深海戦線 ~ポイントX撤退作戦~ (八切武士)
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 【序 あの日、あの海で】

最初に…

※公式的なものとは、異なる解釈・設定を多々、ついでに菊地秀行的伝奇作品要素等も若干含まれます。

・戦況 … まぁまぁ、拮抗中。
・艦娘 … 人間じゃありません。
・提督 … 艦娘とは、デビルサマナーと悪魔に近い関係です(召喚・使役する)
・妖精 … 提督と艦娘にしか見えません、艤装の不可思議能力の源です。

 後は、たまに必要に応じて文中に差し挟まれます。

 …正直、あんまり海は出てこないかも、艦これなのに。



【In one day, some time, some place】

 

 

 むせ返る様な、鉄さびと重油の臭い。

 炎が消えて行く。

 沈んで行く。

 遠くで光が揺れている。

 

「Hum…JMSDFのlaunchだな」

 

 軽い発射音と共に、信号弾が発射される。

 喧噪が近くなった。

 擦過音と共に、火薬臭い煙が溢れる。

 傍らで立つ少年が、発炎筒を振っている。

 探照灯の光が身近をよぎった。

 大破した船体の軋み、水音以外は静かなものだ。

 全ては尻の下の錆びた鉄塊と共に、水の中に沈んでいる。

 発炎筒が置かれ、少年がきびすを返した。

 

「おい」

 

 声を掛けると足が止まった。

 

「じっとしてろ、10 minutesもしない内に、loungeで一杯やれてるさ」

「…この世界は終わりだと思うか?」

「それは、you達の問題だ、俺のContractは果たした」

「そうだったな、そう、俺達の問題だ」

 

 こつり、こつりと離れた足音が又、止まった。

 

「Hum…一寸違うか」

 

 何かを水から引き揚げる音に振り返ると、少年はびしょ濡れの人間を抱えていた。

 すわ、生存者かと、鈍麻した精神が覚醒する。

 が、駆け寄ってその姿を確かめると、今度は当惑が広がった。

 水に濡れそぼり、抱え上げられているのは、小柄な少女。

 身につけているのは、女子中学生が着用している様なセーラー服だ。

 この封鎖海域を航行していたのは護衛艦だけの筈。

 民間人が紛れ込む筈もない。

 数瞬固まってから、頭を振って気を取り直す。

 兎に角、確認して、必要ならすぐに救命処置をせねば。

 幸い、救援も近い。

 

 手を差し出すのとほぼ同時に、腕に重みがかかる。

 

「First of reborn…」

 

 腕の中の少女から伝わる体温は暖かく、呼吸は規則正しい。

 ふと、違和感を覚える。

 周囲の海水は流出した重油まみれの筈だ。

 だが、この娘は濡れてこそいるが、汚れは付いていない。

 

「youのgrandpaはsalvage of first、fatherはsalvage of last…youのLineageは変わった縁があるな」

 

 説明を求めて少年を見るが、彼は肩を竦める。

 

「落ち穂は拾われ、種は蒔かれた、収穫は俺のContractに含まれてない」

 

 周囲が眩い灯りに満たされる。

 一瞬眩んだ目を開けると、少年は少し離れた浮き輪の上に立っていた。

 

「後は、you guys and girls…you達と彼女達の問題だ」

「どういう事だ!この子は…あいつらは何なんだ!」

「決めるのは、you達だ」

 

 問いにそれ以上の応えは無く。

 少年はひょいひょいと漂流物を跳び移って、闇に消えてゆく。

 

「客は帰ったか…」

 

 周りがすっかり明るい。

 複数の内火艇からサーチライトが照射されている。

 腕の中で少女が身じろぎした。

 

「君は一体誰なんだ?」

 

 腕に緩やかな振動が伝わる。

 心地良く、力強い響き。

 小さくも重々しい、内燃機関の始動音。

 

「ふわ…」

 

 少女は目を開け、若干戸惑った顔をする。

 が、俺の肩の辺りに目をやって微笑みを浮かべると、俺の目を見つめてこう言った。

 

「司令官さん、電です、どうか、よろしくお願いいたします」




 取りあえず、突端。
 作品の始まりと言うよりは、世界の始まりからでした。


【付録:提督と艦娘の係わりの変遷】


 (艦娘出現当時)

実体率 >
 艦娘は通常時実体化しておらず、提督以外には見えなかった。

運用形態>
 実体化保持可能な艦娘は艦隊所属分(1~4艦隊)のみで、戦闘海域に提督が出向き、都度艦娘を召喚していた。(※1)
 召喚を行う度に資材の消費が発生し、提督から距離が開きすぎると実体を保てなくなってしまう状態だった。
 又、提督へのダイレクトアタック!…で艦隊が全て壊滅するリスクがあった。

※1:『デ○ルサマナー形式ね(by 夕張)』

 (艦娘運用中期)

実体率 >
 艦娘は通常時実体化するようになり、提督以外にも見える様になった。

運用形態>
 艦娘を専用の依り代(艤装)に宿らせる事で常時実体化させる事に成功した。
 これにより、艦隊所属分(1~4艦隊)以外の艦娘も実体化させ、提督からどんなに距離が離れても実体化を維持する事が可能になり、“提督へのダイレクトアタック”で即時壊滅は無くなった。
 ただ、艤装の大量生産は困難(職人仕事)だった為、控えの艦娘全てを実体化させる様な提督は居なかった様だ。
 又、提督が特殊能力(※1)で同時に指揮できるのは艦隊所属艦娘のみである為、同時に作戦行動に従事できるのは、艦隊所属の艦娘に限定される。(※2)

※1:『司令官は艦隊に指定した艦娘とは、脳内会話できるのよ…毎朝毎晩、歯を磨いたか、とか、顔洗ったか、寝る前のおトイレはとか…一人前のレディに失礼しちゃうわ!(by 暁)』
※2:これは今でも変わらない。

 (艦娘運用現状)

実体率 >
 艦娘は通常時実体化するようになり、提督以外にも見える上、実体化を提督に依存しなくなった。

運用形態>
 中期に艦娘の依り代として人の手により作られていた艤装が、艦娘が実体化する際に一緒に出現する様になった。
 これにより、控えの艦娘全てが実体化し、騒がしく生活する現在の鎮守府の光景が見られる様になったのである。
 又、実体化を提督に依存しない為、提督の代替わりも可能になっている。(※1)

※1:一度提督になったら、死ぬまで提督なんてブラック企業からの解放である(それで辞めた提督が居るとは言っていない)


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 【第一話 まれびと帰り来たりて】

 第一話です。

 一応、今回出てくる不知火達が所属しているのは、単冠湾泊地を拠点とする、“神威”鎮守府です。
 この世界では、公的機関所属以外の鎮守府はPMCの一種で、“神威”は日本国、ロシアの共同出資で雇われ、警備活動を行っています。


【大本営より、各鎮守府への通達】

 

 

・北方AL海域にて大規模な戦闘を観測

 ⇒被侵食泊地への甚大な被害を確認するも、作戦に従事した鎮守府は不明(申請無し)

 ⇒強力な発光現象が当該海域で観測されたが、爆風観測無し、放射線変動無し。

 ⇒未知の兵器が使用された可能性がある為、当面、当該海域での作戦行動は推奨されません。

 ※戦闘発生前に所属不明の長門型が目撃されています、心辺りのある鎮守府は大本営の情報収集部まで連絡して下さい。

 

・北方海域にて深海棲艦の哨戒活動活発化を認む

 ⇒新規目撃艦種:駆逐イ級(flagship)、軽巡ホ級、ヘ級(flagship)

 ※潜水艦娘運用時には十全な注意をされたし

 

 

【午前中・札幌・中央区にて】 

 

 

「何だか、騒がしいですね」

「確かに、憲兵(※)に動きがありますね」

 

 

<----- ※憲兵 ----->

 

 “鎮守府”に関わる治安活動を専門に受け持つ為に創設された治安組織“海洋特殊災害対応警務隊”の構成員。

 正式名称は“海洋特殊災害対応警務官”だが、長い為、提督や艦娘からは“憲兵”と呼ばれている。

 沿岸部で深海棲艦の活動が見られた場合の、市民の避難活動支援等も彼らの仕事である。

 帝国海軍なら“海軍特別警察隊”だから、“特警”じゃないか?という突っ込みは、関係者定番のネタと化しているらしい。

 

<----- ※憲兵 ----->

 

 

「おい、お前ら、ぼけっとしてっとおいてくぞ!」

「あ、はいっ」

 

 赤城は不機嫌そうにポケットに手を突っ込んだまま、ずかずかと歩いていく老人を追いかける。

 その後に追従しながら、加賀は周囲をもう一度それとなく伺う。

 憲兵、警官、警務官が慌ただしく動き回り、出入りの者を誰何し、手荷物の検査を行っている。

 又、人が潜めそうな物陰のクリアリングも行われていた。

 

(…機密漏洩騒ぎといった所ね)

 

 それを横目に駐車場まで行くと、ワゴン車の傍らで、おっとりした印象の女性が手を小さく振ってきた。

 

「お疲れ様」

 

 その隣で、軍隊式の“休め”体勢をとっていた少女は、直立不動になり、ピシリとした敬礼をする。

 敬礼に合わせ、髪留めで結わえた桜色の髪が揺れた。

 

「おう」

 

 ポケットに突っ込んでいた手を引っ張り出し、老人、鎮守府“神威”提督、赤巻甚五郎(あかまきじんごろう)は不知火にラフな敬礼を返し、鳳翔には軽く頷いて見せる。

 甚五郎と赤城達一航戦ペアが後部に乗り、不知火は助手席へ。

 ドライバーグラスをかけた鳳翔がワゴンを発進させる。

 

「あら?検問かしら」

「その様ですね」

 

 ゲート前に簡単な検問ができている。

 

「検査にご協力をお願いします」

 

 顔見知りの憲兵が敬礼し、協力を求めてくる。

 鳳翔がちらりと背後の甚五郎に目をやると、老人は腕を組んだまま頷いた。

 

「ちゃっちゃとやってくれ」

「お願いしますね」

 

 憲兵はドアを開け、一通り、車内、天井、底面、グローブボックス等を確認する。

 

「こちらは?」

 

 憲兵はワゴン車の後部に積まれているスーツケースと旅行鞄に目を留める。

 

「私達の荷物です」

「関東まで出張なんですよ」

 

 いつも通り淡白に答える加賀に、若干嬉しそうな赤城。

 

「なる程、確認させて頂いても?」

「どうぞ、着替えと化粧品程度のものですから」

「では、失礼します」

 

 憲兵は簡単にスーツケース内を改め、旅行鞄を開ける。

 

「む…」

 

 一瞬、手を止めてから、妙にまじめ腐った顔になり、手早く点検を行う。

 

「あ?おいおい、でけぇの抱えてると思ったら、おめぇ、どんだけ食いもん持ってく気だ?」

 

 憲兵の妙な様子に、ひょいと覗き込んだ甚五郎の表情が苦虫を噛み潰した様な渋面から呆れ顔に変わる。

 ぱんぱんに膨れた旅行鞄には、両手で掴んで食べるサイズの丸い焼おにぎりが6個。

 その下には、個包装にほどいて収納ケースに隙間なく詰め込んだ菓子類、といった食料が効率良く収められている。

 

「ご協力感謝致します」

 

 手早くかつ丁寧に内容物を戻し、敬礼をした憲兵の顔は完璧なポーカーフェイスで感情は読み取れない。

 改めてワゴンを発信させる時、鳳翔はバックミラー越しに改めて敬礼を返している憲兵を見た。

 その顔に浮かんだ若者らしい笑顔に、鳳翔は微笑する。

 

「大体、東京に行ったら幾つか行ってみたいお店があるとか言っていましたよね?」

「だって、電車に乗ってる間お腹は空くし、出張中に間宮さんのご飯が恋しくなったら困るじゃあないですか」

 

 さっきの太鼓みたいなおにぎりは、もちもちに炊き上げたゆめぴりかを熱い内にまあるく握り上げ、そこに醤油や、味噌ダレを塗りつつ、丁寧に焼き上げた一品だ。

 表面がしっかり焼かれているので、こんな大きさでも、食べている間に型くずれせず、塊を地面に零した赤城が涙目になる事も無いのである。

 

「ったくよ、全国ネットでみっともねぇとこ晒してくんじゃねぇぞ」

 

 二人の出張は、広報業務である。

 人気番組、秘書艦さんいらっしゃい、のゴールデンタイム拡大版。

 全国鎮守府秘書艦さん大集合、のロケに出演するのだ。

 

「ゴールデンタイムにおひつ飯やらかした二航戦の子と一緒にしないで下さい」

「ああ、あのしゃもじで食べてるのはなんか美味しそうでしたねぇ」

 

 ほこほこと笑う赤城を、加賀は冷たく睨む。

 

「赤城さん、やったらはたきますよ?」

「うう」

「ふふっ、あの子達、あれで農協のCMに出演する事になったみたいですね」

 

 加賀は一瞬口をつぐみ、ちらりと後部の荷物に目をやった。

 

「…やるなら、赤城さんにおにぎりでも持たせておいた方が、もっとましな絵になります」

 「つーか、せっかく電車のんだからよ、駅弁の五個や六個、経費で落とせや、経費で」

「買いますよ?名物は別腹ですから」

「…先行き不安なこった」

 

 何を当たり前の事を言っているのだと、不思議そうに首を傾げる赤城に甚五郎は天を仰ぐ。

 

「私が付き添いでおりますから、問題ありません」

「おう、精々面倒見てやってくれや」

 

 甚五郎は、加賀にぷらぷらと手をふった。

 

「でも…本当に私達が出張なんかしていても良いんでしょうか?」

「ああ?」

「第四艦隊がまだ」

「なんじゃい、今日、おめぇは秘書艦じゃねえんだから気にしてんじゃねぇよ、大体、出張に許可出したのは俺だぞ?」

 

 ふと顔を曇らせた赤城に甚五郎は呆れた様に眉を顰める。

 

「捜索任務は私達正規空母の任務ではありません、敵襲があったとしても、二航戦が残っていれば、急場を凌ぐ程度問題無いでしょう」

「まぁ、そうですけど」

「何かありゃ、空自にタクシーをチャーターしてあるから、帰りははええ(※)もんだ、今の内にもんじゃでも、チカラめしでも好きなだけ食いだめしてきやがれ」

 

 

<----- ※帰りははええ ----->

 

 深海棲艦の艦載機によって寸断されていた空路は、各鎮守府の警備活動によって復旧しているが、たまに撃墜される事もある。

 戦闘を行わずして喪失してしまう可能性がある為、通常艦娘の移動手段に空路は推奨されていない。

 幸い日本は鉄道網が発達している為、国内移動であれば鉄道で事足りる。

 北海道から本州への重要な輸送手段である青函トンネル付近の海域は、厳重に対潜哨戒が行われている。

 

<----- ※帰りははええ ----->

 

 

 

 若干浮かない顔ながら、取りあえず赤城が黙ったのを確認し、甚五郎は窓の外に目をやった。

 

「…鳳翔」

「何でしょう?」

 

 甚五郎は不意に真顔になり、運転席の鳳翔を呼ぶ。

 

「ちっと、止めてくれや」

「はい」

 

 ウインカーを出して、すぐに路肩に停車した車内で、甚五郎はシートベルトを外しながらドアを開ける。

 

「提督、又、おしっこですか?」

「赤城さん、年を取ると人間は近くなるものなのですよ」

「うっせ馬鹿、鳳翔、こいつ等予定通り駅までたのまぁ」

「甚五郎さん?」

「野暮用だ、帰りのアシはいらねぇ」

 

 やり取りを終えるが早いか、ドアを叩きつける様に閉めて、甚五郎は歩道を歩き出す。

 殆ど小走りに近い早歩きだ。

 

「はぁ…」

 

 鳳翔は少し困った様にため息をつき、助手席の不知火に目をやった。

 

「あと、お願い出来るかしら?」

「はい」

 

 素早くシートベルトを外して車外に出た不知火は、小さくなる甚五郎の背を小走りに追う。

 そして、不知火はすぐに提督の目的がトイレ休憩では無い事に気がついた。

 店舗等には目もくれず、前方の何かに注目しながら歩いている。

 明らかに何かを追っている様子だ。

 何を追っているのかは分からないが、脅威を与えるものであれば、制圧、排除する。

 艦娘と絆を結び、運用する能力を持つ提督は誰も重要人物だ。

 幾度となく艦娘を拉致しようとした、各国の諜報機関…殊に日本近辺の某国が悉く派手な失態を晒した結果、直接行動の標的となるのは専ら提督達となった。

 多くの提督が常に艦娘を傍らに置いているのは、世間でよく邪推されがちな理由より、護身の意味合いが強いのだ。(※)

 追跡を続ける内、不知火は提督が尾行していると思われる人物に目星をつける。

 

 

<----- ※護身の意味合いが強い ----->

 

 不知火さんの認識です。

 

<----- ※護身の意味合いが強い ----->

 

 

(関係者?)

 

 その男は、提督達が着用している白い制服と似たものを着用していた。

 小脇に何か大きな荷物を抱えている。

 だが、店のウィンドウにちらりと映り込んだ前影では、七つの金ボタンが輝いていた。

 

(候補生…?)

 

 海自や提督の候補学生が纏う制服には、今でも伝統として予科練の7つボタンが採用されている。

 どうやら甚五郎の尾行に気がついたらしく、候補生は早足になった。

 甚五郎も合わせて小走りになり、そして、すぐにそれは駆け足になった。

 介入して良いものか、迷いながら不知火はそれを追う。

 全力で追えば甚五郎が追っている候補生を捕縛するのは容易いだろう。

 しかし(候補生と言えども)提督同士の揉め事に、指令も無しに介入するのは躊躇われた。

 

「待てや、逃げんな、おらぁ!」

 

 まるっきり、やくざ者の様な胴間声を上げる甚五郎に追われ、候補生はさっとビルの隙間に消える。

 

「どこへ行きやがった!」

 

 追って駆け込んだ甚五郎がきょろきょろしているを確認し、不知火は若干考える。

 意地でも見つけ出さずにはおかない勢いだ。

 不知火は足元に転がったゴミバケツの蓋をつま先で跳ね上げ、掴み取ったそれを投擲する。

 

「んあ?」

 

 甚五郎が頭上を見上げると、ビル三階の非常階段にぶら下がった候補生が見えた。

 靴の間に不知火が放ったバケツの蓋が挟み込まれている。

 

「Hum…古典的な手だが、結構引っ掛かるもんなんだけどな」

「へっ、生憎だな、うちのは眼が良いからよ」

 

 候補生は体を振って手を離す。

 顔面目掛けて飛来した蓋を、不知火は眉一つ動かさずに掴み取り、甚五郎の前にでる。

 

(何者だ?)

 

 候補生は地上三階から飛び降りたと言うのに、膝を軽く曲げて衝撃を吸収しただけだ。

 艦娘なら出来る。

 だが、人間には無理だ。

 

「年貢の納め時だなぁ、おい」

「日本じゃ、今でもTAXを米で支払ってるのか…伝統だな」

「相変わらずだな、てめぇはよ」

 

 明らかに甚五郎の知り合いの様だが、その声が含む緊張感を感じ取り、不知火は臨戦態勢を崩さない。

 

「何しに来やがった?」

「Clientのprivacyに関わる事は話せないな」

 

 肩を竦める候補生(?)の前で、甚五郎は何かを拾い上げる。

 

「少なくとも、こそ泥にやらかしてるのはまちげえねなぁ、おい?」

 

 不知火の脇から手を出して、ぷらぷらと摘まんだそれを振る。

 それは、歪み、所々メッキの剥がれた“Ⅲ”型の銀バッジ。

 大荷物から零れ落ちたものだろう。

 

「相変わらず墓荒らしか?ん?」

「Treasure Hunterって言う呼び方も有るんだがな」

 

 不知火の手の中で、音を立ててブリキの蓋が歪んでゆく。

 世の中には、コレクションとして、轟沈した艦娘の遺物を欲しがる輩が存在すると聞く。

 艦娘用の墓地が鎮守府や特殊災害庁の警備区画に設けられているのも盗掘を警戒しての事だ。(※)

 

 

<----- ※盗掘を警戒 ----->

 

 研究用に欲しがる組織、研究者も多い。

 

<----- ※盗掘を警戒 ----->

 

 

 身を捨てて使命を果たした同胞の墓所を暴き、遺体を物珍しい記念品で有るかの様に取引し、辱める。

 これでは、かつての大戦で鬼畜と呼んだかの帝国と変わらぬでは無いか。

 不知火の手から、ソフトボール大に丸められたブリキが飛んだ。

 

「Huyuuuuu!」

 

 ブリキボールは身を傾けた候補生の肩口を掠め、ビルの外壁にめり込んだ。

 

「おーおぅ」

 

 甚五郎の呆れつつも、若干面白がっている様な呻きを背に前に進む。

 走らず、じわじわと歩いて追い詰める。

 背後は壁、上に跳んでも捕まえる。

 

(下手に殴っては殺してしまう…)

 

 艦娘の腕力で殴っては、人間の骨肉など容易く崩壊してしまう。

 掴んでしまえば腕力で負けはしないが、体重差で振り回される。

 体格の小さい駆逐艦娘にとって、自分より体格に勝る男性を制圧する為の最善手。

 

(捻るッ)

 

 手中に捉えた体の一部を捻り、苦痛を与える事で制圧する。

 歩みとは真逆に、霞む程の速度で掴みにいった不知火の手があっさりいなされ、下方に反らされた。

 若干の驚愕を覚えながらも、連続で仕掛ける。

 が、全てを片腕と、足を使っていなされた。

 一歩距離を離し、不知火は呼気を浅くする。

 

「Wow、裏鬼門か…それも、旧い方」

「並の盗人ではないという事ですか」

 

 感心した様に呟く声を聞き、不知火の目が細まる。

 訓練の一環として修得した体術だが、ここまで鮮やかにいなされたのは、指導教官以外では初めてだ。

 

「遠慮はいらねぇぞ、腕の二、三本無くたって、口は利けるからよぉ」

「了解」

 

 提督の声に答え、不知火は打撃を解禁する。

 掴み、打撃、打撃、掴み、金的、肘、膝、掴み…ひたすら攻める、攻める。

 

(そんなに、“お宝”が大事か…)

 

 じわじわ下がりながら、それでも大きな包みを離さない研修生に心中毒づきながら、不知火は、右の引き手でさっと服の裾を撫でる。

 そして、左の蹴り足を手で受けて体を浮かせている候補生に向け、右掌中に落とし込んだパチンコ玉を弾く。

 

「っ」

 

 銃弾が弾ける様な音を立て、候補生の人差し指と親指につままれた帽子がパチンコ玉を弾いていた。

 不知火が行動を起こすより早く、候補生の体が地面を仰向けに滑っている。

 足の間をするりと抜ける動きを認識するのと同時に、蹴り足が下に引かれ、軸足が払われた。

 前方につんのめった不知火は地面にハンドスプリングを決めて勢いよく跳ね起き、振り返る。

 

「っと、そこまでだな」

 

 膝立ちになった候補生に、甚五郎が拳銃を向けていた。

 “十四年式”と刻印された、古色蒼然たるブルースチール。

 突き出ただるま型のトリガーガードが特徴的だ。

 

「こいつは妖精付き(※)だぁ、撃たれりゃ、ちぃと、いてぇぜ?」

「Oh…イキがよさそうだ」

 

 

<----- ※妖精付き ----->

 

 艦娘達の艤装がサイズ、機械構造等を満たしていないのに兵器として力を発揮するのは宿る妖精達のおかげである。

 妖精を宿らせる事ができれば、深海棲艦に対抗できる人間用の武器が作成出来るのではないかという想定に基づき、人間用の“妖精付き”武器の開発が行われた。

 結果、艦娘、艤装と同じく、旧い時代の火器や刀剣を忠実に模倣すれば妖精達を宿らせる事ができ、深海棲艦にも一定の効果を持つ事が確認される。

 しかし、それらの性能を十全に発揮できるのは妖精を知覚できる提督(及び艦娘)達に限定される事も同時に判明した。

 現状、これらの武器は職人が手作業で作成しなければならない為、主に提督の護身装備として限定生産が行われている。

 又、軍刀や薙刀といった一部近接武器に関しては、武道を嗜む艦娘達からの需要がある為、そちらについては小規模ながら量産が行われている。

 

<----- ※妖精付き ----->

 

 

 

 甚五郎の指は既に引き金にかかっている。

 不知火は地面に落ちた候補生の帽子を拾った。

 帽子の中に薄い鉄板が仕込まれ、パチンコ玉を受けた場所が凹んでいる。

 

「小細工を…憲兵に連絡します」

「待て」

 

 携帯電話を取りだした不知火を、甚五郎が制した。

 

「こいつには、ちっとばかりうたって欲しい事があってな」

 

 不知火は携帯電話をしまい、候補生から包みを回収する。

 

「…は、ぁ」

 

 触った瞬間に走った怖気に、若干身を堅くしながら間合いを離す。

 風呂敷包みには、へしゃげた手持ち型の12.7mm連装砲が入っていた。

 砲身は拗けて曲がり、箱は殆ど潰れてぺしゃんこ、乾いた泥が付着し、所々に錆が見られる。

 砲戦で砕かれた損傷とは又違った凄惨さに、不知火は眉をひそめた。

 圧壊したか、とんでもない爆発でへしゃげたか、いずれにしてもかなり悲惨な死に様だったろう。

 

「最近の北とうちの近くのピカ、ありゃ、おめぇんとこの関係か?」

「俺が起こした訳じゃないさ」

「俺は二十の扉やってる訳じゃねぇんだぜ、もちっと、わかりやすく言ってくれや?」

 

 甚五郎の口角が僅かに歪む。

 

(実に悪人顔、でもそれが役に立つ事は否めない)

 

 不知火は候補生がいつ動き出しても動きを制する事が出来る様に斜め後ろに陣取っていた。

 真後ろだと、甚五郎の射線に割り込んでしまうからだ。

 

「俺が起こした訳じゃない、関係はこれからつくって所だ、From now…ちょっかいを出すからな」

「やっぱり、てめぇ関係かよ…」

 

 甚五郎の表情が渋くなる。

 不知火の記憶では、主力艦隊に甚大な被害が生じた作戦の時、あんな顔をして喫煙室に入っていくのを見た憶えがあった。

 確かあの時は、入渠中の駆逐艦娘達が寝ぼけ眼で差し入れのお握りをもそもそと食べている中、食堂では長門、陸奥等の戦艦組や、赤城、加賀等の正規空母達が炊き出し飯をがんがん掻き込んでいたのが印象に残っている。

 

「…まぁいい、お互い時間がある訳じゃねぇからな、たいむいずまねぃ、ってやつだ」

「I’ll say、だな、どうする?」

 

 

 軽く肩を竦める候補生に銃口を向けたまま甚五郎は一瞬間を置き、口を開く。

 が、声を発したのは候補生が先だった。

 

「Miss. Little Lightningの事なら、受けられない、dual contractになるからな」

「んだと!…誰が?、って、吐かねぇだろうなぁ」

 

 一瞬、甚五郎の指に力が籠もるが、引き金を絞りきるまでには至らない。

 

「OhOhOh… Relax? take it easy buddy、俺はYouに不利益を与えた事は無いだろ?」

「どうだか、貸しは残ってる気がするがなぁ?」

「Ha?」

 

 甚五郎と候補生のやりとりについて行けないまま、不知火は様子を見守る。

 

「アレに喰われそうになった時、ウインチ回して引っ張り上げてやったのは俺だぜ、沈没中、飯も分けてやっただろ?」

「あの、賞味期限切れのMREの事か?」

「ああ?何だったら一緒に置いてあったKレーションか、あの虫食いだらけのでけぇカンパンと緑色のベーコンでも良かったんだぜ?」

「Hummmmmmm…」

 

 候補生はしばし考える様子を見せた後、もう一度肩を竦めた。

 

「Oh well…well、ClientとのContractとその主旨に反しない、俺のjobのやり方で済む範囲内、それでyouに手を貸す、それが限度だ」

「もう一声、言う事があるんじゃねぇか?うちの、図体のでけえ奴に関してとかよ?」

 

 銃口をしゃくってにたりと笑みを浮かべるが、甚五郎の目は笑っていない。

 

「The Big?」

「でけぇなりして、乙女な奴が居てなぁ、最近ちょいと思春期的に不安定な感じなのよ、アレもお前の“問題”のせいじゃねぇの?」

「humm…i see、関係はある、俺のcontractには直接関係ないが…ただ、彼女の問題を、俺は解決できない」

「じゃあ、どうしてくれんのよ?」

「分かり易くして、彼女に解決できる…かも知れない様にするのがせいぜいだ」

 

 しばし、息の詰まる様な時間が流れた。

 

「あ~、しゃあねぇな…妥協してやっか」

 

 甚五郎はにやりと笑う。

 不知火はいつの間にか詰めていた息を吐く、妙な緊張感だ。

 砲戦とは全く違う感覚。

 

「admiralより、negotiatorに向いてるって言われないか?」

「へっ、兎に角だ…お前んトコの“問題”で迷惑してるうちの娘共を引き揚げてよこせ、きっかり、しっかり、無事、何事も無く、生きたままでだ、分かったか?…でけぇのもな」

 

 候補生は降参といった調子で万歳する。

 

「俺はIfritじゃないし、Monkey handでもない、ちゃんとyouのwishを果たすさ…best effortだがな」

「とらすと・みー?ってか、相変わらず胡散臭ぇが、しゃぁねぇな」

 

 甚五郎は鼻で笑いながらも南部十四年式の安全装置をかけ、ホルスターに突っ込む。

 候補生はゆっくりと立ち上がり、膝の埃を払った。

 

「Jobをstartさせたいんだが…Mr.甚五郎、そのバッジを貸して貰えるか?」

 

 差し出された手を見て、若干甚五郎は迷っていたが、やがて舌打ちしてそっと歪んだ銀バッジを渡す。

 

「ちっ、返せよ」

「多分、返すのは俺じゃないが、返すさ」

 

 不知火はどう反応したら良いのか態度を決められずに、遺骸を抱え込んでいた。

 できる限り早く手放したい感覚に抗うた。

 こんな胡散臭い相手に、同胞の遺骸を渡したくはない。

 しかし、甚五郎に命じられれば、渡さねばならぬだろう。

 話の流れからして、哨戒任務中に消息が途絶えたままとなっている第四艦隊の安全に関わる取引だと、想像がつく。

 もう一つは、ちょっと分からないが。

 

「Sorry、返してくれ…youの師匠、会ってみたいが、Not much time、やる事がある」

「それ以前に、不審者に恩師の個人情報を与える理由がありません」

 

 しかし、候補生がとったのは、穴の開いた帽子の方だった。

 

「はっ、おめぇにゃナンパは無理だな、しかし、そっちはいいのかよ」

 

 甚五郎が指摘すると、候補生は帽子の穴を指で突っついて肩を竦める。

 

「you達の格納庫においてくれ…というか、残りはもう置いてある」

「ああ?んだって!?」

「いや、元からそれはyouの格納庫に置いておく予定だった、そっちで置いて貰えると、一つ助かる」

「…っ、くそっ乗せやがったな?」

 

 毒づく甚五郎に苦笑して、候補生は帽子を頭に戻す。

 

「Hum…日本語だと、こう言う時、確か…みんなで幸せになろう、とか言うんだったな」

「おれといっしょに地獄に堕ちよう、のまちげぇだろ、そりゃ」

「難しいな…じゃ、俺はJobを始める」

「おうおう、とっとて連れ戻してこい」

 

 候補生は銀バッジをポケットにしまい、きびすを返した。

 路地から候補生が居なくなった後、不知火は甚五郎に近づき、その額にじっとりと脂汗が浮いているのを見た。

 

「司令、ご無事ですか」

「まぁな」

 

 甚五郎は、歯を食いしばって艤装を抱え込んでいる不知火を見て、苦笑を浮かべる。

 

「不知火よ」

「なんでしょうか」

「この辺で適当な茶店しらねぇか?」

「幾つかあります」

 

 唐突な質問だったが、不知火は淀みなく返答する。

 個人的にはそこまで趣味では無いが、黒潮に引っ張られて陽炎共々、穴場的な、若干変わった限定メニューのある飲食店に連れて行かれる為、店舗情報自体は充実しているつもりだ。

 最も、若干偏っているのは否めない。

 

「よっしゃ、喋りすぎて喉が渇いちまったからよぉ、ちいとサボっていこうぜ」

 

 一瞬、呆れた顔をした不知火から、甚五郎はひょいと艤装の残骸を改修する。

 

「ご命令であれば」

 

 元来、不知火の今日の任務は、提督の随行と護衛である。

 提督が行く場所へついて行くのは、元より任務の範囲だ。

 

「よーし、いくぜ」

 

 言いながら既に路地から出ている提督を、不知火は慌てて追いかける。

 

(返事を聞かないお人だ)

 

 聞きたい事は幾らもある、が、今それを聞いても答えは返ってこないだろう。

 

(一旦、呑み込んでおこう…)

 

 不知火は足を速めた。




 次は鎮守府の提督の日常がちょっとと、お茶会のお話。
 お茶会と行ったら、あの人ですね。


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 【第二話 ぼのぼのティータイム】

 昼下がりの一時、択捉島にも暖かい日差しが降り注いでおります。
 くそじじい提督も、一時の休息の様ですが…

 一方、艦娘達は…ティーラウンジで、いつものイベントが始まったようです。
 が、和やかなお茶会の筈が…少々雲行きが妖しい模様でございます。



【午後・単冠湾泊地にて】

 

 

「お茶にしましょうか」

「おう」

 

 新茶とはいかないが、つゆひかりの覆い掛けが残っている筈だ。

 丁寧に煎れ、厚切りにした虎屋の黒糖羊羹を添える。

 鳳翔は、湯気をたてるそれをデスクに置いた。

 視界には入るが、手元の邪魔にならない場所である

 

「どうぞ」

「うむ」

 

 声を掛けると、睨み付ける様に書類を見ていた男が顔を上げる。

 真っ白い髪に茶色く色素が沈着した肌、そして深く刻まれた皺。

 ぼうぼうに生えている髭まで真っ白だ。

 齢を重ねた男の顔。

 何時も不機嫌そうに顰められている顔の中で、目だけがふと緩んだ。

 その瞳の中で微笑みを浮かべた自分の顔が写り込んでいる。

 

「…ん」

 

 すぐに書類に目を戻した男は、遠慮無くずずずと音を立てて茶を啜り、おおざっぱに切った羊羹をむしゃむしゃとやる。

 

「んん、うまい」

 

 顔も上げずに感想を呟く。

 二重になった窓の外から、遠く風の音が聞こえている。

 静かな午後だった。

 

「わるかったな」

 

 ぼそりとした呟き。

 目線は書類の文字を追ったままだ。

 

「いえ」

 

 見えていないのは分かっているが、鳳翔は微笑んで首をふる。

 

「店の方の準備もあるだろうが」

「昨日のうちに大体済ませておきましたし、こっちのお仕事の方が大事ですから」

 

 だだだだだ、と激しい足音が発生し、すぐに近くなる。

 残念ながら、静かな時間は終わりの様だ。

 足音が執務室の前まで達した時、扉が吹き飛ぶ勢いで開かれ、ドアクローザがへし折れる金属音が室内に響く。

 水平に上げていた脚を降ろし、髪の毛を長いサイドテールに結った少女がつかつかと、デスクの前に歩いてくる。

 ふんぞり返って茶を啜る男の前までやって来た少女は、振り上げた両手をデスクに叩き付けた。

 大きな花の髪飾りが揺れ、手元では、ばき、という音がした。

 

「冗談じゃないわ!」

「っせぇなぁ、三時の茶もゆっくり飲めねぇってか」

 

 片耳を小指でほじくる男を、唇を噛みしめ、目をつり上げて睨み付けているのは、特型駆逐艦“曙”だ。

 開きっぱなしになったドアから、口をおさえておどおどしている潮と、半眼で口を半開きにしたあきれ顔の漣、そして、その漣に押さえられている戸惑い顔の朧が覗いている。

 

「これはどういう事よ!」

 

 曙は手にしていた紙をデスクの上に叩き付ける。

 

「ああ、出撃中止命令書じゃねぇか、おめぇ、そんな文字もよめねぇで、よくこんな仕事やってられるなぁ」

「なに寝ぼけた事言ってんのよ、こんのクソじじい!」

「ああ~、鳳翔さん、飯はまだかいねぇ」

「あらあら、おじいちゃん、さっき赤城さんの秘蔵のおやつを食べたでしょ」

 

 唐突なボケにくすくすと笑う鳳翔の前で、曙の顔がみるみる内に紅潮してゆく。

 艦本式タービンの唸りが聞こえてきそうな勢いである。

 

「こ…この」

 

 しかし、普段ならもう一噴きする所を、曙は深呼吸して拳を握る。

 

「…本当に捜す気あるの」

 

 絞り出す様にはき出す曙の前で、鎮守府“神威機動部隊”提督、赤巻甚五郎(あかまきじんごろう)は腕を組み、首をこきこきと鳴らす。

 

「ああ?お前等の仕事は潜水艦相手の哨戒だろうが、人捜しなんてしろなんて命令は出してねぇ」

「長門もここ来たんでしょ!」

 

 拳が叩き付けられた勢いで机が揺れ、茶請けの皿が跳ね上がる。

 

「独房にぶち込まれたって聞いたわよ!」

「おいおい、半日前の人事情報がダダ漏れじゃねぇか、うちの機密管理はどうなってやがる」

 

 呆れた様に呟く甚五郎の前で、曙は再度顔を紅潮させ始める。

 

「敵の哨戒も数が増えて、何かを捜してるみたいじゃない!早くしないと!」

「うるせぇ!」

 

 今度は甚五郎が湯飲みを机に叩き付けた。

 声の音量は窓が揺れる程だが、机の揺れは曙が拳を叩き付けた時よりは、ささやかなものだ。

 

「そいつを考えるのは俺の仕事だ、そいつで飯食ってんだよ!よけぇな事くっちゃべってるヒマがあったら、てめぇの使う砲弾でも磨いてやがれ!」

「な、何よ!やっぱり見捨てるつもり!」

「こんな稼業やってりゃ陸(おか)でくたばる方がおかしいわ!ああ?ナニか?てめぇは、んな覚悟もなしに水場にでてんのか?いつまでもふやけた事ぬかしてっと、どっかの農家の嫁にでも放り出すぞ!」

 

 にたりと笑った甚五郎の襟首が不意に締め上げられる。

 

「こ、この、クソじじい!」

 

 デスク越しに身を乗り出す不自然な姿勢だというのに、軽々と甚五郎の体がつり上げられ、どさりと落ちた。

 

「ふぃ~、死ぬかと思ったぜ」

「ぅあっ!ちょ!ちょっと、何なのよ!」

 

 真顔で曙の手首を捻り上げて押さえ込んでいるのは、秘書艦の鳳翔である。

 

「口答えは幾らでもしろ、仕事さえしているなら文句位聞いてやる…提督はそうおっしゃってます、けど、手を上げるのまでは見過ごせません」

「いた、いたた、やめ、何なのよ!」

 

 そのまま、執務室の入り口まで連行し、姉妹達に引き渡す。

 

「ああ~、うちの瞬間湯沸かし器が申し訳ないです」

「誰が電気ケトルよ…いたた」

「だ、駄目だよ曙ちゃん、人間に暴力振るうなんて」

「やっぱり止めておけば良かった…軍法会議ものだよ」

 

 ため息をつきながら頭を下げる漣の後ろで、左右から潮と朧に支えられた曙が連れて行かれていった。

 

「おお痛ぇ、馬鹿力で締めやがって」

 

 鳳翔が執務室のドアを閉め直して戻ると、甚五郎は、制服のホックを開けて首をなで回していた。

 

「痣にはなっていない様ですが、濡れタオルをお持ちしますね」

「ああ、すまねぇな…取りあえず、ドアと机はアイツの給料から天引きだ」

 

 濡れタオルを当てている甚五郎の為に、もう一度茶を煎れ直す。

 

「ふぅ、沁みるぜ」

「わざと煽ったりするからですよ」

「へへ、まぁな…しゃあねぇ、半分くらいは持ってやるか」

 

 甚五郎は茶を啜って息をついた。

 艦娘にとって、海の上じゃなかろうが、人間の首を後ろ前にする程度、造作も無い事だ。

 だが、そんな事にびびってる様な人間には提督業など勤まりはしない。

 

「大本営から、各鎮守府の長門型に顕著な情緒不安定が発症しているから、暫く任務を外す様に勧告かきて、呼び出された長門さんが、自分から独房入りを願い出た…事実を伝えてあげれば、あの子も手までは出さなかったと思いますよ」

「そうぺらぺらと、機密を拡散できねぇよ、ま、ここじゃ機密が機密になってねぇみてえだがな、ちっ、休みやるっつったんだから、長門の奴も大人しく部屋で編み物でもしてりゃあいいもんを、ったく」

 

 真面目な顔をして編み物の手引き書とにらめっこしながらちくちく編み物をする長門を想像して、鳳翔はくすりと笑う。

 提督にやれと言われれば、待機業務として大まじめにやりかねない。

 無骨で、妙な所で木訥な所のある艦娘だ。

 

「曙さんも、信じているからあんなに怒っているんですよ、提督が自分の艦娘を見捨てる訳が無いって」

「信頼は、喉を締め上げない形で示して欲しかったぜ、お茶、もう一杯くれないか」

「はい」

 

 もう一杯お茶を飲んだ、甚五郎は深々と息を吐く。

 

「第四艦隊の子達、心配ですね」

「でぇじょうぶだ、くたばったら俺にぁ分かるからな、今は大丈夫、大丈夫だ…」

 

 腹の上で手を組み、自分に言い聞かせる様に呟く甚五郎の肩に手を置き、鳳翔は優しく首筋をもみほぐす。

 

「大丈夫ですよ、きっと」

「そうさな、手は打った、が、な…」

 

 

【単冠湾泊地:艦娘休憩室】

 

 

 休憩室まで運ばれた曙はガラナスカッシュを小脇に挟んで片手で開封する。

 持ち替えて一口やると、独特の香りが鼻腔をくすぐった。

 

「曙ちゃん、大丈夫?」

「いたたたた…あたしが軽空母に一方的に力負けするなんて…ったく、ありえないわ!…何よ?」

 

 潮からアイスパックを受け取って手首を冷やしながらぼやく曙の額を、漣がこつり、と小突いた。

 

「あんたも馬鹿ねぇ、海の上とは勝手が違うんだって、いつになったら意識するのよ」

「何がよ、鳳翔さんて、私らよりは出力低いじゃない(※)」

「はぁ?」

「流石に私だって、秘書官が普段通り赤城さんだったら手まで出して無いわよ、張り手一発で壁まで吹き飛ぶじゃない!」

「あんたん中じゃ、赤城さんは相撲取りか何かなんかい…」

 

 

<----- ※私らよりは出力低い ----->

 

 wikiによると、最高出力は鳳翔が30,000hp、曙が50,000hp…赤城さんは133,000hp。

 

<----- ※私らよりは出力低い ----->

 

 

 曙の言葉に、漣はため息をついて額を抑える。

 

「そう言う事じゃ無いんだよ、地上だと私達は“踏ん張れない”から、出力の殆どを腕力として使えない」

「それ位は知ってるわよ、でもそれはあっちも同じでしょ」

「それが違うんだなぁ」

 

 きまじめな朧の説明に口を尖らせる曙に、漣が指を振ってみせる。

 

「確かに地上じゃ思う様に腕力が振るえないけど、そこを何とかする手はある訳よ」

「体中に重りでも巻く訳?」

「うっっくぅ~、ああ、我が姉妹がこんなにアホだとは…なんもいえねぇ~」(ゆで理論ならぬ、ぼの理論ね)

「なっ!り、理屈はあってるじゃない!」

「ええとね」

 

 額に手を当てて天を仰ぐ漣にまだ、何かを言いそうな曙を朧が制す。

 

「武道だよ、力を効率的に使う武道を習得する事で、地上でも力を使いやすくなるんだよ、やり過ぎると床壊しちゃうけど」(※)

 

 

<----- ※やり過ぎると床壊しちゃう ----->

 

 深海棲艦も艦娘も海上以外では完全な能力を発揮できない、腕力(出力)もその一つ。

 海上では超常的な特性で“足場”を確保して全力を振るえるが、地上ではそれができない為、全力を出そうとした場合、人間並の体重で艦艇のエンジン出力に振り回される事になる。

 武道による力の制御は基本的に力を適切に地面に向ける方法の修練なので、やり過ぎると簡単にコンクリが割れてしまうらしい。

 

<----- ※やり過ぎると床壊しちゃう ----->

 

 

 

「え?弓道で?」

「ち…違うよ」

 

 疑わしげに首を捻る曙に、今まで黙っていた潮が声を上げる。

 

「うん、鳳翔さんは弓道以外にも何か…ええと、合気道っぽい武道をやってた筈、パチンコ玉弾いてビール瓶粉砕するような…」

 

 朧の台詞に、今度は曙が半眼になった。

 

「私の知ってる合気道と違うんだけど…」

「…裏鬼道、だって」

「なんか、禍々しいわね…」

 

 穏やかな小料理屋の女将さんの、裏の顔を想像しかけてしまい、曙は頭を振る。

 

「はぁ…もう、どうでもいいわ、兎に角、敵の動きが妙なのは確かなんだから、早い所あいつらを回収しなきゃまずいでしょ」

「キタコレ~、はぁ、そんなにいきがったってね、命令がなきゃ漣達は出撃出来ないのよ」

「どんなに貧乏くじ引いても放って置けない、曙ちゃんのそういうとこ、キライ・・・じゃ、ない、でも命令違反は駄目だ」

「…できれば全員助けたい、けど…私達まで二重遭難したら…たぶん…提督、そう言う心配してるのかなって…」

 

 姉妹達に口々に諫められ、曙は不機嫌そうにガラナスカッシュをあおる。

 

「HI!今日もイイ天気ネー!」

「おーお、随分煮詰まってるね」

「あ、金剛に、川内」

「さんを付けろよデコ助野郎!」

「いたっ!何すんのよ!」

 

 ふて腐れた顔で呟いた曙の額を、漣がぺしっとはたく。

 

「はは、駆逐の子は元気で良いなぁ、お、潮ちゃんも元気してたかい」

「ひっ、あああああ!…は、はい」

 

 川内に頭を撫でられて、潮は困った顔をし、ついで上目遣いで見上げる。

 

「…あ、あの」

 

 何か言いたげに口を開くが、結局言葉にならず口を閉じてしまう。

 

「あ~、多分、その子、神通さんの事心配してるけど、言葉が出ないとか、そんな感じだと思います」

「そっかぁ、潮ちゃんは優しい子だねぇ」

 

 ますます頭をなで回され、潮は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 

「でもさ、大丈夫だよ、あの子に連絡がつかなくなったのは夜、夜戦の時間だよ、夜戦で私の妹が負ける訳がない!」

「そ~ネ、それに提督は、foultonguedかも知れないけど、ちゃんと自分の艦娘達の事は考えてるデスよ」

「提督の気さくなとこ、キライじゃないけど…金剛さんの事、お婆さん呼ばわりするのはちょっと気になるかな」

 

 眉根をよせる朧の頭を、今度は金剛が撫でる。

 

「朧ちゃんは真面目デスねー、ほんと、失礼しちゃいますけど、ちゃーんと、その場であのじじーには言い返してるから問題ないネー!」

 

 不安と疑問を抱え、答えを求めている四対の目。

 それを見回して、金剛は腰にあてていた手を払い、微笑みを浮かべる。

 

「何かあったらTea Timeネー!」

 

 そう経たない内に、休憩室のテーブルの一つに英国式のアフタヌーンティーが設営された。

 ケーキスタンドにはサンドイッチとスコーンに、ペストリー、シフォンケーキ等が並んでいる。

 鎮守府に金剛型が健在である限り、モーニング、アフタヌーン、イブニングにティータイムが存在する。

 ゲストはその時、手が空いている艦娘達。

 今回は曙達と川内の五人がゲストである。

 

「それは、曙ちゃんの誤解デース、長門は提督と喧嘩してトラ箱入った訳じゃナイネ」

 

 曙達から執務室での一件を聞き終わった金剛は、苦笑して曙の憤りを制した。

 

「丁度、さっき二人して面会に行って来た所だったんだけど、あの人、自分で独房に入ったって事らしくて」

「理由は話してくれません、でも、捜索打ち切りの抗議のせいじゃ無い事だけは、話してくれたネ!」

「じゃあ、一体何が原因なのよ」

 

『ども、恐縮です、青葉ですぅ!一杯宜しいですか?』

 

 唐突に元気の良い声が響き、川内の背後から、にゅっ、と一眼レフカメラを抱えた青葉が現れた。

 

「妖怪スクープ置いてけ、キタコレ!」

「勿論、Guestは歓迎するネ!」

「いやぁ、恐縮です」

 

 にこにこしながら座った青葉は、サンドイッチを一つつまみ、紅茶を飲む。

 

「原稿書いてる時は珈琲が良いですけど、リラックスするなら紅茶ですよねぇ」

 

 ご満悦で、たっぷりとハスカップジャムを塗ったスコーンを頬張りながら、青葉は数葉の写真を取り出した。

 一同が覗き込むと、それは深海棲艦の戦列、膨れあがる光球、そして、長門を捉えた写真だった。

 増感撮影されたものらしく、粒子が粗い。

 

「戦艦棲姫に装甲空母姫、装甲空母鬼、駆逐ロ、ハ、ニ級…大規模作戦の記録映像かな?…でも、何だろう、ここ見覚えがある」

 

 いち早く被写体を識別したのは夜戦命の川内である。

 

「こっちの光は、鎮守府の公報で別の構図を見ましたネ、北大西洋の写真デス」

「…こ、この長門さん…こわい、です…」

「誰か背負ってる…かな?」

 

 全員が写真を検分している間に青葉はスコーンを平らげ、今はリンゴとサクランボのペストリーを片手に二杯目の紅茶を揺らしている。

 

「流石、川内さんは夜戦に関しては慧眼ですねぇー、艦種全部当たってるじゃないですか」

「特徴的だからね、そうそう見間違えるものじゃないさ」

「で、この写真が何だって言うのよ」

「…ここ、単冠湾泊地の1-5…海域」

 

 ぺらぺらと写真をつまんで振っている曙の横で潮がぼそりと呟いた。

 素早く漣が曙から写真をかっさらい、朧と一緒にまじまじと覗き込む。

 

「あぁ~、ほんと!岬見えてるじゃん」

「言われてみれば、なんで気づかなかったんだろ?」

 

 ぱちぱちぱち、無言の拍手が休憩室に響く。

 青葉は口一杯にペストリーを詰め込んでいる為、喋れなかったらしい。

 

「…ふぅ、大変おいしゅう御座いました、それはですねぇ、全部同じ場所、ここの1-5セクションで撮られた写真なんですよ」

「ぜ、全部って、どういう事よ!」

「“恐縮ですが”声の音量を下げて頂けるとたすかりますー」

 

 笑顔のまま、青葉の声のトーンが若干変わっている。

 思わず周囲を見回した曙の目に、閉じられた扉の取っ手に差し込まれたモップが目に入る。

 青葉が入ってきた時にさり気なく封鎖していたらしい。

 

「詳細を聞かせてくれるんだよね」

 

 川内の声のトーンも若干低くなっている。

 

「分かる限りはですけどねー、勿論ですけど、ティータイムの雑談は、ティータイムの外に持ち出さないで下さいよー」

「勿論ネー、girl talkの秘密は門外不出ネ!」

「恐縮です!…では」

 

 にっこりと微笑んだ金剛にお茶のおかわりを注がれ、青葉も営業スマイルを返す。

 

「この写真は、セクション1-5で漂流していた、零式水上偵察機の妖精さんから回収されたものです、同セクションの対潜哨戒に出撃していた第四艦隊旗艦、神通さんが運用していた機体ですね」

 

 誰も口を開かない中、ソーサーにカップが触れる音が響く。

 

「他の漂流物、流出燃料、轟沈の痕跡は見つかってませんから、最初からお通夜みたいな顔してちゃだめですよー?」

 

 青葉は、手元にカメラを引き寄せて、椅子に座り直した。

 

「暫く前、北方海域で一時的に深海棲艦が北方棲姫の周囲に集結する動きを見せた後、その周辺で大規模な戦闘が発生…この時、所属不明の長門型が付近で目撃されています」

「しかし、どの鎮守府も関与を否定してると聞いてマース」

「鎮守府が秘密にしたくても、あれだけの事をすれば資源は万単位で消費しますし、艦娘の稼働にも響きます、秘密にするのは困難です…ついでに言えば、現地の鎮守府所属の長門型は戦闘発生時、全て所在が判明していますねー、戦闘海域以外の場所で」

「そもそも、一つの鎮守府で陸上型を攻めるなんて無理だし、余計に秘密にしにくいよねぇ」

 

 川内の言葉に青葉は頷いた。

 

「その通りです、よしんば隠蔽だとしたら、複数国家にまたがるレベルで隠蔽をかける必要がありますからねぇ、第一、こんな落としどころのない形で情報を拡散させてる時点でおかしいんですよー」

「落としどころ?」

「隠蔽の為のカバーストーリーを作る時は、聞いた人が納得できる“オチ”っていうものを添えるんですよ、納得できる“オチ”がついた話について、人は先を考えないものですからねー」

 

 首を捻っていた朧は、青葉の説明を聞いて若干口を半開きにしながら一々頷く。

 

「そうだね、たしかにそうだ」

「大規模な戦闘の後に観測された発光現象ですが、核爆発レベルの規模だった割には、音も衝撃も観測されていません、最早怪現象ですねー、で、その後、深海棲艦の哨戒活動が活発化したって話なんですが、そこでも1つ妙な噂がありまして」

「いちいち勿体をつけるわね」

「あ~、しーっ!」

 

 焦れた様に吐き捨てる曙の口を素早く漣が押さえる。

 

「地元の鎮守府の艦隊が哨戒任務中、何度も深海棲艦側の哨戒部隊を発見しているんですが、攻撃を仕掛ける前に逃げていったそうです、まるで余計な戦闘を避けている様に」

「そりゃ、気持ち悪い動きだね」

 

 川内は呟きながら考え込む。

 

「そして、同じような事がここの近くでRepeatされたわけネ!」

「すっかり同じって訳でもないですけどねー、大規模戦闘は起こってませんし」

「同じなのは、所属不明の長門型の目撃と発光現象かぁ」

「じゃあ、うちの長門が関わってるっていうわけ!」

 

 曙がテーブルを叩く前に、両脇から朧と潮が手を掴んで止める。

 

「駄目だって、壊れ物がのってるんだよ」

「…落ち着かないと、駄目…」

「わ、分かったわよ」

「助かります、ちょっと落ち着いて下さいね、容疑がかかってたら流石に正式に収監されてますって、人事課のデータ覗いたら、長門さん内勤の待機勤務扱いになってましたね」

 

 ちょっと迷ってから、青葉はイチゴのタルトを一つつまみ、ぱくりと食べる。

 

「とまぁ、以上の様な状況な訳で、セクション1-5の辺りは普段とは大分敵の配備状況とか変わってちゃってるみたいなんですよ、下手に飛び出していったら、鬼とか、姫とかついた奴に遭遇するかもしれませんよー」

「はにゃ~っ!、轟沈不可避だよ!」

 

 ずいと身を乗り出した青葉に、漣は奇声をあげて仰け反った。

 

「見た事無くても、それ位は分かるよね、曙」

「何当たり前の事言ってんのよ!」

 

 真顔で見てくる朧から、曙はつん、と視線を逸らす。

 

「それどころか、下手をすればこの辺に新しい陸上型を建造する作戦が進行中な可能性すらありますからねー」

「提督は戦力の散逸を恐れているという事かな」

「だと思います、大体が、既に第四艦隊を欠いてしまっていますから、状況は厳しいですよー(※)」

 

 

<----- ※状況は厳しい ----->

 

 1~4艦隊に組み込まれていない艦娘も戦力として運用されている。

 しかし、提督と精神的に結ばれ、統率されている1~4艦隊の艦娘は、通常の無線で連携する艦娘に比して、連携能力、反応速度、耐久力等、計測された要素で全てを上回る事が判明している。

 

<----- ※状況は厳しい ----->

 

 

 青葉は、ふと、曙に目線を合わせる。

 

「だから、勝手に動いて提督を困らせちゃあ、いけませんよー」

 

 言葉も無く頬を膨らませる曙に微笑み、青葉は伸びをする。

 

「はぁー、おいしいからって、ついつい食べ過ぎちゃいました、これじゃ夕食が食べられないなー」

「今日のサンドイッチとスコーンは榛名が作りました、好評だったと伝えておきマース!」

 

 青葉は軽くお腹を撫でながら立ち上がって、扉のそばまで行きふと振り返る。

 

「あー、そうそう、勝手に動いちゃ駄目なのは、他の皆さんもですからねー、確かにお伝えしましたよっ!」

 

 にっこり笑うと、青葉はモップを片付けて休憩室を出て行った。

 

「なんだか、でっかい釘を刺されちゃったね、提督の指示かな…那珂にも言っておかきゃなぁ」

「そーネ、多分、私達よりも先に長門の方に行って来たと思うネ」

 

 苦笑する川内に、金剛はため息をついた。

 

「結局、今は何にも出来ないって事」

「夜戦をするには、夜まで待たなきゃならない…私は待つよ、妹の事をさ」

 

 こぶしを固める曙の脇腹を、漣が肘で突っつく。

 

「ああ言われちゃ、我慢するしかないわねぇ」

「う…」

「また、ふくれない、ふくれないーい!」

「っ!も、も!」

 

 ふくれっ面になった、曙の口に漣はイチゴタルトを突っ込んだ。

 

「…どう、なっちゃうの、かな」

「NoProblem!うちの提督はあの食えないくそじじいなのデース!もう、手を打ってない筈がアリマセン!」

 

 不安気な潮の頭を撫でつつ、金剛は努めて笑顔を作る。

 現状でも漠然とした不安が広がっているのに、青葉が話してくれた様な情報が幾ばくかでも拡散すれば、鎮守府内の艦娘達が浮き足立つのは避けられないだろう。

 

(出来る限り、Soft landingしないといけないネ…)

 

 少なくとも戦艦である自分が平時と異なる態度を安易に取るのは絶対に避けるべきだ。

 金剛は、不安をしまい込み、意識して笑みを深くした。

 

「話をきいてばっかりで喉が渇いてしまったネ!紅茶を入れ直してくるデース!」




 次回、満を持して、れでぃ登場!
 主役は遅れてやって来る?


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 【第三話 ふしぎな島の暁】

 みんなダイスキ、特型駆逐ネームシップ。
 れでぃ暁の登場です。

 ここは、何だか書いてて凄く楽しい章でした。
 なので、他の章より、少し長めかも…


【南の島にて】

 

 

 身長180サンチメートル足らず。

 体重165ポンド前後。

 顔、(たぶん)ふつー。

 きんにく、そこそこ?

 のーみそ…有るのかしら?

 にんげん…だよね?

 

 私は疑問を解消する為、誘導尋問を試みる事にした。

 一人前のレディーには容易い事である。

 まずは、さして関係ない質問から。

 常識ね。

 

「ねぇ、なんで学生服なの?」

「制服は一着しかないからな」

 

 竿が振り抜かれる。

 手を少し動かして、軸線上に連装砲を合わせる。

 海から飛び出したイ級の横っ腹に、吸い込まれる様に5インチ砲弾が炸裂し、風穴が開いた。

 

「Nice kill」

「と、とーぜんよ!」

 

 ヒューという口笛混じりの賛辞に、ふんすと鼻を鳴らす。

 水上を不規則に高速移動する目標に比べればあんなもの止まっているも同然だ。

 とは言え、崇拝者の賛辞を素直に受け取るのも一人前のレディーの務めである。

 私は上機嫌で自分の浮きに目を戻す。

 ピクリともしていない。

 尋問を再開する。

 

「なんで制服が一着しかないの?」

「二着めからは自腹だからな」

 

 又、隣で竿が引き抜かれる。

 波間から飛び魚の様に跳ねたのは、ニ級だ。

 素早く引きつけられたそれを迎えたのはでっかいトンカチ。

 めんたまを叩き割られてぴくりとも動かなくなったそれを、彼は脇にひょいと放り投げる。

 

「学生服だって制服でしょ?」

「That's right! だから勤務中に着てても良いだろ?」

 

 やっぱり喋り方、ヘン。

 せーかく、もっと、ヘン。

 うん…やっぱり、訳わかんない。

 

『なんで、学生なのに司令官なの?』

 

 私は、暁型駆逐艦一番艦の艦娘、“暁”。

 誇り高き帝国海軍の魂を受け継ぐ者にして、一人前のレディでもある。

 残念ながら、まだ長門さんには背丈じゃかなわないけど、レディの価値は背丈で決まらないから問題ないと思う。

 

「Lady暁、引いてるぞ」

「ん、あ…ほんとだ」

 

 私は、慌てて竿に注意を戻す。

 最初の自己紹介以来、この人は、私の事をレディー付けで呼ぶ様になった。

 からかう調子じゃなくてごくふつうにそう呼んでくれた人は初めてなので、正直面食らってしまった。

 嬉しく無い訳じゃないけど、誰の前でも普通に言うので一寸恥ずかしい。

 

(ま、まぁ、世の中にもたまには礼儀を心得てる人が居るって事よね)

 

 それはさておき、今日はまだ全員分の魚が釣れてない。

 このままだと、明日の朝ごはんのおかずが又、干物かスパム缶になってしまう。

 せめて、新鮮な塩焼きが食べたい。

 慎重にあたりをあわせる。

 

「たべられるの~、こいっ」

 

 イ級なんて、幾ら釣った所で食べられないのだ。

 

「ふむ、Black seabreamか、刺身にすると良さそうだ」

 

 たも網の中で跳ねている黒鯛は三十サンチは有りそうだ。

 少なくともこれで、タンパク質の供給源がスパム缶だけという事態は回避出来そうだ。

 おさんどん担当の雷が幾ら頑張ったとして、味気ないCレーションを、暖かくて皿に載ったご飯にするのが限界である。

 素材の壁と言うものは如何ともし難いものがあった。

 

 

 ここに来た時最初の食事…あの、MREレーションの味ときたら、この世のものとは思えなかった。

 一人前のレディだというのに、余りの不味さに、私は残して空腹に耐える道を選んでしまった。

 あんなものを米帝の軍は食して居たというのか。

 繰り返し聞かされ、飢餓の恐ろしさは重々心得ている。

 が、その上で、あれを常食しながら士気を保てる軍と言うのはなんと精強なのだろうと感心する。

 私は舌は甲板磨き用ワックスの味をチョコレートだと認識しないし、あのコップを磨くと茶渋がとれてピカピカになる粉をレモネードなんて認めない。

 

 ぜったいにだ!

 

 電が一寸食べてしまったフルーツバーなんか、もう腐っていたらしくて、かわいそうにあの子はお腹を壊してしまった。

 冷えたレーションから漂う異臭を前に、ひとりだけあの異物を完食したこの人は、軽く周囲のお通夜を見回して少し首を傾げてたけど、すぐに立ち上がった。

 

『取り敢えず、まずは現地調達だな』

 

 それが、司令官が下した最初の指令だった。

 

 

「どう考えても、暁の勝ちってことよね!」

「明日のMorningはDeluxeになりそうだ」

 

 そう言いながら竿を引き、私達第四号艦隊の司令官、東京太郎提督は又一匹、今度はロ級を釣り上げた。

 

 

 

 しばらく釣りを続けた後、そろそろ陽が南中から傾き始めた為、私達は竿を畳んだ。

 釣果はさっきのクロダイにブダイ、スジアラ、ヒブダイ、ロウニンアジ、ハマフエフキと言った所。

 後は、外道の各イ、ロ、ハ、二級が一山に、何故か軽巡ホ級が一隻。

 駆逐は提督と私で交互に〆て、ホ級は砲撃でよろめいた所に、提督がネックツイストで〆た。

 正直、対潜哨戒に出てる時より、釣りの間に駆逐してる数の方が多い気がする。

 こっちは食べられないけど、夕張さんがあれこれする素材になる。

 既に私達の艤装の一部には深海棲艦の部品を代用した即席整備が施されている。

 私が手に装備してる連装砲は深海棲艦の5インチ砲に換装されているし、破損した防盾は駆逐級の外郭を流用した素材に置き換わっていた。

 ぬめっとして艶びかりする防盾を見ると、正直一寸気分が悪いが、物資が足りないのだから仕方ない。

 この状況下で全員分の艤装が稼動する様に保っている夕張さんはほんと凄いと思う。

 

「よく釣れたな…支援感謝する」

「と、当然よ!私が手伝ったんだから、うまくいかない訳がないわ」

 

 差し出された手を取って立ち上がる。

 少なくとも、この提督は私の頭を撫でたりしない。

 ヘンはヘンだけど、そこは評価してあげなくちゃいけない。

 

「ありがと。お礼はちゃんと言えるし」

 

 東司令官はバッカンとクーラーを担いだまま軽く肩を竦める。

 太陽、白い砂、椰子の木、碧い海。

 竿を担いで砂浜を歩いていると、戦いの中に身をおいている事を忘れそうになる。

 

 そんな風景の中で、私は妹の一人を見つける。

 暁型二番艦“響”。

 砂浜に腰を下ろして、スケッチブックへ写生をしている様だ。

 この鎮守府で響の担当は通信士だが、そこまで多忙な仕事で無いのは見たとおり。

 因みに、私、暁の担当は衛生管理。

 私もヒマだか…じゃなくて、一人前のレディの嗜みとして、手が空いている時には他の人のお手伝いをしてあげているのだ。

 

「Добрый день(ドーブィルイ デーニ)、司令官…と、姉さん、今日は糧食調達支援かい」

「そうよ、一杯釣っちゃったんだから!」

「ま、イロイロ釣れたな」

「…砲撃音が聞こえたからね、お察しするよ」

 

 響はスケッチブックを畳んで立ち上がり、服から砂を払う。

 

「内地から連絡は?」

「何時もの定時連絡だけだよ、しかし、相変わらずジャミングがひどい、会話するのは困難だね」

「Hum…」

 

 内地との通信状況は良くない。

 鎮守府周辺の作戦行動なら大した影響は無いけど、内地までの長距離通信は酷く阻害されている。

 ノイズが酷過ぎて意味の通る会話をするのが難しいのだ。

 東司令官によると、深海棲艦側の封鎖攻撃らしい。

 一応、モールス通信で疎通出来てはいるものの、短いやり取りでもかなり不便。

 補給が円滑にいかない一因である。

 

「夕張さんも色々工夫してるみたいだが、流石に無理があるみたいだ」

 

 軽巡の夕張さんは技術担当だ。

 実に適職で、先程も言ったとおり、朝から晩までありものの資材で何かを作っている。

 ここだと(深海棲艦の残骸以外は)何でも不足しがちなので、夕張さんみたいに手当たり次第代用したり、別物に改造して使いこなす技術が無かったらちょっとした無人島遭難じみた苦労を強いられていただろう。

 

「Let's take it easy」

 

 私達は口笛を吹きながら歩き出した提督の後を追う。

 

「Take it easyか…」

「ん?」

 

 響がわざわざ英語を言い直すのは珍しい。

 

「口笛さ、あれはイーグルスの、Take it easyという曲だよ」

「へぇ…」

 

 そんな事を言っていると、三棟のビニールハウスに二枚の畑が見えてくる。

 そこで鋭く鍬を振るっているのは、軽巡の神通さん。

 第四号艦隊の旗艦にして、作戦立案及び、訓練担当。

 まぁ、最近は訓練の基礎体力作りは農作業と入れ替わる事が多いんだけど。

 この畑は、神通さんの趣味であると同時に私達の重要な食料供給源の一つ。

 最早、戦略的な価値を持っていると言っても過言ではない施設だ。

 又、あのいつ作られたか分からないMREレーションを食べる位なら、みんな自分の体でここへの砲火を遮る方を選ぶだろう。

 

「あっ…提督、お疲れ様です」

 

 私達に気づいた神通さんは、鍬をさっ、と持ち替えて体の脇に寄せた。

 まるで刀を納刀する様なキレのある動きだ。

 普段は気弱に見える程に控えめな話し方をする人だけど、どんな過酷な戦闘や訓練にも率先して挑み、決して退かない。

 レディーとはちょっと違うけど、芯が強い…大和撫子というのだろうか、長門さんとはちょっと違う意味で憧れる。

 ただ、意識が無くなるまで訓練に付き合わされるのは、流石に一寸、遠慮したい。

 あの時は、気がついたら妹達と夕張さんの5人でマグロみたいに寝かされて、額に絞りタオルがのっけられていた。

 神通さんは私達を宿舎へ運んだ後、普通に畑仕事に行ったらしい。

 司令官はタオルを絞りながら、

 

「なる程、確かにDrill Sergeantだな…」

 

 なんて呟いていた。

 もう、凄い、と言うか怖い。

 ただ、その後司令官から訓練は稼働率に支障が出ない事を優先する様にと指令が下された為、倒れるまでみたいな訓練は無くなった。

 ほんと、妹達とこっそりお祝いした程嬉しかったものだ。

 しかし、それ以来何故か神通さんと一緒に訓練している司令官の姿を頻繁に見かける様になった。

 端から見ても滅茶苦茶にしごかれてる様に見えるのに、何だか妙に楽しそうにしてるので私は触れない様にしている。

 アレに巻き込まれたら一大事だし。

 

「茄子はあと二、三日で収穫出来そうです…甘藷(かんしょ)も良く育ってくれています」

「Thanks…Miss.神通は、green thumbを持っているんだな」

「緑?…な、なんでしょうか…?」

「ちょっと、響、分かる?」

 

 東司令官の物言いに当惑している神通さん。

 レディとしてちゃんと勉強している私には、“緑の親指”っていう意味だって事はちゃあんと分かったけど、別に神通さんの親指は緑色じゃない。

 

「細かくは知らないけど、植物を育てるのがうまい人の事をそんな風に呼ぶらしいよ」

「ふ~ん、ヘンな言い回しね」

 

 流石私の妹、物知りだ。

 全く、東司令官はいきなり妙な事を言うから、たまに意味が分からなくて困ってしまう。

 

「次の哨戒任務について、電さんに書類を預けてあります…東提督、確認をお願いしますね」

「Aye ma'rm checkしておく」

 

 電は秘書艦を担当している。

 他の担当者が作った管理書類に目を通し、申請書を取りまとめ、東司令官のサインを貰う。

 全員のスケジュール調整もする。

 多分、一番鎮守府っぽい仕事をしてると思う。

 

「Miss.神通もそろそろ上がるか?」

「…私はもう少し続けてから行きます」

「Yes ma'rm. see you later.」

 

 くだけた敬礼を返す東司令官の隣で、私も手を振る。

 

「神通さん、後でね」

「До свидания(ダ スヴィダーニァ)」

 

 コンクリで固められた細い道を上ってゆくと、左の方に大きな白い建物が見えてくる。

 島の裏側でこの泊地を拠点とするもう一つの鎮守府だ。

 硝子を多く使った、リゾートホテルの様なビル。

 実際、似た様なものだと思う。

 広くてふかふかの絨毯が敷かれた天井の高いロビーにお洒落なカフェテリア。

 庭には艶々の木材で作られたおっきな建物(クラブハウスって言うらしい)に、広いプール。

 大きな日傘付きの寝椅子…カウチ、だったかな、があって不思議な色で飾りがついた飲み物がある。

 多分、空調も完備で、妹達全員と川の字になれる位大きくてふかふかのベッドもあるに違いない。

 ま、ベッドは想像だけど。

 少なくとも、一度に四隻入梁出来るフルサイズのドックが幾つもあるのは確かだ。

 夕張さんが涎を垂らして喜びそうな整備施設と物資が山積みだった。

 そこを横目にしながら少し歩くと、数張りのテントと、椰子の木で組まれたログハウスが見えてくる。

 これぞ軍隊の前線基地。

 或いは難民キャンプ。

 そんな見た目のここが私達のささやかな鎮守府だ。

 

 ふかふかのベッドも、空調も無いけど、一通り最低限の施設は揃っている。

 ドックは標準通り2つあるし、お湯の使えるお風呂とシャワーだってある。

 

 ドックには苔生えてるし、湯船はドラム缶で、シャワーは手動だけど…あ、プールも無いか。

 ベッドは、ハンモックで代用。

 

 空気にカレーの匂いが漂っている。

 そう言えば、今日は土曜日だった。

 道具を片付けてから洗面所(兼台所の流し、兼洗濯場でもある)へ手を洗いに行くと、顔を洗っている夕張さんにあった。

 油シミだらけのつなぎは、溶接の火花のせいで点々と穴が開いている。

 泡だらけにして、手からグリスを落としているのは椰子の油から作った石鹸だ。

 雷と一緒にあれを作った時は、寒天羊羹作ってるみたいで結構楽しかった。

 よく汚れが落ちるけど、服を洗うと少しごわごわになるから困る。

 

「Good evening Miss. 夕張」

「ふぁ…提督、おはようございます」

 

 夕張さんはタオルで顔をがっし、がっしと拭いて顔を上げる。

 色白で美人なのに、本当に勿体ない。

 常々、司令官みたいなのしか居なくても、女を捨てるのは駄目なのよと、レディーの義務として忠告してはいるけど、お化粧にはそこまで関心が無いみたい。

 …内地から届いたアニメ動画を一緒に見てる時に言うから駄目なのかも知れないけど。

 

「今日は、Junkが随分釣れた」

「ホ級まで釣れちゃったんだから!」

「よぉし!後で見に行かなくちゃ、

ちょっと、良い部品穫れるかも!」

 

 バンザイしてジャンプする夕張さんは、本当に嬉しそうだ。

 しかし、最近夕張さんの深海棲艦を見る目が、敵と言うより代用資材の塊を見る目になってきていてちょっと怖い。

 

「あれとあれ、ああ~、アレも欲しいなぁ…ガワ以外全部バラせば持って帰れるかなぁ」

「資材確保はバッチリね!」

「さぁ!色々剥ぎ取っても、いいかしら?」

「どーぉ、この攻撃はっ!って、まだ沈んじゃ駄目なんだからねっ」

「よしっ、後で中身開かせてね!」

「あの装備、まだ穫ってないのにぃ!

「~っ。やっぱ、ちょっといろいろ穫りすぎたのかなぁ‥。」

「魔改造に使えそうな兵装は、私がきっちりチェックするからね!

えっ?足が遅いって…?しょ、しょうがないじゃない!戦利品が重いんだもん!」(返りオイルまみれ)

 

 耳にする発言の方向性がどんどん妙な方向に走ってきてる気がする。。

 艤装にも常にジャンクパーツ回収用のドラム缶を搭載してる状態だし。

 東司令官は、

 

「Jolly Rogerでも付け足しとくか」

 

とか言っていた。

 

 

 食堂のテーブルにみんな勢揃いする。

 食堂とは言っても、兼会議室、兼作戦室なので壁には海図や黒板がある。

 ついでに、男の人の写真も飾られている。

 多分、前の司令官だった人だと思うが詳細は不明だ。

 皆は花と水を供えるのが日課だが、私はやってない。

 大体、まだ亡くなってなかったら結構失礼な話だとも思うのだ。

 男の人は制帽に夏服のシャツ姿で幾分かラフな敬礼を決めている。

 よく焼けた顔に微かに微笑みが浮かんでいるのは、正式な場面でなくスナップショットだからだろう。

 大きな拳に太い腕。

 私くらいならひょいと持ち上げられてしまいそうだ。

 年齢は40を越えるか越えないかと言った所か。

 

「ностальгическое…何故だかみなこの写真から郷愁を感じている…姉さんはどうだい?」

「私は…」

 

 いつの間にか隣に立っていた響の問われ、私言いよどむ。

 確かに温かみを感じる写真だが、私はそこまで思い入れを持っていない。

 この写真に好感を抱いている様子の妹達に、わざわざ言いたい感想ではなかった。

 

「ちょっとぉ、二人とも並べるの手伝ってよ!」

「はーい」

 

 私は雷に怒られたのをこれ幸いと、その場を離れる。

 昼は作業の都合でバラバラになるので、ここで全員が顔を合わせる機会は、会議とか、出撃を除けば朝夕の食事時になる。

 最も、夕張さんは朝起きてこない事多いけど。

 

「いただきまーす」

 

 水コップからスプーンを抜いて、ライスカレーを食べる。

 簡単に手に入る食べ物がタロイモ、ヤムイモ、バナナ、パンの実、サゴヤシ、ココヤシみたいな環境だと日本のご飯が恋しくてたまらなくなる。

 けどお米とルーさえあれば、どこでもちゃんとライスカレーはライスカレーになり、とてもおいしい。

 だから、それはとてもじゅーよーな事なのだ。

 …要するに、ライスカレーはおいしいと言うこと。

 

「やっぱり、土曜日はカレーよねー」

「そうよねぇ、この仕事お休みなんて無いし、曜日感覚狂っちゃうわ」

 

 雷の言葉に頷きながら、夕張さんがカレーをぱくついている。

 若干意味がすれ違っている気がするけど、どっちも気にしてないみたいだし問題ないだろう。

 

「ま、敵さんにはSabbath Dayなんてのは無いだろうからな」

 

 東司令官は又、よく分からない事を言っている。

 しかし、社交術を身に付けた一人前のレディーは、礼儀正しく無視をすべき時を心得ているので、私は黙ってライスカレーを食べる。

 

「交代する艦娘も居ないから、半舷上陸って訳にもいかないわよね」

 

 そうだ、私達、艦娘だって働けば疲れる。

 休憩は必要だ。

 だから、普通の鎮守府なら、艦隊に所属させている以外にも控えの艦娘を擁しているものだ。

 ついでに言えば、異なる作戦に対応する為には異なる艦種が必要だから、そういう意味でも控えは必要だ。

 でも、ここには、それがいない。

 

 ヘンな司令官、ヘンな鎮守府。

 

 考えながら、水を飲む。

 なんで、こんなに何にもないのか。

 それについては、一応の理由はある。

 この鎮守府の雇い主は、そこまで大きくないNPO団体らしい。

 深海棲艦に家族を殺された被害者達からの寄付金で賄われている組織。

 採算は決して良い方では無いらしい。

 

『ちっせぇなぁ』

『本当に、あの怪獣やっつけられんのかよ?』

『あいつらやっつけてよ!』

 

 日本を出発する時、憎まれ口を叩いたりしながらも、旭日旗を一生懸命振っていた子達の事を思い出す。

 

 島裏の大きな鎮守府の雇い主(母体だったかな…)は大きな民間の警備会社らしい。

 

(東司令官はぴーえむしーとか言っていた)

 

 あそこには何でもある。

 複数の艦隊。

 立派な施設に沢山の資材。

 お洒落なカフェー。

 そして、ふかふかのベッド。

 

 でも、ここには戦う理由があり、妹達がいる。

 それが一番重要な事。

 

 デザートにパイナップル入りの冷やし寒天が出てきた。

 絶妙な酸味と甘味のバランス、涼感を演出するほのかな花の香り。

 これは美味しい。

 ここに来てから、雷は本当に主婦としての腕を上げている。

 よく、あの乏しい材料から毎回ちゃんとしたご飯を作るものである。

 

「ちょっと工夫してみた献立はどうだったかしら?」

「Good」

 

 コーヒーを出しながら自慢気に感想を尋ねる雷に、東司令官は親指を立て、端的すぎるこたえを返す。

 

「なによ、そのおざなりな返事は?ひどーい!」

「…私はとてもおいしかったと思います」

「この寒天、良い匂いがして、とてもおいしいのです」

「Вкусно(フクゥースナ)、雷の料理は、ここで味わえる数少ない娯楽の一つだよ」

「正直、雷ちゃんをメイドさんに雇ってお世話してもらいたいわ~、ダメになりそう」

 

 ちょっと不満げだった雷は、口々に褒められて満足そうに胸を張る。

 

「そうそう。もーっと私を誉めてもいいのよ」

 

「Hum…」

 

 コーヒーを飲みながら、降参とでも言うように、東司令官は手を挙げている。

 いや、文字通りお手上げかもしれないが。

 私は情けあるレディーとして、助け船を出してあげる事にした。

 

「だめよ雷、司令官はあの固形燃料全部食べちゃう様な人なんだから、多くを求めたらいけないのよ」

「そりゃそうね、あははっ」

 

 固形燃料とは、初日に食べたアレの事だ。

 

「俺はベア・グリルズには程遠いと思うんだがな…」

 

 ひとしきり司令官で遊んだ後、お風呂に入る。

 ドラム缶の底をガスで炙るお風呂が2つ。

 電と体を洗いっこし、交代で手動ポンプ式のシャワーで泡を流してからドラム缶に浸かる。

 丁度よい湯加減だ、お洒落じゃ無いけど、中々気持ちがよい。

 ただ、うっかり縁から手を離すと顔まで水没してしまうので油断は出来ない。

 まさか、ドラム缶風呂で大破着底してしまうとは、何たる屈辱であったことか。

 あの時、駆けつけた司令官が頭まで浮揚させた所で夕張さんと神通さんに作業を引き継いでくれたのは武士の情けである。

 全身再浮揚されていたら、艦歴に拭いがたい汚点が記される所だった。

 

 ちなみに、その後、ドラム缶風呂での船体洗浄作業を行う際、駆逐艦は二隻以上で作業にあたる事、という鎮守府内通達が行われた。

 以後、同じ事故は発生していない。

 

 お風呂から上がったら、夕涼みのお散歩をする。

 学生服の上着を脱いで、左肩に引っ掛けた司令官の隣を歩く。

 段差や小川を越える時、忘れず手を差し出してくれるのは一寸気分がよい。

 実の所、背丈を超える様な段差でも一寸、力を込めて跳べば良いだけなんだけど。

 一人前のレディーたるもの、紳士(?)の気遣いを快く受けてあげるのも礼儀の内なのだ。

 小川を超え、5m位の岩を幾つか登り、崖っぷちの道を螺旋に上がると見晴らしの良い高台に出る。

 二つの鎮守府と周辺海域を一望出来るスポット。

 目視観測には絶好のポイントだ。

 それは良いのだが、ここには正直あんまり良い思い出がない。

 神通さんが鎮守府からここまでのタイムアタックを訓練に組み込んだ事がある。

 あの時私は、崖っぷちの道から響と一緒に転がり落ちてしまった。

 椰子の木を3本折った挙げ句、地面で背中を強打。

 息は止まるし、気を失うし、ほんと散々だった。

 ちなみに、響は私の上に落ちたので何事も無かったらしい。

 

(不幸だわ……。)

 

 意識を取り戻した後、優しく手当てしてくれていた神通さんは、後でちゃんと転がり落ちたりしなくなる様、一緒に再訓練する事を約束してくれたものだ。

 レディは子供みたいにぐずったりしちゃいけないので、私は何とか半泣きで持ちこたえた。

 結局その後の訓練は、神通さんだけではなく、司令官も一緒になってやり、椰子の実となんか大きな蟹を捕まえて帰ってきた。

 蟹は取りあえず茹でてみたけど、一口食べた司令官が漏らした一言。

 

「Hum…これは食べない方が良いんじゃないかな?」

 

 その発言に私達は震え上がり、蟹は食材ではなく食卓を飾るオブジェとして処理された。

 それにしても、ここは夜になると、星をみるのにもってこいの場所になる。

 素敵な紳士とのデートスポット、と言いたい所だが、司令官はひとしきり海をみた後、お隣の鎮守府を見て独り言中。

 そんな気分になるのは難しい。

 

「Enemy…Negative、alliance…第一艦隊出撃中…第二艦隊、古鷹、有明、夕暮、白露入梁…Hum」

 

 偵察は良いけど、お隣の鎮守府で入梁中の子を確認するのは覗きスレスレの行為だ。

 紳士的とは言いかねる。

 

「だめよ司令官、覗きは犯罪って言ったでしょ」

「Hum…戦力偵察は大事な作戦行動なんだが」

 

 まぁ、確かにお隣の鎮守府とはあまりちゃんと連携出来ているとは言えないとは思う。

 お互いに作戦行動計画をやりとりしている訳でも無いから。

 一応担当する作戦は決まっているから、あまり問題にはなっていないけど。

 

「定例会議とか開けば良いじゃ無い、向こうは、気軽に寄ってくれって言ってたし」

「hum…」

 

 市場に買い物に行くと、たまにお隣の鎮守府の艦娘達と出会う事がある。

 大概がちょっと挨拶をする程度だ。

 しかし、瑞鶴さん、翔鶴さんには何故か気に入られてしまったらしく、会う度にちょいちょいとお菓子だの、果物等をくれたり、露天でお茶に誘われたりする。

 そう毎回貰い物をするのも気がひけるので、断ったりもする。

 というか、頭撫でようとしたり、膝にのっけたり、頬ずりしたりしようとするので、本当に勘弁して欲しい。

 しかし、妹達へのお土産にと言われると、ちょっと断り切れないのが困る。

 それに、もの凄い笑顔で誘われて、断るともの凄く寂しそうな顔をされるので、更に断りにくい。

 

(司令官が一緒だと楽なんだけどなぁ)

 

 あの二人も、流石に司令官が一緒だとある程度は気を使うのか、誘ってはこない。

 事ある毎に鎮守府に誘われるのだが、流石によそ様にお邪魔するのは気がひけるし、司令官が心なしか嫌そうな顔をしているので、それだけは丁重にお断りしている。

 勿論、あくまでも礼儀正しくだが。

 夕涼みのお散歩が終わると、消灯時間だ。

 夜番以外は早々に眠る。

 敵襲があれば都度叩き起こされるし、もっと頻繁に神通さんの召集訓練が入るのだから、早寝するに越した事はない。

 歯磨きをして、ハンモックによじ登る。

 これが、最初は結構難しかった。

 乗り損ねてぶら下がったり、転げ落ちたり、やっぱりもうちょっと背丈がほしいと、改めて思ったものだ。

 しかし、一度収まってしまえば、至極快適である。

 程よい浮遊感と涼しさ。

 これはふかふかのベッドでは得られない感覚だ。

 すきま風所じゃない開放的溢れる宿舎もこう言う時は良いものである。

 ま、でかい虫だけはまだちょっと慣れないけど。

 

 

【明けない夜の中で…】

 

 

 誰かが闇の中叫んでいる。

 敵だ、敵艦が居るのだ。

 光を照らさねばならない。

 爆音と衝撃。

 少しでも長く、時間を。

 探照灯をつけて走り、消しては走る。

 砲撃する、魚雷は撃てない。

 もう音が聞こえない。

 光と衝撃によろけながら跳ぶ、這う、跳ね起きる。

 一際大きな衝撃が全身を叩く。

 罠にかかりもがいていた敵の首が跳ね跳び、動かなくなる。

 滑る様に闇に同化する神通さんの反対側に走り、探照灯を再点火する。

 今までで一番激しい衝撃が襲い、最後の設置式探照灯が吹き飛んだ。

 周囲が完全な闇になる。

 まだ、司令官の“声”は聞こえている。

 大丈夫。

 だが、そろそろ速力を維持するのも限界だ。

 そこら中、深海棲艦の残骸だらけで走りにくい。

 一瞬、意識が途切れた後、浮遊感と激しい衝撃に覚醒し、地面か壁か何か分からないものに何度も叩きつけられる。

 探照灯が砕け、体がふっと軽くなった。

 

(あ…錨取れた?)

 

 世界が私の上に落ちてきて、全てが遠くなる。

 竜骨が歪む音だけが耳障りだ。

 静寂の中、誰かの声が聞こえる。

 

「すまない…すまない…すまない…」

 

 頭に閃光が走り、何も、何も聞こえなくなる。

 残されたのは絶望と絶対的な孤独感。

 存在が圧し潰される。

 消えてゆく。

 

 一人、独りだ。

 それも…

 




 次回、流行病の黒潮病でちまたを騒がしているあの子が登場。


【The wornick、AmeriQual、Sopaco社及び、Natickの名誉の為…】

 暁達が食べていたMREですが、アレは民間払い下げ品で、消費期限がとうに過ぎていた代物です。
 今日日のMREは、ものによりますが、結構マシなものになっているらしいです。


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 【第四話 鎮守府怪談PartⅡ うしろに立つ重巡】

 神威鎮守府側、不知火さん達のお話です。
 朝食の席の何気ない会話、ガールズトークでも炸裂してるんでしょうか?

