多重世界の特命係 (ミッツ)
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歌姫の守り人

このエピソードは『IS学園特命係』内で掲載していたものと同一のものとなります。
すでに読まれている方はプラウザバックを推奨します。


 その部署は警視庁本部庁舎3階の組織犯罪対策部組織犯罪対策五課の奥にひっそりと存在している。

 正式名称「警視庁刑事部臨時付特命係組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内」通称は特命係である。

 

 現在その特命係には二人の人間が所属している。一人は最近になって配属された甲斐亨。あだ名はカイト。父を警察庁次長に持つ彼は香港の領事館で起きた事件の解決後、特命係の主に指名される形で『陸の孤島』と呼ばれる部署に飛ばされたのだった。そして、カイトを指名した張本人こそ、警視庁きっての変人として名高い杉下右京である。

 

 

 

 

 

 その日、杉下が職場に到着すると、珍しく先に出庁してきたらしいカイトが椅子に座って雑誌を読んでいる。後ろから覗いてみると、どうやら雑誌は3日前に発売された週刊誌のようだ。

 

「君もこういった雑誌を読むんですねえ。」

 

「うわっ!って、杉下さん、来たんなら挨拶ぐらいしてくださいよ。いきなり後ろから話しかけられたら吃驚するじゃないですか。」

 

「これは失礼。しかし、君がこういった雑誌を好んでいるとは意外でしたもので…」

 

 カイトが読んでいた雑誌は『芸能セブン』。いわゆるゴシップ誌と言われる類のもので、主に政治家や芸能人のウソかホントか分からない様なスキャンダルを扱っている。

 普段はあまり下世話な話題を好まないカイトを知る杉下は、この組み合わせに違和感を感じていた。

 

「ああ、これですか。いや、悦子のお気に入りのアイドルがいるんですけど、その子の記事が載ってたもんで。それで気になってちょっと読んでみようかなって。」

 

「なるほど。確かに見出しは非常に興味をそそられるものですねえ。歌姫は過去に弟を見殺しにしていた、ですか…」

 

「まあ、こういう記事は9割方眉唾なんですけどね。」

 

 と、そんなことを話していると杉下の携帯が震える。

 

「はい。杉下です。」

 

 電話の相手は特命係が懇意している鑑識からのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場は表通りから外れた高架下の駐車場であった。あまり人通りはなく、昼間であってもどこか薄暗い印象を受ける場所である。

 しかし、現在は無数のパトカーが高架下の周りを囲んでおり、黄色いテープが巻かれた内側には仰向けに倒れた状態の男性の遺体があった。その周りでは鑑識官たちが忙しなく現場の撮影などを行っている。

 すると、また一台の覆面パトカーが現場に到着した。それは他のパトカーに倣うように現場近くの路肩に横付けすると、中から厳つい顔をした警官が眉間にしわを寄せ出てきた。警視庁捜査一課の伊丹である。

 彼が現場の周りに張られたテープを潜ると、先に到着していた後輩の芹沢がそれに気づき、足早に近づいてくる。

 

「お疲れ様です先輩。」

 

「おう。現場の状況は?」

 

「今鑑識が調べてますけど、まだ事件か事故かの判断はついていません。ここら辺は昼間でも人通りが少ないですし、目撃者は期待できないかもしれないですね。」

 

「そうか。おい、米沢。」

 

 伊丹は遺体の周囲に落ちている遺留品の写真を撮っている小太りの鑑識を呼んだ。眼鏡をかけたその鑑識は少し背中を丸めながら伊丹のもとへ歩いてくる。

 

「これはどうも伊丹刑事。」

 

「米沢、ガイシャの状態について解る範囲で教えてくれ。」

 

「はい。詳しいことは検死に回してみない事にはわかりませんが、頭部の裂傷を見るに被害者の死因は頭を強く打ったことによる脳挫傷ではないかと思われます。おそらく、そこのべっとりと血のついているタイヤ止めの角にぶつけたのではないかと。死亡推定時刻は昨夜の夜10時ごろと言ったところでしょうか。」

 

「被害者の財布や携帯は?」

 

「いずれも手付かずです。それと、被害者の持ち物から飲みかけのウイスキーのボトルが出てきました。これも検死の結果待ちになりますが、死亡当時被害者は酒に酔っていた可能性があります。」

 

「ってことは、ガイシャは酒によって転んで、コンクリートの角に頭をぶつけて死んじまったってわけだ。物取りの線もないわけだし、事故で決まりだな。」

 

 伊丹がそう断定すると横にいた芹沢も同意するように頷く。そんな二人の背後に無言で近づく人影が一つ。

 

「そう断定するのは早いかもしれませんよ。」

 

「わっ!?って警部殿ぉ、なんであなたがここにいるんですか?」

 

「あ、一応俺もいますよ。」

 

「特命係のカイトか。てことは米沢、お前呼んだな?」

 

「いや、あの、なんといいますか。はい、呼びました。」

 

「たくっ!お前はいつもいつも…」

 

凶悪な人相で威圧してくる伊丹に米沢は委縮する。そんなやり取りはどこ風吹くといった様子で杉下は人差し指をピンと立てた。

 

「被害者のシャツの襟元をよく見てください。この部分だけ他と違って皺が集中しています。まるで、誰かに襟首を掴まれ詰め寄られた時にできたかのようです。」

 

 そう言われて確認してみると、確かに被害者のシャツの襟首は不自然なしわが目立つ。更によく見ると、僅かにだが破れた跡が見える。

 もしこれが誰かから詰め寄られた時にできたものだとする、被害者はもみ合いの末に地面に叩き付けられ命を落としたことになる。立派な殺人の成立だ。

 

「……おい芹沢、近くの飲食店をあたるぞ。被害者はウイスキーのボトルを持ってたそうだが、事件前にどこかで一杯ひっかけてたこともあり得る。被害者が誰かといたところを目撃した人間がいるかもしれん。それと、近くの監視カメラも確認しとけ。事件のあった時間帯に被害者以外がいなかったかチェックしとけよ。」

 

「はい、了解です。」

 

「それと、特命係のお二方はくれぐれも我々の邪魔をしないようにお願いしますね。行くぞ。」

 

 そう言い残すと伊丹と芹沢の二人は現場を去っていく。

 

「あんなこと言われてますけど、これからどうするつもりなんですか杉下さん?………杉下さん?」

 

 返事がないことを訝しみカイトが杉下の方を向くと、杉下は現場のある一点を凝視していた。そこには、白い布状のものが落ちており、ちょうど鑑識が写真を撮っているところであった。

 杉下は鑑識に確認を取ると、白い手袋をつけた手で布を手に取る。広げてみると、布にはポップなデザインで書かれたロゴが付いていた。

 

「…カイト君、これはいったい何だと思いますか。」

 

「何って…ただのタオルに見えますけど?」

 

「ええ、ただのタオルです。しかしこれはいったい誰のものでしょう?」

 

「被害者のものではないんですか?」

 

「被害者の衣服を拝見しましたが、あまり頻繁に洗濯はしていない様子でした。お世辞にも清潔とは言えません。しかし、このタオルは染み一つ付いておらず、仄かにですが洗剤の香りがします。自分の衣服には気を遣わず、タオルだけきれいに保っているとは正直あまり考えられませんねえ。」

 

「てことはつまり、このタオルは別の人間の持ち物である可能性が高いと?」

 

「そう思えてくるんですがねえ。」

 

 杉下はタオルに書かれたロゴに目を移す。そこには『765Pro』と書かれている。

 

 

 

 

 一旦警視庁に戻った杉下たちは米沢から被害者の身元が判明したという連絡を受け、鑑識部屋へと向かった。

 鑑識部屋にある白いボードには今回の事件に関する概要がまとめられており、テーブルの上には現場から回収されたと思われる証拠品が無数に並べられている。

 

「被害者の名前は渋澤卓也、38歳。職業はフリーのジャーナリスト、と言えば聞こえはいいですが、実際は有名人のスキャンダルを追い回していたゴシップ記者のようです。死因はやはり頭を強く打ったことにより脳挫傷でした。タイヤ止めと傷口の形も一致しています。」

 

「フリーの記者という事はカメラなどは持っていたのでしょうか?」

 

「はい。カメラの中にネガが残っていたので現像しました。それがこれです。」

 

 そう言って米沢はテーブルの上に写真を並べる。その多くが銀髪の若い女性を写したもので、写真の角度や被写体の目線などから盗撮されたものであることが窺えた。

 すると、カイトは写真を見ているうちにある事に気が付いた。

 

「あれ?この子どっかで見たことがあるような…」

 

「あ、その子は765プロ所属のアイドル、四条貴音ちゃんです。ミステリアスな雰囲気が人気で、私もかなり注目しています。」

 

「おや、米沢さんはアイドルにもお詳しいのですね。」

 

「かつては日高舞の熱烈な追っかけでした。」

 

 すでに引退したアイドルの名前を出し、米沢が照れたように笑う。

 再び写真に目を戻すが写真にはこれと言って不自然な点はない。四条貴音というアイドルがラーメンを食べたり友人と祭りの屋台を回っているといった日常を切り取ったものばかりで、スキャンダルのネタになりそうな写真は一切存在しない。

 しかし、そんな写真に交じって1枚だけ毛色の違うものがあるのを杉下は見つけた。

 

「米沢さん、この写真だけは四条さんでは無い女性を写したもののようですが。」

 

 杉下が手に取ったのは、若い髪の長い女性と、彼女によく似た中年の女性が墓所で向かい合っている写真だった。その写真からは四条貴音の写真にあるようなほのぼのとしたものは感じられず、修羅場を彷彿とさせる緊張感が感じられた。

 

「ていうかこの写真、俺が読んでいた雑誌に載ってたやつじゃないですか!」

 

 カイトが今朝読んでいた週刊誌の記事、アイドルが過去に弟を見殺しにし、その結果家庭が崩壊したことを伝える記事に付属していた写真と同じものが目の前にあった。

 

「ええ、どうやらそのようですねえ。つまり、あの雑誌に載っていた写真を撮ったのはこの渋澤という記者の可能性が高くなるわけです。」

 

「警部殿、この写真の女性も765プロに所属するアイドル、如月千早ちゃんです。渋澤は765プロのアイドルのスキャンダルを追っていたとみて間違いないですな。それともう一つ765プロがらみで気になるものが…」

 

 米沢はビニール袋に入れられた証拠品の一つを杉下の前に置く。それは現場で杉下が気にしていた765プロのロゴが入ったタオルであった。

 

「こちらのタオルですが、どうやら非売品のようです。」

 

「非売品ですか?」

 

「ええ。何でも大きなライブなどのイベントがある際に関係者に対して記念品を贈る風習があるそうで、これもその一つでした。」

 

「ああ、ドラマの撮影の時にタイトルのロゴが入ったジャケットをスタッフに配るような感じですね。ってことは、このタオルも765プロの関係者にだけ配られた物ってことですか?」

 

「どうやらそのようです。」

 

 それを聞いてカイトは素早く杉下に顔を寄せる。

 

「現場に落ちていた証拠品は765プロの関係者しか持っていないものだった。被害者の記者は765プロのスキャンダルを追っていて実際に記事にした。杉下さん、765プロの事かなり気になりませんか?」

 

「気になりますねえ。」

 

「行ってみます?」

 

「行ってみましょう。」

 

 二人の刑事の目が鋭く光った。



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歌姫の守り人 2

 765プロはほんの少し前までは余程のアイドル通以外には名を知られていない弱小プロダクションであった。それがここ数か月の間で急速に知名度を上げ、今や各種メディアに引っ張りだこの存在となっている。

 765プロの特徴を一つ上げるとするならば、所属アイドルが僅か12人でありながら、全員がそれぞれ違った個性を持ち、それを生かした分野で活躍していることであることだろう。また、それぞれのアイドルには専属となるマネージャーが存在せず、実質2人のプロデューサーによって仕事が管理されている事実に注目すべきだろう。

 

 杉下とカイトの二人が765プロの事務所までにつく間の短い時間で集められた情報は以上のようなことであった。他に所属しているアイドルの名前なども調べたが、彼らが注目しているのは現在スキャンダルの渦中にある如月千早だ。

 如月千早の名は二人も耳にしたことがある。しかしながら、二人とも普段はあまりバラエティ番組を集中してみることはなく、彼女について知っていることと言えば朝の芸能ニュースで流し聞きした程度のものしか有していなかった。後は雑誌に載っていたスキャンダルから得た情報位のものなのだが、情報源が情報源だけに丸っきりそのまま信じるのには憚られる。

 

「実際どこまで本当なんですかね?車に轢かれた弟を見殺して家庭崩壊を招いたなんて。あんまり信じたくない事ですけど。」

 

「そのあたりは本人に確認してみない事にはどうにもなりませんからねえ。おや、カイト君、どうやらこの建物のようですよ。」

 

 一旦車を近くのパーキングエリアに駐車したのち、二人は改めて765プロの事務所のある建物まで歩いてきた。

 二人がまず驚いたことは売れっ子アイドルが多数在籍する芸能事務所であるにもかかわらず、事務所自体は非常にこじんまりしたものだったことだ。気を取り直してエレベーターに乗ろうとするが、エレベーターの扉には『故障中』と書かれた紙が貼られていた。これには流石にカイトも唖然としてしまう。

 

「俺が言うのもなんですけど、なんかこの事務所の行く末がすげえ心配になってきました。」

 

「心配するにしても先ずは実際に関係者の方とお会いしてみるほかありません。階段で行きましょう。」

 

 そう言って杉下はさっさと階段を昇って行ってしまい、その後をカイトがやれやれといった具合に続く。

 階段を上りきり、二人は「芸能プロダクション 765プロダクション」と書かれた扉を前にする。一息ついたのち杉下は扉をノックする。すると中から『ハーイ、少々お待ちを。』という声が聞こえ、数瞬の後に扉が開かれた。

 事務所の中から現れたのは緑を基調とした事務服を着た20代と思われる女性であった。彼女は杉下とカイトの二人を見ると、いぶかしげな表情を浮かべた。

 

「えーと、いったい何の御用でしょう?」

 

「つかぬことをお聞きしますが、こちらは765プロの事務所で間違いないでしょうか?」

 

「え?ああ、はい間違いないですけど…」

 

「申し遅れました。警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐です」

 

「あ、ご丁寧にどうも、事務員の音無小鳥と申します。って、警察!」

 

 杉下たちが警察手帳を見せながら名乗ると小鳥はひどく驚いた様子を見せる。

 

「少々お聞きしたいことがあるのですが、立ち話もなんですので中に入れてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「は、はい。ど、どうぞお入りください。」

 

 小鳥は緊張した様子で二人を事務所に入れると応接用に区切られている場所に案内した。2人は事務所の中を観察するが、これと言って変わったところは存在しない。壁に立てかけられているボードにはみっちりと予定が書き込まれている。流石売れっ子アイドル事務所と言ったところだろう。

 

「ちょっと待っていてください。今お茶を入れてきますんで。」

 

「いえお構いなく。それよりも、今事務所にはあなた以外にはだれもおられないのです?」

 

 杉下が事務所の中を見渡しながら訪ねる。あまり広くない事務所でありながら随分と静かであり、それこそ目の前にいる事務員意外に人がいる気配がない。

 

「ああ、はい。今度定例ライブがあるんで、アイドルのみんなやプロデューサーさん達は会場でリハーサルをやってるんです。社長も得意先を回ってるみたいで…」

 

「そうでしたか。その定例ライブにはここに所属しているアイドルの方々は全員出演されるのですか?」

 

「はい!その予定…だったんですが……」

 

 そう言って小鳥は落ち込んだように目線を伏せる。その様子に疑問を抱いた杉下が質問を続けようとした瞬間、事務所に備え付けられている電話が鳴りだした。

 小鳥は杉下たちに断りを入れたうえでいったん席を立ち、受話器を取った。

 

「お電話ありがとうございます、765プロです…はい……はい………申し訳ありません、そう言った取材はうちでは現在受け付けておりません。………いえ、引退などではなく………はい、ではそういう事ですので失礼します。」

 

 通話を終え受話器を下すと小鳥は疲れたように溜息を吐いた。

 

「…つかぬ事をお聞きしますが、もしや今のお電話は如月千早さんに関することですか?」

 

「え?ああ、はい。あの記事が週刊誌に乗ってからずっとなんです。ここ最近はだいぶ落ち着いてきたんですけど、今みたいにたまに取材の依頼が来て…千早ちゃんは今休養中ってなってるのに…」

 

「休養中というと、やはり記事の影響でですか?」

 

 カイトの質問を受け小鳥は気まずげに眼を逸らすと恭しく頭を下げた。

 

「…すいません。これ以上は個人のプライバシーに関わる事なんで私ではお答えすることが出来ません。」

 

「ああ、いえ。こちらこそ不躾な質問をしてしまい申し訳ありません。」

 

「いえいえ、そんなことは!ところで、今日はいったいどういった御用なんでしょうか?もしかして、うちの事務所が警察のお世話になるようなことをしてしまったんでしょうか?」

 

「いや、今日はそう言ったことではなくてですね…」

 

 カイトが765プロを訪れた事情を説明しようとしたが、何やらスイッチが入ったらしい小鳥は興奮した様子で妄想を飛躍させた。

 

「は!まさか、芸能事務所では従業員に怪しいドリンクを売りつけ、金を巻き上げているっとか言う噂を調査しているんですか!?うちはそんなことしていません!多少人手不足なことに目を瞑れば、どこからどう見てもクリーンなホワイト企業です!」

 

「いや、だからそういったことではなくてですね…」

 

「それじゃああれですか!?プロデューサーさんが未成年の子に手を出したとか!違うんです!確かにプロデューサさんはハニーとか呼ばれていますけど、あれは美希ちゃんがただ感情表現が素直すぎる子なだけで決してプロデューサーさんとふしだらな関係にあるという訳では…」

 

「落ち着いてください音無さん!」

 

 止まらなくなった小鳥に対しカイトが大声を上げると、小鳥はようやく自分の醜態に気づいたらしく顔を赤くし小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 その様子がどうしようもなく不憫に思えたのでカイトは咳払いをして話を切り替える。

 

「ええとですね、今日こちらに出向いたのは少しお話をお聞きしたいからです。音無さん、この男性に見覚えはありますか。」

 

 そう言ってカイトは渋澤の写真を取り出すと小鳥に見せた。彼女は難しい表情で写真を眺めていたがやがて首を横に振った。

 

「申し訳ありません。私には見覚えが…」

 

「この人はフリーの記者で最近この事務所の周りをうろついていたみたいなんですけど…」

 

「フリーの記者…あ!それってもしかするとプロデューサーさんが言ってった人かもしれません!」

 

 思い出した!とばかりに小鳥は両手を打つ。

 

「以前、うちの所属アイドルが変な記者に付きまとわれてゴシップ記事をでっち上げられるってことがあったんです。その時、プロデューサーさんが所属アイドルたちに注意喚起を行っています。」

 

「そのゴシップ記事をでっち上げられたアイドルというのは、もしや四条貴音さんでは無いですか?」 

 

「え、ええ、そうですけど…」

 

 だとすると、渋澤が765プロのアイドルを追っていた可能性はますます高くなる。後は実際に渋澤を見た人物に確認し、765プロと渋澤の関係を明らかにしておきたいところだ。

 

「音無さん、実際にその記者を見たという方はいたのでしょうか?」

 

「えーと、確かプロデューサーさんと四条さんが警察署の一日署長のイベントの時に見たって言ってたような…」

 

「その二人は今はライブ会場でリハーサルをやっているのですね?」

 

「はい。そうです。」

 

「お手数ですが、ライブ会場の場所を教えていただいてもよろしいですか?」

 

「わかりました。ちょっと待ってて下さい。」

 

 小鳥はメモ帳から紙を一枚破ると、そこにライブ会場の住所を記す。杉下たちはそれに礼を言い、事務所を後にした。事務所を出る際、後ろから「若くて直情的な刑事と理知的な中年刑事のコンビ…ピヨッ、たぎるわ…」という声が聞こえてきたのだが、二人は気が付かなかった。

 

 階段を降り、ビルの外へと出るとカイトが杉下に話しかける。

 

「やっぱり、渋澤は前からこの事務所のアイドルを狙ってたみたいですね。」

 

「ええ。四条貴音さんの写真が多く取られていたことを考えると、彼女のゴシップ記事にも渋澤さんが関与している可能性があります。しかしそうなると、なぜ如月千早さんの写真は一枚しかなかったのでしょう?」

 

「そこらへんも含め、まだまだ調査が必要ですね。」

 

「そのようですねえ。行きましょうか。」

 

「はい。………ん?」

 

 カイトは背中に視線を感じ、通りの反対側を振り向いた。しかし、通りには人の姿はまばらにあるだけで特命係に目を向けている人間は一人として存在しなかった。

 

「どうかしましたかカイト君?」

 

「いえ…何でもないです。」

 

 カイトは視線を前に戻すと、杉下に続いて車に乗り込んだ。そして車はライブ会場に向かって走り出す。その車体の後ろを、キャップの唾で目線を隠した人物がじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 杉下たちがライブ会場に付き、会場内に入ると丁度リハーサルの最中だったらしく、ステージの上ではアイドルたちがダンスの位置取りの確認などを行っていた。観客席の最前列から出る指示に従い一つ一つライブに向け調整を進めるアイドルたちの表情はいずれも真剣なもので、曲がりなりにも彼女たちがプロであることを杉下と甲斐とは感じ入る。

 

「なんというか、思ってた以上にガチな現場ですね。正直所詮アイドルのライブだと嘗めてましたよ。」

 

「どのような職業であろうと、相応の努力がなくして自分の居場所を手に入れることはできません。彼女たちが人気アイドルで要られるのは彼女たちがそれに相応しい努力をしているからでしょう。」

 

「そうですね。でもどうします?とてもじゃないけど邪魔ができる雰囲気じゃ…」

 

「おいあんたたち!そこで何をしているんだ!」

 

 突然、杉下たちを咎める声が上がる。振り向くと日に焼けた大柄な男が二人に向かって大股で歩いてきた。その表情はどこか苛立っているようにも見えた。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。部外者は出てってくれ!」

 

「申し訳ありません。我々はこういったものです。」

 

 杉下が懐から警察手帳を取り出し男に見せると、男は動揺したのか顔色を失う。

 

「…警察がいったい何で。」

 

「765プロの関係者の方に少しお話を伺いたいと思いまして。あなたは関係者の方ですか?」

 

「いや、俺はこの会場設営の責任者だ。765プロのプロデューサーなら今ステージの前にいるけど、呼んでこようか?」

 

「ぜひ、お願いします。」

 

「…わかった。おーい、プロデューサー君!」

 

 男がステージの方に向かって声をあげると、ステージに向かって指示を出していたメガネの青年が振り向いた。青年は隣にいたメガネの女性に指示を与えるような素振りを見せると、駆け足で杉下たちの方へ近づいてきた。

 

「どうしたんですか大木さん?」

 

「こちら、警察の方。765プロの人に話が聞きたいんだとさ。」

 

「警察…いったい何の話でしょうか?」

 

 プロデューサーと呼ばれる青年が柔和な顔を不安げにしながら杉下に尋ねる。杉下は青年を安心させるため微笑を浮かべながら話を始めた。

 

「あなたが765プロのプロデューサーさんですね。実はこの男性についてお話をお聞きしたいのですが。」

 

 そう言って杉下は渋澤の写真をプロデューサーに見せる。渋澤の写真を見たプロデューサーは目を見開いた。

 

「あっ!この男は!」

 

「ご存知ですか?」

 

「ええ!以前うちのアイドルに付きまとってた記者です。最近は姿を見なくなっていたんですが…」

 

「付きまとわれていたのはいつの事だったんでしょう?」

 

「ええと、2週間くらい前の事だと…あの、この男が何か事件に関わっているんでしょうか?」

 

「ええ。実はこの男性、渋澤さんというのですが、今朝方に亡くなっているのが発見されました。」

 

「亡くなった!?」

 

「現在のところ、事件と事故の両面で捜査を進めて…」

 

「ちょっと待ってください!まさかあなた達、うちのアイドルを疑っているんですか!?」

 

 突如プロデューサーは血相を変え杉下たちに詰め寄る。その剣幕に思わず杉下も仰け反ってしまった。

 

「落ち着いてください。何もあなたがたを疑っているわけではありません。渋澤さんと関係がありそうなところをあたっていく中で、765プロが含まれていただけにすぎません。」

 

「あ…すいません、早とちりしちゃったみたいで。」

 

「いえいえ。ところでプロデューサーさん、765プロに対し恨みを抱いているような人物に心当たりはありませんか?」

 

「え?」

 

 唐突な杉下の質問にプロデューサーの目が点になる。それに構わず杉下は話を続ける。

 

「渋澤さん個人について調べていくうちに面白い情報を得ることが出来ました。どうやら渋澤さんは昔書いた記事が原因で出版業界から干されている状態にあったそうです。何でも引退した伝説的アイドル、日高舞が事務所に未成年の男児を連れ込み、女装をさせて玩具にしているという記事を書いて出版社ごと訴えられたそうですよ。そのため、彼の記事を取り扱う大手出版社は先ず無いそうです。

 ところが、彼が撮ったと思われる写真が使われた記事が二つも大手出版社の雑誌に掲載された。おそらく、渋澤さんと出版社の間を仲介した人物がいたのでしょう。そして掲載された記事の内容を見るに、その人物には765プロ、および765プロに所属するアイドルの風評を意図的に下げようとする意志があります。

 つまり、765プロに敵意を抱く人物が渋澤さんに命じ、スキャンダルになりそうな写真を撮らせていた可能性が高いのです。どうですか。そのような人物に心当たりはあるでしょうか?」

 

 暫くの間、プロデューサーは杉下の言葉に圧倒されポカンとしていたが、やがて悩ましげに顔をゆがめ始めると周りを見渡し誰も聞き耳を立てていないことを確認した。そして杉下たちに顔を近づけると小声で話し始める。

 

「これはオフレコでお願いしたいんですけど、以前からちょくちょくうちのアイドルが嫌がらせを受けることがありまして…」

 

「具体的にはどのような?」

 

「雑誌の表紙をうちのアイドルがやるはずだったのが他のアイドルの写真にさし変えられたり、番組の収録をしていた子が突然車に乗せられて人気のないところに下ろされたり…」

 

「それってもう犯罪じゃないですか!」

 

「ええ、刑法第224条、未成年者略取及び誘拐罪の可能性があります。それで、そのような嫌がらせをしてくる相手というのはいったい誰なのでしょうか?」

 

 杉下の問いに、プロデューサーは再び周囲を警戒したうえで答えた。

 

「961プロダクションの社長です。」



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歌姫の守り人 3

「961プロっていうと、大手芸能プロダクションですよね?」

 

 芸能情報にさして詳しくないカイトであっても、961プロの名には聞き覚えがある。カイトの問いにプロデューサーは頷いて肯定を示す。

 

「ええ、最近でも男性アイドルユニットのジュピターが人気だったり、芸能プロダクションとしての規模はかなり大きいです。」

 

 ジュピターの名にも聞き覚えがある。3人組のアイドルグループでCMやバラエティー番組にも結構な頻度で顔を出している。彼らの成功を見るに、961プロダクションのプロデュース能力は確かなものがあるのだろう。

 

「でもなんで961プロは765プロに対して嫌がらせを続けるんですか?大手がそう言った手段に出るのは何かとリスクがある気がするんですけど?」

 

カイトにとって最大の疑問はそこだった。企業というのは大きくなればなるほど周りからの目は多くなり、社会的責任は大きくなる。もし仮に961プロの行った妨害が事実であり、そのことが公にされた場合の損失は計り知れないものとなるだろう。人の目に映ることを生業とする芸能業界ならなおさらだ。不正行為に手を出したというイメージは容易に払拭できないだろう。

 そのリスクを背負ってまで961プロが765プロに妨害工作を行った理由がハッキリとしない。カイトの問いに対し、プロデューサーは少し思案するように間を取ると答えた。

 

「……たぶん、765プロが目障りになってきたからじゃないでしょうか?」

 

「目障り?」

 

「はい。嫌がらせが始まったのはちょうど感謝祭ライブを終えて、うちの子たちが売れ始めた暗いからなんです。こういった業界ですから、出る杭は打たれることもあるみたいで…」

 

「つまり、961プロは最近になって売れ始めた765プロを警戒し、けん制する意味も込めて嫌がらせを始めたわけですね?」

 

 カイトが確認を取るとプロデューサーは少し間をあけて頷いた。芸能界は華やかなばかりではないとは言うが、現場の人間から話を聞くと確かな現実感がある。それに巻き込まれる少女たちの事を考えると、カイトは少々げんなりとしてしまった。

 

「それと、うちの事務所の社長と黒井社長に昔因縁があったみたいで…」

 

 因縁について言葉を続けようとしたプロデューサーであったが、それはこの場に新たに表れた二人組によって遮られることになった。

 

「特命係のお二方~。どうしてここにいるのでしょうか~。」

 

 わざわざ節をつけてまで嫌味を言ってきたのは、毎度おなじみ捜査一課の伊丹と芹沢である。

 

「これはどうも伊丹さん。僕たちも例の事件について調べようと思いまして、関係者に聞き込みの方を。」

 

 そしてこの杉下のそつのない対応も普段通り。全く意に介した様子がないのを見て伊丹が大きく舌打ちをする。ここまでテンプレである。

 

「あ、あの、あなた方々はいったい?」

 

 唯一展開についていけてないプロデューサーが困惑気味に尋ねる。伊丹たちは警察手帳を見せながら答えた。

 

「どうも。警視庁捜査一課のものです。」

 

「捜査一課?あの、この人たちも刑事さん達じゃ…」

 

「その二人はちゃんとしてない刑事さん達です。我々はちゃんとした捜査一課の刑事ですので。お間違えなく。」

 

「は、はあ…」

 

 どうも納得は言ってないようだが、警察も複雑なんだなとプロデューサーは結論付けた。そうしている間に捜査一課の二人はメモ帳を取り出し、聞き取りの準備を整えた。

 

「既にそこの二人から聞いてると思いますが、我々は渋澤卓也さんが死亡した件について調べを進めています。渋澤さんのことはご存知でしたか?」

 

「ええ、まあ。というよりも最近うちのアイドルに付きまとってた記者というだけで、名前自他はさっきそちらの刑事さん達から聞きました。」

 

「…なるほど。では、四条貴音さんを呼んできてもらえませんか?」

 

 そう伊丹が言った瞬間、プロデューサーの表情が変わった。

 

「ちょっと待ってください。なんでここで貴音が出てくるんですか?」

 

「被害者の渋澤さんですが四条さんのことをつけまわしてたそうですね。しかも、警察署でのイベントであなた方とトラブルになった。その際、四条さんが渋澤さんを派手に投げ飛ばしたのを見ているんですよ。たくさんの警察官がね。」

 

「幸い、非は渋澤さんにあったってことで四条さんはお咎めなしってことになりましたけど、この事を渋澤さんが逆恨みしてたってのも考えられますよね。」

 

「あ、あなた達は貴音がその人を殺したとでもいうんですか!」

 

「いいえ、そんなことは言ってませんよ。ただ、このままだと四条さんには警察署へご同行を願わなければいけなくなるかもしれませんからね。そうなるとマスコミの格好の餌になると思うんですが、それは不本意でしょう。あなた方も我々も。」

 

 最後に軽く脅しを入れながら伊丹はプロデューサーを説得した。

 おそらく捜査一課では四条貴音が容疑者として有力視されているのだろう。しかし相手は未成年。それも全国的に人気なアイドルとなればマスコミが嗅ぎ付ける前に解決するのが望ましい。そのため捜査方針としては周りの人間から情報を集めつつ、本人に対しゆさぶりをかけるといった多少強引なものになっているのだろう。

 プロデューサーは苦汁を舐めるような表情で考えを巡らせていたが、やがて顔を上げると「わかりました。貴音を呼んできます。」と言ってステージに向かった。

 それから数分後、プロデューサーはステージ衣装を着た銀髪の少女を連れて戻ってきた。この少女が四条貴音だろう。特徴的な頭髪はカイトも見覚えがある。

 貴音は4人の刑事たちを前にすると深く頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。四条貴音と申します。」

 

 そのしぐさがあまりにも様になっており、どこか幻想的な雰囲気にさらされたためか、伊丹たち捜査一課とカイトは一瞬の間、呆然と四条貴音の姿に見惚れてしまう。四条貴音はまさしく銀色の令嬢と言ってよい美女だった。 そんな中、杉下だけは恭しく貴音に礼を返した。

 

「どうもはじめまして。警視庁特命係の杉下と申します。」

 

 杉下が礼をしたことで慌てて残りの三人がそれに続いて頭を下げる。

 

「あっ、どうも、警視庁捜査一課の伊丹です。本日は四条さんに聞きたいことがあって出向かせていただきました。」

 

「まあ、警察の方が私にですか?いったいどのようなことでしょうか?」

 

「実はある事件について捜査をしているのですが、この男性についてご存知でしょうか?」

 

 そう言って伊丹は貴音に渋澤の写真を見せた。

 

「この殿方は…確か、以前私の事をつけていた記者の方だと存じ上げていますが…」

 

「この人、渋澤さんというのですが、今朝方死亡しているのが発見されました。」

 

「なんと!それは真ですか?」

 

 驚いた様子を見せる貴音に演技の色は見て取れない。しかし、相手は少女成れど芸能関係者。そん所そこらの餓鬼と一緒と考えていたら痛い目にあうかもしれん、と伊丹は気を引き締めた。

 

「ええ。それで渋澤さんが亡くなる前に接していた人たちに話を聞いて回ってるんですが、四条さん、あなた最近渋澤さんを身近で見かけたことはありますか?」

 

「……いえ、この殿方を見かけたのは警察署で一日署長を務めさせていただいた時が最後だったと記憶しています。」

 

「…そうですか。じゃあ四条さん、昨日の夜10時ごろ、どこで何をしていたか教えていただきますか?」

 

「まあ!それはもしや、ありばい確認と言ったものでしょうか?」

 

 途端に貴音の深窓の令嬢然とした雰囲気が崩れる。楽しそうに目を輝かし始めた貴音に対し、伊丹は言いようのないやりづらさを感じていた。主に美人のギャップ的な意味で。

 

「え、ええまあ。んんっ!それで四条さん、昨夜の夜10時頃はどこにいましたか?」

 

「私が昨夜何をしていたかですか?大変残念ながら、それはとっぷしーくれっとです。」

 

「………は?」

 

貴音の返答に伊丹は困惑したように聞き返す。思わず、なんて言ったこの女?と隣の芹沢に聞きそうになったのをぐっと堪え、伊丹は改めて質問する。

 

「とっぷしーくれっと?ってつまり、昨日自分がどこで何をしていたか答えられないってことでいいんですか?」

 

「そう考えていただいて問題ありません。それに私は興味本位で人の素性を聞くのは好みではありません。人には誰しも秘密の一つや百個はあるのですから。」

 

「おいこらテメエ警察舐めてんのか?あぁ?」

 

「落ち着いてください先輩。貴音ちゃんはこういうキャラなんです。」

 

 今にも切れそうになっている伊丹を芹沢が必死に宥める。その様子を見て貴音は不思議そうに首を傾げ、プロデューサーは顔に手を当て項垂れている。どうやら今のが四条貴音の素のようだ。

 気を取り直し、深呼吸をしたのち伊丹が質問を再開する。

 

「じゃあ、ご自宅の場所を教えていただいてもいいですか?」

 

「申し訳ありません。とっぷしーくれっとです。」

 

「ご実家にお住まいなんですか?」

 

「とっぷしーくれっとです。」

 

「親御さんのお名前は?」

 

「とっぷしーくれっとです。」

 

「…好きな食べ物は?」

 

「らあめんです。」

 

「このアマやっぱ舐めてんだろ!」

 

「す、すいません!貴音もふざけてるわけじゃないんです!」

 

 激高しだした伊丹に対しプロデューサーが慌てて平伏するが時すでに遅し。貴音に対する伊丹の印象は最悪と言っていいものになっていた。

 

「わかりましたよ。四条さんの事件当時の動きに関してはこちらで勝手に調べさせていただきます。場合によっては警察に足を運んでもらうかもしれないのでよろしくお願いします。行くぞ芹沢。」

 

「はい。」

 

 最後に貴音を睨み付けると伊丹たちはライブ会場を後にした。残されたのは状況の理解が追い付かないのかキョトンとしている四条貴音と、頭を抱えて今後の対応について考えているプロデューサーだった。そんな二人に杉下は横から声をかけた。

 

「それでは我々もお暇しようと思います。貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。」

 

「あ、そんな。私たちの方もあまりお役に立てなかったみたいで。」

 

「いえいえ、興味深いお話を聞くことが出来ました。最後に一つだけ。プロデューサーさん、これに見覚えはありますか?」

 

 そう言って杉下は現場に残されていた765プロのロゴが入ったタオルの写真をプロデューサーに見せる。

 

「これって確か…感謝祭ライブをやった時に関係者の方に配ったものだと思います。」

 

「感謝祭ライブというのは?」

 

「うちのアイドルたちが売れ始めた頃に始めてやった大規模なライブです。あれがあったからうちは業界でも知られるようになったんです。このタオルはそれを記念して社長自らが自費で発注したものなんです。」

 

「なるほど。では、これを配った関係者とはどのような方たちだったんでしょうか?」

 

「えーと、先ずはうちの所属アイドルとライブの開催に協力してくれた業者さんやスタッフの方。それとライブ以前からうちに密着してくれていた記者の方と事務所のご近所さん。ああ、あとアイドルたちのご家族にも配りました。」

 

「どうもありがとうございます。」

 

「あの、今のが何か捜査に関係あるんですか?」

 

 疑わしそうに杉下を見るプロデューサーに杉下は力強く頷く。

 

「ええ。非常に貴重な証言を頂けました。カイト君、いったん本庁に戻りましょう。」

 

 そう言って杉下達もまたライブ会場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 本庁に戻ってきた杉下たちは再び鑑識室を訪れていた。そこには現在までに捜査一課が集めてきた情報と、現場で採取された証拠品が並べられている。杉下とカイト、それに鑑識の米沢を加えた3人はそれらの情報をいったん整理しようとしたのだった。

 

「現場となったのは大通りから外れた高架下の駐車場。死亡していたのはフリーの記者の渋澤卓也さん38歳、彼はここ最近765プロのアイドルのスキャンダルを追っていたことが所持品や関係者の証言から推測できます。」

 

「死亡推定時刻は昨夜の10時ごろ。現場近くには監視カメラもなく人通りもほとんどない。目撃者は期待できませんね。捜査一課の調査によると、21時58分に現場から300メートルほど離れたコンビニでウイスキーのボトルを購入しているのが確認されています。現在のところ、生きている被害者を確認できるのはこれが最後です。」

 

「被害者はこの直後に死亡したとして間違いないですな。それと被害者と付き合いのあった記者の証言によると、被害者は死亡する直前、かなり羽振りが良かったようです。その記者が被害者に聞いたところ、かなり払いのいいスポンサーがついたといっていたそうです。」

 

 米沢は杉下に捜査資料を渡しながら説明する。杉下の横から顔を出し、カイトもその資料に目を通した。

 

「払いのいいスポンサーか…杉下さん、やっぱり961プロの社長が被害者に命じて765プロのスキャンダルを探させていたんですかね?」

 

「それはあくまでも765プロ側からの証言であって、今のところ961プロと渋澤さんを結び付ける証拠には至らないでしょう。765プロが嫌がらせを受けていたという証拠もありません。」

 

「いやまあそうなんですけど…でも、俺はあのプロデューサーが嘘をついていたようには見えなかったんですよね……って聞いてます杉下さん?」

 

 杉下の目はいつの間にやら現場に残された証拠品へと注がれていた。

 証拠品としてテーブルの上に並べられているのは、被害者の衣服、帽子、靴、カメラ、替えのフィルム、財布、免許書、保険証、残り数本となったタバコのボックス、葉巻、ウイスキーの瓶、くしゃくしゃになったメモ用紙、飴、キシリトールガム、etc…

 

「米沢さん、ここに並べられているのは被害者の所持品ですか?」

 

「ええ、そうです。今のところこれらの所持品から犯人につながるものは見つかってませんが…」

 

「そのようですねえ。しかし、もしかすると、スポンサーに繋がるものはあるかもしれませんねえ。」

 

 そう言って杉下が静かにほほ笑む。その様子を見てカイトは直感的に杉下が何かを掴んだことを確信した。

 

「…あったんですね。被害者とスポンサーを繋げる証拠が。」

 

「あくまで可能性の一つとしてですが。取りあえず、961プロに足を延ばしてみましょう。」

 

「そう来なくっちゃ。」

 

 そう言うが早いや、特命係の二人は颯爽と鑑識室を後にした。



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歌姫の守り人 4

 現在の芸能界を語るうえで961プロの名を出さずにいることはできない。ジュピターをはじめ多数の人気タレントが所属し、いずれ確かな実力に裏打ちされた質の高いパフォーマンスを有している。

 それに加え豊富な資金源を背景に、ライブではド派手な演出を見せることで観客を熱狂させるとともに、ゴリ押しとも揶揄されるほどまでにメディアへ露出させていることを鑑みるに、栄枯盛衰のサイクルが短いとされる芸能界で絶大な影響力を持ち続けているのは明白である。

 そんな961プロが本社を構える都心の一等地に建てられたビルを特命係の二人は訪れていた。受付に警察手帳を見せ黒井社長への面会を望むと、意外にもあっさりと面会の許可が得られた。。

 秘書と思われる妙齢の女性に案内され社長室に通されると、そこには一目で高級だと分かる椅子にふんぞり返った中年男性がいた。

 

「どうもはじめまして。私がこの961プロで社長を務めています黒井崇男です。」

 

 そう言って表面上は丁寧に特命係の二人に対応する黒井社長であるが、カイトの黒井社長に対する最初の印象はあまりいいものではなかった。

 まず最初に目につくのは黒井社長が着ているスーツである。毒々しいまでの紫色をしたそれは、人並みにオシャレに気を使うカイトの美的センスとは到底相容れないものであった。

 次に気になるのは社長室の調度である。流石大手芸能プロダクションの社長室というべきか、黒井社長の部屋は小さな体育館ほどの広さを誇っている。扉に近い壁には巨大な絵画が飾られており、その反対側の壁にはこれまた巨大な薄型テレビが掛けられている。そのテレビと絵画のちょうど真ん中に置かれた客人用のソファとテーブルも趣向が凝らされており趣味は兎も角として良い物には違いない。

 ただ、目立つ調度品はそれくらいのもので部屋の大きさとのバランスを考えると明らかに物がなさすぎる。社長が利用している机に飾られた一本の黒いバラが余計に部屋の孤独さを演出し、どこか部屋全体に冷たい印象を与えているのだ。

 そして何よりカイトが気に入らないのが、黒井社長本人の有する雰囲気がどことなく自分が毛嫌いする父親の甲斐峯秋警視庁次長に似ていることだ。

 

「どうされました?私の顔に何かついていましたかな?」

 

 無意識のうちに黒井社長の事を凝視してしまってたらしく、黒井社長もそれに気づいてしまったようだ。

 

「いえ、黒井社長が自分の知ってる人によく似ていたもので。」

 

「ほう、そうですか。一度お会いしてみたいものですな。まあ、そんなことよりも早く本題に入りましょう。私もこれで忙しい身なんでね。」

 

 言葉自体は丁寧なものだが、その裏側には人を見下したかのような意思が見え隠れする。刑事として人の裏の顔に接することが多いだけに杉下たちはそう言った感情に敏感なのだ。だからと言ってわざわざ指摘したり、あからさまに対応を変えたりはしないが。

 

「これは失礼しました。私は警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐亨です。」

 

「それで、警察の方が私に何の用ですかな?」

 

「はい。現在われわれはある事件について捜査を進めているのですが、黒井社長はこの男性に見覚えはありますでしょうか?」

 

 そう言って杉下はプロデューサーに見せたときと同じように渋澤の写真を黒井に見せる。黒井は一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、すぐに素知らぬ顔となり首を横に振った。

 

「残念ですが面識はありませんな。この男が何かしでかしたんですかな?」

 

「いえ、この人は被害者です。渋澤さんというのですがお名前に覚えはありませんか?」

 

「無いですな。大体警察の方はなぜこの男が私と関係あると思われたんです?」

 

「765プロの人が言ってたんです。この渋澤さん、どうやら誰かから依頼を受けて765プロのスキャンダルを追ってた可能性が高いことが分かってます。765プロの証言によると以前から961プロから妨害行為を受けていたとか。」

 

 黒井の質問に答えたのはカイトだった。黒井はカイトの言葉を聞き、不快そうに顔を歪ませた。

 

「765プロに妨害ですって?刑事さん、まさかそんな与太話を信じているんですか。冗談はよしてください。なんで我々があんな弱小プロダクションを気にしなければならないんですか。」

 

 なんというか、カイトは少しずつ黒井社長の素の顔が見えてきたような気がしていた。少なくとも、自分の父親とは違う人種の人間のようだ。自分の事を不快にさせるという点では実にそっくりだが。

 

「大体765プロと私の会社では天と地ほどの差がある。月とスッポンと言ってもいい。そんなところに妨害工作を行うなど、象が道端の蟻を気にして払いのけるようなものだ。妨害などやる意味がない。」

 

「しかし、あなたと765プロの社長との間には因縁があるそうじゃないですか。961プロと765プロ自体に因縁はなくとも、あなた個人が765プロにいやがらせをする理由はあったんじゃないですか?」

 

「なるほど高木との因縁ですか。確かに私と高木との間には確執がある。しかし、それを会社の仕事に影響を与えるほど愚かではない。私から言えることは765プロに対する妨害工作などなかった。渋澤という男の事も知らん。それだけです。ご理解いただけたのならすぐにお引き取りをいただきたい。仕事がありますので。」

 

 カイトは思わず感情的に言い返しそうになったのを必死に抑え、頭を冷やし冷静になろうとした。これまでの人生の中で黒井社長は自分の父親と並んで相性の悪い人間である事が分かった。これ以上此処にいたところでこの男は適当なことを言って自分たちを追い返そうとするだろう。

 だがしかし、カイトの刑事としての勘が黒井社長は確実に黒いと叫んでいた。どうにかして証言を得たいところだが、カイトには黒井社長から証言を引きずり出す術がない。

 こう言った場面で役に立つはずの上司は先程から一言も発しない。というか何時の間にやらカイトの隣から消えている。部屋の中を見渡すと、杉下はソファの前に置かれたシガレットケースを眺めていた。

 

「杉下さん何やってんですか?」

 

「黒井社長は葉巻をたしなまれるのですか?」

 

 カイトの質問を無視し、杉下は机に置かれた葉巻を手に取りそれをかざす。それを見た黒井は得意そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん!まあ、たしなむ程度ですがねえ。これでも結構凝り性なんで品質にはかなりこだわってますよ。」

 

「そのようですねえ。この葉巻はキューバ製の高級品のようです。手に入れる場合はキューバ葉巻を取り扱っているスイスのメーカーを通し、個人で輸入する方法がほとんどだと記憶しています。そのため、日本への流通量はかなり少ないとか。」

 

「ほう、よくご存じで!警察官にしてはなかなかに博識でいらっしゃる。まあ、確かにこう言ったものを手に入れるには手間と金が必要になりますが。」

 

「そういえば、渋澤さんもこれと同じものをお持ちでしたねえ。」

 

「……なんだと?」

 

「渋澤さんも黒井社長と同じキューバ葉巻を持っていたんですよ。しかも、1本だけ裸の状態で。葉巻というのはある程度品質管理に気を配るべき物ですが渋澤さんにはその知識がなかったようで。そもそも日本では手に入りにくい葉巻をどうやって手に入れたのでしょうねえ?誰かからもらったのか、あるいはどこかから失敬したのか…」

 

「…さあ、皆目見当がつかないですな。」

 

 そうは言うが黒井社長の顔には先ほどまでの憎たらしい余裕はなく、目もわずかに泳いでいる。それを承知で杉下はさらに追い詰めていく。

 

「それはそうと、黒井社長は葉巻に認証ナンバーが打ってあることをご存知でしょうか?」

 

「認証ナンバー?」

 

「ええ、キューバ葉巻には偽物が多いため、本物にはそれが正規品であることを示すために製造月と製造工場を示す番号が打ってあるんです。当然それはスイスのメーカーにも記録されていますので、番号を照会すればその葉巻がいつ誰に販売された物か確かめることもできるでしょう。そうすれば、渋澤さんがどうやって葉巻を手に入れたのかも、おのずと解ってくると思うのですがねえ。」

 

 そう言って杉下は黒井社長の顔を見つめたままゆっくりと近づいていく。黒井社長はその視線から逃れるように顔を横に向けると苦々しい表情でつぶやいた。

 

「全くあの男は。能力だけでなく、手癖まで悪いとは…」

 

「あの男というのは渋澤さんの事ですね?」

 

 杉下が尋ねると、黒井は顔を前に向け杉下の視線を真っ直ぐにとらえる。

 

「私はいらぬ手間をかけるのは嫌いなんでね。認めてやろう。確かに私はあの男に命じて765プロの事を探らせていた。」

 

 黒井の態度は実に尊大で、どこまでも他人を見下したものであった。それでいて顔には生気が満ち溢れているのだから、これこそがこの男の本性なのだろう。

 

「765プロに対する妨害工作居ついてはいかがですか?雑誌の表紙を自分の会社のアイドルにさし変えさせ、765プロのアイドルを現場から遠く離れた場所に放置させたなどと聞きましたが。」

 

「ふふ。さあ、どうだったかな?もしかすると、出版社にジュピターを表紙にするように掛けあったり、番組のスタッフに、あの仕事が出来ないアイドルは目障りだと漏らしてしまったかもしれませんが、私自らが手を下したことはないですからなあ。果たしてこれは罪になるんですかな?」

 

「罪に問うのは難しいと言わざるを得ません。では、765プロのアイドルのスキャンダル記事に関してはいかがですか?場合によっては名誉棄損、あるいは侮辱罪に問われる恐れもあります。」

 

「四条貴音の件に関しては既に決着がついているはずだ。名誉棄損や侮辱罪は親告罪。一度は灌がれた汚名を奴らがわざわざ持ち出すはずがない。そんなことをすれば再びマスコミの餌だ。」

 

「如月千早さんの記事についてはどう考えているのですか?」

 

「フハハハハハハ!それこそ罪に問われる云われはない。なぜならあの記事に書いてあることはすべて真実なのだからな!

 如月千早の弟は事故で死んだ。それが原因で家庭は崩壊し、今も如月千早は一人で生活している。そして、事故現場に居合わせたにも拘らず、如月千早は死にかけた弟を眺めるだけで何もしなかった。弟を見殺しにしたのだよ。いずれも関係者の証言と当時の自己記録を調べたうえで書かれた真実!あの記事に関して我々に後暗いことなど存在しない!」

 

 そう言って黒井は誇らしそうに胸を逸らせる。その態度から、この男が本心からそう思っていることが窺いしれた。

 この男は後悔していない。自分の行いが誰かを深く傷つけるものと知っているのに、自分の行いが原因で人が死んだのかもしれないのに、黒井崇男を自分が悪いとは一切考えないのだろう。

 カイトの視線は自然と黒井を睨み付けるものとなっていた。

 

「…あんた、それでも大人かよ。」

 

 カイトの口から自分でも驚くほど低い声が漏れていた。それでも腹の内にため込まれた黒い感情は収まらない。もし、警察官でなければカイトは黒井社長を躊躇なく殴り飛ばしていたことだろう。

 

「あんたのせいで年端もいかない女の子が苦しんでるかもしれないんだぞ!人にはだれにでも触れられたくない過去があるもんだろ?それを暴き立てて、マスコミまで煽りやがって…それが大人が子どもに対してやる事かよ!」

 

 カイトの怒声が社長室に響き渡る。カイトの叫びはいずれも本心からのものだ。例え黒井が法律で裁かれないとしても、彼の行った行為は人の傷口をえぐり苦しめるものだ。

 そのことを自覚しながらまるで悪びれた様子がない黒井の事をカイトは許せなかった。

 だが、怒りに顔を歪ませるカイトの事を、黒井はまるで無知なものを見るかのような冷たい目で眺めるのみだった。

 

「どうやらそちらの若い刑事さんは芸能界がどういう場所か全くわかってないようだね。」

 

「なに?」

 

「1年の間で何人の芸能人がデビューしているか分かるかね?約一万人だ。その中で生き残っていけるのは才能に恵まれたごく一握りだけ。さらにそこから頂点を狙おうというのなら、才能以上にどのような相手だろうと蹴落としていこうという意志、勝ち上がるためならどのような事でもしようと云う覚悟が必要となる。綺麗事ではやっていけないのだよ。

 仲よしこよし、仲間同士の絆など信じて生きていけるほどこの業界は甘くない。そもそもこの程度で休養するなど、最初から本気でこの仕事をやっていく気がなかったんじゃないのか?私から言わせれば、如月千早はその程度の覚悟しか持ちえなかった落ちこぼれアイドルなのだよ。」

 

 そう言って黒井はにやけた笑みを浮かべる。

 その瞬間、今度こそカイトは頭に血が上り、にやけ顔に拳を打ち付けるべく足を踏み出そうとした。しかしそれは、横から右肩を掴まれたことで阻止された。右を見ると杉下が強い力でカイトの肩を掴んでいる。杉下は諌めるように厳しい表情で首を横に振った。それでようやくカイトは冷静になる事が出来た。

 カイトが落ち着いたことを悟ると、杉下は黒井に向き直る。

 

「大変お見苦しいところをお見せしました。部下に変わり謝罪いたします。」

 

「ふん!どうやらこれ以上話をしても無駄のようですな。どうぞお帰り下さい。」

 

「ではそうさせていただきます。ですが最後に一つだけ、僕の私見について述べさせていただきます。芸能人の根幹にあるのは見る人を楽しませたいという思いです。自分たちの芸で笑顔にしたい。自分たちの歌で感動してほしい。その思いがあるからこそ、彼らは芸を磨き、優れたパフォーマンスができるのです。

 黒井社長、あなたが行ったことは人を楽しませるという事の対極にあります。仮にも芸能プロダクションの門を構える者がそれに気づいていないのは大変残念なことです。

 そして何より、人の尊厳を踏みにじり、心を傷つける行為の言い訳に覚悟などと聞こえのいい言葉を使うのはやめなさい。大変不愉快です!行きましょうカイト君。」

 

 そう捲し立てると杉下は身を翻し足早に出口へと向かっていった。カイトもその後につづく。特命係が部屋を出ていくまでの間、黒井が二人に声をかけることは遂になかった。

 

 

 

 

 

 

 その日の晩、杉下とカイトの二人は花の里を訪れていた。店に入り椅子に座るとカイトは大きく息を吐いた。

 

「幸子さん、今日はうまいもん食わせてください。なんか腹の虫がおさまらなくって。」

 

「あら、どうされたんですか?なんだかとっても嫌なことがあったみたいな顔をされてますけど。」

 

 店の女将である月本幸子が心配そうに問いかける。それに対しカイトは苦笑いで答えた。

 

「嫌な事じゃなくって嫌な人にあったんですよ。それも、人生でトップスリーに入るレベルの。」

 

 そう言うと、カイトは目の前に出されたビールを一気に煽った。カイトがこうした乱雑な飲み方をするのは珍しい。しかし、カイトが荒れている原因を知っているためか杉下は何も言わず、自分の分の日本酒に口を付けている。案外杉下も黒井の件に腹に据えかねてるのかもしれない。

 暫くの間、二人は無言で酒を飲むだけだったが幸子が料理を運んできたのを見計らってカイトが口を開く。

 

「でもやっぱり如月千早の記事の事は本当の事みたいですね。黒井社長だけならともかく、765プロの事務員の人の態度を合わせてみると真実味がありますから。」

 

「確かに、渋澤さんが亡くなったのはあの記事が掲載された後ですからねえ。四条さんの記事よりも、如月さんの記事の方が事件のきっかけになった可能性があるでしょう。」

 

「とするなら、動機があるのは如月千早とその関係者…」

 

「あるいは765プロ関係者と言ったところでしょう。」

 

 そのような話をしていると、端で話を聞いていた幸子が会話に加わってきた。

 

「如月千早って…もしかして、今追っている事件にあの如月千早ちゃんが関わっているんですか?」

 

「おや、幸子さんは彼女の事をご存じなんですか?」

 

「当然ですよ。今の芸能界じゃトップクラスの歌唱力を持ったアイドルだって有名なんですから。私もiPodに曲を入れてます。」

 

 そう言うと幸子は自慢げに自身のiPodを取り出した。

 

「なるほどそうでしたか。もしよろしければ少し彼女の曲を聞かせていただいてもいいですか?」

 

「ええ、もちろん。」

 

 杉下は幸子からiPodを受け取ると、イヤホンを耳に差し曲を流し始めた。

 

「………なるほど、確かにいい曲ですねえ。この曲のタイトルは何というのですか?」

 

「これは『眠り姫』っていう曲なんです。個人的なおすすめはこの曲と『青い鳥』ですね。」

 

「そちらの方も後で聞かせていただいてよろしいですか?」

 

「それなら暫くそれを貸しときますんで、ごゆっくり楽しんでください。」

 

 そう言うと、幸子は次の料理の準備のために奥へ引っ込んでしまった。杉下の方は目を瞑り、本格的に音楽を楽しむ態勢に入ったようだ。手持無沙汰になったカイトは自身のスマホを手に取る。今夜は花の里で夕食を取ろうと、彼女にメールをするために……。



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歌姫の守り人 5

「あ、あの、それは一体どういうことですか部長?」

 

 警視庁の一室、そこで伊丹は戸惑ったように机越しに椅子に座った内村刑事部長に問いかける。それに対し内村は不機嫌そうに眉をひそめた。

 

「聞いていなかったのか?四条貴音に対しての捜査はこれ以上必要ない。今後は容疑者を切り替え捜査を続行しろと言っているんだ。」

 

「捜査を続行するのは当然です。ですが、なぜこのタイミングで四条貴音を容疑者から外さなきゃならないんですか?彼女にはアリバイがないんですよ。」

 

「彼女のアリバイは既に立証されている。これは捜査本部とは別筋で得られたものだが信頼できる。よって、四条貴音を捜査対象から外すことには何の問題もない。」

 

「はあ!?いったい何なんですか、そのアリバイってのは!」

 

「それに付いては高度な政治的事情があるため話せん。いわゆる、トップシークレットというやつだ。」

 

 今度こそ伊丹は開いた口がふさがらなかった。

 このようなことは初めてではない。過去に捜査対象者を巡って警察組織に圧力がかかることはたびたびあった。しかし、そう言った場合の対象者とは大抵は大物政治家だったり超法的立ち位置にいる人物がほとんどで、間違っても人気アイドルなどという人物はいない。

 そうなると、問題の対象は四条貴音個人ではなく、彼女の実家が関わってきているのではないかと伊丹は思い至った。

 

「こらっ!伊丹ッ!返事はどうした!」

 

 伊丹が言葉を返せないでいる様子を、内村の指示を不服としていると受け取ったのか、内村の横に控える中園が叱責する。

 

「す、すみません。しかし…」

 

「まあ、お前が不満を覚えるのも分からないでもない。だが、今回の事件に四条が関わっていないのは確定した事実だ。これ以上あそこと係るのは、今後の捜査にも影響が出る。」

 

「……やはり、四条貴音の実家に何かあるんですね?」

 

「それについてはトップシークレットだ。」

 

 結局部長からは色よい返答が得られないまま、伊丹は部屋を出るほかなかった。

 

 

 伊丹が内村たちの部屋を出て、捜査本部に帰るまでの道すがら脳内で事件についての情報を整理していた。

 現場検証を行った鑑識からの報告によると、傷痕の角度や深さなどから察するに被害者は転んだのではなく、別の人物から押し倒されたか投げ飛ばされた可能性が高いという結果が出た。これで殺人、あるいは傷害致死事件として捜査を進めて間違いはないわけだ。

 問題となるのは被害者が柔道の経験者で黒帯の所持者という事実だ。いくら酒に酔っていたとはいえ、素人が黒帯所持者を押し倒したり、投げ飛ばすのはかなり厳しいと言わざるを得ない。となると、犯人もまた何かしらの格闘技を経験していた可能性が高いと考えられるのだが、最近まで渋澤と関わりのあった人物で格闘技経験のある者はいない。

 そんな中、捜査線上に浮かび上がってきたのは四条貴音だ。彼女が渋澤を警察署前で綺麗な一本背負いを決めた様子は全国で放送されていた。過去にゴシップを報じられていたという動機も存在する。だからこそ四条貴音を有力な容疑者として追ったのだが、結果はこのざまである。

 

「…こりゃ聞き込みからやり直す必要があるかもしれねえなあ。」

 

 一瞬頭の中に特命係係を頼るという選択肢が現れたが、すぐさまそれを打ち消す。あくまでもこのヤマは捜査一課の扱うべきもの。安易に特命を頼るのは一課の沽券にかかわる。

 そう自分を戒め、捜査本部への道を再び歩き出す伊丹の前に駆け寄ってくる人物がいる。後輩の芹沢だ。 

 

「先輩、例の渋澤の記事を掲載した出版社で面白い証言が取れました。」

 

「……なんだ?」

 

 話が周りに聞かれないように芹沢が口元を隠し、小声でその情報を伊丹に伝えると伊丹の表情が一変する。

 

「そりゃ本当か!?」

 

「ええ、裏も取ってあります。」

 

 芹沢が確信を持った表情で頷くと、伊丹は顔をにやけさせる。

 

「そうかあ…よし、すぐに対象に話を聞きに行くぞ。場合によっては引っ張ってくる必要があるなあ。」

 

 悪人面でそう呟く伊丹は警察というよりも、どこぞの秘密結社の大幹部に近い雰囲気をまとっていた。いずれにせよ、警視庁捜査一課もまた特命係とは違う糸口から事件の真相にたどり着こうとしていた。

 

 

 

 

 一方当の特命係の二人はというと、再び765プロのもとを訪れていた。今日も高木社長とプロデューサーは不在であったが、事務員からプロデューサーはすぐに戻ってくると聞き、二人はお茶を飲みつつプロデューサーの帰りを待っていた。

 約20分ほど応接間で待機していると、慌てた様子でプロデューサーが姿を現した。

 

「すいません。お待たせしたみたいで。」

 

「いえ、こちらこそ突然お邪魔したもので。お仕事にご迷惑をおかけしませんでしたか?」

 

「いえ。定例ライブは明日なんで自分やることは最後の確認位ですから。後はアイドル達のことを信じるしかありません。」

 

 そう話すうちに息を落ち着かせると、プロデューサーは真剣な面持ちとなって二人に相対する。

 

「それで、今日はいったいどのようなご用でしょうか?まさか、まだ貴音の事を疑っているんですか?」

 

「本日は如月千早さんのことについてお話を聞きに来ました。彼女はまだ休養中ですか?」

 

「ええまあ。というより今度は千早なんですね…」

 

 プロデューサーは露骨に眉を潜ませ渋面を作る。連日にわたって自社のアイドルを容疑者扱いされれば致し方ないが、ここは捜査の一環として割り切ってもらうほかない。警察の捜査には市民の協力が不可欠なのだ。

 

「申し訳ありません、お手間をおかけします。それにしても、さすが新世代の歌姫と言われるだけはありますねえ。」

 

「え?」

 

「如月さんの事です。先日、知人から彼女の曲を聞かせてもらいました。歌の技術はもちろんのこと、歌詞に込められた思いが歌声に乗せられていて、実に素晴らしいものでした。」

 

「はあ、ありがとうございます…」

 

 唐突に所属アイドルの事を誉められプロデューサーは困惑した様子だったが、僅かに口元が上を向いているのが見て取れた。

 

「しかしながら、一点どうしても気になる事があります。」

 

「…いったい何ですか?」

 

「如月さんの歌は曲によって乗せられている感情に大きな差がありました。彼女が得意としていたのは『蒼い鳥』といったバラード系の曲。一方、アップテンポな明るい曲となると、どうしても曲にうまく感情を乗せきれていない印象を受けました。」

 

「………」

 

「すると、次のような推測が生まれました。如月千早の歌に対する思いは本物である。しかし、それは歌うことが楽しいといったような好意的な感情ではなく、自分は歌わなければ価値がないといった、ひどく閉鎖的な感情からくるものではないかと。そのため彼女は明るく楽しい歌に感情を込めることを苦手にしているのではないかと。」

 

「刑事さん、それがいったい事件の捜査と一体何の関係があるっていうんですか。」

 

 プロデューサーの声には明らかに苛立ちが混じっていた。しかし、杉下は表情を一切動かさない。

 

「今回の事件の発端には、被害者が掲載に関わった記事が影響しているのではないかと僕は考えています。あの記事の影響を最も受けたのは間違いなく如月さん本人です。事実、彼女は今も休養を続けている。如月さんの内面に迫る事こそ事件の解決の糸口になると我々は考えています。」

 

 杉下の言葉は本心であり、そのことをプロデューサーに伝えようとしているのが見て取れた。

 プロデューサーは苦しげに顔を歪めている。彼の胸中を思うと悩むのも仕方がない。最悪の場合、今度は千早が事件の容疑者とみられる恐れがある。だからと言ってこの問題を放置すれば、千早の心にまた新たな傷を作るかもしれない。彼の心の中では二つの思いが激しく拮抗していた。

 やがてプロデューサーはゆっくりと視線を上げると、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

「…初めて千早と会った時、あいつはこう言ったんです。自分には歌しかないって…」

 

「歌しかない?」

 

「最近になってようやくその意味が分かりました。あいつが歌を歌うのは亡くなった弟さんが千早の歌が好きだったからなんです。もしかすると、あいつにとって歌というのは死んだ弟との繋がりなのかもしれません。」

 

「確かに死んだ人の事を思いながら楽しく歌を歌うなんて、難しいことですからね…」

 

 カイトが納得したように頷く。

 楽しそうに歌を歌えない。それはアイドルにとって致命的な弱点になりかねないものだ。しかし、そのような欠点がありながらも国内きっての歌姫と称されるのだから、如月千早の歌唱力は本物なのだろう。

 

「…千早さんの現在どのような様子でしょうか?」

 

「家に閉じこもったまま出てきません。千早にとって家族のことに触れられるのはそれだけショックなことだったんです。自分やほかのアイドル達も千早を励まそうとしているんですが…」

 

 うなだれたように視線を下げるプロデューサーの様子から結果は芳しいものではないことが窺いしれる。ただ杉下はプロデューサーだけでなく、ほかの所属アイドルも如月千早を励まそうとしていることに食いついた。

 

「やはり、ほかのアイドルの方も如月さんの事が気になっておられるんですか?」

 

「そりゃそうですよ。うちの事務所は人が少ないんですけど、その分個人個人の繋がりはかなり強いんです。だからこそ、このような手段で千早を傷つけたことを内心ではかなり憤っているはずです。」

 

「それは、あなた自身も同様なのでしょうか?」

 

 杉下の問いを受けプロデューサーは顔を上げる。その表情は柔和な顔立ちにひどく不釣り合いな厳しいものだった。

 

「はい、そうですね。殺してやりたいって気持ちが理解できるくらいには…」

 

 

 

 

 

 

 事務所から出て階段を降りると、杉下は見送りに来たプロデューサーに対して深々と頭を下げた。

 

「お忙しい中お付き合いいただき本当にありがとうございます。いずれまた、お話を聞きに来ることがあるかもしれませんので、その時はどうぞよろしくお願いします。」

 

「かまいませんよ。私も事件が無事解決されることを願っていますので。それでは、失礼します。」

 

 プロデューサーは頭を下げると事務所へと戻っていった。その後姿を見送ったのち、カイトは杉下に話しかける。その際、僅かに周りの様子を気にする素振りを見せた。

 

「さて、この後はどうしますか?」 

 

「一度、如月千早さんに会っておく必要があるでしょう。幸い彼女の住所を知ることが出来たので、今すぐ向かってみます。」

 

「ですね。じゃ、行きましょうか。」

 

 そう言って二人は徒歩で事務所から遠ざかっていく。そんな二人の様子をうかがう人影が一つ。人影は二人に見つからないようにしながら特命係の後を追った。特命係がそれに気づいている様子はない。

 そのまましばらく人影は特命の後を追っていたが、ほどなく十字路に差し掛かり、特命係の二人はそこを左に曲がった。二人の姿が見えなくなったことに焦ったのか、人影は駆け足でその後に続いた。のだが、

 

「どうもはじめまして。不躾ですが、あなたがどこの誰だか教えていただけますか?」

 

 左に曲がった先では杉下とカイトが人影を待ち構えていた。

 

「あなた、この前俺たちが765プロの事務所に行った時もずっと俺たちの事を見ていましたよね。今日も似たような視線を感じたんで試しに如月千早の名前を出してみたんですけど…」

 

「どうやらうまくいったようですねえ。」

 

 二人は自分たちの跡を尾行している者がいることなど最初から知っていた。最初はスクープを狙っている記者かと思い適当に巻こうと思っていたのだが、一向に接触してくる気配がないのを不審に思い、不意を衝いて接触することにしたのだった。

 

「な、何なんだあなた達は!」

 

 不意を突いた効果は十分にあったらしく、二人の跡を付けて来た中年の男性は激しく動揺した様子だった。

 杉下は男の様子を観察する。男性の身長は標準的なものであり、体格はやせ形。体調があまりよくないのか、肌は白く、頬はこけ、目の下には大きな隈が出来ている。だが、着ている服は決して粗末なものではなく、使い古されてはいるものの、物自体はそこそこいいものを使っていることが窺えた。

 と、ここで杉下は男性の顔立ちにとある人物の面影を感じた。それはこの事件において中核を握っているかもしれない人物のものである。

 

「…もしやあなたは、如月千早さんのご家族ではないですか?」

 

 杉下たちは如月千早をじかに見たことはない。しかし、写真で見られた雰囲気、特に男性の耳や口元の形は如月千早の物とよく似ていたしていた。

 男性は杉下の問いに言葉を詰まらせる。それから杉下とカイトの顔を何度か見比べ、静かに首を縦に振った。

 それを受け、杉下は男性に場所を移動することを提案し、男性はそれを了承した。

 

 

 

「如月優介です。如月千早の…父親です。」

 

 近くの公園に移動した三人は互いに自己紹介を行い、杉下たちは自分たちの身分を明かした。杉下たちが警察であることを知って優介は驚いた様子であったが、現在杉下たちが追っている事件の話をすると納得した様子を見せた。

 まずは最初にカイトが優介の行動について質問する。

 

「如月さん、あなたは以前もあそこで765プロを見張るようなことをしていましたけど、あなたはいったい何をしていたんですか?」

 

「はあ…実は娘があそこに来るんじゃないかと思って待ってたんです…娘がどこに住んでいるのか知らないものでして…」

 

「如月さんは離婚されていたんでしたね。娘さんとは普段会ったりしなかったんですか?」

 

「妻と離婚し、親権が妻に移ってからは一度も…娘自身も私のことを避けていたようでしたので…」

 

 優介は自嘲気味に笑ってみせる。あの記事に書いてあったように家族関係はあまり芳しいものではないようだ。

 

「離婚の原因はやっぱり息子さん、如月優君の事故だったんですか?」

 

 その質問を受け、優介は顔を伏せる。その表情には悲壮感がありありと浮かんでいた。

 

「あの事故から、私たち家族は変わってしまった…妻は子供たちから目を離してしまった自分の責任だと己を責め、娘は自分が何もできなかったせいで優が死んだと思い込んでしまったんです。私はそんなことはない、あれは不幸の事故だと二人に言い聞かせたんですが、あまり意味はありませんでした。

 それまで日が差したように明るかった家が、拭い去り様のない影を背負ってしまたようになってしまった…

 私はもう一度あの明るい家を取り戻したくて、いつまでも優の死にとらわれてはいけない、前を向いて生きようと二人に言いました!

