真白なる断罪の英雄と純朴なる不屈の少女 (銀河の星屑)
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prologue1 氷結散花

 部屋一面がキラキラと光り輝いている。砕け散ったガラスが、辺り一面に張り巡らされた氷が、差し込む光に反射し2人の青年と女性を照らすように煌いている。

 

「ツバキ・・・」

 

 金の短髪に青き陣羽織を纏った少年の腕の中では、ツバキと呼ばれた女性――ツバキ=ヤヨイが、既に光を失い焦点の定まらない瞳で青年をしっかりと見つめている。

 

 その姿は儚く、弱弱しい。まるで、氷で出来た人形に無数の亀裂が走り、今にも砕け散るような様だ。

 

 されど、その表情はとても穏やかだ。静かな小鳥さえずる木漏れ日の中、少しばかり昼寝をするような安らかさに満ちている。

 

「ジン兄様、そこに居らっしゃるのですか?」

 

 ジン兄様と呼ばれた青年――ジン=キサラギは、無言でツバキを握る手に力を入れ、目の前に居ることを伝える。そして、静かに感情がうかがい知れない能面のような表情を浮かべツバキを見下ろす。

 

「私……幸せ者ですね。最後をジン兄様に看取ってもらえるなんて」

 

 その言葉を聞くや否や、ジンの表情が劇的に変わってゆく。能面のような無感情なものから、阿修羅のように怒りに満ちた表情へと。そして、胸の内から噴出そうとする感情を必至に抑えるかのように、唇を強く噛みながら搾り出すように呟く。

 

「何故、ここに居る。待機するように命じたはずだ」

 

 ジンが口にしたかった言葉はもっと別の想いだ。しかし、口から搾り出せた想いはそんな言葉となっていた。

 

「私、ジン兄様のお役に立ちたくて――」

 

「そんなことを聞いているんじゃない!」

 

 ジンは胸の内の想いを吐き出すように、ツバキの言葉を遮り、顔を彼女から背けながら問いただす。

 

 ジンによって遮られた言葉を続けようとした折、ツバキはある事に気付く。そして、握られていない方の手を頬に当て、それを確認する。その指先に触れたものは、ジンが顔を背ける直前に流し、ツバキの顔に雫となり落ちたジンの想い、

 

「ジン兄様、泣いていらっしゃるのですか?」

 

 涙だった。

 

「そんなはずが無いだろう。お前のような命令違反を犯し……勝手に1人で……くっう!」

 

 ジンの涙はもうツバキに落ちることは無かった。代わりに涙はジン自身の頬を濡らし、地面を悲しみで濡らしていく。

 

「そうですよね、そんなはずありませんよね」

 

 ツバキはジンの涙を否定しながら、少し罪悪感の混じった――それでいて、僅かに嬉しそうな声を発する。そして、頬を僅かに朱に染めながら、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

「ありがとうございます」

 

 そして、目蓋を静かに閉じ、全てを終わらせるかのように、別れを含んだ感謝の言葉を呟く。

 

「まだ、僕の質問に答えていないぞツバキ。目を開け僕を見ろ」

 

 しかし、ジンは終わらせるまいと、視線を逸らしながら先の質問の答えを問いただす。

 

「何故、ここに居る。心配はいらないと言った筈だぞ」

 

「心配だったんです。それでも私は心配だったんです。ジン兄様が」

 

 ジンが逸らしていた視線をツバキに戻す。そるとそこにあったのは、光を失った瞳の奥から溢れ出る涙。

 

「でも、結局何も出来ませんでしたね。何時もの様に迷惑ばかりかけて――」

 

「そんなことは無い!」

 

 ツバキの謝罪を、後悔をジンは否定する。

 

「全ては僕が愚かだったからだ。だから、だから! ツバキは何も悪くなどない!」

 

 今、ジンの顔に浮かぶのは自責の憤怒。そして、これから訪れるであろう別れに対する悲しみだった。

 

「僕は、何時もツバキに救われてきた。支えられてきた! なのに僕は!!」

 

 ジンの内から、堪えていたものが、想いが、ツバキの涙を見て堪えきれずに溢れ出す。

 

 ジンの傍らには何時も彼女の姿が有った。自身のことを兄様と慕う彼女を見ると過去の思い出したくも無い、本当の妹の姿がチラつき鬱陶しく思っていた。

 

 それでも、気付けばその鬱陶しさは彼にとって当たり前の、暖かな少し照れくさい煩わしさとなっていた。

 

 鬱陶しがりながらも、煩わしながらも、義理として、建前としてこなしてたはずの彼女と過ごす時間は、いつしか歪んでしまっていた彼にとって、そのことを忘れられるほどの……。

 

 いつしかジンは心の奥で願っていた。この時間がいつまでも続くようにと。そのことにジンは今更ながら気付かされた。

 

「ジン……兄」

 

 全てが手遅れとなったこの瞬間に。

 

 ツバキの擦れる声が、間もなくその時の終わりが近づいていることを否応無しにジンに語りかける。ジンはまるでそれを拒否するかのように、強く、強く、ツバキを抱きしめる。

 

「ジン……兄様、い……て…………ください」

 

 ツバキは、自身が抱きしめられていることに気付いていないかのように、何の反応も示せずに淡々と言葉を続ける。

 

「い……って、ください。お兄さんを……助け……て」

 

 ジンはその言葉に何の反応も示さない。代わらず彼女を強く抱きしめ続ける。無駄なことだとは、ジン自身分かっている。しかし、それが今の彼に出来る、意味が無くとも可能な、数少ない別れへの抵抗だった。

 

 時間にして数秒。しかし、2人にとっては過去の思い出を走馬灯のように振り替えるに足る時間が、沈黙となって流れる。

 

