ブラック・ブレット 贖罪の仮面 (ジェイソン13)
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登場人物 (2021.09.08 更新)

ここは登場人物を紹介するページです。
内容によってはネタバレも含みますのでお気を付けください。

ルビはオリジナルキャラクターにのみ振ります。
原作で登場した人物の年齢は作者の推測です。

話が進むにつれて記述が増えていきます。

2021/9/8 我堂善宗、ジェリーフィッシュ、グウェン・チ・リエンを追加しました。


【名前】義塔壮助(ヨシトウ ソウスケ)

【性別】男【年齢】16歳

【所属】松崎民間警備会社

【概要】

 本作の主人公。松崎民間警備会社所属のプロモーター。IP序列9644位→7000位。

 ガラの悪い言動と善悪を問わない手段、市街地に被害を撒き散らす活躍ぶりから悪評が広まるヤンキー少年。自称「クソガキチンピラ民警」。

 評判通りの乱暴かつ生意気な性格、更に短気で喧嘩っ早い性分のため仕事でもプライベートでも警察や他社の民警、赤目ギャングと諍いを起こし、喧嘩や闘争、撃ち合い・殺し合いが絶えない日常を過ごしている。その性格とは裏腹に自身の能力や功績に関しては「喧嘩が強いだけの素人」「小学校中退」「運良くイニシエーターが優秀だっただけ」と厳しい評価を下しており、自身を卑下する発言も多々見られる。その一方で真面目に仕事をこなしながら居候した家庭の家事を率先して手伝うなど気立ての良い一面も見せる。

 幼少期は一般的なサラリーマン家庭の子供として過ごし、勾田小学校では藍原延珠と同じクラスにいたが、彼女が呪われた子供だと発覚する切っ掛けを作ってしまい、彼女を助けようとせず逃げた負い目から罪悪感を抱くようになる。更に昇降口で教師と口論する蓮太郎を目撃したことで彼に正義の味方としての羨望も抱き、6年経過した今でもその感情は彼の価値観に影響を及ぼしている。

 その後は何らかの理由で両親と死別、表社会からもドロップアウトし、紆余曲折あって民警となる(本人曰く「民警になる以外の道が無かった」)。

 小学校4年生までしかまともに学校に通えていない為、小学校高学年レベルの算数や漢字が分からなかったりするが、相手を騙し不意を突く多彩な戦法を編み出したり、敵の思惑にいち早く気付くなど、頭の回転は悪くない模様。

 イニシエーターの森高詩乃のことは「手のかかる妹みたいなもの」と公言しているものの異性として意識している。対する詩乃からは積極的過ぎる愛のアプローチを受けているが、前述の性格から彼女の好意を受け入れられずにいる。

 戦闘では銃による後方支援がメインとなる典型的なプロモーター。屋内の銃撃戦から狙撃までこなすが素人レベル。身体能力は高く喧嘩では負け知らずだが、蓮太郎をはじめとした幾つもの死線を乗り越えた戦闘のプロ、呪われた子供には及ばない。本人も自覚しており、騙し手、搦め手、奇策、小細工で補っている。後にとあるコンバットインストラクターから、地獄の特訓を課されたことで銃器の扱いや近接戦闘ではプロを名乗れるレベルにまで成長する。

 とある事件で内臓の大半を喪失し、代替臓器として斥力フィールド発生装置「賢者の盾」を埋め込まれたことで、蛭子影胤と同じ「最強の盾」を持つ機械化兵士となる。しかし、原因不明のリミッターにより斥力フィールドに使えるリソースが少ないため、防御を捨て、斥力フィールドを応用した高速移動(ティナ曰く「人間リニアモーターカー」)による回避、「運動エネルギーを内包した無色透明の固形物を自由自在に形成する能力」を利用した変幻自在のワイヤー武器、バラニウム合金繊維を編み込んで作る第三の腕、斥力切断ブレード、斥力加速砲など多彩な戦闘スタイルで補っている。

 

【容姿】

 ワイルドアップの黒髪に金色のメッシュを施した不機嫌顔の不良少年。身長170cm。

 端正な顔立ちをしているが、普段は残念過ぎる中身から出る表情や仕草のせいでほとんどの人にイケメン扱いされない。同社の事務員曰く「イケメンの無駄遣い」「見た目は宝箱、中身はゴミクズ」。

 左耳だけにピアスを付けている。

 細身だが身体はかなり鍛えられており、筋肉が凝縮されている。柔軟性にも長けており、その体格は体操選手やフィギュアスケーターに近い。全身には今までの喧嘩や民警の仕事で負った傷が大量に跡として残っている。

 服装の系統は派手な柄のシャツやジーンズ(髑髏や十字架や謎の英語が書かれているタイプ)が多く、センスが中学生で止まっている。たまにミリタリー系も着ている。

 

【使用武器】

 ・第一章

 試作アサルトライフル 司馬XM08AG

 タウルス・ジャッジ

 バラニウム製サバイバルナイフ

 デザートイーグル(番外編で使用。本編前に破損)

 M4カービン(番外編で使用。本編前に破損)

 ・第二章

 タウルス・レイジングブル

 バラニウム合金繊維

 

【義搭壮助のネタバレ】

 

 

 

 

 

【名前】森高詩乃(モリタカ シノ)

【性別】女【年齢】13歳

【所属】松崎民間警備会社

【概要】

 義搭壮助のイニシエーター。IP序列9644位→7000位(第二章)。

 学業は優秀、何事にも動じない冷静沈着な性格、銃の扱いも壮助より上手いという(黙っていれば)完璧クールビューティな少女。

 しかし、その本性は欲望の化身であり、牛丼屋の一食で8000円ほど使う人間離れした食欲を持ち、入院中の壮助を性的な意味で襲って既成事実を作ろうとする。壮助への愛情は「壮助がいない世界は地獄」と言うほど重く、彼のPCからエロ動画とエロ画像を削除してエッチな自撮り画像で埋めないと気が済まないくらい嫉妬深い。また「毎日抱いてくれる」というデマを流布して外堀を埋めようとしている。

 自身と壮助のこと以外には無頓着で、ガストレアを討伐する際にガストレア以上に市街地を破壊し、感染した人間をガストレア化する前に殺害するなど、ある程度の良識や倫理観は持っているものの破壊や殺人に抵抗がない。そんな彼女の活躍(?)が災いして、仕事後は警察に連行され、会社に保釈金を出して貰うのがお決まりの流れになっている(壮助の悪評の半分以上は彼女が原因である)。

 中学校に通っており、友人もいる模様。成績は優秀だが授業はほとんで寝て過ごしていたり、(暑がりなので)制服も着崩していたりしており、生活態度はかなり悪い。

 趣味はスポーツ全般と動物ドキュメンタリー番組の鑑賞。

 保有因子はマッコウクジラ。重さ200kgの槍を片手で振り回す規格外の筋力、大抵の攻撃には怯まない高密度の骨、反響定位(エコーロケーション)で暗闇の中でも目視と同レベルで物体の位置や形状を把握することが出来る優れた聴覚を持つ。しかし肉体を維持する為に必要なエネルギー量が膨大な為、多量の食事と長い睡眠を必要としている。また体重も見た目に反してかなり重い。

 

【容姿】

 耳まで流れる黒髪のショートカット。濃藍の瞳。幼さと美しさを両立させた綺麗な顔立ちの少女。身長161cm。

 アスリートのような引き締まった体格をしており、服装次第では男性に間違えられることもある。顔の良さと高身長から女子には人気がある(同僚曰く「ジャージ姿でもかっこいい」)。

 ファッションにあまり興味が無く、とりあえず動き易さ重視。(制服を除き)スカートは穿かないため、服はスポーツ系が多く、ほとんどパンツルック。靴はスニーカーしか持っていない。暑がりな体質のため、服を着崩したり、布面積の少ない服を選んで肌の露出を多くする傾向にある。

 

【使用武器】

 ・第一章

 バラニウム製超重槍“イッカク”

 

 ・第二章

 M60機関銃(とあるギャングから拝借)

 タウルス・レイジングブル(壮助から拝借)

 超バラニウム合金装甲製“鈍器”

 

【森高詩乃のネタバレ】

 

 

 

【名前】里見蓮太郎(サトミ レンタロウ)

【性別】男【年齢】22歳

【所属】???

【概要】

 ブラック・ブレット原作の主人公。防衛省技術研究本部から斥力フィールド発生装置「賢者の盾」を強奪したテロリスト。

 元・凄腕のプロモーターでIP序列“元”50位「黒い弾丸(ブラック・ブレット)」の2つ名を持っていた。第三次関東会戦以降も様々な危機から東京エリアを救い、その輝かしい功績から「英雄」「救世主」「東京エリア最強」と称えられるが、その戦いの中で五翔会の機械化兵士となった彰磨を殺害し、ガストレア化しかけた延珠を介錯し、天童殺しの復讐鬼となった木更を殺害する。数々の悲劇により精神崩壊寸前まで追い詰められたが、一度はティナと菫の介抱により回復する。ティナとペアを組み直して民警に戻るが、自殺同然の異常な戦い方をティナに諫められたことが切っ掛けとなり彼女と決別、東京エリアから姿を消す。

 かつての自分を「正義という思想の麻薬に溺れた奴隷」と蔑み、正義に対する復讐として東京エリアでガストレアテロを引き起こす。しかし、その一方で防衛省では「死にたくなければ追うな」と警告したり、テロで使用されたガストレアも直接人間を襲わないように制御されていたりと非情になり切れていない部分がある。

 原作同様、バラニウム義肢を用いた天童流戦闘術の使い手であり、脳の処理能力を飛躍的に上昇させる義眼も健在。加えて薙沢彰磨が使用していた相手を内部から破壊する「天童の禁術」、木更の刀・雪影を用いた天童流抜刀術も使用し、格闘戦では圧倒的な力を誇る。

 バラニウム義肢は何者かの手により謎のアップグレードを施されており、撃発はカートリッジ方式から内燃機関搭載方式に変更されている。内燃機関を点火させた際の威力は拳の先100mの物体を蒸発させるほど高いが、使い過ぎると義肢のバラニウムが熱に耐え切れず蒸発するという欠点もある。

 また、スプリングフィールドXDは手放しており、とある武器商人の手に渡っている。

 

【容姿】

 黒髪に線の細い不幸顔の青年。身長178cm(原作から少し伸びてる)。黒のスーツとロングコートに身を包み、革製の手袋を嵌めて義肢を隠している。目元を隠す仮面をつけており、その姿はオペラ座の怪人を彷彿させる。

 

【使用武器】

 二一式黒膂石義眼

 超バラニウム合金製黒膂石義肢

 殺人刀“雪影”

 

【里見蓮太郎のネタバレ】

 

 

 

【名前】ティナ・スプラウト

【性別】女【年齢】16

【所属】サーリッシュ民間警備会社

【概要】

 IP序列38位「殲滅の嵐(ワンマンネービー)」の二つ名を持つイニシエーター。

 かつて天童民間警備会社に所属していたイニシエーターであり、6年前は天童木更とペアを組んでいた。木更と延珠の死後は蓮太郎とペアを組むが、蓮太郎の自殺同然の戦い方を諫めたことが原因で決別。その後はアメリカの巨大民警産業複合体「サーリッシュ」の会長とペアを組み、東京エリアを離れる。

 世界各地の戦場を渡り歩き、ここ数年は軍隊ばかり相手に仕事をしていた為か、その言動は合理的かつ非情。弟子である壮助にも冷たい姿勢で当たるが、本来の穏和な性格も見せる。

 6年前から変わらず、何故か食事はピザしか作れない(作らない)。またここ数年の生活のせいで重度のアニメオタクと化しており、その趣味はアニメ鑑賞のみならず、コスプレ、ガンプラ製作と幅広い。

 蓮太郎に対する愛情は決別した後も変わっておらず、壮助からは「蓮太郎至上主義者」と揶揄されている。

 シェンフィールドver6.1で制御された無数の武装ドローン(独立武装機動群)による物量飽和攻撃を得意とし、過去には単独で数百体のガストレアを殲滅し複数のエリアを救っている。

 狙撃手としての腕前、近接格闘の実力も6年間で身体が成長したこと、数々の戦場を渡り歩き経験を積んだことで更に磨きがかかっており、シェンフィールドが無くてもあらゆる状況に対応できる“完全無欠の兵士(パーフェクトソルジャー)”としての強さを誇る。

 

【容姿】

 手足の長いモデル系スレンダー美人。身長172cm。プラチナブロンドの髪を肩まで伸ばし、目と同じエメラルドグリーンの髪留めでまとめている。しかし、不摂生な生活の影響か胸がまるで成長していない。「ペッタンコ」「まな板」となじられている。

 服装は主にキレカジ系。ベージュのロングカーディガン、黒のクルーネックニット、デニムパンツのコーデがお気に入りだが、自室ではジャージ(アニメグッズ)やアニメキャラのTシャツと短パンで過ごすというズボラな一面がある。

 

【使用武器】

 バレットM82

 ベレッタM92

 ブローニングM1919(ソルジャードローンに搭載)

 

 空間制圧型戦闘支援システム シェンフィールドver 6.1

 ティナの脳内にあるニューロチップとリンクした3機のマザードローンとマザードローンの人工知能(AI)によって統率される数機~数百機のソルジャードローンで構成された独立武装機動群。原作のシェンフィールドと同様に収集した情報をティナの脳に送信する機能を持ちつつも武装したソルジャードローンによる実行能力も付与されたことで数百体のガストレアを殲滅する火力を誇る。「収集した情報を網膜に投影する拡張現実」「協力関係にある軍隊とのデータリンク」「持ち主とのリンクが切れた際の自己判断プログラム」など、様々な機能が付与されている。

 

 

【ティナ・スプラウトのネタバレ】

 

 

 

【名前】蛭子小比奈(ヒルコ コヒナ)

【性別】女【年齢】16歳

【所属】なし

【概要】

 蓮太郎と行動を共にするIP序列()134位のイニシエーター。

 蓮太郎の宿敵だった蛭子影胤の娘であり、「賢者の盾(影胤の臓器)」を東京エリアから取り戻す名目で蓮太郎のテロ計画に加担する。

 かつては影胤を殺した蓮太郎を仇として追い続けていたが、連戦連敗で蓮太郎を仕留められず、殺すよりも延珠と木更のいない世界で生かした方が蓮太郎にとって苦痛になることに気付き、苦しむ姿を見届ける為に蓮太郎と行動を共にするようになる。

 自身や影胤のことを客観視したり、相手の罠に引っ掛かったフリをして逆に相手を罠に嵌めたり、打算的に物事を考えたりする等、空白の6年間の間に心身ともに成長しており、かつての純粋で戦闘狂じみた性格は鳴りを潜めている。しかし根本的に変わっている訳ではなく、必要とあれば躊躇いなく殺人も行う。

 自身の容姿が優れていることも自覚しており、それを活かして煽情的な態度をとることもある。

 原作と同様に二振りのバラニウム太刀を用いた二刀流が戦闘スタイル。カマキリの因子によって腕の瞬発力が異様に高く、居合斬りに似た初撃必殺の斬撃を誇る。

 

【容姿】

 生来のくせっ毛が目立つウェーブ状の黒髪ショート。身長158cm。

 原作当時の幼さは消え、実年齢以上の妖艶さを醸し出している。

 当初は子供時代に来ていた黒のドレスを改造して着続けていたが、とある経緯でボロボロになったドレスを捨てられ、黒のフード付きパーカーと有り合わせのスキニージーンズに着替えている。

 

【使用武器】

 バラニウム製小太刀×2(原作当時から継続して使用)

 

【蛭子小比奈のネタバレ】

 

 

 

 

【名前】大角勝典(ダイカク マサノリ)

【性別】男【年齢】28歳

【所属】松崎民間警備会社

【概要】

 松崎民間警備会社のプロモーター。IP序列1095位。

 第三次関東会戦を生き延び、その後の蟲雨事件で功績を挙げたベテラン民警。かつては民警企業・葉原ガーディアンズに所属していたが、関東会戦以降はフリーの民警として活動。その後、松崎民間警備会社が設立された際に所属プロモーターとなる(退社する際はひと悶着あったようでかつての同僚に嫌味口を叩かれている)。

 その性格は寡黙かつ真面目。荒くれ者が多い民警には珍しく犯罪歴もない。正義感や欲望ではなく、職務として民警業をこなしており、その実力から他社の民警にも注目されている。

 ガストレアにこれといった恨みがないため、呪われた子供に対する差別思想や偏見がなく、イニシエーターのヌイとは一定の距離を保った父娘のような関係を築いている。

 また壮助とは6年前に知り合っており、当時は鍔三木飛鳥(つばみき あすか)とペアを組んでいた。また、壮助に民警の道を示した張本人でもある。

 筋骨隆々な見た目から腕っぷしだけでのし上がった民警に見えるが、その反面、豊富な知識と技術を持ち、爆弾解除や狙撃を難なくこなす。

 また人脈も幅広く、武器商人、情報屋、警察内部にも及んでおり、壮助も彼の人脈を利用している。とりわけ勾田署の遠藤弘忠警部とは密に情報を交換する間柄にあり、時には互いが互いの悪企みに乗っかっている。

 プロモーターだが、その筋力を活かし前線に出るパワーファイター。蟲雨事件では肉弾戦で次々とガストレアを葬り、その鬼神の如き戦い振りから一躍有名になる。また状況によって武器を使い分ける器用さも持ち合わせている。

 

【容姿】

 身長195cm。筋骨隆々としか形容できない筋肉達磨の男。総髪にした黒髪に無精髭、全身の傷痕がワイルドなマッスル大明神。ほとんどのシーンでサングラスをつけている。

 ダークグリーンのカーゴパンツに黒いTシャツ、その上に軍用ジャケットを羽織っており、ジャケットが上になっても主張を忘れない筋肉の持ち主。壮助曰く「存在そのものが抑止力」

 

【使用武器】

 ・第一章 

 バラニウム製大剣(中古品。井熊将監が使用していたものを修理して使用)

 MP7A1

 SV-98

 

 ・第二章

 クレイジー・メテオライト

 肩から指先までを被うガントレット状の強化外骨格(エクサスケルトン)。ロケットエンジンを搭載しており、「スラスターの推進力でガストレアを殴り殺す」という最高に頭の悪いコンセプトで製作された。リミッターが無く、点火すれば常に最大出力で稼働するため、それを制御出来る筋力の持ち主でなければ扱うことが出来ない。機械化兵士の超バラニウム合金も砕く破壊力を誇り、勝典の場合は大剣を握って剣戟にスラスターの推進力を上乗せしている。

 

 

 

 

 

【名前】飛燕園(ヒエンゾノ)ヌイ

【性別】女【年齢】10歳

【概要】

 大角勝典のイニシエーター。同じくIP序列1095位。

 反発精神旺盛で高飛車な元・お嬢様。荒くれ者が集まる松崎民警会社で自分は一番まともで常識人と思っており、その性格も相まって壮助とはよく口喧嘩をし、勝典に対して上から目線で女心を説いている。その反面、詩乃に対しては「詩乃様」と呼んで憧れの眼差しを向けており、彼女の言葉には従う。

 勝典と一緒に高級マンションに住んでいるが、家事は壊滅的に駄目でよくキッチンを壊している。

 イニシエーターとしては、ハチドリの因子を持ったスピード特化型。フルオートで撃たれたマシンガンの弾丸を全てレイピアで弾き、弾丸に弾丸を当てて逸らすことが出来るほどの驚異的な動体視力と反射神経を持っている。戦闘におけるポテンシャルは「5~6年後には東京エリア最強のイニシエーターになるかもしれない」とティナに評されるほどだが、つい2年前まで喧嘩一つしたことがない少女だったため、肉体的にも精神的にも戦いに慣れておらず、様々な面で粗が見られる。

 

【容姿】

 毛先がウェーブしたセミロングの明るい茶髪と細身な体格の持ち主。身長142cm。

 髪型は特に決めておらずコロコロ変えているが、サイドテールでまとめていることが多い。服については高級志向、戦いでボロボロになると分かっていてもブランド物で着飾っている。反発精神旺盛な性格と相まってキッズギャルのような印象の服が多い。

 

【使用武器】

 高純度バラニウム製レイピア×2

 ワルサーMPL×2

 

【飛燕園ヌイのネタバレ】

 

 

 

【名前】松崎(マツザキ)さん

【性別】男【年齢】60代

【所属】松崎民間警備会社

【概要】

 松崎民間警備会社の社長。問題児の壮助を社長席から見守る昼行燈のような人物。

 かつて東京エリア第39区第3仮設小学校を営んでいたが、爆破テロで生徒を失い、失意と絶望の中で余生を過ごしていた。しかし空白の6年の間に転機が訪れ、かつて天童民間警備会社があったテナントに松崎民間警備会社を立ち上げる。

 松崎民間警備会社の収入の一部を呪われた子供を預かる施設への寄付に使っており、学校爆破テロ以降も彼なりに差別に立ち向かい続けている。

 既婚者だったが、大戦前に妻を病気で亡くし、大戦で娘夫婦と孫を亡くしている。

 

【容姿】

 背中が曲がり、杖を突いた初老の男性。丸眼鏡を着用。

 たるんだ頬肉と穏和な性格が重なって警戒心を抱かせない容貌をしている。

 

 

 

 

【名前】千奈流空子(チナリュウ クウコ)

【性別】女【年齢】26歳

【所属】松崎民間警備会社

【概要】

 松崎民間警備会社の事務員。

 真面目で気が強く、トラブルメーカーな義塔ペアを叱り飛ばす姐御肌な女性。松崎があまり口出ししない性格のためか、彼女が松崎民間警備会社の支配者として君臨している。

 階下のゲイバーの店長とは知り合いで、よく“やらかす”壮助をゲイバーのアルバイトに放り込んでいる。また階下のキャバクラでも働いており、副業としてキャバ嬢の一面を持つ。

 腐女子としての一面を持ち、乙ゲーや女性向けのソシャゲを嗜み、コミケにも参加している。(見た目だけは良い)壮助に露出度の高いコスプレをさせている。

 かつては中学校の教師だったが、その際に壮助と会っており、彼の生活指導役を担っていたらしい。現在は何かしらの事情で教師を辞めている。

 

【容姿】

 グラマラスな肢体を灰色のレディーススーツに押し込めた美人。身長168cm。

 毛先にパーマがかかった栗色の髪の持ち主で肩にかかるぐらいまで伸ばしている。

 銃を持った民警を叱り飛ばす気の強さとストレスを溜め込みがちな性格のせいでいつも眉間にしわが寄っている。

 

 

 

 

【名前】片桐玉樹(カタギリ タマキ)

【性別】男【年齢】29歳

【所属】片桐民間警備会社

【概要】

 東京エリア民警の現トップランカー。IP序列451位。

 第三次関東会戦を生き残った民警の一人で蓮太郎のアジュバントに入っていた関係から、関東会戦以降も何かと蓮太郎たちとは縁がある。

 物事は深く考えない陽気で似非アメリカンな性格は変わっていないが、蓮太郎と木更の話を出すと心の琴線に触れてしまい、取材に来た記者を殴り飛ばすほど怒りを露わにする。

 かつて天童木更に一目惚れし、彼女を「姐さん」と呼んで慕っていたが、蓮太郎と木更の関係、木更の中にある天童家への憎悪と闇を知り、「自分にはどうにも出来ないが蓮太郎になら木更を救える」と信じて静かに身を引く。その為、正義の名の下に木更を殺した蓮太郎のことを憎んでおり、テロリストとして彼が姿を現した際は誰よりも蓮太郎を倒すことに執念を燃やす(玉樹も当時の木更のことを「人としての道を踏み外していた」と評しており、蓮太郎がそうするしかなかった事情も理解はしている)。

 原作と同様、黒膂石回転刃拳鍔(バラニウムチェーンソーナックルダスター)を用いたボクシングスタイル。単独での戦闘能力は普通の人間のプロモーター随一だが、弓月が捕縛した敵に止めを刺したり、逆に敵を弓月の罠に誘導したりする等、イニシエーターとの連携も駆使した戦いも魅せる。

 また、移動手段としてハーレーダビッドソンを持っている(原作以降に購入)。

 

【容姿】

 くすんだ金髪にピアス、亜麻色のサングラスをかけたバイカー然とした男。サングラスを外すとタレ目の優男だが、荒くれ者ばかりの民警業界で舐められないようにあまり人前では外さないようにしている。

 身長188cm。近接戦闘を得意とするプロモーターらしく筋肉質な体格をしており、戦闘スタイルの関係上、とりわけ上半身が鍛えられた逆三角体型。

 服装については原作とさほど変わらず。(黒のカーゴパンツ、フィールドジャケット、コンバットブーツ、ハーフフィンガーグローブ)

 

【使用武器】

 黒膂石回転刃拳鍔(バラニウムチェーンソーナックルダスター)

 マテバモデル6ウニカ

 

 

 

 

【名前】片桐弓月(カタギリ ユヅキ)

【性別】女【年齢】16歳

【所属】片桐民間警備会社

【概要】

 片桐玉樹の妹であり、クモの因子を持つイニシエーター。IP序列451位。

 第三次関東会戦の生き残った民警の一人。反抗心とスレた性格は相変わらずだが心身ともに大きく成長し、大人としての落ち着きも持つようになる。

 延珠と木更が死亡し、蓮太郎がテロリストになった件に関しては「原因は私達とは無関係なところにあるし、私達じゃどうにも出来なかった」と諦観しているが、根の部分では蓮太郎のことを気にかけている。一時期、連絡が途絶えていたもののティナのことは親友と思っており、彼女が東京エリアに戻ってからはよく一緒に遊んでいる。

 女子高生、イニシエーター、読者モデルを兼業中。SNSも積極的に利用しており、Twitter、Facebook、Instagramなど、SNSの各アカウントは芸能人並みのフォロワーがいる。SNS上で自身が呪われた子供であることを告白し、一時期は東京エリアで一番有名な呪われた子供としてテレビにもよく出ていたが、芸能関係者の横柄な態度が原因で今は一切の取材をお断りしている(番組関係者を縛って真冬の川に突き落としたらしい)。 

 クモの糸を使った捕縛、絞め技、ワイヤートラップ、糸を足場にした三次元戦闘など、多彩な戦闘スタイルを持つ。相手を騙したり、自分や玉樹を囮にしたりして罠にかける頭脳プレーも得意としており、戦いのテクニックはベテランの名に恥じない。 格闘戦でも高い瞬発力と玉樹に仕込まれたキックボクシングを駆使し、糸が無くても大抵のイニシエーターには負けない実力を誇る。短時間で糸を出し過ぎるとタンパク質欠乏症になり、昏倒するという弱点がある。

 

【容姿】

 波のようにうねるセミロングの似非金髪が目立つギャル。身長165cm。

 原作イニシエーター組の中で随一のグラマラスボディの持ち主。

 黒エナメル調のパンクファッションやスレイブチョーカー装着は原作当時から変わっていないが、ギャル系やロック系、バイカー系など服装と髪型のレパートリーが豊富。

 胸が大きくて服のボタンがすぐに外れるのが最近の悩み。

 

【使用武器】

 ・アーマーリング(右手中指に装着)

 ・グロック26(左利き用)

 ・その他(ワイヤートラップ用にプラスチック爆弾、クレイモア指向性対人地雷などを保有)

 

 

 

【名前】室戸菫(ムロト スミレ)

【性別】女【年齢】年齢不詳

【所属】勾田大学・勾田大学病院

【概要】

 四賢人の一人、日本最高の頭脳と称される女性。勾田大学の法医学教室室長 兼 名誉教授。

 6年前から変わらず部屋に引き篭もっている厭世の天才だが、校舎の改築で地下室を解体されてしまい、今は勾田大学病院旧病棟の4階全体を自分の部屋に改造して引き篭もっている。

 蓮太郎が去ってからは買い物係がいなくなった為、部屋の外に出る機会が多くなった。製薬会社と共同で新型抑制剤を開発、他大学との共同研究、聖居の有識者会議への出席など、呼ばれれば行く程度には社交的になったが、言動は6年前から一切変わっておらず、周囲は彼女の扱いに困っている。

 義搭壮助の命を救い、機械化兵士の力を与えた恩人だが、「死体の胃から出て来たドーナツだったもの」を食べさせたことから彼には「ゾンビドーナツババア」と呼ばれている。

 

【容姿】

 不健康なほど青白い肌、伸び放題の髪とその隙間からクマの深い目元が見える女性。

 よくよく見れば美人だが、不健康さが尋常ではなく美人要素を塗りつぶしている。

(原作からほとんど変わっていない)

 

 

 

 

【名前】聖天子(セイテンシ)(本名不明)

【性別】女【年齢】22歳

【所属】東京エリア・聖居

【概要】

 東京エリアの国家元首。

 人と呪われた子供が手を取り合う未来を夢見ており、その理想は6年前と変わっていない。しかし、天童家が滅亡し政界の闇も背負ったことで理想の為なら手段は選ばない強硬で狡猾な一面も持つようになる。東京エリアトップランカーとなった片桐兄妹には極秘の依頼(玉樹曰く「クソッタレな仕事」)を出すことがあり、実質2人を手駒にしている。

 6年前の自分のことは「ただ夢を見ていただけの少女。理想主義者ですらない」と厳しく評しており、蓮太郎に抱いていた異性としての恋慕も半分捨てている。

 菊之丞の死後も新たな補佐官と共に政策を進めており、自身も政治的なアプローチでテロリストの目的を阻止するなど、手段を選ばなくなったこともあり、政治家としての手腕は6年前から更に成長している。その一方で第三次関東会戦による不況やガストレア新法に対する国民の不満、聖居情報調査室や聖室護衛隊の権力の拡大、自衛隊法より民警関係の法整備を優先する姿勢などで支持率は低迷しており、何度か暗殺されかけている。

 

【容姿】

 ショートカットの銀髪と白磁のような肌を持つ清廉と高潔の象徴のような女性。身長162cm。白ベースのフォーマルスーツを着用することが多く、政治家として黒くなった自分に着る権利は無いという意志から、原作の白いドレスにはここ数年、袖を通していない。

 

 

 

 

【名前】司馬未織(シバ ミオリ)

【性別】女【年齢】23歳

【概要】

 司馬重工会長の娘にして、司馬重工第三技術開発局の局長。

 一見するとはんなり京都美人だがその奥では防衛省や聖居に権力の手を伸ばし、東京エリアの軍需産業を握ろうとする野心家。

 蓮太郎が行方不明になった後、彼に対する想いを捨てて司馬重工会長の孫娘としての出世街道を歩み、23歳にして今の地位を手に入れる。しかし、蓮太郎に関する情報を言い渡された時には涙を流す等、蓮太郎に対する想いを完全に断ち切れてはいない。

 プライベートでは京都弁で話すが、公の場所や敬語を使う時は標準語で話す。

 司馬流古武術の使い手であり、武装した呪われた子供が相手でも多少の抵抗は出来る。武器の鉄扇を手放さず、袖の中に拳銃を隠し持つなど、セルフディフェンスには抜け目がない。

 

【容姿】

 にこやかな笑顔を浮かべる京美人。髪はまとめておらず、艶やかな黒髪がウェーブしながら肩にかかっている。基本的には和装だが、墨色や臙脂色など暗めの色が多く、原作のような華やかな色合いのものは着ていない。TPO次第ではフォーマルスーツを着ることもある。

 

【司馬未織のネタバレ】

 

 

 

 

【名前】壬生朝霞(ミブ アサカ)

【性別】女【年齢】16歳

【所属】我堂民間警備会社

【概要】

 我堂民間警備会社所属イニシエーター。IP序列479位(東京エリアで2番目に高い)。

 第三次関東会戦を生き残った民警の一人。現在は長正の弟、現社長である我堂善宗のイニシエーターを務めている。

 実年齢以上に大人びて落ち着いた雰囲気を持ち奥ゆかしい人間だが、その一方で激情家としての一面も持ち併せている。長政や彼を慕った古株たちのことを侮辱されると怒りを露わにし、決闘と称して相手を滅多打ちにする。また早とちりする傾向にあり、誤解したまま一人で突っ走ることも多い。

 現在はイニシエーターを続けつつも、赤目であることを明かして高校に通っている。授業への理解や生活態度は非常に良いものの、テストになると度重なる不幸や凡ミスのせいで努力が結果に繋がらない。

 我堂民間警備会社では善宗の指名で社長秘書に就かされているが、仕事をサボって行方不明になる彼の捜索・拘束・説教が主な業務内容となっており、自由奔放な彼に振り回され、胃痛が治まらない日々を過ごしている。

 片桐兄妹との交友関係は今も続いており、世俗に疎い彼女は弓月から現代の流行やトレンドを教えて貰っている。

 イニシエーターとしては近接戦闘特化型。長正の遺品である双刀を巧みに操って敵を斬り伏せ、刀で斬れない相手にはカブトムシの因子から生まれる圧倒的なパワーでねじ伏せる。格闘戦では無類の強さを誇り、スピードも並のイニシエーターを遥かに超えている。

 赤目の力を解放した際の斬撃は風圧で十数メートル離れた対象を切断する威力を誇り、高まった剣戟のスピードも人間の動体視力では刃を見ることすら難しくなる。

 

【容姿】

 腰まで届く濡烏の黒髪を髪ゴムで束ねている大和撫子。人形のように静かで整った顔立ちを持つ。身長166cm。

 戦いの場では装飾の入った藍色の袴と黒色の上衣(剣道着みたいなもの)を着ており、プライベートでも和服でいることが多い。(一応、普通の洋服も少しは持っている模様)

 和服のせいで分かり辛いが巨乳安産型。現在も成長中。

 

【使用武器】

 双刀――柄の両端に刀身が付いた特殊な日本刀。前プロモーター我堂長政の形見。

 

 

 

 

【名前】我堂善宗(がどうよしむね)

【性別】男【年齢】58歳

【所属】我堂民間警備会社

【概要】

 我堂民間警備会社の社長にして壬生朝霞のプロモーター。IP序列479位。

 朝霞の前プロモーター・我堂長正の弟。金と酒と女が大好きなダメ人間。朝霞曰く「夜の街を遊び歩く傾奇者」

 第三次関東会戦以前まで美術商をしていたが、長正の死後にイニシエーターとして朝霞を引き取り、我堂民間警備会社を買い取った。少数精鋭主義だった会社を東京エリア最大最強の民警会社に押し上げた傑物。

 飄々として掴みどころがなく、周囲は彼の我儘や無茶振りに振り回されている。そのため、一本気な人間が多い我堂家では「兄と甥の葬儀に出席拒否されるレベル」で嫌われている。

「正義や善意のためにリスクを負うのは余裕のある人間の特権」という考えを持ち、利益を度外視して呪われた子供の地位向上に働きかけており、その為なら流血を伴う革命も厭わないという考えを持っている。――が、どこまで本気なのかは分からない。

 民警という職業に対しても「少女に武器を持たせて怪物と戦わせる世界で最も非人道的な職業、さっさと滅ぶべき」と語っている。

 美術品・骨董品の収集が趣味で社長室は彼が集めた物品で溢れかえっている。

【容姿】

 長い黒髪をゴムで束ね、無精ひげを生やしたタレ目のおじさん。身長188cm。手足は長細く体格は幽霊のようだが、対照的に目はキラキラと輝いている。

 服装は我堂の社長とは思えないほどだらしなく、スーツは着崩し、ネクタイは締めずに首にかけ、足はいつもサンダルを履いている。アロハシャツやハイセンス過ぎる服装で仕事をすることもある。

(朝霞が小一時間説教した後)場を弁えてちゃんとスーツを着ることもあるが、その姿を見るのはかなりレアらしい。

【使用武器】

 ???

 

 

 

 

【名前】小星常弘(コボシ ツネヒロ)

【性別】男【年齢】19歳

【所属】我堂民間警備会社

【概要】

 我堂民間警備会社に勤めるプロモーター。IP序列60007位。

 誰にでも優しく人当たりの良い好青年。荒事稼業の民警として実力はまずまずだが、その人当たりの良さから評判が良く、依頼のリピーター率が高い。色んなところで意図せず女性とのフラグを立ててしまうラノベ主人公体質を持っているが自覚が無い。

 13歳の時に借金の形として父親に売られ、バラニウム鉱山で強制的に働かされた過去を持つ。その際、後のイニシエーターとなる朱理と出会い、彼女と一緒に鉱山から逃げ出したところを蓮太郎に救われ、彼に憧れて民警になる(原作2巻冒頭)。

 我堂流の門下生ということもあって武術の心得はあり、並のプロモーター以上には強いが、優柔不断な性格が我堂流に合わず、武道家としては半人前扱いされている。

 プロレーサー顔負けのドライビングテクニックを持っており、その腕を見込まれて我堂社長からコレクションの車を与えられ、彼が移動する際には運転手として重宝されている。(周囲には“社長付き運転手”と揶揄されている)

 

【容姿】

 黒髪マッシュヘアの下にアイドル顔負けのキラキライケメンフェイスを持った青年。身長181cm。一見すると細身の体格だがスポーツ選手並みの筋肉の持ち主。

 半袖ワイシャツとスラックス、革靴を履いたオフィス街のサラリーマン然とした格好をしている。私服も無難なカジュアル系が多い。

 

【使用武器】

 ・SIGSAUER P226

 ・SIG SG550

 ・日本刀(我堂PGSより支給)

 

 

 

 

 

【名前】那沢朱理(ナザワ シュリ)

【性別】女【年齢】16歳

【所属】我堂民間警備会社

【概要】

 我堂民間警備会社に勤める民警。モデル●●●●●のイニシエーター。

 小星常弘のイニシエーター兼恋人。普段は常華学園に通う大人しい高校生だが、プライベートや民警として活動する際は活発で気の強い性格が面に出る。またヤキモチを妬きやすく、常弘に近付く別の女性を威嚇し、男同士でやけに仲が良い壮助と小学生レベルの喧嘩を繰り広げる。

 常弘との関係も良好だが、誘惑しても手を出してこない彼にはやきもきしている。

 かつて常弘と共にバラニウム鉱山の強制労働から逃げ出し、蓮太郎に救われた過去を持つ(原作2巻冒頭)。

 バラニウム小刀を逆手に持ち、蝶のように舞い、蜂の様に刺すヒット&アウェイ戦法を得意とする女子高生ニンジャガール。侵食率が異様に低く上がりにくい体質のため、ガストレアウィルスの恩恵もあまり受けていない。そのため、身体能力も治癒力も呪われた子供としては低く、生傷が絶えない。

 

【容姿】

 肩甲骨まで伸びた赤髪のポニーテール。身長160cm。

 全体的にバランス良く肉がついた女性らしい体格。胸はそこそこある。太腿がむっちりとしているのが悩み。

 私服はカジュアル系かつ動きやすい物が好み。

 白いシャツブラウスとデニムパンツ、サマーシューズのコーデを気に入っている。

 

【使用武器】

 SIGSAUER P250

 バラニウム製小太刀×2

 

 

 

 

【名前】遠藤弘忠(エンドウ ヒロタダ)

【性別】男【年齢】45歳

【所属】勾田警察署

【概要】

 勾田署の刑事で階級は警部。

 事件の迷宮入りを何よりも嫌い、解決のためなら命令違反も警察界隈全体でいがみ合っている民警を使うことも辞さないスタンドプレーヤー。ガストレア爆殺事件と芹沢遊馬の偽物殺人事件を担当し、その二つに繋がる蓮太郎を追うようになる。

 蓮太郎と縁のあった元警部の多田島茂徳とは知り合いで「多田島さん」と呼んでいる。

 大角勝典とは警察の内部情報を流す代わりに警察では動けない分野で動いてもらうギブアンドテイクな関係を構築している。

 所帯持ちで詩乃と同じくらいの年齢の娘がいる。

 

【容姿】

 白髪交じりの頭髪と鋭い眼光を持つ肥満体型の男性。身長168cm。

 古くなったトレンチコートを好んで着ている。実年齢以上に見た目が老けているが本人はあまり気にしていない。

 

 

 

 

 

【名前】三途麗香(サンズ レイカ)

【性別】女【年齢】年齢不詳(菫と同年齢)

【所属】武器商人

【概要】

 廃品回収(ロストコレクター)の異名を持つ武器商人。

 ハイエナのように死んだ民警の武器を収集して整備し、中古品として売りさばいている。購入者に前の持ち主が歩んだ運命を延々と語ることを趣味としており、その際に独特の生死観が垣間見える。その趣味の関係か情報屋としての側面も持っており、酒飲み仲間の元在日米軍兵士から機密情報を聞き出している。

 蓮太郎が手放したスプリングフィールドXDも彼女の商品として並んでいるが法外な値段がついており、買い手がつかない。

「室戸菫の友人」を自負しており、彼女とは学生時代からの交友があるが、菫からは馬鹿呼ばわりされ冷たくあしらわれている。しかし重要な調査を任せられるなど、彼女から一定の信頼は得ている模様。

 

【容姿】

 擦れた目でキセルを加える見た目30代の女性。豊満なスタイルを強調する黒のタンクトップに迷彩柄のカーゴパンツ、そして軍用ブーツ、キセルの煙のせいで傷んだセミロングの髪も相まって、戦場帰りの雰囲気を醸し出す。

 

 

 

 

【名前】芹沢遊馬(セリザワ ユウマ)

【性別】男【年齢】36歳

【所属】博多黒膂石重工

【概要】

 蓮太郎のテロ計画に加担する“組織”の人間。

 蓮太郎と小比奈には友人のように飄々とした態度で接するが、2人のことをテロの道具として扱う発言もあり、いまいち掴みどころが見えない。情報収集や物資の提供、障害となる人物の足止めなど、その役割は多岐に渡る。

 その正体は博多エリア軍需産業の重鎮・博多黒膂石重工の最高経営責任者。テロで東京エリアの恐怖を煽り、自社の「次世代バラニウム兵器」の販売を推し進めることを目的としている。また五翔会と敵対しており、蓮太郎を使うことで東京エリアに残っている五翔会残党の炙り出しも画策している。

 司馬重工との兵器共同開発の打ち合わせで何度も未織と会っており、彼女には自分が蓮太郎のテロ計画に加担していることを明かしている。同時に自分に協力すれば蓮太郎や次世代バラニウム兵器に関する情報を特別に開示すると告げており、腹の底が見えない。

 

【容姿】

 180近い引き締まった体格をクリーム色のイタリア製高級スーツで包んだ男性。

 精悍な顔つきを中折れ帽で半分ほど隠し、往年の映画俳優のような雰囲気を醸し出している。

 

 

 

 

【名前】相沢舞(アイザワ マイ)

【性別】女【年齢】16歳

【所属】勾田高校

【概要】

 かつて延珠の親友だった少女。柔らかな雰囲気を持った癒し系。

 6年前に延珠が追い出された事件で彼女を助けなかったことを後悔しており、その後ろめたさから呪われた子供に関わるボランティアに参加している。

 学校では虐められていたが、壮助が虐めの主犯格を脅したことで助けられる。しかし、その影響で彼女の学園生活は大きく変貌してしまう。

※苗字は本作のオリジナル。

 

【容姿】

 花のようなシュシュで髪を束ねたルーズサイドテールの少女。髪と同じように顔つきや仕草もふんわりとしている。紺色のブレザーと深緑のリボンが特徴の高校の制服に身を包んでいるが、私服は森ガール的なゆるふわ系。

 

 

 

 

【名前】日向鈴音(ヒナタ スズネ)

【性別】女【年齢】16歳

【職業】歌手(ピジョンローズ・ミュージック所属)、瑛海女子高等学校1年生

【概要】

 東京エリアで知らない者はいない新進気鋭の人気歌手「鈴之音」。天使の歌声と称されるソプラノボイスと聴衆を落ち着かせるヒーリングミュージックが特徴。

 泣いたり怒ったりしたことが無い極端なまでに穏和な性格で欲が無さ過ぎる故に友人には「妖精か仙人の類」と言われている。しかし、おっとりとした雰囲気とは裏腹に修羅場における咄嗟の機転や判断力に優れており、武装した呪われた子供が相手でも物怖じしない度胸を持っている。

 部屋にあまり物を置かなかったり(壮助曰く「監獄」)、好きな食べ物に缶詰めを挙げたりするなど、変わった一面を持つ。また人の顔を触る癖があり、隙があれば壮助の傷をなぞったり、詩乃の顔を粘土のようにこねくり回したりしている。

 病弱な体質で12歳まで学校に通えず、その上、目の病気で治療を受けるまで盲目の生活をしていた。その生い立ちのせいか勉強を苦手としており、夏休みの宿題もギリギリまで手を付けない。

 自身が主題歌を務める映画の試写会に出席した際、過激なファンにナイフで襲われ、そのショックで歌手を休業する。その後、ストーカー被害にも遭うが、動画共有サイトで見たガストレア相手に戦う壮助を見て一目惚れ(?)し、彼に護衛を依頼する。

 

【容姿】

 サラサラと肩まで流れるアッシュグレーの髪と仮面のように貼り付いたはにかむ笑顔が特徴の美少女。身長160cm。フェミニンな雰囲気を持ち、シフォンなどの薄くて柔らかい生地を使用したサマードレスなど、いかにも女性らしい服装を好む。胸は控えめ。

 

【日向鈴音のネタバレ】

 

 

 

 

【名前】日向美樹(ヒナタ ミキ)

【性別】女【年齢】15歳

【所属】瑛海女子中学3年生

【概要】

 鈴音の妹。明るく活発でノリが良く、社交的で老若男女問わず好かれる人物。

 姉とは対照的にヤンチャかつズボラで、後述の容姿も合わせて周囲からはよく「男の子みたい」と言われている。クラスの女子からは「銀髪イケメン王子」と黄色い声援を送られている。

 姉と同じく勉強は苦手。

 元陸上部所属で女子陸上大会の最高峰“聖天子杯”3位の成績を持つアスリート中学生だったが、現在はとある理由で陸上を辞めており、休日は専らゲームをやっている。その影響か銃器や民警に興味がある。

 

【容姿】

 鈴音と同じくアッシュグレーの髪色を持つ。ショートウルフカットにしており、鈴音とは対照的にボーイッシュな雰囲気を持つ。身長は168cm。胸は姉より大きい。

 服装も多様でカジュアル系、ロック系、スポーツ系と豊富。

 

【日向美樹のネタバレ】

 

 

 

 

【名前】日向恵美子(ヒナタ エミコ)

【性別】女【年齢】61歳

【概要】

 日向姉妹の母。昼のワイドショーと井戸端会議が大好きなごく普通の専業主婦。

 かつては舞台のお笑い女優として活躍していた。

 鈴音の護衛として家に来た壮助のことは「義塔ちゃん」と呼んでおり、可愛がっている。

 市販の調味料を混ぜ合わせた「秘伝・日向家特製鍋」の伝道者であり、鈴音や壮助に鍋の作り方を伝授している。

 

【容姿】

 横に広い胴体と太く短い手足、笑みを浮かべる愛嬌のある丸顔が特徴のおばあちゃん。年齢の割に背筋はしっかりとしている。

 中途半端に白髪があるのをみっともないと思い、娘達に合わせてアッシュグレーに染めている。

 

 

 

 

【名前】日向勇志(ヒナタ ユウシ)

【性別】男【年齢】66歳

【所属】瑛海大学

【概要】

 日向姉妹の父。瑛海大学理学部生物学科の名誉教授。

 瑛海大学ではガストレアウィルス研究の第一人者として一目置かれており、「ガストレアウィルス受容体の発見と機能の解明」で聖居特別栄誉賞を受賞している。室戸菫とも面識があり、彼女のことは「勾田大学の変人」と呼んでいるが、鈴音の治療に必要なデータを提供して貰ったり、共同研究を行ったりと関係は良好。

 真面目で堅物な人物だが、酒を飲むと饒舌になりゆるい性格になる。

 家族想いで妻・恵美子や娘達のことになると冷静さを欠く。

 中学生の頃、近所のお兄さんに教えてもらった天上天下無双流・唯我独尊曼荼羅斬という必殺技を持っているらしい(真偽は不明)。

 詩乃の頭脳を高く評価しており、瑛海大学を受験させて自分の研究室に引き入れたいと考えている。

 

【容姿】

 短る刈り揃えられた白髪の頭、皺の多い面長な顔の持ち主。眼鏡を掛けており、見た目からして堅物な雰囲気を持つ。休日はポロシャツとチノパンというラフな格好で過ごしている。

 

 

 

 

【名前】星宮華麗(ホシミヤ カレイ)

【性別】女【年齢】26歳

【所属】ピジョンローズ・ミュージック

【概要】

 人気アーティスト“鈴之音”の専属マネージャー。

 路上演奏する鈴音を見つけて芸能界にスカウトした張本人でもあり、鈴音のことはいちアーティスト以上に大切に想っている。また日向一家とも家族ぐるみの付き合いがある。

 普段は面倒見のいいお姉さんだが、素の性格は子供っぽく親友の空子の前だとそれをさらけ出している。重度の腐女子であり、ナマモノ(実在の人物を題材にしたBL)にも躊躇いがない。

 松崎PGSの空子とは幼馴染で16年前の避難民キャンプ時代から付き合いがあり、新宿キャンプのメンコマスター四天王“青龍”として君臨していた。

 

【容姿】

 おかっぱ頭に太い黒縁眼鏡という地味な印象の女性。カバンや小物はキャリアウーマン然としているが、小さな体躯と童顔のせいで未成年と間違われる。

 会う人全員に「名前は派手なのに本人が地味」と思われている。

 

 

 

 

【名前】死龍(スーロン)

【性別】女【年齢】??歳(推定13~14歳)

【所属】スカーフェイス

【概要】

 神出鬼没の赤目ギャング「スカーフェイス」のリーダー。

 旧・横浜市を拠点にしていた中国人犯罪者グループを壊滅させた際、構成員が死に際に彼女のことを「死龍(スーロン)」と言ったことでその二つ名が広まった。(スカーフェイスの内部でも彼女は「死龍」と呼ばれている)

 淡々とした口調で話し、感情は表に出さないが、スカーフェイスのメンバーからは絶大な信頼と同時に強さ故の畏怖を抱かれている。

 呪われた子供の高い身体能力と散弾銃を用いた近接戦闘を得意としており、その実力はIP序列に換算すれば500位相当と言われている。更にモデル・スコーピオンとしての能力と機械化兵士としての能力を隠しており、体内で生成した神経毒を塗布した針をバラニウムの尾から射出することで相手を死に至らせることが出来る。

 現在、東京エリアで頻発する呪われた子供の失踪事件への関与が疑われており、我堂民間警備会社に追われている。

【容姿】

 脹脛まで届く黒茶色のマントで全身を覆い、立てた襟と目深なフードで顔を隠している。かなり小柄な体格で身長148cm。瞼の上に傷を模した刺青がある。

【使用武器】

 ・ベネリM3ショートモデル

 ・バラニウム製ナイフ

 

 ・脊椎直結型黒膂石拡張義腕

 死龍の最大の武器であり、「尾」または「第三の腕」として機能するバラニウム兵器。全長5m、太さ30cmの大きさを誇り、生物の尾のように自由自在に動かすことが出来る。普段は光学迷彩で隠しており、“不可視の攻撃”として使う。先端には小型の電磁加速砲(レールガン)を搭載しており、毒を塗布した針の射出に使用している(通常の弾丸も使用可能)

 また、壁を掴んだり、動いて重心を移動させたりすることで死龍の動きを補助している。

 

【死龍のネタバレ】

 

 

 

 

【名前】エール

【性別】女【年齢】16歳

【所属】灰色の盾

【概要】

 西外周区に拠点を持つ赤目ギャング「灰色の盾」リーダー。

 組織の長としてのカリスマと人望を持ち、単独の戦闘でも「西外周区最優の闘争代行人(フィクサー)」と呼ばれるほどの実力を持つ。死龍とは因縁のライバル。

 面倒見のいい姐御肌な性格で男勝りな口調で話す。裏社会の人間としては珍しく真っ直ぐな人間で、妹分のことは例えチームから離れた者でも決して見捨てない。

 外周区生まれ外周区育ちの生粋のストリートチルドレン。親のことも一切覚えておらず、エールと言う名前も自分を拾ったホームレスから与えられた。自分の保有因子も知らない。

 鍛え上げた己の肉体、咄嗟の機転、卓越したバトルセンスで機械化兵士とも渡り合い、とりわけ長身とバラニウム短槍を活かした格闘戦を得意とする。

 バケモノ級の馬力を誇る大型バイクを愛用しており、それでツーリングするのが趣味。

 

【容姿】

 外国交じりのはっきりした目鼻立ちとアジア人らしい可愛げを両立させた女性。生来の黒髪ロングにダークパープルのグラデーションを施している。

 180cm越えの長身でスポーツ選手のような筋肉質な体格だが、同時にライダージャケットのジッパーが閉まらない程の巨乳とジーンズがはち切れそうな尻の持ち主。

 左肩にトライバルタトゥーがある。

【使用武器】

 バラニウム短槍

 H&KMP5

 9mm拳銃

 

【エールのネタバレ】

 

 

 

 

【名前】ジェリーフィッシュ

【性別】???【年齢】???

【所属】五翔会残党

【概要】

 五翔会残党が保有する超大型の機械化兵士。

 空飛ぶモノリスと形容される巨体に大出力のジェネレーターを搭載しており、光学迷彩による隠密行動、EP加速砲による絶大な破壊力、武装ドローンによる飽和攻撃、小型ドローンによるハッキング等、数多くの性能を有する。また斥力フィールドを装備しており、攻撃・防御・飛行制御に利用している。

 人格洗浄処理により記憶を破壊され、五翔会残党の駒として利用されているが、処理が不十分なのか以前の人格と記憶が中途半端に残っており、呪われた子供への強い差別意識と無闇に人をいたぶる嗜虐的な思考を持っている。またティナと蓮太郎に異様なまでの恨みを持っており、本人を前にすると我を忘れて暴走する。

 2度目の人格洗浄で認識能力も破綻し敵味方の区別がつかなくなった上、黒い髪の青年は全て蓮太郎に見え、美樹のこともある人物と誤認する。

【容姿】

 全長20mの空飛ぶモノリス。超バラニウム合金装甲で全身を覆っている。胴体と両翼のメインローターと斥力フィールドの応用で通常の航空機では不可能な飛行・浮遊を可能としている。

 機体正面には複数のカメラアイがあり、側面には8本の接地・歩行用のアームを持つ。

【使用武器】

 エキピロティック・アクセラレーター(通称:EP加速砲)

 第三次関東会戦でアルデバランに使用されたEP爆弾の発展型。500ポンド爆弾20倍に匹敵する成形炸薬を砲身内部で爆縮させて、その熱と圧力を線形に制御して撃ち出す兵器。

 司馬重工から強奪した兵器でありジェリーフィッシュの仕様外の装備のため、その重量や搭載による重心の変化で飛行能力低下を招いている。

 

 ・蜘蛛型ドローン

 ジェリーフィッシュの内部に数百機ほど格納されている小型ドローン。物理的な接続によるコンピュータの乗っ取り、ネットワークへ不正侵入など、クラッキングを得意としているが、機体前面には小型のブレードも持っており、複数で人間を襲うことで殺傷する機能も持ち併せている。

 

 ・戦闘機型ドローン

 通常の軍隊で使用されている無人機。ジェリーフィッシュの内部に3機格納されており、ヘルファイアミサイルやハイドラロケット弾を搭載している。機械化兵士計画とは無関係の企業が開発した装備のため、本体との情報同機や連携がうまくいっていない。

 

【ジェリーフィッシュのネタバレ】

 

 

 

【名前】グウェン・チ・リエン

【性別】女【年齢】16歳

【所属】指定暴力団「鷲頭組」・下部組織「ガーデン」

【概要】

 指定暴力団「鷲頭組」の本部長にして、売春組織「ガーデン」のボス。

 ベトナム・ハノイエリア出身。鷲頭組の性風俗業者に買われた少女の一人だったが、会社を乗っ取り、たった4年で売春婦から組の本部長に成り上がった。性風俗の経営、マッチングアプリの運営、ナイトクラブ経営、フロント企業の創設と芸能界への進出など、様々な事業に手を広げている。

 エール曰く「赤目に身体を売らせて、金儲けしているクソ女」とのことだが、従業員への給与や福利厚生は完備しており、性奴隷として搾取されるだけだった数多くの呪われた子供を売春婦という対価を得られる立場へと救い上げている。

 上品で器量の良い性格、自身の美貌と妖艶な雰囲気を自覚しており、煽情的なしぐさで異性を誘うような態度を取ることもある。がさつで男勝りなエールとは犬猿の仲。

 また珍しい植物の収集と栽培を趣味としており、屋敷のすぐ隣にある大戦前の植物園を改築し、自身の趣味の空間として利用している。

【容姿】

 アジアンビューティという言葉がお似合いの美女。

 器量の良い白い顔と薄茶色の瞳、艶のある亜麻色の髪が肩まで伸びている。ベトナムの民族衣装・アオザイを着ており、16歳とは思えない大人びたボディラインの持ち主。

 

【グウェン・チ・リエンのネタバレ】

 

 

 

 

【名前】オッティーリア・サーリッシュ

【性別】女【年齢】??歳

【役職】北米エリア民警産業複合体“サーリッシュ”グループ会長

【概要】

 ティナのプロモーター。ガストレア大戦期に混乱するアメリカ社会を駆け抜け、小さな鉱石採掘会社だったサーリッシュをアメリカ第三位の巨大民警産業複合体に押し上げた“女傑”。

 グループ総出でティナのバックアップを行い、シェンフィールドをアップグレードし続け、数千体のガストレアを殲滅する独立武装機動群に変貌させた張本人。

 ティナ曰く「お金持ちで、社会的地位もあり、目上の方にもキチンと敬語を使い、明朗快活で友人も多く、数万円もする可愛い服の代金もポンと出して、クレーンゲームのぬいぐるみで誤魔化さない人」という蓮太郎と真逆のタイプの人間らしい。

 

【容姿】

 不明(本編未登場のため)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は各キャラクターのネタバレを記載しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【義搭壮助のネタバレ】

 

 その正体は蛭子影胤の息子。小比奈の異母兄。呪われた子供を生み出す実験において、普通の人間として産まれた失敗作であり、影胤に廃棄処分されたが実験施設に突入した自衛隊に保護される。その後、聖居情報調査室の調査員だった義塔夫妻に引き取られ普通の少年として過ごす。影胤には死亡したと思われており、小比奈も彼の存在は知らず、第一章で聖天子に告げられるまで壮助自身も知らなかった。聖天子、壮助、詩乃と一部の自衛官しかその事実を知らない。

 

 

 

 

 

【森高詩乃のネタバレ】

 壮助とペアを組む前は別のエリアで民警をやっていたと語っていたが、それは嘘であり、かつては欧州連合軍統合作戦司令部直轄特殊外人歩兵連隊(リージョン・イトランジェ)赤い瞳(イレーヴ・ルージュ)」に所属し、対ガストレア暴喰機動兵器「白鯨(モビー・ディック)」のコードネームで呼ばれていたことが判明する。また菫の調べで肉体の維持に必要なエネルギーの供給が消費に釣り合っておらず、治療を施さなければ1年以内に衰弱死することを宣告される。また、小比奈とも何かしらの関係があるようで彼女のことを「姉さん」と呼んでいる。

 

 

 

 

 

【里見蓮太郎のネタバレ】

 第一章の事件(里見事件)後、テロの協力者に関する情報提供の対価として壮助を拘置所に呼び出す。自分のテロが「誰かを正義の味方に仕立て上げ、自分を討たせる」茶番劇であったことを語り、壮助に自分の正義を託そうとしたが彼に拒否される。逆に叱責されたことが切っ掛けとなり、自分はまだ戦う運命にあると悟る。

 ティナの調べ(CIA経由)によると、現在は聖居に身柄を移送されている。

 

 

 

 

 

【ティナ・スプラウトのネタバレ】

 里見事件で全てのドローンを破壊され、機械化兵士としての能力を一時的に喪失。マザードローンの修復が終わるまで民警を休業。その間は松崎民間警備会社に出向しイニシエーター・事務員・壮助のコンバットインストラクターを兼業する。今まで東京エリアを離れていたのは「蓮太郎が恐くて逃げていた」と松崎に打ち明けるが、松崎から励まされ、蓮太郎を取り戻すために戦うことを決意する。

 

 

 

 

 

【蛭子小比奈のネタバレ】

 計画の途中で蓮太郎に裏切られ、命からがら逃走。その後、同じく蓮太郎を追う壮助と接触し一時的に行動を共にする。壮助のことは気に入っており「パパに似ている」と評している。対して詩乃のことは「木更よりヤバい」と危険を感じている。詩乃からは「姉さん」と呼ばれているが、姉も妹も皆殺しにしたので、心当たりはない模様。

 

 

 

 

 

【飛燕園ヌイのネタバレ】

 本名は司馬縫衣(しば ぬい)。司馬未織の親戚であり、分家筋の娘。呪われた子供であったことから、親戚一同から忌み子扱いされる。8歳の時、両親に暗殺されそうになったことから、自らの死を偽装して逃亡。大角と出会い、彼のイニシエーターとなった。

 司馬一族のことは基本的に嫌っているものの、遊び相手になってくれた未織のことは気に入っている。

 

 

 

 

【司馬未織のネタバレ】

 6年前(原作当時)から司馬重工での武器開発で類稀なる才能を見せていたが、遊馬に次世代バラニウム兵器(博多エリア製の機械化兵士)の設計図を見せられた際、十数人の専門家を集めてようやく理解できる内容をたった一人で瞬時に理解する明晰さを見せた。その様から遊馬からは四賢人に続く「第五の賢人」と期待されている。

 

 

 

 

 

【日向鈴音のネタバレ】

 その正体は、元ストリートチルドレンの呪われた子供(原作3巻に登場した盲目の少女)。赤い眼を嫌う母のために鉛で自分の目を潰すが、その行動に恐怖した母に妹共々捨てられる。6年前、反赤目主義者に襲われたところを蓮太郎に助けられるが、彼と別れた後も追われ、逃走して力尽きたところを同じストリートチルドレンの呪われた子供“エール”に拾われる。彼女が率いるストリートチルドレンのチームの中で過ごすが、その一団も反赤目主義者の過激派に襲撃され壊滅。彼女と妹だけが警察に保護される。目はガストレアウィルスを利用した最先端の医療技術により回復している。

 保有因子はエンマコオロギ。元々、優れた聴覚と触覚を持っていたが、盲目の生活で2つの感覚が異様に発達しており、とりわけ音と触れた物に関する記憶力が飛び抜けている。

 

 

 

 

 

【日向美樹のネタバレ】

 その正体は元ストリートチルドレンの呪われた子供。鈴音と共に捨てられ、当時は心を閉ざし姉に守られてばかりだったが、自分達を拾ったエールや仲間たちとの出会いで心を開くようになる。今の活発な性格も一緒に過ごした呪われた子供達に影響されており、彼女達から教えて貰ったピッキングや手錠の壊し方などの犯罪テクニックを今でも覚えている。

 保有因子は姉と同じくエンマコオロギ。虫に良いイメージを持っていないので、自分の保有因子をあまり話したがらない。

 

 

 

 

 

【死龍のネタバレ】

 その正体は大角勝典の前イニシエーター・鍔三木飛鳥(ツバミキ アスカ)。第三次関東会戦で負傷し、死亡したと思われていたが、実際は負傷して動けないところを五翔会に拉致され、機械化兵士として使役されていた。

 尾には飛鳥が気絶した後も身体の主導権を奪い戦闘を続行する機能があり、尾が主体になった際は蓮太郎の義肢と同じ蒼い炎を出す内燃機関が稼働し、熱切断ブレードを用いた猛攻を繰り出す。

 また右脚もバラニウムの義足になっており、内部には高周波ブレードが仕込まれている。

 

 

 

 

 

【エールのネタバレ】

 6年前は廃棄された地下鉄駅と根城とするストリートチルドレンの集団を率いており、反赤目団体に追われて疲弊していた日向姉妹を保護する。しばらくの間、共に地下で過ごしたが、住処を反赤目団体の過激派に襲撃され、姉妹を逃がすために殿を務める。その後、姉妹の前に姿を現さなかった為、死亡したと思われていた。

 

 

 

 

 

【ジェリーフィッシュのネタバレ】

 その正体は元聖天子付き護衛官・保脇卓人(ヤスワキ タクト)。ティナによる聖天子暗殺未遂の後(アニメだと第三次関東会戦後)に自身の境遇を認められないあまり精神の均衡に異常を来し、精神病院の入院患者になる。表向きは自殺したことになっているが、実際は五翔会残党に脳を摘出され、機械化兵士ジェリーフィッシュの生体制御装置として利用される。人格洗浄措置によって人格や記憶を破壊されたが聖天子への執着、自身の没落の切っ掛けとなった蓮太郎とティナへの憎悪が強く残ってた。

 芹沢遊馬曰く元は博多黒膂石重工の次世代バラニウム兵器のプロトタイプであり、本来は戦闘用ではなく輸送機として開発されていた。開発段階では中央制御装置としてAIを組み込む予定だったがAIの開発が難航したため、開発はボディの完成のみとなった。

 

 

 

 

 

【グウェン・チ・リエンのネタバレ】

 天童和光が権力者への手土産としてブローカーを通じ海外から輸入した少女の一人。権力者やその親族から性的虐待を受ける日々を送っていたが、木更による天童家および協力者を対象とした殺戮によって救われる。(その後、鷲頭組の性風俗業者に買われる)

 木更に対しては崇拝に近い感情を抱いており、絶対悪の素質を持つ壮助に木更と同じ存在になることを望んでいる。

 



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第一章 黒の仮面
黒い仮面


本作はブラック・ブレットの後日談を書いた二次創作です。
設定は原作7巻に沿っています。


 男は道を誤った。

 どこで選択を間違えたのか分からない。

 相棒を介錯したことが間違いだったのか。

 復讐に焦がれた初恋の人を殺めたことが間違いだったのか。

 そもそも民警になったのが間違いだったのか。

 あの家に預けられたことが間違いだったのか。

 あの時、命を助けられたことが間違いだったのではないか。

 

 「同じ存在」だと言っていた仮面の男は、死に際に笑っていた。

 

 

 

 そして男は、正義の怪物に成り果てた。

 

 

 *

 

 

 少年は道を踏み外した。

 そのまま黙っていれば、普通に学校に通っていただろう。

 普通に友達が出来て、放課後は一緒に遊んだり寄り道したりしただろう。

 普通に受験で苦しんで机にしがみ付いていただろう。

 普通に高校に行い、新しい生活に胸を躍らせただろう。

 でも今の少年の手に握られているのは学生鞄ではない。

 重く武骨な銃器と赤い目の少女の手だった。

 

 でも少年は後悔していない。これは罰なのだ。

 自分の正義に嘘を吐いた罰なのだ。

 彼女を裏切った罰なのだ。

 

 

 

 

 

 

 もし彼女が生きていれば、「ごめんなさい」と伝えたい。

 

 

 *

 

 

 2037年 東京エリア

 閑散とした住宅街、その一角に古い木造一階建ての家屋があった。周囲をコンクリートブロックの塀で囲まれ、焦げ茶色の板と黒い屋根瓦が昭和の匂いを醸し出す。

 人類とガストレアと呼ばれるウィルスにより変異した生物の戦争――ガストレア大戦――より前から残り続けた数少ない家屋の一つだったが、その歴史は今日終止符を撃たれた。突如、空からガストレアが落ちてきたのだ。その巨体は屋根瓦を突き破り、家屋を半壊させた。今でもばたつく翼竜の翼が屋根から突き出していた。

 家屋から距離を取りつつ周囲を警察と機動隊が取り囲む。周辺住民を避難させたため、今この場にいるのは彼らだけだ。機動隊員たちはシールドを構えながら、サブマシンガンの照準を屋内のガストレアに合わせる。

 ガストレアの討伐は本来、民間警備会社、略して“民警”に任されており、警察は住民の避難と戦闘区域の確保といったサポートに留まる。しかしガストレアによる警官の死亡報告が後を絶たないことから対ガストレア兵器、バラニウム金属を使用した銃器の保有が許可され、防衛においての使用が許可されている。

 機動隊員の背後から一台の自転車が近づく。ママチャリに10代前半の少女が跨っているが、その速度はロードバイク、それどころかアクセルを全開にしたオートバイにも匹敵する。設計段階で想定されなかった速度とペダルの回転に部品が悲鳴を上げる。一気にブレーキをかけ、道路にタイヤ痕を作りながら自転車が静止する。

 機動隊員たちは自転車に目もくれずガストレアがいる家屋に注視する。

 

「やっと来たか。民警さん」

 

 自転車の少女の対応をしたのは通報を受けて駆け付けた遠藤弘忠(えんどう ひろただ)警部だった。白髪交じりの頭髪に小太りな体格。しかし眼光は鋭く、ベテランの風格を漂わせる。

 自転車の少女は自転車を放り投げて遠藤警部に駆け寄る。

 中学生ぐらいであろう少女、黒髪のショートカット、ヘアピンで髪型を調整することで視界を確保している。紺色のパーカーに水色のミニスカート、その下から黒いスパッツを覗かせる。背中には布で包まれた棒状のものを背負っていた。

 そして、生まれながらにして体内にガストレア因子を持つ子供――呪われた子供たち――特有の赤く光る眼が遠藤を見つめていた。

 

「松崎民間警備会社のイニシエーター。森高詩乃(もりたか しの)です」

「一人みたいだな。相棒(プロモーター)は?」

「先に狙撃ポイントに付きました」

 詩乃はポケットから小型のインカムを取り出した。イヤホン型のデバイスともう一つのデバイスがコードで繋がれている。詩乃はイヤホンを耳に付け、もう一方のデバイスをフックで襟元に装着する。

「情報はこれで共有します。被害の状況は?」

 

 とても中学生とは思えない冷静な対応に遠藤は舌を巻いた。自分にも同じ年頃の娘がいるが、やはり経験した修羅場の差というものは人格や態度に大きく出るようだ。

 

「昼頃、大きな物音がしたと通報があった。俺たちが駆け付けた頃には見ての通りだ。ガストレアが空から落っこちて来た」

「中に人は?」

「婆さんの息子夫婦の2人暮らし。運良く3人とも外出していたから死傷者ゼロだ。出動してからずっと監視しているが、ガストレアは羽根をばたつかせるだけで動く気配がない」

「だってさ。聞こえた?壮助(そうすけ)

『ああ。多分、そいつは翼の骨が折れている。飛ばれる前に片付けるぞ』

 

 詩乃の襟元のデバイスから少年の声が聞こえる。声からして高校生ぐらいだろう。声や言葉の発し方から彼の荒っぽさが窺える。元犯罪者や喧嘩に明け暮れたヤクザが武器欲しさに資格を取ろうとする。ならず者くずれが民警にいてもおかしくはない。

 

「周辺住民の避難は済ませてある。我々は下がって、後は君たちに任せよう」

 

 遠藤は詩乃に背を向けると、家を囲む機動隊員たちに撤退の指示を出す。

 民警が来たからにはガストレア討伐の管轄は現地の民警に移る。もしここに警察が残っていてガストレア討伐に関わってしまえば、ガストレア討伐の利益、討伐中に出た被害の責任問題が関わって、法律的にややこしくなってしまう。

 

「くれぐれも、他の家屋の被害は出さないように頼むぞ。民警くん」

 

 

 

 

 

 

 ガストレアが墜落した家屋から5ブロック離れたマンション。その非常階段で義塔壮助(よしとう そうすけ)は狙撃銃を構えてスコープを覗いていた。

 生来持った黒髪に全体的な金髪のメッシュを施した頭髪、左耳にはピアスを付けており、いかにもヤンキーといった感じの見た目だ。スコープを覗いているせいもあってか、目つきが悪く、非常に不機嫌で全方位に怒りという名の弾丸をばら撒く性格を窺わせる。迷彩柄のカーゴパンツに黒いTシャツ、その上にタクティカルベストを着ている。住宅街ではなく戦場が似合う格好だが、街中のファッションとしても通せるスマートさも併せ持つ。

 壮助はスコープ越しにガストレアが墜落した家屋を見つめる。ガストレアが出て行く気配はなく屋根から突き出した翼竜の翼だけが見える。骨が不自然な方向に曲がっているのが何度か確認できる。

 件のガストレアは未踏査領域から飛んで東京エリア内に侵入を図ったが、侵入した際にガストレアを衰弱させるバラニウムの磁場――モノリスの結界に触れてしまい、衰弱。飛行高度を保つことが出来ず、現在の家屋に墜落した。墜落の衝撃で翼の骨が折れたことで飛び立てなくなり、立ち往生していると考えられる。通常のガストレアなら瞬時に翼の骨折から再生していただろうが、モノリスの磁場の影響で再生能力が非常に弱まっていると推測できる。

 早く倒したいとは言ったが、骨の折れ具合と経過時間からして、翼の完全再生まで、まだまだ時間に余裕があるようだ。

 

「詩乃。準備はいいか?」

『大丈夫だよ。壮助は……まぁ大丈夫だよね。そんなに離れていたら』

「俺が狙撃して奴を牽制する。それが突入の合図だ」

『了解』

「タイミングを合わせるぞ」

 

 壮助はスコープサイトに表示された風速や弾道予測に合わせて照準をガストレアに合わせる。引き金に指をかけた。

 

「5……4……3……2……1……」

 

 引き金の指に力を入れた途端、家屋で粉塵が舞い上がる。ガストレアが動き出した。羽根を大きくばたつかせ、風圧で家の壁を周囲にまき散らす。

 壮助は一瞬驚いたもののすぐに銃を構え直す。

 巻き上がる粉塵の中からガストレアが姿を現した。

 翡翠色の鱗に覆われた蛇、同じ鱗に乳白色の翼膜だ。アステカの農耕神ケツァルコアトルが現界したような姿だった。体長は家屋と比較して10m前後と推測できる。明らかに複数の種類の生物が融合しており、壮助はそのガストレアが少なくともステージⅡ、高く見積もってステージⅢだと推測する。それ以上のステージなんて考えたくもない。もし奴がステージⅣだとしたら今日が東京エリア最後の日だ。

 壮助は引き金を引いた。弾丸は弾道予測計算の通りの軌道で弧を描き、ガストレアの胴体を撃ち抜いた。

 ガストレアの再生能力を阻害するバラニウム弾、既に磁場を受けて弱っていた個体には強力な一撃だ。ガストレアは一瞬怯むが、瞬時に体勢を立て直し、翼を羽ばたかせて大空に飛び立とうとする。

 壮助は焦った。再生能力が完全に機能しないことを前提にしていたため、翼が再生しかかっていることに驚いてしまった。ガストレアに飛ばれると追いかける手段はなくなる。

 

「逃がすかよ!今日の報酬!!」

 

 壮助は2発目、3発目を撃ち込む。焦っていたせいか2発目は頭部を掠め、3発目は尾部に直撃する。更に4発、5発と撃ち込んでいく。

 

「くそっ!さっさと落ちろ!」

 

 6発目の照準を頭部に合わせた途端だった。一本の槍がガストレアの頭部に突き刺さった。先端の刃が下顎を貫いて頭頂部を貫通する。ガストレアの蓄積されたダメージで再び地に落ち、その巨体と衝撃でさきほどの家屋を完全に破壊した。糸の切れた操り人形のように。

 

「天童式神槍術に投擲技なんて聞いてねえぞ」

 

 そう冗談を口にする余裕が出来た。ガストレアが落ちたことで壮助は安堵する。照準器から目を離し、銃口を下ろして安全装置をかける。あの槍は詩乃が持つバラニウム製の武器だ。「一角」と呼ばれるもので、壮助とペアを組む前から使い続けている。バラニウム製の槍で脳を貫かれたらガストレアと言えど、死は免れない。

 

(一瞬焦ったけど、何とかなったな)

 

 狙撃用のロングバレルと照準器を本体から取り外し、二つを腰のホルダーに入れる。オプションを外された本体の銃はスナイパーライフルからアサルトライフルに早変わりする。

 壮助は一息つきながら、非常階段をゆっくりと下りながら今日の夕食のメニューを考える。帰ったら何を食べようか、相手はステージⅡ。報酬もそれなりに高いはずだ。奮発して焼肉でも行こうかと夢想する。

 

『壮助!こいつまだ生きてる!』

 

 インカム越しに聞こえた詩乃の声、それと同時に家屋から再び粉塵が舞い上がった。

 まだガストレアが生きていたことに驚き、手でインカムを耳に強く押し当てる。

 

「詩乃!大丈夫か!?」

『私は大丈夫。あいつの目玉に一発蹴りをかましてやったわ』

「そうか。警察は?」

『もうとっくに下がったから、大丈夫だよ』

 

 被害者が出ていないことにとりあえず安心する。自分たちの油断で犠牲者が出てしまえば、たとえ仕事を完遂できたとしても気分が悪い。

 

 

 

『そんなことより、ガストレアそっちに飛んでったよ』

 

「え?」

 

 

 壮助が家屋の方に目を向けた。そこには青空と静かな住宅街、煙を上げる一見の家屋が見える――――はずだった。

 見えたのは大きく開かれたガストレアの巨大な口、今まさに壮助を非常階段ごと食おうとしていた。渾身の力で飛び上がり、翼を羽ばたかせてここまで飛来したようだ。

 壮助は慌てて非常階段から飛び降りた。マンション3階からのダイブは地上でタイミング良く受け身を取ることで骨折せずに済んだ。中学の頃に選択授業で習った柔道がまさか民警の仕事で役に立つとは壮助自身今まで思わなかった。

 ガストレアの巨大な口が非常階段の鉄柵に齧り付く。非常階段がガストレアに食われ、ミシミシと音を立てながら餌になっていく。口にある牙から分泌される毒が鉄を溶かしているようだ。

 地上に落ちた壮助はアサルトライフルを非常階段に齧りつくガストレアに向けた。スイッチ一つで射撃モードをフルオート射撃に設定し、引き金を引いた。数秒でマガジン内の全ての弾丸がガストレアの腹を撃ち抜いた。皮膚を穿ち、銃創から紫色の体液を吹きだす。

 ガストレアが胴体をうねらせて飛び上がり、マンションの外の道路へと飛び出す。もう翼を使って飛ぶ余力は残っていないようだ。

 壮助はガストレアの後を追いかける。住宅街に隠れながら動いたつもりだろうが、道路にズルズルと引きずった血痕が残っていたため、追いかけるのは容易だった。

 

(あともう少しだ!別の民警に横取りされなければ!)

 

 血痕を追って角を曲がろうとした時だった。

 

 

 

 

 

 バァン!

 

 突如、何かが破裂する音が聞こえた。その直後にビチャビチャと生々しい不快な音が聞こえる。銃声ではない。だが追っていたガストレアに何かが起きたことは事実だ。

 壮助は角を曲がり、そこに銃口を向けたが、そこにガストレアの姿は無かった。しかし逃げられたとは感じない。ガストレアはここで確実に死んだ。そう思うだけの根拠が曲がり角の先で広がっていた。

 道路一面や壁面にガストレアの紫色の血液が飛び散っていた。肉片やブロックも散乱し、嗚咽を誘う異臭が漂う。壮助に撃たれた銃創によるものではない。まるで爆弾を食べて内部から爆破されたかのような、ガストレアはそんな死に方をしていた。

 壮助は落胆した。ここまで追い詰めておきながら、その手柄を別の民警に奪われたのだと。その民警は爆心地に立ち、壮助を見つめていた。

 喪服のような黒いスーツを来た青年だ。黒髪に線の細い体型、年齢は20代前半といったところか。その身のこなしに無駄は感じられず、目元を隠す黒い仮面からオペラ座の怪人のファントムを彷彿させる。

 それと同時にどこか懐かしさを感じる。どこかで会ったことがあるのではないか、そう思わせるほど壮助はこの男に覚えがあったが、いつ、どこで、どのように会ったのかは思い出せない。分かることは一つ、“初対面ではない”ということだけだ。

 

「おい。これはあんたがやったのか?」

 

 壮助は黒い仮面の男に尋ねる。男が壮助に目を向けた。無意識のうちに警戒して銃口を向けてしまうが、すぐに下ろす。相手は人間だ。

 

「ああ。このガストレアは俺が殺した」

 

 抑揚のない淡々とした声で仮面の男は答えた。

 答えを聞いた途端、壮助は歯ぎしりした。肩が震え、怒りが込み上げてきた。仮面の男に対してではない。手柄を横取りされた不甲斐ない自分に対してだ。

 

「せっかく追い詰めたのに手柄取られたぁ!!」

 

 頭を抱えて天に向けて叫ぶ。今晩の焼肉どころの話ではない。次の仕事までの深刻な食事の問題だ。自分の飯はともかく健啖家の詩乃の食い扶持となると頭を抱えるしかない。

 

「安心しろ。俺は民警じゃない」

 

 その言葉を端に壮助がピタリと止まる。

 

「だから、これはお前の手柄だ」

 

 黒い仮面の男がそういうと、ガストレアの頭部に刺さっていた槍を壮助に投げ返す。詩乃が投擲したバラニウムの槍「一角」だ。

 天国から地獄へ、そこからまた天国へ引っ張られて壮助は頭の整理がつかず混乱していたが、とりあえず今は天国だ。報酬を求めず、ガストレア討伐に協力してくれた仮面の男に「ありがとう」と言おうとした。

 しかし、そこに男の姿は無かった。残されたのは肉片になったガストレアと詩乃の一角だけだった。

 

「民警じゃないなら、あんたは何者なんだ?」

 

 仮面の男が立ち去った後、ふと壮助の頭に疑問が浮かんだ。いや、疑問しか残らなかった。

 




妄想が止められず、ついに書いてしまいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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壮助と詩乃

 東京エリア某所に位置する警察署。そこの取調室で壮助と遠藤警部は睨み合っていた。どう見てもヤンキー高校生な壮助の見た目から、遂に窃盗か強盗か何かやらかして捕まったのだと周囲が見ていたら勘違いするだろう。しかし彼の手に手錠はつけられていない。あくまで任意同行のようだ。

 互いに唸りながら覇気をぶつけ合う。遠藤警部の背後には若い刑事がいるが、覇気が無いせいで戦力になっていない。そもそも戦力になる気などないのかもしれない。

 

「報酬が支払われないってどういうことですか!」

「だから何度も言っているだろう。ガストレアの討伐報酬は止めを刺した民警に支払われる。お前じゃない」

「あのガストレアは俺が止めを刺したって言っているでしょうが!他に誰がいるんですか!?」

「お前以外の誰かだよ。じゃあ、爆弾を持たないお前がどうやってあのガストレアを爆殺したのか教えてもらおうじゃないか」

 

 壮助は落ち着きを取り戻し、机から手を離して椅子に腰を下ろす。

 

「俺が殺した後、アンタ達がノロノロ向かっている間に死骸にガスが充満して勝手に爆発しました」

 

 実際にクジラの腐敗した死体にガスが充満し、突然爆発して肉片を周囲にまき散らしたという事例が世界中で数件ほど報告されている。ガストレアに関してはそれが発生するのかどうか分からないが…。

 

「そもそも止めを刺した民警がいるなら報酬目当てに名乗り出てくるんじゃないですか」

「ま、お前の言いたい気持ちは分かるが、こちとら規則なもんでな。誰がどうやって殺したのか判明しないと“終わり”じゃないんだ。人殺しでもガストレア殺しでもな。お前が『ガストレアを四散させる威力を持つグレネードを隠し持ってる』なんて話になったら公安部まで動く事態になる」

「……」

 

 世界中のほとんどのエリアにおいて、民警は警察や政府などの公的機関に武器の所持情報を提供している。これは民警がそのエリアの安全保障上の脅威にならないようにする配慮であり、武器の密輸や不法所持を防ぐための規則となっている。とりわけ、6年前のとある事件の影響で警察と民警には軋轢が生じており、それは今になっても解消されていない。

 今から6年前、とある民警が殺人容疑で逮捕された。民警と警察の衝突という事態を防ぐため聖天子は犯人から民警のライセンスを剥奪、一市民による殺人として扱われた。結果としてその民警の逮捕は冤罪であることが判明、別の真犯人が逮捕されたことで事件は解決した。

 しかし、犯行に民警の銃器が使用されたことから、警察は民警の銃器の扱いや管理体制に疑問を抱き、それが膨れ上がり対ガストレア戦闘における警察の狭い権利への不満へと繋がっている。警察にバラニウム製武器の所持が認められているのも不満解消の一環だ。

「失礼します」と言って、もう一人の若い刑事が取調室に入って来た。その手には2~3枚の書類が握られている。

 

「ガストレアの解剖結果が届きました」

 

 あんな肉片に解剖も何もあるものか。と壮助は心の中で思っていたが、きっと解剖学や医学を修める者達には肉片は肉片で調べる余地と価値があるのだろうと勝手に結論付ける。

 

「残されていたガストレアの頭部の脳で急性刺激に対して応答する間脳の視床下部の細胞が活性化していたことから、死因は急性ショック死。爆死ですね」

「爆発の原因は?」

「不明ですが、6、7年前にも同様に死亡したガストレアが報告されています」

「その同ケースで死亡したガストレアについての情報、そいつらを仕留めた民警について調べてくれ」

「了解しました」

 

 若い刑事は敬礼すると取調室からそそくさと出て行った。

 遠藤はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべながら席に着き、勝ち誇った顔を壮助に向けた。

 

「科学ってのは正直で助かる。これでお前の証言は嘘ってことが分かった。もう一度言う。あのガストレアを倒したのは誰だ?」

「……」

「報酬は諦めろ。それに今ここで正直に話さないとお前を偽証罪で牢屋にぶち込まなきゃならない。そんな面倒なことは俺だってしたくない」

 

 壮助は遠藤の脅しに屈した。と言うより、報酬が完全に無理ならあの仮面の男について黙秘する理由がなかったし、何より豚箱行きは勘弁してほしかった。

 

「黒い仮面の男」

「は?」

「黒いスーツに黒い仮面の男。年齢は俺よりちょっと上ぐらいで、丸腰で武器の類は持ってなかった……です」

「そいつがガストレアを倒した男か?」

「本人がそう言うなら、そうなんじゃないですか」

「なるほど。こりゃあ、似顔絵も作る必要があるな」

「もしかして、時間かかります?」

「まぁな。お前の記憶が薄れない内に聞いておく必要がある」

 

 壮助が大きく溜息を吐いて項垂れる。オートバイ並みの速度の自転車に2人乗りし、ガストレアと戦いで食われかけ、報酬を巡って警察と戦い、そして取調室だ。その疲労は並大抵のものではない。それに加えて空腹感に襲われる。

 

「刑事さん。カツ丼一つ」

「ドラマでよく出てくるけど、あれ自腹だぞ」

「じゃあ結構です」

「お前、警察の金でカツ丼食うつもりだったのか」

 

 遠藤に呼ばれた似顔絵捜査官が取調室に入って来た。

 遠藤は気合い付けなのか、上着を脱いでシャツの腕を捲った。

 

「今日中に根掘り葉掘り聞かせてもらうぞ。お前馬鹿そうだから明日には忘れてるだろ」

 

 壮助は反論できなかった。馬鹿なのは自覚していたし、学歴も中卒止まりだ。だが実際他人に言われると腹が立った。この取り調べが終わったらとりあえずこの警部の顔を一発ぶん殴ろうと壮助は心に誓った。

 

 

 

 *

 

 

 あれから取り調べは2時間ほど続いた。壮助の証言から似顔絵を作成したのだが、何度書き直してもいまいちピンと来なかった。似ていないわけではない。顔立ちや体格、仮面のデザインも言葉だけで忠実に再現してくれた。しかし、一つだけ再現できないものがあった。

 

(あの目は……あの虚無の目は何なんだ?)

 

 報酬を貰えなかったことも遠藤の顔を殴れなかったも今となってはどうでも良かった。

 そうこう考えている内に自分たちが住んでいるアパートに辿り着いた。

 コンクリートの4階建て、一切塗装されていない灰色のコンクリードがむき出しになっており、鳥の糞の跡や何らかの汚れ、昔の火事の焦げ付き、ひび割れがすっかり放置されている。外部からは人の温かみも感じられず、知らない者からすれば廃墟だと勘違いされ、そこを出入りする壮助と詩乃もたまに幽霊だと思われる。幽霊疑惑については本当にこのアパートのとある一室で本当に“出る”という噂が一端でもあるのだが。

 蜘蛛の巣が張り巡らされ、蛾が灯りの周りを飛び交う。そんな階段を昇っていき、自分の部屋の前に付いた。

 

「ただいま~っと」

 

 壮助が扉を開くと玄関から部屋の奥まで一望できる。ワンルームゆえのプライベートの無さだ。足元には履き捨てられたスニーカー、奥の部屋は明かりがついており、詩乃がテレビに釘付けになっていた。

 全裸で――

 呪われた子供たちとはいえ彼女はもう13歳。肢体の色々なところが成長しつつある発展途上なうえ、格闘技やスポーティな趣味のおかげでメリハリのある健康的な身体をしている。呪われた子供たちには健康的な体型を維持する機能が常人よりも優れているらしい。

 ロリコンでなくてもドキッとする瞬間は多く、その度に頭の中で否定する。

 

「あ、壮助、おかえり」

 

 詩乃が身体ごと振り返る。テレビに釘付けになっていて背中しか見えなかったが、振り向いた途端に見えてしまってはいけないあれやこれが見えてしまう。

 

「『おかえり』じゃねえ!下着ぐらいつけろ!」

 

 壮助は咄嗟にタクティカルベストを詩乃に投げつける。空中で広がったベストは見事に壮助と詩乃の間の視界を遮り、詩乃の顔に覆い被さった。彼女はそのベストを着こむ。

 

「いいじゃん。家の中ぐらい全裸でいたって」

「お前が良くても俺は良くないの!ちょっとは自分の性別ぐらい意識しろ!」

「そんなの今更の話じゃん。それに家の中で全裸を禁止されたらトイレとお風呂でしか全裸になれないよ」

「それが普通だ!この歩く児童ポルノ!」

「児童ポルノじゃないし。見てよ。この子供と大人の中間に位置する中学生特有の肢体を」

 

 詩乃は雑誌によくあるグラビアポーズ――どこで覚えたのか知らないが――をキメて、壮助に誘惑するような視線を向ける。全裸にタクティカルベストという格好がミリタリー雑誌のグラビアコーナーを彷彿させる。本当に載ってしまえば、そのエロさと詩乃の年齢的に発禁処分ものだ。

 壮助は「あ~もう」と唸りながら頭を抱え込む。初めてペアを組んだ時は少なくともこんな少女じゃなかった。大人しくて年齢の割には冷静沈着で物事をテキパキとこなすクールビューティというのが壮助の第一印象だった。今でも思い出せる。IISOの東京エリア支部に呼び出され、詩乃と引き合わされた日のことを――

 

 

 

 *

 

 

 

 今から半年前、壮助はフリーターだった。民警としての資格は持っていたが、相棒となるイニシエーターがいなかったため、工事現場や工場のアルバイトで何とか食いつないでいた。

 待機組――壮助のようなプロモーターのことを民警の業界ではそう呼んでいる。世界中では、プロモーターの数に対して、イニシエーターの数が不足している。

 人類はモノリスによって安全圏を確保したが、モノリスはそれと引き換えに“赤目不足”という問題を引き起こしていた。人類とガストレアの接触が減少したことにより、呪われた子供たち出生数が激減。戦力となるイニシエーターも不足し、民警ペアの数はここ数年で減少の一途を辿っていた。

 壮助はその日その日を生きながら、いつ来るか分からない相棒を待つ日々を送っていた。

 ある日、IISOから書類が送られてきた。抽選により相棒が決まった旨が記されたA4サイズの紙、イニシエーターとの面会時間と場所が記された案内書、正式に民警になるに当たって必要な書類が茶封筒の中に入っていた。

 そして、面会の日、壮助はIISOのとある一室に連れられた。床も壁も天井も真っ白な部屋だ。その部屋にあるのは、向かい合う2つの扉のみ。

 壮助はIISOの仲介人と共に一方の扉から入り、まだ見ぬ相棒を待っていた。

 この時、壮助の緊張はピークに達していた。イニシエーターの存在は民警として活動する上で欠かせない存在だ。相手の能力、パーソナリティ、共に戦う上での相性。イニシエーター次第で全てが決まり、全てが変わる。それを決定づける対象と瞬間が目の前に迫っている。イニシエーターの情報は面会の時まで一切公開されないこともあって、彼の心には不安と高揚が同居し、心臓の鼓動は荒ぶっていた。

 対面の扉が開き、相棒が姿を現した。

 紺色のパーカーを着た一人の少女。彼女の姿を見た途端、壮助の中の不安は消えていった。ただ歩み寄っているだけで、一言も交わしていないが、何故か、本能的に「彼女とは上手くやっていける」と感じていた。

 

「森高詩乃。12歳です。8歳の頃から民警として戦ってきました。これまでのガストレア討伐数はステージⅢが5体、ステージⅡが36体、ステージⅠは100体から数えていません」

 

 淡々と自分の功績を語る詩乃を前に壮助は言葉が出なかった。彼女は強すぎる。相棒が強いことに越したことはないが、あまりにもレベルが違っていた。「こんな弱い相棒はいらない」と逆にペア解消を希望されるのではないかと思うほどに。

 

「義搭壮助……です。昨日までフリーターやっていました。よろしく」

 

 これ以外に語る言葉は見つからなかった。中学時代の喧嘩の話でもしようと思ったが、ガストレア相手に戦ってきた彼女にとっては児戯にも等しいだろう。壮助は自分の不甲斐なさで相手を落胆させるのではないかと恐れていた。

「そうですか。でしたら、民警としては私が先輩になりますね。色々と大変だと思いますが、私がフォローしていきます。これから宜しくお願いします。義搭さん」

 詩乃が手を伸ばしてきた。壮助にとってはそれが希望の象徴に見えた。

 

「あ、ああ。よろしく……お願いします」

 

 壮助も手を伸ばし、互いに握手する。積極的に手を握る詩乃に対し、壮助はぎこちない握り方だった。

 

 

 

 *

 

 

 

(適度な距離感を保ちつつ、パーフェクトクールビューティ森高詩乃先輩に指導されながら一人前の民警として成長する――そう思っていた時期が俺にもありました)

 

「壮助の匂い大好き~」

 

 ほら見ろ。今でも男の体臭を嗅いで恍惚とした笑みを浮かべる変態だ。外ではパーフェクトクールビューティ森高先輩だが、家の中ではこの有様である。この姿を学校の連中や民警仲間に見せてやろうかと壮助は考えるが、言ったところで世間は底辺ヤンキー民警の戯言にとしか受け取らないだろう。

 

「それより何のテレビ見てるんだ?」

 

 壮助がテレビ画面に目を向けると、ライオンの子育ての映像が映し出されていた。その情景を優しく解説するナレーション。大戦前に人気があった(らしい)動物番組の再放送だ。

 

「お前、相変わらず動物番組好きなんだな」

「うん。見ていて面白いし、初めて見る動物もいるし」

「あ、そうか」

 

 寄生生物ガストレアによって、今となっては人間とペットと家畜以外の生物は全てガストレア化したと言っても過言ではない。もう絶滅した種もいるだろう。むしろ絶滅していない種の方が少ない。

 番組の話題は変わり、魚の求愛行動と繁殖の話題になる。詩乃は再びテレビの方を向いて真剣に番組を見つめる。求愛や繁殖の話題なんて……と思ったが、学校にはちゃんと通わせているので保健体育の授業である程度の知識はあるはずだ。少なくとも学校をサボりまくっていた壮助とは違って。

 テレビを見つめながら詩乃がポツリと呟いた。

 

「壮助。私と繁殖しようか」

 

 壮助は突然の発言にぎょっとする。

 

「黙れマセガキ。お前がベッドの上の格闘技を語ろうなんて5年早いんだよ」

「5年後ならOKなんだ」

「語るだけならな。実践は更に2年後だ」

 

 あと数年もこの生活を続けたら壮助の理性がもたない。これは本人が自覚していることであり、早く2DKの部屋を借りられるぐらい稼いで互いの貞操を守らなければと考えている。

 

「俺は風呂入るから、さっさと服を着ろよ」

 

 壮助は箪笥の中から自分の下着と寝巻を取り出す。詩乃も自分の衣装箱を漁っている。ちゃんと忠告は届いたようだと壮助は安心した。

 壮助は服を脱ぎ、身体を流して湯船に浸かった。

 今日は最悪の日だった。仕事にはギリギリ遅刻、ガストレアに食われかけ、謎の黒仮面に手柄を取られ、警察署に数時間も缶詰にされた。

 

(報酬のこと、松崎さんにはなんて言い訳しようか……)

「壮助」

 

 言い訳を考える暇を与える間もなく、詩乃が風呂場の扉を開けた。扉の鍵はいつもかけていない。鍵をかけたら扉ごと鍵を破壊されるので無意味となり、完全に諦めた。

 詩乃は先程の全裸と打って変って、スポーティな水着をつけている。黒い布地をベースに水色のラインが入っている。彼女は服飾品において寒色系を好む傾向にある。

 

「一緒に入ろう」

 

 出て行けと言っても強行突破される。普通の人間と呪われた子供たちの間の力の差は大きい。ガストレアがどうして人類を滅亡寸前にまで追い詰めたのかを彼女を通して実感できるぐらいであり、そもそも赤目の力を使わない状態でも彼女はけっこう強い。

 この2人の日常では16歳のヤンキーが13歳の少女に腕力で敗北する光景が多々見られるのだ。

 

「ああ!もう!好きにしろ!」

 

 どうして彼女はこうもアグレッシブに自分に好意を示すのだろうか。どうして、ペアを解消してもっと強いプロモーターと組もうと思わないのか。それは当分、彼が頭に抱える難問になるだろう。

 




今回は主人公ペアの義塔壮助と森高詩乃の日常の一端の話でした。
この2人の名前は里見八犬伝の登場人物「犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう)」と「犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)」から取りました。
16歳と13歳という異性や色濃いに関して微妙なお年頃の同居生活、本編の蓮太郎(16歳)と延珠(10歳)の親子(?)のような同居生活とは違って、ややエロティックなものに仕上がっております。

壮助が使用する銃や詩乃の槍術に関しては後々説明する予定です。

ご愛読いただき、ありがとうございます。


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松崎民間警備会社

 翌日の朝8時半

 東京エリア某所の警察署、昨日から当番だった遠藤警部は仮眠時間を終えて、自分のデスクに着いた。今は眠気など欠片も無く、眼も頭もスッキリしていた。こうも年老いてくると生活リズムは朝方になり、逆に若い頃やっていた徹夜や夜勤は辛くなっていく。

 

「遠藤警部」

 

 昨日、取調室にガストレアの解剖報告を持ってきた若い刑事が声をかけてきた。その手には二部の書類が握られていた。

 

「どうした?水雲」

「昨日のガストレアの件で報告が」

「おぅ。昨日の今日で早いな」

「別に隠されていた情報というわけでもなかったので。エリア内の大学病院や国際イニシエーター監督機構(IISO)のデータベースに検索かけたら簡単にヒットしました。これコピーです」

「そうか。少し場所を変えよう」

 

 署内の裏口付近にある自販機で遠藤は缶コーヒーを2人分買う。一つは若い刑事に投げ渡し、自分は近くのベンチに座って缶を空ける。

 

「報告を続けてくれ」

「はい。昨日のガストレアと同じく身体の爆破により死亡した過去のガストレアについてですが、全て同じ民警によるものでした。プロモーターは薙沢彰磨。イニシエーターはモデルキャットの布施翠。共にIP序列元970位です」

「元?」

「はい。2人とも6年前の第三次関東会戦で戦死しています。2人は拠点を持たず、日本の各エリアを点々としていましたが、第三次関東会戦の際に東京エリアに戻り、里見蓮太郎のアジュバントに加盟して参戦しています」

 

 アジュバントとは民警を分隊単位で組織し、自衛隊に組み込むシステムである。第一次関東会戦で民警と自衛隊の間に連携が取れなかったことによる大敗北の教訓から生まれた。スタンドプレーヤーの民警を分隊単位で組織し、組織的活動に長ける自衛隊に組み込むことで民警を自衛隊の指揮下に置いた。このシステムが初めて利用されたのは第二次関東会戦だったが、最前線の自衛隊がガストレアを殲滅させたため民警に出る幕は無く、ほとんど無意味と言われた。また自衛隊内に余所者が入り込むことによる統率の乱れの懸念により、一時期はアジュバントシステムの撤廃まで叫ばれていた。

 

「里見蓮太郎って、あの東京エリア最強のプロモーターの?」

「はい。それは間違いありません」

 

 IP序列970位と里見蓮太郎のアジュバントに所属していたという経歴だけで薙沢ペアが高い実力を持った民警であることが窺える。

 

「ガストレアを爆殺する方法なんですが、これは向こうでもあまり調べられていなくて、知見は乏しい状況にあります」

 

 それを聞いて遠藤は軽く舌打ちする。民警の杜撰な調査体制に怒りを覚える。何度も調べるチャンスを持ちながらそれを不意にしたことは警察の人間である彼には我慢ならないことだった。手間を惜しんで迷宮入りにするなどもっての外だ。

 

「奴の得物は?」

「はい。登録されていたのは拳銃のSIG SAUER P226だけです。爆発物の類は登録されていません」

「そうか……」

 

 遠藤は飲み終えた缶コーヒーを足元に置き、腕を組んで熟考する。

 

「俺は、昨日の黒い仮面が薙沢彰磨だと睨んでいる」

「でも彼は6年前に死んでいますよ?」

「第三次関東会戦は乱戦だったと聞いている。死体を回収する余裕は無いだろうし、敵前逃亡したってバレやしないだろう。仮面で顔を隠しているのだって、そいつの写真あるか?」

「はい。民警ライセンス証の写真がデータベースにあったのを印刷してきました」

 

 刑事は書類の束から写真を大きくプリントした紙を出す。

 銀色の髪に黒いサンバイザーをつけた端正な顔立ちの青年だ。

 遠藤は昨日の似顔絵を思い出すが、どう見ても黒い仮面の男と薙沢彰磨は別人だった。髪の色や顔立ちが異なる。共通するのは線の細い体型の男性ということだけだ。

 

「違うな。こいつじゃない」

「そうですか。これで振り出しですね」

「いや、そうでもないさ。これを見ろ」

 

 遠藤は書類のコピーの中、薙沢彰磨の経歴について詳細に記された文面に指をさす。

 

「薙沢は天童式戦闘術の指南を受けていた。里見蓮太郎も天童式戦闘術、天童木更は天童家の直系で天童式抜刀術の免許皆伝だ。この3人は天童で繋がっている」

「じゃあ、天童式には殴った相手を爆破させる秘術でもあると?」

「薙沢が爆発物を使わなかったのなら、そうとしか考えられないだろ」

 

 そんなB級映画のような馬鹿げた話あるわけないだろうと思いつつも可能性は排除できない。1%でも可能性があるのなら、それに賭けて全力で調べ上げるのが警察というものだ。

 遠藤は立ち上がると缶コーヒーをゴミ箱に入れた。脱いでいた上着を再び羽織る。

 

「報告ご苦労さん」

「あの……どちらへ?」

「片桐民間警備会社」

 

 第三次関東会戦の里見蓮太郎のアジュバントで唯一所在が判明している人物、片桐玉樹が社長を務める個人経営の民間警備会社だ。

 

「でも遠藤さんってこの後は非番ですよね?」

「触れるだけで生物を爆発させる奴が東京エリアを闊歩してるんだ。おちおち休んでもいられんよ」

 

 

 

 

 

 

 東京エリア某所に位置する4階建ての雑居ビルに一人の男が入って来た。男は階段裏にあるエレベーターに乗り込み、3階のボタンを押す。年齢的かつ体力的に3階も階段を昇るのは彼にとって辛いのだ。

 1階のキャバクラ、2階のゲイバーを昇り抜け、4階の金融会社の手前で止まる。エレベーターが3階に到着し、短い廊下を歩いて自社のロゴが刻まれた扉を開いた。

 彼は松崎民間警備会社の社長を務める松崎である。かつて外周区で呪われた子供たちを対象とした小学校(とは名ばかりの青空教室)を営んでいたが、爆弾テロで小学校は壊滅。彼は失意と絶望の中で余生を過ごすつもりだったが、再び呪われた子供たちのために何かしようと決意し、今はこうして民間警備会社の社長を務めている。

 また彼がこの会社に一番乗りだ。老いを迎えると朝が早くなる。一人の会社で机の上に積まれた書類を眺める。階段を昇る足音が聞こえ、松崎はそれに耳を傾ける。

 目の前の扉が開き、特徴的な金髪メッシュの頭が見えた。

 

「あ、松崎さん。その……はよっす」

「おはようございます。義搭くん」

 

 義塔壮助だった。見た目に似合わず物凄く申し訳そうな顔で会社に入って来た。松崎には完全に頭が上がらないようだ。

 

「あの……昨日の仕事の件ですが……」

「警察から話は聞いています。大変な目に遭ったみたいですね」

「え、ええ。そうなんですよ。ガストレアに食われそうになったり、変な黒い仮面に手柄を取られたり、報酬貰えなかったりで昨日は散々でしたよ」

「でもまぁ、皆が無事なので良しとしましょう。して、義塔くんはどうしてここに?」

「昨日の件で司馬重工に報告書を出さないといけないんで」

 

 壮助が使う銃は「司馬XM-08AG」と呼ばれる銃器――東京エリアに拠点を持つ司馬重工が開発したオリジナルモデルのアサルトライフルである。特徴としては豊富なオプションパーツを持ち、パーツを取り換えることであらゆる局面、屋内の銃撃戦も長距離狙撃もこの銃一つ、工具なしのパーツ交換だけで対応できる。またこの銃の型番の末尾にあるAGは対ガストレアを意味し、従来の対人ではなく対ガストレア戦闘を想定した設計になっている。違いとしては対人のものより口径が大きく、使用する弾薬も殺傷能力の高いものが使用されている。

 現在は試験段階であり、壮助のものも含めて10丁前後しか存在しない。壮助はテスターとして司馬重工からこの銃を与えられ、実際に使用することで動作テストを行っており、銃の使い勝手や機能に関する意見書や報告書を使用する度に作成している。

 壮助はカバンをデスクの上に置き、ノートパソコンを取り出した。かなり古い型落ちしたものだ。

 

「さぁて、仕事仕事」

 

 壮助は学校に通っていない。中学を卒業した後に民警の資格試験を受けて合格し、現在に至る。そのため、依頼が無い日は銃の意見書や報告書の作成、事務所の掃除を担っている。

 2人ともパソコンと書類に向かって仕事を始めたため、再び事務所の中が静寂に包まれる。

 壮助が司馬重工に報告書を送り、仕事に一区切りつけたところだった。

 

「おはようございまーす」

 

 静寂を破る快活な女性の声、その声の主が扉を開けて事務所に入って来た。

 灰色のレディススーツを着用したOL風の女性だ。明るい栗色の髪に軽くパーマをかけている。服装のわりには派手な格好で服も胸元を開けた際どくセクシャルな格好をしている。本人がグラマラスな体格をしていることもあって女性的なアピールは顕著に出る。OLと言うより、OLもののアダルトビデオに出演する女優のようだ。

 彼女の名は千奈流空子(ちなりゅう くうこ)。昼はこの松崎民間警備会社の事務員であり、夜は下のキャバクラで働いている。二足の草鞋を履いた勤労ウーマンだ。

 彼女の格好を何一つ気に掛けることなく、松崎は「おはようございます」と返す。壮助も「おはよ~っす」とくだけた表現で挨拶する。

 

「昨日は下で働いていたのではないですか?」

 

 空子は下のキャバクラで働いた日の翌日は午後から出勤する。時計の短針はまだ9時もまわっていない。

 

「いえ、今日中に片付けたい仕事があるので。それに昨日は早めに帰りましたし」

「空子さん。さすがに働き過ぎじゃねえの?」

 

 手を止めて壮助が語り掛ける。それに対して空子は嫌味な笑みを浮かべる。

 

「年下の中学生に養われるヒモロリコンになりたくはないからね」

「いや、俺民警だし。ヒモじゃねえし」

 

 心当たりがあるのか、壮助の額を冷や汗が流れ、態度がしどろもどろになる。

 

「民警を一端の職業って言うなら大角くんぐらい稼ぎなさい」

「大角さんと一緒にしないでくれ。あの人、序列……何位だっけ?」

「1095位。対して義塔くんは?」

「きゅ……9644位」

 

 認めたくないが現実だ。事務所の稼ぎ頭の序列は遥か雲の上、壮助の序列はこれといった実績のない名ばかり民警と変わらない。

 

「ほとんど底辺じゃない。最近やった仕事は?成功したもので」

「1週間前の保護施設から逃げたニホンザル捕獲」

「それ民警の仕事?しかも最終的に捕まえたの詩乃ちゃんだし」

 

 壮助はぐうの音も出なかった。人生経験、学歴の差(中卒と大卒)で空子には頭が上がらない。口喧嘩では常に敗北を喫している。亀の甲より年の劫とはよく言ったものだ――これを口にしてしまえば空子の鉄拳制裁が飛んでくる。

 

「そういえば、聞いたわよ。昨日の仕事。報酬を貰い損ねたらしいじゃない」

「うっ……そ、そうだけど」

 

 空子が大きくため息を吐いた。とてもわざとらしく、壮助にはっきりと聞こえるように。

 

「赤字だねぇ~。大角くんが稼いでいるから会社としては黒字だけど、壮助が生み出す利益は雀の涙だから、そこから壮助を雇う経費を引くと赤字になっちゃうんだよねぇ~」

「ま、まさか……」

「これは別の仕事をやって埋め合わせないと大変だねぇ~。お、丁度いいところに1階のゲイバーのアルバイト募集のチラシがあるねぇ~。どうしてだろうね~」

「い、嫌だ!その仕事だけは!」

 

 空子は見せつけるよにチラシを壮助の目の前に翳し、ヒラヒラとさせて強く主張する。

 

「そういえば、マスターも『義搭は客受けが良いからなぁ。また来てくれたら給料弾むぜ』って言っていたわよぉ~」

「いや、それでも、やっぱり……」

 

 威圧するように空子が近づき、募集のチラシを壮助の顔面につきつける。彼女の迫る顔には妙な迫力があり、時にはガストレアよりも恐ろしさを感じる。

 

(松崎さん!助けてくれ!)

 

 壮助はデスクで書類を眺める松崎に視線を向ける。人道的な彼なら助けれくれると信じて、救済を求める。

 

「義搭くん。経営者とは、時に非情な決断をしなければなりません」

 

(今、それをやらなくてもいいじゃないですか!)

 

 松崎の非情な決断に後押しされ、空子は更に壮助に詰め寄り、「さぁ!さぁ!」と彼がゲイバーのアルバイトに「YES」と頷くように圧力をかけていく。近づくにつれ彼女の顔は赤くなり、鼻息も荒くなって壮助に吹きかかる。

 

(前々から思っていたけど、この人って思考回路が腐っている系女子!?)

 

 YESとは言いたくない。しかし、壮助にはもうNOと答える権限は無い。空子には何も言い返せないし、自分を雇ってくれた松崎とこの会社には恩義がある。穀潰しにはなり下がりたくない。しかし、以前やったゲイバーのアルバイトの記憶が半分トラウマになっている壮助は出来る限りアルバイトを避けたかった。

 

(大角さん!早く来てくれ!)

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

 

 活きの良い野太い声に響き渡る。壮助の懇願と共に、あまりにもいいタイミングで来たので、壮助が召喚したかのようにも思える。

 松崎民間警備会社のもう一人の民警、大角勝典(だいかく まさのり)が入って来る。身長190センチの隆々とした筋骨。総髪にした黒髪に無精髭、全身の傷痕が彼の強さとワイルドさを演出する。ダメージジーンズに黒いTシャツ、その上に軍用ジャケットを羽織っており、彼の筋肉はジャケットが上になっても主張を忘れない。

 見た目ヤンキーの壮助、AV女優っぽいOLの空子、筋骨隆々の勝典、この三人と松崎の組み合わせは違和感しか抱けず、事情を知らない人達から見れば、松崎が温和そうに見えて実はとてつもない人物なのではないかと勘違いする。

 

「おはようございます。大角くん」

 

 勝典の目にデスクで作業する壮助と彼の前に立つ空子が目に映る。空子はばつが悪そうに密かに舌打ちすると、壮助と距離を置き、ゲイバーのチラシを丸めてポケットに隠す。

 

「義塔と千奈流も来ていたのか。2人とも今日は早いな」

「司馬重工への報告書を作っていたので」

「私もやっておきたい仕事がありましたので」

 

 勝典の前だと二人の態度は変わる。彼は序列1095位、1000番台と呼ばれる世界中の民警のエリート層であり、松崎民間警備会社の稼ぎ頭である。彼の肉体が持つ圧力とベテランとしての風格は伊達ではなく、壮助にとっては幼い頃からの兄貴分、空子にとっても逆らえない会社の大黒柱として存在する。

 

「義塔。聞いたぞ。そういえば、昨日はステージⅡを仕留めたんだってな」

 

 壮助の活躍が本気で嬉しいのか、勝典は満面の笑みで話しかける。

 

「止めは別の奴に取られたんですけどね。報酬も貰えず仕舞いで」

 

 昨日のことを思い出して壮助は少しひねた態度で答えた。

 

「でもけっこう追い詰めたらしいじゃないか。違うのは最後の一手だけだ。犠牲者も出さなかったなら、上出来だ。成功していたら、序列7000番台には登れていただろう」

 

 勝典はその大きな手で壮助の頭をわしわしと撫でる。ワックスでセットしたプリン頭がすぐにボサボサになる。弟分の活躍が嬉しいのか、更に力が入り、壮助の首が縦横無尽に振り回される。

 

「大角くん。いくら何でも甘くないかしら?」

「少しは甘くなるさ。こいつがランドセルを背負っていた時からの仲だからな。昔からこいつのやんちゃに付き合わされてきた」

「誰も付き合ってくれとは言ってねえよ。――――まぁ、この会社に入れてくれたことは感謝するけど」

 

「全く素直じゃないクソガキだなぁ!」と勝典は更に力を入れてシフトレバーのように壮助の頭を回す。彼は撫でているつもりだが、傍目からすれば暴力にしか見えない。

 

「痛たたたたた!痛い!痛い!首もげる!!」

「おぉ。すまない」

 

 勝典は手を離す。壮助は首と肩をゆっくりと回して首の位置を直す。

 

「ただ……まぁ、序列が変わらないのは痛いっす」

「また序列の話か。まぁ、そこが民警の肝みたいなところだからな」

「9000位じゃあ、データベースへのアクセス権は一般市民と同レベルですからね」

 

 民警にはIP序列というものがあり、序列によって様々な権限や恩恵が与えられる。そのうちの一つに各エリアが保有するデータべースへのアクセス権がある。序列が高ければ高いほど多くの権限が与えられる情報にアクセス出来る。9644位の壮助のアクセス可能レベルは一般人のそれと変わらないため、情報取得における民警としての優位性は無い。

 

「何度も言っているだろう。そんなに見たいなら、『俺のアクセスキーを貸してやろうか』って」

 

 勝典が胸ポケットの中からUSBメモリを取り出し、それを壮助に差し出す。このUSBにはエリアのデータべースにアクセスするためのアカウント、セキリュティ解除コードが入っており、序列の高い民警は本来厳重に管理しなければならない。無造作に胸ポケットに入れるどころか、気軽に他人に貸し出していいものではない。

 空子が2人の間に割り入り、勝典の手からUSBメモリを取り上げる。

 

「大角くん。流石に甘やかし過ぎよ。これ以上は彼のためにならないわ」

「心配しなくても大丈夫っすよ。大角さん。実力でなんとかしますから」

「そうか。でも、もし本当に必要になったら教えてくれ。その時は手を貸す」

 

 勝典は空子の手からUSBメモリを取り戻し、再び胸ポケットに入れた。

 

「話は終わったようですね」

 

 3人の話題が終わるのを見計らって、松崎が口を開いた。全員が松崎の方に顔を向け、姿勢を正す。

 

「義搭くん。昨日はお疲れさまでした。報酬のことに関しては残念でしたが、犠牲者を一人も出さなかったことは誇るべきことだと私は思います」

「あ、ありがとうございます」

「大角くん。千奈流さん。彼はまだ民警になって半年しか経っていません。至らない点については2人でサポートしていってください。金銭面については、私が何とかしましょう」

「「はい!」」

 

 松崎民間警備会社。従業員6名の民警としては小規模な会社だ。小学校爆破テロの悲劇から立ち上がった社長の松崎、キャバ嬢と兼業する得体の知れない事務員の千奈流空子、序列1000番台というエリート層の大角勝典とそのパートナー、――そして、多くの可能性を秘めた義搭壮助・森高詩乃ペア。

 

 それぞれの想いと目的を胸に秘め、今日も彼らは黒い弾丸でガストレアを屠る。

 

 




中途半端ですが、今回はここで終わりです。
今回は壮助たちが所属する松崎民間警備会社がメインです。
察しの良い読者の方々は会社の名前から第一話の時からピンと来ていたと思います。
また松崎民間警備会社はかつて天童民間警備会社があった場所です。

壮助の使う銃の型式番号は

司馬=司馬重工
X=eXperiment(試作)
M=Model(モデル)の頭文字
08=司馬重工オリジナルモデルの番号(順番)。
AG=対ガストレア

見た目としては、実在するH&K社のXM8がモデルになっています。

また人物の名前の由来は

千奈流空子:中国では大スターの日本人AV女優 蒼井そら
      (“China”で“流”行、蒼井“そら”)

大角勝典:里見八犬伝の犬村大角礼儀(いぬむら だいかく まさのり)

ちなみに遠藤弘忠警部は第1話だけの登場のつもりだったので名前に元ネタは無く、その場でなんとなく決めました。この調子だと彼も準レギュラーになりそうです。


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天童の禁術

 20~30年ぐらいタイムスリップしたかのように感じる廃れた路地、木造建築や変色した元白色のビル、蔦の絡まった廃墟のようなアパートに囲まれながら、遠藤警部は目的の場所へと歩いていた。

 燦々と照り続けているはずの太陽の光もあまり届いていない。時計では真昼のはずだが、あまりの暗さに夕方のようにも思える。

 

「ここ…だよな?」

 

 遠藤の目の前にあったのは、ぼろいを通り越して半分廃墟の家屋だった。白色だったであろう壁は経年劣化による変色とスプレーの落書きで酷いことになっていた。看板は辛うじて『片桐民間警備会社』と読める。

 遠藤は紙に書かれた住所とスマホのGPSを見比べるが、信じがたいことに片桐民間警備会社は目の前だ。これが第三次関東会戦を生き延びた民警の一人、東京エリアの救世主と同じアジュバントで戦った男、序列451位の男が社長を務める会社とは思えなかった。

 

「あんた、もしかして依頼人?」

 

 背後から聞こえた少女の声、遠藤は思わず振り向いた。

 視線の先にいたのは10代後半の少女だった。波のようにうねるセミロングの染められた似非金髪、全体的な黒エナメルの服、スレイブチョーカー、両手には銀色のゴテゴテとしたアクセサリーといったパンク過ぎるファッションで完全武装していた。しかし、胸元は大きく開けられており、若い男なら彼女の豊かな胸元に目を奪われるだろう。

 ガムをくちゃくちゃと噛みながら、彼女はどこか擦れた視線でじっと遠藤を見ていた。

 

「すまないが依頼人ではない。勾田署の遠藤だ。君は?」

 

 遠藤が自己紹介をしながら警察手帳を見せた。その瞬間、少女の顔は強張った。口に出していなくても「げっ」と言ってしまいそうな表情だ。何か警察の世話になる心当たりがある者が示す分かり易いリアクションだった。

 

「か、片桐弓月……だけど」

「イニシエーターの?」

「そうだけど……ウチの兄貴がまた何かやらかした?」

「いや、ちょっと話を聞きに来ただけだ。第三次関東会戦で組んでいたアジュバントについて聞きたいことがある」

 

「あー」と弓月は悟った目をして、遠藤に哀れみの視線を向ける。

 

「あの変態――里見蓮太郎のこと、兄貴にはマジで聞かない方がいいよ。前にも仕事で話を聞きに来た雑誌記者がぶん殴られたから」

「第三次関東会戦で、お兄さんと里見蓮太郎の間で何かあったのか?」

「何があったも何も――」

 

 弓月は途中で口を止めた。

 

「ちょっと向こうのファミレスで話すよ。ここだと兄貴に見つかるから」

 

 

 

 

 

 少し歩いて路地を抜けたところのファミレス。片桐民間警備会社の近くとは信じられないほど明るい通りに面したよく見かけるチェーン店だ。

 そこの店の奥、外側から決して見えない位置の座席に遠藤と弓月は向かい合って座った。2人の組み合わせは「反抗期の娘と厳格な父」「ヤンキー女子高生と彼女を補導した刑事」のように見える。

 お互いにドリンクバーだけ注文し、弓月の前にはガラスコップいっぱいに注がれたコーラ、遠藤の前にはブラックコーヒーが置かれた。

 

「それで?聞きたいことって?」

「第三次関東会戦で君たちと同じアジュバントに属していた薙沢彰磨についてだ。覚えているか?」

 

 そのことを尋ねた途端、弓月の表情に暗い影が落ちる。第三次関東会戦と聞くだけで目の前で無惨にも死んでいったプロモーターやイニシエーターの姿、迫り来るガストレアの行軍がフラッシュバックする。その上、アルデバランと共に果てた薙沢彰磨と知らぬ間に脱落した布施翠のことも思い出す。

 

「すまない。無神経だったか」

「いや、大丈夫よ」

「ああ。実は昨日、侵入したガストレアが奇妙な状態で発見された。体を内部から爆破させられたような死に方だ。爆発物の類は発見されていない。そのガストレアを追っていた民警はガストレアを倒した男を目撃している」

 

 遠藤は鞄の中から昨日作成した似顔絵を出して弓月に見せる。

 直後、弓月は驚愕した。顔の表情は固まり瞳孔が開いた。

 

「あの変態……生きていたんだ」

 

 遠藤は弓月の反応を見逃さなかったが、そのまま話を続ける。

 

「この男はこれといった武器を持っていなかった。つまり素手でガストレアを爆破させたというわけだ。そこで君に聞きたいことがある」

「何?」

「里見蓮太郎や天童木更は薙沢彰磨と同じ攻撃手段を持っていたか?」

「いや、持っていなかったと思う。蓮太郎が初段で薙沢さんが八段って言っていたから、段位の違いで使えないのかも。木更さんは刀を使ってたし」

 

 弓月は迷いなく、思い出すまでもなくそう答えた。

 彰磨の戦い方は覚えているし、非常に印象深かった。拳一つでガストレアを爆殺する彼の武術は味方としてとても頼りになった。蓮太郎のそれも義肢によるブーストで拳や蹴りが人のそれを遥かに凌駕していたが、彰磨の拳は異次元だった。

 

「そうか。ありがとう。それとこの似顔絵の人物、見覚えがあるな?」

「当たり前じゃない!これどう見たってあの変態の里見蓮太郎よ!」

 

 弓月が大声を上げたせいで周囲の客やウェイトレスの視線を浴びる。弓月は自分の行いをはっと気づいて顔を赤くしながら俯く。

 

「情報提供ありがとう。店を出ようか」

 

 2人は周囲の注目を浴びながらレジで会計を終え、店の外へ出た。

 少し歩きながら遠藤は似顔絵を弓月に見せて確認する。

 

「本当に里見蓮太郎なんだな?」

「間違いないわ」

 

「そうか。ありがとう」と感謝の意を述べて遠藤は似顔絵をカバンの中に仕舞った。

 

「それともう一つ聞きたいことがある」

「何?」

「君のお兄さんと里見蓮太郎の間に何かあったのか?」

 

 その質問を投げかけられた途端、弓月は俯いて口を噤んだ。

 

「ごめん。それは私の口からは話せない」

 

 弓月は“知らない”ではなく“答えられない”と言った。少なくとも片桐玉樹と里見蓮太郎の不仲の理由を彼女は知っている。しかし、話せないのは警察に知られたくない何かがあるのか、それとも玉樹の個人的な何かが原因なのか。遠藤はこれ以上何も追求せず、名刺を渡して彼女と別れた。

 

 

 

 

 

 

 エリアという形で人間の居住区域が限定された現代において、土地というものは非常に貴重なものとなっている。地価はガストレア大戦以前の数十倍にも膨れ上がり、その中でも一等地と呼ばれる場所は金で買える次元ではなかった。

 東京エリアの一等地、その一等地の大半を占めるのは天童家の本家だった旧天童邸。純和風の壮大な屋敷だ。現在は長老の天童助喜与だけが住んでおり、彼の居住スペース以外は文化遺産として保護されている。

 隣には天童流を伝授するための道場が存在する。数年前までは一部の人間にしか伝授されなかった閉鎖的で門戸の狭い道場だったが、現在は少しばかり開放的になっている。

 広い道場の中心で二人の男女が向き合う。

 胴着姿の森高詩乃は長棒を構え、真っ直ぐと敵の構えを観察する。

 目の前には天童式神槍術の師範代。自分より遥か上の存在、決して埋められない実力差を持った強敵だ。その差は例え赤目の力を使っても埋められない。

 お互いに攻撃の構え、防御の構えを交互に繰り返しながら牽制する。

 天童流の特徴はその構えにある。構えだけでも何十種類と存在し、それらの構えを適時適切に扱うことが第一歩とされている。傍から見れば互いに見つめ合いながらゆったりとポーズを変えているようにしか見えないが、2人の間には火花を散らす激戦が既に繰り広げられている。構えの時点で既に勝負は始まり、技が出た時には既に勝負は決まったようなものだ。

 詩乃は防御の構えから、攻防一体の構え、そこから防御の構えにする。

 

 

 

 ――と見せかけて、攻撃の構えに転じた。

 

 足を踏み込み、縮地で一気に間合いへと入り込んだ。

 

 天童式神槍術三の型六番 流水扇(りゅうすいせん)

 

 水をも弾く神速の突きが師範代の腹部を狙う。しかし師範代は身体を捻ることで突きを回避し、すぐに反撃の手を打つ。

 

 天童式神槍術一の型三番 逆子黒天風(さかごこくてんふう)

 

 師範代の長棒が詩乃の長棒の下に入り込み、梃子の原理で力強く棒を打ち上げた。詩乃の長棒は高く打ち上げられ、彼女の腕は上がる棒に持って行かれた。わき腹が大きく開き、隙が出来る。

 

 天童式神槍術二の型十六番 龍掃岩薙(りゅうそうがんち)

 

 師範代の棒が一度右に大きく開き、前方を薙ぎ払うように一気に左へと振られる。両手で握られ、身体の回転もかけられた強烈な一撃が見舞われる。

 詩乃は咄嗟にカバーしようとしたが間に合わず、強力な一撃が脇腹を直撃した。

 バシーンと棒が脇腹を叩く音が道場中に鳴り響いた。

 

「森高。今日はここまでだ」

 

 詩乃は叩かれた脇腹を手で押さえながら、立ち上がった。そして師範代と向き合う。

 

「まだ構えが甘い。切り替えを慌てたせいでどっちの構えも中途半端になっている」

 

 師範代の言葉がグサグサと詩乃の心に突き刺さる。構えに始まり構えに終わる天童流で構えを指摘されることはあってはならない。それだけ詩乃は天童流神槍術の使い手として未熟だということだ。

 

「この調子だと、段位にはまだ遠いな。精進するように」

「はい。ありがとうございました!」

 

 詩乃は深く礼をすると練習用の槍(長棒)を棒立てにかけて道場を出た。まだ脇腹が痛むが、それ以上に自分の未熟さが痛かった。段位の壁はまだ高かった。

 

 

 

 

 時刻は夕方、天童流の道場の前で義塔壮助は詩乃が出るのを待っていた。壮大で厳格な天童の道場では、チンピラの壮助はあまりにも不自然でかつ違和感の塊だった。道場に用のある人や通りがかる人がチラチラと壮助に目を向けては通り過ぎて行く。詩乃の迎えはほぼ毎回やっているが、慣れによって視線が少なくなる気配はない。

 腕時計を見ながら練習が終わる時間を確認する。

 また一人、天童の道場に近づいてきた。

 

「誰かと思えば、昨日の民警じゃないか」

 

 遠藤警部が気軽に声をかけてきた。しかし壮助は威嚇という形で返答する。昨日の報酬未払いと長い取調べの件で彼には悪印象しかない。

 

「俺に報酬を払う気になったんですか?」

「違うな。捜査だ」

「昨日の黒仮面のことですか。どんだけ分かったんですか?」

「一般人に捜査状況は教えられない」

「ふーん」

 

 その後、数分ほど遠藤と壮助は阿吽の像のように道場の門の両脇で来る人出る人を待ち構えた。2人だけの無音の空間が続き、互いにとても気まずい状態になっていく。

 

「道場に用があるんじゃないんですか?」

「乗り込みたい気持ちでいっぱいなんだけどな」

 

 遠藤は顎をくいっと動かし、壮助に門の中を覗くように促す。

 少し開かれた門の奥には竹林が広がっていた。鬱蒼と生い茂る濃緑色の竹とそれを割くように石畳が並べられていた。天童流の道場はこの石畳を武の道とでも言いたいのだろうか。30m先に『天童流』と看板が掲げられた木造平屋の道場が見える。

 道場の目の前に一人の男が聳え立っていた。2m近い細身の男性。その目は鷹のように鋭く門を潜る者達を見据えている。朱色の鞘に納められた日本刀が彼の腰に据えられていた。

 

「辻さんじゃないですか。相変わらず目が恐ぇ……」

「ありゃあ何人も斬ってる目だ。刑事の勘だがな」

 

 道場の入り口の前には、いつも辻さんと呼ばれる天童式抜刀術修練者の男が立っている。門番のつもりらしいが、誰も本人から入口の前に立つ理由を聞いたことはない。

 辻には様々な噂が絶えず、視線だけで人を殺したことがある、本当に辻斬りだった、あの免許皆伝の天童木更と切り結んだことがあるなどと例を上げればキリがない。ちなみに辻さんと呼ばれているのも「辻斬りっぽいから」という理由だけでこれが本名というわけでもない。

 壮助と遠藤が門を潜らないのは主に彼が原因である。

 

「まさか、辻さんが恐いんですか?」

「ああ。恐い」

 

 壮助は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。嫌味たらしく尋ねたので否定されると思っていたが、まさか遠藤が正直に「恐い」と返答するとは思いもしなかった。

 

「一度、あいつに斬られそうになったからな」

「あの人、マジモンの辻斬りだったんすか!」

「天童菊之丞が暗殺された時だ。天童が隠してきた今までの悪行を暴こうと俺たちはこの天童邸と道場に強制捜査に入った」

「ニュースで見ました」

 

 東京エリア中の刑事を総動員した天童邸への家宅捜索は全てのチャンネルで争うように実況中継されていた。それだけ天童家のスキャンダルは大きく、東京エリアの政治・経済への影響は計り知れなかった。

 警察による強行捜査に対して一部の天童流武術の修練者が反発。天童邸は機動隊と天童流がぶつかり合う戦場と化し、民警まで呼び出され混沌を極めた。天童流の開祖にして現役師範である天童助喜与の一喝が天童流の修練者たちを止めた。そこで抗争は幕を下ろし、家宅捜索によって多くの証拠を発見することができた。

 

「その時、俺はあいつに斬られそうになった。あと1秒遅かったら俺の上半身と下半身が分離してただろうな」

「うへぇ」

 

 あのニュースの裏側を聞かされながら、壮助はあることを企んでいた。

 遠藤は天童流の道場に入りたがっているが、辻への恐怖で入ることはできない。それは壮助も同じであるが、彼には遠藤に対するアドバンテージがある。それは詩乃の存在だ。詩乃は修練の度にこの門を潜っている。辻と何度もすれ違っており、ここに入ることに抵抗がない。それどころか辻と楽しそうに会話するところを壮助は何度も目撃している。そのアドバンテージを利用して取引をしようという企みだった。

 

「遠藤警部。取引しませんか?」

「話を聞こう」

「まだウチの詩乃が中にいるんですよ」

「お前んとこのイニシエーター、天童流だったのか」

「まぁ、まだ段位無しですけど。あいつはまだ中に居ますし、あいつは辻さんと仲が良い。入口から離すことも可能っす」

 

 それは悪くない考えだと遠藤は壮助の案に乗ろうかと考える。このままだと忠犬ハチ公のように門の前で師範代が出るのを待ち続けなければならない。その手間が省けるのであれば嬉しい限りだ。壮助に対する見返りの内容にもよるのだが。

 

「見返りは?」

「とりあえず、今晩の飯代で」

「最近、懐が寂しいから牛丼屋な」

 

 壮助はスマホを取り出し、詩乃に連絡を取った。「辻さんが恐くて客人が道場に入れない」と言って詩乃に辻を入口から引き離すように頼んだ。数分も待たずして入口に詩乃が現れ、辻と何か話すと再び道場の中へと入っていった。

 

「これで条件はクリア」

「突入開始」

 

 どこか息の合った2人は小走りで石畳の道を抜け、音を立てずに入口へとたどり着いた。

 インターホンらしきものは見当たらず、あるのは傘立てと引き戸だけだ。

 壮助が軽くノックすると中から「どうぞ」と若い女性の声が聞こえた。

「失礼します」と言って壮助がガラガラと引き戸を開けて中に入る。その後ろに遠藤が続く。

 玄関口で20代の女性が正座をして出迎えてくれた。長い黒髪をゴムで纏めており、振る舞いから彼女も天童流の修練者であることが窺える。

 

「勾田署の遠藤です」

「松崎民間警備会社の義塔です」

 

 身分証明として遠藤は警察手帳、壮助は民警のライセンスを出す。

 

「これはどうもご丁寧に。何かご用でしょうか?」

「捜査の一環です。天童式戦闘術について聞きたいことがあるので、師範もしくは師範代に会わせてはもらえないでしょうか」

「畏まりました。どうぞお上がりください」

 

 女性は2人に靴を脱いで上がるように催促すると、2人を客間に案内した。2人に茶を出し、「師範代をお呼びします」と一言残して2人を部屋に残した。

「案外、すんなりと入れましたね」と壮助と遠藤が軽く雑談をすること10分、茶も無くなってきたところで女性が師範代を連れてきた。

 和服に身を包んだ50代の男性だが、その身と振る舞いに老いというものは感じられなかった。さすが武道の修練者といったところか。彼の年齢はむしろ威厳を際立たせるための数字となっていた。

 女性は壮助と遠藤に茶を注ぎ、師範代にも茶を出すと、一礼をして客室から出て行った。

 

「天童式戦闘術免許皆伝、師範代の矢賀坂です」

 

 壮助と遠藤は再び警察手帳と民警ライセンスを出して自己紹介した。

 

「突然のことで申し訳ありません」

「いえいえ。お気になさらず。お2人は捜査の一環で訪れたということですが」

「はい。実は――」

 

 遠藤は昨日の侵入したガストレアと黒い仮面の男、その男が天童式戦闘術の使い手であることを話した。仮面の男が里見蓮太郎であるという片桐弓月の証言は伏せた。

 

「それで、天童式戦闘術に殴った相手を内側から爆破させる術があると?」

「はい。まだ可能性の話ですが」

 

 矢賀坂は押し黙った。答えを渋っている様子が見て取れる。無いなら無いとハッキリ言えないところで遠藤と壮助は天童流に何かあると確信した。

 

「まぁ、殺害されたのはガストレアですから、仮にこの道場の誰かが犯人だとしてもせいぜい厳重注意ですよ」

 

 遠藤と壮助は矢賀坂が何を恐れているのが分かっていた。それは天童流が脅かされること。数年前の天童邸強制捜査と天童家の悪事が暴かれたことで天童流もその立場を脅かされた。もし助喜与が死去していたら、天童流はもう残っていないだろう。

 

「天童流に、相手を確実に殺害するような術はありません。そもそも天童流は護身の武術。今でも護身の域は越えておりません。ただ――」

「ただ?」

「それを殺人術に変えた男がいました」

「薙沢彰磨ですね?」

「はい。あの男は若くして八段まで上り詰め、免許皆伝は時間の問題とされていました。しかし彼は天童流の禁を破ったのです。1つは衝撃を与えた際に相手の血流を暴走させることで爆破させる殺人術に変えたこと、もう一つは免許皆伝のみが許される新しい術の開発をしたことです」

「だから破門にした」

「はい」

「ではもう一つお聞きします。薙沢はその殺人術を他の誰かに伝授しましたか?」

「彼の破門後に流派の中で調べましたが、確認は出来ませんでした」

「外部で誰かに伝授した可能性は?」

「それはおそらく無いでしょう。あれは天童式戦闘術が基礎となっています。外部で誰かに伝えるとしたら、既に天童式戦闘術を得ている者、またはその者に最初から天童式戦闘術を教える必要があります」

「もし最初から教えるとしたら、どれくらいの期間が必要ですか?」

「個人差はありますが、初段まで短くても5年はかかります。殺人術の会得までとなるとどれほどかかるのか……」

「そうですか。お忙しい中ありがとうございました。もし何か思い出した時はこちらにお願いします」

 

 遠藤は矢賀坂に名刺を渡し、ソファーから立ち上がった。それに続いて壮助も立ち上がる。

 矢賀坂に見送られながら、玄関口で靴を履き、扉を開けた。

 目の前で2人を睨む鷹の眼光。辻が数センチ先で2人を睨んでいた。ただ黙り、口が動く様子もない。何を主張したくてそんな目をしているのかも分からない。恐怖の根源とは情報の不足であることを実感し、蛇に睨まれた蛙のように震え上がっていた。

 

「あ、壮助。もう話終わった?」

 

 辻の後ろに隠れていた詩乃が顔を出す。彼女のお陰で壮助と遠藤は安堵する。もし辻が文字通り辻斬りになっても彼女なら制することが出来るだろう。

 

「あ、ああ。もう終わった。帰るぞ」

 

 そそくさと壮助は詩乃の手を引き、遠藤と一緒に天童家の門を抜けた。敷地を出るまで背後から鋭い視線を感じ続けたので寒気が絶えず、2人には門が天国への扉に思えた。

 ほっと一息つくと、壮助は遠藤の肩を叩いた。

 

「じゃあ、晩飯の件、お願いしますよ」

 

 抜け目のない壮助に遠藤は軽く心の中で舌打ちする。

 

「良いだろう」

 

 2人分の牛丼ぐらい今日得られた情報に比べれば安いものだ――と、遠藤は考えていた。

 

 

 

 

 

 約束通り、遠藤は2人の夕食の代金を肩代わりした。遠藤の財布が寂しいので牛丼チェーン店だったが、2人が不満を口にすることは無かった。食事が始まるまでは――

 壮助と遠藤は既に牛丼を食べ終えていた。2人の前には空になった器が置かれていたが、壮助の隣に座る詩乃はもう何杯目か分からない牛丼をガツガツと食べていた。

 壮助はあまりの申し訳なさに俯き、遠藤は冷や汗をかきながら財布の中身を何度も確認する。

 

「なぁ……。こいつはまだ食べ終わらないのか?」

「これで察してくれるだろ?ウチのエンゲル係数」

「けっこう苦労しているんだな」

「同情するなら報酬をくれ」

「駄目だ」

 

その日の牛丼代

・牛丼並盛          350円 ←遠藤弘忠

・チーズぶっかけ牛丼メガ盛り 730円 ←義搭壮助

 

以下、森高詩乃の今晩の夕食

・牛丼ギガ盛り        750円

・チーズぶっかけ牛丼ギガ盛り 830円

・辛子高菜牛丼ギガ盛り    830円

・ビビンバ丼ギガ盛り     880円

・サラダ盛り付け       150円

・おろしポン酢牛丼ギガ盛り  830円

・カレー牛丼ギガ盛り     880円

・ペガサス昇天MAX盛り牛丼  1300円

 

合計  8360円(税抜き)

 

遠藤はただただ今晩の夕食が経費で誤魔化せるかどうか、願うばかりだった。

 




これ完全に遠藤警部がもう一人の主人公だよ。
あと必殺技の名前難しい。原作っぽく目指したけど、あのセンスには敵わない。

感想くださったのに返信できなくてすみません。
仕事のある日はずっとパソコンを仕事場に置いているのでタグの通り平日は無反応です。


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狂刃は再び

休日更新とか言ってて、遅れてすみません


 朝日の眩しい午前9時。太陽の光は東京エリアの一角にある廃墟アパートにも降り注いでいた。立地条件、設備ともに悪いこの廃墟アパートでは日当たりの良さだけが他所に自慢できるところだ。

 カーテンの隙間からこぼれる朝日に当てられ、壮助は目を覚ました。鬱陶しく感じながらも目を擦り、上体を起こした。壁掛け時計は朝9時を指していた。

 隣で寝ていたはずの詩乃の姿は無かった。

 この部屋では寝るとき、部屋の真ん中に鎮座するちゃぶ台の足を畳んで端に寄せ、そこに2人分の蒲団を敷く。最初は互いに意識して壁の両端に布団を敷いていたが、徐々に距離が縮まっていき、今では完全に布団をくっつけるようになった。詩乃は一つの蒲団まで目指しているが、壮助がなんとか食い止めている。

 部屋を見渡すと壁に掛けられていたはずのブレザーが無かった。詩乃が通う中学校の制服が無いことで今日が平日であることに気づいた。

 民警と言う仕事は平日・休日と言った概念がない。依頼があれば勤務日、無ければ休日だ。松崎民間警備会社の民警は出勤の義務は無く、毎日会社に来るのは社長の松崎、事務員の空子だけだ。壮助と勝典は気が向いた時に事務所に足を運ぶだけだ。

 会社によっては朝、出勤して依頼が来るまで暇を潰しながら休憩室でスタンバイするところもある。

 壮助は蒲団から出るとまず自分の身体と服装を確認した。衣服は乱れていないか、口の周りや頬が妙に濡れていないか、下半身のステータス、要は寝ている間に詩乃に襲われなかったか確認する。

 とりあえず今日もセーフだった(と信じている)。寝ている間に13歳の同居人に魔法使いになる資格を奪われたなど笑い話にもならない。魔法使いになりたくもないが。

 布団を畳みながら今日は何をしようかと考える。バイトもこれといった用事も無い。銃の手入れも昨日の内に済ませた。またDVDでも借りて映画でも見ようかと、休日のようなスケジュールを頭の中で組み立てる。

 見る映画のチョイスまで考えていた矢先、ちゃぶ台の上に置かれていた壮助のスマホに着信が入る。着信音で幸せ休日計画から現実に引き戻された。

 スマホの画面には『松崎民間警備会社』と発信元が示されていた。

 

「はい。義塔です」

『おはようございます。義塔くん』

 

 電話の主は松崎だった。壮助は身が締まる思いになり、サラリーマンのように姿勢を正す。

 

『急で悪い話ですが、私と一緒に防衛省に来ていただけないでしょうか?』

「大丈夫です!暇だったんで!暇過ぎてヤバかったんで!

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――え?防衛省?」

 

 

 

 

 

 

 ガストレア大戦前から新宿に位置する防衛省。

 大戦後に改築した正門を何台もの車が通る。色も形も車種のバラバラ、一目で公用車ではないことが分かる。時には派手なスポーツカー、オンボロな軽自動車、ワゴン車などバリエーションに富む。

 勝典が運転する松崎民間警備会社の車も防衛省の正門に着いた。4人乗りのグレーの乗用車、助手席に壮助、後部座席に松崎が乗っていた。

 衛兵の案内に従って駐車し、三人は車から降りた。壮助と勝典はトランクを開けて、それぞれ楽器ケースを取り出した。壮助は一般的な肩掛けサイズ、勝典は背丈ほどの長さを持つ。中身は2人が用いる武器だ。壮助は司馬XM08 AG。勝典はバラニウムの大剣とサブマシンガンのワルサーMPLだ。無用な警戒を避けるための配慮として楽器ケースに隠して武器を持ち歩く民警が多い。

 初めて入る防衛省で壮助は少し挙動不審になっていた。

 

「防衛省から依頼ってヤバいですね」

「そうか。お前は来るの初めてか」

「大角さん、来たことあるんですか?」

「6年前に一度だけな」

「“だけ”って、一度でも十分凄いっすよ」

「別に俺に名指しで仕事の話が来たわけじゃない。今回みたいに複数の民警に同時に依頼する形だ。俺は呼ばれた民警のうちの一つに過ぎんさ」

 

 そうこう話している内に指定された会議室に到着した。

 開放感ある広大な部屋にシンプルでありながら高級感を放つ長方形のテーブル。部屋の奥には巨大なスクリーンが設置されている。

 中央の長方形のテーブルを囲むように座るスーツ姿の中年男性たち、彼らの背後には2人の人間が付き従うように立っている。彼らも防衛省に呼ばれた民警の社長、背後にいるのは民警ペアだ。ほとんどがプロモーターとイニシエーターのペアだが、壮助たちみたいにプロモーター2人を連れた会社もある。

 6年前にガストレア新法が成立して以降、呪われた子供たち、通称、赤目の人権が保障された。外周区の再開発やホームレス生活を送る赤目たちの保護が東京エリア政府によって推し進められている。新法はイニシエーターも対象であり、今では彼女たちを学校に通わせる民警も増えている。

 2人だけの会社もある。片桐民間警備会社だ。プロモーター兼社長玉樹が前方に座り、背後に弓月が立っている。

 座席の前にプレートが立てられており、『松崎民間警備会社』のプレートが置かれた席に松崎が座り、背後に壮助と勝典が立った。

 

「よぅ。まだ死んでなかったのか。大角」

 

 勝典の隣、『葉原ガーディアン』の民警が絡んできた。顔中に傷を持ち、眼帯を付けた男だ。黒いコートを着用し、内ポケットに収納している拳銃やナイフをチラつかせる。

 その表情と口調は嫌悪感を催すものだった。嫌味どころの話ではない。男は純粋な憎悪を勝典に向けていた。

 

「ああ。まだ死に損なってるよ。天崎」

「最近、儲かってんじゃねえか。序列1000番台たぁ、昔のお前から考えられないぜ。ビビって戦場から逃げたお前なんかになぁ……。あ、そうか。6年前にお前より強い民警がたくさん死んだから繰り上がっただけか?」

 

 嘲笑する天崎を勝典は黙したまま見続け、壮助は今にも噛みつきそうな顔で睨んでいた。

 

「天崎。これ以上面倒事を起こすなら退席してもらおうか」

 

 葉原ガーディアンの社長が天崎を制止する。振り向かず背中で語る形だが一企業の社長らしく威厳があり、天崎は舌打ちすると勝典から視線を逸らした。

 部屋の奥、スクリーン脇に立つ中年男性が前に出た。

 

「全員、お集まり頂いたようですね。それでは、今回の依頼についてお話しさせていただきます。依頼内容はエリアの機密事項にあたるため、依頼の話を聞いた後に断ることは出来ません。また、他言無用でお願いいたします。もし抜けると言うのであれば、今ここでお願いします」

 

 全員が固唾を呑んだ。だが、誰も抜け出すつもりは無いようだ。

 

「では、続けさせていただきます」

 

 中年の男はリモコンを取り出し、スクリーンに向けてスイッチを入れた。

 スクリーンに映ったのは一人の女性の顔、白磁のような肌と画面越しでも分かる高潔さ、そして誰もが見惚れる美しさを兼ね備えた完成された美女。

 東京エリア首長、通称“聖天子”が映し出されていた。

 

「聖天子様」

 

 社長たちが椅子から立とうとするが、『そのままで結構です』と聖天子に制止された。

 

『昨晩、防衛省技術研究本部に何者かが侵入し、本部で保管されていた“あるもの”を盗み出しました。依頼の内容は2つ。一つは盗まれたそれを取り戻すこと、もう一つは侵入者の確保です』

 

 画面の一部に盗まれた“あるもの”が映し出される。複数の真っ黒な機械がコードで繋がれたものだ。機械同士はブロックのように組み合って、一つの直方体のように纏まっている。コンピュータのハードウェアを一部切り取ったような見た目だ。何のための機械で何をするものなのか皆目見当がつかない。

 壮助はあれこれ考えていると、社長の一人が挙手した。

 

「聖天子様。その“あるもの”とは一体なんでしょうか?」

『盗まれたのは通称“賢者の盾”。5つのバラニウム製の機器で構成された強力な斥力フィールド発生装置です』

 

 聖天子の口から壮助の疑問の答えが出たが、むしろそれは混乱させるものだった。斥力フィールドが何なのか理解できず、バラニウムと斥力の関係など尚更の話だった。

 

(物理学実験で使う専門機器とかか?)

 

 壮助の頭の上には疑問符が浮かんでいたが、彼以外の人間は意味を理解したのか、動揺し、どうにか感情を発散しようと隣の人物と話し合う。

 

『ここにお集まりの皆様には覚えがあると思います。今回盗まれたのは、四賢人最高の頭脳と称されたアルブレヒト・グリューネワルトの産物、かつて東京エリアを滅亡寸前にまで追い詰めた機械化兵士、蛭子影胤の臓器です』

「蛭子……影胤!?」

 

 周囲の社長や民警は愕然とする。恐怖でガタガタと震え始める人もいれば、「まぁ、そんな話だろうとは思ってた」とすまし顔を維持する人もいる。片桐ペアがそんな感じだ。

 周囲の反応に壮助は困惑する。ステージⅣやⅤのガストレア以外で東京エリアの民警、その上位陣を震撼させる存在がいることに驚いていた。そして、自分たちがとんでもない仕事を引き受けてしまったことも。

 

『もう一つの依頼はその侵入者の確保です。侵入者は――「説明するまでもないよね」

 

 聖天子の言葉を遮るように聞こえた少女の声、全員が声の発信源である部屋の入り口あたりを振り向いた。

 ウェーブ上の短髪に呪われた子供特有の赤い目が不気味に光る少女。年齢は壮助と同じかプラスマイナス1歳といったところか。手足が長くスラッとしたモデル体型で背丈も165センチ近い。袖とスカートが素手で千切られた跡のあるワイルドな黒いドレスを身に纏い、胸元と手首には十字架をあしらったシルバーアクセサリーをつけている。背中には鞘に入れられていない抜身の太刀が黒く輝いていた。

 全員に悪寒が走り、民警たちは武器を取り出して、刃の切っ先と銃口を一斉に少女に向ける。

 

『貴方は……蛭子小比奈』

「ご名答~。お久しぶり。聖天子様」

 

 多数の民警に銃口と切先を向けられているにも関わらず少女――小比奈は平然としていた。口元が緩んで不気味な笑顔を見せる。余裕の笑みどころか、逆に今の状況を楽しんでいるかのようだ。

『これを盗んだのは貴方ですね』

「うん。そうだよ。パパを返して欲しかったからね」

 

 小比奈は少女らしく振る舞うが、その所作一つ一つに狂気が見え隠れする。

 

 

 ――突然、小比奈の手足が縛られるような挙動を見せ、彼女が空中で縛り付けられる。小比奈の身体には極細の繊維、蜘蛛の糸が絡まり、それが天井へとつながっていた。

 小比奈を縛ったのは弓月だった。クモの因子を持つイニシエーター。小比奈を縛ったのも彼女の指先から出ている蜘蛛の糸だった。

 

「関東会戦以来ね。蛭子小比奈。このままお縄について頂戴」

「それは出来ない相談だよ。私は純粋にパパを返して欲しかっただけだから。それに――」

 

 突如、部屋中の窓ガラスが割れ、民警たちが部屋のテーブルや椅子と共に中央から吹き飛ばされた。示し合わせたかのように全員が強い衝撃で壁に叩きつけられ、椅子に座っていた社長のほとんどが衝撃に耐えられず気を失った。民警の中には壁に激突した際に骨を折った者もいる。

 何事もなかったかのように小比奈を縛る糸が解け、彼女の手足が解放される。バラバラに斬られた糸が宙を舞って地面に落ちた。

 弓月は驚愕した。小比奈を縛る蜘蛛の糸は元々持っていた粘性や弾力性を維持したまま、ガストレアウィルスによる強化で鋼鉄のワイヤー以上の強度を誇っている。斬るなどそう容易いことではないし、引っ張って千切るのも不可能だ。もしそうしているのであれば、小比奈の身体がバラバラになっているはずだ。それどころか、小比奈には糸に抵抗しようとする素振りすら見られなかった。

 いや、それ以前に今の衝撃波は何だったのか。一瞬にして最高級の会議室を紛争地帯のような惨状へと変える威力、一瞬にして形勢を逆転させる圧倒的な力、そんなものが小比奈に備わっていたのかと――。

 

「ここで終わるのはパパも“あいつ”も許さないから」

「あいつって誰のことよ」

「いるよ?そこに」

 

 小比奈が部屋の中央、テーブルの上を指さした。

 誰もが“あいつ”の存在に気付かなかった。“あいつ”は全員が取り囲んでいるテーブルの上、その中央に堂々と存在していた。小比奈に視線が集まっているから気付かなかったなどと言い訳できるものではない。

 黒い仮面の男が跪いていた。小比奈に背を向け、聖天子が映る画面に向けて頭を垂れる姿は、まるで聖天子に忠誠を誓う騎士のようにも見えた。

 男の右手にはバラニウムの日本刀が握られていた。あれが弓月の糸を斬ったものだろう。本来銀色に輝くはずの日本刀が黒いというだけで禍々しさを感じるが、黒い仮面の男が持つそれから発せられるのは“刀身が黒い”というだけでは説明できなかった。生物の本能的な嫌悪感、危機感をその刀から感じざるを得ない。

 突然現れた二人のイレギュラーに意識が残っていた民警たちは困惑する。どちらに銃口を向けるべきなのか戸惑い、部下や上司、隣の人間と示し合わせて向ける銃口を分担する。

 社長の椅子と共に飛ばされ、背中を強打した松崎は徐々に回復する意識と視界の中で黒い仮面の男の姿を捉えた。

 もう一度会いたいと思っていた。何と礼を言っていいか分からない。どれだけ詫びればいいのか分からない。彼には生涯背負う不幸を与えてしまった。彼が世界に絶望する切っ掛けを与えてしまった。背負わなくてもいい十何人もの命を背負わせてしまった。

 その男に渦巻く複雑な感情と共に彼との記憶が走馬灯のように蘇る。

 

 黒い仮面の男の姿が、

 

 かつて教壇の上に立っていた彼の姿が、

 

 全てを黙して何も告げぬ彼の姿が、

 

 少女たちの亡骸の前で名前を告げる彼の姿が、

 

 残酷な世界で打ちのめされた彼の姿が、

 

 そんな残酷な世界でも正義を信じて全てを救った彼の姿が

 

「里見蓮太郎さん……ですね?」

 

 松崎は黒い仮面の男の名を呟いた。仮面の男――改め里見蓮太郎は松崎を一瞥するが、すぐに視線を反らす。

 

「松崎さん!下がってくれ!」

 

 勝典が松崎の身を引かせ、彼の盾になるように壮助が前に出て銃を構える。

 壮助は司馬XM08AGの銃口を蓮太郎に向ける。しかし、指が震えて引き金にかからない。

 里見蓮太郎――東京エリアでその名を知らない民警はいない。その名前は最強のプロモーターを意味し、幾度となく東京エリアを救った英雄を意味する。

 そんな雲の上の存在が“敵”として目の前にいる。それを目の前にするだけで足が震えあがる。それに銃口を向け、引き金に指をかけるには勇気だけでは足りなかった。己を省みない蛮勇が必要だった。

 

「てめぇ……!ようやく姿を現しやがったな!」

 

 怒号と共に部屋にモーター音が響く。片桐民警会社のプロモーター、片桐玉樹が啖呵を切る。

 染めた金髪に亜麻色のサングラス、ライダージャケットを着た偉丈夫の男だ。兄妹でセンスを合わせているのか、妹の弓月のパンクファッションと並ぶと二人が兄妹であることがよく分かる。

 拳にはバラニウムのチェーンソーナックルを装着し、ボクシングの構えを取る。

 玉樹が前進した。前傾姿勢で一気に接近し懐に入った。速いどころの話ではない。誰も――おそらく蓮太郎も――玉樹の接近に気付かなかった。

 戦いは完全にボクシングの間合いだった。接近した玉樹はダッキングの要領で蓮太郎の脇腹に拳を打ち込む。バラニウムチェーンソーは回転している。ここにいる誰もが、蓮太郎の血潮と臓物がここで飛び散ると確信していた。スクリーンの聖天子も思わず目を覆う。

 

 

 

 ――ガッ!ドォン!!

 

 玉樹がテーブルに叩きつけられていた。テーブルにクレーターが出来上がり、放射線状にひびが入る。蓮太郎は何事も無かったかのようにすまし顔で辺りを見渡す。

 

「撃て!撃ち――

 

 恐怖に敗北し、端を発した民警が倒れた。背後には蓮太郎が手刀を作っていた。

 瞬間移動としか思えない業に周囲の民警が怯えて震えた手で銃口を向ける。しかし民警の手にあった銃はいつの間にか蓮太郎の手の中にあった。

(舐めやがって……こっちは命懸けだってのに向こうは手品じゃねえか)

 壮助が言い表すまでも無く、その温度差は歴然だった。プロモーターもイニシエーターも戦意を失っていた。壮助も勝典もどう動けばいいか分からない。東京エリア最強のプロモーターに勝つヴィジョンが全く見えない。

 蓮太郎はスクリーンに背を向け、テーブルの上から民警たちを見下ろした。

 

「ここにいる全員に伝える。命が惜しければ俺たちを追うな」

 

 蓮太郎と小比奈はガラス張りだった外に向かった。誰も2人を止めたり、その背後を襲ったりしようとは考えていなかった。蓮太郎たちが撤退すると知って、安堵の表情を見せる者もいる。

 しかし、壮助だけは銃を下ろさなかった。震えて照準の定まらないXM08AGを蓮太郎の背中に向ける。指も相変わらず引き金にかからない。鼓動が早く、大きくなり、交感神経が増幅されてどっと汗が湧き出る。瞳孔が開き、息も荒くなる。彼が極度の興奮状態に陥っているのは傍目ですぐに分かる。

 今の震えは恐怖だけではない。それとは別の、歓喜にも似た感情が沸き上がり、壮助を昂らせる。

 

「待ちやがれ!コスプレ仮面野郎!」

「「「!?」」」

 

 仮面の男の背に壮助が司馬XM08 AGの銃口を向ける。全員が血の気の引いた顔をして壮助を凝視する。全員の視線が、立ち去ろうとする台風をわざわざ呼び止める馬鹿の姿に集められる。蓮太郎と小比奈の視線も――

 

「聞こえなかったか?『命が惜しければ、俺たちを追うな』」

「ああ。しっかり聞こえてた。けど、それとこれは別問題だ。あんたに一つ、聞きたいことがある」

 

 仮面の男はピクリとも動かなかった。無視する素振りもないので壮助は質問に答える意志があると見た。

 

「6年前の、アンタのイニシエーターはなんて名前だった?」

「……」

「『6年前のアンタのイニシエーターは藍原延珠じゃなかったか?』って聞いてんだよ!」

 

 

 

 

 ガッ!!

 蓮太郎が瞬時に壮助の水月に拳を打ち込んだ。一瞬という言葉すら生ぬるい速度、窓際にいた蓮太郎が瞬く間に対面の壁に立ち、壮助を拳で壁に叩きつけていた。

 

 天童式戦闘術一の型八番 焔火扇

 

 

 

 

 

 

 

 壮助の意識はそこで途切れた。

 




小比奈は一目で「あ、こいつヤンデレだ」って分かる感じの雰囲気で、私服のチョイスもそんな感じです。
今回着ているドレスは影胤が小比奈に与えたもので、小比奈はサイズが合わなくなっても色々とアレンジして影胤から貰ったドレスを着続けています。袖やスカートが破られているのもそのためです。


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番外編:大人たちの戦い

この話は番外編で、時系列は1話よりも過去の話です。
本編とは毛色が異なり、ギャグをメインにしています。


 朝9時、義塔壮助は階段を昇り、事務所の扉を開けた。

 事務所には当然のことながら社長の松崎が奥のデスクで書類を眺めていた。いつも午後出勤の空子も珍しく朝から事務所で働いている。勝典は端のデスクの影で腕立て伏せをする光景が見られた。

「おはようございます」とあいさつすると3人から同じ返事が返って来た。

 壮助は事務所を見渡した。今日は平日。当然のことながら2人のイニシエーターの姿は無い。

 

「大角さん。ヌイは?」

「いつも通り学校だ。仕事が来なければこっちに来るのは5時ごろになる」

「詩乃もだいたいそんな時間だな」

 

 しばらく黙ると、示し合わせたかのように壮助、勝典、空子が頷き、松崎に視線を向けた。

 3人から何かを求める視線を送られた松崎は数刻ほど沈黙を置く。

 3人は固唾を呑んで松崎を見守った。

 そして、求めていた言葉が彼の口から飛び出した。

 

 

 

 

 

「やりましょう」

 

「「「よっしゃあああああああ!!!」」」

 

 突如、壮助、勝典、空子が歓喜の声を挙げる。

 即座に壮助と勝典は事務所のデスクを端に寄せ、空子はチョークで中央に円陣を描く。

 円陣の周囲に3人が集まり、それぞれが懐から1枚のカードを出した。

 それぞれが異なる図柄で、壮助は彼の大好きなハリウッドのアクションスター、勝典は天誅ガールズの天誅レッド、空子は自分が働くキャバクラの赤いドレスを着た女のマークだ。

 最後に松崎がデスクから立ち上がり、チョークの円陣の中にバラバラと黒いカードをばら撒いていく。

 3人はカードを手に持ち、高く構えた。

 

「ではこれより、第3回メンコ大会を始めます」

 

 メンコ。それは昭和時代に流行した子供たちの遊びだ。厚紙製のカードを地面に置き、手持ちのカードを地面に叩きつける。それにより地面のカードがひっくり返ると、そのカードの自分のものに出来る。最終的に一番多くカードを保有した人物が優勝となる。

 2020年代に勃発したガストレア戦争により、電気・水道・ガスといったインフラは壊滅的な被害を受けた。同時にゲームを中心とした子供たちの娯楽も消滅の一途を辿った。そんな中、日本各地で出来た難民キャンプでとある遊びが再燃した。それがメンコである。

 厚紙を集めて地面に叩きつけるだけで成立する遊びは瞬く間に子供たちの間に広がっていった。その発端となったのはかつてメンコで燃え上った大人たちであり、数十年の時を越えて一時ではあるがガストレア大戦から戦後復興期の間、子供の遊びのスタンダードになった。

 数ヶ月前に空子と勝典の間で難民キャンプ時代のメンコ遊びが話題になり、それで少年時代を思い出した松崎と興味を示した壮助が参加し、いつしかメンコ大会が行われるようになった。詩乃と勝典の相棒のヌイがいない間に行うのは、イニシエーターの力を使われると彼女たちの勝利が確定してしまうからだ。

 そして、メンコ大会が行われるタイミングは決まっている。

 

「優勝景品は、このお中元で貰った高級そうめんセットにしましょう」

 

 松崎の昔の仕事の関係か、何かと偉い人からお土産やお中元、暑中見舞いなどを受け取ることが多く、松崎民間警備会社が社員10人ぐらいの会社だと勘違いしているのか、いつも量が多い。メンコ大会はその余ったお土産の取り分を争う時に行われる。

 じゃんけんで手札を出す順番を決め、勝典から時計回りに壮助、空子、松崎となった。

 地面に置かれた黒カードは21枚、ひっくり返ると白い面が見られる。

 壮助と空子に冷や汗が滴る。

 

「じゃあ、行くぞ!!」

 

 勝典の手が振り下ろされる。彼の手から天誅レッドが離れるまでの刹那、大角の目には映っていた。胸元のボタンを開き、更に人差し指をかけて勝典に覗かせんとする空子の我儘ボディが、壮助との間で密かにチョモランマと呼ばれている豊満なバストが。

 

(しまった!つい見惚れて手元が!)

 

 勝典が気付いた時には遅かった。手元が狂ったことでスナップをかけるタイミングを外した。放たれた天誅レッドは強く地面に叩きつけられたものの、風圧と衝撃は勝典の想定をはるかに下回り、1枚しかひっくり返すことが出来なかった。

 

「おやおや。大角くん。今日は調子が悪いようですね」

「このまま恥晒しになるくらいならリタイアした方が良いんじゃない?」

 

 ニヤニヤとほくそ笑みながら松崎と空子が勝典を嘲笑する。

 

「ふっ。久し振りだから手元が狂ってしまいました」

 

 そう格好良く決めていたが、彼が空子の胸に見惚れて手元を狂わせたのは一目瞭然だった。鼻血を垂らすという分かり易すぎるリアクションまでしていたのだから。

 

(大角さん。羨ましいぜ!)

 

 続いて二番手の壮助が手を高くかざして構えた。勝典の失敗を踏まえて空子を視界から外し、ただ場のみを見つめる。

 この戦いは力だけが勝敗を決めるものではない。カードの重さ、衝突の速度、風圧の計算、理想の狙撃ポイント、それら全てを極め、その理想と計算を実現するための力と技術なのだ。

 メンコとは狙撃に似ている―――今まで大敗を喫したメンコ大会から学んだことだ。

 手でカードの重さを感じ、振り下ろされる手とカードの軌道を予測、衝突の速度と風圧を頭の中で演算し、理想の狙撃ポイントを見極める。

 

 人銃一体の境地――狙撃道ハ風ヲ読ムコト見ツケタリ

 

(そこだっ!!)

 

 快い衝突音が響いた。真っ黒な地面がひっくり返って5つの白面が浮かび上がる。

 

「なんとっ!」

「ご、5枚も!?」

 

「ふっ……前回までの俺とは思わないでください」

 

 第1回、第2回共に最下位だった壮助、最下位殿堂入りの汚名を返上した瞬間だった。

 

「さぁ!次は空子さんですよ!」

「今に見てなさい!『新宿キャンプの白虎』と恐れられた私の実力を!」

 

 ガストレア大戦当時、各地には住処を失った人々が寄り集まってキャンプが出来た。子供たちの間では、メンコの実力者に異名を名付ける習慣が出来ていた。今となってはそれが自称なのか本当に実力で得た異名なのかは分かる術がない。

 空子が高く手を挙げた途端だった。

 

「見つけたわよ!新宿キャンプの白虎!千奈流空子!」

 

 思い切り扉を開いて女物のドレスを着た“男”が現れた。ビル1階のゲイバーの従業員、ヨーコ(源氏名)さんだ。

 

「貴方…。誰?」

 

 誰というのはヨーコのことではない。メンコ使いとしての“誰”だ。

 壮助にとっては信じ難い話だったが、“異名持ち”の間では互いを察知し合えるオーラというものがあるらしい。

 

「まさか私のことをお忘れ?私は貴方と同じ新宿キャンプの異名持ち、当時は『玄武』と呼ばれていたわ」

「新宿キャンプの玄武だと!?」

「大角さん。知ってるんですか!?」

「ああ。噂で聞いたことがある。かつて新宿キャンプには4人のメンコマスターがいた。彼らにはそれぞれ四聖獣に因んだ異名が与えられた」

 

 白虎 千奈流空子

 玄武 沖竹洋一(おきたけ よういち)

 朱雀 鳶澤長谷雄(とびさわ はせお)

 青龍 星宮華麗(ほしみや かれい)

 

「四聖獣の2人がここで揃ってしまったんだ。このメンコ大会、嵐が起こるぞ」

 

 壮助が固唾を呑んだ。

 

「見つけたぞぉ!新宿キャンプの四聖獣!」

 

 次に飛び込んできたのは黒いスーツに黒いサングラスをかけた強面の男、4階の金融会社の従業員、どこからどう見ても借金の取り立て要員だ。

 

「俺も『横浜キャンプの鈍槌』と呼ばれた男!この勝負、参加させてもらうぜ!」

 

 異名持ちは異名持ちを呼び込むようで、次から次へと各階のキャバ嬢やゲイ、借金取りが事務所に押し寄せ、大規模なメンコの奪い合いとなった。

 

 

 

 *

 

 

 午後5時過ぎ

 森高詩乃は学校が終わると真っ直ぐ事務所に来た。大勢の声が聞こえ、賑やかなパーティでも行われているかのようだ。詩乃は不思議に思って扉を開けた。

 

「おらぁ!女ぁ!イカサマしてんじゃねえだろうなぁ!」「あらぁ?イカサマなんてしてないわよ?」「お前のことじゃねえよ!ゲイ!」「ちょっとぉ!次!私の番なんだけどぉ!」「もうカードがなくなっちまうぞ!」「藤沢キャンプの女帝と恐れられたアタイの力、見せてやるよ!」「上等だあ!江戸川河川敷の覇者の俺が相手にしてやる!」「バカ!江戸川の覇者は俺の称号だろうが!」「博多で鍛え上げた腕を見せてあげる!」「九州に帰れ!」「数十年ぶりに『疾風の松ちゃん』を見せてあげましょう」「松崎さんパネェ!あんた何者だよ!?」

 

 扉の先にはいい年こいた十数人の大人たちがカードを囲んでガチの戦いを繰り広げていた。

 

(え?何?あれ?)

 

 詩乃は黙ったまま扉を閉めてUターンする。何か関わってはいけないような気がしたから。壮助の声も聞こえたが、全身のガストレア因子が「入るな」と警鐘を鳴らしていた。

 階段を下りながらスマホを取り出し、電話をかけた。

 

「あ、ヌイ?今日、ウチ来る?」

 

 その後、メンコ大会は夜9時まで続き、さすがに痺れを切らした詩乃が槍と壮助のアサルトライフルを持って突入したことで強制終了した。

 




実は本編の次の回がまだ途中で日曜までに間に合いそうにないので、急造の番外編を掲載しました。
次回はちゃんと本編進めます。
ガストレア大戦後の日本って、戦後日本みたいな感じなんでしょうね。


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後悔の起源

今回は壮助の過去編。
この物語の根幹の話になります。


 俺にとって藍原延珠はそれほど特別な存在ではなかった。

 

 クラスメイトの一人でしかなかったし、特別な感情は抱いていなかった。

 

 おそらく彼女にとってもそうだろう。

 

 このまま普通に過ごせば、クラスメイトの一人として記憶の片隅に――

 

 いや、存在そのものをすっかり忘れていたかもしれない。

 

 

 

 あの事件が起きるまでは、そう思っていた。

 

 

 

 6年前、当然のことながら俺は10歳で小学校に通っていた。

 東京エリアの勾田小学校。これといって取り上げる特徴のない普通の小学校だ。先生も普通で、生徒も普通で、普通に運動会や合唱コンクールなどの催しもある。

 小学校時代の俺はかなりの悪ガキだった。生まれ持ったセンスでもあったのか、俺はとにかく喧嘩が強かった。物事を解決する手段として暴力を使った。友達から小遣いを巻き上げようとする上級生を殴って追い払ったし、捨て猫をいじめる中学生の股間を蹴り上げて悶絶させた。暴力という手段が悪いことなのは分かっていた。しかし、子供というあらゆる罪と罰から保護されている立場なら、それが最も効果的であることを知っていた。そして、目的が“正義”であるなら――と俺はその暴力を肯定し、子供らしい歪な正義を振りかざしていた。

 ここまでけっこう殺伐とした話をしたが、俺だって毎日暴力沙汰を起こしていたわけじゃない。そんなものは俺の小学生時代の一部に過ぎなかった。ガキらしく友達とつるんで遊んだり、夕方のアニメを楽しみにしたり、宿題を忘れて先生に怒られたり、喧嘩した時は親に怒られたり、そんな普通の小学生の生活を送っていた。

 

「ねぇねぇ。昨日のバガルディ見た?」

 

 俺たちが1つの机に椅子を寄せて屯している中、友人の間島春義(まじま はるよし)が話題を持ち出す。小太りでアニメが大好きなオタク。こんな荒くれ者の俺と友達でいてくれる優しい奴だ。

 ちなみにバガルディとは、酔っ払いカウボーイSFギャグラブロマンスアクションハードボイルドアニメというジャンル積載オーバーのカオスアニメだ。その意味不明さからカルト的な人気を誇り、俺も間島の勧めですっかりハマっていた。

 

「ああ!見たぜ!ジョニーが裏拳喰らって吹っ飛ぶシーンが最高だった!」

「あそこでスローモーションにするとか反則だよね!」

 

 小学生らしいアニメの話題で和気藹々とする中で、俺のもう一人の友人が席に近づき、椅子を寄せて座り込んだ。

 

「随分と面白そうな話をしているな」

 

 小学生らしからぬ暗く影を落とした渋い声で話すのは俺の友人その2の井上清二(いのうえ せいじ)だ。坊主頭に野球帽がトレードマークだ。クールな気取り屋だが、俺に負けじと劣らず熱い性格でよく喧嘩していた。今はそれをスポーツという形で上手く発散している。

 

「遅かったじゃねえか。井上」

「ああ。意外と隣の組の奴らが粘ってな。5回裏まで持ち込んでしまった。まぁ、最後は俺の満塁ホームランで決めてやったさ」

「よく言うぜ。3回裏でコールドゲームにしてやるって言ってたのはどの口だ?」

「まぁ、でも間に合ったから良かったよ」

 

 俺たちは3人揃って、とある席に目を向ける。下卑た笑みを必死で隠し、その席の主が戻って来るのは今か今かと獣のような視線で待ち構える。

「くひひ……そろそろだな」と井上がうっかり笑みを零す。

「早く引っかかってよ」と間島も普段は見せない鋭い眼光で席を見つめる。

「ちくしょう。早く来いよ」と俺、義搭壮助も沸き上がる期待感と震える体を押さえてその時を待つ。

 当時、俺たち3人は凝ったイタズラにハマっていた。いつも図工で飛び抜けた作品を世に出す間島の才能に俺と井上は(悪い意味で)目を付けた。俺か井上が発案したイタズラ計画に間島を巻き込む形で参加させたが、いつの間にか間島は俺たちの想像を超えた仕掛けを作り出すようになり、誰よりもイタズラに意欲的になっていった。

 今日の仕掛けは名付けて「マスドライバーG」。机と椅子を極細のピアノ線で繋ぎ、椅子を引いてピアノ線が引かれると中のゴム動力が起動して勢い良くゴキブリが飛び出すという阿鼻叫喚間違いなしの仕掛けだった。ちなみにゴキブリは紙粘土と絵具で極限までリアルさを求めた逸品だ。間島の技術力恐るべし。

 昼休みが終わりに近づき、外で遊んでいた生徒たちが戻って来た――その席の主も。

 

 藍原延珠

 

 出席番号18番。赤茶色の髪のツインテールで古風な喋り方をする。あと天誅ガールズが大好き。知っているのはこれくらいだ。

 藍原が教室に戻り、席につくために椅子を引くのを俺たちは今か今かと待ち構えていた。

 間島としても仕掛けがちゃんと動くか心配でならないだろう。

 藍原が座ろうと椅子を引いた。ピアノ線が切れてゴム動力が作動し、引き出しの中でスタンバイしていたGたちが勢いよく飛び出した。

 教室に藍原と周囲の女子の絹を裂くような悲鳴が響き渡る。

 

 

 

 ――――と思っていた。

 

 藍原は引き出しから飛び出したGたちを難なくキャッチした。

 3匹同時に飛び出し全てをキャッチする藍原の反射神経とゴキブリ(と勘違いしているフィギュア)に素手で触れる彼女の肝の強さに俺たちは目を丸くした。あの一瞬でGが人形だと気付いているとは考えなかった。

 

「誰かのイタズラか?」

 

 藍原は手を広げてGを見た。それらを握ると教室の隅にあるゴミ箱へと放り投げた。ゴミ箱に押した衝撃で紙粘土製のGたちがバラバラになる。

 

「ああっ!」

 

 バラバラになるGを見て間島がつい悲鳴を上げる。余程、あれが自信作だったのだろう。

 

「間島!またお主たちの仕業か!」

「“また”じゃないよ!藍原さんに仕掛けたのは初めてだよ!」

「舞ちゃんの筆箱にスピーカーを仕掛けた件を忘れたとは言わせないぞ!」

 

 “舞ちゃん”とは藍原の親友で端的で言えば“控えめで優しい”少女だ。

 以前、俺たち3人は彼女の筆箱の中に小型スピーカーを仕掛け、筆箱が閉じられて磁石同士が接触するとスピーカーが作動し「開けて~開けて~」と少女の声が聞こえる、名付けて「筆箱の中のティ○カーベル」というイタズラをした。一見微笑ましいものだったのだが、何かの故障か授業中、開いていてもずっと彼女の筆箱から「開けて~開けてよ~」という妖精(という設定)の声が聞こえ続けるアクシデントに見舞われた。

 2人で口論していると、間島の肩に手が乗せられた。

 

「間島くん。放課後、生徒指導室に来なさい」

 

 いつの間にか担任の佐原(さわら)も来ていた。

 これで放課後の反省文書き終わるまで帰れませんコースは確定だ。

 間島は救いを求めて俺と井上に視線を向けるが、俺たちはそっぽ向いて知らぬ存ぜぬを通した。

 

「井上と義塔も共犯です!」

「「間島!てめぇ!売りやがったな!」」

 

「井上、義塔。お前達も放課後、生徒指導室に来るように」

 3人そろってのオシオキコース。冷徹な先生の目は俺たちを震え上がらせた。

 これが、俺たちのお決まりの日常(パターン)だった。

 

 

 

 

 

 

 放課後、佐原先生にこってりと絞られた俺たち3人はそのまま夕暮れの中を下校した。定められた通学路には学校と契約した民警が200m間隔で立っており、子供たちがガストレアに襲われないよう通学路を警備している。先日も蜘蛛型のガストレアがエリアの内部で出てきたニュースもあり、ピリピリとした空気が民警たちから出ていた。

 

「民警さんたち。顔が険しいね」

「何か隣町でガストレアが出たらしいぞ。しかも感染源が未だに行方不明とか」

「怖いよね」

 

 俺は間島と他愛のない談笑をして岐路に立つ時間を潰す。ガストレアの危険もあり、いつもより早いペースで歩いていく。

 

「ガストレアなんて、そこら中にいるじゃねえか」

 

 下校している間、ずっと噤んでいた井上が口を開いた。俺と間島は飛び上がり、周囲を見渡すが巨大な怪物の姿などどこにも見当たらない。少なくともこの道には俺たちと20メートル前方にいる学校と契約した民警ペアだけだ。

 民警ペアのイニシエーターと目が合った。バラニウム製の黒いバトルアックスを背負った俺と同じぐらいの年齢の少女だ。学校に通わず、ガストレアと戦う日々を送る彼女はランドセルを背負う俺たちを羨望の眼差しで見ていた。一瞬、動揺して彼女の目が赤く光るほどにそれは強い眼差しだった。あの目の輝きは6年経っても覚えている。

 そして、俺は井上の言うガストレアが何を意味するのか察した。あいつが憎悪の眼差しを向ける先にその少女がいた。少女は俺たちを圧倒する力を持ちながら、井上の憎悪の眼差しに脅えて視線を逸らした。

 ガストレアの因子を保有する呪われた子供たちはガストレアと同一視され、虐げられる。見た目や精神が少女ということもあり、本来ガストレアに向けるべき怒りと憎しみを呪われた子供たちにぶつける人間は多い。そっちの方が身近で、安全だったからだ。当時は彼女たちを守る法律も無かった。加えて、大人の男を軽く投げ飛ばす身体能力と引き継いだ感染源ガストレアの能力は脅威であり、ガストレア化という爆弾を常に抱えている。彼女たちを虐げる正当な理由が存在していた。

 井上の両親と姉はガストレアに殺されている。ガストレアに対して強い憎悪を抱くのは当然であり、そしてガストレアにぶつけられない怒りを呪われた子供たちにぶつけていた。そうでもしないと井上の心は壊れてしまっていたかもしれない。俺との喧嘩も、たまにキャッチャーを殺しかねない剛速球を投げるのも、それはガストレアに対する憎しみで壊れそうな心を何とか平衡させる彼なりのやり口だったのかもしれない。

 

「ど、どこにもいねぇじゃねえか!ビビらせるなよ!」

「そ、そうだよ!冗談きついよ!」

 

 俺たちは何とか誤魔化そうとする。せめてあの民警ペアが見えなくなる距離まで行ければ――と、子供ながらの下手な時間稼ぎだった。

 あと10メートル、あと5メートル、刻一刻と少女に近づいて、そして民警ペアの前を通り過ぎた。通り過ぎて十数秒ほど経過した頃だった。

 

「騙されてんじゃねえよ。馬鹿かお前ら」

 

 井上が吹き出すように笑い出し、俺たちに指をさす。いつもの調子が戻り、俺と間島は安堵した。

 

 

 

 井上、間島と別れ、俺は一人で帰路に立っていた。と言っても、家まであと5分もかからない距離だ。

 俺が住む2階建てのボロアパートが見えて来た。敷地の入り口に民警が立っている。

 プロモーターとイニシエーターの男女一組のペア。プロモーターは男性で逞しい体格、対してイニシエーターは例に漏れず小柄で俺と同じくらいの少女だった。

 プロモーターは大角勝典。後に松崎民間警備会社で俺と一緒に仕事をすることになる民警だ。この当時は葉原ガーディアンという会社に雇われた民警だったらしい。それ以上のことは本人があまり話したがらないので知らない。

 当時のイニシエーターは鍔美木飛鳥(つばみき あすか)。いつも無愛想な奴で、出会って1年以上経つが、彼女とは碌に会話したことがない。口を開けば俺のことを「ガキ」や「ザコ」などと蔑む。そりゃあ、確かにイニシエーターから見れば、俺たちは戦いを知らないガキで無力なザコかもしれないが、実際に口で言われると頭にくる。

 この2人も生徒の登下校をガストレアから守るために雇われた民警なのだが、配置の関係かいつも俺のアパートの入り口に立っている。武装して威圧感があるのでガストレアとは関係のない借金取りや泥棒もこのアパートには近づかなくなった。

 

「よう。壮助。遅かったじゃねえか。また先生に叱られてたのか?」

「違ぇし。ダチと一緒に教室で勉強してただけだし」

「ははは。面白い冗談だな。お前は自主勉とかするタマじゃないだろう」

 

 大角さんはその大きな手で俺の頭をワシャワシャとかき乱す。そんな光景を飛鳥は一瞥し、「フンッ」と言ってそっぽ向いた。

 

「やっべ!もうすぐアニメ始まる!じゃあな。大角さん」

「おう。お袋さんにこってり絞られて来な」

 

 大角さんに手を振り、俺はボロアパートの階段を昇り、扉を開けた。

 玄関にまで漂う夕食の香り、「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれる母の声、夕食時になれば建設業の父も帰って来る。世辞でも裕福とは言えないが、温かい家庭だった。

 

 これが俺の日常だ。3人揃って馬鹿をやって先生に怒られる。馬鹿をやったことを大角さんにからかわれ、帰って来たら夕食と共に待ち受ける母さんと父さんに怒られる。物凄くくだらない日常だが、俺はそれが楽しくて仕方が無かった。

 

 

 ――当時の俺は思いもしなかった。

 

 ――藍原延珠(クラスメイトA)が俺の人生を大きく変えるなんて。

 

 

 

 

 

 

 飲み屋が並ぶ繁華街、自己主張の激しい看板が鬱陶しい通りで、佐原は半分酔った状態で帰路に立っていた。今日は学校の同僚や先輩、教師仲間との飲み会だった。

 佐原にとって、今日も明日も平日で仕事があるのに飲み会をやる彼らの神経が理解できなかったが、仕事の付き合い上、断ることは難しかった。

 

(明日、大丈夫か?ちゃんと起きれるか?)

