ハリー・ポッターのいない世界 (漆黒刃)
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第1話 ロン・ウィーズリー
ロン・ウィズリーという少年を一言で語るならば、それは紳士という言葉が相応しい。それは、彼が英国魔法界でもマルフォイ家と並ぶ純血(ブルーブラッド)の名家であることとはあまり関係がない。事実、彼の兄には紳士という言葉が助走をつけて殴りかかってきそうなものが二人ほどいるし、頭首たる父親自身が紳士的ではあるが、紳士というよりも気さくなおっちゃんといった人柄である、
であるので、六人兄弟の末弟として生まれたロン・ウィーズリーは本来であればおそらく、末弟らしく甘やかされた為こらえ性がなく、末弟であるが故に個性的な兄達に劣等感を抱き、末弟であるためお下がりが多いことに不満を言う、ごく普通の子どもらしい子どもとして育つことだったであろう。
だが現実にはそうはならず、そしてそれは彼が産まれた1980年の英国にて爆発的に流行したとある病気に起因する。
病名エリー・ファースト・シンドローム
一部の精神科医からは、近代英国魔法界最悪の精神疾患の一種であった揶揄されるほどである。
この病は、英国を恐怖と絶望に落とし込めた闇の魔法使いの死に端を発している。当時の英国魔法界は史上最悪の魔法使いと恐れられたヴォルデモートによって暗黒の時代を迎えていた。名前を呼ぶことすらも忌避させる彼への恐怖は人々を絶望の淵へと追いやり、服従か死を選択させた。余りに深すぎる闇は未来への光を見出すことを許さず、産まれたばかりの赤子に明るい将来を語り聞かせるというごく当たり前の幸せすら、多くの母親たちから奪っていった。類に漏れず、ロン・ウィーズリーの母親であるモリー・ウィーズリーもまた、終わりの見えない闇に苦しめられていた。むしろ、その闇と最前線で戦い、多くの愛しい人たちを失くしてきた彼女にとって、その身を蝕む無力感は筆舌に尽くし難いものがあったであろう。ロンの産まれた時代とは、母の愛すらも曇らせる程に奈落の如き深い闇に覆われた時代だったのである。
その闇が、ある日突然晴れた。
いともあっけなく、唐突に。
それも、20世紀で最も偉大な魔法使いと謳われたアルバス・ダンブルドアによるものでも、魔法省の闇払いによるものでもない。たった一人の、産まれたばかりの小さな小さな赤子が、かのヴォルデモートを打ち破ったのだ。
偉大なる指導者を失った闇の軍勢は、あっけなく瓦解し、世界は平和を取り戻した。
人々は歓喜に震え、失ったものに涙を流し、穏やかな朝日を前にようやく冷たい夜が明けたことを知った。
復興が緩やかに進む中で、人々はヴォルデモートを倒した赤子について知っていく。曰く、生き残った女の子。曰く、両親を殺され天涯孤独の身であること。曰く、激戦の最中額に消えない傷を負ったこと。
市中に出回る噂は、どれも悲劇ばかりで、魔王を打倒した英雄譚のような輝かしさはどこにもない。ただただ、身を切るような悲痛さだけがあった。
それが、英国の全ての魔法使いに火をつけた。古来より、人は悲劇を美談としたがるものであり、そこにはマグルも魔法族も関係ない。また、去ったとは言え人々を覆った絶望は余りに深く、再び立ち上がるには希望の象徴が必要であったのだ。 結果として、救世主である少女を神格化し、英雄として祭り上げようとする運動が英国中で巻き起こった。
巨悪を討った代償として、両親を失った哀れな少女を救え。
闇を払った英雄に、せめてもの感謝と御返しを。
あぁ、なるほど。確かに当初は、純粋な気持ちからくるものであったのだろう。だが、えてして純粋なものほど醜く曲がるもので、まぁ早い話が行き過ぎてしまった訳だ。始まりは一人の少女を救おうとするだけのものであったはずが、気が付けば女性の権利団体が運動を指導しており、誰も止めることなく古き悪しき女性蔑視的フェミニズム運動が加速していった。
