして三つに分かれていく。

 それは成人男性の膝くらいの大きさだ。生気のない瞳をしているが、感情ははっきりと顔に出ている。子供、それも幼い形態をとっているのは、戦闘能力がそれほど高くはないがゆえの擬態だ。

 

「たしか、ここでは最も有名な魔法生物であったな君たちは」

「はいでスゥ」

 

 そう答えたのは、眼鏡をかけた個体だ。

 

「では、頼んだとおりに。私は、先に準備を済ましておこう。さすがに私たちとの因縁に全く関係ない人間が関わってしまっては興ざめだからね」

「オウ! こっちは任せとけ、ヘルマンの旦那」

「ははは、それでは頼んだよ」

 

 ヘルマンとスライムは別れる。

 スライムは人質を確保しに、ヘルマンは舞台を作り上げに。

 

「さあ、ネギ君。楽しもうじゃないか、闘争を」

 

 笑い声が零れだす。

 雷が落ちる。雷光に照らされ地面に移るヘルマンの影は、人の形をしていなかった。




これから少しずつ、黒が登場する機会を増やせそうです。


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駆けつける者

 空から降りしきる雨は鈍色のスクリーンとなり、過去の記憶を揺さぶり起こして映し出す。

 燃え盛る街並みの、肌をも焼く熱さ。呼吸をするのも辛く、息を吸うだけで咳が出た。光線にあてられ石と化した親しい人々。いつその光線がその身を貫くか恐怖した。そこから命からがら逃げようとする自身。言われたとおり逃げなければいけなかった。そして逃げる時間を稼ぐために悪魔と対峙するスタン老。本当は一緒に逃げて欲しかった。

 それらすべての思いを飲み込んで内にとどめ、黒はただ静かに眼下を見すえる。麻帆良上空を浮いている黒は、地上から見つけることができない高度にいた。世界樹よりも高く、しかし雲よりは低く。

 風が吹き付け、耳元でヒュウヒュウとなり鬱陶しく感じられる。雨によって髪は水気を含むし、服は肌に貼り付き重くなっていく。だが黒は微動だにせず、ただある一点を凝視している。僅かな動きをも見逃さないように。

 黒が見ている一点。そこには黒い服装が特徴的なヘルマンが、丁度真下にいた。見られているということに気が付いてないようだ。

 麻帆良の小さな広場――コンサート会場に使われる――にて、魔力が漏れないように結界を張っている。

 それを黒は無表情で眺め続ける。馬鹿げた量の妖力を垂れ流しながら。

 

 

 

 

 殴るような雨に苛つきながら、ネギは麻帆良の小さな広場へ急いでいた。急がなければ、ネギは後悔することになるだろう。

 それは唐突なことだった。

 エヴァンジェリンの修行を終えて寮の自室へ帰り、授業に使う資料をまとめていたところ部屋の中で僅かな物音がした。それほど大きな音ではない。精々カモが走り回って物にぶつかってしまった程度の音だ。普段ならば気にも留めやしない程度の音。だけどそれが無性に修行明けのネギには気になってしまった。

 パソコンから顔を上げて油断なく視線を部屋中へと巡らせる。証明の明かりに照らされているは常と変わりがない。

 思い違いなのか。そうネギが思い始めた頃、師であるエヴァンジェリンと古菲の言葉がよみがえる。

 違和感を覚えたら、その違和感を必ず突き止めろ。でなければ、奇襲を受けて負ける((死ぬ))

 とっさに壁に背を付けて死角を減らし、魔法発動媒体である杖を握りしめ静かに辺りをうかがう。部屋に変化はなかったはず。ネギが見たところでは。

 

「違う!」

 

 違和感は視界でなかった。雨と泥の臭いが部屋に交じっている。一階の部屋ならば窓から外の香りが入る可能性はなくないが、ネギが住む部屋は一階ではない。そんな臭いがするはずなかった。

 いったいどこから。僅かな臭いも嗅ぎ取ろうと嗅覚を意識する。だんだんと臭いは強まっている。

 時間が経てば強くなる臭い。さらに仕事をしていたといえネギに気付かれない場所。それはどこか。ネギの優れた頭脳はそう時間を取らず答えを導き出した。

 視線を上に向ける。

 

「天井!」

 

 言葉とともに天井が崩壊し、女の子たちが落ちてきた。

 それら(・・・)はべしゃりと、まさしく泥のように一度床でつぶれ混じり合い、再び各々の形を取り戻す。その奇妙な性質をもった魔法生物を、ネギは知識として知っていた。いや、たとえ魔法生物に関する知識がなくともわかっただろう。ありとあらゆるロールプレイングゲームで登場するモンスターだったから。

 

「スライム……!」

 

 斬撃・打撃を完全に無効化し、また魔法も水系統であるならば吸収するという厄介な体質をした生物だ。その代わり、光・熱・電撃・氷の魔法に対する耐性は低い。ネギが得意とする電撃や風魔法ならばそれほど手間取らないような相手だ。

 しかし問題はひとつ。学園結界が張られている中、なぜ魔であるスライムが活動できているのか。ネギはスライムたちへ視線を向けながら考えを巡らせる。そこが分からなければ、ネギにとってディスアドバンテージとなる可能性が高い。

 走り出しそうになる体をネギは落ち着かせようとしながら、スライムを見すえる。

 

「へぇ。平和ボケしていないようだナ、感心感心」

 

 一体の、釣り目のスライムがうれしそうに顔を歪める。平坦な口調との落差が、薄気味悪さを強調している。杖を握る力が強くなる。何か動きが出たらすぐ対処できるよう、ネギは使える魔法をリストアップしていく。

 

「楽しむのはいいですガ、要件を済ましませんト」

「そうですヨ。ネギ・スプリングフィールド。世界樹の下にある小さな広場、そこにあなたの仲間を捕らえましタ。助けたければ、一人で来なさイ。助けを呼べば、殺しまス。不審な動きをしても殺しまス。では」

「なっ! 待て!」

 

 ネギはとっさに距離を詰め、スライムを掴もうとしたがその手は空ぶった。スライムたちは水のようになり、床材のわずかな隙間から消えていってしまった。

 震える拳でネギは床板を殴りつけた。鈍い痛みが拳から返り、ネギを責める。

 残されたネギは、とかく広場へ向かうことしかできなかった。

 

 

 

 麻帆良の小さな広場には、ヘルマンがいた。その後ろには透明な球体状の柔らかそうな物体に包まれたネギの生徒たちがいる。ワンピース姿の木乃香とそして・のどか・夕映・古菲・朝倉、はなぜか裸で大きなひとつの球に。刹那は服を着ているが、意識を奪われているらしい。小さな球の中で一人、ピクリとも動かない。

 そして明日菜。一人だけ四肢を拘束されて露出の激しい服装を着せられている。意識を取り戻し服装に気が付いたのか、ヘルマンの頬を拘束されながらも蹴りぬいていたが。

 そして抵抗をするのは明日菜だけではない。球に包まれた五人も脱出しようと足掻いている、だが、球はなにをしようとも衝撃を吸収してしまい、古菲の一撃すらも通じない。

 その様子をあざ笑うように、スライムたちが現れた。馬鹿にした笑みを張り付け、五人を見下している。

 

「無駄無駄無駄」

「私たち特製の水牢からは出られませんヨ?」

「食わないだけありがたいと思エ」

 

 笑いながら釣り目のスライムは水牢をたたいて語り続ける。

 

「一般人が興味半分に足を突っ込むからこうなるんだゼ? 昔はそれこそ命を捨てる覚悟程度は最低条件だったのにナ」

 

 歯を剥き出しにして、ひとしきり笑ったスライムはヘルマンの方を向く。

 

「旦那、焚きつけてきたゼ。ネギ・スプリングフィールドを」

「ああ、ありがとう」

 

 ネギの名前が出た瞬間、明日菜は表情を変えた。口調がさらに強まり、詰問する。

 

「こんなことしてなにが目的なのよ! それにネギを焚きつけたってどういうこと!?」

「なに、大したことではない。仕事があってね。封印から解放された恩を返さなければならないのでね。『ネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜の危険度の調査』を頼まれた。うむ、しかし依頼でなくとも機会があれば、一度は戦ってみたかったから渡りに船だったが」

 

 ヘルマンがステージから客席の方へ歩いていく。そのヘルマン目掛け、雷を纏った魔法の矢が殺到する。

 だがヘルマンが手を上げると、障壁を張ったかのように魔法の矢が受け止められ消滅させられた。その際、後ろで拘束されている明日菜の胸元のペンダントが光り、うめき声が漏れる。その様子にネギは気づいていないらしく、驚いた顔をしつつもヘルマンを睨みつけていた。

 

「約束通り来ました、みんなを返してください」

「はっはっは! よく来たね、ネギ君」

 

 朗らかに笑うヘルマンを、ネギは強く睨み続けている。後ろには囚われている生徒たちがいる。それに気が付いたらしく、ネギは顔を顰めて声を荒げた。

 

「あなたはいったい何者ですか!? それになんでこんなことを」

「なんでこんなことを、か。そちらにこたえるのは簡単だよ、ネギ君。人質を取らなければ、君はきっと無意識に手加減をしてしまうだろう。それは私としても困るのでね。こうして人質を用意させてもらった」

 

 笑みを消したヘルマンは、静かに諭すように続ける。

 

「私を倒すことができたら、彼女たちは解放しよう。――条件は分かりやすい方がいいだろう?」

 

 その言葉に何らかの覚悟をしたのか、ネギは険しい顔のまま小奇麗な、教科書通りに拳を構える。辺りを警戒してか、取り回しの悪い杖よりも素手を優先することにしたらしい。

 その判断に対する答え合わせはすぐだった。

 客席の椅子を遮蔽物に、スライムたちが三方向から飛び出してきた。

 柔らかな体はしなり、かなりの速度でネギの体を打つ。防御を間に合わせられたネギは、しかし体ごと吹き飛ばされステージの方へ転がされた。

 ネギが体勢を立て直すと、すでにスライムが眼前にいる。なかなかの速さだ。スライムの中ではかなりの実力者であるだろう。

 

「戦いの歌!」

 

 一瞬杖を触り、ネギは魔法を発動させる。

 ネギの体を魔力が覆い、肉体の強度などを底上げし始めている。同時にスライムが殴りかかる。直線的な攻撃かと思えば、軟体の体を生かした鞭のような円を描く一撃。さらには防御をしてもその上から軌道を変えるトリッキーな動き。軟体を生かしたスライム独特の格闘術のようだ。

 通常時ならば追いつかないであろうスライムの攻撃を、しかしネギは確実な対処を繰り返し、小さくであるがカウンターを決めて距離を離させる。拙い部分は見れども、見事というべきだろう。なにせ、中国拳法を学び始めてまだ一か月も経っていないというのに、実践で使えるまで鍛え上げたから。

 しかしいくら見事な技を見せても、スライムに肉弾戦は意味がない。ゆえに距離を稼ぎ魔法を発動する必要がある。それはネギも承知しているだろう。さきほどから距離を取ろうと試みている。

 だが三体ものスライムが一度に襲いかかるとなると、ネギの格闘スキルでは荷が重いらしく、細かくあてることしかできていない。相手を吹き飛ばすほどの大技は封殺されている。

 段々とネギの顔に焦りが浮かんできた。

 

「くっ!」

「ほらほらほら! どうしタ? さっきまでの威勢はどこに消えタ? そんなもの私たちには痛くもかゆくもなイ」

 

 二対の拳と足。一人に付き四か所の攻撃箇所。それが三人。十二か所からの変則的な動きをする攻撃をかいくぐり、スライムたちを吹き飛ばして一ヵ所に固め、魔法を使って倒すしかネギには勝つ方法がない。

 だんだんとネギの額から汗が流れ始める。まだ肩で息はしていないが、このままではそう遅くないうちになるだろう。

 時間が経つにつれて、スライムたちの動きがより速く重く強くなっていく。

 

「この雨の中、私たちに勝てるカヨ!」

 

 スライムは水気を吸収する。降りしきる雨という環境は、スライムにとって最高の状態だ。逆にネギからすれば、足場がすべりやすくなり技が乱れやすくなるなど最悪に近いものだろう。ありとあらゆる事象がネギに敵対しているかのようだ。

 盛大な音が響く。雨音を破るように激しい乾いた音がする。ネギはスライムたちの同時攻撃を腹部に喰らい、吹き飛んでいた。

 生徒たちは悲鳴を上げている。とくにのどかは目じりに涙をためている。

 

「いや、違うアル!!」

「しまッタ!?」

 

 ネギがにやりと口角を上げる。スライムの攻撃を喰らった際、自ら後ろへ飛んでダメージを逃がし、かつ距離を取っていた。すぐさま呪文の詠唱を始める。どうやら雷属性の魔法の矢を撃つつもりらしい。

 慌てた様子のスライムたちがネギへ駆ける。しかしネギの詠唱の方が早かった。

 

「魔法の射手連弾・雷の矢30矢!」

 

 魔法の矢はスライムを撃ち抜く。すさまじい量の電気エネルギーがスライムの体へ放出され、その体を構成する水を分解していく。熱した棒を水に突っ込んだような音が続き、スライムたちから立ち込める白煙でその姿が見えなくなっていく。

 

「ほう。素晴らしい」

 

 感嘆の声をヘルマンが挙げる。手袋をつけた手で拍手をしていた。首を何度も振っており、惜しみない賞賛をしている。

 

「しかしそれだけだ」

「え?」

 

 ネギは油断していた。スライムに効果的な一撃を喰らわせたからだろう。もうスライムたちは行動不可能だとでも思っていたようだ。完全にヘルマンに気を取られていた。

 

「残念♡」

 

 だから気が付かなかった。スライムがまだ完全には倒れていないことを。

 白煙から飛び出したスライムの一体が、自身の体を触手のようにして呆然としたネギの体を締め上げる。ぎりぎりと締め上げている触手の力強さは、先ほどと変わらないように見える

 ネギは苦悶の表情を見せた。触手を振りほどこうと、力いっぱいに引っ張っているが触手はそれを意に介していない。

 

「なっ、なんで!?」

「はっ! 私たちがなんでこの日を選んだか、分かっていないナ? これだけの雨。たとえどれほどの一撃を喰らおうとも、この雨から水気を吸収すれば完全回復は容易なんだヨ」

 

 足を引っ張り続ける天気。それがここにきてさらにネギの足を引っ張っている。ネギの顔に絶望の色が浮かび上がった。

 

「そ、んな」

 

 締め上げる触手を握りしめていた手が離れる。だらりと垂れさがり、ネギの目は力なく閉じられていく。抵抗を諦めたらしい。

 だがまだ戦いは終わらない。

 

「阿呆。そんな雑魚相手にやられるなや」

 

 ステージへひとつの影が飛び込んでくる。その影は鋭い爪を持って、触手の根元を一瞬切り離す。いくら斬撃が意味をなさないとはいえ、ある程度の固さを持つスライムの体は切れる。だがそれだけの切れ味を爪で実行するのは容易でない。影はたしかな力を持っているようだ。

 

「ッ!? 新手、ダト?」

 

 ネギの体が地面に放り出される。受け身もできず地面にたたきつけられたネギではあるが、戦いの歌のおかげでダメージはない様で、すぐさま起き上がった。

 

「小、太郎君?」

「おう、そうや。犬上小太郎や! なんや知らんが、おっさん。俺も加えてもらうで!」

 

 ネギの隣には犬上と名乗った少年が、野性味あふれる笑みを浮かべて立っていた。

 




久方ぶりに五千文字を越えられました。次回も大体これくらいの分量になると思います。


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共同戦線

 なぜ小太郎が麻帆良学園の一広場にいるのか、ネギには分からなかった。ただ目を丸くして、小太郎の背中を見るしかできずにいる。声をかけようにも、口は開くが言葉が咽喉に(つか)えて出てこない。

 唖然とした表情を晒しているネギをよそに、小太郎は腕を回して体の調子を確かめて八重歯を剥き出しに笑っている。

 

「なんや、ネギ。そない呆然として。お前がそんな調子やったら、俺が全部もらうで?」

 

 かけられた好戦的な言葉。間違いなく、修学旅行で戦った犬上小太郎だ。戦うことを楽しむ、裏世界の戦闘者。

 だけれども、なぜこんな場所に小太郎がいるのか。その口調からして、関西で育ったであろう小太郎が関東圏である埼玉の麻帆良学園にいる理由が、ネギにはさっぱり想像できない。様々な考えが頭をよぎるが、それらすべては突拍子もないことばかりで、どうにも小太郎がいることに結びつかない。

 ようやく絞り出せた言葉は、雨音に消えそうなほど弱々しかった。

 

「どうして、ここに?」

 

 だが小太郎にはきちんと聞こえたらしく、頭頂部の犬耳をパタパタと動かしている。

 

「あん? そない決まっているやろ。強いやつと戦うためや。こっち来てみたら、なんや強い力を感じたからここまで来たんや。なあ、ええやろおっさん。俺も混ぜてくれや」

「ふむ。ネギ君を呼んだらこんな活の良い子まで釣れるとは。想定外の事態であるが、もちろん、歓迎しよう」

「ゲッ。ヘルマンのおっさん、そりゃないゼ。せっかくあの坊主を脅してい一人で来させたのニ」

 

 スライムと男の会話に生徒を人質にとられていたことを思い出して怒りが再燃したが、それよりも呆気らかんとした小太郎の口調に、ネギはだんだんと腹の底からこみあげてきたものに耐えきれなくなった。

 腹を抱えて大声で笑い出す。

 

「あははははは……!」

「なんや。急に笑い出して。気色わりぃやっちゃ」

 

 気楽そうな小太郎を相手に、小難しく考えるのが馬鹿馬鹿しく思えて仕方がなかった。一時だけであるが、現状を忘れてネギは笑い続ける。スライムも男もそして生徒たちも、ネギをそれぞれ違う表情で注視していた。スライムは小馬鹿にした顔で、生徒たちはネギを心配するような顔をしている。だがその中で男はただ一人楽しそうに笑っていた。

 しばらく思う存分笑い、ネギは頬をたたくと小太郎に話しかける。

 

「駄目。全部僕の。あげないよ」

「なんやと!? けち臭い! 雑魚があんだけおるんや。一山いくら程度の相手やけど、ウォーミングアップ程度にはなるんやで? あのおっさんぶっ飛ばす準備運動に丁度ええんや」

「だったらよけいあげられないね。あれ全部、僕が倒す」

 

 口げんかをしながらも、自然と二人が背中合わせに構えて並ぶ。

 小太郎は我流というだけあって、獣のように姿勢を低く両の手を前に突き出している。獲物を狩る狼の姿に近い。いやそのものだ。自然の中で生み出され、淘汰されてきた野生の荒々しさがそこから伝わってくる。

 ネギも負けじと古菲に習った構えを取る。中国に手悠久と思える時をかけて研磨され続けてきた武術。人間という種が、そのたぐいまれなる理性を持って培ってきた知性の理がそこに凝縮されている。

 稲妻が近くへ落ちた。その轟音に負けじと小太郎が叫ぶ。

 

「ほなら、早い者勝ちだ!」

 

 その言葉をきっかけに、二人は同時にスライム目掛けて駆け出す。

 疾風がネギのそばを吹き抜ける。背中に感じる熱が消え去った。目の前には小太郎の背中が見える。

 やはり小太郎の方がネギよりも速く、その背を追いかけるしかできない。だがネギは足を緩めることなく、追いすがるように小太郎とスライムの戦いに乱入した。

 

「おらっ!」

「はっ!」

 

 ネギの拳と小太郎の爪がスライムの腹部にめり込む。しかしスライムはただ嘲笑する。愚かと瞳で投げかけながら。

 

「効かねえヨ」

「知っとるわ」

 

 その顔に、小太郎は握りしめた拳を叩き込む。それでもなおスライムは笑い声をあげていた。だがさすがに気をたっぷりと込められた拳の衝撃までは逃がせなかったようで、勢いよく後方へとスライムは吹き飛ばされる。

 

「僕も!」

 

 ネギもまた、二つの掌をスライムの一体に押し付け、掌から渾身の力と魔力を一気に解放して吹き飛ばす。双撞掌(そうとうしょう)と呼ばれる八卦掌の技のひとつだ。先ほどまではできなかった溜めの必要な大技であるが、その一撃の威力は魔法の矢数本よりかは身体強化の分も合わせれば遥かに強い。それだけの技を当てられたスライムは、ネギから勢いよく弾け飛ぶ。小太郎よりも、少し離れた距離へと着地した。

 それを見たネギは、勝ち誇った顔で小太郎へ告げた。

 

「僕の勝ちだね」

「なんやと!? その程度で勝ち誇るな!!」

 

 また再び近づいてきたスライムを、小太郎は腕をぐるぐると振り回し、遠心力をたっぷり乗せた拳で掬い上げるように殴って、先ほどよりも遠い位置へ吹き飛ばす。見ればネギよりも僅かにであるが遠くに飛んでいる。

 小太郎はネギの方を振り向き、口の端を釣り上げて笑みを見せつける。

 

「へっ、どうや!」

「むっ!」

 

 再び返ってきたネギに吹き飛ばされたスライムは、小太郎と同じくネギの手で、先ほどよりもさらに遠くへ吹き飛ばされる。

 

「またですカ?」

 

 そこからはもはや戦いというよりも、スライムを使った競争だった。三匹をより遠くへ飛ばすために、二人は拳を振り上げたり、蹴りを繰り出す。スライムたちも時間が経てば経つほど強力な技や凄まじい力でさらに遠くへ飛んでいく。だが小太郎はスライムが宙を飛ぶごとにだんだんと笑みを浮かべなくなり、とうとう一撃ごとに白けた顔をし始めていた。

 

「ああ、もう飽きた」

「こ、小太郎君?」

 

 唐突な言葉に、ネギは手を止めてしまう。その表情は、掃除当番を仰せつかった不良のようなやる気のなさだ。

 

「ていうか、や。ネギ、ちょい考えてみ? こんな歯ごたえもない相手、ずっと殴り続けてきたんやけど、ここまでやり続けると面白くないやろ? やっぱ殴るんなら、歯ごたえがないとな! やからさっさと終わらせようと思うんや。そろそろ本来の目的といこうや」

 

 どうやらスライムの歯ごたえがなさ過ぎて、戦闘意欲を抑えきれなくなったようだ。小太郎は顔を顰めて言った。

 

「ああン!? 言うじゃないカ。私たちにダメージを負わせられもしない癖ニ!!」

 

 ただその言葉でスライムたちが怒りだす。三匹の色が真っ赤になり、湯気が頭から噴き出している。火を見るより明らかな様子の変化に、しかし小太郎はやはり顔色を変えることもない。

 ただつまらないものを見るように、スライムたちを見下すだけだ。

 

「ほら、ネギいくで?」

 

 しかしそう言われてもネギにはどうすればいいか分からない。なにせスライムたちに効果的な魔法は、この天候のせいで効果を見せやしない。まったくの無駄だった。

 動きを止めたネギを一度見て、小太郎はあきれた口調になった。後ろ髪をぼりぼりと勢いよく掻いて、ため息をして口を再び開く。

 

「なんや、分からへんのか。やっぱり小利口なだけじゃダメやな。しゃあない。俺が手本を見せたる。後学のために良く俺がすることをよく見とけ、ネギ。まずお前の得意な魔法の矢であいつらの動きを止めい。後は俺が一瞬で終わらせたる」

 

 その言葉にネギは困惑した。小太郎は一撃で相手を仕留めるようなパワータイプじゃないことを、修学旅行で身をもって知っていた。むしろ素早さで相手をほんろうするタイプで、一撃はそれほど重くはないはず。それこそパワーという点から見れば、客観的に見てもネギの方がまだ上だ。だというのに、小太郎は自信満々だ。

 しばし躊躇ったものの、ネギにはスライムが倒せない。倒す方法が分からない。ならば策があるという小太郎を信じるしかないだろう。ネギはただ首を縦に振った。

 

「魔法の射手連弾・雷の矢30矢!」

 

 魔法の矢はそれほど威力に優れないが、矢という名前が付けられるだけあってかなりの速度だ。しかも射たすべての矢をある程度であるが誘導することができるため、すべて外れるということはそうそうない。いくらスライムたちが魔法の矢から逃れようとしても、だ。それにここしばらくの修行で魔力の精密操作に慣れてきたネギにとって、スライム程度の速度ならば百発百中であてられる。

 先ほどと同じように雷属性の魔法がスライムたちへ殺到し、白煙が発生する。これだけでは先ほどのネギの二の舞だ。自然とネギは唾を飲み込んだ。作戦の要である小太郎の姿を探す。だがどこにもいない。首を振って辺りを探るが見当たらない。

 

「いまや!」

 

 力強い小太郎の声が、白煙の中心辺りから聞こえた。振り返ると、煙の切れ間からその特徴的な耳が覗いている。いつの間にと思う暇もなく、スライムたちの叫び声が聞こえる。それは断末魔だ。耳をかき鳴らし、脳みそを切り取ってひっくり返すかのような声に、思わずネギは耳をふさいだ。

 白煙が中心から勢いよく吹き飛ばされる。とっさにネギは顔を腕でかばった。冷たい水気を帯びたものが顔面にたたきつけられる。

 目をおそるおそるあけると、小太郎が白煙の中心地でただ立っている。スライムたちはどこにもいない。

 ネギがあたりを見回してスライムを捜そうとしていると、小太郎はただ笑いながら口を開く。

 

「なんや、まだ分かっとらんのか。頭良いいう割にはちぃと固すぎやないか?」

 

 かんらかんらと笑う様子は、ただおかしいというだけで小ばかにしたものではなかった。そのことにネギはむっとしながらも安心を覚え、複雑な気持ちとなった。

 ついで小太郎の言葉を考えてみるが、やはりどうしてもなにをしたかが分からなかった。いったい小太郎はなにをしたというのか。

 

「簡単なことや。あいつらとお前がしていたさっきの戦い、ちぃと見とったんやけど、雷の魔法で失った水分を周りから吸収していたんやろ? やったら、その吸収の際、過剰な力をこっちから与えてやれば内側から崩壊するやろう。気を水気にして送り続けたんや」

 

 風船は空気を入れ続ければ、いつか破裂するもんやで? そういう小太郎は、どこか得意げだ。

 説明が終わると、ステージ上の水球が割れる。どうやら水球を作り出していた術者が消えたことで、術が持たなくなったようだ。解放された生徒たちは、しかし身を震わすだけでその場に立ち止まっている。

 生徒たちが逃げ出そうとしない理由は、ネギにもわかった。ステージ中央にて凄まじい威圧を発生させている男がいるからだ。

 

「ふむ、素晴らしい観察眼に発想だ。犬上小太郎君、だったね? そこにいるネギ君に方向性こそ違うものの、負けず劣らずの才能を感じるよ。そしてそれに見合った経験がある。残念ながらネギ君は才能こそ歴史的に見てもトップクラスであるが、いかんせん経験が足りないようでね。予想外と先ほど言ったが、幸運だったよ、君が来てくれたことは」

 

 男が拍手をしながら舞台から客席へ降りてくる。どこか人とは違う異質な魔力でその身を包みながら。ゆらゆらと揺れるように身を包んでいる魔力は、影のような暗さとまとわりつくような悪意を覚える。ネギと小太郎は、すぐさま構えを取って男へ相対した。

 

「あの子たちはスタンドプレーや、妙な慢心ばかりしてしまう。それでもこの天候ならば、彼女たちが負けるとは思わなかったが。いやはや、どうやら戦いの勘が鈍っているようだ」

 

 首を振りため息を吐くその男に、ネギは仲間をやられてその程度済ませられるという感性に、うすら寒いものを感じ取った。口にしなかったが、思わず睨みつけてしまう。

 

「そう睨まないでくれたまえ、ネギ君。これでも数年ぶりの戦いだ。私もリハビリに必死なのだよ。それこそ他者にかかりきりになれない程度にはね」

 

 軽口に付き合いきれなくなったのか、小太郎が前へ一歩進んだ。気の短さは変わらないようだ。

 

「はっ! 負ける言い訳の準備はできたんか?」

「はっはっは。勇ましいことだ。うむ。幼子というのはそれくらい無茶をする方がいい。こんな老いたものにとって、それは懐かしい幻想のようなものだからね。さあ、ネギ君、小太郎君。戦おう、心行くまで」

 

 男もまた、ネギと同じく拳を構えた。その姿からは圧倒的な年月と力が感じられた。




スライムって、水風船にそっくりだと作者は思うんです。皆様はどう思いますか?


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心の底

もう六十話を越えていたんですね。百話かかっても終わりそうにないです……。


 雨脚が一層強くなり、ネギと小太郎、それに男は濡れに濡れて濡れ鼠と化していた。

 それほど濡れてはいたが、ネギに寒気はなかった。むしろ熱かった。スライムとの戦いで火照った体には、雨が程よい冷たさで浸してくれて気持ちが良い。

 だとするならば、なぜネギの体は震えている? 寒いからではない。ではなぜ? 目の前にいる男を恐怖しているのか? たしかに男の歩き方から、ある程度の強さは分かる。それでもネギが体を震わせるほどではない。強いであろうが、エヴァンジェリンのような化け物を越えた強さではない。ならばなぜ、なぜこうも体が震えだすのか。小太郎はなんの変化もないというのに。

 ネギは不安に駆られ、空を仰ぎ見た。一瞬、そこに見知った誰かがいたような気がした。

 

 

 

「なにしとるんや、ネギ!」

 

 小太郎の怒声に、ネギは身をすくめて現状を思い出し、慌てて男を見る。なぜ戦っている最中になにもない空に気を取られたのかは分からなかったが、いまするべきことは黒々とした雲で覆われた空を見上げることでない。生徒を守るために、男を倒すことだ。

 下がりかけていた腕をもう一度上げて、構えを取る。それに呼応するかのように、男もまた拳を握り込んだ。その構えはネギですらよく知っているものだ。ファイティングポーズ。

 イギリスにて生みだされた近代ボクシングにおいて、もっとも基本的な構え。目線まで両の拳を上げて、僅かに段違いにすることでジャブの速さと、ストレートの威力を両立しながらも上体の防御をも可能とした優れた構えだ。

 そしてボクシングをする者のことは、とある名称で言われる。敬意を表すがゆえに。

 

「ボクサー!」

「ふふふ。私はこれでも紳士を自称しているのでね。これは君の国で紳士のスポーツと呼ばれるのだろう?」

 

 私にぴったりでないか。そう言って男は笑い、軽やかなリズムでステップを刻みながら間合いをじわじわと詰めてくる。拙さのない足運びに、ネギの警戒は跳ね上がる。イギリス人であるネギは、ボクシングについて下手をすれば、今習っている中国拳法よりもはるかに知っている。だからこその警戒だ。

 

「へっ! 面白いやないか!」

 

 しかし小太郎は跳びだした。注意こそしているが、ネギからすればまったく足りない不用意な状態で。

 その小柄な体と速度を生かし、あっという間に距離を詰めた小太郎は、フック気味の軌道で男の顔を狙う。

 

「駄目だ小太郎君!」

 

 だがそれは悪手だ。ネギが知る限りであるが、ボクサーの得意とすることは殴り合いだというのに。

 男は小太郎の攻撃を体を後ろへそらすスウェーといわれる技術で避け、体を起こす勢いも加味して左を繰り出す。うなりを上げた拳は、傍から見ているネギにも風切り音が届き、どれだけ鋭い拳筋をしているかがよく分かる。一流のプロボクサーに匹敵する鋭さだろう。ただ、ボクサーと違うのはその拳に秘められた威力が桁違いという点だけ。

 

「おっ、おおおおお!!」

 

 間一髪。小太郎は首を捻り、男の拳を避けた。しかし全力で避けたのか、完全に体勢を崩しており、男の右を受けてネギの方へ吹き飛ばされた。ワンで動きを止め、威力の高いツーで仕留める。理想的なワン・ツーだ。しかもカウンターまで決めている男の技量に、息を呑む。

 飛んできた小太郎を受け止めたネギは、ぱっくりとわれた小太郎の額に気が付いた。おそらくは、男が繰り出した最初の拳を完全によけきれていなかったのだろう。すぐに治癒の呪文で傷をふさがせる。

 近代ボクシング。それは拳のみを使うスポーツであるがゆえに、他の武術や格闘技よりも、下半身がおろそかになる部分はある。しかし逆を言えば上半身の運用は他よりも優れているといえる。そのためボクサーは防御もするがなによりも、回避動作にて他の追随を許さないほど優れた動きをし、それを得意とする。しかもその優れた回避動作は、わずかな動きだけで行えるために、相手の攻撃を利用したカウンターを繰り出しやすいという利点もある。

 完璧な見切りと、確かな修練で繰り出された拳は恐ろしい威力を内包していた。

 

「……やるな、おっさん。速くて、重くて、鋭いわ」

 

 小太郎の目が輝いている。ギラリとした光は、好敵手を見つけたからだろうか。荒々しさの中に純粋なうれしさが見える。飛びだしそうになる体を必死に抑えているのか、踵が浮かび上がってはまた地面へ下ろされる。

 

「ふふふ。これでも(これ)には自信があってね」

「なるほど。俺の好きな相手や」

 

 二人の間で何か通じるものがあるのか、笑みを交わし合っている。

 その間にネギは、気付かれぬよう細心の注意をしながらも、魔法を詠唱していく。練り上げる魔法はひとつ。魔法の射手。それもたった一本。それ以上は男に魔力が気付かれてしまうだろう。だがその一本があれば、ネギには十分だった。

 

「魔法の射手・戒めの風矢!」

 

 風属性の、束縛性能を持つ魔法の矢。少なくとも、これを喰らえば、一秒は確実に捕縛できる。それだけあれば、現在使える最大魔力で身体強化を施して、男の後ろまで行ける。生徒たちを逃がすことができる。

 

「ぬっ!!」

 

 目を丸くした男は、コートを掴み目をそれで隠した。光属性の魔法の矢でもないというのに、その動きにネギは訝しんだが時間を無駄にするわけにいかず、走り出す。

 縛られる男をすり抜けて、生徒たちの元へ駆けるネギ。しかしその生徒たちは血相を変えてなにかを叫んでいる。いや身体強化した感覚が捉えているせいで、なにかを言おうとしているのだけは分かった。

 

「中々の不意打ちだったよ、ネギ君」

 

 生徒たちとの間に黒い壁が生まれる。

 とっさに足を止めようとしたネギだが、限界まで身体強化した状態での全力疾走。そう簡単に止められるはずもなく、突っ込んでいってしまう。

 男の拳が腹を穿つ。水月をえぐる拳は、石のように固く、そしてハヤブサのように速い。障壁が一撃で割られる。とっさに全身の身体強化を胴体へ集中させるが、それでもなおダメージが伝わってくる。

 

「ネギ!」

 

 殴り飛ばされたネギは、雨に濡れたタイルを滑りながら客席へと叩きつけられた。小太郎が駆け寄り、追撃を牽制するが男に動く気配はなかった。それどころか、帽子のつばに手をかけて、顔を伏せているだけだ。

 

「こ、小太郎、君」

「なんや、ネギ?」

 

 火を丸呑みしたかのような痛みが襲う中、ネギは小太郎へ訪ねる。

 

()()()()()()()?」

 

 しばし黙る小太郎であったが、重苦しい口調で口を開く。

 

「正直よう分からへんが、傍から見て、お前の魔法があのおっさんを襲った瞬間、あの気ぃ強そうな姉ちゃんの首元が光っとった。そしたら、魔法の矢が防がれた? いや、散らされた? ううん、ちゃう。そうやな、()()()()()()

 

 かき消されたという言葉に、明日菜がなにかされたという言葉に、ネギはあることを思い出す。神楽坂明日菜は、魔法をかき消す力を持っているということに。

 

「まさか!」

「流石は天才少年だ。ここまでデータがそろえば、さすがにばれてしまうか」

「あなたは、明日菜さんの力を利用したんですか!?」

 

 その言葉に、小太郎と生徒たちが明日菜の方を向く。数々の視線にさらされた明日菜は、ただ現状が把握しきれず、かといって、さきほどの光が自分の首元から発せられていた事実に困惑するしかなかった。

 

「首元、……あのペンダントですか、媒体は!」

「ああ、そうだ。切り札であったが、拘束していたスライムたちがいないのでは、簡単に外されてしまう。安心したまえ。この状況下では、一度しか使えぬ奇策だよ、君と同じように」

 

 ネギの言葉に、明日菜は一度首元に掛けられたペンダントを窺い、すぐさま首元から外す。おそらくは、それだけで明日菜の力が利用されることはないだろう。

 

「さて、君も魔法を使っても構わない。ただ戦いたまえ。まあ、その場合、私の拳が風穴を今度こそ開けるがね? 男なら、やはり拳で語るものだろう!!」

 

 男が構える。ネギと小太郎はその場から跳んで避ける。距離があったというのに、黒い影は先ほどまで二人がいた場所を打ち貫く。重い衝突音がして、コンクリートの粉塵が舞う。

 二人というアドバンテージこそあるもの、ネギと小太郎はだんだんと追い詰められていく。ネギの中国拳法はまだ習い始めて日が浅く、男のボクシングと比べ物にならないほどに練度が足りない。だからといって魔法を使おうとすれば、その隙を男は見逃さないだろう。今もその瞳は、油断なく二人を見すえている。

 そして小太郎もまた同じように、先ほどから何度か攻撃を繰り出しているが、それらすべては的確に防御され、ダメージを与えられていない。

 

「こなくそっ!」

 

 不用意に伸ばした小太郎の腕を、男は軽く下へはじくと、そのまま連続で繰り出すジャブで小太郎をその場に縫いとめ、コークスクリューブローのように、ねじ込んだストレートで弾き飛ばす。喰らった小太郎は、客席の左端から逆方向へ勢いよく飛んでいき、地面へと激突した。

 

「こた「いいのかね? よそ見をして?」――っ!!」

 

 小太郎の方へ気を取られてしまったネギは、男が繰り出したアッパーをまともに食らい、砲丸投げのように宙へ飛ばされる。とっさに魔力で強化したあごと障壁のおかげで、なんとか骨が砕けずに済んだが、それでもダメージは軽くない。脳も揺さぶられたせいで、視界がゆがむ。客席を砕きながら、地面へ叩きつけられる。

 痛みをこらえながら上体を起こすと、男はため息をついていた。

 

「やれやれ。ネギ君、先ほどから君は、どうも本気で戦っていない」

 

 その言葉に反論しようとネギが口を開けるが、男はそれを無視して先へ進む。

 

「君はなぜ戦う? まさか、仲間のためというくだらない回答はよしてくれよ。それは、戦いの理由を他者へ押し付ける最悪の害悪でもあるからね。そう、戦う理由は常に自分の中になければならない。例えば小太郎君。彼は素晴らしい。あの年齢で強いものと戦いたい。なんともいじらしいではないか。夢があって、いい。だからこそつい私も熱くなってしまったが。だが、君はどうだ? 少なくとも私にはそういったものが見つけられなかった。怒りや憎しみ、復讐心などがあれば全力を出すだろう。自身のすべてをかけて戦うから人は強くなれる。それが人間だ。だが、君にそれにいたるための原動力はない。だからこそ、全力を出さず本気で戦おうとしない。強くなることに興味を持っていないから。……説教臭くなってしまったね、しかしもう一度尋ねよう、ネギ君。なぜ君は戦うのかね?」

 

 男の冷たい瞳にネギは言葉を返すことができない。言いたいことはいくらでもあるが、いざそれを口に出そうとすると、咽喉(のど)(つか)えてそれ以上出てくれない。

 

「ふふ、ふは、ふあはははははは! まさかとは思うが、なにも言えないのかね? ……がっかりだよ、ネギ君。仕方がない。ならば私が君の心を当てて見せよう」

 

 帽子がゆっくりとはずされた。一瞬顔が影に隠れて見えなくなる。しかしすぐにその顔が見えた。

 

「雪の日の記憶から逃げるためだろう?」

 

 その顔は、ネギの村を襲った怪物のものだった。




ヘルマン強化及び、sekkyou化しました。


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近づく真実

 体を震わす。ネギの耳から雨音が遠ざかり、ただ目の前にいる男しか見えなくなる。それ以外は目に入らない。

 ねじくれた角に、人ではありえない卵のような楕円形の顔。そしてその顔は間違いなく、ネギの目の前でネカネたちを襲った悪魔のもの。

 心臓の鼓動が激しくなる。今にも胸が破けそうなほど強く、黒々とした泥のような血を体中へ送り込む。

 

「ぬっ!!」

 

 体の奥底からあふれ出す魔力で無理やり身体強化をしたネギは、悪魔に殴り掛かる。腹部を狙ったアッパーは、しかし軽やかなステップを踏まれて間合いをずらされ、外れてしまう。拳圧が風を生み出すが、男には届いていない。

 

「ははは! 素晴らしい。その表情、それこそが()()だ! 感情に身を任せろ、ネギ君! それこそが君を英雄とする! 認めよう、このヴィルヘルムヨーゼフ・フォンヘルマンが! 君は英雄にふさわしいと!」

 

 うるさい口を閉ざさせるために、そのこめかみ目掛けて膝を繰り出す。体を後ろに傾けるスウェーでは避けられたが、そのまま膝を伸ばす。伸びた間合いは、ヘルマンのこめかみを砕こうとその威力すべてを発揮する。

 轟音が響き、ネギの足にはたしかな感触が残る。その瞬間ネギは嗤った。

 ステージへと叩きつけたヘルマンは、頭から血を流していた。しかし全力の蹴りを喰らったにしてはダメージが少なすぎる。

 

「うむ。中々の威力だ。惜しむらくは、冷静さを少し失っていることか? 激情を否定せず、理性を失ってもならない。それができなければ決して英雄には成れんぞ、ネギ君」

 

 地面ごと引っこ抜きそうなほど低い位置からアッパーが飛んでくる。いや、アッパーにまとわせた魔力が襲いかかってくる。横へ跳び退り、ネギはその衝撃を避けた。

 

「その避け方ではだめだ。本能に任せるときと、理性に身を任せるときの判断は課題だな」

 

 ヘルマンがいつの間にか眼前に立っていた。最前の場所からかなりの距離があるはずだというのに。驚く暇もなく、ジャブがガードを固めようとしたネギの腕を弾き飛ばす。

 

「クイック・ムーブのひとつでも覚えるといい。戦場で止まるということは、かなり危険な行為だ。武術では時に技よりも歩法が重視されるように、“歩く”という行為ひとつがかなりの力となるだろう」

 

 その言葉通り、踏み出しながら体全体で叩きつけられるような右ストレートが襲う。それを喰らったネギは、今までと比べ物にならない衝撃を受け、叩きつけられた卵のように地面へとめり込んだ。

 

「がっ!」

 

 息がすべて漏れる。殴られた腹は、灼熱の痛みにさらされ、悲鳴を上げている。体全体が今の一撃で自由が利かなくなってしまっていた。

 吹き飛ばされたネギへ、ヘルマンは近づいてくる。革靴の音が段々と明確にネギの耳へ届く。

 

「感情だけでは彼らに敵わない。さりとて理性だけでは近寄ることすらできないだろう。怒り、悲しみ、悔しさ、そしてそれらすべてを飲み込み人間は人間として戦わなければならない。それは君も同じだ、小太郎君」

 

 振り返りざまのボディーブロー。それを喰らった、小太郎は吹き飛んだ。

 

 

 

 

「ネギ!」

 

 ステージ上の少女たちも、ネギの変化に気付き、そして同時にヘルマンの様子が変わったのを見た。先程までと違い、一撃一撃の威力が段違いに強く、動きも速くなっているように見える。戦闘者でないほとんどの生徒たちは、ただ手加減をしなくなったと感じていた。一切の容赦なく、ネギを追い立てているヘルマンは、それほど強い。

 

「どういうことネ。なんであの男、ネギ坊主に助言なんて送っているカ?」

 

 そんな中、古菲だけはヘルマンが語る内容に違和感を覚えて仕方がない。

 敵に塩を送って、戦いのレベルを上げて楽しもうという訳だろうか。それにしては助言もどこか抽象的で、どちらかというと心構え的なものばかり。少なくとも、今すぐその助言で強くなる類じゃない。だからこそ古菲にはヘルマンが分からない。

 

「クーフェ、そんなこと考えている場合じゃないよ! やばいわ。ネギ君完全に頭へ血が上っちゃっているよ!」

 

 朝倉の慌てる声に、古菲は答えの出ない嫌な感覚を覚えながらも、ネギの方をみざるをえなかった。

 

 

 

 

 届かない。怒りに身を任せて戦ったというのに、その拳が()()()に届かなかった。

 降り注ぐ雨が、無力なネギを責めるようで、その心を冷たく溺れさせていく。

 

「僕に、戦うだけの力はないの……?」

「それは違うぞ、ネギ君」

 

 だが敵であるはずのヘルマンに強い熱が与えられる。

 

「人の強さとは、力ではない。戦おうという意思を持つことが強さなのだ。君らは忘れてしまっているだけだ。その強さを、人の意思を力とする方法を。科学や学問の発達によって忘れきってしまった本来の魔法を」

「本来の魔法? ああ、そういえば」

 

 ふと、ウェールズにいる祖父のことを思い出す。まるで口癖のように、真の魔法とは、と語っていたことを。

 

「わずかな勇気が本当の魔法……」

 

 いつからだろうか。その言葉をすっかり忘れ果てて、力を求めたのは。

 ネギの口から笑いが零れる。なにが魔法使いだ。大切なことすらも忘れ、力を振り回した愚か者がここにいただけだ。

 

「そうだ、ネギ君。それこそが、君たちの真の武器。さあ、きたまえ! 君の敵として私は、君を打倒しよう! 死にたくないならば、戦いたまえ!」

 

 震える手を握りしめる。負けたくない。目の前の男に勝ちたい。初めてネギは、そう思った。

 

「ぉ、おおおおおおお!!」

 

 吠える。足が膝から崩れ落ちそうになる。――だからどうした。

 腕は疲れ切って上がりそうにない。――だからどうした。

 魔力はもうすっからかんだ。――だからどうした。

 まだ僕の中に勇気はある。

 

「あああああ!!」

 

 ありったけの力を込めて、ヘルマンへとネギは拳を振るう。技術も何もないそれは、弱々しく、力強かった。

 二つの拳が交差した。

 

「……見事だよ、ネギ君」

 

 ヘルマンが地に伏した。

 

 

 

 

 小太郎と生徒たちがふらふらとしながらやってきた。

 円の中央にはヘルマンが倒れている。

 

「ふむ。ネギ君まずは賛辞を送らせてくれたまえ。素晴らしい心だったよ」

 

 ヘルマンはネギの目をしっかり見ながらそう言う。あまりにも澄んだその瞳に、ネギは胸の中に抱いた疑問を殺しきれなくなってしまった。

 

「ヘルマンさん、貴方はなにをしたかったんですか? 人質に取った生徒も必要以上に傷をつけていません。それに、なにより戦いのさなか、僕たちにアドバイスを送っていました」

「……なに、ただの謝罪だよ。君の住む町をめちゃくちゃにしてしまったね」

「なにが、なにが謝罪ですか! 貴方のしたことは、ネギ先生の人生をめちゃくちゃにしたんですよ!」

 

 夕映が怒りをあらわにする。その強い憤りすらも、ヘルマンはただ受け止める。

「その通りだ。たとえ、私たちが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、許されることではない」

「え?」

「む? そうか、ネギ君。君はまだ知らなかったのか。スプリングフィールド家ならば、失伝していないはずだったが。君が師事しているのはエヴァンジェリンだね。彼女の癖が君の魔法からよく感じ取れたよ。だとしたら、仕方がない。彼女は当時を知っていたといっても、まだ子供だった。あのような状況では周りに目を向ける余裕などはなかっただろうし、あの当時すでに()()()()()()()()()()()()。ならば、私が教える必要があるか」

 

 一度ヘルマンは口を閉じ、息を整え再び開こうとした。

 

「「「なっ!!?」」」

 

 だがそれはかなわなかった。

 ヘルマンの顔を、空中から生まれた黒い穴から飛び出した腕がつかみ取り、そこへ引きずり込んだから。

 

 

 

 

「ここは、どこだ?」

 

 ヘルマンは動かない身体であたりを見回す。ネギの拳は強い感情が込められており、人間の感情から生み出されたヘルマンにとって魔法なんかよりもはるかに強力な者だった。そのせいで今は指一本動かすことができないほど疲弊している。

 首が巡る範囲で見る限り、少なくともこの空間に潜む()()は趣味の良いとは到底言えない存在であった。

 蠢く手足、睨み続ける目玉。あちらこちらから囁くように、人の言葉ではないものが聞こえる。まともな精神のものならば、一秒でもいたくないと思ってしまうような空間だ。

 

「はてさて、この国では蛇が出るか鬼が出るかというのだったかな?」

「蛇も鬼も出ないさ。ここにいるのは復讐を誓った人間だけだ」

 

 視線を巡らすと、ヘルマンの頭上に一人いた。金髪の、美しい顔立ちをした子供だ。ただ、その顔は全くの無表情で塗り固められている。

 

「君は、まさかと思うがユギ・スプリングフィールドかね?」

 

 疑問に相手は答えない。ヘルマンもまさか答えるとは思っていないが。それでもなお、尋ねなければならなかった、そのことを。

 

「君はなぜ私とネギ君を戦わせたのかね?」

「決まっているだろう。復讐の味を楽しんでもらうためさ。私だけで堪能するには、ネギに悪い」

 

 その言葉を聞き、ヘルマンは表情を変える。

 

「そうか。貴様は、心から化け物になったか。いいだろう。ならばわが身を晒すのも悪くない。貴様らを滅ぼすために、主ヘルメス・トリスメギストスに産み出されたわが力を知れ!」

 

 ヘルマンの姿が変わっていく。先程ネギに見せた首以外に、二つの首が生え、そこからそれぞれ一回り小さい顔と大きい顔が生えてくる。翼は蝙蝠のそれでありながら、大きさはけた違いに大きくなっていき、一翼がヘルマンの背丈と変わらないほどだ。

 三つの首から()()が放たれる。錬金術によって生み出される、幻想の魔法が。

 

「滅びよ、幻想! 我らが主、人間のために!」




ヘルマンのおっさんは、悪魔でありません。
ここら辺から原作と乖離が始まってきます。


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嗤う妖怪

 首を廻らすと、鼻を摘ままれてももわからない暗黒の、無機質なディラックの世界がどこまでも広がっている。

 音を立てたとしても、跳ねかえることなくかき消えるまでどこまでも突き進む。なんの香りもせず、臭気もない。暖かさのかけらもないが、だからといって冷たくもない。五感のほとんどが意味をなさず、ただ感じ取れるのはぽつぽつと、その闇の中で休みなく蠢く手足やら目玉のみが見えるだけ。

 短い時間でもここにいれば、精神に多大な悪影響を与えるだろう。闇の中を震え続ける人間の一部の惨たらしさ。こちらをすがるように見据える眼球の数々。それらから逃げたくなったとしても、どこにも逃げ場のない世界。

 この世界にとらわれた者は、自我が崩れ、周りの闇といつしか一体化するだろう。果てしなく続く闇はどこまでも無関心に包み込むかのようだ。変わることなく、飲み込んだものだけを変え続けようとしている。コールタールみたく絡みつき、沼のごとく沈め。

 しかしそんな息の詰まる闇で、二つの化け物が殺し合っていた。

 金髪が翻る。黒い翼が闇をかき分ける。白い足が躍る。灰色の体が猛進する。変化のない世界を突き崩し、そこに存在している。

 二つとも、真正の怪物だ。大妖怪に匹敵する力を持つ妖怪。歴史に名を残す者に作られた魔。そこにいるだけで、世界の歴史を変えることすらできる力がある。その二者がお互いを殺さんと殺意を放ち続けている。

 ただ放たれる殺気だけで、いくらの人間が死を自ら選ぶだろうか。いくらの人間を殺せるだろうか。お互いが漏らす殺気だけで世界が歪んでいく。

 お互いが、心の底から相手の死を願っている。その存在を抹消するのは自らの手で、と。

 その同一の心持であるはずの、両者の顔つきは全く違う。ヘルマンには憤怒が、黒にはうすら笑みが浮かんでいる。

 その寒気を含んだ笑みを扇子で黒は隠す。冷たい光をたたえた目だけが縁と髪の隙間から覗いている。そのまま、ぱっと扇子を翻す。すると扇子が凪いだ場所から一個の妖力弾が放たれる。まっ白な弾だ。その弾は、黒い世界でよく目立つ。結構な速度で襲い掛かる弾であったが、ヘルマンは難なく避けた。

 その間にも滑らかに、空を滑るように黒は後ろ向きのまま飛行する。じっとヘルマンの顔を見据えながら。

 ぶれることなくただ佇んでいるようにしか見えない飛行は、能楽の舞踏にすら間違えてしまうほどに洗練された動きだ。指先までもが美しい軌道を描く。

 その後を追い、翼をはためかせたヘルマンが力強く、荒々しい挙動で追いかける。巨体を動かすための羽ばたきは、激しい。生命力あふれる躍動がそこにある。

 一見すれば、一体の怖ろしい化け物が華奢な少女に襲いかかっているようにしか見えないだろう。だが、現実は違う。

 

「そうら。このていど?」

「舐めるなよ、小僧!」

 