「最後に……わがまま……いいですか?」

 

 ツバキの声は既に擦れ、途切れ途切れで、耳元で囁かれているにも関わらず小さくなっていた。されど、その言葉はハッキリとジンに届く。

 

「なんだい、ツバキ」

 

 ジンは少し顔を離し、彼女に見えるように出来る限りの笑顔で彼女を見つめる。そして、子供の頃のように優しく語りかけ、言葉の続きを促す。子供の頃と違う点は、その声には、昔のような表層だけの建前でなく、本心から聞き届けようという想いが込められていた。

 

「やっぱり……ジン兄様には笑顔が似合います」

 

 ツバキの瞳には、とうにジンの顔は写っていない。それでもきっと彼女には彼の今までで一番優しくも悲しい笑顔が見えているのだろう。彼女もまた、今までで一番嬉しそうに悲しい笑顔を浮かべ最後の言葉を口にする。

 

「私は……ジン兄様のことを……愛し……て」

 

 ジンは、彼女の言葉の続きを聞くために、そのままジッと笑顔でツバキを見つめている。静かに体を僅かに震わせながら。

 

「ツバキ、まだ言い終わってないだろ。もう少しじゃないか」

 

「……」

 

 彼女は、ジンの言葉に何も答えない。反応すら見せない。

 

「もう子供じゃないだろ、最後までハッキリ言ったらどうだ」

 

「……」

 

 これから先どれだけ待ってもその言葉の続きを――声を聞くことは叶わないだろう。なぜなら、彼女は既に。

 

「ツバキ、ツバキ」

 

 氷を司るアークエネミー『ユキアネサ』を使役するジンは、どんな極寒の中でも凍えることが無い。そのジンがまるで凍えてしまったかのように体を震せている。

 

「ツバキ、ツバキ!!」

 

 そして、まるで温もりを求めるように、すがりつくように彼女を強く抱きしめる。しかし、先ほどまで彼女の体に残っていた僅かな力は既に全て消え失せ、温もりはもはや、ジン自身のものしか感じなくなっていた。

 

 最後の言葉を言い終えることが出来ぬ彼女の口は僅かに開かれたまま。

 

「ツバキいいいいいいいいいい!!」

 

 彼女の浮かべる表情は涙を浮かべながらも幸せそうで、満ち足りたものだった。

 

「僕は! 僕も! 君のことを!!」

 

 彼女は、最後の言葉を伝え切ることが叶わなかった。それでも想いをジンに伝えることは叶った。

 

「愛している」

 

 だが、彼女にとって喜ばしいはずのジンの言葉を受けても、彼女は何も反応を示さない。

 

 ジンは彼女の想いに応え、物言わぬ彼女に口付けを交そうとする。しかし、思いとどまり代わりに彼女の唇に指を這わせた。

 

「今更、僕にそんな資格は無い」

 

 ジンが触れているそれは、彼が今まで触れたどんなものよりも冷たく感じられた。

 

 どれほど彼女を抱きしめ、唇を撫で、その姿を見つめていただろうか? 何時までもという思いと、もう行かなくてはという思いがジンの中で葛藤となり衝突している。

 

 その葛藤を表すかのように世界は、天、地、全てが揺れ、まるで世界の終焉が近づいているかのように辺りのものが壊れていく。

 

「まだ、それほどの時間は経っていないと言うことか」

 

 ジンは、先ほど最低出力の零刀(フロストバイト)を用い、凍結させた柱の一を見つめる。柱を包む氷が自然氷解していない様を見たジンは、まだあまり時間が経過していないことを知る。

 

 ジンは、彼女の死を前に、想いの他早く立ち直った自身の心の冷たさに嫌悪感を抱く。と、同時に安堵感も抱いていた。

 

「これならばまだ僕は戦うことが出来る」

 

 ジンは、これからの道へ進むための最後の儀式を執り行う。

 

 彼女を優しく、まるでお姫様を抱きかかえるように抱き抱えながら立ち上がる。そして、部屋の中央へと進む。そして、中央へ辿り着くと、彼女を下半身からゆっくりと地面へ下ろし、彼女の背に手を回したまま自身のアークエネミーへ命令を下す。

 

「ユキアネサ起動、氷結させよ」

 

 ジンが、ユキアネサに命じると、彼女は徐々に氷付いていく。体勢が崩れない程度まで凍らせると、ジンは手を離し、一歩下がる。すると、彼女の氷結速度が増し、彼女は美しい氷の彫刻へと姿を変えた。その姿は、ただ、ただ、美しかった。

 

「弔ってやる時間は無い。だから、せめてこれ以上傷つかないようにすることしか出来ない」

 

 大地の揺れは相変わらず断続的に続き、彼女の上からも瓦礫が落下してくる。しかし、瓦礫は彼女を守るように覆い包む氷山に阻まれ、傷付けることなく地へ落ちていく。

 

「じゃあ、ちょっと行って来るよ……さようなら、ツバキ」

 

 ジンは、美しい氷の彫刻となった彼女に別れを告げ、駆ける。向かう先は、彼女が救うことを望んでくれた、自身にとってもう1人のかけがえのない人物の元。その顔には、彼がジン=キサラギとして流す最後の涙が、頬を伝い流れ落ちていった。

 

 頬を伝い、落ちた涙は、空中で凍り付いてゆき、地へ落ちるまでに完全に氷結した。そして、それは地面に触れると同時に砕け散った。

 

 この日。ジン=キサラギは、かけがえのない愛情を認識し、最愛の女性を失った。そして、その愛は彼を縛る呪いの鎖となった。

 