 

 酔いはそれほど酷くないが、そこそこ回っているようだ。少し気持ち悪くなってきた。吐きそうだが吐くほどでもないのがもどかしい。

 少し休もうと思い、人気のない路地に足を運んだ。身を壁に預けて一息つく。終電まで時間はあるし、30分ほどこうしていようと考える。

 

「やぁ」

 

 一瞬、全身の毛が逆立って凍り付いた。目の前に奇怪な男が立っていたからだ。

 ワインレッドの燕尾服に白い舞踏会用の仮面、黒いシルクハットをかぶった男だ。大道芸人か、それとも酔っ払いの催しか。どちらにしても繁華街の路地裏にいるのが不自然な格好だった。

 

「だ、誰だ?あんた。飲み過ぎた俺が見てる幻覚か?」

「残念だが、私はちゃんと実在している」

 

 道化のような男はそれを証明するように佐原の肩に優しく手を乗せる。

 

「パパァ。こいつ斬って良い?」

 

 路地の闇の奥からもう一人、少女が姿を現した。黒いドレスを身に纏った赤い目の少女。佐原が担当しているクラスの子たちと同じぐらいだろうか。背中に2本のバラニウムの小太刀が光沢を見せる。

 少女は物騒な台詞と物騒な武器を伴って現れたが、佐原は恐怖を感じなかった。むしろ、安堵して大きく息を吐く。

 

「なんだ。あんたら民警か。驚かさないでくれ」

「……」

 

 道化の男はしばらく黙る。仮面のせいで何を考えているのか分からない。

 

「君に渡したい情報がある」

「は?俺は酔っ払いのしがない小学校教諭だよ。お前も酔ってるのか?遊びか?」

 

 佐原は驚いた。いきなり民警から情報提供を受けるような身分になった覚えはないし、そこから東京エリアの存亡をかけた大事件に巻き込まれるようなドラマチックな展開なんて信じていない。

 

「君のクラスにガストレアウィルスの保菌者がいる」

 

 その言葉は、佐原を酔いから醒ますには十分すぎる劇薬だった。

 ガストレアウィルスの保菌者――それはガストレア予備軍であり、ある日突然、ガストレアになって破壊と殺戮の限りを尽くす。佐原はそう認識している。

 いつ爆発するか分からない爆弾をクラスで、いや学校が抱えていることを知られたら、保護者たちや教育委員会に何ていわれるか分からない。モンスターペアレントの巣窟になっているPTAなんて赤目を受け入れた我々を鬼か悪魔のように徹底的に糾弾するだろう。人格破綻コースの確定だ。

 

 

 

 

 ――――いや、排除すればいい。

 

 そうすれば、まだ大丈夫だ。

 

 赤目の事実を隠していた奴と保護者に責任転嫁すればいい。実際、あいつらが悪いんだ。

 

 赤目なんてモノリスの外側でガストレアと殺し合っていればいい。

 

 それぐらいにしか価値の無いバケモノだ。

 

 そんな奴らを人間の振りをさせて、学校に通わせるなんて。

 

 排除しないと。

 

 生徒たちをバケモノから守らないと。

 

 

 

 

 そうすれば、俺は多くの生徒をガストレアの脅威から未然に救った英雄になれる。

 

 

 

 

 

「その少女の名は、藍原延珠だ」

 




次回の過去編は原作でも多くの読者・視聴者の心を痛めたあの事件です。
そして、それを加害者として経験した壮助が歩んだ人生の物語です。


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幼い叛逆

リアルが忙しかったので、しばらく投稿できませんでした。
続きを待ってくれたみなさん。すみません。


 その日、俺たちは朝早く家を出て学校へ向かった。昨日の下校中、俺が最高に面白いイタズラのネタを提案し、2人がそれに乗っかったからだ。この仕掛けは誰もいない教室でやる必要があったため、3人で朝早く教室に来て仕掛けようと約束した。

 父さんは仕事で朝早くに家を出て、母さんも疲れが溜まっていたのか死んだように眠っていた。

 俺は準備を終えて学校を出ると、通学路で井上、間島と合流し、3人揃って朝7時30分の校門を潜った。

 誰もいない学校というのは新鮮な気持ちだった。普段なら校門には雇われた民警がいて、他の同級生や先輩・後輩が一緒に学校に来ているのだから。普段たくさんの人間がいるはずの場所に誰もいない、その光景は不気味であり、真夜中の学校に通ずるものがある。

 既に来ているかもしれない先生を警戒しながら、昇降口で上履きに履き替える。

 俺たちの教室は昇降口からまっすぐ進み、その先の階段で2階に上ったところにある。階段までの廊下の途中には職員室があり、俺たちが教室に向かうために、職員室の前を通るのは必然だった。

 職員室に灯りが付いていた。先生たちの話し声も聞こえる。その声調からして、良い内容の話では無いのは俺たちでも察することが出来た。今、ここで見つかってしまうと普段以上にお叱りを食らうだろう。「遅刻しないように早く来ました!」なんて言い訳も通じない。

 身を屈めて早足で職員室を通り抜けて行く。職員室の中では怒号のような声が飛び交っており、声と共に険悪な雰囲気が嫌でも伝わって来る。俺たちの担任の佐原の声も聞こえた。

 

「ウチの学校に赤目が……忌々しい!」

「今は問題の解決を図るべきです。誰にも気づかれることなく、自然に彼女を退学させられればそれが理想です」

「問題行動を誘発させるのにどれだけ時間がかかると思ってる!」

「我々も民警と契約している手前、表だって赤目を差別することは出来ない」

「絶対に保護者に勘付かれるな。PTAなんぞに出られたら溜まったものじゃない」

「まったく…可哀想な話ですが、仕方ありませんね」

「佐原くん。彼女の処遇については君に一任する。可及的速やかに彼女を処理しろ」

「分かりました」

 

 小学生でも理解できる不穏な会話だった。赤目、退学、問題行動、PTA、etc…教師の口から飛び出す言葉一つ一つに恐怖が乗せられている。聞いてはいけない話を聞いてしまった。そう思ったのは俺だけではないようだ。

 見つからないようにそそくさと職員室の前を通り抜け、階段を昇って教室に辿り着いた。しかし、もうその時にはイタズラのトラップを仕掛けるような気力は俺たちに残されていなかった。誰もいない教室で俺たち3人は俯いたまま何も語らなかった。

 

「赤目がいるって、本当なのかな?」――と最初に間島が口を開いた。

 

「先生があそこまで騒ぐんだから……本当じゃないか?」

 

 間島の疑念に答えたのは俺だ。

 

「で……でも退学って…」

「馬鹿。小学校は“ぎむきょういく”ってやつで、退学は無いんだぞ」

「そ、それはそうだけどさ」

 

 俺は案外冷静だった。赤目なんて通学路で民警をイニシエーターとして何人も見かけるし、大角さんとペアを組んでいた飛鳥とも少しだけだが会話する。イニシエーター以外の赤目に遭ったことは無いが、俺にとって赤目は「ものすごく強い女の子」ぐらいの認識でしかなかった。ガストレアウィルスの感染経路や抑制剤のことは大角さんから聞いていたので、俺は正しい知識を身に付けていて、過度な偏見は持っていなかった。

 

「何で……お前らはそんな平気なんだよ」

 

 井上の口から低いトーンの腹に響く声が聞こえた。その一言は俺たちに悪寒を走らせるのには十分だった。

 井上はガストレア大戦で親戚全員を失っており、今は里親のところで過ごしている。自分から全てを奪ったガストレアに対して強い憎しみを抱いている彼が、赤目に対して何も抱かないわけがなかった。そんな事情を知っていても、俺は井上の憎悪の深さを理解することが出来なかった。いや、理解しようともしなかったのだろう。今の3人の関係を崩したくないあまり、俺の心は井上から逃げていた。

 

「ただ赤目ってだけだろ。そんなの登下校の通学路に何人もいるじゃねえか」

「あいつらは民警だ!管理されているだろうが!」

「い、井上」

「民警やってる奴が学校に来るわけない。管理されていない化物が学校に来ているんだぞ。そんな奴を野放しにして、平気でいられるかよ」

「おい!今のは言い過ぎだ!」

「そ、そうだよ。一旦、落ち着こう。先生たちがデマに流されただけかもしれないし」

 

 間島が俺と井上に間に入り、なんとか一触即発の事態を回避させようとする。こういうところでいつも間島には苦労をかけているなと我ながらに思う。

 井上はばつが悪そうに舌打ちすると乱暴に椅子を引き、自分の席に座った。

 それから気まずい静寂の30分が始まった。俺たちは自分達の席につき、誰にも視線を向けず、ただ俯いていた。

 井上は時折「チッ」と舌打ちを鳴らして俺たちを一瞬飛び上がらせる。俺はどうしようかと考えたが、何も良い案は浮かばない。間島も同じようで、心配するように井上と俺を交互に見るが、その視線には不安と焦りを感じていた。

 胸が苦しくなり、胃がキリキリと悲鳴を上げる。俺は責任を感じていた。今回は珍しく俺の発案でこうなった。俺が何も言わなければ、いつも通りの時間に登校しただろう。赤目のことも知らなくて済んだだろう。井上の憎悪を増長させることも、ひとまず無かったかもしれない。例え偶然だとしても――俺が悪かった。

 普通の登校時刻になり、教室に次々と生徒が入って来た。皆は俺たちが一番乗りであることを物珍しく感じていたが、席で俯く俺たちのことを察して声をかけようとはしなかった。声をかけても軽い挨拶だけだ。

 ぞろぞろと生徒が入り、ほぼ9割が朝のホームルームまでの間を雑談して過ごす。

 

「よう。井上。お前が一番乗りなんて珍しいじゃねえか」

「まぁ……な」

 

 井上の野球仲間である森岡が空気を読まずに話かけた。井上は相変わらず機嫌が悪そうだったが、親友の好意を無碍には出来なかったようだ。

 

「けど、面白いネタを拾ってきたぜ」

 

 その一言を聞いた途端、俺の全身に悪寒が走った。井上は不気味な笑みを浮かべる。憎悪と復讐を込めたどす黒い笑みだ。今、あいつの中では学校に混ざった怪物(赤目)を追い詰める算段を組み立てているんだろう。

 

 

 

 

「この学校に、赤目がいるらしいぜ」

 

 

 

 クラスに、爆弾が投下された。

 

 

 

 爆風で全ての音がかき消されるように、クラスから音が消えた。そして、全員の耳が「赤目がいる」という爆発音に支配される。

 

「え……嘘?」

「やだ~こわい」

「おいおい。マジかよ。誰だ?」

「分かんねえけど、先生たちの口振りから、ウチのクラスらしいぜ」

 

 男子たちが慌てて席から立ち上がり、女子と距離を取る。全員に疑いの目を向ける。男女の間で大きな溝が出来上がった。

 呪われた子供たち、赤目はガストレアウィルスと性染色体の関係から女児しか生まれない。赤目といえば少女なのは確定事項だ。

 男女で睨み合う中、担任の佐原先生が教室に入って来た。

 

「ホームルームだ。お前らちゃんと座れ」

 

 先生の一声でクラスメイトが渋々席につく。不完全燃焼に疑惑、嫌疑をかけられた怒りは未だにクラス中で燻っていた。

 女子の一人が挙手した。

 

「先生。このクラスに赤目がいるって、本当ですか?」

「赤目?何の話かな?」

 

 分かり易い誤魔化しだった。子供騙し、いや、こんな三文芝居じゃ子供も騙せないだろう。こんな言葉一つで誤魔化し切ったと思い込んでいるあたり、この男は教師のくせして子どもを理解していないのが分かる。

 

「それじゃあ、出席を取るぞ」

 

 何事も無かったかのように佐原は名簿を取り出し、一人一人の名前を呼んでいく。まるで葬式のようにしんと静まり返った教室で名前を呼ぶ佐原の声と「はい」と答える生徒の声がけが響く。

 佐原が男子全員の名前を呼び終わり、続いて女子の名前を呼ぶ。最初に来るのは出席番号18番、女子では一番先頭になる藍原延珠だ。

 

「あ、藍原……延珠さん」

 

 明らかに佐原の態度が違った。唇は震えて、瞳孔が開いていた。それは教師が生徒を見る目では無かった。大きな怪物を目の前にして恐怖する目だった。

 その異常はこのクラスの全員が気づいていた。そして、赤目が誰なのか、ただ1人を除いて全員が抱いていた疑問、18通りの予測が一つに絞られつつあった。

「はいなのだ!」と藍原延珠はいつものように――何事も無かったかのように――元気な声で答えた。それは昨日までの日常を保つための最後の抵抗だったのかもしれない。

 佐原は平然を装い、次の女子の名前を呼んだ。

 

【何事も無かった。いつものクラスとホームルーム】

 

 もしかしたら、この時だけ藍原延珠と佐原先生の利害は一致していたのかもしれない。事を荒立てずに藍原延珠を追放したい佐原と事を荒立てずに別れを告げたい藍原延珠との間で――。

 その後、“何事も無かったかのように”1限目の授業が始まった。

 藍原延珠は普通に授業を受けた。周囲の視線を無視して、普通を装って…

 誰も藍原延珠に関わろうとしなかった。井上は憎悪の視線を向けるだけだったが、ここで殴り掛かれば赤目の力を前に返り討ち遭うと理解できるぐらいの理性は残っていた。

 俺と間島は、罪悪感で押し潰されそうになっていた。まだ教室に3人しかいなかった時、あの時が悲劇を防ぐ最初で最後のチャンスだったんじゃないかと――。俺たちが立ち上がれば、ただ先生の様子がおかしいと少し疑問に思うぐらいで済んだんじゃないかと――。

 魔女狩りの場となった教室で俺はずっと心の中で藍原延珠に懺悔していた。罪悪感に押し潰されそうな意識を必死に保つ。いっそのこと教室で暴れ回って、クラスの空気を滅茶苦茶にしてしまおうかという衝動にかられる。

 だけど、俺は何も出来なかった。一個人の差別なら、教育や説得で本人の差別意識をなくせばいい。しかし、その差別が社会構造となると、差別の否定、被差別者の抵抗そのものが“悪”となる。俺は怖かったんだ。ここで“悪”になってしまうことに――。

 

 

 

 

 そして、俺は何もできないまま、事件は起こった。

 給食の時間、各々がトレーを持って給食係の前に並ぶのだが、男子の一人が藍原の顔にめがけてスープをかけた。鍋から出たばかりの熱々のスープ、普通の人間なら火傷は必至だったが、藍原の顔は一度赤くなっただけで、すぐに元に戻った。

 

「化物だ…。やっぱりお前は化物なんだ!出て行け!人の皮を被ったガストレアめ!」

 

 その瞬間、藍原延珠はクラスから飛び出していった。ランドセルも教科書も何も持たず、着の身着のままで…。

 もうあそこは教室じゃない。魔窟だ。ほとんどの人間がガストレアへの怒りと憎しみに囚われていた。呪われた子供への恐怖と敵愾心に溺れていた。その全ての矛先が藍原延珠という一人の少女に向けられる。中世の魔女狩りのような集団ヒステリーがこの教室で起こっていた。

 昨日まで何事も無く笑い合っていた子供たちが、今にも人を殺しそうな形相で、教室で蠢く。多くの子供が図工の時間で使う彫刻刀を取り出し、井上も黒板の下にある大きな三角定規を抱える。「殺せ」「ガストレアを殺せ」と声が木霊する。

 俺は教室から飛び出した。あの中にいたらまともな精神が保てない。同じ気持ちであろう間島や藍原の親友だった舞のことも全部放置して、俺は逃げ出した。

 

 

 俺は保身のためにクラスメイトを見捨てた。

 

 藍原延珠は友を失った。

 

 彼女はクラスメイトから怪物(ガストレア)になった。

 

 もう戻れない。何も取り戻せない。

 

 

 俺の胸は罪悪感でいっぱいだった。

 胃の中まで入ったはずの朝食が喉元まで登ってきた。

 吐いたことを悟られないよう、教室の隣のトイレは使わなかった。

 わざわざ1階の昇降口近くのトイレまで我慢していった。

 

 俺はとにかく吐いた。朝食も昨日の夕食も吐けるだけ洗面台に吐いた。吐けるものが無くなっても消化液らしきものが口から出てくる。血が混じり赤くなった粘性のある液体が洗面台を染める。

 口を水で濯いで、洗面器に溜まった吐瀉物を流す。

 

「はぁ……はぁ……保健室……行かないとな」

 

 俺はふらつきながらも1階のトイレから出ようとした。

 

「どういうことだよアンタッ。延珠は本当に――ッ」

 

 俺の足は止まった。物陰に隠れながら、声のした昇降口を見る。

 黒い制服を着た目つきの悪い高校生が掴みかからんばかりの剣幕で佐原に詰め寄っていた。佐原もどっと汗が噴き出て、何度も額をハンカチで拭う。

 

「ええ、藍原さんが『呪われた子供たち』だという噂がどこからともなく立ちまして。給食の頃には、藍原さんに対する………その……嫌がらせのようなものが始まりまして」

 

 何が「どこからともなく」だ。何が「嫌がらせのようなもの」だ。とんだ嘘じゃないか。

 

「そんな……だって。延珠は否定、しなかったのか?」

「里見さん。あなたはいままで、『呪われた子供たち』だということを私たちに黙って藍原さんを通学させていましたね」

「事前に言えば、アンタらは理由をつけて、延珠の入学を断ったんじゃねぇのかよッ?」

「藍原さんはショックを受けていたようなので、早退させました。こんなこと言えた義理ではないのですが、一緒にいてあげてくれませんか、里見さん?」

 

 この時、俺はサトミという男に羨望を抱いていた。俺が恐れて何も出来なかったことを今この男は成し遂げているからだ。俺はクラスの悪になりたくなかった。保身のために救えたかもしれない一人の少女を見捨てた。俺と同じ思いを抱いて苦しんでいる間島と舞を見捨てて教室から逃げた。だけど、あの人(サトミさん)は逆だ。先生を、学校を敵に回して、藍原を守ろうとしている。全てを敵に回す覚悟で自分の善意と正義を貫いている。

 

 

 

 あの人みたいになりたい。

 

 あの人のような“強さ”が欲しい。

 

 ――しかし、俺の記憶はここで途切れた。

 

 

 

 

 

 目が覚めた時には知らない天井、知らないベッド、俺の傍らで眠りこける母の姿だった。

 俺は倒れたところを教師に発見され、病院に搬送された。診断はストレス性の胃腸炎で2週間の入院だった。

 

 長かったようで短かったような入院生活を終えて、俺は学校に戻って来た。まだ藍原の件で心残りがあったがそれを口に出すことなど出来なかった。出来れば、学校に戻りたくなかったが、それも言えなかった。

 退院後初めての教室。俺が来たことに周囲が視線を向けた。俺は一瞬、蛇に睨まれた蛙のようになったが、その視線が睨みではないことはすぐに分かった。

 クラスメイト達が「大丈夫だったか?」「今日から来れるのか」と俺のところにわらわらと集まって来て、手術がどうだったとか入院生活がどうだったとか根掘り葉掘り聞かれる。しかし、袂を別った井上の姿は見えず、間島も視線をずっとそらしていた。

 まるで藍原の一件が夢のように感じた。元々、このクラスに藍原延珠なんて少女はいないと言いたくなるほど、それは自然で、かつ不自然な日常だった。

 

「みんな、席につきなさい」

 

 俺の背後から担任の佐原が現れた。彼の一声でみんなが蜘蛛の子を散らすように席に戻っていく。俺の席に戻った。

 佐原が教壇に立った。

 

「えー。みなさん知っての通り、義塔くんも学校に来たことで、クラス全員が揃いました。みなさんの“脅威”も取り除かれ、心機一転、学校生活を楽しんでいきましょう」

 

 いや、やっぱり夢じゃなかった。あれは現実だ。藍原延珠は怪物としてこのクラスを去った。俺は何も出来なかった。

 そして、サトミという男の姿とその時抱いた彼への憧れが鮮明に浮かぶ。

 

 

 ――何も恐れるな。正義を貫け。

 

 俺は飛び上がった。病み上がりの身体とは思えないほど軽く感じた。そして、佐原の顔面を殴った。眼鏡が割れ、佐原は飛ばされ、その体重で教卓を倒した。

 

「何のつもりだっ?義塔」

 

「ふざけんじゃねえっ!!なにが“脅威”だ!あいつが何かしたのか!?あいつの何かが悪かったのか!?ええ!?言ってみろよ!何も言えないだろ!そりゃそうだ!アンタらは藍原のことを悪いとは思っちゃいねえ!けど、アンタらは藍原を生贄に出したんだ!自分達の保身のために生徒を生贄に出したんだ!このクソッたれ共が!!」

 

 この怒りは自分の生徒を“脅威”と吐き捨てた教師への怒り、そして正義を裏切った自分に対する怒りだった。

 一個人の差別なら、教育や説得で本人の差別意識をなくせばいい。

 しかし、その差別が社会構造となると、差別の否定、被差別者の抵抗そのものが“悪”となる。

 この日、俺は、“悪”になった。正義を貫く悪になった。

 それからの人生は想像に難くない。友人を失い、不良のレッテルを貼られ、払拭しないまま卒業。中学に入学しても一匹狼のスタンスは変わらず、先輩に目をつけられては喧嘩を繰り返す日々。成績は高校進学を考える必要もないくらい絶望的、就職も不可能で、先生に投げやりに薦められた民警の資格を得た。

 そして、森高詩乃と出会った。

 

 

 

 

 

 

 少年は力を手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 贖罪の仮面で顔を隠した。

 




Q.もしここで壮助が延珠(もしくは呪われた子供)を守ろうと行動していしたらどうなっていたか。

A.壮助も「赤目の仲間」としてクラスから迫害を受ける。また、延珠一人に向けられていた憎悪が壮助、そして延珠の親友の舞も飛び火し、迫害の対象が1人から3人に増える(もしかしたら、間島も含めて4人)。延珠は自分だけが迫害されることには耐えられるが、自分のせいで他人まで迫害の対象にされてしまうことには耐えられないため、壮助と舞の存在は延珠にとっての“救い”ではなく、“罪”として精神的な負担になるだろう。

結論:原作以上に延珠の精神状態がヤバくなる。


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贖罪の怪物

これから忙しくなるので、更新が不定期になります。


義塔壮助は目を覚ました。懐かしい白い天井に白いベッド。仄かに鼻を突く消毒液の匂い。嫌な記憶と共に懐かしさを感じる。

――ああ、また病院か。

壮助は肘をついて上体を起こす。胸元に痛みが走るが、我慢できないほどではない。それよりも状況を把握したかった。寝たままでは天井しか見えない。ベッドの周囲も仕切りで囲まれている。

ふと腹部に重さを感じた。ずっしりと、しかし心地のいい重さだ。

目をやると詩乃が壮助の腹部に頭を乗せて寝ていた。ずっと傍に居てくれたのだろうか、疲れ切って爆睡しており、口から涎を垂らしてシーツを濡らしていた。

股間をピンポイントで濡らすのは勘弁してほしかったが……。

「入るわよ~」と、彼の返事を待つ前に空子が仕切りのカーテンを開けて入って来た。

 

「あ、なんだ。起きてたんだ」

「なんか反応軽くない?こういう時って、感極まって涙流して、慌ててナースコールするもんじゃねえの?」

「いや、だってアンタ。6時間しか寝てないし――」

 

空子が舐めるように壮助の顔から足先まで見た。ベッドに片腕をついて、壮助の額に手を当てる。

前屈みになったことで彼女の開いた胸元が嫌でも壮助の視界に入る。松崎民間警備会社の男性陣(壮助と勝典)の間ではエベレストだとかチョモランマだとか例えられている彼女の爆乳が目の前にある。思わず手を突っ込みたくなる谷間、服と胸のわずかな隙間。これから目を反らすことは男の性に対する抵抗であり、16歳という多感な年頃の壮助は男の性に抵抗できなかった。

 

(よくもまぁ白衣の天使の神殿でそのドスケベエロボディの晒せるなぁ!畜生!危うく俺の下半身のエクスカリバーが――――駄目だ!反応するな!反応したら社会的に終わっちまうぞ!俺!)

 

「まぁ、脳震盪とか聞いてたけど、全然大丈夫みたいだしね」

 

空子が身を引き、壮助もほっと一息をつく。

空子は詩乃を一瞥すると、手元に持っていたコートを彼女の肩にかけた。

 

「本当に詩乃ちゃんはアンタにゾッコンね。どんな口説き文句を使ったか、教えて欲しいわ」

「別に口説いちゃいねえよ。ただ――」

「ただ?」

「IISOから聞いた話だけど、こいつ前のプロモーターとはあまり上手くいってなかったみたい。戦いのどさくさに紛れてそいつを殺そうとしたらしいし」

「うわぁ…。13歳の女の子が考えることじゃないわね」

「当時はまだ12歳だし、そんなに珍しい話じゃない。10歳のイニシエーターがプロモーターをバラバラ死体にしたって話も聞いたことがある。――まぁ、前の奴と比較したら、気の合う俺は聖人にでも見えたのかもしれないな。俺が惚れさせたんじゃなくて、ただタイミングが良かっただけだ」

「アンタ。それ本気で言ってる?」

 

空子は真剣な物言いで壮助を蔑むような目で見つめた。

 

「義塔くん。具合はどうですか?」

 

カーテンの仕切りを開けて、松崎と勝典が入って来た。壮助は空子への返答が有耶無耶になったことに胸をなでおろし、空子は少しばつの悪そうな顔をした。

ぞろぞろと人が入ったことに気づいたのか、詩乃が目を覚ました。目を擦り、壮助が目を覚ましたと知るや否や彼に飛びかかり、熱い抱擁をお見舞いする。

 

「おやおや。邪魔者は退散しますね」

「あ、いえ。そういうわけでは……」

「○×△□◎☆!!?」

 

詩乃も言葉になっていない小さな叫び声を挙げると、ぱっと壮助から離れてベッド脇のパイプ椅子に腰を掛ける。赤面して俯き、壁の方に顔を向けた。

勝典がパイプ椅子をセットし、そこに松崎が腰を掛けた。

 

「医者が言うには軽い脳震盪だそうだ。経過が良ければ、明日の昼には退院できる」

「大角さん。あの後、どうなったんですか?」

「おいおい。いきなりだな。端的に言うと、里見蓮太郎と蛭子小比奈は逃亡。未だに音沙汰なし。あと、報酬の金額が倍になったぐらいだな」

「そ、そうか」

 

壮助は安堵した。里見蓮太郎が誰の手にもかけられていないことに。

民警で蓮太郎を捕らえることを依頼されておきながら、彼が逃亡したことを安堵する矛盾。それは壮助以外の全員が気付いていた。

 

「義塔くん」

「は、はい!」

 

松崎の鶴の一声で壮助が背筋を伸ばす。

 

「もし体に無理が無いようであれば、話していただけますか?君が、里見蓮太郎さんを呼び止めた理由を――」

 

壮助は全て話した。勾田小学校でのこと、藍原延珠が同じクラスだったこと、自分のせいで彼女が呪われた子供として学校を追われたこと、後日、自分が反発して暴力沙汰を起こしたこと。

誰も途中で質問を入れようとはせず、ただ黙って話を聞いていた。

 

「だから、君は里見さんを呼び止めたんですね」

「はい……。あいつ――いや、彼なら藍原が今どこで何をしているか知っているはずなので」

「なるほど、お前が序列に拘っていた理由も説明がつく。藍原延珠の現在と彼女のプロモーターに関する情報を得たかったのか」

「はい……」

「義塔くん。藍原さんに会って、君はどうするつもりですか?」

 

壮助はぎゅっとシーツを掴んだ。その手は震えていたが、詩乃がそっと手を乗せたことで震えが止まった。壮助は「ありがとう」と言うと、俯いていた面を上げた。

 

「謝り……たいです。謝って済む問題じゃないってのは分かっているんです。偶然とはいえ、藍原の思い出を壊したこと、群集心理に負けて何も行動を起こさなかったこと――俺は、決着をつけたいんです。罰でも、償いでも、どんな形でもいい。でもせめて、『ごめんなさい』と伝えたい……です」

「そうですか」

 

松崎はパイプ椅子から重い腰を上げた。

 

「起きたばかりなのに、重い話をさせて申し訳ない。千奈流さん。大角さん。私達はそろそろお暇しましょうか。彼も起きたばかりですし」

 

松崎が病室の外へ出て行き、後を追うように空子が出て行った。勝典も一緒に出て行こうとするが、壮助の脇にあるパイプ椅子に座る詩乃の肩を叩いた。

 

「森高。ちょっと話したいことがある。少し付き合ってくれ」

「は、はい」

 

詩乃は名残惜しそうに壮助を見て、勝典に連れられて病室から出た。

 

 

 

 

「あれで自分を責められるって……何か納得いかないのよね」

 

皆で1階ロビーにある休憩室でコーヒーを飲む中、空子が口を開いた。あとの3人も彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「真っ先に迫害し始めたガキや教師を嫌悪するのは分かるけどさ。あいつ自身が迫害したわけじゃないじゃん。どうして、あいつが贖罪に身を投じるか理解できないわ。クラスメイトや教師をボコボコにして、その呪われた子供の前で土下座させるならまだ理解できるわ」

 

「だから、“義塔壮助”なんだよ」と口を挟み、詩乃がシロップたっぷりのコーヒーをテーブルに置いた。

 

「会って1年しか経ってない私が言えるかどうか分からないけど、壮助は見えない敵に怯えているんだと思う。多分、壮助があのまま黙って普通に中学に行って、高校に行ったとしても誰も文句は言わないし、裁かなかった。けど、彼の“罪”は彼自身が決めたことだから。罰を受けるか償うか、納得のいく決着を見つけるまで、ずっと背負うことになると思う」

「森高。それは違うぞ」

 

勝典の一言に詩乃と空子は彼の方を向く。

 

「罪は消せない。せいぜい軽くなるだけだ。もしあいつの納得のいく罰や償いが出来たとしても、罪人の本質は常に、死ぬまで――いや、死んでも纏わりつく。罪は事実なんだ。どれだけ被害者が許そうとも消えることはない。二度と取り返せないものなら尚更の話だ」

 

勝典は一息つきくと、今まで以上に真剣な面持ちで詩乃を見つめる。鋭い眼光は揺らぐことなく真っ直ぐと詩乃を突き刺した。

 

「自分を許せない気持ちも、罪を償う気持ちも、それは悪いことじゃない。誰かに強要されず己の意志だけでそれが出来るのはむしろ結構なことだと思う。だが、行き過ぎた罪の意識は魂を飲み込む。単一の思想が個人を支配し、その思想以外のすべてを排除する。思想を否定することも、幸福が思想の達成に邪魔なら迷わず否定する。そうなった時、“怪物”が生まれる」

「怪物……」

「ああ。怪物だ。だから森高。義塔から目を離すな。あれはいずれ“贖罪の怪物”になる。止められるのは、おそらくお前だけだ」

 

詩乃は口を閉ざし、俯いた。

壮助の心の中に潜む“怪物”。それは壮助を動かす原動力であり、壮助を飲み込む存在だ。義塔壮助は藍原延珠に償うことしか考えていない。今はそうでなくともいずれそうなるかもしれない。詩乃にとっては腹立たしく、悲しいものだった。愛する人は自分以外の女、生きているのか死んでいるのかもわからないクラスメイトのことばかり考えていると知ってしまったのだ。彼女は延珠が羨ましく、そして妬ましかった。

 

(じゃあ……。壮助にとっての私って何?相棒?それとも……償いのための道具?)

 

 

 

 

午後8時 聖居 聖天子執務室

東京エリアの政治中枢である聖居。その奥深くに聖天子執務室がある。

執務室は、聖居の白い外観、聖天子のイメージである清廉潔白という概念を部屋と言う形で表現している。

部屋の奥、高級感溢れるマボガニーの机に向かい、聖天子はその日の執務を終えようとしていた。

東京エリアの抱えている問題は未だに多い。第三次関東会戦で大幅に減少した民警・自衛隊の戦力、未だに国内で燻る反赤目組織、強奪された『賢者の盾』とそれによる次世代のエリア防衛システム開発の停滞、etc…。

彼女が最後の書類に判を押すと、終わるのを待っていたかのように入口からノックの音が響く。

 

「聖天子様。例の民警に関して、情報が集まりました」

「どうぞ。入ってください」

「はい。失礼いたします」

 

入って来たのは痩身の中年男性。薄い頭髪に垂れた眼差し。とても威厳というものは感じられない。

男の名は小笠光雄(おがさ みつお)。現在の聖天子補佐官である。政治的な知識と手腕に長ける男と評判だが、気弱な性格のせいで決断力に欠ける。そのため、前の補佐官である菊之丞とは違い、真に“補佐官”として聖天子の治世を補佐している。

彼が歩いて聖天子の下まで向い、脇に抱えていた茶封筒を差し出した。

 

「例の民警に関する経歴です」

 

聖天子が茶封筒を受け取り、封を開けて一通り中の書類を見通した。

 

「小笠さん。彼女と連絡を取ってください」

「彼女……と言いますと?」

 

 

 

 

 

 

殲滅の嵐(ワンマンネービー)。ティナ・スプラウトです」




次回は大角勝典のイニシエーターが登場!(ロリですよ!ロリ!)


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遺された傷跡

やっと更新することが出来ました。
色々と大変でしたが、これからはまた1週間に1話、もしくは2週間に1話を目指して頑張ろうと思います。


 夜10時を過ぎた頃、壮助の見舞いを終えた大角勝典は東京エリアの一等地に位置する高級マンションへと帰って来た。住民を迎え入れるレッドカーペットと煌めくシャンデリア、ホテルと見紛う絢爛豪華な内装は、民警という血生臭く汗臭い仕事をする勝典には似合っていなかった。

 勝典もそれは自覚していた。序列1000番台の報酬からすれば経済的に問題はないが、出来ればもう少し安くて地味なところに住みたいとも思っている。しかし、そうは出来ない理由があった。

 エレベーターで10階まで昇り、自室のドアを開けた。

 

「おかえり。勝典」

 

 扉を開いて玄関に入った。その目と鼻の先で一人の少女が勝典を迎え入れた。年齢は10歳ほどか、10歳らしい幼稚なスタイルだが、スレンダーで足がスラッとしている。毛先がウェーブしたセミロングの明るい茶髪を振り撒き、これ以上にないほどの満面の笑みを向ける。しかし、少女は花のマークが目立つ高級ブランドのカーディガンの前で腕を組み、仁王立ちで阻む。その立ち姿からは怒りを感じさせる。

 

「ご飯は抜く?お風呂はないよ?それともアタシからのオ・シ・オ・キ?」

 

 彼女は新妻お決まり台詞の最悪バージョンを吐いた後、背に隠していた二本のバラニウム製レイピアの先端を勝典の首筋に向けた。黒剣の二刀流が蛭子小比奈を彷彿させるが、振り撒く可愛げも纏う狂気も何もかもが異なる。

 

「わ、分かった。帰りが遅くなったのは謝ろう」

「謝ろうじゃないわよ!こっちは待てども待てども帰って来ないし!お腹はすくし!仕方なくコンビニ弁当なんていう化学調味料の塊を口にしたのよ!この飛燕園(ひえんぞの)ヌイ様が!」

「『自分で作る』っている選択肢は無かったのか?」

 

 勝典が訪ねた途端、ヌイは目を反らした。

 勝典がキッチンに目を向けた。黒こげのフライパン、野菜を切った何かが散乱するまな板、刃が折れた包丁、作動した形跡のある火災報知器など、彼女が自炊しようと努力した形跡は見られた。しかし、キッチンはマッドサイエンティストの実験台、絨毯爆撃跡地、そんな例えがぴったりな光景になっていた。

 勝典が再びヌイに目を向けると、彼女は額から冷や汗を流していた。

 

「り、料理なんてものは給仕の仕事なのよ!」

 

 勝典はため息を吐いた。今どき漫画でも見ないような典型的なお嬢様思想のヌイにではなく、これまで、コンビを組んで2年間もヌイに料理一つ教えなかった過去の自分の愚かさに頭を抱えた。

 

「今度、簡単な料理を教えてやるよ」

「だ、だからこの私が給仕の仕事なんて!」

「『料理は淑女の嗜み』って言えば、いいのか?」

 

 その瞬間、ヌイの耳がピコンと動いた。彼女の感情の起伏を示す分かり易いアンテナだ。

 

「そ、そうね!淑女の嗜み!誰かに奉仕するわけではないのよ!淑女の嗜み!」

 

 おほほほと笑うが、今晩の大失敗と料理に対する不安が頭を過ぎったのか、その顔はあまり笑っていなかった。

 

「あ。そういえば、こんなのが届いてたわよ」

 

 ヌイが差し出したのはA4サイズの茶封筒だった。紐と留め具で閉じられた高級感のある装丁。表には「大角勝典 様」と大きく印字されていた。裏返して送り主を確認する。

 

 “第三次関東会戦・戦友会”

 

 かつて東京エリア滅亡の危機とまで言われた第三次関東会戦。32号モノリスの倒壊により押し寄せたステージⅣガストレア「アルデバラン」「プレヤデス」率いる2000体のガストレア軍勢と自衛隊・民警の戦いである。当初は自衛隊の快勝で終わると考えられていたが、プレヤデスの「光の槍」による航空戦力の無力化、アルデバランによるガストレア軍勢の統率により自衛隊が壊滅、民警も戦力の90%以上を損耗したが、里見蓮太郎を中心としたオペレーション――レイピア・スラスト――により勝利をおさめた。

 戦友会は生き残った民警の集まりであり、会合や犠牲者の供養といった活動が行われる。勝典の下に戦友会のお知らせが来たのは、彼もまた第三次関東会戦を生き残った民警の一人であることに他ならなかった。

 勝典は戦友会から来たものだと確認した途端、封を開けることなく封筒をクシャクシャに握り潰して捨てた。憎悪を込めた表情で、怒りをぶつけるように――

 ヌイはその光景を黙って見るしか無かった。去年のように逆鱗には触れたくなかったからだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「え!?退院した!?」

 

 防衛省の一件から一晩経った翌朝、森高詩乃は病院へと来ていた。今日の午前中には退院すると言われていた義塔壮助を迎えるため、そして勝典の忠告通りに壮助から目を離さないためだ。しかし、病室に行くと彼の姿は無く、ナースステーションに行くと、「異常は無かったので本人の希望もあって退院させた」という答えが返って来た。

 

「あのっ。それでどこに行ったか分かりませんか?」

「退院する際に、近くの駅にATMがあるかどうか聞いていましたね」

「その他には?」

「すみません。それ以外のことは……」

 

 申し訳なさそうな顔をする看護師に詩乃は「ありがとう」と言うと、病院から出て行った。

 詩乃は走って最寄りの駅に向かった。壮助に追いつけると思い、無我夢中に走り出す。信号無視など気にしなかった。途中、タクシーに轢かれそうになったが、赤目の力で華麗に回避して、謝ることもなく駅へと走り抜けた。

 5分走った先に看護師の言っていた駅があった。構内に入り、案内板で位置を確認したATMへと向かった。

 無論、そこに壮助の姿は無かった。詩乃はATMの前に立ち、自分が持っていたキャッシュカードで口座の残高を見る。壮助が「脱オンボロ廃墟!目指せ!2LDK!」と息巻いて溜めていた貯金用の口座だ。2人の共有財産ということで詩乃にもキャッシュカードが与えられていた。

 案の定、お金は引かれていた。つい5分前に貯蓄の半分の20万円ほどだ。

 

 ――5分前ならまだ間に合う!

 

 詩乃はATMからキャッシュカードを引き抜くとダッシュで改札へと向かった。電車の待ち時間も含めて考えれば、壮助はまだホームにいるかもしれない。その一心が詩乃の足を動かす。

 

『2番乗り場より、電車が発進致します』

 

 駅内アナウンスが詩乃の心を更に焦らせる。今ここで壮助を自由にしてしまえば、勝典の言っていたように『贖罪の怪物』になってしまう。そんな気がしてならない。

 赤目の力を発揮して階段を10段ずつ飛ばしながら駆け上がる。驚く周囲の視線など気に掛けず、一気にホームまで駆け上がった。

 眩しい日差しに当てられながらホームを見渡す。そこに壮助の姿は無かった。そして、2番乗り場から発進し、既に遠くにいってしまった電車の姿があった。

 

 

 

 *

 

 

 

 病院の最寄り駅から電車で20分ほど行った先の駅で壮助は降りた。服装は昨日の防衛省の時と変わらず、司馬XM08AGを楽器ケースに入れてカモフラージュしている。

 駅前の大通りから横道に逸れて、場末の居酒屋やキャバクラ、スナックが並ぶ細道を通る。そして、とあるドアの前に立った。

 何の変哲もない鉄製のドア、普通の人が見れば何かの店の裏口だと思うだろう。周囲に溶け込むことに徹し、誰もドアのことを気に掛けないような工夫がなされている。

 壮助は財布から民警のライセンス証を取り出すと、それをドアの郵便受けに入れた。ガチャと鍵の開く音がした。壮助はドアノブを力強く掴むと1秒待ってからドアノブを回して扉を開けた。

 数メートル続く廊下を歩き、更にその奥の扉を開いた。

 

「久し振りだねぇ。随分と酷い面構えになったじゃないか」

 

 所狭しに並べられた漆黒の武器弾薬、バラニウム弾に対応した銃器、バラニウム製の近接武器、バラニウム弾、バラニウム破片を含んだ爆弾。それらに囲まれて、一人の女性が壮助を迎えた。

 擦れた目でキセルを加える30代の女性だ。豊満なスタイルを強調する黒のタンクトップに迷彩柄のカーゴパンツ、そして軍用ブーツ、キセルの煙のせいで傷んだセミロングの髪も相まって、戦場から帰って来たばかりの女性兵士のように思える。

 彼女の名は三途麗香(さんず れいか)。東京エリアの民警の間では廃品回収(ロストコレクター)の名で有名な武器商人だ。ハイエナのように死んだ民警の銃器を回収し、それを中古品として売り捌く。聞こえは悪いが、資源の再利用という意味では素敵な販売者とも言えるし、序列の低い貧乏民警にとってはありがたい存在でもある。

 壮助が民警になって初めて武器を買ったのもここだ。大角に紹介され、中古のM4カービンを買った。そのM4カービンは2ヶ月後にガストレアとの戦いで鉄くずになってしまったが……。

 

「そんなに酷い顔か?俺」

 

 壮助の言葉に麗香は意表を突かれた。彼女の知る義塔壮助は、見た目ヤンキーで思慮に欠ける男だが、目上の人間に対して敬語は使う程度の社会に対する帰属意識は持っていた。彼なりに対人関係、集団の和を考えていた証だった。しかし、今の彼にはそれすら無い。

 

「ああ。酷いね。相棒を介錯した銃を売りに来たどこかの民警に雰囲気が似ているよ……いや、彼よりはまだマシかな。予備軍ではあるけど」

「詩乃を撃っちゃいねぇよ」

「当たり前だ。そんなことになったら予備軍じゃ済まなくなる」

 

 雑談を終え、壮助は一呼吸おいて本題に入った。

 

「どうしてもアンタに調達して欲しい銃がある」

「私は廃品回収、死んだ民警から武器を貪るハイエナだよ。その銃の持ち主が死んだら、この店に並ぶ。それだけのことだ。それで、何が欲しいんだ?」

「タウルス・ジャッジ」

 

 それを聞いた途端、麗香は吹き出した。咥えていたキセルを床に飛ばし、腹を抱えて笑い続ける。出入り口と換気扇だけが空気の逃げ道になっているこの狭い部屋で彼女の笑い声がけたたましく反響する。

 

「あはははははははは!!タウルス・ジャッジ!!あの散弾拳銃か!!馬鹿か!?お前は本当に馬鹿か!?」

 

 タウルス・ジャッジ

 

 ブラジルのタウルス社がカージャック対策用に開発したダブルアクションの散弾リボルバーだ。拳銃という形でありながら散弾「410ゲージ」を装填することが出来るという珍しい銃だ。

 ショットガン(散弾銃)は面制圧に適した散弾、大型生物に対して有効なスラッグ弾を使うことが出来るが、民警の間ではあまり人気の銃ではない。後方支援がメインのプロモーターにとって射程距離の短さはネックであり、散弾を使えば前方のイニシエーターを誤射しかねない。スラッグ弾も初速の遅さと空気抵抗の問題から、効果を発揮する距離が限られている。イニシエーターのほとんどはその身体能力を活かすために近接武器を使うため、銃そのものを扱うことが少ない。

 壮助が依頼したタウルス・ジャッジは携行性に優れるが、銃身が短いため威力と射程距離が他の散弾銃より劣る。更に口径が小さいため、近距離での鳥撃ちや小動物の狩猟ぐらいにしか使えない。対人ならともかく対ガストレアでは効果を発揮しないだろう。

 麗香はラマーズ法で呼吸を整える。無論、彼女は妊娠などしていない。

 

「しかし、本当に無茶なことを頼むな。あんなのガストレア相手だと豆鉄砲だぞ。スラッグ弾を使うならまだしも――」

「いや、使うのは散弾だ。球形散弾はゴム弾、火薬の量もなるべく減らして殺傷性を極力減らした奴が欲しい」

 

 その言葉を聞いて、麗香は黙り込んだ。壮助は民警で、民警が求める銃は対ガストレアを想定した大口径で殺傷能力の高いものだ。しかし、彼が今頼んでいるものは明らかに対人目的の銃だ。「殺す」「殺さない」の問題ではなく、人を撃つための銃を彼は所望している。もはや民警としての仕事を逸脱していた。

 

 ――まぁ、そんなことは私にとってどうでもいいことなんだけどね。

 

「今、リストにジャッジが無いか確認してみたが、お前は運が良いな。一つあったぞ。もう6年も前のものだ」

 

 壮助が固唾をのんだ。

 

「6年前って……」

「ああ。第三次関東会戦で死んだ民警の持ち物だ」

 




次回は原作に登場したあの人やあんな人の懐かしいアイテムが登場!


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廃品回収(ロストコレクター)

言えない。
ゴッドイーター2レイジバーストにハマって更新が遅れていたなんて。


「う~ん。どこにやったかな~?」

 

所狭しと並べられた大量の銃器とバラニウム弾、麗香はその中に上半身を突っ込み、無造作に入れられたおもちゃ箱からオモチャを探す子どものように部屋を漁る。タウルス・ジャッジが店にあるのは分かっているが、それが店のどこにあるのかは分からないようだ。

 

「商品管理ぐらいやったらどうだ?」

「元々は売買じゃなくてコレクションが目的だったからね。宝くじを一発当てれば武器商人稼業ともおさらばだ」

「コレクターなら尚更きっちり管理しとけよ。ほら、あの額縁に入れて飾ってある拳銃みたいに――って高っ!?」

 

壮助がふと指さした額縁の銃。店の最奥の壁にかけられており、仲にはクロアチア製の拳銃『スプリングフィールドXD』がかけられていた。レッドカーペットを背景に金色の額縁で囲われ、その扱いはセール品のようにドラム缶にツッコまれたり、棚に置かれている有象無象の銃とは明らかに違っている。扱いと同様に値段も1000万円と格別だった。中古品どころの話ではない。新品よりも高価で全てのパーツを純金で作ったのではないか、もしかして見た目だけで中身はビーム兵器なんじゃないかと思ってしまうような値段だ。

 

「高っ!なんだよ!あの銃!中古販売のくせに新品より高額じゃねえか!」

「中古が新品より高値で取引されることなど多いじゃないか。買ったばかりの新品のパンツと一度女子高生が履いた同じパンツ、どっちが高く売れると思う?」

「女子高生が履いたパンツ」

「そういうことだ」

 

麗香は再び銃の山に上半身を突っ込んでタウルス・ジャッジを探し、壮助は額縁のスプリングフィールドXDに目を向けた。「どんな有名人が使えば、あんな額になるんだ?」と質問したかったが、それに答える度に彼女は手を止めてしまうので欲求は抑えておく。

麗香が「あった!」と声を挙げ、箱の中から1丁の拳銃を持ちだした。汚れを布でふき取り、微量のオイルで磨いて光沢を作る。

 

「ほら。お望みのタウルス・ジャッジだ」

 

麗香がカウンターの上にジャッジを置いた。一見すると銀色のリボルバーだが、散弾やスラッグ弾などの大きな弾丸を撃つために銃身が太くなっており、回転式弾倉もそれに対応して大きくなっている。散弾が詰まったケースが数箱ほどジャッジと共に置かれ、彼女は椅子に座った。

 

「ふふふ。君ほど話し甲斐のある客はいないんでね。また来てくれるのを楽しみにしていたんだよ」

 

麗香が不気味な笑みを浮かべながらリモコンで部屋の照明を落とす。部屋の光源はカウンターに置かれたランプだけになり、彼女の表情も相まって怪談を語るような雰囲気になる。

 

「この銃の前の持ち主は高幡舜(たかはた しゅん)。享年18歳。個人経営の小規模な事務所でイニシエーターとやりくりしていた。相棒との関係は非常に良好で仲睦まじい兄妹と近所でも評判だったそうだ。2人の最期は6年前の第三次関東会戦。彼らも生まれ故郷を守るために戦いに参加したが、例に漏れず民警とガストレアの乱戦に巻き込まれる。その最中、彼はイニシエーターをガストレアの攻撃から庇って負傷してしまう。その傷口からガストレアウィルスの感染が急速に始まり、30秒も経たずに形象崩壊が始まった。周囲にいた民警が介錯しようとしたが、イニシエーターが彼を守ろうとしたことで介錯が間に合わなかった。結果、この男はガストレア化し、自分の相棒を食い殺した」

 

彼女はハイエナのように死んだ民警から武器を集める。それと同時に持ち主のエピソード――どう生きて、どう死んだのか――も集める。そして、その生き様と死に様を次の持ち主に語る。彼女は武器と同時に死(ロスト)を集める。故に廃品回収(ロストコレクター)なのだ。

かつて、勝典と壮助が武器を買いに来た際、三途麗香は語った。

『死とは人生の結果だ。善良だろうと悪虐だろうと死は平等に訪れる。過程に結果が伴うように死は生涯の結果だ。もし運命を決めている神様がいたとしたら、そいつの価値観や善悪の基準は人間とはかけ離れたものだろう』

生と死は常に因果で繋がり、善良な人が拷問されながら死んでも、悪逆非道の限りを尽くした人間がベッドの上で安らかに死んでも、その『死』に辿り着く過程が『生』の中にある。

 

「もし2人がビジネスライクな冷めた関係だったら、舜は相棒を庇うようなことは無かったし、イニシエーターは相棒が介錯されることをすんなりと受け入れただろう。互いに愛し合い、仲睦まじいからこそ起きた悲劇だな。君達も仲が良いし、こうならないことを祈るよ」

「まるでこの銃が呪われているみたいな言い方じゃないか」

「今更気付いたのか?私が扱っている武器はほとんど呪われているぞ」

 

気味の悪い話題に麗香は楽しそうにハハハと笑う。暗い部屋と不気味に笑う三十路女を前に壮助は「やっぱり、別の店で買おうか」と考える。しかし、断ったら何かよく分からない呪いに殺されそうな気がするし、格安料金も諦めきれない。

 

「私から武器を買った民警はほとんどが前の持ち主と同じ運命を辿ったよ。そこにスプリングフィールドXDがあるだろう?」

「あの額縁のか?」

「ああ。あれは前の持ち主も、更に前の持ち主も自分の相棒を撃ち殺した後、民警を辞めた。パートナーロス症候群に耐えられなかったんだろう」

「相棒を介錯か……」

「今はその心配は無いんだろう?技術が発展して、ガストレアウィルスの浸食を完全に抑える薬品が出回っているわけだし」

「ガストレアに直接ウィルスを注入されたりしない限りはな」

 

呪われた子供たちはガストレアウィルスによって高い身体能力と回復能力、ウィルスのモデルとなった生物の能力を得るという恩恵が与えられるが、恩恵に与れば与るほどウィルス侵食率が上昇し、ガストレア化するという危険性を孕んでいる。人間と同じように生活すれば侵食率は上昇せず、人並みの寿命が保障されると“言われていた”が、近年の研究で肉体の成長や新陳代謝にもガストレアウィルスが関与していることが判明。誤差の範囲内ではあるものの普通の人間と同じ暮らしをしていても侵食率が上昇していることが学会で発表されている。

イニシエーターになるとウィルスの侵食を抑制する薬品が提供されるため、命の危険に晒される職業でありながらイニシエーターを志望する赤目は後を絶たない。しかし、数年前まで抑制剤も「侵攻を遅くする」程度であり、気休め程度でしかなかった。3年前に四賢人の一人、室戸菫を始めとした研究チームがガストレアウィルスの侵食を“完全に”抑制する薬品の開発に成功。2年前からIISOを通して民警に配布されるようになった。抑制剤の投与後、数時間ほど免疫反応による発熱で苦しむというデメリットはあるが、戦いで侵食率上昇が避けられないイニシエーターに人並みの寿命が保障されることに比べれば小さいものであり、今はこっちの抑制剤が主流になっている。

 

「呪われた銃か……。じゃあ、もし俺がここで買ったM4カービンを使い続けたら、それで詩乃を撃ったり、逆に詩乃に殺されたり、そんで大角さんは自分の剣が背中に刺さって死んだりするのか」

 

壮助が民警になりたての頃、勝典に連れられて、ここで武器を買った。狭くて換気の悪い部屋とタバコ臭い店主、持ち主の生き様・死に様を語る売買の儀式には驚かされた。

その時、壮助が勝ったのはアメリカ軍で採用されていた短機関銃:M4カービンだ。かつては「相棒殺し」と言われていたプロモーターが使っていたが、因果応報が巡って相棒(イニシエーター)に殺害された。麗香曰く「因果応報のお手本みたいなつまらないエピソード」らしく、値段も1000円と格安だった。

そして、勝典が今使っているバラニウムの大剣もここで購入したものだ。これは数万円ほどの価格だった。かつて序列1000番台のプロモーターが使っていたが、未踏領域で持ち主の背中に刺さった状態で発見された。それがどうも麗香のツボに入ったらしく、笑みを浮かべながら「何をどうしたら自分の剣に背中を刺されて殺されるのか。彼の最期の戦いが気になるね」と語った。

 

「まぁ、そういう可能性もあるってことだ。呪いを信じるかどうかは君次第だ。私の友人は『呪い?そんなものあるわけないだろう』と一蹴するがな」

「アンタに友人なんて居たんだ。ずっとこの店で銃器や死人のエピソードを眺めてニヤニヤしていると思ってた」

「酷い言い草だな。ちゃんといるぞ。私と同じ『死』を愛する人間だ。まぁ、彼女が愛するのは死体(ボディ)、私が愛するのは経歴(エピソード)だから、反りが合わなくて5年ほど連絡を取っていないがな」

 

麗香はキセルをふかし、煙と共に息を吹き出す。そして、椅子の背もたれに身を寄せた。

 

「ふぅ。ここまで他人と話すのは久しぶりだな」

「他の客とは話さないのか?」

「他の客が求めているのは格安の中古品であって、前の持ち主のエピソードには興味を示さないからな。とりあえず一方的に語るが、大半は『そんな話はいいからさっさと武器をよこせ』って顔で聞いてる。ここまで話すのは君ぐらいだ」

「そういうものか」

「そういうものだ」

 

2人の間にしばらくの沈黙が入る。壮助はもう話が終わったと思い、カウンターのジャッジを手に取った。

 

「で、これ結局いくらになるんだ?」

「銃本体にバラニウムの散弾とスラッグ弾1カートン。珍しい銃だし、実に面白い死に方だったから、2万円ぐらいが相場だが、君の聞き上手に免じて一万円にしておいてやろう」

 

麗香から値段を聞かされると、壮助はバラニウムのスラッグ弾のカートンだけカウンターの彼女の傍に押し出した。

 

「バラニウム弾はいらないから、もう少し値引きできないか?」

 

壮助の要望を聞いた麗香はスラッグ弾のカートンを押し戻した。

 

「無茶をいうな。これもセットにして売らないと、人間を撃つための銃を売買した疑いが出るだろう。私を犯罪者にするつもりか?」

 

民警に武器を売買する商人はIISOとエリアよりライセンスが発行されている。売買記録の提出や審査が毎年行われている。もし、そこで怪しい記録が出てきてしまえば、それだけで来年の武器商人としての商売が危うくなる。

 

「分かったよ。弾も全部買う」

 

壮助は財布から1万円札を出して麗香に渡す。銃と弾丸を受け取り、銃に安全装置がはたらいていることを確認すると楽器ケースの中、司馬XM08AGとは別のポケットに入れた。

 

「ありがとな」

「ああ。こちらこそ、久しぶりに楽しく語らせてもらったよ。やっぱり、君は上客だ。もっとお金を落としてくれれば、文句は無いんだがな。ほら、ついでにあのXDも買わないか?」

 

麗香は額縁のXD拳銃を指さす。麗香の薦めとはいえ壮助には出せる金額ではない。彼が稼ぎの少ない民警で、あのXD拳銃の10分の1の額も出せないことを麗香は知っている。だからこそその行為に彼女の厭らしさがにじみ出る。

壮助はXD拳銃をじっと見つめる。よく見ると傷だらけで、使い古されているのが分かる銃身、誰も手を出さないような設定の値段、額縁に入れるような高待遇。この店であの銃だけは異様だった。

 

「あのスプリングフィールドXD。誰が使ったらあんな値段になるんだ?」

「聞きたいか?」

「ああ。是非とも」

 

麗香の表情は待っていましたと言わんばかりに期待で満たされていた。きっと、この銃について語りたくて仕方が無かったのだと思う。水を得た魚、趣味について語る機会を得たオタクの様に目を輝かせていた。もう話したいことが喉元まで来ているのだろう。

 

「この銃の持ち主は、エリアの民警なら誰もが知っている名前――幾度となく東京エリアを救った英雄“里見蓮太郎”だ」

 

その時、壮助は全てが止まったような感覚に襲われた。




手元に原作がある人は、4巻の54ページを見てみよう


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第三次世界大戦前夜

まさかパソコン(2年前購入)がお釈迦様になってしまうとは…


「おい。今、なんて言った?」

 

壮助は瞳孔が開いた目でカウンターに詰め寄り、麗香を凝視する。今にも怒りが吹き出しそうな顔と血走った目に麗香の全身が凍り付いた。壮助がここまで必死な形相を見せるのは初めてだ。

 

「もう一度言おう。この銃の持ち主は里見蓮太郎だ」

 

カウンターの上に置かれていた壮助の手が握り拳を作る。

相棒を介錯した銃の持ち主は里見蓮太郎である。それは、里見蓮太郎はその銃で相棒を介錯したということ。義塔壮助は贖罪の対象を失ったということだ。罪を処理できるのは法と被害者しかいない。壮助の罪は壮助の想い――最悪の結果を止められなかったこと――が生み出したものだ。それは法で裁けるものではない。赦すことも裁くことも、その権利を持つのはこの世界で藍原延珠だけだ。

壮助は近くにあったパイプ椅子に腰を下ろし、項垂れる。絶望と落胆。体からすべての力が抜け落ちて、ネジが錆びついて軋むパイプ椅子に委ねる。

 

「本当に、藍原延珠は死んだんだな」

「ああ。死んだ。それは確定事項だ。遺体も回収されている」

 

数刻ほど沈黙が空間を支配するが、壮助の口がそれを破った。

 

「――――くれ」

「ん?」

「教えてくれ。里見蓮太郎に――何があったのか」

「それを知ってどうする?」

「知らん。けど、知らなきゃどうすることもできない」

 

壮助の言葉を聞いて、麗香は「ふふっ」とほほ笑んだ。

 

「エピソードだけを欲しがる客は初めてだが、語ることが出来るのはコレクターとして嬉しいことだ。良いだろう。タダで教えてやる」

 

麗香は壁から額縁を下ろし、手袋をはめてスプリングフィールドXDを取り出した。それを壮助の前でかざし、舐めるような視線で銃を眺める。

 

「里見蓮太郎について語る前に、君が彼についてどれだけ知っているのか教えて欲しい」

「序列元51位で異名は“黒い弾丸(ブラック・ブレット)”。天童民間警備会社所属。東京エリア最強のプロモーター、第三次関東会戦を勝利に導いた英雄。藍原延珠の相棒。知っているのはそれぐらいだ」

 

壮助が並べた知識は一般市民や序列の低い民警における蓮太郎に関する知識と大差なかった。

 

「かなり長い話になるが、構わないか?」

「ああ。いくらでも大丈夫だ」

 

麗香はキセルを吹かした後、深呼吸した。長い話をする前には必ずこの動作が入る。心を落ち着かせないとオタクの性(自分の好きな分野の話になると熱くなる)で思考が口に追いつかなくなり、最終的に相手のことを気に掛けない一方的なお喋りになってしまうからだ。

 

「里見蓮太郎の生い立ちから話そう。彼の幼少期については天童家に預けられていたこと以外はあまり分かっていない」

「天童家――政治家一族特有の隠蔽体質ってやつか」

「それもあるが、幼少期の彼を知る人物がほとんど生き残っていないのが原因だな」

 

現在、天童家の人間は天童助喜与しか生き残っていない。彼以外の全ての天童が5年前に暗殺されているからだ。

 

「彼は15歳の時まで天童家で育てられ、そこで様々な教育を受けた。有名なのは天童式戦闘術だが、他にも政治家や仏師としてのスキルも得たらしい」

「仏師?」

「仏像を制作する職人のことだ。菊之丞が仏師として人間国宝に指定されていた。大方、彼に教わったのだろう」

 

それから、麗香は過去から遡る形で里見蓮太郎と周囲の人物の活動について語っていった。後に初恋の人となる天童木更との出会い、木更の両親の暗殺、天童家からの出奔、天童民間警備会社の設立、藍原延珠との出会い、etc……

 

「それから、彼は藍原延珠、天童木更と共に民警として活動するようになった」

「ちなみに当時の序列は?」

「120000ぐらいだ」

 

壮助は絶句した。10万位以下といえば、民警としてほとんど活動実績が無いか、資格を得て1ヶ月に満たないルーキーが持つ順位だ。可愛い幼女(イニシエーター)とチュッチュしてるだけの名ばかり民警もここに入る。

 

「さすがに桁がおかしくないか?」

「いや、本当にこの順位だった。むしろ、お前が9644位ってのが信じられないな。世界中の民警の上位10%以内だぞ?軍隊でトレーニングを受けたわけでもない。特殊な武術を会得しているわけでもない。天才的な頭脳があるわけでもなく、改造人間になったわけでもない。ただガキ同士の喧嘩で強いだけだったお前が上位10%ってのが不思議でたまらない」

 

麗香の言葉がグサグサと壮助の心に突き刺さる。壮助に反論の余地など残されていなかった。ただ、麗香の疑問に答えることは出来た。壮助の口からは出し辛いとても情けない「詩乃が強すぎるから」という回答が。

 

「で、その120000位がどうしたら51位になったんだ?」

「物事には転機があるものだ。それが里見蓮太郎にも訪れた」

「転機?」

「ああ。君も覚えているんじゃないか?6年前、東京エリアに出現したステージⅤガストレア『スコーピオン』。あれを倒したのは里見蓮太郎だ」

 

スコーピオンのことは覚えている。――と言っても、スコーピオンが出現し、撃破されたことを知ったのは翌朝のニュースだった。自分が寝ている間にステージVが現れ、倒されたというものは当時の彼にとって現実味を感じられなかった。おそらく、今でもそうだろう。

それから、麗香は蓮太郎と延珠の活躍について語った。聖天子狙撃事件、第三次関東会戦、友人殺しの冤罪と無実の証明、東京エリアと仙台エリアの戦争を阻止し、ステージV『リブラ』を撃退、etc……。蓮太郎と延珠のペアは幾度となく事件を解決し、順調に順位を上げて行った。

 

「輝かしい英雄談だな」

「ああ。しかし、物語にはいつも終わりが来る」

 

今から5年前、第三次関東会戦の戦勝から1周年を記念した式典で聖天子の公開演説が行われた。一般市民や民警の遺族、報道陣が注目する中でスピーチは順調に進む――はずだった。

スピーチ開始から10分後、聖天子の純白のドレスに“銃創”という名の赤い華が咲いた。

 

――狙撃だ。聖天子が狙撃された。

 

聴衆や報道陣はパニックになっていた。聖天子が銃撃されたという目の前の現実とその銃弾が自分にも来るのではないかという恐怖が人々を襲う。怒号や泣き叫ぶ声が会場で響き渡る。その光景は報道陣のテレビ中継を通して、東京エリア、いや世界中に流された。

もし「映像の世紀」や「その時歴史は動いた」で2030年代を扱うとすれば、「聖天子銃撃事件」の映像は確実に使われるであろう。それほど衝撃的で、時代を象徴する映像だった。

聖天子が銃撃された直後、聖室護衛隊が彼女を囲み、安全な場所に運ぶまで自分を肉の壁にすることで聖天子を守った。その間にも犯人の銃撃は続き、護衛隊員が2名殉職、更に跳弾が聴衆に当たったことで1名の死者と4名の重軽傷者を出した。

聖天子は意識不明の重体となり、東京エリアの大学病院で手術を受けた。執刀医は日本最高の頭脳と名高い室戸菫、病院の周囲は自衛隊・警察・聖室護衛隊が共同で警備し、それに加えて里見蓮太郎および彼と縁のある優秀な民警も加わった。何一つ隙のない最硬の布陣だと誰もが考えた。

どんな襲撃者でも実行する前に諦めるだろうと――

同時に聖居では緊急会議が開かれた。天童菊之丞を始めとした閣僚、大戦前の政治家、聖居の関係者たちが大会議室に集まった。

 

議題は「聖天子様がお亡くなりになった後の政治体制」

 

誰も聖天子の死を望んでいるわけではない。手術が成功し、聖天子が無事に聖居に戻るのであればそれに越したことはない。しかし、東京エリアを預かる身として常に最悪のパターンを想定し、それに対応しなければならない。もしここに楽観主義を持ち込めば、聖天子の死よりも悪い、真に最悪の事態が東京エリアで発生してしまう。

今、彼らの中にある最悪のパターン「東京エリアの政治機能の停止とそれによる外部勢力の侵攻」である。聖天子が撃たれたのはテレビ中継を通して世界中に知れ渡っている。この混乱に乗じて何か仕掛ける人間は確実に出てくるだろう。

会議は早々に「天童菊之丞を暫定首相とする」という答えが出た。しかし、本格的な聖天子の後継者については全く話が進まなかった。

当然のことだが17歳の彼女に子はいない。姉妹もいないし、仮にいたとしても今の聖天子に並ぶ政治能力とカリスマを持ち合わせた人間でなければ意味は無い。

会議に召集された前時代の議員は「大戦前の議会制民主主義に戻してはどうか」と提案したが一蹴された。ガストレアという脅威に対して迅速な対応が求められる現代において、会議や選挙を重ねて初めて実行できる議会制民主主義は非合理的である。実際、ガストレア大戦以降、多くのエリアで議会制や民主主義が廃止されていった。

何も具体的な案が出ず会議が膠着状態になった時、招聘されたメンバーの一人が発した言葉が最悪の事態の引き金となった。

 

「これは噂、そう、あくまで噂話なんですけどね。聖居の職員の間で『菊之丞閣下が聖天子暗殺を企てた』って声が上がっているんですよ」

 

別のメンバーが彼の発言を諌めるが、男は意に介することなく語り続ける。

 

「そう言えば、菊之丞閣下は1年前のガストレア新法には反対だったそうじゃないですか。リブラの事件の時も意見が衝突したことで聖天子様を軟禁なされた」

「何のつもりだ?」

「貴方にとって、聖天子様は都合のいい人形だった。しかし、彼女はそれを逸脱しようとしたため、邪魔になり排除した。違いますか?菊之上閣下――いや、天童菊之丞」

 

菊之丞は即座に否定したが、既に点いた火種が聖居中に広がるのに時間はかからなかった。聖居内部は誰もが疑心暗鬼になり、気が付けば聖天子派と菊之丞派に分裂していた。

 

*

 

銃撃事件から3日後、聖天子の手術が無事に成功し、容態が安定したことが報じられ、東京エリアの誰もがそのことに安堵した。

しかし、それら全てを裏切るかのように新たな事件が起きた。聖天子が入院する病院に謎の男と武装組織が突撃し、自衛隊と警察が武装組織と交戦することになった。謎の男と武装組織の目的は明らかに聖天子の抹殺であり、その“ついで”に目に映る医者や看護師、入院患者を殺戮していった。

目的だった聖天子はまだ目が覚めない状態だったが、里見蓮太郎と彼の仲間たちが裏口から脱出させ、行方を晦ませた。そのことにより謎の男と武装組織は目的を果たせなかった。しかし、彼らは第一目標を達成することは出来なかったが、“第二目標”を達成することは出来た。そして、その成果は翌日、即座に現れた。

聖居内部で聖天子派と菊之丞派の対立が激化し、聖室護衛隊と菊之丞が護衛として雇用していた天童流武術者が交戦する事態に陥った。「病院の襲撃者は天童式戦闘術の使い手だった」という事実が、「天童菊之丞は聖天子暗殺を謀った」という疑惑に結び付いたからだ。

東京エリアの政治機能は完全に停止し、エリアのあらゆる公共インフラは現場の人間の判断に委ねられるようになった。

それを見越したのか、大阪エリアの斉武大統領が東京エリアに宣戦布告。東京エリアと大阪エリアの対立に札幌エリアと博多エリア、そして仙台エリアは大阪エリアに対する非難声明を出したが、あくまで政治的なポーズであり、それ以上のアクションは起こさなかった。

大阪エリアの宣戦布告の翌日、内部対立の機を狙ってウラジオストックエリアが札幌エリアに宣戦布告。ロシア空軍・第三航空・防空コマンドを母体としたウラジオストックエリア空軍と航空自衛隊北部航空方面隊を母体とした札幌エリア航空自衛隊による睨み合いが始まった。

それから1時間遅れて北京、上海、ソウル、釜山の4つのエリアが同盟を組んだ東アジア連合が博多エリアに対して宣戦布告。中国人民解放軍海軍の北海艦隊を母体とした艦隊が北京の軍港より発艦、更に釜山エリアの空港へと極秘裏に輸送されていた空軍機が出撃し、博多エリア航空自衛隊(元・西部航空方面隊)と膠着状態に入った。

更に太平洋の利権を守るためにカリフォルニアエリアを代表とした米国が第三艦隊と第七艦隊を日本に接近させた。日本、ロシア、中国、アメリカの四大大国による睨み合いにより、世界は第三次世界大戦前夜となった。

 

聖天子銃撃事件から一週間後、内部対立が続く聖居で動きがあった。当初、優勢だった菊之丞派の結束が一気に崩れたのだ。天童菊之丞が殺害された。これにより、東京エリアは真の意味で代表を失ってしまった。当初の目的も目標も頭となるものも失った状態でただ“派閥争い”という手段だけが東京エリアの政治中枢に残ってしまった。

大阪エリアの宣戦布告から24時間が経過。斉武大統領が本格的な武力侵攻の指令書にサインがなされた。東京と大阪の本格的な武力衝突が現実となり、そのタイムリミットは残り5時間となっていた。

聖天子も菊之丞も失った東京エリアは自身を取り巻く状況に慌てふためいていた。全員が政治の素人というわけではない。しかし、意思決定を示し、最終的な責任を取る“代表”がいない中でできることは限られていた。

世界は、大阪エリアの勝利を確信していた。

 

――東京エリアの皆様。ご心配をおかけしました。

 

東京エリアのテレビ・ラジオ全てから聞こえた女性の声。気品に満ち溢れ、その声の主を知る者も知らぬ者も足を止めて音源に目を向け、耳を傾ける。

 

「せ、聖天子様!」

 

テレビに映る彼女の姿に誰もが凝視する。滅亡まであと1時間もない東京エリアに現れた救世主、救済の女神かのように錯覚した人物は多いだろう。

テレビに映された聖天子は自分が今、聖居にいること。此度の銃撃事件が聖天子派を率いている男による犯行であること。銃撃事件も派閥争いも菊之丞暗殺も大阪エリアの宣戦布告も、全てがその男の筋書きだったことが彼女の口から明かされた。聖天子が聖居に戻ったことにより東京エリアは息を吹き返した。

東京エリアへの侵攻で武力が手薄になっていた大阪エリアでは大阪エリア自衛隊(元・中部方面隊)がクーデターを起こし、斉武大統領を拘束。独裁政権の解体と新政権の樹立を宣言した。また、東京エリアに侵攻しようとしていた大阪エリア自衛隊も日本人同士の戦争に消極的であったため、斉武大統領拘束の一報を聞いた直後に一方的に停戦を宣言し、撤退した。あまりのタイミングの良さからクーデターは以前より計画されていたものだと推測される。

ウラジオストックエリアと札幌エリア、東アジア連合と博多エリアの戦闘は小規模なものが1週間ほど続いたが、小競り合いと睨み合いが続いた後、膠着。南北の戦線で終戦協定が結ばれた。

こうして生還した聖天子は再び聖居に戻り、菊之丞亡き後の東京エリアの政治を担った。

そして彼女を暗殺者から守り通した里見蓮太郎は第三次世界大戦から世界を守った英雄となった。

しかし、英雄となった彼の隣に藍原延珠と天童木更の姿は無かった。

 

「二人とも、その戦いの中で死んだのか」

 

「ああ。藍原延珠は戦いの最中に形象崩壊。天童木更は――、この情報は君には余計か。ともかく、彼は愛する者達と世界を天秤にかけた」

 

そして、里見蓮太郎は「世界」を選んだ。いや、それしか選択肢が残されていなかった。

延珠を殺さなければ、彼女はガストレア化する。その“ガストレア”は多くの人を殺めることになるだろう。それを望む者など誰もいなかった。

だから、里見蓮太郎は藍原延珠を殺した。

 

「……」

 

壮助は俯いたまま何も語らなかった。

 

「私が語れるのはここまでだ」

「俺が一番聞きたい部分がおざなりじゃねえか」

「悪いな。これでも話す内容は精一杯だ。彼がどういう気持ちで幼馴染や相棒を失ったのかは分からない。あくまで私は他人だからな。里見蓮太郎の関係者じゃない。知れることにも限度がある」

 

壮助は「そうか」と落胆したトーンの声で答えるとパイプ椅子から立ち上がり、銃器の入った楽器ケースを抱えた。そして、麗香に背を向けて出口へと向かおうとする。

 

「私は里見蓮太郎の関係者じゃないが、彼と縁の深い人物を紹介することは出来る」

 

壮助の足が止まり、耳が麗香の言葉に傾けられる。

 

「私と同じ死を愛する人間。世界最高の頭脳の一人、室戸菫だ。もし本当に、心の底から里見蓮太郎のことを知っておきたいなら、彼女を紹介しよう」

 

ただし――と言葉を添えて、彼女はこう言い放った。

 

「彼女に会った後、君が正気でいられるかどうかは保証できないがな」

 

 

 

 

 

 

東京エリアの一角にある民間警備会社「葉原ガーディアンズ」

その1階ロビーで一人の男が殴り飛ばされ、受付嬢のいるカウンターに衝突する。カウンターの上の花瓶は落ちて割れ、受付嬢も恐る恐る距離を取る。

 

「何のつもりだ!?片桐ぃ!」

 

全身に拳銃やナイフを装備した武器狂い(ウェポンジャンキー)の天崎だ。傷だらけの顔の上に殴られた痣や鼻血が上塗りされ、尚更痛々しい姿になっている。

天崎の視線の先には片桐玉樹の姿があった。防弾ガラスの自動ドアを粉砕しつつ天崎をロビーのカウンターに叩きつけた張本人だ。拳をポキポキと鳴らしながらゆっくりとしか一歩一歩確実に天崎に迫る。

 

「何度も同じこと言わせんじゃねぇ。この仕事から手を引けって言っているんだ」

「へっ!真っ先にぶっ潰されたのはてめぇじゃねえか!」

 

天崎の顔面にもう一発の鉄拳が打ち込まれる。完全にノックダウン。鼻の骨の複雑骨折は必至だ。

玉樹はロビーの端で小動物のように震える受付嬢に視線を向けた。受付嬢は蛇に睨まれた蛙のように硬直し、声にもならない悲鳴を上げる。

 

「おい。受付嬢。てめぇんとこの社長に伝えな。『防衛省の仕事から手を引け。足手まといはいらない』ってな」

 




今回はエリアの政治や国際情勢について語るシーンが多いですが、物語に関わっていきます。
あと個人的にポリティカルアクションは好きなので、政治闘争劇ほどタイピングが早くなります。


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機械化兵士

数か月ぶりの更新となります。
「あれ?そもそもどういう話だったっけ?」って思った人は1話から読み直しましょう。
※これまで掲載した話も大幅に加筆しております。


 東京エリアの中心地に位置する大学病院。歴史を感じさせる赤レンガの講堂と最先端技術の結晶であるガラス張りの病院が同じ敷地に同居するという奇妙な光景が広がる。正面の広場には創設者と思しき全身像が飾られており、誰かのイタズラなのか女物のパンツが頭に被せられている。

 

(誰のイタズラだ?)

 

 里見蓮太郎と縁の深い人物に会うためにここへ連れて来られた壮助はおパンツ銅像を尻目に前方を歩く麗香を見失わないようにする。

 前方の麗香は慣れた足取りで目的の部屋へと歩いていく。人を生かす病院という現場で人を殺す職業を模した服装をしている2人は周囲の教授や医学生に奇異な目で見られているが、麗香は一切気にしている様子が無い。堂々と我を貫く彼女の在り方が歩くという所作からも滲み出る。対して、壮助は周囲の視線を少し気にしており、もう少し気を遣った服装にするべきだったかと考える。

 2人は病院エリアに入り、40~50年前に建てられたであろう病棟へと入っていく。大学病院には現在使用している病棟と旧病棟の2つがある。2人が入った旧病棟は資材置き場やサークル棟として利用されており、病院としてはほとんど機能していない。一部を除いては――。

 旧病棟の4階。このフロアだけは資材置き場としてもサークル棟や学生のたまり場としても利用されず、当時の病院としての姿を残したままだった。まるで何かに恐れて誰も近づかなかったかのようだ。麗香と壮助がエレベーターで4階のボタンを押したとき、一緒に乗っていた学生たちの表情が一変したことからも窺えた。

 壮助は4階の誰もいない廊下を麗香の背中を眺めながら付いて行く。

 

「ここだ」

 

 ある一室の前で麗香は足を止めた。

 厳重なロックがかけられた扉、人を寄せ付けない奇怪な像や仮面、刺々しくて押すのを躊躇ってしまうインターホン。来るものを拒むその禍々しさはダンジョンのボス部屋のように感じられた。

 麗香は人差し指を伸ばし、何の躊躇いもなく刺々しいインターホンを押した。

 

「すーみれちゃーん!あーそーぼー!」

 

「小学生か!あんたは!」

 

 

 

 

 

 

『帰れ』

 

 

 即座にやって来た返答はその一言だけだった。低いトーンの暗い雰囲気を持たせた女性の声。とても不機嫌で来るものを拒み続ける扉の仕様から、彼女の暗くて非社交的な人格が窺える。

 拒絶されたことを意に介さず、麗香は再びインターホンを押す。

 

「新作のエロゲー買って来たんだけどー!一緒にやらないかー!」

『タイトルは?』

「シンデレラカルテット3!」

 

 麗香は鞄の中から直視するのも躊躇う過激なパッケージのエロゲーを取り出し、インターホンに備え付けられたカメラにかざす。今、扉の向こう側にいる菫の目には画面いっぱいの卑猥な絵が映っているのだろう。彼女がそれに対してどういう感情を抱いているのかは壮助には計り知れない。

 

『発売日に通販で入手。CGフルコンプ済み』

「マジかよ!遊里ルート進めないから攻略法教えて!」

 

 ――それでいいのか!日本最高の頭脳!

 

『そういうわけで、君に用はない』

 

 ブツンと音が鳴り、菫と麗香、部屋の内外を繋ぐ唯一のコミュニケーションパスが途切れた。日本最高の頭脳が拒絶的な姿勢で挑むのであれば、取り付く島もないのは当たり前だった。

 壮助は里見蓮太郎に繋がる手がかりが目の前にいるというのに何も出来ないことに歯がゆさを、麗香の交渉術という不安要素だらけのものに縋るしかない現状の自分に情けなさを感じた。

 

「仕方ない。“マスターキー”を使うか」

 

「いや、あるなら最初から使えよ。ってか、どうしてアンタが大学のマスターキーを……!」

 

 壮助は驚きのあまり目を見開き、言葉が詰まった。麗香がマスターキーと称して、懐から水平二連ショットガンを取り出したからだ。銃身を切り詰めて片手で取回せるようにしたソードオフモデル。

 警察や特殊部隊が突入する際、ドアやドアノブを破壊するためにショットガンを使うことがある。近距離における破壊力と広範囲に拡散する散弾によるドアノブの破壊は効率的であり、どんな鍵であろうと問答無用でドアを破壊し、こじ開ける様からマスターキーと呼ばれる。ドアを破壊し、中の人間を傷つけないように配慮したドアブリーチング弾というものまである。

 固まった壮助を尻目に麗香はドアノブに銃口を向け、引き金を引いた。ドアノブとその周囲が原形を留めなくなるまで何度も引き金を引き、弾切れになるまでトリガーを何度も引いた。

 

「突入!」

 

 麗香はドアを足蹴りしてぶち破り、弾切れのショットガンと懐中電灯を手に部屋の中へと突入する。壮助も後ろからスマホのライトを照らして中へと入る。

 部屋の中は薄暗かった。パソコン画面しか光源が無く、天井の蛍光灯もデスクライトも点いていない。今こうして懐中電灯やスマホのライトで中を照らさなければ、中を把握できなかっただろう。つい最近使用した痕跡のある手術台、駆動音を響かせる研究室用の巨大な冷凍庫、戸棚に並ぶ薬品の瓶やボトル、何かしらの生物のホルマリン漬け。雑多ではあるが、埃一つ舞っていないほどの清潔さを保っており、鼻につく薬品の臭いもそれほど嫌いにはなれない。

 しかし、肝心の室戸女史の姿が見当たらなかった。

 

「どこに隠れやがった!あの根暗!」

「それ、友達に向ける言葉とは思えねぇ――ぐぇっ!」

 

 壮助は何か柔らかい物体を踏んだ。それでバランスを崩し前方へと転倒する。手を点く暇もなく胴体と顔面が床に衝突する。

 

「何が転がっているか分からないから、足元気をつけろよ」

「それは転ぶ前に言ってくれよ。それにしても何だ?これ?」

 

 壮助がスマホのライトを足元に向ける。自分の足から徐々に踏みつけた物体があった場所へと光を当てていく。そこに壮助が踏みつけた物体が確かにあった。病院や警察で使われる遺体袋、袋の膨らみからいて、中に人間が一人入っていることも確認できる。

 

「ま、まさか死体……?」

「解剖医をやっているからな。死体の一つや二つあるだろう」

 

 壮助は少し狼狽えている。仕事上、人間の死体もガストレアの死体も見ているが、こうしてあるべきでない場所に死体があるシチュエーションに遭遇するのは初めてだった。

 そんな彼とは反対に麗香は冷静な目で遺体袋を見ていた。それに近づき、袋を閉じるチャックに手を伸ばす。

 

「お、おい。さすがにそれは」

 

 明らかに興味本位で遺体袋を開けようとする麗香に壮助は倫理的観点から止めようとする。しかし、言葉だけの制止を麗香は気に掛けることもなくチャックを開けた。

 中から見えたのは生気の無い女性の顔だった。不健康なほど青白い肌、伸び放題の髪とその隙間から見えるクマの深い目元、よくよく見れば美人だが、彼女の不健康さが美人要素を塗りつぶしていた。

 

「日本最高の頭脳で考えた隠れ方とは思えないな。菫」と麗香は語りかけ、

「日本最高の頭脳を以てしても君の行動は想定外だったというだけだ」と遺体袋の中身――室戸菫――は答えた。

 

 菫は面倒くさそうに遺体袋のチャックを開けて中から這い上がる。

 皺が付いたくしゃくしゃの高級スーツに黒色に乾燥した血がべっとりと付着している白衣を羽織った姿だ。

 

「せっかくの親友の訪問を断るとは何事だ」

「『宿題見せてー』『テスト範囲教えてー』『金貸してー』の時ぐらいしか私に声をかけなかった人間のことを君の辞書では親友と言うのか。後、貸したお金はいつ帰ってくるのかな?」

「ら、来月には……」

「それは永遠に来ない来月だな」

 

 今の会話だけで壮助は2人の関係、パワーバランスが掴み取れていた。菫は突き放すような発言をしているが、2人の表情には10年来の友人らしい安心感があった。

 麗香はしばらく閉口した後、話題を変える。

 

「そ、そうだ。今日は菫に客人を連れてきたんだ」

「そうか。男日照りが過ぎてとうとうそんな男に手を出すようになったのか。可哀想に」

「いや、そういうのじゃなくてだな。ほら、壮助。お前の口からちゃんと言え」

 

「松崎民間警備会社所属、義搭壮助」と、とりあえずの自己紹介はする。

 

 壮助が目的を語ろうとした瞬間、間髪入れず、菫はこう言い放った。

 

「里見蓮太郎に関することなら、取材はお断りだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間に壮助は硬直した。考えを読まれたこともそうだが、里見蓮太郎に繋がる手がかりを目の前にして拒絶されたことが何よりもショックだった。菫の言葉にはそれくらい強い拒否が感じられた。

「少しぐらい理由を聞いてやったって」と麗香が宥めようとするが、菫は聞く耳を持たない。「帰れ。今日は気分が悪い」と言って、2人に背を向ける。

 

(あー。こりゃ今日は相当機嫌が悪いな。また別の日にでも……)

 

 麗香は優しく壮助の肩に手を置き、今回は駄目だと首を横に振った。しかし、壮助は麗香の行動を意に介さず、肩に置く手を払い、一歩、また一歩と確実に菫へと近づいていく。彼女との距離はあと50センチというところで足を止めた。

 

「俺は6年前、勾田小学校にいた」

 

 菫の肩がピクリと動いた。

 

「藍原延珠と同じクラスにいて、あいつが迫害されるのも見ていた」

 

 菫の首が少しだけ動いた。壮助の話に耳を傾けるつもりのようだ。

 

「あの時の俺は、呪われた子供はガストレアじゃないと分かっていた。ガストレアに向ける怒りを藍原に向けるのは間違っていると分かっていた。でも……俺は何もしなかった。あそこで“正義”を貫いて、“悪”になってしまうのが怖かった」

「君が気に病む必要は無いし、それはとんだ自惚れだ」

 

 菫が壮助の言葉に反応した。彼女が拒絶姿勢を崩したこととその辛辣な言葉の内容は胸を打った。

 

「もし君が立ち上がったとしても結果は変わらなかっただろう。いや、むしろ君という存在が彼女を苦しめていたかもしれない。藍原延珠に一極集中していた憎悪のベクトルは君に向けられ、更に拡散して藍原延珠に関わりのある人間にも向けられるようになっただろう。藍原延珠からその友達へ、家族へ、更にその友達や家族へ。その集団ヒステリーが行きつく先は魔女狩りだ。憎悪の根源も忘れて、ただ人が人を狩る屍山血河の光景だ」

 

 それは“だろう”で締めくくられる想定の言葉、しかし何よりも現実的で、本当に6年前の教室で壮助が集団意識に負けず、自分の正義を信じて立ち上がっていたら成っていた未来を語っていた。それを語る人間が四賢人の一人、日本最高の頭脳と称される室戸菫であることが更に彼女の想定に現実味を帯びさせていた。

 

「結果の問題じゃねえんだよ!!」

 

 壮助は両手で強く机を叩き、菫と麗香を威圧する。

 

「俺は、あそこで立ち上がらなかった自分が許せないんだよ!救えるとか救えないとかの問題じゃない!それ以前なんだよ!俺は戦わなかった!肝心な時に逃げたんだよ!戦って負けるよりも無様な結末を自分で選んだんだよ!」

「社会から逸脱したくない。それは社会性動物が持つ当然の感情だ。何度も言っただろう。気に病む必要は無い。君の判断は“普通”の感情に基づいたものだ。それを“悪”だと断定する権利は誰にも、どこにも存在しない」

 

 壮助の表情が今にも噛みつきそうな狂犬から、余裕のある穏やかなものに変わる。

 

「でも、俺はその“普通”から逸脱した人間を俺は知ってしまった。そいつは自分の相棒のために世界を敵に回した。敵に回した世界を救うために何度も戦った。俺はあいつの――里見蓮太郎の強さに憧れた」

 

 菫は自分の椅子を回転させ、今まで背を向けていた壮助に顔を見せる。それが壮助の読み通りなのか、偶然の産物かは分からない。しかし、菫の興味は確実に義搭壮助へと向けられていた。壮助は、完全なる拒絶から会話を成立させた。

 

「でも、今の里見蓮太郎は違う」

 

 菫が立ち上がり、壮助に詰め寄る。驚きおののく彼の襟元を掴み、自分のところへと引き寄せた。壮助は菫の目を見た。そこに無気力で生ける屍のような室戸菫の目は無い。その眼には活力という名の火が点いていた。

 

「『今の』と言ったな!それは“いつ”の里見蓮太郎だ!?」

「い、いつって……昨日だよ」

「昨日?」

「ああ。昨日だ」

 

 昨日の事件、防衛省からの依頼は他言無用だと念を押されているのは理解していたが、壮助はここで全てを話す覚悟を決めた。ここで話さなければ、菫の信用は得られないと感じていたことに加え、この日本最高の頭脳の前で隠し事や嘘を突き通せるとは思えなかった。

 壮助は昨日の事件、防衛省の依頼のことを全て菫に打ち明けた。そこに麗香も居たので彼女にも依頼のことが漏れるが、そういうことをペラペラと話す人ではないと信用していた。

 

「なるほど……。黒い仮面、蛭子小比奈と共に行動。挙句、賢者の盾を強奪と来たか。奴は蛭子影胤になるつもりか?」

「俺も分からないし、聖居の方でも分かってないと思う。ってか、そもそも賢者の盾って何なんだ?臓器だったり、何とかフィールド発生装置だったり、全然分かんないんだけど」

「斥力フィールド発生装置だな。バラニウムと斥力の関連性にはピンと来ないと思うが、これはバラニウムが持つガストレア殺傷能力と深い関連性がある。そもそもバラニウムがガストレアを殺害し得る唯一の物質として存在できるのは、バラニウム力場が――」

「いや、そういう専門的な話じゃなくて」

「じゃあ、どういう話だ?」

「斥力って何?」

 

 壮助の発言に菫と麗香は絶句した。菫は持っていたペンを床に落とし、麗香は頭を抱える。

 

「お前、16歳になって斥力も知らないのかよ」

「いや。その。ごめん。マジで分からない」

 

 菫が深くため息をつきながら、床に落としたペンを拾い、山積みになっていた英字論文をひっくり返して、真っ白な裏面にいくつかの図形と矢印を書きはじめた。

 

「斥力というものは、端的に言えば引力の逆だ」

「引力の逆?じゃあ、上に飛ばすのか?」

「それはニュートンの万有引力。俗にいう重力だ。引力というのは物体と物体を引き合わせる力のこと。その逆である斥力は複数の物体を引き離す力のことだ。さて問題。この斥力をフィールド状に展開した場合、どんなものが出来るのか?」

 

 壮助は菫が説明用に描いた図を見ながら、フィールド状に展開された斥力を想像する。指を動かして何かをイメージしたり、頭を抱えたりしたが、10秒で答えを得た。

 

「バリア?」

「正解だ。斥力フィールドによる防御の原理は非常に原始的で単純だ。故に強い」

「ああ。なんとなく賢者の盾の役割は分かった。で、何でそれが臓器って呼ばれているんだ?どうして、里見蓮太郎がそれを狙う?」

「……」

 

 壮助の問いかけに菫はしばらく閉口した。何か深く考え込んでいるようで、時折、視線を逸らす。菫が答えを知らないわけではない。その答えの内容に問題があり、それを壮助に伝えるべきか否か、彼女は思案に暮れている。

 

「麗香」

 

 菫が度々逸らしていた視線は壮助の後ろに立つ麗香に向けられていた。

 

「どうした?」

「彼は、君にとって信頼に足る人物か?」

「バカで学も無くて、色々と危なっかしい奴だが、その愚直さにおいては私が保証する」

「それ、誉めているのか?それとも貶しているのか?」

「誉めているつもりだけど?」

 

 それを聞いて、菫は深くため息をついた。そして、麗香へと移した視線を再び壮助に戻した。その視線は死者のエピソードについて語る麗香――自分の趣味について語るオタクの目――のように輝いていた。

 

「少年。機械化兵士計画って言葉、聞いたことはないか?」

「機械化兵士……あー。そういう都市伝説があったな。負傷した兵士をバラニウムサイボーグにして、対ガストレア兵器にしたとかいう話」

 

 以前、ネットで都市伝説を集めたサイトを見た時のことを思い出す。バラニウムサイボーグ、ガストレアの軍事利用、日本を牛耳る5枚の羽根がシンボルマークの秘密結社、etc……。その何もかもが半信半疑どころか一信九疑な話だったが、どこかリアリティがあって引き込まれた記憶がある。魅力的な話ではあったが、信じるには値しないというのがそのサイトのコメント欄の総意だった。

 

「機械化兵士計画は実在する」

 

 菫の言葉が壮助の中で都市伝説を現実のものに変えた。

 

「ガストレア大戦の頃の話だ。バラニウムにはガストレアウィルスによって変質した細胞の万能分化能と細胞間結合を破壊する性質があることを解明した私は、それを政府・軍に公表した。当時の私はそこで安心しきっていた。『バラニウムによりガストレアは駆逐される。再び、人類が食物連鎖の頂点に立つ時代に戻る』と。しかし、現実はそうならなかった」

「ガストレアを殲滅するにはバラニウムが足りない」

「正解だ。バラニウムの埋蔵量には限りがある。このまま増加の一途を辿るガストレア相手に戦い続ければ、いずれバラニウムが枯渇する。ゆくゆくはバラニウムを巡って人間同士の争いが起きるだろう。2年前の戦争のようにな」

 

 バラニウムを巡る人間同士の争い、日本人にとって記憶に新しいのは2年前の対馬戦争だ。九州と朝鮮半島の間に位置する島、対馬に大規模なバラニウム鉱脈が発見されたことから始まった博多エリアと釜山エリアの戦争である。対馬はガストレア大戦以降放棄されていたが、鉱脈が発見されてから両エリアが領有権を主張。エリア間での大規模な戦争となり、各分野が警鐘を鳴らしていた戦争が現実のものとなった。

 

「そこで私……いや、もう“我々”だったな。我々はバラニウムを用いた次世代兵器の開発を命じられた。医者に兵器開発を頼んでどうすると思っていたが、我々ほどバラニウムに精通した人間はいなかったからな。そこで我々はバラニウムが持つ性質――分子レベルで生体細胞に癒着し、生体電気信号を伝導する性質――に着目し、その機能を利用した兵器の開発を行った。――それが、『機械化兵士計画』だ」

 

 壮助は固唾を飲んで菫の話に聞き入った。全身に緊張が走り、身震いする。それが心地よく感じる。

 

「話を続けよう。機械化兵士計画はその名の通り、身体の一部を機械化し、超人的な攻撃力や防御力を持つ兵士を造り出す極秘計画だ。計画は3つのプロジェクトに分割され、そのうちの一つ『新人類創造計画』が“賢者の盾”を生み出した。臓器として埋め込むことで生体電気をキャッチし、斥力フィールド発生装置として機能する。そして、賢者の盾を臓器として保有していたのが蛭子影胤という男だった」

「だから蛭子影胤の臓器……か。里見蓮太郎は、そんなものを奪ってどうするんだ?」

「私は天才であって、超能力者じゃない。聞きたいなら、本人に聞け」

 

 菫はコーヒーメーカーから熱々のコーヒーを2つのマグカップに注いた。一つは自分の手元に、もう一つは壮助の前に置く。

 

「ただ、まぁ……はっきり言えるのは、あの2人の因縁は口で簡単に説明出来るものじゃないということだけだ。それを飲んだら今日は帰れ。久し振りに他人と会話したら疲れた」

 

 菫に言われるがまま壮助はコーヒーを口にする。佐藤もミルクも入っていないブラックは舌に突き刺さるほど苦かったが、菫の長話で混乱する頭をスッキリさせるには良い刺激だった。

「ねぇ。私の分は?」とずっと立ちっぱなしだった麗香がコーヒーを催促するが、菫が「1杯1000円」と言うと「じゃあ、やめとく」とあきらめた。

 

「子供の舌にそのコーヒーは苦すぎるな。ちょっとした菓子でも出そう」

 

 そう言って、奥の暗闇から菫は一枚の膿盆を持ち出した。中には緑色の半ゲル状になったドーナツのようなものが入っており、入れ物と菓子そのものの見た目からマッドサイエンティックな味と正体が容易に想像できる。これは碌なものではないと壮助は直感した。

 

「これ……何ですか?」

 

 壮助は恐る恐る菓子に指をさして尋ねる。しかし、菫も背後に立つ麗香もニタニタと笑みを浮かべるだけだった。小学生の頃にクラスメイトが罠に引っかかるのを今か今かと待ち侘びる幼き日の壮助たちのように。

 

「食べないのか?」

「いや、だからこれって何ですか?」

「そうか。私が出した菓子が食えないというのか」

「だ!か!ら!これって何なんですか!?」

 

 

 

「もう二度と里見蓮太郎については話さない」「いただきます!」

 

 

 

 壮助は煩悩を掴むとスプーンを使ってゲルと一緒にドーナツのようなものも一緒に口へと流し込む。

 コーヒーの苦みを吹き飛ばす酸味、口を汚染し、鼻を貫く柑橘系の異臭。菓子どころか、それが食べ物として生み出された物体なのかどうかすら怪しかった。ただ率直に、本能的に「不味い。これは人間の食べ物じゃない」と感じ取った。

 

「おお。良い食べっぷりじゃん」

 

 麗香は壮助の勢いを賞賛し、静かに拍手を送る。

 

「まっず!何なんですか!?これって人間の食べ物っすか!?」

「そこに死体があるだろう?あれの胃から出てきた“ドーナツだったもの”だ」

 

 絶句。何も言葉が出なかった。いや、言葉を出そうとすると他に色々なものが口から溢れそうだった。

 壮助は真っ青な顔になり、菫にトイレの場所を尋ねた。

 

「トイレ、どこ?」

「部屋を出て廊下をまっすぐ進んで突き当りを左に曲がって20メートルほど進んだ所にある」

 

 壮助は一目散に駆けた。吐き出しそうな口を必死に抑え、吐くな吐くなと呪文のように唱えながら、大学の廊下を疾走した。鼻から少し未消化物が出そうなところ、鼻をつまんで無理やり抑える。口を封じ、鼻も封じ、酸素供給がままならない状態でトイレまで走り続けた。

 部屋から全力疾走する壮助の姿を見送りながら、菫はボソッと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちなみにそっちにあるのは女子トイレだ」

「お前って、気に入った相手にはとことん鬼畜だな」

 

 

 

 



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サーカスを開始せよ

穏やかな日光が降り注ぐ大通り沿いのカフェテラス。軒先に並べられたマボガニーの丸いテーブルに蛭子小比奈は肘をついていた。テーブルには3人分の椅子が用意されており、一つには小比奈が腰掛け、もう一つにはキャリーバッグが置かれていた。

小比奈はテーブルの上にいるオオカマキリに指をつついて遊んでいる。しかし、その姿は午後のカフェで優雅に寛ぐ淑女のようには見えない。肩や太ももに大きなスリットが入ったパンクなゴシックドレスを身に纏い、傍らには二振りの太刀が置かれている。彼女の浮かべる不気味な笑みのせいで誰もが彼女と距離を取る。

 

「お客様。コーヒーをお持ちしました」

 

店員が盆に2つのホットコーヒーを乗せ、小比奈のもとへとやって来た。小比奈に脅えて声を上ずらせないのはプロ意識がなせる技か。普段通りの接客で対応し、コーヒーの一つを小比奈の前に、もう一つを空いている席の前に置いた。

 

「それでは。ごゆっくり」

 

店員はそそくさと立ち去った。やはり、小比奈から溢れる異常性には耐えられないようだ。

 

「はい。パパの分」

 

小比奈は空席の前に置かれたコーヒーをキャリーバッグが置かれた席の前に置いた。

 

 

 

 

 

 

「おや残念。それは私の分のコーヒーではなかったのですね」

 

(!?)

 

キャリーバッグに気を取られていた一瞬だった。小比奈の向かいの空席に一人の男が座っていた。小比奈は驚愕のあまり目を見開き、うっかり太刀を握ってしまいそうだった。

ここに人が来る予定はあった。そのために3人掛けのテーブル席を取った。しかし、呪われた子供である自分が彼の着席に気付かなかったことは衝撃だった。冷や汗が滴る。

向かいに座るのは30代前半の成人男性だ。180近い引き締まった体格をクリーム色のイタリア製高級スーツで包んでいる。海をイメージしたライトブルーのネクタイはスーツの色と相まって南ヨーロッパのビーチを彷彿とさせる。男はキザで精悍な顔つきを中折れ帽で半分ほど隠していた。その全体像は昔の映画俳優のようであり、それで通じる威厳が彼にはあった。

「ウサギは?」と小比奈が問いかけると、「黒い弾丸に殺された」と男は答えた。

 

「ふぅん。じゃあ、貴方が派遣されたエージェントってわけね」

 

「ああ。芹沢遊馬(せりざわ ゆうま)だ。よろしく頼む」

 

芹沢は周囲を見渡し、ここにいるのが自分と小比奈だけであることを確認する。

 

「ところで、君の相棒を見かけないようだが、遅刻かね?」

「コンビニでロリコン向け漫画雑誌に夢中になってるよ。冗談だけど」

「じゃあ、そろそろそのロリコンをお迎えに行こうか」

 

小比奈は自分の分だけコーヒーを飲み終えると店員を呼びつけて会計を済ませようとするが、「私が払おう」と小比奈に有無を言わせないまま芹沢がカードを取り出し、スマートにコーヒー代を払い終えた。

小比奈は背後に芹沢を従えて、彼を蓮太郎(ロリコン)の元に案内する。大通りから小さな路地に入り、そこを延々と歩いて、人の目、街中の監視カメラの目を避けながら寂れた外周区付近に近づいていく。見渡す限りのコンクリートジャングル。壁には亀裂が走り、窓ガラスは割れて埃被り、至る所に蜘蛛が巣を張っている。歩く度に足元から埃が舞い上がり、もう何年も人がこの廃墟群に足を踏み入れていないことが分かる。

芹沢は埃を吸い込まないようにハンカチを口に押さえて、小比奈の後に続く。

 

「随分と寂れたアジトじゃないか。我々に要請すれば、ホテルの一つや二つ――」

 

小比奈が笑った。芹沢を嘲笑い、振り向いて赤く光る目を彼に向けた。

 

「アジト?違うよ。此処は貴方の死に場所」

「それはまた、面白くもない冗談だな」

 

――瞬間、小比奈の太刀が芹沢の右腕を切り裂いた。クリーム色の袖が鮮血で染まり、小比奈の目には鮮やかな血肉の赤と白い骨の断面図が見える。

突然の斬撃に芹沢は何も出来ないまま、小比奈に足蹴りされて壁に叩きつけられる。咄嗟に残った左腕で腰からデザートイーグルを抜いたが、引き金に指をかける前にその左腕も斬り落とされる。切断された両腕に悶絶する間もなく、鋏のように交差する2本の黒い刃が彼の首筋に押し当てられた。

小比奈の背後に最初に切り落とされた芹沢の右腕が落ちる。その手には左腕と同様にデザートイーグルが握られ、引き金に指がかかっていた。

 

「ど……どうして、私が“偽物”だと分かった」

「簡単だよ。だって、貴方が使った合言葉は、わざと流出させた偽物なんだから」

 

偽物は必死に足掻いた。小比奈を足蹴りしようとするが太刀の刃渡りとの差で届かず、何とか刃から逃れようと首や顎を使うが、益々傷口は深くなっていく。そこに余裕の表情を見せる映画俳優然とした男の姿はない。滝のように汗が流れ、餓えた犬のように呼吸が荒くなる。危機的状況から抜け出そうと思案する余裕すらなくなり、ただ運命に命乞いをするかのように必死に体を動かす。

 

「正解はね。『ウサギは天誅ガールズがお好き』だよ。天誅♪天誅♪」

 

小比奈は、ゆっくりと腕に力を入れ、刃を閉じた。血が溢れ、肉が裂かれ、骨が断たれた。ゴトリと音を立てて偽物の首が落ちた。頸動脈・頸静脈から溢れる流血の滝を眺めて、小比奈はニヤリと笑みを浮かべた。

小比奈は太刀を振って付着した血肉をまき散らし、背中のホルダーにそれを収める。

 

 

 

 

「偽物とはいえ、自分と同じ姿の人間が殺される光景を見るのは嫌になるな」

 

 

 

廃ビルの中から一人の男が姿を現した。クリーム色のスーツに映画俳優のような立ち姿。それは、先ほど殺された芹沢遊馬と同じ姿の男だった。服も、顔も、背格好も、立ち振る舞いも全てが鏡のように一致していた。

 

「本物が来る前に正解を口にするのは、迂闊じゃないか?蛭子小比奈」

 

小比奈はもう一人の芹沢に太刀の切先を向けた。べっとりと付着した偽物の血肉や臓物が滴り落ちる。

 

「ウサギは?」

「天誅ガールズの“レッド”がお好き」

「正解。随分と遅かったね」

「誰かさんが予定外のものまで持ち出してしまったからな。余計に騒ぎが大きくなって、こっちも慎重に動かなければならなくなった」

 

芹沢は小比奈が持つキャリーバッグを一瞥した。どうやらそれが予定外のものらしい。

小比奈は表情で不満を示したが、それ以上のアクションは起こさなかった。しかし、沸き上がる芹沢への殺意を抑えるため、キャリーバッグを強く握りしめて堪えた。

 

「そろそろ移動しよう。相棒のところまでエスコート頼むよ。お嬢さん」

「相棒じゃないよ」

「じゃあ、何かな」

「パパの仇」

 

芹沢は驚きのあまり目を丸くした。里見蓮太郎と蛭子小比奈の関係――因縁――については事前に調べて知っていたが、4年近く父親の仇と共に行動する彼女の精神に驚かされた。その感情の動態を隠すために帽子を目深に被った。

 

「君はその仇と一緒に行動しているわけだ。どうして殺さない?殺すチャンスなんていくらでもあっただろう?」

「今殺してしまったら、あいつは救われてしまうから。だから、今は何が何でも生かすの。あいつには延珠も、木更もいないこの地獄(セカイ)で苦しんで欲しいから。それが私の復讐なの」

 

――愛する人のいない地獄(セカイ)か。それは君も同じだろう。

芹沢は影胤を失った小比奈の境遇を蓮太郎と重ねる。2人は愛する人を失った地獄を経験し、愛する人のいない地獄を生きている。その魂に拠り所は既に黄泉の国の彼方にある。救いを求める声は届かず、差し伸べられる救いの手も届かない。だが、小比奈と蓮太郎は生きている。小比奈は父親を殺した蓮太郎に復讐するため。その執念だけが小比奈の魂をこの地獄に繋ぎ止めている。それなら里見蓮太郎は――

 

「早くしないと、置いて行っちゃうよ」

 

思案する芹沢の顔を小比奈が覗き込んでいた。瞳孔の開いた赤い瞳に芹沢の顔が映る。呪われた子供たちの力の象徴にして、小比奈の異常性の塊が目の前に迫っていた。

 

「ああ。すまない。今行くさ」

 

芹沢はぎょっとした顔を帽子で隠し、クールに気取り直すと小比奈の背を追って歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気分はどうだ?」

 

麗香は軽トラックのハンドルを切りながら、助手席の壮助を気に掛ける。壮助は綿の抜けたぬいぐるみのようにぐったりとしており、時折嗚咽しながら口をハンカチで押さえる。車内を麗香が咥えるタバコの香りが満たしており、メンソールの香りが鼻孔を刺激する。

 

「最悪だ。二度と口にしたくねぇ」

「残念だが、それは出来ないだろうな。あれは菫の部屋を訪れる度に受ける洗礼だ。それにしても良かったじゃないか。

 

『いつでも来ると良い。丁度、買い物係が欲しかったところだ』

 

――ってさ。光栄なことだと思え。菫の部屋に入ることを許された奴なんて世界で数人しかいないんだぞ」

 

菫の部屋に何度でも入ることが出来る。しかし、それはあの死体ドーナツの洗礼を何度でも受ける可能性が残っているということでもある。あれを何度も口にしなければならないのか――と壮助は辟易する。そして、洗礼の味を思い出してしまい、再び嗚咽してハンカチで口を押さえる。

 

「吐くなら窓の外に頼むよ」

「だったら、ドアの『三途武器商店』って文字にぶっかけてやる」

「つまらないジョークを言うぐらいには元気じゃないか」

「つまらないジョークでも言わないとやってられないんだよ」

 

壮助は口に押さえつけていたハンカチを折りたたんでポケットの中に入れた。どうやら嗚咽は収まったようで、安心してため息を吐いて、背もたれに身を任せる。

 

「それにしても、あの人って誰に対してもああなのか?」

「日本最高の頭脳だからな。その上、根暗で捻くれ者で怖いもの知らず。お陰で傍若無人な天才科学者様の誕生だ。あれに恋人がいたんだから驚きだよ」

「マジでか」

「ああ。マジだ」

 

しかし、壮助はあることに気付き、驚嘆する感情と表情を抑えた。そして、麗香に疑いの目を向けた。

 

「その恋人って、死体とかゾンビとかフランケンシュタインの怪物とかじゃないよな?」

「失敬な。ちゃんと生きている人間だよ――――いや、だったよ」

「“だった”?」

「ガストレア大戦で死んだ。それからだな。菫が狂っていったのは……」

 

麗香は少し閉口した。辛い過去を思い出し、悲しそうな目で車の進行方向を見つめていた。

押し黙る彼女によって車内の空気が重苦しくなった。麗香から菫のことを聞き出せるような状況ではなく、会話が弾みそうになかった。

壮助はその重苦しい空気から逃げたい思いで周囲を見渡す。何かテキトーな理由でもつけて降ろしてもらおうと考えていた。

延々と続くビル群の中で、壮助は降ろしてもらう恰好の理由を見つけた。ゲームセンターだ。最近できたのか建物は新しく、新店という話題性により出入口は帰宅途中の学生で賑わっている。

 

「この辺で降ろしてくれ」

 

壮助の言葉を聞いた麗香ははっと我に返り、車を路肩に停める。

 

「ここでいいのか?お前の家から随分と遠いが」

「あ、ああ。ちょうどこの辺に新しいゲーセンが出来たからな。気分転換に一発遊んで帰ろうって思っていたところだ」

 

それは重苦しい空気から逃れるための苦し紛れな口実だった。壮助は麗香から目を逸らし、なんとか嘘を悟られないようにする。

 

「お前って、ゲーム好きだったのか?」

「ゲームが好きというか、ゲーセンが好きだな。中学生の頃は学校も養護施設も大嫌いだった俺のマイホームだったし」

 

その言葉は苦し紛れの嘘ではなく、本当のことだった。喧嘩ばかりに明け暮れて、学校での居場所も養護施設での居場所も自らの意志と暴力で破壊してきた彼にとって、同じ荒くれ者の巣窟でありながら娯楽が充実していた場末のゲームセンターは学校や施設よりも滞在時間が長い“家”だった。彼のゲームセンターへの思い入れとそこから出てくる言葉により、麗香が壮助の言葉を疑うことはなかった。

麗香は壮助に憐みの視線を向ける。親が子を心配するようで、同時に不良生徒の更生を放棄する寸前の教師の諦観のような視線だ。

 

「おばちゃん。アンタの学力が心配になったよ。円の面積を求める公式わかる?」

「わ、分かるに決まってる……だろ?」

「じゃあ、言ってみなさいよ」

 

 

 

 

「…………………………………………………………」

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

「…………………………………………………………」

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

「…………………………………………………………」

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

「…………………………………………………………」

 

 

 

 

「……今度、詩乃ちゃんに教えてもらいなさい」

「わ、忘れてただけだからな!」

 

壮助は子供のように恥ずかしがって赤面した後、勢い余ってトラックのドアを強く閉めた。麗香に顔を見せないよう背を向けたまま大股でズカズカとゲームセンターの中へと姿を消して行く――と思ったら、Uターンして麗香の元へと戻って来た。

 

「忘れ物」

 

そう言って、壮助はトラックの荷台に乗り込むと商売道具を詰め込んだ楽器ケースのベルトを肩に掛けた。用を済ませると再び荷台から降りた。

 

「あと、それと……、ありがとな。色々と」

「お安い御用さ。また遊びに来てくれ」

 

そう礼を告げると、壮助はゲームセンターの中へと姿を消して行った。その背中を麗香は憂うような目で眺めていた。

 

 

(まったく……何を考えているんだ。私は)

 

 

憂鬱な気分を払拭するかのように彼女は再びハンドルを握り、アクセルペダルを踏み込んだ。どうしても壮助がトイレに駆け込んだ後、菫と交わした言葉が頭から離れなかった。そのことが気になり、その気になるものを頭の中心から片隅に追いやろうと車の運転に集中しようとした。

それでも離れなかった。

 

 

 

 

 

 

『義搭壮助って名前を聞いた時から、私は全てを話すつもりでいたよ。彼には“適性”があったからね。私の狂気の産物になる適性が――』

 

『勿論、良識ある人間としては、彼がその適性を発揮しないことを祈るばかりだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私は空っぽの器だ。器の中を満たしても満たしても奪われていく。どうせ奪われてしまうなら、最初から満たさなければいい』

『だから、私は機械化兵士(モノ)になった。ただ天童の禁術を振るうだけのモノに』

 

かつて兄貴分として慕った男は、残酷な世界の中で心を捨てた。

 

 

 

 

『体は腐っても再生が利くが、心が腐ったら駄目だ。もう治らん』

『木更が手遅れになったら――君が始末をつけるんだ』

 

かつて命を救ってくれた恩人は、残酷な選択を突き付けた。

 

 

 

 

『本当は……こうなることを望んでいたのかもしれない。私は復讐を果たした。里見くんは正義を成し遂げた』

『良かったわね…………里見くん。貴方の正義の拳は……()に届いたわ』

 

かつて、共に歩んだ初恋の人は、悪として、最愛の人として、腕の中で息絶えた。

 

 

 

 

『どうしてだ!どうしてお前が姐さんに手を掛けた!』

『お前なら救える!お前にしか救えない!だから俺は諦めることが出来た!それなのに、他の誰でもない、お前がぁ!!』

 

かつて、同じ女に恋い焦がれた仲間は、彼女を救わなかったことに憤怒した。

 

 

 

 

『来ないで……ください。近づかないで下さい。私は……お兄さんが、怖いです』

 

かつて救った少女は、恐怖のあまり彼を拒絶した。

 

 

 

 

『お願い。里見ちゃん。ウチの前からいなくなっても、絶対にその“心”だけは捨てんといて』

 

かつて、彼を信じて力と立場を与えた少女は、最後まで彼の“心”を信じた。

 

 

 

 

『里見さん。その矛盾に悩んでください。苦しんでください。ただ一つの明確な思想を妄信した先にあるものは、思想(システム)の奴隷となった自分の姿です』

 

かつて彼に地位と力を与えた少女は、彼の歩もうとする道に警鐘を鳴らした。

 

 

 

 

『やはり君は最高だ!私が見込んだ通りの男だった!君はこの世界を愛している!愛するほどにこの世界を理解し、理解すればするほどこの世界を憎悪する!嗚呼!ハレルゥゥゥゥゥヤ!私の人生は君と出会ったことで、こんなにも素晴らしいものになった!』

 

かつて、宿敵として対峙した仮面の男は、死に際に狂喜した。

 

 

 

 

『お願いだ……蓮太郎……妾を殺して……』

 

そして、蓮太郎は引き金を引いた。

 

正義の怪物になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……っ!!」

 

それは最悪の目覚めだった。全身が汗でびっしょりと濡れている。悪夢のせいで動悸が止まらない。息苦しい。見えない誰かに首を絞められているような感覚だ。苦しめるぐらいなら、いっそのこと息の根を止めてくれ。そうなれば楽になれるのに。そう誰かに懇願するが、それを実現する力は無く、それを許さない要素は数多く存在する。

脳が毛様体を上手く制御してくれないようで目の焦点が合わない、ぼんやりとしか周囲が見えない。しかし、自分の居場所を把握することは出来る。

昨晩、自分が睡眠を取ろうと決めた廃ビル。閉店して幾数年のスナックにあったソファーに身を預けていた。鼻につく埃とカビの臭い、それに交じって古い酒の臭いもする。

“悪夢”のせいで全く休息が取れなかった。それどころか疲れが更に酷くなったような気がする。汗を出し過ぎたせいか、喉も乾いてきた。

 

「水……水……」

 

独り言を呟いて、手を伸ばす。昨日の記憶が正しければ、自販機で買っておいたペットボトルの水がテーブルの上にあるはずだ。

 

「はい。お水」

 

コトンとテーブルの上に水が置かれた。ガラスのコップに入った水。ぼんやりとしか見えなくてもそれは手の感触と感じる重さで認識することが出来た。求めているものとは違う気がしたが、それを考える理由は無かった。

蓮太郎は、それを口に入れた。そして、それを下で感じるや否やすぐに噴き出した。

 

 

「これ酒じゃねえか!!」

 

 

その衝撃で無理やり目が覚めた。脳がショックを受けたのか、目の焦点が瞬時に合わせられ、視界が明瞭になった。

そこには「ヒヒッ」と父親に似た笑みを浮かべる小比奈と帽子を脱いで逆立てた短髪を見せる芹沢の姿があった。

 

「目が覚めた?」

「ああ。最悪の目覚めだ」

 

蓮太郎はソファーから上体を起こすと、はだけたシャツのボタンを閉めて身なりを整える。

 

「どうして酒なんて持って来たんだ?」

 

蓮太郎は芹沢を睨みつける。

 

「君がもう少しマシなホテルを取ってくれれば、奪取作戦成功を祝ってこいつで一杯やるつもりだったんだがな。お気に召さなかったようだ」

「酒は嫌いだ。何度も言ってるだろ」

「君の場合はお酒そのものじゃなくて、酔った時に見る幻覚が嫌いなんだろう?」

 

芹沢は解答を求めるように蓮太郎に視線を向ける。彼が期待している答えはYESだ。そして、蓮太郎はそれ以外の回答を持っていなかった。彼の言っていることの全てが正解だったからだ。

 

「ったく、いつも人を見透かしたようなこと言いやがって」

 

蓮太郎は手で頭をかくと、右手につけていた腕時計に気付いて時間を確認した。時計は5時を示していた。銀色のアナログ時計で24時間表記ではなかったが、ブラインドの隙間から差し込む橙色の光と方角から、それが夕方の5時を示すものだと分かる。

 

「あれから、どうなった?」

「どうなったも何も全て君が言った通りに動いたさ。聖天子は報酬を倍に増やしたが、ほとんどの民警が防衛省の仕事を放棄している。無理もない。今の君は蛭子影胤以上の脅威だからな。まぁ、それ以外にも報酬の割り当てを巡って民警同士の潰し合いもあったみたいだが」

「潰し合い?誰が?」

「片桐玉樹だよ。彼があの仕事に参加した企業の民警を病院送りにしている」

 

蓮太郎は芹沢の報告が俄かに信じられなかった。玉樹は見た目通り粗暴な男だが、報酬の割り当て目当てで他の民警を潰すような男には思えなかったからだ。もし仮に玉樹がそれをやるような男だとしても(玉樹よりも人格者である)妹の弓月がそれを止めないとは思えない。

 

「それともう一つ、聖天子が別途で複数の民警と企業にコンタクトを取った」

「どこだ?」

「我堂民間警備会社、司馬重工第三技術開発局、勾田大学付属医療センター、それとマレーシアのクアラルンプールエリア。そこの仲介人を通して、ティナ・スプラウトに接触を謀った」

 

それは蓮太郎の読み通りだった。その全てが蓮太郎と縁のある人物が所属する組織だった。我堂民間警備会社には壬生朝霞がいる。司馬重工第三技術開発局は司馬未織が局長を務めている。勾田大学付属医療センターは室戸菫が名義上所属ということになっている。そして、今のプロモーターと組んでから世界中を飛び回っているティナがクアラルンプールエリアにいたことも驚きではなかった。

 

「壬生朝霞とティナ・スプラウトの足止めは既に済ませてある。2~3日ほどは稼げるはずだ」

 

むしろ、驚いたのは事件からたった一日でここまで、ほぼリアルタイムで聖居の動きをキャッチした芹沢達の諜報力だった。

 

「凄い諜報力だな」

「昔、中国とロシアのスパイには手酷くやられたからな。彼らのやり方を学習したまでだ。それに君がこの動きを予測していたから、そこに網を張ることが出来た」

「そうか……」

 

蓮太郎は芹沢の報告を聞きながら、タブレットでニュースサイトを見る。東京エリアに関するニュース、特に政治や外交、蓮太郎たちが起こした事件に関するニュースに目を通すが、特にこれといった変化はない。防衛省のことは“無かったこと”として扱われているようだ。報道規制が敷かれているのだろう。

 

「“ブラックスワン”はどうなってる?」

「問題ない。既に仕掛けてあるさ。後は私の指示一つで全てが動く」

「それ、ちゃんと制御できるんだろうな?」

「それに関しては入念なテストを行った。制御から外れた場合の安全装置も問題ない」

「分かった。始めてくれ」

 

芹沢はポケットから携帯電話を取り出した。一般に出回るスマートフォンだが、特殊な小型機器が接続されており、その武骨な感じが“スマートさ”を打ち消している。おそらく盗聴や逆探知を妨害する機器なのだろう。

 

「各員に告げる。『サーカスを開始せよ』繰り返す。『サーカスを開始せよ』」

 




ブラブレとは関係ない話ですが、デジモンの映画を見てきました。
より生物的にデザインされたデジモン達の姿に惚れ惚れです。


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勾田中の狂犬

ああ。もっと早く書けるようになりたい。


 そこは、昔通っていたゲームセンターとは違っていた。清潔が保たれ、筐体に傷は見当たらない。中高生や大学生のカップルが和気藹々とゲームを楽しみ、店員もにこやかな顔をして人当たりが良さそうだ。壮助が昔通っていたゲームセンターとここでは、東京エリアの外周区と中心地ぐらい治安が違っていた。安全という意味では居心地がよく、喧嘩と暴力の化身のような自分が一挙一動に気を遣わなければならないという点では、居心地が悪かった。

 

 一通り見て回った後、壮助の目にあるものが留まった。クレーンゲームコーナーの景品――逆立てた金髪が特徴の中世貴族風の少年のフィギュア――だ。フィギュアにはそれほど興味が無かったが、この少年のフィギュアには既視感を覚えた。もの凄く身近なところで見たことがあるような気がしてならなかった。

 

(あ、これ詩乃がやってたゲームのキャラだ)

 

 ふと思い出した途端、もう寝てもおかしくない時間に携帯ゲーム機を握って布団の上でプレイする詩乃の姿が浮かび上がる。彼女は食い入るように画面を凝視し、息を荒くしながらボタンを押してゲームを進めていた。

 壮助が何のゲームか気になってこっそり画面を見たところ、このフィギュアの元となったキャラクターが主人公と思しき女の子に縋りつくシーンが見られた。詩乃がヘッドフォンをつけていたので、どんなセリフが聞こえたのかはわからないが、大方「お前が居ないと俺は駄目なんだ!」的なことを言っているのだろう。

 

 ――涎を垂らし、恍惚とする詩乃の表情は可愛らしいが、ちょっと気持ち悪かった。

 

(ちょっと取って、あいつへの土産にでも――)

 

 そう考えた途端、壮助は頭を振って今思ったことを払拭する。

 

(違う。そんなことを考えるためにここに来たんじゃない)

 

 壮助はクレーンゲームから離れ、ゲームコーナーから少し外れた自動販売機に向かった。そこでジュースを買い、隣に設置されたベンチに腰掛けた。

 

(とりあえず、俺が考えられる限りのプランであいつを倒すために必要なものは揃えた)

 

 壮助は周囲の視線を確認し、誰も自分のことを見ていないと確認すると、こっそりバッグのチャックを開けて中身を確認する。

 バッグの中身は、愛用の司馬XM08AGとその弾倉(マガジン)、麗香から買ったタウルス・ジャッジと散弾、そして麗香の元に訪れる前に寄った武器商人から購入したC4プラスチック爆弾とその起爆装置だ。

 このゲームセンターにいる人間全てを殺すことが出来る量の武器弾薬がここに詰まっている。しかし、これだけあっても里見蓮太郎はきっと殺せないだろう。もしかすると傷一つつけられないかもしれない。それでもこれが壮助にとっての精いっぱいだった。里見蓮太郎に立ち向かうためのプランとそれに必要な武器がこの全てだった。

 壮助はゲームセンターの喧騒の中で目を閉じ、里見蓮太郎との戦いをシミュレートしていく。それは里見蓮太郎との一対一の勝負。そこにパートナーの森高詩乃はいない。蛭子小比奈もいない。自衛隊や民警仲間の協力も敵対組織の妨害もない。完全に目の前の敵と対面し続けることを想定した孤独な戦場だ。パートナーとペアを組んで戦うことが基本の民警としてはあり得ない想定だった。

 

 

 

 

 

「義搭くん、だよね?」

 

 

 

 

 声を掛けられ、壮助の意識がはっと現実に引き戻される。開けた視界には殺風景な休憩室と自販機。そして、一人の少女の姿だった。

 花のようなシュシュで髪を束ねたルーズサイドテール。髪が重力に逆らうかのようにふんわりしており、彼女の表情や雰囲気もそれに象徴されるかのようにふんわりとしていた。今は紺色のブレザーと深緑のリボンが特徴の高校の制服に身を包んでいるが、私服はきっと森ガール的なゆるふわ系なのだろうと容易に想像がついてしまう。そんな少女だった。

 

「ええっと、義搭壮助くんだよね?私のこと覚えてる?」

 

 無論、壮助は彼女のことを覚えていた。忘れるわけがない。もし彼女のことを忘れられるほど彼女に付随する記憶が軽いものならば、壮助はこの6年間をもっと気楽に生きられただろう。里見蓮太郎を追うこともなかっただろう。それだけ、彼女の存在は壮助の心に深く刻み込まれていた。ある少女と一緒に――。

 

「覚えてるぜ。相沢舞(あいざわ まい)だろ」

 

 勾田小学校で藍原延珠の親友だった少女――相沢舞。それが彼女の素性だった。

 

「まさかこんな所で会うとは思わなかったよ」

 

 気安く声をかける彼女のことを壮助は不思議に思った。延珠の事件以降、暴力に明け暮れ不登校気味だった壮助と模範的な学生である舞に接点などなかった。中学生の頃なんて尚更の話であり、こうして言葉を交わすのも7年ぶりだ。

 壮助は何て返事をすればいいのか分からなかった。

 

「義搭くんって、今民警やってるんだよね?」

「あ、ああ。そうだが……」

 

 壮助が民警をやっていることは彼を知る者の間では有名な話だった。札付きのワルが民警になって銃器保有のライセンスを得たのだから、彼の周囲の人間は戦々恐々とし、いつか彼が無差別乱射事件とかテロとか起こすのではないかと思っていた。彼から民警のライセンスを奪うよう東京エリアに嘆願書を送ったり、何か事件をでっち上げて刑務所に送り込もうと画策したり、別の民警を雇って彼を“殺処分”しようという動きまであった。今となっては全てが杞憂であるが。

 

「けっこう、危険な仕事なんだよね」

「ああ。ちょっと前の仕事でもガストレアに喰われて死にそうになった」

 

 舞は1000円札を入れると、自販機のボタンを押した。ガシャンと音を立てて缶ジュースが受け取り口に落ちる。

 

「見たよ。翼の生えた蛇みたいなガストレアを戦ったんだよね」

「お前、見てたのか!?」

「ううん。直接じゃなくてニュースとか動画サイトで」

 

 また缶ジュースが受け取り口に落ちた。

 

「それに、あの非常階段が壊れたマンション、私の家だから」

「その……ごめん」

「何で義搭くんが謝るの?壊したのはガストレアなのに」

 

 また缶ジュースが受け取り口に落ちた。

 

「義搭くん丸くなったよね。中学の時は声をかけただけで殴りかかってきそうな感じだったのに。勾田中の狂犬って呼ばれてたし」

 

 また缶ジュースが受け取り口に落ちた。

 

「話しかけられる度に人を殴ってたら拳がもたねえよ」

 

 また缶ジュースが受け取り口に落ちた。

 

「ってか、声をかけただけで殴りかかりそうな奴によく平然と声をかけられるな」

「ん~。正直、あんまり義搭くんのこと恐いって思ってないからかな」

 

 また缶ジュースが受け取り口に落ちた。

 

 

 

「……お前、ジュース買い過ぎじゃね?」

 

 

 ふと舞の方に目をやると、彼女の両手いっぱいに缶ジュースが抱えられていた。その全てが500mlのビッグサイズ。女の子一人で持てないことはないが、少し大変そうな量だった。

 

「あはは。これ全部友達の分。罰ゲームだってさ」

「一人に缶ジュース6本も買いに行かせるとかとんだ外道だな。その友達」

 

 壮助は武器を詰めたバッグを肩にかけると、舞の腕の中からジュースを引き抜こうとする。しかし、彼女は身体を逸らして壮助の手を拒否する。

 

「遠慮すんなよ」

「ご、ごめん。でも大丈夫だから」

 

 舞はそのまま壮助に背を向けて、友達の元へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 舞の友達たちはゲームセンターの中にあカードゲームコーナーでくつろいでいた。二人は舞と同じ制服に身を包んだ女子高生だった。

 カードゲームのロゴが大きく描かれたテーブルを3人で囲み、飲食禁止、喫煙禁止、カードゲーム以外の利用禁止の表示を無視し、喫煙以外の禁止事項を同時にこなしていた。周囲は我関せずに徹し、注意しようとする店員は睨みつけて追い返す。

 

「ごめ~ん。遅くなった~」

 

 舞は作り笑顔を浮かべて2人の元へ駆け寄る。手に抱えていたジュースを3本ずつテーブルの上に置いていく。2人とも礼など一言も告げず、ただ黙々とスマホを弄ったり雑誌を読んだり、それぞれの趣味に興じていた。

 誰がどう見てもそれは友達という関係で呼べる人間のやり取りではなかった。片方が一方的な奉仕を強要される関係――パシリとご主人様――だった。

 椅子を用意されず、立ちっぱなしだった舞が拳を握った。恐れを抱きながらも彼女達から視線を逸らさず、恐れを抱く故に全身を震わせ、そして口から声を絞り出した。

 

「あ、あの……お金は……?」

「はぁ?何で私達が出さなきゃいけないわけ?」

「っていうか、アンタ、私達の恩を忘れたわけじゃないでしょうね。誰のおかげで学校にいられるのかしら?アンタが赤目なんかと関わっているのを私達が黙っていてあげてるからじゃない?それに比べたらジュース代ぐらい安い安い♪」

 

 2人の女子高生が舞を睨みつける。舞は絶対に自分たちに抵抗できないという絶対的優位性、私達は舞に良いことをしているんだから、これくらいの奉仕を受けて当然という自信が彼女たちをつけ上がらせる。

 

「そんなところで突っ立ってると目障りなのよ。さっさと私たちの遊ぶ金でもATMから下ろしてきなさい」

「その……お金も、もう無いです」

 

 舞は小動物のように震えて答えた。恐怖のあまり彼女達から目を逸らし、顔を伏せ、目尻に涙を浮かべる。凄みなどない。威圧感もない。これで2人がお金を諦めてくれるとは思えない。でも、これが相沢舞の人としての矜持が為せるせめてもの抵抗だった。

 

「はぁ……」

 

 女子高生の片方が大きくため息をついた。それは呆れた、諦めのため息ではない。彼女はすぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「だったら良いバイトを紹介してあげる。仕事は簡単。一晩金持ちのおっさんの相手をするだけ。兄貴の友達にツテがあるからやりなさい。アンタ処女だから5万ぐらいは稼げるよね」

「いーちゃん高すぎ。舞っちの処女なんて1000円っしょ」

「何言ってんの。こいつに稼いでもらわないとマーキュリーデュオのアウター買えないじゃない。あんたも欲しいんでしょ?」

「私が欲しいのはケイトスペードの財布なんだけど」

 

 2人はゲラゲラと下品に笑い、舞は己の純潔がこんな形で失われる現実に涙を流す。

 NOと言いたい。言わなきゃいけない。だけど、もしここで言ってしまえば、自分の高校生活は終わる。入学させてくれた親に心配させたくない。その葛藤が舞の中で渦巻いていた。しかし、突然肩に置かれた誰かの手がその葛藤を吹き飛ばした。

 

「……ったく。助けて欲しかったなら堂々とそう言いやがれ」

 

 舞と二人の女子高生の前に現れたのは壮助だった。彼は狂犬のような眼光で2人を睨みつける。声をかけただけで殴りかかりそうな暴力の化身、元“勾田中の狂犬”の名に相応しい威圧感があった。

 

「飲め。俺の驕りだ」

 

 彼は両手の500mlコーラの口を2人に向けると、同時に人差し指でプルタブを開けた。事前に缶を振っていたのか、一気にコーラの炭酸が噴き出して2人の顔にかかる。

 

「ちょっと!何するの!」

 

 2人が制服の袖で顔を拭った時、目の前には司馬XM08AGの銃口が眼前に迫っていた。銃を見るのは初めてではない。民警が跋扈して当たり前の現代社会において、銃の存在はガストレア大戦以前よりも遥かに近いものとなった。しかし、いくら近いものとなったとはいえ、銃口を向けられた普通の女子高生が脅えないわけがなかった。

 壮助は更に銃口を近づけ、一人の口の中に無理やりねじ込んだ。そして、見せつけるように安全装置を外し、トリガーに指をかける。本気で撃つと、本気で殺すと意思表示している。

 2人は脅えて震え、涙を浮かべる。完全に目の前の死の恐怖(壮助)に屈服していた。支配欲が掻き立てられたのか、壮助は悪辣な笑みを浮かべる。これではどっちが悪役か分からない。

 

「今日のところは見逃してやる。今まで、こいつから巻き上げた金のことも忘れてやる。だが、次こいつに関わってみろ。5.56ミリバラニウム弾でハチの巣にしてやる」

 

 2人は黙りながら首を縦に振った。

 壮助は彼女の口から銃口を引き抜くと、それを鞄の中に戻した。

 

「失せろ」

 

 2人は自分の鞄を握ると、一目散に逃げて行った。

 壮助は逃げる2人の背中を見て、佇んでいた。舞からは背中しか見えなかったが、どこか哀愁のようなものが彼から感じられた。

 

「よ、義搭くん?」

 

 心配になって舞が声をかけた。

「逃げるぞ」と壮助は滝のように冷や汗を流しながら言った。

 

「え?」

 

 壮助はそそくさとテーブルの上の缶ジュースを集めて抱え、もう一方の手で舞の手を掴んで走り出した。店員や客の目、監視カメラの視線を瞬時に把握し、なるべく目立たないように店内を疾走して裏口から飛び出す。

 舞は何がなんだか分からず、とにかく転倒しないように必死に足を動かす。見えるのは自分の手を握る壮助の手と彼の背中、そして、段々と目立たない場所へと連れていかれた。

 壁際に身を隠し、誰か追って来ないことを確認すると、安堵したのか壮助は地面に腰を下ろした。

 

「うわあ……やっちまったあああああ……」

 

 か細い声で後悔の念が口から言葉として溢れ出る。

 

「え?何が?」

「民警は対ガストレア戦闘以外で武器を使っちゃいけないんだよ。基本的にな。もしあの2人がサツに通報したらライセンス剥奪、めでたく俺は恐喝罪で犯罪者の仲間入りだ」

「それを分かっていて、助けてくれたんだ」

「これ見よがしに涙を流されて、あんなものを見せつけられたら放っておけないだろ」

 

 そう言って壮助はまた後悔して「やっちまった」と頭を抱えて呟く。

 

「普通の人は放っておくと思うよ。助けるにしても安全圏から手の届く範囲で――。だけど、義搭くんなら安全圏から身を乗り出してでも助けてくれると思った」

 

 彼女はきっと今までも何度か誰かに助けを求めたのだろう。しかし、それが叶うことはなかった。赤目(呪われた子供たち)という忌むべき存在の味方をした彼女だから尚更の話である。

 

「俺がそんな良い人間に見えるか?話しかけただけで殴りかかるって噂の狂犬だぞ?」

「見えるよ。だって6年前、延珠ちゃんのために怒ってくれたから。だから確信したの。義搭くんなら深い理由が無くても助けてくれるって」

 

 壮助は深くため息をついて、足と足の間から地面を見つめる。

 

「……お前って、意外と打算的だったんだな。まんまと乗せられたよ」

 

 壮助と舞のスマホに着信が入る。寸分違わず同時に違う着信音が鳴り響き、二人の身体はビクッと動いた。

 

「何?」

 

 2人はそれぞれのスマホを取り出し、画面を確認した。2人には同じ着信が入っていた。

【緊急速報】と書かれた通信会社からのメッセージだ。災害やエリア全土を巻き込むような大事故・事件が発生した際の緊急避難命令――それに使われるシステムが利用され、一つのニュースが届いていた。

 画面を指でなぞり、そのメッセージの詳細を見る。画面に映ったのは再生ボタンと早回し、早戻しボタンだ。どこかの動画共有サイトに繋がったのだろう。

 

(……動画?)

 

「義搭くん。こっちの方が早いよ」

 

 ロードを待っている間に舞のスマホは動画をすぐに再生できる状態になっていた。2人で顔を近づけ、小さなスマホ画面に目を向ける。

 

「じゃあ、再生するね」

「ああ」

 

 再生が始まった画面。その小さな枠に一人の男が映った。ひび割れたコンクリート壁を背面に置き、黒い仮面に黒いスーツを纏った青年の姿があった。

 

(里見……蓮太郎!)

(まさか、延珠ちゃんのお兄さん?)

 

 つい数日前から2回顔を合わせた壮助はもちろんそれが里見蓮太郎であることが分かった。

 舞の延珠との記憶がフラッシュバックし、その中で延珠の送り迎えをしていた男の顔を思い出した。

 

「お前たちは正義の正しさを疑ったことがあるか?」

 

 問いかけるような一文で蓮太郎の演説は始まった。

 

「俺たちはかつて、正義を信じ、それを胸に抱いて戦ってきた。報われないことなどたくさんあった。信じた正義に裏切られたこともあった。それでもいつかは、やがていつかは、正義の名の下に誰も苦しまない世界になるのだと、人間の良心と正義を信じて戦ってきた。そのために愛する人たちを失った。だが、そこに結果は無かった。俺達は正義の味方であり続けても、正義は俺達を役に立つ消耗品程度にしか思っていなかった。そして、俺は気付いた。正義とは、人を操るために人の悪意と欲望が生み出した思想の麻薬なのだということ。俺はそれに踊らされた思想の奴隷だったということに。だから、俺は復讐することに決めた。俺を操り、俺から全てを奪ったこの世界の正義に!」

 

 画面・スピーカー越しからひしひしと蓮太郎の叫びが、思いが、憎悪が伝わってくる。背筋が凍りついてしまうほど、彼の目は冷たかった。

 

「人を利用するために正義を語る者よ、己の悪虐を正当化するために正義を語る者よ、正義という名の麻薬に浸った偽善者たちよ。俺の名は里見蓮太郎。かつて、この東京エリアで民警として活動していた男。そして、この東京エリアを滅ぼす者だ」

 

 突如、轟音が鳴り響いた。近くで建物が崩れ、土煙が周囲にまき散らされる。

 壮助は自分の身体を盾にして飛び散る破片や土煙から舞を守る。そいて、薄く開いた目で崩れた建物の方を見た。

 崩壊が終わった途端、周囲の土煙が一気に吹き飛ばされた。風圧で周囲の窓ガラスは割れ、壮助も踏ん張っていないと吹き飛ばされそうなほどの勢いだ。

 鳥類特有の甲高い声を上げ“それ”は姿を現した。

 立派な鶏冠を持った雄鶏にドラゴンのような太い尾と硬い鱗を合わせたような姿。全長は10メートルといったところか。鶏と呼ぶには猛禽類のように目が鋭く、鋭いくちばしをもつが、開くと内部には獰猛な牙が何列にも並んでいる。雄鶏とドラゴンを合体させた姿はイングランドの伝説に登場する怪物コカトリスを思わせる。

 

「ガス……トレア?こんな東京エリアのど真ん中で……?」

 

 舞は目の前の現実がいささか信じられなかった。目の前に、しかもモノリスの内側に人類を滅亡寸前に追い詰めた怪物が現れたのだから。ニュースや動画サイトで何度も見ていても実際に見るのとは違う。恐怖で足が竦み、助けてと嘆願するように壮助の服を強く掴んだ。

 

(これがお前の言う正義への復讐ってわけか。里見蓮太郎)

 




ふとアニメを見返していたのですが、アニメ版と漫画版の舞ちゃんのデザイン全然違うなぁと思いました。
ちなみに書いている時は、幼少のころの彼女のデザインは漫画でイメージしています。


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小さな巨人 前編

手元に原作がある人は2巻の序章を読んでみましょう。


「俺の名は里見蓮太郎。かつて、この東京エリアで民警として活動していた男。そして、この東京エリアを滅ぼす者だ」

 

 その言葉は、東京エリア全土に響き渡っていた。個人の携帯電話・スマートフォンに映像として流れ、家電量販店のテレビも蓮太郎の演説でジャックされる。

 かつて幾度となく東京エリアを救った英雄が今度は東京エリアを滅ぼす反逆者となった。しかし、その演説が心に響く者はごく少数だった。里見蓮太郎が何者かは知っている。しかし、彼の顔と声を知る人物はごく少数だった。ほとんどの人間が「偽物の戯言」「すぐに警察か自衛隊が片を付ける」と思い、いつもの日常の中へと戻っていった。6年前、仙台エリアと一触即発の状態になっても日常を続けたヒトの精神機構――正常化への偏見――が起きていた。

 

『番組を中断させて臨時ニュースをお送りします。つい先ほど、聖居よりエリア内部におけるガストレア出現と緊急避難警報が発令されました』

 

 家電量販店のテレビ、街頭の巨大スクリーンの全てのチャンネルが一つの映像を流した。冷や汗を流し、慌てた様子で紙の原稿を読み上げるキャスターの姿だ。カメラへの目線を気にする余裕もなく、ひたすら原稿に目を配っている。

 

『東京エリア内部にガストレアが出現しました。繰り返します。東京エリア内部にガストレアが出現しました。現在、第4区、第11区、第23区、第30区の4ヶ所で出現が確認されており、いずれもステージⅡ相当だとされています。近くの住民の皆様は至急最寄りのバラニウムシェルターに避難してください』

 

 東京エリアの中心地に近いオフィス街でも会社帰りのサラリーマンやOLたちが唖然としながらニュースを見ていた。東京エリアの住民なら記憶に新しいガストレアへの恐怖、第三次関東会戦で味わった絶望が脳裏に浮かび上がる。

 

「な、なぁ」

「どうした?」

「今、第4区って言わなかったか?」

「あ、ああ。そうだな」

 

 

 

 

 

 

「第4区ってさ……ここだよな」

 

 2人のサラリーマンを中心に周囲の人間の顔が真っ青になる。

 そして、想定していた最悪の事態が目の前の現実となった。

 注目を集めていた巨大スクリーンが割れ、飛び出す絵本のようにガストレアが姿を現した。鋼鉄のような甲殻に身を包んだ重厚な巨体は着地した途端、アスファルトを粉砕し、地面を揺るがせた。

 

「ガストレアだ!逃げろ!」

 

 街中の空気が怒声と悲鳴で震えあがった。多くの人が雪崩のようにガストレアから遠ざかっていく。パニック状態に陥った群衆は一目散にガストレアに背を向けて走り出した。バラニウムシェルターに逃げ込む冷静さを欠き、ただ生きたい・死にたくないという生物的本能だけが人々の思考を支配していく。

 倒れている人に手を差し伸べる人などいない。邪魔だと言わんばかりに倒れている人を踏み抜き、蹴り飛ばし、人々は利己的(しかし生物としては当然)に走り抜ける。

 

「ああっ!もう!人のことを路傍の小石みたいにボコスカ蹴りやがって!!」

 

 松崎民間警備会社の事務員、千奈流空子もまた踏み抜かれ、無数の人々に蹴り飛ばされた哀れな転倒者の一人だった。彼女は松崎民間警備会社の仕事でこのオフィス街に訪れていたが、運悪くガストレア騒動と人の雪崩に巻き込まれてしまい、気が付いたらヒールが折れて転倒し、絨毯のように踏み抜かれていた。

 

「ゴルァ!踏んだ奴戻ってこい!これいくらしたと思って――」

 

 

 

 ズシン!

 

 

 巨大なダンゴムシのような形状のガストレアが左右にある無数の小さな足を機械のように連動させ、静かに行進を始めた。放置された車は易々と踏みつぶし、道路標識をなぎ倒し、高圧電線も簡単に引きちぎっていく。

 空子の目にはガストレアがこっちに向かって来ているように見えた。いや、見えたのではなく、明らかに先ほどの怒号で空子に気付き、こっちに向かっていた。

 空子は逃げようとするが、力を入れた途端、足に激痛が走る。誰かに踏まれたときに打ったのか、骨が折れたのかもしれない。仕事の都合上、ガストレアの恐ろしさもそれを倒す民警の頼もしさも彼女は知っている。しかし、こうして目の前で実感するのは初めてだった。あの4人はいつもこんな怪物相手に戦っていたんだ。生き残ったら、給料・待遇も改善してあげようと――。

 ガストレアの口から無数の触手が姿を現し、周囲に伸ばし始めた。蛇の舌のようにセンサーとしての役割を果たしているのか、周囲のビルや道路を舐めまわしながらゆっくりと歩みを進める。

 その触手の1本が空子の存在に気付いた。粘液を垂らしながら存在を確認するかのようにガストレアの触手は空子へと近づいていく。

 触手に触れられる。舐められる。それだけなら生理的嫌悪だけで済んだかもしれない。しかし、ガストレアという未知の敵、恐怖の象徴に近づかれるだけで空子は震えあがり、身動きが取れなくなる。触手に触れられて、舐められて、その先にあるかもしれない補食、ガストレアウィルスの感染、触手による絞殺や刺殺、巨体による圧殺が脳裏に浮かび上がってしまう。

 

「だ、誰か……助け……」

 

 

 

 空子の前に一人の少女が立った。まるで助けに来たヒーローかのように颯爽と現れ、持っていた小太刀でガストレアの触手を斬り裂いた。

 

 

「大丈夫ですか?すぐに助けが来ますから」

 

 空子は目の前に立った少女に目を配る。

 年齢は10代後半といったところか。肩甲骨まで伸びる赤髪のポニーテールと滴る汗で彼女の快活な性格が窺える。どこかの高校の制服――グレーのミニスカートに校章が縫い付けられた白いシャツ――を身に纏い、小太刀一本でガストレアに立ち向かう。

 空子は、この女子高生ニンジャガールが民警であると直感的に分かった。

 民警の助けに空子が安堵する最中、彼女の傍に一台のジープが止まった。バンパーは傷だらけで、ぶつけた車の破片や塗料がそこかしこに付着している。

 ジープのドアが開いた。そこから出てきたのは武骨なジープに似合わないスーツ姿の細身の青年だ。少し前までオフィス街を歩いていたフレッシュマンと大差ない。

 

「我堂民間警備会社の小星常弘(こぼし つねひろ)です。あなたを助けに来ました」

 

 青年は、黒い髪に黒いスーツという暑苦しい格好でありながら、それを全く感じさせないさわやかな雰囲気を醸し出し、まるで姫を救いに来た白馬にまたがった王子様のように空子に手を伸ばす。

 空子は差し伸べられた手を取り、常弘に肩を貸してもらいながら立ち上がり、彼のジープの後部座席に乗せられる。ジープには先客がいたようで、空子と同じように足を怪我した中年サラリーマンやOLが座っていた。

 前部座席の扉が開き、常弘が運転席に、ニンジャガールが助手席に座った。

 

「遅いよ。ツネヒロ」

「ごめん。逃げ遅れた人を助けていたら遅くなった」

「相変わらずお人好しね。そういうところ愛してるけど」

 

 後部座席の3人は「惚気話はいいからさっさと車を出してくれ!」と主張するために睨みつける。

 常弘はアクセルを全開にして踏み抜くと、すぐにUターンしてガストレアに背を向けて走り出した。バックミラーでガストレアの動きを確認するが、追ってくる様子はない。追う気がないのか、最初から車を追うことを諦めるぐらい足が遅いのかは分からないが何とか逃げられたようだった。

 

朱理(しゅり)。あれ。倒せそう?」

「どう考えても私たちの装備じゃ無理だよ。対物ライフルでも持ってこないと」

「じゃあ、この人たちを安全なところで降ろして、それから会社に武器を取りに行こうか」

「多分、戻った頃には自衛隊か別の民警が片付けていると思うけど?」

「チャンスはなるべく逃さないようにしよう。また借金して鉱山で強制労働は嫌だからね」

 

 常弘がハンドルを握っていると、助手席で朱理はスマホを取り出し、ある動画を見始めた。

 それは仮面を被った蓮太郎の宣言だ。つい数分前の動画だが、即座に動画共有サイトにアップされているようで、いつでも見られるようになっていた。

 

「ねぇ。ツネヒロ。やっぱりこの人――「それは偽物だ」

 

 朱理の言葉を遮るように常弘は否定した。

 

「……きっと、何かの間違いなんだ」

 

 常弘と朱理は里見蓮太郎を知っている。会ったのは一度だけで数分もなかった出会いだったが、2人にとっては生涯の恩人と言っても過言ではない人だった。

 今から6年前、中学生だった小星常弘は父親が残した借金のせいで暴力団に拘束され、未踏査領域のバラニウム鉱山で労働を強いられていた。人権を無視した過酷な労働環境、気分次第で労働者を殺す暴力団と見張りの民警。何もかもがクソったれな世界の中で常弘は自分の父親と運命を呪った。

「こんなところ出て行きたい」そう思いながらも何も行動できないことに苛立ちを覚えていた頃、彼の前に朱理が現れた。彼女も借金の形として親に売られ、暴力団に連れて来られた労働者であり、呪われた子供だった。彼女は、まだ鉱山に入ったばかりだと言うのにこの世の全てに絶望しきった顔をしていた。10歳の少女がしていい目ではなかった。

 周囲の労働者が朱理を恐れたため、常弘が朱理の世話係を押し付けられた。労働者のくだらないルール、バラニウム鉱石の見分け方、道具の扱い方を教えた。彼女と触れ合っていく中で、いつしか常弘の脱出計画は自分の自由のためだけではなく、朱理の自由と幸福のためのものに変わっていった。

 そして決行の日、常弘と朱理は鉱山から逃げ出した。朱理が見張りの暴力団員や民警を倒し、常弘は彼らのジープを盗んで走り出した。無免許かつ初めての運転で何とか未踏査領域を抜け出したが、モノリスを越えた辺りで廃墟にぶつけて大破。そこからは2人でずっと走り続けた。5キロも全力で走り続けた常弘はフラフラになり、足もパンパンに膨れ上がっていたが、弱音を吐く余裕は無かった。新月の夜でろくに先が見えない中、2人の前に奇妙なシルエットが見えた。山のようにうねるレール、巨大な車輪、眩しい位に過剰なイルミネーションと楽しそうな人々の声。そこで2人は遊園地に着いたと気づいた。人混みに紛れてしまえば逃げ易い。そう考えた2人は従業員の制止を振り切ってゲートを飛び越え、遊園地の中に入った。

 しかし、2人の逃走劇はここで終わった。天童民間警備会社が目の前に現れたからだ。イニシエーターの藍原延珠と社長の天童木更、そして遊園地で着ぐるみのアルバイト中だった里見蓮太郎だ。鉱山の中でも名前ぐらいは聞いたことがある。ステージⅤガストレアを倒し、東京エリアを救った民警で、暴力団に雇われた民警の下請けとして2人を追っていたのだと聞かされた。常弘は目の前の絶望に膝を落とした。しかし、蓮太郎は捕まえようとせず、屈んで常弘に目を合わせた。――で、お前等何をやったんだ?

 これまでの経緯を話した後、そこから状況は逆転した。依頼主からの話と実際の常弘たちの状況に食い違いがあり、依頼主の民警に不審を抱くようになった。

 そこに依頼主の民警、鉱山の見張り役で気分次第で労働者を殺す最低野郎が現れた。彼は民警でありながらイニシエーターを連れていなかった。

 

『おい待てよ、オッサン。お前が依頼した民警か?イニシエーターはどうしたんだよ」

『あーあー。そういやいたなぁ。ぎゃあぎゃあうるさくわめくからぶっ殺しちまったけど、まあ任務中の殉職ってことにしといたから、もう少ししたらIISOから代わりの奴を――』

 

 民警が数メートルほど吹き飛んだ。里見蓮太郎がその拳で顔面を打ち砕き、殴り飛ばしたのだ。民警は遊具の鉄柱に頭をぶつけ意識が朦朧としていた。

 

『ざけんじゃねえよ!テメェは民警の面汚しだ!二度とその面見せるな。次会った時、まだ民警をやっていたらブチ殺すからな!』

 

 啖呵を切って吐けるだけの暴言を吐くと、蓮太郎は振り向いて肩を撫で下ろした。「また報酬が貰えなかった」と社長や自分のイニシエーターに話すと、常弘に味方になってくれる刑事の連絡先を教え、すぐに次の仕事場へと立ち去っていった。

 

(しばらく拘置所で生活した後、僕達は民警になった。金のためじゃない。栄誉のためじゃない。自分の正義を抱いて、誰かを救えるような民警に……里見さんのような民警になりたかった。だから、僕は認めない。この騒乱が、正義への復讐が貴方の本心だなんて)

 

 ジープを数分ほど走らせるとオフィス街のバラニウムシェルターの入口に辿り着いた。車を停め、常弘と朱理は後部座席の人たちに肩を貸し、バラニウムシェルターの中に入れる。OL、中年サラリーマンをシェルターに入れると朱理は警戒のため外に残り、常弘は空子に肩を貸し、地下のバラニウムシェルターに向かうため階段を下りていく。

 

「ありがとう。そういえば、あなた民警だったわよね?」

「はい。我堂民間警備会社の小星常弘です。彼女はイニシエーターの那沢朱理(なざわ しゅり)

「頼もしいわ。ウチのバカもこれくらい頼り甲斐があるといいんだけど」

「ウチのバカ?」

「私、民警会社で事務員やっているの。松崎民間警備会社ってところなんだけど知ってる?」

「ああ。知ってますよ。あの大角勝典さんがいるところですよね。その……バカってもしかして」

「貴方が思っている人とは違うわ。1年前にウチに入って来た義搭ってガキがいてね。すぐに暴力沙汰を引き起こすし、報酬貰い損ねるし。とにかく喧嘩しか取り柄のないトラブルメーカーなのよ。今も過去の因縁とか贖罪とかで里見蓮太郎を追いかけて行方不明になっちゃうし」

「何だかんだ心配しているんですね。そのバカのことを」

「まぁ……ね。給料分はちゃんと働いてもらわないと困るし。まったく……どこをほっつき歩いているのやら」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア 第11区

 

 帰宅途中のサラリーマンや学生で賑わう大通り、そこから少し離れた工場区画で壮助と舞は物陰に隠れていた。壮助はライフルを取り出していつでも撃ち出せるように構え、舞は思わず悲鳴を上げてしまわないように自分で口を押さえ、壮助の後ろで震えていた。

 1ブロック先にはコカトリスのようなガストレアが羽を折りたたみ、首を伸ばして周囲を窺っていた。補食する人間でも探しているのか、その場から動かず執拗に周囲を見渡している。

 壮助は建物の影からガストレアを観察する。見たところガストレアは複数の生物種の因子を持ったステージⅢ。壮助の今の装備だと少しの間注意を引くので手一杯の敵だ。撃退も討伐も詩乃がいなければ難しい。加えて、舞という非戦闘員も抱えている。彼女の身の安全を確保しなければ、存分に戦える状態にはなれなかった。

 壮助はもう一度物陰から顔を出してガストレアの行動を確認する。幸い、ガストレアは壮助と舞の存在に気付いていないようで、未だに何かを探す動作を続けていた。気付いていないのはありがたいが、一向に移動する気配がないので壮助たちも逃げ出せない。こうなったら壮助はガストレアがどこかへ立ち去るのを待つしかなかった。

 とりあえず、立ち去った後に舞を安全な場所に連れていき、そこで彼女と別れる。その後は一人であのガストレアと交戦して注意を引き付けるか、それともガストレア出現の緊急依頼の民警と合流してから交戦するか。詩乃に連絡して合流――いや、これは絶対にするわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

『昨日もガストレアをぶっ殺してやったぜ!!今日もガストレアをぶっ殺してきたぜ!明日もぶっ殺すぜ!!クソデケェ怪物にぶち込んでやれ!!!バラニウム!!!バラニウム!!!Hey!!』

 

 

 突如、鳴り響いたギターとデスボイスが喧嘩するようなパンクロック。壮助は心臓が止まる勢いで飛び上がった。舞も驚いて人形のように硬直する。

 確実にガストレアに見つかる!と、壮助は必死の思いで静寂を見事にぶち壊した音源を探す。慌てて音源になっているものを探すと、3秒も経たない内にそれを見つけることが出来た。それは、相沢舞のスマホだった。彼女の手に握られていたスマホに母親から着信が入り、着信音として頭のイカれたパンクロックがダダ漏れになっていた。

 

「馬鹿!消せ!今すぐ切れ!」

「あわわわわわわわ!!」

 

 壮助に言われて舞ははっと意識を取り戻した。彼女は慌ててスマホを操作し、母親からの電話を無言で切った。

 物陰は再び静けさを取り戻した。突然のことで2人の心拍数は急激に上昇し、荒い2人の吐息だけが聞こえてくる。

 

「ご、ごめん」

「心臓が止まりかけたぞ。ごめんで済んだら――

 

 ズシンと地面が揺れた。すぐ近くでアスファルトが割れる音がする。バサバサと羽ばたく巨大な翼の音が背後で聞こえた。擦れる羽毛の音、雄鶏の喉元で鳴るゴロゴロとした音がすぐ背後で大きく自分の頭よりも高い位置から聞こえていた。

 背後に何がいるのかは理解した。最悪の事態が現実になっている。恐怖で壮助の心臓がバクバクと高鳴る。壮助はゆっくりと、背後にいる誰かさんを気遣うようにゆっくりと振り向いた。

 ガストレアの赤い目が自分たちを見下ろしていた。

 

 

 

 

(め っ ち ゃ こ っ ち 見 て る ん で す け ど !)

 

 

 

 ガストレアは何かを窺うようにずっと壮助と舞を見つめていた。獲物をどう補食しようか、どうやって狩ろうかと考えているのだろう。いつでも走り出せる態勢でありながら、ずっと壮助たちが何かアクションを起こすのを待っていた。

 壮助はゆっくり後ずさりすると舞に近づき、彼女の肩を抱き寄せて顔を近づける。舞が突然の行動に赤面して、別の意味で心臓が高鳴っていたのを彼は知らない。

 

「相沢。お前、100m何秒だった?」

「え!あ、ええっと……体育の時、いつも私がビリケツだったこと覚えてない?」

「ああ。そういえばそうだったな。――――――じゃあ、俺が担いだ方が早いか」

「え?」

 

 壮助は屈んで舞の腰に手を回すと、そのまま持ち上げて米俵のように彼女を肩に抱えた。

 

「耳を塞げ!」

 

 舞にそう指示を出した直後、壮助は片手でアサルトライフルをガストレアに向けた。フルオートでばら撒かれる弾丸は片手だけの制御により狙いが定まらず、四方八方に飛び散る。ほとんどがガストレアに当たらず、周囲の建物に穴を開けていく。だがそれで十分だった。一瞬でもガストレアの注意を逸らせれば逃げるタイミングが掴める。

 壮助はガストレアに背を向けて走り出した。司馬XM08AGを片手に持ち、銃器・弾薬が詰まったバッグを抱え、更に女子高生一人(推定45キロ)を肩に担いでいるが、舞を連れて走るよりは早かった。

 

「来てる!ガストレア来てる!!」

 

 彼に抱えられた舞はガストレアが嫌でも視界に入っていた。視界のガストレアは前傾姿勢になり、強靭な脚で一気に蹴り出した。アスファルトがガストレアの体重に耐え切れずクレーター状に割れ、蹴り出した途端に破片が飛び散った。体格差と筋力の差でガストレアはあっという間に壮助に追いついた。

 壮助のすぐ後ろに着いた途端、ガストレアは高く飛び上がり、壮助の前に着地することで彼の進路上に立ちはだかった。

 壮助は咄嗟に方向転換し、建物と建物の間の狭い路地に入る。逃走経路が限られてしまうリスクがあったが、ガストレアから見えない場所に逃げ込むことで先回りされないように考えた逃げ道だ。

 しかし、ガストレアは壮助の手口が読めていたのか、再び壮助たちの前に着地した。その衝撃でガストレアの周囲の壁や建物の外壁は崩れ、土埃が上った。

 土埃で視界が遮られたことをチャンスに壮助は来た道を戻ってガストレアを撒こうとするが、背後も同じように建物の外壁が破壊され、瓦礫で道が塞がれていた。

 

(チッ……!囲まれた!)

 

 ガストレアが羽ばたいて土埃を吹き飛ばした。視界はクリアになり、前方はガストレア、後方は瓦礫の山という絶望的な状況も明確なものになっていく。

 

「相沢……。下ろすぞ」

「……うん」

 

 壮助は肩から舞を下ろし、アサルトライフルを両手で構えてガストレアに向けた。逃げられないのなら立ち向かうしかない。壮助はここでガストレアを倒す決心をした。それがどれだけ無謀なことであっても――。

 

(どうする?狙うのは頭か?心臓か?いや、それとも足を狙って動きを止めるか?そもそもこいつ、何発バラニウム弾を撃ち込んだら死ぬんだ?)

 

 ガストレアが背を伸ばし、頭を高くすると雄叫びを挙げた。壮助の戦う決心に呼応したかのようにガストレアも戦う姿勢に入った。翼を大きく広げ、自分をより大きく見せることで威嚇する。

 

(来るなら来やがれ!ありったけのバラニウム弾を撃ち込んでやる!)

 

 壮助は覚悟を決めて照準を合わせ、引き金に指をかけた。

 

 

 

 ドォン!!!

