Fate/Knight of King (やかんEX)
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*本作を読む上での注意事項*

 これからこの二次創作を読まれる方向けに、こちらに本作を読む上での注意事項等をまとめておきますね。

 

・Fate/の設定について

 この二次は、2014年までのFate/の設定に沿って書かれています。

 よって、Fate/Grand OrderやGarden of Avalonに関する設定を適用しておらず、原作通りの円卓の騎士やブリテンの状況とは大きく異なることかと思われます。アーサー王物語を読んだ作者が、好きなように妄想して描いたキャラとストーリーです。

 また、アーサー王物語の本はそれなりに読みましたが、正直描く部分はかなりオリジナルのストーリーです。もしも、『士郎がアーサー王物語に一から参入して完璧な原作沿いで物語が進む』といった風な様式を望まれている読者様の場合、期待に沿えないかと思います。。ですが、もちろん自分なりにFateやアーサー王物語を考察して、まぁこのくらいなら許容しても良い解釈かな(大目に見て)、といった風な感じでストーリーを進めていこうと考えていますので、ご容赦いただければと思います。新しい設定を追わずに妄想を書きたくなった事をお許しください。。

(Garden of Avalon等ですが、現在海外なので帰国したら購入して楽しみたいと思います)

 

・創作の時代背景に関して

 アーサー王物語の時代のブリテン島、つまり、中世のイギリスが舞台となります。

 しかし、私はこの創作を書き始めるまでそういった事を調べた事がなく、しかも高校時代は世界史でも地理でもなく日本史でしたので、全くの無知な作者が付け焼き刃の知識で想像して書く事になっています。

 ですので、もしも違和感があったり、歴史的にこれは違うんじゃね? という事があれば遠慮せず指摘していただければ幸いです。できるだけ、修正してやっていきたく存じます。

(この創作を書く上で私が読んだ本の資料は以前の活動報告に載せてありますので、オススメ等あれば教えていただければ嬉しいです)

 

・言語に関して

 2〜3話に関して英語が出てきますが、実際の所、ケルト系言語かラテン語が話されていたはずです。ですが、外国語を喋らせて見たかった事、展開的にやってみたかった事、(そしてこれが一番大きな理由なのですが)黒歴史的何かが働いた事により、そうする事にしました。。ですので、ご容赦いただければなぁと思います。

 ただ、この創作を書く上で色々と調べていくうちに凝りたくなってしまい、当時話されていた言語に修正しようと考えています。おおまかなストーリーは変えないつもりですが、全く分からない言語はどうしたものか……。ラテン語は大学で取っていた事がありますが、勉強を始めるか迷います。。ケルト系言語は言わずもがなですが笑 誰かできる人がいれば助けて欲しいです。

 

 



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1 運命変革

 

 

 

 ────その日、少年は運命を変える。

 

 

 

 

 

 

「くそッ! なんなんだ、お前っ!!」

 

 

 ────朱い閃光が奔る。

 

 

 考えるより早く真横に飛んだ。

 視界の隅で、ぞわりと背中を震わせる一閃を視認する。

 肩から窓を突き破り、自身に向けられた一撃を間一髪で躱した。

 チッ、と煩わしげに吐き捨てられるのを背後に、硝子混じりの地面で受身を取り、即座に起き上がろうとして──

 

「ガッ────」

 

 背中に強烈な衝撃を受け止め、身体がぐっと宙に浮いた。

 そのまま二十メートルは吹き飛ばされ、その方向の土蔵へと一直線。蔵の前まで来ても勢いを失わない生身の弾丸は、閉じた扉を弾き開け、建物内へ無様に打ちつけられる。

 

 全身に激痛が走る。身を焼く緊張感に呼吸も荒れた。強い震盪に一瞬意識が飛びかけるが、早く立たなければそれこそ永遠に意識を失うだろう。

 奔る痛みを無理矢理抑えつけ、両腕で身体を起こそうとした。

 

 

 

 ────と

 

 

 

「────坊主、いい加減にしねぇか」

 

 今まさに自分を蹴り飛ばしたであろう男が、うんざりしたように話しかけてきた。

 深紅の長槍を肩に傾け青のボディアーマーで全身を纏ったその存在は、いつの間にか俺の背に悠然と立っている。その様相は、いっそまるで長年連れ添った悪友に話し掛けるかのような日常感。

 

 その馬鹿げた内容に弾かれるように振り向き、俺はその男を睨みつけた。

 

「ふざけんなッ! お前こそいい加減にしろ! 

 俺はお前なんかに殺される覚えなんてないぞッ!!」

「つってもな……気に食わねえが、雇い主からの命令だ。

 それに、逃げられないってことは自分が一番わかってんだろ?」

 

 マスターだとかなんだとか、男の言ってることは全く理解できない。

 だがコイツの言う通り、このままでは俺の命は遠からず奪われることになるだろう。

 

 ────なにせ、つい先ほど、あの槍に心臓を貫かれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は放課後に友人から受けた頼みで弓道場の片付けをしていた。

 掃除はわりと得意なので納得の行くまでしていると、気づけば外は既に真っ暗だった。

 そうして、一段落してバケツの水を捨てようと立ち上がった時、聞き慣れない音が耳に届いた。キシリキシリと、何か鋼鉄のような物が擦れる音。

 

 ────俺がそれを確かめに外に出て見たモノは、赤と青の二人の男が、武器を手にぶつかり合っている姿だった。

 

 青の男は二メートルはあるだろう深紅の槍を縦横無尽に振り回し、獣の如き怒濤の攻めを見せ、一方の赤い男は、白と黒の対になる剣を両手に、相手の猛撃からその身をひたすら守っていた。

 両者の動きは恐ろしいほど凄烈で、その決闘はまるで神話にある英雄同士の戦いの様だった。

 

 その時、俺はその光景に瞠目し呆然としてしまったが、それが現実感のない光景だっただけではなく、片方の男の闘いに目を奪われていたからだろう。俊敏に動く青の獣ではなく、それをひたすら躱し、受け流し、防いでいた赤い男の側。

 剣術なんててんで分からないけれど、その男の剣は確かに綺麗だなと、場違いながら感じてしまっていたのだ。

 

 

 だからだろう。その剣に誘われる様に一歩踏み出し、不用意な音を出してしまったのは。

 

 

 それからは思い出したくもない場面が続いた。

 剣戟以外の音に気付いた二人はこちらに気づき、それを見た俺は『ヤバいっ!』と弾かれるように全力で逃げ出した。そして校内に駆け込むまでは何とかなった。だがしかし、青い男の化物のような脚力で追いつかれた俺は、その槍で一突きに心臓を穿たれたのだった。

 

 ……それなのに、確かに心臓を貫かれた筈の俺がこうして生きているのは、誰か見知らぬ人が助けてくれたということだけど、その手がかりはその場に残されていた赤いペンダントだけ。だから呆然としつつも自宅に帰ったあと、どうにかして命の恩人に感謝を伝えたいと、一連の出来事を考えていた。

 

 

 ────そんな時に俺を襲ったのは、またしても男の赤い槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────目の前の男に一層集中する。

 

 そうだ。

 ついさっき殺されかけた俺は、この男に敵わないなんてよく判っている。

 目の前の男は紛れもない化物だ。基本的な強化の魔術だって満足に使えない半人前なんかじゃ、万が一にも逃げきれないだろう。けど──

 

 

「────だからって、自分の命を諦めていい理由なんかない!!!」

 

 

 俺はこんなところでは死ねない。

 助けてもらったのだ。今日の人のことだけじゃない。

 十年前、炎の海で俺を拾い上げてくれた切嗣にも。

 そして、助けてもらったからには簡単に死ねない。

 助けられたからには、果たさなければならない『義務』がある。

 

 

「……いい目をしている。こりゃ、見縊っていたか。ともすると、おまえが七人目だったのかもな」

 

 七人目。相変わらず男の言っていることは理解できない。

 それでも、空気が変わったことだけは理解できた。

 

 死の匂いが充満する。

 知っている。だがこれは、数時間前に経験したものよりも、尚濃厚なもの。

 今、男は今度こそ、確実に俺の命を再び奪うだろう。

 

 

 ────男が槍を中腰に構え、その穂先を俺の心臓へと向ける。

 

 

「──────」

 

 

 ダメだ。このままではいけない。

 半身を地面につけたまま、無意識に後ずさる。その際に手のひらで石か何かを押しつぶし、血が冷たい地面へと流れ伝った。だけど、痛みなんて感じる余裕はない。

 

 

 ────男の腕が動く。

 

 

 何か、何か足掻かなければ、一秒後に俺の心臓は貫かれているだろう。

 一度助かったからって、二度助かるなんて考えるべくもない。

 だが、動けない。腕も脚も金縛りに遭ってるかのように、まるで動かないのだ。

 

 

 ────槍が胸へと進む。驚くほど速いであろう槍の銀光も、今だけはえらくスローに感じた。

 

 

 青い男、朱い槍、舞い上がる埃、地面に転がるガラクタ────そこまで目で追って、今まで八年間、延々とこの場で続けてきた鍛錬を思い出す。死ぬ間際なのに。いや、だからこそ、毎日生と死の狭間を彷徨っていたその日課を思い出すのだろうか。

 だから、からからに乾いているはずの喉は、無意識に、ある詠唱を呟く。

 

 

 

「────投影、開始(トレース オン)

 

 

 

 何がしたかったのかは、自分でも分からない。

 ────それでもその意味を成さないはずの詠唱に応えたのか、一陣の風が舞い上がる。

 それと同時に座りこんでいる地面から光の魔法陣が浮かび上がり、目の前の槍兵を弾き飛ばした。

 

 

「────まさかッ! 本気で七人目だと!?」

 

 

 先ほど流した血が魔法陣を循環するように流れ、溢れんばかりの魔力が陣から噴き出る。

 舞っている風が更にうねりを上げ、光は目を開けられないぐらい燦然と輝き出した。

 

 

 ────なにが起こっているのかは分からない。でも、これなら……!

 

 

 何かが起こる。

 絶体絶命の今、見たことのない眩い光が照らすのは希望だろうと、根拠のない自信が浮かび上がってきたところで──

  

 

「────え?」

 

 

 地面が、抜けた。

 

 いや、実際にはそんなことないのかも知れない。

 でもそう感じるほど唐突に身体が無重力を感じて

 ────瞬間。

 ものすごいスピードで真下に向けて落下を始めた。

 

「ああああああああああッッッ!!!?!?!?!!??」

 

 落ちる落ちる落ちる落ちる。

 身体は落下速度をぐんぐん速め、底なんて見えない真っ暗闇へと落ちていく。

 

 

 ────ああ、確かに、あそこで槍を心臓に喰らったら終わりだとか、なんとかしようだとか思ったけどさ。これは流石に、予想外ってやつじゃないかな。

 

 

 俺はそんなことを思いながら、叫び声を上げてひたすら落下し続けた。

 

 

 

 

 

 

「…………なんだってんだ、いったい」

 

 光が収まった後の土蔵では、槍を構えた体勢のまま、一人取り残された男がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 原作は1話だけですが、少々異なります。
 兄貴の出番はこれだけ。。


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2 その王の名は

 

 

 

 ────夢を見ている

 

 

 一人の王がいた。

 

 銀と青の甲冑に身を包み黄金の剣を携え、数々の戦場を駆け抜けた。

 王は最強の騎士たちを背後に従え、常に取りうる最適の策を用いた。

 その結果彼の王は常勝であり、多くの敵を打ち破り、多くの領土を納め、多くの民を守った。

 

 王は常に正しかった。

 

 人々は王に完璧であることを求め、

 王もまた完璧であることを望んだ。

 

 ────すごい

 

 その光景を見て、素直に感嘆と憧憬の意を抱いた。

 多くの人々を守り、正しい道へと導いた、その人こそが理想の王なのだ。

 俺の目標である『正義の味方』も、きっと、この王のような存在なのだろう。

 

 ────だけど

 

 その輝かしいはずの情景にも、ひとつだけ、納得のいかない部分がある。

 確かに、彼の者は多くの人を救い、たくさんの人が笑っているのに、

 

 

 

 ────どうして、それをもたらしたはずの王だけが、笑っていないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────っ」

 

 覚醒する。

 ひたすら落ち行く暗闇の中で、いつの間にか意識を失っていたらしい。まだ耄碌とする頭を振り、現状を把握しようと集中力を高めた。

 目を開いた時から気付いていたことだったが、網膜は未だ一筋の光すら受け入れていなかった。真暗闇の空間で、身体の芯が浮く気色の悪い感覚だけが、相変わらず自身が落下し続けていることを伝えている。

 

 このままどうなってしまうのだろうか。

 

 思えば、今日は脳がパンクしそうなほど馬鹿げている事ばかり起こった。

 夜の校庭では化物のような男二人による壮烈な戦いを見て、そしてその片割れに理由もわからないままに心臓を穿たれ、だがしかし、その貫かれたはずの心臓さえも誰かによって治療された。

 そのあと家に帰って一息吐けたと思ったら、自分を殺そうとした男が再び現われ、それをなんとか退けようとして無我夢中に足掻いていたら、今度は土蔵にあった謎の魔法陣を起動させた。

 

「そして今に至る、か」

 

 思い返し、ふぅ、と溜息。

 非常識的な事ばかり起こったのに、今が一番理解し難いとはどういうことなんだろう。

 とりあえず、確実に今日は厄日であること。それだけが今の俺でも解ることだった。

 

 ────さて

 

 さしあたっての脅威は感じない。

 しかし、このまま地面に墜落すればただじゃ済まないのは想像がつくし、そしてなにより、今も落下進行形で気持ちが悪い。

 

「思い当たるとしたら、やっぱりあの魔法陣……か」

 

 この状態を招いた原因として一番怪しいものを思い出す。

 でも長らくあの土蔵は使ってきたけれど、あんなモノを書いた覚えは俺にはない。

 というか、書けない。

 

 つまり、あれは切嗣が残したものってことだろう。

 

 衛宮切嗣。俺の亡き義父であり、魔術の師匠。

 師匠って言っても切嗣は魔術を教えるのに積極的ではなかったし、俺にも才能がなかったから、てんでたいしたものを教えてもらった記憶はないけれど。

 それでも、俺なんかよりずっと魔術を使えた親父(爺さん)なら、あの魔法陣を敷くことができたのかもしれない。

 

「……でも困ったな。こんな時使える魔術なんて知らないぞ」

 

 使える魔術も成功率は極めて低いのに、更にその種類自体も、解析、強化、あとは役に立たない投影くらいで──

 

 そこで、思い出す。

 そういえば、あの魔法陣が光る前に自分が詠唱していた事を。

 あの時は目の前に死が迫っていたから特に気にしなかったけれど、確かに何かを投影しようとしたはずだ。

 

 やるしかない、か。

 

 今それをしたって何かが起きるかは分からない。

 だけど行動しなくちゃ、何も起こすことができない。

 

「────投影、開始(トレース オン)

 

 未だにあのとき何を作りだそうとしたのかは分からない。

 だから頭に確たる設計図は思い浮かべず、ただ魔術回路を形成し、詠唱を唱える。

 

「────グッ」

 

 ズキッと体に激痛が走った。

 俺にとって魔術の行使は常に命がけだ。これも、未熟者故にだろう。

 奥歯を噛み締めて、いつものように痛みに耐える。

 

「────」

 

 だが、投影しようにもその本物のイメージがないのだから、何も起こりようが無い。

 なんなんだ。あの時、俺が投影しようとしたのは。

 思い出せ、思い出せ、思い出せ。そう念じながら、ただひたすら意識を体へと集中させる。

 

 

 ────そのとき、一振りの黄金の剣が見えた。

 

 

「──が、────はっ」

 

 脳が灼き切れそうになった。

 今のイメージが浮かんだのは一瞬。

 それなのに、何かに興奮したかのように魔術回路に魔力が奔る。

 そして酷い痛みを受けて得たものは、神秘的な剣のぼやけたイメージ。

 

 

「────な」

 

 

 瞬間。

 今まで真暗闇だった空間に、極大の光が溢れる。

 自身の下から湧き出てくるそれは暗闇に居た目には眩しすぎて、思わず目を瞑った。

 

 瞼の裏から尚も見える、その煌煌しさ。

 黄金色のその光は、先ほどイメージした剣を喚起させた。

 光とともに風がうねる。

 暖かな風は優しく、俺を包み込むように吹き抜けていった。

 

 まだ目は開けられないけれど、どこか安心したまま、俺はその光へ向かって落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 目を開く。

 目の前に瞬くのは、びっくりするくらいの満天の星空。

 ありとあらゆる星座が見えるんじゃないかってほど綺麗なそれに、今までのことも忘れ目を奪われる。

 

 さぁー、と緩やかな風が吹く。

 どうやら体は草村に横たわっているようで、風に揺れるそれらが柔らかに肌を撫でた。

 

「────って、ここは?」

 

 ふと、意識を現実に戻し、体を起こした。

 その際に体の痛みがないことも確認し、いつの間に無傷で地面に降り立ったのだろうと疑問に思う。

 

 そこは、豪邸にある庭のような場所だった。

 地面には柔らかな草が生えそろい、通路沿いの花壇には様々な花が敷き詰められている。

 敷地の中央には泉が湧き出ており、高低差のある石壁を用いて水を汲める仕組みになっているようだ。噴水の前には、西洋剣を構えた鎧姿の石像が雄々しく建っていた。

 

 派手な装置や装飾はないけれど、素人目にも洗練された西洋風の庭園だ。

 

「……どこなんだろう。というか、なんか暗いと思ったら松明を使ってるのか」

 

 敷地をぐるっと囲む石壁の要所要所に焚かれている灯火が、頼り無さげに揺れている。

 目を開けてからやけにくっきり星が見えるなと思っていたのだが、どうやら、常日頃から見慣れている人工的な光の気配が一切感じられないのだ。

 

「……うーん。まぁ、松明ってことは人が住んでるってことだもんな。不法侵入したのはどうにか許してもらうとして、電話なりなんなり借りて早く藤ねえに連絡しなきゃ……大変なことになる」

 

 ただでさえ夕飯までに帰られなかったのに、それが無断であったのだから余計に心配をかけてしまっているだろう。

 

 冬木の虎がマジで降臨するかもしれない、と戦々恐々としながらも歩きだした、

 

 

 

 

 ────そのとき

 

 

 

「Is someone there?」

 

 

 背後から、鈴のような声が届いた。

 完璧に不意打ちなそれに、体がビクッと跳ね上がる。

 仕方ないじゃないか。あの黒い場所から抜け出し、ほっと一息ついた途端のことだったのだ。

 誰にともなしに心の中で言い訳を呟き、振り返る。

 

 

「わっ」

 

 

 驚いた。

 その人が明らかに日本人でなかったこともそうだけれど、それよりも、振り返った先に見た女性は、思わず声をあげてしまうくらい綺麗だったのだ。

 

 腰まで伸ばした蒼染んだ黒の髪。

 染みなんて一つもないくらいに白い肌に、真っ青な瞳。

 白妙のドレスを着服し、小首を傾げてこちらを覗き込んでいるその女性は、見た目の秀麗さとは逆に、まんまるに開いた大きな目が性格の活発さを表しているようで──

 

「────」

「────うわっ、えっ? なんて?」

 

 その女性の綺麗さに意識を奪われていていて、何か加えて話しかけられていたけどそれを拾い上げる余裕はなかった。しかも彼女の見た目通り、それは日本語ではなかったのではないか?

 

「ぱ、パァドン、プリ〜ズ?」

 

 赤面する。たった二言。それだけなのに、自分の発音の拙さを自覚した。

 くすくすと、その様子を見た目の前の彼女が更に格好を崩し、楽しげに笑う。

 

「Who are you?」

 

 一語一語、ゆっくりくぎって話してくれる。

 今度は分かった。

 目の前の女性風に言い換えると、「あなたはだあれ?」といったところだろうか。

 

「ま、マイネィム、イズ、エミヤ・シロウ」

 

 俺の拙い返答に、彼女はいっそう楽しげに笑う。

 

「Shirou, where are you from?」

 

 シロウ、という呼び名に動揺した。

 一息に続けられる質問にも戸惑ったけれど、whereということはどこから来たか尋ねているのだろうと推測する。

 

「アィム、フロム、ジャパン」

「Japan? Indeed, you look like foreigner, but where is Japan? How did you enter this castle?」

「えっ、え、ちょ、ちょっと待ってくれ! はやすぎる!」

 

 返答を受けた彼女は、困惑したというよりも興味をそそられたというように矢継ぎに言葉を続けた。

 

「ソ、ソーリィ! アイ、キャント、スピーク、ィングリッシュ!!」

 

 感情の赴くまま上体を倒してくる彼女をせき止めるように、胸前に持ってきた両手で彼女を制止する

 彼女は俺の手を見て自分の行為に気付いたのか、一拍遅れに慌てて体を起こした。背筋を伸ばして佇まいを直し、こほん、と恥ずかしげに咳をして────しかし、俺の狼狽する様子を見てふと思いついたのか、興味深そうに表情を変えて質問を投げかけてくる。

 

「────You do not know me?」

 

 今度はさらにゆっくりと、今度は手振りも添えて意図をなんとか伝えようとしてくれた。

 

「あっ、ああ。アィ、ドント、ノウ、ユゥ」

 

 いま初めて会ったのに知ってる訳がない。

 未知の現象によって未知の場所にやってきたのだ。

 ……だけどそんなことを聞くってことは、もしかしてすごい有名な芸能人とかかもしれない。確かに、この庭園は見たことないぐらい立派だし、そこに居る彼女もものすごいお金持ちと考えてもおかしくないだろう。テレビや映画などに疎い俺が、ただ知らないだけだという事も有り得なくはないだろう。

 そんなことを考えて、恐る恐る拙い英語を再度口にする。

 

「わ、ワッツ、ユア、ネイム?」

 

 ……くそっ、話す度に自分の英語力の無さを思い知る。

 こんなことなら、藤ねえと英会話の練習でもしておけばよかった……!

 

 俺の質問を受けた彼女は、英語に対してかその内容に関してか、

 どちらに向けてかは分からないけれど、いっそう楽しげに笑い───

 

 

 

「────I am Guneviere. I’m Queen」

 

 

 

 ────と、謳うように告げた。

 

 …………ギネ、ヴィア?

 う〜ん、有名な人なのだろうか。てんでわからないや……

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 

「──────って、クイーン!!?!?」

「Yes」

 

 俺の驚愕の叫びに、彼女はもう堪えきれないというように腹を抱えて笑い出す。

 クイーン。女王。王女様──

 

「って、すいませんでした!!!────あ、違う、えっと...…アイム、ソゥソーリィ!!!!」

 

 そこまで気付いた段階で、頭を腰よりも低く下げて全力で謝罪する。

 まさか王女様とは露知らず、今までそんなこと気にせず声をあげたり、ぼけっと見つめたりしてしまったのだ。もしかしてとんでもなく無礼な事をしてしまったのではないだろうか。

 日本人のイメージを壊してしまったかも、と、すうっと血の気が引いていった。

 

「It is quite all right! Do not worry about it」

「……だけど」

 

 俺の突然の謝罪を受け、彼女は慌てたように両手を振った。

 雰囲気的に気にしてないようだけれど、これはそういう問題ではないのではないか。

 

「Anyway! I do not mind!!」

「……わかった」

 

 だけれど、彼女は俺の戸惑いに逆に怒ったような素振りをみせたので、渋々顔を上げる。

 それを見て、彼女はよしとばかりに片目を閉じ、満足げに頷いた。

 王女様のイメージとは似つかわしくない、その随分可愛らしい仕草に苦笑する。

 

「あ、そうだ」

「?」

 

 今まではずっと彼女のペースだったので、話しかけられる前に考えていたことをすっかり忘れていた。

 でも落ち着いた今、できれば藤ねえと連絡をとりたい。

 

「えっと、メイ、アイ、ユーズ、ユァ、フォゥン?」

 

 言ってから気づく。

 ひょっとすると、王女様に電話を借りたいなんて馬鹿なことを言ったのは日本人で俺だけではないだろうかと。

 

「────Phone?」

「イエス、イエス! アイ、ワントゥ、コール、マイ、シスター」

「To call your sister??」

 

 彼女はこちらの言うことが理解できないとばかりに、疑問を重ねる。

 ……もしかして、また俺の英語が変なのかもしれない。

 

「What is pho──」

 

 彼女が再び何かを尋ねようとした、

 

 

 

 ────その瞬間

 

 

 

「────You there! Stop!!」

 

 

 凄まじい音量の怒鳴り声が響いた。

 

 その不意な音にびっくりした心臓が大きく跳ね、学校で刺された胸の傷が疼く。

 

「────な」

 

 驚くと同時に振り向いた。

 そうして見えたのは一人の男。

 

 180cmはあるガッシリした体。

 その体は頭部以外全て鎧に包まれ、腰には体格と比すと随分小さい短剣を刺している。

 右の額に大きな傷のあるその顔はすごい剣幕で────そこまで呆然と考えたところで、男が唐突に短剣を突き出した。

 

「クッ」

 

 すんでのところで地面にしゃがむ。あと一瞬でも遅ければ、その刃物に俺の首は搔っ切られていたであろう。

 つい先ほどまでの和やかな雰囲気ではなく、土蔵で経験したような張りつめた気配が立ち上る。

 

「ギネヴィアッ……!」

 

 彼女も危ないのでは、と、顔をあげようとし──

 

「────ガっ」

 

 ものすごい力で地面に叩き付けられた。

 

 下は比較的柔らかい草地だというのにその勢いは凄まじく、胸を強く打ち付けられたことにより呼吸が一瞬止まる。そのまま意識も飛ぼうかとしていた頭を続いて掴まれ、衝撃で抉れた土に顔を押し付けられた。

 

「────あ」

 

 声にならない声が漏れた。

 もう、地面に倒れ伏すのは今日何回目だろうか。

 強く揺さぶられた頭は朧げで、そんなとりとめのないことを考えてしまう。

 

「What are you doing!? Don't do that!!」

「My apologies your Majesty, but I can't follow it」

 

 意識の遠くで、ギネヴィアと俺を押さえつけている男の声が聞こえる。

 どうやら二人は知り合いのようで、彼女は怒ってくれているみたいだが、男は取り合うつもりはないらしい。

 そんなやり取りをぼんやり聞いていた俺は、痛む体を無視し、なによりも、男が彼女に危害を加えるつもりはないことに安心した。

 

「──────」

「──────」

「──────」

「──────」

 

 二人のやり取りは続いている。

 何を話しているかは分からないが、その間に現状を把握しておかなくては。

 

 体の節々はズキズキと痛むが、短剣は避けたこともあり特に傷が増えた訳ではない。

 しかし大柄な男に押さえ込まれている身体は、ビクともしないほど完璧に動きを止められている。

 

「────っ」

 

 押さえつけられていた身体が急に浮く。

 

 男が押さえつけている力を緩め、無理矢理俺の身体を持ち上げたのだ。

 その突然の行動に驚く間もなく、男は即座に俺の腕を背中で羈束した。

 

「やめ──」

「────Shut up, scum」

 

 反射的に抗議の声を上げそうになるが、拘束を強められた痛みにより途絶えさせられる。

 

「……Move forward」

 

 男が静かに呟く。

 聞き取れなかった俺はしばらく黙って立ち尽くしていたが、背中を押されることによってその意を悟る。

 「歩け」ということなのだろう。

 腕を固定されたままなので歩きにくいが、どうにかこうにか庭から見える通路の方へ進み出す。

 

 

 横目に見えた彼女は、どこか辛そうにこちらを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花壇の間を通り過ぎ、庭から建物の中へ通じている石の通路へ立つ。

 後ろの男により身体をむりやり右向きに返られ、そのままその通路を進み出す。

 

 奇妙なことに、こちらも庭同様に電灯ひとつ備え付けられていない。

 所々にだけ備えられた松明の明かりを頼りに見ると、どうやらこの通路は相当長いらしく、庭と一緒でこの建物が相当大きいことを示していた。

 

「…………」

「…………」

 

 道のりでは俺も鎧の男も一言も喋らなかった。

 俺の方はこの状況に混乱しているのもそうだけど、一瞬でも無闇な行動をすれば命はないと、男の発する重苦しい圧力が言っているようだったからだ。

 

 そのまましばらく歩き続け、長い通路の最奥へと到達する。

 そこにあったのは、石建ての壁に大きく取り付けられた木製の扉。

 

 その扉の両端には、後ろの男と似たような鎧を着た二人の男が立っている。

 その男たちはそれぞれ西洋剣を抜き身に身体の前で構え、その扉を守護するかのように立ちふさがっていた。

 

「I have brought this foreigner to my lord」

 

 後ろの男が扉の男たちに話しかける。

 その一言を受けた二人の門番は、お互いに視線を交わすと頷き合い、ゆっくりと大きな扉を開け始めた。

 

 扉が開くに連れて、ギギギ、と木が軋む音が鳴る。

 

 開かれる扉の先に見えたのは、まるで何処かの宮殿のように壮麗な部屋だった。

 広大な空間に、今までよりも間隔が狭く松明の火が揺れている。

 その明かりに照らされるように調度品が所々設置され、部屋の荘厳さを増しているようだった。

 石の床には開いた扉から一直線に真赤なカーペットが敷かれ、部屋の奥へと続いている。

 

「────痛っ」

 

 じろじろと部屋の中を見ていたからか。

 続いて部屋の中に入ってきた男に後頭部を掴まれ、顔を下向きにさせられる。

 

「……Move forward」

 

 視線を下に固定するように押さえつけられたまま、前に押し出される。

 景色は床のカーペットを流れ、少しすると急に後ろの男の動きが止まり、同時に俺の身体も停止させられた。

 

 

「Your Majesty I have brought a intruder」

「ガッ」

 

 男が誰かに何かを語りかけると同時に、後頭部にかかる圧力が増大する。

 その強い力に逆らうことはできず、呻き声をあげながら赤い敷物に膝を着いた。

 頭は上下に大きく揺れ、再び意識が混濁する。

 

 ────くそっ、なんだってんだいったいぜんたい!

 

 いつもの普通の日常がもはや懐かしく感じられるほどの非常識の連続で、心の中で言葉を吐き捨てなければやっていられなかった。

 

 奥歯を噛み締めることで意識を保とうとする。

 一緒に歯茎を食い縛ることで、鉄臭い血の匂いが口に広がった気がした。

 

「────」

 

 男の言葉は相変わらず理解できない。

 男たちは何故鎧を着て、刃物を当たり前のように持ち歩いているのか、

 この建物はこんなに大きいのに、何故電灯の一つも使っていないのか、

 自分は何故こんな場所に連れられてきて、こんなことをしているのか、

 

 分からないことだらけで、どうにかなりそうだった──

 

 

 

 ────その頭に

 

 

 

 

「────Raise your face」

 

 

 

 

 ────凛、とした声が響いた。

 

 

 

 言葉の意味なんて分からなかった。

 だけど、その響きに惹き付けられるように、顔を上げる。

 

 

「──────」

 

 

 ────言葉に、ならなかった。

 

 今まで無茶苦茶に混乱していた意識は、目前の存在のみに囚われた。

 ただ、その人物の姿があまりにも綺麗すぎて、言葉を失った。

 

 磨き上げられた石と厚手の木材で作られた玉座に凛然と座した、

 銀と青の鎧を身に纏い、床際までの大きな蒼のローブを羽織うその存在。

 

 長い金の髪は後頭部で結い止められ、

 翡翠のようなその瞳は無感情に俺を見据えていた。

 

「──────」

 

 背後の男が話す言葉は、既に音声としても届かない。

 ただひたすら、対面に座す人のことを考える。

 

 

 ────黄金の剣

 

 

 あの暗闇の空間より、頭に残っていたイメージを思い出す。

 同時に、いつか夢でみた王の存在も思い浮かべた。

 そして、あの理想の王が持っていた、黄金の剣。

 

 今、目前の人物は剣を持っていない。

 それでも、何故か確信できることがある。

 

 

 ────そうだ。あの剣は、この人物にきっとよく映える。

 

 

 

 

 

 

 

 「─────────, King Arthur」

 

 ──ひたすら美しい存在に意識を奪われながらも

   どこか遠くで、その名が響いた。

 

 

 

 

 




 ラテン語やらケルト系言語やらを諦めて、英語に妥協。英語もそんなに続きません。
 (現在激しく英語から別の言語に変えようか迷っています。。今後の展開が。。)
 ギネヴィアさん警戒心なさすぎですね。
 


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3 Old Magus

 ───キング、アーサー……?

 

 現実味のない名前が、呆然としている頭に刻まれる。

 

 魅入られている。

 気高さを湛えた清浄な瞳に、俺はどうしようもなく虜われている。

 美しいその色。果てしなく透き通っている、翡翠の瞳。

 その視線は真っ直ぐ、まるで俺の存在そのものを見定めているかのようで、

 瞬きはおろか、呼吸をすることさえ忘れた。

 

 身体を動かすことも、頭を働かせることもできなくて、

 もはや視線を返すことしかできない、

 そんな俺を再起動させたのは──

 

 

「Respond quickly, scum」 

 

 

 ──必然的に、自分たち以外の第三者の存在だった。

 

 

「ガッ────」

 

 矢庭に首筋へ衝撃が走る。

 鎧の男が痺れを切らし、俺を殴りつけたのだ。

 背後の警戒なんて完全に意識の外であった俺は、腕をつくことさえ出来ずにうつ伏せに倒れこむ。

 

「────う、ぁ」

「Get up and respond to king quickly!」

  

 男が苛立ったように吐き捨てた。

 ……腹が立つのはこっちの方だ。こいつ、事あるごとに人をサンドバックみたいに殴りやがって。こっちはお前の言ってることなんて、何一つ解んないんだよ……!!

 

 だがここで、

 男の理不尽に対する怒りが腹の底からぐつぐつと煮えだってきた、そんな俺を鎮めたのは──

  

 

「────Do not oppress him unnecessarily」

 

 

 ──聞こえるのが二度目となる、清冽とした響きだった。

 

 その人はついと俺から男へと視線を移し、眉を軽く顰めて言った。

 凛とした性質はそのままに、どこか抗しがたい色を加えた声が響く。

 

「But, my lord, this man is──」

「──I said stop」

「……I understood, King Arthur」

 

 リスニング能力がそんな短時間で改善するでもなく、相変わらず二人のやり取りを正確に把握することはできない。しかし、『アーサー王』と呼ばれる人に男が押し切られている所を見るに、もしかして男の行為を咎めてくれたのかもしれない。

 何はともあれ、こいつもこれ以上は無闇に手を出してこないだろう。

 

 さて────アーサー王。

 いい加減に、その名前について本格的に考えるべきなのかもしれない。

 たしかアーサー王といえば、遥か昔の古代イングランドの王様の名称ではなかったか。

 物語だとか歴史だとかに敏くない俺でも知っているその存在は、日本でもあり余るほど有名だ。

 

 ……もちろん、偶然名前が一緒で王様だからといって、目前の人物と伝説の王を結びつけるのは馬鹿げているのだろう。

 

 だけど、その頓珍漢な考えを即座に否定する事が、俺にはできなかった。

 なぜかって、そう考えるとかっちし辻妻が合ってしまうのだ。

 

 明らかに異国風な建築様式のこの建物と庭園。

 近代科学を欠片も感じない、胡乱に揺れる松明の灯。

 ギネヴィアとの会話で時折感じた、あの噛み合わなさ。

 男たちの、剣を携え鎧を纏うという時代錯誤なその出で立ち。

 そして何よりも、この人が纏うその何者をも超越するような神聖さが、目前の人物こそが彼の伝説の王であると主張していた。

 

 ────タイムトリップって、なんの冗談だよ。

 まさか、と笑い飛ばしたくなる。だけど、嫌な予感は止まらない。

 

 

「──You? Can you answer my question?」

「──あ、え?」

 

 いつの間にか、アーサー王が俺に問いかけていた。

 

「……I will ask you once more. How and why did you come into this castle? Who are you? Where are you from? For what did you accost Guinevere?」

「え、ちょ、無理だそんなの!! マイ、ネィム イズ エミヤ・シロウ!!!」

 

 もうやけくそだ。とりあえず自分の名前を全力で叫んだ。 

 その返答に王の動作が一瞬止まる。それから気持ちゆっくり、言葉を続けた。

 

「──I understood. You do not understand me, right?」

「えーと、イエス。アイ、ドント アンダァスタンド ユー」

「? ……Ah, I get it」

「……?」

 

 なんだか、微妙に意図が噛み合っていない気がする。

 

「…………」

 

 静寂が辺りに降りる。パチパチと、松明の火が弾ける音がやけに目立った。

 その沈黙の中で王は何かを思案しているのか、俺の顔を見つめ動きを止めたままだ。

 

 身じろぎする。居心地が悪かった。

 それでも、俺は既に何の断りもなく王をじろじろと見つめてしまった後なのだ。無意識だったとはいえ、自分だけ顔を見るのを辞めてくれと言うのはきまりが悪い。

 ……それに、英語でどう言ったらいいかなんて分からないし。

 嗚呼。せめて時間よ早く流れてくれ、と投げ遣りに俺は祈っていた。

 

 

「────Your Majesty, this man can't be a big deal」

 

 そこに、しばしの間沈黙を保っていた男が、不意に自らの主君へ問いかけた。

 先程までの俺に対する時とは全く別の、無感情で冷静な声が沈黙を破る。

 

 出会ってから唯の一度さえこの男に好感を抱いた事はなかったが、今回だけは正直助かった。

 王は視線を俺から外し、鎧の男へ目を向ける。

 男は王の注目を受け、更に言葉を続けた。

 

「This man is feeble and with no weapons.

 King, you need not care about him. Could you let me execute him?」

 

 ──いいぞいいぞ、今回ばかりはコイツの味方だ。全力であの人の意識を俺から逸らしてくれ!

 

 遣り取りをする二人を、期待を胸に抱きつつ見やる。

 王は二三秒ほどじっと男の目を見つめていたが、ややあって、瞼を下げてかぶりを振り、嘆息した。

 

「Hmm……We'd better wait for Merlin to come back. Even if you are right, something wrong could happen without hearing from him」

「……Your Majesty but now, shall I throw this man into the dungeon?」

 

 男がこちらをちらりと瞥見する。

 その瞳は明らかに俺の事を見下していて、少し上向きかけた男への評価は即座に頓挫した。

 

「……Do as you say」

 王が目を開き、呟く。

 

「────Yes, sir」

「────わっ、やめろ! なにすんだ!!」

 

 男が俺の腕を掴み、背中に回して羈束した。

 ──なんだか、ものすごい既視感。

 

「Your Majesty I am leaving now」

「……」

「ばかっ、離せ! まだ何にも説明してもらってな────っぁ」

 

 男の無理矢理な拘束に言い募ろうとすると、もはや慣れてしまった衝撃を背中に叩き込まれる。

 今度は王も特に干渉する事なく、そのまま高御座に座し静観していた。

 

 ぐるりと身体を半回転させられ、男に背を押し出される。どうやらこの部屋から離れるらしい。

 その横柄な指示に従うことを強制され、元来た道を戻りだす。

 

 されるが儘の俺の様子をじっと見つめていた王は、やがて静かに、その瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひたひたと、脚を踏み出すごとに気味の悪い音が鳴り響く。

 

 あれからあの部屋を退出した後、男に連れられて長い通路を再び進んだ俺達。

 やがて辿り着いたのが、真っ暗闇が広がる地下へとつながる階段。

 また暗い場所に入るのは嫌だったけど、男のもの言わぬ視線を感じ、結局降りる事になった。

 そして今は、何も見えない道をひたすら歩いている真っ最中だ。

 

 つーん、とカビ臭い匂いが鼻を刺す。

 当たり前のように電灯一つもないその空間は、あまり手入れもされていないようだった。

 

 そのまま少し歩いた所で、男の足が止まる。

 

「────ガッ、は」

 

 握り潰すかのように肩を掴まれ、そのまま力一杯横に放り出された。

 受身なんてとることはできず、冷たい床に肩からぶつかる。

 

「……Hah」

 

 男は倒れこむ俺を一瞥すらせず、鼻を鳴らして去っていく。

 後ろでガチャリと無機質な音が聞こえた。

 

「────っつ……。あいつ、乱暴すぎるだろっ。いちいち人をぞんざいに扱いやがって」

 

 身を起こそうとして、固い床に打つかり擦り剥けた右肩がひりつく。

 咄嗟に左手で患部を抑え、ぐつぐつと湧いてくる不満を独りごちた。

 

 

「……ここ、は……?」

 

 ほぼほぼ光の差さない闇の中では、自分が座り込む地面さえはっきりとは見えない。

 ビューっ、と冷たい風が頬を撫でた。

 どこから吹いているのだろう、と辺りを見渡すと、空間の上方からうっすらとした光の糸が伝うのに気付く。どうやら、老朽化した天井から外の月明かりが漏れ出ているようだ。

 

「……とりあえず、この部屋はなんなんだろう。……これ、檻か?」

 

 立ち上がり、暗闇に手を伸ばしながら辺りを探索する。

 そうすると、ひんやりとした鉄の柵が行く手を阻んでいるのを見つけた。

 ……考えたくなかったが、もしやこれは、牢屋というやつなのではなかろうか。

 

 それから暫く部屋を歩き回ったが、状況を好転させるような手掛りは何一つ見つからなかった。

 もし推測が正しいとしたら、ここはただ罪人を押し込んでおくためだけの空間だ。秘密の出口なんて用意されている訳がない。

 

「──くそっ! 何がなんだってんだいったい……」

 

 探索を諦め、固い石床に座り込む。

 現状にまいりながらも一息つくと、ドッと疲れが押し寄せてきた。

 続けて空腹に堪える腹がぐうと鳴る。

 学校で弁当を食って以来、何も口にする暇がなかったのだ。そりゃ腹も減る。

 

「今日は魚料理で攻めようと思ってたんだけどな……」

 

 今は遠くなった冬木の家を思い浮かべる。

 学校帰りに買物して料理を始め、桜が途中からそれを手伝ってくれて、藤ねえが腹をすかして帰ってくる。騒がしい食卓ではたわいの無い冗談が飛び交って、大皿の料理を三人でつまむ────そんな、日常。

 

「……疲れたな」

 

 口に出すと、瞼が重くなってくる。

 今まで緊張と弛緩を繰り返してばかりだったのだ、加速度的に身体には疲労が溜まっていた。

 今は緩んでいる状態。

 だけど、もう限界だ。今度なにか緊張を強いられるような事が起こっても、もはや集中力を保つ自信は無い。

 

 再び何かが起こる前に、意識は黒い混沌に飲まれて沈んでいった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────赤い太陽が、燦々と宙に浮いている。

 

 炎の中で横たわっている俺は、ただその存在を呆然と眺め続けた。

 まるで地獄で業火の釜に煮えられているかの如く、猛烈にひりついて汗ばむ肌が気色悪い。

 

 あぁ、またこの夢か。

 

 10年前の大火災。

 大量の死傷者を出したそれは、未だ冬木の街に傷痕を残している。 

 熱くて、辛くて、死にかけて、そして──助けられた。衛宮士郎の原初の記憶。

 

 ……運が悪い。昨日の夜も同じ夢を見た。

 二日連続この陰鬱な夢を見させられるのは、馴れたからといって気分のいいものではない。

 

 

 ───タスケテ

 誰かの叫び声が耳をつんざく。

 ───アツイヨ

 言いつつも、黒の熱核に炙られ、既に温覚など正常に働いていないのだろう。

 ───オカアサン

 掠れた声が届く。もはや助からないと知りつつも、ただその名を呼ぶのだ。

 

 

 この地獄の中で、俺は切嗣に助けられ生き残った。生き残って、しまった。

 もちろん、助けられなかった方がよかった、なんて言うつもりはない。

 切嗣は俺にとって英雄(ヒーロー)だ。紛れも無い、目指すべき正義の味方そのものなんだ。

 

 だけど、俺だけが助けられてよかったのか。

 その疑問は常に胸に秘めている。

 

 時折思い出させるようにこの夢を見るのは、たぶんそのせいだろう。

 ──忘れるな。お前にそんな資格なぞない。無数の骸を踏みにじり生き延びたお前は、のうのうと生きていい存在ではないのだ。

 夢に見る度にこの光景は、俺にそう語りかける。

 

 

 ────あれから10年が過ぎた今になっても、黒の太陽は、俺の中に居着いたままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ん」

 

 目を覚ます。

 風呂に入っていない上に灼熱の炎の夢を見ていたためか、体はじっとりと嫌な汗をかいていた。

 視界は相も変わらず真暗闇。

 天井から微かに漏れていた光は、時間を経て月が沈んだからだろうか、その僅かな明るささえもはや差し込まれていなかった。

 

「……目、覚めちまったな」

 

 時計なんて持っていない。

 だけど自分の体を信じるならば、今は恐らく朝の五時半くらいだろう。

 俺は元々早起きだ。時折寝坊してしまうこともあるけれど、疲れていてもだいたい同じ時間に目が覚める。

 いつもなら太陽も出てきていい頃合いだが、ここは冬木じゃない。日の出の時刻も違うのかもしれない。

 

「────よし、日課でもするか」

 

 腹はますます減っている。固い床で眠ったからだろうか、疲労も充分にはとれていなかった。

 そんな身体で、居る場所は地下牢。日課という名の鍛錬を行うべきでないのは明らかだ。

 ……されど、日課は毎日やるから日課であるのであって、

 なによりこのとんでも状況やつまらない夢を忘れるために、何か日常を思い出すような事をしたかった。

 

「よっ、と……一っ、二、三───」

 

 両手で後頭部を支え身体をくの字に曲げる。いつもの腹筋運動だ。

 この肉体鍛錬は、魔術を切嗣に教わりだした頃、

 『まず身体を頑丈にしないとね』

 と言われて始めたものだ。

 そして殴り合うためとかじゃなくて、自分の無茶を通せるくらいになるよう鍛え続けてきた。

 

 ……そう。戦うためだとか、そういう意図で鍛えてきた訳ではないのだ。

 だけど、今だけは、昨日の事を思い出してしまう。

 ──校庭で見たあの赤と青の男。そして、ものすごい力で俺を叩き付けたあのムカつく鎧の男。

 今までやっていた日課は何だったんだ、そんなことを少し思ってしまうのはしょうがないじゃないか。

 

 俺の目標は、正義の味方。

 なにも、敵を倒して人々を救うと言ったものを目指しているわけじゃないけど、もしもあんな奴らが無力な一般人を襲ったとしたら、俺は止める事ができないだろう。

 昨日のギネヴィアと居たときだって、もしもあの男が彼女を襲おうとする奴だったら……

 

 ──呆気なく倒される俺。間髪を容れず男の凶刃が向かうのは彼女の──

 

 ──そこまで考えて、はっと我に返る。

 

「……百四十九っ、百五十、……ハァっ────ふぅ」

 

 そんなことを考えて無意識に力を込めていたのか、いつもよりも回数を多めに運動を終える。

 たかだか数十回程度増やしたところで、急に力がつかないことは分かっている。

 だけど、そうせずにはいられなかった。

 

「……だめだ。どうしても考えちまう」

 

 いつものように朝の日課をしたところで、思考はちっとも正常に戻ってやいない。

 それどころかいやに具体的に想像してしまって、むしろ動揺を助長させた。

 

 少しずつ、暗闇一面だった風景が白じんできてきたような気がする。

 隙間から微かな輝きが顔を出し始めたのだ。

 鍛錬を終えても気分はちっとも良くなっていなかったが、今昇ってきているだろう日天の綺麗な陽光に、少しだけ心が洗われるような気がした。

 

「……そうだ、もう一個の方も済ませちまうか」

  

 ふと思いつく。

 太陽が昇ってきたといったって、まだ朝は早い。

 それに、未だ気持ちを完全に切り替えられた訳ではない。

 俺にとって魔術は精神鍛錬みたいなもんだ。もう一つの日課を済ませるついでに、もう少し心を落ち着かせよう。

 

「昨日はサボっちまったもんな。出来る時にしておく方がいい、か」

 

 地面に腰を降ろして胡座をかき、深く息を吸う。

 それだけで、ある程度の雑念は晴れていく気がした。

 

「すぅ────ふっ」

 

 呼吸を整えて日課を始める。

 目を瞑り意識を体の奥に沈めていくと、脳裏にいつもの剣の幻影が現れた。昨日思い浮かべた、黄金ではない。

 

「──────」

 

 それを無視して、その奥。意識の更に深淵へと自身を潜り込ませる。

 今だけはこの場所も冬木の事も、全てを頭の隅に追いやり、ただ修練に没頭していく。

 

「──────同調、開始(トレース オン)

 

 自己暗示の詠唱を呟いた。

 肉体、精神、神経、全てを統括するために集中力を高めていく。

 本来人間にない、魔力を通すための疑似神経──魔術回路を作り出すため、自身を変革させていく。

 

「────がっ────は」

 

 激痛。だが、なんてことはない。いつものことだと歯牙にもかけない。

 集中。一瞬でも気を外にやれば、それは内側から俺を喰い破るだろう。

 

 魔術回路の生成という基本的な作業でさえ、衛宮士郎にとっては命がけだ。

 針に糸を通すような真剣さで一心に体を支配し、やっとの思いで魔術回路を作り出す。

 

「────基本骨子、解明」

 目前に落ちている小石を拾い、意識を集中させていく。

「────構成材質、解明」

 手に持ったそれに、魔力をゆっくりと通す。 

「────基本骨子、変更」

 形有るものに変化を加える、いわゆる強化の魔術。 

「────、────っ、構成材質、補強」

 それを行使しようとして、だがそれは、 

 

「──────ガッ」

 現実に形ある変化を起こすことは、なかった。

 

 魔力が霧散する。

 ──今日も、俺の魔術は失敗に終わった。

 

「は────ぁ、はぁ、あ────」

 

 鍛錬に没頭しすぎて限界まで止めていた呼吸を再開した。

 脳は酸素を求めて、ただひたすら息を吸えと命令を下す。

 心臓はバクバクと大きく拍動し、血液は異常な速度で循環する。

  

「すぅ、ハァ──────」

 

 大きく息を吐いて、過剰気味なほど吸い込んだ空気を吐き出す。

 滝のように流れ出た汗は、頭を振って弾き飛ばした。

 

「────はぁ」

 

 溜息を吐く。

 いつものことだが、特に此れと言った進歩はなく、今日の鍛錬も終わりを告げた。

 

「まぁ、気晴らしにはなったかな」

 

 失敗したという点には気落ちするが、鍛錬に熱中することで気分転換にはなった。

 いつのまにか、時間が経つのも忘れていて、

 隙間から差す太陽の光が、いっそう明るくなってきた──

 

 

 

 

 

 ──そのとき

 

 

 

 

 

 

「──────ふむ。ずいぶんと、面白い事をしている」

 

 

 背後から、聞こえるはずのない声が届いた。

 

 

「────なっ」

 

 颯と視線を走らせる。

 俺が居る場所と同じ、牢屋の内側。そこに、一人の老人が佇んでいた。差し込む陽光は、狙いを定めたかのように老人を照らす。

 

 真っ白な口髭を湛え、ローブで目元を隠したその老人。

 頬に大量の皺を刻むその人物の声は、見掛けとは真逆にどこか若々しかった。

 だが、そんなことよりも──

 

「その不自然に開いた魔術回路の状態──回路をその度に作り出しているのか。

 ふむ、今日だけが特別というわけではなさそうだ。回路が神経と癒着し、同化してしまっている。どれほどの年月それを繰り返せば、そのような歪な状態になるのか……少年よ。よく、今まで生きてこられたね」

 

 ────俺は、この老人の話す言葉を理解できる。

 

 老人は朗々と語りかけてくる。

 動揺した。話しかけてくる内容は頭に入ってこない。

 いつの間にこの地下牢に居たのか。なんでこの人物は俺を日本人と知り、その言葉で話しかけてこれるのか。

 そんなことを考えて、頭は驚愕の二文字に包まれる。

 

 

 

「────あんた、いったい……?」

 

 

 

 呆然と呟いた、その言葉に──

  

 

 

「────ただの、年老いた魔法使いだよ。少年」

 

 

 老人は楽しげに答え、笑った。

 

 

 

 

 

 




今回は衛宮士郎にとって必要なcharacter development回ですね。
個人的に士郎にはあまり感情移入できませんが、とても好きなキャラクターです。


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4 What's your name?