 そしたら、お父さんは優の事を忘れてもいいの、って言われて…その後は口論ばかりでした…娘の前でも随分口汚く罵り合ったものです。私だって優の事を忘れたことなんて一度もなかったのに…気づいたら修復できない溝が出来ていた…本当に、あの事故さえなければ…」

 

 そう言って項垂れる優介にカイトは掛けるべき言葉を見つけれずにいた。どこにでもある、ありふれた事故。明日にでも自分や周りの人の身に起きても不思議ではない事故によって、この男性は大切なものをいくつも失ってしまった。そんな彼に、今の自分が声をかけていいのだろうか?カイトは答えを出せないでいた。

 

「…事務所の前で娘さんを待っていたのは、例の記事の事で心配だったからでしょうか?」

 

「…はい。どうしても気になってしまって…娘の携帯の番号は知っているんですが、繋がらないんです。出来る事なら、これを機会にアイドル活動をやめさせようと思っています。」

 

「えっ!娘さんに芸能界を引退させるんですか?」

 

「千早が歌を歌うのは優への鎮魂、いや、贖罪なんです。あの事故からもう7年もたつんだ。いい加減、千早も妻も事故の呪縛から解かれていいはずです!」

 

 優介の叫びは悲痛だった。その様子から彼が今でもバラバラになってしまった家族の事を思っていることが窺いしれる。アイドル活動を辞めさせようとするのも娘への愛情からくるものだろう。それは他の家族も同様なのかもしれない。母と娘は死んだ弟の事を思い、父は家族のこれからを思った。皆が皆、家族を愛してたがゆえに離散せざるおえなかった。何とも皮肉な運命の悪戯だろうか…

 とその時、杉下とカイトは背後から近付いてくる人の気配を感じ、後ろを振り向いた。

 

「なんで特命係は我々の行く先々に現れるんですかねえ~警部殿?」

 

「これはどうも伊丹さん、芹沢さん。我々と捜査一課は同じ事件を捜査していますので、捜査範囲が被ってしまうことは仕方がないことかもしれません。」

 

「できれば被らないようにしてほしいんですがねえ。」

 

 そうやって一通り特命係を睨み付けたのち、伊丹と芹沢は状況がよくわからず困惑している優介の方を向きなおった。

 

「如月優介さんですね。我々も警察なんですが少しお話を伺ってもよろしいですか?」

 

「…なんですか?」

 

「あなた先日、如月千早、あなたの娘さんのスキャンダルを掲載した雑誌の出版社を訪れてますね。それは間違いないですか?」

 

「そ、それは…」

 

 途端に優介は顔色を失う。眼は所在なさげに泳ぎ、額にはじんわりと汗がにじんでいる。いったい何がこれほどまでに彼を動揺させているのだろうか?

 

「出版社の方の話によると、随分お怒りだったそうじゃないですか。担当者を呼んでこいだとか、この記事を書いた記者を出せとか。結構乱暴な言葉を使ってたみたいですね。」

 

「最後は警備員を呼ばれて、出版社を後にしたみたいですね。その際、殺してやるってあなたが言ってたのを複数の従業員が聞いてますよ。」

 

「…くっ!そ、その時は頭に血が上ってて…だって仕方がないじゃないですか!人の家庭の事をあんな風に掻き立てられて冷静でいられるわけが…」

 

「まあ落ち着いてください。あなたのお気持ちも十分理解できますよ。ところで一昨日の夜10時ごろ、あなたがどこで何をしていたか教えていただいてよろしいですか?」

 

「私の事を疑っているんですか!」

 

「関係者には全員聞いて居る事なんでいちいち声を荒げないででください。それに、アリバイが証明できれば我々もあなたの事を疑いませんので。」

 

「……一昨日の夜は自分の家にいました。」

 

「それを証明できる人は?」

 

「いません。今は一人暮らしなので…」

 

「そうですか…如月さん、一応あなたの指紋と毛髪を採取させていただいてもよろしいですか?鑑識に回しますので。」

 

「……どうぞお好きにしてください。」

 

 投げやりな様子ながらも優介は伊丹たちに同意した。優介から指紋と毛髪を採取し終わると伊丹たちは満足げにその場を後にした。

 

「じゃあ、私はこれで。」

 

 優介もまた、特命係に頭を下げると足早にその場を後にした。そして公園には特命係以外誰もいなくなった。

 

「…なんか思ってた以上に複雑ですね。」

 

「ええ。もしかすると、僕たちは大きな見落としをしていたかもしれません。」

 

「見落としですか?」

 

「僕たちは当初、如月千早さんの家庭問題について報じたあの記事が事件の発端になったのではないかとみていました。しかし、プロデューサーさんの証言や如月優介さんの話によると、記事に書かれていた如月優君の死は、当事者たちにとっては今も影を落とし、影響を与え続けていることがわかりました。もしかすると、本当の事件の発端は7年前の事故にあるのかもしれません。」

 

「となると、事故について調べてみる必要がありますね。」

 

 そうと決まれば善は急げ。杉下とカイトは一路本庁を目指し歩き始めた。

 

 

 

 

 警視庁へと戻ってきた特命係は、すぐに7年前の事故に関する資料を集め、特命係の部屋にある机に広げた。今は杉下が当時の鑑識の報告を、カイトが事故の裁判記録を読み始めたところだ。

 

「よっ!暇……じゃないみたいだな。」

 

 そんなことを言って部屋に入ってきたのは生活安全課の角田課長である。角田は特命係が熱心に資料を読み込んでいるのを見やると、勝手に部屋にあったコーヒーカップに注ぎそれを飲み始めた。

 

「そういえばあんたたち、765プロを調べているらしいじゃない。どう?アイドルには会えたかい?」

 

「ああ、まあ一応一人だけには会えました。なんかライブ前で忙しそうでしたけど。」

 

「ほんと!いったいどの子?」

 

「ええと、確か四条貴音って子でしたよね、杉下さん?」

 

「ええ、確かに四条さんで間違いありません。」

 

 杉下がカイトの答えを肯定すると、角田は興奮したように声を上げる。

 

「ウソっ!貴音ちゃんと!いいなぁ、それ。なあ、もしまた会う機会があったらさ、サインもらってきてくれないかなあ?子供が喜ぶんだよ。」

 

「そんな事したら、また上からどやされますよ。捜査中に何してんだって。マスコミなんかにすっぱ抜かれたら最悪ですよ。」

 

 そう角田をあしらいながらカイトは資料に目を戻す。次の瞬間、カイトは資料のある一転を見つめ動きを止めた。

 

「ん?どうしたの?」

 

 カイトのただならぬ様子に不安になったのか角田が声をかける。だがカイトはその問いを無視すると、角田を押しのけながら杉下に近づく。

 

「ちょっと何すんだよ!」

 

「杉下さん。これを見てください!」

 

「はい?………これは!」

 

「あの人も7年前の事件の関係者だったんです。でもそうすると、なんであの人があそこにいたのか…」

 

「それは確かに気になります。しかし、この人を調べてみなければいけないのは明白です。7年前の事件の関係者であり、彼女の近くにいたのですから。」

 

 杉下は確信に満ちた表情で頷く。事件の真相に触れたという確信に…

 

「何?いったい何がどうしたっていうんだ?」

 

 ただ一人、角田だけが頭に?マークを浮かべていた。



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歌姫の守り人 6

 警視庁の鑑識室、そこで伊丹と芹沢の二人は手ぐすねを引いて如月優介と現場に残されていた遺留品の照合結果を待っていた。ほどなく、鑑定書と思われる書類を持った米沢が現れる。

 

「結果が出ました。」

 

「おう、それでどうだった?」

 

「現場に残されていた遺留品、および被害者の衣服に付着していた指紋とDNAを照合してみましたが、伊丹刑事が持ってきたものと合致するものはありませんでした。」

 

「なんだと?つまり、如月優介は犯人じゃないってわけか?」

 

「その可能性が高いかと思われます。」

 

「くそっ、はずれだったかあ…」

 

 伊丹は額に手をやり天井を仰ぐ。ここまで有力な容疑者とみた二人の人物がいずれも事件と関係ない可能性が指摘され、伊丹としても頭を抱えざるを得ない状況へとなっている。これはいよいよ特命係の力を無ければ利用しなければならないかもしれない。そんな考えが伊丹の脳裏をよぎる。

 すると不意に芹沢の携帯に着信を知らせる音楽が流れ始めた。芹沢は伊丹に断りを入れ電話に出る。

 

「はい、こちら芹沢。ああ、なんだカイトか。いったいどうしたんだよ……え?765プロの定例ライブをやってる会場に来てくれ?なんで?……はあっ!?そこに犯人がいるだって!?」

 

 思わず叫んでしまった芹沢の声を聞きつけ、伊丹は芹沢の手から携帯を奪い取る。

 

「おいカイト、そりゃあいったいどういう事だ?」

 

 不機嫌そうな声で電話口に話しかける伊丹。その表情はカイトからの返答を聞くうちにますます不機嫌さの色を濃くしていく。それを見た米沢はとばっちりを受けないうちにすごすごとその場を後にする。とりあえず今は萩原雪歩の動画でも見て、心穏やかな時を過ごそうと思う米沢なのだった。

 

 

 

 

 ステージの袖からステージ上のアイドルを見つめるプロデューサーの面持は普段以上に真剣なものである。

 ライブの前はいつも緊張する。アイドル達の体調は大丈夫だろうか?お客さんの入りは?機械にトラブルはないだろうか?初めてのライブの時から今日までの間、彼はライブのたびにそう言った不安に駆られる。

 それでも、今日ほど独特の緊張感に包まれたライブは記憶にない。おそらく今日のライブは生涯忘れられないものになるだろう、という予感がしていた。

 するとそんな彼の肩をたたく者がいた。

 

「よっ!どうしたんだいプロデューサー君。そんな顔してるとアイドルの子たちが怖がっちゃうよ。」

 

「大木さん…」

 

 プロデューサーに声をかけたのは会場の設営スタッフである大木だ。彼とは初めてライブを行った時に知り合った仲であり、定例ライブのたびに顔を合わせる馴染めでもある。

 

「君が緊張するのも分からないでもないさ。でも、こういった時こそ君がどっしり構えて彼女たちを安心させるべきだよ。」

 

 そう言って大木は指で後ろを示す。それに釣られ、プロデューサーはステージから目を離し後ろを振り向くと、そこには階段に腰を下ろし何やら話し合っている二人の少女の姿があった。頭にリボンを付けている少女が765プロの所属アイドルである天海春香。もう一人はここ最近渦中の人物となっている如月千早だ。彼女は今日、アイドル活動を再開させる。ここに至るまでにどれ程の葛藤があったのだろうか?とても想像できたものではないが、それでも千早は会場に来てくれた。

 絶対にこのライブは成功させなければならない。そんな思いがプロデューサーの顔を自然と強張らせていたのだろう。

 プロデューサーは自分の頬をパチンッと叩くと大木に向かって笑ってみせる。

 

「大木さん、これで大丈夫ですか?」

 

「おう。そっちの方が君らしいよ、プロデューサー君。」

 

大木はそう言って笑みを返した。そうだ、今ここで彼女たちの事を気にもんでも仕方がない。今自分がやるべきことはいい状態で彼女たちをライブに送り出してやること。そして帰ってきた彼女たちを思いっきり誉めてやることだ。

 

「お忙しいところ失礼します。」

 

 唐突に聞こえてきた声がプロデューサーの思考を遮った。声のした方に首を向けると、ここ数日ですっかり見慣れてしまった二人組がいる。

 

「どうもこんにちわ。事件の真相が分かったのでご報告に来ました。」

 

 穏やかな口調で二人組の片割れである初老の紳士が言う。だが、その物腰と相反するが如く、プロデューサーたちを見る目は獲物をしとめにかかる猟犬の鋭さを帯びていた。

 

 

 

 

 

「すべての始まりは7年前の交通事故でした。この事故の被害者は当時5歳であった如月優君。事故直後、優君にはまだ僅かに息があったそうですが病院に運ばれて約一時間後に死亡。実際のところ、手の施しようがなかったそうです。この事故をきっかけに如月さんの家庭内に不和が生じ、結果的に家族が離散することになりました。

 しかし、これは事故の一側面でしかありません。今回の事件の発端にはもう一つの事実が大きく関わっています。

 事故の原因は優君が突然車道に飛び出してしまったことでした。これは複数の目撃証言や現場のブレーキ痕の状況から裁判所が判断したものです。人身事故で人を死なせてしまった以上お咎めなしというわけにはいきませんが、事故の直接の原因、運転手の前科、そして事故後の反省した態度を総合的に判断し裁判所は執行猶予を付けた判決を加害者に言い渡しています。

 そうですね!大木 大二郎さん!」

 

 杉下が張りのある声を投げかけた先には反論するどころか、何一つ物言わぬまま虚空を見つめる大木がいた。彼の視線の先にあるのは、休憩時間になり誰もいなくなった舞台だけである。

 

「少々あなたについて調べさせていただきました。事故後あなたは人を轢き殺してしまったにも拘らず、このような軽い判決を受けてしまい遺族の方に申し訳ないといったことを漏らしています。事実あなたは、損害賠償とは別に毎月3万円を謝罪の手紙と共に如月さんに送っていたそうですね。この事から推察するに、あなたの中では今でもあの事故の事が尾を引いているのでわないでしょう。そんな時に事故の事を掘り起こす記事を書かれ、心中穏やかにはいられなかったのではないでしょうか?」尾を引いているのでわ→尾を引いているのでは

 

「刑事さんちょっと待ってください。それだけで大木さんを疑うのはあまりにも横暴です。第一、大木さんが犯人だっていう証拠は…」

 

 大木を擁護する発言をするのはプロデューサーだ。刑事から示された衝撃の事実によって彼は非常に混乱していたが杉下の推理を必死に否定しようとした。大木が殺人を犯したとはとても信じられない、いや、信じたくなかった。

 プロデューサーと会場スタッフと言う立場に違いがあれど、下積みのころから裏方としてアイドルを共に支えてきたことで大木に対してはある種の仲間意識を抱いている。戦友ともいえる間柄だ。

 大木は日頃から真面目に仕事に向き合っており、アイドルと直接面識を得ることはなくとも、見守るような視線をアイドル達に向けていることをプロデューサーは知っている。

 そんな彼が、交通事故はまだしも殺人を犯すなど、とてもすぐに信じられるものでは無かった。

 しかし、杉下は淡々と事実を積み重ねていく。

 

「事件現場には犯人のものと思われる765プロのロゴが入ったタオルが落されていました。このタオルは初めてのライブを記念して製作されたものだそうですねえ。このタオルが配られたのは765プロの関係者、その中には普段からライブの設営に関わっている大木さんの会社も含まれています。」

 

「で、でも、それが大木さんのものだとは…」

 

「おそらくこのタオルは犯人が渋澤さんともみ合いになった際に落としたものでしょう。タオルに染みついた汗を解析すれば、そこから犯人のDNAも採取することが出来ます。そうすれば、これが誰の物であるかも…」

 

「そんな事をする必要はありませんよ、刑事さん。」

 

 杉下の言葉を遮ったのは、それまで黙って杉下の話を聞いていた大木だ。

 

「お、大木さん…いったい何を…」

 

「もういいんだ、プロデューサー君。すべて自分でまいた種だ。最後くらい、自分で終わらせなくちゃなあ。」

 

 大木は杉下たちに向き直ると、深々と礼をする。その顔には、憑き物が落ちたように仄かな安堵の色が見えた。

 

「お手数をおかけして申し訳ありません。私が…あの男性を死なせました…」

 

「……原因はあの記事の内容ですね。」

 

「ええ、そうです。あの記事だけは…あの内容だけは、どうしても許せませんでした…」

 

 

 

 

 どうすれば私の罪は償えるのだろう………

 この7年間、その事ばかりを考えて生きてきました。

 一人の命を奪った私に下された判決は禁固1年6か月、執行猶予3年。裁判の中で私が深い反省を示し、被害者側にも一定の落ち度があったことが認められたものでした。

 だけど、本当にこれでよかったんでしょうか………人の命を奪った罰がたった1年と半年拘置されるだけで許される。それも執行猶予つきで…賠償金も保険が下りたので払えない額ではありませんでした。如月優君は二度と戻ってこないというのに…

 思えば判決の日からでした。私の心に言いようのない焦燥感と罪悪感が住み始めたのは…

 

 どうしても判決の内容が私の中で整理できず、私は毎月見舞金と共に謝罪の手紙を如月さんに送り続けました。こうすることが残された家族への贖罪になると信じて。あるいは、自分の心に巣食った罪悪感を少しでも薄れさせようとしていたのかもしれません。

 けれど事故から3年が経ったある日、優君のお父さんが私を呼び出してこう言ったんです。

 

『もう、見舞金も、謝罪の手紙もいらない…』

 

 一瞬何を言っているのかがわかりませんでした。次に思い浮かんだのは、手紙の内容に不備があったのか事でしたが、優君のお父さんは顔を蒼くする私を諭すようにこう言ったんです。

 

『この三年間で君がどれほど、あの事故を後悔しているかは今までの手紙を読んで十分に伝わった。私たちは君から受け取ったお金に手を付けていない。すべて、交通事故削減に取り組む団体に寄付したんだ。もう三年も経つんだ。そろそろ事故の事は終わらせよう。』

 

 本当にそれでいいんですか。私はその言葉が口から出ないようにするのに必死で俯くことしかできませんでした。その様子を見て何を思ったのか、優君のお父さんは私の肩にそっと手を置いたんです。

 

『君も辛かっただろう。これからはお互いに前を向いて生きていこう。天国の優もそれを望んでいるはずだ。』

 

 やめてください。なんであなたがそんなことを言うんですか。私はあなたの息子を殺してしまったんですよ…

 

 

 

 

 傍目から見れば、感動的な光景だったかもしれません。加害者が必死に罪を償い、被害者の家族が罪を許すというのは映画のワンシーンにも見えたことでしょう。けれど、私の心は暗澹としたものでした。本当にこれでよかったのか?私の罪は許されたのか?そんな疑問を常に心に宿し生きてきました。

 

 そんなある日です。当時勤めていた会社の帰りに上司に誘われ、とあるライブバーを訪れたのは。そこで私は如月千早に出会いました。

 信じられませんでした。けれど、見間違えようもない。あの事故で私が轢いてしまった少年の傍らをじっと離れず寄り添っていた女の子がそこにいました。家に帰ってすぐに調べてみると、千早ちゃんは765プロの所属アイドルとしてアイドル活動を始めた駆け出しのアイドルであることが分かりました。その瞬間、私の脳裏に天啓のような物が下りてきました。

 この子の手助けをしよう。どのような事情があって彼女がアイドルになろうとしたのかはわかりませんでしたが、少しでも彼女のアイドル活動の手助けをしたいと思ったんです。だから私は誓いました。千早ちゃんを見守り、それを私の償いにしようと…

 

 私はすぐ765プロの高木社長のもとを訪れ、私の身の上についてすべてを離した上で765プロで雇ってもらえないかと頼みました。どんな仕事であれ、ほんの少しでも千早ちゃんの助けになる仕事がしたかったんです。

 高木社長は当初は驚いた様子でしたが真剣に私の話を聞いていただき、私が話を終えると熟考の末に申し訳なさそうに私の申し出を断りました。なんでもつい最近、新たにプロデューサーを雇ったため他の人材を雇う余裕がないとのことでした。その代わり、高木社長の伝手でライブの設営を請け負っている会社を紹介してまらえました。

 そこでの仕事は充実してました。765プロのライブのたびに千早ちゃんの姿を目にすることが出来、本番で素晴らしい歌唱力を披露した際には、自分も千早ちゃんの手助けをしていることを実感出来ました。千早ちゃんが順調にステップアップしていっているのが自分の事のようにうれしく思え、そのたびに自身が犯した罪が灌がれていくような気がしたんです。

 

 あの記事が出たときは心臓を掴まれたような思いでした。記事の内容はまるで千早ちゃんのせいで優君が死んでしまったように書かれていたんです。私はこの時、体の奥底から湧き上がるどす黒い感情を抑える術を持っていませんでした。

 記事に添えられた明らかに盗撮されたものと分かる写真に気づいた時、私は誰がこのようなものを書いたのかを悟りました。以前プロデューサー君から最近怪しい記者がアイドルの周りをうろついているという話は聞いていましたし、劇場の近くで何度か記者風の怪しい男の姿を見かけてましたから。そして何より、961プロが765プロにちょっかいをかけているという噂は、すでに業界ではかなり真実味のある噂として実しやかに囁かれていたんです。

 

 その日私は、仕事が終わるとその足で961プロの事務所ビルに向かいました。あの記者が961プロの差し金なら、必ず事務所を訪れているという確信があったんです。予想は当たりました。あの男が事務所ビルから出てくると、私はその後を追いました。どうやら男は帰宅途中だったようです。私は男が人気のない場所についたのを見計らって声を掛けました。

 

『ちょっと、あなた。少しいいですか?』

 

『ん?なんだい兄ちゃん?』

 

 男は帰宅途中で飼ったウイスキーを飲んだためか、赤くなった顔を振り向かせ、不審げに首を傾げました。

 私は男に掛けるべき言葉を用意していませんでした。だから、自分の胸中になる言葉をそのまま口に出したんです。

 

『あなたが如月さんの家庭の事を記事にしたんですよね?なんであんなことをしたんですか?』

 

『あん?記事にしたって……ああ、兄ちゃん如月千早のファンか。いやはや参ったねえ…』

 

 男は面倒くさい事になったとでも言うように苦笑を浮かべながら首の後ろを掻きました。それから憐れむような視線を私に向けて来たんです。

 

『言っとくけど、あの記事に書かれていることはあらかた真実だぜ。如月千早の弟が死んだのも、家庭が崩壊しているのもな。』

 

『真実って…だからって、あんなふうに掻き立てることは…』

 

『あの女は弟を見殺しにしたんだよ。要するに、立派な殺人者ってわけだ。』

 

『なっ!?』

 

 言葉を失った。コノオトコハイマナントイッタ・・・

 

『かわいい顔して裏じゃ身内を見殺しにする残酷さを飼ってたわけだ。そう言ったのを明らかにするのが俺たちの仕事だからよ。』

 

 違う。優君を殺したのは私で、辛い思いをしたのはあの人たちだ・・・

 

『まっ、俺からアドバイスをするなら、あんな女のファンなんかはやめて、とっとと忘れることだな。大体、アイドルなんて消耗品だし…』

 

『黙れえええええええええええええええ!!』

 

 激高した私は男の襟首を掴み、詰め寄っていました。男は虚を突かれたようでしたが、すぐに振りほどこうと応戦してきました。

 

『このっ!テメエなにしやがるっ!』

 

『お前なんかにっ!お前なんかに何が分かるっ!』

 

 その時です、私と男の足が絡み合いバランスを崩し、私は男を押し倒す形で地面に倒れました。痛みに顔を歪ませながらなんとか立ち上がると、薄明かりの中赤い液体が地面に広がっているのが見えました。こと切れた男の目が光をなくし、じっと私の事を見据えていた。

 

 

 

 

「殺すつもりなんてなかったんです。殺すつもりは…」

 

 沈痛な面持ちでそう繰り返す大木に誰一人として言葉をかけてやれないでいた。するとそこに仏頂面を携えた伊丹と芹沢が現れ、大木に目をやる。

 

「警部殿、この人が?」

 

 吐き捨てるように質問をする伊丹に対し、杉下は首を縦に振って肯定を示す。

 

「伊丹さん、あとの事はよろしくお願いします。」

 

「……借りだとは思いませんからね。」

 

「ええ、それはもちろん。」

 

 いつもと変わらぬ様子の杉下に舌打ちをすると、伊丹は大木に手錠をかけ歩かせようとする。その時、

 

「待ってください!」

 

 突如、大きな声を上げたのはプロデューサーだった。彼は伊丹たちの前に進み出ると大きく頭を垂れた。

 

「お願いします!少しだけ大木さんを連れていくのを待ってくれませんか!」

 

「おい、あんたいったい何を…」

 

「この後、千早がステージに立つんです!だからせめて、それだけは見せてあげてください!」

 

 プロデューサーの申し出に大木は、はっと目を見開く。一方事情を知らない伊丹たちは困惑するばかりだ。すると、カイトがプロデューサーの横に立ち、彼に倣うように頭を下げた。

 

「俺からもお願いします、伊丹さん。5分だけでいいんで待ってもらってやってください。」

 

「……カイト、お前は自分が何を言っているのかわかっているのか?」

 

「わかってます。責任は俺が取ります。」

 

 カイトが決意を秘めた目で伊丹の事を見つめると、伊丹は盛大な溜息を吐いて後ろに控えるカイトの上司を見やった。

 

「って、お宅のところ若造が言ってますけど?」

 

「その責任は当然上司である僕も取らなくてはいけないでしょうねえ。もっとも、しょせん窓際部署の管理職ですから、事象に吊り合うだけの責任が取れるかは甚だ疑問ですねえ。」

 

「そうですか。だったら、取れるだけの責任は取ってくださいね。全く、最近カイトを見てると、どこぞの亀を思い出してしまいますよ。いったいどんな教育をしているんですかな?」

 

 杉下はその問いに柔らかな笑みを返すのみであった。

 

 

 

 

 ステージには一人の少女が立っている。その表情はどこか不安げだ。少女が不安げな表情を浮かべるように、会場にいるファンもまた心配そうに少女の姿を見つめている。杉下とカイトは観客席の最後方から大木の両脇を挟む形でその様子を眺めていた。その後ろにはプロデューサーが控えている。

 やがて会場にピアノの旋律が響く。少女は口を開き、自らの喉から言葉の旋律を紡ごうとする。しかし、言葉は音色を伴っていなかった。

 

「そんな…」

 

 カイトの口から零れた言葉は会場にいるすべての人の気持ちを代弁していたと言えるだろう。杉下ですら自分の顔が強張るのを感じられた。

 

「杉下さん…」

 

 カイトが助けを求めるように杉下の名前を呼ぶ。だが、たとえ杉下が全てを見通す知能を持ち合わせていたところで現状をどうすることもできなかったであろう。だが次の瞬間、会場に如月千早の物と違う歌声が響いた。

 ステージに目をやると、二つのリボンを頭に付けた少女が千早を支え、守るように寄り添い、歌詞を紡いでいる。

 それに続くようにステージ上に次々と少女たちが上がっていく。彼女らは皆、千早を励ますように優し気な笑みを浮かべ、千早が歌うべき歌を歌っている。千早が再び歌えるように。

 そして、如月千早はマイクを顔の前で持ち、口を開いた。

 

「やった!」

 

 それはプロデューサーの口から洩れたものであった。それと同時に、その場にいる皆の気持ちを代弁したものでもある。如月千早は心から嬉しそうに、笑顔で歌を歌っている。その歌声はカイトが今まで聞いた度の歌よりも心にしみわたるものだった。

 するとカイトの横で大木が急にしゃがみこんだ。慌ててカイトがその肩を持とうとするが、途中でそれを止めた。大木は声を押し殺して泣いていた。その顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたが、口に手を当て必死に声を押し殺している。

 大木だけではない。会場を見渡せば、同じ様に涙を流す人が大勢いた。皆、如月千早が再び歌声を取り戻せたことが嬉しくて仕方ないのだ。この会場にいるほとんどの人が千早が再び立ち上がることを願い、見守っていたのだろう。

 やがて曲が終わると会場内は万雷の拍手に埋め尽くされた。杉下とカイトもそれに倣い、惜しみない拍手をステージに送った。歌姫の帰還を祝福するために。



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彷徨えるサロメ 1

 ※注意
 今エピソードでは過激な描写や残酷な表現が含まれますのであらかじめ留意してご覧ください。
 尚、今回のクロス先の性質上、事件の結末を予想することが非常に容易ではありますが、感想のコメント等でその事を言及するのは原作を知らない読者にとってネタバレになるのでおやめください。


 

 あゝ あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。お前の脣は苦い味がする。血の味なのかい、これは?……いゝえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ。恋はにがい味がするとか……でも、それがどうしたのだい? どうしたといふのだい? あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたのだよ。

 

 O・ワイルド作 福田恒存訳 戯曲『サロメ』

 

 

  

 

 

 

 

 12月の寒空の下を一人の男が進んでいく。警視庁特命係の甲斐亨、通称カイトである。

 普段の彼は少々熱くなりやすいところはあるが基本的に温厚な性格をしており、正義感にもあふれた好青年である。

 しかしながら、今のカイトの表情は非常に苦々しい物であり、その足取りもどことなく苛ついているように足早なものになっている。

事実、彼の心中はとても穏やかざるものであった。

 

「ったく。なんでよりによってクリスマスに事件が起きるんだよ…」

 

 ついついそんな愚痴が口から零れる。

 そう、クリスマスである。例年日本ではキリストの誕生日というよりも毎年恒例、全国共通で行われるイベントとしての色を持つそれは、恋人を持つ者たちにとって1年の中でも最も重要な一日と言っても過言ではない。

 年上の彼女を持つカイトも例外ではなく、この日の為にプレゼントを用意し、人気の高級レストランを予約し、ホテルの一室を抑えていたのだ。

 それが全て、つい先ほど自宅を出ようとしたときに掛かってきた上司からの一本の電話によって水の泡となってしまった。

 ほんの一時間前までは胸を高鳴らせるアクセントとなっていたクリスマスソングや町の装飾さえも、今では忌々しく聞こえてしまう。

 とはいえ、事件が発生したならいかなる場合でも現場に駆け付けなければならないのが公務員、警察官の使命であり悲しい宿命。彼女にはあとで埋め合わせをすると謝り倒し、こうして現場までの道を急いでいるのである。現場がカイトたちの住むマンションから歩いていける位置にある事は不幸中の幸いと言ってよいだろう。

 

 そうして何とか心の整理をしつつ足早に進んでいた時である。カイトは自分の反対側から歩いてくる人影に気が付いた。人影は学校の制服の上から防寒着を着た少女である。白い肌と黒い長髪のコントラストと、手に持った少し大きめのバックが印象的な少女であった。

 すでに日が落ち切った時間を女の子が一人で歩いていることを除けば、これと言って怪しいところはない少女である。しかし、なぜだかカイトはこの少女の事が気にかかった。いうなれば刑事の勘というべきものが働いたと言ってよいだろう。現場に着く時間を気にしつつも、カイトは意を決して口を開いた。

 

「…ねえ、君。ちょっといいかな?」

 

「……はい?」

 

 突然声を掛けられた少女は暗い夜道である事もあってか、警戒心を隠すことなくカイトに返事をした。

 カイトは出来る限り少女を安心させるべく、柔らかな笑みを浮かべつつ警察手帳を見せながら少女に近づく。

 

「急に声を掛けたりしてごめんね。暗くなったのに女の子が一人で歩いてたのが気になってさ。」

 

「…警察の方ですか。」

 

 警察手帳を示しても少女の表情から警戒の色は拭えない。むしろより色濃くなったと言ってもよいだろう。

 

「うん。こんな時間に女の子が出歩いてるのが気になってね。君一人かな?」

 

「…はい。知り合いの家に居たら遅くなってしまって…」

 

 少女の言葉を聞きカイトは少し考え込む。今日がクリスマスである事を考えれば学生が友人の家に集まって遊ぶのは不自然ではない。時間を忘れるほどはしゃぎ、帰宅するのが遅くなることもあるだろう。

 しかし、カイトには目の前にいる少女が友人宅で遅くまで遊んでいたという事に不自然さを感じていた。少女はどちらかというと清楚と言える風貌をしており、受け答えも丁寧で家庭の躾けの良さを感じる。

 カイト自身もいい所のお坊ちゃんと言ってよい出自の為、少女の雰囲気と彼女が語る証言に違和感が感じられた。少なくとも、友人宅から帰宅するだけとはいえ、夜道を女の子一人で歩かせるというのは有り得ないと思える。

 

「…ねえ、もう少し話を聞いても」

 

 そう言って詳しく事情を聴こうとした矢先、カイトのポケットにある携帯がメールの着信を知らせるべく震えだした。慌てて確認すると送り主は彼の上司から。内容を要約すると、『まだ現場に着かないのですか?』と言ったものであった。

 小さく舌打ちをするとカイトは少女に向き直る。

 

「とにかく女の子が夜道を歩くのは危険だから誰かに迎えに来てもらった方がいいよ。特に家には絶対連絡をいれるようにしときなよ。」

 

「あ、はい。お気遣いありがとうございます。」

 

「じゃあ、気を付けて帰ってね。」

 

 そう言って別れを告げるとわずかに後ろ髪を引かれる思いをしつつ、カイトは現場に向け再び足早に去って行った。

 その様子をしばらく眺めていた少女もカイトの姿が見えなくなるとホッとした様子でその場を後にした。やがて、彼女の姿もまた闇の中に消えて行った。

 もしこの時、カイトが少女の事を気にかけ彼女の持つカバンの中身を確認していれば、この後の展開は大きく変わっていただろう。

 それが果たしてこの事件を救いのあるものに出来たかは、今ここでは誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイトが現場となったマンションの前に着くと、道路には無数のパトカーが止まっており、周辺住人と思われる野次馬の輪が出来ていた。その中には報道関係者も交じっているようだ。

 カイトが人ごみを抜け、黄色いテープの中に入るとほどなくパトカーの無線で連絡を入れているらしい芹沢の姿を発見した。

 

「おつかれさまっす。」

 

「ん?ああ、カイトか。いま来たところか?」

 

「はい。杉下さんは現場ですか?」

 

「ああ。さっき先輩が嫌味を言ってた。お前もすぐ向かうだろ?」

 

「ええそのつもりですけど…」

 

「だったら気を引き締めて行った方がいいぞ。今回の現場は割と酷いからな。」

 

 芹沢は声を低くしてカイトに告げる。その様子からは冗談を言っているようには感じられない。

 

「それって、凄惨な感じですか?」

 

「ああ。あたり一面血の海。おまけに仏さんの首がなかったんだ。」

 

「首なし遺体ですか!」

 

 芹沢の言葉にカイトは驚きの声を上げ、芹沢は神妙な様子で頷く。

 

「既に遺体は回収されてるけど、あとでお前も確認に行くと思うぜ。その時くれぐれも吐かないようにな。」

 

 そう言ってカイトの肩を叩くと芹沢は再び無線で連絡を取り始めた。カイトは芹沢の言葉を受け小さく深呼吸をするとマンションに入り、エレベーターに乗り込んだ。

 

 現場となったのは4階の部屋である。部屋の場所はすぐにわかった。現場となったであろう部屋の前では鑑識が熱心に遺留品の採取に勤しんでいる。彼らへの挨拶もほどほどにカイトは部屋の前に立つと、開けっ放しになっている玄関のドアを潜った。

 その瞬間、カイトに鼻腔に濃厚な血の匂いが殺到する。その生臭さに思わず息を詰めるカイトの目に飛び込んできたのは玄関から見て右側の一室から続いている血の足跡である。それによって、カイトはどこが犯行現場になったのか理解した。

 カイトは足元に気を付けながら部屋の前までたどり着くと、その中を覗き込んだ。そして、顔を思いきり顰めることになる。

 芹沢の言う通り現場は血の海と化しており、床が元は何色だったのかが分からないほど変色している。被害者の遺体があったとされる場所には白いテープで発見時の遺体の状態が再現されており、その傍らではカイトの上司と知り合いの鑑識が何やら話し合っていた。

 

「杉下さん、米沢さんお疲れ様です。」

 

「お疲れ様ですカイト君。随分と遅い到着でしたねえ。」

 

「すいません。ちょっと寄り道してたもので。それよりも遺体の状況を教えてもらえませんか米沢さん。」

 

 杉下の嫌味を軽く流しつつ米沢に尋ねると、米沢はメモ帳に視線を落とす。

 

「はい。被害者の死因は見てのとおり出血多量によるショック死。発見時、被害者の腹部には複数の刺し傷があり刺殺されたものと思われます。また、凶器は包丁のような刃物と推測され、台所にあるはずの包丁が一本亡くなっていることがこの部屋の家主からの証言で分かっています。」

 

「この部屋の家主ってのは?」

 

「遺体の第一発見者の女性で通報者も彼女です。それで何ですが、被害者というのがどうやらその人の息子さんのようで…」

 

「え…」

 

 米沢の報告にカイトは言葉を失う。見れば、黙って話を聞いている杉下の顔も普段に比べ強張っているように見える。

 そこでカイトは気づいた。惨劇の現場となった部屋には学習机が置かれ、本棚には少年向け漫画に交じり教科書が並べられていることに。

 

「…米沢さん。もしかして、被害者ってのは未成年なんですか?」

 

「……はい。被害者はこの部屋に住む伊藤萌子さんの息子さん、伊藤誠君16歳です。」




今回はプロローグ。
次回以降、特命係が本格的な捜査を開始します。
多分そんなに長くならないと思います。


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彷徨えるサロメ 2

多分今エピソードはそんなに長くならないと思います。


 現場に重い空気が流れる。被害者が未成年であることに加え、その遺体が無残にも首なしで見つかった事は家族にとってあまりにも残酷な現実であろう。

 言葉を失うカイトに対し、米沢に代わり杉下が説明を引き継ぐ。

 

「誠君は萌子さんとの二人暮らしだったようです。萌子さんは既に離婚されています。」

 

「…母親にとっちゃ唯一の家族を失ったわけかよ。クソッ!いったい犯人は何で首なんかをッ!」

 

「ええ、そこなんです。現場周辺の状況を見て回ったんですが、どうもちぐはぐな印象を受けるんです。」

 

「ちぐはぐな印象ですか?」

 

 カイトが理解できないでいると杉下はカイトと米沢を連れて廊下に出る。廊下には先ほどと同様に犯人のものと思われる血の足跡が玄関まで続いていた。

 

「このように足跡がつけられているのに加え、玄関のドアノブには血痕が残されており拭き取られた痕跡がありません。更に凶器がこの家の包丁である可能性が高い事を考えると、犯行自体は計画性のない突発的なものの印象があります。」

 

「まあ、確かに始めから殺害するつもりでいたならあらかじめ凶器は用意してる方が自然ですね…凶器はまだ見つかってないんですか?」

 

「はい、おそらく犯人が持ち去ったものだと思われます。ところが犯人は被害者の首を持ち出す凶行に至っています。人間の首を切断する行為には少なくない労力を必要とします。仮に犯行が突発的なものだとするなら、いつ他の住人が返ってくるかわからない状況で被害者の首を切り取り持ち去らなければいけない理由とはいったい何だったのでしょう?」

 

 そう言われカイトは杉下の疑問に納得する。犯行が突発的なものであったとするならなぜ犯人は被害者の首を持ち去らねばいけなかったのか?

 逆に計画的な犯行で最初から首を持ち去るつもりであったなら、なぜ犯人は有力な証拠になりえる手がかりを放置し、この家の包丁を犯行に使ったのか?

 なるほど、確かにちぐはぐな状況だとカイトは理解した。

 

「それともう一つ気になる点があります。」

 

 そういうと杉下はカイトを連れてリビングへと向かった。

 リビングでも数名の鑑識が作業をしている。それに交じって捜査員に指示を出していた伊丹はカイトたちが部屋に入ってきたのを見つけると顔をしかめ、手で追い払う様なジャスチャーをした。当然杉下は華麗にそれをスルーする。

 

「これは台所で見つけたものなんですが、ご覧の通りなかなか手の込んだ料理が纏めてごみ袋の中に放り入れられています。」

 

「ほんとだ…でもなんで…」

 

 ゴミ袋の中にはサラダやローストチキンをはじめ、とても一人では食べられない量の料理がぐちゃぐちゃの状態で入っていた。

 

「これってもしかして、クリスマスパーティーの料理じゃないですかね?」

 

 時期的なことも考えカイトがそう述べると杉下も同調するように頷いた。

 

「僕もそうではないかと思っていたところです。だとするなら、なぜそれがこのように捨てられているのでしょうか?」

 

「えっと…やっぱり必要がなくなったからとか…だとしても態々ごみとして出すかなぁ?」

 

「それは当事者にしかわからない事ですが、この料理がクリスマスを祝うために作られたものだとすると、昨日か今日に用意され、そして捨てられたものだと思われます。つまり、その間にクリスマスを祝うための料理を廃棄しなければいけない事象が誠君の周りで発生したと思われます。」

 

「警部殿、お話し中のところ申し訳ないんですがねえ、そろそろ出て行ってもらってもいいですか。こちらはまだ調査中なんですよ。あんまり邪魔はしてほしくないんですがね。」

 

 先ほどから無視され続けていた伊丹が額に青筋を立てて杉下に詰め寄る。対する杉下も慣れたもので涼しい顔を崩していない。

 

「邪魔する気持ちは微塵もありませんよ。ところで、被害者の母親の様子はどうですか?」

 

「ちっ!残念ながら精神的にかなりショックを受けてる様子なんで本格的な聴取は明日以降にするつもりですよ。」

 

「そうですか。では、誠君の携帯電話を知らないかだけでも聞いてもらってもよろしいですか?」

 

「携帯電話?」

 

「ええ、誠君の私物を拝見させてもらったのですが、その中に携帯電話がなかったんですよ。充電器があったのでまさか本体を持っていないという事はないと思います。となると、彼自身がどこかでなくしてしまったか…」

 

「あるいは誰かが持ち去ったってことですか?」

 

「その通りですよ伊丹さん!」

 

「…はあ、わかりましたよ。ちゃんと聞いときますし、電話会社に問い合わせてGPSが使えないかも確認しときます。」

 

「よろしくお願いします」

 

「要件はそれだけですね。じゃあ、さっさとここから出て行ってください。」

 

 そう言うと、伊丹は今度こそ特命係の二人をリビングから追い出した。

 仕方なく二人は再び誠の自室へと戻り、鑑識に交じって現場の調査を行うことにした。誠の部屋は男子学生の部屋としては特に変わったところはない。カイトも机の引き出しなどを開けてみるが、これと言って気になるものは見つけられずにいた。

 

「これと言って変わったところは無いですね。杉下さん、何か見つかりましたか?」

 

「いえ、たとえ目ぼしいものがあったとしてもすでに鑑識が回収しているかもしれませんねえ。」

 

「なら一回本庁に戻って…ん?」

 

 部屋の片隅にあるごみ箱が目に留まり、カイトの言葉が切れる。杉下もそれに気づくと二人は黙ってごみ箱の元へと近づく。

 ゴミ箱を上から覗くと、そこには丸められた大量のティッシュ、そして白い液状のものが付着した袋型のゴム製品が捨てられていた。

 

「………これって。」

 

「使用済みのコンドームですねえ。」

 

 そう言って杉下がごみ箱の中を漁るとほかにもいくつか同様の物が出てきた。カイトは何と言っていいのか分からず閉口してしまう。

 ただ、使用状況から見る限り誠少年は非常にお盛んだったことが窺いしれた。

 

「…………」

 

「ふむ。カイト君、君はこれについてどう思いますか?」

 

「え!?ま、まあこの年の男子だったら色々持て余すこともあるでしょうし、高校生だったら特別早いってわけでもないかと…」

 

「なるほど。誠君に肉体関係を持つ相手がいたとしても不自然ではないと君は考える訳ですね。しかしながら、もしかするとそれはあまり健全なものとは言えないものかもしれませんねえ。」

 

「いや、まあでも最低限避妊はしてたみたいですし…」

 

「その避妊具ですがどれも種類が違うようです。」

 

 そう言って杉下が取り上げた二つのコンドームは色や大きさが違っていた。他のコンドームもよく見れば別のメーカーが作ったものであったり、同じメーカーでも種類が違うものが含まれていた。

 

「あ、本当だ。でもこれって何か関係あるんですか?」

 

「先ほど誠君の部屋を捜索しましたが彼の私物にコンドームはありません。また、このごみ箱の中にがコンドームはあってもそれが入れられていた箱などはありませんでした。この事から推測するに誠君は行為に及ぶ際、避妊具を女性側に用意してもらっていたのではないでしょうか?」

 

「その避妊具の種類が違っていたってことは…もしかして!」

 

「誠君は複数の女性と肉体関係にあった可能性があります。」

 

 市販のコンドームが通常は複数個が箱入りで売られていることを考えれば行為の度に別の箱を開けるというのは学生の経済力では厳しいものがある。とするならば、別の女性がそれぞれ自分たちで用意していたと考える方が自然である。

 確かにそれはあまり健全な交友関係とは言えない。

 

「もし、実際に誠君が複数の女性と関係があったとするなら、クリスマス用の料理が捨ててあった理由も想像できます。」

 

「…修羅場があったって事っすね。でも、この状況証拠だけじゃ誠君に男女関係のトラブルがあったとは断定できませんよ。」

 

「その通り。ですので明日以降の調査は誠君の交友関係に絞って進めていきましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事件発生の翌日、特命係は伊藤誠の通っていた私立榊野学園へと来ていた。

 本来であれば冬休み期間中で閑散としているはずの学園も今日ばかりは制服姿の学生たちが多く見受けられる。

 既に伊藤誠が殺害されたことはメディアを通し広く知れ渡っており、本日は全校生徒を緊急に集めての学年集会が体育館で行われている。

 杉下たちは学園側の許可を得て敷地内に入り、体育館の前で学年集会が終わって出てくる生徒を待ち構えていた。暫くすると体育館のドアが開き、クラスごとに教師に先導され生徒たちが出てくる。いずれのクラスも神妙に、だがやや興奮気味に小声で私語をし、中にはすすり泣く女子生徒の姿が見受けられた。

 その後、教師が学年で通夜に参加することを生徒たちに説明すると、その場で解散する流れとなった。

 それを見計らったようにカイトは杉下に話しかける。

 

「じゃあ、とりあえずまずは担任の先生から話を聞きに行きますか?」

 

「はい。まずは誠君の交友関係を把握したのち、親しい友人たちから話を伺うようにしましょう。上手くいけば彼の交際相手が分かるかもしれません。」

 

 そうやってお互いに確認をとると、二人は伊藤誠の担任教師の下に歩いて行こうとした。

 

 その時である。彼らの耳に男子生徒の話声が聞こえてきたのは。

 

「でも驚いたよな。伊藤の奴が殺されるなんて。」

 

「別に以外でもないだろ。どうせあいつは禄な死に方しないってみんな言ってたし。」

 

「まっ、多分自業自得って奴だろうな。」

 

 杉下たちが足を止め声のした方を向くと、4人の男子生徒が一塊になって談笑していた。会話の内容から彼らが伊藤誠に良い感情を持っていない事は明白である。

 杉下とカイトは顔を見合わせ頷き合うと、体の向きを変え彼らのもとに歩いて行った。

 

「その話、もう少し聞かせてもらってもよろしいですか?」

 

 突然中年男性から声を掛けられ驚く生徒たちに杉下は警察手帳を見せる。それによって余計に男子生徒たちは緊張したのか、助けを求めるように目線を彷徨わせる。

 

「伊藤誠君が殺害された事件の捜査をしています。よければ伊藤君がどのような人なりだったのか教えてもらえないでしょうか?」

 

 先ほどと質問を替え、杉下は再度生徒たちに優しく話しかける。それが功を奏したのか、生徒たちの緊張は幾分和らぎ、ようやく一人の生徒が口を開いた。

 

「伊藤はおとなしい奴だったよ。特に目立つことも無くてなんか何時も教室の隅っこにいる感じの。」

 

「うん。別に悪い奴ってわけじゃなかったかな。」

 

「なるほど。ではなぜあなた達は伊藤君が死んだのは自業自得などと言ったのでしょうか?今の話からは伊藤君が誰かに恨まれるようなことはないように思えますが。」

 

 杉下の問いかけに生徒たちは再び閉口する。如何に嫌いな相手とはいえ、死んですぐに警察の前で悪口を言うのには抵抗があるのだろう。だが、じっと杉下に顔を見つめられてるうちに観念したように語り始めた。

 

「あいつ、1学期は本当に地味な奴だったんだ。それが夏休みが終わった位から途端にモテ始めて、なんかクラスの女子にも何人も手を出してたみたいなんすよ。なっ、澤永?」

 

「お、おう…」

 

 澤永と呼ばれた少年は動揺した様子で返事をする。一方でカイトは昨日杉下が語った推測が現実味を帯びだしてきていることに内心かなり驚いていた。流石にこうも簡単に裏付けが取れるとは思っていなかったのだ。

 

「元々顔は悪くないから女子からの受けは悪くなかったんすけどね。自分がモテるって自覚してから奥手だった性格が嘘だったみたいに調子に乗り出して、家に女子を連れ込みまくってたみたいなんすよ。そんなんだから男子からはほとんど無視されてましたよ。」

 

「ああ、しかも最近じゃ冬休み前の騒動で女子からも愛想を尽かされたみたいだったしな。」

 

「冬休み前の騒動って?」

 

 カイトが質問すると生徒は周りを見渡し声を潜めた。

 

「妊娠させたんっすよ、クラスの女子を。」

 

「はあ!妊娠って!?」

 

「はい。クラスでもちょっとした騒ぎになったんです。」

 

 生徒が妊娠したなんてちょっとした騒ぎじゃ収まらないだろう!と、カイトは声を上げそうになったが、それを予測したのか杉下がカイトの口を塞ぐと続けて質問した。

 

「それで、その妊娠した女子生徒の名前は何というのですか?」

 

「西園寺です。1年3組の西園寺世界です。」



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彷徨えるサロメ 3

今更ですが今回のエピソードは「School Days」とのクロスです。

アニメ版の最終回はいろんな意味で衝撃的でした。今エピソードを書く上で初めてアニメをすべて見たうえで、原作ゲームを含めた設定を集めて勉強したんですが、思ってた以上に登場人物たちの背景が真っ黒で正直引いた。


「西園寺世界ですか?」

 

「はい。先生から見て彼女はいったいどのような生徒でしたか?」

 

 男子生徒たちから話を聞いた杉下たちは当初の予定通り誠と西園寺の担任の元へと行き、まず初めに伊藤誠について聞いたのち、西園寺世界の事を聞いた。

 

「えーと、まあ、いい生徒だと思いますよ。明るくて友達も多くクラスの行事にも率先して行動する子です。成績も悪くありませんでした。」

 

「では、彼女が伊藤誠君の子供を妊娠したという噂はお聞きになった事はありますか?」

 

「ああ、それですか…ちゃんとした根拠がないただの噂話としか思っていませんでしたし、何より西園寺や伊藤が何も相談に来なかったんでしばらく様子を見ることにしたんです。」

 

 それは面倒事になるのを嫌って放置しただけじゃないのか、という言葉をカイトは寸でのところで飲み込んだ。どうもこの教師は放任主義というか、生徒に対しては極力干渉せず問題が起きても見て見ぬ振りをする傾向にある事がその口ぶりから伺い知れた。典型的な事なかれ主義と言ってもよいだろう。

 

「では、伊藤君がそれ以外に何かトラブルを抱えていたり、クラス内で騒ぎが起こったなどはありませんでしたか?」

 

「さあ、心当たりがあませんねえ。私も今朝、伊藤が死んだと聞いて驚いたんですから。」

 

「…そういえば、西園寺さんとは連絡がついているのでしょうか?」

 

「いや、それが昨日の夜から家にも帰ってないらしくて携帯にも出ないそうなんですよ。こんな事件が起きたばかりですから心配です。」

 

 口では心配だと言いつつ、めんどくさいと言いたそうな顔を隠しもしない担任教師にカイトはイラつき始めていた。

 その後もいくつかの質問をしたがどれも満足のいく答えは返ってこず、大した収穫もないまま担任教師との話は終わった。分かった事と言えば、学園側は伊藤誠が抱えていた問題の一切を認識していなかったという事である。

 

「なんつうか、あそこまで他人事だと怒りを通り越して呆れちゃいますよ。」

 

「ええ、学校がもう少し親身になって生徒たちから話を聞いていれば今回のような事件は起きていなかったかもしれませんねえ。」

 

「いずれにしてもその西園寺って生徒を探す必要がありますね。」

 

 そう結論付けると、杉下たちはいったん本庁に戻るために昇降口へ続く廊下を歩いていく。そんな二人の耳に背後から近づいてくる複数の足跡が聞こえてくる。

 

「あの、すいません!警察の方ですよね?」

 

 声のした方を振り向くと、そこには榊野学園の制服を着た二人の女子生徒と一人の男子生徒がいた。男子生徒は女子生徒に挟まれるように真ん中に立っており、特命係に声をかけてきたのは男子生徒の右側に立つポニーテールの少女のようだ。少々目が吊りあがりきつめの印象を与えるが顔立ちは整っており美少女と言って差し支えない容姿である。

 その反対側に立つ少女はツインテールの両端を輪型に巻いた非常に特徴的な髪形をしている。

 そして彼女らの間に挟まれているのは、先程杉下たちが話を聞いた男子グループの中で澤永と呼ばれていたサイトであった。その時から顔色は優れず、酷く動揺した様子であったが今では額に脂汗を浮かべ目の焦点もどことなく虚ろである。

 

「君たちは?」

 

「…刑事さん達に聞いてほしい事があるんです。その…」

 

 ポニーテールの少女は言いづらそうに一旦下を向くが、意を決したように顔を上げると言った。

 

「私たち、伊藤を殺した犯人に心当たりがあります。」

 

「なっ!どういうことだよっ!」

 

 予想外すぎる酷薄にカイトは冷静さを失い、堪らず声を上げる。一方で杉下は少女の言葉の意味を冷静に噛み締めると、表情を変えずに口を開いた。

 

「わかりました。ここではなんですので場所を変えて詳しい話を聞かせてください。」

 

 杉下の申し出に少女たちは黙って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杉下とカイトは三人を連れて1回の保健室へと移動した。全校集会は終わっているため殆どの生徒は既に帰宅しているが一応念を入れて人気の無い場所を選んだ。

 まず初めに3人はそれぞれ自己紹介をした。

 

「私は加藤乙女と言います。」

 

「黒田光です。」

 

「…澤永泰助っす。」

 

「加藤さん、黒田さん、澤永さんですね。お三方は全員同じクラスなのですか?」

 

「いえ、私だけが1年4組で黒田さんと澤永は1年3組です。」

 

「という事は黒田さんと澤永君は伊藤誠君と同じクラスだったというわけですね。」

 

 杉下が確認をとると3人はそろって頷いた。

 

「ところで、伊藤誠君を殺害した犯人に心当たりがあるという事でしたが、どういった事でしょうか?」

 

 改めて3人に尋ねると3人はお互い目配せをし、加藤と名乗ったポニーテールの少女が口を開いた。

 

「伊藤はすごく女の子たちから人気がありました。1学期の頃は本人はあまり自覚がなかったみたいなんですけど…2学期になってからいろんな子たちに手を出してたみたいで…」

 

「あたしや加藤さんもお手付きにされちゃったんですよね。とはいっても、最近じゃ殆ど相手にする女子はいなくなったんですけど。」

 

「それは、西園寺世界を妊娠させたっていう噂と関係しているのかい?」

 

 カイトが質問するとかとうは頷き肯定を示す。

 

「はい。その、西園寺さんが妊娠したって伊藤に伝えた時、伊藤は何で妊娠なんかしたんだって言って突き放したみたいなんです。それで、女子はみんな熱が冷めたっていう感じで…」

 

「愛想が尽きたってわけか。」

 

「しかしながら、伊藤君が高校生である事を考えれば彼自身もまた、自分の子供が出来たという現実を受け止められずパニックになっていたのかもしれませんねえ。おっと、話がそれてしまったようですね。それで、伊藤君が殺害される理由を持つきっかけとなったのなんだったのでしょう?」」

 

 杉下が話を戻すとかとうはチラリと横に座る澤永の方を見る。澤永は相変わらず脂汗を流し視線を彷徨わせている。

 

「伊藤には彼女がいたんです…そして多分、その子が伊藤を殺したんだと思います。」

 

「えーと、それは西園寺って子の事じゃないのかい?」

 

「いいえ。西園寺さんの前に桂言葉って子と伊藤は付き合ってたんです。その子が多分、伊藤にとって初めての彼女だと思います。」

 

「桂言葉…その子が伊藤君と付き合ってたのはいつ頃からか分かりますか?」

 

「確か…夏休み前にはもう付き合ってたと思います。」

 

 夏休み前となると伊藤誠が急にモテはじめ複数人の女性に手を出し始める以前という事になる。その頃に付き合ってた女性である桂言葉という少女がどのように伊藤誠殺害に繋がっていくのか、それが今回の肝だと杉下は直感した。

 

「伊藤は始め桂さんと普通に付き合ってました。桂さんも伊藤の事がすごく好きそうでしたし。それが文化祭前くらいになって伊藤と西園寺さんが急接近したんです。それこそ、二人が恋人みたいに…だから周りの人間は伊藤が桂さんと別れて西園寺さんと付き合いだしたんだなと思ったんです。けれど、桂さんは伊藤と別れたつもりはなかったみたいで、ずっと『誠君は私の彼氏です。』って、言ってました…」

 

「……それで、どうなったんだい?」

 

「学園祭の時も伊藤は西園寺さんとばかりいっしょに居て、桂さんの事はほったらかしでした。だから伊藤は西園寺さんと付き合っていて、桂さんは別れたのにずっと伊藤に付きまとっているってみんなから思われたんです。」

 

「…あなた方の話から察するに、桂さんは周囲からあまり良く思われてなかったのではないでしょうか。」

 

「はい。桂さんは美人で成績もよくて、おまけに家も裕福だったから女子からは妬まれてました。私も何度かきつく当たった事があります…だから、桂さんにが伊藤に付きまとってるって噂になった時も誰も彼女の見方をしなかったんです。」見方→味方

 

 カイトは話を聞いていて胸糞が悪くならずにはいられなかった。と同時に桂言葉に対する同情を禁じえなかった。一人の男性に恋をし、それを裏切られてなお相手を信じ周囲を敵に回し、その結果が男が別の女性を孕ませていたとならば殺意の一つや二つは湧きそうなものだ。

 桂言葉には伊藤誠を殺害し得る動機がある。

 

「おまけに桂さんは後夜祭の時にこいつにレイプされたんです。さっき教室で桂さんが犯人じゃないかって話題が出たとたん、やたら動揺してたから問い詰めたらあっさり白状しました。」

 

 そう言って黒田光は横に座る澤永泰助を睨み付けた。

 

「レイプだって!おい君、それは本当なのか!」

 

「っ!だ、だってよ、何度も伊藤の奴は西園寺と付き合ってて言葉とはもう別れたつもりでいるって言ったのに信じようとしないから!俺はずっと言葉の事が好きだったのに!」

 

「…好きだったなら、なおさら傷つけるような真似をしちゃ駄目だろうが、馬鹿野郎…」

 

 カイトがそう吐き捨てると澤永は目に涙を浮かべ項垂れるとやがてすすり泣き始めた。

 

「わかってます…自分がとんでもない事したってことくらい。今になってやっと理解できました。でもだからって殺されたくなんかないっす…刑事さん、俺どうしたらいいんすか?」

 

「君は先ず警察署に行くべきです。そこなら安全ですし、反省する時間も十分に取れるでしょう。」

 

 どうやら澤永は桂をレイプした自分が次に狙われるのだと思い、怯えているらしい。

 しかし、なぜそこまで怯える必要があるのか?杉下たちが疑問に思っているとそれを察したようにかとうが説明する。

 

「…ちょうどそのころ位なんです。桂さんがおかしくなったのは。」

 

「おかしくなった?」

 

「浮かれてるっていうか、すごく嬉しそうに私は誠君の彼氏なんだって言うんです。でも目は笑ってなくて。それに繋がっていないはずの携帯で伊藤と話していたのを見た人もいるんです。」

 

「なるほど、桂さんは度重なる精神的ダメージにより、行動にまで影響が出始めていたというわけですね…」

 

 そうだとするなら、犯行現場のちぐはぐな状況もある程度説明がつけられるし、強い恨みに駆られた桂が自分を傷つけた者たちを殺そうとしているとも考えられる。遺体の首が取られていたのも、伊藤誠に対して強い恨みがあったからだという風にも考えられる。

 

「ところで、西園寺世界さんと桂言葉さんの写真などはお持ちではないでしょうか?実は僕たちはお二人の顔を拝見していないもので。」

 

「あります。ちょっと待ってください。夏にクラスでプールに行った時に撮ったやつがあったはず。」

 

 そう言って黒田光は携帯を操作し画面に写真を表示した。屋内プールで撮ったもののようで、画面には黒田や伊藤、澤永など複数の男女が水着姿で映っていた。

 