 

 高く上げられていたガストレアの頭が地面に叩きつけられた。無理やり叩きつけられたことでガストレアの首の骨は折れ曲がり、身体も耐え切れずに地面に突っ伏せた。

 

「壮助は私のモノなの。私の許可なく襲ったことを土下座して詫びてちょうだい」

 

 ガストレアと壮助の間に一人の少女が降り立った。ひん曲がった鉄筋を軽々と振り回す少女とは思えない筋力、ガストレアと同じ赤い目。壮助は彼女が自分の相棒“森高詩乃”だと、舞は少女が呪われた子供だとすぐに分かった。

 

「詩乃。どうしてここが?」

「“どうして”って?だって私と壮助は繋がっているから」

「はい?」

 

「壮助の匂いが、壮助の声が、壮助の体温が、他にも人には言えないあれやこれが私の身体に染みついているの。中にも外にも。だから自分のことのように壮助のことが分かる」

 

 詩乃は自分の肩を抱き寄せて、恍惚とした表情で自分の身体をくねくねと動かす。足を閉じて股をギュッと閉めているところを見て、壮助は何一つ心当たりの無い夜の営みを頭の中で否定する。

 

「あ、相沢。言っておくけど、詩乃の言っていることは出鱈目だからな!俺たちは健全な民警ペアだからな!」

 

 

 

 

 

「良心的な一般市民として、とりあえず通報しておくね。変態ロリコンヤンキー」

 

 ぽわわんとした超癒し系笑顔で舞は壮助に死刑を宣告した。

 




登場人物のページを更新しました。

ちょっとしたネタ

相沢舞の着信音になっているバンドについて

“Black Gunners”
メンバーが全員、現職の民警という異色のバンド。
歌詞も民警やガストレア、呪われた子供たちといった要素が盛り込まれている。
基本的に曲調はパンクロックだが、第三次関東会戦の慰霊祭で、亡くなった自衛隊員と民警に捧げるバラード調の曲も披露している。

デビュー曲は「初仕事で死にかけたぜ!」
舞の着信音の曲は「ガストレアジェノサイダー」


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小さな巨人 後編

8巻はまだですか。
8巻が出るのが先か、それともこれが終わるのが先なのか。


 小さな巨人 後編

 

 第11区の工場区画の狭い路地。そこで義搭壮助は人生最大の危機に陥っていた。コカトリス型のガストレアは飛び込んできた心強い相棒によって倒された。壮助を肉体的に危機的な状況へと追い込む存在は排除された。しかし、彼を社会的に窮地へと追い込む存在が国家権力を呼び出す装置(スマートフォン)を片手ににこやかな笑顔を浮かべていた。それは善行・正義を成す優越からか、それとも目の前の(変態ロリコンヤンキー)を駆逐する快感からか。

 相沢舞は善良な一市民として壮助を通報しようとしていた。

 

「ストオオオオオオオオオオオオオオオオップ!!」

 

「いや!ストップじゃないから!明らかに犯罪でしょ!この変態!ロリコン!ちょっと見直したと思ったのに!」

「いや、違うからな!絶対に違うからな!頼むから通報はやめてくれ!サツに目を付けられると色々と余罪が出て来ちゃうから!」

 

 壮助の言葉を聞いて舞が少し引き下がる。

 

「あ、あるんだ……。余罪。そっちの方がドン引きなんだけど」

 

「1個はお前のせいだよ!言っておくけどなぁ!俺はロリコンじゃない!俺のタイプはハリウッド映画に出てくるようなボンキュッボンの金髪セクシーな美女なんだよぉ!」

 

 そう言い放った瞬間、壮助の身体は吹き飛んだ。勢いよく後方からの“蹴り”に飛ばされ、地面を転がりながら舞の後方の瓦礫の山に突っ込んだ。あまりの出来事に舞は「え?え?」と壮助が居た場所と吹き飛ばされた後の瓦礫の山を何度も見る。

 

「壮助。よく聞こえなかったからもう一回言って?」

 

 壮助を蹴り飛ばした人――詩乃――は舞のことなどお構いなしに彼の元へと近づく。近づきながら拳でコンクリート壁を破壊し、中から無理やり鉄骨を引き抜いた。それを武器のように構え、尖った切先を壮助に向ける。

 

「詩乃!てめぇ何しやが――る?」

 

 瓦礫を払いのけて壮助が起き上ると、目の前には詩乃がコンクリート壁から引っ張り出した鉄筋の切先が鼻先に向けられていた。夕暮れの紅い空と詩乃の黒い影、それに対して彼女の紅く輝く瞳が対照的に際立ち、その赤い視線が壮助に突き刺さる。

 

「ごめん。よく聞こえなかったんだけど……壮助のタイプ、もう一度言ってみて?」

「悪いけどな。これだけは引き下がれねぇ。俺のタイプはボンキュッボン――

 

 詩乃が握る鉄骨が壮助の顔のすぐ真横に突き刺さった。

 

「――になる可能性を秘めた黒髪ショートカットの中学生だよね?」

「……」

「返事は?」

 

 壮助の目に映るのは逆光に照らされた詩乃の影、その中で紅く輝く瞳だった。自分よりも遥かに強く、決して拭えない重い愛を抱えた彼女が、彼には大きく見えた。もし詩乃が実力行使に出れば抗うことなど出来ない。彼女の想いのままに蹂躙され尽くすのだろう。――そう考えると、普段から一緒に居て当然だった詩乃が何か恐ろしい存在に見えてくる。 “まるで全長10メートルの立派な冠を被った雄鶏に見えるくらいに”

 

「詩乃!後ろ!」

 

 詩乃が振り向くとそこには首の骨を再生し、再び立ち上がって大きく翼を広げるガストレアの姿があった。しかし、彼女は驚いていなかった。あれほどの巨体が起き上ろうとすれば必ず音で分かる。完全に起き上るタイミングも、襲い掛かるタイミングも、いつまで壮助と痴話喧嘩をすればセーフなのかも、その全てを音だけで把握していた。

 ガストレアが身体を回転させ、その巨大な尾で周囲を薙ぎ払う。巻き上げられた瓦礫と巨大な竜の尾が3人に襲い掛かる。

 尾が舞に直撃する寸前のところ、詩乃が盾になって受け止めた。ガストレアの強靭な筋肉によって振るわれた電車並に大きな尾を13歳の少女の小さな身体で受け止める。もし詩乃が普通の少女なら圧倒的な質量差によって身体は衝撃でバラバラに砕け、舞も壮助も一緒に打ち飛ばされていただろう。詩乃の呪われた子供としての能力、通常の人間はおろか呪われた子供としても異様に高密度な骨格と筋肉、それが成す見た目に合わない大きな質量が彼女を守っていた。

 

「ボサッとするな!早く逃げるぞ!」

 

 壮助が舞の手を引いて、ガストレアによって破壊された建物だった場所を走り抜ける。

 舞は壮助に手を引かれながら、自分たちを守るために盾になってくれた少女を気に掛ける。

 

「ちょっと!あの子は!?」

「あいつは大丈夫だ!俺たちがいた方が足手まといになる!盾になった理由を考えろ!」

 

 壮助に手を引かれながら、舞はとにかく必死に足を動かした。少女が盾になってくれた意味・意義を無駄にしないために、息が切れても壮助のスピードに合わせて走った。――足手まといという言葉が胸に刺さった。

 ふと地面に目を向けると、『バラニウムシェルターまであと30m』という道路標識が見えて来た。壮助はただ闇雲に走って逃げていたわけではない。舞を確実に安全な場所に連れて行っていた。

 

「近くにバラニウムシェルターがあるからそこに避難しろ。救難信号の出し方とかは分かるな?」

 

 舞はうんと頷いた。ガストレアが出たら近くのバラニウムシェルターに逃げること、バラニウムシェルターに入った後の対応は学校の避難訓練で一通り学んでいる。

「じゃあ」と言って、壮助は舞に背を向け、ライフルを両手で持って構えた。

 

「義搭くんは?」

「民警がガストレアから逃げるわけにはいかねぇだろ。それに……詩乃も戦ってるんだ」

 

 壮助は舞に背を向けると、ガストレアがいる方向へ走り出した。

 舞はどこか頼もしそうにその背中を見届けるとバラニウムシェルターの方向へと走り出――そうとした。

 

「あれ?」

 

 舞はあるものが落ちているのに気づく。『バラニウムシェルターまであと30m』の標識の上に黒い長方形の物体が転がっていた。髑髏や☆などゴテゴテとした過剰装飾とチャラチャラと付いた千切れたチェーン、中身を開くと十数人の福沢諭吉と硬貨、そしてポイントカードが入っていた。それは紛れもなく義搭壮助の財布だった。

 

 

 

 

 

 

 身を挺して壮助と舞をガストレアの尾から守った詩乃は、2人が遠くへ走って逃げるのを傍目で確認した。足音も遠ざかっていく。

 壮助に手を引かれて逃げる舞の姿はまるで映画のヒロインのようであり、そのヒロイン役になった彼女を詩乃は少し嫉妬した。でもそれは仕方のないことだと言い聞かせる。一番強い自分を囮にして弱い人を逃がすのは当然だ。それは一番確実に全員が助かる方法だと。しかし、それでも煮え切らない感情がある。それは、目の前にガストレアにぶつけて発散しよう。

 

(さて……2人とも離れたみたいだし、ちょっと本気を出すかな)

 

 詩乃が壮助を脅すために持っていた鉄骨を強く握りしめた。そして、ガストレアとの力比べの中、鉄骨を尾に深々と突き刺した。尾から紫色の体液が噴き出し、詩乃の身体と服を汚すが彼女は意に介していない。

 ガストレアが怯んだ一瞬を見逃さず、詩乃は懐に飛び込んだ。強く拳を握り、ガストレアの心臓に乾坤一擲の拳を叩きこむ。その打撃はガストレアの胸筋を悉く断裂させ、ろっ骨を粉砕し、心臓すらもトマトのように潰した。衝撃でガストレアの身体は後方に飛ばされ、惨めに地面を転がりながら大型工場の壁を突き破った。

 狭い屋内の中でガストレアは立ち上がる。詩乃に一方的に屠られたことで“勝てない”と学習したのだろう。

 すぐ目の前には詩乃が立っていた。工場のロボットアームを脇に抱え、先端の小さな噴出口をガストレアに向けた。レバーを引くと超高圧で水が噴出する。工場で使用されているウォーターカッターだ。アームの後方に繋がっているホースで水が無尽蔵に噴出し、水がガストレアの身体を切り裂いていく。

 全身を切り裂く痛みに耐えながらもガストレアは翼を広げ、天井を突き破って上空へと飛び立った。

 

「待ちなさい!!」

 

 詩乃が慌ててウォーターカッターを上に向けるが、重力と距離によって威力が落ち、ガストレアに冷や水を浴びせるだけになってしまった。

 

 

 

 

 

 舞をシェルター付近にまで届けた壮助は、武器を構えて詩乃のところに向かっていた。早く彼女と合流したい気持ちだった。いくら詩乃が壮助と比べ物にならないほど強くても、一人の少女を戦場に置き去りにしたままにしておくわけにはいかなかった。

 詩乃がいるであろう場所へ走っていると、遠くの工場が倒壊して、煙を上げるのが見えた。それからしばらくすると、巨大な翼と竜の尾を持ったガストレアが大空へと飛び立つのが見えた。

 ガストレアは上空から壮助の後方へと飛んで行った。どこに行ったのか目で追うが、あまりにも高く遠く飛んでいたため、途中で見失ってしまった。

 

「壮助!」

 

 後方からの呼びかけに反応して、壮助は振り向いた。ガストレアの体液まみれの詩乃の姿にぎょっとした。

 

「お前……血が!」

「あ。これ?ガストレアの返り血だから心配ないよ」

 

 壮助ははっと気が付いた。落ち着けばすぐに分かることだ。ガストレアの体液は紫色だが、呪われた子供たちの血は人間と同じ色をしている。しかし、乾燥して固まってくるとガストレアの体液も人間の血と同じように黒く固まっていく。

 

「大丈夫なのか?」

「全然大丈夫だよ。あ~。でもやっぱりバラニウムが無いときついね」

「え?」

 

 壮助は今になって気付いた。それは詩乃が手ぶらだということに――

 

「詩乃さん?い、一角はどうしたんだ?」

「その……ごめん。家に忘れて来た」

 

 もの凄く申し訳なさそうに詩乃はボソリと答えた。

 呪われた子供たちがどれほど強力だとしても一部の例外を除けば、バラニウム無しでガストレアの相手をすることは出来ない。詩乃ほど強力なら圧倒することは出来るが、殺害に至る決定打が欠けていれば「負ける」ことが無くても「勝つ」ことが出来ない。

 

「家に取りに行く時間は無いから、今回は私が足止め。壮助はありったけのバラニウム弾を撃ち込んで奴を仕留めて。ライフルの貫通力ならあれの筋肉を貫通して心臓まで弾が届くはずだから」

「ああ!」

 

 本来、こういった指示はプロモーターである壮助の役目なのだが、碌に学校に行っていなかった壮助より真面目に中学(けっこう頭のいいところ)に通っている詩乃の方が能力的にも経験的にも適任なので、この役割を担っている。そのせいで壮助は他の民警に、加速因子(プロモーター)じゃなくて子分(サポーター)補佐役(アシスタント)などと揶揄される。酷い時は「優秀なイニシエーターにおんぶにだっこしてもらっている」とまで。

 

(情けねえなぁ……)

 

 自覚はしているが、パートナーとの間にあるどうしようもない実力差に辟易する。

 ガストレアが飛んで行ったであろう方向に2人は走った。

 

 

 

 *

 

 

 

 工場区画から少し離れたビル街は閑散としていた。さきほどまで帰宅途中の学生やサラリーマンで賑わっていた参道から人は消え、道路には多くの車が乗り捨てられていた。一切動かない車を相手に信号機が空しく光を灯し続ける。夕方と夜の間で物寂しく風が吹いた。

 降田藤一(ふるた とういち)は今の状況をチャンスと考えていた。乗り捨てられた車や無人の店舗、その中には金目の物が詰まっている。今の彼には目の前の光景が宝の山に見えた。

 乗り捨てられた車を物色し、中に残されたカバンやスマホ、カーナビ等を取ってはどこかのショッピングセンターから拝借した買い物カゴに放り込んでいく。まるで買い物をするかのような手口で火事場泥棒をしていた。

「へっへっへ。ボロいもんだぜ」と笑みを浮かべながら次の目標を見定める。

 その時、空間が震えた。ズシンと一瞬だけ地面が揺れ、ビリビリとした空気が全身を包み込む。

 何が起きたのか藤一は察した。こんなことをするのだから、想定はしていたが、実際に目の前にすると足が震えて動けなかった。

 ガストレアだ。目の前に雄鶏のガストレアが降り立った。その巨体で車を押し潰し、その巨大な目は藤一をまっすぐと見つめていた。

 藤一はすぐに逃げ出した。戦利品も全て投げ捨てガストレアに背を向けて走り出した。

 ガストレアはゆっくりと藤一を追いかける。おそらくこの街で動く物体が藤一だけだからだろう。まるでおもちゃで遊ぶかのような行動だった。

 汗をダラダラと流し、必死に走る藤一の目に光が差しこんだ。

 

「どけどけ!!ひき殺すぞ!!」

 

 それは、一台のスクーターに乗った壮助と詩乃だった。壮助はハンドルを握り、歩道をアクセル全開で疾走する。後ろでは詩乃が彼に抱き付いていた。

 逃げる藤一とすれ違い様に2人はガストレアへと突っ込んで行った。

 

 壮助はブレーキをかけて、“どこかの誰かが停めていたところを拝借した”スクーターを乗り捨てる。

 壮助と詩乃はガストレアの前に並び立った。ガストレアは2人の様子を窺うようにジロジロと見つめる。

 

「行くよ。壮助。手筈通りに」

「了解!」

 

 詩乃がガストレアに向けて走り出した。ガストレアは足元の車を詩乃へと蹴り飛ばすが、それを左に飛んで回避し、ビルの壁を蹴って一気にガストレアと距離を詰めた。そして、身体に回転をかけてガストレアの首を蹴り飛ばす。

 のけ反ったところで壮助はライフルでガストレアの心臓を撃ち抜く。それを2発、3発と立て続けに命中させる。傷口は再生しないが、ガストレアが弱まる様子はなかった。それどころかガストレアは痛みによって逆上し、より攻撃的になる。足踏みして車を無意味に踏み潰し、嘴で電線を食い破り、尾でビルの外壁を崩していく。

 壮助はライフルから弾倉を取り外し、バッグの中から予備の弾倉を取り出そうとする。

 

 

 

 

 取り出そうとする……

 

 

 

 

 

 取り…………

 

 

 

 壮助はインカムのスイッチを入れ、通話状態にする。

 

「あー。森高さん。森高さん。一つ、悪いお知らせが」

「どうしたの?なんで敬語なの?」

 

「ライフルのバラニウム弾。もうない」

 

 壮助の言葉に詩乃は絶句するしかなかった。

 

「え?え!?他の弾倉は!?」

 

「全部空っぽ。蛇のガストレアに喰われそうになった時にパニくってバカ撃ちしたし、お前が来る前もけっこう撃っちまった……」

 

 しばらくの間、2人は沈黙した。この戦いで「勝てない」ことが確定してしまったからだ。しかし、逃げることなどできなかった。詩乃は壮助が安全に狙撃できるようにガストレアの注意を引き続けており、逃げることも逃げられることも出来ない状況を自分で作っていた。

 壮助もこの戦いから逃げるつもりはなかった。あの放送からして、このガストレアは里見蓮太郎が連れて来た奴だ。もしこれが正義への復讐なのだとしたら、目の前のガストレアは何も出来ずに逃げることしか出来なかった幼い日の自分が抱いた憧れ・理想を根底から否定する存在だ。決して、それに背を向けるわけにはいかなかった。

 

「詩乃!スタン!!」

 

 壮助がバッグから取り出したスタングレネードをガストレアに投げる。彼の合図に合わせて詩乃はガストレアから離れ、両手で耳を塞いだ。

 視界を覆いつくす眩い閃光と鼓膜を貫く爆発音が響き渡る。ガストレアはその光と音に感覚器官を潰されてうずくまった。薄く目を開けた中で壮助は詩乃を抱きかかえて回収すると、ガストレアから離れた。

 参道沿いのショッピングモール、その地下駐車場に身を隠した。ガストレアは壮助たちを見失ったようであたりをキョロキョロと見渡す。

 

「うぅ~」

 

 地下駐車場で詩乃の呻き声が反響する。

 

「ごめん。お前、スタングレネードが苦手だったな」

 

 呪われた子供たちの感覚器官は人間のそれよりも遥かに優れている。より遠くのものが見え、より小さな音も聞くことが出来る。それ故にスタングレネードの影響は普通の人間よりも強く、モデルとなった動物種によってはプロモーターのスタングレネードや銃声でイニシエーターが戦闘不能になる。詩乃の場合はモデルとなった動物種の影響で耳へのダメージが大きい。

 

「大丈夫か?俺の声、聞こえるか?」

「だ、大丈夫。もう治ったから。聞こえるから」

 

 詩乃は服の袖で耳から少し垂れた血を拭う。

 

「悪いな。いきなりスタングレネードなんて使って」

「うん。大丈夫……じゃない」

 

 詩乃が否定したことに壮助も嫌々ながら納得する。大丈夫じゃない。自分たちは「勝てない」戦いの渦中に身を置いているのだから。

 

「バラニウム弾。本当にもう無いの?」

「ああ。弾倉は全部空っぽ」

 

 申し訳なさそうな顔で壮助は次々とバッグの中から空の弾倉を出していく。

 

「他に何かないの?とりあえず全部出して!」

 

 詩乃に言われるがまま壮助はバッグの中にある武器を全部出していく。某猫型ロボットのポケットのように次々と武器やガラクタが出てくる。まず出てきたのは、空になった司馬XM08AGの弾倉、オプションパーツのスコープ、狙撃用ロングバレル、ライト、グレネードだ。続いてC4プラスチック爆弾の爆薬と無線型の起爆装置と雷管、そして散弾拳銃タウルス・ジャッジとその弾丸だった。

 

「あ……」

 

 そこで壮助はまだバラニウムが尽きていないことに気付いた。ジャッジを買う時に一緒に買わされたバラニウム製の散弾だ。欲しかったのは殺傷能力の低いゴム製のものだったが、人を撃つためではなくガストレアを殺すために買ったという理由づけのために買わされたものだ。まさか、それに命を拾われるとは思っていなかった。

 

「これだけ爆弾とかヘンテコな拳銃とか揃えたくせに、肝心のライフルのバラニウム弾だけ補充してこなかったんだ」

 

 詩乃が蔑むような視線で壮助をじっと見つめる。無論、壮助は反論しなかったし、言い訳もできなかった。「里見蓮太郎を倒すために武器を集めていたから、バラニウム弾のこと忘れていた」なんて言えるわけがない。

 

「何のためにあのリサイクル武器商人のところに行ったのよ!おっぱいなの!?やっぱりボインが好みなの!?」

「いや、それはねえよ!あのオバサンに欲情するとか物好きにも……って、どうしてお前が麗香さんのところ行ったの知ってるんだよ?」

 

 詩乃は閉口し、壮助から視線を逸らした。

 絶対に何か隠している。そう確信した壮助は眉間に皺を寄せて詩乃に詰め寄った。

 

「スマホ」

「は?」

「壮助のスマホに位置情報を教えるアプリを勝手に入れて、発信機替わりにしてた」

 

 どうやら彼女の話によると、壮助のスマホがWi-Fiと繋がっている時、アクセスポイントから位置情報を特定し、それをメッセージとして伝えるアプリを勝手に入れていたらしい。ちなみにそれは、子供を心配する親のために開発された合法的なアプリである。

 

「ち、ちなみにそれはいつから?」

「民警としての初報酬でガラケー卒業したじゃん。その時、こっそり入れてもらったの」

 

 それを聞いて、壮助はガクリとへたり込んだが、詩乃のストーキングによって暴かれたあれやこれやに恥じる時間は無かった。

 

「それについては家に帰った後、しこたま説教するからな」

「『詩乃は悪い子だなぁ。いけないことは直接身体に教えてやる!』って、説教という名目であんなことやこんなことを」

「しないからな!変態中学生!」

 

 壮助は気を取り直して、バッグの中に詰まっていた武器を整理する。

 

「とにかく今、俺達に残されたバラニウムはこの散弾だけ。全部で20発ある」

「なんだ。けっこうバラニウム余裕あるじゃん」

「ただ、こいつは拳銃用の弾だ。有効射程は短いし、かなり近づかないと威力を発揮できない」

「あのニワトリの胸筋を貫通できるとは思えないね。鳥類は翼を動かすために人間とは比べ物にならないくらいの筋肉を持ってるから。スーパーで買うムネ肉とか脂肪が全然ないでしょ?」

「なぁ、頭じゃ駄目なのか?眼孔から撃てば脳みそに届きそうなんだが」

「昔、脳みそが無くても1年半生きたニワトリがいたからね。ガストレアもそうだとしたら、確実にバラニウムで心臓を潰すしかないよ」

「そうなると……、こいつは切り札だ。確実に心臓に弾丸を届ける手段を確保してからじゃないと使えないな」

 

 壮助は改めて自分の装備を見る。まだ役目の無いプラスチック爆弾とXM08AGのオプションであるグレネードで何か使い道は無いかと考える。どちらも高い爆発力を持つが、指向性が無い。仮にこれをガストレアの胸にぶつけて爆発させたとしてもせいぜい表面を焼くぐらいだろう。

 

(何か……何か貫通力のある武器でもあれば……)

 

 壮助は何か無いか、何か無いかと思い自分の武器を、最強の相棒を見つめた。

 

「詩乃。俺に考えがある」

 

 

 

 *

 

 

 

 義搭壮助は地下駐車場から階段で駆け上がり、無人のショッピングモールの中を走り回っていた。時間はあまり残されておらず、案内板を確認しながら目的の店へと向かっていた。

 

「あった!」

 

 壮助が足を止めた場所、それはショッピングモールの中にあるホームセンターだった。ガストレアの騒動で皆が避難しており、店内は店員も客もいなかった。ガラス張りの自動ドア越しに陳列された商品も整然とならんだままであり、落ち着いて冷静に避難していったことが窺える。そのため、自動ドアはしっかりとロックされており、中に入れないようになっていた。

 壮助はライフルの銃床で自動ドアを叩き、ヒビが入ったところに蹴りを入れてガラスを粉砕する。まるでというか、実際にやっているのは強盗だったが、緊急事態なので仕方ないと割り切ることにした。対ガストレア戦闘時に民警が出した損害の責任については、法律でもかなりグレーゾーンな話になっている。

 壮助は中に入ると、大きめのカートに目的のものを物色しはじめる。あまり時間は残されていない。買い物カートを爆走させて次々と目的のものを取っていった。

 目的のものを集め終わると壮助はカートを押して店から出ようとする。そこで自分が粉砕した自動ドアのガラスが視界に入る。そして、自分が持ち出そうとする商品を見つめる。

 

「~!!緊急事態だからな!文句言うなよ!」

 

 そう独り言を叫ぶと、壮助はカートを押してショッピングモールを飛び出した。

 

 

 

 参道に出た森高詩乃はガストレアと対峙していた。まだ他の民警も自衛隊も来ていないようで、一対一の状況で目の前の敵に集中する。詩乃はガードレールを取り外し、ポールウェポンのように構える。ガストレアは嘴で乗り捨てられた車を食い千切るという“遊び”を終え、まっすぐと詩乃を見つめた。

 互いに張り詰めた空気の中で、最初に仕掛けたのはガストレアだった。大きく翼を広げ、それを振るうことで突風を起こした。ビルとビルの間に挟まれた街道に閉じ込められた突風は真っ直ぐ詩乃に向かって行った。風だけではない。それによって飛ばされた看板や自動車、街路樹も一緒に風の軌道に乗せられる。

 詩乃は近くにあった10トントラックを盾にして突風をやり過ごす。

 グシャリと音を立てて、トラックが潰れた。ガストレアが風に乗って飛来し、詩乃の盾になっていたトラックを鷲掴みし、足で握りつぶした。

 詩乃は一気に飛び上がった。ガードレールの先端を突き立て、その顔面に渾身のアッパーを喰らわせる。ガストレアの下顎が吹き飛び、上の嘴も半分ほど吹き飛んだが、瞬時に内側から肉が盛り上がり、再生する。

 その後も、詩乃は程度よくガストレアに攻撃し、注意を引きつけながら誘導していた。

 

『詩乃。こっちの準備は出来た。そこから左に曲がった先に“槍”を置いてある』

 

 インカムを通して入る壮助の指示に従い、詩乃は左に曲がる。

 詩乃の視線の先に確かに槍があった。80センチの鉄パイプの片側をハンマーで叩き潰し、穂先に見立てるよう改造を施した投擲槍だ。それが登山用のリュックにこれでもかと詰められていた。

 詩乃はリュックを拾い上げて軽々とそれを背負い、槍を1本引き抜く。何度か強く握りしめ、槍を持った感覚を手に馴染ませる。

 

「よし」

 

 詩乃は振り返った。目の前には猛々しく迫ってくる巨大なガストレアの姿。しかし、詩乃は臆することなく、槍を振りかぶった。空気を切り裂き、一直線の軌道を描いて投擲槍はガストレアの胸を貫いた。

 詩乃は、自分の投擲で金属棒がガストレアの分厚い胸筋を貫けることを確認すると、2本目、3本目の槍を引き抜き、回復する隙も与えず次々と槍をガストレアの胸部に目がけて投げつける。

 槍の着弾の衝撃に耐え切れず、ガストレアが6本目の槍を受けたところで後方に倒れた。

 

「壮助!」

『了解』

 

 合図と共にインカムの向こう側で壮助がスイッチを押した。

 ドン!と重く鈍い音がした直後、ガストレアの胸が吹き飛んだ。周囲に紫色の体液と胸筋だった肉塊を飛び散らせ、悪臭と露出した心臓の鼓動の音を周囲に広げる。

 詩乃が投げた槍、鉄パイプの中には粘土状の高性能爆薬が詰められていた。雷管と起爆装置の受信機も一緒にパイプの中に入れて、先端をハンマーで叩きつぶすことで蓋をする。そうすることで、槍の形をした“爆弾”が完成する。それを詩乃が投げることでガストレアの体内に“設置”し、起爆すればガストレアの爆破解体ショーの完成だった。

 詩乃は仰向けに倒れたガストレアの上に飛び乗り、腰から拳銃を引き抜いた。壮助から借りた散弾拳銃タウルス・ジャッジ。装填されているのはバラニウム散弾だった。銃を片手で構え、露出した心臓に狙いを定め、引き金を引いた。弾が切れるまで散弾を心臓に向けてばら撒き、弾が切れた途端にもう片方の空いた手ですぐに次弾を装填し、弾が切れるまで引き金を引き続けた。

 ガストレアは既に再生しかかっている。それまでにバラニウム弾を撃ち込んで確実に殺さなければならない。

 詩乃はとにかく引き金を引き、すぐに次弾を装填し、引き金を引き続けた。

 その表情には焦りが見えた。これが最初で最後の勝利に繋がるチャンスなのだから――

 全ての散弾を撃ち尽くした。ガストレアは動く気配が無く、心臓の鼓動は完全に止まっていた。

 

「壮助……勝ったよ」

 

 詩乃は安堵し、ガストレアの死骸の上で腰を下ろした。

 ビルの影からライフルとバッグを持った壮助が姿を現す。

 

「お疲れ。ほら。お前の大好物だ」

 

 壮助は缶ジュースを詩乃に放り投げる。詩乃はそれをキャッチすると、蓋を開けた。そして、炭酸飲料を一気に喉に流し込んだ。

 

「ぷはーっ。この一杯がやめられない」

「オッサンみたいだぞ。仕事帰りのビールじゃあるまいし」

「女子中学生にオッサン呼ばわりはけっこう酷いと思うよ。それに……壮助もこの快楽を知ったら抜け出せなくなるよ」

 

 詩乃はガストレアの死骸から降りると、壮助の前に立って飲みかけの缶ジュースを突き出した。これを飲めと言わんばかりに。意図して間接キスを迫っているのかもしれない。

 

 

 

 しかし義搭壮助は、どうしてもこの笑顔には逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 第四区

 ビジネスオフィスが並ぶ大都心、世界一有名だった巨大交差点のど真ん中にガストレアの死骸が転がっていた。巨大なダンゴムシのガストレアは全身に重火器から放たれる弾丸の雨を浴びせられ、その圧倒的なバラニウムの量を前に死を迎えた。

 近くには一台のピックアップトラックが停まっていた。荷台にブローニングM2重機関銃を搭載したテクニカル仕様。運転席で常弘がハンドルを握り、荷台では朱理がヘッドセットを装着し、機関銃の引き金を握っていた。

 

「沈黙したみたいだね」

「これで報酬は独り占めってところかな」

 

 

 

 

 

 

 里見蓮太郎はソファーに座りプロジェクターで壁に映し出された映像を眺めていた。暗闇に映し出される4つの大画面には、東京エリアに出現させた4体のガストレアが上空から映し出されていた。蓮太郎たちはドローンで常にガストレアの動き、それに対抗する人間たちを眺めていた。ただひたすら虚ろな目で。

 蓮太郎の後方、奥のカウンター席で芹沢遊馬はブランデーを片手に戦いを鑑賞していた。

 

「第23区と第30区は自衛隊が討伐。第4区と第11区は民警か。死傷者はゼロだが、都市部は機能が停止。建築物の倒壊や道路の被害は甚大……概ね期待通りの結果だな」

 

 遊馬はグラスの中を空にすると、蓮太郎と小比奈が座るソファーに背後から歩み寄り、2人の間に割り入るった。

 

「小比奈ちゃん的にはどうだい?サーカスは楽しめたかい?」

 

 遊馬が問いかけるが、小比奈は何も答えず、ずっとある画面を凝視していた。感情の昂ぶりが抑えられないのか、呪われた子供の紅い目が輝いていた。

 

「斬りたい」

 

 それは遊馬の質問に対する答えだったのか、それとも内から湧き上がる感情を抑えきれず口に出したのか分からないが、概ね後者だろう。

 

「あの黒髪のちっこいの。斬りたくなってきた。ねぇ。斬って良い?」

 

 小比奈は遊馬を通り越して蓮太郎に尋ねる。

 

「ああ。その時が来たら、存分に殺れ」

 

 蓮太郎の答えに遊馬はぎょっとした。蓮太郎が小比奈に斬殺の許可を出すのを見たのはこれが始めてだからだ。長い付き合いというわけでもないが、よりにもよって人間相手に許可を出すとは思ってもみなかった。

 

「お前に斬り殺されるようじゃ、こいつらは“里見蓮太郎”になれない」

 

 




今回本格的に戦った詩乃ですが、彼女はモデルとなった動物種の関係でイニシエーターとしてはスピードよりもパワーや防御力に重点を置いた戦い方をします。
詩乃をfateのサーヴァント風にステータスを表示するなら、こんな感じです。

藍原延珠(比較対象)
筋力:C 敏捷:A 耐久:C 知力:C 幸運:D 特殊能力(なし):E

森高詩乃
筋力:EX 敏捷:C 耐久:EX 知力:B 幸運:B 特殊能力(不明):A

※延珠のステータスは作者の妄想です。


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彼女たちの時計は動き始めた

やっと原作キャラ達を描写できます。
蓮太郎のいない6年間を過ごしたヒロイン達がどうなったのか、そんなお話です。


 ガストレア騒動から一晩が経った。ガストレアは早々に倒されたものの、ガストレアの暴走や戦闘の影響で都市機能は麻痺していた。交通機関は全てストップし、人々は各地のバラニウムシェルターに逃げ込んだことで数時間近く東京エリアの一部地域の経済活動は停止していた。復旧が完了したのは翌朝の4時だったが、影響は未だに残っており、各地ではガストレア騒動の対応に追われていた。

 この事件による経済的損失は数百億円規模と言われている。

 

「世間はガストレア騒動でてんやわんやしているのに、僕らはのんびり殺人の捜査ですか」

 

 スーツ姿の若い刑事、水雲は都市部の喧騒から離れた河川敷でぼやいた。独り言のつもりだったが、それは後方から歩いてくる上司の遠藤弘忠警部にも聞こえていた。

 

「デカくても小さくても事件は事件だ。気を引き締めろ」

「りょ、了解であります」

 

 水雲は慌てて敬礼する。

 

「――って、遠藤さん。例の仮面の男は良いんですか?」

 

 水雲が知る限り、遠藤はガストレア怪死事件と黒い仮面の男を追っていた。それは自分の休日や非番を返上するほどの執着ぶりであり、“こんな事件”に顔を出す余裕などないはずだ。その上、昨晩は追っていた黒い仮面の男が里見蓮太郎を名乗り、前代未聞のガストレアテロを実行した。仮面の男――改め里見蓮太郎を追うのは尚更の話であり、水雲はその疑問を正直に口に出した。

 

「良いも糞もあるか。お上の鶴の一声で全部パーだよ」

 

 遠藤が追っていた事件は相当ヤバい事件だったようで、警察署長が直々に捜査中止を命じ、示し合わせたかのように公安部の人間が現れ、捜査資料の“譲渡”を要求されたことが彼の口から語られた。

 

「まさか本当に“譲渡”しちゃったんですか?」

「バックアップも全部“譲渡させられた”。それに……」

 

 遠藤が顎をくいっと動かし、水雲にある方向を見るように仕向ける。水雲が視線だけを動かし、遠藤に指示された方向を向くと、明らかに「監視しています」と言わんばかりに怪しい黒スーツにサングラス姿の男が立っていた。

 

「何が何でも俺達に里見蓮太郎は追わせたくないらしい」

「だからあんなバレバレな監視をするんですね」

 

 おそらく黒スーツの男は囮の監視役。彼に対象の注意を引き付けることで本当の監視役の存在を隠しているのだろう。

 

「とりあえず、仕事だ仕事」

 

 事件現場は河川敷の一角。ほとんど川の水に浸かった位置だった。河川敷の一角には警察官が黄色いテープでバリケードを張り、野次馬を抑えている。その内側で鑑識が現場を調べまわっていた。事件の発端となった死体には青いブルーシートがかけられていた。

 2人は遺体の傍によると、合掌し、シートをめくった。

 高級そうな白いスーツを着た成人男性の遺体。死後かなり時間が経っており、皮膚は水分を吸収したことで膨れ上がり、変色していた。そして、彼には首が無かった。

 

「酷いですね。ガストレア騒動の被害者でしょうか?」

 

「いや、違いますね」と近くにいた鑑識の男性が答える。

 鑑識の男は首側のブルーシートをめくり、2人に切断面を見せる。

 

「見てください。この綺麗な切断面。刃物でスパッと切った痕ですよ。しかも左右の切断面の角度が違うので、二振りの刀、もしくは鋏のようなもので両サイドからスッパリですね。ガストレアにこんな綺麗な殺し方は出来ませんよ」

 

「人間でこれは可能なのか?」と遠藤が尋ねる。

 

「もしこれが人間の仕業としたら、こんなことが出来る人間は限られますよ。例えば、“天童殺しの木更”とか。もう死んでいますけど。それ以外だったら、大掛かりな機械を使ったか、もしくは赤目の仕業か」

「被害者の身元は?」

 

 その質問に鑑識の男が言い淀んだ。遠藤と水雲は不審に思ったが、しばらくすると鑑識の男は2人に目線を合わせた。

 

「芹沢遊馬。博多黒膂石重工の経営責任者です」

「博多黒膂石重工だと!?」

 

 遠藤が思わず声を荒げるのも無理はなかった。

 博多黒膂石重工といえば、博多エリアのバラニウム重工業の重鎮であり、四賢人にのみ製造・開発が可能とされていた第二世代バラニウム兵器を次々と開発し、いち早く量産化させたことで世界から注目を浴びている企業である。

 そこの若き経営責任者が東京エリアで首なし死体となって発見されたとなれば、エリア間問題に発展しかねない。立て続けに裏が大きそうな事件に関わってしまった遠藤は頭を抱えた。

 

「ったく……。黒い仮面といい、この首なし死体といい、どうして俺は……」

 

 

 *

 

 

 

 司馬重工――東京エリアの重工業の核と呼ばれる企業である。ガストレア大戦時にバラニウム鋼の鋳造技術を確立させ、バラニウム兵器の製造を担ったことで大戦後の瓦礫の中から躍進した。第三次関東会戦で無限の再生能力を持つステージⅣガストレア“アルデバラン”を死に至らしめた“EP爆弾”を開発したことで里見蓮太郎のアジュバントに並ぶ“関東会戦の立役者”と呼ばれている。

 司馬重工には3つの技術開発局がある。第一はバラニウム原石からバラニウム鋼への鋳造過程に関わる技術を担い、第二技術開発局はバラニウム鋼からバラニウム兵器の製造過程に関わる技術を担っている。そして、第三技術開発局はバラニウムが持つ未知の可能性を探り新世代のバラニウム技術を開発することを目的に近年設立された。

 博多黒膂石重工経営責任者の芹沢遊馬は応接室で局長の司馬未織と対面していた。

 

「さすが司馬重工が誇る最新の技術開発局。サンフランシスコエリアのエイムズ研究センター(ARC)に並ぶ人類最高クラスのバラニウム研究機関とはよく言ったものです」

 

 未織に案内されて一通り施設を見回った遊馬の率直な感想だった。未織や司馬重工を煽てる気などない。彼の評価通り第三技術開発局にはそれだけの設備が揃っていた。

 

「かの博多黒膂石重工のトップにお褒め頂けるとは。光栄です」

「そこまで畏まらなくても良いですよ。我々はいずれ対等なビジネスパートナーになるのですから。司馬重工が持つ世界最高クラスの研究機関に我々の次世代バラニウム兵器製造ライン。共同開発が始まれば、我々の――いや、人類の未来は明るいものになるでしょう。ビジネスパートナーがこんなにも麗しい方なのだから尚更の話です」

 

 まさかの和装美人――それが司馬未織の第一印象だった。司馬未織がまだ22歳で司馬重工の麗しの社長令嬢であることは事前に知っていたが、こんな和装美人であるとは遊馬は思ってもみなかった。ウェーブのかかった長く艶やかな髪と薄化粧、静かな佇まいはご令嬢という肩書に恥じないものだった。京都訛りのある口調も彼女をより雅にする。

 

「噂通り、口説き文句がお上手のようで」

「貴方のような美人を前に口説くなと言う方が無理な話ですよ。どうですか?この後、お茶でも」

「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」

「まったく、話に聞いた通り身持ちが固い。“まだ、里見蓮太郎を待っているのですか?”」

 

 遊馬の言葉に未織の表情が凍り付いた。

 

「里見ちゃ――里見蓮太郎さんとは確かに懇意にしていましたが、彼に特別な感情を抱いていたわけではありません」

 

 未織は気を取り直し、口から出かかった普段の口調を誤魔化し、取り繕った。しかし、既に遅かった。取り乱した彼女を見て遊馬は笑いで肩を震わせていた。

 

「くっ……ふふふふふふふふ………あっははははははは」

 

 突然の大笑いに未織は身構える。何がおかしかったのか。何が彼を笑わせるのか、何も分からない中で遊馬の次のアクションに警戒する。

 笑い終えた後の遊馬の顔は、ビジネスマンと言うより、スクリーンに映る悪役の俳優のような顔だった。悪企みを包まず隠さず、それを分かるように表情だけで相手に示す。

 

「いやぁ、失礼失礼。無理をする君の姿が滑稽で滑稽で。お堅いビジネスの話はここまでにしましょうか。実のところ、こんなつまらない話をしに来たわけではないんですよ。共同開発なんて、貴方を口説かなくとも司馬会長と料亭でちょっと話せばそれで済む」

「それはどういう……」

 

 遊馬は立ち上がると未織の背後に回り、肩に手を置いた。未織は完全に遊馬のペースに嵌っており、彼が背後に回ることも、肩に手を置くことも止めることは出来なかった。

 遊馬は口を未織の耳に近づけ、囁いた。

 

「テロに使われたガストレアの死骸からバラニウム製の機械が見つかる。それを調べれば、いずれ里見蓮太郎に辿り着く」

 

 未織は固まった。衝撃と驚愕で身体が動かなかった。目の前の男は自分が里見蓮太郎の共犯者であることを告白した。6年間、恋い焦がれ、求めていた蓮太郎の手がかりが目の前に現れたことに心が震えた。

 未織は彼を通報しようとは思わなかった。ここまで堂々とテロのことを告白するのだから、通報されたとしても絶対に捕まらない絶対の自信があると考えたからだ。その自信の根拠となる権力と社会的地位を彼は持っている。彼の身柄を警察に引き渡してしまえば、蓮太郎の手がかりを失ってしまう。そんな気がしてならなかった。

 

「お茶はまた今度にしましょう。共同開発の件、楽しみにしていますよ」

 

 遊馬は未織から離れると、目深に帽子を被り、ソファーに置いていたバッグを拾い上げた。そして、固まる未織に背を向けて、応接室から出て行く。

 

「ああ。それともう一つ。君に“黒い着物”は似合わない」

 

 静かな応接室の中で扉を閉める音だけが響いた。

 

「里見ちゃんが……里見ちゃんが……」

 

 再び扉が開いた。出て行った遊馬が戻って来たのではないかと思い、未織は飛び上がった。

「ひゃんっ!!」――という可愛らしい悲鳴を上げて。

 扉を開けて入って来たのは局の事務員だった。片手には電話の子機が握られている。

 

「え……あ、えっと、局長。勾田大学の室戸教授からお電話です」

 

 事務員から電話の子機を受け取る。

 

『やぁ。久しぶりだね。単刀直入に頼み事がある。昨日のテロに使われたガストレアの頭部にバラニウム製の機械が埋め込まれていた。これの解析を君の機関にお願いしたい』

 

 

 

 

 

 

 そろそろ勾田大学の室戸菫から、電話がかかってきている頃だろう。自分が言った通りのことが目の前の現実となり、受け入れざるを得なくなった彼女の心情を想像し、遊馬は帰りの車の中で笑みを浮かべていた。

 彼は助手席に座り、運転席には黒髪の秘書が座り、ハンドルを握っていた。

 

「その様子だと、営業は上手くいったようですね」

「ああ。上手く行き過ぎて笑いが止まらない」

「その笑い方。気持ち悪いですよ」

「君が普通の秘書だったら、今の一言でクビだったんだけどな」

 

 しばらく黙り込んだ後、秘書がハンドルを切り、ホテルへと向かうルートに入る。

 遊馬は外に視線を向けた。営業先に連絡するサラリーマン、カフェで課題をこなす大学生、自分の車を追い越すピザの配達、昨日のガストレアテロが嘘だと思えるような日常がそこにあった。――いや、嘘にしようと誰もが必死になっていた。明日も仕事がある。学校がある。今日と同じ明日が来る。多少のことで壊れることはない。壊させるわけにはいかない。きっと誰もが無意識の中でそう思っている。

 しかし、誰もが昨日のテロで気付いたはずだ。“日常の崩壊はすぐ目の前にある”と――。

 

「ところで、いつまで里見蓮太郎を手元に置いておくのですか?」

「さぁね」

「“さぁね”って。これ以上、彼と関わるのは危険です」

「分かっているよ」

「いいえ。貴方は分かっていません。我々は既に目的を達成しました。もう彼に利用価値なんてないですし、むしろ東京エリア最大の敵となった彼との関係が明るみになれば、我々は立場を失います。この東京エリアだけでなく、国際社会からも」

「だからこそ手元に置いておくんだ。拷問や自白剤で我々との関係を喋られたら、それこそ終わりだ。それに、『あの自殺志願者を死なせるな』って上からの命令もあるしな」

「“上”ですか……。正直、上の考えていることが、私には分かりません」

「俺も分からん。だが、少なくとも彼女の思考は俺達のそれよりも“正解”に近い」

 

 

 

 *

 

 

 

 義搭壮助は、正座させられていた。松崎民間警備会社のど真ん中で、もう何十分も正座させられただろうか。足は痺れて感覚がなくなり、冷たくて硬いと思っていた床の感触もなくなってきた。腕を縛る縄もきつく絞められており、手の感覚もなくなりそうだった。

 目の前には修羅の如く眉間に皺を寄せた千奈流空子が仁王立ちしていた。その後方の社長の席には松崎が座っており、事の経過を静かに見守っている。壮助が何かやらかした際のお決まりのポジションだった。正座の位置でさえ寸分違わない。近くのオフィスチェアに詩乃とヌイが座っているのもお決まりだ。

 

「私がどうして怒っているのか、言わなくても分かるわね?」

「……はい」

 

 壮助は俯いて、空子から目を逸らす。空子が何故怒っているのかは分かっている。それは自分に非があり、彼女に何も言い返せないことも分かっている。

 

「あんたが病院から出た後、行方を眩ませた理由ぐらい分かるわよ。どうせ『里見蓮太郎を追いたいけど、危ないから私たちを巻き込みたくない』ってところでしょ。あんた馬鹿で単純だから」

「ああ。そうだよ。あいつを追えば殺される。だから、これは俺個人の戦いだ。確かに依頼はあったけど、俺はもう金とか東京エリアの平和とかのためにあいつを追ってるんじゃない。俺のくだらない罪の意識のために追ってるんだ。どいつもこいつも巻き込まれる義理はねぇんだよ」

 

 空子の額に血管が浮かび上がる。眉間には更に皺がより、今にも壮助を殴りたい気持ちを抑えようと強く拳を握って我慢する。

 

「だから松崎さん。お願いします。俺をクビにして下さい。里見蓮太郎を追うのは松崎民間警備会社の民警としてじゃない。俺個人として『パシーン!!』」

 

 空子が丸めた雑誌で壮助の頭を叩いた。長時間の正座で手足の感覚がなくなっていた壮助はその衝撃で床にうつ伏せになった。

 

「そういうところが馬鹿って言ってんのよ」

 

 空子は目尻に涙を浮かべながら何かを言いかけたが、壮助に気付かれないように涙を手で拭い、噛みしめるように口を閉じた。

 

「千奈流さん。少し、彼と二人きりで話をさせてくれませんか?」

 

「……分かりました」

 

 そう言うと、空子は椅子に座る詩乃とヌイの肩を叩いて、事務所の外に出るよう促した。

 

「義搭。今度で良いから、買った銃と爆弾の領収書持ってきなさい。経費で落としてあげるから」

 

 少しだけ優しくなった言葉遣いで、空子はそう言い残した。

 部屋の中には、やっと手足の感覚が戻って正座に戻れた壮助と、社長の椅子に座った松崎だけが残っていた。

 

「まぁ、とりあえず、普通に椅子に座りなさい。義搭くん」

 

 松崎に促され、壮助は近くのオフィスチェアに座り、社長席に座る松崎と向かい合う。

 

「義搭くん。私の本音を言わせてもらうと、君には行って欲しくありません」

 

 松崎の口から出て来た壮助の行動を否定する言葉。それが胸に突き刺さる。大人として尊敬している彼からの言葉はそれだけで壮助の心を重くした。

 

「君に死んで欲しくはありませんし、里見さんに人殺しをして欲しくもありません」

 

 松崎の言葉を聞いて、壮助は思い出す。防衛省での一件の時、蓮太郎が松崎のことを見ていたことを――。その疑問を言葉にした。

 

「松崎さん。里見蓮太郎と知り合いなんですか?」

「ええ。6年前に少しだけ彼とは親交がありました。一時期は、私の学校で教師もやっていただきました」

「松崎さんの……学校?」

「義搭くんには話していませんでしたね。昔、私は外部居住区で学校をやっていたんです。内部居住区から追い出された赤目の子供たちを集めた青空教室のようなものでした。“東京エリア第39区第3仮設小学校”それが私の学校の名前です」

 

 学校の名前を聞いた時、壮助は驚愕した。それと同時に胸糞悪い記憶を掘り起こされる。

 

 “東京エリア第39区第3仮設小学校爆破事件”

 

 呪われた子供たちを集めた青空教室にバラニウム破片入りの爆弾が仕掛けられ、20名中18名の生徒が爆殺された事件。被害者は全員戸籍を持たない“呪われた子供たち”ということもあって当時は積極的な捜査が行われず、事件は迷宮入りとなった。

 壮助はその事件の記事を読んだことがある。淡々と事実だけが書かれた機械的な文章だったが、読むだけで気分が悪くなった。

 

「あの事件で、私は里見さんに多くの怒りと悲しみを背負わせてしまいました。彼には、この世界の正義を疑い、憎む十分な理由があるのです。でも、昨日のテロの後、私はこうも思っているのです。『もしかして、何かしらの理由があって反逆者を演じているのではないでしょうか』と」

「……え?」

「義搭くん。昨日のガストレアテロで何名の死傷者が出たか知っていますか?」

「いや……知らないです。ニュース見てなかったので」

「ガストレアによる直接的な死傷者はゼロでした。怪我をされた方も逃げる時にこけたり、誰かとぶつかったりした時のものでした。彼は意図的に死傷者を出さないようにしていたのではないでしょうか」

 

 松崎の言葉に壮助は思い当たる節があった。舞と一緒にコカトリス型のガストレアから逃げていた時、あのガストレアは追い回すだけで攻撃してくることはなかった。女性一人抱えて逃げる人間を食うなんて簡単に出来たはずだ。しかし、あのガストレアはやらなかった。

 

「義搭くん。私からの依頼です。里見さんの真意を確かめてきてください。彼は本当にこの世界を憎んでいるのか、それとも何かしらの理由があって反逆者を演じているのか。必ず生きて帰って、私に報告してください」

 

 壮助の戦いは壮助だけの戦いではなくなった。

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア沿岸部にある高級マンション。そこの地下駐車場に一台の車が停まった。成金の若者が好みそうな赤い外装のスポーツカーだ。目立つカラーリングとフォルムだが、同じ駐車場には同じように成金趣味の派手な車が並んでおり、違和感を抱けなかった。

 スポーツカーの運転席から茶髪でラフな格好をした若い男が、後部座席からはフード付きのパーカーを目深に被った女性が現れる。

 男は車にロックをかけると、慣れた足取りで地下駐車場からエントランスへと入った。彼から1歩下がったところにパーカーの女性が続く。

 鍵でエントランスホールの扉を開け、エレベーターに乗って15階のボタンを押した。エレベーターが目的の階に着くと少し長い廊下を歩いて目的の部屋へと向かう。

 

「あら。鈴木さんじゃない」

「あ。どうも」

 

 廊下の向かいから歩いてきた婦人が声をかけてきた。同じマンションの住民だ。

 

「あら、後ろの女性は彼女かしら?」

「ち、違いますよ。親戚の子ですよ。遊びに来たんですけど、喧嘩して拗ねちゃって。あ、先を急いでますんで」

 

 何とか理由をつけて婦人を撒くと、鈴木とパーカーの女性は目的の部屋の前に辿り着いた。

 

「申し訳ありません」と鈴木が囁いた。

「いえ。お気になさらず。貴方は自分の任務を全うしただけです」とパーカーの女性は答えた。東京エリアの誰もが聞いたことのある声で。

 

 鈴木は周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。玄関扉に手を伸ばし、インターホンを鳴らす。ボタンの上部にはカメラが付いており、中の住民からは訪問者の顔が見えるようになっている。

 

『はい』

「猿島に猿はいない」

『どうぞ』

 

 ドアのロックが外れた。鈴木はドアを開けて中に入った。出迎える者がいないため、2人は靴を脱いで上がり込んだ。リビングまで向かうと高級と唄うに相応しい家具と寝具、そして広さを持った部屋が一望できる。しかし、その部屋は異質だった。日本の高級マンションの一室にあってはならないものが所狭しと並べられていたからだ。

 アンチマテリアルライフルとアサルトライフル、スナイパーライフルがギャラリーのように部屋の壁に立てかけられている。テーブルの上には装填中のマガジンや何か工作中の爆弾が並べられ、それらのせいか部屋の中は少し火薬と油の匂いがしていた。

 奥の扉が開いた。鈴木はパーカーの女性の盾になるように前に立ち、警戒する。

 扉の奥から姿を現したのは、肩までかかるブロンド髪の白人女性だった。身長は165cm近く、手も足も人形のようにスラリと長く、全体的に引き締まったスレンダーな体型をしている。欧米の雑誌に載っているファッションモデルのようだ。ダメージジーンズと薄汚れたTシャツという姿でも絵になってしまう美貌と魅力を彼女は持っていた。

 

「お出迎えできなくてすみません。油で手が汚れてしまっていたので」

 

 並べられた銃器・爆薬の武骨さとは対照的に今にも眠くなりそうな温和な声で金髪の美女は語りかけて来た。

 

「いえ、こちらこそ突然お呼び立てして申し訳ありません」

 

 パーカーの女性は足を進めて鈴木の前に立つと、フードを取り外した。

 雪原のように真っ白な髪と透き通る肌が露わになる。目の前のブロンド髪の美女とは違う次元の美を持った国家元首、聖天子の姿がそこにあった。

 まさかのことにブロンド髪の美女は口をあんぐり開けたまま固まった。

 

「どうかされましたか?」

「いえ。まさか、聖天子様本人が来るとは思っていませんでした。エージェントが来るとしか聞かされていなかったので」

「敢えてそう情報を流しました。誰も私がここに来るとは思わないように」

「『ここでの会話を誰にも聞かれないように』ということですか」

「はい。非常に機密レベルの高い内容です。こうでもしないと貴方とお話することが出来ませんでしたので。それと彼のことは気にしないで下さい。彼は聖居情報調査室(SPIRO)に所属する機密諜報員ですので」

「聖居情報調査室……。東京エリアの諜報機関は公安警察と防衛省情報本部に一任されていて、聖居に諜報機関は存在しないんじゃなかったんですか?」

「ええ。表向きでは否定しています。しかし、聖居情報調査室は東京エリア創設の時から存在していました。6年前までは菊之丞さんが指揮し、彼が亡くなった後は聖天子直轄の情報機関として動いてもらっています」

「蓮太郎さんが言っていまいた。貴方は危ないほどの理想主義者だって。てっきり、諜報とか汚い手段は使わないものだと思っていました。ましてや“私達を足止めしていた敵のスパイの家族を人質にして、二重スパイに仕立て上げる”なんてやり方を許容するほど」

「違います。理想主義者だからこそ、その理想のためにあらゆる手を尽くすことが出来るのです。例え、それが邪法であろうと悪法であろうと。それが出来なかった6年前までの私は理想主義者ですらありません。ただ夢を見ていた女の子です」

「蓮太郎さんがいなくなってから、変わりましたね。聖天子様」

「それは貴方も同じです」

 

 鈴木は息を呑んだ。この会談の光景が、組み合わせがとても信じられなかった。6年前なら尚更微塵にも想わなかっただろう。あってはならない組み合わせだったからだ。

 会談の相手はかつて聖天子の命を狙った神算鬼謀の狙撃兵、そして今はIP序列第30位にして、ここ5年間のガストレア討伐数最高記録保持者“殲滅の嵐(ワンマンネービー)”ティナ・スプラウトなのだから。

 




未織が京都弁じゃないのも、ティナが木更並のバインバインになれなかったのも、聖天子様がドス黒くなったのも全部、里見蓮太郎って奴が悪いんだ。


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分水嶺

怒らせたら半径200マイル以内には近づきたくない。
世界で一番おっかない東京エリア三大淑女のおはなしです。


 銃器・爆弾が並べられていたテーブルを片付け、椅子に腰かけた聖天子とティナは向かい合っていた。2人の目の前にはインスタントコーヒーが入ったマグカップがあった。ティナの分は半分ほど無くなっており、聖天子の分は一滴も口をつけられていなかった。

 

「インスタントコーヒーは初めてですか?」

「いえ。お忍びで何度かこういった服装で街に出たことはあります。インスタント食品も駄菓子も食べましたし、主婦たちの波に揉まれながらスーパーの特売品を狙ったこともあります。あれは死ぬかと思いました」

「蓮太郎さんは毎日、その戦いに赴いていましたよ」

 

 昔のことを思い出してティナが微笑む。

 

「幾度となく東京エリアを救った英雄もスーパーの特売セールを前にした主婦たちには苦戦していました。でも、――こんな他愛のない昔話をするためにここに来た訳ではありませんよね?」

 

 ティナの視線が聖天子に突き刺さる。16歳の少女とは言っても彼女は序列第30位のイニシエーター、かつては聖天子の命を狙った神算鬼謀の狙撃手、猛禽類のような冷たい視線が聖天子を狙っていた。

 

「そうですね。時間もあまりありませんし、本題に入りましょう。昨日のガストレアテロの件はニュースでご存知かと思われます。そのテロで使用されたガストレアの脳内からバラニウム製の機械が発見されました。現在、司馬重工第三技術開発局で解析を行っていますが、おそらくあなたの脳内にあるニューロチップと同じ技術で作られたものでしょう」

「私が蓮太郎さんと繋がっていると思っているんですか?」

「いえ、その線はないと思っています。貴方は使う側の人間であって、作る側の人間ではありませんから。私がティナさんに聞きたいのは、里見さんの真意です」

「蓮太郎さんの……真意?」

「はい。あの放送で、里見さんは自身を“正義のために戦い正義に裏切られた人間。そして世界の破壊に奔った復讐者”と言っていました。しかし、あの放送が本当に里見さんの真意なのでしょうか?」

「蓮太郎さんは正義のために戦って、正義のために自分の大切な人を手にかけ、全てを失って絶望しました。復讐者になるには十分な理由があります。そのことは、蓮太郎さんから逃げた私も、東京エリアのために蓮太郎さんを裏切った貴方もよく知っているはずです」

 

 2人の表情に暗い影が落ちる。片や蓮太郎から逃げた少女、片や数百万の命のために蓮太郎を裏切った国家元首。かつての自分たちの行動が蓮太郎を復讐者に仕立て上げる要因の一端を担ったのであれば、責任がある。蓮太郎を止める責任が。

 聖天子がマグカップのコーヒーを半分ほど飲むと、少し不敵な笑みを浮かべた。

 

「だとしたら、それは可笑しな話です。ただ社会の破壊を望むのであれば、わざわざガストレアを制御する技術を使う必要はありません。ガストレアを東京エリア内部に呼び寄せたら、後は本能のままに暴れさせればいい。そうでなくても、蛭子影胤のようにステージVガストレアを呼び寄せたり、斉武大統領のように私に暗殺者を仕向けたり、アルデバランのようにモノリスを破壊する等のより効果的な手段はあったはずです。しかし、彼はたった4体のステージⅢガストレアによるテロという“生温い手段”でそれを実行しました。その程度でこの東京エリアが崩れないのは彼も知っているはずです」

「里見さんには復讐ではなく、何か別の意図があると、そう仰りたいんですか?」

「はい。その別の意図が何か。蓮太郎さんと一緒にいた貴方なら心当たりがあるのではないでしょうか?」

 

 ティナは口に近づけていたマグカップをテーブルに置くと、数刻黙り込んだ。ティナには心当たりがある。そう踏んだ聖天子だったが、いざ彼女からの答えを目の前にされると冷や汗が滴る。

 

「ええ。確かにあります」

 

 ティナの手が震え、マグカップがカタカタとテーブルで音を鳴らす。彼女の顔色は悪くなり、目尻に涙を浮かべる。嗚咽を抑えようと手で口を塞ぐ。

 

 

 

 

「あんなお兄さん……もう二度と見たくありません」

 

 

 

 

 そして、ティナの口から語られた。

 壊れてしまった里見蓮太郎の物語。

 

 

 

 *

 

 

 

 木更さんを殺して、延珠さんを介錯して、蛭子影胤との死闘に勝利して数ヶ月。蓮太郎さんはずっと病院にいました。蛭子影胤との死闘で蓮太郎さんは度重なるAGV試験薬の濫用や義肢の駆動限界突破(オーバードライヴ)により、身体はガストレア化寸前の上、自分の生命力を使い果たす勢いで義肢を動かし続けたことで衰弱死寸前の状態でした。ガストレア化させるか、ガストレアになる前に衰弱死するか。通常の医療なら、それしか選択肢がない状態でした。

 きっと、お兄さんは死ぬつもりだったんでしょう。

 全てを失ったお兄さんに恐れるものはありませんでした。縛るものはありませんでした。闘争と自殺願望と正義感を混ぜて汚泥のようにした感情に身を任せた彼の戦いは鬼神そのものでした。民警も自衛隊も私も手を出すことが出来ず、彼は死闘の末、蛭子影胤に勝利しました。何も得られない空しい勝利を。

 室戸先生は汗水流し、必死に蓮太郎さんの命を繋ぎ止めようとしました。何度も「死ぬな」「死ぬな。蓮太郎」「お前も私を置いて行くのか」と呟きながら、昼夜を問わず、自分の食事と睡眠すら放棄して、彼を救いました。

 彼女の懸命な治療の末、蓮太郎さんはガストレア化せず、順調に回復していきました。心はともかく身体は。

 

「許してくれ……赦してくれ……延珠……木更さん」

 

 身体が回復してから、彼はずっと魘されていました。寝ている時は悪夢で苦しみ、起きたと思えばふとした瞬間に手術用のメスで自殺しようとして私に止められる生活が続きました。何度も自殺を止める内にノイローゼになった私が知らない内にメスで自分の指を切っていたり、室戸先生が蓮太郎さんを革ベルトで3日間もベッドの上に拘束したり、何もかもが滅茶苦茶になった退廃的な生活がしばらく続きました。

 そんなある日でした。

 

「ティナ……」

 

 あの死闘から初めて、蓮太郎さんは私の名前を呼んでくれました。死者の名前や懺悔以外の言葉を初めて出したのです。「昔の蓮太郎さんが戻って来てくれた」それが嬉しくて堪らず、私はずっと蓮太郎さんに抱き付いていました。ずっと、蓮太郎さんの名前を呼びながら。

 それからしばらくした後、蓮太郎さんは病衣から、いつもの勾田高校の制服を着ていました。そこに延珠さんと木更さんを失った悲しみで自殺しようとした蓮太郎さんの面影はなくなった。当時は、そう思っていました。

 

「あの……どこに行くんですか?」

「未織んとこ。俺の銃、あいつが預かっているらしいからな。ついでにあそこのホログラムでリハビリもしてくる」

 

 まるで“あんなこと”が無かったかのように、蓮太郎さんは私の知る蓮太郎さんに戻っていました。

 “他は望まない。ただ彼が生きてくれるだけでいい”そう思っていた私にとって、蓮太郎さんが民警に戻ろうとしてくれたのは、とても嬉しくて、彼が出て行った後、一人病室で声を抑えて泣いていました。今までの悲しみと、溢れ出る喜びを涙に乗せて。

 

「ティナ……。俺は……民警に戻る。もう立ち止まれないんだ。夏世が、翠が、彰磨兄いが、火垂が、木更さんが、延珠が、俺に託した願いがある。そのためには、こんなところで止まっていられない。俺は進み続ける」

「お兄さんが進む道に、相棒として付いて行っていいですか?」

 

 失ったものはたくさんありました。その傷が癒えることは永遠にないでしょう。でも、傷を負いながらも私達は前に進まなければなりません。いずれ進めば、いつかは、やがていつかはこの悲しみも乗り越える強さを手に入れる。私は、そう思っていました。

 

 

 この時は誰も気づいていませんでした。気付かないフリをしていたのかもしれません。

 

 

 この時から既に、蓮太郎さんの心は壊れていたことに。

 

 

 それから、私とペアを組んで復帰した蓮太郎さんの活躍については聖天子様もご存知だと思います。10号モノリス爆破テロの阻止、細菌兵器“Gv-04”の奪還、ステージVガストレア“アリエス”の撃破。目覚ましい活躍により、私達は序列50位にまで上り詰めました。

 でもその戦いの中でお兄さんは確実に壊れていきました。モノリス爆破テロ阻止の時には大量失血で死にかけながらも任務を達成しました。奪われた細菌兵器を奪還した際は、その細菌兵器によって左腕の皮膚が壊死しました。そして、アリエスとの戦いでは菫先生に止められていたAGV試験薬を再び使い、ガストレア化の危険性とバラニウムの義肢を犠牲にして勝利を得ました。

 

 ――ここまで言えば、もうお分かりですよね?

 

 蓮太郎さんは立ち直ってなんかいなかったんです。そういう風に見えていただけで、心はもう壊れていたんです。彼が自分で壊していたのかもしれません。

 アリエスとの戦いの後、蓮太郎さんは何もかもがボロボロでした。心も身体も生きているのが不思議に思えるくらい、普通の人間なら狂って泣き叫んで壊れて、もう二度と立ち上がれないくらい凄惨な状態でした。

 

 

 室戸先生に義肢を新調してもらった後、蓮太郎さんは再び戦おうとしていました。正義の味方として、悪を倒すための戦いに。

 

「止まって下さい」

 

 雨の中、傘も差さずに亡霊のように歩く蓮太郎さんを私は止めました。

 

「ティナ……。退いてくれ」

「嫌です」

 

 私は大きく手を広げ、蓮太郎さんの道を阻みました。

 

「俺は守らなきゃいけないんだ。この東京エリアを。世界を」

「でもお兄さんがやっていることは異常です!お願いします!止まってください!」

 

 私の言葉は彼に届いているんでしょうか。私だけでなく、生者の言葉は彼に届いているのでしょうか。もしかしたら、あの全てを失った日から、彼には死者の言葉しか聞こえていなかったのかもしれません。それでも、私は叫ぶしかありませんでした。

 

「駄目だ。倒さなきゃいけないんだ。俺にはまだ……やることが、たくさんある。約束したんだ。延珠と、木更さんと……。だから退け。ティナ」

「退きません。行くのなら――」

 

 私は、腰のホルスターから拳銃を抜き、蓮太郎さんに照準を合わせました。自律飛行小型偵察機シェンフィールドも展開させ、予め周囲の建物にセットしておいた自律固定砲台の機関銃も蓮太郎さんに照準を合わせました。

 

「手足を撃ってでも止めます」

 

 私が銃口を向けると、蓮太郎さんは拳を握り、構えました。天童流の構え、私に拳を向けるための構えでした。

 

「残念……だよ。ティナ……。また、お前と……殺し合うことになるなんて」

 

 そして、再び私は負けました。そして、怪物になってしまった蓮太郎さんから逃げました。

 

 

 

 

 あれはもう呪いでした。

 延珠さんと木更さん、あの戦いの中で散っていった人達が託した“希望”は、“願い”は、“祈り”は、蓮太郎さんを縛り付け、正義の奴隷にする“呪い”に変わっていたんです。

 

 

 

 

 

 過去にあったことを語り終え、ティナはマグカップに追加のコーヒーを注いでいた。

 聖天子は蓮太郎の歩んだ残酷な結末を聞かされ、その表情に暗い影を落としていた。彼女の背後に立つ鈴木もティナの言葉に感情を向けないようにしていたが、それでも気分の悪そうな顔をしていた。

 

「話を戻しましょうか。確かに、蓮太郎さんには正義を憎むだけの理由があります。世界を救うために、正義のために大切な人達を自分の手で奪ってきました。しかし、同時に彼を正義の奴隷に縛り付ける“呪い”もあります。どちらも簡単に拭えるものではありません。おそらく、蓮太郎さんの心の中は憎悪と呪いが汚泥のように混ざり合ってグチャグチャになっているのでしょう」

「もしかして、5年間の沈黙を破って里見さんが行動を始めたのは、そのどちらかに踏ん切りをつけるためですか?」

「御明察です。聖天子様」

 

 その時、ティナは少しだけ笑顔を見せた。大人としての魅力や落ち着きを持ちつつも、かつて少女だった頃の彼女を彷彿させる金色の毛布のような柔らい雰囲気を持っていた。

 

「もし私の憶測が正しいのでしたら、蓮太郎さんは憎悪か呪いか、そのどちらかに振り切ろうとしているのかもしれません。憎悪に身を投げて復讐に奔るか、正義の奴隷になって身を滅ぼすか。例え、その結末が地獄であったとしても彼は道を決めるのでしょう。それを決める分水嶺がこの東京エリアのどこかにあるはずです。今までの彼の行動の中にそのヒントが……」

 

 ティナの言葉に促され、聖天子は蓮太郎がやってきたことを思い出す。賢者の盾強奪、防衛省会議室での一件、復讐者としての宣言、ガストレアテロ、蛭子小比奈etc……その活動の全てが6年前の蛭子影胤事件を彷彿させる。かつて、蓮太郎は影胤を倒し、ステージVガストレアを倒したことで東京エリアを救った。彼が英雄としての道を歩み始める“始まりの事件”だった。

 

 そこで聖天子は気付いた。あの事件で蓮太郎は自分を蛭子影胤(正義への復讐者)と定義し、新たな里見蓮太郎(正義の奴隷)を生み出そうとしているのではないか――と。

 その条件に当てはまる人物こそが分水嶺。東京エリアを守るために蓮太郎を追う民警が彼の運命を握っている。

 

「教えてください。分水嶺は、誰ですか?」

 

 “誰”という言葉を使うように、ティナも聖天子と同じ答えに辿り着いていた。しかし、東京エリアに戻って数日も経っていない彼女は情報に乏しく、分水嶺になりうる人物の候補を挙げられなかった。

 

「分水嶺の名は……松崎民間警備会社の民警、義搭壮助です」

 

 順当に考えたら、そこで出すべき名前はかつて仲間だった片桐玉樹か、蓮太郎に救われ純粋に正義の味方を目指した小星常弘と言うべきだったのかもしれない。しかし、彼女はそこで義搭壮助の名前を出した。

 この事件は、蓮太郎に圧し掛かる呪いを別の誰かに託すための儀式だ。しかし、事の顛末によってはその逆、正義への復讐者を誰かに託し、彼が再び正義の奴隷に戻る可能性もあるということだ。

 小学生の頃に社会の理不尽と己の弱さに直面し、破壊と暴力に明け暮れた道を歩んだ。そんな彼なら“正義への復讐者(絶対悪)”を里見蓮太郎から引き受けてくれるかもしれない。そして、復讐を託した蓮太郎は正義の奴隷として、自分の手の届くところに戻る。そんな個人的願望が彼女の口を動かした。そのために関係のない民警が犠牲になることも、蓮太郎にとっては救いでも何でもないことも理解していた。それはどこまでも純粋な欲望だった。

 

 聖天子は、自分の心の醜さを嘲笑った。

 

 

 

 

 

 

 勾田署に設立された首なし遺体事件の捜査本部で、遠藤は頭を抱えていた。

 今朝発見された首なし遺体、あれは芹沢遊馬のものと思われていた。しかし、秘書に連絡すると芹沢遊馬は生きている、偽物である可能性もないという回答を受けた。それは取引先の司馬重工の人間からも証言されており、今生きている芹沢遊馬が本物であると断言できる。それなら、あれは芹沢遊馬と同じ服装をした何者かであり、エリア間問題に発展するようなヤバい事件ではないと安心できる。

 しかし、そこから新しい問題が生まれた。それなら、あの死体は誰なのか。どうして免許証やクレジットカードを偽装してまで芹沢遊馬のフリをしていたのか。そして、どのような理由で誰に殺されたのか。あの偽物は、本物の芹沢遊馬と無関係なのだろうか?今となっては、偽物だらけの身分証明と首のない遺体だけが手がかりであり、今はあの遺体から出来るだけの情報を抜き取るしかなかった。

 設立された捜査本部で遠藤が施行を巡らせていると、白衣姿の男が捜査本部に入って来た。彼の到来を待っていたかのように捜査官全員が反応し、指定の席に戻った。白衣の男はホワイトボードの前に立ち、手に握った写真をいくつかホワイトボードに貼り付ける。

 

「とりあえず、これは速報だ。まだ精査されていない情報もあることを留意してほしい」

 

 捜査官たちが黙って頷いた。

 

「まず外観的特徴。20代後半から30代前半の東洋人。死因は頭部切断による失血死。死後数時間が経過しており、昨日の昼にはもう死んでいたと思われる。彼の身体的特徴からして、彼は暴力団関係者だと推測される」

「どうして、そう思うんだ?」

「彼の手だ。手の平には豆が出来ていた。銃を扱う人間特有の豆で、その大きさからして定期的に銃を扱うことはあるが、日常的に扱うことはない立場の人間だと考えられる。また両肩が下がっていないことから重い火器は扱ったことがない。その点からして民警と自衛隊関係者は除外。射撃訓練により、年間の弾丸消費量が定められている警察関係者か抗争に備えて銃を扱う暴力団関係者が該当する」

 

 人間が最も扱う身体の部位、それは手であり、手を見るだけでその人の職業や生活様式が分かっていく。タンパク質で出来た身分証明書とまで言われており、現に謎の死体から警察関係者もしくは暴力団関係者に絞ることが出来た。

 

「そして、もう一つ。この写真を見て欲しい。これは男の脇腹に遭った刺青だ」

 

 写真に写されていたのは黄色い肌に掘られた青く大きな刺青だった。何かしらのエンブレムだろうか。“3枚の羽根があしらわれたシンボルマーク”があった。

 

「警察にこんな刺青をしている奴はいない。よって、この遺体は暴力団関係者だと推測される」

 

 監察医の結論とその過程を聞き終えた時点で、捜査官たちの方針は固まっていた。全員がメモとペンを片付け、一斉に立ち上がる。

 

「弘前は警視庁に伝手があっただろ?そっちで暴力団関係のこと探れないか?」「俺はもう一度凶器を調べる。民警の流通ルートからの横流しならある程度は絞れる」「松井は俺と一緒に来てくれ。河川の流れを逆算して、死体を投棄した場所を特定する」「私はタトゥーの方を当たってみます。あれほど大きく複雑なものなら、彫れる人間は限られます」

 

 瞬時に役割を分担していき、捜査本部は3分も経たない内にもぬけの殻となった。捜査本部には、遠藤と水雲、2人を監視する公安部の黒服だけが残っていた。

 

「で、遠藤さん。俺らはどうしますか?」

 

 水雲が声をかけるが、遠藤はずっと刺青の写真を見ていた。3枚羽根のシンボルマークの刺青。遠藤はこれをどこかで見た覚えがあり、それをどこで見たものなのか思い出す。

 

「行くぞ」

「“行くぞ”ってどこにですか?」

「黙ってついて来い」

 

 遠藤は捜査本部を出ようとした際、2人を監視する役目を持っていた公安部の黒服が全く動かないことに気付いた。男の顔は青ざめており、どっと冷や汗を流していた。

 

「どうした?俺たちを監視するのが仕事じゃないのか?」

 

 遠藤に声をかけられたことで黒服ははっと気づき、サングラスをかけ直すと再び“通常業務”へと戻っていった。

 




本作の蓮太郎がダークでブラックに仕上がっているように、聖天子様も少し思考が黒くなっています。
蓮太郎を失ったショックもそうですが、木更が天童家を皆殺しにしてしまったせいで天童が抱えていた東京エリアの闇を背負わなければならなくなってしまったのも原因の一つです。東京エリアの光も闇も背負うようになった彼女hあ、自分の理想の影に犠牲になったものがたくさんあることを知り、自分の理想のために天童家が手を汚し続けていたことも知ったのです。真っ白だと思っていた道が実は屍山血河の上に敷かれた純白のカーペットだと知ってしまったのです。ここで清廉潔白だと思っていた自分の過去が全否定されてしまいました。
次に、蓮太郎が行方不明になった後の話。聖天子は光も闇も全部自分が背負う覚悟をしたため、天童が抱えていた東京エリアの暗部も自分で背負うようになりました。その覚悟は非常に強固でしたが、この6年の間にしてきた非情かつ非人道的な決断は彼女の理性のネジを緩めてしまいました。表向きは以前と変わらないように見えても内心はかなりはっちゃけています。
変装してジャンクフードを買って食べたり、こっそり自分の部屋にLANケーブルを引いて徹夜でオンラインゲームをやったり、成人後は酒に溺れる晩を何度か経験しています。



結論:ぜんぶ木更のせい


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死体は語り過ぎた

今回は刑事のオッサンたちがタバコを吸いながら駄弁るだけのお話です。


捜査本部を出た遠藤と水雲は勾田署を出た後、電車に乗って目的地へと向かっていた。背広姿で吊革に捕まる姿はごく普通のサラリーマンにしか見えない。周囲の光景に馴染んでおり、誰も2人が警察関係者だとは思っていなかった。

 

「そろそろどこに行くか教えてくれませんか?」

「次の駅で乗り換えるぞ」

 

遠藤の言う通り、水雲は一緒に次の駅で降りた。少し離れた扉から黒服が出てくるのも見えた。2人と違い、あの男の容貌はかなり目立つ。ターミネーターの類なんじゃないかと思ってしまうぐらい厳つく無機質だ。

 

「この後、15分後に来る第25区行きの電車に乗り換える。ちょっとタバコ買ってくるから、そこで待っていてくれ」

 

そう言うと遠藤はホームの階段を下りて行った。

水雲は暇になった15分を埋めるために缶ジュースを買って、スマホをいじって待った。

それから15分後、遠藤は戻ってこなかった。

 

 

 

階段を下りた遠藤は人混みに紛れて改札を抜けた。ちらちらと背後を見るが、自分が抜け出したことを水雲も黒服もまだ気づいていないようだ。可愛い後輩は見事に囮役をやってくれている。

遠藤は駅前の街道から逸れて、小さな飲み屋が並ぶ古い市街地へと足を進めた。街道から少し足を踏み外しただけで、そこは70年もタイムスリップしたかと錯覚するような、昔ながらの下町情緒あふれる木造建築と居酒屋が立ち並んでいた。ガストレア大戦前のことを思い出し、少し懐かしい気持ちになりながら遠藤は目的地へと向かった。

下町の一画にあるごく普通の木造建築だ。1階は居酒屋だったようだが、今は閉店しており閑散としている。2階は普通の住居になっている様だ。電気が点いており、誰かが生活していることが分かる。

遠藤は首位に誰もいないことを確認すると表からぐるりと回り、裏の勝手口の戸を“4回”叩いた。しばらくすると、家の主が扉を開けて姿を現した。

ヤクザが仏に見えるくらい厳つい顔をした壮年の男だ。その目つきは鋭く威圧感は現役刑事の遠藤に引けを取らなかった。

 

「お久しぶりです。多田島さん」

「おう。遠藤じゃねえか。そろそろ来ると思っていた。入れ」

 

多田島茂徳。元勾田署の刑事であり、警察の中で最も里見蓮太郎と接触のあった人間だ。

踏むたびにギシギシと音を鳴らし、いつ踏み抜いてもおかしくない腐敗した木の階段を上り、建物の2階、多田島元警部補の生活スペースへと足を踏み入れた。

その空間は異様だった。込み袋に詰め込まれたカップ麺やコンビニ弁当の殻、燃えないゴミ袋に詰められたビールの空き缶。そこまでは普通だった。少しだらしない男性一人暮らしの生活感があった。しかし、彼のテーブルと壁にあるものが異様だった。壁のいたる所に新聞やネットの記事の切り抜きが貼り付けられ、テーブルの上はバラニウム工学やガストレア解剖学の専門書、最新のGV治療といった専門書が積み上げられていた。刑事としてではなく、個人の執念で彼は何かを調べ続けている。それが一目でわかった。その執念が並々ではないことも。

 

「悪いな。汚い部屋で。久し振りに掃除したもんでな」

「いや、部屋が汚いのは薄々分かっていましたけど……」

 

部屋が汚いことなどどうでも良かった。そんなことよりも壁中に貼られた記事の切り抜きのほうが気になって仕方が無かった。

 

「相変わらずというか、職業病ですね」

「ああ。だが、退職後の暇つぶしには丁度いい。ほら。座れ。茶ぐらい出してやる」

 

多田島に促され、遠藤は椅子に座って茶を待った。その間に壁に貼られた記事に目を向ける。東京エリアのガストレア事件、現在進められている地下鉄と地下都市拡大計画、博多エリア首相暗殺事件、札幌エリア首相の訃報、仙台エリア首相の退任と新首相の発表、防衛省の大規模な人事異動、何の脈絡も無さそうな記事が所狭しと並んでいた。

茶を出した多田島が向かいに座った。

 

「こんな老いぼれに何の用だ?」

「実は、これについて聞きたいことがあります」

 

遠藤はジャケットの裏側のポケットから、1枚の紙を出した。今朝見つかった首なし遺体の脇腹にあった刺青の写真――そのコピーだった。それを見た時の多田島の反応は分かり易かった。目を見開き、どこでこの刺青を見つけたのか今にも聞き出したいという顔だった。

 

「これは今朝、河川敷で見つかった頭部のない遺体の脇腹にありました」

 

そこから遠藤は今、警察で分かっている遺体の情報について話した。身分証明の類は全て芹沢遊馬の名前で偽装されていたこと、本物の芹沢遊馬は存命中であること、遺体の手には何度か銃を扱ったことがある痕跡があること、警察は暴力団関係者という線で捜索していることを伝えた。

一通り報告を聞いた後、多田島は閉口し続けた。しばらく何か悩んだ後、遠藤の顔をチラチラと見て、何か言いたそうで言えない煮え切らない態度を取っていた。

 

「多田島さん。貴方、この刺青のことを知っていますよね?前、これと同じデザインのものがプリントされた紙を持っていました」

 

その言葉がトドメとなったのか、多田島は煮え切らない態度をやめて腹を括った。

 

「遠藤。俺がこれから話す内容がどれだけ胡散臭くて非現実的だとしても“事実”として受け止めろ。それくらい俺たちの理解から離れた世界の話になる」

 

「は、はい」――と遠藤は息を呑んだ。

 

「そうか……。ちょっとこのサイトを見てくれ」

 

多田島がノートパソコンを取り出し、とあるサイトの画面を遠藤に見せた。

【東京エリア恐怖物語】という真黒な画面に不気味なフォントの白い文字、TOP画面には髑髏マークがある安っぽい都市伝説サイトだ。今から30~40年前に見たことがあるようなサイトだ。

 

「ここを読んでくれ」

 

多田島に促され、遠藤はあるページを読んだ。

 

“ガストレア大戦後の世界征服を目論む秘密結社 ♰五翔会♰”

 

なんとも胡散臭いと思いながらも遠藤はそのページを読み進めた。

どうもそのサイトによると、東京エリアには五翔会という秘密結社が暗躍しており、世代の進んだバラニウム技術を独占することで東京エリアの政財界を牛耳ろうとしているというものだった。彼らは身体のどこかに翼の生えたシンボルマークの刺青を持っており、それを会員の証としている。彼らは自衛隊、警察関係者にも深く潜っており、聖天子を亡き者にすることで東京エリア征服計画は完遂される。――らしい。

 

「どう思う?」

「どうも何も胡散臭くて荒唐無稽なよくある都市伝説じゃないですか」

「ああ。だが、全て事実だった」

 

多田島の言葉に遠藤は唖然とした。自分の知る多田島茂徳は自分の目で見たものしか信じない生粋の現実主義者、憶測や妄想で動かない刑事らしい刑事だった。そんな男が都市伝説を事実と言ってしまうことに驚きを隠せなかった。

 

「6年前に起きた水原鬼八殺害事件、里見蓮太郎と警察の追走劇と冤罪、そして事件解決直後に起きた“季節外れの大規模な人事異動”。これらは全て繋がっている」

 

水原鬼八殺害事件。第三次関東会戦直後に起きた殺人事件である。フリーの民警であった水原鬼八が殺害され、彼と会う約束をしていた民警の里見蓮太郎に容疑がかけられた。里見蓮太郎は警察に拘束されたが、その直後に脱走。警視庁の機動隊を相手に過激な逃走劇を繰り広げつつ自分の無実の証拠をかき集めた。結果、里見蓮太郎の無罪が証明され、水原鬼八殺害事件の真相は「警察内部の反民警派閥が“英雄”里見蓮太郎に濡れ衣を着せることで民警システムそのものの地位を貶めるために起こした事件」として公表された。そして、警視総監が変わり、内部粛清と言わんばかりの大規模な人事異動が起きた。

 

「あの事件は警察のいち派閥が引き起こした事件とされているが、実際はそうじゃない。あれは櫃間警視総監とその息子が五翔会の人間として引き起こした事件だ。里見蓮太郎は無意識の内に五翔会の企みを阻んできた。計画最大の障害を排除するために奴らは警察を自分たちの駒にしたんだ。そして、櫃間警視の身体にはこの刺青があった」

 

それは不審死した櫃間篤郎警視を治療した病院で撮影されたものだった。ケータイかスマホか、それ以外の小さいカメラで隠し撮りした櫃間篤郎の遺体、彼の腹部には3枚羽根のシンボルマークの刺青が彫り込まれていた。

それは今朝見つかった首なし遺体と同じ羽のついたシンボルマークの刺青。羽の枚数が増えていること以外は全てが同じだった。

ここで遠藤は気付いた。この死体が出て来たタイミング。それは里見蓮太郎のガストレアテロの直後だった。死亡推定時刻はガストレアテロより少し前。何も関係がないとは思えなかった。

 

「この男は五翔会のメンバーで芹沢遊馬に扮して何かをしようとしていた。しかし、里見蓮太郎かその仲間に殺されてしまった。――ということですか?」

「状況証拠だけで語るならそうだろうな。こういう殺し方をする元イニシエーターが里見蓮太郎と一緒に行動しているっていう情報もある」

 

多田島はファイルから一枚のプリントを取り出し、遠藤の前に置いた。どこかの監視カメラの映像、それを切り取った静止画をプリントしたものだ。欧米のエリアのハロウィンか何かだろうか。仮装する人々の中に仮面をつけた蓮太郎と二振りの太刀を背負った小比奈が映っていた。

 

「問題はこいつが“芹沢遊馬になって何をしようとしていたか”だ。ただ身を隠すための変装ならこんな大物になる必要は無い。むしろ目立つ。芹沢のフリをして何かをしようとしたと考えるのが妥当だが、常に秘書や護衛をつけている奴が一人でブラブラしていると怪しまれる」

「怪しまれない状況を本物の芹沢が作っていたとしたらどうですか?芹沢には、博多黒膂石重工のトップとしてではなく、芹沢遊馬個人としてやろうとしていたことがあった。しかし、偽物は本物とすり替わろうとして、殺された。もしくはすり替わって何かを成した後に殺された」

「五翔会と芹沢遊馬、引いては博多黒膂石重工か。それに里見蓮太郎が加わるとなれば、共通点は一つしかない」

「次世代バラニウム兵器。多田島さんの言っていた五翔会の進んだバラニウム技術」

「そして、里見蓮太郎の義肢と義眼。あれも室戸菫が生み出した次世代バラニウム兵器の一つだ」

 

多田島はノートパソコンをインターネットに繋ぎ、博多黒膂石重工のページを検索した。

 

「博多黒膂石重工が出来たのは今から16年前。博多エリアが出資する公社として設立されたが、5年前の自衛隊のクーデターで前首相・海鉾雅守と共に代表が失脚。その後、不審死した代表に変わって芹沢遊馬が代表に就任。4年前に次世代バラニウム兵器を発表し、それを博多エリア自衛隊に配備させる」

 

多田島が画面の記事を読んでいく中で、あることに気付いた。それは遠藤も一緒だったようで、同時にはっと気づいた。それは自分たちが警察であり、様々なことを堂々と調べられる立場であるが故の過ち。犯行当時、犯人が持っていた情報の少なさと過ちを想定できなかったことだった。

遠藤たち警察は首なし死体が芹沢の偽物だとすぐに分かった。故に事件を「芹沢遊馬に変装した誰かさん殺人事件」として捜査の方針を固めて、それを進めてしまった。しかし、博多黒膂石重工と五翔会に繋がりがあると分かった今、もう一つの可能性が浮かび上がった。

 

“あの偽物は本物の芹沢遊馬と間違われて殺されてしまったのではないか”

 

五翔会と里見蓮太郎は宿敵だった。その五翔会と繋がりのある芹沢遊馬の命を蓮太郎が狙う可能性だってある。今こうしている間にも芹沢遊馬は里見蓮太郎に殺されそうになっているのではないか。

 

「今すぐ警備課に連絡します」

 

 

 

 

 

 

東京エリア沿岸部の都市区画。大企業の本社が集まり、バベルの塔のようにビルが立ち並んでいる。ミラービルの間を乱反射する日光とそれに照らされる地面、数万人の人間が同時に働き、数千億の利益を生み出している巨大経済都市区画だ。

そんなコンクリートジャングルの中で、今日、新たな塔が完成した。

 

“博多黒膂石重工東京エリア支社”

 

卸し立ての匂いがする社長室から、芹沢遊馬は東京エリアを一望していた。立ち並ぶ超高層ビル群と忙しなく歩き回るビジネスマン。ガストレア大戦前の都市景観は既に取り戻されており、モノリスが見えなければ今がガストレア大戦直前の2020年代だと言われても信じてしまうそうだ。しかし、そこを一望する遊馬にとってはただ大きな都市以外のものが見えていた。ここにいるのは東京エリアの経済を握る者たち、ガストレア大戦の瓦礫の山から這い上がり、エリアの頂点にのし上がった猛者たちの魔窟のように見えた。

遊馬のスマートフォンに着信が入る。画面には“お嬢様”と表示されていた。「珍しい」と思いながら、遊馬は電話に出た。

 

「あなたから連絡とは珍しいですね。“グリューネワルト嬢”」

『――――――』

「まぁ、一応は計画通りと言ったところですかね」

『――――?』

「――そうですね。里見蓮太郎と蛭子小比奈の我儘に振り回されっぱなしですよ。勝手に防衛技研に忍び込んで賢者の盾を盗み出したと聞いた時には肝を冷やしました。まぁ、それに関しては貴方がGVサーヴァンターを送ってくれたおかげで、怪我の功名となりましたが……」

「――――――」

「ええ。まったくです。ガストレアテロで東京エリアの不安感と危機意識を高めて次世代バラニウム兵器の配備を急がせる。里見蓮太郎に釣られて動き出した五翔会残党の炙り出し。我々の目的はたったこれだけだと言うのにここまで苦労するとは思いませんでしたよ」

『――――?』

「残党の炙り出しはもうすぐ始まると思います。貴方の指示通り、死体は目立つ場所に置いてきました。今ニュースでもやっていますが、警察も捜査に乗り出しています」

『――――?』

「公安部に潜り込ませたメッセンジャーからは“動きあり”と――。残党もあの死体が宣戦布告であることを理解しているのでしょう。だから慌てている。『里見蓮太郎に復讐される』と。ああ、それと貴方の予想通り、警察が私の警備を申し出て来ました。『あの偽物が本物と間違われて殺害された』という我々が用意した答えに辿り着いたのでしょう。これで警察と五翔会残党の目は私に集中します。連中にとっちゃ私も里見蓮太郎に並ぶくらい憎い裏切り者ですからね。殺気立ってくるでしょう」

『―――――――――――――』

「いえ。この程度のこと、対馬戦争に比べればどうってことありませんよ」

『――――――』

「ええ。全ては“聖戦の日”のために」

 

その言葉を締めに2人の通話は終わった。遊馬は再び、窓から東京エリアを一望する。ビルとビルの間には東京エリアの政治中枢“聖居”が見えていた。

 

「強引なやり方だが悪く思わないでくれ。為政者の嬢ちゃん。この東京エリアには強くなってもらわないと困る。“絶望の象徴(エンジュ)”は、もうそこまで来ているんだぞ」

 

 

 

 

 

 

司馬重工第三技術開発局では、テロで使われたガストレアの脳内から摘出されたバラニウム製の機械の解析が進められていた。バラニウム機器はガラスに囲まれて隔離され、白衣の研究員たちがロボットアームによる遠隔操作でバラニウム機器に付着したガストレアの肉片を取り除き、洗浄していく。

その様子を司馬未織と室戸菫が見守っていた。

 

「あれの役割はガストレアの脳の電気信号に干渉することでガストレアの動きを制御する、謂わば洗脳装置みたいなものだ。蓮太郎の義肢や義足に使われた技術の応用、いや、それを更に発展させたものだろう」

「これ、ウチでも作れへんやろか?」

「ここにサンプルがあるからな。同じものを作るなら可能だろう。しかし、脳というのは生物最大のブラックボックスだ。作れたとしても脳のどの部分に埋め込めば適切に作動するのか分からない。こいつを作った奴はブラックボックスの中身を完全に把握しているということだ」

 

未織はため息を吐き、その口を優雅に扇子で隠した。

 

「はぁ~。ガストレアを操る装置。せっかく目の前にあるのに使えへんとは、勿体ないわぁ」

 

2人が会話している内にバラニウム機器から肉片が剥がされ、洗浄が終わった。露わになった洗脳装置の姿を見て、菫は動揺した。彼女の目が洗脳装置を凝視し続けていた。隣にいた未織と洗浄した職員たちは彼女がどうしてそんな反応をするのか理解できなかった。

菫はただ黙ってある研究員に近づくと、彼を押し退けて代わりにロボットアームの操作をし始めた。

アームは壁の端子からコードを引っ張り、それを洗脳装置の端子に繋いでいく。30本ほど繋げると、菫は研究員に指示を出した。

 

「こいつに電気を流してくれ。100mA、150mVだ」

「は、はいっ」

 

研究員がパソコンで操作し、菫が繋げたコードを通して洗脳装置に電気を流した。

 

ガンッ!!

 

突然、大きな物音が鳴った。全員が驚いて一瞬目を瞑る。そして、次に目を開けた瞬間には、そこに鎮座する洗脳装置と、隔壁ガラスに叩きつけられたロボットアームの姿があった。分厚い隔壁ガラスはロボットアームの衝突によって数メートルにわたってヒビが入っており、衝突の強さを物語っている。

 

「こ、これは……どういうこと?」

「賢者の盾だ。防衛技研で保管していたものと比べれば遥かに小さいが、構造と機能はほとんど同じだ」

 

菫は洗脳装置の姿を見た途端、それが賢者の盾と酷似していることに気付いた。生体電気信号の代わりに端子にコードをつけて、そこに電気信号と同じ電力・電圧で電流を流すことで、洗脳装置を賢者の盾として復活させ、その機能を試した。その結果、斥力フィールドが発生し、ロボットアームは弾き飛ばされた。

 

「おそらく脳内で極小の斥力フィールドを発生させることで電気信号とホルモン分泌に物理的に干渉し、ガストレアの動きを制御している。生物のブラックボックスを扱うにしてはとんだ力技だ」

「つまり、それが賢者の盾と同じってことは……」

「蓮太郎が盗み出した賢者の盾も少し調整すれば、ガストレア洗脳装置として機能するってことだ。しかもあれは人間の胴体サイズ。あいつが次にガストレアテロを引き起こすとしたら、小さく見積もってもステージIV、最悪ステージVガストレアを使ってくることになる」

「でもステージIVやステージVなんて未踏査領域でもそうそう見かけへん。そんなガストレア、どこから調達するん?」

「調達はしないさ。ガストレアの方からやって来るからな」

 

菫が研究員からノートパソコンを拝借し、それをプロジェクターに繋いだ。部屋の電気を落とし、プロジェクターがパソコン画面を壁に映し出す。全員の目には世界地図とそれの上に書かれた線が映っていた。そして、地図上のシベリア地区で点滅している三角形は、ゆっくりと日本へと向かっていた。

 

「これは世界各地の軍隊のレーダーに映ったとあるガストレアの行動を記録し、その飛行ルートを予測したものだ。この予測だと、明日の夜に奴は東京エリア付近を飛行することになっている」

 

画面に映されたガストレアの名前を見て、未織と研究員たちは驚愕した。こんなものが東京エリアに近づいているのもそうだが、それが明確な敵となった日には、東京エリアの滅亡は免れない。

 

 

ステージIVガストレア“スピカ”

 

それはステージVガストレア“サジタリウス”に並び、人類から空を奪ったガストレアとして名高い世界最大の飛行ガストレアの名だった。




こういうのは本編で語るべきところなのですが、色んな陣営・組織がごちゃごちゃとなってしまっていますので、ここで軽く各陣営の目的と活動をまとめておきます。

聖居:蓮太郎の拘束と賢者の盾奪還

民警:聖天子からの依頼により、蓮太郎の拘束と賢者の盾奪還

勾田署:首なし死体事件の犯人を追う

警視庁公安部:蓮太郎の捜査権を独占。監視役を入れて勾田署の遠藤を抑え込む。

博多黒膂石重工:“聖戦の日”のために東京エリアの次世代バラニウム兵器の配備を急がせる&東京エリア内部の五翔会残党を駆逐

蓮太郎:東京エリア壊滅(?)

五翔会残党:蓮太郎に復讐するため偽の芹沢遊馬を使って接触するも失敗。首なし死体事件で蓮太郎の復讐劇の対象が自分たちだと思い込む。



次回は番外編「小星常弘という男」をお送りします。
蓮太郎に救われて、憧れて、彼の中に“光”を見たもう一人の男の物語です。


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番外編:小星常弘という男 前編

書くの遅いし、話の進行も遅いのにまた番外編かよ!
はい。番外編です。しかも思った以上に長くなって、前後編になります。
しばらくの間ですが、この寄り道にお付き合い頂ければ幸いです。



 僕は走り続けた。どこかに行く当てがあるわけじゃない。ただ、あの地獄から抜け出したかった。あの地獄から彼女を救いたかった。

 

 でも僕は非力だった。無力だった。すぐに闇は迫って来て、僕たちを飲み込んだ。

 

 僕は諦めかけていた。絶望しかけていた。逃げるために歩みを進める気など既になくしていた。

 

 でも、闇の中から光が出て来た。その光は瞬く間に闇を払った。

 

 開いた景色に見たのはツインテールの赤髪の少女、日本刀を持ったセーラー服の女性、そして、不幸面の男だった。

 

 見返りを求めず、ただ正しさを貫く姿に、本当の民警の姿に憧れた。

 

 その日、僕は“光”を見た。

 

 

 

 目を開くと、見慣れた天井が見えた。クリーム色の壁紙と室内照明。ベッドと本棚、中央の丸テーブルの上にノートパソコンが置かれただけのシンプルな部屋。そこは小星常弘の寝室だった。

 

「またあの日の夢か。最近見るようになったな」

 

 常弘は自分が汗でびっしょりと濡れていることに気付く。肌着は身体に密着しており、寝間着も濡れて色濃くなっていた。時期は6月。本格的な夏の前とはいえ、電気代節約のためにエアコンを切っていたことを後悔した。

 シャワーでも浴びようと思い、寝室を出てリビングに出る。フローリングが陽光に照らされて眩しいリビング。普段から清掃が行き届いていることが窺える。エアコンもついているので、ひんやりとした空気が清涼感を演出する。

 常弘はもう一つのドアに目を向ける。自分のパートナー、那沢朱理の部屋だ。扉はまだ閉まっており、彼女はまだ起きていないと考える。

 キッチンでコップ一杯の水を飲んだ後、脱衣所の扉を開けた。

 たちこめる熱気と湯気、バスタオルを手に取る前のあられもない朱理の姿があった。

 水が滴る長い赤髪と白い肌、仕事柄よく動きバランス良くついた筋肉、16歳という出るところはちゃんと出ている女性らしいスタイルに常弘はつい視線を奪われてしまう。

 

「触ってみる?」

 

 目を細め、明らかに弄ぶ表情で朱理が誘う。

 

「……ごめん」

 

 常弘は一瞬、朱理の誘いに乗りかけたが、理性で必死に抑え、そっと扉を閉じた。

「意気地なし」と朱理がボソッ呟いたのを彼は知らない。

 その後、交代して常弘がシャワーを浴びた。悶々とした気持ちをどうにかしようとして、長時間のシャワーになったのは言うまでもなかった。

 脱衣所から出た時には、既に朱理が朝食を作り終え、常弘が来るのを待っていた。

 

「先に食べてても良かったのに」

「ツネヒロと一緒がいいの。それに今日は学校お休みだし」

 

 朱理の言葉で初めて今日が土曜日であることを知る。民警という仕事上、どうも曜日の感覚がなくなってしまう。

 

「「いただきます」」

 

 2人で朝食を採っていると、朱理が壁掛けカレンダーにつけられた印を見つける。それは仕事の予定がある日につけるマーク。今日が完全に休日だと思っていた朱理にとっては見たくなかったものだ。

 

「今日って、何か仕事あるの?」

「華守さんのマンションで住人が何人か行方不明になってね。その調査だよ。警察は事件性が無いと動いてくれないから」

 

 依頼人の名前を聞いた時、朱理には嫌な予感が過った。

 

「華守さんって……まさか……」

「前の仕事でお世話になったキャバクラの人だよ」

 

 それを聞いた途端、朱理の目は据わった。今にも怒り狂いそうな目で常弘を見ている。

 

「ああ。あの常弘を誘惑した夜の“()”ね」

「いや、そこは“(チョウ)”って言おうよ」

「いいや。蛾だね!」

「どうしてそう頑なに……!お願いだから箸を折らないで!」

「蛾!」

 

 朱理は箸を強く握りしめ、へし折った。

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリアの住宅地が密集する区画。そこに立ち並ぶマンションの一つに常弘たちはいた。何の変哲もない6階建てエレベーター付きのマンション。築年数はそれほど経っておらず、周囲のマンションと比較すれば新築感が味わえる。

 そこが今日の小星常弘と那沢朱理の仕事場だった。常弘は仕事の時は常にスーツ姿でいる。民警の仕事に服装規定はなく、我堂民間警備会社でも例外ではない。皆がそれぞれ自由な格好をしているが、常弘はいつもスーツを着ていた。その理由について、常弘は「一応、仕事だからね」と言っていたが、朱理には分かっていた。常弘がスーツ姿なのは、あの日自分を救ってくれた民警の真似をしているだけなのだと。

 2人は、エントランスホールにある管理人室へと向かった。そこで管理人の中年女性に事情を話し、中へ通してもらう。

 エントランスホールで、件の依頼人、華守彩女が待っていた。染められた明るいアッシュブラウンの髪に薄いメイク。1着1000円ぐらいの安物のTシャツにチノパンという気の抜けた格好であり、夜の蝶として働く姿とは裏腹に私生活は素朴であることが窺える。夜の蝶として働く派手な姿とのギャップが大きく、一瞬、彼女が依頼人の華守彩女であると理解するのに数秒かかった。

 

「来るのが早いねぇ。ツネちゃん。もしかしてお姉さんに会いたくて来ちゃった?」

 

 まるで幼馴染か彼女のように彩女は常弘の腕に抱き付いた。仕事で数多くの客を魅了してきた豊満な胸が常弘の腕に当てられる。朱理という彼女がいるとはいえ、未成年には手を出さず我慢している常弘にとって、それは劇薬だった。

 

「あ、当たってますよ?」

「当ててるの。仕事じゃ絶対にやらないんだから、感謝しなさい」

 

 朱理が2人の間に割り込み、無理やり常弘と彩女を引き離す。そして、さっきまで彩女に抱き付かれていた腕に今度は自分で抱き付いた。「私の方が大きい。気持ち良い。柔らかい」と主張したいのか16歳の成長中の胸を押し当て、常弘の所有権を主張するために彩女を睨みつけた。

 美女と美少女の奪い合いに挟まれた常弘は顔を赤くし、戸惑うしかなかった。

 

「なぁ。その古いラノベアニメみたいなラブコメはいつまで続くんだ?」

 

 しょうもないラブコメを終わらせたのは、ドスの効いた少年の声だった。

 声がした方向を振り向くと、そこには睨みつける不良少年とクールでポーカーフェイスな少女が立っていた。

 金髪メッシュの頭、髑髏マークのある派手なTシャツ、楽器ケースを背負っている姿は、どこかのパンクロックかメタルバンドの人間ではないかと思わせる。

 対して、隣にいる少女は黒いショートパンツに白いTシャツ、その上に半袖のデニムジャケットという快活な格好だったが、服装とは裏腹に彼女の動作は機械的で訓練を受けた兵士のようだった。

 

「松崎民間警備会社の森高詩乃です。こっちは義搭壮助。遅くなって申し訳ありませんでした」

 

 同じ現場に2組の民警ペアがいることは珍しい話じゃない。出現したガストレアの討伐報酬を巡って同じ現場に複数の民警ペアが現れ、獲物を奪い合うといった構図はよくあることだ。しかし、今回は行方不明事件の調査。誰かに依頼されてから動く仕事でもう一組の民警ペア、しかも違う会社の人間がいるのは珍しかった。

 

「ごめんね~。店長が変に気を利かせちゃって、知り合いの会社にも同じ依頼を出しちゃったんだ。報酬は別々に出すから一緒に仲良く、ね?」

 

 彩女が両手を合わせて常弘に謝る。と同時に壮助と詩乃の民警ペアと仲良く仕事するようお願いする。

「僕は構いませんよ」と常弘は快諾する。

 

「チッ……そういう事情かよ。せいぜい足手纏いになんじゃね――え゛っ!!」

 

 ――と悪態を吐いた。その瞬間、不良少年の足に激痛が走る。

 

 原因はパートナーの詩乃だった。壮助の態度を諫めるために足を踏んづけた――が、思った以上にパワーを出してしまったようだ。詩乃が壮助の足を踏んだ衝撃でエントランスの大理石の床にヒビが入り、壮助は苦痛に顔を歪ませていた。

 

「ちょ……おま……ちょっとは自分の体重を考え――ゲフッ!」

 

 鳩尾に重い一撃が入った。壮助は完全に沈黙し、振り返って詩乃が一礼する。

 

「すみません。五月蠅いのは静かにさせましたので、話を進めましょう」

 

 常弘と朱理は絶句していた。確かに常弘のことをモヤシと言ったり、女の子に体重の話をしたり、そもそも敵しか作らないような悪態をとり続けたりした壮助の自業自得なのだが、イニシエーターの力で殴って気絶させるのはやり過ぎではないかと思った。

 

「と、とりあえず、自己紹介をしようか。僕は我堂民間警備会社の小星常弘。こっちは相棒の那沢朱理だ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 常弘が手を出し、詩乃が握手する。朱理は、このパワフルガールが握力で常弘の手を潰てしまうんじゃないかと心配したが、幸いそれは杞憂となった。

 

「まさか、噂のルーキーに会えるとは思わなかったよ」

「噂のルーキー?」

「あれ?知らないの?このあたりの民警の間じゃ有名な話だよ。9000番台の大物ルーキーが入ったって。まぁ、そこの義搭くんに関しては民警になる前から悪い噂が絶えない人だったから余計にね」

 

 常弘をぐいっと押し退けて、朱理が詩乃の前に出る。

 

「一つや二つどころの話じゃないわよ。語りつくしたら1週間はかかるぐらいそいつの暴虐エピソードはあるんだから。中学の入学初日に3年の先輩に喧嘩を売って病院送りにしたとか、民警と喧嘩してプロモーターもイニシエーターもボコボコにして廃業させたとか、道場破りが日課で師範と弟子を再起不能にするまで戦い続けるとか、猟奇プレイが好きだとか、ヤクザの鉄砲玉に雇われたけど制御不能すぎて裏社会でも厄介者扱いされているとか、自分の母親を殺して父親に罪をなすりつけたとか、語りつくせないくらい色々あるんだから。悪い事言わないわ。すぐにペアを解消して、別のプロモーターを探しなさい。ウチの待機組にだってこいつよりマシな人間はたくさんいるんだから」

 

 朱理は義搭壮助という人間が民警をやっていることが許せなかった。彼にまつわる噂を聞くだけでもその人間性は分かる。イニシエーターがどんな目に遭っているのかも想像に難くない。そんな奴が自分と同じ民警を名乗っていることが許せなかった。

 

「……そうですか」

「随分と反応が薄いわね」

「他のエリアからの流れ者とはいえ、私の彼の悪い噂はよく耳にします。注意と警告を兼ねて、今の貴方のような人達によく聞かされますので。でも私は彼と組んで2ヶ月経っていますし、組んでからずっと同じ屋根の下で過ごしてきました。だから噂のどれが事実でどれが虚構なのかは判断できます。彼が暴力的でトラブルメーカーなのを知った上で私は彼のイニシエーターを続けていますのでご心配なく。私に新しいプロモーターの紹介は不要です」

 

 礼儀正しく頭を下げる詩乃。彼女の一変しない壮助への信頼に朱理は何も言い返せなかった。これ以上は何を言っても無駄だし、もしかすると義搭壮助には噂と違う部分があるのかもしれないという一抹の希望を抱えることにした。

 

「あの~民警さん民警さん」

 

 会話から外れていた彩女が声をかける。彼女の声で3人は、今日は仕事のためにここに来たのだとはっと思い出した。

 

「そこの少年、ずっと息してないんだけど大丈夫?」

 

 彩女が指をさす先には、白目を剥き、泡を吹いて倒れている壮助の姿があった。顔色も生きている人間のそれではなかった。

 常弘と朱理は騒然としたが、詩乃はいつものことのように倒れている壮助に近づいた。

 

「大丈夫です。また叩けば起きますから」

「いやいや!そんな壊れたブラウン管テレビじゃないんだから!」

「心臓マッサージをちょっと強くしたようなものですから」

 

 そう言って、詩乃は拳を高く振り上げた。目を赤く光らせて、彼女の腕の筋繊維が一気に収縮し、血管が浮かび上がる。

 

「それ確実にハートブレイクするマッサージだから!」

 

 

 

 

 

 ドスン!!

 

「グヴォォア!!!!」

 

 

 壮助は血反吐を吐きながら目が覚めた。

 その日、常弘と朱理は噂のルーキーペアのパワーバランスを知った。

 詩乃と組み続けて、義搭壮助は生きていけるのか、逆に心配になった。

 

 

 

 

 壮助の目が覚めた後、4人の民警たちは彩女に連れられて、マンションの最上階である6階に案内された。彼女の手には大家から預かったマスターキーが握られており、彼女がそれだけ事件に詳しく、かつ信頼されている人間であることが窺える。

 

「事件の始まりは、ここ605号室の角谷さん。サラリーマン一人暮らし。一週間前から会社を無断欠勤。財布も携帯電話も全部置いたまま行方不明になったわ」

「社会から逃げたくなったんじゃね?」

 

「次が4日前。真下の505号室の平川さん。女子大生一人暮らし。ご両親が顔を見せに来たんだけど、一切連絡なし。マスターキーで開けたら、テーブルの上に遺書、風呂場に塩素系洗剤と酸性洗剤があったわ。硫化水素自殺をしようとしていたみたいだけど、硫化水素は発生していなかったし、彼女の遺体はどこにもなかった」

「気が変わって未踏査領域で自殺したんじゃね?」

 

「2日前に601号室の伏見さん。サラリーマン。家族はいるけど、平日は会社の近くにあるこのマンションで寝泊まりしていて、よく浮気相手を部屋に連れ込んでいたわ。不審に思った奥さんが訪ねたら、浮気の証拠を置いたまま旦那さんは姿を消したそうよ」

「浮気がバレたから逃げたんじゃね?」

 

「そして昨日、401号室の神崎くん。一人暮らしの高校生。幼馴染が訪ねて来たら姿を消していたそうよ。生徒会長(ツンデレ)やお嬢様(デレデレ)、学校の先生(クーデレ)や後輩(ヤンデレ)、先輩(ヤンキーデレ)や謎の美少女(不思議系)も居場所を知らなくて、みんなで必死に探してるわ」

「またどこかでヒロイン拾って、世界を救うために戦ってるんじゃね?」

 

「警察には通報したんですか?」と常弘が尋ねる。

 

「その都度、警察には通報したわ。だけど、調書を取るだけだったわ。事件性が無いと動いてくれないのよ」

「本当に仕事しねえな。警察」

「多分、警察の人は壮助と同じことを言ってたと思うよ」

 

 彩女が最初の行方不明者の部屋、605号室に案内した。マスターキーを差し込み、部屋の扉を開ける。

 

「ここが最初の行方不明者、角谷さんの部屋。ご両親の許可は取ったわ。存分に調べてちょうだい」

 

 彩女に促され、常弘と壮助が部屋に入った。部屋は行方不明当日のまま保存されており、特に荒らされることも掃除されることもなかった。

 常弘はまず貴重品を確認する。財布や携帯電話、預金通帳は両親が預かったそうだが、それ以外の高価なもの、ノートパソコンや時計はそのまま置かれていた。壮助は家具や壁の傷を見るが、特に争った形跡はなかった。

 

「強盗ではなさそうだね」

「争った形跡もない。血痕もない。トイレと風呂も異常なし」

 

 すんなりと役割分担ができ、業務報告を交わせることに常弘は驚いた。出会ってから悪態しか吐いていなかった壮助が真面目に仕事をしている。その姿はそこらの不良とは違う、真剣な民警の姿があった。詩乃がペアを解消しない理由、彼らが上位10%以内の9000番台である理由が垣間見えた。

 ふと常弘は朱理と詩乃が鼻を押さえて、部屋の中に入ろうとしないことに気付いた。

 

「あれ?どうしたんだい?朱理」

「2人とも気付かない?この部屋、変な匂いがするんだけど」

 

 朱理に言われて、2人も部屋の匂いを嗅いでみる。確かに朱理の言う通り、部屋にはかすかだが異臭が漂っていた。何かが腐ったような臭いだ。人間よりも感覚器官が優れている呪われた子供たちだからこそ気付けたことだった。

 異臭の源を探そうと壮助が冷蔵庫の中を見る。特に食材は入っておらず、冷蔵庫の中に腐った何かが入っていた形跡もなかった。

 

「どこが一番臭う?」

「入ってすぐ」

 

 常弘は部屋の奥から玄関を見る。玄関かその付近で臭いを発するものはないか見渡すと、玄関の近くにあるキッチン、そこの排水溝が臭いの源だと考えた。

 常弘はキッチンに立った。確かに臭いはここが一番きつくなっている。見た目ではモデルルームのように清潔さが保たれているが、何かが腐った臭いで清潔感が失われている。常弘は排水溝の中を覗いて臭いを嗅ぐ。確かに酷い臭いはするが、排水溝の奥からではなく、どこか別のところから臭いが漂っている感じがした。

 常弘は蛇口に手を掛けた。水そのものが悪くなっているんじゃないかと思ったからだ。蛇口を捻ろうとしたが、錆びているのか、全く動かなかった。両手をかけて、更に体重もかけるが一向に動く気配が無い。

 常弘の奇行に壮助が気付いてキッチンに近づいた。

 

「何やってんだよ。蛇口くらい……うわ!これくっそかてぇ!!」

 

 壮助も両手をかけて、体重もかけて蛇口を動かそうとするが、一向に動かなかった。

 最終的に2人で同じ方向に体重をかけて蛇口を動かそうとしたが、それでも動かなかった。

 

「どいてください。私が開けますから」

 

 蛇口に敗北した常弘と壮助を押し退けて、詩乃が片手を添えて、蛇口を回した。力む素振りは無く、傍から見れば少女が普通に蛇口を開けた光景にしか見えないだろう。しかし、その一瞬で詩乃は腕の全筋肉を収縮させ、呪われた子供たちの中でも群を抜いたパワーを一瞬で引き出した。

 蛇口は回った……というより、壊れた。詩乃のパワーに耐え切れず、鉄製の蛇口をぐにゃりと折れ曲がり、ぼっきりと折れてしまった。

 キッチンが赤く染まった。

 蛇口があった場所から、水道から赤い液体と柔らかい何かがドボドボと流れ出てくる。異臭は更に強烈になり、普通の人間である壮助と常弘も鼻を押さえてしまうほど酷くなった。見慣れた赤い液体と柔らかい物体、そこからボトリと人間の人差し指が落ちて来た。その瞬間、常弘と壮助は理解した。“水道管の中に人肉が詰まっていたということに”

 

「華守さん!ここの水道!どこに繋がってますか!?」

 

 常弘の声に彩女が一瞬怯んだ。

 

「ど、どこって、地下の公共水道よ。他のマンションと同じだわ」

「他には!?」

「緊急用として、屋上の貯水タンクに繋いで水を使うこともあるわ」

「貯水タンクか!」

 

 壮助は玄関にいる朱理と彩女を押し退けて屋上に繋がる階段を駆け上がる。詩乃もそれに付いて行った。数秒後には屋上を封鎖するために閉じっぱなしにしていた防火扉が破壊される音が聞こえた。

 

「え?何?どういうこと?」

「ツネヒロ。どういうことなの?」

 

 何が何だか分からず動揺する朱理と彩女に常弘が近づく。

 

「緊急事態です。ここにガストレアが潜伏しています。すぐにマンションと周辺住民の避難、警察への通報をお願いします。それと自衛隊の防疫部隊のチェックが入るまで、ここの水は飲まないで下さい」

 

 そう一方的に告げると常弘は朱理の手を引いて屋上への階段を昇って行った。

 

「ねえ?どういうこと?」

「行方不明者はみんなガストレアに食べられていた。おそらく蛇かタコ、対象を丸呑みして溶解させて捕食する生物の因子を持ったガストレアだ。奴は屋上の貯水タンクに潜んでいて、タンクと繋がっている緊急用の水道管を伝って触手か何かで住民を食べていたんだ。あの血肉は奴の食べ残しだ」

 

 屋上に繋がる扉が見えた。壮助と詩乃はそれぞれの武器を持ち、扉に隠れて貯水タンクの様子を見ていた。訓練された兵士のように詩乃はハンドサインを送り、常弘と朱理に隠れて貯水タンクを見るように指示する。

 常弘が貯水タンクを見ると、タンクの下部に拳3~4個分の大穴が開いていた。水が漏れている様子は無く、穴から触手のようなものがチロチロと見える。

 

「大当たりだぜ。さっさと得物を出しな」

 

 常弘はホルスターからSIG SAUER P250を抜き、ドロウする。

 常弘の武器を見た後、壮助は朱理を見た。彼女の得物はバラニウム製の短刀と常弘と同じSIG SAUER P250だ。このペアの装備は民警の中でも軽装備、必要最低限といったものだった。

 

「住民の避難、何分かかりそうだ?」

「10分もあれば……と言いたいところだけど、ガストレアは待ってくれそうにないよ」

 

 壮助は、常弘のハンドサインに従ってガストレアの方を見る。さきほどとは違いタンクの穴から見える触手の動きがより激しくなっていることに気付いた。どうやら、住民が避難し始めたことで自分の餌が逃げていることに気付いたようだ。

 

「それじゃあ、ちゃっちゃと片付けるか」

 

 壮助は貯水タンクに向けて司馬XM08AGの銃口を向けた。常弘と朱理も銃を向ける。

 

「タイミングを合わせるぞ。3……2……1……ゼロ!!」

 

 壮助のライフル、常弘と朱理の拳銃が一気に火を噴いた。フルオート射撃で5.56mmバラニウム弾が叩きこまれ、34発の9×19mmバラニウム弾がそれに続く。貯水タンクは瞬く間にハチの巣になり、衝撃でガストレアの触手が四方八方に暴れ回る。タンクからはガストレア特有の紫色の体液が噴き出す。

 

「詩乃!」「朱理!」

 

 弾倉を撃ち尽くしたところで、イニシエーター組が近接武器を持って突撃する。

 

 

 

 ヴモ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!

 

 

 ガストレアが唸り声をあげた。蛇の頭部がついた触手が次々とタンクを突き破り、銃撃でなんとか原形を留めていたタンクは崩壊した。ガストレアの姿が白日の下に晒された。

 一目見て分かるのはヘビとタコを混合させたステージⅢガストレアということだった。ガストレアは数メートルの巨大なタコの姿をしていたが、その表皮はヘビのように鱗に包まれており、20本以上はある触手の先端にはヘビの頭部のような器官がついていたが、先ほどの銃撃によって数本は失われていた。おそらく感覚器官と捕食口を兼ねたものだ。北欧伝承のクラーケン、ギリシャ神話のヒュドラを合体させたような姿がそこにあった。

 ガストレアが触手を朱理と詩乃に向けて撃ちだした。先端のヘビの頭部が開き、猛毒の牙を向けて襲い掛かる。時速150kmで向かうヘビの群れ、人間では対応しきれない数とスピードの怪物に2人の少女が立ち向かった。

 最初に突撃してきた触手を朱理は間一髪のところで軽々とかわす――と同時に逆手に持った短刀の刃を蛇に当て、その相対速度で触手を真っ二つに切断する。すかさず2本目、3本目を拳銃で迎撃。4本目と5本目も汗一つかかずに回避していき、離れれば銃撃で、自分に近づいた瞬間に短刀で切り裂いていく。その戦い方は「蝶の様に舞い、蜂の様に刺す」の手本のようなものだった。

 詩乃は最初に突撃してきた触手を回避せず、槍で受け止めた。蛇の頭は槍に食らいつき、そのまま巨体で詩乃を押さえつける。その隙に2本目、3本目が両サイドから詩乃めがけて毒牙を向けた。詩乃はそれに気付いていて、尚且つそれをピンチとは思っていなかった。彼女は自分の身体を槍ごと回転させ、槍に食らいつく1本目の触手を捻じ切った。槍に食らいついた1本目の頭を引きはがす。

 

 天童式神槍術一の型三番 逆子黒天風(さかごこくてんふう)

 

 向かってくる2本目をボクシングのアッパーのように槍で下から叩き上げ――

 

 天童流神槍術一の型八番 崩崖花迷子(ほうがいはなめいし)

 

 逆子黒天風で突き上げた力を利用し、反対方向から来る3本目を槍で床に叩きつけた。コンクリート製の屋上が弾け飛び、頭部は原形を留めないほどの衝撃を受けていた。

 ガストレアが残った触手で身体を動かし、屋上から飛び上がる。その巨体はマンションの駐車場に落下し、停まっている車を何台か押し潰した。

 

「逃がすか!!」

 

 壮助と常弘の援護射撃を受けながら、詩乃と朱理も飛び降りた。ここは6階建てマンションの屋上だが、呪われた子供たちの身体能力と丈夫さであれば、何ら問題の無い高さである。

 ガストレアが銃撃を受けながらも上に向けて触手を伸ばし、鞭のようにしならせて空中で身動きがとれない朱理と詩乃を弾き飛ばした。朱理はガストレアから少し離れたところにある車に激突し、詩乃も隣家の前に停まる引っ越し業者の4トントラックにぶつかり、横転させる。

 

「朱理!!」

 

 常弘は朱理を助けに行こうと背後の階段につま先を向ける。しかし、一瞬だけ止まった。朱理を助けに行くということは援護射撃を止めるということだ。朱理を助けるために行けば、持ち場を放棄することになる。悩んでしまった。朱理を大切に想う気持ちと、民警としての気持ちが彼の中で同じ天秤にかけられていた。

 

「弾切れならさっさと補充しに行け。まだ下の車とかに積んでんだろ?」

 

 壮助の言葉が常弘の背中を押した。彼が本当に弾切れだと思っているのか、常弘の想いを知っての計らいなのか、真意は分からなかったが、常弘の悩みは消えた。

 朱理は衝撃で一瞬気を失ったが、全身に響く激痛で目が覚めた。瞼を開け、真っ暗だった視界に光を入れる。自分は屋外にいたはずだったが、思った以上にその視野は暗かった。周囲を見て、状況を整理する。気を失うまで自分が何をして、何をされたのか思い出す。ここは車の中。自分は後部座席で横たわっていた。しかし、それはいつもの常弘の車でもなければ、会社の車でもない。知らない車の後部座席。車内には粉砕されたリアウィンドウの破片が散らばり、ガラスを失ったリアウィンドウからは生暖かい風が吹いてくる。

 全身に突き刺さったガラス、全身に響く打撲の痛みで朱理は思い出した。自分はガストレアと戦っていて、ここに飛ばされて来たのだと――そして、戦いはまだ終わっていないことも。

 身体が上手くいうことを聞いてくれない。どこを動かしても激痛が走り、脳を痺れさせる中で朱理は何とかドアをぶち破り、外に身を乗り出した。

 道路に頭をうちつけ、全身を地面に委ねた。それくらい彼女の身体は限界になっていた。ぼやけた視界の中に数秒か数分か、それくらい前にいたマンションとガストレアの姿が辛うじて見えた。ガストレアの姿がどんどん大きくなっていく。触手をうねらせながら、こっちに近づいて来る。しかし、逃げるだけの体力が彼女には残されていなかった。

 那沢朱理は弱者であることを自覚している。自分はイニシエーターの中でも弱い方だ。モデルとなった動物も持っている能力も戦闘向きじゃない。侵食率の低さに比例して、呪われた子供としての基礎能力も治癒能力も低い。今も民警として生きていけるのは、常弘の機転とバックアップ、我堂民間警備会社での鍛練の賜物だ。――でも、そんな日々も今日で終わりだった。

 

「助……けて。ツネ……ヒロ……」

 

 這って逃げようとする中で、常弘との記憶が走馬灯のように蘇る。思い出すのは、あの鉱山でのこと、あの地獄の中で彼と出会い、彼と過ごし、共に逃げて掴んだ幸せの日々。そして、生きていればいずれ掴めたかもしれない幸せ。

 嫌だ。死にたくない。まだツネヒロと一緒にいたい。

 

 

 

 

「止ぉぉぉぉぉぉぉぉぉまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 

 その時、4トントラックが飛んだ。“詩乃に”放り投げられた21世紀の鋼鉄の猛牛は横に回転しながら宙を舞い、その巨体でガストレアを押し潰した。

 タイミングを合わせて屋上から壮助がライフルに取り付けた対戦車擲弾を放つ。それは完全に動きを封じられたガストレアに直撃し、鱗の表皮を貫通。肉を抉りながら内部まで弾頭は潜り込んだ。

 

「伏せろ!!!」

 

 ドン!と鈍い音がなった。衝撃波が周囲に拡散し、それに続いてガストレアの肉片と体液が周囲にまき散らされる。不気味な紫色に違わず、肉片や体液からは腐臭が漂い、駐車場一帯を汚染していった。

 朱理は、治癒能力がなんとかはたらいて意識が保てるようになった。身体も回復し、再生する細胞に押し出される形で身体からポロポロとガラス片が落ちていく。何とか立ち上がれるようになるまで回復し、車に手をつきながら立ち上がった。

 立ち上がって、もう一度戦場を見渡す。ひしゃげた4トントラックと爆殺されたガストレア、その光景を見た朱理は“勝った”とは思わなかった。それどころか、噂のルーキーペアの実力に慄いていた。

 

「これが……序列9000番台……。強者の世界」

 

 4トントラックを持ち上げて放り投げるパワー、街中でグレネードを使う大胆さとイニシエーターの背後からフルオート射撃で援護し全弾命中させる精密さ。それはどちらも常弘と朱理にはないものだった。

 

「朱理!」

 

 息を切らし、大汗をかきながら常弘が駆け寄った。今にも過呼吸で倒れそうな様子で彼女の肩につかみかかる。

 

「大丈夫か?ケガは?侵食は?」

「もう大丈夫だよ。ツネヒロ。私は赤目なんだから」

 

 朱理の言う通り、彼女はもう大丈夫だった。身体には傷一つなかった。しかし、彼女の服の破損や血痕がケガの凄まじさを物語っていた。

 

「そ、そうか……」

 

 常弘はそれで安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういう演技をした。例え嘘でも朱理にはそう見せたかった。

 本当は不安で仕方が無かった。今でも臓物が捻じ切れそうな思いでいっぱいだ。

 どれだけ酷いケガをしても朱理は“大丈夫”としか答えない。実際に呪われた子供たちの再生能力で“大丈夫”になってしまうんだから。だけど、大丈夫になる前は?再生能力があるとはいえ、彼女は16歳の少女だ。全身に神経は通っているし、痛覚もある。熱いものは熱いし、冷たいものは冷たい、痛いものは痛いと感じられる。脳が許容できる痛みの限界点も人間と同じだ。もし許容値を越える痛みを受ければ、脳が焼き切れる。身体は治っても彼女の心は壊れてしまう。呪われた子供なんて、人間と大して変わりない。

 あの日、民警になると決めたのは僕だった。“僕だけ”だった。そこに朱理の意見や意思は無く、彼女は僕について来た。だからこそ悩んでいる。惚れた弱みにつけ込んで“彼”のような正義を貫く民警になりたいという僕の我儘に、彼女を巻き込んでいるんじゃないかと。

 

 

 

 

 僕は、あの時迷ってしまった。

 

 朱理を助けるべきか、民警としての役目を果たすべきか。

 

 彼女が普通の人らしく生きる道を選ぶべきか、民警としての道を歩むべきか。

 

 天秤は今でも揺れ動いている。

 

 

 これは、僕が天秤を壊した日の物語

 




世界観コラム

呪われた子供たちへの差別意識 東京エリア編

世界各地で蔓延し続けている呪われた子供たちへの差別意識。それはエリア毎に特色があり、差別が人々の感情的なものに留まっているものもあれば、法律で明らかに呪われた子供たちを非人間として扱っているエリアもある。逆に貴重な戦力として、優遇しているエリアもある。
東京エリアでは、創設からガストレア新法発足に至るまで呪われた子供たちに関する法律が作られていなかった。これは「呪われた子供たちに対する特別な法律を作ると、彼女たちを“人間とは別の何か”として扱うことになる」という初代聖天子の考えに基づいてのものであり、呪われた子供たちの処遇についてはグレーゾーン状態を維持していた。しかし、ガストレアへの恐怖と失われた世代の怒りの矛先が呪われた子供たちに向けられるようになると、差別意識は個人の感情から社会構造にまで蔓延するようになり、呪われた子供=ガストレアという図式が成立してしまった。
そのことを憂慮した三代目聖天子(現在の聖天子)は6年前にガストレア新法を発足し、呪われた子供たちの人権を法律で明確に保障し、聖居直轄の教育機関を設けることで呪われた子供たちの社会復帰にも努めた。しかし、リンカーンの奴隷解放宣言から175年後の現在でも黒人への差別がなくならないように、法律が変わったところで人々の呪われた子供たちへの差別意識は解消されず、以前より緩和されたとはいえ公民問わず差別は未だに続いている。

“無垢な世代のガストレア戦争”に終わりは見えていない。


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番外編:小星常弘という男 後編

長らくお待たせしました。
蓮太郎を目指した少年の愛と理想の葛藤。
原作に登場したあのキャラの過去も判明する後編です!


 東京エリア郊外の住宅地、近代建築の住宅が立ち並ぶ中で、その家屋だけは一際異彩を放っていた。そこだけ室町時代から時間が止まっているのではないかと錯覚してしまうほど、それは伝統的で純和風のお屋敷だった。

 表札には「我堂民間警備会社 修練所」と文字が彫られていた。

 我堂民間警備会社とは、東京エリアでは最大手の民間警備会社だ。所属する民警のペア数と各個人の実力、サポート体制、ガストレア出現情報ネットワークetc……どれをとっても他の民警会社に後れを取らず、第三次関東会戦では当時の社長だった我堂長正が民警部隊の指揮官を務め、一度はステージⅣガストレア・アルデバランの首を切り落としたという有名過ぎる実績もある。そのことから、自衛隊に並ぶ東京エリアの守護神と呼ばれている。

 この修練所は我堂家が住む屋敷であると同時に民警達が修練を積む道場としての機能も果たしている。我堂民間警備会社に所属する民警は全員が我堂流の門下生になることが決められており、主に半人前とされる者たちが師範や師範代に認められるように修練をつけている。

 

「はああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 一人の青年の咆哮がけたたましく響き渡る。その直後にバチンと木刀と木刀が打ち合う音が何度も繰り返される。道場にいるのは2人だけ。互いに刀を向け、片や師範代として弟子を導き、片や弟子として己の全力をぶつけていく。

 小星常弘は我堂民間警備会社のプロモーター、そして我堂流の門下生だった。民警としては既に実績を上げていた彼だが、我堂流の弟子としては半人前として扱われている。

 彼の相手、師範は流麗で美しい少女だった。白い剣道着を身に纏い、腰までかかる濡烏の黒髪を簪でまとめ上げていた。双刀と呼ばれる柄の両端に刀が付いた武器を模した木刀を自在に振るう姿は清流のような美しさと激しさを持ち合わせていた。

 彼女の名は、壬生朝霞(みぶ あさか)。16歳。かつて第三次関東会戦で我堂長正のイニシエーターとして参加し、現在は現社長の我堂善宗(がどう よしむね)のイニシエーター、そして我堂流の師範として身を置いている。

 常弘は半歩踏み出して再び木刀を振るう。踏み込み・間合いは完璧だった。フェイントも入れて斬撃を予測できないようにした。しかし、朝霞には軽々と見破られ、防がれ、彼女の足払いによって常弘の背中は床に着いた。

 常弘が目を開けた瞬間、眼前には朝霞の木刀が迫っていた。必死に酸素を取り込み、二酸化炭素を吐く常弘の吐息が朝霞の木刀にかかる。

 朝霞が木刀を引っ込め、常弘に背を向けた。

 

「まだ、あなたの刀には迷いがあります。特に今日は迷ってばかりです。さっきのフェイントも最初から騙す目的のフェイントではありません。刀を甲に振るったが、それが正しいのか迷って乙に変えた。迷いと行き当たりばったりの決断が見えた太刀筋です。常に迷ってばかりという点では、貴方らしい太刀筋ですが……」

 

 常弘は呼吸を整えながら、木刀を支えにしてゆっくり立ち上がる。大汗を道場の床に垂らし、来ている服も汗を吸収して、ベットリと肌に貼りつく。俯いていた顔を上げると、そこには朝霞の顔があった。ただ真っ直ぐと常弘を見つめる黒い瞳。それは冷たさを感じさせるが、同時に慈愛のような温かさを持っていた。

 

「朝霞さんは……どうして民警になったんですか?」

 

 朝霞は「どうして、そんな質問を?」と聞こうとしたが、止めた。常弘の迷いに関連があるなら、拒絶するわけにはいかなかったからだ。自分の答えが、彼の迷いを断ち切る一因になればと思った。

 

「長正様が、その道を歩んだからです」

 

 朝霞の短い答えに常弘は拍子抜けした。

 

「それだけ……ですか?」

 

「貴方にとっては“それだけ”かもしれませんが、私達にとっては“それだけで十分”なんです」

 

 朝霞の表情に暗い影が落ちる。常弘は息を呑んだ。

 

「私は元々、捨てられた子でした。親がこの赤い目を恐れて、怪物の子供と罵って、私を捨てたんです。あの時の母の顔は今でも覚えています。脅え、戦慄、拒絶。私のことを娘として見ようと5年は努力した。けど、ガストレアへの恐怖には勝てなかった。そんな顔でした。しかし、当時の私がそんな事情を知るわけもありませんでしたし、母に捨てられたという結果は何一つ変わっていません。私は母に捨てられ、世界に拒絶されました。

 それからは他人を拒み、社会を拒み、私を生み出した世界を恨みながら生きてきました。しかし、いくら赤目とはいえ普通の少女として生きて来た私には、ストリートチルドレン生活は耐えられないものでした。結果、衣食住とGV抑制剤欲しさにIISOに自分を売り、イニシエーターとして登録したのです。そして、IISOの職員にプロモーターを紹介されたのです。それが長正様でした。

 

『どうした?人間が憎いのだろう?社会を恨んでいるだろう?世界を呪っているんだろう。ならば、その怒り、この我堂長正が全て引き受けよう』

 

 大手を広げて構える長正様に、私は躊躇なく己の怒りを全力でぶつけました。いくら強化外骨格を装着していたとはいえ、赤目の力を真正面から受けて無事ではありません。しかし、長正様は避けることも防ぐこともなく私の攻撃を受け続け、何度も何度も立ち上がりました。

 どうしてこの人は立ち上がるんだろう。どうして諦めて倒れないんだろう。何度も何度も何度も何度も殴り続けて、私の拳は血に塗れていました。骨は砕け、肉は抉れ、私の血か長正様の血か分からないもので染まっていました。それでも長正様は立ち続けていました。満身創痍で、意識を保つのもやっとの状態。しかし、それでも私の前に敵として立ち続ける執念に私は脅えていました。突然、長正様が怖くなったのです。一歩ずつゆっくりと歩みを進める長正様を前に私は情けなく腰を抜かし、目に涙を浮かべ、声にもならない悲鳴を挙げていました。

 そして、私の心は決壊しました。赤子のように大粒の涙を流して泣き喚いたのです。長正様はそんな私に歩み寄り、そっと抱きしめました。

 

『よくぞここまで耐えた。私はお前の味方だ』

 

 私にとって、あの人は光でした。1歩でも近づきたい。1秒でも長く傍にいたい。そのためにイニシエーターとして戦うことを選んだんです」

 

 そして、彼女は第三次関東会戦で光を失った。

 朝霞はキッと常弘を見つめた。それは強い視線。全てを失い、光に救われ、再び全てを失いながらも今日日まで戦い続けて来た強者の目だった。

 

「自覚してください。私にとっての長正様がそうであるように、那沢さんにとっての貴方は、貴方が思っている以上に大きい存在だということを。貴方が迷ったままだと、那沢さんも道を失います」

 

 その言葉は常弘に重くのしかかった。彼女の言っていることは理解できた。しかし、理解しているが故に、その選択に、その決断に圧し掛かる責任は大きかった。その責任に潰されかかっている自分がいた。

 

「それともう一つ忠告です。小星さん。貴方の悩みは杞憂ですよ」

「どうして……そう言い切れるんですか」

 

「彼女の刀には、一切の“迷い”がありませんから」

 

 

 

 修練が終わって道着からいつものスーツに着替えた後、常弘は一礼して我堂邸を後にした。大木の木材を組んで作られた門に向かおうとしたが、縁側に見慣れた少女が座っていることに気づいた。

 

「今日は学校じゃなかったっけ?朱理」

 

 今にも下着が透けそうな白い半袖シャツにグレーのミニスカート――呪われた子供たちを受け入れるために設立された小中高一貫校、公立常華(とこはな)学園の制服だ。

 

「業務部から電話があって、大至急これを常弘に渡して、仕事を始めて欲しいってさ。公務ってことで学校は休ませてもらった」

 

 朱理はA4サイズの茶封筒を常弘に渡す。常弘は縁側の朱理の隣に座り、封筒の中身を取り出した。

 中身は我堂民間警備会社・本社の業務部の事後処理報告書。1週間前のマンションのガストレア事件に関するものだった。

 例のガストレアの死骸は即日に回収され、自衛隊によってマンションと近隣の除染が速やかに行われた。幸い、ガストレアウィルス(以下、GV)は飛び散った肉片由来の低濃度なものしか検出されず、マンションの水道管からGVは検出されず、一応の除染措置が行われた後、本日から通常通り使用されることとなった。

 ガストレアの死骸は歯朶尾大学病院に運ばれ解剖。ガストレアの胃袋からマンション住民である角谷隆康、平川真由美、伏見竜司の肉片が見つかり、3名の犠牲者が確定となった。尚、ガストレアの犠牲になっていたと思われていた神崎少年だが、ガストレア事件の翌日に身元不明の少女を連れてマンションに戻ってきており、少女の身元確認と幼女誘拐未遂事件を兼ねて知り合いや警察から取り調べを受けている。

 

(本当にどこかでヒロイン拾ってきたのか!神崎少年!)

 

 業務部からの報告書を読み終えてページをめくった。次の紙には「秘匿事項」と大きく判子が押されており、「防衛省」の文字が大きく印字されていた。防衛省からの正式な依頼書だった。

 先日、東京エリア第21区で討伐されたガストレアを解剖したところ、ガストレアウィルス嚢(以下、GV嚢)からGVがほとんど検出されなかった。マンション周辺からもGVが検出されていないことから、ガストレアはマンションの貯水タンクに到達する前にGVを散布している可能性が高い。ガストレア行動学的観点から、ガストレアが人体への直接注入以外でGVを排出することは考えられず、件のガストレアは少なくとも1名以上の人間にGVを注入しており、ガストレアの触手の先端にあった棘状のGV排出器官に付着した“犠牲者3名以外のDNAを持つ毛髪”がそれを裏付けている。

 防衛省は感染爆発(パンデミック)の危険性があるとして、件のガストレアを駆除した我堂民間警備会社および松崎民間警備会社に感染者の“捜索”と“処理”を依頼する。

 

「どうして秘匿事項なの?みんなで探せばすぐに見つかるのに」

「あの貯水タンク事件がニュースになったせいで、けっこうな騒ぎになっているからね。その上、『東京エリアに感染者が潜伏しています』なんて発表されたらどんな大騒ぎになるか分からない。僕たちが秘密裏に処理すれば、問題ないってことなんだろう」

「でも1週間前の事件だよ。今更すぎでしょ。仮に感染者がいたとしたら、とっくにガストレア化していて、どこかの民警に倒されてるんじゃない?」

「そうじゃないから、頼みの綱として僕達に依頼が来たんだろう。民警のガストレア討伐報告は警察や消防、近くの区役所で受け付けているけど、最終的には防衛省で一括管理される。その中に感染源ガストレアと同じ因子を持った感染者ガストレアがいなかったんだろう。あのサイズのガストレアだ。GV嚢だってけっこうなサイズになる。それが空っぽとなると数十人から百人規模の感染爆発が起きるはずだ」

「でも発生していない」

「そう。それが腑に落ちないし、防衛省が不安がって僕達のような民警にも依頼を出した理由だ。防衛省や警察とは異なるウチの情報網で感染者ガストレアを見つけて欲しいんだろう」

「で、当てはあるの?」

「1ヶ所だけ……ハズレであって欲しいんだけど、心当たりがある」

「じゃあ、現場に直行だね。あの金髪ヤンキーよりも先に見つけて、仕事を終わらせよう」

 

 朱理の言葉に常弘は「え?」と返した。

 自分の言葉に疑問を抱いた常弘の思考も理解できず、「え?」と返してしまう。

 

「途中で義搭くん達を拾ってから現場に行こうと思ってたんだけど……」

「あの金髪ヤンキーがそんなコソコソとした仕事ができると思う?見つけた直後に街中で銃をバンバン撃って、爆弾をドカドカ使いまくって、終いにはイニシエーターがタンクローリーを投げて大爆発を起こすわよ」

「そんな……。マイケル・ベイの映画じゃないんだから……」

 

 しかし、常弘は心の中で、本当にそうなってしまいそうという不安を払拭できなかった。

 

「それじゃあ、私とツネヒロ、二人っきりで仕事しようか」

「そっちが本音なんじゃないか?」

 

「正解♪」と朱理は満面の笑みで答えた。

 

 

 

 

 

 

 東京エリア外周区。モノリスという結界に守られた“内部”でありながら、魑魅魍魎が跋扈する危険地帯。未だに再開発の目途が立っておらず、外周区と内部を繋ぐ橋は崩落している。モノリスの内側とはいえ、人々が外周区を忌み嫌い、大戦時の廃墟やスラムが未だに残っている光景は、モノリスが絶対ではないことを語っていた。

 外周区への数少ない連絡通路を通り抜け、常弘と朱理は心当たりのある場所に向かった。

 外周区に残された巨大ショッピングモール。ガストレア大戦直前、東京オリンピックに向けて開発が進められていたが、地上3階、地下7階建てという無謀な計画を前に工事が難航、オリンピックに間に合うどころか、ガストレア大戦により永遠に完成することはなく、地下7階のために作られた巨大な地下ダンジョンだけが残されてしまった。

 そこには東京エリアのガストレア新法による保護政策でも拾いきれずにスラム生活を余儀なくされる呪われた子供たちや世捨て人、犯罪者くずれ、逃亡犯、脱走兵などが身を寄せ合って暮らしているという噂がある。

 そんな巨大地下ダンジョンを目の前にして、常弘と朱理は驚愕していた。常弘は目を見開いて開いた口がそのままになり、朱理は親の仇を見るかのように“彼ら”を見つめた。

 地下ダンジョンの入口には先客がいた。義搭壮助と森高詩乃だった。壮助はオプションをフル装着したアサルトライフルに大量のマガジン、手榴弾、スタングレネード、サブ装備でデザートイーグルを持っていた。詩乃もバラニウム製の重槍“一角”を背中のホルダーから外して抱えており、腰には2本のバラニウム製戦斧を保持していた。既に臨戦態勢だ。いかにも「今から戦場に行ってきます」と言わんばかりのフル装備で固めた2人を見て常弘は頭を抱えた。朱理の予想が的中してしまったからだ。

 

「どうしてテメェらがここにいるんだよ。俺たちを尾行してたのか?」

 

 壮助は相変わらず、狂犬のような目で睨んでいた。

 

「落ち着いて。壮助。私達に発信器は取り付けられていないし、尾行もなかった。それは私が保証する」

「あ、ああ」

 

 詩乃の言葉だけで壮助は納得いかないと思いつつも常弘たちへの敵愾心を拭った。

 

「君たちも防衛省から依頼を受けたんだね」

「はい。感染者ガストレアの捜索と処分です」

「あのガストレアがウィルスを人間に撒いたのに1週間経過しても感染者ガストレアは現れない。考えられるパターンは二つ。一つ目は『感染者ガストレアは発生しているが、未だに発見されていない』二つ目は『感染者は未だに形象崩壊していない』。ここは人が住んでいるけど、防衛省や警察、民警の目が届かないため一つ目のパターンが当てはまる。その上、ここには東京エリアの保護政策を拒んだ赤目の子や未だに保護の手が届かない赤目の子がたくさんいる。彼女達ならGVを注入されたとしてもすぐに形象崩壊したりはしない。侵食率によっては1週間の潜伏期間があってもおかしくはない。――――君も同じ考えでここに来たんだろう」

 

 詩乃は首を縦に振った。

 態度といい、頭の回転の速さといい、常弘は森高詩乃という少女が分からなくなってきた。それなりに高等教育は受けているのだろう。少し方向性が違うが礼儀作法も出来ている。実力も申し分ない。それなのにどうして義搭壮助とペアを組んでいるのか。自分と朱理のように何かしら特別な理由でもあるのだろうかと考えてしまう。

 

「君たちが良ければ良いんだけど、もう一度、共同戦線にしないか?ここは地下7階まで拡大する巨大ダンジョン。中は迷路のようになっているし、当時の地図も消失している。中には数十体のガストレアが潜伏しているかもしれない。報酬目当てに対立していたらガストレアに会う前に自滅してしまう」

「そうですね。私も同じことを提案しようと思っていたところです。人手は多い方がいいですから」

「構わねぇぜ。今日はちゃんと得物も揃えてるみたいだしな」

 

 前回のマンションの一件とは違い、常弘と朱理は対ガストレア戦闘を想定して装備を固めていた。常弘はいつものSIG SAUER P250に加えて、アサルトライフルのSIG SG550、これらの予備の弾倉を腰や胸元のホルダーに挿している。朱理もお揃いのSIG SAUER P250に加えて、胸元のホルダーに予備の弾倉、いつもは2本持っている小太刀を予備も含めて4本持ち込み、背中のホルダーに挿していた。

 

「ちゃんとって言うか、マンションの行方不明者調査程度でアサルトライフルとグレネードランチャーを持ってくるアンタがおかしいのよ。ビビリなの?銃が枕元に無いと眠れないの?」

「喧嘩売ってんのか?テメェ。俺がそのグレネードで殺ってなかったらガストレアの餌になってたくせによ」

「それはアンタじゃなくて、詩乃ちゃんがトラック投げてくれたお陰でしょ。って言うか、民警としてはこっちが先輩なんだから敬語ぐらい使いなさいよ」

「先輩?商売敵じゃねえか。同じ会社だったら考えてやらなくてもないけどな。バーカ!!」

「言ったわね!馬鹿って言った方が馬鹿なのよ!バーカ!バーカ!」

「赤毛虫!」

「鳥の巣頭!」

「色ボケ脳!」

「発砲中毒!」

「さっさと帰って相棒のイチモツでもしゃぶってな!!」

「さっさと帰って相棒のパイオツでもしゃぶってなさい!」

 

「はい!そこまでええええええええええええええええええ!!」と常弘が背後から朱理の両肩を固めて壮助から引き離す。壮助も詩乃に襟首を掴まれ引き離される。それでも二人の怒りが収まることはなく、互いに唾を飛ばし合い、足を上げて靴をぶつけ合った。

 なんとも汚い。同レベルの子供の喧嘩であった。

 

 

 

 

 

 

 鉄条網と南京錠を詩乃の腕力で壊し、4人は地下ダンジョンへと潜り込んだ。元は地下駐車場への入口だったのだろうか、車数台が通れる道を抜けると真っ暗で広々とした空間が4人を待っていた。電気は通っておらず、視界はろくに確保できない。風が抜ける音だけが聞こえてくる。

 詩乃がベルトに手を伸ばした。装着されている手の平サイズの機械に触れ、スイッチを入れる。

 

「どうだ?」

「敵影なし。この空間に人もガストレアもいないよ」

 

 その機械が何なのか、どうしてこの真っ暗な空間に人もガストレアもいないと分かるのか、常弘たちは疑問に思ったが、問うことはなかった。イニシエーターの能力は企業秘密として扱われることが多いため、聞くだけ無駄だと思ったからだ。

 壮助と常弘は懐中電灯をつけて前方を照らす。地下のショッピングモールに繋がるエントランスが見えた。ガラス製の自動ドアは完全に粉砕されており、ひしゃげた鉄枠だけが無残にも残されていた。

 

「朱理。前を頼めるか?」

「良いよ」

「詩乃。前衛を頼む」

「了解」

 

 イニシエーターは前衛。プロモーターは後衛という民警としては基本的な陣形で4人はエントランスを潜り抜けた。

 埃被っていたが、途中でフロアガイドらしきものを発見し、各フロアの構造と広さ。ガストレアと遭遇した場合、戦闘が不利になる地点と有利になる地点を確認し、頭に叩き込んだ。各フロアはそこそこの広さがあって全てを見て回るには骨が折れるが、上層階と下層階から挟み撃ちにされる危険性もあるため、時間をかけてでもそのフロアを見回り、下の階に進む方針を固めた。

 地下に入ってから30分が経過、地下1階は人もガストレアの姿も確認出来なかった。地下2階もマッピングしながら進むが人の姿もガストレアの姿も見当たらない。空になった缶詰や毛布、地上の電線を盗むことである程度は維持していたインフラ、浮浪者たちがここで生活していた痕跡はあったが、肝心の住人とガストレアがいなかった。

 

「義搭くんだっけ?」

「呼び捨てで良い。“くん”付けだと戦いの時、呼び辛いだろ。俺だって小星って呼ぶから」

「あ……そう。だったら、義搭。君はどうして民警になろうと思ったんだ?」

「どうして、そんなことを聞くんだ?」

「暇潰しだよ。この先、地下7階までずっと暗闇の中を歩かなきゃいけないと思ったら、気が遠くなりそうだったからね」

「良いぜ。俺も同じ気分だったからな。暇潰しに付き合ってやるよ。あ、ガムいる?」

「一つもらうよ。何味?」

「超刺激ミント。頭が冴える。まぁ、冴えたところで俺は馬鹿だから意味ないけどな」

 

 そう自嘲気味に話しながら、壮助はポケットから出したガムを常弘に渡す。確かに壮助の言う通り、それを一口噛んだ瞬間、常弘の鬱屈した気分が晴れてくる。

 

「さっきの質問の答えだけどな。俺は民警になったんじゃなくて、民警にしかなれなかったんだよ。どこの組織にも見放された荒くれ者が民警になるなんてよくある話だろ?」

「ただの荒くれ者を松崎さんや大角さんが受け入れるとは思えないんだけど」

「2人のこと知ってんのか?」

「松崎さんとは個人的にね。あと大角さんは東京エリアじゃそれなりに名前の通った民警だよ。民警の上位1%、1000番台に成り上がったルーキーだからね。蟲雨事件の時の戦いは鬼神そのものだったよ。次々と押し寄せてくるガストレアを千切っては投げ千切っては投げ次々とガストレアの屍の山を積み上げていったからね」

 

 蟲雨事件とは2年前に発生した東京エリア史上最大規模のガストレア大量侵入事件である。台風で巻き上げられた大量の虫型ガストレアが偶然、東京エリアの中心地に落下。瞬く間に人々を襲撃した。すぐに自衛隊と緊急依頼により集まった民警によって駆除されたが、死者64名、行方不明者200名以上の大惨事となった。

 

「そんなヤベェ人に喧嘩売っちまったんだな。俺……」

 

 民警になる前の中学生時代、勝典に喧嘩を売って返り討ちに遭った記憶が掘り起こされ、当時の恐怖を思い出して壮助が身震いする。

 

「あの筋肉達磨に喧嘩売る度胸があるなら、ガストレア相手に個人で戦う民警はむしろ天職だと思うけどね」

「そういうアンタはどうして民警になったんだ?」

「なんでそんなことを聞くんだい?」

「俺だけ聞かれっぱなしは不公平だろ。それにお前、民警っぽくないっていうか、民警に向いてないような気がするんだよ。幼稚園の先生とか、学校の先生とか、そんなのがお似合いだ。民警なんて不安定でいつ死ぬか分からない荒仕事よりちゃんと学校に行ってちゃんとした仕事やって――――上手く言えないけど、お前もお前のパートナーも“戦場に出る人間”には見えないんだよ」

「それは――」

 

 常弘が答えようとした途端、前衛として先行する詩乃と朱理が足を止めていることに気づいた。通路の奥からは誰かが駆け寄ってくる足音が響く。

 

「朱理?」

「ツネヒロ。誰か来てる」

「詩乃。判るか?」

「うん。足音からして成人男性一人。瘦せ型。今のところ武器は確認できない。ガストレアから逃げて来た人だと思う」

 

 壮助と常弘はライトの光を強くし、通路の奥を照らしていく。しばらくすると足音の主が光の当たるところまで出て来た。長い金髪に鼻にピアスをつけたヤンキー風の若い男だ。ここまで全力で走って来たのか、滝のように汗を流し、息をきらしていた。右腕と額からは血を流しており、彼の後ろには滴る血痕が点々と続いていた。

 彼から漂う体臭で詩乃は1歩下がる。前衛の二人を通り越して、常弘が男に歩み寄った。

 

「民警です。何があったんですか?」

「赤目が……。あの赤目がガストレアになっちまったんだよ!どいつもこいつも死んじまった!!俺は……たまたま出口の近くに立っていたから……それで……」

 

 男の言葉から、4人の中の疑惑が確信に変わった。感染源ガストレアのGVは赤目に感染していた。そして、赤目の免疫機能とぶつかり合いながら1週間潜伏し、そして今ガストレアになった。

 

「やっぱり拾うんじゃなかった。弱ってて、可愛い顔してたから、ラッキーと思って“相手”をさせてたんだよ。そしたらすぐに動かなくなっちまった。つまんねーから捨ててたんだけどさ。その後、その辺りのホームレス共がマワしてたら突然様子がおかしくなって――。クソッ!あんなバケモノさっさと殺しておけば良かったんだ!!」

 

 男の罵声から窺える顔も名も知らぬ少女の運命と末路。それはあまりにも残酷すぎて、この下衆の塊のような男がのうのうと生きていることに4人は怒りを覚えていた。

 

「てめぇ……」

 

 壮助が握りこぶしを作り、額に血管を浮かばせながらずかずかと男に近寄った。

 瞬間、男は殴り飛ばされた。頭蓋骨は歪み、前歯が何本か折れてどこかへと飛んで行った。衝撃で壁に叩きつけられ、脱力して壁にもたれかかる。しかし、殴ったのは壮助ではない。“常弘だった”。

 常弘は倒れた男の上を跨ぐと胸ぐらを掴んで持ち上げると、脱力した男を起こすためにもう一度、壁に叩きつける。

 

「何がガストレアだ。何がバケモノだ。ふざけるな!!その時、アンタが病院に連れて行けば、その子はまだ助かったかもしれないんだぞ!!何が“クソ”だ!!アンタの方が救いようのないクソッタレだ!!」

 

 止められない憤りに任せて常弘は胸ぐらを掴んで持ち上げた男を何度も壁に叩きつける。それでも憤りは治まらない。常弘は怒りの形相で襟首を掴んだまま唸り、男を睨み続けた。

 彼を殺すことは簡単だ。銃口を向けて、引き金を引けばいい。背中の太刀を抜いて刃を当てればいい。今、この手で首を絞めればいい。こいつは殺されてもいいようなクズだ。ここで死んだって誰も気にしない。殺したって誰も咎めない。しかし、常弘にそんなことは出来なかった。それは彼が憧れた“正義を貫く民警”の姿ではなかったから。あの日の憧れを自らの手で否定してしまうから。

 

「さっさと僕の前から消えろ。次、刑務所以外の場所で会ったらガストレアの餌にしてやる」

 

 常弘は手を離し、男を地面に落とした。男は地面に尻もちをついた。しかし、常弘たちから逃げる気力も体力もとうに失っているのか、立ち上がって逃げる素振りを見せなかった。

 

「ツネヒロ!!」

 

 突如、朱理が常弘に飛びついた。常弘は男から離され、抱き付いた朱理と一緒に1メートル離れた地面に身体を打ち付けた。常弘は朱理に押し倒される中で、彼女がどうしてこんな行動に出たのか困惑した。

 地面に背中を打った後、顔を上げる。最初、目に映ったのは真っ赤になった朱理の背中だった。白いブラウスと小太刀ホルダーのベルトは切り裂かれ、猛獣に襲われたかのように彼女の背中は血肉が抉り取られていた。真っ白だったブラウスが血で赤く染まっていく。目も当てられないぐらい痛々しかった。

 

「朱理!大丈夫か!?」

「大丈夫。ちょっと休憩させて」

 

 まるで自宅の布団で眠るかのように彼女は安心しきった顔で常弘に抱き付き、眠るように彼女は目を閉じた。常弘が背中に目を向けると、彼女の背中の穴がみるみると塞がっていくのが分かった。細胞分裂と成長が瞬時に行われ、欠損した血管や筋肉、皮膚を補っていく。呪われた子供にしては再生に時間はかかっているものの、彼女の生命力は人間のそれとは比べ物にならなかった。そして、彼女の身体は元通りになった。どれだけの傷を受けても彼女の身体は“大丈夫”な状態になってしまう。

 

 

「お、俺の……俺の腕がああ!!」

 

 

 男はもがいていた。腕の傷口の肉が盛り上がっており、そこから全く違う色、違う質感の肉が形成されていた。ガストレア化だ。ガストレア化した少女に襲われた時に傷口から感染したのだろう。異形の肉塊が傷口から男の全身を瞬く間に侵食していった。

 

「あ、あんた民警だろ!助け――――」

 

 その瞬間、男の首にはバラニウム製の黒い刃が貫通した。詩乃の槍“一角”だ。対ガストレア用の重槍は男の首を串刺しにし、喉を潰し、頸動脈を断裂させ、中枢神経を破壊して全身を麻痺させる。詩乃はそれで相手が沈黙したと思っていた。しかし、手足がもがくように暴れ始め、既にガストレア化していた片腕は触手のようなものをしならせて詩乃に抵抗する。しかし、壮助が放ったアサルトライフルの弾丸で触手は散り散りになった。詩乃は再び槍を男の頭と心臓に突き刺し、今度は完全に生命活動を停止させた。

 詩乃と壮助の鮮やかな手際に常弘は唖然としていた。あの男はガストレア化しかけていた。救う方法などなく、殺すしか手段がなかった。頭では理解していても、まだ人間としての形と意識を持っていた相手を排除した彼らを“異常”だと認識した。ガストレア化寸前だったとはいえ人間を殺すことに一切の躊躇いがない。ガストレア殺しも人殺しも等しく“作業”にしてしまう彼らの“異常性”に常弘は何も言えなかった。

 常弘は、先ほど壮助に言われたことを思い出す。自分たちは民警に向いていない。“戦場に出る人間”ではない。その意味がやっと分かった。民警は死地に立つ職業だ。ガストレアとの戦いでいつ死んでもおかしくはない。命と命のやり取りを前に法も理念も倫理も意味をなさなくなる。純粋な知恵と力が結果を決める。常弘と朱理の思考回路はそれに適していなかった。まだ、それに成りきれていなかった。こんな土壇場でさえ法や倫理を持ち込んでしまう。彼らとは住む世界が違っていた。ここは、法も理念も倫理も踏み外した怪物たちの居場所だった。その中で人として真っ当な正義を貫こうとした“あの民警”は、どれほどの悩み、苦しんだのだろうか……。自分が選んだ道は、“朱理に選ばせた道”はどれほど過酷なものなのだろうか。

 壮助はガストレアの動きが止まったことを確認すると、小星ペアのところに歩み寄る。

 

「おい。毛虫。背中の傷。大丈夫か?」

 

 瞬間、壮助の顔面の右側すれすれを1本の小太刀が飛び、彼の背後にいたタコの足のようなガストレアの肉片を貫いた。バラニウムの小太刀で天井に串刺しにされたガストレアの肉片は、それが独立した生命体のようにもがき苦しんでいた。

 

「毛虫じゃないし、大丈夫よ。伊達に3年もイニシエーターやってるわけじゃないんだから」

「かっこ良く背後のガストレアを倒してもらったところ悪いけど、刃……ちょっと当たったぞ」

 

 壮助の頬と耳に切り傷ができ、少し血が流れる。

 

「当たったんじゃなくて、当てたのよ」

「わざとか。こん畜生」

 

 

 

 

 

 

 それから4人は地下へのマッピングを続けていった。最初の男を倒してからは一度も被害者やガストレアと遭遇することなく、痕跡すらも見つけられなかった。戦いがないという意味では楽だが、暗闇の中でのマッピング、どこに敵がいるのか分からない恐怖という点で精神的疲労は大きかった。

 懐中電灯で前方を照らしながら、今度は前衛を義搭ペア、後衛を小星ペアが務めている。

 

「朱理……。傷は大丈夫なのか……?」

「大丈夫だよ。もう痛くないし、傷口も塞がっているんじゃないの?背中だから見えないけど。最近は妙に心配性だよね。前のマンションの時も終わった後、抱きしめてくれたし。何かあったの?」

「あったよ……。朱理と一緒に民警を初めて3年、僕には色々とあった……」

 

 常弘の意味深な言葉に朱理が耳を傾ける。それがどういう意味なのか、常弘は何を言おうとしているのか。彼女の意識はそれに集中していた。

 常弘は一度深呼吸する。

 

「朱理、聞いてくれ。

 

 

 

 

 ――――――この仕事が終わったら、民警をやめよう」

 

 

 

 

 前衛を務めていた義搭ペアの背後で鈍い音がした。誰かが鈍器で殴られる音、そして誰かが倒れた音だ。ガストレアの奇襲かと思って2人は背後に振り向いた。その視線の先にガストレアはいない。腹を押さえて跪く常弘と、前に佇む朱理の姿だけだった。

 

「ツネヒロ……。冗談だよね?」

「僕は……本気だ……っ」

「どうして!?だって、民警の仕事だって順調だったじゃない!!なのに……どうして?」

「もう、君が傷つくのを……見たくないんだ」

「なにそれ……私が弱いから……?私が傷だらけになるから?違うよね?確かに私はまだ弱いかもしれない!だけど、IP序列は順調に上がってるし、まだ強くなれる!それに傷だってすぐに再生して残らないじゃない!」

「それが駄目なんだよ!!!!」

 

 常弘の口から飛び出す怒号に朱理は仰け反った。優しい好青年を絵に描いたような性格のツネヒロがここまで声を荒げることなど滅多になかったからだ。

 

「すぐに治る!再生する!確かにそれで大丈夫になった!だけど、治ったら朱理はまた戦場に出て、傷ついていく!その繰り返しだ!民警になった時はそれなりに覚悟をしたつもりだった!だけど、現実は違った!ガストレアは強大で、僕たちはあまりにも無力だったじゃないか!この3年で朱理は何回入院した!?何回、生死の境を彷徨った!?二度や三度じゃないはずだ!!」

「…………言いたいことは、それだけ?」

 

 常弘は押し黙った。朱理の形相は更に歪む。目に涙を浮かべながら、銃床で常弘の頭部を殴打した。常弘は殴られた衝撃で体勢を崩し、床に身を転がした。

 朱理の呼吸が荒くなる。瞳孔が開き、汗が止まらない。常弘の血が付いた拳銃を拳から血が流れるくらい強く握りしめていた。怒りが収まらない。悲しみが抑えられない。常弘との日々が今日で終わりになることを認めたくない。その感情だけが朱理を突き動かしていた。

 

「そんなに私が信じられない!?」

「ち、違う!僕は――

「いいよ!!だったら私が強いって証明すればいいんでしょう!?ここのガストレア、全部一人で片付けるから!!」

 

 そう啖呵を切った朱理は壮助たちとは反対方向へと走り出していった。瓦礫も軽々と飛び越え、壁ですら足場にする彼女の軽快さを前に2人はすぐに彼女を見失ってしまった。

 

「壮助。どうするの?」

「知るか。こんな戦場のど真ん中で痴話喧嘩なんてしやがって」

「追わないんだね」

「商売敵が減るんだ。報酬も独り占め。追う理由なんてねえだろ。元々、ここのガストレアは俺達だけで皆殺しにする予定だったし」

「本当に……本当にそう思ってる?」

 

 詩乃の含んだ言い方が壮助には引っ掛かった。

 

「何が言いたいんだよ」

 

 詩乃が黙ったままじっと壮助を見つめる。何も言うつもりはない。言いたいことは全て目に書いてあると言わんばかりに視線を壮助に向けた。壮助は詩乃の視線に逆らえない。ただの喧嘩にしか能のない不良にとって、イニシエーターとして何年もガストレアと命がけの戦いをやってきた少女の視線には有無を言わさない圧を感じさせるものだった。

 

「あーもう。分かったよ。追えば良いんだろ。追えば。見つけたら無線で連絡する」

 

「了解」と詩乃は微笑んで答えた。

 壮助は朱理を追って薄暗い空間の中へと消えていった。詩乃はその背中を見届けると、うずくまる常弘のところに歩み寄った。

 

「大丈夫ですか?」

 

 口では心配そうに言っているが、詩乃の眼には感情は伴っていない。見下ろす彼女の視線が常弘に突き刺さった。

 

「すまない。僕たちの方が先輩なのに……」

「別にあなた達のためではないです」

「え?」

「もし、ここで貴方たちが痴話喧嘩の末にペアがバラバラになり、それが原因でガストレアの餌食となったとしましょう。生き残った壮助はそう主張しますが、元不良のなり立てルーキーの戯言として受け取られるでしょう。もしかしたら、報酬を独り占めするために壮助が私に貴方達を殺すように命じたと噂が流れるかもしれません。いえ、その可能性は非常に高いでしょう」

「どうして、そう言い切れるんだ?」

「私達と貴方たちの世間的な評価を加味したからです。小星常弘と那沢朱理のペア。我堂民間警備会社に所属し、3年前から活動。個々の戦闘能力は高くないものの、人当たりの良さから同業者や市民からは高い評価を受けている。対して、私達の活動は2ヶ月前から。個々の戦闘能力はこのあたりの民警の中では上位に位置すると見込んでいますが、東京エリアで一番嫌われている民警でもあります。そんな私達の言葉を誰が信じるというのですか?」

 

 常弘は詩乃の言うことを否定できなかった。確かに、ここで自分たちが死ねば、2人がどれだけ証言しようとも世間は報酬独占のために義搭ペアが小星ペアを殺したと言うようになるだろう。どれだけ証拠を突き付けられたとしても人の心は変わらない。そして、全ての責任を押し付けられる分かり易い悪役のお陰で、事件は全て丸く収まってしまう。真実を闇に葬り去って。

 

「だから、この事態を解決するためにも私は知る必要があります。どうして、貴方が民警をやめるなんて言ったのか。教えてください。小星常弘」

 

 詩乃は重槍の刃を地面に突き立てた。周囲にコンクリート片が飛び散るほどの威力、飛び散った音と破片は常弘に対する脅し、答えないとお前もこうなるという強迫だった。

 しかし、そんな脅しは無意味だった。こうなった時点で、常弘は彼女に全て打ち明けるつもりだったのだから。

 

「僕は……正義の民警になりたかった。利益とか名誉とか、関係ない。正しいと信じたものを貫く民警になりたかった。だけど、それ以上に朱理を救いたかった。幸せになって欲しかったんだ。一緒に民警をやって、一緒に同じ道を歩めれば、それで良かった。だけど、現実はそうじゃない。僕も朱理も戦える人間じゃない。特別な力を持たない僕たちにガストレアとの戦いはあまりにも過酷すぎた。朱理は何度も傷ついた。だけど、一度も弱音を吐かなかった。一度も文句を言わなかった。でも、それは強さの証になんかならないんだ」

 

 常弘の手が震え、すすり泣くような声が口から零れる。

 

「僕は怖いんだ。いつか僕の夢が彼女を殺してしまう」

 

 自分の夢か、大切な人の幸福か、二つを天秤にかけた結果だった。彼は大切な人の幸福を選んだ。天秤にかけて一方を選び、一方を切り捨てる結果を選んだつもりだった。しかし、今、選んだものすら手に残されていなかった。

 詩乃の眼は冷たかった。損得勘定だけのために常弘たちを救うと言い放った時よりも、冷たく見下げ、突き放すように見ていた。その視線には侮蔑すら感じられる。眼前に迫った氷山に圧倒され、常弘は何も言い返すことができなかった。

 

「小星さん」

 

 ふっと常弘は顔を上げると、詩乃が彼の胸ぐらを掴み、自分の眼前へと引き寄せた。

 

「大切な人を泣かせることが、貴方の正義なのですか?」

 

 

 

 

 

 

 壮助は朱理を追いかけて、まだマッピングしていない下のフロアへと向かっていた。ここのガストレア全部一人で倒すという言葉が本気なら、彼女はまだ探していないエリアを走り回っていることだろう。

 壮助も暗闇の中をライフルに取り付けた懐中電灯で照らしながら走り回っていた。プランなどなく、ただ闇雲に走っているだけだった。ガストレアの死骸でもあれば目印になると思っていたが、死骸どころか交戦の形跡すら見られない。

 突然、地面にぬめりが出てきて、壮助は足を取られた。転倒して全身を地面の粘液に浸しながら、走っていた時の運動エネルギーのまま地面をスライディングし、壁に激突した。

 

「痛ってえええええええええ!!クソ!なんだこれ!ヌメヌメして気持ち悪ぃ!!」

 

 壮助はビチャビチャした地面から壁を伝って立ち上がった。地面を懐中電灯で照らす。見えたのは不快なガストレアパープル、目標の肉片と血液が辺り一面に散らばっていた。

 すかさずライフルの安全装置を外し、戦闘態勢に入る。背中を壁につけて背後の隙を失くし、ライトで一面を照らす。そこにはおびただしい数のガストレアの死骸があった。マンションの時と同じタコと蛇が融合したガストレア。マンションの奴と比較すれば一回り小さい。簡単に数えても10体以上は切り刻まれて、絶命している。このガストレア達がマンションの時の奴より弱いのか、それとも怒りに身を任せた朱理の本気がなした業なのか、判断しかねた。

 その中、一つの通路に紫色の血の足跡がついている。ショッピングモールの外周から中央のぶち抜きホールまで続く通路だ。壮助は、その足跡を辿ることにした。

 最初の出入り口とは反対側の東ホールにまでたどり着いた。地下1階から地上の建物までぶち抜いた吹き抜け構造。中央には噴水広場らしきものの名残があり、周囲には蛻の殻となったテナントが立ち並んでいる。地上の建物までぶち抜いているので地上からの日光が差し込み、懐中電灯が不要なくらいには明るかった。かなり広い空間が確保されているので、中央にいれば周囲を一望でき、ガストレアの襲来を早く察知できる。

 そして、中央の像に身を寄せ、一人涙を流している朱理に壮助は歩み寄った。なんて声をかけるべきか分からないまま、彼女の前で佇んだ。

 朱理は顔を上げた。常弘が来たと思い込んで――――。

 

「ツネ――なんでアンタが来るのよ」

 

 これほどまでに喜怒が瞬時に変わる光景があっただろうか。

 

「悪かったな。俺で」

「ええ。悪いわよ。最悪だわ。なんでアンタなのよ」

「朱理に追えって言われたからだよ。別に、俺はお前に同情して来たわけじゃねえからな。どっちかと言うと、小星の言っていることの方が分かる」

「は?なんでよ」

「男だから」

 

 その一言だけだった。あまりにも説明不足な理由だったが、堂々と自信満々に「男だから」という一言で跳ね除けた壮助の言葉には、妙な説得力があった。

 

「どういう意味よ」

「合理性とか理屈とか関係ない。どうしても曲げられない意地が男にはあるってことだよ。女を前衛にして自分は後方支援とか、まともな神経している野郎じゃ耐えられねえ」

 

 壮助は朱理の手を掴んだ。一度は彼女が振りほどこうとしたが、それでももう一度手を掴み、無理やり立ち上がらせる。

 

「ったく。手間かけさせやがって。さっさと行くぞ」

 

 壮助は朱理に背を向け、目的の場所へと歩こうとする。しかし、朱理は立ち上がった場所から1歩もうごかず、俯いたままだった。

 

「行くって。どこに?常弘のところ?行ってどうするの?男の意地ってのは、どんな理屈も跳ね除けるんでしょ?そんなのどうすればいいの?」

「親父が言ってた。『男が意地を曲げる時は、大切な人のために曲げなきゃいけない時だ』――って。あいつの意地がお前のためなら、意地を曲げる理由だってお前にある」

「具体的にどうすればいいのよ」

「そうだな――――」

 

 ふと壮助が足を止めて、ライフルを構えた。朱理も小太刀を構えて、周囲を警戒する。ここはショッピングモールの最下層かつ中心地、周囲には多数の通路がある。ガストレアが来ていた。その全ての通路から、2人の視界を埋め尽くさんと多数のガストレアが襲来していた。15から20体は確認できる。更に増援が来るので、その倍以上は実際にいるかもしれない。

 

「こいつら全員ノーダメージでぶっ殺すとか?」

「それは随分とハードね」

「男の意地はハード(固い)だからな」

 

 

 

 

 

 

 頭部の痛みも引き、常弘は立ち上がって詩乃と共に2人を追っていた。イニシエーターである詩乃が先行し、後方で常弘がライフルを持って背後を確認する。

 

「止まってください」

 

 詩乃が手を伸ばし、常弘を制止する。

 

「この先のホールで2人とガストレア十数体が交戦中です」

 

 常弘には何も分からなかったが、かすかな音が詩乃の耳には入っていた。聴覚に優れた生物をモデルとした彼女にはそのかすかな音だけで壮助と詩乃が共闘していること、ガストレアが多数存在することが把握できていた。

 常弘はすかさずライフルの安全装置を外した。今にも飛び出さんと足を踏み出したが、詩乃が彼の服を掴んで無理やり止めた。

 

「パートナーのことが心配なのは分かりますが、落ち着いてください。2人とも生きていますし、状況もこちらが優勢です。我々がガストレアの群れの背後をつくことが出来れば、そこから一網打尽に出来るかもしれません」

「どうして、そう言い切れるんだ?」

「私は聴覚の優れた生物をモデルとした呪われた子供ですので。かすかな音だけで多数の情報を獲得することが出来ます。それは音の発信源の正確な位置から周囲の物体の材質まで目を開けず、触れずとも」

反響定位(エコーロケーション)……」

「正解です。けど、さすがにここからだとガストレアの動きや壮助たちの正確な位置までは把握できませんので、自分の目で見るしかありません」

「幸い、この先は地上から最下層まで通った吹き抜け構造のホールだからね。地上から光が入って、ライト無しでも視界が確保できる。だからこそ、2人はそこを戦場にしたんだろうけど」

 

 2人はゆっくりと通路を歩き、ホール最下層から一つ上のフロア、外縁部のテナントが立ち並ぶ通路に辿り着いた。それぞれ壁と柵に身を隠し、戦況を目に入れていた。

 

 広場の中央を陣取った壮助と朱理、全方位の通路から迫りくる無数のガストレア、詩乃は優勢だと言っていたが、どこをどう見ても全方位を囲まれた劣勢にしか見えなかった。しかし、戦場のど真ん中に立つ2人に敵に囲まれた緊迫感や焦燥感など見られなかった。

 

 それは戦いというよりも、喧嘩だった。

 

「かすった!!アンタの弾かすったんだけど!!」

「うるせー!!俺の射線上に立つな!毛虫!!」

「ああ!もう無理!あんたが後方とかありえない!!ガストレアより邪魔!!」

「文句あんのかテメェ!!やんのか!?ゴルァ!!」

 

 ガストレアを斬り刻み、銃撃しつつ、2人は喧嘩していた。ガストレアを倒しながら喧嘩し、喧嘩の合間にガストレアを倒している。

 

「臨時でも絶対に常弘以外とペアなんて組まない!!」

「ああ!!俺も詩乃以外は願い下げだ!!」

 

 史上最悪の民警ペアがここに誕生し、解散していた。

 

「何をやっているんだ。あの2人は……」

「……楽しそうですね」

 

 下のフロアの2人を見ながら、詩乃と常弘はガストレアに見つかっていないというアドバンテージを利用して、どう立ち回ろうか検討する。ガストレアは見た限りだと残り30~40体ほど。個体の戦闘能力は低く、バラニウム弾1発撃ち込むか、刀剣で一太刀でも浴びせれば絶命する程度だ。今回は全員が持てる限りの装備を持ってきているので、火力に関しては問題ない。時間はかかるけど、いずれは片が付く。ただ、不審な点があった。それは、ガストレアが利他的行動を取っているところだ。ガストレア達は仲間が殺されながらも次々と特攻しては撃破されていく。人間を捕食し、ガストレアを増やすことを至上命題としているとはいえ、その行動はタコ・ヘビと比較的知能の高い生物をモデルとしながら知性が感じられず、それどころか命を賭けて壮助たちを広場に縛り付けるような利他的行動すら感じられる。

 ガストレアは基本的に単体で活動し、己の生存のために活動する。利己的行動に満ちた生物だ。そこに群れるという習性が付加されるのであれば、実例を伴った一つの仮説が浮かび上がる。“統率者”の存在、かつて東京エリアを襲撃したアルデバランのような司令塔がこのガストレア群を統率している。

 

「――となると、僕たちは司令塔を叩いた方がいいな。今なら、群れに気づかれず、司令塔を探すことができる」

「いや、その必要はないですよ」

 

 突然、広場が暗くなった。地上からの日光が遮られたのだ。詩乃と常弘、下のフロアの壮助と朱理も天井を見上げた。

 

「向こうからやって来てくれたみたいです」

 

 詩乃たちのいるフロアから更に2~3階上、壁が崩落して広くなった通路から、1体のガストレアが姿を現した。その姿は群れのガストレアやマンション事件の時の個体よりも更に大きい。しかし、異なっているのは大きさだけではなかった。その統率者には、亀か貝類のような甲殻があり、柔肌を晒していた皮膚をそれで守っていた。砲弾すら弾き返しそうな堅厚な装甲は胴体と触手にあり、二重装甲と分割構造で触手の動きを阻害しない計算された配置になっていた。

 

「何だ……あの甲殻は?」

「もしかしたら、感染者の赤目の形質を取り込んだのかもしれません。ここでガストレア化した少女が亀かカニか貝か、それとも甲虫か、何かしらの甲殻を持った生物の因子を持っていて、ガストレア化した時にその形質も反映される事例は報告されていますから」

「だとしたら、あいつはステージⅢか……」

 

 

 

 

 

 

「何?あれ」

「おいおい。親玉がいるとか聞いてねえぞ」

 

 統率者の出現に壮助と朱理は唖然としていた。周囲の雑魚だけなら自分たちだけでも相手が出来たが、堅牢な甲殻に包まれた親玉となると壮助のライフルやグレネードで貫けるかどうかで勝敗が逆転してしまう。

 壮助はすかさずライフルグレネードを統率者に向けて引き金を引いた。グレネードは甲殻に直撃し、爆発。その破片をまき散らすが、統率者の甲殻に傷一つつけることはできなかった。

 統率者は、触手を動かして体を這わせると、そのまま広場へと落下してきた。自分の配下をその巨体で押し潰し、粉塵が舞い上がる。

 壮助は再び統率者に向けて引き金を引く。放たれた弾頭はガストレアの甲殻の前に弾かれ、跳弾して四方八方に飛んでいく。

 

「クソッ!どんだけ硬いんだよ!!」

「伏せて!義搭!!」

 

 壮助が反射的に伏せた途端、彼の頭部があったところを統率者の触手が掠めていく。壮助がギリギリで回避できたところを安堵した途端、次の触手が上から振り下ろされる。甲殻を纏い、重量も伴った一撃は地面を打ち砕いた。壮助は間一髪で身を起こして回避したが、飛び散った大理石の破片が頭部に直撃する。

 

「義搭!!」

「俺は無事だ!他人の心配している場合か!?」

 

 残り6本の触手が先端の蛇頭を開き、朱理に向かっていく。しかし、甲殻の重さによって動きも速度も鈍くなった統率者の攻撃は朱理にとっては脅威にもならなかった。軽々しく触手を回避し、飛び上がって伸びた触手の上に着地した。

 そのまま触手の上を走って一気に統率者の本体と距離を詰める。統率者は触手を振り上げて朱理の足場を崩すが、その衝撃を利用して更に前進し、統率者の眼前に着地した。――瞬間、小太刀を振り抜き、統率者の眼孔に突き立てた。

 

 

 ガンッ!!

 

 

 統率者は瞼を閉じていた。外殻と同じ物質で形成されていた瞼は小太刀を受け付けなかった。

 統率者は全身を大きくうねらせ、朱理を振り落とした。すかさず触手で地面に叩きつける。身動きできない空中で振り下ろされた触手は朱理に直撃し、地面に突き落とした。触手の蛇頭が開き、朱理に食らいついた。万力のように彼女の身体を挟み込む。骨が軋み、肉が断裂する音が聞こえるが、痛みを無視して朱理も目を赤く輝かせ、両手で必死に抵抗する。

 

「那沢!!」

 

 壮助が統率者に向けて引き金を引く。フルオート射撃で放たれた弾丸は統率者の甲殻によって弾かれてしまう。肉が見えている部分も触手を使って巧みに防いでいく。弾倉の中身を使い尽くし、新しい弾倉に取り換えようとした途端、周囲で固まっていた他のガストレア達が壮助に群がってきた。

 

「邪魔すんな!雑魚が!!」

 

 装填が間に合わず、ライフルの先に取り付けた銃剣で応戦する。銃床で殴りつけ、銃剣で突き刺し、少し離れた敵には腰の拳銃を抜いてバラニウム弾を叩き込んでいく。隙を見て装填すると、再びフルオート射撃で横薙ぎしていく。群れのガストレアが壮助への攻撃に集中しており、朱理の助けにまで手が回らなかった。

 統率者の触手は更に朱理をしめつけていく。朱理の力が弱まってきたのか、蛇頭の上顎と下顎の幅が段々と短くなっていく。毒牙も朱理の服を破り、皮膚に到達しようとしていた。

 

「小星!!てめぇの相棒が死ぬぞ!!くだらねえ意地張ってねえで、さっさと来やがれ!!」

 

 

 

 

 ――ああ。君に言われなくても、分かってるさ

 

 

 銃声が鳴った。1発だけ放たれたバラニウム弾は触手の蛇頭の目を撃ち抜いた。その痛みに怯んで蛇頭の噛む力が弱まった。その一瞬を朱理は見逃さず、蹴って口から抜け出した。更に追い打ちで下顎を蹴り飛ばした。

 朱理は落下しながら、見渡して狙撃手を探す。誰なのかは分かっている。だけど、その目で見て、確かめずにはいられなかった。

 一つ上のフロアで“見慣れた顔の狙撃手”がそこで構えていた。

 

「常弘!」

「朱理。色々と話したいことがあるけど、それは後にしよう」

「……うん」

「来るのが遅ぇぞ!もう親玉ぐらいしか手柄残ってねえからな!」

「それで十分だよ。それと、君のパートナーから伝言。『インカムのスイッチを入れろ』って」

「スイッチ?そんなの……あ、切れてた」

 

 壮助が耳元のインカムを指の感触で確認すると、確かにスイッチが切られていた。ガストレアの血ですべって転んだ時に何かがスイッチに当たってしまったようだ。

 

『壮助?聞こえる?』

「ああ。聞こえてる。悪かったな」

『うん。ちょっとの間なんだけど、その親玉を広場の中心で足止めしてもらっていい?』

「ちょっとってどれくらいだ?」

『多分、あと3分ぐらいかな』

「こっちは有効な攻撃手段がほとんどねえからな。長くはもたねえぞ」

『了解。全速力で駆け上がるよ』

 

 ――駆け上がる?

 

 壮助は詩乃の言っていることが気になったが、今は彼女を信じて従うしかなかった。

 2人にも説明し、広場の中央でガストレアを足止めする。

 現在、ガストレアは広場の中央にいる。そのため、詩乃の作戦のために追い立てたり、引き寄せたりする必要はない。幸い、動き回るようなガストレアでもないので時間まで現状を維持すればいい。問題は、その数分の間まで全員が無事でいれる保証はなかった。

 

「朱理!とにかく走り回って触手を引きつけろ!攻撃することは考えなくていい!」

「分かったよ」

「義搭!手榴弾かグレネードは残ってるか!?」

「生憎と腐るほど残ってるぜ!」

 

 

 

 

 

 

 詩乃は全速力で階段を駆け上がっていた。最下層の一つ上、地下6階から地上2階まで駆け上がるのは呪われた子供である詩乃にとっても骨が折れた。飛んだり跳ねたりする軽量でスピードタイプのイニシエーターならもっと早く楽に行けたかもしれないが、詩乃はその真逆のタイプだった。

 地上2階に辿り着いた。吹き抜けホールの最上階、外縁部に立ち、最下層を見下ろす。日光が差しているお陰でガストレアの位置がはっきりと見える。まだ日は登っているが、正午を過ぎてやや落ちかけていた。ここで失敗すれば、次のチャンスは無い。

 詩乃は深呼吸して、自分の位置、ガストレアの位置、風向き、落下速度と到達予定時間を計算する。

 

 ――よし!

 

 詩乃は重槍“一角”を握りしめると、ホールの中へと飛び降りた。

 

 ――落下速度、風向き、予定ポイント問題なし。次のチャンスはない。下すはただ一撃。この一撃に私の全力を込める。

 

 瞬く間に地面が近づいてきている。ガストレアに応戦する壮助、常弘、朱理の姿も見えてきた。時間はもう残されていない。数秒もない間に詩乃は槍を握りしめ、タイミングを計る。赤い目を輝かせ、腕の筋肉を収縮させる。統率者に、森高詩乃の乾坤一擲の一撃が下された。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!」

 

 50メートルからの落下で得られた位置エネルギーに槍を振り下ろす赤目随一のパワーが合わさった。バラニウム製の重槍に叩きつけられた統率者の甲殻は鼓膜を揺さぶる激しい音響と共に砕け散った。

 

「「今だ!!」」

 

 壮助と常弘はアサルトライフルを露出した頭部に向け、引き金を引いた。今そこにしかない好機を逃すわけにはいかない。2人は弾倉が空になるまで撃ち尽くした。その隙に朱理が小太刀を持って走り出す。触手による抵抗を難なく回避し、露出した頭部に深々と刃を突き刺し、刃で血肉を断った。

 統率者の目から光が消え、天に向けられていたその頭は横たわり、地に落ちた。触手も動かなくなる。統率者は死んだ。民警たちの勝利だった。

 

「勝ったね」

「ああ。僕達の勝ちだ」

 

 ただそれだけの言葉を交わすと、朱理が統率者の死骸から飛び降り、佇む常弘の前にゆっくりと歩み寄った。統率者との戦いは済んだ。

 しかし、2人の話はまだ済んでいない。話したいことはたくさんある。言いたいこともたくさんある。肯定したいところも否定したいところもたくさんある。どう声をかければいいのか。自分は何を(彼)彼女に伝えようとしているのか。それすら定まらないまま、2人は歩み寄った。

 

「朱理。僕は――「駄目だよ」

「常弘は民警をやめちゃ駄目」

「朱理が良くても……僕が駄目なんだ。君の強さに甘えて、僕の理想のために君を何度も戦場に放り込んだ。僕の夢が……理想が、いつか君を殺してしまう。それが怖くて仕方がないんだ」

 

 常弘の唇が震える。溢れる感情を抑えられなかった。

 朱理は、震える彼の身体をそっと抱きしめた。

 

「ありがとう……。だけど、私は民警をやめない。ツネヒロにもやめさせない。あの遊園地で誓った言葉を、私は嘘で終わらせたくない。だから、今度こそ、一緒になろう。“本当の民警”に」

 

――朱理、僕、将来は民警になりたいッ。だから、その……良かったら僕のイニシエーターになってほしいんだ!