 

『僕はね、魔法使いなんだ』

 

 幼い頃の記憶。

 大火災で天涯孤独となって一緒に着いていくと言った俺に、切嗣は笑いながらそう言った。

 『すごい!』と子供だてらに興奮していた事を、よく聞かされたものだ。

 

 とは言え、魔術の修練を始めた後で知ったのだけど、定義的には切嗣は「魔法使い」ではなく「魔術師」と呼ばれる存在らしい。

 ここで魔法とは、その時代の文明の力ではいかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な「結果」をもたらすものを総称してそう呼ばれ、魔術とは、魔力を使った一見ありえない奇跡のように見えても「結果」という一点において別の方法で代用ができるものを指して言われる。

分かりやすく言うと、死者の完全な蘇生なんかは「魔法」で、魔力でとんでもない爆発を起こすみたいなことは「魔術」の枠組みの中だ。

 当然、魔法使いなんて世界でもそういないらしく、切嗣はもちろん魔法なんて使えなかった。

 それでも、切嗣が俺にとって魔法使いみたいな存在だった事には変わらなかったけれど。

 

 

「……魔法、使い……」

 

 呆然と、鸚鵡返しに呟く。

 この目前の人物は、それを分かった上でその言葉を用いたのだろうか。

 

「ふむ、まぁそれはどうでもいいんだがね。では今度はこちらの側だ」

 

 老人は自分の先程の発言等もはやどうでもいいのか、飄々と続ける。

 

「少年よ、君は一体何者だい?」

 

 自分は何者か。ここ二日で何度も耳にしたことだ。

 本当は、こっちがお前たちは一体なんなんだって聞きたいところだけれど、明らかにこの場所で異質なのは俺の方で、だから答えるべきなのもこっちの側なんだろう。

 

「──俺は……衛宮、士郎。日本の冬木に住んでる、高校生だ」

「ふむ。日本、冬木、高校生……見知らぬ言葉だ。それに、君は多くの点で私の知りうる人間とは異なっているね。その顔に肌の色、トンと見ない装い。いやはや、なかなか興味深い」

 

 今着ているのは穂群原学園の制服。

 飴色の布地をシンプルに縫っているこの制服だけど、老人の珍妙な紫のローブやギネヴィアの白いドレス、男たちの甲冑なんかと比べるとすごく浮いている。

 

「君は、何故この場所に居るか分かっているのかい?」

「……分からない。てんで分からないんだよ。変な魔法陣を起動させちまったと思ったら、この建物に飛ばされた。混乱している時にギネヴィアと会って話してたら今度は変な男に捕まって、玉座に連れてかれたと思ったら、今度はここに放り込まれたんだ……もういっぱいいっぱいなんだ、こっちは───!」

 

 今までの事を説明していると、改めて現状が如何に意味不明か思い知る。

 意味がないとは百も承知だけど、溜まりに溜まった鬱憤が漏れだすことは止められなかった。

 

「…………魔法陣、か」

「それに俺は唯の学生なんだ。こんな変な所に一人放り出されたって、何を理解しろっていうんだ。だいたい、会う人会う人の言葉すら理解できないのに──」

 

 ちょっと、待て。

 そういえば、先程俺は何に一番驚いていたのか。

 魔法使いという言葉に惑わされて、ついつい当たり前のようにこの老人と話してしまっていた。

 

「──そういえば。あんた、なんで日本語を話せるんだ?」

「うん? あぁ、君の用いている言語は日本語というのだね」

「……」

「まぁ、それはどうとでもと答えておこうか。それより、もう少しいいかい?」

「……ああ、いいけどさ」

 

 相変わらず何処に意識を裂いているのか、老人は問いに対していい加減に答える。

 目の前に居るはずなのにこちらを見ていないような、そんな浮世離れした感覚。

 これ以上追求したところで、きっと真面目な返答なんて期待できないだろう。

 

「君は魔法陣で飛ばされたと言っていたが、意図してその術式に囚われた訳ではないと。 そして、元居たのは日本の冬木という土地でいいのかな?」

「……あぁ、そうだ。いろいろと動転してたけど、あんなものを起動させられるとは思っていなかった。飛ばされる前には冬木の家に居て、魔法陣があったのは家の土蔵の中だ」

「ふむ。では日本、それに冬木とはいったい何処なんだい?」

 

 あえて考えないようにしていた事を思い出させられる。

 冬木が一体何処なのか、それはまだ分かる。けれど、日本を知らないなんて事は滅多に無いんじゃないだろうか。

 ───そう、本当に、今俺の居るココが『現代』だとすれば。

 

「……馬鹿げているように思うかもしれないけれど、俺は、未来から来たのかもしれない」

「───ほぅ」

 

 老人の雰囲気が変わった。

 ローブの陰に隠れた瞳が、すぅっと細められたような気がする。

 

「俺だってふざけてると思う。だけどそう考えると、今までの事もある程度納得できちまうんだ」

「……」

「俺の住んでいる所ではみんな俺みたいな服──とは言わないけれど、ローブや鎧を着てる奴なんていなかったし、松明なんて使わずにもっと手軽で明るくなる装置を使ってた。

 なにより、アーサー王って呼ばれる人は、俺の居た時代から随分昔の外国の王様の名前なんだ」

「──なるほど、なるほど」 

 

 話を聞いて、老人は愉快そうに二度頷いた。

 

「……あんまし、驚かないんだな」

「いやいや、そんなことはないよ。ただ、それ以上に興味を引かれただけなんだ」

「……」

「うむ。そうか、そうか」

 

 何を独り納得しているのか知らないが、老人はただ頷きを繰り返す。

 ……普通なら、話している人間が「未来から来たんだよ」なんて言ったところで、ソイツの頭を心配するか、そうじゃなくてもより詳細な話を聞こうと言及するだろう。

 しかし、この人物は俺のことなんて気にも留めず、ひたすら楽しげに肩を震わしている。

  

「……あのさ。いったいここは何処なんだ。本当に大昔のイギリス、なのか? 

 ……俺は、ここから出ることができるのか?」

 

 いい加減に痺れを切らす。

 ようやく言葉が通じる人間に出会えたと思ったら、よりにもよってこんな変な奴なんて。

 

「ふむ。イギリスというものかどうかは知らないが、前者の解は後に分かるだろう。後者は、そうだね。今から出ようか」

 

 老人はゆっくりと歩き出す。

 その方向に目を向けると、いつの間にか閉じられていた柵の入り口は開かれていた。

 

「なっ、あんた、どうやって────そんなことより、俺はここに放り込まれたんだッ! 勝手に出ちまうとまたアイツが──」

「なぁに、心配はいらないよ。既に王には話はついている」

「……それを、信頼する根拠は?」

「まぁ、どちらでも構わないよ。このまま一生この牢獄で暮らすというのも君の自由だ」

 

 …………くそっ! こうなったら何処まででも着いていってやる! こちとら、散々ハチャメチャな出来事を体験したんだ、もうちょっとやそっとじゃ動じてやるもんか!!

 

 一抹の不安を振り切り、老人の背に続く。

 立ち止まっていて少し空いた距離を詰めるように、小走りで駆け出した。

 

「なぁ、そういや、あんたの名前は?」

「──あぁ、ついと忘れていたね。私の名前はマーリンだよ、少年」

 

 既に遠くなった牢屋では、一層輝きを強めた陽光がその暗闇を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カビ臭い通路を進み階段を上った所で、先程までとは比じゃない位の光を浴びた。

 明かりが漏れていたといったって、随分久しぶりに思える力強い日射しに、思わず目を細める。

 

 閉塞的な空間から出た開放感からか、身体も自然に伸びをしていた。

 辺りを吹く風がその身体を叩き付ける。

 お天道様からの輝きは眩いくらいだったけど、押し寄せてくるその風は逆に冷ややかで身体をブルリと震わせ、上げた踵は即座に地面に着地した。

 

「少年よ。置いていくが、いいかね?」

 

 一連の動きを見ていたからか、呆れたような声でマーリンは呟いた。

 そちらに振り向くと返事なんて聞く気はないのか、背を向けて既に歩き出している姿が見える。

 

「まっ、待ってくれ!」

 

 焦ったように声を出し、急いで距離を詰める。

 なんだか少し気恥ずかしくて、誤摩化すように大げさに腕を振った。

 

 それからは暫く長い廊下を歩いた。

 横目で見える太陽の傾きからすると、おそらく時刻は八時くらい。

 だけど奇妙なことに、前を歩く人物以外の人影を見ることはない。

 そろそろ人が活動し始める時間帯のはずなのだけど、まるでこの空間だけ現実と隔離されているかのような静けさだ。

 

 歩きつつも、昨日はよく見えなかった建物を観察する。

 夜に燃えていた松明の灯火は、太陽の火に役目を任せるように静けさを保っていた。

 建物の壁は煉瓦造で作られていて、その上に漆喰で丁寧に仕上げが行われている。

 それでも昨日あれほど荘厳に見えたこの建物は所々手入れを欠いており、上塗りが剥がれて煤けた赤褐色が顔を出していた。

 こんな状況だから微妙だけど、全然見慣れない物を観察するのは意外と楽しい。

 

 そんなこんなで、ちょっとした距離を歩いただろうか。

 不意に、前から聞こえる足音が止む。それにつられるように俺もまた立ち止まり、前を見た。

 

「───うわっ」

 

 いつの間にか廊下は終わっており、視界は広がっていた。

 だけどそこに広がる光景を見て、思わず声を上げてしまう。

 

 昨日の庭園より雑多に生えた草は全く手入れされていないのか、その丈は腰程も伸びている。

 しかし、その長い草も、ある建造物へと続く曲がり路を跨ぐようには一切生えていなかった。

 そしてその建造物とは巨大な塔であり、長い蔦を周囲に巻き付け、錆浅葱色のクスんだそれはどこから見ても不気味だった。

 

 …………率直に言えば、悪趣味ってヤツだ。

 

「着いてくるといいよ」

「あっ、ああ」

 

 マーリンはそう俺に呼びかけると、再び歩き出しその奇怪な塔へと入って行く。

 ……さっき何処にでもと心の中で言った手前、たかだかこのくらいで躊躇していられない。

 頭上の蔦を手で抑えながら扉の内側へと進む。

 

「野卑で気味が悪い、とでも思ったかい?」

 マーリンが階段を上りつつ言う。 

 

「いっ、いや、そんなことは……」

 嘘だ。正直かなり引いた。

 

「なぁに、いいさ。魔術師の工房とは、他者を隔絶するべく作られるべきなのだからね」

 

 ……なるほど、そういうことか。合点がいった。

 俺は魔術師として未熟もいいところで自分の工房なんて無きに等しいけれど、一流の魔術師にもなると、そういった魔術師然とした自分の陣地を持っているのかもしれない。

 

「───まぁ、半分は趣味なのだけどね」

「…………」

 

 こいつ、やっぱり変な奴だ。

 相手にしてるだけで、非常に疲れがくる。

 

 

「さて、着いたよ」

 

 

 階段を上るのをやめて入ったのは、この薄暗い塔とお似合いの乱雑な部屋。

 床には無数の羊皮紙が無造作に広がっており、紙面は見慣れない文字で埋められている。

 目立つ家具は部屋の真ん中にある大きなテーブルくらいで、後はタンスとそこに並べられた沢山の草花や動物の毛皮があるだけだった。

 

「さて、と。どこにやったかな───」

「……なに、してるんだ?」

 

 マーリンが何かを探すようにタンスの上を調べ出した。

 動くたびに、薬草か何かの擦り潰された匂いが舞う。

 

「ちょっと、君へのプレゼント探しだよ。……あぁ、これでも食べているといい」

「わっ、うわ!」

 

 何かを投げて寄越すマーリン。

 

「───これ、は」

 

 食───糧。俺の手の中に収まっているのは、紛れもない食糧だ。

 それは仄かに磯の塩の匂いを撒き散らし、しばらく放置して変色したのか、赤黒くなっている。

 干し肉。そうだ、これは干し肉だ。

 約一日ぶりに目にする食物に、思い出したように腹が鳴った。……現金な胃だ。

 

「いいのか?」

「ああ、気にせずともいいよ」

「じゃあ、遠慮なく」

 

 我慢なんてできない。空腹はもはや限界だ。

 あーんとばかりに大きく口を開けて、一齧りで三分の一ほども口に入れる。

 そして口の中に、赤肉のまだ熟れていない動物性タンパク質の味わいが───

 

「──────ってこれ、半生だぞ!!?!? なんでちゃんと干してないんだ!!!」

 

 そう。

 塩がちゃんとまぶしてあり更に空腹なせいで騙されたが、これは干し肉の調理工程を二三ぶっ飛ばしてあるものだった。

 おまけにこれは豚肉じゃないか。生でなんか食べると、胃腸を下して大変なことになる。

 

「ふむ。そういえば、忘れていた。少年よ、ちょっとこちらへ来なさい」

「……今度はなんだよ。もう、こんな肉はいらないぞ」

 手招きされる。

 これまでの言動から見て油断できないと判断し、念入りに警戒しながら歩み寄る。

 

 

「───Ut animalis gustabunt」

 

 

 マーリンは俺の額に二本指を突き、全く聞き覚えのない詠唱を呟いた。

 

「…………何をしたんだ?」

「いいから、もう一度食べて見なさい」

「……」

 

 訝しむ。

 先程うっかり食べてしまったコレは、どう見てもまだ半生だ。

 それにも関わらず、目前の老いぼれはさぁさぁとこちらを急き立てる。

 

「…………それじゃ、もう一口だけ……」

 

 俺が食べるまで探し物を始める気はないのか、延々とこちらを促している老人は、後一度くらい食べる素振りをしないと納得しないだろう。

 意を決し、「保ってくれよ、俺の身体───」とばかりに控えめにもう一口。

 だが、しかしそれは

 

「──────美味しい」

 

 先程とは比べ物にならないくらい、美味しかったのだ。そのお肉は。

 口に入れた瞬間広がる生臭さはそのままなのに、どうしてかいっそう食欲をそそる。

 ぷにゃっとした柔らかい食感は気持ち悪いはずなのに、今だけはどうしようもなく癖になる。

 

「あんた、いったい何をしたんだ」

 言いつつも、もう一口。

「なぁに、簡単なことだよ」

 マーリンは再び捜し物を始めた。

 

「君の味覚を人間から獣に変化させた。今の君はたとえ血の滴る生肉であろうと、御馳走のように感じるだろうさ」

「……すごく便利じゃないか、それ」

 

 マーリンはなんてことないように言うけれど、割とすごいんじゃないだろうか。

 少なくとも俺は、魔術でそんなことができるなんて思いもしなかった。

 何はともあれ、もう一口。

 

「そんな魔術があるんだったら、マーリンは何時でも美味しいもの食べられるな」

「……まぁ、一概にはそうと言えないがね」

 

 ……なんでさ?

 だって生肉さえ美味しく感じられるのなら、料理する暇のない非常事態でも美味しいご飯が食べられるじゃないか。

 疑問に思いつつ、惜しみながらも最後の一口。

 

「まず、味覚を獣に変えると言ったが、消化器官が変わるとは言っていないこと」

「──────な」

 

 ごくり。

 最後の生の一片が、喉元を通過する。

 

「また、この魔術は馴れていない人間に使いすぎると正常に戻らなくなってしまうこと。つまり、不味い物を美味く感じるとともに、美味い物を美味く感じられなくなってしまう。ただ甘い、辛い、酸い、苦い位の判別しかつかなくなり、他者と美味いものを分かち合う喜びも味わえなくなるだろう」

「──────に」

 

 力の出る物を食べたはずなのに、血の気がすぅっと引いていった。

 

「まぁ、気にすることはない。一度程度ではどうともならないよ」

「…………」

 

 確信する。

 こいつ、嫌な奴だ。

 

「───おっと、あったあった」

 

 ようやくお目当ての物を見つけ出したのか、拳くらいの容器を片手にこちらを振り向く老魔術師。

 

「……なんだ、それ?」

「意思疎通の秘薬だよ。これがなければ、困るだろう?」

 

 ……たしかに、今までのトラブルを招いた一因として間違いなくそれがあるだろう。

 だけど、この奇人の持ってくる薬を信用しろと言われても、容易ではない。

  

「今度は大丈夫さ。……あぁ、少し待ちなさい」

「…………」

 

 マーリンは俺に渡そうとしたそれをもう一度抱え直すと、何事か呟く。

 

「───さぁ、これで大丈夫だよ」

「いや、明らかに怪しいだろ、今の行動」

 

 絶対に何か良からぬことを企んでる。 

 

「ふむ。この後、王に君を連れてくるよう命じられているのだけど、君はそのままでいいのかい?」

「…………」

  

 それを言われると、もはや残された選択肢は一つしかなくて。

 観念して差し出されるそれを手にとり、一気に飲み干した。

 

「味は、しないな」

「秘薬だって、その風味がいつも奇妙なものとは限らないよ。それでは行こうか」

「───あ、あぁ」

 

 なんだか拍子抜けだった。

 呆気に取られる俺の横を通り抜けた老魔術師に続き部屋の出口に向かう。

 おそらく、これからあの王のもとへと向かうのだろう。

 

 もしかしてさっきのマーリンの行動は、秘薬の味を消してくれていたのかもしれない。

 そんなあり得ないことを考えながら、魔術師の塔を後にした。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉がギギギ、と軋む。

 開いた先に広がる部屋には、頭上から白い光が差していた。

 

 歩き出したマーリンの向かう先には、昨夜と同様に玉座に座す王の存在。

 違っているのは、その玉座の両隣に二人の騎士が控えていること。

 

 片方に佇むのは、長身で長い薄金髪の男。

 顔つきは優男っぽい感じだけど、その目と口は生真面目そうに一文字に閉じられている。

 首まで覆った銀の全身鎧に白と紺の外套。 

 胸元には小さな十字架が二つほど下げられていた。

 

 もう一方の男はクスんだ黒の髪を後ろに流した、これまた嫌みなほど長身の騎士で、隣の男と似たような装いをして佇んでいる。

 こちらの男も口はピシッと閉じられていたけれど、目は開いて俺を値踏みするかのようにこちらを見据えている。

 

「───マーリン。やっと来ましたか」

 

 王がこちらの存在を認め、隣の老人へと話しかける。

 その凛とした声が今度は日本語で聞こえて、本当にちゃんとした秘薬だったんだと驚く。

 

「王よ。この老体を左様に急かすことはどうかご容赦頂けませんかな」

「……よく言う。それで、そちらの少年はもう?」

「ええ。しかし、少々込み入っているので、そちらで先に事情を話させていただきましょう。

 少年よ、しばらくそこで待つといい」

 

 マーリンは俺を一瞥してそう言うと、王の傍へと歩み寄る。

  

「──────」

「──────」

 

 二人が何やら遣り取りを始め、手持ち無沙汰になる。

 言葉が分かるようになったからって、声が聞こえなければその効果はない。

 ただ、呆っとその光景を眺めた。

  

 昨夜は神秘的な雰囲気にただただ圧倒されていたけれど、注意がマーリンに傾いている今なら落ち着いて観察することができる。

 そうして分かるのは、実は王の身体がすごく華奢だということ。

 たしかに遠目に見ても明らかに分かるその王気なのだが、有り余るほど端正な顔と合わさって、どこか可憐な少女のようにも見える。

 ……一度そう考えると、そうとしか見えなくなるから不思議だ。

 普通に考えて、あのアーサー王だとしたら少女であるはずがないのに。

 

「──────かもしれませんな」

「──────なるほど、道理で」

 

 王がこちらに視線を向け頷く。

 気の抜けた様に見つめていた視線とぶつかって、心臓がドキリと跳ねた。

 

「貴方は、未来から来たのかもしれないのですね?」

「──あ、えっと、はい、そうです」

 

 慣れない敬語を使う。 

 そのぎこちなさが気に障ったのだろうか、後ろに控える騎士達が眉根を寄せた。

 

「……なるほど。それでは、貴方はその知識を何か役立てることができますか?」

「い、いやっ、そんな急に言われても、俺は向こうじゃ唯の学生だったし……」

「……そうですか」

 

 王の声が少しだけ気落ちしたような気もするが、その表情に変化は無かった。

 ……しょうがないじゃないか。

 そんな薮から棒に言われたって、俺ができるのはガラクタ弄りと料理くらいだ。

 

「では、未来から来たという情報は伏せておく方がいいでしょう。外敵を呼び寄せる種になる」

「そう、ですね」

 

 あまりイメージは湧かないけれど、吹聴してわざわざ注目を浴びる必要はないだろう。

 

「……差し当たり、この国に滞在するというのはどうでしょうか? そうすれば、そこのマーリンが貴方の時代に戻る手助けを行えるかもしれない」

「それは、願ってもないことです、けど……」

 

 こんな都合のいい話があってもいいのだろうか。

 ここは大昔かもしれないのだ。俺一人分の食糧でさえ貴重な物であるのは想像できる。

 

「──もちろん、見返りは相応に要求します」

「……俺に、できることなら」

 

 俺だって、ただ助けてもらうなんて嫌だ。

 自分にできる範囲でなら、何だってする。

 

「いいでしょう。では貴方は──戦うことが、できますか?」

「────え?」

 

 全然予想していなかったその言葉に、思わず締まりのない声を上げた。

 たたか、う? 

 いったい何と、何のために?

 

「我が国は長年、戦乱の時代を耐え抜いてきました。しかし最近、一際不穏な気配がこの国を取り巻いています。それ故にマーリンには此度、様子見に出かけてもらっていました。

 ……予想以上に、時間が掛かったようですが」

「王よ、老体に更なる鞭を入れるのはやめて頂けませんかね?」

「……貴方のことだ。どうせ、湖の姫に不埒な真似でもしていたのでしょう」

「──いやはや、この老いぼれの唯一の愉しみですから」 

「……まったく」

 

 二人の会話が遠く響く。

 現実味の無い先程の問いかけに、意識は完璧にとらわれた。 

 戦乱。戦争。たしかにここは平和な日本ではないのだ、そういうこともあるのだろう。

 だけれど、自分がそこに関わっていくっていうのは、全くの予想外ってヤツだった。

  

「俺が、できること……」

「マーリンによると貴方は魔術師らしいですね。

 ……此度の外敵は恐らく魔術を用いる。出来れば、こちらの側にもより多くの魔術師が欲しい」

「……魔術師って言ったって、俺にできることはてんでたいしたことじゃない、です。力になれるかどうか……」

「そこのマーリンは甚だ遺憾ですが、優れたメイガスです。教えを乞うのも一つの手段でしょう。それに魔術でなくても、気づいた時に貴方の知識を用いてくれればいい」

「…………」

 

 自分の知識が役に立つのは、何が出来るのか分からないけれど、俺にとっても嬉しいことだ。

 魔術を学ぶことだって願ってもないこと。

 ……だけど、戦争に手を貸すってことは違う。

 その結果自分の命が失われることが嫌なのではない。自分が見知らぬ人の命を奪うことが、到底容認できないのだ。

 

「……もしも貴方が嫌なのなら、無理強いはしない。

 だが私としては、国を守るために使い得る力は何であろうと用いたい」

「───守、る?」

 

 国を守る。つまり人々を助けるということ。

 もしかして、俺が手を貸さないことによって命を失う人がいるということなのだろうか。

 脳裏にギネヴィアや目の前の王、見知らぬ人々の顔が浮かぶ。

 

「───いや、手を貸す。俺に出来ることなら何でもっ……します。」

 

 それは、嫌だ。 

 人を殺す手伝いなんて絶対にしたくないし、するつもりもない。

 だけど、守ることができるかもしれない人を失って自分だけ素知らぬ顔で生きているなんて、耐えられない。

 俺は誓ったのだ──あの日、あの夜。

 切嗣に向かって、絶対に『正義の味方』になるんだって。

 

「──良い覚悟です。それでは、大事なことを先にしておかないと」

「え?」

 

 王がそう言って腰を上げる。

 上方から差す陽光がその金色に反射して、瞳を眇めた。

 

 

 

 

 

「───我が名は、アーサー。ウーサー=ペンドラゴンの嫡子たる、ブリテンの王。

 ───問おう。貴方の名は?」

 

 

 ……俺はこの光景を、恐らく一生忘れないだろう。

 

 毅然としたその声は、広大なこの部屋にもよく響く

 突き刺さる光が一層強まった気がした。

 日輪が照らすその人は、この高峻な空間に完璧に決まっていて、

 俺はその絵画みたいな場景を、ひたすら眺め続けた。

 

  

 

「俺、は、士郎。俺の名前は、衛宮、士郎……です」

 

 呆然と呟く俺の姿は、きっと無様で、

 どう考えても不釣り合いだなと、他人事のように考えた──

 

 

 

 

 ────そのとき

 

 

 

 

「───もう、我慢できません。王よ、この無礼者に処罰を──!」

 

 ──側に仕える金髪の騎士が、腰の長剣を抜きつつ、叫びを上げた。 

 

 

「え、えっ、えええ!?!??」

 

 何がなんだか分からない。

 さっきからずっと不機嫌そうだったけれど、もしかしてずっと我慢してたのだろうか。

 全く心辺りのないはずなんだけど、こちらに詰め寄るその剣幕はもの凄くて、一気に身を退ける。

 

「──この男。先程からの王に向かってのその粗暴な話し方、目に余るものがあります! 

 貴様ッ、王が寛大だからといって調子に乗って──!」

「えええええええ!!!?!? いやいやいやいや!!!!」

 

 もしかして、そんなことでこんなに激怒しているのだろうか。

 いや、もちろん、王様に対する言葉遣いってのが重要なのは分かってる。

 俺の敬語はぎこちなくて、たしかに無礼だったのかもしれないけれど、そんなに怒ることか──!?

 

「──控えろ、サー・ベディヴィエール。彼は異国の出身だ。秘薬を用いたと言っても、こちらの言語には疎いのだろう」

「しかし、王に対しまるで長年連れ添ったかのようなその気安さ──!」

「──そうだ、王よ。こういったことは初めにきっかりしておかなければならない」

「……貴方もですか、サー・ケイ」

 

 もう一人の騎士の方も加わって、三人揃って議論を交わしだす。

 どうやら俺の味方は王しかいないらしく、しかも二人の勢いに押されてしまっているようだ。

 俺はそれをおろおろと見ていることしか出来ず、時折こちらに向けられる金髪の男の鋭い眼光に、おっかなびっくりするしかない。

 

 だから助けを求めて、この場にもう一人俺の仲間になってくれそうな人物に目をやると──

 

 

 

「──ふむ、いらぬ気を回したかな?」

  

 ソイツは、心底不思議そうにそう呟いた。

 

 

 

「──は?」

「いやなに。迅速にとけ込めるように、秘薬にちょっとした魔術をかけて気安い物言いしかできないようにしてやったのだが。どうやら、要らぬ心配だったかな?」

 

 いつのまにか、口論していた三人も静まり、こちらを呆れた様に見ている。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

「──こッの、くそ野郎ッ──────!!!!」

  

 三対の目はどこか憐れみを湛えている気がして、俺はその視線から逃げる様にそう叫んだ。

 やっぱりコイツ、嫌な奴だ。

 

 




マーリンの一人称を僕にしようとしましたが、どうしても馴染めなくて断念。
士郎の口調は温厚なベディヴィエールさんも怒るほどです。







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5 白い王城

「────ぐ、っ」

 ぎちり、と嫌な音を立てて亀裂が奔る。

 同時に感じる猛烈な、されど馴れているはずの痛みに、今は耐えきれず声を漏らした。

 

 駄目だ。これじゃ、いけない。 

 数秒先の失敗を確信する。

 魔力(血液)を循環させて行使するのが目的なのに、魔術回路(血管)が解れてしまえば、もうそれは何の意味も成さない。

 

「────ハァッ────、ぁ」

 

 落ち着け。

 失敗する以上、今から考えるのはより良く失敗すること。

 息を吐いて心を落ち着かせながら、できるだけ慎重に魔力を霧散させていく。

 こうなってしまえば魔術回路なんてもはや不要だ。まだ魔力を保有する、作り出したばかりのそれを消失させる。

 

「────ふぅ」

 

 気張っていた身体を弛緩させるように、更に深く息を吐き出した。

 相変わらず魔術は形にならなかったけれど、どうやら今日も命を拾ったらしい。

 

「──────ふむ」

 

 真ん前で一部始終を観察していた老人は、得心がいったとばかりに一度頷く。

 それから俺の息が整うのをやや待って、丁度話を切り出すタイミングだと思ったのか、おもむろに口を開き、

 

「────少年。その修練、二度とする必要はないよ」

 

 などと、ふざけたコトを抜かしやがった。

 

 

  

 悪戯じじいによる理不尽を断腸の思いで耐え、なんとかかんとか口調の矯正をさせたのも寸刻。

 とりあえず、何はともあれ俺の魔術の程度を知る必要があるとの事なので、マーリンと共に再び古びた塔へ戻ってきた。

 衣食住他諸々の手配には少し時間がかかるらしく、昼過ぎに誰か使いに遣ってくれるらしい。

 使いだとかなんだとかあんまり仰々しい扱いは申し訳ないし、正直居心地のいいものでもないのだけど、こっちは何から何までお世話される身。そんな事をつべこべ言うよりも、自分の出来る事を探す方がいいだろうと思った。

 

 で、だ。

 

 もちろん、俺の魔術が拙いなんてことは分かってる。

 そりゃあこちとら今までこの鍛錬は欠かさず、毎日もれなく死にかけてきたのだ。

 ああ、十分過ぎるほど自分の未熟さってヤツは理解してる。

 

 

「…………どう言う事だよ、それ」

 

 

 ────だからって、今まで続けてきた事を否定されて、ムカつかない訳がない。

 

 

「言った通りさ。君が日課と称するその魔術鍛錬は二度とする必要がないという事だよ。ありていに言えば、無駄なんだ」

「────な」

 

 頭が真っ白になった。

 ──無駄

 八年間毎日必死に続けてきたこの鍛錬が、無駄。

 

「────そんな、バカなッ……!」

「真実だよ。そのような鍛錬に命を賭して毎夜挑むなんて、等価交換の瓦解も甚だしい。

 そんなやり方では、いつまで経っても魔術の上達なんて在りはしない」

「そんな、訳──」

 

 嘘だ。聞こえない、認めたくない。

 だって、この鍛錬は──

 

「────この鍛錬は親父に教えられたんだっ!

 一日も欠かさず繰り返せって、そう言ったんだッ! だから、間違ってる筈──」

 

 ない。

 そう言いたいのに、言い切りたいのに。

 老人のふざけた態度は鳴りを潜め、まるで偽らざる事実だと言うかのように、今はただ淡々と言葉を紡ぐ。

 

「ふむ。それではまず、その魔術鍛錬の内容を確認しておこう」

「…………」

「君が先程行おうとしたのは、基本的な『強化』の魔術。形あるモノに自らの魔力を通し、存在を高め、その物質の属性の強化を成すもの」

「あぁ、そうだ。…………確かに、俺は失敗だらけだけど、だからこうやって毎日──」

「まぁ、それはいいんだ。色々と気になる部分はあるけどね。

 問題は、その前段階」

「……?」

 

「君は魔術行使をするその度、魔術回路を作り出しているね?」

 

 ……何を言っているんだろう。当たり前の事じゃないか。

 魔術回路とは文字通り生命力を魔力に変換し、生成する疑似神経。これを作り出さなきゃ魔力を生み出せないし、魔術行使なんて不可能だ。

 

「ああ。そうじゃないと魔術なんて使えないからな」

 

 マーリンは俺の返答を聞き、やっぱりかと言いたげに軽く笑った。

 

「それが、誤っている認識なのだよ。

 たしかに君のやっているように眠った状態にある魔術回路を開く必要はある────ただし、それは初めて魔術を使う時のみ」

「…………」

「いいかね。魔術回路というものは、一度開き、固定すれば、それ以上手を加える必要がないものなんだ。君は身をもって知っているだろうけど、魔術回路を作る、つまり開くことは、多大な痛みを伴う。その過程に於いては僅かでも気の弛みを許した瞬間、神経は内部から喰い破られ、命をいとも簡単に落としうるだろう。

 故に、通常の魔術師は初めに回路を開いた状態で固定させることによって、それ以降は自己の意思で魔術回路の切替を容易く出来るようにする」

 

「────と、まぁ、そう言う訳で君のやっている事は無意味なんだ。

 これ以上、毎日多くの労力と時間を費やしてまでそんな事をする必要はないよ」

 

 反論は、なかった。

 もとより俺の知識なんて、八年前から親父が死ぬ五年前までの三年ぽっちのものだ。

 アーサー王を支え続けたとされる魔術師の知識は、きっと、全くもって正しいのだろう。

 

 

 だけど──

 

 

「それでも…………!」 

 

 

 ──切嗣が言った事が、今までやってきた事が、無意味だったなんて認められない。

 

 あんな風になりたかった。

 苦しんでいる人を助け、みんなを幸せにできる。そんな、正義の味方に。

 だけど、俺は無力で。魔術の才能なんかも全然なくて。

 

 ──それでも、努力を続けていればいつか何かに届くと信じて、小さな自分を積んでいく事しか出来なかった。

 

「──────」

 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 強く強く、拳も握り締めた。

 

 老魔術師はその間、ただこちらを見澄ましていた。

 駄々を捏ねるような俺に嫌気が差しているのかもしれない。なにせ、コイツの言っている事は真っ当だ。正しい事を頭ごなしに否定されれば、苛つくのは当たり前だろう。

 そんなことは判っている。

 

「──────」

 それでも、認めたくは────ない。

 

 

 部屋は無音に包まれている。

 マーリンは俺の様子を観察し、何を思ったか。顎を片手で覆い支え、ふむ、と一言呟いたのも束の間。やおら、今まで保っていた沈黙を自ら破り、

 

 

「────私は、“これからは"、必要がないと言ったのだよ」

 

 

 ──と、いつもの調子で口にした。

 

 

 ……

 ……

 ……

 

 

「…………え?」

 

「たしかに、君が今まで行ってきた事は常軌を逸している沙汰だ。毎晩死にかける事を代償に魔術の失敗を繰り返すなんて馬鹿げている。八年もの長き年月それを貫き通すなど、誰も彼もできることではない。指導者を疑い、そして自らの行いに疑問を持った時、その魔術行使は使用者の身を滅ぼすだろうからね」

 

「だが、君は生き残った。ならば、それはもはや必然だ。

 それは君の精神性故か、無謀な鍛錬による存在の変革故か、はたまた──まぁ、何に因るかは定かではない。

 ……しかし、成る程。通常神経がもはや魔術回路へと変貌した、その歪さ。本来、魔術回路は純然たる魔力を生成し、それを運用する動源ともなる唯一無二の器官だ。異物が混じったその回路では、もはや精密な一般魔術の行使など望むべくもない。────しかし、それ故に生じる不利益ばかりが目についていたが、ともすればその頑強さは並の魔術回路を優に凌駕する。それは自らの限界を超え、人の領分に余る魔術行使をも可能にしうるかもしれない。そうか、あるいは君の魔術は──」

「──────ちょ、ちょっと待ってくれ!!」

 慌てて言葉を遮る。もう目の前の人物が何を言っているのかサッパリ分からない。

 マーリンはもはや誰に伝えるでもなく、ただ自らの思考を口に出して考えを纏めているようだった。

 

「────要するに、君の今までの行いを否定する訳ではないと言う事だ。

 私が言いたいのは、君は既に得るモノは得ているという事。もはやそれ以上その鍛錬を続けたとして、特筆して改善する要素もあるまいよ」

「……それってつまり、今までの事は間違っていないって事……なのか?」

「ああ、そう言ってもいいだろうね」

 

 握り締めた拳を緩める。

 ふぅ、と溜め込んだモノが吐き出しされた。知らず、息を深く吸い込んでいたのだ。

 身を焼くような焦燥感が、すうっと消えていくのを感じる。 

 

 ──安心した。

 

 今までの自分が、切嗣の教えが、間違っていなかったと知って、心底ほっとしたのだ。

  

 

 

「──と言う訳で、君には魔術回路の固定化に励んでもらうことにしよう」

「──え?」

 

 唐突に身を乗り出したマーリンが俺の胸に手を突き、何事かを呟いた。

 

 

「──────っがぁあああああ!!!!!」

 

 熱い。

 熱い。

 熱い、熱い、熱い……!

 

「アッ──────ぐ、っ」

 体が燃えるように熱い。

 手足の感覚が末端から麻痺していく。

 熱は特に背骨に集中し、もはや立っていられない程の痛みとなり体を突き刺してくる。

 

「─────なに、を……」

 知っている。俺はこの感覚を、知っている。

 これは、失敗だ。

 魔術回路を作り出そうとして失敗した時に起こる、拒絶反応そのものじゃないか───!

 

「君の閉じている魔術回路を無理矢理開き、その状態を固定化した。要するに、君がいつも魔術を使う時の状態のままにしたんだ」

「な──んだっ、て──」

 

 意識がくらりと揺らめく。

 まるで40度を超える猛熱に魘されているのようだ。

 もう、自分がどうやって立てているのかさえ覚束無い。

 

「先程述べたように、一般の魔術師は自らの意思で魔術回路のオンオフを切り替えられる。

 君にもその程度は手早く出来るようになってもらわないとね。故に、否が応でも切り替えなければいけない状態にして手間を省かせてもらったよ。

 まぁ、死にかけるような目には慣れているだろう?」

 

 嗚呼。すごく、文句を言いたい。

 せめて一言あってからこういうコトをするべきじゃないだろうか、普通。

 コイツ、ちっとも懲りてない───。

 

「──────ッガ」

 だけど、それも後回しだ。

 とにかく今はそんな余裕ない。

 余計な事を気にしていると、次の瞬間には体を燃やし尽くされそうだ。

 

「君がいつもしている事をすればいいのさ。その状態を少しでも楽にする為、己が全てを統括すべく精神を集中させるといい」

 

 捉えどころのないような飄々とした言葉が、今だけは意識を現実に残した。

 言われる通り、呼吸を落ち着かせる。 

 そうすると、手足の神経が少しずつ感覚を取り戻してくるのを感じた

 

「ふむ。やはりこれも例の鍛錬の恩恵か。君は随分と、自己のコントロールが得意なようだね」

 

 ……なんだか褒められている気がするけれど、未だ体は大量の熱を保っていて、とにかく今は気持ち悪い。

 

 

 

「どれ、予想以上に元に戻ってきているようだし、食事にでもしようか」

 

 マーリンが椅子を二つ抱えて手前に置く。 

 その手には、中くらいの黒っぽいパンが二つ収められていた。

 

「…………正直、あんまり食欲はないんだけどな」

「なに、食とは生命の源。何か口にする事で一層気分を落ち着かせられるというものだ。それに、食べられる時に食べておかないといけないよ、少年」

「それは……確かに、そうだ」

 

 マーリンの言う通り、気は紛れるかもしれない。

 ───否。そんな心構えで食事をしてはダメだ。

 俺自身料理をする人間。出された物に真剣に向き合わないと、作った人に失礼ってもんだ。  

 こちらに向けて抛られるそれをなんとかキャッチし、いただきますと呟いて口にする。

 

「───美味しいぞ、これ」

 

 一欠片咀嚼した瞬間、仄かに芳ばしい薫りが口に広がる。

 パンの味自体は簡素だけど、生地に挟まれたクルミのような物が丁度良いアクセントとなっている。歯応えは現代のそれと比すと十分すぎるほど硬質なのだが、それでも丁寧に加減をして作られたのだろう。作り手のパンに対する真剣な意図が感じられた。

 

「うん、これ本当に美味いな。

 この時代の食べ物って、もっと雑なんだと思ってた」

「…………」

「この分じゃあ、イギリス料理が不味いってのも宛にならないな……うん───マーリン? どうしたんだ?」

 

 常に思うがままを成していた老人は、何故か、くっ、と唇を強く噛み締め、明らかに遺憾の意を露にしていた。暫く俯いていたソイツは、そのまま噛み砕いたパンをこくりと飲み込み、小さく小さく呟いた。

 

「…………嗚呼、君は美食の時代からやって来たのだね」

「……?」

 いや、そりゃ色々恵まれてた時代だと思うけどさ。このパンだって全然負けてないぞ。

 

 くしゃり、ともう一欠片噛みいれ、その味を再び楽しむ。

 体が熱に包まれている事も相俟って胃も大きく蠕動し、食道を通ったらすぐ消化されるかの勢いだ。

 

「そのパンは特別だよ。

 …………まぁ、夜になれば君も分かるさ」

「…………」

 それがあまりにも辛酸をなめるような様相なので、ツッコミたい事は沢山あったけれど、何も口にする事は出来なかった。

 

 くしゃりくしゃり、と、咀嚼音だけが部屋に落ちる。

 なんだか変な雰囲気だなぁと思いつつ、気を紛らせるため故郷の街について考えた。

 

 本当だったら、今日は日曜日の休日。

 すごい密度な出来事の連続で数日にも感じられるけれど、まだ一日程度しか経っていないのだ。

 藤ねえや桜は今日も学校で家には来ないだろうけど、明日になれば、俺が何処にも居ないってバレちまうだろう。それに、明日からの学校だって無断欠勤だ。

 

「……どうすれば、帰れるんだろう」

 

 そんなことをつらつらと思っていたからか、誰に言うでもなく隠していた思考が漏れ出した。

 時間旅行だなんて、既にそれは魔法の領域。俺は言うまでもなく、そんなことが出来る奴なんて聞いた事もない。元の時代に本当に帰れるのか、それすらも危うい。

 

「……ふむ。そちらの件は私の方で調べてみよう。

 差し当たり、君はこちらの生活への適応を最優先にすればいい」

 マーリンが俺の独り言を拾い、そう投げ返してくれる。

 その言葉を聞いて、弱気になっている自分に気付いた。頭を振って、意識を切り替える。

 

「……いろいろと、すまない」

「気にする事はないさ、私が好きでやっている事だ。

 ……どれ、ここまでにしようか。今日のところは魔術回路のスイッチ構築だけに専念すればいい。明日も午前中にまた来なさい、今日の続きをしよう」

「……ああ、ありがとう」

 

 パンの最後の一片を放り込み、湧いて出る不安と共に呑み込んだ。

 なんだかんだ言っても、コイツはいい奴なのかもしれない。

 こっちの言語を話せるようになったのもマーリンの御蔭だし、魔術の鍛錬もきっかり納得の行くように説明してくれた。

 

「───さて、食事が済んだなら急ぐといい。誰かが外で君を待っているよ」

「───早く言えよそれっ!!」

 ……地の性格がどうしようもないのが、玉に瑕だが。

 

 こうしては居られない。

 マーリンの事だ。いつから外に人が居る事を黙ってたかなんて、わかりやしない。

 

 ああもうッ、と悪態をつき、即座に椅子から立ち上がって入り口へ向かう。

 挨拶もそぞろに早足で駆け出し、扉を乱暴に開いて部屋を後にしようとして、

 

 

 

 しかし

 

 

 

「───少年よ」

 

 

 ───その俺を、老魔術師は呼び止めた。

 

 

 

 なんだよ、と言いかけるのを呑み込む。

 その声は緩んだ空間を途端に凍らせる、冷然とした真剣味を帯びていたからだ。

 知らず息を呑んでゆっくり振り返り、薄暗い部屋に佇む老人を視界に収める。

 

 

「───物事には、必ず幾つかの要因と必然の結果がある。

 それは、先程のパンが美味と感じるように、川が上流から下流へと流れるように、星々が夜の空で瞬くように、全ての現象には何らかの要因が存在するんだ。 

 ───なれば、君が今此処に居る、それすらも何らかの必然性を伴う事象なのだろう」

 

 言うべき言葉はない。

 俺は老人の語りに一言も返す事なく、踵を返した。

 

「───故に、私は期待している。

 君という小さな存在が、どのような変化を必然であった筈の運命に齎すのか」

 

 彼が何故そんな事を言うのか分からなかった。

 

 しかし、だからこそ

 

 その言葉は、超然と頭に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───あんたは」

「……お待ちしていました、エミヤ殿」

 

 熱で振らつく体を気力で抑え、ダダダッー、と言わんばかりに急いで階段を下りた先にあったのは、先程俺に喰ってかかった薄金髪の騎士の姿だった。だがしかし、玉座でのあの剣呑さは鳴りを潜め、静かに御辞儀をして俺を迎えている。

 

「確か……ベディヴィエールさん、だったか?」

「はい。貴方の滞在場への案内に参りました。それと、私の事はベディヴィエールで構いません」

「───分かった。でも、なんであんたが? てっきり、誰か別の人が来るのかと思ってた」

「……先程の無礼の謝罪をしたく思い、その役を買って参りました」

 

「───知らずとは言え、貴殿の名誉を侮辱したこと、心から謝罪申し上げます」

 そう言って更に深く頭を下げる、一人の騎士。

 

「──────って、やめてくれっ!! アレはあんたのせいじゃないだろ!!!」

 そう。

 あの騒動の原因はただ一人。

 こんな風にされると、居たたまれなくて仕方ない。

 

「……そう言って頂けると幸いです。それでは、向かいましょうか」

 ベディヴィエールが顔を上げ、歩き出す。

 俺も遅れないようにその背に続いた。

 

「ああそうだ、俺の事は“衛宮殿"じゃなくて“士郎"って呼んでくれ」

「───ではシロウ殿、と」

「……うん。好きなようにしていいさ」

 無理矢理ってのもアレだしな。

 それにそう言った事に関しては頑固そうだ、この人。

 

「そういえば、なんで外で待ってたんだ? 呼びにきてくれればすぐに行ったのに」

「たいした時間ではありませんでしたから。

 ……それに、魔術師殿の工房に単身乗り込むには、装備も時間も到底足りません」

「……」

 なんか、嫌な事を聞いた気がした。

 

 

 

 

「こちらが貴方の部屋になります」

 

 彼に案内されて辿り着いたのは、城内にある一室の扉だった。

 その扉を開けて中に入ると、そこには簡素な寝台と小さな机二卓ほどが備えられているのが見て取れた。片方の卓上には花瓶が置かれ、素朴な黄色の花が一輪飾られている。もう一方の机は恐らく食事用か何かなのだろう。とりわけ調度品があったり豪奢であったりという訳ではないが、家政婦みたいな人でも雇っているのか、室内は綺麗に掃除が行き届いていた。

 

「……こんなに良い部屋使って、本当にいいのか?」

「はい、これは王と魔術師殿による命です。どうぞご自由にお使いください」

 

 ……うん、やっぱり良い部屋だ。

 和室と洋室という違いはあるけれど、飾り気の無い雰囲気は冬木の自室に似通った物を感じる。

 昨夜の地下牢とは比べ物にならないくらい恵まれた環境に、素直にありがたく思った。

 

「───それでは、晩食はこちらの部屋に持って遣らせます。

 何かご不満がありましたら、いつでも声をお掛けください」

「うん。何から何まで本当にありが───ぐっ、───ガっ」

「───シロウ殿っ! どうしたのですか!?」

 

 ───熱が奔る

 どうやら、張っていた気が緩んでしまったらしい。

 魔術回路は未だ興奮状態を続けており、痛みの振動が身体を突き抜けた。

 いちいち声を漏らす自分は情けなかったが、それよりも目の前の騎士に対して申し訳なかった。

 根が優しいのだろう。狼狽し、こちらを本気で心配してくれている。

 

「……だ、大丈夫。ちょっと、風に当たりに行っていいかな?」

 新鮮な空気を吸って、熱を冷ましたい。

 

「───わかりました。それでは、うってつけの場所へと案内しましょう」

 

 うん。やっぱりいい人だ、この人。

 手をお貸しましょうか?と言ってくれるのには丁重に断りを入れながらも、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつんかつんかつん、小気味のいい音が響き渡る。

 今、俺はベディヴィエールの背に追従し、城壁の上へと通じる階段を登っている。

 昔の城壁と連想すると乱雑にゴツゴツしたイメージがあったのだけど、此処は想像以上にきちんと整備されていた。

 ……ただ一つだけ、ちょっとした問題がある。

 いや、確かに階段も同じように造り込まれていて歩きやすく、彼の鎧が踏みしめる度に快活な音が鳴るのだが、思った以上に城壁が高くて階段の道のりも峻険なのだ。柳洞寺の山門へと続く長い長い階段を思い出した。

 

「ハッ───ハァ、ハァ、ハァ───」

 

 普段なら問題なくても今の体調では少しばかり辛いものがある。

 気分を落ち着かせる為なのに、これじゃ本末転倒だ。

 百パーセント善意の行為なんだろうが、ちょっとばかし抜けた所がある人なのかもしれない。

 

 ……それでも、あの真面目そうな騎士が太鼓判を押す景色が上にあるらしい。

 なにせ、登っている時には景色を見ないようにしてください、とわざわざ言うぐらいなのだ。

 是が非でも見てみたくなった。

 

「ハッ───フッ───」

 

 ───そうして、階段の終わりが見えてきた。

 案内人は先に辿り着き、こちらを振り返っている。

 どれだけそこからの景色に自信があるのか、その顔は俺の到着への待ち遠しさに溢れていた。

 

 魔術回路による熱か息切れによる熱か、どちらか判らないくらい頭はふらふらだ。

 それでも、残った力を振り絞り、最後の一段を踏みしめ、勢いよく後ろを振り返る。

 

 

「──────」

 

 ───言葉を失くした。

 先程まではすぐにでも倒れそうだったのに、今はただ呆然と立ち尽くす。

 それでは、と去り行く声が背後から聞こえた。

 

 

 

「───白い、王城(キャメロット)

 

 

 キャメロット。アーサー王の築いた、ログレスの都。

 そしてそれを象徴する、光り輝く王の城。

 庭園や玉座を見ただけでも立派だったけれど、こうして改めて全体を眺めると壮観だ。

 

 いかなる石材をもって建造されたのか、研磨し尽くされて煌煌と輝く(しろ)の壁。

 築造されてより年月はそう経ていないだろうに、どこか神さびた雰囲気を漂わせる城門の扉。

 決して華美な造りはされていないのに、神聖な雰囲気を感じさせ、この上なく綺麗なものに見えるその佇まい。

 王の姿を見た時にも思ったけれど、この城もまさしく彼の伝説の城なのだろう。

 

  

 辺りを見渡す。

 

 

 まず目に付くのは、緩く隆起し、一面を草原に覆われた、新緑の丘陵。

 陽光がその草花を照らし、燦々と黄金色に大地が煌めく。

 軽やかな喧噪が地上から聞こえて、耳を傾ける。すると、近代的な機械音は無けども、賑やかな人々の営みが楽奏のように鼓膜を揺さぶった。

 仄かに湿気った海風が頬をさらう。耳を寄せれば、白波が岸を荒々しく打ち付けているのが遠く聞こえる。目を向ければ、気まぐれな風で波が逆巻いているのが見てとれた。

 天を仰ぐ。果てしない空。その色は青く、どこまでも深い紺碧の色彩。

 空気は清冽と澄み渡り、大きく深呼吸をすれば、灼け付いた体が穏やかに癒される気がした。

 

 

「──────」

 

 

 今、心から理解した。

 自分が、果てしなく遠い時代にやってきたという事を。

 

 

 ───遥か遠きこの都は、悔しいくらい美しかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 




士郎のベディヴィエールに対する態度に迷いました。結局タメ口っぽくしてしまいましたが。。
士郎がどれだけアーサー王の物語を知っているのか気になります。人並みに知ってるとのことですが、人並みってどれくらいなのでしょうか。


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6 Boy Meets Girls

「うん、だいぶ楽になったな」

 

 用意されたばかりの自室に戻りながら、体の調子を確認する。

 状態は思った以上に回復したらしく、熱っぽかった頭もしゃんと覚醒し、背骨にも一本筋が通ってるような頼もしさを感じた。これも、あの絶景を心ゆくまで堪能できたからだろう。

  

「────くしっ! ……とは言え、少し長居し過ぎたか」

 くしゃみ付きの鼻水を啜る。

 

 眺望をやめて降りようと思った頃、既に日は沈みかけ、肌寒い空気が夜を冷やしていた。

 大気が薄く風が強い所に長時間居たためか、体は平熱を通り越し震えを催す程冷えきっている。

 あの風景は気に入ったから絶対にまた行くとして、今度はその辺りを注意しなくてはいけない。

 

 

「えっと、確かここだったよな」

 不安を抱きつつも扉を開けてみて、正解と知り安心する。

 

「……真っ暗だ」

 扉を閉めると視界は暗闇に包まれた。

 当たり前と言えばその通りなのだけど、まだその辺の感覚には慣れていなかった。無意識にスイッチを探して突き出した手を引っ込める。

 

「あ、助かった。着替えだ」

 扉を半開きに抑えつつ室内を見ると、茶色の衣服が丁寧に畳まれ机の上に置かれていた。

 転げたり刺されたりと、血まみれドロドロ汗だくだくだったのだ。

 用意されたそれをありがたく拝借し、制服を脱いでから急いで袖を通す。

 

「……驚いた。服って重要なんだな」

 ちょっと違和感のある着心地だけど、汗が染み付いてないだけでストレスフリーだ。

 欲を言えば風呂とは言わずも体を拭きたかったけど、こんな遅くに贅沢は言えない。

 明日くらいにあの噴水装置の水でも使わせてもらおう。

 

 

「さて、と。そういやあの人、夕食がどうとか言ってたっけ」

「────これ、晩ご飯」

「うん? ああ、ありがと──」

 

 

「────────うっ!!!???」

 

 弾かれるように後ろを向く。

 そこに居たのは、燭台と板皿を携えた一人の少女。 

 

 雪のように白い透明な髪と、これまた抜けそうな程白く細い肌。

 そして一際輝くのは、全身白の中に飾られた宝石に見まごう翠の瞳。

 いやもう少女ってより幼女と言えるくらいのその幼さでありますが、いやいや幼女と言いましてもその目はどこか冷めたようで歳に似合わないような落ち着きを湛えているのでありまして、ああいやその瞳は──

 

 ────って、そうじゃない!!!

