やはり『過負荷』は青春ラブコメなんて出来ない。 (くさいやつ)
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比企谷八幡の入部

球磨川みたいな性格を書こうとしたけどキャラがブレブレになってしまった……。
まぁ、球磨川自体元々キャラがブレブレなんだが。


千葉市立総武高等学校。

 

この学校は周辺の地域にもそれなりの名門として有名な高校だ。

勿論、漫画や小説にでも出てきそうなお嬢様や御曹司がうじゃうじゃと居るわけではない。が、この高校に入学する時点でそれなりに教養がある事は確実だ。

 

そのような理由もあり、この高校において"表立った"いわゆる虐めと言われる物は非常に稀だ。しかも、生活指導である平塚静の尽力により、ここ数年の生徒間の争いは無い。

 

そう。無い筈なのだがーーー

 

 

「『おいおいおい』『誰が僕の弁当にゴミを入れたんだい?』」

 

面倒な午前の授業が終わり皆がワイワイと騒ぎ始めた頃、一人の男が態とらしく教室に響くような声量で言う。

 

シーンと静まり返る教室。

 

その発言をした男の机を見ると確かに彼の弁当であろう物に埃やら髪の毛やらが明らかに人為的だろうというレベルで大量に入っている。

誰の目にも昭然な虐めだ。

 

こんな事をされている男の名前は比企谷八幡。

見た目は教室内でも上の方に居るであろう容姿だが、それを打ち消すどころかマイナスまで持って行くぐらいに見ているだけで気持ち悪くなってしまうような雰囲気がある。

まるでこの世に存在するあらゆる気持ち悪さを集めて、煮詰めて、灰汁を取り、濃縮凝縮させたような気持ち悪さ。

 

「『まったく』『誰が僕にこんな事をするって言うんだ!!』」

 

プンプンと擬音が聞こえてきそうな程に怒ってますという雰囲気を出す比企谷。

 

そんな比企谷を見ながら数人の男子がニヤニヤと笑っている。

そのうちの1人が比企谷に近寄り、机にダン!と手をつき話しかける。

 

「あ〜、ごめんなぁ!それやったの俺なんだわぁ!なんかムカついてさぁ?許してくれるよね」

 

謝ってはいるがニヤニヤとした笑みより深めて、全く反省した様子は無い。

比企谷は無残な弁当から顔を上げて、話しかけてきた男子の顔を見る。

教室は今だに静まり返っており、その2人の様子を静かに見守っている。

 

「『えーと、』『ごめん』『モブキャラくん』『きみの名前がわかんないんだけどなんだったかな?』」

 

うーん、と頭を捻りながらすまなそうな顔をする。

 

その瞬間、ブチッと何かが切れる音がして男子の顔が真っ赤に染まる。

 

「あぁ!?何がモブだコラ!俺の名前は泉だ!なぁんで覚えてねぇんだ!」

 

モブ改めこの泉という男はまるで好きな女の子をからかう小学生男子の様に事あるごとにこの比企谷を虐めてきた。その為、有る程度は認識されていると思っていたのだ。だが事実は名前さえ知られてないという真実だった事に短気にも怒ってしまった。というか、泉がやる虐めのような行動がモノを隠すやら落書きをするやらで犯人がよく分からないものだったのが原因なのだが。

 

「『ああっ!』『怒らないで』『暴力はいけないよ』」

 

泉に胸ぐらを掴まれて椅子から立ち上がらせられた比企谷は、両手を顔の辺りまで上げて降参の意を示す。

 

「『僕は君に感謝しているんだ』『最近』『弁当が足りないと思っていた僕にトッピングをくれたんだろう?』『こんな嬉しい事は生まれて初めてだよ』『僕が知らないだけで今日はエイプリルフールなんじゃないかと疑ってしまったくらいだよ』」

 

ゾゾッ

 

「………………ッ」

 

ニコッと笑ってそう言う男につい手を話してしまう泉。

そのまま男は椅子に座り、埃まみれの白米をニコニコと嬉しそうに食べ始める。肝心の泉はと言うと呆然とその様子を見ているだけだった。

 

「『……………?』『ああ!』『僕としたことが忘れてしまっていた』『勿論』『泉君にはお礼をしないといけないよね』」

 

泉のその視線に気づき、ハッとした表情をする。

 

「『うーん』『何がいいだろうか』『そうだ!』『同じ事をしてあげたら良いんだ』『うん』『そしたらおあいこだね』」

 

そう言って立ち上がり、掃除道具入れに入ってあるT字ほうきを取り出して泉の机に置いてある弁当に向かって思いっきり振り下ろした。

 

ガシャァンッ

 

「!!!!!」

 

教室中に衝撃が走る。その後もガンガンと何回も振り下ろす。

 

「『ふぅ』『こんなもんでどうかな』『泉君』」

 

汗が滲んだ額を腕で拭い、一息ついてから成し遂げたと言った風に達成感らしきものを顔に浮かべてまだ呆然としている泉に対して確認をとる。既に弁当は無残に撒き散らさかされている。

 

「……………」

 

だが、反応はない。

 

「『あれ?』『納得できない?』『まだやった方がいいかな?』『まぁ』『愛しの泉くんの為なら吝かではないけど』」

 

そう言って更に振り下ろそうとしている男に制止の声をかける男がいた。

 

「ちょっと、待ってくれ。そろそろやめてあげてくれないか?泉には俺から言っておくから」

 

声をかけたのは、クラス内でもトップカーストたる葉山隼人。金髪イケメンでサッカー部のエースだ。

 

「『うん?』『急に僕と泉くんのコミュニケーションに入ってこないでよ』『それに』『泉くんに何を言うって言うんだ!』『まさか!』『よからぬ事を吹き込むつもりじゃあないだろうな!』『そんな事はさせない!』『泉くんは僕が必ず守る』」

 

バッと両手を広げて、葉山に対して泉を庇うような姿勢を取る。

 

「い、いや。そんなつもりはないから安心してくれ。ただ、そこら辺で泉を許してあげてくれないか?僕の方からも言っておくから」

 

「『そんなつもり?』『じゃあ、どんなつもりだったって言うんだ』」

 

ヘラヘラと薄気味悪い笑みを絶やさずに言う。

 

「………………ッ」

 

何も言えない葉山。

 

「『でも』『どうやら泉くんは優しさで僕の弁当にふりかけをかけた訳じゃなさそうだね』『じゃあ、泉くんには謝罪と感謝を貰わないと』」

 

「え?」

 

男の言っている言葉の意味が分からずに惚けてしまう。

 

「『だってそうだろう?』『まずは僕の弁当にイタズラをした謝罪』『そして次は僕がお礼としてやった弁当にゴミをかけるという行動への感謝』『ほら完璧だ』」

 

さも当たり前のように言う男に葉山は悪寒が走る。

謝罪は分かる、だが感謝とは……。

 

「それで君が許してくれるというのならそうした方がいいだろうね」

 

思うところが無い訳では無いが、今回は泉が全面的に悪いのだ。この学校で虐めがあると発覚すればそれなりに大事になってしまう。ただ、それだけで許してくれると言うなら安いものだ。

 

「ほら泉くん」

 

葉山に声をかけられてハッとする泉。

 

「悪かった比企谷。それとありがとう」

 

こんな奴に頭を下げるのは酷く嫌だが、渋々頭を下げる。

 

「これで許してくれるかい?比企谷くん」

 

 

 

 

 

 

「『え?』『嫌だけど?』」

 

比企谷はケロっとした表情で

 

ゴシャ

 

と泉の頭を踏みつけて言った。

 

 

ーーーーーーなっ!

 

 

今迄、成り行きを見守っていた教室の生徒たちもこれには口を揃えて驚いてしまう。

 

「『だって』『今僕が謝って貰ったのは』『僕の弁当にイタズラをしたことだろう?』『「優しさでイタズラをした」って僕を騙した事には謝って貰ってない』」

 

グリグリと泉の頭の上に乗せた足を動かしながら言う。

 

「『でも僕はそんな事を許さない鬼じゃない』『それに騙される事には慣れてるんだ』『だから誠心誠意謝れば許してあげないこともないよ』『頭のいい泉くんなら分かるよね』『土下座だよ』」

 

泉は確かに自身の心がポキリと折れる音を聞いた。

 

「『なーんて』『僕が大切なクラスメイトに土下座させるわけないじゃないか』『もしかして皆騙された?』『あはは』『これは名役者も夢じゃないね』」

 

バッとずっと乗せていた足を退けて、白々しい顔で言いながら机の方に歩いていく。

 

「『うーん』『でもこんな弁当は正直食べたくないなぁ』『碌なものはないだろうけど購買にでも行ってみるか』」

 

ゴミ塗れの弁当片付けながら、独り言を言う。

 

ーーー……………………。

 

そのまま比企谷は教室を出て行くがしばらく、誰も一言も喋れなかった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

放課後

 

「『それで』『僕はなんでこんなところに呼ばれたんでしょう?』」

 

学内で、しかも生徒の前だというのにポケットからタバコの箱を出して、口に加えたタバコに100円ライターで火をつけようとしている目の前の女教師に対して白々しくわかりませ〜んという態度を全面に出しながら比企谷が肩を竦めて言う。

 

「…スー………プハァ。そうだな。本当に分からないか?」

 

女教師……平塚静は何か苛ついているのか、いつもよりもタバコを吸うペースが速い。

 

「『ええ』『まったく』」

 

「…………今日、お前のクラスメイトの泉が退学届の用紙を受け取りに来た」

 

「『ええ!?そんな!?』『なんでです?!』」

 

溜息混じりに力無く言う平塚とは対照的に比企谷は身を乗り出して食いつく。

 

「それは私の方が聞きたい。取り敢えず今は説得してまた後日ということになったが、いくら理由を聞いても答えなかった。

それで、私が見た限りでは虐められている様子でも無かったが一応泉の親しい友人辺りに聞いてみるとどうやらお前が関係あるらしい。お前が自分から何かするような奴とは思っていないがお前は何か知らないか?」

 

「『ええ』『まったく』」

 

比企谷は即答する。

 

「………………ッ。そうか………、なら仕方が無い」

 

平塚は一瞬顔を歪めるが、すぐに戻す。

 

「ところで話は変わるんだが、お前友達いるか?」

 

「『いるに決まってますよ』『愛と勇気だけが僕の友達です』」

 

ハハッと見た目は無邪気に笑いながら応える比企谷。

 

平塚はそんな比企谷に「お前はアンパンマンか……」と軽くツッコミを入れながら、頭を捻る。

 

「でも、教室で浮いているのも確かだろう?」

 

「『?』『僕が浮く?』『過負荷(マイナス)である僕が?』『何の冗談ですか静先生』『過負荷(ぼく)が浮くわけないじゃ無いですか』『寧ろ沈んでるまである』」

 

「……………。

まぁ、どちらにせよ。教室に馴染んでないのは事実なんだ。それでお前に提案がある。部活もやってないんだ。お前には奉仕活動をしてもらう」

 

比企谷は奉仕活動と聞いて頭に美少女が裸エプロンで傅いてる姿を妄想する。

 

「着いてこい」

 

椅子から立ち上がり、職員室のドアに向かって歩く平塚に少し遅れてついていく比企谷。

 

「『何処に向かってるんです?』」

 

比企谷は無言で目の前の歩いている平塚に質問する。

 

「それはついてからのお楽しみだ」

 

平塚は歩きながら少し振り向きウインクする。

 

「『…………』」

 

これは聞いても無駄だと思い、比企谷も無言になる。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

目の前の教室。

こんなところ使われてたかな?と思いながらプレートを見ると何も書かれていない。比企谷は立ち止まった平塚に聞く。

 

「『ここどこです?』」

 

「入るぞ」

 

比企谷が質問するが、それに応える事はなく先に戸を開く。

 

教室の後ろには無造作に机が並べられており、倉庫のような役割をしているように見えた。それ以外に特に見るべきものは無く、いたって普通の教室だ。

 

教室の中央に静かにこちらを見る少女が居なければ、だが。

 

比企谷はこの少女を何処かで見た事があるような気がした。

うーん、と頭を悩ましてみるがすぐに覚えてないということは大したことはないだろうと考えるのを止める。

 

他人に興味が無い比企谷でさえ見覚えがあったのも無理はない。

この少女の名前は雪ノ下雪乃。

国際教養科である2年J組に属しており、学力テストでは常に学年1位、運動神経も並外れて良く、さらりと艶やかな黒髪の長髪が綺麗な美少女、そんな彼女は校内ではかなり有名である。

 

彼女は読んでいた本を膝に置き、溜息混じりの息を吐いて

 

「平塚先生。入る時にはノックを、とお願いしていたはずですが」

 

「ノックをしても返事をした試しがないじゃないか」

 

静はコツコツと雪ノ下に近づきながら片手を上げて言い訳する。

 

「返事をする暇なく、先生が入ってくるんですよ。

それで……」

 

雪ノ下は平塚の後ろに隠れるように立っている比企谷を見る。

 

「そこの……気持ち悪い人は誰は?」

 

直球。見て直ぐに思った感想をオブラートに包む事をせず直球で言う。

 

「『僕かい?』『僕は比企谷八幡』『探偵さ!』」

 

ニコニコと薄っぺらい笑みを浮かべて平塚の影から出てくる。そして、某身体は子供頭脳は大人な探偵のように人差し指を雪ノ下に向けながらキメ顔で言う。

 

「………貴方、それ面白いと思ってるの?それに真実どころか事実も見つけられなさそうな顔してるわ、貴方」

 

「『あはは』『手厳しいなぁ』『でも心配しないで!』『僕は確かに事実も真実も見つけられないけど』『隙なら見つけられるから』」

 

比企谷は自分が誰よりも弱く貧弱で脆弱で薄弱で虚弱で軟弱で微弱で情弱でそしてなにより卑怯だということを自覚している。

あらゆる弱さの塊であるからこそ比企谷は相手の弱点や隙を見つけるのが得意だ。

 

「貴方は嫌な人間ね。初見で嫌いだと思ったけれど話してみると更に嫌いになったわ」

 

「『大丈夫』『嫌われる事には慣れてるから』」

 

キッと睨みつける雪ノ下。それにニコニコと笑顔で返す比企谷。

 

そんな2人を宥めるように手を動かしながら2人の間に入る。

 

「まぁまぁ。それで用件なんだが…

こいつを入部させたいんだ」

 

比企谷を親指でクイッと指差しながら平塚が言う。

 

「嫌で『先生』」

 

雪ノ下は即答で拒否の言葉を言うが、比企谷がそれに被せるように平塚を呼ぶ。

 

「『入部なんて聞いてないなぁ』『ホウレンソウは社会人には大切なことなのに』『つまり、先生の言うことを聞かずに入部しなくても』

 

『僕は悪くない』」

 

いつものニコニコとした笑みを浮かべたまま飄々と言い放つ。

 

「ッ」

 

何故か雪ノ下はその笑顔を見て、姉である雪ノ下陽乃を思い出す。

それは無理からぬ事だ。比企谷が浮かべている笑顔が雪ノ下陽乃と一緒で仮面であるから。

 

「確かに急な話だが、それでも入ってもらうぞ。お前の異論反論講義質問口答えは一切認めない」

 

平塚はそんな比企谷をばっさりと一刀の元切り捨てる。

 

「『はぁ』『でも仕方ないか』『こんな理不尽は何時ものことだ』『うん』『ヘラヘラ笑え僕』」

 

「私は認めたわけではありませんよ」

 

何か勝手に納得してしまった比企谷をジト目で見ながら雪ノ下は不満気に言う。

 

「見ての通り、こいつはこんな性格をしているからな。クラスに馴染めて無いんだ。だから、この部でこいつの性格を更生してもらう。それが私の依頼だ」

 

それを聞き、雪ノ下は別に乱れてもない襟元を整えながら身を守るように腕で胸元を隠す。

 

「お断りします。見ているだけで悪寒が止まりませんし、何やら裸エプロンにされそうな視線をしてます」

 

その言葉に心外そうな顔をする比企谷。

 

「『裸エプロン?』『そんなもの、幼稚園児にでも見せておけ!』『僕の今のトレンドは!』『手ブラジーンズさ!!』」

 

ドヤ顔でこれなら構わんだろ!みたいな目をする。

 

「……………」

「……………」

 

それに何とも言えない顔をする雪ノ下と平塚先生。

 

「ま、まぁ、こんなやつだから頼むよ」

 

平塚先生は気を取り直す様に言ってからソソクサと扉の方へ向かいピシャッと戸を閉めて出て行ってしまう。

 

「………はぁ、確かに更生どころか矯正した方が良さそうだけど。まぁ、取り敢えずは歓迎するわ。ようこそ、比企谷くん」

 

そう言ったきり、本に目を向ける雪ノ下。

 

「『歓迎されるなんて生まれて初めてだよ』『座ってもいいかな?』」

 

比企谷は教室の後ろに山積みにされた教具の中から余った椅子を引っ張りだして雪ノ下の数メートル隣に座る。

 

「……………」

「『……………』」

 

無言。

 

どちらも会話を切り出さない。そのせいで又はそのおかげで、窓の外の小鳥の鳴き声が、校庭の運動部の声が、車のエンジン音が、普段は聞き漏らすような雑多な音がよく聞こえ2人の間に流れる。

 

「『〜〜♪』」

 

暫くすると比企谷はやる事も無く、暇になったのかカバンの中から週刊少年ジャンプを取り出して鼻唄混じりに読み出す。

 

「……………」ペラ

 

雪ノ下が小説のページをめくる。

 

「『〜〜♪』」ペラ

 

少し後に比企谷もジャンプのページをめくる。

 

「……………」ペラ

 

「『〜〜♪』」ペラ

 

「……………」ペラ

 

「『〜〜♪』」ペラ

 

その状態が数分続いた後、唐突に雪ノ下がぱたんと本を閉じた。

 

「ねぇ、貴方この部活が何なのかとか、どんな事をしたらいいのかとか、気にならないの?」

 

「『〜〜♪』『ん?』『別に?』『無理矢理入らされたこの部活に興味なんてミジンコ一匹分も無いし』『過負荷(ぼく)に出来ることなんて一つも無いからね』」

 

雪ノ下は頭が痛そうに手で額を抑える。

 

「…………はぁ、取り敢えず貴方が面倒な人間だということが良く分かったわ。たとえ出来なくてもやらない理由にはならないでしょう。取り敢えずは自己紹介でもしましょうか。私は雪ノ下雪乃。貴方は?」

 

「『さっき名前を呼ばれた気がするけど』『まぁいいや』『僕は2年F組比企谷八幡』『よろしくね』」

 

「全然よろしくしたくないけれど、平塚先生直々の依頼だから仕方ないわね。それでこの部活が何部だって話だったわね。そうね、なら逆に質問しましょう。貴方は何部だと思うの?」

 

「『そうだなぁ』『さっきから言ってる「依頼」って台詞から察するに』『「何でも屋」的な部活かな?』」

 

雪ノ下が意外そうな顔をする。

 

「当たらずも遠からず、というところね。

…持つ者が持たざる者に慈悲の心を持ってこれを与える。人はそれをボランティアと言うわ。

改めて、ようこそ奉仕部へ。歓迎したくないけれど」

 

ただ依頼を解決するんじゃなく、依頼者のサポートをして依頼者自身の手で解決に導くのがこの部活だ。

 

「『奉仕部ねぇ』『持たざる者の代名詞と言っても良い僕に何かを施させるなんて』『全くどれだけ僕から絞り取れば気が済むんだ』」

 

「今回の貴方は施される側の人間よ。良かったわね。感謝して咽び泣きなさい」

 

雪ノ下はフンと鼻で笑う。

 

「『こんな哀れな僕に何か施してれるのかい?』」

 

「既に居場所を与えてるじゃない。良かったわね。 居場所があるだけで、 星となって燃えつきるような悲惨な最期を迎えずにすむのよ」

 

「『何の引用かは分からないけど』『僕に居場所なんて無いよ』『辛うじて』『僕の部屋のベットの上だけが僕のいるべき場所かな』」

 

「宮沢賢治も知らないなんて、少しは勉強した方がいいんじゃないかしら。一般教養よ」

 

「『過負荷(ぼく)に普通を求めたらダメだよ』」

 

それに雪ノ下は呆れた様にため息を吐く。

 

「取り敢えず、会話シュミレーションはこれでお終いね。私のような美少女とお話しできるのだったら、誰とでもできるでしょう」

 

ニコリと天使の様な笑みを浮かべて、慈愛に満ちた表情をする雪ノ下。

 

「『いやいや』『僕は元々誰とでもお話しできるよ?』『ただ』『相手が耐えられないだけで』」

 

比企谷は会話をしようと思っても、相手が先に気持ち悪さに耐え切れずに終わってしまうのだ。

 

「じゃあ、その気持ち悪さを直しましょう。貴方は変わらないと社会的に問題だわ」

 

「『例え社会的に問題だとしても』『それは社会が問題であって』『僕が問題なわけじゃない』『つまり僕は悪くない』」

 

そう言った瞬間、ガラと戸が開く音がした。

 

「雪ノ下ー。じゃするぞー」

 

そこから、ヒョコと顔を出したのは先程退室した平塚先生だ。

 

「先生。ノックを」

 

ツカツカと入ってくる平塚に対してさっきと同じことを雪ノ下は言おうとするが「悪い、悪い」とあしらわれる。

 

「どうやら、比企谷の更生に手間取っているようだな」

 

チラッと比企谷を見ながらも言う。

 

「本人が問題点に自覚がないせいです」

 

そこに比企谷が待ったをかける。

 

「『おいおい』『欠点だろうと弱点だろうと問題点だろうと』『それも合わせての個性だぜ』『大切にしろよ』」

 

「確かにそうね。貴方の言うことは一理あるわ。だけど、社会では個性より協調性が求められるのよ。学校とは社会に出られるように(そだ)(はぐく)む所よ。貴方がまともな職に就けるようにしなくちゃならないのよ」

 

「『じゃあ』『やっぱり問題点があるのは』『僕じゃなくて社会じゃないか』」

 

白熱しそうになる比企谷と雪ノ下の言い合いに平塚が間に入る。

 

「まぁ、2人とも落ち着きたまえ。

古来より二つの正義がぶつかる時は勝負で雌雄を決するというのが少年マンガの習わしだ」

 

「『最近のジャンプは変化球も多いですけどね』『アンチヒーローとか』『ダークヒーローとか』」

 

比企谷はそれに見当違いのツッコミを入れる。

 

「つまりだ!この部でどちらがより奉仕できるか勝負だ!」

 

平塚は比企谷のツッコミを無視して、ビシ!と2人に指差してポーズをとる。

 

「『強引だし唐突だなぁ』『まるで週刊連載のようだぜ』」

 

「勝った者は負けた者になんでも命令できるというのはどうだ?」

 

それに比企谷と雪ノ下両名が反応する。

 

「『言質は取りましたよ』『先生』『つまり!』『雪ノ下さんを手ブラジーンズにしても構わないということですね!』」

 

いつも濁っている眼をキラキラと輝かせて期待の眼差しを向ける。

 

「いやそれはダメ。警察沙汰になる」

 

「…………なん……だと」

 

その言葉に膝をガクと床につけて、いつも付けている括弧すら外して本気で凹む比企谷。

 

その本気さに流石に哀れんだのか平塚が

 

「パ、パンツくらいなら……」

 

と口走ってしまう。

 

ガバッと起き上がる比企谷。

 

「『久し振り本気で勝ちに行きますよ』『僕は』」

 

いつものヘラヘラとした気持ちの悪い笑みをやめて、やる気溢れる顔をする。

平塚はいつもこんな調子だったら少しはモテるだろうに、と思ったのは内緒だ。

 

「先生、何勝手な事を言ってるんですか……」

 

雪ノ下がジト目で平塚を見ながら、責めるように言う。

 

「す、すまない。つい、な。まぁ雪ノ下なら負けることは無いだろう。あいつは勝てないからな」

 

その言葉に雪ノ下が首を捻る。

 

「?……どういう意味です?」

 

「あいつは不幸の星の元に生まれたと言っても過言ではない。友達もできず、努力もできず、勝利も出来ない。一度でも勝てれば変われるとおもうのだが、な」

 

雪ノ下は何か思うことがあったのか「分かりました。その勝負お受けします」と意思のこもった顔で言った。

 

「決まりだ」

 

こうして2人の仁義なき戦いが始まる?




思いつきで書いたので続きが有るかは不明。


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由比ヶ浜結衣のクッキー作り

全然、過負荷っぽく出来なかった……。コレジャナイ感がすごい。作者が書くにはキャラが濃ゆすぎましたわ……。
しかも、まだ原作の1巻の半分しか読んでないんですけど、アニメでカットされてる部分の多さに驚くという。1話投稿した後に、この話書くためにアニメを見ながら、どうしようかなーと悩みながら書いてると文字数がたまげた数字になってるし。


比企谷が奉仕部なる部活に入部した翌日の放課後

 

比企谷八幡は昨日、平塚に言われた通りに奉仕部の部室に来ていた。依然何も書かれていないプレートが目印である。

 

「『こんばんは』『あれ?』『雪ノ下さんもう居るんだ』『早いね』」

 

授業が終わり、誰とも話すことなくここまで来た比企谷は雪ノ下はまだ来ていないだろうと思っていたのだ。

 

「貴方が遅いのよ、比企谷くん。それに現在(いま)の時間帯は「こんにちは」よ。まともな挨拶も出来ないのかしら。それとも太陽も見えない盲目なのかしら」

 

雪ノ下は小説から目を離さずに、比企谷に話しかける。

 

「『今日も毒舌が輝いてるね』『雪ノ下さん』『それに』『粗探しが上手だ』『細かいとも言えるけど』『粗しかない僕の粗を探そうたってそうはいかない』『一晩中探しても無くならないよ』」

 

比企谷は昨日と同じで、雪ノ下の数メートル横に置いてある椅子にドカッと座り、肩にかけていた鞄を椅子の横の床に置く。

 

「そうね。まるで欠陥品だわ。駄目なところばかり。でも、まさか来るとは思ってなかったから意外だったわ。律儀なのね」

 

「『まさか』『僕はただパンツを見に来ただけだよ』『負ける覚悟は出来てる?』『雪ノ下さん』『いや』『正確にはパンツの準備はできてる?』『僕的にはクマさんパンツでも構わないけど』」

 

比企谷は鞄の中から週刊少年ジャンプを取り出しながら、ニコッと気持ちの悪い笑みを作る。

 

「律儀と言ったさっきの言葉は取り消すわ。死になさい。エロがやくん」

 

「『雪ノ下さん沸点低いな〜』『雪ノ下だけに氷点下ってね〜』『あはは〜』『それと』『雪ノ下さんのパンツを見ることができたら』『僕の生涯に一片の悔いは無いよ』」

 

「私は可愛いからそれも仕方ないと思うわ」

 

「『うわ』『凄い自信過剰』『もしかしなくても』『雪ノ下さんって友達いないでしょ』」

 

なんの躊躇もなく、失礼なことを言う比企谷に流石の雪ノ下も眉がピクリと持ち上がる。

 

「……………そうね。まず、何処から何処までが友達なのか定義してもらっても……」

 

「『隠さなくても良いよ!』『大丈夫』『心配しなくても人間は』『友達がいなくても生けていけるから』『ソースは僕』」

 

小説から顔を上げる雪ノ下。

 

「『それにしても』『雪ノ下さんって人気者だから』『友達いっぱい夢いっぱいなんだと勘違いしてたよ』『あ!』『ついでに言うと』『夢もなくても生きられるよ!』」

 

「貴方には分からないわよ」

 

雪ノ下はスッと椅子から立ち上がり、コツコツと窓際の机の上に置いてある鞄の元へ向かう。

 

「私は昔から可愛かったから、近づいてくる男子はみんな好意を持っていたわ」

 

「『へー』『あ』『逆ハーレムってやつ?』『じゃあ聞きたいんだけど』『ハーレムってどんな感じなの?』『本当は普通のハーレムが良いんだけど』『僕は日本人だから遠慮して逆ハーレムで我慢しとくよ』」

 

何か重苦しい顔をしている雪ノ下に躊躇もなく、空気も読まずに変なことを聞く比企谷。

 

「……………。ふふ、そうね。本当に誰からも好かれるなら逆ハーレム?って言うのを作っても良かったかも知れないわね。今じゃ全然考えられないけれど」

 

鞄の横に置いてある先程まで読んでいた小説とその続きの小説を取り替え物憂げに空を見る。オレンジ色の太陽の光が雪ノ下の頬を濡らす。その姿はまるで有名な絵画を貼り付けたように様になっていた。

 

「小学校の頃、60回ほど上履きを隠された事があるわ。そのうち50回は女子からだったわ」

 

空から目を離し、椅子まで戻っていき、そのまま座る。

 

「そのせいで私は毎日上履きとリコーダーを持って帰らないといけなかったわ。はぁ」

 

当時の事を事を思い出したのか小さくため息を吐く雪ノ下。

 

「でも、それも仕方がないと思うわ。人はみな完璧ではないから。弱くて、心が醜くて、すぐに嫉妬し蹴落とそうとする。不思議なことに優れた人間ほど生きづらいのよ、この世界は。そんなのおかしいじゃない。だから変えるのよ、人ごと、この世界を」

 

普通の人間が聞けば何も巫山戯た事をと笑うだろう。だが、雪ノ下の本気の眼だった。何処までも愚直に真摯に生真面目に本気だった。

優れた人間程生きにくい。それは、雪ノ下の経験則だ。ただ、それを雪ノ下は信じていた。確信を得ていた。この過負荷(比企谷八幡) という男を見るまでは。だからだろう。この話しをしてみようと思ったのは。この過負荷(おとこ) はこの話しを聞いて、どういう反応を見せるか気になったのだ。

 

チラリと雪ノ下は比企谷を見る。

 

「ッ!」

 

そして、雪ノ下は目を見開く!なぜならそれは

 

「『〜〜♪』」ペラ

 

週刊少年ジャンプを昨日と同じように鼻唄混じりに楽しそうに読んでいたから。

 

雪ノ下は胸の中にふつふつと湧いてくる怒りを抑えながら、必死に平静を装う。

 

「比企谷くん。貴方、人が話してるのに漫画雑誌なんて読んで……。聞いていたのかしら?」

 

すると比企谷は眼をジャンプから話して笑顔を作る。

 

「『うん』『聞いてなかったからもう一回話してよ』『その詰まらない話し』」

 

「貴方………ッ!」

 

本格的に雪ノ下が怒ろうとした瞬間、比企谷が両手を挙げて雪ノ下に落ち着くように動かす。

 

「『嘘だよ』『嘘』『ちゃんと聞いていたよ』『あれだろ、あれ』『雪ノ下さんの壮絶な不幸自慢だろ』『全く』『不幸の塊たる過負荷(ぼく) に対して不幸自慢するなんて』『皮肉なやつだぜ雪ノ下さんは』『過負荷(マイナス) の才能がある』」

 

「不幸自慢なんてしてないわ。ただ私は……」

 

雪ノ下は比企谷が自分が言いたかった事とは違う巫山戯た事を言い始めたので止めようとする。が、比企谷は

 

「『違わねぇよ』『雪ノ下さんは「私、こんな不幸な事があったんですぅ〜」って可哀想に思われたいんだ』『まるで自己顕示欲と承認欲求の塊だね』『きもちわりぃー』」

 

比企谷の言葉の一つ一つが雪ノ下の心を抉る。雪ノ下は比企谷 (マイナス) というものを甘く見ていた。後悔していた。こんな人間期待したことを。そして同時に驚いていた。何故ここまで人を不快にさせる事が出来るのか、と。

 

「……………」

 

雪ノ下は何か言うわけでもなく、比企谷をただ睨みつける。

 

「『なぁんて!』『これも嘘!』『そんな怖い顔しないで』『雪ノ下さんが言ってることは正しいよ!』『世界がおかしい!』『社会がおかしい!』『だから』『君は悪くない!』」

 

比企谷はパァ、と笑顔を作りまるで先程の会話が何もなかったかのように振る舞う。

 

「元々、私が悪いだなんて言ってないのだけれど」

 

「『そうだね』『その通りだ』『でも』『「優秀な人間ほど生きずらい」なんて言うのは信じないけどね』『だって』『僕は優秀じゃ無いのに生きずらいもの』『いや』『そうだな』『……逆に考えるんだ!』『僕は優秀なんだと!』」

 

まるで死に瀕した波紋使いのようにハッとした表情をして叫ぶ比企谷。

 

「いえ、それは無いわ。貴方は確かに劣悪よ。でも、初めて知ったわ。劣悪過ぎたら、生きずらいのね。ありがとう比企谷くん。貴方から教えてもらった事は糧にして、貴方の事は忘れるわ」

 

「『そんな』『酷いよ』『僕たちもう友達だろう?』」

 

「ごめんなさい。それはないわ」

 

ヨヨヨ、と態とらしい嘘泣きをして、チラリと見てくる比企谷をばっさりと切り捨てる雪ノ下。

 

「『ええー』『なんでー』」

 

「貴方の弱さを肯定する部分嫌いだもの」

 

「『それは仕方ないよ!』『だって僕は地球上で最も弱い生き物だと自負しているんだから!』『弱さしか自慢するところが無いんだから仕方ないよね』『でも雪ノ下さんは僕の事が嫌いみたいだから』『無理には友達にはならないよ』『ほら』『僕は悪くない』」

 

「………そう」

 

雪ノ下はそのままさっき取り替えた小説を開き、視線を落とす。それを見て、比企谷も再度ジャンプを読み始める。

 

----コンコン

 

2人の会話が終わったのをまるで見計らったかのようなタイミングでノックがある。その瞬間、キラリと比企谷の目が光る。ノックをするということは、平塚ではないだろう。十中八九依頼者だ。つまり、パンツを見れるかどうかの一大勝負の幕開けになる。

 

「どうぞ」

 

雪ノ下が応えると、ガラッと戸が開いて女生徒が入ってくる。

 

「失礼します……」

 

入ってきたのは童顔でピンク色の髪の毛で頭頂部にはお団子がついており、後ろ髪を肩の辺りまで伸ばしている女生徒。見た目は所謂女子高生らしい姿で制服を着ているが所々女の子らしいポイントが見られる。そして、比企谷が1番驚いた、というより注目したのはその胸の大きさである。雪ノ下がまな板だとするとこの女生徒はメロン。つい「『でかパイだぁ』」と聞こえないように呟いてしまう比企谷。

 

「平塚先生に言われて来たんですけど………」

 

女生徒は開けた戸をお利口にも後ろを向いてゆっくりと閉めてから此方に振り向く。

 

そして、比企谷の存在に気づいた瞬間、目を見開いて指を差す。

 

「あー!なんでヒッキーがここにいんの!?」

 

この女生徒の言っているヒッキーとは自分の事だろうな。と判断した比企谷が応える。

 

「『うん?』『そんなの』『僕が部員だからに決まってるじゃないか』『それより僕は君のこと知らないんだけどなぁー』」

 

「はぁー!?ヒッキー同じクラスでしょ!?」

 

「2年F組由比ヶ浜結衣さん、よね。とにかく座って」

 

雪ノ下はこの女生徒ーーー由比ヶ浜結衣が座る為の椅子を教室の後ろに置いてある余った椅子の中から取り出してから、言う。

 

そんな雪ノ下を見て、パァと顔を明るくして、雪ノ下が出した椅子に座る由比ヶ浜。

 

「私の事知ってるんだ!」

 

嬉しそうに言う由比ヶ浜。

 

「『へー』『雪ノ下さん』『凄いなぁ』『ひょっとして』『全校生徒の名前を知ってたりする?』」

 

「いいえ、そんな事は無いわ。貴方の事なんて全く知らなかったもの」

 

「『そうなんだ』『ああ』『でも』『気にしなくてもいいよ』『僕なんて』『今の総理大臣の名前すら知らないからね』」

 