 

――ツネヒロがそうしたいなら。

 

浮かび上がる。かつての言葉。

ツネヒロと朱理の全てが始まった遊園地での誓い。

 

「僕は大馬鹿者だよ。自分が言い始めたことなのに……。すっかり忘れていた。こんなにも大切なことを……」

 

 

 

 

 

 

 問題は山積みだ。

 僕達は弱いままだし、朱理が傷付くことはこれからもたくさんあるだろう。

 今回みたいな葛藤もこれからたくさんあるだろう。

 だけど、僕のやるべきことは“あの時”から決まっていた。

 あの時に、全部決まっていたんだ。

 あの時のように、朱理の手を掴むんだ。

 あの時のように、朱理を手放さず、強く繋ぐんだ。

 

 もし闇が追い付いたら、

 

 “あの時の民警のように”今度は僕が立ち向かえばいい。

 

 そのためには強くならなければいけない。

 やらなきゃいけないことはたくさんある。

 迷っている暇なんてない。

 

 だからもう、天秤は必要ない。

 




小星常弘という男 解説
本編がなかなか進まないのにこのような寄り道(番外編)にお付き合いいただき、ありがとうございます。
小星常弘と那沢朱理、この二人は原作2巻冒頭で登場し、悲惨な境遇から蓮太郎に救われ、彼のような民警になりたいと志しました。原作を読んでいた人の中には、「あの2人はあの後、どうなったんだろう。ちゃんと民警になれたんだろうか」と気になっていた人も多いと思います。私も同じことを考えており、6年後を舞台にしたこの作品で民警になった常弘と朱理を出しました。
同時に、普通の人間が英雄(蓮太郎)になろうとする葛藤、愛と理想のジレンマというのもテーマに盛り込みました。
原作ではガストレア出現から10年しか経っていないので、イニシエーターは全員10歳かそれ以下。プロモーターとの関係も主人と奴隷、対等なビジネス、兄妹、姉妹、親子、友人といったものが多かったと思われます。10歳以下の少女を恋愛対象にするプロモーターは(ロリコンサイボーグを除く)ほとんどいませんでした。
しかし、本作は6年後、イニシエーター達の中には思春期真っ只中の子が多く、プロモーターを恋愛対象として見る子、普通の男子に恋をする子、逆に彼女達を恋愛対象として見るプロモーターも出て来たと思います。同時に大人として独立した人格が形成されていくため、プロモーターと意見がぶつかり合ったり、反抗期のイライラをそのまま仕事に持ち込んだり等、両者の関係は多種多様になっていきます。その中で、思春期のイニシエーターとそれを少し過ぎたプロモーターという多様化した関係の一例として、小星ペアを描けたら良いなと思いました。
この物語に義搭ペアを出したのは、「守りたい誰か」のために戦っている常弘と、常に「自分」のために戦っている壮助を対比的に描写できればと思っていましたが、そういった描写を上手く挟めませんでした。


気を持ち直して、次回から、第一章のラストバトルに突入します。

里見蓮太郎は本当に破壊者になったのか

それとも破壊者を演じる正義の奴隷なのか

2人の“贖罪の仮面”が外れた時、物語は始まる。


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空を貫く一閃

第一章「黒い仮面」のラストバトル、序章です。


 

 月灯りに照らされた雲海を2つの黒い影が飛び抜ける。月と星、そして宇宙へと繋がる果てしない暗闇だけが見える雲上の虚空で2つの影は自由を謳歌するように風を切っていた。

 

『クネヴィッチ。こちらフィーリエン1(アージン)。目標を補足。これより超音速巡航に入る』

『フィーリエン1。こちらクネヴィッチ、了解した。目標との距離は現状を維持しつつ観測を続行せよ』

『フィーリエン1、了解』

『フィーリエン2(ドゥヴァ)、了解』

 

 ウラジオストックエリア空軍所属の戦闘機 Su-35、識別コード《フィーリエン1》、《フィーリエン2》は、とある任務を帯びて日本海上空・高度20000フィート、ウラジオストクエリアの東方400kmを飛行していた。

 任務内容は「飛行ガストレアの監視」

 “ガストレアは躊躇いなく撃ち殺せ。肉親の成れの果てだとしても撃ち殺せ”――と教育されてきた彼らからすれば、群れを成さずたった1体で飛行するガストレアを攻撃せず、“一定の距離を維持したまま監視するだけ”という任務内容は奇妙に思えた。

 しかし、与えられたガストレアに関する情報、フィーリエン1、フィーリエン2の眼前に広がるこの世のものとは思えない光景が、2人の疑問を払拭した。奇妙な任務内容にも納得がいく。奴を殺せるのであれば、殺したい。今の人類に、“あれ”を殺せる手段があれば。

 今、この空を支配しているのは鳥でもなければ、人類の航空機でもない。マッハ3で飛行する全長100メートルの巨大な貝殻だった。三角錐を横に倒したような形状をしており、出来立ての石膏のように不気味なほど真っ白だ。貝殻には細かい彫刻のような溝が入っており、その溝を空気が通ることで翼を持たなくても浮力を獲得している。貝殻の後部には軟体生物の噴出口と触手が伸びている。噴出口はタンパク質で作られたロケットエンジンとなっており、体内で化学合成した未知の液体燃料により、マッハ3の超音速飛行、瞬間最大速度マッハ50という現実離れした飛行を実現している。更に触手による空気抵抗の操作はハリケーンの中でも微動だにしない安定性を獲得しており、人類が築き上げた航空力学を真っ向から否定する飛行をそのガストレアは実現していた。

 

 ステージIVガストレア コードネーム“スピカ”

 

 現在確認されている中で世界最大の飛行ガストレアであり、“人類から空を奪ったガストレア”の悪名を持つ。

 最初に発見されたのは、2033年のイスラエル・テルアビブエリア。その日、レーダーで飛行ガストレアを捕捉したパルマヒム空軍基地は高高度からのガストレア侵入を警戒したため、バラニウム弾頭空対空ミサイルを搭載したF-15E ストライクイーグル2機を出撃させた。悠々と飛行する異形のガストレアにイスラエル航空宇宙軍は躊躇いなくバラニウムミサイルを発射。全弾が命中し、ガストレアは絶命して墜落したかと思われた。しかし、次の瞬間、飛行ガストレアはマッハ50という驚異的な速度で移動し始め、その甲殻による体当たりで2機のF-15Eを撃墜。更に地上部隊からのミサイル攻撃を軽々と回避すると、速度を維持したまま地上から数メートルの超低空飛行でテルアビブエリアを蹂躙。戦車の砲撃も防ぐ甲殻で次々と高層ビルを突き崩し、超音速飛行により発生したソニックブームにより周囲の建造物も粉砕、そして、去り際に一つのモノリスを突進で崩壊させながら、空の彼方へと消えていった。

 その後のテルアビブエリアは地獄だった。モノリスの倒壊により大量のガストレアがエリア内になだれ込み、イスラエル軍とガストレアの総力戦が始まった。陣地形成も住民の避難もままならない突発的な状態で始まった戦いは混迷を極め、エリア内にいる全ての民警、兵役を受けた市民も徴用し、2年にも亘る泥沼の総力戦を繰り広げた。

 

 30分足らずで一つのエリアを壊滅させ、モノリスを倒壊させたスピカは空飛ぶ厄災として恐れられるようになった。

 

『クネヴィッチより、フィーリエン隊。そちらに2機の戦闘機が向かっている。しかし、我々の目標はスピカだ。忘れるな』

 

『フィーリエン1よりクネヴィッチ、了解。戦闘機をレーダーで確認』

 

 雲海を飛び抜けて、更に2機の戦闘機が浮上してきた。札幌エリア航空自衛隊所属の戦闘機F-15Jだ。スピカともSu-35とも距離を取っている。

 

『サッポロの連中か』

 

 ここはウラジオストックエリアの西方400kmの空域。そこはウラジオストックエリアの防空識別圏であるが、それは同時に札幌エリアの防空識別圏にも該当している。両エリアは日本・ソ連時代からのにらみ合いを2030年代後半になっても続けている。

 しかし、今は互いに領空のことを気にしていられる状態ではなかった。

 イスラエルでの悲劇から、世界中のエリアで共通のスピカ対応策が取られた。

 

 “近づくな。攻撃するな。刺激するな。”

 

 触らぬ神に祟りなしと言わんばかりの消極的な対応だ。こうして監視しているのも気休め程度でしかない。仮にスピカが何かしらの行動を開始したとして、今の人類に対応策がない。

 4機の戦闘機が見守る中、スピカの甲殻に光の文様が浮かび上がる。触手で空気の流れを操作し、甲殻の先端の方角を変えた。後部にある噴出口でアフターバーナーを吹かせ、速度を上げて雲海の中へと消える。

 札幌エリア航空自衛隊のF-15Jもスピカを追って、雲海の中へと機首を下げていった。

 

『フィーリエン1よりクネヴィッチ。スピカが東に方角を変えた。指示を乞う』

『クネヴィッチよりフィーリエン隊。貴君の任務は完了した。直ちに帰投せよ』

『フィーリエン1。了解』

『フィーリエン2。了解』

 

 

 

 

 

 

 ガストレアテロから2日後の朝。カーテン越しに陽光が差し掛かるワンルームで壮助と詩乃は食卓を囲んでいた。朝食を口に詰めながら、壮助は朝のワイドショーに目を向けていた。

 話題の内容は言うまでもなく、ガストレアテロと里見蓮太郎のことだった。事件から36時間も経過すると、メディアも様々な情報を仕入れてくるようで、蓮太郎の犯行演説と被害の凄惨さを物語るだけの内容から、ガストレアの行動を分析したり、蓮太郎の演説の内容を解説したりと報道の重点がテロの“結果”からテロの“起因”に重きを置くようになった。蓮太郎の生い立ちや人間関係、民警としての功績などが紹介され、その経歴から英雄がテロリストになった原因を探るような内容だった。

 どの番組でも天童家の汚職がクローズアップされる。不正を隠すための家族殺しが横行した天童家で過ごした幼少時代が彼の世界に対する憎しみを育んでいき、民警時代の活躍は歪んだ自分を隠し、憎んでいる世界に適応しようとした結果だと論じている番組が多かった。今回の事件は里見蓮太郎が幼少時代から持っていた憎悪が発現したものというのが、一般論となりつつあった。

 

「壮助。これからどうするの?」

 

 食べ終わった食器を片付けながら、詩乃が尋ねる。

 壮助は口の中の朝食を飲み込んで、一呼吸置く。

 

「あの仮面野郎を追う」

「いや、それは分かるけど、具体的にどうするの?こっちから探す?それとも、向こうが動くまで待つ?」

「こっちから探す。家でジッとしてたら身体が鈍っちまう」

「何か探す当てはあるの?」

 

 詩乃が尋ねると、壮助は「ん~」としばらく思いふける。詩乃は何のプランもなく探すと言い切った壮助の無謀さに今更ながらため息を吐く。

 

「15区に情報屋やってるダチがいるから、とりあえずそっちに行ってみるかな」

 

 壮助が詩乃の顔を見た時、彼女はハトが装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)を食らったような顔をしていた。

 

「なんだよ。その凄く何かを言いたそうな目は」

「壮助……。友達いたんだね」

 

 それは、彼女の実年齢からは想像できないくらい慈愛に満ちた目だった。

 

 

 

 

 

 

 勾田署の近くにある雑居ビル。その裏口の前で2人の男がタバコを吸っていた。

 一人は勾田署刑事課の遠藤弘忠、もう一人は松崎民間警備会社の大角勝典だ。スーツ姿のくたびれた中年刑事とミリタリージャケットを羽織った筋骨隆々な民警という異様な組み合わせだが、誰も利用しない裏口でそれを気にする者はいなかった。

 遠藤弘忠は刑事であり、大角勝典は民警である。現場の主導権や曖昧な法の枠組みから対立が続いているが、警察外部で動かせる手と足が欲しい人間と、警察内部の情報を集める目と耳が欲しい人間の利害が一致した時、警察関係者と民警の奇妙な関係が生まれる。遠藤と勝典の関係もある事件を切っ掛けに“警察外部で動く手足”“警察内部を覗く目と耳”という関係を構築していった。

 

「……なるほどな。本庁の奴らが騒がしいと思ったら、防衛省でそういうことがあったのか」

「ああ。お陰で、大金を目の前にしてもほとんどの民警が尻すぼみしている。どこぞの民警会社の社長は里見蓮太郎に殺されるって思い込んで、他のエリアに高飛びしたって話らしい。その上、報酬を巡って潰し合いまで起きているからな」

「そういえば、民警課の奴らが騒いでいたな。片桐玉樹に逮捕状を出すとかどうとかで」

「今じゃ、潰し合いの手が届いていない個人経営の民警や俺達みたいな小規模な会社、あと最大手の我堂民間警備会社ぐらいしか動いていない」

「里見蓮太郎の所在は?何か掴めているのか?」

「いや、確かな情報は何も掴めていない。我堂の連中にも探りをかけてみたが、向こうも同じだ。ただ――」

「ただ?」

「ウチの社長が気になることを言っていた。『ガストレアテロは被害者が出ないように仕組まれていた』って」

「お前んとこの社長が……か。確かに、ガストレアが4体も暴れ回って死者0名ってのは奇跡にしちゃ出来過ぎている」

「ああ。だから、里見蓮太郎の真意は世界への復讐とは別のところにあるかもしれないって社長は考えている。その真意が分かれば、苦労はしないんだけどな」

「世界への復讐とは別のところにある真意か……」

「ところで、警察の方は何か掴めているのか?」

「いや、何も掴めてない。“警察としては”……な」

 

 遠藤がタバコを左手に持つと、ポケットからスマートフォンを取り出した。右手で操作しながら、彼は話し続けた。

 

「俺の警察学校時代の先輩で、里見蓮太郎と一緒に仕事した人がいる。今は退職して隠居してるんだが、その隠居生活6年を“ある都市伝説”の調査に費やしていた。――これだ」

 

 遠藤はスマートフォンであるサイトのページを開き、それを大角に渡した。多田島が見つけたものとは別のスマートフォン用の都市伝説サイトだ。個人が作ったホームページなのか、デザインはそれほど洗練されていないが、古臭さも感じられない。

 

「五翔会か……。現代版のフリーメイソンやイルミナティみたいなものだな。この都市伝説がどうかしたのか?」

「俺の先輩曰く『この五翔会ってのは実在していて、里見蓮太郎は五翔会をぶっ潰すためにガストレアテロを仕掛けた』ってさ」

「その先輩大丈夫か?酔っ払ってなかったか?部屋に白い粉や注射器は無かったか?」

「そんなわけあるか」

 

 勝典は遠藤に渡されたスマホでそのページの文章を読み進める。各エリアの政治中枢に入り込んで暗躍、羽根のタトゥーを持つ構成員、東京エリアで関わったとされる事件がつらつらと記されている。子供の頃や若い頃にアニメで何度も見たことがあるような設定の組織の解説に半信半疑を通り越して、一信九疑の気持ちで読み進めている。

 

「なんというか、とことん胡散臭い都市伝説だな。それで、この都市伝説と里見蓮太郎に何の関係があるんだ?」

「聖天子狙撃事件、冤罪事件と警察の大規模人事異動、リブラ事件、関東会戦1周忌式典襲撃、いずれの事件も五翔会が関っていて、それを解決してきた里見蓮太郎は五翔会の敵になっていた。そして、五翔会は里見蓮太郎から大切なものを奪った。俺達はあの放送の“世界”が現代社会そのものではなく、その裏側に潜んで世界を動かしている五翔会を指しているんじゃないかと思っている」

 

 勝典が訝しそうな視線を遠藤に向ける。

 

「そんな目で見るなよ。正直、俺も100%この話を信じているわけじゃない。――が、否定できる材料も揃ってない。何も情報を掴めてないなら、都市伝説だろうが何だろうが縋らせてもらうさ」

「その都市伝説が事実だとしたら、里見蓮太郎は本格的に五翔会のメンバーを襲撃することになる。だとしたら、狙われるのは誰だ?」

 

 遠藤は懐から雑誌を出すと、あるページを開いて大角に渡す。博多黒膂石重工の若き最高経営責任者 芹沢遊馬を紹介した記事であり、東京エリアで防衛技術関連企業向けに行った講演会での写真が掲載されている。

 

「ガトレアテロの翌朝。河川敷で首のない死体が発見された。背格好と身分証明書からその死体は一時的にだが、芹沢遊馬だとされていた」

「“されていた”?」

「ああ。何もかもが偽物だった。身分証明書も非常に高いレベルに偽装されたもので、この仏さんは芹沢遊馬に成りすました“誰か”さんだった。残された胴体からDNA解析を進めているが、警察のデータバンクに該当する人物はいない。今でも名無しの仏さんだ」

「その首なし死体と里見蓮太郎にどういう関係があるんだ?」

「殺し方だよ。被害者の頭部は左右から鋭利な刃物でスッパリと切断されたものだった。鋏か、二振りの刀か何かが凶器だと推定されている。それで人間の首を、骨までぶった切れるような奴、まず普通の人間じゃない。赤目じゃないとできない芸当だ」

「二振りの刀を持った赤目の殺人鬼……。蛭子小比奈か」

「正解だ。6年前の十月コーポレーション社長殺害事件の時と同じやり口だった。防衛省の時、里見蓮太郎と蛭子小比奈は手を組んでいたんだろ?だとしたら、こいつは、里見の命令で殺した可能性は高い」

「なるほどな。本物を殺したと思っていたら実は影武者だった。だから、次こそ本物を狙いに来る」

「もしくは、その逆か」

「逆?」

「ああ。五翔会と芹沢の関係については、俺達も分かっちゃいない。だから、とりあえず2つの仮説を立てて、その両方を前提に調べることにした」

 

 仮説1

 芹沢遊馬は五翔会のメンバーであり、里見蓮太郎に命を狙われている。芹沢は自分の影武者を用意していたが、ガストレアテロの際に影武者を殺害される。里見は自分たちが殺した男は影武者だと分かり、次こそ本物を殺そうと行動する。

 

 仮説2

 芹沢遊馬は五翔会のメンバーではなく、五翔会とは敵対関係にある。五翔会は芹沢の偽物を用意し、芹沢のフリをして何かをしていたが、それに気付いた芹沢は同じく五翔会を敵とする里見蓮太郎に偽物の殺害を依頼し、里見と蛭子が実行した。今後も東京エリア内にいる五翔会メンバーを殺害するために協力する可能性がある。

 

「勾田署としては、どう動くつもりだ?」

「こっそり私服警官を配置させるくらいだ。都市伝説と引退した元刑事の情報だけが根拠だからな。大々的に動けないし、もしまた里見が他所でテロをやらかしたら、そっちに動かなきゃならない。それに、ガストレアテロを理由に警視庁警備部がエリア内部の要人警護に動き出している。芹沢遊馬も警護対象に含まれている。セキリュティポリス(SP)が目を光らせているし、有事に備えてSATも待機状態に張っている。里見蓮太郎が出て来たところで、俺たちの出る幕はない。悔しい話だが、手柄は本庁の奴らにくれてやる」

 

 勝典が持っている遠藤のスマホ画面が切り替わった。時刻が表示され、バイブレーションで一定のリズムで振動する。

 

「おっと。もうこんな時間か。そろそろ戻らないと怪しまれちまう」

 

 遠藤は勝典からスマホを返してもらうと、アラームを消して、ポケットに入れた。

 

「随分と時間に余裕がないんだな」

「先日、可愛い後輩を囮にして、公安の黒服から尻尾を巻いて逃げたからな。監視の目が厳しくなってる。今だって、トイレって嘘吐いて、裏口から抜け出してきてるんだ。そろそろ戻らねえと、便秘でも言い訳がつかねえ」

 

 

 

 

 

 

 博多黒膂石重工東京エリア支社の正面に1台の黒塗りの高級車が泊まっていた。その高級車を守るように白黒の見慣れたパトロールカーや防弾仕様の警護車両が周囲を囲んでいる。制服の警官やスーツ姿のSPが神経を尖らせ、周囲に目を光らせる。

 支社の入口から2人の男と1人の女性が姿を現した。芹沢遊馬と彼の秘書、そしてスーツ姿の恰幅の良い中年男性だ。遊馬と秘書が中年男性よりも1歩前に出て歩き、男が見送るように背中を見届ける。

 車を目の前にして、芹沢は振り向いた。

 

「それでは、予定通り私は博多の本社に戻る。東京エリア支社のこと、よろしく頼む。倉木東京エリア支社長」

「ええ。大船に乗ったつもりでいてください」

 

 ――と倉木は胸を張り、自信満々に答える。

 

「それは頼もしいな。本社で君からの吉報を心待ちにしているよ」

 

 両側の後部座席のドアが自動で開き、遊馬と秘書が後部座席へと座った。運転席には表情の硬い生真面目な男が既にハンドルを握って待機しており、慣れた手つきでボタンを操作し、後部座席の扉を閉じる。

 

「では、エスコートを頼むよ。東京エリアの警察諸君」

 

 彼の言葉に応えるかのように、運転手はアクセルペダルを踏み始めた。

 

 東京エリア支社から、空港までは20分近く。その長いようであっという間の道のりの中、遊馬は窓から東京エリアの景色を眺めていた。大戦前と変わらないコンクリートジャングル、行き交うビジネスマンたち、お昼のひと時を楽しむOLたち、公園に集まる失業者たちを目に焼き付けていく。

 

「そんなに東京エリアが名残惜しいですか?」

「ずっと仕事続きだったからな。せめて、観光地の一つでも寄りたかった」

 

 コンクリートジャングルを抜けると、そこは青い景色だった。視界を覆いつくさんとする青い空と青い海、そして数本の灰色の線――海上の高速道路だった。東京湾を一望できる絶景、数本の高速道路とJR線、そして海上に浮かぶ孤島の空港が彼らの行先だった。

 

 東京エリア・アクアライン空港 第四連絡通路。遊馬と警護車両が走る道路の名前だ。

 2037年の東京湾にはいくつもの孤島が存在する。数百年前、人々は海を埋め立てることで少ない平地を拡大し、陸地を繋ぎ、そこに巨大な都市を建設した。それは江戸と呼ばれ、時代を経て東京都と呼ばれた。しかし、ガストレア大戦による都市機能の壊滅、地盤沈下、地震による液化現象、超弩級ガストレアの闊歩により埋立地の大半が崩壊して水没し、陸続きとなっていた埋立地の大半が沈むか、あるいは一部が沈んで東京湾の孤島となっていった。

 東京エリア・アクアライン空港もそんな東京湾の孤島の一つだ。かつては羽田空港と呼ばれ、世界と日本を繋ぐ出入り口の一つだったが、ガストレア大戦で埋立地の一部が水没して孤島となり、陸地と繋いでいたJR線や高速道路、アクアラインも崩落。そこから10年もの歳月をかけて、空港としての機能を再建し、陸地と繋ぐインフラを再建したのが、アクアライン空港である。

 アクアライン空港を繋いでいるのは、洋上に建設された4本の高速道路、そしてアクアライン線と呼ばれる線路だけだ。

 連絡通路を走り抜けると、防弾ガラス越しに空港の駐車場が見えた。ハリウッドスターでも来日するのだろうか、報道関係の車両で駐車場がごった返しているのが分かる。

 運転手が内心戸惑っているのが分かる。片手で小型マイクを口元に寄せ、連絡を取る。

 

「本部。聞こえるか?空港が報道関係者だらけだ?どうなっている?」

『こちら警備本部。どうやら、SNSで芹沢遊馬が今日、空港に来ることがリークされている。発信元は不明。だが、計画に変更はない。搬入路に向かってくれ』

 

 警察は遊馬の警護に集中している。外に目を向けているが、あくまで対象は遊馬の身に危害を及ぼす人間だけだ。空港の警備隊は予想外の報道陣や野次馬の対応に追われていて、当初の警備計画が破綻。目の前の処理で手一杯になっている。警察が入る搬入路と利用客や報道陣でごった返す出入り口以外の警備は後回しにされ、手薄になっている。

 

 ――テロを起こして、注目を集めるには絶好の機会だな。舞台は整えてやったぞ。里見蓮太郎。後は、君の奮闘次第だ。

 

 

 

 

 

 

 東京エリア第一区の作戦本部、日本国家安全保障会議(JNSC)では、ガストレアテロから眠らない夜が続いていた。あのテロにより、東京エリアの安全保障は崩壊したも同然だった。ガストレアテロは、その場に居合わせた民警と自衛隊の迅速な行動によって死者0名という奇跡的な結果で終わった。しかし、ガストレアが及ぼした都市機能の停滞、インフラの破壊は心象的に、経済的に、政治的に大きな打撃を与え、東京エリアを“いつガストレアに襲われてもおかしくない危険地帯(レッドゾーン)”に変えていた。1秒後の安全すら保障できない。ガストレアテロの予防策すら見いだせない状態でいた。

 

『――以上が、司馬第三技術開発局で行われた解析結果だ。そして、私の見解だ』

 

 薄暗い作戦本部のモニターに映っていたのは、目に生気を持たない白衣の女――室戸菫だった。彼女はガストレアテロで使用されたガストレアの脳内から摘出されたバラニウム機器を司馬第三技術開発局で解析した結果を安全保障会議に報告していた。

 報告を受けているのは、東京エリア首長である聖天子だ。会議室を一望できる円卓の上座に腰をかけている。テレビの前で見せるドレスのような装束とは打って代わり、白を基調としたフォーマルなスカーとスーツを身に着けており、今の彼女からは純白の令嬢というより、東京エリアを預かる為政者としての一面が強くイメージされる。

 

「ガストレアを洗脳し、支配する装置。夢のようではありますが、まさかこのような形で利用されるとは思いませんでした。それほどまでの装置、作れる人間に心当たりはありますか?」

『こんなの作り上げる人間なんてグリューネワルト翁しか思いつかない。それ以外だと、100万歩譲ってエインの糞野郎だが――』

「室戸先生。ここは公の場です。言葉は選んでください」

『おっと、これは失礼。とりあえず、個人で思い浮かぶのはこの2人だけだが、洗脳装置の構造が賢者の盾に酷似していることから、製作者はグリューネワルト翁で間違いないだろう』

「ですが、アルブレヒト=グリューネワルトは4年前に何者かにより暗殺されています。仮に生きていたとしても彼には、里見さんと敵対する理由は数あれど、里見さんに協力する理由がありません」

『聖天子様。私が話しているのは、あくまで製作者の話だ。あれはグリューネワルト翁の遺産かもしれない。たまたまそれを手に入れた蓮太郎が、協力者を得てガストレアテロに使った』

「協力者……ですか?」

『ああ。あのテロには確実に協力者が必要だ。洗脳装置の運用にはグリューネワルト翁と同じかそれ以上にガストレアの脳機能に深い知識とガストレアを患者にして脳外科手術を行う技術が必要になる。蓮太郎じゃ無理だ』

 

 聖天子はガストレアテロが蓮太郎の単独犯でないことは薄々分かっていたが、こうして人類最高の頭脳の持ち主に言われると尚更それを自覚させられる。あの放送の中に蓮太郎の真意はどこにあるのか、本当に彼の言葉なのか、それとも背後にある組織の手駒としての言葉なのか。もう里見蓮太郎はガストレアテロを引き起こしたテロリストとなった。彼が正義の味方に戻る道はもう残されていない。しかし、その心にまだ良心が、正義が残っているのであれば、聖天子としての立場をフルに活用して、彼を救うことが出来るかもしれない。そう期待せざるをえなかった。

 

 ――里見さんには、確実に次の一手は打たせない。

 

「室戸先生。さきほど、賢者の盾と洗脳装置は構造が酷似していると仰っていましたね」

『ああ。洗脳装置と賢者の盾は構造が酷似している――と言うより、同じ装置を異なる用途で運用していると言った方が正確だ。斥力フィールドを発生させるためのプログラムが違うだけだ。試しに洗脳装置のプログラムを書き換えたら、出力は小さいが、賢者の盾と同じ斥力フィールド発生装置になった』

「賢者の盾も洗脳装置として機能するということですね」

『ああ。しかも人間の胴体サイズの装置だ。あれでガストレアを服従させるとなると、ステージIVかステージVだろうな』

 

 菫の言葉に聖天子と周囲の大臣たちは驚愕する。ステージIV、もしくはステージVガストレアを使用したガストレアテロなど想像したくもなかった。そして、ここにいる全員があるガストレアの存在を知っていた。

 

 イスラエルの悲劇を引き起こした世界最速のガストレア ステージIV“スピカ”

 

「この近くだと、ステージIVガストレアと言えば、あれしか考えられない」――と防衛大臣をはじめとした閣僚が戦慄する。数分たらずで一つのエリアを壊滅させた正真正銘の怪物に人の悪意が伴い、自分たちに牙が向けられる事実に愕然とするしかなかった。

 

『だが、そう悲観する必要はない。スピカを使ってガストレアテロを仕掛けるには問題が残っている。これはガストレアの脳に埋め込む必要があるが、今の人類にはスピカを捕獲して手術台に乗せる手段がない。攻撃して撃墜しようにも人類最速のミサイルも回避されてしまう。“天の梯子”でも残っていれば、話は別だがな」

 

 天の梯子――東京エリア未踏領域に鎮座している線形電磁投射装置、金属飛翔体を亜光速まで加速させて撃ち出すレールガンモジュールである。ガストレア大戦時に建造されたが、大戦が終わった後は放棄されていた。6年前に里見蓮太郎が東京エリアに出現したステージVガストレア“スコーピオン”を迎撃する際に利用し、スコーピオンを撃ち抜くが、その衝撃でレールガンモジュールとしての機能は失われ、現在は世界最大の物干し竿となっている。

 菫の言葉を聞いた途端、聖天子の顔が青ざめる。会議室にいる防衛大臣、幕僚長も同様の反応を示していた。その反応について、誰も口を開こうとしなかったが、菫は彼らの表情だけで察した。

 

『まさか……』

「ええ。そのまさかです。天の梯子は1年前に発射可能な状態まで修復されています」

 

 静まり返る作戦本部の中で突如、アラームが鳴り始める。オペレーター達が慌ただしくなる。作戦本部の画面が菫の顔から警告に切り替わる。

 

「おい!どうした!何が起きてる!」

 

 聖天子の隣に座っていた防衛大臣が立ち上がり、身を乗り出す。

 

「ここのシステムがハッキングされています!防護プログラム、効果ありません!」

「ハッキングを受けているのは、天の梯子の遠隔操作システムです!」

 

 大画面が切り替わり、天の梯子の管理モニターに切り替わる。天の梯子が発射形態に移行し、バラニウム弾の装填も完了していた。

 

≪天の梯子 発射まで、あと30秒。30……29……28……≫

 

 機械音声がカウントダウンを始める。何の感情も籠らない淡々と続けられる秒読みが人の感情を加速させ、安全保障会議にいる全員を焦燥させる。

 

「駄目だ。どの対策プログラムも即座に対応されてしまう」

 

「なんて対応の早さだ!このハッカー!人間じゃねえ!!」

 

「シャットダウンしろ!」

 

「シャットダウンコマンド応答しません!!」

 

「ケーブルを切断!物理的にネットワークを遮断しろ!」

 

「駄目です!間に合いません!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

≪天の梯子。発射まで5……4……3……2……1……≫

 

 

 

 

 

 

 

≪発射≫

 

 

 

 その光の軌跡は、東京エリアの空を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さあ。始めましょう。ヒトが、再び神を目指す物語を。

 

 

 

 

 




何とかここまでたどり着きました。
妄想とノリと勢いで書き始めたものの、その場のノリと勢いで色んな要素をぶち込んだ結果、ちょっとしたプロローグのつもりだった第一章が予想の数倍にまで膨れ上がり、2年経ってやっと第一章のラストバトル(の序幕)に辿り着きました。
この勢いを維持したまま、「勝ったッ!第一章完!」まで書きたいものです。


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揺れる聖居

ネット小説のうま味はライブ感と言っていたので、自分のモチベ維持も兼ねて1話あたりの文章量を減らして更新頻度を高めようと思います。


 天の梯子が暴走し、放った弾丸は東京エリアの空を切り裂いた。亜光速まで加速し、空の彼方へと撃ちだされた金属飛翔体はソニックブームを引き起こし、地上を轟音で埋め尽くし、東京エリア中の高層ビルのガラスを粉砕した。人々は耳を塞いで蹲り、都心部のビジネスマンたちは空から降り注ぐガラス片の雨から身を守る。ガストレアテロの傷が癒えない東京エリアで起きた“第二のテロ”は人々をパニックの渦中に落とし込んだ。

 光の軌跡と轟音は洋上のアクアライン空港にも届いていた。幸いにも天の梯子の射線とは真逆の位置にあったため、空港のガラスが割れるようなことはなかったが、突然の轟音とガタガタと音を鳴らして震えるロビーのガラスは人々の心を平穏から遠ざけていった。

 遊馬を乗せた高級車と護衛の覆面パトカーも異変には気付いていたが、突然の揺らぎに取り乱すことなく、予定通りのルートを走り続けた。

 

 ――ついに始まったか。

 

 計画の全てを知る遊馬は、運転手に見えない形で微かに口角を上げた。

 

「本部。聞こえるか?何が起きた?」

 

 しかし、本部からは応答がない。ノイズだけが空しく鼓膜に響く。しかし、それでもSPたちは冷静で居続ける。本部からの指示がない今、当初の命令を遂行しつつ、不測の事態には現場の判断で動くしかない。

 ――その瞬間だった。前を走る護衛車両に“何か”が飛びかかり、車が道路から外れてフェンスに激突する。

 その“何か”を知る間もなく、遊馬たちの車にも大きな衝撃が走る。鋼板がきしむ音が耳に響いた。目を開けるとフロントガラス越しの前面がエメラルドグリーンの鱗で覆われた。

 

「ガストレア……だと?」

 

 目の前にいたのはガストレアだった。上腕が大きく発達したトカゲのような姿をしており、筋肉質な体格はその腕力の強大さを伺わせる。周囲に目を配ると、トカゲのガストレアだけではない。昆虫型や鳥型、翼竜のような姿のガストレアも目に入り、他の護衛車両に群がり、フレームやタイヤを“補食”していく。

 遊馬たちの車に圧し掛かったオオトカゲのガストレアは前腕でボンネットを踏み抜き、体重に任せて車のエンジンを踏みつぶした。ひしゃげた鋼板は砕けて飛び散り、前面がボンネットから吹き上げる白煙で覆われた。漏れ出たガソリンから漂う臭いは嗅覚を刺激し、3人に車の中こそが危険地帯であることを悟らせる。

 

「私が合図したら……降りて、後ろに走ってください」

 

 運転手の言葉に遊馬と秘書は相槌を打つ。

 

「3……2……1……今です!」

 

 3人が一斉に車から飛び出し、オオトカゲのガストレアに背を向けて走り出す。オオトカゲのガストレアは逃げる3人に視線を移すが、すぐに黒い煙に覆われる。漏れたオイルが引火して車が燃え上がり、燃焼されたタイヤが黒煙をあげた。

 黒煙がガストレアの視界を奪っている隙にまだ走行可能だった後方の護衛車両が3人を回収し、ガストレアとの距離を離していく。

 車の中で一息ついた遊馬は窓から外の様子を見渡す。

 

「とりあえず、ガストレアとの距離は離しているようだけど、どこかに逃げる当てでもあるのかい?あのガストレアの数から考えて、連絡通路は全て塞がれていると思うけど」

 

「第2ターミナルに向かいます。あそこには空港警備隊の待機所がありますし、有事に備えたバラニウム弾の備蓄があります。ターミナルの建材にも微量ですがバラニウムが含まれています。ステージ1ぐらいまでなら、屋内への侵入は防げます」

 

「それで、あとは自衛隊が来るまで籠城ってわけか」

 

 遊馬はふふっと鼻で笑う。ガストレアに襲われ、命の危機に晒されているスリルを楽しんでいるかのように、彼は心の躍動を隠そうとはしなかった。

 

「生で東京エリア自衛隊の活躍が見られるわけだ。演習視察の手間が省けるな」

 

 

 

 *

 

 

 

 日本国家安全保障会議(JNSC)は騒然としていた。国家の最重要機密“天の梯子”の修復が世界中に露呈し、更に何者かにシステムを掌握され、暴走させられるという失態まで犯してしまった。英雄に裏切られ、隠し持っていた世界最強の兵器は敵に奪われ、東京エリアの安全保障は崩壊の危機に晒されていた。

 会議室の中で携帯電話の着信音が響く。防衛大臣のスラックスの中で携帯電話が着信音を響かせており、全員の視線が防衛大臣に向けられる。防衛大臣は電話を取り、他の者に聞こえないように話す。

 

「聖天子様。陸上自衛隊が天の梯子奪還に向けた部隊を編制。作戦行動の準備が完了しております」

 

「分かりました。作戦行動を開始してください」

 

「了解いたしました」

 

 

 

 

 

「失礼します!」

 

 

 

 

 何の前触れもなく一人の男性が一枚の紙を持って、JNSCの作戦本部に入って来た。男は扉の前まで全力で走ってきたのか、額には滝のように汗が流れ、整えていたであろう髪は乱れ、呼吸も荒々しかった。

 男は防衛大臣を見つけると、握りすぎてクシャクシャになった紙を片手に彼のもとへと向かおうとする。

 

「構いません。ここで話してください」

 

 聖天子の鶴の一声が男を止める。男の視線は防衛大臣へと向けられる。

 

「構わん。話せ」

 

 防衛大臣の一言で、男は紙に目を配り、口を開いた。

 

「は、はい。アクアライン空港でガストレアが大量発生。空港が、ガストレアによって制圧されました。てっ、テレビをつけてください!」

 

 会議室にいた閣僚の一人がリモコンを手に取り、会議室の画面を東京エリアのハザードマップから、テレビ局のチャンネルに切り替える。

 

『こちらは東京湾上空です!現在、アクアライン空港は全ての連絡通路がガストレアによって封鎖され、空港も無数のガストレアによって制圧されています!』

 

 大画面に映ったのは、東京湾の孤島となったアクアライン空港が無数のガストレアによって占拠されている悪夢のような光景だった。CGをふんだんに使ったB級モンスターパニック映画のワンシーンだと信じたいが、それが現実として起こっている。陸棲ガストレアが地上を闊歩し、飛行能力のあるガストレアが編隊を組んで空港周辺を飛び回り、更に巨大な海竜のようなガストレアが空港周辺の海をこれ見よがしに遊泳している。それはJNSCの完全な敗北、東京エリアの安全保障の崩壊を意味していた。

 会議室での反応は様々だった。頭を抱える者、動かない自衛隊に憤怒する者、冷静さを捨てずに今後の対応を議論する者――

 

「何てことだ……」「自衛隊は何をしている!?さっさと出撃しろ!!」「しかし、空港にはまだ民間人が……」「いたところで全員ガストレア化している!」「仮に生き残っていたとしても、感染拡大のリスクを考えれば、やむを得ないか……」「しかし、いくらガストレア掃討とはいえ、民間人の救助を最初から想定していない作戦を展開すれば、国民の信頼が……」

 

 皆がそうこうしている内に画面はワイドショーのスタジオへと切り替わっていた。部屋にいた一人が空港の状況を知るためにチャンネルを変えようリモコンを手に取る。しかし、ボタンを押す直前、スタジオにスタッフと思しき人間が入り込み、スタジオのアナウンサーの前に一枚の紙を置いた。スタッフが画面に大きく映り込んだ。普通なら放送事故ものだが、事態が事態だけに誰も気に留めていない。

 

『ええ。今、情報が入りました。偶然、空港に居合わせた田島リポーターと連絡が取れました。田島さん!大丈夫ですか!?』

 

 画面が切り替わった。早朝の通期ラッシュのように人でごった返す空港のロビーが映る。カメラの視線は高く、人々の頭部ばかりが映る。おそらく、人混みの中でカメラを持ち上げて、何とか空港の様子をカメラに収めているようだ。人々の雑踏と悲鳴の中で画面の外側にいて全く映らない男性リポーターの声が何とか聞き分けることができるくらいターミナルの中は音が凝縮されていた。

 

『はい!田島です!現在、ここ――――東京エリア・アクアライン空港はガストレアの襲撃に遭い――、痛っ!利用客は最寄りのターミナルに避難しています!何故だか分かりませんが、ガストレアはターミナルの中に入ろうとせず、屋外にいる人間を優先的に追いかけています』

 

『“追いかけている”んですか?』

 

『はい。私が見た限りでは、誰かがガストレアに食べられたり、ガストレア化したりはしていません。ガストレアは空港にいた人を追いかけて、屋内に集めるという不可解な行動を続けています。外映して!外!!――あのようにガストレアは私達を屋内に追い詰めた後、私達を監視するグループとターミナルから離れて活動するグループに分かれて行動します。あっ!押さないで!カメラ!カメラが!』

 カメラの映像が突然大きく揺れる。次の瞬間、カメラは落下し、空港の床と人々の足を映した途端にスタジオとの交信が途絶えた。

 

『ここでガストレア行動学に詳しい歯朶尾大学の飯岡教授と電話が繋がっています。飯岡教授。今回の事件ですが――』

 

 リモコンを操作し、画面に全てのチャンネルを同時に映す。どのチャンネルでもガストレアによるアクアライン空港占拠事件が取り沙汰されている。第三次関東会戦の時ですら予定通りアニメを放送していた某局も特番を組んで空港占拠事件を報道している。空港を包囲するガストレアが画面いっぱいに映り、キャスターやコメンテーターは前日の里見蓮太郎によるガストレアテロと関連付けて報道を続けていく。

 

「聖天子様。自衛隊はガストレア駆除法を適用し、火器の無制限使用を前提とした統合部隊を編制。これに対処いたします」

 

 突如、画面が砂嵐に埋め尽くされる。全てのチャンネルが白黒の砂嵐となり、耳障りな雑音だけが耳に入る。その光景から、会議室にいる誰もが嫌な予感を覚えていた。同じことがつい数日前にも起きている。起こるべくして起きる犯行声明を誰もが待ち受けていた。

 画面が砂嵐から切り替わり、一つの光景を映し出す。アクアライン空港のラウンジだ。ゴールドカードメンバーしか使えない最上階の高級ラウンジ、そこから一望できる旅客機とガストレアが入り乱れる滑走路を背景に一人の男がカメラの正面に座っていた。誰もが想定していた通りの男――里見蓮太郎――だ。

 

「聖居の為政者たちに告ぐ。この東京エリア・アクアライン空港は俺が占拠した。今、ここにいるガストレアは全て俺の制御下にある。俺が情報を流して空港に集めた報道陣のカメラで見ていると思うが、利用客はまだ誰一人として殺していない。だが、彼らの命も聖居の返答次第だ。

 

 俺の要求は二つ。

 一つは警視庁公安部が保有している五翔会構成員リストの共有。

 二つ目は聖居最深部にて保管されている第001号封印指定物《天童文書》の公開だ。

 

 12時間以内に返答がない場合、ここにいる全てのガストレアを俺の制御から切り離す。本能が解放されたガストレアが何をするのかは、言わなくても理解できるだろう」

 

 ――数万人の命は聖天子。お前の手にかかっている。良い返事を期待する。

 




某アイドル「ラストバトルって言ってたのに全然バトルしてないじゃん!何で!?」

某プロデューサー「(作者がBlu-rayで再びシン・ゴジラにハマって政治パート書きたい病になったので)今回の結果は当然のものです」


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流星落とし

天の梯子暴走、アクアライン空港のガストレアテロ。
二重の国家危機に立ち向かう聖居の選択とは――


天の梯子の暴走、アクアライン空港のガストレアテロ、そして里見蓮太郎の要求という国家危機の積み重ねは聖居の政治的処理能力の限界を試すかのようだった。しかし、テレビ画面を見つめる中で聖天子は冷静になっていた。むしろ、蓮太郎の要求のおかげで“世界への復讐”という抽象的だったテロの目的が明らかになり、自ら撒いた“言葉(ヒント)”によって彼の計画の一端が見えて来た気がした。

 

「豊橋国交大臣。人質の数、どれほどだと思われますか?」

「は、はい。アクアライン空港の利用者数は1日で2万人から3万人。今はガストレアテロの影響で東京エリアから出ようとしている人や芹沢遊馬の出国の情報に合わせて詰めかけた報道陣がいるという情報もあります。従業員も含めれば、約3万5000人は下らないかと……」

「そうですか……」

 

「聖天子様」と一言おいて、小笠聖天子補佐官が割って入る。

 

「お言葉ですが、返答した時点で我々の負けになります。空港にいる人質たちには申し訳ありませんが、奴が与えた12時間の“猶予”を最大限利用させていただきましょう。聖天子様。お心苦しいのは理解致しますが、どうかご決断を――」

 

小笠のプランに異議を唱える者はいなかった。五翔会も封印指定物も聖居はその存在を公式に認めていない。一般には都市伝説としてその名前だけが流れており、その実在を知る者は今、この会議室に集まった閣僚たち、そして蛭子影胤事件に関わったごく一部の民警だけである。故に「五翔会構成員リストも天童文書も存在しない」――それが国家の中枢として聖居が返答すべき返答だ。しかし、実際に戦った里見蓮太郎は五翔会が実在していることを知っており、蛭子影胤事件の英雄である彼が封印指定物の存在も知らないわけがない。故にその返答は人質立て籠もり事件の交渉において“絶対にしてはいけない返答”「犯人の要求に対する明確な拒否」となってしまう。

逆に五翔会と封印指定物の存在を公式に認め、それを引き渡す返答をすれば、人質は助かるのかもしれない。しかし、テロリストの要求に応じる返答は国家の対テロ戦略として最悪の手段となり、東京エリアは国家としての威信を失う。国内外からの信頼を失い、テロリストに負けたという実績は新たなテロの呼び水になる。

故に聖居は「返答しない」という手段に出た。蓮太郎が設けた12時間のタイムリミットは逆に捉えれば、聖居には返答しない限り12時間の猶予が与えられている。その12時間を活用し、五翔会と封印指定物の存在を明かさず、人質を助け出し、蓮太郎を拘束するプランを練るのが唯一残された道だった。

 

「テロリストと交渉するつもりはありません。自衛隊、警察、民警――東京エリアの総力を以て、この卑劣なガストレアテロに終止符を打ちます」

 

聖天子の決断に補佐官を含む会議室の閣僚たちは黙って頷いた。

国家の最高意思決定機関が決断を下したのであれば、後は下の人間の仕事だ。自衛隊の特別部隊編成状況の確認、アクアライン線や連絡通路およびそれに関連する幹線道路の交通規制、ガストレアウィルス拡散への対応と人質を受け入れる医療機関の選定。閣僚たちはそれぞれの領分で役目をこなすために職務に就いた。

 

「聖天子様。室戸菫から連絡が入っております」

「繋いでください」

 

聖天子は会議室のテーブルに備え付けられた電話を手に取り、耳に当てた。

 

『随分と電話に出るのが早いじゃないか。聖天子様。会議はもうお済みかな?』

「ええ。即決即断こそが独裁政権の利点ですから」

『独裁政権か……。22歳の乙女に国の全権を握らせる体制に疑問を感じない自分がいかに麻痺しているか痛感させられるよ。十数年前までこの国が民主主義だったことをうっかり忘れてしまう』

「それだけ、ガストレアに地上を支配され、生存圏を限定された現代は人類全体にとって“異常な時代”ということでしょう。貴方から電話をかけてきたということは、天の梯子の起動システムログの解析は終わったのですね」

 

天の梯子が暴走した直後に聖居は天の梯子が暴走した当時のシステムログを、国家機密が扱えるほどのセキリュティレベルを誇る東京エリア先進情報技術研究センターに転送、センターに到着した室戸菫とセンタースタッフによって天の梯子が暴走した当時のシステムログの解析に当たっていた。

 

『ああ。終わったさ。あんなぶっ飛んだ代物を見せつけられたのは久々だ』

「貴方が驚愕するような代物でしたか。」

『結果的に言うと、システムは“再構築”されている』

「再構築……ですか」

『そうだ。通常、ハッキングというのは、既存のシステムに裏口(バックドア)を設置することで正規の手段とは別の方法でシステムに入り込み、データの吸上げや改竄、プログラムの追加や加工といったことを行う。あくまで使うのは既存のシステムだ。しかし、今回は違う。天の梯子起動プログラムと聖居からの遠隔操作プログラム、人工衛星や気象庁の各種データを統合した射撃補正プログラムなど多数のプログラムによって構成された線形電磁投射装置運用システムが一度全て消去(デリート)され、彼らにとって都合の良い形に再構築(リビルド)されている。君たちが遠隔操作システムを強制終了(シャットダウン)させたことも含めて、君たちはハッカーの策に乗せられていたのさ。今現在も天の梯子は敵に掌握されていることになる。第二射を撃たれる前に手を打っておいた方が良い』

「その点は問題ありません。先ほど、陸上自衛隊が天の梯子を制圧。弾丸は全て押収し、エネルギーケーブルも切断しています」

 

天の梯子暴走直後に出撃した部隊は僅か15分後に「天の梯子の制圧完了」と報告してきた。天の梯子そのものが巨大なバラニウムの塊であるため、周辺にガストレアは寄り付かず、内部も無人だったため施設制圧に時間はかからなかった。そして、聖天子の言うように天の梯子が再び暴走しないように弾丸を全て押収し、装填部を分解、エネルギーケーブルも完全に切断する周到ぶりを見せた。

 

『なるほど。だが、敵としては痛くも痒くもないだろう。おそらく、奴らはあの一発のためだけに天の梯子を奪った。内部に抵抗勢力を置いていなかったのもあれが既に“用済み”だったからさ』

「どうして、そう言い切れるのですか?」

『天の梯子が暴走する前に私が言ったことを覚えているか?』

 

菫の言葉に促され、暴走直前に交わした菫との情報交換を思い出す。ガストレア洗脳装置の構造と賢者の盾の類似、賢者の盾を有効活用する唯一の方法、日本に近づくステージⅣガストレア、蓮太郎の目的――

 

「まさか。天の梯子でスピカを――?」

『ご名答だ。聖天子様。暴走当時の起動ログの中には射撃目標設定と気象データに基づく射撃補正プログラムのログも残されていた。天の梯子が射撃目標に設定した飛行物体の位置と私が提供したスピカの移動記録。それを照らし合わせた結果、彼らは天の梯子でスピカを撃ち落としたという結論に至った』

「しかし、それだと天の梯子でスピカを“撃ち殺してしまう”危険性があります。討伐を目的とするなら、それで構いませんが、洗脳して再利用するなら生け捕りが必須です」

『そう。だから彼らはシステムを“乗っ取り(ハック)”ではなく、システムの“再構築(リビルド)という手段を取った。天の梯子には、装填された弾丸が“バラニウム”であることをチェックする電磁投射センサーがある。センサーが弾丸をバラニウムだと認識することで、発射フェイズは次の段階に移行するようになっているが、再構築されたシステムでは、センサーの認識を無視して発射フェイズが次の段階に移行するように書き換えられている。大方、発射されたのはタングステンか劣化ウランの砲弾だろう。バラニウムではないが、あれほどの質量を持った物体が音速の数倍の速度でぶつかってくれば、スピカの甲殻ぐらいは破壊できる。甲殻の溝を通る空気の流れによって浮力を得ているスピカは一時的に飛行能力を失い、地上に落ちて再生を待つ身となる。その間なら賢者の盾を入れることが可能だろう』

 

菫の推測はほぼ事実と言っていいほど正確だった。何度か彼女の頭脳によって助けられた聖天子としては、彼女の言葉に嘘や偽り、違和感や疑問を覚えることはなかった。

敵の目的がスピカの掌握だとしたら、それは何としても防がなければならない。そして、今の状況は敵の作戦通りの進行でありながらも東京エリア、引いては人類にとってスピカを討ち取る好機でもあった。

幸いスピカは地上で身動きできない状態でおり、自慢の超音速飛行が出来ないのであればその脅威度は大きく下がる。バラニウム弾頭空対地ミサイルを搭載した戦闘機の編隊を派遣して爆撃すれば、それで片が付く。

 

「室戸先生。スピカの落下位置ですが、予測はできますか」

『さすがにそこまでは無理だ。スピカは後部の触手で空気抵抗を操作し、軌道を変えている。いくら甲殻を破壊されて飛行能力を失ったとはいえ、それなりの速度を持っていた奴は地上に落下するまで相当な時間があったはずだ。その間に後部の触手で軌道を変えているのだとしたら、予測ポイントは北陸・中部・近畿地方全体に広がる』

 

――あまりにも広すぎる。聖天子の率直な感想だった。今の東京エリアにそんな広いエリアを捜索する余裕はない。空港占拠事件も同時に起きている中でそこに割けるリソースなど無かった。それに空港を占拠しているガストレアの中には飛行能力を持っている個体が多数確認されている。彼らが暴走して東京湾を越えた場合を想定すれば、航空自衛隊の戦力を割くわけにもいかなかった。

 

『それともう一つ、ハッカーの特定なんだが、今、ハッキングに使用されたサーバーを経由して元を辿っているところだ。何せ元のデータが断片的すぎて、複合させるのに手一杯だ。こっちはまだまだ時間がかかる』

「そうですか。お疲れ様です。引き続き、解析の方をお願いします」

 

東京エリア単独で墜落したスピカを仕留めることはできない。そうなると、東京エリアに残された道は二つ。「スピカ討伐の機会は逃してしまうが、蓮太郎を空港で倒す」か、「敵の計画を成功させるリスクを背負うが、蓮太郎を泳がせて、一網打尽にする」か。

 

聖天子は思案に暮れた。国家元首として東京エリアを救う手段。

 

序列第50位“黒い弾丸(ブラック・ブレット)”の異名を持つ東京エリア最強のプロモーターに勝利するプランを――

 

 

 

 

 

 

遠藤との密会を終えた勝典は一度、松崎民間警備会社に戻り、すぐに武器弾薬をワゴン車に詰め込んだ。遠藤からもたらされた情報、蓮太郎と五翔会、その背後から浮かび上がった芹沢遊馬との2つの関係。どちらにせよ蓮太郎が次に動く時、それは芹沢絡みである可能性は高い。そして、遠藤から「芹沢遊馬が博多エリアに戻るためにアクアライン空港へ向かった」と情報を受け、会社の全火器を詰めたワゴン車をアクアライン空港に向けて走らせた。

 

「遅かったか……」

 

運転中、車を直接揺さぶるほどの轟音が響き、ラジオからは第二のガストレアテロが報道されていた。何もかもが後手に回っている。一度も優位な状態に立てないまま、決戦が始まってしまった。勝典は覚悟を決めて、ハンドルを強く握る。

助手席で彼のパートナー 飛燕園ヌイが両手でスマホを操作し、どこかに電話をかけていた。

 

「ほんっっっっと、肝心な時に使えないわね!!あのアホ金髪!!」

「まだ繋がらないのか?」

「無視よ!ガン無視よ!このヌイ様が珍しくあの金髪変態ロリコンヤンキーに何度もコールしてあげてるって言うのに!!」

「困ったものだな……。せめて、どの辺りにいるか分かれば良いんだが……。ところで、ヌイ。お前、本当にその格好でいくつもりか?」

 

勝典は信号待ちしている間に傍目でヌイの格好をもう一度見る。準備をしてから、今になるまで何度も見ているが、再度確認するために見ずにはいられなかった。

勝典は蓮太郎との決戦のために武器を用意し、戦うための格好で向かっていた。上下共にミリタリー調の服装だったが、そんな彼に対して、ヌイは「これから友達とショッピング♪」とでも言わんばかりにラフだった。短いデニムパンツに白とピンクを基調としたラメ入りのパーカー、女子小学生に人気のブランドで固めており、とても戦場に向かうような格好には見えなかった。

 

「何よ。文句あるの?」

「どうせ戦闘で破けたりするんだ。こういう時ぐらい安物で良いんじゃないか?」

 

それを聞いたヌイは「はぁ~っ」と呆れんばかりに大きなため息を吐いた。

 

「女の子はね。どんな時でも可愛くいたいのよ」

「そういうものか?森高とか、ジャージで仕事してたりするが……」

「詩乃様はいいの。あの人は何を着ても何をやってもカッコいいんだから」

 

ヌイのスマホに着信が入る。画面には発信者「金髪バカ」の名前が表示されている。

 

「あ。やっとかかって来た」

『ブーブーブーブーうっせえんだよ。何か用あんのか。鳥頭』

「誰が鳥頭よ。アンタが出ないから何度もかけてるんでしょうが。今どこにいんのよ」

『どこって、22区のファミレス。――って、おい。詩乃。それ俺の分なんだけど。待て。お前まで食うな』

 

謎の轟音と第二のガストレアテロが起きたにも関わらず、呑気にファミレスで過ごす壮助にヌイは呆然としていた。勝典のことも含めて、男ってのはどうしてこんなにも馬鹿なのだろうかと考えずにはいられない。そんな壮助に付き合う詩乃も同類だが、彼女のことは棚にあげて、ヌイは男の馬鹿さ加減に呆れていた。

 

「ねぇ……今、どんな状態か知ってる?」

 

『俺の昼飯がピンチ』

 

「アンタの個人的な事情なんて知るかあああああああああああああああ!!!!」

 

激昂するヌイの肩を勝典が指でつつく。

 

「ヌイ。後は俺が話す」

 

ヌイはスマホをスピーカーモードにすると、画面とマイク部分を運転中の勝典に向けた。

 

『大角さんっすか?』

「おう。壮助。お楽しみのところ悪いんだが、お待ちかねの里見廉太郎がご登場だ。ニュース見てみろ」

 

それからして、しばらく電話越しが静かになる。電話口の向こうではスマホで見ているニュース動画の音声が聞こえてくる。

 

『なんだよ……これ。マジかよ。あの野郎……。どこまで……』

「事態は分かってくれたと思う。今からお前達を拾って空港に向かう。安心しろ。お前たちの分の武器も持ってきた」

『大角さん。マジで行くんすね』

「ああ。おそらく、空港のガストレア掃討は他の会社の連中や自衛隊と共同になるが、このビッグウェーブ乗らないわけにはいかないだろう?今からお前達を向かいに行く」

『了解っす。後で地図送ります。そうだ。大角さん。車に乗せる奴、一人増えるんすけど、良いっすか?』

「悪いが、戦場への直行便だ。戦力にならない奴なら置いていくぞ」

 

 

『大丈夫ッスよ。めっちゃくちゃ戦力になる奴だから』

 

 

そう、義搭壮助は自信満々に答えた。

 

 

 

 

 

壮助たちのいるファミレスに到着した大角勝典と飛燕園ヌイは目の前の光景に絶句した。

目の前に広がるのは、東京エリア最悪の一日が始まったというのに、ファミレスで数人前の盛り合わせポテトを奪い合う義搭壮助と森高詩乃の姿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、“蛭子小比奈”の姿だった。

 



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血みどろボーイミーツガール

文章を短くして更新頻度上げますといった途端にこれだよ!(前回から3ヶ月後の更新)


 外周区付近の雑居ビル。廃業になって幾数年の寂れたバーで2人の男女は対峙していた。ドローンによるテロの監視とニュースをチェックするために持ち込まれた小型のテレビは無残にも“真っ二つ”にされ、彼らが寝床にしていたであろうソファーも無数の刀傷で原形を留めていなかった。

 薄暗い部屋の中で小比奈の眼が赤く輝く。彼女の両手には太刀が握られていた。彼女の全身が怒りに震え、太刀もカタカタと鍔から音が鳴る。しかし、その怒りの刃が蓮太郎に届くことはない。右手の太刀は彼女が唯一恐れた“ヤバい女”の殺人刀によって止められ、左手の刃はバラニウム製の義手によって握られていた。

 

「どういうことか説明して。蓮太郎。次の計画でパパをガストレア洗脳に利用するって……」

 

「ああ、そうだ。お前の言う通り、賢者の盾は次の作戦でGVサーヴァンターとして利用する。博多エリアから持ち込んだ分は、ステージⅣを掌握するには出力が足りない。だが、賢者の盾――お前の親父の臓器なら十分な出力を持っている。斥力フィールドのプログラムを変更すれば、GVサーヴァンターとして利用できる」

 

「パパは私のものだ!!お前なんかに渡さない!!」

 

「あれはお前のパパじゃない。ただの斥力フィールド発生装置だ。お前の親父は死んだ。俺がこの手で殺したんだ」

 

「……このおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 小比奈の眼がピジョンブラッド・ルビーのように赤く染まる。全身のガストレアウィルスが活性化し、彼女の肉体を内面から蝕んでいく。ウィルスが彼女をヒトとしての身体から、彼女が望んだ“戦うための身体”へと変換していく。

 ――しかし、どれだけ力を入れても蓮太郎には届かない。彼は太刀を掴んだまま微動だにすることはなかった。

 

「どうした?単純な力比べになれば、勝てると思ったか?普通の人間の俺よりも呪われた子供である自分の方が遥かに上回っていると――。だから、お前は俺に勝てないんだ。いつまでこんなことを続けるつもりだ?6年だ。もういいだろ。もう十分だろう。いい加減に理解しろ。お前一人じゃ、俺には傷一つつけられない」

 

 蓮太郎は何の前触れもなく義肢の手を開き、殺人刀を退いた。突然、抵抗する力が無くなったことで小比奈はバランスを崩しかけるがすぐに体勢を直し、両手の太刀を蓮太郎に向けて振り抜けた。しかし、手応えが無かった。皮膚を斬る感覚も、肉を斬る感覚も、骨を断つ感覚すら無い。

 

 

 ――違う!後ろ!

 

 

 小比奈が気付いた時には既に遅かった。蓮太郎は彼女の背後に回り、天童式戦闘術の攻の構えを取っていた。

 

 

 

 天童式戦闘術一の型十二番“改” 閃空瀲艶・虹散

 

 

 

 蓮太郎の拳が小比奈の背中に刺さった。蓮太郎の勁力が激痛としてバラニウム義肢を通して小比奈の全身を駆け回る。全身の神経を焼かれ、筋繊維が千切られ、骨を髄から蝕まれるような感覚に支配される。それがそう錯覚させられているのか、本当に自分の全身がそうなっているのか、今の小比奈にはそれを判断する余裕などない。ただ、自分が廃人にならないように耐えることしか出来なかった。

 

「かっ……はっ……」

 

 口から血反吐を吐きながらも小比奈は蓮太郎の一撃に耐えた。両手の太刀を杖のように扱って自分を支える。力を振り絞り、自分の背後にいる蓮太郎に振り向こうとするが、彼の足払いで彼女は仰向けに倒れ込んだ。

 

「今までご苦労だったな。お前は、都合の良い手駒だった」

 

 薄れていく意識の中で、小比奈は蓮太郎を笑った。

 

 

 

 

 ――パパを殺して、私を騙して利用して、邪魔者になった私も倒して、何もかもが上手くいったのに……

 

 

 

 

 

 

“どうしてそんなに寂しそうな顔をしているの?”

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ガストレアによる空港占拠事件で緊張状態に陥った東京エリア。ガストレア討伐を生業とする民警としては事の推移を見守り、行動を起こす準備をしなければならない状況下だった。

 松崎民間警備会社の民警、大角勝典はペアヌイと一緒にファミレスに入ると店員に「2名様で宜しかったでしょうか?」と声をかけられる。昼食時を過ぎた頃だからか、店内は閑散としており、自分たち以外の客は見当たらない。

 

「いえ、連れとの待ち合わせです」

 

 勝典は周囲を見渡し、壮助がどこにいるか探す。喫煙席は除外し、禁煙席側に目を配る。すると、聞き慣れたドスの効いた声と見慣れた顔が目に入った。彼の隣にはイニシエーターの詩乃が座り、壮助の対向に彼曰く「めっちゃくちゃ戦力になる“連れ”」が座っているようだ。衝立のせいでこの位置からは姿が見えない。

 他の会社の民警か、中学時代の喧嘩絡みの人間か、それとも赤目ギャングか、色々と悪い予感を頭に過らせながら、勝典は席の近くまで歩いて“連れ”の姿を見た。

 勝典が驚愕したの言うまでもなかった。その姿を忘れる訳がない。防衛省の一件で彼も“彼女”の姿を見ていた。

 

 ガストレアテロを引き起こした大罪人の共犯者“蛭子小比奈”

 

 自分たちの宿敵がさも当然の如くファミレスで自分の弟分と食事を摂る光景は悪い夢かと思いたかった。

 勝典の隣にいたヌイも小比奈を視認した。その瞬間、彼女は隠し持っていたレイピアを抜き、瞬く間すら無い一瞬の時間で小比奈との距離を詰めた。勝典が気付いた時は既に遅かった。ヌイは土足でテーブルの上に上がりこみ、バラニウム製レイピアを小比奈の前で交差させ、挟むように刃で彼女の首を囲んだ。少しでも力を加えれば、小比奈の胴と首を斬り離すことが出来るだろう。

 

「貴方のことは写真で見せてもらったわ。蛭子小比奈。このまま大人しく、お縄について頂戴」

 

 ヌイは輝く赤い瞳で小比奈を睨みつける。脅しのつもりか、レイピアの刃と刃の間を更に狭くし、小比奈の肌に当たるかどうかギリギリのところにまで間を詰める。

 

「こんな攻撃に対応出来ないなんて、IP序列“元”134位の名が泣くわね」

 

 小比奈はヌイのことを鼻で笑った。

 

「ハズレ。私は“対応できなかった”んじゃなくて、“対応する必要がなかった”から、何もしなかったの。だって――貴方、人を殺したことないでしょ?」

 

 ヌイはぐうの音も出なかった。彼女の言うことは本当のことであり、ヌイは全てを見透かすような小比奈の視線を前に嘘を吐くことができなかった。

 そんな様子を見た小比奈はヌイのことを軽く鼻で笑うと、視線を対面の壮助に向けた。

 

「――というか、壮助。話が違うんだけど?」

 

「別に俺たちは裏切ってねぇよ。このバカ鳥が早とちりしただけだ。おい。バカ鳥。さっさと降りろ。話が拗れるじゃねえか」――と、壮助は片手でグラスのコーラを飲みながら、もう片方の手でヌイのパーカーの裾を掴み、降りるよう促すために下に引っ張る。

 

「バカバカうっさいわね!敵の顔を忘れるバカに言われたくないわよ!何で写真見ただけの私がしっかり覚えていて、生で見たアンタが忘れてるのよ!?ってか、服引っ張らないで!伸びるじゃない!」

 

「別にいいだろ。これから鉄火場に首つっこんでボロボロになりに行くんだから」

 

「なんでボロボロになること前提なのよ!」

 

 壮助との口論で感情がヒートアップするヌイだったが、詩乃が彼女の指をつんつんと突く。ヌイは「ひゃうっ!」と可愛らしい声を上げると、頬を赤らめて詩乃の方を向く。

 

「し、詩乃様」

 

「ヌイ。降りて。足が邪魔でメニューが取れない。あと、この件はちゃんと説明するから、小比奈は殺さないで」

 

「は……はい」

 

「お前、まだ食うつもりかよ」

 

 ヌイは納得いかないと思いつつも詩乃の言葉に従って、テーブルから降り、バラニウム製レイピアをホルダーに収めた。

 壮助たちのテーブルが暗くなる。何か大きなものが天井のライトを遮ったからだ。随分と体格の良いウェイトレスでも来たのかと思って一同が通路側を振り向くが、そこにいたのは筋骨隆々の民警だった。

 

「さて、これはどういうことか、説明してもらうぞ」

 

 勝典の視線が壮助に向けられる。190cmもある筋肉要塞な大男に上から向けられる視線は、仮に本人に威圧する意思が無かったとしても自然と相手を圧倒する。無論、勝典はそういった自分の特性を理解している上で壮助を問い詰めた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 時は遡ること4時間前。

 蓮太郎の行方を捜すため、壮助は“情報屋の友達”を頼って15区に来ていた。居酒屋や風俗が立ち並び、夕方なら会社帰りのビジネスマンで賑わう繁華街。昼前となると閑散としており、ほとんど人を見かけない。

 

「なぁ。詩乃。本当に付いて来るつもりか?」

 

「うん」

 

「せめて、手を離してくれないか?」

 

「駄目。逃げるでしょ」

 

「もう逃げねえし、仮に俺が逃げたところで、お前から逃げきれると思うか?」

 

「勿論、壮助は逃げきれないし、私も逃がすつもりは無いけど、それでも駄目」

 

 珍しく詩乃が子供っぽい我儘を言っている。そのことに壮助は年相応の彼女を見られて微笑ましく思い、腕に触れる温かさと柔らかさを感じている反面、どうやって彼女を振り解こうかと必死に思考を巡らしている。

 

「何度も言うけど、お前を情報屋のところに連れて行きたくないんだよ」

 

「どうして?」

 

「どうしてって、そりゃあ……」

 

「“そりゃあ”?」

 

「パイオツがカイデーなねーちゃんがいるお店がたくさん集まったビルに行くからだよ」

 

 壮助が情報屋のところに詩乃を連れて行きたくなかった理由、それは、これから行く場所が詩乃の教育上かつ精神衛生上とても悪い影響を与える場所だったからだ。これから行く情報屋は風俗ビルを拠点にしている――というより、複数の風俗店のオーナーをやりながら、副業として情報屋をやっており、いくら戦場を渡り歩いて達観した彼女とはいえ、まだ13歳の少女をそういう場所に連れて行くのは抵抗があった。

 

「ちなみに聞くけど、今回で情報屋のところに行くの何回目?」

 

「昔、風俗嬢のストーカーを撃退する仕事してから、何度も来ているからもう分かんねぇ。30回くらい?」

 

 詩乃の握力が強くなり、壮助の腕をギリギリと締め潰していく。

 

「あれ?詩乃?どうして握力強くなってんの?痛いんだけど!骨折れそうなんだけど!」

 

「ちなみに聞くけど、そこでパイオツがカイデーな女の人と仲良くなったりした?」

 

「な、なってないぜ。だって昼間に来てるから、情報屋やってるオーナーと清掃係のおっちゃんぐらいしか会わねえし」

 

「本当に?」――と詩乃の握力が更に強くなる。

 

「マジ!マジのマジ!!」

 

「本当は嬢と会っていて、一晩の過ちとかアバンチュールとかズッコンバッコン大盛りみたいなことは無かったの?」

 

「ないです!ないです!!ストーカー撃退だって被害者と直接会ったことないし!ストーカーボコ殴りして脅してハイ終了!って簡単なお仕事だったし!」

 

「そっか。じゃあ許す」

 

 詩乃はこれ以上ないくらい満面の笑みを浮かべると握力を弱めて、再び纏わり付くように壮助の腕に抱き付く。

 

「もしムラムラしたら、遠慮なく私を性欲の捌け口に使ってね」

 

「いや、ごめん。それはない」

 

 これほどまでに真顔なNo thank youがあっただろうか。壮助としては「今、お前に手出したら年齢的にアウトだし。犯罪だし。俺ロリコンじゃないし」という意味での拒絶だったが、詩乃には別の意味で受け取られていたようだ。

 

 

 

 彼女の眼が赤く輝いた。

 

 

 

 

 閑散とした歓楽街に一人の男の悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 壮助は目的の風俗ビルに辿り着いた。何とか詩乃を説得して彼女をビルの向かいにあるコンビニで待機させることに成功した。

 

「あ~。糞痛ぇ。詩乃の奴、いきなり殴りやがって……」

 

 彼女の左ストレートを顔面に受けた壮助は目を半開きにしながら、ビルの裏口から入り、屋内の階段を使って情報屋がいる2階の事務所に向かう。

 半分の段差を上り、折り返してもう半分の段差を登ろうとした時、壮助は視線を感じた。顔を上げると、上の段に黒いドレスの女が立っていた。背丈は自分より低そうだが、彼女が上の段にいるため顔を上げることでようやくその顔を視界に入れることが出来る。詩乃に殴られたせいでぼんやりとしていた視界の右側がハッキリと見えるようになり、目の焦点が合った。

 

「見ぃつけた♪」

 

「ひ、蛭子小比奈」

 

 会いたいとは思っていた。情報屋を頼ってまで居場所を突き止めようとしていた人間が自分からやって来たのだから、普通なら僥倖と思えるだろう。確かに壮助はそう思っていた。情報屋を訪ねる手間が省け、情報料という出費をなくすことができた。しかし、それと同時に命の危機を感じていた。イニシエーター無しでIP序列“元”134位のイニシエーターにして快楽殺人鬼である彼女とこんなところで遭遇してしまう不幸を噛みしめていた。

 

 ――ああ、クソッタレ。詩乃を置いて来るんじゃなかった。

 

 後悔してももう遅い。彼女を置いて来る判断をしたのは自分であり、ここで敵と遭遇する緊急事態を想定せず、外で待機している詩乃を呼ぶ方法も自分は考えていなかった。

 ここは何とか時間を稼いで、詩乃を呼ぶ方法を考えるしかなかった。

 

「見つけたって、まるでアンタが俺を探してたみたいな口ぶりだな」

 

「その通りだよ。え~っと……名前なんだっけ?」

 

「義搭壮助」

 

「へぇ……。そういう名前なんだ。じゃあ、壮助って呼ぶね」

 

「随分と馴れ馴れしいな。俺たち、敵同士だったと思うんだけど?」

 

 壮助は小比奈を警戒するが、武器は全てガンケースの中に入れてしまっている。ケースを開けて中の武器を取り出す隙を彼女が与えてくれそうにもなく、ただ身構えることしか出来なかった。

 

「そうだね。確かに昨日の朝まで…………、私と壮助は敵同士だった」

 

「だった?今は違うって言いたいのかよ」

 

「勿論……。今の壮助と私は同じ目的を持ってる。ちなみに聞きたいんだけど……、蓮太郎を追う気はまだある?」

 

「当たり前だろ。あいつには色々と聞かなきゃならねぇことがあるし、防衛省での借りもまだ返してねえ」

 

「それは良かった。じゃあ、私たちは一時的にだけど仲間に……なれるね」

 

「何言ってんだよ。お前、あの仮面野郎の仲間だろ。あいつを裏切る気なのか?」

 

「違うよ。私が蓮太郎を裏切るんじゃなくて、私が蓮太郎に裏切られたの」

 

 小比奈の口から飛び出た言葉に壮助は驚いた。彼女と蓮太郎の影胤にまつわる関係を知っていれば2人の仲間割れは当然のことだったが、蓮太郎から彼女を裏切る形になるとは思いも寄らなかった。

 

「それは、どういうことだ?」

 

「まぁ……色々と…………説明したいんだけど……」

 

 小比奈の身体がユラユラと左右に揺れる。よく見ると彼女の目は閉じかけており、顔も上を向いていた。意識が朦朧とし、途切れるか否かの境を彷徨っていた。そして、彼女は意識を失い、バランスを崩した身体は前方へと倒れかけた。

 

「えっ。ちょっと待て。おい!」

 

 壮助は思わず階段を上り、小比奈の身体を受け止める。

 

「ご飯ちょうだい。あと、お風呂……」

 

彼女の身体は普通の少女のように軽く、その身体と衣服には血の匂いが濃く染みついていた。




当初、彼女を登場させた時は「身体だけ大きくなった幼い狂人」というコンセプトだったのですが、本作を書いている間に私の中における里見蓮太郎と蛭子影胤の解釈が変化し、それに伴って小比奈も単なる狂人キャラではなく、正気と狂気を持ち合わせたキャラクターに変化していきました。

影胤を傍で見続け、蓮太郎を傍で見続け、第一章の中心であり根幹である蓮太郎のことを一番理解している彼女が、どうして数ある民警の中から壮助に接触したのか。
後々、語ることが出来ればいいと思っています。


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存在しないはずの家族

そうすけの レベルが あがった!


「ロリコンヤンキー」
から
「同い年の女の子をSM風俗に連れ込んで服を脱がして身体を洗おうとした変態ヤンキー」
に進化した。


 アルマーニのスーツに身み、自慢のカイゼル髭を蓄えたブルジョワ風の男、優雅小路 蔵人(ゆうがこうじ くらうど)は誰よりも早く自分の仕事場に姿を現した。仕事場は自分がオーナーを務めるビルの3階にある事務所。ガラス扉を開いてまだ誰もいない受付を通り過ぎると、インテリアデザイナーに特注で作らせた機能美に溢れたオフィスが広がる。

 まだ誰も出勤していない優雅なひととき。蔵人は仕事前に一杯のコーヒーを口につけながら、取り寄せた英字新聞を広げて記事を眺める。

 ガストレア急襲によるシカゴエリア全滅とそれに伴うニューヨーク市場の株価暴落、東亜連合党大会を目の前に北京エリアで頻発する爆弾テロ、難航する大阪エリアと博多エリアの経済会議、ロンドンエリアで勃発した数百人規模のパンデミック――相変わらず世界は混沌としているなと記事を俯瞰しながら、蔵人は一杯目のコーヒーを飲み干した。

 

 ――おっと。興味深い記事があったから、ゆっくりし過ぎてしまった。そろそろ準備に取り掛かろう。

 

 

 

 

 

「おい!ブルジョワ気取りのドM風俗オーナー!シャワーと服と飯よこせ!!」

 

 

 

 

 

 風俗ビルオーナーにして複数の風俗店を経営している“情報屋”の優雅なひとときはヤンキー少年、義搭壮助の突入によって破られた。ただでさえ、そこに存在するだけでトラブルを引き起こす彼が、血まみれでボロボロの少女を背に抱えている。カモがネギと鍋とコンロを持ってくる要領で疫病神が更に厄介事を抱えて来たのだ。

 

「また君かね。今度は何を持ち込んできたんだ?家出中の不良娘か?ヤクザの女か?赤目ギャングか?それとも凶悪犯罪者か?」

 

「テロリスト」

 

 平然とヤバすぎる女を自分のところに連れて来た壮助に愕然とし、蔵人はがっくりと膝から崩れ落ちる。スーツが汚れることなんて考える余裕もなかった。

 

「君はあれか。僕のところに来れば、とりあえず何やかんや解決してくれる便利屋だと思っているのか?四次元ポケットを持った猫型ロボットみたいに」

 

「思ってねえよ。とにかく事情は後で話すから、シャワーとこいつに合う服をくれ」

 

 哲己はしばらく頭を抱えると、顔を上げないまま隣の店の入口に指をさした。

 

「シャワー室ならすぐ隣のテナント“女王の教室”にあるから、そこを使いたまえ。洗濯機も使って構わない。服と口止め料が効く医者も用意しよう。ほら。これが鍵だ」

 

「分かった。ありがとう」

 

「使用料と迷惑料はキッチリと君の会社に請求させてもらうからね」

 

 蔵人から鍵を受け取り、小比奈を抱えたまま壮助は事務所を出て、隣のSM風俗“女王の教室”に行こうとする。

 

「ちょっと、待て」

 

「何だ?」

 

「君がその子の服を脱がして、身体を洗うつもりか?SM風俗に連れ込んで?」

 

「あ……」

 

 蔵人に指摘されて、ようやく壮助は自分がやろうとしていることに気付いた。さっきまで、小比奈をどうにかしようと必死になっていて気付かなかったが、「16歳の少年が意識を失っている同い年の女の子を風俗に連れ込んで服を脱がして体を洗おうとしている」状況を自分が作り、実行しようとしている。相手がテロリストとはいえ、性犯罪者として牢獄直行コースだった。

 手に伝わる女の子の太腿の柔らか、背中に感じる膨らみと温かさは、(詩乃を除いて)女の子と接触のない壮助にとって刺激的なものだった。

 彼は思わず赤面すると、蔵人から顔を逸らし、ポケットから携帯電話を出した。

 

「ごめん。詩乃。裏の階段上って、2階にある事務所に――「来たよ」

 

 電話してから、10秒も経たずに詩乃が事務所の扉を蹴破って突入してきた。そして、目の前の状況を見て、硬直する。彼女も写真で蛭子小比奈の顔は見ている。彼女がボロボロになり、壮助に抱えられている状況は理解ができなかった。

 

「何がどうしてそんな状況になったのか分からないんだけど」

 

「俺だって分かんねえよ。いきなり現れたと思ったら、仮面野郎に裏切られたとか何とか言って、ぶっ倒れたんだから」

 

「警察に突き出す?報酬の3割ぐらいは貰えるかもしれないよ」

 

「そうしたいけど、わざわざ俺に会いに来たっぽいし、サツに出すのは話を聞いた後でも良いだろ。あと、こいつ、血の臭いがヤバいし、汗とか血とかがベトベトして気持ち悪い。――っていうことで、こいつ隣のテナントのシャワー室に放り込んで、洗ってくれ」

 

「了解」

 

 壮助は詩乃に隣のテナントの鍵を渡すと、背中に抱えていた小比奈を詩乃に託す。詩乃は片手で軽々と小比奈を抱えると、隣のSM風俗の中へと入って行った。

 壮助が近くにあったオフィスチェアに腰をかけ、大きくため息を吐く。彼の目の前にココア入りのマグカップが置かれる。

 

「なんとなくだが、事情は察した。口止料が通じる医者も呼ぼうか?」

 

「いや、あの程度なら赤目の治癒力でどうにかなるだろ。そんなことより――」

 

「“里見蓮太郎に関する情報が欲しい”だろう?」

 

 これから言おうとすることを一語一句違わずに言い当てられ、壮助は一瞬、硬直する。

 

「どうして、俺が言いたいことが分かったんだよ」

 

「君の前にも何人もの民警が尋ねて来たからね。しかし、残念だ。私は君に話すことなど何も無いのだよ」

 

「情報が無ぇってことか?」

 

「あるにはある。広く一般的に知られていて、わざわざ情報屋を訪ねる必要もない程度の情報ばかりだがね。知りたいなら、わざわざ私の所に寄らずとも、室戸菫に聞けば良いじゃないか。当事者だろう」

 

 壮助は、どうして蔵人が自分と菫が会っていること、背負っていた少女がひるここひなであることを知っているのか、尋ねようとはしなかった。彼の情報屋としての武器は、幅広い人脈だ。大学のような多数の人間が集まる場所なら、自分が大学に来て菫と会っていたことを蔵人に伝える人間が一人や二人いてもおかしくはなかった。

 

「ゾンビドーナツの洗礼が無かったらな。それにリアルタイムの情報を手に入れるなら、引きこもりの室戸先生より蔵人の方が良いだろ」

 

「成程、誉め言葉だけは受け取っておこう。褒めたところで何も出せないがね」

 

「ああ。何も無さそうだから、貰うもん貰ったらさっさと退散させてもらうわ」

 

「そうだな。服を渡したら、さっさと出て行ってくれたまえ。あと、請求書はキッチリと君の会社に送らせてもらうからね」

 

「出来れば、安く頼むぜ。これ以上、出費が重なったら空子に殺される」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 壮助に小比奈を洗うことを命じられた詩乃は、隣のテナントのシャワー室に小比奈を運んだ。脱衣所で彼女を背中から落とし、ボロ布のようになった彼女の服を脱がそうと襟元に手を伸ばす。

 しかし、彼女の手は服に届く前に止められた。目を覚ました小比奈が詩乃の手を掴んでいた。額から汗を流し、満身創痍の中で途切れそうな意識を繋ぎ止め、彼女の赤い目は詩乃を捉えていた。

 

「良かった。目が覚めてるなら、自分で身体を洗って欲しいんだけど」

 

 詩乃は小比奈が目を覚ましたことに動揺を見せなかった。小比奈に強く腕を掴まれているが、平常心のまま対応する。彼女でなかったら骨が折れていたであろうくらいに強く掴まれていたとしても。

 

「貴方……何者?」

 

 小比奈は1度目のガストレアテロの際、ドローンで詩乃の姿を見ている。彼女を「斬りたい」とまで言った。目を開いて、目の前の人間が義搭壮助のイニシエーターであることは十分に理解していた。

 しかし、それ以上に詩乃から溢れ出る“ヤバい”感覚が彼女に焼き付いていた。本能の奥底から詩乃を危険と感じ、彼女の意思や感情が自分に向けられるだけで全身を刃で斬り刻まれる感覚に襲われる。

 6年ぶりの感覚だった。彼女が16年の生涯で唯一恐怖したヤバい女“天童殺しの木更”と同等か、それ以上のヤバさを詩乃は放っていた。

 

「何者?って、義搭壮助のイニシエーターだけど」

 

 詩乃は小比奈の手の握力が緩まず、視線も警戒したままなのを確認する。

 

「それだけじゃ、納得しないよね。“勘の良い貴方”は」

 

 詩乃は軽くため息を吐き、再び小比奈に冷たい視線を向ける。

 

「私には貴方の疑問に答える義務は無いけど、多分、壮助は貴方と同盟関係を築くつもりだろうから、お互いの信頼のためにも話してあげる。まぁ、丁度いい機会だしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――初めまして。姉さん」

 

 

 

 

 詩乃が放った言葉に小比奈は目を見開いた。

 何故なら、自分をそう呼ぶ人間は10年前に一人残らずこの手で殺したはずだからだ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 風俗ビルで小比奈にシャワーを浴びせ、ボロ布同然だった彼女に新しい服を与えた。蔵人に請求書を叩きつけられながら追い出されるようにビルを出た3人は近くのファミレスに来ていた。白昼堂々、テロリストが民警と一緒に外を出歩いていたが、テロの一件が主犯の蓮太郎のことばかり報道され、小比奈については全く触れられていなかったことから、誰も彼女がテロリストとは思わなかった。彼女がジーンズと黒いフード付きのパーカーというよくあるファッションに着替えていたことも彼女の日常へのカモフラージュに役立った。

 むしろ、相変わらず不良然としていた壮助が危険人物として視線を浴びていたぐらいだ。

 端のテーブル席に壮助と詩乃が隣りあわせで座り、対面に小比奈が座る。テーブルの上には各々が頼んだ定食が並び、中央には数人盛りのポテトの大皿が置かれていた。

 

「風呂に入れたぞ。服も新しい奴に着替えた。飯だって俺の奢りだ。さぁ、これから俺たちの質問に答えてもらおうか」

 

「お腹空いてるから、食べた後で良い?」

 

「え?まぁ、良いけど」

 

 壮助は、自分達が小比奈のペースに巻き込まれているような気がしてならなかったが、彼女に根掘り葉掘り聞くのは長くなりそうだし、食べ終わってからでも良いかと思った。

「いただきます」と言って手を合わせ、壮助が箸を手に取ろうとした時だった。彼のポケットの中にあるスマホに着信が入り、マナーモードのバイブレーション機能のせいでポケットの中が震える。壮助がポケットの中からスマホを出し、発信者を見ると「バカ鳥」と表示されていた。無論、飛燕園ヌイのことである。

 壮助は無視して着信を拒否してスマホをテーブルに置く。再び箸を持とうとするとまた「バカ鳥」から着信が入る。「どうせ諦めるだろ」と思って着信を無視し続けていたが、遂に折れて食事の前にスマホを手に取り、ヌイからの電話に応答した。

 

「ブーブーブーブーうっせえんだよ。何か用あんのか。鳥頭」

 

『誰が鳥頭よ。アンタが出ないから何度もかけてるんでしょうが。今どこにいんのよ』

 

「どこって、22区のファミレスだけど――」

 

 壮助がふと目を下に向けると、豚の生姜焼き定食についていた味噌汁が空になっていた。それどころか、メインディッシュの皿すらなくなっている。「まさか……」とふと目を向けると、そこには堂々と自分の料理を横取りする詩乃の姿があった。

 

「おい。ちょっと待て。それ俺の飯なんだけど」

 

「ごめん。ここ最近、壮助がお金を無駄遣いしたせいでご飯が少なかったから」

 

「勝手にタウルスジャッジとか爆薬とか買いまくったのは謝るけど、大元を辿れば、お前の食費が家計を圧迫しているのが原因だろ。どんだけ燃費悪いんだよ。食ったものはどこに消えてるんだよ。お前の胃袋は四次元空間か」

 

 詩乃と壮助が言い争いをしている間、小比奈もそろ~りと壮助のお盆からご飯を掠め取り、さも当然のようにそれを食べ始めた。

 

「おい。待て。お前まで食うな」

 

 壮助たちのランチ争奪戦に呆れたのか、電話越しにヌイのため息が聞こえる。

 

『ねぇ……今、どんな状態か知ってる?』

 

「俺の昼飯がピンチ」

 

『アンタの個人的な事情なんて知るかあああああああああああああああ!!!!』

 

 それからスマホ越しに罵詈雑言の嵐が吹き荒れるかと壮助は思ったが、そんなことはなく、しばらく向こうが静かになるとキンキンと耳に響く少女の声から厳つく野太い男の声が聞こえて来た。

 

『おう。壮助。お楽しみのところ悪いんだが、お待ちかねの里見廉太郎がご登場だ。ニュース見てみろ』

 

 大角に促され、通話状態を維持しながらニュースアプリを開く。アプリを開くと、TOP画面に堂々と「ガストレアがアクアライン空港を占拠」とテロップが出てくる。そのリンク先を開くと、生中継でガストレアの山に埋め尽くされたアクアライン空港の空撮が小さな画面に映される。しばらくすると蓮太郎の犯行声明も流れ、「五翔会構成員リストの譲渡」「天童文書の公開」という彼の要求が3人に伝わった。

 

「なんだよ……これ。マジかよ。あの野郎……。どこまで……」

 

 驚愕する壮助とは裏腹に詩乃は顔色一つ変えずニュースを見る。

 

「ねぇ。小比奈。貴方はこのこと聞かされてた?」

 

「まさか。裏切って処分する予定だった私に本物の計画を言うと思う?空港にガストレアけしかけるのも、五翔会構成員リストと天童文書を要求するのも初耳だよ」

 

「要するに、貴方は賢者の盾を餌にホイホイ釣られて利用されて、肝心の賢者の盾すら奪われて始末されそうなところを命からがら逃げて来たってことね」

 

 詩乃と小比奈が睨み合い、2人の赤い目の間に火花が散る。元々、敵だったのだから仕方ない部分もあるが、やけに小比奈にはきつい言葉を吐く詩乃にも原因はある。「頼むから仲良くしてくれよ」と願いつつも火花散らせる2人に目を向けた。

 

 ――こいつら、何か似てるよな?

 

 何がどう似ているのか、上手く説明は出来なかったが、何となく直感的に壮助はそう思った。残念ながら、その理由を考える時間などなかった。

 

『事態は分かってくれたと思う。今からお前達を拾って空港に向かう。安心しろ。お前たちの分の武器も持ってきた』

 

 壮助がスマホを手に取り、もう一度、ガストレアだらけの空港の中継を見る。ガストレアの群れの相手をしたことは何度かあったが、今回は桁違いに数が多い。軽く「空港に向かう」と言っているが、心のどこかでは逃げたい気持ちがあった。

 

「大角さん。マジで行くんすね」

 

『ああ。おそらく、空港のガストレア掃討は他の会社の連中や自衛隊と共同になるが、このビッグウェーブ乗らないわけにはいかないだろう?今からお前達を向かいに行く』

 

「了解っす。後で地図送ります」

 

 勝典と話す中で、壮助はふと思った。

 

 ――小比奈のことを大角さんにどう説明しようかなぁ……。こいつも一緒に空港に行くだろうから、隠すわけには行かないし、まだ情報を聞き出せていないし、……あ、でも序列元134位が味方にいるのは心強いな。

 

「そうだ。大角さん。車に乗せる奴、一人増えるんすけど、良いっすか?」

 

『悪いが、戦場への直行便だ。戦力にならない奴なら置いていくぞ』 

 

「大丈夫ッスよ。めっちゃくちゃ戦力になる奴だから」

 

 ちょっとしたイタズラ心が芽生えたのか、小比奈を見た時の2人を反応が楽しみで仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「――――っていう感じで、今に至る」

 

 ヌイがテーブルに乗り上げたことで店内の注目を浴びてしまった一行は、早々と会計を済ませてファミレスを出て行き、空港へ向かう途中のバンの中で小比奈を連れるまでの経緯を聞いていた。勝典が運転し、助手席にヌイ、後ろの席に壮助、詩乃、小比奈の3人が詰め込まれていた。

 壮助が語り終えた後、勝典とヌイから感想が告げられることなく、少し静かな時間が続いた。

 

「何か言えよ」

 

「アンタの馬鹿さ加減とアウトローぶりに呆れてんのよ!同い年の女の子をSM風俗に連れ込んで服を脱がせようとした変態ヤンキー!」

 

「それは未遂だって言ってんだろうが!」

 

「「うるさい」」と勝典と詩乃が同時にそれぞれのパートナーに拳骨を食らわせる。2人は頭を抱えてうずくまった。

 

「壮助。そいつは、信頼出来るのか?」

 

「少なくとも蓮太郎をぶっ倒すっていう目的は同じっすよ。賢者の盾に関しては、敵対不可避ですけど」

 

「里見を倒すまでの一時共闘か。良いじゃないか。ハッキリしていて」

 

「でしょ?」

 

 男だからなのか、全く違うようでどこか根っこの部分では共通する2人のズレた価値観にヌイと詩乃はため息を吐いた。

 しばらく空港の連絡通路に向けて車を走らせると検問所が見えて来た。警察の検問かと思ったが、迷彩柄の人間と簡易ゲートに並ぶ装甲車から、それが自衛隊によるものだと分かった。

 

「自衛隊の検問所か。ヤバいな」

 

 追われている身の小比奈はフードを深めに被って顔を隠す。

 勝典はブレーキペダルを軽く踏み、徐々にゲート前に停まるように車の速度を落とした。

 ゲートにいる自衛官がバンの運転席に近づいた。

 

「ここから先は、ガストレア大量発生により立ち入り禁止区域となっています。引き返してください」

 

 勝典が窓を開けて、民警のライセンス証を見せる。

 

「ガストレアがたくさん出て来たって聞いたんで、仕事しに来たんだが、通してもらえないか?武器もたんまり持ってきた」

「アクアライン空港の一件は自衛隊に一任されています。現在のところ、アジュバントシステムも適用されておりますが、空港から出て市街地に潜り込んだガストレア掃討が任務となります」

「ああ。そうかい。邪魔して悪かったな。俺達の仕事がないことを期待してるぜ」

 

 勝典は自衛官に軽く敬礼すると、自衛官も姿勢を正して敬礼で返す。

 車をUターンさせ、勝典は来た道を引き返す。

 

「なるほどな。空港のガストレア殲滅、沿岸部の防衛は組織戦術に長けた自衛隊、市街地にまで入り込んだガストレアは単独で動き易く、場数慣れしている俺達にやらせるわけか。合理的だな」

 

「マジかよ。自衛隊が出るなら俺達出番ねえな」

 

「どうするの?勝典。せっかく武器集めたのに肝心の仕事がないじゃない」

 

「無いとは決まったわけじゃないだろう。市街地まで入り込んだガストレア掃討がある。これも立派な仕事だ。だが、これ聖居との契約とかどうなるんだろうな……。ちょっと考える」

 

 インターチェンジで下の一般道に降りた勝典たちは高架下の駐車場に車両を止める。金網に囲まれた30台ほど停められる簡易な場所だ。全員が一度、車両から降りて座りっぱなしで曲がった背筋を伸ばす。

 勝典は懐からタバコを出し、それに火を点ける。

 

「さーて、これからどうする?一応、仕事はあるが……、個人としちゃ今回のために色々な方面に借りを作ったからな。ここでデカい仕事一発当てないと、採算が合わねえ」

 

「私はこのまま市街地のガストレア掃討参加に1票。自衛隊と事を構えてまで里見を追う必要無いでしょ」――とヌイが手を上げるが、壮助、詩乃、小比奈からの視線が突き刺さる。

 

「て、訂正。やっぱり空港に行きます。お小遣い少ないし」

 

 ヌイが日和って意見を変えた途端、小比奈はバンのトランクを開けて、自分の刀を取り出した。抜き身の刀身が露わになり、彼女の目が赤く輝く。

 

「え!?空港行くって言ったのに!?」

 

 詩乃も小比奈の行動に気付き、バンの上に乗っかって、サーフボードのように車に括りつけられていた自分の重槍を手に持つ。彼女の目も赤く輝き、車の上から周囲を見渡す。

 

「え!?詩乃様も!」

 

「いい加減気づけ。バカ鳥。誰かが俺達を狙ってる」

 

 壮助も司馬XM-08AGの安全装置を外し、マガジンを装填する。

 勝典はとっくの前に気付いて大剣を手に持っていた。ヌイも不服ながら壮助に言われて、レイピアを構え、目を赤く輝かせた。




少し中途半端な感じですが、今回はここまでです。

詩乃の言葉の意味、彼女と小比奈は本当に姉妹なのか、それとも比喩表現なのか、その真相については、いずれ先の話で語るつもりです。


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片桐兄妹

凄く久々にバトル回を書きました。


 東京エリアの沿岸部を一望できる高速道路で、片桐玉樹は愛機のハーレーダッビッドソンを停止させ、双眼鏡でガストレアが群がるアクアライン空港を眺めた。

 埋立地の人工島はガストレアだらけになっているが、ガストレア達はまるで人間の警備員のように決まった配置に付き、それぞれの持ち場を監視している。統率されたガストレアの群れは第三次関東会戦を思い出させる。数こそ関東会戦の10分の1以下で、東京エリア側が投入できる戦力は関東会戦以上だが、人間の知恵と悪意を持った統率者の存在が東京エリアを勝利から遠ざけて行く。

 玉樹は一通りアクアライン空港を一望すると、彼の懐が振動で震える。携帯電話のバイブレーションによるものだと思われる。玉樹が鬱陶しく思いながら懐から“衛星電話”を取り出す。絶滅寸前の黒いガラケーで、厚いボディが古めかしく感じる。

 

「よう。あんたか。今更、何の用だ?」

 

 玉樹は話し相手のことを快く思っていないようで、段々と眉間に皺が寄っていく。

 

「全部お見通しって訳かよ。だったら、何故止めなかった?戦力が減るのはあんたにとって都合が悪いだろ」

 

『――――――――』

 

「そういうことか。俺は自分勝手に動いていたつもりが、まんまとあんたの策に乗せられていたんだな。どうせこんな状態だ。あんたに従わないと空港にも入れないんだろ?」

 

『――――――』

 

「良いぜ。ピエロを続けてやるよ。で、次はどう踊れば良いんだ?」

 

 

 

 *

 

 

 

 自衛隊に足止めされ、高架下の駐車場で2組の民警+テロリスト1名はワゴンを囲むように立って武器を構え、周囲を警戒していた。

 詩乃と小比奈が敵を察知して警戒してから数分、未だに姿を現さない敵に壮助は苛立ちを覚え始めていた。

 

「さっさとかかって来いや!ボケが!!ビビってんじゃねえぞ!ゴラァ!!そっちが来ないなら、こっちから行くぞ!ヘタレ!」

 

「うわぁ……。ガチヤンキー」

 

 ヌイがドン引きするのも厭わず、壮助は見えない敵に対してありったけの罵詈雑言を吐き出す。彼の怒号は金網や柱を通り抜けて響き渡る。しかし、一通り叫び終わった後、壮助は急に冷静になった。

 

「こんだけ言ったのにまだ出て来ねえか。いっそのこと、グレネード乱射して炙り出すか?」

 

 壮助は司馬XM08-AGの下部に取り付けたグレネードランチャーの引き金に指をかけ、柱の影に照準を合わせる。どの柱に撃ち込もうか選んでいると、アイアンサイト越しの視界に人影が映った。

 

「おい。マジかよ……」

 

 “彼”の姿を見て、壮助の口から最初に出た言葉だった。

 くすんだ金髪にピアス、亜麻色のサングラスをかけたチンピラ然とした男だ。黒のカーゴパンツとフィールドジャケット、コンバットブーツとハーフフィンガーグローブといった彼の服装は威圧的であり、筋肉質な体格が壮助との格の違いを見せつけていた。

 片桐玉樹――序列451位。約10万組いる民警の上位0.5%の階層にいる男だった。

 

「あんたのこと、雑誌で見たことあるぜ。片桐玉樹。東京エリア民警のトップランカーが何の用だ」

 

「別に。何の用もねぇよ。ただ、目の前をウロチョロする蝿を叩き潰しに来ただけだ。せいぜいウォーミングアップの相手ぐらいにはなってくれ」

 

「ウォーミングアップだぁ?防衛省で瞬殺された癖によく言うぜ」

 

「瞬殺されたのはてめえも同じだろうが」

 

 2人の金髪ヤンキーが互いの感情を煽り合い、視線の間に火花が走る。獣のように睨みつける壮助に対し、玉樹はその体格差から来ているのか壮助ほど感情を露にせず、余裕を見せている。

 

「片桐。さすがにこんな事態になってまで報酬独占にこだわる理由は何だ?」

 

 勝典が構えた大剣を下ろし、玉樹の方を向く。顔見知りである彼は、戦う意思ではなく、対話し、交渉する意思を示した。しかし、玉樹の態度は変わらない。

 

「報酬?別に報酬なんてどうでもいい。俺は、この手で里見蓮太郎をぶっ殺したいだけだ。誰にも手出しはさせねえ。俺とあいつの戦場に邪魔者はいらねえ。お前らも死にたくなかったら、さっさとそこの共犯者を警察署に放り投げな。そんで大人しく、そこらの雑魚とアジュバント組んで、自衛隊の残飯処理で小銭でも――

 

 

 

 ――ドォン!!

 

 

 

 玉樹が言葉を吐き終える前に、1発の銃声がなった。突然の銃口に全員がぎょっとし、この中で唯一銃を持っている人間、そしてこんな状況でも躊躇いなく引き金を引くであろう人間に視線を向けた。

 

「ガタガタうるせぇんだよ。あんた邪魔だ」

 

 全員が察した通り、壮助の司馬XM-08AGの銃口から硝煙が上がっていた。玉樹の足元には壮助が放った弾丸がめり込んでいた。照準がずれたわけではない。あえて着弾地点を外していた。

 勝典は頭を抱えてため息を吐く。

 

「はぁ。やっぱりそうなっちまうか。同業者潰しは好きじゃないんだがなぁ……」

 

「仕方ないじゃん。相手もやる気満々だし。どうする?」

 

「前衛・後衛。どっちも出来るように準備しておけ。まだ姿を現さないイニシエーターが気がかりだ。兄貴の方は義搭たちに任せよう」

 

「分かったよ。勝典。けど、心配するほどでもないでしょ。向こうは1組。こっちは馬鹿がいるけど2組だし、加えて元134位もいるんだよ。楽勝♪楽勝♪」

 

「え?私、戦わないけど」

 

「「はぁっ!?」」

 

 勝典とヌイは驚嘆した。この中で壮助と1.2を争う闘争本能の塊だと認識されていた小比奈が「戦わない」と発言したのだ。今にも玉樹を斬り殺すんじゃないかと思われていた彼女がそんな発言をするとは思ってもいなかった。それどころか、彼女は抜いていた二振りの太刀を鞘に戻し、ワゴンに寄っかかってリラックスしていた。

 

「だって、この戦い。私達、完全に蚊帳の外だし」

 

「は?何それ。どういうこと?」

 

 ヌイが小比奈に疑問をぶつけるが、彼女は答えてくれなかった。

 

「作戦会議は済んだか?」

 

 一同が頷く。

 

「じゃあ、踊ろうぜ!せいぜい楽しませてくれよ!ボーイ!!」

 

 玉樹は腰のホルスターからマテバモデロ6ウニカを引き抜き、3発の弾丸を放つ。

 勝典、ヌイは咄嗟にワゴンやコンクリートの柱の陰に隠れて銃撃から身を隠す。

 しかし、逆に詩乃はワゴンの上から前に飛び出した。着地すると足で慣性を殺し、舞うように槍を振り回し、玉樹のマグナム弾を受け止めた。赤目の子供でも使用が困難とされる純バラニウム製の重槍“一角”の質量に当てられたマグナム弾は槍の表面で潰れ、情けなくも潰れた弾頭がポロポロと零れ落ちる。

 そこから間髪入れず、詩乃は目を赤く輝かせ、一気に前方に跳躍した。助走をつけることなく、1秒足らずで玉樹との距離を詰める。その瞬間、詩乃の近くで爆弾が爆発し、彼女めがけて釘や杭が飛んでくる。ワイヤートラップの類だが、彼女はそれを気に留めず、真っ直ぐと玉樹に向かっていく。

 詩乃は玉樹の首めがけて一角の先端を突き出した。対ガストレア戦闘を想定した巨大な槍、その刃を人間に使えば胴を容易く貫き、上半身と下半身を軽く分断してしまうだろう。

 だがそれは、“彼女の槍が玉樹に届けば”という前提の上で成り立つ話であった。

 詩乃の槍が玉樹に届くことはなかった。玉樹はそこから1歩も動いていない。ポケットに手を入れ、堂々と詩乃を待ち構えていた。しかし、彼女の槍は玉樹の首まであと30センチのところで止まり、そこから前進することも後退することもなかった。いや、出来なかった。

 今の彼女はマリオネットだ。全身に糸が絡みつき、自分の意志で手足を動かすことが出来ない。さながら蚕の繭のようだ。

 

「とんだ戦車ガールだ。せっかく仕掛けたトラップを全部作動させやがって」

 

 あと一歩だった。普通ならそう悔しがるところだったが、何故か詩乃の口角は上がっていた。上手くいったと言わんばかりに、まるで勝利を確信したかのように口元が緩んでいた。

 

「何がおかしい?」

 

「これで、罠は全部なんだね」

 

 玉樹は彼女の意図を理解した。このイニシエーターは無闇に突っ込んで馬鹿みたいにワイヤートラップにかかったのではない。わざと罠にかかり、進路上の全てのトラップを作動させた。自分の後ろに続くプロモーターが通る安全で確実な通路を作るために――。

 玉樹が気付いた瞬間、壮助が詩乃の背後を飛び越えてきた。30センチ近い刃渡りの黒いサバイバルナイフを逆手に握り、玉樹に斬りかかる。玉樹は間一髪のところで壮助の斬撃を回避し、仕切り直しのために後方に下がって距離を置く。

 玉樹から隠すように壮助が詩乃の前に立つ。

 

「詩乃。動けるか?」

 

「動けると思う?指先一つ動かないよ」

 

「じゃあ、そこで観戦しててくれ。さっさとあいつぶっ殺すから」

 

 壮助はナイフを構えると、一気に玉樹との距離を詰めた。序列451位の前衛型プロモーターに肉弾戦を挑んだ。

 

 

 

 

「玉樹相手に肉弾戦かよ。相変わらず無茶なことをしやがる」

 

 まだ姿を現さないイニシエーターを警戒して動かなかった勝典とヌイは、序列の差を恐れない滅茶苦茶な戦い方をする義搭ペアを見て思わず舌を巻いた。

 

「ヌイ。義搭が引きつけている間に糸を切れ。イニシエーターに警戒しろ」

 

 それぞれ別の支柱の陰に隠れていた勝典とヌイが飛び出す。ヌイは2本のレイピアを持って真っ先に詩乃の下へ向かい、勝典はイニシエーターがヌイの邪魔をしないように牽制目的で個人携行火器MP7A1を構え、周囲を警戒する。

 しかし、2人の増援が詩乃に届くことはなかった。ヌイが踏み込んだ瞬間、足を“何か”に絡めとられて勢い良く顔面から地面に転げる。彼女は立ち上がろうとするが、足は白い粘着質の物体によって地面に固定され、それから抜け出すことが出来なかった。勝典はヌイの異変に気付き、彼女を助けようとするが、目の前に“誰か”が飛び降りてきて、彼の進路を封じ、グロック26の銃口を向ける。

 勝典の目の前に降りた少女は、見慣れた顔だった。

 波のようにうねるセミロングの染められた似非金髪、胸元が大きく開けられた全体的に黒エナメルの服とスレイブチョーカー。彼女のファッションセンスは「私が片桐玉樹の妹です」と言わんばかりに似通っていて、彼女が誰であるか語る上にとてつもない説得力を持っていた。

 

「よう。片桐妹。まさか、お前までこんなくだらない戦いに参加するとは思ってなかったぞ」

 

 勝典は銃を捨て、両手を上げて、降参のポーズをとる。彼はこの戦いを諦めていた。四方を建造物に囲まれた空間は片桐兄妹が最も得意とする戦場だ。クモの因子を持ち、糸で無尽蔵のワイヤートラップを作成する弓月とトラップだらけの限られた空間で最大限の破壊力を発揮する玉樹は東京エリアの民警でトップクラスの連携を誇る。

 ここは片桐弓月が支配し、玉樹が破壊する空間。勝典たちに勝ち目など無かった。

 

「くだらない戦いってことには同意するわ。兄貴の趣味のせいで、する必要のない戦いをやっているんだから」

 

 

 

 

 弓月が大角ペアを無力化している間、壮助と玉樹の肉弾戦が続いていた。

 壮助は縦横無尽に動き、常に玉樹の死角を狙う。ナイフを持っているが、それの威力やリーチに頼らず、喧嘩の中で培った我流の格闘術で攻めて行く。玉樹に一息吐く間も与えない。しかし、戦歴の差と体格の差なのか、壮助の攻撃が尽く防がれ、回避される。逆に一瞬でも隙を見せればカウンターで彼の拳が飛んでくる。一撃でコンクリートに穴を開ける彼のストレートを人体が受ければ、まず無事では済まないだろう。相手の動きを読み、確実に回避することを前提とした戦闘を壮助は強要されていたが、玉樹がボクシングに近いスタイルで戦い、正攻法の手本のような戦い方をしていたのもあって彼の攻撃は予測が出来た。

 一方で、玉樹は壮助の攻撃をやり過ごしながらどこか違和感を覚えていた。動き回りながら相手の死角を探り、狙う――それは体格差で劣る者が体格差で勝る者に対抗する常套手段だ。しかし、玉樹は壮助の攻撃後の判断の早さが気がかりだった。攻撃を防がれたり、回避されたりした後の対応が早過ぎる。反射神経の早さだけでは説明できない。まるで、“最初から攻撃を防がれることを前提に動いている”ようだった。

 

 ――このガキ。どういうつもりだ?

 

 壮助は玉樹のボディブローを紙一重で躱すと、腕と脇腹で挟み込んだ。そして、もう一方の手に持っていたナイフの切っ先を挟み込んだ腕に向けるが、手首を玉樹に掴まれて刃は届かなかった。互いが互いの腕を抑え込み、組み合った状態で動きが止まった。

 

「今のはヒヤッとしたぜ。ファッキンボーイ。この腕は大事な商売道具だ。オレっちを失業させるつもりか?」

 

「失業したら、お詫びにウチの事務所の下にあるゲイバーのバイトでも紹介してやるよ」

 

「そいつは御免被るぜ!」

 

 玉樹の腕に更に力が入る。右腕は壮助の拘束から逃れようと無理やり脇腹の拘束をこじ開け、手首を抑えていた左腕は握力が高まり、壮助の手首を骨ごと握り潰そうとする。

 壮助は苦悶の表情を見せるが、玉樹の腕から逃れる術がなく、痛みに耐えるしかなかった。

 

「オレっちの勝ちだ」

 

「いいや、あんたをここに立たせた時点で、“俺達”の勝ちだ」

 

 痛みに耐えながらも壮助は勝利を確信し、苦悶の中で笑みを浮かべた。玉樹は、彼の言葉と表情の意味を理解したが既に遅かった。

 

 

 

 ――バァン!!

 

 

 

 高架下の駐車場に1発の銃声が響いた。その瞬間、玉樹の全身から力が抜け、彼はその場に倒れる。全身の激痛と途切れそうな意識の中で玉樹は首を動かし、背後に視線を向ける。その先には、全身を糸で拘束されながらも唯一動く左手首で散弾拳銃タウルス・ジャッジを握り、硝煙の上がった銃口をこちらに向ける詩乃の姿があった。

 

 ――ああ。そういうことか。こいつら、最初からこれが狙いだったのか。

 

 詩乃が弓月のトラップで拘束され、壮助が詩乃の背後を飛び越えて玉樹に斬りかかった時、壮助は玉樹から隠すように詩乃の前に立った。嘘の会話で玉樹に「詩乃は指先一つ動かせない」=「戦力にならない」という嘘の情報を与えつつ、詩乃に腰の真後ろに挿したタウルス・ジャッジを引き抜かせた。その後、壮助は息も吐かせぬ肉弾戦で玉樹の意識を自分に集中させ、詩乃に銃を持たせたことを隠し通す。それと同時に防がれる・回避されることを前提とした攻撃で玉樹を誘導し、詩乃が銃で玉樹を狙える位置(キルポイント)まで彼を動かし、無防備な背後から彼を撃った。

 銃声の直後、全員が静まり返り、自然音だけが響く高架下の駐車場でドスンと玉樹がうつ伏せに倒れる音がした。

 勝典にグロックを向けている弓月は玉樹の方を振り向いた。銃口は勝典に向けられたままだったが、彼女の意識は既に玉樹の方を向いていた。

 

「そっちが仕掛けないなら、俺達はなにもしない。早く兄貴のところに行け」

 

 勝典がそう諭すと、弓月は銃を降ろし、詩乃と壮助のことを無視して一目散に玉樹の下に駆け寄った。

 

「そんな……。だって、こいつらの実力を試すだけって言ってたじゃん!何で……何で、こんなところで!!」

 

 弓月はうつ伏せに倒れる玉樹の近くで膝をつき、動かない彼の身体を揺さぶる。唯一の肉親の死を受け入れられない彼女は、必死に玉樹を起こそうと彼を揺さぶる。しかし、玉樹がそれに応えることはない。彼女の目から涙が零れ、玉樹のジャケットを濡らしていく。弓月が兄の死を受け入れた瞬間、空気が震えた。イニシエーターだとか、序列451位だとか関係ない。肉親を失った16歳の少女の悲痛な叫びが響き渡った。

 

「ねぇ……。嘘よね?笑えない冗談だよ……。兄貴!ねえ!起きてよ!目を開けてよ!!冗談だって言ってよ!!……嫌……嫌!!私を置いて逝かないで!私を独りにしないで!起きてよ!!兄貴いいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ。壮助。なんか反動が軽かったんだけど」

 

「当たり前だろ。ギリギリまで火薬を減らした“非殺傷性のゴム弾”なんだから」

 

「え?」

 

 

 

 

 

「痛ええええええええええええええええ!!てめえ!なんてもん撃ち込みやがる!オレっちを殺す気か!」

 

 塩をかけられたナメクジのように玉樹がのたうち回る。よく見ると彼の服に穴は開いておらず、血も出ていない。ジャケット越しに伝わった弾丸の衝撃が彼を気絶させたようだ。

 ゴム弾とはいえ、本物の銃から放たれた弾丸だ。それでたった数分の気絶と「痛い」の言葉だけで済ませる玉樹の異様な丈夫さに壮助は驚いた。彼が本当に人間かどうか疑ってしまう。

 一通りのたうち回った後、玉樹は立ち上がって服に付いた埃や砂塵を振り払う。そこで、彼は弓月が自分にしがみ付いていることに気付く。目元は濡れて赤くなり、化粧も涙で落ちていた。

 

「あれ?マイスウィート?何で泣いてるんだ?もしかして、オレっちが死んだと思った?」

 

 玉樹のとぼけた反応に弓月は恥ずかしさのあまり俯いた。兄が死んだと勘違いして、醜態を晒したこと恥ずかしさのあまり、彼女の耳が赤くなり、口から声にもならない声が漏れだす。

 

「こんの……バカ!バカ!バカ!バカ!バカアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 弓月がポコポコと玉樹の胸元を殴る。妹が兄の胸元に顔をうずめて叩く光景は微笑ましいが、感情を抑えきれないのか、彼女は赤目の力を発揮した状態でそれを続けている。その拳一つ一つに呪われた子供としてのパワーが乗っかっており、弓月に叩かれるほど玉樹の顔が青ざめ、終いには吐血していた。

 

「おい。その辺にしておかないと、お前の兄ちゃんマジで死ぬぞ」

 

 さすがにまずいと思って壮助は弓月を止めようとするが――

 

「お前も死ねやああああああああああああああああああ!!」

 

「え!?俺も!?」

 

 弓月の右ストレートが顔面に直撃し、空中で回転しながら数メートル吹っ飛ばされた。

 警戒する猫のように弓月は「ふーっ!ふーっ!」と唸る。噴き出る感情の矛先を求めて周囲を見渡す。彼女の目に玉樹を撃った張本人、詩乃の姿が映った。

 

「え?私も?」

 

 ゴン!!

 

 弓月の拳が詩乃の頭に振り落とされる。糸で拘束されて動けない詩乃は弓月の拳を受け、頭が揺さぶられる。

 

「痛ったあああああああああああああああああ!!!」

 

 弓月が詩乃を殴って手を押さえて地面に転がる。どうやら、彼女の拳より詩乃の頭の方が硬かったようで、手の痛みに耐えられず、服が汚れることお構いなしに地面を転がる。

 

「ひひひひひっ……ふっふっふっふ……」

 

 目の前の状況が面白かったのか、小比奈はワゴンに顔を埋め、笑うのを堪えていた。

 

「勝典。何これ?どういう状況?」

 

「知らん。俺に聞くな」

 

 勝典とヌイは暴れ回る弓月とノックアウトされた玉樹と壮助の光景に唖然とするしかなかった。




おまけ

高校のクラスメイトに聞いてみた片桐弓月の評価

男子たちのコメント
「ギャル。マジでギャル」
「性格きつい。臆面なく色々ド直球に言ってくる」
「怖いけど、実はすごく優しくて良い人」
「透けブラ見えた。エロい。マジエロい」
「罵られながら踏まれたい」
「おっぱいでかい。揉みたい」

女子たちのコメント
「凄く頼れるみんなの姐御」
「私もあんな風に強くなりたい」
「制服着崩さないで!校則違反です!」
「バスケ部来て~!」
「かっこいい。弓月お姉様になら抱かれてもいい」
「ホラー映画苦手なの隠しているつもりだけど、実はみんな知ってるよ」


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空港への片道切符

蓮太郎「ガストレア!ゲットだぜ!」

※セリフの意味については、本編をお読みください。


 玉樹と壮助をノックアウトし、詩乃の石頭に悶絶した弓月は落ち着きを取り戻した。今は、糸に巻き付けられて繭の様になった詩乃にスプレーを吹きかけている。クモの糸を構成するタンパク質を変性させる薬剤が入っているのだろうか、詩乃が少し力を入れると、スプレーを吹きかけられた糸は砂糖菓子のように簡単に崩れた。

 詩乃は糸から解放されると、猫のように固まった身体を伸ばした。弓月のことは完全に敵とみなしていないようで完全にリラックスしている。ついでと言わんばかりに身体に刺さった杭や爆弾の破片を指でつまんで取り除いていく。破片を摘まみ取ると皮膚に穴が開き、少し血が出るか呪われた子供の自己再生能力であればすぐに塞がる程度だった。

 服についたゴミを取り払うように自分の身体に刺さった異物を取り除く詩乃を見て、弓月はため息を吐く。

 

「まったく、あんたも無茶をするわね。兄貴に『相手を傷つけるな』って言われていたから、殺傷性の低い罠ばかり用意したけど、私達が本気だったらどうするつもりだったの?」

 

「それでもやることは変わりません。壮助が『やれ』と言ったら、私は実行するだけです」

 

「……。それって、わざと罠にかかって道を作れってあいつの言われたの?」

 

「いえ、壮助は貴方のお兄さんを潰すと言っただけです。私は壮助の言葉を嘘にしないためにプランを練って、壮助が片桐玉樹を潰せる状況を作るために実行するだけ」

 

 弓月が詩乃の言葉から感じ取ったものは機械のような冷たさだった。森高詩乃は義搭壮助を信頼しているわけではなく、服従しているわけでもなく、忠義立てしているわけでもない。

 

 “森高詩乃というAIを搭載した機械が果たすべき役目を果てしている。”

 

 ただそれだけのように見えて仕方が無かった。彼女が自らの使用者として義搭壮助を選んだ理由も聞きたかったが、話が長くなりそうなので、これ以上の詮索はしなかった。

 

「これからどうするんですか?」

 

 詩乃に聞かれたことで弓月は自分たちの目的をはっと思い出す。

 

「兄貴―!こいつら合格で良いよねー!?」

 

 弓月が振り向いた先には散弾(ゴム)を撃たれた背中をさする玉樹とそれを傍で見守る壮助の姿があった。つい先ほどまで拳銃とナイフを向けて殺し合っていた二人だが、今はヤンキー風の見た目から兄弟のようにも見える。

 

「納得はいかねえが、手を抜いていたとはいえ、負けは負けだ。お前ら全員、合格だ。オレっちが空港に連れて行ってやるよ」

 

 玉樹は決め台詞を言ったつもりなのか、自信満々に親指をグッと立てて自分に向ける。しかし、そこから喝采や賞賛の声は上がらなかった。義搭ペアも大角ペアも小比奈も何がどうなっているのか分からず、ただ閉口していた。

 勝典が発言前にゆっくりを手を上げる。

 

「なぁ。片桐。防衛省の一件に関わった民警を片っ端から潰してきたお前が、今度は俺たちを空港に連れて行くって言うのは、どういう料簡だ?」

 

「事情が変わったんだよ。さっきお前達に言ったように俺はあいつとの一騎打ちを望んでいた。その状況を作るために他の民警を潰して回っていたんだが、蓋を開けてみるとこの有様だ。数百体のガストレアを従えて来るとか想定外にも程があるぜ。今じゃ現場の主導権は聖居と自衛隊が握っていて、民警はアジュバントを組んで、自衛隊の残飯処理ぐらいしかやることが無ぇ。――――まぁ、一部を除いてな」

 

壮助と勝典は「どういうことだ?」と問おうとしたが、2人が問いかける前に弓月がそれに答えた。

 

「私達は東京エリア民警のトップランカーよ。色んなところにコネがあるし、今回の一件でも既に空港に行く手筈は整ってるの。ただ、案内役から条件を付けられてね。それが、『アジュバントを組め』って内容だったのよ。最初は朝霞とティナを呼ぶ予定だったんだけど、朝霞は札幌エリア出張から戻って来ないし、ティナもずっと海外を飛び回ってて東京エリアに戻って来れないみたいなの。そしたら、案内役が私達に釣り合う民警をピックアップしてくれたら……」

 

「それが、俺達だったのか」

 

「そう。大角たちとは何度か一緒に仕事をしたから、実力は知ってるけど、そこの義搭ペアは(悪い)噂しか知らなかったからね。だから、一芝居打ったってわけ」

 

「なるほどな。大体の事情は分かった。で、どうやって行くんだ?」

 

 勝典が弓月に向けた質問を弓月は玉樹に流す。どうやら、彼女も全容を知らされていないようで、自分では答えられない部分を玉樹に投げた。

 

「まぁ、ぶっちゃけ、どうやって空港に行くのかはオレっちも知らねえ」

 

 全員が唖然とする中で、玉樹は懐から黒い衛星電話を取り出した。

 

「だから、詳しい話は、これを仕組んだ奴に聞け」

 

 玉樹がボタンを1回だけ押すと、呼び出し音が鳴る。片桐ペアvs義搭ペア・大角ペア(おまけにテロリスト)の戦いを仕組んだ仕掛け人に繋いでいるようだ。呼び出し音が鳴り終わると、玉樹は電話を耳に向けた。

 

「よう。片桐だ。こっちは終わった。あんたの言った通りのメンバーで――」

 

 玉樹が言葉を言いかけた。途中で小比奈の方をチラッと見ると話を続けた。

 

「――あんたの言ったメンバーと1人追加で行く。誰かは言う必要ないだろ」

 

『――――――』

 

「分かった。これからそっちに向かう」

 

 玉樹がふと目を向けると、壮助が眉間に皺を寄せて視線を玉樹に向けていた。何か言いたそうだった。玉樹は企むような笑みを浮かべる。

 

「あ~、あと、あんたが推薦してくれた義搭が何かに言いたいことがあるそうだ」

 

 玉樹はそう言うと壮助に衛星電話を放り投げる。壮助は一瞬、落としそうになるが何とかキャッチすると、衛星電話をトランシーバーのように口に向けて、大きく息を吸い込んだ。

 

 

 

「このクソッタレエエエエエエエ!こんな忙しい時に迷惑な民警けしかけやがって!こっちは実弾撃ち込まれるわ、詩乃が糸でグルグル巻きになるわ、大変だったんだぞ!!今回の件で浪費した銃弾とワゴンの修理代はキッチリそっちに請求してやるからな!!終わったら覚えてろよ!!ゴラァアアアアアアア!!!!」

 

 壮助の怒涛の叫びを聞きながら、勝典は頭を抱えてため息を吐き、ヌイはちゃっかりお金を貰おうとする壮助を「うわ。セコい」と評した。

 壮助が叫び終えると、高架下に片桐兄妹の笑い声が響き渡る。2人は腹を抱えて笑っており、玉樹に至っては笑い過ぎて上手く呼吸が出来なくなるくらい笑っていた。

 

「ははははははは!!こいつ!マジで!マジで言いやがった!!」

 

「あんたサイコー!!」

 

 壮助は2人が笑っている理由が分からなかったが、今は言いたいことを全て言えて清々しい気分だったので、特に気にすることはなかった。

 

「言っておくけど、その電話の相手、聖天子だぞ」

 

 玉樹の言葉を聞いた瞬間、壮助は血の気が引いて、顔が真っ青になった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 安全保障会議でテロに対する初動対応に関する会議が終わった後、聖天子は聖居の執務室で、一息ついていた。東京エリアという国家の頂点に立つ彼女が意思決定という役割を終えた今、対応は彼女が信頼する下の者達が意思を現実にするために事を進める段階に入っていた。しかし、ただ大臣たちが事を上手く進めるのを祈ってばかりでいられるほど、聖天子は放任主義者ではなかった。

 彼女は独自のルートで民警と連絡を取り、彼らを中心としたアジュバントを結成することにした。ガストレアの群れも里見蓮太郎も自衛隊の戦力であれば、討伐は可能だろう。しかし、人質を取られ、事を水面下で推し進めなければならない今、自衛隊という組織戦力は動かすにはあまりにも目立つ。組織であるということはそれだけ人がおり、それだけの人を動かすには相応の物資も動くことになる。その動きはメディアに捉えられ、テレビを通して蓮太郎にも伝わるだろう。それが交渉決裂の起因になることは避けなければならない。故に彼女は民警を使うことに決めた。自衛隊とは違い、個人で戦う民警は、多数対多数の戦闘には向かないが、今回の蓮太郎のように強力な個人との戦いであれば自衛隊よりも少人数・少物資で運用することが出来る。

 民警を運用すると決めた時、最初に名前が挙がったのは、片桐兄妹だった。蓮太郎が去った後、彼女が新たな“手駒”として選んだ民警。蓮太郎と関りがあり、今回の一件で一番執念を燃やしている。東京エリア民警のトップランカーとしての実力も申し分ない。彼が他の民警を潰し回って蓮太郎の一件から退かせているのも、空港に向かうメンバー以外の民警に諦めさせ、自衛隊の背後にある市街地防衛に回す手間が省けて好都合だった。

 大角勝典と飛燕園ヌイのペアは聖天子の要請で小笠補佐官が選出した民警だ。IP序列1069位に相応しい実績、勾田大学卒業という民警としては珍しい高学歴、職務に実直で犯罪歴もなし。強く、賢く、善良という模範的な民警だ。

 そして、義搭壮助と森高詩乃のペア。この2人を選んだのは聖天子自身だった。IP序列9644位、決して悪くはないが、ここに選出するには心許ない順位だ。その上、東京エリアに響くプロモーターの悪評は2人の耳にも入っている。小笠補佐官は2人の選出には難色を示したが、聖天子が押し切る形で彼らを大角ペアと一緒に片桐玉樹に紹介した。

 

「ガストレアの群れは空港を包囲する自衛隊、その背後の市街地に民警を配置することで対応し、里見蓮太郎は片桐兄妹を中心に組んだアジュバントで対応していきます」

 

「ティナ・スプラウトはどうされるおつもりですか?」――と傍らに立つ小笠聖天子補佐官が尋ねる。

 

「彼女はまだ準備に時間がかかります。戦線への投入が可能になった時点で、ガストレア討伐か、里見蓮太郎の拘束か、どちらに使うか判断いたします」

 

 雑音一つなく、聖天子と補佐官の声だけが純粋に響き渡る執務室で、3つめの音が鳴り響く。机の上に置かれた衛星電話の着信音だ。聖天子は衛星電話を手に取り、電話に出た。

 

『よう。片桐だ。こっちは終わった』

 

 電話の主は片桐玉樹だった。国家元首相手に話しているとは思えないくらいフランクな口調だ。聖天子と直接会話できる衛星電話を与えられた直後の玉樹は慣れない滑稽な敬語口調で話していた。しかし、あまりにも玉樹が緊張し過ぎて会話が成立しなかったため、聖天子から「貴方の話し易い話し方で大丈夫ですよ」と言ったら、現在の形に落ち着いた。

 

『あんたの言った通りのメンバーで――、いや、あんたの言ったメンバーと更に1人追加で行く。誰かは言う必要ないだろ』

 

 玉樹の言う通り、それが誰か言う必要はなかった。義搭ペアをマークしていた聖居情報調査室の調査員から、「蛭子小比奈が義搭壮助と接触した」と報告を受けている。小比奈が蓮太郎と袂を別ち、こちら側につくのは想定の範囲内だった。

 

「蛭子小比奈ですね。分かりました。今は猫の手も借りたい状況です。事が済んでいるのでしたら、聖居までお越しください」

 

『分かった。これからそっちに向かう』

 

 聖天子はそこで話が終わったと思い、電話を切ろうとする。

 

『あ~、あと、あんたが推薦してくれた義搭が何かに言いたいことがあるそうだ』

 

 聖天子は衛星電話を耳に戻そうとしたが、一瞬、本能なのか勘なのか、衛星電話から大声が飛び出そうな気がして、衛星電話を切らずに机の上に置いた。

 

『このクソッタレエエエエエエエ!こんな忙しい時に迷惑な民警けしかけやがって!こっちは実弾撃ち込まれるわ、詩乃が糸でグルグル巻きになるわ、大変だったんだぞ!!今回の件で浪費した銃弾とワゴンの修理代はキッチリそっちに請求してやるからな!!終わったら覚えてろよ!!ゴラァアアアアアアア!!!!』

 

 聖天子の勘は当たった。受話口からは壮助の怒号が飛び出し、その振動で誰も触れていないのに衛星電話が机上で動き回る。

 

「面白い少年でしょう」

 

「なんと言いますか……、気性の激しい少年ですね。良い意味でも悪い意味でも若い」

 

 小笠補佐官は苦笑いするしか無かった。本当に彼で良いのだろうか?補佐官に就任して数年。聖天子の意見に反対したことのない彼だったが、これだけに関しては、異議を唱えようかどうか悩んでいた。

 意を決して、口を開こうとした瞬間、胸ポケットの携帯電話に着信が入る。一瞬、ビクッとするが、すぐに電話に出る。一通りの話を聞くと「分かりました。すぐに対応いたします」と言って、話を終える。

 

「聖天子様。室戸菫より、新たな情報が入りました」

 

「分かりました。そのまま執務室に繋いでください。小笠さん。プロジェクターの準備を」

 

「はい」

 

 小笠が壁に向けてリモコンを押すと天井からプロジェクターが出て来た。自動的に証明が暗くなり、プロジェクターが壁を照らす。映し出されたのは室戸菫だ。研究室に籠っていた生ける屍だった頃とは違い、今は数年振りに自身の脳をフル活用させるに値する難問を目の前にしてオタクのようにギラギラと目を輝かせていた。

 

『アクアライン空港にいるガストレアたちの出所についてだ』

 

 海上にあるとはいえ、アクアライン空港はモノリスの結界の内側にある。大量のガストレアを用いた人為的なテロという衝撃に隠れがちだが、モノリスの結界を破って大量のガストレアが湧いて出て来たことも多くの疑問が残っていた。

 まず考えられる仮説が、「空港にいた感染者がガストレア化し、人間を襲ってガストレアを増やす」といったものだが、そうなると洗脳装置や統率に説明がつかない。今でも動画共有サイトにガストレアが出現した直後の空港の様子や現在の空港の様子を映した動画がアップされているが、人がガストレア化したり、ガストレアが人を襲ってウィルスを注入する光景は一切見られない。

 

「室戸先生。まさか貴方は、里見蓮太郎がモンスターボールにガストレアを入れて、空港に持ち込んだとでも言いたいのですか?」

 

 小笠補佐官が問いかけると、菫は画面の前で手をパンと叩いた。

 

『ご名答だ。補佐官殿。いやぁ、懐かしい響きだね。モンスターボール。私も子供の頃はあのゲームに夢中だったよ』

 

「私は図鑑のコンプリートに必死でしたな。室戸先生は?」

 

『私は最強のパーティを作るために厳選を繰り返していたよ』

 

「ゲームの話は良いので、説明をしてください」と聖天子は懐かしさに浸る2人の目を覚まさせる。

 

『どんなに大きなガストレアも最初は単一の細胞から始まる。そこから細胞の成長と分裂を繰り返すことで今の姿に変化する。我々が回収したガストレア洗脳装置から考えて、このガストレア達は20~30センチほどの小動物状の生命体、もしくはタンパク質の塊として東京エリアに運び込まれた。何かしらの機器で肉体の成長と進化を抑えていたが、テロのために機器を外したことで肉体が急激に成長、数メートルのガストレアに成長させ、空港のテロに使用した』

 

「たった数秒で30センチほどのガストレアが数メートルにまで成長する。そんなことが可能なのですか?」

 

『ガストレアウィルスは原子力を遥かに上回るエネルギーを内包している。それが化学反応を爆発的に加速させれば、ガストレアの急速な成長は可能だろう。感染者の形象崩壊と同じようにな』

 

「そうなりますと、ガストレアを空港に運んできた共犯者が東京エリア内にいるということになりますね。小笠さん。空港を出入りしている業者、全て調べてください」

 

「分かりました」

 

『調べるとしたら、冷凍物を扱う業者を優先した方が良い。ガストレアウィルスは極低温化になると活動が鈍くなるという研究結果がある。向こうも自分が育てたガストレアで自滅なんて馬鹿げたことにならないようにしていたはずだ』

 

「助言ありがとうございます」

 

 そう言い残すと、小笠補佐官は足早に聖天子執務室を出て行った。

 彼が扉を閉める音を確認すると、聖天子と菫が睨み合う。ただただ無音の時間が過ぎると、菫の口角が上がった。どうやら、彼女の本題はここからのようだ。

 

『民警を集めて、何やら良からぬことを画策しているようだね。聖天子様』

 

「お見通しでしたか。どこでその情報を?」

 

『いや、知らなかったさ。カマをかけてみただけだ』

 

 聖天子も菫に合わせて笑みを浮かべる。公務に実直で感情を表さない清廉潔白な為政者の仮面を脱ぎ捨て、“聖天子ではない一人の女”としての姿を現す。

 

「里見さん以外の民警に興味を示すなんて、どんな風の吹き回しですか?」

 

『最近、研究室の缶詰も少なくなってきてな。そろそろ買い出し係が欲しいと思っていたところだ。そんなところに丁度良い奴が現れた。弱いくせに吠えるのだけは一人前の狂犬だが、買い物係としては十分だろう。そいつがいなくなるのは、少し困る』

 

 聖天子は菫が何を言おうとしているのか理解していた。彼女にどう返答しようか悩んでいたが、そんな悩みもすぐに消えた。どう答えたとしても彼女に言い包められて、彼女の想定通りの結果に導かれることが分かっていたからだ。

 

「大丈夫ですよ。室戸先生。私も“あれ”を簡単に死なせるつもりはありませんから」

 




なんとなくネタが無かったので、これまで登場したイニシエーターのステータス(fate風)と戦いの傾向について書いてみた。

片桐弓月
筋力:C 敏捷:A 耐久:C 知力:B 幸運:A 特殊能力(蜘蛛の糸):A

戦闘の傾向
蜘蛛の糸を使ったワイヤートラップや敵の拘束など、玉樹が戦闘力を最大限発揮できるように環境を作るサポートタイプだが、単独での戦闘能力も高い。見た目に似合わず相手を騙して罠にかける賢い戦い方をする。糸を出し過ぎると体力を消耗するので、長期戦には向かない。

蛭子小比奈
筋力:A 敏捷:B+ 耐久:C 知力:D 幸運:E 特殊能力:D

戦闘の傾向
近接戦闘特化型。スピードはやや延珠に劣る。しかしカマキリの因子によって、腕の瞬発力が異様に高く、予備動作なしでも敵が間合に入った瞬間、音速を越える刀で斬殺する。「間合に入った敵を初撃で必殺」というスタイルであり、居合とか抜刀術とかやらせたら木更も真っ青レベルの剣士になる。
虫の因子を持つイニシエーターの多くにあてはまるが、持久力が無く、長期戦には向かない。


他のイニシエーター(詩乃やヌイ)に関しては、保有する因子を本編で明かしたら、書こうと思います。


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彼が待ち続けた5年

 上下左右を真っ黒な壁に囲まれた空間をハーレーダビッドソンとワゴンが走り抜ける。堅牢な壁の冷たさと息苦しさ、温かさを感じさせない安っぽい照明が点在する光景がかれこれ20分は続いている。トンネルの中のようだが、後方の入口は見えなくなるほど遠ざかり、前方の出口はまだ光の欠片すら見えない。

 

「まさか、東京エリアの地下にこんな巨大通路があったとはな」

 

「俺たちの税金で何てもん作ってんだ」

 

 ワゴンの中で壮助がぼやく。彼の言う通り、このトンネルは東京エリアの地下を通り、東京エリアの税金で作られたものだった。ここは聖居とアクアライン空港を繋げる政府高官用の極秘の避難通路であり、建材にバラニウムを使っていることから対ガストレアを想定した避難シェルターとしても使える。莫大な税金を使って作り上げられた偉い人専用の避難通路であるため、市民の反発は免れない。そのため、この通路の存在を知るのは聖天子と一部の閣僚、そしてトンネルの保守点検に携わる限られたスタッフのみとなっている。

 

「そうぼやくな。極秘通路使わせてくれるあたり、東京エリアも俺達には期待しているんだろう」

 

「口封じのために殺されなきゃいいけどな」

 

「義搭。お前って、けっこう思考回路がネガティブだよな」

 

「用心深いって言ってくれよ。大角さん」

 

 延々と続く堅牢な鉄壁と照明が続く光景にうんざりし始めたのか、2人はとりあえず話題を出して、会話を続けていく。今は何時なのかとか、地下からは見えない天気の話とか、このトンネルの総工費で焼肉食べ放題に何回行けるかとか、とにかく他愛のない会話を続けた。それは延々と続く同じ光景だけでなく、これからガストレアの群れが跋扈する空港に向かい、東京エリア最強のプロモーターに戦いを挑む緊張を解すためだった。

 

「それにいても、聖居の連中が小比奈のことをスルーしたのはマジでビビったぜ。目の前に共犯者がいるんだぞ」

 

「敵の敵は味方って奴だ。彼女だって、今は序列剥奪中とはいえ元134位。プロモーターが機械化兵士だったことを考慮したとしても、近接戦闘じゃ彼女が一番の実力者だ」

 

「その一番の実力者も仮面野郎に負けてるからな。本当にチート野郎だぜ。あいつはラノベ主人公かよ」

 

「ああ……聖居から与えられた里見の情報には驚いたな」

 

 玉樹のアジュバントに入った後、勝典たちは極秘通路に案内されると同時に聖居が把握している蓮太郎の戦闘能力と義肢・義眼のスペック、ガストレア洗脳装置に関する情報を与えられていた。

 

「戦車砲クラスの破壊力を誇る義肢、情報処理能力を格段に飛躍させて2000分の1秒の世界を見せる義眼、天童流戦闘術の有段者であり、攻撃を当てた対象を内部から破壊する天童の禁術の使い手――接近戦じゃまず勝ち目が無いな」

 

「戦車砲クラスの破壊力だけなら、詩乃だけでも余裕で勝てるんだけどな……」

 

 壮助はそう呟きながら助手席から後方の席を見る。後ろの席には詩乃、ヌイ、小比奈の3人が詰めて座っており、詩乃はスマホ画面を横にして何かしら動画を見ていた。戦闘前にリラックスしたい気分は彼女達も同じなのだろう。詩乃のスマホのスピーカーから早口の英語が出ており、英語の分からない壮助は彼女がどんな動画を見ているのか分からかった。

 

「良いな。お前らは気楽で。命がけの戦いの前にYouTubeかよ。何見てるんだ?」

 

「空港の実況」

 

「は?」

 

 壮助は詩乃の言葉の意味が分からなかったが、詩乃がスマホ画面をこっちに向けてくれたことで彼女の言葉の意味が分かった。

 

「戦いはもう始まっているよ。事前の情報収集も戦局を左右させる大切な要素だから」

 

『Hey guys……』

 

 観光客だろうか、白人男性がスマホで自分を映しながら、屋内から空港を闊歩するガストレアを撮影する。ユーチューバーなのだろうか、彼のスマホによる自撮りと外の撮影はかなり手慣れており、空港の内外の様子が良く見えた。

 建物の外は大量のガストレアが闊歩しており、時折建物の中を覗いたりしているが、屋内に手を伸ばしたり、建物そのものに攻撃しようとする素振りは見せない。屋内にいる限りガストレアは攻撃してこないと分かったのか、人質たちもそれなりにリラックスしており、搭乗ロビーのソファーに寝転がったり、空腹を満たすために土産物を食べたり、スマホで間近からガストレアの撮影を試みる命知らずの姿も見える。

 

「なぁ?これなんて言ってるんだ?」

 

「同時通訳するね」

 

『やあ。みんな。僕はアクアライン空港に来ているよ。楽しい旅行が終わって故郷のサンフランシスコに戻ろうとしたら大量のガストレアがお出迎えさ。え?冗談きついって?言っておくけど、これは映画でもないしCGでもない。今、本当に起こっていることだ』

 

 詩乃のB級映画のような同時通訳を聞きながら、壮助は詩乃のスマホを借りて動画を見る。こういった人質立てこもり事件では人質を監視する監視役がいて、人質は監視役に脅えて息を殺して過ごすのが定石だが、そういった人間は一人も見当たらず、人質の管理は完全に調教されたガストレア任せになっている状況が窺える。

 今回のテロのような人質立てこもり事件の解決策の一つとして強行突入がある。迅速な武力行使により人質を傷つけず犯人を無力化することが目的だが、大抵の場合、内部の正確な情報が得られないことから実行までに時間がかかってしまう。内部に関する情報量の差が犯人にとってのアドバンテージとなるが、今回のテロでは数多くの動画が共有サイトにアップロードされることで完全に失っていた。

 ガストレアの位置と巡回路、人質を監視する蓮太郎の共犯者の不在、人質の位置、様々な情報がインターネットの動画共有サイトを通じて聖居や自衛隊に筒抜けになっていた。

 

「本当に仮面野郎の単独犯なんだな。空港の中が丸見えじゃねえか」

 

「聖居の連中が言っていた通り、このテロは里見蓮太郎の単独犯。おそらく、ガストレア洗脳装置を提供した組織は東京エリアで混乱を起こすことだけが目的で、里見のテロが成功するかどうかは気にしちゃいないんだろ」

 

「要はあいつも背後の組織に使い捨ての駒にされているってことか?」

 

「多分な」

 

 玉樹のハーレーと勝典のワゴンの前面に光が射す。通路とは違い多くの照明に照らされた区画が見えて来た。そこが出口になっているようで、目の前には鋼鉄のシャッターがあり、傍らにシャッターの開閉を操作するボタンと外の様子を確認するためのモニターが備え作られている。

 それは一行が戦場に辿り着いた合図でもあった。

 

「シャッターの前に着いたら全員降りろ。自衛隊と突入のタイミングを合わせる」

 

 玉樹がシャッターの前でハーレーを停めると、玉樹に指示されて勝典のワゴンも数メートル後方に停まる。

 

「えらく用心深いな」

 

 ワゴンから降りた勝典は玉樹に声をかける。勝典から見た片桐兄妹は今まで見たことがないくらい真剣な表情をしていた。普段の似非アメリカンな陽気さは欠片すら感じない。2人は黙ったままシャッターを、その向こう側の見えない戦場を見据えていた。IP序列451位の民警、東京エリアトップランカーとして威厳が兄妹から溢れ出る。

 

「当たり前だ。5年前からずっとこの日を待っていた」

 

「良いのか?そんな待ち望んだ戦場に俺たちを組み込んで」

 

「アジュバントを組まないと空港に入れないって言われたんだから仕方ねぇよ。それにアンタとは何度も同じ現場で仕事をしているから、邪魔にならない程度に実力があることは知っている。小比奈は思考回路が物騒なことを除けば俺たちの中で一番の戦力だ。それと、義搭ってガキとその相棒は……まぁギリギリ合格ラインだ」

 

「詩乃に撃たれてぶっ倒れたくせによく言うぜ」――とワゴンから降りた壮助はさっそく悪態を吐く。詩乃とヌイ、小比奈もワゴンから降りて、勝典と片桐兄妹を見つめる。

 

「あのねぇ。手加減したことを言い訳にしたくないけど、私達に一発かませたからって調子に乗ってんじゃないわよ。これから相手にするのは比べ物にならないんだから」

 

 弓月はビシッと壮助に指をさす。指先を向けられた壮助は怪訝そうな表情を向ける。

 

「調子に乗ってねぇし、よく知ってるよ。お前らだって防衛省で俺があいつに一発ぶち込まれて倒れるのを見ただろ。何で死んでねえのか不思議なくらいだ」

 

「ったく……お前らその辺にしておけ」

 

 玉樹が面倒くさそうに頭をかきながら、壮助を睨みつける弓月の肩に手を置く。

 

「こっから先はお待ちかねのアクアライン空港だ。この扉の先は政府専用機の格納庫に繋がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――が、お前達がそこに行くことは無い」

 

「おい。それってどういう――」

 

 壮助は玉樹に問いかけようとしたが、彼の返答が来る前に言葉の真意を理解した。壮助の視界に薄っすらと白線が浮かび上がる。まるで彼の視界を、そこに映る空間を切り取るように、それらは網目状に広がっていた。出口にある非常灯に反射して浮かび上がる弓月の糸は、自分達と壮助たちとの間に壁を作るように張り巡らされていた。壁は隙間だらけで一見すると簡単に破れそうだが、ガストレアウィルスによってより結合が強固になった弓月の糸は鋼鉄のワイヤー以上の強度を持っていた。無理に通ろうとすれば人体など容易にサイコロステーキにしてしまうだろう。

 

「そういうことかよ。アンタ、最初から俺たちを空港に入れるつもりじゃ無かったんだな」

 

「最初から言ってるだろ?ファッキンボーイ。“俺とあいつの戦場に邪魔者はいらねぇ”」

 

 壮助が怒れて蜘蛛糸の壁に手を掛けようとする。

 

「言っておくけど、この糸に触らない方がいいわよ」

 

 弓月の警告に壮助が止まった。彼女が指を下にさすと、それに合わせて視線を下に向ける。アタッシュケースサイズの鉄製のボックスが弓月の足元に置かれている。ボックスは蜘蛛糸の壁を構成する糸に繋げられており、弓月がスイッチを入れることで起動し始めた。

 

「振動センサーで起爆する爆弾よ。このトンネルを吹っ飛ばせるくらいの化学合成爆薬とここにいる全員を殺せる量のバラニウム片を詰め込んでいるから。糸に振動を与えたらドカンよ」

 

 弓月に掴みかかりたい一心を抑える壮助の背後で小比奈、勝典、ヌイが刀剣を持って構える。しかし、弓月の「勿論、斬ってもドカン」という言葉によって3人とも抑えられてしまう。

 蜘蛛糸の壁を前に立ち止まる一行を尻目に玉樹は出口のボタンを操作し、シャッターを開ける。シャッターの向こう側にはエレベーターが設けられており、車数台は乗せられるほどのスペースが確保されていた。玉樹がハーレーをエレベーターの中に入れ、弓月も中に入る。

 

「ふざけんじゃねえぞ!デカブツ!クモ女!俺達をトンネルの通行券にしやがって!!ここから出て仮面野郎をぶっ潰したら、次はお前らだからな!首洗って待ってやがれ!!」

 

 壮助の怒号に意を介することなく、玉樹と弓月は黙々と上に上がる準備をする。そして、言葉を遮るように厚さ数メートルほどのシャッターは大きな音を立てて閉じられた。

 

 

 

 *

 

 

 

 地上の政府専用機格納庫に向かうエレベーターの中で、玉樹は遥か上の天井の扉を眺め、弓月はじっと床を見つめていた。きっとまだ壮助たちがトンネルに残っているのだろうと思いながら、彼らが爆弾の“トリック”に気付かず、諦めて引き返すことを願っていた。

 

「ねぇ……兄貴。これで良かったのかな?」

 

 エレベーターの駆動音が響く中で弓月が呟いた。姐御肌な部分は掻き消え、不安と罪悪感に押しつぶされそうな少女の声が彼女の口から零れる。小比奈は勿論のこと、義搭ペアにも大角ペアにも富や名声以外で里見蓮太郎と戦う理由があったのだろう。彼らには彼らの覚悟があったのだろう。しかし、自分達は自分達の都合で彼らを騙し、裏切った。

 

「ああ。ここは俺たちの戦場だ。あいつらには戦う義理も死ぬ義理もねぇ」

 

「だったら、それは私達もじゃない?蓮太郎があんなことになったのは仕方のないことだった。私達じゃどうしようも無かった。延珠が死んだのも、木更さんが死んだのも私達とは無関係なところに原因があって、私達じゃそれを止めることも結末を変えることも出来なかった。遺言でも託されない限り、私達が死んだ人間にしてあげられることは何も無いし、償いも弔いも今を生きる人間が自分に折り合いをつけるためのものでしかない。だったら、私達が蓮太郎と戦う理由は仕事とお金と信用。あいつらと何も変わらないわよ」

 

「随分と難しいことを言うようになったな。マイスウィート」

 

「もう16歳の高校生だからね」

 

 しばらく玉樹が口を噤む。エレベーターの駆動音だけが轟々と響く中で2人だけの沈黙の空間がしばらく続く。

 ふと、何の前触れもなく玉樹が口を開いた。

 

「あいつがああなったのは、俺のせいなんて自惚れたことを言うつもりはねぇよ。けど……、俺はもう一度あいつに会って“けじめ”をつけなきゃならねえ。あの時の姐さんは“堕ちていた”。人としての道を踏み外していた。けど、俺に姐さんは止められなかった。力でも、言葉でも、俺には手段がなかった。でもあいつなら、姐さんを止められる。あいつなら人の道に戻せるかもしれない。俺はそう思って、あいつに任せた……。そして、止めるどころか殺したあいつを憎んだ。虫のいい話だよな。自分じゃ何もしなかったくせに、他の誰かがしくじったら文句を言うんだぜ」

 

 語っていくうちに玉樹の表情や口調は明るくなり、話の内容も自嘲気味になっていった。弓月は「いつもの兄貴だ」と思いながらも、今ここでしか聞けない、5年前からずっと聞こうと思っていたが、気まずくて聞けなかったことを玉樹に尋ねた。

 

「……じゃあ、兄貴は、今はもうあいつのことを憎んでいないの?」

 

「いや……それでも俺は里見を憎んでる」

 

 答えはあっさりと返って来た。しかし、玉樹のトーンは落ちていき、蓮太郎や5~6年前のことを話題に出された時と同じように暗くなった。

 

「でも、それ以上に俺は自分を憎んでいる。惚れた女のために“何も出来ない”ことを言い訳にして“何もしなかった”自分が憎くてたまらない」

 

 弓月に背を向けていた玉樹の肩が震える。それは自身への怒りからなのか、自分の憎みながら生き続ける時間への怖れなのか、この5年間沈黙してきた心情を吐き出す度に、物事を深く細かく考えない良くも悪くも陽気な似非アメリカンな片桐玉樹という仮面が抜け落ちて行く。

 

「だから、今日、ここでけじめをつける。このクソファッキンな5年も今日で終わりにしてやる」

 

 玉樹の決意に呼応したのか、エレベーターの遥か上にある天井が開く。薄暗いエレベーターの中に格納庫の明かりが燦燦と差し込み、戦場に飛び込む2人を歓迎するようだった。

 そこから先はガストレアが跋扈し、東京エリア最強のプロモーターが待つ戦場。2人は固唾を飲んだ。

 

「逃げたきゃ逃げても良いんだぜ。マイスウィート」

 

「逃げる訳ないでしょ。――それに、ティナを泣かせたあいつには、一発ガツンと言ってやらないとね」

 




今回、入れようと思ったけど入れなかったセリフ

玉樹「これが終わったらパーッとやろうぜ。食いきれないぐらいのピザとチキン、ありったけのビールとコーラを買ってさ」

弓月「兄貴。それ死亡フラグ……」


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Bullet storm

お待たせしました。約3か月ぶりの更新です。


書いている時は考えていなかったけど、前回の弓月の

「遺言でも託されない限り、私達が死んだ人間にしてあげられることは何も無いし、償いも弔いも今を生きる人間が自分に折り合いをつけるためのものでしかない」

――ってセリフは、アニメ最終話(原作4巻ラスト)の延珠の

「痛かったかな。辛かったかな。妾たちがなにかしてあげられることって、出来なかったのかな」

――という問いかけに対する弓月の解答なのかなと思った。

死んだ人間にしてあげられることは無いという厳しい否定の解答と「だからアンタが気に病む必要はない」という彼女なりの不器用な優しさがこの言葉に含まれているんじゃないかと手前味噌ながら思った。


 ガストレアによる空港占拠事件発生から4時間が経った。

 アクアライン空港第1ターミナルの屋上で里見蓮太郎はどこか遠くを眺めていた。仮面越しで一望する東京エリア。太陽に照らされた静かな空港と東京湾、そして対岸に立ち並ぶビル群と聳え立つモノリス。5年前から何も変わっていない光景は“かつて幸せだった頃の自分”を思い出させる。しかし、蓮太郎は思い出を噛み潰すように心から封じて行く。

 飛行機が全く飛ばないせいか轟々と吹く海風の音だけが耳を包んでいく。しかし、空を見上げると自衛隊の高高度偵察ドローンが飛んでおり、海には海上自衛隊の護衛艦、空港の対岸の陸地には陸上自衛隊の戦車が整然と並んでいる。

 屋上から見える光景だけで蓮太郎には聖居の対応は見えていた。聖居は交渉するつもりなどなく、自衛隊の火力でガストレアを駆逐し、特殊部隊か民警を使って自分を拘束しに来るだろうと――。ガストレアを制御から離し、数万人の殺戮劇を開始するには十分な理由が揃っていた。

 しかし、蓮太郎はそれでもガストレアを制御から切り離さない。それどころか自衛隊に囲まれて四面楚歌の状況を楽しむかのように一人ほくそ笑んでいた。

 

「テロリストと交渉するつもりは無いか……。それで良い。聖天子。そうでないと国家元首失格だからな」

 

 太陽が傾き、夕日に照らされてターミナルと滑走路は赤く映りはじめる。もうすぐ日が沈む。自衛隊の攻撃は、そろそろ始まるだろうと蓮太郎は考えていた。タイムリミットにはまだ余裕があるが、昼と夜では確保できる視界に大きな差が出る。人質救出が不可能な状態でガストレアの駆逐をこなす自衛隊には迅速かつ対象のみを破壊する精密な攻撃が要求される。レーダーや暗視スコープが発達しているとはいえ、有視界戦闘で昼の“目”以上に信頼できるものはなく、自衛隊にとって、この差は致命的なものになる。

 故に蓮太郎は、総攻撃が日没前か、翌朝の二択で考えていた。人質の体力と偵察ドローンの動きから考えて、日没前の可能性が強まっていく。

 

「もうすぐだ……。もうすぐ終わる」

 

 蓮太郎はスーツのポケットから切れたブレスレットを取り出す。クロームシルバーのメッキが剥がれ、素材のアルミが剥き出しになっている。

 

「ごめん……延珠。俺は……お前みたいに世界を許せる強さを持っていなかった。ごめん……木更さん。俺は……俺から木更さんを奪った正義を信じる強さを持っていなかった。だけど、2人が託してくれたものを無駄にはしない。ここで終わりにはさせない」

 

 蓮太郎はリングを内ポケットの中に入れる。それと同時に彼の目は険しくなり、凶悪なテロリストに相応しい面持ちに変貌する。

 

「東京エリアよ!テロリスト、里見蓮太郎はここにいる!俺の首を取るのは誰だ!?自衛隊か!?警察か!?それとも民警か!?誰でもいい!取りたければ取りに来い!! “里見蓮太郎”を終わらせろ!!」

 

 

 

 

 ――そして、祝福するんだ。新たな“正義の味方”の誕生を。

 

 

 

 

 

 

 

 静寂とした聖天子執務室から出て、日本国家安全保障会議(JNSC)の作戦本部の一席に聖天子が腰掛ける。彼女が来る頃には大臣・補佐官、スタッフが全員そろっており、聖天子の到着を待っていた。

 作戦本部に備え付けられた固定内線で前田防衛大臣が何者かと連絡を取っている。「――そうか。分かった」と言い、防衛大臣は内線の受話器を置いた。そして、真剣な面持ちで聖天子に視線を向ける。

 

「聖天子様。自衛隊の準備、完了しました。いつでも行けます」

 

 立て続けに各省の大臣たちが対応の進捗を報告していく。

 

「空港周辺の主要道路の封鎖は完了いたしました」

 

「受け入れ先の医療機関の選定は完了しております。各機関の受け入れ態勢も整っています」

 

 聖天子は深呼吸すると、作戦本部のスクリーンに映された映像を眺める。東京エリア最強の元プロモーターが率いるガストレア群に支配され、今も3万人近い人質が屋内に取り残されたアクアライン空港。内外の情報収集は想定以上に進み、攻撃計画の完成度も高くなったとはいえ、不利な状況で総力戦をせざるを得ない状況に変わりは無かった。入念な準備を行ったとはいえ、数万人の国民を戦場のど真ん中に叩き込む決断の重さがこんなにも重いものとは思ってもいなかった。しかし、今が決断の時だ。今、ここで彼女が口を開かなければ何も始まらず、何も動かず、これまでの準備が全て無駄になる。

 聖天子は為政者として覚悟を決めた。

 

「始めてください。全ての責任は私が負います」

 

 

 

 

 

 

 アクアライン空港を対岸に迎える東京エリア沿岸部では自衛隊の10式戦車が砲身を空港に向けて並び、後方には自走高射砲、自走りゅう弾砲、82式指揮通信車が構える。明るい暖色を基調としたタイルで歩道や柵が装飾されていた若者に人気な休憩スポットはダークグリーンの装甲車に埋め尽くされ、自衛隊員と市街地でガストレアを待つ民警たちが持つ銃器によって、殺伐とした雰囲気が漂っていた。

 ガストレアが群がる空港を目の前にした状態で待機命令を出された隊員たちはいつ発令されるか分からない攻撃命令を今か今かと待ち侘びる。

 陣地の後方に仮設された作戦本部で坂東師団長は通信機を耳に当て、機器の向こう側にいる人間の言葉に耳を傾ける。話が終わると師団長は「――――了解しました。直ちに開始いたします」と静かに答え、通信を切った。

 

「各隊に通達。聖居より作戦の許可が下りた。300秒後に空自による飛行ガストレアへのミサイル攻撃が開始される。飛行ガストレアの殲滅を確認後、攻撃ヘリ部隊と地上部隊を投入。空港に潜入した特殊作戦群と連携し、地上のガストレアを掃討する」

 

 師団長より各隊の指揮官に伝えられ、そこから一斉に出撃命令が下される。まるで最初からそうプログラムされた機械のように隊員たちは待機状態を解き、出撃体制を整える。300秒=5分という僅かな準備時間に「早すぎる」や「急だ」という隊員はいなかった。全員が1分後でも出撃できるように待ち構えており、「ようやく来たか」「遅すぎる」と微かな私語が口から零れるほどだった。

 300秒きっかりに準備を終えると空から幾重にも重なった轟音が響き始める。空港に眼を向ける隊員たちの頭上を無数の無人攻撃機(UAV)が通り過ぎる。コンピュータで制御され、航空ショーのように一糸乱れぬ編隊飛行を行う無人攻撃機のハードポイントからバラニウム弾頭搭載の小型空対空ミサイルが放たれる。1発も余らず、1発に不足させず、飛行ガストレアの数に応じた必要な数だけのミサイルが想定通りの軌道を描き、ガストレアに命中する。赤黒い肉と白い骨、特有の紫色血液を空中で撒き散らすが、人質のいる建造物から逸れて滑走路や空港周辺の海へと落下していく。

 無人偵察機による観測と作戦本部からの肉眼による観察で飛行ガストレアの殲滅を確認する。

 

「これよりハネダ作戦を開始する。ヘリ部隊を投入。続いて地上部隊を展開せよ」

 

 ミサイルを撃ち尽くしてUターンする無人攻撃機に代わってAH-64D アパッチ・ロングボウ、AH-1 コブラで構成された攻撃ヘリ部隊が空港に突入する。前傾姿勢になり、メインローターを傾けることで浮力を犠牲にしながら全速力で空港に向かう。

 

「本作戦は市民の避難が完了していない状態での遂行となる。全機、機銃のみでガストレアを掃討せよ。繰り返す。全機、機銃のみでガストレアを掃討せよ。――建物に当てるなよ」

 

 攻撃ヘリ部隊は連絡通路から離れた主要ターミナル、滑走路の上空に展開し、ホバリングした状態でガストレアに機銃を向ける。

 

「射線上に人影なし」

 

 その言葉が攻撃開始の合図だった。滑走路と主要ターミナルに展開した攻撃ヘリ部隊は武装のロックを外し、M230機関砲から30mmバラニウム弾頭弾をガストレアに向けて放つ。雨のように降り注ぐ黒い弾丸は地上のガストレアを次々と粉砕していき、滑走路とターミナル周辺を紫色の血液と肉塊で埋め尽くしていく。

 ようやく攻撃が始まったと気づいたのか、ガストレア達は一斉に動き出した。交渉決裂の報復のため、人質を押し込めた建物に向かっていく。攻撃ヘリは建物に近づくガストレアを優先的に攻撃していくが、建物に近ければ近いほど被害を出さない精密な射撃が要求され、結果的に難易度は高まってしまう。加えて、一部のガストレアは建物の影に逃げ込み、空から攻撃できない死角へと入り込んでいく。

 

「アタッカー1からSへ。第2ターミナルの西側に4体入り込んだ」

 

『Sからアタッカー1へ。了解した。残りのガストレアはこちらで処理する』

 

 通信を終えた途端、1秒も経たずに特殊作戦群(S)が第一ターミナル、第二ターミナルの屋上、地上1階の出入り口に展開し、バラニウム弾を詰めた89式5.56mm小銃で接近するガストレアを次々と銃撃していく。ガストレアとの距離は30メートルにも満たない近距離戦闘、何体ものガストレアの巨体を間近に感じ、並の民警でも身震いする状況だが、彼らはまるで普段の訓練のように落ち着いて対処していく。

 

 

 

 

 

 

 攻撃ヘリと地上部隊による第一波、特殊作戦群による第二波の成功はドローンの空撮で国家安全保障会議にも届いていた。成すべきことを成し、後は現場の働きが上手く行くことを願うしかなかった大臣たちも自衛隊による迅速な掃討作戦には感嘆をあげる。

 

「滑走路とターミナル周辺のガストレアの殲滅を確認。連絡通路より突入した地上部隊も各施設を制圧。現在のところ、被害は報告されておりません」

 

 作戦本部から報告を受けた防衛大臣の言葉に国家安全保障会議の閣僚たちは一息吐く。

 

「とりあえず第一波は成功か」

 

「まだ安心できんぞ。ガストレアは1匹でも脅威だ。その上、被害が出れば、それは指数関数的に膨れ上がる」

 

「言われなくても分かっている。だが、ターミナルと滑走路は奪還したも同然だろう」

 

 会議室からは楽観視する声が次々と挙がって来る。それを良しとしてはいけない、第二次世界大戦も第一次・第三次関東会戦もそれで壊滅的な被害を受けたではないか、誰もが頭で思っていたが、ドローンによる空撮で映し出されるワンサイドゲームを見ていれば、自衛隊の勝利を確信してもおかしくはない状況だった。

 

 

 

 

 

 

 ――もう終わってしまったか。

 

 アクアライン空港の第二ターミナル、空港警備隊のオペレーションルームの端にあるソファーに腰をかけ、芹沢遊馬は空港の監視カメラ越しに東京エリア自衛隊の活躍を見ていた。

 ガストレア騒動に(意図的に)巻き込まれ、SPの機転によって彼は空港内で一番安全な第二ターミナル・空港警備隊オペレーションルーム連れられていた。その機転は護衛対象を守るためのものだったが、テロの共犯者である遊馬にとって無意味なように思えた。しかし、“護衛対象”としてではなく“テロの共犯者”として、空港全体の様子が見られるオペレーションルームに連れられたのは僥倖だった。

 芹沢遊馬、そして彼の背後にいる“グリューネワルト嬢”の目的は、東京エリア市民にガストレアの恐怖を思い出させることだ。世論を防衛費の増大、自衛隊の強化に傾けさせ、次世代装備のコンペティションに博多黒膂石重工の次世代バラニウム兵器を参入させる。簡単に終わってしまったら、市民は「今の自衛隊でも十分」だと思ってしまう。それだけは避けなければならなかった。

 

 ――もう少し自衛隊を苦戦させると思ったが、甘く見ていたようだ。彼らが優秀で頼もしいことは同じ日本人として嬉しいが……今回はそれじゃあ困る。

 

「すまないが、秘書にメールを送っても構わないかね?」

 

「どうぞ」

 

 ――里見には悪いが、こちらでもう少しスパイスを足させてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 連絡通路から離れたターミナル、滑走路のガストレア掃討に向かっていたヘリ部隊は生きたガストレアの姿が消えたところで一息吐く。市民の避難を行わないまま、建物に当てず、ガストレアを1匹も通さず機銃のみで掃討するという前代未聞の作戦をやり遂げた。機銃の残弾も残り僅か、ロケット弾やグレネードの使用が許可されていない現状、この機体で出来るのは飛び回って生きているガストレアを探すぐらいだった。

 

「第一フェイズ完了、第二フェイズへ移行する」

 

 ヘリ部隊は1機が弾薬の補給に戻り、残りの2機で索敵を継続する。そのローテーションを繰り返す第二フェイズへと移行する。攻撃ヘリ部隊のアタッカー2は補給のローテーションが来るまで空港の上空を旋回し、地上で生きているガストレアを探すが、眼下の光景にはガストレアの死骸しか映らない。空港の各地でまばらに鳴り響いていた地上部隊の銃声も止んできている。

 

 ――作戦完了も時間の問題だ。

 

 誰もがそう思った時だった。まるで排水溝から湧き出るドブネズミのようにワラワラと新たなガストレアが地下駐車場の入口から姿を現す。作戦前の偵察で存在が確認されていなかった新たな個体、完全なる伏兵だ。小型ながら数は地上を闊歩していたガストレアよりも数が多い。数が多いということは、それだけ弾薬を消費してしまう。自衛隊が苦手とする物量戦だ。

 

「地下駐車場よりガストレア出現!数は50……いや、80!」

 

「こちら連絡通路守備隊!海中より両生類型のガストレア上陸!推定100!!」

 

 ――駄目だ。空港に投入した戦力だけではカバーしきれない。

 

「作戦本部!こちらアタッカー2、ロケット弾の使用許可を要請する!」

 

 作戦本部からの答えが来る前にアタッカー2はロケット弾の安全装置を外し、発射ボタンに手をかける。犠牲者ゼロなどと悠長なことを言っている事態ではない。躊躇えば人質どころか特殊作戦群と地上部隊すら喪うことになる。作戦本部からは「許可する」と苦虫を噛み潰したような答えが返ってくると思っていた。

 

『許可できない。あと10秒待て。――彼女が来る』

 

 作戦本部から来た回答はアタッカー2の予想を裏切るものであったが、その後に続く「10秒」と「彼女」という言葉が、彼の指を発射ボタンから離させた。

 

 

 

 

 

 

 東京エリア湾上空を飛行し、アクアライン空港に真っ直ぐと向かうC-2輸送機の中で、“彼女”は戦場へ立つ準備をしていた。輸送機の中に空挺団はいない。いるのは2名のパイロットと“彼女”1人、そして数十機の黒い直方体の機械だけだ。

 

「シェーンフィールド、起動」

 

 “彼女”――ティナ・スプラウトが機械の前でそう呟くと、それに応えるように機械は起動する。機械はフレームの隙間から赤いレーザー光を発すると、それをティナに照射する。

 

≪バイオメトリクススキャン開始≫

 

 マンションで聖天子を迎えた時と同様に着古したTシャツにダメージジーンズという日常的な格好をしていた。しかし、その上には軍用ハーネスを装着しており、グレネードとバレットM82A1の予備弾倉、サブウェポンとしてベレッタM92がホルダーに指しこまれている。6年前、超長距離狙撃を主体とし、ドレス姿で戦っていた彼女からは考えられない戦闘スタイルだ。

 

≪ユーザーアカウント認証 ティナ・スプラウト≫

 

≪私は空間制圧型戦闘支援システム シェーンフィールド バージョン6.1≫

 

≪これより、戦闘準備に入ります≫

 

≪制御可能なドローンの検索……完了。マザー3機、ドローン40機を確認。Brain Machine Interfaceネットワーク構築完了。装備を確認されますか?≫

 

 ――確認済みです。

 

≪了解しました。マザー、ドローン全機を起動。情報同機を確認≫

 

 輸送機に搭載されていた全ての黒い機械が一斉に起動し、フレームから漏れる赤い光で機内が包まれる。同時にドローンそれぞれに搭載されたモーターから発せられる熱で機内の温度は一気に上昇する。

 

 ――指令パターンD2を参照。攻撃の第一目標はガストレア、人命救助、人的被害の防止を最優先。通信チャンネルは東京エリア自衛隊と合わせてください。

 

≪東京エリア自衛隊とのデータリンク完了。敵味方識別パターン、インストール≫

 

≪戦闘準備、完了しました≫

 

 輸送機の後部ハッチが開き、熱と共に機内の空気が一気に外に押し出される。眼下に映るのは高度800mから一望するアクアライン空港、生きたガストレアと死んだガストレア、残り少ない弾薬で応戦する自衛隊の姿だ。

 ティナは機内に取り付けられた無線機を手に取り、パイロットに連絡を取る。

 

「全機投入します。ストッパーを外してください」

 

『了解。ご武運を』

 

 ストッパーが外されると機内に置かれていたドローンが次々と床を滑り、東京エリアの空へと投下されていく。全てのドローンが排出されたことを確認するとティナは、パラシュートも付けずにハッチから飛び降りた。

 

「安全装置解除!!全ドローン攻撃用意!」

 

 降下していくドローンのフレームが割れ、赤い光が更に露出すると共に前方フレームからはマシンガンやロケットランチャー等の武装が、後部のフレームからはヘリコプターと同様のローターが現れた。

 

撃て(Fire)!」

 

 投下される40機のドローン、ティナの近くを飛行する3機のマザードローンから銃弾が放たれる。落下速度に乗せられた弾丸は彼女の二つ名“殲滅の嵐(ワンマンネービー)”を表すように、暴風雨の如く地上のガストレアを貫き、文字通り蜂の巣へと変えていく。

 

≪着地ポイント クリア≫

 

 ティナに随伴して飛行するマザードローンが着地ポイントのガストレアを殲滅する。

 パラシュートを開かず、片手を付いて着地したティナはコンクリートの屋上にクレーターを作り上げる。通常の人間なら、着地の衝撃で手足は複雑骨折、それどころか打ち所が悪ければ内臓が衝撃に耐えられず潰れてしまっているだろう。しかし、呪われた子供である彼女は、華奢な見た目とは裏腹に体内のガストレアウィルスによって常人を遥かに超える強固な物質で肉体が構築されている。頭から地面に落ちるようなことでもしなければ、“たかが”高度1000メートルから飛び降りたところで何てことはない。

 ティナは愛用のバレットM82A1を構え、周囲を見渡す。着地したのは第二ターミナルの屋上。予想通りのポイントに着地していた。そこから周囲を見渡し、同時にドローンから提供されるデータで状況を把握する。

 

「マザーを経由して全機へ通達。自衛隊と共同でガストレアを殲滅した後、

 

 

 

 

 ――攻撃目標を里見蓮太郎に移行してください」

 

≪了解しました≫

 




おまけ(けっこう長いです)

自衛隊の装備について
今回は自衛隊が本格的に攻撃を始めた回でしたが、現実の自衛隊には無い装備も登場しています。その理由について説明します。

1.在日米軍の忘れ物

ガストレア大戦時、当時のアメリカ政府は世界各地に駐留する米軍を撤退させ、本国の守りを固める方針を取った。無論、世界各国からは「世界の警察が職務放棄」「米軍がガストレアからケツまくって逃げた」と反発の声が上がり、アメリカ国内でも「米軍は米国だけ守ればいい」という撤退派、「各国と共同でガストレアに立ち向かうべきだ」という残留派で世論が分裂した。(ここまで反発の声が挙がったのは当時の大統領の言動が“あれ”だったせいもあるのだが……)
米軍内部でも撤退派と残留派で分裂。とりわけ在日米軍ではその対立が顕著であり、ガストレアとドンパチする前に撤退派と残留派に分かれて米軍同士でドンパチするんじゃないかと囁かれるほどだった。
何やかんや話が拗れて色々あったが、在日米軍は撤退を決定。軍を引き揚げたが、「行方不明」「紛失」という名目で残留派の人員と装備を日本に残していき、それらは自衛隊に組み込まれた。

2.旧式装備の再稼働

ガストレアという無限に湧いて来る敵に対して装備があまりにも少なかった自衛隊は退役予定だったり、退役済みで解体待ちだったりした装備を無理やり稼働状態に持ち込んで使用した(酷い時は中東のテロ組織の如くトヨタのピックアップトラックに武器を乗せて使用したことも……)。ガストレア大戦が終結し、モノリスによって落ち着いた現在でも慢性的な予算不足と高騰する人件費は大戦前から変わっておらず、再稼働させた旧式の装備が現在でも使われている。
自衛隊内部では民警や呪われた子供に関する法整備と社会福祉に優先して予算を割く現政権への不満が高まっており、過去には何度かクーデターや聖天子暗殺が計画されたが、自衛隊内部で処理されて未遂に終わっている。


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これで“終わり”にするために

閉じた空間の捕食者(クローズドサークルプレデター)
IP序列451位 片桐玉樹・片桐弓月

黒い弾丸(ブラック・ブレット)
元IP序列50位 里見蓮太郎

両者の戦いの火蓋が切って落とされた。


 アクアライン空港の4階、犯行声明が出された最高級ラウンジで片桐玉樹は、テロの主犯、里見蓮太郎と邂逅していた。

 自衛隊とガストレア、そしてティナの参戦により外では雨嵐のように銃弾が飛び交い、突然の攻撃で屋内ではパニックになった人質たちの叫び声が飛び交う。しかし、このラウンジは静寂そのものだった。暖色の照明とマボガニーの家具、煌びやかなシャンデリアという贅沢な空間は“豪華絢爛”という言葉を体現している。ここが戦場のど真ん中であることなど嘘のように思えてしまう。

 ラウンジの入口から堂々と入った玉樹はすぐに蓮太郎の姿を見つけた。彼と対面する形でソファーに座り、ジュークボックスから流れるクラシック音楽に耳を傾ける。

 テロの主犯で、外ではガストレアたちが自衛隊とティナを相手に戦っているというのに、気に留める素振りすら見せない。蓮太郎にはまだ策があるのか、それとも諦めてしまったのか、彼の心中を推し量ることはできない。

 玉樹はマテバを腰のホルスターから引き抜くと、ジュークボックスを撃ち抜いて鬱陶しい音楽を止める。

 

「来てやったぜ。ボーイ。茶番劇はもう終わりだ」

 

 玉樹はジュークボックスに向けていたマテバの銃口を蓮太郎に向ける。しかし、蓮太郎は何も反応を示さない。照明の逆光のせいなのか、仮面のせいなのか、玉樹から蓮太郎の表情が窺えない。シャンデリアから照らされる灯りで全てが輝かしく見える中、まるで彼だけが闇に包まれているようだ。

 

「よう。片桐兄。東京エリアのトップランカーとは、随分と繁盛しているみたいだな」

 

 蓮太郎が静かに口を開く。5年前は良くも悪くも若さがあったが、今は微塵も感じられない。全てに絶望し、疲れ切った老人のような喋り方だ。

 

「ふん。皮肉はよせよ。お前が勝手にいなくなったから、勝手に繰り上げられただけだ。お陰で為政者のお嬢さんからクソみたいな仕事を散々やらされたよ」

 

「これもその一つか?」

 

 玉樹はマテバのグリップを強く握り締める。

 

「ああ。けど、依頼が無くてもオレっちはここに来ていた。これはけじめだ。惚れた女のために何もしないで、ダラダラと未練を抱き続けたクソファッキンな5年間のな。てめぇをボコ殴りにして、姐さんの墓の前で土下座させてやる。それで“終わり”だ。全部“終わり”してやる」

 

「そうか……。“終わり”にするのか」

 

 蓮太郎はソファーから立ち上がり、項垂れていた頭を上げる。ようやく灯りに照らされた彼の顔はどこか悲しそうな表情をしていた。

 

「なぁ、片桐兄。もし木更さんのためにここに来たなら、もう一度、俺のために戦うつもりはないか?」

 

「答えはNOだ。テロリストの仲間になるつもりは無ぇ」

 

「違う。俺の“味方”として戦うんじゃない。俺の“敵”として戦うんだ。東京エリアの“英雄”として、俺を殺してくれ。終わらせてくれ。そして、お前が引き継いでくれ。俺が延珠や木更さんに託された願いを――」

 

「それでもNOだ」

 

 懇願するかのように語り掛ける蓮太郎の言葉を玉樹は拒絶した。今、ここで「YES」と言えば、全てが無駄になる。木更のことを諦めた決心も、ここで未練を断ち切ると決めた意志も無駄になる。

 玉樹は、マテバをホルスターに戻すと、両手を握りしめ、ボクシングの体勢に入る。両手の黒膂石回転刃拳鍔(バラニウムチェーンソーナックルダスター)の刃が回転する。蓮太郎の提案に対する否定の回答、玉樹の戦う意志に呼応するようにモーターが駆動する。

 

「お前、オレっちのことを買い被り過ぎなんだよ。英雄なんてものに興味はねぇし、ガラでもねぇ。妹どころか自分一人守るのに精一杯なただの民警だ。これ以上、変なものを背負わされるなんて真っ平御免だ」

 

 蓮太郎は玉樹の回答を聞いて、落胆した。彼も皮手袋を外し、バラニウム義肢の右手、生身の左手を握り、天童流戦闘術の構えに入る。

 

「残念だよ。片桐兄。俺達の目的は真逆だ。利も害も一致しない。俺は、“終わり”にしないためにここに来た」

 

 ――雨後鯉流(アマゴコイナガレ)

 

 数メートルあったはずの蓮太郎と玉樹の距離が一気に縮まる。縮地法で一気に近接格闘(CQC)の間合に入り、その勢いに乗せて撃鉄の拳を玉樹の心臓目がけて突き立てる。しかし、真正面から堂々と玉樹の拳が迎え撃つ。

 蓮太郎の拳とそれを削ろうとするバラニウムチェーンソーがぶつかり合い、拳と拳の間で火花が飛び散る。

 

「いきなり正面から来るとは驚いたぜ。弓月の能力を忘れちゃいないだろうな?」

 

「忘れちゃいねぇよ。しっかり対策済みだ」

 

 玉樹は蓮太郎のマスクに注視する。彼の目の部分が亜麻色のグラスになっていることに気が付いた。自分が弓月の糸を見るためにかけている特製サングラスと同じ色だ。

 かつて、第三次関東会戦前に同じアジュバントに入る条件で戦った2人は互いの手の内を知っていた。蓮太郎は玉樹の黒膂石回転刃拳鍔と弓月のモデルスパイダーとしての能力、玉樹は蓮太郎の右腕・右脚のバラニウム義肢と義眼の能力を把握していた。しかし、互いに知っているのは5年前の情報、5年の間にどれだけ自分の戦術を磨き上げ、新しい戦術を自分のものにしてきたかが勝敗を分ける。

 蓮太郎は一度距離を離して仕切り直そうとするが、今度は玉樹が近接格闘の間合に入り、チェーンソー付きナックルの連撃(ラッシュ)を叩きつける。生身で受ければ確実に肉を抉られる彼の拳を蓮太郎は義肢の右手のみで受け流す。腕の1本と2本では文字通り手数で劣り、受ければ受けるほど義肢はチェーンソーによって削られていく。

 

「何が“終わり”しないための戦いだ!!結局、お前だって背負っているものを捨てようとしているじゃねえか!あのガキと姐さんの願いを赤の他人に押し付けて、自分は楽になろうとしている!!」

 

「お前と……一緒にするな!」

 

「いいや。同じだ!お前だって“終わり”にしたいんだろうが!!こんなことやって何になる!?どこがあのガキと姐さんのためになる!?ならないだろ!!答えられねえだろ!!だろうな!!俺もお前も自己満足のために戦っているんだからな!!だったら、『託す』なんて綺麗事ほざいてんじゃねえ!!素直に吐いちまえよ!!『重いんだ』『苦しいんだ』『捨てたいんだ』ってなあ!!」

 

「好き勝手言いやがって……、重苦しいものを捨てられないのは、お互い様だ!!」

 

 そう言いながら玉樹は隙の無い連撃を続けて行く。蓮太郎は右手で受け流すが勢いに押されて後退りしていく。状況は玉樹が優勢だった――が、突然、玉樹は連撃を止めてバックステップで蓮太郎と距離を取る。

 蓮太郎には彼の意図が読めなかった。明らかに状況は玉樹が優勢だった。追い風となっていた勢いを殺し、状況を仕切り直す理由が分からない。

 蓮太郎は右足に違和感を覚える。その正体を見ようと視線を右足に向けると足が糸に引っ掛かっていた。まるでロープのように伸縮する蜘蛛の糸、そして、その先に繋がっている“クレイモア指向性対人地雷”が答えだった。

 

 

「しまっ――

 

 

 内包されたC4プラスチック爆弾の爆発と共に700個の鉄球が蓮太郎に向けて射出される。蓮太郎から外れて通り過ぎた鉄球は背後にある家具や壁、天井を粉砕し、粉々になったそれらが粉塵となって舞い上がる。

 粉塵で視界が遮られ、蓮太郎の姿が見えなくなる。普通の人間ならミンチになっている威力だ。しかし、玉樹は戦いの姿勢を崩さない。“里見蓮太郎がこの程度で死ぬ男じゃない”と彼が分かっているからだ。

 

 ――カートリッジ解放 

 

 隠禅・黒天風 二弾撃発(ダブルバースト)

 

 玉樹が気付いた時には遅かった。蓮太郎は既に地雷からも舞い上がる煙からも抜け出し、“いつの間にか”玉樹の頭にはカートリッジ解放で加速したバラニウム義足の回し蹴りが炸裂していた。蹴り飛ばされた玉樹は空中で回転しながら後方にあるバーカウンターに激突する。

 普通の人間なら首の骨が折れて即死、運が良くても脳震盪を起こす威力だ。しかし、蓮太郎は戦いを止めようとはしない。蓮太郎も知っていた。“片桐玉樹はこの程度で死ぬ男じゃない”と――。

 彼の右腕の義肢から青い光が漏れだす。内部フレームがチェレンコフ放射のように輝き、それが外皮の装甲と袖を通して輝き出す。義肢の内部でエネルギーを蓄積させればさせるほど、蓮太郎の右腕は青白く輝く。

 

「もう動くな。これ以上戦うなら、俺は――

 

「どうするの?」

 

 今まで姿を現さなかった弓月の声が聞こえた。それと同時に蓮太郎が振り向くが、その瞬間、数発の弾丸が彼を襲う。

 蓮太郎は間一髪、弾丸を掴み取ったが安堵する暇もなく、後方からの衝撃で彼は玉樹と同じように宙を舞い、転がりながらラウンジのソファーを破壊する。受け身を取って、即座に立ち上がる。

 蓮太郎が面を上げる。彼の視線の先には弓月がいた。彼女の足は地についておらず、地面から2~3m離れて浮いている。傍から見れば超能力かマジックでも使っているように見えるが、糸が見える蓮太郎にはタネも仕掛けも分かっていた。

 ラウンジ全体に糸が張られている。それは実際の蜘蛛の巣の様に放射線状に貼られておらず、無規則に、縦横無尽に張り巡らされている。床から天井まで余すところがなく、弓月は糸を足場にしていた。

 

「ようやくお出ましか。片桐妹。てっきり、兄貴に置いて行かれたと思っていたよ」

 

「私達にそんな余裕があると思う?悪いけど、延珠やティナがいないからって、正々堂々一対一で勝負するつもりはないわよ」

 

 弓月は右手の中指に、シルバーアクセサリーのようなアーマーリングを装着しており、それを糸に引っ掛ける。彼女は先端に付いた刃で糸を切断し、ラウンジに仕掛けられたトラップが一斉に発動させた。仕掛けられたトラップの起動ワイヤーは弓月の指の糸に繋がっており、彼女が指一本動かせば、彼女の任意のタイミングでトラップを起動させることが出来る。ワイヤー起動型とリモコン操作型を兼ねた罠のようだ。

 ラウンジに仕掛けられた銃器や爆弾が一斉に起動し、銃弾や破片が蓮太郎に襲い掛かる。しかし、どれだけ派手で広範囲でも蓮太郎には当たらない。義眼を起動し、二千分の一秒、静止したも同然の世界の中でトラップのない安全圏まで身を動かしてそれら全てを回避する。

 蓮太郎は右手を振るい、ラウンジ全体を包む煙を薙ぎ払う。しかし、視界が開けたラウンジに弓月の姿はない。

 

 ――後ろか!

 

 根拠があったわけではない。それは咄嗟の勘、戦い続ける中で培った生存本能が蓮太郎を振り向かせる。眼前には弓月のネイルアーマーの刃が迫り、蓮太郎は左手の手刀で弓月を払いのける。続けて下段の蹴り技をお見舞いしようとしたが、弓月は後方宙返りで回避し、蓮太郎との距離を取る。

 弓月は再び糸を足場にして、縦横無尽に空中を駆け回る。床、四方を囲む壁、高い天井と中空の糸、あらゆる場所に足場を持つ彼女の戦闘は三次元に拡大する。互いに地面に足を付けた殴り合いとは文字通り次元が違う。空間を自由自在に駆け回る弓月に加え、どこに仕掛けられてもおかしくはないトラップ、蓮太郎が気を払わなければならない範囲は前後左右に加えて、上下にまで拡大する。

 360度あらゆる方角から襲撃する弓月と彼女の駆使するトラップに蓮太郎は翻弄される。義眼で思考を加速させ、それらを尽く回避するが、その回避先で更なるトラップに襲われる。それは弓月の策謀に踊らされ、彼女の指に糸を繋がれた操り人形のようだった。

 糸に引っ掛かると爆発するクレイモア、射出される杭、意識外の方向から放たれる弾丸、彼女が用意したブービートラップは飽きが来ないエンターテイメントのように質も種類も量も揃っている。それらを義眼の思考加速で回避する中、蓮太郎は押しが弱くなっていくことに気付いた。

 当然のことだ。トラップにも限界がある。使えば使うほど数は減り、蓮太郎の安全地帯は増えていく。

 加えて、弓月の体力の問題もある。クモの因子を持つ彼女はガストレアウィルスによって高い瞬発力と糸の生成能力を恩恵として受けたが、同時にクモという生物が持つ欠点も引き継いでいる。それが持久力の無さだ。糸を張るクモもタランチュラのようなそうでないクモも基本的には自分の巣を持ち、その巣に引っ掛かった獲物、近づいた獲物に飛びついて捕獲する習性を持つ。そのため、彼らの身体は獲物を捕らえる一瞬の動きに特化する反面、長時間獲物を追いかけるようには出来ていない。その上、糸で巣を作るクモの場合は自分の身体のタンパク質から糸を作るため、糸を作れば作るほど持久力はなくなっていく。

 

「どうした?片桐妹。もう息があがっているぞ」

 

「あんたがチョロチョロと逃げるからよ」

 

 蓮太郎に鎌をかけられて、弓月は自分の弱点を蓮太郎に悟られたことに気付く。トラップの数が少なくなったことも蓮太郎は気付いているだろう。

 

 ――あいつはもう私の弱点に気付いてる。実際、そろそろきつくなってきたし、トラップも残り少ない。

 

 弓月は周囲を見渡し、残っている糸の本数、トラップの数を確認する。玉樹が相手している間に80個近くは仕掛けていたが、今はせいぜい10個しか残っていない。グロック拳銃も予備マガジンは無し、リロードされている弾丸もあと3発。しかし、ここまで戦いが長引くのは、彼女の“計画通り”だった。

 

 

 

 ――ここまであいつを振り回せばもう十分よ。

 

 

 

「どうした?片桐妹。攻撃の手が止まったぞ。折角のトラップも無駄になったな」

 

 蓮太郎が挑発する。昔から嫌味ったらしいとは思っていたが、敵として本気で嫌味を言われると殺したくなるほど腹が立つ。だが、それを笑った飛ばせる余裕が弓月にはあった。

 

「アンタ。まだ気付いていないのね。自分の右足をよく見なさい」

 

 罠から逃げることに集中していて気付かなかったが、右足の動きが鈍くなっていることに気付く。蓮太郎は自分の右足に目を向けると、黒かったはずのスラックスと義足は真っ白になっていた。木工用ボンドのような粘着質の物質が纏わりつき、2~3個ほどの小さな爆弾が付着している。

 起爆装置のランプが点滅しており、それが蓮太郎の死を宣告するように点滅の感覚が早くなっていく。

 

()()()()()()()()

 

 弓月の言葉と共に蓮太郎の義足に付いた爆弾が爆発した。爆弾は蓮太郎の足を吹き飛ばすと共に周囲に破片を撒き散らし、煙でラウンジを包んでいく。

 爆弾は確実に蓮太郎の足を吹き飛ばしただろう。いくら2000分の1秒の世界で動く人間だとしても自分に付着した爆弾から逃げることはできない。爆発の被害は確実に受けただろうし、高純度のバラニウム合金の義足も破壊は出来なかったとしても“脚”としての機能を奪うことぐらいはできただろう。

 弓月は蓮太郎への警戒を続けながらもカウンターで倒れている玉樹の下へ向かう。

 

「兄貴?まだ生きてる?」

 

「遅かったな。マイスウィート」

 

「私が準備を終える前に戦い始めた兄貴が悪いんでしょ。もっと時間を稼ぐ作戦だったじゃん」

 

「仕方ねえだろ。こういう流れになっちまったんだから。……悪い。肩貸してくれ。頭がクラクラして上手く立てねぇ」

 

 玉樹が手を上に伸ばすと弓月がそれを引っ張って無理やり立たせ、玉樹に自分の肩を貸す。身長差も体重差も大きい2人だが、呪われた子供として高い身体能力を持つ弓月にとっては大した重さではなかった。

 

「あいつは、どうした?」

 

「足を潰したわ。多分、そこで転がってるわよ」

 

 しかし、そんな弓月の言葉は数秒も経たずに裏切られた。

 突然、立ち込める煙が薙ぎ払われ、2本の脚で立つ蓮太郎が姿を現した。爆弾が巻き付けられた右足はスラックスが破け、内部のバラニウムの義足が剥き出しになっている。服も全体的に破けてボロボロになっていたが、蓮太郎自身も全身に掠り傷を負っているが、戦闘の続行に支障はないレベルだった。

 

「そんな……」

 

「『やった』と思っていたのか?まぁ、確かに今のは本当に死ぬかと思った。咄嗟に“こいつ”で爆弾を切り離してなければ、お前達の勝ちだったろう」

 

 蓮太郎の手には日本刀が握られていた。天童木更が愛用した得物“殺人刀 雪影”。数多の人の生き血を啜った天童殺しの呪刀。蓮太郎は右手に刀を持ち、その左手に鞘を握っていた。

 

「俺が東京エリアを離れて5年。お前達が新しい戦術を身に着けてきたように、俺もこの5年間、新しい戦い方を身に着けてきた」

 

 蓮太郎が刀を鞘に戻す。それは戦闘を中止するための行動ではない。抜刀術の基本の構えに入るためだ。その構えを玉樹と弓月は知っている。5年前の事件で最も恐ろしく、最も強かった復讐鬼にして絶対悪の女、天童木更の構えであることを。

 

 

 ――天童流“抜刀”術

 

 狂錯柳舞(キョウサクリュウブ)

 

 蓮太郎が鞘から雪影を抜いた瞬間、ラウンジの中で強風が吹き荒れる。法則を持たず乱れ舞う鎌鼬は部屋の中にある物質を切断していく。マボガニーのテーブルも天井のシャンデリアも滑走路を一望できる防弾窓ガラスも、構成する物質も強度も関係ない。弓月が残していた残り少ないワイヤートラップも全て強制的に発動される。

 弓月に体重を預けていた玉樹は咄嗟に彼女を右に突き飛ばす。

 

「兄貴!!」

 

 玉樹に突き飛ばされた弓月が振り向いた時には全てが遅かった。

 下段の構えで迫った蓮太郎の刀が玉樹の身体を貫く。腹部から入って貫通した刃は、血で真っ赤に染まった姿を背中から晒し出す。刃からは玉樹の血がポタポタと零れ落ち、真っ赤に染まった血肉を落として禍々しい黒い刀身を露にする。

 

「……ったく、これ見よがしに姐さんの刀を使いやがって……。

 

 

 

 

 

――――だが、待ってたぜ。この瞬間をよぉ!!」

 

 玉樹が残りの力を振り絞って蓮太郎の腕を掴み、彼を捕獲する。気付いた蓮太郎は刀を抜き、玉樹から逃れようとするが万力のように固定された腕から逃れることはできない。義眼を解放しても無意味だろう。

 玉樹が残ったもう片方の腕で蓮太郎の顔面を殴りつける。黒膂石回転刃拳鍔が蓮太郎の仮面を叩き潰し、顔面の肉を抉り、それを取り越して義眼を破壊する。

 

 ―――――――――――――――ッ!!!

 

 玉樹が力尽きたところで蓮太郎は片目を押さえながら刀を引き抜き、玉樹との距離を取る。玉樹に潰された義眼の左目を手で押さえるが、指の隙間から血が流れ、ショートした義眼が眼孔から火花を散らす。

 憔悴しながらも蓮太郎は残った右目で玉樹を睨む。最後の力を振り絞ったのか、玉樹は満足したかのように仰向けで倒れていた。生きているのか死んでいるのか分からないが、意識はもう残っていない。

 

「なぁ……?これで終わりか?左目潰した程度で終わりなのか?立てよ!片桐!!お前の5年間はこの程度か!!俺をぶん殴って、木更さんの墓の前で土下座させるんじゃなかったのかよ!!」

 

 蓮太郎は重い足取りで玉樹に近づくが、弓月が両手を広げて立ちはだかる。彼女にもう戦う力は残されていない。罠は残っていない。糸ももう出せない。その手に銃は無く、アーマーリングも外している。完全なる“降伏”だった。

 

「もう……やめて。アンタの勝ちよ」

 

 それが弓月の精一杯だった。全身が震えている。ただ敵にお願いすることしか出来ない自分の情けない。今の蓮太郎は容赦がない。完全に自分たちを敵として見ている。そんな自分を彼が見逃す理由なんてなかった。

 弓月は命を覚悟して、目を閉じた。

 蓮太郎は何もしなかった。彼は失望した目で弓月を見ると、踵を返し、雪影とテーブルの下に隠していた賢者の盾を回収して、ラウンジから姿を消した。

 弓月は恐る恐る目を開いた。そこに蓮太郎の姿はない。

 

 自分は見逃された。命は助かった。

 

 その事実は弓月を安堵させると同時に彼女のプライドを打ち砕いた。彼女は膝から崩れ落ち、両手を床につける。彼女の目から大粒の涙が零れ、ボロボロになったカーペットを濡らしていく。

 

「ごめん……。延珠。ティナ。翠。私じゃ……あいつを止められなかった」

 

 誰もいなくなったラウンジで、弓月の慟哭だけが虚しく響き渡った。

 




あとがきで特に書くことが無かったから、何となく書いた寸劇

・5年間の生活が生んだ悲劇


蓮太郎「5年振りだな。片桐妹。大きくなったな」

弓月「そうね。出来れば、敵として会いたくなかったわ」バイーン!