 

「えっと、君は?」

「……わたし、エミヤ……さまのお世話する……人。晩ご飯、もってきた」

 持っている物を机の上に置く女の子。

 置かれた黒っぽい板皿の上には、薄黒い何かとすり潰された褐色の何か。

 …………ホント、ナニ。

 

「……じゃあ、もどる」

「──へ? あっ、え、ちょっと!?」

 その子は呆然とする俺の横をスルリと抜け、あっという間に帰っていってしまう。

 

「…………なんでさ」

 ツッコミどころが多すぎて、そんな言葉しか出てこなかった。

 

 

 

「うーん」

 

 それから、机の上に置かれたモノを観察する事およそ十分。

 つついたり嗅いでみたりしたけれど、一体それが何なのか微塵も想像つかない。

 ……いや、黒い方は恐らく何らかの動物の肉なのだろうが、こんな色まで熱せられたモノを肉と断ずるのは憚られた。

 

「でも、せっかく用意してくれたんだもんな……」

 食事、服、住居、案内、魔術。まだ俺は、どれに対しても恩を返せていない。

 そんな分際で文句を言うなんて、とんでもない。

 

「────よし」

 意気込んで黒いナニカをガシっと掴み、おそるおそる口にする。

 

 

「……」

 

 もう一口。

 

「…………」 

 

 もう一口。

 

「……………………」

 

 今、無表情なんだろうな。

 だってそんな表情しかできないような味だ。 

 

 一噛みした瞬間、溢れ出す肉汁────は、もちろん掻き消えていた。

 どんどんごはんが進む様な匂い────も、もちろん消え去っていた。

 ガシガシと石を噛む様な歯応え────は、当たり前の様に残ってる。

 

「…………」

 いや、不味かったのならいいさ、別に。

 不味かったら不味かったなりに、取るべきリアクションってもんがある。

 味付けが濃すぎ薄すぎだとか、下ごしらえの仕方だとか、加えるべき材料だとか、料理人としてアドバイスのしがいがあるってもんさ。 

 

「…………」

 でもさ、無味無臭で歯応えだけが強いモノを、料理って呼んでいいのかな?

 犬用のおもちゃが脳裏に浮かんだ。

 

「…………」

 おっと、俺としたことが。もう一方のナニカを忘れていた。

 食事はバランスよく、食べ終わるタイミングが全て同時になるように、だ。

 「いけないいけない」と頭を掻きつつ、すり潰されたソレを手の平に掬い、口に含む。

 

 

「────────」

 

 

 うん。

 今度は料理名がちゃんと分かったぞ。

 これはきっと、ニンジンだ。

 

 うんうん。

 今回は無味無臭なんてコトはない、見事な味だ。

 まるで産地直送野菜のような新鮮さで、採取されてそのままのような自然な風味。

 

 うんうんうん。

 そうだな、一度言ってみたかったんだ。藤ねえがたまにふざけて言ってたあの台詞。

 たしか、こういう時に言うべきなのは──

 

 

「────シェフを呼べ」

 

 

 ふて寝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が完全に昇りきる前に起床。

 鳥のさえずる声を聞きながら、朝の肉体鍛錬を済ませた。

 

 それから手が空いて、人気のまばらな城内を散歩がてら見て回った。

 しかし比較的人は少なかったからって、会う奴みんながすれ違う度じろじろと視線を送ってくるのだ。その散歩も決して気楽なものではなかった。

 『マーリンに師事する為、遠方から訪れた魔術師』という話で通っているらしいけど、もしかして、よからぬ魔術を掛けて回っているのかと警戒されていたのかもしれない。

 ……そうだとしたら失礼な話だ。

 

 

 さて

 

 

「────」

 

 今、俺はマーリンから魔術の教えを受けている。

 とは言え、マーリンは最初に少し居ただけで、軽い指示を出すと何処かに行ってしまったけれど。

 

「────」

 

 初めに使える魔術を訊かれたので実演して見せると、マーリンは何かに納得したように頷き、そのあと何処にそんなに物があったんだって位の荷物の山を運んできた。

 そして、指示された内容って言うのが──

 

「────同調、終了──っと」

 

 部屋に置かれた物を、片っ端から解析しろというもの。

 マーリン曰く、「特に気張らずにやるのが肝要だよ」……らしい。

 

「えっと、次は──」

 薬草、秘薬、魔法瓶、衣服、椅子、机、煉瓦、木材、短剣、槍、弓、その他諸々。

 終わりのない作業にひたすら没頭する。

 

 改めてそれだけをするってのはあまりないけれど、この作業自体は慣れたもんだ。

 学校の備品を直す時も、土蔵でガラクタを弄る時も、強化の魔術を掛ける時も、まず初めにこの魔術で物質の状態を確かめる。

 どうやらこの魔術だけは俺にも向いているらしく、魔力を通して内部構造を視ることで、その物質の設計図を脳裏に描いて再現することができる。

 ……この事を親父に言った時は、『なんて無駄な才能だ』と嘆かれたものだけど。

 優れた魔術師は物事の核を素早く見抜き、それに対して如何に早くアクションを取るかが重要になる。だから、俺みたいに隅々まで解析するのは非効率極まりない行為なのだとか。

 

「……ふぅ」

 

 だからこそ、マーリンの意図が判らない。 

 確かに、魔術回路を起動させるイメージを掴むだけならどんな魔術でも良いのだろうが、あえて解析の魔術のみさせる必要はあるのだろうか。

 

「終わったかね?」

 

 慣れたもので、後ろから掛けられた唐突な声にもはや驚くことはない。

 振り向けば、椅子に座った予想通りの老人の姿。

 

「あぁ、用意された物は全部解析したぞ。いったい何の意味があるんだ、コレ?」

「まぁまぁ、昼食でも取りながら話をしよう」

「む。まぁ、もらうけど」

 昨日と同じように用意されたパンを受け取り、地面に直接胡坐をかく。

 我ながら現金な物だが、実はこれを期待していなかったと言えば嘘になる。

 ……昨夜の出来事は忘れた。

 

「では、最初に一つ尋ねよう。

 君には一通り視てもらった訳だが、なにか気付いた事はないかね?」

「えっと、急にそんなコト言われても……もうちょっと具体的に言ってくれ」

「ふむ。つまり、異なる物質に対する解析魔術の効果差異について感じられた点がなかったか、という事だよ」

「うーん……」

「魔力の通り易さ、速度、解析深度、術式中の魔術回路の反応……なんでもいいさ」

「それじゃ──」

 

 気持ちそんな感じがするってくらいでいいのなら、なんとなく思うことはある。

 用意された中で一番意味不明だったのは、そもそも内部構造なんてどう読み取って良いか分からない秘薬で、とりあえず嫌な感じがするなってくらいしか感じ取れなかった。

 逆に、一番深く胸の裡へ落ちてきたのは、奇怪な魔力を帯びた短剣。煉瓦みたいに構造だけならもっと単調な物もあったんだけど、やけにそれの設計図は鮮明に読み取れた。いや、読み取れたって言うよりも、むしろそれが自然に浮かび上がったていうか何というか……

 

 しどろもどろになりながらも、感じたままをなんとか伝える。

 

「ふむ、あのナイフか。では、それがどのような特性を持つかも想像できたかね?」

「……なんとなくでいいなら、アレは、『何かを正すモノ』のような気がする」

 

 なんだろう。

 上手く説明できないけど、『異常をとにかく否定する』って言う主張があの剣からは発せられてるように感じられた。

 

「──ほう?」

「なんて言うんだろう……こう、現実に在るおかしい物を直すっていうか────いや、壊すって言った方がいいのかな。とにかく、そんなイメージが込められてる気がしたんだ、あの短剣には」

 

 自分が何を言っているのか判らなくなってきた。 

 

「いや、君の推測は全くもって正しい。あのナイフには『有る筈の無いモノを破壊する』という概念が込められている。異常を否定し正常を肯定する、無銘にしてはなかなかの概念武装だよ」

「──概念、武装……」

「物理的にではなく、意味・概念に対して干渉を起こす武装の事さ。儀式や積み重ねた歴史、語り継がれる伝承により付与された概念に(あやか)って効果が引き出される物を指して言う」

「……えっと、とにかく凄い武器ってコトでいいんだろう?」

「まぁ、平たく言えばね。

 アレも若気の至りで創ったものだが、それなりの一品ではあるんだ」

 

 設計図を連想した時に、禍々しい創造理念が吹き出てきたのはそのせいか。

 

「────重要なのは、『そんな凄い武器で有る筈の物を、君が容易く正確に解析し尽くした』という事だ」

 

 ……たしかに不思議だ。

 魔術師として未熟もいい所な衛宮士郎が、そのように高度なモノを理解出来る訳がない。

 

「────と、なかなか興味深い話は尽きないが、それもまた明日の話。

 地味な作業だったとは言え結構な量だっただろう? 日も優に頭上を通り越しているし、今日は此処までにしよう」

「……そう、だな。そうしてくれると助かる」

 

 無我夢中で作業を済ましていたが、解析した量的にもう四時間近くは経っている。

 それだけ長時間設計図を読み続けたのだ。

 魔術回路は言うまでもなく、頭を使いすぎて少し疲れた。

 

「どれ、何か気になる点はないかね?」

「……うーん」

 

 頭を悩ませる。

 回路の調子は昨日までと全然違うのが判る。鍛錬の方針だって、俺の限界を考慮して考えられている事は伝わってくる。魔術に関してはマーリンを既に信頼していた。だから折角だけど、とりわけ確認しておきたいようなことは思いつかない。

 うーむと唸りながら、右手に持つ黒パンを齧る。うん、美味しいおいし──

 

「────そうだ、マーリン。このパン、どうやったら手に入るんだ?」

 真顔になる。

 そう時を遅くせず夜が訪れてしまうのだ。状況は差し迫っていた。

 

「……だろうね。予想していたよ、その質問は」

「──ああ、正直に答えて欲しい。事態は一食の猶予も許さないんだ」

「……すぐそこの村で作ってもらったのだよ。とは言え、材料は私が調達しているんだが……そうだね。君にコレを渡そう」

 そう言って手渡されるのは大きめな土器の壷。

 中身からは、仄かに芳しい匂いが揺れ出ている。

 

「これは?」

「サクソン人から拝借した物を調合した一品だよ。彼らが言うには『聖なるハーブ』──だったかな? まぁ、その中で食用に適した物があったから貰ってきたんだ」

「……」

 コイツのコトだ。

 絶対、無断に違いない。

 

「ともあれ、それを君に託そう。今日か明日にでも、それを持って村へ行ってくるといいよ。幾らか余分に貰える筈さ」

「──今日行ってくる!!」

 

 即座に立ち上がり、走り出す。 

 考えるまでもなかった。

 急がなければ日が暮れてしまう。それまでに行って帰って来なくてはならないのだ。

 

「その村は正門を出てすぐだよ」

「ああ、ありがとうっ──!!」

 

 

……

 

……

 

 

 塔を駆け下り、城の通路を抜けていく。

 時偶すれ違う人が訝しげにこちらを見てくるが、構っていられる暇はない。

「────っと」

 しかし、横目に見えたモノに足を止める。

 

「あ──……」

 

 この時代に飛ばされてきた場所である、この庭園。

 視線の先にあるのは、給水機能付きになっている中央の噴水だった。

 

 服は着替えさせて貰っても、体は一昨日から一度も汚れを拭っていない。

 ここら辺でひとまず頭だけでも流したい気持ちはある。

 しかし、時は一刻を争うかもしれないが……

 

「──よし。サッとしてバッだ」

 

 ──目標を、二兎を得ることに変更。

 

 なに、鴉ばりに素早くすれば大丈夫。それに、拭わなくても水を浴びるだけでいいのだ。

 壷と上の服を地面に置き、滴っている水に頭から突っ込む。

 

「────冷たッ!!」

 身を凍らせるような冷水が首筋を辿り、オマケとばかりに冷たい風が素肌を叩いた。

  

「うううッ〜〜〜、喝ッ!」

 一成の真似をしてみる。

 アイツならこんな感じのお寺の修行してそうだ。

 ブルブルと震える体を、背筋を伸ばして無理矢理押さえつけた。

 

 

 ──と

 

 

 くすくすくす。

 そんな感じの陽気な笑い声が、後ろから聞こえてきた。

 こっちに来てから驚かされるコト多いなぁ、と、呑気に振り返る。

 

 

 

「そんなことしてると、また捕まっちゃうわよ」

 

「わたしを覚えてる? シロウ」と、鈴のような声で続けられる。

 艶やかな濃藍の髪が、柔らかそうに風で舞った。

 

 

 

「────ギネヴィア」

 忘れる訳がない。

 彼女は此方で初めて出会った人だった。

 

「……って、捕まるって──ええッ!?」

「ふふっ、冗談よ。

 それにしても、ホントに言葉が通じるようになったのね?」

「ああ、マーリンのおかげでなんとか。と言うか、真剣にやめてくれ。もう理不尽には遭いたくないぞ……」

「……そうよね、ごめんなさい…………あの時も私がしっかりしていれば……」

 

 辛そうに目を覆う彼女。

 

「────ええと、いや、別にギネヴィアを責めてるワケじゃなくって。俺が言ったのは今だけの話っていうか、水の冷たさが身に凍みてるからちょっとだけ勘弁してほしいなぁ、なんて」 

 焦って何を口走ってるか分からない。 

 目の前の彼女のあからさまに哀しげな仕草に、ただひたすらあたふたしてしまう。

 手のひらで覆われた下から覗くのは、頬をつたう涙ではなく、楽しげな笑みで──

 

 

「────って、へ?」

 気のせいかしら。

 にやり、なんて邪悪な笑みが零れてる気がするわ?

 

 

「……だから、そういうのをやめてくれって言ってるんだよ」

 事態を察し、はぁと溜息。

 

「ごめんなさい。シロウ、良い人そうだからつい、ね?」

 塞ぎ手をどけると、満面の笑みが視界に表れた。

 ……こんな顔されちまうと、からかわれるのもしょうがないか、なんて気が湧いてきてしまうのは俺だけじゃないだろう。

 

「そうだ。わたし、あなたの話が聞きたいわ! ……う〜ん、こっちに来てっ」

「──っと、引っ張るなって!」

 

 思いついたら即行動。 

 そんな感じの気質が表れたように、ぐいぐいと俺を引っ張っていくギネヴィア。

 その先にあるのは、座るのにおあつらえ向きの石座が二つ。

 

 ……ま、いいか。

 彼女相手だとこっちの方も話し甲斐がありそうだ。

 こちらの話に大げさに反応する姿が思い浮かぶ。

 

 

「じゃあまず、シロウは未来からやって来たのよね?」

「……なんだ、知ってたんだな」

「ホントなんだ……すごいっ! 

 あ、もしかして、あなたの言ってた電話っていうのは?」

「ああ、未来の機械──って分かるかな? こう、魔法の小道具みたいな物なんだ」

「やっぱりっ! ……では、シロウ? そのお話から聞かせてくれないかしら?」

 片目を閉じて、おどけたように尋ねる彼女。

「……はいはい、お姫様。私でよろしければ、語り手にならせていただきますよ」

 観念して、苦笑しつつ頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ飛行機ってモノがあれば、海の遥か向こうへもすぐに行けるの?」

「ああ、俺の故郷の国──日本はこの国から見て極東って言われてるんだけど、そこへも確か半日程度で行けるハズだ」

「──すごいわねっ! ……いいなぁ、一度でいいから乗ってみたい……」

「……実は、俺も乗ったことないんだけどな」

「ふふっ、なにそれ」

 

 ギネヴィアととりとめのない会話をするコトおよそ二時間。

 気がつけば太陽は地平線の彼方へ消え行きかけていた。

 薄暮が迫ってきた王城には、沈み行く間際特有の鮮やかな落陽が降りてきている。

 

 期待通りって言えばそうなんだけど、彼女は俺の話に逐一相槌を返してくるし、それにその表情は本当に楽し気で、柄にもなく色んな事を話し込んでしまった。

 電話の話から始まり、次いでテレビ・冷蔵庫といった電化製品全般、穂群原学園の事や部活の事、果ては向こうで流行ってる歌の話なんかもしたっけ。

 時間を忘れて話するなんて事が本当にあるんだな、って振り返り思う。 

 

 ……さりとて、お姫様はまだまだ満足行かないのか。

 話し足りないと言いたげに、会話を続けようとする。

 

「あ、じゃあ次はねぇ、さっきあなたが言ってた──」

 

 ──不意に、言葉が途切れる。

 ギネヴィアはそのまま呆然とし、ある方向へと目線を固定していた。

 

「うん? どうしたんだ、ギネヴィア?」

 今までの彼女の印象との違いに対して不審に思いながらも、同様に視線を送る。

 見遣った先は、庭園に即するように設置された長い長い通路だった。

 そして幅の広い路の中央を占領して歩く、三つの人影。

 

 一人はもう見知った顔であるベディヴィエール。

 もう一人は、そこに居るだけで視線を惹き付けて止まないアーサー王。

 

「────」

 

 知らず、息を呑んだ。

 玉座の間から歩いてくるその姿は、何気ない通路でもその威風は少しも衰えない、一分の隙すら許さない完璧な王の絵。一見自分よりも年下の様にも見えるその人は、見た目とは不釣り合いな程の冷然とした気配を湛えていた。

 

「…………」

 

 上手く言葉に表せない。

 いや、王の姿が完璧すぎて、語彙が貧困な俺の頭じゃ表せないのもその通りに違いない。

 ……でも、それでも、たしかにその人は誰もが認める王者の貫禄を持つのだけれど、それとは反対に、全然似合わないような気もしてしまうのだ。

 

 と言うよりも、むしろ──

 

 

「────ギネヴィア、あの黒い鎧の男は……?」

 

 そこで、もう一つの人影の存在に気付く。

 

 アーサー王の後ろに控える二名の騎士の片翼。

 大きな黒冑で身を覆い、王の騎士として泰然と控える黒髪の男。

 横に並ぶベディヴィエールと対比する様な、鋭利な刃物を思わせるその存在。

 ソイツはこっちを向いていない筈なのに、思わず後ずさってしまいそうになった。

 

 

 

「…………あの人は、サー・ランスロットよ」

 

 

 

 ────ランスロット

 

 その名は知っている。

 湖の騎士と称される、アーサー王物語でも重要な人物。

 華々しい円卓の騎士達の中でも、彼の名は群を抜いて有名だ。

 

 彼の者は、騎士としての腕も振舞いも随一であったと言われている。

 他の円卓の騎士に成り済まして手強い騎士達を打ち倒した話や、異国の美しい姫に思われた話など、挙げていけば限りがない。

 そして、最後に彼は、横に居るギネヴィアと──

 

 

「────って、ちがうだろッ」

 首を振り、浮かんだ考えを吹き飛ばした。

 

 目の前の彼女はアーサー王物語の王女ギネヴィアじゃない。

 些細な会話を思いっきり楽しむ、普通の女の子のようなお姫様だ。

 これだけ一緒に話してれば、彼女がそんな事をしないってコトはすぐに分かる。

 

 所詮、伝説は伝説に過ぎない。現実と虚構は異なるんだ。

 それに、アーサー王物語だって一つの定まったストーリーではないと聞く。

 俺が知っている話が全てそうだと言う訳ではないだろう。

 

 

「……もう日も暮れた。今日はこの辺にしよう、ギネヴィア」

「…………」

「それに、こんな時間に王女様と二人で居ると、またあの嫌な奴に捕まっちまう」

 場を茶化すようにふざけてみる。

 あの三人が通り過ぎた後も黙っていた彼女は、俺の冗談を聞き、微かに笑い声を洩らした。

 

「そうね……うん。また今度、話に付き合ってもらえますか?」

 振り向きながら、問いかける彼女。

 胡乱な火に照らされたその姿は、お世辞抜きで綺麗だった。

 

「ああ、もちろん」

 俺に気の利いた言葉なんて言えない。

 

 それでもギネヴィアは、嬉しそうな笑顔で頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が深まっていく。

 いつの間にか、空には紗を掛けたように薄暗い雲が広がっていた。

 今夜は月を見られそうにない。

 

 折角の満月なのにな、なんて残念に思いながら帰路についたんだ。

 

 

「…………」

 

 

 ──明日、晴れるといいな。

 

 部屋に戻り机の上にあったモノを食べながら、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 




早く円卓の騎士や王さまと絡ませたいのですが、構想通りノロノロ書いていきます。
あと、ランスロットの鎧はシルバーで普通のかもと思いましたが、黒の方にしました。(手抜きで楽したとも言います)



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7 魔術講座

 

 ──衛宮士郎に魔術の才能はない。

 具体的に言うと、『八年間で強化魔術が成功した回数は片手指に満たない』──このくらい。 

 

 だがしかし、それは既に遠い過去の話。

 なんたってここ最近、俺の魔術は絶大な進歩を見せているのだから。

 

 たとえば、青い男に襲われた時、咄嗟に強化を成功させたり

 たとえば、老魔術師のお陰で魔術回路の固定化を果たしたり

 たとえば、此方に来てから魔力生成が何故か早くなってたり

 三日前の自分とは、それはもう比べるも烏滸がましいまでの差があるのだ。

 

 知られざる才能に突如目覚める、なんてよく聞く話。

 きっと、それが俺の身にもやっと起こっただけなのだろう。

 そしてそうだとすれば、のんびりしてる暇なんかない。俺はさっそく基本から教えてくれとマーリンに頼み込み、様々な魔術を駆使する正義の味方への一歩を踏み出そうとしたんだ。

 

 

「────驚いた、少年。君、絶望的なまでに才能がないよ」

「…………」

 

 

 うん、わかっていたさ。そんな都合のいい話がないことくらい。

 ただ、そう思い込んだ方が鍛錬にも身が入るってだけじゃないか。

 うん? いやいや、強がりじゃないさ。無理してるなんてそんなことはぜんぜん。だって、俺に魔術の才能がないなんてのは、判りきっていたことだぞ。

 ……だから心を突き刺すようなこの痛みは、きっと、魔術回路が暴走しているだけなんだ。

 

 

「いや、君がそこまで言うのならと、基本的な魔術から順に試してもらった」

「……」

「然るに、見事なまでに悉く失敗してくれたね。そうだ、その要因を詳しく見てみようか」

「…………」

「例えば、先ほど壊したばかりの椅子の修復。当然のように君は失敗した訳だが、この魔術は基礎中の基礎。『逆行』という魔術の根本理念の操作の内でも、最も初歩的な魔術だよ。加え、これは君の得意分野でもある構造把握の魔術──解析から派生する魔術であり、『かく在った』というカタチを読み取った物を、ほんの少しばかり''戻して''やればいいだけなんだ。つまり、読み取れたなら後は魔力を用いてそのカタチをなぞればよいだけであり、そこから他の工程を加える必要はない訳だが……

 いやはや、君は随分まどろっこしい真似をしていてね。純粋に椅子の構成要素のみを戻せばいいのに、余計なモノを介してそれを成そうとするから複雑になり、結局失敗に終わってしまう。そして先日も触れたことだけど、君の魔術回路はもはや通常の繊細な魔術を行えるほど綺麗な物ではないからね。だから、君には──」

「はい。もう……わかりました」

 もう聞いていられず、投げ遣りに話を遮った。

 気にしてはいないからって改めて人から指摘されると、こう、クルものがある。それが歴史に名を残す魔術師からの言葉なら、なおさら。

 打ちのめされた俺は、「マーリン、長話する癖あるよな」なんて、気を紛らわすしかなかった。

 

 そして、言葉を途中で遮られたマーリンは納得いかなそうにしながらも解説を切り上げ、一呼吸置いてから再度口を開き──

 

 

「では、さっそく君の魔術の長所を伸ばすことにしよう」

 

 

 ──と、ごく自然に、意味不明なコトをおっしゃいやがった。

 

 

「────はい?」

「もう気づいているかもしれないが、おそらく、君の──」

「ちょ、ちょっと待ってくれっ、どうしていきなりそうなるんだ?」

 話の流れが支離滅裂すぎて、全く着いていけない。

「……どっちなのだい? 君は判っていると言ったではないか」

「いや、そっちこそどっちなんだよッ。言ってることが真逆じゃないか!」

 マーリンは確かにさっきまで俺の魔術を散々貶していたハズだ。

 それに俺自身、長所なんて急に言われても到底信じられない。

 

「私が伝えたかったのは、『基本的な魔術は君に向いていない』であって、『全ての魔術が向いていない』という事ではないよ。

 そして私が思うに、普通でない魔術が君の領分なんだ──ああ、実に変わっているよね、少年」

「…………」

 

 …………俺はもう、「言い方が紛らわしいんだよ!」とか、「お前が言うな!!」とか、ふつふつと湧き出る文句を投げたいのをぐっと堪えて、深呼吸をして気を落ち着かせたあと、「……それで?」とだけ、かろうじて返した。

 

「ふむ。では、君の使える魔術で一番特異なものはなんだと思う?」

「……解析魔術かな」

「それは得意な魔術だよ。私が言っているのは、異質な魔術のことだ」

「む」

 そんなこと急に言われたって、何も思いつきはしない。

 そもそも俺には、何が普通で何が異質かすら分からないんだ。

 

「では『これ』は、一体なんだと思う?」

 マーリンは俺の困った様子を十分に愉しんだのか、ヒントだと言わんばかりに床を指差す。

 俺はつられるように視線を動かし、石畳の上に無造作に転がるそれを視界に入れた。

「…………またおちょくってるのか?」

 解りきっている質問に、思わず憮然としてしまう。

 なにせそれは、昨日、俺自身がマーリンに渡した物だったのだ。

 

「──それ、昨日俺が投影した電球だろ」

 正確に言えば、電球モドキ。

 投影を実演した時に作ったそれは、いつも通り中身のない、唯のガラクタだった。 

 

「ふむ。では、これを見て、何か気になる事はないかね?」

「? とくに何も…………あ、いらないからって俺に返されても困るぞ。

 ゴミはちゃんと自分で処分してくれ」

 何の役にも立たないのにずっと消えないから、いつも扱いに困るんだ。

 よっ、と身を屈めて落ちている電球モドキを拾い、そのままの勢いで持ち主に突き返す。

 

 

「────ゴミ、か」

 

 マーリンは受け取った物を手の平で遊ばせながら、これ見よがしに溜息を吐いた。

 

 

「……マーリン。お前、さっきから何が言いたいんだ?」

 いい加減痺れを切らし、強めの口調で問う。

 俺の詰問に老魔術師は面を上げ、ゆっくりと話し出した。

「……君は、投影という魔術を正しく理解していない。

 いいかね。投影とは、魔力のみを材料に、真作を複製する魔術のことなのだよ」

「……それがどうしたんだ?」

 それぐらい、いくら俺でも知っている。

 にも関わらず、マーリンは溜息を深くし、呆れたように言葉を続けた。

「魔力とはカタチがなく、自身の体内でしか存在を保てない朧げなものだ。それは身体の外に出したら最後、大気に渦巻く大源(マナ)へと急速に呑まれ、確固とした存在を失ってしまう。故に、魔術師は依り柄となる物質に魔力を通す、あるいは、消え去る前に自然干渉を成そうと試みる」

「……」

「さて、今一度訊ねよう。

 君はこの投影品を見て、何か疑問に思う事はないかね?」

 

 二度目の質問に、もう一度自分の魔術についてよく考えてみる。

 マーリン曰く、純粋な魔力は外界では確たる存在を保っていられない。そして、投影品は魔力のみで構成されている。それは、つまり──

 

 

「……その電球は、もう消えてなくちゃいけない……?」

 

 ──目の前の存在は、既に在ってはならない物と言う事。 

 漸くその事に気づいた俺に、老魔術師は満足気に頷いた。

 

 

「────正解だよ、少年。

 本来、魔力に基づき自身のイメージで作られる投影品は、粗悪な幻想に過ぎず、世界により存在を否定されてしまう」

「……」

「故に、投影した物は僅かな時間で消え去るのが道理なんだ」 

「……けど、それっておかしいぞ。現に俺が投影したのは、そこにまだあるじゃないか」

 

 もしマーリンの言が真実だとしたら、目の前の物の説明がつかない。

 そもそも、土蔵にはもう何年も前の投影品が残っていたのだ。それらが消え去っていなかったということは、どう考えてもマーリンの説明と矛盾している。

 

「……普通ならね。故に私は、『変わっている』と言ったのだよ。すなわち、君の魔術は投影ですらないのかもしれないが……まぁ、今は特に気にする必要ないさ。今重要なのは、君に特別な技能があるということだよ」

「……なるほど」

 確かに、矛盾しているとしても此処にある事が全てだ。

 それに今まで当たり前だと思っていたのだから、今更気にしようとも思わない。

 うん。俺の魔術にもそんな特性がある、それは素直に喜ばしい事だ。

 …………あれ?

 

「──けどそれって、結局何の意味もないんじゃないか?」

 

 そう。特別なのは良い事かもしれないけど、根っこの部分がダメなままだ。

 だって、たとえ俺の投影品が長く残る物だとしても、それ自体が役立たずのままならば、それは単にガラクタが増えるだけに過ぎない。

 

「ふむ。まぁ、そうなのだけどね」

「……それ、長所って言えないじゃないか」

「──確かに、現状ではその通りだよ。だがね、少年。この世の全ての事象には理由が在る。つまり、君のその特性にも意味はある筈なんだよ」

「……」

「そしてその意味を見つける為には、君に、自分の属性を認識してもらう必要がある」

「属性……? それって火とか水とか、各元素に当てはまるものか?」

「そうだね。一般には、基本的な五大元素を属性に持つ者が多い。しかし、魔術師の中にはそれ以外や、自分だけの属性を持つ者も存在する。

 まぁ、そういった者も含め、どのような魔術師であろうと一つぐらいは適正のある魔術系統を持っている。それを見つけだし錬磨することは、魔術師にとって基本の指針だよ」

「……そうなのか」

 とことん基本には縁がなかったんだな、俺。

 少し気落ちしながらもマーリンの言葉に相槌を打った所で、ふと、思い当たった事があった。

 

「もしかして、昨日の解析ってこの為か?」

「──ほう、変に冴えてるね」

 そりゃ、あれだけ長時間やらされたんだ。

 マーリンの言葉を借りるなら、それこそ理由がなかったら怒るぞ。

 

「その通りだよ。あの作業は、君の属性を把握する為のものだったんだ。……もし昨日の方法で見つからなければ、もっと物騒な方法もあったんだけどね」

「…………」

 もはや何も言うまい。

 

 

 

 

 

「さて、率直な話、君の魔術属性はおそらく『剣』だね」

「……剣、か」

「ほう? 属性の事を知らない割には、無意識のうちに気づいていたようだね」 

「…………そうかもしれない」

 

 マーリンは昨日の事から合理的に判断したのだろう。

 けど、そんな事は関係なしに、その言葉は驚くほどすんなり受け入れることが出来た。 

 ……たしかに、俺はこと剣に関しては昔から関心が強かった。

 それがどうしてなのかは分からないが、きっと、俺の属性は紛れも無く『剣』なのだろう。

 

「……ふむ。どうやら君のそれは”属性”や”特性”はもとより、”起源”でもあるのかもしれないね」

「起源……?」

 

 その言葉は聞いた事がある。

 そういえば親父も、その人間の"起源"に従って魔力を引き出す事が大事、なんて言ってたっけ。

 

「……そうか、そういう事もあるか」

「? どうしたんだ?」

「──なに、詮無きことさ。話を本筋に戻そう」

 

 マーリンがそう言うのなら、特に気にする必要はないのだろう。

 俺は自然と佇まいを正し、老魔術師の更なるレクチャーに備えた。

 

「まず、君は投影品を長く保つ事ができる。だけどそれは、中身を持たない虚影に過ぎない」  

 

 マーリンが再度俺の魔術について話しだす。

 今までの説明を纏めてくれているのだろう。

 

「なれば、ここで目を着けるべきなのは、やはり魔術属性さ。

 特定の属性を持つという事は、すなわち、それに関して理解がより深い事を意味する」

「…………」

「そして投影とは、魔力を用い、『自らのイメージによって』、真作を模造する魔術」

「────えっと、よし。つまり、俺の場合は剣に対する理解が深いから、昨日の短剣みたいに深く解析する事ができる。だから剣については他の物よりも明確なイメージで、より正確な投影ができるようになる……ってコトか?」

 

 自分なりにマーリンが言いたい事を推察する。

 今思えば、俺は一から自分の手で作り上げる”投影”の方が、既にある物に魔力を流し込む”強化”よりも得意だった。なら、その投影を今までよりも鮮明なイメージで行えば……

 うん。根拠は無いけど、なんだか上手く行く気がする。 

 

「ふむ。君は、頭の回転は悪くないんだね。

 それなのに、その様にからかい甲斐があるとは……」

「…………ほっとけ」

 ソコ、実に面白い、とか呟くな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいかい? 可能な限り、多くの情報を読み取るんだ」

「────わかった」

 

 理屈が解ればすぐ実践。

 そう言われた俺は、さっそく剣の投影を試みることになった。

 そこで、昨日の短剣を投影するのかと思ったんだけど、実際に用意されたのは何の魔力も感じないごく普通の剣。マーリン曰く、あれはまだ早い、……らしい。

 

 今思うとあの短剣は情報量が多すぎて、最初の練習にしてはかなり難易度が高そうだ。

 そうやって納得した俺は、石床に結跏趺坐で座り込み、意識を目の前の一振りに集中させる。

 いつもよりも念入りに、剣の柄頭から尖頭に至るまで、ゆっくりと魔力を通した。

 

「────同調、開始(トレース・オン)

 

 お決まりの詠唱を唱える。

 いま解析しているのは、刃渡りは短めだが、刀身は肉厚・幅広の両刃剣。いわゆる、グラディウスと呼ばれる種類の剣だ。

 勿論いつか見た黄金の剣に比べれば、魔力も込められた想いも、全てが大したことはない。

 

「──────」

 

 それでも、自分の特性を把握したからだろうか。

 今までよりもより深く、より鮮明に、『剣』という存在が流れこんでくる。

 故に、ありふれた剣とは言えど読み取れる情報の量は凄まじく、自分を見てくれと言わんばかりに次から次へ無秩序に溢れだす。

 

「──っ、────同調、終了(トレース・オフ)

 

 全ての情報が読み取れたところで、魔力を剣より霧散させた。

 止めていた息を吐いて身体を伸ばし、目を閉じて集めたモノを整理する。

 

「────よし」

 

 思わずそんな言葉が漏れでて、知らず、充足感を得ている事に気づいた。

 投影するまでもない。

 自分の本分は間違いなく『剣』なのだと、自然に理解できたのだ。

 

「それでは、投影の実演に移ろう。

 私も大した助言は行えないが、魔力を安定させる補助程度はしてあげるよ」

「ああ、ありがとう」

 

 だとしたら、この剣を再現できない筈がない。

 手本は目の前にあるんだ。俺はただ、それをイメージすればいい。

 

「────投影、開始(トレース・オン)

 

 目を瞑り、詠唱を唱える。

 言葉にする響きは変わらないが、呟くイメージは同じではない。

 カタチある物に同調するのでなく、自分で一から作り出す。

 それは即ち、意識を集中させるのも外界ではなく、自身の内側に存在する、剣の幻影に他ならない。

 

 

 ──創造理念

   この剣は、剣闘士達が戦うために作られたもの。

 ──基本骨子 

   ただ無骨で頑丈に、粗雑な用途にも耐える様に、

 ──構成材質

   硬と斬を両立させる為に、銑鉄と軟鉄を用いて、

 ──製作技術

   鍛造で材質密度を濃くし、耐用強度を高められ、

 ──成長経験 

   強い衝撃に刃毀れを起こしても、剣たらんとし、

 ──蓄積年月

   主を変え、多くの闘技場で敵の肉を断ち続けた。

 

 

「────」 

 全ての工程を終え、閉じていた目を開ける。

 

「────ほぅ」

 対面にいるマーリンが、感嘆するように声を漏らした。

 

 そう。

 いま俺の手の内にある物は、今までのように中身のないガラクタではない。

 ズッシリした重みを持った、武器としての剣そのもの。

 

「いや、たいしたものだね」

 

 マーリンも俺の投影に少し驚いたようだ。

 たしかに複製された剣は、長さも幅も重さも、全てが本物と瓜二つ。

 もちろん、俺が今まで投影してきた物とは比べ物にならない。

 けど──

 

「────これは、違う」

 

 俺は自分が作った剣に、まったく納得できなかった。

 贅沢を言っている訳ではない。

 ただ自分が完璧と思って投影した物は、本物と比べると遥かに見劣りする──それだけ。

 

「ふむ?」

「…………創造理念・基本骨子・構成材質・製作技術・成長経験・蓄積年月──たしかに全部、読み取ったハズなんだ……けど、イメージには(ほつ)れがあった……俺はたぶん、もっと上手く出来る」

 

 ……いや、たぶんじゃない。絶対に出来る。

 むしろ、俺にはきっとこれしか出来ないし、何より、このままでは剣に対して申し訳ない。

  

 マーリンは俺の呟きに、如何にも愉しそうに頷きを繰り返した。

 

「やはり、君はその方面で魔術を学ぶべきだろうね」

「……ああ、俺もそう思う」

「まぁ、私も投影に関しては教えられる事が殆どないけどね」

 

 その言葉は意外だった。

 俺にできてマーリンにできない事があるなんて、思いもしなかった。

 

「そうなのか?」

「ああ、剣の投影は君だけの魔術さ。私がこれに関して言えるのは、解析の精度を上げる事と、剣の想定を可能な限り正確にする事くらいだね。

 ──うん。そういう訳で、明日の魔術講座はなしだね」

「え、明日はないのか?」

 

 せっかく自分の進む道が判ったのに、出鼻を挫かれた気分だ。

 

「まぁ、私にも用事というものがあるからね」

「……む。それもそうだ」

 

 続く言葉に、知らず勇み足になっていたことに気づく。

 自分が成長できるという事。つまり、目指すべき理想に近づけるという事を考えて、人の都合を考えられていなかった。

 これじゃ、本末転倒だ。なんだか急に申し訳なくなってきた。

 

「さて、何か気になることはないかね? 私にできる事なら力になろう」

 

 鍛錬の終わりに、マーリンがいつもの問い掛けをしてくる。

 だけど、今は取り立てて聞いておくことも、頼むべきこともない。

 それよりも──

 

 

「マーリンこそ、何か気になることはないのか?」

「──うん?」

「いや、何か言ってくれれば、俺の方こそできるだけ力になるぞ」

 

 

 思わず、そんな言葉を口にしていた。

 魔術の事やその他にも、マーリンには世話になってばっかりだ。

 俺にできる事なんてたかが知れてるだろうけど、何かを返したかった。

 

 しかし、よほどその言葉が意外だったのか。マーリンは無言で、まじまじと俺を見た。

 それもそうか。自分が投げかけた助力をそのまま返された形なのだ。

 だからだろう。老人はちょっと心配になるくらい長く黙りこんで、つくづくとこちらを眺めていた。

 

「? なんだよ、そんなに不思議か? 

 俺も一応未来から来たんだから、そういった事を聞いてくると思ったんだけど」

 

 好奇心旺盛そうなマーリンのことだ。

 未来の機械や生活に関する話題を出さない方が不思議だった。

 

 

「────いや」

 

 

 長い沈黙を破り、それだけを絞りだすように答えたマーリン。

 それから少しの間また黙りこんで何事か沈思していたのだが、急に何を思ったか。

 不意に、くつくつと、老人はいつもの調子で笑い出す。

 

「……あのさ。いったいどうしたんだよ?」

 

 こいつの笑いのツボが、全然わからない。

 

「ふっ、いやいや。たしかに、少年の言う通りだと思ったんだよ。

 それに君の方こそ、思ったよりも余裕がありそうじゃないか」

「…………む」

 

 完璧にいつもの飄々とした態度を取り戻したマーリン。

 仕返しとばかりに皮肉っぽい言葉を返されて、思わず憮然としてしまう俺。

 

 

「────そうだね。

 ではもう一つだけ、助言みたいなことをしておこうか」

 

 俺の反応を見てさらに気を良くした老人は、気まぐれに話を続けた。

 

 

「君の魔術属性は『剣』だったが、それは偶然などではないよ。

 何度も言うけどね。物事には絶対に、何らかの理由があるんだ」

「……」

「だからそういう事を考えるのも、時には意味があるのかもしれないね」

 

 マーリンは言いたいことを終えたのか、それっきり口を閉ざした。 

 俺の方はと言うと、そんな事を急に言われても何のことかさっぱり、ってのが正直な所だった。

 たしかに、属性が剣っていうのはこれ以上ない程にしっくりくるのだけど、その理由までともなると、俺に分かる由もない。

 

 

 

「……体は剣で出来ている──か」

 

 

 気づけばそんな言葉を、ふと、口にしていた。

  

 

 

 

 




剣はマーリンさんコレクションです。
一話の前半部分の予定だったんですけど、長いので分割しました。
今のところ、マーリンが一番出てきてますね。。。





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8 パン作りの少女

 マーリンとの魔術鍛錬を終えた俺は、一旦部屋に戻り午後の時間をどう使うかベッドの上で少し考えたところで、昨日行けなかった村の事を思い出した。そして思いついたのならすぐに行動することにして、昨日もらった怪しげな容器を手に部屋を出て通路を渡り、城の正門へと辿り着く。

 

「うぉ、やっぱりでかいな」

 

 上を見上げながら見たままの感想を洩らす。そこにあるのは巨大な木門だ。まぁ、大きなお城にはそれに見合う巨大な城門があるもので、真下から仰ぐ様に見たそれは一昨日城壁の上から見た時よりも一層大きく、荘厳に見えた。 

 俺はそれをまるで観光するような気分で眺めつつ、門下を通って城外へと歩み出る。

 

 

「────うわっ」

 

 

 そうして門を抜けて開けた光景に、再び俺は感嘆の声を洩らした。

 

 

 緩やかな稜線の丘が遥か遠くまで続き、その壌土には浅く生い茂った薄暗色の花が広く芽吹いている。薄朱紫色の、穏やかなヒースの丘。そしてその丘の下腹に沿うように、多くの家々が集居していた。微かに聞こえる、人々の賑やかな喧騒。

 足元にはその村へと続く曲がりくねった一本道。そしてその道を縁取るように生い茂る草が、吹き抜ける風に軽い音を立てながら、さらりと揺れていった。

 辺りの空気は乾いた草花と野暮ったい土の香り、鳥のさえずりや虫の羽音に充ち溢れていて、人の手の加えられていない、在るが儘の自然がそこには在った。

 

 

 俺は、元居た時代では見る事ができないその光景に、なんとも言えない感慨を少しだけ抱いた。

 

 

「────よし、行くか」

 

 

 もうちょっと立ち止まって眺めていたい気がするけれど、人工物を感じさせないこんな光景だからこそ、悠長にしている時間もそうないだろう。

 意気込んで、馬の蹄や車輪の跡でちょっとデコボコな道に気を付けつつ、強く歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 村は、最初に思ったよりも遠かった。

 余計な建物がなく視界が開けているから所では、遠くの物も見えてしまって逆に遠近感が掴めないんだろう。そんなコトもなんだか新鮮だった。

 

 まぁそんな訳で、なんとかかんとか村の手前までやって来れた。

 俺はそこで立ち止まって、少し村の様子を伺う。

 

 実は遠目に見た時にはあんまり大きな村ではないのかな、なんて思ったりもしたんだけど、とんでもない。やはり古代とはいえ都と呼ばれる場所なんだろう。村の前まで来ると、想像以上に多くの家が建ち並んでいた。

 しかし、家とは言っても俺が見慣れているような形式の物ではない。壁は木目の荒い木材、屋根は草葺で覆われ、家自体の大きさも小屋と呼べるくらいの大きさの物が殆どで、その小屋を囲うように畑と庭が興されている。

 

 そして、家があるということはそこに住む人々も居るということで。もちろんその人々の恰好も、俺が見慣れているものとは大きく異なっていた。

  

 男たちは筋骨隆々の肉体に伸びざらしにしたごわごわの髪を携え、旧時代的な道具を片手に農業へ精を出しており、一方女性たちは膝の下まで届く目の粗い麻の衣を着付け、仕事をする男たちの細々とした手伝いなんかをしてるようだった。そして子どもたちは飼っているのであろう犬達と一緒にそこら中を駆け巡って遊んでいる。

 

 

 さて

 

 

 俺はそうやって、村の様子を少しの間観察していたワケなんだけど──

 

 

「…………」

 

 

 正直に言うと、俺は既に城に引き返したくなっていた。

 

 だって、明らかに自分とは異なる出で立ちの彼らは、穴が空くぐらい熱心にこっちを見つめてきているのだ。

 

 彼らのその瞳には、目一杯の訝りが込められれている。……まぁそれだけなら分かるのだけど、問題は彼らの瞳にはそれ以上の興味深さが明らかに見受けられていて、視線はしっかりこちらを捉えたままでキープされているのだ。俺が少しでも身動ぎする度に大人たちはわざとらしく作業を再開するし、ましてや子どもたちなんて何の憚りもなく俺を指差しながら騒ぎ回っている。

 そこまで熱心に注目を浴びた事のない俺には、この状態はこの上なく居心地が悪かった。

 

 まぁ、だからといって、このまま突っ立ってる訳にもいかないんだけど。

 

 

「…………はぁ」

 

 溜息を一つ零して、村の中へと歩み出す。

 すると、今までなんとかこちらを気にしない振りを続けていた彼らは、弾かれるように家の中へと逃げ込んだり村の奥へと走っていってしまった。

 

「…………気にしない気にしない」

 あえて口にしながら、目的のパン職人の元へと向かう。

 

「えっと、たしか、石造りの家だって言ってたよな」

 

 場所に関してはマーリンに予め聞いておいたので、その通りの家を探す。

 村の入口付近には先ほどの様な木建ての家が多かったけれど、遠くの方には石で建てられた家も幾らか見えた。

 

「そんで、一番手前の家──これか」

 

 そうして暫く歩くとどっしりとした石造りの家が一軒、草葺き屋根の軒並みの間に挟まれて建っていた。窓のない、ドアが正面に付いただけの質朴な石宅。家の前にはサイズのバラバラな太めの木が何本か、丁寧に横たえて並べられていた。

 

「っと、すみませーん! パンを作ってもらいに来ましたー!」

 

 扉の前から呼びかける。

 そうすると、「はーい!」と答える声が家の中から聞こえてきた。

 そしてバタバタと慌ただしい足音と共に、 

 

 

 

「どうしまし──」

 俺と同年代位の、濃い茶髪の女の子が顔を出し、

 

 

 

「────っ!!」

 俺を見て、その表情に緊張を走らせると、

 

 

 

「────へ?」

 その細い両手で握った凶器を、力いっぱい振り翳した。

 

 

 

 

「────って、なんでさッ!!?!??」

 転げるように後ろに飛び退く。

「っ!!」

 彼女は振り翳したその重みに逆に振り回されて地面に前のめった。

 

 

「くっ────このッ────!!」

 

 膝を付いた彼女は俺に躱された事に焦燥を浮かべて、再度凶器を振り翳す。

 

「ちょっ──まっ、待てってば! 一体なんだってんだ!?」

 

 俺はそれをまた転がり避けながら、精一杯の制止を投げ掛けた。

 

 

 

 そのまま何度か、自分に向けられる攻撃から逃げる。 

 いや、女の子の動き自体は最近のとんでも連中とは違い、この年齢の普通の子ぐらいのものだから落ち着けばどうとでも対処できるのだけど、相変わらず状況は全く把握出来ない。

 俺は乱れた息を整えながら、彼女に再度問いかけた。

 

 

「頼むから、ホントに待ってくれッ! 死ぬ!そんなのあたったら死んじまう!! どうしてこんなことするんだよ!!??」 

 

 彼女は肩で大きく息をしつつ両手で武器を構えたまま、俺のその問いかけに訝しむ様に眉根を寄せて、口を開いた。

 

「────ハァ、ハァ────それはこっちの台詞ですッ!!

 一体何の目的があってこの家にやって来たんですかッ!」

「何って、俺はただパンを作ってもらおうと──」

「────そんな訳ないでしょう!」

 駄目だ。何故か知らないけど完璧に疑って掛かられてる。 

「本当だって! 俺はここでパンを作ってくれるって聞いてやって来たんだ」

 それでもただ黙ってやられる訳にはいかない。

 負けじとこちらも身構えて、必死に無実を主張する。

 

「嘘をつかないでください!

 あなたのような何処からきたか知らない余所者が、いったい誰からそんな事を──」

 

 依然強い警戒心を保ったまま俺を見据えていた彼女は、しかし、俺の手元の方に視線を流した途端、激しかった口調を噤む。

 俺は、うん?、と、疑問を覚えながらその視線を追うと、攻撃を躱すのに集中しながらも無意識の内にしっかりと抱え込まれた物を視界に収め、そういえば、と思い出す。

 

「それ……は?」

「あ、ああ、これはマーリンに持たされた物なんだ。

 アイツに、ここに来ればこれと引き換えにパンを貰えるって聞いたから」

「…………魔術師、さまに?」

「えっと、そうだけど……実は俺、今マーリンから魔術を教わってるんだ。

 だからここの事も、その伝手で教えてもらった」

「…………」

 

 俺の返答に、一瞬意味が判らないという表情をした彼女。

 しかし、数拍の間押し黙って俺の手元の容器をじっくりと見つめると、急に何を思い立ったのか。サァッー、と言う音が聞こえそうなぐらい明らかに顔を青ざめさせて──

 

 

 

 

「────ご、ごめんなさいッ!!!!」

 

 

 

 

 力一杯頭を下げて、謝ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、俺を暴漢か何かかと思ったんだな」

「……はい」

「それで、襲われる前に、仕掛けてやろうと」

「……はい」

「成る程なぁ」

「……………………本当に、すみませんでした」

 

 俺は家の前で立ったまま、本人から先ほどの暴挙についての釈明を受けていた。要するに、見たこともない見た目でこの国の人間でなさそうな俺を、不審者として勘違いしたのが原因らしい。

 目の前の彼女は先程とは打って変わって、今は申し訳無さからか縮こまってしまっている。

 

「……でもさ、そんなに外国の人間って珍しいのか? 

 それも、見た瞬間怪しいと思ってしまうほどに」

 純粋に疑問に感じ、問いかける。

 すると、彼女は更にバツが悪そうにしながらもちゃんと答えてくれた。

「そう、ですね。異国の人自体はそこまで稀なことでもないです。騎士様達なんかは、数多くの国から集って来られていました……」

 

 成る程。確かに伝承では円卓の騎士は世界中の人間の憧れ、みたいな風なのもあったっけ。

 俺は彼女の返答に納得して頷いたところで、じゃあ一体どうして、と訊ねる。そうすると、彼女は言い辛そうにしながらも口を開いた。

 

「ここ最近、異教徒がまた近くで現れだしたという噂があって……それに、あなたはどう見ても騎士様には見えなかったから……」

 

 ああそう言えば、確かにアーサー王もそんな事を言ってた筈だ。

 俺は彼女の言い分に納得し、後者の方には、そりゃそうだと苦笑した。

 

「あ、本当にごめんなさいっ! よく考えたら、異教徒が襲ってきてこんなに静かな訳ないのに、私……本当に本当にごめんな──」

「いや、それは別にもういいぞ。俺は全然気にしてない」

 永遠に続きそうな彼女の謝罪を遮る。

 俺の言葉に彼女は、え、と呆気に取られた様に声を洩らした。

 

「だって、ちゃんと訳も話してくれただろ? そりゃ何の理由もなしに襲われたのなら少しはむっとくるけど、今回はそうじゃなかったんだ。だから、俺は全然気にしてない」

 うん。むしろ俺の方こそ、不用心過ぎたのかもしれない。

 これからはもっと、この国で自分は異質だって自覚を持とう。

 

 

「────」

 

 そんな俺の返答に彼女は言葉を返さず、黙りこくったまま目を見開いて俺を見ていた。

 

 

「それにさ、マーリンを知っているんだろう?

 アイツの事だから、きっとこうなるって分かってて黙ってたんだ」

「……」

「だから全部アイツの所為ってコトで、もういいんじゃないか?」

 いや、きっとそうに違いない。

 

「……ふふっ。そう考えると、確かに魔術師様らしいですね」

 俺の拙い冗談に、漸く彼女も柔らかい表情を見せてくれた。

「だろう? 出会って少しの俺もそう思うんだ。きっと、あんたの方がマーリンのふざけた性格も分かってる」

「……そうですね。あの方は少し、悪戯に過ぎるところがあるから……ふふっ」

 どうやら彼女も吹っ切れたみたいで、堪え切れない様に笑いを時々洩らした。俺はそれを見て、心の中でマーリンに感謝する。

 

 

「だから謝罪の代わりって訳じゃないけど、パンを少しわけてくれると、その、嬉しい」

 

 今思えば初対面で不躾な頼みのような気もするけど、こうなったらもう勢いだ。持ってきた容器を彼女に差し出しながら、今日ここに来た目的を改めて伝える。

 

「────はい、喜んで」

 

 幸いな事に、彼女はその穏やかな笑顔のまま俺の頼みに頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ちょっと待って下さいね。この斧を置いてこないと」

 

 しかし、自分の両手が塞がっていることに気付いた彼女は、よいしょ、と、掛け声とともに先程俺を倒そうとした凶器を翳す。

 中長い樹の枝に取り付けられた錆びた鉄の、僅かに見える塗膜より発せられるその光沢に、彼女にもうその気はないと判ってはいても、ゾワリと背筋が凍るのを感じた。

 

「…………あのさ。家の扉を開ける時、いつも斧を持って出るのか?」

 思わず洩れ出てしまったその問いかけに、彼女は一瞬俺が何を言ってるのか判らないと言う表情をしたのだけど、それも束の間。彼女はみるみるその顔に朱を点した。

 

「────そんな訳ないじゃないですかっ!!」

「いや、だって、最初の段階じゃ勘違いもしてなかったんだろう?」

「そうですけどっ!!」

「だったらそうなんじゃないのか」

「違いますっ! 私は火種がそろそろ無くなりそうだと思ったから、ついでだと思ってッ」

 

 火種?と、彼女の言葉に首を傾げた俺は、そこで、視界の隅で散らばった木材を認識する。結構な量のそれはここに来た時にはちゃんと並べられてたのに、どうやらさっきの騒動の内に、思いっきり蹴飛ばしてしまっていたみたいだ。憤っていた彼女もその惨状を目にしたのか、「ううっ、片付けないと」なんて肩を落としてまたヘコんでしまった。

  

 

「ああそうだ。なら、パンをもらう代わりに──」

 

 

 その様子を見て、俺にしてはナイスなアイデアを思いついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 体の中心と、台座上の目標物が一直線になるように立つ。

 手にした鉄斧を左手でしかと握り、右手は添えるようにして上に持ち上げて行く。

 斧が最も力の入りそうな位置まで上がったら右足を前に出し、上体を軽く反らして構えに入る。

 構えを終えれば、振り下ろすべきポイントを視認する。

 

 

 ──── 一点集中。目標は、センター少し手前。

 

 

 ここで重要なのは、弓道と同様、中てようとするのではなく、振り落とす前に斧は中っているのだということ。

 そう。今から行うのは、既に結果の判りきった行為。普通は順序の決まりきった連続工程が同一した、ある意味一つの現在と未来の統一視。

 

 

 ──── 後は振り落とす工程。

 

 

 振り翳したその斧を、目標物に振り落とす。

 ポイントに中る以上、最後に気をつけるのは如何に斧に力を伝導させるか。

 斧を振り落とす最中、軽く曲げた膝に力を加え、反らした背を勢い良く戻すと共に、前に出した足の爪先で踏ん張りをつけ───斧と目標物が打つかる瞬間、伝わる自重を最大化する───!