「それは気にした方がいいと思うのだけど。まぁ、貴方なら仕方ないわよね。貴方なら」

 

「『そんな言い方されると』『まるで僕が特別みたいじゃないか』『照れるなぁ』」

 

「皮肉が通じないほど馬鹿な人間って幸せよね。だって、傷つくことが無いんですもの」

 

「『それは僕の事を言ってるのかい?』『雪ノ下さんは冗談が上手いなぁ』『確かに僕はバカだけど』『バカ過ぎて幸せすら感じられないんだ』『そんな僕は不幸かな』」

 

比企谷と雪ノ下の会話が進むに連れて、由比ヶ浜の瞳がキラキラと輝いていく。

 

「なんか……楽しそうな部活だね!!」

 

雪ノ下がえ?と不思議そうな顔をする。

 

「それになんかヒッキー凄い喋るよね!」

 

「『そうかい?』『そんなつもりはなかったんだけど』」

 

比企谷が由比ヶ浜に眼を向けると、椅子から立ち上がり「えっと、その、あの、」と両手をブンブンと振った後、チョコンと座り直して由比ヶ浜は照れるように前髪を弄り始める。

 

「なんつーか教室だとヒッキージャンプを読んで1人で笑っててキモいし」

 

由比ヶ浜がそう言った瞬間雪ノ下は「貴方そんな事してるの?」と冷たい視線を向ける。

 

「『あはは』『初対面でdisられるのは慣れてるけど』『由比ヶ浜さんみたいな可愛い娘に言われたら傷つくなぁ』」

 

由比ヶ浜が座っていた椅子が後ろに数cm下がるほど勢い良く立ち上がる。

 

「は、はぁ!?か、可愛いとか急に言うとかキモいし!!」

 

「『へぇ』『由比ヶ浜さん』『可愛いとか言われなれてると思ってたけど』『意外とウブなんだね』『見た目はそんなんなのに』」

 

「そんなんってなんだし!」

 

両手をブンブンと上下に振って、比企谷に抗議する由比ヶ浜。

 

「『うーん』『なんていうか』『まぁ』『簡単に言うと』『アソビ慣れてる?』」

 

「わ、私はまだ処j…………あ、う、うはーうはー!な、なんでもない!」

 

勝手に自滅して赤面している由比ヶ浜に雪ノ下が顎に手を当てながら冷静にフォローを入れる。

 

「別に恥ずかしい事ではないでしょう?この年でまだヴァー「うわーうわー!!」」

 

とんでもない事を普通に言おうとしている雪ノ下に由比ヶ浜が大声で被せるように叫んで打ち消す。

 

「ちょっと、何言ってんの!?高2でまだとか恥ずかしいよ!雪ノ下さん女子力足んないんじゃないの!?」

 

「くだらない価値観ね」

 

フンと鼻で笑う雪ノ下。

対して比企谷は「『処女ビッチか……』」と小さく呟いてから

 

「『由比ヶ浜ちゃん由比ヶ浜ちゃん』『この場にいる男を代表して言うけど』『ポイント高いよ!』」

 

ビッ!と親指を立てて、いい笑顔でサムズアップする比企谷。

由比ヶ浜は「そ、そうかな…」と納得しかけるが

 

「ていうか!ヒッキーなんで「ちゃん」付けで読んでるの!キモいし!」

 

「『由比ヶ浜さんこそ』『ヒッキーってなんで言ってるの』『勝手にあだ名付けるとか』『ユイユイまじキモいし』」

 

最後だけ由比ヶ浜の真似をして言う比企谷。それに由比ヶ浜は顔を赤くして怒る。

 

「な……!こ、の!本当うざい!キモい!それにマジあり得ない!!」

 

そんな2人を見ながら雪ノ下は「はぁー」と長い溜息を吐く。

 

「『あり得ないなんてことはあり得ない!』『なんて言えばカッコいいよね』『使い所が全くないけど』」

 

「ヒッキー意味わかんない」

 

「『過負荷(ぼく) の事は過負荷(ぼく) にしか分からないよ』」

 

「どういうことだし!もっと分かりやすくいえし!」

 

「『由比ヶ浜さんは手がかかるなぁ』『まぁ』『めんどくさいから分かりやすくなんてしないけど』『あ』『でも』『処女なら奪ってあげるよ』『さっき恥ずかしいって言ってたよね』『大丈夫』『僕はフェミニストを自称してるから』『僕が生物としての本能に負けなかったら』『優しくしてあげるよ』」

 

ガタッと椅子から立ち上がり、比企谷は由比ヶ浜に近づいていく。

 

「えっ?えっ?」

 

由比ヶ浜は唐突な比企谷の変わりように戸惑ってしまう。

 

「『二度』『「処女が恥ずかしい」なんて言えなくなるけど』『由比ヶ浜さんが望んだことだからね』『仕方ないよね』『僕は悪くない』」

 

比企谷八幡は誰にも何にも勝てたことが無い。つまり、生物としての本能なんかに比企谷が勝てるわけがない。簡単に言うと、優しくしないということだ。

 

ついに比企谷の手が由比ヶ浜の胸部……おっぱいに触る!という間近で雪ノ下が声をかける。

 

「比企谷くんいい加減にしなさい。それ以上したらブタ箱行きよ」

 

いつの間にか取り出していたのか、雪ノ下の手にはケイタイがあり、そこには110と表示されている。

 

「『あーあ』『第三者である雪ノ下さんがいるこの場でやるべきでは無かったな』『やっぱり』『僕は勝てなかった』」

 

由比ヶ浜の胸に向けていた両手を離して、肩を竦める比企谷。

 

「あ………、え、へ?」

 

依然、由比ヶ浜は話しについて行けてなく、ただ意味のない声を漏らしている。

 

「『どうしたの由比ヶ浜さん』『もしかして』『本当に犯されるとか思ってた?』『そんなことするわけないじゃないか』『でも少しは分かったでしょ?』『過負荷(ぼく) がどういう人間か』」

 

そんな由比ヶ浜を見て、比企谷はニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて、嘲るように言う。そこで由比ヶ浜が全部演技だったことに気がつく。

 

「な、なぁ〜〜〜!!!ヒッキー!ジョーダンにしては趣味悪すぎだし!私、本気で怖かったんだからね!」

 

「『え?』『冗談なんかじゃないよ?』『由比ヶ浜さんが本当に望むなら』『何時でも何処でも誰とでも』『襲ってあげるよ』」

 

「ヒッキーやっぱりキモい!」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

その後も暫く、由比ヶ浜と比企谷のやりとりが続いたが、雪ノ下が「貴女なんのために来たのかしら……」と呆れた様に呟かれたことで由比ヶ浜が

 

「...あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?

 

と本題を切り出した。

 

「『へ?』『そうなの?』『雪ノ下さん』『実際』『奉仕で勝負なんて言われてたけど』『やること全く知らないんだよね』『僕』」

 

すると雪ノ下は顎に手を当てて

 

「由比ヶ浜さんの言っている事とは少し違うわね。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかは貴方しだいよ」

 

「『ふーん』『つまり』『「叶わなくても当社は一切の責任を負いません」って事だね』『うわぁ』『僕ほどじゃないけど』『雪ノ下さんズルいなー』『卑怯だなー』」

 

アホな由比ヶ浜になるべく悪印象を持たせる様にいう比企谷。事実、由比ヶ浜は「え!そうなの!?」と何も分かってないのに驚いている。

 

「貴方……!」

 

雪ノ下はキッと比企谷を睨みつける。が、当の比企谷はどこ吹く風でピュ〜と下手な口笛を吹いている。

 

「つまりね、由比ヶ浜さん。飢えた人に魚を与えるか、魚の取り方を教えるかの違いよ。ボランティアとは本来そうした方法論を与えるもので結果のみを与えるものではないわ。自立を促す、というのが一番近いのかしら」

 

小難しく説明する雪ノ下。するとまたもや、アホな由比ヶ浜は「な、なんか凄そうだね!!」と、よく分かってないのに感心したように頷く。ほえーと擬音が聞こえてきそうだ。心なしかいつも冷たい雪ノ下の眼が「大丈夫かしら…」と心配しているように見える。

 

「『でも』『それってまるで良い事のように聞こえるけど』『自立出来てないよね』『自立するのにも自分でやらなきゃ』『だって』『自分で立ってこその自立でしょ?』」

 

そこで茶々を入れる、水をさす、話の腰を折るのが比企谷八幡と言う過負荷(おとこ)だ。

雪ノ下も慣れたように対応する。

 

「そんな事は無いわ。確かに他人の力は借りてるけれど、最後の決め手は自分にあるんだから」

 

「『でも』『それは自信に繋がるのかな?』『最後の最後が自分でも』『他の殆どが他人の力なら』『それはどうかな』」

 

「…………。例え、始めがそうでも2回3回とやっていけば、自ずと自信が付いていくでしょう。それに、天才は1%のひらめきと99%の努力って言われるでしょう?例え99%他人の力だったとしても1%自分の力が無いと全てが台無しなのよ」

 

また目の前で言葉の応酬が始まってしまった由比ヶ浜はもう一度本題に入り直そうと「あのッ!」と大声で2人を止める。すると、その声に驚いて2人は由比ヶ浜の狙い通りに言い合いをやめてしまう。だが、由比ヶ浜は急に集まってしまった視線に「あの、えと、その……」と焦って要領を得ない対応になる。がそれでも、雪ノ下を冷静にさせるには十分だったらしく、素直に頭を下げる雪ノ下。

 

「ごめんなさい。由比ヶ浜さん。私とした事が依頼者(あなた) を置いて熱くなってしまったわ。それで依頼の事だけど」

 

「あ、うん。あのね、そのクッキーを……」

 

と言いながら、由比ヶ浜はチラリと比企谷の方を見る。比企谷本人は全く気付いていなかったが、雪ノ下はそれだけで大体を察したらしく

 

「比企谷くん。自動販売機でジュースを買ってきて」

 

と遠回りに暫く退室して貰えるように頼む。

 

「『えー!』『絶対に嫌だよ!』『いくら僕が弱いからってパシリになるつもりは全くないよ!』」

 

「貴方の分のジュース代もあげるわ」

 

雪ノ下は財布から小銭を取り出して、比企谷に渡す。そこには丁度2人分のお金があった。

 

「『是非行かせてもらうよ!』『小学校中学校で鍛えあげられた某アイシールドにも負けない俊足で帰ってくるから!』」

 

ババババッと普通なら見せない俊敏さで廊下へ消えていく比企谷。

 

「ヒッキーダサい」

 

流石の由比ヶ浜もこれには本心から罵倒の言葉が出てしまう。

 

「さて、邪魔者は消えたわね。依頼について教えてもらえるかしら」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「『買ってきたよ!』『雪ノ下さん』『いやー』『意外と自販機まで遠いんだね』『疲れたよ』」

 

特別棟三階にある奉仕部から一階の自動販売機まで早くても数分かかる。それをこの男はたった一分そこらで買ってきた。本当に俊足だったようだ。

 

「遅い」

 

だが、いくら普通より早いからと言ってそれで許す雪ノ下ではない。

 

「『あはは』『いやはや』『流石雪ノ下さんだ』『友達のいないだけのことはある』『人が必死に3人分のジュースを買ってきたというのに』『文句を言うだなんて』『やっぱり君には過負荷(マイナス) の才能があるよ』」

 

「貴方みたいなクズでグズな人と一緒にしないで欲しいわね。………ちょっと待って、確か私が渡したお金は貴方と私の分だけだった筈だけれど?」

 

雪ノ下が比企谷に渡したのは2人分しかない。それなのに比企谷は3人分と言った事に疑問を持つ雪ノ下。

 

「『それはもちろん』『由比ヶ浜さんの分だよ』『はい』『由比ヶ浜さん』」

 

比企谷は由比ヶ浜のところまで行って、ポンと渡す。

 

「あ、ありがと」

 

おずおずと受け取る由比ヶ浜。

 

「『うん』『感謝して飲んでね』『わざわざ自腹切って買ってきたんだ』『それだけの感謝はしてもらわないと』」

 

雪ノ下は心底意外そうにする。

 

「まさか貴方がそんな人間だと思ってなかったわ。見直したくなかったけれど、見直したわ」

 

「『言っただろう?』『僕はフェミニストなんだ』『それに』『好感度を上げておけば』『処女が貰えるかもしれないだろう?』」

 

「…………。貴方の事見直したってさっきの台詞取り消すわ。やはり、貴方はクズね」

 

一気に軽蔑した眼に変わる雪ノ下。豹変ぶりが凄い。

 

「『そんな事』『何度も言わずとも分かってるよ』『それで』『話しは進んだのかい?』」

 

「ええ、貴方がいないおかげでスムーズに話しが進んだわ。ありがとう」

 

「『僕のおかげか……ふふっ』『変な気分だ』『そんなこと今まで言われたことなかったな』『そして、これからもないっ!!』」

 

「やっぱり貴方には皮肉が通じないわね」

 

「『そんな事はないよ!』『僕の純情ハートが傷心ハートになるくらいに』『通じてるよ!』」

 

由比ヶ浜は雪ノ下と比企谷の言い合いを見ながらに、ストローをジュースパック刺して、チューチューと飲み始める。依頼者なのに完全に傍観者だ。まぁ、由比ヶ浜は楽しそうに見ているが。

 

「ああ、また貴方と馬鹿な会話をしてしまったわ。馬鹿って移るのね。まるで病原体ね。はやく隔離病棟に連れて行った方がいいんじゃないかしら」

 

「『そんな事をしたら病院が潰れてしまうよ!』『だから』『僕は今までどんな病気になろうと怪我をしようと』『病院に行ったことがないんだ』『そこまで考える僕が』『優しさの塊で有るのは明白だよね』」

 

「病院を潰すだなんて、もはや公害だわ。訴訟を起こされるのも目前ね」

 

そこまで聞いて、今までジュースを飲みながらの聞いていた由比ヶ浜が割り込んでいく。

 

「え!?ヒッキーって入学したばっかの時、交通事故で入院したよね!?病院行ってるよね!?」

 

「『ええ!!』『なんで由比ヶ浜さんがそんな事を知ってるんだい?』『もしかしなくてもストーカー?』『由比ヶ浜さんだったら』『僕のあんな事やこんな事包み隠さず教えてあげるのに』『直接聞かないだなんて』『嫌われ者は辛いぜ……』」

 

「え!あ、そ、その……、てかストーカーってなんだし!」

 

自分が言ったことを誤魔化す様にわーわー!と騒ぐ由比ヶ浜。

 

「比企谷くん、そうなの?」

 

「『うん?』『事故のことかい?』『車に引かれちゃってね……』『全く』『引くんならちゃんと殺せって言うんだ』『そしたら』『あんな痛い思いもしなくて済むし』『生命保険でお金もうはうはだったのに』『あの運転手は優しさがないよ』『僕を見習えって言うんだ』」

 

「……………そう」

 

少し顔に影が差す雪ノ下。

 

「『そういえば』『依頼はどうなったんだい?』」

 

「ああ、そうだったわ。比企谷くん、仕度をしなさい。家庭科室にいくわ」

 

「『家庭科室?』『何をするつもりだい?』『もしかして』『火事でも起こす?』『それなら』『若輩ながら僕も協力するよ』」

 

比企谷がまた馬鹿な事を言い出したとギロッと睨みつける。

 

「確かにガスコンロもあるけれど、私が居る限り火事(そんなこと) には絶対にならないわ」

 

「『そうかい?』『でも』『例え火事になったとしても』『この近代化していく社会の中』『今時IH調理器を使わない』『この学校が悪い』『つまり』『僕は悪くない』」

 

雪ノ下は意味不明なこじつけをする比企谷を無視して、由比ヶ浜に声をかける。

 

「じゃあ、行きましょう。こんなゴミ……じゃなかったクズを相手にしてるの日がくれてしまうわ」

 

ゴミからクズ。言い直しても大して変わってない上にもしかしたらより悪くなっている。

 

「う、うん」

 

由比ヶ浜はチラリと比企谷を見ながら、頷く。

 

「『ちょっと』『待ってよー』『僕は寂しかったら直ぐに死んでしまうだ』『ウサギより弱いんだぞ!』」

 

ガラリと戸を開け、教室から出て行く2人を追いかけて比企谷が言う。

 

「貴方1人で死んでくれるなら、すごく嬉しいわ。誰も加害者にならずに貴方が死ぬんだもの」

 

「『僕は生まれながらにして』『被害者だよ』『雪ノ下さん』」

 

こうして家庭科室に向かう3人。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

エプロン姿になった雪ノ下と由比ヶ浜を見ながら、比企谷が質問する。

 

「『結局』『何をしに家庭科室にきたんだい?』」

 

それに応えるのは由比ヶ浜。

 

「クッキー…。クッキーを焼くの」

 

「『ふぅん』」

 

「どうやら由比ヶ浜さんは手作りのクッキーを食べてほしい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女のお願いよ」

 

雪ノ下が由比ヶ浜の補足説明する。

 

「『へぇー』『なんとも乙女チックなお願いだなぁ』『そんなの』『女子力の低い雪ノ下さんじゃなくて』『友達に頼めば良いのに』」

 

「……なんで私の女子力が低いという話しになってるのかしら?貴方は私に喧嘩を売っているの?いいわ、買ってあげる。返品はないわよ」

 

こめかみに青筋を作り、とても不愉快そうに言う雪ノ下。

 

「『僕に言われてもなぁ』『最初に女子力低いって言ったのは由比ヶ浜さんじゃないか』『僕はてっきりその通りなんだと思ってたよ』『つまり』『由比ヶ浜さんが僕を騙したのが悪いのであって』『僕は悪くない』」

 

「えええ!?私ぃ!?」

 

簡単に由比ヶ浜を身代わりにした比企谷。由比ヶ浜は雪ノ下に睨まれた事で慌てる。

 

「貴方なんでそんな簡単に人を踏み台に出来るのかしら。思考回路が腐ってるんじゃないの?ダメよ。腐ったものは捨てないと」

 

「『あはは』『僕は貧乏性でね』『どんだけダメになろうと』『捨てられない人間なんだ』」

 

「そうね。貴方に腐ってないところなんて無いものね。腐ったものを捨てたら、貴方の全てを捨てないといけないもの。さて由比ヶ浜さん、こんな腐卵臭の漂う男は置いといて、クッキーを作りましょう」

 

由比ヶ浜をクッキー作りへと誘う雪ノ下。

 

「わ、わかった」

 

由比ヶ浜は少し俯きがちに応えた。

 

----十数分後

 

ボロッと由比ヶ浜が作ったうっかり人が死んでしまいそうな見た目をしている真っ黒なクッキー?が皿に盛り付けられる。

 

作る途中、ドボドボとバニラエッセンスを入れたり、ボウルたぷたぷに牛乳を入れたりしていた時も比企谷はいつも通りの気持ちの悪い笑みだったが、瓶一つ分のインスタントコーヒーを入れた時点で比企谷は珍しくも顔を青くしていた。完成品を見た今となっては頬も引きつってしまっている。

 

「理解できないわね……。どうすればここまでミスを重ねられるのかしら」

 

片手で頭を押さえながら、眉間に皺を寄せている雪ノ下。

由比ヶ浜は苦い匂いを放っているクッキーを見ながら

 

「でも、食べて見ないことには分からないよね!」

 

とポジティブな発言をする。

 

「まぁ、そうね。ここには自称フェミニストがいるし。味見してくれるでしょう。ねぇ、比企谷くん?」

 

雪ノ下はドSな笑みを貼り付けて、比企谷を流し見る。

 

「『確かにそうだね』『もちろん食べるけど』『その前に訂正させて欲しいな』『味見じゃなくて毒味だよ』」

 

「どこが毒だし!………やっぱり毒かなぁ……?」

 

比企谷の発言に憤慨するが、自分でクッキーを摘まんでじっくりと見てから、弱気に呟く。

 

「『はは』『本当』『まるで練炭自殺に使えそうなくらい真っ黒だね』『もし僕が自殺すると決めたら』『由比ヶ浜さんに頼むとするよ』」

 

「食べるだけで死にそうな見た目なんだけれど……。大丈夫よ。私も食べるわ」

 

「『ついに』『雪ノ下さんのデレが見れるのかい?』『いやぁ』『ちょろいなぁ』」

 

「やっぱり貴方が全部食べなさい。そして無残に死になさい」

 

雪ノ下と比企谷がコソコソと小声で話しているのに、由比ヶ浜が羨ましそうに見ている。どうやら、自分だけ仲間外れで寂しいようだ。

 

「『そうだ!』『由比ヶ浜さんにも食べさせよう』」

 

「え!私も!?い、いや、それは当然だけど……」

 

チラリともう一度、手に持っているクッキーを見る。

 

「死なないかしら……」

 

雪ノ下がいつになく弱々しい声で呟く。心なしか目も潤んでいる。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

結局食べることができた。

というより、雪ノ下と由比ヶ浜が1枚ずつだけ食べて、それ以外の全てを比企谷が食べた。

 

そのせいで今、比企谷は椅子にグッタリと力なく座っている。

 

雪ノ下たちは使った調理器を洗った後、話し合う。

 

「さて、どうすればより良くなるか考えましょう」

 

すると、グッタリとしていた比企谷の手がゆっくりと持ち上がる。

 

「『二度料理をしない』」

 

「それは最終手段よ」

 

「それで解決しちゃうんだ!?」

 

比企谷と雪ノ下の言葉にがっくりと肩を落とす。

 

「やっぱり私、料理に向いて無いのかなぁ?……才能ってゆーの、そういうのないし…」

 

「『クク』」

 

グッタリとしていた比企谷の顔に笑みが出来る。ゆっくりと口角が上がっていく。この過負荷(ひきがや) という男は、人の駄目な姿を見るのが大好きなのだ。

 

「解決方法が分かったわ」

 

「『へぇー』」

 

「努力あるのみ、よ」

 

雪ノ下は断言するようにそう言って、小麦粉やバターなど材料を準備して行く。

 

「『なんて面白くない解決方法だ』『いいじゃないか』『このまま諦めてしまっても』『ほら』『「私には才能がないから……」そういえば全てを諦められるなら』『これ以上素晴らしいことはない』」

 

「貴方は今黙っていて、比企谷くん」

 

雪ノ下の今までで一番迫力があり、低い声だった。

 

「『りょーかいでーす』」

 

それに愉快そうに応える比企谷。

 

「由比ヶ浜さん。貴方さっき才能がないっていったわね」

 

雪ノ下はボウルに小麦粉をふりかけながら喋る。

 

「え、あ、うん」

 

「その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には才能がある人を羨む資格なんてないわ。成功できない人間は 成功者が積み上げた努力を想像できないから成功できないのよ」

 

断言するように言う雪ノ下。辛辣な言葉だった。それと同時に説得力も強い。さすがの由比ヶ浜も言葉に詰まっている。

 

「で、でもさ、こういうの最近やんないって言うし。……やっぱりこういうの合ってないんだよ、きっと」

 

はにかみながら言う由比ヶ浜。

まるで今すぐ消えてしまいそうなほど力が無い言葉だ。だが、そんな相手であっても雪ノ下の鋭利な雰囲気は消えない。

 

「……その周囲に合わせようとやめてくれるしら。ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ。無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 

はっきりと嫌悪が見える言葉だ。容赦がない。完全にコンボが決まってしまった。K.O.である。流石の比企谷も「『う、うわぁ』」と小声で呻いてしまう。

 

「………」

 

由比ヶ浜は俯いて、スカートの裾をギュッと握りしめている。

彼女はコミュニケーションが上手いのだろう。クラスでもトップカーストのグループに入っている事から理解できる。しかも、普通の人間だと対面しているだけで気持ち悪くなる比企谷に対して普通に接している。これだけで異常さがわかる。

 

「『あーあ』『可愛そうに』『由比ヶ浜さん!』『雪ノ下さんが言っていることは気にしなくてもいいよ!』『どれもこれも幸せ(プラス) な意見だ』『胸焼けがするね』『成功者は失敗者がなぜ失敗したかわからないし』『勝者は敗者の気持ちが分からない』」

 

「貴方、黙っててと言ったはずだけど」

 

「『しかも』『雪ノ下さん言ったよね』『「天才は1%のひらめきと99%の努力」って』『雪ノ下さんはきっとその1%の何かしらを手に収めてきた人間なんだろうね』『だから99%の努力が無に帰した事のある人間の気持ちが分からないんだ』『その虚しさ』『絶望』『言葉じゃ表せないだろうね』『まぁ僕は』『努力したことも無ければ』『絶望したことも無いけど』」

 

「本当、ここまで人を不快に出来るなんて逆に才能だと思うわ。私を人をここまで嫌いだと思ったのは初めてかも知れないわ」

 

その言葉に比企谷は更に笑みを深くする。

 

「『ふふ』『雪ノ下さんの初めてを奪っちゃったよ』『責任を取った方がいいのかな?』『それで』『さっきから黙ってる由比ヶ浜さんはどうしたのかな?』」

 

肩を震わして、未だに顔を俯かせて良く見えない。コミュニケーション能力が高い由比ヶ浜がここまで正面から言われるのは慣れていないんだろう。

 

「か………」

 

比企谷は帰るとでも言うのかな?と期待に胸を膨らませて待つ。が、由比ヶ浜が言ったのは比企谷が期待したものでは無かった。

 

「かっこいい………」

 

「え?」

「『え?』」

 

予想外の発言に2人ともが疑問の声を漏らす。

 

もしかして、マゾだったか?と怪訝な表情をする比企谷。

 

「建前とかそういうの全然言わないんだ……。なんていうか、そういうの……かっこいい!」

 

眼がキラキラと輝いている由比ヶ浜。

 

「『あらら』『残念』『もしかしたら』『由比ヶ浜さんの心を折れるかと思ってたのに』『雪ノ下さんから嫌われるだけだったなぁ』『全く』『割に合わねぇぜ』『世の中』『ままならねぇなぁ』」

 

残念そうに言うが比企谷の表情は楽しそうだ。なぜなら、いつも冷静な雪ノ下が動揺しているから。

 

「何を言ってるのかしら……。私、結構キツイこと言ったと思うんだけど……」

 

今まで、こんな反応をしてくる人間は居なかったのだろう。雪ノ下は2、3歩後ずさる。

 

「確かに言葉は酷かった。でも、本音って気がした。私、人に合わせてばっかだったから!」

 

強い意志を目に宿して、由比ヶ浜は雪ノ下を見る。

 

「ごめん、次はちゃんとやる!」

 

雪ノ下は素直に謝られた事で、どうしたらいいか分からなくなっていることが頬を伝う汗から理解できる。

 

「『………』『いいよ』『由比ヶ浜ちゃん!』『僕は絶対に』『努力なんてしないけど』『努力する奴のことは大好きだ!』『いつ』『どんな』『凡人と天才との壁にぶつかるのか』『そして』『無残にも』『残酷にも』『残虐にも』『心が折れて』『才能のなさに絶望する姿を想像すると』『心が踊るね』『だから僕は君が絶望して』『瞳に光がなくなるまで』『由比ヶ浜ちゃんのことを』『誠心誠意』『心の底から』『応援しよう』」

 

バッと両手を広げて、カッコつけて言う比企谷。「『だから…』」と続けながら、比企谷は雪ノ下を見る。

 

「『協力してあげてくれないかな』『雪ノ下さん』『僕は応援しかできないから』」

 

その言葉に雪ノ下は「元からそのつもりよ」と返す。言葉はキツイが、雪ノ下の口角は少し上がっていた。

 

「一度お手本を作るから。その通りにやってみて」

 

パァと由比ヶ浜の顔に喜色が広がっていく。

 

「うん!」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

由比ヶ浜がレシピを見た上、雪ノ下の全面的な協力があって出来たクッキーは先程の木炭のようなクッキーに比べて、格段にクッキーに見える代物だった。が、雪ノ下のまるで本職のパティシエが作ったかのような綺麗なクッキーと比べてしまうとやはり見劣りがある。

 

「全然違う……」

「どうすれば伝わるのかしら……」

 

調理台に縋りながら2人はグッタリと疲れている。

比企谷はそんな2人を見ながらクッキーを乗せている皿に指を差す。

 

「『一枚ずつ貰ってもいいかな?』」

 

「別に良いわよ……」

「え!……いや、そんな美味しくないし……」

 

雪ノ下は調理台に縋りついたまま力なく応えるが、由比ヶ浜は立ち上がってクッキーを摘まんだ比企谷を止めようとしている。

 

「『そうかい?』『全然美味しそうだよ?』『それに』『女の子が心を込めて作ったものを』『僕は絶対に不味いとは言わないよ』」

 

「う、うぅ」

 

比企谷の言葉に照れてしまい、俯く由比ヶ浜。

 

サクッと二つとも順番に食べる比企谷。雪ノ下が作ったクッキーはデパ地下で既製品として売っていてもおかしくないくらいに美味しいクッキーだった。由比ヶ浜の作ったクッキーはジャリジャリと何かざらついた感触があるし、所々コゲて苦い。が、先程のクッキーよりは何倍も美味く出来ている。普通にクッキーとして見れるものだ。

 

「『うん』『どっちとも美味しいよ』」

 

「そんな……雪ノ下さんのに比べると全然……」

 

「『うん』『そうだね』『確かに雪ノ下さんのに比べたら』『格段に劣っているよ』」

 

「比企谷くん!貴方「『でも』」…」

 

その言葉に雪ノ下が咎めるように声を出すが、それを遮るように比企谷が続ける。

 

「『やっぱり思ったのは通り』『心がこもってるよ』」

 

うんうんと頷きながら比企谷は由比ヶ浜のクッキーばかりを口にする。

 

「………ふふ。ヒッキーって、気持ち悪いけど。いい人なんだね!」

 

「『僕がいい人?』『由比ヶ浜ちゃんはいつか騙されそうで怖いよ』『でも大丈夫』『一番最初に君を騙すのは僕だから』『というか』『既に僕がいい人だと騙されてるからね』」

 

「はぁ……。まぁ、由比ヶ浜さんが納得するなら別にいいんだけれど」

 

頭に手を当てて、ため息を吐く雪ノ下。

 

「『まぁ』『由比ヶ浜ちゃんみたいな可愛い娘に貰ったら』『例え』『不味くても嬉しいものだよ』」

 

「か、可愛いって言うなし!やっぱヒッキーは本当気持ち悪い!」

 

「『あはは』『人間は相手によって態度を変えてしまうものだよ』『だって』『例え凄く美味くても』『ガチムチのおっさんに貰っても嬉しくないからね』」

 

「あはは、ヒッキーさいてー!」

 

☆ ☆ ☆

 

由比ヶ浜はどうやら何かしらの答えを見つける事ができたらしく、あの後クッキーを焼き直すことは無かった。

 

「ありがとう!ヒッキー!雪ノ下さん!」と笑顔で帰って行ったのは印象的だった。

 

「でも良かったのかしら?先週の由比ヶ浜さんの依頼……」

 

雪ノ下が小説を読みながら、ジャンプを読んでいる比企谷に聞く。

 

「『何がだい?』」

 

雪ノ下は小説から視線を外して、比企谷を見る。

 

「私は自分を高められるなら限界までやるべきだと思うの。それが由比ヶ浜さんの為になるんじゃないかって……」

 

「『ふぅん』『くだらないなー』『努力なんて』『糞食らえだね』『いくら努力しようとも』『結果が伴わなければ意味がない』『そしてその結果手に入れるのは』『一握りどころか人摘みの人間だ』」

 

「努力したこともない過負荷(あなた) に聞いてもそれこそ意味のない事だったわ」

 

ーーーコンコン

 

ふと、ノックがされる。

 

「やっはろー!」

 

馬鹿みたいな挨拶をしながら入ってきたのは、由比ヶ浜。

 

「『やぁ』『由比ヶ浜ちゃん!』『どうしたの?』」

 

ジャンプを閉じて、ピョンッと椅子から立ち上がる比企谷。

だが、そんな比企谷を無視して由比ヶ浜は雪ノ下を見る。

 

「…………なにかしら?」

 

真っ正面から由比ヶ浜の視線を受け止める雪ノ下。いつも通り、冷静な対応だ。

 

「もしかして、雪ノ下さん。私のこと嫌い……?」

 

恐らく、由比ヶ浜から見ると雪ノ下の冷静さが冷たく思えたのだろう。不安そうな眼で雪ノ下を見る。まるで捨てられた仔犬のようだ。

 

「別に嫌いではないけど……。苦手かしら」

 

うーん、と顎に手を当てて、軽く考えた後、あっさりと苦手だと伝える雪ノ下。

 

「それ、女子言葉じゃ同じ意味だかんね!」

 

女子言葉なんて存在するのか……。と感心する比企谷。

 

「で、なんのようかしら?」

 

そこで目的を思い出したのか「あ!」と叫んでから、背中に背負っている黄色のカバンのなかから、包装されたクッキーを取り出す。

 

「この前のお礼として作ってきたんだー」

 

クッキーを渡された雪ノ下は由比ヶ浜が作った木炭クッキーの味を思い出したのか少し引きつりながら「食欲ないから……」と伝える。が、由比ヶ浜にそんなものが効くわけがなく「やってみたら楽しくてさーお弁当とか作ってみようかなー」「ゆきのん!お弁当ここで食べてもいいかな!」とマシンガントークで喋られ、雪ノ下も「いや、それはちょっと……」「ゆきのんってやめてもらえないかしら」と対応するが押されてしまっている。

 

 

そんな2人を見ながら、静かに比企谷は退室する。

 

「ヒッキー!」

 

廊下を歩いていると後ろから声をかけられる。この呼び方は由比ヶ浜かと判断した比企谷はゆっくりと振り向く。すると雪ノ下に渡していた包装されたクッキーと同じようなものを投げ渡してくる。

 

「『お、おっと』」

 

比企谷が危なげに受け取ったのをみると

 

「一応、お礼の気持ち。ヒッキーにも手伝ってもらったからさ」

 

と小さく微笑みながら言って、奉仕部の教室へ戻っていく。

 

帰り道、校内にあるベンチに座り、由比ヶ浜から貰ったクッキーの包装を解いていく。

入っていたのは、こげ茶色のハートに見えないこともない形をしているクッキーだった。

 

「『美味しそうだぜ』」

 

パクパクパクと一気に食べる比企谷、一瞬顔が苦しげに歪むがそのままゴクンと飲み込んでしまう。

 

「『あ』『そういえば』『勝負の事を忘れていた』」

 

比企谷が言っているのは雪ノ下のパンツを見れるかどうかの一大勝負の事だ。

 

「『確か』『「手作りのクッキーを食べてほしい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい」だったよね』『由比ヶ浜さんのお願いは』『………ぷ、くく』『全く』『また勝てなかったぜ』」

 

お願いからして勝ち負けがあるものではない。というか、奉仕で勝負という時点で勝ち負けがあるわけがないのだ。奉仕……つまりボランティアとは損得などでやるものじゃないんだから。唯一、依頼者である由比ヶ浜が決められないこともないが、由比ヶ浜は比企谷を選ぶわけがない。ましてや、雪ノ下のパンツまでかかっているのに。つまり、この勝負を仕掛けられた時点で比企谷は負けていたのだ。勝者はもちろん雪ノ下……ではなく勝負をけしかけた平塚先生ということになる。

 

「『あーあ』『騙されたぜ』『でもなんでかな』『騙された上に負けたのに』『そんなダブルパンチを食らったというのに』『全く悔しくない』『「女の子の為に」というのも悪くないかな』『昔から散々女の子に騙されてきたというのに』『僕ってやつは昔から』『本当に惚れっぽい男だぜ』」

 

比企谷は夕日によって真っ赤に染まった道を楽しそうに嬉しそうに自宅まで歩いて帰る。

 

その後、ご機嫌な様子を妹から見られてちょっとした騒ぎがあるのだが、その話は割愛しよう。

 