蓮太郎「本当に……大きくなったな」(※視線を下にずらしています)

弓月「何で2回も言うのよ」

ティナ「お兄さん!私も空港に来ています!」ペターン

蓮太郎「本当に……大きくなった……な?」(※視線を下にずらしています)

ティナ「どうして疑問形なんですか?どこを見て疑問形にしたんですか?」

蓮太郎「さ……さぁ?」(視線を逸らす)


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仮面の下の本音

前回はくだらないショートギャグで後書き部分を埋めたことをお詫び申し上げます。


 アクアライン空港の地下500mに存在する極秘のトンネル、糸で作られたバリケードと振動感知爆弾を前に義搭ペア・大角ペア・蛭子小比奈は足を止めていた。片桐兄妹が去ってから30分、一行は突破方法を考えていたが、良い案は浮かばなかった。糸に触れずに通り抜けることは不可能、爆弾と距離を取った後、あえて爆発させる案もあったが、弓月の言う“化学合成爆薬”がどういった種類のものなのか分からない現状、それは危険な自殺行為だった。もしそれがサーモバリック爆弾だったら、トンネルの酸素を一気に焼き尽くし、中にいる人間は全員窒息死するか、燃焼した酸素に肺を焼かれて死んでしまう。

 そんな中で彼らは“爆弾の解除”を選択した。爆弾に関する知識を持つ大角勝典が市販の高枝切鋏を改造した延長アームを使って糸の隙間にアームを通し、向こう側の爆弾を解体していた。どうして彼が爆弾解除の経験を持っているのか、どうして高枝切鋏を改造したアームをワゴンに積んでいたのかは分からない。高枝切鋏に関しては「こんなこともあろうかと……」と言っていたが、何を想定して積んでいたのかは語られなかった。

 勝典が爆弾を解体し、ヌイが冷や汗をかきながら作業を見守る。そんな中、特にやることのない壮助はトンネルの壁に寄りかかり、彼を挟むように詩乃と小比奈も身を寄せる。詩乃は待ちくたびれたのかいつの間にか眠ってしまい、壮助の肩に身を任せていた。

 

「暇潰しに聞くけどさ。どうして俺達に接触したんだ?」

 

 黙って眺めることに痺れを切らしたのか、壮助が小比奈に声をかける。

 

「仮面野郎をぶっ殺すなら、俺達より片桐兄妹と接触した方が確実だっただろ。現に俺らはあの人のお陰でここまで来れたんだから」

 

「あの2人のせいで“ここに閉じ込められた”の間違いでしょ?」

 

「それもそうなんだけどさ……」

 

 小比奈は虚空を眺めて考えごとをするが、何か決心がついたのか壮助に目線を合わせる。

 

「多分、ゆっくりと話せるのもこれが最後だろうから、その質問に答えてあげる」

 

 そう言った小比奈は風俗ビルで壮助に出会うまでの経緯について話す。

 蓮太郎に裏切られ、倒された後の彼女は目を覚ますとすぐさま荷物をまとめて潜伏拠点を放棄した。そして、人目につかないようフラフラになりながらも潜伏拠点のビルの屋上から屋上へと飛び移ったが、件の風俗ビルの屋上で意識が途切れてしまい、そこで一晩を過ごしてしまった。人の来ない屋上だったため、誰にも発見されなかった彼女は朝まで爆睡した。そして、詩乃に殴られた時の壮助の悲鳴で目が覚めた彼女は共通の目的を持つ壮助たちに接触することで再び蓮太郎を殺しに行こうと考えた。――これが、蛭子小比奈と義搭壮助の出会いの切っ掛けである。

 

「要は俺達を選んだんじゃなくて、偶然ってことか」

 

「端的に言えばそうだね。だけど、自由に動けたとして貴方を探していたと思う」

 

「それってどういう――

 

 壮助の言葉を待たずに小比奈は両手で彼の頬を掴み、無理やり自分に視線が向くように引き寄せる。後ろから誰かが小突けばすぐに顔と顔が接触するだろう距離。頬から伝わる手の温度、突き刺さる赤い視線は彼女のどこか退廃的で煽情的な雰囲気に拍車をかける。まだ16歳のはずだが既に大人としての色気を持っていた彼女は今まで何人の男を飲み込んで来たのだろうか。しかし、壮助には不思議と感情の昂ぶりがなかった。好みのタイプではないとか、詩乃一筋だからと言う訳でもない。やはり猟奇殺人鬼だったりテロリストだったりと彼女の物騒な経歴を知っているからなのか、先に危険性を感じ取り、警戒心ばかり強くなってしまう。本能的にそういう気分になることが出来なかった。

 数秒ほど見つめ合うと、何か納得したようで、小比奈は手を離して壮助を解放する。

 

「うん。やっぱり、パパに似てる」

 

「どこが?悪人顔なところか?」

 

 小比奈は壮助のことを鼻で笑うと、どこか嬉しそうな顔で答えた。

 

「自分は間違っていると分かっているのに誰かに認めて貰いたい寂しがり屋なところが」

 

 ステージVガストレアをけしかけるという人類史上類を見ない凶悪で壊滅的なテロを仕掛けた男に似ていると言われて良い感情を持つ人間はいない。壮助も小比奈の評価には不服だったが、今までに見せたことのない“笑顔”のせいで何も言うことが出来なかった。凶悪なテロリストにもどこか人間としての心が残っていて、娘である小比奈にはそれを見せていたのだろうと、心の中でそう納得することにした。

 

「おーい。爆弾解除したぞー」

 

 トンネルの中で勝典の間の抜けた声が響く。あまりにも緊張感の欠けた言い方だったが、爆弾は蓋が外れて様々な配線が切断された状態になっていた。勝典がヌイに指示してレイピアで張られた弓月の糸を次々と斬り落とす。

 出発するために壮助が立ち上がり、寝ていた詩乃の肩を叩く。起きた詩乃も即座に状況を理解し、自分の顔を叩いて意識を覚めさせる。

 

「大角さん。どうやったんすか?これ」

 

「ああ。振動感知センサーに細工を施して、『糸は動いていない』と認識させている。ただ、爆弾としての機能はまだしっかり残っているから安心はするなよ。何かの拍子にセンサーが振動を感知してしまったら――――ドスン

 

 鉄の箱が倒れる音がした。まさか、いやまさかと思い、青ざめた顔で壮助と勝典は顔を向ける。2人が目にしたのは想定通りの最悪の光景だった。爆弾がその場で倒れ込み、自分を足止めした弓月への怒りをぶつけるように小比奈が爆弾を足蹴りする。

 

「感知したら、どうなるんすか?」

 

「ドカンだ」

 

 すると小比奈が足蹴りするのを止め、爆弾を抱きかかえて2人に向ける。

 

「ねぇ、何か点滅してるんだけど」

 

 爆弾についている緑色のランプが赤色に変わり、点滅し始めた。それは刻々とテンポが早くなっていき、遂には点灯と変わらないほどの速度で点滅が繰り返される。誰がどう見ても爆弾のカウントダウンだった。

 

「何やってんだよ!このクソビッチ!死んだら呪ってやる!!」

 ――と壮助は洋画さながら中指を立てて罵り、

 

「小比奈はそのまま爆弾抱えて向こうに走って。私達は反対方向に走るから」

 ――と詩乃は最悪の解決策を提示し、

 

「嫌だああああ!『恋は春風と共に』の最終巻を読むまで死にたくなああああい!」

 ――とヌイは頭を抱えて泣き叫び、

 

「今から走っても間に合わん!ワゴンの影に隠れろ!!」

 ――と勝典はとりあえず現実的な策を提案する。

 

 全員が勝典の策に乗り、ワゴンの裏に隠れる。散々罵倒された小比奈も思い切り爆弾を反対方向に投げると彼らに続いてワゴンの影に入った。

 その直後、パァン!とクラッカーを鳴らす音が聞こえ、古いゲームをクリアした時のようなサウンドが流れた。5人は恐る恐るワゴンの影から顔を出すと倒れた爆弾から紙吹雪が噴き出す。

 

『おめでとう。これを聞いているってことは、アンタ達、うっかり爆発させちゃったってことね。これが本物だったら1回死んでるわよ』

 

 爆弾に内蔵されたスピーカーから録音された弓月の声が聞こえる。5人はようやくこれが爆弾ではなく、自分達を足止めするハリボテだと気づく。

 

『まず置き去りにしたことを謝るわ。アンタ達にもそれなりに戦う理由があるんでしょうけど、この件は私達だけで片付けたかった。5年前、あのバカが堕ちるのを目の前で見ていて何もしなかった責任を取りたかった。あいつは多分、第一ターミナルの最高級ラウンジで待ってるわ。だから、私達もそこに行く。あんた達が着いている頃には勝敗が決まっているでしょうね。私達が勝っていればそれで良いわ。置き去りにしたお詫びに焼き肉でも奢ってあげる。けど、私達が負けていたら、情けない話だけど、アンタ達に賭けるしかない。あと――』

 

 彼女の言葉にそれぞれが想いを馳せる中、小比奈は小太刀を持って立ち上がり、弓月の偽爆弾に刃を突き立てた。

 

「言われるまでもないわ。私はパパを取り戻して、蓮太郎を殺す。私を裏切ったことを後悔させてやる!!」

 

 

 

 *

 

 

 

 聖居の日本国家安全保障会議では、全員が一安心し、椅子の背もたれに身を預けていた。自衛隊から「ガストレアの殲滅完了」の報告が届いたからだ。隠れていたガストレアの出現によって一時は作戦失敗が脳裏を過ったが、東京エリアに滞在していたティナ・スプラウトの協力によってガストレアの殲滅が完了、彼女がガストレアの相手をしている間に自衛隊は人質たちの避難経路を確保し、4本の連絡通路と地下鉄を使った大規模な避難作戦を開始した。現在、空港内にいた人質のほとんどは自衛隊が確保した避難経路に集まっており、連絡通路も鉄道も空港から出る人達でごった返していた。

 人質へのガストレアウィルスの感染と主犯である蓮太郎の存在が懸念事項ではあったが、自衛隊の簡易ウィルス検査で今のところ感染者もしくは感染の疑いがある人物は発見されていない。主犯の蓮太郎には“偶然”、空港に居合わせた(ということにした)片桐兄妹が対処している。序列に開きがあるとはいえ、イニシエーター不在の蓮太郎に負けるわけがないだろうと高を括っていた。

 

「とりあえずは一安心と言ったところか。片桐兄妹が空港に居たのは不幸中の幸いだ」

 

「だが、今回の経済的損失は最初のガストレアテロ以上のものになっている。ただでさえ関東会戦ショックの影響が残っているんだ。下手な手を打てば東京エリアの経済が破綻する」

 

「安全保障上の問題もだ。今回の一件で人為的にガストレアを用いた武力攻撃という新たな脅威が確認された。それに対する防衛プランを練らなければならん。それに加えて、我々はハネダ作戦で自衛隊の戦力不足を露呈させる結果となった。防衛予算の増加は必至だろう」

 

 今後の対応について話し始める閣僚たちを尻目に聖天子はドローンの空撮映像を見続ける。まだ蓮太郎は捕まっていない。かつて護られた身として彼の強さを知っていた彼女は、蓮太郎がこのまま終わる人間だと思っていなかった。その強さがかつては頼もしく、今は厄介以外のなにものでもなかった。

「失礼します」とスーツ姿の男が会議室に入り一礼する。彼は一枚のメモ紙を握っており、外務大臣に耳打ちをしながらテーブルの上に置く。何事かと全員が見守る中、男からの報告を聞く外務大臣の表情は驚愕へと変わっていった。

 

「まさか、スピカが……。それは、本当か?」

 

「はい。アメリカ海軍の公式発表です。間違いありません。裏も取れています」

 

「分かった。引き続き、情報収集を頼む」

 

「了解しました」

 

 スーツ姿の若い男が出て行き、全員の視線が外務大臣に向けられる。そのプレッシャーを感じているのか額から汗が滴る。

 

「フィリピン沖に展開していたアメリカ海軍より、『スピカの飛翔を確認した』と情報が入りました」

 

 フィリピン沖という東京エリアから遠く離れた地点でスピカの飛翔が確認された。その情報から得られる答えは一つしかなかった。

 

「スピカは撃墜されておりません」

 

 それは会議を騒然とさせるものだった。蓮太郎の目的は賢者の盾でスピカを洗脳すること。その前提でこれまで動いて来た聖居にとって、衝撃でしかなかった。そして、会議にいた誰もがその事実に対して疑念を抱く。

 

 ――これは、単なる失敗か?それとも天の梯子に残されたデータログは我々を振り回すための囮なのか?

 

 

 

 *

 

 

 

 地下通路の隔壁を破壊し、空港へと出た壮助たちは一目散に蓮太郎がいた第一ターミナル最上階の最高級ラウンジへと向かう。地下通路と繋がっている聖居専用機の格納庫とターミナルは少し距離があり、滑走路を横断しないと辿り着くことができない。ラウンジに到着するまでにガストレアと激戦を繰り広げるのではないかと予想した一行だったが、地上は静かだ。格納庫から出ると辺り一面に銃殺されたガストレアの死体が転がり、片桐兄妹に倒されたと思しきガストレアも何体か確認できる。自衛隊が確保した避難通路からも離れているため、人質の姿も見当たらない。既に何もかもが解決したのではないかと思えてしまう。

 ワゴンを第一ターミナルの入口付近に停め、持てるだけ装備を抱えた一行はラウンジに繋がる関係者用の階段を昇り始めた。

 ここまで何一つ問題も起きず、障害も無かった。武装していることも警戒していることも馬鹿に思えるほど平和でスムーズにラスボスが待ち構える部屋に向かっている。

 本当に何もかもが解決していて、ラウンジに入ると無様に倒れる蓮太郎と彼を背景に自撮りしてインスタグラムに画像をアップする片桐兄妹が見られるのでは無いかと壮助は考えてしまう。

 

「詩乃。今夜は片桐兄妹の驕りで焼肉だ。店の在庫が無くなるまで食っていいぞ」

 

「やったあ」

 

 あまりにも何も起きなさ過ぎて、冗談が口から出るほど緊張が解けてしまうが、階段の壁に表記された階数表示が上がるに連れて解けた緊張感が固まっていく。ガストレアは全滅したようだ。人質の救出も上手く行っているようだ。だからと言って、それが里見蓮太郎との戦いが終わった証拠にはならない。

 ラウンジに繋がる扉の前に辿り着いた。非常用の裏口らしく鉄製の質素な扉が静かに佇む。全員が固唾を飲んで、扉の向こう側の光景が自分たちの望んだものであることを祈る。そこに立っているのは里見蓮太郎か、それとも片桐兄妹なのか。戦いはまだ続いているのか、それとも終わったのか。

 勝典がドアノブに手をかけ、全員に合図を送る。合図の意味を理解していない小比奈を除いた3人が頷くと勝典はドアノブを回し、ゆっくりと数センチだけ扉を開ける。僅かに空いた隙間に一番近い詩乃が耳を近づけると、すぐに指で「近くに敵勢なし」のジェスチャーを送る。

 勝典が大きく扉を開け、詩乃、ヌイが武器を構えて突入する。続いて壮助が入ろうとするが小比奈に押し退けられてしまう。小比奈の一歩遅れて壮助、そして最後に勝典が背後を確認しながら扉の向こう側へと入った。

 扉の向こう側は廃墟になっていた。最高級ラウンジだったと言っても誰も信じないくらいだろう。割られた展望ガラス、地面に落ちて破片を撒き散らしたシャンデリア、調度品も粉々に粉砕されている。大量の爆薬を使ったのか、室内は火薬と硝煙の匂いが漂い、呼吸をするだけで肺が真っ黒になりそうなほどだった。

 

「敵勢力なし。負傷者2名を発見」

 

 唖然とするヌイを余所目に詩乃は状況を冷静に分析する。小比奈に続いて部屋に入った壮助と勝典は照準越しに見る惨状とそこで倒れる玉樹と彼の傷口に布を当てて止血する弓月に驚愕した。

 

「おいおい……マジか」

 

「ヌイ。そのまま周囲を警戒しろ」

 

 壮助と勝典は銃を降ろし、片桐兄妹に駆け寄る。壮助たちが来たことに弓月は驚く様子は無かった。わざわざあんな録音を残していたのだから、彼らがどんな手段を用いてでも空港に来ることは予想で来ていたのだろう。

 

「とりあえず血は止まったわ。心臓は動いているし、多分、傷も臓器から外れてる。もう少ししたら自衛隊の救助も来るわ」

 

 弓月の言葉を聞いた壮助と勝典はほっと胸をなでおろす。

 安心して緩んだ表情を隠すように壮助は再び仏頂面になる。

 

「ったく、心配して損した。俺達を置き去りにした癖に何て様だ」

 

「返す言葉もないわ。見ての通りボロ負けよ。兄貴は串刺しにされるし、私は無様に命乞い。――けど、やるべきことはやった」

 

 弓月がポケットに手を突っ込み、中から黒い金属の欠片を取り出して、2人に見せつける。

 

「あいつの義眼の破片よ。兄貴はあいつの左目を潰して、一矢報いたわ。もう防衛省の時みたいな瞬間移動は使えない」

 

 正しく肉を斬らせて骨を断つ結果だった。ラウンジの凄惨な状況から蓮太郎と片桐兄妹の戦いがどれほど凄まじかったのかが窺える。自分たちが一緒に来たところで足手纏いになっていただろう。自分のテリトリーで全力を尽くし、激闘の末に片桐兄妹は敗れたが、確かに結果を残した。

 壮助たちにとって最も脅威だったのは蓮太郎の義眼だ。義手と義足のカートリッジ解放による加速、そのパワーはイニシエーターで十分補うことが出来る。しかし、義眼は違う。1秒の2000分の1の世界が見える彼の反応速度は序列1000番台のイニシエーターでも追い付けるものではない。しかし、今はそれが使えないとなれば、壮助たちにも勝機はある。向こうは1人でこっちは5人。更にイニシエーターが3人いる。自衛隊の加勢も加味すれば、勝利の可能性は限りなくゼロに近いものから勝利をイメージできるくらいの現実的な数値になる。

 

「分かった。後は俺達で潰すから、そこで休んでてくれ」

 

「アンタ、案外優しい言葉がかけられるのね」

 

「うるせぇ」

 

「ところで」と一言おいて、勝典が挙手する。

 

「潰しに行くのは良いが、標的はどこに行ったんだ?」

 

 弓月は手に持っていた小型端末を勝典に差し出した。大きさ・形状はスマートフォンに似ているが、複数のボタンがあり、大きな画面には空港の地図が表示されている。赤い点が点滅しながら地図上を移動している。

 

「私も戦いながらあいつの服の中にいくつか発信機を忍ばせたわ」

 

 勝典が端末を受け取り、壮助が横から覗く。赤い点は壮助たちのいる第一ターミナルから離れており、主要ターミナルから少し離れたとある建物に向かって動いていた。外部に直通の連絡通路や鉄道もあり、主要ターミナル以上に交通で便宜が図られている。赤い点の動き方から、蓮太郎は早歩きで移動していると思われる。

 

「何だ?この建物」

 

「貿易ターミナルだな。他のエリアから航空機で輸出入した物資を取り扱うターミナルだ。ここで荷物の載せ替えを行う。東京エリアの空の貿易港だ。だが、何でこんなところに?」

 

 ガストレア大戦とそれに伴うモノリスの結界の構築により、人類の交通網と通信網は崩壊した。貿易はおろか交流すら難しい中で、各エリアは経済活動が自己完結した都市(アーコロジー)を目指すことを余儀なくされた。しかし、それに成功したエリアは少なく、大半のエリアが経済崩壊、生産不足による飢餓と貧困を迎え、他エリアへの侵攻と略奪、植民地主義の台頭とブロック経済といった人類の負の歴史を繰り返す結果となった。

 地上から衛星を狙撃するステージVガストレア“サジタリウス”の討伐により空の安全を一定のレベルで確保できた人類は人工衛星による通信網の復旧、航空機による他エリアとの貿易を開始した。今でも貿易の主役は航空機が担っており、アクアライン空港の貿易ターミナルは物資の玄関口としての役割を担っている。

 

「なぁ?片桐。里見は何が目的なんだ?」

 

 弓月は目を逸らし、言い辛そうに唇を噛んで閉口する。しかし、2人の視線から観念したのか、ため息を吐く。

 

「分かった。全部話す。だけど、ここにいる人間以外には言わないでね」

 

 弓月の口から語られたのは、今回のテロに関する聖居の見解だった。天の梯子の暴走、賢者の盾とガストレア洗脳装置の類似、賢者の盾を用いたステージⅣガストレア“スピカ”の洗脳計画。

 弓月の口から語られた計画に2人は驚いていたが、嘘とも出鱈目とも思わなかった。賢者の盾を洗脳装置として使うことに反対したから蓮太郎に裏切られ、倒されたという小比奈の証言と一致していたからだ。状況証拠だけで語られた憶測だが、蓮太郎の真の目的がスピカ洗脳だと考えるに十分な材料は揃っていた。

 しかし、同時にある疑問が湧いて来る。それを最初に言葉にしたのは勝典だった。

 

「待て。仮にそうだとして、あいつはどうやって賢者の盾を持ち出すつもりなんだ?空は空自、海は海自が封鎖している。飛行機で逃げても船で逃げてもミサイルでふっ飛ばされる。陸の連絡通路も陸自と空港から避難する市民でごった返していて、対岸の市街地には陸自の本隊と民警が集まっている。いくらあいつが元序列50位の化物でもあれだけの数を一人で相手に出来る訳が無い。逃げ道なんてどこにも無いぞ?」

 

 勝典に指摘されて弓月もはっと気づく。他に逃げ道があるのかと二人は考えるが、陸海空を封鎖されたこの状態で脱出できる手段はそう簡単に思いつかなかった。

 

「ああ!!畜生!!そうか!!そうか!!そういうことか!!」

 

 何かに納得し、悔しがり、突然叫ぶ壮助に2人の視線が集中する。「うるさいから黙れ」と言いたかったが、この中で一番頭脳労働が苦手そうな壮助が導き出した答えにも興味があった。

 

「片桐!!聖天子と話をさせてくれ!!」

 

 壮助は弓月の両肩を掴み、彼女を揺さぶる。突然のことに驚いて壮助の思うがまま、弓月の頭は前後に振り回される。

 

「俺の考えが正しかったら、あいつの狙いは聖居だ!!最初からずっと聖居が狙いだったんだ!!俺達はまんまとあいつに騙されて、利用されたんだよ!!」

 




おまけ 「蓮太郎にとっての片桐兄妹」
(※筆者の妄想や拡大解釈が含まれています)

原作当初の蓮太郎は天童家のことや両親の復讐から離れ、機械化兵士の力を隠して生きてきました。
「過去の憎悪や復讐を忘れて、普通の人間(民警)として平和に生きたい」
そう思っていた彼にとって、両親の死という過去にキッパリと折り合いをつけて今を生きる片桐兄妹は彼が望む生き方を実現している人間でした。影胤が蓮太郎を羨望し、憎悪しているように、蓮太郎もまた心のどこかで今を生きる片桐兄妹を羨望し、自分に出来ない生き方を目の前で堂々と行う2人に対する憎悪を持っていたのかもしれません。
だからこそ、蓮太郎は自分を殺す英雄として片桐兄妹を指名しました。
「自分には出来ない生き方をする片桐兄妹なら、自分では守れなかったものを守ることが出来るだろう」と……。

しかし、皮肉にも玉樹は玉樹で木更に愛される蓮太郎を羨望し、自分の決意と期待を裏切った蓮太郎を憎悪しました。
互いに互いを羨望し、憎悪し、そんな過去すら“終わり”にしようとした似た者同士のけじめが前回の彼らの戦いでした。
玉樹は倒れ、弓月は降伏しました。一見するとそれは蓮太郎の勝利のようにも思えます。しかし、何を以って勝利と呼ぶべきなのか。今一度、じっくり考えてみるのも良いかもしれません。


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たった一つの逃走経路

「私達が騙されて、利用された?」

 

 蓮太郎と片桐兄妹の戦場となったアクアライン空港のラウンジで弓月は怪訝な表情で壮助を睨みつけた。見た目同様にこの中で一番頭脳労働が苦手そうな彼が一番早く、正しく真相に辿り着いたとは考えられなかったからだ。こんな状況の時に荒唐無稽なふざけた推理でも披露しようものなら1発ぶん殴ってやろうかと思っていた。

 

「考えてもみろよ。防衛省の一件、犯人は仮面の男、仲間に蛭子小比奈、ガストレアテロ、――これじゃあ、まるで6年前の蛭子影胤事件だ」

 

 当時はただの10歳の少年で蛭子影胤事件と無関係だった壮助がそれを知っていることに驚きは無かった。蛭子影胤事件の詳細を知るのは当時の聖居・防衛省関係者、影胤を追った民警とその関係者だけというのが表向きの体裁だ。しかし、時間が経つにつれて事件に関係した民警から情報が漏れていき、事実と多少の食い違いはあるものの蛭子影胤事件の内容は民警の与太話やインターネットの噂話程度には広まっていた。現に壮助自身は三途麗香というマニアックな武器商人兼情報屋に教えてもらっている。

 

「防衛省にいた連中は俺みたいなルーキーを除けば、ほとんどが蛭子影胤事件に参加していた連中だ。アンタ達だって、防衛省に居た時、蛭子影胤事件の再来だと思っていたんじゃないか?」

 

 弓月は少なくともぶん殴るほどの荒唐無稽なハチャメチャ推理でないことに安心する。壮助の言う通り、彼女は最初からこれが蛭子影胤事件の再来だと思っていた。いずれガストレアを使ったテロを仕掛けてくることも「まさか」と思いながらも可能性として考えていた。

 

「正解よ。確かに私達は最初からこれが、あの事件の真似事だと思っていた。蓮太郎は自分を蛭子影胤(悪役)にし、誰かを正義の英雄に仕立て上げる。そして、6年前のように『悪は正義によって倒された』という茶番劇で自分を終わらせようとした。現にあいつは兄貴にこう言ってたの。『東京エリアの英雄として俺を殺してくれ。終わらせてくれ』って」

 

 語っていく内に弓月は気付いたのか、ふふっと笑みを浮かべる。自分達は蓮太郎に騙されたという壮助の言葉の意味がようやく分かったのだ。この答えが彼に誘導されて導かれたものであるのは癪だったが、ちゃぶ台をひっくり返すような真相の潔さに思わず笑みが零れた。

 

「確かに、今考えたらおかしいよね。本当に終わらせたかったら、貿易ターミナルになんて行かずにダンジョンのラスボスみたいにここで2番目3番目の勇者が来るのを待っていればいいじゃない」

 

「よく分かってきたな。片桐大先輩。あいつは自暴自棄にもなっていないし、今も“当初の計画通り”に事を進めている。貿易ターミナルに向かっているのだって、この先の作戦に必要な物資を背後の組織から受け取るためだ。俺たち全員あいつに騙されたんだ。これが蛭子影胤事件の再現だと勘違いさせるためにあいつは社会を滅ぼす自暴自棄な悪役を演じ続けた。けど、全部嘘だったんだよ。防衛省の一件も、ガストレアテロも、この空港のテロも、スピカ洗脳作戦も全部、東京エリアを騙して、自衛隊と民警をここに注目させるための嘘だったんだよ」

 

 壮助の推理を聞いて、勝典は「ほほう」と思わず呻る。

 

「成程な。そもそもスピカ洗脳のために賢者の盾を持ち出すなら、密輸ルートでも使ってこっそり持ち出せば良いし、テロだって大量の雑魚ガストレアを使うよりスピカを使った方が効果的だ。この一連の事件で里見は全ての面で優位に立っていた。賢者の盾を持ち出して、スピカを使ってテロを起こす余裕だってあった筈だ。こんな杜撰な人質立て籠り事件を起こして自衛隊に囲まれる下手を打つなんて、考えるだけで不自然だな」

 

 “考えれば”この事件は蛭子影胤事件の再現と言うには不自然だった。しかし、防衛省にいた誰もが気付かなかった。ベテランの民警たちも、防衛省も、聖居も、誰もが気付こうとしなかった。仮面をつけた蓮太郎、蛭子小比奈、賢者の盾という“演出”もあったが、それ以上に偏見(バイアス)があったのだ。

 

 “里見蓮太郎には世界を憎むだけの理由があり、再び姿を現した彼は復讐のために行動するだろう”と――。

 

「――で、一連のテロが全部ブラフだとして、奴の本当の目的は何だ?」

 

「んなもん分かんないっすよ。犯行声明の通り、なんとかリストとなんとか文書かもしれないし、それも嘘かもしれない。けど、空港の周囲を自衛隊と民警に囲まれて、人質も配下のガストレアも失って籠城する術もない仮面野郎がこの状況を打破するとしたら、“俺達が使った極秘通路を使って聖居に行く”しか考えられない。あそこは極秘扱いで警備はいないし、自衛隊もノーマーク。内部は最低限の監視カメラと動体感知センサーしかない。聖天子と個人的に親交があったなら、あいつが通路のことも知っていてもおかしくない」

 

「そうなると不味いな。通路の隔壁は空港と聖居の2か所だけ。しかも空港側の隔壁は俺達の手でぶっ壊してしまった。一っ走りすればすぐに聖居の真下だ。聖居側の隔壁を突破するためのツールが貿易ターミナルにあって、あいつがそれを取りに行っているとしたら不味いな」

 

 勝典が頭をかきながら口にした失態に言葉に弓月は驚愕する。その驚き様は、目を丸くして、口を開けたままにしてしまうほどだった。

 

「え?隔壁壊したの?何で?メッセージの最後に隔壁のパスワード残したよね?」

 

「あのクソビッチが途中でぶっ壊したから聞けなかったんだよ」

 

「クソビッチって、誰?」

 

「あいつに決まってんだろ!」

 

 壮助は思いっ切り人差し指を後ろに向けて小比奈を指す。しかし、人差し指に先に小比奈はいなかった。原形を留めていない調度品、穴だらけになった壁だけが視線の先に映る。

 

「おい。あいつどこ行った?」

 

 壮助は周囲を警戒していた詩乃とヌイに声をかけるが、2人も小比奈がいなくなったことに今気付いた様で、慌てて首を振って周囲を確認する。

「ごめん。気付かなかった」と詩乃が謝る。

 

「クソッ!マジかよ!あいつ、先走りやがって!また負けに行くつもりか!」

 

 壮助は合流も離散も何もかもが身勝手な小比奈に怒りを覚える。小比奈は蓮太郎を倒すまでの一時的な同盟で、賢者の盾に関しては互いに奪い合う敵同士だ。彼女が先に一人で戦って、蓮太郎に倒されたとしても壮助たちには何ら問題は無い。蓮太郎の体力を削って、自分たちが倒し易くお膳立てくれることを願っても良いだろう。しかし、小比奈が勝手に離れたことに壮助は怒った。自分がどうしてそこまで頭に血を昇らせたのか分からない。どうして、信用できない彼女に“一緒にいて欲しい”と思ってしまっていたのか、今から自分が走り出して彼女を追いかけようと思ってしまったのか、その感情の答えを壮助自身も知らない。

 

「義搭。お前は森高と一緒に貿易ターミナルへ向かえ。どの道、誰かが里見を追いかけないといけない状況だったんだ。森高が背負って走れば最短で行ける。ヌイも義搭たちと一緒に行け」

 

 13歳の少女が16歳の少年を背負って走ると言えばおかしな話だが、イニシエーターがプロモーターを背負って走るのは民警の間ではポピュラーな移動手段だ。身体能力に優れた呪われた子供は成人男性を背負ってもオリンピックメダリストよりも早く、長い距離を走ることが出来る。「女の子に背負われて移動するなんて情けない」と嘆く男性プロモーター、「汗臭いから背負いたくない」というイニシエーターの声もあるが、感情よりも合理性が求められる戦場では少数派であり、車などが使用できない状況下において多くの民警が移動手段として用いている。

 

「大角さんはどうするんすか?」

 

「俺はワゴンに乗って行く。ヌイは俺を背負って走れないからな」

 

「アンタがデカすぎるのよ」

 

 ――無論、片桐兄妹や大角ペアのようにプロモーターとイニシエーターの体格差が大きいペアは例外である。

 

「片桐は聖天子様に現状を話して、聖居専用機の格納庫を空爆するように要請してくれ。里見の計画を潰すなら、極秘通路を潰すのが一番手っ取り早い」

 

「分かった……と言いたいとこだけど、ごめん。……もう限界。頭が回らなくなってきた」

 

 弓月の目が虚ろになっていき、瞼が閉じかかる。意識を保つのもやっとのようで首がすわっていない赤子のように頭もユラユラと動き、位置が安定しない。言葉も切れ切れで何とか聞き取れる程度だ。思考力・集中力の低下、筋力の低下、タンパク質欠乏症の症状が現れていた。

 呪われた子供として蜘蛛の因子を持つ弓月の最大の武器、鋼鉄のワイヤーにも勝る強度と柔軟性を持つ“糸”は彼女の体内のタンパク質から生成される。蓮太郎との戦いの中で即席のワイヤートラップを作るために大量の糸を出さなければならなかった彼女は、自分の肉体の維持よりも糸の生成を優先した。その結果、肉体の維持に必要なタンパク質のリソースすら糸の生成に利用してしまったのだ。

 弓月は玉樹のポケットから衛星電話を取り出し、震える手で勝典に差し出す。携帯電話を持って手を伸ばす筋力すらギリギリの状態であり、思った以上に彼女の症状は重いようだ。

 

「これ……。パスワード、解除したから……。後は……お願い」

 

 勝典は弓月から衛星電話を受け取ると弓月はそこで安心したのか、表情が緩み、そのままゆっくりと上体を横に倒した。

 

「お、おい!片桐!」

 

 タンパク質欠乏症のことを知らない壮助は彼女が死んでしまうと思い、彼女の意識を繋ぎ止めようと必死に声をかける。

 

「うるさいわよ……。糸を出し過ぎただけだから……。ちょっと休むだけ……」

 

 壮助の言葉を鬱陶しいと思いながら、弓月はゆっくりと目を閉じる。彼らに任せて大丈夫なのだろうか、彼らに蓮太郎を止めることが出来るのか、彼らが蓮太郎に殺されたりしないだろうか、後のことを色々と考えてしまうが、彼女の意識は眠るように暗闇の中へと沈んでいく。その中で一つ、とある疑問が浮かんでくる。どうして今そんなことを考えてしまったのか、本人にすら分からない。

 

 

 

 ――そういえば、あいつら……どうやって厚さ10mの超硬質バラニウム合金の隔壁を壊したのかしら?

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア・アクアライン空港には3つのターミナルがある。一つは国内線用の第一ターミナル、国外線用の第二ターミナル、そして他エリアとの貿易の窓口になる貿易ターミナルだ。海生ガストレアによって船が使用できない2037年の貿易は航空機が主な輸送経路となっており、このアクアライン空港も最初は貿易のために建造された。現在でも空路の貿易は東京エリアの生命線であり、貿易ターミナルも他の2つと比べて数倍の規模を誇る。

 貿易ターミナルの正面玄関近くの駐車場に陸上自衛隊の装甲車が停まり、周囲を武装した隊員が警戒する。周囲にはガストレアの死骸と炎上した車両が転がり、血肉と鉄とゴムの焼ける臭いがマスク越しでも鼻に突き刺さる。「うえっ……最悪だ」と隊員の一人がぼやくが、ここに人間の死体が転がっていないだけでもマシだと心の中で訂正する。

 多数の矢印を絡ませたモニュメントを中心に置く広大なロビーとガラスの自動扉を抜けて、スーツ姿の太った中年男性と数名の隊員が玄関口から小走りで出て来た。中年男性は普段の運動不足が祟ったのか、滝のように汗を流し、犬のように息を必死に吐き出す。

 

「機械は……全部、停止させてきました。従業員も、私で……っはぁはぁ、最後です」

 

 貿易ターミナルはその広大さとは裏腹に従業員は数十名しかいない。ターミナル内の作業をフルオートメーション化しており、最低限の人数で運用できるようになっている。人数の少なさから従業員の避難は早かったが、非常停止させる機械の中には、管理者権限が必要なものがあり、最後に運営会社の社長である彼がターミナル内を走り回って機械を停止させてきたのだ。

 

「我々が誘導します。貴方も避難を――!!」

 

 隊員は後方から届く足音に気付く。自衛隊員のものでもターミナルの従業員もものでもない。ましてやガストレアのものでもない。音は軽いが、背後からは異様なまでの圧力を感じる。隊員は振り向きざまにアサルトライフルを構え、照準越しに足音の主を確認する。

 

「里見……蓮太郎!」

 

 悪い予感は的中した。テロの首謀者、里見蓮太郎がそこに立っていた。高級そうな黒のスーツは片桐兄妹との戦いでボロボロになっており、右腕と右脚は義肢のカートリッジ解放のエネルギーに耐えられなかったのか、袖が燃えて先から肘・膝まで青白いラインが発光する義肢が剥き出しになっている。仮面も左半分が欠け、その中から玉樹に抉られた赤黒い血肉が爛れ、義眼が青白い火花を散らす。左手には賢者の盾が積まれたキャリーケース、右手には鞘に納められた殺人刀“雪影”が握られている。

 隊員たちは蓮太郎を疲弊していると評価しなかった。彼は銃を突きつけられても堂々と立ち、呼吸も乱さず、平然としている。おそらく彼にとっては、ここで自衛隊と遭遇するのは想定内の事態で、ピンチでも何でもないようだ。

 

「こちら貿易ターミナル第六班。里――」

 

 一瞬にして蓮太郎と隊員の距離が縮まり、彼に一番近い隊員が地面に突っ伏せる。蓮太郎が動き始めて一人目の隊員が倒れるまでに1秒もかからなかった。隊員が引き金を引くよりも早く蓮太郎は動き、雪影の鞘で顔面を殴打する。残りの隊員たちが気付いた頃にはもう遅かった。誰もが蓮太郎の姿を捕捉できない。照準が間に合わず、1発も撃つ前にCQCの間合に入り込まれ、天童流戦闘術によって次々と倒れていく。

 隊員の一人はライフルを捨て、ナイフを出すが構える前に殴り飛ばされる。間合の問題ですら無かった。20秒も経たずに蓮太郎は6名の自衛隊員を無力化する。蓮太郎を捕捉しようにも首の旋回も眼球運動も追い付かない、彼を捕捉しても目から入った情報を脳が処理する頃には既に次の一手が打たれている。――その速度は人間の域を越えていた。

 隊員たちが全滅し、一人残った貿易ターミナル運営会社の社長は腰を抜かし、その場で震えていた。自衛隊ですら敵わなかった男の視線が自分に向けられ、少しずつ彼の足が近づいて来たからだ。

 

「ここの責任者だな?痛い目に遭いたくなかったら、管理者権限のIDカードを渡せ」

 

「だ、駄目だ!これは渡せない!」

 

 社長は胸ポケットに手を当てながら、蓮太郎の要求を拒絶する。その動作は「ここにIDカードが入っています」と言っているようなものだった。

 蓮太郎は雪影を振りかざすと、鞘で社長の顔を殴り、彼を気絶させた。倒れた彼の胸ポケットの中に手を入れると、予想通り管理者権限のIDカードが入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでです。お兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい声と共に蓮太郎の後頭部に銃口が突き付けられる。銃の持ち主は蓮太郎に自分が真後ろにいると教えるように銃口を押し当てて、蓮太郎に立ち上がるように促す。

 蓮太郎は指にIDカードを挟んだまま両手を上げて、ゆっくりと立ち上がり、つま先を返して銃の持ち主と対面する。

 海風になびくブロンドの髪と夕闇の中で輝く赤い瞳、バレットM82A1を突きつける少女を蓮太郎が見間違えるはずが無かった。

 

「どんな障害があっても、お前だけは絶対に来ると思っていたよ。ティナ」

 

 




そういえば、ティナのステータスを書いてなかったので、このタイミングで……。

ティナ・スプラウト
筋力:A 敏捷:A 耐久:A 知力:A 幸運:C 特殊能力(遠視・暗視):C
(※特殊能力はシェーンフィールドも含めるとEXクラス)

戦闘の傾向
原作同様、超長距離狙撃からCQCまでこなす万能型だが、この6年間で身体が成長したことにより格闘戦能力は向上している。更に蓮太郎と離別した後、数々の戦場を渡り歩いて経験を積んだことで彼女の戦闘スキルは全体的に磨きがかかっており、シェーンフィールドが無くてもあらゆる状況に対応できる“完全無欠の兵士(パーフェクトソルジャー)”としての強さを誇る。

空間制圧型戦闘支援システム シェーンフィールド バージョン6.1
現在のプロモーターによって極限まで改良されたシェーンフィールド。ティナの脳内にあるマイクロチップとリンクした3機の“マザードローン”とマザードローンのAIによって統率される数機~数百機の“ソルジャードローン”で構成される。原作のシェーンフィールドと同様に収集した情報をティナの脳に送信する機能を持ちつつも武装したソルジャードローンによる実行能力も付与されたことで、「たった一人の海軍」と称されるほどの火力を実現している。
その他にも

・収集した情報を網膜に投影する拡張現実(AR)
・協力関係にある軍隊とのデータリンク
・持ち主とのリンクが切れた際の自己判断プログラム

など、様々な機能が付与されており、そのコンセプトは

「ティナ・スプラウトという“兵士”を最大限効率的に運用するためのシステム」

から

「ティナ・スプラウトという“指揮官”が最大限効率的にドローンを運用するためのシステム」

に切り替わっている。


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壊れたかった英雄

 初めて、里見蓮太郎に会った時のことを思い出す。

 6年前、今と同じように太陽が傾き、地上も空も真っ赤になっていた頃、狙撃ポイントを探すために聖居周辺を散策していたティナ・スプラウトは里見蓮太郎と出会った。聖天子暗殺を目論む狙撃手と護衛の為に雇われた民警、そこに利害は一致せず、程なくして彼女と彼は互いのことを知らぬまま、殺し・殺される関係となった。

 

 2037年、16歳となったティナ・スプラウトは語る。

 

 “あの時、聖天子様を撃ち殺さなくて良かった。蓮太郎さんを殺さなくて良かった。”

 

 彼女は暗殺に失敗し、蓮太郎に敗北し、聖天子暗殺未遂の実行犯として拘束された。しかし、その後の処遇は寛大という言葉では足りないくらい緩いものだった。機械化兵士の技術を求めて解剖されることも無く、凄惨な拷問も無く、執拗な尋問も無かった。雇い主の情報や密入国ルート、武器の入手経路などの一通りの取り調べが行われた後、彼女は釈放された。

 “天童民間警備会社預かりの呪われた子供”となった彼女の人生は変わった。

 

 見返りを求めない善意を向けられたことも、

 

 同年代の女の子と一緒にアニメを見て笑ったことも、

 

 学校で友達と勉強するのも、

 

 信頼する仲間に背中を預けて戦うことも、

 

 恋をすることも――

 

 初めての体験だった。戦うために生きて、戦場の中で死ぬ運命だと悟っていた昔の自分では考えられなかった。あの出会いがなければ、自分はもう死んでいるか、生きていたとしてもフクロウのように暗い樹海の中を彷徨っていただろう。

 

 

 

 

 だからこそティナは今の蓮太郎を許せなかった。木更の言葉を裏切り、延珠との約束を裏切り、大切なものを託してきた数多の人の願いを裏切り、信じて共に歩んだ自分も裏切り、復讐に身を堕とし、テロリストとなった彼を絶対に許す訳にはいかなかった。

 

「こうして会うのも5年振りか。新しいプロモーターとは上手くやっているか?――って、聞くまでも無いよな。序列第38位 殲滅の嵐(ワンマンネービー)

 

 ティナは蓮太郎を小馬鹿にするようにふふんと鼻で笑う。

 

「ええ。上手くやっていますよ。お兄さんとは違ってお金持ちですし、社会的地位もありますし、目上の方にもキチンと敬語を使いますし、明朗快活な方でご友人も多いですし、数万円もする可愛い服の代金もポンと出してくれて、クレーンゲームのぬいぐるみで誤魔化したりはしませんし」

 

 5年前からは考えられない、とにかく嫌味ったらしくスライムのようにねっとりと鼓膜に粘着するような喋り方で、今のプロモーターがいかに素晴らしい人物か蓮太郎を引き合いにだしながら語っていく。

 

「俺に対する嫌味かよ」

 

「嫌味でもありますし、事実です。ちなみに言っておきますけど、プロモーターは女性の方ですからね」

 

「別に、そこは心配しちゃいねぇよ」

 

 そこは少し心配して欲しかったのか、ティナは少し膨れっ面になる。しかし、「今目の前にいるのは敵だ。テロリストだ」と自分に言い聞かせてライフルを構え直す。

 

「武器とIDカードを捨ててください。自衛隊も直ぐに来ます。もうお兄さんに勝ち目はありません」

 

 状況はティナの言葉の通りだった。テロリスト側の戦力は蓮太郎のみ。対してティナには無数の武装ドローンがある。数百体のガストレアを屍の山に変える独立武装機動群へと変貌を遂げたシェーンフィールドなら、蓮太郎一人を屠ることは容易いだろう。更にガストレアの殲滅が完了し、人質救出作戦も軌道に乗った今、自衛隊もこちらに戦力を向ける余力が生まれてくる。先ほど、蓮太郎が倒した部隊から連絡が途絶えたことで自衛隊も貿易ターミナルの異変には気付いているだろう。攻撃ヘリのローターの音が次第に大きくなっていく。

 

「なぁ。ティナ。俺は、一体、どこで間違えたんだろうな……。延珠を殺した時か?木更さんを殺した時か?民警になったことか?それとも、天童のジジイに救われたことが間違いだったのか?」

 

 蓮太郎の問いかけにティナは警戒する。彼はまだ降参の意思を示していない。この問いかけは何かしらの時間稼ぎだと考えるが、すぐにそれは無意味だと答えが出る。時間が経てば経つほど、自衛隊の増援が集まって来る。有利になるのはティナの方だ。

 

「“過去”を省みることを否定したりはしません。ですが、その全てが間違いだったとしても、私達が生きている場所は“今”であって、変えられるのは“未来”だけです。私達は2人が生きていたことを無意味にしないため、生きる。それが延珠さんと木更さんへの弔いになると――私はそう決めました」

 

「大人になったな。ティナ。お前は延珠と木更さんの死を糧にして、生き残った自分が何をすべきか答えを見つけた。それは正しい。人として正しい生き方だ。

 

 ――俺には無理だった。昔は俺も同じことを思っていた。『いつ来るか分からない小さな変化の為に正義の味方として戦い続ける。世界を救い続ける。それが2人への手向けになる』、そう思っていた。その戦いが俺自身への慰めになると思っていた。だが、俺はお前みたいに強くなかった。俺から大切なものを奪い続けた世界の為に、“英雄”として戦うことなんて出来なかった。それでも敵は、戦場は待ってくれない。だから、俺は壊れようとした。正義という思想の麻薬に溺れて、楽になりたかった。そうすれば、俺はまた戦うことが出来た。どれだけ醜い世界を見せつけられても、人の闇を露にされても、俺は東京エリアの英雄であり続けることが出来た」

 

 彼の口から吐き出されるのは、東京エリア最強のプロモーターでもなく、英雄でもなく、大切なものを失い続けた普通の人間“里見蓮太郎”の弱さだった。正義を信じ続ける強さを持たず、死者の言葉で心臓を動かしてきた悲しき英雄の慟哭が少女の心に突き刺さる。だからこそ、ティナは彼の生きる理由になろうとした、特別な何かになろうとした。その思いを踏み躙られ、「お前は延珠の代わりにはなれない。木更さんの代わりにはなれない」と真正面から否定されるような気持だった。

救われて、信じて付いて来た自分の想いを一切理解しようとしない蓮太郎に怒りが湧いて来る。愛情が憎悪へと転化し、気が付くと安全装置を外していた。アンチマテリアルライフルの引き金に指をかけ、人差し指に力が入る。

 

「だから、今度こそ終わらせるんだ。何も守れず、世界を救うなんて粋がった愚かな男の人生を」

 

「そんなに……そんなに終わりたいんだったら、私が終わらせます!!今!ここで!!」

 

 ティナは怒りに身を任せ、アンチマテリアルライフルの引き金を引いた。ガストレア用として持ち込んだ12.7×99mm NATO弾 バラニウムジャケット仕様の質量とバレットM82A1が生み出す運動エネルギーは直撃すれば蓮太郎の上半身を吹き飛ばし、周辺に肉片を撒き散らす結果をもたらしただろう。しかし、弾丸は当たらなかった。

 

 ――外された。

 

 銃声が聞こえた瞬間、ティナはそう認識した。彼女は本気で蓮太郎を殺すつもりだった。情けをかけるつもりは無く、確かに照準を蓮太郎に合わせていた。しかし、引き金を引く直前で横から邪魔が入った。飛来した“別の弾丸”はティナのライフルを撃ち抜き、無理やり弾道を逸らしたのだ。そして、シェーンフィールドで制御されたソルジャードローンの1機、その下部に装着されているアサルトライフルから硝煙が上がっていた。

 

「――時間だ。お前と話せて良かったよ。ティナ。俺一人で自衛隊と民警の相手をするのは厳しかったからな」

 

 ティナの視界に赤いスクリーンが現れる。血のように赤い不吉な四角形に白文字で「ERROR」と表示されたウィンドウ、それは現実に存在するものではなく、脳内のニューロチップが網膜に投影することで“見せる”拡張現実(AR)だ。

 

<ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR>

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<ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR>

<ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR>

<ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR><ERROR>

 

 次々と現れる警告ウィンドウでティナの視界が真っ赤に染まる。マザードローンもソルジャードローンもティナからの命令を受け付けない。

 

<ユーザーアカウント認証できません>

 

<自立機動プログラムによる部隊の制御を開始します>

 

<新たなユーザーアカウントを確認>

 

<2w5tu93gdbj-f0x40-3%%5434よりオーダー>

 

<全武装 制限解除>

 

<無力化対象をティナ・スプラウト、東京エリア自衛隊、その他武装勢力に変更>

 

 数百体のガストレアを屠ったドローン部隊がティナの方を向き、銃口を向ける。彼女にとって最大の武器であった独立武装機動群が今は最大の脅威となって立ちはだかる。

 ドローン部隊とユーザーアカウント奪還を諦めた。ティナは脳内のニューロチップとドローンのネットワークを遮断、拡張現実を消して視界を確保する。見えて来たのは最悪の状況だ。敵対する全てのドローンと向けられた無数の銃口、そして目の前にいる東京エリア最強の元プロモーター。ティナは身構える。冷や汗を垂らしながら目を動かして冷静に周囲を確認し、この窮地を脱する方法を考える。

 

「BMIネットワークに入り込むなんて……お兄さん。どんな手品を使ったんですか?」

 

「さぁな。俺も原理はよく分からねえよ。ただ、一定時間お前の近くにいないと発動できないとだけ聞かされている」

 

「そのための……時間稼ぎですか?今までの言葉も全てが嘘だったんですか?」

 

「いや、あの言葉は嘘じゃない。だけど、俺の全てでもない」

 

 蓮太郎は地面に落としたIDカードを拾うと、指で汚れを取り、ポケットの中に入れる。

 

「最後に一つだけ教えてください。貴方の背後には、誰がいるんですか?彼らは何が目的なんですか?」

 

知りたかったら、俺を捕まえて、拷問にでもかけるんだな。――――――やれ」

 

<了解しました>

 

 蓮太郎の号令と共に大量のモーター音が響き始めた。ティナが見上げると真上を数十機のドローンが飛び抜け、彼女を無視して蝙蝠のように遠くへ飛び去って行く。おそらく貿易ターミナルに向かっている自衛隊を無力化するための部隊だろう。間もなくして遠くから銃声が聞こえ始めた。

 蓮太郎の周囲には6機のドローンが残り、それらの一斉掃射も開始された。その瞬間、ティナの目は赤く輝き、銃弾を交わしながら俊敏な動きで自衛隊のジープの裏に隠れる。サブアームのベレッタM92をハーネスから引き抜き、ドロウする。

 物陰に隠れても安心はできない。三次元空間を自由に飛び回る武装ドローンの展開力は人間のそれを遥かに上回る。一息吐く間もなくソルジャードローンは回り込んで再び銃撃を開始するだろう。1機で兵士一人分の火力を持ち、人間よりも高耐久かつ高機動、今まで頼もしく思っていたドローン達が敵になるとこんなにも厄介になるのだと身を以って感じる。

 次の銃撃をどう凌ごうか、どうやってドローンを無力化しようか、戦力を奪われた自分が蓮太郎を止めるためには何をすべきなのか、ティナは死を覚悟しながら生き抜くための策を考える。

 

 ――天童流抜刀術 滴水成氷

 

 ティナは咄嗟にジープから離れた。呪われた子供にある野生の勘が警鐘を鳴らした。彼女が離れた途端、ジープは真っ二つに切り裂かれ、飛ばされた斬撃はその先のアスファルトも斬断する。

 蓮太郎が雪影を持っているという情報から、ティナは彼が刀剣を使った武術を習得している可能性を考えていた。しかし、蓮太郎の剣術はティナの想像をはるかに超えていた。天童流抜刀術も視野に入れていたが、驚いたのはその太刀筋だった。まるで雪影を握った時に木更の怨念でも乗り移ったのか、その太刀筋は禍々しく、それを振るう蓮太郎はこの世の全てを呪う邪悪の権化のようだった。

 驚く時間も与えないと言わんばかりに全てのドローンが追撃し、照準をティナに合わせた。しかし、次の瞬間、“黒い人影”が背後から通り抜けた。ドローンは黒い人影に反応してフルオート射撃で弾丸を叩き込むが、黒い人影は目にも止まらぬ速さで弾丸の包囲網を突破する。ドローンの照準システムが動きに追い付いておらず。黒い人影は容易く弾丸の包囲網を突破し、蓮太郎に肉迫する。

 重い金属と金属がぶつかり合った。黒い人影が出した2本の小太刀、その斬撃を蓮太郎は右腕の義手と雪影で受け止めた。

 

「見ぃつけた」

 

 海風でパーカーのフードが外れ、黒い人影から蛭子小比奈の顔が露わになる。

 

「ねぇ。そこのフクロウ。私も混ぜてよ。里見蓮太郎解体ショーに」

 

 




今回は「大切な人の死」に向き合った蓮太郎とティナ、普通の人間としての里見蓮太郎が持つ弱さという本作で重要なテーマであり、片桐兄妹vs蓮太郎以上に展開に四苦八苦したエピソードでもあります。
(そもそもプロットを考えずに現在進行形で展開を考えながら書いているので展開に四苦八苦しているのは全エピソードに該当しますが……)

圧倒的な力と弱い心、そのアンバランスさも蓮太郎の魅力なんじゃないかと思っています。


あと、大量に<ERROR>が出たシーンでBABELを思い出した読者は何人いるだろうか………?


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臨界連鎖出力

 蓮太郎を追うため、壮助、詩乃、ヌイの3人はラウンジの窓を突き破り、30mほど下の道路に着地した。壮助と彼の武器、そして自分の武器を背負った詩乃の総重量は少なくとも300kgを越えており、着地した地点のアスファルトが陥没する。

 詩乃が上手いこと衝撃を逃がしているため、背負われている壮助にはそれほど衝撃が来なかったが、自分と大量の銃火器を抱えたまま4階から飛び降りて着地する詩乃の強靭さには舌を巻く。

 詩乃に続いて窓から飛び出したヌイが着地した。足を曲げて衝撃を逃がし、詩乃のようにアスファルトを陥没させることも大きな音を立てることなく忍者のように静かで華麗な着地を披露する。

 3人揃っていることを確認し、詩乃とヌイは貿易ターミナルに向かって走り出した。

 アクアライン空港は旅行客用と貿易用で区画が分かれており、壮助達がいた旅客用のターミナルから貿易ターミナルまでは1キロほど距離がある。彼女たちの体力を温存させることを考えれば勝典と一緒に車の乗った方が良い距離だが、問題は路上に放置された車両やガストレアの死骸だ。ガストレア騒動で乗り捨てられた車両や自衛隊に銃撃されたガストレアの死骸が道の邪魔をしており、蛇行や迂回をしなければ貿易ターミナルに辿り着けない。呪われた子供の脚力だからこそクリア出来る道のりだった。

 壮助は振り落とされないように詩乃の肩を掴む。全身を内側から揺さぶる重力と目まぐるしく変わる視界、たまに標識や歩道橋に頭をぶつけそうになるスリルはジェットコースターをも越える。

 壮助はポケットに入れていたスマホが鳴っていることに気付いた。落とさないようにしっかり掴みながらスマホを取る。画面には発信者「大角勝典」の名前が表示されていた。

 

「あー。もしもし?」

 

『義搭か?悪いニュースだ。片桐の衛星電話で聖天子に直接状況を話したが、空爆の件は断られた。どうもお偉いさんは国民を安心させるためにガストレアの90%を排除したと公表したらしい。現時点で格納庫を空爆するのは不自然に思われるだとさ。極秘通路の露呈はどうしても防ぎたい魂胆だ』

 

 ――そんな悠長なことを言っている場合かよ!聖居のバカ野郎!!

 

 壮助は怒鳴り散らしたい気持ちをぐっと抑える。今ここで叫べば確実に振動で舌を噛み切ってしまうだろうし、勝典に怒鳴ったところでどうにもならない。

 

『勿論、爆破してトンネルを潰すのも断られた。通話口の向こうの偉いお嬢さんにはイマイチ里見蓮太郎のヤバさが伝わっていないらしい。だが、悪い話ばかりじゃない。代わりに良い情報を貰った。向こうに“専門家”がいるようで里見の極秘通路突破手段とそれに必要なツールをターミナルの目録から特定してくれた』

 

「要は仮面野郎がそれを手に入れる前にぶっ壊して、とりあえず聖居に来れないようにしろって言いたいんすか」

 

『そういうことだ』

 

「……で、ブツはどれなんすか?」

 

 通話口の向こうから軽く鼻で笑う声が聞こえた。

 

『お前にしては珍しく素直だな。普段なら『知るか!そんなもん!俺が仮面野郎をぶっ殺せばそれで問題ねえだろ!』ぐらい言いそうなんだがな。流石に東京エリアの危機とあっちゃお前も正義の味方にならざるを得ないか?』

 

「別にそんなもんじゃねえっすよ。ブツが仮面野郎の計画に必要不可欠なものだったら、こっちが先に掌握してしまえば罠に利用できるし、交渉材料にも出来る。心理的な揺さぶりにも使える。そのブツがあいつの唯一の弱点になるかもしれない」

 

『フッ。そういうことか。向こうには『荷物の破壊を優先する』と伝えておく。ブツの詳細は専門家から直接連絡するそうだ。そういうことだから、切るぞ』

 

「専門家って、誰なんだ?」

 

 壮助は「専門家から直接連絡する」という勝典の言葉の意味が分からなかった。その専門家は自分の電話番号を知っているのか?それとも直接ここに来るのか?連絡はいつ入るんだ?考えても答えは出ないので、彼は気にすることを止めた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 貿易ターミナル正面玄関でバラニウム同士がぶつかり合った。小比奈から振り下ろされる二振りの太刀を蓮太郎が義手と雪影の鍔で受け止め、防がれても無理やり力押しする小比奈とそれに耐える蓮太郎の間で火花が走る。

 力む腕とは裏腹に蓮太郎は冷ややかな面持ちだ。

 

「なんだ。生きていたのか」

 

「あなたを殺すために天国から戻って来たよ」

 

「地獄の間違いじゃないのか?」

 

 純粋な力押しではイニシエーターに負ける。そう悟った蓮太郎は1歩引いた。

 突然、抵抗力を失った小比奈は前のめりにバランスを崩す。蓮太郎はそれを狙っていた。義足のカートリッジを解放し、撃鉄の蹴りを炸裂させる。

 しかし、小比奈は身体を仰け反り、胸の前あと数ミリのところで蓮太郎の蹴りを回避した。そのまま後方宙返りで蓮太郎との距離を取る。

 蓮太郎から離れた直後、武装ドローンの銃撃が小比奈の足元のアスファルトを穿つ。ドローンは小比奈が近接武器しか持っていないことを理解しており、彼女の攻撃が届かない距離を維持している。

 残った5機のドローンが小比奈を囲み、交代で小比奈を銃撃していく。彼女は絶え間ない銃撃を走りまっわって照準から逃げ続け、当たりそうな弾丸は太刀で弾いて行く。しかし、躱しても弾いてもドローンの攻撃が止むことは無い。

 突然、5発の銃声が響いた。

 小比奈に照準を合わせていたドローンの1機が爆散し、金属とプラスチックの破片を周囲にまき散らす。技術流出を防ぐための自爆装置が予め設置されており、それが作動したのだ。

 ドローンを撃ったのはティナだった。気絶している自衛隊員から拝借した89式小銃を構え、次々とドローンを撃ち落としていく。

 最後に残った1機のドローンがティナに照準を向けるが、自分への注意が削がれた隙を見逃さなかった小比奈が急接近し跳躍、ドローンを両断した。

 ドローンを全滅させるとティナは小銃を、小比奈は太刀を蓮太郎に向ける。

 

「ねぇ。そこのフクロウ。私のことは警戒しなくていいの?」

 

 自分を警戒せず、敵として蓮太郎にのみ集中するティナへの疑問を素直に口にする。

 

「貴方がこちら側についたと聖天子様から情報は得ていますから。それに今の私一人ではお兄さんには敵いません。不本意ですが、貴方の力も貸してください」

 

「嫌よ」

 

「え?」

 

「私は私がやりたいようにやるから、そっちもそっちで好きにして。私の邪魔をしないならそれで良いから」

 

「……。それもそうですね」

 

 共闘の拒否とも受け取れる冷たい言葉だったが、ティナは好意的に受け止める。関東会戦の時を除けば2人は敵同士だった。同じ目的を持ったとしても戦いを教育されたティナ(ソルジャー)と本能で戦う小比奈(ビースト)では戦いのアルゴリズムがまるで異なる。連携しようとして下手に戦い方を擦り合わせるよりは近距離と遠距離、互いの領分を決め、そこで各個人が最善を尽くした方が効果的だ。付け焼刃の連携が通用するほど今回の相手は甘くない。

 蓮太郎は雪影を手放し、両手を解放した状態で天童流戦闘術の構えに入る。敵を甘くないと認識しているのは彼も同じだった。会得して日の浅い天童流抜刀術ではいずれ隙が産まれる。抜刀術を使えば使う程、その剣術が付け焼刃であることを小比奈とティナは見抜くだろう。刀を持つことによるリーチの延長というメリットよりも戦闘中に生まれる隙というデメリットが大きくなる。だから、蓮太郎は天童流戦闘術を選んだ。キャリアが長く、扱い慣れた戦法、義肢の力を効率的に運用できるこの戦い方が最善だと考えた。

 3人がそれぞれの得物を構え、時には摺り足で滲みより、時には身を退いて距離を調節する。

 一流の武道家同士の組手が長い睨み合いと一瞬の技で終わるように蓮太郎(ファイター)は静かに相手を見極め、

 狙撃手の仕事が長い待ち伏せと一発の弾丸で終わるようにティナ(ソルジャー)は息を殺してトリガーを引く一瞬を求め、

 捕食者の狩りが長い観察と一瞬の襲撃で終わるように小比奈(ビースト)は鋭い眼光で獲物が見せる隙を待つ。

 誰もが言葉を挙げること無く、静かに時が過ぎて行く。自衛隊とドローン部隊の銃撃戦の音が耳に残り、硝煙とガストレアの血肉の匂いが混ざった海風が髪をなびかせ、鼻を衝く。

 

 ――そろそろ時間か。

 

 蓮太郎は構えを攻の型に変える。左半身を前に出し、握り拳を作った右手を後方に引かせる。ティナと小比奈を倒すための一撃は既に彼の中で決まっているようだ。

 2人は蓮太郎のそれが、どんな名前の構えかは知らない。しかし味方として・敵として戦い、彼の戦いを見て来た2人はそれが攻撃するための構えだということは知っている。

 

 ――来る。

 

 

 

 

 

 義肢解放 臨界連鎖出力(プロミネンスドライヴ)

 

 

 日が落ち、月と星の灯りだけが頼りの夜をコバルトブルーの光が掻き消した。

 蓮太郎の義肢と義足の装甲が開き、内部から青白く煌めく物質が露わになる。その物質は荷電粒子が光速度を越えたのだろうか、チェレンコフ放射光のような光を放つ。終末の光は閃光のように貫き、蒼い炎のように揺らめいていく。

 義肢から噴き上がる蒼い炎は点火した航空機のジェットエンジンのように雄叫びを上げ、大気を震わせる。耳を閉じて鼓膜を守らざるを得ない唸り声に耐えられなかったガラスが次々と粉砕され、義足から放たれるエネルギーに耐えられなかったアスファルトが溶解する。

 その力を2人は知らない。彼の手足からあふれ出す膨大なエネルギーに圧倒され、トリガーを引く一瞬も、獲物が隙を見せる刹那も見失ってしまう。

 蓮太郎の右腕、新人類創造計画が生み出した最強の矛。それは、蛭子影胤の斥力フィールドを破り、対戦車ライフルの弾丸を弾き返し、ステージIVガストレアを一撃で葬る。里見蓮太郎を東京エリア最強の民警に押し上げ、IP序列50位「黒い弾丸(ブラック・ブレット)」の由来となった悪鬼羅刹殲滅の一撃。

 

 

 

 

 

 

 

 

雲嶺毘湖鯉鮒 ―――― 黒膂石崩壊撃発(メルトダウンバースト)!!!!

 

 

 

 

 

 

その一瞬、東京エリアから夜が奪われた。

 

 



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地獄の釜と怯える小鳥

「何だよ……。これ。空爆はやらないって話じゃなかったのかよ」

 

 貿易ターミナルの正面に到着した壮助たちは立ち尽くしていた。

 貿易ターミナルに向かう途中、大気が震えるような轟音と共に何かが光った。「何かとんでもないことが起きた」そう考えざるを得ない現象だったが、こうして現場を見ても何が起きたのか理解できなかった。彼の想像の規模を越えていた。

 ターミナルの正面入り口まであと300m、広大な駐車場は煮え滾る地獄の釜のようだった。地に敷かれたアスファルトは超高温に晒されたのか、溶岩のように自らを赤く熱しながら流動し、所々から蒸気が吹き上がる。その上では輸送に利用されていた10トントラックや自衛隊の装甲車が紙細工のように潰れ、オイルと鉄が燃える臭いを炙り出す。

 しかし、一番視線を引くのは瓦礫の道だ。正面玄関から駐車場を縦断し、何かが通り抜けた跡だ。それは地面を抉り障害物も全て消炭にして突き抜け、速度が生み出すソニックブームと熱波が広大な地獄の釜を作り上げていた。

 驚愕して「なんだよ。これ」と連呼する壮助、声すら出ないヌイとは対照的に詩乃は冷静に周囲を見渡し、状況を整理する。

 

「これは空爆じゃないし、やるにしても投下ポイントからここは離れてる」

 

「んなもん言われなくても分かってる。なんだよ。これ。仮面野郎がやったのか?聞いてたスペックと全然違うじゃねえか」

 

「5年前の情報だしね。義肢もアップグレードしているだろうし、聖居から与えられた情報はもう古くて使えないと思った方が良いよ」

 

 壮助は頭が真っ白になりかけていた。喧嘩は強い、銃と爆弾の扱いはそこそこ、頭はお世辞にも良いとは言えない、たくさんの仲間を引き連れる人望がある訳でもない、そんなクソガキチンピラ民警の自分が英雄と呼ばれる東京エリア最強のプロモーターに立ち向かうにはどうしたら良いか。その為に作戦を考えて来た。狙撃、トラップ、毒ガス、神経毒、大規模爆破、だがそんな小手先勝負が通じない次元に相手はいると実感させられる。

 

 突然、壮助のスマホに着信が入る。過剰に反応して身体がビクッと動く。糸が切れたかのように全身から冷や汗からあふれ出す。

 

「クソッ!こんな時に誰だよ!!」

 

 

 

 From:ゾンビドーナツババア

 

 

 

 発信者の名前を見たことで壮助は理解した。

 

 ――ああ。専門家ってそういうことか。

 

『やあやあ。民警くん。ご機嫌麗しゅう』

 

 壮助の心理状況を理解していないのか、理解していて敢えて無視しているのか、研究室で会った時と変わらない呑気なトーンで室戸菫(ゾンビドーナツババア)は語り掛けた。

 

「大角さんが言っていた専門家ってあんたのことか」

 

『話が早くて助かるよ。早速説明させてもらうと、貿易ターミナルの目録を調べたところ、怪しい荷物が紛れ込んでいた。一見すると東京エリアにいる金持ちが海外エリアの卸売業者から個人的に輸入した物品に見えるが、金持ちは架空の人物、海外エリアの業者も実体のないペーパーカンパニーだった』

 

 蓮太郎の凄まじさに怖気づく壮助の気持ちに整理がつかないまま、菫からの情報提供が続いていく。戦場を目の前に自分が足を止めても周囲が無理やり背中を押していく。そこに選択の余地は無く、壮助は「里見蓮太郎を倒し得る人間の一人」としての責務を負わされていく。

 

『搬入された物品は医療機器だ』

 

「医療機器?あいつ、どこか悪いのか?」

 

『いや、これは私の推測でしか無いが、医療機器は嘘だ。あいつは殺しても殺しても死なないくらい健康体だったからな。おそらくブツは賢者の盾を斥力フィールド発生装置として利用するためのオプションパーツだろう。賢者の盾の最大出力なら聖居直下の隔壁を破壊することも可能だし、自爆覚悟の最大出力を放てば聖居そのものを消し飛ばすことも可能だ』

 

「ただのバリア発生装置じゃねえのかよ」

 

『機械化兵士の中で一番汎用性が高いからな。使い方次第だ。ところで、君は賢者の盾がどうして“蛭子影胤の臓器”と呼ばれているか、覚えているか?』

 

「ああ。確か、そいつは生身の臓器を失って、賢者の盾を臓器として使っていたからだよな?」

 

『正解だ。賢者の盾は元々代替臓器として利用されていた。というより、人体の何かしらの器官として働いている間だけ斥力フィールド発生装置としての機能が解放されていた。奴が手に入れようとしていうのは、人体に埋め込まずとも賢者の盾を斥力フィールド発生装置として利用するための機械だ』

 

「そんなことが可能なのか?」

 

『最近の研究で、人体の神経伝達信号に近い力と圧で電流を流せば反射的に斥力フィールドを発生させることが分かっている。ガストレア洗脳装置なんて作る連中だ。あいつの背後の組織の科学力なら、造作も無いことだろう』

 

 壮助は身震いした。考えたくもなかった。しかし、自分たちが失敗すれば現実になる光景を思い浮かべる。最速の拳、最凶の刃、そして最硬の盾を手に入れた復讐の鬼神の姿を――。

 

『私に言われるまでもないが、敢えて発破をかけさせてもらう。あいつが賢者の盾を手に入れる前に倒せ。もし間に合わなかったら、自衛隊ですらあいつを止められなくなる』

 

「言われるまでも無えよ。俺は俺の目的の為にここに来たんだ。やることは変わらねえ。あいつの首持って凱旋するから、戦勝記念パーティの準備でもしてやがれ」

 

『そこまで大口を叩けるなら心配はいらないな。あ、そうだ。一つお願いがある』

 

 壮助は「そんな余裕ねぇよ」と言いたいところだったが、変に反抗しても話がややこしくなってしまいそうだったので、とりあえず聞くだけ聞いておこうと耳を傾ける。

 

『蓮太郎を殺すなら、身体は綺麗なままにしておいて欲しい。あいつの剥製に幼女のパンツを被せて大学の広場に飾るのが私の夢なんだ』

 

「たった今決めた!あいつを殺す時は絶対に爆殺だ!全身に爆弾巻き付けて木端微塵にしてやる!」

 

 壮助は怒りに任せて通話を切った。心の中で菫を「ああ!クソッ!ふざけるな!」と罵る。

 

 

 

 

「壮助!」

 

 

 

 詩乃に名前を呼ばれた直後、彼女に服の襟足を掴まれて引っ張られる。なす術も無く身体を流された直後、壮助のいた場所に銃弾が飛び抜け、彼の足があった場所に弾痕を残す。

 虫の羽音のような駆動音と共に10機近いドローンが宙を駆け抜ける。彼らはその他武装勢力として壮助たちを捕捉し、下部のハードポイントに装着したブローニングM1919重機関銃(マシンガン)の照準を合わせる。

 

「ドローンがいるとか聞いてねえぞ!隠し玉あり過ぎだろ!!」

 

 壮助は司馬XM08AGの銃口を空に向けて構えドローンを銃撃する。しかしドローンは壮助の銃口の向きから弾道を予測し、発射された弾丸を最低限の動きで軽々と回避していく。人間とは比べ物にならない機動力でドローン部隊は円陣を組んで3人を取り囲む。

 

「クソッ!あいつら弾道読んでやがる!」

 

「素早いね。ああいうの苦手」

 

「……詩乃様。バカヤンキー。ここは私が食い止めるから先に行って」

 

 壮助が驚いて振り向く。ヌイは背を向けていて表情は見えなかったが、右手にはバラニウム製レイピアが強く握りしめられていた。

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「さっきの電話聞こえてたんけど、急がなきゃいけないんでしょ?だったら、1人が足止め役として残って、他2人を先に行かせるのが得策と思うんだけど」

 

 ヌイの言葉に反論の余地は無かった。ここで3人まとめて相手をすれば、ドローンは早く片付くかもしれないが、その分、時間のロスが生まれる。それは数秒かもしれないし、数分かもしれない。しかし“里見蓮太郎が医療機器を手に入れるまで”という限られた時間がラストチャンスとなる戦いの中では、その数秒すら惜しかった。

 

「ガラクタの相手なんて私一人で十分だし、心配しなくてもいずれ大角が合流するわ。スモークグレネード持ってるでしょ。1つ頂戴」

 

 ヌイは空いた左手を壮助に向けて出す。壮助はドローンから視線を逸らさず、手探りで腰のホルダーからスモークグレネードを取り出し、ヌイに手渡した。

 

「悪いけど、お前が来る頃には手柄なんて残っちゃいねえからな。――任せたぞ」

 

「アンタに命令されるのは癪だけど、任されるわ」

 

 ヌイは渡されたグレネードを口元に近付け、ピンを噛んで引き抜いた。

 

「3……2……1……今よ!」

 

 ヌイがグレネードを放り投げる。グレネードは黒色の煙を噴き出し、微かなゴムの焼ける臭いと共に2秒足らずでドローンの展開範囲ギリギリまで煙で囲んでいく。

 ターミナルへ向かって走る2人を尻目に見届けながら、ヌイは思いを馳せる。

 

 ――ごめん。ここで謝らせて。私、本当は怖いのよ。里見蓮太郎とかいうヤバいのと戦いたくないし、隠してきたつもりだけど身も心も震えてる。だってそうでしょ?2年前まで自分が剣と銃を持って戦うなんて想像すらしなかった温室育ちのお嬢様が、東京エリア最強のプロモーターに立ち向かおうとしてるのよ。恐がらない訳がない。逃げたいと思わない訳が無い。私は死を恐れないほど強くは無いし、自分の命を放り投げてまで貫きたい信念も無い。だから、「私が囮になって足止めする」なんて提案をしたの。そうすれば、「別の敵を相手にしてたから私だけ遅くなった。私が来た時には2人がもう倒してた」って言い訳できる。

 だから、その……最悪な頼みだけど、詩乃様。義搭。こっちは邪魔が入らないように全部抑えるから、そっちも終わった後、私が言い訳できるように無事戻って来て。

 

 通常のカメラで敵を捕捉できなくなったドローンは熱感知センサーに切り替える。ターミナルに向けて走る壮助と詩乃の2人を確認する。直後にドローンはヌイを捕捉した。10メートル近く跳躍し、センサーにレイピアを突き立てる彼女の姿が最後に撮影した光景だった。

 

 「1機目!」

 

 空中でドローンを串刺しにしたヌイはドローンを蹴って地上に向けて跳ぶ。空中にいたままだと身動きが取れずに的になることを彼女は理解していた。地に足を付けた瞬間、他のドローンから7.62×63mm弾の掃射を受けるが地を蹴って回避し、ドローンの照準が間に合わない速度で戦場を駆け回る。弾は走って避けるのは、スピード特化型のイニシエーターの常套手段だ。

 また1機、ドローンがヌイのレイピアの餌食となり爆散する。ヌイはドローンの倒し方を覚えたのか、余裕の笑みを浮かべながら再び地上へと落ちる。しかし、着地ポイントの計算が甘かったのか、燃え盛る乗用車の上に着地する。彼女が落ちた衝撃でボンネットが陥没し、一瞬、足を取られる。

 

 ――しまった!

 

 スピード特化型のヌイが足を取られて身動きが取れなくなる。そんな隙をドローンは見逃さなかった。彼女に1番早く照準を合わせたドローンが数回の3点バースト射撃で弾丸を叩き込む。弾丸は彼女の武器や手足を破壊し、殺さず無力化する正確なコースを描く。

 ヌイは左手に持っていたワルサーMPLをドローンに向けてフルオートで引き金を引いた。しかし、1発もドローンには届かない。全ての弾丸が7.62×63mm弾と正面衝突したからだ。弾頭は潰れ、運動エネルギーも完全に押し殺された。

 ヌイは右手のレイピアを構え、7.62×63mm弾を剣で斬り落とした。最初の1発を斬り落としてもコンマ1秒も経たずに2発目、3発目、その後に何発も弾丸が続く。しかし、ヌイは1秒間に数十回もの速度でレイピアを振るい、その尽くを弾き返す。例え弾丸がゼロに近い間隔で連続したとしても彼女の手は確実に対応していく。

 ヌイが使用しているレイピアはガストレアの骨をも断てるように勝典が特別に調達した特別仕様だ。純度の高いバラニウムを使用することで耐久性に優れており、研磨もかつて日本刀の研師をしていた者に依頼したことで驚異的な切断力を誇るようになった。勝典はコネクションを最大限駆使した賜物だった。

 コンマ以下の間隔で連続する攻撃に対応する反射神経と神速の腕、短機関銃のフルオート射撃で全弾を異なる標的に命中させる精密性を持つ飛燕園ヌイは最大限のバックアップを行って然るべき相棒だと、大角勝典はそう判断した。

 乗用車のボンネットから離れたヌイはお返しと言わんばかりにサブマシンガンをドローンに向けて放つ。センサーや装甲の隙間を狙った弾丸はドローンの内部を破壊し、1機を墜落させた。

 

「さあ!来なさい!ガラクタ共!!

 

 松崎民間警備会社所属!IP序列1095位! 保有因子・ハチドリ(モデル・ハミングバード) 飛燕園ヌイ!

 

 私が相手よ!!」

 

 残ったドローンに向けて、ヌイは啖呵を切った。

 

 




イニシエーターの能力表(fate風)

飛燕園ヌイ

筋力:C 敏捷:A 耐久:D 知力:C 幸運:C 特殊能力(神速の腕):B

戦闘の傾向
武装は最低限に抑え、身軽になって戦場を駆け回るスピード特化型。ハチドリの因子によって優れた動的視覚処理能力、1秒間に数十回も別の作業が出来る神速の腕を持っており、視界に入れば敵がどれだけ早かろうと多かろうと正確にスピード・数量・位置関係を把握し、神速の腕で全てに対応することが出来る。
某黒の剣士のようにフルオートで撃たれたマシンガンの弾を剣で防いだり、1854年のクリミア戦争で起きた奇跡のように弾丸に弾丸を当てるといった芸当も可能。
戦闘経験の少なさ、打たれ弱さ、温室育ち故の精神的な弱さなどが今後の課題となる。


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憧れの墓場

IP序列9644位 義搭壮助・森高詩乃

vs

IP序列“元”50位 黒い弾丸(ブラック・ブレット) 里見蓮太郎



今回は普段の2倍ぐらいの文章量になってます。


 壮助と詩乃は地獄の釜と化した貿易ターミナル前の駐車場を走り抜けた。ヌイの足止めも上手く行っているのか、行く先にドローンは影も形も見えず、何の障害も無いまま2人は正面玄関に辿り着いた。隅で倒れている数名の自衛隊員とターミナルの管理者、ガラスが割れてフレームも歪んだ自動扉が出迎えてくれる。

 歪んだフレームを潜り抜けて2人はターミナル内に入った。

 貿易ターミナルの中は凄惨としか言いようが無かった。元々は刺々しい奇妙なオブジェが中央に鎮座する近未来的なデザインのロビーだったのだろう。しかし、今は面影すら残っていない。中央のオブジェは元のデザインが分からなくなる程の弾丸と斬撃に晒され、受付カウンターも原形を留めていない。平らだった大理石の床は至る所が陥没し、大小様々なクレーターは月の裏側を彷彿させる。爆撃されて数十年放置された廃墟のようだった。

 どこに目を向けても視界に入るガラス片、コンクリート片、薬莢、飛び散った血痕が戦闘の激しさを物語る。薬莢はまだ熱く、血はまだ赤く、液状を保っていた。

 

「おい。マジかよ……」

 

 最初に目に入ったのは入口近くで倒れている金髪の女(ティナ)だった。全身に切傷と打撲痕が残っている。どれもが大きく、深く、重い一撃の痕のように見え、どれが彼女を敗北に至らしめたものか分からない。うつ伏せで倒れている彼女の右手にはベレッタM92が握られていた。引き金に指がかかったままになっており、最後の瞬間まで敵に立ち向かおうとしていたことが窺える。

 壮助は固唾を呑む。そこで倒れているティナの姿を見ていると「お前もこうなる」と蓮太郎に宣告されているようだった。

 開放感を演出するガラス張りの天井を通して月灯りが差し込み、奥が青白く照らされる。そこで壮助たちはこの戦いの勝者と敗者を知る。

 勝ったのは蓮太郎だ。彼は小比奈の首を掴み、持ち上げていた。さっきまで彼女は戦っていたのだろう。その身体から流れる血はまだ固まっておらず、足元に落ちている小太刀に滴る。

 蓮太郎は壮助たちに気付き視線を向け、小比奈をその場に落とす。蛇に睨まれた蛙のように壮助の身体が強張り、視線に押されて半歩足が下がる。

 

「また会えたな。仮面野郎。良い面構えになったじゃねえか。ターミネーターのパチモンみたいだ。ほら“I’ll be back.”って言ってみろよ。あまりのダサさに笑ってやる」

 

 心臓の鼓動が早くなる中で壮助は冷や汗を流しながら強がりの言葉を吐く。蓮太郎に自分が怯えていることを悟られないように空元気を振り絞る。

 

 ――蛮勇だろうとガムシャラだろうと構わない。喧嘩と同じだ。退いたら負ける。舐められたら負ける。偽物でいい。ハリボテでも良い。余裕があるように見せかけろ。

 

 だが、彼の言葉に蓮太郎は眉一つ動かさない。まるで風が通り抜けるかのように壮助の言葉は蓮太郎に響かなかった。

 

「防衛省の時、何故、延珠のことを聞いた? お前は何者だ? 延珠の何だ? 」

 

「元クラスメイトだよ。スカート捲ろうとしたり、机の中にゴキブリのフィギュアを入れて驚かせようとしたりしたイタズラ小僧さ。もっとも、あいつは手強過ぎて全部失敗したけどな。あいつ今どこで何してるんだ? 連絡先教えてくれよ。同窓会に誘えないんだけど」

 

 蓮太郎は静かに壮助を見つめる。左目部分が割れた仮面の奥で彼が何を考えているのか分からない。

 

「延珠は死んだ。形象崩壊して、俺がこの手で殺した」

 

 蓮太郎から放たれた言葉――その事実は三途麗香、室戸菫から何度も聞かされたが、どこか現実味が無かった。麗香は当事者じゃなかったし、菫もその場に居合わせた訳ではないだろう。だから、どこか間接的で、他人事のように聞こえていた。笑われるかもしれないが、その曖昧さのお陰で「もしかして藍原はコッソリどこかで生きているんじゃないだろうか」という淡い希望を持たせていた。しかし、パートナーだった蓮太郎の言葉は強烈だった。藍原延珠は死んだという事実を脳に直接叩き込まれるような感覚だった。

 

「そうか。あいつ、俺達を憎んだか?恨んだか?あれだけの仕打ちを受けたんだ。呪詛の一つや二つ吐いただろ」

 

「……あいつは誰も憎まなかった。何も恨まなかった。あいつは最期まで人を信じ、迫害したお前達を守るために戦った」

 

 壮助は藍原延珠が自分達を恨んでいなかったことにほっと胸を撫でおろす。きっと、あの学校を飛び出した後も彼女はどこか知らないところで、短い時間だったけど幸せに過ごしたんだろう。そう考えるだけで救われるような気がした。しかし、同時に胸を締め付けられた。彼女には自分達を憎んで欲しかった。恨んで欲しかった。その怒りを以て罰して欲しかった。そうでなければ、そこに裁きが無ければ、あの事件が生まれる切っ掛けを作ってしまった罪悪感はどこにも向かうことが出来ない。

 

「俺達は戦った。正義を信じ、人の善を信じ、いつか、やがていつかはこの世界が良い方向に変わるんじゃないかと、希望を抱いて戦い続けた。だが結果はこれだ。どれだけ戦っても、どれだけ信じても、“何も変わらなかった”。

 ――俺達は何の為に戦った? あいつらは何の為に犠牲になった? こんな結果で……生き残った俺達は何を誇れば良い? 死んでいったあいつらは何を以ってその命に意味を見出せば良い? そこでようやく気付いたんだ。里見蓮太郎という男は世界を救うとか、ガストレアを滅ぼすとか、散々吠えるだけ吠えておきながら、数多の人を無意味な戦いに導いた史上最低最悪のペテン師だったということにな。

 だから、俺は全てを終わらせることにした。何も変わらなかったこの醜い世界と偽善に満ちた里見蓮太郎という愚かな男の人生を」

 

「それが……お前の言い分か。お前の戦いは全部無駄だったのか?何の意味も無かったのか?」

 

「ああ。何もかもが無駄で、無意味だった」

 

 蓮太郎の言葉を聞き、壮助は深呼吸する。溢れそうな何かを噛み潰すように必死に抑え、平常心を保つ。

 

「ありがとう。その言葉が聞けて良かった」

 

 壮助は司馬XM08AGのセレクターをセーフティーからフルオートに切り替える。

 蓮太郎も察し、抜刀術の構えに入る。

 

「――もう二度と口を開くな。ゴキブリ以下の糞野郎! 」

 

 その言葉と共に壮助は銃口を蓮太郎に向け、トリガーを引いた。フルオートで射出された10発の弾丸は狙い通りに直進する。

 

 ――天童流抜刀術 狂錯柳舞

 

 鞘から雪影が抜き出された瞬間、鎌鼬が暴れ回った。見えざる斬撃が四方八方に飛び回り、壮助の弾丸を斬り伏せて弾道を逸らす。周囲の壁、眼前の床を走った斬撃から大理石の欠片が飛び散り、瓦礫の埃が視界を潰す。

 壮助は即座にライフルを左手に持ち替え、右手は腰のホルダーから引き抜いたサバイバルナイフを握る。銃を持たない蓮太郎は必ず間合を詰めて得意な接近戦に持ち込む。2人の視界を潰して分断し、弱いプロモーターから先に潰しにかかる筈だ。その考えは正しかった。

 瞬間、埃が舞う空間を斬り裂き、雪影の刃が迫る。相手は鋼鉄すら容易に断つと言われる業物、受け止めようものなら得物と共に胴体を二分されるだろう。

 身を躱しつつ、ナイフで雪影の側面を叩き、無理やり斬撃の軌道を逸らす。切っ先が額を掠め、前髪を数ミリ持って行く。

 続けて返し刀で上から降りかかるが後ろに転がって切っ先が届く範囲から外れる。

 身を起こし、相手の攻撃範囲から離れた直後、壮助の脳裏に蓮太郎の技がフラッシュバックする。彼の剣術に物理的な攻撃範囲は意味を成さない。相手が刀の届く範囲から出れば、“見えざる斬撃”が来る。

 空気が流れ、土埃が動いた。圧縮された空気が鎌を象りこちらに向かってくる。

 

 ――しまった!

 

 目の前に巨大な槍が現れ、一振りで斬撃を弾き返す。その一振りの風圧で視界を潰す瓦礫の埃は一瞬で消し飛び、視界がクリアになる。最初に見えたのは重槍”“一角”を握る詩乃の後ろ姿だ。全長3メートル、重量200キロ。使用者への負担を一切考慮せず、バラニウム合金をふんだんに使用した重槍を片手で軽々と振るう。

 

「悪ぃ。助かった」

 

「お礼は後でいっぱい貰うからね」

 

「何を要求されるのか想像したくもねえな」

 

 仕切り直すかのように蓮太郎は雪影を鞘に納め、再び抜刀の構えに入る。2人から視線を逸らさず、武道のように摺り足で位置を調節する。詩乃も壮助の盾になるように前に立って槍を構え、壮助は左手のライフルを蓮太郎に向ける。

 2人の下に斬撃が飛ぶ。真正面から床を抉りながら突き進むそれを詩乃と壮助は左右別々に飛んで回避する。今、2人が蓮太郎に勝る明確な要素は数の利だ。単純な人数であり、それを生かす為には二手に分かれ、蓮太郎の意識を分散させることだった。

 詩乃が身体を転がせ、顔を上げた瞬間、蓮太郎が迫っていた。咄嗟に槍を振るい、彼の足を止めるが、攻撃の合間を縫われ、何度、刃と刃を打ち合ってもバネのようにすぐに距離を詰められる。

 詩乃は一角の柄で雪影を受け止める。刃と柄の間で火花が飛び散り、両者の息が顔にかかる距離まで詰められる。怒りに満ちた蓮太郎の視線と冷静に相手の力量を見極める詩乃の視線がぶつかる。

 

「この距離ならあいつも手出しは出来ない。お前に当たるかもしれないからな」

 

「壮助はそんなヘマはしないし、私がやらせない」

 

 詩乃は右脚を上げると力を入れて床を踏み抜いた。大理石の床とその下の地盤を踏み抜き、脛まで埋まった足を彼女は地盤諸共“蹴り上げた”。前方7~8メートルの地面が90度まで持ち上がり、壁のように聳え立つ。

 詩乃の滅茶苦茶なパワーに驚愕する間も無かった。蓮太郎は持ち上がった地面に巻き込まれてバランスを崩す。その最中で義足のカートリッジを解放し、足裏のスラスターを点火させ、一気に飛び出す。

 蓮太郎が逃げる隙を狙い、壮助はトリガーを引き、流れるように銃弾を叩き込むが、スラスターの出力を調節し、フィギュアスケートのように地面をホバリングしながらロビーの隅にある柱に身を隠す。

 パワー特化型のイニシエーターが強化外骨格(エクサスケルトン)を身に着けても実現できるか分からない大業をそれ無しで、顔色一つ変えずに発揮する。そんな詩乃のパワーに蓮太郎は驚愕していた。

 

 乱れた呼吸を整える間も無く、風を切る音がした。

 

 蓮太郎は咄嗟に身を屈めると、彼の頭上をバラニウムの槍が横切った。身を隠すコンクリートの柱を薙ぎ払い、その先の壁も刃で抉り取る。タイミングがあまりにも早すぎた。まるで自分がこの柱を盾にして隠れることを最初から分かっていなければ説明がつかない。

 その時、蓮太郎は悟った。自分は銃撃を回避し、身を隠すために柱を盾にした。だが、実際はその逆だった。壮助の銃撃は外れたのではなく、自分を柱の裏に追い込む為の誘導に過ぎなかった。相手の攻撃から身を守る柱の陰というメリットを利用し、スピード特化型の自分が足を止めるという弱点を晒すことも2人は予測していた。

 詩乃が槍を振り切ったタイミングを見計らって蓮太郎は義肢のスラスターを一瞬だけ点火し、距離を取る。しかし、詩乃はすぐに蓮太郎を追い立て、質量の暴力を振るう。通常、屋内の戦闘で長柄の槍は不利な武器として挙げられる。壁や柱(長さによっては天井も)などの障害物が邪魔をし、動きが阻害されるからだと言われている。しかし、詩乃の前では例外になる。高密度のバラニウム合金を使用した槍の質量、詩乃が生み出す筋力は柱を薙ぎ払い、壁を穿ち、床すら抉り取っていく。全てが発泡スチロールで作られた映画セットだと錯覚してしまうほど、彼女は息をするようにあらゆるオブジェクトを破壊していく。

 どれだけ力と速度に差があっても、両者が人の形を成しているのであればその攻防には武術が伴う。詩乃の攻撃は一度も蓮太郎に当たらず、動けば動くほど情報(パターン)を敵に提供してしまう。少なくとも6年以上は天童流戦闘術の使い手であり続けた蓮太郎と天童流神槍術を師事してから1年未満の詩乃では技量と経験の差が歴然だった。

 詩乃が重槍を大きく横に薙ぐ。既に彼女の動きを見切っていた蓮太郎は跳び上がり、右脚を大きく上げる。

 

 ――隠禅・上下花迷子 四弾撃発(クアッドバースト)! !

 

 義足のスラスターを一気に点火し、重槍に踵落としを叩き込む。重槍は本体の質量と踵落としで地面に蹴り落とされ、刃先が地盤に埋まる。詩乃は重槍を握っていた右手を勢いに持って行かれてバランスを崩す。

 

「詩乃! 下がれ! 」

 

 ――あの里見蓮太郎がその隙を見逃すはずがない。壮助は咄嗟に指示を出し、司馬XM08AGを構える。読み通りだった。蓮太郎は詩乃がバランスを崩した隙に一気に距離を詰める。残された時間は蓮太郎の拳が詩乃に届くまでの刹那、銃に内蔵された照準アシスト機能は使い物にならない。自分と蓮太郎との距離、弾丸の速度と軌道予測、目標の動き、風向き、重力、それら全てを直感で把握した。セレクターをセミオートに切り替え、引き金を引いた。

 1発の銃声と共に5.56mm弾が蓮太郎の左腕を貫いた。肘から体内に入り込んだ弾丸は肉を断ち、骨を砕く。銃口のライフリングによって錐揉み回転する弾丸は内部を掻き回しながら前腕と上腕を突き抜け、肩から飛び出した。弾丸が生み出す衝撃波に蓮太郎の左腕は後方に持って行かれる。今の衝撃で左肩の骨も砕けただろう。しかし、蓮太郎は悲痛な叫び声一つ挙げない。それでも走る激痛、弾丸の熱が内部から神経を焼く感覚は確実に彼の神経をすり減らしていく。

 壮助は狙いを定めたまま2発目のトリガーを引き、蓮太郎の腹を撃ち抜く。穴が開き、血が流れると共に彼は崩れて片膝を付く。黒い弾丸はもう動けない。彼を仕留めるには今しかない。こんなクソッタレなテロに終止符を打つ最後のチャンスになるかもしれない。自分たちが生きてここから帰る最後のチャンスになるかもしれない。

 そして、3発目の照準を彼の頭部に合わせ、引き金を引いた。

 蓮太郎は右手を顔の前にかざし、壮助の放った弾丸を掌で受け止めた。義肢に触れた瞬間、弾丸は蒸発し、気体となって消える。

 

 臨界連鎖出力(プロミネンスドライヴ)

 

 蓮太郎の義眼・義肢・義足から群青色の炎が噴き上がる。周囲は熱気で空間が歪み、まるでライトアップされたかのようにロビーが明るく照らされる。終末の炎は壮助と詩乃の網膜に焼き移り、2人に視線を釘付けにする。

 

 ――虎搏天成 黒膂石崩壊出力(メルトダウンバースト)

 

 呪われた子供の目でも蓮太郎の動きは追えなかった。詩乃が気付いた時には蓮太郎の拳が胴体に突き刺さっていた。装甲の隙間からチェレンコフ放射光があふれ出し、群青色の炎が今にも彼女の身体を焼き尽くさんとする。大気が揺らぎ、何重もの壁を突き破って彼女の身体は飛ばされた。どこまで突き飛ばされたのか分からない。どこかに着地したとして彼女の身体は人間の形を保っているかどうかも分からない。

 

「詩乃! ! ――――――! ? 」

 

 壮助と詩乃の間には距離があった“はず”だった。しかし、詩乃がふっ飛ばされたことに気付いた頃には蓮太郎の拳が眼前に迫っていた。壮助は咄嗟に握っていたライフルでガードする。天童流戦闘術ではない無名の拳だが、ライフルは盾の役割を果たす間も無く義肢から溢れ出る熱で溶解し、蓮太郎の拳は壮助の身体を直撃した。宙に飛ばされた彼の身体は冷たい床に落ち、何度も転がる。

 自分に何が起きたのか理解できなかった。頭がガンガン鳴り響いて、視界の半分が真っ赤になる。殴られた胴体がどうなっているのか分からない。熱いのも寒いのも感じない。ただ痛みだけが脳に伝わる。そもそも今の自分は手足がちゃんと付いているんだろうか。首と胴体がちゃんとくっついているのだろうか。立ち上がろうと地に手を付けた瞬間、空港に行く前にファミレスで食べた物と血が一緒になって吐き出される。

 

 ――駄目だ……。強過ぎる。チクショウ……。誰だよ。義眼をぶっ壊したから楽勝だとか言ってた奴……。話が全然違うじゃねえか……。

 

 壮助は袖で口を拭い、何とか立ち上がる。生まれたての小鹿のように足が震える。蓮太郎への恐怖が現れる。だが、何とか意識を繋ぎ止め、視覚を取り戻す。

 詩乃がいた場所に再度目を向けるがそこに彼女はいない。壁には大穴が開けられており、その遥か向こう側に彼女がいるのだろう。心配して駆け付けたい気持ちで一杯になるが、目の前の敵はそれを許してくれそうにない。

 蓮太郎がこちらに視線を向けていた。ゆっくりと足を前に進めて自分に向かってくる。それはまるで処刑人のように一歩一歩が重く、彼が一歩近づくにつれて壮助の思考は恐怖に支配されていく。

 イニシエーターは地平の彼方に飛ばされた。ライフルはドロドロに溶けて無くなった。武装ドローンのせいで大角ペアの合流も期待できない。あのペアがいても勝てるかどうか分からない。残った武器はナイフ、散弾拳銃(タウルス・ジャッジ)、スモークグレネードだけ。「ふざけるな。こんなので勝てる訳が無い」と普段の壮助なら文句の一つでも言っただろう。しかし、彼はまだ諦めていなかった。どうやって里見蓮太郎を殺そうか思考を巡らせている。絶対的な戦力差を見せつけられても彼はそれしか考えていない。生物としての闘争本能か、それとも義搭壮助という悪ガキが喧嘩商売の中で育んだ思考回路なのか、何が彼をそうさせているのかは本人も理解していない。

 壮助は再度、蓮太郎に悟られないように目を動かして周囲を見る。どこを見ても瓦礫だらけでテロ以前の状態を保っている物体など一つも存在しない。相変わらず酷い有様だ。その中で倒れるベレッタM92を握った金髪の女(ティナ)、太刀を手放し放り棄てられた小比奈、そして、ボスを倒した褒美と言わんばかりに月明かりに照らされたキャリーバッグ。

 

 ――あれは、賢者の盾……。そういえば、すっかり忘れてたな。

 

 壮助はニヤリと笑みを浮かべた。自分の顔を殴り、目を覚まさせる。震えていた足を叩き、喝を入れる。そして、勢いをつけて顔を上げた。

 

「なんだ。思ったほど大したパンチじゃねえな。これなら中学の時に喧嘩した3年の先輩の方がマシだったぞ? 見損なったぜ。IP序列元50位“黒い弾丸(ブラック・ブレット)”」

 

 壮助は両手を広げ、自分がまだ平気だと挑発する。平気そうに振る舞うが、実際は満身創痍だ。呼吸すらまともに出来ない。

 

「どうした? 俺はまだ生きてるぞ。さっさとかかって来いよ。見ての通り、俺はただの人間だ。インチキ拳法の使い手でもねえし、トンデモ剣術の使い手でもねえ。銃の扱いも素人に毛が生えた程度。優秀なイニシエーターのお陰で9644位なんて訳の分かんねえ序列に置かれているが、俺自身はガキの喧嘩で強かったから調子に乗って民警になっちまった頭の残念な奴だよ」

 

「……それだけ自分が弱いと分かっていながら、どうしてここに来た?」

 

「6年前、藍原が呪われた子供だと発覚した日、俺は昇降口でアンタを見た。

 居場所を失うのが恐くて、クラスメイトの罵声に怯えて、教室から逃げ出した俺にとって、アンタはヒーローだった。失うことを恐れずに正義を貫く姿が眩しく見えた。

 

あの人みたいな強さが欲しかった。

 

あの人みたいな勇気が欲しかった。

 

あの人みたいな意志が欲しかった。

 

 けど、そんな俺の憧れを真正面から全否定しやがったゴキブリ以下の糞野郎がいる。そいつは堂々と俺の前に立っていて、俺の憧れた奴と同じ姿をして生きている」

 

 壮助は腰のホルダーからサバイバルナイフを抜き、刃先を蓮太郎に向ける。

 

「俺の憧れと一緒にここで死んでくれ」

 

「それは出来ない相談だ。確かに俺は全てを終わらせるためにここに来た。だが、ただで終わる訳にはいかない」

 

 蓮太郎が拳を引き、天童流戦闘術の構えに入る。

 

 天童流戦闘術一の型八番 焔火扇 二弾撃発(ダブルバースト)

 

 蓮太郎がスラスターの出力に乗って正拳を突き立てる。爆速で前進する義肢が空気との摩擦熱で炎を帯びる。それは烈火の流星の如く大気中の塵を燃やし、義肢を構成するバラニウムが赤熱していく。

 

「やれるもんならやってみやがれ! こうなりゃヤケだ! 」

 

 壮助はベルトに引っ掛けたホルダーからグレネードを引き抜き、歯でピンを抜く。グレネードから黒色の煙が噴き出し、周囲を包んでいく。

 蓮太郎は狼狽えなかった。爆速する拳を突き出し、風圧で煙を吹き飛ばす。隠れる隙など与える気は無い。拳は虚空を突いた。

 黒煙で身を隠した隙に壮助は蓮太郎の左側に回り、ナイフで胴を狙う。蓮太郎は武装が右に集中し、義眼となっている左目は玉樹に潰されて視界の確保が難しくなっている。そんな彼の左側を狙うのは当然の手段であり、壮助の予想通り、蓮太郎には首を振って右目で左側を見るまでのタイムラグがあった。

 

「もらった!!」

 

 壮助は刃を横に薙ぐ。間合は刃を届かせるには十分だったが、予想以上に早く蓮太郎が身を躱す。自分の弱点を蓮太郎が理解していない筈が無く、壮助を視認する前に身体は既に動いていた。振られた渾身の刃は切っ先で布を斬る程度に留められ、傷を付けるには至らない。

 攻撃が失敗したと分かった瞬間、壮助はスモークグレネードを落とし、自分と蓮太郎を黒煙で包む。

 

「何度やっても無駄だ」

 

 義肢の内燃機関を点火し、腕を振った。音速を越える衝撃と共にグレネードの黒煙は消し飛び、視界がクリアになる。

 背後から駆ける足音が聞こえた。壮助が脇構えで回り込む。抜刀術における基本の構え、身体で刀身を隠し、相手に得物の間合を読ませない効果がある。無論、それは相手にとって得物が初見であった場合であり、壮助は既にナイフを何度も蓮太郎の前に晒し、その間合は把握されていた。

 蓮太郎は最初の攻撃からナイフの刃渡り、壮助の構えから想定される剣戟、間合を計算し、振り向きざまに身を躱す。

 壮助は腕を振るい、水平に刃を振るう。ナイフでは到底届かない距離だ。しかし、刃は蓮太郎に届いた。コートとシャツを難なく切り抜け、胸の皮膚、筋肉まで斬断する。

 蓮太郎は壮助の得物に目を向けた。手に握られていた刃物、それは刃渡り30センチのサバイバルナイフではなかった。見慣れた柄、鍔、黒い刀身と刃紋、それは紛れもなく“雪影”だ。はっとして自分の腰を見る。ベルトと雪影の鞘を結んでいた紐が斬られており、そこにあった筈の雪影が鞘ごと無くなっていた。

 

「――――――っ! ! ! !」

 

 刀傷は浅い。蓮太郎は歯を喰いしばって痛みに耐え、雪影の間合から逃れる為に身を仰け反る。

 

 

 

 

 

 その時、蓮太郎の視界に銀色のブレスレットが現れる。

 

 

 

 

雪影にコートを斬られ、ポケットに入れていたそれは切り口から飛び出した。

 蓮太郎は落とさないように手を伸ばす。まるで延珠が自分から離れていってしまうような幻覚に襲われる。バラニウムの義肢が目に入った途端、延珠を殺した日がフラッシュバックする。あの時、自分に手足が残っていたことをどれほど恨んだだろうか。あの日から義肢を違うものに変えても、スプリングフィールドXDを手放しても、引き金を引いた右手の人差し指を切り落としたい衝動にかられる。

 蓮太郎は必至に手を伸ばした。

 

 これを手放すと延珠との思い出も一緒に手放してしまいそうで――

 

 割れたブレスレットの向こう側でタウルス・ジャッジの銃口を向ける義搭壮助の姿があった。

 壮助は悪辣な笑みを浮かべ、引き金を引いた。ジャッジから放たれた410ケージ弾は空中で実包が破れ、中から無数の硬質ゴム弾が拡散する。一つ一つが小さく殺傷力は期待できない。しかし、拡散した弾丸は宙に上がったブレスレットを破壊し、蓮太郎の皮膚を打ち付けた。無数の散弾は全身の痛覚を刺激する。人体が痛みを感じる機能がフル稼働し、目の前でブレスレットが破壊される光景も相まって彼の脳に悲劇と痛みを焼き付ける。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! ! ! ! 」

 

 蓮太郎の悲痛な叫びが響く中で壮助は引き金を引き続ける。装填された5発を撃ち尽くすまでひたすら引き金を引き続ける。4発目までを生身の左半身に集中させ、完全に動きが止まったタイミングで5発目を顔面に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 その時、贖罪の仮面は外れた。 

 




初投稿から約3年、ようやく第一章のラストに差し掛かりました。
「プロローグ的な話だから短めにする」「いつでも終わらせられるように第一章のみでも成立するストーリーにする」と自分で考えておきながら、シン・ゴジラの影響で政治パートを入れたり、パトレイバーの影響で警察パートを入れたり、あれやこれやと話が二転三転して当初予定していたものから脱線してしまいましたが、何とかして壮助vs蓮太郎の1対1バトルにまで漕ぎつけることが出来ました。

蓮太郎も当初の予定から色々と設定を盛りまくった結果「これ義搭ペア瞬殺されて戦闘1行で終わるじゃね?どうすんの?」と悩んだりもしました。

さて、第一章も残り2話になります。
サブタイトルはもう決めているので、ここで公開します。

次回「贖罪の仮面」

最終回「里見蓮太郎になれなかった少年」


残り少ない話数ですが、最後までお付き合いください。


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贖罪の仮面

皆さん。新年明けましておめでとうございます。
今年も「ブラック・ブレット 贖罪の仮面」をよろしくお願いします。

さて、今回は「暴走するあいつ」vs「暴走するあいつ」

第一章 黒い仮面編の決着にもなります。


 彼は、暗闇の中にいた。

 何も見えない。風も吹いていない。何も臭わない。何も触れない。

 自分が何かの上に立っていること以外は何も分からない、“無”が支配する空間。

 とりあえず、足を進める。どちらが前後でどちらが左右か分からない。今進んでいる方向が正しいのかも分からない。

 地を踏む度にピチャピチャと音がする。これは血だ。色は見えない。鉄の臭いもしない。温度も感じない。けど、直感的に自分は血だまりの上に立っていると分かった。

 暗闇の中に光が灯された。蝋燭の灯の様に微かにそれは暗闇を明るくし、一人の少女の姿を照らした。

 

「延珠? 延珠なのか? 」

 

 蓮太郎は灯りを頼りに延珠の下に駆け寄る。その足は止まらなかった。蓮太郎は延珠の前に辿り着くと、両膝を落として彼女を抱きしめた。その両手に伝わる感触でそこに延珠がいるという事実を噛みしめる。

 

「良かった……。生きていたんだ。あれは、悪い夢だ。今までのは全部、悪い夢だったんだ! 」

 

 蓮太郎に抱きしめられても延珠は微動だにしなかった。驚きの声を挙げることも、抱き返すことも無かった。

 

「蓮太郎……。妾の死は無駄だったのか?」

 

「何を言っているんだ?延珠。お前は生きてる。ちゃんとここに――――」

 

 蓮太郎は延珠の両肩を掴み、自分から引き離す。もう一度、彼女の顔を見たかった。ちゃんと生きている藍原延珠がそこにいると確認したかった。

 

 そこにあったのは、形象崩壊して蓮太郎に殺された時の藍原延珠の顔があった。延珠はブロックのようにボロボロと砕け、肉片が血だまりの中へと落ちて消えて行く。

 

「延……珠? 延珠! ! やめてくれ! ! 俺を置いて行かないでくれ! ! 」

 

 蓮太郎は必至に血だまりの中を掻き回す。必死に、必死に、欠片を集めてどうするのか考えることも無く、血だまりの中から延珠を探す。だが、もう血の中で溶けて混ざってしまったのか、蓮太郎は欠片一つ掴めなかった。

 背後から足音が聞こえた。

 

「里見くん。どうしてこうなったの? 」

 

 背後から懐かしい声が聞こえる。

 もう一度だけでも良いから聞きたかった、二度と聞けないと思っていた声――。

 蓮太郎は立ち上がって振り向いた。視線の先には天童木更がいた。右手には血で染まった雪影を握り、額にはスプリングフィールドXDの9×19mmバラニウム弾で開けられた風穴が前髪の隙間から覗かせる。

 

「私は、何の為に里見くんに殺されたの? 」

 

「違うんだ。木更さん。これは……。頼む。そんな目で俺を見ないでくれ」

 

 木更に恐れ戦き、蓮太郎の足が後ろへ退く。だが、木更は止まらない。彼の罪を一歩一歩踏み締めるように進んでいく。

 

「やめろ……。見るな。俺を見るなあああああああああああ! ! ! ! 」

 

 蓮太郎は両手で耳を塞ぎ、目をつむり、まるで幽霊を見た子供の様に蹲る。

 

「俺には無理だった。無理だったんだ! ! 俺には守りたいものを守れる強さなんて無かった! ! 正義を信じて戦い続ける強さなんて無かった! ! でも……全部捨てることも出来なかった。だから……、だから、 誰かに託そうとしたんだ。このテロだって、俺の代わりを見つける為に――――」

 

 気配が消えた。耳から手を離す。近づいてくる足音が聞こえない。蓮太郎が顔を上げるともう二度と姿を見たくないと願い続けた燕尾服の男がいた。

 

「全ては私の言う通りだった。君と私は同じ存在だ。砲火の飛び交う戦場でしか自分の存在を確立できない。自分の価値を、積み上げた瓦礫の山と広げた屍の海でしか証明できない」

 

 燕尾服の男――蛭子影胤は仰ぐように両手を広げる。暗闇と血だまりしかない世界を賛美しているかのようだ。

 

「見給え。里見くん。これが君の作った世界だ。数多の破壊と殺戮を繰り返し、その先に君が望んだ世界だ」

 

「ふざけんな! いつまで俺の中に残っていやがる! お前は死んだんだ! 俺が殺したんだ! さっさと地獄に落ちやがれ! ! 」

 

 蓮太郎は怒りに身を任せて義肢の内燃機関を点火させ、神速の拳で影胤を葬る。

 

「違うな。私は君の中に残っているんじゃない。君が、私を作り出したんだ」

 

「俺が……お前を作った? お前は一体、誰なんだ?」

 

「私か? 私は――

 

 

 

 

 

 ――お前だよ。里見蓮太郎」

 

 仮面が外れた瞬間、自分の声が聞こえた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 蓮太郎が悲痛な声を挙げ、悶える間に壮助はジャッジから排莢し、スピードローダーで5発の一粒(スラッグ)弾を装填する。照準を蓮太郎に向け、引き金に指をかける。

 

 臨界連鎖出(プロミネンスドライヴ)

 

 それは一瞬の出来事だった。数メートル離れていた蓮太郎は義肢のスラスターを最大出力で点火し、一気に距離を詰めた。脚部のスラスターを減速させないまま、右腕のスラスターも点火する。大気中の分子とバラニウム義肢が摩擦を起こし、義肢から噴き上がる群青の炎と混ざり合う。

 壮助が人差し指に力を入れた時には既に遅かった。超高温状態になった蓮太郎の右腕は触れただけで放たれたスラッグ弾と散弾拳銃を蒸発させる。

 

 焔火扇 黒膂石溶解出力(メルトダウンバースト)

 

 神速の黒膂石義肢が胴を貫いた。背中から突き出た手には燃えカスとなった血肉と腸が絡み付き、腹部の穴からは人体の半分が水で出来ていると証明するかのように血が滝のように流れ、義肢に触れた血は蒸発して湯気が立つ。

 

「あ゛――――――がっ―――――」

 

 蓮太郎は腕を引き抜いた。手に焼き付いた血肉を振り払わず、自分の血だまりの中に倒れようとする壮助の首を掴み、彼を持ち上げる。絞首台に吊るされた罪人のように壮助の身体は浮動する。

 

「何も知らない糞餓鬼が! ! 好き勝手に言いやがって! ! 俺は……英雄になんてなりたくなかった! ! 富も名声も望んじゃいなかった! ! 延珠がいて、木更さんがいて、ティナがいて……あの天童民間警備会社があれば、俺はそれで良かったんだ! ! それだけなんだよ! ! 俺が望んだのは! ! あれは最後の欠片だった! ! 俺と延珠を繋ぐ最後の欠片だった! それをお前は! ! ! ! ! ! 」

 

 腹を貫かれ、義肢の熱で内部を焼かれた彼はギリギリで意識を保っていた。しかし、抵抗する力など残っていない。蓮太郎を睨むことすら出来ない。首より下の感覚がもう無かった。上半身と下半身は脊椎と周辺の筋肉だけで繋ぎ止められている。神経など繋がっている訳がない。

 

「お前だけは殺してやる! ! お前だけはあああああああああああああ! ! ! ! 」

 

 蓮太郎に首を絞められる中、壮助は蓮太郎の真意に辿り着く。

 

 ――“お前だけは”……。そういうことかよ。まったく……とんだ茶番劇じゃねえか。

 

 

 

 

 

 

 先進情報技術研究センターの一室、コンピュータの液晶だけが光源の薄暗い部屋で室戸菫はコーヒーを啜っていた。可もなく不可もない熱々のインスタントコーヒーのブラックを舌で味わいながら、TVで中継されているアクアライン空港の中継を眺める。

 対岸から空港をバックにリポーターが映し出されており、何かが炎上しているのだろうか、赤く燃え上がる空をアップで映している。

 

『今、空港で何かが光りました! まだ自衛隊の攻撃が続いているのでしょうか! 爆発音と銃声がまだ続いています! 』

 

 菫はリモコンでチャンネルを変えるがどの局もアクアライン空港のガストレアテロを中継している。自衛隊の封鎖とスタッフの安全を考えてかどの局も対岸から空港を映しており、端のテロップ以外代わり映えしない映像が垂れ流される。例外なのはガストレア大戦時ですら放送スケジュールを変えなかった某テレビ局ぐらいだろう。彼らは当初の予定通り“天誅ガールズ・大正デモクライシス”を放映しており、「から揚げにマヨネーズ? そんなの邪道よ」と12代目天誅ブルーに馬鹿にされた15代目天誅バイオレットが大量の使い魔と共に東京駅を占拠し、人質を盾にして拡声器で「から揚げにマヨネーズをかける行為の正当性」を主張するタイムリーな内容になっている。

 菫の眼前にある画面には天の梯子制御システムがハッキングされた当時のシステムログが表示されている。彼女の本業は解剖医なのだが、コンピュータや情報技術に関してもそこらの学者より長けていると自負している。

 しかし、彼女はシステムログの解析を進めていなかった。人生で初めて問題を目の前にして手が止まっていた。ハッカーの特定も手口の解明も終わっていない。それどころか調べれば調べるほどハッカーが引き起こした神業を見せつけられ、何度も諦めさせられそうになる。それでも解析を進めていった結果、彼女は不自然に挿入された数字と文字列を発見した。それら抽出し、暗号化されていた無意味な文字列を意味のあるものに変えて行く。

 解析された文章には、タイトルが付けられていた。

 

 “グリューネワルト予想の証明”

 

 ――グリューネワルト予想。それはガストレア大戦時、“四賢人最高の天才”“地上に降りた神”とまで言われた男、アルブレヒト・グリューネワルトが「暇潰しだ」と言って提示した数学の証明問題だ。その難解さは菫、エイン、アーサーら3人の賢人を悩ませ、天才としてあらゆる“問”に対する“解”を導き出してきた彼・彼女の人生に「解けずに諦めた問題」として汚点を残す結果となった。後に賢人の一人、アーサー・ザナックが「グリューネワルト予想」と名付けてインターネット上に公開したことで有名になり、世界中の数学者があらゆる学問からアプローチをかけた。しかし、現在でもそれは「世界最後の謎となる問題」として今でも数学界の未解明問題として君臨している。

 菫は画面を凝視した。刺激の無いぬるま湯のような日々を過ごしてきた彼女の脳に史上最大にして最強の核兵器(ツァーリボンバー)を落とされたような衝撃を受ける。

 

「お前は……、人間か? それとも神か? 」

 

 手元に置いていた菫のスマホが振動する。画面に目を向けると自称親友の三途麗香(バカ)の名前が表示されていた。バイブレーターの音を鬱陶しく思いながらも彼女は電話に出た。

 

「私だ」

 

『菫! ヤバい! これヤバい! ヤバ過ぎて目ん玉飛び出しそう! アニメみたいに! 』

 

「相変わらず君の話は要領を得ないな。簡潔に話してくれ。あと、それは私が調査を依頼した件か? 違う話だったら切るぞ」

 

『待って! 待って! その件だから切らないで! あと借金の返済期日遅らせて! 』

 

「そろそろ資産差し押さえても構わないか? 足りない分は身体で払いたまえ」

 

 叡智の結晶のような文章を見た直後に馬鹿と愚かさの塊のような女の声が耳に響く。その対照さに菫は辟易とするが、不思議とその声は神の数列を目の前にして緊張する心を解してくれる。

 麗香が連絡してきたのは偶然ではない。菫が彼女に調査を依頼していたからだ。菫は聖天子が蓮太郎を倒すために選出した民警に違和感があった。片桐兄妹が選ばれたことに何ら疑問はない。彼らは東京エリア民警のトップランカーで蓮太郎の手の内を知っている人間だ。大角勝典と飛燕園ヌイのペアも関東会戦以降最悪のガストレア大量侵入事件――蟲雨事件――で多大な功績を挙げている。蓮太郎に太刀打ちできるかどうかは別の話だが、選出されたことに疑問はない。

 

 ――何故、義搭壮助と森高詩乃のペアが選ばれた?

 

 義搭壮助は調べれば調べるほど、(悪い噂を除けば)普通の少年という答えが出てくる。そんな彼がどうして里見蓮太郎を倒し得る民警に選ばれたのか、そもそもどうして彼がIP序列9644位などという民警の上位10%以内にいるのか、その理由が義搭壮助ではなく、イニシエーターの森高詩乃にあるのではないか。その疑問を晴らすために菫は暇そうな麗香に調査を依頼していた。

 

「差し押さえの話は後々やるとして、その情報、私のスマホに送ったか? 」

 

『今、そっちに送ったよ。けど、暗号化とかしなくて大丈夫なの? 元在日米軍の酒飲み仲間に危ない綱渡りして貰ったけっこうヤバ目なやつなんだけど』

 

「問題ない」

 

 菫のスマホにメールが入る。タイトルには「調査の件」とだけ記載されており、本文には「ヤバい。取り扱い注意」と書かれていた。添付ファイルを開いた瞬間、菫は目を見開いた。あの少女には何かあると思って調べさせていたが、予想外の結果として戻って来た。

 

「これは、本当か?」

 

『本当も何もそれが全てよ。裏もちゃんと取れてる。正直、私もビビったけどね』

 

「この件、他の誰にも話していないな? 」

 

『勿論。私を信じてよ。もう20年以上の付き合いでしょ』

 

「学生の頃、2人だけの秘密と言って私から教えてもらった期末テストの範囲をクラスメイトに売って金儲けした挙句、その範囲が尽く外れて袋叩きにされたのはどこの誰かな? 」

 

『うっ……』

 

 電話の向こうで狼狽える麗香がわざとらしく咳払いする。

 

『それにしてもあいつ、イニシエーターガチャSR(スーパーレア)引いてたんだな』

 

 添付ファイルには、フランス軍外人部隊のグリーンベレーを被り、敬礼する森高詩乃の写真があり、説明書きが添えられていた。

 

 欧州連合軍 統合作戦司令部直轄 特殊外人歩兵連隊(リージョン・イトランジェ) 「赤い瞳(イレーヴ・ルージュ)」保有

 

 対ガストレア暴喰機動兵器   コードネーム 「白鯨(モビー・ディック)

 

 

 

 *

 

 

 

 事切れ、動かなくなった壮助を蓮太郎は血溜まりの中に捨てる。人形のように動かなくなった彼を座視する。蓮太郎が貫いた腹部から多量の失血、首を絞められたことによる呼吸の停止、殺した蓮太郎ですら吐き気を覚えるほど酷い有様だ。

 蓮太郎は踵を返して歩き始めた。壮助に奪われた雪影と砕けたブレスレットの破片を回収する。これ以上壊さないように破片一つ一つを丁寧に拾い上げる。手に集める度にブレスレットを破壊した壮助への怒りで身が震える。憎しみの眼差しを向けてもそこには動かない肉塊しか無い。

 虚しさを抱えながら蓮太郎はブレスレットの破片をまとめて別のポケットに入れる。

 

 ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!

 

 超大型ガストレアが雄叫びでも挙げたのだろうか、重低音が大気を震わせる。目に映る全てが振動し、耐え切れない物体は自壊していく。

 

 ――鯨の声?

 

 蓮太郎が声の正体を思索する暇も無く、鉄骨が彼に目がけて跳んできた。重量はおおよそでも1トンは越えている。蓮太郎は動体視力でもギリギリ捉えられる速度で飛来したそれを雪影で切断し、左右に分断する。質量も速度も殺されないまま分断された鉄骨は左右に飛び抜け、背後のターミナルの壁を粉砕する。

 蓮太郎の正面、大穴の空いた壁を抜け、一人の少女が戻って来た。

 義搭壮助のイニシエーター、森高詩乃だ。

 暗闇を照らすかのように彼女の目は警告灯のように燦燦と赤く輝き、全身から蒸気が噴き上がる。明らかに様子がおかしい。彼女は獣のように牙を剥きだしにし、敵である蓮太郎を目の前にして雄叫びを上げる。少女の姿からは想像できない重低音、戦場を震動で支配した主が彼女であることを示す。

 詩乃は身を低く構え、槍を握ったまま短距離走のクラウチングスタートのような体勢に入る。口から熱波と化した息を吐くと、地を蹴った。

 

 ――速い! !

 

 彼女の速度は蓮太郎の予測を越えていた。延珠や小比奈のようなスピード特化型を遥かに超え、彼女の質量と腕力も合わさって、凶悪さが何倍にも増している。

 反応が間に合わなかった。重槍の刃先とバラニウムの拳が衝突する。正面から受けていたら義肢がバラバラに砕けていただろう。軌道の側面から叩くように拳を当て、火花を散らしながら軌道を逸らす。

 一撃目が外れても詩乃は止まらなかった。すぐに体勢を立て直し、大槍を振るう。獣のように本能的で直線的な大振りの攻撃だ。壮助と一緒に戦っていた時なら軽く回避されていたが、今はパワーもスピードも桁違いだ。彼女が槍を振るった瞬間、押し出された大気中の分子が凝縮され、音速の壁として蓮太郎に叩きつけられる。

 貿易ターミナルのガラスを突き破り、蓮太郎は滑走路まで吹き飛ばされた。槍に当たらなくても詩乃が作り出す音速の壁が“見えざる槍”となり、不可視の一撃を繰り出す。

 蓮太郎は血反吐を吐きながら、殴られた部分を抑えて立ち上がる。今の攻撃で肋骨も折れたのだろう。呼吸をしても肺に空気が入らない。息苦しさが止まらない。それでも蓮太郎は顔を上げ、ぼやけた焦点を合わせる。

 見えたのは数十メートル先、貿易ターミナルの中から重槍を逆手に持ち、投擲の構えに入る森高詩乃だった。

 質量200キロのバラニウム重槍が射出された。空気抵抗を受け、轟音を立てながら飛来する重槍は全てを置き去りにしていく。大気中の分子を圧縮して形成された音速の壁はソニックブームとなり、軌道上のアスファルトを引き剥がしていく。

 

 臨界連鎖出力(プロミネンスドライヴ)制御限界点突破(スクラムオーバー)

 

 轆轤鹿伏鬼・羅生燦蓮華  黒膂石崩壊撃発(メルトダウンバースト)!!!!

 

 重槍が生み出す音速の壁と義肢が生み出す熱量の壁が衝突する。衝突した場所では火花でもなく、閃光でもない、形容し難い光が溢れ出し、地表に第二の太陽が生まれたかのように空港は真昼のように明るくなる。

 刹那の太陽が消滅し、再び空港に夜が訪れた時、重槍は消滅していた。蓮太郎の拳から放たれた膨大な熱はバラニウムの沸点を越えており、槍を構成していたバラニウム分子は蒸発したか、プラズマ化して消滅した。しかし、音速の壁は相殺しきれなかった。残された衝撃波だけが蓮太郎を貫き、肘から先が蒸発していた彼の右腕を吹き飛ばす。

 蓮太郎は今の一撃で全てを出し切った。右腕は消滅した。残った左腕だけで雪影を振れるほど剣術に自信は無い。そもそも身体を動かす余力も残っていない。次に詩乃が攻撃したら受けて死ぬしかない。

 しかし、詩乃は動かなかった。槍を投げた場所で立ったまま動かなかった。全身から湯気が上がっている姿は、まるでバッテリーを冷却しているロボットのようだった。立つ力すら使い切ってしまったのか、彼女はその場で倒れた。

 蓮太郎はそれを見届けると、驚愕と安堵が混ざった中で呼吸を整える。

 

 

 

 

 タァァァァァァァァン…………

 

 

 1発の銃声と共に弾丸が蓮太郎の左脚を砕いた。弾丸は膝の骨を破壊し、彼を地に伏せさせた。地面に頬をつけた蓮太郎は立ち上がろうとはしなかった。もうそんな力は残されていない。それどころか、今ここで死んでしまっても構わないとすら思っている。

 蓮太郎から300m離れた滑走路の端、1台のワゴンの助手席側の窓から硝煙を挙げる銃口が飛び出していた。運転席で大角勝典はロシア製狙撃銃SV-98を構え、ドアを二脚(バイポッド)の代わりにして、蓮太郎の左脚を撃ち抜いた。

 勝典は暗視スコープ越しに蓮太郎が倒れたのを確認すると、安堵して一息吐いた。

 英雄の悲しい結末を彩るように自衛隊のヘリがライトで蓮太郎を照らす。周囲に陸上自衛隊の車両が集まり、蓮太郎を取り囲んだ。

 

「目標確保!目標確保!」

 

 アクアライン空港ガストレア占拠事件の発生から6時間後、テロの首謀者、里見蓮太郎は“偶然空港に居合わせた民警”の協力の元、自衛隊によって拘束された。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 勾田大学病院付属救急医療センター

 

 

「あの馬鹿の面を見に来たつもりだったが……、もっと酷い物を見つけてしまった。臓器はほとんど燃えカスになっているし、折れた肋骨が心臓と肺を串刺しにしている。こんな状態になってもまだ生きている君の生命力には驚かされるよ。

 だが、君の命もこのままだと長く見積もってもあと1時間が限度だ。君を救うには臓器を全て取り換える大手術が必要になるが、今からだと臓器提供者(ドナー)も人工臓器も手配は間に合わないだろう。

 

 

 

 

 

 ――ふふっ。君は運が良いな。丁度良くここに“人間一人分の臓器がある”」

 

 

 

 天才は、悪魔のように微笑んだ。




本当は年内に更新しようと思っていましたが、年が明けてしまいました。
ようやく第一章のラストバトルを書くことが出来ました。
あれこれ寄り道してしまったせいでどんな結末になるか自分でも予想できませんでしたが、いざ流れに身を任せて書いてみると「ああ。そういえば最初はこうするつもりだったな」って感じに落ち着きました。

次回は第一章の最終話 「里見蓮太郎になれなかった少年」
後書きに第二章の予告も入れようと思っていますので、お楽しみに。


ついでに第1話から登場しているにも関わらず、保有因子が謎のままだった詩乃ちゃんのステータス表も書いておきます。



イニシエーターの能力表

森高詩乃

筋力:EX 敏捷:D(?) 耐久:EX 知力:B 幸運:D 特殊能力(???):未知数

戦闘の傾向
圧倒的な筋力で正面から敵をねじ伏せるパワー特化型イニシエーター。マッコウクジラの因子で全身が高密度の骨と筋肉によって構成されており、重量200キロの槍を片手で振り回す筋力と深海数千メートルの水圧にも耐えられる強靭な肉体を獲得している。
また、反響定位(エコーロケーション)によって暗闇の中でも物体の位置や形状を把握する優れた聴覚も持っており、生体アクティブソナーとしても機能する。
銃器や爆薬もそこそこ扱える為、近~中距離の戦闘に対応できる。
しかし、とんでもないパワーを生み出す身体に必要なエネルギー量もとんでもない為、必要とする食事量が非常に多く、壮助は彼女の食費で毎月破産しそうになっている。
また、骨や筋肉の密度が非常に高いため、その見た目に反して体重が非常に重く、足場が悪いと自分の体重で床や地面を崩落させてしまう可能性がある。

何かしらの条件が揃うと蓮太郎をも凌ぐ爆発的なスピードを発揮するが詳細は不明であり、壮助ですら知らない能力をまだ内に秘めている。


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里見蓮太郎になれなかった少年

 2ヶ月後

 

 義搭壮助が目を覚ました時、全てが片付いていた。

 里見蓮太郎のガストレアテロ――里見事件――は過去のことになっていた。テレビでワイドショーを見れば、芸能人の不倫、大臣の政治資金不正利用、赤目ギャングの強盗、挙句の果てには川に流れ着いたアザラシの生き残りが保護され住民票を与えられたなど、そんな話題ばかりが報じられ、ニュースサイトで里見事件に関するページを読もうと思ったら「過去の記事」から検索しなければならないくらい、あの事件は旬を過ぎた話題になっていた。

 2ヶ月もずっと意識を失っていた壮助にとっては昨日のように感じることでも世間にとっては「そういえば、そんな事件あったな」ぐらいで済まされてしまう。あの壮絶な戦いがもう人々の記憶から薄れていることに寂しさを感じるが、それほど東京エリアの回復は早かったということだろう。事件前と変わらず東京エリア上空を飛行機が飛んでいる。

 目を覚まして最初に見たのは詩乃の顔だった。枕でもなく、病院の壁でも天井でもなく、彼女の顔だった。甲斐甲斐しくお見舞いに来てくれた時に目を覚ましたというあらすじなら良かったが状況はそんなスウィーティなものではなかった。

 彼女は壮助の上に馬乗りになり、両手で襟を掴んで壮助の病衣を脱がそうとしていた。頬は紅潮し、吐息も顔にかかるくらい荒い。興奮しているのか汗が滴り、とろんとして焦点が合っていない目で獲物を見つめていた。どこからどう見ても今まさに事に及ぼうとする性犯罪者の顔だった。

 

「な……に……やっ……」

 

壮助は「何をやってるんだ?」と言うつもりだったが上手く言葉が出て来ない。口を開けても喉が動かず、声が出なかった。

 

「ちょっと目を離した隙に死にそうになる壮助が悪いんだよ」

 

 壮助の胸元に水が滴る。大粒で温かい紅涙が彼女の目から溢れ出て、壮助の病衣を濡らしていく。落ち着いていて、冷静で、取り乱す姿をほとんど見ない彼女が目に涙を浮かべ、今にも怒り、泣き出しそうな顔をしていることに胸を衝かれる。

 

「壮助が死んだらそこで終わりだけど、私にはその先がある。何年も何十年も、壮助のいない世界(地獄)が私を待ってる。代わりなんて居ないし、居たとしても要らない」

 

 詩乃は両手で掴んだ病衣の襟を引っ張り、壮助を無理やり自分の近くに引き寄せる。目を覚ましたばかりの怪我人を扱っているとは思えないくらい乱暴だ。

 

「もし次、同じ目に遭うんだったら、私は敵になってでも壮助を止める。その手足をへし折って世界で一番安全なところに閉じ込めて、守り続ける」

 

 詩乃の言葉に壮助は愕然とした。自分のイニシエーターが、同じ屋根の下に暮らす少女が、自分に好意を抱いていることは知っていた。だが、その重さは想像を遥かに超えていた。

 森高詩乃の中で義搭壮助の存在はあまりにも大きくなり過ぎた。

 

 ――違うんだ。詩乃。俺がお前に求めているのは、そういうことじゃない。

 

 詩乃の言葉に、気迫に飲まれそうになるところ、何とか気を取り直し、いつもの態度、いつもの悪ガキに戻る。

 

「で、お前は何をしようとしていたんだ? 」

 

 

 

 

 

 

 

「壮助が死んだ後、一人寂しく生きるのも嫌だから子供でも作ろうかと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 壮助はナースコールボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

「看護師さん! ! 助けてください! ! イニシエーターにレイプされそうなんです! ! 」

 

 

 

 

 

 

 目を覚ました日の翌日から目まぐるしい日々が続いた。

 まず治療した担当医が室戸菫であることに混乱した。それの整理がつかないまま菫にベッドから引き摺り出され、よく分からない凄い機械で全身をくまなくスキャンされ、何を目的としているのか分からない検査を繰り返される日々が続いた。

 更に翌日になると今度は自分が目を覚ましたと連絡を受けた松崎民間警備会社の面々がお見舞いにやって来た。

 松崎は「良かった……。本当に良かった……」と涙を流しながら喜び、壮助の手を握って彼がちゃんと生きていることを確認する。6年前に教え子たちを一斉に失ったトラウマが重なったのか、その感涙ぶりは尋常ではなかった。

 「松崎さんには悪いことをした」――と壮助は心の中で謝罪した。

 一緒に来た空子は驚いたり、涙を流したりすることは無かった。冷たく感じるが、いつもと同じ様子であることに壮助は安心感を覚える。

 

「大丈夫そうだけど、あの不気味な医者が言うには当分、入院する必要があるって言ってたわね。丁度いい機会だから今まで学校行ってなかった分、勉強しなさい」

 

 そう言って、空子はお見舞いの品と称して筆記用具と小学生向けの計算ドリル・漢字ドリルを置いて行った。16歳なのに小学生用を渡されることは癪に思ったが、入院生活の暇つぶしでやってみると書けると思った漢字が意外と書けなかったり、分数の計算を完全に忘れていたりすることに気付かされた。

 

 里見事件の詳しい顛末は、別の日にお見舞いに来た勝典とヌイから聞かされた。

 

 壮助が倒れた後、復活した詩乃と遅れて到着した勝典が蓮太郎を戦闘不能にまで追い込み、最終的に自衛隊が拘束したというのがこの事件の結末だ。

 

 主犯の里見蓮太郎は一時同じ救急医療センターで治療を受けていたが、容態が安定すると警察によって拘置所に移送された。拘置所の場所については機密事項となっており、今、彼がどこに収容されているのかは誰にも分からない。無論、テロの目的も背後の組織についても明かされておらず、聖居から正式な発表もない。全てが謎のままだが、一応、勝利と言える結果になったことに壮助は安堵した。

 

 蓮太郎を止めるために戦って負傷した片桐玉樹、片桐弓月も入院していた。彼らは動けるようになると早々に退院したが、後遺症が残ったのか、それとも里見事件に何か想うところがあったのか、あれから一度も民警として活動していない。弓月はこれまで通り高校に通っていることに対し、玉樹が民警の現場に姿を現さなくなったことから、一部の界隈では「片桐玉樹死亡説」が流れている。

 

 蛭子小比奈は自衛隊に保護され、その後は同じ救急医療センターで1ヶ月近く入院した。人間ならともかく、呪われた子供で1ヶ月入院というのはかなりの重症だったことを示す。彼女は容態が安定した後、ベッドの上にいたまま警察の取り調べを受けていた。「テロの“共犯者”ではなく、あくまで“関係者”として扱っているようだった」と勝典は語っていた。その後、動けるようになると彼女は警察に拘束され、拘置所へと移送された。逃げ出したり、抵抗したりする素振りは無かった。テロリスト・猟奇殺人鬼として厳重な処罰が下されるか、それとも生まれ育った特殊な環境を考慮されるか、東京エリアの司法がどちらに判決を下すかは分からない。

 

 壮助は、小比奈と一緒に倒れていた金髪の女性について尋ねてみたら、勝典はふふんと何か知っているそうな笑みを浮かべた。

 

「死者0名って正式に発表があったんだ。そいつも大丈夫だし、お前もいずれ世話になる」

 

「は? 」

 

 壮助は困惑したが、その言葉の理由を聞くことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 それから、壮助の日常は菫の検査と2ヶ月寝たきり生活で衰えた身体のリハビリの繰り返しだった。

 あの室戸菫が自分の担当医になったことには驚かされた。彼女から「君の内臓はほとんど燃えカスになっていたから、全て賢者の盾に入れ替えた」と聴かされた時は衝撃だったが、慣れてしまうと特に意識することはなくなった。食事も排泄も新陳代謝も以前と全く変わらない。時折、自分の中身がバラニウムの機械に入れ替わっていることを忘れてしまうくらい賢者の盾は壮助の身体に馴染んでいた。

 それよりも防衛技研で厳重に保管されていた賢者の盾を自分の代替臓器として使うことを許可し、レンタル料も取らない聖居の太っ腹ぶりに驚かされたが、その代わりに何を要求されるか分からないことが恐ろしかった。

 賢者の盾は壮助を生かす臓器であると同時に壮助を“東京エリアの”機械化兵士として縛り付ける首輪になっていたのだ。聖居がその気になれば、壮助を生きている限り機械化兵士として使い潰すことができる。そこから逃れるには国家転覆させるか自殺するしか無い。

 悪く言えば自分の臓器を聖居に握られ、彼らの飼い犬になっているが、良く言えば、もし聖居が賢者の盾の使用権を材料に何かしらの要求をしてくるなら、そこを通じてコネクションを手にすることが出来る。やり様によっては聖居から仕事を回して貰えるチャンスが与えられる。東京エリア中の民警が喉から手を出しても欲しい繋がりを臓器一つで手に入るのだ。悪い話じゃない。自分の野心的な皮算用を聖居側がが把握していたとしてもメリットは大きかった。

 

 ――まぁ、向こうが本当に善意でこれを提供していて、何も要求してこないなら余計に頭使わなくて助かるんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 更に1ヶ月後――里見事件終結から3ヶ月。

 

「いくら設備が整っているとはいえ、こんな日当たりの良い健康的な医療センターに居続けるのは流石の私も堪える。浄化されて消えてしまいそうだ。君も入院生活には飽きただろう。今日で退院だ」

 

 それらしい(らしくもない? )理由を並べて、菫は突然、壮助に退院を言い渡した。

 

 壮助の身体はまだ本調子という訳では無かったが、普通に生活する分には問題ないくらいには回復していたし、彼女の言う通り入院生活には飽きていた。生活費や保険のことも考えれば早々に退院して費用を抑えたいと思っていた頃だ。

 

「タクシーを呼んで第三駐車場に待機させている。私からの餞別だ。それに乗って帰ると良い」

 

 壮助は菫のやけに珍しい妙な気遣いを不審に思ったが、ここは素直に彼女の好意を受け取ることにした。

 

「“それ”をただの代替臓器で終わらせたくないなら、私の研究室に来なさい。素敵なコーヒーとお茶菓子、ワクワクする昔話も用意してあげよう」

 

「ゾンビドーナツの洗礼が無いなら来てやるよ。先生」

 

 そして今、壮助は荷物をまとめて、3ヶ月間世話になった医療センターを出て、菫がタクシーを呼んである第三駐車場へと向かっていた。

 ようやく家に帰れるという安心感と同時に詩乃1人に任せてしまった家が滅茶苦茶なことになっていないかという不安、おそらく底をついているだろう生活費、今回の手術費用や入院費に保険が適用されるかどうかの心配、様々な不安が頭を過る。

 そんな壮助の不安を余所に詩乃は壮助の退院を喜び、鼻歌を交えながら隣を歩く。目を覚ましてからしばらく学校をサボって病室にいたが、壮助の説得により学生生活へと戻った。

 しかし、菫から退院を言い渡された直後、彼女に「今日、退院する」と電話したら、午後の授業をサボってやって来たのだ。平日の昼間に制服姿はかなり目立つ。

 第三駐車場に着くと2人は目を丸くした。普通乗用車が3~4台ほど停まれるスペースを1台のリムジンタクシーが長い胴体を使って占有していたのだ。

 リムジンタクシーの窓は客のプライバシーを守るためか内部が見えないようになっていた。しかし、窓の1つが下がり、リムジンの“先客”が顔を見せる。

 白磁のような美しい肌、大雪原のように畏怖すら覚える美しい髪、白いスーツも相まって、

 清廉潔白という言葉を体現したような女性がそこいいた。

 壮助と詩乃は愕然とした。まさか、こんな建物の裏側、日陰の駐車場に東京エリアの国家元首“聖天子”がいると一体誰が予想できただろうか。

 

「義搭壮助さんですね。貴方とは一度、1対1で話がしたいと思っておりました」

 

 乗車を促すようにリムジンの扉が開く。しかし、壮助の足は進まない。狼狽えながらもしっかりと周囲の状況を見渡し、聖天子に視線を戻す。

 

「2つ、条件を出しても? 」

 

「…………呑めるものであれば」

 

 壮助の絞り出した言葉は聖天子にとって予想外のものだった。国家元首――独裁政権の女王に取引を持ち出す壮助の胆力に驚かされる。壮助の護衛にはイニシエーターがいて、聖天子の護衛には運転手の男1人だけという状況だから強気に出ているのか、それとも機械化兵士となった自分の政治的価値をここで試しているのか。彼がどんな条件を出すのか、胸の奥で戦々恐々としている。

 

「1つ目は詩乃も一緒に連れて行くこと」

 

「構いません」

 

 1つ目は呑める要求だった。窓越しに詩乃の姿が見えて居た時点で聖天子は壮助がそう言って来るだろうと思っていた。

 

「しかし、1対1で話がしたいというのは私なりの配慮です。これから私がする話の内容は貴方にとって他の誰かに聞かれたくない内容かもしれませんので。それでも構いませんか? 」

 

「お気遣いありがとうございます。それでも、詩乃は連れて行きます」

 

 ここで彼が敬語を使っていることにも驚かされる。聖天子が相手なのだから当たり前なのだが、彼は蓮太郎の様に言葉で上下関係を作らないタイプの人間だと思っていた。

 

「分かりました。――それで、もう一つの条件とは? 」

 

「里見蓮太郎への面会」

 

 聖天子は「こっちが本命の要求」だと悟った。1つ目と2つ目では要求の重さが違い過ぎる。自分の価値を試すかのように不敵な笑みを浮かべていた彼が、懇願するように目を合わせる。つい数ヶ月前までの彼は過酷な運命を知らない、少しやんちゃが過ぎただけの“少年”であることを改めて認識させられる。

 

 ――案外、可愛げがあるのですね。

 

「そんなに物欲しそうな眼をしなくても大丈夫です。こうしてお迎えしたのは、元々、貴方を里見蓮太郎の下に連れて行くことが目的でしたから」

 

「してないっすよ。聖天子様」

 

 処罰覚悟で提示した要求をノーダメージで呑まれてしまった壮助はばつが悪そうに聖天子から視線を逸らした。

 壮助たちを迎え入れるかのようにリムジンのドアが自動で開く。人生で初めて乗る高級車、その上同席しているのは美人の国家元首という状況に心臓をバクバクさせながら壮助はリムジンに足を踏み入れた。落ち着いて、何事にも動じない詩乃とは正反対だ。

 2人を乗せるとリムジンは走り出した。

 クリーム色を基調とした明るく柔らかい雰囲気を醸し出す内装、左右に座席が設けられており、対面する形で2人と聖天子は座る。間にテーブルを挟むスペースは無いため、かなり距離が近い。

 

「まずは昇格おめでとうございます。先日、IISOはお二方のご活躍を認め、IP序列7000位への昇格を決定いたしました。ライセンス証はIISO東京エリア支部を通して正式に発行されますので、しばらくお待ちください」

 

 7000位、民警の上位7%に位置する高ランク帯だが、元が9644位でそこから7000位というのは、国を揺るがすテロを阻止し、IP序列元50位を仕留めた功績としては世知辛いもだ。しかし蓮太郎を仕留めたのは壮助たちが戦う前に蓮太郎の戦力を削った片桐兄妹と自衛隊の功績が大きいとIISOは判断したのだろう。確かに玉樹が蓮太郎の左目を潰していなかったら壮助たちは相手にすらならなかった。文句は言えない。

 

「……ありがとうございます」

 

 壮助は聖天子から視線を逸らし、照れた顔を隠すように頭をかいた。松崎民間警備会社の面々以外から祝辞を送られるなんて何年振りだろうか、受け取り方を忘れて久しかった。

 

「少し時間がありませんので、本題に入りましょうか」

 

 聖天子の言葉で壮助と詩乃の姿勢が正される。威圧されたと言うべきか、オーラに呑まれたと言うべきか、彼女を前にすると諸々のものを正さなければならないと考えてしまう。

 

「ご存知かもしれませんが、現在、里見蓮太郎の身柄は警察が拘束し、取り調べを行っています。しかし3ヶ月経った今になっても背後の協力者や組織について情報を得ることが出来ていません。お恥ずかしい話ですが、私達は手をこまねいている状態です」

 

「それ、俺は無関係ですよね? 俺もあいつの背後関係は知らないですし」

 

「関係はあります。先日、里見蓮太郎から司法取引の提案がありました。接見禁止の身ではありますが、特別に貴方と面会の場を設ければ、その代わりに自分の協力者に関する情報を開示すると――」

 

 背後の協力者と組織に関する情報は今の蓮太郎に残された最大の武器だ。司法取引に使うことは聖居も警察も壮助ですら予想出来ていたが、まさか1人の民警と面会する為に使うとは思ってもいなかった。

 “あの”里見蓮太郎が自分に会いたがっている。壮助は自分にそれだけの価値があると少し嬉しく感じながらも、最大の武器を投げ売ってまで自分に会おうとするのか、その理由の底知れなさに身震いする。

 

「正直、信じられませんね。あいつから見れば、俺はギャーギャー叫んで鉄火場に突っ込んだ挙句、瞬殺された頭の残念な民警ですよ。序列だって、今回の成果だって、隣の相棒が強いから成し遂げられたことです」

 

「ですが、里見蓮太郎は情報を提供するに値する価値を貴方に見出しました。どんな思惑があるのか分かりませんが、今はそれが事実です」

 

 壮助は固唾を呑んだ。蓮太郎は自分に会って何を話すつもりなのだろうか。あの時、ブレスレットを壊した時の怒りをまたぶつけて来るのだろうか。灼熱の剛腕に腹を貫かれ、血液と内臓が蒸発する感覚がフラッシュバックする。壮助は冷や汗をかき、無意識に抉られた腹を抑える。

 

「ところで、お身体の調子はどうですか? 気分が優れないようですが」

 

 緊張する壮助の様子を察し、聖天子は雰囲気を崩す。国家元首、法治国家の長としての固い表情を取り払い、一人の淑女として柔らかく壮助の緊張を解す。

 

「大丈夫ですよ。見ての通り、ピンピンしてます。いや~賢者の盾ってのは凄いっすね。バリア発生装置かと思えば、ガストレア洗脳装置になったり、今は俺の臓器になったり……。室戸先生に言われなかったら、多分死んでも自分の臓器がバラニウムの機械になっているなんて気付きませんでしたよ」

 

 彼女の意志とは裏腹に壮助は心に仮面を被り、演技がかったジェスチャーで「自分は大丈夫です」アピールをする。例え、相手が国家元首でも自分が弱ったところは見せられなかった。

 

「そうですか。馴染んで良かったです」

 

 

 

 

 聖天子は不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「いえ、馴染んで当然でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――だって、それは、“貴方の父親の臓器”なんですから」

 

 

 

 

 聖天子の言葉に車内の空気が凍り付いた。

 

 

 

 壮助は聖天子の言っていることが理解できなかった。理解していても信じることは出来なかっただろう。瞳孔が開き、驚愕を隠せないでいる。

 もし、彼女の言っていることが本当なのだとしたら、全てが嘘になる。自分の出生も、両親だと思っていた人達も、自分の名前ですらも――――。そんな訳がない。自分がそんな特別な人間な筈がない。もしかしたら解釈違いなのかもしれない。自分は聖天子の言葉を誤解しているだけで、“自分が思っているようなこと”ではないかもしれない。

 

「な、なぁ? 聖天子様。俺を誰かと勘違いしていないか? 俺は義搭壮助。親父は普通のサラリーマンだったし、ついでに言うとお袋は専業主婦だった」

 

「義搭幸篤と義搭真矢は貴方の経過観察のために派遣した聖居情報調査室の調査員です。貴方との血縁関係はありません」

 

「え? いや、ちょ、ちょっと待ってくれ――ください。全然頭が追い付かねえ」

 

「認めないのであれば、回りくどい言い方は止めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

――貴方は、蛭子影胤の息子、人為的に呪われた子供を作ろうとした実験の“失敗作”です」

 

 

 

 

 

 

 愕然とし、突き付けられた現実に壮助は狼狽える。しかし、聖天子は意に介さない。壮助の前に立ちはだかる非情な現実の象徴のように彼女は話を続けていく。

 

「ガストレア大戦当初、蛭子影胤は人為的に呪われた子供たちを生み出すため、数多の女性を誘拐して妊娠させ、受精卵にガストレアウィルスを投与するという非人道的な実験を繰り返していました。蛭子影胤を追跡していた防衛省は彼の実験を初期段階から察知し、彼の実験場とされる施設の一つを制圧しました。残念ながらそこは既に蛻の殻となっており、蛭子影胤と“娘たち”、実験に関する機材は残されていませんでした。しかし、そこで突入した隊員達は“貴方”を見つけたのです。

 

 廃棄物処理場で“母親たち”の死体と共に生きていた貴方を――」

 

 想像するだけで身震いする。情景を思い浮かべるだけで吐き気がする。あまりにも“まともじゃない”出生を聞かされ、壮助は口を噤む。どんな感情を浮かべれば良いのか分からない。ただ、そんな壮助の心情を察し、隣で握ってくれる詩乃の手が彼を平常に抑える。

 

「隊員達は貴方を保護し、然るべき機関で貴方の治療や研究を行いました。結果、貴方はガストレアウィルスの投与が失敗したことにより、呪われた子供にならなかった“普通の人間”で、それ故に失敗作として廃棄処分されていたのだと結論付けました。

 その後、本来でしたら戦災孤児として施設に預けようと思っていたのですが、当時、聖居情報調査室に勤務していた義搭幸篤・真矢夫妻が貴方の引き取りを申し出たため、貴方を“義搭壮助”として育て、社会に出すことにしました。経過観察のし易さで言えば、むしろそちらの方が好都合だったと言うのもあります」

 

「御理解いただけましたか? 」と最後に言葉を添えて、聖天子の話は終わった。沈黙が車内を支配する。静かになるよう配慮された車の駆動音だけが響く。聖天子も詩乃も口を噤んだままだ。その渦中にいる壮助に何と声を掛ければ良いのか分からなかった。

 

「フッ……クックックッ………アッハハハハハッハハハハハハ! ! ! ! ! ! ! 俺が蛭子影胤の息子! ? そんな俺が民警になってテロリストになった里見蓮太郎を倒す! ? 何だよ! ! それ! ! 最高だな! ! どこの誰だよ! ! そんな皮肉の効いたシナリオ書いた奴は! ! クソラノベオブザイヤー殿堂入りだぜ! ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! ! 」

 

 壮助はひとしきり笑い終えると腹を抱えながら俯き、「ヒヒヒ」とどこかの誰かに似た笑い声を零す。そして彼の口から声が途切れるとバッと顔を上げて聖天子を睨んだ。

 

「アンタ最低だ。今、このタイミングで話すことかよ。何? 宿敵の息子として会いに行けって言うんですか? 」

 

「彼は貴方が蛭子影胤の息子であることを知りません。その情報を開示するかどうかは貴方に任せます。ただ、知っていて欲しかったのです。貴方がどれほど絶望的な状況で生を受け、どれだけの人間に幸福を願われた人間なのか。

 

 

――そろそろ時間のようですね」

 

 彼女の言葉に示し合わせたかのようにリムジンが止まる。窓の外を見ると雑木林が見える。大戦前の山間道路を走ってきたようだ。モノリスも間近に見える。運転席側を見るとトンネルがあり、そこには陸上自衛隊の車両と数名の自衛官、その中に混じって警察の機動隊員もいる管轄や指揮系統のよくわからない光景が広がっていた。それだけ里見事件、主犯の里見蓮太郎に対する扱いは特例だらけなのだろう。

 自衛隊員たちに敬礼されながらリムジンはトンネルの奥へと入って行く。遺跡のような外観とは裏腹に舗装された内部、核シェルターのように重厚な金属の扉、内部で様々なやり取りを行う迷彩服の男たちとスーツ姿の男たちを通り抜けた。

 リムジンの壮年のスーツ姿の男が近づき、壮助だけリムジンから降りるように言われる。自己紹介されなかったが、背格好や身の振り方から考えると警察側の人間だろう。

 

「最後に一つだけ言わせて下さい。あの2人の貴方に対する愛情は本物でした」

 

「……言われなくても分かってますよ」

 

 警察(?)の男に案内されながらまた幾つかのゲートを通った。人間一人を閉じ込めるには大袈裟な設備に思えたが、その人間にIP序列元50位というステータスが付けば話は変わる。むしろ、これだけで大丈夫なのだろうかと思えてくる。

 何度か金属探知機に引っ掛かった。身体の中がバラニウムの塊なので当然なのだが、壮助の身体の事情を隊員は知っていたのか、上着を脱がし、ポケットを調べる程度に留めた。

 そうこうしている内に壮助は蓮太郎が待っている部屋の前に辿り着いた。

 

「時間は30分。見張りは置かない。君たちの会話も一切記録しない。ただ、映像で監視は行う。何か質問は? 」

 

「いや、ないです」

 

 スーツ姿の男がカギを出し、ガチャガチャと何重にもかけられたロックを外していく。IP序列元50位を閉じ込めるには随分とアナログだなと思われるが、東京エリアの電波放送をジャックし、天の梯子をハッキングした協力者の存在を考えるとデジタル化しない方が正解だった。

 

 鋼鉄張りの壁と天井、ステンレス製のテーブルと椅子、無彩色で彩られた味気ない部屋だ。蛍光灯が照らすが温かみは感じられない。清潔感だけはあった。

 

 視線の先、テーブルを挟んだ向こう側の椅子に里見蓮太郎は座っていた。仮面を外し、義眼を破壊された左目を眼帯で被い、彼は残った右目は虚空を眺めている。圧倒的な破壊力を見せた右手の義肢もセラミック製のものに代わっている。日常生活なら問題ない強度だが戦いでは到底役に立たなさそうな代物だ。ズボンと靴で見えないが、おそらく足も同じようなものに代わっているだろう。両手も手錠で縛られていた。

 

「よう。会いに来てやったぜ。里見蓮太郎」

 

 壮助は何の断りも無く蓮太郎の対面に設置された椅子に座る。

 壮助が部屋に入ってから蓮太郎は微動だにしない。ちゃんと彼の存在を認識しているかどうかすら怪しい。実は蝋人形と言われても、もう死体になっていると言われても信じてしまうくらい今の里見蓮太郎は“生きていなかった”。

 

「何か話があるんだろ? 30分しか無いんだ。さっさと話すこと話そうぜ」

 

 壮助が語り掛けても蓮太郎は何も応えない。背後関係を吐くどころか、そもそもこの司法取引は本当に彼が提案したことなのかどうかすら怪しく思える。

 

「そっちから話さないなら、こっちから話すぞ。

 

 

 

 ――――その、悪かったな。アンタの大切な物、ぶっ壊して」

 

 壮助は目を泳がし、最終的に視線を左に逸らした。恥ずかしがりそうに女々しく腹の前で指を絡ませる。

 

「室戸先生から聞いた。俺がぶっ壊したブレスレット、藍原の形見なんだろ? あの日本刀も幼馴染の形見だって聞いた。…………ごめん」

 

 蓮太郎の瞳孔が動く。顔が上がり、焦点が壮助の顔に合わせられる。死人のようだったポーカーフェイスは崩れ、掻き消えてしまいそうな儚い笑顔を見せる。

 

「いや、良いんだ……。これ、6年前にも一度壊れたんだ。それをテープ貼り付けてくっつけていた。……忘れていた。………………ずっと忘れていたかった」

 

 ステンレステーブルの上に雫が滴り落ちる。乾いていた蓮太郎の目から涙が、感情が零れて行く。

 

「俺は……この世界が憎い。

 

 

 俺から大切なものを奪い続けた世界が、俺から居場所を奪った世界が、憎くて憎くて堪らない。みんなガストレアに食われて滅んでしまえと何度も思った。ガストレアがやらないなら、俺がこの手で一人でも多く地獄に送ってやろうと思った。けど、延珠と木更さんが最後まで守ろうとしたこの世界を憎み切ることが出来なかった。

 

 耐えられなかった。

 壊れてしまいたかった。

 狂ってしまいたかった。

 何もかも全部終わりにしたかった。

 でも無駄にも出来なかった。

 延珠と木更さんと、“あの時の自分を”裏切ることが出来なかった。

 俺は自分で自分を決めることが出来なかった。

 

 だから、東京エリアに委ねたんだ。俺は『何者』になるべきなのか」

 

「……アンタの憎悪は本物だ。その正義の心も本物だ。両方とも本物だったからこそ、アンタは持ち併せることも、どちらかを手放すことも出来なかった。

だから、里見事件を引き起こした。聖居を破壊すればアンタは蛭子影胤(正義への復讐者)になり、どこかの民警が正義の名の下にアンタを倒せばそいつに里見蓮太郎(正義の味方)の役を押し付けてアンタは終わる。テロが成功しても失敗してもアンタの“勝ち”だった。あのテロは最初から最後まで茶番劇だった」

 

 壮助は小馬鹿にするように「へっ」と蓮太郎に向けて笑い飛ばす。

 

「けどお前は負けた。テロは成功せず、里見蓮太郎を止めた英雄の名前を東京エリアのみんなは知らない。シャバに出たら聞いてみれば良いさ。『里見蓮太郎を止めたのは誰だ?』って。そうしたらみんなこう答える。『自衛隊と空港に残った民警達が止めたんだろ』ってな」

 

 里見蓮太郎は自衛隊の火力と民警達による数の暴力で止められた。――というのが聖居の公式発表だ。壮助が死に掛けたことや片桐兄妹の死闘、詩乃が一人で追い詰めたことも世間に知れ渡ることは無く、里見事件の終結は自衛隊と名も無き民警達という不特定多数の人物による功績となった。個人の成果であれば英雄が生まれるが、組織の成果となれば個人が表彰されることはない。里見事件の中で“英雄”は生まれなかった。

 

 蓮太郎は静かに聞くと、「ふっ」と壮助を小馬鹿にしたように笑う。

 

「そうか……。俺の負けか。――本当に聖天子(あいつ)もやるようになったな」

 

 蓮太郎は椅子の背もたれに身を預け、身体を沿って天井を見上げる。勝てる筈の戦いで負けたという事実を前に気持ちを整理させていた。負けたというのに彼は喜んでいる。顔は見えないが微笑しているような気がする。待ち侘びた自分の終わりが目の前にあるかのようだった。

 壮助は時間が惜しいと思いながらも蓮太郎を静観する。

 

「俺はただ終わりたかった。何もかも吐き出して滅茶苦茶にして、東京エリアに俺を徹底的に滅ぼして欲しかった。最初は、世界一迷惑な自殺だった」

 

「だったら、どうして? 」

 

「防衛省の一件の時、お前が居たからだ」

 

 意外な答えに壮助は硬直する。自分は事件の渦中に飛び込んだ余所者だと思っていた。居ても居なくても事件はどうにかなっていただろうと思えるくらい全体的には無価値だと思っていた。里見事件の根底に自分がいるとは信じられなかった。

 

「昔、風の噂で聞いたことがある。延珠が退学になった後、そのことに怒って暴力事件を起こした少年がいると。ただの噂だと思っていた。そんな奴がいる訳がない。序列が上がって有名になった俺のご機嫌を取るために誰かがでっち上げた贖罪の作り話だと、そう思っていた。

 けど、あの時、松崎さんの前に出たお前が延珠のことを聞いて来た時に分かったんだ。あの噂は作り話じゃない。実際にあったことで、そいつは民警として今目の前にいるってことが。そうしたら、お前が昔の俺みたいに見えて来た。殺してしまいたいほど羨ましくなった。俺の“正義”を引き受けてくれるんじゃないかと思えて来た」

 

 壮助は心を突かれた。藍原延珠が追い出された数日後、正義を貫く悪になると決めた日、義搭壮助は教師に掴みかかった。生徒を生贄にしたと罵り、殴った。けど、それは迫害された少女には何ら意味の無いことだったし、何の為にもならなかった。短気な少年が自己満足のために起こした暴力でしかなかった。だが、あの昇降口で憧れた英雄の耳に届いていた。彼の記憶の片隅に留められる程度には意味があった。その事実だけが壮助の中であの日の出来事に価値を色付けていく。

 

 ――――何でだよ……。何で俺がそんな風に見えたんだよ! !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう……。延珠の為に戦ってくれて」

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の時間が止まった。

 

 なりたいと思った。目指していた存在に告げられる感謝の言葉。

 

 それは、この6年間で義搭壮助が追いかけ、諦めたものだった。

 

 壮助は噛みしめる。

 

 嬉しさで笑顔を浮かべる訳にはいかない。

 

 涙を流す訳にはいかない。

 

 その言葉を受け取る訳にはいかない。

 

 受け取ってしまえば、自分は迫害された少女を救うために戦った正義の味方になってしまう。

 

 里見蓮太郎と同じ正義を抱いた人間になってしまう。

 

 義搭壮助を正義の味方の役に据えて、里見蓮太郎は役目を終えてしまう。

 

 

 

 ――それじゃあ駄目だ。俺はアンタにはなれない。里見蓮太郎にはなれない。

 

 

 里見蓮太郎は正義の味方でなければならない。

 ()()()()()()()()()()()()()()の代わりに、彼は正義の味方で在り続けなければならない。

 

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃねえぞ! ! ロリコン拗らせたメンヘラ野郎が! ! 」

 

 

 

 

 

 壮助はテーブルを蹴り飛ばし、その勢いで蓮太郎を椅子から突き飛ばす。手錠をかけられていたせいで受け身が取れず、蓮太郎は肩から地面に落ちる。あの事件以降、身体を動かしていなかったのも災いした。

 壮助は両腕で蓮太郎の襟首を掴み、持ち上げた壁に叩きつけた。

 

「俺は、あのクソ教師がムカついたからぶん殴っただけだ! ! “俺が”ムカついたから病院送りにしただけだ! ! 藍原の為でもねえし、アンタの為でもねえ! ! 感謝なんていらねえし、そんなワゴンセール投げ売りの正義なんて誰が貰うか! ! 俺は俺の為に戦う! ! 俺の正義(エゴ)の為に戦う! ! アンタが守って来た連中だって俺の敵なら問答無用でぶっ殺してやる! ! 」

 

 映像で監視していた刑事たちが部屋に突入し、背後から壮助を羽交い絞めにする。数人がかりで壮助と蓮太郎を引き離し、両腕を掴んで壮助を部屋から引き摺り出していく。

 

「まだ守りたいものがこの世界に残っているんだろ! ? だったらそのダセエ手足どうにかしろ! ! 自分で守れ! ! 全部手遅れになったって、俺は知らねえからな! ! 」

 

 刑事たちに引き摺り出された壮助の姿が見えなくなる。重い鉄扉が閉まり、向こう側から何重ものロックがかけられる。扉の向こうであの少年はまだ何かを叫んでいるのだろう。蓮太郎の耳に声が響いて来るが、何と言っているのかは分からない。

 蓮太郎は壁に背を付けたまま床に腰を下ろし、意味も無く天井を見上げる。

 

「延珠……木更さん。あいつは何なんだ? お前らの差し金か? 裏切るなって言いたいのか? こんな俺に……まだ戦い続けろって言うのか……」

 

 誰にも聞こえない独り言が部屋で響く。

 

 

 

 そう語りながら、蓮太郎がどこか嬉しそうに笑っていたことを知る者はいない。

 

 




・第一章 あとがき

ようやく書き終わりました!!ここまで読んでくださってありがとうございます!!
妄想が止められずに書き始めたは良いものの「プロット?なにそれ?」な人間だったので話が二転三転し、キャラクターがブレブレブレブレブレまくって、整合性を持たせようと四苦八苦している間に書き始めていた頃の妄想すら忘れ、自分ですらオリキャラの口調も忘れてしまう始末。
「あー!!こここういう設定にしときゃ良かったー!!俺の馬鹿―!!馬鹿―!!」「精神と時の部屋があったら書き換えたい!全部書き換えたい!」と頭を抱え、ノリと勢いで色んな要素をぶっこんでは扱いきれず、迷走暴走を繰り返して終いには脱線して、それでも這いずり回ってようやく書き終えた次第であります。
伏線は後の章で回収します(多分)。

今回の長編から得た教訓としては、「小説を書く時は計画的に!」ってことですね。
皆さんも気を付けましょう。


・義搭壮助という主人公について
本当に何も考えずに書き始めた作品なので、壮助のことについても特に考えず、「とりあえず蓮太郎と逆の要素を持たせよう」という安易な逆張り精神で銃がメインの金髪ヤンキーというキャラクターになりましたが、やっぱり格闘戦やらせないと盛り上がらないなーということでナイフを持たせたり、後の章の為に内臓ふっ飛ばしてバラニウムを詰め込んだりした次第であります。
しかし、書いている間に原作を読み直したことで蛭子影胤というキャラクターに対する見方が変わり、それに伴って本作の蓮太郎、小比奈のコンセプト、彼・彼女と壮助の関係性について考え直す必要が出て来ました。
それ釣られて義搭壮助というキャラクターについて考え直した結果、蓮太郎に正義の味方であって欲しい藍原延珠の願いと蓮太郎が羨ましくて仕方がない蛭子影胤の嫉妬を混ぜたツンデレ・ヤンデレ・ヤンキーデレを拗らせた面倒くさい主人公になってしまいました。第二章以降“は”ちゃんと主人公やりますので今後もよろしくお願いします。

この作品を読んでくれた方
お気に入り登録してくれた方
評価を入れてくださった方
感想を送ってくださった方
メッセージを送ってくれた方

改めてお礼申し上げます。 ありがとうございました。

ここから先は第二章の予告です。









西暦2020年代、寄生生物“ガストレア”の出現により人類は絶滅に危機に瀕するだろう。




――という都市伝説があったが、2037年になってもガストレアは出て来なかった。

東京の大学を卒業し、地元にある勾田高校に教師として赴任した里見蓮太郎は帰郷初日に幼馴染の天童木更に告白するが「ごめんなさい。里見くんのことは弟みたいに思ってたから」と言われて玉砕する。その意気消沈ぶりから噂は瞬く間に学校中に広まるが、それは少女たちによる“先生争奪戦”の始まりだった。

「スプリングフィールド(カブトムシ)は可愛いな……。ほら、今日の餌だ…………」
――玉砕して意気消沈中の高校教師 里見蓮太郎(22)


「大丈夫だ。妾と蓮太郎だけはずっとずっと一緒だから。夫婦として☆」
――バスケット部のエース&補修のエース(?) 藍原延珠(16)


「お兄さんに『毎日、お前のピザが食いたい』って言わせてみせます」
――アメリカからの留学生にしてピザ狂い ティナ・スプラウト(16)


「ごめん! ! 里見くん! ! お金貸して! ! 」
――株と投資とFXと先物取引で有り金全部溶かした女 天童木更(22)


「里見ちゃん。うちなら合法や♪合法♪いつでもウェルカムどす」
――どこか胡散臭い先輩教師 司馬未織(23)


「何であいつばっかりモテるんだろうなぁ! 世の中不公平だよなあ!」
――蓮太郎の悪友(その1)喫茶店経営 水原鬼八(22)


「それ……私に対する嫌味? 」
――鬼八の喫茶店の常連 紅露火垂(16)


「可哀想に。彼女たちの頭は里見菌に侵されてクルクルパーになってしまったんですね」
――蓮太郎の悪友(その2)病弱少年の暗黒進化 巳継悠河(22)


傷心の彼を癒して、奪え!!
恋に恋する乙女たちの先生争奪戦ハイテンションラブコメディ!!

ぶらっく・ぶれっと!! 第二章「恋愛少女の狩猟録」

西暦20XX年 ハーメルンで連載開始!!






※嘘です




はい。ごめんなさい。第二章の予告は嘘です。
実はこの第一章最終話に入れようと思ったけど、入れられなかったシーンがあるのですが、その中に第二章にも繋がるエピソードがあるため、それらをまとめた「幕間の物語」を次回更新して、そこの後書きに本当の第二章予告を入れようと思っています。

騙して申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いします。


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幕間の物語
始まりの鐘は鳴る


前回「里見蓮太郎になれなかった少年」で語れなかった里見事件のその後の話です。

後書きに第二章の予告も入ってるよ!


 時は遡り、里見事件終結から1ヶ月後――

 

 雑居ビルが建ち並び、居酒屋、バー、漫画喫茶、キャバクラ、風俗の看板が入り乱れる東京エリア某所。仕事帰りのサラリーマンやこれからサークルの飲み会で盛り上がる大学生で表通りは盛り上がりを見せる。そこから脇道に入れば、古き良き昭和の匂いを残した小さな居酒屋やスナックが並ぶ。ワンカップ焼酎で酔っ払い道の端で訳の分からないことを叫ぶホームレス、外に駄々漏れになるほど大声で笑い合う低所得労働者たち、そんな喧騒を抜け、大角勝典は目的の居酒屋に入った。

 1階は女将の顔がよく見えるカウンター席、奥には座敷、左手には古い家屋によくある勾配の高い階段が見える。そこから2階に行けるのだろう。

 

「いらっしゃい。これは随分と大きなお客さんだねえ……。1人かい? 」

 

「いえ。連れが先に来ているのですが……」

 

 そう言いつつもカウンター席、座敷を見回しての連れの姿が見当たらない。もしかして店を間違えたのだろうかと勝典は少し不安になる。

 

「あー。悪い悪い。女将さん。俺の連れだ。あとこいつに鬼殺しの熱燗用意してくれ」

 

 左手の勾配のある階段から遠藤弘忠警部が姿を現した。

 遠藤に連れられ、勝典は階段を上った。階段と2階の座敷を隔てる扉を抜ける。10人ぐらいが入る団体客用の座敷スペースがあったが、今は貸し切り状態だ。勝典は靴を脱いで座布団に腰を掛けた。

 

「すまない。遅くなった」

 

「大丈夫だ。こっちこそ悪いな。こんな離れた場所に呼んで」

 

 向かいに座る遠藤は勝典をじっと見るとニヤリと笑みを浮かべた。

 

「それにしても、大角。思った以上に無事みたいだな。てっきり包帯の一つや二つ巻いていると思っていた」

 

「相棒とバカ共を乗せたワゴンを運転して、遠くから1発撃っただけだからな。ただ、お陰で事後処理のゴタゴタの中で色々と動くことが出来た。――ところで、お前の隣に座っているのは、件の多田島茂徳警部でよろしいですかな? 」

 

 勝典は遠藤の左隣に目を向ける。警察関係者というのはファッションセンスも似通ってくるのだろうか。くたびれたワイシャツの袖を捲り、タバコをふかす姿は遠藤に似ている。遠藤との違いを挙げるとすれば、ややメタボ気味な遠藤とは違い、彼の身体は年齢の割に引き締まっていることだろう。どちらが現役でどちらが引退した身なのか分からない。

 

「ああ。ちなみに“元”警部だ。昔は勾田署にいた」

 

「松崎民間警備会社所属の大角勝典です。遠藤警部とは何かとお世話になっております」

 

 勝典は正座し、懐から名刺を出して多田島に差し出す。所作は営業マンそのものだ。

 

「今時の民警は名刺を持ってるのか」

 

「一応、企業ですから」

 

 多田島は名刺を受け取る。本人の名前と企業名・事業所の住所が記されているシンプルなものだが、見たことのある事業所の住所が目を引いた。

 かつて天童民間警備会社のあった場所だ。里見蓮太郎が去り、天童木更も死んだ今、あそこは空きテナントになっているか別の会社が入っているだろうと思っていたが、まさか民間警備会社が入り、その会社の民警がテロリストになった蓮太郎を追ったことに運命染みたものを感じる。

 女将が酒とつまみを持って来て、それぞれの器に酒が注がれる。

 

「自己紹介は終わりにして、本題に入ろう」と遠藤が切り出した。

 

「あのテロで俺達所轄は蚊帳の外に放り出された。首なし死体事件の捜査も警視庁の特捜部に持って行かれた。だからテロの前、お前に話した情報以外で目新しいものは何も無い。むしろ、お前から色々と話を聞きたくてこの場を設けたぐらいだ」

 

 勝典は多田島に目を向けるが、彼は不機嫌そうに卓に膝を突いた。

 

「俺は警視庁の後輩にちょっと話を聞いてみたが、やっぱり駄目だな。あれほどデカい事件だと情報のロックが固すぎる。警備局にも知り合いはいるが、職務に忠実な連中だ。拷問されても口は割らんだろう」

 

「――ということは、俺が一方的に情報を提供することになる訳だ」

 

 勝典の言い方にはトゲがあった。勝典と遠藤は協力体制にある。しかし、それは互いにギブアンドテイクのバランスがとれている対等な関係だからこそ成立しているものであり、そのパワーバランスが崩れればすぐに崩壊してしまうドライなものだ。勝典が遠藤の誘いに乗ったのは警察が持っているガストレアテロに関する情報を代わりに入手できると思っていたからだ。彼らに出せるものが無いのであれば、勝典から出すものもない。

 

「分かった。ここは俺の奢りだ」

 

「たかだか数千円じゃ出せる様な情報ではないな。結果的に無事だったとはいえ、死を覚悟して鉄火場に飛び込んで手に入れた情報だ」

 

「人の足元見やがって。じゃあ、何が欲しいか言ってみろ。出せるものなら出してやる」

 

「……赤目ギャング『スカーフェイス』に関する情報だ。リーダー、構成員、指揮系統、武装、拠点、関与している犯罪、連中の資金源、情報の種類は問わない」

 

 勝典の言葉に遠藤は訝る視線を向ける。彼は頬を付け、取調室で容疑者に無言の圧力をかけるように目で問い詰めていた。

 勝典は遠藤が首を縦に振らないことを不思議に思った。国家を揺るがすテロをいちギャングに関する情報を提供するだけで受け取れる。悪くない取引のはずだ。絶対首を縦に振るだろうと自惚れていた訳ではないが、不審の目を向けられることは想定外だった。

 

「どうかしたか? 」

 

「いや、命懸けで鉄火場に突っ込んで手に入れた情報の対価としては随分と安い要求だな、と思っただけだ」

 

「立場が変われば価値観も変わってくる。警察にとっては取るに足らない情報が我々民警にとっては大金積んででも欲しいものかもしれない。その逆もある。少なくとも我々は異なる立場・異なる価値観を利用し、互いに利益を享受する関係にある筈だ」

 

 勝典の強弁が終わると遠藤は表情を緩めた。彼の言葉に納得したわけではないが、これ以上取引を拗らせても損をするのは自分達だ。

 

「まぁ、今回はそういうことにしてやる。良いだろう。準備する」

 

「取引成立だな」

 

 成立の証としてなのか、2人が日本酒の入った御猪口を乾杯する。その様子を多田島はじっと見つめていた。

 

 ――もし、藍原延珠と天童木更が生きていて、まだ天童民間警備会社が存在していたら、自分と里見蓮太郎はこういう関係になっていただろうか?

 

 多田島は馬鹿な考えだと頭を横に振り自分の夢想を否定する。いや、あの不幸面に限ってそれは無いだろう。我ながら随分と気持ち悪い妄想をしてしまったと自制する。

 多田島が自分を鼻で笑うとそれを聞き取った遠藤が振り向いた。

 

「おや? 多田島さん。どうかされましたか? 」

 

「いや、片や『税金泥棒』と罵り、片や『現場荒らし』と罵る警察と民警が同じ席で酒を飲むなんてな。俺が部屋に籠って調べものしている間に時代は変わったんだなあ……と」

 

「爺臭いですよ。多田島さん。それはそうと――」

 

 遠藤が御猪口を叩くようにテーブルに置く。ドンと音が鳴り、テーブル上の皿が料理を零さない程度に跳ねる。酒が入って少し気分が良いのか、所作が大仰になっていく。

 

「ここまで出させたんだ。小学生の読書感想文みたいなブツだったら承知しないぞ」

 

「ああ。それだけの価値はある。手土産も用意してきた。だがその前に一つ聞かせて欲しい。――()()()()()()()()()()()()? 」

 

 勝典の視線が眼孔炯々としていく。その鋭さは筋肉達磨と称される彼の肉体も相まって、一回り二回り年上の遠藤と多田島を圧倒する。2人は思わず黙り、息を呑んだ。

 

「里見蓮太郎の一件は素人目から見ても所轄では処理しきれない。警視庁、それこそ外国勢力の介入も考慮して公安部が捜査権を握るのは当然のことだ。多田島殿は引退した身だから個人の危ない綱渡りで説明つくが、遠藤……お前は警察に属する人間だ。家族もいる」

 

「何が言いたいんだ? 」

 

「職や家族を犠牲にしてでも先を調べなければならない程、お前にとって里見事件は価値があるのか? 」

 

 勝典が珍しく感情的になり、遠藤に問い詰める。

 遠藤は目を瞑り、腕をくんで悩み始めた。だが、勝典の問い詰めとは別の何かに悩んでいる様で、彼の悩む姿勢には重さというものが感じられない。彼はふと目を開くと隣の多田島に視線を向けた。

 

「多田島さん。あれ、言っちゃいますか? 」

 

「俺はもう警察を辞めた身だ。勝手にしろ」

 

 多田島と軽く打ち合うと、遠藤は冷や汗を流し、何か申し訳なさそうな顔で勝典に視線を戻した。

 

「実は……だな。さっきの話は嘘なんだ。所轄は蚊帳の外に追い出されなかったし、本庁の連中も口を閉ざしちゃいない。()()()()()()()()()()()()

 

「どういうことだ? 」

 

「連中、里見事件に関する資料を全部、持って行かれたから俺達に縋って来たんだよ。『里見事件に関わった民警と知り合いなんだろ? 何か情報貰って来てくれないか』ってな」

 

「持って行かれたって、どこが持って行ったんだ?」

 

聖室護衛隊(SPEC)だ」

 

 この東京エリアには捜査権を持つ組織が複数存在する。一般的に広く知られているのは警察と検察だが、その他にも海上保安官、自衛隊警務官、労働基準監督官、麻薬取締官などが挙げられる。それぞれの組織は海上、自衛隊内部、労働法、麻薬犯罪などのテリトリー内で起きた犯罪に対して捜査権・逮捕権を持っている。聖室護衛隊もその一つであり、聖居の関わる犯罪に対して捜査権・逮捕権を持っている。

 

「連中、『里見事件は聖居への直接攻撃を目的とした事件であり、聖室護衛隊の管轄である。速やかに全資料を我々に引き渡すように』って涼しい顔して警備局から里見事件に関する資料を奪って行った挙句、お上の鶴の一声で捜査権も奪いやがった。

 

『もうこの国に三権分立なんて存在しねえ! ! 聖天子の独裁国家だ! ! ナチスだ! ! ヒトラーだ! ! この国の泥棒は白い制服を着てやがる! ! 』

 

 ――って大の大人がギャン泣きだ」

 

 流石にナチス・ヒトラー呼ばわりは大袈裟だろうと勝典は心の中でツッコミを入れたが、テロ捜査で公安警察が捜査権を奪われる異常事態とそれが罷り通る今の東京エリアの権力構造の歪さを表すには十分すぎる言葉と思った。

 

「その癖、奴の拘置所の警護は警察と自衛隊にやらせるんだから連中の皮の厚さは相当なものだ」

 

 語っていく内に遠藤と多田島の表情も苛立って行く。警備局に関わりの無い2人だが、今回の聖室護衛隊の横暴さと警察を軽んじる対応には同じ警察の人間として怒りが湧いてくる。

 

「分かった。分かった。落ち着け。情報は提供する。まずは、手土産から出していこう」

 

 勝典は持参したカメラバッグから20cm×20cmのプラスチックバッグを取り出す。中には人間の親指サイズの黒い金属片が4~5個ほど入っており、天井の照明に反射して光沢を放つ。

 

「これは里見蓮太郎の右腕になっていたバラニウム義肢の破片だ。どさくさに紛れて幾つか採取できた。超高温で変形しているが、鑑識の解析にかければ何かしらの情報は得られるかもしれない」

 

「バラニウムが溶けるほどの超高温って……何があったんだ? 」

 

「言っても信じて貰えるかどうか分からないが、あいつの右腕から何かよく分からない凄いビームが出て、それで腕が溶けた」

 

 遠藤と多田島はぽかんと口を開けて、勝典を見つめる。あまりにも非現実的過ぎて勝典の言っていることを理解するのに少し時間がかかった。いや、理解するのを諦めた。

 

「そんな目で見るな。俺だって未だに信じられん。次の奴出すぞ」

 

 勝典は再びカメラバッグに手を突っ込んだ。次に出したのはメモリーカードだ。

 

「パソコンは持って来たか?」

 

「ああ」

 

 遠藤はカバンからノートパソコンを出して勝典に渡す。勝典はメモリーカードを差し込み、トップ画面で起動したアプリケーションで画像を開く。

 

「何だ? これは? 」

 

 画面に映し出されたのは数枚の画像だ。イタリアの高級自動車ランボルギーニ・ウラカンを複数の角度から映した画像と何本かのチューブが垂れる機械の画像だ。後者は白を基調としたカラーリングにライトブルーのチューブから医療機器のようにも見える。

 

「両方ともアクアライン空港で里見が協力者から受け取ろうとしていた荷物だ。詳しいことは添付ファイルに書いているからそっちを見て欲しい。里見事件に関するレポートだ。色々とヤバい国家機密も入っているから、取り扱いには気を付けろ」

 

 2人はすっかり酔いが覚め、仕事に就く時のような真剣な眼差しで画像と勝典のレポートを読み進んでいく。キーボード前のタッチタブに置かれた遠藤の指が動いて文章を下に動かしていく程、2人はその情報の重さに頭を抱えて行く。

 

「はぁ~。なんつーか、とんでもないヤマに頭を突っ込んじまったな」

 

「口封じに殺されないでくれ。警察とのコネが無くなるのは困る」

 

 ――と勝典は冗談交じりに語った。

 

 

 

 

 

 

 里見事件から1か月半後

 

 太陽が傾き、夕日がビル街を赤く染める時間帯、夜の街として目を覚まそうとキャバクラやゲイバー、ガールズバー、風俗のネオンに灯りが点き始める。

 その一角にあるビルの3階――松崎民間警備会社では事務員の千奈流空子がデスクに向かい、書類仕事を片付けていた。いつもは他の民警や依頼人とトラブルを起こす壮助へのクレームの電話が鳴り響くが、今はとても静かで目の前の仕事に集中できる環境だった。

 彼女を忙しくさせていたのは、銃刀紛失届だった。東京エリアでは民警の武器保有に関する法律が定められている。主な規定としては武器の保有届提出義務、民警ライセンスを持たない者への貸出・譲渡の禁止、ペア1組あたりの保有数制限などが挙げられる。特に武器を紛失した際のペナルティは犯罪への不正利用やテロリスト・暴力団・赤目ギャングへの流出を防ぐ目的で一段と厳しい。6年前に発生した里見蓮太郎の冤罪事件で民警の武器管理体制の甘さが露呈したことが切っ掛けとなり、ここ数年は更に締め付けが強くなっている。

 拳銃一つ失っただけで罰則金がある上、何枚もの書類を作り、役所に提出しなければならない面倒な書類仕事が出来上がる。その上、今回の戦いで義搭ペアは拳銃1挺、アサルトライフル1挺、サバイバルナイフ1本、バラニウム重槍1本を紛失している。正確には紛失ではなく、超高温に晒されて蒸発またはプラズマ化して消滅なのだが、役所にそんな説明をする訳にもいかなかった。払った罰則金も色を付けて後で聖居から支払われることもあり、素直に「ガストレア討伐中に紛失しました」という形で処理を行うことにした。

 書類仕事がひと段落着くと空子は背もたれに身を預け、両手を組んで上に伸ばす。

 空子はマグカップの中身が空になっていることを思い出す。給湯室に置いているポットにお湯はまだ残っている。インスタントコーヒーの粉もまだあることを頭の中で確認し、カップを片手に立ち上がった。

 

「社長。何かいります? 」

 

 空子は窓際の社長席に座る松崎に声をかける。しかし、返事はない。

 松崎は項垂れていた。デスクに肘をつけ、額を組んだ手に押し当てて溜め息を吐く。窓に背を向ける形で設置してあるせいか、逆光のせいで更に暗く見える。

 防衛省の一件から松崎は悔悟の念に囚われていた。蓮太郎がテロリストに身を堕とす遠因を自分が作ってしまった――彼に深い悲しみを与えてしまった罪、蓮太郎の真意を知りたいが為に一人の少年を焚き付け死地に向かわせてしまった罪、それらが重なり、彼を今にも押し潰そうとしていた。あれから食事がまともに喉を通らず、眠ることも出来ない日々が続いている。

 

「千奈流くん。私は、彼を止めるべきだったんでしょうか」

 

 里見事件が終結してから1か月半、松崎は何度も上の空になりながらこの疑問を口にしている。耳に胼胝ができるくらい空子は松崎の疑問を耳にし、それに答えて来たが今になっても同じ疑問が彼の口から浮かび上がる。もしかして彼は痴呆症を患ってしまったんじゃないだろうか、突発性アルツハイマーとかじゃないだろうかと脳裏に不安が過る。

 空子も何度も同じセリフを聞かされて我慢できなくなったのか、怒りのあまりペンをへし折り、机をバンと叩いて立ち上がった。

 

「社長……何度も同じこと言いますけど…………社長が止めても止めなくてもあいつは空港に行っていました! ! あいつは中学生の頃からそうです! ! 何度言っても制服はちゃんと着なかったし、喧嘩は止めなかったし、生活指導担当の不倫ネタを掴んで黙らせてたし、保健室をホテル代わりにしていたし、期末テスト前に偽の問題用紙を作って金儲けしてたし、とにかくあいつは昔からそういう奴なんです! !