 

 

 

 スコーン、と、斧を力一杯叩きつけられたそれが、予めあった亀裂を中心に四散した。

 

 

 

「────フッ────ハ──」

 

 

 

 一連の動作の間止めていた呼吸を再開し、瞳を閉じて残心。

 額から流れ伝う汗が、爽快さに似た達成感を俺にもたらした。

 

 

 

 

「お、おお〜! す、すごいですねっ」

 背後から、パチパチと拍手の音が聞こえてくる。

 俺はそれで初めて彼女が見ていたことに気づき、振り返った。

「えっと。薪、これくらいでいいかな?」

 斧を支えにして直立し、汗を拭いながら問いかける。 

「はい、これだけあれば十分です。本当に助かりました」

「そうか。よかった」

 彼女がどれくらい使うのか判らないけれど、足元には優に一週間は使えるであろう量の薪木が分断されて転がっていた。まだまだ続けるのも吝かではないが、これ以上増やすと置いておくスペースに困るだろう。

 

「……それにしても、薪割り得意なんですね」

 彼女はそれらを見ながら、ぽつりと言う。

 

「いや、薪割りするのは初めてだぞ、俺」

「え、嘘ですよね? だってこの短い時間でこんなに……」

「む、本当だぞ。それにこのくらい、コツを掴めばすぐ出来るようになるだろ?」

「……コツ?」

「ああ。俺は前まで弓をやってたんだけど、要するにこれ、斧を振り下ろす事に関しては弓を射る事と一緒なんだ。中るとイメージできれば、中る。だから、重要なのはその中る部分なんだけど、これを見つけるまでに何度か失敗しちまったな。まぁ、それがわかってからは後は振り下ろす時の力の入れよう位だったし──」

 

 なかなか新鮮な作業だったから振り返りつつそのイメージを反芻していると、彼女はなんだかひどく呆れた表情をして、俺の言葉を遮った。

 

「──わかりました。あなたは、薪割りの天才です」

「──む」

 

 なんだろう。褒められたのに、全然嬉しくなかった。

 思わず微妙な顔をしてしまう俺なのだが、彼女はそんな俺を見てくすりと笑い、手に持つものを差し出した。

「これ、どうぞ」

 そう言いながら渡してくれたのは、リュックサック位の大きさの皮袋で、その中には入るだけ一杯のパンが詰められていた。

「わっ、こんなにいいのか?」

「はい。ご迷惑をおかけしましたから……」

 俯いて、恥ずかしそうに笑いを洩らす彼女。

「そっか。それじゃ、ありがたく貰っておくよ」

「そうしてください。どうか魔術師さまにもよろしくお願いします」

「ん、了解」

 彼女とマーリンの御蔭で、今日の晩ご飯は安泰そうだ。それを考えると、あの悪戯翁に改めて礼をするのもさして嫌じゃない。

 

「本当にありがとうな。正直、すごく助かった」

「こちらこそ、材料を届けてもらって助かりました。是非またいらしてくださいね?」

「ああ、よろしく頼むよ。今度は俺もパン作りを見学してみたいし」

 

 幼い頃から料理をしてきてパイなんかは藤ねえの我が侭で作らされる事も多々あったけど、パンを作った覚えは殆どなかった。出される物が気に入らないからって城の厨房を貸してくれってのも無理がありそうだし、何よりこの時代のパンの作り方にも興味がある。

 

「いいですよ。……でも、私もまだ経験が浅くて、自信を持っては教えられないんですけどね」

 少し困ったように笑う彼女。

「そうなのか? でも俺はこのパンの味、すごく好きだったぞ。なんて言うか、パンを作る事に丁寧に向き合ってるのが伝わってきて」

 確かにそう言われると拙い部分もあったような気もするけれど、それが気にならないくらい好きな作りだった。なんだか桜が俺に料理を教わり始めた頃を思い出す。……まあ、それにも限度ってものがあったけれども。

 

 

「……ありがとうございます。そう言って頂けると、とても嬉しいです」

 

 俺の心からの賛辞に、彼女は照れたようにして笑った。

 

 

「そ、そういえば、このパンの作り方は誰から教わったんだ? やっぱり母親か?」

 

 俺は誤摩化すように慌てて話題を変えた。それが言葉の通り本当に嬉しそうだったから、思わずこっちまで照れてしまったのだ。情けない、と独りごちる。

 ──しかし、そんな俺とは正反対に、彼女は俺の問いにさっきまでの嬉しそうな表情を一変させて、やけに意気低げにして呟いた。

 

「──いいえ。パン作りはお父さんに教わりました。お父さんはパンを作りながら、協会で働いていましたから」

 その反応の落差に俺は戸惑いながらも、話を続ける。

「そっか。じゃあ、親父さんはいま協会に行ってるのか」

 ……その何気なく続けた俺に、彼女は今度は面を下げて俯いたまま言葉を返す。

「……いえ。父はつい先日、亡くなりましたから。母も私が幼い頃に亡くなって、今は私の一人暮らしですね」

「────」

 

 思わず、言葉を失った。そして直にその意味が頭の中で氷解し、俺は無神経に放った先程の問いに、深く後悔した。

 ……俺は馬鹿だ。彼女の表情や態度から、それは聞いて欲しくない事と察せられたではないか。それに今思えば、彼女は独りだからこそ俺に対して必要以上の警戒をして、先程の騒動へと繋がってしまったのだろう。

 

「……悪い」

「そんな、気にしないでくださいっ」

 視線を逸らし奥歯を食い縛って呟く俺に、彼女は焦った様に言葉を返した。

「これは仕方のない事ですから!

 ……それに、色んな人たちがとても良くしてくれていますから」

 

 その言葉に、先程の出来事をふと思い出す。

 

 俺が暴漢ではないという事に気づいた彼女が、諍いにより荒れた家の前でひたすら頭を下げてきた時。その俺たちの様子を遠巻きに窺っていたのだろう。近隣に住む人達がものすごく物騒な目つきとともに近づいてきて、俺から彼女を守るようにして身構えたのだ。そのために、あの時は二人してまた違う誤解を解かなくてはならなかったのだけど。

 

「──そっか」

「……はい。だから、気にしないでください」

 それが本当に穏やかな声だったから、俺は少し、安心した。

 

 

 

 

 

「……それじゃ、そろそろ戻ることにするよ」

 

 視線を流して村の外に目を遣ると、丘陵のすぐ上にまで太陽が降りてきていた。じきに日が沈みきり、辺りも真っ暗になってしまうだろう。

 

「そうですね。改めて、今日はご迷惑をお掛けしました……えっと、すみません。あなたは……」

「? …………あ」

 そう言えば、ついと忘れてしまっていた。

「私はリサです……あなたのお名前、お聞きしてもいいですか?」

「ああ、もちろん。俺の名前は士郎。よろしくな、リサ」

「────はい。こちらこそ、シロウさん」

 

 なんて遣り取りをして、初対面の時とはえらい違いだと、二人して軽く笑いあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり美味しそうだよな」

 

 日が沈みきる直前に城へ戻り篝火によって照らされた通路を渡りながら、貰ったパンを一つ取り出す。横から軽く吹いた風に流れ、食欲を誘う優しい匂いが鼻孔を燻った。

 

 ……うん、部屋に戻って早く食べよう。

 

 そんな事を思って、自然と歩む足も逸った。

 

 

 

 

 ────と

 

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 

 与えられた部屋に続く、最後の曲がり角。その角を行った所で、ちょうど俺の部屋に入ろうとしている一人の少女を見つけた。真白な髪に、翠の瞳。そうだ、あれは一昨日俺の夕食を持ってきてくれたあの少女だ。

 

 そして、そうだとしたら、彼女の手には燭台と共に──

 

 

 

「これ、晩ご飯」

 

 

 差し出される、木皿に乗った食料があるワケで。

 

 

「ああ、そっか」

 

 

 俺は、そう言えば晩ご飯いらないって伝えてなかったな、なんて思って呟く。

 

 そんな俺を見て彼女は軽く首を傾げていたのだが、次に俺の手にある物を認識しそれをじっと見つめると、合点が行ったと言うように、ひとつ頷いた。

 

「……晩ご飯、いらない?」

「──いや、もらうよ」

「……どうして?」

 

 反射的に返事をした俺に、彼女は純粋な気持ちから訊ねてくる。

 それは小さい子が態々持ってきてくれたからってだけだったので、正直困った。……直接言うと逆に気を使わせそうだし。

 

「──ええと、このパン。今日貰ってきたんだけど、これは君に食べてみて欲しい。味は保証するぞ?」

 うん。嘘はついてない。

 

 

「…………わかった」

 

 少し考えるように間を置いた少女は、囁く位の小さな声でそう呟くと、手に持つ物と俺のパン一個とを交換し、そのままくるりと背を向けて帰っていってしまう。

 俺はその一連の動作を、なんだかやけに茫洋とした頭で見ていた。胡乱な光しかない通路に去り行く、小さな小さなその姿。

 

 

「……しかし、なんだな」

 一昨日も呆気に取られて見ていたけれど

 

 

 

「あんな小さい子も、働いているんだな」

 こんな所でも、自分が住んでいた場所とは全然違うんだって思い知る。

 

 

 

「──さて、今日はどうやって乗り切ろうか」

 

 俺は現実逃避を止め、手に持つ物に目を移した。

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです。
ゆっくりですが、進めていきます。
あと一、二話ほど物語の基盤構築を進めつつ、それからは積極的に原作キャラとも絡んでいこうと思っております。

また、実は海外生活突入して久しく、マーリン等が出てくる『Garden of Avalon』や 他の円卓も出てくるかもしれないGrand Orderをプレイする時間もとれそうにありません。
なので更新も長い間途絶えており削除しようかと考えていたのですが、もうそれはそれとして、新しい情報はあえて集めずに独自路線で進めていこうと思います。
このお話もそれらが出る前に自分が想像した人物設定等でいこうと思っていますので、もしもその辺りが気に入らない方がいらっしゃった場合は、ご容赦ください。

また、たくさんの感想をありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。


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9 幼き頃の

「────投影、終了」

 

 呟くと共に、閉じていた目をゆっくりと開く。

 手の内に重みとして存在するのは、昨日も投影したグラディウスという剣。

 それを固く握ったまま真っ直ぐ右手を伸ばし、その出来をじっくりと検分する。

 

「────うん」

 

 昨日よりも幾分精度が上がったそれにひとつ頷いて、切先から樋、樋から鍔、鍔から柄頭へと順番に意識を逸らしつつ、段々薄めて行くようにして魔力を霧散させていく。

 

「……消せるようになったのも、進歩だよな」

 

 投影するって事は、自分のイメージを現実に降ろすという事。だったらそれを消すという事は、そのイメージを消去すればいいって事で。その発想に基づきながら投影物に意識をあてると、呆気なくそれは消えてくれた。

 昨日出来なかった事が出来るようになる。そして、それがまた一つ目標へと近づけたという実感に変わり、俺は無意識の内に拳を強く握り締めていた。

 

 

 ────とは言え、午前中丸々を鍛錬に費やせばそれなりの疲労感もあるワケで。

 

 

 このまま鍛錬を続けてもいいのだけど、それだけで一日を終わらせるのも何か違う。違うと思うんだけど、じゃあ何をするかと考えてもぱっとは思いつかない。

 ……何故かひどく調子が狂ってる。

 順調に魔術を習熟させられている今。本当ならもっとやらなきゃいけない筈なのに、どうにもそれに専念できていない自分が居た。

 

 

「……ダメだダメだ」

 胡坐を解いて立ち上がり、座りっぱなしで痺れた足を引き摺ったまま外へと向かう。

 時刻はおそらく昼過ぎぐらい。扉を開ければ燦然と輝く陽光が薄目に突き刺さった。薄暗い部屋で瞑想みたいな事をしていた俺には、眩しい光だ。

 

 思えば、今日は自室で鍛錬してばかりで、まだ日の元に立っていなかった。太陽の光を浴びなきゃ人間はダメだって言うし、もしかしたらそれが俺の精神にも影響していたのかもしれない。

 ……うん、明日からは気をつけよう。

 俺は自分にそう言い聞かせながら、両手を思いっきり突き上げて伸びをした。

 

 

 

「────よし」

 

 そのまま腕を降ろす勢いでパシンと頬を叩いた俺は、気分をガラリと変える為に散歩をする事にした。左右に首を振って、長い通路のどっちの方向に進もうか少し考える。

 

「右……かな」

 

 なんとなくの気分だけど、そうと決まれば後は進むだけ。道行く兵士達の姿も今は見えなくて、周りの目を気にせずいられそうだ。

 そうすればこのもやもやした気分も晴れるだろうと、若干上向きになった心持ちで歩み出した。

 

 まぁ、予定がないことには変わらないんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 部屋を出て右にまっすぐ行くと二筋道にさしかかる。その分かれ道から左に行けば玉座の間だったので、とりあえず右に曲がった。

 そして暫く歩けば正門と城の内側へ続く通路に出会い、そこは昨日とは逆に正門じゃない方向へと進んだ。そうして右に進んでまっすぐ進み、右に曲がってひたすら進み……と何度か繰り返したところで、最初の二筋道に戻ってきた。

 要するに、この城の通路は大きな長方形の様にひとつなぎになっていて、俺はそれを、ぐるりと一周してきたということになる。

 

 

「……さて」

 

 

 道中、気になる部屋は所々あった。

 

 例えば、鋼鉄が擦り合う音で喧しい場所。

 例えば、美しい賛美歌が響いている場所。

 例えば、芳ばしい匂いが誘うような場所。

 

 けど、どれもが大勢の人の気配と共に在って、無遠慮に俺が入れるような場所ではなかった。

 だから、俺はどこにも寄らず元居た場所へとこうして戻ってきたワケで、散歩が終わったなら部屋へと戻ればいいだけな筈なんだけど。

 

 

「……なんだろうな」

 

 どうにも未だに心は本調子とは言えず、正直、まったく気分を変えられた気がしなかった。

 

「……うーん」

 

 だからなんとなしに扉の前で突っ立って、首を捻っていた

 

 

 

 

 ────その時

 

 

 

 

 

「────そこで何をしている?」

 

 不意に、そんな問いが背に掛かった。

 そのどこかで聞いた低い声に振り返り、問いを投げかけた人影を認識する。

 

 

「あんたは……」

 

 少し煤けた様な薄黒の髪に、深い黒の瞳。

 細めながら縦によく伸びたその体には、硬質な銀の騎士甲冑はピッタリ嵌っていた。

 

 ────サー・ケイ

 俺がアーサー王の前に連れられた二度目の時、ベディヴィエールと共に居た騎士の一人だ。

 

 

 

「もう一度問う────貴様はそこで、一体何をしている?」

 

 そんな、確認にするような俺の呟きを完璧に無視して、騎士はもう一度同じ問いを投げかけた。研ぎ澄まされた刃みたいに冷ややかなその声と、強い隔意を隠そうともしない澆薄な態度に、真上から無理やり押さえつけられる様なプレッシャーを感じる。

 

 

「……何って、ただ散歩を止めて戻って来ただけさ」

 

 それでも、俺はそいつの目を真っ直ぐに見返して、正直に答えを返してやった。

 だって、疚しいことなんて何もない。

 たしかに散策の途中でも怪しげにみられる事はあった。でも世話になっている人たちに感謝こそすれ、害になるような事なんてする訳ないだろう。 

 

 

 

「────散歩、だと?」

 

 

 しかし、そんな俺を揶揄するかのように、そいつはあからさまな嘲笑を洩らした。

 くぐもった嗤いと共に出る、心底こっちを馬鹿にした、その表情。

 

 

 

「……なんだよ」

 

 もちろん、そんな応対をされればムカつくのは当たり前な訳で。

 俺は目の前の騎士が嫌な奴な予感がし、むっと眉根を寄せた。

 騎士はそんな俺を見て、一層滑稽だと言いたげにして言葉を続ける。

 

「貴様は、あの魔術師に師事していたのではなかったのか?」

「……今日はマーリンに用事があったんだ。

 それに、これでも朝のうちは自主練に全部費やしたんだから、お前に言われるまでもない」

「ふっ、それで満足し散策に出たと?」

「…………なんだよ」

「────いや、なに。随分いい身分だと思っただけだ。

 余程生ぬるい環境にてぬくぬくと過ごしてきたのだな。何故貴様のような胡散臭い輩が、ここキャメロットにて無事に過ごすことができているのか、その意味を考えずよくのうのうと居られるものよ」

「……」

「聖書に『働かざる者食うべからず』とあるが、今貴様が着ている服・飢えを凌ぐ為に与えられている食物、その対価に貴様は何をもたらしていると言うのか」

「────」

「あれを見ろ」

 

 騎士はそう言い、通路の奥に目を遣った。

 続いて視線を移すと、背中の丸い歳のいった女性が通路脇にしゃがみ、欠け落ちた小石を拾って籠に入れている様子が見てとれた。

 背後より、騎士は言葉を続ける。

 

「あの者の仕事はこの城の景観を保つ事。そうして整備されたその城にて他の者は存分に自分の仕事を行うことができる。────人間は各々がそれぞれの『責務』を果たすことにより、他者より対価を得ることができる。故に、それを果たさない者には与えられるべくもないと思うのだが……」

 

 

 

「────さて、貴様はそこで、一体何をしている?」

 

 騎士は、全く同じ問いを、あえて再三繰り返した。

 顔には隠す気のない見下した様な表情が浮かんでいて、尋ねながらも返答など期待していないかの様だった。

 

 

 

「そうして歩き回るのが貴様の責務だと考えているのなら、救いようのない愚か者だ。犬を追い掛け回しているそこらの子供の方がまだ良い。あれらはあれで、自らの責務を果たしているからな」

「…………」

「────ああ、命じられなければ出来ないというのなら、それは申し訳ない事をした。

 よもや、貴様の様な立場の人間が、ただ与えられるだけで居れば良いと考えているとは思わなかったのだ」

 

 騎士は言葉を紡ぐ事を止めない。

 それはきっと俺を馬鹿にしているからだろうし、俺が反論できない事を分かっているからだろう。そうぼんやりと考える。

 

「そうだな、魔術を師事する前にまずはあの者に師事すればどうだ? 清掃から始め、洗濯・炊事、まずは自分の糧を得れるようにし──」

 

 

 

 

 だけど、そんな騎士の言葉に──

 

 

 

「────確かに、そうだ」

 

 

 

 ────俺はハッとして、思わず相槌を打ってしまっていた。

 

 

 

 

「……何?」 

 その俺の反応に、騎士が眉を顰めるのに気づいた。

 

「あ、いや、本当にあんたの言う通りだと思ったんだ。

 考えなくても、俺はもう色んな事を世話してもらっている。それなのに、俺はそれに対して何も報いる事ができていない。そんな事……あっちゃいけないのに」

「……」

「あぁくそ、本当にどうかしてるぞ、俺」

 

 自分のあまりの能天気さに、頭を掻きむしった。言葉に出すと、どんだけ厚顔無恥な事をしていたか思い知ったのだ。

 ────だけど、朝からあった、どこかボタンを掛け間違えた様な気持ち悪さはなくなっていた。

 それはおそらく、いつもの自分と全然違うことをしていたと気づいたからだろう。

 

 

「そうだ、まずはアンタの言う通りあの人を手伝うよ。……えっと、いいんだよな?」

 

 目の前の男は冗談のように言っていた事だったけれど、それが今一番正しいような気がした。この騎士に許可を取る必要があるのかは分からないけれど、発案者に一応聞いても損はないはずだ。

 そんな俺の問い掛けに、眉を顰めたまま俺の顔を見ていた騎士は、一つ溜息を零し、口を開いた。

 

「…………好きにするがいい。働きに応じて対価は与えよう。

 生憎、お前のような者につける薬は持ち合わせていないが」

「…………なんか引っかかる言い方だけど、ありがとう。あんたも、何かあったら言ってくれ」

「────俺は、馬鹿の相手だけは得意ではない。要らぬ気を回す必要はない」

 

 騎士は話は終わりだとばかりにそれきり口を閉ざすと、背を返して去っていってしまう。反駁する間もなかった俺がどうも納得のいかない感情を抱いてしまうのは、仕方ない事だろう。 

 どこか憮然としながら、もう振り返りもせず歩いていくその背を見送った。

 

 

 

 

「────そうだ、決めたんだからさっそく」

 

 気を戻した俺は、自分も同じようにくるりと振り返って歩き出す。向かうのは、手伝うと決めた老婆の元だ。

 黙々と作業を続けるその人に、後ろから軽く声をかける。

 

 

「あの、すみません。俺も手伝ってもいいですか?」

「うん?────ヒッ」

 

 俺の呼びかけに身を起こし振り返ったおばあさんは、何故か引きつったような声と表情を浮かべた。

 ……いや、なんでさ。

 その人の反応に俺もまた顔を引きつらせながら、「あの──」と、もう一度尋ねる。

 

「へ、へぇ。なにか、ご不明がございましたでしょうか御客人さまっ」

 

 しかし、彼女は顔を伏せてしまい、そのまま怯えたように言葉を返す。

 ……辛いけども、既に慣れてしまった様な対応だから、こういう時はめげずに誠意を持って向き合えばいいと俺は知っている。嫌な慣れだ。

 

「い、いや、別にそういう事じゃないですっ……! 掃除をしてそうだったから、何か俺も手伝える事がないかと思って」

「────と、とんでもありませんっ。それは、私どもの役目でございますっ。 どうかご容赦をっ!」

「そ、そんなに畏まらないでくだ──」

「────どうかご容赦をご容赦をッ」

「あ、あのさ……」

 嫌がられてると言うより、どちらかと言うと怖がられている様に見える。どうしてこんなに頑ななのかは分からないけれど、このまま引き下がるのは嫌だった。

 

「えっと、ケイって奴にも言われたんです。色々仕事を教えてもらえって」

 苦し紛れに先ほどの騎士の名前を出す。

 

「……騎士ケイ様が、でございましょうか……?」

 予想以上に相手がその言葉に食いついた。

 

「────そうです。俺はこの城で厄介になってる身だから、俺もできることはしたいと思ってるんです。よければ教えてもらえると、すごく助かります」

 そのポイントを見逃さず、ここぞとばかりに畳み掛けた。

 

「へ、へぇ……」

「はい、あなたの仕事を俺にも手伝わせてくれれば十分なんで。宜しくお願いします」

「……へぇ、わかりました。では……」

 そう言って任されたのは、通路の端の一区画の埃取り。おばあさんが掃除していた場所全体と比べると、明らかにほんの狭い僅かな部分。

「えっと、もっと任せてもらっても……」

「い、いえ、とんでもありません」

 やっぱり無理に頼んだからか。どうやら遠慮しているみたいで、負担が軽いものを回そうとしてくれているみたいだ。

 どうしようかな、と一旦考えて、簡単な解決策を思いつく。

 

 

「────よし」

 

 

 要するに、本気を出せばいいってコトなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────次、何をすればいいですか?」

 

 汲んできた水を通路に撒き、汚れ落としの仕上げをしたところで訊ねる。

 

「へ、へぇ。今日やろうと思っていましたのは、これで最後でこざいます」

 

 おばあさんは目を軽く瞬かせ、俺の質問に答えた。

 

「そうですか、よかった」

 

 言って、辺りを見渡した。

 長い通路は、一目見て整備がされていると言えるくらいには綺麗な状態になってると思う。そう実感して得た満足感に、俺は思わず頷いた。

 

 

 

 あれから俺が何をしたかっていうと、それは単純で。

 自分に充てられた仕事を全速でこなして、終わったら次の仕事をただ次々ともらっただけだった。

 埃取りから始まり、掃き掃除や拭き掃除、そして高齢者には辛いだろう重たい物の運搬や水汲みを手伝わせてもらった。

 幸いにもこういった作業には慣れていたし、多分この人の助けにもなれたと思う。 

 

 

 

「あの……ありがとうございます」

 そうしていると、後ろからそんな言葉が掛かった。まだ少し、恐る恐るといった様子だ。

 

「あ、えっと、気にしないでください。俺が好きでさせてもらったことだし。

 また手伝わせてもらおうと思ってるから、次もよろしくお願いします」

 だけど本当になんでもない事だったし、当然やるべき事だと思うから、そのままの気持ちで言葉を返した。

「へぇ、しかし、騎士ケイ様の許しがなければ、御客人様にそのような事をさせる訳には……」

「……? えっと、なんであいつが?」

 想像していなかった理由が返ってきた。

 どうしてあの騎士と俺の頼んだ事が関係あるのだろうか。

 

「ケイ様は騎士の立場であられると共に、ここキャメロットの執事長でございます。

 ですので、あのお方のご指示がない限り、私どもからは……」

 

 ────執事って、あの執事だろうか。

 あの皮肉ぶった慇懃無礼な男とその物珍しいワードが結びつかなくて、ちょっと考え込んでしまった。

  

 あの長身の背で、燕尾服を着ているあの騎士の姿を思い浮かべる。人を食ったような表情をして人に指示を出し、取り仕切っている男の姿が目に浮かんだ。

 ……ああ、意外と似合っちまうのかもしれない。

 

 ────さて、取り留めのないことを考えたけれど、それならそれで話は簡単だ。

 

 

「じゃあ、俺の方から許可をもらっておきます」

 

 あいつが取り仕切っているというなら、きっと大丈夫だろう。さっきも半ばあちらの方から言われて思いついたことだし。そう考えて一人納得していた俺を、目の前の老婆は変なものを見るような目をして眺めてきた。

 

 

「えっと、どうしましたか?」

「へ、へぇ、いや、すみません。変わったお方だと思いまして」

「……はぁ」

 やっと警戒を解いてもらえた感じがして嬉しかったけれど、あんまりな言葉に溜息を漏らした。

 

「い、いぇっ! 悪い意味ではございません!」

「あ、いや」

「むしろ、私どもの考えていたよりも、ずっと親しみやすい方だと……」

「……ん?」

 

 ”私どもの”と、目前の人物は言った。

 そういえば、散策している時や清掃作業をしている時にもチラチラと視線を感じていた。どれも遠目に見られている様な視線だったから気にしない様にしていたけれど、村の人たちだけじゃなく、もしかして城に居る人たちにも怪しまれていたのだろうか。

 

「へ、へぇ。近頃、魔術師様のお気に入りのお弟子様がいらっしゃるとの噂がありまして……

 どんなに変わったお方だろうかと」

 

 ああなるほど、と、もはや納得の域に達している俺がいた。

 

「……どうりで、いろんな人に見られていると思った」

「へ、へぇ。よろしければ、私が使用人達のうちで誤解を解いておきましょうか」

「────本当ですか!」

「へ、へぇ」

 

 それはすごい助かる。

 人に見られる事って慣れていないから、この時代に来てから地味にストレスが溜まっていっている気がする。外見が明らかに違うから見られる事は避けられないかもしれないけれど、視線の質が変わるだけでもだいぶマシになるだろう。

 おばあさんの申し出を素直に有難いと感じ、ふぅ、と安堵の息をついたところで──

 

 

「────って、じゃあ、あの女の子も嫌々やってくれてたのか……」

 

 ──── 一人の少女の事が頭に浮かんだ。

 

 

「女の子、でございましょうか?」

「あ、えっと、今俺に食事を届けてくれたりしてる女の子がいるんですけど、あの白い髪の子。……その子も嫌々やってくれてたのかな〜って思ってしまって」

 どちらかというとなんとも思ってないかのような、そんな風な感じではなかったけれど、あれはもしかして、無理矢理嫌な感情を掻き消していたのだろうか。

 

「────ああ、あの子でございますか」

 思い当てたのだろう。老婆が納得のいったように頷いた。

 

「そういえば、あんな子も働いているんですね」

「へぇ、どういう意味でございましょうか?」

「いや、俺が住んでた所からしたら、あんな幼い子がこんなお城で働いているって、なんだか不思議な感じかして……」

 

 だって、絶対に彼女の外見はいいとこ十歳いくかどうかだ。日本の常識を持っている俺からしたら、考えられない。

 ……って、あ。よく考えたらこの質問ってマズイんじゃ……

 つい口についてしまったけれど、この時代の常識を知らない事がばれてしまうのではないだろうか。

 ギクリとしながら女性の方をゆっくり伺う。

 

 

 

「────ああ、あの幼子は特例の類でございます」

 だけど、彼女は特に気にしない風に軽く言葉を返した。

 

 

 

「あ、そうなんですか?」

「へぇ、あの幼子はアーサー様のご配慮によりここキャメロット城にて働いております。あの歳頃の幼子がここにて働く事があるのは、後は騎士見習いの御方達くらいでしょうか」

「へ〜、なるほど……って、”配慮”?」

 なんで働く事が配慮なんだろう。ふと、そんな事が引っかかり質問してしまっていた。

 そんな俺の疑問に老婆は少し眉を顰め──

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、あの子は戦争にて親を失っておりますので」

 

 

 ────心なし意気低い声で、そう口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「────え?」

「……異民族との一つ前の戦の時分にて、一つの村が犠牲になったのです。

 ここキャメロットから暫く北に行った所にあった村の事でございます。丘麓に在ったその村は、とてもとてもよく栄えておりました。豊かな信徒が多く住み、吟遊詩人達の通り道としても有名だったその村には、日々明るい笑い声が絶える事はございませんでした。しかしある霧の深い日、野蛮なピクト人共の侵攻に遭ったその村は、村人たちの抵抗虚しく、三日三晩食い散らかされたと聞いております。

 また、挙句の果てには奴らはその村に火を放ち、その炎は赤黒く、アーサー様率いる騎士様方がその村に向かうまでひたすら燃え続けていたとの話でございます」

「────」

「結局、騎士様方の御力にて蛮民共は放逐されましたが、その村の生き残りは十にも満たなかったとの事」

「……もし、かして」

「へぇ、あの幼子もその村の民でございます。

 アーサー様は戦争が起こる度、戦争の残し人達をここキャメロットの都に招き入れる事を厭いません。成人している者や家族が生きている者達は城下の村に、そして、幼く親類知人も失った者はここキャメロット城にて召抱えられるのでございます」

 

 

 

 

 ────その話に

 

 

 

「……でも、じゃあ今はあの子はきちんと保護されているんですね」

「へぇ。ただ、あの幼子は、少々不気味でございます」

 

 

 

 ────俺は一体

 

 

 

「……?」

「元からそうだったのかは知れませぬが、私どもが知る限り、あの幼子が感情の色を見せた事がございません……人間らしくないと言えばよろしいでしょうか。

 御客人様の部屋の担当をする事を皆が避けるなか、あの幼子のみが特に気にせず、ケイ様の差配に粛々と役目を受託しておりました。正直ホッとしていたのが我らでございましたが、その心情が読めず、皆色々と噂話をしたものです」

 

 

 

 ────何を思い浮かべたのか

 

 

 

「────あ、へ、へぇっ! ご、ご無礼を口にいたしました……!!」

「…………いや、ありがとうございました」

 

 ぶっきら棒に返事をしてしまう。

 その俺の様子に老婆は慌ただしく体を揺らし、視線を下げて謝罪の言葉を口にした。

 ……別に、機嫌が悪くなったってワケじゃない。

 ただ、なんだか話を聞きつつ、少し頭がぼんやりしてしまっていたのだ。

 掃除で疲れてしまっていたのだろうか、これ以上喋っていても話半分で聞いてしまいそうだった。

 

 一つ老婆に別れの挨拶をして、部屋に戻る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に入ると、いつもの様に食事と明るく点けられた燭台が用意されていた。

 

 既に掃除も済ませてくれたのだろう。火に照らされて見える床に埃は目立たず、寝台の上に畳んで出かけたはずの掛け布は几帳面に伸ばされて敷かれていた。正直ベッドの上に寝転びたい気分だったけど、よく整えられたそれをしわくちゃにするのがなんだか嫌で、俺はボスンと音を立ててその上に腰掛けた。

 未だ曖昧な気分だったけれど、そこで一息吐く事で、少しは頭も冴えてきた気がする。

 

 

 戦争孤児──よくある話なんだろう。そんな事を考える。

 人々が各々の主張を守り押し通すため戦い、その過程で犠牲になった大人達に置き去りにされるのが彼らだ。戦争なんてもんがある限り、その言葉は付いて回る。

 

 なんせ、この時代は戦乱の世だ。

 ここに来てから見る人の多くは武器を持っていて、誰しもが戦いという物を意識していた。俺はまだこの目で見た事はないけれど、きっと、元の時代では考えられないくらいの戦いや、その跡に残されるものが────そこまで考えて、俺は、それは違うな、と、間違った思考を切って捨てた。

 

 

 きっと、元の時代にだって、そんな景色はありふれた物だったのだろう。

 

 

 俺が住んでいた所では殆どはあり得ないものだったけれど、俺の知らないところでは、きっとそういう事は行われていたのだろう。そして向けるべき視点を外へと向ければ、今いる時代よりも余程規模の大きい戦争や紛争が行われていた筈だ。

 

 じゃあなんで俺は、その事をすぐに考えなかったのか。 

 それは、テレビのリモコンを握っていた藤ねえが明るいものを好んだと言うのも一つの理由だけれども、それはきっと、俺自身もそのような景色を見る事を無意識のうちに避けていたからだ。

 だって、それを見たところで、俺には何もすることができなかったから。

 

 

 ────昔、一度、そんな風景を一日中テレビで見ていた事があった。

 

 

 あれは切嗣が死んで、暫くの頃だったか。

 正義の味方になるにはまず世界で何が起こっているのか知る事が必要だ、なんて子供心に考えて、休日に藤ねえがいない時を見計らって居間のテレビ前に陣取ったのだ。

 

 そうして無知な子供が見たのは、近代兵器に荒らされ、粉々のガラスが道路に撒き散らされた街。罅割れた大地は痩せぼえ、その上を飢餓する子供達が裸足で歩いていた。明日の生活も保証されていない子達、そんなナレーションが流れていたことを覚えている。

 

 俺は、その景色をテレビの前で固唾を飲んで見ながら、ただぎりぎりと拳を強く握っていた。

 何も食べずに何も準備せずに、気づけば夜になっていて、夕食を食べにやってきた藤ねえがそんな俺をみて雷を落としたっけ。

 

 思い返せばそれ以来、そういうニュースを避けていたのかもしれない。

 ただ毎日、目の前で自分が出来る限り人の為になる事をして、毎朝毎晩、いつか自分の目指すものになる為に鍛錬を続けた。

 ……きっとそれは、無理やりにでも目の前の事に目を向けなければ、何もできない自分のまま飛び出してしまいそうだったから。

 

 

「────飯、食わなきゃな」

 

 

 ふと思い起こし、首を振って、つらつらと無為な事を考えていた頭を現実に戻す。

 どれくらいぼうっとしていたかは分からないけど、手に持った料理は冷たく固まっていて、それなりの時間が経ってしまった事を感じさせた。

  

 俺が今さっきみたいな事を考えても、何にもならない事は分かっていた。今もどこかで起こっている争いは無くならないし、それを止める力が俺にあるわけでもない。

 

 それでも、長々とそんな事を考えてしまったのは、自分とあの少女を重ねてしまったからなのだろうか。幼い頃に大きな事故に巻き込まれ何もかもを失ってしまった自分と、戦乱によって何もかもを失ったのかもしれない少女。

 それとも、あるいは──

 

 

 俺は、いつの間にかまた考えに耽りながら、冷めきった食事を口にしつつ、ゆらりゆらりと揺れる燭台の火を眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




ケイ兄さんは執事長という肩書きもあったらしいので。
ちなみに、Garden of Avalonを読めていないので兄さんのキャラはほぼ創作です。あしからず。。



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10 nōmen

 

 ────夢を見る。

 

 

 そいつの始まりは、とにかく真っ白に染められたものだった。

 

 何が真っ白だったかっていうと、

 目を覚ました病室の静謐な白さと

 そいつにとってのはじめての光の白い眩しさ。

 そしてなにより、そいつ自身がまだ生まれたばかりの赤ん坊のような、真っ白な感覚を抱いていた。

 それは比喩ではなく、わりと真実に近い。

 

 そいつ────当時の俺は、その部屋に眠っている他の子供達と同様、大火災の犠牲者だった。

 十年前に起きた冬木の町の大火災。

 とにかくそれはひどい火事で、生き残りなんて殆どいやしなかったそれの、だけど生き残って命を拾った少数の一人が俺だった。

 

 そう、命は助かった。

 

 けれど、他の部分は黒こげになって、持っていた物はみんな燃え尽きてしまっていた。

 みんなってのは両親とか、友達とか、家とか、小さな子供だったそいつにとっての、とにかく全てのモノだ。

 だから体以外はゼロになった。

 要約すれば簡単な話。

 つまり、体を生き延びらせた代償に、

 心の方が、死んだのだ。

 

 だから空っぽになった俺は、なんとなく窓から青い空を見上げていた。

 ただぼんやりと、綺麗だなぁなんて思っていたのだろう。

 そうして数日間の間、ただ病床の上で無為に過ごしていたらしい。

 

 

 ────で、そのあと。

 

 

 子供心にこれからどうなるのかな、なんて不安に思っていた時に、その男はひょっこりやってきた。

 しわくちゃの背広にボサボサの頭。

 脇に抱えられていた荷物は纏まっていなくて、今にも腕から落とっこしそうに見えた。

 

『こんにちは。君が士郎くんだね』

 

 白い日射しに溶け込むような笑顔。

 それはたまらなく胡散臭くて、とんでもなく優しい声だった。

 

『率直に聞くけど、孤児院に預けられるのと、始めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな』

 

 そいつは自分を引き取ってもいい、と言う。

 親戚なのかと聞いてみれば、紛れもなく赤の他人だよ、なんて返答した。

 ……それは、とにかくうだつの上がらない、頼りなさそうなヤツだった。

 けど孤児院とそいつ、どっちも知らないコトに変わりはない。それなら、とそいつのところに行こうと決めて────そうして、俺はそいつ──衛宮切嗣の養子となった。

 

 思い出しても不思議に思うけど、信じられないくらいトントン拍子のコトだった。 

 見ず知らずの子供を引き取った親父も親父だけれど、あんなに胡散臭かった親父に着いていくと即決した俺も俺だ。

 ややこしい手続きは気づいたら終わっていたし、俺はその日の内に新たな家に引っ越していた。

 あまりにもあっという間の出来事だったから、正直言って、病室でのやり取りやその後の事なんてほとんど覚えていない。

 

 

 だけど、新しい家の敷居を初めて跨いだ時、振り返った切嗣に言ってもらった言葉は覚えている。

 

 

 やっとの事で運んだ荷物をドサッと落とし、徐にこちらを振り向いて親父は言った。

 その顔は本当に楽しげで、幼い子供がイタズラを企んでる時のような表情だった。

 

 

 ……ああ、今になっても忘れられない。

 それを聞いた幼い俺が、ものすごく嬉しくて何度も何度も繰り返した事を。

 そしてそれが、たまらなく誇らしかった事も。

 

 

 ────それは、何もかも失った少年にとって、はじめて得た大切なものだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ」

 

 パリンッ、と投影した剣の罅割れた音が鳴り、意識を戻す。

 刃に添わせていた手の甲に破片の切っ先が突き立ち、じわりとした痺れを感じさせた。目を這わせた先にはぱっくりと断線上に裂けた自分の皮膚がある。

 それをゆっくり視認した俺は、痛いな、と、どこか他人事の様にして考えた。

 

「今日は終わりにしよう、少年」

 背からそんな呼びかけが聞こえた。

「……えっ、いや、大丈夫。悪い、ちょっと失敗した。もう一度最初からやり直すよ」

 少し間をおいて徐にその言葉が染み込み、首を振りもう一度胡座を組みなおそうとする。

「────終わりにしよう、と言ったのだよ。

 今の君は集中を欠いている。そんな精神状態で得るものなど有りはしない。

 どれ、傷口を見せてみなさい」

 しかし老魔術師は俺の応答を無視し、座っている俺の前にしゃがみ込んだ。

 俺は反射的に何か言い返そうとしてしまったけれど、言われていることに何も反論出来る所がなくて、口を噤んだ。

 皺がられた手で腕を取られるのを見て、空いた手で頭を掻きながらそっぽを向く。

 

 マーリンの言った通り、今日の俺はどうにも集中力が足りていない。

 何時もより深く眠って朝寝坊したと思ったら、その割に体は動かないのだ。

 マーリンとの魔術鍛錬も二日振りだっていうのにこのザマだ。失敗してもその度にやり直させてもらったけど、流石に三回も失敗すれば自分でも呆れがくる。

 

 そうやって思い返して息を吐いた所で、手を取った魔術師の動きが無いことに気づいた。

 

「……マーリン?」

「……」

「む、おーい」

「────ああ、どうしたんだい?」

「…………どうしたって、それはこっちのセリフだろ────って、あれ」

 ぼんやりしていた老人の気付けをしている途中、つい先程できたばかりの傷跡が塞がっているのに気づく。

 血も止まっているし、手を動かしても痛くもなんともない。

「うわ、もう治してくれたのか。ありがたいけど相変わらずデタラメだよな、お前……」

「……」

「マーリン?」

「……ふむ、なんでもないよ。それはさておき、君、昨日一日何をしていたんだい?」

「うっ」

 痛いところを突かれて怯んだ声をあげてしまった。

 言い訳をするなら決してサボっていた訳では無いんだけど、それでも目の前でやれやれなんてわざわざ口にされれば、こっちからは何も言えない。

 肩身を狭くなった俺をじっくり楽しんだ老人は、笑みを浮かべて口を開いた。

 

「まぁ、そういう日もあるさ。────ああ、そういえば、王から伝言を預かっていてね」

「アーサー王から?」

 意外な名前が突然出た。

「今晩君に話したい事があるらしい。時間になるとベディヴィエール卿が迎えに行くから、準備しておくといいよ」

「そっか、ありがとう。……でも、なんの用だろう? マーリンは知ってるのか?」

「まぁ、行けばわかるさ」

「……む」

 相変わらず煙に巻いたようにして誤魔化される。

 反駁しても無駄だとわかっているから、湧いた疑問は飲み込んで────不意に、違う問いが頭に浮かんだ。

「そういえば、マーリンってアーサー王と一緒にいて長いんだよな?」

「ふむ? そうだね。まぁ、王の事は生まれる前から識っていたから、そう言ってもいいんじゃないかな?」

「? えっと、そうだよな……じゃあ聞きたいんだけど、アーサー王ってどんな人なんだ?」

 老魔術師の表現は少し違和感のあるものだったけれど、今は聞きたい事を優先した。

 その俺の質問にマーリンは体をこちらに向き直し、ゆっくりと視線を動かした後、じっとして俺を眺めた。

「どう、とは?」

「ええと、漠然としてたな……う〜ん。たとえば優しいだとか怖いだとか、そんな感じのコトだけど」

 興味本意の問いだったから、少し答えに窮した。

「今日会うのにあんまりアーサー王のコトを知らないないし、マーリンがどう思っているのかなんとなく気になったから」

 理由付けするとそんな所だろう。

 そう言ってから、次は相手の番だと黙って老人を伺う。

 

 

「────さあ」

 しかし、肝心のマーリンはというと、トボけたように仰々しく肩を竦めるだけにとどまった。

 

 

「さあ、って」

「まぁまぁ。それよりもそんな事を訊く君の方が気になるな、私は」

「え?」

「君はそんな事を気にするような人間ではない気がしていたんだよ。

 ……まぁ、おおよそ想像はつくか。どうせ、今日ずっと君の様子が変だった事が関係しているのだろう」

「……」

 良いように有耶無耶にされそうになっているんだけど、老人の指摘はなんとなく自分でも納得できるものだった。

「……マーリンは何でもわかっちまうんだな」

「君が分かりやすいだけだとも思うけどね。ただ、まあ、考える事が重要だよ。

 全ての物事には意味がある。私はそれを識っているし、君より多くの物事を見てきたというだけだろうさ」

「……」

「今晩王と会うのだろう? 会って話して、そうして、自分で考えれば良い」

 

 驚いた。

 いつも人を食った物言いをする奴が珍しくマトモなことを言うものだから、正直面食らったのだ。

 だけど驚いたのも一瞬。

 言っていることは正論だ。すぐに気を取り直して腕を組みマーリンの言葉を咀嚼したあと、頷いて視線をしっかりと返した。

 

「ああ、そうだな、そうするよ。マーリン、ありがとうな」

「なに、いいさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから暫く。

 俺は、自室に戻ろうと帰路に着いている最中だった。

 

 マーリンから去り際に、疲れているなら寝ていれば良い、なんてコトを言われたけれどそれは嫌だったし、頭に紗が掛かったような気分を体を動かして誤魔化したかった。

 だから、昨日話していたようにまた身の回りで出来る事をしたいと思ってあの騎士兼執事長だという男を探しに行ったのだけれど。アイツ、俺の顔を見て話を聞くなり「そんな腑抜面では邪魔だ。話にならん」とか言って追い返しやがった。

 

 で、それはもうトンデモなく鼻もちなく気分はささくれだったのだけど、

 マーリンにもついさっき同じ事を指摘されたばかりだったし、自分でも自覚していたコトだったから、仕様がないと自省して部屋に戻ることにしたのだ。

 

「はぁ」

 

 考える。なんでこんなに意識が定まっていないのか。

 それは単純に、目の前の事じゃなくて他の事を考えてしまっているというコトなんだろう。

 そして、明らかにその起点だったのは昨日あの老婆から話を聞いた時で、そうなってくると自分が無駄に考えてしまっているのは、あの少女の事なんだろう。

 

 ……いけない。また考えようとしてしまっている。

 

 何度も繰り返した事じゃないか。

 別に俺がそんな事を考えたところで、何ができるでもない。自分こそこの城の人々にお世話になっている身だし、同じような立場の彼女を気にしたってそんな俺に何ができるというんだろうか。

 同じ思考に陥っていると気づいた俺は、まずは自分の事を満足にできるようにならないと、なんて再度息を吐いて、ようやくたどり着いた自室に入ったところで──

 

 

「────あ」

 

 ────その部屋には、今まさに考えていた件の白い少女が居た。

 

 

 少女が物音に気づき、ちらりと視線をこちらに向ける。

 

「……」

「えっ、と……」

 突然の事に咄嗟に言葉が出てこなかったけれど、無理矢理に話題を絞りだす。

「掃除、してくれてるのか?」

「……うん。けど、まだ終わっていないから、今から」

 それに答えた少女は、すぐに元の作業に戻っていってしまった。

「……あー」

「……」

 その沈黙になんだか耐えきれなくて暫く視線を彷徨わせていたんだけれど、俺は気づけば──

 

「あ、よかったら、手伝わせてくれないか?」

 

 ────なんてコトを口にしていた。

 

「……?」

「えっと、実は俺、今まで掃除って自分でやってきたんだ。だから、人にやってもうらうのが申し訳なくて」

「? これはわたしの仕事。あなたが気にする必要はないと思う」

「あ、いや、なんというか……」

 口籠る。完璧に少女の言い分は正しくて、返答に困った。

「……」

 黙々と作業をする少女を眺める。

 その手つきは滑らかで、慣れた様子を感じさせた。

「えっと。上手いんだな、掃除」

「……やっているうちに覚えた」

「そうか……」

 って、そうじゃないだろう。

 別に仕事だとかそうだとか、そんなのは関係ない。

「────手伝いたいんだ。だから、一緒にやらせてくれないかな?」

 もうどうとでもなれだ。変な躊躇いは振り切った。

「……わかった」

「よし。まずは掃き掃除をしてるんだよな。じゃあ俺が物を動かすから、掃いてくれるか?」

「うん」

 少女の答えに頷いて寝台を持ち上げ、その間に大雑把に払ってもらった。

 そうしてさっと床の汚れを掃き取った次に、少女は手に雑巾代わりの布を持って壁面の掃除をし始める。持ってきた麻布で、石壁の隙間の埃を拭き取るのだという。

「あ、しまったな。だったら先にそっちをして、後で床を掃除すればよかった」

「? なぜ?」

「だって、そこの掃除をしているうちにどうしても埃が床に落ちちゃうだろう?掃除の基本は上から下に、だ。だから今回はともかく、次からはそうするといいぞ。

 ────あ、そうだ。そこの隙間を掃除するなら」

 ちょっと待っててくれと伝え、外に出て中庭に向かう。

 さっと辺りを見渡して丁度いい塩梅の枝を何本か拾い、部屋に持ち帰った。

 少女の持つ布を貸してもらい、枝の先端に覆い被さる様に余った小枝で巻きつけて固定する。その際、折れない様に強化の魔術をちょこっと使ったのは内緒だ。

 

「これを使ってみてくれ」

 一連の様子を不思議そうに見ていた彼女に、急ごしらえの小道具を渡す。

「……?」

「その隙間、全部掃除するのは大変だろ? 手が小さくて小回りがきくからって角の方を拭き取るのは難しいだろうし、それだったら綺麗にできると思うんだけど」

「……」

 少女は無言のままだったけれど、言った通りに作業に移る。

 

「…………!」

 ふき取った後の棒の先端を見て、心なしかいつもより目を見開き、綺麗な翡翠の瞳がよく見えた気がした。

 

「うまくいくだろ? 部屋に置いておくから、これからも使ってくれ」

「……」

 

 少女が無言で頷き掃除に戻るのを見て、俺も反対側の壁の掃除を始める。

 その間少女は相変わらず静かだし、俺も別に無駄話をする方でもないから二人して黙々と作業に没頭した。

 壁の掃除が終わったら寝台の整頓、それが終わったらまた別の掃除……と、時折掃除のアドバイスなんかを少女にしながら時間が過ぎていった。

 そうして、少女が花瓶の水を入れ替えてきたのを受け取り、サイドテーブルの上に戻した後、

 

「よし、終わったか?」

「……うん、終わった」

 

 最後にそんな遣り取りをして、部屋の清掃を終えた。

 

 うん。ぐるっと部屋を見渡してみても、なかなか文句の付け所がないくらいよく片付いている。世間話なんてものはなかったけど、なんとなく少女との間に連帯感みたいなものが生まれた気がした。

 

 

「──夕食、持ってくる」

 

 不意に少女が言った。

 気づけば扉の外からは夕暮れの日差しが差し込み、ちょうどいい時間帯になっていた。

 そして口数の少ない彼女がわざわざ口にしてくれたって事は、俺に言ってくれたって事なんだろう。だから俺はその言葉に頷きを返そうとして────そういえば、と、ひらめいた。

 

「ちょっと待ってくれ。パン、よかったら一緒に食わないか?」

「……?」

「一昨日廊下で会った時、持ってきてくれた食べ物と交換しただろう。あれと同じのがまだあるんだけど、一緒に食べないか?」

 横に置いてあった袋からパンを一個抜き取り、少女の方へ差し出した。

 

「……」

 

 少女はまた口を閉ざしたまま、まじまじと俺を眺めた。

 ……もしかすると、よく見れば表情が変わってないだけで、変なやつだと警戒されているのかもしれない。

 そんな嫌な予感が胸に過ぎりながらも、パンを持ち下ろさないままどうしようかなんて考えていると、

 一瞬。

 ぴくっ、と少女の視線が小さく動いた気がした。

 

「……」

「……」

 それを見た俺がさし伸ばした腕をさらに突き出していくと、少女の瞳もゆっくりとそれに従い下がっていき、パンがその胸の前に届くくらいで────その小さい顔が、コクリと頷いた。

 

「──よかった。じゃあ、これ」

 よっ、とそのままパンを少女に手渡し、椅子代わりにと寝台を指差した。

「……ありがとう」

 少女はそれを両手で受け取り、言われるがままにベッドの隅に座った。

 その動きを追った俺も自分の分を取り出して、少女から身体一人分開けて横に腰掛ける。

 

 そうして二人して食事を始めて、ふと、「おいしいか?」なんて聞こうと横を向いて────言葉を止めて思わず顔を緩めてしまった。それもしょうがないだろう。だって横にいる少女は俺の視線なんか気にもとめず、二つの瞳をパンに固定し、一心不乱に小さな口でもきゅもきゅと頬張っていたのだ。

 

 俺はその様子をみて、よかったのだと思う。

 安心したのだ。

 それは、リサからもらったパンが美味しそうに食べられていることもそうだけど、それだけじゃない。

 昨日の老婆はこの少女を『無感情で不気味だ』なんて言っていたが、それは違うと確信できたから。

 この少女の心は死んでなんかいない。

 そしてそうであるなら、きっと話は簡単。

 心が死んでいないのなら、空っぽになった所に付け足していけばいいだけなんだから。

 