理念も対象も拡大し、全ての魔女に優しくあれ、と。誤ったレディー・ファーストは、件の少女の名をもじってエリー・ファーストと呼ばれ社会現象とまでなった。
話は変わるが、モリー・ウィーズリーは魔女としての技量は非凡な女性である。だがしかし、それ以外に関しては実に平凡であり、一般的な主婦らしく実にミーハーな女性である。後は語るべくもないことではあるが、モリーはこのエリー・ファーストに心酔し、子どもたちにも語り聞かせたのだ。紳士斯くあるべし、と。
そして、その教育を一番受けたのがロンだった。産まれた時から、母親から子守唄代わりに女の子に優しくしろ、女の子を守れるような強い子になれ、女の子を大切にしろ、等と語り聞かされたのである。パパ、ママよりも先に覚えた言葉が、女の子とあっては笑い話にもならない。
既にある程度成熟していた長男、次男、三男や幼いころから悪戯っ子の片鱗を覗かせていた四男、五男の代わりに、母からの狂信的な英才教育を受けたロンはすくすくと紳士として成長していった。七人目にして待望の長女が産まれ数年が経ち、モリーが正気に戻った時には、ロンの精神構造は確立されており修復は不可能であった。
そして月日は流れ、ロン・ウィーズリー11歳の夏のある日のこと。
彼はその日母親と共に新しい杖を買いに来ていた。
それまでは兄チャーリーの杖を使っていたロンであったが、ホグワーツ入学を機にモリーが新しい杖を買う事提案した。これまで碌に我が儘も言ったことのないロンへの御褒美のつもりであった。彼女自身、ロンが良い子に育ちすぎてしまったことに関して少なからず責任と自責の念を抱いていたのだ。
「ロン。 もうすぐオリバンダ―の店につきますからね! くれぐれも失礼のないようにするんですよ!」
「わかってるよ、ママ」
口うるさい母親に反論することもなくロンは頷いた。
11歳にしては高い身長にしっかりとした体つきはモリーの荷物を持ってもなおふらつくことはなくピシりと背筋を伸ばしていた。ウィーズリー家きっての体育会系であるチャーリーと飽きずにクディッチで鍛えた成果か、ロンの身体は同年代の中では群を抜いていた。
「それにしてもママ。 やっぱり新しい杖なんて貰えないよ…僕、別に今の杖も気に入ってるし…」
嘘ではない。実際、確かにトリネコと一角獣のたてがみで出来た今の杖は、ロンの手に馴染んでいた。
「いいえ! 折角ロニー坊やがホグワッツに入学するんですもの! 杖くらい新しいものを買ってあげないと! その代わり頑張るんですよ? 貴方ならきっとパーシーみたいに立派なグリフィンドール生になれるわ。間違ってもフレッドとジョージみたいに月々の手紙よりも吼えメールのほうが多くなるなんてことにはならないようにね」
「うへぇ…流石にパーシーみたいには無理だよ…」
「何を言ってるの! 貴方ならできるわ! いつもお勉強だって頑張ってるじゃない!」
頑張っているからこそ、自分があの秀才の兄ほど勉強が向いていないことが身に染みて分かっているロンであったが、態々口に出して母親と口論する気にもなれず、切り口を変えることにした。
「わかったよ、ママ。たださ? 僕が新しい杖を買ってもらうとなると、こいつはジニーのになるってことでしょ? いや~そいつはどうかなぁ、ジニーとこれあんまり相性良くないしさ。だから、新しい杖はジニーに買ってあげるっていうのはどう?」
ロンとしては実に妥当な落としどころであった。家計から杖一本分の支出が確定してしまった以上、最大限効用が高くなるようにしなければならない。であるなら、ロンが今の杖を使い、ジニーが新しい杖を買ってもらうというのが一番論理的だとロンは考えたのだ。
しかし、モリーはこれを聞いて愕然とした。
魔法使いであれば誰もが欲しがるであろう新しい杖。それをあっさりと、妹に譲り渡すなどと言い出すのだ。もはや良い子というレベルではない。
「………それならジニーの分も来年買ってあげます! ほら、もう行きますよ!」
「……わぁお、おたまげぇ……」
最早意地であった。