こんにちは。にじファンでから移転させていただきました、銀河の星屑と申します。タグでも触れてありますが、この話には少々鬱要素が含まれますが、大団円へと向かい執筆していきます。
これからよろしくお願いします。


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prologue2 桔梗落日

 ジンが辿り着いたその場所は、一言で言えば地獄の入口のようだった。部屋の中は赤黒く染まり、壁には何かの影がゆらゆらと不気味に映っている。そして、鼻を突く硫黄のような不快な臭いが充満していた。

 

 しかし、何よりもその部屋を満たしているのは死の香り。その香りを発しているのは、部屋の中心に座する窯からだろうか? それとも、今ジンの目の前で、腹を手刀で貫かれている、ジンと同じ金髪に翡翠色の瞳をした青年からだろうか?。

 

 青年は、ジンの着ているものと同じような形状で、色違いの真っ赤な陣羽織を纏っている。そして、その血のように赤い羽織は、青年自身の血で黒く染め上げられる。さらに、羽織を染め上げる血は、それでは足りぬと言わんがばかりに体を伝い、彼自身の足元に血の池を作り上げている。

 

 青年の手にはまるで血が凝結し、赤黒くなったような黒い刀身をした長刀が握られている。そして、その刀にも青年の血が伝っている。そのさまはまるで刀自体が青年の血で出来ている様にさえ感じさせるものだ。

 

 青年の名はラグナ=A=マーキュリー。かつてはジンの兄であり、ジンがキサラギ家に養子として引き取られ、ジン=キサラギに名を変えた今であっても、

 

「兄さん!」

 

 たった1人の兄と呼ぶ人物である。

 

 ラグナは今腹を手刀で貫かれ、宙に浮かせられている。ラグナはそのまま、まるで壊れたブリキの人形がギコギコと鳴るかのように、首をジンの方へと回し、唇の端を吊り上げて、いつものように笑う。

 

「情けねー」

 

 ラグナの口から発せられたその言葉は、全身がボロボロとなり何も出来ない自身への嘲笑か? 赤く目を充血させながら、今にも泣き出しそうな弟を馬鹿にしてのものか?。

 

 いや、きっといつものように弟を安心させるためのものだろう。ラグナの今浮かべている表情は、ジンへ向ける瞳は、いつものように優しいものなのだから。

 

「貴様。兄さんを離せ!」

 

 ラグナがひとまず生きていることを確認したジンが、安堵も見せずに、次に見据えたのはラグナを貫いている女性。

 

 女性は、長い銀髪と深紅の瞳をし、黒き衣を纏っている。年齢はジンやラグナと同じか、少し上程度だろう。だが、背には4枚の黒い羽が生えており、人間とは思えないような神々しさを持っていた。一言で表現するなら堕天使と言ったところだ。

 

 堕天使はラグナからジンへと視線を移す。その目には何故か悲しみが見て取れる。

 

 ジンがラグナを救うため、2人に駆け寄ろうとした時、そばに控えていた1つの影がジンの前に立ちはだかる。その影の正体は、薄紅色の髪に鎧と言うには軽装な服を纏った剣士の女性。

 

 彼女はラグナと堕天使に近づけまいと、ジンの前に剣を構え立ちふさがる。その佇まいはまるで主を守護する騎士のようだ――顔を俯かせ、体を震わせている点を除いて。

 

「邪魔だ。消えろ!」

 

 ジンは足を止めることなく刀を構え、一直線にラグナへ向かい駆ける。そして、目の前に立ちふさがる障害たる剣士へと切りかかる。

 

 互いの武器が激突し、火花が散る。加速を加えた分、ジンのパワーが勝ったのだろう。剣士はジンに押し込められるように僅かに後退する。しかし、剣士の体勢は殆ど崩れることなく、即座に体勢を整え、ジンへと切りかかる。

 

 ジンは苛立たしげに更に一歩踏み込み、自身へと振るわれる斬撃を弾き返すかのように、相手の剣へと荒々しく刀を振るう。そして、振るわれた互いの武器が再度交差する。しかし、結果は先と違い、今度は双方の力が互角であったのか拮抗し、鍔迫り合う。

 

「貴様は一体なんだ」

 

 鍔迫り合の中、互いの武器が上げる悲鳴と同じように、奥歯をギリギリとかみ締めながらジンが問う。ジンが視線の先に見据えるのは剣士の顔。その表情に見て取れるのは、先の堕天使のような悲しみだった。

 

 そして、怒りを含んだ視線を向けられた剣士は、僅かに顔を俯ける。

 

「クソ」

 

 剣士のその姿は、この状況を望んだわけではない。まるでそう言っている気がし、ますますジンをイラつかせる。そして、ジンはそのまま怒りに任せ、剣士を弾き飛ばす。

 

 その後も、ジンは怒りに任せながら刀を振るい、攻め立てる。対して剣士は、時折反撃をしながらも、消極的にジンの攻撃を受け凌ぐ。

 

 ならばと、ジンは何度か戦士を振り払い、ラグナの元へ向かおうとする。しかし、その度に、守勢へ務めていたのが嘘のように、剣士は激しくジンへ向かい苛烈な攻撃を加えてくる。

 

「貴様などに構っている暇はないのに」

 

 ジンは、軍の指揮官学校を総合成績において主席で卒業した。そして、軍へ所属後も指揮官として、戦士として高い戦果を挙げ、若くして英雄と呼ばれるほどの人物だ。

 

 そのジンが刀を交え、相対する限り、目の前にいる剣士の技量は自身と同等、或いはそれ以上だ。まともにぶつかり合えば、今の冷静さを欠いているジンでは、勝利することは叶わないだろう。

 

「貴様は、貴様は、何故邪魔をする! 戦う意思もないくせに僕の前に立つな、この障害!」

 