続きは期待しないでください。戸塚の話しなら頑張れますけど、中二の話しはネタが全く出てこない。


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材木座義輝の小説

あけましておめでとうございます!
遅い挨拶になってすいません。色々忙しかったんです。
やはり過負荷は難しい。由比ヶ浜の話しは適当です。比企谷くんを絡ませにくかったんで。


比企谷八幡は常に独りだ。友達も、仲間も、敵も、好敵手も存在しない。それは決して雪ノ下雪乃のように孤高(プラス)であるということではなく、その真逆で孤独(マイナス)であるのだ。

だが、決して比企谷はそれを直そうと、正そうとは思っていない。自身の孤独(マイナス性)を何よりも認めているからだ。

 

常に孤独だから、いくら教室で周りがワイワイと騒いでいようが気にせず1人で黙々と週刊少年ジャンプを熟読できる。それを比企谷は全く悪いとは思ってはいないが、今この時だけは少しだけ問題があった。

 

「おい。比企谷。このレポートはなんだ」

 

それは、何かあればジャンプの事を考えてしまうことである。休み時間のみならず授業中ですらジャンプに侵食されてしまっている。

その証拠に現在目の前にいる平塚静教諭が比企谷の眼前に突きつけたレポートに記されている。そのレポートは生物の時間に書かれた物だがその内容は主に某海賊漫画のデーモンフルーツの事であった。

 

「『せ』『先生は現国の先生でしょ?』『なんで生物のレポートなんて?』」

 

平塚が鋭い眼光で睨んでいるというのに、少しどもってはしまったが作り笑顔で白々しく返す比企谷の度胸に感心してしまう。

 

「私は生活指導だ。故に生物の先生に丸投げされたんだ」

 

「『それはまた』『その先生にも困ったものですね』」

 

比企谷は態とらしくはぁ、と額に手を当てて、疲れたようにため息を吐く。平塚は呆れたようにそれを見て

 

「君のせいだろう」

 

「『僕は悪くありませんよ?』『真面目に書きましたし』『内容もしっかりしてるでしょう?』」

 

「比企谷。この内容がおかしくないとでも言うつもりか?何が『動物(ゾオン)系悪魔の実の考察』だ。まぁ、後で色々と話し合いたいが、今は説教だ。まずテーマが『野生動物の生態』だろう。動物という点しかあっていないじゃないか。バカなのか貴様は」

 

平塚は眉間を抑えながら、疲れたようにため息を吐く。

 

「『バカでェーす☆』」

 

片手をピースにして横に置き目を挟むようにして、ポーズを取る。なんていうか、キャピッ!みたいな雰囲気がある。

 

「……」

 

それを見た平塚は無言で硬く握り拳を作り思い切り鳩尾に叩き込んだ。ブォンと鈍い風切り音がかなりの威力があることを証明している。見事にクリーンヒットした比企谷は「『グボォッ!』」と低く悲鳴をあげて、床に倒れこむ。

 

「比企谷、舐めるなよ。明日までに書き直してこい」

 

「『せ』『先生……』『仮にも教師が生徒に手を出すのはどうかとおもいますよ』」

 

今も鳩尾を抑えて、プルプルと床で震えている比企谷が絞り出すように言う。立派な体罰だが、比企谷が相手なら良いと思えてしまうのは仕方ないことなのだろうか。

 

「貴様が教師に対して舐めた態度をとるからだ。お前風に言うなら『私は悪くない』」

 

平塚は軽くウインクしてから、椅子を回転させて机に向き直る。

 

「そういえば、比企谷。この前の依頼者はどうだったんだ?」

 

しばらくして、痛みが収まり膝を震わせながらもヨロヨロと立ち上がった比企谷に平塚が聞く。

 

「『あー』『由比ヶ浜ちゃんのことですか?』『……………』『さぁ?』『わかりません』」

 

比企谷は顎に手を当てて少し考えてから、なんでもないように答える。

 

「…………そうか。なぁ、比企谷」

 

「『はい?』」

 

「特に他意はなく興味本位で聞くが、お前から見て雪ノ下雪乃はどう映る?」

 

少し真剣な空気を醸し出す平塚に対して比企谷はなんの反応もない。ただその様子をいつも通り気持ち悪く見ているだけだ。

 

「『雪ノ下?』『誰です?』『うーん』『聞いたことないなぁ』」

 

気の抜けた声で言う比企谷。

そんな比企谷に目を細める平塚。鋭い視線で睨まれた比企谷は笑いながら訂正する。

 

「『っとと』『なーんて』『嘘ですよ平塚先生』『だからそんな怖い顔しないでください』『雪ノ下さんかぁ……』『一言で言うなら』『天敵ですかね』」

 

妙な答えをした比企谷を訝しげな目で見る平塚。

 

「天敵?」

 

「『僕と彼女は相容れない』『理解しあえない』『許容できない』『僕は過負荷(マイナス)で彼女は天才(プラス)』『まるで磁石のS極とN極のように反対だ』『だけど何故か同じ極のように反発しあう』『あはは』『本当は似たもの同士なのかもしれませんね』」

 

薄っぺらい笑いを含みながら言った言葉なのに、平塚はそれが的を得ているように思えた

 

「そう……か。優秀な生徒なのだがな。まぁ、持つ者は持つ者で苦悩があるのだよ。元々はとても優しい娘だ。優しくて往々にして正しい。ただ世の中が優しくなくて正しくないからな。さぞや生き辛かろう。君たちは捻くれているから、上手く社会に適応出来そうに無いところが心配だよ。「『おいおい…いくら温厚で通っている僕と言っても』『その発言は聞き捨てならないぜ』『僕と彼女が似ているところなんて何一つ無いのに』『哀れな一般人の僕と化け物の雪ノ下さんを「君たち」でまとめるなんて』『平塚先生は僕を怒らせる天才だな』『僕を怒らせたら怖いんだぜ』『何が起こるかわからない』」………!!」

 

激しい怒りを表した顔。比企谷がここまで強い感情を見せたのは初めてだった。ふと垣間見せるこの男のマイナス性。まさに理不尽(マイナス)理解不能(マイナス)だ。

 

「『だけど何もしない』『僕は温厚だからね』『もし僕が温厚じゃなかったら今頃血の海に沈んでいたよ』『勿論この僕が』」

 

怒ったと思ったら、すぐに笑顔を作りニコニコと平塚に笑いかける。やはりこの男は捉えならないし掴みきれないな、もう一年間と少し見てきたがそんな結論を出す平塚。

 

「……はぁ。君と話していると疲れるよ。何を考えているかわからないからね。まぁ、君のようなタイプの人間は初めてだから見ていて面白い。これからも部活動を頑張ってくれたまえ」

 

「『先生のような美人に言われたら断ることなんて出来ませんね』『りょーかいです』『僕なりのやり方で頑張らせてもらいますよ』」

 

比企谷はペコリと小さくお辞儀をしてから、職員室から出て行く。その後ろ姿に平塚が

 

「期待している」

 

と声をかけた瞬間にドアがピシャリと閉まった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

窓の外では雨が音を立てて、地面に打ち付けられている。ジメジメとした湿った空気の影響で生徒たちも少し陰気な雰囲気がある。

 

そんな中、周りに捉われず1人で週刊少年ジャンプを時に『あっはははー』と机をバンバンと叩きながら大声で笑い、また時に『グズッ……グズッ……』とポロポロと涙を零して鼻水を啜りながら読んでいる男がいた。

勿論、比企谷八幡のことである。

 

普段比企谷は気まぐれに昼食を摂る場所を変えるのだが、雨の日は教室くらいしか場所がない。比企谷(マイナス)が同じ空間に居る、という事実がよりこのクラスの雰囲気を悪くしているのかも知れない。

 

「えぇ〜〜。隼人〜〜」

 

だが、それはトップカーストの葉山達には関係のないことらしく、葉山達のグループでも特に異彩を放っている金髪の女生徒ーー三浦優美子がかなり大きな声で話し出す。葉山の相方とでも言える存在だ。

 

「ごめん、今日は無理だわ…。部活あるし」

 

「一日くらいよくない?」

 

葉山が少しすまなそうな声色で応えると、三浦は残念そうに言う。

 

「今日ね。41のダブルが安いんだよねぇ〜。あーし、チョコとショコラが食べたい」

 

三浦は今時珍しいガラケーを開きながら、確認をとるように見始める。

 

「どっちもチョコじゃん」

 

葉山が三浦の機嫌を損ねないように笑いながら言うと周りもそれに合わせて笑う。だが、その中で由比ヶ浜だけが馴染んでいない。何かを切り出そうとしてそれに躊躇しているような様子がわかる。背中に隠すように持っている弁当箱から大体予想は出来る。誰かと約束しているのだろう。だが、空気が読めてしまう由比ヶ浜は切り出せない。

 

「えー?全然違うし。てか、ちょーお腹減ったし」

 

「あんまり食べ過ぎると後悔するぞ?」

 

「あーし、いくら食べても太んないし」

 

携帯にポチポチと何か打ち込みながら気だるげに肘を着く。葉山が来ないことに不満があるようだ。

 

「ホント!優美子マジ神スタイルだよね。足とかちょー綺麗」

 

三浦の感情を機敏に読み取った由比ヶ浜が、空気を良くしようとする。三浦は由比ヶ浜の言葉にフフーンと満足そうに鼻から息を吐く。口元も緩んで、陰険な雰囲気も引っ込んでしまう。

 

「そ、それでさ。ちょっと私」

「そーかなぁ。でも雪ノ下さんとかいう娘の方がヤバくない?」

 

空気が良くなったところで、由比ヶ浜は話しを切り出そうとするが三浦に言葉を被せられて遮られてしまう。

 

「あー。確かにゆきのんはヤバい」

「……ゆきのん…?」

 

雪ノ下を思い出すように言った由比ヶ浜の言葉を先ほど引っ込んだ不機嫌な雰囲気をまた出して三浦が問う。

 

「でも!優美子の方が華やかというか、なんというか」

 

三浦の目が細くなったのに、慌てたように取り繕う。

 

「まぁまぁ。部活が終わったら付き合うからさ」

 

葉山のフォローも入った事で、機嫌を直した三浦は笑顔に戻り

 

「おっけ、じゃ終わったらメールして」

 

由比ヶ浜はそれに安心したようにホッと息を吐いて、胸を抑える。

 

チラリと由比ヶ浜はジャンプを読んでいる比企谷を見るが、こちらに何の関心も無いのか気にした様子はなく、今だに百面相のように表情を頻繁に変えながらジャンプに夢中になっている。その姿に雪ノ下と比企谷の歯に衣を着せぬ言い合いを思い出した由比ヶ浜は一歩だけ踏み出すことにした。

 

「あの、私さ。昼行くところがあるから……」

 

基本どこに行くにしても、何をするにしても周りに合わせる由比ヶ浜がおずおずと控えめだったが、確かに自分の意思を言った。

 

「あ、そうなん?じゃあ、レモンティー買ってきてよ。あーし飲みもん持ってくるの忘れちゃってさー」

 

三浦は携帯を弄りなから、手を振る。だが、昼休みが終わるまで教室に戻ってくるつもりが無かった由比ヶ浜は頬をポリポリと書きながら、言いにくそうに躊躇いながら言う。

 

「…いやー、私多分戻ってくるの五限になるっていうか。お昼丸々いないからそれは無理かなー、なんて」

 

それに惚けたように「は?」と言った後、すぐさまイラつきが顔に出始める。

 

「ちょ、何それ?結衣最近付き合い悪くない?」

 

最近、奉仕部にばかり顔を出していて三浦達との付き合いが疎かになっていたのは事実だったから、何も言えなくなってしまう由比ヶ浜。

 

「そ、それはそのー、止むに止まれぬといいますか。なんと言いますか……」

 

「それじゃわからないからちゃんと言ってよ。あーしら友達じゃん」

 

由比ヶ浜のゴニョゴニョと遠回しに伝えようとするやり方にイライラが増して行く。

その声は教室に響き、談笑していた生徒たちもシーンと黙って様子を伺っている。中にはすぐに教室から出て行こうとする人も居る。

 

「………ごめん」

 

三浦の威圧に萎縮してしまい、小さく謝る。だがそれが余計に三浦の琴線に触れてしまう。

 

「だぁから!ごめんじゃなくて……「『ねぇねぇ』」あ?なんだしお前」

 

更に声を大きくして、もはや怒鳴るように言おうとしていたところで外野から声がかける。

声をかけたのは比企谷八幡。それに驚いたのか目を見開く由比ヶ浜。

 

「『あー、と』『まずは自己紹介が大切だよね』『僕は比企谷八幡』」

 

「それで、あーしになんのようだし。こっちは立て込んでるんだけど」

 

「『いやいやいや』『まさかまさか僕が女子に用なんてあるわけが無いじゃないか』『話しかけたが最後』『通報されてしまうのがオチだよ』『僕は用があるのはそこのイケメン君だよ』」

 

比企谷が指を指したのは葉山だった。まさかのご指名を受けた葉山は少し驚いた様子だったが、すぐに隠して微笑みを浮かべる。

 

「僕かい?」

 

「『そうそう君だよ』『聞きたい事が有るんだけどいいかな?』」

 

普段、学校に来ても誰にも話しかけずに1人で週刊少年ジャンプを読んでケラケラと笑っている比企谷が珍しくも他人ーーそれもトップカーストの葉山にだ。

 

「ああ。構わないよ。何かな?」

 

先日の泉の一件で危ない奴だと思われている比企谷がトップカースト達の更にトップである葉山に話しかけた事で、教室により緊張が走る。由比ヶ浜と三浦に向いていた注目が既に葉山と比企谷に移っていた。

 

「『えー、とね』『なんだっけな……』『そう!』『泉くんの事なんだけど』」

 

ピクッと葉山の頬が動く。泉はもう暫くーーというのも比企谷との出来事以来登校していない。その原因と言うべき比企谷からその名前が出たのだ。反応しないわけがない。

 

「泉くんがどうかしたかい?」

 

「『何やら退学するつもりらしいんだけど詳しい話し聞いてないかな?』」

 

----!!

 

聞き耳を立てていた生徒の中で泉と深い親交があった友達以外が反応する。勿論、泉が退学するなんて知らなかったからである。

 

「……………。その話……、本当かい?」

 

「『僕は生まれてから一回も嘘をついたことが無いんだ』『まぁ、それも嘘なんだけどね』『でも、この話しは本当だよ』」

 

「そうなんだ。残念だけど、僕は知らないな。初耳だ」

 

葉山は目の前の人物が原因だろうなと考えながらもそれは言えないでいた。

 

「『へぇ』『僕は虐められたのが原因とかきいたんだけどな』」

 

「!!泉くんが虐められてるなんて知らなかったな。僕の方からも調べてみるよ」

 

皆仲良くが信条の葉山からしたら、虐めなんて聞き流せないものだった。実は、泉が比企谷を虐めていた時も葉山が裏で抑えて、あまり過激にならないようにしていたのだ。

 

「『うん』『そうだね』『僕も君を見習って泉くんの事を調べてみるよ』『例えば』『クラスメイトの男子の弁当箱にゴミを入れて』『食べさせたなんて平塚先生に知られれば』『どうなるんだろうね』」

 

「!!」

 

タラリと葉山の頬に汗が流れる。

調べてしまうと泉が今までやってきた全てがバレる。泉は葉山のようにトップカーストではないがそれなりに支持を持たれている。そんな人物を葉山が調べて、それが教師にバレたとしたら葉山の立場が揺るぐほどではないにしても、印象は悪くなる。それで、対立など起きれば葉山の信条とは真逆の事態だ。

 

「……脅しのつもりかい?」

 

小声で比企谷にしか聞こえないように言う。

 

「『まさか』『僕に君を脅してなんの得があるっていうんだ』『ただ』『もし調べたら泉くんがいままでしていた行動がバレて停学、または退学になる』『もし調べなかったらこのまま不登校として扱われるか、それとも自主退学という扱いになる』

『ほら』『僕には得も損もない』」

 

そこまで上手くいかないだろう、とは思う。思うのだが、もしかしたらこの過負荷(おとこ)ならやってしまうんじゃないか?とも同時に思ってしまう葉山。

 

「………………」

 

ニヤニヤと気持ち悪い笑みをやめずに葉山を覗き込むようにみる。

葉山はゾッと悪寒するが、今は必死に耐える。

 

「『まぁ?』『君はどうやら皆と仲良くやりたいみたいだから』『どうするかは決まってるよね?』」

 

ゾゾゾと蛇のように全身に絡みつく悪寒がする。

 

比企谷はこう言っているのだ。

----泉を犠牲にして、みんなで仲良くやるか。

----泉を救う代わりに、クラスに亀裂を作るか。

どっちかに決めろ、と。

しかも、どっちを選ぶにしろ泉が退学、停学、不登校のどれかと、大した違いは無いのだ。

 

「……………………ッ!し、調べるのはやめておくよ」

 

喉の奥から絞り出すように、かすれた声で応える。

 

「『ふぅん』『君がそう言うなら僕も調べるのはやめておくよ』」

 

急激に比企谷の眼から葉山に対する興味が薄れていく。それに葉山は、もしかして自分は選択を間違えてしまったのではないか、と錯覚してしまう。

 

「『じゃ!』『また今度』」

 

「………………」

 

ふんふん♪と鼻唄を唄いながら、廊下の方へ行ってしまう比企谷。

 

「『あ!』『由比ヶ浜ちゃん!』『頑張ってね!』『なんか喧嘩?してるみたいだけど』『この一件で由比ヶ浜ちゃんがクラスの皆から嫌われたとしても』『僕は由比ヶ浜ちゃんの味方だから』」

 

由比ヶ浜の隣を横切る時にそう言葉をかけてから廊下の方へ消えていく。全くの無関心だと思っていたが、どうやら少しは気にかけていたようだ。由比ヶ浜もまさかの発言に苦笑いしてしまう。だが、少しだけ気が楽になっていたことに由比ヶ浜本人は気づいていなかった。

 

「くぅっ!はぁ………はぁ………」

 

完全に見えなくなったところで、葉山は膝をついて息を整える。寒くもないのに身体がガクガクと震えて、目眩もする。おまけに吐き気もひどい。

 

「隼人だいじょぶ!?」と三浦が肩を支えて背中も摩ってくれるが、いまはそれすらうっとおしいと感じてしまう自分自身に嫌悪感が募る。

 

「だ、大丈夫だから。ありがとう」

 

他にも心配そうに見ているクラスの皆に「大丈夫だよ」と笑顔で返す。

 

だが、顔の青白さは誰の目から見ても異様だ。

 

----あれが本当に比企谷くんなのか……?

 

確かに昔から何故か気持ち悪いと感じてしまう男だったがさっきのは異常だった、と葉山は考える。

何故今まで抑えていたのか。何故今頃動き出したのか。と様々な疑問が巡るがそれは今考えても仕方ない事だ。

震える足を叩いて、ヨロヨロと立ち上がる葉山。それと同時くらいに比企谷が消えて行ったドアから声がかける。

 

「由比ヶ浜さん」

 

そこに立っていたのは長髪の綺麗な黒髪を揺らしている美少女。泣く子を更に泣かす雪ノ下雪乃だ。

雪ノ下の存在に気づき、小さく「ゆきのん……」と呟く由比ヶ浜。

 

「貴方、自分から誘っておいて来ないなんて……?何かあったのかしら?」

 

少し威圧感を込めながら言い始めた雪ノ下だったが、教室の空気がおかしい事に気づいて首を傾げる。

 

「い、いいや!何もないよ!それよりごめんね!いろいろあってさ」

 

「そうなの?まぁ、いいわ。それより、連絡の一本くらいするのが当然じゃなくて?」

 

「ごめんなさい。でも、ゆきのんの携帯知らないし……」

 

顔を俯かせて、申し訳なさそうに言ってくる由比ヶ浜に雪ノ下もこれ以上責める気を無くす。

 

「そう?なら、貴方だけ悪いなんて言えないわ「ちょっと!今あーし達が話してたんだけど!」……」

 

途中で割り込んできた三浦をギロリと睨む。だが、負けじと三浦も睨み返す。だが、それを宥めるように入っていくのは葉山。

 

「悪い、優美子。俺、少し体調悪いみたいだから。保険室行ってくるよ。出来ればなんだけど、一緒に行ってくれないか?」

 

「………わかったし。でも、ちょっち待って。結衣と少し話すから」

 

三浦が由比ヶ浜に視線を動かすとビクッと肩が震える。雪ノ下は由比ヶ浜が持っている弁当箱を見つける。

 

「………由比ヶ浜さん。先に行ってるわね」

 

パアァと明るくなる由比ヶ浜の表情。

 

「うん!わかった!」

 

そのまま、雪ノ下はドアをピシャリと閉めて教室から出て行く。

 

由比ヶ浜は三浦に振り向く。重い空気。鋭い視線。いつもなら空気を読んで何とかするところだが、由比ヶ浜にはそんなつもりはなかった。

 

「あのね……、私いつもつい空気を読んじゃってさ……」

 

それから由比ヶ浜口から漏れるのはいつもの空気を読んだ発言ではなく、由比ヶ浜の本当の気持ち。それを三浦は真正面から受け止める。自己中心的で唯我独尊だと思われやすい彼女だが、彼女は彼女で友達思いなのだ。

 

「………ふーん、別に。いいんじゃない?あーしは隼人を保険室に連れてくから。結衣は雪ノ下さんのとこ行ってあげたら?私は気にしないし、隼人も別にそれで怒ったりしないと思うから」

 

最後まで聞いた三浦はぶっきらぼうだったが、さっきまでのイラついた雰囲気は無かった。

 

「……うん!ごめん!ありがとう!優美子!」

 

華のような笑顔を浮かべてから由比ヶ浜は駆け足で教室から出て行く。今なら、いくらでも何処までも走れるような気がした由比ヶ浜だった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

ある日の放課後のこと。

比企谷が奉仕部の前まで着くと雪ノ下と由比ヶ浜が身を屈めてドアの窓から覗き見るように奉仕部部室の中を盗み見ていた。

 

「『どーしたの?』」

 

ソソソ…、と足音を消して後ろから声をかける。すると二人して「うひゃあ!?」と悲鳴を上げて、ビクビクビクゥと身を震わせる。由比ヶ浜はまだしも雪ノ下がまさかこんな可愛らしい悲鳴を上げるなんて思ってもみなかった比企谷がぶふっ!と吹き出してしまう。

 

「比企谷くん。貴方、覚えてなさい……」

 

キッと目を細めて睨みつける雪ノ下。

 

「『そーだねー』『明日までは覚えておくよ』『それでそれで何かあったのかい?』」

 

雪ノ下と由比ヶ浜が言いにくそうに目を合わせる。

 

「えっとね。部室に不審人物がいるの……」

 

由比ヶ浜は視線を俯かせて不安そうに言うが、比企谷は対して動揺はない。

 

「『不審人物?』『へー』『そりゃ大変だ』」

 

「貴方なんでそんな余裕なのよ」

 

「『いやいや』『雪ノ下ちゃん』『それは勘違いだよ』『今だって僕は怖くて恐ろしくて足が震えているよ?』『ただそれを隠すのが上手いだけさ』」

 

『ほら』と制服のスボンの裾をあげて足を見せる。そこはプルプルと小さく震えていた。

 

「……ごめんなさい。そうよね。いくら吐き気のするくらい気持ちの悪い貴方でも怖いものもあるわよね」

 

申し訳なさそうに謝る雪ノ下。それでも比企谷を罵るのはやめないのは流石だった。

 

「『そうだよ』『ホント怖いんだよ?』『今すぐオシッコが漏れそうで』『トイレに行ってもいいかな?』『まぁ』『駄目と言われても行くけど』」

 

「別に駄目なんで言わな………ちょっと待って。今なんて言ったのかしら?」

 

雪ノ下の顔を見てヘラヘラと笑う比企谷。

 

「『うん?』『トイレに行くって言ったんだよ』」

 

「貴方……。足が震えていたのはそのせい?」

 

「『当たり前じゃないか!』『それ以外に理由があるかい?』」

 

大袈裟に身振り手振りをして、雪ノ下を馬鹿にしたような顔をする比企谷に雪ノ下は青筋を浮かべる

 

「やはり、トイレに行ったは駄目よ。許さないわ。そのまま、漏らしなさい。その姿をインターネットに流してあげるわ」

 

「『うわっ……』『雪ノ下さん性格悪ーい』」

 

「いつも人を馬鹿にしたような言動をする貴方に言われたくないわ。たまには真面目にしてみなさい」

 

「『僕の辞書には真面目だなんて単語は無いんだ』『ごめんね』」

 

「あら、ごめんなさい。私、頭が良いから馬鹿の脳味噌に「真面目」の言葉が無いなんて知らなかったわ。でも、その辞書捨てた方が良いわよ?乱丁も落丁も有るし、何よりまともな単語が一つもなさそうだもの」

 

先程まで不審人物のせいで不安そうにしていた雪ノ下だが、比企谷と喋っている時はイキイキとしている。だが、何時もならそんな2人の会話も日常の一部だと由比ヶ浜も笑って受け入れるところなのだが、今は部室内に不審者がいるのだ。悠長に話している場合ではない。

 

「2人とも!!今は事してる場合じゃないでしょ!?ヒッキーも男の子なら中を確認してよ!」

 

本人達は否定するだろうが、由比ヶ浜から見ると仲良く話しているように見える2人につい語調が強くなってしまったのは嫉妬も混ざっていたのだろう。どちらに対して嫉妬したのかは今の由比ヶ浜には分からなかったが。

 

「『「男の子だから」だなんて』『なんて差別的なんだ』『見損なったよ、由比ヶ浜ちゃん』」

 

「差別じゃなくて区別よ。分別でもいいわね。貴方は分別しても捨てられない粗大ゴミだけど」

 

「『残念ながら』『誰にも手に取られる事の無かった僕は』『最初から買われても貰われてもないから』『捨てられる事すら無いんだ』」

 

「また!ヒッキー訳のわからないこといってる!良いから!は!や!く!」

 

グイグイと比企谷の背を押して、無理矢理ドアの前に立たせる。

 

「『じゃあ』『開けるね?』」

 

後ろに身を隠している2人に最後の確認をとる。

 

「早くしなさい」

「早くして!」

 

2人揃っての急かす言葉を聞いてから慎重になるべく音を立てないようにゆっくりと扉を開く。

 

海辺にあるこの校舎は時間により風向きが変わり、窓から一陣の潮風が吹く。扉を開くとその風が3人の頬を濡らし、髪を揺らす。

部屋の中にいたのは不審人物ではなく1人の男子生徒。彼は3人が扉を開くタイミングに合わせてプリントをばら撒き、風に乗せてまるで手品師がイリュージョンを終わらせた後に舞う紙吹雪のように、まさに本物の吹雪のように舞わせていた。

窓ぎわに立っている男子生徒は制服の上から黄土色のコートを羽織り、手には黒い指ぬきグローブをはめていた。奇抜なファッションである。

 

「くふふふ、こんなところで会うとはな!待ち侘びたぞ!比企谷八幡!」

 

背を向けた状態で、まるで舞台で演じる役者のようなテンションで話しかけてくる。

 

「ねぇ、比企谷くん。知り合いかしら?」

 

あんなのと知り合いなの?と薄汚いものでも見るかのような目で比企谷を見る。

 

「『ちょっと待って』『思い出すから』」

 

比企谷は本当に覚えてないのか、真剣に頭を悩ましている。

 

「真逆、相棒であるこの私の事を忘れたとは言うまいな!見下げ果てたぞ、八幡!」

 

「向こうはヒッキーの事知ってるみたいだよ?相棒とか言ってるし」

 

由比ヶ浜の目も雪ノ下と同じように、どっちとも気持ち悪いから死ね、とでも言っているような目だ。

 

「『う〜ん?』『本当に忘れたんだよねぇ』」

 

「八幡!?本当に忘れたのか!?あの地獄のような時間を共にした私の事を!?」

 

そろそろ嘘ではなく、本当に忘れている事に気がついた男子生徒が焦ったように問いかける。

 

「『そんな事言われてもなぁ』『僕は平日、休日、祝日、祭日、忌日、凶日、陰日、虚日、毎日毎日地獄のような時間を生きてるからなぁ』『残念ながら覚えてないんだ』」

 

がくり、と膝から崩れ落ちる男子生徒。流石に不憫だと思ったのか雪ノ下と由比ヶ浜の瞳にも優しさが出る。反対に比企谷に対しては第三宇宙速度に匹敵するような信じられないスピードで冷たくなる。

 

「材木座だ!体育の時間に一緒にペアを組んだ材木座義輝だ!……どうだ?思い出したか?」

 

「『材木座……材木座……』『ああ!』『思い出した!』『そういや居たね!』『いやー』『ごめんね』『まるで眼中に無かったよ』」

 

雪ノ下と由比ヶ浜は軽い感じで言う比企谷に、本当に思い出したのか?と疑わしく見るが、本人が思い出したと言ったのだから確かめようがない。あと、材木座はさらりと言われた眼中に無いと言う言葉に「ぐふっ!」と唸る。

 

「お友達、貴方に用が有るんじゃないの?」

 

「『友達じゃないよ?』」

 

友達という単語にピクッと反応を示す材木座。

 

「そう!私に友達など居らぬ!……………いや、マジで1人。ふひひ」

 

最後に材木座の素が出てしまっている。

 

「時に八幡!ここが奉仕部であっているな?」

 

「ええ、奉仕部はここであっているわ」

 

比企谷の代わりに雪ノ下が応える。どうやら、依頼で来たのだと分かったから雪ノ下の顔付きも変わる。だが、材木座は雪ノ下の方をチラリと見てから比企谷に向き直る。

 

「ならば!お主には私の願いを叶える義務があるわけだな。ふふん!いく百の年月が流れても我が主従は変わらない、と。これも、八幡大菩薩の導きか……」

 

「別に奉仕部は貴方の願いを叶える部活ではないわ。ただ、お手伝いをするだけよ」

 

またしても、雪ノ下が応える。が、対する材木座もまたしても、チラリと見てから比企谷に向き直る。

 

「ええい!八幡!我とお主は対等の関係。再び、天下を握らんとしようではないか!」

 

「『ええ!?』『天下を握るだなんて弱者である僕が握っても滑り落ちちゃうのがオチだよ?』」

 

「そんな悲観することはないぞ!八幡!必ずや我とお主で天下を総て……みせ………る………」

 

雪ノ下と由比ヶ浜のジト目により、勢いが少しずつ無くなっていく。遂には比企谷に助けを求めるように見てしまう。

 

「ねぇねぇ、比企谷くん」

 

雪ノ下が比企谷の制服の端を摘み、少し引っ張る。

 

「なんなのかしら?剣豪将軍とか言ってるアレは」

 

比企谷の耳元に顔を寄せ、材木座に聞こえないように小声で言う。

 

「『所謂、中二病と言われるやつだね』」

 

「中二病?」

 

「『ああ』『気にしなくても本当の病気じゃないよ』『スラングみたいなものだから』『簡単に言うと中学二年生の思春期にありがちの背伸びした言動の事を自嘲気味に言った言葉だね』『彼の場合は更に酷い厨二病と言ったほうが良さそうだけど』」

 

比企谷が簡単に中二病の事を説明する。ある程度、説明を終わらせると由比ヶ浜は身を庇うように腕で包みながら「意味わかんない…」と呟く。由比ヶ浜のような人種には一生わからない部類の話だろう。

 

「つまり、お芝居をしているようなものって認識でいいのかしら?」

 

「『そんなもんでいいんじゃない?』『特に間違ってないし』『で』『彼は室町時代の何代目かの将軍である足利義輝を参考にして』『いろいろ妄想しているみたいだよ?』」

 

窓ぎわで太陽に向かって、様々なポーズをしている材木座を見ながら説明を終わらせた。

由比ヶ浜はそんな材木座を「うへぇ」と完全にドン引きしていて、鳥肌でも立っているのか身を包むようにした腕を解こうとしない。

 

「貴方を仲間として見ているのは?」

 

「『う〜ん』『確か』『清和源氏が厚く信奉してた八幡大菩薩を引っ張ってきているらしいよ?』」

 

雪ノ下は目を丸くして意外そうに比企谷を見る。

 

「驚いたわ。詳しいのね」

 

「『あはは』『体育のペアの時に長々と語られたんだよね』」

 

それを聞いて「なるほど」と納得する。由比ヶ浜は足利義輝や清和源氏などが出てくるから、会話についていけないのか途中から頭を抱えていた。

 

「『でも』『彼の場合まだ厨二病の中では軽症だと思うよ?』『重症なのはこんなものじゃないから』」

 

「あれより酷いのがいるの?」

 

「『僕にも一応あったんだよ?』『まぁ』『かめはめ波の練習をしたり』『忍術の印を覚えたり』『六王銃なんていいながら枕を殴ったり』『月牙天衝と叫んで新聞紙を丸めたのを振り回したり』『まぁ色々だね』」

 

赤裸々に語っていく比企谷。恥ずかしいとは思わないのか、全く表情に変化はない。

 

「『本当に重症なのは』『コスプレしたり』『妄想をノートなんかに書いて保管したり』『オリジナルの神話を考えたりするのかな?』『僕にもちょっとわかんないや』」

 

由比ヶ浜は比企谷の話を聞きながら「キモ……」と辛辣な言葉を放つ。本当に気持ち悪いと思っているのか、心なしか少し顔が青白い。

 

「…………なるほど。貴方もかなり恥ずかしい人間な事は分かったわ」

 

「『確かに僕は「恥の多い人生を送ってきました。」と断言できるくらいには』『恥ずかしい人間かな』」

 

「貴方太宰治を知っていたの?宮沢賢治は知らなかったのに?」

 

「『知名度の違い?』『って奴かな』」

 

雪ノ下は材木座のところに歩いて近づいていく。由比ヶ浜はその後ろ姿を心配そうに見ながら「逃げて〜〜」と必死に伝えるが、雪ノ下は気にした風でもなく材木座の真正面に立つ。

 

「分かったわ。その心の病を治すことが依頼と言う事でいいのかしら?」

 

「ぐふぅ」と悶える材木座。

助けを求めるように比企谷を見るが、比企谷はそれを笑顔で受け流す。

 

「八幡。我は汝との制約の元…」

「人に話しかけられた時は、その人の方を向いて喋りなさい」

「グッ………。ふ、ふははは!失敬、失敬。我は…」

「その喋り方もやめなさい」

「ぐぬ、ぐぬぬぬ……」

「それにそのコートはなんなの?きちんと指定された制服を着なさい」

「コレには魔界の瘴気を防ぐ高レベルの魔法障壁が…」

「あと、その指ぬきグローブ。なんの意味があるの?指が守られて無いじゃない」

「これは魔力を操作する時により精密に…」

「そんなふざけた理由でそんなものを付けているの?恥ずかしいとは思わないの?恥ずかしいと感じることは社会性を身につける上でかなり重要よ?」

「………………」

 

ボコボコに言い負かされる材木座。最後には肩をションボリと下げて、項垂れてしまった。流石は天下の雪ノ下さんだと感心する比企谷。由比ヶ浜も目を輝かせて「ゆきのんすご〜い!」と呟く。

 

「とにかく、貴方の依頼は病気を治すということでいいのよね?」

 

「いや、別にこれは病気じゃないですけど…。本当、大丈夫なんで……」

 

さっきまでのテンションはどこへ行ったのか。声はボソボソと聞き取りづらい上に、雪ノ下が怖いのか敬語だ。

 

「『お話は終わったかな?』『雪ノ下さん』」

 

ひと段落ついたところで、材木座と雪ノ下の間に入る比企谷。その手には数百ページもありそうなプリントがあった。どうやら、床に撒き散らかされていたプリントを材木座が雪ノ下にボコボコに言い負かされている間に集めていたようだ。

 

「それは?」

 

「『見た感じ……』『小説の原稿かな?』」

 