「どの子が西園寺さんと桂さんなのでしょうか?」

 

「えっと、こっちのアホ毛が立ってるセミロングの子が西園寺さんで、こっちのロングヘアの子が桂さんです。」

 

「ん?あっ、この子!?」

 

 突然カイトが驚いたように声を上げ、近くにいた黒田がビクリッと肩を竦ませた。

 

「どうしたんですかカイト君?」

 

「杉下さん、俺昨日この子を現場に来る途中でみました。一人で夜道を歩いてたから気になってたんです。」

 

 写真の中で笑う黒髪のロングヘアの女の子は、印象こそ大きく違うものの、間違いなく昨晩現場に行く途中に出会った少女だとカイトは断言できた。

 

「カイト君の証言が正確なものだとするなら、事件当夜に桂言葉さんが現場近くにいたという証拠になります。黒田さん、加藤さん、澤永君、あなた方の証言も事件を捜査する上で極めて重要なものになります。応援を呼びますので、警察署でもう一度今の話をしてください。いいですね。」

 

 強い口調で言われ、三人は黙って頷くしかなかった。

 

 

 

 

 保健室に三人を残し部屋を出ると、杉下とカイトは廊下で相談を始めた。内容は当然、三人から得た情報の整理である。

 

「あの三人の話を聞いてると、どうしても桂言葉が気になってしまいますね。」

 

「まだ彼女が実行犯と断定するわけにはいきませんが、現場の近くにいたことからも何かしら事件に関わっている可能性が高いと言えるでしょう。」

 

「それにしても、あの写真を見る限りは西園寺世界も桂言葉も、仲の良い友達グループの二人っていう感じに見えたんですけどね。」

 

「案外、二人はよい友人であったのかもしれませんねえ。」

 

「だとすると猶更だ。友人に自分の彼氏を寝取られたんだから、恨みたくなる気持ちもあったじゃないっすか。」

 

 軽口交じり、たいして考えもせずカイトが言った言葉。しかし、その言葉を聞いて杉下の動きが止まる。

 

「そうです…なぜ、西園寺世界ではなく伊藤誠だったんでしょうか?」

 

「…杉下さん?」

 

「確かに桂言葉にとって伊藤誠は自分を裏切った男性ではありますが、同時に深く愛した男性でもあります。恨みの強さで言うなら彼よりも寧ろ彼を奪った相手、そう西園寺世界の方がずっと強いはずです。」

 

「でも杉下さん、実際に殺されたのは伊藤誠の方で西園寺世界は…」

 

 そこでカイトはハッとする。1年3組の担任教師は確かに言った。西園寺世界は昨夜から帰っていないと…

 

 ふと、カイトは校舎の外が騒がしい事に気が付いた。窓から外をのぞいてみると、まだ帰っていない生徒たちが校舎に沿って作られている側溝に集まっているのが見えた。

 

「なんですかね?」

 

「行ってみましょう。」

 

 そういうと杉下は窓を乗り越え人だかりに歩いていく。カイトも慌ててその後を追って行った。

 人だかりに近づくと杉下はそれに向かって声をかけた。

 

「失礼します。何かあったのですか?」

 

 突然の部外者の登場に集まっていた生徒たちは慌てて道を開ける。彼らが集まっていた場所には配水管があった。

 本来であれば屋根や屋上にたまった水を地上に送り、側溝へと流す役目を持つそれであるが、プラスチック製の円筒を伝って落ちてくるのは粘着性のある、どす黒い赤色の液体であった。

 

「これは…」

 

「…おそらく血液でしょう。この排水管はどこに繋がっているかご存知の方はいらっしゃいますか?」

 

「えっと・・確か屋上だったと…」

 

 その答えを聞くと、杉下は再び窓を乗り越え校舎に入ると猛然と階段を駆け上がり始めた。カイトもその後を追っていく。

 1分もしないうちに屋上と校舎内を隔てるドアの前に立つと手袋を装着し、ゆっくりとドアノブを回す。ドアには鍵がかかっておらず、力を入れると簡単に扉は開いた。

 そして、その先にあったのは…

 

「ああっ!!」

 

「これはっ!」

 

 血まみれになった女性と思われる死体であった。



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彷徨えるサロメ 4

スクールデイズって、関係者からすると誠がくず過ぎる故に起きた事件ですけど、外野からすれば非常に意味の分からない事件だと思います。
今エピソードはそんなふうに思ったところから生まれました。


「また勝手に動いて捜査を混乱させたそうだな。」

 

 警視庁刑事部長室にて内村完爾はそう言って特命係を睨み付ける。特命係は榊野学園の屋上で死体を発見したことを本庁に報告したところ、内村によって呼び出されたのであった。

 

「まったく。お前たちはいつもいつも勝手な事ばかりしおって。事件の重要参考人の遺体を見つけただけでなく、現場近くで容疑者と会話しながらそれを取り逃がしただと?マスコミに知られたらどうするつもりだ!」

 

「…やはり、捜査一課も桂言葉さんを容疑者だとにらんでいるのですね?」

 

「黙れっ!お前たちには関係ない話だ!これ以上現場を混乱させることは許さん!分かったな!」

 

「……了解しました。」

 

 いつも以上にイラついた様子の内村を前に杉下とカイトの二人は恐縮して頭を下げるほかなかった。

 

 

 

 

 

 

「とか何とか言っちゃって、結局捜査する気満々じゃないですか?」

 

 刑事部長室を退室した特命係はその足で鑑識室まで来ていた。要件はもちろん、事件に関する情報を入手するためである。

 

「ええ。僕はただ、殺人事件の捜査をするだけです。現場を混乱させるつもりなど毛頭もありません。」

 

「警部殿、おそらく部長はそう言ったつもりでお二人を呼び出したのではないと思います。」

 

 苦笑いを浮かべつつ米沢が二人の元へやってくる。その手には捜査資料と思われる用紙が掴まれていた。

 

「屋上で見つかった遺体は西園寺世界の物でした。死亡推定時刻は昨夜の十二時ごろ。死因は伊藤誠と同様、失血死だと思われます。」

 

「昨夜の十二時ごろっていうと、まだ俺たちが伊藤誠の家で捜査していた時間じゃないですか。」

 

「はい。しかも、屋上には血の付いた包丁が残されており、血液と傷の切り口から伊藤誠殺害に使われたものとみてまず間違いありません。捜査本部は伊藤誠を殺害した人物と西園寺世界を殺害した人物は同一、つまり連続殺人だと睨んでいるようです。これを見てください。」

 

 米沢は机の上に置かれているビニール袋に入れられた携帯電話を取り上げた。

 

「これは西園寺世界の携帯で死亡時にも所持していた物です。これに残された最後のメールがこちらです。」

 

 そう言って米沢は資料の中から用紙を一枚取り出し杉下に差し出す。それを両手に持つと、杉下は書面を読み上げた。

 

「『屋上で待ってる』ですか…差出人は伊藤誠となっていますねえ。」

 

「差し詰め犯人は伊藤誠の部屋から持ち去った携帯電話を使い彼の恋人を呼び出しと言ったところでしょうか?なんと言いますか、女性の恨みはやはり恐ろしいですな。」

 

「おや、その口ぶりからするに米沢さんも桂言葉さんが二人を殺害したと。」

 

「はい。というのも、こちらの携帯から採取した指紋から桂言葉の部屋から採取したものと同じものが見つかりましたので…」

 

「えっ!ってことは、捜査一課はもう桂言葉の家に行っているんですか?」

 

「はい。とはいっても、肝心の本人は姿を眩ませているので今のところ家族から話を聞く程度にとどめているみたいです。」

 

 だが米沢の口ぶりからすると、桂言葉が容疑者として手配されるのもそう遠くない事が予想される。既に被害者が二人も出ていることを考えるとそれも致し方無い。

 

「米沢さん、西園寺さんが殺害されていた状況についてもう少し聞かせてもらってもよろしいですか?」

 

「ああ、はい。えー、死因は失血性のショック死ですが致命傷となったのは首の動脈を刃物で切られたことであります。腹部を割かれてましたが、これは死亡して直ぐ、あるいはまだ僅かに息があった時にやられたものと思われます。どちらにしろ、これほど血を流していては助からなかったと思いますが…」

 

「凶器はやはり伊藤君を殺害したものと同じだったんですか?」

 

「それなんですが、傷口の形状から見るにどうやら別の刃物のようです。」

 

「え?でも、現場には伊藤誠の殺害に使われた包丁が落ちてたんですよね?」

 

「はい。ですが、西園寺世界の首の傷跡は鋸の様な刃物で付けられたものでして、確定しているわけではありませんが伊藤誠の首を切り落としたものと同一のものでは無いかと思われます。」

 

「妙ですねえ。伊藤君の殺害時には包丁が使われ、西園寺さんの時には鋸が使われた。そして伊藤君の殺害に使われた凶器はなぜか西園寺さんの遺体の傍に落ちていた。米沢さん、西園寺さんの腹部の傷はどのようなものでしょうか?」

 

「傷は内臓まで深く達しており、こちらも傷の形状から鋸で切られたものだと思われます。ああ、それと子宮も傷つけられていたのですが、彼女は妊娠していなかったようです。」

 

「それは本当ですか!」

 

 突然杉下が大きく反応し、カイトと米沢は驚く。

 

「は、はい。警部殿から被害者は妊娠している可能性があると聞いていたので検視官に確認を取ったのですが、子宮の中には胎児はいなかったようです。」

 

「でも確かに西園寺世界や周囲のクラスメイトは彼女が妊娠していたって証言してましたよ。もちろん、勘違いってことはあるかもしれませんけど…」

 

「こちらでも、念のために確認を取ったのですが、どうやら想像妊娠の兆候があったようでして…」

 

「想像妊娠?」

 

 聞きなれない言葉にカイトが頭に?を浮かべていると、横にいる杉下が補足する。

 

「想像妊娠とは、妊娠していないのに妊娠したような症状が見られる心身症状の一種です。原因としては、妊娠に対する大きな不安や恐怖、もしくは強い願望がストレスとなり、脳が『妊娠している』と誤認してしまうからだと言われています。実際にお腹が大きくなったり、生理がこなくなったりなど妊娠の初期症状が現れる場合もあるそうです。」

 

「警部殿のおっしゃるとおり、西園寺世界にも妊娠の初期症状と似たものが見受けられましたが妊娠はしていなかったそうです。」

 

「ってことは、西園寺世界も妊娠に対する不安感を抱いていたり、妊娠したいって強く思ってた可能性があるわけですね。でもなんで…」

 

 カイトと杉下が考え込むと鑑識室に暫しの静寂が流れる。やがて杉下は何かを思いついたようにスッと顔を上げた。

 

「桂言葉さんの家に行ってみましょう。少し確認したいことがあります。」

 

「…そうですね。もうこうなったら伊藤誠、西園寺世界、桂言葉の三人の関係が事件の根幹にある事は疑いようがないみたいですから。」

 

「警部殿たちがそう言うと思って、桂言葉の住所を調べておきました。」

 

 米沢が住所の書かれたメモ用紙を渡すと杉下は笑顔でそれを受け取った。

 

「ありがとうございます米沢さん。このお礼はいつか。」

 

「いえ、お二人もお気をつけて。」

 

 杉下と甲斐とは米沢に頭を下げると鑑識室を出て行った。

 

 

 

 桂言葉の自宅は都心にほど近い高級住宅街の一等地に門を構えていた。父が警視庁の高級官僚であるカイトからすれば、実家を思い出させるつくりである。

 桂家を訪ね2人が身分を明かすと、30代ほどの女性が門を開け2人を居間に通す。女性は桂言葉の母だと名乗った。彼女の表情は非常に疲れており、心労のほどが窺いしれた。彼女は特命係にお茶を出すと、少し待つように言い居間から出て行った。

 しばしの間特命係は出された紅茶を前に待っていると、やがて女性は眼鏡をかけた中年男性と小学生と思われる女の子を連れてくる。

 男性は杉下たちに対面する椅子に腰を落とすと二人に向かって頭を下げた。

 

「どうもはじめまして。桂言葉の父です。こっちは妻の真奈美と二番目の娘の心です。」

 

「初めまして。警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐亨です」

 

「本日は言葉さんについてお話を伺いにまいりました。もうすでに何度かされた質問をすることになるかもしれませんが宜しいでしょうか?」

 

「はい、構いません。娘が一刻も早く帰ってくるならばどんなことでも…」

 

 そういう言葉の父の顔には焦燥感と不安感が見て取れた。大切な娘が行方知れずになるどころか、殺人の容疑がかかっているとなれば親として居ても立っても居られないのだろう。

 

「では早速。言葉さんに恋人がいたことをご家族の方はご存知でしたか?」

 

「いえ、私は仕事で家にいる事が少なかったので。今更ながら、もっと娘たちと同じ時間を過ごしていればと…」

 

「あなた、あんまり自分を責めないで。私がきちんとあなたに相談していれば…」

 

 悲痛な表情で頭を抱えた夫の方を妻が優しく抱く。一方でカイトは彼女の言葉に引っかかるものを感じた。

 

「もしかして、奥さんは娘さんに彼氏がいたことを…」

 

「ええ、知ってました。前に言葉が私に料理を習いたいって言ってきたことがあったんです。なんでかって聞いたら、手料理を食べさせてあげたい人がいるからって…私嬉しかったんです。引っ込み思案だったあの子に好きな人が出来て、その人のために私の力を借りてくれることが。だから母親として応援してあげたいと思ったんです。なのに、こんな事になるなんて…」

 

「ママ、泣かないで…」

 

 顔に手のひらを当て涙を流す母親を今度は娘が慰めた。その娘の目にも涙がたまっている。殺人事件で幸せになる人間など無く、被害者と加害者、そしてその家族に多大な不幸と悲しみが訪れる。何度も似た経験をし、頭では理解できている事でも、カイトは自分の気持ちが沈んでいくのに耐えるほかなかった。 

 

「…最近の娘さんの様子はどうだったのでしょう?何か気づいたことであれば何でもいいんですが…」

 

「そうですね。ついこの間まではずっと沈んでる様子でした。夜中に家を出て行ってたようで、目に生気がありませんでした。だから、夫とも相談して学校を休ませることも考えてたんです。けど、2,3日前からは以前のように表情が明るくなったんで一安心してたんです。」

 

 母親からの証言に杉下の目つきが鋭くなる。

 

「表情が明るくなった…それは本当ですか?」

 

「ええ、恋人、誠君でしたっけ?彼と仲直りしたのか、『やっと誠君が戻ってきてくれた』って嬉しそうに話してました。」

 

「うん。心も聞いたよ。クリスマスは誠君と一緒に過ごす約束をしたって。」

 

 杉下とカイトはお互いの顔を見合わせた。

 二人は黒田や加藤の証言から伊藤誠と桂言葉は破局したも同然の状況にあり、それが原因で桂言葉は精神的に不安定になっていたと考えていたのだ。しかしそれが回復していたというなら…

 杉下は己の頭脳をフル回転させ、そして一つの推測に行きついた。

 

「…カイト君、早急に確認してほしい事があります。場合によっては一刻を争うことかもしれません!」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。いったいどうしたっていうんですか?」

 

 目に見えて豹変した杉下にカイトが困惑する。杉下はそんなカイトに自分の推測を話すとカイトの目は大きく見開かれた。

 

「そ、そんな!でもそうだとしたら桂言葉は…」

 

「だからこそ、早急に彼女を見つけなければならないのです。手遅れになる前に!」

 

「わかりました。すぐに確認を取ります。」

 

 カイトは携帯を取り出すと今から飛び出していく。残った杉下は呆気にとられる桂夫妻に向き直る。

 

「桂さん、言葉さんにとって特別な場所はありますか?そう例えば、お二人が過去に行った思い出の地など。」

 

「え?いや、いきなりそう言われましても…」

 

 面食らった様子の夫妻はとっさに言葉が出てこない様子だ。するとおとなしく椅子に座っていた心が勢い良く立ち上がった。

 

「心知ってる!おねいちゃん達きっと船に乗りに行ったんだよ!」

 

「船ですか?」

 

「うん。お姉ちゃん、昔パパたちと一緒に船に乗ったのがすごく楽しかった。だから誠君ともいつか行きたいって言ってたもん!」

 

 自信満々と言った様子で胸を張る心の言葉を受け杉下は桂夫妻に確認をとる。

 

「桂さん。その、船というのは?」

 

「ええと、実は私はヨットを所有しているんですが以前はよく家族で船乗りに行っていたんです。最近はあまり行けてなかったんですが…」

 

 ちょうどその時、カイトが再び今に戻ってくると杉下に駆け寄った。

 

「杉下さん、確認が取れました。やっぱり例の物は伊藤さんの家にはなかったそうです。」

 

「やはりそうでしたか。こちらも言葉さんが行きそうな場所の見当がついたところです。桂さん、そのヨットが停泊している場所を教えて頂きませんか?」

 

 杉下たちは桂からヨットのある場所を聞くと挨拶もそこそこに急いでその場を後にしようとする。だがその背中を桂夫妻が止める。

 

「刑事さん、待ってください!一つお願いが…」

 

「…なんでしょうか」

 

「…こんなことになってしまい、私自身も言葉の親として責任を感じています。ですがどうか、可能であるならば、娘を無事に、私たちの元へ…」

 

 涙交じりの声で桂は特命係に懇願する。その姿はどこまでも痛ましく、切実なものであった。

 だからこそ特命係は目をそらさず、真っ直ぐに彼らの姿を見据え断言する。

 

「必ず、娘さんを連れ戻します。」



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彷徨えるサロメ 5

今回で今エピソードは終わりです。
あとがきにて次回作の予告をやらせてもらいます。



 風のない穏やかな海に一隻のヨットが浮かんでいる。すでに日は傾き、あと1時間もすれば底冷えのする寒さが訪れるというのに、そのヨットだけはどこまでも穏やかに波に揺られていた。

 そのヨットに抱かれるように船上には一人の少女が身を横たえている。彼女は幸せそうに目をつむり、胸に抱えた物を愛しそうに抱きかかえている。それはまるで、一枚の絵画から抜け出してきたような美しさがあった。

 

「やっと二人っきりですね…誠君…」

 

 まるで、幸せを噛みしめるように少女が呟く。たとえ、それに答える声がなかったとしても。

 

 どれほど時間が経ったのだろうか、日も落ちかけ、いよいよ寒さが身を刺すものに変わってきたところで少女の耳に波のさざめきとは違う音が聞こえてきた。

 その音は徐々に大きくなってくる。それでも少女は愛しき人を胸に抱き、瞼を決して開けようとはしない。そんな彼女に声が届く。

 

「桂言葉さんですね?」

 

 落ち着いた中年男性を思わせる声だった。その声に反応し少女は瞼を開け、その身を起こす。彼女の乗るヨットの傍には何時の間にか小型のクルーザーが横付けされ、その船上には二人の男性が立っていた。

 一人は理知的な雰囲気を醸し出す眼鏡をかけた中年男性。もう一人は意志の強そうな目をした若い男性である。若い男性には見覚えがあった。彼はあの日、大切な人をようやく手に入れた夜に出会った男性であった。

 少女が反応した様子を見受けると、眼鏡の男性が少女に声をかける。

 

「警視庁特命係の杉下です。桂言葉さんで間違いありませんか?」

 

「…はい。そうです。」

 

 言葉は杉下の目を見てゆっくりと肯定を示す。彼女が杉下を見る目はどこまでも黒かった。まるで、心がそこに写っていない感情無き目だった。

 

「…桂さん、僕たちはあなたを逮捕しなければなりません。遺体損壊、及び西園寺世界さん殺害の容疑で。」

 

 

 

 

 

「すべての発端は伊藤誠君があなたに隠れ、西園寺世界さんと付き合いだしたことです。やがて周囲が西園寺さんを誠君の恋人だと認識するようになると、あなたの立場は非常に厳しいものとなっていきました。周りの人間はあなたの事を別れた恋人に付きまとう悪質なストーカーだと見ていたようです。しかしながら、あなた自身は誠君と別れたつもりはなく、誠君もあなたとの関係を清算したわけでは無かった。それがあなたと周囲の認識の違いとなり、あなたを追い詰めていったのでしょう。

 それと同時期に誠君は西園寺世界さん以外の複数の女性と関係を持つようになりました。西園寺さんは焦ったのでしょう。今度は自分が恋人を奪われる立場になったのですから。誠君を繋ぎ留めたい。その強い思いが願望となり彼女に妊娠の症状を引き起こしました。悲しい事にそれは強すぎる重いが故に現実となった想像でしたが…それどころか、子供が出来た西園寺さんを誠君は重く感じるようになり彼女を遠ざけようとしました。それによって、西園寺さんは精神的に追い詰められていくことになりました。

 しかし、その行為が仇となり誠君は今まで関係を持った女性たちからそっぽを向かれることになりました。そして、男子からも女子からも見捨てられ、学校で孤立した彼が救いを求めた先が桂さんあなたです。」

 

 杉下がそう言って見据える先には何時の間にか立ち上がった少女、桂言葉がいた。彼女は相変わらず伊藤誠だったものを胸に抱き、杉下とカイトを睨み付けている。だが、その右手はわきに置いてある黒い鞄へと向かっていた。

 

「誠君の自宅の台所で捨ててあった料理は恐らく西園寺さんが作ったものでしょう。もしかすると彼女はクリスマスを気に伊藤君とやり直そうと思っていたのかもしれません。しかし、そんな彼女の前に現れたのはあなたを伴った誠君でした。彼女は絶望したのでしょう。この時点で誠君の心があなたに向いているのを西園寺さんは明確に感じた。その後、どのようなやり取りがあったかは僕は知りませんが、誠君は西園寺さんと二人きりで話をする場を設けたのではないでしょうか。あるいは西園寺さんが自ら誠君が一人の時を狙って彼のもとを訪ねたのかもしれません。しかし、話し合いは破局を迎え悲劇が起きてしまった。伊藤誠君を殺害したのは西園寺世界さんです。」

 

 いったん話を区切った杉下の横でカイトはじっと言葉を観察していた。言葉の目は確かに杉下に向けられているが、そこに感情は見られない。カイトには人形でも相手にしているかのような感覚を得ていた。

 

「突発的な犯行だったのでしょう。西園寺さんは誠君の家の包丁を凶器に使い、それを持ったまま部屋を飛び出したと思われます。そしてその後彼の家を訪れたのが言葉さん、あなたです。誠君の遺体を発見したあなたは家から持ってきた鋸で誠君の首を切断し、自分が誠君の家を訪れた痕跡を消し、彼の首と携帯電話をもって彼の家を後にしました。

 そう、誠君の首を切断するために使われた鋸はあなたが自宅から持ち出したものです。誠君の家はマンションで家族も母親との二人暮らし。彼自身、日曜大工の心得はなかったため家にはそう言った類の道具はありませんでした。だからこそ、あなたは始めから伊藤君を殺害し、首を持ち去るために鋸を持ち込んだのですね?」

 

 杉下の指摘に初めて言葉の目に感情が現れる。それは怒りにも似た負の感情であった。

 

「あなたは十分に理解していました。誠君の浮気性を、そして裏切られた時の絶望を。だからこそ、あなたは彼を自分だけのものにするための計画を立てたんです。しかし、西園寺さんが誠君を殺害するという不測の事態によって変更せざるを得なくなりました。

 あなたが誠君の家を訪れた時、彼は既に息絶えていた。あなたは彼の首を切断し、それと彼の携帯を持ち去ると、西園寺さんをメールで屋上に呼び出した。その際、西園寺さんも警戒し万が一に備え伊藤君を殺害するのに使った包丁を持ち込んだのでしょう。ですがそれは意味をなさず、西園寺さんはあなたに首を切られてしまいます。彼女の腹を裂いたのは西園寺さんが本当に妊娠しているのか確かめるためではないですか?」

 

 杉下は言葉を切ると言葉の返事を待つ。やがて言葉は小さく口を開いた。

 

「…だって、西園寺さんが嘘をつくから…」

 

「嘘?」

 

「誠君の気を引くために妊娠なんて嘘をついて…嘘、嘘、嘘…西園寺さんはずっと嘘をついて私たちを騙していたんです!私たちの事を応援してくれって言ってたのに!本当は自分が誠君の彼女になるためにずっと私たちを騙してたんです!友達だって…信じてたのに…」

 

 感情を爆発させた悲痛な叫び声をあげ、桂言葉は身を曲げる。再び立ち上がった彼女の右手には血の付いた鋸が握られていた。

 

「桂さん!落ち着いてください!」

 

「来ないでっ!」

 

 言葉は自分の首筋に鋸の歯を当て特命係の動きを制する。その顔には悲し気な笑みが浮かんでいた。

 

「あなた達も私と誠君の中を引き裂こうとするんですね。もうそんなのは嫌。私は誠君を愛しています。もう誰にも、私たちの中を邪魔されたくない…邪魔なんてさせない!」

 

「桂さん、あなたは最初から伊藤君と心中するつもりで…」

 

「……人生の最後くらい誠君と一緒に居させてください…私にはもう、こうする道しかないんです…」

 

 そう言って言葉は鋸の刃を柔らかな肉に沈ませ、思い切り刃を引こうとし

 

「自分が進むべき道を勝手に諦めるんじゃない!君にはまだ残されている道があるんだ!」

 

「え?」

 

 カイトの叫びに言葉の動きが止まる。カイトの必死の叫びは確かに彼女に届いていた。

 

「君のお父さんは君を無事に返してくれって僕たちに頼んだんだ。わかるかい?君の父親はたとえ娘が殺人の容疑者になろうと君を家族として向かい入れるつもりなんだ!君のお母さんや妹だって同じだ。君にはまだ家族と一緒にやり直す道がある!」

 

「家族と一緒に…」

 

 言葉の瞳に感情の揺らぎが生まれた。先ほどまで死に臨む人間の顔をしていた彼女の表情には、明らかな動揺の色が見えた。

 

「それだけじゃない。君の学校の生徒、加藤さんや黒田さんは君に対する仕打ちをずっと後悔している。じゃなきゃ自分たちが過去に人の彼氏と寝た話なんて態々大人に言いに来るはずがない。君が死んだら彼女たちは心に大きな傷を負ったまま生きていくことになる。君には君が死んで悲しむ人間がたくさんいるんだ!」

 

 カイトの言葉はボディをえぐるパンチのように言葉の心に響き、彼女の顔はショック受けたように歪んでいく。 

「なんで…そんな今更…私はもう、誠君とずっと一緒にいるって決心したのに…」

 

「桂さん、今あなたが抱えている其れは本当に伊藤誠君なのでしょうか?」

 

「…どういう事です。」

 

「僕には其れが哀れな被害者のご遺体にしか見えません。桂さん、其れはあなたに微笑みかけてくれますか?愛ある言葉をあなたに投げかけてくれますか?狂気などに惑わされず、今一度真実の目で其れを見てください。」

 

 杉下の言葉に促され、言葉恐る恐る左腕に抱えたそれに目を向ける。血の気をなくし虚空を見つめ続ける其れに生きていたころの温かさはなかった。当初は青白かった表皮も今ではどす黒い土気色に代わっており、僅かにではあるが腐臭が…

 

「ひっ!」

 

 それを感じた瞬間、言葉は思わず其れを取り落してしまう。床に落ちた其れはゴロゴロと船上を転がりやがて壁にぶつかって止まった。それを目で追っていた言葉は放心したように立ち尽くしていたが、やがて膝を折ると崩れ落ちるように泣き叫び始めた。その様子は今までため込んでいたあらゆる悪意を放出し、彼女が一人の少女に戻っていくかのようにも見える。

 

「…桂さん、あなたが向こう側に行かずに済んで本当に良かったです。」

 

 ヨットに飛び移った杉下は涙を流し続ける言葉の肩に手を置き、そう呟いた。 

 

 

 

 

 

 その後、特命係に連れられ警察署へと連れて行かれた桂言葉は始終落ち着いた様子で署の警察官の取り調べを受けている。このまま容疑が固まると彼女は家庭裁判所へと移送され、裁決を受ける事になる。

 

「まるでサロメのような事件でしたねえ。」

 

 警視庁に戻ってきた杉下たちは事件が取りあえずの解決を迎えたことで一息ついていた。紅茶を一口飲んだ杉下はそんな呟きを漏らした。

 

「なんですか、そのサロメって?」

 

「『サロメ』は『幸福な王子』などで知られる作家のオスカー・ワイルドが新約聖書をモデルに作った戯曲です。この作品の中でユダヤ王の娘であるサロメはヨナカーンという男性に恋をします。しかし、ヨナカーンはサロメの誘惑を全く意に介さず、ついにサロメは父親の前で踊りを披露する代わりにヨナカーンの首を王である父に要求します。そしてヨナカーンの首を手に入れたサロメはその首に口づけをし、狂ったように踊るんです。その様子に恐怖した王は兵士たちに命じ、サロメを殺したところで物語は終わります。」

 

「なんというか、血なまぐさい話っすね。」

 

「ええ。恋に盲目になってしまうあまり、それしか自分にはないと絶望し破滅へと向かってしまう。それは本人たちにとっては幸せなことかもしれませんが、周りの人間にとっては悲劇以外の何物でもありません。」

 

「まったくもってその通りで。でも、この事件って結局誰が悪かったんでしょう?女性の心を弄ぶような真似をした伊藤誠か?結果的に桂言葉をダシにして伊藤に近づいた西園寺世界か?はたまた伊藤誠と関係を持った女の子たちか?」

 

「あるいは、子供たちの変化に気づかなかった、気付いても有効な対策をしなかった周囲の大人達。そして、桂言葉さん自身も富裕層としての金銭感覚の違いから、周囲の人間関係にずれを生んでいたようですからねえ。」

 

「…普通だったらただの痴話げんかで終わってた話が、多くの人間と悪意とすれ違い、そして無関心によって取り返しのつかない事件になってしまったわけですね。」

 

「ええ。人というのは誰しも他人を恨む気持ちがあります。だからこそ理性をもって自分を律し、他人を思いやることが出来るのです。それが出来なくなった時、人は感情の赴くままに動き、狂気へと身を落としてしまいます。そうなったが最後、悲劇の連鎖が始まるのです。」

 

「悲劇の連鎖ですか…」

 

 カイトは杉下の言葉を反駁し、お茶を飲む。杉下の言葉が正しいならば、自分たちは一先ず悲劇の連鎖を止めることが出来たのだろう。だがこうしている間にも、新たなる悲劇が生まれ続けている。

 

「それを止めるのが、俺たちの使命か。」

 

 カイトの小さな呟きは特命係しかいない部屋に、酷く響いた。

 

 

 

 

 日本から遠く離れたフランスはパリ。その郊外に門をアパートの一室に涙に腫れた目で虚空を見つめる清浦刹那という少女がいた。

 

「世界が死んだ…誠も死んだ…」

 

 昨日の夜、日本にいた頃のクラスメイトから国際電話で幼い頃からの親友と想いを寄せていた男子の不幸を知らされてから、彼女はずっとこの状態にある。そうしてずっと自問自答を続けている。

 どうしてこんなことになったのだろう?自分は親友に幸せになってほしかった。だからこそ、己の恋心に封をし、恨みを持たれることを覚悟で誠と桂さんの仲を引き裂き、親友の恋心に尽くしてきた。

 なのに何でこんな悲劇が起きてしまったのだろう!自分はただ、世界の恋を成就させてあげたかっただけなのに!

 答えの出ない問答をしているうちに刹那の目はスッと細くなる。

 

「桂…言葉…」

 

 そう呟いた彼女の目は光を写さぬ漆黒の物へと変わっていた。今日もまた、悪意が生まれる…




 次回予告!

 私の名前は矢木 明(やぎ あきら)しがない私立探偵だ。
 今回の依頼は人気スクールアイドルが通う古い学校で起きた幽霊騒動。たとえどんな依頼であれ、美人からの依頼は断らないのが私の主義だ。
 ところが、事態は幽霊騒動だけには収まらなかった。悪質ストーカー、脅迫文、不正経理、炎上魔、強盗事件、
 流石にこれだけの事件は一人じゃ荷が重い。だが、事件の解決に乗り出した探偵は私ひとりじゃなかった!

「どうしたんだよキング?こんな真昼間から。」

「マコト、池袋一のトラブルシューターの腕を見込んでお前に頼みたいことがある。」



「探偵さん、依頼人の方がきてますよ。」

「ようこそ『ああ探偵事務所』へ!さてさて、どんなご依頼でしょうか?」



「「「教授!事件だよ!」」」

「ふ~ん。どうやらこの事件からはキャベツの芯の臭いはしないみたいだね。」



「突然闇に消えた人影か…実に面白い。」




「お嬢様の頭の中はおんぼろ校舎並みに埃が被っているのですね。」

「クビよ!クビ、クビ!」




「矢木さん、この世に不思議なものなど何一つないんですよ。」




「なんだか大変なことになったわね、ホームズ。」

「にゃー。」


 なかなか凄いメンバーが集まりそうだ。だが私も負けてはいられない!必ずや学園で起こる事件を解決させて見せましょう!

 次回、多重世界の特命係 「探偵は学園に集まる」 こうご期待!

※登場人物や事件については変更する場合があります。また、製作期間は未定ですので気長にお待ちください。


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プレイデータ 1

マーロウ「さあ、いよいよ名探偵の出番だ!」

作者「ごめん、そっちよりも先に別作品のインスピレーションが湧いたからこっちから載せるわ。」

マーロウ「っ!!」

マーロウの活躍を楽しみにしてた方は本当にすいません。

※タイトルを変更しました。内容に変更はありません。


 その女の顔は絶望に染まっていた。彼女の身は無数の異形に囲まれており、今や遅しと目の前の獲物にとびかかる機会をうかがっていた。

 対する女はたった一人で身を倒し伏せ、身につけた鎧以外に彼女を守るものはない。もはや、女の命運が尽きているのは誰の目に見ても明らかであった。

 それでも女は諦める事が出来なかった。自分には帰る場所があり、帰りを待つ人たちがいる。何より、自分はこの地獄のような牢獄で2年間を生き抜いてきたのだ。こんなところで、あんな奴のために死ぬわけにはいかない。そう心を奮い立たせ、息を大きく吸い込むと叫んだ。

 

「お願い!誰か助けて!」

 

 あらんかぎりの力を込めて、今自分が出せる限りの声量で助けを求めた。だが、それに応える声はない。

 

「誰でもいいの!なんでもするから!お願い、助けに…」

 

 それから先は続けられなかった。一匹の異形が彼女に向かって爪を振り下ろした瞬間、それに続くように数多の暴虐が彼女の命を刈り取った。

 

 その現場から少し離れたところに、フードをかぶった長身の男性がいる。彼は遠くから聞こえる女性の叫び声を耳にすると、口を一文字に結び、その場を走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日もまた、警視庁捜査一課の伊丹は後輩の芹沢を連れて捜査を行っていた。現場は都内某所のアパートの一室。1LDKのごく一般的な部屋の浴場で被害者は見つかった。被害者の左手は水が張った浴槽の中に浸かっており、体は浴槽の縁に預けられていた。そして、浴槽内の水は赤く血に染まっており、反対に被害者の肌色は白蝋のように白くなっている。

 伊丹は顔に皺を寄せながら被害者の状況を確認すると傍らに立つ鑑識の米沢の声に耳を傾けた。

 

「死亡していたのはこの部屋に住む笹本正一、29歳。死因は見ての通り、手首の血管を切り、それを水につけていたことによる失血性ショック死だと思われます。死亡してから結構な時間が経っているようでして、いつまでたっても家賃の入金がないことから大家さんが様子を見に来たところ発見されたそうです。まあ、今が冬場でよかったですな。夏場だったらいろいろと大変なことに…」

 

「米沢、そういうのはいい。手首の切り傷以外に外傷はあったのか?」

 

「あ、いえ。詳しいことは解剖に回してみなければわかりませんが、目に付くところには何も。」

 

「だったら、ほぼほぼ自殺で決定だな。芹沢、家族には連絡はついてるのか?」

 

「はい。明日の朝にはこちらにつくそうです。」

 

「なら、あとは家族から話を聞いて現場検証に立ち会って亡くなったものがないか確かめてもらえば終わりだな。」

 

「果たして本当にそうなんでしょうかねぇ。」

 

 さっさと結論を出そうとし、切り上げようとする伊丹達だったがそれを止める声が一つ。伊丹は先ほどよりさらに顔にしわを寄せ声の主を見る。そこには毎度おなじみ、特命係と杉下とカイトがいた。

 

「確かに現場の状況をみると被害者は自殺したように思えますが、僕にはどうしても気になる点があるんですよ。」

 

「警部殿、いまさら勝手に現場に入ってくることをとやかく言う気はないんですけどねぇ、せめて来たなら来たで声をかけてもらってもいいですか?あと何が気になるのか説明してもらえませんか?」

 

 伊丹がこめかみに青筋を立てながら杉下に問い詰めるが、杉下は相変わらず涼しい顔で人差し指を上に立てた。そしてその指を自分の目の前に持っていく。

 

「コンタクトです。被害者は死亡時にコンタクトをつけてたんですよ。」

 

「コンタクト?それがいったいどうしたっていうんです。」

 

「先ほど部屋の中を見て回ったんですが、被害者は非常に使い込まれたメガネをお持ちでした。普通部屋の中にいるならコンタクトよりもメガネを使うのが一般的だと思うんですがねぇ。」 

 

「場合によっては自分の部屋でもコンタクトを使うんじゃないですか?」

 

「ええ、そうなんです。ですのでその場合とは何かと考えてみました。よく見ればこの部屋はごく最近に掃除された形跡があります。それと、被害者の財布の中に近所の散髪店の次回利用時のシャワー無料券がありました。日付によると被害者は1週間前にこの散髪店に行っているようです。」

 

「自殺しようとする人間が身の回りの整理をするのは別に珍しい話じゃないと思いますが。割とよくある話でしょう。」

 

 イラついた声で伊丹が答える。杉下の証言は自殺説をより強固なものにするように聞こえ、伊丹からすれば何故わざわざその様なことを言うのか見当がつかなかった。

 

「それにしては中途半端なんですよ。これを見てください。」

 

 そういって杉下は押入れの扉を開く。すると中から雪崩のようにモノが溢れ、崩れ落ちてきた。

 

「うわっ、なんだこれ。」

 

 伊丹は信じられないとでもいうように落ちてきたモノを見る。落ちてきたものの大部分はゲームの箱やフィギュア、それに漫画雑誌や単行本の束であった。

 

「御覧のように笹本さんは部屋を片付けたのではなく、とりあえず人目のつかないところにものを収納したいった風に見えます。それに加え、冷蔵庫の中には日持ちのしない食品がいくつか残っていました。これらを合わせて考えると、笹本さんは死に支度をしていたのではなく。」

 

「…部屋に人を入れるからとりあえず散らかったところを掃除したってことですか?」

 

 伊丹が杉下の推理を先回りして答えると、杉下は口元に笑みを浮かべる。

 

「まさしく、その通りです。後はどの時点で笹本さんが客人を招き入れたかです。」

 

「それによっちゃ、自殺じゃなくて他殺の可能性もあるわけか…まったく、相変わらず余計なところに目が付きますね。」

 

「いえいえ、細かいところが気になってしまうのは僕の悪い癖でして。」

 

「はいはい、わかりましたよ。とりあえずは自殺と他殺の両面で捜査を進めてみます。芹沢、ここ数日被害者の家に出入りした人間がいないか聞き込んでおけ。」

 

「わかりました。」

 

 伊丹の指示を受け芹沢は素早く現場を後にする。その間に杉下が米沢に司法解剖をするように頼んでいると、伊丹がズイと睨みつけてくる。

 

「いつものことですけど、特命係はくれぐれも我々の邪魔だけはしないようにお願いしますね。」

 

「それはもちろん。僕たちは捜査一課の邪魔だけは絶対にしませんよ。そうですね、カイト君。」

 

「ええ。そこだけは安心して下さい。」

 

 カイトが軽く答えると伊丹は忌々しそうに二人をにらみつけていたが、最後は舌打ちを二人に聞こえるようにすると顔をそらした。

 

「じゃあ、一通り現場も見て回りましたし、あとは本庁に戻って鑑識と解剖の結果待ちってとこっすかね?」

 

「そうですねぇ。今のところ特に見て回るようなところも…おやぁ?」

 

 杉下は崩れ落ちてきた物品の中からあるものを見つけると、手袋をつけた手でそれを拾い上げた。それは、一見すると2つのリングが並んだ円冠状の形状をしており、後部にあたると思われる部分からコードが伸びていた。

 杉下が興味深そうにそれを眺めていると、カイトが横から声を上げた。

 

「あっ、これってアミュスフィアじゃないですか?」

 

「あみゅすふぃあ?」

 

「はい。フルダイブ式のゲーム機ですよ。ほら、前にSAO事件の時にナーヴギアが問題になったじゃないですか。これはその後継機なんですよ。」

 

「なるほど、これが…」

 

 杉下は改めて手にしたアミュスフィアをしげしげと眺める。

 

 SAO事件

 

 日本犯罪史上、単独犯による犯罪としては最大最悪とされる事件である。1万人もの人間を巻き込み、約4千人もの犠牲者を出したその事件は、事件の特異性もあって警察と公安の共同捜査と被害者の救出活動が行われた。しかし、いずれの捜査及び救出作戦も事態を好転させるに至らず、結局ゲーム内での解決を持って事件は収束に向かった。だが事件解決から数か月がたった今も、その傷跡は深く、あらゆる諸問題が残されている。

 

「思えばあの事件、僕たちは何もできませんでしたねえ…」

 

「…そうっすね。」

 

 特命係にとっても、いや、警察組織全体にとってSAO事件は屈辱的な敗北といってもよい事件である。仮想世界という牢獄を前にして、さしもの杉下をしても手を出すことができなかった。

 杉下とカイトはしばしの間、苦い表情で目の前のアミュスフィアを眺めていた。いまだ、事件に未練を残すように…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警視庁へと戻ってきた杉下たちは鑑識室へと来ていた。鑑識室の机の上には現場から回収された証拠物件、ボードには事件に関する情報がまとめられている。

 

「被害者の解剖結果が出ました。死因はやはり失血性ショック死だったようです。なお、遺体に抵抗した跡や手首以外の外傷はなく、睡眠薬などの薬物薬物反応もなかったそうです。遺体の状況を見る限り、完全に自殺体ですが…」

 

「被害者の身長は190cm、体重は95㎏。失血で死亡するとなれば長時間傷口を水の中に浸しておかなければならないと思いますが。」

 

「ええ、傷の深さなどから、最低でも死亡までに数時間はかかったものと予想されます。つまり、その間被害者はじっと湯船に傷口をつけ続けたわけですな。」

 

「でも部屋の状況を見る限り死ぬ前の被害者の家を誰かが訪れてたかもしれないんですよね。まずはそれが誰か調べる必要があるんじゃないですか?」

 

「おそらく、捜査一課もその方向で動いているでしょう。米沢さん、被害者の職業が何かわかりますか?」

 

「それなんですが、どうやら被害者は無職だったようです。」

 

「あれ?そうだったんですか?」

 

 カイトが意外そうに反応する。被害者の笹本の家は物であふれかえっていた。当然それを購入するには金銭が必要になるはずで、1LDKとはいえ都内に住む以上其れなりの蓄えと収入が必要になると思っていたのだった。

 だが資料を読んでいた杉下は更にカイトの予想を裏切っていく。

 

「それどころか、笹本さんはここ3年働いていた記録がありませんねぇ。前職は派遣社員だったということでしたので、それほど蓄えがあったとは思えません。にも拘らず、借金や親から仕送りを受けていた形跡もありません。」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!じゃあいったいどうやって生活していたっていうんですか!」

 

「その答えがこれです。」

 

 そういって杉下はカイトに1枚の紙面を手渡す。そこに書いてある文言を読んでカイトは目を丸くする。

 

「SAO被害者生活保障金?」

 

「はい。SAO事件の被害者、とりわけ社会人だった方々は多くの場合が職を失いました。事件解決後もリハビリや社会復帰までの訓練などで生活支援が必要となり、それの救済として政府が給付金などを支給しました。これはそれに関する書類です。」

 

「つまり、笹本さんはSAO事件の被害者だったってことですか?」

 

「その可能性が高いかと。」

 

 つまるところ、笹本の生活資金は政府からの生活給付金であったのだ。そして事件現場にはSAO事件の引き金となったともいえるゲーム機の後継機が残されていた。

 

「今のところ、SAO事件と今回の事件をつなげる有力な証拠はありません。しかしながら、少々気になりますねぇ。」




というわけでSAOとのクロスです。
久々に一揆見したところ神の啓示のごとくアイデアが浮かんできて、もうこれは書くしかないなと思い、書いてしまいました。
見切り発車の部分もありますが割と自信作なので楽しんでいただけると幸いです。
なお、SAO側の登場人物は次回以降登場します。


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プレイデータ 2

今エピソードにおいて、SAO側の設定に関し年代など幾つか変更点があります。
あくまでこの作品は相棒メインなのでご了承下さい。

あと、登場人物等に違和感がありましたら、感想欄などでご指摘ください。


 ところ変わって警視庁サイバー犯罪対策課の執務室にて、専門捜査官 岩月彬(いわつき あきら)巡査部長は不機嫌な表情を隠そうともせず突然現れた訪問者2人を胡散臭げに見ている。

 

「それで?特命係は今日はどんな厄介事を持ち込んで来たんですか?」

 

「いや、別に厄介事を持ってきた訳じゃ無いですよ。ただ、ちょっと岩月さんに聞きたいことがあってですね。」

 

「特命係が話に聞きたいって言ってくる時点で厄介事じゃないですか。」

 

 そう言って岩月は小さくため息をつく。

 それを了承と判断し、杉下は用件を切り出す。

 

「SAO事件について教えて頂きたいのですが。」 

 

「よりによってそれですか…」

 

 岩月の目が細くなり、執務室には剣呑な雰囲気が立ち込める。

 

「岩月さんなら、あの事件にも何かしら知っているのではと思ったものでして。」

 

「まあ、この部署で働いている以上、無関係では要られませんでしたよ。それに、僕自身あやうく巻き込まれるところでしたから。」

 

「…もしや岩月さんも」

 

「予約してました。けど、緊急の仕事が入ったんでゲーム内に閉じ込められずに済んだんです。あれっきりですよ、残業になって良かったと思ったのは。」

 

「それはまた、幸いでしたね。」 

 

「でも、其処からが本当の地獄でしたよ。毎日毎日ナーヴギアを装着した被害者の元を訪れて調査するんですけど、時折ブツッて音がするんです。ゲーム内で死んだプレイヤーの脳が焼き切られる音でした。」

 

 そう語る岩月の顔には影が落ちる。その表情は一人の警察官としての岩月の無念が伝わってくるものだった。彼は間違いなく地獄を見たのだろう。

 

「正直、あの時は本気で警察を辞めようと思いましたよ。こんな時なにも出来ないじゃ、警察にいる意味なんてないって。」

 

「あの事件において警察は完全に無力でしたからねぇ。家族が亡くなった事を遺族に伝えることしか出来ませんでしたから。」

 

「だから事件が解決した時は喜び半分、無力感半分って感じでしたね。そんな感じたったんで特命にはあまり有益な情報は話せないと思いますが。」

 

「では、一つだけ。これを見ていただきたいのですが。」

 

 そう言って杉下は笹本の家から回収したファミスフィアを岩月に手渡す。

 

「これは、アミュスフィアですか?」

 

「ご存知でしたか。」

 

「まあ、僕も家に1台持ってますし。」

 

「では、これを装着した人間の意識をゲーム内に閉じこめ、その間に殺害することは…」

 

「不可能です。」

 

 即答だった。反論の余地もなく岩月は杉下の推理を両断する。これには杉下も思わず閉口する。

 

「理由を教えていただけませんか?」

 

「SAO事件後、ナーヴギアは全て回収され、生産も中止されました。その後継機として作られたアミュスフィアには事件の反省を踏まえ、徹底的に安全性を追及すると共にログアウト機能が統一され仮想空間内に精神が閉じこめられない様に工夫がされています。更に外部から刺激を受けた場合すぐにプレイヤーに異常を知らせる機能を着けることが法律で義務化されています。それらが正常に作動するかチェックをクリアしたものしか市場には出回らないのでプレイヤーがゲーム内に閉じこめられる事は現状ではあり得ません。」

 

「でも例えば改造されてそういった安全機能が解除されていたら…」

 

 たまらずカイトが反論するが岩月はそれを鼻で笑う。

 

「メーカーもそれを見越して対策をとってますよ。もし改造を施したとしても調べればすぐに解ると思いますけど?」

 

 岩月の説明にカイトぐうの音も出せず黙り込む。こうも分かり易く説明された以上、当初の考えを改めなければならないのでは、とカイトが思い始めていると、その横から杉下が岩月に詰め寄る。

 

「ではもし、製品の安全チェック前、例えば試作品などが会社の人間によって持ち出されたとしたらどうでしょう?」

 

「それなら確かにゲーム内に閉じこめられる様に改造出来るかもしれませんけど…まさか、制作会社を調べに行く気ですか!」

 

「そうする価値は十分にあると思います。」

 

 そう言って杉下は悪戯っぽく笑う。それを見た岩月とカイトは、そこはかとなく嫌な予感を感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 特命係に岩月を加えた3人はその日の内にアミュスフィアを制作、販売をしている『レクト』の本社ビルを訪れていた。

 

「てか、良かったんですか岩月さん?俺達についてきたりして。」

 

「別に暇でしたし、貴方達を放っておくと先方にどんな迷惑が掛かるか分かったものじゃないですから。監視の意味も込めて付いていかせてもらいます。」

 

「はあ…」

 

 いまいち納得出来ない点もあるがカイト達も前科が有るため強く言えず、結局岩月を連れていく事になってしまった。

 とはいえ、納得出来ずにいるのはカイトだけであり、杉下は初めから岩月が付いてくる事に関しては特に思うことはない。

 

 身分を明かし、開発部門の人間に用件があることを伝えると杉下達はすんなりとオフィス内に入ることが出来た。

 案内係に連れられ社内を進んでいくと、やがて開発部署と表札が掲げられた、階までたどり着いた。

 その階全てのフロアが開発部門専用に使われていると案内係に説明され、カイトが驚いていると白衣を着た研究員風の男性が3人の元へ歩み寄ってくる。

 

「いやいや初めまして。ここの開発部長をしています、松永です。」

 

「どうも初めまして。警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐亨です。」

 

「ご丁寧にどうも。ん?そちらの方はもしかして…」

 

 岩月の方へ目を移した松永は少し驚いた様な表情を見せ、岩月は松永に微笑みかける。それは普段の岩月を知る特命係の2人からすれば少々珍しい光景だった。

 

「お久しぶりです、松永さん。その節はどうも。」

 

「ああ!岩月君じゃないか。久しぶり!どうしたんだい今日は!」

 

「えーと、今日は此方の2人の付き添いの様なものです。」

 

「そうか、君は警察官だったね。どうも君が警察官と言うのがピンと来なくてね。今からでも此方に来る気は無いのかい?」

 

「すいません。結構いまの職場も居心地が良いもんで。」

 

「そうか…まあ、何かあったら相談してくれ。会社には私から口利きするから。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

 苦笑いを浮かべつつ岩月が謝意を示す。その様子を見ていた杉下が横から口を挟む。

 

「失礼、岩月さんと松永さんはお知り合いのようですが?」

 

「ああ、はい。岩月君とはSAO事件の後処理の時に一緒に。本当に良い人材ですよ。前も1回スカウトしたんですが袖にされてしまいましてね。」

 

「買いかぶり過ぎですよ。本職の人に比べたら…」

 

 謙遜する岩月だが悪い気はしてないらしく口元に笑みが浮かんでいる。

 

「おっと、肝心の用件を忘れてました。立ち話も何ですのでどうぞこちらへ。」

 

 そう松永は促し、杉下達をフロアの奥へと案内する。

 休憩室と記され他のフロアから区切られた場所まで移動すると、3人は椅子に腰を下ろし松永に対面する。

 

「えーと、じゃあ改めまして。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「実は見て頂きたいものがあるのですが。」

 

 そう言って杉下は岩月に見せた時と同じように袋に入れられたファミスフィアを松永に渡す。

 

「このアミュスフィアが何か?」

 

「これはとある事件現場で発見されたものなのですが、どこか不審な点はないでしょうか?」

 

「そういわれましても、ん?ちょっと待ってください。」

 

 戸惑いがちにファミスフィアを手渡された松永だったがアミュスフィアを手にした瞬間、目付きが変わる。

 

「そんなまさか…これはライトモデルじゃないですか!」

 

「ライトモデル?」

 

「ええ。デザインは従来を踏襲しつつ、軽量化して装着時の負担を最小限に抑えた我が社の新作です。来月正式に発表する予定でまだ外部には秘匿されているこれがなんで…」

 

 松永の証言を耳にし、3人の警察官の間に緊張感が走る。

 

 外部に秘匿されている新製品なら、まだ製品審査受けておらずセーフティ機能も未実装の可能性がある。

 

 松永の証言によって図らずも杉下の推理が現実味を帯始め、殺人の疑いがより強固になった。

 

「松永さん、もしこのライトモデルを持ち出せるとしたら、どういった人なら可能でしょうか?それと、ライトモデルの存在を知っている社員はどの程度いたのでしょうか?」

 

「そ、そうですね。役員以上の社員なら全員知っていると思います。ただ、持ち出すとなると、保管室の暗証番号を知っていないと出来ないので開発部の人間か専務以上の人間でなくては…」

 

「ありがとうございます。松永さん、今のお話が本当なら非常に重要な証言になります。どうかこの話は他言無用でお願いします。」

 

「は、はい。分かりました。」

 

 杉下の剣幕に押され、松永は首を縦に振って同意を示す。

 すると丁度良いタイミングで若い研究員が休憩室に顔を覗かせる。

 

「部長、まもなくテストプレイが終了します。」

 

「もうそんな時間か。分かったすぐ行く。君は先に行っててくれ。」

 

 若い研究員を下がらせた松永は3人に頭を垂れる。

 

「申し訳ありません、ちょっとまだ仕事が残っていますので今日はここまででよろしいでしょうか?」

 

「いえいえ、こちらこそ忙しい時にすいません。じゃあ杉下さん、今日はこの辺で…」

 

 カイトは重要な証言を得たことで、1度事件背景を洗い流す良い機会だと思い、杉下達と共に警視庁に帰ろうと考えていた。

 だが、杉下は微塵もそんな事は考えていなかった。

 

「もしよろしければ、松永さん達の仕事場を少し見せて頂けないでしょうか?」

 

「……はい?」

 

 杉下の申し出に困惑する松永を横目見つつ、カイトと岩月は揃って溜め息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 研究室に着くと部屋には白衣姿の男性と女性が2人ずつと、私服姿の10代と思われる少女がベッドを囲んでいた。

 ベッドの上にはこれまた10代と思われる少年が体を起こし、頭に装着したアミュスフィアを取り外している。

 彼に真っ先に声を掛けたのは私服の少女だった。

 

「お疲れ様、キリト君。どう、調子は?」

 

「やっぱり徒手格闘アクションは俺には難しいな。剣の方が俺にはあってるよ。」

 

「そんな事言って、初見でコンボ使ってたでしょ。」

 

「そこは今までの経験ってやつだよ。ところで松永さんの後ろにいる人は…」

 

 キリトと呼ばれる少年の一言で他の5人は漸く松永達が部屋にいることに気づく。

 

「いやぁ、みんな、お疲れ様。こちらはある事件で捜査協力を求めてきた警視庁の刑事の杉下さんと甲斐さん、それと岩月君だよ。少しみんなの仕事場を見学させて欲しいんだそうだ。」

 

 松永から説明を受け、研究員達は動揺した様子でぎこちなく頭を下げる。そんな中、研究員の中で背の高い男性が杉下に近づき握手を求めてくる。

 

「初めまして。ソフト開発の開発リーダーを勤めさせてもらってる岡部慎吾です。あちらの眼鏡を掛けている男性がグラフィック担当の柴田政夫研究員。女性で眼鏡を掛けているのが記録管理を担当する浜中澄子研究員。銀髪の彼女が戦闘システムを担当するアンナ・ペリエ研究員です。」

 

 岡部の紹介を受け、杉下達も返礼をする。

 

「どうも初めまして。警視庁特命係の杉下です。ところで、先程から気になっていたのですが、そちらの御二人はいったい?」

 

 杉下が所在なさげにしている少年と少女に目を向けつつ問いかけると、松永がそれに返答する。

 

「ああ、女性の方はレクトの元CEOの娘さんの結城明日奈さん。そして彼は明日奈さんの友人の桐ケ谷和人君です。本日は桐ケ谷君にテストプレイヤーとして明日奈さんの付き添いのもと来てもらったんです。」

 

「テストプレイヤー?」

 

 聞きなれない単語にカイトが疑問符を浮かべていると、横にいた岩月が説明をする。

 

「テストプレイヤーっていうのは、ゲームに問題は無いか、難易度は適当か、そして何より面白いかを実際にプレイして確める人の事です。基本的には会社の人間やゲーム界隈でも名の知れたプレイヤーが選ばれるんですけど、特に優秀なプレイヤーの場合は企業から報酬を貰ってプレイする事もあるそうですよ。」

 

 岩月の説明を受けカイトがテストパイロットの様なものかと感心していると、松永がやや興奮した様子で話しかけてくる。

 

「そうなんですよ。しかも、桐ケ谷君はあのソード・アートオンラインからの生還者で、ゲームの攻略に大きく貢献し事件の解決に導いた英雄として知られているんです。」

 

「やめて下さいよ松永さん。ゲームの攻略は俺1人じゃなくてみんなの力で出来たようなものなんですから。正直、英雄なんて呼ばれるのもあんまり…」

 

 そう松永の言葉を否定する和人少年の前に杉下が素早く身を寄せる。

 

「なるほど君はSAO事件の生還者なのですね!出来ればその時の話を聞かせて頂けないでしょうか?詳しく、正確に!」

 

 中年男性から熱烈とも言える申し出を受け和人、その隣にいる明日奈が若干引いてしまったのは恐らく無理からぬ事だろう。

 

 

 



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プレイデータ 3

 杉下たちは和人と明日奈を連れてレクトの社員食堂へと移動した。さすが大企業の食堂というだけあって、内装は清潔感を持ちつつ凝った造りをしており、メニューも豊富だ。

 杉下は6人掛けの席に和人たちを座らせると、食堂の外の自販機で買ったジュースを二人の前に置いた。

 

「どうぞ、僕のおごりです。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

 和人と明日奈はを緊張した様子で。二人からは少なからず居心地の悪さが感じ取れる。いきなり警察を名乗る人間から話を聞きたいと言われれば、二人が高校生であるのを抜きにしても仕方ない事だろう。

 そんな二人を安心させるように微笑むと、杉下は呼び出した訳を語り始めた。

 

「実は私たちは現在とある事件の捜査を進めています。その事件の被害者がSAO事件の生還者だという事でしたので、同じくSAO事件の生還者である桐ケ谷君に事件当時の様子についてお話を聞きたいと思ったんですよ。」

 

「ああ、そういう事だったんですね。」

 

 理由を説明され和人は漸くほっと息をつく。横に座る明日奈も同じく安堵した様子を見せる。それを確認し杉下は質問を開始した。

 

「まずはこちらの方をご存じないでしょうか?」

 

 そう言って杉下が懐から出したのは笹本の写真である。その写真をじっと和人は見ていたが、やがて顔を上げると首を横に振った。

 

「すいません。俺は初めて見る顔です。明日奈は知ってるか?」

 

「ううん。記憶には無いわね。」

 

「おや、その様子ですともしや明日奈さんも?」

 

「はい、SAOの中に居ました。でも、この人の顔には見覚えがありません。流石に1万人もプレイヤーがいましたから…」

 

 二人の回答はある程度予想できたものであった。運が良ければ二人と笹本が知り合いだったらと期待しただけであり、むしろ本命は次の質問にあった。

 

「では、SAO内でプレイヤー同士のトラブルにはどういったものがあったでしょうか?」

 

「トラブルですか?」

 

「ええ。仮想世界内というのはやはり現実世界とあらゆる点で相違があると聞いています。なにぶん僕たちはそちらの方面に疎いものでして、経験者の桐ケ谷君と結城さんには是非とも知恵を貸していただきたい次第なんですよ。」

 

「そうですねぇ…結構現実世界と同じようなトラブル、っていうか犯罪行為はありましたよ。喧嘩だったりアイテムの窃盗、結婚システムを利用した詐欺もありました。あとは…」

 

 和人はそこで言葉を言い淀み、悩ましげに眉間に皺を寄せる。その様子を見て杉下が声をかける。

 

「…どうかしましたか?」

 

「あ!いえ、大丈夫です。あとは、その…PKもありました…」

 

「PK…と言いますと?」

 

「プレイヤーキルの略で早い話がゲーム内で他のプレイヤーを攻撃して、体力をゼロにしてリタイヤさせることです。」

 

 和人の説明を受け、カイトは驚愕し思わず声を上げる。

 

「えっ!でも、SAO内じゃゲームの中でも死んだら…」

 

「はい、ゲームオーバーの瞬間、脳が焼き切られ現実でも死にます。」

 

 和人の言葉は経験者が語るだけに重みがあり、日常的に人の死と接する機会のある3人でさえ閉口するものであった。

 

「しかも、PKをすることを目的とする殺人ギルドの様な快楽殺人集団まで存在していて、かなりの数の犠牲者が出ていたはずです。」

 

「ちょっと待ってくれ!なんでそんな…」

 

 遂にカイトの理解が及ばぬ範囲にまで話が広がり、たまらず詰問するような口調で和人に詰め寄ろうとする。しかし、杉下と岩月が冷静にカイトの腕をつかむと、問答無用で椅子に座らせた。

 

「少し冷静になってくださいカイト君。桐ケ谷君たちに凄んだ処でどうにもなりませんよ。」

 

「あぁ、すいません。」

 

「それと、これは僕の私見ですが、やはりゲーム内という特殊な環境が彼らを殺人へと導かせたのではないでしょうか?彼らとしてはゲームで遊んでいるだけ。いくら言葉で人が死ぬと教えられたところで感覚として遊びの延長戦である以上、真の意味で人の死を実感する事は出来なかったのでしょう。」

 

「はい。俺が殺人ギルドの奴らと対峙した時もそんな感じでした。どこまでも遊び半分って印象で、殺し合いをしている時もあいつらは笑ってました。」

 

 恐らくその時の記憶が蘇ったのか、和人は苦しげに顔を歪ませる。明日奈はそんな和人の肩を持つと心配げに顔を覗き込み、何かを一言二言口にした。

 和人は明日奈の言葉に頷き返すと、ゆっくりと息を整え杉下の目を見据える。

 

「話を続けます。殺人ギルドに関してはプレイヤー間でも問題になったんです。だから、希望者を募って討伐隊を組織し、ギルドの拠点を襲撃したんです。それ以降、殺人ギルドはほぼ壊滅状態になって、目立った活動も行われませんでした。」

 

「なるほど。では、その殺人ギルドに所属していた人間以外でトラブルを起こした場合の処置は無かったのでしょうか?」

 

「ほかのプレイヤーを攻撃した場合、ゲーム内で表示されるカーソルがオレンジ色に変わるんです。そうなると、そのプレイヤーが犯罪を犯したことが周りにばれるんで街で買い物をしたり、チームを組む際に大きな障害になるんです。それに、あまりにも悪質なプレイをするプレイヤーはさっき言ったみたいに討伐隊や依頼を受けたプレイヤーに捕まってゲーム内にある牢獄に入れられるんです。」

 

「なんかそういう話を聞くと、現実世界とあまり変わりない気がするな。」

 

 カイトが感想を述べると、和人は首を縦に振って同意を示した。

 

「はい。2年間、あの世界で過ごしてきた俺たちにとってはあの世界はまさしく現実でした。衣食住を必要とし、ゲームオーバーは現実の死と直結する。SAOはゲームであっても、遊びじゃないんです。」

 

「ゲームであっても、遊びじゃない…ですか…」

 

 和人の言った言葉を杉下は自然と復唱する。その言葉はやけに杉下の耳に染みついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 警視庁捜査一課が表札を構えるフロアの喫煙室にて、芹沢はため息を吐きつつスマホを操作し、メールを打っていた。送り先は芹沢の彼女である。内容は最近仕事が忙しく構ってあげられない事に対して謝罪するものであった。

 もし、今回の事件が長引くようなら増々彼女の機嫌が急降下することは目に見えている。そう考えると芹沢のテンションもまた急降下する気分である。

 

「はぁ…どうにかなんねえかなぁ…」

 

 そんな、がっくりと肩を落とす芹沢のもとに近づいてくる人影があった。

 

「お疲れ様っす、先輩。」

 

「ん?ああ、何だカイトか。どうしたんだ?杉下警部に言われて捜査一課の偵察にでも来たのか?」

 

「そんなんじゃないっすよ。ちょっと先輩に見てもらいたいものがあって。」

 

 そう言ってカイトはポケットから2枚のチケットを取り出した。

 

「ん?なんだこれ?って、これ765プロの新春ライブのチケットじゃないか!しかもS席って…」

 

「たまたま伝手があってもらえたんすけどね。よかったら先輩に上げますよ。」

 

「え!?いいのかよ。これってなかなか手に入らないモノだろ。」

 

「まあ、貰い物ですし。それに先輩の彼女って菊池真ちゃんのファンですよね?やっぱりどうせ観に行くならファンが観に行かないと。」

 

「わ、悪いなカイト。でも本当に嬉しいよ。ありがとう。」

 

「いいですよ別に。んんっ!ところで一課の方はどこまで捜査は進んでますか?」

 

 先ほどとは打って変わって喜色を浮かべる芹沢の顔を確認し、カイトは咳払いをすると話を変える。

 その理由と手元にあるチケットの意味を察し、芹沢はカイトの腕をとって喫煙室の奥まで連れていく。そして、周りに人がいない事を確認すると、声を潜めてカイトの耳元で囁く。

 

「実を言うとな、笹本の死は自殺なんじゃないかって声が強くなってきてるんだ。」

 

「えっ!本当ですか!」

 