 先ほどから攻撃をしているのは黒ばかりだ。ヘルマンはただ追いかけるだけしかできていない。本来ならば、近づいてその巨体と三首を使い攻撃するのだろうが、黒はヘルマンを全く近寄らせないし離させもしない。確実に間合いを取り、主導権を握っていく。

 扇子を反しそこから様々な色合いの、威力こそあまりない弾幕を次次に間髪入れず撃つ。その壁のような密度はヘルマンの体に確実に当てるためのものだ。弾幕が当たった個所からは薄煙が絶え間なく上がった。

 その煙を切り裂き赤いレーザー状の魔力が返される。ヘルマンの反撃だ。しかしいくら強力な攻撃であろうとも、軌道が直進だけであり、さらにはそれぞれの首の数、三発程度しか同時に撃たないようでは、黒にとっては寝ていても避けられる攻撃だった。

 しかしヘルマンは反撃を避けられたというのに余裕な顔もしている。。撃ち合いに負けていたとしてもさすがというべきか、その身に全くダメージを受けた様子はない。挙動は未だ力強い。その錬金術によって作られた世界でもトップクラスの強固な外骨格と、先ほどまでと段違いの密度を保つ魔力()()が黒の妖力弾を完全に防ぎきっているようだ。一発が少なくとも魔法の矢以上、いやそれどころか白い雷と同レベルの破壊力が込められている弾丸を全て。

 口を開け、いくつもの球体を放ってきたヘルマンを眺めながら、袖を探る。取り出した符を扇状に広げ、この戦いで初めて()()する。かつて垣間見た世界の理を参考にし、黒が造り上げた術を。

 

「怪符 『この子は誰?』」

 

 小さな白く光る球がヘルマンと黒のちょうど中間あたりに生まれる。その球は二人と同じ速度で飛んでいるため、三者間の距離は全く変わらないでいた。ヘルマンはいぶかしげな顔をしながらも、先ほどと同じように魔力を放ってくる。難なく黒も避ける。

 五秒ほどたつと、その白い球は蝋燭の火を吹き消したかのようにかき消える。

 

「なにを企んでいるか知らんが、この身は最高硬度の金属ですら削れん! また、この身はありとあらゆる衝撃を寄せ付けん! 貴様の力程度では、わが身を貫くことなどできんわ!」

 

 また再び球が生まれる。今度は白い球でなく、赤い球だ。不安定に球が揺らめいている。その違いにヘルマンの表情が変わる。

 

「来るか!」

 

 バッバッバッバッバ、と回し始めたプロペラのような断絶しかけた音が幾度もする。音がするたびに、赤い球から幾つもの黄色い弾が放たれる。その黄色い球はヘルマン目掛けて速く飛んでいく。

 

「この程度!」

 

 ヘルマンはそれらの弾を真っ向から受け止め、砕いた。力負けした弾はシャボンのように割れていく。雄たけびをあげ、一層その速度を上げてくる。黒はその様子を見て、口元を弧に歪めた。

 すべての弾を撃ち終わり、今度は白い小さな玉が赤い球から分裂して現れ、ゆっくりと迫っていく。しかしそれらはヘルマンを狙ってでなく、当てずっぽうに、それこそランダムと言っていいほどに散らばって放たれる。白い玉が滑空する中を、ヘルマンは訝しげにしながらも、魔力を刃のように収束させて放つ。ダイヤモンドすら簡単に両断する鋭さがそこにある。

 黒はそれらをただわずかに体をずらすだけで完璧に避けきる。チッと掠める音が聞こえる。魔力がその身を、肌を切り裂こうとする中、その猛威を楽しむ余裕すら持ちつつ黒は飛び続ける。

 

「そろそろ両親が怪しんできた。いったい、その子は誰の子なのか、と」

 

 黄色い、先ほどよりわずかに大きくなった流線型の弾が再び赤い球から放たれる。ヘルマンは先ほどと同じく力づくで砕かんと、加速するために翼を広げた。しかし、その体勢を唐突に崩す。

 

「ぐっ!?」

 

 目を丸くしているヘルマンの翼から、行く筋のか細い煙が立っている。ダメージはないようだが、バランスを崩しきっている。

 ヘルマンの周りを、先程放たれたはずの白い玉がいまだに漂っていた。あまりの遅さで進む玉は、最初から逃げ道をふさぐためだけに黒が布石として放ったものだ。

 一瞬黙ったヘルマンは、すぐに敵意をあらたに翼をはばたかせる速度を速める。

 

「その程度で、この身を崩せるとでも思うたか!」

 

 二の腕を眼前でクロスさせ、ヘルマンは弾幕を耐えきろうと構えている。ただでさえ強固な魔力結界が、さらに頑強な物へと変わり、腕もまた二回りほど膨れ上がっていく。

 人造物(キメラ)だからこそできるであろうその所業を見、黒は小馬鹿にした笑みを一層深く刻み込む。無意味な所業とあざ笑いながら。

 弾幕がヘルマンの結界へと接触すると、まるでそんなものは初めからなかったかのようにすり抜ける。

 

「なに!?」

「災厄を寄せ付けない道祖神すら欺く不可思議な子に、その程度の結界が意味をなすはずないだろう?」

 

 黄色い弾はヘルマンの眼前にて黒く染まり、一気に破裂する。いくつもの鋭い針状の妖力が、中心から押し出されるように飛びだしヘルマンへと襲い掛かる。ほとんどの針は弾かれるだけだが、数本だけ異様に妖力が込められたものがあり、それらだけはしっかりと、食いつくかのようにその身へと突き刺さる。

 しっかりとヘルマンの体に食い込んだ針は、込められた妖力を先端から一気に解放させていく。

 

「ぐぉお!?」

 

 突き刺さった針の先から、くぐもった爆発音が発生する。ヘルマンの体に突き刺さっている針は、その針先から爆発する妖力を発し続け、強固な外骨格でなく柔らかで脆い肉体の内部から破壊していく。内側から断続して続く爆発をヘルマンはなす術もなく受けていく。

 爆発が終わる頃には、ヘルマンの体の表面を罅が覆い始めていた。その亀裂から、体液らしきものが流れ落ちている。

 

「よくも、やってくれたな……!」

 

 そういうと、ヘルマンは三首をもたげ、その口腔内になにかをため始める。液体状のそれらは、それぞれ緑色、黒色、赤色という奇妙な色合いをしていた。小首を傾げ、しかし黒はその行動を邪魔することなく眺めている。

 

「喰らうがいい!」

 

 吐き出されたそれらは空中でまじりあい、玉虫色に輝きながら黒へと迫る。道中にあった妖力弾をすべて溶かし尽くして。

 それを見てとっさに黒は旋回し、その液体を被るのを避ける。

 

「王水。いや、錬金術(製作者)から考えれば、万物溶解液(アルカエスト)の方が道理だろう」

 

 鼻をつぶしたくなるほどの臭いを発し、黒の結界が溶けている。僅かに結界へと掠めたらしいが、その程度でもこれだけの効力を発する()()。ヘルマンの切り札ということだろう。

 結界を眺めながらつぶやき、そしてヘルマンへ顔を向ける。

 

「トリスメギストスが作り出したというのもあながちウソではないようだ」

 

 ぺろりと口元をなめると、黒はヘルマンへ新たに弾幕を放つ。先程まではなっていた弾幕は、すでに術の効果時間を終え、なくなっている。

 

「無駄だ!」

 

 再び吐き出される万物溶解液。新たな弾幕を簡単に溶かし尽くして迫ってくる。人一人簡単に呑み込める大きさのそれを避けると、その陰からヘルマンは飛び出し、その口腔内にたまった薬液を吐き出し、二発目を浴びせかけようとする。

 

「弾幕ごっこならばルール違反だが、まあ()()弾幕ごっこは必要ない。問題ないだろう」

 

 黒の顔がゆがむ。薄ら笑いでなく狂笑が浮かび上がる。妖力が跳ね上がる。

 

()()()()()()

 

 鈍い金属音が世界へと吠える。

 黒い空間に、ワイヤーで区切られた黒い穴が開き、そこから幾つもの交通標識が覗いている。それらがヘルマンの体を叩き壊し、打ち貫いている。顎へ突き刺さった標識は、ヘルマンの(あぎと)を強制的に閉ざしていた。

 緑色の血を噴出し、呻くヘルマン。黒はスキマを使い眼前に来ると、左右の首を掴み引きちぎる。噴出した血と液体、体液は溶解作用でもあるのか、臭気を発しつつ黒の頬にかかっている。だがその肌は火傷ひとつ負うてない。黒は二つの首を放り捨てると、最後の首に手をかけた。

 

「……悪魔、め」

 

 わずかに開いた口からヘルマンがそう漏らす。そこに怯えが僅かにあった。

 

「妖怪だよ、これからは」

 

 最後の首を、大笑いしながら黒は引きちぎった。




これでも一応主人公なんだぜ、黒って……。
主人公というより、完全敵役の方がはまっているような気がする作者です。

作中に出てきたオリジナル弾幕について
元ネタは取り替え子。一種の神隠しと言える気がしましたので、神隠しをする妖怪たるスキマ妖怪にふさわしいかなと思い、そう名付けました。


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遭遇した恐怖

 ざあざあという雨の音ばかりが耳の奥で木霊する。それ以外に物音は一切ない。誰も口を開くことなく、ただただヘルマンのいなくなった場所を眺めつづけている。そこには水たまりしかないというのに。

 体中の熱さが急激に失われていくのをネギは感じた。背筋を寒気が張り付くように襲ってくる。

 ヘルマンが最後に語ろうとした瞬間に現れた謎の手。見たこともない、黒い空間から無造作に飛びだしてきた、白い腕。それがなにか分からない。だからこそ、怖ろしいとネギは思った。

 眩暈が襲う。今見た物を嘘だと叫びたくなる。だがネギの優秀な頭脳はそれを許さない。理性が本能の怯えを抑え込もうとしてしまう。

 

「なんや、なんなんや……なんなんや!」

 

 小太郎が歯を剥き出しにして吠える。その体は震えている。

 

「おい、ネギ。西洋魔術師はあんなことできるんか?」

「……」

「できるか訊いとるんや!!」

「できない、できないよ! ありえない! 部分転移なんて、近代魔法学を根本から否定している!」

 

 転移魔法は非常に高度な魔法だ。それはネギも知っている。それこそ天才といわれてきたネギですら、学生時代に習得することができなかったほど難しいものだ。

 一見すれば全身でなく一部分だけを転移させるとなると簡単に思えてしまう。しかしことはそう簡単なものでない。そもそも転移魔法というものは(ゲート)を空間に作り上げ、そこから空間を移動する魔法だ。全身を移動させるならば、身体が通る一瞬だけその扉を作ればいい。しかし一部分だけを転移させるとなれば、扉は開きつづけなければならない。それをするには莫大な魔力と、常に移動する時空間を把握し続ける人外の計算力が必要になる。

 A地点からB地点へと移動するのが転移魔法だ。しかし、このAとB地点は常に移動している。地球は()()()いるからだ。地球の自転、公転。それらすべてを魔法術式に加えこんで移動する。それが転移魔法。ネギはこの計算がどうしてもできずに、転移魔法を習得できなかった。一瞬だけでもその計算はスパコン並みの演算能力を求められるというのに、それをずっとし続けられるなど、ネギには考えられない。

 さらにそれだけでない。そもそも、例え計算できたとしても部分転位など到底不可能なのだ。

 そも転移魔法を使うということは、離れた場所へ移動するということにほかならない。視認できる距離だとしたら、そもそも転移魔法を使わず瞬動を使えばいい。転移中に扉が閉じてしまえば、転移させた部位は空間に切断される。そんな危険なことは誰もしない。いつ自分の体がちぎれるか分からない。

 そしてそれは遠距離においてもそうだ。目に見えない位置に自分の体を放置できる者がどこにいるというのか。遠見の魔法を使えば、確かにその場所は分かるだろう。しかしそれは転移魔法を使うまでの状態だ。転移魔法は異常な程演算能力を使う。それだけ脳を酷使しながら、遠見の魔法を使える者など存在しない。

 論理的にも、精神的にも部分転位など不可能というのが、近代魔法学の結論だ。

 それが今、確かに目の前で完全に否定された。ネギに尋ねてきた小太郎の顔を見れば、東洋呪術でも同じような結論がすでに出ているのであろう。だからこそ、この場にいる全員の中でも特に二人は困惑を隠しきれずにいる。

 ありえないと呟き続けるネギ。しかしそう口にすればするほど、起きたことを肯定するかのようでうすら寒さは強くなっていく。それでも言葉を止めることはできない。黙ってしまえばその時点で認めてしまいそうで。

 

「ね、ネギ?」

 

 明日菜が心配そうにネギへ声をかけたが、それに答えるだけの余裕はなかった。ありえないと口にし、理屈を持って事態を理解しようと必死に脳を振り絞っていく。たとえ間違っていたとしても、説明できればそれでよかった。未知の、理解不能から逃れるためには。

 しかしネギの知識すべてをさらい、吟味し知恵を使いつくしてもなお、なにもわからない。

 

「ネギ!」

 

 明日菜がネギの肩を掴み揺さぶった。

 

「あ、明日菜さん……」

 

 その刺激で、ようやく明日菜が話しかけていたことに気が付き、ネギは茫然とした口調で漏らす。そしてようやく周りを見る余裕ができたのか、心配げにしたしている生徒たちに気が付いた。

 

「あ」

 

 首を一度振り、ネギは毅然とした態度を取り戻す。

 今すべきことは、考え込むことではないことに気が付いた。

 とにかく今は生徒たちを無事部屋に戻さなければならないし、その心身のケアをもしなければならない。いやそれだけでなく学園長に報告しなければならないだろう。正体不明の、異常な現象を引き起こした敵が麻帆良内にいるのだから。

 

「ああ、ネギ。すまん、俺帰るわ。なんかお前の仲間近くに来ているようやし」

「え、小太郎君?」

「すまんな! ほな、また今度や」

 

 小太郎が手を挙げ、飛び立った後、エヴァンジェリンが茶々丸に傘を差させてこちらに向かってきた。

 

「坊や。お前はそいつらを部屋に戻して来い」

 

 その顔は、いつもと違い険しいものだった。

 

 

 

 麻帆良学園にいる最後の魔法使いが、学園長室へ入った。時計は既に両針とも頂点を越えている。ずらりと並んだ同僚にその魔法使いは遅れたことを詫びて列に並んだ。全員突然の収集命令に、困惑していた。

 

「それで、学園長。いったいなぜ僕たちを呼んだのでしょう」

 

 近右衛門はしばらく滑らかな机に映る自身の顔を眺めていたが、ついと顔を上げ口を開く。

 

「うむ。本日、悪魔が侵入した」

 

 その言葉に列のいたる所でどよめきが起きる。

 近右衛門が手を打つ。それだけでざわめきが止まる。すべての目が近右衛門を向いている。厳しい顔つきをしている者もいれば、不安げにしている者もいる。

 その白く長い髭を一擦り、二擦りしてから近右衛門はゆっくりと言葉を紡ぎだす。

 

「幸いその悪魔はネギ君の手によって退治された」

 

 多くのものが明るい顔に変わる。中には力強くうなづいている者すらいる。しかし幾人かはいぶかしげな顔をしており、さらに数人にいたっては表情を硬い物へ変えていく。問題は悪魔が侵入してきたことでないと、気がついた者たちだ。

 

「だが、問題はその後じゃ。ネギ君が悪魔を倒した時、その悪魔が何者かの手で救出された」

 

 先程よりも騒がしくなったざわめきが学園長室を満たす。

 

「どういうことですか!?」

 

 ガンドルフィーニが近右衛門の前にある机に掴みかかり、声を荒げる。今にも掴みかかりそうな剣幕だ。近右衛門はその眼を一睨みするだけで、押し黙らさせる。

 言い淀んだガンドルフィーニは一歩後ろに下がった。

 

「儂にも詳しいことは分からん。しかし学園結界に感知されず、誰にも知られることなく麻帆良に侵入できるほどの手練れじゃ。常に警戒を密にせねばならん」

 

 学園長の言葉が進むにつれ、魔法使いたちの顔つきが皆同じものへと変わっていく。険しく、同時になんらかの覚悟を秘めた者へと。

 

「うむ。もしかしたらそれは関西からの刺客かもしれぬ。各々警戒するように」

 

 近右衛門はそう区切り、反応を待つ。

 

「はっ!」

 

 期待していた反応が返ってきたことに、近右衛門は静かに頷いた。

 なにが起きているのか、近右衛門自身分からなかった。ただただ近づく不穏な日に、いやな予感が当たらなければいいと思った。




ヘルマン編はこれで終わりです。次回からは、麻帆良学園祭編に。


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すべてが変わる学園祭
学園祭が近づき


 陽光が窓ガラスをすり抜けて、ネギの横顔を照らしている。ヘルマンの襲撃事件からすでに数日が経っている。だというのにいまだあの腕については分かっていない。

 いやそれだけじゃない。他にも色々と分からないことが生まれていた。あの日、ヘルマンが語ろうとしていた話、それがなんなのかネギはどうしても気になっていた。

 人間に逆らえないように作られたというヘルマン。本当の魔法。スプリングフィールド家に伝わるという話。それらが胸の中で渦を巻き、言い知れない、じっとしていることができないほどの焦燥感となってネギを突き動かそうとする。

 だがなにかをしたくとも、なにもできないのが現状だ。腕のことは学園が調べている。ヘルマンについては、そもそも悪魔に関した書物の中に、ヘルマンはいない。有名な悪魔の名前はいくつもある。調べればいくらでも出てくる。なのにヘルマンの名前はない。そもそも悪魔のような存在は名前を持って縛り付ける者だ。出なければ、その力は召喚者へと向けられることもある。名前とは鎖だ。強大な存在を縛り上げ、従わせるための。だからこそ、悪魔の名前というのはほとんど必ずどこかに記される。聖書であったり、伝説にまぎれ。

 ではなぜヘルマンの名前がないのか。それがどうしてもネギには分からない。作られたという言葉を信じれば、ヘルマンは悪魔でないということだろうか。しかしそんなことありうるのか。生物を作り出すなど、神の御業ではないか。少なくとも、ネギが知る限りそんな魔法は存在しない。そもそもそんなものは魔法では不可能だろう。

 ではやはり魔法で語れない、あの腕のような存在なのだろうか。

 そこまで考えが巡ると、ネギはこめかみを抑え蹲った。

 あの華奢な、それこそ魔力で強化した力ならば簡単にへし折れそうな腕。思えば、女性、いやそういうには少し小さすぎる。女の子のような滑らかな白い肌の腕。それがすさまじい力でヘルマンを引きずり込んだ。

 興奮していたあの時よりも、むしろいくらか冷静になった方が恐ろしく思える。魔力を纏わず、気を使わずともあれだけの膂力。人ではないだろう。だがならばいったいなんだというのか。ヘルマンと同じ悪魔なのか。しかしだとすると、なぜ同じ悪魔がああしたのか分からない。あれは助けたという訳じゃない。あんな荒々しい手で救い出そうとする者はいないはず。

 正体不明の敵対者。しかもその敵対者は簡単にその手の届く範囲に入ってくる。なにをされるか分からない。なにを目的としているか分からない。霧の向こうにいる殺人鬼は、どこにいるか分からず恐ろしい。

 それはいくら魔法を使えるとはいえ、ネギもまだ数えで十。人並みに恐怖心というものはある。

 ボンヤリと考えていたが、明日菜が呼ぶ声に気を取り直し、考えることを止める。そろそろ学校に行かなくてはならない時間だ。

 

「分かりました、今行きます」

 

 

 

 通学路をネギと明日菜に木乃香が走っていると、一人の少年が三人の前に出てきた。

 

「よ、ネギ」

「小太郎君!?」

 

 学ランを着た、小太郎が片手をあげてそこにいた。

 

「いやはや。この学園凄まじいな。時期も良かったわ。高々学祭程度と侮れん。こっち来てよかったよかった」

「え、学祭?」

「あん? 確かお前先生やろう? 知っとるんちゃうんか? さっきも高校生が資材を運搬しとったで。いや、それにしても祭りはええな。楽しみや」

 

 そういわれてネギが辺りをうかがうと、着ぐるみを着た人やら、木材を肩に担いでねじり鉢巻きを締めている人たちがちらほら見える。

 

「本当だ」

「大丈夫かいな。祭りは準備も楽しいんやで。出遅れんようにせい。あの、手にも」

 

 最後、ネギだけに聞こえるようぼそりと呟かれた言葉に、表情がこわばった。

 

「小太郎君……!」

「あれがなんやかは分からん。だけど、や。俺たちの前に出てきたっちゅうことは、そこに因縁があるちゅうことやろう、絶対に。俺かお前。どちらかがあれと相対することになるで。俺の勘やけどな」

 

 押し黙ったネギの背中を小太郎は叩いて言う。

 

「まっ、ちゅうわけや。俺もそうやけど、お前ももっと強くならんとな。いまから楽しみやで。あれを相手にするのが」

「……強いね、小太郎君は」

「あん? ……当たり前やろ。心で負けて勝てるわけないやん」

 

 小太郎はそのまま「ほなな」とだけ残し、路地裏へと消えていった。その背中を見送ったネギは、拳を握り、空を眺めた。太陽がまぶしく輝いていた。

 

「ネギー、早くしないと遅れるわよ!」

「あっ、はい。今行きます」

 




まだつなぎのようなものなので短いです。


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赤と青の魔法薬

珍しく黒のコメディ編です。


 学校裏に黒は珍しくカモミールに呼び出されていた。

 その場所は校舎の影となっておりめったに人が訪れない。そこで一人、黒はカモミールが来るまで待っていた。

 

「すまねえ、またせたなユギの兄貴」

「別にかまわないが、なにか用?」

 

 人払いの結界をやってきたカモミールにひとまず張らせる。本来は黒の能力で人を寄せ付けさせないことなどいくらでもできるが、カモミールに魔法を使わせそれに能力を重ね掛けする以外、対外的に魔法が使えない黒は能力を人前で使えない。

 結界を張り終えたことを確認したカモミールは、下卑た笑みを浮かべ煙草を吸い始める。

 

「へっへっへ。ちょいと耳を貸してくだせえ」

「なんだっていうんだか」

 

 仕方なしにカモミールの首元を掴み、耳元に近づけると小さな声で話し始める。

 

「いや、ちょいと俺っちも姐さんの恋を応援しようと思って。ただ姐さんはシャイだから、なかなかタカミチをデートに誘いだせなくて。そこで一肌脱ごうと思ったんだが……」

「それで」

 

 うすうす嫌な予感がしながらも、黒は先を促す。それにひとまず安心したのか、カモミールは続きを話す。

 

「最初は初心な姐さんに恋愛ごとを慣れさせるため、ネギの兄貴にデートをさせようと思ったんだ。でも兄貴はまだ子供だから一緒にどこか出かけても、少なくともデートというより親戚の子供の遊びに付き合っている感じになっちまうだろう。そこで年齢詐称薬がないかまほネットを覗いてみたら、丁度全部売り切れで。そこで、お願いします、ユギの兄貴。俺っちに年齢詐称薬を作っていただけませんか」

「……まあ、それくらいなら別に問題はないけれども」

 

 珍しくカモミールが人助けをしようとしているその態度に動揺したのか、黒はうなずいてしまった。

 とはいえ一度うなずいたのを否定するのは、黒としてもプライドが許さない。別に年齢詐称薬は作成も使用も違法という訳でもない。というより、その使用用途は魔法使いの学生たちの演劇に使用される程度の出来だ。それこそ魔法使いではない一般人ですら、至近距離では違和感をわずかに感じ取れる粗悪な幻術の出来だ。詐欺なんかに到底利用できる代物でもない。そのため魔法界の法律でも特に禁止されているわけではない。さっさと黒は作りカモミールに渡すことにした。

 実際年齢詐称薬は材料さえあれば十分もしないうちにできる。さらにあらゆる薬を作る程度の能力を持つ黒にとって、眠りながらでも作れる程度の薬だ。あっという間に薬を作り上げた。

 

「ほら、年齢詐称薬できたよ。そういえば、ついつい()()を作ったけど、問題ない?」

「ええ、大丈夫っす。ほら、行きましょうユギの兄貴」

「え? ちょ、ちょっと!? 私は別に」

「なに言っているんすか。こういうのは周りのアドバイスが重要なんすよ。人が多ければ多いほどいいに決まっているんすよ」

 

 無理やり押し切られ、黒はなぜか明日菜の恋路の手伝いをさせられることになってしまった。

 

 

 

「それでカモ、ユギ先生まで連れてアンタはなにとち狂ったことを言っているの?」

「まあまあ落ち着きなよ姐さん。なにも俺っちだって伊達で兄貴とデートしろなんて言わねえさ。さすがに今の兄貴と姐さんが釣り合わないというのはよく分かる。なにせあまりにも身長が違い過ぎるからな。そこでユギの兄貴がわざわざ作ってくれたこの魔法薬を使えば、問題は解決っていうわけさ。この赤い魔法薬を使えば大人に、青を使えば子供になれるのさ。そうしたらお二人さんでもデートに見えるぜ」

 

 そういって振るカモミールの手にある薬瓶を見て、明日菜は黒のことを見る。そして再びガラス瓶に入った薬を見、指でさす。

 

「これをユギ先生が?」

「そうだぜ。魔法薬に関してユギの兄貴の右を出る者はいねえさ」

 

 そうこうしている内に木乃香が薬に興味を持ったらしく、カモミールに一粒赤い魔法薬をもらい飲み込んだ。煙が木乃香の体の内側からあふれ出てその姿を隠すが、白煙の中からうれしそうな声がする。

 

「わっ。見てみて、このセクシーダイナマイツ♡」

 

 一瞬煙幕で姿の見えなくなった木乃香だが、すぐに煙は晴れ、成長したその姿を見せる。豊かに膨らんだ胸とくびれたウエストなど、確かに成長した木乃香は、女性的な魅力にあふれていた。鏡を見てくるくる回っている。

 

「こういう魔法私大好きや。せっちゃんもホラ」

「え?」

 

 ただ悪戯好きな面が出たのか、刹那に青い丸薬を飲ませ自身もまた飲んでしまったが。

 木乃香が刹那を引きずり、幼い姿になった二人は走り回る。どうやらかなり楽しんでいるようだ。

 

「木乃香姉さんあんまり食べないで下さいよ。面白いかもしれないけど」

「分かったわ~」

 

 そうはいってもその顔を見れば、あまり信用できるものではない。黒は壁に寄りかかって目を瞑る。指先で肘をとんとんと叩く。

 

「ほなユギ先生の番やな」

「は?」

 

 笑顔の木乃香が黒の眼前に立っており、その口に赤い丸薬を押し付けていた。声を上げた拍子に丸薬が口に入れられる。目を丸くしたまま、口内に入れられた魔法薬が効果を発する。

 

「ほわ~」

「嘘……負けた」

「ど、どちら様ですか!?」

「ユ、ユギ?」

「あ、兄貴? いや姐さん?」

 

 嫌な予感がし、黒は部屋にある姿見を見る。そこには成長した黒の姿、すなわち()()()()()の姿が映っていた。あまりの失態に頭痛を覚えた黒であるが、反省することより前に、

 

「すごいなぁ、ユギ先生。まるでモデルみたいや」

「どうせ私に色気なんて」

「綺麗……」

「……」

「兄貴? ネギの兄貴? 顔を赤らめてどうしたんすか?」

 

 部屋にいる全員をどうにかしなければならないことに、黒はため息をついた。




ネギが顔を赤らめたのは、父親の志向がわずかに受け継がれたためです。
黒と母親は成長すると瓜二つです。


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変化は水面で

 深夜の3-A教室前に、黒はうつらうつらとしながらも眠い目を擦り頑張って起きていた。辺りでは真っ暗闇の中を生徒たちがせかせかと動き回り、学園祭の出し物となったお化け屋敷の内装を突貫で作っている。ペンライトの乏しい明りで手元を照らし、トンカチやペンキが動き回る。静かながらも騒々しいという奇妙な状態だ。しかしやはり眠気には耐えられないのか、黒の体が傾く。

 

「おい、大丈夫なのか?」

「……え、なんですか?」

 

 後ろ向きに倒れ込みそうになった黒を片手で支えながら、千雨は誰にも聞かれないようにひそひそと尋ねる。しかし黒はほとんど眠っており、その言葉を聞き逃してしまっていた。

 

「はぁ」

 

 千雨がため息をつく。黒は半開きの目でペタペタと再びペンキを塗りたくる。本来はすでに眠りについている時間。黒にとっては下手な妖怪よりも恐ろしい睡魔と闘っていた。今こうして3-Aに付き合っているのはネギが手伝ってくれと願ったからだ。もし生徒たちの願いならば自業自得と断っただろう。

 しかしネギは忘れたのだろうか。夜中という時間帯において黒が全くの役立たずだということを。昼ならば大概のことはこなせる頭脳に天才性を誇る黒も、夜においては睡眠欲とも言うべきものがあまりに強くもたげてくる。

 ぼんやりと濁り切った瞳をみた千雨は喝を入れるためにも耳元で他の誰にも聞こえないように語りかける。

 

「それで()()はどうなんだ? もうそろそろなんだろう」

 

 あれという千雨の言葉に、黒の瞳は開く。すでにその眼から眠気は消え去り、一瞬で二人の周りに結界を張る。その結界は普通の魔法使いでは感知できない隠密性を持つもので、ネギとそして刹那ですら気付かず、黒と千雨を周りの目から隠す。

 

「そうだね。下準備はすでに終えている。とはいえ、後は時間が来るまでなにもできないともいえる。それまでその仕掛けを守る必要がある。まあ、普通の魔法使いがどうこうできるとは思えないけどね。知覚すらできないんだから。それよりもそちらはどうなんだい、是非曲直庁の方は?」

「一応、こちらの準備も終わったよ。というよりも、準備自体はすぐに終わったさ。それよりも私が地獄へ行くために小野篁の井戸を探すのが大変だったけれども」

 

 その話に納得がいったのか、黒はひとつ頷き、結界を解除した。すぐにその眼はとろんと眠そうになっていく。しかしその瞳には知性の光がギラギラと輝いていた。

 

 

 

 翌日、学園祭前日に黒は世界樹前にいた。

 その場には大勢の魔法使いがおり、最後にやってきたネギが驚いた顔を晒している。近右衛門に言われて、ようやくここにいる全員が魔法使い関係者だということを知ったようだ。

 

「うむ。すまなんだネギ君。少々事情があって、君になかなか知らせることができずにいたのじゃ。しかしいまは交友を暖めるわけにもいかん。ネギ君も、ユギ君も良く聞いておくれ」

 

 そこで言葉を切ると、髭を擦り珍しく眉毛から目を覗かせて言葉を続ける。

 

「今年の学園祭は、ちょっと特別での。『世界樹伝説』を知らぬ者はおるか?」

 

 特に反応はない。あまり生徒と触れ合わない黒ですら、世界樹伝説が生徒たちの間で広まっていることは知っている。学園最終日に告白をすれば恋人ができるというたわいない噂話だ。

 

「その世界樹伝説なんじゃが、普段は平気であるがのう。二十二年に一度、まあ、異常気象のせいで今年にずれ込んでしまったのじゃが、世界樹が貯め込んだ魔力によって、恋愛関係であるならばどんな願いもすべて叶ってしまうようになっておる」

 

 その言葉に幾人かは驚いた気配を漏らす。恋愛関係といえ、願いをすべて叶えてしまうというのは魔法使いですら驚くに値することだ。それだけの魔力は黒ですらそうそう簡単に用意できるものではない。

 

「人の心を操るのは魔法界でも犯罪じゃ。なんとしてもこの伝説を叶えさせるわけにはいかないのじゃ。君たちには生徒の告白を止めてもらいたい」

 

 そこまで近右衛門が話していると、サングラスをかけた男性魔法使いが唐突に指をはじき、魔力を纏った風を飛ばす。風が通った後、爆風がし機械の残骸が落ちていく。カラカラとむなしい音が響く。

 幾人かはその音よりも早く、素早く地を蹴り空を翔けだす。機械を送った人物を追おうというのだろう。

 

「どうしますか、学園長? 私たちも加わりますか?」

「いや、彼らに任せればよかろう。さて、皆良く集まってくれたな。おって、警備シフトなどを送るので、学園祭期間中はよろしく頼むぞ」

 

 各々が解散していく中、黒はその場にとどまり続けていた。上空を眺め続け。

 

「――」

「ん、なにか言ったかいユギ先生」

「いえ、なにも」

 

 その言葉は魔法使いたちには聞き取れなかった。

 

 

 

 学園の建物の天井を幾つもの影が走り抜ける。スプリングフィールドと桜咲が生徒である超を抱えていた。その後ろから追ってくる影から逃げている。しかし段々と逃げ切れなくなった二人は、応戦を始めた。

 さすがに人気の多い通りが近いため、派手な魔法などは使われていなかったけれども、的確に応戦し裏路地へと逃げ込んでいく。なかなかうまい戦運びと言えるだろう。おしむらくは裏路地に逃げるならば、確実に追っ手を撒いてからの方が良かったというところか。実際追っ手もいまだ追ってきている。

 それに気が付いた二人は再び追っ手へ交戦しようとしたが、追っ手の正体を知り動きを止めた。なぜならそこにいたのは、先ほどの広場にいた魔法使いたちだったから。

 一瞬止まった両者であるが、しばらくしてから魔法使いの一人の提案で人のあまりいない場所へ移動した。この時期の広場はあまり人がいない。そこへ行くつもりなのだろう。

 到着してそうそうスプリンフィールドが噛みついた。

 

「どういうことですか?」

「それはこちらのセリフでもあるよ、ネギ君。なぜ君が問題児にして要注意生徒の超鈴音をかばっているんだ?」

「問題児?」

 

 ちらりとネギが窺えば、超は汗をかきつつ苦笑いをしている。

 

「いえ、それでも超さんは僕の生徒です。生徒が襲われていれば助けるのが当然です」

「なに? 担任? そういうことか。しかしネギ君、超君に関しては私たちに任せてもらおう」

 

 魔法使いの教師がそういうと、生徒が操る影の魔法が超の体を拘束する。それを見たスプリングフィールドは声を荒げた。

 

「超さんをどうするつもりですか!?」

「まだ分かりません。しかしおそらく記憶消去を取らねばならないでしょう。本来あまり推奨されている魔法ではありませんが、彼女に関しては使用も止むなしです」

「え? 記憶消去が推奨されていない魔法?」

「知らないのですか? かなり早い段階で魔法学校で教わるはずなのですが……。記憶消去魔法は時折副作用として脳細胞を不必要に傷つけてしまう可能性が高いですから、使用する時は細心の注意が必要な魔法です。ですから魔法バレをしてしまった際、最終手段としているのです。しかし彼女は再三の注意を無視しています。こうなってしまえば記憶を消すしかないでしょう」

 

 一度黙ったスプリングフィールドであるが、顔をあげると強い口調で反論する。

 

「超さんは僕の生徒です。僕の生徒を危険人物って決めつけないで下さい。僕にすべて任せてください」

「な、なにを言っているんですか!? 彼女は魔法についてあまりに深く関与しようとしています。魔法というのは悪用も簡単にできるのですよ!」

「いや、待ちなさい」

 

 先ほどのスプリングフィールドよりも声を荒げた女子生徒を、魔法使いの先生は手で抑え込む。

 

「分かった。君の言葉を信じよう。ただし、責任を負うということは、失敗した際君がすべての罪を背負うということだよ?」

「はい。それでも僕に任せてください」

「よし、それじゃあ頼んだよ、ネギ先生」

 

 去っていく魔法使いたちを見送った後、超がスプリングフィールドへと月の絵が描かれた時計を渡す。

 

「これはお礼ね」

「これは?」

「今のネギ坊主に必要な物。それだけ覚えていれば十分」

 

 笑みを浮かべた超はそう言い、スプリンフィールドの唇へと人差し指を当てた。

 それを上空で見ていたさよは、ユギへ報告するために元来た空を戻っていく。




学園祭編へ本格的に突入前の回でした。そろそろ学園祭が開始します。
追伸
たしかネギって飛び級をしていましたよね。その場合本来教わるべきことを教わっていない可能性が高いことと、ネギの性格ならそういう純粋な魔法以外はあまり覚えていないと作者は考えました。原作でも惚れ薬が違法と知らなかったようですし。


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麻帆良祭開催

「ただ今より第七十八回麻帆良祭を開催いたします」

 

 麻帆良学園全域のスピーカーからアナウンスがされ、訪れた一般入場者をはじめ、生徒や教師たちからも歓声が上がる。大勢の人間が集まったことにより、普段よりもなお活気が街並みにあふれていた。

 空には色とりどりの飛行機雲がかかり、いたる所で菓子を焼く甘い匂いが漂い、ガヤガヤと喧騒が溢れて街を満たしている。誰もが楽しそうだ。笑顔を浮かべ地図とにらめっこしている。そんな麻帆良を一人、黒は歩いていた。

 一応麻帆良の教師である黒は裏表を問わず見回りをしなければならない。しかし表の教師としては、新田先生により見回りをしなくても良いと伝えられ、裏の魔法使いとしては、そもそも魔法が使えないことになっているので、前日までに魔法薬を作って貢献したため仕事がない。その為麻帆良祭期間中黒は、一切の責務から解放され自由な行動をとれる。

 とはいえ黒はいますぐなにかしようというつもりはない。なにかをする必要もない。この麻帆良祭は大きな騒ぎであるためなんらかの隠れ蓑に利用はできるだろうが、そもそも黒の隠密性からしてみれば麻帆良最中になにかをする必要性が皆無だ。なにかをするにしても麻帆良祭よりも前に周到な準備ができる。すべての準備を終えているいま、むしろ警戒しなければならないのは違和感を覚えられること。普段と違う行動をとり、注目を集める方が危険だ。

 だからこそ万が一を考えさよはつれてきていない。幽霊であるさよと一緒にいるのを見られるわけにはいかない。二人の関係性は周りに覚られてはならない。いちおうさよの気配のなさならばそうそう見られることはないが、それでももしかしたらがある。そのために一人祭りを楽しむように伝えてある。今頃一人空を飛びながら楽しんでいることだろう。

 

 

「ん?」

 

 街角を曲がった瞬間、黒の感覚が異様な気配を捉えた。これが他の人間や妖であるならば――はては神ですら――気が付けなかっただろう。世界の隙間に存在する黒だからこそ、世界が一瞬変わったのを感知できた。空間に無理やり割り込んだ気配。誰かが転移したわけではない。世界のどこにも居なかった存在が無理やり世界に押し入った、そんな感覚だ。

 いくらなんでもさすがに見過ごすわけにもいかず、黒はその気配がする方へ向かっていった。

 

 

 

 気配がする場所には、ネギと刹那がいた。二人が一緒にいるのはおそらく刹那が、魔法先生であるネギの見回りに付き合っているためだろう。魔法に関係した生徒も見回りに駆り出されている。それだけ学園も警戒している。

 しかし二人が一緒にいることでなく、その二人が纏う雰囲気に黒は驚く。二人の周りの境界は、他の存在と比べて全くの別物だ。その境界は未来の時間を含んでいる。境界は体験したことをある程度含む。つまりは二人とも未来の時間を経験していることになる。だが、だとするとなぜ現在にいるのか。可能性としてはただ一つ、時間移動。しかしそれはあくまで可能性。普通の魔法使いどころか、魔法使いですらできない。少なくとも時間に関係する能力がなければ、そのようなことはネギの力では絶対にできやしない。

 であるならば二人はなんらかの方法でそれに類する手段を手に入れたということである。じっと見てみればネギの懐あたりから奇妙な境界が発せられている。どうやらスーツの内ポケットになにかあるようだ。

 二人が不思議そうにしながらどこかへ移動していく。周りに覚られぬよう隠形の術を使いつつ、黒もその後を追う。

 近くのカフェに二人は入った。二人から少し離れた席に座り、様子をうかがう。どうやらカモミールもいたらしく、ネギの懐から出された時計を叩いている。

 どうやらその時計が時間移動を可能にした道具らしい。さよから報告された、ネギが超からもらったもののようだ。盤面には月が描かれている。そこまで分かれば黒にはもう十分だった。

 

「超……か」

 

 呟くと同時その姿が消える。開店間近ということもあり室内は人があまりいない。その中から唐突に一人消えたところで誰も気が付かない。

 

「あら? なんでここに水を置いたのかしら? 誰もいないのに。おかしいわね」

 

 ウエイトレスが首をかしげながら不気味に思うだけだった。

 

 

 

 麻帆良上空を浮かぶ飛行船にネギと刹那はいた。変装のために兎の仮装をしている。

 時計が時間移動をするためのアイテムではないかということまで分かったが、詳しいところが分からない。その為、時計をくれた超を探していた、というのはあくまで建前。ネギはスケジュールを気にする必要がなくなったため、アトラクションを楽しみたく様々な場所を訪れ、この飛行艇もまたネギの興味を引いたがために訪れただけだ。

 しかしいまはネギが外の光景を見るため刹那から離れていってしまっている。

 ネギの年齢からすればそれが当然なのかもしれないと刹那は呆れながらも思う。普段抑え込んでいた子供特有の感情があふれ出ているわけだ。ある種のほほえましさがある。とはいえネギに遊びに付き合う付き合わないにせよ、時計についての疑問は早急に解決しなければならない問題だ。鎖につながれた時計を眼前まで持ち上げ突く。冷たいながらも丸みを帯びたその器体が優しく指を受け止める。

 

「どうやらその時計は気に入ってもらえたようだね?」

 

 声に驚き振り向く。刹那の背後に超がいる。息を呑む。

 強いとうぬぼれているわけではないが、刹那はある程度の実力は有していると自負している。気配を察知することなどよっぽどのことがない限り意識せずともおこなえる。だというのに、その声の主が近づいてきたのを知覚できなかった。しかもその相手が別段強者という訳でもないのに。

 

「超さん!?」

「過去への旅は面白かったかね? だとすればこちらとしても用意した甲斐がありうれしいよ」

 

 警戒しそれ以上口を開かない刹那。その肩に乗るカモが超へ尋ねる。

 

「ひとつ聞かせてもらおうか。超、あんた何者だ? 時間跳躍術、タイムマシンを造るなんて天才とかそういうレベルじゃねぇ」

 

 目を瞑った超は、再び目を見開く。強い光を伴ったその眼を見て、カモは知らずつばを飲み込んでしまう。

 

「知りたいか? いいだろう、答えてあげよう。……ある時は謎の中国人発明家でありクラスの便利屋。そしてまたある時は学園一の天才美少女。さらには人気屋台超包子のオーナー。その正体は宇宙からやってきた宇宙人さ」

「ふざけるなっ!」

 

 その言葉に刹那は一喝した。しかし超は舌を出すばかりでよけい刹那のいら立ちを深めてくる。

 

「まあ、ありとあらゆる存在がいるクラスだ。お前の言葉が本当だとしていまさら宇宙人が増えたところで問題はないが……」

 

 その言葉に超は奇妙な顔を見せる。憐れむような羨むような、それでいて敵意すら含んでいる。なぜそんな顔をするのか刹那は分からず、わずかに困惑した。しかし超の口から出た言葉に、その困惑は消し飛ぶ。

 

「ふふふ、面白いことを言うね刹那さんは。その体は少なくとも人間にとって脅威でしかないというのに」

 

 殺意が刹那から漏れ出す。その言葉はけして許すわけにいかないものだった。刀の柄に手をかける。このまま一刀両断するつもりだ。肩に乗るカモミールが刹那の殺気に体を震わす。

 

「なにを怒っているね? あなたがいましたことでしょうに。ああ、別に誰彼言う気はないよ。それは貴方が付き合っていくもの。他者が否定するものでも、肯定するものでもない。まあ、私の気持ちが分かってもらえたかな? 自身の存在を否定される気持ちが」

「……そうか」

 

 たしかに自身の言葉にも悪い部分はあった。それを指摘されわずかに殺気は収まったが、それでも刹那の警戒は未だ高いままだった。

 

「まあ、宇宙人といっても結局はただの人間でしかない。できることはあまりに少ない」

「超?」

 

 虚空を見つめ、超は力なくつぶやく。それはまるで自然災害に襲われすべてを失った人のようで、今度こそ刹那のいら立ちを怒りもかき消えた。その代わり芽生えたのは……。

 内心に沸いたその感情を整理しきる前に、超は最後まで言いきった。

 

「そう。人間でしかない」

 

 儚げな顔で。




私事でちょっと感想が来た際返すのが遅れてしまいます。ご了承ください。


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狙い

すみません少し遅くなってしまいました。


 麻帆良の一角にある龍宮神社。その上空に黒がいる。吹きすさぶ風は冷たく、人であるならば耐えることはできないだろう。マイナス50度にいたろうかという寒さ。凍りつくような風にさらわれる髪の隙間から眼下を覗き見る。

 まほら武道会参加者が集まっている。道着を着ている者もいれば、カンフー、ボクサーパンツ、学ランなどなど多種多様な服装の力自慢が集まり、すでに熱い火花を闇夜に散らす。篝火よりも勢いがあるくらいだ。会場のざわめきがピークに差し掛かるころ、朝倉がマイクを手に出てきて挨拶を始める。そして朝倉の紹介で門の扉から出てきたのは、

 

「主催者の超鈴音(リンシエン)です」

 

 超だ。それを見る黒の目は険しい。なにせ、この日一日朝から夜まで超のことを調べ、なにひとつ分からなかった。スキマ妖怪である黒がだ。神出鬼没であり、人の大切な者を奪う妖怪の力をもってしても、なにひとつ探ることができなかったという異常性。警戒せずにはいられないだろう。勢力がどれほどかも把握しきれていない。麻帆良学園よりも警戒しているといえよう。

 さらには時計の件もある。さよの報告ではただの時計と思い、状況から(かんが)みお礼の品と考えていた。しかし実際は本来ありえないマジックアイテム。破格の品物であるはずのそれをネギに渡したことといい、いま最大限の警戒を黒は超に対してしている。いままで黒に動きを覚らせなかった超が、こうまで派手に動いている。

 実際黒がこうして武道大会を見張っているのは、麻帆良全域に張った情報網で超がこの大会を買収し、なにかを企んでいることを黒は知ったからだ。捨て置くわけにはいかず、こうして訪れ超の動きを見張っている。

 眼下の超は大会の説明を続けていく。気取らず、自然体で。

 

「実質上最後の優勝者であるナギ・スプリングフィールドを目指し、みな頑張ってくれたまえ」

 

 歓声が上がる。その声に聴きなれたものがあったような気がして、黒は参加者へもう一度目を向ける。そしてその参加者の中にいる人物に目を見開かずにはいられなかった。

 

「ネギ!」

 

 ネギの赤い髪が視界の隅に映った。

 一瞬慌てた黒はしかしすぐ平静を無理やりに取り戻す。だが拳の震えまでは止められなかった。

 

 

 

 予選が終わった。ネギは危なげなく予選をクリアし、本選へと出場を決めていた。

 日をまたいだ本選の一回戦は高畑との試合のようだ。しかし今この場にいるネギの他にもいくつかネギと同じスキマが麻帆良中にある。どうやら超はネギになんらかの期待をしているらしい。でなければタイムマシンなど渡さないだろう。ならばネギを見張るのが、超のたくらみを見極めるのに有効な策だ。ではいったい誰を見張るべきかという問題もあるが、ネギと超の両方を見張れるこの場所が最優先と決めた。ネギを見張れるのはもちろん、唯一超の足跡が表に出ているのはここだけだ。すなわちここだけは超が表に出なければならない場所。それだけの場所であるがゆえになんらかのたくらみがあって可笑しくはない。

 だからこそこうして見張っているが、今のところネギと超に変わった動きはない。少々じれったいが、超のたくらみを暴くためには時間がまだかかるだろう。

 

「少しいいか、主」

「なんだい、蒼」

 

 あと少しでネギと高畑の戦いというときスキマを通じ蒼が現れる。横目で見ればすこし仏頂面になっている。

 しかしあらかじめよほどのことがない限り近づかないよう言明していた。だというのに、この場に蒼が来たことに黒はなにが起きたのか把握するため、ネギから名残惜しげに視線をそらす。蒼も黒の意識が向いたのを確認し、話し始める。

 

「あれの力が減っておった。微量であるから周りの土地からかき集めさせて補填はしたがな。誰かがあれを狙っておるぞ」

「……そう。構わないさ。微量であるならば問題はない。あれの力ならば、その程度なら十分儀式は成功する。それに対処はしたからね」

「そうか。まあ報告は一応したぞ。それにしても三つ巴か。あれを求めて。あれにそれだけの価値が果たしてあるのか」

「価値というのは欲している者が決めるものさ。それに、いまは蒼もあれに価値があるということを認めているでしょう」

「うむ、まあそうだな。あれはほかの奴らの手に渡すわけにいかない。こちらの手中に入れなければならん」

 

 これから行うことは、蒼にとって最も重要なことだ。ならば不備があっては困る。黒としてもあれだけの力はそうそう用意できないから、確実に手に入れなければならない。

 

「世界樹、神木・蟠桃をな」

「全ては幻想郷のために」

 

 眼下でネギが高畑を下し、二回戦へと進出した。

 




次回は黒が少し活動します。


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侵入

 会場の熱気が上空にいる黒にも伝わりそうだ。観客は映画顔負けの派手な格闘戦にすっかり興奮しきっている。次第にうわさが広がったのか、観客の総員もますます増え、いたるところが人、人、人であふれかえっている。

 とはいえ、そう簡単に試合が行われるわけではない。ド派手な戦いとはすなわち魔法やら気を使う戦いに他ならない。木製のステージ程度では簡単に破損してしまう。その為に修復作業を行わなければならない。できるだけ時間がかからぬよう迅速な修復をしているが、それでもかなりの時間がかかってしまっている。普通ならばそれである程度熱も醒めるものだが、近くの知り合いたちと観戦した試合を口々に話し合い、まったく観客の勢いが萎える気配はない。

 いくらなんでもおかしい。五分、十分程度ならまだしもそれ以上人間の心はひとつのものごとに捉われない。奇妙に思った黒がよくよく見れば、観客たちのなか三割かはノートパソコンを起動しなにやらしている。そこに書かれているものを読んだりし、周りに見せている。その様子が気になりスキマを使い画面を盗み見れば、そこには『魔法使い』という単語ばかりが並ぶ文章が飛び込んできた。内容を読んでみれば、ソーシャルネットワーキングサービスにて麻帆良武道大会がやり玉に挙げられている。どうやら試合の映像がネットに流出し、話題を呼んでいるようだ。本来ならば電子精霊群と呼ばれるプログラムに近い精霊により消去されるはずのそれらは、しかししぶとく存在し続けている。誰かが扇動しているということだろう。

 しかしいったい誰が魔法を世間に漏らそうとするのか。考えられるとしたら現状超だが、だとすると黒にはその思考が読めない。なぜ魔法をばらすのか。そこになんの価値が見いだせるのか。唯一のメリットと言えば魔法が知り渡れば公に使うことが可能になるということだろう。しかし逆を言えば公に知られわたることで魔法を使いづらくもなる。知識として知り渡れば、警戒される。鬼が煎り豆を苦手とするのを知り、節分に豆をまくようになったみたく。魔法に対抗する技術を人間はいつか作り出すだろう。幻想を駆逐してきたのだ。ありありと想像できる。そう考えるとやはり魔法を表に出そうという考え自体が読めなくなる。精々十年か二十年間大出に魔法を使えるようになることに一体どれだけの価値があるのか。

 

「どれだけ考えてもいまは分からないか」

 

 首を振り白熱した頭を冷やす。

 どれほど優れた頭脳であろうとも、他者の考えなぞ容易く理解できるはずがない。確かに相手の情報と思考性を把握していれば可能かもしれないが、超の情報もその考えのとっかかりになるものを黒は知らない。であるならばやはりいますることは超を警戒し、その情報を集めることにほかならない。情報を集めれば、超の狙いも自然分かってくるだろう。

 そこまで考えたとき念話が届く。その念話は千雨からだ。

 

『おい、ネットを見たか?』

『ああ、いま見ました』

 

 どうやらネットの情報を見て、連絡してきたようだ。

 

『そうか。どうする? 私が火消しをしても構わないが。これを放置すると大変なことになりそうだぞ』

『……いや、様子を見たいですね。そのまま状況を見続けてください。大きな変化があったら私に知らせてくれれば構いませんよ』

『分かった』

 

 下手に動かれると支障が来るかもしれない。ならば対処するべきなのだろうが、しかしそこから超の考えにたどり着く可能性があるかもしれず、結局黒は傍観することを決めた。情報をより多く集めなければならない。精度の高い数多くの情報こそが、こういった戦いで最も重要なのだ。

 試合会場で幾らかの戦いが繰り広げられている最中、黒の感覚がとある出来事を知覚する。

 

「ほう。普通の魔法使いと言えども時には役立つ」

 

 高畑がどうやら超のアジトへの入り口を見つけたようだ。黒がいくら探しても見つけられなかった場所を。妖怪の知覚から逃れる隠遁術が巧妙に、かつ何重にも張られており、大妖怪である黒では決して見つけられない洞穴と化していた。いや、妖怪であるならばたとえ黒でなくとも気付けなかっただろう。索敵能力ならば妖怪随一と自負している黒の目すら誤魔化しきるとは黒ですら想定できなかった。