 ジンもそのことは理解している。にも関わらず、敗れることもなく、目の前の障害を排除しきれず、ラグナの元へも向かえない。そんな中、ジンは苛立ちを抑えきれず吐露してゆく。

 

「何故どいつもこいつも、僕の邪魔をする! いつも、いつも、いつも、いつもおおおお!! 僕は只兄さんと――」

 

 ジンの脳裏によぎるのは、兄と妹と自身を育ててくれた老婆の姿。

 

「大切な人達と――」

 

 そして、自身の側で支えてくれた、獣人の女性や、むさ苦しい忍者の姿。

 

「一緒に居たいだけなのに――」

 

 そして、先ほど永遠の別離を終えた女性の姿。

 

「何故僕から奪う!!」 

 

 ジンの叫びと共に振るわれた剣を受け、騎士が奥歯をかみ締め、体を震わせる。

 

「私も――」

 

 そして、剣士もまた、ジンと同様に自身の内にある想いが堪えきれず、初めて言葉を発する。

 

「私とて!」

 

 剣士が俯きぎみだった面を上げ、ジンを睨む。しかし、それ以上の言葉は出ず、変らず悲しみを携えたまま、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。

 

「レヴァンティン!」

 

 そして、言葉の続きを発さぬまま、代わりに剣士は自身の愛剣の名を叫ぶ。すると、剣はまるで無数に切り裂かれたかのように半分離する。そして、無数の刃を兼ね備えた鞭のような形状を取る、連結刃へと姿を変える。剣士はそのままジンへ、連結刃を鞭を操る要領で振るう。

 

 突如姿を変え向かってくる連結刃を、ジンは咄嗟に弾く。しかし、弾かれた連結刃は、一旦はジンから軌道を外したものの、即座に軌道を修正し、再度ジンへと迫り来る。

 

 ジンは舌打ちをしながら回避行動を取りつつ、連結刃を弾き、受け流し、凌ぎ続ける。しかし、初見な武器の上、変幻自在に軌道を変えながら襲い来る連結刃を凌ぎきることは難しく、徐々にジンは追い詰められてゆく。

 

 しかし、それでも剣士の攻撃はジンに致命傷を与えることはなく、戦いはいたずらに長引いてゆく。

 

「クソ、クソ!」

 

 そして、冷静さを欠いたまま、ジンは負傷をしてでも決着を着けるため、駆け出そうとする。その直後、

 

「シグナム!」

 

 部屋の中に男の叫び声がこだまし、剣士の攻撃が止まる。そして、ジンと剣士――シグナムは、声のした方へと視線を向ける。そこに写るのは、堕天使に抱きかかえられるように上半身を起こし、座るラグナの姿があった。

 

「テメーはなに手を抜いてやがる、馬鹿か!」

 

「な!?」

 

 満身創痍の姿ながらも、堂々と面と向かい罵倒してくるラグナの姿に、シグナムが困惑し戸惑う。しかし、シグナム以上に困惑したのはジンの方だ。

 

「兄さん、何を……」

 

 ジンはラグナを救うためにこの場所までやって来た。にも関わらず、そのジンと相対し、あまつさえラグナ自身に重症を負わせた人物の仲間に、激励とも取れる言葉を投げかけるなど、理解できるはずがない。

 

「それじゃあ、まるで――」

 

「テメーもだ、ジン!」

 

「まるで、僕に負けて欲しいみたいじゃないか」と、続けようとしたジンの言葉は、再度叫んだラグナの声に遮られる。

 

「何らしくない戦いしてやがる。力押しなんて馬鹿のすることだとかほざいてたのは、何処の馬鹿だ、この馬鹿が!」

 

「でも!」

 

「でもも何もあるか!」

 

 ラグナはふらつく足で立ち上がりながら、強い眼差しでジンを見据える。

 

「俺のことはいいから、テメーは自分のための戦いをしやがれ」

 

 そこまで言って、ラグナは呻き声を上げながら、胸を押さえ膝を付く。

 

「貴方は変りませんね」

 

 そして、そのラグナを支えるように、堕天使はラグナに寄り添いながら、少しだけ優しく微笑みかける。そして、ラグナは舌打ちをしながら堕天使から視線を背けた。

 

 その2人の、敵同士とは思えぬやり取りを見たジンは、更に混乱する。この場に1人だけ、何も知らず、理解できぬまま取り残されているのだから当然だ。

 

 しかし、混乱する思考とは裏腹に、ジンの心の中は、静かに落ち着いてゆく。それは、かつてラグナと決別をした際の言葉を思い出したためだ。

 

「そうだ、僕は……なら」

 

 そして、ジンは先ほどまで自身を襲っていた激情が嘘だったかのように、流れる流水のごとく、静かに刀を構える。

 

 対して、シグナムも先ほどまでの決意の弱い、揺らぐ火とは対照的な、燃え盛る炎のごとき強き瞳でジンを見据える。

 

「行くぞ、女」

 

 まず先に仕掛けたのはジン。シグナムから距離を離したまま刀を振るう。振るわれる最中、氷で形成された刀――《ユキアネサ》は、輝きが増してゆく。そして、振り切られると同時に、無数に煌く氷の結晶が刀から放たれる。シグナムに向かい放たれた結晶は、徐々に肥大、集合し、氷槍――氷翔剣となってシグナムに迫る。

 

 シグナムは、その攻撃を連結刃で打ち落とす。ジンは構わず距離を取ったまま、氷翔剣で攻め、シグナムは、それを打ち落としながらジンへ反撃を続ける。

 