 

 空子は松崎の前に立ち、両手を机に付く。前屈みになり、獣のように威圧する彼女に松崎は圧倒される。

 

「そ、そうかね」

 

「そ・う・で・す! ! 元副担任の私が言います! ! 無理矢理、あいつの生活指導担当をさせられた私が言います! ! 間違いありません! ! ! ! そんなに申し訳ないと思うなら退院した時、臨時ボーナスでも渡せば良いんですよ! ! あいつはそれで機嫌よくなります! ! はい! ! もうこの話は終わり! ! 以上! ! オーバー! ! 」

 

 叫びたいだけ叫ぶと空子は机から離れ、大きく息を吐きながら髪を掻き上げる。もう言いたいことは言い尽くしたのだろう。彼女は落ち着きを取り戻す。

 

「コーヒー淹れて来ます。社長は?」

 

「砂糖入りでお願いします」

 

「分かりました」

 

 空子は自分のマグカップと松崎のデスクの上にあるマグカップを取り、両手に持って給湯室へ行こうとする。

 ドアを2回ノックする音がした。空子と松崎が視線を向けるとドアの摺りガラスの向こう側に人影が見える。ベージュを基調としらカラーリング、スラリとしたシルエットで女性だと分かる。

 

「はーい。どうぞー」

 

 空子がノックに応えると「失礼します」と言って彼女は入って来た。

 ベージュのロングカーディガン、クルーネックニット、デニムパンツでシンプルな春のコーディネートで身を包む彼女は街中に溶け込みそうな服装をしていた。しかし、人形のようにスラリと伸びた手足とモデルのような体格、ゴムで束ね、キャスケット帽で隠しても目立つプラチナブロンドの髪はここに来るまでに多くの人の目を引いただろう。

 

「お久し振りです。松崎さん」

 

 キャスケット帽を外し、彼女――ティナ・スプラウトは笑みを浮かべた。

 

「まさか……ティナちゃんかい? 」

 

「はい」

 

「大きく……なりましたね」

 

 松崎は視線を上げ、ティナの顔を見る。松崎の記憶の中のティナは青空教室にいた頃のものだ。その時の彼女は10歳の少女で、座っている松崎よりも視線が低かった。今は自分が立ち上がっていても彼女の顔を見るには首を上げないといけない。彼女を見ると、改めて6年という歳月の長さを感じさせられる。同時にこうも考えてしまう。

 彼女たちも生きていればこんなにも大きくなっていたのだろう。と、考えるだけで目頭が熱くなる。ティナも松崎に心情を悟り、彼がハンカチで涙を拭う姿を静観する。

 隣の応接室に2人は移動し、卓を挟んで向かい合うように座る。2人の目の前には空子が淹れた緑茶の湯呑が置かれている。

 

「君も、あの空港にいたのですか? 」

 

「はい。聖天子様に依頼され、サーリッシュ民間警備会社(PGS)のイニシエーターとして戦いました。シェーンフィールド……私の武器は一つ残らず壊されて、私自身もボロボロに負けてしまいましたが……」

 

 ティナは少し照れ臭そうに語る。聖居の最終兵器として投入されたにも関わらず、対蓮太郎戦では武装を奪われ、小比奈と2人がかりで立ち向かっても敗北した今回の戦績をどう語ればいいのか分からない。それ以前に「蓮太郎さんにボコボコにされました」と言ってしまった自分の思慮の浅さを猛省する。

 ティナは何とか別の話題にしようと周囲に目を向け、何とか話題を作る。

 

「それにしても驚きました。松崎さんが民警会社の社長をしているなんて……」

 

「私にもちょっとした転機がありましてね……。驚きましたか?」

 

「はい。てっきり、また外周区で学校をやっているものだと」

 

「それは違いますよ。ティナさん」

 

 松崎の否定の言葉はティナに刺さった。

 

「私はずっと塞ぎ込んでいました。青空学校を作ったことを、あの子たちを一ヶ所にまとめてしまったことをずっと後悔していました。あの子たちを殺したのは自分なんじゃないか、あの子たちの死が里見さんの心を曇らせる原因になったのなら、元凶はこの私だと考えていました」

 

「それは違います! ! 」

 

 ティナは声を荒げる。

 

「私はこの6年で色んなエリアを廻って来ました。そこで呪われた子供たちが酷い扱いを受けるところもたくさん見てきました。呪われた子供の殲滅を政府が推奨するエリア、嗜虐対象として狩猟されるエリア、実験材料として飼育されるエリア、兵器として消費されるエリア。私は、彼女達が死ぬところもたくさん見てきました。

 殺されて橋の下に吊るされた子供を見ました。

 意識を持ったまま手足を切断され内臓を抜きだされた子供を見ました。

 薬物によって精神が崩壊し自我を失った子供を見ました。

 味方の兵士に強姦され口封じの為に殺された子供を見ました。

 死に方は千差万別でしたが、ただ一つだけ共通することがありました。それは、彼女達は死を幸福だと思っていたことです。「いつか神様が私を殺してこの地獄から救い出してくれる」と私に真剣に語る子もいました。彼女達は、この世に生を受けたことを悔やみながら、この世に自分を生んだ親や神を憎み、呪詛を吐きながら死んでいきました。

 でも、あの子たちは、松崎さんの教え子たちは違います。彼女達は笑っていました。この世界に生まれたことを幸福だと感じ、死を悲しいことだと認識することが出来ました。それは松崎さんが居たから、彼女達は人間らしく生きられたと思っています。

 例え、あの青空教室が彼女達の寿命を縮めてしまったとしても松崎さんのやったことは正しかった。私ははっきりとそう言えます」

 

 松崎の目から涙が零れる。彼は口を歪ませ必死に堪えていたが、6年の罪の意識から解放してくれた()()には勝てなかった。松崎の口から嗚咽が漏れる。ハンカチを出す余裕もなく、眼鏡を外して袖で涙を拭う。

 

「ありがとう…………ありがとう…………」

 

 ティナは再び泣き腫らす松崎を見守る。自分の言葉で彼がこんなにも救われるのだと、彼の声が心に沁み入る。だからこそ、彼女は考えてしまう。自分は東京エリアから逃げるべきではなかった。ここでずっと蓮太郎を待っていれば良かった。そうすれば、松崎の心をもっと早く救うことが出来たかもしれない。――と。

 しかし、彼女は後悔しない。東京エリアから逃げたことを悪いとは思わない。その先で良いプロモーターに出会えた。彼女の支援で最強の力を手に入れた。その力で何十万何百万もの人をガストレアから救ってきた。その何倍もの悲劇を防いできた。それもまた間違いではないと分かっていたから――。

 

 

 

 *

 

 

 

 松崎が心を落ち着かせた頃には外が暗くなっていた。階下のキャバクラやゲイバーに向かう人々、呼び込みの声、ネオンの光がかすかに事務所にも届いていく。

 

「ティナさん。これからどうされるんですか? アメリカにはすぐ帰るのかい? 」

 

「いえ。しばらく――いつまでかは分かりませんが東京エリアに居ようと思います。蓮太郎さんのこともまだ気になることがありますし……。それに、どこで私の情報を聞きつけたのか、弓月さんが私を見つけて一緒に買い物をする約束もしましたし」

 

 蓮太郎の一件で張り詰めていたせいか実年齢よりも大人びて見えたティナが年相応の笑顔を見せる。IP序列38位の民警も弓月の前では16歳の少女でいられるのだろう。その表情から彼女との買い物をいかに楽しみにしているか窺える。

 

「それは良かったです。ゆっくりこっちで休んでください。いつでも事務所に遊びに来て良いですから」

 

 ティナは膝元に置いていたキャスケット帽を両手で掴む。何か言いたいことがあるが、緊張して言い出せないような素振りだ。視線は泳ぎ、口は開くが一言目が出て来ない。

 

「どうかしましたか? 」

 

「松崎さん。1つ、お願いをしても良いですか?」

 

「大丈夫ですよ」

 

「私を、ここで働かせてください」

 

 ティナが深々と頭を下げる。松崎は驚きのあまり固まってしまい、蝋人形と見紛うほど微動だにしなかった。うんともすんとも言わない。メガネもずり落ちた。

 

「駄目……ですか? 」

 

「いえ。すみません。ちょっと驚きましてね。ここは見ての通り小さな会社で人手も足りていません。人が入ってくれるのは大歓迎なのですが、君の場合だとその活躍に見合う給料を出せる自信がありません。どうして、またそんなことを……。サーリッシュPGSが嫌いなのですか? 」

 

「いえ。サーリッシュは良い人ばかりですし、あそこのバックアップに不満はありません。プロモーターのオッティさんのことも好きですし彼女を裏切るつもりもありません。ただ、この場所に居る理由が欲しいんです」

 

「そんなことをしなくても、私達は君のことを歓迎します。いつでも遊びに来て良いんですよ?」

 

「遊びに()()んじゃなくて、ここに()()理由が欲しいんです」

 

 ティナが()()()()を特別に想う気持ちは松崎が考えているものより重かった。ここはかつて天童民間警備会社があったテナントだ。ティナにとっては蓮太郎・延珠・木更との思い出が残っている場所、彼女が幸せだった頃の記憶が残る場所だ。その思い入れの強さは半端なものではない。だからこそ彼女は()()()()にいる理由を大切にしたかったのだと感じた。

 

「プロモーターやサーリッシュの人達への相談は? 」

 

「出向という形で了承を貰っています」

 

 松崎はしばらく考え込む。ティナは何かまだ問題があるのかと不安になるが、1分も経たない内に彼は笑みを浮かべた。

 

「これからよろしくお願いしますよ。ティナさん」

 

 松崎が契約成立の証として握手しようと右手を差し出した。

 

 ティナは彼の右手に気付いていなかったのか、突然、ソファーから立ち上がった。訓練された兵士のように綺麗に直立し、右手で敬礼する。

 

「はい!サーリッシュ民間警備会社より出向しました。IP序列38位 殲滅の嵐(ワンマンネービー)ティナ・スプラウトです。シェーンフィールドを全機損失し、今はしがない狙撃兵ですが、どうぞよろしくお願いします」

 

 松崎は唖然とした。6年前のティナは眠たげな姿がよく脳裏に浮かぶどこか惚けた少女だった。しかし、今の彼女の目ははっきりとしており、その所作も訓練された兵士のようにしっかりとしている。今の彼女を見て()()()()()と評する者はいないだろう。

 

 この6年間、彼女にも色々とあったのだと思いながら、松崎は握手の為に差し出した右手を引き戻し、敬礼する。

 

「よ、よろしく」

 

 松崎が困惑する姿を見てティナは「はっ」と自分が奇矯なことをしていることに気付く。恥ずかしさのあまり彼女の顔は真っ赤になり、居ても立っても居られず、左手に抱えていたキャスケット帽で顔を隠す。

 

「……すいません。ずっと軍隊相手に仕事をしていたので、つい……」

 

 こういうところは6年前と変わらない――と、松崎はティナの姿を通して6年前の情景を思い出す。爆弾で吹き飛ばされた黒板や机でもなく、そこら中に散らばった少女たちの肉片でもない。警察署に並べられた遺体袋でもない。青天の日差しが直接降り注ぐ屋根も壁のない教室、教壇に立つ不幸顔の少年とセーラー服の少女、響く少女たちの笑い声を――。

 

 

 

 *

 

 

 

 司馬重工第三技術開発局・局長室。最先端のバラニウム応用技術研究機関らしく機械的で機能美に溢れた部屋だが、その随所には扇や日本刀、掛け軸など“和”をモチーフにしたオブジェクトが散見される。最奥の局長のデスクに司馬未織は座っていた。

 足を閉じ、正しい姿勢で局長としての職務に当たる彼女の姿は鮮やかな猩々緋の和装も相まって大和撫子そのもののように見える。

 局長のデスクに置かれたスマートフォンに着信が入る。画面には「芹沢遊馬」と表示されている。その名前を見た瞬間、未織の眉間に皺が寄る。着信を放置したが、しつこく着信が鳴り続けるので嫌々ながら仕方なく通話ボタンを押す。

 

「あら? まだ捕まってへんかったですか? テロリストはん」

 

『君が俺を通報しなかったからね』

 

 電話口から博多黒膂石重工の会長 兼 最高経営責任者――芹沢遊馬の余裕に満ちた声が聞こえてくる。里見事件が終結し、蓮太郎と小比奈が拘束されて1ヶ月と数日、2人が共犯者として遊馬の名を出し、警察が拘束に乗り出してもおかしくない時期だったが、里見事件に関する報道や聖居の公式発表には芹沢遊馬の「せ」の字も出て来ない。

 

『君は通報しなかっただけじゃない。司馬重工の権力を使い、俺を拘束すべきだと主張する聖居関係者に圧力をかけて、彼らの主張を押し潰した。俺の拘束に乗り出せば、次世代バラニウム兵器の技術を手に入れるチャンスを失うことになるからね』

 

「ウチを試してはったんですか? 正義を取るか、利益を取るか。えげつない人ですわ」

 

 顔では笑っていたが、その内心で未織は怒りに震えていた。電話を持っていない左手で握りこぶしを作り、怒りが声に出ないように必死に抑える。

 

『次世代バラニウム兵器の技術提供に対して司馬重工がどれほど本気なのか試したかったのさ。そして、司馬重工は――――いや、君は聖居の意向に反し、我々に誠意を見せた。実を言うと俺を通報しないだけでクリアだったんだが、まさか聖居に圧力をかけるサービスまでしてくれるとは思っていなかった』

 

 電話口の向こうで遊馬が勝利の笑みを浮かべているのが容易に想像できる。次世代バラニウム兵器の技術を餌に自分が良いように利用されて、掌の上で動く滑稽なピエロになっていることに腸が捻じ切れるような思いだ。

 

『だから、我々も君のサービスにお返しをしよう。君たちにとって我々が大切な存在であるように我々にとっても君達は大切な存在だ。信頼し、対等に利益を享受する関係でありたい』

 

 未織のデスクにあるノートPCに一通のメールが入る。アドレス帳に未登録のアドレスだが、「Y-serizawa」と入っているので遊馬から来ていることがすぐに分かった。未織は教えても居ないPCアドレスにメールを送られる気色悪さに思わず口を押さえる。

 

『今、君のPCにメールが来ただろう。それが我々のお返しだ』

 

 未織は恐る恐るメールを開く。タイトルは無く、本文には「世界の常識がひっくり返るから取扱注意」とふざけた注意文が記載されている。メールにはファイルが多数添付されている。彼女はウィルス感染を危惧してPCのネットワークを遮断し、オフライン状態にして添付ファイルを開く。

 

「な―――――――――――」

 

 未織は思わず目を見開いた。声が出なかった。そのメールの添付ファイルの内容の衝撃の前に遊馬への怒りも彼に利用された愚かな自分への怒りも吹き飛んだ。

 

 

『これが、我々人類に残された時間だ』

 

 

 

 ステージ(シックス)ガストレア “エンジュ” 感染爆発(アウトブレイク)まであと――――

 




・ちょっとした解説

Q1
聖室護衛隊のSPEC、民間警備会社のPGSって何の略

A1
聖室護衛隊はState Parliament Escort Corps

民間警備会社は正式な呼び方が無いため、
Private Guard Security
Private Guard Service
Private Gaurd Company など様々です。
他にも民間軍事企業と混同してPrivate Military Companyと呼ぶ場合もあります。

ちなみに「彼女達の時計は動き始めた」で登場した「聖居情報調査室」は
State Parliament Intelligence and Research Office
となります。

Q2
聖居を「State parliament」と訳しているけど「州議会」になるよね?(by Google翻訳)

A2
東京エリアの掲げる日本復興(5エリアの統合)では、統一後5つのエリアの州とする予定なので、それを配慮して聖居の英訳を州議会にしました。(聖居広報部より)


Q3
ティナが所属しているサーリッシュPGSって何?

A3
サーリッシュ民間警備会社はアメリカのサンフランシスコエリアに本社を持つ民警会社です。元々はガストレア大戦初期にロッキー山脈でバラニウムを採掘していた企業が採掘現場をガストレアや他の採掘会社から守る為に組織した私設武装組織でしたが、その後、サーリッシュPGSとして子会社化しました。
シリコンバレーに本社を置いており、他のサーリッシュグループの企業と提携し、まだ市場に出回っていない最新のバラニウム兵器を独占、試作バラニウム兵器のテスターも行っています。
規模で言えばアメリカ第3位の民警会社であり、IP序列100位以内の民警のうち22人(ティナ含む)が所属しています。




ここから先は第二章の予告です(今度はマジです)













里見蓮太郎が引き起こしたガストレアテロ――里見事件――が沈静化して半年後。

以前と変わらず民警として雑務に追われる日々を送っていた義搭壮助は、活動休止中の人気歌手・日向鈴音のマネージャーから鈴音の護衛を依頼される。

「過去のトラウマから存在しないストーカーに怯える彼女に守っているフリを見せて安心させて欲しい」

――という簡単な内容、そして割高な報酬を目の前に壮助は依頼を引き受ける。



敵が存在しない護衛任務は平和に続いていったが――――――









為政者に否定された憎悪の華が咲く









「私が教えるのは武術でもなければ、子供の喧嘩でもありません」


「ふざけんな! ! あんなのイニシエーターの火力じゃねえ! ! 」


「結局のところ、俺はあの家族に口説かれたのかもしれない」


「お前達の都合で私達を棄てて、今度はお前達の都合で私達を裁くのか! ! 」


「私はただ、あの人にお礼を言いたかっただけなんです」


「君には分かるまい。僕達の苦しみが!!聖居に踏みにじられた意思が! ! 」


「連中を殺すなよ。東京エリアには死体を裁く法律が無いんだ」





「俺達はずっと負けていたんだ。あいつ等はとっくの昔にゲームをアガっていたんだ」

「じゃあ、今度は私達がゲームを始めよう。向こうが参加したがるくらい最高に面白い奴を」





警察、民警業界、赤目ギャング、市民団体、聖居――それぞれの思惑が交差する東京エリアを舞台に機械化兵士 義搭壮助の戦いが始まる。















第二章 「彼女の舞台に機械仕掛けの神はいない」










coming soon……




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第二章 彼女の舞台に機械仕掛けの神はいない
日常の破壊者


前回の幕間の物語でお気付きの方もいたと思いますが、ハーメルンに掲載された某小説の面白さに私は平伏し、「畜生!こんな面白いもん書きやがって!」と地団駄を踏み、多彩なフォント機能の効果を真似した次第であります。

第二章「彼女の舞台に機械仕掛けの神はいない」の幕開けになります。

また長い話になるかもしれませんが、どうかお楽しみください。


 2032年

 

 久慈田(くじた)悠美(ゆみ)は通学路を駆けていた。時刻は夜9時、日は完全に落ちていて、明るい内に行き来する通学路は別世界のように見えた。退屈な日常がガラリと変わったようで小さく夢が膨らむが、暗闇の中に恐い何かがいるのではないかと不安も募っていく。普段ならもう家に帰っている時間だ。ご飯とお風呂を済ませ、ネットで可愛い動物の動画を見て、ペットを飼う妄想を膨らませて自室で悶えている頃だろう。

 彼女が遅くなったことには理由がある。陸上競技選手権の区大会が来週に迫っていたからだ。去年は成績が振るわずに悔しい思いをしたが、「今年こそは納得いく成績を出したい」と奮い立ち、今までとは比べ物にならないくらい練習を重ねた。本来なら7時に閉まるグラウンドも先生に無理をお願いして延長させてもらった。

 その結果、彼女は自己ベストを更新した。自分でも驚くぐらい記録が伸びた。最初は何が何だか分からなかったが、顧問の先生に時間を教えて貰った途端、嬉しさのあまり跳び上がった。「7月の区大会なら確実にトップに入れる記録よ」「その先のブロック選手権でも通用する。いや、聖天子杯の出場も夢じゃない」と練習に付き合ってくれた顧問の先生も嬉しそうに語ってくれた。

 彼女が走っているのは帰りが遅くなったから――というのもあるが、それ以上に喜びが大きかった。自己ベストを大きく更新した興奮が冷めなかった。せっかく練習後にストレッチを行い、クールダウンさせたのに逸る気持ちから足が勝手に動き出してしまう。

 この先は商店街が並ぶアーケードだ。店はもう閉まっていて閑散としているが、灯りは点いている。蛍光灯特有の温かみを感じない色合いだが、文句は言えない。明るいだけでも気持ち的にはかなり助けられていた。

 

たすけて

 

 彼女がアーケードの中に踏み出そうとした瞬間、掻き消えそうな声が聞こえた。風が吹いていれば絶対に聞こえていなかっただろう。近くに車が通っていれば聞き逃していただろう。聞こえた今でも隙間風の音が偶然そういう風に聞こえただけかもしれないと思っている。だが、確かに「助けて」と彼女の耳には届いていた。

 

たすけて  だれか  たすけて  いたいの

 

 悠美は耳を頼りに声の主を探す。次第に明るいアーケードから離れる。恐いとは思わなかった。それ以上に「助けなきゃ」という使命感が彼女の足を動かしていた。

 街灯も届かない暗い路地の前に辿り着いた。声は確かにそこから聞こえる。悠美はスマホのライトを点けて先を照らすと、そこに大きなボロ布の塊が落ちていた。――いや、布の塊ではない。倒れている少女だった。

 うつ伏せに倒れ、伸びっぱなしの長い髪を地面に垂れ流す。顔はよく見えないが、髪の長さで女の子だろうと安直ながら推測できた。年齢は小学校低学年、6~8歳ぐらいだろう。ボロ布だと思っていた衣類もよく見ると古着だ。おそらく捨てられたものをそのまま着ているのだろう。身体にサイズが合っていない。

 一瞬、親に捨てられた呪われた子供(赤目)が脳裏に過った。彼女の足が半歩下がる。ネットで「呪われた子供は危険だ。無闇に近づくな」と書いてあったことを思い出す。少女のように見えても彼女達の身体には人類を絶滅寸前に追い込んだ怪物の血が流れている。一度、彼女達に暴力を向けられたらプロの格闘家や訓練された兵士でも無事では済まない。最悪、彼女達の体液からウィルスが感染し自分がガストレアになるかもしれない。科学的な根拠は無かったが、それが一般常識となっている。

 

「たすけて おねえちゃん」

 

 目の前の少女が涙ぐみながら手を伸ばしてきた。その目は赤くなかった。呪われた子供は感情を抑制することで赤い目を隠すことが出来るとどこかのまとめサイトに載っているのを見たことがあるが、悠美はもう目の前の少女を呪われた子供だと思っていなかった。

「そもそも呪われた子供なら行き倒れたりしないよね」――そう納得していたからだ。目の前の少女は虐待する親から逃げ出した普通の子供や親を失った孤児なのだろうと結論付けた。

 悠美は少女に歩み寄り、屈んで顔を近づけた。

 

「大丈夫? どこか痛いの?」

 

 

 

 ガンッ

 

 

 

 突然の痛みが悠美を襲った。背後から何者かに首を殴打されたのだ。今まで感じたことが無いくらい酷い痛みだ。

 悠美はその場で膝から崩れ落ち、顔面を地面に打ち付けそうになる。しかしまだ意識はハッキリとしており、手で身体を支えて何とか持ち堪える。

 

「ちっ! ! 頭に当てろ! ! このヘタクソ! ! 」

 

 倒れていた少女が悪態を吐く。その一言で悠美はさっきの言動が演技だと気づいた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 倒れていた少女は立ち上がると壁に立てかけていた鉄パイプを握った。そして立ち上がろうとする悠美の頭に躊躇うこと無くスイングして打ち付ける。悠美はその勢いで壁に叩きつけられ、地面に突っ伏せる。

 

 彼女の不幸はそこで気を失わなかったことだ。

 悠美はまだ意識があった。朦朧としていて視界がぼやける。手足の感覚も薄くなり、動かそうとする意思すら生まれない。何とか呼吸は出来るようで吸って吐く度に彼女の身体は膨張収縮する。

 

「こいつまだ生きてるよ」

 

「人間のくせにしぶてえな」

 

 少女の一人が道端に置かれていたコンクリートブロックを拾い上げる。凶器として用意したものではなく、偶然そこにあったのだろう。少女は軽々とブロックを握り、悠美の前に立った。

 眼球の水晶体が調節され、悠美のぼやけた視界がはっきりと見えるようになる。

 

 

 

 

グチャア! !

 

 

 

 

 

 振り下ろされるブロックと紅く光る少女の目、それは、久慈田悠美が見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 誰かが彼女の死に気付いたのはそれから1時間後だった。帰りが遅いことを心配した父親が陸上部の顧問に連絡、顧問と父親が挟むように通学路を捜索するが見つからず、連絡を受けた他の教師や保護者、顧問から通報を受けた派出署の警官も参加した大規模なものへと発展した。

 彼女を見つけたのは捜索に参加した派出署の警官だった。ふと建物と建物に挟まれた暗い路地に懐中電灯を照らしたところ、地面を流れる赤い液体が見えた。まさかと思った。最悪の事態が脳裏に浮かぶ。確かめなければならない。警察官となったからにはこういうこともあると覚悟はしていた。彼は懐中電灯を徐々に上げ、先を照らす。

 

 

 

 最悪だ。そこに久慈田悠美がいた。

 

 

 

 乱れた着衣、引っ繰り返されて中身を全て吐き出された学生鞄、穿たれた頭蓋骨から脳が零れる47キログラムの肉塊となった彼女がいた。

 

 翌日、警察の捜査により近くの河川敷で財布が見つかった。残された学生証から久慈田悠美のものであることが判明。クレジットカードやキャッシュカードは手が付けられていなかった。

 

 

 

 そこに現金は入っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 5年後 2037年

 

 毎日が同じ景色の繰り返し、似たような業務の繰り返し、安定はしているし悪くもないが変化も無く刺激も無い。そんな毎日に鬱屈としていたコンビニのアルバイト・多々良(たたら)君彦(きみひこ)の目の前には“非日常”が広がっていた。

 几帳面な店長の指導によって整然としていた商品棚は傾いて商品が崩れ落ちていた。踏み潰されたお菓子だけでも相当な額の損害は出ている。店の奥にあるビール・ジュース売り場も銃弾を撃ち込まれたせいで戸棚のガラス扉に弾痕が残り、弾が貫通した缶ビールは中身が零れて売り場にビールの滝を作っている。裏にある在庫にも穴が空いている気がして背筋が凍る。不幸中の幸いがあるとすれば、お客様に被害が出なかったことだろう。

 君彦が立つレジを挟んだ向こう側には15歳ぐらいの少女が転がっていた。気を失い、ガムテープで後ろに手足を縛られた姿は何も知らない者が見れば哀れな被害者だと思うだろう。

 しかし、実際は違う。彼女は加害者、この惨状の発端となったコンビニ強盗だ。

 両手をパーカーのポケットに突っ込んだまま入店した彼女は入るや否や拳銃を抜き出し、君彦に銃口を突きつけた。そしてレジの金を出すように要求したのだ。フードとマスクで顔を隠しているが、目は見えていた。彼女は君彦に見せつけるように目を見開き、その目を赤く輝かせた。

 

 ――呪われた子供だ。

 

 その瞬間、君彦は戦意を喪失した。小学校から高校まで柔道をやっていたので腕っぷしには自信があったが、相手が悪かった。この少女から銃を取り上げて逆に取り押さえる武勇伝も妄想のまま終わった。生まれつきアスリートを軽く超える赤目の身体能力を前にすれば自分が柔道に費やした10年など吹けば飛ぶ紙屑のようなものだ。

 だが、レジの金は奪われず、強盗は取り押さえられた。

 

 この事件には良いニュースと悪いニュースがある。

 

 良いニュースは、たまたま店の中にイニシエーターがいて強盗を倒してくれたこと、

 

 悪いニュースは、そのイニシエーターと強盗のドンパチのせいで店が滅茶苦茶になったことだ。

 

 ――正直、レジの金を渡して強盗さんにお帰りになって貰った方がまだマシだった。

 

 レジを挟んで君彦の前に一組の男女が立っていた。

 

 男の方は16歳ぐらいの少年だ。生来の黒髪に金のメッシュをまぶした頭髪、左耳のピアス、よく分からない英語でゴテゴテに装飾されたTシャツ、十字架や髑髏があしらわれた柄入りのジーンズ、細身だが筋肉質な体格も相まって喧嘩上等オラオラ系ヤンキーに見えた彼だが、その表情からは申し訳なさが溢れ出ていた。

 どうやら彼が店を滅茶苦茶にしたイニシエーターの相棒(プロモーター)らしい。強盗が来た時、彼はお腹を壊してトイレに籠っていた。何か凄い物音がしたと思い、早々に用を足してトイレから出たらこの有様である。

 彼に監督責任を問おうかと思ったが、あまりにも申し訳なさ過ぎて今にも泣き出しそうな顔をしていたので怒る気になれなかった。トイレから出て来た瞬間、全てを悟って膝から崩れ落ちたところから、こういうことは初めてでは無いのだろう。

 

 女の方はこの惨状を作り上げたイニシエーターだ。年齢は13歳ぐらいだろうか。プロモーターや君彦よりも一回り幼い。しかし、その顔立ちは幼さという可愛げを残しつつも綺麗に整っており、終始一貫して冷静な態度も合わさってクールビューティという単語が思い浮かぶ。耳まで流れる黒髪のショートカット、濃藍の瞳、黒いショートパンツにワンポイントの柄が入ったタンクトップ、その上に無地の半袖パーカーを羽織った姿はどこか素気なく、好んでスポーティな格好をしているというより、動き易さを求めた結果こうなったという経緯が窺える。

 彼女は強盗と少年誌のバトル漫画ばりの激戦を繰り広げたにも関わらず汗一つかいていない。彼女がやらかしたことを考えるとクールではなく単に無頓着なだけではないかとも思える。

 

「「ごめんなさい」」

 

 ヤンキー少年が頭を下げる。片手でクール美少女の頭を押さえて無理矢理下げさせる。

 ただのアルバイト、責任者ではないので許すことも許さないことも出来ない。君彦はどうしようかと思ったが、サイレン音と共に店前の駐車場に1台のパトカーと3トントラックサイズの護送車が停まる。バックルームに隠れていた同僚の通報で駆け付けたのだろう。

 警察車両から数名の男達が姿を現した。一人はスーツを着ていて、年齢は40代と言ったところか、白髪交じりの頭髪に小太りな体格。しかし眼光は鋭く、現場に慣れたベテランの風格を漂わせる。その証左か、惨状になったコンビニを見ても驚く様子は見せない。ただ呆れてため息を吐くだけだ。

 彼に続いて制服姿の警官達が店内に入る。彼らは全員ホルスターから拳銃を抜いており、両手でグリップを握り、銃口を下に向けていた。同僚は犯人が呪われた子供であることも伝えていたようだ。

 スーツの男が君彦に視線を向けた。思わず姿勢を正してしまう。

 

「勾田署の遠藤だ。通報したのは君か? 怪我はないか? 」

 

「は、はい。大丈夫です。あ、あと通報したのは、バックルームにいる同僚です」

 

 見た目とは裏腹に優しく声をかけられ、君彦は戸惑いながらも答える。

 

「責任者の人に連絡してくれ。出来れば防犯カメラの映像も提供して欲しい」

 

「わ、分かりました」

 

 君彦がポケットからスマートフォンを取り出して店長に連絡を入れる。

 

 その間に武装した警官達は強盗の頭と身体を押さえると注射器を取り出して彼女の静脈に注射する。呪われた子供用の鎮静剤だ。身体の成長に伴いより強力になった呪われた子供の犯罪者に対処するため製薬会社が開発した薬剤だ。イニシエーターに提供される抑制剤をベースにしており、ガストレアウィルスの活動を抑制しつつ神経伝達系に作用することで一時的に彼女達から力を奪い、昏倒させる効果がある。

 こういったものが開発されたのは6年前に成立したガストレア新法によって呪われた子供を射殺することが法律上人間と同じくらい難しくなった背景があり、この数年で呪われた子供を殺さず拘束する薬剤や装置が様々な業界で開発されている。それらは主に呪われた子供の犯罪者に対峙する警察によって使われるが、時にはプロモーターがイニシエーターを服従させるための手段として悪用されることもある。

 勾田署の警部・遠藤(えんどう)弘忠(ひろただ)はレジ前に立つヤンキー少年を見て大きく溜め息を吐いた。

 

「義塔。またお前か。いい加減にしないと大角が泣くぞ。ほら、両手を出せ」

 

 ヤンキー少年――義搭(よしとう)壮助(そうすけ)は遠藤に言われるがまま素直に両手を出した。嫌な予感はした。そして、1秒も経たずに予感は的中した。ガチャンと音を立てて彼の両手に手錠が嵌められた。

 

「義搭壮助。民警取締法違反の罪で逮捕する。プロモーターにはイニシエーターを監督する義務がある。イニシエーターの犯罪はプロモーターの犯罪。一蓮托生。道連れだ。ドラえもんでもジャイアンが言ってただろ? 『お前の(もの)は俺の(もの)。俺の(もの)は俺の(もの)』」

 

「そのセリフ、そういう使い方だっけ? 」

 

「初めて会った時から思ったが、お前は手錠が似合うな」と遠藤はけらけらと笑う。

 

「はい。君もね。器物損壊」

 

 遠藤はイニシエーター森高(もりたか)詩乃(しの)の両手にも手錠をかける。監督者である壮助に手錠がかけられ、器物損壊の実行犯である詩乃に手錠がかけられない道理など無かった。詩乃の力で手錠を壊すことは容易だったが、ここで抵抗すると立場上まずくなるのは彼女でも理解していた。

 

「留置所も刑務所も壮助と同室を希望します。ベッドは1つで大丈夫です。あと食事は十人前でお願いします」

 

「君は刑務所をホテルか何かと勘違いしてないか? それに残念だがすぐに釈放されるだろう。君の会社は保釈金を出すのが早いからな。とにかく一度は署に来てもらうぞ」

 

 遠藤がパトカーに戻り、搭載されている無線に語り掛ける。勾田署に状況を報告しているのだろう。2人は「乗れ」と言われるまで手錠をかけられたまま待機する。

 

「お揃いだね」

 

 ――と詩乃は嬉しそうに話しかけ、

 

「嬉しくねえよ。こんなペアルック」

 

 ――と壮助は再び膝から崩れ、両手を床につけた。

 

 松崎民間警備会社所属 IP序列7000位 

 プロモーター:義搭壮助 イニシエーター:森高詩乃

 

 ペアを組んでから、通算50回目の連行だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

「ぱんぱかぱーん。警察のお世話になった回数50回目。おめでとー。何か遺言はある? 」

 

 

 

 

 その日の午後、壮助と詩乃は所属する松崎民間警備会社で社長席の前に立たされていた。社長の松崎は健康診断に行っており、その間は唯一の事務員である千奈流(ちなりゅう)空子(くうこ)がここの支配者となる。

毛先にパーマがかかった肩までかかる明るい栗色の髪、グラマラスな肢体を灰色のレディススーツに押し込めた美人だが、今は誰も彼女に近付こうとは思わないだろう。今の彼女は気色ばんでいた。憤りを隠せない表情はガストレア相手に戦っている民警すら震えさせる。

 クラッカーの中から飛び出た紙テープが壮助の頭にかかる。空子の怒りを受け入れる意思表示なのか、壮助は紙テープを頭に乗せたままにした。

 

 

「ほら。さっさと言いなさいよ。遺言は? 墓には何て刻めば良いの? 」

 

「頼む。空子。今回だけは言い訳させてくれ。俺は悪くねえ! ! 強盗が悪い! !

 

「墓は壮助と一緒でお願いします」

 

 空子が持っていたハリセンで2人の頭を叩く。

 

「このアホタレ共が! ! 保釈金だって安くないのよ! ! あと、あんた達がやらかす度に保険会社から嫌味を言われる私の気持ちも考えなさい! ! 」

 

「良いじゃん! ! 里見事件の報酬で儲かったじゃん! ! 」

 

「あんなの今まで支払った保釈金でプラマイゼロよ! ! 」

 

「壮助。そんなにたくさん捕まったんだ」

 

詩乃の一言が余計だった。空子を睨んでいた壮助の視線が詩乃に向けられる。

 

「詩乃~! ! 半分はお前のせいだぞ! ! ガストレアを殴り飛ばして民家を破壊するし、ロードローラーをぶん投げてどっかのヤクザのロールスロイスをぶっ潰すし、電柱をへし折って槍代わりに使ったせいで停電も起こしたじゃねえか! ! 」

 

「民家が壊れたのは見た目の割に体重が軽かったガストレアが悪いし、ロールスロイスの件はロードローラーの重さに耐えられなかったガストレアが悪いし、停電の件も気持ち悪い粘液を吐き出して近づかせなかったガストレアが悪い。全部ガストレアが悪い」

 

「へいへい。ガストレアが悪いんですね。恐竜が滅んだのもスーパーでもやしが値上がりしたのもゴキブリが絶滅しないのも地球が丸いのも俺達が貧乏なのもとある魔術の禁書目録(インデックス)がもう200巻になるけどまだ完結する気配が無いのも全部ガストレアが悪いんですね。凄いですね。ガストレア」

 

「壮助。今日は機嫌悪いね。大丈夫? とりあえず私のおっぱい揉んで落ち着いて」

 

「おいコラやめろ。まるで俺が常日頃からお前のおっぱい揉んで心を落ち着かせている変態野郎みたいじゃねえか。

 

 

 

 

 

 ――っていうか、さっきからずっと思っていたんだけど、そこの金髪の姉ちゃん誰? 」

 

 壮助は事務所に来てからずっと気になっていた疑問を口にする。2人が来た時から彼女は松崎民間警備会社に居た。誰も使っていない席に座り、エメラルドグリーンの瞳で本に向けていた。

 スラリと長い手足と無駄に肉がついていないスレンダーな体格、ベージュのパンツスーツに身を包み、癖のあるプラチナブロンドの髪をゴムで後ろに束ねた彼女は海外のファッション誌の1ページから切り取ったのではないかと思えるくらい絵になっていた。英語のタイトルが書かれた分厚いハードカバーの本を読んでいる姿から気品が感じられ、その雰囲気は風俗店や闇金に囲まれた薄汚い庶民的な事務所から完全に浮いていた。

 

「あれ? ティナちゃんのこと知らなかったっけ? 」

 

「いや。知らない。こんな天使知らない。知ってたら絶対に覚えてる」

 

 壮助は詩乃に「知ってるか? 」と聞くが詩乃も首を横に振る。

 

「じゃあ紹介するわね。ティナ・スプラウトちゃん。サーリッシュPGSからウチに出向してくれたイニシエーターよ」

 

「ティナ・スプラウト! ? 」

 

 空子の紹介でフルネームを聞いた瞬間、壮助は驚きのあまり飛び上がった。今にも目が飛び出そうな程、彼の瞼は開いていた。

 

「……え? 空子。マジ? 」

 

「マジよ。松崎さんの古い知り合いみたい」

 

 壮助は頭を抱えて考え込む。

 

「いやいやいや。いくら俺がバカだからってそんな嘘に騙されるほどバカじゃねーよ。ティナ・スプラウトって言ったら、IP序列38位「殲滅の嵐(ワンマンネービー)」、過去1年間のガストレア討伐数最高記録保持者だろ。一晩で数千体のガストレアをブチ殺してローマとかケープタウンとかパナマとかロサンゼルスとか何かもう数えきれないくらいたくさんのエリアを大絶滅から救って、救世主だとか聖女だとか対ガストレア大量殺戮兵器とか呼ばれているIP序列爆上がり中の超イケイケなイニシエーターじゃねえか。

 メディアに顔を出さないからどんな顔しているのか知らねえけど、そんな超大物がこんな小さい会社に来るわけねえじゃん。来たら鼻でスパゲッティ啜りながら逆立ちで外周区を一周してやるよ」

 

「じゃあ。やってください」

 

 本を読んでいた女性――ティナが音を立ててハードカバーの本を閉じた。壮助が席に目を向けた瞬間、そこに彼女はいなかった。

 背後から異様な殺気を感じ取った。いつもの事務所、何の変哲もない日常が一気に戦場の気配に塗り替えられる。壮助は思考のスイッチを切り替え、振り向きざまに裏拳をお見舞いする。顔面を狙えるコースだった。――しかし、拳は空を切った。

 腕に白い手が纏わり付くのが見えたが、気付いた瞬間には遅かった。白い手に引き寄せられ、壮助は空中で2~3回転しながら床に顔面を打ち付けた。

 

 詩乃が目を赤く輝かせる。全身のガストレアウィルスを活性化させ、そのエネルギーを全身に走らせる。どんな大型ガストレアもねじ伏せる生きた戦車と化した彼女の拳骨がティナに向けられる。しかし、彼女の拳がティナを穿つことは無かった。柔道の要領で有り余った力を利用された詩乃は投げ飛ばされ、反対側の壁に身を打ち付ける。

詩乃は床に落ち、体勢を立て直そうとするが支えにした腕をティナに掴まれた。警察の逮捕術の応用か、腕を後ろに固められ、彼女は再び壁に押し付けられる。

 

 自分が倒されたことに気付いた壮助ははっと目を覚まして立ち上がる。そして、驚愕した。自分が負けたことにではない。詩乃が負けたことにだ。壮助は自分を最強で負け知らずと評するほど楽天的ではない。所詮は子供の喧嘩で強かっただけの人間で片桐玉樹や大角(だいかく)勝典(まさのり)のような幾多の死線を越えた戦闘のプロ、里見蓮太郎のような人間をやめた怪物には通用しない素人だと自覚している。だが、詩乃は違う。彼女は格別だ。ペアを組んでから一度も彼女が負けたところを見たことが無い。どんなガストレアも(多少の苦戦はあっても)確実に仕留める絶対的な強さを持っていた。そんな彼女が一瞬にして負けたのだ。

 

 

 認めざるを得ない。彼女はティナ・スプラウトだ。本物だと――。

 

 

 

 

 

 ――松崎さんの人脈パネエわ。

 

 

 鼻血の出る穴にティッシュを詰めながら、壮助は改めて自分の会社の社長に尊敬の念を抱いた。

 




ようやく始まりました。第二章。
第一章の後半あたりを書いている時からずっとプロットを考えていましたが、「ああしよう」「こうしよう」と「やっぱり最初の構想に戻そう」、「第三章にする予定だったこの話を第二章に盛り込もう」「いや、それだと複雑になるからやめよう」「あいつを出そう」「扱いきれないから次に回そう」等、あーだこーだ考え、今でも右往左往している次第ではあります。プロットって難しいですね。

第二章では、前章では書けなかった呪われた子供への差別と境遇、その変化をテーマに書いていく予定です。


次回はティナ先生によるドキドキお泊りレッスン
主人公パワーアップのテコ入れ回

「銃と暴力とピザに塗れた90日」

お楽しみに


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銃と暴力とピザに塗れた90日 前編

ティナ先生のドキドキお泊りレッスン編です。
本当は1話で終わらせる予定でしたが、色々と書くことが増えてしまい2話に分割しました。

あと、第二章を描き始めたのにまだ第二章の本筋に入れていないというか、このレッスン編までを幕間の物語にすれば良かったんじゃないかと今更ながら後悔し、自分の構成の下手さを痛感しています。


 時は遡り、数日前―――、IP序列38位のイニシエーター ティナ・スプラウトは自宅のベッドに寝転がり、ぼーっと天井を見上げていた。

 

 彼女の視界には真っ白で何の変哲もない光景が広がる。高級マンションらしく光沢を放つ天井は南向きの窓から入る日光を反射させ、室内照明をつけていない部屋を明るく照らす。

 耳には昨晩ネットでダウンロードした日常アニメの音声が入る。緩いキャラクター達の緩い会話が戦場の爆裂音ばかり受けていた鼓膜を癒してくれる。第1話から最終話まで連続で再生されているアニメは部屋のBGMと化している。

 息を吸うと鼻に昨晩作ったピザの香りが入ってくる。昨日の内に全部食べたはずだが、換気扇をつけ忘れていたせいでまだ部屋に匂いが残っている。今日の買い物リストに消臭剤を追加しておこう。

 

「一体、彼に何が……」

 

 誰もいない部屋でティナが呟く。右手に持ったスマートフォンの画面に目を向ける。

 シェーンフィールド全機損壊の対応、プロモーターやサーリッシュPGS北米本社への報告、密かに行われた防衛省の叙勲式、警察の事情聴取や聖天子との謁見など、里見事件の事後処理に奔走した日々が終えるとティナはある人物の調査に取り掛かった。

 

 IP序列7000位 義搭壮助 森高詩乃

 

 聖天子が里見事件のキーパーソンとして挙げた人物だ。ティナは彼らが何者で蓮太郎とどんな関りがあるのか知らず、彼らに蓮太郎を止める力があるとも思っていなかった。しかし、聖天子の予言通り、2人は里見事件のキーパーソンとなった。森高詩乃は圧倒的な力で蓮太郎をねじ伏せ、義搭壮助は蓮太郎の司法取引によって、事件後の彼と面会した唯一の人間になった。

 ティナは、あの事件で蓮太郎を止めるのは自分だと思っていた。彼の暴挙を止めるのも、彼の心を動かすのも自分だと思っていた。

 

 ――お兄さん。どうしてこの二人なんですか? どうして私じゃないんですか?

 

 

 

 *

 

 

 

 

「里見蓮太郎を倒したペアだと聞きましたが、とんだ期待外れですね」

 

 昼下がりの松崎民間警備会社でティナは言い放った。壮助を床に叩きつけ、片手で詩乃を壁に押さえつけた彼女は掠り傷一つ負うことも無く、汗一つかくこともなかった。詩乃はもがいてティナの拘束から逃れようとするが上手く力が入らない。

 空子は何が起きたのか全く理解できず、呆然と立ちつくしていた。

 ティナは大きく溜め息を吐く。「貴方の弱さに対して私はこんなにも失望しています」と見せつけるかのようだ。あまりにも呆れて冷ややかな視線を向ける。

 空子はようやく事態を理解してはっと目を覚ます。額から汗を流しながら胸の下に腕を組み、あたかも「自分は平然としています」という雰囲気を醸し出すが残念なことに驚きを隠せていない。

 

「で、どう? ウチの問題児たちは? 」

 

「何と言うか凄く残念です。イニシエーターはともかくプロモーターは子供の喧嘩レベルです」

 

 「おい! ! コラ! ! 俺はズタボロに負けて1回死んだから何も言い返せねえが、詩乃は違うぞ! ! そっちは訂正しろ! ! 」

 

 ――と壮助は立ち上がり様に情けない啖呵を切る。

 詩乃を解放し、冷たく一切の温かみを感じない視線を向けるティナに壮助は唸り声を上げながら睨みつける。だがそれはあまりにも虚しい光景だ。樹木の頂上に留まるフクロウに向けて地上の野良犬が唸っているようなものだ。

 

「それ、自分で言ってて悲しくないですか?」

 

「悲しいもクソもあるか。事実なんだからよ」

 

 壮助は睨んでも意味が無いと分かり、視線を逸らす。目を伏せる仕草は愁然としており、影を落としたその表情は何かと自分を卑下する彼のネガティブな部分が垣間見える。

 

「で、アンタ本当にティナ・スプラウトなんだよな? 」

 

「ええ。疑うようでしたらライセンスも見てください」

 

 ティナがカード入れからライセンスを取り出し、手の平に乗せて壮助に提示する。アメリカの民警企業に所属するアメリカ人イニシエーターなのでライセンスの内容も英語で書かれているが、レイアウトは世界共通のようでName: Tina Sprout、IP rank:38の部分はすぐに目に留まった。顔写真も目の前にいる人物と一緒だ。

 10万近いペアが存在する民警業界においてIP序列100位以内は雲の上の存在だ。壮助自身もIP序列7000位と民警全体から言えばピラミッドのかなり上の方だがそれでも100位以内が雲の上の存在であることに変わりは無い。「人の姿をした怪物」「人智を超越した者」「地上に舞い降りた戦神」などと称する者もいる。その素性は国家機密として扱われ、その能力は兵器として扱われ、その名前が出回ることは非常に稀だ。

 あの里見事件から3ヶ月、意識不明だった期間を除けば体感的にたった1ヶ月で里見蓮太郎よりも高ランクの人物に出会った衝撃に壮助はライセンスを凝視したまま固まった。

 

「マジかよ……」

 

「ええ。マジです」

 

 壮助の口調がティナに移った。

 

「そんな超大物がこんな小さな会社に何の御用で? あと松崎さんとはどういう知り合いなんすか? 」

 

 壮助は変な気を遣いながら似合わない敬語で話しかける。今にもティナに殺されそうと不安に思っているのか、顔は引きつっており、額から汗が流れている。全身から恐怖心とそれを悟られないようにする虚栄が滲み出る。

 

「そうですね……。『私は天童民間警備会社所属のイニシエーターでした』と言えば、大方のことは察してくれますか? 」

 

 ティナの口から天童民間警備会社が出て来たことに壮助は呆気にとられた。その会社はかつて里見蓮太郎が所属し、6年前はこのテナントに事務所を構えていた“伝説”とも言われる民警企業だ。里見事件で再び有名になった東京エリア最強の元プロモーター“里見蓮太郎”が所属し、親族を殲滅し東京エリア政治史上最悪の事件を引き起こした“天童殺しの木更”が社長を務めていたことで名を馳せた。しかし、イニシエーターに関してはあまり情報がない。この東京エリアで藍原延珠というイニシエーターがいたことを知る者はせいぜい蓮太郎か延珠本人の関係者、情報屋か民警オタクぐらいだ。ましてや現IP序列38位がかつて天童民間警備会社に所属していたことを知る者などほとんどいないだろう。

 だが、これらは特に不自然な話ではない。プロモーターが有名でイニシエーターがあまり知られていないのはどこの企業でも共通する話だ。民警企業にとってイニシエーターは重要な戦力であり、企業の力そのものと言われることもある。その能力をライバル企業に把握されたり、他の企業にスカウトされたりしないようにする為、各企業はイニシエーターの素性を秘匿する傾向にある。

 また、年端のいかない少女が武器を持ち、兵士として利用される光景を映したくないメディアがプロモーターばかり取り沙汰す報道姿勢を取っていることもイニシエーターの知名度が低い一因となっている。

 

「ああ。察したも何も……全部スッキリしたよ」

 

 壮助はティナに聞こうと思っていた質問を全て取り下げた。松崎との関係も自分達への用事もその強さも全て里見蓮太郎という一人の男によって説明がついてしまうからだ。

 

「改めて自己紹介します。サーリッシュPGS、第666遊撃コマンドよりコンバットインストラクターとして出向しました。IP序列38位『殲滅の嵐(ワンマンネービー)』 ティナ・スプラウトです。よろしくお願いします」

 

 ティナは息継ぎせず長い肩書を述べると直立し、綺麗な姿勢で壮助に軍隊式の敬礼をする。壮助もつられて戸惑いながらも「あ、ええっと、どうも……」と言いながら軽く敬礼する。

 

「え? コンバットインストラクター? 」

 

 壮助がふと疑問を口にすると、空子は何かを思い出したようでスーツのポケットから4つに折りたたんだメモ紙を出し、手に取って広げる。

 

「義塔。社長からの伝言。

 

『義塔くんは喧嘩っ早くてすぐ荒事に首を突っ込む習性を持っているのにスペランカーみたいに即死します。私は不安で不安で、心配のあまり毎朝4時に起床してしまいます。スプラウトさんは戦闘のエキスパートなので彼女と仲良くなるついでに鍛えてもらってください』

 

 だって。ねえ、スペランカーって何? 民警用語? 」

 

 訪ねられた壮助も詩乃も首を横に振るが、ティナはどうもネタを知っている様でそっぽを向いて笑いを堪えている。

 スペランカーが何かは分からないが、即死とは酷い言われ様だ。自分の知る松崎社長はそんなこと言わないだろうと壮助は思ったが、評価そのもの対しては否定できなかった。自分でも言ったように彼は里見事件で里見蓮太郎に惨敗し、内臓を破壊された。奇跡的に賢者の盾を埋め込まれたことで命を繋いでいるが、その奇跡が無ければ既に死んでいてもおかしくない人間だ。IP序列9644位の普通の人間がIP序列元50位の機械化兵士に立ち向かうという無謀をやらかした愚かさも含め、壮助はどうしうようも無い自分に呆れてため息が出る。そんな自分の為にIP序列38位を宛がう松崎社長の気遣いにはつくづく感謝したい。無碍にしたくないという気持ちは壮助の中で大きかった。

 

「そういうことですので、よろしくお願いします」

 

「まぁ、たまには松崎さんの顔を立てねえとな」

 

 壮助はため息を吐きながら面倒くさそうに頭をかく。

 

「病み上がりなんでお手柔らかに頼むぜ。ティナ先生」

 

 2人が互いの手を握った瞬間、壮助に激痛が走った。ティナが異様なまでの握力で壮助の手を握り潰す。壮助の手は握る形すら保持できずその苦痛から逃れようと指がもがき苦しみ、壮助自身は苦悶の表情を必死に抑える。

 

 

 

 

「嫌です。病み上がりだろうと死にかけだろうと関係ありません。殺すつもりで徹底的に追い詰めるので覚悟してください」

 

 

 

 

 ティナは悪魔の様に満面の笑みを浮かべながら答えた。

 

 

 

 

 それから3ヶ月後、義搭壮助はティナ先生のドキドキお泊りレッスンをこう振り返る。

 

 

「銃と暴力とピザに塗れた史上最悪の90日だった」と――

 

 

 翌日、壮助はティナに電話で呼び出された。場所は司馬重工・民警部門が保有する訓練施設だ。ここは前述の通り司馬重工が抱える民警を訓練する為の施設だが、武器の保管庫や新兵器の試験場も併設している。その外観は巨大なアルミニウムの箱と形容されるように窓が無く、防音素材でも壁に詰めているのか音も漏れない。外部から一切の情報が読み取れず、内部情報は秘匿されている。たまに一般公開されることがあるがそれもごく限られたフロアのみだ。

 司馬重工の試作ライフルのテスターをしていた壮助は何度か足を運んだことがあるが、彼も一般公開されたフロアにしか出入りが出来ない。内部には顔や骨格を認証する機能がついたカメラが設置されており、与えられた権限から外れた場所に行こうとすると警報が鳴って司馬重工お抱えのイニシエーターに取り押さえられてしまう。

 2~3日分の衣類と生活用品(所謂、お泊りセット)をボストンバッグに詰めた壮助はティナの背中についていき、厳重なゲートを幾つも潜って奥のフロアへと案内された。

 

「顔パスで司馬重工の施設を自由に出入り出来るとかアンタ何者だよ」

 

「昔のコネですよ。私個人ではなく、天童民間警備会社のコネですけど。天童社長や蓮太郎さんは司馬重工から武器・弾薬の支援を受けていたんです。私も天童に入ってからは司馬重工から武器を貰っていましたし、何度か武器のテスターもやっていました」

 

 金属の壁に囲まれた廊下を歩いた先には、これまた無機質な部屋が広がっていた。面積は25m×25mといったところか、金属製の壁、同じ素材で作られた床、高い天井からは白色蛍光灯の光が照らされる。部屋には何も置かれていなかったが、床には何かを引きずったような真新しい傷が残っており、倉庫として使っていた部屋を急遽、空き部屋にしたことが窺える。

 

「あら~。ティナちゃん。久し振り~」

 

 無機質な部屋で和服の美女が出迎える。彼女は嫣然と笑みを浮かべ、その口元は扇子で上品に隠している。髪はまとめておらず、艶やかな黒髪がウェーブしながら臙脂色の振袖にかかる。

 

 ――美人だけどお近づきになりたくない。

 

 壮助は本能的に彼女から胡散臭さを感じていた。彼女も何かしらの武術の有段者なのだろうか。非力なはんなり京美人としての佇まいの陰に隙の無さが伺える。扇子もカモフラージュされているがよく見ると武術に用いられる鉄扇だ。袖にも何か入っており、重力に引っ張られた布の張り方からそこそこ重量のある金属、拳銃あたりが入っているのではないかと推察する。

 今、この瞬間ティナと自分が殺しにかかったとしても抵抗する準備がしっかりと出来ている。ただのお嬢様ではない。舐めてかかると痛い目を見る相手だと壮助は認識した。

 

「お久し振りです。未織さん」

 

「ほんま大きになって。モデルさんみたいやわ。今なら里見ちゃん落とせるんちゃうか? 」

 

「まさか。ものの見事に惨敗しましたよ」

 

「あ~。やっぱし木更みたいにおっぱい大きないとあかんかったか~」

 

 話ついでにティナの顔を見ていた未織の視線が下がる。男の胸と言われても信じてしまうくらいの断崖絶壁。膨らみも母性も欠片すら感じない平坦な不毛地帯がそこにあった。

 今、彼女は「しまった! ! 」と思っているだろう。出会ってまだ数十秒だが彼女が本音の表情が垣間見えた。

 

「うん……。その……まだ16歳やし、希望はあんで。木更が異常やっただけよ。あははーははー」

 

 未織は乾いた目で笑って誤魔化し何とか気遣うが、全てはティナに逆効果だった。本人もそこは気にしていた。蓮太郎が木更LOVEのおっぱい星人(故・藍原延珠氏による証言)だったこともあり、彼女は非常にその点を気にしていた。現実は非常にも彼女の身体を希望通りにはしてくれなかった。

 気まずくなった空気を何とかしようと未織は話題を変えて、話を壮助に振る。

 

「自己紹介が遅れてもうたな。ウチは司馬未織。司馬重工第三技術開発局の局長や。ようこそ。司馬重工へ。義塔壮助ちゃん」

 

「どうもです。来るのは初めてじゃないですけど」

 

「え?」

 

「司馬XM08AGのテスターやってました」

 

「え? そうなんや。知らんかったわ。かんにんな」

 

「別にいいっすよ。何十人もいるテスターの一人ですし、ここ数ヶ月は入院してサボってましたから」

 

 壮助は自社製品のテスターを知らなかった未織を攻める気は無かった。司馬重工ほどの大企業となると偉い人に関係者の顔と名前を全部覚えろというのは酷だと思っていたからだ。しかし、偉い人や権力者を嫌うアウトロー精神が滲み出ているのか、彼の謙遜する態度にはどこか棘があった。

 

「ティナちゃんから聞いとるかもしれへんけど、ここは司馬重工が保有する多目的施設や。民警の訓練とか新兵器の実験とか、まあ、表沙汰に出来ひんあんなんやこんなんをするために使うてる。正式名称は凄く長いから、社員のみんなは『イクステトラ』って呼んどる。義塔ちゃんの顔もセキリュティシステムに登録しといたけど、この訓練場と仮眠室、あとトイレしか行き来出来ひんようになってる。他に行きたい場所があったらティナちゃんに許可を貰うてね」

 

「まるで監獄じゃねえか! ! 」

 

「ええ。監獄であり、訓練の成果次第によっては貴方の墓場にもなる場所です」

 

 壮助はこの施設に連れて来られた理由、数日分の衣類と生活用品の理由を理解した。あの言葉の通り、「殺すつもりで徹底的に追い詰める」というセリフは脅しではない。

 強くなって出るか、ここで殺されるか、義搭壮助にはその二択しか残されていなかった。

 

「結果次第ではウチの紹介で民警部門に推薦したるわ。それじゃあ、後は若い二人でごゆっくり~♪ 目指せ♪ 優良ホワイト大企業の高給取り~♪」

 

 ――と謎の歌を歌いながら未織は退室した。

 

 邪魔にならないように持って来た荷物は部屋の隅に置き、部屋の中心で壮助とティナが向かい合う。武道の組手の始まりのように2人の視線は交差する。

 

「貴方のこれまでのガストレア討伐実績、司馬XM08AGのテスター選考テストの成績、里見事件の貿易ターミナルに残された監視カメラの映像、室戸先生のカルテ、全て拝見させて頂きました。――素人にしてはよく出来ている方だと思います」

 

 “素人にしては”は余計だが初めてティナに褒められたような気がして、壮助は少し照れる。

 

「ですので最初から実戦形式でいきます。私も暇人ではありませんので」

 

 ティナはポケットから黒いナイフを取り出し壮助に投げ渡す。黒い刀身からバラニウムを連想するが、金属光沢は無く、重みも感じない。刀身に触れてみると硬質ゴム製なのが分かった。刃は潰されており、先端も削られている。刺しても斬っても殺傷力はゼロだろう。

 

「ルールは簡単です。一撃で構いません。そのナイフを私に当ててください。それが第一ステージクリアの条件です」

 

 ティナもホルスターからナイフを抜き取り、逆手に持って構える。彼女のナイフも刀身が黒く光沢が無い。壮助と同じゴム製のものだ。

 壮助も右手にナイフを持ち、ティナとの間合いを計る。事務所の戦いでは全く彼女の動きが見えなかった。こうして真正面から立ち向かうシチュエーションになっても彼女に勝てるヴィジョンが見えない。自分はイニシエーターのお零れで7000位になった普通の人間、向こうは38位の呪われた子供だ。身体能力では明らかに劣る。経験も向こうが豊富だろう。どう攻めようか思いあぐねる。間合を計るフリをして何とか考える時間を稼ぐ。

 

 それを見透かしたかのようにティナがふっと鼻で笑う。

 

「どう攻めようか悩んでいるんですよね? ――――その気なら、こちらから行きます」

 

 ティナが一気に距離を詰めた。ナイフを持っていない左手を握り絞めて拳がを作り、脇腹にねじり込まれた。回転する拳で皮膚と筋肉の壁をこじ開けられ、衝撃が直接体内に響き渡る。臓器がバラニウムになっていてもその振動や痛みは変わらない。

 無我夢中でナイフを振ってティナを遠ざけようとするが紙一重のところでナイフを回避され、再び距離を詰められて顎にアッパーカットを入れられる。首から上が胴から離れて吹き飛んだかと思った。

 その勢いで背中から倒れようとするが足を下げてバランスを取り戻すが、背後に回ったティナから掌底を叩き込まれる。脊椎を壊されたような錯覚に陥る。

 ティナがどこにいるか分からない。壮助の周囲を自由に動き回る彼女を捕捉できない。近くに居る筈なのにどこに居るのか分からない。身体に伝わる衝撃でようやく彼女の存在を知覚できる。そんな状態で壮助のナイフが当たる訳がない。

 ただ、サンドバッグになるしかなかった。

 

 

 

 「勘違いしないでください。私が教えるのは武術でもなければ子供の喧嘩でもありません。――――相手を徹底的に破壊する“暴力”です」

 

 

 

 それから数時間、壮助はティナにありとあらゆる暴力を叩き込まれた。教導の暗喩としてではない。物理的にただひたすら壮助は彼女の殺人術を叩き込まれた。内臓がバラニウムになっていなかったら、内臓破裂で確実に死んでいただろう。

 瞼が腫れて目がまともに明かない。聞こえている音も耳がちゃんと聞いたものなのか脳が作った幻聴なのか判断がつかない。手はついているか、足はちゃんとついているか、自分は立っているのか、倒れているのかそんな判断すらつかない。

 壮助は自分が吐いた血溜まりの中に倒れた。もう床を這う力も残されていない。

 

 

 その光景を見て訓練だと思う者はいないだろう。

 

 そして誰もが思うだろう。これは“処刑”だと――。

 




※変態注意 女の子のおっぱいとかお尻について語ります。

好きな作品の続編を妄想するとき、誰もが考える筈です。
あの後、彼・彼女は幸せになったのだろうか。
あの少年は立派な大人になれただろうか。
あの少女が大人になった時、おっぱいは大きいのだろうか、小さいのだろうか。←ここ重要

(捕まえて殺す的な意味で)ロリコンホイホイな作品であるブラック・ブレット。その6年後を書こう決めて最初に考えたのは「原作キャラ達の6年後の姿」です。
まず蓮太郎や聖天子、未織などの10代後半キャラは20代前半になる訳ですが、元々のキャラクターデザインが頭身高めになっていて大人っぽいので6年後の脳内イメージは大して変わっていません。(服装や雰囲気はともかく)
玉樹や菫先生、多田島警部補も同じく。
そして、原作のイニシエーター達は大抵が10歳前後、6年後の本作だと10→16歳という身体的にも精神的にも大きく変化する時期ですので、彼女達の脳内イメージも原作とは大きく異なります。
現実だと遺伝とか色々な要素があると思いますが、今回は「どれだけ心身ともに健康的な生活をしているか」というのを基準にして彼女たちのプロポーションを決めました。


①片桐弓月
4人の中では一番のグラマラスボディの持ち主。
蓮太郎絡みで色々と悲しいことはあったけど「それはそれ。これはこれ」と割り切って普段の日常に戻れる強さを持っており、女子高生としても民警としても青春を謳歌しています。あと、玉樹も色々と大きくてガタイが良いので、弓月も色々と大きくなるのではないかという予測もあって彼女はこうなりました。

②壬生朝霞
服の上からだと分かり辛いが、実は安産型。
早寝早起き、適度な運動、和食を中心とした食生活など日本人の理想とする規則正しい生活を送っており、健康的な生活という点では弓月以上なのですが、現プロモーターのせいで苦労人属性を持ったり、前プロモーターである長正の死から立ち直れていなかったりと精神的な面で問題があるので2番目になりました。

③蛭子小比奈
出るところは出ているが身長もスタイルも控えめ。
10歳から16歳までの間を復讐に費やしたと言えばけっこう悲惨なのですが、「延珠と木更がいない世界で苦しむ蓮太郎を見る」という娯楽に目覚めた為、精神的には充実した6年間を過ごしています。また蓮太郎も小比奈のことは敵と思っておらず「狂った時代の被害者」として見ており、何だかんだ言って彼女の面倒を見ていたりして、実はけっこうマシな生活をしています。(ティナが聞いたら嫉妬で狂って小比奈をガチ殺ししそう)

④ティナ・スプラウト
モデル系スレンダー美人という言葉で誤魔化されたペッタンコ。
本作でも散々とネタにされていますが、この6年間で肉体的にも精神的にも一番悲惨な生活を送っています。
蓮太郎とペアを解消したティナはIISOに身柄を保護されました。元高位序列者ということもあってIISOは彼女の能力を遺憾なく発揮できるようにまともで良識のあるプロモーターと組ませたのですが、「もぅマヂ無理。お兄さんとゎかれた。ちょぉ大好きだったのに。リスカしょ」ムーブだったティナは誰かに殺して貰おうとプロモーターの反対を押し切って世界各地の戦場を渡り歩く生活をするようになりました。
戦場という極限環境を転々とする高ストレス生活、夜間活動の増加による昼夜逆転生活、軍用レーションか自作のピザぐらいしか食べた記憶がない悲惨な食生活、休日はずっと部屋でアニメ見てるかゲームしてるかの廃人オタク生活、そんな破綻した生活で彼女のホルモンバランスはガストレアウィルスの修正が効かないくらい崩壊し、その結果、彼女の胸は断崖絶壁になってしまいました。

体内のガストレアウィルス「俺達……頑張ったよ。ティナちゃんがピザデブになったり、ゴリマッチョになったりしないように頑張って身体を調整して、モデル系スレンダー美人にしたよ。けど……おっぱいは無理だったよ。ごめん」

もしこれが延珠や木更が生存する世界線ならまた結果は変わっていたかもしれません。
そもそもティナがこんな生活になったのは蓮太郎が悪い。

ぜんぶ蓮太郎が悪い。

彼は責任を取るべきだと思う。


次回は「銃と暴力とピザに塗れた90日」の後編になります。

・強くなるか死ぬまで続くよ処刑タイム!
・語られる松崎民間警備会社創設秘話
・大解剖!機械化兵士“義搭壮助”

お楽しみに!


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銃と暴力とピザに塗れた90日 中編

・コピペで前回のおさらい

壮助「ティナ先生! 暴力激しくしないで! 」

ティナ「うるさいですね……」ボコボコ!!

壮助「あ、あぁ~ッ!」 血液ドクドクドクーッ! !

ティナ「はい、今日の訓練は終わり。お疲れさまでした」

壮助「うぅ……あ、ありがとうございました……」

数日前、IP序列38位のティナ・スプラウト先生が事務所に来たが、『義搭くんが弱いままだと松崎さんが心配のあまり不眠症になるのでは』という懸念の声があり、結果、ティナ先生が司馬重工の施設に監禁して、強くなるまで壮助をボコボコに嬲り殺すようになった。しかしティナ先生は義塔くんのことが嫌いのようで、人間に使っちゃいけない殺人術を使いまくり、義塔くんは全身イタイイタイなのだった。



 ティナ先生のドキドキお泊りレッスンが始まって5日が経過した。

 

 1日目はひたすら嬲り殺しにされた。何回、走馬灯を見たのか思い出せない。むしろ走馬灯だけでその日の記憶容量をオーバーしてしまった。

 

 2日目も前日のダメージが残ったまま嬲り殺しにされた。ティナがギリギリ死ぬか死なないか絶妙な手加減をしているせいで朝から晩まで生死の境を反復横跳びの勢いで往復した。

 

 3日目になるとティナの動きが分かって来るようになり、それに対応して少しは回避できるようになった。それでも嬲り殺しにされた。

 

 4日目、調子に乗るなと言わんばかりにティナは今までとは全く違う武術で壮助を嬲り殺しにした。彼女が言うにはスポーツ格闘技から裏社会に伝わる暗殺術、1000年以上続く秘伝の古武術まで幅広い武術を会得しているらしい。

 

 ――こいつ里見蓮太郎よりヤバくねえか?

 

 5日目。

 走馬灯を見る回数は減って来たような気がする。自分の攻撃はかすりもせず、ティナに一方的に嬲り殺しにされる戦況は変わらないが、「里見蓮太郎に比べればマシだ」そう思うことで気持ち的には幾分か楽になった。無論、壮助とティナの間に広がる実力の差は気持ちの問題でどうにかなるレベルではないが――。

 ティナに殺され続ける生活が始まって10日が過ぎた。

 

「今日はこれくらいにしておきます」

 

 ティナは浴びた返り血をティッシュで拭う。

 彼女の終わりの合図を聞いた瞬間、壮助は張り詰めていた気を緩めた。我慢していた痛みが一気に神経を走り回る。白目を剥き、途切れそうな意識を繋ぎ止めながら鉄の床に顔をつける。もはや日課となっている。

 

「これで10日目が終わった訳ですが、再度、お聞きします。どうして機械化兵士の能力を使わないんですか? 」

 

 何故、ティナが賢者の盾のことを知っているのかは疑問に思わなかった。蓮太郎の関係者であるなら菫とも知り合いで、彼女から色々と話は聞いているだろうと思ったからだ。

 この10日間、壮助は機械化兵士の能力を使わなかった。ティナからは「どんな手段を使ってもいい」と念を押されていたが、壮助は自分の身体能力と格闘術だけで戦ってきた。どれだけ惨めに負けても、一方的に屠られても機械化兵士の能力は微塵も使わなかった。

 壮助は膝をついて立ち上がり、顔や口元に付いた血を袖で拭う。

 

「先生のことだからゾン――室戸先生から聞いていると思うけど、ほとんど使えないんすよ。俺の身体が悪いのか、賢者の盾が悪いのか、理由はとにかく分かんないすけど、斥力フィールド発生に使えるリソースがほとんど無いんすよ。拳銃弾どころか下手すると先生のグーパンすら止められない。それなのにフィールド発生させるにはかなり集中力使わなきゃいけないんすけど、そんなことやってたら先生の攻撃をモロに食らって死んじまう。こんなの使わない方がマシっすよ」

 

「……まあ、貴方が言うならそうなんでしょうね」

 

 ティナは壮助に疑いの目を向ける。視線が冷たいことはいつものことで壮助は彼女に睨まれるのも慣れてきた。ここ最近、おはようからおやすみまでずっと一緒に過ごしているが、武術の実力差と同じように心理的な距離は、一行に狭まる気配がない。

 

「ご飯にしましょうか」

 

「ちなみに今日の献立は? 」

 

「ピザです」

 

「……」

 

「……」

 

「ピザですか……」

 

「ピザですが、何か? 」

 

「……」

 

「……」

 

「ティナ先生。昨日の晩御飯、何でしたっけ? 」

 

「ピザですね」

 

「一昨日の晩御飯、何でしたっけ? 」

 

「ピザですね」

 

「先生。もうひとつ質問いいかな。――――ピザ以外の料理、作れるんですか? 」

 

「貴方のような勘の良いガキは嫌いです」

 

 ティナは目を見開き、娘とペットを合成獣にしそうな目で壮助を睨みつけていた。

 

「俺ら同い年だろうが! ! っていうか、クリアするまでずっとピザ漬けなのかよ! ! ふざけんな! ! ピザ・スプラウ――オヴゥ!!」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 泊まり込みで訓練を行う民警のためにエクステトラには宿泊施設や食堂もある。宿泊施設は船内設備のように最低限のスペースと設備だけが揃えられた簡易的なものだ。軍事施設のようで温かみなど一切感じない。それは食堂も同じだ。こちらは数十人が一斉に食事をとれるほどのスペースがあるが、床や家具がステンレスで出来ているのか光沢を放ち、どこまでも機能美に徹底した様相から近未来SF映画のセットのように見える。

 壮助とティナが訓練を終えた頃、既に食堂は営業時間を終了しており、誰もいなかった。灯りも消され、空調設備以外はストップしていたがティナは壁にあったパネルを操作して他の設備を稼働させ、堂々とキッチンに入って食材や調理器具を取り出し、壮助に料理を振る舞った。

 

 ステンレスのテーブルに並べられたのはピザだった。多種多様な具材が乗せられており、宅配ピザのメニュー表よりも涎がそそられる。見た目だけでない。味も食感も期待を裏切らない、むしろそれを越えるくらい美味しかった。

 この10日間、壮助はずっとティナの手作り料理を食べて来た。――――その全てがピザだった。ティナは頑なにピザしか料理を作らず、満身創痍となった壮助が命懸けで「お願いします。ピザ以外を食べさせてください」と言っても彼女はピザを作った。だが、それは壮助に対する嫌がらせではない。何故なら、ティナもこの7日間、ずっと壮助と同じ料理を食べていたからだ。毎日、死にかけるくらいの訓練をしている食べ盛りの10代でも胸やけを起こす食生活だがティナは平然とピザを食べ続けた。

 

 こんな食生活でよくそんな体型を維持できるなと壮助は不思議に思うが、彼女達の体内にあるガストレアウィルスは身体を健康な状態に維持するよう常に活動している。これは風邪や病気にならないだけでなく、栄養バランスやホルモンバランス、あらゆる生理機能に対して作用しており、それは外見にも影響を及ぼしている。端的に言えば、呪われた子供には極端に痩せ細った子や太った子はおらず、全体的にスタイルが良い。身体能力は常に人としての最高値を叩き出す。顔に関しても普通の人間より可愛い子や美人の割合が高い。むしろブサイクを探す方が難しい。

 そのせいか「可愛いイニシエーターとイチャイチャしたいから民警になった」と本気で語るプロモーターは多く、IISO東京エリア支部もそれに悪ノリしたのか一時期は民警募集ポスターに現役イニシエーターを起用して「プロモーター大募集。私のパートナーになって♡」という風俗店のような広告を出していた(色んな団体から批判されまくったのでそのポスターは数日で回収された)。

 

 ――赤目じゃなかったら、この人絶対にピザデブになってそう。

 

 そう思った瞬間、呪われた子供じゃなかったら同じ運命を辿るであろう森高詩乃という人外レベルの大飯喰らいの顔が浮かんだ。

 そういえば、彼女は今頃何をしているのだろうか。

 

「ようやく、まともに会話出来るようになりましたね」

 

 ピザを頬張る壮助を見てティナが呟いた。

 

「先生が容赦なくボコ殴りにしたせいですけどね」

 

 一昨日までの壮助は酷い有様だった。訓練が終わった頃には自分で立ち上がることすら出来ず、ティナに首を掴まれて引き摺られながら食堂に向かっていた。テーブルで突っ伏せていた顔を持ち上げられ、無理矢理ピザを口にねじ込まれた。自発的に食べられるようになったのはつい昨日の話だ。

 

「減らず口を叩く元気はあるようですね。明日は人間をグロテスクな肉塊に変貌させるメキシコ麻薬カルテル秘伝の人肉解体殺法でも使いましょうか」

 

「勘弁してください。ガチで死んでしまいます」

 

 壮助が自発的に食べられるようになったためか、今日のピザは質・量ともに豪勢だった。気合を入れて作ってくれたことは嬉しかったが、壮助は身体のダメージもっあって早々にダウン。体型的にあまり食べなさそうなティナはペースを落とすことなく、まだ平然とピザを食べていた。

 

「なぁ、先生。1つ聞いてもいいっすか? 」

 

「良いですよ」

 

「天童民間警備会社ってどんな会社だったんすか? 」

 

「え? 」

 

 ティナが驚きのあまり手に持っていたピザを皿の上に落とす。

 

「何すか? その鳩がAA-12を喰らったような顔は」

 

「それ鳩が木端微塵になって顔すら残りませんよね。いえ……何て言うか、もの凄く今更な話ですね」

 

「俺って、藍原と里見のことばっか考えてたんで、それ以外のこと何も知らないんすよね。天童社長はネットやニュースに出てくる“天童殺しの木更”しか知らないですし、ティナ先生が天童PGSにいたことも知らなかったんすよ? 一応、知り合いの武器商人から話は聞いたんすけど、結局は外野の他人事なんで、噂話みたいなもんですし」

 

「てっきり室戸先生から話を聞いているのかと思いましたが……」

 

「入院している時に一度聞こうとしたんすけど、『そうかそうか。そんなに知りたいのか。だったら、まずこの半分ガストレア化した死体の食道から出て来たプリンだったものを食べよう』って言われた」

 

 菫が天童PGSのことを壮助に話していなかったことをティナはさほど驚かなかった。ティナにとって天童PGSが、幸福な思い出と悲しい思い出が共存するデリケートな問題のようにティナ以上に蓮太郎や木更、延珠と関りがあった菫にとってはより一層重い問題なのだろう。

 

「この際ですから、話しましょう。天童民間警備会社は小さな会社でした。所属していたのは蓮太郎さんと延珠さん、天童社長と私の4人だけでした」

 

 補足すると、柴垣という天童家の執事だった男が書類上の経営者となっているが、会社にはほとんど顔を出さず、経営にも一切口を出さない放任主義者だった為、ティナの中では天童民間警備会社の人間に含まれていなかった。

 

「始まりはガストレアへの憎しみだったと聞いています。天童社長はガストレアに両親を奪われ、蓮太郎さんは右手脚と左目を失いました。大切なものを奪ったガストレアへの憎悪と天童家を出て行って自分で稼がなければならなくなった事情が重なった結果、2人は天童民間警備会社を創設しました。

 その当時の2人は奪われた世代の例に漏れず、ガストレアを憎み、その因子を持った呪われた子供を嫌悪し、イニシエーターは戦いの道具としか見ていませんでした。そこに裏切られ続けて人間への憎悪に満ちた延珠さんが入り、空気は非情に殺伐としていたそうです」

 

 天童民間警備会社の暗い成り立ち、呪われた子供を嫌悪する蓮太郎、人間不信の延珠、輝かしい英雄譚とは真逆の現実がそこに広がっていた。

 

「ん? ()()()()? 」

 

 壮助はふと疑問に思い、それを口にした。ティナの口調がどこか他人事だった。

 

「私が入ったのはそれからかなり後になるんです。その時には優しい天童社長にかっこいい蓮太郎さん、明るい延珠さんの和気藹々とした天童民間警備会社になっていました」

 

「変なおクスリでもキメちゃったんすかね? 」

 

「そんな訳ないじゃないですか。けど……、たった1年でそこまで明るくなれた経緯については聞けませんでしたね。延珠さんが大元だとは聞いていますけど」

 

 その変化の中にいなかったことに対して疎外感を覚えているのか、ティナはどこか寂しそうに視線を逸らす。

 

「まず天童社長のことから話しましょうか。ちなみに義塔さんは天童社長のこと、どれくらい知っていますか?」

 

「俺が知っていることなんて天童PGSの社長。里見蓮太郎の幼馴染、親の仇として自分の親族を皆殺しにした復讐の鬼神。天童流抜刀術の免許皆伝。もう死んでいること。それくらいっすね」

 

「そうですか……」

 

「もしかして間違いだらけだったりします? 」

 

「いえ、貴方の認識に間違いはありません。ただ、私の知っている天童社長は……普段の彼女はもっと違いました。優しくて、仕事が出来て、包容力があって、格好良くて、蓮太郎さんが好きになるのも頷けるくらい素敵な女性でした」

 

 ティナの口から語られる木更の話を聞きながら、壮助は里見事件で合流した小比奈のことを思い出した。自分の父親を「自分は間違っていると分かっているのに誰かに認めて貰いたい寂しがり屋」と彼女が評したように、東京エリア最悪の大量殺人鬼“天童殺しの木更”には、ティナや蓮太郎、延珠に見せた人間味溢れる優しさがあったのだろう。

 さらっとカミングアウトされた蓮太郎の恋の話も気になるところだ。

 

「ですが、天童が関わると彼女は豹変します。それが、貴方の知っている天童殺しの木更です。5年前、クーデターで聖居が混乱しているところに付け入った彼女は天童一族を殲滅し復讐を果たしました。

 ですが、彼女の復讐はそこで終わりませんでした。――いえ、終われなかったんです。生きる目的を失った彼女は穴を埋めるように殺戮の標的を天童家に通じていた者達に変えました。賄賂を贈っていた政治家やモノリスのバラニウム含有量偽装に加担した企業の関係者を、彼女は次々と殺していきました。そうなってくると、それはもう復讐ではありません。ただの殺戮です。

 天童流抜刀術免許皆伝、生身の人間でありながら高位序列のイニシエーターに匹敵する戦闘能力を持った彼女を止められる人間は当時の東京エリアでは限られていました」

 

「警察は、里見に白羽の矢を立てたのか」

 

「いえ、蓮太郎さんが自分から行ったんです。『俺が責任を取る』と。

 

 そして、蓮太郎さんは正義の名の下に天童社長を殺し、彼女の凶行に終止符を打ちました」

 

 最悪の結末で締めくくられる天童木更の物語、それを語るティナの表情もまた暗い影を落とす。

 ティナにそんな話をさせてしまった壮助は自分の浅はかさに嫌気がさした。

 

「すまん。先生。胸糞悪い話をさせちまった」

 

「大丈夫です。もう慣れました」

 

 ティナは儚げな笑顔を見せる。見ている壮助の方が辛くなるくらい無理をしていた。まだ彼女の中で天童民間警備会社の傷は癒えてないのだろう。

 

「次は延珠さんの話でもしましょうか」

 

「藍原はよく知ってますよ。クラスメイトでしたから。勉強はちょっと苦手だったけど、明るくて元気で、友達もいて、あと時代劇みたいな変な喋り方してたっすね」

 

「ふふっ。私の知っている延珠さんのままですね」

 

「それと、じゃんけんが弱かったな」

 

「じゃんけん? 」

 

「いや、あいつ次に何を出すか、顔に出るんすよ。眉間に皺が寄っている時はグー、下唇を噛んでいる時はチョキ、何も考えず咄嗟に出す時はパーみたいな感じで。そんで表情でバレていると気づいたら変顔するようになったんすけど、それもまたパターンが決まっているんすよね」

 

「あ~。だから延珠さん。じゃんけんする時は変な顔をしてたんですね」

 

「あと思い出したんすけど、遠足の時にあいつ弁当忘れちゃって――――

 

 壮助は木更の話で重くなった空気を何とかしようと記憶の引き出しをこじ開け、延珠にまつわるエピソードを引っ張り出す。かけっこで一方的にライバル心を持っていたこと、机の中に飛び出すゴキブリフィギュアを入れたが見抜かれて仕返しされたこと、彼女に舞という親友がいたこと――。

 いつの間にかティナは壮助の話に聞き入っていた。蓮太郎ですら知らない、勾田小学校に通う少女としての延珠の話は一語一句聞き逃したくないくらい興味がそそられた。もう決して増えることのない延珠の記憶が壮助の言葉によって次から次へと追加されていく。

 

「よく延珠さんのこと覚えてますね。もしかして、好きだったんですか? 」

 

 壮助は乾いた喉を潤そうと口に含んだ水を噴き出した。

 

「な、何言ってんすか! ? 当時の俺、まだ10歳のガキっすよ! ! 」

 

 壮助はあからさまに顔を赤くして必死に否定する。

 まさかこんなにもわかり易い反応を示してくるとティナでも思っていなかった。

 

「そうだ。イニシエーターとしてのあいつを聞かせてくださいよ。どんだけ強かったんすか? 得物は? そもそも保有因子は何だったんすか? 」

 

 壮助の話題を逸らしたい意志が見え見えだったが、ティナはイニシエーターとしての延珠を話そうと思っていたので話題逸らしに乗ることにした。

 

「イニシエーターとしての彼女ですか……。とても強かったですよ。保有因子(モデル)ウサギ(ラビット)。高い機動力で敵を翻弄し、バラニウム底ブーツの足蹴りで大抵のガストレアなら一撃で倒す――蝶のように舞い、蜂の様に刺す戦い方でした。格闘戦に持ち込まれたら私も勝てる自信がありません」

 

「マジかよ……凄えな。あいつ……」

 

 ガストレアウィルスの恩恵により人間離れした身体能力を持つ呪われた子供達だが、その心は普通の人間と変わらない。どれだけ自分に力があったとしても自分よりも大きな怪物を前にすれば怖れ、怯え、足が竦んでしまう。敵を前にしてそれは命取りであり、イニシエーターになったがまともに戦えず、初仕事で死亡したり、敵前逃亡したりするのはよくある話だ。そのためか、「最初は銃や槍など遠くからガストレアを倒せる武器を持たせて慣れさせましょう」というのはプロモーターが民警ライセンス取得のために受ける講習の決まり文句になっている。その中で得物らしい得物を持たず、バラニウム底の靴だけで戦った延珠がどれほど勇敢だったのかは説明するまでもない。

 

 イニシエーター・藍原延珠の強さに壮助は愕然とする。呪われた子供でイニシエーター、あの里見蓮太郎のパートナーだったことを考えると彼女の強さには納得できたが、クラスメイトとして認識していた少女にそれほどの力が秘められていたと知ると驚かずにはいられなかった。

 呪われた子供だと発覚した時、彼女が怒り狂って自分達を襲っていたらどれほどの犠牲者が出ていたのだろうかと、壮助は考えるだけで身震いした。抵抗せず、ただ耐えた彼女の理性と忍耐によって自分達は救われたのだと改めて認識させられる。

 木更のことは話した。延珠のことも話した。残る話題はかつての蓮太郎の話だが、ティナの口は中々開かない。かつての蓮太郎のことを話せば、必然的に語ることになる。

 

 “里見蓮太郎は如何にして壊れていったのか”

 

 それはティナにとって最大の精神的外傷(トラウマ)だ。木更のことを話すだけで辛そうにする彼女を目の当たりにして、更に傷を抉るようなことを訊く気にはならなかった。

 

「ティナ先生。松崎PGS(ウチ)があのテナントを使っていることについてどう思ってます? 」

 

 ――と咄嗟に思い浮かんだ話題を振る。

 

「質問の意図がよく分からないのですが……」

 

「いや、思い出の場所を踏み躙られてるって思っているなら悪い気がしてさ。俺達が来た時にガッツリ内装変えたし」

 

「そうは思っていませんよ。むしろ、あそこを使っているのが貴方達で良かったと思っています。それよりもよく借りられましたね。私が言うのもあれですが、天童民間警備会社があった場所となれば競争率が高くなかったですか? 」

 

「最初はそうだったんすよ。契約希望者が殺到して、オークションみたいに『2倍出す!!』『ウチは5倍出す!!』ってみんな競って値段を吊り上げるもんだから一時期は事務所のリース料が100倍にまでなってたんすけど、あそこをゲットした業者が次から次へと不幸に見舞われたんすよ。縄張りを巡って対立していた他の民警企業がロケラン撃ち込んでふっ飛ばしたり、鳥型ガストレアが突っ込んできて社長が食われたり、上の闇金と間違えられて債務者にシュールストレミング爆弾を投げ込まれたり、酷い時は別の民警会社と間違えた赤目ギャングに襲撃されて従業員皆殺しにされたりしてましたね。そんなことが何度も続けば、みんな『天童の呪いだ!!』って騒ぐようになっちゃって、誰も借りなくなったんすよ。完全に事故物件扱いっすね」

 

「何と言うか、色々と大変だったんですね」

 

 天童PGSがあったハッピービルディング周辺はお世辞で言っても治安の良い場所とは言えないが、それでも天童PGSが離れた後の波乱万丈な経歴は異様だった。壮助の言う通り、呪いでもかかっているのだろうかとティナは考えてしまう。

 それでも移転しなかった4階の闇金、2階のキャバクラ、1階のゲイバーの人達の胆力には呆れを通り越して、逆に感心させられる。それともビルの名前の通り頭がハッピーになってしまっているので異様な事態に気付いていないだけかもしれない。

 

「先生、何言ってんすか? 天童PGSの時が一番凄かったってキャバクラの店長から聞いたっすよ。どっかのバカがガトリングガンぶっ放して床とか壁とかふっ飛ばしたらしいじゃないすか」

 

 ティナの身体が一瞬ビクつく。

 

「っていうか、あんな小さい事務所を襲撃するのにガトリングガン持ち込むとかどんなバカだったんでしょうねぇ! ! そんなもん使ったら人間どころかガストレアすら木端微塵っすよ! ! きっとそいつ、ドラッグのやり過ぎで脳味噌が火星まで吹っ飛んだ知能指数(IQ) 3のバカゴリラみたいな顔してたんでしょうね! !あはははははははははははははははははははは! !

 

 

 ――あ、もしかして先生、そいつの顔見てたりします? 」

 

「ええ。しっかり覚えてますよ。

 

 

 

 

 

 

 

だって、その『ドラックのやり過ぎで脳味噌が火星まで吹っ飛んだ知能指数(IQ) 3のバカゴリラ』は貴方の目の前にいるんですから

 

「 」

 

 ティナの言葉で壮助は凍り付いた。

 

「 」

 

「その『ドラッグのやり過ぎで――「いや、もう大丈夫っす」

 

 壮助は衝撃のあまり頭が混乱する。

 

「え? マジ? ってか、自分の事務所でガトリングガンぶっ放すとか、何やってるんすか? ヤンデレったんすか? 」

 

 壮助は当時のティナが既に天童PGSのイニシエーターだと勘違いしていた。ティナ・スプラウトが天童PGSのイニシエーターになった経緯について、ティナは自分のことなので当然のように知っているが、壮助はその当然のことすら知らない。2人にはそれだけ情報のギャップがあった。

 

「まず説明しますとその当時、私は蓮太郎さんの敵でした」

 

「え? 敵……? 」

 

「はい。蓮太郎さんや貴方の臓器とは別のプロジェクトで作られた機械化兵士、IP序列97位“黒い風(サイレントキラー)”の異名を持つイニシエーター、それが私でした」

 

 自分が聖天子暗殺のために東京エリアに密入国したこと、護衛に就いていた蓮太郎と戦ったこと、敗北し居場所を失ったところを木更に拾われたこと、天童民間警備会社のイニシエーターとなった自分の経緯をティナは語った。

 

「ガトリングガンの件はその一環ですね。それで天童社長を殺そうとしました。他にも延珠さんには四方から同時に対物ライフルで銃撃して重傷を負わせましたし、蓮太郎さんに到っては狙撃、トラップ、CQC、私の能力をフル活用して全力の殺し合いをしました」

 

「そんなヤバいことやらかしたのに受け入れてくれたんすか? 」

 

「延珠さんは『妾に後輩が出来た!!』って喜んでいましたね」

 

「うわぁ。簡単に想像できてヤバい」

 

 自分を殺そうとしたティナを許し、受け入れた天童民間警備会社の面々の器の大きさに壮助は呆れる。

 

「あ、もしかして先生。3人の頭をしこたまぶん殴って記憶をぶっ飛ばしました? 」

 

「あ、それ良いアイディアですね。明日は貴方の頭を集中的に攻撃して、素直で従順でショタ属性を持った『よしとう そうすけ ちゃん 6さい』にしましょうか」

 

「ふざけんな! ! 明日こそアンタをぶっ倒してクリアしてやる! ! 」

 

 明日の修行は頭のガードをしっかりしておこうと壮助は思った。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 そして、エクステトラ監禁生活は15日が経過した。

 

 いつもの部屋で、いつものトレーニングウェアを着て、いつものゴム製ナイフを持ち、いつもの敵を目の前に壮助は立つ。

 しかし、その心持はいつもと違う。彼はずっとこの日を待っていた。15日間、ティナに嬲り殺されながらひたすら彼女を観察していた。その一挙手一投足を頭に叩き込み、彼女の武術のレパートリー、得意とする間合、苦手とする間合を観察し続けた。頭を殴られ過ぎて記憶が飛び、何回か脳がリセットされてしまったが、それでも諦めなかった。

 

 “確実に勝てる時に戦って勝つ”――そのための準備をし続け、条件を揃えた。

 

 

 

 ――今日で15日目……。先生の動きは分かって来た。使う武術も前に一度使ったものを使うようになってきた。レパートリーもそろそろ限界の筈だ。

 

 

 

()()、そろそろ使うか。

 

 

 

 

 壮助は覚悟を決めると、いつもの“舐めた態度のムカつく弟子”の仮面を被る。

 

「先生。さすがに15日も殴り合いを続けると飽きてきますね」

 

「貴方が私にそのナイフを当てれば、それですぐに終わる戦いなんです。飽きて来たなら、私に勝って終わらせてください」

 

「それが出来ないから苦労してるんだっつーの! ! 」

 

 壮助は走り出した。ティナに目がけて一直線で駆け出し、距離を詰める。ティナまであと1メートルになったところで壮助は一気に踏み込んだ。加速し、前進した身体は手を伸ばせばナイフが届く間合に入る。

 居合の構えで隠されていた刀身が抜かれる。首を狙った横薙ぎ、軌道・速度共に問題は無い。普通の人間なら既に刃が首に届いていただろう。しかし、ティナの反射神経は普通の人間の範疇には含まれない。彼女は壮助の手首を抑え、ナイフを止める。

 

 ――ナイフが無い。

 

 咄嗟に左手を見た。右手首を抑えたことでガラ空きになった脇腹めがけて切っ先が走る。居合の構えで右手に握っていると誤認させ、左手に持ち変えていたナイフで意表を突かれた。ティナは左手に持っていたナイフを右脇腹に持って行き、刃と刃を当てて壮助のナイフを止める。

 性差から生まれる体格差、経験、力の入り方、様々な要因が重なり、赤目の力を使わないティナの筋力と壮助の筋力は同等になる。相手を崩そうと力押しする2人は拮抗し、手足を震わせながらも静止する。

 

「今の技、とっておきだったんすけどね。まさか止められるとは思っていなかったすよ」

 

「言ったじゃないですか。私は貿易ターミナルの監視カメラ映像を見ているんです。貴方が騙し手や搦め手、小細工を使って戦うタイプの人間であることは知っています」

 

「やっぱ先生は凄いっすね。強いし、美人だし、頭も良いし、地位もある。至れり尽くせりじゃないですか。

 

 

 

 ―――そんなに凄いのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 」

 

 

 その一瞬、ティナの心が止まる。氷のように冷たく冷静だった彼女の目に感情が籠る。自分の傷口に指を入れる義搭壮助に対する怒りという感情が――。

 ティナは悟られないように壮助を蹴り飛ばし、距離を取る。しかし遅かった。数メートル離れた壮助は悪辣な笑みを浮かべながら間合いを計る。彼はティナの表情の動きを、彼女の動揺をしっかりと観察していた。

 

「空港事件の時、あいつはこう言っていたんだよ。

 

『俺は……英雄になんてなりたくなかった! ! 富も名声も望んじゃいなかった! ! 延珠がいて、木更さんがいて、ティナがいて……あの天童民間警備会社があれば、俺はそれで良かったんだ! !』

 

 里見が本当に欲しかったものは居場所だった。ガストレアへの復讐でもなく、この世界を守る大義でもなく、藍原延珠と天童木更とティナ・スプラウトがいる天童民間警備会社だった。藍原延珠は死んだ。天童木更も死んだ。だけど、アンタは生きている。

 

 どうして、生き残ったアンタが里見の居場所になってやれなかったんだ? 」

 

「――――――っ! ! 」

 

 ティナが動揺する一瞬を壮助は逃さなかった。ナイフを握っていない右側に回り、斬りかかる。しかしティナの反応が早かった。間一髪のところで斬撃は回避され、回避運動の勢いを乗せたまま身体を回転させた彼女のハイキックが鼻先をかする。

 これまで当たる攻撃だけを確実に当てて来た彼女が攻撃を外す。それは壮助の言葉が利いていることを意味していた。

 

「面会した時のあいつは悲惨だったよ。生きているか死んでいる分からない状態だった。天童社長と藍原が託した願いを呪いに変えて、このクソッタレな世界への憎しみも抱えて、正義の味方にも悪党にもなれない自分に苦しんで、自暴自棄になっていた。()()()()()()で油売っている暇あるのかよ? 明日には『里見蓮太郎、留置所で自殺』ってニュースが出てもおかしくないのによ! ! 」

 

 人の心の傷を見つけ、抉り、その中に爪の伸びた指を入れて掻き回す。それを楽しむかのように壮助の目は見開き、その口は涎の滾った獣の唸りのように饒舌になる。その悪虐が、非道が、義搭壮助という人間を被っていく。

 

「何も知らない貴方が……知った風な口を利かないでください! ! 」

 

 ティナの神速の貫手が迫る。肋骨の隙間を穿つコース、肺を潰す勢い、バラニウムになっていない部分の臓器を打たれれば壮助は声にもならない悲鳴を挙げ、吐瀉物と血が混ざったものを吐き出していただろう。

 しかし、ティナの貫手は壮助を穿たなかった。まるで服の上を滑るかのように指はコースを変更し、彼の脇腹を掠める。

 壮助はカウンターの要領でティナの身体に掌底を当てる。当たった瞬間、ティナは車に撥ねられたかのように10mほど突き飛ばされ、後方の壁に叩きつけられる。普通の人間の筋力では考えられない威力で叩きつけられた衝撃でティナはこの半月で初めての痛みを負う。

 

 体勢を立て直しながら自分がこうなった状況を思い出す。貫手がそれた瞬間、指先は何かに触れたような感覚があった。それは服ではなく、生身の身体でもない。一切摩擦が存在しない物体と表現すれば良いのだろうか、何か触れ、その何かによって貫手は滑らされた。

 掌底もそうだ。ティナは壮助の手を見ていたが、手が当たる前にティナの身体は突き飛ばされた。胸元に残る触られた感覚を思い出す。それは明らかに壮助の掌の凹凸ではなく、反発力を持った球体が当たったような感覚だった。

 その不思議な現象の答えをティナは知っていた。

 貫手のコースが逸れたのは壮助が斥力フィールドを自分の服の上に展開させ、フィールドが持つ斥力によって誘導されたから。掌底は手の平に斥力フィールドを発生させ、それをティナに当てた瞬間、フィールドを前方に拡大させて突き飛ばしたから。

 

 ――何が斥力フィールドは「ほとんど使えない」ですか。この大嘘吐き。

 

 ティナは一気に駆け出し、斥力フィールドで飛ばされた10mの間を埋めようとする。壮助が影胤と同じ使い方をするのだとしたら、遠距離は攻撃手段を持っている壮助が有利になる。

 そんなティナの目論見を見透かすかのように壮助は手に球体上の斥力フィールドを発生させ、殴るかのように拳を前に突き出すと、それに呼応して前方に伸びた斥力フィールドは槍のようにティナを突き飛ばし、再び壁に叩きつける。

 叩きつけられざまにティナは自分のナイフを投擲する。全力で飛ばされたナイフは壮助の目に直撃する。斥力フィールドが間に合わず、咄嗟に瞼を閉じて眼球を保護する。ゴム製で刃を潰したものだとしてもその形状は鋭い。

 

 

 

 

「その程度の揺さぶりで私の手元が狂うと思っていたんですか? 」

 

 

 

 

 斥力フィールドで壁に押さえられていた筈のティナが目の前にいた。ナイフを当てられた時に壮助の集中が途切れ、ティナを抑えていた斥力フィールドが霧散してしまっていた。

 

 

 

 

「舐めないで下さい。貴方の目の前にいるのは――、そんな苦悩も葛藤も乗り越えた正真正銘の怪物です」

 

 

 

 

 掌底が壮助の心臓に叩き込まれる。咄嗟に胸の前に斥力フィールドを展開するが、真正面から破られる。胸に当てられた衝撃はろっ骨を通り越して心臓と肺を揺さぶる。血流が止まる、呼吸が出来ない、その痛みに、身体の異常にどう対処すればいいのか分からない。

 

「今日は……これで終わりにします! ! 」

 

 ティナはそう吐き捨てると、文字通り血反吐を吐いてうずくまる壮助を尻目に自分の荷物をまとめてトレーニングルームから出た。

 

 ――ああ……。クソッ……。勝てると……思ったんだけどなぁ……。

 

 これが最善の策だった。この15日間、ひたすらティナの動きを覚えることに専念した。蓮太郎の話をすることで精神的に揺さぶりをかけ、頑なに使わなかった斥力フィールドを使うことで意表をつき、彼女の対応が間に合わないまま勝利を得る筈だった。

 結果はこの有様だ。彼女を逆上させ、虎の子の斥力フィールドもすぐに対処された。

 この半月、共にいて築いてきた関係も崩壊しただろう。彼女が涙を流すのを初めて見た。

 

 

 ――何が『乗り越えた』だ。何が『正真正銘の怪物』だ……。まだガッツリ後ろ髪引かれてるじゃねえか。

 




2話構成と言ったな。あれは嘘だ。

はい。ごめんなさい。
話が長くなってしまったのでティナ先生のドキドキお泊りレッスン編は3話構成になりました。話をスッキリまとめられない自分の下手さが憎いです。


次回は「銃と暴力とピザに塗れた90日 後編」

・ティナ先生のカチコミ講座 ~屋内戦闘におけるガトリングガンの役割~ 
のオマケ付き(嘘です)


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銃と暴力とピザに塗れた90日 後編

皆さんお待たせしました。
ティナ先生のドキドキお泊りレッスンの完結編です。

※普段の倍以上の文章量になっていますので、通勤・通学のちょっとした時間や暇潰しに読んでいる方はお気をつけ下さい。


「ああ――――クソッ。まだ痛ぇ。さっきのガチ殺し用の技だろ。俺が斥力フィールド張って威力落としてなかったら死んでたぞ」

 

 司馬重工の多目的施設“エクステトラ”にあるトレーニングルーム(という名の元・倉庫)で壮助はモップがけしていた。訓練の間に流した汗、自分が吐き出した血や何かよく分からない体液を水で拭き取る。訓練が終わった後、ティナがピザを作っている間に壮助がトレーニングルームの掃除を行うのが決まりとなっており、それは訓練終了時にモップを握れない身体になったとしてもお構いなしだ。

 

「っていうか、今日どうするんだ? 先生のIDが無いとこことシャワー室とトイレしか行けねえんだけど」

 

 掃除用具を洗っていると背後にある鉄製の自動扉が開く音がした。壮助は一瞬、ティナが戻って来たのだと思った。何もない部屋とトイレを往復するしかない退屈な1日を過ごさずに済む喜びとトラウマを刺激してガチギレ中のティナにボコボコにされる恐怖が同時に顔に出る。

 

「あ! ! おったおった! ! 義塔ちゃん。すぐ来て! ! 」

 

 しかし、トレーニングルームに入って来たのは司馬未織だった。半月前、ここの来た時に会った彼女は余裕に満ちたはんなり京美人だったが、そのイメージが崩れるくらい彼女は慌てた様子だった。その和服姿で走り回ったのだろう。着物は汗が滲み、髪のセットも崩れて頬にベッタリとひっついている。

 

「俺、ここから出られないんすけど」

 

「んなもんウチの権限で出したる! ! 」

 

 当然のことながら、司馬重工第三技術開発局長という肩書を持つ彼女のIDはエクステトラ内部を自由に行き来することが出来る。

 未織は壮助の手を掴むと事情が全く把握できていない壮助を引っ張り、彼をトレーニングルームの外へ引っ張り出す。半月前、ここへ来る時に通った廊下を逆に辿り、正面ロビーまで連れて来られた。

 そこは半月前に見たロビーとは違っていた。半月前は司馬重工の最新技術を集めた施設らしい未来的なデザインのロビーだったが、今はその面影を残さず、見るも無惨な光景になっていた。

 中央の受付兼インフォメーションセンターは砲撃でも食らったのか原形を留めないほど崩れ、床や壁の随所にはクレーターが形成されている。ふと地面を見ると砲撃で吹っ飛んだ受付の破片や空薬莢が転がり、エクステトラお抱えの警備員や民警たちが倒れている。

 

「君はもう包囲されている! ! 大人しく投降しなさい! ! 」

 

 ライオットシールドを構えた警備員たちが一人の襲撃者を取り囲む。

 取り囲まれた襲撃者は身構えることなく、今の状況を危機とすら思っていない余裕を見せる。しかし、目標となる人物がまだ姿を現さないことに苛立っているのか包囲する民警たちを睨みつけている。

 壮助は警備員たちの陰に隠れて襲撃者の姿が見えなかったが、ライオットシールドの隙間から覗くことが出来た。

 襲撃者は、どこをどう見ても壮助のイニシエーター・森高詩乃だった。彼女は右手に30式7.62mm小銃のグリップを握り、左手には人質にしているのだろうか気絶したイニシエーターの首を握っている。30式7.62mm小銃は司馬重工が製造して自衛隊に卸している銃器であり、壮助たちの持ち物ではない。おそらく司馬重工の民警や警備隊から奪ったものだろう。

 詩乃もライオットシールドの隙間から壮助が見えたのだろう。赤く輝く瞳を壮助に固定する。

 

 ――あ、これガチで怒ってるやつだ。

 

 壮助は身の危険を感じ、逃げ出そうとするが未織に襟首を掴まれる。

 

「なに逃げようとしてるん? あないに可愛い女の子甲斐甲斐しゅう会いに来てくれたのに」

 

「司馬さんにはあれが可愛い女の子に見えるんすか? あれは、どう見ても汎用人型決戦兵器っすよ」

 

「自分のイニシエーターになんて言い草や。ほら、自分の女のご機嫌取りぐらい自分でしたらええ」

 

 襟首を掴んだ未織の手に振り回され、壮助は詩乃の前に押し出された。未織に尻を蹴飛ばされた勢いやティナの訓練による疲労もあってかスライディング土下座するように詩乃の前に倒れ込む。

 

「ねぇ? 壮助。何日経った? 」

 

「え? 」

 

「ティナと密室でイチャイチャするようになって何日経った? 」

 

「じゅ、15日です! ! サー! ! 」

 

 ――と土下座形態だった壮助は直立し、軍隊式の敬礼をしながら返答する。

 突然、詩乃は左手に握っていたイニシエーターを投げつける。壮助は咄嗟に回避たことで宙に浮いたイニシエーターの身体は背後にいた警備員たちのライオットシールドに叩きつけられる。誰か彼女を受け止めてあげろよと心の中で思うが、何人もの男達が薙ぎ倒される光景を見るとシールドで受けたのは正解だったと思える。

 

「2~3日で出て来るって言ったよね? なんで帰って来ないの? 何で15日もティナと一緒にいるの? 何で私の傍にいてくれないの? 」

 

「いや、その……あの人の強さが想定外だったっていうか、メチャクチャ強いっていうか……。正直、今でも目途が立ってないっていうか……はい」

 

 壮助は正座し、しどろもどろになりながら仕事で大きなミスを犯したダメ会社員のような弁明を繰り返す。目は完全に泳いでおり、詩乃を直視できていない。

 

「…………」

 

「森高さん? お願いだから何か言って? 黙ってる方が恐ぇよ! ! 」

 

 壮助は詩乃の両腕に縋りつく。その光景を詩乃は冷ややかな目で見た後、彼を足蹴りして引っ繰り返す。

 詩乃は30式7.62mm機関銃の銃身を両手に握ると「ふんっ! ! 」と言って折り曲げ、真っ二つにする。自社製品を発泡スチロール製のハリボテのように壊される光景に司馬重工職員たちは顔が真っ青になる。ライバル企業によるヘイトパフォーマンスを見ている気分だ。

 

「私が……、私が、壮助のいない15日をどんな気持ちで過ごしたか分かる? 誰もいない部屋で起きて、誰もいない部屋で朝ご飯食べて、誰もいない部屋に向かって『行ってきます』って言う私の気持ちが分かる?

朝は一人で登校して、学校では教科書読むだけで十分な内容のつまらない授業を受けて、昼は食堂で私のために作られた特別メニュー・日替わりランチ特盛(4人前相当)を食べて、午後の授業では居眠りして先生に怒られて、放課後は友達と一緒にラーメン食べに行って盛々軒の替え玉チャレンジの最高記録を更新して、夜は大角か空子か松崎さんの家を転々として夕食をご馳走になって、夜になったら自宅に戻って誰もいない部屋に向かって『ただいま』って言う私の気持ちが分かる? 」

 

「いや、お前けっこう一人暮らし満喫してるよね? 」

 

 ドォン! !

 

「ひぃっ! ! 」

 

 壮助の言葉を消し飛ばすかのように詩乃は地面を踏みつけ、床にクレーターを作る。

 

「昔は良かったよ。毎晩、壮助が抱きしめて身体を温めてくれた。絶対に忘れられないくらい情熱的に愛してくれた。身体があの温もりを覚えているのに、今の私はずっと一人。クローゼットから壮助の服を全部取り出して布団代わりにしても虚しさしか出て来ない」

 

「そんなことした覚えは無えし、会った時から今までずっと布団は別々だっただろうが! ! この変態イニシエーター! ! とんでもねえ嘘ついて俺との関係を捏造しやがって! ! 」

 

「あともの凄く暇だったから、暇潰しに壮助のノートパソコンのパスワード解除した」

 

 その言葉を聞いた瞬間、壮助は硬直した。

 

「あ、あの……森高さん? まさか……」

 

「『Laocoon製品のインストールファイル』の中身も全部見たよ。勿論、その中に隠されていた()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「   」

 

 目の前が真っ白になった。もう何も考えられない。考えたくなかった。

 

「うわああああああああああああああああああ! ! ! ! ! ! ! ! 殺してくれ! ! ! ! ! ! ! ! いっそのこと殺してくれえええええええええええええ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! 」

 

 頭を抱え、衆人環視の中で壮助は慟哭する。

 この瞬間、壮助はその場にいた女性職員全員を敵に回した。彼女達は汚物を見る様な視線を壮助に向ける。対して、男性職員は壮助に同情し「御愁傷様」とボソリと呟いた。

 詩乃は壮助に歩み寄り、彼の肩を軽く叩いた。

 

「でも安心して。

 ――代わりに私のエッチな自撮り画像をたくさん入れたから。これでオカズには困らないね。いや、そもそも私がいるんだから、そんな画像すら必要ないよね。大丈夫。壮助がその中にどんなに倒錯した性癖を持っていたとしても私は受け入れるから」

 

 詩乃は誇らしげに語り、ガッツポーズを決める。

 

 その後、壮助は女性職員から「変態」「最低」「ロリコンヤンキー」と罵られながら袋叩きにされ、男性職員からも「俺達の仕事邪魔してまでイチャコラしやがって」「羨ましいぞ」「その画像寄越せ」と袋叩きにされた。

 

 これほどまでに酷い公開処刑があっただろうか。

 

 ティナの訓練に15日耐えた壮助の心は遂に折れた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 未織に中断されたトレーニングルームの掃除の続きを2人でやりながら、壮助はこの15日間のことを詩乃に話した。ティナにナイフを当てないとクリア出来ないこと、赤目の力が無くても彼女は強いこと、食事はピザばかりだったこと――

 

「それで、正攻法じゃ勝てないと悟った壮助はティナに色々と酷いことを言って精神攻撃して、ずっと隠していた機械化兵士の力も使ったけどボロクソに負けたんだね」

 

「大正解だよ。俺の服に盗聴器でも仕掛けてたのか? 」

 

「まさか。感情的にさせて理性の仮面を外したい相手、本音を引き出したい相手に壮助がそういう手段を使うのはよく知っているから。それで――ティナの本音は聞けたの? 」

 

 壮助は図星を突かれたのか、視線を逸らして詩乃から顔を隠す。見えていなくても背後から彼女の視線が突き刺さるのが分かる。

 しばらく黙り込むと目配せして自分と詩乃以外、誰もいないことを確認する。

 

「…………このこと、誰にも話すなよ」

 

「了解」

 

 詩乃は静かに笑みを浮かべる。

 壮助はモップがけする手を止めると大きく溜め息を吐いた。

 

「ガキの頃、俺が初めて里見に会った日のことは話したよな」

 

「会ったっていうか、見たが正しいけどね」

 

 揚げ足を取る詩乃に少しムッとするが、気にしないように努める。

 

「俺にとって、里見蓮太郎はヒーローなんだよ。空港の戦いであいつの弱さを見ても、闇を見ても、絶望を見ても、熱々のバラニウムで内臓を消炭にされても……。どうしてなんだろうな。俺はまだあいつを見限っちゃいないんだ。

 里見事件はまだ終わっていない。あいつの魂はまだ地獄の中だ。あいつはまだ全てを失ったままだ。このままだとあいつは牢獄の中で腐って終わる。あいつが信じたものも、あいつを信じた連中の想いも、今度こそ本当に無駄で、無意味で、無価値なものになる。

 ――どうにかしてあげたい。救いたい。けど、残念なことに俺に出来るのは喧嘩を売るぐらいで、俺の手元にはあいつを救うためのカードが無いんだよ。

 そんなところに来たのがティナ・スプラウトだ。あいつが藍原や天童さんと一緒に名前を挙げた人がウチに来て、俺を訓練するとか言い始めた時は何事かと思ったよ。けど、昔の里見を知っている人と話をするチャンスが出来るのは嬉しかったし、ティナ先生が里見のことをどう思っているのか、俺と同じように里見を救いたいのかどうか知りたかった」

 

「彼女の真意は聞けたの? 」

 

「あの人が里見のことを見限っていないのは確かだ。昔話するだけで見てるこっちが辛くなるような顔して、ちょっとこっちが里見の話をしただけで動揺して、ガチの殺人術使うぐらい未練残りまくってる」

 

 蓮太郎を救いたいけど救えない壮助の前にそれを可能とするティナが現れたのだから、それはきっと喜ぶべきことなのだろう。しかし、彼の目は、言葉は、モップのハンドルを握る手は、溢れそうな憤りを必死に抑えているように見えた。

 

「それなのにあのクソアマは半月もこんなところで何やってるんだよ! ! ティナ先生が今やるべきなのは里見に会うことだ! ! あいつに会って、あいつを救うことだ! ! それなのに半月も俺なんか鍛えることに費やしやがって! ! 」

 

 壮助は怒りに身を任せてモップを壁に叩きつける。詩乃はそれに驚くことなく、冷ややかに、しかし温かく見守る。

 

「壮助はティナに嫉妬してるんだね」

 

「どういう意味だよ」

 

「そのままの意味だよ。本当は、()()()どうにかしたかった。()()()憧れのヒーローを救うことで認めて貰いたかった。けど、自分にはそれが出来ないと分かって、更にそれが出来る人が目の前に現れたから、壮助は嫉妬に狂いそうになりながらティナに里見を救わせようとしている」

 

 壮助は閉口する。パソコンやスマホの中だけでなく、心の中まで詩乃に把握されてしまっているのではないかと考えるくらい彼女の言っていることは的を射ていた。もう自分は身体も魂も森高詩乃から逃げられないのではないかと、そう感じてしまっている。

 心の中ではもう認めている。自分はティナに嫉妬している。今日の発言だって、そうだ。ティナを怒らせないように、悲しませないように蓮太郎に対する想いを聞く上手い手段はあった筈だ。それを選ぼうとしなかった。いや、()()()()()()()()()()()()()()

 

「まぁ、壮助の気持ちはともかく、悪口言ったことは謝った方が良いよ」

 

「出来るかよ。そんなこと」

 

 壮助はそっぽ向いた。理由なんてない。反論の余地なんて無い。捻くれた性格のせいで素直にしていれば簡単だったことをルーブ・ゴールドバーグ・マシンのように複雑にしてしまったことなどいくらでもある。そこまで分かっていても、子供じみたプライドだけが彼を動かしていた。

 

「分かった。じゃあ、こうしよう」

 

 詩乃は握り拳を作ると壁を殴った。凄まじい轟音と共にコンクリート製の壁に穴が空く。穴から拳を抜くと亀裂が広がっていき、天井にまで到達する。彼女の一撃でエクステトラが倒壊するのではないかと考えてしまう。

 

「言わないなら今日はティナの代わりに私が壮助を殴る。言っておくけど、私だって半月も放置プレイされてけっこう怒ってるからね。手加減なんて出来ないよ」

 

 壮助は首を縦に振った。命惜しさに子供じみたプライドを捨てた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 エクステトラから飛び出したティナは施設から出て行き、警備員の制止を振り切って敷地からも飛び出した。腕で涙を拭いながら足が動くままに歩き続ける。こんなにも感傷的で、女々しいことをしたのは何年振りだろうか。

 当てもなく足が疲れるまで歩いたティナは広場のベンチに腰掛けた。

 広場は噴水を中心にベンチや芝生が円形に広がる西洋式のものだ。今日は休日なのか芝生でシートを敷いてちょっとしたピクニックを楽しむ家族、健康のためにジョギングをしている老人、近くのグラウンドに遊びに行く中学生たちの姿が見える。

 広場の中心にある噴水から霧散する水飛沫が火照った身体を冷やしてくれる。同時に熱くなっていた頭も冷えていき、自分の行いを冷静に振り返られるようになる。

 

 ――何をやっているんでしょうか。私……。

 

 ティナはベンチで頭を抱える。壮助に蓮太郎のことを指摘されて感情的になった挙句、彼を殺しかけ、(一応、「今日は終わり」と言ったものの)訓練を途中で投げ出したのだ。元はと言えばティナを傷つける意図で蓮太郎のことを話した壮助が悪いのだが、コンバットインストラクターを名乗り、松崎にも依頼された手前、感情論だけで訓練を投げ出した自分を肯定することは出来なかった。

 

「おや。今日はお休みですか」

 

 頭上から初老の男性の声が聞こえる。その声調は穏和でティナを優しく包みこむようなものだが、ティナにとって出来れば今は逢いたくない人の声でもあった。

 

「松崎さん……」

 

 顔を上げると杖をついた初老の男性が目の前に立っていた。小さな丸眼鏡を鼻にかけ、声と同じように穏和な笑み浮かべる。

 

「どうしてここに……?」

 

「近くに用事がありましてね。いつもここを通っているんです。お隣、良いですかな? 」

 

「大丈夫です」

 

 松崎は「よっこらせ」と爺臭い言葉を発しながら、ティナの隣に座る。

 

「ところで、訓練は順調ですか? 」

 

 壮助のことを松崎に正直に話そうか、取り繕うか悩んでいた。しかし、取り繕ったところですぐにボロが出る。壮助が話せば辻褄が合わなくなることは明白だった。それ以上に東京エリアでの生活でお世話になっている松崎に嘘を吐くのは強い後ろめたさがあった。

 ティナは訓練のことを全て話した。エクステトラに監禁して嬲り殺しにしたこと、蓮太郎のことを話に出した壮助に激昂して殺しかけたこと、訓練を投げ出してここまで歩いて来たこと――。

 

「義搭くんがそんなことを……」

 

「はい……」

 

 松崎は「戦闘は素人なので」と訓練内容の是非は問わなかった。彼が注目したのは壮助の言動だ。特に驚いた様子はない。ティナの表情や腫れた瞼から既に事情は察していたのだろう。

 

「彼のことは、見損ないましたか? 」

 

「いえ。ただ、彼の言葉が想定以上に痛かっただけです」

 

 ティナは微かにふふっと鼻で笑う。

 

「彼は意外と鋭いですね。もう気付いているんですよ。私が今でも蓮太郎さんから逃げていることに――――」

 

 “私は、蓮太郎さんが恐いです。”

 

 その言葉から、ティナは5年前、蓮太郎と袂を別った時のことを振り返る。

 まるで延珠と木更の後を追うように自殺同然の戦いを繰り広げた蓮太郎を諫め、満身創痍になっても戦い続けようとする彼を止めようとしたあの日、ティナは死の恐怖に支配された。

 聖天子暗殺未遂事件の時のように壮絶な戦いになると覚悟はしていた。もう元の関係には戻れないだろうと覚悟していた。蓮太郎を止めることが出来るのなら、何もかもが壊れても構わないと思っていた。

 しかし、心のどこかで蓮太郎は自分を殺したりしないだろう、また元に戻れるだろうと根拠のない甘えがあった。故に彼女は恐怖した。本気で自分を倒そうとする蓮太郎に、暗殺未遂事件の時とは比べ物にならない執念で戦い続けた彼に――。

 

『来ないで……ください。近づかないで下さい。私は……お兄さんが、怖いです』

 

 武器を手放し、懇願し、年相応の少女のように泣きじゃくる。敗北したティナに出来る事はそれだけだった。

 そして、IP序列50位の里見蓮太郎とティナ・スプラウトのペアは解消された。

 ティナが東京エリアを離れて過ごした5年を要約すると、逃避という単語で済まされる。

 蓮太郎と袂を別った後、IISOは元高位序列者ということもあり、彼女の能力を最大限発揮できるプロモーターを特別に選定しペアを組ませた。

 

 サーリッシュグループ会長 “オッティーリア・サーリッシュ”

 

 ガストレア大戦期に混乱するアメリカ社会を駆け抜け、小さな採掘会社だったサーリッシュをアメリカ第三位の巨大民警企業に押し上げた「女傑」だった。

 IISOの思惑通り、オッティーリアは企業総出でティナのバックアップを行った。シェンフィールドの機能拡張、人工知能のアップデートによるティナの負担軽減、新たなドローン指揮系統構築による独立武装機動群構想の実現、etc……。幾多ものアップデートを繰り返したことでシェンフィールドは一晩で数千体のガストレア群を殲滅する“たった一人の海軍(ワンマンネービー)”の名に相応しい火力を手に入れた。

 その能力でティナは戦場を渡り歩いた。大陸をガストレアの屍で埋め尽くし、いくつものエリアを大絶滅から救ってきた。

 

 

 

 本当に救いたい人から目を背けて、何十万、何百万もの人を救ってきた。

 

 

 

 そうやって逃げ続けた彼女に転機をもたらしたのは聖天子だった。「東京エリアで里見蓮太郎の目撃情報あり」と直筆の一文が綴られた手紙と共に東京エリア行きの航空券がクアラルンプールエリアのホテルに送られて来たのだ。

 

『蓮太郎さんから逃げるなと、そう言いたいんですか』

 

 ホテルの部屋の番号まで突き止めて送られてきた航空券を見て、ティナは呟いた。

 この5年間で自分は変わった。単独で数千体のガストレアを倒す能力、そして実績を積んだ今の自分なら蓮太郎に臆することは無い筈だ。彼を止めることが出来る筈だ。そう思い、彼女は東京エリアへと向かった。

 だが、現実は理想を裏切った。理論上不可能とされるBMIネットワークへの介入により、シェンフィールドの制御権を奪われ、小比奈と一時的に共闘してもその圧倒的な力に敗北した。

 

 “弾丸も、刃も、言葉も彼には届かなかった。”

 

 “強くなったのはシェンフィールドだけで、自分は何も変わっていなかった。”

 

 その現実が受け止められず、ティナは再び逃避した。シェンフィールド全滅を理由に民警を休業し、かつて天童民間警備会社があった場所に入り浸った。何の為に生きてきたのか分からない。これから何の為に生きればいいのか分からない。思い出の残り香を消費するだけの日々を過ごしていた彼女にとって、壮助の言葉は古傷に塗られた劇薬だった。

 松崎はティナがこうなると最初から分かっていたかのように笑みを浮かべた。

 

「少しばかり私の用事に付き合って頂けませんか? 」

 

 唐突なお願いにティナは困惑した。松崎の意図が分からなかったが、首を縦に振った。

 

 

 

 

 松崎の荷物を持ちながら、ティナはエスコートされてとある施設に辿り着いた。

「ひまわりの庭」と名付けられたその施設は四方を壁で囲まれ、出入り口には警備員のような制服に身を包んだ男女が立っている。男は30代ぐらい、女は見た感じ、ティナとそう年齢は変わらない。制服の胸に入っている「我堂民間警備会社」の刺繍のお陰で2人がプロモーターとイニシエーターであることが分かった。

 松崎が民警ペアに挨拶すると民警ペアもにっこり笑って返した。松崎の後をティナが付いて行くとイニシエーターに止められる。どうやら何度も来ている松崎は顔パスで通れるが、ティナは色々とチェックを受けないといけないらしい。荷物の中身を見せ、イニシエーターからのボディチェックを受けてティナはようやく門をくぐることが出来た。

 物々しい警備とは裏腹に中は朗らかな雰囲気だ。姿はまだ見えないが、子供たちの遊ぶ声が奥から聞こえてくる。

 入口近くの職員室から50代ぐらいの女性が姿を現す。私服にエプロンを付けたラフな格好をしており、世話焼きおばさんといった印象を受ける。

 

「あら。松崎さん。いらっしゃい。そちらの方は? 」

 

「私の知人です。ここを見せたかったので」

 

「ティナ・スプラウトです。小さい頃、松崎さんのお世話になりました」

 

 松崎はティナに持たせていた紙袋を自分で持つと職員の女性に差し出す。

 

「あと、これ、つまらないものですが皆さんでどうぞ」

 

「あらまぁ~。いつもありがとうございます。ごめんなさいね。貰ってばかりで。寄付金だけでも助かっているのに」

 

「いえいえ。こちらこそ、子供たちの世話をして貰っていますから。まだ足りないと思っているくらいですよ」

 

「あ。松崎のおじさん」

 

 挨拶を交わし、互いに謙遜する2人の下に2人の少女が歩み寄る。顔が似ているので姉妹だろう。姉は10歳かそれより少し上ぐらいだろうか。短くさっぱりと切られた髪は彼女の活発な雰囲気を窺わせる。5歳ぐらいの妹は姉の手にしがみ付いている。恥ずかしがり屋なのか姉の背に隠れながら片目でじっとティナを見る。

 

「今日もお菓子を持って来てくれたの? 」

 

「ええ。みなさんで食べてください」

 

「やった~。今月、お小遣い全部使っちゃったから欲しかったんだよね」

 

 姉がお菓子を取ろうと紙袋に手を突っ込むが職員に手を叩かれて遮られる。

 

「いった~い。暴力はんたーい」

 

「ちゃんと松崎さんにお礼を言いなさい」

 

「へーい」

 

 姉が松崎に頭を下げてお礼を言っている間も妹はじっとティナを見つめる。

 ティナは屈んで妹の方と視線を合わせる。

 

「どうかしましたか?」

 

「汗くさい」

 

「うっ……」

 

 そういえばシャワーも浴びず、トレーニングウェアのまま外に出たんだった――とティナは今更ながら自分の格好を思い出す。それほど露出は多くない(と思う)が、この格好のまま外をずっと歩いていたと思うと顔から火が出そうになる。

 

「あなたは()()()()()()()()? 」

 

「入ってる? 」

 

「保有因子のことですよ」

 

 一瞬、ティナは自分が呪われた子供だと見破られたと思った。無意識の内に瞳が赤くなっていたのではないかと焦る。

 

「ティナさんのことをここの新入りか何かだと思ったのだと思います。2人は貴方と同じ呪われた子供(赤目)なんです。更に言えば、ここはそういった子供たちを保護するための施設ですので、子供のほとんどが呪われた子供ですよ」

 松崎の説明を聞いて、児童養護施設にしてはやけに物々しい警備に納得がいった。呪われた子供を保護するための施設が街中に堂々と存在し、テロに見舞われていないのはガストレア新法がただの文章ではなく、法としてしっかり機能している証だった。

 

「私はフクロウの因子を持っています。遠くのものが見えたり、真夜中でも昼と同じくらいの明るさでものを見たりすることが出来ます」

 

「すごーい。私はね。このまえの検査で初めて分かったの。ライオンだって」

 

 彼女は「がおー」と言って指を立てると少しだけ爪が鋭く伸びた。関東会戦で共に戦った布施翠のものと比べればかなり短い。

 

「亜衣! ! 奈子! ! 今日の掃除当番忘れてるでしょー」

 

 奥の方からまた別の少女が大声で姉妹を呼ぶ。

 

「あっ。やべえ。忘れてた。松崎のおじさん。お菓子あざっす」

 

「ごめん! ! 今行くー! ! 」と言って、姉の亜衣は妹の手を引いて奥へと戻っていった。

 

「少し案内しますよ」――そう言って、松崎はティナを連れて施設を歩いて回る。

 この施設には30人ほどの呪われた子供が暮らしている。赤い目を理由に親から虐待されていた子、ストリートチルドレン、ギャング、元イニシエーター、違法風俗で働かされていた子もおり、そういった子供たちが普通の人として社会に入れるように支援することを目的としている。

 呪われた子供を保護するための施設という名目の通り、子供達は皆が女の子だ。その年齢層は赤子からティナとそう変わらない年齢の子まで幅広い。和気藹々としているところもあれば、気難しいお年頃なのか喧嘩して取っ組み合いになっているところもある。目が赤くなければ普通の人間と見分けがつかない活気ある少女たちの姿が見える。

 

 しかし、それとは正反対にこの世の全てを恨めしそうに睨む少女もいる。親や反赤目主義者に酷い仕打ちを受けて人間不信に陥っているのだろう。ぬいぐるみを抱きしめ、じっと部屋の隅でうずくまっている。若い男性職員が昼食の乗ったトレーを持ち、少女に食べるように説得する。職員は何度も彼女の赤目の力に晒されたのだろうか、顔にはガーゼ、腕には包帯が巻かれており、エプロンの下には市販の防弾チョッキを着こんでいる。それでも諦めずに心を開かせようと何度も話しかける彼の姿には強い意志が感じられる。

 

 普通の人間ではない。その身の中にガストレアの力を宿した少女の人権を認め、守り、人間社会へと適応させていくことの尊さと難しさ、理想と現実がこの施設には同居していた。

 

 一通り案内された後、2人は中庭のベンチに座った。

 

「ここはとても良い場所ですね。明るくて、温かくて、優しさに包まれています」

 

「アメリカにはこういった場所は無いのですか? 向こうでも一部のエリアで呪われた子供の人権を認める州法が施行されたとニュースで聞きましたが」

 

「あることにはありますが、大半は民警企業が将来の戦力確保のために経営するイニシエーター養成所といった側面があります。ここみたいに普通の人として生活させようとしている施設も徐々に増えているのですが、まだ少数派ですね」

 

「そうですか」

 

「松崎さん。どうして私をここに? 」

 

「以前から、一度、ティナさんにここのことをお見せしようとは思っていたんです。私がこの6年の間で何をしてきたのか、あの子たちの死と向き合って、今何をしているのか。その成果をお見せしたかった。

 ガストレア新法が施行されて6年、まだ差別は無くなっていません。外周区のスラムで暮らす子供たちはいますし、イニシエーターを酷使する民警企業は後を絶ちません。ストリートチルドレンや赤目ギャングのように犯罪者にならないと生きていけない彼女達の現状は今でも続いています。

 それでも、時代は変わってきています。呪われた子供を受け入れることを正式に発表した学校も出て来ましたし、イニシエーターに就学の機会を提供する民警企業は増えてきました。ここみたいに彼女達を保護し、生活を支援する施設や法人、ボランティアも増えてきました。

 それはとても小さな1歩で、吹けば飛ぶような変化ですが、それでも世界は良い方向に向かっていると私は思っています」

 

 落ち込んでいる時期があった。逃げている時期もあった。しかし、今こうして過去と向き合い、先へ進もうとしている松崎の姿をティナは喜ばしく思いながらも、再び蓮太郎から逃げようとしている自分と比較してしまう。

 

「松崎さんは……強いですね。私は違います。IP序列38位とか、殲滅の嵐とか呼ばれて、それで自分が強くなったと勘違いしたバカな女なんです。銃の撃ち方とガストレアの殺し方が上手くなっただけで、シェンフィールドを奪われたら何も出来ない……大切な人を思いとどまらせることも……振り向かせることも出来ない」

 

 ティナの目から大粒の涙が零れる。涙は頬を伝うことなく、俯く彼女の目から直接、太腿に、その上に乗せた手の甲に落ちていく。決壊したダムのように涙も自己否定も止まらない。

 

「もう意味なんて無いんです。東京エリアに残っていることも、義塔さんを鍛えていることも……あんなの訓練じゃありません。私の嫉妬から生まれた八つ当たりです」

 

「そうですか。ですが、貴方がこのままアメリカに帰ってしまったら、義搭くんは更に怒り狂いそうですね」

 

「え?」

 

「先程の話なのですがね。義塔くんは、貴方に里見さんを救って欲しいと思って、そういうことを言ったんだと思いますよ。彼はまた違う意味で里見さんを愛していますから」

 

 松崎の言葉にティナは困惑する。訓練の時の暴言はどう考えてもその逆だった。救える立場にいて、チャンスがあって、それでも蓮太郎を救えなかった自分に対する叱責にしか聞こえなかった。だが、松崎に言われ、今冷静になって彼の言葉を考えるとそれはティナの背中を押す言葉とも捉えられる。「自分に構っていないで、さっさと蓮太郎を救え」とそう言っているようにも聞こえる。

 

「私に……出来ますか? 5年前も、3ヶ月前も、失敗して、負けて、今でもこうして逃げている私に……お兄さんを救えますか? 」

 

「甘いこと言わないでください。まだ2回負けただけではないですか。私なんてもっと負けています。大戦前に病で妻を亡くし、大戦で娘夫婦と孫を亡くし、大戦後は青空教室であの子達を亡くしました。それでも、この老いぼれはまだ戦っているんです」

 

 松崎の口から出るとは思わなかった厳しめの言葉にティナは内心驚かされる。その風貌から伺い知れなかった失い続けた過去、それでもまだ希望を抱いて生きている彼の強さが滲み出ているような気がした。

 

「ティナさん。失ったものはたくさんありますが、まだ貴方の戦いは終わっていません。最後に勝てば良いんです。勝たなければ、失ったものたちへの言い訳すら出来ません」

 

 

 

 その老人の言葉はどんな弾丸よりも重かった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『ひまわりの庭』での用事が終わり、ティナがエクステトラに戻って来たのは夕方5時のことだった。今更ながら身体のラインがはっきり出るトレーニングウェアのまま出歩いた恥ずかしさから人目につかないように帰り、エクステトラに戻る時も裏口から入った。

 

「遅かったっすね。てっきり見捨てられたのかと思ったっすよ」

 

 見慣れたトレーニングルームで見慣れた顔がティナを待っていた。

 

「別に、忠犬ハチ公みたいに待たなくても良かったんですよ」

 

「待ちたくて待ってた訳じゃないっすよ。俺をここから出れないようにセキリュティ設定したの先生でしょうが。――まぁ、色々とトラブルがあったお陰で一時的に出れたんすけどね」

 

 裏口から入ったティナは詩乃が破壊した正面の惨状を見ていない。停電かシステムトラブルでもあったのだろうかと考える。

 壮助は悪態をつくのを止め、皮肉屋な笑みを浮かべていた顔は真剣な面持ちになる。品格も教養も感じられない、下賤とも感じた仕草と表情で今まで隠れていたが、黙っていれば絵になるような甘い顔をしていることに気付かされる。

 真っ直ぐとティナを見つめる。何かを言おうとはしている。しかし、恥ずかしさか、口から言葉を零し、それを押し留めるのを繰り返す。

 

「先生。その……昼間は――――「謝らないで下さい」

 

 彼が何を言おうとしているのかは分かっていた。目は口程に物を言っていた。昼間のことを彼が「悪い」と思っていたのはその表情だけで読み取れた。しかし、彼にそれを言わせてしまう訳にはいかなかった。

 

「義塔さん。貴方の言う通りです。私は蓮太郎さんが壊れていくのを止めなかったどころか、剰え海外に逃げ続けた臆病者です。空港でもまんまと利用されて、無様に負けて生き恥を晒した愚か者です。こうして貴方達の前に姿を現したのも天童民間警備会社があった場所に入り浸る理由が欲しかっただけです。

 

 こんな私でも、もう一度、蓮太郎さんの前に姿を現す資格があると思いますか?」

 

 それは壮助への質問ではない。例え、壮助が何と答えようとティナの意志はもう決まっていた。ただ、松崎の言っていた壮助の意図が本当に彼の言う通りだったのか、確かめたかった。

 壮助はそれを察すると「へっ」と鼻で笑い、再びクソガキチンピラ民警の仮面を被る。

 

「俺が『てめえにそんな資格無ぇよ。さっさとアメリカに帰りやがれ』って言ったら、先生は帰るんすか? 」

 

「まさか。意地でも残りますし、アメリカに帰ることになったら、誘拐してでも蓮太郎さんを連れて帰ります。ただ――――私一人ではまた負けるかもしれませんので、義塔さん、()()()()()()()()()()()

 

 そう語るティナの優しそうな顔に壮助は一瞬ドキリとする。訓練室と言う名の処刑場で思い浮かべる鉄のように固く冷たい彼女の表情からは考えられない、金色の髪と同じように太陽のように眩しく温かい表情をティナは浮かべていた。

 詩乃と出会っていなかったら確実に恋に落ちていただろうと壮助自身が確信するくらい、彼はティナ・スプラウトという女性に魅了されていた。

 

 

 その笑顔一つで今までの暴力を許してしまいそうだから、彼女はズルい。

 

 

「明日もご指導お願いします」

 

 

 

 

 

 それからも訓練は続いた。メニューもルールも変わっていない。ティナが圧倒的有利な状況も変わっていない。変わったところがあると言えば、壮助が積極的に斥力フィールドを使うようになったことだろう。最初に使った日と同様、皮膚の上に展開することで攻撃を逸らし、槍のように展開してティナを弾き飛ばす。

 しかし、それでもティナに勝つ決定打にはならない。斥力フィールド発生に使えるリソースが限られているのは本当のことのようで、フィールドを大きくすればするほど、防御力は下がっていく。酷い時は素手のパンチにすら破られる。

 機械化兵士としての性能は蛭子影胤の劣化版としか言いようが無かった。しかし、壮助は展開範囲の縮小、必要最低限の出力でそれを克服しようとしている。他にも何かしらの工夫を試している節があり、ティナはそれがいつ発揮されるか警戒しつつ戦うやり辛さを感じるようになった。

 

 もう一つ変わったことと言えば、訓練が終わる頃になると詩乃が来るようになったことだ。彼女は未織から研究・開発に関わる重要区画以外を自由に出入りできるフリーパスを手に入れたようで、放課後の寄り道感覚で訓練場に姿を現すようになった。

 訓練終了後は3人でピザを食べ、ティナが片付けている間に壮助と詩乃は訓練場に戻り、就寝時間まで秘密の特訓をするのが新たな日課として加わった

 ティナは2人の特訓を覗き見るつもりは無かった。「おそらく最弱の機械化兵士」と菫に判を押された彼がどんな工夫を凝らすのか、それが楽しみに思えて来たからだ。

 

 そして、訓練開始から30日が経過した。

 

 いつもの部屋で、いつもの格好で、いつもの2人が向かい合う。

 

「今日が節目です」

 

「節目? 」

 

「この訓練は3つのステージに分けてスケジュールを組んでいます。1つのステージにつき1ヶ月、計3ヶ月で修了させることを想定しています」

 

「じゃあ、今日勝てば、俺は先生の想定通りの素質だったってことっすね」

 

「負ければ、貴方は想定以上に雑魚だったということになります」

 

「ぜってー勝つ」

 

 壮助は右手に握ったナイフの切っ先をティナに向ける。今までと違ったフェンシングの突きのような構えにティナは警戒する。

 今まで壮助は居合の構えで向かっていた。自分の身体でナイフを隠し、どちらの手で握っているか分からないようにする。居合のように抜けば、フェイントをかけることもある。隠し、騙し、奇策で切り抜けようとした彼から考えられない真っ直ぐな構えだ。

 壮助の足が力む。足の親指に力が入り、地面を踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 黒膂石代替臓器“賢者の盾” 斥力空間発生器官 起動

 

 

 

 

 濃縮斥力点――解放! !

 

 

 瞬間、硬質ゴムがぶつかり合う鈍い音がした。壮助のナイフとティナのナイフがぶつかり合う。爆発的に加速した勢いに押され、彼女の足は床にブレーキ痕を残す。シューズと床の摩擦熱で靴底が焼け、匂いが鼻につく。

 1歩目の踏み込みは見えた。しかし、2歩目が来る前にナイフは眼前に迫っていた。2人の間には10メートルほど距離があったが、一瞬で詰められる。距離も時間も、優れた瞬発力だけでは、人間の筋力では説明がつかない。

 一瞬、考え事をした瞬間、もうティナの目の前に壮助はいなかった。

 背後から空を切る音が聞こえる。音が聞こえた瞬間、ティナは振り向きざまにナイフを横に薙ぐ。思考する余裕など無い。動物的な反射神経で彼女は動いている。そこに身体が壮助の攻撃位置を記憶していたことによる経験則が繋がり、間一髪のところで攻撃を防ぐ。

 壮助は舌打ちした瞬間、再びティナの視界から消えた。予備動作など無い。手も足も一切動かないまま、彼の身体は動いた。

 そして、ティナを嘲笑うかのように彼女の死角から壮助の攻撃が続く。何メートルも離れた場所にいるかと思えば、吐息のかかる距離まで詰められる。触れ合えるほど近くにいたかと思えば、離れた対面の壁際に立っている。

 手足の動きとまるで一致しない移動方向は予測がつかず、翻弄される。ティナと壮助の立場は初日と逆になっていた。

 再び壮助が背後から急速に迫り刃を突き立てた。しかし何度も同じ攻撃に翻弄されるほど、IP序列38位は甘くない。ティナはナイフで防ぐことなく、合気道の技で受け流した。

 ティナの視野の中で壮助は一瞬、体勢を崩しそうになりながらもすぐに立て直す。そして、仕切り直すように再び距離を取った。

 その時、ティナの目はようやく壮助の移動を捕捉した。

 彼の足は全く動いていなかった。それでも身体は動いている。姿勢を維持したまま、まるでスケートのようにトレーニングルームの中を縦横無尽に滑走する。動きも目で追うのが精一杯だ。

 

 ――斥力フィールドの応用、これが特訓の成果ですか。

 

 ティナは今の壮助が人間リニアモーターカーになっていると推測する。リニアモーターカーはレールと車体の間に磁界を形成し、S極とN極が生み出す引力と反発力を推進力に変換している。彼は磁界の引力を重力で、反発力を斥力フィールドで再現し、更に斥力フィールドから発生する運動エネルギーの量や向き(ベクトル)を調整することで自由な移動を実現しているのだろう。急加速も急減速も急停止も思うがままだ。

 しかし、ティナは脅威とは思わない。攻撃がナイフのみと限定されているこの戦いで高速移動はそれほど意味を成さないからだ。攻撃するためには壮助がティナに、ティナが壮助に近付かなければならない。近接戦闘が確実に発生する中でティナは走り回って壮助を追う必要は無い。ただ、身構えて壮助から仕掛けて来るのを待てば良い。目も動きに慣れて来た。後は壮助が攻撃を仕掛けてきたタイミングに合わせ、カウンターで彼を潰せば何ら問題は無い。

 

「初日とはまるで逆っすね! ! ティナ先生! ! 1ヶ月ボコられ続けた恨み、今日ここで晴らしてやんよ! ! 」

 

 始めてティナを翻弄出来たことに彼は調子づいているのだろう。リソースが少ないと自分で言っておきながら斥力フィールドによる滑走で無駄に動き回る。

 ティナはじっと待つ。首を回し、眼球を動かし、彼が近づくその瞬間まで捕捉し続ける。

 そして、その時は来た。壮助はティナの周囲を滑走しながら徐々に近づいて行く。斥力フィールドという見えない力場によってタイミングが決まる突撃は予測が出来ない。いつ彼が来るのか、その一瞬を見逃さない為に精神を研ぎ澄ませる。

 部屋の中の風向きが変わり、自分に向かってくる風を肌で感じた。

 

「そこです! ! 」

 

 ティナは左後方を振り向いた。

 視線の先には斥力フィールドの応用で急接近した壮助が切っ先を向けていた。自分が接近するタイミング、方角を完全に予測されたことに彼は驚きを隠せていなかった。

 ティナが振り向いたのは勘でも無ければ予測でもない。れっきとした()()だ。壮助の滑走で押し退けられた大気中の分子は風となって流動する。ティナはそれを肌で感じ取っていた。例え見えなくても風が壮助の位置と移動を教えてくれる。

 ティナは壮助の刺突を軽くかわすと彼の腕と服を掴み、柔道の投げ技で彼を遥か後方に投げ飛ばす。壮助はティナに急速接近した時と同じ速度で床を転がり、全身を叩きつけられながら壁に激突する。

 受け身を取る余裕も無かっただろう。頭から壁に激突したようにも見える。斥力フィールドで自分を守っていなかった彼は脳震盪を起こしているかもしれない。

 しかし、それでもティナは容赦しない。「病み上がりだろうと死にかけだろうと徹底的に追い詰める」と当初の言葉通り、壁に手をつきながらようやく立ち上がる壮助に近付き、留めの貫手を刺そうとする。

 

 

 ビュン! !

 

 

 ティナの左耳から僅か数センチのところをナイフが飛んだ。壮助の腕に投げる様な動作は見られない。自分の手とナイフの柄尻の間に斥力点を作ることでナイフを飛ばしたのだろう。

 予備動作無しの投擲に一瞬冷や汗をかいた。反応が少し遅れていれば今の一撃で終わっていただろう。

 

 ――残念でしたね。あと一手あれば結果は変わっていました。

 

 今のは破れかぶれの中で繰り出した最後の一手だ。ナイフを当てることが勝利条件だった彼にとってナイフを手放すことは勝つことを手放すことと同じだ。

 ティナは勝利を、そして訓練が延長されることを確信した。

 

 

 

 

 

 

 壮助の手首に結ばれた糸を見るまでは―――

 

 

 

 

 

 

 斥力フィールド形成 線形流動装甲――――“詐蛇(イツワリヘビ)”! !

 

 

 ティナは咄嗟に振り向いた。何かある。それが何かは分からない。ただ戦いの中で培われた勘が彼女に振り向けと警鐘を鳴らす。

 

 彼女の背後、振り向いた先の開けた視界の中で糸に繋がれたナイフはUターンし、彼女に迫っていた。

 

 刃を頭、糸を身体に見立てた無色透明の蛇は海中を泳ぐウミヘビのように横に、縦に蛇行しながら迫る。

 それが何か考えている余裕は無い。ティナは首めがけて飛んでくるナイフを弾く。一瞬、ナイフは浮くがすぐに蛇の動きを取り戻す。

 糸に繋がれたナイフは急降下し、生きた蛇のように足から胴へ、胴から腕にかけてティナに巻き付き、彼女の全身を締め上げる。無理に身体を動かそうとすると細い糸が肉に食い込み激痛が走る。糸が千切れるより前に身体がバラバラになりそうだ。

 動けなくなった獲物を前に舌を舐めずる蛇のようにナイフはティナの顔の前に浮遊し、切先を向けた。

 

 

 

 トン……

 

 

 硬質ゴムのナイフは、ティナの頭を小突いた。

 いつか負ける日が来るだろう。そう思っていたティナだが、まさか全身を縛られて頭を突かれるとは思っていなかった。あまりにも理解できないことが起き過ぎて、敗北に実感が湧かない。

 

 

「当てた……マジで当てた……。よっしゃああああああああ! ! ! ! 一発かましてやったぞおおおおおおお! ! ひゃっほおおおおおおおおい! ! 」

 

 突然、テンションが上がった壮助は飛び上がり、ティナの背後で小躍りする。ナイフと糸で出来た蛇も先程の動きを逆再生するかのように戻り、彼の身体の一部のように小躍りする。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! ! 」

 

 ティナの一言で喜びの舞を踊っていた壮助の手足が止まる。

 

「え? 何すか? 油断したからノーカンとかは無しっすよ」

 

「いえ、負けは認めます。けど、最後の、あれは一体何ですか? 」

 

「何ですかって言われても斥力フィールドの応用としか言いようが無いっすね」

 

 そう言うと壮助は面倒くさそうにため息を吐きながら、部屋の隅に置かれていた水の入ったペットボトルを取り出す。キャップを開け、逆さまにして水を出す。重力に従って地面に零れる筈だった水はボトルの口から出た瞬間、壮助の掌の上で一つの球体になる。無重力空間で浮遊する水を宇宙飛行士が小突いて遊ぶ戦前の動画が目の前で繰り広げられている。

 壮助が手の向きを変えると、斥力フィールドで覆われた水はそれに呼応して変形し、浮遊する。

 

「知っていると思うんですけど、斥力フィールドって自由に形を変えられるんですよ。詩乃は、『運動エネルギーを内包した無色透明の固形物を自由自在に形成する能力』って言ってたっすね」

 

 その言葉通り、壮助の手の周りで浮遊する水は球体、立方体、三角錐、蛇――と次々と形を変えていく。

 

「それは知っています。貴方の前の使用者もドームや壁、槍、鎌などに変形させて多彩な攻撃をしていましたから」

 

「室戸先生に昔の映像記録を見せて貰ったけど、そいつは予め形を作ってから出していたじゃないっすか。俺は、()()()()()()()()()()練習をしたんすよ」

 

「なるほど……。最後の攻撃は、ナイフと糸を斥力フィールドでコーティングして、斥力フィールドを変形させることで疑似的に動きを作り出していたんですね」

 

「正解」

 

 ご褒美と言わんばかりに壮助は球体上になった水をティナに放り投げる。タネも仕掛けも分かっているが浮遊する水という神秘的に思える光景に思わず目を奪われ、頭上に来たそれを指で突こうとする。

 しかし、指が触れる前に斥力フィールドは崩壊し、弾けた水がティナの顔にかかる。

 

「まぁ、俺から離れるとフィールドはすぐに崩壊しちゃうんすけどね」

 

 壮助はずぶ濡れになったティナを舐めるように見る。洗濯が間に合わなかったのか、今日は白いシャツを着ていた彼女は濡れて黒いスポーツブラが透けて見えていた。

 

「先生、そのペッタンコおっぱいにもブラジャーって必要なんすか? 」

 

 壮助はティナに殴り飛ばされた。

 

 ティナは「第一ステージクリアおめでとうございます」と言うつもりだったが、そんな気は失せた。

 

 

 

 

 

 

 その翌日からティナ先生のドキドキお泊りレッスン第二ステージが始まった。

 第二ステージは主に銃の訓練だった。映画や海外ドラマ、ネットの動画で見たことがある軍隊式の訓練となっており、ようやく訓練らしいことが始まったと壮助は感じていた。ハンドガン、アサルトライフル、ショットガン、スナイパーライフル、グレネードランチャーなど、ほぼ全ての銃器を対象に使い方を再教育された。

 しかし、ティナが最も得意とする狙撃に関しては常軌を逸した内容となっていた。いつ出て来るか分からない標的を狙撃姿勢のまま24時間も待ち続けた時は頭がおかしくなりそうだった。

 

 加えて、第二ステージになっても食事はピザのみだったことは壮助をより精神的に追い詰めた。

 

 朝はピザの匂いを嗅ぎながら起きた。

 昼食もピザだった。トッピングの種類が違っていたがピザだった。

 夕食もピザだった。

 次の日の食事もピザだった。

 そのまた次の日の食事もピザだった。

 次の次の日もピザだった。

 朝食はピザだった。

 昼食もピザだった。

 夕食もピザだった。

 ピザを食べた。

 ピザを食べた。

 ピザを食べた。

 ピザを食べた。

 ピザを

 ピザ

 ピザ

 ピザ

 ピザ

 ピザ

 

 

 

 

「ひゃっはー! ! ピザだぜえええええええ! ! 俺はこいつを喰うために生きている! ! 身体はチーズとトマトで出来ているんだあああああああああああああああああああ! ! ! ! 」

 

 訓練40日目の壮助は餓えた獣のようにピザを貪った。

 

「嫌だあああああああああああああ! ! ピザは嫌だああああああああああ! ! 消えろ! ! この悪魔の食物めええええええええええええええええええええええええええ! ! ! ! 」

 

 訓練45日目の壮助は割りばしで作った十字架をピザに向けて悪魔払いをした。

 

「嗚呼! ! ハレルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥヤ! ! ピザを食べている瞬間だけ、俺は生きていると実感出来る! ! 」

 

 訓練49日目の壮助は眠れる遺伝子が発現し、実の父親のように己が人生を賛美した。

 

「ピザ神様に心臓を捧げよおおおおおおおおおおおお! ! ! ! ! ! ! ! 」

 

 訓練50日目の壮助は皿で祭壇を作り、跪いてナイフとフォークを自分の胸に突き立てた。

 

「これは……ピザじゃない。トマトとチーズとその他諸々を乗せたパンだ。ピザじゃない……。ピザじゃない……ピザじゃない……ピザじゃない……ピザって何だ? そもそも何を以ってピザをピザとして定義するんだ? ピザがピザであることを証明するためにはピザがピザであることを観測しなければならず、まずはピザが……ピザが……」

 

 訓練52日目の壮助はピザ哲学に目覚めた。

 

「凄いや! ! ママ! ! このピザ、11次元の味がする! ! 」

 

 訓練55日目、ピザの食べ過ぎによるストレスで壮助は一時的に幼児退行した。

 

ゴキブリたん、おいちい

 

 訓練59日目の壮助は人の目をしていなかった。

 

 

 

 ピザの過剰摂取はいかなる違法薬物よりも危険だと学んだ。

 

 

 

 そして訓練開始から60日が経過、ティナのスケジュール通り、第二ステージが終わった。

 射撃訓練場の一角にある休憩室で壮助はベンチに腰をかけ、大きく息を吐いた。そんな彼の頬にティナからキンキンに冷えたスポーツドリンクが押し当てられる。

 

「概ね、予想通りのスケジュールで進みましたね」

 

「正直、気が狂いそうと言うか、リアルに何回か狂ったんですけどね」

 

「次は最終ステージですから辛抱して下さい」

 

「もうこれ以上こんなこと続けたら、俺、頭がクルクルパーになりますよ」

 

「クルクルパーなのは最初からじゃないですか。それに最終ステージはそんなに難しいことではありません。今まで学んだことの復習と応用です。ボーナスのようなものだと思って、気楽に考えてください」

 

 

 

 

 そう言って、翌朝――彼女は低空飛行する小型飛行機のキャビンから壮助を蹴落とした。地上は悪鬼羅刹、魑魅魍魎が跋扈する“未踏領域”、ガストレア以外の生存が許されない世界だった。

 無論、パラシュートなどという人道的な装置を付けて貰えるはずがない。

 

「1ヶ月後、迎えに行きますのでそれまで頑張って生き延びてください」

 

「畜生! ! 生きて戻って来たら覚えてろよ! ! ティナ先生のツルペタ! ! ペッタンコ! ! 断崖絶壁! ! ブラジャー要らず! ! ピザしか作れないから里見にフラれるんだよ! ! 全自動ピザ製造機! ! ピザ・スプラウト! ! ピザ狂い・コーラ中毒のファッキンアメリカン! ! 空飛ぶピザモンスター教信者! ! チーズとトマトに埋もれて溺死しろおおおおおおおおおおおおおおおお! ! ! ! ! ! 」

 

 壮助は両手の中指を立て、落下しながらひたすら叫んだ。落下して距離が離れているのだからどうせ聞こえないだろう。向こうもエンジン音でまともに声など届いていないだろう。そう思い、上空を飛ぶ飛行機に向けて、今は思いつくばかりの悪口を叫び、未踏領域の密林の中へと落ちていった。

 

 しかし、彼の言葉は全てティナに届いていた。音が届いていなくても裸眼で数キロ先の物体を捕捉できるティナの目は壮助の口を捉え、その動きもしっかりと見ていた。砲火の飛び交う戦場で仲間の指示を聞き取る為に会得した読唇術で罵詈雑言を全て観測した彼女は東京エリアへとUターンする飛行機の中で拳を握りしめた。

「この訓練が終わったら顔の形が変わるまで彼を殴ろう」と、そう心に誓った。

 

 

 

 

 1ヶ月後、未踏領域サバイバルから無事に生還した壮助はティナにボコボコにされた。

 

 




ティナ先生のドキドキお泊りレッスン編……完!!

タイトルと同じように執筆がリアルに90日経ってしまいました。
本当は壮助が斥力フィールドの新しい使い方に目覚めるちょっとした修行回にする予定が、ティナさんの精神がボロボロだったり、松崎さんが修羅の道を歩んでいたりと色々と想定外のことがエピソードが飛び込んだせいでこんなに長くなってしまいました。


これでようやく第二章の本筋に入れます。

次回、「敵がいない護衛任務」


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敵がいない護衛任務

セクシーコマンドーを駆使しセクシー語録と共に東京エリアの幼女たちにセクシーをお届けするセクシーデリバリー蓮太郎

―――という夢を見たティナ


特に意味はない。なんとなく言ってみたかった。


 地獄の未踏領域サバイバルが終わった翌朝、壮助はスマホの着信音に叩き起こされた。3ヶ月ぶりに堪能する惰眠に意識が落ちようとしている中で流れる初期設定の着信音が鼓膜に響く。

「誰だよこんな朝っぱらから。ブチ殺すぞ」と呟きながら画面に目を向ける。表示される発信者の名前は「千奈流空子」。松崎PGSの影の支配者だった。

 空子から電話がある時は大抵ろくなことではない。これまでの経験から壮助は着信を無視するが、諦めずに鳴り続ける着信音に我慢しきれず通話ボタンを押す。

 

「お掛けになった番号は現在使われておりません。義搭壮助の給料を3倍にしてからお掛け直しください」

 

『アンタ達が生み出す負債を給料から天引きして良いなら考えてあげる。これから依頼人と打ち合わせがあるから来なさい。場所と時間は今からメールで送るから』

 

 空子はシンプルに用件だけ伝えると通話を切った。直後にメールが送られる。

 

 [題名] 10時集合

 [本文]

 ドレスコードは無いけど、それなりに身なりを整えて来なさい。

 あと、言い忘れていたけど詩乃ちゃんは連れて来なくても大丈夫だから。

 

 メールには打ち合わせ場所の地図が添付されている。なんて読むのか分からないがお洒落そうな名前をしている店が集合場所のようだ。場所も東京エリアの中心地、壮助のような底辺ヤンキーには縁のない場所だ。

 

「これ今すぐ出ないと間に合わないじゃん」

 

 壮助は嫌々ながら薄い掛布団を捲ると、黒い髪の塊――詩乃の頭が最初に目に入った。下腹部から足先にずっしりと伝わる重みで既に分かっていたが、詩乃が抱き付いて寝ており、彼女の涎が臍部に垂らされていた。今どんな夢を見ているのか分からないが起こすのを躊躇うくらい幸せそうな寝顔をしている。

 

「すまん。ちょっと仕事行くからどいてくれ」

 

 壮助は詩乃の頭をチョップする。

 

「おは――――zzz……

 

 挨拶を終える前に彼女の瞼は閉じられ、世界最速の二度寝に入る。

 

「暑いし、重いし、さっさとどいてくれ。遅れると俺が空子に殺される」

 

「あうっ」

 

 壮助に足蹴りされ、無理やり剥がされた詩乃は布団の外に転がる。今の彼女は睡眠欲に支配されているのだろう。あと数センチ動けば自分の布団に辿り着けるのにフローリングの上で再び爆睡する。

 

「何でこうなっちまったんだろう……」

 

 壮助は詩乃を布団の上に転がしながら呟いた。

 

 里見事件以降、詩乃は急にだらしなくなった。欲望に忠実になったとでも言うべきだろうか。食事の量は元々多かったが最近は輪をかけて多くなった。睡眠時間も以前より長くなっており、叩いても起きない時がある。これが心因性のものなのか、それとも半年前の里見蓮太郎との激闘による代償なのかは分からない。

 

 ――今度、室戸先生に診て貰うか。あの人も「連れて来い」って言ってたし。

 

 壮助はメモを残すと身なりを整えて、爆睡する詩乃を尻目に玄関の扉を閉めた。

 

 

 

 *

 

 

 

 時は7月、大戦前と変わらずセミの声が響く中、壮助は空子からのメールを見ながら目的の店へと歩く。参道を歩くと休日ということもあって壮助と同い年ぐらいの少年少女の姿が目に付く。5日間の平日が終わり、ようやく迎えた休日に浮足立っているのだろう。それぞれ思い思いのままのセンスで着飾り、他愛のない話で笑いながら通り過ぎる。

 かつては「原宿」と呼ばれ、若者のファッションの発信地と言われた場所――、それは今になっても変わっていない。

 彼ら、彼女らとすれ違う度に何も感じていなかった壮助の胸の奥に黒い泥が落ちていく。今すれ違った学生たちは銃を握ったことなど無いだろう。人の肉が膨れ上がり、ガストレアになる光景を見たことなど無いだろう。紫色の血液を撒き散らすガストレアの死体を見たことなど無いだろう。人間の臓器が、脳漿が、どんな色をしているのか知らないだろう。人を殺した時に沸き上がる感情を知らないだろう。今ここにいる自分が機械化兵士という都市伝説でしか語られない存在で、一瞬で周囲にいる数十人を殺す能力を持っていることも知らないだろう。

 

 ――俺の中にはお前等を簡単に挽肉にできるほどの力があるんだぞ。

 

 そう言いたくなる気持ちをぐっと抑える。彼らに嫉妬したところで何の意味もない。ただ虚しさだけがこみあげて来るだけだ。彼らを挽肉にしたところで彼らの幸福を自分が得ることは無い。実行すれば警察や民警や自衛隊に囲まれて今度は自分が挽肉にされるのがオチだろう。

 

 

 手に付いた血は落とせない。

 

 

 人の死に麻痺した魂につける薬などない。

 

 

 ――だから、こういう平和な場所は苦手なんだ。

 

 

 地図アプリを頼りに歩き、壮助は目的の店に着いた。裏路地にある小さなライブハウスだ。入口の扉を開け、少し狭い通路を抜けると色取り取りのライトに照らされたホールが目の前に広がる。ステージと客席、端には飲料や軽食を提供するバーカウンターがある。どういう意味なのか分からない英語のポスターや落書きが散見されるところから、ロックバンドやメタルバンド向けといったところだろう。

 ステージの上ではロックバンドが演奏し、ボーカルの甘いマスクに魅了された女性ファン達が跳ねて盛り上がる。誰も壮助が来たことには気付いていない。

 こんな中で空子と依頼人を見つけられるのかと不安になるが、バーカウンター近くにあるテーブル席に座っていた空子が「こっちこっち」と手招きしてくれたお陰ですぐに見つけられた。

 空子の向かいにはスーツ姿の女性が座っていた。おかっぱ頭に太い黒縁眼鏡、カバンや小物はキャリアウーマン然としているが、小さな体躯と童顔のせいで子供っぽく感じる。ギターとドラムが鳴り響くライブハウスには不釣り合いな印象を受ける。

 

「紹介するわ。そいつがウチの民警の問題児、義搭壮助よ」

 

 なんて酷い紹介の仕方だと壮助は内心腹を立てるが一切否定できない。

 

「初めまして。ピジョンローズ・ミュージックの星宮華麗(ほしみや かれい)です」

 

 地味なOL――星宮華麗は席から立ち、壮助に名刺を差し出す。地味な姿に似合わない豪勢な名前に「名前負け」という言葉が頭に浮かぶが彼女に失礼なのですぐに払拭する。

 

「えっと……楽器店か何か? 」

 

「芸能事務所です。そんなに大きなところでは無いんですが、一応、『エリアクライズ』とか『西山剣士』とか『Pink Punk Pixy』とか、所属しています」

 

「駄目だ。どれも分かんねえ」

 

 知名度が命の芸能業界で自分の会社や所属アーティストを全く知らないと言われた華麗はがっくりと膝から落ちる。

 世間一般的にピジョンローズ・ミュージックの知名度は決して低くない。エリアクライズはドーム公演を行うほどの人気を博しており、西山剣士は中学生・高校生男子が選ぶ好きなアーティストトップ5に入っている。Pink Punk Pixyはファンシーな世界観とそれを塗潰す本格パンクメタルによりネット上でカルト的な人気を得ている。壮助が彼・彼女たちを知らないのは、単に彼の興味・関心の問題である。

 

「とりあえず2人とも座ったら? 話はこれからなんだから」

 

 空子に促され、華麗と壮助は席につく。空子と壮助が隣になり、対面に華麗が座っている。

 

「義塔さん。本日はお忙しい中、足を運んでいただきありがとうございます」

 

「え? あ、はい。どうも」

 

 あまりにも丁寧な応対に慣れていない壮助は一瞬戸惑う。

 

「ごめんなさい。私のスケジュールが後を控えていますので、いきなりですが依頼の話をさせて下さい」

 

 華麗は緊張しているのか、ずれている訳でもない眼鏡をかけ直し、深呼吸する。

 

「依頼内容は、ピジョンローズ・ミュージックに所属するアーティスト『鈴之音(スズノネ)』こと『日向鈴音(ひなた すずね)』の護衛です」

 

「分かった。これって新手の詐欺だよな」

 

「え? 」

 

「『鈴之音』って言ったら、東京エリアで知らない奴はいない超人気アーティストだろ。俺ですら名前は知ってるレベル。そんな大物の護衛なんて俺みたいなクソガキチンピラ民警に回ってくるわけねえだろ。そういうのは、我堂のエリート共やエリアトップの片桐兄妹とか、そういう連中がやる仕事だぜ。はい。撤収」

 

 壮助は席を立とうとするが、空子に襟首を掴まれて無理やり戻らされる。

 

「詐欺じゃないわよ。華麗とは難民キャンプ時代からの付き合いだし、彼女がピジョンローズで働いているのは本当のこと。ついでに言うと彼女、鈴之音の専属マネージャーよ。私だって鈴之音本人に会ったし、サインも貰っちゃった」

 

「仮に本当だとしても人選がおかしいだろ。俺なんて存在そのものがスキャンダルの種だぜ。これこそ大角さんが適任だろ。まともだし経歴も問題ないし、あの巨体なら存在そのものが抑止力になる」

 

「大角くんなら無理よ」

 

「何でだよ」

 

「最近、プライベートの用事が忙しいみたい。『すまないが、可能な限り拘束時間の長い仕事は引き受けたくない』って言ってたし。それにこの仕事、最初からアンタ指名だったからね」

 

「いつから松崎PGSは従業員のプライベートを尊重するホワイト企業になったんだよ。俺なんて未踏領域サバイバルから帰還して8時間後にはこうして呼び出されてるのに。この仕事、断っていい? 」

 

「何でよ」

 

「俺が指名される仕事は大抵ろくなもんじゃねえ」

 

「何か根拠でもあったかしら? 」

 

「ありまくりだろ。今まで俺が指名された仕事を引き受けた結果、俺がどうなったか覚えてるか? 」

 

「さあ? 」

 

「1回目は恨みを買った5組のプロモーターとイニシエーターに袋叩きにされたし、2回目は半グレ集団に生コンで両手両足を固められて東京湾に沈められそうになったし、3回目は赤目ギャングにフルボッコされた挙句、工場の精肉機械に巻き込まれてハンバーグにされかけたんだぞ! ! あの時は詩乃の助けがあと数秒遅れていたら俺は確実に死んでいたからな! ! 」

 

 空子に愚痴ると壮助は、華麗に視線を向ける。

 

「なあ。星宮さん、アンタも考え直した方が良いぜ。こちとら前科持ち、少年院育ちのゴロツキだ。こんな奴を御宅の大事なドル箱に近付けることがどれだけリスクが大きいかもう一度考えろ」

 

 壮助はテーブルをドンと叩き、華麗を脅し立てる。しかし、見た目とは裏腹に彼女の神経は図太いようで壮助のことを気にせず、両手でグラスを掴み、オレンジジュースを口の中に流している。

 

「警告してくれるなんて、親切なんですね」

 

「アンタがそう判断するのも見越した演技って可能性もあるぜ」

 

「大丈夫です。空子ちゃんのこと信じていますから」

 

 華麗から何一つ曇りもない笑顔を見せつけられる。それこそ演技ではない。本当に空子のことを心の底から信じ、(彼女に何て吹き込んだのかは分からないが)空子の壮助に対する評価も信じているのだろう。

 壮助は諦めて脱力し、再び椅子に腰かける。これ以上の抵抗は無意味だった。

 

「では、改めて。義塔さん、私が貴方に依頼するのは、鈴音の護衛。正確に言えば、護衛の()()です」

 

「は? 」

 

 壮助は訳が分からずに目が点になる。理解が追い付く前に華麗は構わず話を続ける。

 

「事の始まりは先月、ニュースでも知っていると思いますが、鈴音がイベント中にファンに斬られた事件で――「いや、知らない」

 

 壮助の即答に華麗は呆れてがっくりと項垂れる。

 

「義塔さん……。せめてニュースぐらいは見ましょう」

 

 空子が隣でスマホを操作する。ニュースサイトの過去の記事から鈴音がファンに斬られた事件の記事をピックアップし、壮助に見せる。

 

▽ 『鈴之音」の所属事務所、活動休止を発表

 

 人気アーティスト『鈴之音』こと日向鈴音さんが所属する芸能音楽事務所ピジョンローズ・ミュージックは13日、自社の公式サイトで『鈴之音』の活動休止を発表した。

 5日、日向さんは自身が主題歌を務める映画「もう一度、貴方に恋をする」の完成試写会に出席した際、突如、壇上に上がって来た男にナイフで腕を切られ軽傷を負った。

 ピジョンローズ・ミュージックの積木雪路(つみき ゆきじ)プロデューサーは昨日開かれた記者会見で「事件の精神的なショックが大きく、現状のまま活動を続けるのは困難だと判断しました。日向さんと話し合い、当面の間は活動を見送り、当人の心の整理がつき次第、活動を再開する方向で調整していきたいと考えております」と語った。

 また、日向さんは自身のTwitterで「皆様にご心配をおかけして申し訳ありません。手の傷は治りつつありますが、少し心の整理がつくまでお時間をください」とコメントしている。

 

「犯人は鈴音のファン。薬物のせいで色々と被害妄想を拗らせた結果、犯行に及んだようです。犯人はその場で拘束され、鈴音の傷も浅くて跡は残らなかったから、無事解決となる筈だったのですが……」

 

「活動休止するくらい精神的なショックは大きかったってことか」

 

「はい。学校にも行っていないし、ここ最近は『ストーカーがいる』って言って、ずっと何かに怯えているんです。けど、不審物が届いた訳でもなく、家に誰か入ってきたわけでもありません。事務所でも特に変なことはありませんし、そのストーカーが実在するかどうかも怪しいところなんです」

 

「被害妄想か。そういうのって、民警じゃなくてカウンセラーを雇うべきじゃないのか? 」

 

「私も薦めたんですけど本人が嫌がりまして……。正直、手詰まりでどうしたものかと悩んでいたら、あの子いきなり、『星宮さん。この人に守って欲しい』って、貴方のことを指名したんです」

 

「俺、面識は無い筈なんだけど」

 

「動画共有サイトです。民警とガストレアの戦いを撮影してアップロードしているチャンネルがありまして、そこで貴方のことを知ったそうです」

 

「肖像権もクソもねえな」

 

 異形の怪物とそれに立ち向かう人々という構図に希望やヒロイズムを感じる人、異形のガストレア目当てで見る人、可愛いイニシエーター目当てで見る人、かっこいいプロモーター目当てで見る人、様々な需要が混じり合い、民警とガストレアの戦いは動画共有サイトにおける一大人気コンテンツになっている。

 しかし、動画の中にはガストレア化するプロモーターや身体をバラバラにされるイニシエーターなどグロテスクな光景が含まれていたり、再生数稼ぎのために現場に飛び込んだ動画提供者がガストレアに襲われて死亡するなど、様々な問題を抱えている。企業側も動画の削除やアカウントの停止などで対応しているが、焼け石に水だ。

 また、動画はプロモーターか関係者が撮影したものと民警とは無関係の人間が盗撮して勝手にアップロードしているものの2つに大別される。壮助は自分の仕事を撮影した覚えは無いため、鈴音が見た動画は後者だろう。

 

「それから知り合いに頼んで身元を調べましたら、偶然そこで空子ちゃんが働いていましたので、親友の好でこの場を設けて貰った次第です」

 

「要は、歌姫様に一目惚れされたってこと? 」

 

「あまり認めたくは無いのですが、彼女の言動から察するとそうなってしまいます」

 

 華麗は頭を抱える。『鈴之音』は歌手、アーティストとして売り出しているが16歳という若さと本人の美貌からアイドル視しているファンも少なくない。事務所としては恋愛を禁止にしている訳ではないが、いざ交際となってしまったら『鈴之音』の人気や活動への影響は計り知れないだろう。その上、相手が悪い噂しか出て来ないプロモーターの少年となると一人の人間としても心配したくなる。

 壮助も華麗の言っていることが信じられず、困り顔をする。

 

「『顔に騙されちゃ駄目! ! こいつは顔が良いだけで中身はチンピラ! ! イケメンの無駄遣い! ! 一見すると宝箱だけど中身はゴミクズよ! ! 』って私からも本人に言ったんだけど、梃子でも動かなくて……」

 

「おいコラ。俺泣くぞ。年甲斐もなくギャン泣きするぞ。この仕事拒否るぞ」

 

「武器を全部紛失して私に大量の始末書を書かせた挙句、退院してから仕事らしい仕事をせず、やったとしても苦情やクレームの嵐を持ち込む負債製造機のアンタに拒否権があるとでも? ちなみに断ったら、今年の夏コミで『プロ彼』の摺沢巧真(ダメージver)のコスプレして貰うから」

 

 空子はスマホを操作すると、なけなしの給料を注いだガチャで手に入れたキャラクターの画像を見せつける。

 ゲームの正式名称は「プロモーター彼氏」――略して「プロ彼」は婦女子の間で流行しているスマホゲームだ。ある日突然、呪われた子供であることが周囲に発覚しIISOに連行されてイニシエーターなった主人公の下に「俺のパートナーになれよ」と次から次へとイケメンプロモーターがやって来る――という現役プロモーターからすれば、あらすじや設定の根底からツッコミどころ満載の作品だ。

 

「未成年になんつー格好させようとしてるんだよ。元教師。ほとんど裸じゃねえか」

 

「大丈夫よ。アンタ見た目だけは良いんだから。それで、返事は? 」

 

 正直に言うと断りたい――というのが壮助の気持ちだった。華麗の話の内容は不審な点が多い。空子の親友でなければ既に席を立ってここを去っていただろう。存在しない敵、被害妄想を抱く護衛対象、いつ終わるか分からない不透明さ、動画で見た自分に一目惚れする人気アーティスト、怪しさ満点だ。しかし、空子の言う通り会社にあまり貢献できていないことに対する後ろめたさもある。

 

「……やるよ。どうせガストレアが出なきゃ仕事無いんだし」

 

 不審な点は「空子の親友」という保証で無理やり納得させることにした。

 

「契約成立ね。華麗」

 

「ありがとう。空子ちゃん」

 

 2人は篤い握手を交わす。

 華麗はカバンからスマートフォンを取り出すと誰かに電話をし始める。

 

「鈴音。もう出てきて良いわよ。義塔さん護衛を引き受けてくれるって」

 

 まさかの人物がいることに壮助は驚いた。華麗の視線に合わせて後ろを振り向くとバーカウンター付近にある「STAFF ONLY」の扉から一人の少女が姿を現した。

 

 ロックバンドTシャツ、デニムショートパンツという暗がりのライブハウス内に馴染んだ格好をしている。誰も彼女が人気アーティスト『鈴之音』とは気付いていない。

 彼女は扉を閉め、壮助たちのいるテーブルに向かってきた。

 ロックコーデとは裏腹に扉の閉め方、歩き方、様々な所作に育ちの良さを感じるが、同時にぎこちなさも感じる。おそらく今着ている服はライブハウスの雰囲気に紛れるように調達したもので、普段はもっと違うテイストの服を着ているのだろう。

 壮助たちのテーブルに近付くと彼女は目深に被ったワークキャップを外した。帽子で押さえられていたアッシュグレーの髪がふわりと浮かび上がり、彼女の肩にかかっていく。

 テレビで何度も見ているが、改めて人形のような可愛らしい顔立ちと色白な肌に見惚れてしまう。

 

「日向鈴音です。これから、よろしくお願いします。義塔さん」

 

 美声と共に鈴音は壮助に微笑みかけた。

 




長い長いレッスン編を書き終え、ようやく入りました第二章の本編。
当初から構想はあった鈴音ちゃんと華麗さんも出すことも出来て、ここ最近はいつもの倍の速度で話を書けているような気がします。

第二章はメディアやインターネットといった要素が絡んでくるため、久々の世界観コラムで少し語ります。

ガストレア大戦時、海棲ガストレアによる海底ケーブルの切断、ステージVガストレア「サジタリウス」の攻撃による人工衛星の撃墜によって人類の情報ネットワークは壊滅的な被害を受けた。モノリスの結界によって人類は一定の安寧を手にしたが、再び海底ケーブルを設置したり、人工衛星を打ち上げたりする国力を持った国(エリア)は限られており、それらの国も自国内の情報ネットワーク再構築で手一杯の状態だった。
しかし2031年の末、世界規模の情報ネットワーク復興を目的とした学者や企業の有志団体が、海底ケーブル・人工衛星を必要としないモノリスの磁場を利用した世界規模の無線通信技術を確立させ、その技術を世界各国に提供したことにより、人々は再び大戦前と変わらないインターネットサービスを利用できるようになった。
また、大戦前に栄えていたyoutubeやニコニコ動画といった動画共有サービス、Twitter、Facebook、InstagramといったSNSも継続して利用されている。

ちなみに主要登場人物のSNS利用状況(私の独断と偏見)

壮助:全く使っていない。自分が利用したら絶対に炎上すると思っている。

詩乃:全く使っていない。そもそも興味がない。

蓮太郎:全く利用していない。むしろ「SNSなんか滅んでしまえ」と思っている。
 ※一時期、蓮太郎に成りすましたアカウントがTwitterに現れ、ロリコン発言を繰り返して大暴れしたせいで色々と酷い目に遭ったらしい。

ティナ:匿名でTwitterを利用。
 銃とピザとアニメの話しかしてない。自身については全く語らない為、フォロワー(100人前後)にはアメリカ在住でピザが大好きなデブオタクだと思われている。


他のキャラについては感想欄で要望があったら考えようと思います。





次回、「家族の記憶」


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家族の記憶 ①


2037年 7月某日――――暗がりのライブハウスで天使と出会った。


「日向鈴音です。これから、よろしくお願いします。義塔さん」

 

 壮助の前に立ち、鈴音は笑顔を向けて挨拶をする。

 春の温かさとウール毛布の柔らかさを彷彿させる彼女の雰囲気が直に当てられる。ニコニコと仮面のように貼り付いた笑顔が目の前に来たことで、心の中から悪意と敵意が薄れ、訳の分からない仕事を引き受けさせられたことに対するイライラも薄れてリラックスさせられる。ここがギターとドラムの音、ヴォーカルの歌声と観客の歓声が響く空間であることを忘れてしまいそうになる。

 

「あ、えーっと、その……よ、よろしく」

 

 すっかり牙を抜かれた壮助は恥ずかしそうに視線を逸らす。

 鈴音は突然、両手で壮助の手を握る。壮助は一瞬、心臓が跳ねあがった。女性に触れられるのは詩乃で慣れている。暴行もカウントして良いならティナにも触れられて(殴られて)いる。しかし、鈴音は2人と違い芸術品を扱うように優しく触り、手の甲を撫でる。壮助の心拍数は上がり、全身から汗が滲み出る。

 

「引き受けてくれて、ありがとうございます。動画だと怖い顔していたので少し不安でしたが、優しい方で安心しました」

 

 ――やめろよ! ! そういうの! ! 気安いボディタッチ! ! 勘違いするだろうが! ! あと汗でベタベタしますよね! ? ごめんなさい! !