真剣に話すために教室後ろの椅子引っ張ってきて、どかりと座る材木座。太めの体型である材木座を乗せたことで貧弱なパイプ椅子はギシッと軋む音を出す。

 

「そう!いかにもそれはライトノベルの原稿だ!ある新人賞に出したいのだが友達がおらんから読んでくれる人がいない。それゆえ参考になる意見が無いのだ」

 

「さらりと悲しいことを言われたような気がするのだけど」

 

あっさりと告げられた友達いないの言葉に、眉間を抑える雪ノ下。

 

「『ふーん』『それは良いけど』『よりによって雪ノ下さんを読者にするとはね』『勘が良いのか、悪いのか』」

 

「あら、比企谷くん。馬鹿にしているのかしら?私はどんな作品でも真摯に向き合っているわよ?」

 

「『だからこそ、だよ』『どうせ材木座くんが求めているのは面白いやら続きが読みたいやらの幸福(プラス)なものだろうからね』」

 

チラリと材木座を見る。

 

「『今から考え直した方がいいと思うよ?』『別にこれで君の心が折れてしまっても』『僕は全く悪くないんだけど』『体育でペアになった仲だ』『警告くらいはしてあげるよ』」

 

「ふん!見縊らないでほしいな!我の心はそんな脆くはない!いや、正直投稿サイトの奴らの方が絶対怖い。酷評されたら死ぬぞ?我」

 

「『あーあ』『知らないよ』『僕は警告したから』『雪ノ下さんの方がネットの奴らより百万倍怖いのに』」

 

比企谷、雪ノ下、由比ヶ浜の3人は材木座から原稿を配られ明日感想を言う、ので今日のところは部活は終わりになった。材木座は途中まで比企谷と同じ道のりなので、別れるまでたわいのない話をして帰った。

 

比企谷は玄関の扉を開ける。生まれてから十何年慣れ親しんだ扉だ。だが、毎日、たとえ雨の日でも雪の日でも必ず、深呼吸して覚悟を決めてから開けるようにしている。なぜならーー

 

「おっにいっちゃ〜〜ん!!!」

 

扉を開けた瞬間黒い影が高速で腹部にタックルしてきた。いくら覚悟していたとはいえ、押し倒されてしまう。

 

「『小町ちゃんはいつまでたっても兄離れが出来そうにないね』」

 

背中にまで両手を回して、ガシッとしっかりと抱きついている少女。実妹である比企谷小町だ。

彼女は八幡のひ弱な腹筋に鼻を押し付けるようにスリスリと顔を擦り付ける。時々、クンクンと嗅ぎ、ニヘラと口角をだらしなく緩ませて「ヌフー」と息を吐く。その姿は立派なクンカーだった。

 

「ねぇねぇ、お兄ちゃん!今日も不幸だった?辛かった?」

 

ニコニコと子供のように楽しそうに嬉しそうに無邪気に質問する。その姿は純粋な乙女のようだが、若干の不気味さを感じさせる。

 

「『意地悪だなぁ』『僕に不幸じゃない日なんて無いんだよ?』『ここ最近毎日の様にそんな事を聞くんだから』『過負荷(マイナス)の僕が言うのはなんだけど』『小町よく性格悪いって言われるだろ?』『友達いるかい?』『虐められてない?』」

 

八幡は小町の細いウエストを掴み、自身の上から退けたちあがる。そして、ズボンの太ももやお尻の部分を叩いて砂を落とす。

小町はケラケラと笑って応える。

 

「あははは、まさか!お兄ちゃんみたいな歪な仮面被ってないもん!誰も私が本性だなんて気づいてないよ!てか、お兄ちゃん今日もそんな不幸じゃなかったでしょ!」

 

頬を膨らませてプンプンと擬音が付きそうな怒り方をする。八幡はポカポカと殴ってくる小町を鬱陶しそうに抑える。

 

「『へぇ?』『別に不幸だったと思うけど』『なんで?』」

 

「そりゃ、分かるよ?だって不幸な匂いが薄いんだもん!最近のお兄ちゃん面白くない!この前ご機嫌で帰ってきてから不幸の匂いが薄くなった!!返してよ〜!昔の抜き身の刀みたいだったお兄ちゃんを返してよぉ〜!まぁ、なまくら刀だったけど……ププッ」

 

1人でクスクス笑っている小町を玄関に置いていき、1人で家の中に入っていく。

 

「『はぁ』『小町は我が妹ながら良く分からないよ』『いや』『僕にわかることなんて一つもないけど』」

 

リビングに置いてあるソワァに座っていると、暫くして玄関の扉がダン!と勢いよく開く音が聞こえてその後廊下を音を鳴らして走ってくる足音がリビングまで響いてくる。

 

「ちょっと!お兄ちゃん!可愛い可愛い妹を置いていくなんてひどいじゃん!この人でなし!」

 

「『おいおい』『失礼だな』『確かに』『小町は可愛くて可愛くて例え眼球に指を突っ込まれても痛くないくらいには最愛の妹だと思ってるけど』『僕は差別が大嫌いな平等主義者だから』『小町の事をそこらへんに転がっている有象無象と一緒に扱うことにしているんだ』『どうだ』『偉いだろ?』」

 

散々の言われようである。だが、小町は嬉しそうに笑う。

 

「あっはは!やっぱりお兄ちゃんは良く分からないよ!でも、そんなところが大好きだよお兄ちゃん。でも、本当に最近のお兄ちゃんの様子がおかしいんだよなぁ。お兄ちゃんが不幸になることをこの世のなりよりも愛している小町としては、面白くないなぁ。やっぱり、学校で何かあったでしょ?」

 

この過負荷()にしてこの妹有り。

幼い頃から、良くも悪くも…いや、悪くも邪にも周囲に影響を与える八幡を見てきた小町は八幡ほどではないにしても歪だった。その歪さとは、兄に舞い込む不条理や理不尽といった不幸な物事を何よりも愛するようになっていたことだ。だが、同時に小町は兄に幸せになって欲しいと考えている。それは自分の手で幸せになる事をだが。寧ろ、自分の手で幸せにしないと兄が幸せになる事は無いと思っているし、自分の手以外で幸せになる事を絶対に認めない。許さない。もはや、病んでいるレベルで八幡の幸せや不幸せについて執着していた。普段の公共の場では欠片も表に出さないのが幸いだが。

 

「むむ!小町のレーダーがお兄ちゃんのバックに反応してるよ!ちょっと貸して!」

 

引ったくるように八幡からバックを受け取ると、なんの躊躇もなく開き中身を床にぶち撒ける。中から出てきたのは財布、筆記用具、音楽レコーダーなどで、教科書やノートのような物は一つもない。そのせいで、材木座から受け取った小説の原稿だけが目立っている。

 

「お、お兄ちゃん……。なに、これ?」

 

血の気が引き顔が青くなっている小町は声を震わせて小説の原稿を指差す。

 

「『うん?』『ああ』『小説の原稿だよ?』」

 

「一応、聞くけど。お兄ちゃんが書いたものじゃないよ……ね?」

 

「『うん』『読んで感想を聞かせてくれって言われてさ』」

 

感想を聞かせて→それなりに話すことのある人間+小説のタイトルから考えて男子生徒→つまり友達が出来た→幸せ

そこまで思考が回った小町は絶望感に打ちひしがれて

 

「あ………あ、あ……」

 

と意味のない音をふっくらプルンと可愛らしい唇から零らす。

 

「『あはは』『大丈夫だよ小町ちゃん』『試しに』『その小説少し読んでみなよ』」

 

大好きな兄からの言葉だ。例え、深い絶望の中だったとしても聞かなければならない。

プルプルと震える両手で床に落ちている小説の原稿を持ち上げ、ペラッと1ページめくる。 すると、少しだけ小町の顔に血色が戻る。

ペラッともう1ページめくる。次は、小町の口に笑みが出来る。

ペラッペラッとめくる度に小町は元気を取り戻していく。約10ページほどめくったところで大声で笑い出した。

 

「きゃはははは!!ひっー……ひっー……。いやー、これは読むのが辛いなぁ!酷すぎるよ!小町でもこれよりはもう少しいい小説を書けるんじゃないかな!まさか、お兄ちゃんに友達が出来たのかと思ったけどこんなの渡すのが友達のわけないよね!」

 

本当に酷い小説だった。まだ、序盤だと言うのにろくな説明もなく進む展開。誤字脱字の圧倒的な量。何処かで見たこともありそうなストーリーや台詞。言いたいことは沢山あるが、読むのが疲れる小説だ。

もし、全部読むとなるなら地獄だろう。不幸だろう。それが分かり、元気を取り戻す小町。

 

「『そうだね』『まぁ』『とりあえず今は友達じゃないかな』『徹夜になると思うけど』『頑張ってみるよ』」

 

そう言って、小町から小説の原稿を奪い取り、自室がある二階へと上がっていく。

 

「いい夢を〜。お兄ちゃん」

 

ニヒヒと楽しそうに意地悪く笑いながら皮肉る小町。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

翌日

 

朝から小町に「昨夜はお楽しみでしたね」とからかわれた比企谷は、徹夜ということも合わさり何時もより数割増し過負荷(ブルー)だった。

 

比企谷がガラリと奉仕部の教室を開けると、珍しくも椅子に座った状態で雪ノ下がコックリコックリと船を漕いでいた。雪ノ下も徹夜で材木座の原稿を読んでいたのだろう。雪ノ下のいつものきめ細やかな白い肌に、今日は若干ではあるが隈がある。

比企谷は息を潜めなるべく足音が鳴らないように教室に入って行き、雪ノ下の前に立つ。

 

「『うーん』『ここはベターに落書きかな?』『それとも』『ベストにエッチなイタズラかなぁ?』『とりあえず』『パンツでも……』」

 

「死になさい。いえ、殺すわ。そこに首を垂れなさい。介錯くらいはしてあげる」

 

さっ、と顔をあげ、鋭利な刃物のような瞳で比企谷を睨む。普通の人間なら背筋が凍るほどの冷たい瞳なのだが、残念ながら比企谷は普通ではない。

 

「『おいおい』『切腹でもしろっていうのか?』『僕の腹をいくら探っても』『雪ノ下ちゃんのパンツ並みに純潔で真っ白だぜ?』」

 

「嘘ね。由比ヶ浜さんの下着並みにまっ黒に決まっているわ」

 

そこでガラリ!と強く扉が開く。

 

「ちょっとちょっと!ゆきのん!?今廊下に居たら、失礼な言葉が聞こえてきた気がしたんだけど!?」

 

そこから、顔を出したのは由比ヶ浜。顔は紅に染まり、恥ずかしそうだ。

 

「あら?私変なこと言ったかしら?ねぇ?比企谷くん」

 

「『わかんないなぁ』」

 

「なんでそんな時は息ぴったりなんだし!?いつも仲悪いじゃん!?」

 

「ちょっと。由比ヶ浜さん。元気なのは素晴らしいことだけど。余り、大きな声を出さないでくれるかしら?」

 

大声で叫んでいる由比ヶ浜を静かに嗜める雪ノ下。この時間この棟に人は少ないとはいえ、迷惑な事には変わりない。それに反省したいのか由比ヶ浜はしゅんと申し訳なさそうな顔をする。

 

「ごめん…………、って、あれ?謝るの私じゃ無いよね!?先に言ってきたの、ゆきのんだよね!?」

 

「『あまり大声を出すなよ』『馬鹿に見えるぞ』」

 

雪ノ下の次は比企谷に嗜められる由比ヶ浜。これには流石の由比ヶ浜もよりによって比企谷に言われてしまって自分を情けなく感じてしまう。

 

「〜〜〜〜〜〜ッ!ヒッキーのばか!!」

 

結局、最後に胸中にモヤモヤとしている感情を比企谷に八つ当たりにしてこの騒動は無事閉幕。

 

ーーー数分後

 

遅れてやってきた材木座によって口火が切られる。

 

「さて。では感想を教えてくれたまえ!」

 

雪ノ下の原稿にはカラフルな大量の付箋が貼ってある。アレを見ただけでどれほどのダメ出しがあるか察して、材木座を同情してしまうのは仕方ないことだろうか。

由比ヶ浜は材木座が来る少し前にカバンからおり目やシワが全く無い昨日持って帰ったままの新品同然の原稿を比企谷に見られ、今この場で読むことになってしまった。むむむ、と眉間にシワを寄せて、難しい顔で読んでいる。読めない漢字でも出たのか。理解出来ないジャンルだったのか。それとも、両方か。

比企谷はというと、ジャンプを読んでいた。他の3人から突き刺すような視線を浴びようとも少しも気にかけず、ジャンプを読み続ける。

 

「私こういうの詳しくないのだけど……」

 

雪ノ下らしくなく控えめな物言いだった。

 

「構わぬ。凡俗の意見も聞かぬとな」

 

「そう………。つまらなかった。読むのが苦痛だったわ。想像を絶するつまらなさ」

 

初頭からばさりと胴と首を切り飛ばされる。ぐほぉ!と心臓の辺りを抑えて、唸り声を出す材木座。

 

「さ、参考までに……、どこらへんがつまらなかったかご教授願えるかな……?」

 

無謀にも材木座は詳しく聞くようだ。まだ罵倒を浴びたいらしい。雪ノ下はなんの躊躇いもなく、次々に原稿へダメ出しを言う。文法、ルビ、構成と言った小説の事から始まり、最後には常識にまで叱咤された材木座は椅子から崩れ落ち、床に膝を着く。

 

「『そこらへんでやめてあげなよ』『叱咤ばかりでアドバイスくらいしてあげたら?』」

 

そこで比企谷がジャンプから視線をズラし、雪ノ下を見る。

 

「したじゃない。「てにのは」を使うこと、ちゃんとした日本語を使うこと、ルビについて、ほらもっとしてるわよ?」

 

「『もっと』『具体的に出来ないかな?』『ここをこうするとか』『構成についてもさ』」

 

「あまり言ってしまうと、私の作品になってしまうのよ」

 

「『もしかして過去にそんなことあった?』」

 

比企谷はニヤニヤと嫌らしい笑みを作る。

 

「さぁ?どうだったかしら?」

 

「『ふぅん』『ま』『今はいいや』『それじゃあそこで眠そうにしている』『由比ヶ浜ちゃんにも何か言ってもらおうかな』」

 

原稿を膝に置いたまま、ウトウトと微睡んでいた由比ヶ浜は比企谷に声をかけられた事でビクと肩を震わせる。

 

「ね、寝てないし!」

 

「『あはは』『全然読み進めて無いのにそんな嘘を堂々と言えるだなんて』『由比ヶ浜ちゃんには失望したぜ』『もう』『適当でいいからなんか言ってよ』」

 

最初は笑っていたのに、一気に冷たい目になる比企谷。それに戸惑ったような顔になる由比ヶ浜。

 

「え?……あ、あのー、難しい漢字いっぱい知ってるね」

 

ちらり、と材木座を見えてからなるべく傷つけないように咄嗟に考えたのだろう。ひぎぃ!と叫ぶ材木座を見る限り余計傷つけてしまったようだが。

 

「えっと、ヒッキー……?ごめんね?本当は寝てたの……」

 

肩も目尻も下げて、悲しそうな顔になる由比ヶ浜。比企谷を見る目はまるで犬のようだった。良い上目遣いである。

 

「『パシャっと』『うん』『この写真で手を打ってあげるや』」

 

スマホで由比ヶ浜を撮る。

比企谷はそれを見ながら、うんうんと頷きながら満足そうな顔をする。

 

「あ、ありがと………………。うん?私、今普通に流されそうになったけど盗撮されたよね?ねぇ!ヒッキー……」

「『よーし!』『次は僕だね!』『なんて言おうかなぁ!』」

 

由比ヶ浜の言葉を掻き消すように態とらしく大声を出す。早くも由比ヶ浜はツッコミ役が板についてきたようにみえる。

 

「『そうだねぇ……』『みんなどうしたらいいか教えてあげないから』『いけないんだよ』」

 

材木座は「八幡………」と半ベソをかきながらも、嬉しそうな顔をする。優しい言葉を期待しているのだろう。

 

だが比企谷はそんな優しい奴ではない。

 

「『うん!』『材木座くん!』『君は……………』『漫画家を目指した方がいいよ!』」

 

止めとなった比企谷の言葉に最後の叫び声をあげると教室中をゴロゴロゴロと転がり回り、壁にぶつかってようやく止まった。

 

「暗に小説家は無理だと言っているようなものじゃない。容赦ないわね」

 

「『いやいやいや……』『そんなつもり無かったんだけどなぁ』『僕は彼ならジャンプでギリギリ1〜2巻分の話数で打ち切りになってしまうような』『そんな漫画家くらいにはなれそうだと思ってさ』」

 

止めを刺されたというのに更に息の根を止める。完全に死体蹴りだ。材木座の口から魂が抜けている幻覚が見える。

 

こうして、材木座の依頼は無事?終わった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

玄関での別れ際。

 

「また読んでくれるか?」

 

材木座はあんなボコボコに言われたのにも関わらず性懲りも無く提案してきた。

 

「ドMなの………」とドン引きといった顔をする由比ヶ浜。

 

「確かに酷評はされたが、嬉しかったのだ。好きで書いたものを誰かに読んでもらって感想を言ってもらうというのは、存外良いものだな」

 

「『うん』『了解だよ』『でも次は漫画も書いてきてもいいんだよ?』『絵は下手でもいいから』『そんなの原作と絵を分ければいいんだからさ』」

 

材木座は何かに気づいたのかハッとした顔をする。そして、顎に手を当てて、考えるような顔をした。

 

「ぬぬぬ!その手もあったか!良かろう!次は原稿とネーム両方を持ってきてやろう!覚悟することだな!さらばだ!」

 

ビシ!とサムズアップをして、走って校外へと消えていく。

 

「元気ね」

「『いい事だと思うよ?』」

「もう少し抑えて欲しいし」

 

3人も帰路につく。

 

 

数日後の体育の時間。

 

「流行りの神絵師は誰かな?」

「『うーん?』『掲示板で聞いてみれば?』」

 

2人でストレッチをしながら、そんな話しをしていたを由比ヶ浜は発見した。

 




次回は待ちに待った戸塚ちゃん?くん?の登場。
比企谷くんを暴れさせるぜ!多分。


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戸塚彩加の練習

遅れてすみません|д・) ソォーッ…
作者はテニスの知識が全くないので多々おかしいところがあると思いますが、みなさん見逃してください!お願いします!なんでもしま(ry


比企谷家長男の自室

 

明日がいくら嫌でも朝は来る。太陽は昇ってしまう。カーテンの隙間から漏れる光が朝になったことを知らせている。というのに、この部屋の住人である比企谷八幡は起きない。

スズメといった小鳥達がチュンチュンと窓のすぐ外を飛び回っている。その音は最早、煩く鬱陶しいレベルになっているが、ベットの中で安らかにねむっている比企谷は一向に起きる気配がない。

「お兄ちゃ〜ん!」と下の階から実の妹であり、最愛の妹である比企谷小町の呼び声が響く。それなのに、「『す〜………す〜………』」と比企谷八幡は小さな寝息を立てており身じろぎ一つしない。

 

「起きろって言ってるでしょ!お兄ちゃん!!」

 

何度か呼びかけた後、いい加減動く気配のない八幡に怒った小町はバン!と大きな音を出して扉を開く。既に時間はギリギリ。小町も中学の制服を着て、学校に行く準備は完了している。

まだ布団の中で寝ている兄を発見した小町はキラーンと目を光らせながら「おっにぃちゃ〜〜ん」と叫んで飛びかかるようにベットに向かってジャンプした。所謂、ルパンダイブと言われるものだ。

 

小柄で体重の軽い小町ではあるが、1人の人間がベットに飛び込んだ影響でスプリングがギシギシと音を立てる。と同時に掛け布団が小町に沿って大きく沈む。

中で寝ている八幡にも多少の衝撃があったはずだが、まだまだ起きない。

 

「あれ?起きてない?……んも〜〜!このまま、お兄ちゃんが遅刻して先生に怒られるというのは小町的にポイント高いけど、小町の一生懸命作った朝食を暖かい内に食べないというのはポイント低いなぁ〜」

 

八幡の上に跨った状態で頬をぷくーっと膨らませるあざとい可愛さを眠っている八幡にアピールする。

そうしていると、部屋に置いてあるゲームの存在に気づく。

 

「なにこれ?レトロゲー?」

 

片付けをしないまま寝たのか部屋中に様々なハードが乱雑に置かれていた。

 

「どうせ夜遅くまでゲームしてたんでしょ!!起きてぇーー!お兄ちゃーん!」

「『う、うん?』『小町ちゃん』」

 

すると、小町の大声で八幡の目が薄く開く。この期を逃すものかと小町はお兄ちゃん!と何回も叫びながら激しく揺さぶる。そのまままぶたはゆっくりと開いていき、小町を網膜に映すと驚いたのか一気に見開く。

 

「あ!起きた!?お兄ちゃん!!」

「『……』『惰眠を貪っていた実兄を無理矢理起こすだなんて』『酷い妹だぜ』『肉親をなんだと思っているんだ』」

 

ゆっくりと身体を起こしながら、上に乗っている小町を横に退かす。

 

「うーん?なんなんだろぉ?とりあえずお兄ちゃんの事はゴミぃちゃんだと思ってるよぉ〜。でも、そんなゴミなところが好き!愛してる!あは!これは小町的にポイント高い(マイナス)!」

「『ゴミかぁ』『意外と扱いとしては高いなぁ』『もっと酷いと思ってたよ』『で、小町ちゃんはなんで僕の部屋にいるんだい?』」

「起こしに来たに決まってるじゃん!今何時だと思ってるの?遅刻しても良いけど、むしろ歓迎だけど。小町の愛情とか心とかその他諸々を込めた朝食と愛妹弁当はちゃんと食べてね!」

 

小町は立ち上がり、部屋にあるタンスの中から八幡の制服やら下着やら靴下やらを取り出してベットの上に放り投げる。

 

「『その他諸々って何かなぁ……』『毒物とかじゃないよね?』」

「あはは!心外だなぁ。私がお兄ちゃんにそんなことをすると思う?」

 

この妹ならしてしまいそうである。

 

「『あはは』『そんなのするに決まってるじゃないか』」

「いやいやいや、お兄ちゃんには確かに不幸になってもらいたいけど。その不幸を与えるのは小町以外の人間じゃないといけないんだよ?小町がお兄ちゃんを幸せにして、その他が不幸にする。それが1番の理想形なんだから!」

 

そう言って、タンスを閉じるとドアの方までタタタッと軽く走る。

 

「『こんなに僕の事を思ってくれる妹がいて全く僕って奴は不幸(しあわせ) だぜ』」

「じゃ!お兄ちゃん!小町はもう家を出ないと学校に遅刻してしまうのであります!というわけでお先に失礼!お兄ちゃんも学校行くんだよ!」

 

そのまま小町は部屋の外へと消えていく。ドタドタと廊下を走る音が聞こえる。

 

小町は学校では優等生として扱われているため遅刻など言語道断なのだ。八幡を幸せにするために必死に勉強をした結果だ。小町の将来設定では、どうせ就職できないであろう八幡をヒモにして飼ってやろうという算段だ。だから小町はなるべく良い企業に就職し、八幡を養えることが出来るほど良い給料を貰う為にも学業を大切にしている。

 

「『じゃ〜ね〜』『小町ちゃん!』」

 

いそいそと小町が出した衣類を着ながら準備する。

 

その後、小町が作った朝食やら歯磨きやらをのんびりとして登校した比企谷は当然のごとく遅刻して生活指導の教師である平塚から怒られることとなった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

昼休み。それは学生達のくつろぎの時間。朝から続いた退屈な授業に一区切りをつけ、同時にホッと息をつく。

 

それは比企谷八幡も例外ではない。

比企谷は小町特製の愛妹弁当を誰も居ない、この時間滅多に人が通りかからない自転車置き場横の校舎の影になっている場所で食べていた。

 

サーと潮風が吹く。臨海部に位置するこの校舎は丁度お昼頃に風向きが変わり、爽やかで涼しい風が吹くのだ。

 

静かだった。誰にも邪魔されずにジャンプを読む。もしかしたら、僕は今幸せの中にいるんじゃないかと過負荷(マイナス)らしくないことを考え始めた時、邪魔は入る。やはり、比企谷(マイナス)過負荷(マイナス)なのだ。

 

「うわっ!ヒッキー!?なんでこんな影にいるの!?気づかなかったし!ビックリした〜」

 

オーバーリアクションで近づいてくるのは由比ヶ浜結衣。両手にはジュースを抱えており、近くにある自動販売機にでも行った帰りなのだろう。

 

「『なんだよ』『由比ヶ浜ちゃんかよ』」

「なんでちょっと残念そうなんだし!失礼でしょ!てか、なんでこんなとこいんの?」

 

ため息を混じりで残念そうに言う比企谷にツッコミを入れる由比ヶ浜。着々とキャラが定着して行っている。

 

「『今日は良い天気だから』『絶好の日陰ぼっこ日和だと思ってね』」

「それを言うなら日向ぼっこなんじゃないの?」

「『いやいや』『僕みたいな日陰者が日向に出たら蒸発しちゃうよ』」

「蒸発!?すご!吸血鬼みたい!」

 

天然なのか、わざとなのか、微妙なリアクションをする由比ヶ浜。

 

「『由比ヶ浜ちゃんはなんでこんなとこにいるの?』『由比ヶ浜ちゃんみたいな明るい娘には似合ってないよ』」

「別にここに来るつもりで来たわけじゃないよ?いやさー!実はゆきのんとのゲームでジャン負けして!罰ゲームってやつ?」

 

自然に比企谷の隣に座る由比ヶ浜。

 

「『ふーん』『由比ヶ浜ちゃんは勇敢だね』『由比ヶ浜ちゃんみたいな普通の人間が』『雪ノ下ちゃんみたいな強者に勝てるわけ無いのに』」

「うわー……。ネガティブー!ダメだよ!そんなんじゃ!私は別に勝ち負けとか関係なくてそういう遊びじゃんかー!私は別に負けたことは悔しくないもん!」

「『……………』『そういうところが』『過負荷(ぼく)と由比ヶ浜ちゃんの違いなんだろうね……』『羨ましくて悔しいよ』」

 

呟くように言った言葉は由比ヶ浜には聞き取れなかった。頭に疑問符を浮かべて、首を傾げている。

 

「??………なんか言った?」

「『いやいや!』『なんにも言ってないよ』『もしかして由比ヶ浜ちゃん難聴か何か?』『良いヤブ医者教えてあげようか?』」

「ヤブ医者!?ヤブ医者に良し悪しがあるの!?………てか、そういやヒッキー。前に入学式の当日に交通事故にあったって言ってたじゃん?」

 

由比ヶ浜の目が探るように視線に変わる。

 

「『ああ』『入院したってやつ?』『そんな僕の不幸が気になるかい?』『由比ヶ浜ちゃんって奴は最低な奴だぜ』」

 

由比ヶ浜は全然意図していなかった事を言われたせいで、えぇ!?と慌てて両手を左右に振る。

 

「いや!そんなことないよ!?たださ!あれって……」

「あれ?由比ヶ浜さん?」

 

弁解しようとしていたところに割り込んできたのはソプラノの声。声が聞こえてきた方にはテニスラケットを抱えて頬を伝う汗をタオルで拭っている一人の生徒が立っていた。足が細く、腕も細く、というか身体全体的に細い華奢な身体をしていた。そのうえ肌は透き通るように白く、立ち振る舞いからして女生徒のように見える。

 

「あ!彩ちゃん!よっすー」

 

由比ヶ浜は知り合いのようで遠慮せずにバカっぽい挨拶をする。彩ちゃんと呼ばれた生徒は少し顔を赤らめて「……よっす」と控えめに返事をする。可愛い。

 

「由比ヶ浜さんと……比企谷くんは何してるの?」

 

「べ、べつにー何もー?」

「『逢引だよ』『逢引』」

 

予想していなかった組み合わせで居る2人に不思議そうに聞くが、由比ヶ浜は露骨に誤魔化し、比企谷は意地悪そうに笑いながら平然と嘘をついた。

 

「えっ……?そうだったんだ………邪魔しちゃったかな……」

 

彩ちゃんと呼ばれた生徒は比企谷の嘘に気づかずに騙されてしまい、気まずそうに顔を暗くしながら申し訳なさそうにしている。

 

「あいびき?なにそれ?ひき肉?ソーセージ?」

 

バカな回答をする由比ヶ浜に少し引いてしまう比企谷。彩ちゃんと呼ばれたその女子生徒?も苦笑している。

 

「『由比ヶ浜ちゃん』『それは流石に引いちゃうぜ』『簡単に言うと』『デート』『ランデブー』『密会』『そんな感じに言われてるやつのことだぜ?』『ほら』『あってるだろ?』」

「そうだね!…………って!全然違うし!彩ちゃん!?違うからね!?ヒッキーの嘘だからね!?ヒッキーキモ過ぎるし!!」

 

顔を真っ赤にして強く否定する由比ヶ浜に女子生徒?は怪しそうな目をする。が、それ以上掘り下げることは無かった。

 

「『で?』『君は誰なのかな?』『僕の名前を知っているみたいだけど』『もしかして僕のファン?』『君みたいな誰にでも好かれそうな人が僕のファンだなんて』『いやー』『照れるなぁ』」

「えー!?ヒッキーありえない!!同じクラスでしょ!?」

「『そうなの?』」

「あはは……戸塚彩加です。よろしくね」

 

比企谷は戸塚の顔を間近でジロジロと見てから首を傾げる。

 

「『うーん?』『やっぱり』『戸塚ちゃんみたいな可愛い子しらないなぁ?』」

 

比企谷がそう言うと戸塚は気まずそうに頬を掻きながら呟く。

 

「男なんだけどなぁ……」

 

何度も間違えられた事があるのかその顔は少し暗かった。

 

「『ん?』『そんなの分かってるよ?』『まさか』『僕がいくらモテないからって男の子と女の子の違いが分からないとでも思ってるの?』『そりゃひでぇぜ』」

 

「ほ、ホントに!?僕のこと一目で男って分かったの!?」

 

目を見開いて驚くが、次の瞬間には嬉しそうに確認をとる。いままで初対面では女の子に間違えられたことばかりの戸塚は、長年男らしくなりたいと思っていた。そんな中初見から自分が男であることを気づいてくれる人がいたのだ。その相手が過負荷(ひきがや)であろうと純粋に喜んでしまう。

 

「『ホントホント』『そんな男っぽいトランクスを履いてるんだから』『そんなの分かるにきまってるじゃないか』『いやぁ』『流石に女性用下着……つまりパンティーを履いてたら気づかなかったかも知れないけど』」

「……ヒッキー、きもすぎ」

 

ドン引きする由比ヶ浜。一方戸塚はそうでもなく、寧ろそんな理由とはいえ気づいてくれた比企谷には嬉しそうだ。

 

「えへへ……。そうかなぁ。僕そんな男っぽいかなぁ……。えへへ」

 

始終口をにやけさせている。そんな戸塚も可愛い。……可愛い。

 

「って、あれ?なんでヒッキー彩ちゃんがトランクス履いてるの分かったの!?」

「『さぁて』『教室に戻るとするかな』」

 

由比ヶ浜はそそくさと何処かに行こうとする比企谷の制服を掴み、引き止める。

 

「ちょっと待ってヒッキー!!詳しく教えてー!」

「『いやいやいや』『僕にはやらないといけないことがあるんだ』」

 

それでも逃げようとする比企谷を必死にしがみつく由比ヶ浜。戸塚はそんな2人を楽しそうに笑って見ていた。

 

☆ ☆ ☆

 

体育とは体を育てると書く。教育機関に存在する教科の一つで、運動を通じて心も体も成長させ豊かにする大切な授業なのだが、過負荷であり弱者であり敗者である比企谷八幡にとっては成長なんてするわけなく、豊かになる心もないから無駄とも言える授業だった。

 

そんな授業をまともに受ける筈もなく、体育教師にバレないように気配を殺して比企谷はベンチに座り、テニスをしている生徒たちを無感情に見ていた。意味があるわけでもなく、意志があるわけでもなく、意気があるわけでもなく、正真正銘なんの理由もなく見ていた。だが、普通の生徒にとってはそれだけで不気味だった。気配を消していた比企谷の存在は気づいていない。だが、背中に走る薄ら寒いものを確かに他の生徒たちは感じていた。

 

「ねぇ!八幡!」

 

だが、そこで比企谷は声をかけられる。戸塚である。

目を少しだけ見開き、驚く。唐突に目の前に現れ話しかけられたことに驚いたのもあったが、長年鍛えられてきたもはやアサシンとして某聖杯戦争に呼ばれそうなほどに極められている気配を消すという特技が破られたからだ。

 

「『!』『びっくりするじゃないか』『戸塚ちゃん』『もし僕の心臓が止まっても責任は取れないだろ?』」

「ご、ごめんね?」

 

目を潤ませて上目遣いで謝る戸塚。

 

「『いやいや』『怒ってるわけじゃないよ?』『ただ僕を殺したら大変だよ?』『そりゃもう』『英雄扱いさ』」

「え……えぇ……?そ、そうなの?そんなことないと思うけどな……」

 

自分が思っていたこととは違うことを言う比企谷に戸惑う戸塚。

 

「『そんなことある』『まぁ』『今はそんなことどうでもいいや』『で』『どしたの?』『何か用でもあるの?』」

「あ、あのね……その……」

「『勿体ぶらずに言えよ』『僕はそういうのが嫌いなんだ』」

「いや!そんなつもりは無いんだけど……。今日、いつもペア組んでる人が休みで、良かったら組んでくれないかな……」

 

おずおずと言いにくそうに言う戸塚。不安そうだった。

 

「『良くない』『全然良くないけど』『組んであげるよ』『僕は可愛い子の味方だからね』」

「ありがとう。でも比企谷くん、僕は男だよ?」

「『あはは』『「可愛い」に性別なんて関係ないさ!』」

 

ベンチから立ち上がり、横に置いていたラケットを握る。

 

「じゃあ、よろしくね!八幡!」

 

比企谷は戸塚が自分を呼ぶ時に比企谷から八幡に変わっていることにそこで気づく。

 

「『………….』『うん!』『お手柔らかに』」

 

一瞬だけ思案顏になるが、それを誤魔化すように明るく返す。戸塚はそれにホッと安心したように息を吐いて、ニコリと笑う。

 

 

数分後

 

「『ぜひぃ』『ぜひぃ』」

 

たった1ゲーム終わった時点で大して動いてないにも関わらず、比企谷の肺は既に限界を迎えていた。顔を真っ青にさせ、必死に酸素を取り込んでいる。ベンチに座り汗でビショビショになったジャージの胸の部分をパタパタと持ち上げて、空気を入れて体温を下げる。

その横では戸塚は心配そうに見ていた。時折、背中をさすってあげては頬を伝う汗をタオルで拭く。

 

「大丈夫?ごめんね、身体弱かったんだね……」

 

ピクリと反応する比企谷。

 

「『人のことを弱いだなんて』『まさに強いからそこ言える言葉だよね』『なんて君は上から目線なんだ』『でも良いんだよ』『君は普通(ノーマル)だからね』『普通に幸せで』『普通に見下して』『普通に普通だ』『それが君らしさってやつだよ』『大切にしなよ?』『その普通をさ』」

 

スゥと全身から吹き出ていた汗が引いていく。先ほどまで荒かった呼吸も今は整っている。代わりに吹き出てくるのは気持ち悪さ。

戸塚の顔色が一瞬で悪くなる。血の気が引き、真っ青だ。

 

「『過負荷(ぼく)と一緒にいたらダメだよ』『君は普通だからね』『同じ普通の人間と仲良くするんだ』『あと』『僕の事は比企谷でいいよ』『八幡だなんて』『まるで仲が良いみたいじゃないか』」