 連結刃は、まるで熱を放っているかのように氷翔剣を溶かす。激しくぶつかり合う氷と炎は、衝突の瞬間に閃光を上る。そして、氷は蒸発し、霧散する。氷翔剣を粉砕し、迫る連結刃を、ジンはかわし、弾き、受け流す。

 

 その展開は、いくらかの違いこそあるものの、ほぼ先ほどの再現。しかし、決定的な違いがある。それは、ジンとシグナムの間に霧が発生していることだ。

 

 ジンとシグナムの攻撃が交差するたびに、霧の濃度は濃くなり、徐々に互いの姿を覆い隠してゆく。そして、霧がシグナムからジンの姿をほぼ隠し終え始めた頃から、どこか生暖かかった部屋の温度が徐々に肌寒くなってゆく。そして、ジンの周辺でなにやら耳鳴りな金切り声のような甲高い音が響きだす。

 

 その音は、共鳴を起こすように徐々に部屋全体へ広がっていく。共鳴する音はまるで悲鳴となり、これから訪れる事象への警告のように響き渡る。

 

 目の前で起きてゆく事象に危機感を覚えたシグナムは、勝負を決めるために連結刃でジンを囲み、ジンの頭上より連結刃の先端を振り落とす。

 

 ジンの姿は、連結刃が巻き起こす旋風の間から僅かに覗くしか見ることが出来ない。が、連結刃に囲まれ、逃げ場がないジンにこの攻撃をかわす術はないかに思われる。しかし、シグナムには必勝となるイメージが浮かばない。

 

 そして、連結刃の間隔が狭まりジンを襲う。その中、シグナムが霧と連結刃の間から覗き目にしたのは、ジンの口元が歪み、吊り上るさま。

 

「煉獄氷夜」

 

 直後、ジンが静かに告げ、刀を勢いよく地面へ突き刺す。すると、一瞬にしてジンを覆うように地面から氷柱が出現し、連結刃を弾き飛ばす。続き、ジンの周辺にも無数の氷柱が剣山のように突き出す。そして、氷柱はジンを中心に広がり、辺り一面を白銀に染め上てゆく。

 

「クッッ!」

 

 シグナムは咄嗟に宙へ飛び、その攻撃を避ける。そして、跳躍したまま、腰にある鞘を引き抜き自身の剣と連結させる。連結したそれは弓の形となり、虚空より出現した矢を弓に掛け、

 

「駆けよ、隼!」

 

 射る。

 

 放たれた矢は炎を纏い、ジンの前方に生成された氷柱を粉砕しながらジンへと迫り、ジンを覆う巨大な氷柱さえも貫通、粉砕した。しかし、矢は貫通したものの、ジンの姿は既に氷壁に囲われていた上、氷が蒸発し気化して発生した霧に完全に覆われたため、捕らえたかは確認できない。

 

 その後、シグナムは弓を剣の形状へ戻し、地面へ降り立つ。しかし、地面へ降り立った後も、いつまでもジンの姿を確認することを出来ずにいる。それは、霧が変らず煌きながら、空中に停滞しているからだ。その霧の中でジンが唱える。

 

氷霧星塵(ひょうむせいじん)

 

 すると、霧はジンを中心とし、渦を巻くように更に広がってゆく。

 

 その中で、ジンは気配を殺しながら移動する。そして、弓を受け左腕から血を流すジンは、自身の鞘を持った左腕を氷結させていく。それは別に止血をするための行為ではない。次の攻撃に移るための行為。腕と鞘を包む氷は徐々に弓を形作ってゆく、そして、同時に空いた右手には氷の矢が生成されてゆく。

 

 霧は既に窯周辺を除く部屋全体を覆い、シグナムはジンの姿を見失っている。対しジンは、霧の中においてもハッキリとシグナムを捕らえ認識している。

 

 霧の中ジンは、兄の姿を視界の端に見た後、改めてシグナムを見据え、弓を構える。

 

「穿て。氷翼月鳴!」

 

 弓から放たれた氷の矢はシグナムへ向かい、霧を切り裂きまっすぐに突き進む。煌く霧の中を駆け抜ける閃光を見たシグナムは、自身の前方に剣を収めた鞘を構え、それを受ける。

 

 強い衝撃を受け後退しながらも、ジンの攻撃地点を特定し、反撃へ転じようとしたシグナムの目前に影が迫る。それは、氷剣に乗り突撃してくるジンの姿。形こそ剣のようであるものの、氷剣はまるで槍のようである。

 

 シグナムは鞘から剣を抜き、氷剣ごとジンを両断にかかる。すると、氷剣とジンは氷のように砕け散った。否、ようにでは無く、氷そのものだったのだ。そして、気付く。シグナムの周りを囲むように、無数のジンが立っていることを

 

「幻覚か!?」

 

 咄嗟にシグナムは、再度防御の体制を取る。

 

「死ね。雪華・幻影斬!!」

 

 そして、無数のジンがシグナムに切りかかり、一閃、二閃、と縦に横に斬撃を浴びせてゆく。ジン自身は別に分身をしているわけではない。無数のジンの正体はシグナムの予測通り只の幻覚。

 

 ジンのアークエネミー《ユキアネサ》には、氷結させた相手を蝕む毒が含まれている。そして、この部屋を包む《ユキアネサ》が元となった氷の霧にも僅かに毒素が含まれている。結果シグナムは、その霧に含まれる毒素を知らずの内に吸い込むこととなる。

 

 更に大気中の氷の結晶に自身の姿を投影し、幻覚の術も複合させることで、より高度な幻影を生み出す。霧が立ち込める視界の悪い中、目視では本物と判別できない程の幻影に加え、神速抜刀による冷気の衝撃波を飛ばす凍牙氷刃を放つのが雪華・幻影斬である。

 