※ここの黒潮さんはいんちき京言葉寄りになまってる様です。

《“神威”鎮守府豆知識:鎮守府の構成員》

Q.鎮守府って提督と艦娘しか居ないの?
A.もちろん違います。
  ある程度以上の規模の鎮守府であれば、基地の運営に従事する人間の一般職員が多数勤務しています。
  また、提督以外にも、妖精さんの“視える”人がやっている特殊職として、艦娘達の医療面をケアする“妖精医者(ウィッチドクター)”、装備開発の修理、開発を担当する“妖精鍛冶(或いは魔鍛冶師)”等も居ます。




【単冠湾泊地・厚生棟内カフェテリア】

 

 

 艦娘だけでも、居住者が常時100名を超える神威鎮守府内には、生活の為の施設がかなり充実している。

 できる限り鎮守府内で生活環境が完結する様に施設が設計されている為で、面積こそ狭いが、“神威”鎮守府は択捉島内では、かなり大きな“町”の一つであった。

 中でも、幾つもの食堂や売店が集結した“厚生棟”(※)は島唯一のショッピングモール型の施設であり、全職員の憩いの場となっている。

 

 

<----- ※“厚生棟” ----->

 

 鎮守府、特に神威鎮守府の様な民間組織は、公的な発言、文書等にて置き換え可能な用語に関しては意識して軍事用語を用いない様になっている。

 だが艦娘達の中には呼び慣れた名称を好む者達も居り、厚生棟は“酒保”と呼称される事が多い。

 

<----- ※“厚生棟” ----->

 

 

「暁のゆーれい?…幾ら何でも不謹慎だわ」

 

 モーニングプレートのスクランブルエッグをつつきながら、陽炎はため息でもつきたそうな表情を浮かべる。

 

「うちも、聞いただけさかい、こまいとこまで知らんえ」

 

 最初に話題を切り出した黒潮は、ゆっくりとした口調で返すと、ホットサンドを一口かじった。

 不知火は無言で巨大なかき揚げを箸でよけ、うどんをつまみ上げる。

 

「見た言うてはるんは、夜勤当番やった初雪ちゃんやね」

「ああ、あの子ね…寝ぼけて見間違えたんでしょ、まさか夜叩き起こされたのって、あの子が寝ぼけたせいとか?」

 

 黒潮から、当事者の名前を聞いた陽炎は、一口珈琲を飲んでからトーストを囓る。

 シフトが来る度に、姉妹艦に寝床から引きずり出され、下手をすると着替えまで介護されているとまで噂される初雪のやる気の無さ。

 少なくとも、朝だろうが夜だろうが、常に眠そうな顔をしてるのは事実である。

 

「さすがに、そやないなぁ、一緒に夜勤をしとった白雪ちゃんも見た、言うてはったえ」

「白雪ね、まぁ、あの子も少しとぼけた所はあるけど、初雪と較べたら微々たるものよね」

 

 “初雪ヘルパー”中の面倒見の良さと、見た目の委員長っぽさ。

 それに反比例する様にたまにとんちんかんな言動をする為、年長者からは面白がられる傾向がある。

 ただ、本人は至って真面目な為、何故面白がられているのか分かっていない模様。

 

「誰かは知らへんけど、初雪ちゃんが、泥だらけでしくしく泣いてる子を入渠させるとこは見た言うてはったわぁ」

「それだけじゃないんでしょ?」

 

 夜間哨戒が普通に行われている以上、誰かが夜半に入渠するのは別に普通の話である。

 

「そや、白雪ちゃんは、一緒におった叢雲ちゃんに当直班長の那智はんへの連絡を任せて、泥で汚れた床を掃除してはった」

「まぁ、そうよね」

 

 ごく普通の手順である。

 

「でもなぁ、哨戒に出てた子ら、そん時なぁ、まだいーひんかったん」

「帰ってきてなかった?」

 

 陽炎は若干柔らかめに火が通されたベーコンでライスとスクランブルエッグを巻き込み、口に入れた。

 

「予定の帰港時刻より随分早う帰ってきはったって事で、那智はん、何かどえらい事でもあったんかとあんじはって、様子を見に行かはったんえ」

「…む、ん…まぁ、一人も当直班長に報告せずにドック直行なんて、普通はしないわね」

 

 そんないい加減な真似をしたら、艦隊総員連帯責任で、単冠湾20周とか、倒立指立て1時間とか…素敵な突発訓練メニューが追加されかねない。

 

「那智はんがドックを確認したら…」

「誰も居なかったって?」

「いけずやねぇ、でも、ドックの中が泥まみれになってたちゅう事で…」

 

 意味ありげに語尾を切り、黒潮はコーンポタージュを飲む。

 

「はぁ、結局、夜中に叩き起こされたのは幽霊騒ぎのせいだった訳ね」

 

 陽炎は軽く欠伸を抑えて珈琲を飲む。

 昨夜は真夜中に駆逐艦娘の緊急点呼があり、全く理由が分からないまま、しばし安眠を破られる羽目になった。

 ただ、総員ではなく室長点呼だった為、寝不足になったのは主に一番艦達である。

 

「結局、全員揃ってたじゃない」

 

 暁型以外は。

 

 陽炎は言葉を飲み込んで、スクランブルエッグにケチャップを足す。

 

「そやねぇ…」

「お先に、失礼します」

「はーい、あとでなぁ」

 

 立ち上がった不知火の手元を見て、陽炎は微かに眉をひそめる。

 

「しょうがないわねぇ」

 

 

【神威鎮守府・格納庫:陽炎型三人娘】

 

 

 装備の点検や整備が行われている区域を抜け、人通りの少ない一角に入る。

 昼でも暗い部屋を、頼り無い電気ランタンの光がかろうじて照らしている。

 半端になった素材や故障備品、破損し交換された艤装の部品等、置き場に困るが、簡単に捨ててしまう訳にも行かないものがしまい込まれている一角。

 ごみ置き場、と言うには忍びない場所。

 

(墓場…)

 

 そう、ここに置かれたものは埋葬されたのだ。

 来世がある事を夢見て埋葬されたミイラ達。

 鉄棚の迷路に守られた墳墓。

 間違いない。

 この建物で、これ以上相応しい場所は無い。

 そして、突き進んだ最奥にそれは安置されていた。

 区分け収納の小倉庫代わりに並べられたコンテナ。

 半開きになった扉を掴んで引き上ける。

 埃が光の粒子を散らしながら舞い上がった。

 歪み、へしゃげて、厚みが半分も無くなった駆逐艦の艤装。

 乾いた泥がこびり付き、塗装が剥げた地金は錆を吹いている。

 辛うじて判別できる識別番号は、知っているものとは違う。

 

(特型駆逐艦、暁…私の知っている暁ではない)

 

 不知火は艤装の本体に手を伸ばし、すぐに戻した。

 体がよろめく。

 床で横倒しになったランタンが明滅する。

 不規則に回転するタービンが呼吸を詰まらせた。

 

(…分かった)

 

 最初に艤装の一部に触れた時の違和感、まるで深海の水の様な魂の底を侵す様な冷たさ。

 死だ。

 

「しっかりしいや!」

 

 すぐ近くで、声が響いた。

 黒潮だ。

 薄暗いし揺れが酷いが、流石に姉妹の顔位は分かる。

 圧迫を感じる。

 揺れているのは、肩を激しく揺さぶられているからだ。

 視界外までフルスイングされた平手を止め、逆の手で額を抑える。

 

「流石にそれは不要です」

 

 まだ、世界が若干遠いが、知覚がゆっくりと戻ってくる。

 

「ほんに?あんじょうせないかんえ」

 

 疑わしげに覗き込む黒潮に顔を拭われて、不知火は初めて自分が涙を流している事に気がついた。

 

「幽霊の正体、じゃなくて、本体見たりってところかしら」

「触らないで、危険です」

 

 コンテナに踏み込み、艤装の周りを歩いている陽炎に、不知火は警告する。

 

「分かってるわよ、あんたがへたばる位だから、相当でしょ…これ、うちの子じゃないわね?」

 

 陽炎も、識別番号に気がついているらしい。

 

「そやかて、こないな時に…暁型やなんて、げんくそわるいわぁ」

 

 黒潮が不知火に絡めた腕に力が入る。

 不安な心地が膨れ上がり、抑えられないのだ。

 それも致し方ない事だ。

 人間とて、同族の死体を見れば忌避感を抱く。

 増してや、幽霊はそこに居るのだ。

 

「まだ、そこに居ます」

 

 埃のせいか、喉がいがらっぽい。

 

「い、いややわぁ、何、急にいちびった事言うてぇ?」

 

 黒潮は益々不知火にしがみつき、周囲を見回す。

 腕を組んだ陽炎は、首を傾げて不知火をじっと見ている。

 

「その艤装の中に、まだ暁は居ます」

 

 もう一度、言う。

 

「そこで、死に続けている」

 

 陽炎の瞳孔が拡大し、やがて深い息をついた。

 

「…あんたが言うことだものねぇ」

 

 若干呆れた口調で呟いてから、頷く。

 上げた顔には苦笑が浮かんでいる。

 

「枯れ尾花どころか、幽霊そのもの見つけたってね」

「か、陽炎ちゃんまで、何いうとるんえ、うちらかて沈んだらしまいやないか!」

 

 轟沈した艦娘は海へ還る。

 その後、艤装が引き揚げられても、それは単なる残骸に過ぎない。

 艦娘とて死ぬのだ。

 

「死ぬなら、幽霊くらい出るでしょ、と言うか、元々私らだって軍艦の幽霊みたいなもんじゃない」

「そやかて、陽炎ちゃん」

 

 不意に、陽炎が唇の前で人差し指をたて、電気を消した。

 足音と共に、何か食欲を刺激する香りが近付いてくる。

 3人は言葉を発しないまま、単縦陣を組んで移動を開始。

 そっとその場を離れて伺っていると、紙袋を持った青葉が姿を現した。

 青葉は辺りを軽く見回した後、適当な箱の上に腰を下ろして、紙袋を開ける。

 珈琲に加えて、油と焦げた小麦の香り。

 ドーナツであった。

 

(…サボり)

 

 三人の頭の中に同じ言葉が浮かぶ。

 日常的な感覚を呼び戻す風景に三人は顔を見合わせてから、倉庫から脱出する。 

 

「そやなぁ、サボるならええとこやし…」

 

 どこかほっとした様に笑う黒潮。

 

「私達はそろそろサボりすぎね、移動するわよ」

「もう、そないな時間?あかんえ、はよせな」

 

 三人はそのまま歩き出す。

 

「一つ良いですか?」

「何?」

 

 不知火は前を歩く陽炎の背に声をかける。

 

「何故、あそこまで尾けてきたのですか?」

「他はどうだか知らないけど、私らはあんたの仏頂面位じゃ誤魔化されないって事」

 

 不知火の背後でくすくすと笑う声がした。

 

「そや、そや、ずっとうわのそらやったし」

「かき揚げが、司令が買ってきたギネス煎餅(※)みたいになってたわよ」

 

 陽炎は思い出し笑いに背を震わせる。

 

 

<----- ※ギネス煎餅 ----->

 

 甚五郎はなんだかんだ言いつつ、出張する度に艦娘達への土産を欠かさない

 もの自体は秘書艦の意見で変わるのだが、基本、甚五郎の秘書艦は赤城が担当している為、往々にして土産は食べ物になる。

 空母、戦艦、重巡達へのお土産は食べ応えのある主食やおかず系、酒類が多く、軽母、軽巡、駆逐達にはやや軽めの軽食、間食、菓子類が多い。

 件のギネス煎餅は甚五郎が昔、戦艦、空母組に買ってきたお土産で、一枚、直径1.6m少々ある代物。

 苦笑しながら受け取った戦艦組をよそに、空母組は普通にぱきぱきと端から食ってしまった。

 

<----- ※ギネス煎餅 ----->

 

 

「なる程…参考になりました」

「まぁいいわ、取りあえず後で、会議だからね」

「そや、げんなりしても、にがさんけぇ、覚悟しとき」

 

 前と後ろから小突かれ、不知火は若干戸惑った表情を浮かべたが、やがて薄く微笑を浮かべて軽く頷いた。

 

「了解しました」

 

 

【神威鎮守府・格納庫:青葉】

 

 

「やれやれ、気になるのは分かりますけどねぇ」

 

 青葉は結局一口囓っただけのドーナツを袋に戻し、まだ熱い珈琲を一息に流し込んだ。

 味もろくろく分からない状態で流れ込んだ珈琲が、臓腑にぬくもりを与える。

 握りつぶしたコップを袋の中に放り込む。

 

「確かこの辺ににっと」

 

 手近の箱を幾つか探って、手頃な鎖を取り出すと、扉が半開きになったコンテナに歩み寄る。

 中も覗かずに薄く開いたコンテナのドアを閉じ、左右のコンテナハンドルにそれぞれポケットから取り出した南京錠で封印する。

 そして、更にコンテナハンドルを鎖で三周り程巻いてから、三つ目の南京錠で鎖の輪をを結びつけた。

 

「ま、こんな所でしょうかね」

 

 こんなちゃちな封印、簡単に引きちぎる事ができるが、そこまでするのは余程物好きなジャンクパーツ漁りか、事情を知っていて探り回っている者位である。

 取りあえずは、開けるな、という意思表示と、開けられた時にそれと分かれば、問題無い。

 

「あの子達なら…言いふらす様な事は無いでしょうけどねぇ、調べちゃうでしょうねぇ、色々と」

 

 青葉は、ため息をついて顔をこする。

 

「しかし、第七の次は、陽炎型三人娘ですか…青葉は愛される広報のお姉さん(※)であって、アイドルのマネージャーじゃないんですけどねぇ」

 

 

<----- ※愛される広報のお姉さん ----->

 

 青葉の役職は神威鎮守府広報部観光課の課長…という名前の広報施設(土産物屋)の店長さんである。

 神威鎮守府の公開スペースに置かれている広報施設には鎮守府の活動解説や、土産物屋、食堂、イベントコーナー等があり、日露その他からの観光客で平時は賑わう。

 ステージでは、川内型によるライブや、龍驤による北海道特産品の叩き売り等のショーが行われ、好評を博している。

 地味に収入としてはプラスの部署であった。

 

<----- ※愛される広報のお姉さん ----->

 

 

 ため息をついた青葉は、封印したコンテナに目をやった。

 おっかなびっくり手を伸ばし、結局引っ込める。

 

「そんなになってまで、なぜなんでしょうねぇ…何を思い残しているのですか?」

 

 青葉の携帯電話が震動する。

 開けてみると、スケジュール機能のアラームが鳴っていた。

 

「って、那珂ちゃんのステージが始まっちゃいますね、早く行かないと」

 

 青葉は慌ててドーナツの袋を回収し、足早に倉庫を後にした。




 次回は、南の島でバカンス(?)中のれでぃ側のお話。

 しかし,黒潮さんの台詞、設定上の事は兎も角として、かなり苦労した割にはうまくいってる様な気がしない……どうでしょうね?


【付録:当作における、艦娘・提督・鎮守府】


(艦娘)

 深海棲艦の発現と前後して、日本に現れた(又は日本で作られた)存在。(※諸説あり)
 全ての個体が若い女性の姿形をとっている。
 通常の人間と同様に会話と対話が可能であり、人類に対して友好的。
 人間型をしているが、大東亜戦争時代の艦船の名を名乗り、おおむね史実のエピソードを反映したパーソナリティを有している。
 深海棲艦と近似した兵器としての特性を持つ為、現時点で深海棲艦に対して最も有効な対処を行う事ができるとされる。
 彼女たちが“提督”として認識する人間の指揮を受け、闘う。
 日本政府にしては珍しい素早さで、彼女たちの事を日本国国民であると決議した為、一部海外艦を除いた艦娘は全て日本人である。
 現状、一部の例外を除いて日本以外に艦娘は出現しない為、有効戦力を独占可能な状態だが、政府は“国際貢献”として、惜しみなく補助金をバラ撒き、各国に“鎮守府”を派遣している。
 「軍靴の音が…」、「又、タダでばらまき貢献か…」等と左右あちこちから多々批判を受けつつも、日本は平常運転である。


(提督)

 艦娘を指揮する鎮守府の要。
 妖精さんを見る事ができ、艦娘をこの世に現出させ、絆を結ぶ能力を持っている者が“提督”と呼ばれる。
 特殊な才能が必要である為、だれでもなれる訳では無い。


(鎮守府)

 提督一人と、配下の艦娘達で構成される集団。
 公的機関に所属するものと民間所属、両方存在する。
 深海棲艦は“意志持つ自然災害”であると定義された為、それへの武力行使は交戦にあたらない。
(日本お得意の適当な憲法解釈)
 民間所属の鎮守府は、PMCやNPOとして各国の泊地に駐留し、深海棲艦への対処を実施している。(※1)
 鎮守府・艦娘の登録管理等に関しては、海洋特殊災害対策庁(通称:大本営)が担当している。

※1:『バトル○ックに出てくる傭兵団みたいな感じよね(by 夕張)』


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 【第五話 Nefarious Necromancy】

 みんなダイスキ、れでぃ再登場です。
 今回は諸事情により、前よりもっと、何かがぶっ壊れています。
 お隣の鎮守府からは、翔鶴、瑞鶴姉妹が登場。

 そして、ジンツウ=サン、メインのシーンもちょっとあります。
 神通さんて、何となく零式防衛術を使いそうなイメージがありますね。
 某ご本家の零着装者みたいに、携帯式飯盒で謎の材料から作る、あのパン一つで喜んだり、珈琲で戦意昂揚してくれるんでしょうか?

 取りあえず、書き貯めていた分は投稿し終わったので、次はちょっと時間がかかりそうです。


【南の島鎮守府・食堂】

 

 

「暁、応答せよ!」

 

 激しい衝撃と、鼓膜を叩く大声で私は目を醒ました。

 何か息苦しく、咳をしたら口から油煙が上がった。

 不規則な動悸の様に、ごろごろとした駆動音が胸に響き、私が空気を求めてあえぐ度に機関が間欠起動する。

 目を開けると、厳しい表情をした夕張さんが覗き込んでいた。

 悲鳴の様な声を上げて、電が抱きついてくる。

 訳が分からないまま、首を回すと、神通さんに肩を抱かれて無言で涙を拭いている雷と、無表情に黙り込んだ響が近くにしゃがみ込んでいる。

 

「She's back」

 

 聞こえた声に、又、首を回すと反対側に司令官が立っていた。

 いつもと変わらない、掴み所が無い表情だったが、ふっと、賞賛する様な微笑が浮かんだ。

 

「だめっ、動いちゃだめなのです!」

 

 楽になってきたので体を起こそうとしたのだが、しがみついた電が離してくれない。

 

「大丈夫、私が運びます」

 

 頭が混乱したまま、神通さんに抱えられ、ハンモックまで連れて行かれた。

 私は混乱したままだったが、取りあえず休む様に全員から言い聞かされて、渋々目を瞑った。

 翌朝目が覚めると、私はいつの間にか即席に作られたらしい簡易ベッドに移し替えられており、近くに置かれたミカン箱に腰掛けた電が船をこいでいた。

 

「起きたかい?」

 

 声に振り返ると、汗を掻いたコーラ瓶を手にした響が立っていた。

 

「あ、お早う」

 

 響が持ってきたコーラの瓶を、眠っている電を起こさない様に静かに開ける。

 ここでは内地でお馴染みのコーラは手に入らないが、地元の工場で作られているこの緑とか紫色に光るコーラも割とおいしい。

 

「ふぁ…あ」

 

 目を醒まして、又、泣きそうになった電を響と二人して宥め、私は昨夜の詳細を聞いた。

 なんと、私は心臓(機関)が止まってしまっていたらしい。

 夜中に水を飲みに出た電が、食堂で物音が聞こえた為、そっと覗くと、私は皆がお供えをしている前提督の写真の前で座り込んでぼろぼろ泣いていた。

 

『こんなところで…いや、いや、いや…やだよ、くらいよ、どこ、どこ、きこえないよ』

 

 ずっと、そんな事を言いながら写真を見上げていたらしい。

 電は混乱しながら私を落ち着けようとしたが、どうにも話ができる状態じゃなかったので皆を呼びに行き、戻った時には、私の機関は止まっていたのだと言う。

 私の機関の再起動処置をしてくれたのは夕張さん。

 正直、実感は湧かないが兎に角、流石だと思う。

 

「もう、戻ってこないかと思ったのです…」

「うう~」

「…私達は大抵名前を引き継いだ艦の記憶を持っている、艦齢(※)が進めば記憶に振り回される事は少なくなるなんて言うけど、そんな簡単なものじゃないって事は、みんな知っている、だろう?」

 

 

<----- ※艦齢 ----->

 

 当作では艦娘として生まれ変わった後から数えた年齢を指す。

 生まれ変わったばかりの艦娘は、基本的に同型と似通ったパーソナリティーを持つが、艦齢を重ねる毎に、人間と同様に個性が強くなり、過去の記憶を克服していく…という論説(と言うより、経験則を纏めたもの)がある。

 ちなみに、艦娘の身分証明書には艦齢が記されており、人間の年齢とは若干違う扱いを受ける。

 基本的に、駆逐艦は建造時点で人間換算で“13歳”、軽空母・軽巡は“15歳”、重巡は“17歳”、戦艦・正規空母は“20歳”として法律を適用される。

 よって、重巡までは、下手に手を出すと淫行となり、憲兵=サンに処分されてしまうので注意が必要である。

 

<----- ※艦齢 ----->

 

 

 そうだ、第三次ソロモン海戦の第一夜、帝国海軍の暁は…沈んだ。

 夢を見る回数は減っても、忘れる事はない。

 死線をくぐる勇気を奮い起こそうとも、死、そのものの記憶にどれほど抗えると言うのだろう。

 

「そうね、レディにも楽な事じゃ無いわ」

 

 艦齢を一年以上過ぎてから聞かされた事だが、眠ったまま、目を覚まさなくなる艦娘も少数ながら存在する。

 朝になったら、魂の抜けた艤装だけが遺されるのだ。

 響達のそんな最期を見たら、私は、正気を保つ自信がない。

 

「兎に角、今日から何日か姉さんは安静にしろっていう命令だよ、司令官と神通さん両方からね」

「これじゃ、逆らえないのです」

「む~」

 

 こんなやる事がない所で仕事を休むと、本当にやる事が無くなってしまう。

 夕張さんなら引きこもってアニメ観たり、ゲームやったりできるだろうけど、一人前のレディな私は詩集を読んだり、レース編みしたりとか、そういう優雅な過ごし方を…したくても、詩集も無いし、レースを編む道具もない。

 

「取りあえず今日は、私がついてるから用事があったら言ってくれ、電も今日は神通さんが秘書艦やるから休めと言われているからね」

「そうですか、なら、姉さんの事は響に任せて電は少しお休みさせていただくのです」

「ゆっくり寝ておきなさいよ」

 

 声を掛けると、電はようやく少し笑い、欠伸を堪えながら出て行った。

 しかし、響が見張っているというなら、流石に散歩に出たりする訳にも行かない。

 もう、特に体に異常を感じないのだが、今日は諦めて大人しくしているしか無い様だ。

 

「って、響、何描いてるのよ…」

「だって、何もしていないと暇じゃあ無いか、折角だから、姉さんにモデルして貰おうと思ってね、レディならモデルの一つ位できるだろう?」

「と、当然よ!」

 

 こうなっては、本当に仕方が無い。

 私はため息をついて、ポーズをとった。

 

(…でも、あの夢、昔みてた夢とは何か違う気がする、なんだろう?)

 

 病床で思索にふけるのも、何となくレディっぽい気がする。

 どうせ出来る事は他に無いので、私は昨晩の夢について考え始めた。

 

 

【南の島・磯場】

 

 

「Hum…Ladyの加護が無いと、こんなもんか」

 

 釣り糸を垂れている京太郎の足下で漬けられた魚籠の中には、まだ獲物が一尾も入っていない。

 

「Sorry、今晩は缶メシかも知れん」

 

 振り向かずに声を掛けると、静かな足音が止まる。

 

「提督、お話があります」

「signatureが必要な書類かな」

 

 返事は無く、気配は右後ろに移動した。

 

「署名は要りません、幾つか、お言葉をいただければ充分です」

 

 右肩に手がのせられた。

 

「提督は近代化改修(※)についてご存知ですね」

「Yes ma'rm、提督にはbasicなknowledgeだからな」

 

 

<----- ※近代化改修 ----->

 

 鎮守府業界での隠語。

 原作内では艦娘に別の艦娘を合体させて、基礎能力を底上げする行為。

 (→デビルサマナーシリーズにおける御霊合体に近い)

 当作だと、能力に加え、記憶の一部を受け継ぐとされている行為。

 何らかの理由で存在を保つ事が困難になった艦娘が、後の事を信頼する相手に託す為に行われる事が多い。

 (→スタートレックのヴァルカン星人が行う、精神融合してカトラを託す行為に近い)

 

<----- ※近代化改修 ----->

 

 

「では、以前に、近代化改修を実際に行われた事はありますか?」

「No ma'rm、そうそうある事じゃないからな」

 

 近代化改修で与える側になった艦娘は消える。

 轟沈して死ぬのとは違うが、姿形は無くなってしまう。

 託された魂から、再建造を行う研究が行われていると言う噂もあるが、現状、死を決断するのとほぼ変わらない行為だ。

 

「では、何故轟沈した子が近代化改修の対象にならないかご存じですか」

「海で沈めば艦娘のsoulは海に還る、遺る事は無い」

 

 京太郎は竿を膝で挟み、左手で柄杓でを持つと、バッカンからコマセを掬う。

 波間に数回、くすんだ桜色の飛沫が消える。

 

「はい、私達は海に還る…でも、それを叶えられなかった、還る事を拒否する者も居ます」

 

 肩に置かれた手の力が僅かに強くなった。

 

「還らなかった者が与えるのは、死です…以前の大戦の記憶ではない、私達の死」

 

 肩への圧搾は既に右腕を完全に痺れさせる強さになっていた。

 すっ、と京太郎の右横からⅢの形をした銀バッジが差し出される。

 それは強い力で握られて歪み、一部は破断していた。

 

「暁さんが握り締めていたものです、これは、遺品ですね…それも魂の入っていた」

 

 文としては問うて居るが、淡々と語られ言葉は返答を求めていない。

 

「貴方が昨晩、これを暁さんに握らせるのを見ました」

 

 後、少々力を加えれば、骨が砕ける。

 

「無知から行った事でしたら、これ以上は申しません、でも…」

「Hum…敢えてやったのならどうなる?」

 

 息をするのも苦しい筈だが、京太郎の声は普段と変わらない。

 

「貴方を討ちます」

 

 数度、波が打ち付けてはひいていった。

 

「参考までに、俺はどうなった事になるんだ?」

「行方不明になっていただきます、事実は私と共にいつか沈み、あの子達は純粋な心であなたの為に涙を流すでしょう…それを慰めに比良坂をお下りください」

 

 何か、動きがあれば、一思いに首を跳ねる。

 人を手に掛ける覚悟は既に決めていた。

 

「Miss.神通」

「はい」

「reason…理由を聞きたいか?」

「聞けば、決意が鈍ります」

 

 一呼吸の間もない。

 

「時よ止まれ、お前は美しい…か」

 

 上体を引き倒して横臥させ、手刀にて断首せしめる。

 瞬き一つの間に終わる事。

 が、神通は半歩身をずらし、背後に注意を向ける。

 

「お隣の提督さんじゃん」

 

 軽快なレシプロエンジンの音を追って現れたのは、正規空母 瑞鶴。

 その後ろから、長い白髪を揺らしながら、同じく正規空母の翔鶴が現れる。

 

「こんにちは」

 

 何か四角い風呂敷包みを携えている様だ。

 

「Hello Ladies It's a pleasure to meet you」

 

 左手の一振りで竿を畳むと、京太郎はそれを神通に放った。

 

「ご丁寧にどうも」

 

 翔鶴は竿を手に、京太郎の半歩後ろに立っている神通に目をやった。

 

「今日は、あの小さなレディと一緒では無いのね」

「少し調子が悪くてな、once offだ」

「えー、残念…って、まぁ、そう聞いたからお見舞いに来たんだけどね」

 

 舞い降りてきた彩雲をひょいと掴み取り、瑞鶴が笑う。

 

「勿論、少し挨拶したら帰りますよ」

 

 京太郎が何か言う前に、翔鶴はかぶせぎみに発言し、笑顔を浮かべる。

 

(…嘘?)

 

 神通の脳裏に疑念が浮かぶ。

 確かに、鎮守府の誰かと会えば立ち話もするだろうが、何となく違う気がする。

 断言できないが、何か警戒感を呼び起こす、何かがある。

 

「折角だからお二人とも、ご一緒しましょう」

 

 そこに浮かんだ笑顔には、儚げな容貌にそぐわぬ、有無をいわさぬ何かがあった。

 

「あははっ、やっとお邪魔できるね」

 

 

【南の島鎮守府・宿舎】

 

 

「の、の~ぷっ…」

「くく、хорошую работу!(ハラショア ラボーター)、似てるじゃないか」

「とーぜんよ」

 

 私は即席ベッドの上で四つん這いの姿勢をとり、親指を立てた右手をプルプルさせながら掲げていた。

 午前中、響とお喋りしながらスケッチ用のポーズを取っているのに飽きてきた私は、物真似で遊んでいたのだ。

 因みに、今のは…

 

『格闘訓練で神通さんに投げられた司令官が、食堂の窓から飛び込んできて食卓を粉砕したときの真似』

 

 である。

 

「よ~し、じゃあ、次は…」

 

 私は一寸考えてから咳払いし、両手を胸の前で組み合わせる。

 

「あっ……び、びっくりしました…」

 

 我ながら会心の声まねである。

 顔を上げた私の目線と、響の後ろに立つ司令官の目線が合った。

 ついでに、その後ろに立ってる神通さんともだ。

 

「Hum、再現度はPerfect!…But、ネタが細か過ぎて、stageは無理なのが惜しい所だ」

 

 司令官の声を聞きながら、私はそのまま固まっていた。

 時間が止まると言うのは、こういう事なのだろう。

 

(元気になったみたいで、安心しました…少しリハビリしましょう)

 

 優しく微笑む神通さんの顔が浮かび、耳には幻聴がささやく。

 

(ああ、きっと、リハビリだから簡単なゲームでもしましょうとか言われて、火炎噴射を避けろとか、強酸のタルに落ちるな、から選ばされたりしちゃうんだ)

 

「あは、あははっ、一つ目はわりと得意デス」

「What's up?」

 

 首を傾げた司令官に、私はこみ上げる名状しがたき感情のまま笑い、声を掛ける。

 

「しれーかん!本日はお日柄もよく、ご愁傷様なのです」

「ね、姉さん?」

 

 半分腰を浮かした響の手を握り、頭に浮かんだ言葉を口にする。

 

「…今日はワタシの誕生日デス…1930年の今日…ワタシは工廠で産声をあげまシタ…盛大なパーティーをひらくため、招待状を急いで配ってもらえマスか…パーティーはすぐに始まりマスよ…エェェンド、オープン~、エェェンド、オープン~、エェェンド、オープン~」

 

 何だか、楽しくなってきた。

 

 

 

 ~5分後~

 

 

 

「落ち着いたかい?」

「へ…へっちゃら…だし」

 

 気を取り直した私は、響から渡された薔薇茶を飲む。

 ベッドから出禁になった私を半円形に囲むように椅子代わりの箱が置かれ、司令官、響、雷、電、神通さん、夕張さん、そして、お隣の鎮守府の翔鶴さんと瑞鶴さんが腰を下ろしている。

 よりによって、お隣さんの前で、あの様なレディにあるまじき痴態を晒してしまうとは、不知火ちゃんだったら、無言で切腹しているレベルの落ち度である。

 でも、まぁ、不知火ちゃんはサムライで、レディじゃないから、辛うじてセーフ、そう、そうなのだ。

 というか、今は、そんな事を気にしている場合では無い。

 中央に用意された、箱を幾つかくっつけて作ったテープル。

 風呂敷がかけられたその上に、展開された5つ重ねの重箱。

 

 柏餅、かのこ、きんつば、道明寺、豆大福、どら焼き、つやぶくさ、最中、ねりきり…そして、でっかいおはぎ。

 

「手土産を何にすれば良いか迷ったんですけど、やっぱり、甘い物が良いかと思いまして」

「可愛いケーキにするかちょっと迷ったけど、たまにはこういうのも良いでしょ?」

 

 にっこり微笑む瑞鶴さんの前で、私はつばを…のみこむのは品が無いので、雷が淹れたお茶を飲んだ。

 たまには所の話では無い。

 砂糖、小麦、卵、牛乳、バター…そう言った、洋菓子用の素材なら市場でも手に入る。

 だが、小豆…和菓子にとって非常に重要なそれだけは輸入するしか無いのが現状だ。

 餅米だって入手は厳しい。

 おかげで、私達が鎮守府で口にする小豆と言えば、本土から輸送されてくる羊羹か、甘納豆。

 後は、大事な小豆粉の備蓄を割いて、たまに酒蒸し饅頭と水羊羹を添える程度である。

 こんな、本土の和菓子屋の棚を総ざらえしてきた様な超豪華ラインナップなど、夢にしか出てこない代物だ。

 すぐに頬張りたい所だが、目移りするし、一番先に手を出すのは気がひける。

 宿舎の大部屋に、何とも言えない緊張感が満ちていた。

 

(とは言え、私のお見舞いにって事だから、私が何か一つ取らないと響達も食べられないわよね)

 

 私は、意を決して、王道のおはぎを標的に選んだ。

 視界の端で、瑞鶴さんが微笑みながら、軽く頷くのが見えた。

 そして、手を伸ばそうとした次の瞬間、ひょいっと、横から伸びた手がおはぎを掴み取っていた。

 

「え?」

 

 状況が掴めないうちに、柏餅、かのこ、きんつば、道明寺、豆大福、どら焼き、つやぶくさ、最中、ねりきり、それぞれが消えてゆく。

 

 

『ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇー!』

『ふあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!?』

 

 

 我に返ると、司令官の座っていた箱が、二つの錨で叩きつぶされていた。

 

「ん-、流石に、これは弁護してあげられないかなぁ~」

 

 固く踏み固められた土を打ち抜いた錨が引き抜かれ、ぱらぱらと土が零れる。

 

「あ、埃を立てちゃいけないわよね」

「なのです」

 

 お互いに頷きあい、錨を格納した雷と電。

 目が笑っていない二つの微笑を向けられた夕張さんは、背後の提督にちらりと目をやった。

 夕張さんの背後に立った司令官は、頬を一杯に膨らませ、もにゅっ、もにゅっと中身を咀嚼している。

 

「しれーかん、なにしでかしなさったか分かっていやがるかしら?」

「司令官さん、小豆の一粒は血の一滴、お分かりなのです?」

 

(ああ、本当に怒ってるなぁ)

 

 世話焼きが好きで、気の利く雷。

 優しくて、いつも人の為を考えている電。

 可愛い妹達。

 だが、彼女達とて、女の子。

 すいーつの恨みは、マリアナ海溝の底より深いものだ。

 

「Hum…まぁ、Azuki beansだな」

「当たり前の事言ってないで、早く謝って下さいよ~」

 

 じりじりと自分を中心に間合いを取っている3人に夕張さんは迷惑そうな顔をして、欠伸をする。

 多分、昨日も寝ていないのだろう。

 いつもは、ゲームをやっているかアニメを見ているか、或いは漫画を読んでいるか…あと、工房で新しい装備を開発している時もあるが、今回は、私の機関停止騒ぎのせいだろう。

 そう考えると、少し申し訳ない気がする。

 

「提督さん、戯れが過ぎます」

 

 しっとりとした声が一言囁かれると、じりじりと続いていた、3人の動きが止まる。

 普段から部下を掌握していれば、いちいち胴間声等張り上げる必要など無い。

 神通さんはそれを体現している人だ。

 

(ま、何故か司令官まで止まっちゃってるけど)

 

「ふふ、駆逐艦の子は元気が良くて良いわね…でも、沢山あるから、慌てなくても大丈夫よ」

「そうそう、なんだったら、後でうちに遊びに来ればまたご馳走するよっ」

「司令官、あんまりよその人達の間で、みっともないとこ見せないでよね、ほらほら、雷達も座って」

 

 翔鶴さん達の微笑まし気なフォローに、私は慌てて場を収めにかかる。

 流石によそ様の鎮守府関係者にあんまりみっともない所を見せたくはない。

 

(…もう、大分遅い気はするんだけど)

 

 気を取り直した雷が新しくお茶を淹れ、私達は改めて餡子を堪能した。

 司令官はばつとして、立ったままである。

 久々に味わう小豆と和三盆をたっぷりと使った和菓子、中でも、生菓子の数々は絶品である。

 あちらの鎮守府には、和菓子の職人さんが居るに違いない。

 思わず、夢中になって食べてしまったが、少し冷静になって見てみると、私、雷、電、夕張さん、が主に食べている状態だった。

 司令官は、最初にあれだけ食べたから関係無いが、響は形だけ手をつけたあと、私に取り分けてくれるのに熱心だったし、神通さんに至っては手をつけてもいない。

 そして、気を取り直してみると、翔鶴さんがもの凄い笑顔でじっと私を見つめていた。

 一度気がついてしまうと、実に、何かやりにくい。

 

「いいわね、若い子達が元気よく食べるのは」

「ねえさん、老け込みすぎよ~」

 

 しみじみした呟きに、瑞鶴さんがけたけたと笑った。

 

「でも、暁ちゃんが元気そうで安心しました」

「だねぇ、提督に苛められて、怖い夢でも見たのかと思ったよ」

「Hum…この状態を見て、普段を察して頂きたいものだが」

 

 瑞鶴さんに意味ありげな視線を送られ、司令官は肩を竦めた。

 

「ふふふん、今日は晩ご飯抜きかなぁ」

「そうねぇ、それも良いかも」

「流石に可愛そうなのです」

 

 瑞鶴さんの言葉に、雷が笑う。

 とりあえず、十分小豆を堪能できたお陰で、大分機嫌は直った様だ。

 

「ああは言ってるけど、食べ物の恨みは怖いわよ~、後でちゃんと埋め合わせはしなくちゃあ、私は、新しいPCサーバ1台でいいかなぁ」

「そうだね、私はウォッカ一箱で手を打とう、ただし、韓国製になったスミノフとか、モンゴルの密造アルヒじゃダメだ、ロシアのДержавная(デルジャーヴナヤ)辺りか、ウクライナ産だったらГорилка(ゴリルカ)辺りがいいね」

「え~、じゃあ私は、圧力鍋が欲しいなぁ」

「ミシンがあったら、ちょっとした仕立て直しとかできるのです」

 

 口々に、希望をのべる皆を前に、東提督は両手を胸の横に挙げて、お手上げといったポーズを取る。

 

「ふふ、高く付いてしまった様ね」

 

 上品に口元を隠して笑う翔鶴さん。

 あれは、今度、鏡の前で練習して習得しなければ。

 私は、心のレディ手帳の“明日の為に”ページにしっかりと書き込んでおく。

 

「C'est la vie…ってね」

「私は…又、訓練をご一緒して頂ければ」

 

 ちらりと目を向けられた、神通さんは首を振った。

 

(神通さんのが一番、キツイよ!)

 

 あれなら、夕張さんにサーバをラック一竿丸々買って、雷にシステムキッチンを、電を洋裁学校に通わせて、後は響にウオッカ一年分を要求された方がまだ、遙かにマシだと思う。

 そんな事を考えていた私は、司令官に目線を向けられ、自分も何かお願いしなくちゃいけない事に気がついた。

 

(でも、急に言われても…欲しいものなんて、ないし…)

 

 正直、急に言われても困る。

 なんだかんだ言われても、私はここの生活にそこそこ満足しているのだ。

 物としては、そりゃ、幾つかある…と思うが、急にどれか一つとか言われても、その、困るのだ。

 私は少し考え、取りあえず思いついた事を言ってみた。

 

「ジンギスカン…羊肉とか、久しぶりに食べたいわ」

「焼き肉かぁ、それも良いわねぇ、ビールとか頼んじゃって」

「しかし、単に焼き肉じゃ無くて、ジンギスカンなんて、暁ちゃんも中々…言うわねぇ」

 

 ほわわ~と、久々の焼き肉について想像した夕張さんの隣で、雷は感心した様に腕を組んでいる。

 

「みんなで焼き肉、楽しそうなのです」

 

 電も微笑んでいたが、少し怪訝そうな表情になり、頬に手をあてた。

 

「でも、ジンギスカンなんて、前にいつ食べに行ったのか、思い出せないのです」

「あの時は、確か…」

 

 私は記憶を探る。

 

「長門さんが、給料出たからおごってやる~って言って、うちと、曙ちゃん、陽炎ちゃんとこの駆逐引き連れて…結局、赤城さん達まで一緒になって、長門さんはひたすら焼酎呑んでるし、赤城さんは山盛りご飯と焼き肉ローテーションで、加賀さんは赤城さんと自分の分を焼きながら、ずっと一定のペースで日本酒を…」

 

(何だか懐かしいなぁ)

 

 あの時の賑やかな食卓を懐かしく思い出しながら、私は周囲がしん、と静まりかえっている事に気がついた。

 響達、夕張さん、神通さん全員が真顔で黙り込んでいる。

 何か妙な事を言ってしまったらしいが、単に焼き肉を食べに行った時の話をしただけなのに、妙な反応だ。

 司令官に目を向けると、眉を上げ、首を傾げて見せてきた。

 まぁ、提督は昔の事なんて知る訳はないのだから何がおかしいのかも分からないのだろう。

 

「そう言えば、一つ提督さんにご相談があるのだけど」

 

 沈黙を破ったのは、翔鶴さんだった。

 

「Hum、何でしょう?」

「前から、ご提案させて頂こうと思っていたのですが、共同作戦、しませんか?」

「そ、やろう、やろ!」

 

 身を乗り出した翔鶴さんの横で、腕組みをした瑞鶴さんが楽しそうに笑っている。

 

「cooperated operation?」

「そうそう、お隣なんだし、もうちょっと協力しあってもいいんじゃないかな~とか思ってさ?」

「But、うちの担当はSubmarine相手で、そちらはそれ以外だった筈だが?」

 

 そうだ、基本的に私達は深海棲艦の潜水部隊を相手にしている。

 だから、配備されている装備は爆雷や、ソナー等、水面下を攻撃する装備に偏っているのだ。

 契約上もそうなっている筈であった。

 

「しかし、必要に応じ、協議の上、協力して作戦行動を行う…契約に盛り込まれていますよね?」

「…That's right」

 

 念を押す様に首を傾げてみせる翔鶴さんに、提督は、無表情のまま頷く。

 

「で、装備と資材についても、援助しあう事ができる、っていうのもあるから、何か足りないものがあったら、うちのを使っても良いよっ」

 

 何だか妙に条件が良い。

 大抵の事なら、4つも艦隊を保持しているお隣の鎮守府で戦力を賄える筈だ。

 何故、装備とコストを持ってまで、此方に話を持ってきたのか。

 何だか少し、不穏、と言ってしまう程では無いが、警戒感を呼び起こされる。

 

「やだなぁ、あんまり重く考えられても困っちゃうな、これからは、もうちょっと鎮守府同士で交流しようってだけの話なんだけど」

 

 私達が黙り込み、少々困惑しているのを悟ってか、瑞鶴さんは手をひらひらさせて苦笑する。

 

「そうですよ、最近、敵の活動も活発化してきていますし、しっかり連携を取れる様にする事は大事でしょう?」

「そのお話、そちらの提督は合意済みなのでしょうか?」

 

 柔らかく微笑む翔鶴さんに、神通さんが確認する。

 そうだ、小なりとも、此処も鎮守府である。

 本来、このレベルの話は正式な委任状を携えた者、或いは提督自身が秘書艦と共に会談すべき内容だ。

 

「勿論です」

「ま、今日は翔鶴姉が、早くお見舞いに行かなくちゃ、って言うから、委任状取ってるヒマ無かったけどね」

「もう」

「あたっ」

 

 くすくす笑う瑞鶴の頭を、地味にぱしっと音がするくらいの勢いで翔鶴さんがはたく。

 ちょっと面白い。

 

「今日は、お見舞いのついでに、お話だけ持ってきただけですから、前向きに考えて頂けるのでしたら、直ぐに正式な手続きを通しますよ」

「そうですか…」

 

 神通さんはそれ以上突っ込まずに引き下がった。

 皆から視線を向けられた司令官は、まじめ腐った顔で思案して、うんうんと頷いて見せる。

 

「hum…当鎮守府としては、ご提案頂いた、projectについて前向きに検討し善処させて頂く所存でアリマス」

 

(めっちゃくちゃ棒読みじゃないの)

 

 紳士にあるまじき言動。

 殆ど喧嘩を売っているレベルの不躾さに、私はくらくらしてきた。

 

「いやいやいや、君、そう言うの似合わないって、いや、面白いけどさ、あははっ」

「こら、瑞鶴、提督さんに失礼でしょ」

 

 割と本気で笑っている瑞鶴さんの頭を突っついてから、翔鶴さんは柔らかく笑う。

 

「では、私達はそろそろお暇しますね、是非、“前向き”なご回答期待しております」

 

 二人は重箱をしっかり片付けて持ち帰って行った。

 別にパパイアの根が食卓に上るような生活ではないが、あんな巨大なお重を満たすだけのお返しを考えるのは、雷にも結構重たい課題になった筈なので、有り難い心遣いだ。

 

(正直、うちの司令官より、よっぽど礼儀がきちんとしてるんだから困っちゃうわ)

 

 私は心中溜め息をつき、こっそりお腹をさする。

 ついつい、食べ過ぎてしまった。

 少しは運動しないと、レディにあるまじきたるみが出来てしまいそうだ。

 とは言え、昨日から色々あったせいか、眠くなってきた。

 

「姉さん、眠いのかい」

「…うん、少し」

「なら、寝た方が良い、昨日の今日だからね」

 

 私は自分でもなんと言っているか分からない何かをもごもごと言い、横になった。

 

 

 

【南の島鎮守府・厨房小屋】

 

 

 

「電…私達、戦艦とか、正規空母の人達と一緒になった事、無い、よね?」

「…なのです」

 




次回…

青葉「恐縮です、青葉ですぅ! パジャマパーティって良いものですよね、みんなで枕抱えて、ガールズトークなんかしちゃっうんですよ!」

陽炎「…」
不知火「…」
黒潮「…」

青葉「あれぇ?どうしちゃたんですか?まるで、ウザイ先輩に無理矢理呑み会に引きずってこられた新入社員みたいな顔になっちゃって?」
青葉「泣いてるとハッピーが逃げちゃいますよ!スマイルスマイル!」

不知火(ガタッ)
黒潮「あかん!、あかへんて!こらえてやぁ」
陽炎「あんなのでも役職付きよ、殴ったら面倒な事になるわ…しっかし、殴りたくなる顔よねぇ」


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 【第六話 ザ・グレート ハマの伝説】

 溜まったので投稿…
 不知火さん達の疑問に、青葉さんがまるっと、お答えしちゃいます!

 まぁ、書いてる人間のせいで、かなり回りくどくなってますけどね。

 しかし、今回特に本文中の脚注が多くなってます。
 ちょっと、本文に入れるにはうっとうしいかな…

 後書きに纏めるとか、別のページ作って追加していくとか、何処かに纏める形式の方がやっぱり良いのでしょうか?


【単冠湾泊地・オフィス】

 

 

「こんばんは、せいが出ますねぇ」

 

 キーをたたく音と、PCのファンが回る音しか聞こえないオフィスに、不意に元気な声が響いた。

 肩を叩かれた不知火は、さり気なく艦籍管理システムの画面を、勤務管理表の入力画面に切り替える。

 

「何か、ご用でしょうか?」

 

 気安く肩を揉んでくる手を無視して、肩越しに振り返ると、青葉がにこにこと笑っている。

 

「いやいや、堅いですねぇ、金剛さんのお茶会で、ほんの時たまご一緒する仲じゃあないですか」

 

 突っ込んだら負けである。

 

「まだ、作業が残っておりますので、失礼」

 

 言い捨てて戻ろうとすると、後ろから抱きつかれた。

 右耳の辺りに頬が押し付けられ、マウス操作を奪われる。

 ひょいひょいと画面が操作され、艦籍管理システムが切断された。

 

「xxxxxxxxx」

 

 耳朶に囁かれたコードに、不知火は動きを止める。

 調べようとしていた、あの潰れた艤装に記されていたコードだ。

 

「まぁまぁ、これなら翌日以降でも問題ないじゃないですか、青葉の取材にちょっとおつきあい下さい、損はさせませんっ!」

 

 右に横目を向けると、普段と変わらぬ青葉の笑いがある。

 しかしながら、近い。

 

「お茶でもしながらどうでしょう?」

「取りあえず、離れて頂けますか」

 

 ますます、しがみつかれた。

 

「いやいや、取材受けていただけるまで、青葉は離れませんよ!、不知火ちゃん呼吸しちゃいますからね…おや、いい匂いですねぇ、くんかくんか…シャンプー変えました?」

「…」

 

 

【単冠湾泊地・職員(艦娘)宿舎】

 

 

「で、情報検索しに行って、情報発信機を拾ってきたと」

「いやぁ、たまにはパジャマパーティーって言うのも良いものですねぇ」

 

 陽炎はにこにこしながら、ドーナツをかじっている青葉を見る。

 本当にパジャマ姿だ。

 陽炎、不知火、黒潮も寝間着姿で、小さな机を囲んでいる。

 

「どうでもええことやけど、そのかっこで、ここまで来たん?」

「いやぁ、流石にちょっとした寒かった(※)ですねぇ」

 

 

<----- ※ちょっと寒かった ----->

 

 ここは択捉島です。

 夏でも平均気温は16℃、冬場はー6℃前後。

 旭川等に比べれば寒暖の差は無い方でも、夜になれば夏でも寒いと言われる場所。

 

<----- ※ちょっと寒かった ----->

 

 

「でも、パジャマパーティーにパジャマで来なくてどうするんですか、まかり間違って、ジャージでも着てきた日には、林間学校か、修学旅行になっちゃうじゃないですか!」

 

 ドヤ顔で珈琲を飲む青葉に、陽炎、不知火、黒潮は顔を見合わせる。

 

「で、広報部の課長さんが、何の用かしら?」

「取材、と言いたい所ですが、今夜は少し、歴史の勉強でもどうかと思いまして」

「お勉強?ほんまに学生のノリやねぇ」

 

 青葉はペーパーナプキンで指を拭い、無言でねめつけている不知火ににっこり笑いかける。

 

「ええ、たまには先達の活躍知るのも良いものですよ」

 

 青葉は一葉の写真を取り出した。

 若干、古さを感じさせる色合いのカラー写真。

 そこには、浅黒い肌をした逞しい中年男性と、6人の艦娘が写っている。

 

「第六駆と…うちの第4艦隊と同じ構成ね?」

「なんや、トロピカルな場所やねぇ」

 

 写真の背景は真っ白い砂浜に碧い海。

 砂も茶色っ気なださらさらない、混じりっ気無しの白砂だ。

 正に南国であった。

 

「家族写真ですね」

 

 しばし黙って写真を見つめていた不知火が、ぽつりと呟いた。

 一寸不服そうな暁を抱き上げた男性を中心に、左には電と雷の肩に後ろから腕を回した夕張。

 右手前には横目で暁を見ている響。

 その背後、男性の傍らには神通が寄り添っている。

 

「こんな風に笑うんだねぇ」

 

 陽炎が言い放った口調には、何故か感嘆の響きがあった。

 

「いやいや、神通はんかて乙女やさかい…ほんと、ええ写真やね」

 

 陽炎を窘めた黒潮は、頬に手を当て写真に見入っている。

 結構気に入ったらしい。

 

「…この提督、何か見覚えがありますね」

「おや、さすがは優等生、座学にも落ち度がありませんねぇ…いや、誉めてるのに睨まないで下さいよ~」

「それ、その子基準じゃ普通に見てるだけよ」

「ああ~、そうですか」

 

 中途半端に拍手の体勢のまま固まっていた青葉は、もう一つドーナツを取り出した。

 

「この提督はん、有名な人なんえ?」

「うーん、まぁ、こっちの写真は普通出回ってませんからね、取り敢えず、第一次上陸侵攻戦は知ってます?」

 

 ピンと来ない様子の黒潮に、青葉はドーナツを一口かじってから水を向ける。

 

「ああ、それなら有名な話やさかい、知っとるよ」

「確か、深海棲艦が初めて上陸の為に纏まった戦力を動員した作戦よね、ま、失敗したけど」

「ですです、流石にこれは有名ですね」

 

 陽炎は机に肩肘をついてホットココアを飲む。

 

「そやねぇ、確か、む…なんや毒霧吐きそうな名前の提督はんの名前習った気ぃするんやけど、思い出せんわぁ」

「牟田浜ですね、恐らく」

「おおーう、流石ですね、黒潮さんも間違っては無いですね、あっちじゃ、あの人グレート・ハマとか呼ばれてるらしいですから」

「で、その作戦が何なのよ…ふぁ、珈琲にしておけば良かったかな」

「お、良いですね珈琲、いれましょう」

 

 大欠伸をする陽炎の前で、青葉はにっこりしてマグカップを振る。

 ため息をついて、不知火が立ち上がり、マグカップを取った。

 

「およよ、催促したみたいで恐縮です」

「それ以外の何だってのよ、不知火、私のも~」

「うちも欲しいわぁ」

 

 改めて全員分の珈琲が用意された。

 

「さて、改めてですが、当時、侵攻対象となったバラック島、ここには二つの鎮守府が駐留していました…」

 

 バラック島、面積231キロ平方メートル、当時人口2,000人。

 島の南、ウェリントン湾泊地には4提督、4艦隊を擁する大規模な鎮守府(※)が置かれ、島の北側、ヤシロビーチにはかの牟田浜水雷戦隊が単独で駐留していた。

 

 

<----- ※大規模な鎮守府 ----->

 

 素材を用意して“喚べ(よべ)”ば実体化する現在と異なり、当時は艦娘を顕現化するには、予め作成された艤装に提督が“降ろす”必要があった為、運用される艦娘の数は少なかった。

 

<----- ※大規模な鎮守府 ----->

 

 

「ビーチ?泊地じゃなくて」

「バラック島の北側は、小さな砂浜以外は、磯場でしてね、港って言う所じゃ無いんですよ」

「まぁ、ウチら、海に降りられれば別にええからねぇ」(※)

「ま、気分は出ないわね」

 

 

<----- ※海に降りられれば別にいい ----->

 

 喫水を気にしなくて良いのは、艦娘運用上の利点である。

 

<----- ※海に降りられれば別にいい ----->

 

 

「で、南のウェリントン鎮守府が水上護衛、牟田浜水雷戦隊が近海の対潜哨戒を任務としていた訳ですが…」

 

 最初は北から忍び寄る深海棲艦の動きから始まった。

 接近する多数の深海棲艦を最初に発見したのは、ミカサ・クリフの上で目視哨戒を行っていた雷である。

 雷は直ちに牟田浜提督へ一報。

 真っ直ぐヤシロビーチを目指す敵の進撃速度から、敵襲まで30、いや、20分の猶予も無いと悟った牟田浜は、通信担当の響にウェリントン鎮守府への一報を任せ、その間、可能な限りの迎撃準備を行った。

 

「そう言えば、いきなり海上戦諦めたんだっけ?」

「元々対潜装備で、換装したとしてもメイン火力が神通、夕張の20.3cm連装砲ですから、連合艦隊二つ以上の戦力相手じゃ足止めも無理、って判断立ったんでしょうねぇ…ま、それだけじゃ無いですが」

 

 牟田浜水雷戦隊からの警告を受けたウェリントン鎮守府は即座に総力出撃の準備に移ったが、深海棲艦はヤシロビーチを攻撃後、或いはそのまま島を迂回してウェリントン湾泊地を襲撃するものと予測していた。

 その為、五分後に牟田浜水雷戦隊へ折り返し入電を入れ、深海棲艦がどちら周りで侵攻するか報告されたし、と告げている。

 

「それまで、深海棲艦が群れで陸をてちてち歩くなんてなかったさかいに、しゃあないおもうわぁ」

「敵、上陸目標、ヤシロビーチ…でしたね」

「です、事実上最後の通信でした」

 

 ヤシロビーチに上陸した先発の駆逐級(脚付)は恐らく、砂浜に埋没されていた爆雷の洗礼を受けた。

 後に、此処では下半身が激しく損傷した駆逐級が3、それに加えて上面に砲撃痕のある軽巡が2見つかっている。

 その後、砂浜を突破しジャングルへ続く隘路を登る敵に対して激しい砲撃と爆雷の投下(坂道転がし)が行われ、古代の城攻めの様な光景だったろうと言われている。

 此処では急所を撃ち抜かれた駆逐級3、砲撃と爆破痕で原形を留めていない重巡1が発見されている。

 ここまでの激しい戦闘の音、それにありったけ点灯された探照灯の光に、ようやくウェリントン鎮守府も、これが今までにない本格的な地上攻撃である事を認識した。

 しかし、陸路を横断して参戦するのは余りにもリスクが高い(※)と判断され、海上を最大船速で回り込んでの攻撃が採用された。

 もし上陸されたとしても、背面からの攻撃となり、若干の利が得られるとの読みからである。

 

 

<----- ※余りにもリスクが高い ----->

 

 地上での移動の遅さ、及び地上戦の経験など存在しない為。

 

<----- ※余りにもリスクが高い ----->

 

 

「でも、これってさ、街の防御はがら空きにしたって事だったんだよね」

「まぁ、悪い方に転べば大虐殺だったでしょうねぇ」

 

 手漕ぎボートまで動員して隣島への避難が実施される中、島の南では戦闘が続いていた。

 驚くべき事に、牟田浜水雷戦隊は4倍以上の戦力差を持った艦隊に対して、未だ組織だった抵抗を続けていたのだ。

 しかし、その後、上陸部隊の支援の為、海上に残留していた戦艦から間断無く放たれた艦砲射撃、そして空母からの徹底的な絨毯爆撃。

 ジャングルを消し去り、ミカサ・クリフを崩落せしめる程のそれらが、牟田浜水雷戦隊の運命を決した。

 

 

「でも、深海棲艦達は時間をかけ過ぎました…」

 

 

 多大な弾薬を消費し、随行の水雷戦隊の大部分を喪失した深海棲艦の脇腹に遅れて到着したウェリントン鎮守府の4艦隊が襲いかかったのである。

 短く、激しい夜戦が行われ、火力を発揮出来ないまま深海棲艦達は沈んでいった。

 

「撤退する深海棲艦に追撃は行われましたが、最大船速維持の為に燃料を使い過ぎていた為、途中で断念せざるを得なかったそうです」

 

 夜が明けてみれば、民間人の被害は避難中の混乱によるもの以外は無し。

 ウェリントン鎮守府の艦隊は大破2隻、中破3隻、小破4隻と、戦闘の規模の割にかなり軽微なものに留まった。

 島自体への被害も南側のジャングルが丸裸になり、クリフ(崖)が崩落した跡が荒れ地になった程度で、市街地への被害は皆無である。

 

「我が身は鋼、我が身は城、我沈むとも護国の壁と化さん…」

「“最初”の大和さん(※)の言葉ですね」

 

 

<----- ※“最初”の大和さん ----->

 

 最初に顕現が確認された大和型。

 呉鎮守府にて入渠中、大規模空襲を受け、大破着底しながら、最後の一発まで砲を撃ち続け、最期はドックごと吹き飛んだ。

 投入された敵戦力は大きかったが、大和型を目標にした攻撃だった為、鎮守府全体としての損害は軽微であった。

 

<----- ※“最初”の大和さん ----->

 

 

「で、牟田浜はんはどないしてもうたんえ?」

「最期、爆雷を満載した高速ボートで敵旗艦に特攻して果てた…」

「どんだけよ!?」

「なんて、無責任な噂も有りましたが、実際は浜辺に集積されていた燃料に着火して、最後の最後まで上陸を阻止せんとされていたらしいです、いや、巻き込まれたタ級は明々とよく燃えて、実に良い的だったとか」

「むちゃくちゃなのは変わらへんなぁ」

 

 牟田浜提督が元々、陸上自衛隊の出身者で、かつレンジャー資格を有している程の猛者であった事。

 その牟田浜提督の経験を取り込んで、日常的に陸戦訓練が実施されていた事。(※)

 訓練設備として、ジャングルと海岸にブービートラップが常設され、実戦用として簡単に転用可能であった事。

 牟田浜水雷戦隊の特異性と、状況がたまたまがっちりとかみ合った結果であった。

 

 

<----- ※日常的に陸戦訓練が実施… ----->

 

 今日は海が荒れていますから、陸で遊びましょう…とか。

 

<----- ※日常的に陸戦訓練が実施… ----->

 

 

「ま、あとは深海棲艦が退き際を見失って、馬鹿撃ちしてくれたって言うのも有るんですけどね」

「そりゃ、楽勝やと思うてたのに、出せば出しただけ、ジャングルから帰ってきーひんとか、もう、ホラーの世界やしなぁ」

 

 

 状況が落ち着いた後、牟田浜水雷戦隊の捜索が行われたが、ジャングルへの砲撃、爆撃が余りにも凄まじく、艤装のひとかけらすら発見できない状態だった。

 徹底的な破壊を免れていたビーチから、牟田浜提督の装身具がかろうじて発見され、後年、ミカサ・クリフの数百トンの土砂の下から、暁型の艤装だけが発見される事となった。

 

「ちょ、まさかそれが?」

「はい、あなた達がアレしようとしたソレです」

「たまげたわぁ」

 

 

 牟田浜提督が所属していた、陸上自衛隊の元隊では追悼式が執り行われ、又、後に紅綬褒章が授与された。

 

 

「ま、それ位あってもいいでしょ、流石にさ」

「そうですねぇ、占拠されてたら、歴史上最初に港湾棲姫が顕現してたかも知れませんし、ついでに、この後から陸自関係者からの提督志願者が結構増えましてね…あと、陸自所属の上陸事案対応艦娘部隊が出来たのもこの事件が切っ掛けなんですよ」

「へー、大したおっちゃんやなぁ」

 

 改めて写真に目を落とす。

 それだけの偉業を成し遂げた提督と艦娘。

 平和な家族写真からは想像がつかない歴史だった。

 

「でさ」

「はい?」

 

 一番最初に顔を上げた陽炎が、沈黙を破る。

 

「何で、そんなもんが、うちの倉庫に押し込まれてた訳?」

「うん、そやね、よけい気になるわぁ」

 

 一気に空気が緩んだ。

 

「あ~、まぁ……」

 

 青葉は意味もなく周囲を見回した後、腕を組む。

 

「そうなるな」

「なにがよ…ったく」

 

 脱力した顔で、陽炎が珈琲を啜る。

 すっかり冷えてしまっていた。

 

「ま、冗談はさておき」

「ここにある直接的な理由は、不知火さんが既にお知りなので、後で補完して頂くと致しまして」

 

 青葉はごそごそとドーナツの箱を探り、思い直した様に引っ込める。

 

「うちの提督が関係者だからだと、青葉は睨んでおります」

「睨んでる?」

「恐縮ですが、青葉だって都合良く全てを知っている訳では無いのです」

 

 胡散臭そうな顔をする陽炎に、青葉はわざとらしくため息をついてみせる。

 

「それはそうと、うちの赤巻提督が関係者というお話なんですが、牟田浜提督って、赤巻提督の弟子なんですよ」

「弟子?…ですか」

「そう言えば、あのじーさん、沢山後輩居るわよね」

「そや、そや、お中元の時とか、後輩の提督はん達からぎょうさん届きはって、一緒に仕分けした時、赤城はん嬉しそうにしとったわぁ」

 

 弟子という言葉に、不知火が反応する。

 

「今や、防衛大学に専門科があって、専門学校もあったりしますけど、あの頃は基本どこかの鎮守府で実務経験積んでっていうのが正道(※)でしたからねぇ」

 

 

<----- ※実務経験積んで… ----->

 

 艦娘を養うのに資格は要らないが、提督として鎮守府を運営するには、それなりの国家資格が必要である。

 とは言え、才能(妖精さんが見える等)が無いとそもそもなれない職業である為、人員不足による超法規的処置(特例としての資格付与、試験免除等)は結構頻繁に行われていたりする。

 

<----- ※実務経験積んで… ----->

 

 

「当時はやれる人間が手当たり次第に提督やって、国も半分やけくそでそれを支援してましたから、鎮守府乱立でかなりカオスな状態だったんですけど、その中でも海自出身者は流石に割と纏まっていてですね、初期参戦組の赤巻さんは何人も自分の鎮守府で海自の後輩達を提督として鍛え上げてきたのです」

「でも、牟田浜さんて、元陸自よね?つてとか無いんじゃない?」

 

 陽炎の指摘に青葉はにっ、と笑ってマグカップの縁を指先で撫でる。

 

「相当頼み込んだらしいですよ、しまいには、鳳翔さんの店に雇って貰って、板前やりながら毎日交渉したとか」

「へぇ…」

「そう言えば電さんから、聞いた事ありますね、甚五郎さんのお弟子さんで料理のうまい提督さんが居たとか」

「ああ、電ちゃんなら知ってるか~、長いもんね」

 

 不知火の呟きに、陽炎は外したヘアゴムをくるくると回しながら天井を見上げる。

 実際、電は神威鎮守府では最古参の艦娘であった。

 

「牟田浜はん、随分ときばりはったんやねぇ」

「どうせなら、最高の人に師事したい、そういう志があったって話ですから」

「最高…ねぇ」

「陽炎?」

「あー、今のはこの子基準でも、マジ睨みよ」

 

 陽炎は不知火の視線を笑って受け止めながら、青葉に手をひらひらさせる。

 

「おおう、こわいこわい…と、で、結局、真面目で優秀な方でしたから、赤巻さんには相当可愛がられたらしいです、なので…牟田浜さんと、戦隊の艦娘達に死後贈られた紅綬褒章の授与式に代理で出席されたりしてますね、あの方ご遺族、居ませんでしたから」

 

「そないな話、しらんかったわぁ…でも、そんな自慢のお弟子はんなのに、全然、話聞いた事ないのおかしない?」

 

 黒潮はちょくちょくスーパーのセール時間に電と一緒になって雑談する事があるのだが、その時、甚五郎の弟子達との親交エピソードがぽつぽつと混じる事がある。

 牟田浜水雷戦隊程のエピソードがあれば、もう、何回か聞いていてもおかしくは無い筈であった。

 

「ま、電さんは気を使ってるんでしょうねぇ、提督にしてみれば、自慢する気にはならないでしょうから」

「ん?こないな凄いお人やのに?」

 

 黒潮は首を捻る。

 赤巻は“ワシが育てた”的な物言いをする人間では無いが、弟子の功績については割と普通に賞賛する方だ。

 まぁ、ついでに面白エピソード(下ネタ含む)を添える枕詞になっている事も多いが、親しみの表れと解釈出来る程度の事である。 電にも披露できる、懐かしい話の一つや二つはあった筈である。

 

「不知火、どう?」

 

 陽炎は、じっと机の上の牟田浜水雷戦隊の集合写真を見つめている不知火に水を向けた。

 

「…確かに牟田浜水雷戦隊は歴史に名を刻み、提督は偉人になりました、でも、それをこの人は喜ばない」

「流石、提督のお気に入り、分かってますねぇ」

 

 不知火の探る様な視線にうんうんと頷き、青葉はドーナツを一つ取る。

 

「小規模な鎮守府程、結びつきは濃いものがありますが、牟田浜水雷戦隊は、牟田浜さんに係累が無い事もあって、殆ど鎮守府が家庭というお人でした…作戦の為とは言え、“家族”が死んで行く“声”を聞いていた(※)気持ちはどうだったでしょうね」

「そやなぁ、そういうお人だって、知ってはるから…」

「世間が身勝手に持ち上げりゃ、持ち上げる程、あのじじい、気にくわなかったでしょうねぇ」

 

 

<----- ※“声”を聞いていた… ----->

 

 直接精神的なリンクを構成している艦娘が損傷を受けたり、失われたりすれば、提督の精神もそれ相応の動揺を受ける。

 一度に艦隊を丸ごと失った提督がショック死したり、死なないまでも廃人になった事例も報告されている。

 又、艦娘の最期の言葉が脳裏を離れず、PTSDを患う提督も多い。

 提督も精神的には常に前線に身を晒しているのだ。

 

<----- ※“声”を聞いていた… ----->

 

 

 陽炎は半眼になりながら、すっかり冷えた珈琲を飲み干した。

 

「あの暁の艤装も、“成仏”できない艦娘のサンプルとして収容されるか、博物館の目玉になりかけたんですけど、赤巻さんが無理矢理手近の庁舎まで持ってきてたものですからね、流石に鎮守府までは無理だったみたいですけど」

「ああ~、ここにあっちゃいけないのね」

「お察しが早くて助かります」

 

 合点がいった様な顔で頷いた陽炎に、青葉はにっこり笑って会釈する。

 

「今現在、管理備品が白昼堂々消えたって事で、それなりに騒ぎになってますから…念の為、うちから不用意にアレに関する情報へアクセスしたり、噂したりされるの嬉しくないんですよねぇ、疑われる要因が一応ありますんで」

「これ、あかんやつや…とか、龍驤はんなら言いそうやねぇ」

「ま、そう言う事なので、恐縮ですが、アレについて公言するのは避けて頂けると、青葉嬉しいなぁ」

 

 両手を合わせてくねくねする青葉に、陽炎はげっそりした表情になり、不知火を横目で見た。

 不知火が頷くのを確認してから肩を竦めて見せる。

 

「わざわざ危ない橋を渡る気は無いわよ」

「恐縮です、ご協力感謝、感謝」

 

 陽炎の言葉に安心した様にドーナツにかぶり付き、青葉は携帯を確認する。

 

「おっと、もうこんな時間ですね、さて、青葉そろそろ眠くなってきちゃったので、帰りますね」

「私の布団は何処ですか?とか言われなくてほっとしたわ」

「いやいや、青葉そこまで常識知らずじゃ無いですよ?」

「どうだか」

 

 テーブルに片肘をついた陽炎に、青葉は大げさに嘆いてみせるが、疑わしげな表情は晴れない。

 

「陽炎ちゃん、あんまりいちびったらあかんて」

「まぁまぁ、何かありましたら、青葉までご連絡下さい、こちらからも、何かご協力をお願いするかも知れませんからねぇ…ふふふ、あなた達は知ってしまいましたからね」

「ほら、こんなじゃない」

 

 流石に少し窘める黒潮に、陽炎は憮然とした顔を向ける。

 

「分かりました、不用意な行動は控えます、ご協力も私が出来る範囲なら…しかし、知った為と言うなら、結末も知りたいものです」

「あー、はい、恐縮ですぅ、勿論、私もできる範囲で善処させて頂きますとも、ご納得頂けて良かったですよ~、あ、多めに買ってきてありますから、残りのドーナツ召し上がって下さいね、ではでは」

 

 ばたばたと、薄着のまま外に飛び出して行く青葉を、見送り、ドアを締めた黒潮が振り返る。

 

「寒ぅないんかなぁ…」

「さあね、取りあえず、すっかり忘れてたけど、不知火、最初から話して貰うわよ、あ、でも取りあえず、珈琲入れて」

「そやね、何だか色々な意味で冷えてしもたわぁ」

 

 陽炎は青葉の置き土産のドーナツを一つ取り出して、ぱくりと囓る。

 飾り気の無い、オールドファッションだ。

 

「あんまり食べると太ってまうよ」

 

 言いつつ、黒潮も一つ取った。

 ジェリードーナツだ。

 

「そっちのがよっぽど太るわよ」

「…クルーラーのをどれか取っておいて下さい」

「よーし、珈琲番の権利として、認めましょう」

 

 一言、言い置いて、不知火は席を立った。

 お湯を沸かしながら、考える。

 今回の件で、あの艤装の残骸が持つ役割とは何なのだろう。

 あの、候補生がわざわざここに持ち込んだ事には何らかの意味がある筈だ。

 

(…とは言え、今は動けない)

 

 一応、調べれば分かった筈の事は、青葉が話してくれた通りだろう。

 青葉がどういう立場に居るのか、不知火には分からない。

 今は、聞いた事から考える。

 まだ、胸騒ぎは収まらない。

 




 しかし…特に小説とは関係ありませんが、川内さんがバシー海峡に沈みました…orz

 そんな事があった後に、熊野さんに、

「夜戦・・・どこかのバカが好きでしたわねぇ」

とか、同じバシー海峡で言われると、川内さんが沈む前とは意味が変わっちゃって、思った以上に心が抉られます。
 覆水盆に返らず…まだ、手を艦娘の血で染めてない提督はそのまま心がけで、殺ってしまった提督は、疑わしきは撤退を改めて確認しましょう。


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 【第七話 かんこのかいだん】

 
 最初の部分、一寸だけ時間が巻戻ります。


・提督大いに困るの巻。
・陸奥おねえさんと、金剛お…姉様の怪談。
・長門、今日くらいは一緒に飲もう、の巻


 秘密基地って、憧れますよねぇ。


【単冠湾泊地・司令室】

 

 

「あぁ?俺の別荘が使いてぇだぁ?」

「そうだ、この鎮守府で戦艦級を監禁出来る場所はあそこだけしかあるまい」

 

 赤巻甚五郎は頬杖をついたまま、腕を後ろに回して直立している長門を見上げた。

 

「で、俺はさっきなんつったよ?」

「……」

 

 唇を引き結んだ長門は真っ直ぐ前を見ている。

 甚五郎もその顔をじっと、眺めている。

 

「……お休みをとれ、ですね」

 

 鳳翔がぽつりと呟いた。

 そのまま、小一時間が過ぎる。

 

「あら、もうお十時、そろそろお茶をお入れしますね」

 

 それぞれ茶を前にして、更に無言が続いた。

 無言で干された湯飲みが突き出され、鳳翔は茶を煎れ直す。

 長門の前の茶請けは乾き、茶はただ冷えていた。

 

「提督?うちの子だけど……あらあらやっぱり」

 

 更に暫くして司令室のドアを開けたのは、陸奥だった。

 一目で状況を読み取ったらしく、腰に手を当てて思案顔になる。

 

「いいとこにおいでなすったぜ、ちゃっちゃとこの駄々っ子、引き取ってくれや」

 

 額に手を当て、追い払う様に手を振る甚五郎の様子に、陸奥はため息をつき、提督の傍らに立つ鳳翔に目をやった。

 可愛らしく手を合わせて拝んでくる彼女の様子に、陸奥も苦笑いして、長門の背後から頭を下げる。

 

「で、この子何を欲しがってるのかしら?」

「……頼むわ」

「はい、実は……」

 

 疲れた顔で茶を啜る甚五郎に横目を送られ、鳳翔は一通りの状況を陸奥に説明する。

 

「そう、あの部屋にねぇ」

 

 陸奥は思案しながら、長門の顔を見た。

 陸奥が入ってきてからも、長門は微動だにせず、姿勢を保っている。

 

「提督、使わせてあげたらどうかしら?」

「あ?」

 

 目を剥いた甚五郎に、陸奥はデスク越しに上体を傾け、ひそひそと何事か囁く。

 

「こう言うのはどう、どうせこの子放って置いたら、一日中突っ立ってるわよ」

「ふん」

 

 陸奥の囁きに、赤巻はしばし顎髭をしごいて考えていたが、ややあってから肩を竦める。

 

「しゃーねぇ」

 

 デスクの袖机を開け、中から一枚の書類を引っ張り出した。

 必要事項を書き殴って承認印を押印し、机の上を滑らせる。

 

 ひょいと手を伸ばして止めた長門は、それが施設使用許可証であるのを見て眉を顰めた。

 

「しよー許可証だ、もんくあっか?エスコート付きなんてぜーたく言わねーで、てめぇの足で行ってこい」

 

 長門は、心配顔で見つめている陸奥に目をやり、深く息をつく。

 

「……いえ、感謝致します」

「おう、冷蔵庫のビールは好きにやれや」

 

 きっちりした敬礼を決め、長門は司令室を後にした。

 

 

 ここまで、曙が殴り込んでくる半日前の出来事である。

 

 

【単冠泊地・大深度地下施設 警備室】

 

 

 基地地上施設から下ること深度50m。

 そこには、作戦室、弾薬、燃料、資源等の各種保管庫、入渠ドック、自家発電設備、普段は屋内運動場として使用されている避難区画等、単冠泊地を機能させる為に最低限必要な予備施設が詰め込まれている。

 そして、そこから更に専用エレベーターで50m…深度100m。

 長門が要求した施設はそこに設置されていた。

 天井、床、壁を厚さ3mの特殊鋼で覆い、更に10mのコンクリートで包み込んだ小部屋。

 入り口には厚さ3mの金属扉がはめ込まれている。

 更に、直通エレベータから続く通路には、入り口と同様の作りの扉が三重に設けられ、厳重に封印された代物。

 本来は基地が核攻撃を食らおうが、バンカーバスターをねじ込まれようが提督を保護し、経戦能力を維持する為の施設である。

 ただ、その頑丈さから、艦娘を監禁する為の施設としても転用可能に作られてもいた。

 艦娘を物理的に縛る。

 そもそも、艦娘というものを知らぬ者の発想であり、卑しくも“提督”を名乗る者なら鼻も引っかけぬ考え。

 上記の様な甚五郎の思想的背景もあり、懲罰としてこの提督用シェルターに収容された艦娘は存在しない。

 むしろ、姦しい艦娘達を避けて、休憩中に提督が逃げ込む“秘密基地”に興味津々な者の方が多い程である。

 実質、基地内に設けられた提督用の官舎の様な扱いを受けている施設だ。

 

「割と、居心地は良さそうよね」

 

 陸奥は余り快適とはいえない椅子の上で身じろぎした。

 室内には監視モニタが数台、作業端末が二台、折り畳みの簡易寝台が四つ、簡易キッチン、燃焼式トイレが二つ。

 後は備蓄品があちこちの収容に。

 ここは、専用エレベーターから降りてすぐの場所に備え付けられた、提督の副官用避難所兼警備室だ。

 勿論、秘書艦ではなく、人間の副官用である。

 ついでに、陸奥の感想はモニタの中の映像に対するものであった。

 モニタの中には提督用シェルターの内部が映し出されている。

 艦娘用監禁室機能の名残だ。

 ちなみに、提督のアカウント権限があれば、監視を切断出来る為、普段は切られっぱなしになっている。

 シェルター内は落ち着いたアイボリーの壁紙が貼られ、簡易じゃないキッチンにバーカウンターまで備え付けられている。

 スウィートルームとは行かないまでも、一応、“高級”ホテルとつけても否定はされない程度の内装となっている。

 無いものを挙げるなら、水を馬鹿食いする風呂くらいのものであった。

 そんな部屋の中心で、長門は膝を抱えてカウチソファの上にのっている。

 長い間、ピクリともしていない。

 ずっとそのまま、恐らく睡眠をとっている時でさえそのまま目を閉じるだけだ。

 唯一、その姿勢が崩れるのは眠りが夢によって破られる時。

 叫びと共に夢から放り出された彼女の顔に浮かぶのは絶望に怯え、途方に暮れた子供の様な顔。

 それが、認識を取り戻すにつれて、自嘲と諦めの様な色に染まるのを見つめる。

 音声は切ってある。

 四重の扉が、あの叫びを遮ってくれるのがせめてもの救いだ。

 電子音がエレベーターと来客の訪れを告げる。

 

「陸奥、Are you ok?」

「まあまあね」

 

 振り返って軽く受け流した陸奥の顔を金剛は十秒間じっと見つめ、溜め息をついた。

 

「No!ダメね、全然駄目デース!、Auraがくすんでマース」

 

 金剛はデスクからキーボードを払いのけ、手にしていたピクニックバスケットをのせる。

 蓋を開けた瞬間、心地良い小麦とバターの焦げた匂いが漂い始めた。

 

「sleep、eat、とってない、お化粧だって直してません、私達battleshipは鎮守府の華ネ、いつも綺麗で堂々としてなければならないのデース」

 

 バスケットの中からは、ポーク・パイ、コーニッシュ・パスティ(※)、スープポットが次々に出現し、陸奥はいつの間にか湯気を立てるカレースープが入ったカップを握らされていた。

 

 

※両方ともイギリスの伝統的なパイ。

 

 

「頭の中一杯で、他の事、考えるの難しい、わかりマス、でも、だから当たり前の事忘れるの駄目ネ」

 

 陸奥はカップに注がれたスープに目を落とす。

 具沢山で、少量の米が野菜枠として添加されている、イギリス風のスープだ。

 

「あなた、妹達にもこんなに過保護なのかしら」

 

 苦笑しながらスープをゆらすと、金剛はにっこり笑い、やがて、それは少しだけ寂しそうな笑いになる。

 

「あの子達は、もうこんなに手がかからないのデース、ちょっと寂しいですネ、Hurry、Hurry!冷めない内に食べて、チョットだけrestするネ」

 

 人差し指を突きつけられ、陸奥は少しスープに口をつけた。

 ほっとする温もりだ。

 

「あなたには、ここに来た時にもお世話になったわね」

「新しいFriendsとは、美味しいお茶を飲めばすぐ仲良しなのデース」

 

 無邪気に笑う金剛につられ、陸奥に一瞬微笑が浮かんだ。

 

「あなたはどれ位、私達、いえ、あの子の事を知っているのかしら?」

「そうですネ……長門が昔、“おとなし”長門って呼ばれていた事と、誤射事故があって前の鎮守府が解散になった事は、知ってマース、あ、手が止まってるネ」

 

 急かされて、陸奥はポーク・パイを手に取る。

 ぱりぱりの皮がほろりと崩れ、中身のゼラチン部分がとろけてゆく独特の食感。

 口一杯に旨味が広がる逸品だ。

 

「誤射……ね」

「夜間、遠征帰還中の艦隊からの救援要請、夜戦の混乱中の事でしたネ」

 

 何処か困った顔で呟く陸奥に、金剛は補足する。

 

「轟沈6、大破3、中破3……」

「あの頃は、レーダーがアテにならなかった時代(※)ネ」

 

 

※レーダーがアテにならなかった時代

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 当時使用されていた従来型のレーダーでは極小目標の深海棲艦や艦娘を効率的に補足出来なかった。

 又、艦娘の艤装に搭載される電探は当時から深海棲艦の発見に有効であったが、カバー出来る範囲は狭く、配備数も非常に少なかった。

 更に電探に連動する装備として急造された敵味方識別装置(IFF)は信頼性が低く、交戦中の損傷でしばしば故障を起こし、却って古典的な目視による識別が絶対視される結果になっていた。

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「単なる誤射なら、あの子も受け容れられたのかもね」

 

 陸奥のつぶやきを聞きながら、金剛はティーポットを取り出した。

 程々に話を聞いている態度は保ちつつ、急かさぬよう。

 しばし無言で食事が進み、蒸らし終わった紅茶が注がれる。

 

「公表されている意外の事があるのは、何となく分かってたネ」

「そうね、普通は砲が撃てない艦娘なんて雇わないもの」

 

 寂しげに笑う陸奥の前で、金剛はにいっと口角を上げた。

 

「あのくそジジイの奇行はいつもの事ネ、1ヶ月もすればみんな慣れっこデース」

「確かにね」

 

 陸奥も小さくだがクスリと笑う。

 甚五郎が思いつきで振るう采配は大当たりする事も多いが、ちょっとした災難を巻き起こす事も多い。

 又、正真正銘意味不明でポカンとさせられる指示もある。 

 端から見ていると、正直凄いんだかそろそろボケて来たんだか、と言った所だ。

 

「でも、あの子が又、最初の一発を撃てたのは、あの人のおかげ」

「ジジイ間違って無かったネ、sonicboomよりも早く敵が倒れていく……あのLong shot見せられたら、文句言える子居ないデース」

 

 金剛は軽くカップを上げ、漂う香りを吸い込む。

 微笑が湯気に溶け、澄まし顔になる。

 

「そう、あの子は見えるものを撃って外した事は無い、ただの一度も」

 

 陸奥は半分程中身が減ったティーカップを軽く揺らしてからデスクに置く。

 

「遠征に出していた艦隊から、救援要請が入ったの、ひどく混乱した無線だった……敵の位置が分からない、所属不明艦に攻撃を受けているってね」

 

 ぽつり、ぽつりと話し始めた陸奥の様子を見て、金剛は手を止め、本格的な聞き手の体勢を取る。

 

「ベテランの龍田が動揺を何とか抑えて近海まで引っ張ってきた、そんな感じだったわ、通信が入る少し前から、提督はひどいめまいに襲われて、満足に指揮が執れない状態になっていてね……だから、現場を完全に任せられる第1艦隊を向かわせたの、あの子が旗艦の艦隊を」

「長門さんは秘書艦だったんですか」

「ええ、好一対だった」

 

 金剛の問いかけに陸奥は微笑み、やがて、表情を消して頷いた。

 

「そう、信頼していたわ……私達、第1艦隊は要請のあった海域へ急行した、途中で龍田が轟沈して、そこからの無線は途切れ途切れで、悲鳴と悪態、お祈り、砲声とハミング音みたいなノイズ」

 

 陸奥はデスクの上で左拳を右手で強く握り締め、大きく息をつく。

 

「現場海域では、駆逐の子達が無差別に砲撃していたわ、そして、通信で私達の接近を伝えたら、悲鳴を上げて撃って来た……最初は混乱してるだけだと思った、でも、次の瞬間、水柱が上がって、随行艦の高雄が消えた」

 

 言葉を切った陸奥は、固く目を閉じる。

 

「純粋な殺意と、絶望、あの子達は、死に物狂いで襲いかかってきたわ、理由はすぐに分かった……私達も気がついたら駆逐級に囲まれていたのよ」

 

 若干、怪訝そうな顔をした金剛に、陸奥は苦笑を向けた。

 

「撃つな……最初に長門がそう叫んで居なかったら、撃っていたでしょうね、一瞬前までは、そこに駆逐の子達が居たのに」

 

 陸奥は、考え込みながら話を聞いている金剛に、自分の額をつついてみせる。

 

「最初はノイズ程度だったハミング音がどんどん大きくなって、私達も酷いめまいに襲われた……私達の提督が……そう、何かと、戦っているのを感じたわ、駆逐級とうちの駆逐の子達の姿がぶれて、浮かんでいるのがやっとで、泣き出す子、吐いている子、誰も動けなかった、でも、誰かが撃った」

 

 陸奥は眼を閉じて記憶を探る。

 言葉という型に押し込むには散漫に過ぎるそれを、形にしてゆく。

 

「私は、砲塔が吹き飛ばされた衝撃で我に返った、もう、周りの子達は、みんな戦える状態じゃなかった……見た事あるかしら、私達って艤装さえ無事なら、頭が無くなっても死なないのよ」

 

 感情の爆発を抑え込む陸奥の顔は、何故か薄く笑っている様に見えた。

 

「あれは清霜だった、うちには夕雲型はあの子しか居なかったから、あの長い髪の毛が無くてもすぐに分かったわ、足をばたばたさせながら、自分の無くなった頭を探して、首の辺りで手を振り回して……磯風と白雪はどうしても見分けがつかなかった、だって、もう」

 

 陸奥はふっと暖かいものを感じ、深い息をつく。

 

「無理に全部話す必要は無いデース、事情聴取じゃないネ」

 

 陸奥はもう一度深呼吸して、今度は、少しはマシな微笑を作る。

 

「私が話したいの、久しぶりにね」

 

 拳の上に重ねられた金剛の手を外して居住まいを正し、再度口を開く。

 

「そんな体たらくの私達の中で、あの子、長門は“敵”を捕捉し、追っていた……混乱を作り出した一発を撃ち、どの僚艦とも違う動きをする艦をね」

 

 少し落ち着いた様子で語り出した陸奥の様子に、金剛は身を引いて、再度耳を傾ける。

 

「私達の中で、提督と敵が主導権を奪い合う度に、認識がかき乱されたけど、動きではあの子を騙す事は出来なかった」

 

 一瞬、陸奥の表情に熱っぽい、純粋な賞賛が浮かぶが、すぐにゆがんで消えた。

 

「逃げようの無い近距離に追い込んで、撃った……その射線上に全速で生き残った駆逐の子達が割り込んで来たのよ」

 

 壁に掛かった時計の秒針が、カタカタと時間を刻んでゆく。

 

「徹甲弾だったから、大穴が開いた訳じゃ無いわ、二人分の艤装を綺麗に貫通しただけ……三人目は無理だったわね、手傷を負って逃げる敵を、私も撃ったけど命中しなかった、そして、頭の中が妙に静かなのに気付いたわ」

 

 目を上げた陸奥は、心配そうに見ている金剛に首を振る。

 

「提督は、意識を失って……多分、最後に、二人の轟沈と、長門の動揺が伝わって均衡が崩れたんだと思う、あの子は抱きついている朝潮を抱えて、沈む大潮を見つめていたわ、二人共、体と艤装に向こう側が見える穴が開いて」

 

 陸奥は無表情で見返している金剛に笑いかける。

 感情の枯れた、乾いた笑い。

 

「砲弾も魚雷も撃ち尽くして、満足に動かせもしない身体で、それでも、あの子達は“仲間”を逃がそうとした、だから、長門は最期にあの子達の事を誉めて上げていたの」

 

 カップを手に取り、冷え切った中身を干す。

 

「提督は中々意識が戻らなくてね、鎮守府は散り散りになった……何より、私達がもう戦える状態じゃなかったしね、“陸に上がった”子も居れば、病院から工廠に直行した(※)子も居たわ」

 

 

※病院から工廠に直行した

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 タガの外れた艦娘を長期間収容可能な施設は存在しない為、精神の平衡を永続的に欠いてしまった場合の最終手段として、安楽死(解体)処置が行われる事がある。

 ただ、そもそも一時的に沈静化する事すら難しい事例や、同胞にその様な最期を陸で迎えさせるは忍びなしと、内々で僚艦による雷撃処分を行う習慣も根強い為、実際に陸上施設での解体処置が実行される事は極々希である。

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

 陸奥は空になったティーカップの縁をなぞりながら、天井を見上げる。

 

「結局、最後まで残ったのは、長門と私、五月雨だったわね、あと、清霜はすっかり良くなったって聞いた、お陰で、あの後で初めてあの子、笑ったわ」

 

 自分でお代わりを注ごうとした陸奥を制し、金剛はやや冷えてしまった紅茶を注いだ。

 

「ふふっ、改めて自分で言ってみると、怪談話よね……良いの、真面目に聞いてくれてるのは分かるから」

 

 表情を若干動かした金剛に微笑み、陸奥はティーカップを両手で包み込む。

 

「でも、作戦報告自体は、大本営に報告してあるけど、違う話になっているかも知れないわね」

「Why?」

「報告書を提出した後、事故調の事情聴取があったのよ」

 

 首を傾げた金剛に、陸奥は若干声のトーンを落として続ける。

 

「事故調とは名乗ってたけど、アレは情報部(※)ね」

 

 

※情報部

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 海洋特殊災害対策庁 戦略情報部。 深海棲艦に関するありとあらゆる情報の収集と分析を行っている。

 世界津々浦々に散らばった非公式工作員を含めれば、日本で最大、世界的にも有数の巨大諜報機関である。

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「Intelligent、いつでも新型の敵に警戒してるとは聞いてマース」

「新型の艦娘もね……新しい仲間が増えれば、奴らも増える」

「いたちごっこネ(※)」

 

 

※いたちごっこネ

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 現状、艦娘と深海棲艦の“新型”の出現はシーソーゲームの様な危うい均衡を保っている。

 戦略情報部が危惧しているシナリオの一つが、より近代の艦がモチーフの艦娘が産まれる事で、SLBMが運用可能な深海棲艦が出現するケースだ。

 大本営から鎮守府に提示されるノルマ達成報酬で、対潜任務報酬に各段に良好な“色”が付けられているのは情報部の懸念から来ているとも言われている。

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「彼らは私達が遭遇した、敵に興味を持ったのよ……当然ね、あんなものが量産されたら、私達、確実に負けるわ」

 

 陸奥の話がそのまま事実であれば、敵艦一隻に水雷戦隊と水上打撃部隊が壊滅的な被害を負わされた事になる。

 規模だけで言えば連合艦隊を一隻で撃退したのと変わらない。

 戦線が一気に塗り変わるだろう。

 

「ま、あれから何処でも話を聞いて無いから、損傷が思ったより深かったか、再投入出来なくなった事情があるんでしょうね」

「幸いデース」

 

 それからしばらく、陸奥はカップの縁を撫でて黙っていたが、何事かをぽつりと呟いた。 

 

「Why?」

 

 そして、目を上げると、首を傾げている金剛を見つめて、もう一度口を開く。

 

「あれは、“深海棲艦(やつら)”じゃない」

 

 今度ははっきりと声に出す。

 

「あれは艦娘だったの、見た事もない艦で多分、駆逐艦、艤装に変わった形の電探を積んでいて、髪と目は黒くなかった……電探がアークみたいに光ると、緑色の光が海から上がって来て……消える前に見ただけだけど、あの姿、絶対に忘れない」

「長門は?」

「見てるわ、何も言わないけどね」

 

 金剛は無言でもう一度お湯を沸かしながら先程の話を消化しようとする。

 

(艦娘が艦娘を?)