 なんだか気分が良くなった俺は、彼女に倣ってパンをちぎって口に運んだ。

 うん、おいしい。

 

「……」

「……」

 

 そうして静かだけど、どこか和やかな時間が流れていった。

 食事を終えた頃にどこか物足りなそうな顔をしていて、「……もう一個いるか?」なんておかわりを差し出すと、心なしか顔を綻ばせて少女は頷いた。

 そんな彼女を眺めながら、今日抱えていたもやもやも全く気にしなくなっていた俺は──

 

 

「────あ」

 

 

 ふと、とあるコトを聞いていなかったのに気がついた。

 

 

「そういえば、名前聞いてなかったな。

 俺は衛宮士郎っていうんだ。君の名前、よければ教えてもらってもいいか?」

 

 その質問は、和やかな雰囲気そのままの流れの、本当に軽い気持ちからの物だった。

 もちろん少女の方も、最後のパン一欠片に名残惜しそうにしながらも、別に俺の質問には気負わずして短く答えた。

 

 

「……ない」

「ん? あ、ごめんな。よく聞こえなかった。もう一度いってもらっていいか?」

 

 

 

 だから、この和やかな雰囲気が、何気ない様なその返答で崩れるなんて、俺は考えもしなかったのだ。

 

 

 

「…………名前はない」

「────え」

 

 

 

 だってそれは、本当に気負いのない、まるで挨拶するかのように告げられた言葉だった。

 

 

 

 

「────それは……どう、いう」

「知らない。王さまに拾われる前のことなんて覚えていない」

「────」

 思わず返す言葉を失う俺。

 少女はそんな俺を暫く見ていたけれど、何も反応しない事に興味をなくして視線を逸らし、ついで軽く一言零した。

「……それに別に、名前なんて必要ない」

「なっ、そんなッ────名前がいらないなんて、そんなコトないだろう……?」

「……」

 

 少女は黙ったままだ。

 けれど、それは痛い沈黙ではない。彼女は別に俺の言葉に傷ついているだとか怒っている訳じゃない様に見える。

 むしろそうだったらよかった。だってそうなら彼女は気付いているからだ。

 ……だけど、実際は違う。

 ただただ彼女は心底不思議げに、なんで俺がこんなに取り乱しているのか判らなくて、じっと黙して佇んでいるのだろう。

 

「────っ」

 

 その様子を見た俺は、荒くれた気持ちをその子に間違ってぶつけないよう必死に目を逸らした。

 さっきまでの和やかな気持ちはすっ飛んでいた。どうしても、許容できなかったのだ。

 だってそれは────

 

 

「シロウ殿、お迎えにあがりました」

 

 その時、部屋の外からドア越しに声が掛かった。

 この声はベディヴィエールだろう。

 ささくれたった意識でそう考えて、ふと、マーリンが昼言っていたコトを思い出す。

 この騎士はきっと俺を呼びに来てくれたのだろう。そして向かうのは──

 

「────ごめん」

「……?」

「な、シロウ殿────?」

 

 そこまで順に思い立ったところで、身体は少女の手首を掴んで走り出していた。

 扉の前に待機していたベディヴィエールも、半ば突き飛ばす様にして飛び出していた。

 後ろで戸惑った様に声を上げる騎士に心で詫びながら、頭はさっきの少女の言葉でいっぱいになっていた。

 

 

『名前なんて必要ない』

 

 

 本当にそう思っているのだろう。

 その言葉には、哀愁も執着も、何の意思も介していないで、ただ彼女は、本当にそれが当たり前だと、そうして受け止めているのだろう。

 

 

 

 ────きた

 

 

 俺は、胸の底からぐつぐつと湧き出る感情を、抑えこむ事に精一杯だった。だけど、抑えても抑えても暴れそうになるそれを、踏み出す力に変えて押し出した。

 どこか戸惑ったように俺に手を引かれている少女も、後ろから慌てて呼びかけながら追いかけて来るベディヴィエールも、今だけは相手をせずに、俺は只々足を前に動かした。

 

 

 

 ────頭にきた

 

 

 

 横に居る彼女に対してじゃない。

 だって、それがどういう意味か、たぶん彼女は解っていない。

 友達も家族も、家も記憶も、全てを失くしたであろうこの子には、きっと、凡そ自分に関する全てが瑣細な事なのだろう。

 そして、俺はそんなこの子の事を十分過ぎる程に理解できる。

 

 

 

 ────心底、頭にきた

 

 

 

 だけど、なら、誰かがちゃんと教えてやらなくちゃ駄目じゃないか。

 誰もが当たり前の様に持っていて、誰もが当たり前の様に誇るべきもの。
そいつがそいつで在るために、たぶん一番大切なもの。

 それを何も知らないうちに失くしてしまったこの子に、その大切さを知らないで生きていかせるなんて、絶対にあってはならない。

 だから、この子に何も教えてあげてない周りのヤツに、俺はどうしようもなく腹が立っている

 

 

 だって、俺は知っている────

 

 

 

 

 

 

 

『それじゃあ、今日から君の名前は────』

 

 

 

 

 

 

 ────それが、一体どれだけ掛け替えの無いものなのか。

 

 

 

 

 

 

 そのまま目的の扉まで走って来た俺は、立ちふさがっている門番達に部屋に入らせるように頼んだ。

 どうやら話は伝わっていたようで、俺達に続いてやってくるベディヴィエールをちらりと見た後、彼らは一つ頷いて扉を開けてくれた。

 そして、ゴン、と防木が外れて扉が開いた音に弾かれて、俺は再び少女の腕を引っ張って中へと進んだ。

 

 

 奥には二つの人影があった。

 その影の一つであるサー・ケイが玉座に座るアーサー王に話しかけていたが、こちらの気配に気づいて振り向いた。

 

「ああ、来てくれましたか────」

 

 呼びかけの途中、王が俺に引っ張られている少女を視界に入れて言葉を止める。

 俺はその様子を気にせずまっすぐ歩いた。

 そして玉座前の段差の手前まで来ると立ち止まりひとつ息を吸い──王の方にさっと顔を向け、口を開いた。

 

「────突然すみません。だけど、話したい事があります」

「…………ええ、よろしいでしょう。ベディヴィエール卿よ、控えていなさい」

 後ろから俺を諌めようとした騎士を王が止めた。

 もう一人の騎士はというと特に俺を警戒するでもなく、ただ静かに王の側に控えていた。

 少し疑問に思ったが、別に邪魔にならないならいい。思考の隅から切り捨てた。

 

「ありがとうございます。じゃあ────この子の事を、知っていますか?」

 少女の背に手を添える。軽く力を加えると、少女は無言のまま少しだけ前に進んだ。

「……」

「今、この子は俺の色んな世話をしてくれています。

 そしてこの子はアーサー王、あなたに保護をされていると聞きました」

「……ええ、以前の戦にて保護した者ですね。ここにいるケイ卿から、貴方の身の回りの雑事を任せているとも聞き及んでいます」

「……じゃあ、この子が……自分の名前を持っていないのも、知っていたんですか……?」

 何事もなく答える王を見て、声が震えた。

 否定して欲しくて、継いで出た言葉が掠れた。

「────ええ、知っていました」

「────ッ」

 だけどただ平然と吐き出された王のその言葉に、途端、思考が飛ぶように血が一瞬で沸騰した。

 

「だったら、なんでッ……!!!」

 

 気づけば、叩きつけるような疑問が口から溢れ出していた。

 一旦間を置いてその拙さに気づいて口を噤み──けれど、制御の利かなくなった口はその理性を振り切って、静かに言葉を繋いでいた。

 

 

「……名前がないなんて、あっちゃいけない。名前がなくなったら、そいつはそいつじゃなくなっちまうじゃないか。

 俺は自分の名前を大切に思ってるし、それを失くしちまうなんて事は絶対に考えられない。

 名前は人から貰う、一番最初の大切なものなんだ。そこには込められた想いや繋がりがあって、それは誰もが大切に抱いて生きて、そして受け継いでいくものだろう? だから俺だって、自分のもらった名前に恥じないよう、自分なりに精一杯生きてこれたんだ……。

 ────名前っていうのは、だから、絶対にみんな持っておかなくちゃいけないもので──」

 

 名前とは尊いものだ。

 それがあるから、人は自分として生きていける。

 それがあるから、人は受け継いだ大事な想いを背負って生きていける。

 

「────そんなの、あんたらだって知ってる筈だろうッ……!!!!」

 

 目の前にいる人達は、後世に語り継がれていく存在だ。

 俺でも知ってる程有名な彼らの名は、時代を超えて尚眩しい。

 それは、彼らが騎士として自らの名を誇りを持って名乗り挙げたからで、彼らが為したことを輝かしい英雄譚として語った人達がいるからなのだ。

 だから俺は、そんな凄い人たちが、たった一人の少女のコトを考えて上げられていないという事実が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

 

「この子が名前の大切さを知らないって言うなら、なんでそれを教えてあげないんだ!! この子が名前を持ってないって言うなら、なんでそれを与えてあげないんだよっ!!!! どうして────」

「シロウ殿、それ以上はなりません……! 王よ、申し訳ありませんでした……!!」

 

 

 俺の言動を見咎めたベディヴィエールに頭を勢いよく押さえつけられる。

 急なそれに頭は大きく揺れて気持ち悪かったが、自分でも行き過ぎた行為だというコトは判っていたし、彼の立場上仕方ない事だと判っていたから抵抗はしなかった。

 それどころかむしろ、一緒に頭を下げてくれている彼に申し訳なくさえ感じていた。

 

 

 

 けれど、だからって、これは納得できるコトじゃない。

 

 

 

 俺は無機質な地面を視界に入れながら、痛いくらいに強く拳を握りしめた。

 突き立てた爪に、手の平から流々と赤い血が流れる。朝つけてしまった傷が開いてしまったのかもしれない。それは止め処なく流れていって、激情によって巡った余計な血の分も全部流してしまうほどだった。

 ────けど、それでも、いつまでたっても、俺は胸の奥からふつふつ湧いてくる感情を止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうする、王よ。

 ソイツは礼儀を弁えてないだけでなく、貴方に暴言すら吐いてしまっている。

 控えめに見ても、なんらかの罰を与えるべきだと考えるが」

 

 ────唐突にその静寂を破るようにして、王の近衞騎士が横から口を挟んだ。

 

 

「……そうだな、ケイ卿。貴方は正しい」

 

 王がそれに言葉を返す。相変わらず、ひたすら冷淡な声の調子だった。

 

 

 

 

 

 俺はそのひどく機械的な物言いに、先ほどの主張が全く目前の人達には響いていないのだと思った。 

 血が上っている頭が、更にかっと燃えるのを感じる。

 自分の顔が真っ赤になってくのが判るほどの怒りに、俺は反射的に顔を上げ、きっとその相手を睨みつけようとして────

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 

 

 

 ────その目に映った光景に、思わず言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

「────貴方には罰として、一つだけ私の命令に従ってもらおう」

 そんな惚けている俺を無視して、王は厳かに告げた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ……え?」

「ベディヴィエール」

「ハッ」

「今日話していた件についてだが、やはり彼には貴公と共に行ってもらう。

 明日の明朝の円卓会議には、彼を貴公の従者として伴い参加せよ」

「王、それは……いえ、承知致しました」

 判然としない頭で、その主従の遣り取りを一呼吸遅れて認識する。

「なっ、ちょっと待ってくれ!! こっちは何がなんだか──」

「────エミヤよ」

 戸惑う俺に、王が短い調子で呼びかける。

「貴方には罰として命令に強制で従ってもらうが、これには報酬もしかと与える。

 そしてその報酬の一つとして、その少女を貴方の専属の使用人としよう」

「なっ、いや俺が言いたいのはそんなことじゃ……」

「そうして、無事に命を果たした後で、その幼子に合う名前を付けてやるといい」

「────え」

 呆然と言葉を漏らした俺を尻目に、王は凛然としてその場に佇んでいる。

 言うべき事を終えたのか、じっと黙してこちらに落ち着いたその瞳を向けていた。

 

 

 

 

 

「さて、ベディヴィエール卿。明日の会議の前にその男への説明は頼んだぞ。

 本日決定した事柄も含め、せいぜいぼろ(・・)が出ない程度に差配してやるがいい」

 

 ────静観を決めていた騎士が、不意に横から口を挟んだ。

 それを聞き受けたベディヴィエールが二人に向かって静かに礼をした後、少女の手を掴んだままの俺を後ろに促す。

 何がなんだか判らなかった俺は、無意識に彼に従う様にしてゆっくり歩き出した。

 

 なんでこの時黙って続いたのかは、理性的にはわからない。

 だって、俺からしたらこの三人が何を話しているのか、俺は一体どうしたらいいのか、てんでわからないままだった。本当なら先ほどのの勢いのままここで食い下がって、納得の行くまで詳しく話をしてほしいくらいだ。

 

 

 けれど

 

 

 つい先刻の光景を思い出す。

 

 一瞬の事だったから、それは本当は単なる見間違いかもしれない。

 だって、会って間もない俺からしたって、その人は今までいつだって厳かで冷静に見えて、どんな事にだってどんな状況でだって的確な指示を下しちゃうんだろうな、なんてコトを真剣に考えてしまうほどに完璧に見えた。

 だから、その見間違いをしてしまった俺は、先ほどまで抱いていた激しい憤りも忘れて、為されるがままになってしまったのだ。

 

 

 扉を抜けて部屋より出る直前、ふと、後ろを振り返った。

 視線の先では、近衞騎士とアーサー王が静かに話し合っている。

 先ほどの事なんてなかったかのように、それは部屋に入る前と全く同じ光景だった。

 

 ……ああ。思い返すと、しょうがないと思ってしまう。

 だってあの何時だって悠然としているような王は、あの時────

 

 

 

 ────ひどく優しげに、微笑っているように見えたから

 

 

 

 

 

 

 

 




プロローグは何度も見直しましたが、士郎は名前をとても大事にしているんだなぁと感じました。彼に至る際、名前ではなく名字を残したことにも思い入れがあったのかなとか思ったり。

さて、次話からは本格的にストーリーを動かせていけたらと思います。実は前話にてこれからのストーリー上の矛盾になるように書いてしまったのですが、ひっそりと修正しました。目立たないところなので、気づかれないようでしたらスルーしておいてください笑



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11 円卓

「────俺が騎士見習いに?」

 驚きをそのまま口に出す。

 

「はい。正確にはそういう設定で、ですが」

 生真面目な騎士は、几帳面に言葉を直してそう返答した。

 

 

 

 昨夜、玉間から出るやいなや、

『明日の明朝、日が昇る刻に迎えに参ります』

 なんて一方的に告げられて、そのまま別れた俺たち。夜が明け宣言通りにやってきた騎士は、目的地への案内の道すがら口合わせをしてくれている所だったんだけれど、余りにも予想外の彼の発言に俺はつい言葉を挟んでしまっていた。

 

 

 

「ええと、でも、どうしてそんな事をする必要があるんだ? だって一応俺はマーリンの弟子ってコトになってるんだよな。だったらそれで十分じゃないのか?」

「はい。確かにその考えはある種正しいのですが……率直に言ってしまうと、信頼を得るという観点からして、魔術師殿の徒弟という肩書きがさほど有効ではないのです」

 城の階段を登りながら、つらつらと施される説明を聴く。

「……あぁ、なるほど」

 よく分かった。心から納得できた。

 

 

 

「また、その肩書きであれば、シロウ殿の見るからに異国風な外見にも違和感を感じる者は少ないでしょう。ここキャメロットには王の威光を求めて多くの国より騎士やその見習い達が集まっていましたから」

「……そっか」

『アーサー王の誉、全世界に轟き響く』だっけ。

 なるほど。この時代に生まれた騎士達からすれば、名高い騎士王の元に一度は馳せ参じたいってのも分かる気がする。であれば、俺も同じような目的でやって来たってした方が便利だと言う事も頷けた。

「ええ、やはり無闇矢鱈に騒ぎ立てられない方が好ましいですからね」

「ああ、それは本当に助かる。

 ……そういえば、あんた以外に誰が俺の本当のことを知ってるんだ? ええと、アーサー王にあのケイって奴と、マーリンと……」

 不意に沸いた疑問を重ねる。

 その質問に騎士は顎に手をやり、軽い逡巡のあと、口を開いた。

「あとはそうですね。王妃様もシロウ殿のことをご存知です」

「────あ」

 言われてみればそうだった。つい先日も、ギネヴィアとは未来の事について色々と話をしたんだっけ。……たしかに言われてみればその通りだったんだけれど、どうしてもその他の面子に一人浮いている気がして忘れてしまっていた。

「そういや、どうしてギネヴィアは俺の事を知ってたんだ?」

「……シロウ殿が牢に入れられた日のことになります。珍しく血相を変えて王の元へとやって来られた王妃様が、貴方のことに関して懸命に訊ねられました。その際は王が宥められたことで一度は引き下がられましたが、シロウ殿に事情を伺い次第、王妃様へも説明する事を約束させられたのです。

 無論、我々もシロウ殿のことを誤魔化そうとはしましたが……結局、王妃様には見破られてしまいました」

「……見破られてしまいました、ってそれでいいのかよ?」

 それじゃあ今から設定をわざわざ考える意味もない気がする。

 そんな俺の訝しげな視線を、しかし、ベディヴィエールは軽く頭を振って否定した。

「大丈夫ですよ。王妃様は聡い方であられます。それ故に、我々の急仕立ての偽りも正確に見破る事が出来たのです。そしてあの御方はシロウ殿の立場も我々の思惑も、どちらも正確に見据える事の出来る方。ご心配する必要はありません」

「……うーん、ならいいんだけどさ」

「それに今より考えるべきなのはその様な事ではなく、これから王より命ぜられる事についてでしょう」

「……そういえば、昨日から言ってるその『命令』って一体なんのコトなんだ。ベディヴィエールは、何でアーサー王が俺に会議に出るように言ったのか知ってるんだろう?」

 そうだ、これは知っておかなくちゃならない。だってそれが俺にできる事ならいいんだけれど、言ってくれなきゃ何に対してどう頑張ればいいのかすら判らないのだ。 

「はい、存じております。しかし、それは私が伝えるべき事ではないでしょう」

「……どうしてだ?」

「それは────すぐに知る事になるからですよ」

 

 

 騎士は会話を切って足を止める。

 ふと前を向くと、表面が瘤だらけな、古ぼけた木製の扉が聳え立っていた。

 その扉の前で騎士は几帳面に姿勢を正し、三回ほど、ちょうど等間隔に合間をとって連続で叩く。すると、その軽い反響音に応えるようにして、扉の向こうから呼び声が掛かった。

 騎士はそれに溌剌と応えて扉に手を掛け、ふとそれを開く前に俺の方を向き、少し抑え気味の声で言った。

 

 

「シロウ殿。申し訳ありませんが、この会議中貴方は私の背後で立ち尽している事になります。ただ、幾人かの騎士は同様に従者を連れていますので、もし何か疑問があれば彼らを倣うようにして頂ければ大丈夫かと」

「…………わかった」

「ふふっ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。基本的に、椅子に座っていない人間には話しかけられる事もないので」

 

 

 騎士はそう言って笑い、扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そこは、極めて燦々とした空間だった。

 

 

 扉を通ってまず目に入ったのは、頭上から差す色とりどりの光。思わず目を眇めて見上げれば、天井一面に広大で綺麗なステンドグラスが敷き詰められ、豪奢な模様を屋上から差す陽光が細やかになぞり、多彩な色となって部屋に降りてきている。壁には種々多様なタペストリーが飾り付けられ、床は磨きこまれた大理石。加えて辺りには貴重そうな彫像や旗が所狭しと置かれていた。

 

 華やかな、されどどこか神さびた荘厳さを帯びた、誉れ高き騎士達の間。

 

 その煌びやかな装いを尽くした部屋の中で、しかし、最もその存在を主張しているのは、一見この場に似つかわしくないような、古めかしい大きな大きな円形のテーブルだ。そして、その卓を囲むように十三もの椅子が並べられていて、そのうち十の席には人影が既に在った。

 

 ……俺は、その想像するだけでも震えてしまいそうになる光景に、知らず息を飲み足を止めた。

 

 

 ────円卓の騎士

 

 

 それは、卓を囲む者全てが対等であると定められた席に座す、騎士の集団。

 言い伝えによれば、その一つ一つの席に魔術が掛けられており、仮に相応しくない人間がそこに座った場合、その者は呪いに冒されてしまうという。

 故に、目の前に座している彼らは最高位の誉を冠する騎士達であり、各々が後世に名を華々しく残す英雄達だ。

 

 

「ベディヴィエール卿、貴公で最後です。疾く席につくといい」

 真っ直ぐ最奧の位置に座すアーサー王が言う。それを受けたベディヴィエールは向かって西、円卓の左端に席を着いた。

 俺も慌てて意識を戻し、他の何人かの騎士達の従者を真似ながら彼の背に侍る。

 

 

「まず初めに、皆よく集まってくれた」

 王が周りを見渡しつつ、口火を切った。

 

 

「ハッ。此度の集まりにおいても壮健なお姿を拝見出来ました事、実に喜ばしく存じます、我が王よ」

 その言葉にまず応えたのは、仰々しく立ち上がり王に向かって深く礼をした白銀の鎧騎士。金の髪が反動に揺れ、伏せられた涼やかな瞳がさらりと隠された。

「……兄上様は昨夜王にお会いしたと思いますが、円卓にても変わりありませんね。

 しかし、私も同様に存じます、アーサー王」 

 次に続いたのは、白騎士の横で苦笑を漏らした青年騎士。発言通り白騎士の兄弟なのだろう、よく似た薄い金色の髪をしていた。

 

 そうして、彼らの発言に続くようにして席に着いていた騎士達が一斉に立ち上がり、王に礼を捧げていく。ぎこちなく俺も周りに倣っておいた。

 全員が着席をした事を確認し、今度は茶髪で細身の騎士が口を開く。

 

「しかし、現在の席人達が一堂に会する此度は本当に久しい事ですね。我らがランスロット卿が長旅より戻ってきた事もそうですが────それにしてもモードレッド卿、貴公が円卓に見えなくなって暫くだったではないですか。さて、一体何処で何をしていたのかを伺っても宜しいか?」

 

 騎士にしては力のなさそうなその男は、身体に揃いのか細い目を顔貌に持っている。そしてその細長い目にどこか鋭さを湛えて、同輩の騎士へと問いを投げ付けた。

 向かう先は、顔まで覆う白銀と赤の全身鎧を纏った騎士の元。

 

「…………黙れ、ボールス卿。オレが何処で何をしていようが、お前に指図される筋合いはない」

 その問いに億劫そうに答える騎士の鎧から、反響してくぐもった声が外に漏れる。

 苛ついた様な声のトーンと口調はどこかその騎士の荒い気性を表しているようで、横から聞いててもあんまりな返答に、ボールス卿と返された騎士も口を噤み肩を竦めた。

 

 ……俺は、目の前の遣り取りに、自然と働き出す思考を止める事が出来なかった。

 何故なら、伝え聞くアーサー王物語の中でも余りに有名な騎士の名前が出てきたからだ。

 

 

 ────円卓の騎士の一人、モードレッド

 

 

 伝承において、その名を冠する人物はアーサー王の国の破滅をもらしたと言う。遠征中の王不在時に国を顛覆させ反逆し、最後にはカムランの丘にてアーサー王自身に致命傷を直接与える、反逆の徒。

 今居るこの場が物語ではなく現実だと知ってはいても、その名で呼ばれた騎士を何の色眼鏡もなしに見ることは難しい。

 

 

「そう喧嘩腰になる事もないだろう、サー・モードレッドよ」

 口を閉ざした騎士の傍らで、腕を組んで座る熟年の騎士が代わって口を開いた。

「然るに、確かに何処で何をしようとお主の勝手だが、某も貴殿には訊ねたい事がある。

 サー・ランスロットが帰還した今。我ら円卓の揃う場に顔を出した事がお主の意向だというのなら、それは実に粋な計らいだと考えるのだが、如何有らん?」

 

 騎士は豊かな顎髭を梳かしながら、衰えのない好奇心の強そうな色合いを瞳に携えて相手を窺う。

 その別方面からの問いに赤銀の騎士が、チッと、更に苛々した様に小さな舌打ちを洩らして睨み返した。

 

「ほざけ。ランスロット卿の動向など、このモードレッドの知った所ではない。

 ────それにしてもルーカン卿よ、横から口を挟むとは大した礼儀をしているな。よほど、その老いぼれ始めた口が要らないと見える」

 

 発言を進める毎に語調を強めた騎士が威嚇する様にして素早く立ち上がる。彼の鎧の腕は腰の剣に伸びていた。乱暴な動きの反動で彼の椅子が動く音が、がたん、とやけに大きく部屋に響いた。

 

 ……一体なんなんだってんだ、こいつら。

 急速に張り詰めていく空気を肌に感じ、思わず吐き出してしまいそうになる悪態をなんとか飲み込む。俺が言うべきことか判らないけど、それにしても仲が悪いにしても程があるだろう。……挨拶がてらに刃傷沙汰って、一体何処の紛争地帯だというのだろうか。

 

 そして、突然の事態にも熟年の騎士は尚も泰然とした佇まいを揺がさなかったが、他の騎士はそうではない。特に俺の目の前に座るベディヴィエールなんかは、半ば腰を上げて言葉を挟もうとしている。

 俄かにざわついていく部屋の空気に、俺はもう意味不明でひたすら戸惑っていた────

 

 

 

 

 

 ────その時

 

 

 

 

 

「────そこまでだ。

 此度の招集に皆応えてくれた事には感謝しよう。

 しかし、このような諍いの為に貴方達を呼んだ訳ではない。

 とりわけモードレッド卿よ、貴公はまずその姿勢を正すべきだろう」

 

 

 

 感情を感じさせない、場を凍らせる声が部屋に響いた。

 その、まるで少女のように澄んだ声で、朗々と告げられる言葉の束。

 

 

 

 

 

「…………仰せのままに…………アーサー王(・・・・・)

 

 

 それは、明らかに何かを噛み殺した返答。

 それでも至上であるはずのアーサー王の言葉だからだろうか。

 赤銀の騎士は抱えていた憤慨を静かに飲み込み、元の位置にどすんと座り込んだ。

 

 

 王はその様子を見て一つ頷き、加えて残りの騎士達を見回す。

 王に視線を送られた者達はその視線を受けるではない。しかし、先程までのどこか浮いた気配を消し去り、ただ敬虔な臣下としての装いを彼らは纏っていた。

 言葉を発する者は、一人も居ない。

 

 

 ……しんとした、どこか耳の痛い沈黙が場に凝る。

 

 

 その一気に強張っていく空気に、黙って突っ立っていただけの俺も自然と背筋を伸ばした。いつの間にか、背骨に氷を突き刺したかの様に肌冷たい感覚が身に湧いている。

 誰も喋らず誰も意見せず、そんな重りを載せたような静寂が場を包み、そうして暫く。

 頃合いだと思ったのだろう

 王の横に座る近衛騎士が口を開いた。

 

 

「それでは、俺の方からお前達に話をしよう。

 今回集まってもらったのは他でもない。知っての通り、先日より王は魔術師マーリンに国内の偵察を任せていたが、その事柄に関してが主な議題だ。────結果から言えば、ここキャメロットより北東の地にて大規模な魔術行使を知覚した。恐らく敵国による行為だろう」

 

 その物騒な切り出しに、静まりきった場が俄かに色付いた。

 すぐに代表するようにして先ほどの熟年騎士が声を上げる。

 

「なんとっ! あの憎っくきピクト人共との争いを終えたばかりだと言うに、またしても新たな外敵が現れたと申すのかッ!」

「……さて、詳しい事は定かではない。しかし、我が国の領土内において知らせがない所を見るに、一先ずそう考えるのが妥当だろうさ」

 場にちらりと一瞥を与え、自身の考えを述べるサー・ケイ。

「それは早計ではないでしょうか。現在の世情です。万が一ではありますが、内乱という事も考えられる。容易に断じて良い事ではないと考えますが」

 その返答に、別の可能性を投じる茶髪の騎士。

「……あの魔術師が本当の事を言っているのかをまず疑うべきでないのか? あの老いぼれの事だ。いま此処に居ない事も顧り見るに、どうにも胡散臭く思える」

 横から静かに言い捨てたのは、寡黙そうな別の騎士。そいつもあんまり体格は良く見えなかったけれど、一癖二癖もありそうな気配を感じさせた。

 

 

 そうやって、騎士達は思い思いの意見を交わし始める。

 自身の意見を押し通す者

 あくまでも客観的に話す者

 各々の発言を補填する者

 一様に異なったスタンスで、様々な発言が卓越しに飛びあっていた。

 

 

 ……俺からすればどの意見も尤もそうに聞こえるのだけど、背景を知らない自分には意見を挟む余地もない。

 いや、意見を求められてる訳じゃないからそれでいいんだけれど、こんなに重要そうな話を聞いているのに、てんで分からないで置いてけぼりってのは、なんとなく決まりが悪かった。

「後でこの国の現状を勉強したほうがいいかな……」なんて、彼らの会話を前にぼんやりと考えていた俺は────不意に聞こえた声に、顔を上げた。

 

 

「────そこまでにしてはどうだろうか」

 

 

 視線の先に居たのは、黒い鎧を着服している騎士──サー・ランスロット。

 

 

「確かに情報不足のため疑念は起こりうるものの、放置しておいて良い事でもない。

 それにアグラヴェイン卿よ、魔術師殿に関しては王への今までの貢献より疑うべくではないでしょう。

 皆もこうして憶測に時を浪費する暇があれば取るべき施作を考える事が先決だと思いますが、いかがか」

 

 黒騎士の発言と視線に、今まで騒ついていた空気が明らかに鎮まっていった。騎士達の殆どが口を噤み、彼の視線に頷きを持って返答する。その様子は、他の者達からその黒騎士への厚い信頼を感じさせた。

 そして場を落ち着けたと見た黒騎士は、ちょうど対面に座すアーサー王に視線を送る。それに強く頷いた王は、彼の言葉に続いて言った。

 

「ランスロット卿の言う通りだろう。不確かな情報ならば、さらに詳細に探って確かにするまで。そしてその為にも、私はベディヴィエール卿に斥候へ行ってもらおうと考えている」

「……ベディヴィエール卿が、でしょうか? 我らが円卓の騎士の一員が、その様な不確かな情報にて赴く必要があるのでしょうか?」

「……貴方の疑問とする点も分かります、ボールス卿。

 しかし、我が国はあの獰猛な山の民との戦争を終えたばかり。兵達も疲労している今求められるのは、如何に人力を失う事なく備えを充実させるかという事。故に、此度は兵士達を連れる事なく、少人数で任を果たせる者が必要となる。そしてその点、ベディヴィエール卿の敏捷さと機転の良さは円卓においても卓越している。仮に斥候として動く間に敵と遭遇する事になろうと、その情報を無事に城まで持ち帰ってくれるだろう。それに────」

 

 

 一度短く切りあげ、そうして王は言葉を続けた。

 

 

「────ベディヴィエール卿には、魔術師を一人、伴として同行させようと考えている」

 

 

 その言葉は、なんだかやけにすんなりと胸に入ってきた。

 

 

「魔術師を……? 確かに、敵側に魔術師がいるのなら此方も用意できれば良いのですが、適当な者がいるのでしょうか?」

「ええ、その者も既にこの場に招いています」

 

 訝しむような騎士の問いに、王は悠々と余裕を持って答え、視線を移した。

 それに続くようにして騎士達の顔が一斉にスライドし、その目線が向かうのは円卓の左側に座る金髪の騎士ベディヴィエール────の、強いて言うのならちょっと上の方にズラしてもう少し奥の方へと進んだ────

 

 

 

「────って、え?」

 

 気のせいだろうか。

 この場に居る全員の視線を、俺が独占してしまってるなんていうコトは。

 

 

 

 

「────な」

「彼は名をエミヤと言う、つい先日この城にやってきた士分の位を冠する者です。

 また、彼は騎士の作法を学ぶと同時にマーリンより直接魔術の指導を受けている。そして、彼にはベディヴィエール卿の従者として此度の任務に同行してもらう事にします」

「……」

「おおっ、久方ぶりの新たな騎士候補ですな。幾分か未熟に見えるが、その様なことこれから次第でどうとでもなるというもの」

「……」

「ふむ、新たな魔術師が加わっていたのですか……なるほど、騎士を目指すと言うのでしたらそれ相応の試練も必要となりましょう。此度の任に同行するのは、そういう意味でも理に適っていますね」

「……」

 矢継ぎ早に続けられる騎士達の言葉に、俺はもう、驚きの声を上げる事すらできない。だって理解範疇の枠を超えて、ワケが判らない内容続きだったのだ。だから、もうトンチンカンの状況は脇に置いておいて、とにかく言いたいことが一つ……話が違うじゃないか、ベディヴィエールっ!!!!! 

 

 ────しかしそこで、混乱の極みに陥っている俺の横から、心の底からの疑問を発したかの様な声が聴こえてきた。

 

「……王よ、このような貧弱な男に貴方の命を託して良いものか?」

 

 それはなんだか、どうしようもなく人の事を思いっきりバカにした言葉だった。さすがの俺も気を戻し、むっとしてその発言者に視線を送る。

 

「…………お前は」

 

 そいつは、何処かで見た覚えがある奴だった。筋肉質でガッシリした長身に、厳つい顔の右瞼に大きな傷のあるその騎士。何より、聴こえた言語は違えど、その人を見下した声色には覚えがあった。

 

 ────ここに来た初日に俺を牢にぶち込んだ、あの鎧の男────

 

 そこまで思い立った俺は、眉を潜めて眼前の人物をじっと見据えた。驚く事の連続で、あのムカつく奴が居たってコトに気づかなかったのだ。会った時は暗闇だったとは言え、自分がひどく間抜けに思えて悔しかった。……そんな臍を噛んだ俺を尻目に、そいつは更に馬鹿にした色を強めて言い捨てる。

 

 

「貴様の様な者がこの場に居るとはな……全く、円卓の品位を落とす事になると言うものだ」

「…………なんだって?」

「ふんっ、なんだその目付きは? 俺は事実を述べたに過ぎん」

「────無礼が過ぎるのではないですか、パロミデス卿よ。彼は王が招いた人物です。貴方のその言葉は、ひいては王を侮辱する事に繋がると知りなさい。もっと貴方は言葉を選ぶべきだ」

 ベディヴィエールのその横槍に、くっ、と、喉元で軽い笑みを男は零した。

「ハッ、俺にその様な意図はないぞ、べディヴィエール卿。第一、魔術師だと言うがその様に餓鬼臭い小僧が碌に役に立つのか疑問も甚だしい。それに、俺は貴殿の事を心配しているのだ。そら、円卓として名を馳せる貴殿の名声を、その小僧に足を引っ張られる事で貶められでもすれば、それはひどく業腹な事だろう?」

「────この、野郎っ」

 

 ここに来たばかりの事も合わさって、思わずカッとなり声を荒げてしまった俺。そんな俺の様子を、侮蔑の混じった瞳でもって見下してくる鎧の男。相変わらず嫌に癇に触るその声色に、とことんそいつとは相容れない予感が胸に湧いていて、俺とそいつは、とにもかくも睨み合い続けた。

 ……だが、そんな険悪な雰囲気の俺達二人を相手に、王が間を遮って口を開く。

 

「控えよ、サー・パロミデス。

 彼の同行に関してはあのマーリンからの堤策だ。こと魔術に関して、彼の言葉を疑うべきではない。

 それに貴公は当千の勇猛さを持ち合わせているが、どうにも他者への口が過ぎる。もう一度心得を顧み、騎士としての姿勢を正すべきだろう」

「…………承知致しました、王よ」

 

 静かに告げられるその言葉に、不承不承としながらも引き下がる鎧の男。俺もどちらかと言うと納得はできていなかったんだけれど、目の前のアーサー王に迷惑を掛けたくなくて、渋々ながら怒りの声を抑え込んだ。……当然、ムカつくそいつとの睨み合いは止めなかったが。

 そして一方、どこか憮然とした顔の王は、その俺たちの様相を無視して何かを告げようとした。

 

 

 

 ────と

 

 

 

「────お待ちください、王よ」

「…………ガウェイン卿?」

 

 

 漸く話の落ち着けどころに至ったのに、金髪の白騎士が待ったを掛けた。

 

 

「此度の敵情視察、私もベディヴィエール卿に同行してもよろしいでしょうか」

 

 

 真面目そうな騎士のその意外な言葉に、場にいる全員の注意が一斉に向く。

 

 

「……どうしたガウェイン卿? 貴殿の事だ、『敵情偵察は下級兵士の役目』などと、常の通り言うかと思っていたが……それどころか自ら同行を求めるとは、どういう風の吹き回しだ?」

 

 今まさに俺と睨み合ってた騎士も、どこか訝しげに白騎士を伺った。

 けれど、その騎士は横からの意見に戸惑うことなく、顔をしっかりと上げて自身の考えを告げる。

 

「────ええ。それも真理であり、私の考えと寸分違わぬ物です。

 しかし、此度は王きっての我らが同輩への命。パロミデス卿、貴公が述べた私の考えは結局のところ定石に過ぎません。そして、王の考慮はその定石を凌駕することは自明の理。よって、王の命じられた方策こそ、此度における至上の策となります。

 故に、同行を申し出る事に対して私は何の遺憾も持ち合わせていません」

 

 朗々と告げられる文言。

 それに対して、鎧の男が言葉を失った。

 そして、誰もがその内容に何とも言えない表情を浮かべながらも、白騎士の隣に座る青年騎士だけが仕方無いと言いたげに苦笑を浮かべている。

 白騎士はそんな場の空気を意に介さず、言葉を続けた。

 

「加えて、私は魔術にも多少の造詣があると自負しております。

 此度の旅が如何なるものになろうと、私においては不手を打つ事はないと思われます、王よ」

 

 その芯の強そうな騎士の申し出に、初めて嘆息を漏らした王が小さく頷いた。

 

「…………いいだろう。ただし、常の通り貴方の領土に関してアグラヴェイン、ガヘリス、そしてガレスにもしかと引き継いでおきなさい。万が一と言う事も有りえる。念入りに備えて出立せよ」

「ハッ、謹んで受命致します」

 王の許可に、白騎士は初々しげに面を上げて応えた。

 その後、その騎士はベディヴィエールと俺の方向に視線を遣り丁寧に目礼を送ってきたんだけれど……その際に、何故か俺に対してもしっかりと目を合わせてきた事が変に印象に残った。

 

 

 

 

 ────さて

 その問答を後に居ずまいを正した王は、最後に場をもう一度だけ見渡し、口を開いた。

 

  

 

 

「これにて、此度の円卓会議を終了とする。

 ベディヴィエール卿とガウェイン卿はただちに準備を開始し、出立せよ。

 また、ランスロット卿はまだ暫しの間、旅の疲れを癒すと良い。

 ケイ卿、ルーカン卿、ボールス卿、アグラヴェイン卿、ガヘリス卿、パロミデス卿、モードレッド卿もよく集まってくれた。兵と軍備の充実を計りながら偵察の結果を待つ。異存はないな」

 

 

 部屋に涼やかに響き渡る王の声。

 

 その締めの言葉に、一様に立ち上がり礼をして場を辞してく騎士達。一人、また一人と、場から人が減るに連れて弛緩していく部屋の雰囲気に、俺は漸くほっと息をついて肩をほぐすことができた。

 ……本当に、どうしようもなく張り詰めていた空気に、何故かいやにくたびれてしまっていたのだ。

 

 

 

「……もっと華やかなもんだと思ってたな」

 

 気が緩み過ぎてしまったのだろう。油断していて、ぼそりと本音を出してしまった。

 耳聡く言葉を拾って心配させてしまったベディヴィエールに手を振り誤魔化しながらも、俺は自分が呟いたコトについて考える。それは勿論、いま俺が目の当たりにした彼らについてだった。

 

 円卓の騎士

 栄え有るアーサー王のキャメロットにおける、名声高き伝説の戦士達。

 そんな彼らが集まって話し合う場だって言うから、なんというかもっとこう、場が盛り上がるイメージを勝手に抱いていた。

 だって、伝承によれば円卓で騎士達が互いの武勇伝なんかを言い合うってのが相場だったし、さっきまで居た騎士達の装いも物語に出てきてもおかしくないぐらい立派だったのだ。和気藹々とした騒がしい場を浮かべてしまうのも仕方ないと思う。

 

 ────ところが

 場が開いてみれば、実際は真逆。

 

 挨拶どころか、開口一番に仲間の騎士同士でのヒヤリとする問答。

 陽気な場なんてもんじゃない。ギスギスギスギス、まるで針の筵に立っているかの様な気まずい緊張感に包まれていた、先程までのこの空間。同じ卓に座る仲間なんだから気安く話せばいいと思うのに、どうして態々胸の内を探り合う必要があるのだろうか。国における地位争い? 騎士としての技量への嫉妬? ……マーリンの言を借りればあの空気感にも何らかの原因があるってコトなんだろうけど、よくよく考えても俺には見当もつかなかった。

 

 

「さてシロウ殿、私たちも行きましょうか。これから色々と準備しなくてはなりませんので」

「────ああ、わかった」

 

 

 ベディヴィエールに呼ばれて、俺はその無為な思考を切って捨てた。

 分からないものはいくら考えても分からない。さっきの会議中に同じ様な遣り取りがあったけれど、重要なのは今自分達に降りかかる問題にどう対処するかなのだ。なんてったって、俺は今から従者兼魔術師として任務を果さなければいけないらしいし。

 …………正直言って、寝耳に水なその命令に応えられるかどうかは自信が無いけれど、これまで散々良くしてくれた人達の為にも、俺は全力を尽くさなければならない。

 

 

 

 

 

 気づけば、部屋にはもう他の騎士たちは殆ど見えなくなっていて、残ったのはもう俺たちぐらいになってしまっていた。だから、急いでベディヴィエールの背に続き、出口へと向かい────

 

 

 

 

 

 かつんかつんかつん。

 自分たちのそんな足音が、がらんとした部屋にやけに明瞭に響き渡るのが気になった俺は

 

 

 

 

 

 ────その、

 侵し難い静けさを破ってしまったが故の奇妙な罪悪感に

 

 

 

 

 扉をくぐって部屋を出る直前

 なんとなしに立ち止まって、後ろを振り返った

 

 

 

 

 

 ────視線の先

 

 

 

 

 

 先程まで、騎士達が会議していた場所

 煌びやかな陽光が降りてきている、その空間

 豪奢で華やかな、栄華を極めたが如き輝きの中、

 おそらく誰もが夢に見る、まるで絵画の様に荘厳なその部屋の中で

 

 

 

 

 …………その人物は

 いったい何を思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 身じろぎすらせず、そっと静かに瞳を閉じて

 

 

 

 

 

 

 ────ただ一人、王はその場に佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




円卓は十三席の設定です。ただこの話に出てきた以外の騎士が出ないわけではありません。
マロリー版に習いルーカン卿とベディヴィエールさんは兄弟ですが、かなり歳が離れていると考えて頂ければ。なお、この創作ではキャメロットの場所をコルチェスターと仮定して書いています。(→コングレスベリーに変更)

アーサー王物語を知ってる方はなんとなくどれ位の時期か想像がつくかと思われますが、同時に違和感もあるかと思います。(この時点で居るべき人がいなかったり、居ない筈の人が居たり)
アーサー王物語の資料を色々読んで設定の違いや矛盾等を知り、もう好きに書いてやろうと振り切った次第の作者です笑 
宜しければもうそういう物だと考えて、逆に楽しんで頂ければと思います。

(あと、セイバーがカリバーンを抜いてからの年月が10年でなく20年だという噂を聞いたのですが、この創作は10年前提で書いています。Garden of Avalon、読めてなくてすみません。。)


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12-1 準備

 

 円卓の間を出てからしばらく。俺とベディヴィエールは二人して城内を歩き回っていた。遠征に一緒に行く事になった白騎士とは、出立の前に城下の村前で待ち合わせるのだという。今は別れて、各々の支度をしている最中だった。

 そして偏に支度といっても、各々によって用意する物の担当は別だ。俺たちが夜露をしのぐ防寒布などを用意する一方、もう一人の騎士は道中の食料なんかを準備してくれているらしい。……ちょっぴり嫌な予感が脳裏に走ったものの、一番マトモそうなベディヴィエールがその考えに賛同しているのだ。取り立てて心配することもないだろう。

 ────さて

 

「…………重い」

 

 つらつらと振り返った回想を頭の隅に追いやって、俺は独りそうごちた。

 ……何が重いかというと、体を動かすたびにじゃらじゃらと掠れる金属の甲冑がその原因で。無理をすれば動けない事もないが、その場合、纏う鎧の重さですぐにくたばっちまう想像が容易についた。

 そんな俺の様子を傍らでじっと見ていた騎士は、しばし口元に手をやり、眉を軽く潜めて言った。

 

「なるほど、少々シロウ殿には重さが過ぎてしまってるようですね」

「……いや、これって俺が変なのか?」

 どう考えてもこの鎧、40キロ近くはあるように思える。こんな物を纏って人は自由に動けるものだろうか?

「いえ、その鎧は特別な物ではありませんよ。せいぜいが平均程度の守りと重量です。とりわけ我々の自前の物などは、防御を高める為にその二倍近くの重みがありますから」

「……円卓の騎士は化物か」

 思わず本音が出てしまった。

 

 

 さて、なぜ俺がこんな事をしているのかというと。

 『従騎士なのですから、武具を身につけるのも必須ですよ』

 などと宣った騎士に従った結果、まさかの俺専用の鎧を探している最中なのだ。

 だから、ぎしぎしと音を立てる城の地下階段を下り、こうして薄暗い軍備庫の中で装備を物色しているんだけれど……どうしても自分が騎士なんて柄でないと思えてしまい、なんだか不思議な心持ちで為されるがままになってしまっている俺だった。

 

 

「とすると、こちらはいかがでしょうか?」

「ん、ありがとう」

 俺の脱ぎ終わった鎧を受けとったベディヴィエールが、先ほどよりも軽そうな代替品を手渡してくる。その気遣いは素直にありがたいので、礼を言って受け取り素早く身に付けることにした。既に慣れてしまった自分が怖い。

「……ああ、これならなんとか大丈夫そうだ」

 身辺の動作を確認し、ほっと安堵の息を漏らす。

 俺が今身につけているのは、一つ前の物より随分表面積の少なくなったプレートアーマーだった。鈍い銀色の籠手と足具が身体の先から肘と膝までに、同色の板金鎧が上半身から腰周りまでを覆い被している。腰帯をしっかりと固定すれば、キッチリとした装着感をもたらした。先ほどの物と比べると隙間もあるが動作性は随分ましで、こっちなら俺でもある程度自由に動けそうだった。

「そのようですね。……しかし、騎士として習熟していないシロウ殿には本来ならより全身を覆うような物が良いのですが……」

「あー、まぁ、一応魔術師って事でどうかな」

 これ以上重くなって身動きが取れなくなっては本末転倒だ。

「……そうですね。それでは、これをどうぞ」

 妥協したように頷いたベディヴィエールが手に持つ剣を手渡してきた。全長九十センチくらいの、簡素な諸刃の鉄剣。

「あ、そうか……うん、ありがとう」

 それに礼を返し、ぎこちない手付きで剣帯に差し込む。

 一瞬、投影魔術があるから大丈夫かもと思ったけれど、まだ咄嗟に出せるかも分からないし、騎士見習いとしている以上初めから剣を備えておく方がいいだろうと考えたのだ。

「そういえば、ベディヴィエールの剣は随分と長いな」

 ふと気づいて尋ねてみる。彼のそれは刃渡だけで俺の持つ物ぐらいの長さがあった。蒼銀の刺繍の入ったデザインの鞘に収まった、横幅がやけに細いのが特徴的なその剣。

 俺の視線に、腰に下げたそれをこつんと叩いて騎士は答えた。

「そうですね、この剣はロングソードです。私は特に騎乗での戦闘を得意としていますから」

「……そうなのか」

「ええ。では、次の場所に向かいましょうか」

「ああ、うん」

 鞘越しでも非常に質の高そうなその剣に俺はかなり心揺れながらも、歩き出した騎士の背に意識を切り替えた。

 

「……そういや、結局マーリンは何処にも居なかったな」

 騎士の少し後ろに追いついて歩きつつ、ぼそりと一人言のように呟く。

「そうですね……魔術師殿も多忙な方であられますからね」

 生真面目な騎士はそれを耳聡く拾い上げ、宥めるようにして返答した。

「……ったく」

 そんな事は判っていたけれど、こうしてあちこち行ったり来たりしているのがアイツの提案からっていうのに何の説明がないのはどうなんだろうと思ってしまう。あの場にも来なかったし、会議が終わってから城内を探して回ったけれど全く見つからなかったのだ。 

 もちろん、ベディヴィエールに当り散らしたい訳ではないのだけど。

「……そういや、今度は何処に向かってるんだ?」

 ふと胸に湧いた疑問を口に出す。

 皮袋に入れた飲料水に数日分の着替え、雨が降ってきた時用の小天幕や先程の剣鎧。既に思いつく限りの準備は済ませている筈だ。

 そんな思い込みをした俺の問いかけに、騎士は振り返って軽く笑ってみせた。

「ふふっ、シロウ殿は徒行で旅に出られるおつもりですか?」

「……あ」

 そういえばそうだ。今から遠くへ斥候に行くってのに、そんな散歩に行くかのようにのんびりしてていいハズがない。現状が身に覚えが無い事ばかりでそこまで考えが及んでいなかった。

 ……だが、今俺が居るのは元の時代ではない。ウンと昔の中世イギリスだという事も同時に思い至った。

 と、いうことは……?