 そして、数十斬を超える斬撃をシグナムへ浴びせたジンは刀を鞘に納める。すると霧は嘘のように晴れ渡っていく。そして、ジンハ最後に残った自身周辺の霧を、煩わしそうに払いのける。すると、最後に残った霧は、まるで翼を閃かせるように揺らぎ、消えていった。

 

 跡に残されたのは、負傷した片腕を氷結させたジン。そして、全身を切り裂かれ、傷付きながらも、地面へ突き刺した剣を支えに立つシグナムの姿。シグナムの表情には、苦痛や疲労が見えながらも、それ以上の安堵の表情が見て取れた。

 

「貴様は――」

 

 そのシグナムの表情を見たジンが発した言葉を遮るように、場の空気が変化する。未だ肌寒さを残していた気温は、不快な生暖かさを取り戻す。同時にその場にいた全員の背筋に、ヘドロでもこびり付いたような、不快な嫌悪感が襲う。

 

「ヒャーハハハハ。なかなかやるじゃねーかジン=キサラギ」

 

 悪寒を感じさせる、不快な笑い声が部屋に響き渡る。声がしたのは窯の方。ジンが視線を窯に向けると、そこから1つの影が、まるで這い出るように現れた。

 

「なっ!?」

 

 窯から現れたそれを見たジンは声を失う。

 

 その姿はまるで西洋の甲冑のような姿。それが全身を影のようなものが覆い、いたるところに青白く不気味に光る線が走っている。更に体のいたるところには無数の赤い目がギョロギョロと辺りを見回している。そして、背からは蛇のような影が無数に伸び、不気味に揺らめいている。とてもこの世のものとは思えぬ異形な存在だ。

 

 それを見たジンが感じるのは嫌悪と憎悪。

 

「ぐっぅ!?」

 

 同時に頭の中を様々な言葉が響き渡り、ジンは思わず膝を着く。あれは存在してはならない。許してはならない。滅ぼさなければならない、と。そして、這い出てきた『なにか』に時折線がチラつく。しかし、それははっきりと視覚できず、本当にあるのかさえも怪しく感じさせた。

 

「どうだ? 俺を見えるようになったのか? なったのかよ、ええ、泣き虫坊や!」

 

 『なにか』は、変らず不快な笑い声を浮かべながら、楽しそうにジンへと迫る。その姿を見て、ジンは知らずとも理解し、確信する。自分達の月を奪ったのは、狂わせたのは目の前の存在だと。

 

「漆黒のスサノヲ!」

 

 ラグナが『なにか』の名を叫び立ち上がろうとする。しかし、体は思うように動かず、膝を付く。

 

「ん? ああ、何だラグナちゃんまだ居たの? さっきあんまりにも無様にノサれてたから、もうってっきり窯に落ちたかと思ってたわ」

 

「テメェーは!」

 

 動ければ今にも飛び掛らんばかりに激昂するラグナを嘲笑しながら、漆黒のスサノヲはジンへ歩み続ける。

 

 そして、その姿を見据えたジンの内から、憎悪と嫌悪感が湧き上がる。

 

「貴様が僕の敵か!」

 

 ジンが顔を上げ、憎悪を込めた視線で睨み付ける。その言葉と視線を受け、漆黒のスサノヲは口元を三日月のように歪ませ笑った。

 

 この後、世界には新たな『蒼』が誕生し、新たな『白』が芽生えた。



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Phase1 平穏情景

 ――黒い怪獣と五人の英雄――

 

 昔、昔。広い世界のどこかの星で、黒い怪獣が現れました。

 

 そして、怪獣はその星の人々を食べていきました。

 

 人々は、食べられてしまうのが嫌で、頑張って黒い怪獣と戦いました。

 

 でも、頑張っても頑張っても黒い怪獣を倒すことが出来ず、次々と怪獣に食べられてしまいました。

 

 人々は願いました、早くこの悪夢から覚めてくれと。しかし、誰もこの悪夢から覚めることは出来ませんでした。

 

 そして、悪夢を見る人が始めの頃の半分ぐらいになった頃、白いお侍さんと五人の勇者が現れました。

 

 白いお侍さんはとても強く、とうとう黒い怪獣を倒してしまいました。

 

 人々は喜びました。ようやく悪夢が終わり、平和が訪れたと。

 

 その後、白いお侍さんは何処かに行ってしまいました。最後にもう悪いことをしては駄目だぞと言い残して。

 

 人々は、白いお侍さんの言葉を理解できませんでしたが、気にせず黒い怪獣が現れる前の生活に戻っていきました。

 

 だって、自分達は何も悪い事をしておらず、悪いのは全部黒い怪獣なのだから。

 

 すると、どうしたことでしょう。黒い怪獣を倒した後、いなくなってしまった白いお侍さんがまた現れたのです。

 

 そして、白いお侍さんは人々に聞きました。何故悪いことを続けるのかと。

 

 不思議です。悪いことをしたのは、白いお侍さんが倒した黒い怪獣なのに。

 

 怒った人々は、昔、白いお侍さんと一緒に現れた五人の勇者の力を借りて、白いお侍さんを何処かに連れて行ってしまいました。

 

 そして、五人の勇者は英雄と称えられ、星には昔のような平穏が訪れてしまいました。

 

 だから、平和は続きます。何時までも、いつまでも、イツマデモ。

 

 人々は終わらない夢を見続けるのです。

 

 めでたし。めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 私立聖祥大附属小学校屋上。

 

 1人の少女が友人を待ちながらベンチに腰掛けている。

 

 年齢は9歳で、栗色の髪を少し高めの位置でツインテールに結び、蒼色の瞳をした大きな目が特徴の歳相応の可愛らしさを持った少女。

 