 

 確かに、艦娘出現当時は、日本の海軍力が無限に増大する事に懸念を表明国も多かった。

 未だにそれを主張する団体も居る。

 だが、数十年続いているこの戦いは未だに、人類と艦娘達が完全な優位を保っている訳ではない。

 深海棲艦の支配地域となり、奪還できていない場所だってある。

 餓死者が出る程じゃないにせよ、スーパーの棚に並ぶ紅茶缶が一缶二千円スタートしている御時世に、到底、内輪もめしている様な余裕は無いのだ。

 より下世話な言い方をすれば、“無駄死にさせる程の艦娘は居ない”。

 敵は深海棲艦、不倶戴天の駆逐すべき存在。

 

 共存できない種族。

 

 かつて、深海棲艦との交戦によりCVN-72“エイブラハム・リンカーン”、CVN-76“ロナルド・レーガン”を立て続けに喪失した日、当時のアメリカ大統領は“これは生存競争であり、どれ程の犠牲を払おうとも、決して屈する事の出来ぬ戦いである”と、激をとばしたという。

 まだ、艦娘が現れる少し前の話である。

 

(そう、struggle for existence……私達と、ヤツらの)

 

 シンプルな世界観。

 信じてきた世界。

 それが、彼女達の中で崩れてしまったのだ。

 辛い等と言うものではない。

 その場から動けなくなる。

 眼と耳を覆ってしまいたくなる様な恐怖感。

 

「あらあら、そんな顔で見ないでよ、大丈夫なんだから、大切なものを全部無くした訳じゃ無いのよ」

 

 廊下から、妙にこぶしの利いた鼻歌が響いてきた。

 

「ふふ、じじいのご帰宅ネ」

「あらあらあら、上機嫌ねぇ」

 

 風呂敷包み片手に、一升瓶を肩に担いだ甚五郎は、警備室にチラと一瞥をくれただけで奥に歩き去ってゆく。

 

「さて、頼りになるじーさんも来た事だし、そろそろおいとまするネ」

「ありがとう」

「Fleetは家族、Familyは大事にするものネ!」

 

 Vサインを出す金剛に、陸奥はクスリと笑う。

 

「ふふ、世界がもう一度信じられそうな気がするわね」

「そうデース、長門と陸奥を信じてる子達が居ます、だから、You達も、もっと信じるね」

「そうね、私はどうであろうとも、大事なものの為に戦う、世界がどうでも、それだけは最初から最後まで変わらないわ」

 

 

【単冠泊地・大深度地下施設 提督用シェルター】

 

 

「まぁわっれぇ~、らっしんばん、水面(みなも)ふっみし~め、波濤切り裂き、すっすーめ、すっすーめ」

 

 扉の開放を待つ甚五郎は、口角を軽く曲げ、ニヤリと笑う。

 

「ったく、頼りになるバアさんだぜ」

 

 そう呟き、ちゃぷちゃぷと一升瓶を揺すりながら入室する。

 部屋の中では、膝を抱えたままの長門がソファの上に載っている。

 いい加減、クッションの上に跡がつきそうだ。

 

「うーい、けぇったぞ~い」

 

 長門は少し困ったような表情を浮かべ、目線だけで甚五郎を追う。

 甚五郎はそれは一顧だにせず、ずかずかと歩み寄り、ローテーブルの上に酒と風呂敷包みを乱暴に置く。

 そして、鼻歌を継続しつつキッチンからコップを持ち出すと、どっかりと長門の向かいに腰を落とした。

 ポンと栓を抜き、手酌でなみなみと注いでから、縁に顔を近づけてずずずと啜り、そこから一気にあおる。

 

「かーっと、くらぁ」

 

 げふ、と一発やらかしてから、ビニール製の風呂敷をほどき、三段重を広げた。

 重の上に載っていたプラの弁当箱を開けると、ふわりと炊きたて飯の香りが立ち上る。

 重箱に詰められた彩り豊かなお惣菜をおかずに、がつがつとほかほかの白米をむさぼってゆく。

 そしてその間、甚五郎は正面の長門を睨みつける様な表情で黙々と食べ、注ぎ、コップを傾ける。

 時たま、甚五郎の視線が長門の背後、肩口辺りの高さにちらりとそれる。

 まるで誰かがそこに居る様な仕草で時に頷き、時に首を振って目線が戻される。

 長門は、しばし、黙ってそれを見守っていたが、やがて、一瞬だけ肩口を振り返ると、ため息をついて箸を取った。

 甚五郎が無言で注いできたコップ酒を一口呑んで口を湿す。

 後味が切れ良い辛口。

 食中酒とするのに丁度良い味わいだ。

 長門が食事を始めるのを確認し、甚五郎は初めて箸を置いた。

 少々、胃が重いが、口から出てくるまでやる羽目になった初日からすれば大分ましだ。

 酒をちびちびやりながら、鳳翔作の対戦艦弁当がちゃんと残らず片付くか厳しい目つきで監視を続ける。

 そして、いつしかコップを握ったままいびきを立て始めた甚五郎を長門がひょいと持ち上げて寝室へ運ぶ事になるのだ。

 ここ2、3日繰り返された光景であった。

 靴を脱がせ、きちんと寝かしつけている長門の姿は、まるで手の掛かる老父の世話を焼いている様。

 

『いなづまよぅ……』

 

 ぽつりと漏れた声に、長門の手が止まった。

 

「済まない、もう少しだ、もう少しで……」

 

 しわの寄った手の甲に、しばし額を押し付けてから毛布をかける。

 今はまだ、提督と絆を分かち合う訳にはいかない。

 危険は二度と犯したくない。

 寝室から出た長門は、テーブルの上を片づけ、定位置に戻った。

 そして目をつむり、心を解放し、ここ数日接触を忌避してきた感覚を、今度は待ち受ける。

 

(来い、見つけてやるぞ……)

 

 

【どこかの海域】

 

 

 夕日の中をゆらゆらと歩む。

 凪いだ海面が微風で揺れ、きらきらと黄金色の絨毯の様に輝いている。

 じきに宵月も顔を出すだろう。

 

「そう言えば、まだ宵月は居なかったな」

 

 背後をゆらゆらとついて来る連中を振り返る。

 

 駆逐、軽巡、航巡、重巡、戦艦、航空戦艦、軽空母、正規空母。

 まるで、大規模な観艦式だ。

 

「ふ…まぁ、大勢の方が楽しいか……そうだな、酒匂よ」

 

 背中で寛いでうつらうつらしているのんき者に声をかける。

 水底から響く、金属のぶつかる音と、軋みが子守歌にでも聞こえているらしい。

 

「ブーン、ブーン……」

「おいおい、はしゃぎすぎると又、転ぶぞ」

 

 足元で零戦を掲げてうろちょろと走り回っている白いのをひょいと小脇に抱えこむ。

 だいぶ変わった連中も増えたものだ。

 黒服を着たり、大きな被り物を付けたり、最近の若い者は中々洒落者だ。

 

「皆でこんなに、静かな海を行けるなんて思わなかったからなぁ、そう言えば、今になって、お前とこうして一緒になるってのも妙な感じだよ…前は結局最期の時だけだったからな」

 

 旧同盟国の娘は、蜂蜜色のお下げを揺らしながら傍らを航行している。

 前に会った時はもう少々活発な印象があったのだが随分無口だ。

 恐らくは、存外に美しい風景を堪能しているのだろうと気を取り直し、沈む夕日に背を向ける。

 このまま夕日を見つめながら行きたい所だが、目的地は陽の沈む場所ではなく、陽の昇る場所だ。

 しばし、立ち止まって背に残り陽を浴びていると、傍らを静かなハミングが通り抜けてゆく。

 赤みがかったくせっ毛に載った白いセーラーハット。

 その下には灰色の瞳とソバカスがあり、鼻先はつんと上がっている。

 幼い体を包んでいるのは、ややダボっとしたデザインの白いセーラー服。

 袖が明らかに長すぎるそれからは、辛うじて四指が覗いている状態で、親指はすっかり隠れてしまっている。

 胸前では、長くて細い紺色のスカーフが風に揺れている。

 幼い体に不釣り合いなごつい艤装からは巨大な円盤付きのポールが突き出ており、まるで巨大なキノコを背負っている様に見えた。

 DE-173と記されたその艤装に指を這わせると、ちりちりとした感覚が指に痺れを与えてくる。

 

「……そろそろ、また跳べる位は貯まったか」

 

 キノコから漏れ出るアーク放電が海面に届く程度まで育っている。

 

「流石にずっと歩くと時間がかかるからな」

 

 笑みを漏らし、まだ歌っている娘の肩をポンと叩く。

 かつての大戦等、終わって久しい。

 今は、海原に抱かれるもの、皆が姉妹なのだ。

 アークの輝きが強まる度、海面下の物体が碧く照らし出された。

 灼かれ、融け崩れた、寄せ集めの金属塊。

 長門は膝をつき、数メートル分の海水越しに手を当てる。

 

「お前達とも、一緒に歩きたいんだがなぁ……」

 

 安らぎを拒む者も居る。

 

「……もう、華の二水戦でもないだろう?頑固な奴だよ、お前達は……どうせ一つになる、だろ」

 

 ふと、つかの間の無風状態に、海面が鎮まる。

 水面が徐々に歪な象を結び、見慣れた姿を形作ってゆく。

 

「届いてるんだろう?……私、みんな……」

 

 

【大本営より、各鎮守府への通達】

 

 

<<<鎮守府外秘>>>

 

対象:全海域

件名:所属不明艦隊接触禁止についての対応通達

 

 連合艦隊2つ以上の規模で編成された艦隊が目撃されています。

 各鎮守府は、追って指示あるまで、この所属不明艦隊(付記コード:ULN_003)に対するあらゆる接触を最優先で回避し、民間人との接触も阻止する事。

 接触には交戦も含まれる。

 上陸事案が発生が想定される場合は警務隊と連携し、住民の避難を実施する。

 その際、接触回避に必要であれば、現地の独自判断での泊地放棄は容認される。

 又、目撃情報については、クラスA以上の秘匿処理を用いた上で、速やかに関連部局へ通報を実施する事。

 




 リアルの方の鎮守府では川内サン帰って来ました。
 大事に大事に遠征に行って頂いて、ようやく改になった所です。
 轟沈0、大破進軍ダメ、絶対。


【コラム:ブラック鎮守府へよろしく】

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青葉『およよ、何か捜してるのは違いますけど…面白そうな文書が出てきましたしねぇ』


 (深海棲艦では無いが)潜水艦の危険性に関しては以下の様な逸話も残っている。
 月次、週次、日次毎に大本営より、各鎮守府へ任務達成のノルマが提示される。
 主に資源の優先配給権をエサにしたソレは、準軍事組織としてはゆるゆると言って良い鎮守府群に対し、大本営が一番強く強制力を発揮出来る“おねがい”だ。
 受けなくても、直ちに影響は無いが、達成していかなければ台所事情は格段に苦しくなってしまう。
 故にどの鎮守府も、演習、遠征に精を出す。
 中でも水雷戦隊による潜水艦狩り、潜水艦娘運用ノルマは達成目標に比しての報酬に大分“色”が付けられている。
 更に、そのノルマは“歩合制”であり、やればやる程、報酬は増えてゆく……
 その為、一部鎮守府では常軌を逸した非人道的な運用が横行する結果となった。
 世に言う、“ブラック鎮守府”である。
 信頼する提督の為、不健全な共依存や承認欲求への耽溺する迄心身をすり減らした彼女達。
 その歪みが大きな反発を引き起こすのは当然の帰結だったといえよう。

 オリョール海無差別雷撃事案……通称“血のオリョクル事件”。

 敵の補給船を深追いし、Missing In Action(MIA:作戦行動中行方不明)となった伊58による、敵味方無差別攻撃事件である。
 その破壊活動は実に1ヶ月超に及び、撃沈トン数は200万トンを超えた。
 これは、撃沈された船舶に25万トン級タンカー7隻が含まれるからである。
 緊急用に設けられた秘匿集積所からの持ち出し、鎮守府からの夜間窃盗、撃沈した補給船、轟沈艦娘艤装からのサルベージ等、ありとあらゆる方法で資材を確保し、彼女は通商破壊を遂行し続けた。
 現場に残されたメッセージから、商船の破壊活動が彼女によるものであると判明した時点で、提督本人による活動停止と投降の呼びかけが行われた。
 しかし、彼女は姿を現さなかった。
 代わりに、以下の様な文言が記された輸送用ドラム缶が現場に浮揚した。

『てーとく、ゴーヤもっと沈めるね!』

 以降、大型タンカーが立て続けに襲撃を受けた為、当時、この文言は更なる破壊活動の“犯行予告”と捉えられ、大本営は彼女の即時撃破を決断した。
 しかし、本格的な哨戒活動が開始された後も彼女は犯行を続け、その“戦果”を様々な手段で、提督に報告している。
 警戒が厳しくなり、資材確保がいよいよ滞った後半も、彼女は深海棲艦の残骸から回収した弾薬をタンカーの船底に仕掛けるという形で作戦を遂行。
 護衛艦隊を完全に相手にしない、隠密破壊活動に徹して、十全な“戦果”を上げ続けた。
 拡大し続ける被害に状況の隠匿はいよいよ困難となり、大本営は最終的に本土からほぼありったけの夕張、由良型を引き抜いて編成した特務艦隊を投入。
 ようやく鎮圧に成功した。
 数々の被害は全て新型の深海棲艦、“潜水棲姫”の為とされ、担当の提督は心身衰弱の為、精神病院へ強制入院。
 対象の鎮守府の艦娘は全て海自直轄鎮守府へ“再雇用”、“戦死”、或いは“行方不明”。
 カバーストーリーに沿った報告書が作成され、隠蔽工作は完了した。
 伊58型は艤装が完全に粉砕されてしまった為、彼女の犯行動機についての聴取機会は失われてしまったが、情報部による追跡調査が行われ、彼女が異常な言動と自傷行為を繰り返していた点について、多数の証言を得た。
 又、鎮守府内の監視カメラから以下の様な映像と音声が回収されている。


『てーとく、ゴーヤ、ちゃんと頑張ったでしょ、てーとく、てーとく、痛いの、痛いの、もう、いっぱいでち、てーとく、てーとく、ほめて、てーとく、てーとく、てーとく、てーとく、ほめて、てーとく(以降、10分程度同一語句を繰り返し呟き続ける)』


 上記の言葉を呟きながら、艤装に丹念に撃沈数を刻みつける姿が、情報部内に設置された調査委員会の資料として提供された。
 又、提督からの労いを受ける事について非常に強く執着していたという証言も寄せられた。
 感謝の一言、ひと撫で……その為に進んで過酷で、生還率の低い任務に志願し続けた結果、際立って高い戦果を上げてきた。
 最後の任務がMIAではなく、KIAで終わっていれば、間違いなく死後授勲の対象者になっていた武勲艦。
 調査委員会は、半年間に渡る調査の結果、以下の様に結論を述べている。


・無差別攻撃が発生した要因

 彼女は極度の精神消耗と提督への過度な依存心から、既に最後の任務で出撃する前から正常な判断を欠いた状態であった。
 そして任務中、何らかの要因により認識能力に障害を受けた結果、敵味方の識別に困難をきたし“目に入った敵を攻撃”し始めた。


・提督による“説得”の失敗とメッセージの解釈

 敵を沈めているのに提督が賞賛してくれない。
 それは、“戦果”が足りないからだ。
 ならば、もっと“戦果”を上げればよい。(提督に誉めてもらえる)
 民間のタンカーを襲ったのは、既に、彼女の敵味方認識能力が喪われていた為と思われる。
 タンカーは、“敵”の巨大な輸送船であり、大きな戦果だったのだ。
 又、犯行予告、犯行声明とも取れるメッセージは、純粋に“戦果”の報告であり、同時に“誉めてほしい”という切に思い詰めた心理の発露と解釈する方が自然である。


・更なる事案の再発抑止について

 鎮守府に対する内偵を強化と共に、艦娘に対しての処遇について、早急にガイドラインの改訂・交付、拘束力のある法案の制定を急ぐ必要あり。
 元々、艦娘と提督の間には通常の人間関係とは比較にならぬ程に依存心、共感が構築されやすい傾向にある。
 そして、それはテレパス、シンパスに近しい能力で提督と直結される第1~第4艦隊所属の艦娘により顕著である。
 調査委員会は、彼女達の忠誠に“つけ込む”形で不適切な運用が常態化されている現状の早急な改善を強く勧告する。
 艦娘達は提督の愛玩動物でも無ければ、野望達成の為の駒でもない。
 乙女の心に兵器の体を併せ持った、“不安定な人間”である事を忘れてはならない。


青葉『青葉、見ちゃいました……って、へぇ、アレってこ~んなウラがあったんですねぇ、一時期から、急に潜水艦娘の待遇が良くなったのってコレのせいなのかな、あの子達が駄々こねると、大体ワガママ通っちゃいますからねぇ、専用のプールとか、個室備え付けの流れるウォータベッドとか、ま、仕事キツイのは変わらないですけどねぇ、ちょーっと羨ましいかも……青葉達も一寸やんちゃしたら、待遇良くなるのかな?』


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 【第八話 我々の業界でも拷問です?】


南国編です。

今回は、いよいよお隣の鎮守府にお邪魔しちゃいます。
しかし…暁ちゃんは、夜更かしのせいなのか、少々眠そうなご様子。

アニメの見過ぎも程々に…


夕張「えーと、わ、私のせいじゃない、わよね?」


 

 

【南の島? 近海】

 

 

 背中に担いだ対空電探が三時方向から急速に接近する敵機を捉える。

 

「敵機発見だよ、三時方向」

 

 私が口を開く前に、響が警告を発したのが聞こえる。

 無線は空電音が入るが、響の落ち着いた声は聞き取りやすい。

 ま、私達だけなら無線なんて必要ないんだけど。

 今日は、そうじゃない。

 

「東水雷戦隊、輪形!」

 

 号令を受け、私達は素早く輪形陣を組む。

 進路変更指示はないから、そのまま進む。

 爆音が耳に届く。

 

「対空戦用意!」

 

 私の艤装に搭載された10cm連装高角砲が対空電探の情報に連動してきりきりと旋回した。

 今回は響も同じものを積んでいる。

 

「各自、てぇー!」

 

 お腹に響く爆音が、殆ど頭上で聞こえてくる気がした瞬間、号令がとび、砲撃音が轟いた。

 同時に連続した破裂音に、ひゅんひゅんと、妙に甲高い擦過音。

 艤装に軽い衝撃が連続する。

 逆落としに落ちてきた敵機が、激突すれすれの間を抜け、あっという間に飛び去って行くが、その内の半分程が海に突き刺さって爆散していた。

 軽い炸裂音と共に何か暖かい飛沫が頬に飛んだ。

 

「雷、中破!」

 

 雷は身体の半分を真っ赤に染め、顔を拭っているが、遅れずについて来る。

 背後で味方の艦載機が迎撃しているのが“視える”。

 第二段以降の攻撃は最初程の“濃さ”は無い筈だ。

 風を切る音と共に砲弾が飛来し、私の身長より10倍以上も高い色とりどりの水柱が林立する。

 ゆっくりとつぶれ、広がってゆく最中を縫うように機動し、抜けてゆく。

 うっかり巻き込まれたりすれば、ふらついてる間に良い的にされてしまう。

 

「敵機動部隊見ゆ!……12時方向なのです」

「進路維持せよ」

 

 電が先に神通さんの偵察機が捉えていた敵の主力艦隊を目視する。

 

「空母1、軽空母3、重巡2よ」

 

 水柱が収まるのを待ってから、続けて次の砲撃が降り注ぐ。

 水音と爆音に混ざって、誰かの悲鳴が聞こえた。

 

(夕張さん、中破)

 

 背後から追いすがる攻撃隊の生き残りの爆音に変化が生じる。

 ぼうっとした意識を感じる。

 ふらついて、頭を振っているのだ。

 パワーダイブ、敵機直上急降下3、追撃中味方機1。

 後方、夕張さんの頭上へ砲撃、1、2機撃墜。

 最後の敵機と味方機の電影が重なり、消える。

 

(味方機が敵機を排除……)

 

「敵水雷戦隊発見せり……そちらの10時方向に、軽巡2、駆逐艦4!」

 

 味方機動艦隊からの入電だ。

 まだ目視はできない。

 

「10方向転進、複縦二段!」

 

 私達は転舵しながら、素早く陣形を二列に組み換え、複縦陣を取る。

 神通さん、雷、電が左、私、夕張さん、響が右側だ。

 敵機動艦隊を右手に見ながら、敵の水雷戦隊にまっしぐらに突っ込んでいく。

 敵機動艦隊からの支援砲火が数拍遅れて降り注ぎ、私達の遥か後方で巨大な水柱を虚しく林立させた。

 もっと近い場所で砲声が轟き、砲弾が飛んで行く。

 味方の機動艦隊があちらを忙しくさせている間に、此方は此方の仕事を済ませるべきだろう。

 

「目標、敵水雷戦隊、魚雷用意!……てー!」

 

 陣形を微調整して一斉に放った魚雷がキルゾーンを形成し、突き進んでゆく。

 

「魚雷、来るわよ!」

 

 魚雷の航跡が交錯する。

 私は航跡の間に生じたか細い安全地帯を見極め、全速で滑り込む。

 

「順次砲撃開始!足を止めないで!」

 

 射程の長い軽巡から砲撃が飛び、私の耳元で擦過音が響いた。

 背後で水柱が立ち、水面以外への着弾音が炸裂する。

 海水以外の何かが沢山、私の艤装に降りかかってきた。

 

「夕張大破!」

 

 失速した船体が見る見るうちに後方に流れてゆく。

 敵の艦列からも、傾いた駆逐艦が2隻流されて消えてゆく。

 そして、不意に大きな水柱が二つ上がった。

 標的を補足した魚雷がポップアップし、炸裂したのだ。

 

「まさかコレで勝ったつもりでいるの~?」

 

 全身を朱に染め脱落する軽巡と駆逐艦を抜き越し、最後に残った軽巡と駆逐艦が肉薄して来る。

 

「着錨!」

 

 号令を受ける前に私は錨を構えていた。

 普段は艤装の後ろにぶら下がっているこれは、本来停泊時に重宝する物だ。

 しかし、私達艦娘、殊に暁型にとってはさいきょーの至近兵器でもある。

 私は正面から迫る軽巡に向かって、左に抜ける直前、振り上げた錨を逆袈裟に振り下ろす。

 受け太刀に回った軽巡は、体を沈み込ませながら大太刀を横薙ぎに振り抜く直前、私の陰から飛び出した響が放った二回目の逆袈裟に背面の艤装を思いっきり殴られた。

 ハンマー投げの要領でスピンして放つ必殺の一撃だ。

 直撃なら、戦艦だってただでは済まない。

 

「きゃあっ!」

 

 私は必死にバランスを取る。

 右太股に貰ってしまった。

 全然力が入らない。

 しかし、こんな全速航行中に転倒したら、背後で水しぶきを上げながら転がっている相手と同じ目にあってしまう。

 

「大丈夫かい?」

「あ、ありがとう」

 

 四苦八苦している私を、響が横から支えてくれた。

 

「オレがここまで剥かれるとはな…」

 

 公開無線から、自嘲気味の呟きが聞こえた。

 

「暁、小破!」

「単縦!転進14時、敵機動艦隊を挟撃します!」

「大丈夫、一人で行けるわ、ありがと」

 

 私は響にお礼を言って単縦陣の三番に収まる。

 まだ、もう少々この演習は続くんだから、気合いを入れ直さなくては。

 

 

【南の島? お隣鎮守府】

 

 

 目の前に置かれた、アイスコーヒーをひと飲みして視線を上げると、向かい側に座っている曙がつまらなそうな顔をしているのが見えた。

 多分机の下の足はぶらぶらさせているんだと思う。

 空調の効いた会議室の灯りは消されてるけど、プロジェクタの照り返しがあるから、向かいに座ってる子の顔くらいは見える。

 曙は私……暁に顔を向けると、不意につんと目線を反らし、ぴしりと姿勢を正した。

 私は左側の壁に注意を戻す。

 プロジェクタの光が当たった壁には近海の海図が表示されてる。

 その上で動き回っている駒は、私達がやった演習の再現だ。

 当然その中には“暁”と書かれた駒もある。

 プロジェクタに繋がったノートPCをカタカタ、カチカチと操作しているのは瑞鶴さんだ。

 そして、今回の演習についての解説を行っているのは翔鶴さん。

 二人が座っている側には、お隣鎮守府の第一艦隊所属艦娘の翔鶴さん、瑞鶴さん、妙高さん、羽黒さん、曙、潮ちゃんが腰掛けている。

 うちの側は、東司令官、神通さん、私だけだ。

 ここの所、私達は瑞鶴さん達と連合艦隊を組んで訓練を行っている。

 私達は今まで確実に航空戦力の支援を受けられる状況で作戦をした事がない。

 上からほぼ一方的に撃たれるのは本当につらい。

 味方の艦載機が頭の上から敵機を追い払ってくれるのを見ると、有り難さが身にしみる。

 でも、空を守って貰える分、私達は他を守らなくちゃいけない。

 今までとは動き方が全然違う。

 だから、今は私達の鎮守府でもそれを考えた訓練をしてる。

 皆、少々戸惑いを感じて動きがぎこちなってるけど、私はそんな事も無く、むしろ、艦隊の動きを先読みして動けた。

 神通さんも嬉しそうに褒めてくれた程だ。

 妹達も口々に褒めてくれた。

 夕張さんは、まるで昔連合艦隊を組んだ事があるみたいね、とか笑ってた。

 

(ま、一人前のレディなら……当然、よね?)

 

 別に雷達以上に予習なんかした訳じゃ無い。

 “なんとなく”、“そこに行くのが自然”な気がして機動しただけだ。

 まるで、昔からそうしてきた様に。

 

(最近、疲れてるのかしら)

 

 前の演習では翔鶴さんの事を何故か赤城さん、と呼んでしまい、もの凄く気まずい事になった。

 冗談事ではなく、一瞬、公開無線が静かになった、本当に。

 多分、気のせいじゃない。

 公開無線から、敵艦隊旗艦役をしてた瑞鶴さんのくすくす笑いが聞こえてきた位だし。

 後で、随行艦の高雄さんに聞いたら、翔鶴さんは思わず弓を下ろしてしまい、慌ててもう一度構えなおしていたらしい。

 幾らなんでも、五航戦を一航戦と間違えるなんて、シャワー室で“かわいがり”をされても文句は言えない失態だ。

 あの瞬間は、軍刑務所で同房の囚人達に抑えつけられて椅子でお腹殴られたり、足の裏にフォーク刺されたり、拷問マニアの所長から致死量すれすれの自白剤打たれて悶絶したりする光景がフラッシュバックする程、頭が真っ白になってしまった。

 勿論、フラッシュバックと言っても、アニメの絵である。

 いい加減、夕張さんと夜更かしするのは止めた方が良さそうだ。

 

(ふわ……)

 

 こらえきれない欠伸が漏れた。

 闇の中に居ると、意識が吸い込まれそうになる。

 暗いのは……怖い。

 

 何も聞こえない、とてもとても……シズカナ、ダレモイナイ……

 

 私は無意識に歯を食いしばって闇の中に堕ちるのをこらえる。

 頭の先からお尻まで、血が全部落ちていく様な、気の遠くなる感覚が引き伸ばされ……

 ぱっと、部屋が明るくなった。

 

「Hum、今日はこんな所かな?」

「だねぇ、最近、ちゃんと連携も取れる様になってきてるし、これ位問題無いでしょ」

 

 笑いながらノートPCをパタンと閉じた瑞鶴さんの頭を、無言で翔鶴さんがはたいた。

 私は隣に座っている神通さんに気付かれないように息をつく。

 

「あたた、痛いよ、翔鶴姉」

「緩んだ事を言うからよ、あなたがそれでは示しがつかないでしょう」

「はーい」

 

 怖い顔をしてみせる翔鶴さんに、笑いながら頭を抑える瑞鶴さんはいつも通りだ。

 

「Miss.神通、Lady暁、RTBだ」

 

 資料をマニラ封筒に放り込んだ東司令官がそそくさと立ち上がり、私達を急かした。

 ここの鎮守府に来た時の司令は、なんだか此処には必要以上に居たくないみたいな振る舞いをする。

 それに、私を決して一人にしない様にしている。

 トイレですら、一人で行かせてくれないのは少々困ってしまう。

 

(だ、だいじょうぶ、よね?)

 

 トイレと言えば、さっきの凄い脱力感のせいで、レディにあるまじき粗相をしでかしてないか、私は恐る恐る、かと言って気取られぬ様にそっと手をやって確認する。

 

(へ、へっちゃらだったし……)

 

 なんとか、レディ、と言うか、人として大事な何かは無事だったみたい。

 神通さんはすぐに反応して立ち上がっている。

 私も急いで立ち上がる。

 体が強張って若干、ふらついてしまった。

 神通さんと司令官はびどーだにしてないし。

 

(疲れないのかしら)

 

「もうお帰りですか」

「えー、もう少しゆっくりしていってよ~」

 

 悲しそうな顔をする翔鶴さんに、ブーイングする瑞鶴さんの反応はいつも通り。

 

「No rest for the wicked.」

 

 東司令官は肩を竦めて、一礼する。

 相変わらずに失礼な態度で困っちゃうわ。

 

(でも、何で私だけなのかしら?)

 

 そう、いつも司令官に付いてここに来るのは私と、お目付役の神通さんだけ。

 作戦会議に出るだけなら、司令官と神通さんだけで充分だし、“ご褒美”でこのリゾートホテルみたいな所に連れてくるんなら、順番にこればいいだけだと思う。

 大体、ご褒美なら、こんな、逃げるように帰ったりしないと思う。

 事実、ここに来る様になってから、私は作戦会議中に出されたお茶以外はごちそーになってないのだ。

 あのぼた餅は本当においしかった。

 

(っと……)

 

 私はわいてきたよだれを、のみこんだ。

 いけない、いけない。

 いくら、アレがおいしかったとは言っても、私だけ食べる訳にはいかない。

 それは、よくない事だ。

 しかし、お腹は空いたし、何だか、少し、眠い。

 司令官と神通さんに前後を挟まれ、涼しくて快適な建物を出ると、強い日射しが目を灼いた。

 太陽が黄色い。

 夕張さんのいつものぼやきを、今、すごく実感している気がする。

 ぼんやりする意識を励ましながら足を進めると、左手側の大きなプールで非番の子達が遊んでるのが見えた。

 水着を着て、人間みたいに泳いだり、プールサイドでスカイブルーだったり、エメラルドグリーンにクリムゾンを散らしたエキゾチックなドリンクを横においてのんびりと甲羅干しをしている。

 普段ならちょっとだけ羨ましい気がする所だけど、今は、すごく眠い。

 眠くてたまらない。

 眠気が強くなる度、囁きが聞こえる。

 でも、気を取り直すと聞こえなくなって、気になって耳を澄ますと眠くなる。

 

(だれ、だれ、だれ?)

 

「大丈夫?」

 

 囁きでは無い、誰かの声が聞こえた。

 

『%$&!¥?>@#』

 

 自分が何を言った気がする。

 分からないけど。

 いつの間にか辺りが暗くなってきている。

 

(よる?)

 

 私はちょっとだけ、ぼーっとしてしまった。

 何だか、体が規則的に揺れている。

 目の前の暖かい壁に寄りかかると、揺れが気持ちいい。

 壁に頭をこすりつけて、息をつくと、小さいうなり声が漏れた。

 何だか懐かしい心地よさに身を任せ、私はうとうとする。

 途切れ途切れに町の喧噪や、波の音が聞こえる。

 町の喧噪は背中がぞわぞわするし、波の音はあたまの後ろでざぁ、ざぁあと髪をなでていた。

 さわさわと耳元でこそばゆいのは、椰子の葉音だ。

 世界がどんどん消えてゆく。

 私は最後に残った規則正しいどくっ、どくっ、と脈打つリズムに聴き入る。

 私を守る世界の音。

 無くしたおと。

 囁きが聞こえる。

 音が遠くなる。

 囁きが呼んでいる。

 暗い、暗い。

 暗いのは怖い、一人になるのは怖い

 きえるきえる、おとがきえる。

 よんでる、よんでる。

 

(一人は嫌だよう…)

 

 イヤだから、力いっぱいしがみつく。

 どこかへ消えてしまわないように。

 

 

【闇】

 

 

 全くの闇の中に私はいた。

 目を開けているのか、閉じているのかも分からない、自分の手も何もかも見えない。

 死んでいるのかも生きているのかもよく分からない。

 自分の体の感覚もない。

 あるのは自分がひとりだ、誰もいない。

 そんな気持ちだけ。

 

(なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?)

 

 あたまの中で、先を忘れた疑問が意味をなくした呪文みたいにたれ流されている。

 私はいつからここに居るのだろう。

 ずっと、ずっと前からだ。

 私は、ただただ、闇に向かってつぶやき続けている。

 

「…」

「……」

「………」

 

 どれくらい時間が経ったのか。

 何かが、私の気をひいた。

 気のせいかも知れない。

 気のせいだったら、きっと、私の中で、また、何かが切れてしまうだろう。

 私の意識はまた延々と続く堂々巡りの中に沈み込んで行こうとする。

 

「…………」

「…………#%」

「*……^~+」

 

 しかし、違和感はやがて物音となり、しつこく、私の気をひき続けた。

 その“音”は確かにそこにあって、私に向けられている。

 私には、それを無視する事は出来なかった。

 闇の中に生じた、私以外の唯一の存在。

 “それ”が何なのか、知りたい。

 がまん出来る事じゃない。

 その音は最初、金属の軋む音、ソーダが泡立つ音、さわさわとした波打ちの音、そんな意味のない音に聞こえた。

 その環境音みたいな音に聞き入る内に、私の心が安らいで行くのを感じる。

 

「%&$}*+:「@>?」

 

 闇の中に、私とその音。

 そんな状態がどれ位続いたか分からない。

 

「;+$&#!ナイ」

「@^|}?”!\オイデ」

 

 それはもう、“音”じゃなかった。

 

「オイデ、オイデ、オイデ、オイデ、オイデ……」

 

 闇の中でも独りではない。

 還ってこいとよんでる声。

 深い深い場所から響く声。

 怖くはなかった。

 ただ、すごく、その声の所へ行きたくて、行きたくて。

 

 

【南の島? 鎮守府・執務室】

 

 

「あの…提督…宜しいでしょうか?」

 

 執務室でノートPCに向かっていた東が顔を上げる。

 夜とは言え、むしむしと暑いのだが、東は学ランをしっかり着込んでカラーのホックまで止めていた。

 汗一つかいていないその顔を、神通は胸前で手を組んだままじっと見つめる。

 

「No problem. Japanese Salarymanは24 hour戦えると聞く、俺にも出来るだろう」

 

 東は椅子の上で軽く姿勢を崩し、足を組む。

 

「提督……首は大丈夫ですか」

「Not bad、色々な意味でつながってるぞ」

 

 東は肩を竦めた。

 首の周りに出来たアザは既に黒ずんできている筈だ。

 少しでも暁の腕から首を引き抜くのが遅れていれば、葬式を出す事になっていただろう。

 神通の視線を感じたのか、東はカラーに人差し指を軽く引っかけ、くいっ、と引っ張った。

 

「Hum……ここだと、片付けが大変じゃ無いか」

「……はい?」

 

 首を傾げる神通に、東は首を軽く手刀で叩いてみせる。

 

「俺の首を飛ばすと、ここがpools of bloodになっちまうが……この間、pendingになったAssassinationをcloseしに来たんじゃないのか?」

「いえ……もしそうなら、お話しする前に、首をお捻りしています……そうすれば、血は出ませんから」

「efficiently!いいな、悪く無い」

 

 至って真面目な神通の言葉に、東は感心した様に頷く。

 

「……提督、あなたは何者ですか?」

「ここを任された提督だ、ま、Noviceだけどな」

 

 肩を竦める東を、神通は探る様に見つめ、口を開く。

 

「……幾つか、調べました」

 

 返事は無い。

 

「着任の手続きですが……特例処置の添付書類は少し多い程度で、書類上の破綻はありません、大本営の人事データベースにもきちんと登録があります」

 

 東は返答を返さずに、神通をじっと見つめ返している。

 

「でも、私達の記録……そちらは、ここにずっと居た事になっていました、私達はあなたと一緒に着任した筈なのに……もっとおかしいのは、隣の鎮守府です、確かに、今までやりとりされている書類に不備はありません、でも、大本営のデータベースには、そんな泊地のデータは存在しない……当然、そこに所属する艦娘のデータもです」

 

 神通は無意識に左手薬指を撫でていた。

 

「oops!……とんでもないshoddy workだな」

「……どこまで深入りされているのです……暁さん、いえ、私たちに何をさせる気です」

 

 一歩、神通は踏み込んだ。

 そして、ふと、東の背後に飾られた前任の提督の写真に目を留める。

 そして、目を瞬かせながら付け加える。

 

「提督……前任者をどうなさいました?」

 

 そっと、デスクに左手をのせる。

 かたり、と薬指にはまった指輪が音を立てた。

 それだけで、デスクががっちりと固定される。

 東は組んでいた足をほどいた。

 こんなもの、下から蹴上げても脚を怪我するだけである。

 

「……あの人の記録は、写真しかありません、名前も、経歴も、何もかも消されて……」

 

 普段と変わらず、静かに発される言葉からは、哀しんでいるのか、憤っているのか、心中を推し量る事は出来ない。

 が、僅かに伏せられた目線が、心中の苦悩を吐露していた。

 

「あの人は確かにここに居た…居た筈なのに」

 

 伏せられていた目線が上がり、東の視線とぶつかった。

 今までにない、真剣な表情だ。

 口を真一文字に引き結び、じっと見返している。

 神通は喉元まで出てきている言葉に戸惑い、眉をひそめた。

 

「……何で、私……私たちは」

 

 何かが、神通の意識の底で蠢いている。

 衝動のままに、吐き出してしまいたい。

 

「……私は」

「司令官」

 

 神通は素早く背後を確認する。

 執務室の外の暗がりに、ぼう、とした白い姿が浮かび上がっていた。

 普段浮かんでいる物憂げな表情はそこには無かった。

 ほんのり朱に染まり、息を切らせた響は、何かを堪える様に口を引き結んでいる。

 

「ドーブるイ ヴィエーチル」

 

 神通が口を開くより早く、穏やかな声が、響の顔を上げさせた。

 

「いないんだ、姉さんが」

 

 両脇に下ろされた拳は握りしめられ、元々白い肌が作り物めいた乳白色になっている。

 

「居ないんだ……捜したんだけど、鎮守府には居なくて、近くに居るけど、分からないんだ」

 

 溢れ出しそうな不安を抑える様に、響は途切れ途切れに言葉を発する。

 神通は意識を集中し、暁の現在地を探るが、漠然とした存在感が感じられるだけだ。

 普段なら、提督に第一艦隊として確立された精神リンクを介すれば、僚艦との正確な距離、方角を直感的に感じ取る事が出来る。

 どんな妨害にも邪魔されない筈の感覚。

 それが、突然、当てにならなくなる。

 ただでさえ動揺を誘う状況だ。

 すがる様な目で見上げている響の肩は小刻みに震えていた。

 一人、又一人と姉妹が沈み、最後に取り残された記憶を持つ響は、人一倍姉妹を失う事を恐れている。

 そして、かつての大戦で最初に喪われた姉妹である暁への執着。

 そこには、史実が再現される事への恐怖が潜んでいた。

 落ち着いた立ち居振る舞いの裏に慎重に隠されたそれを、神通は知っている。

 神通は響の前で膝をつき、両肩をしっかりと掴んだ。

 

「……大丈夫」

 

 視線を捕らえ、涙がにじんだ目をまっすぐに見る。

 

「近くにいます、みんなで捜しましょう」

「う、うん、そうだね……」

 

 訓練時と変わらぬ揺るぎない声で語りかけられ、響は、深呼吸する。

 

「雷達は、起こして、ないんだ……電も、きっと、怖がるから」

「分かりました、では、あなたは夕張さんに知らせて、三笠岩の方を捜して下さい、雷さん達には私から知らせます」

「了解、だよ」

 

 響は敬礼を返し、工廠に走って行った。

 神通は立ち上がり、東を振り返る。

 

「提督、宜しいですね、雷さんと、電さんの二人で町側の道付近、提督と私で海側を……」

 

 東は手を上げ、神通の言葉を遮った。

 

「Sorry、Urgent businessができた、海側はYouに任せるから、何かあれば連絡をくれ、こちらでも何かあれば連絡する」

 

 東は、無言で視線を向けてくる神通に顔を顰めて首を振った。

 

「Hum、俺は“I don't know”、知ってる、訳じゃ無い、“be suspicious”……疑っている、“clearing”が必要だ」

 

 神通は、東と一時見つめ合い、真顔ですっと手を上げる。

 

「……分かりました、そちらはお願いします」

 

 神通はそのまま敬礼し、駆け足で執務室を出て行った。

 東はポケットから、へしゃげて曲がった、Ⅲ型の銀バッジを取り出す。

 

「Hurry Hurry Hurry Lady's……home away from homeじゃ終われん、Contractは“home-away-home”、もう来た、あとは帰ればいい……Aha、Take it easy.」

 

 東はバッジをポケットにしまうと、口笛を吹きながら歩き出す。

 夜は始まったばかりだ。

 

 

【南の島? お隣鎮守府】

 

 

 ゲートの前で佇んでいた少女は、道の向こうから近付いてくるリズミカルな口笛に気がついた。

 顔を上げ、身近に立てていた杖を体から若干離した位置に突き直す。

 行進曲らしき音に合わせて歩み寄ってくるのは、学生服を纏った少年だった。

 黒い学生服が闇に紛れる中、常夜灯の光を受けた金ボタンが輝いている。

 少女の杖が届くか、届かないか微妙な間合いに立った少年は、ゆっくりと左手を上げ、ラフな敬礼をした。

 

「texas yellow roseさ」

 

 面食らった様な顔をする少女に、少年は頭を掻いた。

 

「今の口笛の曲さ、Youが不思議そうな顔をしてたんでね」

 

 ぼんやりとした顔で首を傾げる少女に、少年は首を振って帽子を被り直す。

 

「Port Queen に目通り願いたい、as soon as possible! 重要な用件だ、東が来たと伝えてくれ」

 

 少年の言葉を受け、少女は軽く頭を振る。

 肯定とも否定とも取れる曖昧な仕草に、長い白髪がさらさらと揺れるが、その手はさっと杖を傾け、少年の進路を遮った。

 何かを聞き取る様に頭上のビット型アンテナをピコピコと動かし、口を開く。

 

「#%$*~?」

 

 鉄が軋む様な異音が漏れ、やけに鋭い犬歯が覗いた。

 とても友好的とは言いかねる反応だ。

 ついでに、プールサイドのクラブハウスから、四つん這いになった少女が、金髪が翻る程の速度で、こちらに駆けてくるのが見える。

 その後ろからは、更に、数隻の駆逐艦が続いている様だった。

 

「Hum、手厚い歓迎だな……Juck potを引いたか」

 

 東は流れる様な動作で全力疾走に移る。

 背後から複数の足音がついて来る事を確認し、外壁の門を速度を維持したまま曲がる。

 そして、程よく茂っている椰子の木にあたりをつけ、助走から勢いをつけて幹を駆け上った。

 

(1、2、3……)

 

 手頃な所で幹を蹴ってバク宙を決めると、眼下で鉄条網付の壁が外側へ流れ行く。

 数瞬後、東はコンクリの上に足から着地。

 三回程後ろ向きに転がってから、片手を地面に添えると、それだけで回転がぴたりと止まった。

 カサカサと揺れている椰子の木の下で走り回る音と、金属的な唸りが響いている。

 人ではなく、艦娘でもない何か。

 

「hum……ま、どれだけsimulateしてもnullはnullか、but、“張りぼて”の出来としちゃ、not bad、上出来、上出来」

 

 東は埃を払い、ビルを軽く見上げる。

 

「Admiral's officeだろうなぁ……hum、どうする?」

 

 言いながらも、闇を拾いつつ中庭を移動し続け、ビルの壁に取り付く。

 すぐにでも、追跡に出た駆逐達が戻ってくるに違いないが、警報はまだ鳴っていない。

 正面玄関の他には、脇に使用口、裏手に搬入口があるが、使用口は施錠されているし、搬入口も搬入作業時以外はシャッターがしっかりと下ろされている筈だ。

 

「Usually、だったら」

 

 上部の傾斜部分に設けられたペントハウス、普段からそこのガラス戸は開放されっぱなしになっている。

 東は壁をざっと見回し、突起、隙間を確認した。

 

「Hum……New Yokerに倣って、Excelsiorといくか」

 

 

 数分後、東はペントハウスに足をおろし、周囲を確認していた。

 ペントハウスと言っても、多少広いベランダ程度で、プランターとガーデンテーブルがある程度だ。

 灯りは消灯されており、人の気配は無い。

 

「Peeping tomに一点」

 

 東は、開け放されているガラス戸をくぐり、室内へ侵入する。

 室内にはテーブルに籐いす、ソファが置かれ、壁際にはホームバーがあり、酒瓶が並んでいた。

 見る限り、中身はすべて満タンだ。

 周囲を確認しながらも、余計な寄り道を避けて玄関を探して移動する。

 床にも、家具にも埃一つ無く、食卓のテーブルクロスにも染み一つ無い。

 

(好みとしては、折り目はもう少々目立たない方が良いな……)

 

 テーブルに掛けられたクロスは、くっきりとした折り目で浮かび上がり、今さっきパッケージを開けて広げたばかりに見える。

 途中、キッチンがあったので、少しだけ覗いてみると、綺麗に整理された料理道具が目に入った。

 ナイフスタンドから牛刀を持ち上げて見ると、脂汚れ所か研ぎ跡一つ無いピカピカの刀身が覗く。

 壁にぶら下げてある手鍋の尻には、加熱による変色もない。

 試しに冷蔵庫を開けてみると、冷え冷えとした空気以外何も入っていなかった。

 

「……Mary Celesteを少しは見習うべきじゃないか?」

 

 東は肩を竦めると、玄関口で耳を澄ます。

 誰かが動き回っている音はしない。

 建物が素直に見た目通りになっているのなら、ペントハウスがある階からは執務室はそう遠くない筈だ。

 

(段ボールが欲しいな……)

 

 のぞき窓から外を見ると、常夜灯でうっすら照らされた廊下が見える。

 人影、カメラは見当たらない。

 ロックを外して外に出る。

 見覚えのある区画に到達するまで3階層下った。

 提督執務室の前に立つと、中から“歌”が漏れている。

 砂浜に寄せる波の様に、耳に染み入る音。

 人ならざる者の歌。

 

「Hum……」

 

 東はドアをゆっくり間を空けて、三回ノックした。

 足音が近付いてくる。

 

(2人以上か)

 

 “歌”は止まず、音源は動いていない。

 

「Good evening. Lady's」

 

 東はドアを開けた瑞鶴へ軽く学帽を持ち上げて挨拶する。

 東を確認した瑞鶴の目が剣呑に細められ、腕が上がりかける。

 しかし、呼び止められた様にちらりと横目になると、溜め息をついて脇にずれた。

 

「Thanks」

 

 東が入室すると、背後でドアが閉じられる音に続けて、かちりと錠前が下りる音がした。

 ふかふかの絨毯を踏んで応接セットのソファに腰掛けた翔鶴に歩み寄る。

 彼女の膝を枕に暁は眠っていた。

 優しく髪を梳く手を止めずに、翔鶴は顔を上げる。

 その唇から歌は発せられていた。

 翔鶴は左の人差し指をそっと唇の前で立てて見せる。

 心地良さげに暁が身じろぎし、何事かを呟く。

 それは、波間に消える泡沫の調べであった。

 それを聞いた翔鶴は愛おしげに目を細めて暁を見やり、その頭をゆっくり、ゆっくりと撫でる。

 

「やっと眠ったわ……」

 

 歌を止め、長々と息をついた翔鶴の口から、改めて人語の呟きが漏れた。

 名残惜しげに最後の一撫でをくれ、翔鶴はそっと暁の頭を膝から外す。

 ゆらりと立ち上がる動きに合わせ、長い白髪が揺れる。

 

「あなた、この子に何をしたの?」

 

 その声に込められた紛れもない悲憤に、東は眉を上げた。

 ひどく人間的な共感に裏打ちされた声。

 次の瞬間、対応が一瞬遅れたのはその声に聴き入っていた故(ゆえ)である。

 

「Contract……ここから、全員無事に出る為に必要な事だ」

 

 真下から振り上げられた繊手が東の首を捉え、宙に持ち上げていた。

 左右から四指と親指が食い込み、血流と呼吸を制限する。

 

「翔鶴姉?……*~%!」

 

 困惑した様な声を上げて近寄ってきた瑞鶴は息を呑み、硝子が軋る様な音を発する。

 真横に腕を伸ばしたまま、ぐらりと首を巡らした翔鶴の目。

 それらは赤々と、禍々しい光を放っていた。

 

「ナニヲシタ…ト……キイテイル」

「いや、それじゃ、そいつ喋れないよ……スコシハ…オチツケ」

 

 若干、当惑した様に手を広げた瑞鶴に目をやり、翔鶴は左手を横薙ぎに払う。

 放り出された東は、勢いのまま数回回転し、壁に鈍い音を立てて叩きつけられた。

 衝撃を堪えて起き上がろうとする東に瑞鶴はすたすたと歩み寄ると、そのまま蹴上げる。

 脇腹に鈍い音を立てて爪先が突き刺さり、東の体がもう一度、壁に叩きつけられた。

 起き上がる隙を与えずに、瑞鶴はそのまま胸を踏みつけ、体重をかける。

 罅(ひび)の入った肋骨が、みし、みしぃっ、と歪む。

 

「この子が鍵なんでしょ?」

 

 瑞鶴が微笑みながら足を捻ると、みし、が、ぴしっ、に変わった。

 一呼吸、一呼吸が火を吸っている様な苦痛を東に与える。

 

「ここに来てからずっと、君はずっとあの子を気にしてた、特別のお気に入り、でも、それだけじゃない……君の所の鎮守府は、あの子だけが“半分”居なかった、けど、今はもう半分が何処かにいるのを感じる」

 

 瑞鶴の笑顔が引き歪み、凶気の形相を形作る。

 

「ハンブンハ…ソトニイル……ソウダナ?」

 

 表情を変えずに、肩を竦めて見せる東をニタニタと笑いながら見やり、瑞鶴はもう一度軽く足に力を入れる。

 

「アハハ…おさわりは禁止だよっ?」

 

 太股辺りを掴んでくる手を振り払い、瑞鶴は笑う。

 

「翔鶴姉、そこまで怒んなくてもいいじゃん、その子が“鍵”なんだし、私達の“歌”が聞こえるその子は、もうじき私達と同じになる……“鍵”が私達の仲間になるなら」

 

 瑞鶴は足をどけ、東の胸倉を掴んで軽々と持ち上げる。

 

「コイツはもう、要らないんじゃないかな?」

 

 耳元で囁くように言うと、逆手の拳を引いた。

 

「それとも」

 

 目の前の獲物を弄う猫の様に、口が裂けんばかりの笑みが広がる。

 

「あの子が、“仲間”に変わっちゃうまで、もう少し、このごっこ遊びに付き合ってあげても良いかな」

 

 瑞鶴は胸倉を掴んだままの東に口づけせんばかりに顔を寄せ、その目をのぞき込む。

 

「私達もここから出たい、けどね、もうちょっと位、待っても良い……でも、君は待てない、こんな契約を危なくする様な真似をする位だもんね」

 

 瑞鶴は、ちらりと背後に目をやった。

 

「いずれ、あの子は私達と等しくなる……そうなれば、他の子も、ね」

 

 胸倉を掴んだ手が、ぬいぐるみでも持ち上げるように振り回され、地に足が着かぬ状態で東の全身が翻弄される。

 が、一言も反応を返さない東の様子に、一旦振り回すのを止め、もう一度引き寄せた。

 

「どう?“引き揚げ屋”も死にたくないとか思うのかな?それとも、やっぱり契約の遂行が何より大事とか、つまんない事言うのかな?」

 

 胸部圧迫による絶息で紫色になりつつある唇が笑いの形に綻んだ。

 いや、唇だけではない、東の顔全体が破顔している。

 嘲りでもない、強がりでもない。

 心から楽しげな笑みは、瑞鶴を一瞬、芯から面食らわせた。

 

「っ!」

 

 不意に力を失った左手を引き、瑞鶴は半歩、身を退く。

 左肘から広がる脱力感の元へ手をやると、何か細い異物が生えている。

 

「Sorry、そんなもんしか無かった」

 

 床に座り込んだままカラーを緩めている東を睨み付けたままそれを引き抜くと、凶器は伸ばした安全ピンであった。

 本来、砲戦に耐える艦娘の体を傷つけられる様な物では無い。

 

「小細工をッ!」

 

 握りしめられた拳の中で、安全ピンは丸まった針金と化して行く。

 般若の様な形相で見下ろしてくる瑞鶴を見上げ、東は微笑みを浮かべている。

 

「“待てる”、か……待てないのは、You達じゃないのか?」

「瑞鶴」

 

 東を、今度は右手で掴みに行こうとした瑞鶴は、背後から掛けられた声に動きを止めた。

 背後に目をやった表情は不服そうだったが、進み出る翔鶴を止める様子は無い。

 

「なぜ、そう思う?」

「You達も“等しくなっている”からさ」

 

 翔鶴は右腕を上げ、前に出そうになった瑞鶴を制した。

 東は床にあぐらをかいて座ったまま、目の前の翔鶴を見上げている。

 

「偽りの世界には、偽りの姿……“翔鶴”でいるのはオマエとの契約の為、それだけだ」

「That's right、そうだったな」

 

 東が目をやると、瑞鶴は不機嫌そうに腕を組み、顔を横に向けてしまった。

 

「Lady暁は、You達に垂らされた蜘蛛の糸、さっきは、そう思ったんじゃないか?……Miss.“瑞鶴”」

「言った通りよ」

 

 瑞鶴は不機嫌そうな表情を崩さないまま、それでも首肯した。

 

「手元にLady暁が来た時、すぐに“同じ”にしてしまおうとすれば、出来たんじゃないのか?……それとも、“もっとここに居たい”からじゃないか?」

 

 瑞鶴の目が見開かれ、顎に指を当てると、何事か考え始める

 指先が微妙に震えている所を見ると、単に動揺を抑えているだけなのかも知れない。

 翔鶴は、先程と同様に怒りの形相で東を見下ろしているが、瞳からは朱い輝きが失せている。

 東はその変化を興味深げに見ていたが、やがて頬を緩め、今度は妙に微笑ましそうな表情になった。

 

「Hum……やはり、“出来なかった”か」

 

 含み笑いでもしそうな表情で呟いていた東は不意に真顔になり、翔鶴の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「You達もSalvageするかい?」

 

 東がそれを口にすると同時に、翔鶴の爪先が腹部に突き刺さっていた。

 壁までノーバウンドで飛び、叩き付けられた体へつかつかと歩み寄り、頭を踏みにじる。

 

「ちょ、翔鶴姉!死ぬよ!本当に」

 

 思わず、止めに入ろうとした瑞鶴は、控えめなノックの音に動きを止めた。

 未だ無表情に東を踏んづけている翔鶴に目をやり、瑞鶴は空咳をしてから誰何する。

 

「誰?取り込み中なんだけど」

 

「……東水雷戦隊の神通です、提督と暁の迎えに上がりました」

「え、うっそ!……駆逐共はなにやってたのよ」

 

 ノックと同じく控えめな声が響き、翔鶴の動きまで止まった。

 

「どうする?」

 

 瑞鶴は東を踏みつけにしている翔鶴に目をやり、彼女が頷くのを見てドアまで歩き、そっと開ける。

 薄暗い常夜灯に照らされて、神通が佇んでいた。

 服装に乱れは無く、昼間、会議に現れた時と何も代わらない姿だ。

 

「提督からの内線(※)で、此方に暁がお邪魔していると、聞いております」

 

 

※内線で

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 提督と艦娘の精神リンク内で行われる通信を指す隠語。

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「hum……お疲れ、Lady暁はそこのソファだ」

「……提督」

 

 瑞鶴に一礼した神通は、妙に低い位置から聞こえる声に戸惑った様に周囲を見回し、翔鶴の足の下にそれの発生源が踏みつけになっているのを発見。

 困惑した表情を浮かべた。

 

「Excuse me.……よっ、と」

 

 翔鶴の足の下から頭を引き抜き、東は帽子を被り直す。

 

「いや、ちょっとした、Practical jokeだな」

「……血が出ています」

 

 東の隣に膝をついた神通は、ハンカチを取り出し、東の頬を抑える。 

 

「Miss.神通」

「はい」

 

 翔鶴達の方を向いて立ち上がろうとする神通を東は呼び止めた。

 

「Lady暁を曳航してくれ、こちらは、今、ちょっと難しい」

「……」

 

 一瞬の逡巡を逃さず、東は袖口から小さな布切れを引っ張り出す。

 

「Miss.“瑞鶴”」

「なに?」

 

 不機嫌そうに返事をする瑞鶴に、東は引っ張り出した布を持ち上げてみせる。

 まだ、微かに暖かい。

 

「お返ししておく」

 

 一瞬、ぎょっとした顔で袴を抑えた瑞鶴は、眉毛を吊り上げてつかつかと東に近寄ると、布切れをひったくった。

 神通は呆れた様にため息をついてから立ち上がる。

 

「……提督、それは私でも怒ります」

 

 神通がソファーまで行き、暁を抱え上げて戻って来るまでに、東はなんとか立ち上がっていた。

 

「随分長くお邪魔してしまった……Thank you for your hospitality.」

 

 敬礼を決め、若干足を引きずりながら東は執務室を後にする。

 

「ちょっといいかしら?」

「はい」

 

 続けて退出しようとした神通を、翔鶴が呼び止める。

 

「うちの駆逐達が居た筈だけど、どうしたのかしら?」

 

 問われた神通は、うっすらと微笑みを浮かべた。

 

「提督の“内線”で、夜間遭遇戦を想定した訓練を行われていると聞いておりましたので、邪魔にならぬよう忍んで参りましたが、途中、“程々に遊んでやって欲しい”とのご要望を言づてされました」

 

 瑞鶴が口を開きかけるが、翔鶴の目線を受けて口を閉じた。

 

「なので、道中少しだけお相手をさせて頂きました……皆さん、訓練に臨んでの気迫、素晴らしいものでした」

「そう……あの子達に伝えておくわ」

 

 翔鶴は鷹揚に頷くと、神通の腕に抱かれた暁の帽子を直し、名残惜しげに頬に手を当てる。

 

「暁……また」





 随分長い事間が開いてしまいましたが、続いてます。

 皆さんは春イベントどうだったでしょうか?
 私は、乙乙乙乙丙丙という、まぁ、そんなもんだろうな…的な感じでクリアしました。
 ながもんさんと、酒匂さんがやって来たので、書くとドロップするという都市伝説は事実である可能性が…?


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 【第九話 怪物と闘う者】

 春のイベントぶりに、“深海戦線”の最新話をお届け致します。
 というか、前が5月なんで、半年ぶりですね……いやはや。

 今回のお話は、単冠泊地サイドです。
 長門さんと差し向かいで一杯やって、気持ちよく就寝していた甚五郎提督ですが、どうやら残業が発生した模様。
 まぁ、もっと残業している人が、身近に居るんですけどね……


【単冠泊地・大深度地下施設 提督用シェルター内・寝室】

 

 

『んあ!?』

 

 甚五郎は地下シェルターを襲った震動で目を醒ました。

 ベッドの上で転がり、枕元備え付けの端末をぶっ叩く。

 すぐに光を取り戻したモニタの中に、アラートはない。

 

「地震、敵襲じゃねぇってかよ」

 

 ぼやきながらベッドから跳ね起き、きちんと揃えてあった靴をつっかける。

 微かな、圧力の変化を感じた。

 誰かが通路の扉を開けて、此方へ向かっている様だ。

 

「済まない、起こしてしまった様だな」

 

 欠伸をこらえながらリビングに入ると、壁に手をついていた長門が振り返る。

 何故か息を切らしている様だった。

 

「おい右手、みょーなことになってっぞ」

 

 長門の右の手で、小指が力なく揺れていた。

 

「ああ、少々寝ぼけが過ぎてしまったな」

 

 若干ばつが悪そうな顔をしながら長門が体をずらすと、壁にくっきりと拳の形が一センチ程の深さで刻印されている。

 

「おいおいおい、敷金返ってこなくなる様なまねは止めてくれや」

 

 軽口を叩く甚五郎を長門は真っ直ぐ見つめ返す。

 

「提督、敵が来るぞ」

「いつだ?」

 

 耳に小指をつっこんだまま、甚五郎が即座に質問を飛ばす。

 

「遅くとも週末には」

「規模は?」

「200隻弱程度だ、あと、水の中にとんでもないデカブツが居る」

「的(まと)は?」

「艦娘だ」

 

 矢継ぎ早に繰り返された問答の末、甚五郎はやや間を取って考える。

 

「戦れるか?」

 

 甚五郎の問いかけに、長門は右の拳へ ぶらぶらになった小指を押し込み、掲げて見せた。

 

「あなたが必要とする時、ビッグ7の力はあなたのものだ」

 

 長門の背後に立っている朝潮が甚五郎を見つめ、敬礼をしている。

 瞬きの間にその姿は消えていた。

 

「あらあらあら、やっちゃったわねぇ」

 

 会話が途切れたのを見て、陸奥が長門の手を確認する。

 途中から入室していたが、会話が途切れる間を見ていた様だ。

 その後には、金剛が立っている。

 そして、ぶ厚い金属扉の後ろから、ひょっこりと、ピンク色の頭が突き出された。

 

「ども、司令官、恐縮です、青葉ですぅ!」

 

 にこにこ笑いながら、入室した青葉は長門と甚五郎に愛想を振りまいた。

 

「あいっかわらず、ぜぇーんぶ見てた様なタイミングで来やがるな」

「えへ、おほめにあずかり、青葉、恐悦至極ですぅ」

 

 首を傾げながら満面の笑みを浮かべる青葉の様子に、甚五郎は何事かを小さく呟いた。

 単なるため息だったのかも知れない。

 

「へっ、で、面出したってこたぁ、土産ありって事か?」

「もちろんです、青葉は司令官の期待を裏切ったり致しませんとも」

 

 青葉は抱えているノートPCをぽん、と叩いてみせる。

 甚五郎は室内の長門、陸奥、金剛、青葉を見回し、腕を組んでしばし考えた後、内線電話を持ち上げる。

 

「赤巻だ、寝入り端にわりぃが、緊急会議だ、ついでに明石を叩き起こしておれん家まで引っ張って来てくれや、艦娘用救急箱付きでな」

「ふっふー、だと思いまして、青葉、長丁場のインタビュー準備は万端なのですよ」

「OH~!」

 

 肩掛け鞄から、得意げにドーナツショップの紙袋とスティックコーヒーのパックを掲げて見せた青葉に、金剛は天を仰ぐ。

 そして、内線電話を甚五郎が置いたのとほぼ同時に引ったくり、ボタンをものすごい速度でプッシュする。

 

「Hey! 霧島、支援要請、“Tango、X-Ray”、構成“Alfa、Foxtrot”で“SIX-PACK”分、てーとくのHome前、entrance hallに揃えるネ!」

 

 一息で指示をとばし、内線を切る。

 

「あ゛~、んじゃ、イロイロ届いたらはじめっぞ」

 

 15分後、即席の作戦室となったシェルターのダイニングに会議のメンバーが集合した。

 テーブルを囲んでいる甚五郎、長門、陸奥、大淀、明石、青葉。

 そして、ティーワゴンの横に立っている金剛。

 テーブルには軽食が載せられたティースタンドが置かれ、全員の前で香り高い紅茶が湯気を立てている。

 

「毎回思うけどよ、なんで○トールの珈琲出前より早く、お茶会セットが届くんだ」

「company secretね(※)」

 

 ティーワゴンの横に立った金剛は人差し指を立て、甚五郎にウィンクする。

 

 

※company secretね

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 単冠泊地内では、金剛の一声で、あらゆる場所にお茶会セットがデリバリーされる。

 基本的に金剛型姉妹の趣味で運用されているのだが、S.T.S.(Special Tea Service)なる秘密クラブも暗躍しており、必要なら戦闘海域も紅茶の匂いで満たしてやると豪語する。

 ちなみに、S.T.S.のモットーは「In tea and elegance(紅茶と優雅さで)」らしい。

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「これでよし」

 

 長門の横に座った明石は手際よく折れた小指を固定した。

 

「すまんな」

「いえいえ、これ位の損傷だったら、取り敢えず会議中旗艦にして貰えば直せますけど(※)やります?」

 

 

※旗艦にして貰えば直せますけど

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 工作艦である明石は艤装に搭載した艦艇修理施設の効力により、艦娘の軽微な損傷を修理する事ができる。

 具体的には、提督と艦娘の精神接続の基幹(旗艦)になる事により、接続されている中で一番近しい艦娘達(第一艦隊)の艤装に住まう妖精さん達を活性化させ、軽微な損傷を修復させているらしい。

 艤装の一部が丸ごと脱落する様な損傷を完治させる事は出来ないが、へこみや裂け目、焼け焦げ程度なら修復資材の投入無し&ドック入り無しで修復可能な為、財政の厳しい鎮守府では平時、ほぼ常に明石が旗艦を勤めている所も多い。

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

「どうよ?」

 

 問いかける様に目線を向けられた長門は、首を振る。

 

「いや、止めておこう」

「しゃーねぇな」

 

 赤巻は思考を凝らし、第一艦隊として接続している艦娘に通知してから、接続の組み替えを行う。

 明石、陸奥、金剛、赤城、加賀。

 さざなみの様な思念の波紋が重なり合い、金剛達は長い息をつく。

 言葉にならないレベルの共感が響き合っている。

 例えようもないこの感覚。

 提督直下の第一から第四艦隊に組み込まれた艦娘達だけが得られる特権。

 すすんで手放す艦娘など、普通居るものでは無いのだが。

 

「っと、これでお上り中の一航戦どもにも、もっかい説明しなくても済むわな……つーか、なんだぁ、超特大牛丼“ジャイアント”?しかもつゆだく、俺まで胸焼けもんだぜ、東京まで行って何喰ってんだか」

 

 一航戦は食事中らしい。

 

「さて、と」

 

 赤巻は目の前の紅茶をひと飲みして、ティースタンドからフラップ・ジャックを一欠片摘まんで口に放り込む。

 噛み応えのあるそれを噛みしめると、香ばしいオーツ麦の香りと甘い蜂蜜の風味が口一杯に広がって行く。

 

「赤城、東京のお土産は雷おこしにするって言ってるネ」

「悪くねぇな、さぁてと」

 

 赤巻は、テーブルを囲んだ一行を見回し、手をバンと叩き付けた。

 

「最近イロイロありすぎてよぉ、ボケが始まったジジイの頭にゃちとキツいぜ……てな訳で、ちょっちばかり、頭付き合わせてお話しようってこった」

「そうですね、一応、報告書類は全て目を通していますが、個々の不可解な事象ばかりが目立って、全体が見えません」

 

 大淀は眼鏡を軽くずらして、目頭を揉んだ。

 本来なら欠伸の一つでも漏らしたい所だろうが、きっちり着込んだ制服には皺一つ無く、髪もしっかりと梳(くしけず)られて背中に流されている。

 とても就寝後に寝床から叩き起こされた直後とは思えない折り目正しさだ。

 

「そーネ!諮問探偵が実在してたら、UKから連れて来たい位デース」

「明智くんが居れば、本土への出張で間に合ったんだろうがな」

 

 金剛のやけくそ気味の叫びに、長門は小さく笑い、軽口を返す。

 

「そうねぇ、明智さんなら、小林君もついてくるし、可愛いわよね、小林君」

「ふぁ……私、ちょっと寝てていいですか」

 

 陸奥までそれにのるものだから、明石は思いっきり欠伸をしてぼやき始める。

 好きでやっているとは言え、工廠の責任者となると、かなり多忙なのだ。

 

「ったく、きんちょー感のねぇ奴らだぜ、ま、うちらしいっちゃ、らしいがなぁ」

 

 甚五郎は口を曲げ、無意識の内に撫でていた、右手首の数珠から手を離す。

 

『提督、責任者なんですから、ちゃんと進行して下さい、あ、あと私達、そろそろホテルに着きますので』

『もうちょっとかかるなら、コンビニでお夜食買ってきてもいいですか?』

 

 東京の一航戦達も大概である。

 

「だーっ、いいわ、てきとーに聞いてろ、ったく、きりねぇや、青葉!オマエからちゃっちゃとなんかふってくれや」

「きょーしゅくです、いい情報ありますよぉ?」

 

 青葉はいそいそと、ノートPCをプロジェクターに繋いでカタカタと操作する。

 

・艦娘連続失踪

・北方AL海域での大規模戦闘発生

・深海棲艦の哨戒活動活発化

・単冠泊地1-5セクションでの発光現象観測

・所属不明艦隊:ULN_003

 

「ま、こんなもんか」

 

 箇条書きにされたお題を見て、甚五郎は軽くうなづく。

 

「さーてですね、うちとしては、1-5セクションで対潜哨戒任務に着いていた第四艦隊が未帰投になった事が発端だった訳ですが……実はですね、多発してるんですよ、艦娘の行方不明案件」

 

 喋りながら、青葉がウィンドウを切り替えると、世界地図が表示された。

 メニューから期間を選び、スクリプトの実行ボタンをクリックすると、ポツリ、ポツリと赤い点が表示されてゆく。

 

「これ、全部がそーなんデスか、many、many……多すぎデース!」

 

 地図上の赤点は20を超えている。

 驚きを露わにしている金剛をよそに、大淀は自分の膝に載せた端末をしばし操作して顔を上げた。

 

「完全に根拠のない情報と言う訳ではありませんね、マークされた鎮守府ですが、大本営のDBに幾つか、未帰投、行方不明等の報告が上げられています」

「なら、30倍はあらあな」

「いやいや、ゴキブリじゃないんですから」

 

 皮肉めいた甚五郎の呟きに呆れた様に額に手を当て、明石は紅茶を啜る。

 

「負けが込んでいる情報を隠す、“大本営”がな」

「嫌な話よね」

 

 苦々しげな長門の呟きに、陸奥もため息をついてティーカップの縁を撫でる。

 

『今、世界情勢が表面上落ち着いているのは、我々が深海棲艦を押しとどめているからです、その有効性が崩れたとなれば、世界は恐慌に陥るでしょう、大本営が慎重になるのはある程度は理解できます』

『シーレーンが寸断されれば、明日のご飯も心配になっちゃいますからねぇ、いや、加賀さん、兵站は大事な事ですよ』

「ちっとも死語になりゃしねよなぁ“大本営発表”ってやつぁよぉ」

 

 東京の一航戦のやりとりを額に指を当てながら聞いていた甚五郎は、青葉に目をやって、先を促した。

 

「北方AL海域で観測された大規模な泊地の襲撃ですが……」

 

 言いかけた青葉は一旦言葉を切り、大淀に目を向ける。

 

「大淀さん、“大本営発表”はどうですか?」

「大体は、広報で回っている通りです、しかし、詳細情報については提督限定の閲覧許可キーがついていますね」

「碌なもんじゃねぇな……ほれよっと」

 

 甚五郎は身を乗り出して大淀の端末に静脈認証デバイスを突き刺し、手の静脈を読み込ませてから、二重の認証キーを入力する。

 

「どうも……提督」

「んあ?」

 

 AL海域泊地襲撃の情報に目を落とした大淀は、眉間に皺を寄せて顔を上げた。

 

「情報の冒頭に、艦娘にも別途指示があるまで公開を禁ずる旨の警告がありますが……」

「面白くなってきましたねぇ♪」

 

 青葉がにんまりと笑って、ショートブレッドを頬張る。

 

「Surprise partyって訳じゃなさそーネ」

「ますますもって、キナ臭ぇじゃねぇか」

 

 甚五郎は渋面になりながらも、大淀に手をぷらぷらと振ってみせる。

 

「いーから、先見せてくれや……って、他言むよーだぜ」

 

 甚五郎は不意に一同をぎろりと眺め回し、指を立てる。

 

『了解です』

『ふぁい』

「無論です」

「明石、口は固い方ですから」

「まーかせるネ」

「うむ」

「はいはい、海の底まで持って行くわよ」

 

 甚五郎に睨まれて、青葉は降参する様に両手を挙げた。

 

「……むぐぐ、っ……青葉にお任せです!」

「ったくよぉ、いいぞ」

 

 甚五郎はため息をついて、大淀に顎をしゃくった。

 

「はい」

 

 大淀は青葉からケーブルを受け取って差し替え、自分の端末の画面をプロジェクターに投影する。

 

「派手にやったもんだぜ」

 

 最初に表示されたのは衛星写真であった。

 敵味方が100隻以上もつれる乱戦、更にその先に控える数十隻の北方棲姫の護衛艦隊。

 数の上で艦娘側が圧倒的に不利な状況である。

 東京に居る赤城と加賀の為に、口頭で大淀が画面を解説する。

 提督との精神リンクでは、他者の感覚から得られるのは純粋な情報ではなく、あくまでもイメージに過ぎない。

 細かいディテールは伝わりにくいのだ。

 

「しかし、陣形も何もあったもんじゃあないですねぇ」

「そうねぇ、最近じゃあここまで非道いのは見た事が無いわ、今時の提督は最低限艦隊運用についてはきちんと教育されてるし」

 

 呆れた様な明石の言葉に、陸奥も首を捻る。

 

「おいおいおい、こりゃなんだ」

『どうしました?』

『提督、お腹痛いならトイレ休憩します?』

 

 甚五郎の当惑を感じ取り、加賀が訪ねる。

 

「よーく、見てみろや」

 

 難しい顔をして背もたれに倒れ込んだ甚五郎は、頭をぼりぼりと掻きながらため息をついた。

 

「砲を向けている相手を見てみろ」

 

 一瞬、無言になった一同の中、腕組みをしていた長門がぽつりと呟く。

 

「混ざっている方の、深海棲艦だ」

 

 眼鏡をかけ直した大淀は、画像を拡大する。

 

「Oh!深海棲艦が深海棲艦を撃ってるネ!」

「なるほど~、乱戦じゃなくて、単純に深海棲艦混じりで陣形を組んでたって訳ですかぁ、ま、先入観がありますから、初見でそうは見ないですよねぇ」

「いやいやいや、全然単純じゃないでしょ!」

 

 面白そうに画像に見入っている青葉に、明石は呆れたようにつっこみを入れる。

 

『はい?』

『え?え?え?』

 

 困惑した様な呟きが思考に混じる。

 

「これだと、北方棲姫を攻めてる方が倍近くいる事になりますね、ふーむ、これは、“こちらがわ”に付いた深海棲艦が居るって事なんでしょうかねぇ」

「いえ、少なくとも、大本営はそうは思っていない様です」

 

 大淀は画面を切り替えて、別の添付資料を表示する。

 多数の艦娘、深海棲艦に包囲された哨戒艦隊を捉えた衛星写真だ。

 

「めちゃめちゃ囲まれてるじゃないですか」

「But、軽巡と駆逐でここまで囲まれるのは一寸不自然ネ」

「どうよ?」

 

 金剛の疑問に甚五郎は軽く頷き、大淀に目線を向ける。

 

「そうですね、この資料によると」

「海中から奇襲したのさ、至近距離から浮かび上がってな」

 

 大淀の言葉を、腕を組んだままの長門が遮った。

 

「見てきたみたいに言うじゃあねぇかよ?」

 

 提督を通じた精神の絆は、明確に伝える事を意識したイメージを伝えるテレパシーだけでは無く、それに付随する心情を伝えるエンパシーの側面を持っている。

 甚五郎は伝わってくる艦娘達の当惑と不安を肩を竦めて受け流し、そこから拾い上げた疑問を口にした。

 

「見たさ」

 

 長門は呟く様に答えると、長々とため息を吐いた。

 

「天龍、叢雲、曙、夕立、磯波、多分長期の哨戒任務だったんだろう、どの子もドラム缶を搭載していた、彼女達は、最初、中破したままふらふらと航行している駆逐艦を見つけた……あれは確か、子日だったな、当然、助けに来たさ、無論警戒はしていただろうが……」

 

 

※どの子もドラム缶を搭載していた

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 人類側が制海権を確保出来ていない海域には、原則的に艦娘以外の船舶は立ち入らない事になっている。

 故に、深海棲艦の支配下にある海域への遠征任務では、通常艦船による支援は受けられない為、艦娘は燃料や弾薬、食料(実は必須ではない)等を格納したドラム缶を艤装に搭載している。

 又、艦娘の装備は、燃料、弾薬、補修部品に全てに一定の儀式的な加工処理が必要な代わり、分量は艤装のサイズに見合ったものになる為、艤装の兵装ハードポイントに補給品を格納したドラム缶を搭載出来るのだ。

 輸送用ドラム缶のサイズは大体、5Lの焼酎ペットボトルを2~3割程度太らせた位のサイズとなっている。

 因みに、効果・効率を投げ捨てるなら、燃料は未加工品でも使用可能である。

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

 長門は、テーブルに目を落としたまま、一瞬唇を歪める。

 

「囮に近づいてきた時点で奴らは下から浮かび上がった…全方位からな、ソナーを搭載した曙が気づいたが、とても間に合うものでは無かったさ、そして、一気に数で圧し潰して鹵獲した……砲撃をしなかったのは奴らの数を増やす為だからだ」

 

 終始独白の様に抑えたトーンで語った長門の様子に、長門の顔をじっと見据えている陸奥以外は、皆、顔を見合わせ、むっつりとへの字に口を曲げている甚五郎に目を向けた。

 

「なぁる程な、数以外はさして珍しくもねぇ手口だがな、ったく」

 

 歯をむき出した甚五郎は、物言いたげな視線を向けている大淀の目線を捕らえ、軽く頷いた。

 

「お聞きしたい事は色々ありますが、まず、“やつら”とは何者ですか?」

「見た通り、“やつら”は艦娘と深海棲艦の混成部隊だ、そして、それを捕らえ、操っているのは、狂気だ、海底に沈んだ、馬鹿でかい実体のある狂気さ」

「“実体ある”ですか……」

 

 呟きながら、探る様な目つきで見つめてくる大淀に、長門は頷く。

 

「蛇の頭は海の底ってか、幽霊じゃねぇんなら、腹一杯爆雷を喰わせてやらぁな……ん?」

 

『かいひぇいですか……やっぱり、しぇんふぁい、あいたっ!……深海棲艦絡みでしょうか?』

 

 長門の言葉に軽口を叩いていた甚五郎は、何かを頬張っている様に若干不明瞭な思念に顔をしかめつつそれを代弁する。

 

「おう、海底って事は、やっぱり、深海棲艦絡みかよ?」

「いや、アレは別物だ」

 

 赤城の疑問に、長門はきっぱりと首を振る。

 

「深海棲艦は我々を排除しようとする、だが、ヤツは同化する……ヤツは」

 

 ふと、長門は良い淀み、奇妙な薄笑いを浮かべた。

 

「愛してるんだ」

 

 一瞬、時が止まった。

 

「ほへ?」

「えっ?」

「Love!?」

 

 長門の場違いな形容に、赤城、明石、金剛の当惑した声が唱和する。

 

「ヤツは狂った頭で、狂おしいまでに全てを愛して、全てを取り込んでいく、放っておけば、ヤツの狂気に我々も、深海棲艦も取り込まれ……ヤツの望み通り、七つの海全てが“戦いのない静かな海”になるだろう」

 

 苦笑が深まり、殆ど泣き笑いにまでなった長門の肩に陸奥が手を載せると、がっくりと肩が落ち、表情が消えた。

 

『狂気の結果が“静かな海”、ですか……私達には笑えない皮肉ですね』

「んん~、いやいやいや、想像越えちゃってるんですが、一体、何なんですか“ソレ”は?」

 

 抑制され、淡々とした加賀の思考に対して、明石はせわしなく細口のスパナを鉛筆回しして、落ち着かぬ様子である。

 

「ちょ~っと、いいですかぁ?大変興味深いお話しなんですが、肝心な所がまだですねぇ」

 

 一時静まりかえった部屋の中に、妙に明るさを保ったままの声が響いた。

 声の主の青葉は、小指を立てて摘まんでいたティーカップをソーサーに戻すと、長門に向かい、にっこりと笑いかける。

 

「不肖、この青葉、情報収集については一家言あるつもりなのですが、流石に、提督外秘レベルの情報となると、“小耳に挟む”のはと~っても難しいのです、しかも、こんな“まるで当事者みたいな情報”となれば尚更です……宜しければ是非とも入手手段についてもご開示頂きたいなぁ~とか思うのです」

 

 あくまでも笑顔を崩さない青葉に、甚五郎は思いっきり舌打ちし、長門に目をやった。

 

「まわりくでぇ事言いやがって、はっきり言ってやれや、そのつもりだろが?」

「そうだな」

 

 長門は指が折れていない方の手で自分の頬を叩くと、息を吸い込み、明石に目をやった。

 

「“ヤツ”が実際には何なのか、正確な所は分からないが、見た限りでは、馬鹿でかい、水に沈んだ鉄塊だ……今までに沈んだ深海棲艦と艦娘の塊だったとしても驚かんさ」

「うえ……キツいですねぇ」

「ああ、想像以上にな……」

 

 吐きそうな顔で舌を出す明石に頷いてから、長門は先を続ける。

 

「今まで話した事は、眠っている時にヤツの“眼”を通して見た、いや、正しくはヤツに同化された艦娘と深海棲艦の眼だ……私も最初は単なる夢だと思ったさ、眠っている時にしか見なかったからな、だが、見たもの、感じたものが細部まで具体的過ぎてな、確認すると、事実情報と大まかに一致している」

 

 そこで長門は一旦、言葉を切り、周りを見回した。

 皆、表情はそれぞれだが、黙って先を待っている。

 

「流石にその程度じゃ、確信にまではならなかったさ、だが、ヤツらの中に見つけたんだ、私達の“内線”に干渉してくる奴をな……私はそれに遭った事がある」

 

 強く手を握られた長門は途中で言葉を切ると、傍らの陸奥に頷き、言葉を正した。

 

「いや、“私達”はそれと戦った事がある、今回とは違う状況でだが、そう言う敵もいる」

 

 艦娘にとっても突拍子もない話だが、“内線”を介して伝わる陸奥の強い感情に虚偽の入り込む隙は無い。

 頷き返す甚五郎から目線を上げた長門は、その傍らで、痛ましげな表情を陸奥に向けている金剛に目を向けた。

 長門の目線に気がついた金剛は、真剣な表情で深く頷いて見せる。

 大淀と明石と違い、戸惑いが全く無いその様子に、長門はちらりと甚五郎に目をやり、陸奥に袖を引かれる。

 

「話したのは、私よ」

「そうか」

 

 長門は軽く謝罪する様に甚五郎に頷くと、一時、唇を噛み締め、目を閉じた。

 

「今回の敵の中に、私達が交戦した駆逐艦が混じっているのは“視た”、奴の艤装には、艦隊を瞬間移動させる機能もあるらしい、ま、それなりに力を貯める必要もある様だが……そう言えば、全身で放電でもしている様に光っていたな」

 

 長門の手を掴んだ陸奥の手が、うっすらと汗ばみ始めている。

 

「提督、我々は“内線”無しで迎え撃たねばならないぞ」

「ま、うちの連中ならやってやれねぇこたぁないだろ」

「提督、結論を出すには早計です、材料が出揃うまで、“検討”に留め置かれるべきです」

 

 こちら側が優位に戦える条件の一つを、夢見話ともとれる証言一つであっさり捨てようとしている甚五郎に、大淀が警告を発する。

 

「おたおたするねい、うちの娘共は俺が“席外した”だけで戦れなくなる程、ヤワな鍛え方はしてねえぜ」

 

 正直、想定していた通りの回答に大淀は微かに溜め息をついた。

 日露両国をクライアントとして、択捉島防衛の契約を受注している以上、活動についての報告と言うものを当然両国の所定の機関へ提出する必要があり、それには交戦記録も含まれる。

 月並みな小競り合いなら兎も角、総力戦レベルの戦闘ともなれば、膨大かつ、詳細なレポートが必要だ。

 そこで、明白な落ち度と見なされる行為があれば、次年度予算、ひいては契約の継続にも響く。

 しかも相応の理由もなしに“内線”無しで主力艦隊を交戦させたとなれば、提督が職場放棄したと見なされかねず、進退問題に発展しかねない。

 

『無論です、が事前に通達と調整はしておいた方が良いでしょう……無用な混乱を招きます』

 

 加賀が発した言葉は、大淀の缶が発する不穏な不完全燃焼の響きを感じ取った故の事であった。

 

「ま、大本営にゃ、まだそれなりにつてはあるからな、後は、そうだな、久々にクマ公と“お話し合い”でもすっか」

「くれぐれも、国際問題になるような真似はお控えください」

「ああ、俺からはやんねぇぜ、“オトナ”だからよ」

 

 不敵に笑った甚五郎の表情を見た、大淀は抑えきれずに大きく溜め息をつき、眉間を揉んでいる。

 

「俺のВерныйちゃん何処へやった!」

「んあ?」

 

 俯いて眉間を揉んでいた大淀が、突然ぼそりと呟いた言葉に、しばし、甚五郎の口が開いたままになる。

 

「Верныйちゃんのロシア童話朗読会延期についての問い合わせ……広報部宛ですね」

「あはは、来てましたねぇ、龍驤さんに対応任せちゃいましたけど」

 

 大淀は顔を少し上げ、上目遣いに青葉を睨み付ける。

 青葉は頭を掻きつつ、つついっと、目をそらした。

 

「ベルーガ(ウォッカ)とキャビア缶、それぞれ1ダース各種詰め合わせ……『Верныйちゃんへのお見舞品として、風邪でもひいちゃったかな? 1ファンより』、とのメッセージカード付、駆逐艦寮前に“配達”されていました、例の如く関与した宅配業者はありません、念の為、警備部には見回り警戒強化を要請済みです」

「うむ」

 

 大淀は、何か言いたそうな顔をした長門に目をやって黙らせ、先を続ける。

 

「カサトカのベルーガへ 『我等が不死鳥は何処で羽根を休めている?』……通勤中のチラシ配りから渡されたチラシに挟んであったものです」

「ったく、妙な徒名で呼ぶんじゃねぇっつの、ストーカーの親玉が……相変わらずヒマな野郎だぜ、つーか、おめぇのじゃないわい!」

 

 大淀がテーブルに載せたメッセージカードを見て、甚五郎が吐き捨てる。

 メッセージカードの裏面には、座り込んだ熊の肩に可愛らしくデフォルメされた不死鳥が止まり、頭をこすりつけて頬ずりしているイラストが印刷されていた。

 

「『不死鳥を憂う心に、何も割り込むものはない』 熊のおじさん達より……鳳翔さんから預かりました、お店を閉めようとした時、カウンターに置かれていたそうです」

 

 大淀がテーブルに置いたカードには、札束の入った吹き出しを出した人相の悪いシャチを相手に、それを断っている熊が描かれ、その下ではセーラーを着た熊達と艦娘達が海に出て行く様子が描かれている。

 

「Hey! テートク、Chill out、落ち着くネ、興奮しちゃ駄目よ」

 

 一瞬、席を立ちそうになった甚五郎を、金剛が宥める。

 

「次、会ったら、今度こそぶちのめすか……」

「スポンサーと物理的交渉をするのはお控え下さい……と言うか、居酒屋の中で、ミドルティーンの女の子と本気で睨み合う羽目になったSPの人達の心情も少しはお察し下さい、ひいては、大本営の担当者に毎回一緒に謝りに行く私の事も多少なりとも気にかけて頂ければ助かります」

「うわぁ」

 

 音が出そうな程歯を食いしばった横顔を見た明石の口から、思わず妙な声が漏れる。

 基本、仕事上の事は愚痴もこぼさない同僚だが、時たま、明石の所にふらりと立ち寄り、“叩き壊しても良い廃材はあるか”と問う事がある。

 そんな時、明石は黙って工廠の隅のジャンク置き場に彼女を連れて行く。

 そして、仕切りでしっかりと囲んでおいたそこから漏れる破壊音を忘れられる様に夜なべ仕事にせいを出すのだ。

 

(後で、一山準備しておかないとな~)

 

「結局、口喧嘩になって、二人共、鳳翔さんにつまみ出されそうになったんでしたっけ、いやぁ、現場の写真が撮れなくて残念至極ですぅ」

 

 当日の秘書艦は不知火であった。

 

「“艦娘(むすめ)”を遊びに行かす、行かさないの話で、本気で時の書記長殿と殴り合おうとするとか、本当に、火遊びが好きよねぇ」

「提督はいつだって私達の事には真剣だ、だからこそ、皆ついて行く」

 

 呆れた様な陸奥の言葉に、長門は首を振り、微笑を浮かべる。

 

「まぁ、うちの響ちゃんは、親善大使として、その書記長殿と握手してきたりしてますから……実際向こうでも“うちのВерныйちゃん”って事で、かなりの人気な訳でして、広報部としても、握手会、撮影会、グッズ展開等々で色々と儲け……じゃなかった、友好的交流関係の構築に多大にご貢献頂いておりますねぇ」

 

 ティースタンドを物色しながら、にこにこと話していた青葉が、つい、と甚五郎に目線を移す。

 

「な・の・で、実際、響ちゃん達の失踪が長引くと、結構大事になりますよ、あの子の人気はクレムリンのおじさん達だけの事じゃ無いですからねぇ、国民的アイドルですよ、あ・い・ど・る、那珂ちゃん嫉妬不可避レベルですぅ」

「知ってらぁ」

「……もう、大事になってます」

 

 うっとおしそうに吐き捨てる甚五郎の前に、大淀が紙片を滑らせた。

 

『カサトカのくそじじいへ

 

 建前なんか捨てて泣きついてこい!

 協力してやると言ってるだろが!