 だが人間である高畑にはそういった対妖怪用の術など関係がなく、入口を発見できたようだ。一度知ってしまえば隠遁は簡単に破れる。高畑を通して基地の居場所を知った黒はスキマを開き、アジトへ侵入を果たす。

 

 

 

 下水道の一部を利用し超のアジトは造られているらしく、かなりの悪臭が漂う。結界で臭いを遮断し、黒は目的の物を探し出す。もちろん明かりをつけるなどバカげたことはしない。元々闇の住人である妖怪にとって、暗闇というのは意味をなさない。光がなくとも闇を見透かすことなど朝飯前。ごちゃごちゃと機械が転げ、いたる所に錯乱する道具類を踏まないよう黒はパソコンへ近づいていく。

 起動させる。真っ暗闇の中、ブルーライトが煌々と照らし出される。様々なプロテクトにパスワードが仕掛けられているが、境界を変えることでそれらすべてをすり抜け、計画者かそれに類する内容が隠されているフォルダを探す。

 

「しかしなかなか面倒な」

 

 フォルダ一つ一つが全く別の形式で作られた暗号と化しており、いくら優れた頭脳を持つ黒と言えども解析するのに多少の時間はかかってしまう。超がクラスメイトから天才といわれるのも得心がいくと黒は思いながらも、確実にフォルダのトラップを解除し、内容をコピーしていく。

 そうこうしている内に破砕音が響く。どうやら高畑が迎撃装置を駆逐しているようだ。高畑程度どうにでもできるが、学園全体の警戒心をこれ以上強めさせるのは下策としか言えない。解析を急ぐ黒であるが、中々うまくいかない。

 

『聞こえますか?』

『あん? 聞こえるがどうした。やっぱり火消しするのか?』

『いえ、それとは全く別の用件です。これから伝えるパスワードを解除してください。』

『別にかまわないが』

 

 だからこそ、黒は最後の手段を取った。パスワードとは何かを隠すためのもの。すなわち事実を覆い隠す技法だ。それらをすべて無効化できる手段があるため、黒はそれを使うことにした。あまり是非曲直庁の力に頼るのは避けたかったが。

 戦闘音はいよいよ近い。急がなければならない。

 

『ふうん。なるほどね。……じゃあ、私の指示通り操作してくれ』

 

 千雨の言葉通り操作すれば、あっという間にパスワードやトラップが完全に解除されていく。すべてのデータを能力を利用し盗み取る。どうやら近くにいるといえ、高畑はまだ黒のいる地点までたどり着いていないらしい。

 起動したというデータ自体を能力で消去しながら、黒はパソコンの電源を落とす。スキマを使い外へ出れば、そこは先ほどと変わらない部屋でしかない。だれもスキマ妖怪の暗躍に気が付けない。その首元に手がかかるまで。




黒が超の計画について知りました。


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決勝戦

 武道大会も決勝を迎える。いよいよ観客のボルテージも上がり詰め、歓声も凄まじく、人いきれが上空にまで伝わる。眼下の大型スクリーンには、ネギ・スプリングフィールドとクウネル・サンダースという文字が躍り、観客へ試合のカードを伝えていた。

 熱狂が最高潮に達した時、ネギとサンダースが試合会場へと入場した。

 緊張しているネギと、自然体のサンダース。しかしそのサンダースが僅かに体をこわばらせたのを、黒は知覚した。どうやら上空にいる黒を認識したらしい。その時に見えた顔から、サンダースというのが紅き翼(アラルブラ)のアルビレオ・イマだということに気付く。戦友の子供が妖怪へと堕落しているのならば、それだけ驚くのも無理はないだろう。一度睨み据えると、視線をわずかに逸らす。

 しばらくそのまま観察していたが、どうやら黒のことをネギに伝える気はアルビレオ・イマにないようだ。睨みつけるのをやめ、静かにネギの様子をうかがう。対峙しているネギは、なぜだか知らないが高畑との戦い前よりもはるかに緊張している。僅かにであるが普段よりも息が早い。それに興奮しているのか頬が赤い。

 いったいなにがネギをそうまで興奮させているというのか、黒は分からなかった。

 だがそれはすぐに分かる。試合が開始されてすぐ、サンダースがアーティファクトを使ったことで。

 それは数百冊にもなる本だった。らせん状に本が並び、そこには様々な人名が書かれている。見れば、黒が見知った名前もある。その中から一冊取り出すと、サンダースの姿がまったく別の姿へ変わる。それは幻覚でない。単純な幻覚は視覚や嗅覚に魔力で干渉して偽物の光景を魅せる手段であるが、あくまでも本物のはそこに存在する。境界を見れる黒からすれば、普通の魔法使いが使う幻覚というものは一切の意味をなさない。幻覚は境界までは変えられないからだ。しかしそのアーティファクトは違う。魂の境界が変わったのを、黒は感じ取った。

 ならばサンダースの狙いはなにか。聡明な黒の頭脳はすぐに答えを掴み取る。そしてその答え合わせはすぐに行われた。

 

「お、父さん……」

 

 白い鳥の羽が吹き荒れる中、ネギと同じ赤い髪が見える。写真でその顔を見たことはある。しかしなによりも本能が黒に告げる。そこにいる人物こそが、ユギ・スプリングフィールドの父親であるということを、強く、強く。

 眼下ではネギとナギが戦っている。しかしそれ以上を黒は見ることができなかった。ただただ独り、空に浮かぶことしかできなかった。

 

 

 

 試合は終わった。ネギはナギと戦い、そして負けた。強かった。英雄と呼ばれるにふさわしい力。その力を効率よく使い、的確に追い詰める手腕。そのすべてがいまのネギでは到底かなわない。

 

「父さん」

「まあ、あれだ。武空術くらい覚えておけ、あんまり俺の杖に頼ってばかりだと強くなれないぞ、お兄ちゃん」

「うん……」

 

 倒れ伏したネギは近づいてきたナギの言葉に頷く。その眼からは涙があふれ、静かに零れ落ちる。

 

「ユギは元気か?」

「うん。元気だよ。いつも怒られちゃう」

「そうか。ユギは母親に似たのか。……俺が言える言葉じゃないが、ネギ、ユギを頼む。あいつを支えてやれるのは、俺じゃない。お前だ」

「父さん?」

 

 ナギの様子に違和感を覚えたネギが真意を尋ねようとした。しかし他の人物の声でその疑問は口から出ることはなくなってしまう。

 

「ナギ!」

「おっ、エヴァンジェリンか。あれ、なんで麻帆良にいるんだ。ああっ、まさかまだ呪い解きに入ってないのか!?」

「そうだ、この馬鹿者っ!」

 

「わりぃ、わりぃ」とナギは口にする。

 

「ふん。どうせもう時間はないんだろう?」

「ああ。あと二十秒もないかな?」

「なら、なでろ。私の頭を。心を込めてな」

「……分かった」

 

 くしゃりと金色の髪が撫でられる。エヴァンジェリンの頬を涙が伝い落ちた。

 

「ネギ、最後だ。ユギのことはまあ、お前ならばきっと大丈夫だろう。だから今度はお前にだ。ネギ、俺を追うな。俺は父親にすらなれなかった。英雄と云われても、その程度だ。お前はお前の道で俺を越せ。俺のように家族をないがしろにするな」

「父さん……」

「それができりゃ、俺の息子だ。誰よりも強くなれるさ。じゃあな、ネギ、ユギ!」

 

 ナギの姿が切り替わる。アーティファクトの効力が切れたのだろう。

 ぽたりとネギの首筋に何かがかかる。空は快晴で、雲ひとつなかった。




副題はナギの欲するものは? です。
京都編と違い、サクサクいかないとまた主人公が主人公をしていないといわれてしまいそうで怖いものがあります。


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超鈴音

 麻帆良武道会が無事終わり、超は予想以上の成果に微笑み鼻歌を歌いながら神社の回廊を渡っている。しかしその歌も途中でぴたりとやむ。周りから幾人もの気配がする。

 

「せっかくの気分をこうも台無しにされるとは。まあ、仕方ないか」

 

 いたる場所から魔法使いたちが現れる。すでに全員が武装をしており、今までと違い、超に明確な敵意を送っている。

 

「超鈴音、一緒に来てもらおうか」

「教師に呼び出されるほど悪いことをした覚えはないね」

「これだけのことをしてそんな言葉を吐けるとは」

 

 膨れ上がる怒気。それを眺め、超は笑う。

 

「普通の魔法使い程度につかまるほど、私は耄碌していない」

「いかん! 捕らえろ!」

 

 とびかかる魔法使いたち。しかし超はその場から一歩も動かない。動く必要がないから。

 超の視界が白く染まる。そして再び視界が元に戻る。しかしそれは元の視界とは言えない。昼を過ぎたころだった世界は、すっかり夜になっている。

 

「時間跳躍の術なんて、普通の魔法使いでは考えることもできないからね」

 

 そもそも幻想の者ですらそうそうできないことだ。実力の劣る人間の魔法使い程度が使いこなせるはずがない。超は嘲りを顔に浮かべる。

 

「っつ、とはいえ無理やり使っているものだから、負担も大きいか」

 

 痛む胸を抑え、超は物陰へ隠れていく。いくら追っ手を躱したとはいえ、再び発見されてしまっては元の木阿弥だ。急いで移動しなければならない。

 麻帆良の高台に超は移動した。時間帯からして、パレードが行われている今、高台は人気がない。転落防止用の柵から身を乗り出す。眼下ではパレードが行われ、幾千人もの人間が笑っている。楽しそうに。家族だろうか。父親に肩車されている娘の姿が超に見える。

 

「……お父さん」

 

 落下防止用の柵を握りしめる。鉄が水を吸う。

 

「超か?」

「っ! クーフェ、どうした」

 

 超が振り返れば、パンダの面を被る古菲が立っていた。

 

「いや、超の後姿を見かけたから話しかけたネ。それにしてもどうしたアル。なんというか、悲しそうだけど」

「……そうだね。寂しくて悲しいんだよ。クーフェ、私は麻帆良学園を退学するよ」

「ど、どういうことアル!?」

 

 古菲の言葉にすぐには返さず、超は眼下の群衆を再び眺める。振り返ることなく、呟く。

 

「私はお前たちの敵となる」

 

 

 

 超は呼び出されていた。ネギからの手紙だ。時計塔と世界樹が見える展望台にて待つと呼び出された。おそらくは、古菲を通じて、超の話を聴いたのだろう。

 

「またせたかな、ネギ先生」

 

 フードをかぶったネギが、約束通り一人でいた。近くに誰かが隠れていたとしても、それくらいは分かる程度に超の実力はある。

 フードを下ろし、ネギは超と相対する。

 

「超さん、聞かせてください。あなたはなにをしたいんですか。世界に魔法をばらしてまで」

「なに、かね? それはあまりにあいまい過ぎる質問とは思わないか。まあ、構わないさ。だがそれを応える前に、ネギ先生、ひとつ質問させてもらおう。父親とのふれあいは素晴らしかったか」

 

 唐突な反問に、ネギは言葉が出てこなくなる。

 

「なに、難しい話ではない。単純にうれしかったかと聞いているだけだよ。アーティファクトの力とはいえ、生きた父親とのふれあいだ。語り合い、笑い合える。そんな父親との一時はどうだったかね」

「……うれしかったです」

「そうか。ならばそれが答えだよ。ネギ先生」

「え?」

「私の目的は、父親に笑ってもらうこと」

 

 超は顔を歪める。拳を震わせ、込み上げてくるのをこらえる。

 

「生みの親は生きているか死んでいるか知らない。だけれども、育ての親は私にもいる。だが私は知らないんだ。十数年一緒にいたというのに、あの人の心の底から笑った顔を……! あの人はいつもそうだ。規定のカタルシスに到達するとそれにふさわしい表情を張り付ける。それではロボットだ。まるで能面そのものを張り付けた。なぜだ、なぜだ、なぜあの人は笑っていてくれない! ただ私は、笑って、欲しいだけ、なのに」

 

 最後は消え入るような言葉だった。涙が超の眦にたまり、とうとうと流れ落ちていく。

 

「すまなかったね、感情的になって。だとしても、それが私の目的。私の邪魔をするかね、ネギ先生。別にかまわないよ。私にとって()()()()ただの駒でしかない」

 

 そう言い、超は懐から一枚の紙を取り出しネギに投げ渡す。ネギが受け取ったその紙には、計画が書かれていた。それは工学兵器と鬼神を用いた世界樹の占拠計画だ。

 

「こ、これは……!?」

「明日、行うことだよ。信じられないならば、契約遵守のマジックアイテムで誓っても構わない。ただし、邪魔をするならば、最初に言っておこう。必ず私のもとへ来い。それが私の出す条件だ。これは運命だ。おまえの、いや、スプリングフィールドの呪い。ナギ・スプリングフィールド、ネギ・スプリングフィールド、ユギ・スプリングフィールド、リィンシェン・スプリングフィールドが囚われてきた呪いの運命の終着点だ」

「待って! それはどういう意味!?」

「明日、すべてが分かるさ」

 

 超はそう言い残し消えた。残されたネギは、ただ茫然と立ち尽くす。




さて、父親とは誰なのでしょうか。(バレバレ)


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重なり始めた光と影

 その日、麻帆良学園は朝から静かに揺れた。

 早朝学園長室に集められた魔法使いたちは、近右衛門から耳を疑う言葉を聴く。超が魔法をばらす、その滅茶苦茶な計画の全貌を。いままでのように陰で暗躍するのではなく、とうとう表で動き出すその動きを。

 

「しかし、その計画は本当なのですか。私たちを欺く嘘かもしれません。残念ながら、現状超一派の動きは私たちの予想を常に上回っています」

「うむ、その点は大丈夫じゃろう。ネギ君が情報を得た」

 

 そう言い、机に紙の束を近右衛門は置く。そこには確かに鬼神と機械を使った世界樹を利用した魔法発動計画が書かれてある。すでに説明された内容であるが、それが本当ならば、麻帆良学園最大の危機ともいえる。麻帆良学園の戦力は、魔法使いたちが基本だ。その数はそう多いとは言えない。だが相手は無数の機械に六体の鬼神。魔法使いと言えども、高位の存在である鬼神を相手にすることができる者はそうそういない。たとえ鬼神を相手にできる者としても、そちらにかかりきりになってしまい機械の群れを素通りさせてしまうだろう。

 高畑などの一部だけが、その無数の軍勢と一体の精鋭を相手にできるだろうが、その一部の絶対数が少なすぎる。押し寄せる大軍を相手にすることなどできないだろう。

 

「しかもその対策もネギ君は考えておった」

 

 次に出された紙は三日目、すなわち本日行われる学園全体を使うイベントのものだ。しかしそれは教師たちがあらかじめ知っていた内容と全く違う。そこには数名の戦士が、武器を手にしている絵が描かれている。

 

「これは?」

「本国から取り寄せた武器を使い、学園の生徒たちに機械に対する防衛線を任せる。鬼神は我ら魔法使いが相手する」

 

 誰もが息を呑む。それはつまり、魔法使いだけでは超に勝てないということを意味する。そしてそれを最高責任者である近右衛門が肯定したということにほかならない。だがだからこそ魔法使いたちは死に物狂いで戦わなければならない。それは魔法使いたちにとって不徳そのものだ。守るべきものを戦わせるという最悪の。

 

「……」

 

 その中で、黒は静かに眺め続ける。会議が終わりを告げるまで、魔法使いたちを醒めきった瞳で。

 

 

 

「待って、ユギ」

 

 会議を終え、解散したときネギが黒の手を掴み引き留める。その場を後にしようとした黒であるが、ネギへと向き直る。

 

「どうしたの、ネギ」

「ごめん、ちょっと来てくれる」

 

 有無を言わせぬ口調に、黒も反論せずついていく。先に進むネギの足取りは、屋上へ向かっているようだ。麻帆良中等部の屋上は、人気が全くない。人払いの魔法がかけられている。魔法式がオコジョ魔法のものだ。おそらくカモミールが魔法を使っているだろう。

 そこまでしてネギが言おうとしていることに、黒も初めて興味を抱く。一体なんの用だろうかと。

 

「ねえ、超さんについてユギはどれだけ知っている?」

「? そんなの私たちの教え子であり、そしていま魔法を世界にばらそうとしている首謀者ということでしょう?」

 

 あたりさわりのない言葉を黒は選ぶ。襤褸を出さないためにも。しかしその答えにネギが首を振る。苦しげに顔を歪め、何とか言葉を絞り出そうとする。

 

「リィンシェン・スプリングフィールド」

「え?」

 

 一瞬、黒の思考が止まった。

 

「超さんが、そう言ったんだ。スプリングフィールドの呪いって」

「……それで、ネギはその呪いに関してどう思ったの」

 

 何も答えず、ネギは黒から顔をそむける。言葉を探しているのだろう。しかしどれだけの時間が経ってもその口が開くことはない。

 黒が再び口を開く。

 

「兄さんは、呪いをなんだと思っている?」

「呪いって、それは師匠にかけられたようなものじゃないの? 魔法契約によって対象を縛ることじゃ?」

「違うよ」

 

 その声は恐ろしいまでに底冷えしていた。黒が普段の、表の世界で決して出さない声色。その声色にあてられたのか、ネギは肩を跳ねさせた。

 

「呪いはね、思考だよ。あれがこうなってほしい。これはこうなればいい。誰かがなにかをそう願う。それだけですでに呪いとなる。スプリングフィールドという家名もまた呪い。兄さんはどうして立派な魔法使いになりたいの?」

「それは父さんが」

「父さんが? じゃあ、父さんがただの人だったら? あるいは犯罪者だったら? それでも兄さんは立派な魔法使いになろうと思う? 違うよね、だって、兄さんは自分の意志で立派な魔法使いになりたいんじゃない。周りが父さんみたいになることを望み、だからこそ立派な魔法使いという呪いをかけられ、その呪いに突き動かされてきた。……無理だよ、今の兄さんじゃ。話を聞いた限り、超の方が兄さんよりもはるかに強いよ。弱い心の魔法は輝かない。すべてを引き付ける輝きこそが、魔法。感情の発露だ。たとえ憎悪が根源であろうとも、魔法の輝きの価値はなくならない。むしろ輝きは強いだろうね。それで、いまの兄さんの魔法は輝いているの?」

 

 にっこりと笑う黒。

 ネギは顔を青ざめ、なにも言わず逃げ出した。黒へ視線を向けることなくただ逃げ続けた。



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麻帆良防衛線

 赤十字に染め抜かれたテントには、負傷者に、幾人かの魔法使い、黒がいる。外からは爆発音が何度か響く。時折軽い怪我を負った人がテントに入ってきて、治療を受けている。すでに超と麻帆良学園の裏(魔法使い)の戦いは始まっている。

 ネギが立てた作戦は、機械の軍勢を押しとどめるのに麻帆良学園にいるものを使おうというものだ。鬼神やあるていどの機械は魔法使いが対処するが、それ以外は麻帆良学園にいる一般人をイベントを使って操る。

 イベント参加者たちは『侵略者から麻帆良を守れ』というお題目で、麻帆良学園防衛戦に知らず知らず参加することになる。超の主力部隊はどれも魔法を使った自立機動型の兵器だったために可能な策だ。対エヴァンジェリン用に造られた、魔力結合を無力化するマジックアイテムを使いゲームという形で学園は生徒を戦わしている。

 一応は魔法による防御の加護を得たローブを配って安全を図っているが、それでも戦いの最中で負傷する参加者もいる。その治療に治癒を専門とした後方部隊の魔法使いがあたる。戦闘能力を有さないと学園にみなされている黒は、後方部隊で魔法薬を調合し、それにより負傷者の怪我を治療をしている。魔法が使えないということになっている黒は、後方支援をするだけですむ。前線に出る必要はない。

 そして後方にいるからこそ、様々な情報を俯瞰的に得ることもできる。負傷者が話す愚痴。魔法使いたちが使う念話を盗聴したりして次々と情報を得ていく。

 前線から送られてくる情報は、ばらばらな地点の物だが、それらをまとめて統合すれば、全体の推移も把握できる。黒ならばその程度は安くできる。現在は魔法使いたちが押しているといったところだ。しかしその事態もそう長くは続かないだろうと黒は考えていた。黒をもだましきった超が、この程度で終わるはずがない。

 手早く負傷者に魔法薬を飲ませながら、黒は静かに思考を巡らしていく。超の狙い、学園の動き、そしてネギたちの影響を。

 

 

 

 その異変は、魔法使いたちだけを襲った。

 鬼神たちに封印作業をする班、そして機械群と対抗する班に分かれた魔法使いたちは、各々全力を出し戦っている。鬼神封印に専念している魔法使いを守るため、機械群を掃討していく魔法使いたち。だが、突如機械の攻撃が変異した。

 障壁で防げたはずの攻撃が、魔法使いたちは防げなくなる。機械群の攻撃方法であったガトリングガンは捨てられ、いまや奇怪な黒い塊がモノクルからレーザー上に放たれている。それは魔法障壁をすり抜け、魔法使いたちを撃ちぬく。

 一撃を喰らった程度でどうにかなるほど魔法使いたちも弱くない。精強な麻帆良学園の魔法使いたちだ。タフネスさも他の地域の魔法使いと比べればはるかに高い。しかしその一撃は威力よりも呪詛の力が強いらしく、悲鳴を上げて意識を失い次々と魔法使いたちが倒れ伏す。誰もが呪われており、速やかに処置しなければ命が危ないだろう。だが救出するはずの魔法使いがいない。唐突な攻撃の変化に対応しきれず、六割を超える魔法使いたちが倒れてしまっている。残った魔法使いだけでは救出しきれず、かといって鬼神封印班を動かせば鬼神の侵攻を許してしまう。

 同僚の命か世界の裏か、どちらを守るべきか魔法使いたちは突きつけられる。

 そして後ろの惨劇に封印班たちも体を震わす。身に迫る危険の恐怖もあるが、なにより仲間が倒れていくことに対する怒りがその身を襲う。

 歯を食いしばり、拳を握りしめ、それでも封印魔法を使い続ける。鬼神を解放させるわけにはいかない。だが仲間が倒れていくのも我慢できない。葛藤に襲われながら、魔法使いたちは魔法を維持する。

 だがそう簡単に感情を無視できる者はいない。上がり続ける悲鳴に、とうとう一人が鬼神への封印魔法をやめ走り出す。仲間を助けるために。しかしそれはあまりに遅い。すでに一人ではどうしようもない人数の魔法使いたちが地面に転がっている。そして、その魔法使いもまた仲間となる。機械から放たれた黒いレーザーは、その魔法使いを簡単に撃ちぬく。

 地面に投げ出された四肢、投げ出された音。それらに封印班の人員の我慢もとうとう限界を迎えてしまう。一斉に持ち場を離れ、憎き機械へ突っ込んでいく。誰かが静止の声を上げるが、その声を聞く者はいない。そして淡々と撃ちぬかれる。

 動きを魔法で止められていた鬼神は、封印が弱まるやいなや動き出す。超の軍勢の進軍は止められない。

 

「クソ!」

 

 侵攻していた一体の鬼神の動きが鈍る。高畑だ。居合拳を使い、その動きを押しとどめている。しかしかなりの威力を誇るはずの居合拳だろうが、鬼神を止めるには力不足のようで、動きを鈍くさせるのが精いっぱいらしい。ダメージを与えた様子は微塵もない。

 高畑が拳をポケットに収める。眼前まで虚空瞬動を使って移動すると、感卦法を使用する。

 

「七条大槍無音拳」

 

 今までにない連撃が鬼神を襲う。ボクシングのラッシュを思わせる居合拳が宙を飛ぶ。衝撃が辺りに鈍くしみこむ。

 だが、鬼神は物ともせず再び歩みだす。その表皮に傷はない。赤みすら見て取れない。

 自身の必殺ともいえる技を相手にされず、高畑は歯ぎしりをしてしまう。再び繰り出す拳の嵐は、しかし鬼神が振るう腕に防がれる。

 

「ありえない、無名の鬼神の強さじゃない。まるでリョウメンスクナだ」

 

 機械の群れをつれながら、鬼神の侵攻は進む。黙々と、坦々と。恐ろしいまで静かに。

 

 

 

 麻帆良上空三千メートル。超とネギはそこにいた。

 

「来ました、超さん」

「よく来たね」

 

 ネギは顔をこわばらせ、しかし超は鼻歌すら歌っている。眼下ではすでに魔法使いたちが倒れ、もはや侵攻を止めることができないほど攻め込まれてしまっている。倒れ伏す魔法使いの姿に自然とネギの目は厳しいものになる。

 

「これが、こんなことが超さんの望みにつながるんですか?」

「そんなことを聞きたいわけじゃないだろう?」

 

 ネギの肩が跳ねる。口を開こうとしたが、開けない。

 

「どうして分かったとでも言いたそうだけど、おまえの考えなんてちょっと人間を知るものならば簡単に予想できる程度だよ。中途半端な天才性というのはつらいものだな? おまえが聞きたいのは、呪いのことだろう? そしてなぜ私がスプリングフィールドを名乗るか」

「……そうです」

「まるで機械のように分かりやすい」

 

 超は嘲る。くだらないものを見るかのように、ネギへと視線を向ける。

 

「まあ、いいさ。さて二番目はどうせすべてが終われば分かるだろう。最初の質問に答えるとしようか。スプリングフィールドは、常に誰かに願われなにかを成し遂げてきた。なるほど、確かにそれは世間からすればすごいことだ。まさしく英雄だろう。しかしそれこそが呪いともいえる。己の願いよりも他者の願いを叶えなければならないというな。唯一その楔から逃れかけたのはナギ・スプリングフィールドだけだ。しかし逃れきることはできなかった。私も含め、やはりスプリングフィールドは呪いから逃れられぬ運命(さだめ)だろう」

 

 そう断言した超は虚空を歩き出す。超の魔力が膨れ上がっていく。

 

「だが、それでも抗うのも人の(さが)。私は私の目的を持って、他者の願いを踏みにじる。押し付けられた呪いを他に押し付ける。なあ、ネギ・スプリングフィールド、教えてくれ。おまえはいつまで呪われ続けるんだ?」

 

 ネギが返答するよりも早く、超の手から膨大な熱が放たれた。

 



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始まりのノイズ

 襲い掛かる火柱を、ネギは杖を操り避ける。僅かそばを過ぎゆく熱風が、肌を焼く。炎を追いそうになってしまう視線を無理やり前へ縫い付ける。超が、右手の平を向けていた。追撃だ。エヴァンジェリンの修行を受ける前ならば、先程の炎を目で追ってしまいネギは追撃を受けてしまっただろう。だがいまはそんな馬鹿なことをしない。超の追撃を警戒する。

 超の掌から出てきた火炎は、ネギにも予想がつかないほどの規模と威力だった。初撃よりも遥かに強い。本命の一撃だろう。少なくとも、雷の暴風レベルの術だ。中級魔法。それを無詠唱で超は行える。ネギの額に冷たいものが流れる。

 現在のネギは、初級魔法である魔法の矢レベルならばある程度無詠唱で行使できる。しかし中級レベル、すなわち雷の暴風は無詠唱で行えない。そのレベルの魔法使いとなると、知る限りエヴァンジェリン程度だ。

 

「どうした、青い顔をして。まさかいまさら怯んでいるのではないだろうな?」

 

 再び超の掌から赤い火が迸る。先程よりかは火力が弱い。それは火柱になることなく、球体を形作ると掌の上に浮く。火球は陽炎を作り出す。超の顔が一瞬歪む。どこか怒りを抱えた顔へ。

 いつ火炎が放たれるか、ネギは杖の上で身構えながら超の一挙手一投足を注視する。だが超は火球を放つことなく言葉を続けた。

 

「そうそう、教えておいてやろう。私を倒せば、儀式は行えなくなる。あの魔法は普通の魔法使いでは行えない類の物だからな」

「普通の魔法使い?」

 

 聞きなれない言葉にネギは尋ね返してしまう。意識をそらしてしまうのは下策だが、聞かずにはいられなかった。

 

「ん、気にする必要はない。そもそも基準となる向こう側を忘れ果ててしまったお前たちは、自分たちの魔法すらも本質を理解できないからな」

「忘れ果てた? 理解できない? いったい何を言って」

「言っただろう。気にする必要はない。ただ、おまえは私と戦えばそれでいい。それだけがおまえに与えられた役割だ」

 

 放たれる火球。しかしネギは気をそらしていたため、一瞬出だしが遅れ、肌を掠めるようにその火球を避ける。

 

「そんな、障壁が!?」

 

 そして肌を掠めたことできづいた。火球が魔法障壁をすり抜けていることに。もし直撃を受けようものならば、身体強化をいくらしたところで耐えられるものではない。消し炭となるだろう。

 

「安心しろ。私も魔法障壁なんて使ってない。条件は五分五分だ」

「なっ!?」

 

 いよいよ超がなにを考えているかネギは分からなくなってしまう。

 魔法障壁はある程度の実力を持つ者ならば簡単に張れるものだ。それでいて、防御力も期待できる。だからこそある程度の力量の魔法使いならば誰もが使っているだろう。だというのに、超はその優れた魔法の腕前に反して障壁を展開していないという。死を恐れないその精神に、怖気がはしる。

 

「どうしようもなく不格好でくだらないものなぞ誰が使うか」

 

 再び掌から生み出され放たれる火球。とっさにネギは魔法の矢を十本撃ち、相殺させる。

 

「ほう、さすがの魔力量だ。思想の段階で劣っているというのに、なかなか頑張る」

「思想で劣っている?」

 

 超の言う思想の段階という意味を、ネギは理解できなかった。そもそも超の魔法は術の詳細までは分からないが、西洋魔法であることに間違いはない。魔力を扱い火を生み出すなど、ネギが知る限り西洋魔法でしか行えない。たしかにある程度ならば術の知識があるのとないのでは威力も変わってくるだろう。しかしそれはあくまでも多少だ。魔力量を考えれば、同じ術を使った場合、ネギが打ち勝つ。

 

「それはどういう」

「そら、行くぞ?」

 

 今度の火球は一個ではなかった。超のまわりを九つの火球が旋回し、浮いている。一発一発が、先ほどの火球と同レベルのものだ。魔法の矢で撃ち落すにしても、いまのネギでは無詠唱で九十本は使えない。ゆうゆう詠唱をしていたら迎撃できないだろう。それほど速くはないといえども、火球の速度は決して遅いという訳ではない。

 冷や汗を流しながら、超の背中で曼荼羅のように縦回転する火球に反し、ネギは横向きで超の周囲を旋回していく。けして近づけず、そして遠ざけず間合いを保つ。

 超の魔力の高まりに呼応するように、ネギの魔力も活性化していく。重苦しい重圧がネギを襲う。超の動くよりも前に飛びだしたくなるのを、堪え続ける。下手に飛びだせばそこを狙い打たれてしまう。

 

「行け!」

 

 放たれた九つの火球をかいくぐり、ネギは接近する。超の攻撃は強力だが、火属性の魔法を使うからか溜めに時間がかかる。それはわずかな時間であるが、風属性の魔法を得意とするネギからすれば十分な時間だ。

 接近し、近接戦闘に持っていく。それがネギの狙いだ。

 一撃目、杖に足を乗せ、突進する勢いを載せたひじ打ちを狙う。しかし一撃目はあっけなく防がれてしまう。鳩尾を狙った肘は、超の片手でつかまれている。

 だがこれで攻撃手段のひとつをつぶした。僅かに顔を緩ませ、ネギはローキックを繰り出す。それもブロックされてしまうが、ネギの習った中国拳法は連携攻撃を前提とした拳法だ。すぐさまけり足を軸足へと変え、後ろ回し蹴りを米神目掛け放つ。

 

「残念だったな」

 

 その言葉に、とっさにネギは杖を操り急降下した。

 後頭部に熱が伝わる。振り返れば、超が先程放った火球がネギを追いかけている。

 

「追尾型!?」

「残念だが、それだけじゃない。『時符 タイムパラドックス』」

 

 そういった超は、懐から一枚のカードを取り出した。パクティオーカードかと疑ったネギだが、すぐにそれが違うことに気付く。そのカードからは魔力が一切感じない。

 

「なっ!?」

 

 そして見た。自身を追う火球がぶれたかと思うと、九つの火球が幾十にも増えていることを。

 

「時を越えるごとにパラドックスは重なる。逃げ延びれば逃げ延びるほど、火球は増えていくぞ?」

 

 超の言葉通り、火球はだんだん増えていく。視界一杯に増えていく火球に追われながら、ネギは杖を巧みに操り避けながら呪文を詠唱していく。

 守ってばかりではいつか倒されてしまう。攻勢に出なければならない。その為の準備だ。

 クイックターン。杖を急転回させ、その術を放つ。

 

「雷の暴風!!」

 

 吹き荒れる颶風と光り輝く迅雷が火球を飲み込み散らしていく。詠唱を終えた中級魔法ならば、火球に負けないようだ。ネギは開いた空間をトップスピードで駆け抜ける。

 その先には驚いた顔を晒した超がいる。

 雷の暴風が超を襲う。障壁を使っていないという超は、全力でその場を飛び退く。一瞬、ほんの一瞬超の警戒がネギから魔法へずれた。

 

「いまだ!」

 

 魔力をタイムマシーン、カシオペアへ送る。ほんの数秒だけ巻き戻った世界に、ネギは現れる。超の後ろを取った形で。

 

「ああああああっ!」

 

 最大速度の急降下及び最大魔力での身体強化、そして自信が持つ最大威力を誇る奥義。それが振り返りざまの超を襲う。

 

「がっ、っぐああああ!!」

 

 生暖かく柔らかく鈍い感触が拳を伝う。腹部を殴った拳から、超の骨が折れた感触が生々しいほどはっきり感じとれる。

 ネギは眉を顰めながらも拳を振り切る。

 数百メートル下降した超は、腹部を抑え口から血を流し、それでもネギを見ていた。

 

「さすが、というべきか。これでも近接戦闘術の、優れた者の力を()()()のだが。それでも、敵わないか」

 

 せき込む超。大量の吐血が抑えた手からこぼれる。

 

「僕の、僕の勝ちです。超さん」

「いいや」

 

 その瞬間、超は嗤った。どこまでも禍々しく歪み切った笑みで。

 

「私の勝ちだ」

 

 瞬間、世界樹の周りが黒いなにかに包まれる。それは地面から漏れ出し、オーロラのように揺らめきながら麻帆良全域へ広がっていく。そして、怨嗟の声が響き始める。裏に通じる人間でなければ聞き取れないほど弱々しいが、たしかにそれは声だった。人間の声だった。

 咄嗟に耳をふさぎ、ネギは頭を抱えてしまう。

 

「兄貴!」

 

 カモの声にネギは顔をあげる。見れば超の背後に黒い穴が生まれている。超は嬉しそうに顔をほころばせ、黒い穴へ手を伸ばす。

 

「ああ、お父、さん。やっと、やっと笑ってくれた……!!」

 

 そこから伸びた手が超を引きずり込む。それは、ネギがかつてヘルマンと戦ったときに見たものと同じだ。

 

「超さん!!」

 

 超を助けるために全速を出すネギだが、たどり着くよりも早く黒い穴は超を飲み込み消えてしまう。

 空中で呆然としていると、突然スピーカーが音楽を流す。

 誰もがその音に気を取られた。軽快な、楽しそうな音楽は麻帆良全域で流されている。音楽が消えると、声がした。奇妙な程耳に残る、深い甘みを含んだ声。

 

『……ただいまより、エクストラステージの開演を宣言いたします……』




ようやく原作どおりでなくオリジナルストーリーに進めます。やったね、黒ちゃん。


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占領

 スピーカーから響く声は麻帆良学園に大きく分けて二つの反応を生み出した。ゲームが続くと喜ぶイベント参加者と、イベントの真の意味を知る魔法使いたちの驚愕の声だ。表と裏、両方においてエクストラステージなどという予定は存在していない。表の人間よりも裏の人間の困惑が広まっていく。

 計画から外れていくありえない事態。だが魔法使いたちの驚愕を他所に事態は進み続ける。

 

「おいおい、なにが起きているんや?」

 

 そして犬上小太郎はその両者の狭間にて困惑していた。裏の住民であったがゆえに、麻帆良学園祭のイベントのきな臭さと、学園サイドではないために気楽なイベント参加者としてひそかに敵と戦うことを楽しんでいた。麻帆良学園の問題は学園が解決するだろうと考えていたからの、楽観だ。しかし現状の様子をうかがう限り、そうもいっていられないことに気付く。

 

「なんや、ようわからんが拙いみたいやな」

 

 気を使い空を飛んでみれば、あちらこちらに倒れ伏す魔法使いの姿が見える。そして進軍しつづける鬼神たち。裏の世界に長い間浸ってきた小太郎は、いやな感覚をかぎ分ける。勘、一言でいえばただそれだけだが、その勘で生き延びてきた身としてそれは無視できるものではない。眼を皿にしてあたりの情報を取り入れようとする。

 

「ん? なんや?」

 

 そしてわずかな違和感に気付いた。祭囃子が微かにであるが聞こえる。麻帆良学園は西洋魔法使いの住むためか、学園祭に使われるBGMも西洋の物ばかりだ。しかしこれは間違いなく日本古来のもの。横笛が吹き鳴り、鉦が打ち鳴らされる。

 

「祇園囃子か? なんでこんなところで?」

 

 祭囃子がする方角に小太郎は目を凝らす。夜闇からポツリと青白い光が浮かぶ。それは次々と数を増していく。

 

「鬼火、か? なんでや、ここはああいうのが弱る結界張ってあるはずやで?」

 

 幾百もの鬼火が生まれ、その一帯が明るくなる。青白い光に照らされ、とある一団の姿が見えた。

 人に似た姿をしているが、どれもこれも人ではない。優雅に歩く者の額には角があり、楽しそうに歩く者の肌にはツタが這いずり回り、あたりを見回す者の身体は石でできており、ごちゃごちゃした道具を背負う者は水に濡れ、奇妙な程輝く火の入ったランタンを持つ者までもいる。

 化け物だ。妖だ。妖怪だ。怪異だ。百鬼だ。百鬼の夜行だ。百鬼夜行がそこにある。

 

「ここは平安ちゃうんやで?」

 

 段々近づいてくるその集団に、つばを飲み込んでようやく小太郎はそうつぶやいた。青白くなった肌を、脂汗が伝い落ちる。

 

「なにが起きとるんや? どうなっとるんや、ここ(麻帆良)は?」

 

 それは奇しくも裏の魔法使い全員が抱いた疑問だった。

 

 

 

 麻帆良学園の上空にいたネギはその光景が誰よりもよく見えた。鬼火が麻帆良学園へ一直線に伸びたかと思えば、すぐに外周を取り巻くように円を描き一周する。まるで檻のように。誰も出られないようにするかのごとく。

 そして異変はそれだけで止まらなかった。進軍していた鬼神、それらが次々に悲鳴を上げて倒れ伏す。いな、倒れたのではない。消滅させられていた。魔法使いが集まっても封印どころか足止めが精いっぱいだった鬼神たちが次々と、あっけなく。まるで塵芥が風で吹き飛ばされるように、感慨もなく消えていく。

 

『エクストラステージを開演いたします』

 

 再びスピーカーから聞き慣れない声がする。

 

『宇宙人の親玉、超鈴音が倒されこれで麻帆良の平和は守られた。しかし宇宙人の襲来は、麻帆良に封印されていた悪しき存在を復活させてしまった。古よりこの地に蔓延る妖怪たちだ。彼らはかつての力を取り戻すために世界樹目掛けて進行している。諸君ら麻帆良防衛部隊に告ぐ。彼ら妖怪たちと戦い、麻帆良の平穏を守れ。健闘を祈る』

 

 それはネギの立てた計画には全くないものだった。そもそもが一般人を戦いに巻き込んだのは、超の戦力が一騎当千の精鋭と、いくらでも投入できる軍隊であるがゆえに、麻帆良側の防衛戦力の量を増やして対抗するために考えたのが今回の作戦だった。そのためイベント参加者へ支給したマジックアイテムは、あくまでも魔力で動く機械には有効でも、他のものには通用しない。それはあくまでも超と戦うだけで、超以外の敵と戦うために考案されたものではないからだ。

 

「兄貴、どうする!?」

「くっ、……いまはとにかく情報がないと動けない! 下手に動けばより状況が悪化するかもしれない。一旦学園長のところまで戻ろう」

「分かった、兄貴。俺っちは姐さんたちに連絡しておくぜ」

「うん、お願い」

 

 杖にまたがり、ネギは近右衛門がいるであろう学長室、麻帆良防衛の本部へ戻る。事態が予定からどんどん外れていくその不気味さと、未知の敵が潜んでいたことに気付けなかった己を恥じて。

 そして、

 

「超さんの言葉は……」

 

 最期に超が発した言葉。その意味がネギの脳裏に引っ掛かり続けた。

 




さて、ここからどんどん進めていかないと。テンポアップする予定です。


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真実へ至る黄泉比良坂

「ネギ!」

 

 学園長室に着くや否や、明日菜が飛び出しネギの肩を掴む。

 

「なにがどうなってるの、一体! それに超は!? 超はどうなったの!」

 

 慌てふためく明日菜の声は、静まり返った学園長室にむなしく木霊する。ただネギは首を振るだけだ。一言もしゃべらない。

 そのネギの態度により一層明日菜の力が強まる。

 しかし明日菜の肩に手が置かれ、ネギを振り回すのを止められる。

 

「明日菜君、落ち着きなさい」

「高畑先生……」

 

 切羽詰まった様子の明日菜であるが、高畑の声に多少落ち着きを取り戻したらしく、ネギの肩から手を放す。しかし焦燥に満ち溢れた表情まで変わることはない。それはこの場にいる多くの者もそうだ。わずかな魔法使いたちに、高畑、近右衛門、ネギ、明日菜、木乃香、刹那、朝倉、のどか、夕映、そして黒。

 エヴァンジェリンだけは、例外的に笑っているが。

 解放されたネギが辺りを見渡す。最初に学園長室に集まった時よりもはるかに人は少ない。超との戦いで多くの魔法使いが倒れたようだ。

 

「学園長、他の方は?」

 

 分かっていることだが、一縷の望みでネギは尋ねた。

 

「超君の軍勢はどうやら呪詛を使ったようでの。学園結界すら消し飛ばしてしまうほどの呪いじゃ。それらに呪われてしまい、いまはその解呪で手一杯。これ以上の人員は動かせん」

 

 横目で今いる魔法使いをネギは窺う。

 部屋の中にいる魔法使いたちは十数人しかいない。しかし同時に彼らの力は決して侮れるわけではないということも感じ取っていた。研ぎ澄まされた魔力が重く静かに漂う。チクチクと肌に突き刺さるほどだ。

 

「幸いというべきか、この場にいる者たちは魔法使いの中でも屈指の実力者じゃ。先ほどの戦いの傷も疲労も、ユギ君の魔法薬で治癒し終えている。戦力は低下したかもしれんが、純度はむしろ向上しているじゃろう」

 

 残酷であるが、近右衛門の言葉は正しい。超との戦いで負傷し倒れた者たちは、麻帆良全体でいえば九割を超えるだろうが、戦力でいえば半分にも満たない。麻帆良の戦力の中核をなしているものは傷ひとつない。むしろ役立たずは存在しなくなったともいえる。

 

「時間がないからあまり調べることはできんかったが、後方の魔法使いたちの調査結果が上がっておる。それによると、あの黒いものは怨念のようじゃ。それもかなり強いものらしい。無理やり超えることはできんじゃろう。その怨念が列をなしてある種の道を作っておる。それぞれの魔力だまりを通過し、最後に世界樹のもとへ行く道を」

 

 窓からは、怨念に満たされた麻帆良学園が見える。あの中を突破することなどどれほどの存在でも不可能だろう。ネギは納得し近右衛門の話へ再び注意を向ける。

 

「敵の思惑に乗るであろうが、対抗策がないのも事実じゃ。これより魔力だまりを経由し、世界樹のもとへ行く。異論はあるか?」

 

 誰一人反応を示さない。ただその瞳に力を籠らせるばかりだ。

 

「うむ。では皆の者頼んだぞ。ユギ君をはじめとした後衛部隊は情報収集に前線のサポートを」

「「「「「はっ!」」」」」

「はいっ!」

「ふんっ! まあ、仕方がないか」

「……」

 

 ネギに明日菜・刹那・エヴァンジェリン・高畑・魔法使いたちが部屋を出ていく。その後ろ姿を見つめる瞳に気付けず。

 

 

 

 校舎を出ると、そこは普段の麻帆良と全く違った。空には白い毛玉のようなものが浮かんでいる。

 

「あれは?」

「どうやら低級な妖怪のようです。一般人でも対処は十分できる程度の力しか持たないでしょう。とはいえ、ここまで数が多いと無視をするのも危険ですね」

 

 ネギの疑問に、刹那が答える。その白い毛玉のような妖怪は、なにかを口から吐き出しつつ、宙を滑空している。たしかに感じ取れる力はあまりに弱い。それこそ一般人の子供ですら退治できるのではないかと疑ってしまうほどに。

 

「どうしましょうか?」

「私に任せろ。射線上に誰もいないのは確認済みだ」

 

 サングラスをかけた魔法教師が前に出、フィンガースナップを響かせる。それが魔法行使の合図なのか、その魔法使いの前から巨大な竜巻が現れ、毛玉を吹き飛ばす。雷こそ纏わないものの、ネギが好んで使う雷の暴風に良く似ていた。

 

「さあ、いくぞ」

「は、はいっ」

 

 空いた道をネギたちが突き進む。道中現れる毛玉は、魔法使いたちが迅速に対処するため、障害にすらならない。

 

「あれは?」

 

 そして魔力だまりが近くにまで来ると、空を飛ぶ人影が見えた。それは中学生くらいの背丈の影だ。何者かは分からない。しかしこんな異常な状態で空を飛んでいる存在だ。敵の一員と考えて間違いはないだろう。

 しかしその影に、ネギはなにか嫌な感覚を覚える。それはどこかで見たような気がしてならない。その感覚を必死に振り払い影の顔を視認した時、ネギは愕然とした。

 

「やっと来たか」

 

 そこにいたのは、3-A所属の長谷川千雨だった。

 

 

 

 千雨はアシンメトリーが特徴的な、豪奢な服を着ている。それは王侯貴族のような威厳が満ち溢れたもので、自然と頭を垂らしてしまいそうになってしまう。

 なによりもそれを着る千雨は美しく、神々しい。周りから漂う悪意がそこにだけは存在しないかのように、存在が透き通っている。あまりの神聖さに、知らず知らずのうちに畏敬を覚えてしまうほどだ。

 

「どう、いうこと? 千雨さん?」

 

 そんな中、明日菜が震える声で尋ねる。誰もが思った疑問を。しかし、顔色ひとつ変えず千雨は、ネギたちが望まない答えを出した。

 

「ん? 私がここにいる理由か。そうだな、いうなればチュートリアルだ。きちんとしたルールを知らずにここから先へ行っても、なにひとつなしえないだろうからな」

「……よくそんな大言壮語を吐けるものだ」

 

 あきれ果てた様子でエヴァンジェリンがため息をつく。しかし千雨は特に返すことはなかった。ただ淡々とした口調で続けるばかりだ。

 

「まあ、そう言うな。さて、ルールを説明しようか。これからお前たちは私たちと戦うことになる。その戦いにおいて、私たちはとあるルールを自身に課す。それが『弾幕ごっこ』と呼ばれる遊戯の特徴だ」

「ごっこ、だと?」

 

 千雨の言葉にエヴァンジェリンの魔力が膨れ上がる。顔が真っ赤になり、その怒気が手当たりしだい撒き散らされていく。近くにいるネギの肌が泡立つ。

 

「ごっこだと? 戦いを、ごっこ呼ばわりするだと? この私を相手にごっこをするだと? ふざけるなよ!」

 

 エヴァンジェリンの怒声に合わせ、その周りが凍てつく。漏れ出した魔力が引き起こした現象だ。誰もが顔色を青ざめる中、しかし千雨は顔色ひとつ変えない。

 

「事実だ。お前がどう思おうが、私たちはそうするだけだ。それもこの戦いのために造られたルールの意義だ。さて、お前たちは私たちが放つ弾幕にあたり、落ちれば負け。私たちを落とせればお前たちの勝ちだ。そして私たちは何回かスペルカードと呼ばれる物を使うだろう。それぞれ宣言する枚数は違う。ただそれだけの簡単なルールだ」

 

 ふわり。

 舞うかのように軽やかな足取りで、千雨は距離を取る。ギリギリ顔が視認できる距離だ。魔法の矢ですら、こう距離があれば簡単によけられてしまうだろう。

 

「さあ、審判の始まりだ」

「審判だと? 神にでもなったつもりか?」

「つもりなんかじゃないさ。元々そうだった。生きとし生けるすべての存在の最期に裁きを下す。それが私の役割。長谷川千雨というヤマザナドゥに求められたこと」

「ヤマザナドゥ?」

 

 明日菜の疑問に、千雨は顔を向けることなく答えた。

 

「ザナドゥは楽園を意味する。ヤマは、最初の死者であり冥府の王。中国において訳された名前は、閻魔王」

「え、閻魔?」

「そうだ。私の血筋はヤマの血筋。だから私に嘘は通じない。この虚構だらけの学園なんて、私にとってはフィクション以下のリアリティーしかなかった。だがようやく、虚飾は消え去る。真実があらわになる。……さあ、終わりを告げよう。嘘を裁き、真実を伝えよう。この学園の罪を暴き、裁き、罰を与えよう。いまここに、十王裁判を始める!」

 

 地面が揺れる。低い地鳴りの音に、空を飛べるものは空を飛び、それ以外のものは全員そこから跳び退った。見れば大地から幾つもの塔が現れた。いやそれは塔ではない。あまりに巨大すぎたがゆえに塔に見えただけで、それは石でできた椅子だ。それが十個円を描くように現れる。それぞれの椅子の前には漢字でなにやら書かれている。そして千雨の下に現れた塔に書かれた文字は、閻魔王だった。

 千雨の身体が光り輝く。

 

「裁かれよ、罪人共」

 

 棒を突きつけ、千雨は力強く言った。




次回、千雨戦です。


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正義にかかる罪

 悔悟棒を魔法使いたちへ突きつけた千雨は、素早く自身の体に眠る力を練り上げて、外界へ干渉を施す。魔法とは全く別の法則により、世界の法則を塗り替える。否、作り直す。それが法の神、裁きの神としての力。

 生みだされたのは、数十を超す光球。それらはドッジボール程度の大きさしかない。弾幕ごっこに使う玉としては最小と言えるだろう。だからこそ数多く作りやすいという利点もあるが。

 

「そ、そんな! 無詠唱であれだけの魔法を!?」

 

 魔法使いたちからざわめきが漏れ出す。一々精霊に魔力という対価を渡さなければならない魔法では、ここまでの弾幕を作り出すのに詠唱が必要だ。絶対的な格の差。それは力とか技術とかそういうものでなく、存在としての差だ。人間が、高々吸血鬼がどれほどの力を振り絞ろうが、純粋な神には敵わない。かつてエヴァンジェリンがリョウメンスクナノカミに勝てたのは、それが両面宿儺の息吹でしかなかったからだ。本体が顕現していた場合、今頃エヴァンジェリンは存在しなかっただろう。それだけの力を有すがゆえに、人は恐れ敬い祀り上げる。そして長谷川千雨は今やその恐れの対象なのだ。

 

「魔法ではない。これは神の生み出す法則だ」

 

 長谷川千雨に魔力で光球を生み出すことなどできやしない。なにせ、自身の力を知って、まだ半年も過ぎていない。いくらか年月を経ればそれもできるかもしれないが、現状千雨にできるのは閻魔としての力の行使だけだ。すなわち、嘘を暴く事と、裁きを下すこと。この光球は、閻魔として世界にくださせる裁きの現れ。世界が彼らに与える罰でしかない。

 

「こいつはお前たちの罪の大きさに応じ、威力を変える。罪を犯せば犯すほど、裁きは重くなる」

 

 千雨は悔悟棒を静かに振り下ろす。その動きに応じて、光球が一直線に魔法使いたちを襲う。

 魔法使い全員が弾幕を避ける。困惑はしていようとも、歴戦の魔法使いだ。動きに迷いがない。再び千雨は弾幕を作ると、放ち続けていく。坦々と、機械的に。

 

「私たちに罪だとっ!」

 

 誰かが叫ぶ。正義の魔法使いが罪を犯すことなどあり得ないと。だが千雨は嗤う。

 

「そうさ。お前たちはいつも罪を犯しているじゃないか。自分たちの都合がよいように心を操り、記憶を弄り回す。それが罪でないとでも? それは罪だ。それも殺人と同罪の」

「な、なんだとっ!?」

 

 千雨の言葉に噛みついてくる魔法使い。

 

「当たり前だろう。人の心は、その人のすべてだ。それを失わせる、弄るというのは、その人自身の生を奪うことと同義だ。人はその人自身だけが心を自由にしていい。他の誰もが、どんな論理を振りかざそうと触ってはならない聖域、それが心だ」

 

 千雨は視線を魔法使いたちから外す。今は失われているが、本来そこにあるはずの結界へ目を向ける。それは人の心を操る禁断の魔法。決して使ってはならぬ、倫理を踏み外した術。魔法だから魔法使いたちはそれが正しいと思っている節があるが、それは間違いだ。なにせ、その魔法は一般的に洗脳と呼ばれるものだからだ。