「ああ。どうやら笹本は就職に苦労してたらしい。2年間もゲーム内にいたうえに前職は派遣社員。その派遣会社もSAO事件を機に契約を打ち切られている。笹本の部屋からは書きかけの履歴書と企業からの合否通知が残されていた。まあ、結果はお察しだったけどな。」

 

 芹沢はタバコを取り出すと口に咥え火をつける。

 

「将来を考えると、どうしても正社員を狙いたかったみたいだぞ。前の派遣先もあと3か月も働けば正社員に昇格出来てたそうだしな。おまけに笹本は29歳。年齢的に焦りも出る。だが、過去2年の経歴はずっとゲームをしてきただけ。しかも寝たきりだったから体力も落ちるとこまで落ちてる。アルバイトさえままならなかったそうだぞ。そうこうするうちに、政府からのSAO被害者向け生活保障金の支給期限も終わろうとしてたんだ。

 就職もできない。補償金の支給も終わる。そうした現実に絶望し自殺したって意見が出てきてもおかしくないさ。」

 

「…でも確かに、その話を聞くと笹本は追い詰められてたって気がしてきますね。」

 

「そうだな。でもこれは笹本に限った話じゃないぜ。SAO事件の影響で生活基盤を失った人間はたくさんいる。元の職に復帰できた奴は余程環境に恵まれていたか、能力が秀でてた奴くらいさ。今こうしてる間にも自殺を考えている被害者はいるだろうよ。そういう人間にとっちゃSAOはまだ終わってないのかもな。」

 

 芹沢はそう締めくくると口から白い煙を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか、笹本さんはそのような状況にあったと。」

 

 カイトは特命係の部屋に戻ってくると、すぐに芹沢から聞いた話を杉下に報告した。部屋には岩月もおり、何やら機械をいじっている。そして、机の上にはアミュスフィアと現場にあったアミュスフィア用のソフトが置いてある。

 

「ええ。でも現場や被害者の状況から見ると、殺人の線は捨てれませんよね。アミュスフィアの出所もまだわからないですし。ってか、さっきから岩月さんは何やってるんですか?」

 

「現場で見つかったアミュスフィアをセッティングしてるんですよ。杉下警部から頼まれて。っと、これで終わりです。いつでも起動できますよ。」

 

「ありがとうございます。ではカイト君、さっそくですが装着してください。」

 

「えっ!?俺がですか?」

 

「はい。さあ、早く。」

 

 有無を言わせぬ杉下に押され、カイトは渋々と言った様子で渡されたアミュスフィアを頭に装着し椅子に座る。そして、ゆっくりと目をつむると小さく息をついた。

 

「…リンク、スタート。」

 

 その言葉と共にカイトの意識は仮想空間に落ちて行った。

 

 

 

 

 再び目を開いたカイトの眼前には真っ白な空間が広がっていた。そこには文字通り何もなく、床や天井の位置さえも定かではない。

 

「これが仮想空間。何にもないけどこれからどうしたら…って、いたたたたたたっ!」

 

 突如右手の項に痛みを感じ、カイトは叫び声を上げる。慌ててログアウトしようとするが、眼前に表示されるはずのメニュー画面はいつまでたっても表示されない。

 

「おい!どうなってるんだよクソッ!」

 

 悪態をつくも状況は変わらない。だが暫くすると右手の痛みは引いていき、目の前に広がっていた真っ白な空間は消え、カイトの眼前は一転して真っ暗になった。

 

 

 

 

「おはようございます、カイト君。気分はどうですか。」

 

 カイトが目を覚ますと、目の前には杉下がいた。その手には自分が装着していたはずのアミュスフィアが握られている。

 

「どうですかじゃないですよ!いったい何をしたんですか!」

 

「ちゃんとログアウトできるのか君の手の甲をつねって試してみたんです。その様子からすると、どうやら近くにいる人間が無理やり外す以外にログアウトする事は出来ないようですねぇ。」

 

「ああ、確かに。ゲーム内ではログアウトどころかメニューを開くことさえ出来ませんでしたからね。ていうか、確かめるんなら初めに言っといてくださいよ。吃驚したじゃないですか。」

 

 カイトが抗議すると杉下は小さく頭を下げる。

 

「これは失礼。しかしながら、これで被害者の死亡時の様子が分かってきました。おそらく笹本さんはカイト君と同じようにこのアミュスフィアを装着し、意識をゲーム内に閉じ込められていたのでしょう。その間に何者かが笹本さんの手首を切り、傷口を大きめのバケツなどを使って水に浸した。そして、笹本さんが失血多量で死亡すると死体を浴室まで運び、浴槽にバケツにたまった中の水を浴槽に入れ傷口を水に浸し、あたかも笹本さんが自殺したかのように見せかけた。」

 

「だとすると、被害者はゲーム内で状況も分からないままゆっくりと死んでいったわけですか。ひでぇ事をするもんだ。」

 

 カイトは当時の状況を想像し顔を歪める。杉下の仮説が正しいならば、被害者は想像できないほどの絶望と恐怖を味わいながら一人孤独に死んでいったことになる。その辛さはつい先ほど意識を閉じ込められ、苦痛を与えられるカイトには痛いほどよくわかった。

 

「あとはいったい誰がこれを被害者に装着させたのかですけど…」

 

「おっす、暇か?」

 

 重苦しい雰囲気が漂う中、それを割くように明るい声が特命係の部屋に響く。警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策5課の課長、角田である。

 

「はあ…課長今日はいったい何の御用ですか?」

 

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん。いやさ、なんか特命が柄にもなく暗いからさ。あっ!これってアミュスフィアじゃない!」

 

 角田は子供のような笑顔でアミュスフィアを手に取る。それを見かねてカイトが注意する。

 

「課長、それいま捜査している被害者の私物ですよ。しかも、重要な証拠品なんですから、丁寧に扱ってくださいね。」

 

「大丈夫だよ。週末はいつもこれで子供と遊んでいるからさ。おっ!これ、被害者が持ってたソフトかな?どれどれ…『拳聖』『ジャッジメント・ダークナイト』『イタミン2』『マン・イーター』、へぇー、どれもいいソフトだけど、なんか偏ってるね。」

 

「偏ってる?いったいどういう事ですか?」

 

 角田の言葉に引っ掛かりを感じ杉下が尋ねると、角田は嬉しそうに答えた。

 

「ん?ああ、ここにあるやつ全部徒手格闘アクションなんだよね。ゲームの中で実際に動いて自分の拳で戦うやつ。まあ、所詮ゲームだから殴られても実際に痛いわけじゃないんだけど。」

 

 角田の返答を聞き、杉下の脳裏にレクトの開発部で言葉がよぎる。

 

『やっぱり徒手格闘アクションは俺には難しいな。』『特に優秀なプレイヤーの場合は企業から報酬を貰ってプレイする事もあるそうですよ。』

 

「なるほど、そういう事もあり得るわけですね。」

 

 そう呟いた杉下の口許には小さく笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 




ゲームの元ネタが分かる人は多分結構な相棒ファン。


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プレイデータ 4

当初の予定より少々長くなりそうです。
其れでも7話くらいで終わると思いますが。


角田課長から話を聞いた後、杉下たちはすぐさま岡部をはじめとするレクトのソフト開発チームについて調べ始めた。

 それによって分かったのは次の通りである。

 岡部たちは元々高校のゲーム研究会のメンバーであり、高校卒業後も大学は違えど関係は続いていた。

 やがて、レクトの子会社に就職した岡部はその才能を存分に発揮しヒット作を次々と生み出し、ついには本社へと引き抜かれるようになった。その際、それぞれ別の会社に就職していた研究会のメンバーを呼び、結成したのが現在の開発メンバーである。

 だが3年前、悲劇が起こる。当時メンバーであった浜中澄子と佐藤美月がSAO事件に巻き込まれてしまったのだ。

 岡部たちは二人が返ってくることを信じ、会社に頭を下げて二人の席を残してもらい、いつ帰ってきてもいいように準備したのだった。

 しかし、彼らの願いは半分しか叶わなかった。事件発生から2年が経とうとしていたある日、ついに佐藤はゲーム内で死亡し、現実の彼女も二度と目を覚まさなくなってしまったのだった。

 浜中は何とか生還することが出来たものの、一人減ってしまった開発チームには暗い影が差してしまう。

 それでも、無くなってしまった佐藤の為、彼女が作りたがっていた誰でも簡単にプレイでき、全員が笑顔となるゲームを作るために4人は再び前を向いて歩いていくのだった。

 

「というのが、先月発売されたゲーム専門誌で彼らについて特集した記事に書いてあったことです。」

 

「要するに、岡部さんたちはSAO事件で大切な友人を一人失っているというわけですね。」

 

 カイトが資料として見つけてきた記事の内容を説明すると、杉下が紅茶を一口飲んでそれを纏める。

 非常に完結に纏めてはいるが、笹本と岡部たちの開発チームを結び付けるうえで非常に重要な情報である。

 

「加えて、笹本さんは定職に付けなかったにも拘らず、ここ最近何本もゲームソフトを購入していた。それも、徒手格闘アクションに限定してです。そして岡部さんたちが開発しているゲームも徒手格闘アクションだとすると、偶然の一致にしてはあまりにも出来すぎてますねえ。」

 

「ええ。例えば、テストプレイヤーをやってほしい。上手にできたら今後も仕事として依頼したいと言われたら、就職に困っている人間ならすぐに飛びついてしまうかもしれませんよね。」

 

「そうして特殊な改造を施したアミュスフィアを付けさせ、笹本さんを殺害する。恐らく、前もって家を訪問することを知らされていたでしょうから、笹本さんも座布団やお茶請けを用意していたのかもしれません。

 しかし、それは犯人にとって笹本さんを自殺に見せかけるには不都合なものだった。なので、殺害後に犯人はそういったものを片付けようとしたのでしょう。ところが!」

 

「現場の押し入れは被害者が物を押し込みまくってた所為で開けると雪崩が起きるようになっていた。当然犯人は慌てて現場を片付けようとするが、誤って自分が持ってきたアミュスフィアを押し入れに入れ、被害者のアミュスフィアを持ち帰ってしまったってわけですね。」

 

「恐らく、そういう事でしょう。」

 

 事件の全容が一気に広がりを見せ、杉下とカイトは興奮したように捲し立てる。だが、一通り推理を並び立てると一転して冷静な面持ちになる。

 

「あとは証拠だけなんですけどね。」

 

「犯人がいまだに笹本さんのアミュスフィアを持っていればいいのですが、事件からすでに1週間以上経過していますからあまり期待は出来ないでしょうねぇ。」

 

 ここにきて、事件発覚が遅れたことが重く響いてくる。初動捜査の段階で犯人に証拠を隠滅する時間を与えてしまったのは捜査において大きな痛手だ。

 

「あるいは、笹本さんと岡部さんたちのチームが接触を持っていた証拠さえあれば、そこから突き詰めていくことも可能かもしれません。できれば何かしらの記録媒体に残っていれば尚良いのですがねぇ。」

 

「記録…そうだ!記録ですよ、杉下さん!」

 

 杉下の言葉が切っ掛けとなり、カイトの脳裏にある考えが浮かんだ。カイトは喜々としてその考えを語る。

 

「岩月さんが言ってましたよね?ナーヴギアはすべて回収されたって。それはつまり、ナーヴギアに記録されているプレイデータも一か所に集められてるって事じゃないですか。その中から笹本のプレイデータを見つけることが出来れば、笹本と死んだ佐藤さんの繋がりお見つけられるかもしれませんよ。」

 

「なるほど。君にしてはなかなか目の付け所がいい。」

 

「それって誉めてます?」

 

「ええ、大いに。確かナーヴギアの回収はレクトが主導して行っていたと記憶しています。なのでSAOの個人のデータ管理もレクトが行っているのではないかと。」

 

「流石にアポなしデータを見せてくれって言っても直ぐには通らないでしょうね。杉下さん、俺が今からレクトに問い合わせてきます。」

 

「お願いします。」

 

 思い立ったら吉日とばかりにカイトはすぐさま行動を起こし、レクトへと問い合わせの電話を入れた。

 それからきっかり1時間後、特命係は刑事部長部長の呼び出しを受ける事になる。

 

 

 

 

「貴様ら、凝りもせずまた余計な事をしているようだな。何度言わせれば気が済むんだ!」

 

 厳つい顔を此れでもかと憤怒に染め、内村刑事部長は吐き捨てる。その様子から、今回ばかりは口答えをしない方が賢明だと判断し、杉下とカイトは口を噤む。ついでに神妙な表情を作り、目線を僅かに下げることで反省してますアピールをする。

 

「しかもよりによってSAO事件のプレイデータが見たいだと。今更あの事件に関わろうとするなど正気とは思えんな。」

 

「いや、別に俺たちはSAO事件について調べようとしたわけじゃ…」

 

「黙れ!貴様らが余計なことに首を突っ込んで後味のいい結果に終わったことなど無いんだ。これ以上警察の看板に泥を塗るようなことをするなら、二度と警視庁の敷居を跨げないようにしてやるぞ!」

 

「…了解しました。SAO事件に関しては今後一切調べない事を誓います。」

 

「当たり前だ。貴様らはおとなしく特命に引っ込んでいればいいんだ。わかったならすぐに帰れ!」

 

 内村の怒声にはじき出されるような形で、杉下とカイトは刑事長室を出て行った。それを見届けると、内村は疲れた様子で背もたれに背中を預けると天井を見上げ額に手を当てた。

 

「まったくあいつらは…なぜ今になってSAOに関わろうとするんだ。」

 

 うめき声にも似た呟きを漏らす内村を労わるように、傍で成り行きを見守っていた中園が声をかける。

 

「心中お察しします。恐らく特命は現在扱っている事件を捜査する過程でSAO事件に関わっているだけで、あの事件の闇の部分を捜査しているわけではないかと…」

 

「だから放って置いても大丈夫とでもいうつもりか?冗談じゃない。もし特命が何らかの手違いであの事件の闇を知ってしまったらどうする?下手をすれば、杉下はあらゆる手を使って真実を公表しようとするぞ。」

 

 そうなれば、上層部の何人が首を飛ばさなければいけなくなるか想像が出来ない。首が飛ぶだけならまだいい。最悪の場合、警察の威信がひどく傷つけられ、社会に大きな混乱を呼ぶ恐れもある。

 そうならない為にも早めに対策をとっておいた方がいい。そう決断した内村はとある警察幹部に一報を入れるべく、据え置きの電話を手に取った。

 

 一方、逃げるように刑事長室を後にした特命係は自分たちの部屋に戻ってきていた。取りあえず飲み物を用意すると、話題は自然と先程のやり取りに関したものとなる。

 

「それにしても、あんな怒った本部長を見るのは久しぶりでしたね。確かにSAO事件は警察にとって苦い経験ですけど、あんな怒るもんかなぁ?」

 

「ええ、いささか反応が過剰な気もしましたねぇ。あの方はSAO事件に関してはあまり関わっていないはずですが。」

 

「まぁ、それは置いておくとして、どうします?これじゃあレクトを通してプレイデータを見るなんて、とても無理そうですけど。」

 

「そうですねぇ。調べる方法はあるにはあるんですが…正直に言うとあまり使いたくない方法なんですよ。ですがこの場合は、致し方ないでしょう。」

 

 そう自分に言い訳するような物言いをすると、杉下は携帯を取り出し何事かを調べ始めた。

 

 

 

 

 西東京市某所に門を構える高等専修学校、その正門の前に特命係は佇み、目的の人物を待っていた。

 やがて目的としていた人物は都合よく二人そろって校舎から正門に向かってくる。時刻は午後5時。彼らが学生であることを考えれば下校途中である事は明白であり、特命係もそれを予想してここで待っていたのだ。

 やがてその2人連れ、桐ケ谷和人と結城明日奈は杉下たちに気づき目を丸くする。

 

「お疲れ様です、桐ケ谷君、結城さん。学校の方はもう大丈夫ですか?」

 

「はい。今はもう放課後です。それよりも刑事さん、今日もまた聞き取りですか?」

 

「ええ、そのようなものです。しかしながら、本日要件があるのは、そちらにいる結城さんです。」

 

「えっ!私ですか?」

 

 まさか自分には話を振られると思っていなかったのか、明日奈は目に見えて動揺している。

 

「はい。取りあえず、立ち話もなんですので少し場所を移動しましょう。」

 

 

 杉下たちは和人と明日奈を伴い、学校からほど近い喫茶店へと入る。入り口から一番離れた人目に付かない席へ座ると、定員に飲み物を頼む。ほどなく注文したものが届くと、和人たちに遠慮なく飲むように促し杉下は話を始める。

 

「以前お話ししたように僕たちは今、SAO事件の生還者が亡くなった事件を調べています。調べていくに連れ、この事件は殺人であり、SAOでの出来事が事件のきっかけになった可能性が高いことが分かりました。」

 

「SAOがですか?」

 

「はい。ですので、被害者のSAOでのプレイデータを調べ事件解決の糸口にしたいと考えているのですが、どうやらプレイデータを閲覧するのは非常に難しいと云う事でして。そこで、前CEOの娘さんである明日奈さんのお力をお借りして、何とかプレイデータを閲覧する事は出来ないでしょうか?」

 

 プレイデータを管理している会社の縁者を頼ってデータを見せてもらう。このような手段、頻繁に違法捜査ギリギリを攻める杉下でさえ、なかなか使わない方法である。

 それだけ、今回の事件に関してプレイデータが重要になると杉下は判断しているのだろう。

 しかし、彼の申し出に対して明日奈は申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すいません。流石に私でもそこまでのことは…そもそも、父は既にCEOの職を辞してますので。」

 

「…そうですか。こちらこそ無理なお願いをしてしまい、申し訳ありません。」

 

「い、いえいえそんな。刑事さんの何としても事件を解決したいって思いは理解できますし…」

 

 自分よりかなり年上の男性から頭を下げられ明日奈は恐縮する。

 一方で杉下は手詰まり感を感じていた。もともと成功率は高くないと見ていた方法だけにショックは大きくないが、それでもプレイデータを得られないとなると捜査の難易度が高くなることは容易に想像できる。

 今後はどう動いたものかと思案を巡らし杉下が紅茶を口にすると、二人のやり取りを見ていた和人が口を開いた。

 

「なぁ、明日奈。ユイに頼んだら何とかなるんじゃないか?」

 

「ユイちゃんに?ああ、それなら確かに。」

 

 和人の提案を受け、明日奈の声色が明るくなる。その会話の中に出てきた新たな人物についてカイトが尋ねる。

 

「和人君、そのユイちゃんってのは?」

 

「えーとですね。ユイってのはまぁ、俺と明日奈の娘です。」

 

 次の瞬間、杉下は人生で初めて口から紅茶を吹き出すことになった。



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プレイデータ 5

今期の相棒、今週やっと腰をついてじっくり見ることができました。
年末も忙しいけど、新春スペシャルは何とか見たいなぁ・・・


 カウンセリング用人工知能・MHCP001は、完全なる無人管理を目指したSAOにおいて、プレイヤーの精神面をサポートする為に製作された人工知能である。

 MHCP001は人工知能でありながら明確な感情を持ち、自分の意思によって行動するなど、従来のAIシステムとは大きく違った特徴を持つ。

 これは、人間の手に寄らずプレイヤーの精神ケアというデリケートな作業をするうえで、より人間の感情を理解することを必要とし、機械的な判断に頼らないようにする為だったといわれている。

 また、プレイヤーの感情を通しMHCP001に人間の感情を学習させ、人間的な成長をさせようと試みでもあった。

 だが、SAOガデスゲームと化すとMHCP001はシステムからプレイヤーに接触することを禁止され、その行動を大きく制限されるようになる。

 そして、SAOのクリアによるゲーム世界の崩壊により、MHCP001もそれに引きずられる形で消えていった。

 こうして、世界で最も人間の感情を理解し、人間よりも人間らしくなれる可能性を持った人工知能は、世間に日の目を見ることなく、人知れずその役目を終えた。

 そのはずだったが…

 

「その、MH何ちゃらってのがこの中にいるのか?」

 

 カイトは目の前のデスクに置かれたパソコンを眺めながら和人に聞く。

 場所は桐ヶ谷和人の自宅。その2階にある和人の自室に特命係と明日奈は招かれていた。

 

「正確にはMHCP001。まぁ、俺たちは愛称のユイって方で呼んでるんですけど。」

 

「ふーん。でもさっきは驚いたよ。いきなり子供がいるって言うんだからさ。まさかパソコンの中の娘だったとは。」

 

「しかしながら、本来なら消滅したはずの人工知能が、どうして和人君のパソコンの中にあるんでしょうかねぇ?」

 

「いや、そこはいろいろと事情があったというか…話すと長くなります。」

 

 詳しく話そうと思うと恋人との馴れ初めやゲーム内での生活までに話が及ぶため和人は言葉を濁す。いくら相手が警察とはいえ、自身の新婚生活まで話すのは気が引ける。和人だって思春期なのだ。心なしか、そばに控える明日奈もほっとした表情をしている。

 

「たぶんユイならレクトのシステムにもうまく入り込んで、プレイデータも捜すことができると思いますよ。」

 

「そうかい。確かにユイちゃんが優秀なのは理解できたし、その作戦は非常に魅力的ではあるんだけどなぁ。」

 

 カイトは困ったように渋い顔を見せる。

 和人が言うように電脳上の住人、それも世界で最も優れた人工知能といってよいユイならレクトの管理システムに侵入することはたやすいかもしれない。しかし、それは…

 

「下手したらハッキング。いいえ、この場合は違法捜査といっても過言ではないでしょう。」

 

「…さっき経営者の親族に父親の会社のデータをもってこいってお願いしようとしたのは誰でしたっけね?」

 

「おや?僕はただ、データを見せていただけないものか、掛け合ってもらえないか頼んだだけですが?」

 

 今までの自分の行いを棚に上げた上ですっ呆けてみせる杉下。カイトはそんな上司に呆れを通り越して尊敬の念さえ覚えていた。

 

「でも、こうする以外にプレイデータを見ようとするなら、手段は限られてくると思いますよ。」

 

「そして、その手段は今の僕たちではとても行うことはできない。ところで、高校生がたまたま何かの間違いでとある企業が管理しているデータを見つけてしまい、それをたまたま遊びに招かれていた僕たちが後ろから見てしまっても、それは偶然の産物でしょうねぇ。」

 

「いいんですか?未成年の犯罪を黙認して?」 

 

「被害届を出されなければセーフです。」

 

 そんな無茶な、と思いつつもカイトも和人を頼る以外に有効な策がは思いつかない以上、懲戒覚悟でこの策に乗るほかない。

 というより、ここで自分が止めたところで杉下が止まらないことなど、当の昔に学習しているのだ。

 

「じゃあ、いきますよ。リンクスタート。」

 

 その言葉とともに、和人は意識を電脳空間に落としていった。

 

 

 

「終わりました。もうすぐデータが届くはずです。」

 

 和人がリンクスタートさせてから30分ほどたったころ、和人は目を覚ましナーヴギアを頭からはずしながら特命係に言った。

 

「ありがとうございます。しかし、我々から頼んでおいてなんですが、本当に大丈夫だったんでしょうか?」

 

「ええ。ユイの話じゃ管理システムのセキュリティはそこまで厳しくはなかったし、システム自体がSAOを流用している部分もあったんで入りやすかったみたいです。もしばれても、明日奈の親とは面識があるんで上手く言えば見逃してくると思います。いや、むしろセキュリティに問題があることを教えてあげたほうが…」

 

 そう言って、和人は顎に手を当てながらか明日奈の両親への対応を考え始める。

 すると、和人のパソコンからメッセージの着信を知らせる音がなる。それに気づいた和人はいったん思考をやめパソコンへと向かう。

 

「よし、ちゃんと入手できてる。ちょっと待ってください。データを展開します。」

 

 そういってキーボードを操作すると、まもなく画面上に箇条書きにまとめられた笹本、プレイヤー名 サッサのプレイデータが表示される。

 それを確認し、杉下とカイトは内容を読もうと画面に食い入るように見つめ始める。しかし、ここで2人は大きな問題に直面することになる。

 

「……杉下さん。」

 

「はい。」

 

「なんか、見慣れない横文字ばっかりで正直意味不明なんですけど…」

 

「……同じく。こうも専門用語が多いと流石に内容を理解するには骨が折れます。」

 

 ネトゲ初心者の特命係にとって、それはあまりにも予想外の難題だった。

 一般社会では使わないような単語のオンパレード。プレイヤーと場所の名前でさえ判別がつきにくい。アイテムの効果など想像すらつかない。

 これが2年分なのだから杉下でさえ額に脂汗をかいてしまうのは致し方ないだろう。

 それを見かねたのか、和人が助け舟を出す。

 

「あの、とりあえずは俺が見ていって、おかしなところがあったら刑事さんたちに報告しますけど?」

 

「是非、お願いします。」

 

 迷いはなかった。このまま特命だけでやっていたらいつまでかかるかわからない以上、生還者である和人を頼るという選択肢しかなかった。

 民間人、それも未成年を頼りっぱなしという現状に情けなさを覚えるも、そこは捜査のためと割り切るほかない。

 画面とにらめっこを始めた和人と明日奈を横目に、手持ち無沙汰の特命はおとなしく座って待ってるほかなかった。

 

 

 

 

 

「あれ?これって…」

 

 和人がそれに気づいたのは、作業開始から1時間半が経過しようとしていたころである。

 その声に反応し杉下とカイトは和人の下に来ると、肩越しに画面をにらむ。

 

「何か見つかりましたか?」

 

「はい、ちょっと気になることが。このサッサってプレイヤーなんですけど、たまに他のプレイヤーとコンビを組む事があるんです。で、そのとき決まって『痺れ薬』と『モンスターフィード』を用意してるんです。そして、コンビを組んだプレイヤーはみんなモンスターに殺されてる…」

 

 和人が示すとおり、画面には『痺れ薬を1つ、モンスターフィードを3つ購入』と表示された項目がある。

 

「痺れ薬ってのはなんとなく想像できるけど、このモンスターフィードってのは?」

 

「モンスターの出現率を上げるアイテムです。ゲーム上ではモンスターが好む匂いを出して近くにいるモンスターを集めるもので、主にレベルを上げるために使ってます。けど、このサッサって奴は採取クエストにこのアイテムをわざわざ用意して持っていってるんです。」

 

「本来なら必要のないアイテムを用意し、そのときに限ってコンビを組んだ相手がモンスターに襲われてリタイアする。桐ケ谷君、君はこれをどういうことだと思いますか?」

 

 杉下の質問に和人は顔を険しくすると、おもむろに口を開いた。

 

「たぶん、このプレイヤーは別のプレイヤーを採取クエストに誘い出してコンビを組んだんだと思います。そして、フィールドに出ると理由をつけて飲食をさせます。けれど、そのとき相手に渡した食べ物や飲み物には痺れ薬を入れていたんだ。痺れ薬で相手が動けなくなるとアイテムを使ってモンスターを呼び出す。そして!」

 

「痺れ薬で動けなくなったプレイヤーはなすすべなくモンスターに殺されて、笹本は自分の手を汚さずにプレイヤーキルができるってわけか…クソッ!なんて酷い事をしやがるんだ。」

 

 自分で直接手を下さず、モンスターに相方を殺させる。相手プレイヤーは信じていた相手に裏切られた上に、何もできない絶望に苛まれ命を落とす。カイトでなくても憤りを覚える、あまりにも悪辣なPKといえよう。

 

「和人君の推測が正しいなら、笹本さんは意趣返しにあったともいえますねぇ。」

 

「え?」

 

「笹本さんも精神をゲーム内に閉じ込められ、何もできないままゆっくりと殺害されました。痺れ薬で動けなくなり、じっと自分が死ぬのを待つしかなかったプレイヤーと状況が酷似してます。」

 

「そういえば…ってことはもしかして!」

 

 そう叫ぶとカイトはマウスを取り、画面をスクロールさせる。やがて、カイトの目にあるプレイヤー名が止まる。

 

「杉下さん、これを見てください!笹本とコンビを組んで死んだプレイヤーにムーンってプレイヤーがいます。これって、あの記事に載ってた佐藤美月さんのプレイヤー名じゃないですか!?」

 

 もし仮にカイトや和人の推測が全てあっているならば、岡部たちの開発チームには動機があった。高校以来の親友を無残に殺されたという動機が…

 

 カイトの言わんとすることを杉下はすぐさま察した。

 しかし、どうしたわけか杉下は画面から眼を離すとじっと虚空をにらんでいる。

 

「…桐ケ谷君。もう一度先ほどの購入履歴を見せてもらってもいいですか?」

 

「は、はい。」

 

 和人が画面をスクロールさせ元の場所まで戻すと、杉下はそこに書かれてある文言に目を走らせる。

 

「……やはり妙ですねぇ。」

 

「え?何がですか?」

 

 訳も分からず、カイトが質問するが杉下は答えを返さない。逆に杉下は和人のほうへ顔を向ける。

 

「和人君、もう一人ある人物のプレイデータを入手してほしいのですが、ユイさんにお願いしてもらってもよろしいでしょうか?」

 

 杉下の頼みに、和人は違和感を感じながらも従う。

 やがて、和人のパソコンにユイから新しいプレイデータが送られてくると、杉下は和人に変わり椅子に座り自らパソコンを操作しプレイデータを読んでいく。

 そして、ある一点に目を留めた。

 

「…やはり、そうでしたか。しかしこれが事実だとすると。」

 

「あの、刑事さん。大丈夫ですか?」

 

 ただならぬ杉下の様子に明日奈が声をかけるが杉下はそれに答えない。だが次の瞬間、突然椅子から立ち上がると、和人に向かって掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄った。

 

「桐ケ谷君!もうひとつだけ、ユイさんに頼んで調べてほしいものがあります。」

 

「は、はい!それっていったい…」

 

 和人の問いに対する杉下の答えはその場にいた者を困惑させるものであった。それに何の意味があるのかと。

 しかし、それは15分後にユイからもたらされた新たな記録によって解明される。

 あまりにも残酷な真実として・・・

 



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プレイデータ 6

 スーパー右京さんタイム、はじまるよー


 レクト本社ビル 開発部門研究室には岡部を筆頭とする若手開発チーム4人、和人と明日奈、そして警視庁特命係の杉下とカイトがいた。

 重々しい沈黙が流れる中、杉下は咳払いの一つし、一歩前に進み出ると7人分の視線を浴びながら、おもむろに口を開いた。

 

「今回の事件の発端はムーンこと佐藤美月さんの死でした。SAOで彼女は何者かの罠に掛かり、モンスターによってゲームオーバーに追い込まれています。あなた方は会社で管理されているプレイデータから、佐藤さんを罠に嵌めたのはサッサこと笹本正一さんだと判断し彼を自殺に見せ掛け殺害したのですね。」

 

 杉下の問いかけに対し、岡部達は誰一人口を開かず、目線を合わせようとしない。

 だが、杉下は反応が無いのを気にした素振りを見せず、話を再開する。

 

「殺害の動機は言うまでもなく復讐です。笹本さんが就職に難儀しているのを知ったあなた方はテストプレイヤーにならないかと笹本さんを誘い、実際にプレイしている様子が見たいとでも言って笹本さんの部屋に入った。そして、改造を施したアミュソフィア装着させ、笹本さんに抵抗出来ないようにすると、手首を切り傷口を水につけ失血死させ自殺に見えるように細工を施した。

 この殺害方法からも笹本さんに対する貴女方の憎しみが垣間見れます。わざわざ失血死という殺害方法を選んだのは、何も出来ないままに死なざるを得なかった佐藤の絶望を笹本さんにも味会わせるためですね。」

 

「…刑事さん、あなたが私たちを疑う理由はよく分かりました。僕が刑事さんと同じ立場なら、その推理に同意していたかもしれません。」

 

 杉下が一息ついたのを見計らい、岡部が椅子から立ちながら声をあげる。

 

「ですが、まだ重要な点が抜けています。証拠はあるんですか?僕らが笹本とかいう男を殺害したという証拠は。」

 

 岡部は仲間達を守る様な形で杉下の前に立ち塞がる。その行動が彼の人となりを表していた。

 思えば特命係が岡部達と初めて出会った時もそうであった。あの時岡部は警察が来たことで動揺する仲間の様子を悟られぬように、岡部は自分から杉下達に歩みより、注目を自分に集中させたのだった。

 そして今回も、岡部は自らが先頭に立ち、杉下の追求を交わそうとしていた。

 

「証拠が必要でしょうか。」

 

「当然でしょう。証拠が無い以上、僕らが殺人を犯したという証明にはならない。あなたの推理は状況証拠に基づいた推測の域を出ないのですから。」

 

 挑発的とも言える岡部の言葉を受け、杉下はスッと瞼を閉じる。

 そして、再び目を見開くとキッパリと言い放った。

 

「証拠はありません。ですので、自首していただきますと助かります。」

 

 

 

 

 

 研究室に沈黙が流れる。

 誰一人として杉下に言葉を返す者はおらず、ただただ杉下の発言に困惑していた。

 すると、杉下の正面に立つ岡部が絞り出すかのようなか細い声で問いかけた。

 

「刑事さん、証拠は無いと言いましたか。」

 

「そう言いました。」

 

「自首しろとも?」

 

「そうお願いします。」

 

「…ふざけているんですか?」

 

「いいえ、いたって大真面目です。」

 

「いい加減にしろ!」

 

 突如、岡部が大声をあげ、憤怒に染まった目で杉下を睨み付ける。

 

「あんた達が…警察がそんなんだから…」

 

 沸き上がる激情を抑えつけるように自分の胸ぐらを掴む岡部の表情は、憎悪にまみれながらも、どこか泣きだしそうでもあった。

 

「刑事さん、なぜ仮想世界の犯罪は罪に問われないんですか?現実の出来事ではないからですか?どんなに不当な理由だろうと被害者は泣き寝入りするしかないんですか?それじゃあんまりだ。二度と目を覚まさなくなった人がいるのに、犯人は罰を受けずのうのうと生きている。そんなの許されない。許されていい筈がない‼」

 

 岡部の慟哭はSAOで親しい人を失った者達の無念を代弁するものだった。

 杉下とカイトはそれを黙って聞き入っている。カイトが隣を確認すると和人と明日奈が悲痛な表情で俯いていた。

 

「刑事さん、貴方達が今の発言で俺を逮捕しようとするならすればいい。俺は戦います。戦って戦って、世間に教えてやるんです。人の命を平気で弄んだ奴らがこの国では野放しになっていると。そして、そいつらを殺してやりたいと思っている人間が大勢いると。」

 

 そう宣言する岡部の瞳には一切の揺らぎはない。

 彼の燃え上がる様な漆黒の怒りは、警察官であるカイトでさえ胸を熱くせざるを得ないものがあった。

 だからこそ、カイトは余計に岡部の事が不憫に思えた。これから自分達が明らかにする真実は、確実に彼を絶望に追いやるものであると容易に想像がつくからだ。

 だがそれでも、真実を告げない訳にはいかない。警察官である以上、真実から目を反らす事は出来ない。何より、この期に及んで正体を隠し続ける黒幕を、これ以上許しておくわけにはいかなかった。

 

「岡部さん、貴方に見てもらいたい物があります。」

 

 そう言って杉下が取り出したのは笹本のプレイヤーデータの写しであった。

 岡部達はそれを見て怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「恐らく、貴方はこれを見て笹本さんが佐藤さんを罠に嵌めたと判断したのでしょう。しかし、このデータには些か不自然な点が見受けられます。」

 

「不自然な点?」

 

「ここを見てください。アイテムの購入数を示す数字が全角で書かれています。」

 

 杉下のいう通り、写しには痺れ薬の購入数が『1』と全角で書かれている。

 モンスターフィードも同様に『3』と全角で書かれていた。

 

「こういった記録を書面に記す場合、数字は半角で記載する事が一般的です。事実、他のプレイヤーのデータの数字は半角で書かれていましたし、笹本さんのデータも一部を除いてほとんどの数字が半角でした。」

 

「確かに不自然ですけど、それがどうしたって言うんです。記録担当者が間違っただけでしょう。」

 

「人の手によるものならば間違いは有り得るでしょう。しかし、SAOは完全な無人管理を目指したゲームでもあり、プレイデータの記録も機械が自動で行っていたそうです。このような初歩的なミスを機械がするとは考えにくいですねぇと、するならば考えられるのは誰かの手でプレイデータが書き換えられた可能性です。桐ケ谷君と結城さんの協力を得て調べてみたところ、同じようにデータが書き換えられた痕跡がある人物が2人いました。1人はサッサこと笹本正一さん。もう1人はスミアこと浜中澄子さん、貴方です!」

 

 杉下がそう言って指を指した先には体を縮ませ震える浜中がいた。

 

「浜中さんの本来の職務はデータ管理ですね。当然、会社が管理する様々なデータを目にする機会もあり、ともすればデータの改竄も出来る立場にあった筈です。」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい刑事さん。いきなり何を言い出すんですか?澄子がデータを改竄した?いったい何の為に…」

 

「佐藤さん殺害を笹本さんの犯行に見せ掛ける為です。なぜなら、浜中さんこそ佐藤さんを殺害した真犯人だからです。」

 

 杉下の発言に岡部は声を失う。それに構わず杉下は浜中の元に歩み寄ると、厳しい声色で彼女を詰問する。

 

「浜中さん、貴方は佐藤さんをフィールドに誘い出し痺れ薬を飲ませ、モンスターに彼女を殺させた。その現場を笹本さんに目撃されたんです。しかし、笹本さんはこの事を誰にも言わず、自身の胸の内に沈め、ゲームクリアを迎えました。現実世界に戻った笹本さんは就職に行き詰まり、将来に大きな不安を感じていました。そんな時、彼はゲームの専門雑誌で岡部さん達の開発チームの記事を発見したんです。そこには、あの現場で目撃した浜中さんと佐藤さんの顔写真と名前が掲載されていました。それを見た笹本さんの胸中に黒い感情が芽生えたのではないでしょうか?自分は定職に就けず将来の展望も定かでないのに、ゲーム内とはいえ殺人を犯した人間が順風満帆な人生を歩んでいる。そう思った笹本さんは自分が目撃した事をネタに貴方を脅迫しようとした。」

 

「もしかすると、笹本さんが要求したのは金銭等ではなく、レクトでの仕事を紹介して貰うことだったのではないでしょうか?彼は即物的なものではなく、将来にわたる安定を求めていました。しかしながら、一社員でしかない貴方には採用人事などどうしようもない。何より、友人を殺害した事実を知る笹本さんをそのままにしておく訳にはいかなかった。よって貴方は笹本さんを殺害する決断をしたんです。ですが笹本さんは大柄な男性。女性1人の手で殺害するには手に余る。だから貴方はプレイデータを改竄し、笹本さんを佐藤さんを含めた多くのプレイヤーを殺害した凶悪犯に仕立て上げた。それを岡部さん達に見せる事で彼等の心に復讐の炎を灯したんです。そうして貴方は笹本さんを自殺に見せ掛け殺害し、真実を闇に葬り去る協力者を得た。」

 

「勝手な事を言わないで!」

 

 それまで黙っていた浜中が目を血走らせ杉下に怒鳴りつける。

 

「さっきから聞いてればいったい何なの?私が美月を殺した?岡部君達を騙して殺人に協力させた?あり得ないわ。適当言ってるんじゃ無いわよ‼」

 

「適当に言った訳ではないんですがねぇ。僕なりに熟考した結果、この推理に行き着きました。」

 

「ふん!だったら証拠を出しなさいよ!私が美月を殺したって証拠を!どうせまた、証拠もなしに…」

 

「分かりました。カイト君、例のものを。」

 

 浜中の発言を遮り、杉下は素早くカイトに指示を出す。カイトは鞄の中からノートパソコンを取り出すと、電源を立ち上げ、ファイルを開く。すると間もなく、パソコンから音声が流れ始めた。

 

『スミア…いったいどういうことなの…』

 

 その瞬間、浜中の顔が凍り付く。岡部や他の開発メンバーも驚愕の表情を浮かべる。

 

「そんな、これって美月の声じゃ…」

 

「その通りです。SAOのデータは個人のナーヴギア内に記録されたプレイデータ、要するにレクトで管理されているものを除き、ほとんどがクリアと同時に消去されました。しかし、プレイヤーの精神ケアを担う人工知能が桐ケ谷君の手で保護され、消去を免れています。この音声データは人工知能の中に記録されていたものです。」

 

 杉下の説明を受け、浜中の顔が恐怖に染まる。もし、パソコンの側にカイトが立っていなければ、彼女はパソコンを奪い取り破壊していたかも知れない。

 

『ごめんね、ムーン。でも、もう無理なの。これ以上貴方を放って置くわけにはいかないの。』

 

『そんな…何で?私達…親友…で……しょ………』

 

 痺れ薬が回って来たのか、佐藤の声は途切れ途切れになっていった。それでも懸命に、すがるように佐藤は浜中に問いかける。

 だが、彼女の必死の言葉に答える声は最早なかった。

 

『…お願い…誰か助けて…誰でもいいから……何でもするから……』

 

 音声はそこで終了した。重苦しい沈黙の中から声を上げたのは、またしても岡部であった。

 

「おい、澄子。ありゃあなんだ?何かの間違いだろ?冗談なんだろ?」

 

 引き吊った笑みを浮かべながらも、岡部は懸命に親友を信じようと浜中に問いかける。だが、彼女は言葉を返さず、ただただ俯くばかりであった。 

 

「お前が美月を裏切るなんてあり得ないもんな。なんか事情があって……なあ、そうなんだろ?…………………なんとか言えよ!」

 

「うるさい!!あんた達にはわからないわよ!あの地獄を知らないあんた達には…」

 

 癇癪を起こしたように、だが、どうしようも無いやるせなさを含んだ声色で浜中が叫ぶ。

 

「デスゲームが始まった時、私と美月は茅場が本気なんだと直ぐに理解出来たわ。そして、絶望した。私達のプレイスキルは決して高くなかったから。だから私達は生きるためなら何でもしようと約束した。窃盗、詐欺、恐喝。殺人以外なら何でもしたわ。

 だけどある日、美月がもう止めようって言ってきたの。全てを告白して罪を償おうって。私は止めたわ。そんな事をしたら間違いなく牢獄行き。下手すれば殺されるかもしれない。そんな事、絶対にするべきじゃない。そう説得したわ。けど、美月は決心を変えなかった。だから…」

 

「…だから殺したのか?」

 

「…ええ、そうよ。だけど、それは仕方がないことなの。SAOは裏切りや人殺しが当たり前のようにある世界。生半可な実力じゃ生き残れなかった。あんた達みたいに平和な現実で生きてきた人間には、私達があの地獄をどんな思いで生きてきたかなんて、わかる筈がない!」

 

「わかりません。親友を殺しておいて、それを仕方がないで済ませる人の気持ちなんて分かりません。分かりたくもない。」

 

 そう発言したのは明日奈であった。明日奈とその横にいる和人は強い意思を持った目で浜中を見据える。

 

「確かにSAOでは酷い裏切りや殺し合いもありました。けど、いくつもの階層を攻略していけたのはプレイヤー同士で協力しあったからです。必ず生きて現実世界に帰る。そう誓い合った仲間がいたから私達は今ここにいるんです。」

 

「ああ、明日奈の言う通りだ。力の無いプレイヤーでも様々な形で俺達に協力してくれた。あんたみたいに最初から人を裏切る事を前提で、自分だけが生き残る事を目的に動いてる奴らは殺人ギルド『ラフィン・コフィン』と同じだ。」

 

 自分と同じSAOからの生還者からの思わぬ指摘に浜中は目に見えて動揺していた。

 

「な、何よ。そんなのあんた達が周りに恵まれてただけじゃない。」

 

 震える声でなんとか反論する浜中だが、今度は杉下が彼女の前に立ち塞がる。

 そんな杉下の顔を盗み見たカイトは冷や汗を掻くことになった。

 杉下右京は完全にキレていた。

 

「愚かな人間が、この世にはいるものですねぇ。おまけに哀れだ。ああ、お分かりにならないといけませんのでハッキリと申し上げましょう。貴方の事ですよ!」

 

 顔を真っ赤な怒りに染め、全身を小刻みに震わせながら浜中を指差す杉下の剣幕に、浜中だけでなく、その場にいた全ての人間が言葉を失っていた。

 

「浜中さん、貴方は桐ケ谷君達は周りに恵まれていた、と仰りましたが、貴方と佐藤さんの生還を信じ、会社に掛け合ってポストを守ってくれる友人を持った貴方も、十分恵まれた人間だと僕は思います。そんな友人を貴方は騙し、復讐心を煽り、殺人犯にしてしまった。それがどれ程愚かで卑劣な行為か、貴方にはまだ分からないんですか!恥を…恥を知りなさい‼」

 

 杉下の一喝に浜中は腰を抜かし、その場にへたりこんでしまう。

 それを見計らったように研究室に伊丹と芹沢が入っている来る。

 杉下は伊丹達に軽く頭を下げると岡部の前に進み出た。

 

「自首をしていただけませんか?」

 

「……はい。大変申し訳ありませんでした。」

 

 力なく返答し、岡部は深々と頭を垂れる。そんな彼を横目に、伊丹達は浜中を両脇から抱えると引きずるような形で彼女を連行していく。

 その様子を悲しげに見ていた岡部は最後に和人と明日奈に頭を下げ、他の2人と共に伊丹達の後について部屋を出ていく。

 その後に続き、杉下達も部屋を出ていく。

 誰もいなくなった研究室。その隅にある、長いこと使われていないであろう机の上には、5人の男女が楽しげに笑みを浮かべる写真が飾ってあった。

 




『恥を知りなさい』相棒ファンなら一度は使ってみたい台詞ですね。
 ちなみに作者が一度は使ってみたい相棒の台詞は官房長の『貴女方のせいで将来が台無しになる人間が大勢出たんだから、貴女方からも将来が台無しになる人間、大勢出しなさいよ。』
 この台詞で官房長に惚れました。以外と使い勝手の良い台詞だとも思います。某企業や某政党に対して…
 台無しになる人間、大勢出しなさいよ!

 次回、完結編です。


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プレイデータ 7

1.11 感想欄においてご指摘を受け、内容の一部を大幅に変更させていただきました。
これまでに読んでいただいた読者の皆様、本当に申し訳ありません。


 杉下たちは伊丹たちの後に続きレクト本社ビルを出る。岡部、柴田、ペリエ、そして最後に浜中がパトカーに乗せられ、警察署へと連れていかれるのを見送ると、杉下たちもその場を後にしようとする。

 その時だった。

 

「杉下警部、甲斐巡査部長!」

 

 そう後ろから声を掛けられ杉下たちが振り向くと、そこには杉下とカイトがよく知る顔があった。

 

「大河内さん…」

 

 杉下たちを引き留めたのは警視庁警務部首席監察官、大河内春樹警視であった。大河内は杉下たちの元まで歩いてくると、和人と明日奈に目を向けた。

 

「君達が桐ケ谷和人君と結城明日奈君だね。初めまして。私は警視庁の大河内というものです。」

 

 大河内は和人達に対しても丁寧に挨拶をし軽く頭を下げる。和人と明日奈は戸惑いつつも返礼する。その様子を眺めていた杉下がおもむろに口を開く。

 

「いずれ何かしらの接触はあるかと思ってましたが、まさか大河内さんがいらっしゃるとは思っても見ませんでした。」

 

「…その様子からすると、なぜ私がここに来たのか見当がついてるようですね。」

 

「なんとなく、ではありますが。」

 

 その言葉を受け、大河内は再び和人たちに目を移した。恐ろしいほど感情を移さない眼光に、SAOで数々の修羅場を経験した和人も思わずたじろぐ。

 

「だったら話は早く済みそうですね。率直に申します。今回の事件に関して今後は我々に引き継がせてもらいます。なお、事件の詳細については他言無用の上、捜査資料も全て提出してもらいます。」

 

「…やはり、現状では公開できませんか。SAO内で殺人が行われていたという情報は?」

 

 杉下の言葉にカイトや和人たちは驚いた様子を見せるが、大河内は黙ってうなずく。

 現在、SAO事件の捜査において公開されている情報はかなり限定的なものだ。それは被疑者である茅場博士が既に死亡しており、事件の発端を調べることがかなり難しいことに加え、ゲーム内という外界から隔絶された特殊な環境下、そこでの2年にも及ぶ膨大なデータを解析するにはどうしても調べきれない部分があるとされているからだ。

 

「しかし、僕は今回の事件を捜査するに当たり実感しました。プレイデータさえあればプレイヤーがどの様な事をしていたのか追跡するのは比較的容易だと。にもかかわらず、ゲーム内で死亡したプレイヤーの死因が遺族にすら知らされていないのは、プレイヤーキルの存在があるからですね?」

 

「…ゲーム内での殺人をどう裁けというんですか。彼らはゲームをして他のプレイヤーを倒しただけ。ありとあらゆるゲームで普通に行われていることです。それに、仮想世界に囚われた彼らには現実で自分が倒したプレイヤーが本当に死んだのか確認することはできなかったんです。『本当に死ぬとは思わなかった』、この一言で彼らは殺人者ではなくなる。」

 

「死因を公開すれば余計な混乱を招く、ということですね。家族が死んだ原因が他者からの攻撃にあると分かれば、必ず攻撃したプレイヤーを処罰しろとの声が上がる。」

 

「杉下警部は勘違いをされているようですが、死亡した被害者たちの死因はナーヴギアからの高出力電磁パルスによって脳を焼き切られたからです。諸悪の根源は茅場博士です。」

 

 有無を言わせぬ強い口調で大河内は告げる。その言葉に和人の顔が怒りで歪む。

 罪に問えないのであれば公開したとしても余計な手間がかかるのみ。ならば全ての罪を茅場博士に着せればいい。

 和人には大河内の言葉がそういっているように聞こえた。また、和人自身、かつては茅場にあこがれ、彼の理想の一端に触れた人間であったことも影響したのだろう。

 

「待ってくれよ。それじゃあ死んだ人の家族には何も教えないつもりなのかよ。どう生きてたのかも、どうやって死んだのかも。その人たちが、どんな思いで消えていったのかも…。そんなのあんまり過ぎる!せめて、死んだ時の状況くらい」

 

「教えればいいのかい?あなたの息子さんは他のプレイヤーに殺されました。けれど、ゲームの中の出来事なので罪には問えません、と?」

 

 今までよりも一段と低い声色で大河内は和人の言葉を切る。その瞳には僅かながら怒りが見て取れた。

 

「きっと阿鼻驚嘆の地獄が起きるだろう。被害者の家族は家族を殺した犯人をなんとしても見つけようとし、加害者側は法を盾に家族を守ろうとするだろう。近々SAO被害者による集団訴訟が始まるが、それも無くなるかもしれない。仲間の中に自分の子供を殺した人間の家族がいるかもしれないのだからな。」

 

「そ、それは…」

 

「そういえば、君のことも調べさせてもらったよ。結構な人数を斬ったようだね。」

 

「大河内さん!」

 

 大河内の言葉に和人は顔色を無くし、杉下は大河内が何を言おうとしているのかを察し、それを止めようとする。

 

「杉下警部、私が見るところ彼の心はまだSAO内にあるようなので、ここで現実を教えておいたほうがいいと思います。桐ヶ谷和人君、私は君が他のプレイヤーを斬ったことを咎めようとは思わない。君の場合、正当防衛に値するものだったり、他人を救うため致し方ない場合だったのがほとんどだ。しかしだ、そうは思わない輩というのは一定数いるものだ。それは君が殺害した人間の家族はもちろん、君が救えなかった人間の関係者、そして君の英雄としての活躍を妬む者達だ。彼らは自分たちこそ正義の情けを必要とする被害者だと嘆き、君を罵倒し、糾弾し、処罰や賠償の対象として訴えるかもしれん。」

 

 この時大河内は和人の心を折りにかかっていた。大河内の目的はプレイデータ内の真実が世間に公表されるのを防ぐことである。そのために、特命係や和人や明日奈がSAO被害者の為に動き出そうとするのを徹底的につぶしておく必要があったのだ。

 大河内は尚も続ける。

 

「自身を正しいと思っている人間は悪とみなした相手にどこまでも冷酷になれる。自分の行いは絶対的に正しい。奴らは悪党でこの世から滅せられるべきなのだ。正義は我にあり、とな。特に匿名性の高いネット内ではその傾向はより強くなる。それは君自身よく知っているだろう。」

 

「で、でも、私たちが現実世界に帰ってこれたのはキリト君がいたからです!キリト君が私たちのために戦ってくれたから、救われて、今こうして生きていられる人たちがいるんです!」

 

 大河内の言葉に反論するのは明日奈だった。彼女はこれまで何度も和人から助けられ、命を救われた。そんな彼女にとって、恋人でもある和人が人から恨まれても仕方がない、と云った風に言われるのは我慢ならなかった。

 それでも大河内は淡々と現実を教える。

 

「その救った人間の中にも、英雄としてのキリトに不信感を抱いている人間は少なからずいるんだ。主に物語序盤で彼自身が自分をビーターと自称し出した影響でだ。その所為かネット上には英雄キリトの活躍に懐疑的な意見も目立つ。それが表立ってないのは、プレイデータをはじめとする詳細な記録が無く、噂話で留まっているからだ。もし、データが公表されれば称賛もされるだろうが、同じだけの誹謗中傷も君たちは受ける事になるだろう。」

 

 今度こそ明日奈は言葉を失い、悔しげに唇をかむ。大河内の言うことは恐らく正しい。自分を正当化した時の人間の醜さや恐ろしさは、明日奈もSAOで嫌というほど体験した。

 だが、明日奈や和人たちはそうした人間の負の部分を前面に出す者たちと戦い、勝利してきた。それは紛れもなく、誰かを救いたいという純粋な思いや大切な人を守りたいと言った情が人の醜い部分に勝ったからだと彼女は信じている。

 だからこそ、ここで引き下がるのはSAOで日々を否定するように思えたのだ。

 だが、なおも食い下がろうとする明日奈の肩にポンッ、と手が置かれる。

 

「ありがとう明日奈。でも、もういいよ。」

 

「そんな…キリト君…」

 

「大河内さん、あなたの言う事はよくわかりました。いま真実を公表しても辛い思いをする人が出るだけだって。それに、被害はそれだけじゃないんだろ?俺の家族や近しい人たちも同様のバッシングを受ける。」

 

「…ちゃんと理解してくれたようで安心したよ。もはや問題は君一人でどうこうできるモノじゃない。」

 

「ああ、いくら仮想世界で英雄と言われてようと、現実じゃただの高校生でしかない。スキルも扱えなきゃ、剣もまともに振り回せない。だから一つだけお願いがある。」

 

 和人は一歩前に進み出ると大河内の目を見据えた。

 

「SAOが原因で起きる事件をこれ以上ださないようにしてくれ。笹本が浜中を脅そうとしたのはSAOが原因で職を失い、生活に行き詰まりを感じたからだ。きっと生活に苦しんでいる生還者は他にもたくさんいるだろうし、被害者の家族にも支援が十分に行き届いていない人たちがいるかもしれない。そういう人たちが犯罪に関わらないような仕組みを作らなきゃいけないんだ。真実を覆い隠すんだから、それくらいはしてくれないと。」

 

 和人の申し出に大河内は少し驚いた様子を見せる。そして、最初に抱いていた桐ケ谷和人という少年の評価を替えなければいけないと判断した。

 大河内の和人に会う前の彼への評価は、仮想世界と現実世界の自分を同じだと思っている子供、というものだった。

 未曾有の大事件ともいうべきSAO事件を解決に導いた功績は確かに賞賛すべきものがある。だが一方で、命の危険にさらされながら、いまだにVRMMOに関わり続けるのは大河内から見て自分の力を過信し、調子に乗っているように感じられた。

 おまけにゲーム内で出会った社長令嬢と恋仲になり、おとぎ話の王子のように彼女を救い出したとなれば、同年代の若者であれば自分が人生のおいても勝ち組なのだと調子のよい事を思いたくなるのは無理がない。桐ケ谷和人は生還者の中でもあらゆる意味で恵まれ過ぎているのだ。

 だが目の前に立つ現実世界の和人は、冷静に自分の立場を考え、大河内と対等な立場であろうとし、最善の解決策を提案しようとしている。

 その様子を見ていた杉下が和人の横に並び立つ。

 

「なかなかいい案だと思いますよ。警察官僚である大河内さんの力をもってすれば、多少実現に向けて力添えが出来るのではないでしょうか?」

 

「……そうですね。何が出来るか分かりませんが、検討させていただきます。最後に一つだけ。桐ケ谷君、君が持つ人工知能、いまのところ彼女に手を出す者はいないが、君が今回の様な事に彼女を利用する場合、彼女の存在を危険視し抹消しようとする人間が現れかねない。彼女を大切に思うならば使いどころを誤らない事だ。では、これで。」

 

 そう言って身を翻し、大河内はその場から離れていく。

 その後、とある新聞の紙面にSAO被害者の現在を取材した記事が掲載された。そこには事件によって仕事や財産を失い、未来を悲観する被害者やその家族の実情が記され、読者から多くの反響を得た。それからしばらくし、国会ではSAO被害者に対する追加支援、及び保障の必要性が改めて訴えられ、被害者救済に向けて新たな枠組みが動き始めた。

 そして、桐ケ谷和人は仮想世界に関わり続けていく。その過程で時には現実世界にも影響を与える大きな事件の解決に奔走し、苦しみつつも仮想世界で暮らす人々の安寧に貢献し続けた。

 だが、ある事件をきっかけに彼は再び仮想世界にとらわれることになる。それが彼にとって大いなる苦痛と苦悩を与えることになる事を今この時点では誰も知らない。

 

 

 

 

 警察庁のとある一室で初老の男性が電話口で部下からの報告を聞いていた。その報告は吉報らしく、男性の口元には深い笑みが浮かんでいる。

 

「そうか、うまいこと説得は出来たようだな…ああ、そこまで釘を刺しておけば倅や杉下も無茶はせんだろう。念のため未成年の二人にはしばらくの間、監視を付けておいてくれ。では、頼んだぞ。」

 

 男性は電話を切ると部屋の中央のソファーに座っている眼鏡の青年に目を移した。

 

「聞いての通りだ。君の所のお気に入りの少年とは我々で話がついた。よっぽどのことがない限り彼が再びハッキングをしてデータを世間に公表しようとすることはないだろう。」

 

「ありがとうございます。このたびは憎まれ役を務めていただいて。我々としては桐ケ谷君とは良好な関係を維持していきたいと思っていたので、甲斐次長からの申し出は渡りに船でした。」

 

 柔らかな笑みを浮かべつつ総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二分室職員、菊岡 誠二郎は頭を下げる。

 

「もし下手にSAOの情報が外に漏れたら社会的な影響が出るのは避けきれませんでしたから。桐ケ谷君たちがレクトで保管されていたデータを抜き取ったと聞いた時は肝が冷えましたが、警察が万が一に備えていてくれたおかげで本当に助かりました。」

 

「なに、こちらも運が良かっただけだよ。ところで、君の本来の所属先が推進してる、プロジェクト・アリシゼーションだったかな?高性能AIをはじめ、SAOの技術を軍事転用させるとは恐れ入ったよ。もし今回の件でSAOのデータを深く追求せよという声が上がってたら、プロジェクトに大きな影響が出る所だったね。」

 

 甲斐次長の軽く発せられた言葉に菊岡の動きが一瞬だけ止まる。だがすぐに先程より笑みを深くすると、何事もなかったかのように応対する。

 

「流石警察庁次官。自衛隊内部についてもよくご存じで。」

 

「それほどでもないよ。ただ、非常に興味深い計画だなと思ってね。是非とも、より詳しい話を聞いてみたいと思ってるんだが、どうかな?」

 

「…そうですね。ただ今のところは極秘の計画ですので計画を知る人間は選ばなければいけないと思います。例えば、優秀な警察幹部だとしてもSAOで子息が殺人ギルドに所属していたりすると、何かの拍子に世間に情報が漏れた時、いろいろと問題になりますから。」

 

 思わせぶりな表情で菊岡が投げかけた言葉に甲斐次長は苦笑いを浮かべる。

 

「いやはやまったく、個人の家庭問題とはいえ、あまり世間には知られたくない事なんだがな。まあ、それについてはデータが来たら修正するとして、一つ忠告しておこう。省だからと言ってあまり調子に乗らない方がいい。我々が正義をもって君の組織を探れば、いくらでも黒いところは見つけられるのだから。」

 

「ご忠告痛み入ります。ではこちらからも一つ。庁ごときが余計なことに口出しするな。この国で人々が正義と平和を美徳に出来るのは我々が国家防衛の先陣に立っているからだ。あなた方は犯罪者だけを相手にしていればいい。」

 

 年齢にして親と子ほどの差がある二人。だがお互いに目を離さず、口元に僅かな笑みを浮かべながらも彼らは静かにぶつかり合っていた。お互いの組織の正義を御旗に…

 

 

 

 

 事件解決の翌日、新聞の紙面やテレビのワイドショーでは一流企業の研究グループによる殺人が大々的に報道された。SAO内で起きたトラブルが原因であるという事もあり、世間の関心はなかなかに高い。

 特命係の部屋で杉下とカイトは今回の事件の記事を熱心に眺めていた。

 

「それにしても、トラブルの詳細についてはあまり書かれていませんね。ここの情報だけじゃ、浜中が佐藤さんを殺害したかどうか判断がつかないですよ。」

 

「ですが記事によると事件関係者は皆素直に取り調べに応じているとあります。新たな事実が判明する期待が持てない以上マスコミも深くは追及しないでしょうねぇ。」

 

「…結局、大河内さんが言ってたみたいに、今回の事件に関しては無難な結末が一番幸せなんですかね?」

 

「そうとは限りません。正義が立場によって変わるように、幸せな結末というのも人によって違います。ですが我々の仕事は万人が幸せになれる結末を用意する事ではなく、ただひたすら真実を追い求める事です。」

 

「…杉下さんでもどうにもできないんですか?」

 

「ルールがある以上、盲点を突く事は出来ても穴を開けることは僕にはできません。ゲーム内の殺人を禁じる法がない以上、僕らが殺人ギルドに所属していた人間をとらえる事は不可能です。」

 

 そう言いつつもどこか悔しげな様子の杉下を見てカイトは思う。

 殺人という大きな罪を犯しながら罪に問われない者がいる。彼は今、自分が犯した罪をどう思っているのか。後悔しているのか。何も感じていないのか。それとも、また同じことをしたいと思っているのか。カイトたちには何一つわからない。

 だが今のこの状況を放置していると何かとんでもない災厄が起こるような気がカイトにはしていた。

 そうしてカイトが不安に侵されていると、部屋の入り口からひょっこりと角田が顔を覗かせる。

 

「よう、お二人さんにお客さんが来てるぜ。」

 

「お客さん?」

 

 カイトが首を伸ばし確認すると、角田の横から岩月が現れた。

 

「こんにちは。杉下警部に呼ばれてきたんですけど。」

 

「ああ、岩月さん。よくいらしてくれました。さあさあ、どうぞこちらへ。」

 

 杉下は岩月の手を引き部屋の奥の椅子に座らせると、手早く紅茶を用意する。岩月は戸惑いつつも出されたお茶を一口飲み杉下に切り出す。

 

「それで、今日はどういった要件ですか?事件は解決したんですよね?」

 

「ええ、無事解決できました。しかしながら、一つだけあなたに確かめておきたい事がありまして。」

 

「確かめたいこと?」

 

 岩月が検討もつかないといった様子で首をかしげると、杉下の右氏と差し指がピンと上を指す。

 

「ずばり、僕たちがレクトのプレイデータを欲していることを察し、その事を上層部へ報告したのは岩月さん、あなたですね。」

 

「………」

 

「思えば、あなたの行動は些か不自然でした。普段なら自分の管轄以外の事にはあまり積極的にかかわろうとしないあなたが、どういう訳か監視という名目で捜査に同行しました。あれは僕たちがプレイデータの存在に気づき、その内容を公表するのではと恐れたからですね?岩月さんはSAO事件の捜査に大きく関わり、事件の事後処理にも参加しています。当然、被害者の方々がSAO内でどのように過ごしていたのかも知る事になったはずです。被害者が亡くなった際の遺族の反応も…。そしてあなた自身、ゲームには深い知識があるためにプレイデータが公表されればどのような事が起こるのかも予想できた。だからこそ、僕たちがレクトに手を出そうとするのを警戒したんです。僕たちがレクトにデータの開示を求めた際、部長たちが止めたのもあなたが手を回したからですね?」

 

「……軽蔑しますか。」

 

 その言葉が全てを肯定していた。杉下は岩月の問いかけに静かに首を振る。

 

「いいえ。今回の件に関しては何が正しく、何が間違っているかなどはないと僕は感じます。ただ、望むのであれば…」

 

 杉下は机の上に置かれているアミュスフィアに目を移す。

 

「例え世界が仮想の物でも、正義だけは本物がまかり通るものであってほしい。そう思います。」

 

 杉下に言葉を返すものは誰もいない… 

 

 




 多少詰め込み気味になりましたがSAO編はこれで最後です。正月休みはISの方に集中したいと思います。
 
 それでは最後に現在この作品で書きたいと思っているクロスを簡単なあらすじと共に紹介したいと思います。それではどうぞ。



・黒い医師
 とある大学病院で手術中に一人の患者が亡くなった。その手術の執刀を務めたのはなんと無免許医であった。警察はすぐにその医師を逮捕し、過失致死の容疑で捜査を進めるが、杉下は現場の状況から計画的な殺人の可能性があると指摘する。組織から外れ黒に染まろうとした天才医師と、組織から外れながらも白くあろうとする天才が交わる時、事件は思わぬ方向に転がっていく。



・傷だらけの天使たち
 ある日、特命係を新咲祐希子という若い女性が尋ねてくる。かつて喧嘩に明け暮れていたところを杉下に補導され大変世話になったという彼女は、その時のお礼の意味も込めて現在所属する女子プロレス団体の興業に特命を招待する。無事興業を終え、特命係が佑希子の控室に見舞いに訪れた時、団体の社長が死体で発見される。