 そんな少女が手に持ち、熱心に読み耽っているのは一冊の絵本。タイトルは『黒い怪獣と五人の英雄』。

 

 少女は幾度もこの絵本を読み返している。それこそ全てのページにある文字や絵を一字一絵はっきりと。内容を全て見知ったそれを飽きることなく何度も読み返す。

 

 少女はふとした時に考える「何故私はこんなにもこの絵本に惹かれるんだろう?」と。しかし、少女にもその答えは分からない。強いて挙げるなら、その絵本に描かれている、ある人物に会ってみたいという感情があるぐらいのものだ。

 

 この絵本はある時からか少女の傍らにあり、何時も傍らにあるもの。だから、少女は今日もこの絵本と共にある。

 

「なのは、アンタまたその本読んでるの」

 

 なのはと呼ばれた少女――高町なのはがよく聞き親しんだ声を耳にし、読んでいた絵本から顔を上げ、声の主に視線を移す。

 

 そこに立っているのは待ち人の2人。友人のアリサ=バニングスと月村すずかだ。

 

「お待たせ、なのはちゃん。ハイ、イチゴ牛乳」

 

 赤と青を混ぜたすみれ色の髪に、純白のヘアバンドを身に着け、髪と同じ美しいすみれ色の揺れる大きな瞳を持ち、少し歳不相応にも感じる柔らかい笑みを浮かべたのが月村すずか。

 

 彼女は購入してきたなのはの分の飲み物を手渡し、なのはの横にスカートが捲れない様に、手で押さえながら腰掛ける。

 

「全く、このアタシをパシらせるなんて。相変わらずいい度胸してるわよ」

 

 黄色に近い金髪をサイドテールで結び、エメラルドの様な碧色の瞳をギラギラと輝かせ、両腕に器用にもプリンを計3カップ持っている。そして、少し歳不相応にも感じる尊大さを感じさせながら、腕を組むのがアリサ=バニングス。

 

 彼女はまるで頭突きをするかのように、なのはの額に自身の額を合わせながら、プリンを1つだけ手渡す。そして、すずかとは反対側のなのはの横に、何を気にするでもなく腰掛ける。

 

「ありがとう。すずかちゃん。アリサちゃん」

 

 なのはは2人にお礼を言いながら、膝の上に乗せていた重層の弁当箱が包まれていた布を紐解いていく。それを見た2人はなのはとの間に少し間を作り、一緒に弁当を広げるのを手伝う。

 

「う~、これ、結構重かったんだよ」

 

 なのはが可愛らしく唸りながら弁当を広げ終わると、3人は思い思いに取り皿に料理を取ってゆく。

 

「そんなもん、横に置いとけば良かったじゃない」

 

 肉を中心に自身の持つ皿を彩らせながら、アリサが溜息をつく。

 

「だって、アリサちゃんが「もしも、カラスにでもかっさらわれて見なさい、屋上からダイブして、自縛霊になって祟ってやる」なんて言うんだもん」

 

 なのはが、バランス良く自身の皿を盛り付けながら反論する。

 

「冗談よ、冗談。アタシの命は簡単に投げ捨てていいほど安くないの。ってか、なのはは馬鹿正直過ぎ」

 

「なのはちゃんは純粋なだけだよ」

 

 すずかが、野菜を中心に皿に運びながら2人に微笑みかける。

 

「不肖高町なのは、全力で昼食を死守させて頂きました」

 

 なのはが軽く敬礼をすると、すずかが優しく頭を撫で、アリサが呆れたように「ガッツリ本読んでたじゃない」と箸を口にくわえながら呆れる。

 

 なのはは昼食を運び、食べる場所を確保する。アリサはデザートを購入。すずかは飲み物を購入。一仕事を終えた3人は「いただきます」と、手を合わせそれぞれの成果に手を付けてゆく。

 

 そして、暫くの間3人は楽しそうに談笑をしながら、昼食を取る。それは、何処にでもある、何時ものありふれた平和な昼休み。それを当たり前のように3人は満喫する。

 

  

 

 

 ―――。

 

 

 

 

「っで、何でアンタは、またその絵本が気になんのよ」

 

 それは、彼女たちが以前感じていた疑問であり、本人にもハッキリと分からないため、未だに答えの出ない問題。アリサは特に答えに期待するでもなく、なのはに問いかけながらポッケットに忍ばせていたあるものをコソコソと取り出す。

 

「う~ん。やっぱり分かんないよ。白いお侍さんに会いたいとは思うんだけど、何で会ってみたいのか……ってか、アリサちゃん何それ!? ずっるーい!」

 

 なのはが思案しながら、ふとアリサの方へと視線を移す。3人は既にデザートまで食べ終え、後は手元にある、イチゴ牛乳、緑茶、コーラといった飲み物だけの筈だ。しかし、アリサの手の中には、新たに飲み物以外のものが握られていた。

 

「ちっ。気付いたか」

 

 アリサは若干口の端を吊り上げ意地の悪い笑みを浮かべる。取り出していたのは4つ目のプリン。しかも、先の3つの一般的なのとは違い、上にクリームを乗せた若干豪勢なやつだ。

 

「アタシが自腹で買った自前よ。どうしようとアタシの自由でしょ」

 

 アリサは、フッフッフと不穏な笑みを浮かべながら、抗議の声を気にせずプリンを開封していく。

 

「あー、この濃厚、クリーミーなとろみ具合が絶品だわ」

 

 そして、ワザとらしく、なのはに見せ付けるように1口2口と口に運んでいく。

 

「う~、アリサちゃん、私にも1口!」

 

「いいわよ」

 

 思いのほか簡単に同意したアリサに若干の肩透かしを食らいながら、

 

「やったー。あーん」

 