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、やっぱりそうだよな」

 次にやってきた場所を目にして、俺はある意味納得の声を上げた。

 

「? シロウ殿? どうかしましたか?」

「あ、いや、なんでもない。うん、考えてみりゃ当たり前だと思っただけなんだ」

「……? まぁ、それなら良いのですが……それでは、少々こちらでお待ちください」

「ああ、わかった」

 視線の先に消えゆくベディヴィエールを見送る。彼が入って行ったのは城内にある大きな『厩舎』だった。まぁ、予想通りといえばその通りなのだが、ハッキリ言って意識的に考えないようにしていた自分が居た。だって、廐って事はそれは馬がそこにはいるって事で、その目的はと言うと……。

 そんな事を考えてげんなりとした俺に、戻ってきた騎士が後ろから声を掛ける。

 

「シロウ殿、お待たせしました」

「ん? ああ、ベディヴィ──」

 そのままの陰鬱な気分でのろのろと振り返ろうとして────その途中で、知らず声を失ってしまった。

「……大丈夫ですか、シロウ殿? 先ほどから様子がおかしいままですが」

「…………いや、なんていうか……すごいな」

 本当に、予想外に目にしたモノに、惚けた様に呟いてしまった。

 

 秀麗な栗色の月毛が特徴の、体高が俺の身長以上もある二頭のその馬。

 一頭は黒っぽい鬣で、一方少し小さいもう一頭の方は白っぽい鬣を携えている。

 どちらの馬も、ガッシリした体格を支えるその隆々とした頑強な脚が非常に目立っていた。

 

「これって……」

「はい、この仔がシロウ殿を運んでくれる事になりました」

 ベディヴィエールはそう言って手綱を軽く引き、白い鬣の馬を誘導する。そいつは大人しく従い、ゆっくり俺の目の前に近寄ってきた。……俺はなんだか、先程まで憂鬱になっていた事なんて忘れて目が釘付けになってしまっていた。

「えっと、触ってもいいのか?」

「ええ、構いませんよ。大人しい仔ですが、声を掛けながらゆっくりと近づいてあげてください」

「…………わかった」

 言われた通りに『よーしよし』なんて言いながらそろそろと近づいて鼻先を撫でると、そいつは気持ちよさそうに鼻を鳴らして目を閉じた。なんとも言えない感慨を得る。

「どうやら相性は悪くないみたいですね」

「ああ、そうみたいだ……そっちのヤツは、ベディヴィエールの?」

 もう一頭の黒い鬣の方に目を遣り、騎士に尋ねる。それに彼は頷きを持って応えながらソイツの首元をさすって優しく声を掛け、馬の方もそれを受け入れるように頭を下げ、騎士の動きに合わせるように嬉しげに嘶いた。

「……ベディヴィエール、そいつのことすごく好きなんだな」

「ええ、名をブリガンディアと言いますが、私の大切な相棒です」

「……そっか……そういえばよく似てるけど、もしかして兄弟なのかコイツら?」

 相変わらず、気持ち良さ気に目を閉じるそいつを眺めながら尋ねる。

「仰る通り、その仔たちは同じ馬を親とする兄弟です。彼らの父親は、アーサー王の愛馬の一頭であるドゥン・スタリオンなんですよ」

「へぇ、そうなんだ…………って、えっ!?」

 何事もなく流しそうになってしまったけれど、突飛な名前の出現に驚きの声を上げてしまう。

「そんな……いいのか? 俺なんかがそんなに貴重そうな馬に乗っちまって?」

「ふふっ、王の彼の馬は多くの仔を残していますから気にすることはありませんよ。それにその仔にはまだ正式な名がありませんから、どうぞシロウ殿のお好きなように付けてあげてください」

「…………あのなぁ」

 近頃にも聞いた似たような言葉に、驚きを越して呆れてしまった。

 それでも、ちゃんと頭を働かせてその無理な頼みを固辞しようとして────横から脇腹へと鼻を擦り付けてきたその栗毛の行動に、代わりにため息をついて頷くことにした。

「……わかったけど、今すぐには無理だ」

「ええ、構いませんよ。道中でゆっくりと考えてください。さて、それではそろそろ行きましょうか」

 そう言って騎士は自分の馬に飛び乗り、馬上から俺を促してくる。……だけど、重要なことが一つ。

 

「…………あのさ、俺、馬乗ったことないんだけど」

「…………え?」

 その予想通りの反応に、俺はもう一度だけ溜め息を吐いた。

 

 

 

 

「はぁ、未来にはその様に便利な物があるんですね」

「……まぁ、そういう事だから、できれば最初から乗り方を教えてくれ」

 そうして、何故馬に乗ったことがないかを車や電車なんかを例に挙げて説明し、本当に基本の基本から教えてもらう事にした俺。そして、その頼みに相変わらず几帳面に騎士は一から説明してくれ、晴れて俺は初馬乗りを敢行しようと相成ったワケだが……

「……鞍はあるけど、鐙はないんだな」

「? シロウ殿、鐙とは一体なんですか?」

「ああいや、気にしないでくれ。じゃあ、よろしく頼む」

 ない物はしょうがない。気を取り直して騎士に声を掛け、補助として持ち上げてもらう様に頼んだ。

 ……仕方ないだろう。初めてだし、鎧を着てて身体が重いんだ……。

 誰にともなく言い訳を呟き、浮上する身体と共に白い鬣の後ろに飛び乗った俺は──

 

 

「うわっ、すごいな」

 

 その景色の感動に、思わず感嘆の声を上げてしまっていた。

   

 だって、今の俺の目線は単純に計算して二メートルより上。

 内心自分の身長にコンプレックスを持っている俺としては、こんな視界で世界を見る事が出来るなんて思いもしなかったのだ。正直言って、憧れに届いた気がしてなんだか非常に気分が良い…………って、そんな事を考えててどうするんだ。ええっと、ベディヴィエールに言われた通りにリラックスして背筋を……伸ば、して…………あ、ヤバイこれ鎧でバランスがっ── 

 

 

「──うわっ────痛ッ……!!!!!」

「あ、シロウ殿」

 

 急速に強まった振動に数秒と持たず、俺はその背中から転がり落ちてしまった。

 

 がしゃんと鳴る鎧の音に驚いた馬が甲高く嘶く。その獰猛な声に背中を強く打ち付けながらも危機感を得た俺は──けれど、すぐ側で冷静に様子を見ていた騎士がその手綱を抑えるのを見て、ほっと安堵の息をついた。……というかなんなんだその落ち着きは、ベディヴィエール。コイツひょっとしなくても予想してたな?、なんて、釈然としない気分で痛む背中をさすっていると──

 

 

 

「ははっ。随分不恰好じゃないか、少年」

 

 ────聞き慣れた、心底愉しげな声がその背に掛かった。

 

 

 

「…………って、マーリンッ!」

「うん?」

 

 その声に弾かれて振り返った俺の前に居たのは、さっきから探しまくっていた老魔術師の姿だった。

 驚いて声を荒げて呼んだ俺に、そいつはなんともトボけたように小首を傾げて疑問符を浮かべている。……本当に、全く可愛げなんてないのにどうしてそんな仕草が似合っちまうんだろうか、この老人は。

「……って、そうじゃないっ。何処に居たんだよマーリン! 元はと言えば、今回のこの任務だってお前の発案だっていうじゃないか。それなのにお前が居ないって、いったいどういうことなんだよ?」

「まぁ、私にも用事というものがあるからね」

「いや、それ前にも聞いたぞ」

「ははっ。だが君、『何か言ってくれれば、俺の方こそできるだけ力になるぞ』──ではなかったのかい?」

「……む」

 それは俺が先日マーリンに掛けた言葉だった。それも一言一句間違いなしに、だ。

 ……確かにその言葉に嘘はないし、それを言われれば問題なく思えてしまう。……というか、なんでコイツこんなに人の物真似が上手いんだ? どこの声帯から出したんだよって位俺の声と全く一緒だったぞ。

「……まぁ、じゃあそれは別にいいとしてもさ。でも事前に俺にも伝えるぐらいしてくれよ。アーサー王からの伝言を伝えてくれた時にでも言ってくれれば良かったんじゃないのか?」

「それはそうだけど……でも、そっちの方が面白くなかったかい?」

「まったくッ!」

「そうか。仕方がない、次からは気をつけよう」

「…………そうしてくれ、いや切に」

 分かっているのか分かっていないのか、相変わらず浮世離れしているそいつにゲンナリとする俺。

 一方そんな俺の隣で、馬を完全に落ち着かせた騎士が魔術師に話しかけた。

「魔術師殿、壮健で何よりです」

「うん? ああ、ベディヴィエール卿。そういえば君が行くんだったね。どうだい、この少年は? 先程のを見る限り大変そうだけれど」

「……」

「いえ、シロウ殿は決して悪くはありませんよ」

「え、そうなのか?」

 ムカつく老人を無視して、俺は意外な騎士のフォローに言葉を挟んでしまっていた。その俺の横槍に、しかし、騎士はしっかりと視線を向けて頷きを返す。

「ええ、たしかにシロウ殿の言う通り馬には乗った経験がないのでしょう。不慣れな様子を見ていればそれはわかります。しかし、貴方は彼を全く怖がっていない。それが落馬した直後の今においても。……それは非常に重要な資質なんです。

 馬は非常に臆病で、なおかつ聡い動物です。背に乗る私たちの感情を彼らは全身を通して感じ取ります。故に、恐れずに真摯に彼らと向き合えるシロウ殿なら、すぐに彼らの背に余裕を持って跨がれる様になりますよ。私が保証します」

「……」

 騎士のそのしみじみとした言葉に、なんだかひどく、鼻がつんとした。

 

 そのなんとも言えない表情の俺に、ベディヴィエールは苦笑を浮かべて再度口を開く。

「とは言え、この調子では困ったものだと言うのは間違えないですが」

「うっ」

「……そういえば、シロウ殿は先ほど何らかの案がある様な事を言われていましたね」

「……? ああ、鐙の事か」

「────ほぅ、少年の言うその『鐙』とはなんだい?」

 俺たちの話を興味なさ気に聞いていたマーリンが、未知の響きにここぞとばかりに食いついた。

「ええっと、鐙って言うのは馬に乗るときに補助として使うもので、未来では当たり前の様に使われていた道具なんだ。そうだな……こんな感じの、両端に足を通す輪っかが付いているんだけど」

 正直言って俺もよく分かっていないけれど、手振りを使ってなんとか二人にもわかる様に説明する。

 

「……ふむ、こんな感じのものかい? これがあれば君でも馬に乗れる様になるのかな?」

「ああ、そうそう、そんな感じ。まぁでも、それがあっても素人の俺じゃ乗れないと思うけどな。そりゃあ無いよりは有った方がはるかに良いだろう、け……ど……?」

 

 

 何だろうか。

 今、トンデモなく甚だしい違和感を感じたのだが……。

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

「……って、マーリンお前っ、今それどっから出した!?」

 

 目の前の老魔術師の手には、話題に出したばかりの『鐙』が当たり前の様に突然あった。

 ローブか、ローブなのか!? その外套は◯次元ポケットか何かなのか!?!?

 ……コイツの奇行には良い加減慣れたと思っていたのに、それが全くもって甘い考えだって事を再認識した。

 

 

「ふむ、なら仕方がないか」

「……あ、おい」

 そんな惚けて咄嗟に動けない俺を余所に、マーリンはその鐙を馬上の鞍に固定した。

 

 

「────Assimilatio et equus」

 

 

 そんな、よく判らない呪文をおまけに乗せて。

 

 

「……いまなにしたんだ、マーリン?」

「まぁ、待ちなさい。さて、ベディヴィエール卿、もうしばらくその馬を宥めておいてもらえるかな?」

「は、はぁ」

「さぁ少年、もう一度試しに彼に乗ってみなさい」

「……なんだか、すごい既視感を感じるんだけど」

 そんでもって、ものすごい嫌な予感も。

「ふむ、ではこう返そう。『君はそのままでいいのかい?』」

「……確かに、それもどっかで聞き覚えがあるな……はぁ…………よしっ!」

 覚悟を決め、先ほど教えてもらった通りに馬に近づく。今度は鐙もあるし騎士の手助けもいらないだろう。ゆっくりと左足を鐙に入れ、両手で鞍を持ったまま左足を支えにして跳び上がり、右足を馬の上に回して鞍に座りこんだ。そうして、さっきと同じ様に腰に力を入れて振動に耐えようとして──

「────え、ええ?」

 あまりの乗り心地の良いフィット感に、逆に困惑してしまう自分がいた。それは、まるで熟練の騎手のような、全くぐらつく事のない安定感。

 

「……マーリン、これどういう事なんだ?」

 この現象をもたらしたであろう原因に説明を求める。

「なに、簡単な事だよ」 

 それはどうやら正解だったようで。そいつは何事もないように言葉を継いだ。

「君が使っているその馬具一式を、その彼と同一化するように魔術をかけたのさ。だから君が今使っているその馬具に乗っている限り、君も馬と共にある事ができる。振動等はもちろん、彼と全く同じ呼吸で受けるから違和感はないだろうね。

 それに、同一化というのは何も行動だけの話ではない。身体と同時に精神もある程度通わせられる事で、君はより彼を乗りこなす事ができるようになるだろうさ」

「────」

「…………なんと」

 俺はもう驚いて声も出せなかった。手綱を持ったままの騎士も抑えきれない感嘆を漏らしている。

 本当にコイツ、デタラメな存在だ。そんな事を、今更ながら思い知った。

「……でも、またなんかの不具合があるんじゃないのか?」

 あの勝手に細工されていたが秘薬の時のような。

 例えば、『ずっとこの馬具に乗っていると馬と同化しすぎて最終的には馬になっちまう』みたいな。

 ……想像すると寒気がくる。もうこいつの悪戯に嵌るのはこりごりだった。

 

「ふむ、特には思いつかないかな」

 しかし老魔術師は、珍しく真剣な表情でそう答えた。

 

「……本当か?」

「なに、嘘をつく必要はないよ。……ああそういえば、その魔術が少しずつ解けていく様にはしておいたかな」

「な、なんでそんな事するんだよっ」

「だって、君も馬ぐらい乗れるようになりたいだろう? この遠征中ぐらいはずっと掛けておく事もできるけど、きっとそうしない方が君の為になるだろうさ」

「……」

「ふむ、そうだね。私が感知した魔術反応は、此処より騎馬で日が十度昇る程度の位置だ。……そうだ、十日くらいを目安に徐々に魔術が切れるように調整しておこうじゃないか」

「おお、そうですね。魔術師殿、それはいい考えです」

「……」

 ベディヴィエールがそれに賛同している一方、俺はマーリンの矢継ぎ早の言葉に思わず絶句した。

 そうしてその様子を目敏く視界に入れた老人が、これまた珍しく眉根を寄せて俺に問いかけた。

「……少年? どうしたというのだい?」

「あ……いや」

 なんというか……。

「マーリンって、人のことをちゃんと気遣えたんだな。というか、本当に大丈夫か、お前? なんか変なものでも食ったんじゃないのか?」

「……君の考えはよくわかったよ」

 いや、そんなに不服そうな振りをされても......多分、いや、間違いなく俺のこの感覚の方が正しいぞ。

 マーリンのことだ、俺の考えていることも読み取れたのだろう。こいつにしてはなんともレアな微妙な表情をして俺をしげしげと眺め続けたあと、ふと、視線を逸らして小さな嘆息を一つ漏らし、囁くような声で呟いた。

 

 

「────まぁ、いい。私だって、偶にはそんな気分になるのだよ」

 

 

 ……何なんだろうか。それがやけにその老人に似つかわしくない発言だったから、嫌に調子が狂ってしまった。その、ぽつりと零すように洩らされた言葉に、俺はまじまじと目の前のソイツの顔を見てしまう。まるで、ちょっぴり信じられないものを見てしまった時みたいに。

 ────だがしかし、そんな俺を無視してマーリンはいつの間にか自然と表情に色を戻し、再びいつもの飄々とした調子で口を開いた。

「それにしても、君達。そろそろ時間じゃないのかい?」

「────確かにそうです。シロウ殿っ、そろそろ出立しなければガウェイン卿を待たせてしまっています!」

「……え?」

「何を惚けているのですかっ。……それでは、魔術師殿。これにて失礼いたします」

 確かに、彼の言う通り俺は気を飛ばしていたのだろう。気づけば俺の乗る馬の手綱を引っ張ってその場を離れようとしている騎士がいた。

「あ、ちょっと待ってくれ、ベディヴィエールっ!」

 それをなんとか呼び止めて、一拍。

 騎士が立ち止まってくれた事を確認し、馬上からちょうど真下の位置に来た老魔術師に話しかけた。

 その目的は、ずっと気になっていた疑問を確かめるため。

 

「……マーリン、最後に質問いいか?」

「うん?」

「……どうして、今回の命令をお前がやらないんだ? 元々マーリンが偵察してその問題だって発見したんだろう? さっきの魔術といい、絶対にマーリンが対処した方が楽に事が進むじゃないか」

「まぁ、私にも都合というものがあるからね」

「……」

 またこれだ。きっと、こいつは本当の理由を素直に話したりはしないだろう。長い付き合いではないが、それぐらいの事は読み取れる。……ならば、他の質問をしなくてはならない。

 

「……じゃあさ、どうして……俺をこの命令に推薦したんだ?」

「……」

「自慢じゃないけど、俺の魔術師の腕なんてへっぽこもいい所だ。でも、そんな俺を今回の命令に同行させるよう、あんたが王に提策したんだろう? いつもお前が言ってることじゃないか──『すべての物事には理由がある』って。……一体どういう理由で、俺にそんなに期待を掛けるような事をしてるんだよ?」

「…………」

 俺の疑問に、変わらずそいつは応えない。だけどどこか痼りを残した様なこの妙な感覚がどうしても嫌で、俺も我慢強くその場に粘って返答を待った。

 馬上から覗いていたその目元は、外套に隠れて今は見えない。

 

 

 

 

「……そうだね」

 そうして暫くの時間が沈黙で流れ、やおら、老魔術師はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

「正確に言えば、今回の命は私にはできないといったところだろうか。時間がない、というのは本当だよ。私にもするべき事がある。

 それに、君の同行をアーサー王に代わりに申し出たのは、君ならば役割を果たせるかもしれないと思ったからだよ。まぁ、少年が未熟だという点は否定しないが、私は大丈夫だと考えた。………ふむ、そうだね。敢えてその理由を述べるとするなら、それは──」

「……それは?」

 

 

 

 

 

「────魔法使いの、勘と言ったところかな」

 

 そいつはひどく楽しげに、そんな言葉を口にした。

 しかも、いつもの様に人を食った様な笑みでなく、心の底から愉快そうなその声色で。

 

 

 

 

 

「……あのさ、それで納得すると思ってるのか?」

「さて、君が納得しようとしないと関係ないよ。それよりも、そろそろ騎士殿を待たせておくのも限界じゃないかな?」

「え? あ、すまないベディヴィエールっ!」

「……いえいえ、いいんですよ」

「…………いや、本当反省してるから、怒らないでくれ。表情が変わらない分、怖い」

 温厚なヤツほど怒ると恐ろしく見えるってのは、たぶん真実だ。

 

「まぁ、せいぜい気を付けてね。幸運を祈っているよ」

「……ああ」

 マーリンの態度は気にならないわけでもなかったが、無理に口を割らせてまで聞き出すべきことなのかと思うと、どうにも微妙だった。とりあえず、また改めて帰ってきてから尋ねればいいと、そう考えることにしよう。

 

 老魔術師を後ろに残し、俺たちは待ち合わせの場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 




鎧に関しては鎖帷子がこの時代背景で適切だと思うんですが、見た目があれですしFateでもそうなのでプレート式でいきます。また、ベディヴィエール達の鎧は全身鎧より面積少ないですが、もうなんかモノ凄い鎧という事で色々(魔術的なモノ含む)詰まってかなり重いという風にします。

鐙に関してはFate/staynightのアニメでべディヴィエールの馬に付いていましたが、実際的にはあれですしネタ的にも面白いのでこういう風にしました。(鞍等は微妙ですが、あるという都合主義です笑)
ブリテンは黒馬が象徴的だったとの事ですが、士郎とベディさんの馬は親のDun(月毛の馬)からとって栗色でいきます。



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12-2 出立

 そうして、足早に馬を駆けさせて集合場所にやって来た俺たち。

 

「遅くなり申し訳ありません、ガウェイン卿っ!」

 

 見えてきた人影に、ベディヴィエールが馬上から慌てた様に呼び声を掛けた。

 中天に至った日の光の下に、立派な軍馬二頭と人影二つ。どうやら彼らは随分前からその場に居たようで、人影の方は石椅子に座って俺たちを待ち構えていた。…………って、二つ?

 馬から降りながら疑問を浮かべる俺を余所に、こっちに気づいて立ち上がった白騎士が口を開いた。

 

「いえ、全くもって問題ありません、ベディヴィエール。貴方達の方が大変だったのでしょう。私達は会議の前に既に準備を済ませておきましたので」

 

 告げられる騎士の言葉。それがさっきの会議と聞いた時と同じで朗々とした響きだったから、俺は立ち止まってその人をよくよく観察してしまう。

 

 少し癖づいた淡い金髪と、涼やかに形取られた碧色の瞳。ベディヴィエールと同じ白紺の外套の下に覆う白銀の鎧は丹念に磨き上げられ、頭上から差す陽光をきらやかに反射して外へと輝かせている。姿勢は淀みなく真直ぐに伸び、清廉潔白そうな騎士の気性をよく表していた。

 そして、何よりも俺の目を惹きつけたのは、騎士の剣帯に差された蒼銀の一振り。

 ……それはひどく異質な剣だ。刃先だけを覆った特別な鞘に収められた隙間に見える、その何物よりも研磨されているだろうその剣身は、しかしその表面に陽光を反射するではない。あろう事か、その剣は外の気配に当てられれば当てられるほど、太陽の光を内部に溜めていくかの様に一層輝きの密度を増していっているのだ──。

 

 ────その人物を眺めた俺は思う。まるで、お伽話に出てくる理想の騎士の様な男だな、なんて事を。

 

「ガウェイン様、俺から挨拶をしてもよろしいですか?」

「ええ、いいでしょう。しかと行いなさい」

「はーい」

 そんな事をつらつら考えていた俺の横で、先ほど疑問に抱いたもう一つの人影が口を開いた。

 俺はついと視線を移し、その姿を視界に入れる。

 

「オークニー出身、名をガンと言います。今はガウェイン様の従者として学び、騎士を目指しているところです。ベディヴィエール卿、今回の遠征に同行させていただきます事、光栄に思います」

 

 今ベディヴィエールに話し掛けているそいつは、俺より少し大きいくらいの身長に、これまた俺より少しだけ赤みが強い頭髪を携えている。おそらく歳も同年代かそれぐらいだろう。遅れてきた変声期の途中のような、なんとも中途半端な声の高さ。

 なんだか見てると微妙な気分になっちまうそいつは、好奇心の強そうなくりくりとした目をこちらに向けて、俺に何か話しかけて来ていていて──。

 

「あ、えっと、どうし──」

「────なぁ、歳いくつ?」

 

 気づいて応え返そうとした俺を無理矢理遮って、そいつは短い疑問を投げかけてきた。ぶっきら棒なそれに手鼻を挫かれた俺は、憮然として顔を少し歪めてしまう。

 ……いけない。元はと言えば俺が気づかなかったのが悪いんだ。気を取り直して相手の質問を咀嚼し、素直に答えを返すことにする。

「ええと、十七だけど」

「ふぅん、じゃあ一個俺の方が上だな。で、名前は?」

「む……士郎」

「シロウ? 変わった名前だな……ま、いいか。よし、シロウ、 俺の名前はガンだからな。わかったか?」

「…………わかった」

「ああ、俺の方が年上だからって別に気を遣う必要ないからな。気軽にガンって呼んでくれ。まぁ、どうしてもシロウが俺の事をガン様だとかガン卿だとか呼びたいのなら、俺としてはそっちでも全然構わな──」

「────わかった、わかったよ。ガン、こっちこそよろしく頼む」

 次々と繰り出される言葉を今度はこっちから遮ってやると、そいつは、むぅ、と眉根を顰めて口ごもった。釈然としないが返答には文句がない、と言った所だろうか。……俺は、そいつがまるで子供の様に陽気に話すもんだから、なんだかどっかの誰かを思い出して怒りよりも呆れがきちまっていたのだ。

 そうして自然と苦笑を浮かべた俺に、横で様子を見ていた白騎士が話しかけてくる。

「まったく……申し訳ありません。彼はどうやら修練が足りていないようです。この埋め合わせは、後ほど」

「あ、いや、そんな。全く気にしてないんで」

「……なんと寛大な心遣い、感謝します」

 俺のしどろもどろな反応にも、その人物は毅然とした姿勢を崩さない。

 俺はその様子に少々の緊張感を覚え、改めてこの騎士に向き合う事を決める。

「ええっと、そういえば俺の名前は──」

「────ご心配なくミスター・エミヤ。既に王より伺っておりますので」

「…………そうですか。それで、あなたは……」

 答えは判り切っていたけれど、俺はあえて目の前の廉直な騎士の名乗りを待った。

 

「ええ、我が名はガウェイン。肥沃な地オークニーの王ロトの元に生まれた、円卓の騎士の一角を担う者です。以後、お見知りおきを」

 

 白騎士は高らかに宣言し、自身の右手を力強く伸ばしてくる。

 ……円卓の騎士、ガウェイン。その名は円卓の騎士の中でも上位に食い込むほど有名だ。

 俺はごくりと喉で唾を飲み込み、白騎士の潔白さに負けないよう背筋を伸ばして握手を返した。そしてそれを受け、彼は一つ頷いて口を開く。

「────ええ、思った通りの人物の様だ。よろしければ、私も貴方をシロウと、そうお呼びしても?」

「えっ、あ、ああ、勿論ですっ」

 なんだかその言葉は俺の心構えが伝わったみたいな気がして嬉しくて。不意に掛けられたその申し立てに、俺は二つ返事で答えてしまっていた。

 その俺の様子に、白騎士は更に頷きを深くして言葉を続けた。

「ええ、シロウ。是非私の事もガウェインと呼んで頂ければ。加え、より気安く話しかけてくれて良いかと」

「いや、そんなっ!」

 俺なんかがこの人にタメ口で話すなんて、気が引けてしまってできない。

 だって、この人は本当にイメージ通りのガウェイン卿だ。今までのやり取りを通して確信した。伝説において音に聞こえる『黄金の舌のガウェイン』と言えば、円卓の騎士の中でも随一の礼節を備える騎士だったという。それは目の前の人物にまさしくピッタリな称号だろうと、そう思うのだ。

 ……なんだか、本当に伝承通りのその存在を見て、柄にもなく興奮してしまっている俺だった。

 

「さて、皆さん。時間も押しています。出立致しましょうか」

 

 そんな時、全員の顔合わせを終えたと見たベディヴィエールが、そう告げて馬に跨り直し先に歩み出す。

 その言葉に俺たち三人も各々の馬に騎乗し、横一列になって彼の背に続いた。村に入り、その先の西側の出口へと向かう。

 

「……ガウェインさんのその白馬、すごく立派な馬ですね」

 ふと言いながら、右隣に歩んでいる騎士の跨るそいつを見た。

 体高はベディヴィエールの愛馬ブリガンディアよりもなお高く、全身の毛並みはどこまでも淡い神聖な白さ。その身体に巻き付かれた馬具の金色が絶妙に映え、また特徴的な赤い耳先もアクセントとして非常に決まっていた。まるで神話に出てくるように玲瓏たる姿をした白馬だ。

「賛辞の言葉、感謝します。彼の名はグリンガレット。我が長年の愛馬にして、幾度もの戦場を共に駆け抜けた戦友です」

「へぇ……」

 白騎士が労わる様に白馬の背をさする。その光景に、俺は騎士の言葉を心の内で反芻した。

 確かに『戦友』という言葉がしっくりくる一頭と一人だ。見事な白馬はそれ単体でも立派だったが、目の前の理想の騎士と合わせて一層壮観な姿を現実の物にしていた。

 

 

「────ガウェイン卿。お喋りも結構ですが、そろそろ”彼ら”にも応えてあげてくださいね」

 そんな時、不意に、前を歩いていたベディヴィエールが俺と話す白騎士に言った。

 

 

「……?」

「ええ、ベディヴィエール」

 彼の言葉にてんで見当がつかない俺だったが、一方白騎士は鷹揚としてそれに応え、そして白銀の籠手に包まれた自身の手を高々と挙げて。

 

 ────瞬間、莫大な声が上がった。

 

「────うわっ」

 

 辺りを満たすのは声援。そしてそれを声の限り張り上げる村人達の姿。ざっと見で百人は優に越すそれは一体いつの間に現れたんだって言いたくなるくらいの人の数で、その声援を聞きつけた村人たちが、更にこぞって俺たちを一目見ようと集ってきている。

 振り返ってそんな光景を見た俺は、もう圧倒されて声を洩らす事しかできなかった。

 そんな呆然と馬上に佇む俺に、白騎士が笑みを浮かべて言う。

 

「騎士の務めとは何も国の為に戦う事だけではありません。臣民達にとって、我ら騎士は栄華と誇りの象徴。私達がこうして己が存在を示す事で、彼らも同時に自らの存在を誇る事ができるのです」

 その言葉と共に彼らへと手を振る白騎士。

 ベディヴィエールは自分の馬に追い縋る子供達に笑みを浮かべている。

 従騎士であるガンだって、誇らし気に腰の剣を掲げ人々を盛りたてていた。

「さぁ、シロウ。貴方も彼らに向けて手を振り返してあげるといい」

 白騎士が俺の方を振り返り言う。

「……え、いや、俺は、そんな……」

「何を言っているのです。見習いとはいえ貴方は既に騎士を志す者。であるなら、騎士として自身の身に係る義務を果たすべきだ」

 その白騎士に返す言葉はない。そもそも俺はこの時代の人間ではなく、ましてや騎士を目指す見習いでなんかないのだ。

 ……それでも、その騎士の強い促しに流されるように小さく手を挙げると────途端、それに応えるように歓待の声が上げられる。

 

「──── 」

 その反応にもはや言葉もない俺に、いつの間にか隣に来たベディヴィエールが声を潜めて言った。

 

「それでいいのですよ、シロウ殿。貴方は本来騎士でないと言え、そんな事は彼らに関係ありません」

「え?」

「ガウェイン卿の言う通り、貴方がこうして応える事によって彼らはより明日への気力を得る事ができる。

 我々がこうしている事で、民たちは日々を強く生きていく事ができるのです」

「……」

 

 騎士の言葉に、俺はその光景をもう一度視界に入れた。

 毅然として歩む騎士達。それを必死に走り縋る少年少女。そんな子供達に穏やかな笑みを零す大人達。

 ……この場にいる誰しもが、華々しい今日と云う日を精一杯その身で謳歌している。

 

 

 しばらくその光景を見晴るかしていた俺は、ああ、と、言葉にならない声を洩らした。

 

 

 騎士の仕事っていうのは自分の栄誉の為に戦ったり、意中の貴婦人の為に戦うものだって思っていた。もちろん、『悪しきを挫き弱者を援ける』という精神を持っていたのは知っていたが、こんな風に人々を助けているとは思わなかったんだ。

 そんな風にっていうのは、直接困っている人の危機を救うだけじゃなく、その存在自体がより多くの人々の希望となって彼らを助けているのだということ。

 

 

 それに気づいた俺は、確かに、自分に一つ大事な視点が欠けていた事を自覚したのだ。

 

 

 俺の目標は『正義の味方』という、人々を助ける存在になること。

 それに一体どうやって成れるのかはまだ分かっていない。けれど人々を助ける手段を知っていく事は、その路を目指す上で絶対役立つ筈なんだ。

 だから今回の気づきだって、俺にとってすごい重要な事だ。

 目の前の騎士達は、自分の目の前の人間だけじゃなくそれよりも多くの人々を救っている。それはつまり、この世の中にはもっと俺の知らない『より多くの人を助ける方法』がある事を意味する。

 だから、俺は思う。

 今まで俺は視野が狭かった。そして今もきっと狭いままなんだ。

 この世にはもっともっと多くの人々を助ける方法があって、今日の様にそれをどんどん知って視野を広げていけば、それなら一体、どれだけ多くの人々を自分が助けられるようになるのだろうか。

 そんな事を、つらつらと考えて俺は──

 

 

 

 

 

 

 

 ────不意に、くらり、と、変な眩暈がした。

 

 

 

 

 

 

 

「────な、んだ…………?」

 

 突然のそれは、まったく見当が付かなくて困惑する。

 

 

 知らず、ひどく動悸がしていた。

 何かが軋んでいる。

 何かがざわめいている。

 胸のうちで、形のない何かが金切り声を上げている。

 

 

 それが何かは分からないまま、

 俺は強く拳を握り締める。

 立てた爪が皮膚に食い込む。

 周りの歓声が耳につく。

 嫌な汗が湧き、体を冷たく浸していく中、

 決して目を反らせない泥ついたナニカが、肚の裡に溜まっているような気がした。

 

 

「…………」

 

 

 それが何なのかは判然としない。

 

 それはとても些細な物。

 肌身に刺さった小さな棘のように

 一つだけ掛け違えたボタンのように

 まるで大したことないのだと思えるのに、

 けれど心の何処かに引っかかって

 どこまでも気になってしまう物。

 

 

「…………なんだってんだ」

 

 

 首を捻ってみても、見当がつかなかった。

 別に今日は体調も悪くなかったし、この時代に来てそろそろ慣れてきた人の目だって、そんなに気にしてはいなかった筈だ。

 

 

 ……まぁ、眩暈って言っても一瞬だったんだ。

 きっと、初めて馬に乗った事で必要以上に気を遣ってしまっていたんだと、そう考えるのが妥当なのだろう。

 

 

 俺は、自分が何をそんなに気にしているのか分からないまま、

 目の前に広がる、何物にも代えられない素晴らしい筈の光景を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なーに、ほうけてるんだ、よっ!!!」

「うわッっ!!?」

 

 突然背中に衝撃を感じて馬上で前につんのめる。なんとか手綱を頼りに踏ん切りがついたものの驚いた馬が嘶きを上げた。

 こんな時にマーリンの魔術が掛かっている事を再確認しつつ、俺はその衝撃の原因をキッと睨みつける。

 

「つぅ──……、何するんだよっ、ガン!」

「なにってお前、ガウェイン様やベディヴィエール様がビシッとしてるのに、どうして俺と同じ見習いのお前がボケっとしてるんだよ?」

「うっ」

 それは全くもって正しい言い分で、言葉に詰まった。

 そんな俺をジト目で見ていたそいつは、しかし不意に、はたと気づいた様に口端を吊り上げた。

「なんだ、シロウ? もう村の女の子に手を出したのか?」

「……はぁ? 何言ってるんだよ?」

 ガンの意味不明な言動に首を捻りながらも、俺はその言葉にふと思い至る事があった。

 とある茶髪の女の子の姿が脳裏に浮かぶ。それはもちろん、この村に居る俺の唯一の知り合い──美味しいパンを作ってくれた少女、リサのことだった。

 気になった俺はなんとなしに馬上から視線を走らせ、集まった群衆の中で彼女の姿を探す。

 ……けれど、暫く念入りに探してもその姿は見当たらなかった。まぁ、多いとは言えまさか村の全員が出てきている訳ではないだろう。仕方がない事だからそれは別にいい。

 

「……ははーん、その反応は怪しいなぁ。やっぱり女の子か。意外に手が早い感じなんだな、シロウは」

 それよりも問題は、隣でしみじみと言う見習い騎士のコトだ。

 

 はっとして視線を戻すがもう遅い。

 そいつはなんとも楽しげに、ニヤニヤと笑ってこっちを見ていた。

 

「……違うからな? ただ俺は、ちょっと知り合いを探してただけだぞ」

「あははは、照れるなよ〜。その知り合いが女の子なんだろ? 俺、そういうコトはすぐに分かるんだよ」

 得意げに笑う見習い騎士。一人で勝手に暴走して納得する様は、本当に何処かの誰かを思い出させる。

「……だから、違うって言ってるだろ。変な邪推はやめろよな」

「またまた〜……で、実際の所どんな子なんだ? 正直、可愛い子だったら俺はお前を許さない」

「……何度言ったらわかるんだ、別にそういうのじゃない」

「だーかーらー、それはもういいって〜」

 正直言って、そろそろくどいと声を荒げそうになっていた俺だったのだが……。

 

 

「────やめなさい、ガン」

 

 しかしここで、俺を挟んでガンの反対側に居る白騎士が口を挟んだ。

 その指摘にそいつはびくりと肩を震わせ、おそるおそる自らの従う騎士を伺う。

 

 

「ガウェイン、様……?」

「貴方はどうやら、何故私に従者として付き従わせられているのかまだ分かっていないようだ」

「うっ」

 見習い騎士は怯んだ声を上げる。

 白騎士はそれを無視して言葉を繋いだ。

「女子達の背中を追うのはいいでしょう。しかし、貴方の言動は粗雑に過ぎる。騎士にとって他者への懇切な礼儀は必須の事柄です。その様なままでは、到底騎士としての誉れを冠する事などできぬと知りなさい」

「…………はい、承知しました」

 白騎士の言葉にガンは完璧に意気消沈してしまっている。

 その様子を見てると少し気の毒な気もしてしまうが、自業自得の事だ。素直に反省するといいだろう。

 

 しかし、なるほど。

 確かにガウェインさんはお調子者なガンにとってうってつけの模範となる存在だろう。なんてったって礼節の騎士として有名なあのサー・ガウェインなのだ。これ以上適切な人材なんて他にいない。

 ……うん、あの陽気が過ぎるガンは理想の騎士にきっちりかっちり絞られるべきだろう。

 

 そんな事を考えた俺は、より一段と高まった尊敬の心持ちで件の白騎士を見ようとして──

 

 

 

「────それに、シロウには既に心に決めた方がいるのですから」

 

 その理想の騎士から、全く理解の出来ない言葉を聞いた気がした。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

「……は?」

 

 気のせいだろうか……本当に、ヨクワカラナイ言葉を聞いた気がした。

 

 そうして呆然とする俺に、白騎士はハッと気づいて振り返る。

 

 

「いえ、失礼。無粋な事を言いました。実は、既に話を聞き及んでるのです。

 貴方が此度の任務に就く事を決めたのも、すべては────そう、一人の少女のため。

 ええ、騎士というものが自身の貴婦人のためその身を焦がすのもこれ常識」

「え、ちょっとそれは──」

「────わかっています、我が同志よ 」

「────は?」

 なにが?

 

 

「貴方は遠方よりやってきたというが、実に趣味が良い。聞いたところによれば、その意中の御方はまだ十の歳も経ない少女だというではないですか。

 ええ、やはり恋い焦がれるならば年下の女性に限ります。もちろん、肉体的な意味で」

 

 

「…………またラグネル様が嘆かれますよ、ガウェイン卿」

「…………」

 ベディヴィエールが溜息をついて言葉を挟むが、俺はもう思考を停止させて呆然とするしかない。

 しかし一方、白騎士は周りの声など全く聞こえないとばかりに、さらに熱烈として言葉を続ける。

 

 

「ああ、なんと心躍る試練だろうか。王に申し出た甲斐もあるというものです。

 ────この太陽の騎士、ガウェイン。僭越ながら我が身を燃やし、二人の愛の種火とならせて頂きます」

「…………まーたガウェイン様の病気が始まったな、こりゃ」

「…………」

 

 

 先程まで怒られていたガンも呆れた声を上げているが、俺はもう、なんとも言う事が出来なかった。

 だけどたった今、一つだけ心に決めた事がある。

 

 

 ────二度と、コイツに敬語なんて使ってやらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




残念ながら、本作でもガウェインさんはカッコイイだけではないのです。。後の創作とFate時空の影響をもろに受けているのです。。
(*感想で言及頂いたことですので、ここに書いておきます。ガウェインさんは別に幼女好きという意味ではありません。年下の、どちらかというと豊満な女性が好きだとCCCで言っておられました。私はここは年下趣味だという所に反応させたので、違和感ある人がいたら申し訳ありません。士郎から見て年下、という意味で書きました)

ただ、仲間の試練に『さぁ、共に行こう』と軽く言ってのけるガウェイン卿が私は大好きです。

ガラティーンの鞘に関しては、剣自体デザインが近未来的なので少し変わった風に。伝承によればアロンダイトと同じで『刃毀れせず』で通っているので、そんなおっとろしい刃は覆ってしまえと刃先だけを隠すような形です。
馬に関しては『ガウェイン卿はなんとなく白馬が似合うなぁ』という発想により、愛馬で有名なグリンガレットさんもそうしました。ウェールズ語の”guin-calet"(白くて頑丈な)から来ているとも言いますし。。(ちなみに、フランスの『L'Âtre périlleux』やクーパーさんのアーサー王物語ではグリンガレットは死んでいますが、本作では生きているとします)
時代が古い物語ではロット王はオークニーを治めていませんでしたが、本作では治めている事に。
ちなみに従者君はスコットランド出身だから赤毛という安易な発想です笑



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13 道程

「へぇ。それじゃあ、ガンはガウェインの親父さんの所で厄介になってたんだな」

「ああそうだぜ。だからロト王様は俺のもう一人のお父上みたいなもんだ。そのツテで今もガウェイン様の従者にしてもらってるしな」

 

 正午近くにキャメロットを出立した俺たち一向。

 果たすべき目的が正体不明の敵?の偵察だって事もあり、充分に慎重を期すべきなのだが、さりとて、その道中が常に危険な物だと言う訳では勿論なく、俺とガンは、道行く馬の上で雑談に興じている所だった。

 

 そして、その話題は『騎士の成り方』について。

 

 当然、最初はそんな事を尋ねる事で訝しまれた俺だったが、遠方出身の自分とは場合が違ってないか心配になって、と説明すればすんなりと信じて喋ってくれるガンだった。しかも自身の体験談込みで。

 ……俺が言うのもなんなんだけど、こいつ単純過ぎないだろうか。ちょっと心配になってきた。

 

 何はともあれ、ガンから聞き出した話をまとめると、騎士になるには以下の様な手順を踏むらしい。

  

 まず、騎士になれる様な身分の家の男子(驚いた事にこのガンでさえ貴族らしい)は、齢七歳にして監督役となる騎士の元に移され、教義や礼儀、宮廷の儀式なんかについての教えを学び始める。そこで彼らは小姓として食卓の準備や召使いとしての仕事をしたり、森や河の秘密──いわゆる狩猟とか漁猟のこと──を知り、馬に乗る練習や馬上槍の訓練、果ては踊りや竪琴なんかの音楽まで教え込まれるらしい。

 

 そうして、十四歳になった彼らは士分としての身分を得た後、将来の諸侯や城主の元に赴き、本格的な騎士としての訓練を始める。重たい鎧を着ての剣や槍、騎乗の訓練などをこなす彼らは、その合間に女性に対しての礼儀やその他の色んな作法に関しても学び、そうやって一定の能力を認められた者だけが、特定の騎士に従騎士として付き従い、彼らの雑事などをしながら本物の騎士としての技能を学び取るらしいのだ。

 ちなみに、ガンもこの従騎士という身分として、例の白騎士に付き従っているところだそう。

 

 ……それを聞いて何が恐ろしいかって、こんなに長々と聞かされた過程なんて全くこれっぽっちも経ていない俺なんかが、円卓の騎士の一人であるベディヴィエールの従騎士と見做されているというコトだ。

 率直に言って、俺のこの見習い騎士って嘘の肩書き、どう考えても拙い設定な気がする。

 

「んでだな、俺たちみたいに従騎士となった奴らが、付き従う騎士様方の傍らで色んな武勲を挙げたのち、二十一になった年にようやく騎士として認められて叙任されるってワケだ」

「へぇ」

「くぅ〜、早く騎士になって色んな冒険に出たいぜ〜。なぁシロウ、そうだろ!」

「…………はは」

 

 苦笑いで返答を濁すしかない俺。

 だって、こんなに真っ直ぐに騎士を目指している奴に対して、そんなつもりが全くない俺が軽々しく同意して良い訳ないと思うのだ。

 それにそもそも、成りたいとかそうじゃないとか以前に、俺は見習い騎士としての訓練を全く受けていない。

 しかも彼らがこなしてきた長年の修練はともかく、そんな礼儀だとかを二十一にもなるまで学ぶなんて俺には到底考えられないのだ…………って、待てよ。

 よくよくと考えを巡らせていた俺には、ふと引っかかる事があった。俺の返答に不満げにしていた目の前のそいつに尋ねる事にしよう。

 

「そういや、一つ質問いいか?」

「……なんだよ」

「そんなに怒らないでくれよ、ガン」

「…………ま、いいけどさ」

「はは、ありがとな。ええっと、そうだ、質問てのは、その二十一歳で騎士にってトコなんだけど」

「? それがどうしたんだ、基本だろ?」

「ああいや、それ自体には別に疑問はなくて」

 俺が気になったのは別のコト。

 

「────ふと思ったんだけどさ、アーサー王ってどう見ても二十一歳じゃないだろ。でも騎士の中の王、騎士王って言われてるじゃないか。それってどうしてなんだ……っけな〜……なんて…………」

 

 喋っている途中だんだんジト目になっていくガンに対し、言葉が尻すぼみになってしまう。

 そいつは俺の発言を胡散臭そうな顔で聞き納めた後、これみよがしの溜息を吐いた。

 

「はぁ〜〜、お前って本当に何にも知らないんだな」

「うっ」

 そんなにあからさまに呆れなくてもいいじゃないか。自覚もしてるし、そんな対応にも慣れちまったんだけど、どうにも決まりが悪いコトには変わりないのだ。

 そんな風に考えて苦しい俺に、もう一度溜息を吐いたそいつが再度口を開く。

 

「ま、いいか。説明してやるよ。

 そもそもだな、騎士のなり方ってのが定式的に決まってても、アーサー様は王様だろう?」

「あ、そっか」

「それに、アーサー様は特別なんだ」

「……特別って?」

「ま、いくらシロウでも聞いた事あるだろうけど、アーサー様が騎士、そして王になられたのは『選定の剣』を引き抜いた時だ」

「────そういえば」

 

 失念していた。

 しかも、アーサー王物語に必ずと言っていいほど伴われる象徴的な逸話の事を。

 

「お、さすがにそれは知ってたみたいだな」

「……まぁ、さすがに」

「よしよし。で、そんでもってだ。

 前ブリテン王のウーサー様が亡くなった時分、国中の人々が次代の王の選定について論議する事になった。なんてったって、ウーサー様には世継ぎが居なかったからな。でも、その頃のブリテンは多くの小王国に分かれていて、国の中にもたくさんの領主がいたから、まとまりなんてものはなかった。聖燭節(カンデラリア)が来ても、復活祭(パシャ)を過ぎても、延々と繰り返される議論に終わりはこなかった。

 ────だけどそんな時、とある司教様が新たな王が誕生する日のお告げを示したんだ。だから予言の聖霊降臨節(ペンテコステス)の日、国中の領主や騎士達が集まった。みんな精一杯の準備をしてきたらしいぜ。なんせ、こう言うのは馬上戦で決まるってのが習わしだしな」

「……」

 あの有名な伝説の、しかもその時代に生きる者からの話だ。

 俺は知らず、黙りこくって聞き入ってしまう。

 

「────だけど集まった者達が見たのは、想像もしていない光景だった。

 穏やかに広がる草原に不自然に敷かれた石畳。そしてその上に在る、丹念に縁取られた岩に突き刺さった一振りの抜き身の剣。そしてこの剣の柄には、黄金の銘でこう書かれていた」

 

 

 

「『この剣を岩から引き出した者は、ブリテンの王たるべき者である』────と」

 

 

 

 その語りに、俺は思わず息を呑む。

 もちろん予想はしていた展開だ。だけどそれが実際の事として語られた今、伝説だと考えていた物が不意に現実味を持って目の前に現れるように感じられたのだ。

 だから、そのまま固唾を飲んで目の前のそいつからの続きを待って…………あれ? なんか肝心のガンが不満げな顔をして、しかもさっきから口を閉ざしたままのような。

 

 

 

「────ああもう、ガウェイン様! 今すっげーいいところだったのに!! いっつもいっつもズルいんですよ!!!」

 

 その言葉に振り返る。そこには、とても満足げな表情をした白騎士の姿。

 

「何を言うのです、ガン。我が王の話をするに関わらず、私を除け者にする貴方が悪いのでしょう」

「そんなこと言って、いっつもイイトコ取りじゃないですか!」

「さて、知りませんね。それより、やはり貴方は言葉遣いが雑然とし過ぎている。そのような語りで王の輝かしい逸話を汚す事は私が許しません」

「うっ、そんな事、今関係ないじゃないですか……」

「そんな事とはなんですか、そんな事とはっ。過ぎたりし失言は、その身を三度燃やし尽くしてもなお飽きたらぬと知りなさい!」

「……はは」

 

 繰り広げられるコントに苦笑してしまう俺。

 だけどそんな言い争いをする二人を他所に、俺の背に別の騎士の声が掛かる。

 

「それでは、私が続きを引き受けましょう」

「……ベディヴィエール」

 振り返れば、馬上で安定の落ち着きを見せる騎士の姿。

 

「剣を目にした騎士達はこぞってそれを掴みました。その銘に従うのなら、目前の剣を引き抜いた者こそ次代の王となりますからね。

 ……しかし、その騎士達の中に彼の剣を引き抜けた者は唯の一人もいませんでした。

 故にその剣を偽りと断じた騎士達は、予め用意していた馬上戦による王の選定を始めたのです」

「……」

 語るベディヴィエールの声色はどこまでも平坦に。ひどく神妙な表情をして彼は言葉を続ける。

 

「しかし、馬上戦が始まり場が盛り上がった頃、不意に一人の少年がその場に歩んできたのです。

 皆驚きを持ってその姿を見つめました。それは、少年の風貌が非常に美麗だった事もそうですが、刮目すべきは違います。なんと、少年の手には誰も抜けなかった筈の『選定の剣』が自然の様で有ったのです。

 ……そうして、囲む騎士達の中央に躍り出た少年は、彼らを前に凜然と言いました」

 

 

 

「『我が名はアーサー。前王、ウーサー=ペンドラゴンの嫡子たる、新たなブリテンの王』────と」

 

 

 

 今度は驚かずその声に振り返る。そこには、やはりとても満足げな白騎士の姿。

 もう一度振り向き直せば、瞳を閉じて粛然と馬を歩ませるベディヴィエールが居た。どうやら、この横槍が来ることをわかって言葉を止めたらしい。

 …………大人だ。

 

 

「感謝します、ベディヴィエール。やはり貴方はわかっていますね」

「……いえ、ガウェイン卿。お気になさらずに」

「ええ、ありがとう。無念なことに、私はその選定の場に立ち会うことは叶いませんでしたからね。代わりにこうして語り継ぐだけでも、我が身が奮い立つと言うものです」

 そんな風にしみじみと言う白騎士の傍らで、頭の後ろに両手を回したガンが口を開く。

「そうですよねー。もしかしたら、ガウェイン様が引いてたら抜けてたかもしれませんもんね。なんてったってオークニーの王族ですし」

「────何を言うのです、ガン。このブリテン、いや、この世界広しと言えど、何処に彼の御人以上に王として相応しき方が居るでしょうか────いや、居ない」

「は、はは」

 その騎士の語り口に俺は再三となる苦笑を漏らした。

 ……反語って。

 さすが音に聞くサー・ガウェイン、黄金の舌持ちは伊達じゃない。

 

「ま、そんな感じでアーサー様は若くして騎士兼ブリテンの王になったんだけど、その選定の剣を抜いた日から歳を取らなくなったって話だぜ」

「……へぇ」

 締めくくる様に言い切るガンの言葉は、確かに納得のできる物だった。伝承でアーサー王が不老だったって話は聞いたことないが、そうであってもおかしくないと思えるのだ。

 

 脳裏に浮かぶのは、この目で見たアーサー王のあの姿。

 金砂の様に淡い黄金の髪に、気高さを湛えた翡翠の瞳。銀色の甲冑の下の、あの清冽とした王の姿が纏う紺碧の色彩。どこまでも悠然と揺らぐ事のない、その形。

 あんな神聖な姿を実際に見てしまったら、一体誰がその話を疑う事ができるだろうか。

 

 そんな事を俺がぼんやりと考えていた時、横で淡々と馬を歩ませていたベディヴィエールがぽつりと言った。

 

「……そろそろ、本日の寝床を探すべきかもしれませんね」

「あ、そうですね、ベディヴィエール様。そろそろ露営するには厳しいですもんね」

 

 二人の遣り取りに天気を見れば、確かに日が遠くに沈み行き、しかも段々雲が迫ってきている様な。

 薄墨色の雲に徐々に覆われる草原が、その色を暗く変えていってる真っ最中の時間だ。

 見た感じ雨が降りそうって訳でもないけれど、強まった横風は肌身に冷たく、ガンの言う通りこんな所で野宿したくないってのは正しかった。

 

 俺たちはひとまず今日の道程を終了し、夜を越す場所を探す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして暫く探して見つけたのは、奥行きがちょうど良さそうな洞穴だった。

 

 そこは草原の緩やかに隆起する丘の下。これまでにも、おそらく多くの旅人たちが使った場所なんだろう、彼らが使った掛け布や何やらがその場に残されていた。

 勾配が奥に向かってあるから雨が降っても心配ないし、同じ理由で風に凍える事もない。

 一晩を穏やかに越すための条件が充分に整った場所といえるだろう。

 

 そして、寝床を無事に見つけることができたのなら、次は役割分担での作業開始だ。

 

 まず声を挙げたのが白騎士で、彼は今晩の食事の調理を担当してくれるらしい。意外なことに、この時代ではどうやら食事の準備なんかは特に卑しい物ではないのだと。まぁ、彼自身がこの旅の食料を準備したのだから、適任といえばその通りだろう。特に異論なく許可された。

 次に、俺とベディヴィエールは薪集めだ。いくら風が防げるとはいえ、この季節に火がなければ外ではやっていけないらしい。聞いた所によれば今は初冬だという事で、冬木に居た時が二月だったのを考えると、やっぱりここは別の時代なんだと再認識した。……とにかく、俺たち二人は薪集めだ。不思議な事にガウェインの調理には薪は必要ないらしいが、多ければ多いほど良いだろう。

 そんでもって最後がガンなんだけど……『肉が欲しいから獲物を仕留めてくる』なんてコトを言い残して、暗闇が広がり出してるなか何処かへ行ってしまったのだ。まぁ、期待せず待つとしよう。

 

 

「なるほど、それではシロウ殿は野宿が初めてなのですね」

「ああ、そうなる」

「それでは、もしかして火を起こすご経験もございませんか?」

「いや、勿論本格的なのは初めてなんだけど、庭に落ちてる落ち葉を集めてよく焚き火をしてたから、慣れてると言えば慣れてるぞ。時間がある時なんかはそれで焼き芋もしてたな」

 そしてその煙にハイエナの様に群がってくる人もいたっけ。虎なのにハイエナとはこれ如何に。

「焼き芋、ですか?」

「あーそうか、この時代のイギリスってサツマイモがないのか。……ジャガイモはどうなんだろう」

「? シロウ殿?」

「あ、いや、気にしないでくれ。焼き芋ってのは俺の国の伝統料理の事なんだ」

「……なるほど、興味深いですね」

「だろ?────よし」

 

 ベディヴィエールと喋りながら洞穴に帰ってきた俺は、大量に拾ってきた薪をどさりと落とした。

 火を徐々に大きくしていく事ができるよう、鉛筆くらいの細い枝から腕くらいの太さがある木まで揃えてある。

 そして通気性の良いカマドをつくる為に、ベディヴィエールに拾ってきてもらった石を並べ、その上に集めたばかりの木を細い順に下から積み重ねていく。そうして最後に枯れ葉や小さな小枝、そしてその上に中くらいの大きさの枝を並べて完成だ。うん、なかなかの出来。

 

「……あれ、そういや種火はどう起こすんだ?」

「ああそれでしたら。ガウェイン卿、よろしくお願いします」

「承知しました、ベディヴィエール」

「え?」

 ベディヴィエールの唐突な掛け声に、応えたその騎士の方向を向くと。

「────わっ」

 体を反らした瞬間火の玉みたい物が飛んできて、背後からボウッと明るい灯りが点った。

 振り向くと、いつの間にか組み立てたばかりのカマドに暖かな火が灯っている。

「え、ええ? 何したんだ??」

「ふふ、いずれ分かりますよ、シロウ殿」

 戸惑う俺に楽しげに笑うベディヴィエールなのだが、できれば今言ってほしかった……。

 

「さて、食事の準備が整いました。シロウ、こちらをベディヴィエールに回して頂けますか?」

「あ、了解……そういや、ガンはまだ帰ってきてないんだな」

 ふと疑問が湧いて外を見ながら、ガウェインから渡されてくる皿みたいな物を、言われた通りにベディヴィエールへと回す。『ありがとうございます、それではお先に』なんて言葉が、視線の外から聞こえた。

「ふむ、彼はまぁ放っておいて構わないでしょう。暫く獲物が獲れなければそのうち戻ってくるはずです。先に召し上がってくれて良いかと」

「……そっか、じゃあ遠慮なく」

 左手に持つ俺の分の食事を落とさないようにして、火の周りにどさりと座り込む。

 そうして、微妙に位置調整をして胡座をかいて体勢を整えたあと、満を持して食事を始めようとし──

 

 

 

 

「────────は?」

 

 視線を落とした先に、意味不明な料理がありました。

 

 

 

 

「……………………あのさ、ガウェイン」

「? どうしましたか、シロウ」

「あ、いや……これ」

「ああ、成る程。お代わりは山ほどありますので、ご心配せず」

「いや」 

 言いたいのは、そういうコトじゃなくて。

「…………なんだこれ」

 呟き、もう一度視線を落とす。

 そこにあるのは、やっぱりよく分からない料理。いや、これを料理と呼んでいいのだろうか。

 俺が皿か何かだと思っていたのは、まるで『皿のように』硬くなったパンだった。そして、その上に非常に細かく擦り潰された赤と灰色のナニカが、山と積まれているだけの一品。

 

「? どうしたというのです。ただの『硬質ブレッド野菜すり合わせ乗せ』ではないですか」

 白騎士は心底俺の疑問が分からないと、首を捻りながらソレを食べ始める。……平然とするその姿に、ひょっとして美味しいのかと錯覚しそうになる俺だ。

 

 

「……いただきます」

 

 とりあえず食べていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

「……ガウェインさ、もしかして城の厨房に知り合い居ないか?」

「? 私の弟の一人がよく顔を覗かせますが、何故分かったのです?」

「ああ、いや、うん」

 すごい既視感を感じさせる料理だったから。

 

 

 ────さて

 

 

「ガウェイン」

「なにか?」

「率直に言う、これは調理したとは言えない」

「────な」

 

 絶句、という言葉が正しいくらい驚いたそいつ。

 

「な、何をいうのかと思えば。シロウ、貴方がそのような事をいう人間だとは思いませんでした」

「……いや、俺も悪いとは思う。だけど、これがあと何日も続くとなっちゃ黙ってられない」 

 死活問題なのだ。割と本気で。

「そもそも何だこれ? 赤いのは人参でいいとして、この灰色のやつ。なんかの根っこだろ?」

「ああ、それはキャメロット近くでよく採れる物です。何を隠そう、私が食用に使える事を発見したのですよ。ええ、今でもこれを世紀の発見だと自負しております。そして私はその食物の事を、仮にですが、『ポテト』と、そう呼んでいます」

「…………それ、間違ってるから」

 時代的にまだそう名付けられた物がないかもしれないけど、未来の人の為に止めておいてくれ。

 

 そうしてあまりの発言に怯んだ俺に、白騎士は言葉を撤回せよとばかりに畳み掛けてくる。

「シロウ、つべこべ言わず食べるのです! 横にいるベディヴィエールを見習いなさい! 黙々と次々に食しているではないですか」

「なッ」

 

 まさか、ベディヴィエール────!?