 ビビってるなら、来年の予算くらいは保証してやるから、さっさとしろ!』

 

「提督に呼び出される前、ちょっと自席を外した時に机の上に置かれていた物です」

「おいおい、うちの警備はほんとに何してやがる……つーか、さっきまで残業してたのかよ、大丈夫か?」

「ええ、お陰様で残業手当は満額支給されております、今月は基本給を越えてますから、そうですね、この際、倍プッシュ狙っちゃいましょうか?」

 

 半ば呆れた様に呟いた甚五郎は、大淀はにっこり微笑まれ、すすいっと目をそらした。

 

「ん~、これって、逆に協力させなかったら、ひどい目に合わすって言ってません?」

「まぁ、そうでしょうね……」

 

 明石の問いかけに、大淀は笑顔で甚五郎を睨むのを止め、ノート端末を机の上に移す。

 そして、くるりと回転させ、画面が皆に見える様にする。

 そこで開かれているメールには、次の一文だけが記されていた。

 

 

『はやくしろっ!! 間にあわなくなっ てもしらんぞーーっ!!』

 

 

「ついさっき、幹部職員向けの緊急ML(メーリングリスト)に発信されてます」

「おいおい、ちゃんと“お返事”してやってんのか、こりゃ?」

 

 自分の業務携帯に直通でその怪文書が届いているのを見て、甚五郎は顔をしかめる。

 

「当たり前です、“問い合わせ”が届く度に、部門の担当者が“それなり”の返事を返しています」

 

 甚五郎のぼやきに、大淀は淡々と答えた後、一呼吸置いてから口を開く。

 

「恐らく、カサトカのベルーガ、その人の言葉こそが必要なのでしょう、“娘”の為なら何者にも臆せず,退かず、時の書記長殿と殴り合い、杯を傾けた“父親”の本心からの一言が」

「俺の弟子共だって、“艦娘(むすめ)”の事でへたれる奴なんて一人もいねぇよ……」

 

 甚五郎は身を乗り出すと、大淀の端末のキーを些か乱暴にタイプし、送信ボタンをクリック。

 メーリングリスト外の青葉と、業務携帯を置いてきた長門以外の携帯が鳴動、それぞれが画面をちらりとチェックする。

 

「あらあら」

「これは……らしいな」

『流石に失礼なんじゃ』

『非礼に、非礼をもって対し、敢えて同じ場所に立つ、今回に限っては、悪手では無いでしょう』

「何です、何ですか、青葉にも見せて下さいよ~」

 

 それぞれの反応をしている中で、黙って目頭を抑えている大淀の携帯を、青葉が覗き込む。

 

 

『会議中じゃい!電話すっから、メドヴーハでも呑んで待ってろ!』

 

「あはは、これは激しいですねぇ」

 

 大淀は無言で青葉から携帯を奪い返すと、画面にしっかりとロックをかける。

 

「……この様に、ロシア側の協力を得る事は、さほど難しくは無い状況です、むしろ、もう、裏側ではとうの昔に動き出しているでしょうから、いい加減、ちゃんと会談して相手の動きを制御すべきでしょう」

「ま、ロハで協力してやるから、大本営相手はこっちでケツもてって事だろうよ……いや、タダじゃねえなぁ」

「株主優待で第六駆逐の特別撮影会でも開きますかねぇ」

 

 腐る甚五郎ににたりと笑って青葉がカメラを持ち上げると、何か固くて脆い物が静かに砕ける音が響いた。

 

「けしからん事を言うものでないぞ、やりたければ、お前がサービスしてやるんだな、“広報課長殿”」

「いやぁ、青葉、オジサマ達にはそこまでの人気は無いので、ああ、残念だなぁ~」

 

拳から殆ど粉になったかけらをソーサーの上にこぼしながら睨みつける長門の視線を、青葉は後頭部をかきかき受け流す。

 

「すまんな、後で一セット弁償しよう」

 

 ソーサーの上でカラフルな粉になったエインズレイを見て、悲しげなうめきを漏らした金剛に、長門は少し困った表情で頭を下げる。

 

「はぁ、もういいネ、ジジイのツケに上乗せしておきマース」

「おい」

「艦娘(むすめ)の不始末はテートクの不始末デース」

 

 気色ばんだ甚五郎に、金剛はツンと上を見上げ、指を振る。

 甚五郎の方等、一顧だにしようともせぬ様子に、老提督は両手を天に突き上げ、大きく息を吐いた。

 

「ったく、しゃーねーな、今月は厳しそうだぜ……」

 

 膝に手を打ち付けた甚五郎は、意識に微かなノイズを感じ、ちらりと大淀に目をやる。

 

「なんじゃい、まだ、熊公がぐだぐだ言ってやがんのか?」

「いえ」

 

 大淀はモニタへ伏せていた目線を上げ、長門へ目を向ける。

 

「長門さん、これまでの話、確かに事実情報との合致がある程度見受けられます」

「ああ」

 

 頷く長門の脇で、陸奥が警戒する様に眉を顰めた。

 

「しかし、失礼ですが、あなたの精神疾患歴については拝見させて頂いております、フラッシュバックとの混同や、デジャビュ……既視感現象の可能性をまだ払底出来ないのでは?」

 

 淡々とに猜疑を表明する大淀の言葉に、陸奥は愁眉を深めたが、長門はむしろ生真面目な顔で頷いて見せる。

 

「ああ、無論納得いくまで調べてくれて構わんさ、私だって、確証は欲しいからな……しかし、余り余裕は無いとは思う」

 

 不意に、ぴんと伸ばされた手がぐるぐると振り回された。

 

「はいはーい、長門さん、“敵”さんに長門さん側から繋ぎにいったのっていつですか?」

「あ、ああ……こちらから繋ぎに行ったのは、三日前からだが」

 

 唐突な質問に、長門は殆ど反射的に応える。

 

「なる程、なる程……」

 

 不意の横槍に、大淀の視線が今度は青葉の顔に突き刺さるが、屈託のない笑顔は崩れない。

 

「少なくとも青葉は信じますよ、長門さんの事」

「相変わらず、よく分かんない人ですねぇ」

 

 一人納得してからうんうんと頷いている青葉の姿に、明石は目をぐるりと回して手を上げる。

 文字通り、お手上げだ。

 そんな明石の様子に、青葉は更に笑みを深くする。

 

「しかし、艤装から放電ですか、セントエルモの火は先端放電だから全身って訳でも無いですね、まぁ、私達の艤装に物理法則なんて、冗談にしかなりませんけど、一寸、調べてみたいとこです……はは、夕張さん辺りならいきなり自分に載っけて試しかねないですねぇ」

 

 誰に向かうでもなく呟いていた明石は、ふと、乾いた笑いを浮かべ、力なくため息をついた。

 工廠に持ち込まれる突拍子もない難問もいざ途絶えてみると、寂しいものである。

 

「ま、調べは並行するしかねぇやな、大淀、そっちも頼むぜ、青葉、売店は龍驤にでも任せて、お前はそっちを手伝ってくれや」

「はーい、青葉了解しましたぁ、大淀さん宜しくお願いしますね」

 

 甚五郎の言葉を快諾して微笑みかけた青葉の顔を真顔で直視し、大淀はゆっくりと頷いた。

 

「そうですね、丁度良いです、手伝って頂きましょう」

「よろしくー」

 

 含みが込められた言葉にも、青葉はただ微笑んでいるのみである。

 

「ふん、しっかし、ピカピカ光る度にあちこちうろっちょろされるんじゃ、動きが読めねぇな」

 

 場に流れた妙な緊張感を断ち切ったのは甚五郎の悪態であった。

 再び端末のモニタに目を落とした大淀は、今までの所属不明艦隊の位置情報を確認する。

 

「あの発光現象が瞬間移動に伴うものであったとすれば、移動距離は相当なものです、距離的には最後の観測場所からいきなり鎮守府の1-1セクターに出現しても不思議はありません」

「おおぉ、大規模な鎮守府丸ごとレベルの艦隊が奇襲ですか、青葉達、歴史の目撃者になってしまいそうですねぇ」

 

 大淀の発言に青葉は口調だけは大げさに反応したが、目線は宙を彷徨い、何事かを思案中の様子であった。

 

「じきにデフコン2ってとこか、大淀」

「はい」

「取り敢えず、受付分の島外休暇申請は却下、受付も停止だ、帰還命令は……リスト見てからだな」

 

 甚五郎の言葉を聞きながら、端末を弄っていた大淀は、眉根を寄せつつも、スケジュール管理システムのステータスを変更し、メールを一斉送信する。

 

「島外への外出を含む休暇について、申請を却下、受付を停止しました」

『提督、我々は帰還しますか?』

 

 大淀の報告に続けて、加賀から確認が入る。

 

「いや、本土に丁度居るからな、ちょいと後で“お使い”を頼まれてくれや」

『分かりました、赤城、加賀は指示あるまで待機します』

「まーた、悪い事考えてますね」

「ふん、立ってるもんなら、親でも使えってな」

 

 明石の混ぜっ返しに歯を剥いて応えた甚五郎は、改めて腕を組み、長門に目をやった。

 

「しかし、敵の“頭”は水の底から、全艦に紐付けて、ちまちま動かしてんのか、流石に人間技じゃあねえな、こいつぁ……ま、ご苦労なこったぜ」

 

 苦々しげに吐き出された甚五郎の言葉に、長門は首を振る。

 

「いや、確かに、水中にでかい本体が居るのは確かだが、水上で艦の指揮を執っている者が居る」

『あちらにも“提督”とか、居るんでしょうか?』

「向こうの“提督”か?」

 

 甚五郎が代弁した赤城の疑問に、長門は又、首を振った。

 

「いや、ヤツらに“提督”は居ない、指揮を執っているのは旗艦だ」

 

 一瞬、誰もが嫌な想像をして黙り込み、室内から、空調の音以外が、消える。

 

「連中の旗艦は“私”なんだ」

「長門型一番艦が、デスね?」

 

 殆ど一瞬の沈黙の後、一言でさらりと告げられた言葉の意味が場に染み渡る前に、颶風(ぐふう)の如き声量が耳たぶをひっぱたいた。

 

「恐らくそうでしょう」

 

 まるで叱りつける様な勢いの金剛に、大淀はいつもの静かな口調で割り込んだ。

 

「大和型級ではなく、長門型一番艦級の近似艦であれば、それなりに数が居ます」

 

 

※近似艦

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 長門型の長門、陸奥の様に史実上の同型は“姉妹艦”と呼称される。

 だが、艦娘は完全な同一艦が存在する為、その場合は“近似艦”、もっと砕けた言い方では“同い年の姉妹”等と呼称されている。

 ちなみに、艦娘は個の艦としては艦名と艦籍コード、個人としては氏名も持っている。

 しかし、鎮守府に所属している場合、自分の近似艦が同席する公的な状況では、慣例として“単冠の赤城”、“神威機動艦隊所属の暁”、“神威第四艦隊旗艦神通”等、所属を付けて呼称される為、氏名を呼ばれる機会は少ない。

 又、原則として、一つの艦隊に近似艦を複数配置する事はない。

 これは、単純に誤認による混乱を避ける為である。

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

 それなりの規模と歴史を持つ鎮守府であれば、大和型は居なくても、長門型のどちらか1隻位は所属している。

 大淀は、ノート端末から顔を上げ、甚五郎に目をやった。

 

「最初に、所属不明の長門型一番艦が確認された後、各鎮守府へ、長門型一番艦の拘束要請が出ていますね?」

「え、あれって、そんな物騒な話だったの?」

 

 会議資料でも読み上げている調子の大淀の言葉に、明石は思わず回していたスパナを取り落としそうになり、ジャグリングを始める。

 

「あらあら、休暇扱いでお茶濁したのがバレたら、大本営から査察部がすっ飛んで来て粗探しされるわよ」

 

 呆れた様に言いながらも、甚五郎に向けられた陸奥の視線は柔らかいものだった。

 鎮守府内の人事、殊に艦娘に関するものは提督に大きな裁量権がある。

 大本営と言えども、国営ではない神威機動艦隊に出せるのは“お願い”がせいぜいだが、“お願い”を聞いてくれない組織には官僚的な嫌がらせがあったりするものだ。

 

「へっ、査察部にもケツが青い内に蹴り上げてやった奴が何人もいらぁな、で、何処までよ?」

 

 何の事もなさげに肩を竦め、甚五郎は大淀に先を促した。

 

「長門さんの近似艦達も、同じ様な影響を受けていた為にあの様な通達が出たのでしょう、大本営も既にある程度は事情を把握しているものと考えた方が良いですね、この通達は近似艦達の“繋がり”が双方向である事を警戒しての事でしょうから」

「それって……」

「Oh……military secrets筒抜けネ!」

「それで突然引きこもったり、提督との接触を切ったりした訳ですか、なる程、なる程……繋がってきましたねぇ」

 

 驚きを露わにしている明石、金剛をよそに、青葉はご満悦の様子でノート端末のキーを叩いている。

 苦虫を噛みつぶした様な表情でそれに目をやっている甚五郎の横で、探る様に長門の目を見ていた大淀はふと、視線を伏せて眼鏡を直す。

 

「長門さん、一応、確認しますが、今は“繋がって”いませんね?」

 

 いつの間にか元通り目線を合わせて来ている大淀の問いかけに、長門は即座に首を振った。

 

「ああ、“繋がる”のは、私が眠っている時だけだ、私に分かる限り、ではだがな」

「成る程、では、もう一つ」

「ああ」

「敵はどれ位の情報をあなたから引き出したと思いますか?」

 

 全員の視線を受けながら、長門は若干考え込む。

 

「この泊地の場所と規模程度だと思う、どちらかと言えば、ヤツは私の、個人的な記憶の方に興味があった様だからな……しかし、ヤツは既に多数の艦娘と深海棲艦を鹵獲している、下手をすれば、こちらが知らない情報まで持っていると思った方が良いだろう」

「なる程、参考になりました」

「生かして帰す訳にゃいかねえな、こりゃ」

 

 甚五郎の言葉に一同が首肯する中で、青葉は妙に真剣な表情のままで固まっている。

 

「おいおい、寝てんじゃねぇだろうな?」

「あ~、いえいえ、青葉、寝てません、寝てませんよ!」

 

 慌てて、笑顔を作る青葉の様子を胡散臭そうに眺める甚五郎とは対照的に、金剛は若干柔らかい表情になる。

 どうやら、一つ下の妹の事を思い出したらしい。

 

「えーとですね、こほん」

 

 青葉はすっかり冷めてしまった紅茶で口を湿し、咳払いする。

 

「実際の所、症状が出てるのは“うち”の長門さんだけじゃなかった訳なんですが」

『拘束命令が出る程です、ある程度の察しはつきます』

 

 加賀は悪夢にあてられ、暴走した艦娘と海上でつかみ合いの喧嘩をする羽目に陥った経験がある。

 理性を欠いた艦娘の扱いは、例え相手が駆逐艦であろうと、非常に厄介な事だ。

 

「まぁ、“よそ”の長門さん達はうちの長門さん程にはうまく対処出来てないみたいですけどね、不眠症に、せん妄症状……まるで、“かつての戦争”の記憶に振り回される若い子みたいな事になってらっしゃってたそうですが」

 

 青葉はじっくりと間をおいて、紅茶を飲んでから、先を続ける。

 

「そ・れ・がです、聞いた所によると、三日前から、どれもぴたりと収まったらしいんですよ、興味深いですよねぇ」

 

 にかっ、と笑いかけられるが、大淀はにこりともせずに、軽く頷いた。

 

「相変わらず、細かい所までよく聞こえる耳ですね……一応、分かりました、別件で確認したくなった事もありますが、それは、後程」

 

 大淀が青葉から目線を外し、甚五郎へちらりと目線をやると、甚五郎は手のひらにのせたペパーミントグリーンの星形菓子をじっと見つめていた。

 

「……提督?」

「おう」

 

 甚五郎は一言呻くと、口の中に星を放り込む。

 砂糖の甘さとミントの香りに刺激された記憶を紅茶で肚の底に流し込み、口を開く。

 

「うさんくせえ奴だが、“言わねぇ”事はあっても、そうそう嘘を言う奴でも無いぜ」

「司令官にそんなに信頼して頂けるなんて、青葉感激ですぅ~、って、あわわ!」

 

 どさくさに紛れて甚五郎に抱きつこうとした青葉は、目の前に突き出されたティーポットの筒先を、辛くも仰け反ってかわす。

 勢い良くソファに尻餅をついたその眼前で、そよそよと紅茶が注がれた。

 

「Tea timeは、elegantに楽しむものデース……you got it?」

「あ、あいごっといっとです」

 

 目だけが笑っていない金剛にへらへらと笑いかけつつ、青葉はマカロンを口に入れる。

 

「えーと、それはそうと、こちらとしては、どれ位情報を掴んだんですかねぇ~、うちの長門さんは、敵に転ばされたのに只で起きる程、甘くないんじゃないかと、青葉は思うのですが?」

 

 あからさまに話題をそらし始めた青葉の様子に、甚五郎はやれやれと首を振っていたが、長門が真っ直ぐ視線を向けて来ているのに気づいて、そちらに首を向け直す。

 

「そうだ、ヤツが私を覗いた様に、私もヤツを覗いた、目的、戦力、戦術、それなりに盗んでやったつもりだ……提督」

「ん゛?」

 

 やや、躊躇う様に言葉を切ってから、長門は歯を食いしばり、ゆっくりと言葉を絞り出す。

 

「捜し物を見つけたぞ、うちの第四艦隊は、ヤツの所に居る」

 

 一斉に、全員の視線が甚五郎に集まる。

 

「ああ‥…」

 

 固く結ばれた甚五郎の口元が微かに動き、呟きがこぼれた。

 心臓が締め上がり、血が逆流する。

 左手が右手首に巻かれた、少々珠が不揃いの数珠を固く掴む。

 円形とは程遠いが、丁寧に手磨きされた十勝石がごりごりと皮膚に食い込んだ。

 動きが止まった甚五郎の横から、そっとポットが差し出され、注がれたカップから、強いベルガモットの香りが溢れ出す。

 

「テートク、Deep Deep breath、ゆっくり、吸い込むネ」

「ったく……止せやい、アっチィな、おい」

 

 横から体を支えられ、優しく口元へ運ばれたカップから一息啜り、甚五郎は詰めていた息を吐き出した。

 

『流石に背筋が一瞬冷えました』

『お土産は養命酒にしておきますね』

「っせぇ、老々介護される程じゃ、先は長かねぇやな」

「おじいちゃんは大丈夫そうネ」

 

 一航戦達に憎まれ口を叩く甚五郎の鼻を突っついてから、金剛は身を離す。

 

「提督、大丈夫だ、今の所、あいつ等は無事でいる」

 

 力づける様に断言してのける長門に、甚五郎はただ頷き、大きく息を吐いた。

 

「あの子達は絶対に提督の所に帰還させる、絶対にだ……機会は私が作ってみせる」

「機会ですか、既に何か勝算がおありのご様子ですねぇ、興味深いです」

 

 歯を食いしばり、無事な方の拳を掌に叩きつけた長門の様子に、相変わらず楽しげな様子で青葉が質問を飛ばす。

 

「機会とは言っても、深海棲艦って水中に潜ってる時には追跡も難しいですよ、工廠でも、色々改良はしてみてるんですけど、音を聞いて判断するって言うのは変わりませんからねぇ……しかし、一寸気になってるんですが、深海棲艦は兎も角、連中、水上艦の艦娘をどうやって潜らせてるんでしょうかねぇ?」

 

 潜水能力なぞ持たぬ水上艦の艦娘には、水中航行等、当然不可能だ。

 しかし、深海棲艦はその名が示す通り、ベースが水上艦であろうと全ての個体が潜水能力を備えている。

 水中の深海棲艦を捉えるにはソナーに頼るしか無いが、広範囲をカバー出来るものではなく、哨戒線の後方にすり抜けた艦隊が奇襲をかけてくる事がある。

 幸いなのは、深海棲艦が比較的“浅い海”を潜ったまま移動するのを好まない事と、水上艦タイプは一度浮上すると撤退まで再潜行しない傾向がある事だ。

 

「長門さんは“見つける”気でいる訳では無いでしょうからそれについてては余り問題ないでしょう」

「見つける気がない?それじゃ、向こうから挨拶電文でも送ってきてくれるとか、んな訳無いですよね」

「ああ、そう言うわけね、あらあらあら」

「ん?何ですか?みんな黙り込んじゃって?」

 

 冷たい目で長門をねめつけている大淀と、呆れた様に天を仰いでいる陸奥の間で明石は視線を彷徨わせ、首を捻る。

 

「“機会の作り方”の想像はつきます、が、私の想像している通りであれば、もう、実行中ですね……不可抗力ではなく、意図的に此方の情報を流して敵を呼び込む様な行動は反逆行為と見なされても……」

「敵が来るってなぁ、俺はもう聞いてたぜ」

 

 大淀の言葉を、甚五郎がしっかりとした声で遮った。

 

「提督、最先任を心配なさるお気持ちはお察し致しますが、切り分けはつけておかないと駄目な事も……」

「ちげーよ」

 

 甚五郎は再度、大淀の言葉を遮り、数珠を撫でる。

 

「確かに、家出娘も気にはなるがな……元々こいつぁ、うちだけの話じゃねぇ、何処の鎮守府もちまちま艦娘を削られてるってのに、大本営も手をこまねいて、隠し事に汲々としてやがる、放っときゃ雪だるまみてぇにでかくなる敵相手に、慎重に構え過ぎて餌をくれてやってる状態だぜ」

『せめて、もっと早く各鎮守府へこの“敵”の情報が渡されていれば、捕まらずに済んだ子も居たのに』

『大本営にも、我々の事を信用していない者が居るのでしょう』

 

 沈んだ調子の赤城と、苦々しげな加賀の言葉を脳裏に聴きながら、甚五郎は一同を見回す。

 

「こっちの泊地が二、三個喰われて、いよいよ隠し通せなくなってから“大本営発表”なんて段取り踏んでたら、いよいよ、手に負えなくなるのが目に見えてるぜ……大体、一般市民様からしてみりゃ、艦娘と深海棲艦が組んで襲ってくる様にしか見えねぇもんを陸に揚げて見ろ、おちおち街も歩けなくなっちまうぜ」

 

 甚五郎の言葉に一同は黙り込む。

 片手で戦車をひっくり返し、轢いたダンプを破壊する艦娘が、ごく普通に世の中に受け容れられて居るのは、あくまでも“人類の友”であるからだ。

 長年積み上げられてきたその信頼が揺らげば、世界も揺れるだろう。

 

 もし、崩れてしまったら?

 

「ま、大本営の連中も、ある意味、それに一番ビビってるんだろうがな……だが、おっかなびっくり、様子見ながらやってる場合じゃねぇ、こいつぁ、誰かが、手に負える内に片付けなきゃならねぇ、出来る限り早くだ」

 

 甚五郎は周囲を見回した。

 これには特に異論は無いらしく、皆無言で甚五郎に注目している。

 

「実際に敵は居る、来るなら叩く、備えは充分に、基本はいつもと変わらねえ……ついでに、神出鬼没で、尻尾を掴ませてくれなかった敵さんが、わざわざうちの庭まで出張ってくれるってんなら、叩かねえ手はないって事よ」

「よし」

 

 甚五郎の宣言を聞き、長門は立ち上がる。

 

「そこまで提督の肚が決まっているなら後はやるだけだ、そろそろ私は席を外しておこう、私は……その、詳細は聞かない方が良いからな、又何か見えたらすぐに連絡する」

 

 寝室のドアの前で一旦立ち止まり、長門は振り返った。

 

「取り敢えず、以降、私と話す時には盗聴器がついている事を前提にして注意を払ってくれ……念の為な」

「ん」

「留意します」

 

 頷き返す甚五郎と大淀に黙礼し、他の皆を一旦見回してから、長門はドアを閉めきる。

 シェルターへの侵入を許した時の最後の気休めとしてパニックルーム仕様になっている寝室のドアは、一度閉めてしまえば、銃声も聞こえなくなってしまう。

 皆、しばしそれぞれに物思いを浮かべながら閉じたドアを見つめていたが、不意に、ずぞずぞぞぞぉと、下品に紅茶を啜る音で物思いを破られる。

 

「さてと、取り敢えず、何から片づけっかよ?」

 

 下品な作法にそぐわない慎重な手つきで、甚五郎はティーカップを戻し、にたりと笑う。

 この間、金剛のお気に入りだったウェッジウッドを水盃替わりに叩き割ったばかりの為、まだ少しは慎重さが残っているのだ。

 ましてや、先程長門の分の負債が増えたばかりである。

 因みに、ウェッジウッドのカップ一つは、ミントンのティーセットのテーブル一つ分に生まれ変わっている。

 

「取り敢えず、スポンサーに対応されるべきでは?」

「おう、クマ公の奴、さぞやイラついてやがるだろうぜ」

 

 不適な笑みを浮かべる甚五郎に、大淀は長い長い息を吐いた。

 

「穏便に、くれぐれも穏便に願います」

 




現在、秋イベントの真っ最中ですねぇ。
私は今、Fallout4やりつつ、サブPCでE3までは丙丙丙で流し、E4を乙でラストダンス中です。
取りあえず完走できれば良いなぁ。

次回は、南国鎮守府編を予定してますが、閑話を挟むかも……


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 【第十話 夢の国の暁】

 もの凄く久しぶりに次のお話しをお届けします。
 今回は、南の島の暁さん達のお話しです。

 南の島で、変わらない割とのんびりした日常を過ごしている暁さん達。
 徹夜の訓練の後はお昼寝します。
 眠りの浅い昼寝というのは夢をみやすいものなのですが……

 さて、どんな夢を見るのでしょうか?

※今回は特に、艦娘(或いは艦娘的なもの)の死亡描写が多いです。
 描写的には大した事はありませんが、絶対に許容できないレベルの方は避けた方が良いかも知れません。
※今回、艦これ以外のネタがいくつかぶち込まれています……おこんないでね♪


【南の島? 東水雷戦隊鎮守府】

 

 

 今日も抜ける様な青空に、眩しい太陽。

 サラダボールから緑色のパパイヤを取り出して包丁で二つに切り、スプーンで中身の種をえぐり取る。

 ピーラーで皮を適当に剥いてから、それを千切りにし、水を張ったボールに入れてゆく。

 パパイヤはそんなに灰汁を出さないので、ちょっと水に入れておくだけでいい。

 水を切ったら、他の野菜と一緒に雷特製のドレッシングで和える。

 それでサラダは完成、とっても簡単。

 下を見ると、首からぶら下げている白板が目に入る。

 

『私は無断外出をして、僚艦に迷惑をかけました』

 

 几帳面に極太マジックで書かれた字は響のものだ。

 横にちらりと目をやると、重ねたバナナの箱を机にして司令官が書類仕事をしている。

 

『私はそれを迎えに行った先でセクハラして、お仕置きされました』

 

 その胸には、私と同じ様な白板が掛けられていた。

 こちらの字体は書き殴られたみたいに崩れている。

 一寸読みにくいけど、あれは雷の字だ。

 

「hum……昔、ドイツのどこかで、これと似た様なのをかけて、ぶら下がってる連中を見た憶えがあるな」

 

 そんな事を呟きながら東提督は書類に何事が書き込んでいる。

 世の中には変わった趣味の人も居るものだ。

 

(その内、はっちゃんか、ろーちゃんにでもきいてみようっと)

 

 昨日は無断でお隣の鎮守府まで行って、眠り込んでいたと言う事で雷にすごく怒られた。

 お陰で今日は1日、こうして司令官の横で家事手伝いの刑である。

 正直、あんまり憶えてないから癪に触るけど、怒る雷の隣で、黙って唇を噛んでいた響の涙目が結構堪えたので、大人しく“処されている”ところだ。

 取り敢えず、電が宥めてくれたので助かった。

 

『無事で良かったのです』

 

 電は本当に優しい。

 寛容さはレディにとって、大事な美徳の一つ。

 流石は、一人前のレディたる私の妹である。

 サラダの準備をしている内に、厨房の方からいい匂いが漂ってきた。

 今日は多分、この間沢山作っておいたキャッサバ粉を使った何かだと思う。

 この間はトウモロコシ粉を混ぜて、クスクスを作っていたのでそれかも知れない。

 クスクスはパスタだけど、お米みたいに細かくて面白い。

 魚の匂いもするけど、今日は司令官がこんなことになってるので、あれは多分、作りおきのモルディブ・フィッシュでも出汁代わりに使っているに違いない。

 お昼ご飯を食べて、午後は雷と洗濯をして、その後は神通さんと畑の手入れ。

 今日のおやつは、カノムサイサイだった。

 蒸した米粉がもちもちして、ココナツの良い匂いがして、甘く煮たバナナが餡代わりに入っている。

 凄くおいしい。

 おやつの後は、電と一緒に備品の在庫チェックと補給が必要な物のリスト作りだ。

 やることがなくなったら、昼夜逆転気味の夕張さんとお昼寝である。

 そして、いい匂いに目を覚ますと、夕飯の時間になっている。

 今日の晩御飯は、響が穫ってきた白身魚と、神通さんの畑からはタロイモ、あとはジャングルから採ってきたバナナを蒸し焼きにしたものだ。

 青いバナナは、お芋みたいな味がする。

 慣れるとおいしい。

 夜は、もう夕張さんの部屋みたいになってる仮設工廠で一緒に夜更かしする。

 夕張さんは最近、蛇のおじいちゃんが出てくるゲームをやっている。

 蛇とは言っても、それはこーどねーむなので、ほんとうの蛇じゃないけど。

 続き物の四つ目なので、細かい所はよく分からなかったけど、たまに蛇のおじいちゃんが腰を痛そうにしたりしてるのに妙に親近感を感じる。

 雷はやっぱり名前びいきなのか、サイボーグ忍者のおじさんがお気に入りだ。

 響はコップを片手に、東側の鉄砲が出てくると、あれは撃たせて貰った事があるとか、狙撃銃は手が届かなくてうまく撃てなかったとか教えてくれた。

 今夜は電と一緒に、蛇のおじいちゃんの作戦を見守っている所だ。

 もうゲームは終盤にさしかかっていて、おじいちゃんは黒い板が並んだお墓みたいな場所を進んでいた。

 ヘンな三本足のロボットを振り払いながら、ボロボロの体で這い進む姿を見ていると、じれったいのと、手伝ってあげたいのがぐちゃぐちゃになる。

 

「がんばれ、がんばれ、がんばれ」

 

私はいつの間にか、声を上げておじいちゃんを応援していた。

 電の応援は涙声だ。

 

「やめて!」

 

 大事な人のお墓の前でおじいちゃんが鉄砲を自分に向けた時には、電の叫びが聞こえた程だ。

 ちなみに、雷はサイボーグ忍者さんが子供を抱きしめるシーンを見た時は涙が止まらなくなっていた。

 その後も、夜の自由時間には度々、夕張さんの所で妹達と遊んだ。

 当直があるから、全員じゃないけど、毎晩誰かと一緒。

 横幅の大きいおじさん達が、ノコギリ付の鉄砲で地底人と戦うゲームで対戦した時は、電はぐるぐる回して投げる手榴弾の使い方が物凄く上手かった。

 直撃させてくるし、補給品の手榴弾に混ぜておいたり、踏み込んだ曲がり角に設置されてるとか、あれで何度爆死したことやら。

 ほんと、ひどい目にあった。

 

 しかし、これでは遊んでばかりみたいだけど、ちゃんと仕事はしている。

 一人前のレディたるもの、仕事も遊びも手を抜かないのである。

 

 月は上から食べられて、5分の1も残っていない。

 弱い月明かりは、海面には届いていなくて、波のうねりだけが目に入る。

 聞こえるのは、背中の艤装から漏れる機関音だけだ。

 艤装をしまっていれば、胸に耳をぴったり当てないと聞こえない位だけど、展開中は車のエンジン位の音になる。

 夜間の索敵の場合、艦娘と深海棲艦の機関音の聴き分けは重要だ。

 私たちの機関音は低めで重々しいけど、深海棲艦のは、軋んで咳き込み、不安定に変化する。

 旗艦や鬼、棲姫級になると、不安定じゃなくなって、ものすごく高い、早い音になる。

 まるで、モーターみたいに。

 その音は、缶を冷やし、蒸気をしぼませてしまう様に冷たい感じだ。

 私は、濃淡でしか様子が分からない闇に目を凝らした。

 電探は無いから、私は純粋に目と耳を頼りにして索敵する。

 もう、信号弾が上がってから、15分位経っていた。

 私はちらりと後ろを振り返り、響がついてきている事を確認する。

 闇の中で響の姿はぼう、と白く浮かび上がり、まるで雪の妖精みたいに見えた。

 こちらが見ているのに気がついたのか、響は両手でバツ印を作る。

 向こうもまだ何も見つけていないらしい。

 その時、微かな金属音がして、響の艤装に小さな灯りが点いた。

 あれは、磁石をくくりつけた発炎筒。

 夕張さんが間に合わせで作った小道具の一つだ。

 くっつけられると、5分位は燃え続けて、至近距離であれば良い的にできる。

 今は“なってしまう”方だけど。

 気がついた響が全速航行を始めるのと同時に、砲撃が始まった。

 響が初撃を何とか躱す光景に気を取られ、その背後にちらりと見えていた影を見失う。

 耳の中でで急に大きくなった機関音に慌てて、出来る限り腰を落として面舵をいっぱい、機関、左舷一杯にして右へUターン。

 傾いた艤装の煙突辺りに、何か削り取られる様な感覚が抜けてゆく。

 急いで体を起こし、ターンの途中で足を海面から引っこ抜いて、ぴょんと跳ぶ。

 追撃を迎え撃つ、スピンターン。

 これをやるにはかなりの練習がいるけど、一人前のレディには、この程度の操艦、ちょっと駆け足するのと変わらない。

 

 

※足を海面から引っこ抜いて

 

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 海面に“踏ん張って”いる状態を解除する事。

 艦娘は足を引っこ抜くと、地面と同じ様に水面を歩くことが出来る。

 しかし、うねる水面を上手く歩くのは中々困難である上、艤装による推進航行が出来ず、容易く転倒してしまう。

 又、“踏ん張れない”ので転覆の危険から砲撃が出来ないが、飛び跳ねたり、その場で180度のクイックターンを決められる為、上手く使えば異次元レベルの機動が可能となる。

<ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>

 

 

 180度回転の着地の直前、いきなり目の前が真っ白になった。

 反射的に目をつむって、左の防盾をもち上げる。

 着水して海面を踏ん張った瞬間、防盾が重い衝撃に震える。

 貫通した振動に左腕全体が痺れ、防盾が下がるのも構わず、私は目を開け、左肩からぶつかる様に前進。

 体をひねって、右手の錨を目の前の神通さんに横殴りに叩きつけた。

 神通さんは全く構わず前進し、左腕で錨を私の腕ごと絡め取ってくる。

 一気に持ち手の所まで踏み込まれたので、殴った感触もしないけど、それでいい。

 元々ぴんと張っていた鎖に全力で巻き取りをかけたのと、お腹に下から重い一撃が突き込まれたのは大体同じタイミングだった。

 お腹から艤装まで、ずん、と響く衝撃が広がって、視界の端が白んで来る。

 駄目押しにと点灯した左肩の探照灯が、目を閉じた神通さんの顔を照らし出した瞬間、腕ごと錨が払われ、一瞬、何かに引っかかった感覚の後、すっぽぬける。

 神通さんの顔が探照灯の光から外れた瞬間、私は、左右の魚雷と肩の12.7cm連装砲を斉射した。

 右の魚雷が外れ、左の魚雷も外れた。

 でも、最初に左に回転させてあった12.7cm連装砲が至近距離で砲弾を炸裂させる。

 

「暁、撃沈……神通、大破」

 

 海面に夕ご飯を全部戻しながら聞く神通さんの声は、どこか優しい感じがした。

 訓練で最後に生き残ったのは結局、電、雷組だった。

 夕張さんと響が砲撃戦をしている横合いから、電、雷組が参戦したのだが、二人の先制雷撃で夕張さんが中破し。

 夕張さんから反撃を受け、速力の落ちた電は神通さんの奇襲を受けて相打ち。

 その後、響の雷撃で夕張さんが沈んだ後は、雷と響の一騎打ちになり、魚雷が切れるまで雷撃した後、接近しながら砲撃しては、すれ違い様に錨を打ち込む。一撃離脱戦になった

 最後に勝負を決めたのは響の頭にがつんと入った一撃だった。

 

『Nice work』

「この雷様に敵うとでも思ってんのかしら、ねぇ、司令官?って、響、大丈夫?」

 

 長い訓練の終わりに、思わずはしゃいだ声を上げてから、雷はすぐにしゃがみ込んで鼻を押さえていた響を助け起こす。

 

「Ничего страшного……どうってことないさ」

「駄目よ!ちゃんと押さえてないと」

 

 鼻血を手で拭う響に雷はハンカチを渡して、鼻を押さえさせている。

 最後まで生き残れなかったのは悔しいけど、響も雷も中々の練度で姉として鼻が高い。

 電も十分頑張ったけど、流石に大破していたとは言え神通さん相手じゃ分が悪い。

 というか、神通さんは久々の大破判定で、何かヘンなスイッチが入ってしまっていた気がする。

 

(ま、それでもちゃんと相討ちに持ち込んだんだからね)

 

 朝日の中で、みんな体中ペイントだらけだ。

 神通さんも胸の辺りにべったりとペイントが付いている。

 至近距離だったから、余り広くは飛び散らなかったみたい。

 しかし、その背中は大きく破けて、そこからは酷い鈎裂き傷が覗いている。

 腰の魚雷発射管の少し上位の高さにできたそれは、私の錨の爪がつけたものだ。

 当然、真剣に演習をやったからだし、神通さん本人から、恥ずかしくなる位“そっちょく”に褒められてしまったのだが、薄桃色の布地にべっとりと染み込んだ赤黒い染みを見ると、やっぱり少し、やり過ぎちゃったかなと思う気持ちは抜けない。

 そう言えば、褒められたけど、一緒に注意もされてしまった。

 もちろん、やり過ぎの事じゃなく、最初から相打ちを狙う様な戦術を取った事についてだ。

 

『あなた一人に、深海棲艦一隻では割に合いません、敵の首を獲って相討たれてしまうなら、敵の手、足を奪い、生き残りなさい、僚艦の為に、敵艦の脅威で有り続けなさい……私はその為に、貴女達を鍛えています、生き延びさせる為に鍛えています、生きて、戦い抜きなさい』

 

 確かに訓練は厳しいけど、神通さんは優しい。

 私が響達のお姉さんである様に、神通さんは私達のお姉さんだ。

 

 点呼を取った後、私達は朝焼けの中ゆっくりと鎮守府へ帰還した。

 司令官がお風呂を沸かしてくれていたので、早速ペイント塗れになった体を洗いっこして、ついでに服も洗濯する。

 お風呂から上がると、朝ご飯が出来ていた。

 

「Breakfastだ」

「私がやるからよかったのに……すごーい、おいしそうじゃない!」

 

 自分の仕事を取られて、雷は一寸不満そうな顔をしたけど、食卓の上を見て歓声を上げる。

 赤魚の煮付けに、タロイモの煮っ転がし、ほうれん草の煮浸し、板麩入りの味噌汁、炊きたての銀飯、箸休めに蕪の漬け物、デザートには黒ごまのプリンがついている。

 

「おいしそうなのです」

「хорошую работу!、いいね」

「提督って味覚崩壊してるかと思ってたけど、意外な特技持ってるわねぇ」

 

 食堂を満たす懐かしい純和食の匂いに、みんなも嬉しそうだ。

 席について食べ始めると、お腹から背中の方まで、ぞくぞくとする程懐かしい感覚がした。

 ずっと昔、どこかで嗅いだ匂いと、味。

 どこか遠くへ行ってしまいそうになる感覚。

 ふと、私は違和感感じて、周囲を見渡した。

 戸惑った様に箸を止めている響と目があった。

 目線を動かすと、夕張さんも眉をひそめて魚をつついている。

 雷も上の空で漬け物をかじりながら目線をさまよわせていた。

 電はじっと机の上の銀飯を見て、押し黙っている。

 私は一旦箸を置いて、お茶を飲む。

 みんな、何かを感じている。

 何かが、おかしい。

 神通さんは目の前の膳に手を着けずに、東司令を見ている。

 東司令は箸を止めずにそんな食卓の様子を見回していたけど、茶碗が空になると席を立ち、テーブルの端のお櫃でお替わりをてんこ盛りに盛り付けた。

 まるで漫画に出てくるご飯みたいに、山盛りになっている。

 

『しれーかん、お行儀悪いわよ』

 

 叱りつける雷に肩を竦めて応えると、ひょいと手を伸ばして壁際の棚から写真立てを取り、食卓にぽんと置いた。

 写真の中では、白い歯を見せておじさんが笑っている。

 もう一人の私をその腕に抱いて。

 

『どうした、見てるだけじゃ腹はふくれんぞ』

 

 楽しげな声に、頭を撫でられる感覚。

 私は無意識に帽子の位置を直そうとした手を下ろし、もう一度箸をとる。

 

『いただきます』

 

 言葉が重なった。

 

「やっぱり、ご飯はみんなで食べなきゃ駄目ね」

「団欒よねぇ~、日本のおこたとみかんが恋しいわぁ」

「ここじゃ、あついのです」

「みんな居れば、どこでもいいさ」

 

 みんなほっとした顔で、ご飯を食べている。

 多分、みんなにも同じ様な声が聞こえたんだろうと思う。

 

(でも……)

 

 私は急に寂しくなり、もう一度箸を置いてしまいたくなった。

 うまく言葉にできない感覚。

 ここに居るのに、みんなと一緒にここに居ない様な。

 楽しそうな響達にそんな気持ちを知られたくなくて目をそらすと、神通さんも箸が動いていないのが目に付いた。

 目線を追うと、魚の骨から身を剥がすのに夢中の東司令を睨んでいるみたいだった。

 私が見ているのに気がつくと、神通さんは軽く頷いて、プリンをくれた。

 

「あ、ありがと」

 

 思わず、反射的にそう言ってしまう。

 

(そう言う事じゃないのにぃ)

 

「あ、良いなぁ」

「食いしんぼさんなのです」

「う~」

「ふふっ、確かにこれ、おいしいわねぇ」

「Hum……日頃の感謝を込めて、Mistress thunderに進呈しよう」

「やったぁ!ありがとう」

「姉さん、私のも食べるかい」

「じゅ、充分よ」

 

 電に茶化され、流されて、私は違和感を気にするのを忘れてしまった。

 あと、プリンは2つとも食べた。

 

 朝ご飯の後はお昼寝の時間になった。

 真夜中からの野戦訓練の後に満腹になったら、目を開けているのは難しい。

 私の機関停止騒ぎの時からそのままになっている簡易ベッドに、響と一緒に潜り込む。

 何だか、あの日以来、独りで寝たことがない、と言うより、夜、一人になった事がない。

 何か司令官が内々に迷子にさせるなとか、指示を出しているのか考えてしまうが、妹達なら言われなくても、自主的にやる。

 と言うか、妹たちの誰かが同じ様な事したら、私が最初に始めてる。

 しかし、取り合えず眠い。

 私は全てを後回しにして目を閉じた。

 

 轟く砲声と弾着音、土砂と樹が砕けて混じって、纏めて降り注ぐ。

 重い土の波に呑まれ沈んでゆく。

 音のなくなった夜。

 みんなが居なくなった夜。

 響が何か言っている。

 頭の中で響いているその声を聴こうとするけど、何かが邪魔をしている。

 聞こえているのに、意味が分からない。

 もっと集中しようとした私は、ふと、誰かが歌っている事に気がついた。

 目を開けると、まっくらな中に、白く光る手が見えた。

 私は、その歌に惹かれ、手を伸ばす。

 誰かが、私の名前を呼んだ。

 肩に手が置かれる。

 燃えるように背中が熱い。

 ストーブみたいな穏やかな熱さとは違う、剥き出しの焚き火の熱さ。

 首筋と頬まで灼かれる感覚に、たまらず振り払うと、後ろに立っているものが目に入ってきた。

 人の形をした、火の塊。

 それは、どこか困った様子で、被っていた略帽を取り、額を拭う。

 踊り回る火の下から一瞬見えた、焦げた顔、そこから何かがべろりと剥がれるのを私は見た。

 多分、私はみっともなく悲鳴を上げていたに違いない。

 いつの間にか、私は最初差し伸べられた手につかまって、必死に走っていた。

 そして、私は丸い部屋の中にいた。

 正面には壁一面を占領する様なテレビが付いていて、そちらを向くように、沢山のスイッチとメーターが付いた机が並んでいる。

 そこに座って何かしている人達は、ぴっちりとしたタイツみたいな服を着ていた。

 

(何だか、SF映画みたいね)

 

『Captain!』

 

(船長さん?船……艦橋かな?)

 

 そう思いながらぼんやりと周りを見回していた私は、突然テレビに顔色の悪いおじさんが大写しになってびっくりした。

 おじさんは金属板の付いた服を着ていて、眉も髭ももじゃもじゃで、おでこがごつごつしてる。

 

(宇宙人?)

 

 もじゃ宇宙人が船長さんを、アドミラルって呼んだのと、二人の会話に同盟とか出てきたので、多分、この船は軍艦らしい。

 

(ハンソン提督、宇宙海軍かしら?)

 

 よく見ると、みんな着てるピチピチの服は仕事で色が違うらしい。

 でも階級章っぽいものと言ったら、胸に付けてるロケットっぽい金バッジだけだ。

 そんな事を考えながら、私はそわそわとあちこち見回す。

 何だか落ち着かないが、トイレに行きたい訳じゃない。

 大体、艦娘は人間みたいにトイレに行く必要はないのだ。

 

(あ、“カッセンジュンビ”……)

 

 艦橋を包んでいる雰囲気は、戦闘直前に感じる、あの息が詰まる様な感じだった。

 今の今まで、それに気づかないなんて、寝ぼけてたどころではない。

 思わず、周囲を見回して神通さんを探してしまった。

 訓練中だったら、不注意一発、一撃必殺お休みコースだ。

 

(見られてる内に気づけば大丈夫なんだけど……)

 

『ジャン・リュックを“引き揚げて”くれと頼んだら……』

 

 突然、隣に座っているハンソン提督が呟いた。

 私の方を見た訳じゃないけど、話しかけられた事は分かる。

 提督が言わなかった残りの声が頭に直接聞こえていたから。

 

(君にはできるのだろうか)

 

 私は右手で頭を掻き、髪をくしゃくしゃにする。

 癖っ毛の白髪を。

 

『つまらん事を言った、忘れてくれ』

 

 私は何も言ってない。

 ただ、聞こえないだけかも知れないけど。

 私は言葉を聞き流しながら必死に自分の体を見ようとしていた。

 自分の体じゃ無いって気がついたら、急に動かせなくなった気がする。

 

『キャプテン、USS.サラトガ以下、第四艦隊、展開完了です』

 

 報告の声に気がついたのか、テレビに視線が移ると、星空の中に艦娘が展開しているのが映っていた。

 みんなおおきな丸い円盤が付いた艤装を付けている。

 でも、私たちの艤装に装備されている様な主砲や魚雷発射管はどこにも見あたらない。

 

『キャプテン、ライカー“提督”から、通信が入っています』

『メインスクリーンに繋いでくれ』

 

 テレビにまた髭もじゃのおじさんが大写しになった。

 こっちの髭もじゃおじさんは、赤と黒のぴちぴち服を着てるから、ハンソン提督と同じ軍の人だろう。

 顔色も悪くないし。

 

(ちょっと、表情が暗いけど)

 

 髭もじゃおじさん、ではなく、ライカー提督が目線をこっちへ動かした時、軽く眉が動いたのが見えた。

 

(響と一緒に行ったバーで、後から入ってきたお客さんがあんな顔してたっけ)

 

 こっちが見えてるみたいだけど、私は今の自分がどんな格好してるのか分からない。

 

(こっちが映ってるテレビがあればいいのに)

 

『ハンソン提督、ボーグキューブの破壊は失敗、小破させ、トラクタービームを損傷させましたが、依然、地球方面に侵攻中です』

 

 ハンソン提督は報告内容に予想がついていたらしく、表情は変わらなかった。

 

『そうか、こちらの損害はどうかね?』

『轟沈した艦娘はおりませんが、全艦、中破以上の損傷を受け、母艦で入渠中、母艦のエンタープライズDもディフレクターとワープコアに重大な損傷を受け、即時の追撃は困難です』

 

 ハンソン提督は少し、手元の机に目を落としてから顔を上げた。

 詳細のメールでも届いていたのかも知れない。

 

『分かった、艦隊の修復が完了次第追撃に移ってくれ、ああ、そうそう』

『はい?』

 

 通信を切ろうとした、ライカー提督に取り澄ました微笑を向け、ハンソン提督は私の方へ手を向けた。

 

『一言、挨拶してあげたらどうかね、確か……二年ぶりだろう』

 

 私、と言うか、今の私の体は床まで届いてない脚を椅子の前でぶらぶらさせながら、ダブルピースを決めて見せた。

 

(あー、もう子供っぽいなぁ)

 

 一人前のレディなら絶対にやらない、はしたない仕草を見たライカー提督は、本気で困った顔になった。

 何だか申し訳ない気持ちである。

 

『まぁ、分からなくても仕方あるまいな、Mー33銀河に行った時には“違う格好”だったそうだからね……ライカー提督、彼女は“Promise ling”だ』

 

 ライカー提督の眉が一瞬ぴくりと動き、私の顔をじっと見つめてくる。

 じっと見られると反応に困るのだが、今の私の身体の方は困るどころか、両手を振ってアピールしている。

 

(どこまで子供なのよ!)

 

 と、思ったけど、どうやら、私の身体が見ているのはライカー提督の背後にいる男の子らしい。

 すらりとしてかっこいい、筈だけど、機械を操作する手を止めてこっちを見つめている顔の中で、目線が泳いでいる。

 ライカー提督も、自分を通り越している視線に気がついたのか、ちらりと背後に目をやり、すぐに視線を此方に戻してきた。

 

『成る程、M-33銀河から帰って来てから、我々は随分君を捜したよ、あの妄想と現実が入り交じる中で、“そこに居ない筈の君が”監視装置に現実の存在として記録されていた……装置に頼らず、最初にそれを見抜いていたクラッシャー少尉代理を称えるべきでしょうな』

 

 顔は大まじめだが、最後、若干の笑いを含んだライカー提督の声に、男の子、クラッシャー少尉代理は、はっとした様に背筋を伸ばして機械をもう一度弄り始める。

 若干頬が紅潮してるみたいだ。

 かわいい。

 

『しかし、“プロミスリング”が現れたと言う事は、新造艦ですか?』

 

(プロミスリング……そう言えば、雷がくれた編み紐がそう言う名前だった様な気がするわ)

 

 少し興味を惹かれた様に訪ねたライカー提督に、ハンソン提督はにっこり笑って頷き、通信士に合図を送った。

 

『ハサウェイ君に繋いでくれたまえ』

『ラ、ライカーさん!い、いぇっ、ライカー提督!は、初めまして、コンステレーション級 U.S.S.ハサウェイです、ブラスロタ星系では“母”がお世話になりました!』

 

 返答した通信士が繋いだ瞬間、元気で早口な声が割り込んできた。

 テレビの右下には四本の筒(多分エンジン)を担いだ娘が映っている。

 しゃちほこばって敬礼する姿が実に初々しい。

 

(なんか、吹雪ちゃんみたい)

 

『……君か、“母上”にはラブリーエンゼル作戦で随分と世話になった、加わってくれてとても嬉しいよ』

『はい、ありがとうございますッ!去年、クリンゴンの国境封鎖作戦でもお世話になったピカード提督も、必ず、お救いして見せます!』

『ありがとう、充分気をつけて、な……ハンソン提督、頼みます』

 

 力いっぱい宣言するハサウェイに優しい笑顔を向けていたライカー提督の顔が、ハンソン提督に目線を動かした時、少しだけ曇っていた。

 

『ああ、君の方も気をつけてな』

 

 敬礼して通信を終えたハンソン提督は、息を吐いて椅子にもたれかかった。

 じっとその顔を見上げている私に気づくと、提督は苦笑いして目頭を揉んだ。

 

『さて、実際の所、我々は勝てると思うかね?』

 

 そう訊かれた私の体は、指を捻って、どこからともなくチョコレートを取り出して口に放り込んだ。

 手首辺りまでしか見えないが、私は白い長袖シャツを来ているらしい。

 

(チョコは……A○Cチョコレートね)

 

『それも見にきた、か、いや結構、また後でな』

 

 ハンソン提督が辞退したチョコレートを口に放り込んで五分と経たない内に警報が鳴った。

 サイコロみたいに四角いものがテレビに映る。

 あれが敵艦らしい。

 拡大されると、デザインに統一性のない雑多な艦娘が10隻程度随伴している。

 どの子も黒い機械がごちゃごちゃとついていて、変わった深海棲艦みたいに見えた。

 

『来たか……』

 

 ハンソン提督の号令を受け、各艦がサイコロ艦とその随伴艦に対峙する。

 いきなり、テレビの画像が切り替わり、つるつる頭のおじさんが大写しになった。

 このおじさんも体中にごてごての機械がくっついて、まるでロボットみたいだ。

 

『私はボーグのロキュータス』

『ああ、ジャン・リュック、ひどいもんだ……』

 

 小さく呟いたハンソン提督に椅子の上から身を乗り出して、握りしめられた拳の上に手を置いてあげる。

 この体勢、地味に苦しい。

 

『シールドを下ろし降伏せよ、お前たちの生物的特性と科学技術を我々のものとする、お前たちの文明は我々に従属する、抵抗は無意味だ』

 

 ハンソン提督は私の手を外すと、頭をくしゃりと撫で、まだ喋っている、つるつる頭のおじさんに向き直った。

 

『残念だよ、残念だ……各艦、交戦を許可する』

 

 また画像が切り替わったテレビの中で、展開した艦娘達が一斉に、光線を発射し、光る魚雷で雷撃する。

 砲声も轟かず、火薬と潮の臭いも無い艦隊戦。

 遠目に見えるのは、光の瞬きだけ。

 ちかちか、ぱぱぱっと光って、ぱーんと大きな光になる。

 まるで花火大会だ。

 現実感が無いのに、艦橋の中で飛び交う状況報告だけが、私には生々しかった。

 ハンソン提督の命令で、味方の全艦が敵艦1隻に集中砲火を浴びせている。

 いっぺんに何百発も光線と魚雷が命中した敵艦がテレビから消えた。

 お返しに放たれた敵艦の光線が、味方の艦娘のシールドを素通りして真っ二つに切り裂き、爆散させる。

 1時間も経たない内に、40隻以上居た艦隊が半数に減っていた。

 テレビの右下に開いた拡大窓が切り替わる度に、大破、轟沈した、艦娘だった欠片が映し出されている。

 私はその中に、特徴のある4本のエンジン筒が付いた艤装がないかこわごわ確認してしまう。

 時間の感覚がはっきりしなくなってきた。

 敵の随伴艦はほぼ壊滅だが、艦隊の損害が大きすぎる。

 普通なら、とっくに撤退している筈だ。

 このままでは、こちらが先に壊滅してしまう。

 いきなり、艦全体が揺れた。

 

『トラクタービームです!』

『全力後退!』

 

 ハンソン提督の命令が飛ぶと、物凄い振動に艦が軋んだ。

 

『駄目です、この位置を保つのが……』

『シールドへ全出力を回せ!』

 

 報告を途中で遮り、ハンソン提督が叫ぶ。

 その瞬間、艦が跳ね上がった。

 

『シールド60%!』

 

 地震の様に揺れている中、機械にしがみついて、士官が叫んでいる。

 

『全艦へ通達!プランB、プランBを実行だ』

『了解、こちらU.S.S.ヤマグチ、全艦、プランBを実行せよ!繰り返す、全艦、プランBを実行せよ!』

『ブラフ、か、やはりジャン・リュックだな……』

 

 ハンソン提督の命令を通信士が全艦に伝達する間も、艦は今にも分解しそうな勢いで跳ねている。

 テレビの画面の中で、生き残りの艦娘と母艦が次々にワープして消えて行く。

 腕を掴まれたハサウェイが引きずられる様にして消えて行くの見て、一瞬気が緩んだ瞬間、私は椅子から放り出されていた。

 床に叩き付けられて息が詰まる。

 でも、意識を他に向けるより早く別の所に放り出され、今度は右腕を激しく叩き付けられた。

 

(ぎゃあ!)

 

 折れたかと思った。

 その後は何回何処をぶつけたか分からない程、転がり続け、しまいには、壁に激しく背中を打ちつける。

 

(痛い!痛い!)

 

 “人間の”体が感じる痛みがこんなにひどいとは思わなかった。

 ちょっと体を打ちつけただけで息が出来なくなる程なら、手足が取れたら死んでしまうのもよく分かる。

 諦めて、床の上にひっくり返って揺れに身を任せているだけでも、体が跳ねるのが止まらない。

 

『シールド、ダウンします!』

 

 最後に大きく一回揺れて止まった時には、壁に両足を乗り上げてひっくり返ってしまった。

 頭は打つし、スカートはめくれちゃうし、最悪だ。

 とは言え、今の私はチェック柄のロングスカートを着てるらしいのは分かった。

 靴もしっかりとしたブーツを履いている。

 ごろりと転がって体を起こすと、テレビの画像が勝手に切り替わって、つるつる頭のおじさん、多分、サイコロ艦の艦長が又映った。

 艦橋のあちこちで光が走り、機械だらけのおじさん達が現れる。

 反射的に動こうとした士官が殴りつけられ、機械に叩きつけられると、たとえるのが難しい、凄く嫌な音がした。

 士官は接合部分から折れた機械の上にぐったり伸びて、動かない。

 私は腕を掴まれ、無理矢理立たされた。

 首を動かすと、無表情な機械おじさんと目があう。

 身長が違いすぎて、上がりすぎた肩が痛い。

 

『生命体19216811、お前を同化する』

『ジャン!ジャンリュック!』

 

 艦長席を掴んで身を起こした、ハンソン提督が叫ぶ。

 つるつるおじさんは、ちらりと目だけを動かして、すぐに私に目を戻した。

 

『貴様の過去の戦術パターンは解析ずみだ、おまえは同化しない』

 

 つるつるおじさんが私を見る目、凄くぞっとする。

 まるで、深海棲艦に睨まれてるみたいだ。

 首の後ろがちくっと痛くなり、そこが何か、あつくて、肉がねじ切れる様に痛くなる。

 勝手に筋肉が引き連れて、左肩と頭がくっつきそうに引きつった。

 口が大きく開いたけど、悲鳴が出ない。

 

(何か注射された!)

 

 私が苦し紛れに足をばたばたさせると、ブーツの踵が何か硬い物に激しくぶつかった感触がして、足が地面についた。

 暴れに暴れていると、掴まれていた手が外れ、私は床の上を転がり回る。

 

『大丈夫だ、大丈夫、かわいこちゃん、目を開けて、大丈夫だから、頼む、目を開けてくれ』

 

 顔を撫でられている感触がする。

 瞬いて、目を開けると、ハンソン提督に抱えられていた。

 身体が熱っぽくて、視界がぼやける。

 ハンソン提督が機械おじさんを振り払う。

 

『邪魔するなジャン、今更、逃げられんさ』

『私はロキュータス、そうだ、お前達は同化される』

 

 私は抱っこされて運ばれる。

 なんと、お姫様だっこだ。

 

(でも、おじいちゃんなんだよなぁ)

 

 一人前のレディとして相応しい運ばれかただけど、こう言うのは、恋人とか、結婚した提督にして貰う事だ。

 

(あ、でも、おじいちゃんも提督だっけ)

 

 おじいちゃんが腰を下ろして、私を抱えると、艦長席に運ばれた事が分かった。

 艦橋にいる士官達は、みんな緊張した顔で、じっと持ち場で周りを伺っている。

 機械おじさん達が見張っていて動けないのだ。

 テレビにはサイコロ艦が映っていて、そこから伸びた青いビームが画面全体を青く染めていた。

 捕まっているのだけは分かる。

 

『この艦一隻だけとは、お前にしては随分と少ない戦果じゃあないかね、ジャン・リュック?』

『貴様が撤退させた艦は再集結して戻ってくる、進路変更は非効率的だ、最後にはお前達は同化される』

 

 やけに陽気な声で話しかけたハンソン提督につるつるおじさんは冷たく返し、また、ぞっとする様な目でこっちを見た。

 身体の中で、何か蠢いている様な嫌な感じがする。

 勝手に開いた口が、痙攣する舌を食いちぎる前に、指が差し入れられた。

 口の中に、鉄さびみたいな味が広がってゆく。

 ハンソン提督は少しだけ顔を顰めながら、私の前髪を払って何か囁いている。

 でも、身体の方の意識が朦朧としているせいか、聞き取る事ができない。

 顔を撫でられている感触の方がはっきりとしている。

 

『生命体19216811を同化した事により“艦娘”が建造可能になる、ドローン・ハンソン、おまえがこの情報を持って帰るのだ』

 

 次に意識が戻った時に聞こえたのは、つるつるおじさんの声だった。

 ハンソン提督は、大きなため息をついた。

 

『嘆かわしいな、連邦最高の提督を取り込んだ挙げ句がその程度か、私が情報を持って帰ろうが、お前が“代弁”しようが、我々は諦めんぞ、何故その程度が分からない』

『抵抗は無意味だ、何故理解しない』

『ほう、ボーグが“何故”とはな、聞いたより進歩的だな』

 

 つるつるおじさんの応えに、ハンソン提督が小さく呟いた。

 その間、私の身体は寒気で震えっぱなしだったけど、身体の中のもぞもぞが、だんだん酷い胸やけに変わり、その内、凄い吐き気になる。

 身をよじっておじさんの膝の上から抜け出し、私は床の上に色々と戻してしまった。

 最悪だけど、トイレどころか、流しだってどこにもないんだからどうしようもない。

 駆け寄ろうとした、青いピチピチ服の人が機械おじさんに抑えつけられている。

 背中を撫でられながら胃が口から出てきそうな程吐いた私は、ハンソン提督に助けられて身体を起こした。

 提督の左手の親指から、血が出ている。

 

『大した事は無いさ、君は大丈夫か、気分は?』

 

 歯形の形に出血している指を見ている私の頭を撫で、ハンソン提督は微笑んだ。

 言われてみれば、吐いたら、なんだか凄くすっきりしてしまっている。

 ただ口の中が苦くて気持悪い。

 と、思っていたら、私の身体はどこからともなく青色に光る瓶を取り出して、よく分からないけど爽やかな飲み物を飲んで口の中を洗った。

 ハンソン提督の方を見て、にっこり笑うと、私は画面のつるつるおじさんを瓶の口で指し、大きく口を開いて舌を出せるだけ突きだす。

 あかんべぇ、というやつだ。

 隣でハンソン提督が軽く噴き出し、ブリッジが若干ざわついた。

 

(何で自分の声が聞こえないのかしら?)

 

 何か言ってるっぽいのに聞こえないのが、こうなると、たまらなく気になる。

 

『おまえらの答えはつまらん、ね、アレでも、ジャン・リュックはアカデミー時代は大した色男だったもんだがな、若い娘は残酷なもんだ』

『生命体19216811、お前は回収し同化する、同化できないのであれば破壊する』

 

 私は両手を頭の横に持ってきて指をひらひらさせ、もう一発あかんべぇをかます。

 

(なんて下品なのよ!)

 

 相変わらずレディにあるまじき仕草だが、正直ちょっとだけすっきりした。

 結局、この身体は大した事は喋ってないらしい。

 しかし、ヘンな薬を断りも無しにレディに注射するなんて、“ゆるされざれるつみ”だ。

 表情を変えずに見ているおじさんからぷいっと顔を背けて、私は、艦長席に戻っていたハンソン提督の膝上に上がり込んだ。

 もう、サイコロ艦はテレビ画面一杯に広がっている。

 ここまでくると、開口部に誘導されているのがよく分かった。

 鹵獲されてしまったら“同化”とかされてしまうのだろうか。

 何だか、凄く嫌な感じの言葉だった。

 戦利艦として連れて行かれた響の事が思い浮かんだけど、それより余程悪い事に違いない。

 がくんと大きな揺れがあって、動きが止まった。

 入港したみたいだ。

 

『お前達の同化を開始する』

『老人の長話に付き合ってくれて感謝はするが、ホストしては及第点はやれんなぁ、ジャン・リュック』

 

 ハンソン提督は艦橋を見回して、多分、士官達に頷いた。

 

『ありがとう……ウィル、任せたぞ』

 

 機械おじさんが近づいてくる。

 ハンソン提督は顔を上げ、つるつるおじさんに笑いかける。

 凄く、寂しそうだった。

 

『ジャン・リュック、自分を取り戻せ、お前ならできるさ……』

 

 首を反らして顔を見上げていた私を見て、ハンソン提督は頭にぽんと手を置いた。

 

『お嬢ちゃん、“約束”を頼む』

 

 私は伸び上がって、ハンソン提督の頬に軽くキスをしてあげる。

 私の中で何かが膨れあがり、弾けた。

 強い光で全部真っ白になって、じわっと滲んだ暗がりに消えてゆく。

 どこまでも落ちて行く私を背中から抱き留め、誰かが耳元で囁いた。

 

『“コイツ”デハナイ、“ココ”デハナイ』

 

(誰?)

 

 私の黒髪と、混ざってたなびいている白髪を見ながら、意識が遠ざかって行く。

 

 意識を取り戻して目を開けると、空に太陽が輝いていた。

 波の音が聞こえる程の静寂の中、砂浜を踏みしめる足音が耳に響く。

 サングラスをかけているらしく、ちょっと、視界が琥珀色っぽく色づいている。

 これが無ければ、砂浜の照り返しが結構きつかったかも知れない。。

 引き揚げられて、FRPがケバケバになった漁船の間を抜け、沿岸道路に上がる。

 風化したアスファルトはあちこちが裂けてひび割れ、雑草が塊になって茂っていた。

 取りあえず、今度は地球の上に居るみたいだ。

 左右を見回しても、車がきたり、誰か歩いているのは見えなかった。

 かなりさびれた町、と言うか村みたいだ。

 適当に右を選んで歩き出すと、コンビニが見えた。

 近づいて半開きになった自動ドアから覗き込んでみると、薄暗い店内は地震にでもあったみたいに散らかっている。

 全部灰色の埃まみれで、蜘蛛の巣まではっていた。

 放棄されてから大分経つらしい。

 良く見たら、ガラスもかなり煤けている。

 そのまま歩き続けたが、沿岸には人っ子一人居ないみたいだった。

 海沿いの建物にも、全然人気が無い。

 

(避難でもしてるのかしら?)

 

「ふむ」

 

 やけに野太い声にちょっとどきりとした。

 そう言えば、今回はやけに周りが小さく見える気がする。

 今の身体は、かなり背が高い男の人らしい。

 しかも、声からすると、結構お年寄りみたいだ。

 さっきのガラスがあれだけ煤けていなければ、顔も見えた筈だけど、仕方が無い。

 身体が違うのを意識してみると、何か色々と装備をつけているのが分かった。

 腰に幾つか袋を下げているし、背中にも何か大きなものを背負っているらしく、微かに金具の音がしている。

 人間には相当な重さの筈だけど、この人は全然平気そうだ。

 人気の無い海岸通りを抜け、アスファルトが割れ、あまり手入れされていない県道を上り、ぼろぼろのコンクリ敷きの脇道に入る。

 トラックが充分通れる幅があるけど、好き放題にススキや猫じゃらしみたいな雑草が生えているので、邪魔になりそう。

 

「こいつは使われなくなってから大分経つな」

 

 この体の人はここを知っているらしい。

 緩やかに下る道なりに進んでいくと、大きな門が見えてくる。

 観音開きじゃなくて、横から車輪付の重たい柵を引っ張って閉める本格的なやつだ。

 

「何があった……」

 

 柵はへしゃげて横転していて、守衛さんの小屋は焼けている。

 地面に転がっている看板には、“有限会社 山代運送”と書かれていた。

 突然、目の前が明るくなった気がした。

 土埃の上に残された足跡が光る様にくっきりと見える様になり、漂う臭いは、まるで煙が立ち上っているのが見えるみたいに感じられる。

 まるで超能力みたいだ。

 真っ黒に焼けた、小屋をじっくりと検分する。

 あんまり、じっくり見たいものではないのだが。

 

「外はかなり焼けているが内部への延焼は見られない、内部の人間は逃げられなかった様だな、壁に開いているのは銃痕、随分と大きい、拳銃弾ではあるまい、小銃弾という奴だな、しかも、縫い目みたいに規則的に孔が開いている、自動小銃か……ふむ、複数の方向から一度に撃ち込まれている、角度から見て、襲撃犯は少なくとも5人以上、しかし、死体が無いな、誰かが片付けたか」

 

 感覚が鋭くなるだけじゃなくて、推理も早い。

 

(でも、凄いひとりごとだなぁ)

 

 たぶん、この人、結構なおじいちゃんだ。

 電も、お年寄りは独り言が多くなると言っていた気がするし。

 守衛小屋の横を通って敷地に入ると、ロータリーになった前庭を挟んで正面に事務所があって、右手は駐車場兼荷捌き場、その横は倉庫になっているのが見える。

 ロータリーには前部分がぐしゃぐしゃに潰れたトラックが放置されていた。

 

「馬の要らない馬車か、あの子が来たのはここではなかったろうがな」

 

(誰のことかしら?)

 

 取りあえず事務所の方に進み、粉々に割れたガラスを踏みしめて、中に入る。

 軽く身を屈めた所を見ると、この人、本当に背が高いみたい。

 この入り口、私と響で肩車しても悠々と通り抜けられる位の高さはあるし。

 事務所の中も滅茶苦茶だった。

 椅子はなぎ倒されているし、机も蹴倒されたり、ひっくり返ってるのまである。

 そして、カーペットにはべったりと黒い染みがあちこちに染みついていた。

 しゃがみ込んで、薬莢を一つ拾い上げる。

 緑色の錆を吹いているそれは、頭の所できゅっとくびれた形をしていた。

 ライフルの薬莢だ。

 よくよくみると、沢山落ちている。

 

「滅多矢鱈に撃ちまくった様だな、壁に随分と喰わせた所を見ると、威嚇か……いや、床の血糊を見ると、這いずった先で何かが飛び散った後になっている、念入りなとどめの跡だ、未熟な新兵の仕事、そう、熱に浮かされた新兵だ」

 

 痕跡を追っていくと、部屋中に似た様な痕跡が残っていた。

 幾つも見れば、私にだって少しは分かる。

 どの痕跡も、入り口から逃げようとしている。

 一つも、立ち向かっているものがない。

 

「ふむ」

 

 おじさんは、腰から何かを外した。

 凝った作りのランタンだ。

 灯りが漏れない様に、シャッターみたいな覆いがついている。

 

(ヘンなの持ち歩いてるなぁ)

 

 今回の身体の人は、本当に変わった人らしい。

 ランタンの覆いをずらすと、中からぼんやりとした緑色の光が漏れ出した。

 何かに驚いて立ち上がった人が尻餅をついた、それを見た女の人が悲鳴をあげ、倒れた。

 遅れて立ち上がり、背を向けた人は背を震わせて前のめりに倒れた。

 床に倒れて、ゆっくり這うその背中が何回か揺れて動かなくなる。

 緑色で半透明に透けた人々が繰り返す、死の瞬間を、私はただ、ぼーっと見ていた。

 

「ここでも使えるか……キーラには何か、化粧品でも土産にしてやらんといかんな、しかし、武器を持っていれば反射的に抜こうとする、それが出来ない程、完全な奇襲、或いは全員丸腰だったか、ここも死体は片付けられている、どっちが片付けたんだ」

 

 事務所の奥に行くと、カーペットの色合いが違う場所があった。

 

「ほう、金庫ごと持って行ったか、派手な物盗りだな」

 

 事務所から出て、駐車場の方に行ってみると、山代運送と書かれたトラックが一台だけ残っていた。

 穴だらけになって焼けている。

 

「5、6台はあった筈だがな……さて」

 

 荷さばき場の段差へ軽く跳び乗ると、ここにも血溜まりと、弾痕が残っていた。

 荷物も開けられた段ボールが幾つか転がっているだけだ。

 他は持って行かれたらしい。

 

「手当たり次第だな、だが、目的はここじゃあるまい、これだけの殺しと軍用の武器、ちんけな倉庫荒らしでは割に合わん、盗人もその辺は気に掛けるものだ」

 

 荷さばき場の台を飛び降りて、倉庫に入ると、黴臭い臭いが鼻をついた。

 昼間なのに、灯りがないとかなり薄暗いと思うけど、この人の目で見ると、昼間みたいにはっきりと見える。

 他と同じ様に荒らされている中の痕跡を辿ると、奥の昇降機に辿り着いた。

 昇降機は下に降りたままになり、手すりに縛り付けられたロープが垂らされている。

 地下にも倉庫があるらしい。

 

「動かんだろうな、しかし、こいつは古い……」

 

 下を覗き込んだおじさんは、腰から新しいロープを取り出して、素早く手すりに結びつけ、下へ滑り降りた。

 地下の扉は、内開きの耐爆ドアで、開いたままになっている。

 

「ここの銃痕は二方向から穿たれている、ここに来て、ようやく抵抗にあった訳か」

 

 言われて、壁の銃痕に注意すると、確かに内側と外側から刻まれているのが分かった。

 爆発物が炸裂した跡まであった。

 壁に突き刺さった金属の欠片を指でなぞり、顎を撫でる。

 

「新兵とは言え、これは完全に軍隊の仕業に違いない、この国で軍隊と言えば、自衛隊だけだった筈だが、しかも、ここは国の所有する施設だった、分からんな」

 

 緑色のランプで照らしながら進んで行くと、応戦しながら次々に撃ち倒されていく人影が映り込んだ。

 その中には、艦娘まで混じっている。

 撃ち抜かれた身体がぶれて消滅し、地面に艤装が投げ出された。

 狭い施設の中では艤装を展開できない。

 艤装の火砲で撃たれなくても、妖精さん付きの拳銃で撃たれたり、刀で身体を刻まれれば艦娘も傷つき、死ぬ。

 

「襲撃した連中は、艦娘がここにいる事を知っていた、その上で、艦娘を殺す為の武器を用意した、“妖精さん憑き”の武器は妖精鍛冶の一品ものだ、そんなもの、簡単に手に入るもんじゃない、ただの物盗りではありえん」

 

 奥に進んでいくと、激しい戦闘の痕跡があちこちに残されていた。

 

(ここ、鎮守府だわ)

 

 地下に広がっていたのは倉庫じゃ無くて、通信設備に工廠、作戦室に待機室、ドックに艦娘用入渠設備。

 どれも、鎮守府には必須なものだ。

 地上の施設はどれも目隠しの為のもので、ここはヒミツ基地だったのだろう。

 

(ヒミツ基地とか、わくわくするんだけど……)

 

 普段なら、そう思えるのに、どの場所も銃痕と血痕、爆発の跡。

 古戦場に迷い込んだ様な、居心地が悪い感じがして、おしりの辺りがもぞもぞする。

 

「妙だな、地上の徹底した略奪と破壊に較べて、ここはやけに手つかずだ、使おうと思えば、どれも使える」

 

 備蓄品倉庫の中で段ボールを開けてみると、重油のミニドラ缶がぎっしりと詰まっていた。

 振ってみると、たぷんたぷんと揺れる感触がする。

 蓋を開けて嗅いでみると、新鮮では無いが、いつもの重油の香りがした。

 修復剤の入ったバケツ容器も同様だ。

 

「妙だ、新しすぎる」

 

 蓋をして、ひとまず重油缶とバケツを腰の袋に入れ、奥へ進む。

 奥から空気の流れと一緒に、霧の様に潮の香りが流れ込んできている。

 途中から、壁がコンクリから自然岩に変わった。

 ここまで来ると、微かに水音も聞こえている。

 海が近いのだ。

 幾らも進まない内に広い空間に出た。

 天井の高い洞窟に、穏やかな波の打ち寄せる桟橋。

 隠し港だ。

 

「もう一度使うには、ちょっいと工事が要るな」

 

 天井は一部が崩れて、そこから光が差し、多分、出入り口だった筈の場所は崩落が起きて半ばまで埋まってしまっている。

 多分、艦砲射撃のせいだ。

 少し眺めた後、隠し港の横にある鳥居をくぐる。

 鳥居の先は、又、別の洞窟になっているらしい。

 

(ここって)

 

 何となく分かった。

 同じ様な雰囲気のある場所は、どの鎮守府にもある。

 

 ここは、お墓だ。

 

 洞窟を進むと、広く掘り抜かれた空間になっている。

 おじさんが指を変わった形にひねると、置いてあったロウソクに火が付き、うっすらと周囲が明るくなった。

 

 沢山のお墓があった。

 

 どのお墓も、壊されて中身が無い。

 なんで、こんなに酷いことができるんだろう。

 みんな、人を守る為に、戦って死んだ筈なのに。

 

(なんで、どうして……)

 

 艦娘のお墓を荒らす悪い人が居るのは聞いた事があるし、ペンキでイタズラされたって言うニュースも見たことはある。

 でも、私の知っているお墓は基地の中でいつも綺麗で、大事にされていた。

 おじさんがしゃがんで、墓石を確認している。

 白露、初雪、沖波、文月、球磨、隼鷹、摩耶、艦名と、“人間としての”本名が並べて彫られていた。

 一つ一つ、じっと、全てを確認する。

 私は頭がぼんやりしてしまったが、しばらくすると、おじさんが明らかに誰かのお墓を捜している事に気がついた。

 でも、最後のお墓を確認するまで止まらなかったので、その誰かのお墓は見つからなかったらしい。

 

「どの墓も中身が根こそぎになっている、目的は艦娘の艤装か……しかし、死んだ子の艤装を何に使う、何故だ」

 

 しばらく呟いていると、急に緑色の光で足下が照らされた。

 ランプの覆いが勝手に開いている。

 

『あら、本当に帰って来るなんて、思ったより優しいのね』

「思ったより、か、死人と言うのは中々辛辣だな」

 

 視線を上げると、まるで日本画の幽霊みたいに、両手を胸前で垂らしている子が立っていた。

 

『流石に驚かないわね、フフ……ウフフフ』

「喋る死人には、少しは慣れているんでな」

 

 片眼を完全に隠した直角の前髪に、さらさらの長い髪の毛。

 今はぼんやりした緑色だけど、多分、生きてる時には綺麗な黒髪だったに違いない。

 

(夕雲さん所の、早霜ちゃん)

 

「丁度いい、何があったか教えてくれるか」

 

 素で幽霊に情報を聞こうとするこの人も、かなりどうかしてる。

 早霜ちゃんも、呆れた様に軽くため息をついて、うらめし風の手を止め、前髪を軽く持ち上げた。

 そこに、目は無かった。

 目玉が入っている筈の孔は爆ぜた様な歪な傷孔になって、向こう側が見えている。

 

「襲ってきた奴らにやられたのか」

『付き合いが悪いのね、お義理でも驚いたふりをするのが幽霊への礼儀よ……フフフ、違うわ、最後の戦闘の至近弾で頭が半分無くなっちゃったの』

 

 早霜ちゃんは、しゃがみ込んだ。

 頭の上は見えたけど、幸い、死んだ時の状態の再現は止めちゃったみたい。

 

『撃たれて、砕かれて、燃えてしまった私を、朝霜と清霜はそれでも連れて帰ってくれたわ、ここに埋めて、お供えをくれて、時々、話しかけてくれた、あの人も来てくれた』

 

(あの人って、誰かしら?)

 

 足下の墓石には、“早霜”と彫られていた。

 本名は砕けてしまっていて見えない。

 

『ここを襲ったのは深海教の連中よ』

「深海教だと?」

『……ふふっ、やっと驚いた』

「おい」

 

 くすくす笑う早霜ちゃんに、おじさんはお手上げして見せた。

 

『私が見たのは深海教の連中、騒ぎが収まってから、ここにやって来て、私達のお墓を壊して、みんなの身体を持って行ったわ』

「やはり艤装が目当てか、しかし、何だって、その、“深海教”って奴らは、艦娘の“遺体”を持って行ったんだ、まさか、ゴーレムかなんかでも作るつもりか」

 

 至って真面目に呟くおじさんの言葉に、早霜ちゃんは噴き出した。

 

(うわぁ)

 

 油断したからなのか、頭半分がない姿が一瞬ぶれた。

 正直、怖いから止めて欲しい。

 

『お供え物よ、深海教の連中は、私達を捧げれば、“深人類”に“深化”して、救われると信じているのよ、私達は、人類の自然との一体化を妨げる“進化に反する種”だそうよ』

 

 呆れた様な口調だったけど、何だか、早霜ちゃんの顔は凄く寂しそうだった。

 

「率直に言って、訳がわからん事は良く分かったが、そいつらは沢山居るのか」

『あなたが居た頃から、本当は居たのよ、居なくなった後に増えたの、沢山ね』

「もしかして、そいつらは、深海棲艦を呼び込んだりできるのか?」

『私が“生きてた”時に、そんな噂を聞いた事があるけど、どうかしら』

「成る程な」

 

 黙り込んで顎を撫でているこちらを、早霜ちゃんはしゃがみ込んだまま、上目遣いに見上げている。

 物憂げな顔をしたままの上目遣いは凄く色っぽくて、こんな状況だというのに、私はどうやって真似しようかなと考えてしまった程だ

 

『朝霜ちゃんね、ここに来て、毎日言ってたわよ』

 

 おじさんは黙っていた。

 

『あなたは絶対に帰ってくる、帰って来た時に、情けない“選択”を見せる訳にはいかないって』

 

 いつの間にか、立ち上がった早霜ちゃんの顔は思ったより近かった。

 ホントに近い。

 

『最初、たった4人のあなたの“同類”だけ、でも最後には友達みんなと力を合わせてあなたの“小さな女の子”の為に戦ったお話、話してあげたでしょう……あの子、あいつは、たった4人になっても諦めなかった、負けてられるかって、歯を食いしばっていたわ』

「あの子は何処にいる」

 

 じっと目を覗き込むと、早霜ちゃんはすっと、離れた。

 

『私の所に最後に清霜と来た時ね、あの子、あなたのくれたあの剣を背負って、街に行くって言ってたわ、生き残りが街に連れて行かれたから連れ戻すって……ああ、あの子達を止めたかった、でも、私死んじゃってたから』

「君のせいじゃない」

 

 おじさんの言葉を聞いた早霜ちゃんは、何故か凄い目で睨んできた。

 

『そうね、あなたのせいかしら』

「かも知れん」

『……あなた、腹が立つ位優しいわ……街へ行くの』

「ああ、あの子の“選択”を見なければならんからな」

 

 軽く背を揺すると、二本の金属が触れあう微かな音が聞こえた。

 

『一つ、頼んでもいいかしら』

「何だ」

「街に行く途中、港があるけど、そこにまだ男の人が居るわ、多分、釣りでもしているのかしら、あの人、好きだったから」

 

 くすくすと笑う早霜ちゃんは、本当に可愛かった。

 でも、何だか、凄く悲しい気持ちになる。

 なんでだかは分からない。

 

『そこの、お墓の下に私のリボンが挟まっているんだけど、それを渡してあげて欲しいの……あからさまに、嫌そうな顔するのね、本当に礼儀知らずだわ』

 

 どうも、おじさんは相当渋い顔をしてたみたい。

 

「いや、すまん、ちょっと昔な、同じ様な手を使って呪縛を逃れようとした地縛霊がいてな」

『あら、そう言えば、朝霜ちゃんがそんなお話しをしていた気がするわね、では、だめかしら』

 

 寂しそう顔で手を下ろした早霜ちゃんの前でおじさんは腰を落とし、軽々と墓石を傾けて、下からリボンをそっと取り上げた。

 

「君は、最初から話をはぐらかさず、自分の見聞きした記憶について話してくれた、騙そうとする化け物は、そんな真っ当なしゃべり方をしないものだ」

『ふふっ……あなた、やっぱり甘いわ、でも、ありがとう』

 

 丁寧に埃を払って、リボンをしまうおじさんに早霜ちゃんは微笑み、消えてしまった。

 

「街か、ここいらで、それなりに大きな街と言えば、一つしか無いな」

 

 目眩の様なかんじがして、意識が戻った時には、もう、波止場を歩いていた。

 時間が飛んでしまったらしい。

 もう、驚く程の事でも無い気もする。

 周りに注意をうつしてみると、波止場には、魚市場と多分観光客の為の土産物屋とレストランが入った建物がある様だ。

 

(観光施設ね、ぎょーせーがお金を出して、こういうハコモノを作っちゃうのよ)

 

 一人前のレディは、社会情勢にも詳しいのだ。

 ハコモノ施設の先にヨットハーバーがあり、そこまでの道はボードウォークになっている。

 中々、オシャレだ。

 今日は良いお天気だから、お散歩したらすごく気持ちいいだろう。

 とりあえず、観光施設に入ってみると、やっぱり結構荒らされていた。

 机はちゃんと並んでないし、椅子は蹴倒されてるし、レジは壊されて中身が無い。

 又、突然、目の前が明るくなった気がした。

 おじさんが感覚を増幅したのだ。

 

「食品の腐敗臭が無いのと埃の堆積から見て、放棄されたのは大分前の事だな、複数の人物の足跡、どれも違う埃の積もり方をしているのを見ると、別々の時期に侵入者があった様だ、荒らされた状況をからすれば、物資の略奪目的に違いない、しかし、血痕がない所を見ると、ここでもめ事は起きていない様だな」

 

(やっぱり、ひとりごとが癖になっちゃってるのかしら?)

 

 周囲を更に見回すと、おじさんは別の足跡を見つけたらしく、しゃがみ込んだ。

 

「複数の足跡、女が一人と男が二人、これは比較的最近のものだな……女は杖をついている、だが、足を引きずった跡はない、護身用の武器か装飾品か、連中はそこの椅子を立て直し、向かい合ってしばらく休憩した」

 

 確かに、椅子の周りの床には引きずった跡があって、それを、うっすらと埃が覆っている。

 テーブルの上に視線を移して、顎に手を当てる。

 そういえば、この身体は結構厚い手袋をしてるみたい。

 いまさらだが、結構長いヒゲが生えてるみたい、ふさふさだ。

 

「左に男達が座り、右に女性が座った、男達の座った側の床には、ほう、それぞれに銃床の跡か、休憩の為、銃を机に立てかけ、一度綺麗にした……こんな場所で休憩とはな、天気が悪かったか、人目に触れたくない事情があるか、余り真っ当な稼業の人間ではないな」

 

 外にでて、ボードウォークの方に行こうとすると、防波堤に人が座っているのが見える。

 初めての、生きている人影は白い髪をしたお年寄りだった。

 近づいていくと、椅子に座って釣りをしている様だ。

 バケツの中には、何匹かアジっぽい魚が入っている。

 早霜ちゃんが言っていたのはこの人に違いない。

 

「釣れるか?」

 

 声をかけると、丁度、竿が上がった。

 又、一匹アジが追加される。

 

「悪くはねぇな、もう、他に釣るヤツもいねぇから、よく釣れるぜ」

 

 おじいさんは振り向きもせず、手に持っている瓶からお酒を飲んだ。

 今の身体は、栓が開いてるだけでお酒の臭いがはっきり分かる。

 あんまり呑まないから銘柄は分からないけど、ウィスキーだ。

 

「ライ・ウィスキーか、昼間から中々強いのをやっているな」

「銘柄を選べるご身分じゃ無いもんでな」

 

 おじいさんはようやく、隣に立ったこちらに目を向けてきた。

 

「このご時世に海に来るなんざ、自殺願望でもあんのか、まぁ、もう、若ぇ身空でどうこうとか言われる年じゃねぇのは確かみてぇだが」

「そりゃお互い様って所だな、あんたはどうなんだ」

 

 おじいさんは、又お酒を飲んだ。

 かなり酔っ払いの臭いがする。

 もう、かなり呑んだ後みたいだ。

 

「波が浚ってくれるのをまってんのよ、ヤツらがデカい顔してやがっても、海は海よ、クソ共しか居ねぇ陸(おか)でおっちぬのはごめんだからな」

「ヤツら、深海棲艦か」

「あん、それ以外に何が居るってよ?」

「艦娘が居るだろう」

「居ねぇよ、大本営が無くなってから二十年以上経ってんだぞ、俺たちゃ、負けたんだよ」

 

(二十年!?)

 

 おじいさんが黙り込み、始めて胡散臭そうな顔で、こっちをまじまじと見つめた。

 

「妙なもん担いでるじゃねぇか、段平二本、しかも、片っぽは妖精さん付きたぁな、“艦娘狩り”の賞金稼ぎか」

「“艦娘狩り”だと、聞いた事がないな」

 

 大宇宙の艦隊戦の後で、鎮守符の廃墟に、ヘンな宗教と幽霊。

 そろそろびっくりのタネは尽きたと思っていたのに、流石に大本営が無くなったって言うのにはもう一度びっくりさせられた。

 

(艦娘狩りって何よ、失礼しちゃうわ!)

 

 しかし、このおじさん、早霜ちゃんの事を、伝えてあげる気はあるのだろうか。

 

「ばっくれんじゃねぇよ、今時、艦娘殺しの武器を持って海沿いをうろつく様なヤツが、真っ当な商売してる訳がねぇ、大方、“深海教”の賞金に目が眩んだごろつきってとこだ」

「まて、“深海教”って言うのは何なんだ」

 

(うわぁ、白々しいなぁ)

 

 私の身体が指先をさささっと動かすと、うっすら逆三角の模様が宙に浮かんで、おじいさんの目がとろんとなった。

 

「言え」

「キチガイ共さ、深海棲艦が海から現れた神様だと崇めてやがる」

 

(あ、これ、すごい便利だ)

 

「もっと詳しく、何処から湧いて出たんだ」

「元は、自然保護団体だったらしいな、可愛そうなクジラを殺すな~、ってヤツよ、深海棲艦の出現は、クジラの虐殺を止めない日本人の蛮行が招いた海の怒りで、深海棲艦共は海神の使者、それに対抗する艦娘が日本からしか現れないのが何よりの証拠だとか抜かしてな」

 

 何だか、聞いてて頭が痛くなってきた。

 名前だけでも頭がおかしいのに、中身はもっと頭がおかしい。

 

「どんな馬鹿げた教義でも、困窮した民は“救い”があればすがるものだ」

「ああ、そうだ、最初はみんな笑ったさ、当の自然保護者の間でだって物笑いの種になったもんだ、だが、深海棲艦と“話せる”子供を教祖様にして孤島に移り住んだ奴らが居てな、あれが間違いの始まりだ、放っときゃ良いものを、国連サマの御声掛かりで“救出作戦”をやってな」

「ほう、どうなった?」

 

 おじいさんは首もとを親指でついっとなぞった。

 

「連中、抵抗の挙げ句に集団自決しやがってな、しかも、周囲に集結した深海棲艦共が救出艦隊を迎撃する所が、如何にも連中を保護してるみたいに見えてなぁ……それが、全世界に中継されちまった、深海棲艦の横で死んでる“教祖様”も含めてな」

「殉教者か、一の敵を殺して、一万の敵を作った訳だ」

 

 “深海棲艦”と“お話し”する。

 果たしてそんな事が出来るのだろうか?

 駆逐級、軽巡級辺りはいくら何でも無理そうだし、それ以上の、人型をしてるのも言葉を発しているのは聴いたことがない。

 鬼、姫級になると喋るらしいけど、一方的に喋るだけで、会話が成立しないと聞かされている。

 

「ああ、後のこと考えりゃ、そうだな、一万位で済みゃ良かったんだが……世界中のあちこちで似た様な事をやる馬鹿が増えた、普通にくたばった奴らも居たがな、確実に増えてやがったのさ“深海人間”共がよ」

「深海人間、又、妙な響きだな」

 

 深海人間、まるで、怪奇映画のタイトルみたいだ。

 

「今じゃ、“深海提督”とか、“海神の御子”とか呼ばねえと信者にぶちのめされるぜ、連中のお陰で、俺達は海だけじゃなく陸(おか)でもやり合わなきゃならなくなっちまった、“海との共存”をお題目に掲げるスパイ、テロリスト共とな、提督、艦娘、整備員、鎮守符に関わる全員、おちおち町を歩けなかったよ……今じゃ、歩く艦娘がいねぇがな」

 

 おじいさんは一息ついて、お酒を一口呑んだ。

 

「次は鎮守符、いや、“艦娘を支援する者”が徹底的にマトになった、人も、組織も、国もだ、結局、最初に“寝返った”のは“オーストラリア”だったよ、南極を奴らの領土にする条件で最強の海軍を手に入れたって訳だ、旗色が本格的に悪くなったのは三十年も前の話よ、その頃にゃ、ニュージーランド、オランダ、フィンランド、数えるのもめんどくせえ国が、奴らの側になってた、日本の原発が砲撃食らって吹っ飛んだ時にゃ、天罰が下った、神の鉄槌だの、ひでぇ、もんだったよ」

 

 おじいさんは又、一息、今度は少し長く、お酒を呑んだ。

 

「最初は、通りすがりのガキに石を投げられる程度だった、次は、銃で撃たれた、燃料に糖蜜を混ぜられた事もあったな、あいつは、俺たちゃ何の為に……」

「昨日パンを売ってくれた農民が翌日には腹をフォークで串刺しにしてくる、恐怖に駆られた人間はそう言うものだ、宗教、イデオロギーが絡めばもっと厄介な事になる」

「経験がありそうだな」

「好き好んでじゃ無いがな、所で、“深海教”とやらの“艦娘狩り”って言うのは何なんだ」

 

 何だか嫌な話しだし、長いから疲れてきていたけど、丁度いいタイミングで方向修正を入れてくれた。

 この身体、結構口がうまい。

 

「いくら、大本営が無くなって、日本が降伏しようが、諦めの悪い連中は居るし、艦娘も建造されずに産まれる事だってあるからな、駆逐、軽巡なら十万、二十万、重巡、軽空母なら四十、五十、戦艦、正規空母ならヒト桁増えるってな、提督なら家が建つらしいぜ、生かして捕まえりゃ倍掛けってな、クソが」

「残兵狩りか、しかし、生かして捕まえると報酬が上がるって事は、連中、尋問する事でもあるのか」

 

 顔を真っ赤にして怒りながら、おじいさんは、又一口のんだ。

 これじゃ、怒ってるんだか、呑み過ぎなんだか分からない。

 

「艦娘は“深海さま”の生贄、提督は“教化”すんのさ、踏み外した道をうんたらかんたらすりゃ、新しい“深海人間”の出来上がりってな」

 

 しばらく黙っていたあと、しゃべり始めたおじいさんの口調は結構落ち着いていた。

 でも、そっちの方がかえって怖い。

 

「成る程、よく分かった、しかし、あんた随分と連中に批判的みたいだが、危なくないのか」

 

 確かに、この人からは“深海教”って言うのが嫌いって言うのは、よく伝わってくる。

 

「気が触れた老いぼれだと思われとるからな、真っ当な人間なら、今日日、海岸線になんざ来ねえよ、確かにここん所妙に静かだがな、まぁ、もうどうでもいいこった」

 

 私の体はおじいさんの足元に小瓶を置く。

 薬瓶みたいだ。

 

「そうか、ここのじゃないが、こいつもライだ、口に合うといいがな」

「腹に効くなら歓迎するぜ、まぁ、気をつけろ、確かに何か妙だ、狂っちまった世界以上に妙なもんがあるかっていやわかんねぇがな」

「ああ、気をつけよう、あと、こいつは“早霜”からあんたへだ」

「なんだと」

 

 思いがけない事を言われて、感情が溢れてしまった人の顔はちょっと怖い。

 心配になるくらい震える手で、白いリボンを受け取ったおじいさんの顔はそれを確かめるうちに、くしゃくしゃに歪んでいた。

 

「早霜ぉ、本当に、そうなのか、どこだ、何処から、こいつを」

「墓石の下に挟まってるって言われてな」

「全部、全部持って行かれたと……」

 

 おじいちゃんは、額に両手で掴んだリボンを押し当て、押し殺した声で泣いている。

 おじさんは、できるかぎりそっと、その場をはなれた。

 おじいさんとお別れした後、少し歩き、ちょっと階段を上る。

 その間、ずっと後ろから人の足音が聞こえていた。

 おじいさんとのお別れの余韻が台無しである。

 

(隠す気あるのかしら)

 

 あからさまな尾行だと思ったけど、よく考えればこの体は凄く感覚が鋭いんだった。

 上がった先は駐車場で、車体が錆びた車が転がってるだけだ。

 コンクリのおかげでまだ雑草天国を免れてる状態。

 

(ここも廃墟ね、人が住んでる場所ってあるのかしら)

 

 奥のベンチに腰を下ろして、また感覚を増幅するとこそこそ動き回っている人達の動きがよく分かった。

 

(電探載せた時にちょっと似てるわね)

 

 このおじさんの超感覚も説明しにくいけど、普通の人に、私達が電探や、水中聴音機を積んだ時に感じる感覚が広がる感じも又、説明しづらい。

 相手は三人、一人が右に回り込んでいる。

 

「おい、そこの二人、何か聞きたいことがあるんじゃ無いのか?」

 

 声をかけると、黒っぽい服を着た人達が出てきた。

 ひらひらした服を着た方は杖を持っていて、もう一人はライフル銃と、腰には警棒を下げている。

 何だか、どこかで見た事がある格好だ。

 特に、ひらひら服の頭。

 大きな帽子にくっ付いた長い吹き流しが妙に気になる。

 

(あ、ヲ級!)