 洗脳。人の思想、人の感情を他者の想うどおりに歪める方法。操り人形とさせる方法。解除するのはかなりの時間がかかり、苦しみを伴う。

 防衛だけの結界ならば、それは罪でなかった。身を守ることはすべての生命が持つ権利だからだ。しかしそれに洗脳術式を入れたことが、罪だ。他者を支配していい権利などだれも有さない。

 ゆえに裁く。千雨は裁きを下さなければならない。。

 

「それを知りながら、放置していた魔法使い。彼らは全員死後、無間地獄へ堕ちた」

 

 それは事実だった。千雨がその判決を下した時にふと気になり調べたが、麻帆良学園にいた魔法使いはその死後、全員が無間地獄へ落された。すでに罰は下され、贖罪に苦しんでいる。

 そしてその裁判では、閻魔王をはじめ、十王が全員その判決を支持した。それはあまりの事態でもある。だからこそ千雨はこうしてその事実をまだ生きている彼らに伝えていた。

 

「ふざけるな! そんなはずがあるわけない!」

 

 だがそれは伝わらない。凝り固まった思想は、強固な信念を生み出すが、同時にほかの考えを否定してしまう。それが、長谷川千雨の、閻魔王の慈悲だと知らず。

 

「結構。私としては、お前たちがそれを受け入れないのならそれでいい。私はお前たちでないからな。だが少なくともこのままならばお前たちは死後、地獄に堕ちる」

 

 闇を纏う吹雪が千雨を襲う。素早く横へ飛び避ける。しかし服の裾が凍りついた。

 

「ふん、そんなくだらないことはどうでもいい。私はただ貴様が気に入らないだけだ。閻魔? 正義? ふざけるなよ。貴様は私を侮辱した。その罪は償ってもらうだけだ」

「……まあ、お前にとってはそうだろうな。受け入れないだろう。いや、そもそも麻帆良の魔法使いとお前の罪は全く別物だ。確かにお前も悪だ。多くの人間を殺してきた。しかし、それでもあえて言うならば、お前の罪はお前が最初に殺した、否、食べた人間に対しての罪だけだ」

 

 エヴァンジェリンA・K・マクダウェル。魔法使いたちにとって最も悪い魔法使い。しかしそれは魔法使いからしてみればだけだ。是非曲直庁からしてみれば、その罪は恐ろしいほどに少ない。貴族としての教育を受けたためか、神へ信仰を捧げていた幼少期。それは清らかで、罪を犯したと言っても子供が付く程度の多少の嘘くらいだ。そんなことで閻魔は地獄へ落としはしない。では悪の魔法使いとして存在したことが罪か。それも違う。なぜならば、悪の魔法使いである由縁たる罪は、正当防衛だからだ。正義の魔法使いに襲撃され、身を守るために殺していたにすぎない。あえてそれでも悪の魔法使いとしての罪を挙げるならば、ネギを襲ったことが唯一の罪だろうか。

 だが、そんな彼女でも確かに罪を犯したのだ。それは……、

 

「父母殺し。それがお前の罪だ」

「キサマァアアアア!!」

「ま、マスター!」

 

 吸血鬼となったエヴァンジェリンが初めて食した人間。それは実の父母だった。ゆえにそれが罪だ。しかしそれでも殺した数は少ない。麻帆良の魔法使いと比べれば。

 だがそれでも罪だ。

 

「だから私は裁く。罪を裁き、新たな生を促すために」

 

 激昂し飛びかかってくるエヴァンジェリン。溢れだした魔力と殺意が重圧となり、千雨を縛り付けようとする。だが千雨は何ら慌てることなく懐から一枚のカードを取り出す。それは表に秤と、その秤の皿に白い羽が乗っている絵が描かれていた。

 

「『審判 マアトの羽』」

 

 今までの光球は、千雨から魔法使いたちへと横方向から襲い掛かっていた。しかしその宣言とともに現れた光球は、上空から魔法使いたちの近くに浮遊して近づいていく。

 激昂しているエヴァンジェリン以外はそれらに対する対処を試みていた。離れようとする者、破壊しようとする者。しかし離れれば、その分だけ光球は近寄る。破壊しようにもすべての攻撃がすり抜ける。

 そして、時は来た。

 

「審判が下される」

 

 一斉に羽が飛ぶ。魔法使いたちの上空へ浮かび上がった光球はブドウほどの赤黒い玉へと変わり、とてつもない速さで雨あられと降り注ぐ。

 

「なっ!」

 

 とっさに障壁で身を守った魔法使いが沈んでいく。生き残った者は、とっさに回避を選択した者たちだ。それでも無傷ではない。傷をどこかしらに負っている。それはエヴァンジェリンも例外ではない。

 

「馬鹿、な? なぜ、傷が癒えない!?」

 

 不老不死であるといわれるヴァンパイア。その回復性能は、他の妖怪を凌駕するだろう。かつてエヴァンジェリンが語ったように、無敵の身体だ。しかし相手が悪すぎた。敵対したのは妖怪に対しての絶対的な敵である神。さらには死と裁きを司る神だ。死から逃れる不老不死と、罪を抱えるエヴァンジェリンでは最初から勝ち目がなかった。どうしようもないほどに、相性が悪かった。天地がひっくり返ったところで、エヴァンジェリンが勝つのは不可能だろう。

 

「当たり前だ。裁きが消えることなどあり得ない」

 

 千雨は魔法使いたちへと背を向けた。

 

「私のスペルカードは一枚。これでおしまいだ。お前たちの勝利だよ、魔法使い」

 

 それだけ言い残すと、静かにその場から離れていく。

 しかしふと思い出したかのように、ネギの方へ振り向いた。

 

「お前の罪はまだ裁かれていない。この先にお前に対する執行人がいる。そこで知れ。お前の罪を。そして悔やめ。お前が捨ててしまったものを。お前が知らずに見捨てた幸せを」

「えっ? ま、待ってください、千雨さん!」

 

 それだけ言い残し、長谷川千雨は怨霊の壁へと消えていった。




長谷川千雨。実は黒が勝てない相手の一人ですからね。これくらいは簡単にできます。


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かぼちゃ畑を彷徨う迷い火

 魔力だまりの広場のひとつに、魔法使いたちは降り立っていた。長谷川千雨と戦った地だ。

 完敗だった。ネギたちは傷を癒すことも忘れ、ただ愕然としていた。中でも一番ひどかったのはエヴァンジェリンだろう。真祖の吸血鬼。だれもが恐れる悪の大魔法使い。しかし、そんな存在であっても、長谷川千雨は軽くあしらい、負かした。それも治癒できぬ傷を刻み込み。

 

「……」

 

 重苦しい空気が広がる。誰も口を開かない。

 すぐに転移魔法でユギの魔法薬が届けられた。けれど、誰もその魔法薬を取ろうとはしない。

 心が完全に折れていた。

 長谷川千雨の正体を見抜けず、そしてみすみす返り討ちにされた。しかもそれは本人の談を借りればチュートリアル。これから先の戦いが激しくなるのは間違いないだろう。しかしその戦いで、ネギたちは戦うことができるのかすら分からなくなっていた。

 

「ふん。ようやく癒えたか」

 

 そんな中、エヴァンジェリンが立ち上がる。いつの間にかに傷はすべて癒えていた。

 

「なんらかの不死殺しを内包していたようだが、時間をかければどうにでもなる」

 

 ネギの不可解そうな視線に、エヴァンジェリンは答えた。他の吸血鬼ならばまだ傷はいえないだろうが、それは真祖としての面目躍如。莫大な魔力で無理やり傷に込められた術式を押し流し、不死性をも殺す術式をかき消し、吸血鬼としての治癒能力で傷を癒した。とはいえ、それは落ち着いた現状だからできた手段だが。

 治癒にかなりの魔力を消費したであろうに、エヴァンジェリンの魔力は底なしに高まっていく。その表情には先ほどの怒りや侮りがない。溢れ出す魔力からしても、本気になっているのだろう。

 

「どうした、ぼうや? まさかこのていどで怖気づいたなどぬかすつもりか?」

「でも、マスター」

 

 弱音を吐くネギに、エヴァンジェリンは振り向くことなくその言葉を投げかけた。

 

「いいか、ぼうや。確かに私たちは負けた。あいつを侮っていた。さげずんでいた。たかだか中学生の小娘一人と。だから負けた。驕りに負けた。しかしもう違う。私たちは敗北者だ。だからこそもう下がることは許されない。私たちに許されるのは勝つことだけだ。勝って押し通る事だけだ」

 

 八重歯を剥き出しにし、エヴァンジェリンは笑う。己が不甲斐なさを自覚し。

 だがだからと言ってそのままでいるつもりなど、毛頭ない。それはエヴァンジェリンの誇りが許さない。たとえどのようなことだろうと、敗北という泥は勝利という美酒を持って洗い流す。それが吸血鬼としての矜持。だから立ち上がった。勝つために。再び勝者と返り咲くために。

 

「ここで負けて転がるだけならば誰にでもできるだろう。そしてそれを選べば、お前たちは本当に敗者となり、罪人となることだろう」

「な、に?」

 

 ガンドルフィーニが弱々しく反問する。

 

「このままここにいれば、あいつの言葉を肯定するだけだ。前へ歩まねば、何も変えることなどできやしない。あいつの言葉を否定したければ、自分たちの力で覆すことだ」

「マスター……」

「それに、負けっぱなしというのは癪に障る。さっさとこの茶番を終わらせ、あいつを負かしに行くぞ」

 

 一番初めはネギだった。魔法薬を掴むと一息にあおる。怪我はすべて消え去り、力が張る。他の魔法使いたちもそれぞれ覚悟を決めなおし、薬を飲んだ。

 先ほどの攻撃が直撃した者たちは、魔法薬だけでは完全に治癒しきれず、置いていくしかない。戦闘を続行できる者たちは士気を高め、次の魔力だまりへと向かう。

 

 

 

 五分もしないうちに小さな広場となっている場所が見えた。次の魔力だまりのある広場だ。人っ子一人いない。

 真っ暗闇の中、空中で炎が燈っていた。オレンジ色の炎だ。それが浮かび上がって揺れており、、不気味に輝いている。まるで一つ目の怪物のようだ。

 

「あらら、お客さんが来ちゃったか」

 

 その炎は、古ぼけたランタンの灯りだった。錆びの浮く銅でできたランタンを持つのは少女だ。

 かぼちゃのように膨らんだスカートを履いた、赤髪の可愛らしい少女。3-Aの生徒よりも幼いだろう。小学生に上がったばかりに見えるほどだ。浮かべる笑みは微笑ましく、到底敵とは思えない。しかしここにいるということはやはり敵でしかない。

 

「何者だ、お前は」

「うん? 私? なんだと思う、いったい? ただの子供? それとも化け物? もしかしたら天使かもよ」

「ふざけないでください。あなたのような者が天使を名乗るな!」

 

 お茶らけた少女の言葉に、シスターシャークティが怒りをあらわにした。信仰を馬鹿にされ、怒りを覚えないはずがない。

 

「あはは。うんうん。そうだねぇ、私は天使じゃないね。むしろその敵だね」

「……悪魔か」

「うふふ。悪魔、懐かしいね」

 

 我慢の限界を迎えたらしく、シスターシャークティが放った水の魔法が少女を襲う。膨大な量の水だ。それが龍のように襲い掛かる。飲み込まれれば命はないだろう。しかし、

 

「あはは、私の名前言ってなかったね。ウィル、人は私のことをそうも呼ぶよ」

 

 ランタンから飛び出した()()火がその水を全て蒸発させた。水蒸気が辺りを漂う。小さな種火程度の火が、滝をも消し去る。尋常のものにはできない所業。油断なくその動きを見やる。

 袖で口元を隠し、ウィルと名乗った少女が空を飛ぶ。すぐに他の魔法使いたちもその後を追う。少女を中心に円陣を組む。決して逃がさないように、そして逃げ出さないように。誰かが一人でもかければ陣形は崩れてしまう。責任という鎖で己が身を縛り上げる。

 

「じゃあ、始めようか」

 

 その言葉とともに、弾幕がネギたちを襲った。先程より複雑化している弾幕は、しかし千雨との戦いですでにある程度弾幕ごっこを把握していた魔法使いたちに通用しない。古強者である魔法使いには、いくら複雑化してもただの弾幕程度で落ちる力量のものはいない。だれもがその攻撃を簡単によけていく。

 

「あはは。簡単によけられるか」

 

 笑っているウィルだが、しかしかなり余裕がある。ネギたちは気を引き締めて攻撃を繰り出す。詠唱を完了した魔法が一斉に飛ぶ。火が、水が、風が、土が襲いかかる。

 ウィルはその多くを炎で焼き払い、消し残った物は回避した。

 ランタンの灯りが怪しく翳る。

 

「じゃあ、さっそくいこうか『幻符 かぼちゃ畑をさまよう黒い影』」

 

 突如弾幕を放っていたウィルが消えた。それでもなお弾幕はどこから放たれる。咄嗟に攻撃が行われる場所へと魔法を放つが、ただ虚空を通り抜けるだけで意味がない。攻撃を止めた魔法使いたちは回避に専念しながらウィルを探す。

 

「どうやら空間系ではないようだ」

「気配では追えないね。完璧な遮断だ」

「幻術か?」

「おそらくそうだろうな。この私ですらなにも分からん」

 

 幸いなのはウィルが放つ弾幕は避けるだけならばさほど難しくはないということだろうか。

 ウィルのしていることを観察し、推測して能力を探っていく。相手の力が分かるということは、大きなアドバンテージとなる。

 

「お互い気を付けて避けるんだ。奴の攻撃ばかりに気を取られていると、陣形が崩れてしまう」

 

 ガンドルフィーニの言葉に、魔法使いたちは警戒を密に動く。しかし、

 

「むっ!?」

「え!?」

 

 その背中に一人の人物がぶつかった。

 

「葛葉!?」

「な、ガンドルフィーニ先生!? なぜこちらに!?」

 

 初めてそこに人がいたことを認識したように、二人は鏡合わせに驚く。しかしそれは絶対的な隙となり果てる。

 

「はい、ざ~んね~ん賞!」

 

 声とともに、その二人を飲み込む特大の弾幕が飛び直撃した。二人は黒煙を上げ、地面へと落ちていく。下には、先程までいなかったはずの一般人のゲーム参加者たちが倒れていた。だれもが苦しそうに呻いている。

 黒煙が張れると、ウィルが再びその姿を現す。

 

「ありゃりゃ、予定より少ないけど、まあ二人は落とせたしいいか」

「いまのは……!」

「おや、気付いちゃった? アハハ、まあ簡単な弾幕さ。味方を認識できなくなるスペルカード。それが『幻符 かぼちゃ畑をさまよう黒い影』さ。あの二人はお互いのことが見えていなかったから、お互いの足かせと化したのさ。無能な味方は敵よりも怖ろしいものだよ?」

「ふ、ふざけるな! 無能な味方って、あの二人は無能なんかじゃない!」

「わーおっ! なに、その無意味な庇い合い。人という漢字は人が支え合ってできているとでもいうの? 残念、人という漢字は人が歩いている様子からできています。つ、ま、り、人はそいつだけで十分生きられるのさ。だから他人は足かせにすぎないんだよ」

「話をそらすな!」

 

 鋭いネギの怒号に、しかしウィルはより一層嬉しそうに顔をほころばせるだけだった。

 

「いい加減にしなさい、この悪魔が」

 

 そしてそのうれしそうなウィルへ、頭上から急降下したシスターシャークティが人二人分はあろうかという十字架を叩き込んだ。

 ネギとウィルの会話の隙に上空へと移動したシスターの繰り出した一撃は、数百キロにも及ぶ大質量と、キリストの教えによる聖性と、魔力による身体強化による打撃により三重の攻撃と化し、ウィルを襲う。あたりに眩い閃光と衝撃が拡散する。

 

「貴方が悪魔である限り、私たちに負けはありません」

 

 シスターシャークティの攻撃は、悪魔にとって致命的な一撃だ。悪魔という存在を、キリスト教は許さない。その教義を持ってその存在を弾圧し、一方的に消滅させることも可能だ。それほど悪魔という存在に対し、キリスト教の術式は有効だ。魔法使いよりも、悪魔祓いに特化していると云えよう。だからこそシスターシャークティはこの麻帆良において戦うことを可能としている。

 

「あはは……」

「なっ!?」

 

 しかし十字架の下で、ウィルは狂笑へ笑みを変えた。その身に傷はひとつもない。

 

「この私にキリスト教の攻撃を使うか。うふふ、愚か者め。聖ペテロをだましたこの私を、キリスト教の教義による弾圧などできるものか。なにせ、キリストの弟子が一度は私を認めているのだぞ」

 

 十字架は見えない壁に阻まれるように、ウィルへ触れるか触れないかのところで止まっている。どれほどシスターシャークティが力を込めても、それ以上先へ進まない。

 

「私の能力はふたつ。一つは『だます程度の能力』。もう一つは『十字架を受け入れない程度の能力』。くははは!」

「バカな!」

 

 吹き飛ばされるシスターシャークティ。何とか空中で体制を整えたが、その動揺までは消しきれなかった。十字架が震えている。

 

「まさか、お前は!」

 

 西洋人であるネギは、今までの話とウィルが語った名前から一つの存在を思い出す。しかしそれは到底信じられるものではなかった。もしそれが本当ならば、相手は悪魔ではない。いや、むしろそれ以上に危険な相手だ。

 

「人は私に幾つもの名前を付けた。一つはウィル・オー・ウィスプ。そしてもう一つは、ジャック・オー・ランタン。私はハロウィンの怪物さ」

 

 ジャック・オー・ランタン。様々な逸話の残るかぼちゃ頭の怪物。大体は悪魔をだまし、地獄へ堕ちなくなったが生前の行いのせいで天国へ行けなくなった者。あるいは聖ペテロをだまし一度よみがえり、再び死んだ際にウソがばれ、天国にも地獄へ行けなくなった者。そう語り継がれる神の教えをだました人間。そしてその代償に現世を彷徨うだけの存在となり果てた元人間。それが彼女の正体。

 

「バカな! なぜそれほどの存在がこんなところに!」

 

 エヴァンジェリンをも超える伝説の化け物。それがジャック・オー・ランタンだ。少なくとも麻帆良に唐突に表れるような存在ではない。

 

「自分で考えろよ、バーカ。『燈符 汝は地上を彷徨うべし』」

 

 魔法使いたちの上空と下に弾幕が現れた。それらは移動することなく、その場にとどまり続けている。

 

「これは……?」

 

 ウィルの狙いが分からないのか、魔法使いの多くは警戒を崩さないものの、拍子外れを受けた顔をしている。しかし、

 

「馬鹿者! これこそがあいつの狙いだ! 私たちの逃げ場をなくすためのものだ、これは!」

 

 エヴァンジェリンの叫びにようやく気が付く。止まった弾幕は、自分たちを攻撃するものでなく閉じ込めるための檻だということに。

 

「さあ、私と同じように永久に彷徨え」

 

 津波のような弾幕が、前方から魔法使いたちを襲った。



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哀れな魂を暖める種火

 迫り来る弾幕の嵐に、魔法使いたちは各々必死になって回避を続けていた。瀑布の如く襲い掛かる弾幕、それらは当たるだけで戦闘が続行できなくなるほどの力が込められている。エヴァンジェリンですら弾幕を受け止めるのではなく回避を選択しているほどだ。

 迫り来る弾幕の赤々とした光がかすめるごとに、魔法使いたちの肌が泡立つ。先ほど戦った長谷川千雨もまた強かったが、その力は分かりづらく恐ろしいと思えるようなものではなかった。しかしウィルは違う。火という分かりやすい恐怖が形を伴い襲い掛かる。歴戦の戦士であろうとも、人間の本能を失っているわけではない。むしろすぐれているがゆえに、火がかすめるごとに精神をゴリゴリと削られていく。

 

「クッ、隙がない!」

 

 放射されている弾幕の範囲はかなり狭い。その分弾幕の密度が濃く、避けるだけで精いっぱいだ。だからといって上下へ避けようとすれば、停まった弾幕に自ら突っ込むことになる。だからその選択は取れない。たとえせせら笑われようと、渦に捉われた粗末な筏のように、神頼みをするしか魔法使いたちにはできやしない。

 

「うわっ」

 

 しかし限界はくる。魔法使いたちの多くはまだしも、どれほどの天才だろうとも、経験は絶対に埋められない。迫りくる攻撃をただ一方的に避け続けるストレス、疲労などその他もろもろが重なり、ネギの動きに精細さが欠けていく。

 そしてネギは高度を下げ過ぎ、その杖を弾幕に触れさせてしまう。

 

「しまっ」

 

 来る衝撃に備え、障壁を強固にする。しかし予想と違い、衝撃等発生しなかった。

 

「……まさか」

 

 脳裏にウィルの嗤う顔が浮かび上がる。

 

「やられた……!」

 

 ネギは杖先を止まった弾幕へ向け、突っ切った。弾幕はネギに触れるが特に変化はない。

 ネギの考えは当たっていた。すなわち、上空と下を漂う弾幕が、幻であるということが。

 そして放射されている弾幕は、ネギのところにまで来ない。ウィルがネギを一瞥し、つまらなさそうにした。

 

「ラス・テル マ・スキル マギステル 来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさぶ南洋の嵐 雷の暴風!」

 

 ネギの放った魔法は途中にあった弾幕を飲み込み、その奥にいたウィルを飲み込んだ。五秒も雷の嵐が蹂躙する。

 あたりを浮遊していた弾幕が消えていく。見れば、ボロボロになったウィルが涙目で白旗を振っている。

 

「降参、降参だよ~。イタタタ。ああ、ひどい。さすがの私もそこまで攻撃的じゃないのに」

 

 しかし誰も警戒は解くことなく、ウィルの一挙手一投足に注意を払う。なにをするか分からない。なにを隠し持つかが分からない相手だ。その程度の警戒は当たり前だ。なにせ魔法も使わずシスターシャークティの攻撃を無力化したのだから。

 それに相手はかのジャック・オー・ランタンだ。白旗を上げたとはいえそれが嘘だとしてもおかしくはない。いや、その可能性の方が高いだろう。なにせ、聖人すらもだましきった人物だ。下手に動くわけにいかない

 

「さすがにそうも疑われると涙が出てきそうだよ。でもまあ、仕方がないか。さて、じゃあ、そろそろ私は帰るね」

「させると思うか?」

 

 白旗をしまったウィルが帰ろうとするが、さすがにそれを許すわけにはいかない。魔法使いたちが詰めよろうとする。

 

「うん? 君たちバカ?」

 

 しかし次の瞬間、ウィルの持つランタンから炎が飛びだし、地上に墜落しているガンドルフィーニと葛葉の二人の回りに火を移す。

 

「弾幕ごっこで勝った程度で何言っているの? 私からしてみれば、お前らなんて誰もが塵以下なんだよ」

「なっ! 卑怯だぞ! 二人を解放しろ」

 

 ため息をついたウィルが額に手を当てた。

 

「もう一度言うよ、君たちバカ? そもそも私は地獄に落ちることすら拒絶された人間だぜ? まさかそんな存在がお前たちの正義とやらがいう正しい行いに従うとでも? いいや、しないね。そもそも私は弾幕ごっこは好きじゃないんだ。今回はそうしなければならないから嫌々していたにすぎない。他の奴らはまだしも、私に指示したいならば、力づくできなよ。聖ペテロをだました、悪霊たるこの()を!」

 

 ウィルから放たれる魔力はエヴァンジェリンをも上回った。

 当たり前の話だ。いくらエヴァンジェリンが恐れられようとも、それは魔法使いたちだけ。裏の世界で僅かにおそれられているにすぎない。しかしジャック・オー・ランタンは違う。世界中にその逸話は広がり、いまでも世界中でハロウィンにその姿を見せるほどだ。格が違う。妖怪としての。

 魔法使いたちが後ずさりする。エヴァンジェリンですら、驚きを隠せていない。

 

「貴様、手を抜いていたな?」

「まだまだeasyだっただけさ。安心しなよ、次はnormalだ。あいつはまっとうに狂っているからきっと楽しめるよ」

 

 ケラケラ笑い、ウィルはランタンを高々と掲げた。そこからあふれ出した火はウィルを包み込む。火が消えると、そこにウィルの姿はなかった。ガンドルフィーニ達の周りで燃え盛っていた炎も消えている。

 

「逃げられたか」

「いたしかない。先に進むしかないでしょう」

 

 敵の強大さが見えてきた。それは絶望的にしか思えないものだったが、魔法使いたちにとって、敵の輪郭が見えてきたことにほかならない。苦しいが、それでも前へ進む動きに力強さが増していく。

 

 

 

 次の魔力だまりへ向かう最中、後衛部隊から前線で戦う魔法使いたちへ連絡が届いた。念話を利用した術式だ。全員の前に魔力でできたウィンドウのようなものが開かれる。

 

『聞こえますか、みなさん』

「ユギ!」

 

 ジャミングでもされているのか、ユギを映し出す画像は荒い。おそらく何名かが協力して念話を送っているのだろう。魔力の“色”が複雑に混じり合っている。

 

『どうやら聞こえているようですね。先ほど一つ目の魔力だまりを奪還しました。汚染されたかの地を清めているところです。倒れた人員は回収し、治療を施しています。イベント参加者たちもいま治療を進めています。』

「そ、そう。よかった」

『今からそちらへ向かい、ガンドルフィーニ先生と葛葉先生を回収しますね。さて、ここまでの戦いでだいぶ相手の力についてわかってきたので報告をいたします。どうやら彼らの力は単純な魔力や気とは違うようです。一番近いのは高畑先生の感卦法ですか。ですから本来不死者であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルのような存在でもダメージを負うようです。それと、神楽坂さん』

「えっ、私?」

『ええ。あなたの力、完全魔法無効化能力ですが、今回の相手には有効かどうかが分かりません。過信しないで下さい。あなたの力が通用すればいいのですが、通用しなければその身が危ないですから』

「う、うん。分かった」

『それでは気を付けてください。それと電子関係は大分奪い返せてきています。監視カメラからの情報によると、次の魔力だまりには大きなリュックサックを背負った大柄の女性がいるはずです。それが敵のようです』

 

 それだけ言い切ると、念話が切れた。術者の限界が近かったのだろう。とはいえある程度の情報が分かっただけもうけものだ。

 魔法使いたちは次の魔力だまりへ急ぐ。新たな戦いが近づいていた。

 そんななか、ネギだけはユギの様子に違和感を覚えた。それがなんなのかまでは分からずとも。しかし今はそんなことよりも麻帆良を奪還しなければと、いったん置き次へと急ぐ。

 それこそが千雨の言う罪だと気付けずに。




二枚目のスペルカードはだますものでした。上空に漂うのが天国。下に漂っているのが地獄。そしてその中間が現世ですね。だからジャック・オー・ランタンであるウィルの攻撃は、現世にしか行われないという完全に相手をだますことを主眼とした攻撃でした。
主人公補正で勝ったネギですが、次回からはとうとうnormalです。


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忘れられし人の友

お久しぶりです。私事が片付いたので、更新再開いたします。


 ユギの語った通り、ネギたちが向かった三つ目の魔力だまりには大柄な女性がいた。

 しかしその女性は今までの敵と違った。一切の警戒をしておらず、無防備にも広場の中央に座り込み、傍らに転がされた黄色い油汚れが目立つ大きなリュックサックから様々な道具を取り出して、なにやらいじくり回している。近くにはばらばらになった街燈が転がされていた。

 近くにネギたちが着地したというのに、振り返ることすらない。

 

「ほー、へー。うん、なるほど。これがこうなって、するとああなると」

 

 女性はネギたちに気が付いていないのか、夢中で手にある物をいじくり回す。爪の間が油で黒く汚れた手は、とても器用に機械をなでまわしている。あっという間に部品まで分解しては、再び組み立てなおされていく街燈の一部。そのたびに女性は喜色を満面に浮かべ、はしゃぐ。

 

「あ、あー、すまないが、そこの君?」

 

 煙草をくわえ、苦笑いとともにためらいがちに声をかける高畑。背を向けて何やら夢中になっている相手に先手必勝と殴り掛かることはさすがにできなかったようだ。

 

「うん? ……うわっ!?」

 

 振り返った女性は目を丸くした後、機械を放り投げて跳び上がり、転がっている街燈の柱の部分に蹲り隠れようとする。しかしかなり大柄な女性では――高畑よりも背が高く大きい――まったく隠れきれていない。頭を抱えてブルブル震えていたが、元々丸見えの状態であるもののおそるおそると顔を柱から出して魔法使いたちを覗き見る。

 

「な、なんだ、盟友じゃないか」

「め、盟友?」

 

 先ほどまでの敵と違いあまりにも人間臭い女性の所作に、魔法使いの誰もが困惑を隠しきれていない。敵対すべき存在であるだろうが、どうにも闘気が出てこない。

 それどころかなぜか女性は笑顔になって握手を求めてくる始末だ。あまりに友好的なその態度に誰もがやりづらさを感じた。先程までの敵意剥き出しの方がはるかに戦いやすい。

 

「その、盟友ってどういうことですか?」

「うん? それは決まっているじゃないか。盟友は盟友さ!」

 

 話になっていない。ネギは頭の痛みを自覚したが、それを務めて無視し話を続けた。

 

「いや、そのどうして僕たちを盟友というんです?」

「え? 昔からそうだろうに。私たち河童と人間はそういう約束を決めたんだよ、もうずいぶんと昔に。私が子供だったころからだから、千年くらい前かな?」

 

 返ってきた内容の荒唐無稽さにネギは愕然とした。千年。千年もの時間はなにもかもを変えてしまうには十分だ。ネギの故郷、イギリスですらまだ生まれていないほどの大昔。その約束を覚えているというだけですごいが、なによりそれを信じきっているその純真さに、目の前にいるのが敵であることを忘れてしまったほどだ。

 

「か、河童?」

「そうだよ、私は河童さ」

 

 明日菜が河童の女性の頭を見る。そこは帽子で隠れているが、青い髪に覆われており、別段おかしなところはない。ネギが小首をかしげると、明日菜が叫ぶ。

 

「頭にお皿がないじゃない!」

「いや、皿を頭にのせたことなんて一度もないんだけど……」

 

 困り顔で頬をかく女性。やはりその動きはとても人間臭く、そして純真無垢だ。どうしても敵に見ることができず、ネギはおそるおそる尋ねた。

 

「あの、どうしてこんなことをするんですか。麻帆良を襲って。していることを見れば、盟友という言葉が嘘じゃないですか」

「うん? こんなこと? ああ、そうだね、少し難しい話になるかな。私たちだって、本当は盟友に迷惑をかけたくはないんだよ。でもね、私たちに残された時間はもうない。あと数十年もしたら完全に消えてしまう。存在自体が消滅し、河童という存在が、人間との絆は完全に消え去る。それだけは避けなきゃいけないんだよ。その為に、こうしているんだ」

「ど、どういうことですか? 消えるって」

「? 当たり前じゃないか。妖怪は人間の恐怖から生まれた。だから人間が妖怪を認識しないと、恐怖しないと妖怪たちは存在を保てない。泡沫となって消え去ってしまう。誰の記憶からも、ありとあらゆる歴史の中からも。私たちだって、消滅したくはないんだよ。せっかく人間と盟友になれたというのに」

 

 悲しげに女性は肩を落とす。そこに一切の嘘はないだろう。心の底から残念に思っている。それくらいネギにだってわかる。

 

「け、けどそんな話聞いたことありませんよ! 嘘をつかないで下さい!」

 

 しかしその発言には聞き逃すわけにはいかないものが含まれていた。妖怪が消えるなんて話は魔法使いたちも知らない。

 

「当たり前だろう。だって、お前たちは忘れようとして、何百年も時間を費やしたじゃないか。知恵と歴史を伝えるはずの書物を捨て、己が作り上げた使い魔たちを魔物と蔑ませ、そうしてようやく妖怪を滅ぼしてきたんじゃないか」

「えっ?」

「本来妖怪が喰らうはずの恐怖を使い魔たちに吸収させ、妖怪を弱らせていった。だから今こうして私たちが暴れ出しているのさ」

 

 寂しげに笑うと、女性は宙を飛ぶ。後を追いかけ慌てて魔法使いたちも飛ぶ。しかしその顔色は誰もが困惑に塗りつぶされている。

 

「さて、そろそろ始めようか。私は禰々(ねね)。河童の頭領をしている者さ」

「ま、待ってください! 貴方は戦いたくないんでしょう? だったら話し合って」

「もう話し合いでなんとかなるようなところじゃないんだよ、盟友。もっと前にだったら間に合ったかもしれない。でも、もう遅い。これは河童という妖怪の生き残りをかけた戦い。だから手を抜くわけにいかない。この日の本に住まう同胞(はらから)のために。怨むなら怨んでくれても構わない。だけどお前たち人間がまだ河童を盟友として思ってくれるならば、どうか全力で戦ってくれ。そして私たちを止めてくれ。それだけが私の願いだよ」

 

 水色の光球が、付きだされた禰々(ねね)の手から放たれる。

 話し合いは決裂した。



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忘れ去られた人と妖の関係

 禰々の放つ弾幕は、今までの敵が放ってきた弾幕と違い雨のように細く鋭く速くそしてなによりも量が多い。まさしく篠突く雨という言葉を体現した弾幕で、範囲は狭いものの視認しづらく、さらに速度も相まって避けづらく厄介なものだ。

 それでもさすがは歴戦の魔法使いたち、飛行魔法を巧みに使い弾幕の雨を避けていく。しかし今までとあまりに違う弾幕の量に対応しきれない者も次第に出てきてしまい、撃ち落とされてしまう。

 地上へ落下していく魔法使いたちは気を失っているが、地上で明日菜たちをはじめとした飛行できないものたちによって受け止められ怪我は負わずに済んでいる。さらに何よりも、敵である禰々が決して追い打ちをかけないというのもあるだろう。禰々が放つ弾幕は決して地上へ向かない。

 しかし段々と戦況は傾いていく。最初は軽快に避けていた者たちも、疲れなどからか次第に追い詰められていく。状況を打開しようと放つ苦し紛れの魔法は、発動しきる直前禰々が射線からずれてしまうので、魔力の無駄射ちと化す。千年生きたという禰々の言葉は伊達ではなかった。どれほどの才を持つ者であろうとも、経験を積んだ者であろうとも、高々百年も生きていないものに破られるほどその生は軽くない。唯一食いついていけるのは、六百年生きたエヴァンジェリン程度だ。

 そしてそのエヴァンジェリンが見るに、禰々は純粋に強い。先のウィルのように言葉を使い惑わすのでもなく、技巧に術の精度など、個々の能力すべてがエヴァンジェリンの知る限り最高峰だ。

 

「そろそろ行くよ、『秘境 河童にとりかこまれた我が盟友』」

 

 それは今までの弾幕と段違いに複雑さを増した弾幕だった。

 最初に緑色の弾幕が射ち込まれた。ある程度のところで動きを止めたその弾幕はそのままに、今度は青色の弾幕が飛ぶ。それはとても早く、矢鱈滅多らに撃たれるせいで、予想などが意味をなさず反射神経で避けなければならず、空を飛ぶ魔法使いのうち一人がその弾幕に撃ち落された。

 反撃の魔法が禰々へと射ち込まれるが、まったくダメージとなっている様子はない。詠唱の必要な魔法を使う隙がなく、下級魔法しか使えていないというのもあるが、使われる魔法に対して禰々があまりにも強すぎる。

 誰かが歯ぎしりを鳴らす。エヴァンジェリンがなんとか隙を見出し、「闇の吹雪」を放つ。しかしそれは避けられてしまい、虚空を凍らすだけに終わる。禰々はすぐそばを通り抜けた吹雪を何の感慨もなく見送った。

 そして、最後にひとつの黒い大きな弾が放たれる。それは人一人簡単に呑み込めそうなほどの大きさだ。黒々とした弾は、脈動しており、なにかの形を取ろうとしているようだった。

 

「ああ、盟友」

 

 まるで愛おしき者の名を呼ぶように、禰々はその黒い弾へ言葉を紡ぐ。しかし弾は弾。なにも答えることはない。禰々は涙を流す。

 はらりと涙が零れ落ちると弾幕がはじけた。

 黒い弾から幾百もの小さな黒い針状の弾幕が飛び散る。いままでの速度の比ではない。集中しなければ撃ち落されるだけだ。しかし、しかしそれはあまりに難しい。ここまでの連戦によるダメージ。禰々の力量。そしてなにより禰々の友好さが、魔法使いたちの動きを鈍らせてしまう。

 

「ネギっ!」

 

 そしてネギ・スプリングフィールドは、その最たるものだった。魔法使いたちの中でも一番汚れを知らないがゆえに、特にその影響を受けてしまった。ウィルとの戦いでは鋭い洞察力で弾幕を避けきった彼だが、今回は感情に捉われてしまい、逆に動きを鈍らせてしまう。

 死角から迫っていた弾幕にようやく気が付いたときには、もう回避は間に合わなくなっていた。

 

「しまっ」

 

 とっさに目を瞑るネギ。

 しかし予想していた衝撃は襲ってこない。その代わり襟首を掴まれ、無理やり引っ張られた。目を開けてみれば、後ろには、

 

「よう、ネギ。遅うなってすまんな。ようやく追いついんたや。それと、アンタらもいまは俺がだれかやなんて気にせんといてな。いま重要なのは、こいつらしばくことやろ?」

 

 犬神小太郎がいた。空を飛びながら、八重歯を剥き出しにして笑い。

 

「飛び入り参加かい? ううん、まあいいか。君も頑張ってくれ。そうしたらそれだけ私は彼と会えるから」

 

 禰々もまた微笑みすら浮かべ、敵対の意志を飛ばす小太郎を歓迎する。

 しかし小太郎は禰々の言葉に首をひねり、考え込む。

 

「あん? なんや、彼って。誰かいるんかいな? ……ああ、そういう奴か。ケッ、これだから女っていうのは。戦いに恋だの愛だの持ち込みやがる」

 

 唾を吐き、小太郎はくだらないものを見る目を禰々へ向ける。

 

「……」

「ん? なんや?」

「黙れ、小僧」

 

 唐突に辺り一帯を重苦しい殺意が包み込む。もはやそれは物理的な力すら持ち、その場にいたすべての物を叩きつける。魔法使いたちのの中でも特に強者を除き、全員が苦しそうにもがく。

 

「私の想いを、私の願いを、私のすべてを侮辱したな」

 

 弾幕が途切れる。

 だが誰一人動くことはできずにいた。エヴァンジェリンですら、その殺意に足止めされてしまっている。否、それはもはや殺意ではない。荒れ狂う川の氾濫と同じように、それはすでに自然災害と同レベルの危機となっている。

 

「うわっ!」

「っ、明日菜さん!」

 

 広場から水が噴き出していた。偶々近くにいた明日菜はその水に驚き、尻餅をついている。そして下に意識を向けたネギは見た。麻帆良学園の至る所から水が飛び出しているのを。それは川の水であり、水道の水であり、地下を流れる水であったり、とかく水であるならば、禰々の怒りに呼応するかのように噴出している。

 

「あの人を、あの人への想いを」

 

 ネギが顔あげて見たのは、まさしく妖怪だった。おどろおどろしい空気を醸し出し、先ほどまであった人情が完全に消え去っている一匹の妖怪。誰もがそれが禰々であることを一瞬疑った。

 狂気そのものが存在しているかのように、禰々の周りは歪んでいた。

 

「へっ、面白いやないか。やったら、俺を倒して、その思いとやらを俺に認めさせろ!」

「いいだろう、小僧。妖怪にすらなれないただの猿真似の人形の子孫が。思い知れ、すべての生命を押し流す水の力を。堕ちた水神の力を!」

 

 禰々が懐からカードを取り出す。二枚目のスペルカードが発動された。



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人を愛した愚かな河童

短いですがどうぞ。
次回は長くする予定です。


「思いのままに全てを押し流せ、筑波嶺の川よ『歌符 (わか)れ集いし男女川(みなのがは)』」

 

 禰々が歌うように告げて一枚のカードを突きつける。なんの変哲もないカードだが、そこには男を追いかける女の姿が描かれていた。その絵に描かれた女は、本当に必死になって男へ縋り付くように追いかけている。

 ネギがその絵に気を捉われている間に、津波のような圧倒的な物量の弾幕が押し寄せ、暗い空が青で染め上げられる。すべての魔法使いがあまりの物量に魔法の詠唱を止め、避けるのに専念する。でなければ、十秒も耐えきることはできないだろう。まさしく鉄砲水というに相応しい。氾濫した川そのものがすべてを押し流そうと襲いくる。

 

「ぐわっ!」

 

 一人、また一人と落ちていく。前線の魔法使いたちは学園長室を出たときからもう半分を切った。バタバタと落ちていくその様は、あまりに人の力が弱いことを端的に示す。

 だがそれでもあきらめるわけにいかないと、残された者たちは死力を振り絞る。

 

「恋い慕う想いは離れども、また再び集う」

 

 川が割れる。逆V字に広がった弾幕。空白となった三角州にいる者たちは、素直に安堵することはできない。脳裏にすぎるは先に戦った、ウィルの弾幕。逃げ場をなくしてから本命の弾幕が襲い掛かるという攻撃。

 そしてこの弾幕もそうだった。突如眼前に現れる弾幕。青い本流にまぎれてなかなか気付けなかっただけで、全方向から弾幕が飛び交う。今までの前方だけを気を付けていればよかったタイプと違い、全方向の攻撃を避けなければならない。そんな状態では反撃する余裕などない。

 

「そしてより際限なく深まっていく」

 

 どんどんと増えていく弾幕。それなのに、本流が段々としまっていく。少しずつ避けるためのスペースを奪われていくことに、魔法使いたちは恐怖を覚える。閉まり切ってしまえばどうなるか、火を見るより明らかだ。

 しかし、一人だけ違った。小太郎だ。小太郎は弾幕を避けていたが、狼狽える魔法使いたちを見ていたがため息をつくと、ほとんど動かなくなった。弾幕が直撃しないよう最低限には避けるが、掠めた攻撃で血が勢いよく噴き出していく。

 

「しゃあない。もとは俺がやっちまったんやし」

 

 音を立てて小太郎の姿が変わる。背が大きくなり、体毛が濃くなり白く染めあがっていく。獣化だ。切り札である獣化を行い、体中に莫大な気を纏わせる。大量の気は、小太郎の体を硬く、速く、強くする。

 そして、

 

「うらぁああああ!!」

 

 強化した体の耐久力と回復力任せに弾幕の中を突っ切り、川へ飛び込んだ。

 

「こ、小太郎君っ!?」

 

 ネギが叫ぶ。小太郎が行ったことなど自殺行為でしかない。あれだけの力の本流に巻き込まれて生きていけるなど、ネギには考えられなかった。

 しかし、

 

「捕まえたで」

 

 川を抜けた小太郎は、傷だらけの状態で禰々へしがみついていた。

 振りほどかれないよう必死に力を込めながら、体中から気を集め、凝縮していく。どこまでもどこまでもどこまでも。

 禰々が苛立ちながら振りほどくために力を込める。

 

「悪いな、一緒におっちのうや」

 

 しかしそれよりも早く小太郎の気が一気に膨れ上がった。あたり一帯を爆炎と轟音が満たす。空が昼よりも明るくなったほどだ。衝撃は魔法使いたちへも襲い掛かるほどだ。障壁が衝撃と黒煙を防ぐ。

 それでもなお黒い煙が辺りを覆い続け、小太郎たちの様子は見えない。

 

「小太郎君っ!!」

 

 いつの間にか飛び交っていた弾幕が消えていた。

 ネギは黒煙へ飛び込んだ。小太郎の名を叫びながらその姿を探す。しかし見つからない。

 

「小太郎君っ!!」

 

 再び叫ぶ。しかし物音一つしない。

 

「小太郎、君っ」

 

 握りしめた拳から血がしたたり落ちる。

 

「ネギっ!」

 

 明日菜の声がした。驚いて声のした方を振り向けば、そこにはボロボロの小太郎を抱きかかえた明日菜がいる。その腕の中で小太郎は意識を失っているものの、呼吸をしていた。

 安堵し、ネギは駈けつけようとする。

 

「まだ終わってないわ!」

 

 だがそれよりも早く、明日菜の警告が飛ぶ。

 黒煙の中から飛び出てきた白い腕。それは、ネギの頭へ突き進む。今からでは到底避けることはできない。それでもネギは諦めず、魔力を体中に注ぎ込み、衝撃に身を備えた。

 

「私の負けだ、盟友」

 

 しかしその手はクシャリとネギの頭をなでただけだった。

 黒煙が張れると、禰々の姿が見える。あれだけの爆発だったというのに、ほとんど傷を負っていない。

 

「やれやれ、腹立たしいけれど、ルールは守らないといけないのがネックだな。本当だったら、あの小僧だけでも屠ってやるのに。……仕方がない、諦めよう」

 

 敵意は完全になくなったようだ。とはいえ敵だった事実は変わらない。ネギは跳び退り距離を取る。杖を構え、いますぐにでも魔法を使えるよう準備する。しかし禰々はなにもせず、ただにっこりと笑う。

 

「それでは、盟友。またいつか会える時が来ることを祈らせてもらうよ。私たち河童のためにも、盟友たち人間のためにも」

 

 近くを流れていた麻帆良の川へ飛び込み、どこかへ消えていく。空を飛ぶよりも速いその速力に、またもや魔法使いたちはその後を追うことはできなかった。




小太郎出撃と同時に轟沈。初登場補正なんてないんや。


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全能へ至る道

 元の姿となった小太郎はボロボロで気を失っていたため、二つ目の広場に置いて行くことになり、後ろ髪をひかれつつもネギたちは次の広場へ進んだ。

 半数まで減った魔法使いたちは皆疲れやダメージが色濃く残り、さらに士気もだいぶ下がり始めていた。格上ともいえる相手との二連戦はいくら麻帆良の魔法使いと言えども厳しいものがある。それでも戦うのを止めるわけにはいかない。麻帆良を守るために戦えるのは、魔法使いたちだけだという自負があるからだ。それはプライドとなり、折れることを許さない、

 少なくなっていく仲間に、歯ぎしりをしながらも先へ進み続ける。

 三番目の広場の中央に、今度の敵はいた。黄土色の瞳をした褐色肌の少女だ。感情に乏しい人形のような瞳で静かにネギたちを見つめている。空に上がる気配は全くなく、地上で待ち構えていた。明日菜たちも今までと違うその少女の様子に、アーティファクトを取り出し警戒している。

 

「来た……」

 

 蚊のなく声でぽつりと呟く少女はやはりなんの表情を浮かべることなく、激しい動きもないがその冷たい声に、友好の兆しなどが一切ないことが分かる。

 先程の敵である禰々と戦った際は、彼女に人間への友好さがあった。しかしこの敵にはそういったものが全くない。冷めきった敵意のみが発せられている。

 

「じゃあ始めようか」

 

 広場の上空に魔法使い全員が集まったら、少女は銃弾型の弾幕を地上にいながら唐突にばらまき始めた。弾幕は密度こそあるもののそれほど速くないのが幸いか。今までの戦いで随分とこの奇妙な戦いに慣れた魔法使いは、迫り来る弾幕は確実に回避しつつ、魔法の矢などの威力はないが素早く発動できる下級魔法を連続で放つことにより、攻撃を加え始めていく。まさしくそれは弾幕だ。魔法使いたちの妖怪に対して初めて行った明確な反撃であった。

 様々な属性を孕んだ矢は、次次に少女へ突き刺さっていく。あれだけの属性の矢を一度に喰らえば、魔法使いの障壁などひとたまりもないだろう。ネギがその莫大な魔力で障壁を張ったとしても耐えられないほどだ。

 だというのに、少女は顔色ひとつ変えなかった。身体を動かすたびに突き刺さった矢が砕け散り魔力に還る。

 

「無駄……」

 

 それどころか段々と魔法の矢がはじき返され始めていた。

 魔法障壁も魔力での身体強化もなしに行われる異常なその光景に、魔法使いたちの中に動揺が奔るものの、先までの戦いからそれくらいのことは行いかねないと、魔法を撃つのを止めない。

 絨毯爆撃で射ち込まれる魔法の矢が万を超えたころ、ようやく少女が動き出す。

 

「そろそろ一枚目……『誕生 胎児への願い』」

 

 少女の左右から弾幕がクロスする形で放たれる。それはらせん状に交差を何度も繰り返しながらネギたちに襲いくる。

 しかもそのらせん状の弾幕から追撃とばかりに四方八方に新しい弾幕が放たれる。少しも気を緩めることなどできない中、らせん状の弾幕に変化が訪れる。一つ一つの輪が大きくなっていき、広がっていく。その分弾幕の密度は低くなり、多少は避けやすくなりつつあるものの、これから起こりうるであろうなにかにネギたちの警戒がいく。

 そしてその予想は当たった。膨らんだらせん状の弾幕は最終的に少女を中心とした大きな球体となり、球体を覆うように再び少女の左右からクロスした弾幕が放たれた。

 規模と密度を増した弾幕にネギたちは翻弄されつつも、しかし誰一人落ちることなく攻撃を加え続ける。

 

「……スペルブレイク」

 

 少女が目を丸くしてつぶやくと、突如あれだけ勢いよく放たれていたすべての弾幕が消え去った。

 

「な、なにが?」

「スペルブレイク……。時間切れか一定量のダメージでスペルカードを破棄しなければならないこと……」

 

 その言葉にネギの顔色が良くなる。ようやく誰一人落とされることなく、敵の攻撃をやり過ごせた。その事実がネギたちを勇気づけ、放たれる魔法の勢いが増していく。

 

「けど、無駄……。このていどで私は壊れない」

「こ、壊れないって、なにを言っているの?」

 

 ネギは魔法の矢を撃つのをやめ、宙でとどまった。

 四方八方から魔法の矢で撃たれる中、少女は顔色ひとつ変えず慌てることなくゆっくりとその問いに答えだす。

 

「貴方達の攻撃弱い……。私のからだ砕くにはあまりにも……。私の身体は大地そのもの……。お父さんの願いを叶えるために大地から造りだされた……。だから負けない……。お父さんの願いをかなえるまでは……」

「ちょ、ちょっと待って! 大地から生み出されたってどういうこと!? それにお父さんに造りだされたって?」

「当たり前……。私はゴーレムだから……」

 

 その瞬間、ネギの目には口の中の下に張られた紙が見えた。そこにはאמת(真理)と書かれている。

 ヘブライ語で書かれたその文字を張る式神は確かにゴーレムと呼称される。だが少なくともゴーレムならば少女のような形を取る事などできやしない。専門の魔法使いであろうとも、大型化してしまい人の身の丈をゆうゆうと超えた屈強な者しか作れない。少女は巨大どころか矮小ともいえる背丈だ。

 

「私がここにいるのもお父さんの願いをかなえるため……。あの妖怪は様々な知識を持っている……。だから知っているかもしれない……。死んだ人間と同じになる方法を……」

「死んだ人間になるって、どうして! 君は君でしょう? どうしてそんなこと言うの! そんなの駄目だよ!」

「それが私の存在意義……。それよりもどうして君は私から意義を奪おうとするの……」

「当たり前だよ! そんなこと決まっている! 人は他人になんかなれやしない! 君は君だけ。君を作ったお父さんの願いがなにか知らないけれど、死んだ人間になるなんて考えは駄目だ!」

 

 必死に叫んで説得しようと言葉を重ねるネギだったが、ふと少女の顔が見えた。眉尻を下げ、困っていた。

 

「君との会話は何の参考にもならない……。知らないの……。私たちは意義がなくなれば消滅するだけなのを……。どっちみち私はお父さんの娘になろうとしなければ消えるだけ……。それが幻想……。存在意義を果たさぬ者は消え去るのみ……。もういい……二枚目……『ケテルへと至りし妄執』」

 

 少女の周りを十の球体が現れる。それぞれが全く違う色合いに光り、どこか神々しさすら内包する。一番上に現れた球体が弾幕を放つ。

 

「待って! 消えるってどういう!」

「……」

 

 ネギの疑問に少女は答えることなく、魔法使いたちを追い込んでいく。機械のような無感情さに、さしものネギも少女の説得に諦めが脳裏をよぎる。

 だがそれでもネギは魔法を唱えず、歯を食いしばりながら少女への言葉を紡ごうとする。

 

「ネギ!」

 

 弾幕を避けようとした瞬間、パターンが変化した。十あった球体が九つに減ると、弾幕の数が増す。急激に増加した弾幕がネギの肌を掠める。

 地面で戦いを見ていた明日菜が叫ばなければ反応が遅れ、直撃したであろう。顔色を青くし、それでもネギは杖を握るだけだ。

 少女はネギを見ることなく、魔法使いたちを落としにかかった。

 

「っ、てやぁ!」

 

 明日菜が突如駆け出し、自身のアーティファクトで少女に斬りかかった。鈍い、硬質な音を立てて跳ね返される。

 

「排除する……」

 

 故にそれは必然だった。

 弾幕ごっこの最低条件は、弾幕を放てること。だから明日菜は今まで攻撃対象にされてこなかった。そして弾幕ごっこを行えないのであるならば、弾幕ごっこ以外の方法で少女は反撃するしかない。