 なのはは口を開け、とろりとクリーミーな食感に備える。

 

「じゃあ、200円ね」

 

 アリサはサラっと条件を言い放ちながら、なのはの口元にプリンを運ぶ。

 

「ちょ、一口200円!?」

 

 なのはは咄嗟に後ずさり、すずかに肩を支えられながら驚愕する。目の前では先ほどと変らず不穏な笑みを浮かべたアリサがスプーンを突き出している。

 

「さあ!」

 

 アリサがプリンを突き出す。

 

「高いよ!」

 

「さあ!!」

 

 慌てるなのはを気にせず、アリサはプリンを勧める。

 

「だから、高い、アリサちゃん高いよ!」

 

「すわあ!!!」

 

 アリサがプリンを更に突き出す。

 

「高いって!」

 

「じゃあいいわよ」

 

「ああ!?」

 

 幾度にも及ぶ誘いを断ったなのはを一瞥しながら、アリサは突き出していたプリンを自身の口へと運び、食した。

 

「ひ、酷いよ。あんなに高い値段を突きつけてのこの仕打ち」

 

 焦らされた挙句、プリンを食べ損ねたなのはが落ち込む。

 

 そして、プリンが目前まで迫ったにもかかわらず、変らず抵抗を見せたなのはに対し、アリサはプリンを咀嚼した後、盛大に溜息を吐きながら頭を振る。

 

「諸々の人件費込みの値よ、妥当でしょ。それともアンタにこの誘惑を拒めてか!」

 

 そして、アリサは再度なのはにプリンを差し出す。今なのはの目の前にあるのは、スプーンの上に一口サイズで乗った夢。黄色くプリンとした身を白くとろりとコーディネートされた、女の子の夢が悪魔の手中にある光景が広がっている。そして、悪魔の手中で震えるその体は、あたかもなのはに助けを求めているかのようだ。

 

 1人の女の子として、ここで助けないなどという選択しは無いだろう。しかし、救出費用200円の出費は、女の子の現実的な観点から考えて余りに痛い。

 

「う~、う~」

 

 なのはが唸りながら、『夢』か『現実』かを思案する。その様子を見たアリサが勝ち誇ったかの様に鼻を鳴らし、「しょうがないわね、どうしてもって言うなら一口ぐらい……」っと、からかうのを切り上げ様とした折、なのはの袖が後ろから引っ張られる。

 

「なのはちゃん。屈する必要無し! だよ」

 

 なのはが後ろを振り返ると、そこにあったのは天使の微笑と女の子の夢。右手にはメロンパンが、左手には杏仁豆腐が握られていた。

 

「はあ!? ちょっ、すずか、それどういうこと!」

 

 なのはよりも先に反応したアリサが、驚愕の面持ちで立ち上がる。その視線の先にはしっかりとメロンパンがロックオンされていた。

 

「メロンパンは品切れって……購買のおばちゃんが!」

 

 アリサはプリンを購入する際、確かに売店のおばちゃんにメロンパンの在庫があるかを確認した。しかし、アリサの前の人物が購入し、品切れ。やむなくクリーミープリンを購入するに妥協したのだ。

 

「うん、アリサちゃんが行った後に、その人が返品しに来てたよ」

 

「そ、そんな」

 

 アリサは、あたかも世界の終焉を見たかのように崩れ落ち、膝を付いた。

 

「アリサちゃんが1つ多めに、ちょっと豪華なデザートを買っているのを見ましたこの不肖月村すずか。僭越ながら足りない分を補給させてもらったよ」

 

 先のなのはに習ってか、すずかは敬礼こそしないものの、先のなのはのような物言いをしながら、愛らしく2人に微笑みかける。

 

「すずかちゃん、さっすがー!」

 

「ふふ、やるじゃない、すずか」

 

 1人は笑顔ですずかを抱きしめ、1人は視線を逸らしながらたそがれる。

 

「でもね、すずか! そんな出戻った中古モンなんか、別に欲しく無いんだからね!」

 

 かと思うと、1人たそがれていた少女が突然立ち上がりる。そして、言葉とは対照的にトレードを望むかのように、手に残っていた半分程のプリンとスプーンの取っ手方向を、すずかに突き出しながら近づいて行った。

 

「なのはちゃんはどっちがいい?」

 

「うーんとね、杏仁豆腐」

 

「じゃあ、私はメロンパンだね」

 

 2人はアリサに視線すら送らず、楽しそうに談笑する。

 

「き、聞きなさいよ、人の話を! ハイ、ハイ!」

 

 自身のことを無視しながら、楽しそうにする2人を見たアリサは、僅かに涙目になりながらもプリンとスプーンを突き出し続ける。

 

『えー聞いてるよ?』

 

「アタシ抜きでハ・モ・ルゥ・な!!」

 

 そして、屋上には少女たちの笑い声や、叫び声が響き渡る。そんな中なのはは思う。友達と、大切な人達と紡ぐ、この幸せで穏やかな時間がいつまでも続けばいいと。

  

 なのはがそんなことを考えていると、ふと頭上から視線を感じる気がして、空を見上げて見る。そこに広がるのは、サンサンと世界を照らす赤い太陽と、雲ひとつ無い晴れ渡る蒼穹の空。

 

 もう1つそこにあるはずの月は、昼間だからだろうか? 姿を隠して目にすることは出来なかった。されど月は確かにそこにある。

 

 全ての世界は『朱』なる太陽に照らされ、『蒼』たる空に抱かれている。そして、月は蒼き『黒』に抱かれながら全てを見守っているのだから。

 

 

 

 

 これは、繰り返される約束を終わらせるための物語。『真白なる断罪の青年と純白なる不屈の少女』始まります。

 



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