 

 壮助の穏やかではない心中など知らず、鈴音はさり気なく手を伸ばして髪に触れる。そこから額、目鼻立ちをなぞり、手は首筋に触れたところで止まった。手は肩まで下がるかと思いきやその場で首筋の傷跡を撫でる。手を握るのはまだ分かるが、顔をなぞる彼女の行動の意図が分からない。訳の分からなさと近くなった距離で壮助の心中は鈴音の雰囲気とは真逆に穏やかさを失う。

 さすがに鈴音も壮助の様子のおかしさに気付いたのか、そっと手を引く。

 

「ごめんなさい。傷跡が気になったので」

 

「傷? ああ。これのことか。去年の仕事で他の会社のプロモーターに撃たれた時の奴だよ。ガストレア討伐の手柄を巡って民警同士で殺し合いっていう……まぁ、よくある話だ」

 

「痛かったですよね? 泣かなかったんですか? 」

 

「この程度じゃ泣いていられねえよ。これより酷い傷なんてたくさんあるし」

 

 ――熱々のバラニウム義肢をぶち込まれて内臓グチャグチャにされたし。

 

「そうなんですか。危ないお仕事なんですね」

 

「どれくらい危険なのかは知ってるんじゃないのか? ネットの動画見てるんだし」

 

「……それもそうでしたね。あ、ところで好きな食べ物と嫌いな食べ物は何ですか? あとアレルギーとかあります? 」

 

 唐突な話題の転換だった。てっきり民警の仕事の話でもするかと思えば、いきなり食べ物の話が飛んできたのだ。壮助は一瞬戸惑うが、大物アーティストの感性は常人の自分には理解できないらしいと勝手に解釈して納得する。

 

「好きな食べ物はカレー。嫌いな食べ物はシュールストレミング。アレルギーはなし」

 

「そうですか。料理に気を遣わなくて済みそうで良かったです」

 

 ――料理? 気を遣う? 何のことだ?

 

 疑問が解消される間も無く、鈴音からの質問が続いて行く。

 

「寝具に拘りとかあります? 枕が違ったら眠れなかったりしますか? 」

 

「別に無えよ。床だろうが道端だろうが未踏領域だろうが寝る時は寝る。何で俺の生活を知ろうとしてるんだ? そっちには関係ないだろ」

 

「休日は何されてます? 趣味は何ですか?」

 

「俺の質問はガン無視かよ。……趣味は映画鑑賞」

 

「護衛のついでに夏休みの宿題を手伝って貰ったりは……」

 

「小学校は4年生で中退。少年院時代は勉強なんてろくに出来なかったし、中学なんて3年生の時に1年通った程度だぞ。勿論、授業内容なんて1ミリも理解していない。つい数か月前に初めて三角形の面積の求める公式を覚えた俺が高校1年生の夏休みの宿題なんて手伝えると思うか? 」

 

「あと、千奈流さんから聞いたのですがイニシエーターの女の子とその……色々といやらしいことをしていると……出来れば護衛の間、そういうことは控えて頂けると……」

 

「してないし、頼むから俺の話を聞いてくれ! ! 何でそんなに俺の生活について知ろうとしてるんだよ! ! 」

 

「仕事は無期限、貴方は日向家に泊まり込みですから」

 

 ――と鈴音に代わって華麗が疑問に答えた。

 

「え? マジ? 」

 

「はい。マジです。『おはよう』から『おはよう』まで卑劣なストーカーから鈴音を守って下さい」

 

「24時間体制! ? 」

 

「問題ありません。民警に労働基準法は適用されていませんから」

 

「はい……。そうですね」

 

 イニシエーターという形式で年端もいかない少女に労働をさせている身として、ぐうの音も出なかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア中腹部にある閑静な住宅街。政治・経済の中心となり眠らない街となった中心部にある省庁、企業などに努める人達に向けて作られたベッドタウンだ。静かで落ち着きがあり、夏休み初日ということもあってか公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。

 ライブハウスで鈴音と邂逅した次の日、荷物をまとめて壮助と詩乃は日向家へと向かっていた。華麗から送られたメールに添付された日向家への地図を頼りに2人は住宅の塀に囲まれた道を歩く。

 

「悪いな。詩乃。変な仕事引き受けちまって」

 

「別に良いよ。付いて行くって言ったのは私だし。今日から夏休みだから学校も無いしね」

 

「こっちからだと友達の家とか遠いだろ? 」

 

「大丈夫。それに壮助だって色々と用事があるんだし、交代要員は必要でしょ」

 

 壮助は言い返せなかった。

 仕事を引き受けた後、華麗からは情報共有と共に様々な条件を突き付けられた。

 

 ・仕事は日向家に泊まり込みで行うこと(生活費は日向家負担)

 ・なるべく鈴音と一緒にいること

 ・仕事で得た情報は秘匿すること

・鈴音や家族に変なことをしたら社会的に殺す。連帯責任で空子ちゃんも道連れにする。

 

 ――本当に訳の分からない仕事だ。

 

 いつもなら安請け合いしない空子が二つ返事で条件を呑んだことも含めて今回の仕事は信用できる点が皆無に等しい。

 

「それで、護衛のフリって具体的にはどうするの? 」

 

「フリじゃなくて、いつも通り本当に護衛するつもりだ。ストーカーが居ないと確定している訳でもないしな。ストーカー紛いのファンなんて一人や二人普通にいるだろうし、そいつら捕まえて血祭りにあげて『悪は滅んだ。めでたし、めでたし』って感じにしようかと思ってる」

 

「もし居なかったら?」

 

「その時はサクラでも雇って一芝居打つかな」

 

「下手な演技じゃすぐバレそうだよね。向こうはプロの家族もいるし……」

 

 詩乃はスマートフォンで鈴音に関する情報をおさらいする。

 

 

 

 

 

 鈴之音(すずのね 2021年1月26日――  )は東京エリアの歌手、アーティスト、シンガーソングライター。本名は日向鈴音(ひなたすずね)。東京エリア出身。愛称は「スズ」。

 所属事務所はピジョンローズ・ミュージック、レコードレーベルはラフィングストーン。

 

来歴

 

 2035年春に放送されたドラマ「mother’s」の主題歌「私はここにいる」でメジャーデビュー。

 動画共有サイトで公開されたミュージックビデオが話題を呼び、更に「東京エリア放送レコードグランプリ」において新人賞を獲得したことで飛躍的に認知度を高める。

 同年、8月に発売された「海岸線」は2030年代の東京エリアにおけるダウンロード数最多記録を更新(2037年7月現在)。

 

(鈴之音の輝かしい活躍 省略)

 

 2037年6月、自身が主題歌を務めた映画「もう一度、貴方に恋をする」の完成試写会でファンの男性にナイフで襲われ、右腕に裂傷を負う。

 同月13日に無期限の活動休止を発表する。

 

 

人物

 

 12歳まで病弱で学校に通えず、母親から与えられた電子ピアノで作曲することが唯一の楽しみだった。13歳になってから学校に通えるようになるも今まで家族や病院関係者としか関わってこなかったことから人付き合いを苦手としており、MV撮影やコンサートは人の目があって今でも緊張していると語っている。

 穏和な性格で平和主義者。怒ることが無く、プロデューサーの積木雪路は自身のブログで「喜怒哀楽から怒が欠け落ちている子。優しさの塊のような子だが、もう少し自分勝手になって我儘を言ってもいいと思う。才能だけで生き続けることは難しい」と語っている。

 同事務所に所属する歌手の鬼瓦リンは「田舎のお婆ちゃんのような安心感がある」と語っている。

 缶詰が好きで好きな食べ物として「サバの味噌煮」「コーンビーフ」を挙げている。

 

 父親は聖居特別栄誉賞を受賞した瑛海大学・生物学科教授 日向勇志(ひなた ゆうし)

 母親は菊川興業所属の元舞台女優 日向恵美子(ひなた えみこ)

 妹は中学女子陸上競技大会・聖天子杯出場経験者 日向美樹(ひなた みき)

 

 

 ――――以上、Wikipedia「鈴之音」のページより一部抜粋

 

 

「絵に描いたようなサラブレット一家だね」

 

「こんな華麗なる一族と一緒に過ごさなきゃいけないのかよ。Wikipediaのページ見るだけで胸やけする」

 

 スマホ画面を見ている間に今回の仕事場である日向家の前に着く。

 四方を塀で囲んだごく一般的な2階建ての一軒家だ。周囲の住宅に合わせるようにベージュを基調としたカラーリングで統一されている。サラブレット一家、華麗なる一族と詩乃と壮助は評したが、そんな彼らでも今の東京エリアでは高級住宅や豪邸に住むことは出来ない。ガストレア大戦によって生存圏の大半を失った人類にとって、土地は非常に希少なものとなった。それはモノリスの結界の内側にしか生活圏が無い東京エリアでも同じ話であり、土地価格は大戦前の数十倍にまで跳ね上がり、「一軒家を持つのは金持ちの証」と言われるようになった。昔のように車を走らせるくらいの広さを持つ庭と居住人数の数倍の部屋がある豪邸に住めるのは、聖天子を除けばエリア最大の民警企業を営む我堂家、重工業を一手に担う司馬家など、ごく一握りの一族となっている。

 壮助は華麗から貰った地図でもう一度位置を確認する。表札も確かに「日向」だ。

 

「どうやら、ここで間違いないみたいだ」

 

「分かった」

 

 詩乃はすかさずインターホンを押す。

 

『はいはーい。今出ますねー』

 

 スピーカー越しに聞こえる鈴音ではない女性の声。

 ドアが開くとエプロンをかけた初老の女性――日向恵美子と彼女の後ろに付いて今回の護衛対象・日向鈴音が出迎えてくれた。

 事前に華麗から家族全員の写真を貰っていたので驚きはしなかったが、恵美子は鈴音と全く似ていなかった。人気歌手の母、元舞台女優というステータスから凄い美人を想像してしまいがちだが、恵美子はそのイメージからかけ離れていた。60代であることを考えれば背筋はしっかりとしているが、胴体は横に広く、手足も太く短い。笑みを浮かべる丸い顔は鈴音と似ていないが愛嬌があり、彼女の人となりの良さをよく表している。

 

「あら。久しぶりね。()()()()()()()()()()。あら、まあ、こんなに大きくなって」

 

「久し振りっす。()()()()()()()

 

「お世話になります」

 

 “夏休みで遊びに来た母方の親戚の兄妹”――というのが壮助と詩乃の設定だ。

 刺傷事件から一ヶ月、当時は過熱する報道合戦で人が絶えることの無かった日向家の入口前はすっかり人影がなくなり、世間の興味は区長選挙やイケメン俳優の不倫騒動にシフトしていた。しかし人々が完全に忘れ去った訳ではなく、今も日向家の前を張り込みしているファンや報道関係者がいないとも限らない。「民警を雇って家に招き入れました」と知られれば様々な憶測が飛び交い、あらぬ誤解を生み、壮助たちを家に入れたことが新たなスキャンダルとして鈴音の芸能活動を阻むようになる。

 その為、事前に華麗を通して打ち合わせを行い、親戚の兄妹という演技に付き合って貰っている。念のため、壮助は帽子を被ってなるべく顔を隠し、詩乃もパーカーのフードを被っている。

 

「久し振り。壮助くん。元気してた? 」

 

 まさかのタメ口、更に「くん」付け呼びに壮助は一瞬ドキリとする。なにこの天使ヤバい。

 服装もライブハウスで会った時のロックコーデとは異なり、シフォンなどの薄くて柔らかい生地を使用したワンピース、所々でフリルがあしらわれた女性らしい格好をしていた。家族ではない人間を家に招いているため、それなりに着飾ってはいるのだろうが、日常生活の姿ですら絵になる。

 詩乃の突き刺すような視線を察知し、壮助はすぐに我を取り戻す。

 

「それはこっちのセリフだよ。腕の傷、大丈夫なのか? 父さんも母さんも心配してたぞ」

 

「大丈夫。もう傷跡も残っていないし」

 

 そう言って、鈴音は左腕を見せる。彼女の言う通り、白い肌の腕はナイフの裂傷など嘘のように綺麗なままだった。

 

「さあさあ。熱いから早くお入り。クーラー付けてるから」

 

 恵美子に手招きされ、2人は玄関の中へと入る。扉がパタンと閉じられ、恵美子がロックをかける。それが演技終了の合図、家の中では日向一家と雇われた民警として接することになっている。

 

「あ、そういえば、これ母さんからのお土産です」

 

 壮助が演技を続けていることに日向親子は一瞬驚いたが、壮助がお土産と称し、『盗聴器が無いか調べます。しばらく演技に付き合ってください』と壮助の手書きのメモを出したことですぐに事態を理解した。

 

「2人とも遠くから暑かったでしょ~。冷たい麦茶用意してるから」

 

 流石は元舞台女優、恵美子は即興の演技で対応する。

 

「あの事件、けっこう大きく報道されたよな。ファンや関係者からお見舞いの品とかたくさん貰ったんじゃないのか? 」

 

 靴を抜いて家に上がりながら壮助は目の前に鈴音と恵美子に話しかける。親戚同士の与太話を演じる一環だが、同時に盗聴器探しの対象となる物品の聴取も兼ねている。

 

「ううん。全然。そういうのは事務所が一度チェックするし、基本的に自宅への持ち帰りがNGだから……。持ち帰れたのって、紙のファンレターとか、お店で梱包されたお菓子とか、それくらいなの」

 

「結構、しっかりした事務所なんだな。家の周辺も張り込みしてる人とか見なかったし、そういう圧力? みたいなのも凄そう」

 

「小さなところなんだけど、みんなが言うには社長とプロデューサーが凄いやり手みたい。昔のことはよく知らないから、何がどう凄いのかって聞かれるとよく分からないけど」

 

「へぇ~。そういえば、俺ら以外に誰か、ここにお見舞いとか来たのか? 」

 

「最初に武島社長と積木プロデューサー、あとマネージャーの星宮さんが来たよ。私のお見舞いもそうだけど、お父さんとお母さんに謝罪しに来たみたいで、3人揃って頭下げた時はもうビックリしちゃった」

 

「そりゃ凄ぇな。まぁ、ここ1~2年で一番ヒットしているアーティストだし、大事にされるのも当然か。学校の先生とか友達は来なかったのか?」

 

「先生なら家に来たよ。クラスを代表して寄せ書きとか持って来てくれた。友達とはメールやLINEでやり取りしてるくらいかな。迷惑になるから家に押しかけないようにしようって話し合って決めたみたい」

 

 ――それなのに動画で見ただけの民警は家に呼ぶのかよ。感性が分かんねえ。

 

 壮助は鈴音の背中を訝しく見つめながら、スマホを手に取る。サーモグラフィカメラを内蔵したカバーを装着させたもので、稼働することによって熱を発する盗聴器や盗撮カメラを熱感知によって見つける寸法だ。

 

「ちょっと動画撮って良い? 父さんと母さんにも無事なところ見せたいから」

 

 ――と言いながら、『サーモグラフィで盗聴器を探す』と書いたメモを見せる。

 

「良いけど、変なところ撮らないでね」

 

「了解」

 

 壮助はスマホカバーのカメラを家中に向ける。

 詩乃も同じものを使いながら、耳に意識を集中させる。マッコウクジラの因子を持った彼女は他の呪われた子供と比較して聴覚が非常に優れており、それで盗聴器の微かな稼働音を拾おうとしている。

「スマホのバッテリーヤバいから充電させて」と言って壮助はリビング、ダイニング、和室を調べ、詩乃は「汗かいたからシャワー使っていい? 」と言い、シャワーを浴びるフリをしながら脱衣所・風呂場、ついでにトイレの盗聴・盗撮機器を調べる。

 女子大生や普通のOL、風俗嬢からストーカー撃退依頼を受け、何度も仕事をしている2人は手際良く調べていく。鈴音と恵美子は見られたくないプライベートなものを見られたり、逆に変な機械を設置されたりしないか心配で背後から2人の仕事ぶりを見ていたが、逆に手際の良さを見て舌を巻く。

 

「とりあえず、1階全体と2階に続く階段は問題ないっすね。もう演技しなくて大丈夫っすよ」

 

 壮助の言葉に鈴音と恵美子はほっと胸を撫でおろす。

 

「後は2階の部屋なんすけど……」

 

 壮助はそう言って天井を見上げる。1階の間取りから考えて2階は鈴音の部屋と妹・美樹の部屋、夫婦の寝室だろう。いくら盗聴・盗撮機器を探すという大義名分があっても家族のプライベートルームを隅から隅まで探し回るのは流石に気が引いてしまう。

 

「私の部屋は構いませんけど、美樹はどうだろう……」

 

「美樹って、妹さん? 」

 

「あの子、民警さんが来るのも納得していなかったからねぇ」

 

 2人の会話からすると、妹の日向美樹は壮助たちを呼ぶことに納得しなかったらしい。赤の他人、(我堂のような大手ならともかく)民警という荒くれ稼業をしている人間に拒否感を示すのは当然のことだ。むしろ快く受け入れてくれた鈴音と恵美子に何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

 

「あの子、聖天子杯の時からずっと不機嫌なのよね。陸上部も辞めちゃって、最近はずっとゲームしてるし」

 

「成績が悪くて落ち込んだとかですか? 」

 

「成績はむしろ良かったわ。自己ベスト更新、3位入賞。何が気に入らなかったのかしらね。まぁ、私もあれくらいの歳の時は些細なことで怒っていたし、その内、落ち着くわよ」

 

 4人が天井を見上げていると階段からトントンと足音が聞こえ始めた。玄関とリビングを遮る扉が開き、大きな欠伸の声が聞こえた。

 

「あ゛~。まだ眠ぃ」

 

 タンクトップとハーフパンツ姿(おそらく寝間着)の少女が階段から降りて来た。半開きの瞼、寝癖がついたアッシュグレーの髪、口の周りに付いている涎の跡、明らかに「たった今起きました」という風貌だった。

 壮助と詩乃が来ているにも関わらず、そんな姿を晒す妹・美樹に恵美子は「あちゃ~」と頭を抱える。

 

「おはよ~」

 

「あんた、もう昼過ぎよ。まさかずっと寝てたの?」

 

「3時までゲームやってた」

 

「いくら夏休みだからってだらけ過ぎよ。夏休み明けがしんどくなっても知らないからね」

 

「まだ初日だから良いじゃん。後半はちゃんとするから。あと、こいつら誰? もしかして姉ちゃんが呼んだ民警? 」

 

 美樹は壮助たちには既に気付いている。それでも慌てふためいて髪を整えようとしたりしないのは、無頓着なのか、壮助たちのことを何とも思っていないのか、それともそんな姿でも人に見られて恥ずかしくないと思えるくらい自分の容姿には自身があるのだろうか。

 

「IP序列7000位 義塔壮助。こっちがイニシエーターの森高詩乃」

 

 壮助がライセンスを美樹に見せて自分達のことを紹介する。

 詩乃に目を向けると、いつの間にか鈴音が詩乃の顔を掴み、パン生地のようにグニグニとこねていた。詩乃は一切抵抗する素振りを見せず、ちびっ子に撫で廻される躾けられた飼い犬のような光景が目に映る。昨日、壮助の手を握ったり顔に触れたりしたのは男を落とすテクニックとかではなく、単に何かに触っていないと落ち着かない性分なのだろう。

 

「ふ~ん」

 

 美樹はまじまじと壮助と詩乃を見つめ始める。

 鈴音の妹ということもあって美樹も美少女と言っても過言ではない顔をしている。しかしその雰囲気はおっとりしていてフェミニンな鈴音とは違い、挑発的でボーイッシュさを醸し出している。

 

「姉ちゃんって男の趣味悪いね」

 

「からかわないの」

 

 ニヤリと笑みを浮かべる美樹に鈴音は澄ました顔で否定する。

 

「美樹。民警さんが貴方の部屋の盗聴器とか探したいらしいんだけど、片付いてる? 」

 

「げっ。そいつが私の部屋に入るの? 」

 

「俺が嫌なら詩乃がやるけど」

 

 壮助は詩乃を指さすと美樹の視線は詩乃へと誘導される。美樹は詩乃の顔をまじまじと見ながら「う~ん」と唸った。

 

「まぁ……PC壊さないなら良いよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 壮助と詩乃は2階に上がり、壮助は鈴音の部屋を、詩乃は美樹の部屋を調べることになった。夫婦の寝室は最後に2人一緒にやる予定だ。

 美樹の部屋に入った詩乃は思っていた以上に彼女の部屋が片付いていたことに驚いた。寝起き姿を見られて堂々としていた彼女のズボラさから考えて、てっきり脱ぎ散らかした服やお菓子の袋が散乱し、掃除からしなければならないと思っていたからだ。

 彼女の部屋はベッドと学習机、小さなテーブルと本棚が置かれたシンプルな部屋だった。学習机の上には画面の大きなデスクトップPCが置かれており、キーボードとゲーミングマウスで机は占められている。学習机として機能はもう果たしていないだろう。

 詩乃はサーモグラフィを頼りに部屋の隅々を探していく。ベッドの下、クローゼットの中、PC周辺の配線――しかし1階と同様に怪しい熱源は見つからない。

 

「この部屋も問題ないです。喋って大丈夫ですよ」

 

「サンキュー」

 

 仕事をする詩乃を後方から眺めていた美樹は学習机の椅子に跨り、朝食代わりのアイスを頬張っていた。

 

「詩乃ちゃんだっけ? 大変だね。夏休みなのに姉ちゃんの被害妄想に付き合わされて」

 

「気にしていません。仕事ですから」

 

 会話終了。

 

 もっと愚痴でも聞けるのかと思ったが、詩乃の淡泊な回答を前に美樹は閉口する。しかし、ただ無い物探しをする詩乃を後ろから見るだけではつまらないと思い、違う話題を引き出す。

 

「イニシエーターなんでしょ? ガストレアってやっぱり恐い? どれくらい倒したの? 」

 

「物心ついた頃からガストレアと戦っていたので、恐怖心はあまり無いですね。東京エリアに来る前はそれが日常でした。あと討伐数は覚えていません。数えるのが面倒になるくらい倒しましたから」

 

「すげえ……」

 

 淡々と告げられた詩乃の回答内容に美樹は舌を巻く。東京エリアの中心近く、モノリスから遠く離れたこの住宅街ではガストレアを見かけることはほとんどない。超高高度から侵入されたならともかく、地上から入って来たガストレアは外周区でそれなりの額で売買される臓器や血液目当てに赤目ギャングに討伐され、外周区を突破しても内地の外寄りには討伐報酬目当てでガストレアの侵入を虎視眈々と待つ民警達が襲撃するため、90%がここで討伐される。日向家のあるベッドタウンにガストレアが到達したことはここ数年で一度もない。ガストレアを一度も見ることなく育った無垢な世代も珍しくなくなってきた。

 

「銃は? どんなの使ってるの? ガストレアって大きいし、やっぱりアサルトライフルとかマシンガンとか大きなやつ? 」

 

 美樹は目を輝かせながら詩乃に質問攻めをする。詩乃は部屋にあるゲームソフトをチラリと見ると、実在する銃が出て来るリアル系FPSがあった。銃に興味を持っているのはその影響だろう。

 

「昔はそれなりに使ってきましたが、今は使っていません」

 

「どうして?」

 

「銃よりも剣や槍で倒した方が手っ取り早いですから。バラニウム弾の費用も馬鹿にならないですし」

 

「な~んだ。残念。本物見せて貰おうかなって思ったのに」

 

「ついでに言うと、少し前の仕事で武器が壊れてしまいまして、この仕事の報酬で新しく調達しようかと思っています」

 

 詩乃は里見事件で200キロの超重量級バラニウム槍“一角”を失った。それ以降もバラニウム製の近接武器を調達したものの、いずれも武器が彼女のパワーに耐えられず自壊している。金があったところで市販の武器の中に彼女の要求に応えられるものがあるかどうかは分からない。

 

「っていうかさ、敬語口調やめよう。これから同じ屋根の下で暮らす仲だし、外じゃ親戚って設定でタメ語使うんでしょ? 」

 

「そのつもりですが……」

 

「それならいっそ家の中でも親戚みたいにタメで話そう。家の中じゃ敬語なのに外じゃタメ語とか、雰囲気違い過ぎて外で笑い死にしそう」

 

 美樹の言うことにも一理ある。詩乃も壮助も演技のプロではない。家の中と外でキャラを使い分けていれば、いずれボロが出るだろう。

 

「じゃあ……そうするね。美樹お姉ちゃん」

 

「お。意外とノリが良いねぇ。こういう妹が欲しかったな~。いや、もうイニシエーター辞めてウチの子になっちゃえよ~。うりうり~」

 

 美樹は詩乃の事が気に入ったのか、1階で鈴音がそうしたように顔や頭をこねくり回した。やたらスキンシップが激しい姉妹に揉みくちゃにされ、詩乃の髪は寝起き姿の美樹よりも酷い状態になった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ――なにこれ。監獄?

 

 大人気アーティス・鈴之音こと日向鈴音の部屋に入った壮助の第一印象だ。

 壮助は鈴音に“女の子の理想”を見ていた。壮助の周囲にはまともな女子がいなかった。妙なところで価値観が色々とズレている詩乃、強気で説教された記憶しかない空子、生意気で口喧嘩した記憶しかないヌイ、銃と暴力とピザの化身であるティナ、etc……。そんな壮助の前に現れた“まとも女子”である鈴音に対して理想を見ずにはいられなかった。

 きっと可愛い小物があったりベッドとかカーテンとかがフリフリしていたり、良い匂いがしたりするんだろうと思っていた。――見事なまでの監獄である。

 彼女の部屋には物が無かった。ミニマリストと言うほど極端では無いが、シンプルに生きる為に必要なもの、学生生活に必要なもの、アーティスト生活に必要なものだけが揃えられている。

 家具はベッドと卓上テーブル、電子ピアノだけが置かれており、電子ピアノが無ければ本当に監獄だと思えるくらい彼女の部屋には無駄や娯楽といったものが無かった。衣服はクローゼットの中に数着だけ、部屋の隅には申し訳程度にカラーボックスが置かれている。本は一切見当たらず、代わりにタブレットが置かれている。きっと電子書籍派なのだろう。てっきり好きなアーティストのグッズやポスターがあるのかと思ったが、見当たらない。

 この部屋から日向鈴音がどういう人間なのか、その私生活を汲み取ることが出来ない。

 あまりにも部屋がスッキリしていたので盗聴器探しも30秒で終わってしまった。

 

「この部屋もクリア。なんて言うか……、監獄みたいだな」

 

「友達にもよく言われるんです。『鈴音ちゃんって欲が無いよね』とか『妖精とかそういう類の存在なの? 』とか……」

 

「まぁ、こんな部屋だったら霞を食べて生きてる仙人って思われても仕方ないよな。てっきり、もっと散らかっているのかと思った」

 

「わたしって、部屋を散らかしているように見えますか? 」

 

「見えるっていうよりは、状況から考えてそうなっている可能性が高かっただけ」

 

 壮助の言っていることが分からず、鈴音は首を傾げる。

 

「あくまで俺の経験則なんだが、ストーカー被害に遭っている奴はまず視線に怯えるんだよ。いつも誰かが自分を見ている様な気分になってくるんだ。外出している間だけ感じていた視線を部屋の中でも感じるようになる。風呂でもトイレでも感じるようになって、段々と自分を見られるのが嫌になってくる。そこまで追い詰められた奴はまず自分の周りを物で満たし始める。気を紛らわせるつもりで買っていたつもりが、買うこと、物理的に空間を満たすことが目的になってくる。収納スペースが足りなくて散らかる程度で留まる奴もいれば、拗らせてゴミ屋敷を作っちまう奴だっている。

 

 “物で埋まった空間に人はいない。目は無い。だからそこからの視線は無い。”

 

 そんな理屈で安心感を得ようとするんだよ。特に、今回みたいに怪文書や不審物みたいな目立った痕跡が無いケースはそれが顕著になる筈なんだけど……」

 

 部屋の状況から考えて鈴音はそれに当てはまらない。華麗からの話であれば被害妄想を抱いており、精神的に参っているという話だったが、今こうして話している間もその兆候は見られない。

 それどころか、鈴音は壮助の話を理解していなかったようで「? 」と首を傾げる。

 

「まぁ、色々と難しいことを言ったけど、ホラー映画見る時、毛布で自分を包んでいると謎の安心感が出るだろ? そういう感じだ」

 

「なるほど……」

 

「だから、ここまで部屋をスッキリさせている人は初めて見たよ」

 

「私の場合ですと物があった方が落ち着かないと言いますか、色んなものが気になって、目が疲れてしまうんです。小さい頃はずっと病室に居ましたし、目の病気にもなってほとんど見えていなかったので……」

 

「Wikipediaに書いてあった病弱っていうのは、目のことか? 」

 

「目もそうなんですが、身体が弱くて病気がちっていうのもありました。あの頃は音と手の感触だけが頼りで、ちょっとしたものに躓いて転んでいたのも覚えています」

 

 スキンシップが多いのは手の感触から情報を得ようとする目が見えなかった頃についた習慣の名残、彼女のアーティストとしての感性も音からしか情報が得られず、音でしか娯楽を作れなかった病弱だった頃の特異な環境が育んだもの、部屋に物を置かないのも目が見えない状態で転んだ恐怖から来ているのだろう。

 

「あ、今は心配ないですよ。身体はもう健康ですし、視力も2.0ありますから」

 

「逆にすげえな」←両目1.3

 

 それから夫婦の寝室も調べたが、盗聴器の類は見つからなかった。ストーカー被害の痕跡は無い。華麗の言う通り、鈴音の被害妄想と結論付けるのが現実的なのだろう。そうなれば、「如何にして鈴音を安心させるのか」というのが仕事の焦点になるが、厄介なのは、当の鈴音に怯えた様子が無いことだ。刺傷事件のトラウマでも抱えているのかと思えばそうでもなく、ストーカー被害の妄想すら見えない。

 彼女の“怯え”が仕事の発端であり、“怯え”を無くすことで仕事が終わる筈だが、その“怯え”が観測できない。

 

 ――この仕事、どうやって終わらせれば良いんだ? 訳が分かんねえ……。

 

 恵美子に言われて夕食作りの手伝いをさせられながら壮助は内心、頭を抱えた。

 

 

 

 *

 

 

 

 私の名は、日向勇志。66歳・既婚。2人の娘あり。

 

 瑛海大学理学部生物学科・名誉教授、聖居特別栄誉賞受賞者という大層な肩書を持っているが、日々の研究に追われ、学生の研究の面倒を見て、家では家族サービスに興じる平凡な男に過ぎない。

 今日は上の娘・鈴音が家に呼んだ民警が来る日ということもあり、無理矢理予定を早めて大学を出た。家に赤の他人、その上、民警という危ない仕事をしている人間を家に招き入れるなど普通なら猛反対していたが、今までワガママ一つ言わなかった鈴音の頼みとあって断ることが出来なかった。

 娘の仕事の関係者からも「大丈夫です。見た目はあれですけどコンプライアンスとかはしっかりしている人ですから」と保証されたが、それでも不安なものは不安である。

 

 ~

 

 縛られた妻「ん~!!ん~!!」

 

 衣服の乱れた娘達「「うぅ……グスッ……。穢されちゃった。もうお嫁に行けない」」

 

 民警野郎「お義父さんこんちわ~。娘さん達ゴチになりました~」ギャハハハ! !

 

 ~

 

 もしこうなっていたらどうしよう……。その時はあれだ。この傘で中学生の頃に学んだ天上天下無双流・唯我独尊曼荼羅斬で民警野郎の頭蓋骨をかち割ってやろう。恐れることはない。相手は同じ人間だ。

「ただいま」と言って玄関扉を開ける。目の前にはリビングへ繋がる通路があり、廊下とリビングを隔てるドアが開いていた。向こうからは妻と2人の娘、別の少女(おそらくイニシエーターだろう)の声が聞こえる。

 不用心に開いているドアの隙間からリビングの様子が、脱ぎ捨てられた衣服が見えた。

 

 ――まさか……まさか……! ! 頼む私の勘違いであってくれ! !

 

 想像していた最悪の事態を脳裏に浮かべながら靴を脱ぎ捨てリビングへ駆け込む。

 そこには、上半身裸で正座させられ、妻と娘とイニシエーターの少女に身体をペタペタと触られる民警野郎の姿があった。

 

「うわっ。意外と筋肉すごいね。右手で銃持ってるの? 右腕だけアンバランスに太くてキモい」

 

「けっこう傷だらけなんですね。これって何の傷なんですか? 」

 

「若いからって、あんまり無理しちゃ駄目よ~。怪我したら元も子も無いんだから」

 

 金髪ヤンキーの民警野郎は手で顔を隠し、4人の女性に弄り回される自分の情けなさにすすり泣いていた。

 

「何でだよ……。何で俺だけいつも最下位なんだよ。何で俺だけ罰ゲームで服を脱がされるんだよ。もうやだ……お婿に行けない」

 

 何の話か分からなかったが、リビングにゲームのコントローラーがあることから察するに彼は娘達にゲームに負け続け、罰として一敗ごとに服を脱がされたのだろう。

 

 

 民警野郎が私の娘たちに手を出さないか心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。

 仲も良さそうで安心した。

 

 天上天下流・唯我独尊曼荼羅斬で頭をかち割るのは保留にしてあげよう。

  

 




第二章、別名「日向家居候編」が始まりました。

第一章では作中最強のテロリストといきなり戦わされて内臓消炭にされ、前々回までは作中最強のイニシエーターに監禁されてなぶり殺しにされ、ピザの食べ過ぎで発狂して幼児退行して、未踏領域にパラシュート無しダイビングさせられて、とにかく散々な目に遭わされた壮助に流石の作者も「これはかわいそうだ」と考え、美人姉妹(両親付き)と同じ屋根の下でゆっくり過ごす超イージーモードミッションを与えた次第でございます。


まぁ、第二章の予告があれなので、平和なまま終わる訳では無いですが……


鈴音ちゃんの楽曲はやなぎなぎさんの雰囲気をイメージしています。


次回も続きます。日向家居候編。

「家族の記憶 ②」


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家族の記憶 ②

夏休み中に更新頻度を上げて、ホームの「最新の投稿作品」に作品名が出るようにして暇を持て余した学生諸君の目に触れさせようとしたのに、「中途半端なプロットで第二章を書き始めた計画性の無いジェイソン13」「話の構成がド下手糞な癖に複雑なストーリーを書こうとするジェイソン13」「遅筆なジェイソン13」「それなのに別作品の執筆を始めようとしたジェイソン13」のせいで9月更新になってしまいました。

かまちー並の速度が欲しい。


 朝5時半。壮助は寝室として利用させて貰っている1階の和室で目を覚ました。ティナの特訓や未踏領域サバイバルのお陰で、自宅ではない場所で目を覚ますことには慣れていた。ここは日向家1階の和室、自分は護衛任務中ということを脳が瞬時に思い出してくれる。

 隣に敷かれた布団には詩乃が寝ている。何か良い夢でも見ているのだろうか、彼女はにやけた笑みを浮かべながら日本語ではない寝言を口から零す。

 

「仕事中ってこと忘れてるな。こんにゃろ……」

 

 和室の引き戸を開けてリビングに出る。まだ誰も起床していないようで天井の照明は消えている。昨晩は日向家と壮助、詩乃の6人で騒がしかったのが今は嘘のようにしんとしている。

 壮助はソファーに座るとスマートフォンを手に取り、アプリを起動する。

 まずはストーカーの有無を明確にしなければならないということで日向家の同意を得て昨晩、家の周囲に小型カメラを設置した。動きを感知すると作動するタイプで家の近くに人や車など動く物体が通った瞬間だけ映像を回してくれる。

 日向家が寝静まった数時間の間に撮影された映像は合計で10分程度。車やタクシーが通り過ぎたり、野良猫がそそくさと走り去っていったりするぐらいで不審な人物は見当たらない。

 

 ――やっぱり出て来ないか。どうすんだ。これ。ストーカー紛いのファンすら居ねえじゃねえか。もっとやる気出せよ。頭のおかしい奴ら。

 

 日向家が安心して暮らせるので、それはそれで良いのだが、明確な仕事の終わりが見つけられない壮助としては何とも都合の悪い状況だった。夏の予定は特に入れてないが、蓮太郎やティナ絡みで何か起きた時に動けるようにしておきたい。いつ終わるか分からない仕事はさっさと終わらせたい気持ちだった。

 カメラ映像の確認を終えるとスマホに届けられたメールを確認する。昨晩、マネージャーの華麗にお願いして過去に事務所が対応した鈴之音に関する苦情、クレーム、ネット上の粘着行為、公式Twitterアカウントがブロックしたユーザー一覧を送って貰っていた。やはり有名税というものは存在するようで、「殺してやる」「下手糞」「汚ぇ声を聞かせんじゃねえ」「事務所のコネで成り上がった音痴」「援交ヤリまくりのクソビッチ」「鈴音ちゃんの×××に僕の●●●を(以下略)」など、膨大な量の憎悪や嫉妬が言葉として、文字として、鈴音に向けられていた。華麗のメールに添えられた「鈴音の知名度から考えるとむしろ少ない方」という一文が壮助を戦慄させる。

 もし感情に質量が存在し、それが向けられた相手に圧し掛かるものだとしたら日向鈴音という少女はとうの昔に潰れて壊れていただろう。もしかすると彼女はエゴサーチをした結果、こういった誹謗中傷に触れてしまったのかもしれない。心の傷が癒えないのも頷ける。

 

 ――芸能人って大変なんだな……。

 

 静かなリビングで壮助はバックサイドホルスターから拳銃を抜き出す。壮助の体躯から考えると不釣り合いに大きな銀色のリボルバーがカーテンの隙間から入る朝日に照らされる。ハンマーロックを外し、前後のラッチを操作してシリンダーをスライドさせる。

 ガストレアどころか赤目ギャングすら出て来ない平和な住宅街、そこを舞台にしたストーカー撃退で頭蓋骨を木端微塵にする威力を誇る拳銃は必要ない。引き金を引く機会はおろか、ホルスターから抜くことも無いだろう。暴発のリスクを避けるために全ての弾丸を抜き取っていく。

 リビングの扉が開き、日向家で最初に目が覚めた人が入って来る。壮助は高齢故に早起きな夫妻のどちらかと思ったが、意外にも鈴音だった。

 彼女はリビングに入るや否や少し驚いた様子を見せる。まだ誰も居ないと思っていたリビングに壮助がいたこと、彼の手に拳銃が握られていたことにだ。

 

「おはようございます。義塔さん。それ……本物ですか? 」

 

「ああ。タウルス・レイジングブル。3ヶ月前に買ったお気に入りだ。動画でも見たことないだろ。まだガストレア相手に使ったことないし」

 

 壮助は鈴音の視線がずっとレイジングブルに向けられていることに気付くと、バレルを握り、グリップを差し出した。

 

「持ってみるか? 」

 

「え? 大丈夫なんですか? 」

 

「ああ。弾も抜いているしロックもかけてる」

 

 鈴音は恐る恐る手を伸ばし、ゴム製のグリップを握る。

 民警という職業が一般的になり、更にセルフディフェンス推奨により銃の売買が一般開放された2030年代でも生で銃を見たことがないという人は多い。自衛隊と警察とヤクザぐらいしか銃を持たなかった大戦前の感覚が残っているのか、東京エリアの住民は銃を持つことにそれほど積極的ではない。使えるようになるにはある程度の訓練が必要だったり、法律で管理義務が設けられていたりするのも一因と言える。

 鈴音がグリップを握ったことを確認すると壮助はバレルを手放した。その瞬間、レイジングブルの重さに引っ張られて鈴音の手が落ちる。

 

「けっこう重いんですね」

 

「拳銃の中でも重い部類だからな。デカいガストレアを仕留めるにはデカい弾丸が必要だし、デカい弾丸を撃つとその分、反動も大きくなる。それを本体の重さでカバーしてるんだ。そうしないと反動で自分の銃を頭にぶつける破目になる」

 

「そんなに凄いんですか」

 

「ああ。威力があり過ぎて余程のゴリマッチョか腕力に自信のあるイニシエーターぐらいしか扱えないって言われてる。ちなみに俺が扱える理由については企業秘密ってことで」

 

 機械化兵士であることを秘密にしている手前、『撃つ時に拳銃と腕の周囲に斥力フィールドを展開させて反動を制御しています』とは言えなかった。

 

「動画だともっと大きな銃を使ってましたよね? 」

 

「それなら壊れちまったよ。前の仕事でもの凄くやべー奴に喧嘩売っちまってな。ナイフ1本に至るまで使ってる武器全部ぶっ壊された。今持っている武器はそれだけだ」

 

 鈴音が言っているのは、おそらく民警になり立ての頃に買った「M4カービン」、または里見事件で壊れるまで使っていた「司馬XM08AG」のことだろう。里見事件で詩乃と同様に全ての武器を失った壮助は早急に武器が必要となり、松崎と空子に土下座して金を出して貰い、ようやくタウルス・レイジングブルを購入した。いつどこで誰に襲われて殺されても何ら不思議ではない身の上、銃を持たない生活というのは恐怖以外の何ものでもなかった。

 

「ありがとうございます。私には撃てそうにありませんね」

 

 鈴音は両手にレイジングブルを乗せて返して来た。壮助は受け取るとバックサイドホルスターに入れて留め具をかける。

 

「もしセルフディフェンスを考えているなら、もっと小さい奴をオススメするよ」

 

「いえ、銃はいいです。自分で持つのはちょっと怖いですし、少なくとも今は義塔さんが守ってくれますから」

 

「それもそうだな。――ところで随分と早起きなんだな。鈴音が朝ご飯係なのか? 」

 

「朝ご飯係だから早起きと言うより、早起きだから朝ご飯係になったんです」

 

 そう言いながら鈴音は髪をヘアゴムで束ね、エプロンを付けてキッチンに立つ。冷蔵庫を開けて中身を確認し、食器棚から家で一番大きい鍋を出してコンロに乗せる。

 

「手伝おうか? 俺達の分まで増えて大変だろ」

 

「大丈夫ですよ。義塔さんだって昨日はあれだけ調べてくれましたし、今だって居てくれるだけで助かっているんですから」

 

「遠慮すんなって。ストーカー出ないと俺達やること無くてニート状態になるんだから」

 

 鈴音の手が止まり、少し考え事をすると壮助に視線を向けた。

 

「ちなみにお料理の腕前は? 」

 

「ミシュランガイド三ツ星レストランのシェフが裸足で逃げ出すレベル。

 

 

 

 ――――――冗談だよ。そんな目で見んな。一応、人並みに出来るつもりだ」

 

 鈴音が指示を出し、2人で分担しながら料理を進めていく。包丁で野菜が切れる音、まな板が包丁で叩かれる音、沸騰したお湯の音、鍋をかき混ぜるお玉の音が刻々と過ぎる時間の中でリビングに響いていく。

 

「壮助くん。冷蔵庫から味噌取ってくれる? 」

 

「はいはい。―――――――え? 」

 

 突然のくだけた口調に壮助は一瞬、固まった。外では親戚のフリをするということで鈴音がくだけた口調になるのは分かるが、盗聴器が無いと分かった家の中でも「壮助くん」と呼ばれるとは思いもしなかった。

 壮助は、ぎこちない動きで冷蔵庫から味噌を取りつつ鈴音の方を見る。鈴音は何事も無い風に鍋をかいているが、恥ずかしいのか壮助から視線を逸らし、耳が真っ赤になっているのが見えた。

 

「えっと……その……おかしいですか? 」

 

「いや、まぁ……うん。詩乃と美樹が仲良くなったからって、無理しなくて良いんだぞ。世の中、敬語で話し合う親戚もいるだろうし」

 

「そうですか……。その、演技とか下手だから慣れておこうかなと思ってたんですが……」

 

「下手なんだ」

 

「はい。PV撮影の時に監督から『こんなヘタクソな奴は初めてだ』って大笑いされるくらいには」

 

「笑って済ませられる程度ってことじゃないのか? 」

 

「デビューシングルのPV撮影のリテイク回数、110回」

 

「え? 」

 

「110回……朝8時から撮影を始めて終わったのが夜10時です」

 

 リテイク地獄のことを思い出しているのか鈴音の顔は青ざめており、手が震えていた。

 

 ――ストーカーよりもこっちのトラウマの方が深刻じゃねえか! !

 

「そういえば、ストーカーさん見つかりましたか? 」

 

「いや、全く見つからないな。まだ1日しか調べてないから結論を出すには早いんだけど、痕跡はゼロ。周囲に仕掛けたカメラにも不審なものは一切なし。悪質な報道関係者も頭のおかしいファンもいねえ」

 

「そうなんですか」

 

 鈴音は安心したかのように微笑んだ。壮助はその反応を不思議に思った。恐怖というのは情報の不足から発生する。何か分からないから怖い、何をしてくるか分からないから怖い、どうしてそうしてくるのか分からないから怖い。それはストーカー被害にも当てはまることであり、「ストーカーが見つからない」というのは被害者にとってネガティブなニュースの筈だ。特に今回のような本人は存在していると信じているケースは尚更の話だが、彼女はむしろストーカーが見つからないことを喜んでいるように見えた。

 

「参考までに聞きたいんだけど、どういうところでストーカーがいるって思うんだ? 」

 

「ど、どういうところですか? 」

 

 初めて鈴音が動揺するところを見る。壮助から視線を逸らし、髪を耳にかける。

 

「えーっと、普段は全然そういうのは無いんですけど……。ただ……半年ぐらい前からなのかな。視線とか悪意とか、よく分からないんですけど、何か悪い物を向けられている感覚がするんです。特に一人の時が不安で……」

 

 鈴音は壮助をチラリと見る。どんな朴念仁でもそれが「私を一人にしないで」というメッセージだと気づく。壮助も例に漏れなかったが、あえて気付かない振りをした。

 視線を向ける鈴音と目を逸らして材料を切る壮助の沈黙が数刻ほど続く。

 

「鈴音お嬢様。本日のご予定は? 」

 

 黙々とした空間に耐えられず、壮助は冗談めかした。

 

「えっ? あ、予定ですね。実は今日、スタジオに顔を出そうかと思ってるんです」

 

「スタジオ? 」

 

「ピジョンローズと契約しているサダルスードフィルムという撮影会社です。MV撮影とかCDジャケット撮影とか他にも色々とお世話になっているところなのですが、あの事件から一度も行ってなかったから、皆さん心配しているようでして。少し顔を出そうかなと……」

 

 鈴音は壮助の顔色を窺いながら話す。護衛する壮助の都合も考えているのだろう。ここまで気遣われるのは新鮮であり、同時に慣れていないせいで一種のやり辛さを感じる。

 

「別に良いんじゃないか。そっちの業界のことは良く知らないけど、人と人の繋がりは大切だろうし。俺達に気を遣わなくてもいい。俺達はそっちのスケジュールに合わせるから」

 

「ありがとうございます」

 

「ちなみに外では一定の距離を開ける『他人コース』としっかり近くに張り付く『親戚コース』があるんだけど、どっちが良い? 他にも『友達コース』、『彼氏コース』、『舎弟コース』、『ペットコース』、『奴隷コース』、『リアル人形コース』とかがあるんだけど」

 

 鈴音が驚き、目を見開いて壮助を見つめる。

 

「最後の3つがちょっとというか、かなりおかしいと思うんですけど……」

 

「世の中そういうオーダーをする人もいるんだよ。ちなみに最後の3つは俺の精神がゴリゴリ削られるから別料金な」

 

「ちなみに『奴隷コース』だといくらぐらいですか? 」

 

「時給ひゃくまんえん」

 

 無論、冗談である。人気歌手とはいえ一介の女子高生が出せる様な額ではないと壮助は踏んでいた。

 

「分かりました。スタジオ行く前に銀行に行ってお金を下ろしてきますね」

 

「えっ? 」

 

 鈴音のポケットマネーは壮助の予想を遥かに超えていたようだ。鈴音はいつもの笑顔で言っており、冗談なのか本気なのか判断できない。「余計なことを言ってしまった」「今からでも値上げ出来ないか」と頭を抱える。

 そんな壮助の心境を手玉に取ったかのように鈴音は横でクスクスと笑う。

 

「冗談ですよ。当初の打ち合わせ通り、親戚コースでお願いします」

 

 

 

 *

 

 

 

 高い天井からスポットライトで照らされた大部屋、目が痛くなるような蛍光グリーンのカーテンが張られ、同じ色のオブジェクトが乱立する空間で一組の男女が飛び跳ねる。

 カメラクレーンが追いかけ、最後にステージ外へ飛び出した2人をスタッフがマットで受け止める。

 

「はい。オッケー。お疲れさん」

 

 ハンチング帽を被った痩身の老人がメガホンを叩くとスタッフ全員がほっと胸を撫でおろす。

 映像の道に入って40年、映像作家・堀不三雄(ほり ふみお)の今日の仕事は民警企業のCM撮影だった。動画配信サービス用の1分間の映像を作り、そこから30秒バージョン、15秒バージョンを編集してTVで放映する予定の作品だ。先方の社長は「パーッと派手に宣伝したいからこれくらいで」と相場の10倍の額を予算として出して来た。流石は東京エリア最大手の民警企業・我堂民間警備会社――お陰で久々にCGもVFXも遠慮なく使った作品を手掛けることが出来た。

 現職のプロモーターとイニシエーターを演者として起用することには一抹の不安があったものの、2人とも素直に指示を聞き、こちらの無理なオーダーや繰り返されるリテイクにも文句一つ言わずにこなしてくれた。

 満足のいく仕事が出来て良い気分になった彼は一服しようと撮影室の端にある喫煙スペースに行き、マルボーロに火を点ける。

 

「やあ。堀さん。相変わらずですね」

 

 お高いスーツに身を包んだ中年男性が軽く手を挙げて近づいてくる。明治時代の偉人のような立派なヒゲを貯え、典型的な肥満体型をスーツに押し込めた男だ。

 彼の名は積木雪路。ピジョンローズ・ミュージックの創設に関わった音楽プロデューサーであり、不三雄とはガストレア大戦前から長い付き合いをしている。

 

「そう言う積木こそどうした? ここに来るなんて珍しいじゃないか」

 

「ちょっと散歩がてら堀さんの顔を見に来ただけですよ」

 

「嘘言え。鈴音ちゃんの件で忙しくなったから事務所から逃げて来たんだろう」

 

「ご名答。やっぱり堀さんには敵わなぁ。もう関係各所に頭を下げ過ぎて首が痛くなりましたよ。特にイノセント・サマーフェスにも穴を開けてしまったのは痛いですね」

 

「フェスは3週間後だろう? 随分と話が早いな」

 

「先方はもう答えを求めているんですよ。鈴之音はフェスの大目玉でしたし、出るか出ないかで対応が大きく変わりますから」

 

「大変だねぇ。――――おっと、噂をすればお姫様のご登場だ」

 

 撮影室の扉がゆっくりと開き、鈴音が姿を現した。仕事の邪魔にならないように配慮しているのか様子を窺いながら静かに扉を閉める。彼女は堀たちを見つけると軽く会釈して歩み寄った。彼女の3歩後に続いて、ゲストIDを首から提げた壮助が付いて行く。

 

「お久し振りです。堀さん、積木さん」

 

「やあ。鈴音ちゃん。元気そうで安心したよ。後ろの彼が君の言っていた民警かい? 」

 

「え? 」

 

 いきなり民警であることがバレてしまったと思い壮助は一瞬ドキリとする。その驚きようは堀と積木から見ても分かるくらいだった。

 

「ああ。驚かせてすまない。君のことは積木から聞いているんだ」

 

 堀がそう言うと隣で積木が腕を組みながら「うんうん」と首を縦に振る。民警の護衛をつける件は華麗と日向一家だけの秘密ではないらしく、積木や堀など仕事の関係者にはある程度、伝わっている話らしい。親戚コースとは何だったのか。

 

「松崎民間警備会社所属 IP序列7000位 義塔壮助です」

 

「サダルスードフィルムの堀不三雄だ。撮影に関することなら、どうぞウチを御贔屓に」

 

「ピジョンローズ・ミュージックの積木雪路だ。あまり関わることは無いと思うが、よろしく頼む」

 

「あ、どうも」

 

 壮助は2人から差し出された名刺を受け取る。自然な流れで名刺を出す2人と持ってすらいない自分の間に大人と子供の差を感じ、少し恥ずかしさを感じる。

 

「ところで鈴音ちゃん。手の傷は大丈夫なのかい? 」

 

「はい。すっかり治りました。ピアノもギターも問題ないです」

 

「それは良かった。それじゃあ、後は復帰するだけだね。いつにするんだい? 」

 

「すみません。それはまだ……」

 

「良いよ。良いよ。そんなに急がなくても。もしその時なったら教えてくれるかな。復帰作のMV用にスタッフのスケジュールを抑えておくから」

 

「事件前もハードワーク気味だったんだ。少し長い夏休みを貰っても誰も文句は言わんだろう」

 

 3人が和気藹々と話す中、蚊帳の外に置かれた壮助は鈴音と付かず離れずの場所に立ったまま機材やセットに目を向ける。ハリウッド映画のBlu-rayやDVDの特典にあったメイキング映像やNGシーンで見たことのある光景が目の前にあり、「すげぇな……」と語彙力に乏しい感嘆を呟く。

 緑色のセットに目を向けているとその陰から見覚えのある顔ぶれが姿を現した。

 

「やあ。義塔くん。久し振りだね」

 

 片手を挙げて爽やかな雰囲気の青年、我堂民間警備会社所属プロモーター・小星常弘(こぼし つねひろ)が近寄って来る。

 黒髪マッシュヘアの下にあるアイドル顔負けの甘い笑顔を振り撒き、無自覚ながら周囲の女性スタッフを虜にしている。半袖ワイシャツとスラックス、革靴を履いたオフィス街のサラリーマン然とした格好をしているが、腰のホルスターにはドイツのザウエル&ドーンズ社が開発した自動拳銃 SIG SAUER P226が入っている。

 彼の隣にはイニシエーターの那沢朱理(なざわ しゅり)が、周囲の女性スタッフを牽制するようにポジションをキープしている。肩甲骨まで伸びた赤髪のポニーテール、常弘とは対照的に白いシャツブラウスとデニムパンツ、サマーシューズというカジュアルな格好をしている。

 

「よう。小星。こんなところで何やってるんだ? もしかして民警辞めて俳優にでもなったのか? 」

 

「まさか。まぁ……今日の仕事は俳優みたいなものだけどさ。ウチの会社が今度CMを出すことになってね。その撮影だよ。『幼女と荒くれ者集団という民警のイメージを払拭して爽やかで合法でクリーンなイメージを出したい』って社長が要望を出したら、巡り巡って僕達が出ることになった」

 

「お前ら、銃とライセンスを見せないと民警って信じて貰えないくらい民警っぽくないもんな。最近どうだ? 前みたいに『僕、民警やめます』って戦場のど真ん中で小便漏らしながらビービー泣いてないか? 」

 

「漏らして無いし、泣いても無かったじゃないか。民警としては相変わらずだよ。朝霞さんのスパルタ修行と社長の無茶振りに振り回されてる」

 

「俺とそんなに変わんねえな」

 

「それと、一つ厄介な仕事を抱え込まされたかな」

 

「厄介な仕事? 」

 

「赤目ギャング『スカーフェイス』の調査」

 

 スカーフェイスの名前を聞いた途端、壮助は閉口し、半分にやけていた顔は真剣な面持ちになる。

 

 【赤目ギャング】

 

 呪われた子供で構成された犯罪組織の総称だ。

 ガストレア大戦直後、体内にガストレア因子を持つことを理由に多くの呪われた子供が親に捨てられ、社会に迫害された。守ってくれる大人はいない、合法的に働くこともできない。生まれたことを、生きることを法と社会によって否定された彼女達はストリートチルドレンになることを余儀なくされた。そして、彼女達が生きるためには犯罪に手を染めるしか無かった。欲しい物は盗み、奪い、邪魔する人間は殺す。法律に守られなかった彼女達に法律を守る道理などない。そこに躊躇いや良心の呵責は無く、彼女達にとって犯罪とは肉を食べる為に獣を殺すのと同じ感覚だった。

 人間や社会への憎しみ、同じ境遇の者同士が集まることで彼女達の犯罪が集団化、組織化していくのは火を見るよりも明らかだった。組織の中にルールが生まれ、序列が生まれ、褒賞と罰則が生まれ、人類の社会の成り立ちを反復するかのように彼女達はマンホールの中や放棄された地下鉄構内、外周区で独自の社会を形成していった。

 

 人間を忌み嫌い、自分達の力だけで生きようとする者達

 

 暴力団の傘下に入り、麻薬売買や風俗経営といったシノギを得た者達

 

 警察や民警企業と裏で結託しマッチポンプで利益を得る者達

 

 逆に内地の不良少年グループや暴力団を飲み込み拡大していく者達

 

 幼い呪われた子供を訓練し、優秀なイニシエーターとして企業に売る者達

 

 体内のガストレア因子による高い戦闘能力、知恵をつけたことによる収入源の多様化、裏社会に拡大する影響力により、彼女達は東京エリア最強の犯罪組織として裏社会に君臨している。

 

「君に会ったら一度聞こうと思ってたんだ。そっちの界隈にも繋がりがあるみたいだし」

 

「悪いけど、『スカーフェイス』に関する情報は何もねえよ。赤目ギャングって言っても連中は異様だ。神出鬼没で仕事は確実。拠点も不明。収入源も不明。独立系なのかどこかの飼い犬なのかも分からねえ。分かっていることと言ったら、顔に刺青をしていること、メンバーは推定5~10人程度。あとリーダーの二つ名だけだ」

 

「二つ名? 」

 

死龍(スーロン)――中国語で“死の龍”って意味らしい。ヨコハマってところを拠点にしていた中国人グループが連中に潰された時、構成員の一人が死に際にそう言ったそうだ。他にもIP序列500位相当の実力者って噂もあるし、出来るなら関わりたくないな」

 

「そう、なんだ」

 

「そういえばこの話、最近大角さんにも訊かれたんだけど、連中絡みで何か動きでもあったのか? 」

 

「大角さんが動いている理由かどうかは知らないけど、ここ最近、ボランティア団体からストリートチルドレンや小規模のギャングが姿を消しているってウチに相談があってね。原因も不明、手段も不明。それが誘拐や拉致の類で、スカーフェイスが関与しているところまでは漕ぎつけたんだけど、そこで行き詰っているのさ」

 

「成程な……」

 

 子供を誘拐する目的となると普通の人間の場合、性的虐待や人身売買市場への供給、親に対する身代金の要求が主な理由として挙げられる。性的虐待と人身売買市場への供給という点では呪われた子供も変わらない。ガストレアウィルスによる恩恵で総じて整った容姿を持ち、普通の人間よりも丈夫で長く()()()彼女達は性的虐待の対象にされることが少なくない。また裏社会には呪われた子供を玩具やイニシエーターとして売買する国際市場が存在しており、そこでは年間50億ドル近くの金が動いていると言われている。

 一つ留意すべき点があるとすれば、彼女達は常人を凌駕する高い身体能力を持っており、並の人間では誘拐することも拘束することも非常に困難であることだ。

 

 ――だから、赤目を使って赤目を捕まえるってことか。ひでえ世の中だ。

 

「何か情報掴んだら、大角さんのついでにお前にも流すよ」

 

「ありがとう。今は噂一つでも欲しい。そういえば、君はここで何をしているんだ? 詩乃ちゃんは一緒じゃ――――」

 

 周囲を見渡した直後、常弘の言葉が詰まった。松崎PGSの誰かでも見つけて壮助がここにいる理由を見出そうとしたが、まさかの人物を見つけてしまい、彼は凝視したまま固まった。朱理も常弘と同じ方向を見た瞬間、シンクロしたかのように口をあんぐりと開けて凝視して固まった。

 

「もしかして……、もしかしてだけど、あそこに居るのって鈴之音さん?」

 

「ああ。そうだよ」

 

「そっくりのお笑い芸人とかではなく? 」

 

「本人だよ。俺って鈴之音の遠~い親戚なんだよ」

 

 “夏休みに遊びに来た親戚のフリ”という当初の打ち合わせ通りの説明を行う。常弘と朱理をからかって反応を楽しみたいという気持ちも半分あった。

 

「家族も親戚もいない天涯孤独の身って言ってなかったっけ? 」

 

「俺もつい最近まで知らなかったんだけどな。向こうで家系図を整理してたら俺のお袋が親戚ってことが分かって、興信所とか色々使って調べたら俺に行きついたんだよ。『今まで絶縁していた分、これから親睦を深めましょう』って感じで向こうの家族にお呼ばれした訳さ」

 

「へぇ~」と常弘は納得の声を上げるが、その態度は演技がかっていた。明らかに壮助の苦しい言い訳を見透かしており、彼の説明の全てを信用していなかった。

 

「ま、君がそう言うならそういうことにしておくよ。芸能界や政財界絡みの仕事は守秘義務が厳しいからね」

 

「察してくれて助かる」

 

 面倒なことにならず安心したと思ったが、並々ならぬ気迫を向けられる。常弘の隣に目を向けると朱理が歯ぎしりしながら壮助を睨みつけていた。目の色も元の黒目と呪われた子供の赤目が点滅しており、彼女の感情が激動していることが窺える。

 

「え? 何で? 何で? 何でアンタみたいな暴れん坊民警に鈴之音の護衛の話が来るの? 片桐兄妹なら100歩譲ってまだ許せるけど、何でよりにもよって歩く犯罪百貨店のアンタなの? 」

 

 ――むしろ俺が知りたい。

 

「ねえ? 業務委託して? タダでいいから。むしろこっちがお金払うから」

 

 いつもならいがみ合う犬猿の仲である朱理が膝をつき、壮助の服を掴んで懇願する。

 

「お前のイニシエーターだろ。何とかしろ」

 

「彼女、鈴之音の大ファンなんだ」

 

「せめてサインくらい――――ヘブチッ! !

 

 常弘が朱理の頭にチョップをかました。彼女が舌を噛んで痛がっている内にブラウスの襟を掴んで壮助から引き剥がす。

 

「義塔さん。すみません。お待たせしてしまって」

 

 積木たちとの与太話が終わり、鈴音が声をかけて来た。

 

「こちらの方達は? 」

 

「商売敵」

 

 常弘が名刺を差し出そうとした瞬間、朱理が彼を押し退けて鈴音の前に出る。

 

「ああああああの。がっ、我堂むぃんかんけびゅ会社のにゃ、那沢朱理です。鈴之音さんの大大大ファンです。一番好きな曲は『私はここにいる』で、あと『白に包まれて』も『0円プラネタリウム』も好きでひゅ」

 

「ありがとうございます」

 

 推しのアイドルを目の前にしたオタクのように朱理は動揺して噛みまくる。口が思考に追い付いていない。そんな朱理に驚かず笑顔で応対する鈴音はさすがプロと言ったところか。

 

「あっ。あの、差し出がましいお願いで恐縮で申し訳ないのでございますが、ご迷惑にならなければ事務所的にも個人的にもオッケーなら、サイン下さい」

 

「良いですよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 頭が変な方向に回転して支離滅裂なことを言っていた朱理はカバンの中をまさぐるが、はっと我に立ち返る。

 

「ツネヒロ。色紙持ってる? 」

 

「持ってる訳無いでしょ」

 

 朱理はブラウスの裾を掴むと引っ張って、サインしやすいように鈴音の前に出す。

 

「色紙が無いのでこれにお願いします」

 

「ストップ! ! ストップ! ! それ4万円したやつでしょ! ! 」

 

「えーっと、それじゃあ、これで」

 

 そう言って朱理はバッグから小太刀を取り出した。壮助は一瞬、鈴音が斬られるかと警戒したが、朱理が人殺しの出来ない人間であることを思い出し、レイジングブルのグリップにかけた指を緩める。彼女は両手に小太刀を乗せて差し出すように鈴音の前に出した。鞘は朱色、黒のマジックで書けばサインはくっきりと見える。

 デビューから約2年。サインを求められることには慣れたが、小太刀の鞘にサインを頼まれたのはこれが初めてだ。鈴音は少し戸惑いながらも黒マジックで「那沢朱理さんへ 鈴之音」と書いた。

 

「それじゃあ、僕達はこれで。義塔くん。くれぐれも日向さんに変なことしたら駄目だよ」

 

「鈴之音さん。サインありがとうございます。この鞘、家宝にします」

 

 朱理はまだ鈴音と話したかったようだが、「これ以上は邪魔になるよ」と言って常弘が彼女の手を引いて退散した。

 那沢朱理という頭のおかしなファンが去り、2人は一息つく。

 その後、鈴音は会社の他のセクションを転々として関係者に挨拶してきた。

 サダルスードフィルムでの用事を終えた後は近くのレストランで昼食、その後は買い物に荷物持ちとして同行。その間もストーカーらしき人物の気配や痕跡は無かった。

 

 

 

 

 

 

 夕日が差し込む帰りの電車の中で鈴音は疲れたのか俯いて眠りこけ、自分の掌に涎を垂らしている。彼女の指が緩み、握っていた紙袋が落ちそうになる。壮助はそれに気付いて鈴音の手から紙袋を取り上げ、自分の膝の上に置いた。

 

 

 昔、同じ光景を見たことがある。

 

 

 5歳の頃。特撮ヒーローのイベントを観に行った帰りの電車。背中に当たる夕日を熱く感じる中、買って貰ったおもちゃで遊んでいた。母は久々の遠出に疲れたのか隣で寝ており、手に持っていたカバンが落ちそうになっていた。自分はそれに気付くとカバンを自分の膝の上に置き、到着駅まで母のカバンを抱きかかえていた。「持っててくれたのね。ありがとう」そう言われたのを覚えている。

 

 ――何で、こんなこと思い出したんだろう。

 




第二章は第一章と違って、本作のオリジナルキャラクターが多数登場する話になっています。ただでさえ6年後が舞台で原作キャラクター達の容姿が原作と違っているのに更にオリキャラも多数登場して、人物のイメージが大変ではないだろうかと考える時があります。

他の作品を読んでいると「【作品名】の【キャラ】みたいな感じ」という形でキャラクターの容姿を既存の作品で例えている作者さんも見受けられ、当然のことながら絵が無い本作もこういうことが必要なのかなと考えたりもします。


読者様の想像力を信じるか、それとも他の作品の力を借りるべきか。


他作者もすなるアンケートといふものを我もしてみむとてするなり。


まだまだ続きます。居候生活

次回「家族の記憶 ③」


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家族の記憶 ③

前回のアンケート結果を見てみると、NOが多かったので、オリジナルキャラクターの容姿については本編中の描写で頑張ることにします。

(※前書き、後書き、感想の返信でちょっとこぼれ話程度には語るかもしれません)


あと、今回はゆる~い日常回を書く筈だったのですが、おじさんがガストレアウィルスについて延々と語る文章的に重~い回になりました。


 日向家のリビングでカタカタと鳴り響くコントローラーのクリック音。燦燦と晴れた夏休みの昼前、15歳と13歳の乙女はローテーブルを挟んで大型テレビの前であぐらをかき、某人気ゲームキャラクターを集めた対戦ゲームをしていた。

 

「よっしゃ! ! アイテム来た! ! 」

 

「美樹。動きがわかり易いよ。はい。そこ」

 

「まだまだー! ! ――――え! ? 落ちた! ? 」

 

 表情がコロコロ変わりコントローラーと共に身体が右往左往する美樹と冷ややかな顔で操作する詩乃はあまりにも対照的で、リアル戦闘の素人とプロの差はゲームでも歴然だった。

 

「あー! ! 無理! ! 勝てない! ! 」

 

 遂に負け続けた美樹はコントローラーを手放し、ソファーの背もたれに仰け反る。

 

「詩乃ちゃん本当に初心者? 実はけっこうやり込んでるんじゃないの? 」

 

「昨日の夜が初めてだよ。ネットで攻略法は見たけど」

 

「ネットで攻略法見ただけでもあの動きは出来ないよ」

 

「このゲームで求められるスキルは複雑な操作じゃなくて、キャラの性能とマップの把握。それと観察。美樹お姉ちゃんは大技当てることに拘り過ぎてるから、敢えて隙を作って誘い込めばすぐにこちらの懐に飛び込んでくる」

 

「ガストレア相手もそんな感じ? 」

 

「私は正面からガストレアを叩き潰すだけだから正直そんなに気にしないけど、壮助はかなり気にしているね。武器の性能は何度も射撃場に通って性能の限界まで試しているし、暇な時は色んなところに行って地図には載っていない道を頭に叩き込んでる。ガストレアも最近はステージⅠよりもステージⅡやⅢを見かけることが多くなったし、ほとんどが初見殺しみたいな技持ってるから、被害が出ない限りは観察して能力を把握してから仕掛けるようにしてる。――まぁ、大抵のガストレアはじっくり観察する時間なんてくれないけど」

 

「へぇ~意外……。あいつ真面目に民警やってるんだ」

 

「まぁ、命がかかってるからね。誰かの命も、自分の命も」

 

 美樹は思わず押し黙った。自分の隣にいる少女はイニシエーターとしてガストレアと戦っている。命のやり取りが日常で、死が画面の向こう側のものではなくリアルな日常として存在している。そんな場所で生きる詩乃の口から出る「命」という言葉に、美樹は重みを感じた。学校に行くことが出来る、帰る家がある。鬱陶しいと思えるくらい家族の顔を見ることが出来る。そんな日常は彼女達によって瀬戸際で守られているのだと改めて感じさせられる。

 詩乃はリラックスしようとあぐらをかいていた足をローテーブルの下に伸ばす。ふと足先に硬い物が当たる。気になってテーブルの下に手を伸ばすと1冊の本が出て来た。

 白い表紙に何かしらの3Dモデルが描かれたデザイン。タイトルも著者名も英語で書かれており、付箋が挟まれたページを開いて中を見るも案の定全文が英語で書かれている。

 

「それ父さんの本。英語ばっかで全然分かんないでしょ」

 

『ガストレアウィルスがもたらす再生医療革命』

著者:ジャレド・L・コックス

 

 本のタイトルと著者名を読み上げた詩乃に美樹は驚愕する。

 

「え? 読めるの? 」

 

「うん。でも専門用語が多いから、完全に理解するには辞書の助けが必要かな」

 

「そ、そうなんだ」

 

 ゲームでは連戦連敗、英語のテストは赤点回避が目標、身体能力でもおそらく劣る。「お姉ちゃん」と呼ばせて年上を気取っていた手前、何一つ詩乃に勝てる要素が無い自分に美樹は膝から崩れ落ちる。

 詩乃は本の内容に興味を持ったのか1ページ目から目を通していく。

 

 

 2020年に突如出現した生物・ガストレアと彼らの体内に存在するガストレアウィルスにより人類は生存圏の9割を失い、ごく限られた土地での生活を余儀なくされた。その経緯から人々の目にガストレアは、文明の殷盛を奪った忌むべき存在、滅ぼすべき悪として映った。人類の被害拡大の防止、ガストレアの殲滅を名目に世界各国で研究が行われてきたが、その中で研究者達はガストレアウィルスが持つ驚異的な能力の数々を目撃することとなった。それを人の手で制御し、資源として利用する夢を誰かが抱き、その為に動くのはもはや時間の問題だった。

 ガストレアウィルスの資源利用にいち早く目をつけたのは再生医療分野だった。形象崩壊のメカニズムを調べていく中で、彼らは体細胞に全能性を付与するガストレアウィルスの能力を発見した。これは胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(iPS細胞)といった「あらゆる器官を形成する能力を持った細胞(万能分化細胞)」を高速かつ大量に生成する能力を持っていることを示しており、これを応用することで万能分化細胞の研究を爆発的に躍進させるのではないかと注目されている。

 

 一家の大黒柱・日向勇志がリビングに入って来た。

 短る刈り揃えられた白髪の頭、皺の多い面長な顔と硬い表情、眼鏡を掛けた姿は聖居特別栄誉賞を授与された教授としての博識さを見事に表している。しかし今日は大学も休みなのだろうか、ポロシャツとチノパンというラフな格好をしていた。

 勇志はコーヒーでも飲もうと1階に降りて来たつもりだったが、詩乃が持っている本が目に入った。

 

「そんなところにあったのか。ありがとう。その本を探していたんだ」

 

 詩乃は開いていたページを閉じると勇志に差し出す。

 

「父さん。詩乃ちゃんヤバい。ゲームめっちゃ強いし、その本も読めるし」

 

「え? 」

 

 美樹の言葉が信じられなかった勇志は本を開いて確認する。自分の記憶では中身も英語だったはずだ。もしかしてカバーと中身が違うのだろうかと思って見たが、記憶の通り中身も全文が英語だ。

 

「君、読めるの? 」

 

「はい。ただ、分からない単語もあるので完全に理解するには辞書が必要ですが」

 

「この本のタイトルは? 」

 

「『ガストレアウィルスがもたらす再生医療革命』です」

 

「中身はどこまで読んだんだ? 」

 

「まだ最初の部分しか読んでいません。ガストレアウィルスの再生医療分野への活用、より高速かつ大量に人工多能性幹細胞(iPS細胞)を生成する能力が注目されている――という部分までです」

 

 内容に間違いは無かった。自分を驚かせるために美樹と詩乃が嘘を吐いているのではないかと疑ったが、今ので彼女が本当に文章を理解しているのだと分かった。これほど博識な彼女がどうしてイニシエーターという危険な仕事をしているのか不思議でならなかった。

 

「日向教授の研究もこれに関わるものでしょうか? 」

 

「ガストレアウィルスと細胞に関することという意味ではYESだな。一応、細胞生理学が専攻分野だが、このご時世、生物学者と名乗っている人間の大半はガストレア研究者だ。私もその例に漏れず、ガストレアやガストレアウィルスについてあれこれ節操なく手を付けている。最近だと、『ガストレアウィルス受容体の発見と機能の解明』で聖居特別栄誉賞を貰っている。メディアにはあまり取り上げて貰えなかったがな」

 

 それは余程、画期的な発見だったのだろう。勇志は不満げな顔を浮かべてコーヒーを啜る。

 

「ガストレアウィルス受容体? 」

 

「そう。ガストレアや君達、呪われた子供の細胞膜上に存在するタンパク質構造だ。これについて説明するには、一度、ガストレアウィルスの感染経路から説明しなければならないが……」

 

「ガストレアウィルスはガストレアや呪われた子供の血液に存在し、それを大量に取り込んだことで感染・発症する。所謂、血液感染ではないのですか? 」

 

「ガストレアウィルスの侵入経路の説明としては正解だが、感染の説明としては誤りだ」

 

()()()()は違うということですか? 」

 

「そうだ。順を追って話そう。数年前まで、ガストレアウィルスはガストレアや呪われた子供の血に含まれており、大量に体内に取り込んだ際に感染すると語られて来た。その説明に間違いは無いのだが、そこにはある矛盾が存在していた。それは何だと思う? 」

 

 勇志の問題に詩乃は腕を組んで「ん~」と唸るが、全く答えが出てきそうにない。隣で美樹も同じポーズで考えているが彼女も答えが出せていない。

 

「一つ、ヒントを与えよう。ガストレアウィルスの増殖方法はレトロウィルスの逆転写に似ている。細胞に入り込んだガストレアウィルスは宿主のデオキシリボ核酸(DNA)にウィルス由来のリボ核酸(RNA)を組み込み、その細胞をガストレア化させると同時にウィルスの複製体を作り、複製体は次の細胞へと感染する。宿主の細胞を利用して連鎖的に増殖する彼らの手段なら1個のウィルスでも指数関数的に増殖し対象をガストレア化させることが出来る。形象崩壊を見たことがあるならそのスピードは説明する必要までもないだろう」

 

 詩乃は答えが閃いた様で、「あ」と声を挙げる。

 

「もし定説通り、ガストレアウィルスが強力な感染力を持つのだとしたら、私と一緒に暮らしている壮助はもうガストレアになっていないと説明がつかないし、そもそも1個のウィルスで感染し爆発的に増加するなら、量という要素は意味をなさない」

 

「正解だ」

 

「え? 詩乃ちゃん。あいつに血でも飲ませてるの? 何そのアブノーマルプレイ」

 

「『見えない血液』のことだ」

 

「何それ? 」

 

「ガストレアウィルスと同様に血液を媒介するとされるHIVや肝炎ウィルスの感染経路の説明として出て来る言葉だ。赤く見える血液だけでなく唾液や尿、母乳や汗など、これらの体液にもウィルスが含まれ、媒介する可能性が示唆されている。これはガストレアウィルスにも当てはまる話で呪われた子供の体液にも微量ながらガストレアウィルスが含まれていることが判明している。ガストレアの紫色の血や呪われた子供の赤い血を見れば人々は当然警戒するが、不思議と唾液や汗に関してはノーマークだ。

 人は日々の生活の中で無意識のうちに体液を交換している。食器や風呂の使い回しもそうだし、今こうして会話している中でも無意識の内に唾を飛ばし、それが相手の口に入っていることもある。

 かと言って、呪われた子供を避けて生活しても無駄だ。ガストレアウィルスを殺す方法が見つかっていない今、世界中のありとあらゆる液体にガストレアウィルスが含まれている。我々が普段から飲んでいる水だって循環する中でガストレアの生息地となっている海や山を経由し、ガストレアの体液が混ざっている。循環の過程でウィルスが死ぬこともなく、今の環境下で人類は日常的にガストレアウィルスを取り込んでいる。そして、普通の生活の中で突然、人がガストレア化した症例は()()()()()()()()()()()

 

「それでは血液感染どころか、ガストレアウィルスの感染・発症という現象すら説明が出来なくなります」

 

「そうだ。そこで5年前、瑛海大学、勾田大学、歯朶尾大学の共同研究チームが発足し、ガストレアウィルスの感染・発症条件の見直し、メカニズムの解明に乗り出した。そして、ある事実に我々は辿り着いた」

 

 通常のガストレアウィルスは非常に感染能力が弱く、地球上の生物は既に抵抗力を有していた。

 

「え? 」

 

 まさかの逆説に詩乃はぽかーんと口を開け、目を点にする。

 

勾田大学の変人が提唱した時は私も同じ表情になったさ。だが、調べれば調べるほどガストレアウィルスの感染・発症の奇妙な条件に説明がつき、ほとんどに辻褄が合ってしまった」

 

 それからは新たな発見が連続した。掛け違えていたボタンが、噛み合わない歯車が、ちぐはぐなブロックが次々と合致していった。あの当時の自分も含めた学者たちの興奮は今でも覚えている。

 

「先程説明したようにガストレアウィルスの増殖やDNA組み込み方法はレトロウィルスの逆転写に似ているが、細胞内への入り方も似通っている。(一部例外はあるが)レトロウィルスは細胞膜上の受容体に融合することでRNAを細胞内に送り出している。ウィルスと受容体は鍵と鍵穴のような関係になっていて、お互いに形が合わないと融合することが出来ない。そして、幸いなことにガストレアウィルスと形が合致する受容体が受精卵などの一部を除いて、通常の細胞には存在しないんだ。鍵穴が無ければ鍵は意味を成さない。膜と結合できず細胞に入れなかったガストレアウィルスはいずれ体液と共に排出される。何らかの理由で細胞膜を突破出来たとしても細胞がウィルスを巻き込んでアポトーシス(細胞の自殺)を引き起こすことで感染の拡大を防いでいく」

 

「受容体が無いのだとしたら、それこそ量や濃度といった要素は関係なくなります。鍵穴が無いなら鍵をいくら集めても意味がありません」

 

「いい質問だ。ガストレアウィルスがただのウィルスならどれだけ集めても無害でガストレアなんて怪物は出なかっただろう。しかし、感染経路の通説として大量や高濃度といった言葉が使われるようにガストレアウィルスの感染には量や濃度といった要素が重要になってくる。

 ガストレアウィルスにはある特異な性質があった。彼らは一定量集まると群体になり、群体を構成するウィルスの一部が自身を構成する分子を分解してエネルギーを放出する。それが核物質の臨界連鎖反応のように他のウィルスにも波及していき、ガストレアウィルス群体を高エネルギー体の塊に変え、細胞膜を破壊する能力を与える。鍵と鍵穴の説明に当てはめるなら、ドアを叩き割るハンマーを手に入れると言ったところだろう。そこから先に発生するのがガストレアウィルス感染症の発症、所謂『形象崩壊』だ。

 通常のウィルスなら量や濃度は感染する確率の指標と使われるが、ガストレアウィルスの場合だと閾値の指標として使われる。『感染するかもしれないし、しないかもしれない』ではなく『感染するか、しないか』の100%か0%かで語られる。その基準となる一定量のことを原子力用語から取って『臨界量』と呼んでいる」

 

「ちなみにその臨界量というのは? 」

 

「それは私に聞くまでも無いだろう。君たち民警にとって馴染み深い言葉で呼ばれているし、君たちは日々その数値に気を遣っている」

 

 勇志に言われて詩乃はすぐにその言葉が何か分かった。

 

「侵食率50%」

 

「そう。ガストレアが感染者を作る際に注入する体液――正確にはウィルス腺と呼ばれるガストレア特有の分泌腺を経由した高密度ウィルス輸送液を基準とした時、その50%がウィルスの連鎖的活性反応を引き起こす閾値の量だとされている。君達の場合だと血中のガストレアウィルス量で示されている。普通に生活していれば到底届くことはない量だし、呪われた子供と一緒に生活するプロモーターや養護施設の職員、ボランティアですら体内に蓄積される量は臨界量1000分の1にすら満たない」

 

「そうなると普通の人のガストレアウィルス対策は非常にシンプルになりますね。『ガストレアに襲われないこと。襲われたら二次感染防止のために大人しく介錯されること』以上」

 

 詩乃は身も蓋もない標語で締めくくった。彼女にとってガストレアを殺すことも感染者を介錯することも業務の一環だが、殺すこと・殺されることから疎遠な場所に住んでいる勇志は彼女の言葉から住む世界と価値観の違いを思い知らされた。

 

「ここまでが基本的な説明だ。ここから先は私の研究、君達の細胞膜上にあるガストレアウィルス受容体についてなのだが、これは君達の力や代謝機能に関係していて――――」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 夕方5時頃

 

 夕日に照らされながら3つの影が日向家に向かって歩いていた。

 サダルスードフィルムでの用事を終えた鈴音と壮助は偶然、町内会と買い物の帰りだった恵美子と遭遇。自然な流れで壮助は恵美子から両手に買い物袋を持たされ、「鈴音とのデートは楽しかった? 」と茶化される。

 帰り道の中で鈴音はサダルスードフィルムであったことを楽し気に語る。積木プロデューサーがまた太ったこと、堀がまだまだ現役なこと、偶然会った壮助の商売敵がイケメンだったこと、小太刀の鞘にサインを求められたこと。壮助は2人の話す姿を1歩下がって見ていた。見た目は全く似ていないが、話し方や笑うタイミングを見るとやはり親子なんだなと感じた。

 まだ1日しか滞在していないが、我が家のように感じてきた日向家に付き、鈴音が玄関のドアを開けた。

 

「姉ちゃん助けて~! ! 」

 

 半泣き状態の美樹が飛び出して来て鈴音に抱き付いた。

 

「父さんと詩乃ちゃんがリビングでずっと宇宙語を話してて頭がおかしくなりそう」

 

 何のことか分からないまま3人は家の中に入り、リビングを除いた。

 

「何じゃこりゃ……」

 

 あれだけ整理整頓されたリビングは年末の大掃除のように散らかっていた。足の踏み場が無い程、床は分厚い学術書や辞書、論文のコピーが散らばり、勇志はノートパソコンを、詩乃はノートとペンを持ち、テーブルを挟んで激論を交わしている。

 2人は宇宙語ではなく日本語を話しているが、様々な学問の専門用語が飛び交い、その内容は勇志と詩乃以外、誰も理解出来なかった。

 何かしらの結論が出ると2人は互いを讃えるようにグッと親指を立てる。

 

「久々に骨のあるディベートが出来た。君、ウチの大学を受験して、私の研究室に来ないか? 」

 

「壮助が行くなら一緒に行く」

 

 詩乃がそう答えると、勇志は壮助の方を振り向いた。立ち上がってドシドシと歩き、壮助の両肩をガッチリと掴んだ。

 

「義塔くん。民警を辞めて、高校に行って、ウチの大学を受験して研究室に来ないか? 」

 

「俺は詩乃を釣るための餌かよ。ってか、そんな頭あったら民警やってねえよ」





今回の要約
・ガストレアウィルスはそこら中にあり、日常的に摂取しているが排出する機構が既に生物には備わっている。
・普段のガストレアウィルスは感染能力が皆無。ウィルスの中でも最弱。
・一定以上の量(臨界量)が集まると合体してパワーアップし、感染・発症(形象崩壊)する。
・ガストレアのウィルス腺、呪われた子供の体内侵食率上昇以外でウィルスが臨界量まで蓄積されることはない。
・呪われた子供のハーレム作っても全然感染しないし安全(←ここ重要)


アニメを見ている時にふと考えたのです。

「寄生生物相手に戦うのに格闘や近接武器で戦うプロモーターは無防備過ぎて危ないんじゃないか? 返り血が口や傷口に入って感染するんじゃないか? 」

その疑問から始まり、その疑問を自分の中で何とか解消としようとした結果、「いや、そもそもガストレアウィルスって殺せるのか? 」「呪われた子供と一緒に暮らす際に感染リスクを無視する根拠は? 」「抑制剤がもたらす抑制効果とは? 」「侵食率って何の50%が基準なんだ? 」etc……と次々と疑問が噴き上がり、作中の描写との辻褄合わせに必死にあり、結果としてこんなトンデモ理論が出来上がってしまいました。

けど、こういうの考えるのって楽しい! 空想科学大好き!

実は細胞膜上のガストレアウィルス受容体についてもある程度は考えているのですが、ちょっと疲れたのでまたの機会にします。

原作の説明と矛盾する部分があるかもしれませんし、素人がネットで調べた程度の知識で書いているのでその道のプロからするとツッコミどころ満載なデタラメ科学かもしれませんが、そこは「作中6年間で研究が進んで定説が覆ったんですよ」「SFですし。サイエンス“フィクション”ですし」ということでどうかご容赦を。

(昔、感想の返信で語った「特定の部分をリアルにすると他の部分でもリアリティを求められる」って自分の言葉が見事にブーメランとして刺さってるなぁ……)


次回 「家族の記憶 ④」


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家族の記憶 ④

 義塔壮助くん(16)の夏休み日記

 

 1日目

 護衛任務の初日。日向家で盗聴・盗撮機器を探したが、一切見つからなかった。鈴音の部屋で探している時、クローゼットの中にブラジャーが落ちているのを見つけたが、見なかったことにした。そんなに大きくなかった。

 あと夜はゲームに負けて服を脱がされてベタベタ触られた。性別が逆だったら警察沙汰だぞ。男女平等なんて嘘っぱちだ。

 

 2日目

 鈴音と一緒に朝食を作った。メニューは味噌汁と鮭の塩焼き。加工品じゃない魚とか数年振りに食べた。美味しかった。

 鈴音と一緒に撮影会社に行ったら我堂PGSの小星たちとバッタリ会った。会社のCMで出演するらしい。あいつら民警やめてアイドルになっちまえば良いのに。

 あと帰ったら詩乃が勇志おじさんと宇宙語で会話していた。やっぱり空港の戦いでロリコン仮面に頭でも殴られたんだろうか。近い内に室戸先生に診て貰おう。

 

 3日目

 今日の鈴音お嬢様は部屋に籠って新曲作り。まず電子ピアノやアコースティックギターをテキトーに弾いて、ピンとくるメロディを探すらしい。無論、俺はアドバイスなど出来ないので部屋の端でずっと美樹から借りた漫画を読んでいた。最新巻でマジ泣きした。デクはやっぱり最高のヒーローだと思う。「大丈夫。俺が来た」人生で一度は言ってみたい。

 

 4日目

 鈴音が学校の友達に誘われて遊びに出かけた。鈴音から「一緒に来て欲しい」と言われたが流石に気まずかったし親戚が付いて行くのは不自然だったので他人のフリをして遠くから見守った。鈴音の友達もレベル高いし、みんな良い子だし、何あの空間尊い。女の子しか出て来ない系アニメの住人かよ。ずっと見ていたい。ストーカーの気持ちが何となく分かった。

 

 5日目

 姉妹揃って夏休みの宿題に一切手を付けていなかったことが判明。遊びの予定はキャンセルし、急遽夏休みの宿題を消化することにした。美樹は何となく予想が付いていたが、鈴音も勉強が苦手で毎年ギリギリだったのは意外だった。小学校中退の俺は何も手伝えなかったが、代わりに詩乃が両手に教科書を持って2人に勉強を教えていた。それはそれでおかしいと思った。

 

 6日目

 松崎さんが「ウチの義搭くんが世話になっています」と菓子折りを持って日向家に来た。松崎さんはすぐに帰るつもりだったが、年齢の近い勇志おじさんと馬が合い、その日は2人で居酒屋に行ってきた。酔っ払って帰って来た2人にリビングで正座させられ、「生き急ぎすぎ」とか「人生設計が~」とか「大学に来い」とか説教された。

 詩乃、鈴音、美樹、恵美子おばさん。俺を生贄にして2階に逃げた恨みは忘れんぞ。

 

 7日目

 美樹が水着を買いに行こうと言い始めた為、姉妹の買い物に荷物持ちとして同行。店の外で待つつもりだったが、「姉ちゃんの水着どっちがエロいか決めて」と美樹に店内に引っ張られ、恥ずかしがる鈴音の水着ファッションショーに付き合わされた。

 頑張った。頑張って耐えた。俺の鋼の理性を褒めてあげたい。あと妹の方が大きいことを知った。何がとは言わない。

 あと、「たまにはこういうのもいいわね」と言って恵美子おばさんがピザの出前を頼んでくれた。

 ――――ピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だピザは嫌だ(以下略)

 

 

 

 *

 

 

 

 鈴音の護衛任務が始まって8日が過ぎた。ストーカーの痕跡もそれと思しき人物も一切見つからず、Twitterの公式アカウントも事務所当てのメールも相変わらず。本物の「夏休みに遊びに来た親戚の兄妹」のように日向家の面々と平和な日々を過ごした。敵が出て来ないことから警戒心が次第に薄れ、何度も仕事中であることを忘れそうになる。訓練中、ティナには「装備の弾数は常に把握して下さい」とあれだけ言われたのにレイジングブルから弾を抜き取っていたことをつい先ほどまで忘れていた。

 

「何やってるんだろう……。俺」

 

 今日の“仕事”は、鈴音の検査の付き添いだ。本人はすっかり健康体と言っているが、幼い頃に患った病気が特殊なものらしく、再発防止も兼ねてこの市民病院で定期的に検査を受けなければならないらしい。

 鈴音が看護師に案内されて奥の検査室へ向かった後、壮助は中庭のベンチで一人、スマホゲームをしながら時間を潰していた。

 壮助から1人分のスペースを開けて同じベンチに男が座る。

 アルマーニのスーツを身に纏い、時代錯誤なカイゼル髭でブルジョワを気取っている。彼の名は優雅小路蔵人(ゆうがこうじ くらうど)。表向きは風俗ビルのオーナー、裏では情報屋としてそれなりに名が通っている。

 

「君に頼まれた件の調査が終わった」

 

「早いな」

 

 蔵人はA4サイズの茶封筒を渡し、壮助はその中身に目を通す。

 

「付近に不審者の情報は無し。周辺住民の経歴もクリア。犯罪歴は無いし、精神科医にかかっている住民もいない。管轄警察にも不祥事の履歴なし。それどころか、どんだけ小さな事件でも真摯に対応してくれると評判がいい」

 

「自治会と契約している民警はどうだった? 」

 

「契約しているのは我堂民間警備会社だ。そこそこ高い契約料を払って、ガストレア出現だけでなく不審者やご近所トラブルにも対応する契約になっている。担当の営業所に所属する民警の身元も調べたが、プロモーターに犯罪歴・補導歴なし。イニシエーターには元ギャングやストリートチルドレンの子がいるが、我堂に雇われてからは問題を起こしていない」

 

「相変わらず良い子ちゃん集団だな。何で我堂じゃなくて俺を頼ったんだよ……」

 

「結論を言うと、あの地域は東京エリアで一二を争う安全地帯だ。むしろ不穏分子と言ったら君ぐらいだろう」

 

「成程な……。ありがとう。助かったよ」

 

 礼を言われた蔵人は思わず目を丸くした。彼は頭でも打って人格が切り替わったのだろうか。そう思えるくらい口調は優しくなっており、表情も気持ち柔らかくなっている。

 

「俺の顔に何かついているか? 」

 

「いや、君から素直にお礼を言われるのは初めてだと思ってね」

 

「おかしいか? 」

 

「ああ。おかしいね。金銭トラブルで民警に殺されかけたところを助けられて2年経つが、あの時、プロモーターの両手の指を切断して廃業させた少年とは思えないね」

 

「もう1週間も銃を撃ってねえからな。気が抜けちまってんだよ」

 

「君は顔と体格に恵まれているんだ。そういうのも覚えておけばナンパが楽になるぞ。それじゃあ私はこれで」

 

 蔵人はベンチから立ち上がり去ろうとするが、何かをふと思い出して足を止めた。

 

「ああ。そうだ。そうだ。ついでに君に聞きたいことがあったんだ。今の仕事とは関係ないと思うが、1ヶ月前あの地区で赤目ギャングの目撃情報があった。それもかなりの大物だ」

 

 赤目ギャングの話題が出た途端、身が強張った。赤目ギャングの相手自体はもう慣れているが、常弘が調べているスカーフェイス、そして死龍のことが脳裏に過る。

 蔵人はスマートフォンを操作し、画面にギャングの画像を表示する。監視カメラの映像から抜いたものだろうか、解像度は低いが背格好、顔立ちを把握するには十分だった。

 

「こいつ……。“灰色の盾”のリーダーじゃねえか」

 

「ああ。西外周区最優の闘争代行人(フィクサー)がこんなところに何の用だったんだろうね。何か聞いていないか? 」

 

「いや、何も知らねえな。噂だとツーリングが趣味らしいし寄り道しただけじゃね? 」

 

「そうかもね。知らないなら構わないんだ。報酬はいつもの口座に頼むよ。来月末までだ」

 

「了解」

 

 蔵人が病院の中庭から去った後、入れ替わるように鈴音がやって来た。蔵人の姿はもう見えない。彼女には壮助がずっと一人で待っていたように見えただろう。

 

「義塔さん。ごめんなさい。待たせてしまって」

 

「ああ。ずっとゲームやってたから背中が曲がっちまったよ」

 

 壮助はベンチから立ち上がると背筋を伸ばした。

 

「それより検査、大丈夫だったのか? 」

 

「はい。今回も問題なしって言われました」

 

「そりゃ良かった。この後どうする? 飯にでもするか? 」

 

「近くにホットケーキが美味しいお店があるのでそこにしようかと」

 

 また英語かフランス語かイタリア語かよく分からない名前の店なんだろうなと壮助は思った。鈴音と一緒に外出した日の昼食はいつもこんな感じだ。量はそこそこ、盛り付けは綺麗でインスタ映えし、内装もオシャレなレストランだった。彼女が学校の友達と一緒に遊びに行った時もシャンゼリゼ通りにありそうなオープンカフェだった。外食するにしてもハンバーガーか牛丼かラーメンの三択しかない壮助にとっては場違い感が凄すぎて逆に居心地が悪かった。

 

「また女子力が高そうなところだな」

 

「御不満ですか? 」

 

「いや、詩乃も少しは見習ってくれないかなって……。あいつの場合、まず量だから」

 

「詩乃ちゃんたくさん食べますもんね」

 

「たくさんなんてレベルじゃねえぞ。家計の負担にならないようにあいつなりに気を遣ってこっちで食う量を減らしてるからな」

 

「え? 」

 

 珍しく鈴音が驚嘆の声を挙げる。

 

「5人前を平然と食ってるけど、あれでもかなり我慢してる方だからな」

 

 鈴音はしばらく黙った後、首を傾げた。

 

「……義塔さん。質量保存の法則って知ってます? 」

 

「残念ながら、あいつの胃袋に物理法則は通用しないんだ」

 

 

 

 *

 

 

 

 市民病院から徒歩10分。鈴音がオススメするホットケーキが美味しいお店はロッジをイメージした内装でハチミツとシロップの香りが漂っていた。案の定、店名は読めなかった。

 鈴音はホットケーキとコーヒーのセットメニュー。壮助はホットケーキを更に2枚重ねたものを頼んだ。

 壮助の目の前に置かれた4枚重ねのホットケーキにたっぷりとシロップがかけられ、それをナイフとフォークで上品に食べて行く。最初はどんだけ甘いのだろうと思ったが、思っていたほどではなかった。甘くなかった訳ではなく、きつさを感じない程良い甘さだった。上品な味とはこういうことを言うのだろう。過ぎたるは及ばざるが如しとはよく言ったものである。

 静かな店内で食器がカチャカチャと当たる音が静かに響く。

 

「美味いな。これ」

 

「はい。検査の日はこれが楽しみなんです」

 

「詩乃も連れて来ればよかったな」

 

 今日も壮助と詩乃は別行動だった。護衛の仕事でも民警はペア行動が基本だったが、1週間も敵が姿を現さない(そもそも存在しているかどうかも分からない)状況で壮助の気が緩んでいたように詩乃の心境も同じだった。今朝、勇志が「研究室を見に来るか? 」と誘った際、彼女は壮助に伺い立てることもなく「行く」と即答したのである。仕事中の身としてはいかがなものかと壮助は思ったが、詩乃が何か新しいことに興味を持って積極的に行動するのは喜ばしい変化だと受け取った。もし彼女が「大学に行く」と言い始めたら学費の工面に頭を悩ませることになるだろうが、今は気にしないことにした。

 

「ふふっ。義塔さん。いつも詩乃ちゃんのこと考えてますね」

 

「俺の悩みの99%はあいつが原因だからな。お高い“妹”を抱えちまったもんだ」

 

「それだけ悩まされているのに突き放さないくらいには、大切に想っているんですね」

 

「まぁ、悩まされているけど、同じくらい助けられてもいるからな。あいつがいなけりゃ俺はとっくの昔に死んでる」

 

 ホットケーキをナイフで切る鈴音の手が止まる。何かを言いだそうと口が少し開くが躊躇って下唇を噛む。しかし、軽く呼吸し、勇気を振り絞って彼女は口を開いた。

 

「あの……義塔さん」

 

「何だ? 」

 

「私の事、どう思ってます? 」

 

 恥ずかしいのか鈴音が顔を赤くし、何かをねだる様に上目遣いを向ける。日当たりの良い窓際の席、光に照らされ輝くアッシュグレーの髪のせいか、壮助の目には鈴音のことが眩しく見えた。直視できなくて、壮助は目を伏せて自分の皿に視線を落とす。

 壮助は自分が護衛として選ばれた理由を思い出す。華麗曰く「動画共有サイトで戦っている姿を見て一目惚れした」と――信じ難い内容だし、今でも信じられないでいる。しかし、もしその言葉が本当なら、鈴音は自分にそういう気を持っているということになる。視線の意味も質問の意図も朴念仁の壮助ですら察することは出来た。

 

「みんなに自慢したい親戚のお姉ちゃん」

 

 ――と言いつつ、アンケート用紙の裏に書いた「護衛対象」という字を見せる。

 

 鈴音のオススメの店ということもあり昼時を過ぎても繁盛している。店内には他の客もおり、注文を受け付けるスタッフが往来している。鈴音は壮助の本音を聞きたいのかもしれないが、誰が自分達の会話に耳を傾けているか分からない状況で口にすることは出来なかった。

 

「そう……ですか。すみません。変な質問して。気にしないで下さい」

 

 鈴音は笑顔で誤魔化すが、落胆していたのは傍目でも明らかだった。彼女にそんな顔をさせた当人は少し後悔するが、これが正しいんだと自分に言い聞かせる。

 自分達の関係は依頼人と請負人。ビジネス以外の何物でもない。自分達が仲の良い親戚のように振る舞っているのは依頼人に不利益をもたらさない為の演技でしかない。労働と対価でのみ成立している関係、そこに感情なんてない。

 

 ――それがお互いにとってベストなんだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 その日の夕食は壮助と恵美子の2人が作っていた。包丁で野菜が切れる音、まな板が包丁でたたかれる音、沸騰したお湯の音、鍋をかき混ぜるお玉の音が刻々と過ぎる時間の中でリビングに響いていく。

 今、リビングに居るのは壮助と恵美子だけだった。大学から戻った勇志は汗を流す為に風呂に入り、鈴音は「ちょっと一人にさせて下さい」と言って病院から帰るや否や2階の自室に籠った。2階の隣の部屋には詩乃と美樹がおり、何か楽しい話でもしているのだろう。たまに美樹の笑い声が上から聞こえる。

 

「そういえば、詩乃ちゃんとはどういう関係なのかしら? 」

 

「どういう関係って、プロモーターとイニシエーターっすよ」

 

 隣で鍋をかき混ぜていた恵美子が肘で壮助の脇腹を突いた。

 

「そういうつまらない話じゃなくて、恋バナよ。恋バナ。ほら、詩乃ちゃんのことどう思ってるの? 」

 

「残念っすけど、俺はロリコンじゃないんで」

 

「ロリコンって……たった3歳しか違わないじゃない。それに今はまだ幼いけど、あれは5年後ぐらいに化けるわよ。もの凄い美人になる。今だってもう片鱗が出てるもの。元・女優のおばさんが保障するわ。笑いを取るコメディ女優だったけど」

 

「それなら尚更、俺とあいつじゃ釣り合わないっすね」

 

「壮助ちゃんもけっこう男前よ。顔も良いし、体格も良いし、ちょっと危険な香りがするけど若い内ならそういうのも魅力よ」

 

「見た目の問題じゃなくて……」

 

「あ、もしかして詩乃ちゃん以外に想い人が――――「いないっす」

 

 グイグイと恋の話題をねじ込んで来る恵美子には壮助はうんざりしたが、悪い気はしなかった。むしろ彼女との会話を楽しいと思っている自分がいることに気付かされる。

 

「ちなみに鈴音と美樹だったら、どっちが好みかしら? 」

 

 あまりの質問に硬直し、うっかり包丁で指を切断しそうになった。

 

「恵美子おばさんは、俺に娘のどちらかと付き合って欲しいんすか? 止めた方が良いっすよ。こんな前科持ちのクソガキチンピラ民警なんて」

 

「単に好みを聞いただけよ。で、どっちなの? 」

 

「その質問、答えなきゃいけない? 」

 

「モチのロン」

 

 壮助は作業の手を動かしながら「う~ん」と唸り熟考する。

 

「強いて言うなら美樹っすかね」

 

「あら。鈴音じゃないのね」

 

「鈴音は何というか……、浮世離れしているっていうか……。話していると調子が狂うっていうか……。仙人とか妖精とかそんな類の存在に見えるんすよね。昔からあんな感じなんすか? 」

 

「昔から不思議な子だったわ。私達には見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりしてたし」

 

「霊感でもあるんですかね。とりあえず、まぁ……俺の周囲にはああいうおっとりお嬢様タイプっていませんでしたから、どうも慣れないんすよ。どう接すればいいか分からない」

 

「まぁ、そうなるわよね」

 

 恵美子はため息を吐く。壮助は彼女の妙に納得した反応が気がかりだった。

 

「ちなみに今晩の献立って何すか? 」

 

「日向家特製鍋よ。我が一族が代々受け継いだ秘伝の調味料を使った幻の逸品」

 

「キッチンには市販の調味料しか見当たらないんすけど」

 

「義塔ちゃん。ノリが悪いわね。まぁ、市販の調味料をあれこれ混ぜただけなんだけど、混ぜ方や比率が重要なのよ。今度、時間に余裕があったら壮助ちゃんにも作り方教えてあげる。これで鈴音の胃袋をガッチリ掴みなさい」

 

「いや、別に俺はあいつの胃袋を掴むつもりは無いっすけど……」

 

 そもそも掴む側と掴まれる側が逆ではないだろうかと壮助は考えたが、そこは突っ込まないことにした。

 

 

 

 *

 

 

 

「「「「「「いっただきまーす」」」」」」

 

 

 日向家4人+居候2人が揃い、食卓を囲む。鈴音は食事作法の手本のようにお行儀良く黙々と食べ、対照的に美樹と詩乃は鍋の上で肉の奪い合いを繰り広げている。壮助はその隙を突いて目的の具材を自分の皿に入れ、恵美子は醜い争いを繰り広げる2人にやんわりと喝を入れる。一家団欒の光景がそこに広がり、家に来て一週間ぐらいしか経っていない壮助と詩乃も違和感なく溶け込んでいく。

 壮助の右前に座る勇志は鍋をつまみに晩酌を楽しんでいた。何の酒だろうかと興味本位で目を向けると勇志が手で遠ざける。

 

「飲みたいのか? 駄目だぞ。お酒は大人の飲み物だ~」

 

 もう酔いが回っているのだろうか、勇志は顔が赤くなっており、堅物めいた口調も緩んでふざけているように見える。

 

「君が成人したら、一緒に飲みに行ってやらんでもないぞ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうした~? 壮助。これ飲みたいのか? ほれ。ちょっとだけだぞ』

 

『うぇっ。なにこれにがい』

 

『はっはっは。苦いだろう。お子様にはまだ早い』

 

『おとなになったら、おいしくなるの? 』

 

『ああ。きっと美味しくなるさ。大人になったら、一緒に飲みに行こう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ最近、ずっとこうだ。昔のことを思い出してる。

 俺はまだ小学生のガキで、朝起きたら母さんがご飯を作っていて、父さんは先に食べ終わって仕事に行く準備をしている。学校に行けば友達がいて、先生がいて、放課後はグラウンドで遊んで、家に帰る途中で大角さんに会って、飛鳥に悪口を叩かれる。家に帰ったら母さんがワイドショーを見ながら洗濯物を畳んでいて、夜になると父さんが帰って来て、一緒にご飯を食べる。たまにお酒も飲んでる。

 

 

 もし両親が死んでいなければ……

 

 義搭壮助が民警にならなければ……

 

 それでも森高詩乃と出会っていれば……

 

 そんなIFを日向家で見せられている気分だ。

 

 

 

 

 でも――――――――

 

 

 

 

 

 

あの日、殺した刑事の顔が思い浮かぶ。

 

 

自分の正義を、信念を曲げて、彼がそこまでして何を守ろうとしていたのか思い出す。

 

 

彼がそこまでして守ろうとした人まで殺した日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 ああ……これは間違いだ。何かの間違いなんだ。

 

 俺が、こんな幸せを感じて良い筈がない。

 

 

 そうだろう? 義搭壮助。

 

 

 お前は人殺しなんだ。人殺しはなんだ。

 

 

 

 お前は幸せを感じちゃいけないんだ。

 

 

 

 お前は救われちゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 お前は永遠に地獄の底を這いずり回らなければいけないんだ。

 

 




次回「決断の日」


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決断の日

最悪の不幸とは、幸福を知らないことではない。

最高の幸福を知り、その尽くを奪われることだ。


 護衛任務という名の日向家ホームステイ生活が続いたある日、壮助は電話で空子に呼び出された。役所に提出する書類に壮助のハンコが必要らしく、自宅から持って来いとのことだった。100円ショップで買ってテキトーに済ましてと言いたかったが、「義塔」という名字は珍しく、100円ショップでは見つからなかったらしい。

 日向家に詩乃を残し、壮助は久々に松崎PGSに顔を出した。事務所には事務員の空子、そして出向中のティナがいた。空子は書類に目を向けており、ティナはノートパソコンで何かしらの業務をしている。

 

「悪いわね。ハンコなんかで呼び出して」

 

 ――と言って空子が壮助に書類を渡す。

 

「これどうにかならないのか? 面倒くさいんだけど」

 

「役所に言って頂戴。私だって同じ気持ちなんだから」

 

 ガストレアの出現によって様々な産業が壊滅的ダメージを受けた。その内の一つが林業である。未踏領域に生い茂る木々を見るとむしろ大戦前より資源は豊富になったように思えるが、ガストレアに襲われるというリスクを背負った現代、作業員には民警の護衛をつけることが当たり前となった。木1本切るのに必要な人員が数倍に膨れ上がり人件費が高騰、海外輸入も不可能となったことも重なり、木材や紙の値段も上がっていった。紙の需要を減らすため、聖居も公的書類の電子化や電子書籍の普及に予算を割いているが、聖居の意向とは裏腹に現場では未だに紙でのやりとりが主流となっている。FAXとハンコがオフィスから消えるにはまだまだ時間がかかる。

 

「そういえば、松崎さんと大角さんは? あとヌイ」

 

「社長なら用事があって帰ったわよ。ヌイちゃんはその送り迎え。大角くんは相変わらず調べ物でどこかに行ってるわ」

 

「マジか。もうしばらく大角さんの顔見てねえよ」

 

「別に見なくたって忘れること無いでしょ。あのゴリマッチョ大明神」

 

「それもそうだけどさ」

 

「それより、そっちの調子はどう? 姫君を守る騎士様」

 

「全然だな。鈴之音ほどの有名人ならストーカーの一人や二人居ると思ってたのに被害も無いし、それらしい人間も見つからないし、今じゃ何の為に自分が呼ばれたのか忘れそうになる。アンタの友達が言ってたようにこれって本当に護衛のフリなんだな……」

 

「最初からそう言ってるでしょ」

 

「これ、いつまで続くんだ? 」

 

「それは――」

 

 壮助の質問に空子が答えようとした途端、彼女のスマホに着信が入る。空子が「ごめんね」と言って電話に出る。答えを聞くタイミングをスマホに邪魔された気分だ。

 

「あ。もしもし? 店長? ――――え? 納品業者が事故起こしてお酒が届かない? ――――あ~。確かに望月のおじさんウォッカじゃないと機嫌悪くなりますもんね。こっちの仕事は終わったんで来る前に買ってきますよ。代わりに給料弾んでくださいね」

 

 空子は通話を切り、スマホで時間を確認する。多少遅れても店長は咎めないだろうが、遅刻するのは個人的に嫌だった。

 

「悪いわね。話はまた今度。あ、ティナちゃん。戸締りお願い」

 

 空子はティナに事務所の鍵を投げ渡すとそそくさと出て行った。結局、壮助は答えを貰えず仕舞いだった。

 空子が出て行き、バタンと扉が閉まる。静かになった事務所でカタカタとキーボードを叩く音だけが響く。

 

「室戸先生から貴方へのプレゼントを預かっています」

 

 2人きりになったタイミングでティナが口を開いた。彼女は影に隠れていたアタッシュケースをデスクの上に乗せる。あのマッドサイエンティス・ゾンビドーナツババアからの贈り物と言われ、壮助は咄嗟に鼻を押さえて遠ざかる。麗香に始めて連れられ、救急医療センターで治療された後も壮助は何度か彼女の研究室に足を運んでいるが、毎度、死体がらみの歓迎(嫌がらせ)を受けている。

 

「安心して下さい。中身は無機物ですから。エクステトラの訓練映像――貴方の斥力フィールドの使い方を室戸先生に見せましたら、『ちょうどいい物がある』と言ってこれを渡してくれました」

 

 壮助は警戒しつつ恐る恐るアタッシュケースを開ける。その中身が何か分かると笑みを浮かべる。他人同然だった自分の命を救い、希望を出さずともお誂え向きの武器を用意してくれた日本最高の頭脳の心遣いに心の中で感謝する。

 

「護衛のお仕事、楽しそうですね」

 

 ふとティナが微笑しながら語り掛ける。訓練の時のクールさとは打って変わり、母親のような――壮助が幸せそうにしているのを心から喜んでいるような包容力のある表情を見せる。

 

「何でそう思ったんすか? 」

 

「初めて会った頃より、貴方の表情が柔らかくなってきました。もう少しまともになれば、女の子が放っておかなくなると思いますよ」

 

 壮助は珍しく自分のことを褒めるティナに気色悪さを感じる。あまつさえ何か裏があるのではないかと勘繰りしてしまう。しかし、先日、蔵人に同じことを言われた手前、彼女の素直な評価と受け取らざるを得なかった。

 

「先生も悪ガキの俺より良い子ちゃんの俺の方が好みだったりする? 」

 

「その二択であれば、良い子ちゃんの貴方の方が好みですね。蓮太郎さんを前にすればどちらも虫けら同然ですが」

 

「この蓮太郎至上主義者め」

 

 壮助はシニカルな笑みを浮かべる。

 

「それはそうと、貴方が楽しく仕事している間、こっちで蓮太郎さんの現状ついて調べてみました」

 

「『調べた』ってどうやって? 」

 

「禁則事項です♪」

 

 ティナがウィンクしながら、人差し指を自分の口に当てる。普段のクールな彼女の言動からは考えられない程、あざとくわざとらしい仕草だ。しかし、壮助は「可愛い」とも「美しい」とも思わなかった。それどころか、何故か特訓時代の記憶が呼び起こされ、思考が「恐怖」に上塗りされていく。

 

 義搭壮助にとってティナ・スプラウトとは恐怖であり、恐怖とはティナ・スプラウトのことである。

 

「うわっ。ティナ先生の頭が壊れた。何すかそれ? 」

 

「え? 涼宮ハルヒの憂鬱をご存知ない? 貴方それでも日本人ですか? 」

 

「知らねえッスよ。なにそれ? 昔の漫画? アニメ? 」

 

「えぇ……本気で言ってるんですか……? 」

 

 まさか、壮助がかの有名なライトノベルシリーズを知らないことにティナは脱力する。彼から見れば、ティナの「禁則事項です」は頭のおかしい発言にしか見えなかっただろう。懇親のパロディネタが通じず滑ることほど恥ずかしいものはない。

 ティナは咳払いし、何事も無かったかのように話を進める。

 

「冗談はさておくとして、貴方には話しておきます。私のプロモーターがアメリカの巨大民警産業複合体“サーリッシュ”の会長であるオッティーリア・サーリッシュであることは以前話したと思います」

 

「なんか大物過ぎて、今でも現実感が全然無いんすけどね」

 

「現実感があっても無くても信じて下さい。今となっては余所者の私が聖居内部の情報を仕入れられるのは彼女のお陰なんですから」

 

 ファーストコンタクトは最悪だったものの、蓮太郎達と共に数々の功績を挙げて東京エリアの存続に助力し、聖天子が直々に会いに行くほどの関係を持ったティナでも聖居内部に探りを入れ、情報を得るのは難しいらしい。機密情報を扱う機関としては正しいが、かつてのイニシエーターに情報を開示しない聖居の対応に壮助は秘密主義や冷たさを感じる。

 

「で、どうやって情報を仕入れて来たんすか? 」

 

「オッティさんのコネです。仕事柄、アメリカの中央情報局(CIA)には“貸し”がありますのでそこの人脈を使わせて貰いました」

 

 映画でしか聞いたことが無い組織の名前が出て来たことに壮助は唖然とする。ティナのIP序列やこれまでの功績からそれが見栄や嘘ということは無いだろう。自分が知らない間に事が大きくなっていくことに一抹の不安を感じる。同時に相変わらずスパイに弱い自国の現状に辟易する。

 

「で、何か情報はあったんすか? 」

 

「ええ。それはもう色々と。まず蓮太郎さんの居場所ですが、貴方が面会した施設に彼はもういません。警備に当たっていた警察と自衛隊も撤退。施設そのものが放棄されています」

 

「どういうことだよ? 移送されたってことか? どこに? 」

 

 

 

「聖居です」

 

 

 

 あまりにも予想外過ぎる回答に壮助は愕然とする。周囲の音が聞こえなくなり、時間が止まったように錯覚する。

 ティナの回答を頭の中で整理する。「蓮太郎が聖居に移送された」この一文だけで既に混乱する。聖居は東京エリアの政治中枢であると同時に聖天子の住まいでもある。東京エリアにガストレアをけしかけて数百億円規模の経済損失を生み出し、聖居への直接攻撃も画策したテロリストを自分と同じ屋根の下に置く聖天子の意図が分からない。肝が据わっているというレベルではない。仮に聖天子が許可したとしても警察や自衛隊がその状態を容認するとは思えない。

 

「現在、里見事件の捜査権は聖室護衛隊が握っています。自衛隊も公安警察も捜査から締め出され、これまでの捜査資料も全て接収されたそうです」

 

「おいおい。メチャクチャ過ぎるだろ」

 

 あまりの事態に壮助は敬語が崩れる。

 

「私も驚きました。確かに聖天子様はこの国のトップですし、最近は強権的な手段を取る面も出てきました。ですが、これほどの超法規的措置を政治中枢で罷り通らせるとは……。この状況は聖天子様の独断だけではなく、おそらく閣僚や議会も黙認している状態だと思います。CIAからの情報では聖居にいくつかの家具、男性用の衣服や生活用品が持ち込まれたともあります。少なくともそこで生活させる気のようです」

 

 ティナがCIA経由で手に入れた情報はこれで以上だった。CIAもその先のことは知らないのか、それとも今までの貸しでも教えられるのはここまでということだろう。サーリッシュとの関係悪化は向こうも望んではおらず、この情報が嘘ということは無いだろう。

 

「そんなことして、聖居は何が目的なんすか? 一つ屋根の下で国家元首とテロリストの許されざるラブラブチュッチュ生活でもするんすか? 」

 

 

 

ドンッ! !

 

 

 

 ティナがオフィスデスクを叩いた。その衝撃でノートパソコンとマグカップが浮き上がる。

 

「もしそうなったら、今度は私が東京エリアを滅ぼす番です。マザードローンが復旧したら、数千機のソルジャードローンを引き連れ、無差別飽和攻撃形態(ハルマゲドンモード)で皆殺しです。私はお兄さんのように生易しくないですからね。聖居前広場が聖天子様の処刑場になる日を楽しみにしていて下さい」

 

 あまりにも顔が真剣過ぎて、彼女なら本当にやりかねないと思った。

 

「というアメリカンジョークは置いといて」

 

 ――今のは絶対ジョークって顔じゃねえよ。ガチだったよ。

 

「昔の蓮太郎さんに戻って欲しいと思っているのは聖天子様も同じだと思います。ただ、それ以外に何かしらの意図があると感じるんです。それがとても恐ろしいことなんじゃないかと、何となくそう思ってしまうんです」

 

 ティナは目を伏せ、どこかアンニュイな表情で物思いにふける。こうして見ると彼女もまだ16歳の少女だと思い知らされる。

 

「当面の目的はそこっすね」

 

「え? 」

 

「先生の言う通り、聖天子は何か恐ろしいことに利用しようとしているかもしれないし、もしかするとそれは杞憂かもしれない。どちらにせよ主導権は向こうが握っているんだ。俺達が里見の為に国家反逆者になる覚悟でも決めない限りそれは変わらない。だったら、今できるのは聖天子を見極めることだ。目的が俺達と同じなのか、それとも違うのか。もし違う目的があったとして、それは止めるべきなのか否か」

 

 あまりにも消極的な目的だったが、ティナはそれにコクリと頷いた。

 蓮太郎を「昔のように戻す」と言っている2人だが、どうやって戻すのか、彼をどうすることが最終目標なのか、具体的なプランは出せていない。「今の状況は良くない」という認識だけが2人を繋ぎ止め、動かしている。

 今の蓮太郎の立場はテロリストだ。拘束され、収容されて然るべき立場にあり、裁判にかけられれば死刑か終身刑になるのは確実な立場だ。憎しみだけで突き進み、既に後戻りできないところまで走り抜けてしまった彼に法の裁き以外の道を示そうとするなら、東京エリアの法そのものと敵対しなければならない。今の2人にそこまでの覚悟は無い。蓮太郎のためにそれ以外の全てを投げ捨てられるほど、“それ以外の全て”は軽くは無く、仮に投げ捨てたとしても蓮太郎本人の意思が伴わなければ意味が無い。

 法の壁、心の壁は今でも大きく立ちはだかっている。

 

「聖天子様を見極めるとして、どうするつもりですか? 事が起きるまでずっと外から指を咥えて聖居を眺めているつもりもないでしょう? 」

 

 ティナは壮助がそこで終わる人間では無いと思っていた。ただ機械化兵士の力を手に入れたヤンキー民警だと思っていた彼にいつの間にか期待している。

 

「聖天子を動かす情報が欲しい。蓮太郎が俺と面会するために自分の背後の組織の情報を使って聖天子を動かしたように、今度は俺達がネタを手に入れて聖天子を動かす」

 

「そうなりますと、里見事件で蓮太郎さんに協力した組織の情報ですか。CIA経由でどこまで情報が掴めるか分からないですね」

 

「いや、それだと駄目っすね。あいつが提供したネタと被る可能性があるし、向こうもそれを元に調査を進めているとしたら、情報の価値が保証できない」

 

「だったら、どうするつもりですか? 」

 

「聖天子にとって不都合な情報、スキャンダルっすよ」

 

 壮助が悪辣な笑みを浮かべる。日向家の生活で真っ当な人間になっていた彼の表情は崩れ去り、その所作はスクリーンの向こう側に映る悪党のようだった。

 

「そう簡単にいきますかね。彼女は身持ちが堅いですから」

 

「別に聖天子本人じゃなくても良いっすよ。閣僚でも良いし、補佐官でもいいし、かつて後ろ盾だった天童家でもいい。誰にだって汚点はある。ティナ先生。清廉潔白ほど現実に存在しない言葉は無いんすよ」

 

 なんて悲しい言葉を吐くのだろうかとティナは壮助を憐れむが、かつて暗殺者だった自分に否定出来る材料など無く、何も言い返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ティナと話し終え、壮助が日向家に帰ったのは夜7時のことだった。大学の用事で帰りが遅い勇志を除き、5人が食卓を囲む。その後は寝る時間までリビングでテレビやゲームをして時間を潰し、夜11時にはそれぞれの部屋に行き、布団に潜った。

 壮助と詩乃は少し間を空けて布団を敷いており、2人で日向家の和室の天井を眺める。これが当然の光景となって何日が経っただろうか、布団と自分達の荷物と掛け軸しかない部屋だがもう何年も使っている様な気分になる。

 

「そういえば、今日は3人で何してたんだ? 」

 

「プールに行ってた」

 

 詩乃の一言で壮助は3人の水着姿を思い浮かべる。以前、ショッピングモールに買いに行ったあの水着を着たのだろう。どうして自分が居ない間にこの世の天国みたいなイベントが発生したんだと運命を呪うが、自分が居ない間だからこそプールに遊びに行くという選択が出来たのだろうと冷静に考える。

 

「楽しかったか? 」

 

「うん。焼きそば美味しかった」

 

「お前、食い物のことばっかだな。それ以外の感想は無いのかよ」

 

「鈴音が流れるプールに流されて一回行方不明になった」

 

「なんだそれ」

 

「あとウォータースライダーで勢いが付き過ぎて鈴音と美樹の水着が吹っ飛んだ」

 

「ちょっとそこのところ詳しく」

 

「教えてあげない」

 

「何だよ。ケチ」

 

「壮助には私がいるから十分でしょ」

 

「あのな。詩乃、いくらカレーが大好きだからって1日3食ずっとカレー食ってたら、たまにはラーメンや寿司が食べたくなるだろ」

 

「その話って、私がカレーってことだよね? 」

 

「……」

 

「私のこと大好きなんだ」

 

「ぐーぐー」

 

「寝た振りしても無駄だよ。壮助が本当に寝ている時の呼吸は覚えてるから」

 

「何その無駄な記憶力。キモい」

 

「ほら。起きてた」

 

「チッ……」

 

 壮助が舌打ちすると、何かツボに入ったのか詩乃が口から「ふふっ」と笑い声を漏らし、彼女を包む布団が小刻みに揺れる。しばらくすると布団の揺れが無くなり、彼女の深呼吸する音が聞こえた。

 

「壮助。家族って楽しいね」

 

「どこの家もこうって訳じゃねえけどな。まぁ、でも、楽しいのは否定しないよ」

 

 壮助は詩乃の生い立ちについて本人から「物心ついた頃には孤児だった。両親の顔も名前も知らない」と聞かされている。“家族”というものを知らない彼女にとって、日向家で過ごした日々はいい経験になったと感じる。

 壮助は苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、スマホ画面を指で叩いて行く。

 詩乃は画面の明かりを鬱陶しく思いながらも壮助は何をしているんだろうと気にかける。しかし、画面をのぞき込む前に彼女のスマホに通知が入った。目の前にいる壮助からのメッセージが届いていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そうすけ

< 計画通り、あの手を使う。この仕事、明日で終わりにする 23:20

 

 そうすけ

< 心の準備しておいてくれ 23:21

分かった。 >

既読 23:23

 

 そうすけ

< お別れの準備は出来てるか? 23:25

どうして? >

既読 23:25

 そうすけ

< この家で暮らすのも明日で最後になるんだぞ 23:26

うん。 >

既読 23:26

 

それは分かってる。>

既読 23:27

 

けど、お別れじゃないよね >

既読 23:38

 そうすけ

< どういう意味だ?

 

確かにここの生活は楽しいよ。 >

美樹は一緒遊んでくれて楽しいし、

      鈴音は凄く優しいし、

恵美子おばさんのご飯は美味しいし、

勇志おじさんの話はいつも面白い。

それが毎日出来なくなるのは寂しいけど、

もう二度と会えない訳じゃない。

 既読 23:35

 

確かにウチからちょっと遠いけど、 >

みんなと連絡先交換したから、

会おうと思えば友達として会える。

もし私が瑛海大学に進学すれば、

生徒として勇志おじさんにも会える。

 

離れ離れになるけど、別れじゃない。

 

 既読 23:42

 

 

 そうすけ

< ああ。そうだったな 23:45

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 壮助はスマホの画面を伏せると掛布団を引っ張り、頭まで覆う。

 

 ――依頼人と請負人。ビジネスの関係。そこに感情なんて無い。仕事が滞らないようにそう演技しているだけ。……多分、そう思っているのは俺だけだ。鈴音も美樹も恵美子おばさんも勇志おじさんも、あの人達の優しさは嘘じゃない。

 

 多分、怖いんだ。

 

 ここの生活に慣れてしまったら……

 

 俺はもうクソガキチンピラ民警じゃいられなくなる。

 

 もう銃を撃てなくなるかもしれない。

 

 引き金を引くことに躊躇いが出るかもしれない。

 

 人を撃てなくなるかもしれない。

 

 もしかしたら、暴力を振るうことすら出来なくなるかもしれない。

 

 こんな温かい生活を知ってしまったら、俺にはもう何も残らない。

 

 暴力装置でなくなった義搭壮助に価値なんて無い。

 

 

 

 

 

 畜生……幸せなんて知りたくなかった。知らないままでいたかった。

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 詩乃

< 壮助 0:05

 

 詩乃

< どんな選択でも私は否定しない。 0:06

 

 詩乃

< 壮助の選択と、その先の結果を嘘にしない為に

 私はやるべきことをやるだけだから。   0:08

 

 詩乃

< ただ、これだけは覚えていて。

 

 

 行き着く先が地獄でも私の居場所は壮助の隣だから。 0:12

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 




頑張ってLINE風にしてみたけど、みんな分かっただろうか……



次回 「スズネと鈴音と鈴之音」 前編


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スズネと鈴音と鈴之音 前編

 護衛(のフリ)任務開始から15日。日向家のリビング、テレビの前のリビングテーブルの上に鈴音のスマホが置かれ、持ち主の鈴音が正座して連絡を待ちわびていた。緊張する面持ちの彼女を後ろから昼食の皿洗いをする壮助と恵美子が見守る。

 鈴音のスマホが初期設定の着信音を流しながら振動する。画面の発信者には「積木プロデューサー」と表示されており、心臓が跳ね上がりそうになりながら鈴音は通話に出る。

 

「はい。日向です」

 

 普段通りのおっとりとした雰囲気を装って応対したが、数秒後に鈴音の表情が凍り付いた。

 

 

 

 

 

「――――――え? 全部ボツ? 」

 

『うん。ピンとくるものが無いんだよねぇ。君の復帰作になるんだ。もっとインパクトのあるものが欲しい。これじゃあ、いつもの鈴之音だ』

 

「え? だって、前はいつもの感じにして『鈴之音が戻って来た』って安心させようって」

 

『それじゃあ、頑張ってね。そんなに焦らなくていいから』

 

 特にアドバイスも無く、“頑張って”という無責任な言葉を投げかけられて通話は切られた。

 

「はぁ~。もう無理」

 

 鈴音はテーブルにスマホを放り投げるとテーブルに突っ伏した。

 

「プロデューサーのおっちゃん。何だって? 」

 

「全部ボツ。『いつも鈴之音だ。もっとインパクトのあるものにしよう』って」

 

 天使の歌声、聞く精神安定剤、透き通るソプラノボイスが魅力の清純派ヒーリングアーティストに求めるものとして如何なものだろうかと壮助は考えるが、数々の名アーティストをプロデュースしてきた彼の頭には、素人の自分では分からない意図(プラン)があるのだろうと心の中で納得させる。

 

「インパクトねぇ……。義塔ちゃん。何か無い? 」

 

「え? 俺に振るんすか? 」

 

「だっておばさん歌謡曲ぐらいしか分からないもの」

 

 音楽とは無縁の職業に就いている素人の自分にアイディア出しを振られるとは思っていなかった。壮助は少し戸惑いながらもポンと頭の上に電球が浮かび上がる。

 

「えーっと、じゃあ……ラップとか? 」

 

 ぽかんとする2人を前に壮助は手を口に当てて、素人にしては上手いレベルのボイスパーカッションを披露する。

 

 

ドゥビドゥビドゥビドゥ

 

 

鈴之音新曲 Pちゃん全ボツ お前の作曲 壁に激突

 

競争激しい音楽業界 このまま行けると思ってないかい?

 

みんな待ってる鈴之音。来るのね? でもいつも通りじゃ飽きが来るのね

 

持ってる感情 吐き出せ解放 鈴音の新曲ラップでSAIYO(採用)! !

 

 

 スプーンをマイクに見立て、全身を躍らせながら即興ラップを披露する壮助。素人とは思えないリズム感、音楽とは無縁と思っていた彼から発揮される才能とパフォーマンスに鈴音と恵美子が釘付けになる。

 

「どうして義塔さんってそういう変なところで無駄なスキル発揮しちゃうんですか? 」

 

「無駄じゃねえ。生きるための手段だよ。赤目ギャングにはラップ好きがそこそこいるからな。これでご機嫌を取って何度か命拾いした。芸は身を助けるって言うだろ? 」

 

 一説によるとガストレア大戦時に帰国しなかった元在日米軍兵士の黒人ラッパーが外周区のボランティア活動のついでにラップを布教していったと言われている。

 

「生きるための手段……ですか」

 

「どうかしたのか? 」

 

「いえ。何でもないです。ごめんなさい。あまり気にしないでください」

 

 鈴音は儚い笑顔を見せて誤魔化す。「気にしないでください」という言葉が、自分への心遣いではなく、自分に掘り下げられたくない気持ちが今の言葉の中にあったのだと壮助は感じた。

 

「ただいま~」

 

 恵美子に買い物をお願いされていた美樹が帰って来た。片手に提げたエコバッグからは牛乳パックやじゃがいも、にんじん、牛肉のトレーがはみ出しており、今日の晩御飯のメニューが推測できる。

 美樹は恵美子にバッグを渡すと冷蔵庫からカップアイスを取り出し、スプーンで頬張りながらソファーに座った。リビングの端々を一瞥すると彼女の視線は壮助に向けられる。

 

「あれ? 義塔の兄ちゃん。詩乃ちゃんは? 」

 

「あいつなら病院行ってる」

 

「え!? 何!? どっか悪いの!? 」

 

 美樹がソファーから乗り出し壮助に詰め寄る。前屈みになり、胸元が緩んだトップスの隙間から谷間が見える。壮助は悟られないようにそっと視線を逸らす。

 

「心配するな。定期的なメディカルチェックだよ。イニシエーターはガストレア相手に戦っている分、その辺は注意しないといけないからな」

 

「な~んだ。ビックリした」

 

 美樹は安心して再びソファーに腰を落とす。テレビをつけてテキトーにチャンネルを回し、なんとなく見覚えのあるバラエティ番組の再放送に固定する。

 

「そういえば新曲どうだった? 積木のおっちゃん何か言ってた? 」

 

「全部ボツ……」

 

 ショックが大きかったのか、2人に背を向けて体育座りをする鈴音はボソリと呟いた。

 美樹は驚きのあまり「マジで」と言いながらアイスの乗ったスプーンを落としそうになり、慌てて頬張る。

 

「インパクトが足りないって……」

 

「癒し系の姉ちゃんにインパクトって無茶振りだよね」

 

「だから次はHIP-HOPにしようぜって話になってるんだけどな」

 

「え? マジで? 姉ちゃん帽子を斜めに被ってオーバーサイズのシャツを着てYOYOチェケラとか言っちゃうの? なにそれ忘年会の一発芸? 」

 

「いや、まだやると決まった訳じゃ……」

 

「まだって、やるつもりあるんだ」

 

「ええっと……その……ちょっと興味はあるかな」

 

 まず形から入れようと美樹はスマホでB系ファッションサイトを開き、鈴音に「これなんかどう? 」といくつかのコーデを薦める。仕事もプライベートもフェミニン系コーデで統一している鈴音は難色を示すが、美樹はロック系やセクシー系も画面に出して着せ替え人形のように画面上で鈴音のコーデを決めていく。

 姉妹の普段の会話が続く中、壮助のポケットの中に入っていたスマホが振動し、レーダーのような音を流す。何かのアラームだろうか、危険信号のようにも聞こえて楽し気に会話していた姉妹が壮助の方を向いた。

 

「楽しくお話してるところ悪いんだが、重要なお知らせだ」

 

「どうしたの? いきなり」

 

 

 

 

 

「馬鹿なストーカー野郎が引っ掛かった」

 

 

 

 壮助は立ち上がると一目散に玄関に向かって走り出した。突然の行動、素早い身のこなしに驚き3人の身が固まる。はっと気が付いた時には壮助は玄関扉を大きく開けて外に飛び出していた。

 

「え? ちょっと待ってください!!義塔さん!!」

 

「え!? 何々!? どういうこと!? 」

 

 訳が分からず鈴音、美樹、恵美子は壮助に続いて玄関へ向かう。開けっ放しの玄関扉、燦燦と照らされる外の光景から一人の男が飛び出して来た。

 無精ひげに太った体型、野暮ったいTシャツにカーゴパンツ姿の男だった。既に壮助に何発か殴られたのか瞼は腫れあがっており、鼻からは血を流している。彼は手をついて立ち上がろうとするが外から戻り、閉じ込めるように扉を閉めた壮助が男を足蹴りして踏みつける。

 

 

「オラアアアアアアアアアアアアアアア! ! ! ! 観念しろ! ! このストーカークソ野郎! ! 今日こそはぶっ殺してやらぁ! ! 」

 

「ち、違う! ! 僕は――――――ぎゃっ! ! 」

 

 壮助は男の頭をサッカーボールのように頭を蹴り飛ばし、玄関脇のにあった傘立てから傘を引き抜き、U字になっている取っ手を首に引っ掛けて喉仏を潰す。

 

「ネタはもう上がってんだよ。半月も人を待たせやがって」

 

 壮助は男の顔面を踏んで抑えたまま、ウェストバッグに偽装したホルスターからタウルス・レイジングブルを抜き出す。シリンダーをスライドさせて別のポケットに入れていた弾丸を装填し、銃口を男の頭に向ける。引き金に指がかかっているのはこれが脅しではなく本当に殺そうとしていることの証左だった。

 

「サツに突き出してもどうせすぐシャバに出て来るからな。サクッと殺して死体はガストレアの餌にでもしてやるよ」

 

 壮助が男の頭を蹴り、傘で喉を潰し、弾丸を装填して銃口を向ける。あまりにも綺麗な流れで自然な動きだった。殺そうとする意気込みや覚悟すら感じない。炊事や掃除がそうであるように義搭壮助にとって暴力や殺害はわざわざ意気込む必要のない日常的な行動なのだと感じさせられる。

 

一緒にキッチンに立って料理をした少年が、

一緒にご飯を食べて笑い合った少年が、

一緒にリビングでゲームをした少年が、

買い物で率先して荷物持ちをしてくれた少年が、

 

今はその手で人を殴り、その足で蹴り、その指で引き金を引こうとしている。この家で平和に過ごした彼と人を殺そうとしている彼が一つの身体の中に存在している。そのことに3人は驚きを隠せず、その気迫から足がすくみ、声が飲み込まれる。

 

「ま、待って下さい! ! 」

 

 

 

 

 家の中に響くソプラノの声で壮助の指が引き金から離れる。

 

 

 

 

 

「ストーカーなんていません! ! 全部……。全部、私の嘘なんです! ! だから、その人を離して下さい! ! 」

 

 

 

 

 

 今にも泣き出しそうな顔で、張り裂けそうな声で鈴音は懇願する。仮面のように柔らかい笑顔が貼り付いていた彼女の顔から焦りが見える。壮助は本当の日向鈴音を初めて見たような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「はい。お疲れ様」

 

 

 壮助はさっきまで殺意を向けていた男に優しく語りかけると彼の手を引っ張って立ち上がらせる。監督がカットと言い放った後の映画のメイキング映像のように唐突に変わる2人の態度に日向一家は困惑する。

 

「悪いな。ちょっと強くやっちまったけど、喉大丈夫か? 」

 

「いえいえ。全然大丈夫ですよ。身体の丈夫さだけは取り柄ですから」

 

「はい。これ報酬」

 

「まいどー」

 

 壮助が懐から茶封筒を渡すと、受け取った男が茶封筒の中身を確認する。数枚の1万円札が入っており、「ひーふーみー」と慎重に数える。

 

「あの、優雅小路さんが言ってた額より多いんですけど」

 

「俺からの口止め料だよ。この仕事や見聞きしたもの少しでも話したら次は演技じゃねえからな」

 

「大丈夫ですよ。信頼と実績のサクラ屋ですから。ではまた御贔屓に」

 

 さっきまで殴られていた男はにこやかに笑顔を浮かべると自分が倒れたせいで乱れた玄関の靴の並びや倒れた靴箱の上の写真立てを立て直し、ペコペコと頭を下げながら退散していった。

 

「さて。どういう了見か説明して貰おうじゃねえか」

 

 ギラつく眼孔、久々に見た悪人顔と共に弾丸の込められたタウルス・レイジングブルが鈍く光った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 勾田大学病院の旧病棟4階、そこが森高詩乃の行先だった。

 定期的なメディカルチェックのために日向家を離れた彼女だったが、行先はいつもの市民病院ではなかった。壮助から「勾田大学病院に行って室戸先生に診て貰え」と言われ、その指示に従ったからだ。勾田大学病院に行くのは初めてだが、室戸菫女史とは壮助が入院していた救急医療センターで何度か顔を合わせている。自分の大切な人を救った恩人であり、いつかはお礼を言いたいと思っていたので良い機会だった。

 広いキャンパスとパンツを被せられた銅像、資材置き場やサークル棟として混沌としている旧病棟、エレベーターで4階のボタンを押すと表情が戦慄する学生たち、どこかヘンテコな勾田大学病院の空気を感じながら、詩乃は目的のフロアに辿り着いた。

 まるでお化け屋敷のように薄暗い部屋の中、微かに発光する蛍光灯の下で部屋の主、室戸菫が出迎えてくれる。

 生気の無い顔と不健康な青白い肌、伸び放題の髪とその隙間から見えるクマの深い目元、白衣を着た姿は、薄暗い部屋や巨大冷凍庫、謎の物体のホルマリン漬けが並べられた棚という背景も相まって、狂気の天才という印象を受ける。

 

「よく来てくれたね。詩乃ちゃん。君とは一度、こうして二人っきりで話をしたかった」

 

「いえ、私も壮助を助けて貰ったお礼を言いたかったので、丁度良かったです」

 

 菫は椅子から立ち上がり、手を伸ばして詩乃と握手する。

 

「そんなに気にする必要はない。昔、私が助けてしまった馬鹿が君の相棒に迷惑をかけたからね。その尻拭いをしたまでだ」

 

「それでもお礼は言わせてください。本当にありがとうございました」

 

 詩乃は深々とお辞儀をする。

 

「君は本当に良い子だな。あの狂犬ヤンキーには勿体ないし、

 

 

 

 

 地獄の欧州戦線 最狂の生体兵器“白鯨(モビーディック)”とは思えないね」

 

 菫の言葉を聞いた途端、詩乃の瞳孔が開いた。お辞儀をして前傾になっていた姿勢をそのまま前に落とし、逆立ちして菫の首に足を絡める。腹筋を収縮させて上半身を持ち上げ、下半身をねじって菫を顔面から床に叩きつける。

 

「それを私の前で喋ってどうするつもり? 壮助には喋ったの? 」

 

 詩乃は太腿で菫の首を絞める。苦しみながらも辛うじて呼吸ができ、言葉を発することが出来る絶妙な力加減を入れる。

 

「彼には話してない。このことを知っているのも調査を依頼した馬鹿と私だけだ……。君に話したのは、君の身体の問題を解決する上で必要なことだったからだ」

 

 詩乃は足に入れた力を緩める。少なくとも菫は白鯨の情報を脅しに使うつもりは無い。それで自分や壮助を利用するような短絡な人間ではない。それが分かれば、彼女を絞め殺す理由は無くなる。

 詩乃は足を開いて菫を解放する。菫は首を手で労りながら立ち上がる。器官に一気に酸素が入り込み、むせて咳をする。

 

「君の身体の事情は義塔から聞いている。異常な食欲と過度な睡眠時間、空港の戦い、白鯨の情報……。私の推測が正しければ、今の君はエネルギーの供給が消費に追い付いていない状態だ。多量の食事と長い睡眠で誤魔化しているが、それでは根本的な解決にはならない。このままだと()()()()()()()()()()()()

 

 菫の口から詩乃の余命が宣告される。しかし、詩乃は驚いたり、悲しんだりする様子は無い。静かにその事実を受け止めている。

 

「どうやら心当たりはあるみたいだな。君は日を追う毎に倦怠感と空腹感が増している。力だってヨーロッパに居た頃と比べればかなり落ちている筈だ。私なら、その問題を解決することが出来るかもしれない」

 

『Bravo, vous connaissiez la réponse correcte. Sumire Muroto.』

(ブラボー。よくその正解まで辿り着いたね。室戸菫)

 

 詩乃は突然、流暢なフランス語で菫に話しかける。義搭壮助のちょっと強いイニシエーター“森高詩乃”ではなく、欧州連合軍“最狂”の生体兵器“白鯨(モビーディック)”として賛辞を送る。

 

『衰弱死までは想像してなかったから、ちょっと驚いたけど』

 

『答えを聞かせて欲しい。私の提案を受けるか否か』――と菫は詩乃に合わせてフランス語で返す。

 

『勿論。受けるよ。断る理由もないし。死にたくないし。ちなみに一つ訊いて良いかな? 』

 

『幾らでも構わない』

 

『どうして、私を助けようとするの? 』

 

『医者だから……というのは理由にならないか』

 

 菫の回答に詩乃は黙ったまま視線を向ける。呪われた子供の赤い目を輝かせ、「全て白状しろ」と言わんばかりに圧をかける。一対一で里見蓮太郎を仕留め、地獄の欧州戦線では“最狂”と恐れられた彼女の視線を前に飄々とした菫も冷や汗を流す。

 

『分かった。素直に白状する。君の細胞を調べさせて欲しい。君の治療だけでなく、それ以外の目的の為にも――』

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 夕方5時の日向家は静まり返っていた。恵美子は一人静かにリビングで寛ぎ、テレビ画面に目を向ける。映し出されているのは過去にデジカメで撮影した映像だ。この家で撮影した何気ない生活、恥ずかしがる鈴音、手でレンズを塞ぐ美樹、マスコミに囲まれながら高校の入学式を迎える鈴音、中学の運動会でトップを独走する美樹、鈴音が歌で新人賞を取った日のお祝い、つい最近のことでも懐かしく感じてしまう。

 玄関扉が開く音がした。聞き慣れた「ただいま」という声と共に勇志が帰って来る。ただでさえ暑い夏の中、走って帰って来た彼は息を切らし、ワイシャツは汗でぴったりと肌に貼り付いていた。彼の熱気で眼鏡も曇っている。

 

「あら。おかえりなさい。早かったのね」

 

「はぁ……はぁ……あんなメールを寄越されて帰らない訳ないだろ。……それで、本当なんだな。彼に全部バレたってのは」

 

「ええ。全部って訳じゃないけど、プロ顔負けの名演技でみんな騙されたわ」

 

「それで……鈴音たちはどこに行ったんだ? 」

 

「例の場所よ。そこに連れて行って、全部話すみたい。美樹も一緒よ」

 

「そうか……」

 

 勇志はカバンを置くとソファーに腰を落とした。がっくりと項垂れ、神に祈るかのように頭の上で手を組む。

 

「心配しても仕方ないわよ。鈴音と美樹が決めたことだし、私達は応援するしかないわ。それに義塔ちゃんなら大丈夫でしょ。ああ見えて良い子だし、口も堅いわよ」

 

 項垂れていた有志が顔を上げ、恵美子を見つめる。

 

「お前は随分と義塔くんのことを信用するんだな。そういえば、出会った頃に君がお熱だったアイドルに似てるなぁ」

 

「冷やかさないの。そういう貴方こそ詩乃ちゃんにゾッコンだったじゃない。もしかして、ああいうタイプの子が好みだった? 悪いわね。デブでブスで頭の悪いコメディエンヌな奥さんで」

 

「そういうつもりじゃないさ。あの子は本当に凄いんだ。イニシエーターなんか危険なことやらせていい子じゃない。どこで教育を受けたか分からないが、とにかく集中力と吸収力が凄いんだ。キャンベル生物学を渡したら3日で全部読んで内容も全部理解したし、最新の論文も英語のまま読んでその場で反論している。ちゃんと学校に行かせて――いや、飛び級させてウチの大学に入れて、私の研究室に引き入れる。本気だぞ。ついでに義塔くんもだ。彼も馬鹿じゃない。ただ教育を受ける機会が無かっただけだ」

 

「大袈裟ねぇ。そんなに愛着が湧いたなら2人まとめて養子に迎えればいいじゃない。()()()()()()()()()

 

 恵美子に言われて勇志は硬直する。その瞬間、顔がはっとし、手をポンと叩く。

 

「成程。それは名案だ。そうすれば2人とも民警をやる理由がなくなる。俺達が養うからな。そうだ。それで行こう。恵美子。養子縁組の書類はどこだ? 」

 

「ちょっと落ち着いて。本気で義塔ちゃんと鈴音を兄妹にするつもり? もし鈴音がほの字だったら一生恨まれるわよ」

 

 恵美子の言葉で勇志がカチンと凍り付いた。

 

「鈴音が? それは本当なのか! ! どうなんだ! ? 」

 

「いや、何となく。何となくよ。ほら。昔の映画とかドラマであったじゃない。お嬢様とボディガードが吊り橋効果で胸キュンな展開を繰り広げて最終的に結ばれる話が」

 

「もしそうだったら許さん! ! 中学二年の頃に学んだ天上天下無双流・唯我独尊曼荼羅斬で頭をかち割ってやるぅぅぅぅぅ! ! 」

 

 腸が煮え滾った勇志はカバンの中から折り畳み傘を取り出し、刀のように構える。

 

 そんな勇志をなだめながら、恵美子は例の場所へ向かう鈴音と美樹にエールを送った。

 

 

 ――さて、最後の正念場よ。鈴音。頑張りなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「付いて来て下さい。そこで貴方に全てを話します」

 

 目的地がどこか途中で聞く気にはなれなかった。覚悟を決めた鈴音の面持ちはあまりにも真剣で声をかけられなかった。いつも自信満々で勝気だった美樹は逆に不安そうな顔を浮かべ、何度も鈴音に「本当に全部話すの? 」と尋ねるが鈴音は「うん」とだけ返事する。

 そう鈴音に言われて、壮助は彼女の後について行った。自宅からバス停まで歩き、バスで駅まで、そこから更に電車で20分、降りた駅は東京エリア西側の市街地だった。

 駅と隣接するショッピングモール、それを繋ぐ歩道橋を歩いていく。夏休み期間中だということもあり人の往来は激しい。数多くの人の姿や声が鈴音たちの姿をその他大勢の中に溶け込ませる。変装していることもあって、誰も人気アーティスト「鈴之音」がそこに居る事に気付いていない。

 鈴音は歩道橋の真ん中で立ち止まった。そこには何も無い。ベンチも無ければちょっとしたモニュメントも無い。何の変哲もない道の途中だが、鈴音はそこで壮助には見えない何かをじっと見つめていた。

 鈴音は深呼吸すると何かを決心し、口を開いた。

 

 

 

 

「6年前、ここに物乞いの少女がいました。

 

 

 

 溶かした鉛で目を潰した彼女は

 

 『わたしは がいしゅうくの のろわれたこどもです』と書いたダンボールを持って、

 

 妹にご飯を買ってあげるために、ここで歌を歌っていました。

 

 小銭を入れてくれる人がいました。

 

 空き缶のプルタブで騙す人もいました。

 

 呪われた子供を嫌う人達から殴られたり、蹴られたりもしました。

 

 悪い人に攫われそうになったこともありました。

 

 でも法律が変わって、彼女達を救おうとする人たちも出てきました。

 

 その中で運良く、物乞いの少女は妹と一緒にボランティアに保護されました。

 

 お風呂に入れてもらいました。

 

 綺麗な服を着せてもらいました。

 

 温かいご飯を食べさせてもらいました。

 

 ふかふかの布団で寝かせてもらいました。

 

 見えなくなっていた目も治してもらいました。

 

 

 その後、姉妹は一緒に里親に引き取られ、

 

 そこで普通の人間として幸せに暮らしました。

 

 

 

 

 

 

 

 日向(ひなた)鈴音(すずね) 日向(ひなた)美樹(みき)という新しい名前を与えられて――――」

 

 

 

 日没で暗くなる世界、その中で姉妹の目は赤く輝き始める。

 

 

 

「義塔さん。私達は、呪われた子供です」

 




語られる“盲目の少女”のその後


次回 スズネと鈴音と鈴之音 中編


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スズネと鈴音と鈴之音 中編①

突発的にヒプノシスマイクの影響でラップにハマったものの、歌詞を考えるだけで休日を丸一日費やしたジェイソン13です(前回一番時間がかかったのがそこです)。
あんなのを即興でたくさん考えるラッパーって凄いなぁって思いました。

本作の前日談であり、同時に原作・アニメでも登場した“あの少女”の後日談です。
まだまだ長い第二章の前置きですが、お付き合いください。



 鉛で眼球が蒸発する痛みは今でも覚えています。

 

 痛かったです。

 

 泣きたかったです。

 

 でも赤い目(こんなもの)が潰れるなら……

 

 お母さんが笑ってくれるなら、そう思うことで耐えることが出来ました。

 

 私が二度とお母さんの笑顔を見られなくても、ミキには見せてあげたかった。

 

 けど、お母さんが私達に笑いかけることは二度とありませんでした。

 

「病院に連れて行く」とかそんな理由だったと思います。お母さんは私達を車に乗せて、どこか遠いところへ向かいました。

 母さんは何も話さず、ただ黙ったまま運転していました。何かを察したのかミキは不安になって私にしがみつきました。今にも泣き出しそうな吐息の音が聞こえたのを今でも覚えています。

 車の走行音、外で振る雨の音、タイヤに踏まれた砂利の音、それだけでもう行先が病院じゃないことは分かりました。

 車でどこか遠いところに連れられて、そこで私達は車から放り出されました。

 

「私の前から消えろ。バケモノ」

 

 自分に打ち付ける雨音の中で、最後に聞いた母さんの言葉でした。

 

 

 

 *

 

 

 

 あれから私達は歩きました。捨てられたと分かっていても家に帰りたかったんです。怒られても、殴られても、蹴られても、バケモノを蔑まれても、それでも私達の居場所はあそこしかありませんでした。

 目が見えない私には方角が分かりませんでした。多分、見えていても家がどっちにあるのかも分からなかったと思います。

 

「お姉ちゃん……こっちでいいの? 」

 

「うん……。行こう。とにかく人がたくさんいるところ」

 

 私の手を引き、前を歩くミキが不安げな声で語り掛けます。今歩いている道が、方角が正しいかなんて私も分かりません。けど、ミキを不安にさせないためにも私は泣きたくなる気持ちも不安になる気持ちも抑えました。

 あの頃のミキはとても内向的で引っ込み思案でした。いつも何かに怖がっていて、ずっと私にしがみついていました。この世界で信頼できる人は私しかいない、安心できる場所は私の傍だけ、そう考えているような子でした。

 そんなミキが私の手を引いて前を歩いてくれている。いつも泣いていて、自分にしがみついてばかりだった妹に頼もしさを感じていました。

 

 ミキがそうなれたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えてしまいながら……。

 

 ミキに手を引かれて歩き続けると周りの音が増えてきました。捨てられた場所は風の音と揺れる木々、葉っぱがこすれる音だけでしたが、人の声が聞こえてきました。

 おじさんの笑い声、おばさんの笑い声、雑踏、お店から流れる陽気な音楽――――

 

「お嬢ちゃん達。もう夕方だぞ。変なお遊びしないで、さっさと家に帰るんだぞ~」

 

 歩いているとおじさんがそう声をかけました。

 その時の私達の身なりはまだ綺麗だったと思います。誰も私達が捨てられた子だと思っていません。目隠ししている私も変な遊びをしている近所の子供に見えたのかもしれません。多分、ミキの目も赤くなっていなかったと思います。

 家に近付いているのか、遠ざかっているのか、そもそもそこがまだ私達の家と呼べる場所なのか、それももう分かりません。

 何か目的が無いと何も出来なくなってしまう。

 足が止まってしまったら、もう二度と立ち上がれなくなってしまう。

 その気持ちだけが私達の身体を動かしていました。

 

 歩いている途中、ガストレアモドキと言われました。

 唾を吐きかけられました。

 道を聞こうとしたら箒で叩かれました。

 お兄さんに笑いながら蹴られました。

 お姉さんに火の点いたタバコを押し当てられました。

 

 叩かれて、殴られて、蹴られて、蹴られて、叩かれて、叩かれて、殴られて、蹴られて、焼かれて、落とされて、切られて、蹴られて、蹴られて、殴られて――――――――

 

 

 “痛い”が分からなくなりました。

 

 “恐い”が分からなくなりました。

 

 “辛い”が分からなくなりました。

 

 “悔しい”が分からなくなりました。

 

 “悲しい”が分からなくなりました。

 

 “怒り”が分からなくなりました。

 

 

 たのしい と うれしい だけが、私の中に残りました。

 

 

 

 

 

 あれから2年が経ちました。

 私達は家に帰るのを諦めました。帰り道は分かりませんでしたし、帰ったところでまた追い出されるだけだと理解してしまいました。私は、家じゃないところで生きる決心をしました。

 呪われた子供でも飲まず食わずでは生きていけません。盗んだり、奪ったり、それを避けるのであればお金を稼がなければなりません。ですが、ずっと家の中でお母さんに育てられてきた私にとって、それはとても難しいことでした。

 お小遣いなんて貰ったことがない、紙幣や硬貨に触った経験すら怪しい、お金で物を買うという概念すら絵本やテレビで学んだだけの私では尚更の話でした。

 ある日、路上で演奏するお姉さんの真似をして歌いました。

 そうすると、目の見えない私を哀れんだのか、誰かが小銭を投げてくれました。

 

 “かわいそうな子どもが歌えばお金がもらえる”

 

 それを知った私は、人の多いところに行っては歌いました。テレビCMの歌を、アニメの歌を、色んな歌を歌ってみて、一番お金が貰える歌を記憶の中から探しました。

 一番、お金が貰えたのが『アメイジング・グレイス』でした。これを歌うとみんなが私の方を振り向きます。お皿にお金を落としてくれます。

 

 足音が少なくなると小銭を握りしめて、近くのお弁当屋さんの裏に行きます。この時間になると賞味期限の切れたお弁当やお惣菜を店員のお兄さんが捨てに来ます。そして、いつもゴミ箱の上に私が持って行く分のお弁当を置いてくれます。お礼に私はいつもその日に貰ったお金を置いて行っていました。

 最初は黙って取っていました――ごめんなさい。取り繕いました。盗んでいました。ですが、ある日、店員さんに見つかってしまいました。酷いことをされると思っていましたが、店員さんは「俺以外に見つかるなよ」と言って、私にお弁当を渡してくれました。

 それから、私が来る時間になると店員さんは店の裏で変わった匂いのタバコを吸うようになりました。私がちゃんと弁当を持って行くのを確認しているか、他の誰かに見つからないように見張ってくれているかのようでした。

 

 タバコの匂いが、弁当を貰えるというサインになりました。

 

 

 

 

 

 

 お弁当を貰うと私は河川敷に行きます。私達が入れるくらいの小さな穴があって、その中で暮らしていました。

 

「ただいま。ミキ」

 

「………………おかえり

 

 あれからミキは泣かなくなりました。笑わなくなりました。言葉もちょっとしか出さなくなりました。私が口にご飯を入れてあげないとものを食べなくなりました。近くで大きな音がしても反応しませんでした。光に照らされても目が動きませんでした。

 ミキは生きることを諦めていました。だけど呪われた子供だから身体が丈夫で、どうすれば自分が死ねるのか分からなかったので、死ぬことが出来ませんでした。

 

それ以上に私が独りになりたくなかったから、この残酷な世界でミキを生かし続けました。

 

 心臓はまだ動いています。身体もまだ温かいです。たまに返事してくれます。それだけが私の感じられる妹の存在でした。

 

 

 

 *

 

 

 

「おい、お前……」

 

 ある日、いつものところで歌っていると男の人に声をかけられました。私の顔と同じ高さから聞こえました。その人は屈んで私に目線を合わせてくれたんだと思います。身体も服も臭くて今まで誰もそうしなかったので、鼻が鈍い人なんだなと思いました。

 

「お前、その目、どうしたんだよ 」

 

「ああ。鉛を流し込んで潰しているんです」

 

 見えなくてもその人が苦虫を嚙み潰したような表情をしていたのが分かりました。口の端から声が零れていました。同情を買ってお金を得る為に誰かにやらされているんだと思っているのかもしれません。そんなことが罷り通る世界を憎んでいるのかもしれません。

 だから私は訂正しました。この人が存在しない誰かを憎んでしまう前に――。

 

「他人にやらされているわけではありません。自分でやっているんですよ」

 

「どうして……」

 

「これ以外、妹を食べさせる方法が無いので……。それに私達を捨てたお母さんは、私の赤い眼が嫌いだったんです」

 

 そう言うと、その人は言葉を失いました。誰かを憎むなら簡単だったかもしれません。ですが、私自身の意志で潰したものだと知って、私に何て声をかければいいのか分からなくなったんだと思います。「なんて馬鹿なことをするんだ」って説教されるかもしれません。

 

「あなたは、どうして笑ってるんですか? 」

 

 その人の隣で聞こえた小さく軽い足音――声をかけられて初めて女の子だと分かりました。恐る恐る、私の琴線に触れないように気遣いながら声を出していました。

 

 ――恐がらなくて大丈夫です。私は怒りません。悲しみません。苦しみません。

 

 恐がるミキを安心させるように私はその子の頬を触ります。綺麗な肌をしていました。髪もサラサラしています。私はずっと触りたくて、髪を、目鼻立ちを、鎖骨を、肩を撫でました。その子は汚れているかもしれない私の手を払おうとしませんでした。

 

「あなたも『呪われた子供たち』なの? 」

 

 確証があったわけではありません。女の子のストリートチルドレン=呪われた子供という図式が成り立っている社会で、私に触られても恐がる様子を彼女は見せませんでした。もしかして、同類なのでしょうか。そう思ったのです。

 

「どうして、分かったんですか? 」

 

「綺麗だね。男の子が放っておかないでしょ? 」

 

「そんなことはないです」

 

 その子は悄然と首を振りました。

 

「私はね、こうやって他人に縋らないと生きていけないから、自然に笑うことを覚えたの。もうこれ以外、どんな顔をすればいいか分からないし」

 

 顔だけではありません。あの時の私は心も「笑う」以外、どんな気持ちを抱けばいいか分からなくなっていました。

 

「けど、ここ最近になって、突然殴られたり、汚い言葉をかけられたりすることが多くなってきたのは少し辛いです」

 

 “辛いです”なんて言いましたが、どう辛いかは言えませんでした。けど、そう言えば、そうやって可哀想な子どもを演じれば、同情が貰えて、お金が貰える。生きていける。彼女からお金を取ろうとは思っていませんでしたが、そう演じ続けた癖が出てしまっていました。

 

「何かあったのですか? 」

 

 私が問いかけるとお兄さんが答えてくれました。呪われた子供が一般市民を殺した事件が発生し、みんなが私達を危ない存在だと見ている。それを排除しようとしている人がいると――。

 

「だからお前も、騒動が収まるまで内地で物乞いはやらない方が良い。みんな殺気立ってるから、今ここにいるのは危険だ」

 

「でも……」

 

「約束してくれ」

 

「……はい」

 

 私はすっかり嘘つきになりました。「はい」と言いましたが、明日にはここで物乞いを続けていると思います。ここと寝床の間の道しか一人で歩けない私は、ここでしか生きることが出来ないのですから。

 

「これで足りるか? 」

 

 お兄さんは私に3枚の紙を渡しました。匂いを嗅いでみると紙幣特有の匂いがしました。それが千円札なのか、五千円札なのか、一万円札なのかは分かりません。ですが、例え千円札だとしても私にとっては大きな額でした。

 

「こんなに! ! ありがとうございます」

 

 タダで貰う訳にはいきませんでした。お礼に私は一番得意な『アメイジング・グレイス』を歌います。歌っている中であの2人が遠ざかるのが足音で分かりました。

 私は今まで以上に大きな声で歌いました。あの2人にどこまでも届くように……。

 

 

 

 *

 

 

 

 あれから、いつものお弁当屋さんに行きました。今日もタバコの匂いがします。お弁当が貰えると思って、いつも置いている場所に手を伸ばしました。だけど、そこにお弁当はありませんでした。

 

「ごめん」

 

 店員さんがボソリと呟きました。

 

「店長にバレた。次やったら俺をクビにするって……ごめん」

 

 店員さんは申し訳なさそうな声で、何度も「ごめん」と言っていました。私は何も言えませんでした。今まで、店員さんに悪いことをさせていたんです。今まで貰えたこと自体が幸運なことだったんです。だから、あるがままを私は受け入れました。

 

「おい。これ」

 

店員さんは私に封筒を渡しました。中身はずっしりしていて、封筒が少し膨らんでいました。振るとじゃらじゃらと音がします。

 

「今まで貰ってた金。返すよ。これで妹に美味い飯食わせてやれ」

 

「ありがとうございます」

 

 私は店員さんにお礼を言い、その場を立ち去りました。

 

 遠くから、「クソッ! ! 」と言って、店員さんがゴミ箱を蹴る音が聞こえました。

 

 

 

 

 

 

 あれから数日、私は同じ場所で歌い続けました。

 あのお兄さんにお礼を言いたい。お弁当が貰えなくなって、お金の使い道がなくなったけど、それでもお礼は言いたかった。忠告を聞かず、私は物乞いを続けました。

 歌っていると誰かが近づいてきました。大人の男の人(?)が数人ほど、あの時のお兄さんとは多分、違うと思います。お金をくれそうな雰囲気ではありませんでした。

 

 多分、刺されたんだと思います。分かりません。目が見えないので。

 

 右手が痛くて、温かい液体が流れていく感覚が分かりました。

 

 自分が何をされたのか理解する前に色んな方向から、色んな足で、蹴られました。踏まれました。彼らが来る前に貰った小銭もどこかに放り棄てられました。何か硬いもので頭を叩かれて、途中で意識が途切れました。

 

 また、声が聞こえてきました。聞こえているけど、頭が痛くて、何を言っているのかは分かりません。でも、それが誰なのかは分かりました。

 

「……その声は、あの時の民警さん? ゴメンナサイ。約束したのに……自業自得で……」

 

 まだ聞こえる音が朧気で私も今、自分が何て言ったのかすら分かりません。

 

「――――――――――――――! ! 」

 

「――――――――――――! ! 」

 

 お兄さんが私の前に立ち、周りの男の人と言い合っています。

 

 すると、バンという大きな音が聞こえました。その瞬間、それがスイッチになったのか、周りの音がハッキリと聞こえるようになりました。

 

「民警だ。これ以上、この少女に近付いてみろ。今度は威嚇じゃなく撃つ」

 

「ちっ。やっぱりアンタ等民警が守ってるのは、そいつ等ガキなんだな」

 

 そう吐き捨てて、私を殴って来た人達は去っていきました。

 

「あの……」

 

 頭痛も収まって、身体の感覚も戻ってきた私はお兄さんに声をかけました。するとお兄さんは私の手を掴み、上腕をハンカチできつくしめました。自分から誰かに触ることはありましたが、こうして誰かに触られるのは捨てられてから初めてでした。

 

 この人のことをちゃんと覚えておこう。そう思って、私は手を伸ばし、民警のお兄さんの顔を、首を、肩をなぞりました。

 

「民警さんの声とお顔、覚えましたよ。結構、好みのタイプです」

 

「アホッ。礼はいいから今すぐここから離れろよ。ここにもう一度来てみろ。今度は俺がお前を刺すからな! ! 」

 

 民警のお兄さんはそう脅しましたが、恐くありませんでした。そんなことは決してしない優しい人だともう分かっていましたから。

 

「いずれ、時間を見てお礼に伺わせてください」

 

「来・ん・な! ! 」

 

 彼はそう言っていましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。

 

 

 ――今度、あの人にお礼を言いに行こう。また、あの場所で歌って……。

 

 

 

 

 

 

 ご飯を売ってくれるところが見つからず、ひもじい思いをしながら私は河川敷の横穴に帰ってきました。ミキはじっと私を見つめました。「おかえり」と言っているつもりかもしれません。

 

「ごめんね。まだご飯くれるところ見つからないの」

 

 ミキは黙ったまま頷きました。

 

「今日ね。凄いことがあったんだよ」

 

 外で聞いたものをミキに聞かせる。それが私の日課でした。ミキは虚ろな目でたまに首を縦に振ったり、視線を動かしたりして、私の話に反応してくれます。

 

「本当にこの辺りなのか? 赤目のガキが寝床にしてるって場所」

 

 突然、男の人が聞こえました。私は咄嗟に自分と美樹の口を塞ぎます。

 

「ああ。ボロい布切れを着たガキがこの辺をうろついているのを何度か目撃されてる」

 

「さっきは民警に邪魔されたからな。不完全燃焼ハンパないぜ。今度は思いっ切り腹にぶっ刺して、生きたまま内臓を引き摺り出してえな」

 

「その前にちょっと楽しませてくれよ。俺の息子が熱くなって我慢できねえんだ」

 

「ちっ。このロリコン野郎……病気移されても知らねえぞ」

 

 男の人達は辺りを歩き回りましたが、私達を見つけることは出来ませんでした。

 

 

 

 ――行かなきゃ。どこかに……ここじゃないどこかに……

 

 

 

 その日の夜中、私はミキを背負って、隠れるように移動しました。当てがあるわけではありません。母さんに捨てられた時みたいに、人に隠れながら、方角も定めず、時間も定めず、ただ歩いて、歩いて、歩いて……歩き続けました。

 

 肌寒くなった頃、私は疲れて裏路地の室外機に隠れるように座っていました。

 室外機と壁の向こう側、表参道にはたくさんの人の声が聞こえます。お酒で上機嫌になったおじさんの声、甲高く演技がかったお姉さんの声、楽しそうな声がたくさん聞こえました。でも私達がその中に混ざることはありません。

 

「……」

 

「……」

 

 私達は何も話しませんでした。ミキを元気付けるための言葉が出ませんでした。

 お腹が空いてきました。でも弁当をくれる店員さんはもういません。私を助けてくれるお兄さんもいません。私は色んな人の善意と無関心の上に立ってそこで生かして貰っていただけの存在だと改めて気づかされました。お母さんに育てられた時と何も変わっていませんでした。ただ無力で、誰かに縋らないと生きていけない、あまりにも弱く虚しい存在でしかなかったのです。

 

 もう生きることに疲れました。

 

 ハエが鼻先に止まっても気になりませんでした。

 

 このまま道端のゴミとして死んでもいい。

 

 野良犬の餌になってもいい。

 

 神様。

 

 早く私達を殺してください。

 

 このまま、苦しまず、眠るように――――

 

 もし願えるなら、お母さんが笑っていた時の思い出に浸らせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう。ここらじゃ見ねえ顔だな」

 

 

 

 一瞬、男の子か女の子か分からない声が聞こえました。でもよく聞くと女の子だと分かります。その人は私達よりも背が高くて、頭の上から声が聞こえました。

 

「安心しろ。私も同じ赤目だ」

 

 多分、その人は元の目の色から赤い目に変えたんだと思います。私には見えませんでしたが。

 

「行く当てが無いなら、ウチに来ないか?―――って、その状態じゃあ返事する元気もねえか」

 

 彼女は私達の前に温かい食べ物を差し出しました。紙包み越しに伝わる熱、ふっくらとした触り心地、少し水分を含んだ生地と肉の香り、昔、お母さんが一度だけ買ってくれた肉まんという食べ物だと分かりました。

 

「ほら。食えよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「熱いから気をつけろよ。それにいきなりたくさん食べると――――ほら。言わんこっちゃない」

 

 喉がつっかえてむせる私達の口に彼女はペットボトルを突っ込み、無理やり水を流し込みます。苦しかったですし、喉が熱かったです。肉まんの感想どころではありませんでした。

 

「お前、何で目隠ししてるんだ? そんなもん邪魔だろ」

 

 肉まんを食べるのに夢中になっていた私は目隠しの布に手が延びていることに気付きませんでした。気付いた時には遅かったです。布が取られた後でした。眼球が蒸発し、眼孔には鉛が詰まっている私の顔を見て、彼女がどんな表情をしていたのかは見えなくても分かりました。

 

「誰にやられたんだ? 」

 

 怒りのこもった声で彼女は尋ねてきました。

 

「自分で、やったんです……。お母さんが赤い目を嫌ってたから……自分で……」

 

「……そうか。悪い」

 

 彼女は気まずそうな顔をしていたと思います。私に布を返してくれました。

 肉まんがお腹に入り、ようやく一息ついたと思った瞬間、ドタドタと慌てるような足音が聞こえてきました。大人の男の人の荒い息も聞こえてきます。また酷いことをされる。そう思うと足が竦んでしまいました。

 

 

 

「とうとう見つけたぞ! ! クソジャリ! ! ウチの商品盗みやがって! ! 」

 

「おっちゃん。ツケだよ。ツケ。出世払いってやつだよ」

 

「てめえみたいなホームレスのクソガキに出世もクソもあるか! ! そこの盗っ人仲間も一緒に成敗してやる! ! 」

 

 

 私達、共犯者にされたみたいです。

 

 

「おい。逃げんぞ」

 

 その人は私達をひょいと持ち上げて担ぎました。やっぱり私達より背が大きいですし、凄い力持ちです。身体が左右に大きく揺さぶられ、身体に一気に重力がかかりました。多分、ビルの壁と壁の間を蹴り上げて一気に駆け上がったんだと思います。

 その十数分間、重力も上下左右の感覚もメチャクチャになりました。

 彼女は私達を両肩に抱えているとは思えないくらい身軽でした。屋上から屋上へと飛び移り、罵声と銃声をBGMに繁華街の夜空を駆け回りました。

 

 

 

 

 

「はぁ~。ようやく撒けたな」

 

 どこかのビルの屋上(だと思います)で彼女は私達を降ろしました。しかし、彼女のアクロバティックな逃走劇に付き合わされた私は目が回り、優しく降ろしてもらっても足元がふらついていました。ミキも同じ状態だったようです。

 

「大丈夫か? 」

 

「だ、大丈夫…………です」

 

 

 

 

 突然ですが、目を瞑ってジェットコースターに乗ったことありますか?

 

 無い人は想像して下さい。

 

 有る人は思い出してください。

 

 私はその恐怖を十数分間、追いかける人の罵声と銃声つきで味わっていたんです。

 

 ろくに安全装置もなく、いつ振り落とされるか分からないような状態だったんです。

 

 だから仕方ないんです。

 

 これは仕方ないことなんです。

 

 あまりの怖さに漏らしたって……仕方ないんです。

 

 

 

 

 

「えっと…………ごめん」

 

「だ、大丈夫…………です」

 

 彼女の歯切れの悪い謝罪が私の胸に刺さりました。

 

「お姉ちゃん。くさい」

 

 ミキの直球ストレートな言葉が私の胸に刺さりました。一週間ぶりに声を出して言うことがそれですか。

 

「その……、なんつーか。私のところ来るか? 大したところじゃねえが、まぁ、替えのパンツぐらいはある」

 

 私は頷きました。一刻も早く、足を洗いたかったです。替えのパンツが欲しかったです。

 

「付いて来な。ここからそう遠くないから」

 

 彼女は私の手を引くと、目の見えない私に合わせてゆっくりとしたペースで歩き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……な、名前、教えてください」

 

『エール』 ――みんなにはそう呼ばれてる」

 




今回は、目の見えない鈴音ちゃんの一人称視点ということで音や匂い、触った感触だけで情景を描写するという個人的に初挑戦な書き方になりました。

読者の皆さんに上手く伝わっていれば良いなぁと思っています。


オマケ (隙あらば設定語り)

・鈴音と美樹の名前表記について

今回、キャラクターの名前がカタカナ表記なのはスズネの一人称視点で、彼女達が自分の名前を漢字でどう書くのか知らなかった為です。鈴音、美樹という漢字表記も拾われた後につけられたものであり、本来はどんな字だったのかは2人とも覚えていません。
(そもそも出生届が出されていないので戸籍そのものがありません)
某イノシシヘッドの褌みたいにパンツにでも名前が書いてあれば分かっていたかもしれませんが……。


・鈴音ちゃんの弁当代

弁当屋のくだりで鈴音ちゃんはいつも弁当のお礼に小銭を置いて行っていましたが、一度も弁当2個分の料金を出せたことがありません。そもそも彼女は触っただけで硬貨の判別が出来なかった為、置いた小銭が全部ゲームセンターのメダルだったことも多々ありました。
最終的に店員お兄さんはお金を全部返しましたが、今まで貰ったお金に加えて、自分のお金もプラスし、最終的に5倍の額で返しています。



次回 「スズネと鈴音と鈴之音 中編②」


(ペースが上がっているとはいえ、この調子だと最終話を書き終えるの何年後になるんだろう……)


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スズネと鈴音と鈴之音 中編②

 エールさんと出会ってから半年が経ちました。

 私達はそこで「住処」と「仲間」と「仕事」を手に入れました。

 

 大戦前に使われ、今は廃線となった地下鉄駅、そこが新しい「住処」でした。寒暖差が少なく、雨風も凌げる。暗いことと風の音がうるさいことが欠点でしたが、私はさほど気にしませんでした。

 そこには私達と同じく親に捨てられた「仲間」がたくさんいました。声をかけてくれて友達になってくれた子もいれば、目が見えない私や喋らないミキを「使えない」と言って嫌う子もいました。私達以上に引っ込み思案な子もいました。色んな子がいましたが、みんなエールさんをリーダーとして慕っていて、彼女の指示を中心に物事が回っていました(エールさんを出し抜いてニューリーダーになろうと考えている子もいましたが……)。

 

 ここの子達は基本的に駅に残された資材や鉄道を分解して、それを売ってお金を稼いでいます。かなりの体力仕事みたいなので、それが向かない子は外で別の仕事をしていました。

 ここの人達は「働かざる者は食うべからず」がモットーで、目が見えないからと、心を閉ざしているからと、食べ物を恵んで貰える訳ではありませんでした。

 そこでエールさんは私達にもできる「仕事」を紹介してくれました。

 

 私は、“お婆ちゃん”さんの話し相手です。

 

「こう見えても昔はご近所では有名なマドンナだったわ~。証券会社に勤めている旦那と結婚して、親戚みんな連れてきて派手に披露宴をやったの。あの頃は湯水のようにお金があって、使っても使っても使いきれなかったわ。新婚旅行はハワイに行ったのよ」

 

「はわい? 」

 

「そう。海を越えて、遠い遠い場所にある綺麗な島よ。海も空もビーチも綺麗だったわ。けど、旦那が家にパスポートを忘れるわ、ホテルの鍵をなくすわ、財布を盗まれるわで散々な目に遭ってね。成田空港で旦那の顔をバッグで叩いて離婚しちゃったわ」

 

「大変だったんですね」

 

 “お婆ちゃん”さんは昔からこの「住処」に住んでいる人で、エールさん達に文字の読み書きを教えてくれた人だそうです。私達が来る少し前から昔話をすることが多くなり、誰かが聞いてあげないと不機嫌になって(エールさん曰く)面倒くさくなるらしいので、仕事の出来ない私が話し相手になっていました。

 “ばぶるけいざい”とか、“しゅうしょくひょうがき”とか、“りーまんしょっく”とか、そういった話は全く理解できませんでしたが――。

 

「スズネ。ちょっといいか? 」

 

 カーテン一枚の仕切りをめくり、お婆ちゃんさんの部屋にエールさんが入ってきました。

 

「え? 私は大丈夫だけど……」

 

 私はお婆ちゃんさんの方を見て顔色を窺います。見えていないので色なんて分かりませんが……。

 

「良いわよ。こっちも話し込んじゃって疲れちゃった」

 

「分かった。飯の時間になったらまた呼ぶよ」

 

 お婆ちゃんさんの許可が出るとエールさんは私の手を引きました。何の用事かは言わず、駅のホームから私を下ろして、線路の奥の方へと一緒に手を引いて行きます。

 

「悪いな。婆ちゃんの話、長いだろ? 」

 

「ううん。色々教えてくれるし、楽しいよ」

 

「あの話、理解できるのか? 」

 

「な、なんとなくだけど……」

 

「その言い様だと理解してないな。まぁ、良いよ。婆ちゃんの機嫌が良くなるなら」

 

「ごめんなさい」

 

「別に謝らなくたって良いって。私だって理解できないんだから」

 

 手を引かれた先から女の子たちの声が聞こえます。トンカチで金属を叩く音も聞こえます。捨てられた電車を叩いて、壊して、パーツを抜き取っているのでしょう。上下左右を壁に囲まれた地下なので余計に音が響きます。

 向こう側から私達と逆方向に歩く足音が聞こえます。数人はいるのでしょう。ガラガラとタイヤが転がる音もするので、リヤカーか何か引いているのかもしれません。

 

「エール。おつかれー」

 

「お疲れさん」

 

 前から来た女の子たちがエールさんに挨拶します。

 

「あー! ! またスズネとデートしてるー! ! 」

 

「目が見えないのをいいことにあんなことやこんなことするんだー」

 

「いやらしいー」

 

「馬鹿! ! そんなんじゃねえよ! ! 」

 

 エールさんは慕われていますが、隙あらばこうやってからかわれたりします。

 

「エールさん…………。私……初めてだから、優しくしてくださいね」

 

 勿論、その空気に私も便乗しました。

 他の女の子達から「きゃー! ! 」と黄色い歓声が沸き上がります。

 

「だから、やらないって言ってるだろ! ! どこで覚えたんだよ! ! そういうの! ! ってか、お前ら私のこと男だと勘違いしてないか! ? 女だよ! ! そんなに疑うなら脱ごうか! ? チ●コ付いてないの証明しようか! ? 」

 

「いや、いいです」

 

「はいはい。エールさんはおんなのこですね」

 

「エールさんは女の子が好きな女の子。俗にいう“ゆり”というやつですね」

 

「ミカン。マナ。ユカ。お前ら、後で覚えてろよ」

 

「「「きゃー! ! 私達もめちゃくちゃにされるー! ! 」」」

 

 前から来た女の子達は笑い、リヤカーを押して逃げるように走り抜けました。

 

「ったく……あいつら」

 

「あの……エールさん」

 

「何だ? 」

 

「用事って何ですか? 」

 

「特に何も。婆ちゃんの話に飽きたんじゃないかなーって思っただけ。それに、そろそろミキ達が探索から戻ってくるからな。出迎えぐらいさせようと思って」

 

 私達が使っている「住処」は昔、線路でたくさんの駅と繋がっていました。隣の駅や更に隣の駅、他にも鉄道会社の人が通る横道などもあり、この空間がどこまで繋がっているのか、どこで崩落して行き止まりになっているのか、お婆ちゃんさんもエールさんも分かりません。それを調べる為、ついでにお金になりそうなものを見つける為、定期的に「探索チーム」を作っては奥を調べています。

 また奥から数人の足音が聞こえました。リヤカーの転がるタイヤの音も聞こえます。この足音の中にミキもいるそうですが、さすがに足音だけで判別は出来ません。

 

ねーちゃー

 

 急速に近づく妹の声と共に私の衝撃が走りました。30キロの体重が私に圧し掛かります。後ろに倒れそうになるのをエールさんが背中を支えて止めてくれました。

 

「おかえり。ミキ。大丈夫だった? ケガしなかった? 」

 

「うん。大丈夫だったよ。ナオ姉ちゃんも助けてくれたし」

 

 ここに来てからミキは明るくなりました。心を開いたと言うべきでしょうか。ここで解体や探索の仕事をして、たくさんの人と関わって、私の知らないところでミキは強く、逞しくなりました。私の2年は何だったのかと、少し妬いてしまいます。

 

「ミキ。何か背負ってるの? 」

 

「うん。途中で缶詰めをたくさん見つけたから持って来た」

 

 ミキがリュックを下ろし、私の手に缶詰めを握らせてくれました。

 

「ありがとう。サバの味噌煮かな? コーンビーフかな? 」

 

 私は鼻に近付けて匂いを嗅ぎます。勿論、鉄の匂いしかしませんでした。当たり前です。缶詰めは密封されているからこそ保存できるものであって、匂いが漏れていたらそれは危険です。

 

「それ、賞味期限は大丈夫か? 」――とエールさんがミキに話しかけました。

 

「えーっと、にー・ぜろ・にー・ぜろ・いち・にー」

 

 私は缶詰めを諦めました。いくら缶詰めでも賞味期限が10年も過ぎているものを食べれば呪われた子供でもお腹を壊します。知っています。経験済みですから。

 

「オーケー。分かった。食ったら腹壊す奴だ。それ」

 

「えー。たくさん持って来たのにー」

 

「そう落ち込むなよ。缶は売れば多少の金になる。中身は諦めろ」

 

「はーい」

 

「この前みたいにこっそり食べようと思うなよ。トイレの住人に逆戻りだからな」

 

「はーい」とミキは更に落ち込んだ声で返事しました。

 

「あ。そうだ。あとこれも持って来たんだった」

 

 ミキは私の手から缶詰めを取ると小さな箱のようなものを手渡します。材質はプラスチックでしょうか。底に窪みがあり、中にスイッチのようなものがあります。

 

「オルゴール? 」

 

「うん。底の歯車回してみて」

 

 私は底の摘みを回します。カチカチと音が鳴り、何回か回したところで手を離します。

 ピンで振動板が跳ね上がり、一瞬の儚い旋律が響きました。1つの音が消えても次の音が繋ぎ、それが絶え間なく違う音程で流れることで一つの曲を奏でます。

 

 

 ――お母さん。

 

 私はこの曲を知っています。昔、お母さんと一緒にテレビで見た映画で流れた曲。ストーリーも俳優さんのことももう覚えていませんが、白に近いクリーム色の建物と絵画のような青い海だけが記憶に残っています。

 その時、何を想ったのかは分かりません。ですが、私は歌っていました。オルゴールの旋律に合わせて、まだ優しかった母さんの記憶と共にテレビの歌を記憶の箱の底から掘り起こします。

 それ以外の音が聞こえなくなっていました。

 

 鉄を叩く音も、風の音も、周りのみんなの声も聞こえません。

 

 太陽の光も月の明かりも届かない閉塞した空間に私の歌声が響きます。

 

 上下左右の壁を反響し、遥か先の暗闇の中へと――――

 

 私の声が、空気を、流れを、空間を、作っているような気持でした。

 

 私が歌い終えると無音の世界が広がっていました。

 

 

 

「すげぇ」

 

「分かんねえけど、何かすげえ」

 

 最初の誰かが手を叩き始め、そこから2人目が、3人目が、溢れ出るようにみんなの拍手が聞こえました。誰かが口笛を吹いて囃し立てます。歌って、誰かに褒められることはありました。けど、こんなにもたくさんの人に囲まれて、褒められたのは初めてでした。

 

「お見事。歌一本で食ってきただけあるな」

 

 隣にいたエールさんが私の頭を撫でます。彼女の背丈からすれば、私の頭は丁度いい場所にあるんでしょうか。よくこうやって頭を撫でられます。

 

「そんな……。私にはこれしか出来ないから」

 

「それしか出来なくても良いさ。お前にしか出来ないんだから」

 

 私にとって、歌は「手段」でした。「好き」でもなければ「嫌い」でもありません。路上演奏でお金を貰うお姉さんの真似をしたらお金が貰えたから、そうしているだけでした。

 けどこの時、私は初めて歌を、それしか出来ない自分を好きになれました。

 

 

 

 *

 

 

 

 

「綺麗な『アヴェ・マリア』だったわ。百万ドルの歌声ね」

 

 その日の夜、お婆ちゃんさんはそう褒めてくれました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

いたいいたいいたいいたいいたいたい

 

おかあさんおかあさんお母さん

 

たすけて!!だれか!!だれかあああああああああ

 

手がないよわたしの手どこいったの?ねえ?私の手がないよ

 

あつい目があついおねえちゃんどこ?えーる?どこにいるの?