 振るわれた拳はビル一個ほどまで巨大化し、明日菜をすりつぶすために振り下ろされた。

 

「アスナさぁああああん!?」

 

 ネギの叫び声が辺りに響く。

 

「あ、ああぁ」

 

 土煙の中、明日菜の声がした。

 しかしその声はあまりに弱弱しい。

 

「た、高畑先生……?」

「ぶ、無事かい? 明日菜君」

 

 振り下ろされた拳の下敷きになっていたのは高畑だった。明日菜は高畑に突き飛ばされて、拳の餌食から逃れた。

 しかしその代わり、高畑は血を口から垂れ流し、苦痛に堪えている。

 

「失敗した……。でもいい……。戦意はなくなった……」

 

 明日菜はその場で顔を覆い、震えるだけだった。

 



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ゴーレムは夢を見るか

 カタカタと体を震わし続ける明日菜は、目の前で繰り返されてしまった光景から逃れることができなかった。自分をかばい人が傷つく。香るはずのない紫煙の匂いが鼻につき、頭が真っ白に染まる。

 ゆらりと立ち上がると、ハリセンであったアーティファクトの形状が変わる。武骨で巨大な大剣だ。側面にはいくつもの細かな傷がついており、歴戦の業物であることが見て取れる。

 それを掴み歩む明日菜の様子はあまりにもおかしかった。瞳は絶えず揺れ動き、どこを見ているか定かではない。それに一歩あるいただけで身体を大きくふらつかせている。意識がもうろうとしているのか、周りの魔法使いの呼びかけにも応じない。

 ただ黙って少女の元まで行くと、片手に握った大剣を大きく振り上げ力づくで振り下ろす。

 大剣の刃は少女の腕により防がれてしまったがその威力はすさまじく、少女を中心としてすり鉢状に地面がへこむ。

 

「……」

 

 少女は驚いたように明日菜を見つめた。しかしすぐさま攻勢に出る。先程と同じく拳を振りかぶる。先と違うのはそれが巨大化するのではなく、細かなつぶてとなり降り注いだというだけだ。

 明らかに弾幕ごっこと違う、殺すための攻撃。一般人の明日菜がそれだけの攻撃にさらされ、無事であるはずがない。

 

「アスナさん」

「アスナ君っ!」

 

 だが明日菜は大剣の一薙ぎでそれら礫をはじき返してしまう。明らかに異常だ。ネギが送る魔力はそれを可能にするだけの量はない。精々身を守れる程度と、多少の身体能力の向上程度だ。少なくともあれだけの怪力を発揮できるほどではない。

 ネギは戸惑い、高畑の顔には後悔の表情が浮かび上がる。

 

「もう、いや」

「……?」

 

 うつむいたまま、明日菜は少女目掛けて大剣をでたらめに振るう。技はないもののその速度は魔法使いたちには信じられないほど速く、一流の魔法使いですら避けることもかなわず、圧倒的な膂力で薙ぎ払われてしまうだろう。

 だが相手をしているのは、世界最古にして最強のゴーレム。耐久力だけならば鬼をも上回る最硬の妖怪。接触した刃と褐色の肌は火花を散らし、そして刃のみが一方的に欠けていく。

 

「無駄……」

 

 ガードしていた腕を振るわれ、明日菜は大きく吹き飛ばされる。膂力においても、明日菜は少女を下回ってしまったが、それでも少女へと遮二無二襲い掛かる。鈍器のように振るわれる大剣が悲鳴をあげ続ける。

 鬼気迫る明日菜であったが、少女の方は明日菜をあしらいながら魔法使いへの攻撃を続けている。そして、とうとう終わりは来た。

 何度もたたきつけられた大剣は限界を迎え、粉々に砕けてしまう。衝撃により浮いてしまう明日菜の体。そのどてっぱら目掛けて、再びあの巨大な拳が振り下ろされる。

 砂煙が立ち込める。

 

「アスナ君っ!!」

 

 高畑は叫びながら身をよじる事しかできず、辛うじて動いた手を握りしめ、地面にたたきつけた。

 

「だ、大丈夫、タカミチ!」

 

 杖にまたがったネギが、明日菜を抱えて少女の拳から離れた位置にいた。明日菜はどこかぼんやりとした様子であるが、さっきまでのように少女へと向かおうとはしない。ただ自身の両手を見つめている。

 風属性の魔法を得意とするネギだからこそ、間に合った。もし他の者であれば、一緒に潰さていただろう。

 

「うん……。二枚目もスペルブレイク……」

 

 そして少女の弾幕も途切れる。

 追撃の通常弾幕が放たれるが、ネギは明日菜を抱えたまま杖にまたがり、高速で動くことで回避していく。かなりの速度でありながらも、確実に弾幕を避けきっているのは、エヴァンジェリンの修行の成果か。ともかくネギに通常弾幕程度は通用しなくなり始めている。

 とはいえ、それでもスペルカードを発動されれば、初見で複雑な弾幕が襲いくる。それはネギといえどもそう簡単に対処できるものではない。

 

「ラストスペル……『始まりの人間から作られし者』」

 

 降り注ぐ光弾は今までと比ではない。スキマがないかのように押し寄せてくる。少女の眼前にひとつ魔力球が生まれ、そこから高速で馬鹿げた量の弾幕が矢鱈滅多らに撃ちだされている。

 必死になって避けるネギだが、弾幕のパターンを掴めず、段々と弾に身体が掠めてしまう。

 

「ネギ、あそこ」

「明日菜さん! 大丈夫ですか」

 

 弱々しくであるものの、明日菜が指を突きだす。

 ネギの心配をよそに、明日菜は「早く」とネギを急かし、指差した場所へ移動させる。そこは弾幕が少なく、息をつく程度のことはできそうな場所だった。

 しかしすぐに明日菜は違う場所を指差し、そこへネギを誘導する。ネギたちが移動し始めるとすぐに弾幕が殺到し、比較的安全だった場所は消滅する。

 まるで次くる場所が分かるかのような明日菜のその振る舞いに、ネギは目を丸くして明日菜に問いかける。

 

「明日菜さん、これのパターンが分かったんですか!?」

「違う、ネギ。これにパターンなんてない。ランダムに撃っているだけよ」

 

 普段の活力は見当たらないが、それでも明日菜はだんだんと元に戻ってきていた。受け答えもしっかりしてきている。しかしまだ様子のおかしな部分は残っている。いまもどこかぼんやりとしており、浮世離れをした雰囲気を発し続けている。

 

「明日菜さん、本当に大丈夫なんですか?」

 

 指示に従いながらも、ネギは抱えた明日菜の様子を窺う。

 

「大丈夫。だからネギは避けることに集中しなさい」

 

 しかし明日菜は額を抑えるものの、ネギへ無事だと告げ、とかく杖の飛行へ集中するよう告げる。

 そしてその時は来た。

 

「ラストスペルブレイク……。私の負け……」

 

 少女は攻撃をやめ、腕を降ろした。敵意はない。

 魔法使いたちが静かに近づいていくが、とくに何の反応も示さない。そんな中、ネギは明日菜を抱えたまま少女へ近づく。

 

「あの、貴方の親とはいったい誰なんですか」

 

 ネギが発した疑問、それに少女は反応した。

 ゆっくりとネギの方を向き、初めて笑顔をこぼす。それは見た目相応の、華やかで、無垢なものだった。先程までの無表情なものではない。これこそが本来の姿なのではないかと思えるほどの自然な笑顔だった。

 

「アダム」

 

 少女の身体が崩れる。慌てた魔法使いが捕縛魔法を使うが、それよりも早く少女は消えた。地面と一体化するように消え失せた。



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埋まるは人間、飛ぶは妖怪

 褐色の少女をなんとか打倒したネギたち麻帆良の魔法使いであるが、しばし足を止めざるを得ない問題が発生した。

 明日菜だ。明日菜が頑なについていくと言ってきかないのだ。

 様子の可笑しさから魔法使いたちは明日菜を置いて、高畑と一緒にさせることで戦線離脱させようとした。しかし誰かが危ない目にあうかもしれない時、一人安全圏にいられない、何かできることがあるはずと言って、ついて来ようとする。

 それがきっかけでネギと明日菜の間で喧嘩が起きてしまった。危険性を考慮し置いていきたいネギに、誰かを守りたくついていきたい明日菜。どちらもお互いのことを思うがゆえに、そう簡単にひくことはできず、両者一歩も引かない。

 

「ですから、アスナさんはここで待ってください! アスナさんにできることはほとんどありません。あの弾幕を避けるのならば、空を飛べるのは前提条件のようなものです。空を飛べないアスナさんは、危ないんです!」

「確かに私は空を飛べないわよ。でもね、弾幕が当たってしまった人を助ける人材は必要なはずよ。その時必ず手の空いている人がいるなんてないだろうし、誰かがやらなければならないわ」

 

 正論同士がぶつかり合い決着がつきそうにない。さらに魔法使いが魔法を使って眠らせたり意識を誘導しようにも、明日菜の体質である魔法完全無効化体質のせいで強制することも不可能だ。普段からいざというときは魔法を使っていたがために、こういった事態をうまくとりなすこともできず、収拾がつかなくなっていた。

 事態が膠着しかけた時、寝かされた高畑が声を発した。

 

「ネギ君、明日菜君を連れて行ってくれ。それが一番良い。明日菜君にとって」

「た、タカミチ!? でも」

「頼む、ネギ君」

 

 それでもネギは渋った。いくら高畑の頼みでもそう簡単に頷くわけにはいかなかった。なにせ守るべき生徒を連れていくことも本来は良くないことだ。それだけでも後ろ髪をひかれる思いなのに、さらにそこに明日菜の様子がおかしくなってしまっていることも重なる。異様な程気持ちが沈んでいるのか、ダウナー気味な精神状態だ。そんな状態の明日菜を連れて行ってしまったら、怪我をする可能性が高くてネギは頷くことができない。

 

「ええい、貴様らいつまでくだらんことで争っている! 坊や、戦いで死ぬならばそれはそいつの選択の責任だ。お前がどうこう言う権利はない! これ以上ぐだぐだ言い続けるというならば、まとめて凍らすぞ!」

 

 しかしそんな二人の様子にじれたらしく、エヴァンジェリンが激昂した。師であるエヴァンジェリンの怒りにネギはわずかに竦み、しかしそれ以上語ることなく明日菜がついてくることを黙認した。

 

 

 

 

 空気が悪くなりつつも、一同は四番目の広場へ向かった。そこには一人の少女がいた。肌が多く見える華美な緑を基調とした色彩の、ダンサーのような服を着て頭にはとても大きな葉っぱがスカーフのように頭をくるんでおり、後ろから馬の尾のように蔦がグルグル伸びて体に巻きついている。

 

「ようやく来たの?」

 

 生あくびをしながら、腰かけていたベンチからその少女は跳び下りた。しゃらんと少女の裸足の足元で光る金色の輪が音を鳴らす。

 だが、それよりも魔法使いたちは皆その足の形に目が行ってしまった。

 幾つにも枝分かれした、人とは到底思えぬ足。まるで木の根のような足だ。

 

「うん、私の足が気になるの? やっぱり人間て変ね。相手のことなんて気にする必要なんてないのに」

 

 足を上げて魔法使いたちへ見せつけながらうすら寒い笑みをうかべ、少女は人間を馬鹿にする。

 

「さあて、あんまり弾幕ごっこは好きじゃないけど、始めようか。できれば、血を流すほど抵抗してね」

 

 空恐ろしいことを言いながら、舞うように少女も空へ飛びあがる。

 始まりは魔法使いたちの攻撃からだった。にらみ合いすらなくいくつも叩き込まれる中級以上の魔法の群れ。少女が話している内に詠唱を終えていたそれらが、殺到する。

 エヴァンジェリンとネギだけは魔法を使わなかったが、それでも残った魔法使いたちの発動した魔法はかなりの威力だ。それこそ鬼神ですら倒せるのではないかと思えるほどの火力。しかしそれを受けてなお、少女は笑みを崩さずユラユラと優雅に浮いている。

 

「いいね、いいね。じゃあ、次は私の番さ。血反吐ぶちまけてね、私のために」

 

 緑色の弾幕が放たれる。木の葉のように舞い落ちたそれらは、突如ピタリと止まると、バラバラの方向に一直線に散っていく。いや、それらはランダムに放たれたのではない。どれもその進む先に魔法使いたちがいる。明確にねらいをつけて撃たれている。

 一直線上だけならばこれほど避けやすい攻撃はないだろう。速度はあるが、タイミングさえつかめば簡単によけられる。しかしそれが無数に、さらにありとあらゆる角度から迫るとなると話は別だ。避けるスキマを無理やりにでも見つけ、そこへ体を滑り込ませるしか対処方法はない。

 だがそれをやれるからこその、麻帆良学園の魔法使い精鋭だ。ネギも危ない場面が幾度かあったがそれでも何とか食い下がり続けている。

 しばし弾幕を避けていると、始まりと同じようにピタリと弾幕が止まった。

 

「あははは! もう通常弾幕程度じゃ、当たらないか。じゃあ、そろそろ行くよ、一枚目『川から出づる水は何色なりや』」

 

 大地から噴き出すかのごとく、赤褐色の弾幕が湧きあがる。今までと違う、下からの弾幕に一人の魔法使いが撃ち落され、明日菜に受け止められた。

 ネギも先ほどと全く違う弾幕に最初は弾幕に身を掠めたりしていたがすぐになれたのか、魔法の矢を使う余裕すら生まれるほどだった。

 何度も何度も繰り返した特異な戦い。しかしそれに慣れてきた今、これしきの弾幕に撃ち落される程度の実力ではない。ネギは的確によけながら攻撃を繰り返す。

 

「おっと、スペルブレイクか」

 

 赤い間欠泉は枯れ果てた。ネギたちは赤いしぶきを完全によけきると、流れ出る汗をぬぐいさり、次へと備える。

 ネギたちが見据える少女は、ちょっと驚いたようだがすぐににんまりとした笑みを浮かべ、新たな弾幕を放ち始めた。先ほどのような弾幕と違い、まっすぐ速い弾幕に、扇状に広がる弾幕が合わさり、逃げ場を狭めるような弾幕が放たれる。

 弾幕を避けるためには大きく移動しなければならず、風属性の魔法を使い移動速度の速いネギはともかく、他の属性魔法を得意とする魔法使いたちはそれほど速度は出ないため、揺さぶられ疲弊していく。

 徐々に魔法使いたちの動きが悪くなっていく中、少女は二枚目のカードを服の裾から取り出す。

 

「そろそろ誰かが落ちるね、ふふふ。『狭間にたまるは命の滴』」

 

 左右から瀑布のごとく赤い弾幕が殺到する。赤い弾はほかの弾に接触しそうになるとその場でとどまる。どんどんたまっていくその赤色の弾幕に、ネギたちの逃げ場はどんどんなくなっていく。

 禰々が使ったような弾幕にそっくりなこの弾幕に、ネギは嫌な予感を抱かずにはいられない。いやこの弾幕だけではない。先ほどから放たれ続けている赤い弾幕に、ネギは心のどこかで恐怖していた。なぜ恐怖を抱いているかは分からないが、それでも恐れを抱くのを止められない。

 

「そろそろかな、そろそろだね」

 

 少女が嘲り笑う。同時に溜まり切った弾幕が蠢き、濁流のように魔法使いたちを襲った。その弾幕に一人の魔法使いが呑み込まれ、落ちていく。

 弾幕が通り過ぎてから見えた姿は今までと違い、血だらけであり、明らかに瀕死といえるものだった。その落ちていく魔法使いを、少女の足が伸びて捉える。

 捕まった魔法使いがうめく。その姿にネギの頭に血が上った。

 

「な、なにを!」

 

 怒りを込めて叫ぶ。立派な魔法使いを目指すものとして、正義を掲げる魔法使いとして許せることではなかった。

 

「なにをって、食事に決まっているでしょう」

 

 あっけらかんとしたそのいいように、ネギは二の句が告げなかった。なんら悪いところがないと確信しているかの物言いに、なにを言えばいいのか分からなかった。

 

「私は樹木子(じゅぼっこ)の宿木白檀。久方ぶりの食事、邪魔をさせないわ!」



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戦場に独り立つ樹

 白檀は血まみれの魔法使いをその異形の足で抱えたまま、再び攻撃を放ち始めた。よけいな重みがかかっているはずなのにその動きは先程よりもはるかに速い。それどころか放つ弾幕は赤みをさらにおび、速度・密度ともに明らかに増しており、ネギたち魔法使いは避けるのに精いっぱいとなってしまう。

 眼下からは明日菜の悲鳴染みた声がする。見れば、白檀が魔法使いを投げ捨てていた。いくら魔法使いといえど、気を失った状態で上空から投げ捨てられれば助かるどおりはない。堕ちていく魔法使いを助けようとするが、弾幕が邪魔で近づくことすらできないでいた。

 地面に魔法使いがたたきつけられる直前に、なんとか駆け出した明日菜が飛び込むようにして助けだした。魔法使いの容体を手早く確認した明日菜は躊躇うことなく髪の毛を縛るリボンをほどき、傷口を縛り上げ止血を行う。その様は妙に手慣れたものだった。ネギはそれに疑問を抱くも、すぐに迫り来る弾幕の対処に追われ忘れる。

 

「あははは! まだまだ物足りないけど、それでも仕方がないわね! 意外と貴方達もやるじゃない! 次の食事を楽しみに待つとしましょう」

 

 その楽しそうに告げられた言葉に、ネギは思考が熱くなるのを感じ、我慢しきれず叫び返した。

 

「ふざけるな! 食事だって!? 人間は食べ物なんかじゃない!」

 

 人間は食べ物ではない。それはネギにとって当たり前の事実であり、常識だ。いくら妖怪であろうとも、それを認めるわけにいかない。これはネギ・スプリングフィールドという一存在というよりも、一人の人間としての言葉だった。

 

「……あ?」

 

 唐突に嗤うのを止めた白檀は、細まった瞳でネギを射抜く。

 

「ふざけるなよ、人間ごときが」

「なっ」

「何様のつもりだ、貴様は。食事とは、生きるために行うこと。他者が否定していはずがない。キサマら人間はいつもそうだ。同種の間ですらそうなのだ。やれ、鯨を食うな、犬を食うな。牛や豚ならばいいのか? 頭のいい動物は食うなというが、豚は犬より賢いぞ? それに、お前たちは共食いをしてきた歴史があるじゃないか。笑わせてくれる。それだけのことをしてきて、お高く倫理などという無意味なものを持ち出して説教か? 人間は食べ物じゃない? 食べ物だよ、人間も」

「それとこれとは話が違う!」

「同じだよ」

 

 逆光で顔が見えなくなる。しかしネギにはその顔には張り付いているであろう表情が分かってしまった。それは、

 

「同じさ。全部同じだ。生きるために食う。誰もが、そして何人たりも否定することは許されない。だがそれでも貴様らはそんな馬鹿げたことを抜かす。神にでもなったつもりか?」

 

 ――嘲りだ。

 

「ふん。自分が少しでも劣勢になればだんまりか。くはは、ならば宣言しておこう。私は樹木子。キサマら人間が戦場で流してきた血をすすり、妖と化した樹。貴様らが私に血をすすることを強要している! それでもお前は、人間を食うなというのか!? 私をこうしたのは貴様ら人間だというのに!」

「違う、僕はっ!」

 

 反論しようにも、ネギの口はただ喘ぐように開かれるだけで、それ以上先が出てくることはなかった。

 

「それがお前ら人間だ。他者を己の価値観で否定し、傷つけ、殺す」

 

 静かに白檀は告げる。

 

「貴様らは不自然だ。生物として生まれるべきでなかった。そうは思わないか? お前たちがいなければ、世界は最も自然だった。私もこうしてここにおらず、ただ一本の木として朽ちることができた」

 

 一枚のカードが白檀の指に間に現れた。

 

「これは私の恨みのすべてだ。『人間の反吐をすすりし妖樹』」

 

 最後のスペルカードが発動される。

 それは圧倒的な弾幕だった。赤い弾幕が四方八方から白檀目掛けて押し寄せ、魔法使いはそれらに飲まれないように飛ぶしかない。反撃なぞ、する余裕がない。呪文詠唱に入ればそれだけで落ちるだろうというほどの密度。なんとかネギたちが避けきれるものの、全員が体勢を崩してしまう。そしてその体制を駒持している状態で次の弾幕を避けられるはずがない。

 それは今までの赤い弾幕と違い、真っ黒な弾幕だ。放射状に放たれたそれらは多くの魔法使いを撃ち落した。生き残った魔法使いはネギにエヴァンジェリンだ。エヴァンジェリンは実力で生き残っただろう。ネギが生き残れたのはただ運が良かったにすぎない。

 丁度弾幕のエアスポットにネギがいたにすぎない。次に放たれた弾幕は先ほどと逆回転に放射状に放たれる。距離を取り広がった弾幕の間を掠めるように避け続けるが、ネギが来ているローブはもはや見るに堪えない襤褸切れになっていた。

 もはや落ちるのは時間の問題だ。だというのに、さらに放射状に放たれた弾幕がまた元の回転となって放たれると、今度はまっすぐにネギ目掛けた弾幕が襲いくる。速度と軌道の違う二つの弾幕に挟まれ、ネギは進退窮まる。避けるルーツを見つけることができない。ネギは迫り来る弾間に、目をつぶった。

 

「チッ、そういうことか。運が良かったな、お前は」

「えっ?」

 

 みれば自身の周りに奇妙な壁のようなものが張られていた。まるでシャボン玉のように外の光景がゆがんで見えるそれは、なんらかの結界であることがネギには分かったが、術式があまりに精密なせいでそれ以外のことはなにもわからなかった。

 なぜこんなものが自身の周りに張られているのか、ネギには理解できずにいた。

 

「己の生まれに感謝することだ」

「待て!」

 

 エヴァンジェリンの氷の魔法を難なく避けた白檀は、そのまま麻帆良の樹木の間へ消えていった。



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紅葉を染めるは何なりや

ちょっと遅れたぁっ!
というわけで、どうぞ。


 夏が終わり死んだ蝉のように倒れた魔法使いたちが広場を所狭しと埋め尽くす。皆酷い有様だ。所々からうめき声が漏れるが、倒れているすべての者達は気を失っているらしく、言葉として認識できる音は一切ない。

 冷めきった風がネギを襲う。

 魔法使いたちの輪の中でネギは一人項垂れ、拳を握り込む。強く握り過ぎたその手からは血がしたたり落ちた。

 

「僕の、せいだ」

 

 ポツリとつぶやいた自身の言葉に、ネギは打ちのめされそうになる。

 彼ら魔法使いたちが苦しみ、傷ついているのは、ネギが放った一言が原因なのは明らかだ。不用意に放ったその言葉が白檀を怒らせ、あれだけ過激な攻撃が返ってきた。

 少なくとも、ネギはそうとらえていた。

 今になって後悔がネギを襲う。戦いのたびに、ネギは相手を怒らせつづけていた。彼らの逆鱗に触れ続けてきた。なぜそこまで相手を怒らせてしまうのか。そのことがようやく分かった。自分の言葉はただ人間から見た、否、ネギ・スプリングフィールドが思う善でしかないと。

 彼らは皆、彼ら自身の観点から見れば、悪でないだろう。目の前の惨状を行った白檀とて、生きるために人の血をすするだけと語った。それが生き物を食べる自身と何が違うだろうか。あのゴーレムの少女は、父のためを思い代わりとなろうとしていた。父親のようになろうとしている自身と何が違うだろうか。禰々は叶わぬはずの愛に生きていた。父母の愛を求める自身と何が違うだろうか。ウィルはただ地上を永劫彷徨う中、自己のアイデンティティーを得ようとしていた。立派な魔法使いとなろうとしている自身と何が違うだろうか。それらをどうして糾弾できようか。彼らは皆一様に、自身の大切なものを守ろうとしてきただけにすぎないのに。

 なによりそれを否定するということは――。

 転がる魔法使いたちを見つめているエヴァンジェリンをわずかにネギが見やる。エヴァンジェリンは背を向けており、その顔は見えない。()()()たる彼女の表情は。

 多くの魔法使いに襲われ、生きるために返り討ちにした自身の師。絶対的な悪として魔法使いに呼ばれる存在。だが、悪だから、生きていけないというのは傲慢ではなかろうか。なぜなら彼女はただ生きようとしただけだ。

 なのにその存在を否定するなどできようか。そのことを自覚した今、ネギは彼らを一方的に弾圧することができずにいる。彼らは彼らの信念があり、正義がある。それをネギが持つ正義だけで否定して良いものではない。それすらも分からず、突っかかり、多くの人を傷つけた自分のことがネギは嫌になっていた。今になって思えば、今日との戦いですら、自身が全くの役立たずだったその理由がようやく分かった。

 もはや嘲りの嗤いすらできない。

 それでもネギは戦うのを止めるわけにいかない。もう麻帆良の戦力として残されたのはネギとエヴァンジェリン、そして今もけが人の治療を出来うる限りしている明日菜だけ。

 攻め入ってきた妖怪たちを止めるのはネギたちだけしかいない。

 

「ようやく腹が据わったか」

 

 ただ前だけをエヴァンジェリンは見据え、ネギの方を見ないでいた。

 

「マスター……」

「私の弟子というならば、そんな情けない顔をするな。過去を悔やんでも、何も変えられない。本当に何かを変えたいなら、変えようとするならば、未来を見ろ。どんな存在であろうとも未来しか変えることはできないのだ」

 

 その言葉にネギも顔をあげ前を向き、唇をかみしめる。倒れてしまった魔法使いたちに報いるためにも、ネギは止まることが許されないのだから。

 

 

 

 相も変わらずついてくる明日菜を眼下に収め、ネギたち一行は次の広場へさしかかった。

 だがその広場は今までとあまりに様相が違った。その広場は血で染まっていた。幾十、幾百という人々が折り重なるように倒れ、そこから血が流れ出している。全員息はあるものの、その傷はけして軽いものではない。中には折れた骨が皮を突き破って飛びだしている人すらいる。なにもしなければ、失血死する人が出てくるだろう。エヴァンジェリンが舌打ちとともに氷魔法を使い、傷口を止血した。

 安堵したとともに、むせ返る血生臭さが急に鼻につき、ネギは吐きそうになる。むせ返るほどの臭いはただ気持ち悪い。

 それでもその感覚を堪えて辺りを見渡すと、他の場所よりも(うずたか)く人が積み重ねられた場所があった。そしてその天辺に玉座に座る王の如く、一人の女性が座っていた。逆光でその人物の顔までは見れない。しかし近づくたびに、その影は消えていった。

 すぐにネギは間違いに気づく。そこにいるのは女性ではない。鬼女であると。

 額から生え天を指す短き角、水晶すらも凌駕するほど冷たく美しき瞳、金糸に銀糸を贅沢に使い、職人がもてる粋をもって完成させたであろうどこまでも贄を尽くした豪奢な赤い着物。そして何よりもその人外とわかっていようともひきつけられてしまうほどの圧倒的美。匂いたつという表現がネギの脳裏によぎる。

 

「キサマが今度の敵か」

「うむ、いかにも。荒倉山に住まう鬼、戸隠紅葉だ。」

 

 口角を釣り上げ、紅葉が笑う。

 すくと立ち上がると、人々を踏んで地面へと下り行く。

 

「っ!?」

 

 思わずネギが叫びそうになり、先ほどの考えが頭をよぎり口をつぐむ。ネギからしてみれば許せないことでも、おそらく紅葉は気にしないだろう。それでも嫌悪に顔をゆがませるのを止められなかった。

 

「さて、いい加減雑魚を相手にするのも飽いた。お前たちで私の仕事も最後だ。精々楽しませるだけの力量を持っていることを願うとしようか」

 

 楽しそうな紅葉は、殺気をあたりへ撒き散らした。

 

「では行くぞ、有象無象共。隠れ消えるのは人間か、それとも妖怪か、競おうではないか」



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逃げ延びし鬼の楽園へ

忙しくてかけるだけの時間がまったくない……。多分また来週からしばらく更新できなくなると思います。


 その戦いは今までの戦いとあまりに違い過ぎた。どこか油断があったのかもしれない。今までみんな弾幕で攻撃してきたから、目の前の敵も弾幕を使うのだろうと。

 だが実際はまったく違った。気が付けば、ネギの頬に生暖かい血が少量飛びかかっていた。視線の先ではエヴァンジェリンが腹を大きくえぐられ崩れ落ちる。

 

「……え?」

「骨のないやつめ。まあ、蚊の妖怪もどき風情には重すぎる期待だったか」

 

 血にまみれた左手をぺろりと紅葉がなめる。つまらなそうに手についた血を振り払う。またネギの頬に血が付く。しかしネギはただ疑問の声を上げるだけでそれ以上の反応を反すことができない。

 

「貴様、どういうつもりだ!」

 

 ネギの視界で崩れ落ちかけたエヴァンジェリンの腹が塞ぐ。闇夜から現れた蝙蝠が、開いた箇所を埋めている。みるみるうちに元通りの身体となったエヴァンジェリンだが、その顔色は真っ赤に染まっていた。

 振り返り紅葉を見る目は、ネギが弟子となってから一度も見たことがないほど憎悪に染まっている。

 

「私に情をかけたつもりか!」

 

 もし先ほどの一撃に不死殺しの術式を使われていたら、エヴァンジェリンは回復する余裕などなく死を迎えだろう。だが紅葉はそんなことをせず、ただ素手で攻撃しただけだ。誇り高いエヴァンジェリンがそれを許容できるはずがない。

 

「情? なぜそようなものをかけねばならぬ? 一々死なぬように力加減をするのも飽いた。ただそれだけのことよ」

 

 エヴァンジェリンの周囲が凍りつく。近くにいないネギですら、寒気を感じるほどだ。放たれる殺気の強さ、もはや体の震えを抑えきれないほどだ。

 

「少し気になっていてな、不死という存在は本当に殺せぬのかとな」

 

 くっくっくと愉快気に笑う紅葉と相対的に、エヴァンジェリンは表情を消しただ魔力を高めていく。その対立に、ネギはいっそう顔を青ざめていく。

 膨大な魔力を持つネギですら、いまのエヴァンジェリンが纏う魔力には恐れを抱かずにはいられない。魔力の量ならばネギの方が多いが、発せられる魔力の冷たさや恐ろしさなど、その研ぎ澄まされた質に恐怖を感じてしまう。

 

「ま、マスター?」

「坊や、いまの私に近寄るなよ? お前ごと殺してしまう」

 

 向けられたその瞳は完全に反転していた。

 下手に手を出そうとすれば、エヴァンジェリンは躊躇いなくネギごと攻撃するだろう。

 近づく事すら躊躇うほどの、息苦しい殺意を抱いたエヴァンジェリンが紅葉へと近づいていく。

 

「貴様は殺す」

「やってみろ、蚊が」

 

 轟音と共にエヴァンジェリンの腕がふきとぶ。紅葉にやられたとネギは一瞬思ったが、よくよく見れば肩や足の場所からネギが視認できる速度以上で紅葉を殴ったということわかった。自身の肉体が耐え切れないほどの力を込めたその一撃。いくら死なないからといって躊躇いなく行うなど正気を疑うほどだ。逆に言えば、それだけ怒り狂っているということかもしれない。

 

「なっ!?」

 

 だがそれだけの力を込めた一撃だというのに、紅葉は表情ひとつ変えずなんら傷もなくたっている。それどころか小首を傾げ、エヴァンジェリンへ不思議そうな顔を向けている。

 

「なにをしたかったのだ?」

「ふん」

 

 回答は魔法だった。氷結系の魔法。それも『闇の吹雪』。エヴァンジェリンが得意とする氷と闇の二重属性魔法。中級レベルの魔法だというのに、いったいいつ詠唱を終えたのか。ネギは顎が外れる思いでそれを見ていた。

 

「なんじゃ、クーラーとやらか?」

 

 だがそれを鬼女は笑って無視する。ネギならばいくら魔法障壁があろうと決して軽くないダメージを着浦うであろう魔法に対し、なんら防御に徹することなく突き進む姿。ありえないその異常な強さに、知らずネギの喉が鳴る。

 最強の魔法使いエヴァンジェリン。魔法使いの中ではもはや伝説と化した存在。その力はネギと比べるべくもない。いやそれどころかこの麻帆良において最も強いといっても間違いではない。だというのに、相手の紅葉はそれだけの力を受けて笑っているだけの余裕がある。

 

「チッ、無駄に頑丈だな」

「主らが脆いのよ」

 

 次の瞬間、エヴァンジェリンがバラバラに裂けた。紅葉の爪がギラリと光っている。蝙蝠が集まる。しかし蝙蝠が集まり切るよりも早く、二の太刀が繰り出される。ただの張り手。中国拳法も嗜むネギからしてみれば、それはただ手を突き出しただけだ。だというのに、いまだ存在していたエヴァンジェリンの身体が血のみになり手の平の形にくぼんだ地面にしみ込む。

 それでもまだ蝙蝠は集まるが、蝙蝠がエヴァンジェリンの形を作る間に紅葉が一度拳か足を振るうと、あっけなくせっかくできたその体は壊れていく。ただただなぶられていくエヴァンジェリン。もはやそれは闘争でない。ただの虐殺でしかない。

 あたりに血が飛び散る。ネギの顔左半分が飛び散った血で塗りつぶされる。

 

「やめろ」

 

 紅葉が振るった拳に合わせ、暴風が吹き荒れ、地面に転がった人々ごと、一番近くにいたエヴァンジェリンを形作り始めた肉が吹き飛び砕け散る。

 

「やめろ」

 

 まるで蠅を追い払うかのように手の甲でエヴァンジェリンがはじき飛ぶ。再生が完全に間に合っていない。

 

「やめろッ!!」

 

 もはやネギには我慢できなかった。虫けらの如く敵を扱う紅葉を許せなかった。もはやエヴァンジェリンの言葉などとうに忘れてしまっている。

 怒りに突き動かされ、拳を紅葉へ向けた。

 

「僕が相手だ」

 

 その姿はお伽噺に残る勇者に似ていた。



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京に聞こえし鬼女の振るまい

 鬼灯のような赤い眼がネギをぎょろりと射貫く。ほの暗いその赤々とした瞳は、ネギが思う怪物のイメージそのもの過ぎて、ネギはただ恐ろしく感じてしまう。紅蓮の(ひとみ)に見られただけで身体がこわばるほどの恐怖。かつて戦った、いや戦うことすらできなかった大鬼神のような圧倒的な存在の重さが、ネギに降り注ぐ。

 意識が向けられただけで、すでにネギの膝は震えていた。恥じることはない。それは当然のことだ。相手は最強の妖怪、鬼。最強であり最凶の暴虐そのもの。鬼を退治するとは、自然災害そのものと戦うようなもの。いくら魔法使いが普通の人間よりも遙かに優れた力を発揮できるといえ、災害を相手にできるほどの力はない。当たり前だ。人には限界が存在する。その限界を超えられるものなど滅多にいない。だからこそその限界を乗り越えたものこそを英雄と人々は讃えるのだ。

 それほどの力を持つ鬼を眼前にし、恐怖を覚えないなど許されざることだ。 

 そしてネギに鬼に退治するだけの力はない。だがそれでも彼は立ち向かった。自身の師匠を守るため。そんな利己的な思い。先程自分自身で反省したその思い。

 だが古来から伝わる英雄とは、そんな利己的な思いを貫いた者たちだった。

 

「ああ、()い。それでこそ、人間じゃ」

 

 呵々(かか)と笑い、紅葉はエヴァンジェリンから注意を逸らし、ネギを見た。

 ネギの息が詰まる。紅葉が意図せず発している覇気に、飲み込まれかけている。自分で気を失えればどれほどよいだろうか。いな、そうすべきなのではと思い始めた。

 

「っ! ~~~っ!」

 

 ガンと音がした。ネギが額を地面へとたたきつけた。額が裂け、血が出てくる。鈍い痛みに視界がゆがむが、身体の震えは止まっていた。

 紅葉は目を丸くしていたが、すぐに口角をつり上げ、より妖艶で、そして欣快(きんかい)に笑う。

 

「良いだろう、おまえだけは殺さぬよう催告(さいこく)されておった。それを破るわけにいかぬが、ぎりぎりまで追い込んでやろう。童よ、目に焼き付けるが良い。これが戸隠紅葉という鬼の力だ!!」

 

 紅葉から解き放たれた力は、広場に倒れていた人々を吹き飛ばし、場所を開けさせる。広場に残ったのは四人。ネギ・エヴァンジェリン・明日菜・紅葉だけ。

 

「馬鹿者! 早く逃げんか!」

 

 ようやく復活を果たしたエヴァンジェリンだが、すぐさま首を踏み抜かれて胴体と頭部が二つに分かれてしまう。

 

「主は邪魔だ」

「ぐっ、貴様っ!」

 

 そして二つに分かれたそれぞれを別々の方向へと紅葉は投げた。投げられたエヴァンジェリンの頭と身体はそれぞれ途中にあった物を粉砕しながら、地平線の彼方にうっすらと見える対極の山へたたきつけられ、再生を阻害された。少なくとも一分や二分で回復できる状況でなくなった。

 

「さあ、邪魔な者は消え去った。これで心置きなく戦えるな。さあ、この私に見せてみろ、貴様の輝きを!」

 

 ネギはかけ出した。プレッシャーに負けたわけでも、破れかぶれになったわけでもない。それしか勝機が見いだせないからだ。カウンターを狙う? そんなことをすれば認識できない速さの拳で殴られ、血だまりを残すだけになるだろう。受けに回れば圧倒的な力でつぶされる。防御などしたらその瞬間すでにネギは敗北するだろう。

 ならば残るはただ一つ。相手に攻撃させないこと。そのためにはネギから猛攻を重ねるしかない。

 瞬動で懐へ潜り込むや迎門鉄臂により蹴りと突きを放つ。無抵抗な紅葉へネギの技が突き刺さる。魔力で強化した攻撃だ。普通ならばそれだけで戦闘不能へ陥るほどの威力がある。少なくとも何の対策もせずに直撃したのならば。しかしネギの前にいるのは普通ではない。伝説だ。戸隠れの貴女という伝説に登場する鬼だ。顔色一つ変えず、それどころか攻撃したネギの手足にダメージが返ってしまう。

 

「ぐっ!?」

 

 だが痛みを覚えた拳と足を止めるなどという愚挙などネギはしない。そんなことをすれば反撃されて動けなくなるだけ。その身が動く限り止まるわけにいかない。

 

「破っ!」

 

 浸透勁。衝撃を内部へ伝えるという中国拳法の得意とする技法の一つ。掌底から繰り出された衝撃は確かに鬼の内部へ沈み込んだ。動かない相手に浸透させる程度、天才とも言われるネギにとって簡単なことだ。

 しかし内側へ衝撃が浸透したというのに、紅葉はいよいよ笑みを深めるばかりで全くこらえた様子を見せない。ネギの背筋に怖気が走り、全力で間合いを突き放す。轟と風が鳴ったかと思えば、ネギは吹き飛ばされた。地面に獣のように四つん這いに近い体制で着地し顔を上げれば、レンガで舗装されていた道が大きくえぐり取られているのが目に入る。巨大な獣が爪を尽きたて力尽くで道路をえぐり取ったような傷跡が深々と残っている。

 

「ネギッ!」

 

 明日菜の悲鳴があたりに響く。そちらへ意識が向かいかけるが、ネギは意思の力で無理矢理押しとどめる。

 直撃こそしなかったが、風圧で吹き飛ばされた身体が痛みを訴える。だがそれでもまだネギに攻撃が当たっていない。ならばまだ戦えると、ネギは冷や汗をぬぐい、再び瞬動を使う。ただ先ほどのように懐へただ潜るのではなく、紅葉の後方へ一度移動してから再び背をとるように二連続で。いくら魔力で強化していようとも、筋肉が限界を迎えミシミシと音を立てて千切れていく。それでも痛みを耐え抜き、瞬動の加速を生かし、紅葉の後頭部へ強烈な肘をたたき込む。生身の人間が食らえばザクロのように割れるどころか木っ端みじんに吹き飛ぶような強烈な一撃だ。

 だが紅葉はゆっくりとネギの方へ振り向くだけで、傷一つ付いていない。

 赤黒い目玉がネギを捉える。

 

「う、うわぁああ!」

 

 連撃。腕を、足を振り回す。紅葉の顔へと我武者羅にたたきつける。

 しかし紅葉がうっとうしそうに振るった手が起こした突風ではじき飛ばされてしまう。

 二転三転と転がされながらも素早く体勢を立て直すネギであったが、その眼前に紅葉がいた。

 

「よし、飛べ」

 

 むんずと紅葉により襟をつかまれたネギは、すさまじい力で投げ飛ばされた。広場にあった時計台へと背中をしたたかに打ち付け止まる。時計台の鉄柱がさび付いた音を立てて大きく曲がり、崩れ落ちる。それだけの力で投げられたネギは、激しく咳き込みながらも紅葉をにらみ続ける。

 屈辱だった。紅葉の力ならば、ネギなどたやすく殺せるだろう。だというのに今生きているのは、ただ紅葉がネギを殺すつもりがないというだけに過ぎない。

 これほどの屈辱があるだろうか。

 ネギは拳を地面に打ち付ける。鈍い痛みが拳を伝う。魔力の強化も先ほどの衝撃で解除されている。ずるむけになった握り拳から血が流れ落ちていく。

 

「どうしてだ! どうして僕を殺さない!」

「言うただろう? 殺さぬようにと催告されたと。鬼が嘘をつくわけにいかぬでな」

 

 歯牙にもかけないといった為体の紅葉は、うっすらと笑い言う。

 

「悔しければ、私を打ち負かしてみよ。出なければ、満足するまで手慰みの道具として扱うだけよ」

 

 ネギは再びかける。今度は小細工もなく、ただまっすぐに走る。その手には魔法の矢が装填されており、拳を叩きつければ今ネギが持つ技の中でも最大級の破壊力を誇る桜華崩拳が紅葉をおそう。

 疾走するネギに対し、紅葉は何もしない。それどころか受け入れるかのように腕を十字に開いた。

 紅葉の腹へネギの拳が突き刺さる。装填されていた雷属性の魔法の矢が一挙に解放される。零距離から貫通力に優れた矢が紅葉を食い破らんと暴れ狂う。

 規模においては雷の暴風が優れているが、貫通力であるならば桜華崩拳が上回る。それこそエヴァンジェリンの障壁でも、クリーンヒットさせれば貫けるほどだ。

 それでも紅葉は傷一つなく、嗤っていた。楽しそうに嗤っていた。



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立ち上がるは人ぞ

 己が全てを打ち込んでなお嗤い続ける眼前の鬼女から逃れるようにネギは一歩一歩と後退りする。

 ネギにはもう何もない。文字通り全てを叩き込んでもなお、紅葉は堪えない。いよいよ哄笑を深めるばかりだ。

 別に自分よりも遙かに強い存在がいないなどとネギはおごっているわけではない。だがそれでも自身の全力を受け止めても痛手を負うこともなく嗤い続けるような存在などは知らない。客観的な事実として、ネギの魔法は攻撃力という面でいえば、かなりのものだ。高位の魔法使いすら届かない領域にいるだろう。

 しかしそれだけの威力を誇る攻撃ですら、紅葉には全くダメージを与えられない。

 

「どうした? 後ずさりしおって。儂を倒すのだろう? 逃げているようだが? それでは拳が届かんだろう。どれ、近づいてやろう」

 

 そう慢言するや、紅葉は何ら警戒せずネギへと近づいていく。悠然としたその態度は美しい所作であるが、いっそ驕慢とすらとれる。ネギの力など恐れる必要はないとでもいうかの振る舞い。悔しさどころか、ネギは青ざめることしかできない。

 

「なんじゃつまらん。折れたか」

 

 紅葉が溜め息を漏らし、片手を振り上げる。ネギの目にはそれがギロチンに見えた。逃げなければと後退るが、腰が抜けたためか距離をとることができない。みっともなく這いずるように逃げる。

 

「ほう、それでも奮い立つか」

 

 その光景が後退るネギの目に入る。

 星空の明かりの下、無骨な大剣を紅葉へ振り下ろす無表情な明日菜の姿を。魔力に似た力で強化しているのか、振り下ろされた大剣の太刀筋はすさまじい威力が秘められているのが見て取れる。だがそれだけの力を持ってしても紅葉の肌に触れるやいなや澄んだ音がし、大剣がはじかれる。もはやネギには紅葉が自分と同じタンパク質の塊とは思えなかった。

 

「そうら」

 

 振り向きざまに紅葉は張り手を振るう。張り手が届くよりも早く、明日菜はバックステップで離れていた。しかし台風でも直撃したのかと見紛うばかりの暴風に吹き飛ばされる。着地したものの勢いを殺しきれずごろごろと後転し、立ち上がった。転がっているときに切ったのか、額から血が流れ出している。

 

「明日菜……さん?」

 

 ネギはその表情を見て、背筋が寒くなった。額の血はかなり勢いがあり、鮮血が迸っているというのに目からは光が感じられず、機械のように大剣を振るう。先程も見たあのおかしな光景がネギの脳裏に過ぎる。

 姿勢を低くした明日菜が駆け出す。砂塵を巻き上げるほどの疾駆。瞬動には一歩及ばぬが、その速度はすさまじいに尽きる。人間が出せる速度の限界に近いだろう。刹那に大剣の間合いへ入るやいなや段平を薙ぐ。迫る刃を紅葉は何ら慌てることなく掌で弾く。明日菜は躊躇することなく大剣から手を離し、紅葉の頭をつかみ膝蹴りをあごへ叩き込む。

 それでものけぞることすらしない紅葉。明日菜はすぐさま眼球めがけて指一本を突き立てる。

 

「勇ましいの。うむ、人間というのはそうでなければならぬ」

 

 明日菜の指は紅葉の二指に挟まれて、眼球を貫くには至らなかった。

 

「そおれ、高い高い、じゃ」

 

 ぶうんと放り投げられた明日菜は空中で体勢を立て直す。大剣を構え自由落下の勢いで角に叩きつける。ぎゃりぎゃりと火花を散らす。着地ざま、跳ね上がるように再び角を切り上げる。先程と違い弾かれることなく拮抗するが、角を斬り落とす前に明日菜は自ら後ろへ飛びすさった。

 最前まで明日菜のいた場所が紅葉の拳で砕かれる。

 

「くは、私をかすり傷といえ、傷をつけられるとはな。褒めてやろう小娘。じゃがそこまで。意識もなくただ暴れるだけでは私に勝てぬぞ」

 

 弾かれたように韋駄天走る明日菜を、紅葉は拳で迎え撃つ。ただ拳を振るっただけで颶風が起こり、明日菜は大剣を盾に止まるしかなかった。

 だからこそ勢いをなくしてしまった明日菜に、紅葉の一撃を防ぐ手立てはなかった。明日菜が吹き飛ばされないように足を止めたとき、紅葉は一歩踏み出していた。そしてその一歩で瞬動を上回る結果をだす。霞すら残さず明日菜の懐に潜り込んだ紅葉は掌底を放つ。あまりの力に、直撃するよりも早く拳圧で明日菜の身体が吹き飛ばされる。枯れ葉のようにくるくると宙を回転し明日菜は力なく落ちていく。

 

「明日菜さん!」

 

 とっさに魔力を足に集中し、ネギは落ちてくる明日菜を抱きかかえた。明日菜の身体は無理な力の発意と紅葉の暴威にさらされぼろぼろになっている。

 

「ね、ぎ……」

 

 それでもなお、明日菜は戦うのをやめようとしない。

 止めるべきだとネギはわかっていた。それでも止められないだろうというのもわかっていた。明日菜が戦おうとするのは、ネギが戦うからだ。誰かが傷つくたびに明日菜の様子はおかしくなっている。それくらい今となってはネギも把握している。

 明日菜を止めるには戦わないのが一番だろう。だが現状それはできない。この妖怪たちの侵攻を止めなければならないし、たとえやめたとしても紅葉がそれを許すはずがない。ネギは戦わなければならない。自己の意思と関係なく。

 本来ならばネギはそんなことをいうつもりはない。だが今はそうしなければならない。

 一人の力ではどうしようもない。ネギの魔法も、明日菜の力も。目の前の鬼は余りに強く、絶対的だ。このままでは二人とも負けるだろう。だから告げる。

 

「明日菜さん、力を貸してください。僕たちが勝つために」

「……うん」

 

 お互い助け合い立ち上がる。二人は背中合わせに構えた。

 

「ネギ」

「はい!」

「行くわよ!」

 

 



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一条戻橋を渡は誰ぞ?