 

そう言って比企谷が立ち上がる。

きーんこーんかーんこーんとまるで見計らったようなタイミングで授業が終わることを知らせるチャイムが鳴る。

 

「『じゃね』『戸塚ちゃん』」

「………ーーッ」

 

手をフリフリと振りながら、去っていく比企谷。その背中を見ながら、戸塚は意を決したように息を吸い込む。

 

「八幡!!」

 

ピタッと比企谷の足が止まる。

 

「相談があるんだ!聞いてもらえないかな?」

 

比企谷はわざとらしく『はぁ……』と疲れたようにため息を吐くが、ニヤッと口角が上がっている。

 

「『聞くだけだよ』『聞くだけで終わりさ』」

 

パァ、華が咲くような美しい笑顔になる戸塚。可愛い。

 

☆ ☆ ☆

 

「ダメよ」

 

雪ノ下は無慈悲にも比企谷の頼みを断る。

 

「テニス部と奉仕部の兼任は認めないわ」

 

きっぱりと妥協は許さないという意思を強く感じさせる物言いだった。

 

「『それはまた』『なんでかな?』」

「貴方の事は平塚先生に依頼されているわ。それが完遂されないことには貴方に自由は無いわ。それに貴方が入部したらテニス部が無事ではすまないでしょう」

「『無事?』『まるで僕が害悪の様にいうなぁ』『そんなことないよ!』『最悪でも最低でも』『雪ノ下ちゃんが想像してる斜め下くらいの事しかやらないしならないから』」

 

ヘラヘラと何か面白いのか不気味に笑う。

 

「たとえ百万歩譲ったとしても貴方をテニス部に行かせるつもりはないわ」

 

比企谷の不気味さを気持ち悪さを真正面から受け止めてなお、雪ノ下は一歩も引かない。

 

「『えぇ〜』『困るなぁ』『戸塚ちゃんと約束したのになぁ』」

「貴方がそんな物を気にするとは思えないのだけど」

「『僕は気にしなくても』『君は気にするんじゃない?』『テニス部の力になってくれと頼まれたのにさぁ』『えっと……』『この部って何部だったっけ?』」

「貴方まだそんな事も覚えてなかったの?次に忘れたらノート一冊分「奉仕部」と書かせるわよ。それにそれは貴方個人に頼まれた事であって正式に依頼されたものではないわ」

「『おいおい』『困ってる人を助けるのがこの部活だろうに』『例え依頼されていなくても助けて欲しいと困ってる人がいたら助けるのが当たり前だぜ?』」

「本心で言ってるとは思えないけれど。それに貴方がテニス部に行ったとしても余計に困らせるだけだとおもうのだけど?貴方は決して受け入れられる事は無いわ」

 

2人の言い合いは白熱する。

 

「『テニス部を助けるのに受け入れてもらう必要なんて一ミリどころか一ナノも無いぜ』『少しだけ刺激を与えればいいだけさ』『カンフル剤って奴だよ』」

「貴方の様な劇薬を処方しても悪化するだけよ。貴方を排除しようと躍起になるだけで自身が高められる事は無いわ」

 

比企谷を鋭い目つきで睨みつける雪ノ下。比企谷はそれを悠々と受け流す。

 

「『わかってないなぁ』『じゃあ聞くけど』『雪ノ下ちゃんはどうするのさ?』」

「そうねーーー」

 

雪ノ下は顎に手を当てて数秒考える顔をした後、ニッコリと笑って言った。

 

「全員死ぬまで走らせてから

死ぬまで素振り

死ぬまで練習ーーーって言うのはどうかしら?」

「『……昭和の根性で練習させるスポーツ漫画の鬼コーチみたいな事を言うんだね』」

 

比企谷は雪ノ下の鬼畜ぶりに苦笑いする。

そこで教室のドアが開く。

 

「やっはろー!!依頼人連れてきた……ってあれ?なんか微妙な空気?なんかあったん?」

 

微妙な空気になった教室内に割り込んできたのは、バカっぽい挨拶をする由比ヶ浜。すぐに空気を感じ取り雪ノ下と比企谷の顔を伺う。

 

「なんでもないわ。それで依頼人って言ってたけれど?誰かしら?」

「あっ!そうそう!連れてきたんだよ!入って入って〜」

 

扉の影に隠れているその依頼人の手を掴み、2人に見えるところまで引っ張る。

 

「あ!……八幡!」

 

入ってきたのはさっきまで話していた戸塚彩加であった。戸塚は比企谷がいることに驚きながらも嬉しそうに名前を呼ぶ。

 

「八幡はなんでここに?」

「『そりゃ』『僕が奉仕部の一員だからに決まってるじゃないか』『戸塚ちゃんは?』」

 

その質問に答えるのは戸塚の隣にいた由比ヶ浜。

 

「いやーほら!私も奉仕部の一員じゃん?だからさ私も仕事したいなーって!彩ちゃんなんだか困ってるぽかったし」

 

少し照れながらも、誇らしげに言っている由比ヶ浜に比企谷はキョトンとした顔で見る。

 

「『え?』『由比ヶ浜ちゃんって奉仕部の部員だったの?』」

 

その言葉にえぇ!?と驚く由比ヶ浜。

 

「違うの!?ゆ、ゆきのん!!私って部員だよね!?」

「違うわよ?顧問の承認も無いし、入部届けも貰って無いもの」

「違うんだ!?書くよ!入部届け書くよ!」

 

由比ヶ浜はバックの中から筆記用具とルーズリーフを出しながら叫ぶ。比企谷は由比ヶ浜のそんな様子を見ながら疑問を抱く。

 

「『あれ?』『僕入部届け書いて無いんだけど?』『もしかして僕って部員じゃない?』」

「ええ!?ヒッキーも部員じゃなかったの!?」

「比企谷くんは平塚先生の強制入部だから構わないのよ」

「『平塚先生ってとことん横暴だよね』『まったく』『教師の風上にも置けない』」

「貴方は人間として風上に置けないけれど」

 

依頼人である戸塚はそっちのけに騒ぎ出す3人。だが、そんな3人を見ながら戸塚は小さく笑う。

 

「『どうしたの?』『戸塚ちゃん?』」

「ううん、なんでもない。ただ、3人とも仲がいいなぁって」

「『僕たちはマブダチだからね』」

「比企谷くんそれ以上嘘をつくようなら舌ちょん切るわよ」

「ゆ、ゆきのん……。私とゆきのんは友達だよね?」

「……………………そうね」

「何その間!?」

「『雪ノ下ちゃ〜ん』『由比ヶ浜ちゃんと遊ぶのは全然構わないんだけど』『依頼人がここにいるの忘れてない?』」

「………。貴方に言われるのはすごく腹が立つけれど。確かに依頼を聞かなきゃいけないわね」

 

戸塚の方に向き直す雪ノ下。

 

「依頼内容、教えてくれないかしら?」

 

戸塚は雪ノ下の凛とした顔に少し緊張した面持ちでゆっくりと喋り出した。

 

 

「いいでしょう。貴方の技術向上を助ければいいのよね?」

 

内容は予想通りのものだった。やる気の無いテニス部員の為に時期部長である僕が頑張ればみんなも頑張ってくれる、というものだ。先に比企谷から話しを聞いていた雪ノ下はすぐに納得したように頷く。

 

「は、はい!僕が頑張れば皆一緒に頑張ってくれる……と思う」

 

比企谷はそれを聞いてピクリと反応する。

 

「『皆一緒に頑張ってくれる……ねぇ』」

「?どしたの?ヒッキー?」

「『なんでもないさ』」

 

ボソリと呟かれた言葉を聞いた由比ヶ浜が質問するがすぐに誤魔化す比企谷。それを少し引っかかりを覚えたような顔で雪ノ下が比企谷を見るが、比企谷はそれにニッコリと気持ちの悪い笑みで返す。

 

「では、テニスコートに行きましょう。戸塚さんは運動着に着替えてきて」

「『まさか』『本当にさっき言った事をさせるつもり?』」

「当たり前でしょう?私は嘘が大嫌いなの」

 

戸塚はそんな2人の会話を不安そうに聞いていた。

 

 

テニスコートに集まってから雪ノ下が戸塚に出した指示はランニングや腕立て伏せや素振りなどの基礎トレーニングだった。戸塚1人でやるのを気にしたのか由比ヶ浜も一緒に付き合ってトレーニングしている。やはり男女差や毎日部活で由比ヶ浜よりも戸塚の方がランニングにしても腕立て伏せにしても上だった。だが、いくら鍛えていてもきついものはきつい。由比ヶ浜も戸塚も限界が見え始めた時に

 

「今日はおしまいね」

 

昼休みが終わる5分程度前に雪ノ下がいう。その声に安堵から力が抜けたのか戸塚と由比ヶ浜はその場でドサリと倒れる。

 

「明日も昼食が終わったら集まりましょう」

 

そう言うと雪ノ下は1人でテニスコートから出て行く。

 

「『大丈夫かい?』『いやはや』『雪ノ下ちゃんってば容赦ないねー』」

 

2人が頑張っている間、日陰で1人流れる雲を見ていた比企谷は終わったと見るやニコニコと笑みを浮かべながら倒れている2人に近づいて行く。

 

「ははは、凄いや」

 

グググーーとプルプルと震える腕に力を込めて立ち上がろうとする戸塚。

 

「『やめても良いんだよ?』『逃げても良いんだよ?』『雪ノ下ちゃんには僕から言っておくからさぁ』『君が頑張ったからってテニス部員達がやる気を出してくれるなんて』『本当に思ってるの?』」

「そうだね、わからない」

「『うんうん』『やめておこうよ』『努力とか』『尽力とか』『そんなものに腐心してると心が腐っちゃうぜ』」

 

そう言って必死に立とうとしている戸塚に手を差し出す。隣で見ていた由比ヶ浜にはその手を取ってはいけないと何と無くわかった。

戸塚はその手を取る事は無く、1人でフラフラとしながらも、立ち上がった。そして、ニッコリと笑って言った。

 

「でももう少し頑張ってみるよ」

「『…………そっか』『戸塚君の事なんて何も知らないけど君らしいと思ったよ』『………じゃ!』『僕は行くよ!』『戸塚ちゃんも由比ヶ浜ちゃんも授業に遅れないようにするんだよ〜』」

 

ブンブンと手を一生懸命振りながらテニスコートから去って行く比企谷。

 

☆ ★ ☆ ★

 

それから数日後ようやく基礎のトレーニングからラケットを持って由比ヶ浜から打たれたボールを拾う練習へとなった。

 

「きゃっ!」

 

素人である由比ヶ浜のボールは完全にアウトゾーンに入るようなボールを打つ。それを無理に拾おうとした戸塚が女の子のような悲鳴を上げて勢い良く転けてしまう。

 

「………ッ!」

 

戸塚の顔が歪む。見ると両膝とも擦傷ができており血が滲んでいる。

 

「彩ちゃん大丈夫ッ!?」

 

戸塚の反対側のコートに居た由比ヶ浜は心配そうに声をかけながらネットまで走っていく。

 

「だ、大丈夫……痛ッ!」

「まだ………続けるつもり?」

 

コート外から様子を見ていた雪ノ下が戸塚の傷の具合を遠目で見ながら、問いかける。

 

「うん。皆付き合ってくれてるから……。もう少し頑張りたい」

「そう。由比ヶ浜さん後はお願いできるかしら?」

「う、うん」

 

雪ノ下は由比ヶ浜の返事を聞くと、テニスコートを囲っているフェンスの向こうへ歩いていく。

 

「失望させちゃったかな………」

 

戸塚が不安そうに言う。そんな戸塚を由比ヶ浜励ますように笑顔を浮かべる。

 

「そんな事ないと思うよ?ゆきのん自分に頼ってくる人を突き放したりしないから!」

「そうかな……」

「大丈夫だって!」

 

戸塚と由比ヶ浜の会話を聞きながら、比企谷がぶち壊したい雰囲気だなぁ。と考えている時

 

「あー、テニスじゃん!」

 

テニスコートの入り口から声が響く。三人ともそちらを向くと、比企谷や由比ヶ浜、戸塚と同じクラスにいる三浦優美子だった。その後ろには5〜6人の男女。葉山隼人も混ざっている。

 

「あーしらもここで遊んでいい?」

「あ、あの!僕たちは別に遊んでるわけじゃ……」

「はぁ?何?聞こえないだけど」

 

威圧感を与えるような三浦の話し方に黙ってしまう戸塚。由比ヶ浜も本来三浦達と同じグループの為か、何も言えないでいるようだった。

この事態に口元をにやけさせる比企谷。

 

「『えー?』『僕たち先生に許可取っちゃってるんだよねー?』」

「べっつにあーしらが混ざっても何も問題なくない?」

「『問題ありありだよ』『さっさと消えてくれるかな?』」

「は?何?喧嘩売ってんの?マジムカつくんだけど……」

「まぁまぁ優美子も落ち着けって、な?」

 

イラつきが表面化してきた三浦を葉山が嗜める。そして、人の良さそうな笑顔を貼り付けて比企谷に近づいて行く。

 

「ヒキタニ君もさ、そんな事言わずにさ?戸塚くんの練習僕たちも手伝うからさ」

「『う〜ん』『葉山くん』『君って根っからの強者《プラス》だよね』」

「?……どういう意味かな?」

「『周囲の人を気遣ってさ』『何か起こりそうなら先にその笑顔で割り込んでいくんだろ?』『そして皆から人気者さ』」

「…………」

「『そんな強者(プラス)が僕みたいな弱者(マイナス)からテニスコートを奪うなんて』『厚かましいとか思わない?』」

 

その言葉を受け止めて、葉山は比企谷の顔を穴が空くくらいに睨み付ける。がすぐに柔らかい笑顔に変わる。

 

「…………じゃあこうしよう。君と僕でテニスをして、勝った方がこれからもテニスコートを使えるってことで」

 

「えっと……」と動揺する戸塚にすかさず、言葉を続ける。

 

「勿論、戸塚くんの練習も手伝う。どうかな?」

「『いいよ』『君のその薄っぺらい笑顔を剥いであげるよ』」

「何それ面白そう!じゃさ、どうせならダブルスにしたらいいじゃん!あーし頭いいっしょ!」

 

葉山の言葉を聞いた三浦がダブルスにしようと提案する。由比ヶ浜と戸塚が不安そうに比企谷を見るが、比企谷は余裕そうに笑っている。

 

「ねぇ、ヒッキー……。私もやるよ…」

「『う〜ん』『向こうがダブルスってなってるからしょうがないね』『悪いけど付き合ってもらうよ?』」

「うん」

 

三浦を相手にするのが心苦しいのか顔色は暗い。

 

「は?ゆい、やるとか聞こえたんだけど。意味わかってんの?」

「『ゲーム前から相手選手を威圧するなんて』『やってくれるぜ』」

「そんなんじゃねぇし!ゆい!」

「ごめんね、優美子。私部活も大切だからさ!」

 

そのまま話しは進んで行き、結局は比企谷&由比ヶ浜ペアVS葉山&三浦ペアとなった。物珍しさに葉山達が連れていた人以外にも何人かがフェンスの外から見ている。

 

「じゃあ、始めます!」

 

審判をしている戸塚の声がテニスコートに響く。サーブ権は葉山&優美子ペアにあり、後衛にいる三浦がサーブの為にボール投げる。

 

「シッ!!」

 

気合いの入ったサーブは女子が打ったとは思えない程の鋭さがあり、比企谷は取れない。

 

15-Love(フィフティーンラブ)

 

先制点を取ったのは葉山ペアだった。サービスエースを取った三浦はフンッと比企谷を笑う。

 

「『強いね』『いや』『僕が弱すぎるのかな?』」

「そんな事無いと思う。優美子中学の時、県選抜選ばれてるし。隼人も運動神経いいし」

「『そりゃまた』『なんて強い(プラス)なんだ』『勝てる気がしないや』」

「諦めるの?」

 

三浦はもう一度サーブを打とうとボールを真上に投げる。だが、由比ヶ浜はサーブが打たれようとしているのに比企谷の顔をジッと見ていた。そんな由比ヶ浜を見つめ返して、比企谷は笑う。

 

「『まさか』『(マイナス)はどんな勝負も諦めないし逃げない』『逃げるが勝ちって言うように』『逃げるなんて行為は勝者(プラス)だけに許された特権さ』『だから僕はどんなに卑怯だろうが惨めだろうが立派じゃなかろうが戦ってーー』」

「シッ!!」

 

パァン!といい音を鳴らして三浦がサーブを放つ。それは最初のサーブよりもずっと鋭くて重い。だが比企谷はそれに素早く反応し、

 

「『ーー胸を張って負けてやる!』」

 

パァン!と同じくいい音を立てて打ち返した。それは油断していた葉山と三浦の間を綺麗に抜けてラインギリギリのところでバウンドしフェンスに挟まった。

 

「「ッ!!?」」

 

まさか打ち返されると思ってもいなかった2人は驚愕に目を見開く。

 

「15-15」

 

戸塚は戸惑いつつも、審判としての役割をする。

 

「まぐれっしょ?」

「……そうだね」

 

2人はそう会話しながらも、気を引き締め直す。

 

「シッ!」

 

再度三浦のサーブ。今日一番の渾身のサーブだった。さっきより強烈だ。

 

「『ッ!!』」

 

だが、比企谷はそれを打ち返す。

先程のように油断していなかった葉山はそれを冷静に打ち返す。がコースをついたそのボールも比企谷が拾う。

 

「30-15」

 

戸塚の声が響く。まさか、比企谷がここまで出来ると思ってもいなかったフェンスの向こうのギャラリー達も「おお!」と歓声を上げる。そのまま調子付いた比企谷ペアはその勢いで1ゲームとってしまう。

 

「すごいね!ヒッキー!」

 

嬉しそうに駆け寄ってくる由比ヶ浜。

 

「『………そうだね』」

 

だが、比企谷の顔は由比ヶ浜の顔とは対照的に暗かった。そろそろ相手も本格的に攻め始めると分かっていたからだ。

 

「……………ごめんね、ゆい」

 

三浦はそう誰にも聞こえないように呟くと由比ヶ浜を集中的に狙い出した。葉山も三浦の作戦に気づいたのか由比ヶ浜を狙う。

 

「『………ッ』」

 

最初は上手く由比ヶ浜をフォローしていた比企谷もすぐに回らなくなり、点を取られる。

 

「ごめんね、ヒッキー」

「『僕が女の子を責めると思う?』『僕はどんな状況にあろうと女の子と可愛い子の味方なんだ』」

「ヒッキー………」

 

だが、そんな事を言っても勝てるわけではない。そのままやすやすと1ゲーム、2ゲームと取られてしまう。

そしてーーー

 

「きゃあ!!」

 

自分が狙われた事で負けそうな事が悔しい由比ヶ浜が無理してボールも拾おうとしたせいでドシャリと転けてしまう。

 

「痛つつ……」

 

由比ヶ浜はすぐに立ち上がるが、立ち上がる瞬間に顔が痛みで歪む。

 

「『大丈夫?』」

「ごめん………ちょっと捻ったみたい……」

「そっか……」

 

どうしようか、と思案顔になる比企谷。その顔を見て既に暗かった由比ヶ浜の顔が更に暗くなる。

そして、何か思い出したかのように顔をハッとさせた後

 

「ちょっと……行ってくるね」

 

由比ヶ浜が足を引きずりながら、コートの外へ出ていった。歩く度に痛むのかずりずりと軽く引きずっている。

 

「『………』」

 

その後ろ姿をジーッと考え込むように眺める比企谷。

 

「ちょっとなに?仲間割れ?」

 

笑い混じりに比企谷に聞く三浦。

 

「『いや』『元より仲間なんかじゃないよ』『それより』『一対二でいいから勝負続けようよ』」

「はぁー?あんた何言ってんの?結衣もいないのにあんたに勝てるわけ無いじゃん。いても勝てないけど」

 

ダブルスのコートはシングルスの場合とは違い一回り広くなる。その広さを1人で守り切るのには流石に無理がある。三浦は蔑むようにこちらを見ながら言う。

 

「『もしかして』『びびってる?』『大丈夫だよ』『僕は弱いから』」

「……。超ムカついたんですけど。隼人。本人が言ってるんだから良いよね?」

「いや、やめと「『まさか』」…」

 

葉山は三浦を止めようとするが、それに待ったをかけるのは比企谷。

 

「『これだけギャラリーがいるのに』『人気者の葉山くんが逃げるわけ無いよね』『てか』『逃げられないよね』」

 

フェンスの外で成り行きを見ているいつの間にかかなりの人数に増えているギャラリーに視線を向けて比企谷は楽しそうに言う。

 

「…………わかった」

 

渋々だが葉山は認めるしかなかった。

 

「『そういうことだから』『戸塚ちゃんよろしくね』」

 

審判台に座っている戸塚に、笑顔で手を振る比企谷。

 

「う、うん」

 

予想外の展開に戸惑いながらも、お人好しな戸塚は頷いてしまう。

 

「『はは』『決まりだ』『確かサーブ権は僕の方にあったよね』」

 

比企谷はボールを地面にバウンドさせながら、ラケットを構える。

 

「『じゃあいくよー』『って』『その前に言いたい事があるんだった』『僕ってさ』『レトロゲーが好きなんだ』」

 

急な比企谷の話しの転換に三浦は不思議そうな顔をする。

 

「はぁ?それがどうしたわけ?てか早くしてくれない?あんたと話してたら吐き気がするんだけど…」

「まぁまぁ、優美子。落ち着けって」

 

冷たい視線で比企谷を睨みつける三浦を葉山がなだめる。

 

「『これから始まるのはテニスゲームじゃあない』『インベーダーゲームだよ』『哀れで不幸な被害者(ぼく)が強くて幸せな侵略者(君たち)と侵略戦争をするんだ』

「はぁ?何言ってるし?」

「『僕って奴はルールがあるゲームじゃ価値無しだけど』『ルール無用の戦争でも勝ち無しだぜ』『そんな僕が君たちと戦うって言うんだ』『多少』『卑怯なことをしても仕方ないよね』」

 

ゾワリと葉山は全身に鳥肌が立つのを感じた。悪寒がする。まるで底なしの穴を覗いているかのような謎の不安感。何をされたわけでも無いのに心が折れてしまいそうになる。

 

「何をするつもりなのかわからないけど。その反則をした時点で君の負けだよ」

 

葉山はなるべく弱みを見せないように、声色を強くする。

 

「『そうだね』『反則をすれば、ね』『言ったでしょ?』『反則じゃあないただの卑怯さ』『僕は確かに弱いけど』『弱すぎて誰にも勝てないけど』『それどころか』『引き分けに持ち込むことすら出来ないけど』『勝負を台無しにして』『有耶無耶にしてーー』」

 

比企谷は口はしっかりと動かしながら、ボールを空中に放り投げた。

放物線を描くボールに比企谷は今までに見せていなかったほど綺麗なフォームで打つ。スパーンといい音をたてて放たれたボールは弱々しい比企谷の腕から打たれたとは思えないほどのスピードで

 

「『ーー無かった事にする事は出来るんだ』」

 

 

ガツッと生々しい音を出して後衛で守っていた三浦の右頬に鋭くぶち当たった。

 

「ッ!!」

 

ドサリとそのまま仰向けに倒れる三浦。地面に後頭部を思い切りぶつけ、ゴッと嫌な音が響き渡る。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

葉山はすぐにかけよって、上半身を起こす。本来、頭をぶつけてしまった場合は下手に触らない方が良いのだが、それに気が回らないほど葉山は動転していたようだ。

 

「だ、大丈夫だし」

 

幸い三浦は気絶まではしていないようだが、ボールが当たった右頬は早くも赤く腫れあがり血が滲んでいて痛々しい。

 

「『あーれー?』『大丈夫ー?』『三浦さーん?』『でも』『僕ってテニス初心者なんだから』『サーブが後衛選手の右頬に当たったとしても』『仕方ないよね』『わざとじゃないんだ』『だから』『僕は悪くない』」

 

「ふざけんなー!」「謝れ!」「最低!」「死ねー!」などフェンスの外からギャラリー達が叫ぶ。

 

「『おいおい』『まるで僕が悪者みたいに言うなよ』『さっき』『由比ヶ浜ちゃんが』『ボールに振り回されて』『怪我をした時は何も言わなかったのに』『こんな時には言うのかい?』」

 

叫んでくるギャラリーに向かって、比企谷は笑いながら言う。その雰囲気に、気持ち悪さに、不気味さに、不快さに、黙ってしまうギャラリー達。比企谷が言っていることがとても横柄で暴論だと分かっているが、雰囲気に呑まれてしまって誰も二の次を踏み出せないでいた。

 

「それとこれとは事情が違うだろう。優美子が由比ヶ浜を責めたのは、立派な戦略だ。だが、君のは「隼人良いし!」……だが優美子!」

 

葉山は悪びれもしない比企谷に食ってかかろうとするが、三浦に止められる。そのまま三浦は立ち上がろうとするが、フラフラと身体が揺れていて足もおぼつかない。葉山はそれを見兼ねて、肩を貸す。

 

「『あっれー?』『まだやる気ー?』『保健室行った方がいいんじゃーい?』」

 

闘志を漲らせて、眼に焔を灯している三浦。

 

「このままあんたに舐められたまま、辞めるなんて出来る訳ないし!」

 

葉山からの支えを解きながら、比企谷に向けて叫ぶ三浦。敵意がほとばしっている。それは、直接向けられていない葉山やギャラリー達をも数本後ずさりさせるほどの迫力があった。

 

「『ふぅん』『まぁ』『いいけど』『さいちゃーん!』『この場合どーなるの?』」

 

だが、比企谷にはそんなもの通用しない。ケロリと何時もの調子でブンブンと戸塚に手を振る比企谷。

 

「え、えーと。ひ、比企谷くんのポイントになります。15-love」

 

少し顔を俯かせながら、小さく応える戸塚。

 

「『じゃあ』『あと』『最低』『3回は当てられるんだ』」

 

ポツリと呟く比企谷。比企谷にサーブ権があるこのゲーム中で全てレシーバーに当たったとしても、あと3回当てられる。

 

「比企谷!やっぱりお前!狙って……!」

 

比企谷の聞こえるか聞こえないか分からないほど小さな呟きを捉えたのか。顔色を変えて叫ぶ葉山。

 

「『そんな怖い顔するなよ』『聖人君子のイメージが壊れるぜ?』」

 

普段見れない葉山の怒鳴るシーンに驚き戸惑う三浦とギャラリー達。そんなギャラリー達をチラリと見て、ギリッと歯を噛み締め悔しそうな顔をする葉山。

 

「『さて』『続きをしようか』『安心して』『どうせ』『勝つのは君達だよ』」

 

ラケットを構える比企谷。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

雪ノ下は自身にとって比企谷は、気持ち悪い人間で嫌悪すべき存在だが、同時に脅威にはならない。と思っていた。だが、それだけでは雪ノ下雪乃は過負荷(比企谷八幡)という人間を理解できていない。比企谷の過負荷《マイナス》性を殆ど見たことが無かったのが原因である。

だからーー

 

 

「ひ、比企谷くん……。貴方何しているの……?」

 

 

三浦がコート上で全身青あざだらけで蹲っている場面を見て、その原因であろう血が染み込んでいる真っ赤なテニスボールを握りしめている比企谷を見て、呆然と呟いてしまうのは仕方のない事だった。

 

「優美子!!大丈夫!?」

 

雪ノ下の後ろで隠れるように身を縮みていた由比ヶ浜は三浦の状態に気づくとすぐに駆け寄る。

 

「『あれ?』『雪ノ下さんじゃないか?』『こんにちは』『元気してる?』」

 

比企谷は雪ノ下がコートの入り口に立っている事に気がつき、陽気な声で声をかける。

 

「そんな事はいいから。私の質問に答えなさい、比企谷くん。貴方何をしているの!?」

「『そんな大声出さないでよ』『雪ノ下さん』『僕はコートを奪われないように必死に戦っていたんだよ?』『僕は悪くないんだ』『雪ノ下さんなら信じてくれるよね!』『まぁ』『あと』『1失点で奪われるんだけど』」

 

サッと視線を動かして、得点板を見るとデュースになっておりアドバンテージは葉山ペアがとっていた。

 

「…………。私が居なくなってから何があったか言いなさい。いえ、由比ヶ浜さんが居なくなってからでいいわ。教えなさい」

 

すでに由比ヶ浜からある程度の話しの経緯を聞いていた雪ノ下は、その後何があったのかを聞くために比企谷に迫る。

 

「『うん』『いいよ!』『でも少し待って!』『僕は説明下手だから』『雪ノ下さんが許してくれるように』『脚色して』『詐称して』『偽装して』『まるで喜劇のように』『嘘八百を並べたてるからさ』」

 

雪ノ下はあははと無邪気に笑う目の前の男を強く睨みつけてから、由比ヶ浜と一緒に倒れている三浦に介抱している葉山に声をかける。

 

「悪いんだけれど。あの男が仕出かした事を教えてくれないかしら?」

「あ、ああ。構わないよ。えっと、ーーー」

 

葉山は話し始める。

 

 

雪ノ下がくる10分程度前

 

比企谷は最初のサーブと同じように三浦にボールをぶつけていた。それでも、三浦は顔面に当たろうが鳩尾に当たろうが戦う姿勢を辞めなかった。だが、このままでは比企谷に負けてしまう。葉山は必死に対策を考えるが有効案が無かった。せめて、葉山本人が狙われるのなら避ける事が出来るが、既に顔面に当たってしまった三浦はボール当たったのが原因か、それとも倒れた時に頭をぶつけた事が原因かは分からないが脳が揺れたせいでフラフラと足がもつれて、迫ってくるボールを避ける事など出来る状態では無かった。

 

ついに40-love。あと、一発当てられたら1ゲーム比企谷に取られてしまう。というところで、比企谷が行動を変えた。

 

ノーバウンドで三浦にぶつけていたサーブを、ワンバウンドしてからぶつけるようにしたのだ。だが、この過負荷(マイナス) がただバウンドさせるようにしたわけじゃない。わざわざバックコートにバウンドさせて、当てるのだ。バックコートにバウンドーーつまり、フォルトを2回するとレシーバー側の得点となる。

 

比企谷はそれを繰り返しデュースになるまで持って行った。後は簡単だ。ダブルフォルトで三浦側にアドバンテージを取らせる。その後、ノーバウンドで三浦にボールを当ててデュースに戻す。

 

それを永延と雪ノ下が来るまで繰り返していた。

 

 

 

「貴方、性根が腐ってるわね。女性の顔にボールを当てるなんて」

 

雪ノ下は葉山の話しが終わった途端に、ツカツカと比企谷の方へ歩み寄り怒気を滲ませて言う。

 

「『おいおいおい』『僕が悪いみたいに言うなよ』『僕はテニス初心者なんだ』『ボールを当ててしまう事もあるさ』」

 

悪びれもせず、肩を竦ませて言う比企谷。

 

「一度なら、分からない事も無いわ。でも、何度も当てる必要も無いでしょう。それに、態とでは無くとも、当ててしまったのなら謝るのがマナーよ」

「『へぇ』『じゃあ』『まずコートを無理矢理奪おうとした』『向こう側に謝って欲しいな』『全くマナーがなってない』『それに』『ほら』『得点板を見て』『僕が負けてるだろ?』『今まさにコートを取られようとしてる』『それなりの成績を残してるテニス経験者が』『1人の僕に寄ってたかって』『搾取しようとしたんだ!』『よく考えてみてよ』『僕は被害者だ』」

 

アドバンテージをとっているのは葉山側だ。だが、血が染み付いてるボールを握っているこの男を見て被害者だなんて思えるわけがない。それをこの過負荷(おとこ)は堂々と被害者と言える。

 

「ッ!あなた……」

 

普段の冷静さはどこに行ったか、雪ノ下は昂ぶる激情が漏れ出てきそうになるが、比企谷の気持ちの悪い笑みでそれも詰まってしまう。

 

「『ま』『雪ノ下さんが来るまで持ち堪えたんだ』『僕としては十分だよね』『そろそろ終わらせようか』」

 

ラケットを構え、ボールを浮かせる比企谷。

まだ三浦が倒れているというのに、サーブを打とうとする比企谷を見て戸塚が叫ぶ。

 

「八幡!いい加減にして!!」

 

普段の戸塚からは考えられないほど激情を表している。その様子に騒いでいた周囲のギャラリー達も驚き静まり返った。

 

「『おいおい』『今頃騒ぎ出してどうしたんだい?』『さっきまでキチンと審判の仕事が出来ていたじゃないか』『雪ノ下ちゃんが来た瞬間に強気になってさ』」

「やめてよ……八幡。もう………いいから……」

 

涙を滲ませ、過負荷(ひきがや)という圧倒的な恐怖に肩を震わせながらも、戸塚は勇敢にも三浦を庇うように立ち塞がる。その姿はいつもの女の子のような弱々しい顔ではなく、雄々しく勇ましい男の子の顔だった。

 

「『…………』『あーあ』『全く』『か弱い僕がそんな目つきで見られたら』『怖くて』『怖くて』『震えてボールが打てないじゃないか』」

 

比企谷は空中に放り投げたボールを打つことはなくキャッチして、ラケットを下ろす。

 

その姿にほっ……と見ていた皆が胸を撫で下ろす。もしかしたら、戸塚に当ててでも打つ可能性があったのだ。それに、比企谷から溢れ出ていた吐き気のする雰囲気も今は息を潜めていた。

 

「『隼人ちゃん』『優美子ちゃんを連れて5秒以内にコートから消えてよ』『僕は気まぐれだから』『いつボールをまた当ててしまうかわからないんだ』『だから』『僕の気が変わる前に早く連れて行ってよ』」

 

足元に転がっているボールを拾い、手のひらで転がしながら言う。

 

「…分かった。今日の事はすまなかった。僕達にも悪いところがあった。だけど………ッ!」

 

それを聞いて葉山はぐったりと倒れている三浦をおんぶするように担いでから、比企谷を睨みつけて静かな怒りを感じさせる声で言う。だが、比企谷は葉山が言い切る前に手のひらで転がしていたボールを葉山に打つ。まさかこの状況でそんな行動を取るとは予想にもしていなく、葉山は避けることが出来ない。

 

「『おいおい』『5秒以内に消えろって言ったじゃないか』『君は記憶障害か何かかい?』」

 

比企谷はニヤニヤと笑っている。

葉山は迫ってくるボールを見て、これは避けられないと目をつぶり、覚悟を決める。

 

「…………?」

 

だが、いつまでたっても何の衝撃も襲ってこない。おかしいと思い、ゆっくりとまぶたを開いていく。

 

「!?」

 

そして、驚愕する。

何故なら、目の前で戸塚が葉山達を庇うように華奢な身体を精一杯大きく広げていたから。

 

戸塚の足元には、比企谷が放った血が滲んだボールが転がっていた。

 

「比企谷……くん。今すぐ、ここからいなくなって!」

 

戸塚からその見た目からは信じられないほど低い怒声が響く。

信じられない。とそれを聞いていた皆が目を見開く。今まで戸塚が怒っている所を誰も見た事が無かったからだ。というより、この瞬間まで戸塚が怒るという姿を誰も想像だに出来ないでいたのだ。

だが、比企谷だけが嬉しそうに笑っていた。

 

「『そう』『それで良いんだよ』『戸塚ちゃん』『誰からも好かれて嫌われない』『君みたいな存在が』『僕に「八幡」だなんて親しげ呼んじゃあいけないよ』『降参だ』『降参する』『僕の負けだよ』」

 

ヘラヘラと笑いながらラケットを地面に置き、ズボンのポケットに手を突っ込んでコートの出口へと歩いていく。

 

「『ほら』『戸塚ちゃん』『君はまだ審判だろ?』『「ゲームウォンバイ葉山・三浦ペア」それが今君が最も言わなくちゃいけない言葉だよ』」

 