 その言葉に振り向くと、そこには。

 

「っ、ベディヴィエール、お前」

「…………どうしたのですか、シロウ殿」

「どうしたもこうしたもないだろう! お前、一体何してるんだ!?」

「…………? 食事を取っているだけですが、なにか?」

「ッ、そうじゃないだろうっ」

 

 食事ってのは、食事ってのはな……

 

「そんな顔してするもんじゃないんだよ!!」 

 彼の表情に色はない。ただ生気を失った目のまま、ひたすら手を動かしている。

「……いえ、慣れればこれも問題ありませんので」

「な」

 その言い様に今度は俺が絶句してしまう。……きっと、ベディヴィエールはこのゲテモノ料理を受け入れてしまったんだ。彼の性格の良さが完全に裏目に出てしまっている……!

 愕然と震える俺に、機を狙ってたであろうガウェインが声を上げる。

「さぁシロウ、早く食べるのです! 食は生命の源。決して疎かにしていい事ではありません!」

「くっ、それに関しては全面的に同意だが、あんたにだけは言われたくないぞ!!」

 まさに窮地に立たされた俺。ジリジリと詰め寄ってくる白騎士に万事休すかと思われた

 

 

 

 ────その時

 

 

 

「かぁ〜、やっと戻ってこれたぜ〜!」

 

 姿の見えなかったガンが、そんな言葉と共に戻って来た。

 

 

「────ガンッ!」

「ん? どうしたんだ、シロウ?」

「助かった! って、それは?」

 帰ってきたガンは、手に何か引っさげている。

「ああ、これか? へへ、ウサギが走ってたから仕留めてきたんだ。山の前まで追いかけてってなかなか苦労したけど、そのおかげで飲み水が湧いてたのも汲んでこれたぜ」

 得意げに両手を持ち上げるガン。

 右手にはウサギ、左手には水の入った皮袋。

「────お前だけが俺の味方だ」

「お、おお」

 正直ウサギの死体なんかは見るも無残だったけれど、ようやくまともな奴の登場に感涙してしまう。

 そんな様子の俺に、引き気味ながらも頷く見習い騎士。

 

「────って、ああ! もう食ってるなんてずりぃ!!」

 

 しかし、食事をするガウェインを見て、そいつもソンナコトを言いだした。

 

「そう慌てる必要はありません、ガン。こちらを食べるといい」

「む〜。だからって、待ってくれても良かったのに」

「……え?」

「あ、そうだガウェイン様。このウサギ焼いてきてもらっていいですか?」

「……仕方がないですね」

 そう言ってガンからウサギを受け取って立ち上がる白騎士。すちゃっ、と地面に置いていた自身の剣を拾い上げ、洞穴の外へと出て行こうとする。

 

「って、ちょっと待ってくれ」

 その白銀の具足に包まれた脚をガシッと掴んで引き止める。

 

「? どうしたのですか、シロウ」

「いや、それどうする気なんだよ」

「何って、調理に赴こうと考えているだけですが」

「……いや」

 なんで料理に剣が必要なんだよ。

 そんな事を考えて歯切れの悪い俺の言葉に、白騎士ははたと気づいたように頷いた。

「ああ、なるほど。心配する必要はないかと。

 我が炎は太陽の現し身。たとえ昼でないとはいえ、このような野兎一匹焼き尽くすことに支障はありません」

「焼き尽くしちゃダメだよな────!!」 

 よくわからないけれど、絶対にコイツに任せちゃダメだ。

「って、ガン! お前もどうしたってんだよ!!」

「何がだよ、シロウ」

「な、お前もそれ大丈夫なのかっ」

 振り返った先にはベディヴィエールと同様、次々と食材を口に運ぶガンの姿。

「何が?」

「いや、それ……美味しいのか?」

「うん、何を言ってるんだ。料理といえばこれだろう」 

 その言葉に、コイツにも裏切られたかと絶望した俺。

 ……かと思ったのだが。

「俺は七歳の時にロト様の宮廷に移った時からずっとこれ、な……んだ。……だから、料理ってのは…………味なんて、関係……なくて……?」

 言葉を続けるごとに、何かに怯えるかのようにぷるぷると震え出すガン。ダメだこいつ────洗脳されかけてやがる────!!

 

 

「シロウ、いい加減に手を離してください」

「……」

「シロウ殿、どうしたのです?」

「…………」

「シロウ?」

「………………」

 

 

 決めた。

 

 

「…………俺が、料理する」

「「「は?」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

「食材は黒パンと人参、ガンがとってきたウサギと……ガウェイン曰く『ポテト』か」

 そうと決まればまずは戦力把握。全部の食材を見せてくれと頼んだ俺だったが、出てきた物は先ほど見て取れた物くらいのもんだった。

「……これだけなのか?」

「いえ、晩酌用にとエールも少々持ち合わせていますが」

「いや、エールって」

 飲料が詰まった皮袋と四人分の木製ジョッキを出す白騎士だが、料理には役に立たないだろう。てか、意外とそういう感じなんだな、ガウェイン。

「う〜ん。調味料もないし」

 頭を悩ませる。

 調味料どころか調理器具すらこの場には殆どないのだ。勢いで啖呵を切ったものの、どうしたものか……。

 

「って、それは?」

 ふと辺りを見渡すと、地面に何やら鍋みたいな物が転がっていた。俺のその疑問に答えたのは、興味深そうに見守っていたベディヴィエール。

「これは……ローマの民達によく使われていた土器ですね。帝国がこの島より撤退して久しいですが、以前この場所を使った者は、そちらの出身だったのかもしれません」

「へぇ……」

 なんだか、リアル世界史の授業を受けている感じだった。そんな騎士の話に、つくづくと感心してしまっている俺だったのだが。

 

「あ、そうだ」

 そんな時、思いつく料理があった。

 

 ……うん、大丈夫そうだ。

 そうと決まれば、早速調理に取り掛かろう。

 

「ガン、湧き水を見つけたって言ってたよな。綺麗そうだし、もう一度行ってこの土器にいっぱい汲んできてくれないか?」

「ん、まぁ、いいけど」

「サンキュ。んで、ベディヴィエールは、できればウサギの捌き方を教えてもらっていいか。実は俺、やったことなくて」

「ええ、私でよろしければ」

「よし。で、ガウェインなんだけど」

「む、シロウ。なんでしょうか」

「はは、怒らないでくれよ。できれば、火を絶やさずに見てもらってていいか?」

「……いいですが」

 三人に指示を出し、支度を始める。

 

 俺はまずベディヴィエールに短剣を借りて、それでウサギの肉を切り取るところから始める。血抜きはガンがしてくれていたので大丈夫なんだけど、やっぱり初めてだったので少し手こずってしまった。

 ……それに、かなりグロかったし。

 そんでもって、解体した中から特に骨周りの肉を使いたかったので、その辺りを重点的に切り取っておく。この時、骨を軽く叩いて砕いておいたのだが、そのお陰でエキスがよく出そうでいい感じだ。

 次に俺が野菜を切ったりしてる間にガンが戻ってきたので、水を汲んできた土器を急作りのカマドにかけてもらっておき、それが沸騰してきたら、先ほど解体したウサギの肉と骨を豪快に流し込んだ。

 そうして、短剣で丁寧にアクを取りながら十分に出汁が滲み出たところで、人参と『ポテト?』も追加で流し込み、更に煮込まれるのを待って完成だ。

 エール用のジョッキを器代わりにし、四人分に取り分けて各々に手渡す。

 

「────よし、じゃあ遠慮なく食べてみてくれ」

「もっちろん。一番に頂くぜ!」

「それではシロウ殿、お言葉に甘えます」

「……」

 誰がどの反応かは言うまでもないだろう。

 各々が器に口をつけ、ひとまず汁を飲み込んだ。

「お、うっま、なんだこれ!!」

 そう叫んだのはガン。 

「……これは」

 一言呟き、黙々と食べ出すのはベディヴィエール。今度はあの死んだ魚の様な目をしていない。

「────お、やっぱり結構いけるな」

 俺も彼らに続き、ある程度納得の達成感に頷いた。

 

 そう。

 俺が作った物は豚汁ならぬ、『ウサギ汁』。

 碌に調味料のない状態で料理をするとなった際、思いついたのがそれだったのだ。

 

 味噌や醤油などがあれば使うことも考えたが、そんな物はない。それに豚汁であれば、それらがなくても念入りに出汁を骨肉からとってやれば問題はないと考えた俺だった。 

 ウサギを使った事は勿論なかったが、味身をしてみればまるで砂糖が入ってるかの様な甘みがあり、むしろ今の状況では最適の食材だったのではと思えてくる。

 箸もスプーンもないが、細かく切っておいたおかげで飲むように食べられるのもポイントだ。

 

「本当にうめえなシロウ!」

「ええ、目から鱗です。これは是非帰還してより報告しなければ……」

「大袈裟だって、ベディヴィエール。こんなの、丁寧に作れば誰でも簡単に出来るぞ」

「……」

「って、ガウェイン? どうして食べてないんだ?」

 

 気づくと、そこにはただ無言で佇む白騎士の姿。

 

「……いえ、私は肉料理は口にしませんので」

「え、アンタもしかしてベジタリアンなのか?」

 どうして言ってくれなかったんだよ、と不思議に尋ねる俺なのだが、一方、肝心の白騎士はと言うと、そんな言葉は聞こえてないばかりに自分で作った料理を見つめ、そんでもって歯を食い縛りながら絞り出すように呟いた。

 

「くっ、いいのです。まだ私の食事にも理解者は居るのですから」

「…………」

 誰の事を言ってるのか気になったが、もう敢えて聞かないコトにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんでもって、腹ごなしも終えたら就寝だ。 

 

 早すぎる、なんて事を思うなかれ。

 この時代の、しかも屋外なんかでは碌に明かりもないし、火があるとは言えそれも永続的な物ではない。予備の薪も組んであるが、それも無限に起こし続けられる訳ではないのだ。寒さを感じる前に眠ってしまい、そうして朝早くに起きてしまった方が、確かによっぽど建設的な行動なのだろう。

 

「見張りなんかは必要ないのか?」

「ええ、まだこの辺りは王の統治中央の近辺。野盗も少なく、それに我々も大きな異変があれば気づく事ができますので」

「そっか」

 

 そんな遣り取りを最後に、持参した掛け布にくるまってほっと息を吐く。

 先ほど述べた通り洞穴の中は斜面が緩やかについているが、奥の方は平らになっている作り。明かりは届きはしないが、冷たい風も入ってこない。睡眠を取るにはまさにうってつけの場所だろう。

 

「……」

 

 目を瞑って横になれば、体が程よい疲労感に包まれる。

 

 考えてみれば、今日一日で色々なことがあった。

 早朝から円卓の騎士が集まる会議に出席し、その場で旅に出る事が決定したと思えばすぐにその準備。そうして馬に乗ってこの時代に来て初めての遠出の旅だ。そりゃ、確かに疲れもくるってもんだろう。

 

 だから俺の意識は、すんなりと暗闇に飲まれて沈んでいって……。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 ──ウ

 

 

 

 ……

 

 

 

 ──ロウ

 

 

 

 ……

 

 

 

 ──シロウ!

 

 

 

「…………なんだってんだ」

 自分を呼ぶ声に、ゆっくりと意識を浮上させる。

「お、やっと起きたか」

 薄眼を開けると、そこには明るい赤髪を携えたガンが覗き込んでいた。

「……なんなんだよ、ガン。まだ真っ暗だし夜中じゃないか」

「しし。シロウ、ちょっと外に出ないか?」

「は?」

「な、いいだろ?」

「……嫌だ。だって外は寒いだろう」

「え〜〜、いいじゃんかよ。なぁ行こうぜ〜」

 ゆさゆさゆさゆさと体を揺らされる。

「…………しょうがないな。少しだけだぞ」

「よし!」

   

 満足そうに頷いて先に歩みだしていくそいつ。

 正直乗り気ではない俺は、のそりと掛け布から抜け出し後へと続いた。

 ちょっとだけ付き合って戻ろう、なんて考えて洞穴から外に出て

 

 

「────うっわ」

 

 そこで見えた情景に、俺は思わず声を漏らした。

 

 

 広がるのは草原。

 穏やかな風が、目の前の草花をふわりと舞い上げて吹き抜けていく。

 そして暗闇なのにその光景が見えるのは、頭上に浮かぶ真円の月のおかげ。

 いつの間に雲が晴れていたのだろうか。

 満月の、その白い煌々とした光が、目の前の草原に降りてきて綺麗に輝いていた。

 

 

「おーい、シロウ!」

「ん?」

 そんな声が上から聞こえてきて、真上を見上げる。そこは洞穴の上。いつの間にかガンがその縁に座るようにして俺を呼んでいた。

「……なにしてるんだよ」

「はは、それより早く上がってこいよ! そっちから!!」

 そいつが指差す方向を見れば、確かに横から回り込めば登れるようになっている。

 少し文句も言いたくなったが、大人しく言われる通りにする事にしよう。

「……たく、で? どうしてこんな時間に用があるんだよ?」

 登ってそいつの隣に座り込み、疑問をぶつける。

「ん? だって俺たち同年代だぜ? しばらくキャメロットに新しい新人騎士も居なかったし、折角だからいろいろ話したいじゃないか」

 それがあまりにも無邪気な発想だったから、俺はただ溜め息を吐くだけにしておいた。

 

「で、何を話したいんだ?」

 そうやって尋ねると、そいつは何も考えていなかったのか、うーんなんて腕組みして考え出す。

「……特にないなら、もう戻るぞ」

「待ってくれ待ってくれ! えっと、うーん……あ、そうだ、そういやシロウってなんで騎士になりたいんだ?」

「え」

 思いもしない話題に声が詰まった。ついでに眠気もどっかに飛んで行った。

「えっと……そういうガンはどうなんだよ?」

 とりあえず、おうむ返しに質問を投げ返す。

 さすがに苦しいかと思う俺の返答だったが、ガンはそれに待ってましたとばかりに笑顔を見せた。

「俺か? 俺はな、円卓の騎士になりたいんだ」

「円卓の騎士に?」

「そうだ。だって、円卓の騎士ってのはもっとも輝かしい騎士の称号だぜ? スッゲー格好良いじゃないか!」

「はは、そんな理由かよ」

「そんなってなんだよ! 円卓の騎士には俺の故郷からガウェイン様やガヘリス様達もいらっしゃるし、それにあのアーサー王様の元で仕えられるんだ。だから俺は円卓の騎士になって、格好良い王様に仕えて、格好良い冒険をする。それってすげえワクワクする事だろう? それに──」

 一旦言葉を止めて、何か大切なものを抱くようにガンは言った。

「────騎士になるのは、俺の子供の頃からの夢なんだ」

「…………ああ、それは」

 なんだかとてもよく、分かるような気がした。

 

「で、シロウはなんでなんだよ」

「うーん」

「騎士になって、何がしたいんだ?」

「……何がしたい、か」

 

 そう問われた俺は、本当なら言葉を濁すべきだったのかもしれない。だって、俺は騎士に成りたい訳じゃなく、ただ都合が良いからと言う理由からそうしているだけなのだ。

 ……だけど、真っ直ぐに夢を語るそいつに、俺は嘘はつきたくなかった。

 気づけば言葉に出ていたのは、だから、俺の心からの本音だった。

 

「俺はさ、『正義の味方』ってのになりたいんだ」

「……正義の味方? なんだよそれ」

「む、そう言われると難しいんだけど、なんだろう。虐げられてたり困ってたりしている人を助ける存在……かな」

「……ふーん、それって騎士の事じゃないのか? 弱い人たちを顧み、その苦しみや悲しみに対して戦うことは騎士の基本的な義務だろう?」

 首を捻っているガンが言いたい事も分かる。

 俺だって本当のところ、正義の味方という存在がなんなのかは理解できていないのだ。

 

 だけど。

 

「……いや、別に騎士じゃなくてもいいんだ。ただ、俺が思うのは」

 そう、俺が願ってるのは──

 

 

 

 

「誰も傷つかないで済むのなら、それはどれだけ素晴らしい事なんだろう──って」

 

 

 

 

 知らず、噛み締めるように出ていた俺の言葉に、ガンはまじまじと俺を眺めて頷いた。

 

 

 

 

「……そっか。いい夢だな!」

「ん、照れくさいけど、ありがとうな」

「しし。じゃあ、俺は騎士になって遍歴の旅に出る。シロウは騎士になって正義の味方になる。それでいいんだよな!」

「……ああ、うん」

 騎士に、って所にはやっぱりしっくりこないが、そこには触れないでおこう。

 ガンは満足そうに頷きを繰り返し、次の話題を考え出して、むむむと唸りだした。

「よし、そうだ! シロウの名前ってどんな意味なんだ?」

「名前の意味?」

 意外な話題に、やっぱりコイツの発想は自由だなぁ、なんて事を改めて思う。

「そう。定番だろ? ちなみに、俺のガンって名前は国の言葉で『白』って意味があるんだ」

「白?」

「ああ、そうだ。白って言えば、昔から聖なる色ってのが相場だろ? だから俺もその名前通り、聖なる騎士になるってワケだ」

「はは、そりゃいいな。……しかし、名前の意味か。考えたことなかったな」

 俺は自分の名前を気に入っているし、大事にもしているけれど、それ自体の意味を考えた事はなかった。けれども、言われてみれば確かにそういう物もあるのだろう。

 そこら辺に落ちてる棒切れを拾い、それで地面に『衛宮 士郎』と書いてみる。

 

「……うん? なんだそりゃ?」

 その一連の様子を見て、ガンが不思議そうに首を捻った。

 

「ああ、これは俺の国の人たちが使ってる文字で、これで『エミヤ シロウ』って読むんだ」

「ふーん、見たことない文字だな……って、エミヤってのはなんだ?」

「ん? ああ、それは俺の名字のことだけど」

「へぇ。で、名字ってなんなんだ?」

「え」

 こいつこそ、今更何を言ってるんだろう。

「なにって、家名のことだよ」

「ふーん。そんなのがあるんだな、シロウの国は」

「そんなのって……え、ガウェインだって最初は俺のことそう呼んでただろ。普通にこっちにもあるもんじゃないのか?」

 びっくりして目を遣る俺だったが、ガンは首をブンブンと振って答えた。

「いや、俺たちにそんな風習はないぞ……あれ? なんでそれを疑問に思ってなかったんだろう、俺?」

「……」

 新事実に驚くとともに、おそらくガンが戸惑っているのはマーリンのせいだろう、と軽く当たりをつける。あいつの秘薬って、俺だけに作用するもんじゃなかったのか。

 

 と、そんなことを考えて押し黙る俺だったが、そこでまた疑問に感じる事があった。

 

「でもさ、そんな事言っててもアーサー王にだって名字があるだろ? アーサー=ペンドラゴンって一つなぎの名前が有名じゃないか」

「ん? ああ、アーサー様のアレはそういうんじゃなくて、称号みたいなもんだぞ。ペンドラゴンってのは竜の頭って意味。『アーサー王は竜の化身』ってな。俺たちの国にも、そういう称号だったり出身だったりを一緒に名乗る事はあるんだよ。俺の場合は、『オークニーの勇敢な騎士、ガン』……なんてな、へへっ」

「なるほど」

 後半部分は無視するとして、前半部分は非常にタメになった。

 つまり、俺はずっと誤解していたみたいだ。

 

 しかしここで、俺に軽く流されてむっとしたガンが、表情を戻して改めて問いかけてくる。

 

「そんなことより、どうしてシロウはそこに自分の名前を書いたんだよ?」

「……ん、ああ、そうだな。

 俺の国の文字の中でもこれは特に漢字っていうヤツなんだけど、一つ一つの文字に全部意味があるんだよ。だから、そこから俺の名前の意味を推測できないかなぁって」

「へぇ。じゃあ、シロウってのはどういう意味なんだ?」

「待てよ……」

 言われ、改めて地面に書いたそれを眺める。

 士郎の『郎』って文字は男によく付ける名前だとして、『士』は確か……

「ええっと、士郎で『立派な男』ってくらいの意味かな」

「へぇ、いいじゃんか。じゃあ、その名字ってヤツの方は?」

「……うーん。衛宮の衛はたぶん、守るって意味があるからそれだと思う。宮は……宮殿とか城とか、なんか偉い人の住む場所のことかな。あと、大きな家とか、そういう意味もあるかもしれない」

「へぇー」

 ガンが俺の説明に興味深そうにして地面に書かれた文字を眺める。

 まぁ、自分で言いながら、俺も感心しつつ一緒になって眺めているワケなんだけど。

 ……ホント、尋ねなかった俺が悪かったとはいえ、親父もそれくらい教えてくれても良かったのにと思うのだ。

 

 そんなコトを考えて、むむ、と眉間に皺を寄せた俺に、しかし、ばっと顔を上げたガンが不意に言った。

 

 

 

 

 

「────じゃあ、士郎にぴったりな名前だな」

「うん? どうしてだよ?」

 

 

 

 

 

 その突拍子もない言葉に、俺も顔を上げてそいつの方を見てしまう。

 だけどそいつは気にするコトなく、目を丸くした俺に対し、なんとも楽しげな笑みを浮かべて答えた。

 

 

 

 

 

「だって、立派な騎士って言えば王を守るもんだし、家を守るって言えば自分の大事なもんを守るってコトだろ? 正義の味方を目指してるシロウにぴったりじゃないか!」

 

 

 

 

 

 

 ────その言葉に

 

 

 

 

 

 俺は思わず、息を飲んだ。

 

 

 

 

 

 

「……ん? どうしたんだ、シロウ?」

 驚愕に言葉を継げない俺を、ガンが不思議そうに覗き込んでくる。

 

 

 

 

 

 

「…………あ、いや」

 

 それに気づいたのに

 まずいと思ったのに

 碌に言葉を見つけられない俺が居て

 なんとも言えない感情が、胸の奥から湧いてくる俺が居た。

 

 だから、目の前のガンに返してやれたのは、とても短い一言に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

「────ありがとう」

 

 

 

 なんだかやけに、鼻がつんとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ今度は俺の質問だなっ。そういや、ガンの出身のオークニーってどういう場所なんだ?」

 

 暫く時間が経って、ようやくマトモな思考に戻った俺にできたのは、なんとも苦しい話題転換だった。自分でも拙いもんだと思う。

 だけど、目の前のガンはそれに特に違和感を覚えてる様子はなく、弾かるようにそれに深く頷いた。

 ……コイツの暢気さにも、今だけは感謝していいのかもしれない。

「お、いいねぇ。よくぞ聞いてくれた! いいか、オークニーってのはな──」

 

 嬉々として語り始める目の前のそいつ。

 だけど、そんな時に────

 

 

「────貴方達、ここで一体何をしているのですか」

 

 俺たちの真下から、そんな言葉が聞こえてきた。

 

 

「げ、ばれたっ!?」

 ぐえっと、カエルが潰れたような声をあげるガン。その視線の先に居たのは、いつもの白銀鎧を脱いで佇むガウェインだった。

 

「何が『ばれた』ですか。その様に騒がしくしていれば当たり前でしょうに」

「……あれ、でもベディヴィエールは?」

 ふと疑問に感じて尋ねてみる。だって、その理論で言えばもう一人も気づいていい様に思える。

 けれど、ガウェインは俺の問いに、やれやれと首を振りながら答えた。

「あのベディヴィエールが、この程度で起きるわけないでしょう」

「……そうなんだ」

 あの人、意外と図太い精神してるのかもな。

 

「さて、ガン」

 ガウェインが真面目な表情を戻し、俺たちを下から見上げ直す。

 

「……私達は、遊びに来ている訳ではないのですが」

「うっ」

 その言葉に気まずげな声をあげる見習い騎士。その姿は、悪戯が見つかって親に叱られる子供の姿を幻視させる。……確かに、これも自業自得って言えばそうなんだろう。事実、俺も無理矢理こいつに起こされてこうして夜中に起きてお喋りしていた訳だし。

 ……だけど、それなら楽しんじまった俺も同罪だ。

 

「……あのさ、ガウェイン」

 

 だから、下に居る騎士に諌めの言葉を掛けようとして──

 

 

 

「────ですが、私もそういう催しが嫌いな訳ではありません」

 

 

 

 いつの間にか、俺たちの背後に立って、そんな事を言う彼が居た。

 

 

 

「────って、え、ええ!? 今ジャンプしてきたよな!??」

「ええ、これも騎士の嗜みですから」

「…………軽く五メートルはあるぞ。どうなってるんだ?」

「さて、そのような事より、それでは私から故郷の話をしましょうか」

「あ、またズルいっすよガウェイン様!!」

「貴方は私をまた除け者にしようとした罰です。控えなさい」

「うっ……でも、そもそもガウェイン様は帝国育ちじゃないですか!」

「何を言うのです、ガン。私はオークニーの王族です。私ほど語るに相応しい者はいないと自負しています」

「えぇぇ……」

「…………はは」

 再び繰り広げられたコントに、俺はもう乾いた笑みを浮かべるしかない。

 しかしそんな俺の気持ちを意に介さず、マイペースなガウェインが語りを始める。

 

「それでは、ご静聴を一つ。

 オークニーとは、ここキャメロットより北の地。彼のハドリアヌス帝の長城を越え、ピクト人やスコット人の蔓延る土地よりさらに北上した岸向かい。そこには美しい島々が垣間見え、そして夏には『沈まぬ太陽』で名高き────」

 

 廉直な騎士の、朗々とした声が夜に響く。

 その語り口にしばらく不満そうにしていたガンだったが、やっぱりいつの間にか、機嫌を直して横から茶々を入れだす見習い騎士だった。

 そんな二人の様子に苦笑し、そして騎士の話に純粋に興味が湧いて、時折質問なんかを挟みながら聞き入る俺も居た。

 

 

 ────そんなこんなで、月光の明かりの下、騒がしい夜が更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 平和な道中です。
 選定の剣の岩への突き刺され方が古い物語では雑で面白いのですが、ここはやっぱり直立で。士郎の名前に関しては、マテリアルに書いていた『宮を守るキーパー』として作ったという設定を参考にしました。
 あと、ここ数話ギャグ多めになりましたが、これからは控えめです。

『本話に関係ない話』
 実はキャメロットの場所設定を密かにコルチェスターからコングレスベリーに変更。それに従って今までの地理の方角の描写なども微妙に調整しました。これまでのストーリーに特に影響はないので、とりたてて気にしないでください。コルチェスターもキャメロットの一つの候補地と言われていますし、私自身訪れた事もあり描きやすかったのですが、色々考えて設定変更しました。資料を色々読んで調べていくうちに、サクソン族たちと比べてブリテン島ってよっぽど文明化されていて土地も豊かな事を知ったのですが、Fateでは乏しいっぽい描写ですので。。特にその中でもコルチェスター辺りは条件がいいですし、他の幾つかの理由もあり変更した次第です。
(サウスカドベリーも考えましたが、諸々考えて却下しました。ただ、Google Map等で『cudbury castle』と調べれば、非常に美しい風景が出てきますので、宜しければ是非検索してみてくださいね)


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14 Rumor

「────と。ったく、イド、お前少しは大人しくしろよな?」

 

 はぁ、と形だけの溜息を吐きながらも思わず顔には笑みが浮かぶ。その原因は、ブラッシングに気持ち良さげに嘶きながら、しかし喜びが過ぎて頭をこっちに擦り付けてきてくるそいつに違いなかった。

 

 呼び名をイド。

 略さない正式名は『イドリス』と言う、ベディヴィエールが俺に与えてくれた月毛のそいつだ。

 

 名前を付けてくれという、始めにベディヴィエールに言われた依頼。アーサー王に引き続きその騎士までにもそんな事を言われた俺は、心の底から頭を抱えたもんだった。

 ……だって、俺だぞ? あの、自分にしては結構愛着を持って使い分けてた自転車達に、各々、一号・二号・三号なんて名前を付けてしまうのが俺で。自虐する位なら名前なんて付けなきゃ良いと思うのに、だけどなんとなくそれが嫌で、延々と悩んだ末に結局そんな感じに落ち着かせちまうのが、衛宮士郎という男だった。

 

 さりとて、そんな俺だって周りから意見を貰うぐらいの事はできるというもので。

 

 幸い、俺の周りには円卓の騎士とその従騎士という、数々の馬に触れ合ってきた顔ぶれが揃っていた。よって、案に行き詰まった俺はそいつらにアイデアをもらう事にしたのだ。

 もちろん中には、どんどん案を出してくる癖にその意味が『豊満な』だとか『年下の』だとか完全に自分の趣味を反映したセンスの欠片もない名前ばかりを推してくるやけに俗っぽい役立たず(ここまで一つなぎ)も約一名居たりもしたが、安定に力になってくれるベディヴィエールと意外にセンスの良いガンのおかげで、俺は自分でも結構納得のいく名前を絞り出す事ができたのだった。

 

 二人曰く、イドリスとは、この国のある言語で『勇敢な』っていう意味があるらしい。

 正直、俺が乗る馬にこんなに格好良い名前を付けるのはかなり躊躇したのだけど、コイツの親父さんはあのアーサー王の愛馬だっていうし、それなら親に負けないぐらいの立派な名前を付けてやりたかった。

 

 ────で、結果。

 それ以来、イドも自分の名前を認識しているみたいに振る舞うようになったワケで。

 ベディヴィエールも言っていたけど、本当に馬って賢いんだなぁ、なんて感心しちまう俺だった。

 

 

「そろそろ明るくなってきましたし、それでは行きましょうか」

 そんな事を考えてる俺の背に、ベディヴィエールの声が掛かる。

「ん、了解」

 それに短く答え、最後に川の水で手を洗ってからイドに跨った。

 

 

 実は、この旅が始まってから既に十日目の朝となる。

 そしてこれまで危険も特になくやって来れた俺たちだったが、しかし、その道なりは決して平坦な物ではなかった。

 

 それは主に、この島の気候が原因だ。

 

 俺がこの時代に来てしばらくは晴れの日が続いたが、ガン達曰くあれは珍しい事らしい。

 そもそも、このブリテン島は普段は霧が多く、一年を通して雨量が多いのが特徴なのだそうだ。

 そして、今日こそ天気良く晴れているのだが、ここ数日は例に漏れず、日が照りついているかと思えば急に雨が降り出したり、雨が降り出したと思えば気温が急に冷え下がったりと、それはもう散々な様相だったのだ。

 加え、そうやって毎日のように雨が降っているとすれば、道がぬかるむのというのもお約束という物で。この時代に舗装された道路なんてありはしない。『道で溺れ死ぬ』とまで言う人々がいるのが、この時代の旅だった。

 

 ……だから、俺たちも四苦八苦しながら、ここまでなんとかやってきたわけなのだが。

 

「あ〜、なんっもないな〜〜〜〜〜」

「……そうだな」

 

 ダラけるそいつの言葉に思わず同調してしまう。

 だって、斥候という本来の目的の上では、『何も特に起こっていない』と言えるのがこれまでの道中だったのだ。

 しかし、そんな俺たち……いや、ガンに対して、いつものように白騎士の咎めの言葉が入る。

 

「ガン、その様な姿勢は改めよと何度言いましたか」

「え〜……でもガウェイン様、本当になんにも見つかんないじゃないですか。こちとら話題も尽きて暇で暇でしょうがないですよ〜」

「何を言っているのですか。私たちがここに来ているのは王命故です。そのような様ではいざと言う時に目的を達す事はできぬと知りなさい」

「……はーい」

 

 前を並んで行く二人の会話。

 確かにガウェインの言う事ももっともなのだが、ガンの言いたい事も分かってしまうのが心情だ。

 そもそもこの旅自体が『魔術行使がこの辺りであったから偵察する』なんて曖昧な理由を元に始めたもの。

 何もないならそれに越した事はないのだろうけれど、何時何処まで旅を続ければ目的を果たせるか分からないってのは相当に辛いものだと、そう痛感する俺だった。

 

「はー……なぁシロウ、なんか話題出して」

「……む、ちょっと待ってくれ」

 

 気まぐれにガンがそんな事を俺に言ってくるが、もうそれにとやかく言う事もない。この遣り取りだってもう十回以上となる。今のこいつの言動なんて暇つぶしでしかないのだから、疑問に思うだけ無駄ってもんだろう。

 

「……そういえば、お前も言ってた気がするけどさ、キャメロットではどうして最近俺みたいな新人騎士見習いが珍しいんだ? そんなの幾らでもいそうなもんだけれど、なんか理由があるのか?」

 

 だから俺が思いついたこの疑問も、気まぐれ以上の理由なんてない。ただなんとなく、他の騎士やガンが言っていた事を思い出しただけだった。

 なので、まぁ一応聞いておくかなぁ、ぐらいの軽い気持ちから出た質問だったのだけど。

 

「あ、ばかっ」

「え?」

「「…………」」

 

 途端。

 奇妙な沈黙が、場に降りる。 

 その原因は急に変な雰囲気を纏った二人の騎士。

 片方のベディヴィエールはどこか神妙な顔をして口を噤み、もう一方のガウェインに至っては微妙に怒気みたいなものも放っているような。

 

「ちょっと来いっ」

「えっ、お、おう」

 

 馬を下がらせたガンが俺の跨るイドの手綱を引っ掴んで後ろへと操る。自然、ベディヴィエールとガウェインが先に進み、俺とガンが少し後ろを二人で歩む様な形になった。

 そうしてヘンな様子の二人から距離を取って安心したガンは、俺に向かって呆れたような目線を送り口を開いた。

 

「はぁ〜、お前たまに突拍子もない事言うよな。ちょっとはさぁ、場の空気ってヤツを読んでくれよ?」

「む」

 

 それに何か悪い事をしたとはわかったが、コイツだけには言われたくない俺だった。

 ……まぁ、今はそんなコトはどうでもいい。

 

「で、あの二人、なんで急にあんな感じになったんだよ?」

「う〜ん、なんって言うかな……あの二人にとって、あの質問は今が旬?ってヤツだったんだよ」

「……それ、絶対に使い方間違ってるから」

 そもそもどういう言い回しが翻訳されてるんだ? 

 そんな俺の疑問はさておき、一方ガンは静かに話を切り出す。

 

「まぁ要するにだ。お前がさっきした質問が、アーサー様に関係するものだったんだよ」

「……」

 

 その遠回りな言い回しに加え、何回出てきても思わずドキッとしていまうその名前の出現に、俺は少し息を飲んで続きを待った。そんな俺に対し、ガンがなんとも似合わない真剣さを持って言葉を続ける。

 

「まぁ、俺も唯の見習い騎士に過ぎないから詳しくは知らないんだけど……最近、アーサー様に悪い噂が付き纏っててな」

「……悪い、噂?」

「ああ。で、その噂ってのがこれまた酷くてな。

『軍備を充足させるために、小さな村を干からびさせて蓄えるように命じた』だとか、

『蛮族共に襲われている村があるのに、敢えてそれをしばらく放置していた』だとか、

 ……ま、そんな感じだ」

「────な」

 

 俺はガンのその説明に、ガツンと頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。

 なんでかってその内容自体の壮絶さもそうだけど、あのアーサー王がそんな事をするなんて、俺には到底考えられなかったのだ。

 思い出すのは、常に真直ぐに佇むアーサー王。

 伝承通り。いや、それ以上に洗練潔白な理想の王を体現しているかに見える、あの神聖な姿。

 ……会ってから間もない俺がそう思ってしまうのだ。そんな噂があるなんて到底信じる事が出来ない。

 そんな事を考えて知らず憮然としてしまう俺に、ガンが肩をすくめながら口を挟んだ。

 

「ま、本当の事は分かんないんけどな。

 ……だけど、噂ってのは一度出ると広がっちまうもんだ。そもそも見習い騎士なんて、今居る騎士の話を聞いてやって来るのが普通だしな。キャメロットの騎士様方の間でそんな噂が出てる今じゃ、来たがる奴の方が稀ってもんだ。……って、そういや士郎はなんで今の時期に来たんだよ?」

「────え、あ、えっと……そ、そんなことよりガンはその噂に関してどう思ってるんだよ!」

 

 ……く、苦しいか?

 そう思う俺だったが、しかしガンは特に疑問を抱かず返事を返してくる。

 

「ん? まぁ、俺はガウェイン様の意見に賛成してるしな。あの人いっつも言ってるぜ。『騎士とは主君の剣となって生き、主君の道と共に滅びる。そこに一切の懐疑も、不満もあってはならない』ってな。小さい頃からガウェイン様に憧れてたからってのもあるんだけど、俺も理想の騎士ってのはそういうもんだと思うんだ。一度主と決めた方には、それを絶対に疑ってはいけないってな」

 

 まっすぐに、そして気負いせず語るガン。

 見習いとは言えコイツのことだ。騎士の心得を何度も顧みて来たのだろう。その姿勢は素直に尊敬できるもんだと、心からそう思う。

 

「……」

 だけど、なんなんだろうか。

 俺は今のこいつの発言に、どこか奇妙な違和感を感じていた。

 

「ん? どうしたんだよ、シロウ?」

「あ、いや」

「……もしかして、なんか俺ヘンな事言ったか?」

「……いや、そんな事ないぞ。うん、俺もそんな噂信じられないってのは本当だ」

「? ま、そっか。……はぁ、にしても、暇だなぁ〜」

「はは、そうだな」

 これで話は終わりという事なんだろう。

 また再び馬の背につっ伏せになるガンに、思わず苦笑して同調してしまう俺だった。

 

 そして、ガウェインに気付かれたらまた怒られるんだろうなぁ、なんて事を考えながらもうかなり前を行く騎士達を見て──

 

「────ん?」

 

 さらにその二人の前方から、幾つかの人影が走ってくるのを視界に捉えた。しかも、その彼らはどこか騒がしい、ひどく慌てた様な足取りで。

 ……とりあえず、目をうつろにさせているガンに気付けをして、ベディヴィエール達に追い着く事にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────っと、ベディヴィエール、どうしたんだ?」

「シロウ殿」

 

 俺たちが軽く拍車を掛けて追いついた時、ちょうど前方からやってきていた人影も二人の前にたどり着き跪いていた。どうやらその彼らに対してはガウェインが相手をしているようで、俺はその隣に馬上で佇むベディヴィエールに尋ねる事にしたのだった。

 

「いえ、どうやら彼らはこの辺りに住まう農奴のようでして」

「……農奴って」

 

 呟きながらその言葉を反芻する。

 それは中世ヨーロッパにおける、所謂土地に縛られた『奴隷』の事だ。

 そんな風に意味を確認しながらふと眉根を寄せて────だけどすぐに深呼吸をし、荒くれ立ちそうだった気持ちを落ち着かせる事にした。

 

 奴隷と言えば聞こえは悪いが、俺の元居た時代と違い、これは一般の多くを占める身分。それに、実は以前にマーリンにも話を聞いていたのだけど、キャメロットの村に住む住民の殆どもその農奴なのだという。

 初めてその言葉を耳にした時にはつい咄嗟に抗議の言葉を上げたものだったが、実際に充実した生活を送る彼らを目にした俺は、そんな無責任な反感情を抱く事が出来なくなっていた。俺の考えはこの時代では常識ではない。そういった制度が横行するにも理由があるのだろうし、なによりあのアーサー王や目の前の騎士達が、奴隷だからといって彼らをぞんざいに扱うとは思えなかったのだ。

 

 心を落ち着かせ、とりあえず目の前の遣り取りを追う事にしよう。

 

「おぉ、おおぉ、騎士さま方、どうかしばしお立ち止まり我らの話をお聞きくださいぃ」

 跪ついている三つの人影のうち、中央の年老いた男性が頭を地にこすりつけて懇願した。

「どうしたと言うのです、ご老人。まずはこの手をお取りなさい」

 相棒の白馬から降りたガウェインが、そう言ってその翁を援け起こした。

「な、なんと勿体のない。平に感謝いたしまする」 

 感謝を繰り返しつつ身を起こしたその翁。粗い麻布を膝下までに伸ばした衣と底の低いサンダルを身に付け、大きな鉄の環を首に下げていた。

「さて、この辺りに住まう者達だと見受けますが」

「は、はい騎士さま方。我らはこの地に住まう領主さまの元、卑しき身分の者でございます。失礼ながら、騎士さま方の纏われていらっしゃる立派な鎧。さぞ高名な御方に仕えていらっしゃるものだと存じますが……」

「ええ、我らは彼のアーサー王に奉ずる者。そして私の名をガウェインと言います」

「お、おおぉ、あの名高き円卓の騎士のお一人、ガウェインさまだとは! 恐れ多くも、お噂の通りなんとお優しくご立派な事か……」

「……」

 なんなんだろうか、このやけに芝居掛かったような会話は。

 いや、真面目なのはわかるんだ。彼らからしたら円卓の騎士の一人であるガウェインなんてそれこそ雲の上の身分だろうし、言葉通り話しかける事すら許可が必要な事なんだろう。それは俺にもなんとなくわかる。……ただ……うん。まだ慣れていないだけなんだ。

 どこか遠い目をしてしまう俺を尻目に、白騎士は鷹揚と頷いて本題を切り出した。

 

「さて、ご老人。如何なる用向きにて私達を引き止めたのかお伺いしても?」

「は、はぃ勿論でございまする。実は、恐れ多くも我ら、騎士さま方にお願い申し上げたい事があるのです」

「ええ、続きを伺いましょう」

「は、はい。先ほど述べさせて頂きました通り、我らこの付近の土地にて農作や狩猟を営んでいるのですが、今まではその為に特に近くの森へと頻繁に出入りしていたのです」

「……この辺りの森といえば、彼の大森林の事でしょうか?」

「そ、その通りでございまする」

 

 何かを察したガウェインに、何度も大げさに頷くその老人。

 一方、彼らの話を横で聞きながら、理解が全く追いついていない俺だった。……あの森って何処のことだ?

 そんな風に疑問を浮かべる俺を他所に、彼らの会話は続いていく。

 

「……ちょうどひと月前の事でしょうか。我らがいつものように森へ狩りに出かけた時、どうにも奇妙な事が何度も起こったのです」

「奇妙な事、でしょうか?」

「は、はぃ。森の奥に仕掛けた罠を確認する為、常の道を歩んでおりましたのですが……気づけば、いつの間にか森の入口へと戻ってしまうという事が続いたのでございます」

「なんと」

 

 ……確かに奇妙な事だ。話の通りなら彼らにとってその森は生活の一部なんだろう。慣れた道を間違う、なんて事は普通ない筈だ。

 

「そ、それ以来何度森を訪れようと、何度道行きを変えようと、いつの間にか元の場所に戻ると言う事が起こるようになったのでございます。不気味なことゆえ、我らもその森に近づけなくなってしまいました……ど、どうか勇敢なる騎士さま方! 我らに代わり、あの森に潜む『悪魔』を追い払ってはいただけないでしょうかっ」

「……ふむ」

 

 老人の願いに、ガウェインが顎に手を当てて思案する。そんでもって後ろの俺に送ってきた、白騎士風に言うと「どうしますか?」といった風な目線に、俺は無意識に残りのベディヴィエールとガンと視線を走らせると────二人もどうやら、俺の『魔術師』としての意見を待っているようにじっとしていて……正直、そんな技能のない俺には全く正しい判断はつかなかったけれど……衛宮士郎としての俺が、いつの間にか答えを口にしていた。

 

 

「────行こう、ガウェイン」

「シロウ?」

 迷いのない俺の言葉に、白騎士が軽く目を丸くする。

 だけどそれを気にせず、俺は当たり前な自分の言葉を続けていた。

 

 

「だって、その人たち困ってるじゃないか。その森に入れなくなったら、今までの生活に支障だってきっとある。それに、俺たちはここまで斥候にやってきたんだ。なら、そんな怪しい話は放っておけないだろう?」

「……その通りです、シロウ殿」

 横で俺の言葉を聞いていたベディヴィエールが賛同する。

「そうだな! それにやっと暇じゃなくなりそうだ!」

 いつの間にか元気になったガンも応えた。

「…………そうですね」

 そんな俺たち三人に対し、最後に頷いた白騎士が翻って翁へと向き合った。

 

「よろしいでしょう、ご老人。我らアーサー王に仕える騎士、確かに貴方のその申し出を諾いました」

「お、おぉ、ありがとうございまする……騎士さま方、どうか、どうか宜しくお願い申し上げます」

「ええ、神かけて果たしましょう」

 

 その遣り取りのあと平伏したまま動かなくなった老人とその他の人を背に、愛馬のグリンガレットに跨り直したガウェインが先に歩み出す。俺たち三人もその背に続いて歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして暫く。

 元居た河川に沿った林を抜け、滑らかに隆起した丘を俺たちは進んでいた。

 どうやらガウェインは目的地にあてがあるようで、どんどん先に先にへと馬を歩ませる、そんな迷いのない足取りだった。

 

 ……それにしても

 

「一体どうしたんだ、ガウェイン」

 そんな白騎士の背に、俺は漠然として問いかける。

「? 何がですか、シロウ」

 それに白騎士は振り向き、質問の意図が判らないとばかりに小首を傾げた。

 

「いやだって、お前なんか迷ってそうだったじゃないか。いつもなら嬉々として即答しそうなのに、何がそんなに気がかりだったんだ?」

 そう。俺は先ほどのこの廉直な騎士らしくない、何か奥歯に引っかかるような振る舞いが気になっていたのだった。

 

 白騎士はそれに、ああ、と納得の頷きを零し、俺の疑問に答えるために口を開いた。

「いえ、少々気になる事があったので」

「気になること?」

「ええ、あのご老人が言っていた森の事です」

「……そういや、なんか心当たりありそうな感じだったな」

 ええ、と、頷きを深くしたガウェインが前に向き直しつつ言葉を続ける。

「あの森は私……と言うより、私の父、そして我が王に関する因縁が少々ありまして」

「ええと、ガウェインの親父さんって言えばロト王って人だよな。その人とアーサー王が?」

「……ええ。かつて、我が君がブリテンの王となられた時分、それに反目した十一人の王と諸侯がいました。その内の一人が我が父であり────そして、その決戦の舞台となったのが、あそこに見える大森林なのです」

 

 不意に小高い丘の上で白騎士が馬を止め、前を指差す。

 そうして、俺も少し遅れて彼に追いつき、丘の向こうを遠く見遣り────そこで開けた光景に、俺は瞠目して言葉を零した。

 

「……これは」

 

 時刻はおそらく九時近く。日が昇り出し、地上が明明と照らし出される時間帯。

 だがしかし、目の前の高い木々に阻まれた地面には、一筋の光すら降りてきていなかった。

 

 季節は初冬にも関わらず、地上に生い茂る草花の蓊鬱たるは、仮にあそこへ足を踏み入れたら最後、まるで別の世界に引き摺り込まれるのではないかという、そんなおぞましい予感を胸に去来させた。

 

 

 ────そう。今まで見たことないような、暗い、深い森がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 伝承でのガウェイン卿は王に忠義を立てながらも命令に異を唱えることも多くあったりと、アーサー王に対し盲目的ではなかったと思いますが、Fateに準拠します。
 なんだか文章がなかなか出てこなかったので色々省略して書きました。そうしないとまた更新を止めてしまいそうだったので.......。後数話程旅が続く予定です。
 

 また、今話最後に出てきたのは物語に出てくるベドグレインの森です。ついでにロト王も反乱した設定。ただ、この森はシャーウッドの森だとかリンカンにあった森じゃないかという話ですが、この創作ではロッキンガムの森だと想定して書いています。Rockingham Forest Trustのサイトを見て『開拓が次第に進んでいってたんだろうけど、アーサー王物語の時代にはもっともっと(常緑樹の)森が深かったんじゃないかなぁ』と妄想している作者です。


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15 Into the Dark Forest(I)

 

 ひどく不気味な予感がした。

 目の前の、どこまでも暗く奥まで見すかす事のできない森は、今から足を踏み入れようとしている自身の肌身をどうしようもなくざわめかせる。これはきっと、この場に居る全員が共有している感覚なのだろう。それを証明するかの様に馬たちさえもどこか怯えた様に身を潜め、けして森の中へ歩み出そうとはしなかった。

 

「行きましょうか」

「……ああ」

 

 だが、ここで立ち止まる訳にはいけない。

 俺たちは彼らを森の前で待機させておく事にし、ここから先は徒歩で向かうことにした。

 そして、騎士が口にしたのは凍った身体を動かすための合図。

 それにありがたく応え、鬱蒼と生い茂る草むらに一歩足を踏み入れた俺は

 

 

 

 

 そのまま、呆然と立ち尽くした。

 

 

 

 

 ────何かが変わったのだ。今の一歩で。

 外と中。一体何が異なるのかは分からないが、その境界でナニカが決定的に違っている。

 

 

 

 

 森の内側。そこは奇怪な異界に踏み入れたかのような寒気を感じさせて、辺りに満ちる薄い空気に含まれた何かを、俺は無意識のうちにようようと吸い込んでいた。

 

 

 

 

 不自然に穏やかなそれは、本能すら麻痺させて甘ったるく身体の中で広がって、舐めるように全身の器官を覆ってくるその気配に吐き気を催した俺は──

 

  

 

 

「────シロウッ!」

「え……? あ、ええ!?」

 

 不意に耳元で叫ばれた声に意識を戻し、気づいた時には身体を跳ねさせて飛び引いていた。

 判然としない頭で目を遣ると、不思議そうにこちらを覗き込んでくるヤツがそこに居る。

 

「あ、どうしたんだ、ガン?」

「どうしたんだ、じゃねえよ本当! お前がどうしたんだよ、急にぼけっとしてさ?」

「えっと、そうだっけ?」

「……あのなぁ」

 

 うっ。なんか最近慣れ親しんだ呆れの間が。

 そいつのじとっとした目線に抗議しようとして、だけど言葉が思い浮かばず口ごもる俺。

 そんなコントを繰り出す俺たちに、先へと進んだ白騎士が振り返って言った。

 

「ガン、シロウ。何をしているのですか。今はそのような事をしている場合ではないでしょう」

「うっ、すみませんガウェイン様」

「……悪い、ガウェイン」

「まったく」

「ふふ。ガウェイン卿、まずはあの者達が言ったように奥へと進んでみましょう」

 

 助け舟を出してくれるベディヴィエールと、その言葉に渋々ながらも表情を切り替え頷く白騎士。

 俺とガンは揃って恩人に感謝の目礼をし、それに苦笑して歩み出した騎士の背に続くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして暫く。

 深い草花が変に密集している間を、奥へ奥へと進んでいる俺たち。

 最初は陽気なガンが話題を回しつつ何気ない話をしていたのだが、先の見えない道程に、いつしか誰も喋らずただ黙々と進むようになっていた。

 

 森は静かだった。

 自分たちが草枝を掻き分ける以外は音の一つもない静寂に、木々の隙間から少量の陽光が降りている。

 外は良く晴れていたのに、森の中は暗く、墨を流し込んだような闇が辺りを包んでいた。

 