 ネギと明日菜が紅葉めがけて駆け出す。

 魔力で強化されたその身は風すら追い抜く疾風(はやて)と化す。仁王立ちする紅葉へ猛然と一直線にかける二人だが、半ばまで駆けたところで勁疾に左右へ分かれる。二人の間を紅葉が投げ飛ばしたがれきが唸りをあげて通過した。人間程度簡単に覆い隠せてしまうほどの大きさのそれは、地面に激突するや粉々に砕け散る。直撃しようものならば、どんな防御を行っても動けなくなるだろうというのは想像に難くない。

 

「そらそら」

 

 避けられたのを見てとるや紅葉は地面が揺れ動くほどの力で足下を踏み砕く。馬鹿げた力をぶつけられた大地は次々とひび割れ隆起し、瓦礫となり次弾があっという間に作り上げられる。

 できあがった弾丸は紅葉によりネギたちへ次々と投げ飛されていく。轟々と風を切る瓦礫の弾丸は、先の一撃と変わらないであろう威力を秘めている。

 ネギと明日菜はお互いがさらに離れるように走り抜け、弾幕を躱していく。一瞬前にいた場所が瓦礫に飲まれていく。だというのにその表情に、恐怖はない。ただ紅葉を見据えている。

 

「即興じゃが、『戸隠 天手力女神』とでも名付けるかの」

 

 二人の様子に呵々大笑しつつ、紅葉は自ら悠然とした足取りで近づいていく。一歩、一歩と。それだけで辺り一帯にさらなる圧が押しつけられる。

 苦痛に顔をゆがめながらもネギと明日菜は示し合わせたように一気に挟撃する。明日菜の大剣の突きとネギの拳の突きが紅葉の脇腹へ突き刺さる。鉄を叩いたような鈍くしびれる感触が二人の手に返る。今更この程度で傷が付くはずがないとわかっている二人は痺れた手を無視し、すぐさまあらん限りの力を込め、タイミングを合わせた追撃を放つ。

 

「良いぞ、そら、もっと力をこめてみよ」

 

 二人の殴打を食らっても微動だにしない紅葉は、足下のがれきを蹴り上げ、裏拳を当てる。鬼の力を加えられたがれきは一瞬で粉みじんになり、そのまま猛烈な加速をみせ、粉という名の散弾となりネギへと迫る。

 たとえ小さなつぶと侮るなかれ。それは鬼の剛力により動くつぶ。かすめようものならば、人肉など障子よりたやすく食い破る。

 

「させるもんですか!」

 

 すぐさま明日菜が横から大剣を振り下ろし、刃の腹をもって散弾を防ぐ。肩が根元から引き抜けたと誤解してしまうほどの衝撃が襲いかかるが、歯を食いしばりこらえる。

 明日菜が大剣を引くや、影で詠唱を終えたネギが『白き雷』を放つ。膨大な魔力が込められた雷が至近距離で紅葉の頬に炸裂する。

 ダメージこそ負った様子はない紅葉だが、その体表を電気が奔っている。わずかに動きが鈍った。さしもの鬼といえども、電気の影響を免れることはできなかったようだ。

 明日菜がすぐさま動きの鈍い紅葉へと大剣をかちあげる。顎を打った刃こそ弾かれたものの、紅葉の身体がわずかであるが浮く。空中で無防備なその腹めがけ、明日菜は一回転した横振りを、ネギは震脚をこめた全力の一撃を同じ箇所へ放つ。

 その威力たるやエヴァンジェリンの防壁だろうと真っ正面から打ち砕けるだろうほどだ。それだけの威力を宙で受けた紅葉は勢いよく吹き飛ぶ。

 だが二十メートルも行かないうちに、空中で紅葉は止まる。背中から莫大な妖力を放つことで、無理矢理止まった。

 ぎろりと鬼灯の目が気色の光をおびて二人を睨めつける。紅葉の口角がつり上がる。

 

「今の一撃はなかなかよかったぞ。ああ、楽しや。さあ、人間。見せてみよ。この戸隠紅葉に! お前たち(人間)の輝きを! 『大字 送り誹の山々』」

 

 紅葉が口から火を吐く。世界を赤々と照らすその火は、それだけで高位魔法に匹敵する規模だった。まだ距離はあるというのに、ネギたちの肌は灼熱に炙られるのを感じていた。とっさにネギが風を放つが、押し返すことはできず、精々火の侵攻を押しとどめることしかできなかった。

 紅葉の火に対抗しているネギは脂汗を流しながら魔力を振り絞る。少しでも力を緩めれば、ネギと明日菜は火に呑まれ業火に焼きつくされるだろう。踏ん張る脚にも力がこもる。しかし、しかしそれでも残酷なことに紅葉の力は強大だ。英雄の遺児と云われるネギは、それにふさわしい力を持つ。だというのにどれだけ魔力を振り絞ろうとも、どれだけ力を込めて脚を踏ん張ろうとも、徐々に身体が後退していく。

 時間がたつごとにネギの魔法もだんだんと弱り、業火に力負けして押し込まれていく。

 脂汗が頬から伝い落ち、空中で蒸発した。

 限界だ。ネギの魔法がかき消える。精一杯の抵抗がなくなり、火焔は全てを烏有に帰そうと高らかに舞い踊り狂う。

 迫る金色の光を前に、ネギは脱力していた。身体に残る力の全てを抜ききり、ただ眼前の獄火を眺める。

 自身の身体が抱きかかえられる。急速に風景が変わる。チリチリと空気が焼け付く音が耳朶にしみこむ。

 だがそれでも横からネギをかっさらった明日菜は、紅葉の火炎から逃れていた。

 先程までネギのいた場所は、湯玉がたつ地面となっている。赤々と溶け、いまも熱気だけで世界を焼いている。

 ネギはただ信じていたに過ぎない。パートナーである明日菜を。

 だからこそ、それを前にしても、二人の勇気はなんら陰ることはなく、むしろ強まっていった。

 

「明日菜さん!」

「わかった、わっ!」

 

 ネギの声に応え、明日菜は一回転する。そして一瞬で最高速になるやネギを投げ飛ばす。投げ飛ばされたネギの拳には、すでに魔法が込められている。

 再び迫り来る火炎を尽きだした拳で吹き飛ばし、ネギは紅葉の頬を殴り抜いた。同時に、拳に装填しておいた『雷の斧』が発動する。

 あたりを雷光が目映く包み込む。

 

「ぬうっ、どこへ行った?」

 

 紅葉は目を瞬かせ辺りを見回している。

 完全にネギたちを見失った。だが、それでも紅葉は何ら焦ることはなかった。どれほどの攻撃だろうとも、彼女は鬼だ。ただその肉体で受け止めれば良い。それだけで人間の策など跡形もなく粉砕できる。そう自負していた。だからただ待った。妖術を使うのでもなく、ただそのときを凄惨な笑みを浮かべ待った。

 

「でりゃぁあああああああ!!」

「上か!」

 

 だからこそ、己の角を斬り落とさんとする明日菜の存在に気がつかなかった。

 頭上から落ちてきた明日菜の大剣が、紅葉の角に叩きつけられる。角と刃が激しい火花を散らす。今にも刃が弾かれそうになる。だが明日菜は全力を込めて刃を押し込む。だがそれでは足らない。紅葉の身体を斬るには人間一人の力など余りに弱々しい。蟻に世界を動かせというほうがまだましなくらいだ

 

「ネギ、今よ!」

「雷華崩拳!」

 

 そして、隕石の如く落ちてきたネギの拳が明日菜の大剣を叩く。刃が……動く。刃が角にぬるりと潜り込んでいく。

 何かが宙をくるくると舞い飛ぶ。それは地面に突き刺さった。それは紅葉の角だった。

 振り抜かれた刃は紅葉の角を斬り落とした。

 地面に着地した二人は、すぐさまその場からバックステップを取り、間合いを開ける。微動だにしない紅葉の動きに注意を払う。

 二人はようやく一撃を与えたに過ぎない。どれほどの苦労をかけた戦果であろうとも、まだ戦いは終わっていない。

 油断することなく険しい目を紅葉へ向け続けている。

 一方の紅葉はただ斬り落とされた自らの角を眺める。膠着した状態でどれだけの時間が経ったのか。一分か、いやあるいは一秒かもしれない。

 唐突に紅葉が白い歯を見せた。

 

「く、くは、くははははは! 見事、見事だ。力なき者よ。()の角を斬り落とすとは。いやはや今の人間もそう捨てたものではないようだ」

 

 あれほど発していた威圧が消え去り、ネギと明日菜は戸惑いからお互いの顔を見つめ合った。紅葉は体中から力を抜ききっており、戦意のかけらもなかった。

 ひとまず警戒はするものの、ネギたちは自ら仕掛けるのは自制することにした。藪から鬼神は御免だった。

 そのことを知ってか知らずか紅葉はひとしきり楽しそうに笑うと、ネギを見やりうれしそうに物を言う。

 

「どれ、褒美をやろう。とはいえ本気の儂を倒したわけでもないからの、金銀財宝というわけにはいかん。……そうじゃな、これくらいが良いだろう。主らの役に立つ情報を一つくれてやろう。とっておきのな」

「情報、ですか?」

「そうじゃ。これから先、後二回戦いが残っているだろうよ。一つは対極の者同士による調和が見られるだろう。そして最後は|それら≪・・・≫全てを変質させる妖怪との戦いじゃ。二つとも儂とは違う困難が待っていることだろうよ」

 

 童子のような無邪気さで重要であろうことを話す紅葉に、ネギは思わず訊ねた。不思議と、紅葉が嘘をついているという考えは浮かばなかった。

 

「なんでそんな大事なことを教えてくれるんですか」

「なあに、いうたじゃろう。褒美じゃと。鬼を倒したものは、皆須く褒美を受け取るに値する。それと、ついでにいえば、単純に儂があいつを嫌いじゃからだな。自分自身に嘘をついておるあやつがな。……鬼は嘘を嫌う。故に、意趣返しのようなものよ。ではな、縁があればまた会おう。幼き英雄たちよ」

 

 そう言うと紅葉の身体は霞のように虚空へと消えていった。二人はそれを見送るだけしかできなかった。




ネギたちの勝因は雷属性の魔法を使えたと言うことですね。最後の時紅葉は感電しており力を込めることができませんでした。まあ、それでも刀剣程度普通に弾く肉体的強度を持っているんですがね。これが高畑ならば傷一つ負わせず嬲り殺しだったという。
相性って大事ですね!


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告発される怨念

 そこは死屍累々という言葉が符合するほどの惨状が、救援にやって来た魔法使いたちの視界いっぱいに広がっていた。

 宿木白檀と戦ったその広場には、多くの魔法使いが血まみれで地面に倒れている。ほとんどの魔法使いは意識を失っており、動く者など一割もいれば良い方だった。それでも意識を失ってなおあちらこちらから苦痛のうめき声がひっきりなしに漏れる。

 野戦病棟。救助に来た治癒魔法を行える魔法使いたちの脳裏に、その言葉が浮かび上がってくる。

 特にまだ幼いとも言える魔法生徒たちなどに至っては、あまりのショックに顔を青ざめ呆然と立ち尽くすばかりでいた。

 

「何をしているんだい! ぼうっと突っ立っていないで、早く治療を!」

 

 誰かの言葉に活を入れられ慌ただしく生徒たちが動き出す。その中には木乃香の姿もあった。ほかの生徒たちが素早く動く中、一人きょろきょろあたりを見渡していた彼女だが、ある人影を見つけて身体を強張らせ顔を青ざめた。

 その視線の先には、刹那が倒れていた。

 至る所に傷があるが、とくに額からかなりの血を流している。押っ取り刀で刹那の元へ駆け込んだ木乃香は、端整な顔立ちを必死の風貌にゆがめ、習いたての治癒魔法をかける。淡い光が刹那の身体を包み込む。術は未熟の一言だが、その身に宿る膨大な魔力のおかげか、刹那はそう時間をかけることなく意識を取り戻す。

 

「この、ちゃん?」

「せっちゃん! 良かった、ほんに良かった……」

 

 涙しつつも木乃香は治癒魔法を行い続ける。強烈な魔力光の中、みるみるうちに傷がふさがった刹那は木乃香が押しとどめようとするのも聞かず、刀を杖に立ち上がろうとした。

 ほかの者たちも木乃香の治癒魔法ほどではないが、治療を施され回復し始めている。黒の魔法薬も大きな戦力となっていた。

 とはいえあまりに傷は深い。広場に倒れる魔法使いの八割以上はいまだ意識すら戻らないでいる。残り二割も意識が戻っただけで戦力とはとうてい言えない。唯一刹那が完全に治療を施され、戦えるようになった程度だろう。唯一の救いと言えば、この広場に来る前に三番目の広場で高畑に集中的に治癒を行い、麻帆良協会最大戦力の一つが回復したことだろうか。とはいえいくら高畑の力が優れていようとも、全滅した魔法使いたちをどうにかしなければ、関東魔法協会はなにもできないだろう。

 それを理解するがため、治療のため慌ただしく人々が広場を行き交う。

 そんな広場の中央で求められるがまま、次々に魔法薬を手渡していた黒はぴたりと動きを止め、虚空を眺めた。

 

「ユギ先生、早く次の薬を」

 

 魔法生徒の一人が催促するが、黒は応じない。

 反応のない黒に、じれたように魔法生徒が再びせかす。

 

「先生? 早く薬を」

「時間稼ぎも潮時か」

 

 その一言がすべての始まりだった。

 ぐしゃりという水の詰まった袋を殴打した音がいくつも響く。木乃香と刹那、高畑、近右衛門だけはそれを見ることができた。黒の廻りを奇妙な穴がいくつも並び、そこから多種多様な交通標識が飛び出し魔法使いたちを打ち据えていたのを。

 

「な」

 

 そして、特大の穴が開くや、そこから巨大な岩が木乃香たちめがけて放られた。唸りを上げて飛んでくるそれは、余りに早く巨大で、もはや迎撃することは不可能だった。

 刹那が木乃香をかばう。少しでも木乃香を守るために。

 だが予想した衝撃はいつまでたっても来ない。恐る恐る目を開けた二人の眼前には奇妙な光景が広がっていた。

 巨大な岩が空中に広がる波紋により受け止められている。

 そしてその前には、古めかしい制服を着た見たこともない少女が立ち、木乃香たちを守っていた。

 地響きを立てて岩が地面に落ちる。静止した今、それの形が分かった。墓石の形をしていた。

 

「どうして、どうしてこんなことをするんですか! 先生!!」

 

 少女が叫んだ。古い、とても古い制服のスカートが翻る。それを見て、近右衛門がぽつりと呟く。

 

「さよ……ちゃん? どうして?」

 

 さよはその声が聞こえないのか、再び黒へと詰問する。

 

「どうして!」

「それに答える必要はあるのですか?」

 

 冷え冷えとした声が返る。冷め切った瞳で黒はさよを含めた魔法使いたちを観る。その目に木乃香は凍り付いた。あんなにも冷たい瞳を木乃香は知らなかった。白眼視と言う生ぬるい話ではない。とてもではないが、人が人に向ける瞳ではない。まるで人間の倫理から外れた化け物が見詰めているかのような冷たい視線。

 

「邪魔です。どいてください」

「い、いやです! いくら先生のおっしゃることでも、こんなひどいこと! どうしてですか! 何で麻帆良をこんな目に! それにみんなにひどいことを! 先生は私を助けてくれるんじゃないんですか!! どうして、どうしてですか……、私を助けてくれるとおっしゃってくれた優しい先生が、どうしてこんなひどいことを……」

 

 助けるという言葉に木乃香はさよを見た。傷一つない、助けられるどころか自分たちを助けてくれたほどの力を持つ少女の背を。それだけの力を持つというのにどうして助けを求めるのだろうかと。そして気がついた。()()()()()()()()()()()

 

「助ける? ……ふ、ふふ。おかしなことを。一体何を助けるというのです?」

「私です。だって約束してくれました! 先生は私を蘇らせてくれると! 普通の生活をさせてくれると!」

「ああ、そういえばそうでしたね。まあ、蘇らせることぐらいならば訳ないですが」

 

 木乃香を怖気が襲った。目の前にいる人物が、自分の知っているユギ先生とはとうてい思えなかった。冷たい瞳、そして悪意ある口調。それは木乃香の知らない誰かだった。

 木乃香は叫ぼうとした。なぜかは分からないが、それ以上語らせてはならないと、直感したからだ。だが、遅かった。

 

「普通の生活? できるわけないでしょう。怨霊であるあなたが、怨み怨んで怨み抜くことでしかこの世にしがみつけないその身で」

 

 さよが口を覆った。身体を震わしている。何かを口にしようとしているのだろう。しかし言葉が見つからないのか、ただむなしく口が開閉を繰り返す。

 

「忘れたのならば、思い出させてあげましょう」

 

 黒の指がパチンと音をならす。破裂音が麻帆良中に響き渡る。

 最初の変化は風だった。風が木乃香たちのいる広場に集まってくる。そしてその風に乗って、青白い何かが飛んできた。それは曝首(しゃれこうべ)だった。カタカタと音を鳴らし、木乃香たちをにらみつけている。

 夜空が白い骨と骨がはき出す青い炎で埋め尽くされ、そこかしこから怨みの、憎悪の合唱が(どよ)めく。

 

「あっ」

 

 さよが後退った。宙を舞い踊る曝首から少しでも離れるかのように。身体を震わすその様は、幽霊を怖がる子供のようだ。

 だが曝首は次から次へと飛来してきて、広場を埋め尽くす。もう、木乃香たちからは外がどうなっているのか見えなくなってしまった。踊り狂う曝首とその軌跡を描く青白い炎で。

 

「い、いや」

 

 身体を抱きかかえ、さよが這いつくばる。それを見て、黒が笑んだ。

 

「忘れ去られた()()()()()の幻想を――present for you(あなたのために与えましょう)

 

 いくつもの曝首が我先に争い、さよへ襲いかかる。曝首がさよに吸収されていく。

 

「ぁああああああああああああああ!!」

 

 さよの絶叫があたりに響く。髪を振り乱し、狂乱したかのように暴れ回る。自分自身の身体を掻き乱す。どれほどの力を込めていたのか、あまりの力に皮膚がはがれおち、至る所から血が滴り落ち、さよは苦痛を絶叫で訴える。しかし曝首が止まることはない。それどころか後から後からわき出してきて、さよの身体めがけて突き進む。

 刹那が斬魔剣で曝首を切り裂こうとも、その間にほかの曝首がさよに我先にと飛びかかり吸収される。

 そして曝首たちは消え去った。そのほとんどがさよのうちに入り込み。

 どれほどの曝首がさよの中に入っただろうか。木乃香には分からなかった。

 幽鬼のようにさよが立ち上がった。その表情は髪の毛で隠され窺えない。ただ、木乃香は怖かった。あんな目にあって無事な人間などいるはずがない。たとえ経験していないことでも、その肌で理解した。あれは恐ろしい儀式であることを。

 そして木乃香の勘は正しかった。

 激しいスパーク音がし、さよを中心に全方位に雷が放たれた。それは同じ雷属性であるネギの魔法と違い、赤黒い光を発していた。

 近右衛門が咄嗟に張った防壁が一瞬で割られる。

 だが刹那のとっさの機転で大地に突き立てられた夕凪に雷が吸い込まれ、木乃香たちには雷が届かなかった。

 顔を上げたさよは先程とは全くの別人だった。

 憤怒に染められた瞳、それはお嬢様として育てられた木乃香が一度も見たことのない瞳だった。

 

「怨みはらさでおくべきか」

 

 そしてさよが掌を木乃香たちへ向けた。雷が放たれた。



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剣士の助太刀

「何が、起きとるん?」

 

 目まぐるしく変わりゆく状況に、刹那は自身がどうするのがよいのか全く分からなかった。

 先まで味方だと思っていた人物がいきなり裏切り、さらにはその人物から自分たちを助けてくれた相手が今度はこちらを攻撃してくる。

 混沌とした状況、そして次々と課せられる判断に、いくらプロといえ未だ中学生程度の経験では対応しきれず、刹那がパニックを起こすのも当然だ。それでも木乃香を守ろうと自分の背中に隠したのはもはや本能だった。

 

「憎い、憎い。憎たらしや! 普通の魔法使いが憎たらしい!」

 

 さよが怨嗟を口にするごとに、赤黒い雷が辺り一帯に次々と降り注ぐ。

 歴史に曰く、雷とは神鳴りであり、神々の怒りを示す存在であった。そして史実においてその怒りを最も激しく表した神は、菅原道真公だという。彼の御方はいまでこそ学問の神だが、もとは祟る神であった。誰からも恐れられる余り、天の神とあがめられるに至った、強大な力を振るった存在だ。

 そして今のさよもまた、彼の道真公にそっくりだった。怨みを迸らせ、その怒りに呼応するかのように強大な雷を降らせる。

 

「さて、ではさよさん。この場はあなたに任せましょう。あちらもちょうど良い状態ですからね。最後の二人を相手にしており、今から向かえば時間も完璧といえるでしょう。では皆さん、もうお会いすることはないでしょう。さようなら」

 

 そう言い捨て、あの奇妙な空間を生み出し黒がどこかへ消え去った。

 一体どこへ消えたのかと気になったが、刹那には護るべき人がいる。ただでさえ渦中にいるというのに、木乃香の安全をほっぽり出して黒を追うなどと迂闊な行動ができるはずもない。

 

「落ち着くんだ、さよくん」

「滅べ、死に絶えろ。それこそが私の望みで有り、希望。故に絶滅せよ、貴様ら普通の魔法使いは」

 

 タカミチがさよを落ち着かせようとするが、さよにはもはや話は通じていないようで、ただただ破滅を願うばかりだ。

 顔をひどくゆがめたタカミチが、ポケットに拳を収めた。それは彼の武術の構えだ。鞘に見立てたポケットから音速を超える拳を出すことで、指向性を持たせた衝撃波を飛ばすという拳術だ。確かに話し合いができないならば武力行使しかないだろう。刹那は木乃香を背中でかばいながらさよを刺激しないようにじりじりと後退していく。

 

「死ね。全てを失い絶望に浸れ」

「すまない、さよ君。だが僕にも今の君がおかしくなっていることくらいはわかる。教師として君を止める」

「教師! 笑わせるな! 私が死んだとき、普通の魔法使いは私を助けなかった! 何を叫ぼうとも、助けてくれなかった。同じ普通の魔法使いの治療を優先し、巻き込まれた私を放り捨てた! だから殺す。私が殺す。私を殺した普通の魔法使いたちを殺すのだ!」

 

 タカミチの拳が幾度もぶれると、さよの眼前にいくつもの波紋が生まれる。さよは憎悪をはらんだ表情を変えることなく、雷を放つ。黒い雷がタカミチの足下の地面を砕く。瞬動で移動したタカミチが四方八方から攻撃を行う。

 しかし幾度も放たれているタカミチの攻撃は、さよの周りにある不可視の防壁ですべて防がれているのだろう。その効果は全くない。

 張られている防壁は尋常ではないらしく、タカミチの拳術では突破する気配は全くない。

 

「刹那君」

「学園長、何でしょうか」

 

 ひっそりと近右衛門が刹那に念話を送る。それに答えながら、刹那はさよの一挙手一投足に目を離すわけに行かなかった。

 

「木乃香を連れて、先に行くのじゃ。この場は儂とタカミチ君で抑える」

「……よろしいので」

「少なくともこの場よりかは安全じゃ。良いか、優先するは命。無益な戦いは避けよ」

「ハッ」

 

 すぐさま刹那は木乃香を抱え上げる。

 学園長の魔法が飛び、一瞬であるが刹那たちの姿を隠す。刹那は全力で駆け、次の広場を目指した。速力ならば刹那は学園全体でもトップクラスだ。それこそ一般的な魔法使いレベルならば、すぐに距離を離すこともできるだろう。その刹那が全力疾走を行えば、すぐにタカミチたちの戦いは見えなくなる。

 

「逃げるんどすか~」

 

 だが追っ手はいた。いや、待ち構えていた。

 間の抜けた声が聞こえた瞬間、刹那は後先考えず瞬動を行い、その場から離れる。空中で縦に半回転しつつ見たのは、京都で戦った神鳴流の剣士の姿だった。

 自らの身体を下敷きにし、木乃香を落下の衝撃から護った刹那は、すぐさま刀を抜く。逃げの一手をうとうにも、相手が自分よりも格上では望みはないだろう。その判断からだ。

 

「せ、せっちゃん」

「大丈夫、大丈夫や。あいつはここで食い止める」

 

 ボキリという音がした。月詠が足下にあった枝を踏み抜いた。苛立ちそうに何度も何度も。その表情は歪んでおり、刹那を睨んですらいた。

 

「せっかく、せっかく見つけたおもうたのに、くだらないもんにお前もすがるんか。剣士はただ斬れば良いのに。お前も友情やら道徳やら律法やら言い出すのか」

「何を言っている?」

 

 警戒しながらも刹那は動く。月詠の狙いは自分だという確信があった。だからこそ木乃香を狙うことはないし、また刹那自身もそう簡単に倒そうとはしないだろうと考えた。修学旅行であれほど執着されたのだ。そう考えるのは当然だ。

 だが、だからこそ気づけなかった。一度戦ったからこそ、目の前にいるものが人間であると信じてしまっていた。

 

「もう、ええ。もうええわ。はぁ、いやになる。これで百人目。ああ、ああ。切り刻んで殺すか」

 

 京都で見せたふざけた態度はなく、月詠は怠そうにしながら何の感慨もなくそう吐き捨てた。

 

「死ね」

 

 刹那はそれに対処できなかった。目の前に迫る一本の黒い線をただ見詰めるだけしか。身体を動かそうにも、何もできやしない。そして気づいた。これが死ぬ直前の風景なのかと。

 

「させませんよ!!」

 

 しかし死の予感は覆された。横合いから出された刃が、月詠の刀をはじき飛ばす。澄んだ音がするなか、刹那が声のした方を向く。

 

「お父様!」

 

 刹那の隣にはいつの間にか近衛詠春が立っていた。服はすり切れ、髭は伸び放題だが、はち切れんばかりの気力を身体中に張り巡らした精悍な立ち姿で、二人を護るように立っていた。

 



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神鳴たらんと欲す剣士と、怨念にとらわれし剣士と刀

 一寸も身じろぐことすら許さないと云わんばかりな針山地獄の如き濃密さのそれは、凝縮しきった殺意であり、刃のような鋭さを伴っていた。剰え無造作に撒き散らされているそれは、ただの末節に過ぎず、押し殺しきれなかったものが溢れ出しているに過ぎない。

 年端もいかない可憐な、されど一切の表情のない無機質な、人形めいた少女、だというのにその身に封じたものは尋常ではなく、こぼれいでた極最小のそれで、世界を焼き尽くそうとする化生だ。その上小さなその手には禍々しい妖気を放つ刀が一振り握られている。その妖気もまた筆舌に尽くしがたく、柄にひとたび触れようものならば、たとえどれほど心の強い者でも我を失い、正気を失うことは予想に難くない。けれども少女、月詠の瞳は感情こそないものの、明らかな理性が宿っており、地獄をも凌駕したその殺意のみで、妖刀の汚染を退けていた。

 弧を描き刀は構えられる。星明かりを吸い取るかのようなその刀身がぶれる。

 そは一帯どれほどの神業か。神鳴流の剣士二人が、そのうえさらに一人に至っては最高級の剣士が、気で強化した視力ですら完全にその軌道を見ることもかなわないなぞ、本来有りえないというのに、月詠はそれを為した。なし遂げた。 

 刹那と詠春の背中に怖気が奔る。弾かれたように咄嗟に刀で首に守る。

 重い衝撃に二人は吹き飛ばされそうになるも、鍛え抜かれた脚力で後ろに下がるを良しとせず、踏み堪えた。防御にこそ成功した二人だが、その内心は驚愕で溢れかえっていた。

 いつ二の太刀を放ったか、二人にはわからなかった。ただ一度振るわれた刀。然れど結果は刹那と詠春それぞれの首を切り落とすように斬撃が宙を走った。神鳴流奥義にも似たような技はある。自身の周囲を目にもとまらぬ速さで幾度も斬るという奥義だ。月詠がそれを使ったのか。

 しかし二人の剣士としての経験と勘が否定する。なぜなら、月詠は気を遣っていなかった。神鳴流の剣術は多かれ少なかれ気の運用を前提としている。気を遣わない奥義なぞ存在しない。

 ならば今のは一体何だというのだ。驚愕を表面上隠せても、動きが僅かに鈍るのまでは止められない。

 僅かな隙。本当に僅かな隙。しかし達人同士の戦闘に置いてその隙はあまりに大きい。出だしをくじかれた二人の眼前に影が踊る。

 受けに回った刀で迎撃するのは不可能。故に他の手を打つ。師弟という間柄のためか、二人は息の合った見事な蹴りを放った。しかしそれは刀を棒のように使い、宙を飛んだ月詠には届かない。それどころか重力の力をも借りた月詠の大上段の一撃が詠春を襲う。

 

「ぐぅっ!?」

「長!」

「お父様!!」

 

 詠春の立っている地面がすり鉢状にへこむ。

 刹那が月詠を引き離そうと間合いを詰めようとするが、それよりも速く槍の一突きを思わせるような月詠の蹴りが刹那の鳩尾を蹴りつける。カウンター気味のその一撃で、刹那の軽い身体はあっけなく飛ばされる。

 地面に背中を打ち付けるも、すぐさま反転し膝立ちの体勢で止まる。刹那の米神を生ぬるい汗が伝う。

 刹那は咄嗟に鳩尾を気により守ったが、それでも急所を抜かれてしまえば、気の防御もその効果は薄まる。実際、鳩尾を打たれた衝撃で横隔膜が痙攣を起こし、刹那の息は多少乱れてしまい、気の運用に多少ながらも支障をきたしている。

 

「神鳴流奥義 斬空閃 弐の太刀 百花繚乱」

「神鳴流奥義 斬空閃」

 

 未だ宙を飛ぶ月詠めがけ、気の刃が襲いかかる。白亜を思わせるよう斬撃の壁、それを前に月詠は初めて微笑を浮かべた。

 

「斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る……斬るッ」

 

 血走った瞳を曝しながら自身に迫る刃を月詠は切り刻んでいく。刀が振るわれる度、刃の檻は歯の抜けた櫛のように欠けていく。そして最後の横凪の一撃に、全ての刃が散らされる。

 

「その程度じゃ、ウチを壊すことはできまへんよ」

「でしょうね」

 

 月詠が戯笑をしているその背に、いつの間にか詠春が回り込んでおり、大上段に構えた刀を振り下ろす。

 

「神鳴流奥義 凝集雷鳴剣」

 

 詠春の放った雷鳴剣は、刹那が常に使っているそれより遙かに規模が小さかった。しかし青白い雷光は目を覆うような閃光で辺りを埋め尽くすほどで有り、光になれている神鳴流剣士である刹那ですら、その光に思わず目が眩んでしまった程だ。そしてそれだけの奥義の威力がこけおどしな訳もなく、通常の雷鳴剣と比ぶるべくもなく、段違いの破壊力を発揮した。

 視力が回復した刹那が見れば、月詠にこそ傷一つないが、その手に持つ妖刀はどろどろに溶けて切断されていた。大業物すら凌駕するであろう刀を切ったその奥義は、雷鳴剣の出力を大幅に増加させ対軍相手にも使われる決戦奥義である極大雷鳴剣を一点に集中するという、決闘(・・)奥義と呼ばれる神鳴流で闇に葬られた代物であった。

 

「いくら古今東西の剣士が無刀の技術を有するとはいえ、それでも刀がなければ実力の半分程度しか出せません。私たちの勝ちです」

 

 詠春は月詠の首下に刃を突きつけ告げた。

 月詠は断ち切られた刀をしげしげと矯めつ眇めつと、三日月に歪んだ笑みを造りあげた。

 

「キヒ、ヒヒ……ヒヒヒ。これじゃ斬られるんか。じゃあ、全力ださんとぉ」

 

 黒く反転した瞳で自身の首下にある刀を握り締める。気で強化された刃、それも大戦の英雄が強化した刃だ、触れるだけで万物を切り裂く鋭さがある。だというのに、月詠の手からは血が流れることはなく、それどころか鉄が削れるような音が響く。

 驚愕はそれだけで終わらない。

 詠春も刹那もその異常を見た。

 月詠が、月詠の身体が変貌していく。細く細く、そして硬く。変貌が進むにつれ、殺意のみならず邪気までもが溢れ出す。それは命の奪い合いをもしてきたはずの二人をも気圧しその身体を縫い付けるほどだ。

 しかしそれだけ経っても変化はまだ終わらない。

 段々とその姿形が定まっていく。細く硬くなったその身に鋭さが混じる。その姿は輪廓が朧気で有りながらも、誰が一目見ても刀のようなものだった。

 余りに異質な現象に、詠春は月詠を破壊しようと刀を振るうが、ひときわ強く漏れ出した邪気に防がれ、吹き飛ばされる。咄嗟に自ら後ろへ飛んだためダメージこそないが、詠春は月詠の変貌を止められなかった。

 そうしているうちに月詠の近くの空中に一本の線が現れる。それは両端がワイヤーで結ばれると、世界を切り裂くように開いていく。中からいくつもの目が彼方から此方をのぞき込み、ぎょろぎょろ動く目玉にあわせ人体のパーツが幾多も蠢いている不気味な空間。そこから一人の男性が現れた。

 メガネを掛けたスーツ姿の男性は、変貌を続ける月詠を手に取った。

 

「クルト……なぜ、君が……」

 

 詠春の問いをクルトは鼻で嗤う。冷め切った瞳が詠春を見下す。

 そうしているうちに月詠の変貌が終息した。

 そこにあったのは、見るからに業物とわかるが、禍々しい気配を放ち続けるおぞましさの際立った刀だった。それと比べれば先の妖刀が竹光のように思えるほどだ。

 その妖刀を構え、クルトは見事な瞬動で詠春に近づきその刀を持って斬りかかる。

 咄嗟に刀で受けた詠春だが、受けた刀ごとその身を切り裂かれた。噴き出す血が霧となり辺りを舞う。

 

「お父様ッ!」

 

 袈裟に切り裂かれた傷口を押さえ、詠春はクルトから離れる。

 

「さすがというべきか。あの御方から下賜された一品のことはある。先の大戦の英雄が振るう刀ごと斬るか」

「あの御方だと……? クルト、どういうことだ! 答えろ!」

 

 走り寄った木乃香が自らのアーティファクトを用い、詠春の傷を癒やす。しかし詠春はそのことに気づいていない。ただクルトの名を呼ぶだけだ。

 

「貴方には恩がありますからね。特別に少しだけお答えしましょう。簡単なことですよ。私は貴方たちよりあの御方の御手を取った。当然のことでしょう? 元老院も魔法使いも私にとっては怨敵なんですから。それに、これでようやく、ようやく正される時がきたのです。だから、貴方のように諦めた裏切り者に邪魔をされるわけに行かないのですよ」

 

 クルトの顔に浮かぶ歪んだ笑みは、月詠が良く浮かべていたそれにそっくりだと、そのとき刹那は本能的にかぎ取った。

 背筋をはしる怖気は掛け値なく気持ちが悪い。決壊したした川のように溢れる狂気にとらわれ、刹那は溺れそうになった。それでも刀を手放さなかったのは、ひとえに木乃香を守るためだった。

 

「……刹那君。木乃香を連れてここから離れなさい」

「しかし長!」

「君たちがいると、私も本気を出しづらい。もはやアレは私が知っているクルトではない。ただの鬼だ。……斬らねばならぬ、神鳴流を学んだ身として、あれに剣を教えた身として」

 

 半ばから切り裂かれた刀を投げ捨てると、詠春は懐から一枚の札を取り出す。札から煙が立ち籠めると、一振りの太刀が現れた。鞘から引き抜き、詠春は気を研ぎ澄ませる。

 その様子に一瞬逡巡する刹那だが、詠春の一喝に木乃香を抱えると、普段は隠している背中の白い忌むべき翼を開き、空を飛ぶ。

 だが木乃香は父の怪我を見たせいか、それともそれが切欠で限界を超えてしまったのか、抱きかかえられた状態で暴れ出す。落ちれば魔法を未だうまく扱えない木乃香では死ぬだろう。故に必死になって刹那は木乃香を押さえ込む。

 

「お父様! せっちゃん、降ろして!」

「なりません、お嬢様!」

「お父様! お父様!」

 

 そして飛び行く刹那の背後から千本の雷を束ねたと見紛う雷鳴と稲光が地上から逆立ち天を衝く。

 肌が粟立つ。あの雷は詠春の気が込められていた。市街地であれほどの規模の術を使うなど信じられるものではなかった。しかし詠春は周りの被害を気にもとめず、いや気にする余裕がないらしく、雷鳴が鳴り止むことはない。

 生来の恐怖に駆られ、刹那の速度がさらに上がる。

 飛び行く先は、ネギと明日菜が向かった先だと知らずに。



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対極たる二柱

 此方と彼方、此岸と彼岸、その狭間にあたる境界線。万物に宿る変化の象徴。

 人には見えず、人には触れられず、人には知覚できず、仰々しい概念を持ち出し理解したふりしかできない、人智を超越した世界。

 この世界に確かな物など一つもない。常に全ての物が変化する。物質的にも、霊魂的にも。

 変質を続ける世界に、ただ一人、黒は変わることなく存在し続ける。

 こちら側の住人にちょっかいを出させないための細工に力を注ぎすぎた。黒は気怠げに身を投げ出す。足首まで伸びた髪の毛がふわりと広がる。それは黄昏時に凪ぐ海のようだ。暗闇しかない世界に唯一広がる光だ。

 黒は自らの髪の毛を一房持ち上げて梳いてみる。さらさらと流れる感触は、心地よい。母親の、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの髪も、黒と同じ風合いだったのだろうか。記憶を辿っても、母の顔は分からない。

 気がつけば、梳いていた手が止まっていた。黒はため息をつく。

 髪を傷つけぬよう指をぬき、さっと腕を胸から外側へ払う。腕の動きを追うように、闇の中から外の世界を映し出す窓が順々に現れる。

 窓はすべてワイヤーが形作り、大きさも等しい。しかし一つ一つ映し出す光景が違う。

 幾つもの場所での光景が窓の数だけ広がる。大剣士とその弟子との剣戟が、翁と復讐者との魔法の打ち合いが、そしてこれから始まる二つの戦いが境界の世界に流れ込む。鋼がかち合う音、空気が焦げる臭いが侵入を果たし、そして変わっていく。何に変わるかは、黒にすら分からない。

 最後の窓をちらりと覗く。窓の中では、鬼に投げ飛ばされた吸血鬼が、ようやくの復活を遂げていた。幼さの残る顔を憤怒に歪め、影のゲートを用い、麻帆良へと転移しようとしている。

 もう退場した者はいらない。大人しくしていればいい。

 だから、最後の策を発動させる。

 

「頼んだよ、我らが巫女。神と妖怪の(かんなぎ)よ」

 

 紅白の巫女装束に身を包んだ少女が、驚愕に顔を染め上げる吸血鬼を張り倒したのを最後の窓から見た。黒は安堵のため息をこぼし、窓を閉ざした。

 再び腕を振るう。外から胸へと。動作に応じるように、窓が次々に閉ざされ、一つの窓だけが残された。そこには、ネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜の姿がある。

 腕を上げる。指を鳴らす。

 黒の背後から二柱が現れた。

 

「最後は君らだ」

 

 二柱は何も言わず、消え去る。

 これで黒の計画は完遂したも同然だ。

 一人暗闇に浸る黒は、光を放つ窓に背を向け、蹲った。

 

 

 

 ネギたちが世界樹広場前に到着しようとしたとき、一陣の風が吹いた。

 優しく肌をなでた風は、清々しかった。草木の瑞々しい香がかすかに漂い、疲れから濁りだしていた思考がくっきりと透き通る。身体の底から活力がわく。

 風属性の魔法を得意とするネギは気づいた、吹いた風が人為的に起こされたものだと。何故ネギたちを回復させるような風を起こしたかは分からないが、明日菜へ警戒を促し、辺りの気配を探る。しかし耳をすませても辺りは静けさが満ちるばかりで、なんら怪しい気配はない。

 視線をせわしなく動かす。魔力の流れにも細心の注意を払う。少しでも変化があれば分かるように。

 

「ねえ、ネギ。こんなに静かだったけ、ここ?」

 

 明日菜がネギの背中越しに身体を強張らせる。

 慌てて首を動かし周囲をぐるりと見渡す。ネギの視野に映るのは、普段よく見る麻帆良の風景だ。レンガで作られた少々古風な西洋建築の建物に、いくらかの木々が彩りを添えている。街頭の柔らかな光が、街を明るく照らしている。そこに不審な気配はない。いや、人気は全くない。

 人がいない(、、、、、)

 歓声がさきほどから全くしないことに、ネギはようやく気づいた。

 観客達のほとんどは、いまだこれが麻帆良学園祭のイベントだと勘違いしている。麻帆良の生徒ならば全力でイベントを楽しみ騒いでいるはずだ。だというのに声一つ聞こえないなど、ありえない。

 敵の罠だ。躊躇うことなく、ネギは詠唱を開始した。推測するに、空間に作用する結界だろう。結界により孤立した空間に、閉じ込められた。脱出をしなければならない。

 雷の暴風を放つ。中位の魔法だが、ネギの魔力が込められたそれは、一般の魔法使いの高位魔法に匹敵する威力だ。さらに、雷の暴風は一点特化の性質を持つ。穴を穿つのには最適な魔法だ。

 雷の暴風で罠を壊し、敵を見つけ出す。それがネギの導き出した答え。

 だが。

 だがその考えはあっけなく崩れてしまった。

 

「神鳴りよ、鎮まれ」

「風よ、呪われよ」

 

 二つの声がした。それだけで、ネギが生み出した雷と風が霧散してしまう。細々とした雷光が、空気中を無秩序な方角に頼りなく走り、消えていく。

 

「なっ!?」

 

 魔法がかき消されたことに驚くネギをよそに、声の主達は悠々と現れた。

 二人の女性が、空からゆっくりと降りてくる。何ら警戒すら抱いていないのか、ネギたちを一瞥することすらない。

 降りてきた女性達は、とても美しかった。顔立ちが優れるのみならず、背丈と肉付きが黄金律に釣り合い、肌には染み一つなく透き通り、輝いている。目をそらすことが苦痛に思えてくる。彼女たち以上の美なぞ、ネギには到底思いつかない。

 左側に立つ女性は、緑色の髪をなびかせ、腰に魚籠を引っかけている。服装は簡素で、まるで昔の釣り人のような姿。しかしそれがぴたりと彼女の印象を形作る。気品に溢れ、穏やかな印象だ。

 不思議なことに、ネギはその女性を見て、今までの敵と全く違うと感じた。道中で戦った妖怪達は皆恐ろしかった。悲しかった。だが、眼前の敵は、ただただ神々しい。聖域で微笑む聖母のように犯しがたい。頭を垂れ、恭順したくなる。

 握り締めていたはずの拳は、いつの間にか開かれていた。

 もう片方の女性は、見るからに異形だと分かった。京都で戦った烏族と同じような羽根。背丈と比べて随分と小さな翼だ。不思議なことに翼の羽根は大部分が黒い。しかし一部に白い羽根が混じり、霊妙溢れるコントラストを生み出している。

 彼女が着込むのは山伏のような装束だが、至る所に金細工などがつけられ、きらきらと輝いている。それでいて、その黄金色が全く卑しくない。金が彼女の美しさを際立たせているようだ。

 何よりも綺麗な輝きは、金色の髪が一房胸元まで垂れさがっていることだ。

 先程の女性と違い、この翼のある女性に対し、ネギは一目で背筋が凍り付いた。薔薇なんて生易しいものではない。全てを憎み、呪っている。その背に黒々とした炎を幻視してしまうほどだ。

 全く正反対。ネギが二人に抱いた印象だ。一緒に存在すること自体が間違いなのではないだろうか。

 

「あなたたちは」

 

 声が震える。恐怖ではない。声をかけること自体が不敬のように思えて仕方がなかった。

 

「ほう、私たちを前に、意識を失わないとは。なるほど、確かに英雄の素質はある」

「そうですか? この程度で英雄なんて、へそで茶を沸かすものですよ。もっと憎悪を知るべきでしょう。清廉潔白なヒーローなんて、聞こえは良いですが、実際は純粋培養されたクローンのようなものですよ」

「ふむ。一理ある。時に憎しみは人を強くする。しかし貴様の求める憎しみは強すぎるだろう。身を滅ぼす」

「だから良いんじゃないですか。なにかをなすこともできず、助けた人々から拒絶され、怨み、憎み、呪いを吐いて死んでいく。それが人ですよ」

 

 二人はネギをまじまじと見詰め、寸評を交わし出す。

 何度も唾を飲み込み、ようやく最後をネギは告げられた。

 

「なんですか」

 

 二人の動きが止まる。

 そして。

 

「聞きました? 私たち相手になんですか、ですよ。なるほど、多少はマシだと。良いでしょう、少しは気に入りました。だから教えてあげます。私は日ノ本に巣食う大魔縁、尤も強大な祟り神。森羅万象を呪う神、崇徳白峰」

「大和の神にして言葉の一切を司る神、事代八重。今は分け合って蒼と名乗っている」

 

 二柱の神はそう告げると、何ら感慨もなくネギを吹き飛ばした。



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駆け抜けろ、退き口を

 視界が前へ流星の如く流れていく。何が起きたのか、ネギは一瞬分からなかったが、すぐに気がついた。背中をおす感覚、耳元で吹き付ける風音。ネギは、吹き飛ばされている。

 目を見開き、身じろいでしまう。身体のバランスが崩れる。

 空中で旋回し続ける体勢を立て直すため、体内を巡る魔力を圧縮し噴出することで、直ちに姿勢を安定させる。強化を施した足で地面へと叩きつけ、慣性をアンカーのように大地でかき消す。舗装された地面が掘り起こされていく。大地に二本の線を残して数メートル後退したところで、ネギの身体はようやく止まった。

 

「ネギ、……今、何が起きたの?」

 

 明日菜の言葉に、ネギは息も荒く首を振るしかできなかった。

 吹き飛ばされたネギ自身、何をされたか分からなかった。

 身体のどこもダメージはない。殴られたわけではないだろう。では一体何をされたのか。それが分からない。ネギの優秀すぎる脳ですら、何も分からない。だからこそ震えを抑えきれない。

 いつ、なにかをされても、ネギには抵抗の手段がない。

 なんとか説明をつけようと、似たような現象をネギが知りうる限りの魔法から探す。しかし、ダメージを与えることなく、人を十数メートル吹き飛ばせるような魔法はない。ものを飛ばすだけならば、念力という魔法がある。しかしもし念力だというならば、出力が足りなさすぎる。念力という魔法は、精々小物を数メートル動かす程度の魔法だからだ。

 いや、悠長に考えている暇はない。ネギはすぐさま構えをとると、意識的に息を整える。一つ、二つ、三つ。呼吸を繰り返すごとに、思考は落ち着き、精神は澄んでいく。肉体もそれに呼応し、戦闘の準備を終える。凝り固まった筋肉に、戦闘の熱気が注ぎ込まれていく。

 身体の熱が、ネギの困惑した心を焼き尽くす。

 

「ほう。普通の魔法使いにしては、きちんと肉体鍛錬も積んでいるか。善哉、善哉」

 

 蒼がネギを褒め称える。心の底から感心しているのか、それとも侮っているのか、蒼は頷ずきながら瞼を閉じている。

 その隙を見逃すネギではない。ネギは瞬動で一息に蒼の眼前に現れる。握り締めた拳を突き出す。狙いは鳩尾。打ち抜く。

 強力な震脚が、大地を震わす。大地が変換器となり、ネギの瞬動の速力をも力へと変換する。

 

「吾が下へは十間」

 

 ネギの拳が空ぶる。全力の一撃が外れ、多大な隙が生まれてしまう。

 

「なに……が」

 

 空振りをしてしまったネギは、尽きだしたままの拳を戻すこともできず、ただただ目の前の光景を茫然と見詰めることしかできずにいた。

 吐息が当たる距離だったはずの彼我の距離が、二十メートルは離れていた。寒々とした空間の開きは幻術ではないだろう。間違いなく現実の光景。ならば、なぜネギと蒼との距離が空いているのか。

 血の気がなくなる。呑み込んで焼いたはずの恐怖が、いつの間にか蛇のようにしつこく忍び寄り、のど元から這い出てこようとする。

 

「告げたはずだ。私は言葉の神。私が語る言葉は、すべて真実になる」

 

 蒼が語り終えると、白峰が前へ出た。蒼はこれ以上戦う気はないのか、後ろへ軽く跳躍し、離れた。

 白峰が妖艶に笑うと、ネギを見たまま、言の葉を紡ぐ。ネギは慌てて構えをとる。何をされるか分からない。ならばとにかく耐えるしかない。魔力での強化を、防御力に集中させる。

 今のネギならば、中級魔法ですら、無傷で受けきれるだろう。

 

「空気よ、呪われよ」

「がぁ!?」

 

 白峰の言葉がネギの耳に届く。

 言葉の意味を理解するよりも早く、ネギは顔の周りに熱さを感じたと思うと、のけぞり地面に倒れ、のたうち回る。自分の身体の状況がどうなっているのかも分からないくらいの痛みが走る。

 

「ネギ!」

 

 転げ回るネギを明日菜が抱え上げた。ネギの痛みが多少治まる。薄目を開ければ、明日菜の顔が真っ赤に爛れているのが見えた。飛び起きようとしたら走った身体の痛みで、気がついた。ネギも明日菜と同じく、いや、それ以上に広範囲がより酷く爛れている。声が出ないところから、喉も焼けているだろう。咳き込むと、ねばねばした赤い痰が飛び出る。

 

「ほう。禊ぎの家系か。我に呪われた空気に触れて、その程度ですんでいるとは」

 

 かんらかんらと笑う白峰の顔は、歪に弧を描き、美しくおぞましい。ネギは震える手で喉に治療魔法(クーラ)をかける。無詠唱魔法だからか、完全な治療はできなかった。しかしなんとか声をだすことができるようになった。続けて明日菜に詠唱した治療魔法をかける。今度はきちんと完治した。元の張りを取り戻した明日菜の肌に、ネギは安堵した。

 

「ネギ、どうする?」

 

 明日菜の冷や汗がネギの頬に落ちた。いまだ爛れたネギの肌にしみる。痛みでネギは顔をしかめた。

 ネギは首を振り、弱気を打ち払う。

 

「することは一つです。僕たちだけじゃ、勝てません。ならば、あの二人を突破して、世界樹前広場へ行きます」

 

 がらがら声で、勝利を前提とした答えを口にする。負けたことを話しても仕方がない。ならば、勝つことを話す方が、まだ気が楽だ。

 そして、これがネギの導き出せた唯一の勝ち筋。戦ったところでネギたちの戦力ではおそらく負ける。ネギが二人から感じた気配といい、その実力といい、今までの敵も強敵だったが、明らかに別格。今までの敵ですら、追い詰められていたというのに、それ以上の敵が相手では、正面からの戦いに勝算などない。ならば、正面から戦わなければいい。ただし、敵陣の正面突破を果たしての逃亡だ。島津の退き口をも上回るはちゃめちゃな策。

 突破できる確率はかなり低いだろう。なにせ相手は言葉一つで距離すらも操る。全力でネギたちが駆けたところで、蒼の言葉より早く駆けることはできまい。よしんば二人を突破できたとしても、後を追って世界樹前広場へ乱入してこないとは言い切れない。

 だがそれでも、これしかネギたちに二人を突破する方法はない。

 ネギの策に、明日菜は微笑んだ。

 

「じゃあ、それで行きましょう」

 

 ネギの前に立ち、明日菜は大剣を振るう、剣筋が唸りを上げる。

 危険なのは分かっているだろう。その瞳はどこまでも真剣に二人をにらみつけている。仮契約の相手(パートナー)の信頼に応えられず、何が仮契約の主(パートナー)だ。

 心の底から奮い立ち、ネギの身体に活力が注ぎ込まれる。

 ネギが呪文を唱える。ネギと明日菜とが走り出す。

 

「む?」

「おや、正面から、ですか」

 

 魔法の矢を放つ。十二本の矢。しかしそれは蒼の「止まれ」の一言で、宙に縫い止められてしまう。

 そんなことは予め分かっていた。だからすぐさま唱えておいた次の矢を撃つ。十五本の矢。それもまた同じ繰り返しで止められる。

 魔法の矢を詠唱する時間と、「止まれ」の一言では詠唱時間の差がある。どれほど口を早く動かしたところで、ネギに勝つ道理はない。それでも、喉が裂けてでも、ネギは魔法の矢を唱え続ける。

 矢。矢。矢。

 視界いっぱいが魔法の矢で埋まる。それすらも、たった一言で止められてしまう。それでもネギは詠唱を止めない。詠唱と詠唱の間に無詠唱魔法が交じりだす。

 徐々に、矢が進む。蒼達へ。

 そして、明日菜が二人の眼前に踏み込んだ瞬間、一本の矢が明日菜・蒼・白峰の中央地点に落ちた。

 それを皮切りに、魔法の矢が雨霰と降り注ぐ。全天の星が降り注ぐ大瀑布は、ネギと明日菜の姿をひとときかき消す。

 二柱の横を通り過ぎることに、ネギたちは成功した。

 

 

 

「驚きましたね、まさか私たち相手に力業で奇策を押し通すとは」

「しかしそれが人間なのかもしれぬ。それにしても、まさか時間稼ぎに失敗するとは」

 

 ひとたび言霊を使えば、八重の能力ならば、二人の邪魔など幾らでもできる。しかし八重にそんな気はなかった。

 ただ神を飛び越えた人間に称賛を送るだけ。この一時のみは、まるで、神代に戻ったような気分だった。遠のいていく背中を傍観する。

 

「その先は、お前達にとっての悪夢が待っているぞ。しかしそれを乗り越えて見せろ、人の子よ」

 

 口角があがるのを隠そうともせず、八重は黒のスキマを開く。

 そのとき、ふと耳にした。

 

「さあて、では私も仕事をするとしましょう」

 

 八重の背後で、飛び立つ音がした。白峰が何をするのか分からない。止めるべきなのだろう。しかし八重は止めることなくスキマの入り口を閉じた。



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ユグドラシルの葉の下で

 大階段を駆け上った先の世界樹前広場は、ひっそりと静まり返っていた。ネギたちは警戒を深めながら、広場の中央へ進んでいく。

 見上げる必要もあるほど巨大な世界樹が、色とりどりな光を輝き放つ。その光に一本の影を落とす、世界樹前広場の大時計が、寂しげに二時少し前を指し示している。時計の針が進む、規則的なかちかち音が、夜陰へ虚ろに唸る。

 世界樹の光のおかげで、視界は良好だ。ネギたちが見渡す限り、誰もいない。広場に繋がる階段にも、広場の周囲にも、世界樹の辺りにも、怪しげな影はない。

 泳ぐような闇の中か、それともその闇を明るく照らし出す光の中か、どこから敵が現れるか分からず、ネギと明日菜は背中合わせに厳戒をこらし、その額から大粒の汗を滴らせていた。

 汗がぽたりと地面へ落ちた瞬間、子供のような高い声が響いた。

 

「ようこそ、普通の魔法使い」

 

 二人が反応する。素速く身体を反転させ、声のした世界樹へ顔を向けた。世界樹が煌々と照らす光により生まれた梢の影で、敵の姿が中々見えない。しかし、じっと声のした方へ目をやり続けていると、茂みの中が見通せるようになってきた。

 そして、声の主を見て、二人は身体を強張らせた。

 そこには、上等な狩衣に太陰太極図をちりばめた前垂れを着たユギ・スプリングフィールドが、地上から十数メートルという高さの世界樹の枝に腰掛けている。脚をぶらぶらと揺らし、二人の反応を見て、妖婉に笑む。

 

「ユ……ギ?」

 

 ネギからこぼれ落ちた言葉は、余りに弱々しく、夜の静寂にかき消されるほどだった。しかしそれが届いたのか、ユギは笑みをますます深め、口元を真っ黒な扇子で隠し、肩を震わせた。

 

「さて、自己紹介をば。私がこの異変、創世異変の黒幕、ユギ・スプリングフィールド改め、一人一種の妖怪。スキマ妖怪、八雲黒。お見知りおきを」

 

 舞台役者のように大仰な身振り手振りでユギは礼をし、枝から飛び降りた。

 重力に引かれ墜ちてくるユギに、ネギは咄嗟に走り出した。ユギは魔法が使えない。あの高さの世界樹の枝から飛び降りようものなら、地面に激突して死んでしまう。

 だが。

 だが、しかし。

 ユギは地面に激突することはなかった。かといってネギが受け止めたわけではない。

 ユギは、空中を引き裂くように現れた狭間に柔らかく受け止められた。それは空間に空いた穴のようなもので、縁にユギを腰掛けさせたまま、地上へ降りてきた。

 ネギの眼前に、ユギが立つ。穴は閉じていた。

 

「ふふ」

 

 身動き一つできなかったネギは、ユギにちょんと肩をおされる。バランスを崩したネギが後退りすると、突如足下が抜けた。

 足下に、あの穴がぽっかりと開いていた。飛行魔法を発動する暇もなく、ネギは穴に呑み込まれる。

 そこは奇妙な空間だった。落とされてすぐ、上下左右の感覚が失われ、ネギは落ちているのか、それとも飛んでいるのかすら分からなかった。周りに目を向ければ、目や手足など、人間のパーツが浮かんでおり、身もだえている。それはネギに反応しているようだった。

 ここに長くいるのは危険だ。本能がネギにそう伝えた。なんとか抜け出そうともがいていると、再び足下に穴が開き、どすんと固い地面に落とされた。

 尻餅をついたネギのすぐ近くには、明日菜がいた。

 

「ね、ネギ!? 何が起きたの!?」

 

 明日菜は大剣を脇構えに、ユギへ突っ込もうとしていた。

 しかし突如ネギがすぐそばに現れたことに驚いているのか、目を丸くしている。

 

「スキマ旅行はどうでした?」

 

 クスクスと笑い声をこぼし、ユギはゆったりした所作でネギたちへ近づいてくる。そして敵意が放たれる。息が詰まるほどの敵意だ。明日菜が表情を歪め、大剣を構えなおす。

 

「嘘だ」

 

 立ち上がることなくネギは無機質にいった。

 

「嘘だ、そんなの、嘘だ……」

「しっかりしなさい、ネギ!」

 

 明日菜の叱咤も今のネギには届かず、ただ自らの殻にこもろうとしていた。

 しかし、そんなネギの近くにごろりとスイカ大の何かが転がり込んできた。それは、かつて戦ったヘルマンの頭だ。悪魔だからか、頭だけでも生きている。ヘルマンは傷だらけで、息も絶え絶えだ。それでも弱々しげに瞼を開き、ネギを見詰め、苦悶の表情で言葉を絞り出す。

 

「ネギ君、逃げるんだ……アレには勝てん」

 

 力なく転がっていた頭が踏みつぶされる。辺りにはどろどろとした粘液が飛び散り、粘液を被った場所がしゅうしゅうと湯気を立てていた。白い湯気の間から、ユギがヘルマンの頭があった場所を脚で踏みにじっているのが、ネギにはぼんやりと見えた。

 ヘルマンの頭を踏みつぶしたユギは、笑みを隠そうともせず、嬉しげに語った。

 

「嬉しいでしょう? 楽しいでしょう? スタンお爺ちゃんの苦しみを、百分の一でも味わわせたのだから! そして分かったでしょう。私はすでに、貴方の知るユギ・スプリングフィールドではないことが」

 

 ユギは何が楽しいのか、笑い声を響かせる。それはまさしく化け物の吠え声そのものだった。

 闇を切り裂くように、無邪気な子供のような笑い声が辺り一帯に満ちる。ぴたりとそれが止まると、笑みをすっかり消し去ったユギが、ネギへと指を突きつける。

 

「さあ、弾幕ごっこを始めましょう」

 

 鈴の音を転がした声で、楽しそうに、心底楽しそうに語るユギの姿に、ネギは言葉を失う。立ち尽くしたまま、ユギが己へ向けて弾幕を放つのを見逸れた。丸い弾が、黒と白の色合いを変えながらネギへ迫る。

 

「く……ッ! 重い……!」

 

 明日菜の大剣が、ネギを守るように飛び出す。明日菜の馬鹿力が大剣の刃を通じ、凄まじい力で弾幕を叩っ切ろうとする。しかしユギの放った弾幕は、明日菜の力に対し真っ正面から対抗し、打ち勝とうとしていた。

 踏ん張る明日菜ごと引きずり、弾幕は呆けていたネギを打ち据える。

 

「きゃっ!」

「ぐっ!」

 

 二人ともはじき飛ばされる。ごろごろと地面を転がり、止まる。明日菜は素速く立ち上がる。しかし、ネギは立ち上がろうとしなかった。

 

「ネギ!」

 

 明日菜の必死の呼びかけにも応じない。

 ネギの心は力なく(くずお)れてしまい、もはや明日菜の声すら届かなかった。ただただユギを見詰め、過去のユギを今に投影し夢を見続けていた。

 もはやネギの心は限界だった。仲間達が倒れていき、妖怪達の憎悪を向けられ、そして今、たった一人の弟にすら敵意を向けられている。十歳の少年の心には、耐えられる重さではない。

 ひび割れた心はネギの身体から抜け出し、過去という清水に浸り、傷ついた精神を癒やそうとしていた。

 だが、それは身体を無防備にさらけ出しているに過ぎない。自らに殺到する光のつぶを目に入れながら、ネギはそれらを認識できず、身動き一つとらない。

 衝撃が走る。

 

「きゃああッ!!」

 

 明日菜が、茫然としていたネギをはじき飛ばし、身代わりとなり弾幕を食らう。

 

「あ、す、な、さん……」

 

 吹き飛ばされた先で、四肢を投げ出した明日菜は、焦点の定まらない目で誰かを探していた。ぴたりと瞳が定まる。その色違いの瞳は、ネギを捉えていた。

 

「ネギ、逃げちゃ駄目……。辛くても、ユギを止められるのは、アンタだけなんだから……。お願い、ネギ」

「い、いやです……。できない。僕にはできません! ユギを傷つけるなんて!」

 

 声を大にして叫ぶ。

 他の誰と戦っても良い。しかしユギと戦うことだけはできない。ネギにとってユギは弟だ。弟と戦うなぞ、考えることすらできない。

 震え、顔を覆い隠す。その掌の下では、涙が流れていた。

 

「分かったわ、ネギ。でもね、それは後々きっと後悔することよ。だって、私は今、後悔しているもの」

 

 指の隙間から明日菜が見える。

 大剣を杖に明日菜が立ち上がる。もはや立ち上がるだけの力もないのか、ふらふらと危なっかしく立つその様は、ネギにはなぜだか幽鬼のように見えた。

 

「立つべき時に立たなかった。向き合うときに向き合えなかった。だから、私は全てを失った。ガトー、ナギ、そして、ネギ、貴方の母親、アリカを」

 

 明日菜の言葉に、ネギは顔を上げた。明日菜を見やれば、その顔は苦渋に満ちている。

 

「……記憶を取り戻したわけですか。ならば、訪ねる必要があるでしょう。神楽坂明日菜。いいえ、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。私と共に行きませんか? 貴方の存在は、人の旗頭となりうる」

 

 ネギはもう、何が何だか分からなかった。明日菜の口から出た父の名前、そしてネギ自身一切知らない母のこと。なぜだか二人は母のことをよく知っているようで、それが一層ネギの混乱を助長させた。

 

「私の名前は神楽坂明日菜よ」

 

 にっこりと笑い、明日菜はその身から光を発した。淡いながらも力強く輝くそれは、ネギの目を惹きつけ放さなかった。

 光を纏った明日菜は、顔を引き締め、拳をポケットに収めた。それは、高畑・T・タカミチの居合拳の前動作そっくりだった。

 

「私の有りっ丈、大判振る舞いしてあげる! 顔を洗って出直してきなさい!」

 

 轟音が響く。ネギは咄嗟に瞼を瞑り、顔を腕で覆い隠した。衝撃で吹き飛んだ小石がネギの頬に当たる。

 恐る恐ると目を開けば、明日菜の前には、幅十メートルを超してレンガの道がえぐり取られていた。

 抉られた先には、ユギが傷一つない姿で仁王立ちしている。その顔にはありありと嫌悪が浮かんでおり、右手には巨大な、直径数メートルの球が握られていた。

 

「結局貴方は普通の魔法使いの呪縛から逃れられず、マリオネットのままでしたか」

 

 そして、その巨大な球を躊躇うことなく、川に小石を投げ入れるような気軽さで、明日菜へ放り投げた。ゆっくりと迫り来る巨大な球を前に、明日菜はネギの方へ首を向けると、一目見て分かる程無理をして笑顔を作った。

 

「ゴメンね、ネギ。貴方には悲しんで欲しくなかった。でも駄目みたい」

 

 限界を向けたのか明日菜の身体が仏倒しに倒れていく。倒れていくその様は、とてもゆっくりと見えた。明日菜の身体の末端から力が抜けていく様、絶望が顔を彩る様。それはネギのひび割れた心に染み渡る。

 

「雷の斧」

 

 雷鳴が轟く。迫り来る球を、雷で出来た斧が切り裂く。球は二つに別たれ、明日菜を傷つけることはなかった。

 

「あくまでも、邪魔をしますか」

「黙れ、八雲黒(、、、)。ここからは、僕が相手だ」

 

 父の形見の杖を一声で呼び寄せ、手に取ったネギはその先端を黒へと向けた。

 血肉を別けた兄弟が、今その袂を分かった。




ようやく黒とネギが敵対できました。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!