・探偵たちは学園に集まる
 私立探偵、マーロウ矢木のもとに人気スクールアイドルの護衛の依頼が舞い込む。依頼を受け、音ノ木坂の地を踏んだマーロウだったが、そこには想像を超える思惑と罠が潜んでいた。私立探偵、トラブルシューター、物理学者、論理学者、祓い屋、執事、猫。彼らがそろった時、音ノ木坂に何かが起きる。



・世界で一番暑い夏
 米沢の依頼を受け、特命係は千葉県で行われる同人誌即売会に行くことになった。あまりにも異様の空間に戸惑いつつも目的の品を確保し帰ろうとした時、特命係はトイレで男性の死体を発見する。早速捜査を開始した杉下は現場に最も近い場所でブースを出していたサークルの参加者が、顔なじみである千葉県警の高坂刑事の子供だと気づく。



・亡霊の呟き
「えー、皆様に大変残念なお知らせをしなければなりません。このエピソードには杉下右京は登場しません。それどころか亀山、神戸、甲斐、冠城、いずれの相棒も登場しません。んふふ、このエピソードの主な登場人物は伊丹 憲一、芹沢 慶二、米沢 守、それと犯人と被害者、そして…この私。いずれのエピソードも連載時期は未定ですので気長にお待ちください。それではよいお年を。古畑任三郎でした。」


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グルメな殺人~33分仕立て~ 1

最初に書いておきます。
今回のエピソードはネタまみれです。酷いキャラ崩壊は出来る限り阻止していきたいですが、相棒らしい空気感はブチ壊れる恐れがあるのでご了承ください。


 百人は裕に収容することが出来る大部屋の中心に、壮年の男と、まだあどけない面影を残す少年が立っていた。

 2人の間にはこじんまりとした丸いテーブルがあり、その上には山菜を使ったと思われるリゾットが乗っている。

 

「残念だが、君の実力ではこれ以上此処ではやっていけない。」 

 

 壮年の男は口を開くと少年に告げた。これと言って重苦しさは無い、まるで商店街の抽選に外れたでもいうような軽い口調である。

 だが、その言葉は少年にとって死刑宣告と同様の物であった。

 一瞬にして少年お顔は蒼白となり、次に全身の血が顔面に集まったかのように真っ赤に硬直する。拳は骨が浮き上がるのが分かるほど強く握られ、小刻みに震えていた。

 

「主として和食に使われる山の山菜を、あえて西洋の料理法で調理するという発想自体は悪くないが、それだけではありきたりだ。味もごく平凡で、インパクトが無い。盛り付けも目新しさが無い。これくらいなら、都内のちょっと高いレストランに行けばいくらでも食べられる。」

 

 少年の尋常ざる様相を前にしながらも、男は淡々と目の前の料理の感想を述べていく。

 

「無論、君に才能や努力が足りないとは言わない。少なくとも、料理人として人に出すに値するものを君は作れるだろう。だがそれは、遠月の看板を背負わなかった場合だ。遠月の名の付く場所では、君の実力は相応しくない。」

 

 少年はただただ俯いてその言葉を聞いていた。しかし、話が進んでいくにつれ少年の両眼には涙がたまり、やがて零れ落ちた滴は床のマットに染みを作る。

 一方で男は歯を食いしばって震える少年に一枚の用紙を差し出した。

 

「明日までに荷造りをして、その書類にサインをするといい。外でも頑張りたまえ。」

 

 『退学届』と書かれた書類に雫が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅葉に色づく山間の道を、スカイラインセダンが走っている。

 運転するのは甲斐亨に代わって新たな特命係の一員となった冠城亘(かぶらぎ わたる)。その助手席には杉下右京が座っていた。

 

「それにしても、なんで特命係が捜査一課の使いっ走りで、こんな山奥まで来なきゃいけないんですかね?事件の証拠品を返すくらい自分たちでやればいいのに。」

 

 冠城は後ろのシートに乗せられた紙袋をミラー越しに目を向けながら、隣の杉下に話しかける。

 

「なにぶん僕たちは常に暇をしている窓際部署と思われています。面倒な仕事を持ち込まれるのは以前から変わりありません。」

 

「そんな悪い伝統、どっかで断ち切らなきゃだめですよ。まぁでも、今向かっている所は遠月リゾートの一つらしいですからね。昼飯の事を思えば、楽しみではあります。」

 

 遠月リゾートと言えば、言わずと知れた日本を代表する一大リゾート地である。富士山と芦ノ湖を望む広大な土地には十数軒を超える高級ホテルや旅館が立ち並び、そのどれもが大手観光雑誌やグルメサイト、果ては海外の某タイヤメーカーが発行する旅行ガイドブックにて絶大な評価を得ているのだ。

 特に料理に関しては、大元の組織である遠月茶寮料理學園の存在もあり、長年にわたり日本のトップに君臨している。

 昼食への期待感から、冠城の口内に自然と唾液が溜まっていた。

 

「冠城君、昼食を楽しみにするのは結構ですが、先に仕事を終わらせねばならない事をお忘れなく。」

 

「わかってますよ。と、見えてきましたよ。あそこが遠月リゾート、『星のふるさと』ですね。」

 

 新緑の中に真っ白な建物が現れ、冠城のスカイラインはそこに向かって進んでいく。

 

 

 

 車を駐車場に止め、杉下たちがホテルの玄関口に向かって行くと、玄関口近くに数台のパトカーが止まっていた。その周辺では数人の制服警官の姿も見える。

 

「何かあったんですかね?」

 

「さぁ、僕には何とも。気にはなりますが、先ずは要件を済ませましょう。」

 

 杉下はロビーの受付に向かうと、自分たちの身分を明かし、受付に用件を伝えた。

 そして暫くの間ロビーの椅子に座っていると、左眉に切り傷のある赤髪の少年と、三つ編みのおさげ髪の少女が現れた。

 

「ああ、どーも。お二人が親父の包丁を持って来たっていう刑事さん?」

 

「ちょっと、ソーマ君!相手は警察の人たちなんだからちゃんと挨拶しないと!」

 

 軽く手を上げ飄々とした態度で杉下たちに話しかけてくるソーマという少年を、少女は慌てて窘める。その様子に苦笑を浮かべながらも杉下は二人に話しかけた。

 

「どうぞお構いなく。確かに僕達は幸平城一郎さんからお預かりした証拠品のお包丁を、ご家族の方に返還する為に参りました。君が城一郎さんの息子さんである、幸平創真君でよろしいでしょうか?」

 

「ええ、そうっすよ。どうぞよろしくお願いします。」

 

 そう言って幸平創真、通称ソーマはニヒルに笑った。

 

 

 場所をロビーに隣接してある喫茶に移し4人は改めて自己紹介すると、杉下は本題に入るため紙袋を机の上に置いた。

 

「これがその証拠品です。中身を確認していただいてもよろしいですか?」

 

「わかりました。」

 

 ソーマは袋から箱を出すと、ふたを開けて中の包丁を取り上げた。

 

「うん!確かに親父が愛用している包丁の一つっす。銘も入ってますし、まず間違いないっすよ。それにしても、まさか親人包丁が殺人事件の証拠品になるとはなぁ…」

 

「証拠品と申しましても、現場から回収された凶器候補の一つとしてですが。幸いすぐに本物の凶器が見つかったので、お返しすることが出来るようにはなったんです。しかしながら、その時には城一郎さんはすでに日本を立ってまして…」

 

「ああ、親父ってそういうところがあるから。この前も俺に相談なしで店を休業するし。」

 

 快活に笑いながらソーマは包丁を箱に戻す。

 

「でもよかったね、ソーマ君!お父さんの包丁が人殺しに使われてなくて。」

 

「ん?まぁ、そりゃあな。」

 

 まるで自身の事のように包丁が戻ってきたのを喜んでいる少女は、ソーマと同じ学校に通う同級生である田所恵である。

 冠城は二人の間に爽やかな青春の香りを感じ取り、自然とほほえましい視線となっていた。

 

「ところで、お二人は料理専門学校である遠月学園に通っていらっしゃるのですよね?今日は何故、こちらのホテルへ?」

 

 その杉下の疑問に答えたのは田所であった。

 

「あ、それは私が所属している研究会の合宿がここで行われるからなんです。わたし郷土料理研究会に所属しているんですけど、秋の味覚を使った料理を研究するために実際に山に入って食材を採取したりしてるんです。」

 

「俺は面白そうだったんで、同行させてもらったんです。」

 

「もう、ソーマ君は勝手についてきたんでしょ。バスにソーマ君が乗ってて私凄く驚いたんだからね。」

 

 そう言って田所は可愛らしく頬を膨らませる。

 ソーマの下手をすれば軽薄に見える態度で彼女に謝るが、田所自身はあまり怒っていない様子である。

 一方で冠城は、研究活動で日本有数のリゾート施設を利用する遠月の凄さに引き気味で驚きつつも、それを利用する彼らが今後の日本の食文化を支えていくことを思うと素直に感心していた。

 そうして話がひと段落したころ、杉下がソーマたちに一つの質問をした。

 

「ところで、ホテルの玄関にパトカーが止まっていましたが、こちらで何かあったのでしょうか?」

 

「ああ、何でも今朝方、このホテルのプールサイドで人が死んでるのが見つかったらしいっす。それで朝から警察がいろいろ調べてるみたいです。その所為で俺たち朝には帰るはずだったのに帰れなくなっちゃったんっすよ。」

 

「帰れなくなったって…もしかして事故じゃなくて事件だって事かい?」

 

 冠城問いかけると、ソーマと田所は首を縦に振って肯定を示す。

 

「はい。何でも、現状では事故とも事件と自殺ともわからないから、暫くはこの建物からは出ないでくれって。な?」

 

「うん。私たち、今度秋の選抜もあるから早く寮に帰りたいんですけど……」

 

 田所は暗い表情で小さく呟く。

 そんな様子にわき目を振らず、杉下と冠城は立ち上がって顔を寄せ合っていた。

 

「事故か事件か自殺かさえもわかってないか…なんだか気になりますね。」

 

「ええ、大変気になります。しかし、面白半分で警視庁管轄外の土地で起こった事件に顔を突っ込むのは、いかがなものでしょうかねぇ?」

 

「確かにそれは一理あります。でも右京さん。このままでは、未成年の学生がいつまでたっても自宅に帰れない状況です。なんとか彼らが早めに帰れるようにしてあげたいなぁ、と僕は思っています。」

 

「なるほど、あくまでも人助けの為に地元警察に協力したいと?」

 

「はい。」

 

「それもまた、一理あるのでしょうねぇ。」

 

 二人は顔を見合わせたまま、そろって不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 正面玄関の裏、中庭に位置する場所にあるというプールに向かってみると、鑑識官が忙しなく動き回り現場の写真撮影や証拠品の収拾に勤しんでいる。

 杉下たちが気を配りながら彼らに近づいて行くと、二人に気が付いた若い刑事が肩を怒らせ迫ってきた。

 

「ちょっと何やってんであんたら!捜査中なんだから入ってきちゃ駄目っすよ!」

 

「大変申し訳ありません。実は僕たち、こういう者なんです。」

 

 杉下と鏑木は警察手帳を取り出すと、それを開いて確認を促す。若い刑事は驚いた様子で手帳をまじまじと見つめると、すぐに姿勢を正し敬礼をした。

 

「失礼しました!まさか警視庁の方とは知らずに。」

 

「いえいえ、僕たちも偶々このホテルを立ち寄っただけですので。少し、現場を見せてもらってもよろしいですか。」

 

「は、はい。あっ!自分、茂木と申します。どうぞ、現場まで案内します。こちらです!」

 

 完全に畏まった様子の茂木に先導され、特命係は現場となったプールサイドまで案内される。

 被害者の遺体はすぐに見つかった。遺体の周りでは数人の鑑識が写真を撮っている。杉下たちは彼らの脇を通り遺体を前にすると、被害者の姿に目を丸くさせた。

 

「これは…始めからこの状態だったんですか?」

 

「はい。今朝、このホテルのスタッフが掃除の為にこのプールに出てきた時、この仏さんが素っ裸で倒れてたらしいです。」

 

 冠木の質問に答える茂木の言葉に耳を傾けながら、杉下は静かに遺体を観察する。

 被害者は40代から50代の男性。中肉中背で端正な顔立ちをしているが、それが今はひどく歪んでいる。恐らく、死の直前まで酷い苦痛を受けていたのではないかと推測される。

 遺体は一切の衣服を身に着けておらず、全身はびっしょりと濡れている。

 外傷は頭に出来た大きな傷があり、傷口はぱっくりと割れ、そこから夥しい量の血が流れていた。それ以外にも手足のいびつな角度に曲がっていたり、脇腹と腰の変色などから強い衝撃を受け全身の骨が折れていることが分かる。

 だが、これ以上に奇妙な点がこの遺体にはあった。

 

「どういう事でしょう?手足や鼻の先が真っ赤に腫れ上がっています。」

 

「ほんとだ…何だかスズメバチに刺された時の症状に似てますよね。ほら、アナフェラキシ―ショックってやつの。」

 

「茂木さん、被害者の身元は分かっているんですか?」

 

「ああ、はい。ちょっと待ってください。」

 

 茂木は胸ポケットからメモ帳を取り出すとそこに書かれた情報を読み上げた。

 

「被害者の名前は板倉修吾。遠月学園でフランス料理を担当する講師です。このホテルに泊まっていたのは、自身が顧問を務めるジビエ料理研究会の実地研修の引率の為です。泊まっていた部屋は当ホテルの5階。ちょうど現場の真上に当たる場所です。」

 

 茂木の説明を聞き杉下が上を見上げると、5階の一室のバルコニーで鑑識がプールサイドと同じように調査活動を行っていた。

 

「状況から見て板倉さんは自室のバルコニーから転落したように思えますが、遺書の類は見つかっていますか?」

 

「いえ、見つかっていません。」

 

「薬物やアルコール類は?」

 

「生徒の引率中という事もあってアルコール類は飲んでいなかったようです。薬物やそれらしき物を使用した痕跡は残っていません。」

 

「ふーん。でもやっぱり、被害者の手足に出来た炎症が気になりますね。被害者はアレルギー持ちだったんでしょうか?」

 

「流石にそこまではまだ…もう間もなく検死することになってますので、そこで詳しく調べる事になります。」

 

 茂木が冠城の質問に答えている間に、板倉の遺体は担架に乗せられ、より詳しい検死を行うために運ばれていく。特命係の二人は運ばれていく遺体に手を合わせ見送った。

 それとほぼ同時に一人の鑑識官が茂木の下に近寄ってくる。

 

「よろしいでしょうか茂木刑事。」

 

「ん?どうしたんだ?」

 

「バルコニーの手すりから両手の他に、足の指の指紋が見つかりました。恐らく、被害者のものかと。」

 

 鑑識の報告は被害者が手すりに自身の足を掛けていたことを意味する。それはつまり、被害者が自分の意思で手すりを乗り越えたことに他ならない。

 

「こりゃあ事件というよりも、事故か自殺の線が濃いなぁ。」

 

「しかしまだ炎症の件がハッキリとしてません。あまり早急に決めつけるのは…」

 

「おうい!今戻ったぞ。」

 

 突如、事件現場に気の抜けた中年男性の呼び声が響く。その声のした方を向くと、殺人現場に似つかわしくない能天気な笑みを浮かべた禿げ頭の中年男性が手を振りながら近づいてきていた。

 その男性の顔を確認し、杉下は驚きの表情を浮かべる。

 

「矢木さん!なぜあなたがここに!」

 

「矢木?いえ私は大田原というものですが。」

 

「おや?そうなのですか?だとしたら申し訳ありません。僕の知り合いにとてもよく似た方がいたものでして。」

 

 杉下は頭を下げるが大田原は大らかな様子で対応する。

 

「いえいえ、お構いなく。そんなに似ているなら私もその知り合いの方に会ってみたいものです。ところで、あなた方はいったい?」

 

「大田原警部、こちら偶々ホテルに来ていた警視庁の刑事さんです。右が杉下さんで左が冠城さん。」

 

「あっ!そうでしたか。これはお疲れさまです。」 

 

「それよりも警部。さっき鑑識から報告が来たんですけど、被害者は自殺か事故でほぼ間違いないみたいですよ。」

 

「ええっ!本当!?参ったなぁ…せっかく探偵を呼んで来たっていうのに…」

 

 どうしたものかと困った様子で頭を掻く大田原であるが、蕪木は彼が呟いたとある単語について聞かずにはいられなかった。

 

「あの、すいません大田原警部。探偵を呼んで来たってのはいったい?」

 

「ああ、恥ずかしながら我々だけでは手に負えないような事件が起こった際、捜査に協力してくれる探偵がいるんです。今回の事件もその探偵に協力してもらおうと思ったんですが。」

 

 それって色々と問題があるのではないだろうか。民間人を積極的に警察の捜査に参加させるなんて。そもそも探偵とは何なんだ。

 冠城の脳裏に様々な疑問が浮かんでいる合間も、大田原は顎に手を当て悩ましげな様子である。

 

「うーん、完全に無駄足になってしまったぞ。仕方がない、事故か自殺の線で捜査を進めよう。」

 

「果たしてそれでいいのでしょうか?」

 

 現場に新たな人物の声が響く。再び現場にいた人間が再び声のした方を向くと、眼鏡をかけた若い男がゆっくりと歩いてきていた。なぜか、丈の短いズボンをはいている。

 その隣には性格のキツそうな若い女性が控えている。

 

「えーと、大田原警部、こちらの彼は…」

 

「ああ、彼が捜査を協力してくれている探偵と、助手です。」

 

「どうもはじめまして。私立探偵の鞍馬六郎です。」

 

「助手の武藤リカコです。」

 

 そう言って握手を求めてくる六郎達の手を冠城は思わず握ってしまう。杉下も同じように握手をする。

 

「どうもはじめまして。警視庁特命係の杉下です。ところで、先程『果たしてそれでいいのでしょうか?』と仰られていましたが、それはいったいどういう意味でしょうか?」

 

「そのままの意味です。このまま行けば、この事件は事故か自殺で片付けられてしまいます。しかしそれでは…」

 

 六郎は一旦言葉を止め、スッと杉下の目を見据える。不思議な迫力に、知らず知らずのうちに冠城は息を止めてしまっていた。

 そして六郎はおもむろに口を開いた。

 

「今回のエピソードが、落ちもひねりもない短編エピソードで終わってしまいます!」

 

「………はぁい?」

 

 六郎の返答は杉下や冠城の想像をはるかに超えたものであった。あの杉下が困惑しきった様子を冠城は初めて目にする事となる。

 そして六郎は尚も続ける。

 

「久々の投稿を手放しで歓迎してくれるほど、ここの読者は優しくありません。それどころかすっかり存在を忘れられている恐れもあります。このままじゃ、お気に入り登録どころか感想さえ貰えませんよ。」

 

「ちょっと君何を言って…」

 

「大体この小説の作者も作者ですよ。仕事が忙しいのは仕方ないにしても、活動報告で近況を伝える事ぐらい出来たでしょうに。しかも予告していたエピソードはほったらかしにして新しい話を書き始めるわ、勢いで書き始めた新規小説は案の定展開に困って連載停止だわ、そもそも最初に書き始めて一番お気に入り登録の多い小説は5か月も更新していないけどどうするつもりなんだと…」

 

 ※これ以上は本気で時空を歪ませかねないのでカットさせていただきます。

 

「とにかく!何やかんや言わせていただきましたけど、この事件、俺が読了時間33分持たせてやる!」

 

 それまでの空気を総べて吹き飛ばし、33分探偵 鞍馬六郎は堂々と宣言した。果たして、彼はこの奇妙な事件を解決できるのか?原作相棒の雰囲気や空気感は守られるのか?

 そして、作者はこの話を無事完結できるのか!?

 

 

 

「…右京さん、自分もう何が何だか。」

 

「そうですねぇ…仮にも原作相棒としているのですから、僕たちが空気になる事は無いと思いますよ。」

 

「右京さん!」

 

 残念ながら、既にシュールな空気の汚染が広がっているようだ。

 

 

 




という訳で『食戟のソーマ 』と『33分探偵』とのクロスになります。
どちらの雰囲気も大切にし、うまく相棒とクロスさせていきたいのですが、やはり33分探偵のクセがかなり強いです。
実質このエピソードでは33分探偵サイドが主人公的立ち位置になるかと思います。
其れでも出来る限り、相棒やソーマのキャラを立たせていきたいと思います。



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グルメな殺人~33分仕立て~ 2

33分探偵を見たこと無い人は、この回を読めばどういう作品か大体わかると思います。


 六郎たちの登場により混沌としてきた現場ではあったが、兎にも角にも事件の解決が先決という事になり、一同は被害者である板倉の宿泊部屋へと向かった。

5階にある板倉の部屋の前まで行くと、部屋の前には口ひげを生やした中年のホテルマンと坊主頭のスーツ姿の男性がいた。

 杉下たちが2人に近づくと、ホテルマンが前に進み出て頭を下げる。

 

「お待ちしておりました。私は当ホテルの総合支配人を務めます、岩殿と申します。」

 

 それに対し、捜査の責任者である大田原が岩殿の前に出て頭を下げる。

 

「ご丁寧にどうも。捜査の指揮をとります、大田原です。ところで、こちらの方は?」

 

「初めまして。遠月リゾート総料理長兼取締役会役員を務めます、堂島銀です。昨日から当ホテルの新メニュー審査の為にこっちの部屋に滞在してます。」

 

 堂島は握手を交わしながら大田原の質問に答えると、板倉が泊まっていたという部屋の向かい側のドアを示した。

 

「驚きましたよ。朝から何やら騒がしいと思っていたら、板倉さんがバルコニーから落ちて亡くなった時かされたんですから。」

 

「堂島さん、あなたと板倉さんは知り合いだったんですか?」

 

「はい。板倉さんは元々遠月リゾートのホテルに長い事勤めていて、10年前から学園の講師になられたんです。私が学園を卒業したばかりの頃は大変お世話になったんですが、まさかこんなことになるとは…」

 

 堂島は悲痛な表情を浮かべる。その様子から、堂島が板倉の死を心から惜しんでいることが窺え知れた。

 

「心中お察しします。しかしそれにしても、堂島さんには親近感が湧きますなぁ。」

 

「そ。そうですか?」

 

「ええ。なんていうか、初めて会った気がしないというか。あっ!ヘアスタイルが似ているからかな!」

 

「なにアホなこと言ってんだよ!堂島さんはファッション坊主で、お前はただのハゲだろうが、このハゲッ!」

 

「ハ、ハゲ…」

 

 リカコの思わぬ毒舌に大田原はショックを受けた様子を見せる。そして堂島も思いつめた様子で小さく「ファッション坊主…」と、呟いていた。

 そんな二人を押しのけ、杉下が前に進み出る。

 

「それよりも、部屋の中に入れていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「はい。少々お待ちを。」

 

 岩殿は胸ポケットからカードキーを取り出すと、ドアのセンサーにかざしドアノブを回した。

 その様子を見ながら、杉下は質問する。

 

「この部屋はオートロック式なんですね。ところで、そのカードキーはマスターキーですか?」

 

「いえ、1階のスタッフルームで保管している2枚の予備キーの内の一つです。マスターキー観光部本部ビルで保管されています。」

 

「保管に特別なセキュリティは利用されていますか。」

 

「はい。カードキーは指紋認証システムを設置した特製のキーボックスに保管されています。登録された遠月リゾートの従業員でなければ開けられない仕組みです。更に、いつ誰がキーボックスを開け、どのカードキーを取り出したのかも、自動で記録管理されるようになっています。昨日板倉様がチェックインしてから、今朝警察の方に頼まれ部屋を開けるまで取り出した人間がいないのは既に確認済みです。さあ、こちらです。」

 

 

 

 

 

 岩殿に先導され、杉下たちは部屋に入る。

 すでに鑑識があらかた捜査をしたため、杉下たちも遠慮なく部屋の奥に進んで行った。

 

 板倉が泊まっていた部屋は遠月リゾートの中では比較的リーズナブルな部屋に入るらしい。それでも流石遠月というべきか、広さは普段杉下たちが出張で利用するビジネスホテルとは比較にならず、調度品や設備も一般的な高級ホテルと遜色のないものがそろっている。

 

「いいなぁ。一度でいいからこういうところに泊まって、贅沢して見たいんだよねぇ。まぁ、うちみたいな貧乏探偵事務所じゃ、遠い夢なんだろうけど。」

 

 一緒に付いてきたリカコが部屋を見渡しながら驚嘆交じりに言うと、先に部屋に入っていた六郎が不機嫌そうに眉を寄せる。

 

「そんなね、うちの事務所の待遇に文句があるんなら、直接言えばええやろがい。人がおる前でわざとらしく言うなんて、気分悪いわ。」

 

「あん?」

 

 六郎の言い草に今度はリカコが眉を寄せ、顔を突き合わせて言い争いを始めた。

 

「なんや文句あるんか、この貧乏探偵。」

 

「おお有るわこの濁声ガサツ女が。そんなんやから結婚できへんのやぞ。」

 

「なんやわれやるんか?」

 

「おおやったろやないかい!」

 

「表出ろや、おい!」

 

「お前が出ろや、おい!」

 

「出らへんわ!」

 

「出らへんのかい!やらんのか!」

 

「やらへんわ!」

 

「やらへんのかい!」

 

 揉め始めたかと思ったら速攻で収束した2人を無視し、杉下と冠城は部屋を散策する。

 

「なんでしょう、少し散らかってますね。ペンやティッシュ、それに小物が床に落ちてますし、まるで誰かと争い事があったみたいだ。」

 

「冷蔵庫も開けっ放しですし、シーツや布団も放り出されてますねぇ。おや、これは…」

 

 杉下は手袋を取り外すと、直接シーツに触った。

 

「僅かにですが濡れています。それに、よく見れば所々部屋が水で濡れた痕跡がありますが、これはどういう事でしょう?」

 

 杉下が指摘したとおり、床やガラスには水で濡れた痕跡が残っており、それを辿るとバルコニーまで続いていた。

 

「実は、最初にこの部屋に入った捜査官の話ではバスルームのシャワーが出しっぱなしになっていたそうです。恐らく、被害者は死亡する直前までシャワーを浴びていたのではないかと思われます。」

 

「そういえば、被害者の体は濡れていましたね。」

 

 大田原の説明を聞き、杉下と冠城は遺体の様子を思い浮かべる。

 死後数時間を経過していたにも拘らず、遺体の髪は湿り気を帯びていた。

 

「つまり被害者はシャワーを浴びている状況から体も拭かずに突然バルコニーまで向かい、自分から手すりを乗り越え飛び降りたってことになりますね。どうしてそんな…」

 

 自殺にしてはあまりにも不自然。だからと言って殺人とするにも奇妙過ぎる状況が出来上がっていた。

 流石の杉下も内を噤んで考えに耽っている。

 沈黙が現場を包み、重苦しい雰囲気が生まれかけたその時、全ての空気を吹き飛ばす言葉をつぶやく者がいた。

 

「なるほろ。そういう事だったんですね。」

 

 その言葉は決して大きな声で発せられたものでは無い。しかし、その空間にいた者たちからすれば最も求められる言葉であり、最も衝撃的なものであり、それ故に一同の耳にしっかりと届いた。

 皆が一斉に声のした方を向けば、一人の探偵が顎に手をあて物知り顔でいる。

 

「そういう事って、どういうことだ探偵?」

 

「簡単ですよ、大田原警部。この殺人事件の謎が全て解けたんです。」

 

 明確な言葉に思わず息を呑む声が誰かの口から洩れた。

 

「殺人事件って、本当なのか!?」

 

「ええ。今回の事件は一人の人間が作り上げた巧妙な殺人事件。その人物は大胆かつ繊細な方法を使い、密室の状況で板倉さんを殺害したんです。そしてその人物とは…」

 

 六郎は腕を真っ直ぐに上げ、その人物を指さした。

 

「堂島銀さん、あなただ!」

 

「……お、俺?」

 

 突然犯人に名指しされ、堂島は呆けたように自分自身を指さす。だがすぐに、慌てた様子で六郎に食って掛かる。

 

「待ってくれ!俺は板倉さんを殺してなんかいない!そもそも板倉さんは自分から飛び降りたって言ったじゃないか。俺がどうやって殺したというんだ。」

 

「それは非常に気になりますねぇ。どうかお聞かせ願いでしょうか?」

 

 どこか楽しそうな様子で杉下が尋ねると、六郎は片手で眼鏡を上げる。

 

「ではご説明しましょう。この事件で使われたトリックを。」

 

 

 

 

「まず重要なのは犯人である堂島さんは、一切板倉さんの部屋には入っていないという事です。堂島さんは向かいにある自分の部屋に居たまま、板倉さんをバルコニーから転落させたんです。」

 

「いったい、どうやって?」

 

「堂島さんは共振現象を利用したんです。」

 

「共振現象?」

 

「共振現象とは、物体が持つある特定の固有のリズムで力を加える事で、物体が激しく揺れ動く現象の事です。まあ詳しい事はネットで『ガリレオ 第3話 騒霊ぐ』で検索してください。」

 

「うわ、同局のドラマに丸投げした。」

 

「堂島さんがこの共振現象を起こすために使ったのは音です。」

 

「音?」

 

「音の正体が空気の振動である事は皆さんもご存じでしょう。堂島さんは音を使って空気を震わせ、その振動を板倉さんの部屋に伝える事で、板倉さんの部屋を激しく揺らしたんです。」

 

「でも部屋を揺らす程の音なんてどうやって…」

 

「堂島さんは料理人ならではの方法で部屋を揺らすための音を作り上げたんです。」

 

「とても興味深いですねぇ。その料理人ならではの方法とは?」

 

「堂島さんは新作メニューの試食という名目で、『味皇』こと村田源次郎さんを部屋に呼び出したんです。」

 

「まさかのミスター味っ子からの参戦だ!」

 

「堂島さんの新作メニューを食べた村田さんはこう叫びました。」

 

 

 

『うー・まー・いー・ぞぉぉぉぉっ!!』

 

 

 

「そしてその声の振動は、向かいの板倉さんの部屋まで届きます。」

 

「おおっ!それで共振現象が!」

 

「ですが残念ながらリズムが合わずに共振現象は起きませんでした。」

 

「ダメじゃん、味皇。」

 

「ですが、堂島さんは念のため二人目の挑戦者を呼んでいましたから大丈夫!」

 

「挑戦者って…杉下さん、これって殺人事件の推理ですよね?」

 

「間違いなくそのはずです。」

 

「二人目の挑戦者はM県S市杜王町から来ていただいた、虹村億泰君です。」

 

「おおう!タイムリーだな!」

 

「億泰君も堂島さんの新作メニューを口にし、こう叫びました。」

 

 

『ッンまぁぁ~いっ』

 

 

「そしてその声もまた、板倉さんの部屋まで届きました。」

 

「今度はどうだ!」

 

「ですが残念ながらリズムが合わなかった。」

 

「くっそ、おっしぃーなぁ、」

 

「惜しいんですか?」

 

「だが堂島さんは三人目の挑戦者も呼んでいました。」

 

「堂島さん顔広いですね…」

 

「そんな顔の広い堂島さんでも、呼び出せるシャウターは三人が限界でした。そして三人目にして最後の挑戦者。それは…」

 

「それは?」

 

「満○青○レス○ランでおなじみ、芸人の宮○大○さんです。」

 

「あか~ん。リアルの世界の人間はあか~ん。」

 

「毎週日本全国を飛び回り、その土地の名産品を口にする○川さん。そんな彼が堂島さんの料理を食べて叫ぶ言葉は一つだけです。」

 

 

 

『うわっ!うま~い!!』

 

 

 

「おいしい料理を食べた感動と幸福感を伝えるうえで、最もシンプルかつ効果的な叫びは、ついに板倉さんの部屋を揺らしました。」

 

「やった!遂に山が動いたぞ!」

 

「なんか感動的に言ってますけど、全部これ妄想ですよね。」

 

「当時シャワーを浴びていた板倉さんは突然の大きな揺れに身を任せるほかありませんでした。そのまま、どんどんどんどんバルコニーの方までふらついて行き、最後は手すりに足をかけ、宙に身を投げ出してしまったんです。」

 

 

 

 

「これがこの事件の真相です。」

 

 全てを語り終え、六郎は大きく息をつく。そのあまりのやり切った感に、誰も彼の推理に突っ込めなくなっていた。

 ただ一人、大田原だけが手錠を取り出し、堂島に近づいて行く。

 

「決まりだな。詳しい話は署で聞こう。」

 

 堂島も場の空気に当てられてか、そのまま大人しく着いて行こうとしていた。

 

「あのー、少しよろしいでしょうか?」

 

 場の空気を緩ませるような間延びした声を出し、支配人の岩殿が手を上げた。

 

「うちのホテル、全室完全防音になっているんですけど。」

 

「へ?全室完全防音?」

 

「はい。だからどんなに大きな声を出しても、流石に向かいの部屋までは声は届かないと思います。」

 

 一転して現場に何とも言えない空気が流れる。

 誰もが、どうすんだよこれから、とでも言いたげな顔をする中、一人涼しげな表情を浮かべる杉下がスッと片手を上げた。

 

「とりあえず、検証をしてみたらいかがですか。本当に部屋から音が漏れないか試してみれば、鞍馬さんの推理が合ってるかどうかわかると思うのですが。」

 

「あ、ああ、そうだね。じゃあ、私が部屋の中から大声出すから、みんなは音に出て聞こえるか確かめて。」

 

 杉下の提案に気を取り直したリカコは、その提案に乗る形で自分以外の人間を部屋から追い出した。

 そして全員が出て行くと、目を閉じて大きく息を吸いこんだ。

 

「…続編作れや番組スタッフううううううううううううう!!!!!」

 

 思いっきり叫び声を上げると、すぐに部屋を出て外にいた大田原達に確認する。

 

「どう?聞こえた?」

 

「いや、まったく。」

 

「一応もう1回試してみましょう。今度は僕が中から叫びます。」

 

 そう言い残して杉下は自ら部屋の中に入っていった。部屋に入ると杉下は扉の方を向き大きく息を吸い込む。

 

「………官房ちょオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 叫び終えると、杉下は静かに部屋の外へ出た。

 

「聞こえましたか?」

 

「全然聞こえませんでした。」

 

 やはり、叫び声は完全防音の扉に阻まれ向かいの部屋どころか廊下にさえ届かない。

 最早共振現象トリックは破綻したに等しいのだが、ただ一人、共振現象の可能性を信じる者がいた。他ならぬ六郎である。

 

「……フフフ…フフハハ…フハハハハハハハハハ」

 

「ど、どうしたの禄郎君。急に笑い出して。」

 

 突然皆に背を向け、笑い声をあげだした六郎を心配し、リカコが声をかける。すると六郎は笑うのをやめ、勢いよく振り返った。そして燦然と言い放つ。

 

「ジャイアンだったらワンチャンあるよね!」

 

「「「「「「ないよっ!」」」」」」

 

 全会一致の否決だった。



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グルメな殺人~33分仕立て~ 3

 六郎の推理が全くの的外れであることが分かり、一度捜査を見直すこととなった。

 そのため六郎、リカコ、大田原、茂木の4人は聞き込みの為にそれぞれが別々に行動し、事件に関する情報を集めに回っている。

 

 その一方で杉下と冠城は、ソーマと田所と共にホテルの敷地にある裏山の森に入っていた。

 

「いやー、すいませんね。こんな山の中まで付き合わせちゃって。」

 

「構いませんよ。これも貴重な経験です。」

 

 謝意を述べるソーマに対し、杉下は木の根元に目を凝らしながら答える。

 いまだ自分たちの寮に帰れないソーマと田所であったが、遠月学園にも強い権限を持つ堂島が警察に交渉し、ホテルの敷地内であれば自由に行動してよいとの許可を得ていた。

 それを利用し、秋の選抜が控えるソーマたちは山を散策し、選抜に向けた料理のアイデアを得ようとしていた。

 そして杉下たちもそれに同行している。

 

「おっ、これなんてなかなか良さそうじゃないか。美味しそうなキノコだ。」

 

 杉下と共に地面に目を凝らしながら秋の味覚を探していた冠城は、全体が真っ白なキノコを見つけ採取する。

 すると、近くで同じようにキノコを探していた田所が冠城の下へ近づいてきた。

 

「すいません冠城さん。そのキノコ、少し見せてもらってもいいですか?」

 

「え?ああ、いいけど。」

 

「ありがとうございます……ああ、やっぱり。これ毒キノコです。」

 

「えっ!これが。」

 

「はい。ドクツルタケと言って、食べたらまず助からないって言われるほどの猛毒を持っています。アメリカの方じゃ「死の天使」(destroying angel)って呼ばれてるそうですよ。」

 

 田所の言う通り、傘から柄の部分まで全てが純白に染まった姿はさながら純白の衣を纏った天使を思わせる美しさがある。だがその内には、簡単に人を死に至らしめる恐ろしさを内包していると知り、冠城の背に冷たい汗が流れた。

 

「なんというか、人と同じで見かけだけじゃ簡単に判断できないんだな。」

 

「田所さん、ではこちらのキノコはいかがでしょうか?」

 

 そう言う杉下の手には、真っ赤な傘に白い斑点模様を作った鮮やかなキノコは握られていた。

 

「いや杉下さん、これは俺でもわかりますよ。間違いなく毒キノコです。見た目が明らかに、私毒持ってますよ、って自己主張してますもん。」

 

「これはベニテングタケ。毒キノコの一種ですね。」

 

「ほら、田所ちゃんもこう言ってるじゃないですか。早くそんなもの捨てて…」

 

「でも食べれます。」

 

「食べれるの!毒なのに?」

 

「はい。ベニテングタケはドクツルタケ程毒は強くないですし、毒抜きの仕方が確立してあるんで長野県の一部や北欧では古くから食用にされています。それに毒の主成分であるイボテン酸はグルタミン酸の10倍のうま味成分を持つと言われてるんです。もちろん、食べ過ぎには注意しなきゃいけないですけど。」

 

「はぁ…これが…」

 

 見た目は完全にスーパーマリオに出てくるキノコその物のそれが、遠月学園の生徒が太鼓判を押すほどの食材であることに冠城は驚きを感じる。

 

「なるほど、確かに見た目と中身は必ずしも一致しないな。おっ!でもこれなんかはいいんじゃないかい?」

 

 すると今度は近くにあった竹やぶに色合いの地味なシメジに似たキノコが群生しているのを発見した。顔を近づけて臭いを嗅ぐと豊かな香りがあり、中には虫が食べたのか一部が欠損したものもある。

 だが田所は申し訳なさそうに顔の前でバッテンを作った。

 

「ごめんなさい冠城さん。それも毒キノコです。」

 

「……ほんと、見かけによらないよ。」

 

 そんなこんなはありながらも、ソーマや田所は一通り採取を終えると山を下りる準備を始めた。同じように冠城も下山の準備をし、キノコの入った籠を担いでいると、杉下が唐突に口を開いた。

 

「ところで、幸平君や田所さんは亡くなった板倉先生とは面識があったのでしょうか?」

 

「板倉先生とですか?うーん、俺は板倉先生の講義はとってなかったし、ほとんど話したことも無かったすね。会ったら挨拶する程度っす。」

 

「私は所属している郷土料理研究会がジビエ料理研究会とで交流があったので、それで何度か指導を受ける機会はありました。でも、そこまで親しいというほどじゃあ…」

 

「では田所さん、板倉さんはどのような為人だったでしょうか?あるいは、ジビエ料理研究会の生徒からはどのように思われていましたか?」

 

「ええと、とにかく厳しい人だったと思います。遠月学園にいる先生たち全員に言える事なんですけど、生徒にも自分にも妥協を許さず、至らない点があれば容赦なく点数に反映させているってっ聞いてます。それで、何人もの生徒が退学になったて…」

 

「退学って…そんな…」

 

 いくらなんでも料理に至らない点があるだけで退学などと思い冠城が声を上げるが、田所の真剣な表情を見るに冗談や誇張などではなさそうだ。

 

「遠月学園では料理の腕が全てなんです。腕がいい料理人が残り、そうじゃない者は去らねばならない。一握りの宝玉を削り出すために、大多数が捨て石になる場所。それが遠月学園なんです。」

 

「まっ、俺は最初っからてっぺん取るつもりでいるんで、あんま関係ない話なんすけどね。」

 

 田所とは対照的にへらへらした態度を示すソーマだが、そんな彼も日本料理界における尤も険しい道を歩き進めている一人であり、これまでも幾多の試練を乗り越えてきた一流料理人の原石に他ならない。

 遠月学園では料理の腕が全て、才能と努力の身が正義。

 その非情なまでの実力主義が今日の飲食業界最後方を礎となっていることを、杉下たちは改めて感じ入った。

 

 

 

「おーい、杉下さん、冠城さん!」

 

 杉下たちが山を下りると、大田原と茂木、そしてリカコの3人が杉下達にて屠りながら近づいてきた。

 

「いやー、探しましたよ。聞き込みの結果、かなり興味深い情報が手に入ったのでお二人にお伝えしようと思ったんです。」

 

「あれ?あの鞍馬とかいう探偵の人は?」

 

 冠城が聞くと、大田原は困ったように頭を掻く。

 

「いやそれが探偵の奴、より詳細な情報を調べに行くとか言って一人でどっか行っちゃったんですよ。それよりも、いま集まっている情報をお伝えしますね。」

 

 そう言って大田原はメモ帳を開く。

 

「検死の結果が出ました。やはり死因は高所から落下したことによる外部性ショック死のようです。ほぼ即死だったと思われます。それと、死亡した日の被害者は少し体調が悪いと言って、早めに休むと生徒に言っています。ですが体調不良の原因は分からず、被害者の体に出来た炎症との因果関係も不明です。」

 

「わからない?」

 

「はい。検視官も頭をひねっていたそうです。ただ、症状としてはアレルギーに似ていた為その線で調べたそうなんですが、被害者は軽い猫アレルギー程度しか患っていなかったの事です。」

 

「被害者の胃の内容物からは、毒性のある者は検出されなかったのでしょうか?」

 

 杉下の質問に大田原は首を横に振る。

 

「無かったそうです。被害者とその生徒は5日前からこのホテルに滞在しているのですが、初日に昼食と夕食をこのホテルのレストランで済ませた以外は、すべて自分たちで山に入り、そこで採取したものしか食べていないそうです。被害者は山菜やフィールドワークの知識も豊富な専門家ですし、同じ物を食べた生徒に一切の変調もないですから、毒性のある物を食したとは…」」

 

 大田原の説明を聞く限り、板倉が何か精神に変調をもたらすものを摂取し、その結果飛び降りたとは考えにくいように思えた。

 だが杉下は大田原は話を聞きながら、一瞬だけ目を細めていた。

 

「それとこれは直接事件と関わっているのかはわかりませんが、昨夜の深夜1時ごろから30分間ほどホテルの水道が一時的に使えなくなってたそうです。」

 

「水道がですか?それは何故?」

 

「給水システムのエラーだそうです。幸い深夜という事もあって宿泊客への影響は最小限に留められたそうなんですが、時間的に見て被害者の死亡推定時刻と被るんですよね。ただ、システムエラー自体は偶然だと思われるんですが…」

 

「あまりにもタイミングが良すぎますねぇ。作為的なものでなくても、事件に何らかの影響があったかもしれないという事ですね。」

 

 杉下の言葉に今度は大田原も頷く。

 それを受けて、杉下も意味深げに頷く。冠城は短い付き合いながらも、杉下が事件解決の糸口を掴みかけていることを感じ取っていた。

 

 

 

 そしてもう一方の六郎はというと、都内のネオン街に姿を見せていた。

 昼間という事もありネオンのライトは消され、人の往来も少ない。そんな町全体が眠ったような静けさに包まれたなか、交差点の中央に風俗店の看板を持ったやたら濃い顔の男がいる。

 

「どーぞどーぞ、昼間からやってるパブ『めんそーれ』。いまの時間帯なら安くサービスするよー。そこのお兄さんもどうだい?」

 

 男は僅かばかりの道を歩く人々に明るく声を抱えるが、誰一人として男の方を見ずに足早に去っていく。それでも、男は気にするそぶりを見せずに声をかけ続けていた。

 この男こそ、六郎が目的とする男であり、都内随一の情報屋である。

 六郎は足早に男に近づくと、声を殺して男に話しかけた。

 

「…情報が欲しい。」

 

「…例の遠月リゾートでの変死事件か?」

 

 男の問いかけに六郎は頷くと懐から千円札を一枚取り出した。男はそれを確認すると、千円札を受け取り自分の懐に収める。

 

「死んだ遠月学園の講師だが、生徒への評価がかなり厳しい事で有名だったそうだ。今まで何人もの生徒が退学勧告を受けたらしい。」

 

「ああ、確かにそういう話だそうだな。」

 

「だが、事件の起こったホテルには死んだ講師によって10年前に退学にさせられた生徒が勤めている。」

 

「その生徒が、被害者を恨んでいるというのか?」

 

「さあな。流石にそこまでは本人にしかわからないさ。」

 

「なるほろ。ありがとう、参考になった。どうやら事件の全容が分かってきた。」

 

「まっ、頑張れよ。」

 

「お前もな。」

 

 そう言い残し、六郎は男の元から離れていった。それと入れ替わるように、仕立ての良いスーツを着た男が情報屋の下にやってくる。そして千円札を情報屋に手渡した。

 

「…義父が総帥を務める学園の運営権を奪いたい。どうすれば良い?」

 

「まずは内部から切り崩せ。学園の理事会、スポンサー、そして生徒自身が運営する組織。それらをできる限り味方に付け、総帥を孤立させるんだ。その際、事を進めていることを総帥側に知られないように気を付けろ。すべては水面下でやるんだ。」

 

「なるほど。他には?」

 

 男はもう一枚千円札を情報屋に渡しながら聞く。

 

「運営権を奪ったら、新体制に拒否感を抱く奴らを兎に角潰すんだ。アメとムチ、両方をうまく使って生徒たちを篭絡し、権力を一極独占しろ。」

 

「わかった。ありがとう、参考になった。これはチップ代わりだ。私が総帥になった暁には、これを見せればいつでも無料で食事が出来るように取り計らおう。」

 

 そう言って自分の名前が書かれた名刺を渡し、そこにさらさらとメッセージをしたためる。

 名刺には薙切 薊と名が書かれてあった。

 

 

 

 場所は遠月リゾートに戻る。

 最初に杉下と冠城がソーマたちと対面したラウンジ、そこで杉下は『秋の味覚の見分け方』と表紙に書かれた本を読んでいる。

 すると冠城が息を切らしながら駆け寄ってきた。

 

「探しましたよ杉下さん。何時の間にかいなくなってるんですもん。」

 

「これは申し訳ありません。どうしても調べたいことがあったものでいて。田所さんに頼んで参考になりそうな本を貸していただきました。」

 

「そんな事よりも、例の探偵が戻ってきました。何でも、真相がわかったので関係者を現場に集めてくれとのことです。」

 

「なるほど。そうですか、では僕たちも向かうとしましょう。」

 

 そういうや否や、杉下は素早く立ち上がると読んでいた本を脇に挟み、さっさと歩きだしてしまう。

 慌ててその後を追いかける冠城の耳に、杉下の小さなつぶやきが聞こえた。

 

「ちょうど僕も、板倉さんの死の真相が分かりましたので。」

 



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グルメな殺人~33分仕立て~ 4

 ホテル1階のロビーに集まった一同は、静かにその時を待っていた。

 集まっているのは杉下や大田原と言った警察関係者に加え、ソーマ、田所、堂島、そして支配人の岩殿とシェフの苅田といった遠月関係者たちもいる。

 やがて玄関の自動ドアが開き、六郎がその場に現れる。

 皆の視線が集まる中、六郎は全員がそろっていることを確認すると、おもむろに口を開いた。

 

「皆さん、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。さて、皆様に集まっていただいたのは他でもありません。板倉さんが死亡した真相を明らかにするためです。」

 

「!?そうかっ!遂に分かったんだな!」

 

 大田原が顔を輝かせ問いかけると、六郎は自信満々に頷く。

 

「今回の事件は大胆にして巧妙、博打に見せかけて緻密な計算で企てられました。そう、これは紛れもない計画殺人だったんです。」

 

「「な、なんだってー!?」」

 

「いや、それさっきも同じようなこと言ったじゃないですか。」

 

 大田原やリカコが取ってつけたような驚き方をする中、冠城が冷静に突っ込む。だが六郎はそれを右から左に受け流す。

 

「そして、この殺人を計画し、板倉さんを死に至らしめた犯人、それは……このホテルのシェフ、苅田さん、あなただ!」

 

 六郎は高らかに声を上げ、コックスタイルの苅田を指さす。苅田は息を呑み、その場を動けないでいる。

 

「苅田さん、あなたは10年前、遠月学園の生徒だった。しかし、講師として着任したばかりの板倉さんから低い評価を与えられ、学園を去らねばならなくなった。あなたはそれを恨み、今回の事件を起こしたんですね。」

 

「なるほど。確かに動機は存在するな。だが探偵、いったいどうやって被害者をバルコニーから転落させたんだ?それが分からないと、どうも納得できないぞ。」

 

「それは今から説明します。」

 

 探偵の謎解きが始まった。

 

 

 

 

「今回の事件で苅田さんが利用したのは板倉さんの猫アレルギーです。苅田さんは板倉さんの猫アレルギーを発症させるため、ライガーをこのホテルにあらかじめ連れてきていたんです。」

 

「ライガー?怒りの獣神か!?」

 

「ライガーとは父がライオンで母がトラの雑種動物です。顔形はライオンに近く身体には淡い縞があり、雄に少量の鬣があると聞きます。」

 

「説明ありがとうございます杉下さん。苅田さんは遠月学園ではジビエ料理研究会に所属し、狩猟には詳しかったはず。当然、動物の扱いにも慣れていた。そのスキルを存分に利用し、あらかじめライガーをホテルに誘導し、ロビーの隅っことかに待機させていた。そうすれば、客にライガーを見られてもなんか良い感じのはく製にしか見えないから気付かれない。」

 

「無理っ!サファリパ~ク♪」

 

「そして深夜になり人がいなくなると、苅田さんは猫じゃらしでライガーを誘導し、板倉さんの部屋の前まで連れて行ったんです。」

 

「そうか!ライオンとトラの子ならネコ科だ!猫じゃらしには食いつくはずだ。」

 

「そうしてライガーを部屋の前まで連れて来た後、ノックをして板倉さんを呼びます。板倉さんは深夜のテンションでよくわからないままドアを開いたはずです。そして、ドアが開いた瞬間に苅田さんはライガーを部屋に追い込んだんです。」

 

「いや、いくら深夜テンションでも深夜にいきなり来た人の為にドアは開けないと思うよ。」

 

「部屋に入ったライガーは板倉さんにじゃれつこうとします。ですが板倉さんは猫アレルギー。必死に逃れようとしたでしょう。その際、着ていた服がライガーの爪に引っかかり、どんどん服が脱げて言ったんです。」

 

「だから被害者は素っ裸だったのか。」

 

「そこで板倉さんは気づきます。猫は水が苦手。だからこの大きな猫も水を嫌がるはずだと。そこで板倉さんはシャワー室に逃げ、シャワーの水をライガーに掛けようとしたんです。」

 

「いや、それ以外にもっとやれることあったでしょ。」

 

「板倉さんは必死にシャワーの水をライガーに浴びせた。しかし、ライガーにはトラの血が入っています。トラは水浴びが大好き。いくら水を浴びせても喜ぶだけです。」

 

「おお!なるほど、確かに以前ディスカバディーチャンネルで水浴びをするトラを見たことがあるぞ。」

 

「そうしているうちに徐々に板倉さんの体にはアレルギーの症状が現れます。焦った板倉さんは慌ててバルコニーの方まで逃げていきます。その後を追ってライガーもついてきます。逃げ場を失った板倉さんにライガーはじゃれつきます。ライガーの巨体にのしかかられた板倉さんはバランスを崩し、バルコニーから転落してしまったんです。」

 

「でもそれだと、ライガーが部屋に残されたまんまじゃん。」

 

「突っ込みどころはそこ以外にもたくさんあるだろうけど今は黙っておくよ。」

 

「それはもちろん、苅田さんが料理人としてての腕をフルに使って解決したんです。苅田さんはプールの奥に鉄板を用意すると、その上で最高級黒毛和牛を焼き始めたんです。程よく脂の乗った牛肉は塩と胡椒だけで究極の御馳走となります。そう、口に乗せるだけでとろけるような触感を残し、肉汁を閉じ込めたミディアムに焼き上げるのは遠月リゾートで厨房を任された苅田さんには容易い事です。」

 

「うわ。聞いてるだけで涎が。」

 

「そして肉を焼いた香ばしい臭いは、ライガーの鼻にも届きます。おいしそうな臭いに釣られたライガーは、我慢できなくなってバルコニーから空へFly away!ネコ科特有の瞬発力で見事プールに着水すると、苅田さんの焼いた肉にかぶりつきます。たらふくお肉を食べたライガーは満足するとそのまま山に帰っていき、苅田さんは鉄板を片付けると、その場を後にしたんです。」

 

 

 

 

 

 

「これがこの事件の真相です。」

 

 六郎が推理を語り終えると、その場に微妙な空気が流れる。

 確かに突拍子もない推理だ。場所が場所ならふざけるな、と怒声が響いても不思議ではない。

 だがあまりにも六郎が自信満々にやり切った感を出しているせいか、誰一人として無粋な真似をできずにいたのだった。

 そんな空気を察してか、リカコはとりあえず聞いておかねばならない事を聞くことにした。

 

「ねえ、六郎君。そもそもライガーって日本にいるの?」

 

「えっと、それは…」

 

「確かライガーを飼育し、芸を仕込んでいるサーカス団が日本国内にあったはずです。しかし、それ以外にライガーが日本で養成されているという話は、少なくとも僕は聞いたことがありません。そもそも人工的な交雑は倫理的な問題もあり、あまり積極的にされていませんからねぇ。日本でライガーを得ようとするのは大変難しいでしょう。」

 

 六郎に代わって杉板が説明を行うと、六郎の顔が苦しいものとなる。というか、杉下の説明がある以前から六郎の推理がかなり苦しいものであることは、その場にいるほとんどの人間は知っていた。

 それでも六郎は何とか場を持たせようとする。

 

「それは…まぁ、何やかんやして手に入れたんとちゃいますか?」

 

「何やかんやってなんだよ!」

 

 ふわふわした六郎に冠城が思わず突っ込みを入れると、六郎は勢いよく冠城の方をにらみ、燦然と言い放った。

 

「何やかんやはッ……………何やかんやです…」

 

 言い切った。最早説明を放棄したとしか考えられない回答であったが、六郎は言い切った。そのあまりのも堂々とした開き直りに、冠城は茫然とするほかない。

 そんな中、大田原は一人真面目腐った表情で苅田の前に立つ。

 

「苅田さん、あなたは本当に板倉さんを殺害したんですか?」

 

 その質問に、ほとんどのものは苅田が勢い勇んで否定すると思っていた。だが苅田は下唇を噛み締め下を向くと、小刻みに拳を震わした。

 

「苅田さん?」

 

「…探偵さんの言う通りです。僕が…板倉先生を殺したんです。」

 

「………へ?」

 

 拍子の抜けた声が現場に流れる。それを気にする者はおらず、皆が一様に苅田の顔に注目している。そして苅田は思い切った様子で前を向いた。

 

「僕が板倉さんを殺害したんですよ!刑事さん!」

 

「え、え~~~~!!!!」

 

 まさに予想外。急転直下の自供に現場は混乱状態に陥った。

 

「ウソ…久々に当たっちゃった…」

 

「ま、まあ、僕に掛かればこんなもんですよ。」

 

「ていうか、探偵の推理が正しいなら、まだこの近くに猛獣がいる事になるじゃないか!すぐに署に連絡して非常線の設置を!」

 

「あ、いえ、ライガーは使ってないです。ていうか、そんな猛獣を扱う技量は僕には無いです。」

 

「え?じゃあどうやって板倉さんを?」

 

「それは…」

 

 言いにくそうに苅田が再び下を向くと、その後ろから杉下が声をかける。

 

「苅田さん、あなたはドクササコを使ったのではないでしょうか?」

 

 杉下の質問に一同が首をかしげる中、苅田と田所の二人はハッと顔を上げた。

 

「右京さん、そのドクササコって何ですか?」

 

「ドクササコとは本州を中心に藪の中に群生する毒キノコの一種です。君が竹藪の中から見つけてきた、あの地味なキノコです。」

 

「はい、私の地元ではヤブシメジって言ってました。食べたら大変なことになるから、キノコ狩りの時は注意しなさいって、おばあちゃんたちが言ってます。」

 

 杉下と田所の説明を受け、冠城はホテルの裏山で見つけたシメジに似たキノコを思い出した。

 

「あのキノコって、そんなに強力な毒を持ってたんですか?」

 

「いえ。ドクササコの毒はそれほど強い訳でもなく、致死性もほとんどありません。しかし、ある特徴的な症状を引き起こします。」

 

「その特徴的な症状とは?」

 

「体の末端部が火傷をしたように腫れあがるんです。その激痛は常軌を逸したものであり、焼いた鉄を押し付けられているかのような苦痛を生むと言われています。摂取後の発症は6時間後から一週間と言われ、症状は一か月以上続きます。痛みが引いた後も手足の先にしびれが残り、完治するには三か月以上かかる事もあるそうです。有効な治療法は発見されておらず、痛みを和らげる為に冷水に患部を浸すと皮膚がふやけ、そこから細菌が入り込み感染症を引き起こすこともあります。」

 

「そういえば、板倉さんの手足も腫れ上がってた。」

 

 被害者の遺体の様子を思い出し冠城は呟く。

 

「でもそんな風になったら、死にたくなるなぁ。」

 

「ええ!まさにその通りなんですよ!」

 

 何気なく感想を漏らしたソーマに向かい、杉下は声を高くし指をさす。これにはソーマもギョッと体を仰け反らせる。

 

「ドクササコの毒による症状は文字通り昼夜を問わず続きます。熱した鉄を押し付けられる痛みを24時間です。寝る事も出来ず、自らの手で食事を口にすることも出来ず、排せつにさえ想像を絶する痛みを襲われます。なぜなら、ドクササコによる症状は体の末端部に現れるのですから。」

 

 低い声で告げられた杉下の言葉に、その場にいた男衆は思わず自身の股間に手を添えてしまう。

 

「まさしく地獄の苦しみです。そのため、毒の影響で死亡することは無くとも、苦痛から逃れるために自殺をする人もあるのだそうです。」

 

「ってことは、板倉さんも苦痛に耐えきれず自殺したんじゃ!?」

 

「いえ、おそらく板倉さんの場合は少し状況が特殊だったでしょう。」

 

 そう言うと杉下は現場の写真を取り出し、みんなに見えるように掲げる。

 

「このように、現場の床はびしょびしょに濡れていました。板倉さんは症状が現れたのは昨夜の深夜。彼は少しでも痛みを和らげる為に冷水のシャワーを浴びていたと思われます。しかし、給水システムのトラブルにより水は突如として止まってしまいます。板倉さんは混乱と毒による痛みによって正常な判断が下せなくなっていたのでしょう。そして、そんな彼の目に飛び込んできたのは……階下のプールだった。最早苦痛を少しでも和らげることしか頭になかった板倉さんは迷いなくベランダの柵に足をかけ、宙に身を躍らせます。」

 

「だが毒に犯された体では十分な跳躍が出来るはずもなく、被害者は最悪の形で苦痛から逃れる事になってしまった、ってことですね。」

 

 冠城が杉下の言葉を引き継ぐと、杉下は無言で頷く。そして二人は手で顔を覆った苅田の元へ行く。

 

「板倉さんがドクササコを摂食したのは五日前、このホテルのレストランで食事をした時ですね。事前に板倉さんが宿泊することを知っていたなら、料理に付け合わせに山から採取してくることも容易だったでしょう。」

 

「こ、殺すつもりは無かったんです。でも退学になった後、実家の店は退学になった恥晒しと言われて破門されて、行くところが無くて、それでも僕には料理しかなかったから大衆店の皿洗いからやり直して、苦労に苦労を重ねてやっとここまで来れた…けれど、あいつがいまだに遠月の講師を知った時、自分でも驚くほどのどす黒い気持ちがあふれたんです。僕が血を吐くような苦労をしている間、あいつはそれまでと同じようにのうのうと暮らしていると思うと、自分を抑えることが出来なかった。でも、せいぜい苦しめばいいと思っただけで、殺すつもりは…」

 

「……たとえあなたに板倉さんを殺すつもりはなくとも、あなたの卑劣な行いで尊い命が奪われたのは紛れもない事実です。何より、あなたは料理人としての知識と技量を人を苦しめるために利用したんですよ。それがどれほど愚かしい事か分かっているんですか?もはやあなたを料理人として認める人間は誰一人としていません。苅田さん、あなたは挫折から立ち直り、努力の末に築き上げた信頼と実績、そして名誉を全て自身の行いで台無しにしてしまったんです。その事を十分に理解し、反省なさい。」

 

 その言葉を聞いて、苅田は崩れ落ちるように床に這いつくばると慟哭を上げた。

 こうして、人里離れたリゾート地を舞台にした復讐劇は終わりを告げた。心の奥にくすぶらせ続けた黒い炎。それを燃え上がらせた大証は、一人の料理人の人生にとってあまりにも大きすぎるものであった。

 

 

 その後、苅田は傷害致死の容疑者として逮捕され、パトカーによって近場の署へと連行された。一方で特命係と六郎たちの一行はホテルにとどまり続けていた。

 

「いやーしかし、まさか転落死の原因が毒キノコとは思わなかったなぁ。そこに気づいた杉下警部。流石本庁の刑事です。」

 

「いえいえ、それほどの事ではありません。たまたま依然聞きかじった知識が頭の隅に会っただけです。それよりも鞍馬さん、あなたの推理は非常に興味深かったですよ。」

 

「え、ほ、本当ですか?」

 

 突然話を振られた六郎は狼狽する。犯人は当てたものの、トリックを盛大に外しただけに真相を解明した杉下に引け目を感じているのだ。

 

「はい。あのような奇抜な推理は僕の人生でも初めてです。今までとは全く違う視点で、僕自身目からうろこが取れました。」

 

「そ、そうですか。まぁ、僕からすれば当然っちゃ当然なんですけどね。」

 

「またまた調子に乗っちゃって~。事務所に帰ったら堂島さんにお詫びの品を送らなきゃだめだからね。」

 

 そう言うリカコも朗らかに笑い、ほかの三人の間にも和やかな空気が流れる。その様子を見て冠城は六郎たちの印象を少しだけ上方修正した。

 確かに変わり者で現場を引っ掻き回すばかりの連中であったが、彼らは彼らなりに事件の真相を全力で追い、こうして事件が解決したことを純粋に喜んでいる。

 調査能力はいまだに疑問が付くものの、一生懸命に真相を追う姿勢は好感を持てるものであった。

 そんな時、ホテルのロビーに声が響く。

 

「あ、よかったまだいた。お~い、早く来いよ。」

 

「待ってよソーマく~ん。そんなに急いだらお皿こぼしちゃうよ!」

 

 声のした方を向くと、ソーマと田所が大皿に山盛りの料理を乗せて一同の前に現れた。

 

「おや?どうしたのですか、この料理は?」

 

「事件が解決したのをお祝いしようと思って俺たちで一品ずつ作ったんです。杉下さんたちのお蔭で解決したようなものですし。」

 

「うわぁ!凄くおしいそう!」

 

 リカコは皿に顔を寄せ感嘆の声を上げる。

 ソーマが持ってきた皿の上には山菜を大量に使った和風リゾット、田所の皿には天ぷらが大量に盛られていた。

 

「山の恵みをふんだんに使った幸平特性和風リゾットと、天ぷらの盛り合わせです。どうぞ、おあがりよ!」

 

「じゃあさっそく!いただき…」

 

「まってください!」

 

 今まさに皆が箸を付けようとしたその瞬間、山盛りの料理の中からあるモノを発見した冠城は皆を制止する。冠城は恐る恐るそれを箸で挟むと、皆に見えるように持ち上げた。

 

「このキノコ、すっごく見覚えがあるんだけど、もしかして…」

 

「あ、気付きました。それドクササコです。」

 

「気づきましたじゃないよ。これ食べたらえらい事になるんじゃないか!」

 

 杉下の解説による恐怖がいまだ新鮮に残る冠城は思わず声を荒げてしまう。だがそんな冠城を落ち着かせる様に、杉下は静かに語りかける。

 

「冠城君、確かにドクササコには毒があります。ですが食べられないというわけではありません。ドクササコの毒は水溶性の為、しっかりと水に着け、流水にさらせば毒の大半は洗い流せます。更にそれをアルコールで中和すれば殆ど無害化できるそうですよ。」

 

「え?ってことは普通に食べられるってことですか?」

 

「はい。それに、ドクササコ自体は非常に美味であるそうですよ。そうですよね、ソーマ君?」

 

「はい、一応俺たちも試食してるんで多分大丈夫です。」

 

 そうは聞いても、流石の冠城もすぐに手を出す事は出来ない。それは六郎やリカコも同様であった。

 

「なぁんだ。じゃあ安全だな。それじゃあ、お先にいただきま~す。」

 

 ただ一人、能天気な刑事を除いては…

 大田原はおいしそうに次々と料理を口に入れていく。その様子を見て他の面々もようやく箸を付けようとしたところで、今度は杉下が気付く。

 

「おや?皆さん一旦箸をおいてください。」

 

「え?どうしたんですか、右京さん。」

 

「危ないところでした。よく見ればワライタケが料理に交じっています。」

 

「え!?もしかして取ってきたキノコの中に交じっちゃってたかも!」

 

「あれ、なんだか急に笑いが…は、ははは、ははははははははははははははははっっっ!!!!」

 

 突如として笑い声を上げ始めた大田原であったが、次の瞬間には笑い顔のまま硬直した。すると、六郎とリカコ、更にはソーマと田所までもが驚いた表情のまま固まった。

 これに慌てたのは冠城である。

 

「あれっ!ちょ、ちょっとどうしたんですか!急に動かなくなって!右京さん大変ですよ!みんなが…あなたもかっ!」

 

END

 

 

 

 

「いや、ENDじゃねーよ!!」

 

 

 




 ドクササコはまじで危険なキノコです。作中に記載した料理法はあくまでも作者が聞きかじったものなどで、もし本物のドクササコを見つけてもゼッタイに食べないでください!