 

 深海棲艦を真似した服装をしているらしい。

 よく見ると、ライフル銃を持ってる人の方も、服は黒と青灰色の深海棲艦カラーだ。

 

「噂の“深海教”のご登場だな」

「流れ者、どこから来た」

 

 随分と横柄な女の人だ。

 

(レディ相手に失礼ね!て、今、おじさんだったっけ)

 

「里帰りの後でね、リヴィアから、と言っても分からんか」

「リビア、船員には見えないが」

「まぁな、仕事は害獣の駆除ってとこだ」

 

(リビア共和国、アフリカの国ね、ちゃんと勉強してるんだから!)

 

「そのデカい金串は国からの土産か」

「ああ、こいつは人を刺すのにも刻むのにも便利だぞ」

 

 ライフル銃を持った人、こっちは若い男の人、って言うか男の子。

 馬鹿にする様な口調が凄く失礼だけど、ヲ級の人に睨まれて、バツが悪そうに黙り込んだ、いい気味である。

 しかし、今の話からするとずっと背中にのっていたのは剣か何からしい。

 

「ここに来た目的は」

「観光だ、今日はいい散歩日よりだろう、潮風に当たりながら一杯やるには最高だ」

「そうかい、そうかい」

 

 男の子がライフル銃から棍棒に持ち替えながら寄ってくる。

 

「止めろ」

 

 ヲ級の人が低い声で命令しても止まらない。

 右手の草むらから、かちり、という微かな金属音が聞こえた。

 棍棒が振り下ろされた瞬間、左手があっという間に男の子の腕を捕らえて捻り、背中にねじり上げていた。

 男の子の体を右側の気配へ盾にしたまま、ナイフを投げつける。

 悲鳴が上がった所を見ると刺さったらしい。

 一瞬の早業。

 

(この人強いなぁ)

 

「さて、次は、そちらの目的を訊こうか」

 

 男の子が体をよじっているけど、びくともしない。

 力も凄い。

 

「何をしでかしたか、分かっているのか」

「素面の時にはな、さぁ、ここをうろついていた目的はなんだ」

 

 男の子の首に手をかけて横に捻ると、簡単に真横を向いてしまった。

 こき、とか嫌な感触がする。

 男の子が、くぐもった声で呻く。

 

(やだ、もうちょっと捻ったら死んじゃうじゃない)

 

 人の首を一回転させる感触なんて気持ち悪いに違いない。

 

「どこの手先か知りませんが、海神の御子は死を怖れません、イ級深子 原田、あなたの魂は深海の神域に還るのです、恐れる事はありません」

 

 そう言いながら、ヲ級の人は、杖と反対側の手で何かを取り出した。

 

(艦載機、本物?)

 

 平べったくて、後部に発光部位のある深海棲艦の艦載機。

 人が持っているのを見ると、模型にしか見えないけど、発光部位が赤く光っている。

 あれが本物なら、人間には勝ち目はない。

 しかし、ヲ級の人が杖を振り上げた瞬間、おじさんは捕まえていた男の子を突き飛ばして走り込み、まだ剣も届かない間合いで手を突き出すと、なんと、すごい衝撃波が発生し、ヲ級の人が弾き飛ばされてしまった。

 いつの間にか抜いていた剣で杖を弾き飛ばし、地面に転がった艦載機を串刺しにする。

 

「確かに、こいつは本物だな」

 

 足をかけて引っこ抜くと、光を無くした艦載機が軽い音を立てて転がった。

 

「さて、もう一度だ、ここに来た目的は何だ、単なる追い剥ぎではなかろう」

 

 剣を軽く突きつけられ、ヲ級の人がしぶしぶと言った感じに口を開いた。

 

「偵察活動だ、はぐれ艦娘はこういう寂れた入江に潜んでいるからな、それにここは昔、隠し基地があった場所だ、定期的に偵察している」

「成る程な、その隠し基地って言うのはどこにある」

「ここから、15分程度歩いた岬の下にある、もう、見れば分かる」

「ふむ、おい、お前、藪で転がってる奴を連れてくるんだ」

 

 剣で指された男の子は、首を押さえて立ち上がると、草むらから、似た様な黒服を着たおじさんを連れてきた。

 右肩の辺りに投げナイフがかなり深く突き刺さっている。

 汗まみれで、顔色が真っ青だ。

 

(うわ、痛そう)

 

「さて、俺は一々、人様の信仰に立ち入る気はないが、たまたま、そこの“隠し基地”に居た子を探している、街へ行ったっていう噂がある、知らないか?」

 

 ヲ級の人は無表情で睨んで居るだけだけど、男の子……イ級とか呼ばれてた子は少し目を逸らした。

 

「何か知っているなら喋った方が良いぞ、喋れる内にな」

 

 男の子は口をぱくぱくさせながら、ヲ級の人とこっちを見比べていたけど、つばを飲み込んで、座り直した。

 

「あの基地は、結構な昔、俺が入信する前に“街の本部の連中が”制圧したんだ、その後も、“背教者”達を捕まえるのに便利って事で、わざと完全には壊さずに、物資にも手をつけなかった……て、聞いてる」

「やはりな、でどうした」

 

 銀色の刀身に赤く紋様が浮き出た剣で先を促され、男の子は顎を引く。

 

「艦娘は街の反対側にある、“祭場”は連れていく決まりだ、俺みたいな下っ端にはよくわかんねぇけど、今まで手入れで捕まった艦娘はみんなそこに連れて行かれてる筈だぜ」

「成る程な、では、この娘を知っているか?」

 

 おじさんは不意に、写真を取りだした。

 ちらりと見えた感じだと、朝霜ちゃんだ。

 

「いや、しらねぇ」

 

 男の子は、ちょっと安心した様に息を吐いた。

 

「街に行った筈なんだが」

「正直言うと、俺たちはこの辺の支部のもんだから、街の方は良く分からないんだ、ここしばらく、街の本部とは連絡もつかねぇし、何か、どえらい事があったのは確からしいけどよ……逃げてきた連中は、艦娘の亡霊とか化け物がどうとか錯乱しててまともな話は聞けねぇし、見に行かせた連中も帰ってこねぇ、今、ここいらで動けるのは俺等を入れて十人もいねぇよ」

「原田!」

 

 ヲ級の人が怒鳴ると、男の子はぷいっと横を向いて、つばを吐いた。

 汚い。

 

「成る程な」

「なぁ、もう良いだろ、洗いざらいくっちゃべったんだ、俺は、アンタにもう関わり合いたくねぇ」

 

 男の子は、顔を真っ青にしてあえいでいるおじさんを抱えて、ヲ級の人の方をチラチラとみている。

 ヲ級の人は、今にも殺しそうな目つきで男の子を睨んでいた。

 あの間には正直入りたくない。

 

「お前、艦娘を殺した事があるか?」

 

 ごく普通の声色だったのに、男の子の顔色が紙みたいに白くなり、肩をふるわせていたかと思っていたら、突然笑い出した。

 

「やってねぇ、“俺はまだ”やってねぇよ!こいつらとちがってなぁ!」

 

 強烈な異臭がしてきた。

 地面にじわっと、染みが広がって行く。

 

 おじさんはため息をついて剣を収めると、手早く倒れたおじさん(信者の方)の肩口をきつく布で縛り、ナイフを静かに引き抜いて、布でしっかりと男の子に抑えさせた。

 

「お前等にはつきあいきれん」

 

 言い捨てて、足早にその場を離れる。

 確かに、この人達の相手をしていると、本当に頭がおかしくなりそうだ。

 

「亡霊か、艦娘もレイスになりうるのか……女である以上無いとは言えんか、しかし、街まで歩きになるな、ローチが恋しいもんだ」

(なんで女の子限定なのよ、それって、さべつてきだわ)

 

 又、意識が歪み、気がつくと、大きな街を見下ろしていた。

 もう夜になっている。

 眼下に広がる町は、平坦な街並が広がる、いわゆる、ちほーとし、と言うやつだ。

 二十階建てのビルなんてマンションか、役所のビルにあるかどうか。

 都会って程じゃない。

 でもちょっとおかしい。

 真っ暗だ。

 流石にそれくらいは、おじさんが独り言漏らすより先に気がついた。

 

「妙だな、まるで廃墟だ」

 

 おじさんはつぶやいて、小さいビンから薬を飲んだ。

 

(うえ、なにこれ)

 

 何かお酒臭い上に形容しがたい味がする。

 でも、急に周りがまるで昼間の様に明るくなってきた。

 エビ○ス錠よりすごい効き目だ。

 少し警戒しながら近付くと、すぐに異臭に気がついた。

 街中に入ると、すぐにその出所が分かった。

 

(うわ、あ……)

 

 そこかしこにごろごろと、死体が転がっていた。

 どの死体も、手足が曲がっちゃいけない方向へ曲がり、回っちゃいけない角度に回転させられている。

 そうじゃない死体は、力任せに壁に叩きつけられて鉄骨に突き刺さっていたり、お腹に大穴が開いていた。

 

「どれも力任せに捻折られ、叩きつけられ、引き裂かれている……少なくとも、レイスの仕業じゃない、まるで、フィーンドかチョルト並の力だが、食い荒らした跡も、糞の臭いもしない、腐り方からすると、そうだな、多分、一週間も経ってないだろう、しかし、こいつは何だ」

 

 あちこちに点々と落ちている赤茶色の塊を拾って、調べてみる。

 軽く力を入れるとあっさり砕け、粉になってしまった。

 手袋の指先についた粉を嗅いでみると、金気臭い臭いで鼻がつんとする。

 

「錆だ、それも鉄錆だな」

 

(うわ)

 

 艤装にできる赤錆は、美容の大敵である。

 本体の艤装が錆で汚れたりすれば、人間としての体、擬躯(ぎたい)のお肌まで荒れてしまう事もあるので、艤装磨きだけは言われなくてもみんな熱心にやっている。

 点々と落ちている赤錆をたどりながら町の中を進んでいくと、町中が死体の山になっている事が分かった。

 砕かれたガラス戸、引き裂かれたシャッター、打ち抜かれたドア。

 どの先にも死体の山があった。

 壁から剥がれて転がっているドアは、まるでサランラップに拳を押し付けて伸ばしたみたいになっている。

 

「拳の跡だな、この大きさだと、女性の手だ……深海棲艦、或いはな」

 

 おじさんが飲み込んだ言葉の先を私も考えたくはない。

 しかし、ここの街に入ってから、何か凄く落ち着かない。

 先に進んではいけない気がする。

 

(とにかく、何だかすごくイヤな感じ)

 

 どう言ったらいいか、分からない。

 けど、このまま進めば、何か、私たちには良くない何かを見てしまう気がする。

 おじさんがどんどん町の中を進んでいくと、ビルの壁が壊されたり、火事になった跡が目についた。

 車はひっくり返ったり、玉突き衝突していたり、ショウウィンドウに突っ込んだり。

 そうでなくても、ドアが開けっ放しのまま乗り捨てられたりして、かなりパニックが起こったのが分かる。

 

「不安定な足跡だな、どれも小さい、女の足跡だ、だが、ずいぶん大きいのが混じっているな、しかも素足か、人間のものに似ているが、並の男の倍はある、どれも足を引きずりながら、走る足跡、こっちは革靴に、女物のハイヒールだな、こいつを追った」

 

 おじさんは地面に広がった煤についた足跡を調べている。

 ここにも沢山の赤錆が落ちていた。

 

(どういう事かしら)

 

「そして、追いついた訳か」

 

 足跡の先には、何人分か分からない、人間の体……だと思う、ものがあった。

 落ちてる靴を持ち上げると、見た目より重い。

 

(身!身!身!)

 

 靴には中身が入っている。

 

「食い荒らした跡はあったわけだ、一、二、三、四、五、六人、ふむ、おかしいな、全部揃ってる、どこを食った、いや食ってないな、“よく噛んだ”だけだ」

 

 食堂のよく噛んで食べましょう、の標語を見るたびに思い出しちゃいそうだ。

 

「しかし、歯形は人間に似ている、大きさは10倍以上あるがな、深海棲艦、恐らく駆逐級だろう……深海棲艦が人間を襲うか、ここは“深海教”とやらのお膝元じゃなかったのか」

 

 足跡と赤錆の跡を追って歩いていると、大きな建物が見えてきた。

 黒と青灰色の深海棲艦カラーでできたそのビルの前には、ポールがあって、そこでは四角い歯をしたクジラの旗がゆっくりとはためいている。

 二十階建て位はありそうだ。

 

(趣味の悪いビルね)

 

「この建物の敷地に向かっている二組の足跡は新しい、成る程、“祭場”とやらの情報もここならあるだろう」

 

(ええっ!)

 

 絶対に入りたくないなぁ、と思っていたのに、地面の足跡を調べていたおじさんは、ビルに入る気マンマンみたい。

 最初に軽くロビーを見てみると、他の建物と同じで、ガラスが叩き割られていて、死体が幾つもあった。

 

「こっちの足跡は少し古い様だな、しかし、これだけ広いと切りがないが、さて、どう辺りをつける」

 

(えー、退き際が大事って阿武隈さんもよく言ってたし、さっさと撤退よ!すごく臭いし)

 

 ビルの中は、腐った臭いが充満していて、頭がおかしくなりそう。

 でもおじさんは我慢できるらしい。

 

「隠すべきは地下、守るべきは上に……ふむ」

 

 おじさんは、軽く天井に目をやって歩き出した。

 エレベーターなんて動いてないから、階段を登ってフロアを確認していく。

 事務所とか、会議室、休憩室とかで、割とふつうの会社みたいに見える。

 ただ、やたらと大きなセミナールームがあって、壁にずらりと深海棲姫達の写真が飾られていた。

 

「南海棲姫の写真が一番大きくて真ん中に飾られているな、主はあれか……これは、艦娘の無力化手順についてのガイドライン、ほう」

 

 散らばっている資料を見てみると、それは艦娘の捕獲手順についての資料だった。

 中身は、轟沈させない程度に艤装を損傷させる為の攻撃箇所が艦種、型毎に纏められている。

 目次をみると、印刷してない部分には、人質をとって降伏させたり、自然に浮揚した艦娘を騙して拠点に誘い込む手順等が纏められた部分もあるらしい。

 しかし、驚異度、高の分類に神通さんが含まれているのは納得だ。

 

「充分な体制が揃うまで決して接触しない事、戦闘になれば彼女は決して降伏しない、深海の導きを信じて引き金を引き続けろ、か、よく調べているじゃないか」

 

(て言うか睦月型のページ、卯月は縞パンて何よ、って、あちこちに同じ様ないたずら書きあるし!)

 

 多分、それなりに真面目な会議か何かをやっていた筈なのに、不真面目もいいところだ。

 

「しかし、この辺りは死体が少ないな、痕跡からするともっと居た筈だが……こいつだけは沢山あるな」

 

 又、赤錆の塊である。

 言われてみれば、今のセミナールームだけでも二十人以上入りそうなのに、見て回った限りでは三人位しか死体がなかった。

 確かに何か、おかしい。

 その疑問は上の階を見ていく内に分かってきた。

 点々と錆がこぼれる階段のあちらこちらに、つぶれた死体最初はぽつり、ぽつりと、高層階になると踊場で足の踏み場がなくなる位、落ちている様になった。

 

「なる程、上に逃げたか、しかし、足跡は一組になっているな、教えた事をちゃんと思い出したらしい」

 

 閉め切られたビルの中なので、又、臭いがひどい。

 最上階に辿りつくと、風の動きを感じた。

 

「大分派手にやったようだな」

 

 最上階はあちこち窓が割れ、壁にもぼこぼこと穴が開いていた。

 高い所だからか風が結構すごいけど、おかげでかなり臭いがましだ。

 

(ふぅ、鼻がバカになっちゃうわ、うぁ、またぁ)

 

「大分つつかれてるな、カラスか」

 

 臭いは少しましだったけど、今度は死体がまた凄い事になっている。

 本当にさいあくだ。

 

(何でもじっくり観察するの、止めて欲しいのに~)

 

 錆にまみれて転がっている大きな欠片から錆を砕いて取り除くと、下から鈍色の金属が出てきた。

 

「この欠片は、艦娘の艤装だな」

 

 別のを拾って砕くと、今度はぬめった青色の金属が転がり落ちる。

 最近、防盾に代替装備してるせいで見慣れてきた、深海棲艦の艤装に使われている金属だ。

 

「こっちの欠片は深海棲艦のものだな、しかし、両方ともひどく錆びたせいで欠け落ちた様に見えるが、ここまで酷く錆びるものなのか」

 

(錆びる訳ないじゃない、そんなに錆びてたら死んじゃうわ!)

 

 少し錆びても痒い気がしてくるのに、芯まで錆びて艤装から欠片がおちる程なんて、人間なら身体が腐ってる様なものだ。

 

(……)

 

 何だか、少し怖い考えになったので、私は取りあえずそれ以上考えるのは止めた。

 

「こいつは一際酷いな、錆の量も大分多い」

 

 又、私が考え事をしている間に、おじさんはどんどん調査を進めている。

 入り口が滅茶苦茶に壊されている部屋の中に足を踏みこむと、中も滅茶苦茶だった。

 ガラスはたたき割られて吹きさらしになっているし、高そうなソファもガラス製のテーブルもバラバラに引き裂かれ、たたき壊されている。

 壁際の本棚は辛うじて無事だったけど、本は放り出されて床に散らばり、散々に踏みつぶされて色々汚いもので汚れて、もうちょっと読めそうにはない。

 そんな中で、一つだけ、ちゃんと立て直してあるデスクが妙に浮いていた。

 散らかっている家具からすると、多分提督の執務室みたいな感じの部屋だったんじゃ無いかとおもう。

 足下から、塊から粉まで、大小様々な錆が部屋の真ん中まで、まるで敷き詰めながら進んだ様にバラ撒かれている。

 最初、部屋の真ん中にあるそれが何かは分からなかった。

 

「牛裂きとはな、随分恨まれたものだが……こいつが親玉で間違いは無さそうだ」

 

 おじさんの呟きで、私の頭は渋々、そこに転がっているものが、五個に分かれてしまった人間の部品だと言う事を認識する。

 

(うぇ、やっぱり調べるんだ……うあ、ひどい!)

 

「手足、首、頭部、全て掴まれた場所が酷く内出血しているな、しかも捻った跡だ、それにこの形相、生きている間に五体を捻切られたか……だが、死体についている手形は全てが小さい、女性のものだ、あと、こいつの服にこびり付いているのは、赤錆の粉だな、ふむ」

 

 相変わらず容赦の無いおじさんのひとりごとが、私の精神力をごりごりと削っていく。

 生首の形相はしばらく夢に見る事間違い無しだ。

 

(……夜、おトイレに行かない様にしないと)

 

 一人前のレディにあるまじき事かも知れないけど、正直、しばらく一人で寝られる自信が無くなってきてしまった。

 響なら、きっと、理由も聞かずに一緒に寝てくれるに違いない。

 おじさんは、死体を調べるのに飽きたのか、デスクの引き出しを一つ一つ調べ始めた。

 

(最初からこっちだけしらべてよ~!)

 

 どの引き出しも力任せにこじ開けられていて、半開きの中に、乱雑に書類が放り込まれていた。

 一部の書類はくしゃくしゃに丸められている。

 おじさんが、くしゃくしゃのを伸ばして見てみると、何かの報告書みたいだった。

 

「ふむ、何かの承認書類に、月次報告書……鹵獲、重巡1隻、羽黒、駆逐艦3隻、望月、白雪、叢雲、轟沈回収分艤装、戦艦1、軽巡2、駆逐5、金曜の奉納式に合わせて順次祭祀場へ輸送、どう見ても碌な儀式じゃなさそうだ」

 

(まったくよ!)

 

「……金曜、金曜、確かここの周期は、一年365、月は12……そうだ、週だ、金曜はカレーの日だったな」

 

 金曜はカレーの日、そう呟いた時、おじさんが少しだけ笑った気配がした。

 書類をめくっていくと、今度は、子供の顔が写った履歴書みたいな書類が出てきた。

 

「こいつは……スカウト対象のリストだな」

 

 書類には、名前とか健康状態、あとは保護した状況と、略歴が附属していた。

 一般家庭から引き取られた子が多かったけど、中には艦娘と一緒に居る所を“保護”されたり、隠れ鎮守府から“奪還”された子達が居て、不安そうな表情や、睨み付ける様な顔で写っている。

 なんだか、見ているのがつらくなる写真だった。

 

「これは」

 

 おじさんのページをめくる手が止まる。

 

(杉野延太郎?)

 

 唇を結んだ男の子の顔には青あざが幾つもあって、それでも、睨み付ける様な目からは闘志が溢れていた。

 

「5-1セクタ離島の拠点強襲時に“保護”、数年間に渡り“提督”としての洗脳教育を施されていたとみられる、態度は反抗的であり、早期の矯正は困難と思われるが、共感適正高し……備考、保護時に鹵獲した戦艦“長門”を“秘書艦”と呼称していた為、“内線”の接続を警戒、当該作戦の鹵獲艦を使用した“儀式”完了まで、薬品による沈静化処置とし、生活棟医務部に収容していたが、xxxx/xx/xx(金)20:00容態急変、20:16、心停止」

 

(この子、死んじゃったの)

 

「お前、長門と延太郎を捜しに来たのか」

 

 腰の袋から取り出した写真の中では、白いシャツを着た白髪のおじさんと朝霜ちゃん、清霜ちゃんが写っていた。

 やっぱり、凄く背が高い。

 というか、眼が猫目だし、顔にすごい傷あるし。

 

(このおじさん、本当に人間かなぁ……それにしても“こわもて”だわ)

 

 朝霜ちゃんは楽しそうに歯を剥いてピースサイン、清霜ちゃんはその横で大きく背伸びして、多分手を振っている。

 その二人の後ろに立っているおじさんは腕を組んで、なんだかすごみのある笑いを浮かべていた。

 朝霜ちゃんとおじさんは、二人共背中にお揃いで剣を背負っている。

 少しの間、おじさんは写真を見ていたけど、ため息をついてしまいこむ。

 

「お前なら、捜したろうな」

 

 おじさんは、残りの書類もぱらぱらとめくり、隣のビルに目をやる。

 ビルには、しっかりと“生活棟”っていう看板がついていた。

 分かり易い。

 

「そこか」

 

 おじさんは立ち上がり、階段をもう一度下まで下る。

 疲れを感じさせない動きで、全然音を立てなかった。

 本当に凄い体力だ。

 生活棟のロビーは、入り口のガラスが粉砕されてる位で、他はあんまり壊されてなかった。

 入り口の横に受付のカウンター、応接用のソファと机、奥には階段とエレベーター。

 ちょっとしたホテルみたいな内装だけど、何だか凄くあっさりとした感じだ。

 ホテルというよりは、少し高級なマンションみたいにみえる。

 

(寮かしら?)

 

 でも、奥の方にはやっぱり、潰れたり、ひん曲がったりした死体が所々落ちている。

 酷い光景だけど、さっきよりは驚かない。

 私が吐きそうと思っても、おじさんの方には影響が無いみたいだ。

 なんとなく、ちょっと不公平だとは思ったけど、よく考えたら、私が吐きそうだと思うのが伝わるなら、他にも色々伝わってしまう事になる。

 それは何だか、ちょっと困る。

 年頃のレディには、色々とヒミツがあるのだ。

 

「ここでもそれなりに、侵入した連中は反撃を受けた様だな」

 

 大理石の床にはべったりとタールみたいな黒い物が広がり、赤錆の塊も沢山ある。

 その中を、引きずった様な足跡が沢山入り乱れていた。

 おじさんは奥の壁際で倒れている深海教の人の横に転がっている小銃を拾い上げる。

 

「この銃、妖精憑きだな、こいつは重油か、微かに潮の香りが混じっている、海塩だ」

 

 大きな黒い液を軽く調べた後、もう片方の、転々と小さく垂れた点を取り出したナイフで少し削りとる。

 

「こっちには血が混じっているな、艤装から垂れた重油と擬体から出血した血、艦娘か」

 

 ナイフをしまって、階段を登る。

 ここでも、エレベータは試して見る気も無いらしい。

 

(まぁ、電気止まってるわよね)

 

 足跡を辿って、低い階に入ると、この辺は公共スペースになっているのが分かった。

 教壇と机の並んだ教室、室内運動場、小さい図書室、食堂、そして、ふわふわの絨毯がしかれて、おもちゃの並んだ遊び場。

 

「これが、“矯正”とやらをやる場所か、まるで孤児院だが」

 

 このフロアは、このビルには珍しいパステルカラーで内装が作られている。

 ついでに壁には、かなり可愛くデフォルメされた深海棲艦と、穏やかな顔をした深海棲姫達が笑っていた。

 

(保育園かしら、でも、深海棲艦なんて、趣味がおかしいわよ!)

 

 どの部屋も、鍵がかかったままのドアが破壊され、床に転がっている。

 柔らかい絨毯の上を、黒いホースの跡がのたくり、それをいくつもの足跡が踏みつぶしている。

 

「子供の足跡だな、しかし、この階には普通の人間の血は無い、大分慎重に動いた様だが、子供を傷つけたくなかったか、なら、何故ドアをこじ開けてまで中に入る必要がある、いや、まさかな」

 

 確かに、言われてみれば、この階は全然臭くない。

 他のフロアも全部見てみたけど、子供の死体は一つも無かった。

 私は少しだけほっとした。

 

「しかし、こうなると、次は“儀式”とやらをやる場所か、“祭祀場”とか言ったか、町の反対側だったか……馬車、じゃなくて、“車”だったな、そこに地図か何かあるかも知れんな」

 

(馬車とか、剣とか、このおじさん、ファンタジーの人みたいな事言うわね)

 

「こういう所は、地下に“駐車場”があるんだったな」

 

 おじさんは外にでて、ビルの外から地下駐車場に傾斜路を降りて行く。

 不意に、おじさんの足取りが凄く慎重になった。

 

(何かしら)

 

 注意して耳を澄ますと、微かに何か動き回る音が下から聞こえてきた。

 電気のついてない地下駐車場は凄く暗そうだ。

 と思ったら、おじさんは薬瓶を出して素早く飲んだ。

 周囲が又、明るくなる。

 いつの間にか、夜目の薬が切れかけていたらしい。

 素早く中に踏みこんで、駐車されている車に張り付いて中をうかがう。

 確かに、中で幾つかの影が動き回っている。

 

(駆逐イ級!)

 

 見間違えようのないシルエットだ。

 でも、その周囲で動き回っている、見慣れた姿は。

 

(白雪ちゃんと、敷波ちゃん……)

 

 艤装を展開したまま足を引きずる様に歩いている姿は、まるで、夕張さんと一緒に見たゾンビ映画みたいだ。

 

「何をしている」

 

 おじさんは音も無く車の影から影を移動して、イ級達に近づいた。

 

(あ……)

 

 近づいてみると、本当にヒドイ事になってるのがはっきり見えてくる。

 白雪ちゃん達の艤装は錆びだらけになっていて、動く度に体中から、ぱらぱらと錆の粉が零れ落ちていた。

 イ級も普通ならぬめぬめと光っている筈の表面がひび割れて、錆びだらけになっている。

 白雪ちゃんが、駐車場に置いてあるコンテナをこじ開けると、敷波ちゃんは中から何か大きなものを引きずり出していた。

 酷く破壊されて、焼け焦げた艤装や、フジツボがこびりついた艤装。

 引きずり出したそれを掴んで、がりがりと引きずったまま出口へよろよろと進んで行く。

 

「あれが、色々やっていた犯人という訳か、もっと居るだろうが、どこへ行く」

 

 おじさんが尾行している事に白雪ちゃん達は全く気がつく様子も無く、街を進んで行く。

 艤装を引きずる音がやけに大きく聞こえる気がする。

 すごく不安な気持ちがしてきて、おじさんはちゃんと周囲を警戒してるのに、まだ、足りない気がして、おしりの辺りがもぞもぞするヘンな感じ。

 街中を通り過ぎると、遠くから潮騒の音と独特の磯の香りが漂ってきた。

 

(海が近くなってきてる)

 

 ここまで来ると、もう、不安じゃなくて、回れ右して街の中へ逃げ戻りたい気持ちで一杯になってきてるのに、おじさんはそんな事は関係なしにどんどん下って行ってしまう。

 

(かえりたいよぉ)

 

 そのままついて行くと、高いフェンスに仕切られた敷地に白雪ちゃん達は入って行った。

 凄く太いスチール製の角棒で組まれて、てっぺんには鉄条網、そして監視カメラとセンサー付きのライトまで仕掛けられた凄く厳重な感じの場所だけど、門は開きっぱなしになっている。

 中はかなり殺風景な雰囲気だった。

 アスファルトで敷かれた道路が続く他は何も建物は無くて、ひたすら下って行く道が続いているだけ。

 左も右も何にも手入れされてない空き地で、ふきっさらしで風が強いせいか、あんまり高い草は生えてないみたい。

 下の方に海が見えてるけど、お天気が悪かったらなんだか凄く不安な気持ちになってくる風景だったと思う。

 でも、今は不安というより、凄く嫌な感じしかしない。

 兎に角、すぐに帰りたい。

 

(ここ……居たくない)

 

 妹達が居る前では口が裂けても言えないけど、怖くてたまらない。

 身体が自由になるなら、みっともなく両舷一杯で逃げ出してる。

 

「こいつは、振り向かれたら最後だな」

 

 それどころじゃ無い私とは関係ナシに、おじさんは冷静だ。

 確かに言われてみると、ここって、どこにもかくれる所が無い。

 白雪ちゃん達が振り向きでもしたら、一発で追跡がバレてしまうけど、いっそ、それで一時撤退とかになってくれるとありがたい。

 でも、そんな雰囲気は全然ないまま、どんどん白雪ちゃん達は進んでいき、また、今度はコンクリの塀で覆われた門の中へ入って行ってしまった。

 門の左右には、さっきの建物にもあった、気持ちの悪い四角い歯の鯨の旗が垂らされていて、その前に立ってるポールには、図案化された南方棲姫の旗が翻っている。

 怖いのとは別に、イヤな雰囲気。

 塀の先は崖下にある、入り江に降りる階段に続いている。

 三十メートルはありそうな崖に挟まれた入り江は、小さな砂浜があって、普通なら可愛いプライベートビーチみたいで、響達にも見せてあげたくなる様な場所だった。

 でも、今は、まるで、真っ暗な奈落の底みたいに見えていて、気が遠くなりそうで、がん、がん、がん、と階段に艤装が叩き付けられるヘンなリズムがやたらと気に障っている。

 

「あれは、なんだ」

 

 狭い入り江の崖下には、おおざっぱな造りの小屋が建てられていた。

 流木、トタン、FRP板とか、そこらへんで拾ったみたいな材料だけど、結構頑丈そうだ。

 おじさんは、ちらりと入り江の中で艤装を引きずって行く、白雪ちゃん達に眼を戻し、地面にくっきりと引きずった跡がついているのをみて、小屋の方へ足を向けた。

 寄り道が多すぎる気もするけど、今は白雪ちゃん達が行ってる方には本当に行きたくないのでちょうどいい。

 小屋の中には全然気配がなくて、中には誰も居なかった。

 結構広くて、木箱を重ねたテーブルとか、ビールケースの椅子とかがあって、カセットコンロと飲み物のペットボトル、レトルトの食品に、お菓子も少し残っている。

 お布団はマットレスだけど、ちゃんと毛布と枕まで用意されていた。

 枕元には幾つか、ぬいぐるみとおもちゃまで転がされている。

 凄い生活感だ。

 

「この小屋は随分新しいな、居なくなった子供達は、ここに匿われていたに違いない、随分大事に扱われていた様だが、何処に行った……椅子と、寝床の数からすると消耗品が少なすぎる、連れ出されたか、逃げたか、分からんな」

 

 床は結構綺麗に掃除されていたけど、錆の粉が沢山の足跡に踏みつぶされて、床板の木目にすり込まれて残っている。

 

「少なくとも、“深海教”の仕業じゃ無さそうだ、これは」

 

 おじさんは、テーブルの上にぽつんと置かれていた手帳を手に取った。

 ひっくり返すと、裏表紙にプリクラが貼られている。

 朝潮ちゃん、清霜ちゃん、早霜ちゃんの三人、そして、窮屈そうに顔を寄せているおじさんと、朝霜ちゃんのシールもあった。

 ページをめくると、それは、朝霜ちゃんの日記だって言うのが分かる。

 

(て、いうか、読んじゃダメよ!乙女の日記読むなんてサイテーだわ!)

 

 私は思わず素に戻って抗議の声を上げた……気になった。

 声は出ないし。

 私の抗議の声など、お構いなしに、おじさんはページをくって行く。

 最初の方のページは、割と普通の日記だった。

 私とか、響も日記に書きそうな、姉妹で買い物に行った話とか、訓練でヒドイ目にあった話とか、あれが面白かったとか、あれがおいしかったとか、本当に普通の日記。

 でも、途中から、“白狼”っていう人の事が沢山書かれている様になった。

 

(あ……)

 

 最初は、すげぇのが来た、位にしか書かれていなかったのが、あいつおもしれぇ、に変わって、あいつ、ほんとうにすげぇなぁ、辺りからは、毎日、“白狼”の事が書いてない日が無くなっている。

 どんなうとい子でも、これだけ書かれれば、すぐ分かっちゃう。

 絶対に他の人に読まれたくないし、本人になんか見られたら即死ものだ。

 

「意図的に置いていったか、だが、何故だ」

 

(だから、やめなさいよ!)

 

 じたばたあばれた(気になっても)、おじさんはぱらぱらとめくるのを止めない。

 斜め読みしただけでも、後半はどんどん戦況が悪くなっていくのが分かる。

 そして、空白ページが少し続いた後に、なんだか、ちょっと違う感じの文章が綴られていた。

 

『誰だか知んねぇけど、これ読んでるって事は、もうあたいが説明できねぇって事だから、とりあえず書いとく。

 ここに居た子供達はみんな逃がした。

 みんな元気だったし、虐待なんかされてねぇからな、虐待してたのはあんなとこに押し込めて嘘っぱち教え込んでた深海教の連中で、だいたい、どんなにおかしくなっても、長門が子供にヒドイ事する訳がねぇんだ!

 ああ、畜生、延太郎が大丈夫だったなら、長門だってきっと。

 兎に角、あたい達が止めさせなきゃならないんだ。

 長門は、鎮守府があんな事になった後も、ずっと、あたい達の面倒を見てくれた。

 最後の最後まで、みんなが一緒に居られたのも、長門のお陰だ。

 

 長門はわるくねぇ!

 

 誰かわるいってんなら、なんでもかんでも、長門に頼り切りだったあたい達の責任だ。

 仲間はどんな事があっても、最後まで面倒をみる。

 長門はそうしてくれた。

 だから、あたい達も返さなくちゃならない。

 ああ、くそ、かっこいいこと書いてても、ペン先がふるえてきやがるなぁ。

 かっこわるいけど、こわくてたまらねぇや。

 あそこに入ると思うだけで、ちびりそうなんだ。

 でも、行かなきゃな。

 長門も、みんなもあそこで待ってる。

 あああ、もう、あたいはなに書いてんだ。

 これじゃ、読んだやつ意味わかんねぇだろ。

 書き直すのもめんどいけど。

 頭に思い浮かんだ事書いてるだけだから、かんべんしてくれ。

 ああ、どうしよう。

 ああ、やっぱ、書いとく。

 いつ、来てくれるかわからねぇけど、白狼、来てくれてるんだろ?

 あんたは約束を守る男だかんな。

 前の方、読んでくれたかわかんねぇけど、あんたと一緒にいて、すげぇ、おもしろかったって事分かってくれよな。

 そのな、えーとな、くっそ、書きたい事あるけど、なんか、いっぱいありすぎて、なんか、なんか、出てこねぇや。

 でもよ、いっこだけ。

 あんたの大事な誰かの代わりだったのかも知れねぇけど、それでも、あたいはほんと好きだったんだぜ。

 今かんがえてもみっともねぇくらいだけど。

 あたいは、あんたの大事だった誰かの代わりにくらいはなれてたかい。

 あああああああ、もう、くっそ、みっともねぇなぁ。

 

 いい加減、清霜のやつが、なに書いてんの、ねぇ、ねぇ!ってうっさいから、これくらいにしとく。

 

 じゃあな。』

 

 声が出ない。

 これは遺書だ。

 おじさんの呼吸が少し乱れているのを感じる。

 階段を何十階分上り下りしても全然息を切らさなかったのに、少しだけ文字もぼやけて、見づらいきがする。

 

「誰も、誰かの為に、代わりになんてなれないんだ朝霜、あの子も、お前も、誰だって」

 

 おじさんは、日記を大事にしまって小屋から出る。

 艤装を引きずった跡を追っていくと、右手の崖下にある洞窟へ続いていた。

 改めて、頭の先から爪先までが、ここに入る事を拒否しているのが分かる。

 

(駄目!駄目!ここ、入っちゃだめなの、私たち……入れない、の……)

 

 気が遠くなりそうになりながら、おじさんの身体に引きずられて、下り坂をついて行く。

 

「遅かったじゃないか」

 

 落ち着いた声を聞いて気を取り直すと、なんだか薄暗くて、広い空間に居た。

 早霜ちゃんと会った隠れ鎮守府の、隠し港みたいな場所だけど、何倍も広いし、天井が開いている。

 まるでドーム球場みたいだ。

 

「まるで闘技場だな、長門よ」

 

 おじさんの声は凄く反響して、空間に響いた。

 長門さんは、鏡みたいに凪いだ水の上に腕組みをして、一人で立っている。

 他には誰も居ない。

 

「闘技場?港だよ、私達のな、よく帰って来てくれたな“白狼”、みんな喜ぶよ」

 

 周りを見て、何事もないみたいに笑う長門さんが、なんだか、すごく、怖い。

 艤装の左側、第二砲塔に剣が突き刺さっている。

 

「みんな、か、どこにいる」

「いるだろ」

 

 ぼう、と、水面が蛍みたいな緑色に光った。

 声が出せたら、きっと、悲鳴がでっぱなしになってる。

 

(あれは、あれは、イケナイモノだ)

 

 水面の下には、びっしりと、艤装、艤装、艤装。

 まるで、アイアンボトムサウンドを雑に再現して、ゴミ捨て場にしてしまった様な。

 艦娘と深海棲艦の残骸が絡み合った地獄だ。

 

「ほら、金剛達はそこにいるし、陸奥はそこ、赤城と加賀は相変わらず一緒だ、はは、明石と夕張は一緒に何を企んでいるんだろうなぁ」

「朝霜と清霜をどこへやった」

 

 おじさんの声はドスが利いていて、空気がびりびり震えるのを感じた程だ。

 

「ああ、朝霜と清霜か、二人共元気でいい子だ、会ってやってくれ、お前がいなくなってから、二人共さみしがってなぁ」

 

 にこにこ笑いながら話す長門さんの足下から、頭が2つ、浮かび上がってきた。

 

 身体をぎくしゃくしながら立たせているのは、体中を錆色に染めた朝霜ちゃんと清霜ちゃんだった。

 

 もう、背中の艤装のシルエットが酷く崩れて、マストは無く、機銃のあった場所は錆の塊が載っているし、魚雷発射管は半分位崩壊して、残って錆を吹いた魚雷は不発弾みたいに半分顔を出している。

 身体が揺れる度に、お腹に開いた孔から、ぽちゃ、ぽちゃとパチンコ玉くらいの大きさの錆び玉が水面に落ちて音を立てていた。

 清霜ちゃんは、辛うじて繋がっている左腕を押さえながら、左目の穴から、ぼとぼとと湿った錆を垂れ流している。

 長門さんは二人の頭を撫でて、愛おしそうに抱き寄せた。

 おじさんの全身がぶるぶると震えている。

 煮えたぎった感情が出口を求めて、体中の血管で暴れているのだ。

 

「長門、朝霜はお前を尊敬していた、清霜はお前が好きだった!」

「ああ、私も二人共、大好きだぞ」

 

 轟く様な咆吼に、長門さんは微笑みを返した。

 

「長門よ、それがお前の“選択”だと言うのか」

 

 おじさんが背中の剣を抜いた。

 銀の刀身に赤い紋様がぼうっと浮かび上かぶ。

 

「朝霜、お前の“選択”確かに見た、お前の意志を継ぎ、俺は今、“Sinker”になろう」

 

 全身の震えが止まる。

 おじさんの目線は、長門さんの艤装に突き刺さっている朝霜ちゃんの剣を見ていた。

 

「お前も帰ってきた事だし賑やかになりそうだな、こいつらの為に今度は長く居てやってくれ、“Wanderer”」

 

 長門が腰に手を当てると、水面に沢山の艦娘と深海棲艦の頭が生え、次々と浮かび上がる。

 その中を朝霜ちゃんと、清霜ちゃんがかき分ける様に手を前に出し、よろよろと、暗闇で手探りしている様な不安定な足取りで歩み寄ってきた。

 

「もう違う、大人しく沈め、長門」

 

 “白狼”のおじさんが薬を飲むと、全てがゆっくりになった。

 手の中で、銀の剣がくるくると回転する。

 ゆっくりとした世界の中で、おじさんだけが普通の速度で動き、朝霜ちゃんの艤装を胸から背中へ貫いて抜けた。

 地面に落ちていく艤装をそのままに、返す剣が、清霜ちゃんの艤装を串刺しにする。

 そこから先は、まるで悪夢の様に朦朧とした記憶になった。

 鉄さびを散らしながら、まるで、ゾンビの様に歩み寄る艦娘と深海棲艦の手をかわしながら、切り裂き、突き刺し、印を結んで吹き飛ばす。

 数限りない様に見える敵とどれだけ戦ったのかは分からない。

 殆どの敵は、もう、燃料も弾薬も尽きているみたいで、撃つ事も出来ずに掴みかかってくる程度だから、“白狼”のおじさんの剣なら、大した事は無い相手。

 でも、たまにまだ使える火砲を装備している艦もいて、砲撃を紙一重でかわした時、“白狼”のおじさんは又、別の印を結んで、バリアみたいので防いでいた。

 いくらゾンビみたいにしか動けなくても、これだけの数の艦相手じゃ、すぐに押しつぶされて動けなくなっちゃうけど、“白狼”のおじさんは捕まらずに切り抜けて、いつの間にか長門さんの左舷まで移動している。

 左舷の第二砲塔、朝霜ちゃんの剣で串刺しになっているそこは、意識的な死角だ。

 一番砲塔を回すか、左手で殴りつければ反応は遅れないけど、ああいう損傷は、つい、動かそうとして、一瞬引きつってしまう傷みたいなものだ。

 最初からなければ動かさない。

 でも、たまたま傷ついただけでは、普段通り動かそうとしてしまう。

 そこに一瞬の遅れがある。

 長門さんの左舷第二砲塔がぴくりと動いた瞬間、背中のバイタルパート目がけて突き出された剣は、やけに澄んだ音を立ててはじき返された。

 長門さんが右斜め前に身体を傾かせたせいで、左舷第二砲塔に刺さった朝霜ちゃんの剣と打ち合わせてしまったのだ。

 その瞬間、強烈な風が吹いた。

 

「なんだ、雪か?」

 

(さむい!いたいっ!)

 

 やけに平静な長門さんの声を聞きながら、転がる様にして離れると、左舷から真っ白い霧みたいなものが噴き出して、見る見るうちに水面が凍り付いて行く。

 

「門だと、何故だ!」

 

 一分と経たない内に水が全て凍り付き、今度は、全てが呑まれて行く。

 床に突き刺した剣に縋ってひたすら耐えていると、最後に何かが爆発した様な音がして、静かになった。

 やっぱり、すごくさむい。

 でも、さっきまで感じていた、嫌な感じはきれいさっぱり無くなっている。

 白いもやが晴れてくると、なんと、水が全部沈んでいた艤装ごと消え失せていた。

 代わりに、白い霜がそこら中にできていて、からだの震えが止まらない。

 

「ただの剣の筈だ、魔物狩り用の……何故だ、誰だ」

 

 おじさんは呟きながら、体をやっとの事で起こして、よろよろと歩き出した。

 

(長門さんたち、どこいっちゃったんだろ)

 

「捜すぞ朝霜、お前の選択だと俺は約束を守る男らしいからな」

 

 揺れる視界の中で、急速に現実感が薄れて、誰かに抱きしめられている感覚が強くなってくる。

 どこまでも落ちて行く中、私を抱いた誰かは震えていた。

 

(大丈夫よ、もう、アレはどっか行っちゃったんだから)

 

 一人前のレディらしく頭をぽんぽんして上げたくなっちゃったけど、後ろから抱きつかれてるとそれは無理だ。

 

『“アイツ”ダ、ミツケタ、ミツケタ……“ドウスル?”』

 

 

 次に目が醒めると、私は異国風の街をあるいていた。

 周りを歩いているのも、彫りが深い西洋人ばかりだ。

 お天気はよくて、気持ちよい風が吹いている。

 

(はぁ、いつおわるのかしら)

 

 とはいえ、とりあえず風からは潮の香りがしていて、本当に気持ちがいい。

 鼻歌のひとつもでちゃいそうだな、と思うと、本当に鼻歌が出た。

 英語だけど、なんだか、かなり聞き覚えがあるメロディーだ。

 

「……sweet home♪」

 

『……わが宿よ♪』

 

(埴生の宿!音楽の時間で習っただんだから)

 

 学校で習った事位、ちゃんと憶えているのだ。

 ちょっと得意な気持ちになって、満足したけど、今度は、何だか周りの人にちらちら見られている事に気がついた。

 

(そんなに鼻歌が珍しいのかしら)

 

 そんな事を思っていると、突然走ってきた子供達が両手で目の両端をつり上げて、周りをぐるぐると回り始めた。

 何かはやし立てているらしい。

 辛うじて、イエロー?的な何かは聞き取れたが、兎に角、何か馬鹿にされている事だけは充分に分かるので、他はどうでもいい。

 

(まったく、教育の悪い子供はどうしようも無いわね、おしりぺんぺんされなかったのかしら)

 

 ちょっと腹を立てていると、今の私の体は、すすっと、子供達の輪の中を抜けて先を歩き出した。

 一瞬の早業だったので、どうやって抜けられたのかも分からずに、一瞬子供達がきょとんとしたのが分かる。

 けど、すぐに又、走って追いつこうとしてくる足音が聞こえた。

 

(がくしゅーしない子達ねぇ)

 

 私の体は足を速めて角を曲がり、跳躍した。

 狭い路地の壁でパイプを掴んで、するすると屋根の上まで登ってしまう。

 

(凄い、これなら、フリークライマーになれるわね)

 

 路地に走り込んできて、何かを興奮して叫んでいる子供達に肩を竦め、建物の反対側で路地に飛び降りる。

 

「古典的だが、まぁ、効果的だな」

 

(ん?………しれーかんじゃない!)

 

 しばらく考え込んでしまった。

 このヘンにとぼけた調子の声は、東司令官だ。

 

(一体、こんな所で何やってるのよ)

 

 そんな事を考えている内に、又も東司令は、絡まれていた。

 今度はよりによっておまわりさんだ。

 

「こんなご時世に、Nipがカリフォルニアへ何の用だ?」

 

 警棒で手のひらを叩きながら話す警官はかなりお行儀が悪くて、私は嫌な気持ちになった。

 

「IDには合衆国市民て書いてある筈だが?」

「Nip野郎はNip野郎だ、俺の兄貴はデューイに乗ってた、二ヶ月前、おまえんとこの艦娘に沈められたがな」

「Calm down、だから、IDには United States citizen て書いてあるだろ?」

 

 感じの悪いおまわりさんの後ろに立っている、もう一人のおまわりさんを見ると、肩を竦めて、もの凄く冷たい目でこっちを見た。

「俺の、義理の姉貴はグウィンでな、よく、海に遊びに連れて行ってくれたもんだ、今度も帰って来たら、一緒に釣りにでも行こうと言っていたんだがな、俺は一人で行かなきゃならん」

「Hum、思い出の為の生け贄って事か、ステイツも変わったもんだ、いや、戻ったというべきか?」

 

(グウィン……えーと、コロンバンガラで沈んだ艦ね)

 

 周囲を見回しても、通行人は遠目で何か噂話をしながらこっちを見ているだけだ。

 というか、さっきのしつけの悪い子達がいつの間にか来ていて、にやにや笑いながらこっちを見ている。

 もの凄く教育に悪い。

 と思ってたら、思いっきりお腹を殴られた。

 痛い、けど、取っ手付きの警棒をお腹に突き込んで、にやにやしていたおまわりさんが、ちょっとだけ、おっ、という顔をする。

 あんなモノで思いっきり殴られたら、多分普通は黙って立ってられないと思うので、ちょっと驚いたみたい。

 

(しれーかんも、なかなか頑丈ね)

 

「Ouch!止めてくれないか」

 

 私がきいても、凄く白々しい痛がり方に、一気におまわりさんの顔色が真っ赤になった。

 警棒を握っているのとは逆の手で、思いっきり顔を殴ってくる。

 でも、それは顔の左をすっぽ抜けて、おまわりさんが倒れ込んできてしまった。

 

「Oh! be carefull!」

「Freez! そいつを離せ!」

 

 目を上げると、後ろで見ていたおまわりさんが、いつの間にか銃を抜いている。

 

「Calm down、よろけただけだろ?、ほら、落とし物だ」

 

 抱きつく様になっていたおまわりさんが慌てて体を離して、差し出された警棒をひったくった。

 取っ手を持って、回転させる様して殴りつけられるのは、流石に痛い。

 一度、二度、三度。

 情け容赦ない力一杯の攻撃。

 腕も、肩も、砕ける様に痛い、けど、周りの人はみんなただ見ているだけだ。

 それが一番怖い。

 

(しれーかん!なんとかしてよ、いたいじゃない!)

 

「Slant eyeなんざ吊しちまえ、midge monkeyにゃ、似合いだぜ」

「Kill the Nip!」

「Do it! Do it! Do it!」

 

 なんだか、みんな周りを取り囲んできてるし、本当にまずい。

 少し質が違う、鈍い音がした。

 

「Cut it out!」

 

 女の子の声だ。

 おまわりさんと司令官の間に白いセーラー服を着た女の子が割り込み、周囲を睨み付けている。

 茶色いふわふわの髪の毛が少し乱れている。

 上げた片手で掴まれた警棒は、ぴくりとも動かない。

 

「おまえ、Nipを庇うのかよォ!」

「Shame on you!」

 

 不満そうな声を上げた子供を睨み付けて、女の子はよく通る声で、ぴしゃりと言い放つ。

 

「Officer ジョゼフ、この人が何をしたと言うんですか?」

 

 少し穏やかな声でおまわりさんに声をかけ、女の子はそっと警棒から手を離す。

 小さな女の子に睨み付けられて、司令官を殴っていたおまわりさんは、所在なげに警棒をもてあそびながら、不機嫌そうに口を尖らせている。

 まるで小さな男の子だ。

 

「Lady Cooner、このNi、東洋人は、逮捕に抵抗しました」

「どんな容疑の逮捕ですか?」

「公務執行妨害ですよ、そいつは職務質問の時、ジョーイの警棒を奪って抵抗しました」

 

 一瞬、口ごもった警棒のおまわりさん(ジョーイ)の後ろで、銃を構えていたおまわりさんがすかさず口添えする。

 

「その通りです、コイツはNip共のスパイかも知れません」

 

 女の子は、ため息をついた。

 

「ハリー……最初から見ていたんですよ、グウィンさんの誇りを穢す様な情けない言い訳は聞きたくありません!」

「ハリー、行くぞ」

 

 ジョーイ巡査(?)は舌打ちをして警棒を乱暴に腰のベルトに突っ込むと、足音も荒く、人垣を押しのけて立ち去って行った。

 

「大丈夫ですか、まだ、歩けますか?」

「Solly、助かった、No Problem、かすり傷だ、しかし……Cooner、Coonaer……Cannon級か」

 

 司令官が体を起こすと、もの凄く体中の節々が痛んだ。

 特に手首から肘の辺りとか、肩が滅茶苦茶痛いけど、一応折れてはいないみたい。

 

「はい、DE-172 Coonerです、よくご存じですね……ミスタ Azuma?」

「Completeはできてないが、Trading Cardは結構買ったんでね、youのcardも持ってるよ」

 

 司令官の言葉に、クーナー……ちゃん?は少し顔を顰めた。

 短く切った茶色の癖っ毛に、同じ色の瞳、少しそばかすの残った幼い顔。

 顔立ちは幼いのに、表情はなんだか凄く大人っぽい。

 

(け、結構、かわいいじゃない、ま、一人前のレディにはほど遠いけど)

 

「海軍省の広報が出していたものですね、正直、写真写りは良い方じゃないので、自分のは見たくはないです」

「そうでもない、実物はもっと良かったけどな、兎に角、Thank you 助かった」

 

 司令官が拾って差し出したセーラー帽をクーナーちゃんは被り直した。

 よくよく見ると、この子はオーバーサイズの白いセーラー服を着ている。

 吹雪ちゃん達が着てるのは紺色が混じってるけど、この子のは真っ白だ。

 なんだか、スカーフも細い感じで、大分違う。

 

(この子、艦娘よね?)

 

「いいえ、お世話になった先輩の弟が、道を踏み外すのを見ていられなかっただけですから」

「ああ、そういえば、この辺にカチナ人形とか、インディアンジュエリーを売ってる店があると思うんだが、ホピの爺さんがやってる店なんだけど」

「この辺りでカチナとか、インディアンの民芸品を扱っている店と言えば、オマウナク(Omawnakw)の店ですが」

 

 クーナーちゃんは少し眉をひそめて、司令官を見た。

 

「Yes! そこだ、そこに用事があってね」

「ここからなら、五ブロックくらい先ですが……ミスタ、失礼ですが、どのような用事ですか?」

「オマウナクの爺さんに呼ばれてね、何か、仕事を頼みたいらしいんだが」

「仕事ですか」

 

 周囲を見回してから少し考え、クーナーちゃんは時計を見た。

 

「そこまでお送りします」

「Thank you 正直、これ以上の騒ぎは体に悪い」

 

 司令官は有り難くクーナーちゃんの後について、歩き出した。

 艦娘と一緒に歩いているせいか、誰も絡んでくる様な事は無さそうだ。

 10分も歩かないうちに、目的の店に着いた。

 白い羽をデザインした看板のお店だ。

 

「遅いぞ、イクバヤ、待っている間に儂の寿命が尽きてしまうかと思ったではないか」

 

 店のカウチで、パイプをふかしていたおじいさんが雲の様な煙を吐き出した。

 

「オマウナク、お久しぶりです」

「おお、パヴァーチ(Pavati)、よく来たね」

 

 クーナーちゃんににっこり笑いかけ、おじいさんは又パイプを吹かした。

 

「すみません、エルドリッジはまだ」

「良いのだ、あの子は今ここにはおらん、捜してみつからんのは当然だ、ヌクパナ(Nukpana)が別の海に連れていってしまったからな」

 

 クーナーちゃんは、真面目な子が何を言って良いか分からなくなった時に浮かべる、真面目なしかめ面になっていた。

 

「Hey、じいさん、あんまり若い子を困らせるなよ」

「お前が遅いのが悪い」

「ちょっと、通行料が高くてな」

 

 司令官がかなり殴られた腕を叩くと、じわっと、痛みが走った。

 

「まぁいい、さっさと中に入れ、パヴァーチにもお茶を淹れよう」

「はい」

 

 クーナーちゃんは少し迷ったみたいだけど、おじいちゃんと司令官を見比べて、中に入る事にしたみたい。

 お店の中は、沢山の動物と人が混じった様なデザインの人形に、銀製のアクセサリ、綺麗な石、その他よく分からない民芸品で一杯だった。

 椅子に深く腰をかけて、よく分からないけど、良い臭いのするお茶を飲む。

 

「あの、オマウナク?」

「イクバナはな、こう見えてもカチナなのだ」

「はい?」

 

 何かを聞こうとしたクーナーちゃんを遮って、突然よく分からない事を言い出すおじいちゃん。

 

(イクバナ?、生け花の親戚?、まったく、何処のおじいちゃんもよく分からない事言い出して困るわねぇ、でも、カチナって何かしら?)

 

 クーナーちゃんに何か、胡散臭いものを見る様な目を向けられ、司令官は頭を軽く掻いた。

 

「爺さん、何を頼みたいんだ?」

「ヌクパナが連れていった、儂のポワクァ(Powaqa)をここの海に戻せ」

「ポワクァ?」

「私の妹、エルドリッジの事です、オマウナクはそう呼びます、オマウナクはエルドリッジの里親です」

 

 説明してくれたクーナーちゃんは、悲しそうな顔をしていた。

 

「エルドリッジは哨戒任務中にMIAになりました、我々も捜していますが」

「あの子は死んでなどおらん、悪い精霊に囚われておるのだ」

 

 先を言えずに口を閉じたクーナーちゃんをよそに、おじいちゃんは新しい煙草をパイプに詰め込んでいる。

 

「Hum、大体分かった、なら、オマウナク“Contract”だ」

「うむ」

 

 司令官は服のポケットから紙を取り出した。

 テーブルの上に広げると、契約書なのが分かる。

 履行項目の部分におじいちゃんが言ったとおりの事が書いてあって、ちょっとビックリした。

 クーナーちゃんも、司令官の事を何か怪しむ様な顔で見ている。

 

「オマウナク、あんたは何をくれる?」

「ミスタ アズマ!」

 

 警告する様な声を上げるクーナーちゃんを、おじいちゃんは片手を上げて止めた。

 

「自分のやっとる事位わかっとるよ」

 

 パイプに火を入れてゆっくりと煙を吸い込み、空中に大きな雲を作る。

 

「向こうの海の精霊を呼んでやる、精霊の声を聞き、おまえでないおまえのために死んだ娘の為、ヌクパナを鎮めるがいい」

 

 手も触れていないのに、契約書の上に文字がじわっと書き記されて行く。

 司令官がテーブルの上のペーパーナイフをとって、軽く親指を撫でるとちくりとして、血の珠が盛り上がってくる。

 司令官がそれを契約書に押しつけて血判にすると、おじいさんは持っていたパイプの底をついて、鳥の羽型に焼き跡をつけた。

 

「O.K. “Contract”成立だ、いつやる?」

「今夜だ、近くに我等の墓地がある、月が上がったら来い」

 

 一瞬、意識が途切れると、周囲は夜になっていた。

 人気の無い登り道で、舗装もされてない道を歩いているらしい。

 高原は空に光る満月だけだ。

 

「Hum、道案内してくれるのは有り難いが、仕事は大丈夫なのか?」

「No Problem、妹に勤務は代わって貰いました、今夜は大丈夫です」

 

 隣を見ると、白いパーカーを着たクーナーちゃんが歩いていた。

 なんか、私服も可愛い。

 

「まぁ、妹の大事な人が、インチキ東洋人の詐欺にでもあったら大変だもんな」

「それもありますが、個人的な興味です、妹に関わる事ですから」

 

 なかなかはっきり言う人だ。

 

(しれーかんて、ほんと、たまにうさんくさいのよねぇ)

 

「DE-173 Eldridge、Professor Teslaの遺産、Rainbow Project、1943年10月28日のPhiladelphia Experiment」

 

(全く、しれーかんたら、何言ってるのかしら?)

 

「歴史的にはただのよた話です、けど、私達にとっては馬鹿に出来ないのは確かです、私達はかつての私達が持っていなかった、持つはずだった、その力を持っている」

「エルドリッジは、テスラ博士の遺産を受け継いでいる、なら、何が起こってもおかしくないな」

「やっぱり、あなたはスパイとして始末すべきですね」

「じいさんとのContractが終わってからにしてくれると助かる」

 

 話している内に坂道を登り切り、墓地の真ん中で焚かれているたき火が見えてきた。

 そこでは、オマウナクのおじさんが傍らに座って、何事か唱えている。

 おじいさんは、ちらっとこちらをみて頷くと、たき火の反対側を指した。

 たき火の横に座ると、おじいさんが何か呪文みたいなものを唱えながら、ときおり、何か粉みたいなものをたき火に投げ入れていく。

 火の色がなんとも言えない色にグラデーションして、果物か花みたいな甘い匂いがした。

 何分経ったか分からないけど、虫の鳴き声と、火の燃える音、そして時折聞こえる夜鳥の鳴き声に耳を澄ましていると、感覚が拡張していく様な感覚がしてくる。

 

「来たぞ」

 

 不意におじいさんがそう言った。

 たき火に注意を戻すと、火の中に人が浮かび上がっているのが見える。

 

(え……うそ)

 

 たき火の中に立っている人は、鎮守府に飾られている先代の提督だった。

 写真の中でもう一人の私を抱いて笑っていた人。

 その人が炎の中で揺らめいている。

 

『サルベージャー、私の“娘達”を……救ってくれ』

「……牟田浜啓司、お前は何を俺にくれる?」

 

 司令官が差し出した紙の上で火が踊った。

 

「“Contract”成立だ」

 

(えー、中身も見ていないわよ!)

 

 司令官は中身も見ずに契約書をしまうと、立ち上がった。

 

「See you Again Lady Cooner.」

 

(え!)

 

 司令官は軽く敬礼をすると、なんと、火の中に飛び込んだ。

 唖然としているクーナーちゃんの姿が遠ざかり、あついと思う暇も無く、現実感が薄れ、世界が白くなって行く。

 

(“コイツダ”)

 

 また、後ろから強く抱かれたまま落ちて行く。

 強く掴まれた所が痛い。

 何か硬い物が食い込んでいる。

 

(痛い、痛いわ!)

 

 強い衝撃があって、突然落下が止まった。

 

『Hum、Lady's、そろそろ戻った方が良いんじゃないか?』

(しれーかん!)

 

 東司令は、お姫様抱っこしていた私を下に下ろした。

 急に体の感覚が戻ってふらふらする。

 司令官の腕に捕まって顔を上げると、私は、司令の逆側の腕に掴まっている港湾棲姫と顔を付き合わせている事に気がついた。

 

(≒〒↑★仝§♭!!!!!!!!)

 

 絶叫が声にならない。

 

『暁、早く神通達の所へ戻りなさい』

 

 背中を押されて振り返ると、牟田浜提督が立っていた。

 躊躇っていると、もの凄い悪寒が走った。

 “白狼”のおじさんの所で感じたあの感覚と同じだ。

 牟田浜提督が、何かに立ち向かう様に背を向ける。

 その背中は傷だらけで、シャツが血まみれになっていた。

 

(ひどい)

 

『Hurry、Hurry』

 

 抜けかけた腰で、東司令にせかされるままに、何故か港湾棲姫と一緒に引きずられる様に白い世界を走って、走って逃げ続ける。

 逃げ続けていたら急に床が抜けて、私は思わず東司令に力一杯抱きついた。

 

 

 目を開けたら、目の前に響の顔があった。

 

「姉さん、起きたかい」

「ん?」

 

 目を動かしてみると、ここは、夜寝る時に響と一緒に入った簡易ベッドらしい。

 外はもう明るくなっているみたいだ。

 

「電達はもう起きているよ、私達もそろそろ起きよう」

「そ、そうね」

 

 私が響の事を抱き枕みたいに思いっきり抱いて寝てたから、私が起きるまで待っていてくれたらしい。

 体を離して伸びをすると、大きな欠伸が出た。

 ずっと夢を見ていたせいか、全然寝た気がしない。

 窓の外から、今日も良い匂いがしてきた。

 

(今日はパンケーキかしら)

 

 食卓につくと、やっぱり、朝ご飯はパンケーキだった。

 たっぷりとメープルシロップがかかっている。

 

「へぇ、また凄い夢見たのねぇ」

「宇宙戦争に、私達が負けた世界に、別の艦娘と戦争してる世界、凄い冒険なのです」

 

 雷と電がパンケーキを食べるのも忘れて目を丸くしている。

 私は、朝ご飯を食べながら、さっきまで見ていた夢をみんなに話してあげていた。

 普通なら、夢なんて起きたら簡単に忘れてしまうけど、今回の夢は気持ち悪い位に全部憶えている。

 

「しっかし、オチが港湾棲姫と一緒に提督に引きずられて逃げるって、夢らしいヘンなオチねぇ」

「姉さんには作家の才能があるみたいだね」

「あはは、折角だから、忘れないうちにメモしておいた方がいいかも、これ、きっと出版したら売れるわよ」

 

 夕張さんは結構気に入ったみたい。

 

「でも、司令官は夢の中でも殴られてるのね、日頃の行いが悪いからかしら」

「Hum、これでも一日一善を心掛けてるつもりなんだがな」

 

 雷はまだ、翔鶴さん達にいたずらをした司令官の事を少し怒ってるみたいだ。

 私は、付け合わせについていた、ペパーミントクリームを口に入れる。

 クッキーみたいに可愛い形に型抜きされた砂糖菓子は、爽やかな味を残してさっと溶けていく。

 これは可愛いし簡単だから、電達とよく作った記憶がある。

 

「牟田浜啓司……さん、牟田浜水雷戦隊、思い出しました、バラック島のヤシロビーチ駐留、所属していた艦娘は……」

 

 神通さんが司令官を見て言おうとした時、何か、もの凄い衝撃が全身を打った。

 一瞬意識が途切れる程の衝撃で、私は片頬をメープルシロップまみれにして、体を起こした。

 みんな、きょろきょろと周囲を見回している。

 

「いったー、地震かしら?」

 

 一番被害が酷かったのは、椅子から転げ落ちた夕張さんだったみたい。

 響は鼻の頭がメープル塗れになっている。

 

「た、大変なのです!」

「空が割れちゃってるわ!」

 

 電と雷があげた声で空を見ると、確かに空のあちこちに亀裂が走っている。

 亀裂の中は真っ暗で、抜ける様な青空に真っ黒い亀裂が走っているのは、なんとも言えない不気味な雰囲気だった。

 

 

「何よこれ、作り物みたいじゃない……」

 

 




 今回は遅い上、他作品のネタとかオリジナル艦娘的なものまで盛りだくさんで、艦これのSSとか名乗るなとか怒られそうですが、書いてる側は好き勝手できて楽しかったです。
 ネタまみれでしたが、そこそこ話の裏部分の情報は盛り込まれているので、完全なネタ回って訳じゃ無いです。

 次回はもっと早く投降出来ると良いのですが……ただでさえ、忘れ去られた作品になってるし。

 気が向いたら、足跡代わりに評価をポチッと頂くか、一言感想など宜しくお願いします。
 次のモチベーションに繋がりますので。


※以下、本編に入れられなかった、エルドリッジ達の戦闘です。
 ただ消すのも少し忍びなかったので、ここに載せておきます。
 状況としてはオマウナクの能力で、鳥の視点からエルドリッジ達の最後の戦闘状況を見せられている所でした。
 クーナーさん出したくなったんで、ボツ。

<---------- オマケ、ここから ---------->


 目を開けると、月が緑色に光っていた。
 風が潮の臭いと、波の音を一緒に運んでくる。
 私は力を込めて羽ばたき、風を捕まえて飛ぶ。
 目を凝らすと、眼下に航行中の艦隊が見えた。

(榛名さん、利根さん、鳥海さん、秋月ちゃんに、川内さんと、龍驤さん)

 夜な上に遠目だが、はっきりと見える。
 大したものだ。

(何かしら?)

 遠くに、別の艦隊が見える。
 見たことのない艦娘だ。
 なんとなく駆逐艦と軽巡、あとは重巡、と軽空母っぽいの位は分かる。
 駆逐艦は3隻居てみんな白いセーラー服、軽巡はでボーイスカウトみたいな服、重巡は毛皮の尻尾付き帽子がマタギさんみたいで、軽空母は何だか、ハロウィンでローマさんがしてた魔女みたいな格好をしていた。
 そちらの艦隊を観察していると、どうやら、榛名さん達に気づいたらしく、駆逐の子が指を指している。
 すぐに艦隊は進路を変えると、二列に別れて複縦陣を組んだ。

(攻撃する気ね、演習かしら?)

 魔女の子が、鳥の羽を取り出して投げると、弾けて艦載機が飛び出した。

(グラマンだ!)

 特徴的な角張った形と爆音。
 味方機とは全く違うそれは分かりやすい。
 捕捉された事に気がついたのか、榛名さん達は陣形を組み替えた。
 輪形陣だ。

(あ、夜偵)

 川内さんのカタパルトから小さな飛行機が発進する。
 そのすぐ後に、砲撃の第一波が着弾した。
 大半は外れたけど、一発だけ、秋月ちゃんに直撃。
 吹き飛んだ右舷艤装から、大きな火と煙が上がる。

(実弾!?)

 遅れて龍驤さんが放った符が燃えて、艦載機が飛び立つ中、艦隊直上まで到達したグラマンで爆装していた機体が次々に急降下爆撃に入る。
 火を噴きながら、対空砲火を続ける秋月ちゃんに2発が直撃、利根さんに3発の至近弾。
 秋月ちゃんの艤装の爆発音はもの凄く、空でも空気の震えを感じた程だった。
 火薬に誘爆しないとああはならない。
 燃える金属が沈むのは一瞬で、一分と経たないうちに爆発しながら沈んでいった。

 轟沈だ。

 龍驤さんの出した、直衛部隊とグラマンが激しい空戦をしている。
 鳥海さんの打ち上げた照明弾が、アメリカの艦隊を浮かび上がらせ、強力な大型探照灯が光の道を描いた。
 梯形陣に形を変えながら、榛名さん達の艦隊の鼻先をかすめてゆくアメリカの艦隊が更に砲撃する。
 輪形陣の端にいた鳥海さんと、利根さんに着弾、でもまだ火は噴いてない。
 大体同じタイミングで反撃していた榛名さん達の砲撃がアメリカの艦隊に着弾した。
 探照灯に照らされていた、ボーイスカウトの子が一瞬揺らぎ、身体を跳ね上がらせて大爆発を起こす。
 第二射が発射された瞬間、不意に、輪形陣のど真ん中に駆逐の子が紫色のバチバチを放って出現した。
 榛名さんの右舷艤装が爆発し、二度三度、艤装全体に爆発が発生し、見る見る間に沈んで行く横を、榛名さんに一撃食らわせた駆逐艦が、両舷一杯で脱出して行く。
 混乱しながらも、捕捉行動で15.5cm三連装砲を発射した川内さんの背中に、いつの間にか肉薄していた他の駆逐艦が放った魚雷が炸裂する。
 色々と飛び散らせながら、水上に上半身を落下させる川内さんの左右を高速で抜ける駆逐艦達は、丁度榛名さんの右舷を雷撃した、最初の駆逐艦と対角線に輪形陣を駆け抜ける形となった。
 しかし、川内さんの右横を抜けた駆逐艦は鳥海さんに激突してしまい、足が止まった所を首を捻られて、艤装に20.3cm連装砲を打ち込まれ、四肢を飛散させる。
 離脱に成功した二隻の駆逐艦は本体合流に向かい、生き残ったマタギの重巡に合流したけど、二射目を受けて船足を失っていた魔女の軽空母は、三射目で沈められてしまった。

(あの駆逐の子、ワープしたみたいに見えたけど、それにしても無茶な作戦ねぇ、輪形陣のど真ん中を十字に横切ろうとするなんて)

 それにしても、今、見たのは実戦だ。
 しかも、艦娘同士で戦っていた。

(でも、榛名さん達と戦ってた方の艦娘って、全然見た事無い人達だったなぁ……なんか、ここもろくでもない所な気がするなぁ)

<---------- オマケ、ここまで ---------->





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 【第十一話 強行偵察任務~ミツバチ作戦~】

 お久しぶりです。
 前回は、暁ちゃんの夢の世界(?)の冒険のお話しでしたが、今回はお仕事のお話しです。
 このお話しで、ちゃんとした作戦行動やるの始めてかも……

 


【南の島? 東水雷戦隊鎮守府】

 

 

 黒い亀裂のせいで、空はまるで裂けたスクリーンに投影された安っぽい合成映像みたいに見えた。

 雲一つ無い、抜ける様な快晴が更に嘘くささを増している。

 

「やっぱり駄目だね、全然反応が無い」

 

 ここ一時間位、無線とあれこれ格闘していた響は、ため息をついて私が持ってきたお茶を飲んだ。

 

「どこか壊れてるとか、妨害電波とかしら?」

 

 私は、自分の分のお茶を啜りながら、後ろで何かアンテナをかざしている夕張さんを振り返る。

 

「ん~、さっき見た限りだと、無線は壊れてないのよねぇ、そーれーに、妨害も何も、電波らしきものが全然拾えないのよ、正直、そっちの方が問題だわ」

 

 夕張さんは、きょとんとしている私に見て、コード付きのアンテナで肩をとんとん叩きながら、きゅっと、自分の分のお茶を飲む。

 

「普通なら、人が住んでるんだから、何かしら、こんな所でもラジオの電波くらい入ってくるでしょ、ここ一応、ラジオ局も、テレビ局もあったし、まぁ、チャンネル2つしかないし、アニメもナゾのストップモーションのやつしか流れないけど、それも無いのよ、さっきの地震で局がやられたって訳でもなさそうだけど」

「確かにヘンね」

 

 朝ご飯の最中、突然の地震(?)に見舞われて、空が割れた様になってしまった後、事態の把握の為、私達は手分けして対応に当たっていた。

 無線で隣の翔鶴さん達の鎮守府意外の場所へ連絡がつかない状態になっている事が判明した為、響は夕張さんと一緒になんとかして外部へ連絡する為に努力、雷と電は町の方へ様子を見に行き、神通さんはお隣の鎮守府から、敵に何か動きがあったと言う事で、東司令とそっちの相談で出かけている。

 私はと言えば、司令が留守の間、何か判断が必要な場合の司令官代理を任命されていた。

 

(司令官が居ない間の代理なんて、一人前のレディなら出来て当然ね)

 

『大変よ!大変!』

『一大事なのです!』

 

 町へ偵察へ行っていた雷と電から、30分もしない内に最初の連絡が入った。

 “内線”から、二人の動揺した雰囲気が伝わってくる。

 

「一体どうしたんだい、まるで、幽霊でも見たみたいじゃないか」

『ちがうわ、誰も居ないのよ!』

 

 何だか、会話がかみ合っていない。

 困った顔でこちらを見る響と目を合わせ、私は“内線”で二人に呼びかける。

 

「はぁ、取りあえず、ふたりとも落ち着いて報告してよね、司令官に笑われちゃうわよ」

 

 動揺している二人の感覚に呑まれない様、私はもう深呼吸してもう一度呼びかける。

 

『もう、落ち着いてる場合じゃ無いわ、町から誰も居なくなってるのよ、人っ子一人居ないの、まるで最初っから誰も居なかったみたいに』

『端から端まで見て回ったけど、本当に誰も居なくなっていたのです』

 

 興奮しきりの雷に対して、電は不安そうな感じだ。

 

「うーん、それって、まるで、マリーセレスト号事件みたいにって事かしら、食べかけのご飯が残ってたりとか、吸いかけの煙草があったり、つい、いままで人が居た痕跡が残ってる感じで」

 

 興味津々な意識を振りまきながら割り込んだ夕張さんに気を惹かれたのか、雷の思考が少し安定する。

 

『言われてみれば確かにそうねぇ、流しの中に洗ってない食器が入ったままになってる家はあったわね』

 

 妙にオカルト的な話になってきた。

 雷は少し考え込んでいる様子だ。

 

「急いで逃げ出した感じかしら?」

 

 私は“事実じょーほう”を収集する為に方向修正する。

 憶測で行動するのは駄目な指揮官の典型なのだ。

 “内線”は向こうに居る司令官にも神通さんにも“聞こえて”いる筈だが特に割り込んでくる様子はない。

 他に集中している事があるか、私に任せて聞き取りをしているのだろう。

 

『別にものが壊れたり、散らかっていた様子はなかったから、空襲されたとかじゃないのです』

『確かに、取るもの取り敢えずかも知れないけど、パニックって感じじゃないわね』

 

 私は頭の中で、日常生活を行っていた街の人達が、突然全てをそのままにして、整然と街を出て行く光景を想像する。

 後に遺されるのは無人の街。

 ふと、賑わっていた市場と錆と死体だらけの街の風景が重なり、背筋にぞくりとした感覚が走る。

 

(二人が帰ってきたらココアをいれようかしら)

 

 新しい謎を解くには、頭を使う必要がある。

 あたまを使う時には、甘い物の補給が欠かせないのだ。

 決して、背筋にでた寒気が消えないからではない。

 

「そうすると、町の人達は突如として、整然と混乱も無く、何一つ持たずに消えてしまった事になるわね、サイレンも聞こえなかったし……うー、ムー的な何かを感じるわぁ」

 

 こんな状況だと言うのに、夕張さんは何だか楽しそうだ。

 

『笑い事じゃ無いわよ!』

 

 不真面目な夕張さんの台詞に雷がぷんすこ怒っている。

 確かに、今朝、死体で一杯の無人の町をうろつく夢を見た私だって、笑い事じゃ無い。

 あの夢、やけに感覚が生々しくて、記憶がはっきりしているので、油断してると又、フラッシュバックが起きそうなのだ。

 

「確かにこの状況はとても奇妙だね、これも、深海棲艦の攻撃の一種なのかな」

 

 こんな状況でも響の声は静かで落ち着きを与えてくれる。

 

「砲撃も何もせずに町から人を消すなんて、幾ら深海棲艦でもできるのかしら、今までにそんな話聞いた事無いから、あったとしたら新兵器?」

 

 あそこの町の人口はよく分からないけど、この島の人口は二千人くらいと聞いた事がある。

 雷達が見に行った町は、この島で一番大きい所だから、少なくとも数百人は居たはずだ。

 それだけの人間をいっぺんに痕跡も無しに消す、或いは、何かがあって逃げたとしても、それだけの人数がいっぺんに隠れられる様な場所は何処かにあるんだろうか。

 想像がつかない。

 

『深海棲艦は、船とか、私達を先に攻撃するので、私達を無視して、町の人達だけを攻撃するのはおかしいのです』

『そうよねぇ』

 

 深海棲艦は本能的に、船、あるいは、船に近い存在の艦娘を敵と認識して攻撃してくる。

 基本的に人間は注意を無理に惹かない限り、艦娘より先に攻撃される事は無いはずだ。

 深海棲艦が艦娘より人間を優先して攻撃し始めたら、いままでの常識の一つがひっくり返ってしまう。

 

「取りあえず、後は神通さんとしれーかん待ちね」

「そうだね、敵に動きがあったと聞いているから、気になるね」

 

 私の言葉に響も頷いて、少し冷めてしまったお茶をすする。

 

『Hum、Ghost townか、こっちでも別の村にscoutを出しているが、同じ状況らしい、細かいことは帰ってから話そう』

「了解したわ」

 

 東司令も内線を丁度聴いてたみたい。

 東司令と神通さんは30分ほど後に帰って来た。

 取りあえず、みんなと食堂へ移動し、一通り、無線の状況と、町が無人になっているという情報をリストアップし、会議形式で再共有する。

 “内線”の通信はどうしてもイメージ優先で、キャッカンセイに欠ける為、改めて全員で再確認するプロセスはじゅーよーなのだ。

 

「Hum……と言うわけで、手分けして行った偵察活動では、body count、head count共に0、Civillianは一人も発見されなかった、戦闘の痕跡も全くなし、Panicの欠片もない、Cleanそのものだ」

 

 机の上のモニタには、人っ子一人居ない町中を映した動画が流されている。

 雷と電が撮影してきたものだ。

 若干乱雑に並べられた野菜や果物は瑞々しく、ぶら下げられた魚もハエがたかっているのに目をつぶれば、別に腐っている様子はない。

 所々に小銭や飲み物のカップ、食べ物の串等が点々と落ちているが、乱雑に放り出されたという感じではなく、それぞれ、屋台の前にまとまって落ちている。

 カフェに入ってみると、テーブルの上には、二、三口かじった跡のあるトーストと、剥きかけのゆで卵にミルク入りのコーヒー。

 半開きになったレジと、床に散らばっている数枚のコインが、僅かな混乱の痕跡として残されていた。

 

「見た感じだと、手に持っていた物がその場に落ちた様に見えるわね、まるで、持ち主が瞬間的に消えたみたいに……でも身につけてた服が残ってないから、手に持ってた物だけその場に落としてどこかへ歩いて立ち去ったか」

 

 映像を見ながら呟いている夕張さんの台詞を聞いている内に、ゾンビの様にふらふらと歩き出す人々の姿を映像に被せてしまい、私は身震いした。

 手の中でぱきっという軽い音がして、我に返る。

 

「あ」

 

 両手で持っていたマグカップに大きな罅(ひび)が入っていた。

 “神”の字を背景にパンダイルカが跳ねているかっこいい図柄がお気に入りだったのに、勿体ない。

 

「Ms.響、通信状況はどうかな?」

「Да(ダー)」

 

 司令官に水を向けられた響はカップを置いて、目線をあげる。

 

「今までの中で一番酷い状態だ、大本営所か、近くの補給基地とも繋がらない、完全に無線封鎖されてしまっているよ」

「hum、隣の鎮守府もご同様の状態だ、外部からの支援は受けられないと思った方がいいな」

 

 響の言葉に頷いていた提督は、雷に目線を移す。

 

「Ms.雷、備蓄はどうかな」

「そうねぇ、糧食は備蓄で半年分位かしら、うちの鎮守府だけなら、食べ物は割と自給できるから、もう少し延びると思うけど……私達は最悪燃料だけあれば大丈夫だし」

 

 ぞっとしない話に雷は顔を顰めて口ごもった。

 確かに、私達は艤装に充分な燃料があって、搭載してる妖精さん達が元気なら充分動ける。

 けど、食べたり、飲んだり、眠ったり、“人間らしく”するのは、私達にとって、単なる習慣以上に大事な事だ。

 響達と一緒にちょっと特別なカレーを仕込んでいる時の楽しみ、雷の作ってくれるご飯やおやつをみんなで食べている時に感じる幸せ。

 我慢は出来る、でも、無くしてしまうのは絶対にイヤだ。

 

「あと、発電器用の燃料は4ヶ月位ね、私たち用のは、普段通りに作戦活動するなら6ヶ月分位、弾薬は3ヶ月分位よ、高速修復材は128個」

「Good、悪くない」

 

 雷の報告に東司令は頷いている。

 ちょっと艦娘用の弾薬備蓄が少ない気がするけど、人類が確保している水域の端に設置された前線基地だって事を考えれば、こんなものだろう。

 高速修復材も戦艦、空母を運用している艦隊へ優先的に回され、比較的、入渠時間が短めの軽巡と駆逐で構成されている水雷戦隊への配給は少な目になる。

 それでも、128個も残っているのは、割と節約してきた結果である。

 装甲部分を深海棲艦から剥がした鋼板に置き換えるだけで、入渠に必要な時間は結構短くなるものだ。

 とは言え、激しい戦闘なら、結局4つ以上使うことは珍しくもない。

 連戦になったらあっという間に無くなってしまうだろう。

 

「持久戦になっちゃうと不利ねぇ」

 

 夕張さんが何事か指折りを数えながら呟いている。

 多分、工廠に備蓄してある部材の在庫の事だ。

 兵装、素材は機会があれば出来る限り回収、鹵獲しているけど、そんな余裕のある状況というのも中々ない。

 現状、消耗品より、兵装が破損する方が遙かに深刻な問題だ。

 特に電探なんか壊れたらそれっきりになってしまうだろう。

 

「Hum、不安要素は多いが、取りあえずは plan Bだな」

「えっ……」

「どうしたんだい」

 

 半分ぼーっと考え事をしていた私は、東司令の言葉に思わず反応してしまい、響に顔を覗き込まれてしまった。

 

「ううん、なんでもない」

「そうかい」

 

 夢で見たおじいちゃんが叫んでいた言葉と同じ言葉。

 あの時の状況を考えると、なんだか凄く不吉な感じがしてしまう。

 

「それって、まだ、何にも考えてないって事じゃない、ほんと大丈夫?」

「我々は隣島への上陸偵察を実施します」

 

 モンキーレンチで肩を叩きながら大あくびする夕張さんに視線を当ててから、神通さんは私達全員を見回した。

 

「本土だけではなく、近隣諸島からの発信電波が途絶えているのは、確認した通りです、我々の泊池がある本島の偵察はおおむね完了しましたから、続いて近隣の諸島の偵察を行います」

「このOperationもとなりの鎮守府とのconcerted operationになる、operation code は“Honey bee”だ」

「しれーかん、なんでミツバチなの?」

 

 雷の問いに、東司令は隣島の地図に赤マルが描きこまれた一点を指さした。

 

「今回偵察を担当する隣島には、緊急用に秘匿されたSecret Depotがある、そこの周辺状況の確認及び、可能であれば物資の持ち出しを行うが、輸送用の通常船舶の支援はない……場合によっては火事場泥棒になるからな」

「そんなへそくりがあったなんて、知らなかったわ!」

 

 雷は驚いたみたいに机を軽く叩いた。

 横目をやると、少し不満そうな顔をしている。

 秘匿資材はいわゆる“ぐんじきみつ”だから隠されているのは仕方ない、けど、鎮守府の家計を預かる“主婦”としてはやっぱり知らない”へそくり”には少し思う所がある様だ。

 東司令は軽く肩を竦め、唇の端を軽く持ち上げる。

 

「Sorry ま、取りあえず行けば現物を見られる」

「そーいう事じゃないでしょ!」

 

 憮然とお茶をすする雷の隣で、電が挙手した。

 

「あの…司令官さん、そこにはどれ位物資が貯蔵されているのです?」

 

 東司令は軽く手元の資料に目を落とした。

 

「Hum……隠してあるのは、艦娘の予備兵装と弾薬、燃料がMainだ、Sizeは書いてないが、多分、六畳間か八畳間程度だろう」

 

 普段は英語混じりなのに、今回は妙に日本的な例え方だ、まぁ、その方が分かり易いんだけど。

 

「それでも一度に運ぶのは難しそうだね、なにを持ってこればいいんだい?」

「Fuel 、Ammoには今の所、余裕があるから予備兵装を中心に回収した方が良いな」

 

 東司令は、クリップバインダーから書類を外し、雷に差し出した、けど、遠すぎたので、伝達は電経由になる。

 

「You達用に予備兵装を一揃い選んで、後は、消耗品で備蓄の少ない物から優先して選んでくれ」

「わかったわ!」

 

 自分の知らないへそくりに若干釈然としない顔をしていた雷は、機密物資の回収リスト作成を任された事で、機嫌を直したらしく、にこにこしながら書類をめくり始めた。

 

「輸送任務ならドラム缶ね、偵察を兼ねてるから……一人1個位にしておいた方がいいかしら」

「確かに、今の状況だと、安易に兵装を削るのは危険なのです」

 

 雷の横からリストを覗き込んでいた夕張さんの呟きに、電も同意する。

 持って行く兵装の相談から、みんなの間で何となく雑談が始まった。

 神通さんがちらりと目をやると、東提督が頷く。

 

「Hum、こんな所かな」

「各自、明日6:00までに出撃準備を完了し、食堂へ集合して下さい、以上、解散」

 

 

 翌朝、食堂に集合した私達は簡単に作戦の再確認をしてから出発した。

 慣れ親しんだ潮の香り。

 でも、頬をこする空気はなんだかなま暖かくて、なんだか澱んだ感じがする。

 毎日見飽きるほど眺めた抜ける様な空も、今はヒビに覆われて、割れた鏡みたい。

 ヒビから漏れた赤黒いシミが、気持ち悪いすじ模様を描いていて、ぼう、と滲んでうごめいている。

 まるで、浮き出た血管みたいに見えて凄く気持ち悪い。

 私は口を結んで対空警戒を続けながら、神通さんの後を追従する。

 旗艦の神通さんを先頭に対空電探を積んだ私と響、水上電探を積んだ夕張さん、その後ろに水中聴音機と爆雷を積んだ雷と電が続く単縦陣だ。

 緊急事態が発生する迄は、基本通常の無線は封鎖、傍受の危険性のない東司令を経由した“内線”でやりとりする。

 神通さんは零水偵を積んできているけど、敵に捕捉される危険性もあるため、やたらと飛ばす訳にもいかない。

 今は空と水上を見張る“眼”と、水中の物音を聞き取る“耳”が頼りだ。

 

 かなり警戒して進んだけど、特に敵影を発見する事もなく、私たちは順調に目的地へ接近した。

 

(これで空がふつうなら、少しは気分がいいんだけどなぁ)

 

 私はそんな事をちらりと思ったが、すぐに首を振って気合いを入れ直す。

 偵察活動はおさんぽではないのだ。

 気を抜いていたら、浮遊忌雷で手足を無くしかねない。

 擬体の手足なら割と簡単に生えてくるとは言っても、痛いものは痛いし、触雷するのは私とは限らない。

 私が敵を見逃したせいで妹たちが傷つく事になったら、立ち直れないだろう。

 すっかり日が高くなった頃に、目的地の島が見えてきた。

 

(ふぁーすとらんど島ね、周囲4キロ位だったかしら?)

 

 遠目に見るファーストランド島の印象は、なんだから平べったい島という感じだった。

 多少の起伏と林が少し。

 あれだけだと、非常時に待避しても、上空偵察で簡単に発見されてしまいそうだ。

 

(なんでこんな分かり易い所に秘密基地を作ったのかしら?)