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魔法のもたらす輝き

 色とりどりの光が、戦場を支える火砲のように間断なく放たれる。それらの光を放つ弾丸は、黒とネギの敵意を内包しており、止め処なく溢れ出す。魔力光を纏い二人の顔を照らし合う弾丸は、片や鉄砲の如く質実に、こなた舞踊の如く優雅に夜闇を踊り切り裂く。

 端から見れば、それは一種の芸術だったかもしれない。暗闇を背景に、様々な色合いの光が常に移ろい、世界を創り上げていく。

 しかしそんな美しさとは裏腹に、その芸術を創り上げているネギは、少しの気を緩めることすら出来なかった。黒の光弾は、ただ優美なだけではなく、計り知れない猛威を秘めており、一度それが解放されようものならば、ネギの魔法の矢をあっさりと呑み込んでしまう。かといって魔法の矢の精度や強度を高めようと、一矢ずつ魔力を込めようとするものなら、一度に放てる魔法の矢は自ずと少なくなり、黒の光弾の数に圧倒される。光弾を破壊できる矢のレベルを見極め、一切の無駄がないよう的確にコントロールした魔力を注ぎ込みつつ、一度に全く同じ矢を数十と作らなければならない。針の穴を通すような絶技。少なくとも、優秀な魔法使いが多い麻帆良の魔法使いですら、そんな真似を出来るものはそういないだろう。しかしネギはそんな離れ業をこなし続け、そしてこれからもこなさなければならない。

 汗が全身から滲み出る。気疲れにより、魔力のコントロールを手放してしまいそうだ。そうすれば楽になると、心の底から発せられる声を振り払う。すぐに弱気が顔を覗かせるが、それでもそのたびにネギは己に活を入れ、一時たりとも休むことなく繊細なコントロールを保ち魔法の矢を放つ。

 

「そうら、次はnormalだ」

 

 そんなネギをよそに、黒が笑みをこぼすと、力を溜めてから扇を扇ぐ。するとその軌跡に沿って光弾が生まれる。先の弾幕と桁が違う。その光弾の量は、先程のが止め処なく降り続ける火砲のそれだというならば、今度のは何丁ものショットガンが横並びに並んで一斉に放たれたそれだ。視界を埋め尽くすように、光弾が所狭しと並んでいる。光弾は人の頭ほどもあり、その色合いを常に変え、色が変わるたびに光弾の形状も、球体からくさび形、立方体、円錐といった具合に変化する。時には近くの光弾と交わり体積を増やしたと思えば、二つに分裂したりもしている。

 せわしないほどに変化し続ける増量された光弾に、ネギは限界を踏み越える。器の底が抜けたように減っていく魔力を惜しげもなく絞り出し、凄まじい圧力で己の身体を攻め抜く魔力を最速で加工してみせる。一つ魔法の矢を造りあげるたびに、身体の奥底で何かが壊れる音が無情にも響く。

 それでもネギは魔法の矢を撃つのを止めない。数百の魔法の矢が、ネギの号令を受けて放たれる。黒もまた、一歩も退かずに撃ち合う。

 炸裂した二人の弾幕が夜空を彩る。魔力残滓により視界が悪化する中、何かが霧状になった魔力を切り裂いて飛び出してきた。それは撃ち落とし損ねた光弾だった。針状の形態で、空気抵抗がないかのような速度で迫ってくる。

 咄嗟にネギは大きく身を捻る。

 

「くっ!」

 

 しかし完全に躱しきることは出来ず、光弾はネギの頬を掠めて後方へ消えていった。僅かに血が吹き出し、光弾の後をおった。

 ひるむことなくネギが反撃に打つ。黒の弾幕のように広く厚く放つのではなく、一点に集中し矢を放ち続けることで、狭く分厚い弾幕を構築し、削岩機の如く穴を穿たんと魔法の矢に吠えさせる。絶え間なく放たれる魔法の矢は、黒の弾幕に穴を穿ち、そして射手の命に従い黒へと果敢に襲いかかる。

 ネギの魔法の矢が黒に直撃する。しかし黒の周囲に展開されている幾層もの結界を前に、何らダメージを与えることなく魔力へと霧散してしまう。ネギの口元が僅かに歪む。

 その様を見届けた黒は、一枚のカードを取り出す。カードの表面には、一筆書きの五芒星が描かれており、線一本につき一つの色が割り当てられていた。

 それが黒の力を受けて、光り輝いている。

 

「そろそろ、準備運動はおしまいとしましょうか。『境界 世界の循環』」

 

 黒の放つ光弾が変わる。傍目には何ら変わりがないが、光弾を向けられているネギにはしかと分かった。それが先程と全く別物だと言うことが。感じられる力の量は変わらないが、ネギが感じる力の質は大きく変わった。今までは、様々な色の紙粘土を中途半端に混ぜ合わせたようなものだったが、今ネギにむけられている光弾は、一色になるまで混ぜ合わされ洗練されたような印象を抱く代物だ。

 ネギの警戒が強まる。今までの経験から、これから攻撃がより激しくなるだろう。ネギの魔力も黒に呼応するかのように研ぎ澄まされる。

 

「はたして普通の魔法使いに防げるかな?」

 

 扇で扇がれ、放たれる光弾。迎え撃つ魔法の矢。そして一方的に撃ち負ける魔法の矢。その信じがたい光景に、ネギの身体が強張る。

 今もなおネギの放つ魔法の矢は、黒の光弾に触れるとたちまちのうちにその色を失い、何一つ残すことなくかき消えていく。砕かれたわけでもなく、防がれたわけでもなく、ただ消えてしまう。今までネギが魔法を使ってきた中で、全く見聞きしてこなかった事態だ。

 動くことの出来ないネギの耳に、黒の言葉がそっと囁きかけた。

 

「ふふふ。そのスペルカードは、『境界を変える程度の能力』で五行を最大にまで高めたものでしてね。敵の攻撃に対し、常に相剋の属性をとるカード。スペルブレイクするには、逆相剋となるまで属性を高める必要があるんですよ」

 

 黒は大仰に腕を十字に広げ、「敵だけが疲れ果てていく、良いスペルカードだろう? さあ、撃てるか、魔法使い?」と、そしり笑う。

 ネギは歯がみしながら魔法の矢を撃つのを止め、黒の光弾を避けることに集中しだす。魔法の矢の威力では、光弾を打ち破れないだろう。おそらくは『雷の暴風』クラスの魔法ではないと、意味がないだろう。しかしだからといって雷の暴風を放つだけの余裕があるはずもない。どれほど悔しかろうが、今は避けることに専念するしか出来ない。

 呼び寄せた杖に脚をのせ、ネギは光弾の僅かな空白地点を縫い飛ぶ。光弾が肌を掠めるが、ひるむことなく飛び続ける。そして、ネギが欲し続けた僅かな隙を見いだした。

 なぜだか分からないが、黒の放つ光弾は扇で扇がなければ動き出すことがない。つまり、同列の光弾でもは始点の位置との光弾と終点の位置の光弾では、放たれるまでにタイムラグがある。そして、一度扇を扇げば、今度は扇ぎ返す必要がある。同じ方向に扇げる道理はない。つまり先に放たれた光弾の方さえ避けてしまえば、次の弾幕が放たれるまで一往復という十分な時間が生まれる。

 それでもその僅かな時間で詠唱を終えることなど出来まい。だからこそ、ネギはさらなる限界を飛翔し飛び越える。中級魔法を無詠唱で放つという、信じがたい暴挙へ。

 

「雷の暴風!!」

 

 かき集められるだけかき集めたネギの魔力が、絶対のものとされていた魔法理論を打ち壊し、常になく巨大な竜巻を生み出す。稲光と風圧でネギの目が利かなくなるほどだ。ネギの目が見えるようになったとき、黒の光弾は全て消えていた。

 

「スペルブレイク……お見事」

 

 ぱちぱちと黒の拍手が場違いに響く。ネギが頭上を仰げば、そこには傷一つない黒が俯せに宙を浮いており、こちらを眺めていた。

 ネギの脳裏に絶望がひたひたと這い寄ってくる。すでにネギの残存魔力は二割を切り、体力も使い果たした。気力だけで動いているが、その気力もいま尽きた。

 

「うっ……どうして、どうして届かない……」

 

 黒へ手を伸ばす。しかしその手は黒の肌に掠めることなどなく力なく垂れ下がる。

 ネギの心に諦念が緩やかに積もっていく。身体中の力が抜けていき、その膝が折れた。全てを出し切りそれでもなお届かなかった。ならばもう良いかな? ふと浮かんだ父の悲しそうな顔に対し、ネギは呟いた。

 

「ゴメンナサイ、約束……まもれなかったよ」

 

 遠のいていく。忌まわしい雪の日、悪魔に襲われ父に救われた記憶すら、もはやネギに立ち上がる燃料(気力)とはなりえない。ナギ(家族)ユギ(家族)に負けたのだ。

 瞳は閉じられ、暗闇がネギを暖かく迎えてくれる……。

 

「ネギ君、諦めたらあかん!」

 

 閉じられかけていた瞳が開かれる。最後の力を振り絞り声のした方へ顔を向けると、木乃香が息も絶え絶えに世界樹前広場へ繋がる階段のところに立っていた。その手に赤い装丁の本を握り締めて。

 

「それは……!」

 

 始めて黒の顔が歪む。今までと比べものにならないほどの圧力が放たれる。世界樹が葉をこすり合わせ、悲鳴を訴える。

 黒が腕を振るう。空にあの奇妙な穴が開き、そこへ腕を突っ込む。しかしそれよりも早く。

 

「今です、木乃香さん!」

「うん! お願いや、クウネルはん! 『Grimoire of Alice』」

 

 木乃香のスペル宣言(、、、、、)と共に、本から目映い光が放たれた。

 



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全てを呪う、翼たち

長らくおまたせしてしまい申し訳ありませんでした。


 深い夜に閉ざされた麻帆良を刹那は翔る。

 木乃香を抱えたまま、疾風に乗った燕の如く飛ぶ。眼下の街角のこぼすほのかな明かりが輪転機のように視界を辷るが、それでもまだ遅いと言わんばかりに、休めることなく翼をはためかす。一刻も早く、詠春達から遠ざかるために。

 

「せっちゃん……」

 

 その頬を濡れそぼちらせた木乃香がそっと胸元を握ってきた。その指先は震えている。しかし木乃香の瞳におびえはなかった。ただ詠春を案じる色がひたひたと満ちている。その輝きは深い底に沈んでいるが、確かに綺羅星の如く光を発していた。

 その瞳をのぞき込んでしまった刹那は、後ろ髪を引かれる思いがむくむくと立ちこめてき、心が掻き乱された。

 詠春は捨てられた刹那を拾ってくれた命の恩人だ。木乃香の父ということを差し置いても、力を貸せるのであれば貸したいと思うのは人情だろう。

 しかし、刹那では詠春の力になれることなどない。

 遠のいていく背後から感じられる凄まじい気の高まりに、空気はひりつき羽根が逆立ち、雷鳴がゴロゴロと刹那の背中へのしかかる、離れてなおこれほどの剣気が届くのだ。未熟な刹那がその場にいれば、意識を保つことすら難しいだろう。できうる限り離れることこそ、詠春への最大の手助けになる。

 そして何より、木乃香を守るためには、こうするしかないのだ。

 奥歯をギリギリと噛みしめ、木乃香の声が聞こえないふりをし前だけを見た。

 再び名前を呼ばれる。腕に力がこもりかけるも、「大丈夫ですよ、お嬢様」とだけ告げ、刹那はさらに速度を上げようと降下した。耳元をびゅうびゅう風が吹き付けていく。

 しかしいくら速度を上げても、背後から感じられる剣気は強まるばかりだった。そして昂ぶったそれらはいよいよ破裂した。

――来る。

 刹那は来るであろう衝撃に備える。空中の一点に留まり、自らが持つ有りっ丈の防御札を使い、最大強度の結界を展開する。それは神殿並の霊壁だ。西洋魔法使いの最大級の攻撃呪文ですら防ぎきれる逸品。強固な護りが完成した瞬間、とうとう二つの力が激突した。

 閃光に包まれ辺りが白く染まるなか、刹那は確かにその眼で幻視した。二人の剣士が己が技をぶつけ合う様を。

 光に一拍遅れ、衝撃が襲いかかってきた。怒濤の勢いでやってきたそれは、刹那が展開していた結界を、瞬く間に砕く。結界が砕かれた瞬間、刹那は瞬間的に気を放出し、衝撃波の威力を僅かばかり減退させた。しかしそれだけでは雀の涙というもの。刹那は衝撃波によりあっさりと波に呑まれたように宙で踊らされた。

 吹き飛びいく最中、翼を目一杯広げ、なんとか制動をかけることに成功する。しかし桁外れな衝撃に五感という五感がグチャグチャになってしまい、辺りの様子が分からない。半狂乱に掻き抱いているはずの木乃香の名前を叫ぶ。

 

「御無事で!?」

「う、うん。大丈夫や」

 

 多少強張っているものの、それでも元気そうな木乃香の声が胸元からし、幾分かの冷静さが戻ってくる。

 また背後の力は(かん)に入ったのか、今すぐぶつかり合う気配はない。

 刹那はようやく胸をなで下ろせた。五感の回復を終えると、再び麻帆良の空を移動し始める。穏やかな疲労が寄りかかるせいで、翼の往復する頻度が僅かに減る。先程よりも顔を叩く風は柔らかくなり、後ろに流れる光景も、落ち着きを取り戻していた。翼で緩まった空気をぴしゃりとうつ。熱気と寒気をごちゃ混ぜにしような、奇妙な熱を孕む空気を羽根の一つ一つで捉え、うち、上昇していく。そして翼を広げると、緩やかに滑空を開始した。

 背中に衝撃が走り、視界が空転した。重力のかかる方角も分からなくなり、木乃香だけでも守ろうと身を丸くする。そして地面に落ちた。翼が熱い。

 刹那は真っ先に木乃香の無事を確認した。怪我を負った様子はない。しかし怯えているのか、震えている。そして、刹那の肩越しを青い顔で見詰めている。視線の先に敵がいるのかと、刹那は敏捷な動作で刀を抜き、立ち上がろうとするが、翼を襲う痛みに呻き声を漏らし膝をつく。翼が途中で折れ曲がり血の色が混じる骨が顔を覗かせていた。それでも怪我を押して立ち上がり、木乃香を背に隠す。

 

「ち、治療せんと……せっちゃん、すぐ治すさかい、そない動いちゃあかん」

 

 木乃香の声に混じり、微かに羽ばたきが聞こえた。見上げれば、近くの外灯の上に一人の女性が立っていた。刹那が白刃を突きつける。翼の痛みが増した。

 

「何者だ!」

 

 笑い声が辺りを満たす。

 その声音は澄み切っていた。あたかも度を超して水が澄むと生き物が生きられないように、他者の存在を拒絶するかのような、底の見えない暗闇の声音だった。刹那はその声を聞いた瞬間、胸のうちが揺らぐ。なぜだか心が落ち着くのだ。安心してはいけないはずなのに、理性が否定しようとも、本能とも呼ぶべき場所が、木乃香といるときのように暖かくなってしまう。

 そんな奇妙な感覚を振り払い、女性を睨み付ける。

 

「一夜にして二度も誰何されるとは。まあ、教えて差し上げましょう。八大天狗が一角、この世全てを怨み呪う大魔閻、崇徳白峰也」

 

 白峰は地上にふわりと降り立ち、刹那に視線をやった。荒んだ金色の瞳が、刹那の姿を捉え輝く。

 その瞳の輝きが、まるで月詠の瞳のようで、夕凪の柄を握りしめる刹那の手に、力がこもる。眼光鋭く、白峰の一挙手一投足を見逃さぬように、その全身を見据える。

 

「たかが烏天狗如きが睨むとはな」

 

 いつの間にか眼前に立っていた白峰が、刹那の顎を掴み持ち上げていた。

 一時たりとも目を離していないのに、刹那には白峰の動きが見えなかった。

 

「う、うわぁ!!」

 

 夕凪の刃が空を切る。白峰の姿が消えている。刹那は荒い息をつきつつも辺りを見回す。しかし白峰の姿がどこにも見当たらない。

 

「後ろや!」

 

 振り返りつつ夕凪を横薙ぎに振るう。影すら斬り落とすことは叶わなかった。

 そして目を見張った。白峰は刹那が振るった刀身の上に立っていた。

 白峰は小石を蹴るが如く足を振り子にし刹那の顔を蹴りつけた。気の護りにより痛みこそないが、衝撃で刹那の顔がのけぞる。その間にまたしても白峰はその姿を消していた。

 

「どこに!?」

「ここですよ」

 

 折れた翼が背後から握り締められる。鈍い音を立ててさらにいくつかの箇所が折れる。血が辺りに飛び散り、刹那の悲鳴が響き渡る。

 刹那は苦痛から逃れようと暴れ回り地を転げた。俯せに倒れ伏した刹那の片翼は血に染まり、真っ赤になっていた。

 その背中を踏みつけられる。余りの力に、身体中が軋む。胃の腑から消化液がせり上がり、喉と口を苛む。

 

「おや、せっかくの白が汚れてしまったじゃあないですか」

 

 刹那はぴたりと全ての動きを止めた。その様は火山の噴火寸前のシンとした静けさのようだった。刹那の身体が細かく震える。するとその目が血走り、髪が伸びだした。それは嵐のように荒み、乱れていた。

 そして、理性を投げた。

 身体の奥底からこみ上げる力に任せ、白峰の足を力尽くにふりほどく。すぐさま雄叫びを上げ、白峰に斬りかかった。それは迅雷だった。技術もへったくれもない、力業による突撃だ。だというのに、今までの刹那よりも遙かに速い。

 だがそれでもなお、その刃は空を切る。白峰の姿が消え去る。速すぎる。転位の術を使っているのではないかという速さだ。

 しかしそれほどの速さを前に、刹那の朱色に染まった瞳は白峰をしっかりと追っていた。

 身体中の筋肉を限界以上に酷使し、無理矢理反転する。気ではない何かが刀身を伝い、赤黒い雷を放つ。

 

「シネ!!」

 

 唐竹割りの一撃は、今までの技と比べ、威力が跳ね上がっていた。夕凪が深々と大地を切り裂く。

 それだけの威力を発しながら、雷は未だ刀身から消え去らず、二の太刀を繰り出す。

 

「やれやれ、犬はいらぬ」

 

 刹那の変貌を前に、白峰は鼻白む。そして翼からもぎ取った羽根を無造作に投げつけた。だというのにその羽根は余りに速く、迫る影を捉えたものの身体が動かなかった刹那の肩を貫き、後ろにある壁へと縫い付けた。

 貫かれた箇所が砕かれたような衝撃が襲う。刹那の息が詰まる。が、それでも身体の内側で暴れ狂う衝動は止まらなかった。しかしさらに幾つもの羽根が身体を貫いた。刹那がどれほど力を込めようとも、完全に壁へと縫い止められてしまい、もはや微動だにすることすら出来なかった。それでも怨嗟の念を込め、白峰を睨む。

 白峰は刹那の怨念をむしろ心地が良いとばかりにその口角を穏やかに上げた。

 

「まあ、そう憤るな。何も知らない小娘よ」

 

 白峰はしばし辺りを見、正面がガラス張りの店の中から、比較的傷のついていない、上等な椅子を引っ張り出してきて、座りこんだ。その間に木乃香が刹那を助け出そうと無駄な努力を重ねていたが、それを一瞥するや鼻で笑う。

 

「哀れよなぁ。吉兆の証として生まれながらも、不吉の証と誣言(ふげん)され、周りに苦しめられた」

 

 穏やかに話しかける様とは反対に、その声音は底知れない闇をますます深めていた。刹那は知らず知らずのうちに唾を飲み込んでいた。

 白峰が頬杖をつき髪を梳いて弄び、遠い目をする。その瞳にはどす黒い暗黒がたゆたい、今にも瞳から涙として迸り、溢れ出し、この世全てを黒海へ沈めんとするかのように、底の知れない何かが腐り沈澱していた。

 

「お前は私によく似ている。周りが私たちを悪へと仕立て上げた。我らはただそこに生きていただけだというのに。下らぬ権威や浮ついた誇りなどとやらのせいで」

「どういう、意味だ……!」

「烏とは黒い鳥だ。されど、時折白い烏が見つかる。それを時の権力者達は吉兆の証として扱った。解るまい。白い烏とは本来ありえぬ希少な存在。けして不吉な存在ではない。それは妖怪にも当てはまる。黒でない烏は、強い力を有す。お前もそうだ。その白に恥じぬ類い稀なる才覚を有しておる。それこそ時を経れば、大天狗にまで至れるほどの才覚だ。しかしいつの世も、無能は妬むことしか出来ぬ。特に妖怪と人間のハーフであるお前の存在なぞはな」

 

 故に、捨てられた。お前の両親は殺され、赤子であるお前は捨てられた。愛も知らず、この世で尤も残酷に死に絶えるだろうとほくそ笑まれて。

 

「うそ、だ」

「嘘なものか。この私が自ら調べたのだ。間違うはずがなかろう。……のお、刹那。お前は私とよく似ている。どうだ、一緒に来ぬか? 全てを憎み、全てを呪おうぞ。我らを虐げた者たちが苦しみ死に絶える様は、格別の甘露だぞ」

 

 口角を吊り上げる白峰は、おぞましい笑みを刹那へ向けていた。

 その笑みを見た瞬間、刹那は頭の中が真っ白になった。全てがぼんやりとしていた。その中でただ白峰だけがはっきりとしてきて、聞かされた言葉が反響しつつも刹那の耳に何度も入り込み囁く。戒めが解かれ地面に落ちる。ふらふらと立ち上がり歩き出す。

 視界の片隅で誰かが手を伸ばしているのが見えた。しかしそれよりも、白峰の手だけが刹那の意識にあった。何かが足にひっついた。唯、邪魔だと思った。

 そして白峰の手を握ろうとした瞬間、刹那の手首が誰かに捕まれた。

 

「いけませんよ、刹那君。それ以上は」

 

 その言葉を耳にすると、刹那は意識をふつりと失った。

 

 

 

 今日という日を木乃香は生涯忘れることないだろう。何も出来ないという罪深さを突きつけられたこの日を。

 東洋一の魔力を持ちながら、その力を磨くこともせず木乃香は安寧に生きてきた。その魔に引かれたであろう妖の存在を知ることもなし、その力と権力を欲した人間の悪意を見詰めることもなしに。

 魔法を知ったのがつい最近だったというのは、言い訳にすらならない。平和に生きてきた影で、大切な友人が戦い続けていた。一体どれほどの傷を負っただろうか。一体どれだけの苦痛を乗り越えたのだろうか。

 その犠牲を知らず、知ろうともしてこなかった。そしてそれを知ってなお、魔法と向き合うことはしなかった。ただ、面白そうだと幾ばくか杖を振るう程度。覚えた魔法は初歩の初歩にあたる治療魔法が一つ。

 それでも膨大な魔力に任せることで、多くの傷を癒やすことが出来た。それで天狗になっていたのかもしれない。もう刹那の痛そうな姿を見ることはないと。刹那の傷を治すことが出来ると。とんだ思い上がりだ。

 小さな傷を癒やせるのがなんだというのだ。自らの身を守ることなどは出来ず、刹那ばかりが傷を負う。木乃香さえいなければ、そんな怪我を負う必要はなかっただろうに。

 近衛木乃香こそが、桜咲刹那にとっての疫病神なのだ。

 木乃香は顔にかかった血を拭うこともせず、折れた翼を握られ苦痛を漏らす刹那の姿を見続けながらそんなことを考えるしかなかった。

 そして、敵である白峰の告げる言葉に打ち据えられた。

 知らなかった。刹那の両親が殺されていたことを。ただ詠春が友達として連れてきてくれ、そして一緒に遊んだ。実家に同い年の子なんていなかった。だからうれしくて、いつも一緒に遊んでいた。まりをつき、カルタを遊び。とても大切な友達だった。だから麻帆良で避けられていた時期は辛く苦しい思いだった。友達なのに、なぜ?

 でも、それは本当だったのだろうか。本当に友達ならば、刹那の苦しみの一つでも知ろうと、一緒に背負おうとしたのではないか。ただ自分は、享楽を運んでもらったから、友達ぶっていただけなのではないか。もし幼い子供の時、刹那以外の子がいたら、刹那と友達になっただろうか。分からない。分からなければならないのに、分からなかった。それがどうしようもなく悲しくて、悲しくて。そして自らの薄情さにほとほと嫌気がさし。一筋の涙を滔々と流した。

 

「せっちゃん……駄目や、アカン。お願いや、せっちゃん」

 

 だから、止められないのだろう。友達の言葉ではないから。友達のふりをしてきた薄っぺらな偽物の絆の言葉だから。

 白峰に差し出された手。それを握ってしまえば、刹那はもう取り返しのつかない場所にいってしまう。必死になって押しとどめた。みっともなくとも泣き叫んだ。足に縋り付いて止めようとした。しかし、刹那の歩みは止まらなかった。止まるはずがなかった。

 それを止めてくれたのは、木乃香ではなかった。刹那の腕を掴んだのは、かつてネギと戦ったクウネル・サンダースだった。

 闘技大会の時同様の胡散臭い姿ではあったが、纏うローブはぼろぼろにすり切れており、縁から僅かに見られる端正な顔も、傷や埃だらけだった。大会中浮かべていた軽薄な笑みはなく、唇はキリキリと一本線に引き絞っている。

 意識を失い崩れた刹那の身体を抱えると、木乃香のそばまで一息に飛び退った。そして、刹那を木乃香へと手渡した。

 刹那の身体は傷だらけで、木乃香は震える手を刹那の頬に当てた。

 

「ゴメンな、せっちゃん。今度こそ、ウチ、強うなるから」

 

 木乃香は刹那を抱え、肩を震わし続けた。



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古き英雄の賛歌

 倒れ伏した刹那を、涙を流す木乃香に預け、クウネル・サンダースことアルビレオ・イマは、後ろの二人を守るように白峰の眼前にて仁王立つ。それを黙って目配りしていた白峰だが、ふとアルビレオのみに目をやった。瞬間、凄まじい重圧がアルビレオを叩き潰そうと覆い被さる。

 アルビレオは苦痛に声が漏れそうになる。が、けしてそれを表に出さず、飄々と人をからかう普段の態度を捨て去り、白峰をにらみ返す。

 

「邪魔立てするか。貴様は我らと同一なのに」

 

 肩越しに背後を見やる。

 気を失った刹那を抱えた木乃香が、肩を震わし唯々謝罪の言葉を嗚咽と共に漏らしている。

 アルビレオはこんな悲嘆に暮れる人間の姿を見るのが嫌いだった。趣味の悪戯とて、人々が伸び伸びと感情を爆発させる様を見るのが好きなのであって、今の木乃香のように冷え切った闇に覆われていくのは、見るに堪えない。苦痛であり、いつまで経っても慣れることの出来ない四苦八苦だ。

 故に告げる。

 

「貴方が若い芽を腐らせるならば」

 

 それだけはけして許さない。アルビレオの端正な顔立ちが変わる。阿修羅をも上回る鬼面だ。涼やかな心を怒りが、否、憤怒が煮えたぎらせ、その身体をせっつく。

 

「それに貴女方と同じ? 冗談じゃありません。反吐が出る。私はアルビレオ・イマ。赤き翼のアルビレオです」

 

 だからこそ英雄の教示を高らかに名乗り上げる。

 強きをくじき弱気を助くる。英雄の全てを誇りとして。

 

「貴様は賢しいと考えていたが、存外愚かであったようだ。そんな身体で私と戦うか?」

 

 白峰がにたりと嘲る。

 確かにアルビレオは、隠していたが疲弊しきっており、まともな力なぞ残されていなかった。

 麻帆良武道会後、アルビレオは黒に襲われ敗北し、捉えられていた。

 武道会を監視していた黒に気がつき、その正体を感づいたまでは良かった。しかしそれは黒もまたアルビレオに気がついたのと同義であり、襲われたのだ。抵抗虚しく捉えられ、時間軸すら異なる異界の牢獄へ閉じ込められ、漸く脱出したばかりだ。休む暇さえなかったアルビレオの身体には、黒との戦いや脱出を拒むために仕掛けられた罠によるダメージがあり、さらにはそれらにより殆どの力を使い果たしてしまっていた。

 その結果、本来ならば大海を思わせる魔力は水滴ほども残っていない。

 万全な状態ですら大妖怪を相手にするとなれば、その命は覚悟しなければならない。だというのに、疲弊しきった身で戦うなぞ、正気の沙汰ではない。

 しかし。しかしそれでも。それでもだ。今戦わなければならないのだ。後ろで倒れ伏している少女二人を守るためには。

 

「馬鹿で結構。時にはその馬鹿が信じられない事をなし遂げる。世界とはそういうものです。私はナギにそれを教えられました」

 

 視界を遮るフードを降ろす。辷らすようにして左手に仮契約カードを取り出し構える。

 

「アデ――」

 

 アーティファクトを具現化する文言。それを言い切るよりも早く白峰の姿がかき消える。それを理解するより早くアルビレオの身体はアーティファクトの具現を中断し、回避動作へ移行した。

 

「遅い」

 

 経験による人智をも越えた判断。それを持ってしても、白峰の速度を勝ることは出来ない。

 白峰の蹴りが左手首を粉砕する。鈍い音が響き、次いで血が辺りを舞う。ぼとりと、白峰の蹴りで引きちぎられた手首が地面にぶつかる。鮮やかすぎる赤が、辺りを彩る。

 それだけの一撃を受けてなお、アルビレオは苦痛のうめき一つ漏らさず、右手へ別の武器を辷らす。

 握られるは銀色の短剣だ。

 

「お得意の魔法はどうした? 使わないのか?」

 

 安っぽい挑発だ。いくら怒りに身を投げたといえども、その程度で理性を投げ出すアルビレオではない。白峰の速度を相手に悠長に呪文を唱える余裕はない。例え無詠唱の魔法を放てたとしても、白峰ならば視認してから悠々と避けるだろう。

 そもそも魔法使いの尤も苦手とするのが速度のあるインファイターであり、その極致が白峰だ。魔法使い殺しとも言える相手に無策のまま魔法で挑もうなど、アルビレオはそんな馬鹿を通り越して考えることを放棄した無謀はしない。

 とはいえそれでも彼我の速度差は絶対的な隔たりがある。此方は蟻の歩み。彼方は隼の飛行。追いすがったとしても影すら踏めない。故に必然的にアルビレオが採れるのは、カウンターを主体とした待ちの姿勢だけだ。

 ナイフを片手に、待ち構える。

 

「キツツキを知っておるか? やつらは奇妙な鳥でな。幹を叩いて餌の虫を捕らえる。そのときただ叩くのではなく、木の穴の反対側から叩いて、獲物が外へ出るよう誘導するのだ」

 

 アルビレオは悪寒が走り、その感覚に従い身を投げ出す。次の瞬間、上空からヘドロのような粘性をした呪い(、、)がこぼれ落ちてきた。呪いは誰もいない場所に落ちると、一瞬でその場を穢し尽くし、レンガ道を完全に溶かし、焦げて黒ずんだ大地をむき出しにした。

 

「そうら。身体を出した」

 

 そして呪いを回避したアルビレオは、体の良い的と化した。体勢を立て直す猶予もなく背後から白峰に蹴られ、吹き飛ばされて地面を転がる。その勢いがまだ止まぬうちに正反対の方角から蹴り飛ばされる。

 それが幾度も繰り返される。

 

「蹴鞠を思い出す」

 

 遊ばれている。麻帆良の魔法使いの中でも最強に相応しい実力者が、手玉に取られる所か、遊び道具にしかなりえない。

 圧倒的なまでの実力差に、アルビレオは分かっていたことであるが、それでも歯ぎしりを禁じ得なかった。

 しかしそれでも諦めることだけはない。転げながらもナイフを振るう事で、一時の隙を作り立ち上がる。

 アルビレオの息をつく暇もなく、白峰が五つの羽根が投じられた。黒い羽根が突如円形状に広がり、逃げ場を奪うように挟み込んでくる。それに対しアルビレオはナイフを背後に振るった。

 鮮血が舞う。五つの羽根が、アルビレオに食らいついていた。

 

「ほう。見破ったか」

 

 アルビレオの足下に、六つ目の羽根が斬り落とされ転がっている。その羽根は、呪いを纏っており、今もなお触れたものを溶かしている。

 アルビレオがナイフを投げ捨てた。投げ捨てられたナイフは、すでに刃が溶けきっており、瞬く間に柄までも煙を立てて消えていった。

 それを見届けることなくアルビレオは突き刺さった羽根を引き抜く。

 そこまでして、アルビレオの膝がくずおれる。蓄積したダメージが滔々足にきたのだ。そしてそれだけの隙を白峰が見逃すはずもなく、アルビレオが体勢を立て直す前に、その周囲には黒い風が渦巻いていた。その風は超音速で飛び交う白峰そのものだ。

 囲まれたことに気づいたアルビレオは、咄嗟になけなしの魔力で障壁を貼る。次の瞬間、削岩機を数十台同時に使ったような爆音が鳴り響いた。白峰が超高速で動くことで生み出された鎌鼬が、アルビレオの障壁を削っている。見る見るうちに障壁が薄くなっていく。障壁が破られたら、そのままアルビレオが全身を切り刻まれるだろう。

 アルビレオが歯をむき出しにして障壁を維持する。破られるわけにいかないのだ。死力を振り絞った甲斐もあり、徐々に障壁が持ち直していく。

 とはいえこのまま鎌鼬から身を守っていても、勝機はない。故に囲まれたこの状況から一度脱出しなければならない。残り僅かな魔力がさらに減ってしまうが、短距離転位魔法を行おうとした。

 しかしそのときアルビレオがふと気づいた。何時の間にか風の音が止んでいたことに。

 なりふり構わず前へ転がる。後ろからジュッという音がした。振り返れば、先程までアルビレオがいた所に、障壁を溶かした呪いが留まっている。

 八方ふさがりだ。

 白峰の余りの速さにアルビレオは護りを固めるしかない。しかしいくら護りを固めても、その護りを無に帰す呪いが白峰にある。

 なんとか速さか呪いのどちらか一方でも無効化しなければ、アルビレオに勝ち目はない。

 

「ふ、ふふ。あのときの光景が今思えば楽に見えてしまい困りますね」

 

 ならばそれをするだけだ。アルビレオは覚悟を決めた。

 最後の詠唱を高々と謳う。

 重力魔法。それもアルビレオの使える魔法の中で最大規模且つ最大重力を生み出す魔法だ。

 

「乾坤一擲の大博打か。武士のようで見苦しい」

 

 その隙を白峰が見逃すはずもなく、アルビレオの背後に回った白峰が、最後の一撃を繰り出す。

 

『呪詛 安元の大火』

 

 爪から血の呪いが溢れ、白峰の手を覆う。赤い呪いは今までの呪いと比べても桁違いの純度で、触れてもいないのに無差別に近くの命という命を殺していく。それだけの呪いが黒く染まり、炎が上がる。かつて太郎焼亡とも呼ばれた、京都を焼き尽くした大火が。

 炎を纏った腕がアルビレオの脇腹を貫いた。

 白峰の顔が楽しそうに歪む。口角はつり上がり、感動しているのか身体を震わしている。

 しかし、その表情が困惑に変わる。

 

「なぜ貴様はまだ存在する?」

 

 存在するはずがない。呪いの大火を浴びて、存在を許されるものなどいない。白峰の呪いとはそんなやわなものではない。祟り神の中でも尤も恐れられた白峰の呪詛が、死にかけている存在を滅ぼせないなどありえない。

 

「どうやら賭けは勝ったしたようですね……。貴方の事です。危険を避けるため背後から、そして最後の最後まで私を痛めつけるのを目的に、脇腹を貫くだろうと予想しましたが。……ここまでうまくいくとは」

 

 アルビレオが微笑んでいる。

 

「まさか……、馬鹿な……、貴様!」

 

 ローブが風に翻る。

 

「自分から腹に穴を開けたというのか!!」

 

 アルビレオの脇腹があるはずの場所が、人の頭ほどもぽっかりと消えてなくなっていた。

 

「その通りですよ。貴方を倒せるなら、私の腹なぞいくらでもくれてやりましょう!!」

 

 アルビレオは、最強の魔法を詠唱しながら、無詠唱の魔法で自らの腹に穴を開けていた。その風穴を白峰は穿ち抜いたのだ。

 逃げようとする白峰。しかしすでに隼は罠に引っかかったのだ。ならば後は逃げられぬよう罠の口を閉ざすだけ。詠唱を終えて遅延していた魔法が、重力魔法最大規模の魔法が、アルビレオによって僅か数メートルの規模にその密度を凝縮させ発動する。

 頭上から瀑布の如くのし掛かった重力が、アルビレオごと白峰を押しつぶす。

 

「何故だ、何故だ! 何故貴様は見も知らぬ子供のためにそこまで出来る!? 私は、私は……血族に悔いることすら許されず虐げられたというのに!! 何故なのだ……貴様は何故見も知らぬ小娘を助けるためにそこまで必死になれる!?」

 

 凄まじい重圧に押しつぶされながらも叫ぶ白峰に、アルビレオは笑ったまま答える。

 

「そんなこと簡単です。助けたいからですよ。貴方にだっていたはずです。貴方を助けようと、貴方の元に集った人々が」

 

 そして白峰が押しつぶされるほどの重力の中、振り返り白峰を掴みあげる。

 

「それすら忘れ果てた貴方に負ける道理などない!!」

 

 正真正銘全ての魔力を込めた拳が白峰の頬に突き刺さる。

 吹き飛んだ白峰が地面に転がる。

 

「……よくも」

 

 白峰の身体から呪いが溢れ出す。それは明らかに白峰のコントロールから外れていた。のたうち回り、周囲を滅ぼしていく。

 

「よくもほざいてくれものよ。我が憎しみを。我が憎悪を。知った口を。許さぬ。けして許さぬ。我は日本国に住まう大魔閻! 全ての者に厄災を!」

 

 倒れ伏したまま白峰がアルビレオを睨んだ。それと同時に呪詛がアルビレオへと近づいていく。

 

「覚えておれ。貴様は私が呪う」

 

 突風が吹く。重力魔法が破られ、魔力が辺りに散る。白峰が倒れていた場所には誰もいなかった。

 それを見届けたアルビレオが、仏倒しに倒れ込む。もはや虚勢を張ることすら出来なかった。魔力を、力の全てを使い果たし、しかしそれでもアルビレオは満たされていた。

 

「守れ、ましたか。……そうですね、ふふふ。今度、キティにでも猫耳白スクハイニーソで労ってもらうとしましょう……か……」

 

 空から降り注いだ一枚の羽根がアルビレオの背に乗る。

 ばたんと音が響く。

 そこには、一冊の本だけが転がっていた。



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覚醒の兆し

 近衛木乃香は、涙を拭った。

 濡れた頬をはたき、気合いを入れる。じんじんとした痛みが木乃香を責め立てる。が、その程度の痛み、刹那の味わった苦痛を考えれば全然足りない。

 前を向く赤々と充血した目は、唯泣きじゃくっていた先程と打って変わり、強い決意に彩られていた。気を失っている刹那を安全そうな店へと連れて行き、机を合わせた即席ベッドに寝かせる。

 

「せっちゃん、ごめんな。ウチ、もっと強うなるから。きっとなるから」

 

 刹那の顔についた汚れをハンカチで綺麗にぬぐい取る。うなされる刹那に、木乃香はその額を優しい手つきで一度だけ名残惜しげになでた。

 そして刹那に背を向け、未だ強く光を放つ世界樹前広場へ足を向ける。

 

「お待ちなさい」

 

 声がした。それは先程のアルビレオの声だった。辺りを見渡すが、あのローブ姿は全くない。

 

「アルビレオさん、どこにおるん?」

「ここです……、貴方の足下の本です」

 

 確かに木乃香の足下に、一冊の大きな本が転がっていた。木乃香が足下の本を拾い上げる。革張りの本で随分と古びているが、その手触りは今まで触ったことがないほど滑らかだ。表紙には金文字で何か書かれていたが、言語が全く分からず、題名は読めなかった。

 その本を拾い上げたら、アルビレオの声が再び聞こえてきた。それは悲嘆に暮れているようにも、あるいは希望を前にしているかのようにも聞こえた。

 

「木乃香さん……そうですか。貴方が戦う覚悟を決めたというならば、私も覚悟を決めましょう。私を連れて行きなさい。きっと貴方方の手助けとなるはずですから」

 

 木乃香は一度頷き、これまた近くの店から拝借した紐でアルビレオと自身のベルトとを結びつけた。結び目をしっかりと確認し、世界樹前広場へ走る。

 

「木乃香さん。今回の異変は、言うなればクーデターです」

 

 世界樹前広場へ急ぐ中、アルビレオが話しかけた。木乃香は足を緩めることなく、しかしアルビレオの話に耳を傾けた。

 

「クーデター?」

「はい。普通の魔法使いによって虐げられてきた者たちが、存在の消滅を前に、結束し反逆したのです。本来彼らは手を取り合うなぞしません。それこそ例え消滅の瀬戸際であっても。ですがその瀬戸際においてありとあらゆる種族の橋渡しとなった、この異変の黒幕がいます。その黒幕により妖怪たちが集団となったのです。逆を言えば、黒幕さえ倒せば妖怪たちは瓦解するでしょう」

「そうなん。じゃあ、その黒幕は一体だれなん?」

 

 木乃香の問いかけに、アルビレオはしばし黙った。様子を窺おうにも、本の表情なぞ分かるはずもない。木乃香の足音だけがする。そんな中、アルビレオがまた口を開いた。

 

「貴方方の副担任、ユギ・スプリングフィールド、今は八雲黒と名乗る妖怪です」

 

 その言葉に、木乃香は足を止めた。

 

「ユギ君が?」

「そうです」

 

 二人の間に沈黙が続く。木乃香はアルビレオを掲げあげ、眼前まで持ち上げた。じっとその表紙を見詰める。

 

「そないこと、アルビレオさんはなんで知っとるん?」

「……それは……」

 アルビレオは言葉を濁す。何を言っても語ってくれそうにない。木乃香はアルビレオを下ろした。

 

「ええよ。信じるから。せっちゃん助けてくれたんは、アルビレオさんやし」

「……ありがとうございます」

 

 再び走り出そうとする木乃香。しかしそこにアルビレオが待ったをかけた。

 

「そうだ。一つお願いがあるのですが」

「? なんや、アルビレオさん」

「アルビレオではなくクウネルとお呼びください」

 

 木乃香の冷たい視線がアルビレオに突き刺さった。

 

 

 

 世界樹前広場に、木乃香がたどり着いたとき、すでに明日菜は倒れ、そしてネギもまたユギの手により敗北しそうになっていた。

 

「木乃香さん! 私を開きなさい!」

 

 紐を引きちぎり、魔導書が木乃香の胸元で浮かぶ。先程まで読めなかった題名が読める。『Grimoire of Alice』という題名が。

 木乃香は躊躇うことなく魔導書を手にし開く。開いたページの文字は虹色に輝いている。その不思議な輝きを目にし、木乃香は不思議な感覚を覚えた。体内の魔力が鮮明に知覚できる。そして、ある考えが浮かんでくる。その考えに従い、魔力を魔導書へと結びつける。

 

「ネギ君、諦めたらあかん!」

 

 だから叫ぶ。希望はまだ消えていないのだと。

 黒が何かを叫ぶ。しかし木乃香の耳には届かなかった。

 

「今です、木乃香さん!」

「うん! お願いや、クウネルはん! 『Grimoire of Alice』」

 

 輝く。魔導書が目映い虹色の光を放つ。数百万、いや数千万にもなる弾幕が、世界を埋め尽くす。

 だがそれだけの魔法を発動した代償に、木乃香は体内の残存魔力が搾り取られていく。

 

「う、うぅあああああ!!」

 

 経験したことのない脱力感が、虚脱感が木乃香を襲う。指先が冷えて、心臓の鼓動が遅くなったような気がする。視界の隅が黒く染まっていく。それでも木乃香は目減りしていく魔力を魔導書へと注ぎ込み、前を睨み続ける。

 

「『幻巣「飛光虫ネスト」』!!」

 

 五つの隙間が開く。黒の扇子の動きに従うように、そこから弾幕が放たれる。お互いの弾幕が相殺していく中、徐々に木乃香の放つ弾幕が押されていく。

 魔力が足りない。魔法を維持するのに必要な魔力が全くもって足りない。分かる。分かるのだ。『Grimoire of Alice』と繋がった今、木乃香には。今自らの放つそれが、本来のそれと比べれば霞にも満たない、失敗した魔法であるということが。木乃香では本来必要な魔力量を全く用意できていない。

 

「くぅうう!」

 

 極東最大の魔力を全て注ぎ込み、ようやく全力を出した黒と相殺が叶う。勝ち目がない。それは木乃香にもよく分かった。だけれども、もう下がれないのだ。下がるわけにいかないのだ。下がってしまえば、大切な人を守れない。

 

「ああ、そうか。そうなんや。これがせっちゃんの気持ちやったんやな」

 

 魔力を振り絞る。押されている弾幕を食い止める。全てを、有りっ丈を注ぎ込む。薄っぺらな魔法人生。僅か数ヶ月にも満たないそれ。だけれども確かに積み重ねたそれを全て使い切る。大切な、大切な人、いいや、大切な友達を守りたい、助けたいから。

 

「これは……! まさか、魔力の拡大? いえ、違う。これは、能力の獲得!? 神代の人間ならまだしも、現代の人間が! こんな奇跡を起こすなんて」

 