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さよならシンデレラ 1

本日3本投稿します。まずは1本。
なお、今回のエピソードはseason14中に起きた事件とさせていただきます。


 あの頃の私は、美しいお城での舞踏会を夢見るシンデレラでした。

 夢に憧れ、可憐な世界に胸躍らせた、どこにでもいる市井の少女。それが私でした。

 そんな私に、あの人はガラスの靴と綺麗なドレス、カボチャの馬車を用意してくれた。あとは定められた道を進んで行けば、夢にまで見た舞台はすぐそこのはずだったんです。

 けれど、カボチャの馬車はお城に着くことはありませんでした。きっとそれは、私が夢見ることが出来なくなってしまったから。

 夢以外の物が、見えてしまったから…

 

 

 

 

 

 

 都内某所、とあるビジネスホテルの一室に警視庁捜査一課の伊丹と芹沢はいた。彼らの周りでは鑑識官たちが忙しなく働いている。

 つまるところ、ホテルの一室が今回の彼らの仕事現場であり、残忍な犯行が行われた場所である。

 そして二人の目の前のベットの脇には、哀れな犠牲者の遺体がうつ伏せで横たわっていた。

 

「まだ若いのに…むごい事しやがる…」

 

「ええ…」

 

 被害者となったのは若い女性。その首筋にはあごのラインに沿う形で、赤黒い鬱血痕が生々しく残っている。発見したのはホテルの従業員であった。

 

「そういえば、被害者は男と二人でこのホテルに入っているところを従業員が目撃しているんだよな。何か男の方の身元が分かるような証拠は無かったのか?」

 

「はい。それが、机の上あった被害者の財布の中にこんなものが。」

 

 そう言って芹沢が伊丹に手渡したのは一枚の名刺であった。伊丹はそこに書かれている文字を目で追う。

 

「『株式会社346プロダクション シンデレラプロジェクトプロデューサー 武内』 だと…」

 

 

 

 その日の夕方のニュース

『本日の午後、都内のホテルで女性の遺体が発見されました。警察は現場の状況などから殺人事件として捜査を進めています。被害者の女性は都内の大学に通う成田千代(なりた ちよ)さん20歳で、本日の午後12時頃、男性と二人でホテルに入っていくのが目撃されています。警察はこの男性が何かしらの事情を知っているとし、男性の行方を追っています。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毎度おなじみ警視庁特命係室。この部屋の主である杉下右京と、その部下の冠城亘は昼食後の優雅なひと時を味わっていた。

 

「そういえば右京さん、聞きましたか?女子大生がホテルで殺された事件で一課が昨日の夕方、男を任意同行したそうなんですけど、今日の朝、正式に逮捕状を請求したそうですよ。」

 

 コーヒーを呑みつつ、冠城が杉下に話題を提供する。杉下もマイカップに紅茶を注ぎながらそれに答える。

 

「そういえば、朝から捜査一課の方が騒がしかったですねぇ。なるほど、そういう事でしたか。」

 

「それでですね、その逮捕された容疑者ってのが、芸能事務所346プロのプロデューサーらしいんですよ。」

 

「346プロ…」

 

「結構老舗の芸能事務所で、最近はアイドル事業にも手を伸ばしててかなり景気が良さそうなところですよ。そこのプロデューサーとなれば割とエリートになると思うんですけど、それが殺人だなんて…人生何があるか分かりませんね。」

 

「それを、法務省の役人から警察官に転身した君が言いますか。」

 

 呆れ交じりに杉下は呟くが、それが聞こえているであろう冠城は一切気にした素振りは見せない。

 そうして昼休みをのんびりと過ごしていると、隣の部署に賑やかし役が慌てた様子で現れた。

 警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課の角田だ。

 

「おいおいおい、あんたたちにすごいお客さんが来てるよ!」

 

「うわっ!どうしたんですか課長?そんなに慌てて。」

 

「いいからいいから、早くこっち来て。お嬢さんたちはあんたたちを御指名なんだから。」

 

「お嬢さんたち?」

 

 事情はよく分からないが、誰かが特命係に用があるらしい。それも、角田が大慌てするような女性である。

 まるで見当がつかずに二人が角田の後についていくと、生活安全課の面談室に通される。

 そこにいたのは2人の若い女性だった。二人はマスクをしたり、帽子やサングラスで顔を隠している。

 すると、背の低い方の女性が前に進み出ると、掛けていたサングラスを外し素顔を露わにする。その顔を見て、杉下は納得したように頷いた。

 

「なるほど、課長があれほど慌てていたので誰が尋ねて来たのかと思いましたが、君でしたか。」

 

「はい。お久しぶりです、杉下教官。」

 

 女性は杉下に再会の挨拶をすると深々と頭を下げた。

 そしてその素顔を目の当たりにした冠城もまた、見知った顔に驚きを隠せなかった。とはいっても、杉下のようにお互いが旧知の中という訳ではなく、メディアを通し冠城が一方的に知っているというだけであるが。

 

「片桐…早苗…」

 

 元警察官として巷で話題のアイドルが彼らの前にいた。

 

 

 

 

「片桐さんは僕が一時期警察学校に教官として勤めていた時に、ちょうど学生として入校されていたんです。」

 

「はい。あの時は本当に教官にはお世話になりました。卒業してからも何度かお会いする機会はあって、その度に頼りにさせてもらって。」

 

「へぇ、右京さんとアイドルの片桐さんにそんな関係が…」

 

 場所を特命係室に移し、杉下と片桐は昔話に花を咲かせる。その間冠城はコーヒーを用意し片桐とその付き添いの前に置いて行った。

 

「それにしても、あの『締め落とし暴走機関車』と呼ばれていた片桐さんがアイドルになるとは…本当に人生とは何があるか分かりませんねぇ。」

 

「はは、ま、まぁ昔話はここら辺にして、本題に入らせてもらってもいいですか?」

 

 和やかな話から一転して、片桐の声色に真剣みが増す。それを察し、杉下も真剣な顔で頷く。

 

「昨日都内のホテルで女子大生が殺害された事件を御存知ですか?」

 

「ええ、本庁でも今朝から頻繁に話題となっています。」

 

「その事件の容疑者として逮捕された男性というのが、私たちの事務所のプロデューサーなんです。」

 

「あっ!そっか、片桐さんもそういえば346プロ所属のアイドルでしたね。」

 

 思い出したとばかりに冠城が手を打つと、片桐は首を縦に動かし肯定を示す。

 

「ええ。そして逮捕されたプロデューサー、武内君っていうんですけど、彼がプロデュースしていたのがこの子たちが所属するシンデレラプロジェクトなんです。」

 

 そう言って片桐は隣に座る少女を見る。顔合わせをしてからいまだに一言もしゃべらない彼女は黙って頷いた。その眼には化粧では隠し切れない大きな隈が出来ており、目線は不安そうに片桐と杉下たちの間を行ったり来たりしている。

 

「片桐さん、そちらの方のお名前を教えてもらってもよろしいですか?なにぶん、芸能関係の事は勉強不足でして。」

 

「ああ、すいません。ほら卯月ちゃん、自己紹介して。」

 

 そう片桐に促され、少女は立ち上がると杉下たちに頭を下げた。

 

「島村卯月です…」

 

「どうもはじめまして。警視庁特命係の杉下右京です。」

 

「同じく、冠城亘です。」

 

「それで、逮捕された男性がお二人のプロデューサーという事ですが、それが片桐さんたちが僕を訪ねてきた要件に関わる事なのでしょうか?」

 

 杉下が尋ねると、島村は椅子から飛び上がるように立ち上がり、土下座をせんばかりに杉下に頭を下げた。

 

「お願いします刑事さん!」

 

「ちょ、ちょっと卯月ちゃん!?」

 

「プロデューサーさんの無実を証明してください!」

 

「……はいぃ?」

 

 突然の申し出に流石の杉下も呆けたように返事をしてしまうと、横から片桐が慌ててフォローを入れる。

 

「えーと、私も武内君とは面識があるんですけど、とても殺人を犯すような性格じゃないんです。はっきり言って、今回の逮捕は誤認逮捕じゃないかって思えるほどに…」

 

「プロデューサーさんは優しい人です。見た目の所為で誤解されることもあるけど、いつも必死で私たちを助けてくれる、とてもいい人なんです。そんな人が人殺しなんてするはずありません!だから…」

 

 島村は杉下の顔を真っ直ぐに見つめると、必死の形相で懇願する。

 

「プロデューサーさんを…助けてください…お願いします…」

 

 目の縁に涙を浮かべ、かすれかけた声で島村は頭を下げ続けた。

 一方で頼まれた方の杉下はというと、厳しい表情を崩さずにいる。いや、崩せずにいると言った方が良いかもしれない。

 

「つまり、あなた方の頼みというのは、事件を再調査して武内さんが無実を証明してほしいという事ですね?」

 

 杉下が問うと、片桐と島村は黙って頷いた。

 

「……片桐さん、、島村さん、あなた方は武内さんが犯人ではないという根拠に心当たりがあるんですか?」

 

「根拠ですか?」

 

「ええ。事件の発生が昨日のお昼頃。そして武内さんが任意同行を求められたのが昨日の夕方で、逮捕状の請求が今朝です。初動捜査から逮捕までがこれほどスム-ズという事は、捜査一課は武内さんが犯人だと言うだけの証拠を手に入れていると考えていいでしょう。それを覆せるだけの根拠をあなた方は持っているのでしょうか?」

 

 そう聞かれて、片桐は苦い顔を隠しきれない。

 

「…そこを突かれると痛いんですよねぇ。正直言って私たちが武内君の無実を信じる根拠は、彼の人柄、その一点なんです。」

 

「そうですか…」

 

 何とも言い難い難しい案件であると杉下は判断せずにはいられなかった。

 人柄が信用できると言っても、それはあくまでも身内からの意見であり、捜査一課に訴えたところで鼻で笑われるだけであろう。だからこそ片桐は旧知の中である杉下に話を持ってきたのであろうが、既に逮捕状が請求されている容疑者の疑惑を払しょくするというのは並大抵の労力では敵わない。

 それが理解できているからだろうか、元警官の片桐も申し訳なさそうな顔をする。

 

「やっぱり難しいですか?」

 

「難しい難しくないで言えば、非常に難しいと言わざるを得ません。捜査をする事自体は出来るでしょうが、それが容疑者の無実を証明するためだと知れれば捜査一課の協力を取り付けるどころか、現場からも遠ざけられるでしょう。」

 

「そんな…」

 

 杉下から説明を受けた島村は、この世の終わりを見たかのような表情を浮かべ唇をかむ。その隣の片桐もある程度予想をしていたとはいえ、沈痛な顔をで俯く。

 すると、それを見かねたのか冠城が口を開いた。

 

「右京さん、とりあえず僕たちなりに捜査をしてみるってのはどうですか?」

 

「冠城君…」

 

「このままじゃ彼女たちも納得できないでしょうし、俺たちだけでも彼女たち側に立って捜査してみてもいいんじゃないですか?」

 

「その結果、島村さんたちが望まぬ真相が明らかにされてもですか?」

 

「はい。たとえそれがどんなに残酷な真実だとしても、納得できぬまま心に残し続けるよりかはましだと思います。それに積み重なった証拠よりも、関係者の心証の方が真実に近いってこともあるかもしれませんよ。」

 

 そう言って冠城が杉下の顔を見つめ続けていると、杉下も観念したのか小さくため息をつく。

 

「確かに、君の言う事にも一理あるかもしれませんねぇ。」

 

「それじゃ。」

 

「片桐さん、島村さん。武内さんが逮捕された事件について僕たちで独自に調査してみましょう。」

 

 その言葉を聞いた瞬間、島村の顔に今日初めて笑顔が輝く。だが杉下はその気勢を制するように、人差し指を上に向ける。

 

「しかしながら、状況が状況ですのであなたが望む様な真実は得られないかもしれません。それでもよろしいですね?」

 

「はい。大丈夫です。だって、プロデューサーさんが無罪だって信じてますから。」

 

 最後に深々と頭を下げ、感謝の言葉を残してしま村と片桐は特命係室を後にした。

 そして残された杉下と冠城は、さっそく今後の捜査方針の話し合いに入る。

 

「さて、先ずはどこから手を伸ばしますか?」

 

「まずは情報収集です。幸い手近なところに重要な情報源がありますので、そこに行ってみましょう。」

 

「手近なところというと…あそこですか?」

 

「はい。行きましょう。」

 

 杉下は上着を着ると、冠城とともに部屋を出て行った。

 




残念ながら、シンデレラガールズのキャラクターの出番は今後はほとんどありません。
ま、まあ、この作品の原作は相棒だし、設定はできる限り合わせるつもりなんで勘弁してください。
今日中にあと二本上げます。


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さよならシンデレラ 2

「お前が殺ったんだろっ!武内っ!」

 

 警視庁の取り調べ室に芹沢の怒声が響く。彼は息を荒らくし、目の前の男、武内を睨み付ける。現在取調室では成田千代殺人事件の容疑者として逮捕された武内の聴取という名の取り調べが行われていた。

 

「お前は昨日の昼休みに被害者から事件現場のホテルに呼び出された。そして二人でホテルに入った後、トラブルになり部屋にあった枕カバーで後ろから首を絞めて殺したんだ!」

 

「わ、私はそんなことはしていません!」

 

「お前の名刺、お前の指紋、そしてお前が被害者と一緒にホテルに入って行く姿を見ていた目撃者がいるんだよ!こんだけ証拠が挙がってるのにまだしらばっくれるのか?ああっ!?」

 

「しかし、私は本当に成田さんを殺してなど…」

 

 額に大きな水滴を浮かべ、必死の形相で身の潔白を主張する武内であったが、芹沢はさも信じていないとでもいうように大きく舌打ちをして武内から目線を外す。

 するとその横から落ち着いた様子の伊丹が芹沢に代わって武内の前に座る。

 

「武内さん、この際殺した殺して無いは脇に置いといて一つ一つ物事を片付けていきましょう。現場に残されていた証拠、そして目撃証言は間違いなくあなたと成田さんがホテルで密会していたことを示してます。この点に関して反論はありますか?」

 

「…いいえ、ありません。」

 

 しばしの沈黙の後、武内は小さな声で伊丹の質問に肯定を返す。それを聞いて伊丹は満足そうに頷く。

 

「そうですか。では一体、なぜあの場所であなたと成田さんは会う事になったんですか?」

 

「それは…彼女から会って話したいことがあると言われたからで…」

 

「ほう、それはどのような話だったんですか?」

 

「それは…」

 

「それは?」

 

「…………………すいません。」

 

「すいませんじゃねえだろうがコラぁっ!!」

 

 痺れを切らした芹沢が再び怒鳴り声をあげ、机を思いっきり叩いて威圧するが、その後武内は具体的な話をすることは無く、沈黙を保ち続ける事になる。その事が警察の心証をますます悪くすることになり、疑惑を強めていることに彼は気づくことが出来なかった。

 そんな時である。武内の様子をじっと観察していた伊丹は、不意に背中に違和感を感じた。

 振り向いてみるが、当然そこには誰もいない。しかし、伊丹の視線は背後のマジックミラーに向いており、その更に向こう側を透視しようとするかの如く凝視していた。

 

「…まさか。」

 

 呟きを一つ漏らして椅子から立ち上がると、伊丹は取調室の扉を開き廊下へと出た。

 

「ちょ、ちょっと先輩!」

 

 慌てて芹沢がその後を追うと、伊丹は取調室の隣の部屋のドアノブに手を掛けていた。

 果たして、伊丹が扉を開けた先に見た光景は…

 

「警部殿ぉ…」

 

 特命係の杉下と冠城であった。

 

「どうも伊丹さん、お疲れ様です。」

 

「お疲れ様じゃないですよ!また勝手に首を突っ込もうとしてるんですかっ!」

 

「そう聞かれれば、その通りですと返すしかありません。」

 

「なんでまたぁ…容疑者は既に確保されてますし、証拠もほぼ揃ってます。あなた方の出る幕はありませんよ。」

 

「でも、まだ容疑を認めては無いんですよね?」

 

 冠城がそう聞くと、伊丹は苦々しい顔で睨み付ける。

 

「さっきから見てたなら分かるでしょう?まったく、いい加減認めちまえばいいのに。」

 

「ほんとですよ、指紋に名刺に目撃証言、おまけに被害者との通話記録も残ってるってのに、強情ですよ。」

 

「余計な事喋ってんじゃねえよてめぇは。」

 

 迂闊に捜査情報を口にした芹沢は伊丹から小突かれる。すると何か気になる事があったのか、杉下が伊丹に詰め寄る。

 

「名刺ですか。その名刺、実物を拝見させていただく事は出来ませんか?」

 

「できると思ってらっしゃるんですか?」

 

「これは失礼。では、どのような事が書いてあるかだけでも教えて頂けないでしょうか。」

 

「警部殿。」

 

「お願いします。」

 

 さすがにここまで言い寄られて観念したのか、伊丹は面倒くさそうに杉下の質問に答える。

 

「いたって普通の名刺でしたよ。本人の名前と役職。それと会社の名前と住所と電話番号。それくらいです。」

 

「それだけですか?」

 

「それだけです。もういいですか?我々にはまだ仕事が残ってるんで。」

 

「はい。お時間を頂きありがとうございます。」

 

「へっ、とにかく余計な事だけはしないでくださいね!」

 

 そう言い捨てると、伊丹と芹沢は取調室に戻っていった。

 そして特命係はその場で再び捜査方針を話し始める。

 

「結構いい情報が集まりましたね。でも右京さん、なんであんなに名刺を気にしていたんですか?」

 

「いえ、どのような経緯で武内さんの名刺が成田さんに渡ったのかが気になりまして。冠城君、君は芸能関係者が一般の方に名刺を渡す際、それはいったいどのような状況だと考えますか?」

 

「そうですね。まあ普通に考えて、スカウトするときじゃないですか?」

 

 冠城が質問に答えると、杉下はニコリと笑みを浮かべる。

 

「ええ、その通りです。つまるところ、武内さんと成田さんはスカウトをしたされたの関係であったのではないかと推測できます。それがどのようにして二人きりでホテルに入るような関係になったのか?今回の事件の肝はそこでないでしょうか?」

 

「なるほどねぇ。ってことは、武内さんと成田さんの関係を洗い出してみる必要がありますね。」

 

「はい。では次は、お二人の関係者から情報を集めてみる事にしましょう。」

 

「了解です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「武内?そうだなぁ、無口で不愛想だけど、仕事には真面目だよな。なっ?」

 

「ええ。最近ではシンデレラプロジェクトで実績を上げてるし、上層部からも認められてるって噂ですよ。」

 

 特命係が最初に向かったのは、武内の勤める346プロダクションであった。そこで、武内と同僚であるアイドル部プロデューサーたちを集めてもらうと、武内に関する社内の評価を聞いていた。

 武内の同僚からの評価は非常に良い物であり、冠城はひとしきり感心する。

 

「武内さんはプロデューサーとして優秀だという事ですね。じゃあ、プライベートではどうでしたか?誰か特別親しかった人とか?」

 

 冠城が質問すると、集められたプロデューサーは一様に難しい顔をし首をひねる。

 

「うーん、あんまり人付き合いがあった奴じゃなかったからなぁ…プロデュースしてたアイドルや仕事仲間の千川さんや今西部長はともかく、他のプロデューサーとはあんまり絡んでなかったですね。」

 

「そうそう、それを見かねて、こいつが幹事になって無理やり飲み会に参加させたんですよ。」

 

 そう言って中年のプロデューサーが隣の若いプロデューサーを示すと、若いプロデューサーは恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「という事は、あなたとは武内さんも多少親しかったってことですか?」

 

「ええ、まあ。同期入社ってこともあったんですけど。」

 

「ああ、それで。ところで、武内さんの女性関係はどうでしたか?お付き合いしている方などは…」

 

「いなかったんじゃないですかね。仕事が忙しそうでそれどころじゃなかったみたいですし。そもそも、彼女なんて作ったら色々と面倒くさい事になりますから。」

 

 その言い方に違和感があった杉下が深く追求してみると、中年のプロデューサーは苦笑いを浮かべながら答えた。

 

「アイドルをプロデュースするためには、相手の子と信頼関係を築くことが必要不可欠です。ただ中には、我々プロデューサーに対して信頼以上の感情を抱いてしまう子もいるんです。まあそれは悪い事ばかりじゃないんですけど、これにプライベートが関わってくると非常に難しくなってくる。自分が信頼している異性に、自分以外に特別な同性がいる。女の勘というものは怖いもので、意識して隠してても一発で分かってしまうんです。それでアイドルとプロデューサーの関係が微妙になり、空中分解してしまうコンビを何人も見てきました。」

 

 中年のプロデューサーはしみじみと感慨にふける。芸能界の闇とは言わないまでも、信頼関係の難しさを如実に物語る話である。

 

「あ、でも、さっき言った飲み会で、武内が偶々同じ店で女子会をやってた子とメアド交換してたよな。」

 

「…その話、詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

 

 気になるところがあったのか、杉下は話をしたプロディーサーに詰め寄る。

 

「えーと確か、武内を誘って飲み会をした時、同じ店で女子会をやって他グループが会ったんですよ。で、そのグループにいた女の子の一人が武内と顔なじみだったらしくて、それがきっかけで俺たちのグループも一緒になって飲んだんです。」

 

「その顔なじみの女性の名前は分かりますか?」

 

「ええと、ちよちゃん、って呼ばれてたような…」

 

「ちよちゃん…」

 

 殺された女子大生の名前は成田千代。ちよちゃんと呼ばれていた女性が被害者と同一人物か確かめるために被害者の写真を見せると、確かこの子だった、と全員が認めた。

 特命係は武内の同僚たちに礼を言うと、武内と成田千代のより詳しい関係を調査するべくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 次に特命係が向かったのは被害者が通っていたという大学であった。特命はそこで成田千代の友人だと云う3人の女性から話を聞くことが出来た。

 

「まさか千代が殺されるなんて…」

 

「うん、苦しかっただろうね…」

 

「あの子明るくて元気で、いつもみんなの輪の中心にいたから…ほんと犯人が憎いです。」 

 

 成田千代もまた、近しい人たちからは好かれており、多くの人が彼女の死を悼んでいる。また、彼女の両親も都内近郊に住んでいるが、本人は大学近くのアパートで独り暮らしだったらしい。

 

「ところで、成田さんは以前女子会で芸能プロダクションの方々と知り合いだったそうですが。」

 

「ああ、あの時の女子会ね。あれは確か千代が主宰した女子会だったかな?で、その時偶然会った人が知り合いの346プロの武内さんって人で、半ば酒の勢いで同僚の人達とご一緒させてもらったんですよねー。」

 

「その方が、どういう知り合いであったかおっしゃられてました?」

 

「うん。定期の人だって言ってた。」

 

「定期の人?」

 

「あの日、電車の中で定期券を拾ったそうです。そしたら、改札の所で困ってた人がいたから定期を渡したらお礼を言われたって。で、その日の飲み会で偶々再会したから、これはもう運命じゃない!って盛り上がったんです。」

 

 彼女の言う通り、ある意味運命的ともいえる出会いを武内と成田はしていた事になる。ただ、その出会いが成田の死を招いたとすれば、実に悲劇的だという他ない。

 

「そういえば、その時の写真をカリンが持ってたよね?」

 

「あ、うん。ちょっと待ってて。」

 

 そう言ってカリンと呼ばれた学生はバックの中を漁り、一瞬財布を出そうとして引っ込めると漸く携帯を取り出した。

 

「これ、スマホで撮ったんですけど、千代と武内さんの ツーショット写真。面白いでしょ?」

 

 写真の中には満面の笑みを浮かべるセミロングの茶髪の女性と、強張った表情の長身の男性が写っていた。武内は元から厳つい顔つきが強張っている所為で、その筋の人間に見えなくもない。

 

「ほんと最初千代が武内さん連れて来た時はやばい仕事の相手かと思いましたもん。」

 

「やばい仕事?それはいったい…」

 

「なんかちょっと危ないバイトしてるって言ってたんですよ千代は。犯罪みたいなことじゃないと言ってたけど、最近はPっていう人から仕事をもらってたって。」

 

「うん、なんか探偵のお手伝いみたいなことだって。」

 

 探偵の手伝い。そしてPという人物。その言葉に引っ掛かりを覚え、杉下が考え込んでいると、友人たちはさらに情報を落とす。

 

「もうこの際そんな危ないバイト辞めて、武内さんに頼んで芸能界に復帰すればいいと思ったんだよね。」

 

「ちょ、ちょっと待って!成田さんは芸能活動をしていたのかい?」

 

 慌てて冠城が尋ねると、成田の友人たちはそろって頷いた。

 

「そう。カリンも前やってたから詳しいよね?」

 

「うん。子役の頃から養成所に通ってエキストラとかしてたらしいけど、最近は事務所に籍だけ入れて殆ど活動してなかったみたい。」

 

 この情報に、杉下と冠城は思わずお互いの顔を見合わせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 一旦警視庁に引き上げ、成田千代の周辺情報について洗い直した。

 まず最初に成田の友人から教えてもらった芸能事務所公式サイトを開き、そこに乗っている所属タレントの一覧を確認した。

 

「あった。成田千代。この子ですよ。」

 

 画面の中には数年前の物だと思われる成田千代の宣材写真が杉下たちに笑みを浮かべていた。この頃の彼女はまだ髪を染めておらず、幼い容姿と綺麗な黒髪が似合っている。

 

「被害者は他の芸能事務所に所属していた。武内さんはこれを知ってたんでですかね?」

 

「経歴を見たところ、近年は目立った芸能活動をしていませんし、文字通り在籍していただけだと思います。これでは芸能関係者であろうと、近しい人以外は気づけなくても無理はありません。」

 

「って事は、成田千代は自分が芸能関係者である事を隠して武内さんに近づいた可能性もありますね。でもいったい何のために…」

 

「あるいは、武内さんと成田さんの出会いはあらかじめ仕組まれていたのかもしれませんねぇ。」

 

「えっ!?仕組まれていたって、どういうことですか?」

 

「それを明らかにする鍵は、346プロにあります。」

 

 そうやって笑みを浮かべる杉下の手には、携帯電話が握られていた。



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さよならシンデレラ 3

 その男は焦っていた。

 突如自身の携帯に掛かってきたある番号からの電話。その番号はもう二度と掛かってこないはずの物であった。

 恐る恐る出てみると、向こう口からは低い男性の声で、『成田千代のことで話したいことがある。18時に〇〇公園までこい』とだけ言って切れてしまう。

 彼にとって、成田千代との関係が周囲にばれるのはあまり宜しい事では無かった。だからと言って会いに行かないという選択無い。最悪身銭を切って口封じをする必要がある。

 様々な悪い想定が頭を渦巻くなか、男は指定された場所に到着した。待ち合わせ時間にはまだ5分ほどある。

 男はイライラした気持ちを鎮めるためにタバコを取り出し、口に咥えて火を付けようとした。

 

「公園内での喫煙は禁止されてますよ。」

 

 急に声をかけられ、男はタバコとライターを取り合としてしまう。相手を確認しようと恨めしそうに振り向いた顔は、金縛りにあったように固まってしまう。

 

「な、な、なんで刑事さん達が?」

 

 そこにいたのは昼間に出会った二人組の刑事である。片方の刑事はわざとらしく不思議そうな顔をし、男の質問に答えた。

 

「おや、前もってお電話をしていたはずですが?成田千代さんのことで話があると。」

 

 その言葉によって、ようやく男、武内と同期のプロデューサーは目の前の刑事に嵌められたのだと悟った。刑事は態々自身の急所となるあの番号を使って自分を呼び出したのだ。

 だがそれでも、プロデューサーは抵抗しようと試みる。

 

「いったい何のことですか?僕はたまたまこの公園を訪れただけですが?」

 

「今ここで携帯を鳴らしてもいいんですよ。成田千代さんの携帯で、Pさん宛に電話をかけて。」

 

 たった二言で男の抵抗は阻止された。そんなことをされてしまえば胸ポケットに入れた携帯が喧しく鳴るであろう。

 その後、暫く杉下を睨んでいた男であったが、もはやこれまでと諦めたのか、両手を上げて大きくため息をついた。

 

「僕の負けです刑事さん。で?どこまで僕と千代の関係に気づいているんですか?」

 

「まず最初に気になったのは、成田さんに仕事を依頼していたというPという人物についてです。何でも、Pというのは芸能界ではプロデューサーを示す言葉だそうで。しかしながら、成田さんは事務所に籍を入れているだけで芸能活動は休業中でした。つまり、ここでいうPとは所属事務所のプロデューサーではなく、ほかの芸能事務所のプロデューサーの可能性が高い。それが分かった時、僕の脳裏にある出来事が思い浮かびました。」

 

 杉下は人差し指を上に向かって突き立てる。

 

「成田さんと武内さんの出会いに関してです。たまたま拾った定期券の持ち主と、たまたま飲み会の席で再会する。運命的にも感じますが、僕にはどこか作為的に感じます。そこに来て、成田さんがやっていたという探偵の手伝いの様な危ない仕事。この二つが合わさった時、この出来事を裏から操る人物がいるように感じました。それは当然Pという人物。そして彼の人物が成田さんにさせていたという仕事は、別れさせ屋です。」

 

 杉下の回答に男の表情が苦り切ったものになる。そこまでわかってしまえば、もはや追及をかわすのは無理だと覚悟したのだろう。

 

「運命的な出会いを演出し、相手をその気にさせるのは別れさせ屋の常套句だと言います。それを行うため、成田さんはあなたからの情報で武内さんと同じ電車に乗り、定期券を盗んで恰かも自分が拾ったように見せかける。一方であなたは、飲み会を企画し、武内さんが成田さんと再会するように仕組んだ。そしてその席ではまるで運命の再会だとでもいうように周りを煽って囃し立てたんです。そうすれば、武内さんも成田さんを意識せざるを得ません。」

 

「芸能界じゃスキャンダルを避ける為に、タレントが一般人だった頃の人間関係、特に異性との関係を精算する事があるそうですね。でも、全てのタレントがすんなりと今までの人間関係を精算出来るわけでは無い。中には事務所の方針に反発する者もいる。そんな時、別れさせ屋をタレントの異性に宛がって、タレントが異性と縁切りをするように仕組む事もあるようで。成田さんは子役の頃から演技経験があって養成所にも通っていた。おまけに業界人にも顔が知られて無いから人材としてはこれ以上にない。武内さんを嵌めるにはぴったりの人選ですね。」

 

「目的は恐らく、武内さんと彼の担当アイドルを仲違いさせる為ではないでしょうか?プライベートでの恋愛は、時として担当アイドルとの信頼関係にひびを入れる。担当プロデューサーが自分と同年代の女性と付き合っていたとなれば、何かしら思う方もいるかもしれません。そうしてあなたは、武内さんがプロデュースするシンデレラプロジェクトを空中分解させようと企んだ。」

 

 杉下と冠城が交互に追い込んでいくと、プロデューサーは勘弁してくれとでも言うように黙って俯いた。

 そんな彼に、杉下はゆっくりと歩み寄る。

 

「なぜ、この様なことを?」

 

「なぜ?そうですね…簡単に言うなら、あいつの事が目障りだったんです。」

 

「…あいつと言うのは武内さんのことですか?」

 

 プロデューサーは頷く。

 

「俺と武内が同期なのは話しましたね。あいつは入社当初から周りから期待され、俺は長い事下積みだった。あいつがアイドルのプロデュースを始めた頃、俺はまだまだひよっこ扱いで…その頃からですよ、あいつを意識して、いずれ追いつき、追い抜いてやろうと思ったのは。あいつが最初のアイドル達のプロデュースに失敗した時は流石に気の毒でしたけど。けれどあいつは暫くすると、今度はシンデレラプロジェクトなんて大きな企画を立ち上げた。だから俺は、次こそはあいつに置いてかれちゃいけないと思って上司に直訴し、自分で企画を立ち上げて、やっと3人組のアイドルをプロデュースすることになったんです。」

 

 プロデューサーは自嘲の籠った笑みを零す。

 

「あの時は本当に嬉しかった。絶対にこの子たちをトップアイドルにしてやるんだって意気込んで、あの子たちの前で言ったんです。君たちの夢を俺に背負わせてくれ。替わりに君たちを夢のステージに連れていく、って。あの子たちはその言葉を信じ、俺を信じてくれた。毎日レッスンに明け暮れ、自分たちの強みを生かす方法を相談し、周りに率先して雑用までやってくれた。俺はあの子たちの期待にこたえるために、毎日毎日、いろんなところに頭を下げ、あの子たちを売り込んだ。だけどなかなかチャンスには恵まれない。気が付けばシンデレラプロジェクトはテレビに出て、ライブをやって、お茶の間に名を知られるようになっていた。俺はまた、あいつに置いてかれていた…」

「でも新しい常務がアメリカから帰ってきてから、ブランドイメージを確固たる物にするためにプロデュース方針を一本化する事を上は求めてきた。俺たちは話し合って、上に従ってプロデュース方針を大幅に変更した。それまでアイドルといっしょに苦労して築いたものも全てだ。それで会社のバックアップが貰えるなら、あの子らを夢の舞台に連れていけるなら、今までの自分達を否定しても構わない、そう思ったんだ。なのに、なんで上に反発したあいつが俺達よりずっと先にいるんだ!」

 

 プロデューサーは叫び声をあげると、近くにあったゴミ箱を蹴り倒した。

 肩で大きく息をつき、怒りに顔を紅潮させてる様子は魂の叫びを思わせる。

 

「俺はあの子達と約束したんだ!必ず夢の舞台に君達を連れていく。だから、苦しいときも俺を信じて付いて来て欲しいと。あの子達はそれを信じてくれた。表情を変え、言葉を治し、好きなものに蓋をして、会社が求めるアイドルを作り上げた!その結果が、好き勝手やって来た奴等のバックダンサーだ!」

 

 咆哮とも言うべき大声で己の思いの丈を吐き捨てると、プロデューサーは膝から崩れ落ち、芝生に拳を打ち据える。その両眼からは涙が零れ落ちていた。

 

「あんまりだ…惨めすぎる…挙げ句の果てに常務まであいつらを認めるマネをしやがって。上に従った俺達がバカみたいじゃないか…どんだけあの子達が自分が遣りたい事、好きな事を我慢してると思ってるんだ…畜生…」

 

「…あなたの悔しさや、苦しみは全うなものです。誰かを妬み、世の理不尽を恨むことは誰もが経験すること。ですが武内さんたちを貶め、引きずりおろしたとしても、あなたたちが成功を得ることはできなかったでしょう。たとえ運よく成功できたとしても、成功による幸せは味わえませんよ。大切な人の夢を叶えたいと心から思っているあなたなら、解るはずです。」

 

 杉下がどこか優しさの籠った言葉をかけると、プロデューサーは俯いたまま小さくうなずいた。

 彼自身、決して悪人ではないのだろう。むしろ、杉下の言うように誰にでもある暗い気持ちを抱えた、アイドル想いの芸能関係者であった。今回はそれが悪い方向に暴走してしまったといってよい。

 プロデューサは涙で濡れた目元をスーツの袖で拭った。目はいまだに真っ赤であったが、その顔はやけにスッキリしたものである。憑き物が落ちたようでもあった。

 

「お見苦しいところをお見せしました。そのうえ、この様な事まで招いてしまって。」

 

「ではやはり、あなたが成田さんに指示を出し、武内さんにハニートラップをかけたのですね。」

 

「はい。あいつと千代がホテルに入るところを写真にとって、それをシンデレラプロジェクトの部屋に置いておくつもりでした。」

 

「その写真は?」

 

「この中にあります。」

 

 プロデューサーはスマホを操作し、保存画像の中から一枚の写真を画面に映し出す。その中には、武内と成田千代が並んでホテルに入っていく様子が映し出されていた。

 

「この写真はいつ?」

 

「千代が死んだ日です。昼前に千代から連絡があって、お昼に武内とホテルで会う約束を取り付けたから、ホテルに入る瞬間を撮ってと。まさかあんなことになるなんて…」

 

「なるほど…ところで、そもそも成田さんはなぜ別れさせ屋の様なことを?」

 

「さあ…そこまで詳しくは。私が千代と初めて会った時、すでに千代は仕事を何件かやってたみたいです。内容はアイドルやタレントの過去の異性関係の解消。それ以外のプライベートな依頼は断ってたみたいです。私は始め、彼女をアイドルとして再デビューさせようと思って事務所を移籍するように求めました。でも断ったんです、あいつは。」

 

「断ったんですか?アイドルデビューを。」

 

「ええ。過去に売れた形跡がないとはいえ、素質は十分にあるとみていました。後はプロデュースのやり方次第で大化けするだろうとも。ですが本人が、もう芸能界はコリゴリと。ガキの頃に業界に入ったせいで、子供ながらに芸能界の闇を多く見すぎたようでした。売れないアイドルの行く末という奴をね。じゃあなんでいまだに事務所に籍を置いて、別れさせ屋なんてやってるのかと聞くと、芸能界に夢を見てるやつに現実を見せてやりたいからと言ってました。プロデューサーは魔法使いなんかじゃない。冷静に計算し、どうやって利益を得ようか考えているだけなんだって。アイドルのことなんて本当はこれぽっちも考えてないんだって。私も正直、返す言葉がありませんでした。」

 

 プロデューサーの語ったことが本当だとすると、成田千代は芸能界に対しかなり擦れた考えを持っていたようだ。それも、実体験を基にしたかなり強固な考えである。

 とするならば、彼女が行っていた別れさせ屋というバイトはかつて芸能界に夢を見ていた自分の否定であり、夢見るアイドル志望達への八つ当たりといえるかもしれない。

 いずれにしろ、成田千代がアイドルという職業に対し複雑な心境を持っていたことに間違いはないだろう。

 

「お話し、ありがとうございました。ついでと言ってはなんですが、ホテルの前で撮られた写真のデータをいただいてもよろしいでしょうか。」

 

「はい。お安いご用です。」

 

 プロデューサーは杉下に画像のデータを渡し終えると、小さく頭を下げる。

 

「本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ないですが、今日はここまでにしていただいてもよろしいですか?」

 

「何か御用事が?」

 

「けじめと身辺整理を。武内が千代を殺したとは考えにくいのですが、今回の事件を招いたのは間違いなく私でしょう。だから、責任を取らなければなりません。」

 

 哀愁を感じさせる笑みを浮かべながらプロデューサーは言う。その顔は覚悟を決めた人間のものであった。

 

「…担当のアイドルの方には?」

 

「きちんと話すつもりです。そして謝ります。君たちとの約束を守れなかったと。きっと、罵られるでしょうが、せめて私の口から言わないと。才能がある子たちです。私以外の人の元なら、必ず…」

 

 涙が零れ落ちるのを必死に耐えるように口を一文字に結ぶと、プロデューサーは再度深く頭を下げ、特命係に背を向けた。

 その後ろ姿に、杉下たちはかける言葉を見つけられなかった。

 

「…あの人がこんな風にならない方法はあったんですかね?」

 

「必ずあったでしょう。ですがそれを見つけられなかった彼を責めることはできません。追い詰められた末に愚かな行いをしてしまうのは人間の性。彼は誰しもが陥ってしまう間違いを犯してしまったんです。」

 

「でもその間違いに気づき、責任を取ろうとしている。杉下さん、彼はきっとまた立ち上がれますよ。」

 

「僕もそう思います。さて、では僕たちは僕たちの仕事をしましょう。」

 

 そう言うと杉下は携帯にダイヤルを入れ、耳元に添える。しばしの呼び出し音の後、相手口から声が漏れる。

 

『これはどうも御無沙汰しております。また捜査の依頼でしょうか?』

 

「米沢さん、あなたに解析してほしい画像があります。」

 

 

 

 

 

 

 

 場所は再び、武内の取調室に移る。部屋の中では、武内の取り調べが長時間にわたって続けられていた。

 

「いい加減吐いて楽になったらどうですか武内さん。そう黙りされてると、こちらも困るんですよ。」

 

 

「………………」

 

「…くそっ。」

 

 武内は部屋の中で成田と一緒にいたことは認めているが、殺害に関しては一貫して否認している。また、部屋の中でどのような話をしていたかについても口を噤んでいた。

 伊丹たちとしてはすぐにでも武内を検察に送検したかったが、人気アイドルグループのプロデューサーという武内の肩書が、ここにきて大きな壁となって立ちふさがった。

 要するに、送検するならば確実に起訴できるだけの証拠を固めろ、というお達しが上から来ていたのだ。

 武内が殺人の容疑者として逮捕されたことで、今回の事件は世間の注目を大きく集めだしている。だが、もし検察に送ったはいいものの、証拠不十分を理由に不起訴処分となってしまえば、警察の捜査能力に疑問が持たれ、大きく威信を傷つきかねない。

 だからこそ、上は確実に起訴できるだけの証拠を強く求めている。

 そこで伊丹たちはてっとり早く武内から自白を引き出そうとしているのだが、上記で示した通りなにも有力な自白は得られていない。

 おまけに現場となったホテルは掃除が行き届いているとは言えないために、被害者と武内以外の指紋も多くみられ、鍵も空きっぱなしだった為に誰でも行き来することができる状況にあった。

 現状、武内以外の人間でも殺害は可能と言われてしまえばそれまでだった。

 

 こうして伊丹と芹沢が頭を悩ましていると、取り調べ室のドアが開く音がする。杉下と冠城であった。

 

「お疲れ様です伊丹さん。」

 

「警部殿!なんでまた…」

 

「説明はあとです、少しの間、武内さんと話させてください。」

 

「え?ちょ、ちょっと!」

 

 伊丹が止める間もなく、杉下は椅子を引いて武内の正面に腰を下ろし、机の上で手を組んだ。武内の表情からは戸惑った様子がうかがいしれた。

 

「早速ですが武内さん、あなたは成田さんに名刺を渡しましたね?」

 

「名刺ですか?はい…」

 

「その名刺には電話番号は?」

 

「事務所の番号が書かれています。けれど、それだと私には直接つながらないので、私の携帯番号をペンで書き加えました。」

 

「なんだと!?」

 

 武内の答えに伊丹が大声を上げ、掴みかかった。

 

「おい、いったいどういうことだ!携帯の番号を書き加えただと?現場から発見された名刺にはそんなもん書かれてなかったぞ!」

 

「そ、それは…」

 

「武内さん、あなたは被害者に名刺を2枚渡していたのですね。」

 

「……どういうことですか警部殿?」

 

「伊丹さんから名刺について聞いた時、武内さんの携帯の番号について仰ってなかったのがどうしても気になりましてねぇ。もしかすると、初めから名刺には武内さん個人の番号は書かれてなかったのではと思いまして。」

 

「はい。職業柄、名刺が拡散されると名前を悪用されることがあるので、自分の番号に関してはどうしても個人的に連絡が必要な時に直筆で書くようにしています。成田さんにもう1枚お渡ししたのはご家族に渡してもらえればと思ったからです…」

 

「ってことは現場には…」

 

「武内さんの名刺は2枚あった。ですが、現場から発見された名刺は1枚。つまり…」

 

「誰かが武内さんの携帯の番号が書かれた名刺を持ち去った可能性があるってわけですね。」

 

「その通りです、冠城君。」

 

 事件の意外なる事実が一つ解明され、状況が大きく動き出そうとしていた。

 そんな中、杉下のポケットの中の携帯が震えだした。杉下は携帯を取り出すとすばやく通話ボタンを押す。

 

「杉下です。」

 

『どうも、米沢です。先ほど例の画像の解析が終わったのですが、何やら面白いものが見つかりました。』

 

「ありがとうございます。さっそく送っていただいてもよろしいですか?」

 

『言わずもがなです。』

 

 通話を終えた後暫くすると、米沢からの画像データが杉下のもとに届く。その中身を確認した杉下の顔に笑みが浮かんだ。

 

「どうやら、この事件の真実が見えてきました。後は直接本人からうかがうとしましょう。」

 

 



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さよならシンデレラ 4

 おい知ってるか。
 夢ってのはな、
 時々スッゲー熱くなって、時々スッゲー切なくなる。
 らしいぜ。
 
 -仮面ライダー555 乾巧-

 知ってるかな、夢っていうのは、呪いと同じなんだ。
 呪いを解くには夢を叶えるしかない。
 けど、途中で夢を挫折した者は、一生呪われたまま、らしい

 -仮面ライダー555 木場勇治ー


 小笠原花梨は大学からの帰り道を一人で歩いていた。比較的友人も多く、講義が終われば男女問わずお誘いがあるほど周囲からの人気がある彼女だが、ここ数日は一人で借りているアパート真っ直ぐ帰宅していた。

 その表情は硬く、どこか思い詰めているようにも見える。

 そうして、わき目も振らずに帰宅の道を急いでいると、行く手を阻むように二人の男が立ち塞がった。

 

「え?」

 

「どうも、先日ぶりです。」

 

「ああ、刑事さん…」

 

 つい先日、殺された友人、成田千代について聞きに来た杉下と冠城が、あの日と同じように朗らかな笑みを浮かべて花梨に挨拶する。

 花梨も表情を緩め挨拶を返す。

 

「こんにちは。どうです、あれから捜査に進展は?」

 

「ええ、着々と進んでいるのですが、どうしてもあなたに確かめなければいけない証拠が出てきましたので。ひとつ、確認していただいてもよろしいですか?」

 

「えっ…ええ、それくらいでしたら。」

 

「ありがとうございます。確かめていただきたいというのは、こちらの写真でして。」

 

 そう言って杉下が懐から出した1枚の写真、それを目にした瞬間、花梨の目が大きく見開かれる。

 

「ご確認していただけましたか?その写真は成田さんの依頼主が、成田さんと武内さんが事件のあったホテルに入る瞬間を写したものです。建物に入っていく二人の背後、遠くから誰かが成田さんと武内さんの様子を窺っているように見えます。ピントがズレてぼやけてますが、鑑識に頼んだところ鮮明にしていただく事が出来ました。それがこちらです。」

 

 杉下は2枚目の写真を取り出す。

 

「顔に木の枝がかかっているため、人物を特定するには少々難しいです。しかし、服装からして若い女性である事は間違いありません。それと腕にかけているバック。淡いピンク色で、沢山のキャラクター物のキーホルダーがついていて、実に可愛らしいですねぇ。」

 

「右京さん、よく見たら彼女のバックとそっくりですよ。色も形もキーホルダーも。本当に瓜二つです。」

 

 冠城が花梨のバックを手で示しながらわざとらしく杉下に報告すると、二人は花梨に目を移し、じっとその顔を見つめた。

 花梨は暫しの間口を結んでじっと下を向いていたが、やがて観念したのか、口から小さく息を漏らし、顔を上げた。

 

「…刑事さん達は私の事を疑って、いえ、私が千代を殺したと確信しているんですね?」

 

「…はい。あなたと最初に会った時、あなたはこう仰りました。」

 

 

『うん、苦しかっただろうね…』

 

 

「成田さんが殺された状況については、あの時点では殺害されたこと以外、死因を含め警察は発表しておらず、メディアでも報じられていません。にも拘らず、あなたは成田さんがまるで絞殺された事が分かっていたような口ぶりでした。それに加え、あなたが僕たちに飲み会の写真を見せて頂いた際、あなたは財布に一度手を掛けながら、携帯を取り出し、中の写真を見せました。お店に確認したところ、飲み会のあった日、店は盛り上がっていたあなた達のテーブルにサービスとして記念の写真を撮り、その場で焼き増しして渡していたそうです。恐らく、あなたはその写真を財布の中に入れていたのでしょう。しかし、もう一つ、僕たちに見られたくない物も一緒に入っていた。だからとっさに携帯に持ち替え、その中に保存していた別の写真を僕たちに見せたのです。」

 

 一気に捲し立てるように説明すると、杉下は一歩足を進め花梨に尋ねる。

 

「財布の中身を確認させていただいてもよろしいですか。」

 

 花梨は諦めの表情を浮かべ、黙って財布を取り出す。二つ折りの財布を開くと、内側には武内や成田も写った集合写真がクリアフィルムに挟まっている。花梨がそれを抜き取ると、写真の下から手書きの番号が書かれた武内の名刺が出てくる。

 

「…その名刺を調べれば、おそらく成田さんの指紋が出てくるでしょう。そしてそれが、あなたが殺人現場にいた動かぬ証拠になります。」

 

 杉下が花梨に示した証拠は、決定的と言ってもよいものである。だがそれを突き付けても尚、花梨はどこか落ち着いた様子で表情に僅かな愁いを帯びるのみであった。

 

「手放せなかった…これだけはどうしても、持っておきたかったんです…」

 

「…君について少し調べさせてもらったよ。君は2年前まで346プロに所属するアイドルだった。そして君が所属していたグループを担当していたのが武内さんだった。」

 

 冠城が確認の意味も込めて調査の内容を説明すると、花梨は黙って頷く。

 

「…君たちのグループは社内でも期待されてたそうだね。しかし、グループ内のトラブルから解散を余儀なくされ、君は芸能界を引退することになった。もしかして、それが今回の事件の鍵になってるんじゃないかと僕たちは思ってるんだけど、どうかな?」

 

 冠城の問いに、花梨は暫し口をつぐむ。そして、はかなさを感じさせる小さな笑みをこぼすと、泣きそうな表情を浮かべる。

 

「………刑事さん。お城に向かうシンデレラが一番やってはいけない事はなんだかわかりますか?それは、誰かを好きになる事です。お城の舞踏会で踊って、王子様に見初められるまで、シンデレラは誰も好きになっちゃいけない。私はその決まりを破って、魔法使いを好きになってしまったんです…」

 

 脈絡の無い花梨の語り口に杉下は眉を潜める。だが、その隣の冠城は花梨が言わんとすることを察した。

 

「まさか君は、武内さんのことが…」

 

「…はい。好きでした。心の底から。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 私と武内さんとの出会いは私が中学生の時でした。

 その頃の私は、テレビの中のアイドルに憧れ、いつか自分があの場所に立つことを夢見る、どこにでもいる女の子でした。

 親に頼んで養成所に通わせてもらって、いろんな事務所に履歴書を送って何度もオーディションに応募していたんです。

 そんなある日のことです。あの人が、私をスカウトしに現れたのは。

 最初は驚きました。あの人見た目が厳ついから、とてもアイドルのプロデューサーに見えなかったんです。

 でも本当はとても優しくて、いつも私たちのことを第一に考えてくれて。ほんと、いいプロデューサーに出会えたんだと思えます。

 

 あの人は言いました。

 あなたの笑顔はとても良い。だから、もっとあなたの笑顔が輝く場所に連れていきたい、と…

 そうして私は、346プロのアイドルになったんです。

 とはいっても、すぐにデビューできたわけではありません。私たちもプロデューサーも期待されていたとはいえ、まだまだ駆け出しでした。だから、最初の内は毎日レッスン漬け。それでも、プロデューサーは付きっきりで私たちを支えてくれて、必ずデビューを成功させるんだと、いつも私たちを励ましてくれました。

 そんなあの人に、私はいつしか信頼以上の感情を抱くようになっていたんです。

 今考えれば、子供が大人に憧れるようなものだったのかもしれません。けれどその時は本気であの人の事を想ってて、すごく悩みました。

 アイドルに恋愛はご法度。新米アイドルだろうと、それくらい解ります。ましてや相手が自分たちのプロデューサーだなんて…とても許されるものじゃありません。

 でも、決して実ってはいけない恋だと思うほど、私の気持ちは燃え上がったんです。

 その気持ちが溢れ出てたんでしょう。他のメンバーに私の恋心は知られました。そして、激しく責められたんです。

 皆、アイドル活動に真剣だった。本気でトップアイドルになりたいと思っていた。だから、アイドルとしての禁忌を犯そうとしている私を許せなかったんだろうと思います。

 それまで和やかだったみんなの雰囲気がギスギスしたものに変わり、プロデューサーも戸惑いを隠せてなかったです。多分私以外のメンバーも、少なからずプロデューサーの事を…それを必死に隠していたんです。だからこそ、余計に私のことが許せなかったんだと思います。

 そしてある日、ついに私たちのグループに決定的な衝突が起こり、社内で大喧嘩を起こしたんです。このことがきっかけで私たちのグループは解散となり、私は事務所を辞め、アイドルを引退しました。

 未練はもちろんありました。後悔も…

 もっと経験を積んで、物事をよく知っていれば上手く立ち回れたのかもしれません。けどその時の私は、何が正解だったのか分かりませんでした。

 

 其れからの私は、どこにでもいる普通の女の子に戻りました。家族や友人も、私に気を使ってアイドル時代の事は触れてくれません。

 そうして穏やかな時間が過ぎていきました。大学に入ると交友が広がり、私はそこそこに充実した学園生活を送ってます。その交遊の中で、千代とも出会いました。

 千代も私と同じ、元芸能人でした。お互いに売れないまま芸能界を引退。その共通点があったためか、私たちは自然と仲良くなりました。

 ただ、千代は私と違い、芸能界そのものに対する恨みの様なものを抱いているようでした。どうやら、元いた事務所ではとてもひどい扱いを受けていたそうです。

 だけどその一方で、時々テレビに映るアイドルに羨望するような目で見ていました。

 

 あの日、千代が主宰する女子会に私は深く考えず参加しました。だから本当に驚きました。まさかあの人が、同じ店で飲み会に参加しているなんて…

 彼はすぐに私に気づき、表情が固まりました。それからずっと緊張した様子で、チラチラと私の事を窺っていたんです。私も平静を保とうと思ってましたけど、多分意識し過ぎた所為でぎこちない対応になってたと思います。

 そして、トイレに行くと席を立ち、私たちは数年ぶりに二人だけで言葉を交わしました。

 

『……お久しぶりです…小笠原さん。』

 

『…はい。本当に久しぶり。』

 

『……お変わりはありませんか?』

 

『…ええ。なんとか、やれてます。』

 

 それ以上は言葉が続きませんでした。でも、それだけで十分だった。

 あんなに期待してもらったのに。あんなに優しくしてもらったのに。私の我儘で裏切ってしまったというのに。

 それでもあの人は、昔と変わらぬ声色で私のことを気遣ってくれました。

 最後に彼のどこか安心したような、柔らかな笑みを見た時、私の心の底に彼への恋心が燻っていることを再確認しました。

 

 でも気になる事がありました。

 それは、芸能関係者、特にアイドルに対して良い感情を持って無い千代があの人に矢鱈と絡んでいることでした。

 胸騒ぎを覚えた私は、その日から注意深く千代のことを観察し始めたんです。

 そしてあの日、午後の講義を休んで大学を出る千代の後を追ったところ、彼女は武内さんと合流し、ホテルに入っていきました。私はいてもたってもいられず、二人を追いかけたんです。

 二人が入った部屋を確認した私は、ドアの覗き穴を回して外しました。アイドルだった頃、簡単に覗き穴が外れるホテルもあることを教えてもらったことがあったんです。

 そこから漏れてくる二人の会話は、驚くべきものでした。

 

『あなたのことについて少し調べさせていただきました。成田さん、あなたは以前アイドル候補生だったそうですね?そして今は、別れさせ屋のバイトをしていると…』

 

『…え?何のことですか?』

 

『私もこの業界は短くないので、独自の伝手というものを持っています。私が良くして頂いているフリーの記者の方で、あなたのことをご存知の方がいました。その方は、どうやらあなたが私に対して良からぬ事をしようと近づいてきているのではないか、と仰っていまして…』

 

『…へー、以外と交友があるのね。じゃあなんであんたは、それを知って私の誘いに乗ってこんなとこまで来たの?私があんたの弱みを握ろうとしてると思わなかったの?それとも、逆に私の弱みを握って好きにしようとしたとか?』

 

『い、いえ!そんなことは考えていません!私はただ、成田さんにお話を聞いていただきたいと思いまして。』

 

『話し?』

 

 プロデューサーは内ポケットから名刺ケースを出すと、そこから名刺を一枚取り出し千代に差し出しました。

 

『成田さん、もう一度、アイドルをやってみる気はありませんか?』

 

『………はぁ?』

 

『ここ暫く、あなたのことを見させてもらいましたが、あなたにはアイドルの素質があると、私は感じました。容姿はもちろんですが、子役としての経験もある。それに、『スタイルもよくて、演技もできる。養成所にも通っていたから基礎ができてる。君ならきっとトップアイドルになれるよ!僕たちが必ず、君を夢の舞台に連れて行ってみせる!かしら?ははっ!』

 

 千代はプロデューサーの言葉に被せて自身の言葉を言うと、馬鹿にしたような笑い声をあげました。

 

『似たようなことを言ったやつがあんたの前に3人いたよ。全員嘘つきだったけど。』

 

『………』

 

『もういいかな?これ以上あんたと話すことはないみたいだし、二度と会うこともないだろうね。じゃあ。』

 

『成田さん、待ってください。私は本気であなたをプロデュースしたい。今まではダメだったかもしれませんが、346プロならきっと…』

 

『聞こえの良い言葉だけ言ってんじゃねぇよっ!』

 

『ッ!?』

 

『どいつもこいつも、夢見させるようなことを言いやがって!アイドルは所詮消耗品だって、あんたも思ってるんだろ?だからバカな小娘騙して、使い物にならなければ簡単に捨てれるんだ!でも、夢に本気になる子だっているんだよぉ…あんたらの語る夢を信じて、どんなにひどい扱いを受けようと、必死についていく子たちもいるんだ。信じていたから、知らないおじさんとだって、一緒に寝たんだ…』

 

 いつの間にか千代の声は涙声になり、聞いているほうが胸を秘めつけられる悲痛さを伴ってました。そしてプロデューサーは、彼女の話を黙って聞き入ってました。

 

『お願いだから、これ以上私に夢を見させないで…夢を…諦めさせて…』

 

『…申し訳ありません。成田さんの心情を考えず、こちらの都合ばかりを押し付けてしまってました。ですが、あえて言わせていただきます。』

 

 

 

『あなたには、アイドルの素質がある。』

 

 

 

 

『…え?』

 

『成田さん、私はアイドルの素質とは、容姿や技量によるものだけではないと思っています。アイドルの素質とは、誰かを笑顔にすることではないかと思っています。』

 

『笑顔?』

 

『はい。あなたと初めて出会った飲み会の席で、あなたは初対面である我々とも打ち解け、多くの笑顔を生んでいました。私自身、あなたとのお酒はたいへん楽しいものでした。』

 

『あ、あの時は猫被ってただけだし!そもそも、飲み会の席の盛り上げ役なんて、アイドルと全然関係ないじゃん。』

 

『どんな場で、どんな理由があれ、率先して周囲を楽しませたいというのは、アイドルにとってとても大切な心構えの一つであると私は考えています。成田さん、あなた子心遣いは容姿や技量以上にアイドルとしてのあなたの魅力になります。少しきつい言い方になりますが、今までその魅力を発揮できず、成功を手にすることができなかったのは、あなたが良いプロデューサーに恵まれなかったからだと私は思います。』あなた子心遣い→あなたの心遣い

 

『で、でも、私今まで何度も失敗してきたし、あんまり大っぴらにはできない仕事も…』

 

『ご安心ください。あなたの秘密は絶対に漏らしません。社に掛け合ってでも、あなたの名誉を守れるよう努力します。あなたの事は全力でお守りします。だからどうか…』

 

 その続きの言葉を私は耳をつぐんで聞かないようにしました。

 その時の私の心に渦巻いていたのは、耐えがたい焦燥感と喪失感。そして、嫉妬でした。

 千代の過去は気の毒に思います。同じ元アイドルとして、彼女の再出発を応援したい気持ちもありました。

 でも、それ以上に、なんで私じゃないの?かつて共に夢を追いかけた私じゃなくて、あって一月も経たない子のほうがいいの?その子は、あなたを陥れようとしたんだよ?そんな気持ちでいっぱいでした。

 自分で壊したものなのに、いざ他人がそれを手に入れようとすると、醜く嫉妬する。それがあの時の私でした。

 それからしばらくして、プロデューサーが部屋から出てきました。彼の交渉がどうなったのかは、顔をあげて足取り軽く闊歩する様子を見れば、容易に想像がつきました。

 私はその後姿を見送ると、入れ替わるように、千代が残った部屋に入っていったんです。

 

 

 

 

 

 

「部屋に入った私は、千代を説得してプロデューサーの申し出を断るように言ったんです。千代はいきなりのことで面食らった様子でしたけど、花梨には関係ないことだと言って突っぱねて…それから言い争いとなって、最後には取っ組み合いになって、気づけば枕カバーであの子の首を絞めていました…」

 

 すべての真相を話し、小笠原花梨は力なく肩を落とす。

 一時の気の迷い。あるいは不幸な偶然と複雑な人間関係が重なった結果といえばそれまでだが、それで済ませるには彼女が犯した罪は重すぎた。

 

「武内さんが成田さんとの話を一言も喋ろうとしないのは、彼女との約束を守ろうとしたからなんですね。秘密を守り、全力で名誉を守るという約束を…」

 

「ええ。きっとそうです。あの人、すごく生真面目だから…」

 

 杉下の言葉を肯定する花梨の頬を、一筋の涙が零れる。

 魔法使いに恋をし、夢を叶えられなかったシンデレラ。彼女の心にくすぶり続けていた夢の残り火を溶かすように、涙はしとしとと零れ続ける。

 

 

 

 

 

 

 小笠原花梨が特命係に逮捕され、犯行を全面自供した1か月後、杉下と冠城は片桐に招かれ都内のライブハウスに来ていた。

 この会場では本日、武内のプロデュースするシンデレラプロジェクトが活動再開を祝した特別ライブが開催されることになっており、会場にはシンデレラプロジェクトの復活に歓喜するファンで埋め尽くされていた。

 会場後方の立見席で開始を待つ杉下たちの隣では、少し申し訳なさそうにする片桐がいた。

 

「いやーすみません。こんな後ろのほうの席で。本当は特等席を用意したかったんですけど、守銭奴な事務員に足元みられちゃって。」

 

「かまいませんよ。ここからでも、十分にステージが見渡せます。ところで、あれから武内さんの様子はどうですか?」

 

 杉下の問いに、片桐の顔がわずかに愁いを帯びたものになる。

 

「武内君、上に辞表を提出したそうなんです。今回の件は自身の不徳が招いたものであり、会社だけじゃなく、業界全体の信頼を失墜させる結果になってしまったので、その責任を取りたいって。」

 

「え!?じゃあ、武内さんは会社を辞めちゃったんですが?」

 

「それが、うちの専務が辞表を突き返したんですって。会社に迷惑をかけたのなら、それを埋め合わせるだけの結果を残してからやめるようにって。立つ鳥跡を濁して、は許さないらしいです。それでも渋ってたそうなんですけど、嘆願書を見せてようやく辞表を撤回させたですって。」

 

「嘆願書というのは、アイドルの方々が集めたものですか?」

 

「そうなんです。シンデレラプロジェクトの子たちが中心になって、プロデューサーは絶対無実だから、首にしないでって、会社の人間だけじゃなくてテレビ局や知り合いのところを駆けずり回って集めたそうです。それを見せられちゃ、自分から辞めるだなんて言えなくなって当然ですね。」

 

 にこやかに答える片桐だったが、数舜ののち表情に再び悲しみが陰る。

 

「でも、同じ事務所の3人組のユニットが解散して、武内君と同期のプロデューサーが一人辞めちゃいました。」

 

 3人の間に重苦しい沈黙が流れる。

 杉下と冠城の脳内には、厳しい芸能界の競争に敗れ、静かに表舞台を去る男の姿が流れていた。

 彼もまた、嫉妬によって過ちを犯した人間の一人である。その代償は彼一人だけでなく、彼の周囲を巻き込んでも仕方ないにしても、関係者にはさぞ遣り切れないものになったであろう。

 

「あの子たち、泣いてました。でも、アイドル活動は続けていくそうです。プロデューサーから学んだことを、このまま無駄にしたくないからって…」

 

「…きっと、いつの日か報われる日が来るはずです。あの人は自身がプロデュースするアイドルの力を信じてました。一人の人間を、あそこまで信頼させられるんですからきっと…」

 

 冠城の言葉は、会場を埋め尽くすファンの歓声によってかき消された。

 ステージに立つのは14人の少女が、きらびやかな衣装を着て立っている。やがて会場に音楽が鳴り響き、舞踏会が開始された。

 その宴を眺めながら、冠城は思う。

 小笠原花梨や成田千代が、いまステージに立つシンデレラたちとともに舞う未来もあったのだろうかと。

 もしを語れば切りがない。

 だが、夢を持ち、夢を追いかけ、夢に敗れ、それでも夢を捨てきれなかった彼女たちに救いを与えるならば、その答えを目の前に広がる光景にしかないものなのかもしれない。

 会場は笑顔に包まれ、ステージ上にも笑顔の花が咲き乱れる。冠城はその下に、いまだ咲ききれない花や、枯れてしまった花の姿を幻視した。

 

 今日も夢見る少女たちはお城への道を歩んでいく。その先に茨が見えた道であろうとも…



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傷だらけの天使たち 1

今作初の日間ランキング入り…
初投稿が2年前の上不定期投稿、おまけに実写ドラマ原作だったので正直ランキング入りすることはないだろうと思ってました。
場末で静かにやっていくつもりだった今作が、こうして人目に触れる機会に恵まれたのは嬉しくもあり、気恥ずかしくもありました。
それでも、こうして多くの読者様から楽しみにしていると感想をいただけるなら、マイペースに、気が赴くままに続けていこうと思います。


 その日、杉下と冠城は珍しく一緒に出勤してきた。別段示し合わせたというわけではなく、文字どおり偶然警視庁の玄関前で鉢合わせしたに過ぎない。

 だがそれでも二人が一緒に桜田門の敷居をまたぐのは珍しいものであり、それを目ざとく指摘する者もいる。例えば特命係のお隣さん、角田課長などだ。

 

「おっ、お二人さん今日は一緒かい。いいねぇ、仲がよろしいことで。」

 

「たまたま一緒になっただけですよ課長。変な噂立てないでくださいね。」

 

「わかってるよ。それよりも、朝早くからお前さんたちにお客さんだぜ。」

 

「客?」

 

「ああ。えらい別嬪な姉ちゃんだ。」

 

「右京さん、早く行きましょう。女性を待たせるわけには行けません。」

 

 下心を隠そうともせず、冠城は特命係の部屋に急ぐ。声をかけておきながら、右京を置いてけぼりにしてだ。

 その後ろ姿を角田は呆れた様子で眺め、杉下も何とも言えない表情を作っていた。

 

「なんというか、女好きもあそこまでいくと尊敬するねぇ。大物だよ。」

 

「あれで付き合う女性に困らないのですから、男女の常とは本当にわかりませんねぇ。」

 

 一方で一足先に特命係の部屋についた冠城は、そこで一人の女性が椅子に座っているのを見つけた。

 年齢は20歳半ばほど。活発そうでいて女性らしい幼さを感じさせる可愛らしい顔立ちの中に、意志の強そうな勝気な瞳を宿している。肌は白く、引き締まりつつも出るところは出てる体系は男性受けもよいだろうとうかがえる。何より、背中に届ブロンドピンクの長い髪が、彼女の個性をさらに引き立たせるアクセントとなっていた。

 早い話、冠城のストライクゾーンに余裕で入るどころか、大好物の絶好球といってもよい女性であった。

 冠城はすぐさま引き締まった表情を作ると、大人の色気を感じさせる深みのある声で女性に話しかけた。

 

「君かい、特命係に御用があるというのは?」

 

 声をかけられた女性は驚いた様子で慌てて立ち上がると、冠城のほうを向く。

 

「うわわっ、ええと、私はその…」

 

「まあまあ落ち着いて。そんなに慌てなくてもいいから。今、コーヒーを入れるから座ってて。」

 

 冠城は女性を再び椅子に座らせると、慣れた手つきで特製のオリジナルブレンドの準備をする。女性は緊張気味な様子であるものの、幾分か落ち着いた様子で冠城の様子を眺めていた。

 

「僕の名前は冠城亘って言うんだ。苗字でも名前でも、好きなほうを呼んでくれたらいいよ。君の名前は?」

 

「あ、私はま、新咲祐希子って言います。今日はその…」

 

「ちょっと待って、せっかくだから当ててみよう。うーん…ずばり、誰かに会いに来た。」

 

「えっ、ウソ、当たってる!」

 

「そう、それも、わざわざ朝早くから警察に来るんだから、とても大切な要件がある。」

 

「すごい!流石刑事!何でもわかっちゃうんだ!」

 

 若い女性、それも美人から賞賛の言葉をもらい、いよいよ冠城は調子に乗ってきていた。

 だがそれに水を差すような渋い声が、彼の背後から投げかけられる。

 

「冠城君、君がそこに立っていると僕が部屋に入れません。早急にどいていただけるとと助かるのですがねぇ。」

 

 知らぬうちに冠城は部屋の入口に立ち塞がっていたらしく、振り向くと杉下が迷惑そうにたたずんでいた。

 

「おっと、これは失礼しました。ところで右京さん、彼女が依頼人のしんさ「右京さん久しぶりっ!」…え?」

 

 冠城が祐希子を杉下に紹介しようとしたその瞬間、祐希子は冠城を押しのけると喜色満面に右京へと抱き着いた。その様子は、だれが見ても祐希子と杉下が旧知の仲であると分かるものであった。

 

「これはこれは、誰かと思えば新咲さん、あなたでしたか。」

 

「!覚えててくれたの!?」

 

「もちろんです。あの時のあなたは非常に印象的でしたからねぇ。あの時に比べると、美しさに磨きがかかったように見えます。」

 

「あはは、ありがとう右京さん。そういう右京さんはあの頃とちっとも変わってないね。」

 

「そうでしょうか?」

 

「うん!あの頃と一緒でとても若々しいよ!」

 

「いえいえ、僕もあのころと比べると。ですがその言葉、ありがたく頂戴します。」

 

 終始和やかに二人の間で会話が交わされる。だがそれが面白くないとばかりに、咳払いする音が冠城から漏れた。

 

「失礼。どうやらお二人はお知り合いのようですが、お二人のご関係をわたくしにも分かりやすく教えていただけないでしょうか?」

 

「おや?君はすでに自己紹介を受けたのではないですか。」

 

「祐希子さんのお名前は伺いましたよ。けれど、右京さんが彼女とどういう関係なのかはまだ。」

 

「僕と新咲さんの関係ですか。そうですねぇ。一言でいうなら、補導した方と、された方と言うべきでしょう。」

 

「補導ぅ?君がかい?」

 

 冠城が祐希子に確認をとると、祐希子は恥ずかしげに頭を掻きながら頷いた。

 

「えーと、実は私、若い頃不良ってわけじゃなかったんですけど、ストリートファイトに興じてた頃があっただよね。その、街を歩いていて酷いナンパをする奴や因縁をつけてくる奴を片っ端から相手にしていたんだ。」

 

「へ、へえぇ…またそれは中々な…」

 

「それで、いつもみたいに街を歩いていたら女子高生にカツアゲをしている男達がいたの。それを見たら頭にきちゃって。問答無用で後ろからドロップキックかましたら大乱闘になっちゃって。そしたら相手の一人がナイフを取り出して、私に突き刺そうとしたんだ。」

 

「そこを偶然近くを歩いていて騒ぎを聞きつけた僕が見つけ、ナイフを所持していた少年を取り押さえ、警察を呼んだというわけです。」

 

「まあ、私も一緒に補導されちゃって、警察に連行されたんだけどね。」

 

「本当に危なかったんですよ。下手をすれば死んでいてもおかしくなかったのですから。」

 

「うん。その時、右京さんからすごく長いお説教をされたんだよね。でも私、逆にそれが嬉しくもあったんだ。あの頃の私を真剣に叱ってくれる人なんて、いなかったから…」

 

 もの憂げな表情を浮かべる祐希子から察するに、祐希子にとって杉下は命の恩人であると同時に、恩師のような人であったのだろうと、冠城は思った。

 だとしたら、わざわざ警視庁の窓際部署に依頼を持ってきた理由も、信頼できる人に話を聞いてほしかったのだろう。

 

「それで、依頼というのはどういったものでしょうか?あまり大きな問題は僕たちの手に負えない可能性もありますが。」

 

「ううん。依頼といえば依頼だけど、別に右京さんたちに何かしてもらいたいっていうわけじゃないんだ。今日はこれを渡したかったんだよね。」

 

 そう言うと、祐希子はバックから3枚のチケットを取り出し杉下に差し出す。

 

「これ、私が所属しているプロレス団体の興行チケット。今度の土曜日、都内のホールで開催される大会あるんだ。ぜひ、右京さんにも見に来てほしいんだけどダメかな?」

 

「いえ。予定と空いていますので見に行く分には問題ないのですが…祐希子さん、あなたプロレス団体に所属しているのですか?」

 

「うん!これでも新日本女子プロレスの現タッグチャンピオンなんだよ!今度の大会じゃ防衛戦もするから、たくさんの人に見に来てもらいたいんだ!」

 

「なるほど、そういうことでしたか。でしたらこのチケット、ありがたく頂きます。」

 

「ありがとう右京さん!いい試合してみせるから絶対に見にきてよね。じゃっ、私はこれからトレーニングがあるから!」

 

 そう言い残し、裕希子は手を振りながら特命係の部屋を出ていく。あとに残された杉下は興味深そうにチケットを眺めていた。

 そんな杉下に冠城は声をかける。

 

「嵐のような子でしたね。でもそこが逆に魅力的というか。ところで右京さん、チケットは3枚あるようですけど、だれか一緒に見に行く当てはあるんでしょうか?」

 

「残念ながら、プロレスに興味がありそうな知り合いはいません。興味があるのですか?」

 

「ええ、一応は。」

 

「意外ですね。普段の君からは考え付かない。」

 

「まぁ、プロレス自体にはあまり興味は。けれど、美しい女性が体を張って戦うというシチュエーションには、大いにそそられます。」

 

「…君のようなファンも一定数いるのかもしれませんが、彼女たちからすれば本意じゃないでしょう。」

 

「まあ、それはそれとして、もう一枚のチケット当てがないならもらってもいいですか?こういうことに興味がありそうな知り合い、一人知ってるんで。」

 

「僕としては構わないのですが、その人は僕も知る人物ですか?」

 

「ええ。とてもよく知ってる人間です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、新日本女子プロレス対さきがけ女子プロレスの団体対抗戦、その第一戦 武藤めぐみ&結城千種組の新日本友情タッグ対 新庄アイカ&新庄マナカ組の極悪姉妹タッグとの戦いは佳境へと近づいて参りました。

 序盤は武藤、結城組が息の合った合体殺法で主導権を握りましたが、中盤からは新庄姉妹がレフリーの死角をつく反則攻撃と軽妙なタッチワークで試合の流れを取り戻しました。

 そして今も、姉のアイカが武藤をスリーパーで捕らえ、タッグパートナーから分断しております。苦しい状況、何とか結城とタッチしたい武藤でありますが、今ようやくロープに手が届きました。しかしアイカ、スリーパーを緩めようとしていません。レフリーが注意します。」

 

「1,2,3!」

 

「スリーで放した。しかし、すぐにストンピングで追い打ちをかけます。結城の抗議を受けレフリーがアイカを引き離します。しかしアイカも離れ際、何ともに憎たらしい顔で結城を挑発していきます。

 さあ、そしてアイカがロープに走った。得意のラリアットか?しかし、武藤がフラップジャックで迎撃!アイカの喉をロープに打ち付けた!両者ノックアウト状態、武藤はタッチして交代できるのか?アイカも自陣に向かう!懸命に手を伸ばしパートナーを呼ぶ結城!そして今、タッチ成功!同時にアイカもマナカと交代!