出口に差し掛かった所で足を止め、首だけ後ろに受けて戸塚に向けて言う。それに戸塚は歯を食いしばり、苦虫を噛み潰すような顔をしながら声を震わせて唇を開く。

 

「………ゲーム……ウォンバイ…葉山・三浦ペア」

 

小さく、蚊の鳴くような声だったが確かに戸塚はそう言った。

それに比企谷は満足そうに笑い、出口から出て行く。コートの外に集まっていたギャラリー達はまるでモーゼのように左右に割れてしまう。

 

「『あーあ』『また勝てなかった』」

 

比企谷はそこを悠々といつもの足取りで歩きながら、大きくはないが確かにこの場にいる全員に聞こえるような声量でそう言い残していった。

比企谷がいなくなるまで、見えなくなるまで、足音が聞こえなくなるまで黙っていたギャラリーたち。だが、やっと比企谷が見えなくなったその直後ーーー

 

ワァァァアアーッ、と雄叫びのように起こる歓声。今まで見学していた人間全てが一斉に喋り出し、まるで地鳴りのような音になる。

その中でも特に盛り上がっている数名がコート内に入ってきた。そして戸塚のところまで走っていく。

 

「戸塚さん!すごかった!俺!惚れそうになりましたよ!」

「まさか戸塚先輩があんなこと出来るなんて!今まですいませんでした!」

「聞いたぜ!テニス部の為なんだよな!俺もこれから頑張るからな!」

「俺も俺も!今までサボってて悪かったよ!」

「好きです!戸塚さん!付き合ってください!」

「お前男だろうが!」

「「「「あはははは!」」」」

 

ワイワイと戸塚の周りに集まっているのはどうやらテニス部員のようだ。いつも引っ込み思案で目立つタイプではない戸塚は、急に大勢に話しかけられてあわあわと慌てている。

 

「なんとも言えないわね………」

 

それを見ながら暗い顔をするのは雪ノ下雪乃。苦虫を噛み潰すような顔だ。もしかして、比企谷はーー

 

「ゆきのん!その救急箱貸してくれない!?優美子に少しでも手当しときたいから!」

 

思考の海へとダイブしようとしていたところで、由比ヶ浜にサルベージされる。

 

「え?ええ、いいわ。それに由比ヶ浜さん、貴方も足を捻ったのでしょう?貴女も三浦さんも一緒にやってあげるから」

「ほんと!?ありがとう!大好き!」

 

ガバッと雪ノ下に抱きつき、熱烈な感謝のアピールをする由比ヶ浜。

 

「あ、あまりくっつかないでくれるかしら?暑いわ」

 

なんの打算や悪意もない純粋な好意をぶつけられて頬を赤く染めてしまう雪ノ下。長年、同年代の女子には悪意ばかりぶつけられてきたので免疫が無いのだ。

 

「えへへへへ……。ごめんね!でも、本当にありがと!」

 

謝りながらも離れようとしない由比ヶ浜に呆れたのか諦めたのか、雪ノ下は三浦のところに歩いていく。三浦に近くなると、流石に遠慮したのか由比ヶ浜は離れる。

 

「大丈夫かしら?三浦さん。」

「大丈夫だし!ほっといてくれる?」

 

三浦は少しは回復したようで、雪ノ下に噛み付くように強気に言う。

だがそれとは裏腹に声に力は無いし、顔に出来た青痣は今も痛々しくそこにある。

 

「いいえ、大丈夫じゃないわね。いいから見せなさい。貴女が良くても私が良くないのよ。部員がやったことを部長が責任をとるのは当たり前のことなの」

「……………フン!」

 

イラついたように舌打ちをしてから、そっぽを向く。三浦の不躾な態度を雪ノ下は気にした様子はなく、手早く終わらせていく。

 

「雪ノ下さん……すまない」

 

隣で立っていた葉山が申し訳なさそうな顔で謝る。が、雪ノ下はそれに見向きもしない。

 

「別に貴方の為じゃないわ。だから、その発泡スチロールより軽い頭を下げないでくれるかしら?目障りよ」

「ちょっと……ゆきのん!ダメだよ……そんな言い方……」

「…………」

 

雪ノ下はそのまま手当てを終わらせると無言で出て行ってしまう。

様子がおかしい雪ノ下を心配して追いかけようとするが、三浦のことも考えて立ち止まる。キョロキョロと雪ノ下と三浦を交互に見て、どうしようか考えていると

 

「ゆい!」

 

三浦が顎をクイクイと動かし、雪ノ下を追いかけるように促した。

それに由比ヶ浜は小さくお礼を言うともう遠くに行っている雪ノ下に走ってついていく。

 

「ちょっと待ってよ!ゆきのん!」

「……由比ヶ浜さん。三浦さんはいいの?」

「うん!優美子も心配だけど、ゆきのんも心配だもん!」

「……」

「優美子もゆきのんも大切な友達だもん!比べられないよ!」

 

目を見開き、驚いた顔をする雪ノ下。訝しげに由比ヶ浜の顔をジロジロと見た後、クスリと笑う。なんとなく嬉しそうに見える。

 

「ふふ……。ありがとう」

 

雪ノ下に聞こえないような小さな小さな、本人にすら言ったのか分からないほどのお礼を言った。

 

☆ ☆ ☆

 

後日

あの事件が終わった後比企谷がやったことが急速に全校生徒に噂され、今までより増して周りの生徒達から警戒されるようになったが、それだけだった。確かに平塚静先生からは怒られたが、何故か三浦本人が大きな問題にすることが無かった為に反省文を数枚書かされる程度で終わってしまった。他にも変化はあったが、些細なことだった。

 

よって、比企谷は今も我が物顔で学校に来ている。

 

「結局、全部貴方の掌の上だったのかしら?」

 

小説片手に邪魔な横髪を耳にかけてから、比企谷の方を向く。

 

「『うん?』『何のことだい?』」

 

それに応えるのは、ジャンプ片手に比企谷だ。

 

「先の戸塚さんの依頼の件についてよ」

「『僕がボロ負けしたあのテニスゲームの事を蒸し返すつもりかい?』『全く』『ネチネチと小姑のようだぜ』『僕が負けてそれで終わり』『それ以上の何物もないよ』」

 

神妙な面持ちで言う雪ノ下に気持ち悪い笑みを貼り付けてからかうように言う比企谷。雪ノ下はいつもなら反応するところだが、それがない。

 

「それでも、戸塚さんの依頼は完遂できたでしょう」

「『そんな事ないでしょ?』『どこらへんがそう見えたっていうんだー』『雪ノ下ちゃんの眼が節穴だったなんて残念だなー』」

 

戸塚が奉仕部に依頼したのは自身の技術向上。全くなっていない。ただ、その場を引っ掻き回して周りに悪印象を抱かせただけだ。

 

「戸塚くんの依頼は技術の向上だったわ。だけど、その本質は少し違う。それは過程であって目的では無いわ。戸塚くんの願いは部員にやる気を出してもらうこと。貴方は自身に悪印象をもたらす事でそれを成し遂げた」

「『えー!?』『雪ノ下ちゃん言ってたじゃないか!』『個人に敵意や悪意を持つことで結束してもそれは向上出来ないからダメだってー』」

 

間延びした人をバカにしたような声で言う比企谷に雪ノ下はひどく冷静だった。

 

「ええ、言ったわ。だけど、貴方に対する敵意や悪意で無く、戸塚くんに対する善意や好意で結束しているのよ」

「『どういうことかなー?』」

「わかってる癖にあくまでそういうのね。私もわかったわ。全部説明してあげる。貴方と三浦さん達の闘いの時にテニス部の部員がほぼ全員居たわ。それはそうよね。部活で使う場所に人が群がってるんですもの」

 

小説をカバンにしまい、椅子ごと比企谷の方に向き直る。

 

「『へー』『まぁ』『テニス部員があの場に居てもおかしくは無いね』『けど』『それがどうかした?』」

「戸塚さんが貴方に立ち向かった。というのを目の当たりにして残念なことに好意あるいは敬意を持ってしまったのよ。私を含めて誰も何も出来なかったあの場で唯一立ち向かったのが、あの戸塚くんだったから……。確かに貴方に対する悪意では成長できないけど、戸塚くんに対する善意では成長できるのよ。例えるなら、世界を征服しようとする魔王《あなた》に立ち向かった勇者が戸塚くんだったの」

「『そりゃまた』『なんて頭ん中がお花畑なんだその部員たちは』『その程度で努力し始めるなら』『またすぐにその程度の事があれば辞めるんだろうねぇ』」

 

比企谷ははぁ、とため息をつきながら両手を肩辺りに持ち上げて左右に広げ、首を呆れたように振る。

 

「あら?貴方の頭の中はお通夜かしら?戸塚さんと由比ヶ浜さんの事それなりに気に入ってたんでしょう?無くしてからその大切さを知るというけど。貴方にはわかったかしら?」

 

あの騒動の後、由比ヶ浜と戸塚は一度も比企谷に話しかけることは無くあからさまに無視していた。部活でも教室でも変わらない。

 

「『それは違うよ』『雪ノ下ちゃん』『無くなった物の価値なんて無くなった後にはもうわからないんだ』」

 

そして、週刊少年ジャンプに視線を落とす。教室が静寂に包まれる。

 

だが、それは長続きはしなかった。

 

「ヒッキー!」

「八幡!」

 

バーンッ、と勢いよく開いた扉から顔を出したのは由比ヶ浜と戸塚。2人とも額に汗を滲ませて、走ってきたことが伺えた。2人の切迫した表情を見て、比企谷は珍しくもポカーンとした驚いた顔をしている。雪ノ下はというと、そんな比企谷を見てクスクスと楽しそうに笑っていた。

 

「ねぇ!ヒッキー!優美子と仲直りしに行こうよ!優美子は頑張って説得したからね!それに優美子もアレを見てた他のみんなに言ってくれるって言ってたし!このままずっとギスギスしてるのは嫌でしょ!?」

「ねぇ!八幡!僕と仲直りしてよ!テニス部の皆は説得したからさ!このまま八幡と喧嘩したままは嫌だよ!」

 

二人揃って比企谷に鼻と鼻がぶつかってしまいそうになるほど近づいて、マシンガントークをする。

 

「『……』『あっはは』『仲直りかぁ』『それは無理かなぁ』『だって』『僕は何一つ悪くないからね』『謝ることなんて出来ないよ?』」

 

「「じゃあ!仲直りしたいとは思ってるんだ!それだけわかれば大丈夫!また説得してくるから!明日ね!」」

 

比企谷の返事を何も聞かずに教室から出て行ってしまう戸塚と由比ヶ浜。まるで嵐のように忙しい2人だった。雪ノ下の小さな笑い声だけが静かな教室に響く。

 

「さて。捨てたものが手のひらに戻って来たけれど。価値はわかったかしら?」

 

雪ノ下がニヤニヤと意地悪に笑いながら、楽しさが見え隠れしている声で言う。

 

「『………はぁ』『そうだね』『僕は鑑定や品定なんかできないけど』『間近で見た2人の顔は』『100万ドルの夜景よりは綺麗な顔だったよ』」

 

100万ドルの夜景。本当に100万ドルの価値があるのか、夜景だからプライスレスなのか。判断に困る言い方をする。

 

「それは、よかったわ」

 

それでも、雪ノ下は楽しそうに笑っていた。

 

「『あーあ』『全く』『不幸だぜ』」

 

某ウニ頭のそげぶ少年のようにポツリと呟かれた比企谷の言葉は空中に吸い込まれていき、やがて静かに消えた。

 




あーしちゃんのファンのみなさんすみません!手が勝手に書いてたんです!作者は悪くありません!
次回………無いかも |)彡サッ


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葉山隼人の依頼

年末は忙しいはずなのに何故か24日と25日だけは暇だったので不思議と溢れてくる涙を拭いながらその2日間でほぼ書き上げました。誤字脱字は多い!…………はず
というか、この話自体書く気が殆ど湧かなかった話なので所々どころか殆ど雑。


「『ねぇ、小町ちゃんは覚えてる?』『僕が体験したあの高校入学の時の楽しい楽しい交通事故』」

 

自転車を漕ぎながら荷台にゆったりと座っている妹に向かって八幡は質問する。唐突の問いに一瞬(ほう)ける顔をしたが、すぐにニヤッと意地の悪い顔をして答える。

 

「えぇー、忘れるわけないじゃん。あれは中々に不幸だったよね、クフフ。いやー、今思い出しても笑いを噛み殺せませんな。アレは中々に私的に美味しい出来事だったしね」

「『美味しいってもしかして僕に内緒で食べた見舞い品の事かい?』」

 

八幡は知っていた。勝手にお見舞いのお菓子を1人で食べたことを。というか、八幡が「『これで許してもらえるなんて』『甘すぎだよね』『だから僕は許さないと心に誓ってこれを食べないでおくよ』」なんてカッコつけた事を言って小町にあげたのだが。

 

「もちのろんソレもあったけど、それよりもいつも言ってるでしょ?私がお兄ちゃんを幸せにする。周りが不幸にする。あの事故はそれを見事に体現していたからね!アレは実に美味しかった」

 

ギューっと八幡に抱きつきながら、小町は思い出す。

右足の骨が折れて1人じゃろくに動けなかった八幡を甲斐甲斐しく世話したあの日々。親に内緒で学校もサボって朝から晩まで食事から何やらまで小町がやったのだ。夢のような日々だった。家まで謝りにきた犬の飼い主に感謝の言葉を伝えたぐらいだ。父も母も伝えていたが。両親がお礼をいったのは八幡が暫く家にいないという小町とは違った理由だったが。

 

「で、ソレがどうかしたの?今更、事故の事なんてどうでもいいでしょ?」

「『いやいや』『少し気になっただけだよ』」

 

兄が何もなくこんな事を言わない事を知っている小町は表情には出さずに思考を巡らす。

 

「ふぅん?………でも、今でも思うけどお兄ちゃんがワンちゃんを庇うなんて珍しいよねぇ。あっさり見殺しにしそうなものなのにさぁ」

「『……………』『小町ちゃん』『昔から言ってるだろ?』『僕は弱いものの味方なんだ』『どんな事情でも』『どんな状況でも』『僕は弱いものの味方でありたいと思っているよ』」

 

あの時の状況で八幡にとって犬は弱者だったのだろう。

 

「そっか………………それでこそ小町のお兄ちゃんだなぁ」

 

小町は感動したようにハンカチで目を拭う。ワザとらしさが目に付くが。

 

「あー!そう言えば、お兄ちゃんが助けたワンちゃんの飼い主!確か総武高校だったよ!もしかしたら会ったことがあるんじゃない?」

「『…………』『へぇ?』『それは知らなかった』『名前は覚えてる?』」

「当たり前じゃん!えっと、確か名前は………」

 

 

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 

2年F組の女王の顔面に青あざを作るという暴挙に出た比企谷八幡は例えその被害者本人である三浦優美子が終わったことにしても教室内での扱いは変わってしまった。

だが、そんなもの一切の感心がわかない比企谷からしてみれば関係が無いのと一緒だった。

 

まるで腫れ物でも触るかのような扱いをされ、誰にも話しかけられないまま放課後を迎える。正確には由比ヶ浜結衣と戸塚彩加だけは話しかけようとしたが、授業中だろうが休み時間だろうが関係なくジャンプを読んでいる彼に話しかけられなかったと言ったほうが正しい。

 

特別棟の廊下。彼の足音が響く。

 

「あら、来たのね。来なくてもいいのに」

 

扉を開け、入ってきた比企谷八幡にいつも通り冷たい視線が迎える。

 

「『来たくて来てると思ったら大間違いだよ?』」

「なら、来なくても良いと言っているのよ。………あら?由比ヶ浜さんと一緒ではないの?」

「『うん?』『別にそんな事は無いけど?』『別に由比ヶ浜ちゃんと仲良しなわけじゃないんだぜ?』」

「仲良しだからではなく、由比ヶ浜さんが貴方を探しに行ったのよ」

「『へぇ?』『由比ヶ浜ちゃんが?』」

 

意外だと言った風に顔を傾げる比企谷。そんな顔のままで、もはや定位置になった椅子に座ろうとしたところでドアが開いて、由比ヶ浜が乗り込んでくる。

 

「あー!いたー!」

「『ああ』『由比ヶ浜ちゃんか』『僕より遅く来るなんて不良にでもなったの?』」

「はぁ!?ヒッキーが遅いから探しに行ってたの!遅いから不良なら不良はヒッキーでしょ!」

 

由比ヶ浜はつかつかと比企谷の前まで迫り、指を突きつける。

 

「『確かに僕は不良品だけど』『そんな真正面から言われると傷ついちゃうぜ』」

「あ、いや、そんなつもりは無くてさ。………その!ヒッキーさ!連絡先交換しない?」

「『おいおい』『またまた急な申し出だな』『別に構わないけど』」

「赤外線大丈夫?」

「『あー』『スマホだからさ』『手打で』」

 

バックからゴソゴソと乱暴に携帯を取り出して放り投げる。

 

「わわっ!ちょ!自分のケータイ普通投げれる!?信じらんない!」

 

危なげはあったが、キャッチした由比ヶ浜は比企谷を驚いたように見つめた後、自分の携帯と比企谷の携帯を交互に見ながら手早くアドレスを打っていく。

 

「はい!返す!」

「『おお!』『まさかまさか』『僕の携帯に小町ちゃん以外の連絡先が入るとは』『世も捨てたものじゃ…………あるな』」

 

比企谷が返された携帯を確認しながら、由比ヶ浜のアドレスを感慨深そうに見ているとガシリと肩を掴まれる。

 

「こ、小町ちゃん?誰それ?」

「『うん?』『ああ、妹だよ』『世界一可愛い僕の妹』」

 

ズイっと顔を寄せてきた由比ヶ浜をジャンプで受け止め、平然と返す。

 

「いも……うと?ああ〜、妹か!うんうんそうだよね。ヒッキーに仲のいい女の子なんて居ないよね!」

「『まぁ』『確かに由比ヶ浜ちゃんとも仲良くないもんね』『犬猿の仲というか』『陰険な仲というか』『でも』『中学の時は女の子の1人くらいとは喋ってたぜ?』」

「1人や2人とは言わないところがらしいわね。本当に独りだったんでしょう。独り谷くん」

「ゆきのんなんか字違うくない!?てか、ヒッキーに女の子と喋る勇気があったんだ!?」

 

ふと、中学を思い出す。

名前は今でも覚えている。

折本かおり。普通の女子中学生らしい娘だった。由比ヶ浜と同じように誰とでも僕とでも喋れる娘だった。

 

「『あるわけないじゃん』『勇気もなけりゃ度胸もない』『僕はそんな人間だぜ』『話しかけたんじゃなく話しかけられたんだ』『あの時は感動で涙を流したものだよ』」

「そ、そうだよね。ヒッキーが積極的に話しかけるなんて想像できないなぁ」

「『それは僕を見くびりすぎだぜ?』『おーけー』『明日は誰か1人女の子とお喋りするよ!』」

「これは犯行予告として通報した方がいいのかしら……」

「ちょ!ゆきのん本気で悩みながら携帯を取り出さないで!?」

 

雪ノ下と隣に座る由比ヶ浜。

不意にピロンと由比ヶ浜の携帯に着信音がする。比企谷と連絡先を交換してからずっと握り締めていた携帯に目を落とし、ポチポチと何回か触った後「うわ……」と嫌な顔をする。それに気づいた雪ノ下が不思議そうな顔をする。

 

「どうかしたのかしら?」

「え!?いや何でもないんだけどその変なメールが来てさ。ちょっと思っただけ」

「そう。………比企谷君あまりそういう卑猥なメールは送らない方が良いわよ。裁判沙汰にされたくなかったらね」

「『卑猥だなんてそんな!!』『今日は帰ったら早速裸エプロン写メ要求メールを送ろうと思ってたのに』」

 

ガタリと力強く立ち上がり、憤慨だと訴えるがその声は届かず2人の冷たい瞳が返事だった。

 

「由比ヶ浜さん。今すぐ着信拒否することをお勧めするわ」

「…………………考えとく」

 

あの優しい由比ヶ浜をして、そう言わせる比企谷の最悪さである。流石の比企谷も反省したのか。それ以上は何も言わなかった

 

丁度3人共が何も言わなくなったそのタイミングで教室の扉が開かれる。

入ってきたのはリア充のオーラを全身から放射してる葉山隼人であった。葉山は軽く教室を見渡してから、ニッコリと微笑む。

 

「奉仕部ってここでいいんだよね?ちょっと相談があってさ」

「『おお!』『葉山隼人くん!』『葉山隼人君じゃないか!』『どうかしたのかい!?』『もうすぐ完全下校時間だっていうのに』」

「………ああ、すまない。部活を抜けられなくてね」

 

葉山は比企谷を見た瞬間笑みが崩れるがすぐに気を取り直すとすまなそうに言う。

 

「いや〜、大会はまだまだなんだけどさ。でも、俺3年から期待されてるみたいで。事前に言ってはあっても抜けさせてもらえなくてさ。まぁ、抜けさせてくれる分優しいと思うん「能書きはいいわ。早くここに来た訳を教えてくれないかしら?葉山隼人君」

 

サッカー部のエースである葉山となれば練習を抜けるのもそれは一苦労だろう。次期部長というのはサッカー部の中では濃厚だし、先輩からの圧力や後輩からの期待などもあるだろう。そんな中抜けるのが大変だというのは理解できる。

だが、そんな事は雪ノ下雪乃には関係が無い。クドクドと能書きを垂れる葉山をばっさりと切り捨て話を進めるように促す。

 

「あ、ああ……これなんだけどさ」

 

葉山は雪ノ下の氷のように冷たい視線に若干臆しながらも、ポケットから携帯を取り出す。

その画面はメール画面だった。

 

由比ヶ浜はすぐに気づいたようで「あっ……」と顔を暗くする。そして自分の携帯も取り出してメール画面を開く。内容は全く変わらない。

 

「変なメール……」

「『見た感じ』『変なメールっていうかチェーンメールだね』」

 

由比ヶ浜の携帯を後ろから覗き込むように見ていた比企谷が直球で言う。メールに書かれていた内容は幼稚なものだった。

 

戸部はヤンキーでゲーセンで暴れてる。大和は三又の屑野郎。大岡はラフプレーで相手選手を潰してる。

 

簡単に言うとこんな感じの内容だ。

雪ノ下もそのチェーンメールを心底不快そうな顔をして読んでいた。

 

「こんなものが回ってたら腹が立つさ。尚更内容が友達だしね。ああ、でも、犯人捜しがしたいわけじゃ無いんだ。丸く収める方法はないかな?」

 

その言葉に顎に手を当てて思案顔になる雪ノ下。徐々に眉間にシワが寄って行く。それには葉山も不安気な顔になる。

 

「『僕はパスで』『この依頼は雪ノ下ちゃんと由比ヶ浜ちゃんに任せるよ!』『ってなわけで帰らせてね!』」

 

だが、雪ノ下の熟考を破ったのは比企谷だった。

比企谷は床に置いていたカバンを持ち上げると、「『じゃ!』」とそれだけ言って去ろうとする。一様に比企谷の突発的な行動に呆然としていたが、比企谷がドアの取手に手をかけたところで雪ノ下が焦ったように声をかける。

 

「比企谷くん。まだ部活は終わっていないわ。葉山くんが持ってきた依頼の具体的な解決案も出ていない。こういう問題は早い方が良いわ。貴方が役に立つとは思えないけれど、それでも部員として部がどのような行動を起こすか知っていた方が良いわ」

 

ピタリと止まる比企谷。

そして、ゆっくりと振り返るとイラついたかのように答える。

 

「『だからさ』『パスだって』『今回の依頼に僕は一切関与しません』『さようなら』」

「………待ちなさい。そんな勝手な行動は許しません」

「ヒッキーどうしたの……?」

「…………ッ!僕からも頼むよ」

「『めんどくさいなぁ』『チッ』『良いよ』『分かった』『雪ノ下ちゃんのワガママに付き合って話だけでも聞いてあげる』」

 

比企谷は椅子に戻るわけでもなく、そのまま扉に背をもたせるように立つ。ワガママを言っているのは思いっきり比企谷の方なのだがまるで自分は悪くないような態度で踏ん反り返っている比企谷。

 

「チェーンメールというのは許されないものだわ。非常に卑怯な行為。批判、避難されるべき行動だわ。直ちに犯人を特定し、注意厳罰を与えるべきだと判断します」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!さっきも言ったけど犯人を暴くんじゃなくて丸く収めたいんだ」

「顔も名前も出さず、傷つけるためだけに誹謗中傷の限りを尽くす。そんな人間は根絶やしにすべきだわ。それが私の流儀。それからどうするかは貴方に任せるわ。それでいいわね?」

「……………ああ」

 

少し戸惑った後、渋々と言った様子で頷く。由比ヶ浜も文句は無いようで何も言わなかった。だが、比企谷だけはにこやかに笑って、嘲笑する。

 

「『もう終わった?』『帰ってもいいかな?』」

「……………まだよ。具体案が出ていないでしょう。でも、その前に聞きたいのだけど、何故今回に限ってそんな非協力的なのかしら?」

「……僕が依頼を持ってきたからか?比企谷」

「『はぁ?』『おいおい』『自意識過剰かよ』『そんなんじゃあない』『チェーンメールなんて確かに卑怯で卑屈で愚劣で最低最悪だね』『そんな事をするやつがこの学校に居るってだけで不愉快になる』『匿名で個人を叩くなんて弱者のすることだ』『絶対に許してはいけない』」

 

雪ノ下は両手を広げて堂々と公明正大に正面から批判する比企谷らしくない発言に目を丸くする。だが、その後に『でも』と続ける比企谷。

 

「『僕はそんな事をする弱者の味方だ』『僕はこの犯人を見つけて!』『ぜひ友達になりたいんだ!』」

「「「!!!」」」

 

いつか感じたあの異様な雰囲気。この空気に当たっているだけでダメになってしまうと錯覚してしまうほどの過負荷(マイナス)

雪ノ下雪乃は顔を背け、葉山隼人は拳を握りしめる。だが、由比ヶ浜結衣だけはーーー

 

「ヒッキーさ。また1人で行動するつもり?」

 

真っ直ぐに比企谷を見つめていた。心配そうに、あるいは不安そうに悲しげな顔で呟くように言う由比ヶ浜の言葉に比企谷は驚く。

 

「『!』」

 

比企谷の反応に顔を背けていた雪乃が一気に訝しそうな顔になる。葉山も眉間にシワが寄って怪しそうに見る。比企谷が行動を起こすと聞いて嫌な予感がしたのだ。

 

「由比ヶ浜さん?どういう意味かしら?」

「え!?いや、その、確信は無いんだけどさ……」

「それでもいいから教えてくれないかしら?」

「う〜ん……、ヒッキーってさ。なんか行動を起こす時人を遠ざけそうな感じがするんだよね。彩ちゃんの依頼の時もそんなところあったし」

「『はぁ?』『なんでそんな僕のこと信頼してんの?』『なんだそんなプラス思考で解釈できんの?』『なんで由比ヶ浜ちゃんはそんなに他人を信じられるのか』『僕には全くもってわっかんねーなぁ』」

 

比企谷は由比ヶ浜を眩しそうに見て、自嘲気味に笑う。何故こうも他人を信用できるのか理解ができない。自分で言うのもなんだがあの時の行動は最低最悪だっただろう。嫌われて当たり前のものだ。それなのに彼女はわざわざ仲良くなろうとする。他人は信用も信頼もしない。いや出来ない。だから僕は過負荷(マイナス)なんだろうなぁとは思ってはしまうけれどやめられない。

だが、由比ヶ浜はそんな比企谷の負がグルグルと渦巻いている瞳を見つめたまま、堂々と公明正大に正面から宣言する。

 

「人なら誰でも信じられるわけじゃないよ!ヒッキーだから信じられるの!」

「『!!』」

「だって、ヒッキーは悪役ではあるけど悪人じゃないもん!」

 

 

「!『プッ』『アッハッハハハハ』」

 

比企谷は唐突に笑い出す。お腹を抑えて扉と背中がズズズと滑って行き、すがるような状態になりながら大きな声で笑う。ヒーヒーといいながら目尻に涙がにじむ。

それに由比ヶ浜は頬を膨らませてブーブーと怒る。

 

「私の意外と良いこと言ったと思うんだけど!」

「『うんうん』『実に心に響く事を言ってくれたよ』『思わず』『この依頼を手伝ってあげたくなるくらいにね』」

「え!?じゃ、じゃあ……」

 

パァと華が咲くように明るくなる由比ヶ浜。本当に嬉しいのか声が若干浮いている。

比企谷はゆっくりと立ち上がり、真面目な顔する。由比ヶ浜は殆ど初めてと言ってもいい比企谷の真面目な顔にゴクリと生唾を飲み込む。

 

「『由比ヶ浜ちゃん』『今日君が履いてるパンツの色は?』」

「えええ!?ピンクだけど…………。って、なんてこと聞いてんの!?」

「由比ヶ浜さん、貴方よく答えれるわね。私は貴女になんてこと答えるのって言いたいわ」

「いや、その、唐突だったから。つい……」

「貴女を見ていると本当にハラハラするわね。危うくて心配になるわ。いつか誰かに騙されそうで」

「『僕を睨まないで欲しいな』」

「ごめんなさい。既に騙されていたわ。こんな変態にパンツの色を知られるなんて。咄嗟に助けられなくてごめんなさい」

「『おいおい』『男子高校生なら女子高生のパンツの色くらい誰でも知りたい知りたいものだぜ』『だから僕は悪くない』」

「ゆきのん……心配してくれてるの?ありがと!!」

「ちょっと暑いから抱きつかないで」

「ゆきの〜〜〜ん」

 

葉山は呆然と今の光景を見ていた。

さっきまでの殺伐とした教室の空気は何だったのか。一瞬で四散してしまった。

 

「で、そこの変態ヶ谷くん。結局駄々を捏ねただけで手伝うのかしら?」

「『由比ヶ浜のパンツの色という対価をキッチリと貰ったからね』『働くよ』」

「あれって報酬だったの!?」

「『当たり前じゃないか!』『僕は女子のパンツの色を知るためならどんな事だって出来ちまうぜ!』」

「変態だーー!」

 

由比ヶ浜の心からの叫びが夕暮れの空に響いた。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 

「で、職場見学のグループ分けが原因なのはわかったわ。この3人の誰かが犯人なのもね」

 

話し合いの末、犯人が戸部、大山、大和の三名の中に居ることが判明した。原因は職場見学のグループが3人ずつだったためだ。葉山を含めて4人グループな彼らは誰かを蹴落とすためにチェーンメールという卑怯な手段をとったのだろう。

 

「それで、由比ヶ浜さん。彼らがどのような人物か分からないから少し調べてくれないかしら?こういうことを頼むのは心苦しいのだけど」

「うん!大丈夫!私も奉仕部の一員だもん!」

「ふふ、ありがとう」

 

快く返事をしてくれた由比ヶ浜に微笑む雪ノ下。仲がいいみたいで何よりである。そこに、比企谷が声をかける。

 

「『それ』『僕も手伝っていいのかな?』『僕も奉仕部の一員だぜ?』」

「その前に貴方に聞きたいことがあるわ。先ほど貴方は一人で行動しようとしたわ。もしも、由比ヶ浜さんが止めなかったらどうしたのかしら?」

「『今更それを聞いて意味は無いよ』」

「意味はないけれど意義はあるわ」

 

未だによく分からない比企谷八幡という人間を知るために必要なことだ。雪ノ下は由比ヶ浜のように彼をまだ信頼できないから。

 

「『正直な話』『まだ全然考えてなかったさ』」

「嘘ね。貴方は頭の回転だけは良いわ。すぐに計画を立ててそれを実行する行動力も持っている。貴方が思っているより私は戸塚くんの件でそれなりに貴方を評価しているのよ」

 

それは葉山にとって相当な驚きを与える言葉だった。戸塚のテニス部での今の立ち位置を考えると比企谷のあの時行動は全く意味がない事ではなかったとは正直に言えば思っている。だが、それは三浦優美子を傷つけていいという理由にはならない。彼はあの事件で批判されるべき人間であり、許されるべきではない。今の依頼を持ってくるにしても相当な葛藤があった末のものだ。彼は許されるべきではないが、被害者である三浦優美子が許したのだから、と。

今だって、こちらがチェーンメールの解決を依頼している立場だからこそ態度には出してはいないだけだ。

 

「『いやだなぁ』

『僕が君に評価されているというのが嫌だ』『僕がまるで君みたいな人間と一緒にされるのが嫌だ』『僕がまるで戸塚ちゃんのために三浦さんに負けたと思われるのが嫌だ』『そして何より』『そんなことを言われて満更でもなく喜んでいる僕が居ることが一番嫌だ』『まるで悪夢でも見ているようだぜ』」

「あら。それは何よりだわ。で、教えてくれるのよね?」

 

まるで長年の友人かのように笑いあっている彼らを見て、葉山隼人はまるで悪夢でも見ているようだった。まだ、彼が奉仕部に入って一月も経っていない筈だ。それなのに感じるこの信頼関係に良く似た空気は何なんだ、と。

 

「『あまり言いたくは無いんだけど』『3人の人間関係をめちゃくちゃにしてやろうと思ったのさ』」

「………ッ!」

 

咄嗟に殴ろうとした右手を必死に止める葉山。

 

「…………一応、引っ叩くのは説明を聞いてからにしてあげるわ」

「…私も」

 

雪ノ下と由比ヶ浜はジト目で彼を見る。

 

「『あれれ』『殴られるのは確定なんだ』『だから言いたく無かったんだけど』」

「私は平塚先生に貴方の更生を依頼されているわ。どんな理由があろうとそんな事を考えるのは修正対象でしょう」

「『……はぁ』『だからさ』『僕はあの段階でその3人の中に犯人がいることは分かった』『でも誰か特定するのは難しい』『なら』『3人ともに罰を与えたら良いと思ったんだよ』」

「え?何処が?」

 

由比ヶ浜は意味がわからなくて素直に質問する。

 

「『だからさ』『犯人も犯人じゃない2人がめちゃくちゃにされて嬉しいだろ』『その2人も犯人がやられるんだから嬉しい』『葉山隼人も犯人が分からないまま収まって嬉しい』『僕も誰かを叩けて嬉しいってわけだよ』『ほら』『平等だろ?』」

 

全く道理や筋書きにすらなっていないのに、まるで正論かのように言う。それが比企谷(マイナス)だ。どれだけ、信頼されようと評価されようと本質は変わらない。世界一の負け犬だ。

 

「貴方って人は……。由比ヶ浜さんが止めてくれて助かったわね。取り敢えず、明日からは由比ヶ浜さんと同じように彼らの人となりを調べなさい」

「……ヒッキー頑張ろうね!」

 

雪ノ下は頭が痛そうに手で額を抑えつつ、ため息を履く。由比ヶ浜は由比ヶ浜でガッツポーズしながら、気分を高めている。

 

「………嫌いだ。奴とは一生仲良く出来ないんだろうな」

 

ボソリと誰にも聞こえない声量で呟く葉山。それは声にすらなっているか分からないほどだったが、情感だけは溢れんばかりのものであった。だが、いつの間にか隣にいた比企谷は応じる。

 

「『僕も嫌いだ』『君とは一生分かり合えない』」

「!!………それは良かった」

 

2人は睨み合いながら、嫌い合った。

 

……

………

 

翌日。

ザワザワと何時もとは違う賑わい方を見せている2年F組。原因は1人しかいない。比企谷八幡である。

 

「『ねぇねぇ』『あーしちゃん』『お話しよーぜ!』」

「はぁ?嫌だし」

 

比企谷八幡が唐突に三浦優美子に話しかけたのだ。それはそれはもう教室の空気が変わった。あの空気を読んで合わせてしまう由比ヶ浜ですらオロオロと困った様子だった。

 