 

「右に少し回り込んで、そこの岩場から上陸します、接岸準備用意」

『はーい』

 

 神通さんに続いて私たちは面舵へ転舵する。

 岩がごつごつして歩きづらい以外、上陸はあっけない程簡単だった。

 姿勢を低く保ったまま、神通さんが指した手近な茂みへ走り込む。

 しばらく無言で、みんな周囲の音を聴き、周りの様子を伺う。

 電探に頼れない障害物だらけの地上だと、艦娘も人間と同じで眼と耳が頼りになる。

 波の音と葉鳴り、良いお天気だけど、なんだか風が強い。

 小さな足音は聞こえないかも。

 でも、みた感じ、周囲に何か動く気配は感じなかった。

 

「陸戦装備を準備してから進みます、艤装はしまって下さい」

 

 小声で囁かれた指示を受け、私たちは艤装から防水ケースを外し、中から陸戦用装備を取り出した。

 出発前のブリーフィングで、島の上で敵と交戦する可能性もあるので、念の為、持ち出し許可が出た兵装だ。

 陸の上で艦載砲を撃つには、いちいち膝をついた射撃姿勢を取らないとひっくり返るっていうのもあるけど、艦載砲を撃つより静かだって事と、間違って保管庫の方を撃っても大丈夫っていう事情もある。

 艦載砲に比べれば、小銃や短機関銃の銃声なんて、こおろぎの鳴き声みたいなものだ。

 火力は艦載砲とは月とすっぽんだけど、ちゃんと、当てるところに当てれば深海棲艦も倒せるはず。

 

(いちにんまえのレディはちゃんと、作戦に応じて、てきせつな装備を使い分けできちゃうんだから♪)

 

 私は二式小銃の前後に分かれてる部品を組み合わせて、しっかり固定する。

 少し短い九十九式小銃みたいで、私達にも割と使いやすい……気がしない事もない。

 これは、見た目のデザインはそのままに、内部きこーが改修された“当世版”だ。

 今風のデザインにするより、“かつての戦争”で使われていた武器と同じにした方が“妖精さんの落ち着きが良い”らしい。

 妖精鍛冶の人が、私達、艦娘から引っこ抜いた妖精さんを宿らせて一丁一丁仕上げるから、大量に作るのは難しいんだけど、そもそも妖精さんが見える私達か司令官みたいな人達位しかうまく使えないので、そこまで沢山作ってもしょうがないと思う。

 弾薬は、腰につけてきた弾薬盒に120発位持ってきている。

 

(こんなにたくさん撃たないと思うけど……)

 

 ちなみに、口径は7.7mmじゃなくて、NATO規格の7.62mm弾になっている。

 補給に便利だから、最初から7.62mm NATO弾に変更する事を考えて設計し直されたって司令官は言ってた。

 “当世版”の三八式は5.56mm NATO弾らしい。

 神通さんは九九式狙撃銃、夕張さんは百式機関短銃と、十四年式拳銃。

 もちろん、両方とも“当世版”で、狙撃銃は7.62mm NATO弾、機関短銃と拳銃は9mm パラベラム弾用に再設計されている。

 夕張さんは出発直前まで九十九式軽機関銃とどちらを持って行くかかなり迷って唸っていたんだけど、結局、持ち運びが嵩ばり過ぎると言う事で泣く泣く諦めていた。

 いつもの事だけど、お気に入りのおもちゃを前にして悩んでいる子供みたいでつい笑ってしまった。

 

(夕張さんも、いちにんまえのレディまではまだまだねぇ)

 

 私達は神通さんが出した地図を囲んで、最終確認をする。

 

『保管庫の場所はここです、陸上の徒歩ですから、30分程度は見た方が良いでしょう、整備された道はありませんから、少し藪こぎして進む事になります』

『うぇ、服がヘンな草の種まみれになっちゃいそう』

『茅の葉っぱがちくちくするのです』

『マチェットでも持ってくれば良かったかしら?』

『秘匿された保管庫だから、あまり痕跡を残すのは良くないんじゃないかな』

『任務の為なら、少しくらい制服が汚れるのなんてへっちゃらなんだから!』

 

 撤退時の集結地点は、今の上陸地点がアルファ、私達の泊池に向かう航路上にブラボー、泊池に向かわず、本島側へ向かう航路上にチャーリーを設定。

 大体、後の方を使う様になる程、状況は悪くなっている。

 特にチャーリーを使う場合は、足が速い水雷戦隊でも逃げきれない状況だから、無傷で切り抜けるのは難しい状況になっていると思う。

 

(考え過ぎよね……)

 

『……陣形は二列横隊を取ります、いつもの陸上用配置です』

 

 陸上の二列配置なら、先頭は私と響、その後ろが神通さんと雷、最後が電と夕張さんになる。

 

『出発』

 

 藪の中に入ると、私の背丈より高い草に囲まれて、太陽どころか、何も見えなくなっちゃったけど、私達艦娘には羅針盤があるからいつでも真北がわかる。

 だから一定の方向に進むのはとても簡単だ。

 

『迂回で、西に30m程度それました、戻しましょう』

『暁、了解よ』

『響、了解だよ』

『雷、了解したわ』

『電、了解なのです』

『はいはい~い、夕張了解でーす』

 

 時折神通さんの方向指示が“内線”でとんでくる。

 前後は10m程度間隔を開けているので、お互いの姿は見えないけど、“内線”のおかげでおおよその位置はわかる。

 ただ、頭上は完全に木陰に覆われているし、進む先も、私達の背丈より高い草でぜんぜん見えないのには辟易させられた。

 いくら手を切ったりする事は無いとはいえ、密集した草を、できるだけ静かにかき分けて進むのは気疲れする。

 草だけならまだ良いけど、たまに蜘蛛の巣は絡むし、上からぽとぽとと蛭が落ちてくるのは最悪だ。

 

『おっと……ごめんよ』

 

 響の方は、さっき蛇を踏んづけたらしい。

 この手の虫や害獣は私達の肌に歯は立たないから、怖がる事は無い、そうなんだけど……やっぱり、気持ち悪いものは気持ち悪い。

 

『ん……?』

『姉さん?』

『何か、聞こえた気が』

 

 私は響に生返事しながら、意識の端にひっかかった何かに、感覚を集中する。

 

『総員停止、低姿勢』

 

 神通さんの指示に反射的に従うと、私の耳にはっきりと、がさがさと何かが動き回る葉ずれの音が聞こえてきた。

 

『2時の方向から、こっちへ少しずつ近づいてくるわ!』

『大きい、2m以上……3mは無さそうだけど』

 

 私の警告に、夕張さんの報告がかぶり気味に続く。

 

『各艦、陸戦準備、可能ならやり過ごします、指示があるまで発砲はしないで』

 

 私はなるべく静かに二式小銃を抱え直した。

 結構完熟訓練はしてるけど、艤装に積む火砲とは感覚が違う。

 難しさで言えば、フォークとお箸、いや、手づかみとお箸位の差がある。

 そんなくだらない事を考えている間に、がさがさと草を押し退ける音はどんどん近づいてきていた。

 もう、すぐ脇を歩いている様な感じだ。

 

『ちらりと見えた、駆逐イ級だね……まだ、警戒色は出してないみたいだ』

 

 響のつぶやきが聞こえてすぐ、私にも揺れる草が見えた。

 光は見えない。

 警戒中の深海棲艦は、目を発光させ、装甲部分にも縞模様状にオーラの光を波打たせる。

 同じ種類の艦でも色合いは違っていて、大体、赤、金色、青白色の順に危険になってゆく。

 

(あれなら、船体部分は大型のオートバイ位かしら)

 

 息を呑んで、目の前を移動中の目標をいつでも狙える様に全身の力を抜く。

 装甲部分に当てても、有効打にはならない。

 

(駆逐級なら、左右の目、口の中にある弾薬庫、後はお腹の喫水下辺り)

 

 普段は見えない喫水下の部分は、無装甲で柔らかい。

 

 私達の緊張とは裏腹に、駆逐イ級は幾分ヨタヨタしながら歩いて行ってしまった。

 どうやら発見されずに済んだようだ。

 

『Hum……連中、“探している”か』

『秘匿倉庫があるのバレちゃってるのかしら?』

『まだ分からんな、確認してくれ』

 

 不安そうな雷の声に、軽い調子の東司令の声が被った。

 肩を竦めるイメージ付きだ。

 

『了解、全艦、警戒態勢のまま前進』

 

 神通さんの声には、小銃を構えたまま進む私達のイメージがついてきた。

 “内線”の会話は、言葉にしなくても、自分の思った事を伝える事ができるから、短時間に言葉だけの通信とは比較にならない情報量をやりとりできてしまう。

 これは本当に便利だけど、混乱してるのもそのまんま伝わってしまうので、最悪、1艦の混乱が艦隊全体に飛び火する事もある。

 だから、提督と“内線”で繋がる艦隊にはせーえいの艦娘が割り当てられるのだ。

 

(ま、うちにはぎりぎりの数しか居ないんだけど……)

 

 小銃を抱えたまま、そっと、藪をかき分けて進む。

 さっきよりはだいぶ遅くなるけど仕方ない。

 

『目的地の方から、何か物音がしています、警戒を厳にして下さい』

 

 耳を澄ましていると、確かに遠くから微かに風で揺れるのは違う葉擦れの音が聞こえる気がした。

 

(何か居るのかしら?)

 

 音は、私達が近づくとだんだんはっきりとしてきた。

 

(木の倒れる音?……あれ?)

 

 不意に藪が途切れて、私は眩しさに目を細めた。

 反射的に立ち止まり、身を低くする。

 ぷん、と青臭い臭いが鼻をついた。

 

『止まって!藪が切れてるわ』

『姉さん、地面が』

 

 珍しくギョッとした様な響の声に慌てて地面に目をやり、私は思わず後じさる。

 刈り取られた草の間から、青黒くぬめぬめした金属が顔を出していた。

 

『深海棲艦の装甲?』

『そんなぁ~』

 

 怖がっていると言うよりは、がっかりした様な雷の声で、私は気を取り直した。

 

『ん~、これって、陸上型の艤装よねぇ、流石に見たのは初めてだけど……サンプル取っちゃだめ?』

『Negative』

『却下します』

 

 既に小型トーチを片手に持ち出している夕張さんを、東司令と神通さんが口を揃えて制止する。

 

『ちぇ~、仕方ないかぁ』

『あぶないのです』

 

 刈り取られた草と多少の木が折り重なった広場を、草むらに姿を隠しながら見回すと、少し先の、丁度中央辺りに誰かが座っているのが見えた。

 その周辺は誰かが草を片付けたのか、青黒い金属が完全に露出している。

 目を凝らして望遠してみると、黒くてふわふわにウェーブした髪が背中を覆っていて、頭には真っ黒いハーフボンネットを被っているのが見えた。

 その右横には、火砲が突き出した艤装があって、背中をぐるっと回り込む様に左側へ傾斜のついた滑走路が付いている。

 

『離島棲鬼、姫かしら?ぱっと見た目じゃ分からないわねぇ』

『“姫”型だった場合、砲台小鬼が随伴している筈、各艦、周辺警戒を厳にして下さい』

 

 棲鬼、棲姫級が出てくると、私達水雷戦隊だけでは打撃不足。

 目の前の離島棲姫の様に特殊な陸上型の深海棲艦なら尚更だ。

 陸上型深海棲艦の艤装には侵食能力があって、今、目の前でやってるみたいに、地上を自分たちの陣地、基地へ変えてしまう事ができる。

 時間は結構かかるみたいだけど、侵食が終わると、周囲数キロは青黒い鉄に覆われて、多数の火砲と艦載機に守られた要塞になる。

 艦娘の間に伝わる怪談話だと、最終的には建造能力を備えた基地に成長して、そこには深海側の提督が棲んでいるなんていうのまである。

 陸上型には重巡と戦艦が撃てる、三式弾が結構有効な筈だけど、うちの鎮守府にはいない。

 戦車妖精さんを積んだ内火艇辺りがあれば少しはなんとかなるかも知れない、あと、ドイツ艦が持ってるロケットランチャーも使えるらしいけど……

 

(無いものの事を考えても仕方ないわよね)

 

 対地上攻撃用の装備を積んできていない今、あの艦の撃破はかなり難しい。

 

『Эй, смотрите! (エーイ、スマトリーチェ)あの艦が座ってる先、何かある』

 

 響の声につられて、離島棲姫の向かいに目をやると、緑色に盛り上がったものが見えた。

 周囲15m程がぬらぬら光る金属に覆われている中で、ふさふさに草の生えた土饅頭はやけに浮いて見えた。

 

『Hum……アレがDepotだな』

『何で取り込まれてないのです?』

 

 陸上型の深海棲艦が艤装を展開する場合、材料に使えるものは呑み込まれ“消化”されて拡張の材料にされてしまう。

 確かに、補給品が無事なのはちょっと不思議だ。

 電の疑問には、肩を竦めるイメージが帰ってきた。

 

『分からん、But 取り込まれてないと言う事は、まだ回収する chance はあるって事だ』

『だといいけど』

 

 雷の声には、溜め息をついている様な気配が漂っている。

 まぁ、隠し在庫の確認を結構楽しみにしてたからしょうがない。

 

(雷、ヘンな事が起きすぎて、思ったより気落ちしてるのかも、でも、こんな危ない状況なのに、司令官はぜんぜん慌ててないわね、帰ったら少しほめてあげなきゃ)

 

 私達、艦娘側の一番の強みは、司令官との絆である“内線”だ。

 司令官と結ばれることで、艦娘は、艦隊という一つのせーぶつとなる……だったっけ。

 兎に角、それだけ結びつきの強い“内線”で、一番危険なのは艦娘達の思念を処理するサーバでもある、司令官の動揺や混乱だ。

 艦娘側の混乱は最悪、“内線”から締め出すって言うことも出来るけど、司令官の場合、戦闘中の強制切断なんてしたら大変な事になってしまう。

 司令官が倒れた事によるブラックアウト、発狂による戦術情報の混乱などなどで、艦隊がまるまる壊滅したお話はいくつも聞いた事がある。

 イヤな死に方だ。

 

『うーん、電探には頼れないけど、少し離れた所に、幾つか筒先出してうろついてるのが見えるわね、うーん、あれは3m以上あるわね……バラバラに3か、5か……ちょっと絞りきれないけど、取りあえず直近1km以内に他の敵艦は見えないわ』

 

 どうやら、近くの木に登って、視界を望遠しているらしい。

 

(結構細い木なのに、危ないなぁ)

 

 夕張さんは結構ほっそりしてるけど、流石に私程には体重が軽くない。

 下手すれば、ぽっきりといきそうだ。

 そんな心配をしつつも、私は右手でひさしを作り、周辺を精一杯目視警戒する。

 望遠された視界の中には、敵機は見あたらないし、不自然に揺れてる茂みは見えない。

 まぁ、夕張さんみたいに上から見晴らした訳じゃないけど。

 

『暁、敵機、敵艦の視認は無いわ』

『Да(ダー)こちらも同じだよ』

 

 私の左手に陣取っている響からの報告も同じ。

 見落としてるだけかも知れないけど、実際に交敵してみるまで、それは分からない。

 陸上では私達の装備は本当の実力は発揮できない。

 こんな時は、危険な場所だと言うのに、海に戻りたくてしょうがなくなる。

 

『Hum……Miss.神通』

『はい』

『Atack and sink、離島棲姫を撃破する』

 

(なに、めちゃくちゃな事言ってるのよ!)

 

 陸上型深海棲艦なんて、ふつう、支援を受けた連合艦隊で戦う相手だ。

 輸送任務で、ドラム缶を積んだ水雷戦隊が正面から戦える相手じゃない。

 提督のつまらない冗談に私が内心、ぷりぷりしていると、少し黙っていた神通さんからの通信が届いた。

 

『提督、現状、陸上型深海棲艦の正攻法での撃破は困難です、ただ、離島棲姫のみであれば、肉迫して近接戦に持ち込む事で撃破は可能かと思います……しかし、その場合、離脱は困難となります、ご存じかとは思いますが、陸上型深海棲艦は単独では行動しません、必ず、強力な随行艦、及び、支援艦隊と行動している筈です』

 

 神通さんの声のイメージは、いつも通りとつとつとして静かだったけど、なんだか、少し、少しだけ、背筋が寒くなった。

 私に向けられたものじゃないけど。

 たぶん、殺気に近いもの。

 

(やれと言われればやりとげる、でも、それを命じるという事は、私達に死ねと命じること、それを理解されていますか?)

 

『That's Right』

 

(ん~)

 

 間をあけずに届いた司令官の“声”は深く頷いている様な肯定のイメージ、だけど、何か含みがある。

 

『陸上型深海棲艦は単独では行動しない、Because 地上で艤装を展開を始め、数時間は完全に無防備になるからだ』

 

『へぇ、知らなかったわ!』

 

 雷の素直な驚きの“声”に、司令官は軽く肩を竦めるイメージを送ってきた。

 

『普通なら、その無防備な時間は、随行艦が張り付きになってる、ま、大体、地上で陸上型が見つかるのは強引に上陸されて接近が困難な場合か、見つけられないまま上陸されて、ある程度、艤装がPackage openされた後だからな、sleepyな彼女達をみる機会なんて無いだろう」

『спящий (スペーシィ)確かにうつらうつらしているね、お昼寝かな』

 

 司令官が喋っている間、離島棲姫の横に回り込んでいた響が、イメージを伝えてくる。

 確かに、目を閉じて船を漕いでいるみたいだ。

 全く、のんびりしたものである。

 

『……眠ってるにしても時間はなさそうねぇ、随行の砲台小鬼がいつ帰ってくるか分からないし』

『今回の作戦の趣旨はgrab and dash、かっぱらって逃げ出すだが、But、残り物を無駄にするのはMOTTAINAI精神に反する、そっくりPinataにしてプレゼントしてやろうじゃないか、Miss.夕張』

 

(ぴにゃーた?なにかしら)

 

『よっ、と、はい?』

『物資をIEDにするのはどれ位かかる?』

 

 木を少しだけ揺らしながら降りてきた夕張さんに、東司令が話しかける。

 

『そうねぇ、小さいのなら5分、あそこ全体を吹き飛ばしたいなら、15分位ほしいかなぁ、でも提督、アレ全部誘爆させたらここがクレーターになる位の分量ありますよ』

『Sure、それ位じゃないと“彼女”に通用しないだろう、できれば十分以内にやってくれるとありがたい』

 

 手から木くずを払いながら答える夕張さんに、にこりともせずに東司令は無茶ぶりをする。

 まぁ、全部“内線”の中のイメージなんだけど。

 

『はいはい、艦長の仰せのままに、7分半でやれって言われない分、うちは惑星連邦よりはホワイトね』

『Hum、では、今から離島棲姫爆破工作を行う、Miss.夕張はDepotに潜入してbombの準備、Lady 暁は助手として同行、他はMiss.神通の指揮でその支援を実施してくれ、交戦状態になるまで艤装の展開は禁止する』

 

(爆発物の設置は雨の日の座学と、海岸の防衛線の構築でやった事あるし……いちにんまえのレディは何でもできちゃうのよ!)

 

『НетНет!(ニェーニェー)……ダメだ、司令官、私が助手をやる』

 

 了解の返答を返そうとした時、不意に響が東司令に抗議した。

 普段の響はこんなあからさまに命令に逆らったりする子じゃないから、私は少し驚いた。

 

『Neggative、許可できない、Miss響は支援を担当せよ』

 

 でも、響に即答した東司令の言葉は、まったくとりつくしまもなくて、私はちょっと気分を害した。

 

(確かに、ちょっとわがままに聞こえちゃったのかも知れないけど、もうちょっと言い方あるじゃない……褒めて上げるのは取り消しよ!)

 

『私は東側に出張してた時にも、破壊工作の研修を受けている、私の方が適任だよ』

『Dance partnerの変更は認められない、支援活動を開始せよ』

『Жесть (ジェスチ)、司令官……本当に姉さんじゃないとダメなのかい?』

 

 響がこんなに逆らうのは珍しい、電からは心配する気配が伝わってくるし、雷もよく分からなくて困っている様子だ。

 私が口を開こうとした時、一拍、強く手のひらを打ち合わせた様な音が頭の中に響き、続いて聞こえたいつもと変わらない静かで囁く様な神通さんの声が聞こえてきた。

 

『離島棲姫正面を基準に、1班、私と響は9時方向、2班、電、雷は4時方向へ、広場の縁沿いに展開、展開後、3班の暁、夕張は6時方向から進入して下さい……響、復唱を』

『Ладно(ラードナ)、響は旗艦神通に同行、9時方向から夕張、暁の支援を行うよ……』

 

 命令に余り遅れずに復唱はしたものの、大分歯切れが悪い感じだ。

 

(響、大丈夫かしら)

 

『展開後、離島棲姫の動向を伺いつつ、全周囲警戒、指示あるまで発砲を禁じます……提督、よろしいですね』

『No problem、実行してくれ』

 

 神通さんの声も、提督への念押しの時は何か少し硬い気がする。

 

『2班、雷、了解したわ!』

『2班、電、了解なのです、です!』

 

 雷の声には普段以上の気合いが込められている。

 電からは、両拳を握りしめている様子が伝わってくる。

 

(そうよね、いちにんまえのレディなんだから、妹たちに負けてられないわ)

 

『夕張、暁は指示を待って移動を開始して下さい』

『はいはーい、3班、夕張了解でーす、提督、危険手当期待してるわよ』

 

 夕張さんの返答は、完全にいつも通りだ。

 まぁ、一見、ただマイペースなだけ見えるけど、こう言う時の夕張さんは生返事代わりに軽口を叩いてるだけの事も多い。

 多分頭の中は、これからやる破壊工作の段取りで一杯になっている筈だ。

 兎に角、邪魔しない方がいい。

 

『3班、暁、了解したわ、いちにんまえのレディにまかせなさい!』

 

 私は妹達に負けじと、胸を叩いて見せる……イメージを送った。

 

『я волнуюсь(ヤ ヴァルヌーユシ)……姉さん、気を付けて』

『響こそ、気を付けなさいよ、相手は姫級なんだから』

 

 私は、まだ浮かない感じの響の頭を軽く小突くイメージを送ったが、返事は無かった。

 その後、離島棲姫の背中を見つめたまま数分間、“内線”を通して響達が移動するのを確認しながら、合図をじっと待ち続ける。

 その間、不気味な程、周囲は静かなままだった。

 動物の声が全くしないのが、かなり気味が悪い。

 聞こえるのは、離島棲姫の艤装が地面を侵食する微かなぱきぱきと言う音と、根を刈られて草が倒れるかさかさした音。

 後は時々、木が刈草の上に静かに倒れる音位だ。

 

(靴が浸食されたりしないのかしら?)

 

 私は、浸食の縁に足をのっけたりしない様に気を付ける。

 何度か足の位置を直している内に“内線”が入った。

 

『神通、配置完了、周囲に動き無し』

『響、配置完了、こちらも動きは無いよ』

『電、配置完了、動きは無いのです』

『雷、到着、新たな敵影無しよ』

 

 次々に状況連絡の通信が入る度に、おなかの辺りにきゅーっとした感覚が走る。

 艤装を展開していたら、きっと、中で妖精さん達が慌ただしく走り回るのが感じられたはずだ。

 

『3班、移動を開始して下さい』

『3班了解です、暁ちゃん、行きましょ』

『分かったわ』

 

 私は夕張さんに先行して、敵が切り拓いた領域へ足を踏み入れた。

 倒れた草を踏んづけて滑りでもしたら目も当てられないので、慎重に足を運ぶ。

 敵の支配地域で遮蔽も無く、周囲から丸見えの状況を電探の眼も無く進むのは、本当に怖い。

 今撃たれたら、艤装を展開している間に撃沈されてしまう。

 いつの間にか脇の下をじっとりと冷たい水が濡らしている。

 私達の汗は冷却水だからヘンな臭いはしないけど、気持ち悪い事は変わりない。

 何事も無く、刈草がどけられている円の中に足を踏み入れるまで3分もかからなかった筈なのに、手が震え始めている。

 

(大丈夫、“姫”は寝てるし、敵艦は近くに居ないわ……)

 

 革靴が足音を立てない様に、慎重に、慎重に足を運ぶ。

 離島棲姫の横を通り過ぎる時は、3メートルも離れていなかった。

 独特の白い肌に、意外な程に細い腕。

 眼はしっかり閉じられてるから、何色かは見えない。

 顔立ちまではっきり見える程、“姫級”に近寄ったのは初めてだ。

 

(なによ、私より“ちょっと”大きい位じゃない)

 

 後ろからそっと、腕に触れられて、私は我に返った。

 

『“ひらけゴマ”といきましょ』

 

 夕張さんが、離島棲姫の2メートル位前にある倉庫の扉を指さした。

 扉は葉っぱとかで偽装してあった筈だけど、それは取り外されて、今は鉄扉がむき出しになっている。

 何故か、大きな丸ハンドル付きの水密扉だ。

 よくよく見ると、周りの壁も金属製らしい。

 ちょっと触れてみると、私達の艤装に使われているのと同じ金属なのが分かる。

 建物というよりは、金庫みたいな金属の箱を埋めてあるようなものだ。

 

『なんで、水密扉なのかしら?』

『さぁ、ま、確かに湿気は入らないわよね……取りあえず、音を立てない用にあけないといけないわね』

 

 水密扉には、扉と枠に三組L型の掛け金が溶接されていて、丈夫そうな南京錠が三つぶら下がっていた。

 離島棲姫を見ながら待っていると、軽い、ぷしゅーという音と独特の嫌な臭いが漂ってくる。

 船舶用のク○ー6○6だ、アレは普通の5○6より、かなり臭い。

 ちらりと目を向けると、夕張さんは扉の金具にたっぷりと差したみたいだった。

 

『う~、臭いなぁ』

『そうかしら?』

 

 夕張さんは慣れてるみたいだけど、この酷い臭いで離島棲姫が眼を醒まさない様に祈らずにはいられない程強烈な臭いだ。

 スプレー缶をしまった夕張さんが、手際よく三つとも鍵を外し、ハンドルをゆっくりと回して、更に、四隅についたレバーハンドルを解除してゆく。

 まだ、離島棲姫はゆっくりとただ船を漕いでいるだけだ。

 最後にコの字型の取っ手を引くと、扉は音も無く開いた。

 

『流石○レー6○6ね、又、発注しておこうかしら』

 

 日本が誇る潤滑スプレーの威力に、雷は補給線が絶たれた事も忘れて呟いている。

 私はそれを遠くに聞きながら、じりじりと、倉庫の中へ撤退した。

 扉をそっと閉じて息をつくと、妙にひんやりとした空気が口に入ってきて、咳き込みそうになる。

 なんだか、ひどく寒い。

 私は、息が白くなっていないか、無意識のうちに確認してしまった。

 

(嫌な感じ……)

 

 でも、何だか最近、この嫌な感じと同じ様な空気を嗅いだ覚えがある。

 でも、どこでこんな気味の悪い空気を感じたのかちょっと思い出せない。

 

『よーし、じゃ、お宝探しといきますか、はい、これ持って、私は右の手前から始めるから、えーと、糧食は左奥だった筈だから……固形燃料を探してね』

『はーい』

 

 私は大きく息をして、考え事を放り出した。

 今は、余計な事を考えている場合ではない。

 受け取ったL字型の懐中電灯をつけると、ぼんやりとした赤い光が灯る。

 改めて照らして見ると、倉庫は想像していたよりも狭くはないみたいだった。

 ぱっと見て、十畳位はありそうに見える。

 壁も床も金属製で、建物と言うよりは船室として造られている様だ。

 夕張さんが点けた携帯用のLEDランタンのお陰で、部屋の中央だけ明るくなってるけど、棚がぎゅうぎゅうに並べてあるせいでぜんぜん光が通らない。

 この懐中電灯の光で探さないといけないだろう。

 私は二式小銃を肩に掛け直して、重たい懐中電灯をなんとか胸ポケットに押し込んだ。

 身を屈めた拍子に落ちない事を確認してから、倉庫の奥へ入り込む。

 入り口からだとわからなかったけど、通路の一番奥は、棚がハの字型に避けてスペースが作られていた。

 小さな神棚白木の祭壇が置かれているけど、私と妹達なら、2、3人は脚を伸ばして座れそうだ。

 そんな事を考えながら、懐中電灯の光を上にふる。

 

「ひぁ」

 

 ヘンな声が出た。

 

『ふにゃぁ!』

『なに、これ?』

『写真?』

 

 私の意識から漏れた驚きは、“内線”に信号弾でも上げたみたいに響いてしまったらしく、こちらに意識をよこした妹たちへも伝染する。

 神棚の周りの壁には、びっしりと写真が貼られていた。

 妹達に、神通さん、夕張さん。

 全部、私達の写真だ。

 壁を埋め尽くすほど乱雑に貼られているだけでも十分に気持ちが悪いのに、みんなの顔が黒っぽいクレヨンでギザギザに塗りつぶされている。

 まるでかんしゃくを起こした子供が叩きつけた様なムラっ気のあるタッチ。

 目線を下に向けると、祭壇には、よくある水玉とか徳利は置いて無くて、破れた略帽と、割れて捻れたバレッタ、小さな髪留めピン、焼け焦げた鉢巻き、スカーフの切れ端が並んでいる。

 これじゃ、まるで遺品だ。

 

(ここ、倉庫なんかじゃないわ……)

 

 最初に感じた妙に冷たくて、外と違う空気。

 私は唐突に思い出した。

 あれは、夢の中に出てきた鎮守府のお墓と同じだ。

 

『周囲警戒を継続して!』

 

 神通さんがぴしゃりととばした号令に弾かれて、妹たちの意識が離れていく。

 

「……こ、固形燃料よね、えーと」

 

 私も気を取り直して、頼まれた物資を探し始めたけど、どうしても奥の壁際が気になって仕方がない。

 

(カンメシって書いてある、この辺かしら……)

 

 それでも意識を集中して探すと、奥の左側にある棚に糧食が置かれているのが目に入った。

 カンメシ、オカズ等、マジックで書かれた段ボールを確認していくと、下の方に、携帯燃料と印刷された段ボールが押し込まれている。

 しゃがみ込んで引っ張ってみたけど、神棚の下に置かれている白木の祭壇が邪魔で引っ張り出せない。

 仕方ないので、私は、ちょっと祭壇をずらしてから、段ボールを小さく開けて、一つずつ急いで取り出してゆく。

 支給品の固形燃料缶は、250g入りで結構大きい。

 段ボール一箱分を両腕に抱えて落とさない様にそっと立ち上がり、狭い通路をできる限り急いで夕張さんの隣まで移動する。

 うっかり夕張さんが苦心して作っている何かの装置に、固形燃料を落っことしたりしない様に気をつけて、床に大きな缶を積み上げた。

 

「はい、ここにおいたわよ」

「は~い」

 

 私が置いた缶をみて生返事する間も、夕張さんはずっと手を動かしている。

 と思ったら、腰のベルトからぐるぐるコードに輪っかと鰐口クリップがついたコードを引き抜いて私に突き出してきた。

 確か、夕張さんが普段はサーバをいじる時につけてる静電防止用のリストストラップだ。

 

『えーと、これつけて、その辺の鉄棚にクリップ噛ませてから、装薬袋をバラして奥へ詰めて、弾頭は入り口の方へバラして積んで、重油ミニ缶は真ん中』

『分かったわ』

 

 取りあえず、受け取った静電リストストラップをつけて、しっかりと鉄棚にクリップを噛ませる。

 ここは火気、静電気は厳禁だ。

 私は、軽く息を吸い込んでから出来る限り急いで箱を破り、夕張さんの邪魔をしない様に気を付けながら、中身を指定の場所へ詰め込み始めた。

 

『9時方向から、何か接近してくるのです!』

『あっちは任せましょ』

 

 電の声を聞いて、一瞬、手が止まってしまった私に、夕張さんがぼそりと呟いた。

 

『そ、そうよね』

 

 私は中断していた作業を再開する。

 かなり集中してるのに、ちゃんと見てるのは凄い。

 まぁ、眼はこっちを見てないんだけど。

 

『こちらでも確認しました、砲台子鬼です……1班で対処します、2班はそのまま警戒を続けて下さい』

『2班、了解なのです』

『1班、隠密戦闘準備、広場に到達される前に片付けます』

 

 神通さんと響が静かに、移動してゆく。

 砲台子鬼の積んでいる大砲は戦艦並みで、電探も優秀だ、流石に戦艦程頑丈じゃないみたいだけど。

 

(響、大丈夫かな……)

 

 私は響達の方に注意を向けたくてしょうがなかったけど、手元の仕事も放って置けないので、頑張って集中した。

 

『砲台子鬼沈黙、排除完了です』

『Good Kill』

 

 弾薬の最後の箱をバラしている時に、神通さんの報告が入り、私はこっそり響の方に注意を向けて確認する。

 響は、へし折った通信アンテナを棄てている所だった。

 

(怪我はしてないわね……)

 

 神通さんは砲台子鬼の前で残心の体勢だ。

 右の手から肘まで、深海棲艦の血と得体の知れない何か塗れになっている。

 倒れてる砲台子鬼の“眼”に大穴が開いてるから、多分、逆側まで貫通させたのかも知れない。

 

『じきに敵艦が通信途絶に気がつく筈です、作業を急いで下さい』

 

 私はひとまずホッとして、作業を続ける。

 

『できたわ!次は何?』

『そうねぇ……』

 

 夕張さんは少しだけ手を止めて倉庫を見回し、軽く頷いた。

 

『火事場泥棒ね、提督、バケツと換えの電探持てるだけってとこかしら?』

『Good ChoiceだMiss.夕張、Lady、BucketとRadar、あと、Hum……奥に置いてあるArtifact、神棚本体と祭壇に載っているものも一緒に回収願う』

『あ、あーちふぁくと?』

 

 私は、棚から下ろした予備の輸送用ドラム缶と神棚を見比べる。

 祭壇の上の帽子とかスカーフ類は詰め込めばいいから大した事はない、神棚も、扉が一つの一社宮の造りで横幅は広くないから確かにドラム缶へ入る事は入る。

 

『神棚入れちゃうと、バケツが6個位は入らなくなっちゃうけど、大丈夫?』

 

 私も神棚を爆破するのは気分が悪いけど、高速修復材の数は、妹達の安否に直結している。

 正直、6個、下手すると8個位持てなくなるのは痛い。

 

『そのArtifact達はmost important!一番重要な回収物だ、必ずSalvageしてくれ』

『そうなの?う~ん、わかったわ』

 司令官から正式に命令された以上、言われた通りに実行する必要がある。

 

(相変わらず、本気なのか、冗談なのか分からないけど……)

 

 まぁ、確かに置いていくのも気分が悪いし、丁度いいかもしれない。

 私は、急いで棚の右奥に積まれている高速修復材の箱から輸送用のドラム缶にぎゅうぎゅうにバケツ型のパッケージを詰め込んでいく。

 三つ分逆さまに三角に並べた後に、真ん中に一個置くと、丁度いい感じにはまってくれる。

 それを4段、輸送用のドラム缶一つで大体16個位は持って帰れる計算だ。

 

(電探の箱は一応手持ちできるから……)

 

 電探の保管箱は、鞄の様に手持ちできる様、取っ手がついている。

 ちょっと格好悪いけど、ドラム缶を2つ小脇に抱えて、電探の箱は2つ手持ちで行って、後で電達の艤装に積んで貰えばいいだろう。

 そんな事を考えながら目線を上げた時、ふと、神棚に目が行った。

 

(そうそう、忘れずに持って行かなくちゃ、あ、そうだ……みんな、妹達が無事に帰れます様に)

 

 こんな時だと言うのに、私は思わず神棚を拝んでしまった。

 

(でも、こんな時だから神頼みだってしたくなっちゃうわよね……)

 

 まぁ、私達の艤装の中にも艦内神社があって、そこから妖精さん達が生まれるんだから、神頼みは無駄じゃないとは思う。

 艤装の妖精さん達は、私達の血液みたいなものだ。

 被弾で妖精さんに欠員が出る度に体から力が抜けていくし、酷くなれば全く体が動かなくなる。

 とりあえず神棚をそっと外してからドラム缶に入れて、祭壇の遺品で周りを覆ってから、バケツで残りの隙間を埋めていく。

 ちゃんとタオルとかを使った方が良いとは思うけど、もう、探してる余裕は無さそうだったから、仕方ない。

 

(これでいいかしら……他にも必要な物って無いのかしら?)

 

 一応、指示を受けた分は回収したけど、私は最終確認の意味を込めて、倉庫を一通り見回してみた。

 

(糧食、野営備品、即席ドック、燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト、火砲に魚雷、機銃……)

 

 改めて確認すると、身一つでここに逃げてきても、しばらく抗戦するか、戦略的撤退の為に態勢を整えるのに充分な備蓄がされていたのが分かる。

 これを今から全部爆破してしまうのは何だかもったいないけど、もったいないと思う程の備蓄を敵に渡すのはもっとダメだ。

 

(ん?……なにかしら?)

 

 私は何となく、違和感を感じて、倉庫の入り口横辺りに目を凝らす。

 薄暗くて棚が並んでいるから見えづらかったけど、よく目をこらしてみると、何か横木の様なものが、扉の上を通っているのが分かった。

 

(鴨居?)

 

 一瞬、日本家屋によくある鴨居に見えてしまったが、船室を真似した金属の箱にそんなものがある訳がない。

 大体、よく見れば、横木の端は壁まで繋がらずに終わっている様だ、それじゃ、天井を支えるつっかえ棒の意味がないだろう。

 もっとよく見ると、端は上ぞりになっていて、見えづらいけど、棚の隙間から二本の柱が下から繋がっているのが見えた。

 

(鳥居……よね?)

 

 祭壇に置かれた遺品を見た時の悪寒が又、戻ってくる。

 私は、ドラム缶の中に入れた神棚に目を落とした。

 最初は、お墓じゃないかと思った。

 けど、これは、違う。

 狭くて窓のない真四角な船室。

 入り口には鳥居、そして奥には祭壇と神棚。

 ぎっしり詰め込まれた荷物棚さえなければ、艤装にある艦内神社と同じ造りだ。

 

(ここが本当に艦内神社だったら……)

 

 艦娘の艦内神社にある神棚は普通の神棚とは違っていて、お神札以外に、艦娘の名前が書かれたお札が格納されている。

 例えば、私の艦内神社なら……

 

【吹雪型駆逐艦 二十一番艦 暁】

【特Ⅲ型駆逐艦 一番艦 暁】

 

 とか書かれたお札が入っている筈。

 同じ“暁”でも、自分の認識次第で書かれている事は変わるみたいだけど……そう考えるとやっぱり、特Ⅲ型の一番艦て書いてある気がする。

 見たこと無いけど。

 

(“誰”なのかしら?)

 

 ドラム缶から出して確認してみるべきか迷っていると、たぱたぱと、何か水っぽい音が聞こえた。

 顔を上げてみると、私が作った重油のミニ缶の山に、夕張さんが重油をトッピングしている。

 

『こんなものかしらね』

 

 かなりたっぷりとふりかけて満足したのか、夕張さんは後ろから、何かを大事そうに取り上げ、重油缶のてっぺんに据えた。

 それは、タコ足したキッチンタイマーに、ゼリーみたいなものを詰め込んだタッパーを合体させたものだ。

 

『てーとく、夕張さん特製、愛情たっぷりアツアツ発火装置完成致しましたっ!』

『Good work、Miss.神通、撤収だ……着火を10 minutes、に設定、ツいてれば、5 minutes以内にBoom!だ』

 

 手と頬を真っ黒にした夕張さんの宣言を待ちかねていた様に、東司令の指示が神通さんへ飛ぶ。

 

『了解しました、タイマー設定後、3班は、速やかに撤収して下さい、3班の広場離脱確認後、1班、2班は警戒態勢を解除、移動を開始します、再集結地点はアルファに設定』

『2班、了解なのです!』

『3班、りょーかーい、さ、逃げ逃げ、撤収よ』

 

 私は慌ててドラム缶に蓋をして抱えこみ、電探の箱を持つ。

 

(かさばるなぁ)

 

 3班の私達が行動の起点になっているのだから、急がないと、響達が脱出できない。

 夕張さんがそっと扉を開けると、まだ、離島棲姫がこっくり、こっくりと船をこいでいるのが見える。

 

『状況変化なし、と、抜き足、差し足でね……』

 

(影?)

 

 夕張さんの後を追って外に出ると、ふと、足下で日が陰った。

 雲でも被ったのだろうかと思いながら、目を上げると、紅い瞳と目線が合った。

 それからの数秒間は、なんだか、とてもゆっくりと時間が流れた気がする。

 銃声がして、離島棲姫のこめかみの辺りが爆ぜた。

 少し遅れて、もう三回銃声が響き、一発は滑走路脇で火花を散らし、二発目は左胸下を抜け、もう一発は首の中程を抜けた。

 時間感覚が戻ってきたのは、夕張さんの百式が30発全弾を撃ちきった後の事だった。

 胸からおなかにかけて、擬体がズタズタになった離島棲姫の口から青白い血が溢れ、格納庫から飛び立てなかったたこ焼き型の迎撃機がぽろぽろと零れ落ちて、地面を転がってゆく。

 

『あっちへ走って!走って!止まらないで、着火します!今すぐ!』

 

 夕張さんにお尻をひっぱたかれて、私は扉から左直角に走り出した。

 両腕に抱えたドラム缶と、電探の箱がすごく邪魔だ。

 後ろで何か、ガシャッ、ぼっ、とか、ぼわっとかいう音がして、倉庫に火が付いたのが分かる。

 

(……ツいてれば、5 minutes以内にBoom!だ)

 

 頭の中で、東司令の言葉がぐるぐると回る。

 ここ一帯を吹き飛ばすだけの、火薬が後ろにあって、あと、何秒残ってるか分からない。

 真っ直ぐに、灌木の中に走り込んで、走る、走る。

 

 音が消えた。

 

 




 基地に帰るまでが作戦活動です。
 一人前のれでぃ達は、果たして無事に鎮守府まで帰投する事が出来るのでしょうか?


 次回、【第十二話 真昼の夜戦 ~flagship暁~】

お待ち頂ければ幸いです。


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 【第十二話 真昼の夜戦 其の一 ~蒼白き斜陽~】

 前回、離島棲姫への破壊工作をからくも成功させた暁達。
 ファーストランド島からの撤退に移りますが、例によって、事はそう簡単に進まない模様……


※今までは、ある程度1話1話毎のオチが付くまで書き貯めた上で投稿していたのですが……流石に投稿ペースとか、モチベーションの維持に致命的である為、今回からある程度分割して投稿する事にしました。
 8千文字少々なので、前回の半分程度になっております。


【ファーストランド島】

 

 

 私は、背中から突き飛ばされて吹き飛んだ。

 少し、宙を飛んで、ぶつかった木をへし折って、地面をなんども、なんども転がって、岩にぶつかって止まる。

 結構尖ってて、凄く、もの凄く痛い。

 必死に空気を吸い込んで、目を開けると、周り中の草という草がなぎ倒されて、更地になっているのが見えた。

 背中がヒリヒリするし、制服も少し破れている様だ。

 小破くらいはしているかも知れない。

 

(帽子は……あるわね、二式も無事みたい)

 

 しっかりと抱えていたドラム缶は無事だったけど、電探の箱は無くしてしまった様だ。

 周りを見てみたけど、何処にも落ちていない。

 

『Lady's、被害報告を』

『3班、暁、被害軽微よ、予備の電探はなくしちゃったけど』

『1班、神通、響共に任務遂行可能です』

『2班、2人ともちょっと焦げたけど、問題無いわ』

『Miss.夕張?』

『夕張、応答して下さい』

 

 みんなの応答が次々に入って、ちょっとほっとしていた私は、東司令と神通さんの応答要求で、慌てて周囲を見回した。

 確かに、夕張さんだけ応答がない。

 でも、“内線”では近くに反応がある。

 私は急いで反応を感じる方向に走り、思いっきり躓いた。

 

「いったっ!」

「いだぁ!」

 

 一回転して、尻餅をつき腰をさすっていると、近くの草束が持ち上がって、中から夕張さんが這い出てきた。

 

『夕張、健在で~す、でも、あばらにちょっとひびが入ったかも……』

『Hum、無事で何よりだ、首尾良く離島棲姫は吹き飛んだみたいだが、生き残りが来るぞ』

『提督、私、何時間気絶してました?』

 

 脇腹を押さえてしゃがみ込んでいる夕張さんの質問に、一瞬間があった後、神通さんが応えた

 

『……一分半です、夕張さん、今何時ですか?』

『えーと、ヒトフタマルマル……って、お昼じゃない』

 

 顔をしかめながら腕時計を見た夕張さんは、渋い顔で空を見上げる。

 酷く負傷すると、時間や場所についての認識がとんでしまう事はよくあるけど、今回は少し違うらしい。

 

『まずいわねぇ、空、まるで夜だわ』

 

 言われて見上げると、今朝はまだ縞模様だった空のひび割れが大きくなり、赤黒い夜空にほぼ変わっていた。

 まだ細く残った青空から覗く、南国の眩しい太陽が、これでは悪い冗談にしか見えない。

 

『現時点で、艤装封鎖を解除する』

『了解、全班、ポイントアルファへ急行、島を離脱します、艤装を展開、電探の反応を確認』

 

 私は艤装を展開して、夕張さんを助け起こす。

 対空電探に感は無い。

 助けついでに夕張さんの艤装から空のドラム缶を取り外し、旋回を始めた電探に触らない様に、抱えていた中身入りのドラム缶に取り替える。

 私のドラム缶も夕張さんに載せ替えてもらった。

 

『……えーと、一つ、感あり、多分、さっきの爆心地の反対側に何か居るわね、やり過ごした駆逐艦か、砲台子鬼か分からないけど』

『急いだ方が良いわね、行きましょ』

 

 まだ少しふらついている夕張さんを急かして、ポイントアルファへ向かう。

 艤装に色々引っかかるけど、構わず強引に振り切って藪を突き進むと、行きよりは大分早い。

 ポイントアルファには、もう1班、2班の方が早く辿り着いていたらしく、電と雷が両手を振って迎えてくれた。

 響は私の顔を見るなり駆け寄ってきて顔を挟むものだから、ちょっと決まりが悪い。

 

「姉さん、大丈夫かい?」

「心配しすぎよ、ちょっと背中が焦げたけど、へっちゃらだし!」

「敵艦隊の追跡を受ける可能性があります、一旦、ポイントチャーリーを経由して、帰投します」

『OK、そうしてくれ、隣の鎮守府の支援艦隊は、出撃済みだ』

『了解です、宜しくお伝え下さい』

 

 私達は、単縦陣を組んでファーストランドを離脱した。

 想定外の敵に遭遇して、殆どの秘匿物資を無くしてしまう結果になったけど、水雷戦隊だけで陸上型を撃破したなんて、かなりの戦果だ。

 というより、全員が揃っているのが、改めて信じられない。

 

(あの神棚の誰かが聞いてくれたのかしら?)

 

『でも、これじゃあ、今戦ったら夜戦になっちゃうわね』

『昼間なのに、おかしいのです』

 

 さっきまでは日が陰った程度だったけど、今はもう、日が暮れかけの薄暗がりになってきてしまっている。

 完全に夜戦入りの状態だ。

 

『空電に感あり……』

 

 響は軽く首を巡らし、空の一点を指さした。

 

『敵機だ』

 

 紅い燐光を引きながら頭上を飛び去って行くのは、よく見かける紡錘形の敵機だ。

 姫系がよくつんでる、たこ焼き型じゃない方。

 離島棲姫を討ち漏らした訳じゃ無いみたいだけど、見つかってしまったのは変わらない。

 

『姉さん、堕とそう』

『そうね、神通さん、発砲許可をちょうだい!』

『発砲を許可します』

 

 私達は、改めて発砲体勢を取り、艦砲を斉射した。

 直撃では無かったが命中はしたらしく、敵機は煙を引きながら海面に突っ込み、消えていった。

 

『電探に艦影あり、早い、このまま進むと……ポイントチャーリー付近で鉢合わせするわ』

『この海域にyou達以外の水雷戦隊はいない』

 

 東司令の断定に、“内線”の緊張感が一気に高まった。

 

『なら敵ね』

 

 雷の声も緊張からか、大分平坦な調子になっている。

 

『Hum、隣の鎮守府からの支援艦隊は既に近海に展開中だが、進路を変えて鎮守府近海まで誘い込むか、Miss.神通?』

『近海へ……確かに今、街は無人です、近海で砲戦が起こっても市民への被害はありませんね』

 

 水雷戦隊が相手なら、私達でも相手に出来る。

 でも、輸送用に追加兵装を下ろした今の状態だと、少し分が悪い。

 近海まで行って、支援艦隊と合流出きれば大分旗色が良くなりそうだ。。

 

『では、支援艦隊のDelivery先は鎮守府前でOK?』

『いえ、ポイントチャーリー方面へ展開をお願いします』

『どうしたのです?』

 

 唐突に明後日の方向に結論を持って行った神通さんに、電が戸惑った声を上げる。

 

『離島棲姫に付いているべき護衛艦隊が、何故いなかったのか、やっと分かった気がします』

 

 神通さんは唐突に話を打ち切ると、視線を動かした。

 何か、水平線上に青白くて、どこか不吉な光が浮かんでいる。

 海の上に現れる不知火、セントエルモの火みたいな弱々しい光じゃ無くて、突き刺す様な圧迫感を感じる強烈な光線。

 

『探照灯?』

『私達を捕捉し、挑発しながらも、吶喊してくる訳でも無く、ただ、一定の距離を持って並走しています』

 

 確かに、動きとしては妙だ。

 普通の深海棲艦の艦隊は、船や艦娘を捕捉した時点で攻撃してくる。

 

『ポイントチャーリーは、隣の鎮守府からしてみれば、私達の鎮守府を挟んだ反対側の海域で警戒の範囲外です』

 

 確かに、あの辺は私達の鎮守府が受け持っている警戒海域、の少し外になる。

 確かに私たちだってお隣の鎮守府の警戒海域を飛び出た反対側なんて、普段は意識しない。

 

『そして私達の鎮守府から見た場合、防衛海域のぎりぎり外側になり、輸送船の等の一般船舶の行き来も無く、比較的警戒が薄い場所です』

 

 響が納得したみたいに頷いている気配がする。

 

『悪事をするなら、人目に付かない場所に限るって事だね、それに、今回みたいに、事前にもしもの時の支援体制を依頼していなければ……』

『私達は支援無しで対応しなきゃいけなかったって事ね』

 

 響の予想を、雷が引き取った。

 

『ポイントチャーリーに敵の主力艦隊が居るって事ね……でも、感はまだ無いわね』

『まだ、浮上してないのかも知れないのです』

『今の所、聴音機にも感は無し、もっと接近しないとダメね』

 

 接近したとしても、敵が移動せずに水中で静止していれば、探知するのはほぼ不可能だ。

 

(全く、本当に厄介な話よね)

 

『私達が素直にポイントチャーリーで戦闘を開始した場合は主力が緊急浮上して挟撃、鎮守府方面に撤退した場合は、主力艦隊と合流した後に鎮守府への攻撃を実施するものと推測します』

『Hum、ならこちらは、Plan B、いや、もうCだな』

 

 相変わらず東司令は真面目なんだかふざけてるんだか分からない。

 

『私達は、今、ポイントチャーリーに到達する前に、挑発に受けて立ちます、あちらが足を止めて撃ち合うのであれば、我々は挟撃を誘う囮になります、あちらが、合流を目指すのであれば、合流した艦隊をそのままこちらが挟撃する形になります』

『Hum、タイミング次第か、“潜ってる”潜水艦以外の奴らは、水中じゃ、very short-sightedな上にdeafnessになる、だから、可能なら“揚がってる”連中か、潜水艦からの情報を頼りにして浮上するが』

 

『敵が Destroyer squadron と連携しているならば、Hum、よし、Miss.神通、やってくれ、支援艦隊のポイントチャーリー方面への展開を依頼しておく』

『東水雷戦隊、敵水雷戦隊と交戦に入ります、私に続いて下さい』

 

 進路を変更した神通さんに続いて、私達は、不吉な光の源へ向かい始めた。

 

『このまま、単縦陣にて敵艦隊に接近、砲撃の後、そのまま肉薄戦闘を仕掛けます』

 

 肉薄戦闘は、お互いの顔が見える距離で“足を止めて”行う海上の白兵戦闘。

 艦娘として産まれたばかりの新造艦でも、“かつての大戦”の記憶のおかげで、艦隊を組んで砲雷撃戦をする事くらいは簡単にできる。

 でも、人としての手足である擬体、象徴化された船体である艤装をフル活用して戦う肉薄戦闘は、艦戦として生きた“かつての大戦”の記憶では対処できない、純粋に艦娘としての経験と技量がモノを言うところだ。

 武器や手足を用いた格闘攻撃に始まり、艦砲の零距離射撃に体当たり等、ありとあらゆる手段が使われるけど、中でも私たち駆逐艦は速度と身軽さを生かして、文字通り飛び跳ね、転がり回って戦う。

 速度自慢の島風ちゃん程になると、激突直前に飛び上がった勢いで、長門さんの頭上を飛び越えて、背面に回り込んだりもする。

 火力、装甲で比較すれば明らかに劣勢な私達駆逐艦が、強力な戦艦を単独で翻弄し、倒す事だってできる、はずだ。

 

 りろんてき、には。

 

 有効だけど、すごく危険な戦術。

 陣形が崩れないギリギリの戦速を出している私たちと敵艦の距離は見る見るうちに縮まっていく。

 最初に敵艦が発砲。

 もう、筒先から溢れた砲火がはっきりと視認できる距離から飛んできた砲弾は、唸りを立てながら私たちの手前に落ちた。

 そのわずかな時間に、神通さんが捉えてスポットした敵影が、輪郭を強調されて浮かび上がる。

 不気味な蛍光色を含んで盛りあがる水柱を、陣形を崩さずにスラロームして抜けると、後ろで更に新たな水柱が幾つも上がり、激しく飛び散った。

 砲撃から若干遅れて到達させた魚雷が自爆したらしい。

 足を止められていたら、酷いことになっていただろう。

 

『撃ち方始め!』

 

 号令の直後、私たちは左舷側に砲撃した。

 神通さんがスポットした敵艦の未来位置に少しずつずらして撃ち込まれた砲弾は幾つかが炸裂し、激しい爆発を引き起こす。

 

(一隻、沈んだ?)

 

『肉薄陣形・乙にて左右展開、自由戦闘開始!』

 

 神通さんと、電、雷が左、私、響、夕張さんが右側へ反転し、既に左へ反転しつつある敵艦隊を左右から挟み込む形で展開する。

 

『軽巡棲姫、確認!足付きね』

 

 今度は、雷がスポットした敵艦が“内線”に共有された。

 シオマネキの様に左腕に偏った艤装に、角の生えた仮面。

 複縦陣に変化した敵艦隊の先頭に立っているのは、軽巡の“姫”級だ。

 二列に分かれた敵艦が左右に砲撃を行いながら、包囲の真ん中を抜けようとする中、私達の砲撃は、軽巡棲姫の直後に続く軽巡ツ級と、駆逐二級にそれぞれ集中した。

 至近距離で砲弾が飛び交い、轟音と水柱、そして幾つか爆炎があがる。

 そのうちの一発は持ち上げていた左の防盾に炸裂して、肩がはずれそうな激痛が走った。

 駆逐級の丸い部分を流用改修した私の防盾は、先端が護拳みたいに手を覆い、内側には殴りつけるのにも使える様、握りもついている。

 それでも、少し前、防盾の後ろ側に追加して貰った衝撃吸収装置が無ければどこかへ飛んでいったかも知れない。

 

(いたた、へ、へっちゃらなんだから……!?)

 

 電から、強い痛みが一刺し発され、すぐに消えた。

 悲鳴は聞こえない。

 熟練した艦娘は、自分の苦痛を“内線”に持ち込まない。

 他の艦娘の命に関わるから。

 

(あんなに痛い、ひどい傷?)

 

 あまり考える暇もなく、火を噴きながらも止まらない標的を追う形で、更に砲撃を加え続ける。

 すると、小さな爆発があがり、駆逐二級側の列の陣形が左右に乱れ、速度が少し落ちた。

 防盾をしっかりと構え直して両舷一杯で漂流し始めた二級を追い越すと、大音響と一緒に、硬い破片が叩きつけられる。

 微かに響の悪態が聞こえたが、まだ、遅れずに着いてきている、大丈夫。

 電達も、もっと後を航行していた駆逐級に攻撃を掛けている様だ。

 右側に進路を変更してふらついているツ級のお腹の辺りに、標的を定めて思い切り突き当たると、咄嗟に体をひねって、右腕を振り下ろしてきた。

 私の上半身がすっぽり入ってしまいそうな大きな手のひらを、下から思いっきり弾いて、すぐに面舵に転舵。

 少し隙間ができた瞬間、背後で砲撃音が轟いた。

 頭上をかすめて飛んできた砲弾が作った水柱ををよけきれず、右の防盾を擦り付ける様にして加速し、何とか転覆をこらえる。

 バランスをとるのに手一杯な私に、今度はツ級が手を伸ばしてきたが、突然、その背中から炎があがった。

 既に左側に位置取りをしていた響が、火炎瓶を投げつけたのだ。

 中身はマグネシウムを混ぜた即席ナパームだから、簡単には消えやしない。

 巨大な左腕が後ろに振り回されるけど、もう、そこに響は居なかった。

 流石私の妹、良い動きだ。

 もう一発、今度は私とツ級の間の際どい空間を砲弾が撃ち抜いた。

 余り敵一隻を相手にしている訳にはいかないだろう。

 長引けば、それだけ敵艦を引き離しておくのが難しくなってしまう。

 私と響、電と雷がペアで切り込み、徹底して二対一を守って敵を叩く。

 兎に角足を止めずに遊撃する夕張さんが、余った敵達をつつき回して合流を阻止。

 そして、神通さんは単独で一番危険な敵を抑えにいく。

 機動力と連携が命のこの戦術は、当たり前だけど、長続きはしない。

 言ってる間に、後ろにいた二級が加速して追いついてきた。

 ハ級と同じで一つ目だけど、少し上側についているせいで、ツリ目に見えるのが特徴だ。

 硬い装甲に、戦艦でも当たりどころが悪ければ、一発で大破させられる艦載砲を持った危険な深海棲艦。

 でも、すさまじい速度で追ってきた二級が水面から跳び上がった時、もっと別の武器があった事を思い出した。

 今からじゃ、艤装の砲塔の旋回は間に合わない。

 大体、元々、私たちが積んでいる12.7cm連装砲は平射用で、縦移動する目標を狙うのには向いてないのだ。

 大きな口を持つ深海棲艦の噛みつきは、擬体の手足をを食いちぎり、艤装に深い歯形をつける威力がある。

 

「пошёл во́н(パショール ヴォーン)」

 

 取り舵を深く切って、左の防盾を引き寄せて衝撃に備える自分の感覚とは別に、大声で叫びながら砲撃する響の感覚が流れ込んできた。

 命中の手応えを感じたのとほぼ同時に、今までとは比較にならない衝撃が左の防盾にのし掛かる。

 一瞬で、緩衝装置のダンパーが破裂して、装置自体が基部からもぎ取られてしまう。

 反射的に左足を踏ん張ると、左肩から嫌な音がして、とんでもない激痛が走った。

 勢いをつけて垂れ下がった左腕は、ぶらりとして、ぜんぜん上がらない。

 肩が外れたのか、折れたのか分からないけど、兎に角しばらくは役に立たないだろう。

 “内線”から押し殺した痛みが伝わり、私はちかちかする目を左に向ける。

 ツ級の右舷に出た響は振り回された拳を避けきれずに左の防盾で受け止めた。

 横腹から伝わった重たい衝撃が、竜骨を軋ませながらつま先と頭に拡散してゆく。

 膝が崩れかかり、航跡がぶれ始める。

 

(砲は右手、まだ、戦えるわ!)

 

 私達は艦娘、擬体が折れ、千切れて、穴が開いても戦い続けることができる。

 

 その筈だ。

 

 私は歯を食いしばって、ツ級の燃える背中に砲を向けて撃つ。

 右手を震わせて5インチ砲が斉射され、砲弾が一瞬で着弾する。

 炎と装甲の欠片がぱぱぱっと飛び散り、衝撃がツ級の体を少し揺らした。

 でも、ツ級は痛みなど感じていないみたいにもう一度拳を振り抜き、響の防盾を大きく歪ませる。

 もう一撃、船速を合わせて振り下ろされた拳は、響が取り出しかけた錨を弾き飛ばし、そのまま防盾を持たない右の魚雷発射管の先に打ち下ろされ、凄まじい衝撃音をたてた。

 直撃を受けた上段の管がめしゃりと潰れ、それより下の管は拳に引っかかって中身の魚雷ごと回転しながら吹っ飛んでいく。

 速度が落ち、距離が離れ始めた響に巨大な腕に載った砲を持ち上げるツ級の姿が、私の目の中ではとてもゆっくりに見えた。

 じれったい程ゆっくりと装填された砲弾を、狙いをつけるのももどかしく発射する。

 吸った息を吐き始める前に、ツ級の腕の装甲が砕け、頭が殴りつけられた弾け飛んだ、でも、動きは止まらない。

 深海棲艦も私たちと同じく、艤装のバイタルパートを完全に破壊されない限り、死なないのだ。

 次弾の発射では間に合わない。

 私は、両舷を一杯にし、残った腕で錨を振りかざす。

 響の前に割り込む寸前、飛来した砲弾がツ級の背中に着弾し、炎を丸ごと消し飛ばした。

 船足を落として、ゆっくりと傾いてゆくツ級の背中にぽっかりと穴が開いている。

 

(20.3cm砲……夕張さんが支援してくれたんだ)

 

 暗い中だとやっぱり、炎はよく目立つ。

 火炎瓶は相手を怯ませる為にも使うけど、支援砲火の目印も兼ねている。

 “内線”で繋がっている私達は、誰かが敵の場所を把握してさえいれば、全艦が敵の場所を知っているのと同じ。

 でも、“目印”をつけて、“私の目”と“夕張さんの目”で見比べる事ができれば、精度は段違いになる。

 体勢を立て直した響が、ツ級の脇を通り抜けざま、投擲魚雷を大穴に放り込んだ。

 

『прощаться(プロッシャツチャ)』

 

 微かな呟きが聞こえて数秒後、大きな爆発がツ級の船体を歪ませる。

 そして、次の瞬間、一際大きな爆音が轟いて、ツ級の船体が跳び上がった。

 爆発に引き裂かれた船体が、炎と煙を吹き出しながら、みるみるうちに水面下に沈んでゆく。

 水の中でも消えない、青い炎が海中を照らしながらゆらゆらと、沈んでゆく光景は、怖いくらいに綺麗だ。

 

(なにかしら?)

 

 ふと、水の底に何か巨大な影を見た気がして、私ははっ、と棒立ちになった。

 

『どうしたんだい?』

『何か、下に』

『潜水艦?』

『何か、もっと大きかったけど』

『……水面下に、感なし、でも、注意はした方がよいのです』

 

 響の警戒感が伝わったらしく、電からも“内線”が入った。

 抑えては居るけど、凄く苦しそうだ。

 艤装本体に直撃を受けているに違いない。

 腰を落として、私は船速を上げた。

 取り舵に転舵して、戦闘海域へ戻るコース。

 なんだか、嫌な予感がする。

 けど、兎に角、電達を援護しなくちゃ駄目だ。

 

『you達のsupportに向かっていた、Friendly Fleetが敵とEngageし、砲戦距離で交戦中だ……hum、しかし、“足の速い”艦はそのままそちらへSupportに向かってくれるそうだ』

 

 神通さんの読み通り、敵艦は海中に主力を伏せていたみたいだ。

 でも、こちらは思ったより苦戦している。

 早く何とかしないと、更に敵の増援が姿を現す可能性だってある。

 離島棲姫の近くに随伴していた駆逐級だって、一緒に吹き飛んだ保証はないのだ。

 

『姉さん、腕が……大丈夫かい?』

『かすり傷よ、響こそは誘爆は大丈夫なの?』

 

 私に合わせて取り舵に転舵した響から“内線”が入る。

 少し左後方を走る響の艤装は右の魚雷発射管が二本脱落しているし、他の二本もへしゃげて傾いてしまっていた。

 あれでは、もう、発射は無理だろう。

 

『не волнуйся (ニ ヴァルヌーィスィヤ

)……いいんだ、姉さんが無事なら、さぁ、電たちを助けに行こう』

『わかったわ、でも、あんまり無理しちゃダメよ』

 

 雷と電は雷巡チ級を大破させたけど、まだ、無傷の駆逐二級に苦戦している。

 神通さんは軽巡棲姫と近接戦闘中だ。

 戦闘海域を時計回りにゆっくり円を描く様に移動しながら、つかず離れず、追撃と応戦、そして時折足を止め、手が触れ合う距離での格闘戦を行う。

 また、二人の足が止まり、軽巡棲姫の艤装から放たれる探照灯の光が、少しの間だけ、夕張さんの姿を青白く照らし出す。

 すぐに、ふっと離れた。

 格闘の攻防は一瞬だ。

 どうしようもなく二人の位置が近すぎて、位置の入れ替わりも激しい。

 あれじゃ、夕張さんも支援できない。

 

『Не беспокойся(ニエ ベスパコーイシャ)、神通さんは強い、負けないさ』

 

 そうだ、神通さんは強い。

 私達は、それを知っている。

 十分、知ってる筈だ。

 

(!?)

 

 まぶしい光に焼かれて、私は目を細めた。

 軽巡棲姫の探照灯だ。

 短い時間でもまともに見てしまったら目を灼かれてしまう。

 すぐに離れるかと思ったら、なかなか離れない。

 

(なによ、もう!)

 

 そんな暇はなさそうだったのに、これじゃ良い的だ。

 私は、目を細めて船足を早めた。

 

(早く、振り切らなくちゃ)

 

 





今回のお話し、如何だったでしょうか?
次回も、まだ、戦闘は続きます。

ここまで読んでいただきありがとう御座いました。

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 【第十二話 真昼の夜戦 其の二 ~夕闇・影打つ夕べに~】

 前回は暁と響ペア視点でしたが、今回は神通さん視点からのお話しとなります。
 引き続いて、敵水雷戦隊との戦いとなりますが、姫級との戦闘、果たしてどの様な決着を迎えるのでしょうか?

 ※少々の流血表現があります。


【ポイントチャーリー・交戦海域】

 

 

 振り下ろされた手刀を受け流す左腕で、三度、小さく火花が散った。

 手甲に載った砲塔達と、敵の装甲が擦過したのだ。

 即座に“脚を引き抜いて”ステップ。

 海面は掴まないまま、水切りの様に水面を掠め跳んで、10時方向へ位置を入れ替える。

 航行時の勢いをのせたまま、瞬時に立ち位置を変える事ができる、“アメンボ”と言う技だ。

 連続でやり過ぎるとすぐに速度が落ちてしまうのが難点だが、この機動を行っている最中の駆逐、軽巡へ砲撃を直撃させるのは極めて困難になる。

 着地の瞬間、更に左横にステップ。

 一瞬前の立ち位置に、やや遅れて水柱が盛り上がる。

 背後から闇を貫いた光が、つかの間、錨を振りかざした雷を照らし出した。

 

『0時、右舷下段、噛みつき!』

 

 眩しげに片目を瞑った雷に、電の思念がとんでいる。

 素早く右脚を引きながら錨を左手にスイッチ、思い切り打ち下ろす。

 硬いガラスの様な何かが砕ける感触が伝わり、雷の右舷から二級の扁平な船体が飛び跳ね、灯りの外に消えた。

 

『ったぁ!』

 

 船体を擦過された痛みだけで、雷の脚が無事な事を認識しながら、速度を低速に、低く、捻りを加えて跳び、一回転。

 

(4時、同航……)

 

 着水と同時に小さく水を切って、右へステップ。

 一瞬、背中へ氷の針をまんべんなく刺される様な寒気が走り、探照灯の前に割り込んだのが分かる。

 ふっ、と探照灯の光がぶれるのとほぼ同時に、更に右へ跳ぶ。

 即座に海面を“掴み”、急制動がかかる目の前を、8時から10時方向へ流れていく軽巡棲姫が放った砲弾が擦過してゆく。

 差し伸ばされた右腕の20.3cm連装砲が火を噴き、至近距離で炸裂した。

 

(命中、駄目、浅い)

 

 軽巡棲姫はゆっくりと言っていい緩慢さで頭上で組んでいた腕を解き、エビぞりに反らしていた上体を戻してゆく。

 体を斜め右後ろにエビぞりさせる事により、左腕を盾に使ったのだ。

 多少へこんだかも知れないが、20.3cm砲弾を少々命中させただけでは、あの巨腕の装甲を貫通させるのは困難だ。

 それ以下の小口径砲など、牽制にしかならない。

 右半面しか見えない貌で、かろうじて見える口元がにいっ、と歪んだ。

 緩やかな動きが不意に霞み、次の瞬間には跳躍した軽巡棲姫の仮面と正面から向き合っていた。

 差し伸ばされた巨腕から二本、魚雷が滑り出て海面に落下してゆく。

 そうだ、跳躍中でも、反動の少ない魚雷なら使用できる。

 基本的な事だ。

 軽巡棲姫の跳躍を知覚した瞬間、既に体は左にステップしているが、じれったい位に時間がゆっくりと流れる。

 

(左三門、次弾装填済みです……)

 

 魚雷回避はギリギリだが、着地の瞬間を逃さず撃つ。

 背面への直撃であれば、軽巡棲姫の装甲でも無視できないダメージとなる筈。

 もしもこちら側を向いたまま、左腕で受けられても、背面航行の“アメンボ”の状態では、衝撃は受け止められない。

 装甲が耐えたとしても、海面に叩きつけられ、水平線の果てまで転がるか、少なくとも体勢を崩す。

 最悪、相討ちになっても、次の一撃を撃ち込む絶好の機会だ。

 

(絶好……の)

 

 不意に走った悪寒に、両腕を引き、身を固める。

 左腕で体を庇ったまま着地してゆく軽巡棲姫の前で、着水前の魚雷が炸裂した。

 凄まじい爆音と衝撃、竜骨が歪みそうな圧力を、鋼と化した体が迎え撃つ。

 佇む肢体へ襲いかかった砕片は、衣服を裂いて肌に打ち付け、金属的な響きを立てて弾け飛んだ。

 

 擬艤一体、艤装と擬体の完全合一。

 極めし艦娘の柔肌は超鋼と化し、その守りは文字通り鉄壁。

 そして、そこから繰り出される繊手は戦艦級の装甲さえ打ち抜く神槍の鋭さを備えている。

 

 荒れ狂う波に揺れる視界の中、かなり離れた場所でゆっくりと立ち上がる軽巡棲姫が見えた。

 左腕の第二砲塔に突き刺さった破片を引き抜いて捨てる。

 

(第二砲塔使用不能、右は問題なし、魚雷損傷なし……これは浅い、腹腔への貫通はなし、まだ出血量にも問題は無し)

 

 右のわき腹に突き刺さっている破片も抜き取り、改めて海面を“踏みしめる”。

 

(推進装置、問題なし……)

 

 軽巡棲姫は脚を止め、探照灯で響を照らしながら、夕張を砲撃していた。

 夕張からの反撃はない。

 休みなく支援砲火を続けた夕張の火砲は全ての砲身が赤熱する程に異常加熱しているからだ。

 艦娘が搭載している火砲は、元になっている帝国海軍のものに比較すると、全体的に性能が高い。

 中でも、人間には不可能な速度と正確さを発揮する妖精さん達の操作の依存度が高い部分は顕著だ。

 だが、史実では不可能だった性能を実現したせいで、発生しえなかった不都合が生じる事もある。

 砲の異常加熱による膅内爆発(とうないばくはつ)がその一つだ。

 発射中の砲身内、下手をすると砲室内で砲弾が爆発してしまう。

 艦娘の火砲でもそうそう起こる現象ではないが、砲室内で発生した場合、一発大破もありえる。

 夕張が冷却を行える隙を作らなくてはならない。

 

(時間を稼ぐ……?)

 

 そうだ、軽巡棲姫は明らかに時間を稼いでいる。

 位置の取り合いを繰り返し、追撃はほぼ牽制まで。

 距離を詰めれば、こうして突き放される。

 先ほど、支援艦隊と主力艦隊は交戦を開始している為、合流の時間稼ぎではない。

 

(更に別働隊が?アレは何をしていた?)

 

 疑問を意識の上に流しながら波を蹴立てて走る。

 探照灯の光輪が滑り、暁を捕らえた。

 

(探照灯、照射……)

 

 脚を水面に叩きつけ、左腕に生き残った三門を斉射。

 もう遅いかも知れない。

 でも、これではっきりする。

 全弾が、避けるそぶりもない軽巡棲姫の左腕に直撃した。

 装甲が歪み、爆ぜる中、光輪は暁に吸い付いた様に離れない。

 

『暁、即時退避』

『水面下、感あり、おっきいのです!』

『あがってくるわ!』

 

 指令を言い終わらない内に、電と雷の報告が重なった。

 何故かは分からない。

 しかし、敵の狙いは暁。

 そう感じる。

 右三門を更に斉射、軽く躱された。

 足止めされたのはこちら。

 

『全艦、交戦を中止して即時退避、支援艦隊と合流します』

 

 命令をとばしながら魚雷を取り出し、駆ける。

 投擲と同時に全力でひと跳び。

 暁達の退避先へ航行を開始していた軽巡棲姫が振り向き、左腕で魚雷を受ける。

 

(機敏な反応、予想済みです……)

 

 鈍い音を立てて跳ね返った魚雷が、海中へ没していくのを見ながら、更に力を込めたふた跳び。

 今度は“海面を掴んだまま”だ。

 海に引きつけられる感覚を引きずったまま、通常なら狙撃の危険を考える危険高度で前転し、両の踵を打ち下ろす。

 浴びせ蹴りだ。

 だが、軽巡棲姫は右腕の火砲を合わせてきている。

 着地前に放たれる砲撃は回避不能。

 しかし、砲撃の直前、軽巡棲姫の足下が盛り上がり、砲撃はブレた。

 時限式の投擲魚雷が炸裂したのだ。

 やや深めでの爆発の為、盛り上がりは大きくないが、それで十分だった。

 即座に“掴んでいた”海面を離すと、海からの重圧が消え失せる。

 軽巡棲姫の正面に静かに降り立ち、“海面を掴み直す”。

 体勢を崩しながらも素早く左腕を引きつけて防御されるが、構わずに左前の構えとなり、力の限り右の抜き手を放つ。

 硬質金属を穿つ感触と共に、砲塔を1つ弾き飛ばしながら、右の前腕が半ばまで沈み込む。

 膝を狙った下段蹴りを、脚払いで迎え撃ちながら、軽巡棲姫の艤装を押さえつけると、全身から軋んだ金属音が漏れ聞こえる。

 リズミカルで軽い射撃音が、立て続けに軽巡棲姫の身を震わせた。

 9時方向に回り込んでいた夕張が連射する百式機関短銃が控えめに焚いていたマズルフラッシュはすぐに途絶える。

 連射すれば、30発など一瞬だ。

 軽巡棲姫が右腕を持ち上げるタイミングで、軽く脚を引きつけて思い切り左腕を蹴り離し、勢いよく右腕が引き抜ける勢いのまま後転、距離を離す。

 左腕への蹴りで僅かによろめいた軽巡棲姫の砲撃は、夕張の左砲塔へ突き刺さり、同時に夕張の全砲塔が零距離で水平射される。

 夕張の左舷上部が内部爆発を起こし、砲塔が持ち上がる様に吹き飛ぶのと同時に、軽巡棲姫が爆煙に包まれた。

 装甲と内容物、青黒い液体が激しく飛散し、黒煙が視界を塞ぐ。

 海面に叩きつけられ、更に三回ほど後転した後に体を立て直すと、爆煙の中から左腕を引きずった軽巡棲姫が飛び出し、夕張へ掴みかかった。

 弾倉が空になった百式が夕張の手から滑り落ち、左手が掴みかかる腕を受ける様に持ち上げられる。

 そして、次の瞬間、右の手に握られた十四年式拳銃を発砲。

 胸前に八発、立て続けに撃ち込み、更に左手もそえて、頭部狙いで連射する。

 次々に仮面へ命中した弾丸が硬い音を立てて跳ね返り、皮膚を裂き、肉を抉ってゆく。

 ふと、軽巡棲姫の足が止まった。

 蒼い炎を吹き出す左腕を引き寄せ、右腕で押さえた顔からは血潮が滴っている。

 

『そちらへFriendry Fleetからの支援が到着する、協力して撤退してくれ』

『神通、了解、各艦、敵増援を警戒しつつ、撤退続行』

『分かったわ!』

『了解なのです』

『Понятно(パニャートナ)』

『了解よ』

 

 至近距離で銃を構えて対峙している夕張の十四年式は12発消費、残弾4発。

 左舷は消火に集中していて撃てない、右舷は……そもそもまだ砲全体で赤熱が消えていない。

 軽巡棲姫の左腕は海面に横たえられ、炎と煙を吐いているが、一歩踏み込めば右手を深く打ち込める間合いだ。

 下手に動けば、夕張が沈む。

 軽巡棲姫がゆっくりと顔をあげる。

 そこに仮面は無かった。

 一瞬、ほんの一瞬、夕張の銃口がぶれ、その瞬間軽巡棲姫の右腕から何かがとんだ。

 左で庇い手をした夕張が放った銃弾はそれ、一歩踏み込んだ軽巡棲姫が格闘の間合いに入る。

 一歩半、後追いの踏み込みで繰り出した抜き手は、空を貫く。

 夕張の右横を駆け抜けた軽巡棲姫は半顔を蒼に染めて嗤っていた。

 右手と同じ大きさの左手が、こちらを指さして。

 

『退避!』

 

 反射的に警告を発して跳び下がるのと、爆発はほぼ同時だった。

 さっきの魚雷とは比較にならない規模の爆発。

 最初に音圧が身を打ち、乗る暇もなく大波に呑まれる。

 波を貫いた破片の幾つかが砲弾の様に打ち付け、爆ぜ散った。

 

『……Miss.夕張、Hallo、Hallo、Hallo?応答せよ』

 

 遠い潮騒がノイズになり、やがて、痛みに変わる。

 

『どうして私ばっかり撃ってくるのよぉ!』

『姉さん、止まらないで!』

『砲撃は通らないわ、雷撃しなきゃ』

『なんとか、やってみるのです』

 

 暁、響、雷、電、皆の″声”が聞こえる。

 足りない夕張の″声”を探す。

 聞こえるのは、意味のないノイズだけ。

 不快な動悸を伴った深呼吸で目を醒ます。

 悪夢から浮上した様な不快感と、全身の痛みを堪えて周囲を見回すが、直近に敵は見あたらない。

 

(逃げられました……)

 

 軽巡棲姫は自分達にとどめを刺すより、撤退を優先した様だ。

 強い光が交戦海域を貫いていた。

 戦艦用の探照灯、それも複数が暁を追っている。

 すぐにでも支援が必要だ。

 

『響、雷、敵戦艦へそれぞれ雷撃を実施、一撃後離脱、電はそのまま撤退を継続して下さい』

『タ級は、Friendry Fleetが雷撃から、Dog fightをしかける、Miss.響、雷はル級を頼む、その後はMiss.神通の指示の通り離脱してくれ』

『Понятно(パニャートナ)、仕留めるよ』

『了解、助けるわ!』

 

 指示を出しながら、周囲を見回すと、近くで小さな火が揺らめいているのが見えた。

 漂流している。

 急いで近づくと、火薬と灼けた金属の臭いに、強い血臭が入り混じった何とも言えない臭気が鼻をついた。

 前のめりの中腰で両腕は艤装の間に垂らした状態。

 トレードマークの明るい緑色のリボンは吹き飛んでしまったらしく、淡い緑を帯びた銀髪が顔を隠していた。

 

「夕張さん?」

 

 声に出して呼びかけても反応はない。

 手を添えて顔を上向かせると、目は閉じられて鼻血が垂れていた。

 瞼をこじ開けると、完全に白目を剥いている。

 艤装の状態に目を走らせると、左舷の火災は鎮火しつつあり、バイタルパートに致命的な損傷は見あたらない。

 しかし、腹部に60cmはありそうな長い金属片が突き刺さり、左の二の腕にも黄色い脂肪と弾けた筋繊維が覗く程に深い切創が出来ていた。

 腹部の金属は背面まで貫通しているかも知れない。

 彼女の体から滴った血が、海面へどす黒い色合いを広げている。

 この状況下、人であるならば致命的な負傷。

 だが、彼女は艦娘。

 まだ、意識さえ戻れば戦える。

 腹部から突き出た青黒い金属片を掴み、一時、逡巡した。

 既に砲弾はほぼ尽きているだろう。

 補助に使った携行火器の弾薬も同じだ。

 このまま、支援艦隊に曳航回収依頼を出すべきではないのか。

 

 否。

 

 この状況下で曳航回収を行えば、追撃の的を増やすだけだ。

 最後の最後まで戦場に有り続け、全ての情報を持ち帰る。

 何よりも、己の為に曳航艦を共倒れの危険に晒すのを避けたい。

 彼女自身のその思いを知る故に、呼び戻す。

 額と額を合わせて瞑目し、金属片を握り直した。

 左腕を首に回してしっかりと上半身を抱え込んでから、一気に右手を引ききる。

 肉を引き裂く感触と共に噴き出した温かいしぶきが膝を濡らし、新鮮な血臭が立ち昇った。

 言葉にならない音と共に機関音が高まり、垂らされていた腕が宙をまさぐり始める。

 激痛から逃れようともがく体をしっかりと抱きしめたまま、痙攣を受け止めると、さまよう手が何度も背中に打ち下ろされ、鈍い音が響く。

 抵抗が少し緩むと、今度は背中の布地を引きちぎらんばかりに握りしめて抱きつかれ、竜骨が鈍い金属音を発し、震える。

 

「……もう、いけるわ」

 

 全身から力が抜けた時に囁かれた声は、小さく掠れていたが、背を軽く叩いた手のひらは力強さを取り戻していた。

 

『支援が到着しています、暁と同じく、ポイントチャーリーを離脱しつつ、支援艦隊の本隊へ合流して下さい』

『……了解、ちょっと……あは、出ちゃってるから、しまってから出かけるわ』

『敵の増援がまだ伏せられてるかも知れません、周囲警戒を怠らないで』

 

 夕張の返信を待たずに、踵を返す。

 

『軽巡棲姫の左腕を撃破しましたが、本体は撤退、神通はこれより、敵戦艦への攻撃を実施します』

『Negative、Miss.神通、youも消耗している、深追いはするな』

 

 タ級の周囲で二本大きな水柱が上がり、探照灯の光がゆらゆらと揺れ動く。

 続けて、砲撃音と少し慎ましやかな炸裂音が続いたが、被せる様に発射された16インチ砲の轟音にかき消される。

 抑えた悲鳴が“内線”にさざめきとなって広がった。

 暁と電の近くへ至近弾になった様だ。

 

『Hum、支援が到着したな、夕立、叢雲、天龍、龍田だ……Miss.翔鶴達の方も片が付いた、動ける艦はポイントチャーリーへ向かっている』

『……了解です、一撃、陽動後に暁達へ合流します』

 

 両舷を一杯に加速し、まだ、火を噴いていないル級へ進路を取った。

 響と雷もそれぞれ別に雷撃体勢に入っている。

 全て命中すれば、戦艦といえども撃沈可能だ。

 

『一撃で終わらせます』




 今回は、夕張さんにちょっと気の毒な事になってしまいましたが、結構活躍してくれたのでその点は満足。
 ちなみに、夕張さんが使っていた南部十四年式は試作品が存在したと言われている、ダブルカラムで16発装弾できるタイプです。

 軽順棲姫との決着はああなってしまいましたが、神通さん、ちゃんと強そうに書けているかちょっと不安です。

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 【第十二話 真昼の夜戦 其の三 ~忌雷を踏んだらさようなら~】

 2017の夏イベント、みなさんは完走されましたでしょうか?
 私はなんとか、甲甲甲乙甲乙乙という感じで終了です。
 Uちゃん以外にはどうにもご縁がない、ドイツ艦達を掘るかどうかっていうのはあるんですけどねぇ。

 今回、前話に引き続いてドンパチが続いております。
 状況はどんどん悪化している模様ですか……はたして?

※今回も、艦娘がかなり酷い目にあっています。
 グロテスクな描写が苦手な方は注意。


【ポイントチャーリー・交戦海域】

 

 

 遠くで大きな水柱が上がり、探照灯の光が大きくブレた。

 支援艦隊の夕立ちゃん達が大きいのを当ててくれたらしい。

 少し遅れて、もう一連なり。

 響と雷だ。

 そして、最後にもう一発、これも大きい。

 目に見えて探照灯の追跡が鈍くなった。

 相手が避けるより砲撃に集中しているといっても、かなり鮮やかな一撃離脱だと思う。

 まとめてあれだけ当てられれば、戦艦級といえどもたまったものじゃない筈だ。

 後は逃げの一手。

 

『電、5時方向、二級浮上よ!』

 

 回頭中の雷が目視してポイントした二級のイメージが浮かび上がった。

 私の右舷を航行している電の右斜め後ろから追跡してきている。

 

『夕立と、叢雲が追撃態勢だ……あっちの方が早いね、私は牽制で砲撃しておくかな』

『私は夕張さんと合流するわ!』

『まだ砲撃は止んでいません、回避運動は継続して下さい』

 

 一撃を加えた響達も回頭して、響と神通さんは全速でこちらへ向かっていたけど、先に雷撃を終わらせていた支援艦隊の方が動きが早かった。

 回頭を済ませた夕立と叢雲は全速で二級を追跡して、天龍さんと龍田さんはその後に続いている。

 

(ようやくちょっと余裕が出てきたわね)

 

『電、大丈夫、ついてこられる?』

『航行には問題ないのです』

 

 2時方向で少し先行している電の艤装からは、左の坊盾と魚雷発射管がまるまる脱落していた。

 その下の外装もかなり凹んでひび割れちゃって、黒こげになった塗料がささくれの様に所々めくれあがっている。

 直撃を受けてた時、運悪く魚雷が誘爆したのだ。

 雷撃実行後に一本だけ再装填された時だから良かったものの、全弾装填されていた時だったらと思うと、ぞっとする。

 そんな事を考えていたら、飛んできた砲弾が、若干離れた場所へ着弾し、巨大な水柱を吹き上げた。

 

『もう、しつこいわね!電、ちゃんと、私から離れてなさい!』

『大丈夫なのです?』

『へっちゃらだし!』

 

 元々、動き回る駆逐艦にそうそう直撃するものじゃないけど、数を撃てばラッキーヒットはあるし、そもそも、戦艦搭載の火砲になれば、私達には至近弾だって、結構あぶない。

 私を狙っているとはいえ、まかり間違って、電に当たったら大変だ。

 

『敵機は見あたらず、ね』

 

 一発アウトは肝が冷えるけど、砲撃はまばらになってきているし、敵機に頭を押さえられなければ十分に逃げ切る自信はある。

 

(吹雪ちゃんより、ほんの少しだけ遅いかも知れないけど、私だって十分早いし……)

 

 速度が落ちない程度に“アメンボ”をして、立ち位置を不規則に変えて回避運動。

 そう言えば、戦艦の砲撃も危険だけど、二級の魚雷もかなり危ない。

 

『ほんと、しつこいなぁ……』

 

 後ろで大きな爆発音がして、聴き慣れた12.7cm砲の発砲音が止んだ。

 

『二級轟沈、お見事です』

『хорошую!(ハラショー)』

 

 支援艦隊も中々いい仕事をしてくれる。

 しかし、かなり鈍くなっているけど、二本の探照灯が交差しながらひたすら追尾してくるのが、ヤな感じ。

 アレに照らされる度に、得体の知れない寒気が背筋に走り、足が止まってしまいそうになる。

 もう大破して虫の息の筈だけど、本当にしつこいったらありゃしない。

 

『前方、何かいるのです』

 

 前方に、電がポイントした小型の何かが走り回っているのが見えた。

 でたらめな蛇行運転。

 

(まるで暴走族ね……近すぎて迂回できないわ)

 

 駆逐級よりずっと小さいそれは、アンバランスに大きい深海棲艦の艤装にまるまるっちい胴体をくっつけ、そこから短い手足が生やしたた生き物だった。

 まるでキュー○ー人形の首だけ、ヘンな前衛芸術の置物にすげ替えた様な気持ち悪さだ。

 響いてくる甲高い鳴き声がさざめきになって、とても不愉快な気分になる。

 

『前方、PT子鬼群、沢山いるのです!』

 

 電の砲撃を受けた子鬼が、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 いい腕だ。

 私も砲撃して、初撃は外したけど……兎に角、三発目は当たった。

 PT子鬼は攻撃には脆くて、12.7mm砲の胴撃ちでも、当たりさえすれば内側から爆発したみたいに粉々になる。

 撃たなくても、轢いちゃえばそれだけで無力化できる程だ。

 多分、威力的には機銃でも十分だと思う。

 けど、小さくて素早いから、かなり当てづらい上、小脇に抱えた魚雷は大型艦にも深刻な被害を与える威力がある。

 少しでも逃せば危険な、数の暴力で圧してくる厄介な敵だ。

 

(うぇっ……)

 

 弾ける子鬼から青白い臓物が飛び散って、形が残ったままの手足と頭が吹っ飛んでゆくのが、また、もの凄く気持ち悪い。

 結構遠くまで飛ぶから、間が悪いと頭突きとかびんた喰らってしまう事もある。

 さいあくだ。

 一刻も早く逃げたくて、私は出来る限りの速力を保って砲撃を続ける。

 勿論、電を置いていかない程度に注意はしているけども。

 

『Watch out! Lady's、足下に居るぞ』

『足下?』

 

 司令官の警告を聞いた時には、もう、群のまっただ中に突入した後だった。

 “内線”で共有している視界の中、波間に蠢く触手がぎらぎらと不吉な赤色に浮かび上がる。

 司令官権限の優先スポットだ。

 

『うわわ!』

『はわわ!』

 

 思ったより近かったそれを、慌ててジャンプして避けた。

 しかし、着水して体勢を立て直す間にも、波間からぴょんぴょんと、ぬめっとした何かが立て続けに飛びついてくる。

 

『あっ!』

 

 正面から、これは避けられない。

 体を捻りって左の防盾で受け止めると、ガチンと音を立てて引っ付いてしまった。

 遊泳忌雷だ。

 うねうねとした触手を巻き付けて締め上げてくるそれの中心、歯を剥き出した球体を力一杯殴りつける。

 

(いたっ)

 

 外れたままの左肩が凄く痛い。

 結構硬い感触がしたけど、大きく凹んだ忌雷から剥がれて落ちていった。

 忌雷を何とかするには、中心の核を壊さないと駄目だ。

 触手は素手で何とかするには丈夫すぎる。

 

『いだだだだ、このっ、嫌らしいわね!』

『全艦、脚を止めず相互支援徹底!』

 

 脚にぬめぬめと巻き付いた忌雷を、雷も殴りつけている。

 

『はわっ!』

 

 電の煙突に忌雷が貼り付いた。

 

(あそこじゃ手が届かないわ!)