 さぁ、久しぶりにリングに入る結城、マナカにチョップの連打を見舞っていきます。まるで今までの鬱憤を晴らすかのような猛攻!そして、得意のDDT!リング上の殺虫剤!マナカの脳天がマットに突き刺さった!

 結城、決めに行くのか?観客を煽ってフィニッシュ宣言です!マナカの後ろに回り、必殺のバックドロッ…ああ!アイカが乱入しバックドロップを阻止、エルボーを見舞います!だが今度は武藤が乱入!ドロップキックで相方を援護しますが、勢い余ったアイカがレフリーと衝突!レフリーは倒れたまま動きません!

 アイカは場外に逃れます!おっと!?武藤が雄たけびを上げて気合を入れます。そして、ロープに走った!!スワンダイブ式場外ブランチャだっ!!ああっとしかし、アイカこれを受け止めると武藤を抱え上げた!そのまま、実況席に近づいてきます!何をするつもりなのか!?ああああああああっ!!パワーボムで実況席のテーブルに叩き付けたっ!?テーブル真っ二つうううううう!!!!武藤は動かない!意識はあるのでしょうか!?

 一方リング上では結城がマナカをコーナーに追い詰めています。パートナーの様子には気づいていないようです。キックの連打でマナカを弱らせる結城。コーナーに担ぎ上げ、雪崩式に移行しようとしていますが…ああとッここでッ、マナカが毒霧噴射!結城の顔が緑色にコーティングされ視力が奪われます!

 そして!場外のアイカから椅子を受け取り、コーナーポストを飛び降りながら結城の脳天に振り下ろしたああああ!!!これはいけません!リング上が無法地帯と化してしまった!裁くべきレフリーはいまだ意識が戻りません!

 なんということでしょう…リングに大の字になった結城の額から血が流れています……先ほどの椅子で切ったのでしょうか?新女のベストタッグの一つである武藤と結城が、方やテーブルの残骸に沈み、方や赤と緑のコントラストを顔面に描き、リング上でピクリとも動きません………

 さあアイカがリングに上がります。このまま決めに行くのでしょうか?マナカがレフリーに歩み寄って起こそうとして…おっと、どうしたのでしょう?途中で立ち止まり、姉のアイカのほうを向きます。そしてアイカを指差します。それを受け、アイカもマナカを指差した!これはまさかっ!」

 

 

 

「…アイカッぁあああああああああああああああああ!!!!!!」

 

「…マナカッぁあああああああああああああああああ!!!!!!」

 

「「スリーッ!ツーッ!ワンッ!」」

 

「「テーブルじゃぁああああああああああああああ!!!!!!」」

 

 

 

「これは不味いことになったぞ!私の記憶が確かなら、今のは新庄姉妹の最凶の合体技の合図だ!いったんリングを降りた新庄姉妹、リングの下からテーブルを取り合出しリング上にあげます!そしてコーナー際に設置します!

 準備が整った、整ってしまった!アイカが結城を抱え起こし、肩車してコーナーに背を預ける!そのコーナーにはマナカが昇っているぞ!マナカがコーナーポスト上で結城の後頭部を掴み、アイカと息を合わせての合体フェイスバスタァアアアアアア!!!!デスフォオオオオオオオオル!!!!

 決まってしまった…結城千種の顔面がテーブルを破壊……凄惨な光景が私たちの目の前に広がっています。ようやくここでレフリーが復活。新庄姉妹が足で踏みつけ結城をカヴァー。カウントが入ります。」

 

「1,2,3!」

 

「入ってしまたぁー!新日本女子対さきがけ女子の対抗戦第一戦はさきがけ女子の勝利です。新日本女子は大切な第一戦を新庄姉妹の反則殺法の前に落としてしまいました。これは屈辱的だぁあああ!

 担架で運ばれていく武藤と結城。そして、おっと!?花道にはマイティ裕希子、ボンバー来島の姿があるぞ!?二人はこの後、タッグ王座防衛戦を控えています。しかし、同門の後輩が凌辱されたのを黙って見ていることが出来なかったのでしょうか!?じっと、リング上で勝ち名乗りを上げる新庄姉妹を睨み付けています。

 リング上の二人もそれに気が付いたようです。コーナーポストに上ると、タッグ王者が腰に巻くベルトを指差します。これはベルト挑戦の意思表示でしょうか!?外敵タッグが新日本女子のベルトに狙いを付けたようです!

 マイティと来島は、新庄姉妹にベルトを見せつけるように腰に手を当てます!欲しければ取りに来い。そう言っているかのようであります。スポーツエンターテイメントの最前線。その中心にまた新たな因縁が生まれ、物語は益々カオスめいて行きます。ここまでの実況は新舘次郎。大会はまだまだ続きます!」

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、すごい試合でしたね!正直女子プロ舐めてました。まさかあんな激しい攻防があるだなんて…」

 

 リングから比較的近い花道横の招待者席で冠城は感嘆の声を漏らしていた。その左隣では杉下が魔法瓶に入れた紅茶をカップに移し、さらにその左では興奮した様子の青木が写真を撮りまくっていた。

 

「当たり前ですよ!一時期総合やK‐1に押されてましたけど、最近は試合の質が良くなってプロレスが人気を取り戻してきてるんですから!女子プロになると女の子の華やかさもあるから余計に見るほうも楽しめるんです!。」

 

「おや?ずいぶんとお詳しいのですねぇ。」

 

「小さいころからこういうのが好きだったんです。けど格闘技全盛のころは本当に肩身が狭かったなぁ。プロレスなんて八百長だろって言われて何も言い返せなくて、自分がプロレスファンだってことも言い出せなかったんですから。ほんと、いい時代になりましたよ。」

 

 しみじみと語る青木の顔は完全にファンのそれであった。それを見て、杉下は彼にこんな趣味があった事に新鮮な驚きを感じていた。

 この青木という男、奇妙な縁があって最近は特命係と頻繁につるむようになったのだが、元来警察嫌いなうえに色々と拗らせまくっている非常に面倒な男なのだ。プライベートも謎が多く、なかなか内面が見えてこないのだが、こうして純粋にプロレスを楽しむ様は傍から見ていて非常に好ましいものに見えた。

 

「なんですか?じっと僕のことを見て。」

 

「いえ、特にこれと言って。それよりも、この後は30分の休憩があるそうですなのですが、会場内にあった店で食事でもとりませんか?」

 

「そうですね。まだまだ大会は続きますし、軽く腹ごなしでも済ませておきましょう。」

 

 そう言って3人が立ち上がろうとした時、新日本女子プロレスのTシャツにジャージを履いた若い女性が3人の前に現れた。

 

「すいません。杉下さまとお連れの方でしょうか?」

 

「ええ、そうですが。」

 

「マイティ先輩から言伝を預かっています。せっかくなんで休憩時間に少し話しませんか?今なら選手の控室も案内します、とのことです。」

 

 この申し出に真っ先に反応したのは、他ならぬ青木であった。

 

「ぜひ受けましょう!試合前に選手の控室を訪問できる機会なんて滅多に無いですよ!すごく貴重なことなんですから!」

 

「控室ってことは、選手たちとも話せる機会もあるわけか…結構可愛い子たちもいたし、ここは一つお近づきに…」

 

 申し出を受けた本人よりも先に、行く気満々になっている連れの二人を見やり、杉下はため息をつきたい気分になった。

 それでも、せっかくの申し出を無碍にするわけにもいかない。何よりプロレスのバックステージというものに、杉下も単純に興味を持っていた。

 

「では、せっかくですのでお邪魔させていただきます。」

 

「わかりました。それでは、ついて来て下さい。」

 

 3人は女性の後に続き、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアの向こうへと進んでいった。




というわけで、新シリーズは『レッスルエンジェルス』とのクロスです。
あまりメジャーどころではありませんが、20年以上の歴史を持つ良質なプロレスゲーであり、経営シュミレーションゲームであります。
2008年に発売されたシリーズ最終作『レッスルエンジェルス サバイバー2』はゲームその物の面白さに加え、今では考えられないほどの豪華な女性声優陣をそろえていることでも有名です。
興味を持った方はニコニコ動画に上がっているプレイ動画を視聴してみてください。
え?プレイしてみてじゃないのかって?………諸事情でプレミアついてかなり高価になってるんすよ…

さて、今後も投稿に関しては週に1回あるか無いかのペースで進んでいきますが、そこはあれです。
トランキーロ、あっせんなよ!!


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傷だらけの天使たち 2

週一で投稿できたらいいな、って言ってたら何だかんだあって3ヶ月も経ってたぜ。
嘘みたいだろ?本当はこのエピソード、当初は去年の内に終わらせる予定だったんだぜ…
しかも内容的にはあんまり進んでないという…
正直すまんかった。


 若手女子レスラーに率いられ、関係者以外立ち入り禁止エリアのロープを超えていった杉下達は、選手控室と書かれた扉の前に案内された。

 女子レスラーはノックをして扉を開けた。部屋の中を覗くと10人以上のレスラーたちが試合に向けて入念な準備をしている。その中にはコスチューム姿で柔軟をしている祐希子の姿もあった。

 

「失礼します。マイティ先輩、杉下様達をお連れしました。」

 

「うん、ありがとう京子ちゃん。杉下さんたちもいらっしゃい。今日は来てくれてありがとう!冠城さんと、えーとあなたは…」

 

「は、初めまして!杉下さんの職場の同僚で、友人の青木年男といいます!あ、あの…大ファンです!」

 

 やや緊張した面持ちの青木が手を前に出して自己紹介をすると、祐希子は笑顔を浮かべて差し出された手を握る。

 

「いつも応援してくれてありがとう!今日も精一杯の試合をするから声援よろしくね!」

 

 敬愛する女性から笑顔を向けられ、感謝の言葉を贈られた青木の顔は喜色に溢れていた。すると、その様子を見ていたオレンジのコスチュームを着た大柄な女性が杉下たちのもとに近づいてきた。

 

「よう、この人たちがお前が世話になったって人か?」

 

「うん!杉下さんと冠城さんと青木さん!」

 

 祐希子が3人を紹介すると大柄な女性も祐希子に倣うように右手を差し出した。

 

「どうも。俺が祐希子のタッグパートナーのボンバー来島だ。祐希子の相棒として、そして新日本女子のレスラーとして、あんたたちを歓迎するぜ。」

 

 腹に響く大声で自己紹介すると、来島は3人の右手を力強く握る。手が潰される、とは言わないまでも、女性の物とは思えないほどの強い握力で手を握られ3人は驚き、痛みに顔を歪ませる。その様子を見て、来島は企みがうまく言ったかのように笑みを見せた。

 

「ちょっと恵理、力入れ過ぎ。杉下さんたち痛がってるじゃん。」

 

「ははっ、わりぃわりぃ。お前が世話になったって人がどんな人たちか気になってな。いい人そうで安心したよ。」

 

 祐希子が来島を窘めると、来島は悪戯が成功した子供の様な無邪気な笑みを浮かべる。その様子に祐希子は少し頬を膨らませるが、気を取り直して杉下たちに向き直るとテーブルの上に置かれている発泡スチールの箱を開く。

 するとその中から暖かな湯気が立ち上る。

 

「杉下さんたち御飯まだでしょ?これ、会社が企業とコラボレーションして私がプロデュースした商品なんだよね。その名も『チャンピオンカレーまん』!私も製作に協力した特製のカレー餡が最ッ高に美味しいから、是非とも杉下さんたちに食べて貰いたかったんだ!。」

 

「え?これ俺たちが頂いてもいいの?」

 

 湯気の中から現れた大ぶりの黄色い中華まんを指差し冠城が尋ねると、祐希子は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

「うん!そのために控室に来てもらったんだし。ささっ!食べて食べて。」

 

 薦められるままにカレーマンを手に取った冠城、青木、そして杉下の三人は、祐希子への礼も込めて「いただきます」と声に出し、勢いよく齧り付いた。そして、その味に目を見開いた。

 

「うまっ!なんだこれ!?滅茶苦茶うまいですよ。」

 

「ええ、程よい辛さとスパイスの風味が甘い皮と実によく合います。僕が今まで食べたカレーまんの中で、間違いなく一番でしょう。」

 

「えへへ。そう言ってくれると嬉しいなぁ。私カレー大好きで、かなり気合入れて開発に協力したんだよね。だからいろんな人に食べてほしくて。喜んでくれてよかったよ。」

 

 照れたように頬を書く祐希子。その子供っぽいしぐさの会いあまって大変可愛らしい様子であるが、その彼女の後ろに白い人影が近づいてきていた。

 

「あらあら。佑希子さんがお幸せそうで何よりですわ。お世辞を察することが出来ずに額面通りに言葉を受け取れるなんて、おつむがお気の毒なのも場合によっては良い事もありますのね。」

 

 あからさまに嘲笑する声色で嫌味を吐くのは、豪奢な長い金髪をたなびかせた色白な美女であった。肌の色に合わせたような白いコスチュームから彼女もレスラーであることが窺えるが、気品のある雰囲気は他のレスラーと比べても明らかに異質である。

 彼女の登場に祐希子の表情が露骨に歪む。椅子から立ち上がると、止める間もなく突っかかっていった。

 

「ちょっと、それどういう意味!なんか馬鹿にされたような気がするんだけど。」

 

「フフフ。世の中には知らない方が幸せな事がありますのよ。おバカが自分はおバカと自覚するのは残酷な事ですもの。」

 

「やっぱり馬鹿にしてるじゃない!」

 

「あら、私としたことが。思わず口が滑ってしまいましたわ。オーホッホッホッホ!!」

 

 目の前で突然言い争いを始めた二人の美女に冠城は唖然とするが、杉下は意外な人を見たかのように興味を示し、青木は『ビューティー市ヶ谷だ!!』と歓喜の声を上げていた。

 

「失礼。もしやあなたは元全日本女子柔道の女王、市ヶ谷麗華さんではありませんか?」

 

 杉下がそう尋ねると、市ヶ谷と呼ばれた女性は目を輝かせて杉下の方を向く。

 

「まぁ、そちらの方は私の事を御存じなのですね。そうですわ!元全日本女子柔道の女王であり、世界に名高い市ヶ谷財閥の令嬢であり、そしてリングに割く一輪の白百合とは、この私、ビューティー市ヶ谷に他なりませんわ!オーホッホッホッホ!!」

 

「……リングに咲いたラフレシアの間違いじゃないの?」

 

 自分の胸に手を当て、聞かれてもいないプロフィールを高々に読み上げた市ヶ谷に対し、祐希子がぼそりと呟くが、当の本人は自分に酔いしれているのか全く耳に聞こえていない様子である。

 それを目にしても杉下は全く意に介した様子は無く、にこやかに市ヶ谷に対応する。

 

「やはりそうでしたか。大変お美しい女性でしたのでもしかしたらと思ったのですが…あっ、申し遅れました。杉下右京と申します。」

 

「まあ、ご丁寧にどうも。祐希子さんの御知り合いというのでどのような方かと思いましたけど、祐希子さんと違って随分と紳士的な方なのですね。」

 

「お、落ち着け祐希子!ほら、どうどう。」

 

 市ヶ谷に詰め寄ろうとする祐希子を来島が必死に宥めている。この間、冠城は巻き込まれないように、しれっと騒ぎの中心から距離を置き、青木は興奮しながらその様子を写真にとっていた。

 

「それにしても、あの市谷選手がプロレスラーに転向しているとは知りませんでした。今日は試合に出られるのですか?」

 

「ええ。華麗なる勝利が約束された私の妙技、是非とも堪能していただいてくださいまし!」

 

「麗子、そろそろ試合の準備を。」

 

 いい具合に自分に酔っていた市ヶ谷に水を差すような一言が、市ヶ谷の背後に現れた黒髪の女性から発せられた。市ヶ谷は一瞬不満げな表情を見せたが、相手を確認すると一転して顔を綻ばせた。

 

「あら、南さん。もうそんな時間でしたのね。それでは、名残惜しいですけど私はここで失礼させていただきますわ。ではまた、会場でお会いしましょう。オーホッホッホッホ!!」

 

 高笑いをあげ、市ヶ谷は騒がしく去っていく。彼女に南と呼ばれていた女性は軽く杉下たちに頭を下げ、その後に続いて行った。まさしく、嵐のように現れ、その場をかき回すだけかき回していく、嵐そのもののような女性である。

 腹が収まらないのは祐希子の方だ。散々言葉にならない悪態をつくと、市ヶ谷が去っていった方向にベーと下を出し憎々しげに睨み付けていた。

 すると、今度は入口の方からにぎやかな声が聞こえてくる。杉下たちがそちらに目を向けると、首からタオルをかけ、顔を上気させた2人組の女性が部屋に入ってきた。

 

「いやー、疲れたー。まったく、今日の記者しつこ過ぎだよー。」

 

「ベルトに挑戦表明みたいな事したんだから仕方ないでしょ。まあでも、完全に新日本女子対さきがけの対抗図式をわかりやすく作れたのは良かったわ。って、あんた何勝手に冷蔵庫開けて飲んでんのよ!?」

 

「ん?いや、試合中喉ぶつけたのが気持ち悪くて。まずかった?」

 

「それ、社長がいつも飲んでるやつじゃない!たぶん坂本君が買ってきたやつよ!」

 

「げっ!まじで?やっちゃたなぁ…蓋がっちり絞めときゃ分からないかなぁ…」

 

「もう!ほら、貸して。」

 

 飲んでいたペットボトルを見つめて眉を下げていた女性からペットボトルを取り上げると、注意した女性は思いっきりふたを閉めて冷蔵庫の中に戻した。残念ながら、はた目から見てもボトルの中身は明らかに減っており、無駄な足掻きであると判断できる。

 

「あれ?右京さん、そういえばあの二人って、さっきの試合で滅茶苦茶やってた二人じゃないですか?」

 

 冠城が言うように、先ほどから冷蔵庫前で騒がしくしている二人は休憩時間の直前の試合で、対戦相手を血達磨にしていた新城姉妹という極悪タッグであった。だが、今の二人には試合中の悪刹な雰囲気は一切感じられない。

 そんな二人に気が付いた来島が声をかける。

 

「あっ、マナカさん、アイカさん、お疲れさまっす。」

 

「おおう、ボンバーちゃん、マイティちゃん、お疲れ。さっきの試合ありがとね。お客さん盛り上がってくれたよー。」

 

「ははっ、そういうことはうちの社長に言ってください。俺たちは会社の指示に従っただけですし。」

 

「だとしても、あなた達がアングルを快く飲んでくれたおかげで今回の因縁が生まれて、外野が盛り上がってくれたんだから。武藤ちゃんと結城ちゃんにも後でお礼を言わなきゃいけないんだけど、二人は医務室?」

 

「はいっ!まあでも、大きなケガは無いみたいですから、すぐに試合に復帰できるみたいです。」

 

「そう。それは良かった。ところで、そちらの方々はどちら様?」

 

 マナカと呼ばれていた女性が杉下たちを指しながら尋ねると、祐希子がそれに答える。

 

「この人たちは杉下さんと、冠城さんと、青木さん!警視庁の刑事さんで私の知り合い!」

 

「うぇっ!てことは、一般の人たちってこと!?ちょ、ちょっと早く言ってよ!アイカ、準備!」

 

「あ、ああ。わかってる!」

 

 マナカとアイカはとつぜん慌てふためき始め、髪を整え喉の調子と整えるように咳ばらいをすると、背中を丸め下から杉下たちに睨みを飛ばす。

 

「なんだわれら?マイティやボンバーのファンか?そがぁなもんじゃのぉて、うちたちの事を見ての。」

 

「ああ、そうじゃ。こがぁなお嬢様のお遊びじゃのぉて、本物の喧嘩っちゃつをうちらが見せちゃるけぇの。」

 

 先ほどまでの丁寧な対応と打って変わり、チンピラのような態度と広島弁に冠城は戸惑いを隠せない。

 

「えっ?ええ、いったいどうしちゃったの、この子たち。」

 

「冠城さん。これが彼女たち新庄姉妹のギミック、いわゆる設定ってやつなんです。ハードコアマッチを得意とする広島出身の腹違いの姉妹。さきがけ女子プロレス看板タッグです。」

 

「設定?つまりキャラを演じてるってこと?」

 

「あぁん?何がキャラじゃ!あんまし嘗めた口きいとると、しばきまわすで!」

 

 冠城の発言にマナカが激高して詰め寄る。その様子を見ていた杉下は冷静に青木の言葉を分析した。

 

「なるほど、つまり彼女たちは普段の姿とプロレスラーの姿を使い分けているという訳ですね。リング上やファンの前では広島弁を使い、暴力的な姿を意図的に見せてると。」

 

「はい。ちなみにマナカさんは東京出身、アイカさんは横浜出身のバリバリのシティーガールで、血縁関係も全くありません。」

 

「おい、ちぃとげにやめろ。営業妨害じゃ。」

 

 どことなく切実な声色でアイカが言う。それを見て、冠城はプロレスラー特有の苦労を知り、少しだけ優しい気持ちになった。マナカもアイカも、素の姿は普通の女性と変わらないのでなおさらだ。

 

「おい、何じゃ。その必死に不良のまねして高校デビューしちょる男子高校生を見るような目は?」

 

「いやいやそんな。まぁ、なんというか……頑張ってください。」

 

「なんか馬鹿にしとるじゃろわれ!」

 

 怒声を上げて冠城に掴みかかろうとするマナカだが、素の姿を知ってしまうと、それすらも子犬が刃を向いて必死に吠えているように見えてしまう。

 すると、新庄姉妹の背後から、また新たに二人の女性が現れたのに祐希子が気付く。

「あっ、めぐみたち戻ってきた。治療終わったのかな?」

 

「なにっ!ちょっと待っててください!アイカ、行くよ!」

 

「う、うんっ!」

 

 マナカはアイカを連れて武藤めぐみと結城千種の下へ行き、必死に頭を下げ始めた。

 

「めぐみちゃん、千種ちゃん、さっきの試合はありがとう。あんなきついバンプまでやってくれて。」

 

「傷ちゃんと治療した?女の子なんだからだ、顔に傷を残しちゃだめだよ。」

 

 甲斐甲斐しく対戦相手の心配をする新庄姉妹に、キャリアで劣る武藤と結城も少し困ったような笑顔で対応する。

 その様子を見て冠城は横の青木に話しかける。

 

「なぁ、あの子たちって実際はかなりの良い子だよな?なんであんな子たちが悪役の真似をやってるんだ?」

 

「良い子だからこそですよ。プロレスにおける悪役ってのはヒールって言うんですけど、ヒールは観客からのヘイトやブーイングを受けて、正義側のレスラー、ベビーフェイスを立たせなきゃいけないんです。ヒールにとってブーイングは歓声と同じ。ブーイングに不貞腐れてちゃ、ヒールレスラー失格だ。つまり、時には快く踏み台になる事を受け入れる器の大きさと、周囲への気配りが出来る人じゃなきゃヒールは務まらないんです。」

 

「それってなんか、損な役回りだな。」

 

「いやいや、そうでもないですよ。ファンも分かっていますから、本物のヒールレスラーには尊敬の念を抱き、時にはベビーフェイスのレスラー以上の声援を送るんです。正義も悪も超越した存在、それが真のヒールレスラーなんです。」

 

「そういえば、悪役レスラーの人ほど普段は優しいという話も聞いたことがありますねぇ。」

 

 杉下がそう呟くと、青木は勢い良く頷く。

 

「はい!冠城さんも見たことあるんじゃないですか?キングコングみたいな金髪の強面レスラーが朝の情報番組で美味しそうにスイーツを食べてるの。あとは、年末に芸人にビンタする事で御馴染の黒のカリスマが、女子高生が戦車に乗るアニメのに夢中になって応援大使になったり、ヒールの人たちだってリングの外じゃ普通の人と変わらないだなんて珍しい事じゃないんですから。」

 

「なるほど、あの子たちを見てると正しく聞こえてくるな。」

 

 冠城が見つめる先では、マナカとアイカが相変わらず武藤と結城に頭を下げていた。リング上で対戦相手を血祭りにあげていた側と、されていた側とはとても思えない。

 すると再び入り口のドアが開き、大柄なタイツ姿のレスラーと思われる女性とスーツを着た男女が入ってきた。

 その瞬間、室内にいたレスラー全員が勢いよく起立する。

 

「「「「社長、お疲れ様です!」」」」

 

「はい、みんなお疲れ様。前半はみんなのおかげでお客さんも満足してくれたみたいだから、後半も引き続き頑張っていきましょう。」

 

「「「「はいっ!」」」」

 

 声の合った挨拶をし、腰を90度に曲げる一同にスーツの女性が手を挙げて軽く返す。それだけで、その女性がこの場でどういう人物なのかが分かる。

 

「なぁ、あのスーツの人って確かパンサー理沙子だったっけ?」

 

「冠城さんも流石にパンサー選手の名前は知ってたんですね。そうですよ。彼女が女子プロレスの象徴といわれ、引退後は新日本女子プロレスの社長を務めているパンサー理沙子さんです。

 そして、あちらの女性がさきがけ女子プロレスの選手兼社長のヴィクトリー旭選手で、スーツの男性がさきがけ女子のリングアナウンサーの坂本さんです。」

 

「すげぇな、リングアナウンサーまで知ってるのかよ。」

 

「坂本さんは旭社長と一緒にさきがけ女子を立ち上げた人なんです。選手のマネジメントや会社の運営もやっていて、プロレスファンの間ではけっこう知られているんです。」 

 

 冠城が青木から講釈を受けていると、杉下達に気が付いた理沙子がよってくる。

 

「もしかしてあなた、杉下右京さんかしら?裕希子の恩人の…」

 

「ええ。私がそうです。」

 

「まぁ、やっぱり!なんとなくそうなんじゃないかと思ったんです。初めまして。新日本女子プロレスの社長を務めています、パンサー理沙子です。」

 

 そう言って柔らかな笑みを浮かべる理沙子。その上品さからはとても元プロレスラーとは思えないものがあった。

 杉下達も思わず居ず舞いが正される。

 すると、ヴィクトリー旭が理沙子に尋ねる。

 

「理沙子、こちら人達は?」

 

「うちの裕希子が昔お世話になった警視庁の刑事さん達よ。今日は裕希子の応援に来て頂いたの。」

 

「もう社長!その言い方だと私が犯罪をしたみたいじゃないですか!」

 

「あら?似たような事して警察に連れて行かれたんじゃなかったかしら?」

 

 それを言われると辛いのか、裕希子の歯切れが途端に悪くなる。

 一方で旭と坂本は興味深げに杉下達を見る。二人の目は獲物を見つけた獣の如く、鋭く光っていた。

 

「なるほど、警視庁の刑事さんか。どうです、警視庁のイベントでタレントを探してたりしてませんか?うちだったら試合が無い限りいつでも大丈夫ですが。」

 

「なんだったら警視庁舎前で試合もやります。あっ、これ私の名刺です。ご連絡はこちらに。」

 

 いきなり始まった営業に、杉下も勢いに押され思わず坂本から名刺を受けとる。

 警察相手に最初からここまで押して行ける人間はなかなかいない。

 

「こらこら、刑事さんが困ってるじゃない。休憩もそろそろ終わるし、営業はまた今度ね。」

 

「うん?おっと、もうこんな時間か。では刑事さん、この話しはまた後日。」

 

「ご連絡をお待ちしています。」

 

 最後まで杉下に話す時間を与えず、旭と坂本は一方的に握手を交わすと新庄姉妹のもとへ行く。

 その様子を眺める杉下に理沙子は頭を下げる。

 

「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしてしまって。あの二人も悪気がある訳じゃ無いんです。ただ、経営的に厳しい時期を長く経験していたから、営業活動に貪欲なところがあって…」

 

「いえいえ、僕は全く構いません。むしろ、部署柄イベント等には口を出せないのでお力添え出来ないのが申し訳ないくらいです。」

 

「そう言って頂けると助かります。では、すいません。見て回らなければいけないところがあるので、また後程。後半も楽しんでいってください。」

 

 最後にもう一度頭を下げると、理沙子は他のレスラーに声をかけに行った。

 

「では裕希子さん、僕たちもこの辺でおいとまさせて頂きます。カレーまん、御馳走様でした。試合の方も頑張って下さい。」

 

「うん!応援よろしくね!」

 

 笑顔の裕希子に謝意を示し、杉下達はその場を辞した。

 

 

 

 

 

 会場内の席に戻ってきた杉下達は、試合が再開するのをのんびりと待っていた。

 しかし、休憩時間が終わったにも関わらず、一向に試合が再開される気配が無い。観客席にもにわかに不穏な空気が流れる。

 

「なかなか始まらないですね。何かあったんですかね?」

 

「ええ、休憩時間は30分という事でしたが、既に40分が経過しています。」

 

 何かトラブルが起きているのではないか、と杉下達が不安に駆られていると、会場内にアナウンスが流れる。

 

『会場のお客様にお知らせします。現在、選手にトラブルが起きたため、試合の再開が遅れています。また、試合に出場する一部の選手にも変更が出る事を合わせてお詫び申し上げます。再開まで今しばらくお待ちくださいませ。』

 

 アナウンスが終わると、会場内にざわめきが広がっていく。観客の誰もが怒りよりも先に困惑を覚えているようであった。

 

「どうやら、本当に何かあったようですねぇ。」

 

「そのようで。いってみます?」

 

「いってみましょう。」

 

「あっ、僕も行きます。」

 

 3人は席を立つと、先ほどまでいた控え室に戻って行った。

 

 

 

 控室に着くと、レスラー達が慌ただしく動き回っていた。皆一様に取り乱し、顔を青くしている

 杉下はその中から裕希子を見つけ出すと、手を挙げて声をかける。

 

「裕希子さん、ここです。」

 

 切羽詰まった顔であった裕希子は、手を振る杉下に気付き安堵の表情を浮かべる。

 杉下は裕希子に事情を聞くために控室に入る。するとそこで、入り口近くの冷蔵庫の側が散らかっているのに気が付いた。

 

「杉下さん…」

 

「裕希子さん、いったい何が…」

 

「それが、旭社長が急に倒れちゃって…」

 

「倒れた?それは何故?」

 

「そんなのわからないよ!急に苦しみ出して胸の辺りを押さえてるかと思ったら、倒れて気を失ったんだから!」

 

 裕希子自身かなり混乱してはいるようだが、受け答えははっきりしており最低限の平静は維持出来ているようだ。

 それを確認して杉下は質問を続ける。

 

「他の人たちはどうしていますか?パンサーさんや、さきがけ女子プロレスの方々の姿がみえませんが。」

 

「社長はスタッフと今後の打ち合わせをしてる。さきがけの人達は旭社長の看護をしてた。救急車を呼んだからロビーにいると思うけど…」

 

 それを聞いた杉下は冷蔵庫の方へ行くと、床に落ちていたペットボトルをハンカチで掴み上げる。中にはまだ半分ほど水が入っていた。

 

「この水はさきがけ女子プロレスの坂本さんが旭社長の為に買ってきたものでしたね。旭社長はこれを飲んだ後に倒れたのでしょうか?」

 

「う、うん。確かそうだったと思うけど…」

 

 杉下は裕希子の返答を聞き、ペットボトルを振って鼻に近付け匂いを嗅ぐ。

 そして、真剣な眼差しを冠城に向ける。

 

「冠城君、すぐに警察に連絡してください。それと、今日この部屋を出入りした人を全員集め、警察が来るまで会場の外に出ないように伝えてください。」

 

 矢継ぎ早に指示を出し、再び裕希子に向き直る。

 

「裕希子さん、救急車が来たら今この部屋から離れている人達を呼び戻して来てください。旭社長は毒物を飲まされた可能性があります。」




レッスルエンジェルスの中では市ヶ谷様がレスラーとして一番好きです。
元全日本女王で、金持ちで、タッパがあって、ナチュラルボーンヒールとか、プロレスラーとしギミックの宝庫すぎる。
なんかもうビンスとカート・アングル足して女体化させた感じですね、市ヶ谷様って。裕希子にホース車でカレーぶっかけられそう…
さて、次回からようやく捜査編です。
お楽しみはこれからだ!


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傷だらけの天使たち 3

何とか週末で書き上げられました。
このエピソードも次かその次でラストです。

劇場版 相棒の公開が始まりましたね。私の地元がロケ地になったとかで大変楽しみにしてたのですが、仕事の関係で暫くは観に行けそうにありません。
悲しい…


 つい数時間前まで数十名の女子レスラー達が戦いの準備をしていた控室。現在、レスラー達は別室に移され各自事情聴取を受けている。

 残っていた試合は全て中止となった。

 代わって室内では鑑識が証拠品の採取に勤しんでおり、部屋の外からその様子を眺めながら話をする二人の刑事がいた。

 毎度お馴染み、警視庁捜査一課の伊丹と芹沢である。

 

「被害にあったのは、プロレス団体 さきがけ女子プロレスの代表取締役兼レスラーのヴィクトリー旭さん、本名旭川克美さん、32才。本日18時55分頃、この部屋に備え付けてある冷蔵庫に冷やしてあったペットボトル入りのミネラルウォーターを口にした直後、体の不調を訴え意識を失いました。現在、救急搬送された病院で治療を受けていますが依然意識は戻っていないそうです。医師によると、中毒症状が見られるようです。」

 

「毒はミネラルウォーターに仕込まれていたのか?」

 

「それについては鑑識の結果を待ちですが、毒物は即効性の高いものだそうで、直前まで飲んでいた飲み物に混入していた可能性が高いようです。」

 

「なるほどな。で、そろそろ特命係が現場に一番乗りしている訳を教えていただけませんかね警部殿!」

 

「あ、僕もいますよ。」

 

 往年のヒールレスラーを思わせる鬼の眼光で特命係を睨み付けるも、当の本人達はどこ吹く風。いつも通りの事だ。

 ちなみに青木の声は無視された。実にいつも通りである。

 

「訳と言いましても、今回ばかりは全くの偶然。たまたま知り合いから今日の試合に招待され、たまたま事件に居合わせたに過ぎません。」

 

「ええ、全くの偶然です。」

 

「本当かぁ?」

 

「本当ですって。」

 

 なおも疑った様子で特命係を睨み付ける伊丹だったが、埒が明かないと判断したのか聞こえよがしに舌打ちをして二人から目線を外した。

 

「まあ、とにかくあなた方には本事件を捜査する権限はないので、速やかにお帰りして頂けると嬉しいんですがね。」

 

「そうしたいのは山々なんですがね、そうもいかない事情があるんですよ。」

 

「はぁ?ちょっと何を言って…」

 

「ヴィクトリー旭さんが毒物を摂取する直前、僕たちもこの現場にいたんです。」

 

「なに!?どういう事ですか!」

 

 杉下の言葉に伊丹が食いつくと、杉下の口角が僅かに上がる。

 

「今回僕たちを招待してくれた新咲裕希子さんにこの控室に招かれたのですが、会場内の席に戻る為に部屋を後にしたのが18時50分頃。時間も確認していたので間違いありません。旭さんが毒の混入したミネラルウォーターを摂取したのが18時55分頃だとすると、毒が混入された瞬間を目撃していたかもしれませんねぇ。」

 

 話を聞き終わった伊丹は、その内容をじっくりと吟味する。その顔からは特命係を捜査に参加させる事のメリットとデメリットを天秤に掛けているのが伺えた。

 そこで杉下はもう一手打つ。

 

「先ほども申し上げたように、今回の事件関係者には僕の知人が含まれます。今後事情聴取をするに当たっても、何かしらの役に立つのではないでしょうか?」

 

「あなた方がいると証言者の口が軽くなると?」

 

「確約は出来ませんが。」

 

 杉下の返答に伊丹は荒っぽく頭を掻くも、やがて諦めた様子で大きく息をつく。

 

「どうせ帰れと言ったところで、勝手に動くんでしょ。だったら目の前にいてくれた方がまだ安心です。」

 

「ご配慮、感謝します」

 

 杉下が冠城と共に頭を下げると、伊丹は憎々しい顔をしながらも、はいはい、と返事する。

 

「芹沢、被害者が倒れる直前に近くにいた人間から呼べ。まずは関係者から話を聞くぞ。」

 

 

 

 証言者① 坂本信一

 

 最初に呼ばれたのは、さきがけ女子プロレスのリンクアナウンサーで、ヴィクトリー旭の片腕として選手のマネジメントも務める坂本であった。

 坂本は眼鏡を掛けた気弱そうな細身の男性で、見た目からはプロレス団体の関係者とはとても思えない。

 

「坂本さん、あなたは旭川克美さんが倒れた時、一番近い位置にいたそうですね。その時の様子を教えて下さい。」

 

 伊丹が丁寧な口調で尋ねると、坂本は緊張した様子でそれに答える。

 

「は、はい。えーと、社長は自分の試合の30分前にいつも決まった銘柄のミネラルウォーターを飲むんですが、あの時もいつもと同じように水を飲んでたら急に苦しみ出して倒れたんです。はい…」

 

「その時、いつもと違った点などはありましたか?」

 

「そうですね。強いて上げるなら、前もって買っていた水をアイカさんに少し飲まれていたことくらいですかね。」

 

「アイカさんが人の物を勝手に飲食する事は普段からよくあるのでしょうか?」

 

「え?ええ。ちゃんと埋め合わせはしてくれますし、社長も彼女の性格はよく知っているので、やれやれといった感じですね。あの時もあまり気にした様子は見せていませんでしたし。」

 

 横から杉下が唐突に質問をすると、坂本は少し虚を衝かれたような顔をするが律儀に返答する。一方で伊丹は苦々しい表情を浮かべるが、気持ちを切り替えるために咳払いをすると、質問を再開する。

 

「旭川さんが飲まれたミネラルウォーター。買ってきたのは、あなたという事だそうですが、普段からあなたが用意されるんですか。」

 

「はい。大抵は会場近くのコンビニで買うのですが、売ってなかった時は別のミネラルウォーターを購入します。社長も特別こだわっていたわけじゃないんで。」

 

「買ってきた物は直接本人に渡したんですか?」

 

「ええ。確か直ぐに冷蔵庫に入れてたはずです。」

 

 その事を伊丹がメモしていると、再び杉下が横から口を出す。

 

「なるほど。ところで、坂本さんは旭社長と団体を設立した当初からの長い付き合いだそうですが、お二人がプロレス団体を立ち上げるきっかけは何かあったのでしょうか?」

 

「私は元々商社に勤務していたんです。ただ、学生の頃からプロレスのファンで、いつかプロレスに関わる仕事をしてみたいと思ってたんです。そしたらある日、引退していた女子プロレスラーのヴィクトリー旭が現役に復帰して、新団体を旗揚げしようと人を集めていると人づてに聞いたんです。その時直感的に、これを逃したら二度とチャンスは訪れないと思って、直接社長の元を訪ねたんです。きっかけと言えばそれですね。」

 

「なかなか思い切った事をされたのですね。商社マンという安定を捨て、出来上がってもいないプロレス団体に転職するというのは。」

 

「ええ、全くのゼロからのスタートでしたから。レスラーを集めて、会場を手配して、お客さんを呼ぶ。何もかも自分達の力でやらなければならなかったですし、最初の頃は公園や倉庫のような場所で試合をしてたんです。まあでも、金銭的な余裕が無いのは今も変わりませんけど。」

 

「確かさきがけ女子プロレスは俗にいうインディーズ団体というそうですが、経営は厳しいのですか?」

 

「警部殿!いい加減にしてください!事情聴取をしているのは我々なんです!」

 

 捜査一課を無視して質問を続ける杉下に遂に伊丹がキレた。それに対して、杉下は素直に頭を下げる。

 

「申し訳ありません。ですが最後に一つだけ。坂本さん、旭社長に恨みを持っている人間に心当たりはありませんか?」

 

「いえ、ありません。少なくとも、私の知る限りは。」

 

 杉下の目を真っ直ぐに見つめ、坂本はキッパリと言い切った。

 

「確かに社長は職業柄や本人の性格もあって、良くも悪くも目立つ人でした。ですが他人を無下に扱うような人ではなく、会社の人間からも非常に信頼されています。無論、プロレスに関しては一切の妥協を許さず厳しい事も言いますが、それは全て相手を思っての事です。あの人ほど情に篤い人間を私は知りません。」

 

 

 

 

 証言者② 新庄アイカ 

 

 二番目に呼ばれたのは、旭川よりも先にペットボトルに口を付けた新庄アイカであった。

 椅子に座ったアイカは所在無さげに視線をさまよわせた。

 

「緊張されずとも大丈夫ですよ。あくまで当時の状況を確認する目的での聴取であって、取り調べのような堅苦しいものではありませんので。」

 

「あっ、すいません。どうも警察の人を意識すると落ち着かなくて。」

 

 杉下が緊張を解す為に優しく話し掛けると、アイカは恥ずかしげに頬を掻く。そんな二人を伊丹がじろりと睨み付けてから口を開いた。

 

「じゃあ早速ですがお話を聞かせてもらいます。新庄アイカさん、あなたは坂本さんが旭川さんに買ってきた飲み物を先に飲んだそうですが、本当ですか?」

 

「はい。試合中に喉を痛めちゃって、何でもいいから飲み物が欲しかったんです。」

 

「それは時間で言うと何時くらいの事ですか?」

 

「えっと、インタビューが終わってすぐ控室に行ったから18時40分くらいかな?」

 

「どのくらいの量を飲まれたんですか?」

 

「ほんの少しですよ?一口だけだったんで。」

 

「その後、体調が優れないとかはありませんか?」

 

「いえ全く。」

 

「それは結構で。インタビューが終わってから控室に戻るまでに、どこかに立ち寄ったりされましたか。」

 

「いえ、真っ直ぐに戻って来ました。」

 

「その間、誰かと一緒にいましたか?」

 

「はい。相方のマナカと。あの、もしかして刑事さん、私の事を疑ってます?」

 

「すいませんね。なにぶん事件性が高い件ですので、あらゆる可能性を考えなければなりませんから。」

 

 アイカからの問いかけを軽くかわし、伊丹はメモ帳に視線を落とす。

 その後も、伊丹と芹沢は相手に考える暇を与えず交互に矢継ぎ早の質問を繰り返す。その間に、アイカの表情を注意深く観察する事を忘れない。

 特命係の二人も、彼らの背後からじっと聴取を眺めていた。

 

 

 

 証言者③ 新庄マナカ

 

「さきがけ女子プロレス所属、新庄マナカ。本名は桜田美紀恵です。」

 

 次に部屋に呼ばれた新庄マナカは、先の二人に比べると落ち着いた様子で事情聴取に応じた。

 マナカに対する質問は、アイカにされたものとほぼ同じものがされた。

 確認の意味合いが強い内容であったが、マナカの応答はアイカの応答を裏付ける結果となった。

 

「それでは、あなたはアイカさんが飲んでいたペットボトルを取り上げて、キャップを閉めたんですね。アイカさんは本当に中の水を飲み込んでいたんですか?」

 

「はい。少しですけど中身が減っていたので間違いありません。」

 

「その後、あなた方は旭川さんに促され一緒にシャワーを浴びに行き、他のレスラーに旭川さんが倒れたと知らされるまでシャワーを浴びていたと?」

 

「はい。」

 

 伊丹は顎に手を当て考え込む。ここまでの所、マナカの証言はアイカのものと矛盾していない。

 結局のところ、マナカの証言からは目新しい事実を知ることは出来ず、アイカの証言の真実味を上げる事にしかならなかった。そう伊丹と芹沢が決定付けようとした時、二人の背後から声が上がる。

 

「少しお尋ねしたいのですが、お二人は普段から共に活動しているそうですね。どういった経緯があってお二人のようなうら若き女性がプロレスラーになられたのですか?」

 

「冠城…お前まで…」

 

「まあまあ、これも旭川社長と新庄さん達の関係を深く知るためだと思って、お願いします。」

 

「……はぁ、勝手にしろ。」

 

 投げやりに言う伊丹に軽く頭を下げ、マナカの前に座ると冠城は人の良い笑顔を見せる。

 

「まあ、そういう訳なんだけど、教えて貰ってもいいかな?」

 

「は、はぁ。と言っても、私の場合は特別な事情があった訳じゃありませんよ。学生時代にアマレスをしていて、社長にスカウトされてこの業界に入ったんです。まぁ、元々プロには興味があったんですけど。」

 

「なるほど。才能があったんだね。アイカさんも同じ感じだったの?」

 

「うーん。アイカはちょっと違います。あの子も社長が連れてきたんですけど、スカウトと云うよりは保護に近い形で入団させたんです。」

 

「保護?」

 

「あの子、実の親に育児放棄されていたんです。まともに中学校にも通うことも出来ず、食べ物に困って盗みを働いたところを警察に補導されて、施設に預けられた。そんなある日、施設の慰安訪問に訪れた社長がアイカを見つけて、団体に引き入れたそうです。何でも、死んだ目をしていたのが気に入らなかったとかで。」

 

「そんなことが…」

 

「ほんと、無茶苦茶ですよね。でも、プロレスを通し、無理矢理にでも生きている実感与えた事であの子は変わりました。社長のおかげでアイカは救われたんです。」

 

 感慨深げに染々と語るマナカ。その相貌を杉下はじっと見詰めていた。

 

 

 

 

 

 証言者④ パンサー理沙子

 

「私と旭社長は休憩時間に入るまでの間、関係者席に並んで座って試合を観戦してました。坂本さんも一緒です。」

 

 次に呼ばれたパンサー理沙子も比較的落ち着いた様子で聴取に応じた。

 流石に一企業の社長を務めているだけあって一つ一つの受け答えがはっきりしており、聴取はスムーズに進んで行く。

 

「では、旭川さんが水を飲んで倒れるまでに不自然な様子は…」

 

「なかったと思います。旭社長は今回の提携にかなり力を入れていたので、体調も万全に整えて来るように最善を尽くしていました。なのにこんな事になるなんて…」

 

 そう言って理沙子は悔しげに唇を噛む。

 そんな表情でさえ美人がやると絵になるもので、普段とはまた違った魅力が見えてくる。

 

「冠城さん。なにか事件とは別の事を考えていませんでしたか?」

 

「いや、別にそんなことは…」

 

 青木に図星を突かれ返事が中途半端になってしまう冠城だが、そこで彼はあることに気が付いた。

 

「あれ?右京さんはどこに?」

 

「杉下警部ならさっき僕が鑑識から聞いた新たな情報を教えたら、気になる事があるとか言って出ていきましたけど。」

 

「はぁ?新たな情報ってなんだよ?」

 

 冠城が聴取を続ける伊丹達に気付かれない様に小声で尋ねると、青木は冠城の耳に手を当てる。

 

「何でも、被害者の口の中から綿が出てきたそうですよ。」

 



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傷だらけの天使たち 4

今回で一気に解決編まで行きます。

それと、あとがきの方で次回予告をしていますのでどうぞよろしくお願いします。


 事情聴取が行われる部屋を抜け出した杉下は、事件現場となった控室の中にいた。

 既に鑑識は部屋におらず、誰もいない空間は現場保存の観点から事件当時の状態にされている。

 それはまるで、この空間だけが時間が止まっているかのようでもあった。

 

 杉下は部屋の奥に進んで行くと、レスラーたちの手荷物が集めてある一角で立ち止まった。

 その中から目当ての物を探していると、運良く一番手前の位置にそれを見つける。それはヴィクトリー旭のスポーツバックである。

 杉下は迷いを見せずにバックを持つと、ゆっくりとファスナーを開ける。

 それからしばらく中身を漁っていた杉下だったが、カプセル錠剤の入った瓶を発見する。

 ラベルによると瓶の中身は痛み止めの一種のようだ。

 

「あっー!いけないんだ!女の人の物を勝手に開けて。」

 

 突如背後から響いた声に驚き杉下が後ろを振り向くと、祐希子が杉下に指を差していた。

 眉は僅かにつりあがっているものの、口元には小さな笑みが浮かんでいる。まるで、同級生の失態を見つけた悪ガキのようであり、本気で怒っているわけではないようだ。

 

「これは失礼しました、祐希子さん。どうか、捜査の一環だと思って見逃していただけないでしょうか?」

 

「えー、ほんと?ちゃんと後で報告しなきゃだめだよ。って、その瓶はなに?」

 

「旭社長の持ち物の中から見つけたのですが、どうやら痛み止めのようです。」

 

「痛み止め?意外だな。旭社長が痛み止めを持ってるなんて。」

 

「意外なのですか?」

 

 佑希子の言い方が気になり聞き返してみると、祐希子はこくんと頷く。

 

「うん。それこそ昔はプロレスラーと痛み止めやステロイドみたいな薬物とは切っても切れない仲だったけど、最近はそう言った薬の副作用が問題視され始めて、大手じゃ常用を控えるよう団体が指導しているんだよね。特にクリス・ベノワの事件が起きた後から。」

 

 クリス・ベノワはカナダ生まれのプロレスラーである。

 若い頃は日本の団体に所属し、ジュニアの階級で数々の名レスラーとタイトルを争い、90年代を代表する外国人レスラーとして知られた。

 アメリカに帰国してからも日本仕込みの優れたレスリングテクニックで人気を博し、遂にはアメリカ最大手団体の最高位のベルトを獲得するに至る。ベルトを手にした試合はプロレス史に残る名勝負に挙げられ、将来的にはアメリカプロレスの殿堂に入る事も気の早いファンからは望まれていた。

 だがしかし、無情な破局は訪れた。

 ある日突然、ベノワは妻子を殺害し、自身も首を吊って自殺するという事件を起こしたのだ。

 死体の解剖の結果、べノワの脳は度重なるダメージや薬物摂取の影響か、85歳のアルツハイマー患者と極似した状態になっていたとされ、極度の鬱状態となって突発的に事件を起こしたのではという説が挙げられた。

 いずれにせよ、世界最高の技術を持ったプロレスラーは、一夜にして家族殺しの殺人犯になってしまった。

 これにより、ベノワがアメリカで築いてきた栄光は全て無かったことにされ、歴代チャンピオンからも彼の名は消された。

 彼の所属していた団体は公式発表で今後半永久的にクリス・ベノワに触れる事はないと声明をだし、所属選手に対して厳重な薬物検査を行うことを義務付けた。

 

「そういった事があったから、うちの団体でも薬物の使用は制限されてるんだ。」

 

「なるほど。それはさきがけ女子プロレスでも同様だったと?」

 

「うん。むしろうちよりも厳しかったと思うよ。特に旭社長は新日本時代から『不屈の女』って言われるくらい我慢強い事で有名で、今まで一度もギブアップしたことが無いんだって。だから、痛み止めを持ってるなんて意外なんだよね。」

 

「おや。旭社長は新日本プロレスに所属していたのですか?」

 

「そうだよ。確かうちの社長の3年位先輩で、当時から次代の大物として期待されてたんだって。でも試合中に大怪我をして、何ヵ月もまともに歩けない日が続いて会社からは引退勧告もされてたとか。」

 

「それでも、旭社長は現役続行に拘ったと?」

 

「そう。退団したあと、リハビリと平行して団体設立の準備を整えて、怪我から2年後ようやくさきがけを旗揚げしたの。坂本さんや新庄さん達とはその頃からの付き合いだとか。」

 

「ああ、なるほど。今回の対抗戦も旭社長側からの申し出だったんでしょうか?」

 

 杉下の推測に裕希子は頷く。それを受け、杉下は静かに瞼を閉じ、これまで判明した事実に思考を巡らせる。

 

「…さきがけ女子…毒物……痛み止め…」

 

「あのー、右京さん?」

 

「祐希子さん。休憩時間に入る直前に会ったタッグマッチ、あなたの目から見て不自然な点はありませんでしたか?」

 

「え?不自然なところですか?」

 

 やや興奮した杉下の様子に押されながらも、祐希子は顎に手を当て試合の様子を思い出す。するとふと、気になった点があった事を思い出す。

 

「そういえば、めぐみがフラップジャックをやってて、珍しいなぁ、って思ったんだよね。」

 

「フラップジャック?」

 

「走り込んできた相手の足を抱えて、勢いを殺さず後ろに倒れ込んで相手の顔をリングに叩き付ける技だよ。めぐみはアイカさんの喉をロープにぶつけてたけど、普段のあの子だったらカウンター技はフランケンシュタイナーやドロップキックを使うから意外だったんだよね。」

 

 それを聞いて、杉下の目が鋭く光った。

 

「なるほど、そうでしたか。それでは最後に一つ!ある技のやり方を僕に教えて頂けないでしょうか?」

 

「ある技?なんですか?」

 

「その技というのは…」

 

 

 

 

 

 

「あっ!?右京さんどこに行ってたんですか?伊丹刑事怒ってましたよ。」

 

 控室を出て祐希子と別れた杉下を冠城が見つけて走り寄ってくる。杉下は軽く頭を下げて謝罪の意思を見せる。

 

「申し訳ありません。ところで、事情聴取の方はもう終わったのでしょうか?」

 

「とっくに終わってますよ。もうすぐ、関係者の人たちも全員解散させるみたいです。身体検査でも毒物やそれを入れた容器の類は見つかりませんでしたし、現場の近辺でも怪しい物は見つかりませんでした。今日はもう遅いですし、捜査は明日に持ち越しだそうで。」

 

「そうですか。では冠城君、急いで今から僕の言うものを集め、関係者の方を集めてください。」

 

「え?それってまさか…」

 

 杉下の指示からその意図を察した冠城に、杉下は柔らかな笑みを向ける。それは、彼が真相を掴んだ際に浮かべる物であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「杉下警部、自分は言いましたよね?勝手に動き回って現場をかき乱すのはやめてくださいって。それが今度は関係者を集めてくれとは、いったいどういった了見なんですか?」

 

 杉下の指示で関係者とともに現場となった控室に呼び出された伊丹は、控えめに言ってかなり怒っていた。

 この際、捜査に首を突っ込むのはいい。止めたところでこの変人警部は勝手に首を突っ込んでくるのは分かり切っている。

 だから、あえて捜査に参加させ、監視下にいれたというのに、いつの間にかいなくなった挙句に解散間際になって急きょ招集されたのだ。

 早い話、伊丹の機嫌は最底辺に直下していた。

 それを知ってか知らずか、おそらく知っていながら無視しているであろう杉下は、素知らぬ顔で右手人差し指立てて上に向ける。

 

「それについて今から説明します。と、その前に…」

 

 杉下は伊丹の目の前を通り過ぎ、冷蔵庫の前に立つ。そして扉を開いてペットボトルを取り出す。

 

「旭社長が口にしたミネラルウォーターには、蓋やボトルには穴は開いておらず、買った時のままの状態であったそうですねぇ。ちょうどこのように。では、失礼して。」

 

 杉下はペットボトルのふたを開けると、飲み口に口を付け喉を潤し始める。

 突然の行動に周りは呆気にとられ、伊丹は我慢できなくなって怒鳴りつけようと足を進め…

 その足が不意に止まった。

 

「なんだ?どうなってんだこりゃ…」

 

 伊丹の目が驚愕に見開かれる。杉下と冠城、そしてもう一人の人物を除き他の関係者も同様の様子だ。

 彼らの目の前で杉下が飲んでいたペットボトル入りの水、無色透明のそれが鮮やかな緑色に変色していた。

 

「な、何なんですかそれ?なんで急に水の色が…まさか、それって毒じゃ…」

 

「落ち着け芹沢。警部殿、解説をしていただいても?」

 

 混乱する芹沢を諌め、伊丹が真剣な目で問いかける。

 杉下は口の中の手を突っ込み、半透明な袋の様なものを取り出した。

 

「これは…水風船ですか?」

 

「ええ。これに食用染料を入れ、口を縛って縛り口を奥歯に挟んでいました。一口だけ飲んだ後に袋を歯で噛み切り、口内に残った水と混ぜ、ペットボトル内に戻す。すると、この通りです。」

 

「危険な方法だが、手ぶらで飲み物の中に毒が仕込める。容器も必要なければ、練習次第で怪しい素振りも見せること無い、という訳ですか。」

 

「その通り。もともとこの方法は、プロレスの試合で毒霧をするために古くから使われていたそうです。」

 

 毒霧、海外ではグリーンミストと呼ばれる技は海外で活躍した日本人ペイントレスラーが広めた技である。

 その後、海外で活躍する日本人レスラーや怪奇派レスラーによって脈々と受け継がれて云ったが、いつ口の中に液体を仕込んだかについては長らくプロレス界の謎とされてきた。

 ただ、非公式ながら水風船やコンドームに染料を入れて口に仕込み、袋を噛み切って噴き出す方法が関係者の中から漏らされている。野暮であるからあえて指摘する者はいないが。

 