余りにも良い子過ぎるロンの態度に、意固地になったモリーは何としてもロンに杖を買おうと歩き出す。
それに説得はもう無理だと判断したロンは、力なく母親の後をついてダイアゴン横丁を歩いていく。
「………ん?」
ふと、気になって足を止めるロン。
「どうかしたの、ロ………あら?」
それに気づいて、モリーが背後の息子を振り返った時には、既にロンはいなくなっていた。
ロンの視線の先には、泣いている少女がいた。
それも迷子や腹痛などではなく、大男に絡まれて泣いているのだ。
大男はロンの居るところからは、顔はわからないが非常に大柄でロンの二倍近くはある。ロンよりもかなり小柄な少女の前で両手をバタバタと揺らして威嚇しており、それを見て少女はさめざめと泣いていた。
手で覆っている為、顔は見れないが、髪は深みがかかった赤毛で小柄なことも相まって妹のことを彷彿させる。
人ごみを掻き分け、ダイアゴン横丁を横切っていく中で、ロンの中で沸々と怒りが湧いてくる。彼の生粋の性格が、短気で喧嘩早いということもあるが、それ以上にロンはあそこまで大きな男が、小さな女の子を泣かしているということが許せなかった。男の立派な身体は、女の子を守る為にあるものだとロンは信じている。
だから、それを破る奴は許せないし、何よりもそれを黙って見過ごすなんてことは絶対にありえない。
例え、相手が自分の倍以上の身の丈であろうともそんなことは関係がなく、ロンは自分の信じる正義を示さなければいけない。無論、怖い。だが、それでも、彼は女の子の味方でなければならないのだ。
「おい、あんた! 何やってるんだよ!」
震える足を誤魔化す様に、腹の底から声を振り絞る。
男の顔も碌に見ないで、少女と男の間に割って入る。
「大丈夫かい?」
ロンは背中で男が動揺している気配を感じながら、少女の顔を覗き込み、息を吞んだ。
「………ッ」
「………?」
少女は非常に愛らしい顔立ちであった。加えて、小柄な身体に、肩辺りまで不揃いに伸ばされた赤毛、そして涙で潤ませながら上目づかいにロンを見上げる仕草は、小動物的であり、保護欲を掻き立てる。まぁ、早い話、好みタイプだった。
「……ひっく、ひっく…」
目を擦り、嗚咽を零す少女を見てようやく正気に戻ったロンは、ひとまず少女を落ち着かせようとする。
「もう、大丈夫だから泣かないで?」
「…うん…」
「よし、偉いぞ」
つい妹をあやす様な感覚で、少女の頭を撫でてしまうロン。
一瞬、ピクりと反応した少女だが、受け入れて恥ずかしそうに撫でられている。
ロンは撫でながら、身体を屈めて目線の高さを合わせた。
「僕はロン・ウィーズリー。君は?」
「……エリー…」
一瞬驚くロンであったが、すぐに気を取り直した。なんせエリーという名前の少女は英国に五万といるのだ。あの日以降、女の子の名前ランキングは十年連続でエリーが一位なくらいである。
「そっか、エリー。可愛らしくて君にピッタリだね! ところで、ファミリーネームは?」
「……ポッター…」
「…は?」
「…エリー…ポッター…です」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ロンの絶叫で、また少女―エリー・ポッターが泣き出してしまい、モリーが来るまで収集がつかなくなってしまったのは、まぁ、仕方ないことであろう。
なんともしまらない形ではあるが、役者は出会った。
英雄であるはずだった少女と英雄に成らされた少年。
二人の出会いは必然で、決して切れない悪縁である。
役者が狂った物語が順当に進む筈がなく、結末がハッピーエンドに至れるかはわからない。だが、それでも、もはや幕は切られたのだ。ならば踊り続けなけれないけない。例え役者が壊れようとも、物語は進むのだから。
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第2話 エリー・ポッター
エリー・ポッターは両親を知らない。