 ……やはりこの森は薄気味悪い。

 歩きつつ、そんな事を改めて考える。

 これだけ深い森だ。あの老人が言う通りきっと色んな動物が生息している筈なのに、俺たちはこれまで自分たち以外の声を一つとして聞いていなかった。

 そして相も変わらず、どこかチリチリとした嫌な感覚がこべりつくように背中に付いて離れない。

 

「────着いたようですね」

 

 そんな時、一番前を進んでいたガウェインが言った。

 それに意識を戻して前を見据えると、いつの間にか先ほどまでの闇が晴れ、辺りには他の動物たちの息遣いが戻っていたのだった。

 そう。入り口で待機させていた筈の(・・・・・・・・・・・・・)、イドリス達の鳴き声が。

 

「……まじか」

 呆然自失、といった風にガンが声を漏らした。

 その気持ちは理解できる。俺だってこの身で体験するまでは、まさか本当に『気づかない内に振り出しに戻る』なんてコトが起こるとは思わなかったのだ。

 

「……老人が言っていた事は真実らしいですね」

「ええ。私達は此処に辿り着くまで確かに直進し続けていた。にも関わらず、ということは……ベディヴィエール、貴方は以前の戦でこの森を経験している筈。道中の地形に見覚えはありましたか?」

「……そうですね。進み始めた途中までの道は、私自身調べをつけた記憶のあるものです。しかし、しばらく歩いて以降の道に関しては、全く覚えがありませんでした」

「なるほど。とすれば、この森はある一定の位置から奥へと進めない様になっていると推定するべきでしょうか。そしてこの現象は十中八九、マーリン翁が知覚した魔術行使に関するものでしょう」

 

 円卓の騎士二人の話が聞こえる。

 確かに誰がどう見ても、これは魔術による『神秘』によって引き起こされているものだろう。とすれば、俺たちの目的から省みるに、この森の現象を突き止める事が今取るべき行動だとも言えるのかもしれない。

 

「シロウ殿、魔術師の貴方からして何か分かる事はありませんか?」

 白騎士との会話を終えたベディヴィエールが、俺に振り返って尋ねてくる。

 ……魔術師、としてか。

 正直、へっぽこ魔術師である俺にそんな事を求められても荷が重いのだけど、そんな俺にも一つだけ気になる事があった。

 

「────そういや、森に入ってから何かヘンな違和感を感じないか?」

「……違和感? なんだそりゃ?」

 俺の言葉に、歩き疲れて座り込んでいたガンが首を傾げて応えた。

「なんていうかな。この森の空気はなんだか……ひどく歪んでいる気がするんだ。さっきだってなんだか奥に歩いて行くほど──いや、正確にはこの場所に辿り着く間際に、かな。とにかく、その辺りで一段と不気味な感じがしたんだけど……皆はどうだ?」

 俺の問いかけに騎士達は各々考え込むように顔を伏せ、やがて、最も早く思案を止めた白騎士が俺に向かって結論を返した。

「いえ、おそらくその感覚を得たのはシロウのみでしょう。我々騎士は良くも悪くもそういう感覚に疎い傾向があります。貴方には魔術師故に感じられた事があるのかもしれない」

「……そうなのかな」

「ええ、きっと。シロウ、次は貴方が先導して奥へ進んでみませんか? できればその感覚に従うように進んでみて頂きたい」

「……わかった」

 

 一つ頷きを返し、ガウェインの申し出を受ける事にした。

 横に居るガンとベディヴィエールも賛同してくれてるみたいだし、俺自身、ずっと気になっているこの違和感の根源を確かめたかったのだ。

 俺たちは再び、目の前の深い森へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再度森に足を踏み入れた俺たち。

 今回は白騎士の提案通り俺が感じる違和感を手繰る様に進んできたのだが、その数十分後。

 いつの間にか俺たちは、妙に視界の開けた、遮る物のない光の下へと辿り着いていたのだった。

 

「────これは」 

 

 誰かが何度目かになる驚愕の声を漏らした。

 ……無理もない。その発言は、間違いなく目の前の光景が原因だろう。

 

 先程まで犇めいていた木々がなくなり、広がるのは背の低い草花の地面。

 唐突に開けたこの場所は、直径一キロくらいの円形に広がった草原の広場となっている。

 そしてその中央に一本だけ、されど充分な存在感を放つ大木が聳え立っていた。

 

 俺たち四人は自然と顔を見合わせて頷き合い、明らかにこの場で最も異様な存在であるその樹木の下へと歩み寄った。

 

「これは樫……いや、楢の樹か?」

「…………でっけぇなぁ」

 俺がその種類なんかを推測している横で、ガンが感嘆しながらその大木を見上げている。 

 コイツの言う通り、この樹はざっと見ても四十メートルの高さを湛え、横に広く伸びた樹枝は陽光を緩やかに遮って屹立とそこに在った。……確かに立派な樹だ。だが今はそんな外面よりも、もっと注意を払うべきことがある。

 

「…………なんて、馬鹿魔力」

 

 そう。目の前の巨木から発せられるのは、今までこの森で感じていた違和感なんて目じゃない位の、途方もなく強大な魔力だ。その様相は、いっそ外気に満ちるマナを次々掻き集めてなお追いつかない程の膨大さ。まず間違いなく、この森で起こっている現象はこの樹を根源として為されているのだろう。

 

「────醜悪な気配ですね」

 

 不意に、横で樹の表面をさすっていたベディヴィエールが、眉根を寄せてポツリと呟いた。俺がその発言に視線を向けると、騎士は変わらず難しい表情のままに自身の言葉を継いだ。

 

「シロウ殿の言う強大な魔力とは、恐らくこの樹の生命力を代償として生み出されている物ではないでしょうか。……ひどい有様です。もうこの樹は死に体同然の状態にまで枯れ尽くされている。それも、作為的に。……元来、この種の樹は多種多様な生き物達の糧ともなる筈であるのに、その影も既にありません。恐らくもう保たない状態の樹の形を、何らかの方法で無理矢理に永らえさせられているのです」

「……」

 珍しく憤りの表情を成した騎士は、ぎり、と、きつく歯を噛み締めて不快を露にしていた。

 彼の解説に俺も頭上を見上げて大きく広がる樹木を眺める。……よく見れば、幹に近い葉ほど灰色に枯れている。確かにそう遠からず、この樹の最期が来るのだろう。

 

「シロウ殿、この樹に掛かった魔術を調べていただけませんか? できるだけ早く、この子の役目を終わらせてあげたい」

「…………ああ、やってみる」

 真剣な表情で頼んでくる騎士に、俺は強く頷きを返した。 

 正直言って自信はない。けれど俺だってベディヴィエールの気持ちはよく分かるのだ。それに、俺は自分のできるだけの事をすると決めてある。迷いはなかった。

 

「────同調、開始(トレース・オン)

 

 樹の表面に手をつき、いつも通りの呪文を唱えた。

 ゆっくりと樹の中へと自身の魔力を通し、解析し尽くすためにそれを隅々まで行き渡らせていく。

 まずは外殻を覆った後、樹皮、形成層、白太、赤身、そして樹芯へと至り────起点を見つけ出した。

 

「くっ!」

 

 バチッと奔った衝撃に腕を引く。流し込んでいた魔力もその場で遮断した。

 ────幹の中心に刻まれた呪刻。

 それを読み取ろうとした俺を待っていたのは、しっぺ返しに用意された拒絶反応。一瞬のことだったからか。俺が今の解析魔術を通して読み取れたのはほんの僅か、その呪刻の外枠(カタチ)に過ぎなかった。

 

「まいった……これ、俺の手には負えないぞ」

 それはどこかで見たことのあるような形で、だけど聞いたこともない方法で刻まれた物だった。

 技量が全く足りてない俺には、これがいったい何の呪刻なのか判別できない。とにかく解るのは、これが何らかの結界魔術に用いられてることと、桁違いの技術で括られていることだけだった。

 

「どんな感じなんだ?」

 そんな困った様子の俺に、ガンが軽い感じで尋ねてきた。

「ああ。樹の中心にこの森を包む魔術の起点となる刻印があったんだけど、俺にはそれの解き方も、その刻印が何を示してるのかも解らないんだ」

「へぇ……あ、じゃあその刻印、地面に書き写してみればどうだ? それなら俺たちもなんか力になれるかもしれないし」

 

 いい考えだろ?、なんて視線で尋ねてくるそいつに、俺は軽くため息を吐いて承諾を返した。 

 まぁ、確かにダメ元でも試してみるべきだろう。ガンに言われた通り、木の中心に敷かれた呪印を木の棒で書き写してみる。幸い、魔術自体と比較して印の造形は非常にシンプルなもの。絵心のない俺でも苦もなくトレースする事が出来るだろう。

 ……うん、案外うまく出来たんじゃないか。特に曲線の渦なんて、等間隔に綺麗に描けていい感じだ。

 

 

「────Triskèle」

「え?」

 そんな時不意に紡がれた言葉に、俺は刻印から視線を外して顔を上げた。

 

 

 すると、俺を挟んで真向かいで地面に描かれた刻印を眺めていた白騎士が、ふと身を屈め、その籠手に包まれた指を印へと滑らせて、独りごちるように呟いているところだった。

 

 

「────これはトリスケルという、古来より私たちケルトの民に伝わる神聖な刻印です。

 この中央より三方向へと広がる形はケルトにおける聖なる数字を暗示しており、実際に主の教えが伝搬されてきた際も、この印は土着の信仰と迎合するように教典へと取り込まれ、三位一体の概念を内包する様にもなりました。故に、この刻印は私達にとって非常に馴染み深いものなのですが……しかし、まさかこの様な形で用いられることがあろうとは」

 

 朗々と語るガウェイン。

 俺は白騎士のその深い見識に驚きながらも先程気になった疑問をふと思い出し、ついでとばかりに騎士に問い掛けることにした。

 

「でも、俺の国でもこんな感じの印は見たことがある気がするぞ?」

 詳しい形は異なるが、家紋なんかで使われている三つ巴とかいう印。

 そんな物を思い浮かべながら返事を待つ俺に、ガウェインは視線を刻印から俺へと移し、軽く頷いて答えた。  

 

「ええ、それはきっと正しい。古来よりこの印は様々な国で使われてきたと聞き及んでいます。そも、このトリスケルという言葉もローマ帝国におけるこの刻印の呼称。たとえシロウの国で類似の形が用いられているとしても、不思議ではないかと」

「……へぇ」

 

 そいつの幅広い知識に、またもや本当に感心してしまう俺だった。

 一方、白騎士は視線を刻印へと再度戻し、何か深く思案するように顎に手をあてて言った。

 

「……しかし、この呪刻に使われている形は少々古い型。これはおそらく教典が伝わるよりも昔の時代の……このブリテン島土着の、ドルイド僧達が代々伝えてきた古いケルト信仰に見られる形です」

「…………それって、結構まずいのか?」

「────ええ、控えめに言ってもかなり。

 古代ケルトにおいてこの印はより強大な力を持つ存在を表していました。そしてこの魔術の持続期間を考えるに、恐らく『満ち行く月』『欠け行く月』『満月』という月の三段変化を利用して魔術行使が為されているのでしょう。結果、魔術の媒介とされたこの大木は現在非常に強大な神秘を有している。

 ……それに、この場所は不自然に開けている。古来より私達はこの様な場所を『他界』と呼ぶ神聖な場として見做してきました。おそらく、この場所でさえ魔術の効果を高める為に意図的に用意されたものでしょう」

「意図的にってそんな事が可能なのか?」

 容易には信じられない話に、俺は思わず質問を重ねていた。

「……このブリテン島にはケルトの血を受け継ぐ人間が多いとは言え、そのような術が可能な者は今に至っては稀です。紛れもなく、この魔術を施した担い手は高位の魔術師に違いないかと」

「────っ」

 騎士の返答に、知らずぞっと背筋に冷たい汗が湧き上がった。

 当たり前だが、この魔術の先にはこれを行使したであろう人物が居るのだと再認識したのだ。

 まるで神話に出てくるように強大な、そしてどこか禍々しいこの魔術を込めた魔術師が──

 

「────シロウ殿、少し良いですか?」

「え?」

 

 不意に思考を寸断させた声に顔を上げようとして────そうしたと思った瞬間、誰かに腕を掴まれ後ろへと引っ張られる。大きくたたらを踏みながら態勢を立て直して見遣ると、意外にも、そこにはいつも生真面目なベディヴィエールの姿があった。

 

「あ、え? ちょっ、ベディヴィエール!?」

「すみませんが、少しお時間を」

「わ、わかったから待ってくれ! ガウェインとガンが呆気に取られてるから!!」

 

 ついでに俺も、とは言わなかったが。

 ……しかし、ベディヴィエールの行動が意味不明なのは本当だ。後ろの二人から少し離れたところで立ち止まり、心の底からの疑問を問いかけることにする。

 

「……あのさ、一体どうしたんだベディヴィエール?」

「────シロウ殿」

「あ、はい」

 やけに真剣なその面持ちに、思わず畏まって身を改めてしまう。

 そんな俺に少し首を傾げながら、しかし騎士はそのまま真摯に言葉を続けた。

「シロウ殿、貴方はこれからどうする心積もりですか?」

「? どうって?」

「……件の魔術行使を行った者は、想像以上に高い技量を持った魔術師です。これより先は、恐らく今までより遥かに危険な行程となります。……シロウ殿。貴方はここで足を止め、我々に任せても良いのではないでしょうか?」

「え?」

 

 一瞬、どうしてベディヴィエールがそんな事を言うのか判らなかった。だから、『力不足の自分なんかじゃ、ここから先は足手まといになってしまうからなのか?』なんて考えも頭によぎってしまう。

 ……だけど、彼の顔に浮かぶ心から俺を案じている表情に、そんな考えはすぐに切って捨てる事にした。

 

「……シロウ殿、貴方は本来この国とはなんら関わりのないお人です。任務に同行して頂くことになったとは言え、もう十分に魔術師としての役目を果たしてくださいました。これ以上、徒らに御身を危険に曝す必要はないのです」

「……」

「ご心配せずとも、ガウェイン卿等に関してはどうとでも誤魔化しが利きます。ですので、シロウ殿はもう──」

「────ベディヴィエール」

 

 騎士の言葉を遮るように、俺はベディヴィエールの名前を呼んで一端言葉を切った。

 

 静かに言う俺の声に、彼が、驚いたように言葉を途中で飲み込んだ。

 彼の言葉を正しいと受け入れる理性。そして、それと相半するように突き立ててくる本能的な感情。不意に脳を揺さぶった目眩に俺は瞳をきつく閉じて、そうして、顔を上げて胸の内で綯い交ぜになった何かを飲み込みながら、精一杯毅然とした、決意を滲ませた声で、説きつけるように騎士に告げた。

 

「俺はついていくよ」

「……これまででも十分な働きであった事は私から報告させて頂きますが、それでもですか?」

「ああ。それでもだ」

「……確かに魔術師のシロウ殿に着いてきて頂けるのなら、私達としては拒む理由もないのですが……」 

 

 口ではそんなことを言いながらも、ベディヴィエールは困惑したように眉根を寄せて、どこか気遣わしげにこっちを伺ってくる。

 確かにベディヴィエールの気持ちはありがたい。けれど彼は勘違いしている。純粋に俺の身を案じてくれている騎士の為にも、俺は彼の認識を正さなくてはならない。

 

「違うぞ、ベディヴィエール。俺は別にそんな気を遣うような理由で決めた訳じゃない。そもそも、魔術師として俺が助けになれることなんて殆どないだろうし……実際、さっきだってガウェインが代わりに気付いてくれた様なもんだしな。

 ────ただ俺は、俺自身がベディヴィエール達の助けになりたいって思うだけなんだ。それに色んな人が使うこの森でこんな魔術を敷くようなヤツを放っておけないだろう? 俺はだから、何も知らずにただ人任せにしておく自分がいるなんて、そんな事は絶対に許すことが出来ない」

  

 話をしている間ベディヴィエールは俺の顔をまじまじと凝視していたのだが、やおら、何か諦めたようにその表情を崩し、浅い笑みを零して言った。

 

「それなら良いのですが……本当によろしいのですか?」

「ああ、もちろんだ。俺のことは気にしないでいいぞ」

「……それではお二人の元に戻りましょうか。早く先に進まなくてはなりません」

「ん、了解」

 

 簡潔に返事を行い、二人して動き出す。

 後ろを振り返ればガウェインとガンも向こうで何か喋っていて、何故かあの樹と自分達の立つ地面を見比べながら前後に動いているようだった。……ホント、何してるんだあいつら?

 二人の謎の動作を胡散臭げに眺めながら、俺は隣行く騎士にとりとめないコトを話しかけた。

 

「そういや、俺まだベディヴィエールに礼を言ってなかったな」

「? 何に対してでしょうか?」

「何って、さっきのことについてだよ。最終的に俺が我儘言う形になっちまったけど、心配してくれたんだろ?」

「我儘なんてそんな……事実シロウ殿にも共に行って頂ける方が私達にとっても有難いのですから、その様に畏まる必要はありません」

「それでも、お前が心配してくれたのは本当だろ?」

「……まぁ、ええ」

「じゃあそれでいいじゃないか。だから、ありがとうな」

「……わかりました」

 

 何故か納得いってなさそうな騎士に首を傾げながらも、耳近くで騒がしいガンの声が聞こえて意識を戻す。

 これでベディヴィエールとの話し合いは仕舞いだ。あと考えるべきは実際に森の奥へと踏み入り、こんな結界を敷いた魔術師を如何にとっちめるかだけという段に至り──

 

「…………あれ? そういやあの呪刻はどうやって解除するんだ?」

 俺はそこで、根本的な問題が依然残ったままなコトに気づいたのだった。

 

「……先に進むって言っても、この結界をなんとかしなくちゃ話にならないじゃないか」

 当たり前の事を口にしつつ頭上をもう一度見上げる。

 特に何もしてないのだから当然なのだけど、そこには先ほどと同様、濃厚な魔力を漂わせる巨大な樹木が凛としてそこにあった。

「なぁシロウ、そこ危ないぜ?」

「え?」

 ただ、そうやって途方に暮れていた俺の耳にガンの声が届いた。更に気づいたらベディヴィエールにされたみたいに腕を取られていて、樹から退がる様に引っ張られている俺だった。

「は? え、何がだよ?」

「だーかーらー、そこに居たままだと危ないんだって」

「いやいや、だから何が!?」

 要領を得ないそいつに困惑していた俺だったのだけれど、

 

 

「────シロウ」 

 不意に、自身の名を呼ぶ声を聞いた。

 

 振り返ればそこには、常通り真直ぐに佇立するガウェインの姿。

 彼は俺の名を呼びつつも視線は中心の樹に固定したままに、独白する様に言葉を続けた。

 

 

「確かにこの魔術は強力な代物です。ええ、神聖なる刻印を配されている古の法だ。それも当然と言うものでしょう。────しかし私もまた、古代ケルトに連なる聖者の数字を授かりし者」

 

 

 白騎士の声に、ごう、と風が吹きすぎていった。

 微かに湿り気を帯びる、渦巻いた熱風。

 その風を切って騎士は佇む。

 そして強まった陽光が静かに場に降りてきている中、

 今の彼は身を包む白銀の鎧をどこか一層輝かせ、真に高潔な騎士としての装いを纏っていた。

 

「────」

 俺はそこで息を飲んだ。

  

 大気中に溢れていた太源。

 樹に刻まれた呪刻に先程まで吸収されていた魔力の塊が、一斉に、根刮ぎ凝結して目の前の白騎士へと吸い寄せられていっているのだ。

 ───いや、正確に捉えるのなら、白騎士の元にある蒼銀の一振りに。

 

 いつの間にか、白騎士が腰に佩いていたそれを鞘から抜き取っている。

 自然、俺の目はその剣身へと惹きつけられていた。

 

 あの呪刻も非常に強力な物だ。それは間違いない。

 だけど、白騎士が翳しているあの剣は、強力な筈のそれを遥かに凌駕する。

 空気中に含まれる太源という太源が、呪刻にそっぽを向いてあの聖剣を選択しているのだ。

 『神秘はより強い神秘に打ち消される』

 その言葉の意味を、目の前の光景は何よりも明らかに示していた。

 

 

「それにここならば───森を焼き尽くす憂いもない」

 

  

 怖気を感じさせる現象を余所に、ガウェインの明瞭な声だけが場に響く。

 白騎士が中腰に蒼銀の剣を構える。

 狙いは目線の先の巨大な樹。

 その光景を見ながら、先程彼らが行っていたのはその射程を図っていたのだと、そう悟った。

 

 

転輪する(エクスカリバー)────」

 

 

 輪転する光。

 凝縮される炎。

 吹き荒れる烈風。

 それら全てを結合させ地上に現れた太陽が

 極めて燦々と辺り一帯を照らし出し、白騎士は背後に振り絞ったその聖剣を──

 

 

「────勝利の剣(ガラティーン)────!!!!」

 

 

 薙ぎ払った。

 

 

 

「────くっ」

 

 

 ────熱い。

 白騎士の剣から放たれた炎が正面の樹を飲み込んだのは視界に捉えた。

 けれど舐めるように周囲を炙る熱風に、俺は耐えきれずに背を向けて体を庇わざるを得なかった。

 

 そうして暫く、背中に燃え盛る炎を侍らせながら時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、先に進みましょうか」

 

 やがて、収まりつつもどこか辺りに残る熱とは対称的に、ひどく冷静で落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「え…………?」

 

 それに身を翻した俺は、思わず自身の目を疑った。

 自分たちの周りを覆うのは先程までの炎でも草原でもない。

 もちろん、あの呪刻を刻んだ大木の姿も何処にも見えず、その代わりに辺りにはありふれた木々の集まりと動物たちの声が戻っていた。

 

 森を包んでいたあの不気味な感覚も晴れている。

 いつの間にか俺たちは、なんの変哲もない朝の森の中に居たのだった。

 

「やっぱりすげぇなぁ、ガウェイン様。太陽の騎士は伊達じゃないぜ!」

「たしかに流石はガウェイン卿です。……あの子も、貴方の炎で安らかに眠れることでしょう」

「ええ、ありがとう二人とも。

 ────ん? シロウ、どうしましたか。何かまだ魔術の残骸が残っているでしょうか?」

「……あ、いや、大丈夫だと思う……うん」

 

 ガウェインが訝しげに俺に尋ねてくるが、そういう意味では問題ない。

 ただ…………これから先、ついていけるか心配になってしまう俺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




世界の異状を感じ取るのは得意な士郎です。
Extraではガウェインは剣を頭上に投げていましたが、省略しました。
森での話は数話ほど続きます。

この創作はケルト色の強かった初期の物語とキリスト教的に染まっていった物語、どちらも参考にして描いていきます。


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16 Into the Dark Forest(II)

 現在の森の空気は、先程までの不気味さと打って変わって、驚くほど静謐に美しく澄みきっていた。

 微かに聞こえるのは虫の羽音と小鳥のさえずり。

 木々の合間から降りる陽光は、地面に生える草木を穏やかに照らしていた。

 

 

「その心当たりの場所までは、後どれくらい進むんだ?」

「そうですね……」

 俺の問いに、ベディヴィエールは太陽の位置をちらりと確認しながら答える。

「日が暮れる前には、優にたどり着けると思いますが」

「え〜〜、ベディヴィエール様、それってまだまだってコトですよね……」 

 反応を返す前に横歩くガンが遮る。思わず目を遣って見たそいつといえば、腰を丸く折り曲げて屈み、ともすれば腰に佩いた剣を杖にして歩きださんばかりに気怠げなもの。……でもって、そんなそいつへと白騎士がギロリと視線を送り、それにギクリとしたガンが腰をピンと伸ばすまでがワンセットの遣り取りだった。

「……はは」

 俺は相変わらずの二人に苦笑を浮かべながらも、同意見だな、と心の中で呟いた。

 

 

 ガウェインの(力技の)おかげで、森を覆っていた何らかの結界魔術を解いた俺たち。

 次の行動指針として挙げられた『呪刻を敷いた魔術師を探し出す』という目的を果たすため、塞がれていた路を行こうとしたのだったけれど、この森の広さの前にはしらみ潰しに歩いて行くという考えは捨てざるを得なかった。

 ただ幸いにも、ベディヴィエールには『心当たりの場所』が一つあるらしく、それを目的地として進もうという段になったのだけど……さすがに、これからまた四・五時間以上歩かなければならないと言われたら、ガンでなくても気が滅入ってしまうのは仕方ない。

 

 

「そういや、その心当たりの場所っていうのは、前にここへ来た時に見つけたものなのか?」

 道中の暇つぶしがてら、改めて尋ねてみる。

「はい。先刻ガウェイン卿も言っていた、かつての戦いに用いられた城跡のことです」

「……そういえば」

 俺はそこで、森に入る前に白騎士が言っていたコトを今更ながら思い出した。

 この森で行われたと言う、アーサー王と他の諸侯たちの戦い。

「……なぁ、ガウェイン。もしよかったらなんだけど、その以前の戦いについて教えてもらっていいか?」

 ついで俺は前を歩く白騎士に、半ば興味本位でそう問いかけていた。

「ええ勿論。しかし折角なら、実際に戦を体験したベディヴィエールからの方が良いかと思いますが、どうです?」

「俺はどっちでもいいけど……えっと、ベディヴィエール、いいか?」

 

 ガウェインの返事からもう一度振り返り窺った俺に、彼は暫し押し黙って口元に手をやった。どうやら、深く考えない程度に自分の意見を纏めているようだ。

 しかし、やがて顔を上げた彼は、常通りにまっすぐ目を合わせて頷いてくれたのだった。

 

 歩きながら静かに語り出した騎士の話に、暫く耳を傾けることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選定の剣を引き抜いたアーサー王。

 その血筋と剣に選ばれたという事実に、ブリテンの新たな王としての正当性を疑うべくはなかった。

 年若き身ながらも、公正明大を貫く少年王。

 長い戦乱の時代を耐え抜いていた民草が待ち望んだ、その理想の姿。 

 

 しかし、その時分、己が力によって国を分けていた『潜主達』にとって、その王の存在は疎ましいものでしかなかった。

 

 彼らは自分たちの権力が脅かされる事を恐れ、勝手な理由を付けてその王位を否定した。

 或る者は、王のその若すぎる風貌から、ブリテン全土の王となるには未熟過ぎると言葉を発し。

 或る者は、前王の嫡子であるというその血筋を偽りだと断じ、若き王のことを私生児と蔑んだ。

 

 そうして、彼らは同じ様に不満を持った各地の王と諸侯を集い、新王へと反乱を起こす事に決める。

 それに対してアーサー王は、付き従ってくれる家臣と海を挟んだ大陸の兄弟王を味方に引き入れ、ブリテン島中央に位置する大森林にて布陣を張った。

 

 叛軍である十一人の王と諸侯連合軍の、総勢六万の兵士達。

 アーサー王と大陸の兄弟王連合軍の、総勢二万の兵士達。

 

 ────ここに、後に言う、ベドグレインの戦いが始まったのだ。 

 

 

 

■■

 

 

 

 決戦の幕が切って落とされてから暫く。

 兵数でアーサー王軍を上回っていた反乱軍は、大凡の予想通りその戦いを優位に進めていた。

 

 戦の開始当初こそ、アーサー王軍の情報戦の上手さから兵力を徐々に削られていった反乱軍だったが、地力で大幅に勝るがゆえに平原戦で圧倒できる事は自明の理。敵軍の二万のうち既に一万の兵を打ち破り、相手方が使っていた城をも攻め落とした彼らの間では、既に勝敗に関して楽観的な気配すら漂っていた。

 

「ふんっ。我らが力を持ってすれば、あの様な私生児の軍など赤子の腕を捻るよりも容易な事よ」

「然り。このまま全軍を持って彼奴等を押し込み、諸共討ち滅ぼしてくれよう!」

 

 最早、彼らには『如何に自分達が華やかな勝利を挙げるか』という考えしか頭にない。敵軍の使用していた立派な城塞の中で、楽しげな彼らの会話がよく響いていた。 

 

「それにしてもロト王よ。貴殿の戦運びたるや、正に並び立つ者が居ないばかりのもの。戦いを通して確信しました。貴殿こそ、このブリテンの新たなる王として相応しい!」

「…………」

 

 周りの王達に話を振られた一人の王は、しかし、黙したまま決して応えなかった。その王といえば、既に齢五十を超えつつも筋骨逞しい風貌たるや、正に歴戦の勇士としての姿のまま。そして彼は、その鋭い瞳をただ静かに、戦地たる森林の奥へと向けて佇んでいるのだった。

 

「────君達、その様な不敬を云うものではないよ」

 

 そんな時、不意にそんな声が場に通った。

 

 誰もが驚きを持って目をやると、そこには外套を纏った老魔術師の姿。

 いつの間に、と多くの者達が一瞬思ったのだが、すぐに彼らも気を取り直した。魔術師マーリンと言えば、その姿を自由に変えられる事でも有名だったのだ。きっと今回も、どこぞの人間に紛れて這い寄ってきたのだろう。

 そうやって意気を取り戻した王達は、こぞって目の前の老魔術師に喰ってかかった。

 

「貴様ッ、何用にて我らの元に参ったのか!」

「何って、そりゃ、私はアーサー王様の使者だからね。この前と同様、正当なブリテンの王たるあの方に向けて反乱を起こす君達を諌めに来たのさ。さて、もうこんな無駄な事は止めにしませんかな?」

「黙れッ! この卑賤な魔術師風情がッ!!」

 

 取りつく島もない王達に、マーリンはやれやれと肩を竦め、そうして、何気なく敵陣の中央でぐるりと周りを見渡して────ふと、静観を決め込んでいた一人の王の姿を視界に入れると、彼は心底不思議そうに、小首を傾げて問いを投げ掛けたのだった。

 

「ロト王。世界に於いて並ぶ者のない騎士である君が、どうしてこんな所に居るのだい?」

 

 問いを投げられた王は、依然として口を開かなかった。老魔術師はそれを気にせず、再度辺りを見渡しながら言葉を続けた。

 

「ましてや、ウーサー様の元で有名を馳せていた君にとって、その嫡子たるアーサー王は臣下として支えるべき御方だろうに。どうしてこんな者達と、こんな反乱なんて事をしているのだろうか?」

「貴様ッ!!」

 

 老魔術師の発言に言葉を上げたのは、周りに控えていた王達だった。それも仕方がないだろう。彼の言葉はロト王に向けられていながら、他の王達を馬鹿にする様にして発せられた物だったのだ。

 だがここで、瞳を閉じて静かに聴いていたロト王が、やおら、ゆっくりと顔を上げて、老魔術師に対して厳かに答えた。

 

「────私でさえ、ウーサー様の元に世継ぎがいるとは聞いたことがなかった。

 また、その様な事はとうに些細な話だ。異民族との戦いが待つこの国にとって、重要なのは血筋ではなく武力。漸くこのブリテン島各地の王が、形はともあれ、連合軍として集まったのだ。どちらにせよ、この戦いに勝った方がこの国の平定を大きく進める事になるだろう」

 

 その言葉に、周りに集った王達は激しく賛同して湧き上がった。

 当時の彼らにとって、ロト王の言葉は『この戦いに自分たちが勝利し、ブリテンの地を自分たちで治める』という風にしか聞こえなかったからだ。

 

 しかし、この場で唯一、老魔術師だけがその言葉を違う風に捉えていた。

 

「……ロト王、君は」

 

 それは、目の前の人物が誇り高き、そして何よりも国を想う王だと知ってるが故。

 正しく意図を読んだ老魔術師は、しかし、その王自身の言葉によってこの場を去る事になってしまう。

 

「────マーリンよ。ウーサー様の宮廷における、昔日のよしみだ。疾くこの場を去るが良い。

 試みてどうこうできるとも思わんが、我らも自陣に於いて敵を討とうとせぬ理由はない」

「…………それじゃあ、失礼するよ」

 

 一喝を受けた老魔術師は、まるで元からその場に居なかったかのように、いつの間にか忽然と姿を消しているのだった。

 

 

 

■■

 

 

 

 一人の年若い男が、王の座する天幕に駆け込んできた。

 

「伝令! エクター卿が敵軍、百騎王に討ち取られたりッ! 指揮官を失った右軍、敗走中でございます!」

 

 その内容に、アーサー王陣営に震撼が走る。

 それは兄のルーカンの従騎士として本陣に控えていたベディヴィエールも例外ではなかった。

 

 エクター卿と言えば、経験の浅いアーサー王軍の中でも歴戦の騎士。

 その機を読む能力はこの統一戦に置いても卓越し、数に劣る自軍を持って叛軍と互角に渡り合っていたのは、彼の人の功も大きくあったのは言うまでもなかったのだ。

 

 伝令を受け止めたアーサー王は、ほんの僅かに瞠目して瞼を閉じた後、すぐに顔を上げ、いつもの冷静な声色で年若い男に問うた。

 

「了解しました。それで、ケイ卿が率いている別働隊の動きは? 敵軍に悟られてはいないだろうか」

「は、はいッ、敵軍、崩された右軍を追撃するために前がかりになっている模様! 背後に回りこんだ別働隊には気付いていないと思われます!」

「……そうですか、ならばよし。では自軍中央の兵を幾らか右翼に回し、左軍の兵を中央に寄せよ」

「し、しかし、アーサー王! 右軍撃破により敵軍の士気は極めて高く、この様な状態で兵を動かせば全軍諸共中央に押し込まれ得るかとっ!」

「いえ、それは此方の思惑通り。厳しい状況でしたが、エクター卿はよく持ちこたえてくれた。彼が命を落としたことは無念極まりないことだが……敵の百騎王といえば、以前エクター卿に打ち負かされた者。執拗に付けねらうあの者を抑えるためにも、彼は自身の命を賭して出なければならなかったのだろう。

 ────その様なことより、左軍への伝令を急ぐのだ。貴公が逡巡しているその一刻が、我らの命運を左右するのだと心得よ」

「御、御意にございますっ!!」

 

 王の言葉に、伝令の若い男は弾かれたように走り去っていった。言われた通り、目まぐるしく変わる戦場のなか、王の命を自軍の将へと伝えに行ったのだろう。

 

 凶報にも毅然とした王の態度に、下りかけたアーサー王軍の士気は即座に立ち直った。つい先程まで浮き足立っていた者たちも、今ではもう落ち着いたもの。誰もが、王にはこの絶望的な戦況を覆す策があるのだと、そう信じることができたのだ。

 それが偏に、この不安な状況の中で、ただ誰かに縋りつきたかったが故だったとしても。

 

 一方、陣営の隅に佇んでいたベディヴィエールは、別のことが気になって仕方がなかった。

 その気持ちから彼はアーサー王の顔を横から盗み見たのだが……そこにあったのは相も変わらず、悠然として揺らぐことのない王としての表情だった。

 その常の通りの表情が、年若いベディヴィエールには、ひどく状況にそぐわない様に思えたのだ。

 なぜなら、先ほど連絡されてきた事実は、王にとって総指揮官としての一情報以上な筈なのだから。

 

 ────討ち取られたエクター卿は、アーサー王の育ての親であった。

 

 騎士にとって、いや、人間にとって、親というものは須らく尊敬し、無償の愛を捧げるもの。

 もしもその親が命を落とし、ましてやそれが他者に殺されたものだったとしたのなら、騎士は何にも置いてその仇を討つため、全てを投げやっても許すことができない存在の筈なのだ。

 ……だというにも関わらず、目の前の年若い、いっそ少女のような風貌を持つ少年王は、養父の訃報を前に、まるで盤上の駒を一つ失ったに過ぎないかのように、ただ淡々と戦況を俯瞰している。

 

 ベディヴィエールはそれを目の前にし、場違いにも物悲しい気持ちに覆われた。

 もしも、この少年王の表情が、周りの騎士たちを動揺させないため、若しくは戦況を見誤らないためが故に隠されたものであるのなら、この理想の姿を貫く王は、いま一体、どのような気持ちでこの場に立っているのだろうかと──。

 

「マーリン、戻りましたか」

 不意に、アーサー王が言った。

「ええ。しかし状況に合わず、こちらの陣は存外落ち着いていますな」

 王の背後には、いつの間にか、目深く外套を纏った老魔術師が飄々と佇立していた。

 

「なにを今更。どうせ、全て見ていたのでしょう。────それで、役目は既に終えたのですか?」

「その手筈は然りと。ただ残念なことに、彼らが止まることはもうないでしょうが」

「仕方のないことです。しかし、よくやってくれました、マーリン。これで全ての条件は整った。これより我が軍は反撃に転じます」

「…………出るんだね(・・・・・)?」

「ええ、決めたことです。それに今こそ、我が威を示す時」

 

 王は魔術師に一瞥をくれた後、身を翻し、陣営にいる騎士全員に向かって高らかに告げた。

 

「総員、これより進軍する! 剣を持って騎乗し、我が背に続け!!」

 

 

 

■■

 

 

 

 アーサー王軍の右翼を破った反乱軍は、陣形を崩した敵を前へ前へと押し込んでいた。

 その相手を攻め立てる勢いは、人のものではない、獣の如き獰猛さを携えている。

 

 ────否。事実、この場に居る誰もが、半ば獣と化して狂っていたのだ。

 

 そも、この戦いを繰り広げている両軍の者達は、同じ信仰を胸に持つ誇り高き騎士達。

 己が主として仰ぐ者が異なるだけで、この島を、そして自分たちの友や家族を脅かす蛮族が敵ではないのだ。

 

 故に、両軍の兵士達は互いに戦いつつも、内心では似たような懸念を抱えていた。

『自分たちが今戦っている間にも、故郷の土地は異教徒に荒らされ、貪られ、蹂躙されているかもしれない。それなのに何故、自分たちは同じ土地を守るべき者を相手に戦っているのだろうか』と。

 

 そうして、攻める方も耐える方も、ただ目の前の人間を薙ぎ払い、自らの陣営の勝利を目的とすることでしか、己が正気を保てなくなっていた──。

 

 

 ────その時、極大の光が戦場に溢れた。

 

  

 戦地一帯を覆い包むその光。

 それは広大な森の中にあっても、両軍の一兵士に至るまでを輝き照らしている。

 その眩い光に誰もが目を奪われ、その発生源を求めて視線を送ると、そこには輝ける黄金の剣を掲げた若き王の姿があった。

 

「聞け! 誇り高きブリテンの騎士達よ!!」

 

 王は両軍の兵士達の視線が集まる事を確認し、鷹揚として言葉を続けた。

 

「我が名はアーサー。前王ウーサー・ペンドラゴンの嫡子たる、ブリテンの王。

 反逆の徒よ、汝らが私を王として認めようとしない事はようようと理解した。

 だが、この光を見よ! これこそが我が引き抜けし選定の剣、王の証たる黄金の輝きである!!」

 

 王の持つ剣から一層強い輝きが発せられる。その神聖な輝きを前に、反乱軍に於いて咄嗟に異を唱えられる者は一人としていなかった。

 そうして、静寂が降りる場を尻目に、アーサー王は高らかに言葉を継いだ。

 

「私はこの光を持ってブリテンを統一し、誇り高き白亜の国を再建する。

 ────大義は我らに有り! 総員、剣と盾を持って立ち上がれ!! そして黄金の勝利をこの手に掴み取るのだ!!!」

 

 戦場に怒号が溢れた。

 大義名分の在り処。それは戦場を構成する兵士達の士気を一変させる事になったのだ。

 

 劣勢に在ったアーサー王軍。彼らは王の光を持って自分たちの剣の正当性を再認識し、この国の明日を掴み取るのだと力強い雄叫びを挙げた。

 一方、優勢に在った反乱軍。彼らは神聖なる選定の剣の光とアーサー王軍の戦気の急上昇、それを前にして自身の剣と槍に迷いを生じさせた。

 

 反転する士気に俄かに浮き足立った叛軍へ、畳み掛ける様に凶報が告げられる。

 

「で、伝令ッ! 本陣において突発的に暴風が巻き起こり、自陣内の城塞全てが倒壊!! 加え、自軍後方より土煙が巻き起こっている模様! 恐らく敵軍伏兵の出現に依るものだと思われます!!」

 

 魔術師マーリンによる大魔術と、騎士ケイ率いる別働隊の奇襲。

 戦地中央に躍り出た王に気を取られていた叛軍にとって、それは寝耳に水な出来事だっただろう。

 今の地に足をつけられていない兵士達が、その困惑の感情を大きくしたことは想像に難くない。

 

 ────こうなってしまえば、戦況は逆転する。

 

 数では勝る筈なのに、多対一の戦いで討ち取られていく反乱軍の兵士達。

 その有様に一人、また一人と、未熟な歩兵たちから相手に体を背けて逃走を開始してしまう。

 そして、そんな彼らを、また彼らを庇う敵の騎士達を、アーサー王軍は前後から挟み撃ちに次々と撃破していくのだ。

 

 ここに大勢は決した。

 残るは逃げ惑う反乱軍を一網打尽にしようと、アーサー王軍が追撃戦を開始しようとして。

 しかし──。

 

 

 ────唐突に、獅子の如き咆哮が響き渡った。

 

 

 数多の叫びが蔓延る戦場において、しかしその力強い雄叫びは一線を画していた。

 乗せられるのは強い意志。己が存在を誇示せんとする覇気の発露。

 その誰もが注目した哮りの源は、金髪の偉丈夫──反乱軍の総大将たるロト王に他ならなかった。

 

「まさか、ロト王自ら殿に立つというのか!?」

 

 アーサー王軍の騎士が驚愕の声を上げる。

 それもその筈。戦場の最前線に立つロト王の背では、先と変わらず全軍の撤退が行われていたのだ。

 それ即ち、最も危険である筈の殿軍に、指揮官である王自身が残ることを意味していた。

 

 馬鹿げている。

 誰もがそう思って唖然と動けない場を余所に、ロト王は自身の剣を高々と上げて言葉を発した。

 

「若き者を残し、背を向ける騎士が何処にあろう!

 汝ら、この剣を掲げたるは如何なる理由か! この戦で突き通すは如何なる信念か!」

 

 哮りが向けられたのは王の背に侍る騎士達。

 彼らの装いたるは、いと貴き身分の物に違いなかった。

 撤退を続ける未熟な、そして若き兵士達を背に、彼らも一斉に剣を掲げて王に雄叫びを返す。

 

「我ら、この剣を捧げしは弱き者を守る為! 我ら、突き通すべきは騎士の誇りなり!」

 

 その士気は著しく高く、通常の敗軍のそれとはまるで掛け離れていた。

 敗れながらも同じく誇りを有する殿軍に、追撃を躊躇するアーサー王軍。

 

 そんな戦況を静かに見据えていたアーサー王に、側に控えていた老魔術師が何事か耳打ちをする。

 そしてそれに厳かに頷いた若き王は、選定の剣の輝きを収めると、全軍に向けて朗々と己が命令を響き渡らせた。

 

「総員! もはやこの地での戦いは我らの勝利なり! 徒らに我が国の同輩を追わずともよい! 傷ついた味方の兵士達を介抱し、より多くの人命を明日へと繋ぐのだ!!」

 

 その宣告に安堵したのは、一体どちらの陣営だったのか。

 王命の通りに重傷者の救助を開始するアーサー王軍と、敗北を背に撤退していく反乱軍。

 

 そんな中、黒馬に跨るアーサー王と白馬に跨るロト王。その二人だけが、争いの終えた敵と味方という間柄で、静かに黙して視線を交わしていた。

 

「…………」

 

 二人がその合間に何を伝え合ったのかは、余人には分かり得ないことだ。

 ただ、両人ともが偉大なる王だということ。誰も言葉にはせずとも、それは両軍の全ての者たちが胸に刻んだことだろう。

 

 やがて、二人の王は同時に背を向けてその場を後にする。

 

 ────こうして、ベドグレインの戦いは終わりを告げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 語りを終えたベディヴィエールに、俺は暫し口をじっと噤む。時折、何かを感じ入る様にして話す彼の姿が印象的だった。

 すると、横で同じく静かに聴いていたガウェインが、彼の話を引き継ぐ様にして口を開いた。

 

「この森での戦い以後も諸侯達との争いは続きましたが、結果的に、ブリテン島は我が君によって平定されました。要因としては諸侯達の領土が蛮族達に荒され、その力を落としていったこともそうですが……何より、我が父ロトの反乱軍離脱が決め手だったと思われます」

「……えっと、でも一応ガウェインの親父さんは敵側の総大将だったんだよな?」

「ええ。しかし、父はこの森での戦い以降、決して我が君に反抗しようしませんでした。黄金の光を携えた王に忠誠を誓った父は、その命が絶えるまでこの国を北の地から支えたのです。それに加え、我らオークニーの騎士達がアーサー王の宮廷に多くあることは、我が父の命に依るところが大きい」

「……立派な親父さんだったんだな」

「ええ、私も誇りに思っています。

 ────ただ、同時に私たちが忘れてはならないのは、父の真意がどうであったとしても、彼の行動によって多くの命がこの森で失われたということ」

「……」

 俺は白騎士の言葉に、思わずきつく拳を握りしめていた。それはベディヴィエールの話を聞いていた時にも、ずっと俺の胸奥で引っ掛かっていた事だったのだ。

 思わず黙り込む俺たちの横で、見習い騎士のガンもまた口を開いた。

「……そういや俺も、ロト王様には口を酸っぱくして何度も言われたな。『この国は多くの命が礎として成り立っている。それを決して忘れるでない』って」

「……」

 その言葉を、俺は顔を俯けてよくよくと噛み締めた。それは俺自身、幼い頃から何度も考えてきたことだったからだ。

 ────失われた命は決して戻りはしない。人が出来るのは、それを胸の内に抱えながら、それでも前に進むということ。だから俺は、多くの人達の命を振り切って生き延びた俺は──。

 

「シロウ?」

「────あ、いや、なんでもない」

 いつの間にかこっちを覗き込んでいたガンを咄嗟に手を振って誤魔化す。

 依然訝しげに俺を見てくるガンだったが、そんな時、横で周りを見渡していた白騎士が口を開いた。

「やはり、この森で多くの命が失われたのでしょう。この辺りの空気は『他界』のそれにひどく近づいている」

「……そういやさっきも言ってたよな、ガウェイン。その『他界』って、一体なんのことなんだ?」

 ガンの言及から逃れるために尋ねたことだったが、わりかし本気で気になっていることだった。ああ、と質問に頷いてくれる白騎士に、俺は黙って続きを待つことにした。

 

「先ほども述べましたが、私たちケルトの民は古来より『他界』という概念に重きを置いてきました。それは、深い海の底や高い崖の下、深い森の中などに現れると言われています」

「……深い森って、たとえばこの森みたいにか?」

「ええ、まさしく。『他界』とは、死後に我らが赴くべき場所。そこでは死者たちも生前と同じ様に形を持って生き、ただ、その世界では時間という概念がなく、老いも死も、病気も労働もあり得ない。季節は常に夏であり、雨も降らず風も吹かず、ただ木々に果実をつけてある不滅の楽園。────故に、多くの命が失われたこの森では、失われた死者の命が行くべき『他界』が現れ易いと言っていいでしょう」

「……そして、それを利用する奴らもいるってことか」

 俺の推察に、白騎士は神妙な表情をして頷いた。

「ええ、それが私にとって非常に気掛かりなことでした。この奥に居るであろう魔術師も、恐らくそれに目を着けてこの場を選んだのでしょう。

 それにしてもシロウ。貴方は存外に頭の回転が良いのですね。ええ、正直言って感服致しました」

「……」

 一瞬馬鹿にされたのかと思った俺だったが、ガウェインはそんなことをする奴ではない。きっと自分が思った事を素直に発しているだけなのだろう。……まぁ、本気だからこそ余計タチが悪いことに違いはないのだが。

 俺は白騎士に無言を持って返答としながら、代わりに周りの風景を見渡すことにした。

 

 チチチ、チチ、と姿の見えない虫の音に、いつの間にか再び鬱蒼としてきた森の木々。肌寒い初冬の風が、ざああぁ、と草花を揺らして吹き通っていく。辺りは曇ってきた空模様と相まって、どこかまた奇妙な様相を呈しつつあった。

 

「……確かに、なんか変な空気な気がする」

 

 どこか経験したことあるような、温度のない寒々とした嫌な感覚。

 そう思って呟いた俺の言葉に、しかし、何故か白騎士が感心したように頷きを繰り返した。

 

「そうであれば、シロウには資質があるのかもしれませんね」

「は? 何のだ?」

「────英雄の資質が、ですよ。古来よりケルトの英雄には、生きながらにして他界を感じ取る能力が備わっていました。であれば、この空気感を感じ取れるシロウにもその素質があるのかもしれない。ええ、それは実に喜ばしいことだ」

 

 それに唖然として応えれない俺の横で、傍らの見習い騎士が慌てた様に声を上げた。

 

「はい、はいっ!! 俺も実は感じ取ってましたガウェイン様!!!」

「……偽りを口にするとは、これまた騎士として減点せざるを得ませんね、ガン」

「うっ、本当ですよ! 俺はいつか伝説のアヴァロンにも行くんですから!!」

「さて、それでは先を急ぎましょうか」

「なんで無視するんですか!?」

「……はは」

 また出現したお馴染みの空気感に、俺はどこか安堵しながら前を見据えて──。

 

 

「────────うわっ!!??」

 

 

 心底びっくりすることになった俺は、思わずのぞけって尻餅をついていた。

 

 

「だ、大丈夫ですかシロウ殿?」

「あ、あぁ、大丈夫」

 ベディヴィエールが気遣わしげに差し伸ばしてくれる手を掴みながら、驚きの原因となった物体を見遣る。

 ソイツ(・・・)は高い木の枝に飛び乗ったまま、俺の方をじっと見つめている様だった。

 それにむむっと眉根を寄せて睨み返す俺に対し、ガンがからかいの言葉を掛けてくる。

 

「ははっ。シロウ、お前慌てすぎだろ。たかがカラスじゃないか」

 

 ────そう。

 先ほど俺に向かって羽ばたいてきたのは、真っ黒な羽をした一羽のカラスだった。

 

 

「……仕方ないだろ、突然だったし」

「くくっ。だからって、尻餅をつくことないだろお前」

 そっぽを向いて憮然とする俺に、耐えきれずゲラゲラと笑いだすガン。

 俺は敢えてそいつの態度を無視し、話を逸らす為にも口を開くことにした。

 

「……それにしても、なんだかカラスって不吉だな」

 真っ黒だし、なんかじっとこっちを見てきてるし。そんな風にそいつを眺める俺に、しかし、横から白騎士が意外そうな声色で問い掛けてくる。

「シロウの国ではそうなのですか?」

「え、いや、わからないけど、縁起が良いって話は聞かないかな」

「なるほど。ですが、我が国でカラスは特に悪いものではありません。どちらかと言えば神話などにもよく出てくる、むしろ神聖な生き物であるかと。もしかすると、これから何か良いことが待っているかもしれない」

「……だといいけどな」

 白騎士の言葉にピンとこなかった俺は、つい生返事で済ませてしまった。

 いや、だって、真っ黒のカラスと言えば戦場跡で死体を漁るってのがなんとなくのイメージだし、何よりあいつら、早朝に出したゴミ袋を漁ってぐちゃぐちゃにしちまうんだもんな……あ、いつの間にか居なくなってるし。

 

 

「────見えてきましたね」

 

 不意に、ベディヴィエールがそんな言葉を口にした。

 ふと意識を戻して彼と同じ方角を見遣ると、視界の奥、それまで生い茂っていた木々の流れの間隔が開き始め、自然が人によって切り開かれた形跡がそこに見えた。

 気づけば歩き出していた騎士に、俺もその背に続いて歩き出す。

 

 そうして、少しだけ進んでいったところ。

 視界が開けた先には、絵に描いたように典型的な廃墟があった。

 ベディヴィエールが『城跡』と言っていたが、確かに控えめに言っても、これはもう城と呼べる物ではないだろう。

 

 それは、まるで強大な台風に曝されたかのように、一階より上の部分は全て倒壊し、所々穴が空いた石壁で周りが覆われているだけのもの。

 騎士の話通りこの残状をもたらしたのがマーリンの魔術によるだとしたら、やはりあの老魔術師は伝説のそれと相違ない力を持っているのだろう。それだけの破壊の跡を、この廃墟は残していた。

 

 

「……」

 

 

 そのまま俺たちは喋らずに、その廃墟に更に近づいていった。

 沈黙を保っているのは、警戒しているから……とは、少し理由が違う。

 

 

 臭い(・・)がするのだ。

 香を焚いたように立ち込めた

 ねっとりと身体に纏わりつく、濃厚なその臭い。

 肺を犯していくその空気に、強い既視感と共に、次第に思考が歪んでいきそうになる。

 

 

 俺は、先程のガウェインの言葉とは真逆の、どこか身を焦がす嫌な予感を胸に抱きながらも、ゆっくりとその場に近づき、視界を遮る石壁の向こうを覗き混んで────

 

 

 

 

 俺はその場で立ち止まって、一瞬どこか他人事の様に、やっぱりか、と、心の中で呟いた。   

 

 

 

 

 ────俺たちの目の前には、いつか何処かで見たことがあるように、固まってしまってもう動かない、夥しい量の人間の屍が、転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回のベドグレインでの戦いの話は、ロト王の撤退時のエピソードとジェフリーのブリタニア列王史での姿から。

 そして、アーサー王物語に詳しい方は分かるかと思いますし再三の注意となりますが、この創作は私の捏造設定が多分に含まれています。例えばエクター卿は物語でここでは死にませんし、ロト王も反乱軍を離脱しません。(Hollowで言及している様にリエンス王も後に出てくるようなので、もしかしたらFateでもロト王含めて屈服させられていたのかもしれません)

 あと、これからの展開的にも、次話は二〜三話の英語をラテン語に修正してから投稿することになるかと思います。


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