 力がわいてくる。使い切ったはずの力が。

 だが、だというのに、黒の放つ弾幕はより威力を増して――。

 

「巫山戯るな!! 都合良く英雄の誕生だと!? そんなことありうるものか、許すものか! 全てを費やしたこれを、ご都合主義の、人間贔屓の神々に邪魔をされてたまるか!!」

 

 黒の廻りが澱む。

 世界が変わる。

 殺気が全てを包み込む中、黒は一枚のカードを取り出した。

 

「変遷『失われし神代、創世されし人代』」

 

 幾つもの、幾つもの隙間が開く。世界を埋め尽くし、隙間が開き続ける。その隙間から瞳が覗き、手足が蠢きのばされてくる。まるで木乃香たちを捕まえようとしているかのように。

 そしてその隙間一つ一つから、今までの弾幕が遊びであるかのような弾幕がばらまかれた。

 

Lunatic(狂っている)……」

 

 アルビレオの掠れた声を最後に、木乃香は殺到した弾幕により意識を失った。



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幻想郷縁起

 世界をその輝きで埋め尽くした弾幕が終息する。

 光から闇へと切り替わるその中心から、黒が姿を現す。左腕をかばい、肩で息をしている。

 近衛の名は伊達ではなかった。木乃香が放った真なる魔法は、黒に確かなダメージを与えた。大凡の魔法使いがどれだけ束になっても、かすり傷一つ追わせることのできない大妖怪相手に。しかもその魔法が、魔界神の残した魔導書に記された魔法だ。今、間違いなく近衛木乃香の名前は、魔法史に永遠に残る偉業をなし遂げた。

 一方の黒は、それだけの底力を見せた木乃香を倒すためとはいえ、かなりの妖力を使ってしまった。計画にはない疲弊に、余裕がそぎ落とされていく。しかしそれでもなお、黒は計画を中断することはない。

 とはいえ、もはや計画に不確定要素を混ぜるわけに行かない。

 ごっこ遊びではなく、妖怪同士の戦いに使う弾幕を生み出す。角度によって様々な色合いに変化する光球は、ネギへと殺到した。

 

「往生際の悪い」

 

 放たれた弾幕は、確かにネギを打ち抜いた。それでもなおネギは、意識を失うことなく、黒へと手を伸ばしている。

 親譲りの魔力が、黒の妖力から身を守ったのだろう。

 その悪運の強さにほとほとあきれ果て、ため息をつく。とはいえ、もう邪魔することはできまい。どれほど強力な回復魔法を行使した所で、ネギの身体は戦える状態に戻るには半日はかかる。

 黒は大仰な動作で腕を満天めがけて振り上げた。

 

「この勝負、我々妖怪たちの勝利だ!」

 

 麻帆良中のモニターに黒が映っている。麻帆良の人々は、一般人も魔法使いも関係なく、モニターの画面に釘付けだ。そこに黒の勝利宣言が映された。

 とたん、麻帆良の至る所から、人あらざるものの歓声が鳴り響く。

 黒がその手を閉じると、それらの声は全てかき消えた。

 同時、世界樹の輝きが最高潮に達した。すでに時刻は丑三つ時を過ぎているが、その輝きだけで、あたりは真昼のようだ。

 その光に照らされた黒は、その光を歓迎するように、諸手を挙げたまま迎えた。

 

「時は来たれり」

「何を、する気だ……」

 

 後ろからかけられた声を、黒は気にもとめなかった。

 世界樹の前に立つ。とんっと軽い音が響く。足踏み。ただそれだけの動作で、世界樹を覆うほど巨大な魔方陣が展開された。それはネギがこれまで見たこともないほど高度な儀式が内包されたものだ。

 同時、スキマが開く。そこから誰かが出てきた。

 

「ああ、来たのか」

「お待たせし、申し訳ありません」

「いや、構わない。これからだ」

 

 やって来たのは、紅白の巫女服に身を包んだ女性だ。よほど激しく戦ったのか、熱帯夜だというのに未だ服の裾が凍り付いている。しかし女性自体には傷一つなく、それどころか、汗一つかいていない。

 気負った様子もない女性が大幣を取り出し、舞いを始めた。同時、麻帆良にある広場から五つの光柱が解き放たれた。それらは赤、黒、黄、青、白の色合いだ。それらの光が上空で混じり合い、一つの大きな光球となる。まるで太陽のようなその光球が、一瞬で麻帆良を覆うほど巨大な陰陽太極図となり、麻帆良を囲んだ。

 

「なに、これ?」

 

 ネギの疑問に、答える声があった。それは、3-Aにて、聞こえた声の一つだ。

 

「麻帆良の歪みはここに正された」

 

 千雨だ。何時の間にかいた千雨は、感情を灯さない瞳で、黒たちの様子を眺めている。千雨が見続ける中、儀式が始まった。

 黒がスキマから取り出した式神たちが、雅楽を鳴らす。音に合わせ、巫女が舞う。黒は能力を全力で発揮し、世界樹へ干渉を始める。世界樹の輝きが不規則に強くなったり弱くなったりする。黒の額からふつふつ汗が涌いてくる。

 しかし突如黒が目を見開いた瞬間、世界樹の光がすべて上空に解き放たれた。そして夜空を切り裂き、西へ飛んでいく。

 その光を見送った黒が、身体を前後に揺らしながら、唄うように宣う。

 

「掛巻も畏き大国主大神の大前に恐み恐みも白さく。大神高き尊き御惠の蔭に隠ろひ平けく安けく有経る事を嬉しみ忝なみ。日に異に拝み奉る事の状を。美らに広らに聞食相諾ひ給ひて。今も往先も弥益に御霊幸はひ給ひて。天下国といふ国。人といふ人の悉。有と有る物皆安く穏に立栄しめ給ひ。何某が家には内より起る災害無く。外より入来る禍事無く。親族家族等賦与け給へる魂は穢さじ。依さし給へる職業は怠らじと身を修め心を励まし。人と有る可き理の任に。恪しみ勤めしめ給ひ。為と為す事等をば。幸く真幸く令在給ひて。病しき事なく煩はしき事なく。子孫の弥継々に家門高く広く弥栄に立栄しめ給へと乞祈奉らくを大御心も和柔に奉恐み恐みも白す」

 

 しゃん、しゃん、しゃん――。

 世界に音が満ち満ち、舞いが彩る。そして神に申した言霊が、力ある存在を招き寄せる。

 

「あぐっ、この力は!?」

 

 西から凄まじい力が近づいてきている。それは京都に封印されていた両面宿儺の力を遙かに上回る。まるで自然そのものが意志を持って動いているかのよう。黒ですら恐怖を抱くほどの力。

 その力が麻帆良に降臨した。

 それは神々しかった。尊く、美しく、神々しい。敵であるはずのネギですら、涙を流しその存在を拝んでいるほどだ。

 

「おおっ、父上、父上」

 

 青、否、事代主がその神に近づく。

 そう、その神こそが、中つ国を治めし国津神の頂点、大国主命。

 大国主命が黒へ仰せられる。言葉一つ一つにすら、信じられないほどの力が溢れている。

 

「一人一種の妖怪よ。汝は吾との約束を守った。故に吾も守ろう。汝が造りし国を、吾が守護ろう」

 

 黒は臣下の礼をとる。たとえ契約を果たしたとしても、彼の存在の不興を買うわけに行かない。

 

「はっ。ありがたきお言葉。妖怪よ、聞け! 我らが理想郷、幻想郷はここになった! 我に続きて来たるが良い!」

 

 麻帆良上空に、麻帆良学園全てを覆うほどのスキマが開く。同時に、至る所から、人あらざるものが姿を表した。今までどこにいたのかというほどの数だ。

 彼らは皆、そのスキマへと吸い込まれるように一心に向かっていく。そんな彼らの影で、空は埋め尽くされた。まるで蝗害のようだ。

 黒もまた、彼らのように空へ赴こうとする。そんな背に、声がかけられた。

 

「待って、ユギ……」

 

 後目に見れば、ネギは手を伸ばしている。

 

「私は、八雲黒。幻想郷の創始者にして、妖怪の賢者」

 

 それだけを告げ、黒は振り向くことなく上空のスキマから消えていった。

 残されたネギは、それを見届けた後、意識を失った。



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幻想へいたりし子
変わりゆく世界


久方振りです。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。


 小鳥のさえずりがどこからか聞こえてくる。

 未だまどろみに浸りかけていた重い瞼をネギが開けば、視界には全く見覚えのない、神経質なほどに小綺麗な淡いクリーム色の天井が広がっていた。

 記憶にない光景が広がっていることに、微かに纏わり付いていた眠気が吹き飛ぶ。辺りを見回せば、そこが三メートル四方の小部屋だと分かった。いや、小部屋と言うよりは個室とでも言うべきだろう。部屋の中央にはネギが寝ていた大きなベッドがあり、東側には大きな広々とした窓があり、太陽光が燦々と差し込んでいる。ベッドを挟んだ反対側の、北の壁にはチェストがあった。その上には液晶の大型テレビがおかれ、その前にはエヴァンジェリンから送られた指輪が置かれていた。

 慌てて指輪をとる。黄金色の指輪は触れると氷のように冷たく、長いことネギの指から外されていたのが分かった。

 ここはどこだろうかともう一度辺りを探る。

ネギがチェストを開けると、一番上には子供用のスーツが糊の利いた状態で畳まれており、真ん中の棚には体温計などの細々とした医療品が整頓されてしまわれ、下段は空だった。

 そして、先程は気づかなかったが、チェストの影に姿見を見つけた。

 姿見に映った姿は、緑色の病院服を着た、頭に包帯を巻かれたネギの姿だ。

 鏡を見つめながら我知らず額に手をやると、くしゃりと布がずれる。

 

「病……院?」

 

 どうやら間違いないようだった。その証拠に窓からは赤い十字架が見えた。

 ネギはなぜ病院にいるのか一瞬分からなかった。が、起きてから混乱していた頭が落ち着くにつれ、記憶が蘇り出す。

 

「止められなかったのか……僕は」

 

 ぽつりと呟いた言葉に、ネギは胸を押さえた。肩を震わし、歯をむき出しにする。鼻がツンとし、目頭が熱くなる。が、それをこぼすのだけは堪えた。

 毅然と前を見据え、病院服を脱ぎ捨てる。取り出したスーツに袖を通し、窓を開く。

 そして魔法で杖を呼び寄せようとする。しかし、呪文を詠唱していた口は、途中で閉じてしまった。

 

「約束守れなくてごめんなさい。父さん」

 

 ネギはしばし立ち尽くしていた。が、自らの頬をはたき活を入れると、最後の詠唱を終える。

 

「よし、行こう」

 

 飛んできた杖をぎゅっと握り締め、ネギは病室を出た。

 

 

 

 ネギが病院の公衆電話で麻帆良学園に連絡を取ると、すぐさま迎えがやって来た。

 病院の玄関につけたのはスモークガラスの黒い軽自動車だった。運転席から高畑が出てくる。どうやら一人のようだ。

 いつもの草臥れたスーツ姿に、ヨレヨレの煙草をくわえている。しかし顔には疲れが見え、動きもどこか精彩さが欠けている。麻帆良祭のダメージが大きいのかとネギは思ったが、それにしては頬にガーゼが張られているくらいで、目立った外傷はなかった。

 

「良かった、ネギ君。目を覚ましたんだね。一週間も眠っていたから心配していたんだよ」

 

 ネギの心配をよそに、高畑は口元を僅かに持ち上げ微笑んだ。

 どうやら心配のしすぎだったとネギは胸をなで下ろした。

 

「うん、心配かけてゴメンね、タカミチ」

「それじゃあ、急ごう。一雨来そうだ」

 

 見上げれば、黒みがかった灰色の雲が、広がり始めていた。高畑に促され、ネギが車に乗るとすぐさま発車した。

 道路は休日だというのに妙に空いていた。麻帆良学園までは非常にスムーズだった。

 しかし麻帆良学園の入り口である道は、群衆で溢れていた。歩道は埋まり、車道にまで人が溢れている。それらはすべてマスコミだった。

 

「タカミチ、あれは?」

 

 ネギが訊ねると、高畑は前を見たまま答えた。その表情は苦虫をかみつぶしたようだった。

 

「……彼らは取材に来たんだ」

「取材?」

 

 返事はなかった。ネギは取材陣の様子をスモークガラス越しに観察してみる。

 何か違和感を覚えた。その理由を考え、そして見当がついた。取材しているスタッフ達の表情が引っかかったのだ。

 ネギの知る限り、麻帆良学園祭に来たマスメディアは笑顔に溢れていた。

 しかし今麻帆良学園にいるメディアの表情は、笑顔どころか厳めしいしかめ面ばかりが並ぶ。

 取材陣がなぜああもおっかない雰囲気を発してるのか。ネギには分からず、ただ高畑の顔を見上げるしかできなかった。

 

「タカミチ」

「ゴメン、ネギ君。後にしてくれるかな」

 

 ネギはそれ以上訊ねることができなかった。

 車が取材陣の前を通りかかると、幾つものカメラのレンズと、マイクが突きつけられる。

 

「麻帆良学園関係者ですね!? お答えください。学校法人を隠れ蓑にテロの準備をしていたとは本当ですか!」

「なぜ魔法を秘匿していたのですか! 魔法があれば救われた人がいたかもしれないのですよ! 良心は痛まないのですか!」

「人体実験で人々の頭をいじくり回していたと報告もあります!」

「我々の取材によれば、何でも関西呪術協会という組織から人々を拉致し、本国とやらに連行。そこで戦争の兵としてとして利用していたとか! それも、いまだ帰還者はいないと! どうなんですか! 答えてください! 人として恥ずかしくないのですか!!」

 

 カメラのフラッシュがスモークガラス越しでもギラギラと光り、目を焼く。

 ネギは息を呑んだ。そして何か口にしようとしたが、空気がかすかにもれるばかりで、脳裏をぐるぐる巡る思いは言葉にならなかった。

 

「なにが……」

 

 高畑が返答の代わりに車内ラジオをつけた。ブウンというチューニングのノイズが収まると、壮年のニュースキャスターが落ち着いた声で、しかし緊迫感を伴い原稿を淡々と読んでいた。

 その内容は、ネギには信じられないものだった。

 

「現在世界各国で魔法という技術の存在が発覚し、混乱をきたしています。日本でも陰陽師の子孫が在籍する関西呪術協会と、諸外国から流れの魔法使いが在籍する関東魔法協会が存在することが発覚しました。政府は両協会へ国会への証人尋問を検討しており――」

 

 高畑がラジオを切る。その頃には、車は取材陣の囲いを突破し、麻帆良学園へ滑り込んでいた。

 

「ど、どうして……? 何が起きたの……?」

「ユ……いや、八雲黒の仕業だよ」

 

 車内を沈黙が満たす。

 ネギは膝頭をぎゅっと握り締め、うつむいた。高畑はバックミラー越しにその光景を見つめ、人知れず奥歯を噛みしめた。

 

「あの学園祭後、世界中で一部の魔法がとつぜん無効化されたんだ。いや、無効化と言うよりも失われたというべきかな。とにかく一部の魔法が使えなくなった。その一つが、認識阻害魔法だよ」

「っ!」

 

 魔法使いにとって、認識阻害魔法は非常に重要な魔法だ。自らの魔法の痕跡を隠すだけではなく、一般人を魔術的に危険な場所へ近づけさせないためにも頻繁に使われる。

 麻帆良学園でも世界樹の隠蔽を行うために、常時認識阻害魔法が発動している。

 それが失われたらどうなるか。その答えは、先程見た。

 

「なんで、そんなことを……」

「足止め、だろうね。魔法使いの動きを止めるために、一般人を利用したんだろう」

 

 ハンドルがギリリと軋む。高畑は歯をむき出しにし、肩を震わせている。

 

「ネギ君、君はどうするつもりだい?」

「え?」

「僕たちもできるだけのことはする。だけれども、きっとそう多くのことはできないだろう。だからこそ、聞きたいんだ。これから激動するであろう世界でネギ君、君は何をするつもりだい?」

 

 高畑の言葉はネギを通して自身に問い掛けているようでもあった。

 ネギは不思議なほど冷静な気持ちで、それを口にした。

 

「もう一度、ユギに会います。そしてもう一度話し合います。……たとえわかり合えなくとも」

 

 それだけ答えると、ネギは背もたれにもたれかかり、前方をぼうっと見つめた。

 

「……ネギ君、君は僕の知らない間に随分と成長したんだね。分かった。僕も君に賭けよう。ナギ・スプリングフィールドの息子ではなく、ネギ・スプリングフィールドという一人の男に」

 

 

 

 時は遡る。麻帆良祭が終了し、妖怪達が黒の作り上げたスキマに飛びこんだ後のこと。

 黒は、一人の人間と共に、海辺を歩んでいた。そこは幻想郷にあるたった一つの海だ。どこまでも清んだ水がたゆたっている。

 

「この地を気に入ったかい、クルト」

「勿論です、我が王よ」

 

 クルトは自らが歩んできた道を振り返った。背後には手つかずの大地がどこまでも、どこまでも広がっている。

 

「私は農家ではないので詳しくは分かりません。が、ここの大地は気に、いえもっと原始的な、より上位の、そう、生命力に満ち満ちている。ここならば、我が民たちも餓えることなく生きていける」

 

 その瞳は希望に光り輝いている。素晴らしい未来がその瞳の中に照らし出されているのかもしれない。

 黒は、唯一の親友にして理解者の喜びように、うっすらと笑みを浮かべた。

 

「喜んで貰えて何よりだ。約定通りこれから彼らを迎えに行こう」

「ええ、ええ。みな喜ぶことでしょう。アリカ様の、エンテオフュシアの直系の子が統治する王国に戻れるのですから」

 

 そしてクルトは再び海を眺めた。その表情は疲れ切った老人のようにも、夢を叶えた健児にも見えた。

 

「だから、良いのですよ。私の望みはアリカ様の愛した全てを取り戻すこと。我が友、八雲黒。私はその願いを全て叶えてもらいました。私は満足しています」

 

 クルトが黒に向き直る。その顔は穏やかであった。黒がその瞳を真っ直ぐ見据える。

 

「我が唯一の友。お前はまさしく忠臣だ。母も、お前のことを誇らしく思うだろう」

 

 黒の腕がクルトを貫く。その手にはいまだ脈動する心臓が握られている。遅れて辺りに真っ黒な血が飛び散った。

 クルトは微笑んだまま、黒へ手を伸ばした。黒もまたその手を掴む。

 

「一つ、お願いが」

「何だ」

「王国を……民を……アリカ様の愛した全てを守ってくだ……さい」

「安心しろ、クルト・ゲーデル。貴殿の血により、この世界は人も、妖も暮らせるようになった。お前こそが王国の礎、真なる忠臣。ならば私も、僕も誓おう。妖怪の、否! 人と妖怪の賢者として! 我が腕は王国に降りかかる火の粉を払い、我が眼は王国の暗雲を見通し、我が頭脳は王国を導かんことを」

 

 クルトが今までで一番晴れやかに笑う。

 黒もまたそれに応える。その唇は震え、歪んでいた。

 

「後は頼みました。……ああ、アリカ様。そこにいらっしゃったのですね」

 

 クルトが腕を持ち上げる。その腕を天から降り注いだ光が包み込む。

 幻想だろうか。いや、幻想の満つるこの地では、幻想こそが真実だろう。

 黒は自らの腕の中で眠る男の瞼を閉ざす。

 

 

 

 幻想郷の歴史は、こう伝える。幻想郷を拓いたものの中に、一人だけ人間がいたと。そしてその人間こそが、妖怪も神もなし遂げられなかった最も偉大な功績を果たしたと。

 名を、クルト・ゲーデル。アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの忠臣として。今も、人と妖怪の賢者により、そう伝えられている。

 




クルトをもっと描写しておけば良かったですね。
ちょっと反省です。
次回から、麻帆良原作とは大きく離れていきます。


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魔法録

短いですがなんとか書けたので投稿します。


 ネギが学園長室の扉を開けると、すでに多くの魔法使いが集まっていた。誰もが硬い表情をはり付けている。ネギたちの入室に気づいているのだろうが、一瞥すらもしない。

 以前世界樹前広場での顔を合わせた時も、気張っている魔法使いは多かった。しかしこれだけ余裕のない者はいなかった。空気の重さに、ネギは息苦しさを感じる。

 戸惑いを隠しきれず、ドアノブをつかんだままのネギに、声がかけられる。奥の机に座る近衛門だ。

 

「おお、ネギ君。目覚めたか。それは重畳」

 

 言葉こそ温かであったが、その眼光は鋭く、まとう雰囲気は冷ややかだった。あふれ出す魔力の圧も、地吹雪のように吹き付けてくる。しかしそれらは、ネギ一人に向けられたというよりも、抑えきれず無差別に漏れ出しているようだ。

 ネギは「そっちじゃ」と促され、魔法使いに混じる。

 周囲の魔法使いは、所々に治療の跡を残している。それらを目にしたネギは、身を縮こまらせた。

 がたり。

 近衛門が立ち上がる。その音に、場の雰囲気が引き締まる。ネギも襟を正す。

 

「さて、皆の者。麻帆良に未曾有の事態が降りかかっておることは周知の通りじゃ」

 

 ネギはほぞをかむ。脳裏によぎるは、一人の姿。超をも上回った、妖怪だ。

 それに、麻帆良はめちゃくちゃにされた。あの学園祭の日に。

 周りの魔法使いもそれが分かっていながら、けしてネギを責めようとはしない。それはうれしくもあり、同時に自らを責める要因となっていた。

 

「先の戦いで人員が不足し、侵入者が増加しておる。また表の世界に魔法の存在が流出し、急速な魔法使い排斥論が形成されかけておる」

 

 それはタカミチの車で見聞きしたことだった。ラジオでも、そして取材に来たマスメディアも、まるで魔法が危険極まりないかのように扱っていた。

 魔法使いを理解しようとせず、一方的に。

 

「……無念じゃ。立派な魔法使いの理念が否定されたようなものじゃ。しかし、そこで諦めても明日は開かれん。儂らは力を出し合い、この艱難辛苦を乗り越えねばならぬ」

 

 だからこそ、学園長が顔をゆがめたとき、ネギも表情を歪めるのを押さえられなかった。

 魔法使いは危険ではない。いや、せめて立派な魔法使いという理念が存在する、それくらいは知ってもらいたい。

 ネギがうつむいていると、突然魔力が揺らいだ。何かの魔法が使われたのだ。

 顔を上げると、空中にスクリーンが投影されている。スクリーンの中央には、ネギの知らない中年の魔法使いがおり、背景には麻帆良学園の警備システムモニタールームが見える。

 おそらく電子妖精を使用した、念話の一種だろう。

 

「学園長、大変です」

 

 つながったのを確認した中年が、つばを吐き散らす。あまりの剣幕に、学園長は話を中断した。

 

「何があったのじゃ」

「あの事件以来消息を絶っていた、長谷川千雨が姿を現しました」

「ち、千雨さんが! どこに、どこにですか!」

 

 ネギが食いつく。スクリーン越しの魔法使いは、ネギに気がついたのか、わずかにためらう様子を見せた。

 

「よい、報告してくれ」

「分かりました。先ほど麻帆良大橋付近の監視カメラに、長谷川千雨の姿が確認されました」

「彼女は何をしておる?」

「いえ、それが……ただ歩いているだけで。何かをしようとする気配はありません」

 

 向こう側で何らかの操作をされたらしく、スクリーンに映された光景が切り替わる。

 薄暗い中、モニターの青白い光がギラつく光景から、爽やかな陽光を受け、優しげにきらめく川面が見える。その川縁に、長谷川千雨がいた。

 ただ、その格好は、学園祭の夜と同じ服装だ。眼鏡も外している。

 ざわめきが学園長室に広がる中、ネギは千雨の姿から目を離せなかった。

 身ぎれいで、どこもやつれていない。数日間行方不明だったようだが、ひどい生活はしていなかったようだ。

 そのことが分かり、ネギは安堵に胸をなで下ろす。

 そして再び千雨に注視したとき、ふと違和感に気がついた。

 千雨は止まっていた。そして空を眺めている。いや、こちらを見返している。

 そのことにネギが気づいた瞬間、千雨の姿がかき消えた。あたかもはじめからそこには誰もいなかったように。

 同時、扉が叩かれる。

 はじかれたように、その場にいた者が扉を凝視する。

 こすれる音もなく、開かれる。そこには、先ほどまでスクリーンに映っていた千雨がいた。

 

「なっ!」

「何か、ようか。そんな大人数でじろじろ見てきて」

 

 驚愕から一転、入り口近くにいた魔法使いの二人が千雨に飛びかかる。

 だが、それは止められた。

 

「不敬であるぞ」

 

 二人の首に輝くは鈍い銀の半月だ。蛍光灯のまぶしいくらいの明かりにギラギラと光る。

 それはデスサイズ。死神がもつとされる緩やかに湾曲した鎌。それが二人の喉仏あたりにかかっている。

 

「何者じゃ!」

 

 二人の後ろに、真っ黒なローブを着込んだ者がいた。

 それは口をつぐんだまま、油断なく周囲を牽制している。少しでも動こうものならば、刃は滑り、赤い花が咲くだろう。

 ネギも武装解除呪文を無詠唱で用意する。しかしそれを撃てそうにない。魔法使いを見捨てるわけにいかない。

 

「そう警戒するな。私に敵意はない。それにそいつは死神でな。閻魔である私を守る使命があるから、過剰反応したのさ。仕事熱心でね。放してやれ、小町」

「はっ」

 

 鎌がひかれる。瞬間部屋中の魔法使いが動こうとする。

 

「やめいっ!」

 

 近衛門の一喝に、誰もがその身をこわばらせる。金縛りの魔法を込めた大喝だ。初歩の魔法であるが、近衛門ほどの術士ともなれば、一喝で五十人以上を縛ることもできる。

 膨大な内包魔力から、呪いに対する抵抗が強いネギですら、指一つ動かせない。

 近衛門は頭を振った。

 

「相手が手を引いたのじゃ。それ幸いにこちらが手を出してどうする」

 

 千雨は目を丸くした。そしてわずかに笑んだ。それは馬鹿にしたようでもあり、まばゆい者を見るようでもあった。

 

「へぇ。変わったな、あんた。以前なら、これ幸いにと黙認しただろうに」

 

 近衛門はふぉふぉとひげをさする。

 

「人は変わるものよ」

 

 どこか遠い目をしていたのは、ネギの気のせいだろうか。

 

「なるほど。それはそうだ。なら話は早い」

 

 千雨がネギを見る。

 そして小町と呼ばれた死神に合図を出す。すると死神が一瞬姿を消し、再び現れた。そのとき、大きな姿見を持って。

 それは大人一人よりも大きい。縁は金でできており、肝心の鏡面は真っ黒に染まっている。

 

「これは浄瑠璃の鏡。すべてを映す、閻魔の鏡。さあ、先生。これから見るは、一人の妖怪の話だ。人間であることを許されなかった、哀れな妖怪の」

 

 千雨の指先が触れるや、鏡が光り出す。あまりの白光に、ネギは目をつぶってしまった。再び瞼を開くと、鏡面には燃えさかる故郷で逃げ惑う、ユギの姿があった。



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魔法録2

 鏡に映るは燃えさかる町並。見覚えのある光景。それも当然。そこはネギがかつて暮らしていた、ウェールズの山村に他ならない。

 悪魔たちに襲撃されたあの忌まわしい日だ。

 だが、ネギの覚えている光景と違うものが混じっている。

 その光景の中央にいるのは、ネギではなくユギだ。これはユギ・スプリングフィールドが逃げ惑う記憶だ。

 

「これは……!」

 

 しかしだ、しかしそれはありえない。確かに記憶を元にかつての光景を再現する、ないし追体験するという魔法は存在する。

 だがそれは最低限、この場にその記憶の持ち主がいなければならない。それが記憶に関する魔法を使うための前提条件。それが揃わなければ、そもそも発動すらしない。だというのに、眼前の鏡はこの場にいないユギの記憶を再現して見せている。

 あたりでは魔法使いたちが口々に否定の言葉を発している。現代魔法学を根底から覆すような内容だ。当然受け入れられるわけがない。

 しかしネギはこの光景が垣根なく真実であると直感した。

 

「これは、ユギの……過去……」

「そうだ。これは間違いなくユギ・スプリングフィールドが生きた証だ。そして終わりの歴史でもある」

「終わり?」

 

 千雨は何も答えなかった。ネギは鏡を見つめ直した。

 空は悪魔が跋扈し、地には崩れた建物の残骸が散らばる。凄惨極まる状況下、ユギは村の入り口へ逃げている。が、それも突然姿を現した悪魔によって、遮られる。

 悪魔は恐らく爵位持ちだろう。映像だけだからその魔力までは伝わってこない。しかしその言動は、間違いなく自らを強者であると自負したもの特有の、傲慢さを内包したものだった。

 脆弱な人間、しかもまだ幼いユギでは赤子の手を捻るように殺されてしまうだろう。

 

「逃げて!」

 

 それが過去の映像であると理解してなお、ネギはユギに向けて叫んでいた。

 いや、それどころか杖を構えて、魔法の詠唱すらしていた。

 杖先は、悪魔に向けられ微動だにしない。

 

「落ち着け、これは過去だ」

 

 そういって千雨が止めなければ、雷の暴風がこの学園長室にて解き放たれていたことだろう。それほどにネギは、激昂していた。

 止められてなお、その身から溢れ出す荒れ狂う魔力を抑えるのに苦労したほどだ。

 その一幕の間にも、過去のユギは、スタン翁の手により村から逃げ出すことには成功していた。

 だが、村から遠く離れたその先、そこで

 

「ユ……ギ」

 

 先ほどの悪魔の手で首をへし折られた。

 

「そんな馬鹿な……彼は今も生きている」

「だが、あれでは間違いなく死んでいる……」

 

 周囲からそんな音が囁かれ、ネギの耳を素通りしていく。

 ただ茫然自失に眼前の光景を眺めるしか出来やしない。

 ネギがスタンや父の手で救われたのと対照的に、ユギは誰にも助けられず、そこで死んでしまった。

 ネギは手にした杖を握り締める。何よりも頼りになる感触が、今だけは恨めしかった。

 ただ見ているだけしか許されない自分に対し、ネギは怒りを抱く。

 

「なんてことを……!」

 

 鏡に映る悪魔は、殺したユギの死体を投げ捨てていた。誰もが顔をしかめる中、ネギだけはただユギの姿を見守り続けていた。

 ネギが見守る中、ユギの死体に変化が起きる。へし折れたはずの首が元に戻り、その身から凄まじい力が放たれる。

 

『四天王奥義、三歩必殺!!』

 

 そうしてユギは自らの手で悪魔を殺した。

 だがそれは明らかな異常だ。誰もがユギに対して目を見張っている。

 そこで鏡の光景が途絶えた。鏡面は元の闇となり、光すらも反射せず、その暗影を湛えて寝静まっている。

 

「これがユギ・スプリングフィールドの肉体(・・)が死んだときだ」

「肉体が?」

「そうだ。このあとすぐにやってきたナギ・スプリングフィールドにより、助けられた」

 

「だが」と千雨は続けた。そして鏡が再び光を放つ。それはあの地獄から一年が経ち、メルディアナ魔法学校に入学する数日前だった。

 ネギとユギが何か話をしている。それは微かにネギの記憶に残っているものだ。確か近くに祖父とネカネがいたはずだ。

 そんな記憶を思い返しているうちに、過去の光景は進んでいく。鏡面に映し出されたネギはユギを急かしていた。

 

「それも完全ではない。なぜなら」

 

 鏡に映るユギの姿が一瞬ぶれる。見間違いかとネギが目を瞠るなか、再びその姿がテレビの砂嵐のようにかすれた。

 

「な、何が!?」

「すでにユギ・スプリングフィールドの肉体は死に、八雲黒という妖怪のものへ変化していた。妖怪は肉体の死には強い。なぜならその根幹は精神だからだ。どれほど凄惨な目に遭おうとも、心が折れない限りけして死にはしない。だが、その根幹が精神であるが故に、忘れられれば消えてしまう(・・・・・・・・・・・・)

「き、消える……?」

「そう。八雲黒という妖怪は生まれてから誰にも認知されてこなかった。故に、その存在を維持する限界が近付いてきている」

 

 千雨の言葉を肯定するように、鏡に映るユギの姿が日に日にかき消えていく。それどころか、終いにははっきりした姿を維持した時間の方が短くなり出してきた。

 それと同時に、ユギの行動も変わっていった。部屋に閉じこもり、心配して尋ねてきた人を追い返す日々。そして何かに耐えるかのように身体をかき抱いていた。

 そして独りごちる。

 

「嫌だ、嫌だ。妖怪なんて、なりたくない……」

 

 ネギは口の中が塩辛くなった。鉄臭い匂いが鼻の奥を刺激、始めて唇を噛み千切っていたことに気が付いた。

 なぜあのときの自分は気が付けなかったのだろう。たった一人、血を分けた兄弟だというのに。ユギの何も見ようとしてこなかった。

 

「何という、ことじゃ……」

 

 鏡のユギは、顎から血をしたたらせている。自らの腕に深々と突き刺した牙からこぼれ落ちていた。

 自らの腕を食むその顔には、明らかな飢えが満ち満ちている。

 

「学園長、それはどういう」

 

 途中、ただ一人何かを理解したのか、近右衛門だけはこの場にいる他の人間が浮かべる驚愕とは全く別の、哀れみの混じった表情を浮かべていた。

 

「忘れられないとはどういうことじゃろうか」

 

 その問いに、タカミチはたじろいだ。何も答えられないさなか、近右衛門は続きを口にした。

 

「儂が思うに、それは感情じゃ。たとえ記憶に残ろうとも、そこに感情がなければそれは記録じゃ。そう考えると、おそらく、八雲黒に必要なものは感情。誰かに妖怪として向けられる感情」

 

 ちらほらと何人かが顔色をさっと青ざめた。

 

「そうじゃ。妖怪として向けられる感情とは何じゃ? それは、恐怖じゃろうて。八雲黒が生き延びるには、人間に危害を与えなければならぬ。それも、生半可なものではない、根源的な」

「根源的? ……まさか!?」

「うむ。おそらくはそうじゃろう。詰まるところ、食われること。生物として絶対的な恐怖にして、高い知性を有すにいたった人間は、様々な食われる恐怖を抱くにいたった。誰もが子供の頃恐怖しただろう。夜一人でいると、まるで深い闇に食べられてしまうのではないかと。森に迷ったとき、見知らぬその木々が自らを食べてしまうのではないかと」

 

 そこで近右衛門は言葉を句切った。

 視線を向けられた千雨は首を振った。縦に。

 

「私は信仰によってその精神を支えられる。なぜなら閻魔とは地獄の裁判官。言うなれば神仏に値する存在だからだ。自らが犯した罪に対する死後の罰への恐怖こそが私の力となる。だがそれは長い間、閻魔大王という存在が信じられ、人々により膾炙されてきたからだ。一人一種の妖怪として生まれたばかりのあいつに、そんなものはない」

 

 故に食わねばならぬ。人間を。

 妖怪として個を確立するために。

 だが、それは同時に一つのことを意味する。

 

「人か、妖か……」

 

 どちらかを選ばねばならない。

 そして、ユギは黒となった。

 妖の道を選んだ。

 

「このときこそがユギ・スプリングフィールドが死に、八雲黒が真の意味で生誕した瞬間」

 

 誰も、何も言えずにいた。あまりに凄惨な生。のうのうと当然のように人として生きてきた者が何を言える。そんな恥知らずはこの場にいなかった。

 そんな中、ネギは千雨に問いを投げかけた。

 

「千雨さん、どうして貴女は僕にユギのことを教えてくれたんですか」

 

 その問いに、千雨はしばし何かを考え込むように目を瞑り押し黙った。

 

「私に真実を教えてくれた奴が、真実から目をそらしている。だからだ」

 

 それに、と続け、

 

「私は閻魔だ。噓吐きの舌は抜かなきゃならない。恩人の舌は引き抜きたくないものさ」

 

 それを最後に、千雨は学園長室から去って行った。




更新遅くなり申し訳ありません。
なんとか少しでも更新速度を取り戻したく思う今日この頃です。


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『魔法使い』とは何か

お久しぶりです。覚えていらっしゃたら幸いです。
そろそろ投稿しないとこのままずるずる引き延ばしてしまいそうなので、短い話ですが投稿いたします。


 千雨が去った後の学園長室では誰も身動ぎ一つせず、静寂に満たされていた。

 が、それは穏やかなものではなく、悲しさが積もりに積もり、圧力すら感じ取れるほどになったがために、口を閉ざしているに過ぎない。

 沈黙の冷気に襲われたのか、ネギはその小さな身体をか細く震わせる。

 場の雰囲気に耐えきれなかったのか、誰かが煙草を吸い出した。灰色の煙が広がり、ネギの鼻にも背けたくなるような臭さを届けた。

 その香りが、ふと懐かしい記憶を引き上げる。

 冬になるとスタンは毎夜の如くパブでパイプをくゆらせていた。カウンター席にどっかと座り込み、バーテンダーから渡される、琥珀色の液体がなみなみと満たされたグラスを干すや、顔を赤らめナギの悪口を言う。

 それを聞いて怒るネギの隣にはユギがいた。

 さらに思い出す。メルディアナの魔法学園で古書の匂いに包まれながら、禁書を読みふけた日を。大人たちから隠れて本を読んでいた、光源は窓からの星明かりと持ち込んだ古いランプだけだ。乏しい明かりでぼやけた文字を追っていく。それが父のようになる道だと信じ。

 その隣にはアーニャか、うず高く積まれた本のどちらかがいた。ユギは、いなかった。

 いつからネギの隣にユギはいなかったのだろうか。

 

「ユギ……」

 

 吐き出す言葉は灼熱で、胸を焦がす。

 父の偉大さに、その輝きに目が眩んだ。本当に大切な者を疎かにして、光を求めた。

 その結果がこれだ。

 自らの愚かさに、心底呆れる始末だ。

 目頭が熱くなる。だが、それを零す権利はない。身体に力を込め、今にも溢れ出しそうな涙を堪える。

 

「ネギ君」

 

 肩に手が置かれる。見上げれば、タカミチは悲痛そうに顔を歪めていた。

 

「自分一人を責めてはいけない。気づけなかったというのならば、僕もそうだ。あの子を苦手に感じ、きちんと見なかった」

「違うよ、タカミチ」

 

 慰めに首を振って否定してみせる。

 知人であったタカミチと、家族であったネギ。その立場は全く違う。

 ユギ・スプリングフィールドにもっとも近かったのはネギ・スプリングフィールドだ。だというのに、何も知らず何もしてこなかった。家族を、たった一人の弟を放りだし、父の栄光ばかりを見ていた。

 それが罪でないはずがない。

 千雨が持ち出した鏡は、確かにネギの罪を暴きだした。

 もう、無邪気に理想へ浸れない。彼は苦いながらも連綿とその轍を刻み続ける現実を知り、甘い妄想に浸るのは砂上の楼閣に籠もることでしかないことを学んだ。

 自ら作り上げてしまっていた幻影の砦は崩れた。ならばもう、現実という嵐に翻弄されながらも、霞む地平線をめざし、歩き続けるしかない。

 

「学園長、お願いがあります」

 

 魔法使いの一群から一歩前へ出る。

 しかと近右衛門の顔を見据え、頭を下げる。

 

「……何かのう」

 

 頭上から響く声に、頭を上げることなく頼み込む。

 

「僕を、……解雇してください」

 

 ざわめきが起きる。

 誰かが、「なぜ」と口にする。

 

「ユギ君を探すためかね?」

「はい」

「それは生徒たちを放りだしてまですることかね?」

「……はい」

 

 再びざわめきが大きくなる。その中に、非難の色が混じっていた。

 だが、たとえ軽蔑されようとも、侮蔑されようともネギは構わなかった。

 生徒を預かっておきながら途中でほっぽり出す。無責任と詰られてもしかたがない。それでも、ユギを探したかった。

 

「お主の気持ちはわかった。じゃが、それはできぬ相談じゃ」

「どうしても、でしょうか」

「くどい」

 

 今まで受けたことがない程厳しい口調だ。それでも引くわけにはいかない。

 顔を上げ、近右衛門を見据える。

 普段の好々爺とした表情は消え去り、険しい渋面をみせている。

 一歩前に踏み出す。

 

「僕は、間違えてきました。身近な、大切な人を見失い、理想にばかりかまけていました。誰かが、ユギを止めなければなりません。そしてそれは、僕がすべきことです。僕だけの責任です」

「それは違うじゃろう。お主以外に身近な者はいた。儂もそうじゃし、マギもそうじゃ。誰もが罪を犯したのだ。それを君一人が背負う必要はない。彼は魔法使いが止めねばならぬ」

 

 二人の間で火花が散る。

 目で分かった。近右衛門が考えを翻さないのを。そして相手もネギが決して考え直すことはないと言うことを悟ったであろうことを。

 先ほどまで騒いでいた魔法使いたちも、二人が放つ空気に気圧されたのか、息を潜めていた。

 ネギと近右衛門の魔力が高まる。最大魔力ならばネギが勝る。しかし、近右衛門には熟練の技によりそれに追い縋ってみせている。

 一触即発。誰もが次の瞬間を予想し、息をのんだ。

 

「そこまでです」

 

 が、それも二人の間に割って入った人物により、現実とはならなかった。

 

「アルビレオ!」

「クウネルとお呼び下さい、と言いたい所ですが、今は緊急時です。学園長。今は争うときではないでしょう」

 

 白いローブのフードを下ろした優男。常と変わらないすずしげな顔だ。しかし感じられる魔力はうねり、熱を孕み、ネギと近右衛門をも容易く凌駕してみせている。

 当たり前だ。彼こそ、彼の大戦にて赤き翼の一員として名を馳せた英雄が一人、アルビレオ・イマなのだから。

 

「さて、どうやらお二人とも話を聞ける程度には落ち着いたようですね」

 

 アルビレオがローブの袂に腕をゆるりと滑らせる。僅かな微笑みがこぼれる。

 その朗笑がネギの煮だった頭を冷やす。この場で争うことになんら価値はない。

 胸元まで掲げていた杖を下ろす。

 

「承知のことでしょうが、ユギ・スプリングフィールド改め、八雲黒と名乗る、真なる妖怪の手により、世界は揺れに揺れています」

「そんなことは分かっておるっ」

「いいえ、普通の魔法使いである貴方たちは、まだそれらを表面的にしか見えていません。だからこそ、今こうして身内で争えるだけの余裕がある」

「……アル、なぜ『普通の』と前につけたんだい?」

 

 今まで黙り込んでいたタカミチが、問い掛けてきた。

 アルビレオは、涼しげな顔を崩すことなく、何でもないことであるかのように、それを口にした。

 

「簡単なことです。この場に魔法使いがいないからです」

「何を言っておる!?」

 

 誰もが驚きに息をのむ。怒気を顕わにする者、アルビレオに対し狂人を見るかのように視線を送る者、様々な者がいる。

 だというのに、アルビレオは至極当然のことを言ったかのように肩をすくめた。

 

「本来魔法使いとは生まれながら魔法使いであるか、とある魔法を覚えた者を差す言葉です。それ以外は侮蔑の意味を込めて普通の魔法使いと呼ぶのです」

「我等が弱いと? だから魔法使いと呼ぶに値せぬと?」

 

 魔法使いの怒りを前に、アルビレオは何等堪えた様子もなく頭を横に振り、否定した。

 

「そもそも魔法使いとは、魔法を扱う存在であるが故に強い弱いという概念は全く意味がありません。捨虫の魔法を収得し、不老長寿となった者たちです。殺されない限り、永久の時間を魔法に捧げていく。それが、魔法使い。人間を捨て去り、怪異へと変貌した真なる魔法使い。が、ゆえに普通の魔法使いと魔法使いの間では、位階が違うのです。たとえ、キティだったとしても、それは他者から与えられた命。決して自らが勝ち取った命ではありません」

 

 周囲はエヴァンジェリンが怒り狂うだろうと予想した。プライドの高い彼女がそんな侮蔑を許せるはずがないと。しかし予想とは違い、彼女はとても静かだった。腕を組み、壁に背を預けているだけだ。

 

「なるほど。確かに貴様の言うとおりならば、私たちは『普通の』魔法使いだ。しかしそうすると疑問がある。六百年生きた私が知らないその知識。どこで知った?」

「……それにはとある話をする必要があるでしょう。長い長い時をかけて、世界中で繰り広げられた人類の抵抗。魔を乏しめ、偽りを真実へ塗り替えてきた世界の真実を」

 

 アルビレオは静かに語り出す。




次回もきちんと投稿できるよう頑張ります。


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『妖怪』の真相

短いおよび地の文だけですが、なんとか次話を投稿します


 そも、妖怪、怪異、モンスター、デーモン。あるいは、神使や天使、神々などの幻想は一体どこから生まれたのでしょうか。

 人々と同じように、彼らにも親に当たる存在がいて、そこから生まれたのでしょうか。

 いいえ、違います。彼らに親は存在しません。生物学的な繁殖など行われないのです。ただそこにあり続けるのです。

 では、彼らの始まりとは一体何なのでしょうか?

 その答えこそが、彼らを幻想と言わしめ、同時に人類共通の敵であり、味方であり続けた理由なのです。

 彼ら幻想は、人々の心が生み出したのです。

 自分たちの血をすすっているかのように生きる貴族が怖い。だからヴァンパイアが生まれた。

 心を読まれるのが怖い。だから(さとり)が生まれた。

 人々が突然消えるのが怖い。だから神隠しを行う妖怪が生まれた。

 すべてすべて人の心が世の中に投射した恐怖なのです。恐怖の影が実体化した存在。それこそが幻想なのです。そしてだからこそ、妖怪はいつまでも存在し続けるはずでした。永久に渡り、人々の脅威として。

 当たり前です。どれだけ科学が発達しようとも、心の動きまでは制御できません。何かに恐怖を感じることは生物として至極当然です。恐怖を完全に克服するなどできやしないのです。だから、恐怖を糧とする妖怪は、幻想は消えるなど、ありえなかったはずでした。

 しかし、人間は愚かでした。ええ、本当に愚かとしか言い様がないのです。

 人は、恐怖が消えないのであれば、恐怖をごまかすことを選んだのです。

 あるときです。それはあるときあなたたち人間の深層心理の奥からあふれ出した考えだったのです。全世界で全く無関係な人々が、全く同時に、全く同じ儀式を行いました。その結果、幻想たちの消滅が始まりました。

 その儀式の詳細は、語るもおぞましいものです。しかしあなたたちにはお伝えしましょう。特にネギ君。君は知らねばならない。でなければ、なぜ君の弟があのような暴挙に出たのか、分からずじまいでしょう。

 かつて闇は、人の隣にありました。それは当然のことです。しかしいつしか人は驕り、高ぶりました。どうにかしてその闇を取り除けないかと。

 当然ですが、それは不可能です。闇とは自然そのもの。自然をなくすことなどできはしないのです。

 人間とてそんな自明の理が分からぬほど愚かではありません。彼らは脅威をなくせないならば、脅威を減らせないかと考えたのです。

 そのためにとった手段こそが、『勘違い』です。

 先も申しましたとおり、幻想は人々が恐怖することを糧とします。しかし、もし、その恐怖が違う対象へと向かえば? いくら幻想とはいえ、いえむしろ幻想だからこそ、人々の恐怖が向けられなくなってしまえば、存在を維持することができなくなっていきます。

 それを人間は人為的に起こしたのです。

 簡単なことです。非常に簡単なことですが、同時に人道を投げ捨てたものです。

 あなたたちは、幻想を滅ぼすために、とある策を打ったのです。

 この日本においては陰陽師たちが、自らが使役していた式神を、妖怪として世に放ったのです。そしてその式神を操り、人を襲わせ、妖怪の立ち位置をかすめ取らせたのです。

 ええ、そうです。あなたたちが妖怪という存在は、かつての陰陽師が打った式の末裔。彼らはそれを覚えているからこそ、今もなお、自らを妖怪とうそぶくのです。

 人々を守るために、汚名を被って。

 それはうまくいっていたのです。

 幻想は姿を消していき、さらには科学の発達により、その勢いはどんどんと増していきました。後一世紀もすれば、この世界から幻想が消え去ったでしょう。そしたら、彼らの末裔が式を戻す。そうすれば、此の世に幻想はなくなるはずでした。

 八雲黒。妖怪の賢者が現れるまでは。

 彼は、消えゆく彼らをまとめました。自らが消え去らないためにも。幻想が、虚無へと消え去らないためにも。

 人々が虚像を見るというのであれば、真実を映す世界を作ろうと。

 その結果があの学園祭なのです。

 彼らは、ただ、消え去りたくなかったのです。人と共に生きてきたが故に、生きていきたいがために。

 



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本当の旅立ち

お久しぶりです。なんとか執筆できたので投稿します。


「さて、ネギ君。これが妖怪の真実です。身勝手な人間により生み出され、殺されかけ、それでも彼らは皆、人と共に生きるために、八雲黒の手を取った」

 

 誰もが静まりかえっていた。それほどアルビレオの語ったことが衝撃だった。彼の言が真実ならば、これまで魔法使いが悪と断じて倒してきたものたちは全く意味が変わってくる。

 彼らは、式神や使い魔は、人間の都合で悪にされただけに過ぎない。そして、幻想たちは成り代わられた立ち位置を取り戻したに過ぎない。誰が悪いと言えば、ただ人間が悪かった。人間の都合で使い魔を、幻想を貶めてきた。

 あれは幻想からの逆襲だったのだ。

 

「だとしても、僕はユギを諦めたくはありません」

 

 真実を知ってなお、ネギの答えは変わらなかった。睨むかのようにアルビレオへ目線をやる。

 

「それで良いと思いますよ」

 

 アルビレオはうっすらと微笑んだ。

 

「結局のところ世界とはエゴイズムのぶつかり合いです。私たち赤き翼もそうでした。そして敵になってしまった彼らもまた。譲れない一線を守るために、ぶつかり合ったのです。ならば、貴方たちもぶつかり合って良いのでは? 八雲黒が君を捨てて妖怪に至った。それは彼のエゴ。なら君も彼を家族として取り戻す。そんなエゴを主張しても良いのでは? 艱難辛苦を耐えられるのであれば、八雲黒を家族と呼ぶのも自由なのですから」

 

 虚空を見つめるアルビレオは何を思っているのだろうか。それはネギには分からない。

 ただ、それはきっと誰も勝手に触れて良いものではないのだろう。

 

「良いんですか?」

「もちろんです。……英雄は人々に称えられこそすれ、自らの幸せだけはつかめない、不幸を押しつけられた存在です。君がそんなものに墜ちる必要はありません。君たちは、幸せになって良いのですから」

 

 フードの隙間から覗くアルビレオの瞳には、溢れんばかりの慈愛が込められている。それはこれまでネギが見てきた期待に満ちた瞳とは対極的であった。

 初めて受けるその視線に、ネギは安らぎを覚えた。

 アルビレオがにっこりと笑う。それは常の胡散臭い微笑みとは全くの別物だ。

 

「僕は、ユギを助けたいんです」

「ええ、それで良いと思いますよ」

 

 本当の意味で、アルビレオはネギの初めての味方だった。

 これまでネギの周囲にいたのは、ナギに憧れた人物や、ネギをナギの後継者としか見てこなかったものたちだ。唯一の例外は、スタンと祖父だけだ。その二人とて、こうも温かく見守ってはくれないだろう。何かしら言葉なり行動なりで道を変えるよう促すだろう。

 いつの間にか流れていた涙を拭い、ネギは毅然とした態度で頭をさげた。

 

「学園長、ごめんなさい。僕は僕の好きなようにします。たとえそれが僕にとって不利益なことになっても」

 

 ネギをねめつけていた学園長だが、ふとため息をこぼすと、椅子にどっかと座り込む。

 

「仕方がない、か。良いじゃろう、ネギ君。君はユギ君を探しに行きなさい。後のことはわしらに任せなさい」

 

 ひげをなでつけ、ホッホと愉快げに笑う。

 学園長の言葉に周囲は驚き、声を荒げる。

 

「落ち着くんじゃ。儂らが何を言おうとも、ネギ君の考えは変わらんじゃろう。ならば、儂らにできることはもう後押しくらいじゃ」

 

 落ち着き払った学園長の言葉に、ざわめきが落ち着きだす。

 学園長がネギを手招きした。

 袖机から取り出した紙に署名をし、近づいてきたネギへと渡す。

 その書面には、解雇通知と書かれていた。

 

「生徒たちには儂から説明をしておこう。何、今の学園の状況を鑑みて、ネギ君のためにならないと判断したと言えば、彼女たちのことだ。きっと分かってくれるじゃろう」

 

 じゃが、と学園長は続けた。

 

「君が仮契約した子たちには、君から説明をしなさい。それが筋というものじゃ」

「はい」

 

 ネギは一度頷くと、踵を返した。

 

「ああ、そうそうネギ君。話が終わったらここに来てください。ユギ君を追いかけるのであれば、普通の手段では到底たどり着けないでしょうから」

 

 渡された紙を受け取り、懐にしまうと、入り口で頭を深く下げた。

 

「今までありがとうございました。そして、最後のわがままを許してくださりありがとうございます」

 

 そうしてネギは学園長室を後にした。




なんだかプロットからだんだんずれていく……。


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