「この方法で毒をペットボトル内に混入できるのは、直接飲み口に口を付けた人物で被害者である旭社長を除いた一人しかいません。」

 

 杉下の指摘に関係者の視線が一人の人物に集まる。その視線の多くには驚きや動揺が含まれていた。

 誰もが、彼女が旭社長に毒を飲ませたとは考えられなかったのだろう。

 すると、杉下からペットボトルを受け取った冠城が口を開く。

 

「恐らく、毒の入った水風船は興業が始まる前にリング下に隠しておいたんじゃないですか?試合中、テーブルを出すためにリング下に潜り込んだ時に、一緒に回収し口に入れた。」

 

「新庄アイカさん、あなたは試合で武藤めぐみさんからフラップジャックで喉をロープに打ち付けられ、喉を傷めたという事でした。しかしながら、武藤さんは使わない技だったそうですね。武藤さんに確認したところ、試合中にアイカさんから指示を受けて技を変更したそうですね。武藤さん、かなり言い難かったそうでしたよ。」

 

 杉下が説明すると、武藤は申し訳なさそうに顔を伏せる。

 プロレスにおいて、最初から試合展開や勝敗の結果が決まっているのは知っていても言わないというのがお約束である。八百長などと、言ってはいけない。

 ただ、試合での技の組み立ては試合をしている当人たちで打ち合わせているものの、客の反応や試合の展開によっては当人たちのアドリブによって対応することもある。

 その際、スリーパー系の技や関節技の密着状態で先輩レスラーが相手の耳元で次の展開を指示する場合があると言われている。

 武藤もアイカにチョークスリーパーでとらえられている時に、耳元でカウンター技をフラップジャックに変更することを指示されたと杉下は推測していた。

 

「あなたは喉を痛めたという事をアピールして旭社長の飲料に口を付ける理由を手に入れた。それに加え、口に入れた水風船によって声が不自然であっても、喉の負傷を理由に試合後のインタビューで不審に思われない。」

 

「犯行に使った水風船はシャワー室で細かくちぎって排水口に捨てたんじゃないですか?ついでにシャワーを浴びている時に口を漱いで口内の毒を洗い流した。たぶん、あなたが使っていたシャワーの排水口を調べれば痕跡が残っていると思いますよ。」

 

 杉下と冠城の二人が追及すると、新庄アイカは力なく肩を落とす。

 その様子が、何よりも彼女の犯行を示していた。

 

「だって…だって社長が…」

 

「旭さんがどうしたんです?」

 

「社長は…私達を捨てて、その女に団体を売り渡そうとしていたのよ!」

 

 杉板が優しく問いかけると、アイカは内なるものを爆発させるように叫んだ。彼女は視線を理沙子の方に向け、瞳には怒りを宿らせている。

 

「う、売り渡そうとしていたって…」

 

「社長が電話で話しているの聞いたんだから!団体ごと新日本女子の傘下に入って、私達の処遇は全部新日本女子側に任せるって。私達には何にも相談しないまま、さきがけの旗を降ろそうとしてた!」

 

「そんな…本当に社長がそんなことを…」

 

 信じられないというようにマナカが声を漏らすが、アイカはそれに乾いた笑い声を返す。

 

「事実よ。私たちを売り飛ばした後は、自分は田舎で悠々自適な生活をするつもりだったみたい。今日の興業も私たちの利用価値を見せて、高値で買ってもらうためのデモンストレーションだったんでしょう。結局あの人にとって、私たちは会社を動かす駒でしかなかったのよ。」

 

 自重するような声を漏らしたアイカの眼もとからは、一筋の涙が流れていた。

 10代の頃に親に捨てられた彼女にとって、居場所を与えてくれた旭社長は実の親よりも遥かに大切な存在であり、さきがけ女子プロレスは家の様なものであった。

 その親が再び自分を捨てようとし、居場所を失くそうとしていると思ったのが彼女の動機であろう。

 

「許せなかった…本気で信じてた…家族と思ってた!仲間だと思ってた!苦しい時期もあったけど、一緒に乗り越えて来たから!なのにあの人は、今まで一緒に築いてきた物事、私たちを捨てようとしたのよ。許せるわけないじゃない!」

 

 怒りや悲しみ、そして絶望が混ざったような叫び声が控室に響く。

 誰一人として声を出すことが出来ない時間が過ぎ、いつまでも静寂が続くかのように思えた。

 だが静まり切った現場を横切り、アイカに近づいて行く影が一つ。パンサー理紗子である。

 理沙子はアイカの正面に立つと、静かに彼女の顔を見つめた。

 

「アイカちゃん。」

 

「………なんですか?」

 

 呼びかけに対しぶっきらぼうに返すアイカ。それを受けて理沙子はニッコリと笑みを浮かべた。

 

「ちょっと、歯を食いしばってもらえるかしら?」

 

「は?」

 

 その瞬間、かつて日本女子最強の名を欲しいがままにし、世界にも名を知られた元チャンピオンの右平手がアイカの左頬にさく裂した。

 掌底気味に放たれた理沙子の一撃は的確にアイカの顎をとらえ、不意の一撃を受けたアイカはもんどりうって壁際まで吹き飛ばされる。

 周りが呆気にとられる中、理沙子は倒れたアイカの元まで大股で近づいて行くと、襟首を掴みあげて無理やり立たせる。

 

「あなた、自分が何をしたか分かっているの!旭さんが、あの人がどういう思いで今日の日を迎えたかも知らないで…なんてことをしたの!」

 

「ちょ、ちょっとあなた落ち着いて!」

 

 慌てた芹沢と冠城によって引き離されるも、理沙子は興奮した様子でアイカを睨み付ける。

 アイカは魂が抜けたように呆然としている。

 その様子を見て、杉下は自身の推測が正しかったと確信した。

 

「パンサー社長、やはり旭社長は病を患っていたのですね。」

 

 理沙子はその言葉にハッとした表情をする。周りの人間も戸惑いを隠しきれていない。

 

「どうして、それを…」

 

「病院から旭社長の口の中に綿が詰められていたとの知らせがありました。恐らく、病で頬がこけたのを隠すためではないでしょうか?加えて、旭社長は痛み止めを常用していたようでした。薬物の常用に厳しく、不屈の女と呼ばれるほど我慢強かった旭社長が痛み止めが服用しなければならないとなると、重い病を患っていたと考えられます。」

 

「……はい。その通りです。旭社長は癌を…すぐに手術を受けなければ1年後生きてられるかどうかさえも。」

 

 理沙子の答えにレスラーたちに動揺が広がる。反応からして、理沙子以外に旭の病を知る者がいなかったのが分かる。

 

「旭社長は自分の体と、団体の経営状況をよくわかってたわ。手術をすれば治る可能性もあったのだけれど、その間は当然試合には出れない。さきがけ女子は良くも悪くも旭社長で持っている団体だったわ。旭社長が長期離脱するとなれば、団体の経営が大きく傾く可能性も高かった。そうですよね、坂本さん。」

 

 理沙子の言葉に坂本は暗い表情で頷く。

 

「そこで旭社長は私に新日本女子にさきがけ女子を預かってもらえないかと申し出たの。社員が路頭に迷わない為にも団体は何とか残したい。うちのレスラーは好きに使ってもらってもいいから、あの子たちの返る場所をしばらくの間預かって欲しいって。」

 

「そんな…じゃあ…」

 

「そうよ、今日の興業は旭社長にとって手術前の最後の試合になるはずだった。もう二度と、リングに上がれなくなるかもしれない、そういう覚悟を持って試合に臨んでいたの。試合後には正式にさきがけ女子の新日本女子への加入を発表するはずだったわ。」

 

 無念の面持で語る理沙子の言葉を、アイカは体を震わせ聞いていた。

 裏切られたと思っていた。また捨てられたと思っていた。

 だがそれは間違いで、旭社長は今までと変わらず、自分たちを、自分たちの家を守ろうとしていてくれた。

 

にも拘らず、自分は彼女の真意に気づかず、人生最後になるはずだったかもしれない大切な試合をぶち壊しにしてしまった。

 

 それに思い至ったアイカの体は悲痛な程に震え、もはや立つことさえもままならないでいた。

 誰もが、アイカに声を掛けられずにいる。この所の姿はそれほどまでに痛々しかった。

 

 すると、控室の扉が開かれ快活な声が響く。

 

「おっとどうしたんだ、葬式みたいな空気醸し出しやがって。大女が辛気臭い顔してても誰も振り向いちゃくれないぞ。」

 

 その声のした方を、誰もが驚き振り向く。

 そこには、毒を飲んで意識不明になっていたはずのヴィクトリー旭の姿があった。

 

「旭さん!病院に行ったはずじゃ!」

 

「ああ。体調が戻ったんで急いで戻ってきたんです。」

 

 そうは言うが、旭の顔色は傍目に見ても良くは無く。口に綿が入っていない為か、明らかに頬がこけていた。

 

「いやー、それにしてもご迷惑をおかけしました。メキシコで買った薬がまさかこんな事になるなんて。今日来てくれたお客さんには、後日お詫びをしないと。」

 

「メキシコで買った薬って…あれはアイカさんが…」

 

「メキシコで呪術屋をやっている婆さんからメヒコの秘薬だと言われて高い金出して購入したんですが、どうやら質の悪いまがい物だったみたいで、危うく死ぬところでした。」

 

「……旭さん、あなたは自分で毒を飲んで意識を失ったというのですか?」

 

 杉下が旭の考えを呼んで指摘すると、近くにいたアイカがハッと息を呑む。

 

「ええ。その通りです。今回の騒動は私の不徳が招いたこと。私が加害者であり、被害者です。」

 

「既にいくつかの証拠も挙がり、アイカさんから自白と捉えられる発言も出ていますが?」

 

「私の意見は何一つ変わりません。警察が何と言おうと、今回の件は私の責任です。」

 

 杉下を正面に見据えそう言い切った旭は今度はアイカの下に向かう。

 目元に涙をためて怯えた表情を見せるアイカに、旭は優しく頭をなでる。

 

「どうしたんだアイカ?泣きそうな顔して。」

 

「しゃ、社長…私…」

 

「ったく。女だからって、いつまでも泣いてばかりじゃダメだって前にもいっただろ。涙を流してばかりじゃ前が見えない。立ち上がりたきゃ、先ずは涙を拭かなきゃな。ほら。」

 

 旭はそっとアイカの目元をぬぐう。それでも、アイカの両目からは止めどなく涙が溢れてくる。

 すると今度は腰を屈め、座り込んだアイカの頭を抱きしめる。

 

「ごめんな。ちゃんと伝えられなくて。私も怖かったんだ。下手に人に話すと、悪い事ばかり意識して。今度は一緒に行こう。何度も何度も立ち上がって、一緒に進んで行こう。」

 

 その瞬間、アイカの心の壁が決壊した。

 大の大人が、それも体を極限まで鍛え、どんな危険な技にも耐え続けるレスラーが子供の様な泣き叫んだ。

 

「彼女たち大丈夫ですかね?口ではああ言えますけど。」

 

 冠城が心配そうに杉下に耳打ちをする。

 いくら和解したとはいえ、傷つけ傷つけられた者同士だ。今は大丈夫でも、いずれまた…という事もあり得る話だ。

 

「きっと大丈夫ですよ。二人なら。」

 

 そう答えたのは祐希子である。

 彼女は抱きしめ合う旭とアイカの両者を見つめながら、柔らかな笑みを浮かべている。

 

「プロレスラーなんです。あの人たちも、私たちも。普段はお互いに傷つけあう事もあれば、背中を預ける事もあります。そして、何度倒されても必ず立ち上がる。それが、プロレスラーなんです。世界で一番、強い人たちです。」

 

 そう話す祐希子の小柄な背中が、なぜだかひと際大きく見えた。その背中に、プロレスラーとして生きる覚悟を背負っているようであった。

 

「…また、今度は最後までちゃんと見て見たいですねぇ。」

 

「え?」

 

「プロレスの試合です。今日は途中まででしたので、また誘っていただいてもよろしいですか、祐希子さん?」

 

「うん!必ず見に来てね!」

 

 華やかな笑みを浮かべ、祐希子は頷いてくれた。

 

 

 

 




 次回予告




 ああ、主よ  願わくば、あの魔獣どもに報いがあらんことを……




「見たんです!男の人が誰かからがけから突き落とされる瞬間を。夢の中で!」

 殺人現場を夢で見たという自称エスパーアイドル。彼女の証言が10年前、容疑者死亡で終結した未解決事件の真相を明らかにする。



「彼は私の所為で死んでしまったんです。私が殺したんです…」

 過去の過ちに苦しむもの

「すべての真相は闇に葬らねばならぬ。」

 真相を葬り去ろうとするもの

「知りたいんです。息子はどのように死んでいったのかが…」

 真相の究明を求めるもの


 様々な思惑を孕む事件を特命係が調査するとき、人の形をした魔獣が目を覚ます。

「これが…報いだというの!」

 次回『魔獣』 

 


 という訳で次回予告でした。思いっきり相棒風のエピソードにしていこうと思います。


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魔獣 1

この作品はフィクションです。本作品に登場する個人、組織、団体は実在の個人、組織、団体とは一切関係ありません。
なお、本エピソードでは実際に起きた事件を一部参考にしていますが、作者に関係各所を批判する意思は全く無い事をここに記します。


 2007年1月某日。

 白雪の舞う真冬の真っ只中にあって、大都市東京の中心地の一つともされる新宿区は、例年以上の慌ただしさを孕んでいた。

 この年の1月、晴れて防衛庁は防衛省に格上げされ、職員の多くが年明け早々その対応に追われていた。

 だからであろうか。道行く人々は、俯き気味にふらふらとさ迷う少女の姿に注意を向けることはなかった。

 注意を向けていれば、彼女が醸し出す尋常ならざる雰囲気に気づけたかも知れない。

 少女は白のコートで全身を包んでいるものの、雪が降るなか傘も差さずに歩いているため、艶やかな黒髪は降り落ちた雪によって斑模様を描いていた。

 にもかかわらず、少女は髪に降り積もった雪を払う事もなく、おぼつかない足取りで歩みを進める。

 彼女の瞳に光は無く、虚ろな表情には生気というものが全く感じられない。はっきりと言ってしまえば、彼女の目は死人のそれであった。

 一見して彼女の歩む先に当てがある様には見えない。

 だが少女は、灰色の建物の前で立ち止まり、ゆっくりと建物を見上げた。

 建物の正面には、この国の守護者たる者を司る証、旭日章が掲げられている。

 少女は暫しの間その紋章を眺め、ゆらりと建物の中に入っていった。

 

 それから数分後、少女の姿は灰色の建物の屋上にあった。

 ただ、彼女は安全のために設けられたフェンスの外側、一歩踏み出せば虚空が広がる場所にいる。

 少女が足元の向こうに目を向ければ、降り積もった雪で真っ白な彩られたアスファルトの地面が広がっていた。

 

「………綺麗。」

 

 純白の絨毯を表し、少女が小さく呟く。その目には僅かながらに光が戻っていた。

 彼女はコートのポケットから銀製の十字架があしらわれたネックレスを取り出す。

 それを胸の前で固く握りしめると、自身が信じる神に祈りを捧げた。

 

「主よ、天から授かりし命を、自らの手で主の元に還す愚かな魂をお救いください。願わくば、あの魔獣達に天の報いがあらんことを…」

 

 祈りを終え、ネックレスをポケットに戻した少女は、迷わずにその身を虚空に委ねた。

 

 小雪が舞う静寂に包まれる中、一面に広がる純白の世界に小さな紅の花が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 2017年1月某日

 

 目を開けると、灰色の空が広がっている。

 近くからは水が流れる音が聞こえ、冷たい風が潮の匂いを伴って鼻を擽っていた。

 

 ああ、またこの夢だ。

 

 何度目か分からないデジャヴを感じながら、私は自分の意思と関係なく地面に倒した体をゆっくりと起こす。

 周囲を見渡せば、予想通りここ数日ですっかり見慣れてしまった光景があった。

 生い茂った木々と勢い良く流れる川。やはり、最近よく見る夢の中の森と同じ場所だ。

 だとすれば、この後に起こることは決まっている。

 

 そう考えた時、丁度良いタイミングで言い争う声が聞こえてくる。

 これまた自分の意思に関係なく、体が勝手に声のした方へ向かっていった。

 暫く進むと森が消え、遠くに海を望める開けた広場のような場所に出る。

 広場の奥は切り立った崖になっており、川の水は滝となって崖の下に流れ落ちて行く。

 その川の水が流れ落ちて行く側で、二人の男が揉み合っている。

 体を木に隠し様子を伺うが、夕焼けの光が逆光になり容貌はよく分からない。

 そうしているうちに片方の男がもう一人の肩を強く押し出し、崖の下に突き落とした。

 男の悲鳴が遠くに聞こえ、すぐに滝の音しか聞こえなくなる。

 

 相手を突き落とした男はその場に座り込み、大きく肩で息をする。

 やがて、ノロノロと立ち上がるとゆっくりと後ろを振り返った。

 その時、見えた横顔は…

 

 

 

 

 

「はっ!?」

 

 堀裕子が目を覚ますと、見慣れた自室の白い天井が広がっていた。

 眠りを妨げたのは、猫だか狸だか分からない緑色の謎の生命体、ピニャこら太の目覚まし時計である。今もまだ何だかよく分からない奇妙な鳴き声で、起床時間を知らせてくる。

 まだ微妙に頭の回らない状態でピニャこら太の頭のスイッチを押して声を止めると、頭に手を当ててらしくもない溜め息をつく。

 思い出すのは妙にリアリティーのある先程の夢。あまり何度も見直したくない夢なのだが…

 

「またあの夢。もうこれで6日連続だぁ…こんなに何度も見るなんて、やっぱりこれって!」

 

 

 

 

 

 

「正夢ですか?」

 

「そう。ユッコちゃんが言うには、きっと正夢に違いない、だそうです。ね?」

 

 片桐早苗が横に座る少女に同意を求めると、その少女、堀裕子は大きく頷く。

 場所は毎度おなじみ、特命係室である。

 

「はい!この一週間くらい毎晩見ているんです。これはきっと、私のさいきっくセンサーが未来の事件を予知しているのでは!」

 

「それで、正夢としか思えない夢を見たと。なるほど。なかなか興味深いお話ですねぇ。」

 

 裕子の話を聞き、杉下は楽し気に笑みを浮かべ紅茶を口にする。

 一方で3人分のコーヒーの用意をしている冠城は、不審げな表情をしていた。

 

「正夢か…でもそれだと、近いうちにどこかで殺人事件が起こるってことになるわけだね。」

 

「そうなんですよ!だからこそ、早苗さんのお知り合いの刑事さん達に何とか殺人事件を未然に防いでいただけないかと思ったわけです。」

 

「そういうわけか。わざわざイベントの休憩時間を利用して、特命係を訪問したのは。はい、熱いから気を付けてね。」

 

「あっ、ありがとうございます。」

 

 片桐早苗、及川雫、堀裕子の三人にコーヒーを配ると、冠城は部屋に張られたポスターに目をやる。

 ポスターは警視庁冬の防犯キャンペーンを知らせるものであり、そのキャンペーンガールを務める早苗たち三人のユニット、セクシーギルティが一面に写っている。

 そして今日は、三人が一日特別防犯係として警視庁を視察するイベントが行われており、庁舎前にはライヴステージが設置され、普段では考えられないほどのテレビカメラと、セクシーギルティ―のファンが集まっていた。

 これだけ集まったのだから広報課としては大成功だろうと、冠城は不敵な笑みを浮かべる元上司を思い浮かべる。

 

「でも、本当に正夢なら怖いですよね。崖から人を突き落とすなんて…」

 

 そう言って頬に手を当てるのは、アイドル界随一の胸を持つ及川雫である。今も冠城は彼女の胸部に目がいかぬよう、必死に理性に働きかけている。

 一方で杉下は裕子の話に思考を巡らせていた。

 

「確かに、ただの夢だと片付けるには裕子さんのお話は具体的すぎますねぇ。しかも、堀さんはエスパーアイドルとして有名です。これは間違いなく、正夢と言ってよいでしょう。」

 

「あれ?右京さん、彼女のこと御存じなんですか?」

 

 以前アイドル事務所が関わる事件の捜査をした杉下と冠城であったが、もともと芸能関係に興味はないと思っていた杉下が裕子の事を知っていた事に、冠城は驚きを感じていた。

 

「ええそれは勿論。実を言いますと、僕は前々から超常現象といったものに目がなくてですねぇ。是非とも、一度でいいから生で見て見たいと思っていたんですよ。それがちょうど目の前に現れたのですから、見逃すわけにはいきません。」

 

「は、はぁ…」

 

 突然子供のように目を輝かせ超常現象に対する思いを捲し立てる杉下に冠城が若干引いていると、杉下はクルリと早苗たちに背を向け、部屋の隅でチェスの盤上をじっと見つめる小男に目を向ける。

 

「ともかく、堀さんが夢の中でいた場所が実際に存在する場所なのか確かめる必要がありますねぇ………調べて頂けないでしょうか、青木さん?」

 

 依頼をされた青木はゆっくりと立ち上がり、杉下の顔に視線を向ける。その顔は、明らかに不機嫌を表していた。

 彼は今日、杉下とチェスの試合を約束していた。それが早苗たちの突然の訪問で一時中断し、今までじっと隅で大人しくしていたのである。

 

「この際、来客でチェスの試合を一時中断したことはとやかく言いません。その相手が旧知の間柄ならなおさらです。でもあんまりじゃないですか?先にチェスをしないかと誘ってきたのは杉下さんだったのに、それをほっぽりだして夢だかエスパーだか分かんない事を調べろだなんて。正直、いい気分はしませんね。」

 

「お怒りはごもっとも。ですがこういった事は青木さんの得意分野ですので、どうか引き受けて抱きたいのですが…」

 

「とは言われましてもねぇ…夢の中で見た場所を特定しろなんて、いくらなんでも無茶な気がしますけど。」

 

「堀さんが見た場所は夕焼け空と海が望むことが出来、近くに森があり、滝のある場所です。日本全国を見渡しても、これだけ条件がそろう場所はあまりないでしょう。案外すぐに見つかるかもしれませんよ。」

 

 そう杉下は説得するが、青木は依然渋い顔で返答をはぐらかす。

 するとそれを見かねたのか、早苗が青木の下に寄って行き彼の手を握り、上目遣いで青木の顔を見つめる。青木はギョッとし、身を竦ませた。

 

「調べていただけませんか?青木さん……」

 

「あ、そ、その、それは…」

 

「私、本当に不安なんです。だって、夢が現実になったら誰か死んでしまうんですから!雫ちゃんだって、それは嫌でしょ?」

 

「え?あ、はいっ!できれば、事件なんて起こってほしくないです。」

 

 急に早苗から話を振られた雫は驚いた様子を見せたが、すぐに話を合わせて青木に寄って行く。

 

「お願いします、青木さん!」

 

 勢いよく頭を下げる動きに合わせて、雫の胸部が大きく弾む。青木の目はその動きに吸い寄せられた。

 

「しょ、しょうがないなぁ!市民の訴えを無視して取り返しのつかない事態を招く警察官と一緒にされてもいけませんからね!分かりました、すぐに調べてきます。」

 

 そう言って立ち上がった青木は勢い勇んで部屋を出て行く。その後姿を片目に、ちらりと舌を出す早苗の姿を冠城は見なかったことにした。

 

「ところで堀さん、あなたが夢を見始めたのは一週間ほど前からという事ですが、夢を見るようになった直前に何か変わった事はありませんでしたか?」

 

「うーん…特になかったような気がしますね。確か夢を見始める前の日は、今日のイベントの打ち合わせと取材があったと思いますけど。」

 

 裕子の答えに他の二人も頷き同意を示す。どうやら、三人は同日も一緒に行動していたらしい。

 そこでさらに杉下が質問を重ねようとしていたところに、スーツ姿の男性が特命係の部屋に入ってくる。

 

「すいません、そろそろ次の出番の時間になったんで会場の方にお願いします。」

 

 そう言って現れた男性は、346プロのプロデューサーで早苗たちのプロデュースを担当している坂本である。

 坂本に呼び掛けられ、早苗たちは時計を確認する。 

 

「あっ、もうこんな時間。ごめんね坂本君、ちょっと待ってて。」

 

 早苗たちは手早く身支度を済ませると、杉下たちに向かって頭を下げた。

 

「じゃあ私たちは、ここらへんで失礼しますね。どうもお邪魔しました。」

 

「コーヒー御馳走様でした。今度うちの農場で作ってる牛乳を送りますね。」

 

「刑事さん、どうかよろしくお願いします!私のさいきっく正夢の中の人を救ってください!」

 

 三人は順に挨拶をすると、特命係室を出て行く。

 ふと部屋の外を見て見ると、部屋の中を覗いていた生活安全課の人間が慌てて道を上げて業務に戻っていく。

 三人を見送った冠城はすぐに杉下に話を振る。

 

「で、結局調べるんですか、正夢の件?」

 

「青木さんにも頼んでしまいましたし、このまま無視するわけにもいかないでしょう。それに一つ気になる事もあります。」

 

「気になる事ですか?」

 

「ええ。兎も角まずは、君の昔の職場に向かいましょう。」

 

 そう言ってさっさと部屋を後にする杉下の背中を、冠城は慌てて追いかけていった。

 

 

 

 二人が向かったのは冠城の昔の職場、総務部広報課であった。

 僅か数ヶ月しか在籍していなかったとはいえ、配属された当初から札付きの厄介者扱いを受けていた冠城の来訪に、広報課が少なからずざわめく。

 そんな様子に冠城が居心地の悪さを感じていると、冠城の元に駆け寄って来る若い男性警官がいた。

 

「お久しぶりです、冠城さん。冠城さんがここに来るなんて珍しいですね。課長ならイベント会場に行ってますけど。」

 

「いや、今日は社課長には用は無いんだ。防犯週間のイベント資料と、先週の打ち合わせ資料を見せてもらいたいんだけど…」

 

「ああ、さてはまた勝手に捜査してるんですか?イベントの資料ですね。分かりました、すぐに用意しますね。課長には黙っておきます。」

 

 爽やかな笑みを残し去っていく警官の後ろ姿を見送り、杉下は冠城に囁きかける。

 

「随分と仲がよろしいようですねぇ。」

 

「ええ、まあ。ここにいた頃、唯一親しくしてくれた年下の子です。神林君っていって、あれで元警察官僚の神林法務副大臣の息子さんです。」

 

「はいぃ?またそれは意外ですねぇ。」

 

「何でも、親の希望に反発して警察官になったみたいですよ。そのせいで折り合いが悪くなったとか。人事担当者も配置に困って総務部に押し付けたらしいです。」

 

 冠城の時といい、社美禰子の時といい、総務部広報課はなにかと厄介事を押し付けられる部署のようだ。

 そんな神林の境遇に、杉下は嘗ての相棒を思い出していた。彼もまた、親の意向に逆らって警察官になり、長いこと父親と反目しあう仲だった。

 

 そうして過去に思いを馳せていると、神林が分厚いバインダーを持って帰ってくる。

 

「これがイベントの資料です。当初の企画から当日のスケジュール予定まで全てが網羅されてます。先週の打ち合わせでも使いました。」

 

「ありがとよ。お礼に今度飲みに行こうな。」

 

「期待しておきます。それにしても、相変わらず社課長はすごいですよ。打ち合わせの時僕も同席したんですけど、あっという間に相手の要望と此方の希望を兼ね合わせたんですから。」

 

「おまけに、アイドルを横に置いても見劣りしない美貌。案外、昔アイドル活動をしてたりして?」

 

「ははっ、まさか!」

 

 そう言って二人が冗談を言い合っている頃、イベント会場でライヴを見守っていた社が謎の記憶に頭痛を覚えていたのは別の話である。




社さん「東京パフォーマンスドール、トゥルー・ラヴ・ストーリー、貞子、ミイラ…うっ!?頭が………」


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魔獣 2

今回のエピソードでは少々ショッキングな描写をしています。
読む人にとっては非常に不快になられる事と思われますが、作者に特定の犯罪を助長する意志が無いことをご了承下さい。


 広報課からイベント資料を手に戻ってきた杉下と冠城は、早速その中身を確認していく。

 とはいえ、内容的にはいたって普通の企画書と言ってよいものであり、じっくりと時間をかけて読み進めていくが、気になる点は一向に見つからない。

 

「というか右京さん、今更ですがなんで我々は冬の防犯週間キャンペーンの資料を読んでいるんでしょうか?我々は堀裕子ちゃんの夢の中で起きた殺人事件を調べていたのでは?」

 

「堀さんの話によると、彼女が正夢を見るようになったのは一週間前。それ以来、同じ夢を何度も見ています。何か彼女が正夢を見始めるきっかけがあったのでは、と思いまして。」

 

「そのきっかけに今回のイベントが関係してると?」

 

「時期的に考えれば、彼女が夢を見るようになったのは警視庁と打ち合わせをして以降です。何かあるとすればここだと思ったのですが……おや?」

 

 話している途中で気になる点を見つけたのか、杉下は資料の一部分を凝視する。

 

「何かあったんですか?」

 

「冠城君、ここの所、取材をした記者の所を見てください。」

 

 杉下が示したのは、打ち合わせの同日に行われたセクシーギルティへの取材に関する部分である。

 この取材は大手アイドル雑誌が行ったもので、元警察官という異色の経歴を持つ早苗と、彼女が所属するユニットが警視庁でイベントを行うことを大きく取り上げたものだ。

 杉下は、その取材を行った記者の名前を指差している。

 

「岩尾隆信…あれ?右京さん、自分この岩尾って記者の名前に何だか覚えがあるんですけど。」

 

「奇遇ですねぇ。実は僕も岩尾隆信という名前に聞き覚えがあるんですが、はてさてどこの誰だったでしょうか…」

 

 杉下としては冠城が知っていてくれれば助かったのだが、生憎冠城も岩尾隆信という名に覚えはあっても、具体的に何をした人物なのかは思い出せないらしい。

 仕方なくスマホで検索しようとすると、タイミングよく冠城のスマホが着信を知らせるため振動する。

 相手を確認すると青木からであった。冠城はスピーカーのボタンを押して電話に出る。

 

「もしもし?」

 

「冠城さん、例の夢の中の場所を特定出来ました。片桐さんたちはそこにいますか?」

 

「残念ながら彼女たちはお仕事中だ。ていうか、もう場所特定出来たのか?」

 

「杉下警部のいう通り、森があって、滝があって、夕日と海が見える場所は日本にそうありませんでした。恐らく、ここで間違いないと思いますよ。」

 

「果たして、そこはどこなのでしょうか?」

 

 勿体ぶる青木に杉下が催促するように聞くと、青木は嬉しそうにその場所の名を告げた。

 

「福井県美国島です。特命係のお二人も聞いた事があるんじゃ無いですか?なんせここは、警察不祥事の真相が眠っている場所かも知れないんですから。」

 

 嬉々とした青木の答えに杉下の脳内で閃くものがあった。

 思い出すのは10年前、世間を騒がし、世論を真っ二つに分けたセンセーショナルな事件である。

 冠城にも青木の報告に心当たりがあった。

 

「岩尾隆信に美国島……右京さん、これってまさかっ!」

 

「ええ、どちらもあの事件、少年M事件に大きく関わっています。」

 

 

 

 

 

 その日の晩、杉下と冠城、そして早苗と彼女のプロデューサーである坂本は、杉下の行き付けの小料理屋『花の里』に来ていた。

 杉下が彼らを誘ったのだ。尚、裕子が夢の中で見た場所を特定した青木は呼ばれていない。

 いじめ等ではない。ただ単に忘れられただけだ。

 

 四人が揃うと女将の月本幸子が其々の前にグラスを置き、ビール瓶を開ける。

 

「片桐さん、どうぞ、おつぎします。」

 

「あ、どうもありがとうございます。」

 

「いえいえ。ええと、そちらの方は…」

 

「ああ、僕は早苗さんを送らないといけないので結構です。」

 

「そうでしたか。でしたらソフトドリンクを用意しますね。何かご希望はありますか?」

 

「ええとじゃあ、ジンジャーエールはありますか?」

 

「はい。すぐにお持ちします。」

 

 そう言って幸子が奥に行くと、坂本は大きく息をつき、店内を見渡す。

 

「それにしても、良い雰囲気の店ですね。自分こういう店初めてですけど、贔屓にしたい位ですよ。」

 

「本当にね。普段は居酒屋の個室ばかりで、中々こんな落ち着いた店に来れないもん。」

 

 坂本と早苗は各々店の感想を述べるが、大変気に入った様子だ。

 これには杉下も満足そうに笑みを浮かべる。

 

「気に入っていただけたようでよかったです。」

 

「ところで杉下さん、そろそろ私達をこの店に誘った理由を教えてもらえませんか?もしかして、雫ちゃんやユッコちゃんには聞かせられない話でも?」

 

 冗談半分に早苗が聞くが、彼女の予想に反して杉下は姿勢を正し、真剣な面持ちになる。

 隣の席の冠城も同様だ。

 

「………あれ?これってマジな奴ですか?」

 

「お察しの通り、堀裕子さんの夢の件を調べていたところ少々厄介なことになってきました。込み入った話になりそうでしたので、先に片桐さんと坂本さんに聞いて頂こうと思いましてね。」

 

 表情と同じく話ぶりも真剣そのものである。

 その剣幕に押されて早苗は知らず知らずのうちに唾を飲み込み、坂本は背筋を伸ばす。飲み物を持ってきた幸子は坂本の前にグラスを置き、空気を読んで再び奥に消えた。

 幸子が見えなくなった事を確認した杉下は、おもむろに口を開く。

 

「片桐さんと坂本さんは10年前に起きた、少年Mの事件を覚えていますか?」

 

「少年M……確か、一時期ワイドショーで話題になってた事件ですよね。」

 

「私はあんまり。なんとなく聞いたことがあるくらいかな。10年前といったら公務員試験で忙しかった頃だもん。というより、その事件がユッコちゃんの夢と関係があるんですか?」

 

 早苗の問いかけに杉下は黙って頷く。

 

「いくつかの事象から考えた限り、その可能性が非常に高い事が分かりました。それについて説明する前に、まずは少年M事件の概要をお話ししましょう。」

 

 そうして杉下は、10年前に起こった悲惨な事件について語り始めた。

 

 

 

 全ての始まりは2006年12月24日、クリスマスイブの事である。

 その日、新宿区のとあるカラオケ店では有名私立校、早慶大学付属高等学校生徒達がクリスマスパーティーを行っていた。

 パーティーには早慶付属の生徒達以外にも、学校間で交流のある別の学校の生徒も参加し、大いに賑わっていたそうだ。

 その中の一人、明応高校2年生の桜沢春海も学校の友人に誘われ、この会に参加していた。

 

 クリスマス会の開始からか2時間ほどが経ち、そろそろ解散しようとしていた頃、春海は一人の少年から声を掛けられる。その少年こそ、のちにその名を全国に知られることとなる、早慶大学付属高等学校2年生の真嶋浩司であった。

 彼は近くの店で2次会を計画をしている旨を春海に伝え、彼女にも参加するように誘った。

 春海は当初、帰りの時間が遅くなるからと誘いを断っていたが、あまりにも熱心に誘われ続けたため最後には渋々と参加を了承した。また、彼女自身他校の学生が開く2次会に興味があったことも否定できない。

 

 そうして、春海は2次会の会場であるダーツ―バーに連れていかれた。

 早慶大学の卒業生が経営しているというダーツバーでは、店のオーナーが未成年と知っていながら学生たちにアルコールを提供していた。

 春海は海外のジュースと言われて次々と飲み口の良いが、アルコールの度数が高い酒を飲まされすぐに酩酊状態になってしまう。

 そんな状態の介抱するという名目で、真嶋はオーナーの許可を取り店の仮眠室を利用した。

 

 そしてそこから、春海の地獄が始まった。

 

 真嶋とその仲間は酩酊して抵抗できない春海を代わる代わるに犯し、性欲の捌け口にしたのだった。全てが計画的、最初から春海の体を好き勝手にするつもりで、店のオーナーもグルであったのである。

 一人が満足すれば、また別の誰かが自分の体にのし掛かってくる。

 いつ終わるのか分からない無限地獄が、春海の身と心を切り裂いていく。

 結局春海は翌朝まで10時間近くに及び、その身を汚され続けた。

 

 真嶋達から解放されたのち、春海は数日間にわたり自宅の部屋に閉じこもり、何一つ家族にも語らなかったのだという。

 だが数日後には部屋から出てくると、たった一人で家を出た。彼女が向かったのは最寄りの警察署、東新宿署である。

 彼女は受付で相談したいことがあると伝え、担当の警察官に思い切って自分が真嶋達から受けた仕打ちについて打ち明けた。

 担当の警察官は事実確認をしなければいけないので年明けにもう一度来るように言い、いったん家に帰した。

 そして年明けに春海がもう一度東新宿署を訪ねると、今度は二人の警察官が春海の話を聞くことになっていた。

 だがしかし、この二人の警察官が傷ついた彼女の心をさらに踏みにじる事となる。

 以下は後にネット上で発見された、当時の様子を記した彼女の手記から抜粋した警察官の言葉である。

 

『よく知らない男の誘いにホイホイついて行くなんて不用心すぎるよ。最初からそうなるのは分かってたんじゃないの?』

 

『逆に考えれば、痛みを感じない状態で大人にしてもらったんだから、今回の事は勉強出来たとでも思って胸にしまってた方が君も余計な手間が省けていいと思うよ。』

 

『本当は、結構君も楽しんでたんじゃない?最近多いんだよね。その時は自分も楽しんだみたいな雰囲気だして、あとから無理矢理やられたって訴えてくる子。』

 

 レイプ被害者に対する第三者からの謂われ無き中傷、俗にいう『セカンドレイプ』を春海は警察官から受けた。

 

 話が終わったあと、春海は訴えを取り下げる旨を警察に伝え、顔を俯けたまま署を出ていったという。

 僅か数十分の聴取で春海の心は完全に砕かれてしまったのだ。そして、それは最悪の結果を招く。

 

 彼女が警察の聴取を受けた翌日、桜沢春海は東新宿署の屋上から身を投げ、冬の空の下に若い命を散らした。

 

 

 

「もしかすると桜沢春海さんは、自分は警察に殺された、と伝える為に警察署から身投げしたのかもしれません。傷ついた彼女に聴取をした警察官が投げ掛けた言葉は、あまりにも容赦が無く、無配慮なものでした。」

 

「……ひどい。いくらなんでも酷すぎるわ!警察がレイプの被害者を余計に傷つけて自殺させるなんて、絶対にあっちゃいけないことよ!」

 

 早苗は怒りのままにコップを持った手をテーブルに叩きつける。

 中のビールが跳ね上がり彼女の手にかかるが、早苗にそれを気にする余裕は無い。

 

「警察は桜沢さんの死を突発的な自殺としか発表しませんでした。遺書も残されて無かったので自殺の理由も不明と。」

 

「何が不明よ。誰がどう考えてもレイプしたガキ供と、アホな警官の責任じゃない。本当に腹が立つわ!」

 

 杉下の説明を聞いた早苗は、怒りと酔いの為か普段では口にしない悪態を吐く。

 そして怒りを冷ますかのようにビールを煽った。

 

「マスコミは当初、警察の発表を信じて桜沢さんの自殺をあまり報じていませんでしたが、一人のジャーナリズムが桜沢さんの死に疑問を感じ調査を開始しました。

 その人物とは当時写真週刊紙の記者だった岩尾隆信さんです。」

 

 

 

 岩尾隆信は当時若者の自殺を特集する連載記事を担当しており、警察署から女子高生が投身自殺したという話に興味を持ち、春海が自殺した理由を探ろうとしていた。

 だが、肝心の警察からは禄な情報を得られず、むしろ事件から自身を遠ざけようとする警察の対応に疑問を持つようになる。

 そして春海の両親からクリスマスパーティーから帰ってきたころから娘の様子がおかしくなったこと、友人たちからパーティーが終わった後早慶大学付属高等学校の生徒たちに2次会に誘われていたことを聞き、パーティーの主催者である少年たちに疑惑を強めていった。

 そして、両親の許可を取って閲覧した春海のパソコンの履歴から、岩尾記者は彼女が書き残した手記を発見した。

 そこに書かれていたのは、クリスマスイヴの晩に春海の身に起きた出来事の詳細、そして警察が発見されていないとした春海の遺書であった。

 その手記を読んだ岩尾記者は怒りに燃えた。無論、春海の心と体を汚した心なき少年たちと、警察の怠慢にである。

 

 絶対にこの理不尽を世間に知らせねばならぬ。

 

 ジャーナリストとしての使命感に火が付いた岩尾記者は春海の両親に許可を取り、手記を元にした記事を書いた。

 その記事はクリスマスイヴの丁度1か月後の1月24日に発売された週刊誌に掲載された。

 17歳の少女を襲った穢れた欲望、警察のお粗末な対応。

 そして何より反響を呼んだのは主犯とされる真嶋浩司の名前と顔写真、そして彼の父親が東新宿署の警察官であったことを包み隠さず公表した事である。

 以下は当時の記事を一部抜粋したものである。

 

『本来であれば、少年法に准じ主犯である真嶋浩司の名前は伏し、顔写真の公表は避けるべきである。しかし、被害者の少女が屈辱と絶望の中で死を選び、彼女を辱めた者たちが法の楯で守られ続ける現状は、弱者を守るべき法の大いなる矛盾であり、到底受け入れられない物であった。

 何故、人の尊厳を踏みにじり、一人の少女に死を選ばせた者たちが、若すぎるからという理由で国が定めた法で守らなければならないのか。筆者にはこの少年たちが人間には見えない。差し詰め、欲望のままに他者を騙し、その血肉を啜る『魔獣』である。』

 

 悪質な少年犯罪が起きた際、常に付きまとうのが少年法の是非である。

 少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的としている少年法であるが、成人が犯罪を起こした場合に比べて加害者の人権を重んじる性格が、被害者を軽視しているとたびたび議論となる。

 代表的な例として、加害少年の情報が規制されるにも拘らず、被害者の情報が一切規制されない為に被害者遺族が矢面に立たされる等があげられる。

 岩尾の記事はそう言った被害者軽視の現状に一石を投じたものとなり、世論を二分するセンセーショナルな話題となった。

 岩尾の行いを称賛する者、批判する者。

 だがいずれにしても、世間の多くの人々は真嶋浩司の非道に憤り、記事の一文から引用し彼らの事を『魔獣』と称すようになった。

 

 ここに至って警察も動き出さずにはいられなかった。

 東新宿署は漸く捜査本部を立ち上げ、春海を襲った少年たちを補導し、現場となったダーツバーを立ち入り捜査した。

 なお、桜沢春海に対する取り調べは正常に行われたものだとし、質問の内容もやや配慮に欠けていたものの、婦女暴行の捜査では必要なことだと発表している。

 

 一方で次々と少年たちが補導される中、真嶋浩司の行方は一向に掴めなかった。

 そして記事が出てから2週間後、東京から遠く離れた福井県美国島の『儒良の滝』の滝つぼから、真嶋浩司の遺体が地元住民により発見される。

 死因は水死。胸部に打撲や手足の骨折も見られたため、滝から飛び降りて自殺を図ったものと思われた。

 近くを捜索したところ、滝の上流にある島民の共有倉庫から真嶋がここで生活した痕跡と、直筆の遺書が発見される。

 遺書の内容は自分の仕出かした罪の後悔と、被害者への謝罪の言葉であった。

 筆跡鑑定でも真嶋浩司が書いたもので間違いないとされ、事件は容疑者死亡で終結した。

 

 

 

「しかしながら、表面上の事件は終結しても、残された人たちの地獄は終わりませんでした。被害者の桜沢春海さんの家族は度重なる取材攻勢に辟易し、親戚の住むアメリカに移住したそうです。

 一方で加害者である真嶋少年の父親である真嶋巡査部長は警察を辞めざる負えなくなり、長年住んだ場所も逃げるように去らなければいけなかったようです。さらには、真嶋少年の兄は事件の影響で就職に失敗し、当時付き合っていた恋人とも別れなければいけなくなり、次第に精神を病んでいくようになりました。そして事件から半年後の7月、一人暮らしをしていたアパートで首を吊って亡くなりました。夏場で発見が遅れたために、家族であっても判別が難しい状態にあったそうです。その1年後には母親が心労で倒れ、治療の甲斐も亡くなくなってしまいました。

 こうした事が世間で知られるようになるにつれ、人々はあれほど怒りの矛先を向けていた真嶋浩司の話題を次第に口にしないようになり、いつの間にか真嶋浩司という名では無く、少年Mと呼ぶようになったんです。

 そして、何一つ関係者からは有力な情報を得る事は出来ず、真相を明らかにすることもできないまま、この事件は人々の記憶から消えていきました。」

 

 杉下が全てを語り終えた後、店内には沈痛な静寂に包まれた。

 早苗と坂本は自分が知っていたこと以上の話に戦慄し、冠城は当時の事を思い出し神妙な表情をする。

 

「…なんというか、コメントに困る事件ね。真嶋とかいう子がやったことは許せないけど、その子は自分がやったことを正しく認識して、自殺するほど後悔したのよね。まぁ、気付くのが遅すぎたけど。それに、いくら犯罪者の家族だからって、無関係の人間が攻め立てるというのもね…少なくとも、死ぬほど追い詰めるのは間違っているわ。」

 

 普段とは全く違った消沈した様子で溜息をつく片桐を、心配そうに坂本が顔を覗き込む。

 

「大丈夫ですか、片桐さん?」

 

「ああ、うん。思っていた以上に話がヘビーだったからね。お姉さんには流石にきつい話だわ。」

 

 何とか空気を変えようと軽口を叩いているようだが、声に覇気がない。

 普段の明るく、年上として周囲の盛り上げ役を買って出る事も多い早苗を知る坂本としては、現在の彼女の様子は意外であった。

 

「さて、ここからが重要なのですが、堀裕子さんが夢の中で見たという殺人現場、その場所が真嶋浩司が自殺した場所と極似しているのです。」

 

「…ちょっと待ってください。真嶋浩司が自殺したのは10年前のことですよね?それが裕子の正夢と何の関係が…」

 

 予期せぬ杉下の言葉に坂本が困惑するが、横で聞いていた早苗はハッと何かに気が付く。

 

「もしかしてユッコちゃんが見たのは、正夢じゃなくて過去の情景だったってことですか?」

 

「その可能性は十分にあると思います。」

 

 杉下は口元に笑みをたたえ、その答えの根拠を上げていく。

 

「人は時として自身の記憶に蓋をし、記憶自体を無かった事にしようとすることがあります。これは目の前で起きた衝撃的な出来事に脳の処理が追い付かず、キャパシティーをオーバーしそうな時に起こる一種の自己防衛機能の様なものだと言われます。10年前と言えば堀さんはまだ小学生に上がる前、その年頃の子供にとって殺人の情景はあまりにも衝撃的でしょう。記憶を閉じ込めたとしても不思議ではありません。」

 

 そして、もしその光景が10年前の美国島で起きたものだとしたら…10年前に事件を取材した岩尾隆信に出会ったことで記憶が夢という形で呼び起こされたのだとしたら…

 

「真嶋浩司の死は自殺では無く、殺人だった?」

 

 早苗の呟きを肯定するように、杉下は大きく頷いた。

 

 




 美国島という単語で勘づいた方もいるかもしませんが、今回は「名探偵コナン」とも微クロスしてあります。
 ですが主要登場人物は登場する予定はありませんし、舞台と一部の事件関係者が出てくるだけの別の世界線だと考えていただければ幸いです。
 「そして人魚はいなくなった」は原作でも特に好きなエピソードでした。犯人のキャラクターが作者の好みに合っていただけに、犯人が背負った悲しい宿命と、あまりにも衝撃的なラストは今に至るまで深く心に残っています。


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魔獣 3

随分と遅くなってしまい申し訳ありません。
何とかゴールデンウィーク中に書き上げることが出来ました。
内容的にはまだ中盤にも差し掛かっていませんが、今後ともよろしくお願いします。


 花の里で早苗達と会談をした数日後、杉下と冠城は都内の雑誌出版社を訪ねていた。

 二人が訪ねた出版社は主に若者向けカルチャー雑誌を扱っており、発行するアイドル情報誌はアイドルファンの若者達からは必要不可欠なアイテムとして知られていた。

 10年前、最初に桜沢春海の死を取り上げた岩尾隆信は、現在ではこの雑誌に記事を投稿するフリーのアイドル記者に転身しているらしい。

 坂本に取り次いで貰いアポイントメントを取り付けた特命係は、受付の案内で編集部の横の個室に通された。

 出されたお茶に口を付けてから約5分後、ドアがノックされ眼鏡をかけた長身の男性が部屋に入ってくる。

 

「お待たせしました。初めまして、岩尾です。お二人が警視庁の刑事さんでしょうか?」

 

 その問いに杉下がゆっくりと頷くと、岩尾隆信は小さく笑みを作って頭を下げた。

 その後ろから、腰の曲がった小柄な老人がオドオドとした様子で部屋に入ってくる。

 老人は杉下と目を合わせると膝に手を当て深々と頭を下げた。

 

「初めまして。真嶋省吾です。」

 

 しわがれた声で自己紹介したのは、元東新宿署巡査部長であり、少年Mこと真嶋浩二の父親であった。

 

 

 

「真嶋浩二君の事件…あの事件は私にとって、後悔してもしきれない事件です…」

 

 机の上で手を組んだ岩尾は項垂れるように拳に頭を預けた。

 彼の苦渋に満ちた表情から、その言葉が本心であることが窺え知れる。

 真嶋省吾は何かに耐え忍ぶように膝に拳を載せ、じっと目をつむっている。

 

「後悔…ですか。それはやはり、真嶋浩二が自殺を選んだからでしょうか?」

 

「…はい。でもそれだけじゃないんです。あの事件で、私は事件には関係の無い浩司君のご家族を追い詰め、真嶋さんたちに取り返しのつかない災厄を招いてしまいました。私が殺したんです…私の所為で、浩司君と翔也君、それに真嶋さんの奥さんは死んでしまったんです。」

 

 苦しげに絞り出した低くうめくような言葉に、杉下たちの顔も自然と強張る。

 そうして岩尾は自らの罪を告白するかの如く、10年前の事件の詳細について語り始めた。

 

 

 

 

 罪を憎んで、人を憎まず、という言葉があります。10年前の事件で私はその言葉の本当の意味を実感することになりました。

 

 不思議な縁で桜沢さんの死に関わるようになり、彼女の死の真相を知った事で私は真嶋浩二に対する怒りに呑まれてしまったんです。

 あんな人間が、国家に守られるなんて許せない。いや、あんなことが出来るやつは人間ですらない。

 あいつは魔獣だ!何も知らない弱者を騙し、喰い物にして素知らぬ顔をする下劣な魔獣だと…

 その魔獣を司法に代わって裁く事こそ、ジャーナリストとしての自分の役目だと…

 

「愚かな思い上がりです。真嶋浩二を社会的に抹殺する事こそ自分の使命だと勘違いした私は、彼の実名を出し糾弾しました。それがあんな結末を迎えるなんて、思いもしなかったんです。いや、予想は出来てたのにそれをあえて無視したのかもしれません。」

 

「…お気持ちお察しします。けれど、岩尾さんがあの事件を世間が知ることが出来たのではないかと。そのおかげで、桜沢さんの無念も…」

 

「いや、違うんです冠城さん!あれが全てではない。あの事件の根はもっと深いところにあったんです。」

 

 かぶりを振って冠城の言葉を岩尾は否定する。強く喰いしばった歯が、彼の罪悪感と悔しさを表していた。

 

「……浩司君が自殺した後、私は初めて人としての真嶋浩二に向き合ったんです。そこで分かったのは、真嶋浩二という人間は、どこにでもいる普通の一般男子であったという事です。」

 

 杉下たちを真っ直ぐに見つめ、岩尾はそう告げる。

 彼は語る。かつて魔獣と言って糾弾した少年の本当の姿を。そして、桜沢春海を死に追いやった事件の裏側を。

 

「私はそこで初めて、なぜ真嶋浩二やその友人たちはあのような犯罪に走ったのかを調べ始めました。それで分かったんです。早慶大学の一部のサークルにはパーティーや飲み会の二次会に他校の生徒や新入生を誘い出し、強い酒を騙して飲ませて酩酊状態にし性的暴行を働くという行為を定期的に行っていたそうです。あの年のクリスマスの出来事も、大学に進学した浩司君の先輩からの指示があったそうで…」

 

「それはつまり、真嶋浩二はあくまでも場のセッティングを務めていただけで、実行犯や主犯は別にいたという事ですか?」

 

 努めて落ち着いた口調で杉下が尋ねると、岩尾は黙って頷いた。

 

 これまで、桜沢春海に対する一連の暴行は真嶋浩二が主犯であるというような報道がされてきた。

 実名が報道されたのも彼一人だけである。全ての犯行が真嶋浩二が企画したものであり、彼こそが諸悪の根源だというのが世間の見方である。

 

「補導された他の少年たちの殆どは、自分は2次会には参加していないと主張しました。参加したという子たちも控室で何が行われていたのかは知らなかったと証言しています。その後、浩司君が自殺して事件が有耶無耶に終わり、浩司君たち以外の子たちは全員釈放されたんです。」

 

「そして全ての罪は真嶋浩二君にかぶせられたという訳ですか…」

 

 ため息交じりに杉下が呟くと、場に重苦しい空気が流れる。

 杉下と冠城の胸中に真嶋浩二に対して気の毒に思う気持ちが生まれると同時に、岩尾が自身の行いを悔いても悔い切れないと言った言葉の意味を察した。

 岩尾は自らの手で真嶋浩二が日本中から恨まれる下地を作ってしまった。その結果、真嶋一家が地獄に突き落とされただけではなく、全てのヘイトが真嶋浩二に向かったことで関係者が全ての責任を彼に被せ、真相の究明が困難になってしまっているのだ。

 

 その事実を知った岩尾は自身が招いた結果に絶望し、筆を折ろうとした。だが当時の上司から慰留され、社会部から芸能誌、それもティーンズ向けのアイドル雑誌を紹介されたのだった。

 岩尾は上司の計らいにペン起こしたことはペンで取り返せ、と言われたように感じ、フリーに転身してからも人を喜ばせる楽しい記事を書く事を心がけてきた。

 それでも、真嶋一家を不幸のどん底に叩き落してしまった事を忘れず、いまでも真嶋の父とは頻繁に連絡を取り合っていたのだった。

 

「息子がやったことは許される事ではありません…私達家族よりも理不尽に命を捨てなければならなかった桜沢さんのご家族の方がよっぽど…それでも…」

 

 まるで自分に言い聞かせるように真嶋が静かに呟く。

 杉下たちが真嶋に視線を向けると、彼は目尻の涙を拭い鼻を鳴らした。

 

「親の贔屓目があるとしても、浩司は出来のいい息子でした。だから最初の内は息子があんなことを引き起こしたなんて、とても信じられませんでした。でも、息子が死体で見つかって残された遺書から報道されていたことが事実だと知った時、私はどうしたらいいのか分からなくなった。」

 

 何が真実なのか分からない。自分が普段から見てきた、物覚えが良く、家族に思いの自慢の息子は偽りだったのか?

 そして自分や家族に投げかけられる罵詈雑言の嵐。容赦のないマスコミからの取材攻勢。

 

 あらゆる憎悪をその身に背負うことになった一家は疲弊し、兄は自ら命を断ち、その後を追うように母も逝った。

 残された父は世間から身を隠すようにひっそりと暮らし、自分以外に守るものがいなくなった家族の墓の傍に寄り添っている。

 

「杉下さん、本当に息子はあんな恐ろしい犯罪を犯したんでしょうか?私の知る息子と、マスコミが報じた息子がまったく一致しないんです。今日ここに来たのも、岩尾さんから警察があの事件を改めて調べようとしているかも入れないと聞いたからなんです。息子の罪を灌いで欲しいとは言いません。ですがどうか、妻たちの墓前に少しでも救いのある報告をしてやりたいんです…どうか…お願いします…」

 

 テーブルに手のひらを付け深々と頭を下げる真嶋の姿に特命係は言葉を失う。

 結局彼らは、この老いた体に計り知れぬほどの業を背負った男に何一つかけるべき言葉を見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 岩尾と真嶋との会合を終え警視庁に戻ってきた特命係であったが、帰庁して早々に刑事部長からの呼び出しを受ける事となった。

 嫌な予感がしつつも警察は階級社会。無視するという選択肢がない以上、気の進まぬままに刑事部長室に足を運ぶと、案の定仏頂面の内村と中園が待ち構えていた。

 

「きょうの朝、警視庁の後方に問い合わせの電話が来たらしい。相手は346プロの堀裕子と名乗り、自分が依頼した夢の中で起きた事件は防げましたかと聞いてきたそうだ。対応した職員が詳しく聞いてみたところ、特命係という部署の人間が捜査しているそうだが、間違いないか?」

 

 内村が開口一番に告げた言葉に杉下と冠城は天を仰いだ。まさか刑事部長の耳に入るとは…

 恐らく坂本や早苗は少年M事件の性質を考えて裕子に事件の推移を話さなかったのだろうが、結果的に特命係の立場が非常に拙いものになってしまった。

 最早誤魔化しは不可能と察した杉下は正直に堀裕子の夢の中で起きた事件の捜査をしていることを内村と中園に話す。

 しかし、少年Mの事件が関係している可能性が高いことは伏せたままである。

 杉下の話を聞き終えると、内村は心底呆れた様子で大きく鼻を鳴らした。

 

「ふん!特命係が暇な部署だとは知っていたが、まさか夢で起きた事件について調べていたとはな。いっそのこと、これからはそちらの方を本業にすればいいんじゃないか?」

 

「お前たちは全く!日々粛々と職務に励み、都民の安全な暮らしを守るために精勤している他の警察官に申し訳ないと思わないのか!」

 

「はい、大変反省しております。」

 

 とにかくこの場を収めるためには謹んで反省した様を見せるほかないと考えた杉下と冠城は、沈痛な面持ちで深く頭を下げる。

 実際にいくら市民からの依頼とはいえ夢の中で起きた事件を捜査するなど、現場の人間からすればふざけた話以外の何物でもないだろう。

 

「まあ、捜査を妨害するような事でもないし、反省しているならこれ以上私の口から言う事は無い。ところで、話は変わるがお前たち特命係は芸能事務所と関わりがあるのか?」

 

「関わりと言いますか、以前我々が捜査した事件の関係者に芸能関係の人物がいたのと、346プロに所属するアイドルに自分が警察学校の教官時代の教え子がいるという話です。」

 

「ほう、そうだったのか。そう言えばうちの孫娘が最近アイドル活動に興味を持っていてな。赤城みりあや島村卯月のファンなんだ。確か彼女たちも346プロの所属だったな。」

 

「あ、あの、部長?」

 

 唐突にアイドル談義を始めた内村に特命係だけでなく中園も困惑した様子を見せる。

 そんな3人に目もくれず、内村は机に身を乗り出し特命係に話しかける。

 

「将来はアイドルになるとか言ってるんだ。孫は私に似て器量は悪くない。よく私の前でテレビで流れるアイドルの曲を真似して歌ったり踊ったりするのだが、素人目から見ても筋はいいと思う。」

 

「は、はぁ…」

 

「そこでどうだろう。うちの孫を346プロに預けるというのは346プロ、強いては日本の芸能界にとっても非常に利益になると思うのだが。」

 

「あの、つまり、俺たちに刑事部長のお孫さんを346プロに紹介しろと?」

 

「誰がそんなことを言った!警察幹部の私が、孫の為とはいえ部下の縁故まで使って口利きなど依頼するわけないだろう!」

 

「これは失礼しました。」

 

「ただまぁ、いくらダイヤの原石とはいえ、発掘して磨かなければ意味がないからな。それとなく、話を通すというのは私の関知するところではない。」

 

 そう言って何か期待するような視線を向けてくる内村に杉下と冠城は閉口し、中園は呆れた顔をするのだが、それに気付かぬのは内村のみである。

 

 

 

 

 

 またぞろ厄介な依頼を受ける羽目になり、無意味に疲れを覚えた特命係はため息交じりに自分たちの部屋へと歩いて行く。

 話題は自然と先程の依頼の件になる。

 

「まさか刑事部長があそこまで親バカ、いや、孫バカだったとはなぁ…てか、部長ってアイドルについて結構詳しかったですね。」

 

「孫に気に入られようと、子供に人気のゲームやアニメ、それにアイドルを勉強するシニア層は結構な数がいると聞きます。それこそ、子供よりも詳しい方もいるそうで。」

 

「へー……そういえば右京さんもプリキュアに詳しかったですね。勉強したんですか?」

 

「冠城君、一つ言っておきますがあれは捜査上必要な事を調べてただけで決して僕がプリキュアに興味があったという訳では…」

 

「でも、シールに書かれていたキャラを見ただけでそれがプリキュアだと分かったんですよね?ある程度知っておかなきゃすぐには判断できないと思うんですけど。」

 

「…………」

 

「…右京さん?」

 

「…………」

 

 杉下右京は黙秘権を行使した。

 

 

 

 

 

「ようやくお帰りになられましたね、杉下警部。それに冠城巡査。」

 

 結局あれから一言も発さぬまま自分たちの部屋に帰ってきた特命係を待ち構えていたのは、毎度おなじみ捜査一課の伊丹と芹沢である。

 

「これはこれは、今日はまたどういった御用件で?」

 

 2人の来訪に内心驚きつつも当たり障りのない対応を杉下がすると、伊丹があくどい表情で二人に詰め寄る。

 

「決まってるでしょう。お二人が捜査しているという夢も中の殺人についてですよ。」

 

「あれ?もしかしてその話、結構署内に広まってます?」

 

「特命係は悪目立つする部署ですからね。まっ、大抵はまた特命が妙なこと始めたなと一笑してますけど。」

 

「ただ我々としては特命係が意味もなくこんな事件を調べるとは考えていないんですよ。何か裏があるんじゃないかとね。」

 

「ほら、正直に吐いちゃってくださいよ。」

 

 どうやら何だかんだで勘の鋭いところがある捜査一課の名物コンビは、特命係の気まぐれめいた動きに嗅覚が働いたらしい。

 刑事部長と違い既に重要な手がかりを特命係が掴んでいることも勘づいている。

 

「どうします、右京さん?」

 

「そうですねぇ、10年も前の事件ですし、僕たちだけで捜査を進めるのも限界があります。ここは一つ、お二人に手伝っていただきましょう。」

 

 そう結論付けると杉下はここまでの捜査の経緯を伊丹たちに話し始める。

 初めの内は興味深そうに話に聞き入っていた伊丹たちだったが、話が進むうちに徐々に表情が渋くなっていく。

 そして岩尾と真嶋から話を聞いた話を告げると、伊丹たちは盛大に息を吐いた。

 

「はぁ、よりによって少年M事件ですか…聞かなきゃよかったなぁ…」

 

「あの事件警察は明確に捜査ミスを認めてませんけど、世間から見たら完全に警察が悪物ですからね。おまけに犯人の父親が警察官。身内を庇ったんじゃないかというマスコミも多かったですからね。それを掘り起こそうとしたなんてばれたら、最悪部長から怒鳴られるだけじゃすみませんよ。」

 

「てか、容疑者の餓鬼が自殺して他の奴らがそいつに罪を擦り付けているとして、それを証明する手段はあるんですか?十年も前のことですし、今更証言を翻させるような証拠も期待できませんよ。」

 

 伊丹の言う通り、相手は死んだ人間に全ての罪を擦り付け、知らぬ顔で普通の生活に戻っていったような外道たちだ。彼らは自分が追い詰められない限り、自分たちの罪を認める事は無いだろう。

 

「確かに伊丹さんの言う通り、準強姦罪で当時の関係者を問い詰めても重要参考人である真嶋浩二君が死亡している以上新たな証言を得るのは難しいでしょう。しかし、別の罪を明らかにし、そこから芋づる式に彼らを罪に問う事は出来るかもしれません。」

 

「別の罪というと?」

 

「真嶋浩二に対する殺人罪です。」

 

「例の夢の中で堀裕子が見たと云う過去の目撃証言ですか?それだと流石に弱すぎますよ。遺書や医師の死亡診断書がありますし、とてもじゃないけど殺人だと断定できる証拠にはならない。」

 

 真嶋浩二の死が自殺断定されたのは現場近くの小屋で発見された直筆の遺書と、医師の死体検案書の存在が大きい。10年前、5歳だった少女の証言ではこの二つを覆すのは難しいだろう。

 しかし、杉下にはそのうち一つの前提を覆すことが出来ると確信していた。

 杉下は当時の証拠資料から取り寄せた真嶋浩二の遺書の写しを取り出す。

 

「伊丹さん、先ず真嶋浩二君が残した遺書ですが、なぜあなたはこの文書を遺書だと思いましたか?」

 

「え?、なぜって言われても、自分が犯した罪の後悔と被害者への謝罪が書かれてますし、普通に遺書だと思いますけど。」

 

「では例えば、まだ真嶋浩二の死が明らかになっていない段階でこの文書が発見された場合、伊丹さんはどう思いますか?」

 

「そうですね…それだと遺書というよりむしろ…あっ!?」

 

「ええ、そうなんです。遺書とされているこの文書の中身は自身の後悔と被害者への謝罪に終始していて、自身の死を匂わせる文はどこにもないんです。筆者の死を以て遺書とみることが出来ますが、この文書単体ではむしろ謝罪文とみた方が妥当でしょう。」

 

「つまり、真嶋浩二は遺書してではなく、謝罪文としてこの手紙をしたためたという訳ですか……けど、死体検案はどうなんですか?あれは死体を検案した医師がハッキリと自殺だったと書き記してますけど。」

 

「それについてはまだ何とも言えません。」

 

 あまりにもあっさりとし過ぎる杉下の言い草に伊丹と芹沢はずっこけかける。それを気にした様子も無く、杉下は今後の方針を述べる。

 

「ここは一つ、捜査の基本に立ち返ってみましょう。即ち、現場百回。真嶋浩二の死が殺人とするなら、その証拠は必ず現場である、美国島に残されているはずです。」

 



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