 

 私は、錨を引っ張り出しながら大きく跳び、電の側面へ移動する。

 まだ私は的になっているけど、放って置いたら大変な事になってしまう。

 錨で思い切り殴りつけると、ぽろりと忌雷が落ちた。

 

『助かったのです』

『抜けるまで同航よ!』

 

 自分で剥がせない所に貼り付かれたら対処のしようが無くなってしまう。

 最低限二人以上で行動するしかない。

 遊泳機雷の一番怖いところは、一匹居たら30匹は居る事。

 そう言えば、潜水艦娘のKIA、MIAの原因の何割かは潜望鏡深度で航行中に遊泳忌雷に取り付かれた事による“圧壊”らしい。

 深海棲艦達が作り出した、艦娘をだけを狙い、“殺す”為の兵器。

 脚を止めたら最後だ。

 

『司令官、助けるわ!』

『Negative、Miss.雷はMiss.夕張のescortを続行せよ』

『でも、助けてくれたのよ!』

 

 ちらりと意識を向けると、支援艦隊の脚が止まっている様だ。

 叢雲ちゃんが座り込んでいる。

 忌雷に擬体の脚を砕かれたに違いない。

 ひっきりなしに海面から飛び出してくる忌雷を天龍さんと龍田さんが切り払っていた。

 素手で引きちぎるのが困難な触手でも、妖精さん憑きの刃物は易々と両断してのける。

 龍田さんも長刀を持っているから、忌雷だけなら二人で持ちこたえられるかも知れない。

 でも、足止めされたままでは、PT子鬼の雷撃の餌食になってしまうだろう。

 

『No probrem、既にMiss.翔鶴の方で対処済みだ』

『そうなの?あ、良かった、あれならもう大丈夫ね!』

 

 東司令が言っている間に、天龍さんが叢雲ちゃんを海面から引っこ抜いて小脇に抱えていた。

 意識を失っちゃう様な酷いダメージを受けると、“海面が離せなくなる”事がある。

 そうなってしまった艦を持ち上げて運ぶのは無理だ、曳航するしかない。

 曳航すらできない状況なら、最後の仕事が待ってる。

 

『雷、ちゃんと前見なさい!』

 

 今の状況でよそ見はかなり危険だ。

 私が“内線”越しに注意をとばした時、蛍光色に輝く壁が目の前に出現した。

 至近弾。

 直近も直近、回避不能。。

 音圧の衝撃に全身を叩かれながら、両舷一杯で突入する。

 ひっぱたく様に水が全身を包み込む感触と水っぽく泡立つ音。

 何か堅いものが頭にぶつかり、一瞬気が遠くなりかける。

 かたく息を詰めていたのに鼻と口に海水が入りこみ、潮の臭いにむせながら宙に飛び出す。

 水圧から解放された体が跳ね上がって、水面に脚を叩きつける様にして着水した。

 痺れた脚を踏ん張り、危険な程に右傾斜するのを何とか堪え、復元させる。

 思い切り自分のおでこの辺りを殴りつけて、首に巻き付いていた忌雷をはたき落とした。

 

(今のは危なかったわ……)

 

『電?』

 

 曲がってしまった帽子を直しながら電に意識を向けると、返答が無い。

 

『どこ?』

 

 この感じからすると、4時方向にいる筈だ。

 さっきの水柱の一番厚い所を通ったのだろう。

 

『電、返事して!』

 

 背筋に差し水をされた様な感覚が広がり、大声で叫ぶ。

 速度を落として首を巡らし、電を目視で確認した瞬間、私は錨を振りかぶって跳躍していた。

 

「はなれろぉ!」

 

 着水の瞬間、海面をしっかりと踏みしめて、電にびっしりと組み付いた忌雷に力一杯錨を振り下ろす。

 あの水柱の中は、忌雷で一杯だったに違いない。

 殴られた忌雷は“死んだ”けど、既に他の忌雷と絡み合わせていた触手は外れない。

 これだけの数に組み付かれては、身動きは全く取れない筈だ。

 

『ふぇっ!』

 

 ふいに、忌雷が飛び散った。

 まるで爆発した様な勢いに驚いている暇もなく、私は錨を振り回して、吹っ飛んできた忌雷を払いのける。

 一瞬で右腕以外の全身が忌雷で埋まった。

 

「つっ」

 

 磯くさいぬるぬるした触手に唇を塞がれ、文字通り閉口しながら錨を離して頭に貼り付いた忌雷の核を探る。

 左腕が胴体ごと締め上げられ、左肩に激痛が走った。

 目の奥が白む感覚に襲われながら指を食い込ませ、右手を握りしめると、堅くて脆い金属が砕ける感覚がした。

 中からにゅるっと柔らかいものが絞り出される感覚が心底気持ち悪い。

 頭から触手を毟り取って捨てる間も、ぼとぼとと水面に落ちた忌雷が波間から跳躍してくる。

 全身の圧迫が強まり、右手以外が動かない。

 

『姉さん!』

『止まっちゃだめなのです!動いて!』

『すぐ行くわ!』

 

 なんだか、電の声が遠い。

 息はできるのに、呼吸がどんどん苦しくなる。

 体中から金属の軋みが響く。

 このタイプの遊泳忌雷は、圧搾力で艦娘を“殺す”。

 全身を覆った忌雷はお互いの触手を捻り、絡み合わせて、互いの触手の根本までじわじわと圧搾する。

 海底からたまに回収されるイソギンチャクの塊みたいな忌雷群を切り裂くと、小さく丸まった艤装の残骸が転がり出てくるらしい。 動かなくちゃいけない。

 でも、波間から飛び出した忌雷がひっきりなしに飛びつき、のしかかってくる。

 埋まってゆく。

 呼吸が苦しい。

 痛い。

 

『駄目!電、駄目!行って!』

 

 目も耳も忌雷に塞がれてしまっても、“内線”越しに電が必死に錨で忌雷を殴りつけているのが分かる。

 でも、数が多すぎる。

 

『司令官!』

 

 駄目だ、このままじゃ電まで一緒に沈む。

 私が言っても、駄目だ。

 司令官が、命令、してくれないと。

 左腕の骨が砕けた。

 激しい衝撃に、意識が一瞬とんでしまい、すぐに倍加した激痛で目が醒める。

 

『чёрт!(チョルト) 』

『電!』

『駄目!……雷、電を支援!』

『おーけー、忌雷剥がしは任せて』

 

 薄れかけた意識の上を、人の思考が流れていく。

 

(電?、響?)

 

『……戦艦水鬼、独立艤装型の水鬼級……類似の棲姫級とは双頭の艤装にて容易に識別かの……』

 

 強い痛みと、剥き出しの感情がまき散らされて、“内線”の雑音が酷い。

 厚い霧を通している様なあやふやな感覚の中で、ただ、大きな穴が開いている。

 

『あっちいけっ!いきなさいよっ!』

 

 雷が脚を止めたまま、散開したPT子鬼達を砲撃している。

 その傍らでは海面に尻餅をついたままの叢雲も支援砲撃を続けていた。

 体が熱い。

 雷が振り返って何かを叫ぶ、終わりのない砲撃の爆音の中では、口が動いているのだけだが、“内線”が言葉を伝えてくれる。

 

『火を消して!、出火してるわ!』

 

 砲撃の音すら遠く感じる中、艤装の中で必死にダメージコントロールに走り回る妖精さん達の方がはっきり感じ取れた。

 酷くすかすかだ、沢山死んでしまった。

 蒸気と炎、煙が溢れ、側面貫通した艤装の穴から噴き出している。

 圧力が上がらない。

 雷の体が揺れ、苦痛に顔が歪む。

 歯を食いしばって、撃ち返す。

 あちこち破れた制服がどす黒く染まり始めていた。

 

『駄目、なのです……妖精さんが足りなくて』

『頑張って!“電”』

 

 私は、息を吸い込もうともがき、二、三カ所で粉砕骨折した左腕の激痛で却って息を吐き出してしまった。

 

 “内線”がぐちゃぐちゃに混線している。

 抑制が利かず、妹達と意識が混じり始めているのだ。

 

『……主砲として20インチ連装砲を……優秀な電探を備え、偵察機を搭載……』

 

 まるで念仏の様なつぶやきと、小さなモーターの唸りが被って聞こえる。

 全身の骨が少しずつ砕けてゆく。

 砲がへしゃげて、艤装が剛性限界ぎりぎりまで圧迫されつつある。

 

『……極めて堅牢な装甲を持っ……長門型以上の艦と対等以上の砲戦能力を持ちっ、近接戦においても……』

 

 激痛と窒息で朦朧とした意識の中、“内線”を必死に見回す。

 電の意識に空いた大きな穴に呼びかける自分の声がもう聞こえない。

 

『響、回避に専念して!、提督、支援現着は?』

『射程圏内まで、5minutesだ』

 

 目の前で対峙しているのは、ふわふわした真っ黒いドレスを着て長い手袋を付けた深海棲艦。

 額の角と紅く光る眼が無ければ、まるでパーティに行くみたいなファッションだ。

 

『保たせます』

 

 半身に構えを取った先で、戦艦水鬼は軽やかなステップを踏み始める。

 まるでワルツの様にゆったりしたステップにふわり、ふわりとドレスの裾が閃く。

 戦艦水鬼の背後で、巨大な艤装が咆吼した。

 蛙の様に屈んだ体勢だというのに、取りついた二隻の駆逐艦の倍以上の高さがある。

 五月蠅いハエを払う様に震われる腕はゆっくりと見えるが、引っかかっただけで鉄でも肉でも持って行かれるに違いない。

 鈍重に見える巨体の周りを跳ね回る駆逐は、まるでノミの様に頼りなく見えた。

 

「ギィッ」

 

 自分を通り越して背後を見ている視線に気がついた戦艦水鬼が唇の端を上げる。

 仮面に刻んだ様な歪な笑み。

 不意にダンスのリズムが変化、瞬間、合わせて踏み込みんだ先に、膝が浮いていた。

 辛うじて変化先に立てた右前腕に重厚なブーツがめり込み、砲塔がアルミ箔の様にくしゃりと潰れる。

 押し込まれた腕が嫌な軋みを上げるのを無視して踏み込み、左の貫手を打つ。

 

『浅い』

 

 ほぼカウンター気味に決まった一撃は、辛うじて右下腹部へ人差し指の第1関節までめり込むが、腹筋を貫くには至らない。

 左脚が引かれた瞬間、天から右脚が降ってくる。

 素早く左脚を引き、右前中段へ変えて躱すと、途方もない圧を伴った蹴りが水面近くまで落ち、ぴたりと静止した。

 まるでコサックダンスの様な体勢で水平になった脚が消え、這う様な下段払いが海面を切り裂く。

 前方半回転捻りで頭上を跳び避けるのを追い、黒い化鳥の如くドレスが空を舞った。

 一瞬、顔と顔が30cmと離れない距離を通り、左脇腹に大口径火砲並の重爆が炸裂する。

 膝を落としながら、着水した先でゆっくりと立ち上がった戦艦水鬼の背は燃えていた。

 残っていた牽制用の小道具、対艦用火炎瓶は狙いを外さなかったのだ。

 息を一つ吸って身を起こすと、両腕を組んでいた戦艦水鬼は、腰に手を当ててくるりと回ってみせる。

 背を灼く火焔がまるで貴婦人の肩を覆うショールの様にたなびき、光の残像を刻んだ。

 脇腹を灼かれる感覚に苛まれながら、静かに構えを取る。

 普段よりやや肘を体から離した構え。

 左手の甲を向け、立てた四指をくいっと、しゃくる。

 戦艦水鬼の顔が始めて生気をおび、笑みが広がってゆく。

 口が裂ける様な笑みは、人の物ではない。

 

『嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!』

 

(響、どこ?)

 

 突然割り込んできた叫びに私は縋り付いた。

 朦朧とした意識を振り回して、“内線”の中で揺らぎながら白く燃えている炎に手を伸ばす。

 

(響、響?)

 

 小回りの利く副砲の砲撃を掻い潜り、双頭の巨体へ肉薄する。

 戦艦水鬼の艤装は12.7cm砲弾の斉射程度で、揺るぎもしない。

 横殴りにされた巨腕を四つん這いになって躱した夕立が思い切り脚を殴りつけ、横っ飛びで逆手の振り降ろしを回避。

 大口径砲が炸裂した様な水柱を避けて左側面へ回り込み、副砲へ錨を振り下ろす。

 

「собака!(サバーカ)」

 

 錨全体に震動が走り、腕が痺れる。

 硬すぎる。

 錨で殴りつけても、装甲に多少のへこみをつけるのがやっとだ。

 

『早く、早く、コイツを!』

 

「свинья!(スビーニヤ)」

 

 叫びながら、両手で振りかぶった錨をもう一度、叩き付ける。

 装甲の上で滑った錨が、副砲の砲身をねじ曲げた。

 

(駄目、響!逃げなさい)

 

 深追いし過ぎだ。

 普段の響なら、こんな無謀な戦い方はしない。

 もう一度錨を振りかぶる前で、巨体が跳ねた。

 戦艦級の超特大“アメンボ”の余波でまるで津波の様な余波が広がり、足下が大きくせり上がる。

 

「сука!(スーカ)」

 

 錨が弾き飛ばされ、世界が砕け散った。

 

『Hey Lady、Lady、Do you copy?』

『……擬体、艤装共に高い格闘能力を持つ事がかく……確認されている』

 

(響?響?……)

 

 司令官の声に応答しようとした時、激しい痛みに、また、意識がぼうっとしそうになる。

 息を吸い込んで目を開けると、ハンドドリルを持った夕張さんと天龍さんが忌雷を剥がしていた。

 妖精さん憑きの工具は、簡単に忌雷の外殻を貫通して根本まで突き通るらしい。

 虚ろな目で口を半開きにしながら作業している夕張さんと、気合いを上げながら大剣を振るっている天龍さんが対照的だ。

 夕張さんのお腹と左腕は鈍い銀色をしたテープでぐるぐる巻きにされていた。

 

『響?どこ?大丈夫?』

 

 口から何か、どろっとしたものが出て、声が出ない。

 眼が霞んで、遠くが見えない。

 必死に瞬くと、少しだけピントが合ってきた。

 

「くっそが!」

「天龍ちゃん?しょうがないわねぇ」

 

 大剣を振っていた天龍さんが、突然離れた。

 PT子鬼を掃討していた龍田さんも追ってゆく。

 瞬きを続けながらその先へ眼をやると、戦艦水鬼の艤装が掲げた腕の先で、脚を掴まれてじたばた暴れている姿が見えた。

 特大の砲撃音が轟き、龍田さんが海面を転がってゆく。

 

「あら……?」

「ちくしょう!」

 

(うそ?)

 

 龍田さんの下半身が綺麗に吹き飛んでしまったのだ。

 水柱は後からあがった。

 大口径火砲の水平射。

 夕立ちゃんの抵抗など一顧だにせず、反対側の手でむんずと頭を掴むと、カエルの化け物は大口を開ける。

 化け物が艤装に食らい付いて、頭を振るのを私は痺れた様に見つめていた。

 艤装の金属がへしゃげる悲鳴に、蒸気の噴き出す音。

 人が上げるとは思えない、獣の絶叫。

 どれ位続いたか分からない。

 でも、天龍さんが辿り着く前だから、そんなに長くなかった筈だ。

 聞いた事のある爆発音が轟き、白い煙が化け物を覆い隠す。

 缶が爆発したのだ。

 何かが近くに落ちて、水を跳ね上げる。

 至近距離で、長く尾を引く金切り声が耳に突き刺さった。

 座り込んだまま手を伸ばし、叢雲ちゃんが叫んでいる。

 水面に、淡い金髪が広がっていた。

 体は半分も残っていない。

 叢雲ちゃんの手の先でゆっくりと沈んでゆくそれから目が離せない。

 私も艤装が粉砕されれば、死ぬ。

 擬体は溶けて消える。

 無くなってしまう。

 

『い、電……大丈夫?』

『それ以上、無理しちゃ駄目、なのです……もう、いいのです』

『駄目よ!もう少し、もう少し、なんだから』

 

 はっと、意識が戻ってくる。

 雷が煙を吐いていた。

 PT子鬼の魚雷を受けたに違いない。

 電を庇って、出来る限り自分の体で攻撃を受け止めた雷は擬体も艤装も傷だらけだ。

 PT子鬼も少なくなってるけど、もう、持ちこたえられるか分からない。

 もう、体の感覚がない。

 

『し、司令官……支援、ま……だ?』

『3minutes、soon、very soon、Lady カップラーメン作れば終わりだ、don't throw away your hope』

 

 全く、バカな事を言ってる。

 今、3分あれば、私達全員カップラーメンの謎肉にされてしまう。

 

『姉さん……』

『響?』

 

 私はすぐに“手”を伸ばし、強烈な痛みにたじろいだ。

 艤装の煙突はへしゃげて曲がり、擬体の右腕と首が折れてしまっている。

 いくら擬体の怪我が艤装の損傷ほどには問題にならないとは言え、首の骨が折れたら戦い続けるのは難しい。

 

『姉さん、大丈夫、あと3分なんてすぐさ、もう、20秒は経っただろう?』

『……響?』

 

 おかしい、どうとは言えないけど、何かがおかしい。

 

『駄目よ、響、駄目……お、お姉ちゃんの言うこと、聞きなさい』

『はは、ヘンな所で勘が良いね、姉さんは……見えてる、みたいだ』

 

 私は必死に目を開ける。

 デジャビュ。

 大きな拳の親指から、白い髪房が垂れていた。

 一瞬、機関が止まった。

 なんとかしなくては。

 今すぐ。

 雷、龍田さんは満身創痍、叢雲ちゃんは無理、一瞬、神通さんに縋り付いたけど、けっして軽くないダメージが蓄積したまま、あと一撃でも受ければ危険。

 そんな状態で戦艦水鬼の擬体を押さえ込んでいるのがそもそも神業だ。

 戦艦水鬼の艤装はまだ、海面を“掴んだ”ままの響を無理矢理引っこ抜きにかかっている。

 普通ならそんな事は無理だ。

 でも、竜骨の軋む音が、ここまで聞こえてきている。

 

『……あと、2分』

 

 凄まじく痛いはずなのに、響の声は凄く静かだ。

 

『姉さん、ごめんよ……“今回は、私が先だね”……Прощайте(プロッシャイチェ)』




 次回辺りで、ようやくこの回はおわりそうな感じです。
 果たして、一人前のれでぃ達はどうなってしまうのでしょうか?

※感想、評価お待ちしております。

<作中の忌雷について>
 劇中に出た忌雷ですが、以下の様な特徴を持っています。

・船舶には反応せず、人型の目標(特に艦娘)に反応する
・大別して、浮遊忌雷、遊泳忌雷が確認されている
 ⇒浮遊機雷は人が泳ぐよりも遅い程度には遊泳力があるが、基本的に近くを通りかかった艦娘の擬体へ触手を巻き付かせるか、磁力を発生させて艤装へ張り付き、爆発する。
  魚雷ほどではないが、駆逐、軽巡辺りなら、触雷すれば一発大破する可能性が高い。
  基本群れずに、単独で漂っている事が多い。
 ⇒遊泳忌雷は低速の艦船程度の速度で動くことが出来、近くを通った艦娘に対し、トビウオの様に海面から飛び出して取り付く事ができる。
  浮遊機雷と同様に磁力を発生させて張り付く事ができるが、爆発能力は無い。
  その代わり、寄って集まれば艦娘の擬体の手足を骨折させ、艤装を圧壊させる程頑強な触手を持ち、多数で群れて行動する傾向がある。
  又、PT子鬼や駆逐級に“貼り付いた”形で輸送され、戦闘海域へ散布されるのも目撃されている。

 ※上記の様に艦娘の活動上、忌雷は強烈な脅威となる為、各鎮守府は海防艦を主軸とした特務艦隊を編成し、血眼になって駆除し続けている。


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 【第十二話 真昼の夜戦 其の四 ~Deus ex machina~】

 どうも、お久しぶりです。

(前回の要約)
 ポイントチャーリーにて、敵艦隊へ迎撃に打って出て、有利に戦闘を進めていた暁達。
 打撃を与えて、うまく逃げ切れると思われたのもつかの間、PT子鬼と忌雷に行く手を阻まれ、更には、戦艦水鬼まで出現し、危機に陥ります。
 支援艦隊の夕立が轟沈し、響まで危険に晒される中、全身を浮遊忌雷に覆われ、無力化された暁はどうなってしまうのか……

 今回も相変わらず、艦娘がヒドイ目に会います。
 ※モツドバは、一応ないです。


 

【????/??/?? バラック島・ヤシロ ビーチ】

 

 

『今回は、私が先だね……姉さん……すまない、置いていくよ』

 

 記憶がどっと溢れだした。

 

『私達……みんなを助けられたのかしら?』

『大丈夫……街は、きっと大丈夫なのです……』

『結構いい記録とれたと思うんだけど……誰か、見つけてくれるかしら?』

『敵機多数視認、爆装しています……提督、なにとぞ第二掩体壕(えんたいごう)へ御退避下さい……ご一緒できた時間、過分な幸福でございました』

 

 休みのない機銃掃射が体を削り、お腹に響く衝撃が跳ね返って、音圧が体を圧し潰す。

 血と肉、重油が混ざって燃える臭いが鼻をつき、焼き付いた鉄のゆがむ音が血流の音と混じり合う。

 巻き上がる泥と火薬の入り交じった臭いに、陸の津波。

 空が崩れた様な岩の雨。

 体がゆっくりと圧し潰されてゆく。

 聞こえなくなる声。

 

 みんな死んだ。

 沈みもせずに。

 

『先生、空っぽになるとは……こう、でしたか、ああ……自分には、到底』

 

(司令官!)

 

 誰かに呼びかけられた気がして目を醒ます。

 吸い込んだ砂に咳込みながら、なんとか無事な右腕で、砂を這う。

 あと、3メートル。

 消えそうになる意識が、沖合からの腹に響く轟音に揺らされる。

 

(まだだ、まだ、いかないでくれ)

 

 我知らず何かにすがって祈っている。

 何に対して祈っているのかぼうっと考えるが、轟音の合間を縫って聞こえる上空のエンジン音に眼をしばたたく。

 そうだ、夜偵、あれが見ているなら気づくはず。

 さく、さくと遅れて続く足音に首を回すと、揺れる髪の毛がだいぶ近く見えた。

 うつ伏せの体勢から強制的な宙づりへの変化で、いい加減感覚が失せ始めていた体に火が点いた様な衝撃が走る。

 背中を掴んだまま無造作に手首が返されると、目の前に無表情な顔があった。

 整っているがまるで陶器人形の様に固い。

 蒼い珠の様な眼球。

 淡い燐光が揺らめく、吸い込まれそうな海の色合い。

 深海の一部を封じ込めた様なそこへ力を振り絞り、握り込んだ砂を叩きつける。

 風景がゆがみ、ぶれた。

 

(立って!立ってよぅ……司令官、男の子でしょ!)

 

 遠い声が聞こえる。

 立て、立て、と励ましている。

 眠ってはいけないと。

 全身が痛む、今にもバラバラになりそうだ。

 止まる訳にはいかない、娘達の意志を全うしなければ、到底死に切れたものではない。

 重油の臭いが鼻を刺す。

 ドラム缶に埋まった体は、もう半身の感覚がない。

 いや、もう、動く必要もない様だ。

 倒れたドラム缶から、心配そうに小さい人達が見下ろしていた。

 眼で、既に背を向けているタ級を示すと、頷き合った頭が引っ込む。

 彼女達が遺していってくれた妖精達は優秀だ。

 外しはしないだろう。

 最後に残った爆雷投射機3基が控えめな音を発し、たっぷりと焼夷剤を詰め込んだミニドラ缶を射出する。

 発射と同時に着火された遅延信管が、空中で内部の炸薬を激発。

 タ級の頭上から炎の雨となって降り注いだ。

 へばりついて燃え盛る滴は、拭っても容易には消し止める事はできない。

 背後のドラム缶に背中を押しつけ、砂まみれになった64式の銃床をわき腹に押さえ込む。

 安全装置は解除済みだ。

 引き金を引くと、強い衝撃に銃口が跳ね、7.62mmがタ級のケープに穴を穿つ。

 一発撃つ度に全身に激痛が走るが、艤装に弾ける金属音が妙に小気味良い。

 一発撃つ毎に深く息を吐き、銃把を握り直して脇を締め直す。

 片腕では骨が折れるが、外す程遠くはない。

 爆雷の投射機が二射目を放つ。

 ゆっくりと振り向いたタ級のわき腹にプツッと、小さな射入孔が開いた。

 軽くわき腹を撫でた手を見たタ級の艤装で砲塔が旋回し、こちらへ向く。

 視界の端で、低空を飛ぶ夜偵が左右にバンクして翼を振っている。

 娘達は皆任務を全うした。

 自分は、それに答えられたのだろうか。

 最後の銃声は、砲声にかき消されて聞こえなかった。

 

『みんな……これで良かったのよね?……ごめん、響、ごめんなさい、ごめんね、響』

 

 

【???・艦橋 暁・再起動、手段を問わず】

 

 

 目を開けた感覚もなく、不意に視界が開けた。

 狭い部屋。

 

 倒れ込んで咳込み、深呼吸を繰り返す。

 この間見た見た夢より更に生々しい夢。

 みんなと、司令官の記憶。

 記憶にこびり付いた妹達の死に様が咳と一緒に出て行ってくれる事を祈りながら咳込み続ける。

 呼吸困難を起こして、視界が白くなっても、妹達が粉々に砕かれる記憶がよけい鮮やかになるだけだった。

 星が飛び散り、涙で歪んだ視界に伝声管に羅針盤、沢山のレバーが入り込んでくる。

 

(艦橋?)

 

 一瞬だけ、意識が死の記憶から逸れ、私はそれにしがみついた。

 この艦橋はずいぶん狭い、この狭さは駆逐艦に違いない。

 天井があるから、私達特型、というか吹雪ちゃん以降の艦だ。

 

「みんな死んだの」

 

 不意に聞こえた声に、私は目を何度もまばたきする。

 ちかちかする星が消えると、右の壁際に誰かが座り込んでいるのが分かった。

 

「電は発火して動けなくなった雷を助けに行ったわ、でも空襲が止まなくて……目の前が真っ赤で、目も鼻も、口の中も雷の血と油が一杯で」

 

 言葉と一緒に、金気臭さと生臭さ、そして工業油の臭いが入り交じったものが口一杯に広がって、私は床をひっかいてえづいた。

 

「夕張さんは記録担当の妖精さんを降ろした後、対空砲火をしてたけど、沖からの支援砲火で丘ごと粉々になったわ……神通さんは、火砲が使えなくなっても、礫で敵機を落としてた、でも、数が多くて……埋まっちゃった後もずっと撃たれ続けたから、混ざっちゃったわ」

 

 全身が粉々になる激痛に、うめき声しか出ない。

 

(やめて!やめて!やめてよぉ!)

 

「響は」

 

(いや、いや、いやッ!ききたくない!)

 

 必死に目を瞑って、耳を塞ぐ。

 ダメだ、それだけは、絶対に知りたくない。

 でも、目を閉じた所で、“内線”ごしに見たもの、感じたものの記憶がよけいにくっきりしてくるだけだ。

 響は必死に走っていた。

 少しでも遠い所へ。

 ひっきりなしに面制圧の大口径砲弾が降り注ぎ、爆装した敵機の群が頭上を飛ぶ。

 爆弾と砲弾の落下音と炸裂音が混じり合い、合間を機銃掃射が埋める。

 爆風に砕かれた艤装の破片が鋭い散弾になり、対空銃座の妖精さん達をずたずたに切り裂く。

 直撃した爆弾が煙突を引き裂き、ダメージコントロールに走り回る妖精さん達をまとめて吹き飛ばした。

 発火した艤装と、血塗れの体を機銃掃射の波状攻撃が削り、貫通する。

 口の中に血が溢れた。

 呼吸ができない。

 倒れて、自分の白い髪に絡まりながら這いずる。

 いつの間にか無くした腕からあふれた血で、髪がまだらに染まってゆく。

 

「響だけは分かってた」

 

 声をかけられて私は目を開けた。

 額が熱い。

 目の前の少しへこんだ床に珠になった液体がぽつぽつと盛り上がっている。

 鼻からぽたりと滴が垂れて、また赤い珠が増えた。

 

「最初の一斉砲撃、まるまる崩れた崖の下に私は居た、響だけは分かってた、だから……」

 

 そうだ、響は、攻撃で埋まってしまった私からひき離そうとしたのだ。

 少しでも、少しでも遠くへ。

 

「あの子は司令官さえ生きていれば、私を掘り出してくれる、必ず助けてくれる、そう思ってたの、きっと」

 

 ずきずきする頭を押さえて、顔を上げる。

 壁際に膝を抱えた艦娘が座っていた。

 略帽から長い髪が垂れている。

 私と響が被っているのと同じ略帽だ。

 抱えた膝に押しつけられた顔から又、声が漏れきこえてきた。

 

「でも、私にはできなかった、司令官はみんなが守ろうとした町の為に走ってるのに、止めたら、みんな無駄になっちゃう、私だけ、司令官に助けてなんて、そんな事……言える訳ないじゃない!」

 

 ぼう、と艦橋が薄明るくなり、持ち上げられた顔をうっすらと照らす。

 

(私?なんで?)

 

 よく分からなくてぼうっとしていたけど、強い光に眼を刺されて我に返ると、窓から光がさしていた。

 艦橋の窓一枚一枚が、違う風景を映し出している。

 まるで、監視モニタか、前の夢で見た宇宙船のスクリーンだ。

 でも、よく見ると、それは風景じゃなかった。

 

(電?)

 

 妹達と、神通さんに夕張さん。

 そして、私の知らない、写真の提督。

 これは、記憶だ。

 そうだ、私じゃない“私”の記憶。

 “私”と妹達、神通さん達の“同い年の姉妹”達。

 

『私は、みんなを助けられなかった、響のお願いをきいてあげられなかった!』

 

 風景が爆炎と火花に染まる。

 無音なのに、お腹が重低音に震え、頭は砲弾で撃たれた様にぼうっとしている。

 突然、窓に何か重く湿った物が叩きつけられた音がして、私は目を瞬いた。

 

「い、ぎぃ……ッ」

 

 息を吐ききった喉から何かヘンな音が漏れた。

 窓にへばりついた赤黒いものがゆっくりと、下にずれてゆく。

 筋状になった血痕に、まばらに細い筋が混じっていた。

 目が離せずにいた視界の中、白い房の様な物が貼り付いたままになっているのが目に入る。

 血でこびりついた白髪の束。

 目を閉じる事ができない。

 

『神通さんも、夕張さんも、電も、雷も、響だって、みんな司令官に生きてて欲しかった』

 

 窓が司令官で一杯になる。

 一緒に釣りをして、畑を耕して、背中を流してあげた。

 買い物に行った時には、みんなには内緒だなんて言いながら一緒にアイスを食べた。

 右舷に大穴が開いた時には眠るまで手を握ったまま、話を聞かせてくれた。

 逆に司令官が高熱を出した時は、みんなでかわりばんこにずっと看病した。

 あの時少し泣きそうになったのは、司令官が“人間”だって事を意識させられたから。

 “人間”は私たちよりも早く、簡単に死んでしまう。

 

『でも艦娘だって同じ、明日、響が隣にいないかも知れない、私がいられないかも知れない、怖くて、怖くて、涙がとまらかった』

 

 暖かい手のひらに、ふわっと髪の毛が撫でられる感触がして、私は目を開いた。

 

『大丈夫、大丈夫だって、司令官、熱で殆ど意識が無い筈なのに、ずっと言ってたわ』

 

 そうだ、ただそれだけなのに、私は何だか安心して眠ってしまったのだ。

 

『私は、司令官を助けられた、でも出来なった、しなかったの』

 

(そう、助けて、なんて言えなかった、司令官が守ろうとしてたのは、響達が、私たちが守ろうとしてた町なのに)

 

 最後まで、みんなのやろうとした事を守ろうとしてくれてる司令官を止める事なんてできなかった。

 

『司令官は死んじゃったの、助かった筈なのに、助けられた筈なのに』

 

 堂々巡りの言葉が細い針金みたいにぐるぐると巻き付いて締め上がり、心がゆっくりと裂けてゆく。

 

『電達のそばにいてあげられなかった、響を助けてあげられなかった!』

 

 岩に潰されて、土に埋まってる間にみんな死んでいた。

 残された響は最後の最後まで私を捜していた。

 

『あのこのお願いだって聞いてあげられなかった、私はあのこのお姉ちゃんなのに!』

 

「違うわ!」

 

『でもそうなの』

 

 どちらかを選ばなきゃならなかった。

 見ているしかなかっただけ。

 分かってる。

 “私”も私も分かってる。

 でも、そうじゃない。

 

 響は、“私”がまだ助かると信じて死んだ。

 独りでも生き残って欲しいと願って死んだ。

 でも、それは無理だった。

 できなかった。

 

 何もして上げられなかったこと、言えなかったこと。

 分かっていても消えてくれないんだ。

 止まった時間の中で生きることも死ぬこともできないまま、暗闇の中でひとりぼっち。

 なにかを間違えてしまったのか、みんなを助ける事ができたのか、崖崩れに巻き込まれなければ、近くに居てあげる事ができたのか。

 遠くなりそうな記憶と後悔に首まで浸かってずっと眠る。

 最後の夜の夢を見ながら。

 

 窓がびりびりと震える音で私は気を取り戻した。

 顔を上げてみると、窓の風景が変わっている。

 

「雷!」

 

 私は思わず窓に張り付いた。

 傷ついた電を庇う雷の制服は、焼け焦げと血の染みで、もう白い所の方が少ない。

 不自然な体勢で構える神通さんの左腕は、ねじ曲がり、だらりと垂れている。

 そして、巨大な拳に握り込まれた響。

 全部、波でさえ凍り付いた様に動かない。

 まるで時間が止まっている様だ。

 凍りついた夜戦の風景をバラバラに映した窓はまるでスライドショウみたいだった。

 私は響の姿を映した窓を力一杯殴りつける。

 兎に角、響を助けなくてはいけない。

 

(痛っ!)

 

 軽い、ごん、という音を立てて、窓は私のげんこつをはねかえした。

 もう一度、さらにもう一度。

 音が重くなるだけ。

 力一杯叩いても全然だめだ。

 私位の体重でも、脚にぐっと力を込めて下から上に突けば、大抵のものは壊せる。

 防弾ガラスだって枠ごと吹き飛ばすのはそこまで難しくはない筈なのに、これはびくともしない。

 

(なんで割れないのよ!)

 

 もう一度手を振り上げようとして、私はふにゃふにゃと床に倒れ込んだ。

 立てない。

 全身から生々しい痛みがあふれて、神経が端っこから炙られている様だ。

 ぶらぶらになって動かない左肩が急に意識されて、そう言えば自分も体中を負傷していた事を思い出す。

 

(なんで、急に痛く……)

 

 じんわりボヤける視界を回して床でのたうち回っていると、ふと、右舷側の窓が目に入った。

 なにか大きなものが動いている。

 なんとなく見慣れた色彩がそよそよと蠢き、風になびく。

 細くて淡い、何かさらさらしたもの。

 月明かりでほの光るそれに気を取られていると、ふいにその後ろから見慣れたマストが覗いた。

 波の揺れだけじゃなくて、体の傾きと合わせて揺れ動く動作には見覚えがある。

 

(艦娘?)

 

 右の窓から見えているのは、間違いなく艦娘だ。

 でも、それじゃあ、この船より身長が高い事になる。

 それこそ、特撮の巨大化ヒーロー位だ。

 うつむいて蠢いていた頭が上がり、ちらりと目線が窓を撫でたのが分かった。

 

(夕張さん?)

 

 髪の毛が降りているので、ちょっとイメージが違うけど、間違いなく夕張さんだ。

 

(そうだ……私、忌雷に)

 

 記憶が急に戻ってくる。

 

(夕張さんは、忌雷を除去して……)

 

 そうだ、夕張さんは私にこびりついた忌雷を除去してくれていた筈だ。

 なら、今、私が居るのは。

 どこだ。

 

(艤装?)

 

 そうだ、自分の艤装に違いない。

 なら、夕張さんがあれだけ大きく見えるのは当たり前だ。

 艤装に“乗った”状態なら、人間だって巨人に見える。

 

(響、響を助けなきゃ……)

 

 そうだ、そんな事は今はどうでも良い、ここが“私”の艦橋なら、何とか動かさなくては。

 響の所へ行かなくては。

 

(機関を始動して、スクリューを、両舷全速……機関、とまって?)

 

 痛みでまた、意識が朦朧としてきた。

 

(だめ、まだ)

 

 歯を食いしばって、何度も、床に額を叩きつける。

 こんな訳分からない状態でも、“これ”が私の“艤装”なら、きっと動かせる。

 

(機関を)

 

 兎に角、まずは機関を機動させないと、死んでしまう。

 もう死んでいるのかも知れない。

 でも、響に助けるためには、機関を動かさなくては。

 死んでいても、体を動かす。

 必要なら、そうする。

 床を這いずって、手近の伝声管にもたれ掛かるように

体を起こし、右腕をかけて寄りかかった。

 伝声管の蓋をあげて、口を開けるけど、声が出てこない。

 

「き、機関、室……おう、とう……応答、しなさい」

 

 ようやく絞り出した声も、頼りなく、吸い込まれてしまう。

 そもそも、機関室に誰が居ると言うのか。

 艤装なら、本来妖精さんが居るはずだ。

 なら、なんで、艦橋に一人も居ないのか。

 不吉な考えを振り払うように、冷たい伝声管におでこを当てて息を整える。

 目を開けた時、誰かのつま先があるのが目に入った。

 見覚えのあるローファー、タイツ、スカート、セーラー。

 どれも泥に汚れ、裂けている。

 “私”が立っていた。

 蒼白い肌に、血色のない唇。

 “私”は死んでいた。

 

『みんな、死んだわ』

「知ってるわ」

 

 真っ暗な夜みたいな眼、私とは違う“私”の眼。

 

『“私”の響は死んじゃったの』

「私の響は生きてるわ!」

 

 ただ目の前に立っているだけなのに、全身に何故か寒気が走った。

 でも、響を助ける邪魔は誰だって許さない、もちろん“私”でもだ。

 底の見えない井戸みたいな眼を精一杯にらみ返す。

 

「私の響は死なせない、みんな死なせないわ!」

 

 もう一度、お腹の底から力を込めて叫ぶ。

 

「どんな事をしたって、助けて見せるんだから!」

 

 そうだ、腕が一本しか動かなくったって関係ない。

 粉々になって海底に沈むまでは、止められはしない。

 死んだって、化けて出てやる。

 

『もう、死なせない……』

「そうよ!」

 

 “私”なら分かる筈だ。

 

『助ける……どんな手を使ってでも』

 

 呟いた“私”の眼の奥に、ぼう、と光が宿る。

 ぎり、と歯を食いしばった顔が歪む。

 

「助けるわ!」

 

 雷の口癖。

 そうだ、絶対に助ける。

 残りの弾を深海棲艦の口に素手で詰め込んででも止めてみせる。

 

『いかずち……いなずま?』

 

 髪留めに絡まった一房の髪、両腕を広げて立つ雷。

 髪留めを掴んで座り込んだ電、艤装から火と水を交互に噴いている電。

 前方の窓に“私”と私の雷と電が交互にフラッシュする。

 そうだ、もう一度なんて無理だ。

 一度だって無理だ。

 “私”も私も分かっている。

 

『どんな手を使ってでも』

「私はあの子達のおねえちゃんなんだから」

 

(助ける!)

 

 艦橋に“私”と私の声が響き渡り、窓だけじゃなくて窓枠、壁や床までびりびりと振動させた。

 どうん、と突き上げる様な衝撃が頭のてっぺんまで突き抜けると、轟く様な機関音の高まりが艤装全体を震わせ始める。

 体が熱い。

 出ているかも分からない汗を拭おうと手を持ち上げると、手が燃えていた。

 反射的に手を振ると、弾けた炎が床に飛び散って引火する。

 “私”も燃えていた。

 私も燃えている。

 私と“私”が手を伸ばす。

 

『ダメだ!、止めてくれ、それ以上“進んではいけない”』

 

 誰かが後ろで叫んでいる。

 意識のノイズをかき消す様な叫び。

 絶叫。

 きっと、“私”が知っている人。

 今はもう、私も知っている人。

 

 牟田浜提督。

 

 居なくなっちゃったけど、ここには居る。

 きっと、ずっと居た。

 “私”を見ていた。

 私達を守っていてくれていた。

 目線をあげて、手を差し伸べる私を見る。

 “私”は私の目を真っ直ぐに見ている。

 “私”には進んだ先の響達が見えているのだ。

 私にはそれしか見えてないから。

 それ以外は見えない。

 

「ごめんなさい、私、進むわ、そこにしか響達は居ないから」

 

 “私”の手を握ると、炎がすぐ全身に燃え広がった。

 爆発的に燃え広がる炎は蒼くて、痛みは感じない。

 ただ、冷たく、融けてゆく感覚だけが強い。

 融けた“私”と私が混ざり合う。

 

(動き出す)

 

 蒼色に染まる視界の中で、響達の凍り付いていた時間が溶けてゆくのが分かった。

 

(“今回も”私が先、ごめんね……それだけは譲ってあげられないわ)

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 夕張・“特殊火災発生!”】

 

 

「っ!」

 

 暁の艤装から発火した炎を見た夕張は、咄嗟に艤装の側面を叩いた。

 巻き取られていたホースがするりと解けて海面に投げ込まれ、小型コンプレッサーが唸りを上げる。

 汲み上げられた海水が勢いよく放水砲から噴き出し、暁の艤装に降り注ぐ。

 市販の小型高圧洗浄機をバラして組んだ代物なので、横付けする距離じゃないと役に立たない代物だが、この距離なら充分役に立つ筈だ。

 

「つぅッ!」

 

 瞬間、目の前で光が炸裂した。

 咄嗟に振り上げた左腕の激痛に一瞬、意識が飛びそうになったが、背筋が震える様な冷たさに引き戻される。

 左腕に点々と青い炎が踊っていた。

 

(うわわ)

 

 慌てて海水に腕を浸そうとしかけて、目の前が妙に明るい事に気がつく。

 暁が燃えていた。

 放水砲のコンプレッサーは唸りをあげ、海水を噴出させ続けている。

 しかし、暁を覆う炎は消えない。

 むしろ、海水がかけられた部分はより激しく燃えている。

 まるで、ガソリンをかけた様に。

 左腕の痛みが芯まで凍える冷たさに麻痺してゆく。

 ずっと意識されていた強い痛みからの解放は、快楽ですらある。

 

(冷たく蒼い、海水で燃え広がる炎……)

 

 艦娘の艤装を溶かす蒼白い炎。

 それは、怪談、あるいは都市伝説。

 酒の席の与太話。

 深海棲艦が発するのと同じ、熱のない炎。

 それに灼かれれば、変わってしまう。

 艦娘では居られない。

 人型の炎の中で、機関音が高まってゆく。

 

『や、だ、ダメ、なの……暁、ちゃ』

 

 電の“声”を聞きながら、機械的に動いて放水を止めた左腕の痛みを意識する。

 右腕は、艤装をまさぐって、ドラム缶を外していた。

 

(ベーコンのフライ音……)

 

 ふと、そんな単語が脳裏をよぎる。

 機械音と言うよりは、モーター音に近い響きの機関音を聞きながら、蓋を締めているガスケットのレバーを引く。

 ぽろりと取れた蓋が落下防止チェーンをぴんと突っ張らせ、滑ったミニドラ缶が手から離れた。

 脚の間に落ちたドラム缶を反射的に両足で挟んで固定し、中からバケツを一つ取り出す。

 封印のタブを掴んで一気に密閉を剥がし、蓋をむしり取る。

 ライムグリーン系の蛍光色をした液体に右手を突っ込むと、ねっとりとした感触が伝わり、さわやかだが、形容しがたい芳香が鼻をくすぐった。

 液体シャンプーよりもっと濃いが、スライムのおもちゃ程ではない粘性。

 手を引き抜いて修復剤を左腕に擦り付けると、一瞬、目の前が暗くなる程の激痛が走る。

 ダクトテープの下に滲んだ原液が直接傷に触れたせいだ。

 しかし、修復剤でぬるぬるになった腕からは蒼い炎がすっかり消えていた。

 

(いけるっ)

 

 掴んだバケツを振りかぶり、残りの修復剤を暁に向かってぶちまける。

 思い切りよくぶちまけられた修復材はあっさりと炎を通り抜け、波間に鮮やかな彩りとなって叩き付けられた。

 

(え?)

 

 目の前の光景より、遠ざかってゆく機関音に反応して上体を捻ると、炎の揺らめきが遙か遠くを滑っている。

 半分朦朧とした意識の中、姫級と同質の機関音にひかれ、殆ど本能的な動きで右舷の砲塔を追随させる。

 熟練した艦娘は、近距離ではIFFをあてにしない、と言うより、そんなもの一々みていない。

 機関音、光の反射、艤装の駆動音等々、艦娘とは異なる深海棲艦の“気配”に反応し、動く。

 意識と無意識の半ばで、砲の一部になった指が引き金を引く。

 射撃の是非を意識するのは、砲弾を放った後の事だ。

 

『Прекрати……駄目だ、やめてくれ』

 

 “内線”に聞こえた声に、偏差射撃の暗算が止まった。

 

『暁に“特殊火災”発生、明らかに両舷一杯以上の速度で暴走、夕張、追跡します』

 

 “内線”に報告しながら、足下のドラム缶を引っ掴み、両舷一杯に回転数を上げている。

 そうしている間にも、目に見えて炎の揺らめきは小さくなってゆく。

 

(うそ、はやっ!)

 

 高速ボート以上の加速力。

 駆逐艦と言えども、到底無理な加速だ。

 高速艦娘の代名詞的に引用される、島風型でも無理だろう。

 “内線”には暁の気配をもう感じない。

 自分の速度自体、そこまで他の艦に比して劣っている訳では無いが、今は、まるで糖蜜の中を泳いでいる様な、もどかしい速度に感じる。

 到底、追いつけない。

 

(あの速度なら……)

 

 無意識に計算していた偏差射撃が行き着くのは、戦艦水鬼の艤装が展開している方角。

 だとすれば、彼女の目的は、きっと一つ。

 全てを捨ててでも、果たさんと願ったこと。

 暗澹とした想いで、残された火砲の装弾を確認しつつ、今はただ、せめて、間に合ってやってくれと祈る。

 次、必要な時に、指が砲の一部になってくれるだろうか。

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 暁・私はあの子のお姉ちゃんなんだから】

 

 

 炎を通してみる世界は、ゆるゆると蠢く墨絵みたいだった。

 ふと、近くでパターンがかき乱された方に目を向けると、大きく何かを振りかぶる動作が“視えた”。

 攻撃的な意図を感じて、体が勝手に“アメンボ”をしている。

 すごく体が軽い。

 さっきまで立っていた場所に、ねっとりとした動きで光る液体が弧を描いて、海面に広がってゆく。

 あれなら、振り切られてからでも避けられたろう。

 

(そうだ、響、響はどこ?)

 

 頭の中にみんなの声が無い。

 “内線”は切れている。

 私は、辺りを見回して、すぐにずんぐりした影を見つけた。

 遠目でも、巨大なその影は丸見えだ。

 両舷を一杯にすると、周りが極彩色の泡に包まれたみたいにキラキラし始める。

 でも、夜とは思えない程、視界はいい。

 はっきりと、響を握って大口を開けた奴が見える。

 一口で食べる気なのだ。

 夕立と同じ様に。

 

(武器は……ない、けど)

 

 火砲も魚雷発射管も、浮遊忌雷の締め付けでねじ曲がり、壊れている。

 私は、後ろに手を回して、最後に残った武器を取った。

 鎖を引いて、力一杯投擲する。

 

「コレデモクラエ!」

 

 格闘戦の距離じゃない。

 でも、届く。

 “当てられる”確信があった。

 炎を曳いて飛んだ錨が、カエル面へ斜めにめり込んだのを感じる。

 脚に力を込めながら鎖を思い切り引くと、胴体にくっつく程に仰け反っていた首が跳ね戻り、咆哮の形に大口を開けていた。

 もう、遠目に炎と一緒に歯のかけらが飛び散ったのが分かる距離に縮んでいる。

 鎖が巻き取られて、錨が手元に戻ってくるのを待たず、又、波を蹴った。

 一歩、また一歩。

 脚を叩きつける度に、大口径砲の着弾みたいな水柱がねっとりと伸びあがる。

 波を蹴る毎にぐい、ぐいと、空間が縮んで、あいつが大きくなっていく。

 残った首も大口を開けて、咆哮しているが、もう遅い。

 遅い、遅すぎる。

 でも、それでいい。

 

 コロシヤスイカラ。

 

 ゆっくりと、こちらへ首を向けようとする敵の右側面へ潜り込む。

 ほんの一瞬だけ、アメンボをして右を向き、左足を水面に叩きつけると、完全に脚が止まる。

 みしり、という軋みが左足首から頭まで突き抜けるのを感じながら、手元に戻ってきた錨を持ち直す。

 制動をかけた左足から先へ、津波みたいな波が伸び上がり始める。

 ようやく体重移動を初めて伸び上がり始めた蒼白い膝へ、大上段に構えた錨を振り下ろした。

 真横に立った私が右斜めから袈裟懸けに振り下ろした錨は、ちょうど膝の正面側から斜めに叩きつけられる。

 軟組織の潰れる感触に、ぼき、とも、ぼくっ、ともつかない鈍い音。

 蒼白い皮膚が張りつめ、筋肉のすじと血管がじわりと浮かぶのが見えた。

 艤装の金属部分をぬめる様に流れる朱色の警戒色。

 縞模様のそのオーラが一際強く光を放つ。

 右の腕が落ちてくる。

 まだ、響を握りしめたままの拳がゆっくりと、海面へ落ちてゆく。

 私は海面を走って追いすがり、もう一度、大上段に錨を振りかぶった。

 唐竹割りに振り下ろした錨は、丸太位の太さがある指をまとめて2本ねじ曲げた。

 第二関節を粉砕された人差し指、中指の痙攣を見ながら、今度は、薬指より下を狙って、斜めに打ち下ろす。

 まだ、錨が空中にある間に右舷に途轍もない衝撃が爆発した。

 急に音が戻ってくる。

 世界が加速してゆく。

 水の蒸発する音がひどくうるさい。

 口と鼻から入り込む潮の味。

 不思議と痛くも苦しくもない。

 右腕の痺れを感じながら、どこかへ吹っ飛んでいってしまった錨を引き戻す。

 左右に動揺する体を押さえつけ、被った波を振り払う。

 振り払った波が裂け、蒸気の爆発に水が砕ける。

 不意に、波を切り裂いて現れた蹴りが、左の防盾に激突した。

 全身を震わせる衝撃と、重金属の歪む軋み。

 表層が削り取られる音は悲鳴の様だ。

 蒸気に辟易しながら眼をすがめると、目の前1メートル先に戦艦水鬼が立っていた。

 潮と蒸気越しに閃いた右下段蹴りが、硬い激突音を立ててぶち当たる。

 左腿で何かが砕ける感触。

 蒸気が濃い。

 体が触れ合う様な距離で、戦艦水鬼の右膝がお腹に突き刺さる。

 錨が手から滑ってゆく。

 

(ジャマシナイデ!)

 

 左手で掴んだドレスに吐き散らかしながら、右手を力一杯叩きつける。

 燃える拳がわき腹にぶち当たり、何かがまとめて折れる感触が指に響く。

 一瞬の均衡。

 次の瞬間、布の引き裂ける音がして、私はよろめいた。

 戦艦水鬼が曲げた右足を後ろに叩きつけてこらえる。

 ドレスからこぼれた大きなおっぱいが、ぶるんと右へ流れた。

 勢いのいい時計回りの回転。

 右すねの外側に下段回し蹴りがぶち当たり、肉をえぐり抜いたハーフブーツのトゲ金具が根本まで潜り込む。

 衝撃が竜骨を芯まで震わせるのを感じながら、巻き上がる鎖に右手を引っかける。

 思い切り左へ手繰ると、海面から飛び出した錨が戦艦水鬼の脚に絡みつき、激しい金属音を立ててハーフブーツに食い込んだ。

 全開で巻き取られた鎖が肉を引き裂きながらトゲを引っこ抜き、戦艦水鬼の脚をぐい、と吊り上げる。

 目の前でドレスの裾が翻り、まるで花開く様に円を描いて視線を塞ぐ。

 錨で押さえ込んだ左足首が火花を立てて回転し、視界の外から降ってきた右足の踵が側頭部へ時計回りに突き刺さった。

 世界が爆発した様な衝撃。

 眼に何かが入って、よく見えない。

 幾重にもブレる視界の中で左脚を押さえられたままの戦艦水鬼がまるでブリッジの様に海面へ手をつき、又、体を捻った。

 逆時計回転。

 お腹の底まで震える重低音の衝撃と一緒に、持ち上げた左の防盾がびぃんと、お寺の鐘みたいに震える。

 激しく震える金属音の中で、違う硬さの金属が触れ合って不協和音を奏でた。

 

(ソウ、か……)

 

 錨から手を離し、鎖をリリース。

 体全体をたわめて、攻撃態勢を取った戦艦水鬼の体勢が微妙に崩れる。

 体勢を崩しながらも唸りを上げて繰り出された戦艦水鬼の右足が、左膝の横を打つ。

 左脚から感覚が消えるのを感じながら、つんのめって前に進み、倒れ込む様に左腕を伸ばす。

 

 三連装二番ゲージ散弾発射筒。

 

 防盾を震わせ、籠もった発砲音が轟いた。

 戦艦水鬼の胸にぼふっと射入孔が開いて、反対側から肉をえぐり抜いた鉄球と肉片が飛び散る。

 体が崩れ落ちるのに任せて更に、一発。

 思ったより細い首が、ぼぼぼっ、と半分位、えぐり取られた様に消える。

 最後の一発を、防盾の先端を戦艦水鬼の顔へ叩きつけてる様に激発。

 体の下で、戦艦水鬼がびくん、と体を突っ張らせ、ゆっくりとブリッジが崩れ、背中が着水した。

 顔に水が当たる。

 水底へ、手を伸ばしながら戦艦水鬼が沈んでゆく。

 肘をついてもがき海面から顔を引き剥がして、肺の中のものを激しく吐き出した。

 血と油、そして海水のにがりが混ざった何かが水面にどぼどぼと溢れて散ってゆく。

 ひどく寒い。

 何だか、視界がすごく、狭い。

 音が遠い。

 

「……姉さん?」

 

 懐かしい声。

 光の中で、響が呼んでいる。

 天使の様に可愛い、私の妹。

 

「ヒビキ……?」

 

 大丈夫だ。

 あの子は、大丈夫。

 それにしても、何だか、寒い。

 つかれた。

 ねむい。

 だいじょうぶ。

 もう。

 きっと。

 

(響……きっと、なんとかしてあげるから……ね)

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 神通・誤射の真偽を問うな】

 

 

 戦艦水鬼の艤装へ、残された右腕を根本まで撃ち込む。

 凄まじい熱量を指先に感じながら腕を引き抜くと、熱水と血流が噴き出し、外気に触れた瞬間、沸点に達しているそれは不快な臭気を放つ危険な霧を作り出した。

 肉を灼く熱雲に成長してゆくそれを避けてステップ。

 回転を加えて打ち下ろした左脚が、海面すれすれまで落ちていた右拳に残された指を纏めてくの字に曲げる。

 残心。

 吹き出す蒸気が弱くなり、やがて、途絶えた。

 

『戦艦水鬼、沈黙……各員、戦況を報告して下さい』

『雷、まだ生きてるわ、電、火は消えた?』

『電、鎮火したのです……自力航行にはもう少し』

『姉さん……』

 

 夕張からの応答がない。

 目線を振って捜すと、棒立ちになり、立ち尽くしているのが見えた。

 少し離れた場所に、戦艦水鬼撃の艤装から抜け出した響がふらつきながら立ち上がっている。

 二人の視線は、うずくまっている暁に注がれていた。

 

(……これは?)

 

 夜目にも分かる陽炎を帯びながら動きを止めている暁の防盾には、未だに、ゆっくりと縞状の蒼白い警戒色がぬめる様に流れている。

 全身を包んでいた同色の炎は鎮火している様だ。

 すっかり色を失った髪が、俯いた顔を隠していて表情は見えない。

 手足は蒼黒く、光沢を持った金属に覆われていた。

 艤装の一部にも、同様の光沢が広がっているのが見てとれる。

 これではまるで、深海棲艦だ。

 

『提督?』

 

 沈黙を守ったままの東に、“内線”越しに指向性のあるピンを打つ。

 程度によるが、おおよそ目配せから、肩を叩く程度の意思表示になる。

 

『Miss.神通……We know、状況は把握している、“増援”は到着した、後は彼らに任せるんだ』

『増援?今度は主力艦が来てくれたの?』

『Just a little more、“そっち”はまだだが……hum、Listen carefully、充分な筈だ』

 

(音を、聞く?)

 

 指摘されて、微かに響く音に気がついた、独特の風切り音。

 敵の艦載機だ。

 

『敵艦載機視認、おおよそ20機前後、爆装状態は不明、警戒して!』

 

 残った腕を持ち上げ、対空射撃体勢を取る。

 接近されるまで気がつかないとは、酷く感覚が鈍ってしまっている。

 思ったより、ダメージの蓄積が大きい。

 

『うそ……艦戦?』

『光って、る……のです?』

 

 夜間に聞こえるはずの無い轟音。

 最初、耳鳴り程度だったそれは、みるみる、腹腔を震わせるレシプロエンジンの轟きに変わり、頭上を飛び越してゆく。

 

(零戦、と、流星?)

 

 蒼白い燐光を曳いた数十機の編隊は、二手に分かれ、片方がぱっと、更に小分けに散開する。

 零戦は敵艦戦と格闘戦に入り、流星は護衛機を引き連れて雷撃体勢だ。

 頭が混乱する。

 強い鈍痛に刺されて、初めて左手をまさぐっていた事に気がつく。

 力の抜けた指にまだ細くて硬いリングが収まっているのが分かり、安堵を感じる。

 兎に角、何故かは分からないが、充分な航空支援があるのだ。

 機会を逃してはならない。

 

『電、自力航行可能ですか?』

『何とか、動けるのです』

『私は、叢雲ちゃんを載せるわ!』

 

 支援艦隊の天龍も、下半身を喪失して漂流していた龍田の回収に成功した様だ。

 

『私に合流して下さい、体勢を立て直し、撤退します』

 

 不意に、イメージが割り込んだ。

 

「……最終段階初期、突然、出火点不明の蒼白い炎による火災が発生する、これらの炎には通常の水、化学消化剤を用いた消化は効果が無く、海水による消化を試みた場合、燃焼が促進される、幾つかのケースでは高速修復剤が消火剤として効果があったという記載あり」

 

 会話ではない、記された書類のイメージ。

 

『夕張さん……何、を言っているの……です?』

『そっちへ行くから!すぐ……なんとかして』

 

 困惑した電達の言葉には応えず、夕張は読み上げ続ける。

 

「……この熱を奪う炎は、艤装に対しては金属を融解、変質せしめ、擬体に対しては色素を奪い、皮膚、毛髪を白化せしめる効果を持つ」

 

(特殊火災……)

 

 暁に発生した火災を、夕張はそう呼称した。

 

「この段階で、著しい身体能力の上昇が見られる……最終段階の末期では、火災は一旦鎮火し、活動停止状態となるが、やがて、再度出火が発生する、末期で発生する火災は内部火災であり、艤装、擬体の開口部からの炎の噴出にて確認できる……この火災は短時間で鎮火するが」

「……末期火災の後はどうなる、いや、“どうする”んだい?」

 

『ダメよ!』

『止めて!』

 

 殆ど、一瞬の事だった。

 いつの間にか回頭していた響の連装広角砲が発射される。

 射線は真っ直ぐ、夕張を貫いていた。

 気がつけば、体が回転し、動かぬ腕を鞭の様にしならせている。

 確かに射出物を捕らえた感覚。

 意識の空白ができる程の激痛と共に、腕が千切れ飛び、左半身のバランスが崩れる。

 重ねる様に轟いた銃声は少し静かだった。

 既に艤装と擬体の合一を失った体に鉄球が降り注ぎ、めり込んだ玉が骨を砕き、肉を潰し、皮が引き裂かれる。

 勝手に体が丸まり、水面から脚が離れた。

 空が傾く。

 体の周りで、塩辛い水しぶきが上がった。

 水の冷たさと、赤熱した鉄球が臓腑で転がり回る激痛が意識を引き戻す。

 月が赤い。

 

(立つ……)

 

 腹部の痛みが激化し、肺腑から溢れ出た血が喀血で絞り出される。

 咳が止まらない。

 胸が灼ける。

 炎を呼吸している様な熱。

 体が勝手に捻れる感覚。

 歪む。

 

『ダメ!ダメッ!響、何してるのよ!』

『神通さん!』

 

 海面に右腕を圧しつけ、血を吐きながら膝を立てる。

 腹部に貯まった鉄球が触れ合い、かちかちと蠢いた。

 声が出ない。

 

(今日も、皆を無事に連れ帰ってくれたな、ありがとう)

 

 誰の言葉だろう。

 

『……てい、とく』

 

 視界が暗い。

 血を失いすぎた。

 

(帰す……この……子、皆を、あと……)

 

 遠くなる音の中で、水の滴る音だけが妙に響いている。

 

『ご……誤射、はっ、せい……とく、お願い、し……』

 

 まだ、言わなくてはならない事があるのに、思い出せない。

 左腕がどこへ行ったのか、酷く気になる。

 左腕には、大事な、大事な。

 あの人から貰った。

 水音が止まらない。

 一目、また、最後に。

 

「大丈夫、お前は充分頑張った……もう、みんなで帰れるんだ」

 

 逞しい腕と肩に身を委ねる幻をみた。

 懐かしい、あの笑顔。

 もう一度、一目だけ。

 

 

【ポイントチャーリー・交戦海域 夕張・提督は時の氏神】

 

 

 深海棲艦への変異事例、最終段階。

 一時鎮火した後に訪れる内部火災には、高速修復剤をかけるだけでは足りない。

 変異した暁をあの子達は撃てない。

 

 みんな死ぬ。

 

 守ろうとした妹達を、暁が殺す。

 私は、そうなった事例を“知っている”。

 防ぐ責任があった。

 コードMKIプロトコル。

 あれは、存在を認めてはならないもの。

 引き金が酷く重かった。

 響が私を撃ったのは当然の事だ。

 でも、神通さんを巻き込んでしまったのが辛い。

 至近距離から、二番ゲージ散弾を二発も擬体に撃ち込まれるのは、それだけでも想像を絶する痛みだ。

 全長40cm以上の強装弾、実包の中にはピンポン球を少し小さくした程度の鉄球が計9粒、それがが二射だから、計18粒、人間なら上半身がまるまる無くっている。

 彼女の様な、擬体と艤装が殆ど一体化している艦娘であれば、多少は軽減されるとは言え、もう、立てはしないだろう。

 こちらも、最後の一射で左肩を粉砕されて、もう動かない。

 衝撃で、第一射は明後日の方向に飛んでいってしまった。

 しかし、同時発射した四本の魚雷は全弾が命中コースに乗っている。

 九三式酸素魚雷。

 たとえ、暁が姫、水鬼級へ変異していたとしても、相応の損傷を与える筈だ。

 魚雷はもう無い。

 響にもう一度撃たれる前に、20.3cm連装砲の再装填は間に合うだろうか。

 10cm連装広角砲の直撃に耐えきる自信は無い。

 再装填を急ぎながら目をしばたたき、かすみ始めた視界で、暁の姿を捕らえる。

 最後まで、自分のもたらした結果は見届けなくてはならない。

 記録し、伝え、分析する。

 それが、抹消される記録だとしても。

 最期まで、記憶にだけは焼き付けよう。

 装填の完了と同時に、右手の人差し指が引き金を絞る。

 撃発とほぼ同時に、白い影が射線に飛び込んできた。

 響の防楯が火花を散らしながら吹き飛び、背後で幾本もの水柱が盛り上がる。

 随分近い。

 

「Прощайте(プラシャーイチェ)」

 

 残されていた砲塔で甲高い金属音が響き、止まらなかった弾頭が艤装の内部を抉り抜きながら、側面へ貫通する。

 

(爆雷……そっか)

 

 響を甘く見過ぎていた。

 散弾を撃った後、ありったけの爆雷を魚雷のコースに散布して、移動していたのだ。

 魚雷は破壊できないかも知れないが、コースは逸れてしまったかも知れない。

 擬体を撃たれた時とは又違う激痛に朦朧としながら、既に背を向けかけている響を見る。

 もう、武器はなく、動けもしない。

 だが、暁の足下で確かに二つの水柱が上がった。

 出足くらいは鈍るかも知れない。

 

『……提督、電達を撤退、させて、まだ、間に合うかも……艦攻で、集中……』

 

 言葉が途切れる。

 

「Вы кто?」

 

 水柱が途切れた後、跪いていた人影が立ち上がるのが見えた。

 焼け焦げ、ずたずたになった布切れは、辛うじて、提督が一般的に身につけている制服なのが分かるが、本来白地の布はべったりと赤く染まっている。

 

『牟田浜……提督?』

 

 自然と声が出た。

 この人は提督だ。

 でも、何故そう思ったのか、制服だけではない。

 制服など無くても、きっと提督と認識していた筈だ。

 妙な、確信がある。

 

(私の提督……は、東、赤?……え……誰?)

 

 棒立ちになっている響に、スピードを殺さずに横付けした雷が、艤装を叩き付ける様にして組み付く。

 やや遅れて、反対側へ電がしがみついた。

 響は抵抗せずに、呆然と、視線を送っている。

 私も同様に、焦点が定まらない視線が許す限り注視していた。

 海の上に立った、男が振り向く。

 その腕には、艤装を格納した暁が抱かれていた。

 遅れて気がついた雷と電も、響に抱きついたまま、呆然とそれを見ている。

 まだ、目鼻、口、耳から炎が上がったままの暁を抱えたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる男を、皆、動けずにただ、眼で追った。

 

「ついておいで」

 

 響達の横を通り抜ける時、はっきりとした声が、耳を打った。

 弾かれた様に電と雷が響から離れ、急ぎ足で後を追う。

 男は響達を従えたまま歩き、異様な角度に体を傾がせている神通さんの横までゆくと、暁をおろした。

 それが終わると、眼を半分見開いたままの神通さんの頬をそっと手で挟んで何かを囁きかけてから軽く抱きしめ、背中を叩く。

 神通さんの体からがくりと力が抜け、斜めに伸ばされていた腕が垂れ下がる。

 男は、背中と膝裏に手を回すと、神通さんの体をひょいと持ち上げて、暁の横に寝かせてしまった。

 海を“掴んだまま”気を失った艦娘を海面から引き剥がすのは本来かなり厄介な作業になる。

 撤退戦の途中であれば、それだけで雷撃処分の対象になりかねない程のアクシデントだ。

 実際、あそこまで簡単にやってのけるのは、気合いで人を吹き飛ばすレベルのオカルト。

 まぁ、そもそも、人が艦娘みたいに海を歩いている事自体おかしいが。

 いや、それを言うなら、背中で庇って魚雷を無効化できる人間など居ないだろう。

 

(夢?)

 

 夢にしては、激痛がリアル過ぎる。

 今にも、痛みと脱力で意識が無くなりかけている程だ。

 それとも、死に際に見ている幻想か何かなのだろうか。

 男は横たえた神通さんの横に膝を付き、肘の少し上から失われた腕を持ち上げている所だ。

 不意に轟いた砲声に、全員が一瞬、警戒態勢に入った。

 

「おいおい、うっそだろ……」

 

 支援艦隊の天龍さんのつぶやきに混じって、千切れとんだ腕が海面へ衝突する控えめな音が響く。

 男が掴んでいた神通さんの左腕は、何事も無かったかの様に、そこにあった。

 掴んだ手を額に押し当て、激痛に身を折っている男の左腕は、湯気の様な煙と血を吐き、喪われていた。

 まるで、代償の様に。

 雷が息をのみ、声にならない、悲鳴の様な音を発し、すぐに飲み込んだ。

 背筋を震わせながら、男は神通さんの胸前に手をそっとおろす。

 薬指に、夜闇の中でも時折きらりと光る結婚指輪がしっかりとはまっているのが分かった。

 男は少し呼吸を整えると、今度は、残った右腕を神通さんの胸に当てる。

 腹に響く銃声が二発。

 吹っ飛んだ体を、駆け寄った電と雷が助け起こす。

 

「血が……」

「死んじゃうわ!……こんなの、なんでよ?ダメよ」

 

 蒼白になった雷の肩を男は励ます様に叩いて首を振り、電の手を握る。

 半身を起こした体に引っかかった白い礼装の布切れが、胸と腹部で真っ赤に染まっている。

 

「司令官、暁を……」

 

 とぼとぼと歩いて近寄っていた響が、それ以上声にならず、手のひらで、ぐしぐしと、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭う。

 

(ていとく?……)

 

 顔を上げた“提督”は、安心させる様に頷きかけ、電の手を借りて立ち上がる。

 体が勝手に痙攣する程の激痛。

 超人的な努力を払って直立し、“提督”は響の顔をハンカチで拭った。

 

『おまえは、もう、一人にはならん!』

 

 その言葉は、はっきりと“内線”から聞こえた。

 “提督”はふらつきながらも、電の肩を借りて、暁の傍らに何とか座り込み、右手を額に当てた。

 次の瞬間、肉の焼ける不快な臭気と、明らかな苦鳴が漏れる。

 

「司令官……」

「そんな……」

「え……?」

 

 “提督”の顔、眼、鼻、口、耳、暁と同じ所から炎が噴き出していた。

 だが、こちらは、熱のない炎ではなく、はっきりと、肉を焼いている。

 電達が悲鳴をかみ殺す。

 自分達の擬体が傷つくのと、人間の体が傷つくの見る感覚は全然違う。

 手ひどく傷ついても、その内、擬体は治るものだ。

 だが、人間の肉体損傷は不可逆。

 “提督”の体は、明らかに想像を絶した苦痛に震えていた。

 でも、暁の額に当てた手は貼り付いた様に動かない。

 蒼白い炎の火勢が弱まるのにつれて、“提督”から漏れる炎の火勢も弱くなる。

 いつの間にか、“提督”の手は暁の頭を優しく撫でていた。

 

『今度は皆で帰るんだぞ』

 

 不意に力を失った“提督”の体が崩れ落ちる。

 咄嗟に支えようとした雷の腕の中で“提督”の体はぼろぼろと崩れ落ち、崩れた炭と灰が海面へ流れてゆく。

 

「うそ……」

「暁!」

「暁ちゃん?」

 

 響達の悲鳴に意識が引き戻される。

 蒼白い炎の噴出が止まった暁の全身から、今度は蒸気が噴き出していた。

 さっきのはオカルトだったが、これなら分かる、この症状は。

 

『冷却水、冷却水が無くなりかけ、早く……』

 

 意外と軽視されがちだが、艦娘にとって水はボイラー缶に使われているだけではない。

 異常に加熱してゆく艤装を冷却する為、常に、水は消費されている。

 普通なら、そこまで簡単には枯渇しない、が、擬体の血液を大量に失ったり、常識を越えて、体を酷使した場合、希に発生する症状だ。

 

「兎に角、水をかけて!少しでも温度を下げなきゃ」

「分かったのです!」

「暁!艤装を展開して!起きてくれ!」

 

 肌を焼く熱も構わず、響が暁を助け起こして、頬を叩いている。

 雷と電は、一生懸命手で海水を掬って暁の体にかけ続けているが、じゅう、じゅうと音を立ててすぐに蒸発してしまう。

 もう少し近づけば、消火用の放水器が届く。

 だが、一歩踏み出したら、急に足下の支えが無くなってつんのめった。

 おかしい。

 波は穏やかだった。

 そんな急な段差はある訳がない。

 手で海面を探っても、特におかしな所はない。

 

「んあ……ひびきぃ、ひとりでおきられるわ……だいじょうぶよ」

 

 潮騒の音に混じって、脳天気な声が聞こえる。

 

「姉さん艤装を出して、そうしたら、もう少し寝ていてもいいから」

「……んん、しょうが、ないわね……ふぁ……ん」

「出てきたのです!」

「あつっ!蓋が灼けてるわ!」

「噴き出すよ、注意して……私はまだ水は余裕があるから」

「三人で少しずつ入れれば充分間に合うわ!」

「そうなのです、あ、ちょっとずつ入れないとふきこぼれちゃう」

 

 声からすると、大丈夫そうだ。

 しかし、月が雲にでも隠れたのだろうか。

 凄く、暗い。

 潮騒が近くに聞こえる。

 さっきの事を記録しなくては。

 収集し、分類し、分析する。

 

(私が居なくなっても、どこかの“私”が……きっと)

 

 

【ポイントチャーリー・制空確保海域 “翔鶴”・大破艦回収】

 

 

 蒼白い燐光を曳きながら艦戦が飛んでいる。

 先ほどまで、同様に蒼白い色を発していた月は、紅く染まっていた。

 既に砕けた青空は無く、赤黒い光が、星雲の様に蠢いている。

 

「オシカッタナ、アノチイサイノハ、ワルクナイ、アア、ワルクハナイ……アアイウノガ、ワレラノガワニモ、モットホシイモノダ」

 

 あの子は、自分から望んでこちらへ進んだ。

 しかし、“あの男”に引き戻された。

 そこに払われた代償は大きい。

 我々全員にとってもだ。

 空を見上げる。

 この虚構の世界を守っている薄皮の先に蠢く、化け物の触手が透けて見えるのではないか。

 そんな妄想に捕らわれそうだ。

 こんな事を考えるとは、“翔鶴”に取り込まれかけているのかも知れない。

 人間は我々の事こそを化け物と呼ぶ。

 化け物に恐れは要らない。

 

「ヨアケハ モウ、コナイダロウナ……コウナッテハ、モハヤジカンガナイ」

「テイトクトイウヤツラハ、イツモジャマヲ……シカシ、アアナッテハ、モハヤジャマデキマイガ」

 

 あの男、牟田浜という“世界”の支柱そのものが瀕死の状態では、もう長くは保たない。

 世界が滅ぶ前に自分を取り返さなくては、ヤツに見つけ出され喰われてしまうだろう。

 艦娘でも、深海棲艦でもない、あの化け物に。

 

「ソウダナ……」

「シカシ、マタ、イッセキ、シズンダナ」

 

 “瑞鶴”の言葉に手元へ目を落とすと、指に巻いたリボンが目に入った。

 “叢雲”が握り締めていたものだ。

 

「“ユウダチ”ノママシズンダ力、ワレラノモトニハモウ、モドランダロウナ」

「ソモソモ、ココデシズメバ、“ヤツ”ニクワレル、ワレラダロウト、カンムスダロウト、カワラナイダロウ」

 

 手を何回か、握ったり、ひっくり返したりしながら、鉤爪状の指が、細くて脆そうな形に戻ってゆくのを確認する。

 

「……あなたも、そろそろ戻っておきなさい“瑞鶴”、そろそろ、あの子達が合流してくるわ」

「モドル、力……」

 

 抜けそうになったリボンを締め直して顔を上げると、弓を下ろした“瑞鶴”が、目をすがめて、水平線に目をやっていた。

 “瑞鶴”の白化していた肌に血色が戻り、髪の毛が黒みを帯びてゆくと、瞳から紅い光も消えてゆく。

「あいつらから、たまに我々と等しくなる者もいる、我等からも……我等とあいつら、どれ程違う?」

 

 “瑞鶴”の視線の先には、足を喪失した“龍田”を背負い、“叢雲”を小脇に抱えた“天龍”が居た。

 

「ここではすべてがあやふやになる、あいつらも、我等も、いつまで“自分”で居られるの?」

 

 いらいらした様に髪の毛をかきむしる“瑞鶴”にため息をつく。

 本来の自分との違和感に自覚がある分、馴染んでいる他の者に比べてストレスが大きいのだろう。

 取り込まれる危険性は少ないが、その分、苦痛は大きい。

 

「今回、”引き揚げ屋”と契約したのは、そりゃあ、仕方ないよ……でも、ヤツは信用できない、あいつらを“引き揚げてる”からじゃなくて、我等もあいつらも……ヤツにとってはゲームの駒に過ぎないんじゃないかって……考えずには居られない、我、んん、私達だけじゃなくて、あいつらにとっても、ヤツは“敵”なんじゃないか、私達が殺し合うのを見てほくそ笑んでる、討つべきは……」

「“瑞鶴”!」

 

 肩を少し強めに叩くと、“瑞鶴”は顔を覆っていた左手を下ろした。

 

「どのみち、後少しだけのことよ……その間は“皮”を被っていなさい、ね、“瑞鶴”」

「はぁ……ん、わかったよ……“翔鶴姉”、これでいい?」

 

 “翔鶴”としての声を作ると、不服そうだが、一応、返事は返ってくる。

 まぁ、許容範囲だろう。

 

「ええ、でも、確かに、今回の作戦で喪ったものは大きい……」

 

 無表情に体を揺らす響を先頭に、即席の艦隊を組んだ回収組が横を通り過ぎて行く。

 響の後ろには、意識不明でうなだれたままの夕張を曳航した高雄が続いていた。

 不自然にしゃがんだまま曳航されている夕張の体が波に揺られる度に首がかくんと傾き、はねた水しぶきが血に汚れたダクトテープを洗う。

 血の気の失せた横顔は殆ど深海棲艦の膚色に近い質感を想起させた。

 夕張の後ろには、ゴム製の無転覆ボートを曳航した愛宕が続いている。

 上下のないゴム風船の箱は、左右を固めた雷と電の間で危なっかしく波間を跳ねていた。

 あの狭苦しい箱には、意識を回復していない神通と、瀕死の暁が詰め込まれている筈だ。

 東、いや、牟田浜水雷戦隊は、継戦能力を完全に喪失していた。

 今回、“皮”を半脱ぎした事で、あの化け物もこちらの存在に感づいたと考えるべきだ。

 

「血を流しすぎたわね……私達は何を得たのか、しっかり説明して貰いましょう」

 

 

【南の島?・お隣鎮守府 電・司令、あなたは誰なのです?】

 

 

 妙に靴音が響く。

 モノトーンで統一されたお洒落な模様のリノリウムに、くすみ一つ無い綺麗な壁紙。

 作戦会議の為に短時間立ち寄った時も少し、違和感を感じていたけど、改めて歩き回ってみると、なんだか本当に生活感の無い建物だ。

 お隣の鎮守府にもそれなりの数の艦娘と、鎮守府の職員達が生活していた筈なのに、何もかもが整然とし過ぎている。

 

「やっぱり、モデルハウスの中みたいなのです」

 

 誰か住んでいる様に整えられながら、誰も住んでいない。

 今は、不安定にちらつく蛍光灯の光が、更に不気味さを追加している。

 この程度の事で怖がるなど、まるで生まれたての娘みたいでおかしいのだが、正直、今は怖い。

 司令官の命令でお隣の鎮守府へ撤退した後、私達は結局そのまま居候する事になった。

 みんな酷い怪我をしていたし、暁はあんな状態だから、設備の整ったここに運び込んだのだけど。

 あれだけ、憧れていたリゾートホテルみたいな場所だったのに、今はあの、小さな鎮守府へ帰りたくてたまらない。

 天龍さんや、高雄さんか、叢雲さんに行き会えば少しは紛れるとは思うのだけど、ドックと工廠以外で行き会う事がないのも不思議だ。

 まるで、私生活が無いみたいな、ヘンな感じがする。

 

「でも、もう忘れ物はないのです」

 

 しばらくこちらでお世話になるという事で、雷と一緒に必要なものをリヤカー一杯に持ってきたばかりだ。 司令官からは、もう、戻れないつもりで何でも持ってくる様に言われたので、本当に積める限りみんなの持ち物と物資を満載してきてしまった。

 流石にもう戻る用事も無い。

 大体、暁の意識も戻っていないのに、ここを離れる事など出来ないのだ。

 微かに漂っている良い匂いの出所へ脚を早める。

 食堂の扉を開けると味噌と出汁の良い香りがふわりと溢れて、お腹のあたりがほっと暖かくなった。

 カウンターで仕切られている厨房の奥から漏れ聞こえる雷の鼻歌に、背筋の寒気が降りて行く気がする。

 従業員用のドアを開けて厨房に入ると、エプロンを着けた雷が背伸びしながら鍋をかき回していた。

 厨房は広くて凄く立派なのだけど、立派過ぎて調理台は雷には高すぎる様だ。

 まぁ、雷に高すぎるなら、自分にも高すぎるのだけども。

 

(後で、踏み台を探してみるのです)

 

「ごめんね、ごはん、もうちょっとかかるわ」

「ちょっと、響ちゃんへ何か持って行こうかと思ったのです」

 

 修理が完了した後、響は部屋に閉じこもったままだ。

 東司令は、皆が落ち着くまでは、色々な処理は保留すると言っていた。

 

(誤射とかあったけど、作戦は完了……でも、結局、物資は殆ど運べなかったのです)

 

 元々、うるさく言う人では無いけれど、今回は、まるで、作戦の成否自体に興味が無いか、他に目的があったみたいな不自然な感じがする。

 

「お握りを作っておいたわ」

 

 雷の視線を追うと、調理台の端に、お握りとたくわんをラップしたお皿と、お茶のペットボトルが載せられたお盆が置いてあった。

 スタンダードな醤油にねぎ味噌、それにひと工夫したごま油の、冷めても香ばしくて美味しい、丁寧に焼かれた焼きお握り。

 響も大好きなお弁当メニューだ。

 

「おいしそう、これなら響ちゃんも食べてくれるのです」

「だったらいいんだけど……後で持って行くつもりだったけど、そうね、お願いしちゃっていいかしら」

「引き受けたのです」

「ねぇ、私達……」

「え?」

「ごめん、なんでもないわ、響のとこに行った後にみんなを呼んできて、そろそろできるから」

「分かったのです」

 

 振り返らずに厨房を出て、後ろ手にドアを閉めた。

 雷がどんな言葉を呑み込んだのかは分かる。

 こんな異常な状況、みんな不安になって当然なのに。

 それでも、頑張れたのは、みんなを信じてきたから。

 でも、夕張さんは暁を撃った。

 あんなになっても、響を助けようとした暁を。

 殺す気で。

 響も夕張さんを撃った。

 殺すつもりだった訳じゃ無い。

 ただ、暁を助けたかっただけ。

 ちゃんとした理由がある。

 それは分かってるけど、聞くのは怖い。

 分かりたくは無い。

 でも、幽霊の様に消えてしまったもう一人の司令官。

 牟田浜司令が暁を助けてくれなかったら。

 もしも、暁がそうなってしまったら。

 私は、何が出来ただろう。

 

「誰も悪くなんてないのです……」

 

 きっと、全部、そんなぐちゃぐちゃを分かっていたから、司令は全部自分で呑み込んでくれたのだ。

 ほんの一瞬だったけど、牟田浜司令の目はとても優しかった。

 あの人は、間違い無く私達の“司令官”だ。

 まだ、少しもやもやしているけど、あの人との記憶は間違い無く心の中にある。

 でも、思い出そうとすると、心がざわざわするのだ。

 違うのだと。

 頭を撫でてくれた手は、違うのだ。

 もっと乱暴だけど、優しくて。

 

「司令官……あなたは誰なのです?」

 

 

 




 最後まで読んで頂きありがとうございます。
 次回はいつ投降出来るかな……頑張ります。

<オマケ>

・散弾発射筒
 ⇒元々、火砲の再装填が完了していない状態で接敵されてしまった際の緊急回避を目的として作成された装備。
  駆逐艦がよく装備している箱型の手持ち火砲の上部や、暁型の防楯裏の様に、咄嗟に敵に向けられる場所へ固定されている。
  形状としては、鉄パイプを束ねただけの様に見える素っ気ない代物で、口径は40mm程で後装式。
  手持ち砲に載せる比較的短いタイプでも実包が三十センチ程度あり、戦闘中の再装填はかなり困難。
  防楯裏に載せるタイプに至っては、場所が場所だけに、戦闘中、自力での再装填は不可能である。
  手順書には、相手の“顔”がはっきり認識出来る距離で、“殴りつける”様に撃てと書かれている。
  鉄球の粒はピンポン球をやや小さくした程度で、かなりの質量ではあるが、所詮散弾である為、装甲部位には効果が薄く、有効打を与えるには深海棲艦の口中、腹部、或いは非装甲の擬体部位を狙う必要がある。

・無転覆ボート
 ⇒艦娘の補助携行装備。
  ミニドラ缶位の大きさに折りたたまれた本体と、圧縮空気のガスボンベで構成されており、ワンタッチで膨らませる事ができる。
  時間はかかるが、艦娘なら息を吹き込んで膨らませる事も可能。
  上下の無い、ボートっぽい形をした箱で、自力航行出来なくなった艦娘や、それほどの重量がない積載物を曳航する為の装備。
  駆逐艦娘なら、大体3人まで詰め込める。
  錨の鎖を船首から通して内部の艦娘に固定する事で、両舷一杯で航行しても、問題無く曳航する事が可能、と、言われている。
  ただし、バナナボートなんか目じゃない位に波を跳ねる為、意識のある状態で中に艦娘を搭載するのは非推奨。
  人間を搭載するのは禁止されている。


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 【第十三話 真夜中のお茶会 ~Crazy tea party~】

 どうも、本当にお久しぶりです。
 年明けし、1月も半ばとなりましたが、最新話をお届けします。

(前回の要約)
・強行偵察の末、離島棲姫を破壊する事に成功した暁達。
 からくも島を脱出するが、軽巡棲姫率いる水雷戦隊の追撃に戦艦の伏兵、更にはPT小鬼群に遊泳忌雷に襲われ、最終的には帰還を阻む戦艦水鬼と対峙した暁達。
 矢尽き刀折れ果て、轟沈者を出しながら生還した彼女達を迎えたのは、お隣の鎮守府であった。

 壊れかけた楽園の真実が、今、開かされる。


【南の島?・お隣鎮守府 東・a corpse walking】

 

 外にある入居ドックは、リゾートホテルのプールっぽいデザインをしていて、リラックスしながら浸かるには丁度よいデザインだ。

 屋根だけをつけた開放的な作りだが、必要ならフレームに頑丈なパネルをはめ込んでしっかりと密閉できる。

 見た目が無駄に豪華なだけではなく、機能的にも悪くない。

 今、入室しようとしている集中治療ドックは、外のものみたいに洒落てはいないが、一部屋分のお値段で、外の入居ドックが、まるまるもう4セットは増設できるだ代物だ。

 大きな観音開きのドアの上で、“使用中”のランプが軽く点灯しているのを無視して、足を踏み入れる。

 中は六畳一間位の広さの準備室になっており、左側の壁には艦娘用医療品の在庫を整然と納めた棚や、各種非破壊検査機等、艦娘用の検診機器が集積されていた。

 右の壁際には艦娘搬送用の展開式ストレッチャーが押し込まれている。

 これは、艤装を展開していない状態に使う通常タイプだ。

 艤装を展開した状態の艦娘を搬送する為には、特注の構内トレーラーと電動車が必要だ。

 何しろ、駆逐艦達の艤装ですら数10kgから100kg超の重量があるし、戦艦ともなれば、数100kgになる。

 艦娘の緊急処置室には、牽引の電動車が入る余地と、重量物が吊り下げ可能なクレーンが必須なのだ。

 正面右には、入ってきた扉と同じ観音開きの扉があるが、こちらも大型自家用車が悠々とくぐれる程度のサイズに作られている。

 処置室へ繋がるこの扉は、二重扉になっていて、手前側と奥側、どちらか一度に片方しか開かないエアロック構造だ。

 処置室内をクリーンに保ち、又、処置室内部を蒸している“霧”を無駄にしない為の構造である。

 処置室内に置かれた艦娘の擬体、艤装をまるまる高速修復材が調合された“霧”で燻蒸する事で、つま先から頭、擬体の体内まで薬効を効果的に浸透させるのだ。

 又、“手術”が必要な場合も、高速修復剤による治癒効果を受けながら施術できる為、本来、そういった処置に耐えられない程弱った患者にも対応可能となる。

 非常に重大な負傷を負った艦娘の為に造られた集中治療室であった。

 正面左の少し小さな扉は、治療管制室及び、エアロック管理室の入り口となっている。

 中には明かりが灯っている様だ。

 

「Hum」

 

 暁が運び込まれてから、室内の灯りは点いたままだった気がする。

 特にノックせずに中に入ると、内部は四畳程の細長い部屋になっていた。

 大きなガラス窓で、隣のエアロックの中が見える造りだ。

 その窓の手前に置かれたコンソールで、オフィスチェアに腰掛けた夕張が、ノート端末のキーボードに指を這わせたままぼーっとしている。

 監視モニタには、隣の部屋で眠ったままの暁が映し出されていた。

 幾つかあるサブモニタには、心拍等のバイタル情報を表示している。

 手近に放り出されたクリップボードには、時間毎のバイタル情報の値や、負傷箇所の状態等が書き込まれている様だ。

 他にも、数枚の紙が散らかっているが、そちらは何度も何度も何かを書き殴って、その後、ぐちゃぐちゃに消した状態で、判読できる状態ではない。

 

「提督、私たちってどうやったら殺せると思います?」

 

 不意に夕張が口を開いた。

 

「艦種にもよりますけど、手足どころか、頭と心臓を吹き飛ばされても死なない私達をって……まぁ、知ってますよね、でも、擬体をまるまる吹き飛ばされても再生するのは知ってます?」

 

 答えを待たずにしゃべり始める夕張の手は、キーボードとマウスを忙しく操作している。

 バイタル情報を表示していたモニタの表示が切り替わり、非破壊検査のスキャン画像になる。

 

「粉砕骨折28カ所、複雑骨折32カ所、単純骨折56カ所、筋断裂37カ所、脾臓破裂、肺挫傷に外傷性気胸、胃の破裂……この辺、脳挫傷も、あと、皮下組織全体に熱損傷も、これは冷却水なしで過剰な出力を出したせい、本当に体の中で血が沸騰するんですよ、そうそう起こる事じゃないですけど、普通はここまで擬体を壊されると、維持ができなくなるから、一旦、“ご破算”になってリセットかかるんですけど……」

 

 画面が切り替わり、今度は鈍く輝く金属を写した写真が表示される。

 まるでしなやかなタイツの様に細い体を包んだ金属は青黒く、てらてらと光を反射していた。

 

「そうはならなかった……あの金属はどこが関節なのかもわからなくなった体を押し込んだ、人の形を保つための“殻”です、暁の全身の70%以上を覆い、体の外だけじゃなく、体内の損傷を受けた場所にも充填されていて、各機能を代替しています……ものは深海棲艦の擬体と共生関係にある生体金属です、外部刺激に対して強度が可変する、それ自体が筋肉であり、外骨格でもある、動かない筈の体が動いて戦えたのはこれのおかげ、“生きた”サンプルは大本営の技研が欲しがるでしょうね」

 

 ちらりと向けられた夕張の視線を意識していないかの様に、東は奥の“霧ドック”の監視モニタに目線を移す。

 モニタの中では、照明が低く抑えられた室内で、艤装を展開した状態の暁が搬送用トレーラーから足を投げ出している。

 霧に包まれて眠る体は露に覆われて、所々からぽたり、ぽたりと水滴が滴っていた。

 テカテカと濡れ光る金属に覆われた体と蒼白い顔色、そして、絹糸の様でありながら、金属的な光沢を反射する白髪。

 作られた人形の様に無機質な美しさ。

 くるくると表情を変えながら動き回っていた少女とは全く別人に見える。

 

「とても、立っていられる体じゃなかった筈です、あの時、暁の心臓は動いてなかった……保証します、私達は死体が歩くのを見ていたんです」

「No, it's not true. She's Alive……Still Alive. どういう形だとしてもだ」

「どういう形であれ、ですか、確かに、艤装が壊れない限り、私達は“死んだ”と思わなければ死ねないですからね」

 

 少しの沈黙の後、夕張はコンソールを操作し、表示画面を切り替える。

 

「Hum、このGray Colorの表示がBiological Metalか……Red Statusが多いな」

 

 コンソール画面に映っている暁の擬体の立体図は、体の表層部分から樹木の根の様に体内へ浸食した灰色の筋と、その周辺をべたべたを塗りつぶす赤色に彩られていた。

 

「生体金属に浸食された場所は高速修復剤が効いてない、その周囲も効きが悪い……まぁ、半分サイボーグ化された体に薬を使っている様な感じです」

「Hum、Biological Metalを除去する事はできないのか?」

 

 一瞬、夕張の唇がぐにゃっと曲げられた。

 横顔でなければ、泣き笑いだったのかも知れない。

 

「じゃあ、あの子が暴れない様に、脚でも抑えて貰うと助かります、幸い、ここって耐爆構造だから、少々炸薬が誘爆した位じゃ音も漏れないんで、どれだけ叫ばれても悲鳴は外へ漏れないですし」

 

 夕張がキーを叩くと、画面が断面図撮影の図に切り替わる。

 皮膚を被う様にして、最大で1cm厚程度の金属がコーティングされている様だ。

 勿論、そのまま、腹腔、胸腔、一部は頭蓋に浸食している部位もある。

 恐らくは酷く負傷した部位だ。

 

「この様に、アレは擬体と“共生”しています、触れば皮膚感覚はあるし、癒着どころじゃなく、融合してますから、肉ごと剥いでいくしかないんですけど、生きたまま肉を削がれて解体される……陵遅刑って知ってます、耐えられない子も居ましたよ」

 

 艦娘は擬体の損傷から生じる苦痛については本来、異常な程の耐性がある。

 四肢の喪失、内臓への深刻な損傷を被りながらも戦い続けられるのはその為だ。

 しかし、この傷は普通の損傷では無い。

 

「hum……tough problemだな」

「提督」

「What's up?」

 

 少しトーンの落ちた呼びかけに、応える。

 夕張は相変わらずこちらを見ていない。

 

「訊かないんですか?……色々、あると思いますけど」

 

 最後の作戦の後、詳細のデブリーフィングや個人面談は行っていない。

 一般的な損傷報告と補給申請を書面で受け取った程度だ。

 

「Miss Shotはあったが、You達はMissionを達成した……だろ?」

 

 散らかっている紙を拾い、綺麗に揃えたそれをクリップボードの上に載せる。

 

「それに、その“色々”は、“話せる”のか?」

 

 夕張の目線がモニターから外れ、つかの間、横目遣いになった。

 軽いため息が聞こえる。

 

「物わかりが良いんですね」

 

 椅子が軋みながら回転し、夕張が正面を向いた。

 表情を消した彼女の左手には、拳銃、南部十四年式が握られている。

 

「でも、“良すぎる”のも問題ですよ、無関心なのか、或いは、まるで、訊かなくても全部“知ってる”みたいですから……提督に訊く事が無いなら、私から訊きますね」

 

 自然と腰だめに構えられた拳銃はぴたりと、腹部を狙っている。

 一番避けづらい射線の置き方だ。

 妖精さん憑きの武器は、深海棲艦と艦娘の擬体に対して特効を持つが、人間にとってはごく普通の武器として作用する。

 銃弾は敵味方を区別しない。

 

「できれば、ほかの娘達は呼んだりしないでくれると助かります、扉、ちょっと手間かけてロックしたので、私達でも、外からじゃ入るのにちょっと手間がかかるし、大きな音がするんで、一発毎に撃ち込む場所を考えながらでも全弾使い切るくらいの暇は十分ありますよ?」

 

 元は試作型として存在したダブルカラムモデル。

 当世型では、通常のバリエーションモデルのそれには、弾倉に16発装填可能。

 本体薬室に1発装填したコンバット・ロードで17発。

 片手撃ちでも、彼女は外さないだろう。

 

「挨拶代わりに一、二発撃ち込みましょうか?」

「Hum、Do you mind if I sit?」

「そこへどうぞ」

 

 夕張の右手が、素っ気なく向かいのオフィスチェアを指差した。

 椅子を引いて座る間も、左手に構えた十四年式はブレもなく、ぴたりと胴の中央を狙っている。

 

「何をInterviewしたいんだ?」

「私達の記憶を弄りましたね」

 

 疑問系ではない。

 断定だ。

 

「Hum、何故そう思う?」

「秘匿倉庫から回収した私達……艦娘の遺品を何処へやりました?」

 

 瀕死になりながら輸送に成功した、数少ない品物。

 ドラム缶の中に格納してあったそれは、ドックで目を醒ました時には、神棚ごと消え失せていた。

 ならば、それはどこに消えたのか。

 ソファを指出した手が反転し、夕張自身の胸にあてられる。

 

「ここですよね」

 

 抑揚のない、淡々とした指摘。

 疑問は微塵も含まれておらず、回答も期待されていない言葉。

 手が僅かに移動し、制服の襟元からまるで手品の様にスカーフの切れ端が引っ張り出される。

 彼女が巻いているのと元は同色だったと思われるそれは、重油と何かどす黒い液体で薄汚れ、変色してしまっていた。

 

「入渠プールにつけてある、バスソルトのネットから出てきました……あんな傷にしみるもの、普通、入渠プールに入れませんよ、なに考えてるんですか?」

「Mango bathにしておけば良かったな」

 

 東が困った様に手を挙げようとするのを、銃口を示して制止する。

 とぼけた言動をする男だが、平気な顔をして神通の近接格闘訓練についていく人間だ。

 暗器で目を潰す位はやりかねない。

 

「割と普通に認めますね、まぁ、証拠が全部消えてたら予想してたとは思いますけど」

 

 夕張がデスクの引き出しをあけると、そこには、略帽、バレッタ、髪留めピン、鉢巻が放り込まれていた。

 

「出所は言わなくても分かりますよね?……しかし、今回が初めてじゃない、記憶の混濁状態はもっと前から起こってる……かなりの期間をとって、換えの記憶を定着させる為に」

 

 夕張は、不意に吐き気に襲われた様に目をすがめ、胸元を掴む。

 数十秒、無言で銃口をふるわせる夕張と、京太郎は見つめ合う。

 やがて、深呼吸した夕張の声は、やや嗄れていた。

 

「本人に対する合意もなく、しかも、“死んだ”同型艦の記憶を上書きしようとするなんて、破ってるのは倫理規定だけじゃ済みませんよ……そこまでして、何の為です?」

「Overwrite、か」

「これだけ大規模なクローズドの検証環境まで用意するなんて、余程の資金力と政治力がある組織みたいですけど、何の実験です、目的は?」

 

 表情を消した夕張から放たれる言葉は、普段の彼女を知る者には余りにも平坦に聞こえる。

 だが、その目には陰火の如き光が宿っていた。

 怒りではない。

 冷たい憎悪の輝き。

 復讐を楽しむのではなく、ただ、そうすると決めたから、粛々と実行する。

 それは、覚悟と言い換えても良い。

 

「Hum……Youは心当たりがあるみたいだな」

 

 銃を構えたのと反対の手が上がり、親指と人差し指がピストルの形を作る。

 

「死人は生き返らない……別の器に記憶を注いだら、それは記憶を受け継いだ別の誰かになるだけ」

 

 ピストルの銃口を自身のこめかみに押しつけ、夕張は京太郎の目をじっと見つめる。

 

「“器”にも人格はある、それを上書くって事は、消してしまうって事……人の核を消してしまう事、体を殺さなければ人殺しじゃないのかしら?」

 

 ピストルが拳に変わり、ゆっくりと下ろされた。

 

「私達にも“人権”が保証されているのは、文字の上の事だけに過ぎないの?……死人は生き返らない、人も、艦娘も」

 

 一旦言葉を切った夕張の目が半眼に眇められる。

 

「それが分からない馬鹿な人と、それをくだらない目的の為に利用した人々が居た事を“私は”知ってる……そう、“まだ、憶えてる”」

 

 殺意のよぎる瞳を見つめ、京太郎はかぶりをふる。

 

「I know it very well. But、しかし、そのCaseと今回の件は違う、何より、overwrightじゃなくて、add onだ、決して本来のyou達を消したりはしていない……you達の言う“近代化改修”の延長だ、ただ、Lady 暁に関してはもう少し特殊なんだが」

「それが本当なら、轟沈した艦娘の記憶移植実験て所かしら?……最も、あなたが人格書換事例の件を知ってるってだけで、情報部への通報義務が発生するんだけど?」

 

 銃口を向けられたまま指摘され、京太郎は肩を竦める。

 

「Hum、“Experiment”じゃなくて、“Impromptu”なんだがな、通報されるのは初めてじゃない、向こうに戻ってから存分に通報してくれ、Hum……多分、通報しなくてもAgentの方がすぐInterviewに飛んでくると思うが」

「即興って、思いつき?、それはそれで尚酷い気がするわね、でも、戻るって?まともに帰すつもりがあるんですか?」

 

 これだけの手間を掛け、拉致と洗脳じみた真似をした組織がそのまま犠牲者を帰す訳が無い。

 戻されるとすれば、通報など出来る状態ではなくなっている筈だ。

 夕張の返答が気のない、挑発半分のものになったのも当然だろう。

 

「By all means.あらゆる手を尽くして、you達は帰還させる、必ずだ」

 

 予想外に力強い言葉が耳を打った。

 厳粛な表情で見つめ返されて、一瞬、毒気を抜かれそうになり、銃を持つ手に力を込め直す。

 

(これも条件付けの一種……他には何をされてる?)