エリーが産まれてすぐに死別し、それ以降は母方の叔母夫婦であるダーズリー夫妻の下で育てられた。その為エリーは、両親の顔も知らないし、特に知りたいとも思わない。ダーズリー夫妻から、両親は無責任で頭のおかしい最低の人だったと事あるごとに言われてきたことも関係しているかもしれない。つまるところ、エリー・ポッターは強かで、過去の妄想に耽るよりも、現在を生き延びる事を選んだという事である。
今年11歳になるエリーは、同年代と見比べるとかなり小柄であり、痩せ細っていて今にも倒れそうな身体である。加えて、身体のいたる所に暴力を振るわれた跡が痛々しく残っている。無論、エリーに自虐趣味はない。
であれば、犯人はダーズリー夫妻の最愛の一人息子であるダドリーかと思われるが、意外やそうではない。幼少期ならまだしも、思春期に入り、健康すぎる自分の肉体と虚弱といって言いエリーの身体を見比べて、それでもまだ容赦なく暴力を振える残虐性は彼には残っていなかった。
そして、ダドリーの父であるバーンノは、己をまともな人間であると自負しており、義理の姪に暴力を振うなどといったまともじゃないことはしない様に律するだけの知性を兼ね備えている。
結果、消去法で犯人はペチュニア・ダーズリーであることが判明した。
ただ、彼女の名誉の為に弁明するならば、何も彼女は加虐趣味の持ち主というわけではない。少々偏屈なところもあるが、それでも十分普通の主婦の範疇であろう。
彼女はごくごく普通の人間であった。だからこそ、明らかに普通ではないエリーのことが怖かったのだ。在りし日の妹を彷彿させるエリーに、ただ怯えていただけなのだ。
引き取られたばかりの頃、エリーは非常に活発で好奇心旺盛な子であった。歯が生えそろう前から家の中を這って探検し、興味のあるものは何でも手に取って玩具にしてしまう赤子であった。例えそれが、赤子では絶対に取れない様な場所に置かれたものであったとしても。
それでも最初、ペチュニアはエリーを信じた。愛する息子ダドリーが時に赤子とは思えないほど聡明な目をすることがあるように、エリーもまた赤子とは思えない運動神経を発揮しているだけなのだと。まともじゃないのは妹だけで十分だと
だが、愛する夫から贈られた物で、鍵をかけて大切に保管していたはずのダイアモンドまでもが寝ているエリーの傍で涎まみれになって落ちているのを見つけてしまった時、ペチュニアの中で何かが切れた。気が付けばまだ、一歳になったばかりのエリーの顔を思いっきり殴りつけていた。
突然の暴力に、訳も分からず頬を大きく腫らしながらさめざめと泣き出すエリーを見てペチュニアは正気に戻った。押し寄せる罪悪感に苛まれた彼女はすぐに氷を取りに冷蔵庫まで駆け寄り、いくつも零しながら氷嚢を作ると慌ただしくエリーの寝室まで戻り、そして恐怖した。
先ほどまで痛々しく腫れ上がっていたエリーの顔には傷一つなく、泣いていた筈の顔は満面の笑みでペチュニアを見上げているのだ。
もはや笑うしかない。
目の前にあるモノへの恐怖、死んでなお自分の人生を狂わせる妹への憤り、まともじゃないものが存在する不条理への絶望。それら全てがペチュニアに圧し掛かり、気が付けば狂ったように笑い出していた。吐き出さなければ狂ってしまうと言わんばかりに、ペチュニアは笑い続けた。
この日、ペチュニア・ダーズリーは、エリー・ポッターを敵だと認識したのだ。自分の穏やかな日々を狂わせる最悪の異物であると。
その後、ペチュニアはエリーへ病的なまでの攻撃性を露わにした。それは嫌悪や愉悦などの生易しいものではなく、明確な敵意と恐怖が隠された憎悪から来るものであった。
幼少期より慢性的な飢餓と常習的な暴力に晒された幼いエリーの心は圧壊し、本来備わっていた強い好奇心や克己心などは完全に砕けて消えた。後に残ったのは、臆病で卑屈で泣き虫な、従順で意志薄弱で引っ込み思案な弱者としての人格だけであった。
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