「『なんだよー!』『僕とあーしちゃんの仲だろ?』」

「はぁ!?あ、あんたよく言えるし!あーしに何したか忘れたん!?」

 

三浦の右頬には今だに痛々しく湿布が貼ってある。折角の美人なのにその湿布のせいで魅力が大きく落ちてしまっている。それだけでクラスの女王たる三浦の人気が無くなるなんてことはないが。

話しは変わるが、三浦優美子は比企谷八幡と先日のテニスコートであった事を許したわけではない。確かに、友達である由比ヶ浜結衣や結果的に迷惑をかけてしまった戸塚彩加の説得を受けて、事を大きくすることはやめたが、許したかと言われればそんな事は全くない。元々、終わったことをクドクドと根に持つ性分ではないが流石にあれは無理だった。もう3年に進級してクラスが変わるまで関わることはないと心に誓ったほどだ。

だからこそ、三浦優美子は今の状況は信じられなかった。なぜ目の前の比企谷八幡(この男)は平然と、全く気にした様子もなく、バツの悪そうな顔もせず、笑顔で話しかけてこれるのか。

 

「………あんたと喋ってたらイライラするからどっかいってくんない?てか、あんたとあーしに仲なんかねーから。あと、【あーしちゃん】ってあーしのこと呼ぶのやめて」

 

不機嫌さを隠さずに敵意を全面にして、威嚇するように睨みつける。

だが、敵意に慣れている比企谷にそんなものは通じない。笑みも全く崩れない。

 

「『僕もあーしちゃんと喋るのは気まずいからしなくないんだけどね』『でもいいでしょ?』『僕とあーしちゃんは一緒にテニスをして競い合った仲じゃないか』『僕もあーしちゃんも必死にさ』『勝ちを狙いあったものだよ』『お互い痛い目を見たみたいだけどそれもまた青春ならではの思い出になるよね!』『ね』『あーしちゃん!!』」

 

あーしちゃんという言葉を強調して、煽るように嘲笑うように喋る比企谷。そして、比企谷が喋れば喋るほど三浦の後ろにいる由比ヶ浜のオロオロ度が加速度的に増加する。

由比ヶ浜は助けて、と仲のいい女子に目でヘルプを頼むが苦笑いで首を振られて涙目になる。戸塚がいればまだなんとかなったかもしれないが運が悪いことにいないようだ。

 

「あーーーっ!ほんっとイラってきたし!なんなの?そんなあーしとケンカしたいわけ?」

「『そんなわけないじゃないか!』『僕は負けるケンカはしないんだ』『大事な話しがあるんだよ』『いや』『頼みがあるんだよ』『三浦優美子さんに』」

 

あーしちゃん呼びからフルネームに変わっていた事で、そこは本当に真面目な所なのだと信じる三浦。

 

「……………他当たって。あーしそんな暇じゃない」

 

だが、それでも三浦は断る。第六感的な何かが面倒ごとだと囁いたのだ。まぁ、わざわざ嫌いなやつの頼みをきく理由なんは無かったっていうのが断った主な理由だが。

 

「『う〜んそっか〜』『それは残念』『実に残念だな〜』『じゃ』『ゴメンねあーしちゃん』『僕なりに頑張ってみるよ』」

「………あ、ああ。勝手にすれば?」

 

断られたことが若干嬉しそうに、あっさりと引き下がった比企谷に違和感を覚えながらもホッとする三浦。

だが、それも比企谷の次の発言で消える。

 

「『戸部、大和、大岡かー』『誰からにしよっかなー』」

 

比企谷がウキウキとしながら、いつも腐られている瞳を鈍く光らせて呟く言葉を三浦は鋭い聴覚でしっかりと聞き取った。

 

「は?」

 

サッと顔を戻して、比企谷の方を向くが比企谷は三浦にもはや何の興味も無いようで1人で考え込んでいるようだった。タラリと三浦背筋から冷や汗が流れるのを感じた。戸部、大和、大岡は葉山グループのメンバーだ。それだけならまだいい。いや良くはないが気にするほどの事じゃないだろう。だが、今は違う。3人を対象にチェーンメールは確かに三浦のところまで回ってきているのだ。だから比企谷が出した言葉を無視することは出来なかった。

 

「ちょっと、あんたこっち来い!」

 

三浦は比企谷の奥襟を引っつかんでズルズルと引きずって廊下まで連れ出す。

その光景に由比ヶ浜はもはや脱力してしまっていた。頑張って、気を使って、比企谷と三浦が陰険にならないようにしていたのに、結局こうなってしまったからだ。ずっと由比ヶ浜の隣で三浦と比企谷のやり取りを見ていた海老名姫菜は由比ヶ浜の慰めに入る。

 

 

 

一方、廊下に連れ出された比企谷はそのまま階段の影まで連れて行かれーー

 

「『なんだよー』『あーしちゃんこんな強引なー』『ま、まさか僕の貞操をー』」

 

棒読みで悲鳴を上げる比企谷を壁ドンで黙らせる。まじあーしさんイケメンと影から覗いていた野次馬達が戦慄する。

 

「何するつもりだし」

「『おいおい』『急にどうしたんだい』『もうあーしちゃんには関係ないのに』『それとも』『心変わりして僕の頼み聞いてくれるようになったの?』」

「そんなことはどうでもいい。何するつもりかだけ教えろ」

「『……………はぁ』『あー』『あーしちゃん僕の頼み聞いてくれないかなー』『聞いてくれないと最初は戸部くんかなー』『なーんか戸部くんあーしちゃんの友達の腐女子ちゃんのこと好きらしいだよなー』『あーー!』『壊し甲斐があるなー』」

 

三浦は腐っている友達に1人だけ思い当たるのがいた。何処からか手に入れた本当の情報なのかそれとも適当な嘘なのか三浦には判断できない。だが、影から見ている野次馬に聞こえないような声量だったのは素直に助かった。

 

「…………わかったし。聞くだけ聞く」

「『本当かい!?』『そんな無理しなくていいんだよ?』」

「ッ!…………無理してないし」

「『それはよかった』『無理は良くないからね』『で』『お願いなんだけど』」

「ーー!!」

 

身構える三浦。こいつがどんなお願いをしてくるのか予想も出来ない。

 

「『戸部くんと大和くんと大岡くんの人柄を教えてほしいんだ!』」

 

手を合わせて、お願い☆ミ的な頼み方をされて気が抜ける三浦。

 

「……………へ?それだけ?」

「『うん』」

「ほ、本当だし?」

「『うん』」

「それだけのためにあーしに話しかけたん?」

「『うん』『………あ、それだけじゃくて昨日知り合いと女の子とお喋りするって約束したから』」

「……………それぐらいなら……」

「『ありがとう!』『あーしちゃん!』」

 

そうして、三浦が思う人物像を教えていく。

 

「『うんうん』『葉山くんから聞いたのと殆ど変わんないなー』」

「は?なんでそこで隼人の名前が出てくんの?」

 

全部話し終えた後、相槌を打っていた比企谷はがっかりした様子で言った言葉に三浦は引っかかる。

比企谷はあちゃーみたいな顔を態とらしくしてヘラヘラと笑う。

 

「『いやいやいや』『クライアントの情報は守らないといけないのについ喋っちゃったぜ』『まぁ』『黙っててくれと頼まなかった葉山くんが悪いのであって』『僕は悪くない』『というわけで』『ペラペラと喋っていくぜ!』『じゃんじゃかじゃーん!』『なんと!』『僕は葉山隼人くんにチェーンメール解決を頼まれた探偵だったのさ!』」

 

なんだってー!という比企谷が期待返事は返って来ない。

三浦は何故?と思う。

それは葉山がチェーンメールの解決を乗り出した事ではない。それは葉山の性格的にありえることだ。解決を乗り出したことを自分に黙っていることでもない。これも葉山の性格的にありえることだ。

一番疑問に思ったのは比企谷(コレ)に頼んだ事だ。三浦は右頬の湿布を軽く触りながら考える。

もしも自分にこんな事をしたこいつじゃなきゃいけないのだとしたら、何故?それなら自分に黙っていたことが意味深な事になる。

だが三浦はすぐにウダウダとした考えを切り捨てる。全部本人に聞いてみたらいいと考えたからだ。それだけで解決する。

 

「じゃあ、隼人があんたに依頼したって認識でいいわけ?」

 

話しを聞いた三浦は脳内で考えをまとめながら、結論を出した。

 

「『うんうん』『そんな感じー』『じゃ!』『ありがとね!』『あーしちゃん!』」

 

壁ドンをされていた比企谷は、スゥーと三浦の横を華麗に抜けて教室に戻っていく。三浦に見えないように嫌らしい笑みを作りながら。

ーー先程葉山の名前を出したのは当然だがワザとだ。それもなんの意味もない。ただの嫌がらせである。嫌いだと言い合った葉山への嫌がらせだ。この程度では葉山はスルリと躱すだろうが。

 

「ヒッキー?大丈夫?」

 

比企谷が教室に戻ると、由比ヶ浜が心配そうにしていた。それは三浦に連れて行かれた事と言うよりも比企谷の様子がおかしさからだろう。

 

「『うん』『なんにもされなかったよ』」

「いや………うん。よかった」

 

何か由比ヶ浜は言おうとしたが、躊躇しているのか少し黙った後アハハと誤魔化すように笑った。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 

放課後、奉仕部の部室には比企谷、由比ヶ浜、雪ノ下、葉山、昨日と同じ4人が集まっていた。

 

「で、由比ヶ浜さんと比企谷くんは何か分かったかしら?」

「『いーや』『全然わかんなかったわー』『三浦さんに聞いたんだけどなー』」

 

ピクリとこめかみが動く葉山。いつもの笑顔も何処かぎこちない。おでこに青筋が立っている。恐らくは三浦に何か言われたのだろう。

 

「私もヒッキーが優美子と喋ってる間に海老名に聞いて見たけど、三角関係とか、葉山くん狙いとか、3人とも一歩下がってるとか、わけわかんない事言われた」

「『へー』『聞いた限りだとあながち間違いでもないんじゃない?』『まぁ』『意味が違うだろうけど』」

 

はぁー、と頭が痛そうにしている雪ノ下。葉山も呆れた様子だった。

 

「『う〜ん』『やっぱり解決は無理かな〜』『コレは』『残念だよね』」

「いいえ、そんな事もあろうかと私からも動いたわ。そして気付いたことを一つ」

「!」

 

葉山が驚いたように雪ノ下を見る。

 

「『それは?』」

「どうやら、彼らは葉山隼人くんの友達であって、各個人の友達では無いということよ」

「「!」」

「『へー』『なるほどね』」

 

由比ヶ浜は雪ノ下の言ったことが理解できたようでうんうんと頷いている。葉山は図星をつかれたというか薄々気づいていたことを言われたからかバツが悪そうな顔をしていた。

比企谷は感心そうに声を出していたが、雪ノ下に「貴方は気付いていたんじゃないの?」と言われ疑わしい目で見られる。

 

「『おいおい』『僕を評価しすぎだぜ?』『わからなかったさ』『本当に』」

「………怪しいわね。まぁ、いいわ。こんな事を気付いても動機の補強にしかならないのだけどね」

 

少し顔を暗くして雪ノ下は言う。由比ヶ浜はそんな雪ノ下を見て焦る。

 

「そんな事ない!ゆきのん凄いよ!」

「ありがとう、由比ヶ浜さん」

「『う〜ん』『そんな事はどうでもいいんだけど』『雪ノ下ちゃんは何を見て彼ら同士が仲良くないって思ったんだい?』」

「……葉山くんがいない彼らは全く話しをしなかったのよ。それを見て、だけど。何か?」

「『いや』『彼らにも彼らを貶める内容のチェーンメールは回っているだろう?』『反応的にあーしちゃんにも届いていたし葉山くんにも届いていたんだからね』『そんな状況でどんなメンタルしてたら仲良く喋れんだよ』『そりゃ』『仲悪くも見えるさ』」

「「「………………」」」

 

なるほど、と思う3人。

チェーンメールが原因で話さないだけだ、チェーンメールが出回る前は仲が良かったかもしれない、と言われても確かめる術はない。葉山も葉山がいない時の3人の様子なんて知らない。

 

「……解決はできないのかな」

「結局、本人達を問い詰めるしか無いのかしら」

「……それは………ッ」

 

重い空気が教室に乗し掛かる。だが、比企谷だけは呑気に軽口を叩く。

 

「『葉山隼人を貶すチェーンメールを流すってのはどうだい?』」

「「「はぁ?」」」

「『だからさー』『職場体験は3人組なんだからさー』『葉山くんが嫌われ者になって葉山が抜ければ丁度彼ら3人でグループが出来るじゃん?』『彼らが仲良しになれば解決ってね』」

「いや、そんなのおかし……あれ?」

「………ヒキタニくんらしい考え方だな」

「…………なるほど、犯人を罰してチェーンメールを解決するのではなくて、犯人と被害者を和解させて解決するって事ね」

 

由比ヶ浜はすぐさま否定しようとするが、何かが引っかかって首を傾げる。

葉山は微妙そうな納得が出来なそうな顔をしつつも否定はしなかった。

雪ノ下はよく思いつくなこいつはとゴミを見るような目をしていた。

 

「でも比企谷くん。チェーンメールを解決するためにチェーンメールを回すのはまずいでしょう。別に葉山くんが彼らと職場体験の班を組まないって言えば良いだけじゃないかしら?」

「『おいおい』『僕だって頑張ったんだから何かご褒美があってもいいと思うぜ?』『僕が一番気持ち良いやり方で解決させてくれない?』」

「貴方、ご褒美なら由比ヶ浜さんのパンツの色聞いたでしょう」

「ああ!ゆきのん!忘れてたのに思い出させないで!」

 

頭を抱えて、わーわーと必死にわすれようとする由比ヶ浜。行動がバカっぽいなぁ、と比企谷は思う。

 

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 

「礼は言わないよ。ヒキタニくん」

 

チェーンメールは無事解決した。戸部、大和、大岡の3人は同じ職場に職場体験しに行く事が決まり、今も俺たち友達だぜ的なオーラを出しながら喋っている。

 

「『べっつに良いよ』『それにしても彼ら凄いね』『あの中の誰かが犯人なのに仲良さそうに喋れるなんて』『犯人だって後ろ暗いだろうし』『被害者も疑心暗鬼になるもんじゃないの?』『普通はね』」

「あはは、君が普通を語るなんてね。まぁ解決してしまえばこんなものだよ。もしかしたら彼らは今も疑心暗鬼になって嫌いあってるかもしれない。でも、ああやって例え表面上でも仲良くしてたらいつの間にか本当に仲良くなってるものさ。人間関係なんて、ね」

 

葉山は彼らを見ながら、笑みを作る。

 

「あ!そうだ!忘れてた、ヒキタニくん僕と同じ班になってくれないか?」

「『あれ?』『僕と君は嫌い合ってるだろ?』」

 

その言葉に葉山は更に笑みを深める。

 

「だからこそ、だよ。いつか仲良くなれるかもしれないだろ?彼らみたいにさ」

「『…………』『葉山ちゃんさ』『本当に根っからのいい奴(プラス)だよね』」

「はは、そうかな?」

「『三浦さんに君の名前を出したのは今も僕は悪くないと思ってるよ』『だけど』『………………』『意地が悪かったかな』『まぁ』『それでも』『謝らないぜ』」

「!!……………………うん、君は根っからの悪い奴(マイナス)だな。だから僕も君にお礼は言わない。それでいいんじゃないか?」

「『さぁ?』『どうだろうね』」

 

そうして、お互い黙る。教室は葉山と比企谷が喋っていることで若干騒ついていたが、葉山が笑いながら話していることでそれもおさまっていた。今はクラス中職場体験のグループ分けの話しで握わっている。

とある女子だけは比企谷と葉山のやり取りで鼻血を垂らしているが。

 

「はーちまん!」

「『あ』『戸塚ちゃんじゃないか』『どうしたんだい?』『そんな顔して』」

 

戸塚がプリプリと怒ったような顔でやってくる。

 

「八幡!僕と一緒に行ってくれないの!?」

 

ブハッと教室の何処かで鼻血を吹く音がした。と、同時にあーしちゃんの呆れたような声も聞こえる。

 

「『いいけど?』『けど前に一緒に行く人もう決まってるって言ってなかったっけ?』」

「だから、それ八幡のこと!八幡と一緒に行きたかったの!」

 

またもや、鼻血の吹く音が……。あーしちゃんのポケットティッシュが無くならないか心配になってくる。

 

「『なーんか』『僕らしくなく慣れあってるなぁ』」

 

比企谷はこの後の奉仕部の事を考えながら、まだ不機嫌が続いている戸塚の横顔を見ていた。

 




この話を書くのに飽きてふと片手間で書いた比企谷の中学時代の話「グッドルーザー比企谷」が1万字を超えてて笑った。まぁ、すぐ消しましたけど。


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川崎沙希の勉強

モチベが上がらなくて書く気が起きないよ………
やっぱり文字数が多すぎるかなぁ……



「由比ヶ浜結衣さんだよ。ピンク色の髪の女の人。ピンクは淫乱って相場は決まってるからおにいちゃんには会わせなかったんだよね。あと、おにいちゃんを轢いた黒塗りの高級車の人は雪ノ下建設の人だよ」

 

小町は坦々と知っている事を話す。棒読みなソレはまるで予め八幡に聞かれたらそう答えようとセリフを用意していたかのような喋り方だった。聞いてもいない雪ノ下建設のことまで言われたことで八幡も察する。

 

「『ねぇ』『小町ちゃん』『もしかしてなんだけどさ』『知ってた?』」

「当たり前じゃん。おにいちゃんの事なら何でも知ってるよ?」

「『はは』『妹にこんなに愛されて僕は嬉しいよ』『それで』『お願いがあるんだけど』」

 

前々から決めていたことを小町に手伝ってもらうことにした。本当だったらもう少し早くするべきだった。戸塚の依頼の時点で決めていたのだ。ただあの時は由比ヶ浜の言葉に珍しく八幡が付き合ってみようと思っただけだ。

 

「『---』『お願いできるかな?』」

 

自転車の横を大きなトラックが通り過ぎていく。その音にかき消されて後ろに座っている小町にちゃんと聞こえただろうか?と後ろを見る。

だが、兄大好きっ娘の小町が八幡の声を聞き逃すわけがなかった。

ニンマリと嗤う小町が見えた。

 

「うんうん、分かってるよおにいちゃん。報酬は次の日曜日にデートでいいよ」

「『あはは』『これが終われば暇になるからね』『いいよ』」

 

☆ ☆ ☆

 

平塚はSHRが終わったのにも関わらず教壇の上で一つだけ空いた席を見て頭を抑えていた。

 

「はぁー、今日も休みか……。3日連続だぞ?何をしているんだ比企谷の奴は」

 

出席簿を確認しながら平塚静は問題児の事に頭を悩ませる。あいつが来なくなってクラス全体としては穏やかにはなった。だが、比企谷が居なくなってクラスが良くなろうが平塚の流儀として1人を排斥した上での平穏は許せない。今日という今日は家に殴り込んでやろうと決心する。

 

「今日もヒッキー休みなんですか?」

 

そこに由比ヶ浜は暗い顔で近づく。比企谷は態度や雰囲気は悪かったが無断欠席なんてした事もなかった。それが急に3日連続の無断欠席だ。あの雪ノ下でさえ初日は冷たい笑みで「言い負かすネタが増えたわね」と笑っていたが昨日の夜メールを入れた時は「部長である私に連絡を入れないなんて何様のつもりなのかしら!」と彼女なりに心配していた。雪ノ下は比企谷と連絡先を交換してないから出来ないのは当たり前なのだが。

 

「ああ、家に連絡を入れてるんだが誰も出ないんだ。由比ヶ浜、お前のところにも連絡は来ていないんだろう?」

「はい…、もう何回も電話したんですけど出なくて」

「そうか、………しかしこのまま無断欠席を続けられると問題だぞ。彼を嫌っている先生は多い。タダでさえあんなオーラを纏っていて第一印象が悪いのに授業態度がアレだからな……」

 

数学の時間にジャンプを広げていた比企谷の姿を思い出して由比ヶ浜も苦笑いするしかない。

 

「このままいけば学校を辞める事にもなりかねん。そうだな、やはり今日の放課後家まで行ってみるか」

 

【辞める】という単語を聞いて由比ヶ浜の顔色が真っ青になる。

 

「私も行きたいです!あ、ゆきのんも絶対来ると思います!」

「うーむ、そりゃ来てもらった方が助かるのは助かるんだが……実は依頼者がいるんだ………」

「このタイミングで!?」

 

滅多に無い依頼だ。普段なら喜ぶところだが生憎と間が悪い。比企谷事が心配だが、仮にも部と名乗っているからにはキチンと活動できる時には活動したい。

 

「悪いね、コッチも困ってるんだ」

 

ムムム、と部活動と比企谷どちらを優先するべきか由比ヶ浜が唸っていると教室の入り口から入ってきた川崎サキが頭をポリポリと掻きながら謝ってくる。

 

「今日も遅刻か、川崎。今の立場をわかっているのか?私も余り庇えないぞ。私の胃をイジめるのは比企谷だけにしてくれ」

「わかってます、先生。先生には感謝してます。依頼(コレ)が解決すれば真面目にします」

「そうしてくれると助かる」

 

平塚と川崎の会話を聞いて今回の依頼者がサキだと気付いた由比ヶ浜。いつもなら、笑顔で受けるのだが比企谷の事が気にかかってしまう。

 

「比企谷の事は私に任せろ。だからお前は部活に集中しろ」

「先生………」

「川崎の依頼に関して詳しくは放課後だ。川崎は私が部室に送り届けるから由比ヶ浜は掃除が終わったら先に奉仕部の方に行っていてくれ」

 

そう言って平塚は教室から出て言ってしまった。

 

「じゃあ、よろしく」

「う、うん」

 

川崎が出してきた右手に握手する。それだけすると川崎はそのまま席に行ってしまった。

 

☆ ★ ☆

 

放課後

 

由比ヶ浜が急いで奉仕部に行くとすでに雪ノ下は来ていた。いつものように窓際で本を読んでいた。

 

「あら、由比ヶ浜さん?そんな急いで来てやる気はあるみたいで安心したわ」

 

雪ノ下は勢いよく扉を開けて入って来た由比ヶ浜に驚きながらも、息を荒げて元気が溢れている様子の由比ヶ浜に頬を緩ませる。

 

「うん、早く終わらせてヒッキーの事を問い質さないとね」

「そう言えば、今日も来ていないらしいわね。クラスの人が話しているのを聞いたわ。由比ヶ浜さん彼の家に行くつもり?」

「ううん、行かないよ」

「じゃあどうやって問い質すの??」

「え?ゆきのん平塚先生が今日ヒッキーの家に行くこと知らないの?」

 

なるほどついに平塚先生の堪忍袋の尾が切れてしまったのね、と頷く雪ノ下。

 

「それなら同じ部の一員として私達も行かないといけないわね。戸塚くんには申し訳ないけれど」

「なんで彩ちゃんが出てくるの?」

「それはもちろん勉強会を開くからでしょう?由比ヶ浜さんが言い出した筈よね?」

 

ハッ!とそこでまだ比企谷が来ていた数日前に「もうすぐ定期考査があるから勉強一緒にしよ!」とゆきのんと彩ちゃんに言ったのを思い出した。一応比企谷にも声をかけてはいる。

 

「そのやる気は勉強会へのものじゃなかったのね……」

 

由比ヶ浜の顔を見て全てを悟った雪ノ下は呆れたように呟く。

 

「うぅ、でも依頼の事もあるしどうせ勉強会出来なかっただろうし」

「依頼?私は聞いてないけれど…」

「あー、私も朝聞いたんだけど依頼が来てるの。内容までは聞いてないんだけど詳しくは放課後にって言われた」

「平塚先生……部長の私が知らないってどういう事なの……?」

 

頭が痛そうに眉間を抑える。連絡を入れない社会人ってどうなの?とかもしかして私信用がない?なんてブツブツと呟いている雪ノ下を見て由比ヶ浜が慌ててフォローする。

 

「多分先生も私がゆきのんに言ってくれるって思ってたんだよ!ほ、ほら今日は違ったけどいつもお昼ご飯一緒にしてるし!だから、ゆきのんが信用されてないとかそんな事は無いはず!」

「いいえ、私が悪いんだわ。比企谷くんの更生もままならないし、それどころか更生対象の比企谷くんのお陰で解決出来た依頼もあるくらいだもの……。信用をなくして当然よね」

 

涙声で俯いて目元を隠す雪ノ下。

自分のせいでゆきのんが!?と焦った由比ヶ浜がアワアワとしていると、さらにヒックヒックと泣き声が聞こえて来た。それを聞いた由比ヶ浜はよし!と覚悟を決めて、慰めようとまるでサブレにやるように抱きしめようと近づいたところで雪ノ下から待ったが入る。

 

「ふふ、わかってるわよ。平塚先生はズボラだけど良い人だわ。私も気にしてない。冗談よ冗談」

「へ?」

 

抱きしめようとした由比ヶ浜は笑顔で俯かせていた顔を上げた事でピタリと止まる。

 

「比企谷くんがいっつもあなたをからかっているのを見ていて私も少しだけやって見たかったのよ」

「………」

「ご、ごめんなさい。冗談が過ぎたかしら?私冗談とか滅多にしないから分からなくて。お、怒ってないわよね?」

「………」

「ゆ、由比ヶ浜さん?な、何か言ってもらえるかしら?怖いのだけど……」

「………」

「そ、そのジリジリと近づいてくるのやめてくれるかしら?指をワキワキさせるのも」

「………」

「ちょっと!?いや!やめて!!キャァァァーーー」

 

コチョコチョ

コチョコチョコチョ

コチョコチョコチョコチョ

 

「ゆきのんはヒッキーの悪い影響を受けてるみたいだから治すね!」

「あははは、はひーひー、ちょ、アッハハハ!まっへ!ゆひがはましゃん!ハハハハハ!ひ、ひきができなひ!ヒヒヒヒー!ひょんとにあびゅないから!や、やめへーーーーー!」

 

必死の抵抗も虚しく由比ヶ浜の魔の手は収まることを知らない。それから数分間平塚先生が川崎を連れてくるまで雪ノ下は天国のような地獄のような時間を味わう事になった。

 

 

 

「君達は一体何をやっているんだ」

 

息を乱して時折ビクリッと身体を震わせ床に倒れている雪ノ下と妙に肌をテカテカとさせている由比ヶ浜を見て平塚はため息を吐く。

その後ろには同じよう呆れた目をしている川崎と顔を真っ赤にして俯いている戸塚がいた。

 

髪を汗で張り付かせ、口元からはヨダレがツーーっと垂れている。制服は大きく乱れ、目は焦点が定まっておらず光を映していない。そんな、何処か背徳的な美を感じさせる雪ノ下をチラリと見ては更に顔を真っ赤にさせて俯く戸塚。可愛い。

 

「ふむ、だが他人に隙の一つも見せなかった雪ノ下がこうやって無防備でいられるのも由比ヶ浜、君を信用しているからだろう。良い変化だと思うことにしよう」

「私だけじゃないです。ヒッキーもきっとゆきのんに影響を与えてます。さっきなんか冗談って言って私をからかってきたし!」

「そうか!雪ノ下が冗談か!ふふふ、それは良かった」

 

雪ノ下が冗談を言うなんて数ヶ月前なら信じられなかっただろう。比企谷をここに入れたのは正解だったと確信できる。やはり彼は彼が思うほど過負荷(マイナス)では無いのだ。

 

「それでは川崎の件に関して本題に入りたいんだが………雪ノ下は大丈夫か?」

「え、ええ、問題ないです」

 

いつのまにか意識を取り戻している雪ノ下はヨロヨロと立ち上がり、服を整えてから席に座った。

 

「ふむ、では今回の依頼についてだが

「先生、私から話すんで大丈夫です」

 

本題を切り出した平塚の後ろに立っていた川崎が前に出てきた。戸塚はすでにちょこんといつもなら比企谷が座っている場所に座っていた。

 

「そうか?まぁ、お前も自分の状況は分かっているだろうから心配はして無いが……。では私は比企谷のところに行ってみるからよろしく頼む」

「わかりました」

 

そのまま平塚は教室から出て行く。

 

「さて、依頼について聞かせてもらいましょうか。どうぞ、掛けて」

 

川崎は勧められた対面の椅子に腰掛ける。

 

「少し長くなんだけど?」

「構わないわよ?由比ヶ浜さんと戸塚くんも良いわよね?」

「私はいいよ!」

「えっと、部員じゃない僕が聞いてもいいのかなぁ」

 

今更ながら何故自分がここにいるのか疑問に思う。本当だったら勉強会を開く予定だったのだ。そのために来て見たらいつの間にか依頼に関わる事になって居た。

 

「そうね、川崎さんだったかしら?良かったら戸塚くんも手伝ってもらいたいのだけど良いかしら?」

「………あんまり聞いてほしい話じゃないんだけど。まぁ、多い方が出てくる案も多いか」

「ゴメンね、彩ちゃん。考査近いのに巻き込んじゃって。ホントは勉強会するつもりだったんだけど」

「ううん、別にいいよ。同じクラスの川崎さんが困ってるんだもん!手伝わせて!」

 

『手伝わせて』という真っ直ぐな戸塚の言葉を聞いて川崎も安心する。実は部長の雪ノ下の初見がアレだったから不安だったのだ。由比ヶ浜もアレだし。

 

「あー、じゃあ喋ろうと思う。私、金に困っててさバイトしてたんだ」

 

川崎は少しずつ話して始める。

 

「あたしの家って両親共働きでさ。そこまで裕福な家じゃないんだ。別に毎日ご飯食べれるし、学校だって通えるから貧困ってほどじゃないんだけど、塾の夏期講習とかお金の面で両親の迷惑をかけたくなくてさ。下に弟と妹が2人いてキョーちゃん………ゴホン!妹が最近オシャレに興味が出始めたみたいで可愛い服も買ってあげたくて。弟も塾に行き始めて、それで少しでも家計を助けたくて始めたんだ」

「「「…………」」」

 

正直舐めていた。

ぶっきらぼうな態度と言葉遣い。

不機嫌な表情で目元も細く制服も改造している。一見近寄りがたい、要するにこの総武高校には珍しく不良のように思ってしまう見た目をしているのだ。

だから、あの優しさの塊である由比ヶ浜も、正しさの塊である雪ノ下も、思いやりの塊である戸塚彩加でさえ、ほんの少しだけ、小指の爪の垢程度だけ見た目の印象で判断してしまっていた。

その印象が今壊れた。

彼女は真面目だった。

彼女は家族想いだった。

 

雪ノ下は下唇を軽く噛み、自分の愚かさを恥じた。彼女は家族の話しをする時、普段の不機嫌な顔が嘘のように優しそうな顔になったのだ。それだけでわかるものがある。

 

「ごめんなさい、川崎さん。貴女を見た目で判断してしまった。ソレは私が何よりも嫌ったモノのはずなのに」

「え?あ、ああ別にいいよ。いつものことだし、あたしも分かっててやってる節あるし」

「貴女は素晴らしい人だわ。今回の依頼、精一杯やらせてもらうわ。続きを聞かせてもらってもいいかしら?」

「う、うん」

 

居住まいを正し、真剣に聞くために開いたままだった本のページを閉じる。隣を見ると、由比ヶ浜も戸塚もより熱が入っているようだった。

 

「それで、そのバイトなんだけどさ。バイト先が実はBARでさ」

「………なるほど、校則違反ね。お酒を供与するお店では働けないわ」

「ちょっとまって!?私たまにコンビニとかで働いてたりするんだけどお酒を売っちゃダメなの!?」

「由比ヶ浜さん、販売は良いのよ。供与、つまりキャバクラと言われるモノだったりガールズバーで働くことを禁止にするだけでね」

 

良かったー、とホッと息を吐いている由比ヶ浜。そこで戸塚が聞きにくそうに質問する。

 

「じゃあ、平塚先生にバレたの?」

「ま、そういうこと。それでさ、BARで働いてたのも悪いんだけど年齢を偽って4時まで働いてたんだよね」

「川崎さんが最近遅刻が多かったのってそれが原因なんだ」

「高校生が4時まで………。条例でも労働基準法でも禁止してるわね……」

 

深刻そうに呟く雪ノ下。校則違反くらいなら教師にバレたところでコッテリ絞られるくらいで済むが、法律違反となるとお店側も巻き込む事になるし、何よりも内申点や生活調査など大学入試で参考にするものに支障が出る。

 

「貴女、停学処分にでもされるの?」

「いや、バレたのが見つかった訳じゃなくて外来の電話で知ったらしくてさ」

「外来の電話?」

 

訝しげな顔になる雪ノ下。

 

「うん。『総武高の川崎という女子生徒が深夜に働いている!』って。それで電話を取ったのが生活指導の平塚先生で今は先生がそこで話を止めてくれてて、教師全体に話がいってるわけじゃ無いらしい」

「ふふ、平塚先生も無茶するわね。黙ってる事バレたら先生も怒られるんじゃ無いかしら」

「うん、先生には感謝してるよ。それでさ、今の状況を好転させたくてここに依頼を持ってきたんだ」

 

具体性の無い依頼だ。

今までの依頼は全てやる事が決まっていた。クッキー作りから始まりチェーンメールの解決まで全てやる事が決まっていた。依頼者自体がやるべきことを考えて分かっていたから。でも、今回は依頼者である川崎もどうして良いか分からない様子だった。

 

「これはまた難しい依頼が来たわね……」

 

雪ノ下はボソリと呟く。

そして戦慄した。

 

---比企谷くんが居たら……と一瞬でも考えてしまった自分に。

 

☆ ★ ☆

 

雪ノ下達は今頃解決に乗り出しているだろうか。彼女達は川崎の依頼の本質に気づく事が出来ればいいが……。

まぁ、彼女達も成長し変化している。心配するまでも無いだろう。心配すべきはむしろ自分だ。彼の家の前に今まさに立っているんだから。

かれこれ十分程度ここで立ち尽くしている。インターホンは目の前にあるんだが、押す勇気がここにきて出ない。

はぁ、どうするべきか……。

 

「あのー?どなたでしょうか?私の家に何か用事があるんです?」

「ひゃい!?」

 

後ろから声をかけられてアラサー女性有るまじき可愛い悲鳴をあげて振り向くと中学の制服を来た女の子が立っている。私の家と言ってたし比企谷の妹といったところか。だが、これは僥倖だ。彼女は若干の違和感は感じるが比企谷と違って普通そうだ。

 

「ああ、こんにちわ。私は総武高校の生活指導でして。平塚静といいます。比企谷八幡くんがここのところ無断欠勤をしているようなので心配で伺ったんです」

「ああー!お兄ちゃんのトコの先生なんですね!私はお兄ちゃんの妹の比企谷小町って言います!すみません!『今日は行く』って言ってたんですけどまた休んだんですね……。わかりました!どうぞ上がってください!まさかお兄ちゃんのために家まで来る先生がいるとは思いませんでした!嬉しいです!お兄ちゃんも誰かに怒られないと分からないと思いますし!ビシッと怒鳴り散らしてやってください!それはもう泣かす勢いでやってくださって結構ですんで!両親もお兄ちゃんの事に関しては放任主義というかそんな感じなんでモンペになることも無いと思いますし!どぞどぞやっちゃってください!」

「え?あっ……ちょっと」

 

早口でまくし立てられて、手を引かれ家に上がってしまった。

リビングまで通されるとそこには少年ジャンプを開いたまま顔に乗せソファーで寝ている比企谷八幡の姿が。

 

「お兄ちゃん!平塚先生って人が来てるよ!起きて!」

「『う、ううん?』『なんだい』『小町ちゃん』『僕の惰眠を邪魔するのは困るなぁ』」

 