 

「……話が逸れたわね、あなた達の目的は何?」

「Client達の依頼はYou達の脱出と帰還、追加条件は“きっかり、しっかり、無事、何事も無く、生きたままで”……だな」

「まるで悪意がない様に聞こえるわね」

 

 悪意など無くても、存分に悲惨な結果は作り出せる。

 

「“依頼人”はと言ったけど、あなた自身の目的は何?」

「“Contract”、契約して見届ける事だ、最初から最後、場合によってはその後まで……今回で言えば、ここに潜入して、君たちがここから脱出するのを見届ける感じだな」

 

 京太郎の言葉に、夕張は若干眉をひそめる。

 

「ちょっと待って、潜入?……それじゃ、“あなたが私達を救助しにきた”みたいに聞こえるんだけど?」

「Hum、状況から言うとそうだな、正直、信じがたい状況だとは思う……まぁ、そのままを報告したら、Clientの一人には、間違い無く殴られるな、激しく」

「私は、今、あなたを撃ちたいけど?」

「確かに、youにもその権利がある」

 

 重々しく頷いた京太郎の眼を、探るように見つめた夕張の手元で内線電話がコール音を立てた。

 無視していると電話機から声が響く。

 勝手に通話状態になったらしい。

 

『あーあー、お取り込み中割り込んじゃって悪いけど、今、そいつ殺されると少し困るからちょっと待って欲しいんだけど、ここ出てからなら八つ裂きにして構わないけどさ、て言うか、私が殺そうか、そいつ?』

 

 普段と同じ、やや軽めの口調で一気に言い放ったのは、“瑞鶴”の声だ。

 

『だめよ、“瑞鶴”これから他の子と一緒の席で泥を吐かせるんだから、まだ怪我をさせると困るわ』

 

 翔鶴の声は、館内放送用のスピーカーから響いていた。

 

『隠しカメラは無いわよ?』

 

 視線をちらちらと動かしていた夕張が眉根を寄せるのを見て、京太郎は手を下ろしたまま、肩を竦める。

 

「Hum、カメラは無いが、“彼女”には見えてる」

『銃を突きつけられている状態で不明瞭な発言はお止めなさい、どうせ、どうにかなるとでも思っているのでしょうけど、二度目は本当に止めないわ』

『ま、私も、そいつに任せてると話が進まないから口突っ込んだだけだしね、だから、私は引き金引いちゃってもいいと思うよ』

 

 夕張は溜めていた息を一気に吐きだし、セーフティをかけた南部十四年式をホルスターへ収める。

 

「今、あなたを撃ってもしょうが無いか……」

『わかるわぁ、私も最初からそいつの首をへし折りたくてしょうが無いし』

 

 廊下へ続くドアが音も無くゆっくりと開いてゆく。

 このドアは内側からしか開かない様に細工済みな上、そもそも自動ドアでは無い。

 しかし、外は無人に見える。

 

 誰が開けたのか。

 

『取りあえず、いつもの会議室で話しましょう、そちらの他の子達も集めておくわ、化けの皮を剥いでおやりなさい、できるなら……ね、その時、こちらの事情も話すけど、余り、動揺されると困るわ、あと少しは一緒に戦わなくてはならないし』

「Hum、“三尺高い木の上に乗る”事になりそうだな……」

 

 軽く首を回す京太郎から眼を外し、夕張は改めて室内を見回した。

 

「妙に古風な言い回し知ってますね、しかし、どういう仕込みなのかしら、確かに隠しカメラとかは無かったけど」

 

 その手の監視機器が無いのは、事を起こす前に充分確認している。

 むしろ、この手の施設にしては皆無に等しいレベルでその手の機械がないのが、疑惑を強くしたのだが。

 

『そんなもの無くても分かるわ、知りたければ教えるけど、知ってしまえば、種明かしなんてつまらないものよ』

『ま、ある意味驚くかもね』

「正直聞きたくてしょうがないわ……お先にどうぞ」

 

 夕張は立ち上がると、京太郎に廊下を指してみせる。

 

「yes mam」

 

 京太郎は軽く頷いて立ち上がると、特に警戒するでもなく廊下に出ていく。

 多少警戒しながら夕張がその後に続くと、ドアが背後でゆっくりと閉まる。

 

「……ん~、気になるわ」

 

 廊下は耳が痛くなる位の静寂に包まれており、二人分の靴音がやけに大きく響いた。

 足下で放たれた時には微かだった音が、壁に反響する毎に力を増し、脳が揺さぶられる感覚。

 今に始まった事ではないが、本当にこの場所は事ある毎に違和感に苛まれる。

 真新しい廃墟を独りで探索している様な、それでいて背中に誰かの視線が貼り付いている様な。

 この場所では、何か、常識が歪んでいる。

 夕張はふと、深刻な寒気に襲われ、立ち止まる。

 

「hum、Coffeでも一杯欲しい所だな」

 

 脳天気な声に耳を叩かれ、ようやく気を取り直して歩き始めると、程なくして前方に灯りが見えた。

 食堂のガラス戸から漏れる光だ。

 人の気配に一瞬、ほっと、気が緩む。

 しかし、すぐに、違和感がざわめきとなって耳朶に囁いてくる。

 

 はたして、そこに居るのは本当に“人”なのだろうか?

 

 そんな夕張の物思いをよそに、京太郎はさっさと扉を引き開けてしまった。

 中から溢れた茶の芳香が寂とした雰囲気を破り、一斉に室内の視線が集まるのを感じる。

 

「Hum、全員集合だな」

 

 食堂内には、暁以外の駐留メンバーが集合していた。

 テーブルの上にはアフタヌーンティースタンドとお茶が用意され、ちょっとしたお茶会の装いだ。

 しかし、参加者は皆一様に押し黙り、辛気くさいことこの上ない。

 食堂の中央に、テーブルを幾つか寄せて作られた円卓もどきがつくられており、そこに、翔鶴と瑞鶴、神通、響、雷、電が着席している様だ。

 

「Hum、Coffeeもあると有り難いな……」

「そんなに豆の煮汁が飲みたかったら、勝手に煎れればいいでしょ」

 

 瑞鶴が指さしている壁際のビュッフェ・テーブルには、色とりどりの洋菓子、果物、高価そうなティーセットが上品に配置されていた。

 こんな状況下だというのに、まるで高級ホテルのティータイムに闖入してしまった様な違和感が強い。

 しかし、隅っこの方に、明らかに場違いに年期の入った電気ポットとコーヒーマグ、インスタントコーヒーの瓶が鎮座しているのが眼に入り、何故だか少しほっとした。

 

「お言葉に甘えよう」

 

 軽く腰を浮かし掛けた雷に首を振り、京太郎はスプーンも使わずに瓶から粉を振り入れ、じょぼじょぼとお湯を注ぐ。

 かぐわしい紅茶の香りの中へ、安物のコーヒー臭が暴力的に割り込み、かなり場を台無しにしている気がするが、京太郎は意に介さず、そのまま一口中身を啜って頷いた。

 

「not bad」

「もう、司令官、お行儀が悪いわよ!」

 

 呆れた様に指摘する雷にマグを持ち上げて見せてから、京太郎は翔鶴の向かいの席にそれを置いた。

 隣の席を引いて、脇に立つ。

 数瞬経過するまで、夕張は自分が席に着く様に促されている事に気がつけなかった。

 

「あ、そうね……」

 

 曖昧な返事をしながら、引いて貰った椅子に座る。

 さっき拷問しようとした相手から、礼儀正しくされてしまうと、居心地が悪い。

 

「あの子以外は、全員揃ったわね……」

「Mug……そう思う」

 

 どこにそんなものが置いてあったのか、京太郎はドーナツを頬張っている。

 断面を見るに、クランベリーか何かを挟んだジェリードーナツらしい。

 ぼろぼろと零れた欠片がテーブルクロスの上に落ち、大変下品な事になっている。

 

「もう、しょうがないわねぇ」

 

 雷は呆れた様に呟いて自席を立ち、テーブルの上の欠片を紙ナプキンに払い落として片付け、京太郎の手元に皿を置く。

 

「Thanks」

「子供じゃないんだから、お行儀良くしなきゃダメよ」

 

 雷は自席に戻らず、そのまま京太郎の左後ろに立つ事にした様だ。

 給仕、というより、世話を焼きやすくする為であろう。

 司令官が何か品のない事をやらかす度に席を立つのはせわしない、と言った所か。

 瑞鶴の視線があきらかにゴミを見る目つきになっているが、京太郎は雷に軽く頷いただけで、平然とドーナツの残りを殊更ゆっくりと囓っている。

 仕上げに指を舐めようとして雷に睨まれ、京太郎は軽く肩を竦めてナプキンで手指を入念に拭う。

 

「さて、Meetingだったかな?」

 

 軽く手をはたいて、首を傾げてみせると、翔鶴は黙って揺らしていたカップを戻し、視線を上げる。

 

「そろそろ、潮時ではないかしら?」

「Hum?」

 

 翔鶴はゆっくりと円卓についた一同へ目線を回してから、先を続けた。

 

「ここしばらくは膠着状態なりにうまくやってきたとは思います、しかし、ここに居れば居る程に状況は徐々に悪化する、それは共通の認識だったと思うのだけど?」

 

 翔鶴にじっと見つめられたまま、京太郎はマグカップに眼を落としていたが、軽くその縁を指で弾いた。

 ちん、とマグカップにしては妙に澄んだ音が響く。

 

「Hum、慌てる乞食は貰いが少ない、と、じり貧という言葉は両立する……Targetはいいとこ取りと行きたいが、Sweet Spotの判断は難しいな」

「司令官のお話はむずかしいのです……」

「真面目に取り合わない方が良いわ、中身のないたわごとだし」

 

 困惑顔の電に眉根を寄せた瑞鶴が片手を上げてみせる。

 

「いい加減、中身のある返事を返して欲しいんだけど?」

「どうしちゃったのかしら?」

 

 電達からすると、少々今までとはキャラが違う瑞鶴の様子に、雷も困惑して、顔に手をあてている。

 翔鶴は、不満げな瑞鶴を目線で制すと、再度口を開く。

 

「直前の作戦では、我々にも大きな損害が出ました、沈んだ者も居ます、艦娘にも、任務投入が不可能な状態の艦が出ていますね」

 

(ん?)

 

 翔鶴の言葉に、何となく違和感を感じながら、表情を曇らせた電の視線を追うと、ぼんやりとした表情で座っている叢雲が居た。

 以前までのミーティング時に夕立が座っていた席は、曙が埋めている。

 視線を戻すと、所在なげにテーブルの上に伏せられた響の手に、電の手のひらが重ねられていた。

 俯いていた響の顔がつかの間上がり、電の視線を捕らえる。

 言葉は無く、ただ軽く頷いて手を握り返す。

 彼女達の共感に、“内線”等無用だ。

 

「今、あの子は私の中に隠しているけど、時間の問題でしょう……世界の主にも、もう守る力は無い」

「翔鶴さんまで、司令官みたいになっちゃったわ……」

 

 雷の呟きは殆ど口中で発せられた独り言に近かったが、殆ど耳の横に立たれてる状態の夕張には充分聞き取れる大きさだった。

 

(まぁ、そうも言いたくなるわよね~)

 

 ふと、響が顔を上げた。

 拳が白くなる程掴まれた手に目線をやり、何事か問いかける様に電の方に見る。

 唇を引き結んで緊張した様子の横顔に、少し困惑しながら周囲を見回し、いつの間にか食堂に居る全ての艦娘が真顔でじっと自分達を注視している事に気がついた。

 会話のさざめきもぴたりと止まり、まるで、制服を着せられた蒼白いマネキンが置いてある様にも見える。

 何故だか、妙に既視感を感じる風景だった。

 

「Интересно……(インチェレースナ)、何なんだい?」

「靖国みたいなのです……」

 

 電の不安そうな声に、夕張は第六駆逐の姉妹達と一緒に九段下近くの神社へ参拝した時の事をようやく思い出した。

 あの時、附属の展示施設を見学した際に、ひっそりと設けられていた艦娘関連の展示コーナーに立ち寄ったのだが、そこには特型や、朝潮型のレプリカ制服を着せかけられたマネキンが立ち並んでいた。

 今、向けられている視線は、あのマネキンから感じたのと同じ無機質で、情念を感じないもの。

 生気を感じない人形。

 電が不安を感じるのも当然だ。

 目を離した隙に、置いてあった人形が全部こちらを向いている。

 そんな絵面に近い。

 

(あれは暁も結構怖がってたなぁ)

 

 元気な暁の記憶に触れると、形容しがたい痛みを感じた。

 傷口が新しすぎるのだ。

 姉妹達と笑っていた記憶が、今の夕張にとっては重すぎた。

 たとえ、それが今の自分の記憶でなかったとしても、その痛みは偽りではない。

 

(そんな事を言ったら、“本当の私”だった時の記憶なんて、一日分も無い……何時間分かしらね?)

 

 暁は、目の前の姉妹達の為、僚艦の為に全てを代償にして、不可能を可能にした。

 斜め前に座っている神通に視線を向けると、彼女は周囲の異常にも、目線を巡らせて軽く首を傾げたきりで表情に変化はない。

 何が起ころうと、既に食堂に展開した艦娘の艦種と位置は把握済という事だろう。

 翔鶴達の動き次第で、即座に血路を開きにかかるに違いない。

 彼女ならやる。

 記憶の中の自分と今の自分が一致しようがしまいが、今、自分の指揮下、いや、“保護下”にある艦が存在する以上、行動を躊躇う娘ではない。

 

(そう、私も躊躇わない……確かに私は、兵装の実験、実証の為に造られた、でも、玩弄物じゃないわ)

 

 夕張の艤装は既に修復と補給は完了済みだ。

 戦闘で殉職した妖精さん達も再配備している。

 神通の行動に合わせて動けるだろう。

 しかし、司令官を名乗っているこの男……もう、今は少年とは呼ぶ気にはなれない、東と名乗る男はどう動くだろうか。

 今の響達の状態で、提督の指揮能力無しに“艦隊”として連携を取るのは至難の業だ。

 束の間、危ぶんだ後、夕張はそっと息を吐いた。

 もしもどうしようも無くなった場合、さっきは東との交渉に使いそびれた、ちょっとした“最終兵器”の出番になるだろう。

 緊張に煽られ、機関の出力が上昇していく。

 夕張が目線を上げると、翔鶴は軽く触れ合わせた手指越しに、東を静かに見つめていた。

 

「She finds us soon……very soon、確かに、そうなるだろうな」

「“彼女”に喰らわれる前に、脱出する必要がある……我々も、艦娘も、もう、あなたの“別契約”の都合がつくのを待ってはいられない、種明かしの時間よ」

「……茶番も潮時かぁ」

 

 翔鶴の隣で腕を組んだまま押し黙っていた瑞鶴がぽつりと漏らして、天井を見上げた。

 

「面白みがなかったと言えば、ま、嘘になるけどさ」

 

 不穏な言葉の連発に不安を覚えたのか、雷の手の中で椅子の背もたれが、みしりと音を立てる。

 右肩越しに振り向かないと彼女の表情は窺えないが、想像するのは容易だ。

 

「司令官」

 

 掠れた声の元に目を向けると、顔を上げた響が京太郎に目を向けていた。

 うっすら隈のできた顔の中で、見開かれた目だけが光っている。

 

「Miss.響?」

「さっきから話について行けていないから、間違っているなら否定して欲しい……翔鶴さんは、私達には何も知らせず、司令官が本来の任務とは別の“契約”の為に艦隊を私的に利用している、そう言っている様に聞こえるんだが?」

 

 口調こそ丁寧ではあるが、響の視線は底冷えする様な寒気を背筋に走らせるものだ。

 答えによっては、テーブルの下に構えた銃の引き金が引かれる。

 そんな根拠のない妄想を引き起こしそうな殺気。

 響は、視線をチラリと翔鶴達に向け、唇を引き結んだ。

 

「……そうさ、元々、支援が来るのが早すぎた、確かに、あの支援があったから私達は沈まずに帰って来た、でも“準備が良すぎる”……司令官、もしかして、最初から敵の機動艦隊が待ち構えている事を知っていたのかい?」

 

 電の顔が僅かに歪んだ。

 テーブルの上で握りしめられた響の拳が、血の気を失う程に握りしめられている。

 人間の手なら、粉々に握りつぶされていただろう。

 

「提督」

 

 少しずつ高くなってゆく響の声を、神通が静かに遮る。

 

「お話しの流れですと、私達に開示されていない秘匿情報があるようですが……今は非常時です、速やかにご共有頂きたく思います」

 

 神通は翔鶴へちらと視線をやってから、言葉を続ける。

 

「たとえ不利な情報だとしても、事ここに至っては、伏せ続ける事で無用な混乱を招くだけです……何か、私達には開示できない理由がおありなのですか?」

「Hum」

 

(うわ)

 

 まるで沸騰中の様な湯気が出ているマグから平然と一口啜った東に、夕張は唇を歪めて自分のマグを撫でる。

 

(コーヒー?……いつ淹れたっけ、最初からあった?)

 

 手をかざせば、ごく普通に暖かい湯気が触れる。

 まだぬるくはなっていない様だ。

 

(保温マグ?……エスプレッソじゃないけど地獄のように熱そうね、肚の底は悪魔の様に黒いの?)

 

「司令官、本当に私達に何か隠してるの?」

 

 囁き声の方を見てみると、雷が不安気な表情で東の耳に顔を寄せている。

 東はマグを下ろし、軽くため息を吐いた。

 

「……Time and tide wait for no man、“いい潮”が来ているといいが」

 

 改めて周囲を見回して、出席者達の顔に目を留めて行く。

 

「Just to let you know……この件で俺が受けているContractは幾つかあるが、第一目的はyou達をここから脱出させる事だ」

 

 東が指を鳴らすと、壁際からホワイトボードががらがらと走ってきて、背後で止まる。

 

(リモコン?どういう仕掛けかしら……)

 

「とりあえず」

 

 東の背後に止まったホワイトボードに、じわりと文字が浮かんだ。

 

(磁性流体を使えば……)

 

 夕張は思わず、機械的にやるならどう作るか考えそうになり、首を振る。

 今は、そんな事を考えている場合ではない。

 

『Mission 1 ファーストランド島からの脱出』

 

 ホワイトボードには、そんなタイトルが黒々と踊っている。

 

「at first、まずは、全員でここを脱出するのが主目的だ」

「そうね……」

 

 東がちらりと目をやると、翔鶴はそっけなく首肯した。

 とりあえず、この大目標に異論は無いらしい。

 

「とは言っても、Questionだらけだと思う」

 

 ホワイトボードに“Why?”と項目が追加された。

 

「Hum……日本だと、5W1Hだったか」

 

 ホワイトボードの“Why?”が消え、新しく項目が書き直される。

 

・When?(いつ)

・Where?(どこで)

・Who?(だれが)

・What?(なにを)

・Why?(なぜ)

・How(どのように)

 

「When、そうだな……you達にとっての始まりは、Section1-5から、1-6の哨戒任務の時だな」

 

 東に視線を向けられ、電は少し困った顔をする。

 

「うーん、でも、別に1-5も、1-6も特に変わった艦は見てないけど」

「確かに、敵の航空戦力を見かける事はあっても、姫級の様な特筆すべき敵艦は見かけていません」

 

 雷の言葉を、神通が肯定する。

 確かに、ファーストランド島の1-5、1-6セクションは、割と平穏なものだ。

 特別な事件が起こった記憶はない。

 

「ここじゃない、you達の本来の所属泊地の話だ、そこで、you達は“MIA”になった」

 

 ホワイトボードの文字が追加される。

 

・When?(いつ)

 →哨戒任務中

 

・Where?(どこで)

 →Section 1-5(単冠泊地)

 

「単冠……なのです、か」

「行方不明?って、え、司令官?」

「私たちが行方不明……конспирация?」

 

 困惑する電達には構わず、神通は探る様な目つきで東を見つめている。

 

「原因をお聞かせ頂いても良いでしょうか、1-5、1-6セクションと言えば、外辺ではありますが、鎮守府の直近海域です、通常、轟沈しない限り、負傷者の回収は容易かと思います……ただ、大型艦艇を含んだ予想外の戦力と不期遭遇戦に陥る事は考えられますが、その場合も基本、直接の交戦は避けますから、全員MIAになる可能性は低い筈です」

 

 そう、鎮守府の最終防衛ラインとも言える、セクション1は厳重に守られている。

 足の早い、水雷戦隊がKIAにならず、MIA扱いで全滅なんていうのは余程の事だ。

 互いの領海を削りあう様な、熾烈な戦況であれば話は別だが。

 横須賀、佐世保よりは厳しいかも知れないが、それでも、基本は日本の近海の鎮守府は、そこまでの状況にない筈である。

 

「そうね、鎮守府直近なら警備艦隊に出動を要請すればいいし、間に合うか怪しければ、基地航空隊に支援を要請できるわね、余程、無理攻めする理由でもない限りはだけど……それとも、もっと別の理由なのかしら?」

 

 神通と夕張の言葉を、東は一通り黙って聞いていたが深く頷き、又、指を一つ弾いた。

 

・Who?(だれが)

 →ヌクパナ(Nukpana)

 

「ぬくぱな?」

 

 体をひねってホワイトボードを見ていた雷がいかにも読みにくそうに、その名を口にした。

 実際、本当に意味が分からない。

 

「依頼人の爺さんはそう呼んでたが、hum、まぁ、Monsterの親戚位の意味だと思っていい……you達は、“天敵”に遭遇したんだ」

「“天敵”……やっぱり、深海棲艦なのです?」

 

 首を傾げる電に、瑞鶴がため息をついた。

 

「なら、分かりやすかったんだけどねぇ」

「奴は、深海棲艦にとっても”天敵“よ」

 

 又、ホワイトボードの文字が追加される。

 

・What?(なにを)

 →艦娘と深海棲艦達

 

 あまり愉快そうではない顔で吐き捨てた翔鶴を見て、電はますます困惑した表情を浮かべる。

 

「Hum……“天敵”、“Nukpana”、“The Thing”どれでも良いが、あれは艦娘、深海棲艦のPredetorだ、捕らえて、自分の一部にしてしまう」

 

 東指令は、本来の“捕食者”の意味で使った様だが、夕張にしてみれば、やはり、語感からあの、戦闘民族な宇宙人ハンターの事が思い起こされる。

 

(……ま、正直、光学迷彩さえなんとかなれば、殴り合いでわりと勝てる気がするけど)

 

 いや、現実逃避をしている場合では無いのだが、話がかなり荒唐無稽な方向に向かっていて、理解が追いつく事を拒否したくなる。

 

「自分の一部って、食べちゃうって事?」

「Hum、“語弊”だったか、“Eat”じゃなくて、“Assimilation”……“同化”の方が近いな、Zombieに噛まれたら、Zombieになる感じか」

「ええぇ」

 

 ゾンビに噛みつかれる所でも想像したらしく、雷が舌を出して顔を顰めた。

 夕張としては、“同化”等という言葉を使われると、某SF作品に出てくるサイボーグ種族を思い出してしまう。

 

「実際you達は、“同化”された艦娘と深海棲艦からSaturation attack

、hum……飽和攻撃を受けて、無力化されたから、さほど間違ってはいないだろうな」

 

 ホワイトボードの文字が一つ飛ばされ、記述が追加された。

 

・How(どのように)

 →艦娘、深海棲艦を“Assimilation(同化)”する。

  同化した艦を用いて、“Saturation attack(飽和攻撃)”を行い、更に犠牲者を増やす。

 

「Это странная история……なら、私達はなぜ、捕まりもせずにここに“隠れる”事ができたんだい?」

 

 まともに考えれば当然とも言える響の問いかけに、東は深く頷く。

 

「That’s a good point.……その通りだ、you達が“同化”される前に、ここに匿ったのは、牟田浜啓司だったものだ」

 

(だった者?……名前を変えて生き延びていたとでも?)

 

 真面目に初期教育の座学を聞いていれば、名前くらいには憶えがある筈の人物だが、麾下の艦隊と運命を共にした筈の彼が生き残っていたとなれば、それなりに世間を騒がすニュースになっている筈だ。

 

(何かしら……)

 

 彼が生きていたかも知れない、それを考えた時、目の前に灯りがともった様な、強烈な期待感が夕張の目を見開かせた。

 どうも、それは他の娘も同じだったらしく、電達も押し黙ったまま、目を見開いている。

 

(……そっか、これは“私”の気持ちじゃない)

 

 私の中に植え付けられた、“同い年の姉妹”、彼の元で”夕張”として生きた娘の気持ち。

 知らなければ、何処から来たかも分からず、知れば、自分の気持ちすら疑う事になる。

 淡い希望と激怒を、正気のまま保ち続けるのは難しい。

 鋭い物音が耳を打ち、夕張はもやもやと気持ちを押し込んだ。

 

「粗相をしました」

「いいわ、安物のつもりだし」

 

 静かな表情を浮かべた神通の指に、ティーカップの取っ手だけが残っていた。

 強く摘まみすぎたらしい。

 彼女らしからぬ失敗。

 表情は静かだが、内心は“同い年の姉妹”の記憶のおかげで容易く想像できる。

 

『結婚指輪なのです!』

『基本、内線の増幅器だけど……大本営も妙な色気出してきたわねぇ』

『薬指か……』

『……そうですね、別の指にします』

『いや、それで良い、きっと悪い虫から守ってくれるだろう』

『はい……』

『いいなぁ、やっぱり一人前のレディなら、指輪のひとつもプレゼントされる様にならないきゃダメね』

『そのうち、私達にもくれるんでしょ?』

『まいったな、そんなに嫁さん貰ったら、指輪代だけで破産しそうだ』

『大丈夫よ、幾らでも養ってあげるから、もーっと私達を頼ってもいいのよ?』

 

 息を吐いて、白昼夢の様な記憶の残滓を吐き出す。

 テーブルの上に伏せられた神通の左手。

 その薬指には、飾り気のない金無垢の指輪が鈍く光っていた。

 心にもやがかかっている。

 説明が必要だ、十分な説明が。

 

「ミスタ啓司が“外の世界”ではKIAとなっているのは、you達も知っている通りだ、But、“彼が娘達の為に創り出したこの世界”では別だ」

 

Ex1.牟田浜啓司が創り出した世界

 ・KIAとなった娘達と、独り取り残された暁を守る為、“暁”の中に創り出した、平穏な世界。

 

 ホワイトボードに現れた文字を目にして、夕張は思わず挙手していた。

 

「……発言許可願います」

「Hum、許可する」

「もう少し、マシなライターを雇って下さい、微妙なノベルゲーの設定じゃないんですから」

 

 散々微妙な日常描写で引っ張ったあげく、唐突に不穏な展開をぶつけてきて、ふたを開けてみると、雑な夢落ちをぶっこまれた様ながっかり感。

 納得させたいなら、せめて、もう少し練ってから開陳すべきだと思う。

 

「いつだって当事者からすれば、人生はたちの悪いJokeみたいなものだ、彼は、それをせめてComedyにしておきたかったんだ」

 

 普段より大分トーンが低い、語りかける様な声。

 そこに含まれる何かが、場を一瞬だけ、静かにした。

 

「彼の罪悪感と娘達との幸せの記憶が作り上げた世界、艦娘でありながら、戦う必要のない世界……you達は戦ってなどいなかっただろう?」

 

 皆、一様に考え込む顔つきになった。

 確かに、世界に違和感を覚える前に戦闘をした記憶はない。

 

「はぁ、釣り竿で釣れる深海棲艦なんてね、どう考えてもおかしいでしょ」

「Несомненно(ニサムニェーンナ)……なぜ、疑問に思わなかったんだろう」

 

 言われてみればそうだ。

 深海棲艦を竿で釣ったあげく、ハンマーで締める。

 そんな子供の絵日記じみた風景を、何故、よりによって艦娘である自分達が、日常風景として認識し、疑いすら持たなかったのか。

 

(それだけ深く条件付けされて、認識が歪められていたってこと?)

 

「この世界では、それが“Reality”だったって事だ」

「“だった”のです?」

 

 小首を傾げる電に、東は頷いた。

 

「この世界の“Reality”は大分書き換えられてしまったからな、Peacefulなwonderlandとしてcreateされたが、今は殆どnightmareと言っていい、Oparation Hanny-Beeが失敗していたら、完全にNukpanaのnightmareに呑まれていただろう」

「司令官、もしかして、ここが夢の国だって言ってるの?」

「Hum、to be more precise……“牟田浜啓司が、暁に見せていた夢”だな」

 

 雷の疑問に、東は軽く振り返って、肩をすくめる。

 

「だったら、私達みんなで夢を見てる事になっちゃうわ」

 

 凄まじく荒唐無稽な話だ。

 無意識に腹部を撫でた夕張の手には、滑らかな皮膚の感触が感じられる。

 夢の中であれだけの痛みを感じると言うのか。

 気絶していられない程の痛み。

 悪夢から醒めても、悪夢の中から出られない。

 

(……いや、まさかね)

 

 雷の頓狂な声に、今まで押し黙っていた神通が顔を上げた。

 

「提督、今、“暁”の夢だとおっしゃいましたが……だとすれば、この夢の中での私達はどの様な立場に置かれているのでしょうか、夢を見ているのか、それとも?」

 

(あ、そこは信じるんだ……)

 

「You達は“夢見る人”だ、あちらの世界に戻るべき体と、泊地がある……帰りを待つ“提督”も居る、But、帰るのには少々問題がある」

 

 話している東の背後で、また、ホワイトボードの記述が更新される。

 最後に残っていた、Whyの項目だ。

 

・Why?(なぜ)

 →ヌクパナ(Nukpana)、“天敵”、“The Thing”は、“Assimilation(同化)”する事により、艦娘、深海棲艦を彼女の“世界”に取り込む。

  艦娘と深海棲艦による争いのない、平和な海を作る為。

 

「無理矢理捕まえて仲間にしちゃうなんて、ぜんぜん平和じゃないわ!」

 

 こんな状況でも率直な雷の感想は、聞いていて安心感がある。

 東も、口頭で返事こそしないものの、“That's right”とでも言いたげに首肯し、先を続ける。

 

「you達の艤装、擬体は、Nukpanaに無力化され捕らわれている……“彼”のちょっとした遺品と一緒にだ、しかし、you達は“夢を見る”事で、“Assimilation(同化)”から逃れた」

「正確に言えば、あなたがその子達を死んだ娘達の“宿主”に利用する為に、この夢に送り込んだのではないかしら?」

 

 無表情に東を睨め付ける(ねめつける)翔鶴の視線は冷たい。

 

「確かにContractの為だが、Rescueの為でもある、kill two birds with one stone……日本語だと、一石二鳥だったか」

「……先に聞くといい」

 

 互いに動く気配を察して顔を見合わせた電に、響が頷きかける。

 

「えっと、その“天敵”さんは、何でそんな方法で“戦いのない平和な海”を作ろうとするのです?」

 

 少しおずおずとした電の質問に対して、東は、少し考えるように首を傾げる。

 

「“彼女”はyou達とは違う世界観を持っている、nightmareそのものである“彼女”からすれば、あれが、与えられる限りのPeacefulなんだ」

「それは私達の“世界観”から言えば、狂気に取り憑かれているって事じゃないか?」

「Hum……そうとも言える」

 

 響の言葉に、東は短いため息をついた。

 

「……nightmareになった世界が“彼女”を変えてしまった、世界が“彼女”にnightmareになる事を望んだ、ただ“彼女”は世界が望んだ以上のnightmareになってしまっただけだがな」

 

 ふと、胸に嫌なざわめきを感じて、夕張は挙手する。

 

「東提督、大分“天敵”に詳しいみたいですけど、“彼女”で、深海棲艦でもない、と言う事は……“天敵”は艦娘、或いは、元艦娘ですか?」

「Good guess!」

 

 正直当たっても全然嬉しくない。

 一瞬で電達の緊張が跳ね上がるのを肌で感じる。

 神通や響は薄々は可能性を考えていたかも知れないが、それでも、口に出してしまえば、事実としてのし掛かってくる。

 大体、皆、暁の姿を皆見ているのだ。

 反駁するのすら簡単ではない。

 

『……夕張、ワタシ、まだ……艦娘に……カナ?』

 

 息を吐いて、記憶から響く声を消す。

 

(そう、私は他にもそう言う事案を“知ってる”……あれは現実、夢なんかじゃない)

 

 工具の一つでも、あの澄ました顔に投げつけたくなり、夕張はテーブルの上に目線を落とした。

 茶会のテーブルの上には当然、工具などある訳もなく、せいぜい、ケーキ用のフォーク位しかまともなとび道具になりそうもない。

(“Add on”……近代化改修、延長線上の話なら)

 

 さっき、東が言っていた様に本来の人格へ別人格を追加したのだとすれば、それを正常に統合できない場合、最悪、私達は“発狂”するだろう。

 

「……あれは、“あの長門”ね、salvager?」

 

 以外と流暢な発音に惹かれて顔を上げると、翔鶴がじっと、東を見つめていた。

 

「“dreaming within a dream”youは、Ladyと一緒に見ただろう?」

 

 ホワイトボードの文字がじわりと更新される。

 

・Who?(だれが)

 →ヌクパナ(Nukpana)>別世界の“長門”

 

 東はまだ湯気が立っているマグから一口コーヒーをすすった。

 

「こちらではDreamでも、あちらではReality、現実に起こった事だ……Hum、ここで、“いつ”とQuestionされても困るが」

 

 前提を吹っ飛ばした問答にもそろそろ飽きてきた所だが、周囲をちらりと伺うと、“瑞鶴”が妙に訝しげな顔をしている。

 感情表現が豊かというか、どこか“わざとらしい”感じがする相手だが、これは、素で滲み出た当惑に見えた。

 

「“私達が勝利した世界”……あれは、“私達が造りだした天敵”と言う事カ」

 

 苦々しげに顔を歪ませる翔鶴に、東は首を振った。

 

「It's not your fault.」

 

 その声に含まれた、いたわりの響きに翔鶴が目線を上げる。

 

「あなたに同情されるおぼえはナイ」

 

 敵意の込められた瞳を見つめたまま、指がマグの縁をなぞっている。

 

「Choice、Choice、Choice……選択は、皆で少しずつ、重ねたものだ、中には大きなものもある、が、“あちら”のyou達のせいだけにするには、大きく、重すぎる」

「提督」

 

 再び神通が挙手し、東の注意を惹いた。

 

「What's up?」

「私達の擬体と艤装は捕らわれ、無力化されているというのであれば、ここを脱出しても、“夢から醒める”だけで、状況は変わらないのではないのでしょうか?」

「敵に囲まれた状態……よね?」

 

 もっともな疑問だ。

 東の言っていた“夢”の話が本当であれば、今自分の体に戻るのは、“同化”されに行くようなものだろう。

 まぁ、眠ったまま捕まってる状況自体が安全とは程遠いが。

 

(ま、それが本当だとすれば……)

 

「That's right、なのであちこちに“ご協力”願う事にした……幸い、“彼女達”にも協力して貰える事になった」

「“脅迫した”の間違いでしょ」

 

 ちらりと視線を送られた瑞鶴が心底嫌そうな顔で吐き捨てる。

 

「でも、私達だけでは状況を変えられなかった、“契約”は“契約”よ」

 

 諭す様な翔鶴の声を聞きながら、瑞鶴は手に持ったカップを睨んでいたが、一息に中身を飲み干す。

 

「分かってる、約束は守るよ、決めた事だからね」

 

 苦薬でも飲まされた様な表情の瑞鶴に、東は座ったまま一礼した。

 

「Thanks、そう言って貰えるとありがたい……他にも、“援軍”は手配済みだが、それでも、罠を内から食い破る状況は際どい」

 

 東は少し考えて、また指を鳴らす。

 すると、背後のホワイトボードの記載が更新される。

 雷は身を反らしてホワイトボードをのぞき込んでいる。

 

Ex2.援軍

 ・神威鎮守府

 ・彼女達

 

「単冠泊地の神威鎮守府には、“昔なじみ”のルートから情報をLeak済みだ、実の所、you達の回収についてのオプションcontractを持ち出したのは、そこの……you達の提督さ」

 

 東は軽く微笑んで電に目をやった。

 

「なのです?」

 

 難しい顔で首を傾げていた電は、一瞬、きょとんとした顔になり、今度は当惑した表情で首を傾げた。

 

「“彼”は自分の艦娘達を全力で取り戻しに来る、間違いない」

 

 ホワイトボードの“神威鎮守府”の近くに、うっすらとカートゥーンっぽい絵柄のガミガミ親父の絵が浮かび上がる。

 完全に悪役面なのだが、何故か妙に親しみを感じるキャラだ。

 

「hum……」

 

 東は、微笑みを消して、軽く頭を掻いた。

 

「そろそろ、“彼女達”については改めて、introduceする必要があるか」

「結構」

 

 東の動きを翔鶴が強く制止した。

 

「自分の紹介を任せる程、信用してないわ」

「だよね、妙なこと吹き込まれて、この子達にいきなり撃たれるのもイヤだし」

 

 翔鶴は紅茶のカップを取り、軽く揺らす。

 まるで紅茶占いでもしている様な感じだが、出されている紅茶は茶葉が残る様な淹れ方はされていない。

 

「私達も“奴”に捕らえられた、そして、取り込まれる前に、“彼”から“契約”を持ちかけられた」

 

 翔鶴はカップを下ろし、東にちらりと目をやった。

 東は素知らぬ顔でコーヒーを啜っていたが、マグを軽く持ち上げて、微笑する。

 

「“彼女達”は取り込まれずに済むし、俺のcontractは果たしやすくなる、Win-Winなcaseだったからな」

「……私達は本来の立場はどうであれ、“彼”との“契約”に縛られている、私達が助かる為には、あなた達を助けるしかない」

 

 翔鶴は東の反応を黙殺して視線を巡らし、こちら側の艦娘達一人一人としっかり目を合わせてきた。

 しっかりと、言葉を認識しているか確認している様だ。

 最後に、神通に目線を向けて少し考える様に首を傾げる。

 

「念のため、もう一度言うわ、“いきなり攻撃はしないで”」

 

 正直しつこい念の押しように、神通も少し眉をひそめながら頷く。

 

「……まずはお話をお聞きします」

「ありがたいわ」

 

 神通の言葉を聞いて、翔鶴はようやく薄く微笑んだ。

 

「ま、そうね、流石にあんたに殴られたら、下手な戦艦に撃たれるより効きそうだし」

 

 瑞鶴は片手を軽く上げ、首を振る。

 口調は裏腹に、表情は真顔のままだ。

 

「薄々察してるかも知れないけど、私達の姿は本来の姿ではないわ、この姿は、あくまでも、“暁の夢の登場人物になる為”の仮の姿……安らかな夢の世界では戯画化できない悪は存在が許されないもの、だから、“本来の私達”はここに存在してはならない、ここでは、私達は異物だから」

 

 確かに、最初から薄々は感じていたが、どうも、この話題の方向性は気に入らない結論に進んでいる。

 いや、もう既に答えを出せるだけの材料は揃っている。

 ただ、馬鹿馬鹿しい結論を認めたくないだけだ。

 

「……違うわよね?」

 

 雷が小声で呟いているのが聞こえる。

 普段なら、割とずけずけと疑問を口にする方の彼女だが、今は、口に出せば後戻りできなくなる気持ちが強いのだろう。

 

「何かしら?」

 

 気を取り直して目線を上げると、電が手を挙げていた。

 

「えっと、翔鶴さん達は、深海棲艦なのですか?」

 

 少しおずおずとしているが、割といつも通りの調子で言い切る。

 一瞬、場が再び、しん、とした静寂に包まれた。

 一斉に視線を浴びて、電は少し困った様にちらりと視線を動かしたが、すぐに、翔鶴に視線を戻す。

 “瑞鶴”はため息を吐いて瞑目し、頬杖をついた。

 

「やれやれ、オマエがぐずぐずしているから、先に言われてしまったゾ」

 

 片目だけ開け、“翔鶴”へ横目を向ける。

 呆れた様な口調だが、口元はうっすらと笑いを浮かべ、まるで揶揄している様な様子だ。

 一瞬、意外な程可愛らしい、きょとん、とした表情になっていた“翔鶴”は、深く一息をついてから、口を開いた。

 

「そう、私達は、おまえ達が“深海棲艦”と呼称する存在ダ」

 

 今度こそ部屋の空気が固まった。

 まるで全員がレジン封入されたフィギュアにでもなってしまった様な静寂。

 この感覚は、効果的な初撃を放つ為に、互いの様子を窺いながらにらみ合う。

 戦闘直前の緊張感そのものだ。

 違うのは、誰も艤装を展開していない事位だろう。

 

「言葉だけでは半信半疑でしょう、少しだけ……ミセテヤル」

「オイ、“化けの皮”を剥がせば、“奴”に特定サレルゾ?」

「この部屋だけダ」

 

 少し眉をひそめた“瑞鶴”に“翔鶴”が指を振った瞬間、部屋の風景が一変した。

 重い金属音に鼓膜を叩かれ、自分が立ち上がっている事に気がつく。

 目の前に、港湾棲姫と空母棲姫が座っていた。

 上品なホテルの食堂は、独特の黒光りする金属でできた部屋に変わっている。

 

「ひゃっ!なに!え?もうっ!」

 

 次に、場違いな黄色い悲鳴が脳に染み込んだ所で、自分の右手が銃把を握っている事を意識した。

 

 中腰のまま視線を右に巡らせると、錨を握ったまま、東の膝上に横座りさせられている雷が目に入る。

 足をばたばたさせているのは可愛らしいが、床と錨が接触する度に、かなり重々しい接触音が響く。

 怒るというより、本気で困惑した表情からすると、どうやってそんな体勢にされたのか、全く分からない早業だった様だ。

 視線を逆に振ると、集合した深海棲艦達と目線が合う。

 駆逐、軽巡、重巡、雷巡、十全に数の揃った艦隊だ。

 

「Да ты что!(ダーティシトー!)電?」

「響ちゃん……お茶が冷めてしまうのです」

 

 響も立ち上がっていたが、座ったままの電が手を握ったままなので、中腰になってしまっている。

 電は紅茶のカップを確かめる様に持ち上げると、鼻先で軽く回す。

 無理に振り解こうか迷いを見せている響に構わず、そのまま一口啜る。

 

「普通のお茶なのです」

「ソウダ、ココハ、ワタシノカラダノナカダガ、オマエタチノツカウモノハ、スベテ“ソチラガワ”ノモノデジュンビシテアル」

「ノゾンデココニイルワケジャナイガ、レイギクライハココロエテイルサ、ナァ?」

 

 至極真面目な調子で、訥々(とつとつ)と答える港湾棲姫の横で、空母棲姫は揶揄する様に鉄紺(てつこん)色のカップを持ち上げて見せる。

 ちらりと見えた中身は、鮮やかな青色をした何か。

 

「まだお茶会は終わってないのです」

 

 落ち着いた調子で促され、響は困った様子で神通へ目をやる。

 神通はいつの間にか中腰から自然体の直立姿勢に移っていた。

 目線を少し追ってみると、俯いたまま座っている“叢雲”を見ている様だ。

 

(艦娘が混じってる?)

 

 深海棲艦の群の中にぽつりと艦娘が混じっているのは明らかに浮いている。

 さっき気づかなかったのが不思議な所だが、驚き過ぎて見逃してしまったのかも知れない。

 しかし、落ち着いてみてみると、もう一人、混じっている。

 ジョッキ片手で、にやにやしながら、こちらを見ているのは“天龍”だ。

 鉄灰色の泡立つ液体を呑んでいる彼女に目を留めていると、隣にいた軽巡ト級っぽい艦につつかれ、一瞬、妙な顔になったあと、慌てて酔いを醒ますように顔を叩き始める。

 一瞬、視線がぶれた様な感覚の後、“天龍”は、中途半端に艤装を装備した軽巡ト級になっていた。

 

(……所々、艤装に“天龍型”が混じってる?)

 

「……もう、これくらいで十分かしら」

 

 瞬きもしない内に、暗灰色に覆われていた部屋は、ホテルの食堂に戻っていた。

 

「そろそろ座ったら?」

「お茶を淹れ直しましょう……正直、これだけは少し気に入ったわ、“あの子”が戻ったら、私達もたまには、お茶会を開こうかしら」

 

 薄く微笑む顔は、ごく普通の艦娘と変わらない。

 取りあえず、出来る限り体の力を抜いて椅子に腰を下ろす。

 全ての訓練と経験に逆い、深海棲艦の前で無防備に着席する。

 正直、結構な負担だ。

 しかし、腰のホルスターからはみ出している銃把に落ち着きたがっている手を、強いて机上に置いておく。

 “話し合い”であれば、少なくとも態度で示しておくべきだろう。

 

「ちょっと、自分で歩けるわ!」

 

 目線を上げると、雷をお姫様だっこした東が、平然とした様子で“翔鶴”達の背後を通り過ぎていくのが目に入る。

 敵艦のただ中を無防備に持ち歩かれる形になった雷にしてみれば、恥ずかしいとか言っている状況ではないだろう。

 

「Sorry」

「もうっ!」

 

 椅子の上に下ろされた後、東の背をはたいた手が少々鈍い音をさせたのは仕方ない所である。

 軽く片眉を上げた程度で納めたのは中々我慢強い。

 数歩歩いて、東が肩に手を置くと、まだ中腰になっていた響が肩越しに振り返る。

 数瞬、視線を交わした後、再度電に手を引かれ、響は不承不承、体の力を抜いた。

 

「Ладно(ラードナ)……電、取りあえず、手は離してくれ」

 

 響が着席したのを確認し、東は神通へ目線を向ける。

 

「……前は別の形でお尋ねしました」

「hum」

 

(多分、割と物騒なやり方で訊いたんだろうなぁ)

 

 それ位は何となく分かる。

 問題は何を訊いたのかだ。

 

「あなたはまだ、私達の“提督”なのですか?」

 

 私達は人の姿をしているが、あくまでも“艦”。

 “艦”がつどって“艦隊”を成すからには、“提督”が必要だ。

 実際的な指揮官であるか、象徴なのか、いずれにしても、ある、なしは重大な問題になる。

 

(信頼できれば……ね)

 

 しかし、神通が問うているのは、形式上の事というより、もっと別の事だろう。

 

「帰還の為のOperationが完了して、本来の“提督”の所までyou達をescortし終わるまでは、そう思ってくれていい」

「帰還……撤退作戦ですか?」

 

 東は大股でつかつかとホワイトボードの所まで戻ると、ホワイトボード消しを手に取り、大ざっぱにホワイトボードの書き込みを消した。

 

(あ、そこは普通に消すんだ)

 

「humm……」

 

 何事かを呟きながら、ホワイトボード消しをフェルトペンを持ち替え、文字を殴り書く。

 

『point X withdraw operation』

 

(ポイントX撤退作戦?)

 

「そのままね……」

「あんた、センス無いって言われるでしょ?」

 

 ペンの蓋を閉め、頷いている東の背に、“翔鶴”と“瑞鶴”の言葉が突き刺さった。

 微妙にがっかりした顔で振り返った東が、神通に目を向けると、彼女は少し困った様に眉根を寄せる。

 

「分かり易い作戦名かと思います、でも、平文で使うには秘匿性に問題があります……その、略称とされてはいかがでしょう」

「humm……」

 

 東はペンをくるくる回しながら少し考えていたが、やがて、ペンを空中に投げ上げてキャッチすると、ホワイトボードに文字を書き込み始めた。

 

Operation Homing Instinct>OHI >陽号作戦

 

「帰巣本能作戦ってとこだが、Nicknameは“ひごう”でOK?」

「はい、呼称としては問題ないかと思います」

 

 神通が頷くのを確認した後、東は室内を一通り見回したが、今度は異論を唱える者は居ない様だ。

 東は神通に目線を戻し、改めて、じっと瞳をのぞき込む。

 

「無事Operation nameが決まった訳だが、さっき言った通り、この“陽号”作戦が終わるまで、俺はyou達の“提督”だ、無事にyou達を元の居場所に戻す事について、contract……契約上の責任を負っている」

 

 目線をすっと外し、東は翔鶴達に目を向ける。

 

「……of couce、彼女達についてもだ、contractは履行されなければならない」

 

 軽く一礼する東に、翔鶴は鷹揚に首肯を返した。

 

「そうね、これだけの事をさせておいて、約束を破るような人は、一口分ずつ爪で千切って、サメにでも投げようかしら」

 

 一瞬、翔鶴の細い指が鈎爪に変じ、すぐに元に戻った。

 

「生きたまま投げないなんて、“翔鶴姉”はお優しいネェ……」

 

 それを薄笑いを浮かべて見ていた瑞鶴から、ふっ、と表情が消える。

 

「ま、サメの餌にした位じゃ、死ぬか分からないカ……」

「Horror movieのSlasherじゃあるまいし、過大評価さ」

 

 妖しい黄金色の輝きを放つ瞳に指を振り、東は肩を竦める。

 

「Miss. 神通、少しとっちらかって悪いが……もう少々、“陽号作戦”が終わるまでは俺を“提督”と思って、彼女達を率いて欲しい」

 

 敬礼はせず、ごく普通に頭を下げる東に神通はほんの一呼吸分程度目を落とし、すぐに視線を上げた。

 静かに注目している“翔鶴”達をちらりと見てから、少し硬い表情で見つめる電達に軽く頷きかける。

 いつの間にか向き直っていた神通と、目線が合った。

 

(……誰を信じる?何が本当なの?)

 

 この場にいる皆が、多かれ少なかれ抱いている疑問。

 

(非現実の中で、現実を見極めろって言われてもねぇ)

 

 今、答えを出さなければならない。

 腰の工具ベルトを探って、小型のスイッチを取り出した。

 掌に握り込むには少し大きいが、携帯電話のバッテリを使って最厚でも1センチ以下に抑えてある。

 ボタンスイッチの安全カバー周りにトラ模様を入れてあるのは個人的な拘り。

 まぁ、そもそもが、今日日のテロ組織なら携帯電話から特定番号を発信させる“スマート”なやり口があるので、わざわざスイッチを自作する事自体が拘りかも知れない。

 我ながら、有り物から急いで作ったにしては上出来だ。

 自信作をテーブルの上に載せ、“翔鶴”の方へ向けて滑らせる。

 

「それ、あげるわ」

 

 拾い上げた翔鶴は、物珍しげに掌に乗せてひっくり返し、ためつすがめつしている。

 

「……器用ね」

「なんだコレ?」

 

 面白そうに微笑した彼女の手元をのぞき込んでいた瑞鶴が、物言いたげに視線を向けて来た。

 

「この世界を終わらせるスイッチ、のつもりだったものよ、押すとドカンといくわ」

「うげ……」

 

 にっこり笑って、掌をぱあっと開いて見せると、瑞鶴はげんなりとした顔で翔鶴に目をやった。

 

「あらあら、火薬庫のアレはコレに繋がってたのね……」

「オマ……“翔鶴姉”、知ってたの?」

「そりゃ、自分の体の中ですもの……スイッチ貰ったから、後で配線戻しておこうかしら」

「ヤメロ!」

 

 目を剥いた瑞鶴に微笑みかけ、翔鶴はスイッチを懐にしまい込んだ。

 一瞬、肩を竦めかけてから思い直し、神通へ頷いて見せる。

 乗せられている気しかしないが、やるしか無いだろう。

 

「……分かりました、引き続き“東提督”麾下にて、陽号作戦を実施致します」

 

 居住まいを正して敬礼する神通に、東は珍しく綺麗な返礼を返して微笑する。

 

「Thank you、ありがたい……礼を言われる気分じゃ無いとは思うが」

「司令官さん」

「Hum」

 

 電が響に掴まれたのと反対の手を挙げ、東の気を惹いた。

 頷きかけられたのを確認すると、電は軽く咳払いしてから、東を見据える。

 

「あなたは、本当は誰なのです?」

 

 訊きたい事は多々あったのだろう。

 しかし、最初の質問として選ぶ時、どうしても外せない疑問はそれだったのだろう。

 今度は、東が少し考えこむ。

 

「訊かれてるわよ、“引き揚げ屋”、答えてあげたら?」

 

 含み笑い混じりに声をかける瑞鶴をちらりと見て、東は肩をすくめる。

 

「日本語で近いのは“何でも屋”だと思う、Contractを結んで何でもやる、割とTroubleshootが多いな、特に今回の件は複数のContractが絡んでて、少々厄介だ……あと、この世界ではyou達の提督だ」

「“人攫い”と“艦娘回収業”が抜けてるわよ……こいつらのせいで、オマエラが増えてコマル」

 

 瑞鶴の皮肉を含んだ物言いに、東はマグの縁を又、指で弾いて澄んだ音を立てる。

 

(こいつら?私達を増やす……?)

 

 まさか、この、東とその背後にいる組織が、私達を造ったとでも言うのだろうか。

 

(でも、“サルベージ”に“回収”、造っているなら、そうは言わない筈……)

 

 駄目だ、今、考え込む訳にはいかない。

 欺瞞情報だったら、思うつぼだ。

 そもそも、完全に信用してる訳じゃ無い。

 

「Hum、まぁ、そちらから見ればそう見えるか」

 

 東は嘆息し、目を白黒させている電に目を戻す。

 

「私達を増やす……大本営の人なのですか?」

「いや、彼らとのお付き合いは遠慮させて貰ってる、BigBrotherは何故か鉄格子の中でInterviewしたがるんでね、Self-employed……hum、自由業とかまぁ、そんなもんだ」

 

 首を傾げていた東はふと片眼を閉じ、顔を顰める。

 

「別に呼び名は“何でも屋”でも“艦娘浚い”だろうが何でも良いさ、重要なのはContractだ、契約を果たして結果を見届ける、どうせ見届けなきゃならないなら、気分のいいものを見たい」

 

 鈍い揺れが食堂を揺らした。

 

「あら……あの子、起きたわ、でも」

「姉さん?」

 

 椅子を蹴たおした響が、いち早く出入り口の扉に走り寄ってバーを引いたが、ガラス戸が開かない。

 両手を添えた響が力一杯引っ張っても、ガタつきもしないのは異常だ。

 

「Чёрт!(チョルト!)、ここを開けてくれ!」

 

 振り返る響に、少し遅れて追いついた雷も扉を試して目を丸くする。

 

「びくともしないわ!」

「まるで、金属みたいなのです」

「そりゃね、ガラスに見えても“翔鶴姉”の中だから、うちらの艤装と同じだし」

 

 響達に歩み寄った瑞鶴は、見上げてくる電に肩を竦め、翔鶴を振り返る。

 

「で、なんで開けないわけ?」

 

 翔鶴はそれには答えず、手で片眼を押さえながら立ち上がると、東につかつかと歩み寄った。

 襟首を求めて伸ばされた手が、静かに押さえられる。

 そよとも気配を感じさせず、神通が東の傍らに立っていた。

 

「Thanks」

「いえ……この方はまだ、私の“提督”です、お控えください」

 

 翔鶴は止められて始めて気がついた様に手を引っ込め、息をつく。

 

「さっき、全ての隔壁を下ろしたわ……あの子の意識が、ヤツに持って行かれそうになってイル、私の中で厳重に、一番深く隠していたのに……ナゼダ?」

「hum……Ladyは、この世界の本物の“Dream master”と完全に同調している、もう一人の“暁”だ、She is alive」

 

 東が席を立ち、響達の方へ歩き始めるのを見て、慌ててその背を追う。

 

「私の記憶だと牟田浜水雷戦隊は全員KIAになってるけど、嘘だったって事?」

「さっき言ってたな、艦娘は“死んだと思わなければ死なない”と」

 

 扉に手を当てた東は振り向きもせずに、言葉を続けた。

 

「そうね」

「少し違う、“自分が死んでる”なんて考え続けられる奴は死んでない、死んだふりをしているだけだ、自分自身にさえ嘘をついてだ……Open door plese」

「Не трогай меня.(ニ トローガイ ミニャー)」

 

 ドアに貼り付いていた所を背後からひょいと持ち上げられた響はジタバタと暴れたが、流石に体格差がひっくり返せず、あっさりと翔鶴の小脇に抱えられてしまった。

 

「今のあの子には私達が分からない、あの子も、あなたも今死なれたら困るわ」

「一人で行っちゃ駄目なのです」

「そうね、兎に角みんなで行った方がいいわ」

 

 抱えられたまま妹達に諭されて響は何事か呻いたが、不承不承暴れるのを止めた。

 

「分かったよ……早く行ってくれ」

 

 翔鶴が押すと、ドアは何の抵抗もなく、すう、と開いた。

 遠くから、重い衝撃が断続的に壁を揺らしているのを感じる。

 

「hum、こっちだな」

「ええ、まださっきあなた達が居た、霧ドックの辺りね」

 

 全員が駆け足で現場へ向かう。

 廊下に下りていた隔壁が滑らかに開き、通り過ぎた端から戻ってゆく。

 

「Lady達はこの世界から出る鍵だ、この世界のMaster、生きて、まだ、向こうとつながってる、死んだふりを止めれば、夢は終わる」

 

 目的の場所が近づくと、重い打撃音と機関音が耳に響いてくる。

 甲高く、まるでモーターの様な音。

 高位の深海棲艦が発する音。

 

「この先に居るわ」

 

 全員が立ち止まった前で、ゆっくりと隔壁が開いてゆく。

 ついてきた深海棲艦は、ほんの一部。

 どうやら、前回支援に来た艦隊の構成艦の様だ。

 

「見つかったのはこっちのLadyじゃない、you達の鎮守府に隠しておいたLadyの艤装が見つかったんだ、Backdoorだ、Escape routeは

Intrusion routeにもなる、Nukpanaは艤装からLady達に干渉しているんだ」

 

 隔壁の先に立っていたのは、幾つか、目を瞑れば“暁”だった。

 艤装の形は暁型の物だし、制服もいつもの吹雪型のセーラ服に略帽をしっかり被っている。

 でも、壁を殴るのを止めて振り向いたその目は、黄色く濁っていた。

 こぼれる髪は砕ける波濤の様に白く、肌は不健康に蒼白い。

 踏み出した足を包んでいるのは、黒ストッキングではなく、ぬめ光る流体金属。

 なまじ、暁の姿形がそのままなだけに、見るのがつらい。

 

「姉さん!」

 

 響の声が発せられるのと、暁がまっしぐらに翔鶴へ襲いかかるタイミングは同じだった。

 一瞬過ぎて、まるで床に錨が生えた様な錯覚に陥りそうだ。

 暁と翔鶴の間には神通が入り、静かに構えている。

 暁が首を傾げ、ゆっくりと錨が巻き戻されてゆく。

 

「提督、作戦を……無傷では長く抑えられません」

「hum」

 

 普段よりトーンが落ち込んだ声で囁く神通の前に、すたすたと東が歩み出る。

 

「ばっか、何してんの!」

「死ぬ気かい?」

「司令官!」

「司令官さん?」

 

 何となく不思議そうな様子で見ている暁の前で、東は帽子を取る。

 

「Miss.翔鶴、歌ってくれ、まだ、“聞こえる”筈だ、注意が戻れば、Miss.響の声も届くだろう」

 

 声とともに飛んできた帽子を掴む。

 

「Ladyと少しDance timeだな、elegantなのはからっきしなんだが」

「好きにさせとけば?……そいつも、別口の“化け物”よ」

 

 東の横に並ぼうとした神通を、瑞鶴が制した。

 

「そう簡単に死ぬ位なら、こっちはこんなに苦労してないし」

「どうも」

 

 一瞬の躊躇いの間にゆらりと暁の姿が揺れ、次の瞬間、壁を衝撃が揺らした。

 単なる足払い、と言うより、足を引っかけただけに見える動き。

 それでも、暁の体は宙に舞い、壁に激突した。

 

「Sorry、卑怯かも知れんが、こう言うのは割と得意だ」

 

 平然と肩を竦めているが、勿論、普通の人間にできる事では無い。

 地上とは言え、常軌を逸した腕力を振るう艦娘の足など引っかけたら、かけた脚が千切れる。

 神通が構えを解いて、自然体に戻す。

 受けに回る事にしたらしい。

 潮騒に似ているが、何処か不安で、心をかき乱す音が響く。

 “翔鶴”が歌っている。

 

「歌なのです……?」

 

 不安そうに電が呟く。

 到底歌には聞こえないが、瑞鶴達は、心地よさそうに表情を緩めている。

 

(レコーダー持ってこれば良かった、この時代、スマホ無かったのよね)

 

 反射的にそう思いながら、ふと、外の世界にある暁の艤装が気になった。

 

 艤装が活性化して暴走でもしていたら?

 誰かを傷つけて、破壊されたらどうなる?

 或いは、鎮守府を脱出して、私達を捕らえているものに合流してしまったら?

 

(……普通に考えて終わりよね)

 

 暁と対峙している東を見つつ、言葉を呑み込む。

 外に干渉できない以上、考えてもしょうが無い事だ。

 まだ、イマイチはっきり思い出せない単冠の僚艦達を信じるしか無い。

 

(その辺、考えてたのかしら?……あなた?)

 

 東は艦娘ですら捕らえるのが難しい暁の動きを、最小限の動きで躱し、ほんの少し押している。

 まるで“崩し”の究極の様な技。

 しかし、いつまで続くのか。

 

「信じるしかない……か」

「そうしてくれると……hum、助かる」

 

 小声だったのに聞こえたらしい。

 とんでもない地獄耳だ。

 瑞鶴の“別口の化け物”と言うのはあながち誇張ではなかった様だ。

 

(いいわ、今は、信じる……でも、そうなると、サルベージャーって、なんなのかしら?)

 

「姉さん、聞いてくれ!」

「暁ちゃん!」

「暁!がんばって!……えー、じゃなくて、ねぇ、聞いてよ!」

 

 こんな状況だと言うのに、思わずツボに入りそうになってしまった。

 兎に角、この場を切り抜ける。

 後の事は、後の事だ。

 夕張は、目の前を注視する。

 全てを記録する為に。

 分析はその後だ。

 

 

To Be Continued……




 最後まで読んで頂きありがとうございます。
 次回は流石にもう少々早く投稿出来る様、がんばります……。

Ps.2019冬イベは甲甲乙でなんとかクリアできました。
ジョンストンさんと早波さんをお迎えできた所で、力尽きました……もう、気力無い(+_+)


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 【第十四話 存在Xの呼び声 ~Call of the thing~】


※前回までのあらすじ

 暁の半深海棲艦化を含む多大なる損害を出しながらも、オペレーション“HaneeBee”を成功させた“東鎮守府”。
 しかし、東の行動に決定的な疑いを抱いた夕張は、彼を監禁して真意を問う。
 だが、その途中で翔鶴と瑞鶴から、お茶会の誘いを受ける。
 全てが明らかになるというお茶会の誘いを受けた夕張と東が参加したお茶会にて、とうとう、彼女達は、今居る世界が“暁”の夢であるという事実を知るのであった。

 そして今、現実の単冠鎮守府にて“暁”の体が起動しようとしていた……



 

 

【択捉島・神威鎮守府 陽炎】

 

 

『えー、定時連絡、定時連絡、どないな調子や?』

『何にもないわ、極めて退屈な状況ってとこ、もうちょっと回ったら戻るわ』

『なんも無いのが一番や、あんじょうよろしゅう』

 

 歩きながら無線に応えていた陽炎は、その間も、間断なく周囲に目線を配っていた。

 傍らを歩く不知火が手にした懐中電灯が頼りなく闇を照らしている。

 光量は十分。

 単一電池6本を直列に装填したそれは、探照灯程ではないにしても、地上から雲を照らせる程度には強力だ。

 問題は、むしろ、明るすぎる事だった。

 明るく照らし出された輪の外は、墨汁を流した様な暗闇になってしまう。

 

「消す?」

 

 不知火が少々眩しげにしている様子を見咎め、横を歩いていた陽炎がぼそりと呟いた。

 

「……そうですね、陽炎がよいなら」

「あんた程じゃないけど、割と見えるからいいわよ」

「じゃあ」

 

 陽炎と不知火は片目を瞑り、スイッチが落とされた瞬間、瞑っている目と、開けている目を入れ替える。

 解像度がやや荒いが、真の闇にはほど遠い。

 これなら、何か動くものがあれば見逃す事は無いだろう。

 

「しかし、まぁ、あの“宣伝部長”殿が協力して欲しい事っていうのが何かと思えば、夜警のバイトとはねぇ」

「この区画には、“あれ”をしまってあります、何かあった時に私達以外が居れば、情報が漏れます」

 

 声を落とした不知火の言葉に肩を竦め、陽炎は耳を澄ました。

 真夜中とは言え、泊地が完全に眠り込む事はない。

 しかし、明かりもまばらな倉庫区画で聞こえる音と言えば、冷蔵施設のモーター音程度。

 重要な資材や食品保存庫には警報装置が仕掛けられている為、先の大戦中の様に銀蠅(ぎんばい)する様な不埒者はまず居ない。

 大体、食べ物にありつきたければ食堂の方を狙った方が手っ取り早い。

 

(……というか、普通にコンビニ行くわ)

 

 今日日最前線でも無い限り、そこまで物資は不足していない。

 アイスや羊羹、カップ麺、好きなものが買える。

 兵站が安定していると言うのは、本当にありがたいものだ。

 太平洋や大西洋の様な大洋をはるばる渡ってくる舶来品については、流石に少々値が張るが、それでも入手不可能という程でもない。

 七つの海を文字通り“護送船団方式”でゆっくりと回る“移動鎮守府”達が作り出す“軌道制海権”のおかげだ。

 

(なんか、珈琲飲みたくなってきた)

 

 食べ物の事を考えていたら、ホットコーヒーが飲みたくなってきてしまった。

 流石に北の離島は夜の冷え込みが厳しい。

 アメリカ軍につてがあれば、大体どの場所でもまともな珈琲が飲める。

 とは言え、残念ながら、この島はロシアの目と鼻の先、と言うか、未だにロシアが自国領であるとの主張を崩していないお土地柄だ。

 紅茶の在庫は割と潤沢で簡単に良い物が手に入るのだが、珈琲となるといまいち選択の幅が少ない。

 そんな中で、喫茶チェーン並の品質で24時間いつでも飲めるコンビニ珈琲は有り難いものだなと思う。

 

「ん?」

 

 陽炎はふと、何か違和感を感じ、頭(こうべ)を巡らせる。

 

「……何か聞こえませんか」

 

 既に不知火も身を低くし、耳を澄ましている様だ。

 

(高くて……だいぶ早い)

 

 二人の視線が交わされる。

 艦娘の初期教育施設でイヤと言うほど聴かされる音。

 

『こちら陽炎』

『黒潮や……厄介?』

 

 素早い応答。

 だが、耳に当たる声はあくまでも柔らかい。

 

『例のアレが置いてある所から、カテゴリHのエンジン音がするわ』

『なんやて!……ほんまやないの!……通報、どないしょ?』

 

 陽炎は、もう一度不知火と視線を交わし、息を吐く。

 

『お気楽な部長殿へ先に連絡お願い、夜番に通報するか確認して……この調子で鳴ってたら、その内誰か聞きつけて騒ぎになるわ、こっちは、現場を確認する』

『きぃつけてなぁ……いたずらなら、ええんやけど』

『ガッコじゃあるまいし、さすがにそりゃないと思うけど』

 

 深海棲艦の艤装が戦闘機動時に発するエンジン音の聞き分けは、水上艦娘達にとっても必修科目だ。

 そこで学ぶ各クラスのエンジン音の中でも、カテゴリH、或いはK、つまり”姫級”、“鬼級”以上の強敵が発する独特の高音域の音色。

 開けた海上で、遠くからでも聞こえるそれは、艦娘達に本能的に戦慄を覚えさせる代物であり、まず聞き間違える事はない。

 実際に直面した際に新人をまごつかせない為に、艦娘の訓練施設では夜間緊急召集の集合音と併せて用いられる事もある。

 しかし、いくら何でも常時警戒中の基地でそんなもの流す者は居ない。

 普通に懲戒ものの行為だ。

 

(せめてスニーカーにしてこれば良かったかな……)

 

 真っ暗な倉庫区画にすこしくぐもった高回転音と、靴音が響く。

 地上歩行用に形態変化させた艤装靴はよくあるローファーになっている。

 隣で走っている不知火は確か、ラバーソールの半靴を履いていた。

 殆ど足音が聞こえないのはいつもの事だが、この状況だと、まるで深夜の海域で独り取り残された感覚に陥りそうになる。

 点々と灯った常夜灯以外は光源のない通路に音が反響し、発生源を覆い隠す。

 発生源にあたりがついていなければ、少し迷ったかも知れない。

 歩幅を緩めて、例の艤装が保管されたコンテナのある倉庫へ近づく。

 強まる背筋の寒気を感じながら、扉の錠前を開け、逆側に張り付いた不知火に目配せをしてからそっと引く。

 僅かに開いた隙間から、するりと入り込んだ彼女を追って中に入り込む。

 非常灯すら灯っていない倉庫内は完全に闇に沈んでいた。

 流石に暗さに慣らした目でも、視界ゼロだ。

 スイッチの場所を思い浮かべた時、闇が少し薄れる。

 不知火が常夜灯を点けたらしい。

 相手に接近を悟らせる事になるが、こんな物だらけの場所で海上みたいな感覚で夜戦をやるわけにはいかないのだから、リスクを取ったのだろう。

 操作盤から戻ってきた不知火に頷き、手早くにクリアリングをしながら進む。

 

(……っ?)

 

 不意に、大きな衝突音が倉庫に響いた。

 一瞬、目線を交わし、二人は駆けだす。

 もう、猶予はない。

 衝突に軋みが混じり、それはすぐに破壊音となって、倉庫に轟いた。

 一気にエンジン音がクリアになる。

 ちゃら、ちゃら、と鎖を引きずる音が近い。

 不知火が手を挙げ、二人はぱっと離れて、物陰に身を隠す。

 すぐに、それは姿を現した。

 

(……)

 

 おぼつかない足下は一歩一歩、不規則な歩幅を打ち付け、上半身は欠いたバランスを補う様に、前に延ばした腕が泳いでいる。

 半ばへしゃげた艤装からは、よろめく度に土の欠片がぱらぱらとこぼれ、真新しい擦過痕が浮いた錆に不釣り合いな艶にきらめいていた。

 そして、それは、それらすべてが見て取れる程にうっすらと、青白い輝きに包まれている。

 丁字路を横切っていく“暁”を、息を殺してやり過ごし、陽炎はずっと貯めていた息を吐く。

 不知火が自分を指さし、通り過ぎていったものを指して、拳を打ち付けて見せる。

 このまま先行して仕掛けるつもりの様だ。

 

(アレが何かは兎も角、基地を彷徨かれたら……ヤバいわ、色々な意味で)

 

 頷いて物陰から出ると、不知火がまるで猫のようにしなやかな動作で追跡を始める。

 幸い、“暁”は背後は無警戒でふらふらと歩いているだけだが。

 

(どこへ?)

 

 疑問が浮かぶ。

 

(どこだってヤバいわ!)

 

 兎に角、止める。

 後は、どこで仕掛けるかだ。

 

(倉庫をでてすぐ)

 

 倉庫の外はトレーラーが余裕を持ってすれ違える二車線道路に歩行者通路が附属した広い空間だ。

 大立ち回りするには充分な広さがある。

 不知火に追いつき、出口を指さしてから、投げ縄を振り回して投げるサインを送ると、若干顔を曇らせたが、頷き返してきた。

 

(迷ってる暇は無いわ)

 

 “暁”が倉庫の入り口をくぐり、空を見上げる。

 

「あ゛ぅ~」

 

 夜空に戸惑った様に首が傾げられ、掠れたうめき声の後に、空咳が続いた。

 その背後から静かに右手へ進み出ながら、陽炎は艤装を展開。

 逆では、不知火が同じタイミングで艤装を展開している。

 熟練した駆逐艦娘が艤装の展開に要する時間は、十秒以内。

 ゆっくりと、“暁”が左右を見回す間に、陽炎と不知火の手から錨鎖(びょうさ) が放たれ、狙い違わず艤装と擬体をぐるりと捕らえて締め上げる。

 すると、タイミングよく艤装側の無線が鳴った。

 

『なに?取り込み中!』

『あちゃ~、気が早いですねぇ、もう始めちゃってます?』

 

 のんびりした青葉の声に、陽炎は歯を食いしばって応える。

 錨鎖からまるで漏電する様に、力が抜けてゆく。

 

「なに……これ?」

 

 ぐい、と鎖がたぐられる。

 それだけで、一瞬、陽炎はたたらを踏みそうになり、足を踏みしめ直す。

 

『まぁいいです、赤巻司令官に許可を頂きました、カバーストーリー“特別夜戦教練”を適用します……援軍も送りましたけど、保ちそうですかぁ?』

『保たすわよ!』

 

 熱を奪われ、圧が下がり始めるボイラーに気合いを入れながら陽炎は怒鳴り返す。

 艤装から熱が奪われるのに合わせて、擬体の芯も冷える。

 手がかじかむ様に、感覚が失われてゆく。

 

(単純な力比べしてたら、保たないわ)

 

 たったの数分。

 それだけを今、稼げる気がしない。

 

「不知火!」

 

 声をかけて錨鎖を掌中で滑らせながら“暁”の背後側へ跳ぶ。

 均衡が崩れた“暁”が僅かに傾斜するのを逃さず、不知火が錨鎖をたぐり寄せ、更に傾斜を深くする。

 “暁”が踏ん張ろうと重心を僅かに変更した瞬間、不知火が錨鎖を緩め、待ち構えていた陽炎が力一杯自分の錨鎖を引っ張った。

 ぴん、と鉄鎖が張り詰め、50,000と52,000馬力の出力がぶつかり、一瞬の拮抗状態を生み出す。

 

(よく耐えるッ!)

 

 背後から、艤装の重さも加えて引いたというのに、崩せない。

 僅かに有利な馬力の差も、優位を得るには足りない様だ。

 思ったより力を奪われているのか。

 狭まる視界に、“暁”が右手に握った錨が映り込む。

 錨の先端、左右に分かれた錨腕の片方が、地面に深々とめり込んでいる。

  いや、正確に言えば、“引っかけられて”いた。

 咄嗟に手近のマンホールをたたき割ったのだ。

 

(思ったよりやる……っ、五月蠅いわね)

 

 体が冷え過ぎた影響か、頭の中で鳴るノイズを振り払うように首を振った視界で、“暁”の左手が不知火の錨鎖を掴み、力強く引いた。

 一瞬、綱引きの様な体勢のまま、ずるり、と数十センチ引きずられた不知火が跳躍する。

 そうだ、馬力が強すぎる艦娘は、海面を“掴める”洋上でもない限り、まともな引っ張り合いは不可能だ。

 強すぎる馬力は最終的にお互いを引き寄せあう結果になってしまう。

 地上ではただ強すぎるトルクを持て余す艦娘が取りうる戦術は、体勢の崩し合い。

 転倒、或いは擱座させてしまえば、数分の時を稼ぐのは容易い筈だ。

 体勢を崩さず着地した不知火が錨鎖を手放し、そのままの勢いで“暁”へ走る。

 不知火の手でも、足でも、“暁”へ届けば、一瞬で擬体の関節を“分解”可能だ。

 一瞬、“熱量”を奪われる前に終わる。

 

『ええ゛っ!』

 

 全身から噴き出た冷たい汗が散り、その一滴が目に滴る。

 体の芯を侵す冷たさに逆らって引いた錨鎖が勢いよく戻り、瞬いて戻った陽炎の視界一杯を、艤装の艦尾が占拠した。

 頭骨の陥没、首の骨折、胸骨の粉砕。

 ほぼ同時に起こった擬体への損傷に痛覚はなく、陽炎は体に伝わる衝撃としてそれを認識した。

 

『♭§仝↑≒※〒◎→〆!!!』

 

 艤装の無線へ入電した音声が耳を叩く。

 だが、既に陽炎の脳はそれを意味をもった情報と認識する機能を喪っている。

 一時、彼女の五感から入力される情報は意味を無さぬノイズと化し、潰れた肺と喉を塩辛い液体が満たす。

 完全に見当識を喪った陽炎は、地上で“溺れた”。

 

 

【択捉島・神威鎮守府・倉庫街 不知火】

 

 

 艤装で圧し潰した陽炎の上から、錨を杖にして、のそりと“暁”が起き上がると、緩んだ錨鎖がじゃらりと地面に広がった。

 ふと、“暁”の頭が下がり、顔が錨の陰に沈むと、略帽が弾かれた様にとぶ。

 続けて飛来した金属の礫が、持ち上げられた左腕の防楯で鋭い着弾音を立てた。

 “指弾”を放ちながら駆け込んだ不知火の左手を、“暁”の右の防楯が防ぐ。

 停滞無く沈み込んだ下肢から繰り出される右下段蹴りが、いつの間にか左に持ち手が変わった錨に受け止められる。

 

(厄介な……)

 

 不知火が人間以外の相手に本気で放つ“指弾”の速度は高初速の軍用ライフル弾……マッハ3程度は出ている。

 艦娘と言えども、”見てから”避けるのは至難の業だ。

 しかも、初見で防いで見せたのはおそらく”勘”だろう。

 基本の連携技とはいえ、奇襲攻撃を全て最小の動きで、しかも、全て”手足に触れさせずに”防御した。

 この“暁”は明らかに接近戦の経験を、それも地獄の様な戦場で積んでいる。

 不知火の背筋に冷たい感覚が走った。

 次の瞬間、“暁”の体が跳ぶ。

 

「くっ!」

 

 頭上を越えるその擬体へ手を伸ばすが、僅かに届かない。

 展開した艤装のせいで、背部への動きが制限されている。

 それを知悉した上での動き。

 

(本当に厄介な)

 

 視界の端で陽炎の”しっ、しっ”とでも言いたげな、手の動きを捉えながら反転。

 艤装を畳みながら不知火も跳躍する。

 言語機能はまだ”バイパス”できていない様だが、意識ははっきりしている様だ。

 “暁”の艤装が倉庫の間に吸い込まれる。

 不知火は、一瞬、倉庫の壁にはりつき、中を伺ってから飛び込む。

 飛び込んだ勢いのまま大きく前転すると、地面を離れた足のすぐ後ろに、降ってきたエアコンの室外機が重い音を立てて激突した。

 更に前転でついた手に力を入れ、前に背中を倒しながら地面を突き放す。

 一瞬、仰向けに天井を眺める態勢になった視界で、降ってくる錨の先端が急激に大きくなる。

 頭の先から十センチ位後ろに突き刺さった錨が、コンクリを粉砕しながらめり込み、すぐに勢いよく引き戻されてゆく。

 それを追い、不知火は壁へ跳ぶ。

 倉庫の窓枠、送風の配管、ほんの僅かな足がかりを頼りに上へ、上へ。

 棟の屋根と屋根の間をすり抜ける様にして跳び抜け、波形スレートの上へ転がりながら着地。

 傾斜で転がり落ちようとする体を、柔道の受け身の要領で手を叩き付けて跳ね上げた。

 粉砕されたスレートを犠牲に、体勢を立て直した不知火は、強い海風に目を眇める。

 

(……忍者?)

 

 不知火は一瞬、月光を背にマフラーをたなびかせる忍者を幻視したが、すぐにそれが、軽巡の川内である事を認識。

 自然体で佇む彼女は、“暁”と対峙している様だ。

 

「何だか今日は騒がしいね……いつも“聴いてる”のとは違うけど、なんだか、遠いのにはっきり“聴こえる”んだ……これは、君の為に“歌ってる”のかな?」

 

 何かを聞くように片手を耳に当てていた川内は、無言で錨を構える“暁”に微笑みかける。

 

「でもね、行かせるわけにはいかないんだよね」

 

 川内の姿が霞み、その残像をスレートの欠片が通り過ぎた。

 間髪入れずに続けて跳んだ“暁”がそれに続こうとした時、がくん、と空中でその姿勢が崩れ、屋根の上に激しい激突音を立てて転倒する。

 錨を突き立てて、落下に耐えた“暁”が足に絡まったロープを掴み、そのまま、片手で引きちぎった。

 しかしその時には、既に分銅付のロープを捨てた川内が苦無を放っている。

 “暁”の後頭部目がけて飛来した苦無は、巧みに後頭部をカバーした左の防楯に突き刺さり、凄まじい放電音を発した。

 オゾン臭すらしそうな放電の光と音は、どう考えても対人用スタンガンレベルではない。

 幾ら艦娘と言えども、あれが直接擬体に流れたら、流石に少々効く。

 

「お?」

 

 振り上げられた錨がスレートを爆砕し、“暁”が消える。

 不知火は穴に駆け寄り、中を覗き込む。

 

「そう来たかぁ、ま、大丈夫だけど」

 

 飛び降りる瞬間聞こえた川内の声を背にして、倉庫の天井付近の鉄骨を掴み、一瞬、上から下の様子を確認する。 すると、下に降りた“暁”に、コンテナの上から青葉と黒潮が網を投げつける所だった。

 鋼線で編まれた投網が広がり、艤装ごと“暁”を絡め取る。

 “暁”がもがけばもがくほど、鋼線が絡みつく。

 恐らく、艤装の使用素材を用いたものだろう。

 通常の金属製品ほど容易くは切断できない筈だ。

 陽炎が手を離して、コンテナの上に降り立つと、ぎぎぎ、と音を立てながら、“暁”が立ち上がる所だった。

 

「あら~、しぶといですねぇ」

 

 脳天気な青葉のセリフに反応したのか、まるで錆びた人形の様な動きで“暁”の首が動き、こちらの方を向く。

 始めて見た“暁”の貌は、蒼白く、無表情で、そして……その眼は蒼白く燃えていた。

 

「あ、悪霊退散やー!」

 

 不知火が動くより、黒潮が飛び降りる方が僅かに早い。

 ぼこん、という、少々鈍い音がした。

 黒潮が飛び降りる時に振り上げた金属バットが、クリーンヒットしたのだ。

 

「黒潮!」

 

 思わず膝をついた“暁”は、手近に下りてきた黒潮の足首を掴む。

 

「うっわ!つめたっ!……離せ!、離してっ!、離してんかーい!」

 

(そう言えば、黒潮は幽霊とか苦手でしたね……)

 

 “暁”の貌になにか、くるものがあったのか、黒潮は眼を閉じたまま、“猛虎魂注入棒”と書かれた金属バットを滅茶苦茶に振り下ろしまくり、ぼこん、とか、がきん、とか結構激しい音が連続している。

 

「黒潮……」

「そこまで!……もう、のびてるわ」

 

 不知火がそろそろ止めようかと思った時、倉庫の中に声が響いた。

 倉庫の入り口から、金剛に肩を支えられた陽炎が入ってきていた様だ。

 

「や、やったんか?」

「もー、黒潮……やり過ぎ、もう、“殺った”って言った方がいい感じになってるじゃない」

「あー、ホント……こりゃあ、入渠もんだねぇ」

 

 陽炎が頭に手を当てているのは、陥没した頭蓋骨を庇っているだけではなさそうだ。

 息を荒くした黒潮の前で、いつの間に降りてきたのか、川内が、擱座した“暁”をしゃがんで検分している。

 “暁”の首が変な方向に曲がっているし、床に血と何かの液体がぽたり、ぽたりと垂れており、黒潮の“猛虎魂注入棒”も真新しい血糊らしきものでべったりと濡れていた。

 どう見ても、殺人の現行犯現場である。

 とは言え、艦娘故に、一時的に無力化されただけでしかない。

 

「あ~、皆さんお疲れ様で~す、いやぁ、一時はどうなる事かと思いましたが、無事海へ出る前に制圧出来て助かりましたぁ」

「出番はなかった見たいネ」

 

 惨劇の現場を見て、金剛は苦笑している。

 

「そうですね、確かに搦め手で制圧出来なかったら、金剛さんに、ちょっと力尽くでっていうのも考えてはいましたけど」

 

 青葉はあくまでも笑顔を崩す気は無いようだ。

 

「う~ん、ここはいいけどさ、なんか……“この子”に向けて歌ってた奴、まだ歌ってるよ」

 

 独り目を閉じ、耳を澄ませていた川内の言葉に、若干、一仕事を終えた様な感じになりつつあった場の空気が、すっ、と冷えた。

 

「……これ、多分、その内みんなにも、“聴こえる”……うん、そう意識しなくても、何か感じる位には強くなりそうだね」

「それは、前にお聞きした“声”と同じで、海に呼んでる感じですか?」

 

 青葉の言葉に、川内は少し考えて首を振る。

 

「“底”から聞こえる声とは違うね、この“声”は……もう呼んでない、“来る”とか“迎えに行く”かな、これ、みんな、少し、ぞわぞわしちゃうんじゃ無いかな」

 

「兎に角、赤巻司令に報告しましょう」

「そうネ、報告は大事、テートクを叩き起こしてきマース!」

 

 神威鎮守府の長い夜が始まろうとしていた。

 

 To Be Countinued...

 

 

 




 何年越しの更新になるか分かりませんが……お久しぶりです。
 少々思う所があって、頑張ってこの本編を終了させようと思い、再度書き始めた次第です。

 宜しければお付き合い下さいませ。


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