ダルそうに重いまぶたをあげた八幡。無断欠勤した挙句呑気に昼寝をしている比企谷に対して少しずつ頭に血が上っていくのがわかる。マズイ、ここで殴るのは流石にマズイ。妹さんも見ているし、何より冷静にならないと八幡の相手は難しい。怒るな、私!と必死に平塚は自分に言い聞かせる。

 

「だから!平塚先生が来てるの!」

「『あー』『平塚先生?』『やっと入って来たんだ』『家の前でウロウロしてるから不審者として通報するところだったよ』」

 

のそりと起き上がって『ふぁ〜』と欠伸する比企谷を見て、ブチリと血管が切れたのがわかった。いや、これは血管じゃない堪忍袋の尾だ。

 

「比企谷ァ……」

「『?』『どうしたんです?』『そんな顔真っ赤にして』『トマトみたいですね』『あはは』」

「私はなァ!お前が授業でフザケタ態度を取るたびに他の先生から小言を言われるんだ。お前が問題行動をする度に私がどれだけ頭を下げていると分かるか。お前が今回の無断欠勤で事を早めようとする教師たちと対立してどれだけフォローしたと思う」

 

グググッと右拳を突き上げ、人差し指、中指、薬指、小指の順番にゆっくりと握っていく。

 

「『ちょっと待って!』『僕は悪くない!』『それは全部先生が自分が勝手にやった事だ』」

「比企谷ァ!歯を食いしばれェ!この拳には日頃のストレスの全てを込める!」

「『だから待って!』『いや困っちゃう!』『僕は話を聞かない相手は苦手なんだ!』『有無を言わせず殴ろうとする先生を止めることが出来ない!』」

「抹殺のォ----ラストブリットォォオ!!!」

「『グベラッ』」

 

 

---比企谷小町は見た。

自慢の兄が拳一つで3メートルほどぶっ飛ぶ姿を。

 

何時もなら八幡の不幸な姿にキャッホーーイとはしゃぐところだか流石に死んだんじゃ……とらしくなく心配してしまう。

 

「お、おにぃちゃぁぁん!?」

 

小町の悲痛な叫びを聞きながら、八幡はガクリと気を失った。心配しながらも口元がニヤケている小町の顔が最後に見えた気がした。

 

 

「『う、うぅ…』」

「あ、お兄ちゃん気がついた?」

 

ゆっくりと目を開くと小町の顔が視界全体に広がっていた。後頭部にはモチモチとした柔らかい感触がある。どうやら膝枕をされているみたいだ。

八幡は小町の太ももに更に頭を沈み込ませながら記憶を辿る。

 

「『あー』『確か僕は平塚先生の自慢の拳を受けて気絶したんだっけ?』」

「意識と記憶もはっきりしてるみたいで良かった。不思議とアザとかにはなってないみたいだよ?」

「『バカだなぁ小町ちゃんは』『そりゃあ』『ギャグパートなんだからケガするわけないじゃないか』『いくら小町ちゃんだからってそこまで僕の事をバカにすると不幸になるぜ?』」

「ギャグパートっていうのは良くわかんないけど、まず最初に小町の膝枕の感想を言うのが当たり前だと思うんだよね。折角小町からの幸せのプレゼントしてるのに、あんまり小町の事を蔑ろにしたらお兄ちゃんだからこそもっともっと不幸にするよ?モチロン私以外の手で」

 

ニコニコと笑いながら物騒な話をする比企谷兄妹を見て平塚はやはり彼の妹だな、普通じゃない。と常識人だと期待していた故にがっかりする。

 

「あのだな、兄妹仲良く話をしているのは喜ばしいんだが私の話を聞いて欲しいんだ。いや、比企谷くん。君の話を聞かせて欲しい」

「イヤです」

 

応えたのは小町だった。

兄との大事なイチャイチャに割り込まれた小町は平塚を冷めた目で見ながら断る。

 

「というか、まだ居たんですね。もう用済みなんで帰ってくださって結構ですよ。では、さようなら。お兄ちゃんを不幸にする気があるならまた会うこともあるでしょうね」

「な!?」

 

小町は優しく八幡の頭を退けてから立ち上がる。そしてそのままガシッと腕を掴まれた平塚は細腕では信じられないくらいの力で掴まれた事に驚く。

そのままリビングの外まで連れて行こうとした小町を止めたのは八幡だった。

 

「『待ちなよ小町ちゃん』」

「なんで止めるのお兄ちゃん?この人を家に入れた理由はお兄ちゃんを不幸にする為だよ?もうその役目は終わったんだからお帰り願わないと」

 

小町はもう満足していた。小町に取って平塚の役目は八幡を不幸にする事。いや、平塚だけじゃない。自分以外の全てがお兄ちゃんを不幸にする為に存在してると信じている。

そしてその役目はさっきの右ストレートで終わってしまった。後は私だけができるお兄ちゃんを幸せにするタイムだ。その空間にお邪魔虫(平塚)は要らない。

 

「『小町ちゃん?』『僕は待てって言ったんだよ?』」

「私は……」

 

「『うるせぇなぁ』」

 

八幡は更に言葉を続けようとした小町の後頭部を掴み、床に叩きつけた。

「!」

ベゴォと鈍い音がする。

そのまま小町は気を失ったようで平塚の手首を離し、ペタリと床に落ちる。

 

「『じゃあ』『平塚先生』『何を話せばいいのかな?』」

 

小町の後頭部から手を離し、パンパンと軽く手を叩いてからゆっくりとソファに腰を下ろす八幡。

まるで何にもないかのようにケロッとした態度の八幡に平塚は声を荒げる。

 

「お、お前……妹だろう!?」

「『うん?』『僕は妹じゃないんだけど?』『もしかして聞きたかったコトってそれだけ?』」

「違う!君が今床に叩きつけたこの娘は妹だろうって言ってるんだ!!」

「『そうだよ?』『正真正銘僕と血の繋がった妹だけど』」

 

本気で分かっていない八幡の顔に動揺が隠せない。

 

「そうだよ、じゃなくてだな!兄なら妹には優しくするべきだろう!?肉親だぞ!?」

「『いやー』『人の話を聞かずに行動するような自己中心的なヤツは僕はキライなんだ』『だから僕は悪くない』」

 

横たわっている小町の頭の上に足を乗せながらキッパリと言い切る。

 

「---」

 

絶句して何も言えなかった。

雪ノ下も由比ヶ浜も奉仕部で良い方向へ変わっていた。

だが、この男は何も変わらない。いつまでたってもどこまでいっても過負荷(マイナス)だ。

 

「『それで話せよ』『平塚静』『君は何のためにここに来たんだい?』」

 

比企谷の妹のことは気にかかる。気にかかるが、話を進めないと比企谷は妹の頭から足を退けないだろう。

 

「………奉仕部に君を入れてから早数ヶ月。雪ノ下も由比ヶ浜にも変化がある。雪ノ下は変わった数あるが特に笑顔が増えた。由比ヶ浜は自己をしっかりと持ち、流されるコトが少なくなった」

「『ふぅん』」

 

興味も無さそうに相槌を打つ八幡。

 

「当初は不安だったが君は良い変化をもたらしてくれた。感謝をしている。だからこそ唐突に無断で休み始めたコトに驚いてもいる。君に何があった?」

「『?』『何もないけど?』」

「じゃあ何で休んでいるんだ!?」

「『何も無いからだけど?』『僕は頭が良いからね』『考えてみたら気づいてしまっただけだよ』『学校にも奉仕部にも』『行く必要性がカケラも無いことにね』」

 

ゾワリと全身の産毛が総毛立つ。

 

「君は!奉仕部に入って何も変わらなかったのか!?本当に必要ないと言えるのか!?」

 

つい聞いてしまった。

だってコレでは余りに情けないじゃないか。彼を始めて見た時、変えてあげたいと思った。彼女(・・)を変えられなかった後悔もあったのだろう。それは余りにも傲慢な想いだが、雪ノ下も由比ヶ浜も変わってくれた事で彼も変わってくれているとばかり思っていた。

 

「『んー?』『僕が』『奉仕部に入って』『変わったこと』『ねぇ--』

 

『別にないけど?』」

「………………………そう……か」

 

平塚は脱力する。

 

「『まず』『僕って思うんだよね』『「価値観が変わる」とか』『「人生観が変わる」とか』『そんな簡単に変わってしまうモノになんの意味があるっていうんだ』『特に』『最低最弱の過負荷()なんかに影響受けて変わってしまうモノなんて』『要らなくない?』」

 

彼が何か喋る度に全身に虚脱感が襲う。なぜ彼を変えたい思ってしまったのか。そんな考えがふと過ぎってしまう。ただもう一つだけ聞きたい。

 

「もう戻るつもりは無いのか?彼女達にはもう興味がない、意味がないと言うのか?」

「『それを今確かめてるんだけど?』」

「な………に?」

「『意味が無かろうと価値はあるかもしれないじゃないか!』『それに』『これは元々考えていた事だしね』」

 

意味が分からない。何の話をしているんだ?こいつは。

 

「何のことだ?」

「『今までの依頼』『僕がちょっと頑張りすぎてないかと思っただけだぜ』『だから暫く休んで僕が居なくてもちゃんと解決が出来るなら』『それは彼女達に価値があったって潔く認めて戻るつもりだぜ?』『ほら』『丁度今来てる依頼で判断するつもりだぜ』『アレの結果次第と言った感じかな』」

 

その言葉に少し安心する。

彼の事を例え変えられなかったとしても彼女達には彼が必要だ。彼のような人間が。それに彼は彼なりに彼女達に名残惜しさがあったんだろうと前向きに考えることにした。

平塚も思っていた事だった。彼の突飛な発言や行動が依頼解決に生きているのはいいが、流石にこのままじゃ比企谷に頼りきりになってしまうんじゃないか、と。

 

「なる…ほどな。あっさりと捨てる訳では無いんだな」

 

少し彼の負のオーラに当てられていたようだ。彼の言葉一つに絶望するなんて私らしくない。

だがそこで平塚はふと引っかかるモノに気づく。

 

「いや、ちょっと待て!さっきなんて言った!?」

「『どれの事?』」

「依頼のことだ!何故君が知っている!今日来た依頼だぞ?例え由比ヶ浜からの連絡があったとしても速すぎるぞ!?」

 

昨日、外来からの電話があってそこから川崎のアルバイトのことを知った。その日のうちに川崎に話を聞いて私が今日先ほど奉仕部に連れて言ったのだ。

つまりは休んでいた比企谷八幡が知っているわけがない。というか、雪ノ下、由比ヶ浜、戸塚、川崎以外知らないはずだ。

 

「『ああ』『やっぱり今日連れて行ったんだ』『いやーよかったよ』『平塚先生が行動の早い人で』」

「どういう意味だ?答えになってないぞ。その感じでは依頼が今日来たことは知らなかったのか?依頼があることは知っていたのにか?」

「『察しが悪いな先生は』『ほら』『今回の依頼でおかしい点が一つだけあるだろ?』」

 

可笑しい点?いや、そんなものあったか?と一つ考えを一巡させる。

 

「あの電話か?」

「『ピンポーン!』『正解した平塚先生にはご褒美にネタバレをしてあげよう』」

「私もおかしいと思ってたんだ。川崎が未成年であることどころか総武高の生徒だって何故気づけたのか、とな」

 

川崎に電話で言われた話が事実かどうか確かめた時、あいつは素直に認めた。だが、その後あいつは「なんでバレたんだろ?」とボソリと呟いていた。聞いてみれば、総武の制服でバイトに行く事や接客の最中にポロっと喋ってしまうなんていうマヌケな事はしていないらしい。私もあの電話の相手が川崎の事だと断定していた事からてっきり川崎本人にも思い当たる節があると思っていた為不思議には思ったが、まぁ他にも分かる原因だって何個もあるから気にかける事じゃ無いと流した。それよりも、大事な事があったからだ。

 

「『まぁ』『大変だったよ』『僕だけじゃ最悪の結果になっていただろうけど』『小町ちゃんに協力してもらってなんとか適当な困ったちゃん(サキちゃん)を見つけてもらってね』『良い感じの依頼だぜ?』『最低な結果になりそうだ』」

「あの格好つけたような喋り方に既視感があると思ったらお前だったのか!比企谷!川崎が停学になってしまっていたかも知れないんだぞ!?」

「『おいおい』『平塚先生とは言え聞き捨てならないぜ』『校則違反してたのは彼女だ』『僕は悪くない』」

「…………それはそうだが」

 

確かにその通りだ。だが、私は彼女の家庭事情を少しだけ知ってしまっている。川崎がどんな気持ちでバイトをしていたのか知ってしまったし、大学に向けて頑張っているのも聞いた。だから感情移入してしまう。

 

「『寧ろ』『感謝してくれても良いんだぜ』『雪ノ下ちゃんと由比ヶ浜ちゃんが無事依頼を解決出来たとしたら』『それは彼女たちが成長したって事なんだから』『教師としてそれほど嬉しいことはないと思うけど?』」

 

嬉しいだろうが、クラスメイトをまるでお遊びかの様に利用する比企谷のやり方が気に食わない。

 

---だが、今回は笑って許してやることにした。

 

「ふふ、そうだな。彼女たちは絶対に解決するだろうな」

「『へぇ』『大した自信だね』『怖いなぁ』」

「ああ、話を聞いて安心した。お前は絶対に奉仕部に戻ることになる。気まずい思いをして戻るんだな」

 

安心した拍子に時計を見るともうそれなりに時間が過ぎていた。学校にまだ少し仕事が残っている。そろそろ戻らないとマズイな。

 

「ふぅ、言いたいことは何個もあるが今回の件はもう良い。何故だか燃えてきた。お前を絶対に奉仕部に入って良かったって思わせることにした。若いくせに不幸(マイナス)がどうたら言ってるんじゃない。卒業式で奉仕部に入って幸せ(プラス)だったと言わせてやる」

「『……………』」

「最後に一つ、仮にお前が川崎の依頼を解決するならどうした?」

「『僕なら---』」

「案外普通だな。安心したよ」

 

普通という感想に比企谷がピクリと反応する。それを気にせず平塚は爽やかに笑う。

モヤモヤしたものは確かにある。納得できないことも、理解できないこともあった。だが、私は前向き(プラス)に考えることにした。結局比企谷は自分(マイナス)に頼っていると感じた雪ノ下と由比ヶ浜の事が不安だったから、やった事なんだろう。彼の行動の本質はコレだ。彼はヒドく臆病者なのだ。

 

「私はもう帰る。仕事も残っているからな。そう言えば、小町さんが………」

 

ふと、まだ倒れている小町さんに目を向ける。

 

「『ああ』『小町ちゃんのことなら心配しないで』『小町ちゃんは僕と違って強い子だから』『そんな事より自分の心配をした方がいい』『早く帰った方がいいぜ』」

 

川崎の無断バイトを黙っていることについて言っているんだろうか。

 

「………大丈夫だ。だが、学校に帰らないといけないのも事実だな。小町さんは心配だが……」

「『大丈夫って言ってるんじゃあないか』『ほら』『アレだって』『軽い脳震盪ってやつだから』『これ以上はこっちが困るから』『早く帰ってくれませんか?』」

「む、むぅ……。軽いと言ってももうだいぶ気を失ってから時間が……、コレは軽度と言えないだろう……」

 

脳震盪だから後遺症が残ることは少ないだろうが、無いことはない。もう2分以上は確実に経っているから速やかに病院に連れて行くべきではないか。教師として。

 

「………。そこまで言うなら分かった。帰ろう。暫くしても意識が戻らないなら病院にすぐ連れて行くんだぞ?」

「『はーい』『わっかりましたー』」

 

後ろ髪が引かれる思いだったものの、比企谷を信頼してその場を後にする。

 

「ふむ、依頼が解決できれば戻るらしいが私が依頼に手を出すわけにはいかない……か。私の流儀として頼まれない限り手伝わない事にしているし、雪ノ下たちを信用している。それに私が手を出せば比企谷は納得しないだろう」

 

比企谷家から一歩出て、玄関の目の前で少し考えをまとめる。

 

「明日には来ると言っていたが……。今日で終わるかは流石に自信がない。やはり学校に戻ったら一回奉仕部の顔を出すか」

 

考えをまとめた後に愛車のスポーツカーに乗り、タバコに火を点ける。

フゥと煙を吐き出すと、スッキリした頭で車を発進させた。

 

 

 

 

 

「『それで』『小町ちゃんはいつまでそうしているのかな?』『確かに小町ちゃんの頭は踏み心地がいいけど』『最愛の妹を足蹴にするだなんて』『さしもの僕も心が痛いぜ』」

 

グリグリと床に小町の頭を押しつけながら、悲しそうに泣き出しそうな顔で言う八幡。行動と表情があっていない。

 

「あはは、やっぱりバレちゃってるよね!流石はお兄ちゃんだよ!やっぱり違うなぁ!私のお兄ちゃんは」

 

グググと床に押さえ付けてくる八幡の足に抵抗して立ち上がる小町。

 

「『おいおい』『だって』『気絶する様な力でやってないぜ?』『と言うか』『非力な僕にそんな腕力は無い』」

「私の小細工だよ!ちょっと大きな音が出る様に自分から頭をゴツン、とね。コツがあって、音だけは凄かったでしょ?」

 

小町は最初から気絶なんかしていなかったことを告げる。

 

「そもそも本当に何分間も脳震盪なんかしてたら大変だよ?」

「『まぁ』『確かに救急車を呼ばないといけないレベルだよね』『平塚先生はゴリ押しで帰らせたけど』『冷静だったらメンドくさい事になってたよ』」

 

平塚を無理矢理早く帰らせたのは小町が起きている事に気付かれたくなかったからだ。

 

「だってしょうがないでしょ?あの教師お兄ちゃんにあんな事言うんだもん。殺してやろうかと思ったのに」

「『僕が咄嗟に体重をかけてなかったら』『危なかったぜ?』」

 

平塚が八幡のことを幸せ(プラス)にしてやる、と言った時だ。小町の大切な一線を軽々と越えた平塚を小町は本気で殺るつもりだった。後先なんて考えずに平塚を殺そうと思えるほどに『兄の幸福』は小町にとって重要なことなのだ。

 

「私も冷静じゃなかったよ。あの生活指導の教師にお兄ちゃんが妹を足蹴にする様なやつって不幸にも思われたかったから、黙って気絶したふりしてたらあんなこと言い出すなんて。なりふり構わず叩き出してたらよかった」

 

名前も呼びたく無いのか、平塚の事を生活指導の教師だなんて遠回しに呼ぶ小町に呆れた顔をする八幡。

 

「『ん?』『小町ちゃん』『平塚先生が生活指導の教師って知ってたんだ』『僕言ったっけ?』」

「ぬふふふふ。私には特別な情報網があるのだ!まぁ、内緒だけどね!」

 

ペロっと舌を出して、お茶目に言う小町に『あー、はいはい』と適当に返す八幡。

 

「それにしても、本当に奉仕部に帰るの?これが終わったら暇になるって言ったのお兄ちゃんなのに。学校辞めるつもりだったんじゃないの?」

「『流石の僕も高校卒業くらいはするさ』『奉仕部は明日行ってからの楽しみってところかな』『今の所半々だぜ』」

「むぅ、お兄ちゃんを養う計画は既に出来てるのに。お兄ちゃんは敗北の星の元にいるからなぁ。そう言う時は戻るんだから」

 

はぁ、でもデートはしてもらうけどね。と呟く小町に苦笑いをする八幡。

 

「『僕の心の整理に必要な儀式なんだよ』『僕は嘘なんて吐いたことないのに』『彼女達は僕に嘘を吐いていた』『その清算だよ』『いつも通り』『僕らしい自己中心的なね』」

「嘘を吐いていたわけじゃなくて黙ってただけだよね」

「『故意に黙っているなんて』『なんて悪意があるんだ!』『そんなの』『嘘と変わんないでしょ?』」

 

だから、小町ちゃんに手伝ってもらって手頃な川崎の無断バイトを利用した。

 

「ふふ、でもやっぱりお兄ちゃんは過負荷(マイナス)だね。関係のない他人を巻き込んでて罪悪感のカケラもない」

「『おいおい』『平塚先生にも言ったけど』『悪いのは無断バイトをやっていた川崎サキちゃんだぜ』『例え』『それが誰かしらの悪意によってバラされたとしても』『例え』『家族思いで根が真面目な川崎サキちゃんへの教師の印象が悪くなろうと』『例え』『大学受験を考えて必死に勉強している川崎サキちゃんの内申点がダメになろうが』『僕は悪くない』『だって僕は悪くないんだから』」

 

八幡の言い分を聞いて小町は満足そうに笑い頷く。

 

「小町、そんなお兄ちゃんが大好きだよ」

 

こんな残念な兄だからこそ小町だけが幸せにしてあげたいと願うのだ。彼を真に許容出来るのは産まれてずっと一緒にいる小町だけだと信じているから。

 

「でも川崎さんの依頼が解決できなかったらどうするの?」

「『どうもしないけど?』『もうどうせ解決できない時は二度と関わることのない人だろうし』」

「ふぅん、じゃあ逆にもし依頼を解決してこれからも関わっていく事になったら?」

「『別に』『気まずいかと聞かれるとそんな事は無いことは無いかな?』『解決したらその川崎さんって見ず知らずの人と関わってしまう可能性もあるわけか』『でも』『僕は悪くないから謝る訳にはいかないし』『形だけ土下座したらいいと思うな』」

 

なんのプライドもなく土下座しようと言う八幡にアチャーと頭をおさえる。

 

「お兄ちゃん、さっきも言ったけど自分が敗北の星の元に産まれてるってことわかってる?そんな事言ったらフラグ立っちゃうのに。今頃解決してるんじゃない?」

「『………』」

「まぁ、土下座してもお兄ちゃんのことは好きだから安心してね」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

つかつかと、靴の音を響かせ紅く染まった廊下を歩く。窓の外、グラウンドを見ると運動部も片付けを始めていた。そういえば、雪ノ下も普通はこのくらいの時間に部室の鍵を返しに来てたな。

 

「彼女達はもう帰ったかも知れないな。雪ノ下がいるから戸締りは心配していないが、一応顧問として確認はせんと怒られてしまう」

 

部室に近づいて言っても話し声は聞こえない。やはり帰ったかと扉に手をかけると少し開く。

 

「ん?閉めてないのか?」

 

ゆっくりと開いていくと雪ノ下、由比ヶ浜、川崎の3人の姿が見えた。

雪ノ下は世界史の教科書を見ながら、ノートを確認していく。

由比ヶ浜は渋い顔をしてブツブツと呟きながら漢字帳を埋めていく様だった。

川崎は数学の参考書の例題を解いて黙々と解いていっている。

黒板には雪ノ下の綺麗な字で数学の公式やらグラフあるいは常用漢字が多数書かれていて雪ノ下が2人に教えていたことが伺える。

どうやら3人とも教科は違うが真面目に勉強している様で、高校生の在るべき姿に感心する。だが、今は依頼がどうなったのかを聞きたい。

 

「雪ノ下、これってどうすれば良いの?」

「ちょっと待って頂戴。………、この場合公式に当てはめてやるよりも一回グラフを描いて見たほうが分かりやすいかもしれないわね。接線の傾きが……」

「ゴホン」

「「「!!!」」」

 

平塚が帰って来ているのに気づいてなかったのか3人して驚く。

 

「真剣に勉学に励んでいる君たちを邪魔するのは心苦しいのだが、それはそれとして依頼がどうなったのかを聞かせてもらえないか?」

「び、ビックリした〜」

「せ、先生ノックをしてくださいと何回言えば……!」

 

キッと睨みつけられ、苦笑いしか出来ない平塚。

 

「すまんすまん、邪魔するのが悪いと思ったんだ。それで、依頼はどうなったんだ?」

「解決しました」

「なに?本当か?」

 

あまりの早さに驚く。雪ノ下が嘘を言うとは思えないが疑ってしまう。平塚のそんな目にムッとした顔をして雪ノ下は言う。

 

「生憎と先生の帰りが遅かったのでとっくに終わってしまいました」

「うむ、そう言われると困るな」

「ホント!平塚先生遅い!ヒッキーがどうしてたんですか!?」

 

漢字帳をほっぽり出して、机にダンッと両手を叩きつける。

 

「あー、その前にお前達のことを聞いて良いか?」

「依頼のことですか?そうですね、確かに依頼の結果を先に言ったほうがいいですね」

「そうだね、もういい時間だし。あたしの依頼については雪ノ下が話してよ」

「いいの?」

「別に、誰が話しても変わらないでしょ」

 

そう、とだけ言って詳しく話し出す雪ノ下。その話を平塚は黙って聞いていた。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

比企谷君が居たら………、そう考えてしまった雪ノ下はサーッと顔を蒼くする。

 

「でも、どうしよっか。何したらいいのかな?状況を良くするって言っても平塚先生が黙ってくれてるなら問題は無いように思えるんだけど……」

「そうだね、平塚先生が黙ってくれてる限り悪くなることは無いと思う。あれ?雪ノ下さん顔色悪いけど大丈夫?」

「ホントだ!ゆきのん?体調悪いの?」

 

雪ノ下の顔色に気付いた戸塚と雪ノ下が心配そうに声をかける。

 

「ええ、大丈夫よ」

「本当に?保健室いく?」

「いえ、本当になんでも無いの」

 

雪ノ下が再度断ると2人とも心配そうな顔をしつつ下がった。それに一安心して自分のせいで横槍を入れてしまった依頼の話に戻す。

 

「それで依頼の話だけどそれでもバイトをやらなきゃいけない理由があるんでしょう?無断バイトするくらいだもの。確か……妹の服とか弟の塾とか言ってたわね」

「あー、無断バイトで賄ってたお金が必要だもんね。なんか良いバイトないかな?」

「あたしも結構探したんだけどね。やっぱり深夜働くのが1番稼げるんだよ」

 

お金の面で奉仕部が手伝えることは無い。雪ノ下本人のポケットマネーで何とかなるかと言われれば微妙、それにそのやり方は一時しのぎであって奉仕部のモットーからかけ離れたものだ。

雪ノ下は聞き辛そうにしながらも聞くしか無いことを聞くことにした。

 

「本当に聞き難いのだけど、川崎さんの家はそこまで苦しいのかしら?ご兄弟の塾や服が買えないほどに?」

「いや、そんな事はないよ。塾だって4月から行かせてるから解決してる。妹の服についてはあたしがお裁縫少しだけ出来るから一からは流石に作れないけど個性を出せたりしたら良いなって感じでワッペンとか刺繍とかやってる。その材料費もまぁ何とかなってる」

 

川崎の意外な趣味に3人ともへぇ〜と感心する。よく見ると単なる改造かと思っていた制服もかなり手が込んでいる。

 

「じゃあ、夏期講習かしら?考えられるのはそれくらいだわ」

「そう………だね。うん、その通り。親に迷惑をかけたくない。夏期講習のお金くらい私が出したい。だからバイトしてた。結局こうしてあんた達に迷惑をかけてるのは悪いと思ってる」

「いえそれはもういいわ。でもそうね、お金ね……」

 

予備校やコースによって変わるが夏期講習の相場は50〜70万くらいだったはず。冬季講習も合わせると100万はいると考えていい。そんなものポンと出せる家庭はそうそう無いだろう。

 

「…………学資保険とかは?」

「入ってたらバイトしてないでしょ」

「それもそうよね。困ったわ。私もそうそう出せるような額じゃないし。何とかしてあげたいんだけど…」

 

雪ノ下と川崎の会話をぼーっと聞いていた由比ヶ浜がふと言う。

 

「サキサキも奉仕部に入部して勉強会入ったらどうかな?」

「は?……いや無理で…………」

「ジーー」

「うっ」

 

川崎は咄嗟に断ろうとするが由比ヶ浜の真っ直ぐな瞳にたじろぐ。戸塚を見ると「えー、いいなぁ。僕は部活があるから毎日来れないしなぁ」と羨ましがっているようで反対する意思は無いようだ。助けを求めるように雪ノ下に目を向けると、雪ノ下は考えているようだった。

 

「ここも一応部活なんでしょ?私なんかが邪魔しちゃ悪いでしょ?」

「いえ、依頼を理由に入部してもが構わないわ。事実、既に奉仕部には依頼で入部させられた人もいるもの。入部という形でなくとも夏休みの短期間だけ勉強会を開くのもいいと思うわ。丁度夏休みの間活動をするべきか悩んでいたのだし」

「依頼も来ないしね!暇だから勉強しやすいよ」

「でもやっぱり夏期講習のが勉強になると思うんだけど」

 

雪ノ下が学年1位であることは知っている。だが、同級生に教えてもらうとなるとどうしても緊張感というか、熱量が足りないと考えて断る。正直不安だった。

その訝しげな視線にピクリと震える雪ノ下。

 

「あら、私そんな優しく見えるのかしら?分かったわ、お試しでいいから今日今から勉強会を開きましょう。貴女が納得出来ないならまた考えましょう」

「………まぁ、こうやってグダグダ考えるよりは勉強した方がスッキリするかもしれないか」

 

しぶしぶと言った様子で頷く川崎の横で戸塚が慌てたように言う。

 

「あの、僕今日はもう帰ってもいいかなぁ」

「あら、用事でもあったかしら?」

「いや、その…………」

 

比企谷が居ると聞いて(本人は勉強会を開くとは知らない)男女2:2で気まずくないと思ってきたのだ。少し前の戸塚なら気にしなかったかも知れないが、前の比企谷を撃退した一件でなんだか女子生徒から男子扱いをされ始めた戸塚はそういう事も気にし始めていた。要は女子3人の中に1人だけ混ざるのは居心地の悪さを感じるために帰らせて貰おうと思ったのだった。

その思いを感じた由比ヶ浜はすぐに言う。

 

「あーゴメンね、彩ちゃん。私から誘った事だったのに。手伝ってくれてありがと!じゃあね!」

「じゃあね由比ヶ浜さん、雪ノ下さんと川崎さんも。僕も少しでも力になれたんなら嬉しい」

「ええ、さようなら戸塚くん」

「勉強会邪魔して悪かったね。聞いてくれるだけで助かったよ。ありがと」

 

戸塚はポリポリと照れたように頭を掻いた後、カバンを抱いて帰った。

 

「じゃあ、気を取り直して勉強会を開きましょう。今日の私は厳しめにいくから覚悟して頂戴?」

 

ニコリ、笑みを浮かべる雪ノ下。酷く整っていて端整な顔立ちのその笑みは普段なら同性でも見惚れるところだが、何故が背中に悪寒が走った。

 

「うわぁ………、怖いゆきのんだ。頑張ってサキサキ」

「あら、由比ヶ浜さんも勿論勉強するのよ?」

「ヒッ……」

 

そうやって2人の雪ノ下先生による地獄の授業が始まったのだ。

 

☆ ☆ ☆

 

頭が痛そうにため息を吐く平塚。

自分がいなくなってからの話を聞いて最初に思った事が呆れだった。

 

「平塚先生?何か可笑しいところが?」

「ふむ、経済的理由から塾に行けないのはしょうがない事だ。大学に入るのに高校の授業だけではダメだと云うのは我々の怠慢だが、それを君に押し付けるつもりは全くない」

 

由比ヶ浜は何を言いたいのか分からないのか頭を捻りながら「つまりどういうこと?」と質問する。

 

「私が依頼した手前言うのも何だが………雪ノ下、君はもし川崎が大学に落ちた場合責任を取れるのか?いや、正確には川崎への罪悪感や恨みを覚悟出来ているかね?」

「ッ!」

 

雪ノ下は目を見開いた。

 

「川崎がもしあの時無理にでも夏期講習に行っていたら合格したかも知れない。もし雪ノ下に教わるのではなく独学で勉強していたら受かっていたかも知れない。と、思われる覚悟はあるのか?」

「……………では、何もしないのが正解だったのですか?」

 

暗い顔をして俯きながら呟く雪ノ下を見て由比ヶ浜が咄嗟に叫ぶ。

 

「ゆきのん!そんな事ない!私も凄い勉強になったし、サキサキも捗ってたじゃん!」

「はい、先生。例え大学に落ちたとしてもあたしをこんなに手伝ってくれた雪ノ下を恨むつもりは全くないです」

 

2人の言葉に参ったと言うふうに後頭部を掻いて頰を緩ませる。

 

「ふー、これでは私が悪役みたいじゃないか。比企谷でもあるまいし似合わんな。だがな?雪ノ下、君とも在ろう人が何故比企谷でも思いついた事が出ないのだ?」

「彼は何て言ったんですか?」

「『スカラシップでも勧めらた良いと思いますよ』と興味なさげに言っていたよ」

 

あ、と雪ノ下の口から漏れる。

スカラシップという聞き覚えのない言葉に由比ヶ浜と川崎は首を傾げている。

 

「スカラシップというのは優秀な生徒に学費を給付している制度の事よ。つまり、川崎さんもスカラシップの資格を認められれば学費を気にしないで良いわ」

「ええぇぇぇ!!そんなのあるなら悩む意味なかったじゃん!」

「ええ、そうよ。私もうっかりしていたわ。簡単に思いつくことなのに忘れていた。はぁ、悪いわね川崎さん。さっき教えた時に思ったけど川崎さんの学力は高い方だからスカラシップも取れると思うわ」

「………………」

 

川崎の学力は十分に高い事が教えている内に分かった。日々真面目に予習復習をしているのだろう。スカラシップも狙っていける筈だ。だが、肝心の川崎は嬉しそうではなく返事をしない。「川崎さん?」と声をかけると川崎は言った。

 

「あたしまだこの勉強会参加しても良いかな?今日だけで塾よりも捗ったと思ったし、何より楽しかったから。迷惑じゃなかったまだ続けたいんだけど……」

「「「!」」」

 

その場にいる全員が驚く。

 

「い、良いのだけど、川崎さんの方こそ良いの?後悔はしないのかしら?」

「多分……しないと、思う」

「やったーー!!サキサキも新入部員だぁ!」

「ちょ!あぶな!」

 

嬉しそうに川崎に駆け寄り抱きしめる由比ヶ浜。由比ヶ浜の激しい好意の主張に川崎はタジタジだったが嬉しそうだった。

 

「まぁ、教師の私から言わせてもらうと大学に受かってほしいからちゃんと塾に行ってほしいとは思うが。本人が納得しているなら野暮というものか。はぁ、比企谷め。お前の負けだな」

「あ、そう言えばヒッキーは!?なにか病気にでもなったんですか!?」

 

由比ヶ浜の言葉に雪ノ下も思い出したのか平塚に詰め寄る。

 

「待ちたまえ、待ちたまえ!彼はただの5月病だよ。学校にしばらく来たくなかったらしい。私が叱っておいたから明日からは来ると思うぞ」

 

比企谷がした事を言おうかと迷ったが無事に終わった今の空気を台無しにしたくなかった平塚は黙っておくことにした。

 

「はぁ……、彼って人はまったく。平塚先生だけに任せるのは悪いですから私からも明日叱っておきます」

「私も手伝うよ!ゆきのん!」

 

2人は怒りながらも明日から来ると聞いて嬉しそうに叱る内容を相談していた。

そんな2人を見守りながら平塚は川崎に声をかける。

 

「では、川崎。君は奉仕部に入部するということでいいんだな?」

「はい」

「わかった。では明日入部届けを渡すから書いて私に渡してくれ。もう1人比企谷というアホがいて大変だとは思うが頑張ってくれ」

 

川崎の肩をポンポンと優しく叩いてから教室から出て行く平塚。

こうして、川崎沙希の依頼は無事終わり。入部が決まった。

 

 

「比企谷ってどんなやつなの………?」

 

 

2人が好意的に話しているのと教室でも悪い噂の齟齬に戸惑いながら呟いた言葉は未だ叱る内容を相談している2人には届かなかった。

 




次回は陽乃さん回になります(次回があるとは言っていない)


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