 

死にたくない

 

死にたくない

 

誰か、助けて

 

やめて! ! やめて! ! やめ―――――――

 

 

 

 

 

こいつまだ息があるぞ! ! 殺せ! !

 

この国に呪われた血肉を残すな! !

 

燃やせ! ! 骨も残すな! !

 

人が幸福に暮らせる社会の為に! !

 

世界のあるべき姿の為に! !

 

我ら日本純血会の名の下にガストレアに正義の鉄槌を! !

 

 

 

 

 それは突然のことでした。

 何人かの見張りを残してみんなが寝静まった夜――

 こんなことが起きるなんて誰も考えていませんでした。

 バンと大きな音がして、その後、空気が漏れだす音が聞こえました。

 耳に激痛が走り、何も聞こえなくなりました。

 きつい匂いがしてきました。息をすると鼻が痛くなり、喉が焼けるように熱くなり、胸が苦しくなります。

 オルゴールの音が聞きたくて、寝床から離れていた私達ですらこんなにも苦しかったんです。あそこに残っていたみんながどんな目に遭っているか、想像するだけで身が震えました。

 

 遠くから聞こえる銃声

 

 みんなの叫び声

 

 知らない人の罵声

 

 何かが破裂する音

 

 剥き出しになった敵意と悪意が私達に向けられた。殴られたり、蹴られたり、それよりももっと酷いものが私達に振るわれる。

 

 この音の向こう側に地獄がある。

 

 その時の私に理解できたのはそれだけでした。

 

 

 

 

 

「――――――! ! ――――――ネ! ! ――――――スズネ! ! 」

 

 私に音が入ってきました。エールさんが私の名前を叫ぶ声が聞こえました。

 

「よかった。お前ら無事だったか」

 

「エールさん」

 

 彼女の声を聴いた瞬間、私は安心しました。まだ地獄の声が耳に届いているのにエールさんが近くにいる。彼女なら何とかしてくれる。根拠のない信頼が私達の希望でした。

 でも、彼女から血の匂いがしました。

 

「ここはもう駄目だ。ミキ。スズネを連れて逃げろ」

 

「逃げろって、どこに……? 」

 

「線路を伝って隣の駅に行け。そこの出入り口はまだ安全な筈だ」

 

「で、でも……私、一人じゃまだ……」

 

「いいから行くんだ! ! 探索で道は頭に入ってるだろ! ! スズネは今までお前を守って来たんだ! ! 今度はお前の番だ! ! お前が守れ! ! 」

 

 雷鳴のような怒鳴り声が聞こえました。いつも余裕があって飄々としていたエールさんの声はそこにありません。彼女も目の前のことに必死で、自分のことで精一杯で、それでもまだ無事だった私達を気にかけて、助けようとしています。

 

 ――忘れていました。彼女も私達と同じ10歳の女の子だということに。

 

 エールさんに怒鳴られて閉口していたミキが私の手を強く握りました。

 

「ミキ。頼んだぞ」

 

「……うん。任せて」

 

 ミキの声が変わりました。私は、強さを感じました。泣いてばかりで、心を閉ざして、自分の殻にこもって、何かあるとすぐ私に抱き付いてきた彼女はもういません。

 

「スズネ。お互い生き残ったら、また歌を聞かせてくれ」

 

「はい。もっと練習して、上手くなります。だからエールさんも……生きて下さい」

 

「……」

 

 エールさんは何も答えませんでした。その沈黙が答えだったんだと思います。

 

 

 

 

 全てを察したミキは私の手を強く握り、走り始めました。

 私も転げないように必死に足を動かします。目が見えないので地面も見えません。線路や石で躓きそうになりますが、後ろに目がついているようにミキがフォローしてくれます。

 銃声も、爆音も、悲鳴も、罵声も、地獄の音が聞こえなくなりました。それだけ私達は離れたんだと思います。お世話になったのに、あそこで苦しんでいるみんなを見捨てて、それだけ遠くに私達は逃げたんです。

 静かな地下線路を切り裂くように銃声が響きました。

 ミキが倒れ、手を握られた私も釣られて一緒に倒れます。

 

「ちょこまかと逃げやがって。害獣どもがよぉ……」

 

 女の人の声が聞こえました。銃声と同じように私達の後ろから、その人はゆっくりと歩いてきました。バンバンバンと大きな音がして、何かが弾け飛びました。

 恐くて、何が起きたのか分からなくて、動けなくなっていた私をミキが這って覆い被さりました。

 

「お願い……します。お姉ちゃんだけは……」

 

「ガストレアが何か言ってる。でもごめんね。ガストレア語は分からないんだ……よっ!!」

 

「あ゛っっっ」

 

 ミキから、痛苦に歪んだ声が出ました。ただ踏まれただけじゃありません。ミキは足を撃たれて、そこを踏まれていました。銃創から流れる血が滴り、その生温かさが私にも伝わります。

 

「ったく、人間の真似して赤い血なんて流しやがって。ねえ? どこを撃ったら紫色の血が出て来るの? どこなの? 頭? とりあえず、頭にしてみるか」

 

 

 

 

 

 銃声が聞こえました。

 

 

 どっちが撃たれたのか分かりません。

 

 

 ミキが撃たれて私が生きているのか、

 

 

 実は私はもう撃たれて死んでしまっているのか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確保! ! 」

 

 

 ドタドタとたくさんの重い足音が私達を囲みます。硬い靴底がコンクリートを蹴る音、重い金属が何かとぶつかりガチャガチャとする音、マスクでもしているのでしょうか、大きいですがくぐもった声がたくさん聞こえます。

 

「北ルートクリア。目標(ターゲット)1名確保。少女2名を保護。一人は足、もう一人は目を負傷している」

 

『了解。救急隊を向かわせる』

 

 

 

 *

 

 

 

 あの日、私達を襲ったのは反赤目団体「日本純血会」の過激派だったそうです。エールさん達が鉄道のパーツを売っていた業者を通して私達の居場所が見つかり、以前あった東京エリア支部長襲撃事件の報復として、焼夷弾を投げ込まれたそうです(その支部長を襲った人達がエールさん達なのかは分かりません)。

 武装した純血会の人達を不審に思った近所の人が警察に通報し、それを受けた警察は機動隊を投入。純血会の人達を全員逮捕したそうです。

 

 

 警察に保護されたのは、私達だけでした。

 

 

 他のみんながどうなったのか分かりません。ですが、後から聞いた話では寝床だった場所で多数の焼死体が見つかったとのことです。あそこでどれだけの人が亡くなったのかは分かりません。遺体の損壊が酷く、人数の把握もまともに出来ない状態だったそうです。

 

 あそこで苦しみながら死んだ人達の冥福と、もしかすると生き延びているかもしれないエールさん達の幸福を願うしか、私には出来ませんでした。

 

 

 

 *

 

 

 

 それから、私達の生活は一変しました。

 私達の身柄は警察からボランティア団体へと移されました。雨風が通らない部屋、ふかふかの毛布、温かいご飯、優しい人達。最後を除いて今まで私達には無かったものがそこには溢れかえっていました。

 その後、私の目をどうにかしたいと思ったボランティア団体の人が色んなところに頼み込んだところ、聖居の偉い人が動いて、私達は瑛海大学病院へと移されました。

 

「瑛海大学理学部生物学科教授 日向勇志だ。君がスズネちゃんだね。よろしく頼む」

 

 当時の私はその肩書の意味を分かっていませんでした。すごい学校のすごい頭の良い人が私の目を治してくれるという認識でした。

 眼球が蒸発して残っておらず、眼孔には鉛が詰まっている私の治療は通常の医療では絶望的でしたが、ガストレアウィルスとiPS細胞をバイオテクノロジーでかくかくしかじかして私の目を治療するとのことでした。(正直、そのあたりの理論は今でも理解できていません)

 

 

 

 *

 

 

 治療を受けてから1年、私は目の包帯を外しました。

 目が見えるようになると色んなものが変わっていることに戸惑いました。

 

 一番驚いたのは、自分の変化でした。

 

 私の手は少し大きくなっていました。指も長くなりました。

 背も伸びたんでしょうか。視線が高くなり、地面が遠くなりました。

 鏡を見ると自分の顔が少しお母さんに似てきたと感じました。

 髪は相変わらず灰色でしたが、サラサラとしていて光が反射していました。

 看護師さんがいつも「綺麗ねぇ」と言いながら梳かしてくれたのを思い出します。

 

「さて問題、私は誰でしょう? 」

 

「声は聞こえているんだから分かるわよ。ミキ」

 

「あ、そうか」

 

 ミキは、私の記憶よりもずっと大きくなっていました。エールさんの影響でしょうか。背格好も少し男の子っぽくなっていて、「もしかしてミキは妹じゃなくて弟だった? 」と一瞬戸惑いました。そんな訳ないですよね。私と同じ赤目ですから。

 

 

 

 *

 

 

 

 目が見えるようになってしばらく経った頃、ミキは深夜、病室に忍び込んで私を連れ出しました。上に向かう階段を上り、「立ち入り禁止」の張り紙を無視して進み、「ナオ姉ちゃんに教えてもらった」と言ってピッキングでドアを開錠しました。悪いことなので叱ろうとしましたが、楽しそうなミキを見て、その気にはなれませんでした。

 ドアを開けた先は真っ暗な屋上でした。遠くに街の明かりが少し見えるくらいです。

 

「ギリギリ間に合ったかな」

 

 ミキの言葉に呼応するように山の稜線から光が溢れていきます。小さな光の点々が多数のビルに変わっていき、暗闇では見えなかったモノリスが青い空の中でくっきりと輪郭を現わしていきます。

 

 

 

 

 夜明けです。

 

 

 

 

 ずっと音と匂いと感触だけで世界を認識していた私は、ようやく思い出しました。

 

 

 世界はこんなにも明るくて、広くて、豊かで、綺麗で、たくさんのもので溢れていることに――。

 

 だから、悔やんでしまいます。

 

 弁当をくれたお弁当屋さんのことを、

 

 命を助けてくれた民警のお兄さんのことを、

 

 絶望しかけた時に拾ってくれたエールさんことを、

 

 たくさんお話を聞かせてくれた“おばあちゃん”さんのことを

 

 一緒に地下で過ごしたみんなの姿を、

 

 この目で見ることが出来なかった。

 

 どんな顔をしていたんだろう。

 

 背丈はどれくらいあったんだろう。

 

 どんな服を着ていたんだろう。

 

 どんな表情をしていたんだろう。

 

 その目は、何色だったんだろう。

 

 答えは暗闇の中、私が知ることは永遠に無いのだと――――そう思っていました。

 

 




隙あらば設定語り

・鈴音ちゃんの目の治療
鈴音ちゃんの目の治療は瑛海大学・医学部が請け負っていましたが、あまりにも困難な状況だった為、理学部の教授や工学部の教授、果ては教育学部や文学部まで参加し、学部学科の垣根を越えた巨大プロジェクトへと膨れていきました。その後、ガストレアウィルスに一番造詣が深い日向教授がプロジェクトの中心人物となり、最終的に20人の医者や学者が鈴音ちゃんの目の治療に当たることとなりました。無論、彼らは日向姉妹が呪われた子供であることを知っていますが守秘義務を固く守っており、プロジェクトの存在自体ほとんど知られていません。

・知られざる蓮太郎の活躍(?)
原作1巻の影胤戦でAGV試験薬を全部注入して身体を再生させた蓮太郎ですが、その後、室戸先生が治療や腕の装着のついでに彼の細胞を採取。AGV試験薬が人体細胞に及ぼした影響の臨床データを獲得し、「ガストレアウィルスによるヒト細胞の再生の可能性」としてデータを公表しました。鈴音ちゃんの目の治療に使われた技術もそのデータが基になっています。
無自覚なところですらロリを救う蓮太郎さんマジロリセイヴァー。



次回 「スズネと鈴音と鈴之音 後編」


何故、義搭壮助は護衛に選ばれたのか?

「敵のいない護衛任務」の解答編になります。


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スズネと鈴音と鈴之音 後編①

ようやく今回で過去編が終わると思った?

残念!!後半も2話分割だよ!!

恨むなら書きたいことを全部書いて描写をまとめたり削ったりしようとしないジェイソン13を恨むんだな!!


 日向鈴音 13歳 瑛海女子中学 2年生

 

 日向美樹 12歳 瑛海女子中学 1年生

 

 東京エリア東部(旧・千葉県)のとある夫婦の間に生まれるが、妹・美樹が生まれた直後に父親が失踪。母親が女手一つで育てるが、鈴音3歳、美樹2歳の頃に揃って先天性の難病を持っていることが発覚。ガストレア大戦終結後は入院生活を余儀なくされるが、母親が事故で死亡し、天涯孤独の身となる。

 その後も児童福祉法に基づき市民病院で入院生活が続けられてきたが、2031年に瑛海大学病院が有効な治療法を発見。臨床試験の被験者に選ばれる。治療は成功し、(定期的な通院は必要なものの)日常生活を送ることが可能なレベルまで回復する。

 児童養護施設への異動も考えられていたが、オブザーバーとして研究に関わっていた生物学科の日向勇志教授が姉妹を養子として引き取ることを提案。姉妹の同意もあり、日向家の娘となる。

 

 2033年4月より瑛海女子中学へ編入。

 

 

 

 これが表向きの私達です。

 

 

 ガストレア新法が施行されて2年。呪われた子供の人権が保障され、法律上の差別はなくなりました。条文だけではありません。聖居は呪われた子供の生活支援・社会復帰に乗り出しました。内地や外周区で生活しているストリートチルドレンの一部は私達のように保護され、社会に溶け込んで生活しています。聖居に続いて民間のボランティア団体やNPO法人、企業も続々と参加していきました。

 しかし、大多数の人はその変化に心が追い付いていません。呪われた子供への風当たりは依然として強く、赤目であることを明かして社会の中で生きることは難しいのが現実でした。

 気に入らない女の子に呪われた子供だと言い掛かりをつけて反赤目団体に殺害させた事件、呪われた子供であることが発覚した少女が学校ぐるみのいじめで自殺に追い込まれた事件、呪われた子供の生徒に対する性的虐待と殺害を自殺として隠蔽しようとした事件、「クラスに紛れ込んだ赤目を探す」と言って男子生徒が女子生徒を次々とナイフで襲った事件はまだ記憶に新しいです。

 

 登校に使う電車の中で、私は買って貰ったスマートフォンの画面を眺めます。

(美樹は陸上部の練習があるので登下校の時間がバラバラです)

 

 今までストリートチルドレンとして生きていた私が人知れず社会常識や学校生活について学ぶ貴重な時間です。最近はクラスメイトの話題に追い付くためにインストールしたSNSアプリのタイムラインを見ることが多くなってきました。

 

 ――片桐さん。凄いなぁ。

 

 匿名のアカウントを作り、最初にフォローしたのは片桐弓月さんでした。

 東京エリアに在籍している民警の中で一番ランクが高い人、そして東京エリアで一番有名な呪われた子供です。彼女は自分が呪われた子供であること、イニシエーターであることを実名と共にSNS上で公表し、仕事風景、使っている武器、私生活、お気に入りコーデの自撮りを日常的にアップしたことが良い意味でも悪い意味でも話題になりました。読者モデルもしているためか、フォロワーの数も芸能人並みに多いです。

 一時期はテレビでも取り上げられ、「可愛いすぎるイニシエーター」「俺もプロモーターなるわ」「赤目への見方が変わった」「これは革命だ」と様々な声が上がっていました。

 過去を隠してコソコソと生きている私とは対照的で、ちょっと憧れていました。

 

 登校するとみんなの視線が刺さります。生徒のみんなは勿論のこと、生活指導の先生も一瞬、私を訝しそうな目で見ます。すぐにはっと気づいて何も言わず視線を逸らします。

 

 普通の人達に混ざり、普通に生活する……つもりだったのですが、出来ませんでした。

 

 原因はこのアッシュグレーの髪です。みんなに溶け込めるように黒に染めようとしたのですが、ガストレアウィルスの影響で髪質が特殊なためか染料が定着しませんでした。思い悩んだ結果、「治療の影響で色が変わってしまった」という設定で通すことになりました。地毛なのは嘘ではありませんし。

 思考でも言動でも異質な部分が私にはあるそうで、そういった面でも私は目立ってしまいました。ちなみに同じ時期に編入した美樹は「銀髪イケメン王子」と言われキャーキャー騒がれていました。

 そんな私にも普通の人の友達ができました。教室では「あのスイーツが美味しい」、「テスト範囲が広くて難しい」、「あの俳優がかっこいい」、そんな話題で笑い合い、彼女達のお陰で普通の学生の楽しい生活を送ることができました。

 

 彼女達に自分の正体を隠し、嘘偽りだらけの過去を語っていること

 

 あの暗闇の地獄で亡くなったみんなを忘れて、自分だけ幸せに生きていること

 

 それを許容している自分に後ろめたさを感じながら、私はその幸福を享受しました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「日向さん。放課後ヒマだったりする? 」

 

 中学2年の夏、友達の小見川さんはニカッと太陽のような笑顔で私に話しかけました。

 

「え? 大丈夫だけど……」

 

「実は西端駅の近くに美味しいケーキ屋さんがオープンしてさ。みんなで行こうって話してるんだけど、日向さんも一緒に行く? 」

 

 小見川さんの後ろには既に何人か集まっていました。よく私と話をする人もいれば、同じ教室にいるのに一度も会話したことがない人もいます。彼女のコミュ力には何度も助けられました。

 西端駅は学校から電車で20分。家とは真逆の方向なので更に遠くに感じます。あと今月のお小遣いが残り少ないです。ですが美味しいケーキは食べたいですし、友達と一緒に遊びに行きたいという気持ちもあり――

 

「うん。誘ってくれてありがとう」

 

 ――と私は即答しました。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 放課後の寄り道は禁止されていましたが、そんな校則なんて知らないと言わんばかりに私達5人は制服のまま西端駅に向かいました。

 2階建ての大きな駅、隣のショッピングモールとは歩道橋で繋がっており、私達は前に3人、後ろに私と小見川さんが隣り合わせで歩いていました。

 あまり自分のことを話せない私は自然と口数が少なくなってしまいます。赤い眼が出ないように感情も抑えなければなりません。そんな私の代わりに小見川さんは延々と話し続けます。彼女の話題のレパートリーに底なんて無いのでしょう。彼女の唇は休むことなく動き続けます。

 彼女の話に耳を傾けていると、ふと風が吹きました。ショッピングモールから駅のホームへ、歩道橋の中を空気の塊が通るかのようにそれは突き抜けました。

 風の通る音、揺れる木々の位置、人々の雑踏の響き、横断歩道が青になった時になる音楽、歩道橋の脇にある小さな階段、歩道橋の柵の形、柱の材質。この場所を見るのは初めてです。しかし、聞いた記憶を、触った記憶を、私は覚えていました。

 

 

 

 ――ここだ。ここで、私は歌っていたんだ。

 

 

 

 翌日、私は放課後になるとその場所に向かいました。

 あの時の記憶を辿って、自分の寝床だった河川敷に行ってみました。私達が出て行った後に再開発が行われたようで整備されて綺麗な遊歩道になっていました。私達がいた横穴もありませんでした。

 その後、あの弁当屋さんにも向かいましたが、弁当屋さんは何年も前に閉店して無くなっていて、クリーニング店になっていました。そこで働いていた人がどこに行ったのかは分かりませんでした。

 反赤目主義者から逃げて彷徨った道、エールさんと出会った路地裏も近隣の建物の改築により道そのものが無くなっていました。

 そこに私の思い出は何も残っていませんでした。

 

 会いたい……。お礼を言いたい……。この目でみんなの姿を見たい。

 

 お弁当屋さんのお兄さんに、民警のお兄さんに、エールさんに会いたい。

 

 

 場所が残っていなくても人はまだ残っているかもしれない。

 

 あそこで歌えば、あの人達に合えるかもしれない。

 

 

 そう思った私は溜めたお小遣いを使って電池駆動のキーボード、アンプ、マイクなど路上ライブに必要な機器を一式購入しました。私の貯蓄はゼロ。しばらくスイーツはお預けです。

 警察に保護されてから、歌とピアノはずっと練習してきました。歌手を目指している訳でもなく、コンクールにも出ない。もしかすると死ぬまで人前で歌うことなんて無いかもしれない。そんな私がずっと練習してきたことを不思議に思う人はたくさんいました。私も理由を見失いかけていました。

 

 でも、ようやく私は自分のステージを見つけました。

 

 最初は小さい頃から歌っていた「アメイジング・グレイス」や「アヴェ・マリア」の弾き語りをしていましたが、通りすがりのおじさんに「著作権が(以下略)」と説教されたので、自分で歌を作ることにしました。

 学校や家でひたすら曲を作り、放課後はあの歩道橋で披露する日々が続きました。何人か目を向ける人はいました。立ち止まって聞く人もいました。けど、私が会いたい人が声をかけることはありませんでした。

 

「ちょっと。貴方……」

 

 路上ライブを始めてから2ヶ月。眼鏡をかけ、レディススーツに身を閉じ込めたいかにも真面目そうな女性が声をかけてきました。暗くなってきたので、家に帰るように促す補導員の方かもしれません。それとも区役所の方でしょうか。そういえば、路上ライブの申請を出していないことに今気付きました。

 

「ごめんなさい。ここ路上ライブ禁止でした? ごめんなさい。すぐ帰りますから」

 

「ち、違います。あの、私、こういうものでして――」

 

 スーツの女性はカバンからカードケースを出し、そこから名刺を差し出しました。

 

【ピジョンローズ・ミュージック 星宮華麗】

 

 ちょっとキラキラした名前だったので芸名かと思いました。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「私を、スカウトですか? 」

 

 華麗さんの奢りで私は近くの喫茶店に入りました。店の端っこにある小さなテーブル席で向かい合って座り、私の目の前には星のように目を輝かせた華麗さんがいました。

 

「でもプロなんて……私に通用するんでしょうか? 」

 

「絶対に通用する。貴方の歌は、その……本当に良い物なの。聴くだけで心が洗われるような気持ちになるし、仕事の疲れなんて吹っ飛んだわ。『これは世界に広めるべきだ』って確信した」

 

 華麗さんは断言し、力説し、更にスマートフォンをカバンから出して私に画面を向けました。

 

「実はね。貴方のことを撮影して、ウチのプロデューサーに送ってみたのよ」

 

 ――それ隠し撮りですよね?

 

「そしたら、『下手糞だが磨けば光る。大金積んでもいいから連れて来い』って」

 

「そ、そんな……」

 

 ピジョンローズがどれだけ凄い事務所なのか、そのプロデューサーさんがどれだけ凄い人なのかは知りません。下手糞とは言われましたが、私のことをそんなに評価する人がいるとは夢にも思いませんでした。

 

「今すぐとは言わないわ。貴方の将来にも関わることだし、ご家族の方ともしっかり相談して決めて頂戴」

 

 まさかのことで頭が混乱し、整理がつきませんでした。そのまま私は華麗さんと別れ、家に帰りました。

 

 

 

 

 

 

 その日のことを晩御飯の場で話すと――――

 

「問題ないんじゃないか? 教授たちには俺から話をしておく」

 

 一番反対すると思っていたお父さんはあっさり了承してくれました。

 

「スカウトされるなんて流石ね~。やっぱり私の娘だわ。血は一滴も混ざってないけど」

 

 お母さんは年甲斐もなく万歳三唱して喜びました。

 

「マジで? 姉ちゃん歌手になるの? テレビ出るの? 」

 

 美樹は色々と質問攻めして、「あのアイドルのサイン欲しい」「あのイケメン俳優のサイン欲しい」「ってか、家に連れて来て」とあれこれと要望を出しました。

 

 

 

 

 “テレビに出て有名になれば、もしかすると私に気付いてくれるかもしれない”

 

 

 

 

 自分の正体は明かせない、だけど自分を見つけて欲しい。

 

 そんな矛盾を抱えたまま私のアーティスト人生は始まりました。

 

 

 

 

 【デビュー曲「私はここにいる」のMV再生回数 公開から1ヶ月で1000万回突破】

 

 【東京エリア新人レコードグランプリ 新人賞を獲得】

 

 【3rdシングル「海岸線」 東京エリアの音楽でダウンロード数最多記録を更新】

 

 【アニメ「BLUE DAYS」EDテーマ「線香花火」 泣けるアニソンランキング1位を獲得】

 

 【10代女子が選ぶ好きなアーティスト第3位】

 

【「ルーサ製薬」「霧ヶ島建設」「四葉海上保険」など10社とイメージキャラクター契約を締結】

 

 【2034年 TVCM出演本数 第6位(歌手としては第1位)】

 

 【アクアラインウィンターフェス出演決定 デビュー後最短記録を更新】

 

 【海外の大物アーティスト「ジェニー・ゴールドバーグ」も注目。コラボの噂も……】

 

 

 

 ――音楽の神様。いくら何でもこれはやり過ぎじゃないでしょうか。

 

 

 確かにずっと練習してきましたし、スカウトされてデビューするまでの間は「新人殺しのデスマーチ」と呼ばれる鬼のような練習の日々が続きました。努力はしてきたと思います。ですが、それの対価としてはあまりにも大きすぎて、どう受け取ったらいいのか分からないというのが私の感想でした。

 

「はい。ピジョンローズ・ミュージックです。鈴之音ですか? すみません。スケジュールが1年先まで埋まっていまして――」

 

 私へのオファーが相次ぎ、激務で事務所のゴミ箱は栄養ドリンクの空き瓶で溢れかえりました。

 

「娘の初任給よ~。楽しみになるわね~……お父さんの収入越えとるやないかい! ! 」

 

 私の給料が振り込まれた通帳を見てお母さんが倒れました。

 

「あれ? あそこにいるの鈴之音じゃね? 」

「あ、本当だ。へぇ~意外。コンビニとか行くんだ」

 

 変装しないとまともに外を歩けないので帽子とマスクと眼鏡が標準装備になりました。

 

「オラァ! ! さっさと帰りやがれ! ! ウチのイニシエーター嗾けるぞ! ! 」

「取材の邪魔すんな! ! てめぇのことロリペド野郎って報道するぞ! ! 」

 

 学校の正門前には報道関係者が押し寄せて登下校の妨げになったので、民警を雇って追い払う事態にまでなりました。

 

 

 

 

 

 

 それから2年後、2037年

 鈴之音ブームは落ち着き、(仕事が少なくなったので)学生と芸能人生活を両立できるようになりました。少し前までは華麗さんが車で送り迎えしてくれないとまともに移動できませんでしたが、今はこうして一人で出歩くことが出来ます。

 久々の休日に私は一人で街中に繰り出し、ウィンドウショッピングを楽しんでいました。「一生遊んで暮らせるほどお金があるんだから買えば良いのに」と言われましたが、ストリートチルドレン時代の癖が抜けないのか、“買う”という行為に対して特別感を抱いてしまいます。そして「あれで代用できる」「あれがあるからまだ大丈夫」と考え、何も買わずに終わってしまいます。俗に言う貧乏性というものですね。

 

 ――えーっと、明日は学校行って、その後は雑誌のインタビューだったっけ?

 

 頭の中で明日のスケジュールを確認しながら、駅に向かっていました。大戦前から有名な駅前のスクランブル交差点、歩行者信号が赤になった中で私も人ごみに紛れて止まりした。

 

 

 

『お前たちは正義の正しさを疑ったことがあるか?』

 

 

 

 

 懐かしい声が、聞こえました。

 強くて、勇ましくて、優しくて、でもどこか脆い。

 ずっと探していた。“民警のお兄さん”の声が聞こえました。

 

 

 交差点に面したビル壁の大スクリーン、そこに黒い仮面をつけた男の人が映っていました。私は手を前にして、記憶を辿り、あの時の民警のお兄さんの顔の形を思い出します。手の形と動きは輪郭をなぞるように一致していました。

 

『俺達はかつて、正義を信じ、それを胸に抱いて戦ってきた。報われないことなどたくさんあった。信じた正義に裏切られたこともあった。それでもいつかは、やがていつかは――』

 

 

 怒っているけど、怒り切れなくて、

 

 信じたいのに、信じ切れなくて、

 

 そんな煮え切らない自分に苦しんで、

 

 なんて悲しい声をしているんだろう……

 

 

『人を利用するために正義を語る者よ、

 

 己の悪虐を正当化するために正義を語る者よ、

 

 正義という名の麻薬に浸った偽善者たちよ。

 

 俺の名は里見蓮太郎

 

 かつて、この東京エリアで民警として活動していた男。

 

 そして、この東京エリアを滅ぼす者だ』

 

 

 

 その時、私は知ってしまいました。

 民警のお兄さんの名前は「里見蓮太郎」

 今は、東京エリアを滅ぼそうとするテロリストだということに――

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 あれから5ヶ月、私はそのことを誰にも打ち明けられませんでした。何て説明すればいいのか分かりませんし、私だってこれからどうすれば良いのか分かりません。何の縁もゆかりもない私が刑務所に入れられた里見さんに会う手段はありません。私は、鬱屈した気持ちのまま仕事を続けました。

 華麗さんや積木プロデューサーは私の変化に気付いていたのか、「相談に乗るわよ」「何か悩みでもあるのかい? 」と気を遣ってくれました。私が「何でも無いです」と誤魔化すと休みを増やすようになりました。疲労が来たんだと思ったのかもしれません。

 ある日、私が主題歌を務める映画「もう一度、貴方に恋をする」の完成試写会イベントに出席しました。壇上には主演の俳優さん・女優さん達が並び、その端っこに私がいました。司会進行役の人が主演の俳優さんに話を振っていますが、どんな内容だったのか覚えていません。

 心ここに在らずでした。映画のことも自分の歌のことも頭にはありません。里見さんのことをどうするのか、エールさんも探すのか、何も出来ないのにまだ足掻くのか、もう過去のことを忘れて、諦めて、今まで通り“普通の人間の日向鈴音”として生きればそれでいいのではないか、そんな考えがずっと私の中でグルグルと巡っていました。

 

 

 

「日向さん! ! 」

 

 

 

 突然、主演俳優さんの叫び声が届きました。最初は、ぼーっとし過ぎて司会の人に話を振られたことに気付かなかったと思いました。はっとして、司会の方を向いて「はい」と返事しようとしました。

 充血した目、狂犬病のような口から溢れる涎、それとは対照的に綺麗な服装。照明に照らされ、銀色の光沢が輝くバタフライナイフは私の右腕を斬りました。刃は肘から入り手首まで通り、腱に届く前に抜かれました。

 警備の人達が追い付いて私を斬った男の人を押さえつけます。押さえつけられた人は私に向かって何かを叫んでいます。日本語だと思いますが、活舌が悪すぎて何を言っているのか分かりません。

 

 “人前でケガをしたら傷口を隠すこと”

 

 社会に出る時に最初に教えられたことがフラッシュバックしました。私は咄嗟に傷口をもう片方の手で隠すと舞台裏へと逃げました。そのまま脇目を振らず廊下を駆け抜けます。

 救急箱が楽屋にあった筈です。包帯を巻いて隠さないと、自分が赤目だとバレないようにしないと、気が動転して、そのことで私の頭はいっぱいでした。

 誰も居ない楽屋に着いた私は救急箱を開け、包帯を取り出します。医療や応急処置の知識なんてありません。軽い傷ならすぐに治る身体なのでガーゼはおろか絆創膏すら貼ったことがありません。

 背後から走る足音が聞こえます。スタッフさんが私を追いかけているんでしょう。私は焦って、とにかく傷口を隠そうと慌てて包帯を巻きます。巻き方はグチャグチャですし、テーピングもしてません。あの時の私はパニックになっていたんだと思います。

 

「鈴音ちゃん! ! 」

 

 楽屋に入って来たのは華麗さんでした。走りにくいスカートスーツとパンプス姿で息をきらしていました。どれだけ配したのか、どれだけ必死になって私を追いかけたのか、その姿を見るだけで分かりました。

 

「だ、大丈夫です。自分で手当てしましたから」

 

「そんなメチャクチャな手当てじゃ駄目よ! ! ちゃんと病院で診て貰わないと! ! それに傷跡が残ったら……」

 

 華麗さんは私に迫り、腕を掴みました。そのはずみで出鱈目に巻かれた包帯が私の腕からスルリと落ちて行きます。血が滲んだ包帯の下から、無傷の腕が露わになりました。

 

「鈴音ちゃん。貴方、まさか……」

 

 華麗さんの瞳孔が開きました。

 実は斬られていませんでしたと言えるのであれば良かったです。しかし、私の手に血が流れるところをたくさんの人が見ています。廊下に滴る血痕は、しっかりと残っています。

 もう言い逃れは出来ませんでした。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……。私は……呪われた子供なんです。ずっと騙して……ごめんなさい」

 

 

 

 

 

 私はその場で泣き崩れました。へたり込んで、俯いて、両目を隠すかのように手で顔を覆います。その時、自分の目が何色になっていたのか分かりません。でも、多分、感情を制御できなくて、ガストレアと同じ赤い眼になっていたんだと思います。

 華麗さんの目に私はどう映っているんでしょうか。事務所もファンも騙して平然とステージに立ち続けたガストレアに見えるのでしょうか。それとも――――

 

「大丈夫。何があっても私は鈴音ちゃんの味方だから」

 

 華麗さんは膝をつき、両手で私を抱きしめました。腕と身体に包まれて暗くなる視界、何度も私を安心させようとする言葉、スーツから漏れる香水と汗が混ざった匂い、私の上半身を包むこの空間は揺りかごのようでした。

 あの後、華麗さんが包帯を巻き直し、お父さんが指定した病院に連れて行ったことで彼女以外には私が呪われた子供だと明かされずに済みました。

 車の中で私は華麗さんに全てを話しました。実の母親に捨てられたこと、ストリートチルドレンだったこと、助けてくれた民警のお兄さんが里見蓮太郎だったこと――――。

 

「そういうことだったら、お姉さんに任せなさい」

 

 私を元気付けようとしたのか、華麗さんはガッツポーズを決めました。

 




ふとWordの文字数カウントを見ると第二章が約15万字。
ティナ先生の特訓編を除いても8万字になっていることに気付きました。
ラノベ1冊が10~15万字だそうなので、第二章は起承転結の起の部分でもうラノベ1冊分書いてることになります。


話の構成を完全にミスったなぁ……と思う今日このごろです。


次回「スズネと鈴音と鈴之音 後編②」


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スズネと鈴音と鈴之音 後編②

日向鈴音の回想編のラストになります。

長い長い過去話の最後の一息にお付き合いください。


 サダルスードフィルム所属の映像作家・堀不三雄はおつまみとビールが詰まったエコバッグを提げ、東京エリア郊外の自宅マンションに帰宅した。来月に撮影がある民警企業のCMの打ち合わせが長引き、時刻は夜の9時を廻っていた。

 1階エントランスに着くと一人の女性が彼を待っていた。大人気アーティスト“鈴之音”のマネージャー、そして彼の姪っ子でもある星宮華麗だ。豪勢な名前に反して地味な印象を持たせる背格好は相変わらずだ。

 

「ごめん。待たせた? 」

 

「大丈夫ですよ。不三雄おじさん」

 

 扉を開け、部屋主の不三雄に続いて華麗が入る。部屋の中は映画のポスターやグッズ、DVDにBlu-ray、骨董品レベルのレコード、民警業界紙「PGSタイムス」が所々に置かれており、趣味を仕事にしている人間が顕然と分かる内装だった。

 

「華麗ちゃんの言っていた件、調べ終わったよ」

 

「さっすが、おじさん。民警オタク」

 

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 

 不三雄はリビングテーブルにノートパソコンを持って来ると、大型テレビに繋いで華麗にも画面が見えるように出力する。

 

「結論から言うと、知り合いの赤目ちゃんを救った民警は、里見蓮太郎である可能性が極めて高い」

 

 鈴音に全てを打ち明けられてから数日、華麗はその民警が本当に里見蓮太郎なのか調べるため、父の兄で民警オタクの不三雄を頼った。「知り合いの赤目の子が昔、自分を助けてくれた民警を探している」と赤目の子のプライバシーを理由に鈴音のことは伏せた。

 

「ちなみに根拠は? 」

 

「まず、その子が会った時期だ。その頃、このエリアでは何が起きてたか覚えてるかな? 」

 

「そりゃ勿論。第三次関東会戦だよね? 」

 

「そうだ。第三次関東会戦の直前、一部の民警にはモノリス倒壊のシナリオが優先的に伝えられ、聖居から戦線への参加とアジュバント結成の要請が出されていた。その当時までの功績から考えて、里見蓮太郎もその一部に含められていただろう。関東会戦直前ならアジュバントのメンバー探しで西端駅周辺を動いている筈だ」

 

 不三雄はノートPCのマウスを操作すると、TV画面に大きく地図を表示する。

 

「ここが里見蓮太郎のアパートがあった場所、こっちは片桐民間警備会社――彼のアジュバントに所属していた片桐兄妹の住まい兼事務所だ。彼がアパートから片桐のところまで電車で行っていたとしたら西端駅で降りて徒歩かバスで向かった可能性が高い。方角的に考えてショッピングモールとの間の歩道橋も通っているだろう」

 

「成程……」

 

「それともう一つ、当時の掲示板を漁ってみたら、こんなスレッドが過去ログにあった」

 

 

 

【暴虐を】赤目を追い出したら民警に撃たれた【許すな】(3)

 

 

 

 

「内容は要約すると『西端駅の歩道橋で糞みたいな歌を聞かせる物乞いガキを追い出そうとしたら民警に撃たれた。あいつらは赤目ばっか守ってる。社会のクズだ』といったところだな。民警の特徴を記載して、名指しで批判してる。10代の少年、拳銃のみの軽装備、黒っぽいどこかの高校の制服って部分は里見蓮太郎と一致している。名前が“黒貝健太郎”ってなってるのは、おそらくスレ主の記憶力の問題だろう。結局、スレ主が3レス愚痴って反応は無し。スレも落ちて過去ログに埋もれてた」

 

 スレッドに書かれた赤目の子の行動と邪魔をした民警の特徴、それは鈴音に聞かされた話と(一部脚色はあるが)一致していた。6年前の声の記憶と手がなぞった顔の形、それだけで里見蓮太郎だと断言していいのか不安だったが、ここまで状況証拠が揃うと彼女の記憶力を信じざるを得なかった。

 

「やっぱり……。そうだったんだ……」

 

「もしお礼を言いたいのだとしたら、諦めた方がいい。里見蓮太郎がどこに収容されているのかは一切情報がないし、仮に分かったとしても会う手段が無い。彼の担当弁護士すら不明だからな。手紙一つだって無理だろう」

 

「里見さんは無理でも関係者に会うことは出来ない? 親族とか、仕事仲間とか」

 

「親族は大戦中に全員死亡。引き取られた天童家もあの有様だし、唯一生き残っている天童助喜与もほとんど寝たきり。パトロンの司馬重工は数年前からノーコメントを徹底している。彼と親交のあった民警なら、片桐兄妹がいることにはいるんだが……」

 

「その2人は駄目なの? 」

 

「兄弟そろって筋金入りのマスコミ嫌いだ。昔何があったか知らないが、兄貴は報道ヘリに向けて発砲するくらいには嫌っている」

 

「妹の方は? 何年か前、インスタとかで有名になってテレビとか普通に出てたと思うんだけど……」

 

「最初は素直に取材とか受けてくれていたんだけど、そこで調子に乗ったどっかのバカな番組プロデューサーがステマさせようとするわ、ヤラセに加担させようとするわ、しつこくグラビア撮影させようとするわ、『この業界で生きたいなら……分かるよね? 』ニチャア って感じどんどん要求をエスカレートさせるもんだから遂にキレちゃって、番組関係者を糸で簀巻きにして真冬の川に放り込んだってさ。以降、片桐民間警備会社は『取材お断り。来たら殺す』ってスタンスになってる」

 

 弓月がマスコミ嫌いになった理由を聞かされ、華麗は身に覚えがありまくるメディアの駄目な部分に辟易する。あの純粋で無垢な鈴音を芸能界の魔の手から守り続けた自分の経験もあり、兄妹の態度に頷いてしまう。

 

「しかも里見蓮太郎とは何かしらの確執があるから、マスコミに関係なくても殴り飛ばされるかもしれんな」

 

 ――そんな超危険人物、鈴音に会わせたくない。

 

 華麗は他に手がないか思考を巡らせる。鈴音に「任せなさい」とお姉さんぶった手前、手ぶらで帰る訳にはいかない。民警のお兄さんが里見蓮太郎だったという確認作業だけでは終われない。その先に進むための道しるべが欲しかった。

 

 

 

『お礼を伝えられなくても、せめて、あの人に何があったのか知りたいんです』

 

 

 

 全てを告白されたあの日、そう震えながら喋る鈴音の声が脳裏に浮かんだ。

 不三雄ははっと思い出すとパソコンを操作し始めた。

 

「あっ。もしかすると、彼なら何か知っているかもしれない」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 あの事件から一週間、私は部屋に引き篭もってネットサーフィンをする日々でした。アーティスト“鈴之音”の活動は休止、学校も休みました。ここ最近、私が疲れ気味だったのと事件の報道が収まるまでは自宅で療養した方がいいだろうという周囲の計らいがあったからです。私はその言葉に甘えました。

 その間、私は部屋で里見事件のことを調べていました。今まで学生と歌手の二重生活の合間にこっそり調べていましたが、今は何時間もかけて調べることが出来ます。

 仕事のせいで見逃した里見事件の特番がYoutubeにアップされていました。

 

『幼少期はあの天童家で育てられたわけですからね。金と権力のためなら親兄弟だって手にかける一族の中で彼の価値観がどれだけ歪んでいったのか、想像に難くないでしょう』

 

『かつて民警として活動していた彼は社会に適合するための仮面であり、テロリストとしての彼が本来の姿だと考える声もありますね』

 

『民警時代にも一般市民へ発砲したという証言もあり、当時から歪んだ人格を度々、発露させていたのでしょうか』

 

 タブレット画面の中でコメンテーターの方がそう語っていました。

 

 

 

 ――民警のお兄さん。6年前のあれは全部、演技だったんですか?

 

 

 

 1階のインターホンが鳴りました。また取材か何かでしょうか。お母さんが応対します。

 しばらくすると1階からお母さんの呼ぶ声が聞こえました。

 

「鈴音。星宮さんが来たわよ」

 

 私が1階のリビングに降りると母さんと美樹、華麗さんがテーブルで顔を合わせていました。私を見るや否や、華麗さんは名前の通りキラキラとした目で私を見つめました。

 

「鈴音ちゃん。ついに見つけたわよ」

 

「何が……ですか? 」

 

「里見事件で戦った民警を特定出来たのよ。彼から話を聞けるかもしれないわ」

 

 彼女はノートパソコンを開き、私に画面を向けます。彼女がマウスを操作して動画を再生させました。荒い画質、暗い画面、よく見ないと何が映っているのか分かりません。しかし、青白い光が瞬くと画面に滑走路や飛行機が映りました。線香花火のように青白い光は煌めき、何かが衝突したのか火花を散らします。その瞬間、画面は大きく揺れ動き、そこで映像は終わりました。

 

「これって……もしかして……」

 

「そう。里見事件の映像よ。あの時、自衛隊の避難誘導に従わないで空港に残って撮影していた人がいたの。それを不三雄おじさんがネット上にアップされていたのをサルベージしてたの」

 

「遠すぎて何にも分からないんだけど」

 

 ――と一緒に動画を見ていた美樹が指摘しました。私も同意見です。空港で何かが光ったとしかこの動画では分かりません。

 

「ちっちっち。ここからがパンピーとプロの違いよ。よく見てて」

 

 華麗さんがマウスを操作して映像を超スロー速度で再生します。4人で画面をのぞき込んでいる間に華麗さんは停止ボタンを押し、「ここよ」と言って画面の端っこを指さしました。そこには青白い光に向かって飛ぶ黒い棒状のものが映っていました。

 

「ミサイル……ですか? 」

 

「バラニウムの槍よ」

 

「え? 槍? 」

 

「そう。推定3mの槍を音速以上の速度で投げてるの。映像の最後に画面が揺れたのはソニックブームらしいわ」

 

 説明を聞いて、私達3人は唖然とします。もしかして体を鍛えている美樹なら出来るんじゃないかと思い、「美樹。出来る? 」と聞いてみましたが、

 

「いやいや無理無理。私が赤目の力を出しても無理だよ。こんなの。バケモンじゃん」

 

 と返答されました。

 

「でしょうね。“民警大国”東京エリアといえど、こんなに大きな槍を扱えるイニシエーターはそうそういないわ。これをネット上のオタク達が作った東京エリア民警データベースと照らし合わせた結果、このペアがヒットしたの」

 

 

 

 松崎民間警備会社所属 IP序列7000位 義搭壮助 森高詩乃

 

 

 

 そのデータベースには年齢、使用武器、倒したガストレアの数、どこかの動画から切り取ったであろう写真が掲載されていました。戦っている最中の映像から切り取ったのでしょうか、プロモーターの人は険しい顔で何かを叫んでいて、イニシエーターの少女は対照的に冷ややかな顔をしていました。

 荒くれ者とペアを組まされている少女というのが第一印象でした。

 

「本当にこの人達なんですか? 」

 

「関係者筋からの情報なんだけど、事件直後に片桐兄妹と里見蓮太郎、あと重体の彼も同じ病院に担ぎ込まれたらしいわ。ほぼ確定と言っても良いでしょう。それと幼馴染がこの会社で働いているの。今夜、彼女を誘ってもう少し話を聞いてみようと思ってる」

 

「華麗さん」

 

「どうしたの? 鈴音ちゃん」

 

「私も一緒に行っていいですか? 」

 

「外に出る時はちゃんと変装してね。あと念のために腕も隠しておいて」

 

 華麗さんはニッコリと笑って許可してくれました。てっきり反対されるかと思っていた私は拍子抜けしました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 その日の夜、華麗さんは松崎民間警備会社で働いている幼馴染さんを自宅に誘いました。どんな誘い文句を使ったのかは分かりませんが「幼馴染さん」改め「千奈流空子さん」は快く引き受けてくれたそうです。

 先に華麗さんの家に行った私は部屋にたくさんある漫画に驚きながらもキッチンでお料理の手伝いをしていました。

 料理が出来上がった頃にインターホンのチャイムが鳴りました。千奈流さんが来たんでしょう。華麗さんは配膳を私に任せると玄関で空子さんを出迎えました。

 

「久し振り。元気してた? 」

 

「こんな遠くまで私を呼びつけるなんていい度胸ね」

 

「良いじゃない。交通費も食事代も全部私が出すんだから」

 

「さすが鈴之音の専属マネージャー。太っ腹ね。そういえば、ニュース見たけど大丈夫なの? 」

 

「全然、大丈夫よ。そこに本人居るから聞いてみれば? 」

 

 背後でドサッと何かを落とす音が聞こえました。私が配膳を終えて背後を振り返ると、目を見開いて硬直し、両手に持っていたであろう紙袋を落として漫画やアニメのDVDを床にぶちまけた千奈流空子さんがいました。

 

「華麗。鈴之音がいるなんて聞いてないんだけど」

 

「だって言ってないもん」

 

 

 

 

 自己紹介を済ませ、テーブルで顔を合わせて千奈流さんに事情を話しました。自分の過去については「以前、里見さんに危ないところを助けて頂いて……」と赤目であることを隠し、脚色しました。

 千奈流さんは私の話を怪しんだりしませんでした。赤目のことも過去のことも隠し、偽りの経歴の上で生きてきた私の嘘は、それほど巧みだったのでしょう。

 

「成程、そういうことねぇ」

 

「お願い。空子ちゃん。その義塔くんと森高さんから話を聞きたいんだけど、何とかならない? 」

 

 一通り話を聞き終えた千奈流さんは気鬱な顔をして視線を逸らしました。

 

「ごめん。無理。私だって2人から何も聞かされてないんだから」

 

「そうなの? 」

 

「詩乃ちゃんは『怒り狂って殺そうとしたことしか覚えてない』って言うし、義塔は色々と知っているみたいなんだけど、話さないのよね」

 

「口止めされているとか? 」

 

「どうだろう? されているかもしれないけど、自分の意思で守ったり破ったりする人間だから。一番は本人の気持ちの問題でしょうね。里見事件はあいつにとっちゃガキの頃からの夢とか憧れとかを全部否定された事件だから」

 

 千奈流さんは、義塔さんから聞かされた6年前の事件を語りました。

 里見さんのイニシエーターがクラスメイトだったこと、

 その子が赤目だと発覚する切っ掛けを作ってしまったこと、

 助けようとせず逃げ出して、その先で里見さんを見たこと。

 

「よほど彼が眩しく見えたんでしょうね。それがテロリストになって戻って来たんだから、心中お察しするわ」

 

 千奈流さんが言うには、義塔さんも私と同じように里見さんがテロリストになったことにショックを受けていました。彼から里見さんに関する話を聞くことは、彼の心の傷に指を入れる様なことになるじゃないか、そう考えるととても悪い気になりました。

 もし弁当をくれた店員さんやエールさんがもの凄く悪い人になっていたとして、そのことを私は素直に語れるでしょうか。

 

「何て言うか、見た目によらず繊細で気難しい子なのね」

 

「そうよ。いかにもイケイケオラオラ系のヤンキーみたいな見た目してるけど、あんなのただの虚仮威(こけおど)し。中身は、小さくて細かくてどうでもいいことに悩んで人生を棒に振っちゃうガラスハートの思春期よ。そんな内面を見られたくないから、ああやって他人を遠ざける演技をしてるの。そのくせこっちには“俺のこと理解してくれ”オーラ出しているんだから、もう本当に面倒くさい奴よ。ああもう思い出すだけで腹立ってきた」

 

 義搭さんがどういう人間か――千奈流さんは語っていると華麗さんが口と鼻を押さえて俯き、小刻みに身体が震えていることに気が付きました。義塔さんにシンパシーを感じて涙でも流しているのかと思い、千奈流さんが顔を覗き込みました。

 

「なにそのギャップ萌え狙いのヘタレ受けヤンキー。ドストライクなんですけど」

 

 華麗さんが訳の分からないことを言い始めました。

 

「あ、あの……華麗さん? 」

 

「あ~。鈴音ちゃん。知らなかった? こいつは男を見るとBL妄想をせずにはいられない末期の腐女子よ。ピジョンローズに入ったのもイケメン歌手を少し離れたところから見たいって超不純な理由だし」

 

「びぃえる? ふじょし? 」

 

 千奈流さんが説明してくれましたが、専門用語みたいなのが多くて理解できませんでした。千奈流さんも私が理解していないのを分かっていて、「大丈夫。人生には必要のない知識だし、鈴音ちゃんは理解しなくていい世界だから」と締めくくりました。

 

「その義塔くんから聞き出す方法って無いの? 」と鼻にティッシュを詰めた華麗さんが尋ねます。

 

「最初にも言ったけど、ごめん。私から言えることはこれで全部だし、あいつは大金積まれても色仕掛けをかけられても拷問されても吐かないわ」

 

 最後に千奈流さんは私達の希望を撥ね退ける様に言い放ちました。言葉の節々に「ごめんなさい」と言葉を挟み、彼女の申し訳なさそうな顔が印象に残りました。華麗さんは「仕方ないよ」と言って千奈流さんをフォローします。

 

 

「ごめんね。鈴音ちゃん。せっかくここまで来てもらったのに」

 

 

 謝らないで下さい。謝るのはこっちの方です。

 

 

 里見事件からもうすぐ半年、私の停滞していた5ヶ月が嘘のように話は進んでいきました。それは業界にいる年季の差、人との繋がりの差、子供と大人の差、理由はたくさんあるかもしれません。ですが、“鈴之音”活動休止の煽りを受けて関係各所を回って頭を下げる日々の中でここまで動いてくれた華麗さんがいたからこそ、民警のお兄さんに近付くことが出来ました。

 

 ――華麗さんの為にも、ここまでの努力を無駄にしない為にも。私も何かしないと。

 

「…………華麗さん。初対面の人と仲良くなろうとしたら、まずどうしますか? 」

 

「いきなりどうしたの? 」

 

「答えてください」

 

「そ、そうねぇ。まず、何かテキトーな理由をつけて一緒にいる時間を増やすところかしら? 仕事の打ち合わせとか、落としものを届けに行くとか。――――って、鈴音ちゃん。まさか……! ! 」

 

「千奈流さん。私が『義塔さんを護衛に雇いたい』って言ったら、彼は引き受けてくれると思いますか? 」

 

「ちょ、ちょっと、落ち着いて」

 

「仕事のことなら私に決定権があるわ。どんな仕事だろうとあいつに引き受けさせる」

 

「空子ちゃん! ? 」

 

 華麗さんが狼狽えて私の肩を揺さぶる中で、千奈流さんの堂々とした言葉が響きます。

 

「あとは、料金次第ね」

 

「日当は5万円、最低でも1週間分は補償します。期間は無期限。義塔さんから話を聞き出せるか、鈴之音で稼いだお金が尽きるまで延長します」

 

「乗った」

 

「お願いだから、マネージャーの私をスルーして話を進めないで」

 

「プライベートなことだから関係ないでしょ。はい。これ契約書」

 

「はい」

 

 千奈流さんが即席で作った契約書をテーブルに出し、私はすかさずサインします。

 

「これで契約成立ね。義塔は今、修行の旅みたいなのに出てるけど、来週ぐらいには戻ってくると思うから。そしたら、すぐに護衛の仕事開始でいい? 」

 

「分かりました。お願いします」

 

 この時の私は暴走していました。同年代の男性を傍に置くことのリスク、鈴之音のブランドイメージ、護衛して貰うとしてどのタイミングで彼に来て貰うのか、ただ彼に近付く理由ばかりを考えて、その辺りのことを一切考えていませんでした。

 ふと気が付くと華麗さんは私に背中を向けて不貞腐れていました。

 

「はいはい。私は関係各所への根回しとかすれば良いんでしょ? 一応、この件、積木さんには話すからね。別にウチは恋愛禁止って訳じゃないし」

 

「えっと、その……ありがとうございます」

 

 華麗さんの為にと思って奮い立ったつもりでしたが、むしろご迷惑のようでした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 その次の日、自宅のリビングで父さん、母さん、美樹に義塔さんを護衛として雇うことを話しました。3人とも最初は難色を示しましたが、助けてくれた民警のお兄さんに繋がる手掛かりであること、もう契約も済ませたことを話すと母さんは「仕方ないわね」と言って肩を竦めました。父さんと美樹も納得はしませんでしたが、私を説得するのを諦めて嫌々ながら妥協してくれました。

 

「ところで鈴音。その義塔くんってどこに住んでるの? 」

 

「確か、34区あたりって言ってた」

 

「かなり距離があるのね。ここまで来てもらうの大変じゃない? 交通費も馬鹿にならないし。鈴音が出掛ける度に往復なんてさせたら、嫌われちゃうわよ」

 

「あ……考えてなかった……。えーっと、近くにアパートでも借りてもらうとか? 」

 

「そんなことしたら出費がかさむじゃない。義塔くんを雇う期間なんてもっと短くなるわよ。勿論、ホテルなんて尚更アウト」

 

「恵美子。お前、まさか、その民警をウチに泊めようとか思ってないだろうな? 」

 

 みんなが思っていることを父さんが口にしました。

 

「そのつもりだけど。ちょうど、そこの和室が空いているし」

 

「反対だ。その……年頃の男女を一つ屋根の下に泊めるなんてだな」

 

「2人の部屋はちゃんと鍵がついているし、いざとなったら赤目の力で抵抗できるわよ。それに向こうは仕事のつもりで来るんだから、そんな馬鹿なことはしないと思うけど」

 

「民警って言っても我堂みたいな一部を除けば、大半はチンピラか元犯罪者だぞ。そんな危ない奴を家に招き入れるなんて」

 

「チンピラや元犯罪者は命懸けでテロリストと戦って国を救ったりなんってしないわよ」

 

 世間では凄い大学の凄い教授と言われている父さんですが、家では母さんに頭が上がりません。昔の弱みもたくさん握られているそうで、日向家は所謂“かかあ天下”です。

 

「ついでに言うけど、貴方だって結婚前は――」

 

「分かった。分かったから。ただし、危ない奴だったら問答無用で追い出す。これだけは引けないからな」

 

 母さんの視線が()()()()()()である美樹に向かいました。

 

「こんな空気で反対できる訳ないじゃん。良いよ。勝手にして。ただし、その義塔って奴が姉ちゃんに変な事したら、本気でボコボコにするから」

 

 “その時は呪われた子供の力も使う”と言いたげに美樹は目を赤く光らせました。

 

 こうして母さんの鶴の一声により、初対面の民警を自宅に長期間泊めるという異様な事態が罷り通ることになりました。

 

 

 *

 

 

「鈴音。これだけはしっかり覚えておきなさい。これから私達は悪いことをするの。義塔くんが秘密にしていることを聞き出すためにみんなで寄って集って騙すんだから。最悪、彼の心を弄んで、傷つけて、恨まれて終わるかもしれないわよ」

 

 その日の夜、珍しく強い口調で語ったお母さんの言葉が胸に刺さりました。

 

 

 *

 

 

 それから義塔さんが修行の旅(?)から戻るまでの数日、私は華麗さん、千奈流さんと3人で打ち合わせを続けました。義塔さんを護衛として雇う嘘の理由と設定を考え、千奈流さんから彼の趣味趣向や人間関係を教えてもらい、家族も交えて準備を進めました。

 

 母さんの言葉が脳裏を過る中、私は義塔さんを騙す茶番劇の舞台を整えました。役者も揃いました。

 

 後は幕を開けるだけ。

 

 

 そう思っていました。

 ですが、私は重要なことに気付いていなかったのです。

 

 肝心の主演()が駄目だったということに――

 

 

 

 

 ――義塔さんとどういう話をすれば良いんだろう?

 

 私は、同年代の男の子と会話したことがありませんでした。

 昔の家は母子家庭でしたし、ストリートチルドレン時代も周囲には女の子とお婆ちゃんしかいませんでした。保護された後は男性もいましたが、警察もボランティアも病院もみんな年上のお兄さんばかりでした。養子になった後も中学も高校も女子校でした。恋愛に全く興味が無かったので、そういったドラマやアニメや漫画を嗜むこともありませんでした。

 そんな私が、どうやって義塔さんを篭絡させることが出来ますでしょうか。

 里見事件のことを聞き出すどころか、逆に私が緊張して変なことを言ってしまう有様でした。

 

「分かった。お母さんが義塔ちゃんの好みを聞いてみるわ」

 

 どうにもできない私をフォローする為にお母さんは女性の好みを聞いてくれました。

 

「あの子、美樹の方が好みって言ってたんだけど……」

 

 ――髪、短い方が好みなんですか?

 

「ほらほら~。どうよ。義塔の兄ちゃん。本邦初公開。鈴之音の水着姿だよ~」

 

 ショッピングモールで買い物した時、美樹はいきなり試着室のカーテンを開けて「お色気悩殺作戦」をやってくれました。

 

 ――義塔さん。どうして視線が美樹の胸の方に行ってるんですか? こっちを見て下さい。

 

「ウチの研究室は良いぞ。ガストレアの研究に必要な設備が揃っている。東京エリアの大学じゃ最先端だ。厚労省直轄の特殊感染症研究センターにも劣らないと自負している」

 

 ちなみにお父さんは自分が猛反対していたことをすっかり忘れ、詩乃ちゃんに自分の研究室がいかに素晴らしいか語っていました。

 

 そんな華麗さん、千奈流さん、父さん、母さん、美樹の努力も虚しく、私は里見事件のことを聞き出せずに今日という日を迎えてしまったのです。

 

 

 *

 

 

 例の歩道橋から少し歩いたところにある公園。ランニングコースの一角にあるベンチに座り、私は義塔さんに全てを語りました。

 

 自分勝手で、先を見ていなくて、暴走して周囲を巻き込んで、寄って集って一人の男の子を騙して、それでも何も成すことが出来なかった愚かな少女の物語を――。

 

「これが私の全てです。秘密を聞いたから、代わりに里見事件のことを話してとは言いません。今まで……騙してごめんなさい」

 

 隣に座る義塔さんはただ黙って、ずっと私の話を聞いてくれました。もう陽が落ちかけた夕暮れ時、彼の顔は少し向こう側を向いていて、どんな表情をしていたのかは分かりません。これを聞いた彼はどう思っているのか、何て私達に言い返すのか、戦々恐々としていると、義塔さんはいきなり、わざとらしく大きなため息を吐きました。

 

「成程ねぇ~。俺はお前ら一家と空子と星宮さんに騙されて、詩乃と必死に存在しないストーカーを探し続けていた訳か……。サーモグラフィとか、超小型監視カメラとか、事務所に届いた鈴之音アンチのメールチェックとか、ブロックしたTwitterアカウントの監視とか情報屋を使って周辺住民の身辺調査とかやって、存在しない奴を探していたのか。そっかあ………」

 

 怒っていました。騙された自分がどれだけ苦労したか語られました。しかし、それを終えると義塔さんは「ふっ」と笑いました。その表情は優しく、先程の言動が嘘のようで、朝食作りを手伝ってくれたあの朝と同じ顔をしていました。

 

 

 

 

「良かった。ストーカーに怯える女の子なんていなかったんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――なんて言うと思ったか。このクソバカ姉妹」

 




ようやく回想編を書き終えました。
読者の皆さん、お付き合いいただきありがとうございます。
展開やキャラクターの心情描写に四苦八苦してリアルに疲労した1ヶ月になりました。




次回「幸せな思い出を血で染めて」


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幸せな思い出を血で染めて

 「馬鹿馬鹿バーカ! ! このクソ馬鹿! ! 頭の中お花畑! ! スポンジ脳味噌! !そんなことで前科者の民警を家に招くなよ! ! 危ねえだろうが! ! もし俺が『あの鈴之音が俺を指名した。俺に惚れている』って本気で考える勘違い野郎だったら、これバラされた時点で怒り狂ってお前らの頭をふっ飛してたぞ! ! いや、バラされる前に勘違い極めて襲ってたかもしれねえ! ! 部屋に鍵がついてる? 赤目の力で抵抗すれば大丈夫? はんっ! ! 舐めんじゃねえよ! ! こちとらガストレア、赤目ギャング、他社のイニシエーター相手にドンパチやって飯食ってんだよ! ! てめーら素人の相手なんざ赤目だろうと楽勝なんだよ! ! つーか初対面の奴をいきなり家に泊めるなよ! ! 財布とか通帳とかハンコとか下着とか盗まれても知らねえぞ! ! 家の中、撮影されてYoutubeにでもアップされたらどうするんだ! ? とにかく、お前ら一家は無防備過ぎんだよ! ! もっと他人を疑うことや警戒することを学べ! ! 分かったか! ! このクソバカ姉妹! ! 平和ボケ一家! ! 」

 

 日が落ちかけた公園で壮助は怒りで顔を歪め、声を荒げ、日向姉妹が座るベンチを足蹴りする。自分がどれだけ苛立っていたか、どれだけ怒っているか、彼女達のやったことがどれだけ危険なのか訴えかけ、怒声とベンチの振動が重なって2人に伝わる。

 美樹は幼い頃の素の性格が甦ったのか、涙目になり震えあがって鈴音の肩に抱き付いている。それに対して鈴音は肝が据わっているのか、壮助の叱声を前にしても怯える様子がなかった。

 鈴音は月明りのように微かな笑みを壮助に向けた。

 

「やっぱり、義塔さんは優しいですね。自分が騙されたことよりも私達のことを心配して怒ってくれているなんて……」

 

 壮助は口を噤んだ。もう彼女に何を言っても無駄だ。自分がそんなことしない人間だと理解されている。本気であの一家のことを好いていて、心配していて、危険から遠ざける為なら自分を貶めることも辞さないぐらいに愛着が湧いていることも見透かされている。

 彼は大きく溜め息を吐くと怒ることを諦め、脱力して再びベンチに腰を落とした。

 

「もういい。分かった。…………全部話すよ」

 

「え? 」

 

「聞こえなかったのか? 全部、話すって言ってんだよ。俺が何も言わなかったら、似たようなこと続けるんだろ? 次はどんなガセネタ掴まされて、ヤバい民警招き入れるか分かったもんじゃないからな」

 

「さ、流石にもうこんなことは……」

 

 壮助は睨みつけて鈴音を黙らせる。日向一家がもう危ない目に遭わない為に話す。彼としては、その大義名分を奪われたくなかった。それを察したのか、鈴音もそれ以上のことは言わなかった。

 

「そうだな。とりあえず、俺が初めてあいつに会った時の話でもするか」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 最愛のイニシエーターと幼馴染を殺した過去、壊れた英雄として戦い続けた過去、唯一の仲間と決別した過去、自分が見た里見事件とその後の面会で彼が語った世界と正義に対する“憎悪”と“愛情”。

 国家機密になるであろう聖天子絡みの話は何とか避けつつ、彼は自分の記憶、菫やティナから聞いた話を自分の中で整理し、自身が知る里見事件そして里見蓮太郎のことを語った。

 

「これが、俺の話せる全部だ」

 

 壮助が語り終えた頃、日はもう落ちていた。聞いていて気持ちのいい話ではない。語る壮助は彼に臓物を消炭にされたトラウマがフラッシュバックし、聞かされた鈴音と美樹の顔にも暗い影を落とした。美樹はその悲劇に感受したのか、涙を零し、時折鼻を啜る音が聞こえた。

 

「そう……ですか」

 

 鈴音は言葉に詰まっていた。テロリストになったと知った時から、生易しい話にはならないと覚悟はしていた。それでも堪えるものがあった。

 

「なあ。鈴音。気持ちは変わらないか? 里見に感謝の言葉を伝えたいか? 」

 

「は、はい。勿論です」

 

 質問の意図が分からなかった。鈴音の答えを聞くと壮助はふっと鼻で笑った。

 

「だったら今度、ティナ先生に会わせるよ」

 

「ティナ先生? 」

 

「里見の仲間だった人だ。昔のことなら俺以上に詳しいし、もしかしたらお前を助けたことも何か聞いているかもしれない」

 

 その話を聞いた鈴音の表情はスイッチの入った電球のように徐々に明るくなっていく。鈴音や鈴之音の神秘的なイメージとはかけ離れているが、年相応の少女のように満面の笑みを見せた。

 

「義塔さん。ありがとうございます」

 

 鈴音は両手を大きく広げて隣に座る壮助を抱き寄せる。両者の吐息がかかり、肌と肌が密着し、真夏の中でも直に体温が感じられる距離まで近づけられる。

 

「ちょ、待て。気が早いって。俺以上に里見の件がデリケートな人だから俺の口利きでも話してくれるかどうか分からないし、色々と訳ありな人だから会ってくれるかどうかも怪しんだぞ。ってか、こんなところ誰かに見られたら色々と終わるぞ。あ、でも気持ち良いし、なんか汗と一緒に良い匂いするからやっぱりこのままで――」

 

「はいはい。イチャイチャは後にしましょうねー」

 

 美樹が2人の間に割って入り、無理やり引き剥がす。

 引き剥がされた壮助は沸騰しそうなほどに顔が真っ赤になり、直視できずに鈴音から目を逸らす。対して鈴音は今の自分の行動を何とも思っていないのか、いつものニコニコ顔が貼り付いていた。

 

「とりあえず、なんか話は終わったっぽいし、帰ろっか。お腹すいたし」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 例の歩道橋を尻目に3人は帰路についた。電車とバスを乗り継ぎ、自宅近くのバス停に着いたのは夜7時のことだった。

 壮助は前方を歩く日向姉妹に気を配りながらスマホでティナに連絡を取っていた。蓮太郎のことを聞きたいというと断られるかもしれないので、「里見の件でちょっと話したいことがある」とティナが応じるであろう当たり障りのない話題で彼女を釣った。

 

「分かった。じゃあ、明日13時。勾田駅で」

 

 壮助が電話を切ると姉妹が彼の顔色を窺う。

 

「ティナ先生、明日大丈夫だって」

 

「良かったね。姉ちゃん」

 

「ありがとうございます」

 

「感謝するにはまだ早ぇよ。話してくれるかどうか、分かんねえし」

 

「それでも言わせて下さい。義塔さんのお陰で前に進めたんですから」

 

「はいはい。どういたしまして」

 

 壮助はスマホをズボンのポケットに入れると、ふと今の自分が護衛任務中だったことを思い出す。無期限という話だったが、ストーカーの話が嘘であると分かった今、自分達が日向家に居着く理由は無い。あの家に居心地の良さを感じ始めていた手前、一芝居打って仕事の終わりを早めてしまったことを悔やむ。

 

「ストーカーがいないって分かったし、俺の護衛の仕事って今日で終わりだよな?」

 

「えっと……、そうですね。私が義塔さんから里見事件のことを聞き出すまでって話でしたので」

 

「だったら明日、ティナ先生のところに連れて行くついでに荷物をまとめるよ」

 

 壮助の言葉に驚き、2人の動きが一瞬固まった。

 

「え? もう出て行っちゃうんですか? 」

 

「もうちょっと居ようよ~。ようやく本音で色々話せるんだからさ」

 

「お前、最初は俺達が来るのに反対してたじゃねえか。今じゃ言ってることが逆だぞ」

 

「良いじゃん。義塔の兄ちゃん意外と良い奴だったし、詩乃ちゃんも一緒にいて楽しいし。父さんも母さんも2人のことは気に入ってると思うよ」

 

 蓮太郎絡みで何か起きた時にすぐ動けるようにしておきたい。その気持ちがあってこの仕事は早く終わらせたかった。だが、護衛でなくとも日向家に居ていいのなら、早々に出て行く理由はなくなる。

 

 

 

 ――不穏分子と言えば、君ぐらいだ。

 

 

 

 市民病院で会った蔵人の言葉が脳裏を過る。しかし、壮助はそれを払拭する。この地域は安全だ。警察は優秀で、更に最大手の我堂PGSが地域を守っている。自分から何かしなければ、自分のせいでこの一家が危険な目に遭うことはない。そんな希望的観測が彼の思考を支配していた。

 

「分かったよ。とりあえず明日はやめとく。詩乃の気持ちもあるし、空子とか星宮さんにも話を通さないといけないからな」

 

 まだ素直になれなかった。自分が家族団欒に浸りたいからとは言えず、自分由来ではない部分で居残る理由があるから残ると、そう言い訳した。

 

「美樹、今日の晩御飯って何だと思う? 」

 

「じゃがいもとかニンジンとか買わされたから、カレーじゃない? あ、でもルーは買ってないなぁ」

 

「肉じゃがかもね」

 

 目の前で姉妹が今日の晩御飯予想を繰り広げる中、壮助はボソリと呟いた。

 

「鍋がいい……」

 

 2人が壮助の方を振り向く。そんな変なことを言っただろうか。まさか注目されるとは思わず、一瞬狼狽える。

 

「いや、また6人揃って日向家特製鍋が食いたいなって」

 

「「…………」」

 

 姉妹のにやけ顔が瞳に映る。おっとりした姉と活発な妹、普段は対照的な2人だがこうして見ると血の繋がりを感じる。

 

「義塔さんもすっかり虜ですね~」

 

「遂に沼にハマっちゃったか~」

 

「何だよ。良いじゃねえか。あれ美味いんだから」

 

 歩きながら2人に揶揄われ、談笑している間に日向家の前に辿り着いた。家の明かりが3人を出迎えてくれる。全てが明かされた今、どんな顔して勇志おじさんと恵美子おばさんに会えばいいのだろうと壮助は憂える。鈴音達みたいに変に謝られるよりは、「ドッキリ大成功」とプラカードを掲げて待ってくれていた方が幾分か気楽になる。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

「何? この変な匂い」

 

 ドアを開けた瞬間、3人の鼻を異臭が付いた。卵が腐ったようなものでもなく、何かが焦げたような匂いでもない。塩素系洗剤とも違う。生理的に受け付けない空気を前に鋭敏な感覚を持つ鈴音と美樹は鼻を押さえる。

 しかし、その匂いを壮助は知っていた。驚愕のあまり、瞳孔が開き、冷や汗が流れる。ここ半月嗅ぐことが無かった。この場所でこの匂いを嗅ぐとは思っていなかった。“こんな事態”になるような場所じゃないはずだった。

 玄関から真正面に続く短い廊下とリビングを遮る扉がひとりでに開く。リビングの光景の一端が見え、その先に倒れている恵美子が目に映った。いつものスリッパを履き、いつものエプロンをつけ、テーブルに持っていくつもりだった肉じゃがを床に零していた。

 

 

 

「お母さん! ! 」

 

 

 

 美樹はすかさず土足のまま家の中に駆け上がる。壮助は一瞬、止めようとしたが元・陸上選手である彼女の瞬発力には敵わなかった。手を伸ばしても彼女の背に触れることすら出来なかった。

 

 

 ――待て。行くな。この匂いは! !

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガストレアの血だ! !

 

 

 

 

 

 

 

 半開きになったドアの隙間から電源の落ちた50型テレビ画面が見えた。天井の灯りが反射したことで映し出されるリビングの光景、そこに全ての元凶が潜んでいた。

 恵美子という()を置き、美樹という()が来るのを待ち構える半人半蟲のガストレアの姿が――。

 

 

 黒膂石代替臓器“賢者の盾” 斥力空間発生器官 起動 

 

 

 濃縮斥力点 解放! !

 

 

 壮助は足裏に極小の斥力フィールドを展開させるとすかさずそれを崩壊させる。その瞬間に生まれた地面と足の間の反発を推進力に変換し、音を置き去りにする速度で美樹の背中に届く。彼女の身体に背後から覆い被さり、自分の身体、その周囲に展開させた斥力フィールドで転がりながら彼女を防御し、衝撃を緩和する。

 

 

 ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ! !

 

 

 狩りを邪魔されて怒ったのか、床と天井が目まぐるしく切り替わる視界の中でガストレアの金切り声が響く。

 壁に激突して止まると壮助は顔を上げた。テレビ画面の反射でなく、肉眼でガストレアの姿を捉える。瞬きする間もなく、そのガストレアが()()()()()理解した。

 

「そんな……勇志おじさん……」

 

 半人半蟲のガストレアの顔がこちらに向けられる。中途半端な形象崩壊で日向勇志の顔が残っているが、同時にガストレアウィルスが組み込んだ昆虫類の形質が発現している。ガストレアの目や触覚が彼の頬や口から伸びており、おおよそ生物として成立しているかどうかすら怪しい異形を成していた。屋内で形象崩壊したせいか、狭い空間に適応するためにその体躯は3m前後と小柄にまとまっている。

 ガストレアは壮助を狩ることが難しいと判断したのか、視線が反対方向、玄関にいる鈴音に向けられる。バッタかコオロギの因子で逆関節に変形した足を曲げる。

 

「シカトすんな! ! テメェの相手はこっちだ! ! 」

 

 壮助はガストレアの気を引こうと大声を上げ、床に転がっていたマグカップを投げつける。その目論見通り、ガストレアは壮助と美樹の方を向いた。

 ガストレアが勇志の口の中に発現した虫の目をこちらに向ける。人間の顔はもう飾りになっていて感覚器官や脳として機能していないのだろう。そのグロテスクな光景に美樹は恐怖のあまり声にならない声を挙げる。

 

「美樹。大丈夫か? 」

 

「大丈夫…………じゃない。無理…………なんで……」

 

 彼女に「俺が合図したら逃げろ」と指示を出するつもりだったが、とてもそんなことが出来る精神状態ではなかった。目の前の現実に感情の処理が間に合っていない。

 

「じっとしてろ。何があっても俺から離れるな」

 

 壮助はバックホルダーからトーラスレイジングブル Model223を抜く。ハンマーロックを解除し、銃口をガストレアに向ける。しかし、引き金に指はかけない。今の射線だとガストレアの身体を貫通して鈴音に当たるかもしれない。摺り足で徐々に左に動き、鈴音を射線から外すように位置を調整する。

 瞬間、ガストレアが跳躍した。バッタか何かの因子で発達した脚は一瞬で壮助たちとの距離を詰め、刺々しい前肢先端を顔面に突き立てる。

 壮助は咄嗟に美樹を左に突き飛ばして逃がし、自分はガストレアの意識を集中させるために身構える。来るなら来いと言わんばかりに。

 

 

 

 

 ――逸面装甲局所展開 拒衣(コバミゴロモ)

 

 

 

 壮助は首を動かして直撃コースから逸れると、同時に攻撃が掠りそうな右肩、衣服の数ミリ上に斥力フィールドを展開させる。突き立てたガストレアの前肢はフィールドの上を()()、彼の背後の壁を穿った。

 掠り傷になりそうな攻撃を掠らせない。受けるのではなく受け流す装甲(バリア)。影胤のような絶対防御が出来ず、一撃貰えば即死する普通の人間という制約の中で壮助が編み出した新しい使い方だった。

 壮助は攻撃を外されたことにガストレアが戸惑った一瞬を見逃さなかった。今なら射線上に人はいない。

 今なら殺せる。こいつは日向勇志ではない。ガストレアだ。認識のスイッチを切り替え、割り切り、あの日の団欒の記憶を怒りと憎しみで押し殺す。

 レイジングブルをガストレアの胸元らしき部分に向ける。手に震えはない。機械的に指は引き金にかかり、力を入れた。大口径拳銃の轟大な銃声が響き、ガストレアの死骸と銃創から流れる紫色血液がリビングの床を染める。

 銃声の反響が無くなると家の中は静かになった。

 

「おぇっ……! ! ケホッ! ! 」

 

 倒れていた恵美子がえずき、彼女の身体が跳ね上がる。

 

「恵美子おばさん! ! 」

 

 彼女はまだ生きている。そんな期待を胸に抱き、壮助は恵美子に駆け寄った。何度もえずく恵美子の名前を呼び、背中をさする。

 容態を見ようと身体を仰向けにすると、でろっと腹に収まっていたはずの腸や肝臓が床に広がった。こんな状態で人間が生きていられるわけがない。ふと彼女の目を診ると、呪われた子供の様に赤くなっていた。

 

 

 ――クソッ! ! 遅延崩壊だ! !

 

 

 恵美子の背中から突如、巨大な昆虫の肢が生える。日向恵美子という人間の骨を砕き、皮膚と血肉を突き破ったそれは別の意思を持ったかのように爪を壮助に振り下ろす。

 咄嗟に斥力点を掌に作り、恵美子の身体に当てて彼女を押し飛ばす。

 膝立ちのままレイジングブルの銃口を向け、引き金を2度引く。1発目は外れて電子レンジを壊すが2発目は恵美子だったガストレアの関節を砕いた。関節から紫色血液が溢れ、前半分が千切れ落ちる。

 すぐに照準を下に向け.レミントン223弾を恵美子の形を保っていた頭部に叩き込んだ。標的の頭蓋を粉砕し、脳漿を撒き散らした。

 

 息を切らした壮助の吐息だけが聞こえる。

 

 

「お父さん……お母さん……。嘘。嘘だよね……。ねえ。嘘だと言ってよ! ! 嫌だ! ! 嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああ! ! ! ! 」

 

 

 こんな事態になると誰が考えただろうか。鈴音は茫然自失となり玄関先でへたり込み、美樹がガストレアの血肉が付くことを厭わず、勇志だったガストレアの死骸に縋りつき、声いっぱいに泣き叫ぶ。

 

「おい馬鹿! ! やめろ! ! 感染するぞ! ! 」

 

 壮助は背後から美樹を羽交い絞めにしてガストレアの死骸から引き離す。

 

「何で……何でなの。私達が何をやったって言うの……」

 

 泣きたいのは、この一家を本当の家族のように想い始めていた壮助も同じだった。今更になって拳銃を握る手が震える。胸の奥から気持ちがこみ上げて来る。しかし、歯を喰いしばり、無理矢理にでも押し殺す。

 

 泣くな。泣くな。泣くな。まだそんなことをしている場合じゃない。感染者がいるなら感染源がいる筈だ。そいつを仕留ろ。仇を討て! ! 復讐しろ! !

 感傷的になるな。怒りと暴力で全てを処理しろ。今の自分に出来る事は、姉妹にしてあげられることはそれだけだ。壮助は銃身を何度も額に当てて、自分に言い聞かせる。

 

 レイジングブルのシリンダーから排莢し、使った分の弾を装填する。感染源を探すと言っても鈴音と美樹からは離れられない。何とかして2人を連れながら感染源を探せないか思考を巡らせる。

 

 ふと、玄関先から車のブレーキ音が聞こえた。アスファルトと摩擦する音からかなりのスピードを出していたのだろう。そこから2組の男女が降りて玄関先にやって来た。30代ぐらいの男性2人と10代後半の女の子2人だ。全員が武装していることから、民警ペアであることは明らかだった。

 イニシエーターの一人は玄関先でへたり込む鈴音に「大丈夫ですか?」と声をかけ、残りの3人が土足で家の中に上がり込む。彼らがリビングに来た瞬間、篭もった紫色血液の異臭で思わず鼻を押さえた。

 

「我堂民間警備会社だ。ガストレアの鳴き声が聞こえたと近隣から通報があった。これは君が? 」

 

「松崎民間警備会社所属プロモーター、義搭壮助だ」

 

 壮助は拳銃を下ろすと民警ライセンス証を見せる。我堂の民警たちが怪訝な顔を向けたのは考えるまでもなかった。

 

「何で他社の民警がここに? 」

 

「説明は後だ。1階リビングで感染者2名を処理。この家の夫婦だ。娘2人は偶然外出していたからケガはない」

 

「感染源は? 」

 

「分からねえ。こっちもたった今、感染者を処理したばかりだ」

 

 壮助から説明を受けた我堂のプロモーターは家の中を見渡し、壮助の言葉と共に状況を頭の中で整理する。

 

「家の中を検めさせて貰っても? もう少し感染源に関する情報が欲しい」

 

 ここは壮助の家ではない。日向一家の家だ。本来の住人である鈴音と美樹の了承を得たかった。目の前で両親がガストレア化し殺された今、2人ともそんなことを考えられる精神状態ではないだろう。そう思っていた。

 

「お願い……します」

 

 イニシエーターが持って来た毛布を肩にかけ、自分の足でリビングに来た鈴音が答えた。今にも事切れそうで、儚げで、支えてあげないと倒れそうだった。イニシエーターの一人は鈴音のことを心配し、彼女を支えようか否か中途半端に手が伸びている。

 

「俺も調べる。アンタらは周辺の捜索を――」

 

 手を引かれた。後ろに引っ張られた左手の先を見ると、鈴音の小さな手が彼の手首を握っていた。必死に抑えようとしている感情の機微が震えとして伝わる。

 

「ごめんなさい……。義塔さんは………私達と一緒に居て下さい」

 

 泣き叫んでいなくても、辛い思いをしているのは鈴音も変わらない。

 

「こっちのことは我々に任せてくれ。既にウチの営業所の連中が周辺を捜索している。それに――」

 

 我堂のプロモーターが壮助の肩を叩いた。

 

「遺族のケアも立派な民警の仕事だ。それは君に任せる」

 

 現場を経験した月日が違うのか、主導権は完全に我堂のプロモーターに握られていた。しかし、初対面ながらも彼らなら大丈夫だろうと安心した。

 

 

 

 

 「お取込み中のところ、失礼する」

 

 

 

 

 そう一言添えて、一人の女性が家に入って来た。フォーマルなスーツの上に「GCD agent」と印字された紺色のジャケットを羽織り、鋭い目付きに細いフレームの眼鏡をかけた姿はいかにもお堅く融通の利かない公務員といったイメージを彷彿させる。彼女の背後には同じジャケットを着た数名の男性が付いて来ており、全員が柔道でもやっていたのだろうか、肩幅が広く武闘派揃いだった。そこに存在すうだけで威圧を感じる。

 

厚生労働省・特異感染症取締部の宇津木だ。君達が日向鈴音、日向美樹で間違いないね? 」

 

「は、はい……」

 

 見た目通りの強気な喋り方をする宇津木を前に精神的に疲弊していた2人は力無い返事をする。

 宇津木は2人の返事を確認すると、背後に手を伸ばし、部下と思われる男性から1枚の書面を受け取った。

 その中身を自分の目で一瞥すると、それを広げて姉妹の前に掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「先日の検査で君達の侵食率48%超過を確認した。ガストレアウィルス拡散防止法に基づき、身柄を拘束する」

 

 

 




ふぅ~。ようやくほのぼの日常パート、回想パートを書き終え、数か月ぶりに戦闘パートに入りました。ブラック・ブレットの二次に恥じない怒涛の戦闘シーンをこれからも書いていければなぁと思っています。

第二章になってからずっとサボっていた登場人物紹介ページを更新しました。

このページの今後の方針の参考として、
他作者様もすなるアンケートといふものを我もしてみむとてするなり。




次回「死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵」


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死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵 ①

皆さん明けましておめでとうございます。
今年も「ブラック・ブレット 贖罪の仮面」をよろしくお願いします。


 2031年 東京エリアでとある法律が制定された。

 

 ガストレアウィルス潜伏感染者問題基本法

 

 この法律は、ガストレアウィルス潜伏感染者(呪われた子供)を全ての国民と等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであることを明確にし、全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現することを目的とする。

 

 通称「ガストレア新法」である。

 

 世界で初めて呪われた子供の人権を保障したこの法律は制定以前から聖居内部、各省庁、国会で懸念の声が多数上がり、天童菊之丞補佐官も難色を示していた。特に議題となったのは犯罪者や侵食率が50%近くに上昇した彼女達への対処だ。今まではグレーゾーンであるが故に人間相手には出来ない措置を取ることが出来た。警察や民警の現場ではそれで犯罪被害や感染爆発(パンデミック)の拡大を防いできた実績があり、その声は政治の場まで汲み上げられた。法律で彼女達の人権を認めてしまえば、赤目ギャングやガストレア化秒読み前の少女に対して人道的な手段しか取れなくなる。手段の限定は現場で対処する警察官や自衛官、民警の犠牲者を増やすだけでなく、一般市民の犠牲者も出すことに繋がる。

 聖天子および賛成派もその点には理解を示し、現場で対処する警察官や自衛官、引いてはガストレアウィルスを持たない国民の安全を確保するため案を提示し、反対派との交渉で妥協点を作った。

 対赤目ギャングを想定した警察へのバラニウム弾供給、呪われた子供の身体能力を抑制する薬剤開発の推進、呪われた子供の犯罪者収容に適した刑務所の建設、そして翌年に施行されたガストレアウィルス拡散防止法もその一つであった。

 聖居は呪われた子供に定期的に侵食率の検査を受ける義務を設け、その数値を厚生労働省・特異感染症取締部が管理する体制を作った。呪われた子供の中で侵食率が48%を超過、また48%以下でも急激な上昇が認められた場合、特異感染症取締部には潜伏感染者の身柄を拘束する権限が与えられる。

 

 

 それは、呪われた子供を国が管理することで人々に安心を提供するための法律だった。

 

 

 

 

 

 

「我々としても手荒な手段は取りたくない。賢明な判断を」

 

 何もかもが壊れた日向家の玄関で、宇津木 特異感染症取締官は冷たく言い放った。彼女は鈴音達のことを気の毒とは思っていないだろう。ガストレア化寸前の呪われた子供を拘束し、人々を守るのが彼女の仕事なのだから。しかし、その言動には冷たさだけでなく、敵意を感じる。まるで人間の生活圏に紛れた怪物を非難するような口ぶりだ。

 

「ま、待って下さい。先月の検査で私は11%って言われています。そんな、いきなり48%だなんて……」

 

「わ、私だって6%って……」

 

 日向姉妹は月に一度、瑛海市民病院に通っている。表向きは幼い頃患った難病の経過観察という名目だが、実際は定期的な侵食率の検査のために行っており、壮助と一緒に行った際も毎月の侵食率検査のために行っていた。病院で採血し、2人は今月の結果を待つ身だった。

 

「今月、貴方達から採取した血液を検査したところ、日向鈴音は48.9%、日向美樹は48.5%であることが判明した。これから君達の身柄を国立特異感染症研究センターに移送する」

 

 両親がガストレア化し、次は自分達がガストレア化寸前と宣告されて、思考がパンクし、感情が混乱し、もう何を想えばいいのか分からない。

 2人の前に壮助が割って入る。

 

「ちょっと待てよ。こいつら、たった今、両親が死んだばかりなんだぞ。48.9%って言ったって、明日明後日にガストレア化する訳じゃねえ。気持ちの整理をつける時間ぐらい待てねえのか」

 

「それは一般的な侵食指数の話だ。先月が12%、今月が48.9%なら彼女達の侵食指数が尋常ではないことぐらい君も理解できるはずだ。今、この瞬間にも周辺住民はガストレアに襲撃される危機に晒されている。それを放置して我々に帰れと? 彼女達がガストレア化して犠牲者が出た時、君は責任が取れるのか? それとも犠牲者が出る前に彼女達をその銃で撃ち殺すか? 」

 

「てめぇ……言い方ってもんがあるだろうが」

 

「退いて頂こう。これ以上は公務執行妨害とみなす」

 

 その侵食率が本当なら、それは正論なのだろう。この対峙に正邪があるとすれば、2人の気持ちを守ろうとする壮助と不特定多数の命を守ろうとする宇津木では、明らかに向こうに軍配が上がる。法と正義が彼女の味方なのだ。

 

「行きます」

 

 鈴音が口を開いた。耳を済ませないと聞こえない、大衆を魅了した天使の歌声とは思えないくらい微かな声だった。これが今の彼女が出せる精一杯なのだろう。

 

「ね、姉ちゃん」

 

「行こう。美樹。もしかしたら、何かの間違いかもしれないし」

 

 鈴音は美樹の手を握ると彼女を立ち上がらせた。恐怖で震え上手く立ち上がれない。今にも泣き出しそうな顔をしている。宇津木の部下が肩を貸そうとすると「大丈夫」と言って、何とか自分の力で立ち上がる。

 

「義塔さん。短い間でしたけど、楽しかったです。ありがとうございました」

 

 宇津木の部下が2人を囲む。これが最後に見る姉妹の姿になるかもしれない。それは姉妹にとっても同じで、2人は目に涙を浮かべ、「助けて」と言っているかのようにずっと壮助の方を振り向いている。

 壮助から見て壁になるように男たちの幅広い身体が2人の姿を遮った。

 

 一瞬、普通のクラスメイトだった頃の藍原延珠の顔が浮かんだ。

 

 

 

 

 ――同じだ。6年前のあの教室と……。俺は悪になるのが恐くて、みんなの敵になるのが嫌で、何もしないで逃げ出した。

 

 何が民警だ。何が機械化兵士だ。俺は……何も変わってないじゃないか。

 

 

 

「おい」

 

 振り絞った一言で宇津木たちを止める。

 

「俺も同行させてくれ。あんたらの邪魔はしない。それくらい良いだろ」

 

 具体的な解決策などない。同行したところで状況は変わらない。ただ、何もしないよりはマシで、彼に出来ることはこれしかなかった。

 宇津木は壮助を一瞥する。彼の背後にいる我堂の民警達にも目を向ける。彼女なりにここの事後処理のことも考えているのだろう。一考した後、彼女は「構わない」と承諾した。

 

「規定で親族や友人の同行は認められている。但し、君の持ち物は預からせてもらう。銃は弾を抜いて渡せ」

 

 壮助は右手に握っていたレイジングブルのシリンダーをスライドさせ、弾を抜き取って宇津木に渡した。弾、財布、スマートフォンも催促されたので素直に渡す。更に彼女の部下が何か隠し持っていないかボディチェックを行う。

 

「問題ありません」

 

「分かった。3人とも連れて行け」

 

 男たちが肉の壁を開き、そこに壮助も入れる。彼が来たところで何も変わらなかったが、2人は安心して、少しだけ笑みを浮かべた。

 宇津木の部下たちに四方を囲まれながら玄関を出た。外に出ると騒ぎを聞いた近所の人が集まっており、野次馬と化している。日向家の名前を叫ぶ声やそこが鈴之音の自宅だと知り驚愕する人、スマホで撮影してフラッシュを焚く人、様々な声に囲まれながら3人は外で待機していた護送車に乗せられた。

 主任の宇津木、彼女の部下3名が同席し、他の部下たちは別の乗用車に乗り込む。

 

「出せ」

 

「了解」

 

 エンジンがかかり、車が移動し始めた。改造で窓を潰した後部座席の中で自分達が日向家から遠ざかっていくのが分かった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 護送車を走らせて1時間、アスファルトの凹凸を越えて揺れる車体の中で重い空気が漂った。時たま他の車のエンジン音や信号機のメロディが聞こえるが、次第にそれも聞こえなくなってくる。

 行先は国立特異感染症研究センター。厚生労働省直轄の研究機関であり、東京エリアのガストレアウィルス研究の最先端技術がそこに集約されている。拡散防止法で拘束された呪われた子供は主にここに移送される。

 しかし、センターに送られたところで彼女たちが救われることはない。侵食率が上昇しにくい生活の指導やカウンセリングがせいぜいのところであり、現代医学でも侵食を止める術は見つかっていない。彼女達をここに移送するのは治療と言うよりは治療法を見つけるための実験台の提供が主な目的となっている。

 50%近くになると本人に安楽死を薦め、人として死なせる方針を取る為、内地に住む呪われた子供や人権団体からは「赤目専用の処刑場」「極東のアウシュヴィッツ」と呼ばれ忌み嫌われている。

 宇津木がこれからのことについて姉妹に説明するが、頭に入っていないだろう。2人は終始無言で、壮助もどう声をかければいいか分からないまま時間が過ぎていく。

 

 突然、重力の向きが180度変わった。車が横に転がり、ドラム式洗濯機のように車内が掻き回される。全員シートベルトを着けていた為、回転の中で落とされることは無かったが、自分の背中が地面に落ちた時の衝撃で頭が振り回される。

 車は天地がひっくり返った状態で静止し、全員がシートベルトで上になった席に固定されていた。幸い、全員が頭を強打することなく意識を保っている。

 宇津木は上下逆さのまま内線のコードを引っ張り、受話器を手繰り寄せる。

 

「何があった! ? 状況を報告しろ! ! 」

 

 送り先は運転席だろうか。向こうから連絡はない。もしかすると今の衝撃で運転手、助手席にいた彼女の部下は気絶しているかもしれない。

 

「鈴音。美樹。大丈夫か? 」

 

「だ、大丈夫です」

 

「頭ぶつけた」

 

「大丈夫そうだな」

 

 姉妹が無事なことに壮助は安堵の笑みを浮かべる。

 

「義塔さん。一体何が……? 」

 

「んなもん。俺が説明して欲しいよ」

 

 何かが起きたのは確かだ。それが事故なのか襲撃なのかはまだ判断できない。どちらにせよ、今身動き取れないのが危ないことは確実だった。2人にシートベルトを外すように指示を出す。

 同時に壮助も自分のシートベルトを外す。頭から落下しそうになるが座席を掴み、鉄棒の逆上がりの要領で足から着地する。美樹も動きを真似して一人で安全に着地する。呪われた子供でも姉妹でも運動神経に差はあるのか、うっかり頭から落ちそうになる鈴音を受け止める。

 

 

 ガンッ! !

 

 

 車体後部の扉を叩く音が響いた。全員が驚き硬直し、ぶわっと冷や汗を流す。外が見えないように改造された仕様のせいで何が起きているのか見えない。ドアを叩いているのは人か、ガストレアか、それとも呪われた子供か、あらゆる可能性を想定して全員が身構える。

 宇津木と彼女の部下は前に出てニューナンブM60の銃口をドアに向ける。

 

「おい。俺の銃返せよ」

 

「駄目だ。ここは我々が対処する」

 

 観音開きの後部ドア、その中央の境目をバールが貫き、ドアをこじ開けた。金属の軋む音と共に左半分の扉が引き千切れて後方に飛び、小さな人間の手が右半分もこじ開けた。

 12~13歳ぐらいの少女だった。スカーフとキャップで顔を隠しているが、その瞳は赤く、瞼の上に傷跡を模した刺青が見えた。皺の目立つロングTシャツに薄汚れたスニーカー、右手にはバールを左手には拳銃を握った姿は、向こうが名乗るまでもなく外周区の赤目ギャングだと分かった。

 宇津木と彼女の部下がギャングに照準を合わせ、引き金に指をかける。しかし彼女達の指よりも少女が速かった。左手に握った拳銃で部下の足を撃ち抜き、バールの峰で鳩尾を殴打。赤目の力で筋力を増強させたのだろう。身長180越え、体重100キロ越え、武道の経験も豊富そうな巨漢が一発でダウンする。狭い車内で少女のハイキックが炸裂。宇津木の顎に直撃し、下顎と共に眼鏡が飛ぶ。その衝撃で脳震盪を起こし、宇津木は壁にもたれて倒れた。

 2人を伸したバールの少女は壮助たちに銃口を向ける。車体の外から銃声が聞こえる。何度も続く単発の炸裂音、護送車に随伴していたクラウンが襲撃され、宇津木の部下と赤目ギャングが拳銃同士で撃ち合っているのだろう。

 銃撃戦は数秒で終わった。同等の火力、圧倒的に差がある身体能力という条件でどちらが勝者か考えるまでもなかった。

 

「来い。手を挙げたまま外に出ろ」

 

 バールの少女は銃口を向けたまま下がり、壮助たちに外に出るように促す。

 武器は奪われたまま、機械化兵士と言えど姉妹を守りながら複数の武装した呪われた子供を捌ける自信は無い。敵の人数も武装も不明のまま。バールの少女に従うしかなかった。

 3人は外に出て護送車がようやく外周区近くの高速道路を走行していたことを知る。

 国立特異感染症研究センターは感染爆発の可能性を考慮して人口密集地ではなく、居住者の少ない外周区付近に設立されている。東京エリアは外周区やモノリスに近くなるほど治安が悪くなるため、モノリスを警護する自衛隊や外周区に置かざるを得ない公的機関への安全な輸送を目的とした高速道路が建設されている。

 

 時間帯の関係か、護送車と随伴していたクラウン以外の車両は見当たらない。相手に気付かれないように目を動かし情報を集める。見た限りでは襲撃者、スカーフェイスのメンバーは7人。彼女達が乗って来たと思われるバイクやワゴン車が散見される。拳銃とナイフのみの少女がいれば、マチェットを持った少女、自動小銃を抱える少女――と装備は共通しておらず、全員がバラバラだった。

 スカーフェイスの少女たちが鈴音と美樹を背後から取り押させる。鈴音は大人しく腕を後ろに組まれ、美樹は目を赤くして抵抗する。しかし、同じ呪われた子供でも平和な世界で生きた美樹と硝煙の匂いが絶えない世界で生きたギャングでは力に天と地の差がある。

 諦めずに抵抗する美樹を鬱陶しいと思ったのか、拳銃のグリップで美樹を殴打し気絶させる。続いて、妹を殴られて激昂すると予想したのか、まだ何もしていない鈴音も殴打する。

 

「てめぇら……何が目的だ? 」

 

 壮助は問うが、ギャングたちは答えない。その答えの代わりと言わんばかりに銃口を向ける。

 相手は10人の武装した赤目ギャング、こっちは丸腰の人間。更に人質まで取られている。傍から見れば、逆転の余地がない絶体絶命の状況だった。しかし、壮助はスカーフェイスの行動を思い出す。彼女らの目的は今でも分からないが、少なくとも鈴音と美樹は“連れ去るという手間をかけなければならない対象”であることは明確だった。そうなると彼女達を人質とにすることは出来ず、日向姉妹を守るという壮助のハンデは無くなる。壮助が守らなくてもスカーフェイスが姉妹の身を守るのだから。

 

 壮助は「ふっ」と不敵な笑みを浮かべた。

 

 足裏と地面の間に斥力点を展開、地面と足裏で相反するベクトルで自分を跳ね上げ、目の前のギャングの少女との距離を詰める。減速せず勢いを乗せた掌底を打つ。スピードがそのままパワーへと代わり、相手の肋骨を軋ませ、へし折る感覚が生で手に伝わる。

 

「吹っ飛べ! ! 」

 

 畳みかけるように手の平に斥力点を作り、自分を跳ばした時と同じ容量でギャングを数メートル離れたフェンスに叩きつける。

 

「こいつ! ! 」

 

 壮助の背後で姉妹を取り押さえていたギャング2名が銃口を向ける。

 

 ――線形流動装甲・多重展開 詐蛇群狩(イツワリヘビ・ムラガリ)

 

 

 壮助の服の中から、背中から無数の黒い金属繊維が湧き上がる。

 室戸菫からのプレゼント“軟質バラニウム合金繊維”だ。新人類創造計画において、生体内の微弱な活動電位を感知し義肢に伝えることで本物の手足のように動かす疑似神経線維として開発され、里見蓮太郎を始めとした機械化兵士たちに利用された。軽量性、柔軟性に優れるが、義肢の最重要部品として位置づけられたそれはフレームに使用されている超バラニウムに引けを取らない耐性をを誇る。

 壮助がプレゼントされたのは機械化兵士に使用されず、余剰在庫としてダンボールの中に眠っていたものたちだった。新人類創造計画が凍結された今、朽ち果てる運命だった憎しみ色の繊維は斥力フィールドに包まれ、本来想定されていなかった方法で日の目を見ることとなった。

 軟質バラニウム合金繊維は斥力フィールドにコーティングされ、フィールドの変形により生きた海蛇のようにうねる。その動きはコンピュータ制御のように動きが一律化され、絡み合い、4本の黒い触手となって駆動する。

 触手は直進し槍状の先端でギャングの腕を刺突。貫通した螺旋槍は解れ、再び黒い繊維となり腕に纏わりつく。自立駆動するバラニウム繊維という異様な光景、そんな訳の分からない存在に2人はパニックになり、バラニウム繊維を引き抜こうとするが、展開した先端が返しとなって傷口を広げる。

 

「お返しだ」

 

 ギャング達は壮助の言葉の意味が分からなかった。彼女達はそれを理解する前に後頭部を鉄の塊で殴られ、日向姉妹と同じように地面に突っ伏せる。

 腕に纏わりつく触手に気を取られ、残り2本が自分達を通り過ぎていたことに気付かなかった。それが落ちていたニューナンブを掴み、銃把(グリップ)で後頭部を殴ったとは夢にも思わなかっただろう。

 

 背中から伸びる4本の触手、それぞれが先端を手のように展開させ、宇津木と部下が持っていたニューナンブ2挺、倒したギャング達から奪ったトカレフ2挺を握り、残った4人全員に照準を向ける。

 

 その姿は阿修羅像の如く――。

 

 普通の人間でも呪われた子供でもない、ガストレアとも違う未知の能力を前にして全員が狼狽える。これが身代金目当ての誘拐や現金護送車と間違えた馬鹿集団ならすぐに退散する。しかし、彼女達にも退けない理由があるのだろう。足摺りして下がるが、壮助が隙を見せる瞬間を窺っている。

 

 

 

 「下がれ。こいつの相手は私がやる」

 

 

 

 8人目の声と共に4人の表情が変わる。緊張から安堵へ、敗北の可能性が勝利の確信に変わる。

 彼女が動いた――。

 壮助の前で構える4人の背後から小柄な少女が現れた。

 真夏だというのに彼女は脹脛まで届く黒茶色のマントで自分を被い、立てた襟と目深なフードで顔を隠している。風になびく姿は砂漠の放浪者のようであり、襟とフードの隙間から赤く輝く目、瞼の上に傷を模した刺青を覗かせた。

 

死龍(スーロン)。あいつタダ者じゃねえ」

 

「問題ない。機械化兵士の相手は()()()()()




皆さん。2020年になりました。
原作だとそろそろガストレアが出る時代ですね。

ガストレア化した神崎先生が広辞苑並みに書き溜めたブラック・ブレット8巻を出すことを待ち望みながら、今年も自給自足の二次創作をひっそりと書いていけたらいいなと思っています。

今回の補足説明

Q1:宇津木の部下はボディチェックしたのにバラニウム合金繊維に気付かなかったの?

A1:松崎民間警備会社でティナから受け取った時に斥力フィールドコーティングで動かし、ベルトやリストバンドに擬態させていました。また服の中でも身体に巻き付けて隠しており、ボディチェックされた際は手から逃れるように絶えず斥力フィールドで動かしていました。

次回「死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵②」


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死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵 ②

 勾田大学病院で菫の検診を終え、森高詩乃が日向家に戻ったのは夜8時、壮助達が特異感染症取締部に連行されてから15分後のことだった。家に電気は点いておらず、周辺には人だかりが出来ている。警察が駆け付けており、対ウィルス防護服を着た男たちが玄関から家に入る。ガストレアウィルスの除染作業を行う専門業者だ。

 警察の無線連絡、除染業者や野次馬の会話、彼女の鋭敏な聴覚に様々な情報が入って来る。同時に日向家の中から濃いガストレアウィルスの匂いが刺さった。

 

 そして、彼女はそこで何が起きたか理解した。

 

 日向家の中で経験した家族という存在。論文を片手に正面から真剣に語り合う勇志、2階の寝室で自分に化粧を教える恵美子の姿が浮かぶ。彼らが死んだ。その現実にショックを受けつつも今は無理矢理飲み込む。ここで涙を流したところで死者は蘇らない。今自分に出来るのは、生きている人達の為に動くことだけだ。

 壮助のスマートフォンに入れた位置情報発信アプリで彼の位置を探る。彼の居場所が地図上に示される。外周区に向けて移動しており、高速道路の先に国立特異感染症研究センターがある。

 壮助は感染源を我堂PGSに任せ、日向姉妹と一緒に行くことを選んだ。何か考えがあるのか、成り行きでそうなったのかは分からない。それを確かめなければならない。その上で彼に問いたい。自分に出来ることは何か、自分がするべきことは何か、それは自分の頭で答えが出たとしても“義塔壮助の言葉”でなければならない。

 

 それ以上に、日向夫妻を手にかけた壮助が自殺してしまわないか心配だった。

 

 詩乃は人ごみを尻目に走り出した。目を赤く輝かせ、脚力を強化して駆け抜ける。スピード特化型イニシエーターでは無いが、それでも乗用車並みのスピードで走り、飛び跳ねることが出来る。それに加えて、菫の治療のお陰か今は身体が軽く、倦怠感も少し和らいでいた。

 後方から聞こえるバイクのエンジン音。排気量1500cオーバーの大型バイクが法定速度ぶっちぎりで詩乃を追い越し、ブレーキターンで彼女の進路を塞ぐように止まった。

 

「おい! ! そこのイニシエーター! ! 」

 

 バイクを運転する女性のハスキーボイスが詩乃を呼び止める。何故、自分がイニシエーターであることを知っているのか、商売敵か、それとも単純な敵か、警戒して身構える。

 

「お前、日向鈴音を追っているんだろ? 」

 

 詩乃は黙ったまま頷く。

 

「乗れ。少なくともお前の足よりは速い」

 

 彼女の言葉を信じて良いか分からなかったが、それは嬉しい提案だった。有り余っているとはいえ体力を温存するに越したことはない。それに1秒でも早く壮助のところに行けるのであれば、彼女が何者であろうと乗らない理由は無かった。敵であり、騙すつもりなら、その時はその時だ。

 

「乗るのは構わないけど、一つ聞いて良い? 貴方……誰? 」

 

 

 

 

「鈴之音のファンだよ。()()()()()からずっとな」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 神出鬼没の赤目ギャング 「スカーフェイス」リーダー 死龍(スーロン)

 

 彼女は4本のバラニウム合金繊維の腕を見ても、それを背中から出す壮助を見ても驚く素振りも魅せない。その体躯はスカーフェイスのメンバーの中で一番小さいが、メンバー全員が彼女の言動に固唾を呑む。スカーフェイス内部での絶対的なカリスマが窺える。

 死龍はマントの下から散弾銃ベネリM3ショートモデルを出し、銃口を壮助に向ける。

 

「このままでは目標の回収もままならない。全員であれを潰す」

 

「了解」

 

 ベネリM3の発砲と共に再戦の狼煙が上がった。

 壮助は足裏に斥力フィールドを展開。足裏と地面の間に反発を作り、フィールドの形状とベクトルを調節することでアスファルトの上を滑走、セミオート機構で連続射出される弾丸から逃れる。

 日向姉妹に当たるのを恐れているのか、死龍は散弾ではなくスラッグ弾を使っている。ライフルに比べれば射程距離は短く、ライフリングも無いため安定性に欠ける。しかし弾丸そのものの大きさ、重さが威力に代わり、大型ガストレアを屠る重い一撃になる。

 メンバーから放たれる拳銃弾、ライフル弾からも回避運動を取りながら、襲撃で廃車同然となったクラウンの影に隠れる。

 ふと足元を見ると壮助の愛銃(半年前購入)レイジングブルが数発の弾丸と共に落ちていた。襲撃された衝撃で窓から飛び出したのだろう。

 レイジングブルのシリンダーに拾った弾を装填。直後に斥力滑走で影から飛び出した。4本腕のニューナンブとトカレフをまばらに発砲し、死龍以外のメンバーを牽制。彼女達の足が止まった一瞬、4本腕の照準を死龍に向ける。

 脳を介して賢者の盾に送られた壮助の五感の情報、逆に賢者の盾から脳へ送信される斥力フィールドの形状や受けた圧力の情報、両者の送受信が常に行われることにより、4本腕は壮助の生身の手足同然のレベルで彼の思考とリンクしている。

 バラニウム合金繊維の指がトリガーを引いた。4本それぞれのタイミングに差をつけ、断続的に弾丸を射出。拳銃と言えど4挺もあればそこそこの弾幕になる。しかし、死龍はジグザグに動いて弾丸を回避する。赤目の力を発動させたのだろう。小柄な体躯とマントによる錯視効果、彼女自身の脚力と反射神経でまるで当たらない。

 だが、そんなことは想定の範囲内だった。1発も当たらなくて結構。4本腕の銃口を死龍に向けつつ、壮助は生身の手に握ったレイジングブルを彼女達の多目的スポーツ車(SUV)に向け、トリガーを引いた。全てはブラフ、本命は移動手段を潰すことだ。鈴音達を確保しても移動できなければ意味がない。

 しかし、弾丸はタイヤに届かなかった。見えない壁に当たったのか、何もない空間で弾丸は潰れ、垂直に落下する。

 

「まずは足を潰そうとした訳か。ただの馬鹿ではなさそうだ」

 

 風を切る音、その直後、壮助の胴に強い衝撃が走る。彼の身体は宙に浮き、地面に平行して飛ばされ、アスファルトの上を転がる。血反吐を吐いている暇はない。自分が立ち上がるまで敵は待ってくれない。転がる中で何発もの銃声が聞こえる。

 弾切れになったニューナンブとトカレフを捨て、4本腕は遠くのアスファルトを掴み、筋肉の収縮を再現することで壮助の身体を強制的に移動させる。自分のバラニウム繊維に引っ張られ、護送車の影に再び隠れた。

 

 ――見えなかった。

 

 彼女達の目的は「日向姉妹を傷つけずに確保すること」らしく、護送車を盾にされた今、迂闊に発砲できない。影で壮助が何をしているのか分からず、警戒しながらにじり寄る。

 息を整え、壮助は自分が何をされたのか思い出す。しかし、思い出しても答えは出ない。銃で撃たれたわけではない。誰かに殴られたり蹴られたりした訳でもない。分かることは見えない攻撃が自分を飛ばしたということだけだ。金属製のスレッジハンマーで腹を殴打されたような痛みだ。咄嗟に斥力フィールドで衝撃を緩和し、尚且つ腹の中がバラニウムでなければ死んでいた。

 月明りを遮り、影が壮助を被った。見上げると護送車を飛び越えた死龍が空中で散弾銃を構えていた。咄嗟に斥力点で自分を飛ばし、地面を穿つスラッグ弾を回避する。バランスを崩しながらも死龍と距離を取った壮助は4本腕を解し、無数のバラニウム繊維に戻す。

 

――線形流動装甲 多重展開 詐蛇群狩

 

 斥力フィールドにコーティングされ、無数のバラニウム繊維が迫る剣山となって、死龍に驀進する。スラッグ弾で防ぎ切れない数の暴力、その上、彼女の身は空中にあり回避運動が取れない。

 

 

 死龍の全身が串刺しになるまで、残り0.5秒――

 

 耳に届く風を切る音、金属が擦れる音、モーターの駆動音、それと共に剣山が見えない何かに叩きつけられて折れ曲がる。斥力フィールドが崩壊し、動力を失ったバラニウム合金繊維はただの金属ワイヤーとなって地面にへたれ落ちる。

 見えない何かは再び壮助の身を打ち飛ばし、最初に倒された仲間の仕返しと言わんばかりにフェンスに叩きつける。肺を押し潰す衝撃で血反吐を吐く。それでもまだ足りないのか、続けざまに数発の銃声が聞こえた。

 壮助の下腹部が赤く滲み、シャツが吸いきれなくなった血液が地面に流れ出る。死龍のスラッグ弾が壮助の身体に穴を開けていた。額も掠ったのだろうか、視界の半分が自分の血で見えなくなる。傷口を被った手を押し、遠のきそうな意識を痛みで無理やり現実に引き戻す。

 飛ばされた隙にスカーフェイスのSUVが護送車の横に停車し、ギャング達が日向姉妹と倒れたメンバーを後部座席に詰める。こういう仕事は経験豊富なのだろう。30秒も経たずに彼女達は手際良く仕事を済ませる。

 

「そいつらに触るんじゃねえ! ! 」

 

 壮助はレイジングブルをSUVに向けトリガーを引く。しかし、弾丸は再び見えない壁に阻まれて虚しく落下する。

 金属を擦る音、モーターが駆動する音が近づく。直後、全身に強い衝撃が走る。壮助の身体が宙に浮き、フェンスに叩きつけられる。全身が固定されて動けない。巨大な金属の手に全身を固定されているようだ。斥力フィールドを発生させて弾き飛ばそうとするが、出力がまるで足りない。

 

「機械化兵士にしては随分と呆気なかったな」

 

 死龍がゆっくりと歩み寄り、ベネリM3の銃口を頭に向ける。まだトリガーは引かない。余韻を楽しんているのか、それともここまで抵抗した壮助に対する彼女なりの礼儀か。

 

 

 

 

「さようなら。義搭壮助。一度、君と遊べて良かった」

 

 

 

 ――何で、俺の名前を。

 

 

 

 その瞬間、光が2人を照らした。追い詰められ過ぎて、あの世からのお迎えの幻覚でも見ているのだろうか。遠くからバイクのエンジン音が聞こえてくる。どうやら、あの世からの使者は大型二輪に乗って来るらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「壮助! ! 」

 

 聞きたかった声と共に重機関銃のフルオート射撃音が耳に轟く。放たれた10発の7.62×51mmはフルオート射撃とは思えない制動力で、全弾が的確に死龍を狙う軌道を描く。

 死龍は弾丸を見えない何かで防ごうとせず、赤目の脚力で回避する。逃げるコースを誘導するかのように機関銃は射撃を続け、弾幕は死龍を後ろへ後ろへと追い立てる。不可視の腕に掴まれた壮助は死龍の動きに合わせて振り回される。

 黒い外装にホワイトグレーの六角形のエンブレムが目立つ大型二輪は高トルク大出力のエンジン音を唸らせながら後方に下がった死龍に突撃する。排気量1500ccオーバーのモンスターマシンを操る女は時速200キロを維持したまま左手をハンドルから離し、後付けのハードポイントに差していたバラニウム短槍を握る。

 その姿は騎兵の如く、先端の刃を死龍の首に向ける。

 死龍は不可視の腕で掴んだ壮助を騎兵に向けて投げつける。

 

「森高! ! そっちは任せた! ! 」

 

 騎兵の女が叫び、2人乗りで後部に座っていた詩乃が走行中のバイクから降りた。右手に握ったM60機関銃を放り棄て、アスファルトとの摩擦でスニーカーを焼きながら両手と身体で壮助をキャッチする。

 バイクは一直線に突き進み、騎兵の女は単槍の刃を突き立てた。死龍はマントの下に隠していたナイフを出し、槍の軌道を逸らす。皮膚の上、数センチのところで刺突を回避する。

 騎兵の女は死龍を通り越すとスピンターンの途中でブレーキをかける。前輪と後輪が並んでブレーキ痕を残し、騎兵の女は死龍から目を離さず、短槍の先端を向ける。

 想定外の増援、人質に出来た筈の壮助を手放すという失態、バイクの女と義搭ペアに挟まれた現状を前に死龍の動きが止まる。死龍は双方の動きに気を遣いながら、様子を窺う。

 

「壮助。大丈夫? 」

 

「ありがとう。マジで助かった」

 

 壮助は額から流れる血を拭い、死龍を、その先の騎兵の女に焦点を合わせる。

 彼女はヘルメットを装着せず、ダークパープルに染めたロングヘアを風に靡かせる。外国の血が入っているのだろうか、その顔ははっきりした目鼻立ちをしているが、同時にアジア人らしい可愛げを残している。180cm越えの長身とスポーツ選手のような筋肉質な体格だが、ライダージャケットのジッパーが留められず、ジーンズもはち切れそうなほど胸と尻の主張があまりにも激しい。少なくとも彼女を男と認識する者はいないだろう。

 

「よう。死龍。ウチの()妹分が世話になったな。たっぷりお礼してやるよ」

 

「そういうのは、得物を向けながら言う者ではない。()()()

 

 死龍が放った騎兵の女の名前、鈴音から聞かされた“エール”という名前の少女、日向家近くに現れた大物ギャングの情報、それを聞いた瞬間、壮助の内に秘めていた推測が確定事項に切り替わる。

 

 

 赤目ギャング 「灰色の盾」リーダーにして、西外周区最優の闘争代行人(フィクサー)

 

 

 

 通称 “エール”

 

 

 

 ――喜べ。クソバカ姉妹。お前らのヒーローは生きていたぞ。

 




Q:背が高くて、おっぱいもお尻も大きくて、かっこいいお姉様は大好きですか?

A:はい!!大好きです!!

今回、登場した「エール」は、そんなジェイソン13の趣味が詰まったキャラになります。


次回 「死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵 ③」


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死を喚ぶ龍と死に損ないの騎兵 ③

 灰色の盾

 

 スカーフェイスに並び、西外周区で名を轟かせる呪われた子供の武装集団だ。

 元々は大戦で放棄された電車や家電製品などを分解し、その資材の売却することで生計を立てていた集団だったが、反赤目団体や他のギャングとの抗争を機に武装化し、現在はみかじめ料や民警代行、闘争代行屋を主な収入源としている。2033年に呪われた子供の人身売買や違法風俗経営に手を伸ばしていた民警会社「CALLセキリュティ」との抗争で10倍の戦力差を覆し、一方的に壊滅させたことで一躍有名となった。

 少数精鋭を貫き、過度な勢力拡大を望まず、表社会と裏社会の線引きを厳守する在り方はリーダー エールのカリスマもあって、外周区のみならず内地の暴力団や民警業界、警察にも(良い意味と悪い意味で)一目置かれている。

 

 

 

 

 ――と、そう噂されている。

 

 

 

 

「おい! ! 闘争代行人(フィクサー)! ! 鈴音と美樹は連中の車だ! ! 白のランドクルーザー! ! 44-83だ! ! 」

 

 初対面で会話すらしていない。灰色の盾やエールに関する評判が真実なら、彼女が鈴音の語った通りの人間で、6年経った今でも変わっていないのだとしたら――。壮助は、そんな不確定要素だらけの希望に縋り、エールに賭けた。

 

「5分だ! ! 5分持ち堪えろ! ! 」

 

 それは「5分で鈴音と美樹を救出し、戻って来る」という意味だろうか、壮助と詩乃に死龍を任せて大丈夫だろうかと一抹の不安が過る中、エールは背を向け、バイクは爆発的な加速力で視界から消えて行く。死龍はエールを追おうとせず、静かに見送る。

 詩乃が突然、壮助からレイジングブルを奪い、死龍に向けて弾丸を放った。狙いが外れたのか弾道は何も無い空間への軌道を描くが、金属と金属がぶつかり合う音と共に弾丸が潰れ、地面に落ちる。

 

「エールの邪魔はさせない」

 

 エールを見ていた死龍は驚き、踵を返して詩乃に目を向ける。

 

「お前……()()が見えるのか? 」

 

「私って、光学迷彩が通用しない系女子だから」

 

 マッコウクジラの因子を持った詩乃は聴覚が飛び抜けて優れており、反響定位(エコーロケーション)によって暗闇でも物体の位置や形状、周囲の状況を博することが出来る。死龍の見えない何かが幽霊などではなく、そこに確実に存在する物体であるならば、音で見える詩乃に把握できない筈が無かった。

 

「まぁ、良い。こちらもそろそろバッテリー切れだ」

 

 月明かりが照らす夜、藍色の空が滲み、何もない空間に黒い龍が姿を現した。全長4~5m、太さ30cm、同じ形状のバラニウム装甲が何重にも繋がる蛇腹構造。内部フレームも多関節なのだろうか滑らかな曲線を描く動きを見せる。死龍の背後から伸びるそれは尾のように駆動し、マニピュレーターのある先端を壮助と詩乃に向けた。

 

「壮助。動ける? 」

 

「立っているのがやっとだよ。クソッ。赤目の機械化兵士とか反則じゃねえか」

 

「レイジングブルの弾ちょうだい」

 

 壮助はポケットの中に入れていた残りの弾を詩乃に渡す。詩乃は慣れた手つきで排莢、渡された弾を装填する。

 

「私が前に出る。壮助は……()()()()そこの機関銃で援護して。()()()()()()()()()()()

 

 それは壮助が機械化兵士になる前のいつものフォーメーションだった。一般的なプロモーターとイニシエーターの陣形。機械化兵士になった今、もうその陣形を取ることは無い、詩乃と同じ距離で戦えると、そう思っていた。そんな思い上がりを否定されたどころか、詩乃に「出来たら」「無理はしなくていい」と配慮されている自分に苛立ちを覚えた。

 

 詩乃はレイジングブルを片手に前進。赤目の力を使った跳躍は一瞬で死龍との距離を詰める。標的まであと3m。詩乃は次の一歩を強く踏んだ。足が道路を突き破って足首まで埋まり、ひび割れた表層のアスファルトとコンクリートを蹴り上げ、サッカーボールサイズの塊を飛ばす。

 死龍は詩乃が飛ばした塊を軽々と躱す。巨大なバラニウムの尻尾を背負っていると重く感じるが、尻尾が動くことで彼女の重心を動かし、回避行動を補助している。

 死龍の尻尾の先端が詩乃を向く。先端のマニピュレーターに目でもついているかのように詩乃の動きを追い、遊ぶかのようにクネクネと動きながら先端のマニピュレーターで噛み付こうとする。尾が襲い、詩乃が回避する攻防が続く。

 尾が詩乃の相手をしている間に死龍はショットガンを構え、壮助を狙った。詩乃が落とした機関銃を拾わせないよう彼と銃の間に着弾させ、彼を警戒させる。読み通り、壮助は機関銃を拾えず護送車の影に隠れた。――直後、バラニウム合金繊維の腕が伸びてM60を拾おうとするが、スラッグ弾を叩き込みM60を完全に破壊する。

 バラニウム合金繊維の腕が届く距離ではない、飛び道具も全て潰した。壮助の攻撃手段を封じた死龍は意識を詩乃に向ける。

 

 ――目で追っているな。馬鹿め。

 

 死龍の尾が再び景色の中に消える。バッテリー切れというのは嘘だ。彼女はまだ光学迷彩の能力を残しており、詩乃の目が慣れ、視覚情報に頼るタイミングを待っていた。

 尾が詩乃の視界から消える。聴覚に意識を置き、反響定位で尾の動きを探る。

 

 その探る一瞬が隙となった。

 

 一瞬聞こえたバチバチと鳴る雷――直後、銀色の針が詩乃の左手に刺さった。皮膚を穿ち、先端が手の甲へと貫通する。その衝撃に詩乃は左手を後ろに持っていかれ、肩の骨が外れる。

 再び景色の中に黒い龍の姿が現れた。先端のマニピュレーターが開き、その中心にある穴を詩乃に向けていた。穴からは熱気が上がっており、針はそこから射出されたと推測される。

 

 詩乃の視界が揺らいだ。跪きそうになるところを持ち堪える。

 

 途切れそうな意識の中でレイジングブルの銃口を左手首に押し当て――――引き金を引いた。レミントン223弾が彼女の手首を吹き飛ばす。気が触れたかのように、一心不乱に、骨が砕けても、筋肉と脂肪は弾け飛んでも、神経が断裂しても、血液が滝の様に流れ出ても彼女の指は止まらない。表皮1枚で辛うじて繋がっている左手に噛み付き、痛声を挙げながら自分の手を食い千切った。

 詩乃は左手を咥えたまま、荒息をふかし、死龍を睨みつける。強力な抑制剤を投与された時のように身体は熱を発し、全身から汗が噴き出る。

 死龍は詩乃の奇行に「ほぅ」と感嘆の声を挙げる。

 

「毒に気付いたか。良い判断だ。

 

 

 

 ――――――――――だが、遅かったな」

 

 詩乃の意識が途切れ、糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。

 

「詩乃! ! 」

 

 壮助が護送車から飛び出した。バラニウム合金繊維を編み込んで1本の巨大な黒い腕を背中から生やし、槍に変形させた先端を死龍に向ける。その姿はバラニウムの尾を持つ死龍そのものだ。

 直線状に固定された死龍の尾に稲妻が走った。直後、何かが音速を越えて通過するソニックブームと共に壮助の身体が飛ばされる。バラニウムの触手が跡形もなく消し飛んだ。斥力フィールドは崩壊し、バラニウム合金繊維も熱で赤く燃え上がり一瞬で蒸発した。

 道路の上を転がるのは今日で何度目だろうか。壮助は腕を立てて上体を起こす。死龍から目を離すな。諦めるな。自分が終わるのは構わないが、詩乃は駄目だ。そう自分に言い聞かせ、鼓舞する。

 しかし、死龍が壮助の頭を踏みつけ、彼の意志を再び地に落とす。ショットガンの銃口を壮助の頭に押し当て、引き金に指をかける。

 

「今度こそ終わりだ」

 

 

 

 

 1発の銃声が響いた。

 

 

 

 

 死龍のマントが血で滲み、彼女の足元に血が滴る。死龍が振り返り、ショットガンの銃口を向ける。照準の先には地に伏せたままレイジングブルの銃口を向ける詩乃の姿があった。

 

「お前っ……まだ生きていたのか……! ! 」

 

 冷静で淡々としていた死龍が初めて驚きを見せる。加えて熱くなると止まらない性格なのか、壮助のことを後回しにし、詩乃に向けてスラッグ弾を放つ。片手撃ちで照準がまるで定まらず1発も詩乃に当たらない。彼女にとってあの毒は必殺の一撃だったのだろう。それで殺せない存在に対する恐怖が焦りとなって現れる。

 詩乃も毒が廻って満身創痍なのか、レイジングブルの銃口が揺れている。しかし、死龍のスラッグ弾が近くに着弾する中で冷静に照準を合わせ、確実に当てる1発を放つ。

 弾丸は死龍の身体を貫通した。マントで見えないがおそらく下腹部を貫通しただろう。死龍は膝から崩れ落ちそうになるが耐え、慌ててマントの下からアンプルを出して中の液体を銃創に注入する。

 

 

――今の鎮痛剤か?

 

 

 遠くからエンジン音が聞こえ、道路全体がライトで照らされた。エールの時とは違う。幾つも重なった重低音が臓器に響き、道路幅いっぱいに詰まった車とバイクが壮助達に向かってくる。“彼女”達は手前数メートルのところでブレーキをかけた。ライトに照らされた死龍という獲物を目の前にして、鋼鉄の肉食獣は唸り声をあげる。

 全員のバイクや車にエールのバイクと同じエンブレムが刻印されている。

 

 ――こいつら全員、「灰色の盾」か。

 

 エールの言っていた「5分」、それは灰色の盾が助けに来るまでの時間だった。

 最前列の中心を走るバイクには女子小学生が好きそうなキャラクターのデコレーションシールがベタベタと貼られている。同じ趣味なのか、それに跨る少女の髪は目が痛くなるようなショッキングピンクに染められている。ソフトモヒカンヘアと両耳につけたピアス、へそ出しチューブトップにトゲ付きの革ベストを羽織ったファッションセンスは自分がいかにヤバい人間かを演出している。

 

「引き際だぜ。死龍(スーロン)。これ以上続けるなら、灰色の盾が相手だ」

 

 死龍は何も答えず、ピンク髪の少女を睨みつける。そこにいる全員が死龍とピンク髪の少女の動向に固唾を呑む。

 尻尾が動いた。灰色の盾のメンバーは各々の銃を抜き、尾の動きに注視する。先端のマニピュレーターが道路沿いのフェンスを掴み、死龍の身体を持ち上げた。尾は独立した生物のように躍動し、尾に身体を引っ張られた死龍はフェンスの向こう側へと消えて行った。

 

 

 

 

 

「ぶへぇ! ! ヤバッ! ! 死龍怖っ! ! ってか、あの尻尾何だよ! ! 今まであんなの無かっただろ! ! 」

 

 

 死龍が去った直後、ピンク髪の少女が一気に心中を吐き出した。

 

「死龍相手に喧嘩売るとか、さすがサブリーダー」

 

「ヒュー。ナオさんかっけー! ! 」

 

「『引き際だぜ。死龍』」とギャングの一人がピンク髪の少女――ナオの真似をして茶化す。

 

「あいつ、次からエールじゃなくてお前を狙うようになったりしてな」

 

「やめろよ! ! 冗談でも! ! 生きた心地がしねえよ! ! 」

 

 周囲がナオを茶化し、緊迫した状況とは裏腹に大勢の笑い声が聞こえる。

 

「つーか、さっさとそこの2人回収しろ! ! サツが来る前にずらかるぞ! ! 」

 

 

 

 *

 

 

 

 美樹が目を開けるとそこは車の中だった。目の前には姉・鈴音の目を閉じた顔がある。咄嗟に「お姉ちゃん」と声をかけようとしたが、自分の置かれた状況を思い出し、声を抑える。

 彼女が目を覚ましたことにまだ誰も気付いていない。運転席と助手席に座るギャングに気付かれないようゆっくりと首を動かして状況を確認する。自分がいるのはシートが倒された後部座席部分、そこには手を後ろに縛られた鈴音、護送車を襲撃したギャング3名も気絶して寝転がっていた。

 

 ――義塔の兄ちゃんが倒したのかな?

 

 それでも自分達が拉致されている状況は変わっていないことで、彼が敗北したことを悟る。逃げても、抵抗しても、侵食率50%を越えてガストレア化する未来が待ち受けている。心が折れそうになり、目に涙を浮かべる。

 

『スズネは今までお前を守って来たんだ! ! 今度はお前の番だ! ! お前が守れ! ! 』

 

 遠い昔の記憶、地下で燃え上がる炎と共にエールの言葉がフラッシュバックする。

 

 ――そうだ。私がお姉ちゃんを守らないと……。

 

 美樹はゆっくりと足を曲げる。体内のガストレアウィルスを活性化させ、陸上部の練習で鍛えた脚力にブーストをかける。一気に足を延ばし、ドアを蹴飛ばした。

 ガゴンと大きな音を立ててドアが後方に吹っ飛び、風が吹き込んでくる。美樹は鈴音の服を噛むと一緒に車の外へと飛び出した。時速120キロで走る車からのダイブ、同じ速度で彼女達の身体はアスファルトに叩きつけられ、車と反対方向に転がっていく。

 全身を強く打ち付ける。普通の人間なら死んでいたかもしれない、無事であっても手足の骨が折れ、臓器が潰れていたかもしれない。しかし、呪われた子供の回復力で傷も打撲もたちまち治っていく。美樹は初めて、自分が呪われた子供であることに感謝した。

 

 2人が飛び降りたことに気付いたランドクルーザーがUターンし2人に向かって来る。

 美樹は飛び降りた先のことを考えていなかった。赤目の力を使えば、走りで車並みのスピードは出せるかもしれない。自分だけなら逃げられるかもしれない。しかし、鈴音を置いて逃げるという選択肢は無かった。

 

「ミキ! ! 伏せろ! ! 」

 

 背後からの声で咄嗟に美樹は鈴音に覆い被さる。

 フルオート射撃で放たれた銃弾がランドクルーザーに着弾。ボディに穴が空き、フロントガラスはヒビが入ったことで運転手の視界を妨げる。ランドクルーザーは急停車し、すかさず助手席のギャングが中からガラスを粉砕して視界を確保する。

 エンジンの爆音、急ブレーキのスリップ音と共にバイクが姉妹の盾になる。

 美樹は視線を持ち上げる。目に映ったのは大きなバイクと大きな背中――サブマシンガンH&K MP5を左手に持ち、ランドクルーザーのギャングと銃口を向け合うエールの後ろ姿だった。服装も髪色も武器も6年前から変わった。声も大人っぽくなっている。それでも美樹は彼女がエールだと分かった。

 数刻、エールとランドクルーザーの睨み合いが続く。しかし撤退命令が出されたのか、ランドクルーザーはハンドルを大きく切ってUターンし、走り去っていった。

 エールはサブマシンガンを下ろし、ほっと一息ついた。

 

 

 

「エールさん? 」

 

 

 

 振り返ると鈴音が目を覚ましていた。彼女の目は多くを語っていた。エールが生きていたという驚愕、再会できた喜び、助けられたことへの安堵。様々な感情が涙となり、彼女の目尻から零れる。

 

「良かった……。生きていたんですね……」

 

 

 片や人気歌手とその妹

 

 片や赤目ギャングのリーダー

 

 決して交わらない筈だった彼女達は再会した。

 

 

 

 

「久し振り。地獄から戻って来たよ」

 

 




詩乃ちゃんが来たから勝ちますよと言ったな。あれは嘘だ。

機械化兵士になってパワーアップイベント(ティナ先生の特訓)も迎えたのにボロクソに敗北する主人公ェ……。
彼が主人公らしく俺TUEEEEEする日は来るのだろうか……(おそらく来ない)




次回「例え偽物だとしても――」


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例え偽物だとしても――

ごめんなさい。
前回の予告からサブタイトルを変更しました。


 月明りが照らす8月上旬の夜、姉妹の瞳に容貌魁偉な女性が映っていた。毛先に近付くにつれ明るくなるダークパープルの長髪を靡かせ、マッシブな身体を厳つい大型バイクに乗せた姿は、腕っぷし自慢の男性でも尻込みしてしまう威圧感を放つ。

 しかし、彼女の向ける表情はとても優しかった。

 

「エール姉ちゃあああああああああん! ! 」

 

 大粒の涙を零しながら美樹はエールに飛びついた。彼女が幽霊でも幻覚でもなく、実体として存在していることを確認するかのようにしっかりと両腕で抱きしめ、顔を胸元に埋める。

 

「ったく、甘えん坊なのは変わんねえな」

 

 エールは我が子のように美樹の頭を撫でながら鈴音に目を向ける。

 

「お前も元気そうで良かったよ。そういえば、見えるようになったんだったな。私の姿はどうだ? 恐いか? 」

 

「いいえ……私が思っていた通り、かっこいいエールさんでした」

 

 仄かな明かりに照らされ、マンホールチルドレン時代と変わらない鈴音の笑顔が向けられる。照れ隠しをするかのようにエールは目を逸らし、インナーを涙と鼻水で濡らす美樹を引き剥がす。

 

「お互い色々と積もる話があるんだろうけど、それは後だ。――――行くぞ」

 

「行くって、どこに? 」

 

「私達の拠点だ」

 

 エールがそれを口にした途端、鈴音と美樹は口を噤んだ。申し訳なさそうにエールから目を逸らす。感動の再会も束の間、2人の表情に暗い影が落ちる。

 顔見知りで命の恩人のエールであっても彼女の立場は赤目ギャング、犯罪者グループのリーダーだ。彼女の拠点に行くということは、拡散防止法に背いて逃亡することであり、『お尋ね者』になることを意味していた。

 

「まぁ、そうなるよな。……だったら、こうしよう」

 

 エールは美樹を反転させ、収縮した筋肉により鉄のように固くなった腕で背後からホールドする。美樹の目の前でH&K MP5をちらつかせ、姉妹にトリガーに指をかけるところを見せつける。

 

「私の拠点に来い。拒むなら撃つ」

 

「エールさん……。どうして……? 」

 

「事情は向こうに着いたら全部話す。頼むから今は言うことを聞いてくれ」

 

 美樹を人質にするエールと鈴音が向き合う仲、3人の耳にローター音が届き始める。直後に青と白を基調としたカラーリングのヘリコプターが低空飛行で頭上を通過する。東京エリア警察航空隊が運用しているユーロコプター EC 155だ。

 

 ――クソッ。警察の展開が早過ぎる。

 

 3人の頭上を通過したヘリはUターンし、今度はホバリングしながら遠くから3人をライトで照らす。鈴音と美樹は眩しくて目を細める中、エールは側面のドアから身を乗り出す狙撃手(マークスマン)の姿を捉えていた。

 

「スズネ! ! 」

 

 エールは美樹を抱きかかえたまま鈴音に飛び掛かり、覆い被さる。遮蔽物が無い今、姉妹を守るには自分の身体を肉の盾にするしか無かった。そんな彼女の決死の行動を嘲笑うかのように3人が地に伏せた後、何発もの弾丸が2メートルも離れたところに着弾する。サイレンサーを装着しているのか、銃声もほとんど聞こえなかった。

 エールは2人を被いながらも左手に握っていたMP5をヘリに向けて応射。トリガーを引き続け、弾倉が空になるまで撃ち続ける。手首だけで保持された銃身は弾丸を放つたびにブレていく。最後に放った弾など明後日の方角に飛んでいるだろう。仮に直撃コースだとしても防弾仕様のフロントガラスには傷一つ入らない。狙撃手も防弾チョッキを着ているなら当たっても「痛い」程度で済むだろう。

 そんな破れかぶれの応戦だったが功を奏したのか、ヘリはエール達にテールローターを向けて撤退する。当たった様子は無い。何がそう判断させる要因になったのかはエールにも分からなかった。

 

 一安心と思った矢先、ナオ達の一団がエールに追い付いた。最前列の真ん中を走る真っピンクのナオがスピードを上げ、我先にエールの下に二輪を走らせる。

 

「エール! ! 大丈夫! ? ケガは! ? 」

 

「大丈夫だ。狙撃手が下手糞で助かった。スズネとミキも無事だ」

 

 エールはナオにそう報告する中で鈴音と美樹の震えを腕で感じていた。東京エリアの法と社会が2人をどうするつもりなのか、その意思が言葉ではなく弾丸で届けられた今、2人は恐怖と驚愕で一杯になっていた。

 

「ナオ。ミカンの車に2人を乗せろ。バンタウに戻るぞ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 義搭壮助が目を覚まして最初に見たのは汚れた天井だった。何かの液体が付着して染み込んだ跡やコンクリートに入ったヒビが散見される。蛍光灯も切れかけているのかカチカチと音を立てて点滅している。点くのか消えるのかどっちかにして欲しい。

 薬品と消毒液と血が混ざった匂いが鼻をつく中、隣からカチャカチャとガラス瓶を動かす音が聞こえてくる。壮助が痛みを我慢しながら首を動かすと白衣の男の背中が見えた。白衣は汚れていて、天井と同じように血や何かしらの体液が付着した痕跡が目立つ。壁も似たような惨状になっており、ここがまともな病院ではないことは明白だった。

 

「えっ! ? もう起きた! ? 」

 

 物音に気付いて白衣の男が振り向いた。短くさっぱりとした白髪混じりの黒髪、痩せこけた頬、垂れ下がった目と眼鏡、猫背のせいでもの凄く気弱な印象を受ける。心なしか顔色も悪い様に見える。

 壮助は全身の痛みに耐えながら、ゆっくりと上体を起こす。

 

「ああっ! ! む、無理しないで。ここは安全だから。寝て大丈夫だから」

 

 白衣の男の心配を不意にして壮助は完全に起き上がる。呼吸を整えると白衣の男に視線をロックオンし、彼の両肩をがっしりと掴んだ。

 

「なぁ、ここはどこだ? お前は誰だ? 詩乃はどうした? 鈴音と美樹は? 何で俺の治療をしているんだ? 死龍はどうなった? 灰色の盾は? 何でこの病院はこんなにオンボロなんだ? 今日は何月何日何時何分何秒で地球が何回転した時なんだ? 」

 

 壮助は怪我人とは思えない勢いで白衣の男の肩を揺らす。

 

「そんなに一気に質問しないでくれ! ! 何から答えれば良いか分からなくなるじゃないか! ! と、とりあえず、これ飲んで落ち着いて」

 

 白衣の男はお茶の入った湯呑を渡す。縁が欠けており、ところどころにヒビも入っている。心なしか茶も汚く感じてしまい、いまいち手が伸びない。

 

「普通の麦茶だよ。変なものは入っていないから」

 

 壮助は白衣の男から湯のみを受け取ると彼を睨みながら口に流す。味は薄いが言われた通り普通の麦茶だった。この人が死龍に負けた自分を助けたのだろうか、ここはどこなのか、詩乃は無事なのか、自分が慌てて口にした質問をもう一度、頭の中で整理する。

 

「僕の名前は倉田哲明(クラタ テツアキ)バンタウ唯一の医者だよ」

 

「バンタウ? 」

 

「灰色の盾の拠点だよ。西外周区に残っている廃墟をアジトにしているんだ」

 

「成程……。ここはその一室か」

 

 外周区を拠点とする赤目ギャングの大半は大戦前の廃墟や地下施設を拠点にしている。当初は雨風を凌ぐ程度にしか使っていなかったが、内地の建設バブル崩壊の際、外周区へと流れた元・建設作業員の失業者が赤目ギャングの拠点開発や整備に協力して報酬を得るようになり、かつての九龍城砦を思わせる巨大スラム街が外周区に建設されるようになった。

 灰色の盾の拠点は元々マンションだったのだろうか。年代物の医療器具が置かれているが、よく間取りを見ると住居のそれだと分かる。

 

「詩乃は? 俺のイニシエーターはどうした? 」

 

「彼女なら、君の隣だよ」

 

 白衣の男――倉田が壮助の背後を指さす。振り向くとベッドで眠っている詩乃の姿があった。可愛らしい寝顔から吐息が出て、シーツ越しに胸元が膨張収縮する。とりあえず、彼女は生きている。その事実に安堵した壮助は表情が緩み、涙が出そうになる。

 

 

 しかし、喜びも束の間だった。

 

 

 

 詩乃の左手首から先が無くなっていた。

 

 

 

 彼女がレイジングブルで自分の手首を撃ち抜き、噛み千切った光景を思い出す。

 

「かなり思い切った判断をする子だね。お陰で2~3日分の()()を確保することが出来た」

 

「余命……だと? 」

 

 衝撃のあまり倉田の言葉が壮助に突き刺さった。

 倉田も余命宣告という残酷な仕打ちに、そして医者でありながら詩乃を救えないことに申し訳なさを感じ、それが顔に出ている。

 

「彼女の容態だが、かなり危険だ」

 

「死龍の毒か…… 」

 

「そうだね。死龍の毒はサソリの毒と同じだ。神経軸索の電位活性化イオンチャネルに作用して、活動電位の立ち上がりを阻害しているんだと思う。症状からして作用は末梢神経系だろう。普通の毒ならガストレアウィルスが恒常性維持機能(ホメオスタシス)としてはたらいて除去するんだけど、死龍の毒だとガストレアウィルスが動かない。多分、抑制剤と同じ物質が含まれていて、機能を阻害しているんだと思う」

 

「馬鹿の俺でも分かる様に説明してくれ」

 

「簡単に言うと死龍の毒は君のイニシエーターの神経伝達をストップさせているんだ。このままだと全身の筋肉が動かなくなるし、内臓も制御されなくなる。近い内に心臓も止まって死ぬ。ガストレアウィルスも毒に含まれた抑制剤と似た成分のせいで普段の治癒力が発揮できない」

 

「何とかならないのか? そんなに知ってるなら、治療法とかあるだろ! ? 」

 

 壮助は倉田の胸ぐらを掴む。自分ではどうすることも出来ない。詩乃を救う為にはたった今会ったばかりの人間に縋らなければならない。そんな不甲斐ない自分に憤りを感じ、それを倉田にぶつけてしまっていた。

 

「無いよ。……そもそも必要無かったんだ。死龍の毒を受けた人はみんな即死で治療の余地なんて無かった。彼女がこうして生きているのだって、彼女の咄嗟の判断と死龍のミスが重なった奇跡みたいなものなんだから」

 

「どういうことだ? 」

 

「まず彼女が左手を千切ったことだね。それで身体に廻る毒の量を減らしている。血と一緒に毒も少し出したんだと思う。もう一つは彼女の体重だよ。骨や筋肉の密度が高いんだろうね。見た目の割にけっこう重かったよ。手術台に乗せるのだって4人掛かりだったし」

 

「あいつの体重が何か関係あるのか? 」

 

「毒の致死量は基本的に体重に対する分量で決められているんだ。正確には体質とか体調とか、血液量とか別の要素も絡むんだけど……。おそらく、彼女の身体で生成できる毒の量も限度があるだろう。死龍は人間一人分の常識的な分量を計算して入れていたんだ」

 

「だけど、詩乃の体重は常識外れだったから、毒が足りなかったってことか? 」

 

「そう。だから、彼女は即死せずにこうして生きている。体重から筋肉や血液の量を逆算して……余命は約60時間

 

 約60時間、日数に換算して2.5日、森高詩乃と一緒に居られる時間はそれだけしか残されていない。当たり前のようにあると思っていた未来が閉ざされた。

 壮助は詩乃のベッドの脇で跪き、彼女の手を握った。詩乃は生きている。手だってまだ温かい。眠っているのもいつものことだ。体調だって悪いようには見えない。それでも後2日半で彼女の命は尽きる。「そんなの嘘だ」と言いたいくらい詩乃はいつも通りだった。

 

 

 

 

 

 

「色々と酷いこと言ったところ悪いんだけど、一つだけ、手段があるんだ」

 

 

 

 一条の光が差した。

 

 

 

「死龍だよ。彼女が解毒剤を持っている」

 

 世の中、そんなに上手くはいかない。唯一の希望は強敵の手の中だった。

 

「仲間用か? 」

 

「いや、自分用だね」

 

「自分の毒なのにか? 」

 

「別に珍しい話じゃない。毒を持った生き物だって身体の構造や構成物質は他の生物と変わらない。彼らにとっても毒は毒なんだ。ケガや病気で毒が流出して毒ヘビや毒サソリが自分の毒で死亡したという事例もたくさんある」

 

 その話を聞いた瞬間、壮助は昨晩のことを思い出す。毒で倒れた筈の詩乃が背後から死龍を撃った時、弾丸は彼女の下腹部を貫通し、その直後に死龍がマントの下からアンプルを出して自分に投与した。その時は鎮痛剤と思っていた。しかし、毒を生成する器官が下腹部かその背面にあり、そこから流出する毒を無効化する為に解毒剤を打っていたという解釈も出来る。

 

 死龍を探して、倒して、解毒剤を手に入れる。

 

 目標が決まるとただ悲しむだけだった思考は目標の達成に向けた手段の構築に向けて動き出す。自分は何をするべきか、何を他人にさせるべきか、何が足りていて、何が足りないのか、その為に何を犠牲にするのか――。

 

「よう。目を覚ましたな」

 

 扉を開け、部屋に入って来たのはエールだった。ライダージャケットを脱ぎ、タンクトップ1枚となった彼女の姿を前にして、大抵の男は豊満な胸に目が向いてしまう。彼女にそれを悟られないよう視線を逸らすと左肩のトライバルタトゥーにも目が引かれる。

 

「一応、初めましてだな。『灰色の盾』リーダーのエールだ」

 

「松崎民間警備会社所属プロモーター・義搭壮助だ」

 

 エールと壮助は握手を交わす。

 

「噂は聞いてるよ。あと鈴音からも『全てを諦めた時に拾ってくれた命の恩人』だって」

 

「あいつ、そんなこと言ってたのか……」

 

 エールは恥ずかしそうに爪先で頬をかく。大型バイクを乗り回す赤目ギャングのリーダーでもまだ16歳の女の子だと感じさせる。

 

「今、彼にはバンタウのことと森高さんの容態について話したところです」

 

 倉田は「あと解毒際についても」と一言補足する。

 

「そうか。スズネとミキの侵食率はどうだ? 」

 

「カナコに任せてます。そろそろ検査が終わるかと……」

 

「ここ侵食率の検査機あるのかよ! ? 」

 

 壮助が驚くには理由があった。ウィルス拡散の懸念があることから、呪われた子供達の侵食率検査は聖居が指定した医療・研究機関でないと行うことが出来ない。また、多種多様な性質を持ち変異も著しいガストレアウィルスの検査は他のウィルスとは比べものにならないくらい複雑かつ困難なものとなっており、専門の検査機は1台で数千万円、高くても数億円はかかると言われている。

 

「検査機って言うほど立派な代物じゃないけどね」

 

 エールに続いて、一人の少女が入って来た。13~14歳ぐらいだろうか。厚手のゴム手袋を装着し、頭は白いタオルを巻いて髪を被っている。

 

「倉田ぁ。やっぱり駄目だ。あいつら全然平気だよ」

 

「レベルは上げた? 」

 

「うん。MAXまで上げて1時間入れてみたけど、それでようやく眩暈がしたぐらい。あいつら、()()()4()0()()()()()()()()? 」

 

「そこまでやって眩暈ってことなら、彼女達の侵食率はかなり低いんだろうね」

 

 倉田とゴム手袋の少女――カナコの会話に壮助は付いていけず、鈴音と美樹の侵食率が低いという一連のトラブルを否定する言葉も出てきて混乱する。

 

「待て待て。どういうことだよ。あいつらの侵食率が低いって。いや、低いならそれで嬉しいんだけど、何がどういうことか説明してくれ」

 

「日向姉妹をウチで作った検査機、バラニウムボックスで検査したんだよ」

 

バラニウムボックス? 」

 

「そう。モノリスの磁場がガストレアを寄せ付けないってのは知ってるよね? 」

 

「幼稚園で習った」

 

「磁場がウィルスを殺して最終的にガストレアを衰弱死させるから生物的本能でモノリスには近寄らないっていうのが正確な話なんだけど、それは赤目達でも同じなんだ。侵食率が高い子供ほどモノリスに近寄ると体調不良を訴える。モノリスに近寄るほど症状は強くなって、パーセンテージ次第ではモノリスに到達する前に衰弱死してしまう。バラニウムボックスはその性質を利用したものなんだ。バラニウムで作った棺桶に赤目の子を入れて、電気を流して磁場を発生させる。それで、どれくらい体調が悪くなったかで侵食率を調べているんだ」

 

「なんていうか、すげー単純だな」

 

「勿論、内地のものに比べれば正確性も信頼性も劣るよ。体調不良も自己申告だし、個人差もある。数値化も出来ないしね。けど、無いよりはマシだ」

 

「それで鈴音と美樹は全然、体調を崩さなかった訳だ」

 

「同じ条件を侵食率20%の元・イニシエーターに使ったことがあるんだけど、彼女は激しい頭痛と吐き気に襲われて、自分で立ち上がることが出来なかった。それと比較して考えると、姉妹の侵食率は1()0()()()()()()()ってところかな」

 

 それを言い終えた直後、倉田は驚きのあまり目を見開いた。

 壮助は俯き、目元を手で隠していた。しかし震える肩、噛みしめる口元、頬を流れる水滴で感情を隠すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

「そうか…………。良かった……。本当に良かった……。ありがとう」

 

 

「何度も言うけど、自己申告だし、個人差もあるし、保証は出来ないよ」

 

「それでも、アンタの数字を信じさせてくれ」

 

 

 

 死龍が持っている()()()()()()解毒剤

 

 バラニウムボックスで調べた鈴音と美樹の()()侵食率

 

 

 不確定要素だらけで、簡単に否定出来てしまう。

 確定事項だとしても希望に手が届くとは限らない。

 

 

 

 だが、例え偽物だとしても――

 

 

 

 

 

 ――壮助は希望が欲しかった。

 

 

 

 

 




隙あらば設定語り

・バンタウの語源
灰色の盾の拠点である「バンタウ」。
元々は神奈川県・相模原市の東端に建てられた「相模原アーバンタウン」というコの字型マンションでしたが、ガストレア大戦の勃発により入居者0名のまま廃墟となり、終戦直後は難民キャンプ、しばらくしてからは外周区の呪われた子供達やホームレス、アウトサイダーの拠り所となり、最終的にエール達が制圧して灰色の盾の拠点になりました。
エール達が来た頃、表札の文字が欠け落ちて「相模原■■バンタウ■」となっており、彼女達が漢字を読めなかったことから「バンタウ」と呼ばれるようになりました。



次回「計数されざる少女たち」


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計数されざる少女達

 灰色の盾の拠点“バンタウ”の一室、リビング(と思われる空間)に置かれたバラニウムの棺桶を目の前に鈴音と美樹は壁際に腰を下ろしていた。ヒビの入ったマグカップに注がれたコーヒーを啜る。

 

「姉ちゃん……大丈夫? 」

 

「うん……。段々、良くなってきた」

 

「姉ちゃん。ちょっと高かったもんね」

 

 同じ屋根の下で同じように生活してきた鈴音と美樹だが、前月までの段階で侵食率には6%の差があった。これは鈴音の眼球を治療する際、ガストレアウィルスを一時的に活性化させることで眼球の再生を促した結果であり、それはバラニウムボックスでも体調不良の度合いとして出ていた。

 

「私達、これからどうなるんだろう……」

 

 鈴音がボソリと呟くと、美樹は目を丸くして鈴音の方を向いた。

 

「え? 何? 」

 

「姉ちゃんが弱音を吐くとこ初めて見た……」

 

「私って、そんなに負けず嫌いだっけ? 」

 

「負けず嫌いって言うか……まぁ、タフな方だとは思ってる。自分で目を潰しちゃうし、目が見えないのに路上生活やってのけるし、いきなりストリートミュージシャンになるし、芸能界に飛び込んで人気歌手になっちゃうし」

 

 美樹の寸評に鈴音は「あはは」と愛想笑いを返す。美樹が自分のことをどう思っているのか、今まで当たり前のように一緒に生活していながら一度も聞いたことが無かったという驚きを隠しながら――。

 

「今は、そんな姉ちゃんでも参っちゃうってことだよね。……正直、訳わかんないよ。父さんと母さんは死んじゃうし、いきなり侵食率が40%オーバーって言われて連行されそうになるし、そしたらギャングに襲われて、死んだと思ってたエール姉ちゃんが生きてて、それで今度は実は低いままでしたって言われてさ……」

 

 護送車襲撃、エールとの再会から一晩。人生で一番濃い数時間を経験した2人はバンタウの客間で眠った。外周区の廃墟とは思えない綺麗なベッドに身を乗せた時、自分はどうなるのか不安で一杯になっていた。眠れないと思った。しかし、いつの間にか睡魔に負け、目を覚ますと昨晩の様々な出来事に対する感情の整理がついていた。睡眠は脳が情報を整理するための時間と言われるように今でも分からないことだらけだが、ただ塞ぎ込んでも、泣き喚いてもどうにもならないと理解できる程度の理性は取り戻していた。

 

「よう。大丈夫そうだな」

 

 2人が声の方に振り向くと玄関扉を開けて中に入るエールが目に入った。昨晩は月明りだけが頼りだった彼女の姿が今では外から差し込む陽の光と室内の照明ではっきりと見える。同い年とは思えない体格差も、ライダージャケットで隠れていた刺青も、当たり前のように持っている拳銃も、自分達と彼女の“生きる世界”の違いを見せつけられる。

 エールに続いて、壮助と医者の倉田が部屋に入って来る。壮助は額に包帯を巻き、頬に絆創膏を貼った痛々しい姿をしていた。涙を流していたのか、目も赤く腫れている。

 

「義塔さん……。大丈夫なんですか? 」

 

「俺は大丈夫だけど……詩乃はかなり危険だ。解毒剤を手に入れないと2~3日で死ぬ」

 

「そんな……」

「何とかならないの! ? 医者のおじさん! ! 」

 

 美樹が倉田に問いかけるが、倉田は苦渋の表情で「すまない」と返す。

 

「何とかする為にここに集まったんだ」

 

 全員の視線がエールへと向く。これを鶴の一声と言うのだろうか。圧のかかった彼女の声は場の空気を支配した。彼女は部屋の隅にあったパイプ椅子を広げ、背もたれを前にして座る。ここのボスである彼女の行動に全員が息をのんだ。

 

「面識があるとはいえ、今の私達は初対面みたいなもんだ。私は義塔がスズネ達と一緒に理由をまだ聞いていないし、私達が死龍を追っている理由も話していない。そこを知らねえことには、お互いに正しい判断は出来ないだろ」

 

「正しい判断だと? 」

 

「ああ。お前達にとって私達は敵か味方か、私達にとってお前は信用に値する人間か否か」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 義搭ペアと日向一家の関係、これまでのことについて壮助は簡潔に述べた。詩乃の件があり話しの内容は多少急ぎ気味だったが、それでもエールが求めていた情報はしっかりと提示していた。たまり彼女がチラチラと日向姉妹の表情を窺い、壮助の言葉に嘘がないか、姉妹が彼に脅されたりしていないか確認している。

 

「成程な……。大人しそうに見えて、いきなりぶっ飛んだことするところは変わんねえな」

 

 護衛任務の真相を聞いた壮助が姉妹のことを馬鹿と連呼したようにエールも鈴音の無謀な行動に呆れて冷ややかな視線を送る。美樹も昔から心当たりがあるのか「うんうん」と頷く。

 

「しっかし、お前を助けた民警が里見蓮太郎とはなぁ……。とんでもねぇ大物じゃねえか。で、そこのお前は東京エリア最強の民警に喧嘩を売った馬鹿な民警Aってところか? 」

 

「とりあえず、そんなもんだよ。こっちは全部話した。次はそっちの番だ。助けてくれたのは感謝している。けど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 棘のある壮助の問いかけに鈴音と美樹が強張る。倉田もおろおろとする。しかし、3人が思う以上にエールの器は大きいのか、彼女は投げかけられた疑惑にふっと笑った。

 

「まぁ、私達は犯罪組織だしな。疑われても仕方ねえか。正直に言うと、あの地区で何か起きるんじゃないかとは前々から思ってはいた」

 

 エールの言葉を聞いた瞬間、壮助の表情が固まった。瞳孔が開き、視線はエールに固定されている。日向姉妹を妹分と言い、何か起きると分かっていながら何もしなかった彼女への怒りで胸の中が煮え滾る。感情に身を任せていれば、斥力フィールドで首を刎ね飛ばし、彼女を断罪してしまっていただろう。

 

「弁解ぐらいはさせてくれ。どんなことが起きるのかは検討がつかなかったし、起きるかどうかすら確証が無かったんだ」

 

「どういうことか、順を追って説明してくれ」

 

「事の始まりは3年前かな。外周区や内地のストリートで奇妙なドラッグが出回り始めたんだ。そいつはマリファナ、コカイン、ヘロイン、LSD、MDMAなどなど、様々なドラッグに混ざって流通している。運悪く服用してしまえば、普通の人間は激しく悶え苦しんだ後に死に、赤目が使えば脳をやられて廃人になる」

 

 エールの口からドラッグという言葉が出て、鈴音と美樹は身が強張った。5年前、記憶の中のエールは自分達と同じだった。同じストリートチルドレンで、同じような服を着て、同じものを食べていた。しかし、今は違う。内地で普通の人間に混じって平和に過ごしている間、エールは銃とドラッグとガストレアに塗れた外周区を生きてきた。再会した彼女との関係も昔の思い出と同じようにはいかないと、不安にかられた。

 

「そいつは赤目を狙ってばら撒かれていて、やられた奴は魂の抜けた肉人形になる。いつの間にかそれは“ドールメーカー”と呼ばれていた。今じゃ、どいつもこいつもドールメーカーが恐くて薬に手を出そうとしねぇ。お陰で売人は商売あがったりだ。ざまあみろ」

 

 エールはニヤリと笑みを浮かべた。ドラッグが売れなくなっている現状を喜んでいるようで、それで利益を得ていた者達を嘲笑っていた。

 

「まるで他人事だな」

 

灰色の盾(ウチ)はドラッグに手を出していないからな。栽培・精製するノウハウが無いし、仮に出来ても勝手に売ったら内地のヤクザや傘下のギャングを敵に回すことになる。無闇矢鱈に商売を広げて敵を増やしたところで碌な事にはならねえ。

 灰色の盾の商売は常にシンプルだ。

『お前の代わりに敵をぶっ飛ばしてやるから、金寄越せ』ってな」

 

 ――だから、闘争代行屋(フィクサー)って呼ばれてんのか……。

 

「さっきも言った通り、ウチとしてはドールメーカーのことは大して気にしていなかった。ドラッグ市場が栄えようが滅びようが知ったことじゃなかったし、メンバーにも薬物の売買禁止を徹底させていたから被害も考える必要は無かった。――けど2年前、メンバーの一人がルールを破ってドラッグに手を出した。しかもそれが運悪くドールメーカーだったんだよ」

 

 エールは今でもそのことに怒っているのだろう。目付きは険しくなり、声も圧がかかる。それがドールメーカーを売った売人に対してなのか、ルールを破ったメンバーに対してなのか、その両方かは分からない。

 

「その日の夜、廃人になった筈のそいつが居なくなっていたんだ。慌てて動けるメンバーを出してバイクで探し回って、バンタウから少し離れたところで私が見つけた。けど、死龍に邪魔されて連れ戻すことが出来なかった」

 

 エールの話を聞く中で壮助の頭の中にはサダルスードフィルムで遭遇した小星から聞いた話を思い出していた。ストリートチルドレンや小規模なギャングが失踪し、それにスカーフェイスが関与していると――。

 

「それからウチとスカーフェイスの因縁の始まりさ。私達はドールメーカーに関する情報を集めて、売人が出没したところに張り込んで、スカーフェイスに何度か襲撃を仕掛けてきた。メンバーを手にかけた連中を放っておけば、灰色の盾の沽券に関わるからな」

 

「で、お前があの住宅街をうろついていたのもドールメーカーの売人が出没したからなのか? 」

 

 そう尋ねる壮助だったが、あの住宅街にドールメーカーの売人が出たとは考えられなかった。偽の護衛任務で彼は情報屋の優雅小路に住宅周辺の調査を依頼している。やり手の彼が、あの平和でクリーンな住宅街に現れた裏社会の人間を見逃すとは到底考えられなかった。

 

「いや、売人は出ていない。私があそこに居た理由は2つ。1つは、まぁ、その――――スズネが心配だったから。凄い大ケガとか聞いたし」

 

 エールは日向姉妹から目を逸らし、歯切れを悪くしながら可愛い理由その1を打ち明ける。試写会イベントの刺傷事件はニュースで大々的に報道されていた。ここバンタウも(おそらく盗んでいるのか)電気が通っており、テレビが見られる環境だと考えられる。あの事件の大袈裟な報道はエール達にも伝わっていただろう。

 

「あの時のエールさんは鬼の形相だったよ。『スズネを斬った奴をブチ殺しに行くぞぉ! ! 』ってフル装備で留置所に吶喊しようと―――」

 

 笑いを堪えながら、倉田は日向姉妹に当時のエールの状態を説明する。

 

「―――痛ぁっ! ! 」

 

 エールに医療用のトレーを投げつけられ、頭にたんこぶを作る羽目になった。

 

「茶番劇はいいから話を進めてくれ。もう一つの理由は何だ? 」

 

「お前だよ」

 

「「「え? 」」」

 

 エールのまさかの解答に3人がキョトンとする。

 

「私は最初、お前達のことをスカーフェイスの手下だと思っていたんだ。ここ半月もずっと監視して、変な行動を起こせば殺すつもりだった。結果は真逆だったけどな」

 

「確かにカタギの人間じゃねえし、疑われても警戒されても仕方ねえけど、何でスカーフェイスと繋がっているって思われたんだ? 」

 

「お前、半年ぐらい前にデスガルズを潰しただろ」

 

 里見事件の少し前、壮助は「廃工場に住み着いているホームレスを追い出して欲しい」と依頼を受けたことがある。自分が名指しで依頼されたことを不審に思いつつも廃工場に入ったところ、そこにホームレスは1人もいなかった。代わりに居たのは赤目ギャング「デスガルズ」であり、廃工場は彼女達がコカインを栽培・精製するための拠点として使われていた。多少、武装していたとはいえ1人のプロモーターが武装した赤目ギャング十数名に敵うはずもなかった。敗北した彼は危うく精肉機に巻き込まれてハンバーグになりかけたが、間一髪で詩乃が突入し、壮助を救出。赤目ギャングもたった一人で一網打尽にし、遅れて到着した警察がデスガルズ全員を拘束したことで事件は終わりを迎えた。

 

「デスガルズはヨコハマの中国人グループと繋がりがあったんだ。傘下の組織を潰され、コカインも押収され、デスガルズ経由で売春クラブ経営や他のシノギまでバレて警察に差し押さえられた。連中はヤケクソになって『どうせ刑務所にぶち込まれるなら、松崎民間警備会社を襲撃して皆殺しにしようぜ』って話になったんだよ。――けど、スカーフェイスが全部潰した」

 

 壮助は静かに話を聞きながら、内心驚いていた。デスガルズの事件が松崎民間警備会社を危険に晒していたこと、死龍の由来となった事件の裏側に自分達が関わっているとは思わなかった。

 

「でも俺達が助けられたのは偶然って考えられるぜ。ドラッグ絡みの利権争いが本来の目的とかじゃねえのか? 」

 

「あの中国人グループは袋の鼠だったんだ。スカーフェイスが潰しにいかなくても数日足らずで警察が潰していた。それくらいまでにあいつらは終わっていた」

 

「だけど、スカーフェイスはその数日を待つことが出来なかったってことか? 」

 

「そうだ。だから私は『松崎民間警備会社はスカーフェイスにとって潰されては困る会社』と思っていたし、お前達を監視していればスカーフェイスの正体に辿り着けるんじゃないかとも思っていた」

 

「ちなみに今は信用してくれているのか? 」

 

「お前も森高もスズネとミキの為に命懸けで戦ってくれた。それで十分だ」

 

 エールと壮助は互いを見つめ合う。互いが互いのことを信用できるのか、張り詰めた時間が流れ、姉妹と倉田は固唾を呑んで見守る。緊張の糸が解れ、壮助とエールは「ふっ」と笑った。

 

「昔話は終わりにしよう。これからどうするつもりだ? 」

 

「死龍を倒して解毒剤を手に入れる。今現在、連中は仕事を()()()()()状態だ。鈴音と美樹がここにいるからな。2人を無傷で連れ去るのが目的なら、近い内にまた仕掛けてくる筈だ」

 

「ここで襲撃を待つってことか」

 

「いや、誘き出す」

 

 その瞬間、エールの表情が変わった。威厳と余裕のある雰囲気は消え、情念にかられて壮助に鋭い眼光を突き刺す。

 

「お前、スズネとミキを囮にするつもりか? 」

 

「半分、正解ってところだな。メインの囮は俺だ。一度、姉妹をバンタウから内地に移動させて、安全な場所に2人を隠す。その後、俺だけが目立って行動すれば、スカーフェイスは姉妹の居場所を握る俺を狙いに来る筈だ」

 

「でも何で内地なんだ? 外周区ならこちらに地の利があるし、バンタウに近いところなら灰色の盾をフルで動員出来る」

 

「内地なら狭い路地があるし、屋内戦に持ち込めば死龍の尻尾はただの荷物になる。いざとなれば……諸刃の剣だけど警察や民警も利用できる。もう一つは……内地に行って協力者を集めたい。アンタ達のことを悪く言いたくないが、灰色の盾と俺だけじゃ心許ない」

 

「成程な……。そう思われるのも仕方ない。3年も戦って一度も仕留められなかったんだ。ちなみに聞きたいが、協力者の当てはあるのか? そこらのチンピラならお断りだからな」

 

「聞いて驚くなよ」――と壮助はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「まず、IP序列1095位 大角勝典・飛燕園ヌイ。俺の先輩っつーか、上司みたいな人だ」

 

「ああ。名前は聞いたことあるな。蟲雨事件で大暴れした民警だとか」

 

 エールのあっさりとした反応に壮助は不満げに想う。IP序列1095位、10万組近い民警ペアの上位1%となれば大抵の民警は震えあがる。エールは数字の意味に気付いていないのか、それとも大角ペアを恐れる必要のない実力者なのか――。

 

「それともう一人、IP序列38位 ティナ・スプラウト」

 

 

 

 

 エールが椅子から転げ落ちた。

 

 

 

「おい。テメェ。言って良い冗談と悪い冗談があるぞ」

 

 眉間にしわを寄せたエールが壮助に詰め寄る。180cm以上ある彼女の体格、ギャングのリーダーという肩書きに周囲は圧倒されるが、壮助は平然とする。

 

「冗談じゃねえよ。休業中だし、装備ほとんど失っているから序列相応の力は出せねえけど、それでも片桐兄妹と同等の実力はある筈だ。あ、そういえばティナ先生、『弓月さんとはマブダチです』って言っていたな。もしかすれば、2人も味方につけられるかも……」

 

 エールの口から乾いた笑みが零れる。蟲雨事件の功労者・IP序列38位のイニシエーター・東京エリア民警のトップランカーという強すぎる援軍は希望を通り越して笑いが出てしまう。この3年間、倒すことが出来なかった死龍を60時間以内に倒さなければならないという危機的状況を忘れてしまいそうになる。

 

「良いだろう。義塔壮助。お前のプランに乗ってやる。武器も、人も、灰色の盾が出す」

 

 エールが立ち上がり、ズカズカと足音を立てて壮助を壁に追い立て、彼の耳横に目がけて手を壁に叩きつけた。

 

「私の大切なものをお前に賭けてやる。半端な真似をしたら許さねえからな」

 

 エールの気迫に圧され、壮助は唾を飲んだ。悪態を吐く余裕などない。「分かっている」とだけ返事した。

 

「おいっすー! ! エール! ! スズネとミキが目を覚ましたってマジ? 」

 

 玄関ドアをバンと大きく開け、ビビットピンク髪の少女、ナオが入って来た。寝起きなのか髪のセットは崩れており、上下は猫のキャラクター模様の寝間着を着たままだった。今の彼女を見て、灰色の盾のサブリーダーだと思う者は居ないだろう。

ナオの視線に最初に入ったのは、壮助に壁ドンするエールだった。脅し立てているつもりだったが、ナオの目には男女のそれに映った。

 

「わーお! ! エールってそういう男子が好みー? てっきり女の子にしか興味が無いおレズさんだと思ってたー」

 

 ナオはエールを茶化し、彼女から投げつけられる拳銃をヒョイと避ける。その動作の流れでナオは姿を消した。

 

「ぎゃあああああああああああああああああ! ! ! ! ! ! ! ! 」

 

 突然、部屋に美樹の悲鳴が響く。全員が驚いて振り向くと彼女の背後からナオが手を伸ばし、その豊かな胸を服の上から鷲掴みにしていた。

 

「ええなぁ~ええおっぱいやなぁ~。内地で良い物食って育てたんだろうなぁ~ 」

 

 ナオはこれでもかと見せつける様に揉みしだく……揉みしだく……。

 

「死ね! ! 痴漢! ! 」

 

ぐえっ! !

 

 美樹はナオの鳩尾を肘で突き、怯んだ瞬間に胸元をガードしながら彼女を振り解く。

 

「え? え? 誰! ? 」

 

「はぁ~! ? おまっ――誰が自転車の盗み方とピッキングの仕方を教えてやったと思っているんだ! ! 一緒に賞味期限切れのサバ缶食ってトイレの住人になった仲だろぉ~」

 

 恐る恐る美樹は、遠い過去から引っ張り出した名前を口に出す。

 

「ナ、ナオ姉ちゃん? 」

 

「正解! ! 」

 

 ナオは上機嫌に両手で指鉄砲を作り、美樹に向ける。次の瞬間、彼女の興味が移ったのか、性犯罪者めいた視線が鈴音に向けられる。

 

「お、スズネもそこそこ育っているではないかぁ~」

 

「ナ、ナオさん……」

 

 両手を前に出して某怪獣王のようにナオが迫る。鈴音は胸をガードしながら涙目で部屋の隅へと下がっていく。

 

「よいではないか~よいではないか~ ――――――へぶちっ! !

 

 エールの鉄拳制裁がナオの顔面に炸裂する。更にアイアンクローで頭蓋骨を掴み、その長身を生かして彼女を持ち上げる。

 

「ナオ。次やったらバイクで引きずり回すからな」

 

「ふぁい。ごめんなさい。もうしません」

 

「あと、内地に行くから大至急、車を準備しろ」

 

「イエスマム」

 

「死龍とも内地で事を構える。バンタウをがら空きにしない程度の人数でスカーフェイスの相手が務まる部隊を編成しろ」

 

「メチャクチャなこと言いやがるぜ。ワンマン経営のブラック企業かよ。お詫びとしておっぱい揉ませろ」

 

 エールの腕に血管が浮き上がり、彼女の爪と指がナオの頭に食い込んだ。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ! ! ! ! 」

 

彼女に手配を任せて大丈夫なんだろうかと、壮助と日向姉妹は不安を感じたが、エールの判断を信じるしかなかった。




今回のサブタイトルは伊藤計劃さんのSF小説「虐殺器官」に登場する「計数されざる者」が元ネタになっています(元ネタと本編の内容は全く関係ありませんが……)。
ブラック・ブレットと同等かそれ以上に衝撃を受けた作品ですので、興味がありましたら是非。(劇場アニメ版もあるよ!)



次回「敵の名は東京エリア」


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敵の名は東京エリア

 8月10日 朝10時

 

 ティナ・スプラウトは冷房をガンガンに効かせた自宅マンションで目を覚ました。瞼はまだ半開きで、頭がぼーっとしている。何故、自分がベッドではなくソファーで寝たのか思い出せない。松崎民間警備会社で働き始めてから数ヶ月、再び昼型の生活に戻す努力をしていたが、やはり夜の猛禽類の因子故か何歳になっても早起きには苦手意識が残る。

 

 ――今日はえーっと、何か約束してたような……。

 

 スマホで時間を確認しようとするが起動しない。電源ボタンを押してみるとバッテリー切れを示す画面が表示されたので、ケーブルを挿して充電する。

 部屋には壁掛け時計が無いので時間を確認しようとテレビの電源をつける。朝の情報番組が画面に映り、見慣れたスタジオ、アナウンサー、コメンテーターの姿が目に入る。画面の四辺はテロップで埋まっているが、ここ最近の平和ボケ生活が骨の髄にまで浸透したのか、ティナはまだ寝ぼけている。話の内容もテロップの文字も頭に入って来ない。

 スマホが充電され自動的に起動した直後、着信が入る。発信者は身に覚えのない電話番号、市外局番で携帯電話から連絡していることしか分からない。

 

『あ、やっと繋がった。ティナ先生、今どこにいるんすか? 』

 

 電話に出ると壮助の声が聞こえた。彼は少し焦った様子だった。口振りからして何度もティナに連絡を入れていたようだ。

 

「誰ですか~?」

 

 ティナはまだ寝ぼけていた。彼女の間抜けな返答のせいで、壮助の血管が切れる音が聞こえた。

 

『義塔っすよ! ! アンタに監禁されてボコ殴りにされて飛行機から未踏領域に蹴落とされた義塔っすよ! ! ピザの食い過ぎで弟子の声も忘れたんですか! !

この無限の燻製(アンリミテッドピザワークス)が! ! 』

 

「身体はピザで出来ていません」

 

 壮助の罵声がキンキンに響き、ティナの目がすっかり覚めた。

 

「義塔さん。朝からうるさいです。何事ですか? 」

 

「『何事ですか? 』じゃねーよ! ! つーか、今どこにいるんすか! ? 」

 

「まだ自宅ですよ。約束は確か13時だった筈ですが? 」

 

『今からそっちに行くっす! ! あと30分ぐらいで着くから! ! 』

 

「え? 」

 

 ティナが驚いている隙に壮助は通話を切った。駅で集合する筈だった約束が何故、ここに来ることになったのか分からない。とにかく壮助が部屋に来ることだけは確定事項だった。

 ティナは自室を見渡す。その光景は、惨状の一言に尽きた。

 床には脱いだ衣服や下着が散らされ、ベッドには天誅ガールズのコスプレ衣装が広げられ、リビングテーブルはガンプラの塗装作業台と化している。ダイニングテーブルには衝動買いした仮面ライダーの変身ベルトやその他アニメキャラのフィギュア多数、アメリカから持ち込んだ銃器多数が占領していて、壁もスナイパーライフルとアニメのポスターで埋め尽くされている。その様相は典型的な――いや、それを越した重度のオタク部屋だった。

 松崎PGSの面々にはオタク趣味を隠している訳では無いのでこれらを見られても問題無い。しかし、この部屋の惨状は誰にも見られたくなかった。「汚部屋スプラウト」「ダメ女序列38位」「里見がペア解消したのって家事能力の無さが原因じゃね? 」と嗤う壮助の姿が容易に想像できる。

 

 

 

「ああ! ! もう! ! 何でいきなり来るんですかぁ! ? 」

 

 

 

 ティナは喚きながら、とりあえずゴミになるものを袋に詰め、収納場所が決まっていないフィギュアやコスプレを奥の部屋に押し込んでいく。

 その時、ようやくテレビの内容が耳に入った。警察、赤目ギャング、感染爆発(パンデミック)、自衛隊、物々しいワードが耳に入り、何事かと画面を凝視する。

 

 

 

 

【厚労省、歌手“鈴之音”日向鈴音さんと妹・美樹さんを危険域感染者として指名手配】

 

【特異感染症取締部・警視庁共同で特別捜査本部を設置】

 

【日向勇志さん、恵美子さん夫妻ガストレア化、姉妹の侵食率が関与か? 】

 

【聖居は特別警戒態勢を発令。陸上自衛隊の出動も視野に対応を検討】

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから30分後、壮助の予告通りインターホンが来客を知らせる。ティナが覗くと1階エントランスを映すモニターに赤いツナギに赤い帽子姿の男と同じ格好の女性が映っていた。中には家電製品でも入っているのだろうか、台車にはかなり大きな段ボール箱が乗っている。

 

『どうもー。ワークセル運輸ですー。お荷物をお届けに上がりましたー』

 

 男が赤い帽子の鍔を少し持ち上げ、隠していた顔をモニターに映す。そこには真剣な面持ちの義塔壮助の顔があった。ティナは壮助の行動の意味が分からなかったが、何か理由があると察する。

 

「……お願いします」

 

 疑りながらも開錠ボタンを押して壮助達をマンションの中へ入れる。それから数十秒後、今度は部屋のドアに設置されているインターホンが鳴り、ティナはドアを開けた。

 台車を押す女性の背の高さに一瞬驚いたが、いつもの宅配業者が来たように装う。

 

「すみませんね。こんな大きな荷物。台車ごと中に入って大丈夫ですよ」

 

「失礼しまーす」

 

 配送員達を部屋の中に入れるとティナはドアの周囲に一瞬だけ目を配り、誰もいないことを確認してドアを閉めた。

 鍵を閉め、念のためチェーンもかける。そこで安心してティナは一息吐く。

 

「義塔さん。どういうことか説明して下さい」

 

「勿論、そのつもりなんすけど、その前に……鈴音、美樹。もう出て来て良いぞ」

 

 壮助が段ボールをノックした途端、段ボールを突き破って手が飛び出し、中の“人達”が姿を現した。

 

「ぶはぁ~。死ぬかと思った」

 

「美樹。待って。いきなり動いたら――うわぁっ! ! 」

 

 段ボールがティナに向かって倒れ、灰髪の美少女姉妹ティナの足元に転げ落ちた。

 ティナは驚きのあまり目を丸くした。東京エリアで一二を争う人気歌手とその妹が自宅に来たこと、壮助が2人を連れてきたこと、全てのチャンネルのニュースで話題を掻っ攫っている危険域感染者がここに来たこと、壮助の護衛対象を知らなかったティナは何から驚けばいいのか分からなかった。

 

「えーっと、テレビで知っていると思うんすけど紹介します。俺の護衛対象の日向鈴音、そんで、こっちが妹の美樹」

 

 床に頭を打ち付けた鈴音と美樹は額を抑え、顔を上げた。そこでティナと目が遭った。壮助から名前は聞かされていたので外国人だとは思っていたが、今の東京エリアではあまり見かけない天然の金髪とエメラルドグリーンの瞳に視線を奪われる。自分達とさほど変わらない年齢の彼女がIP序列38位のイニシエーターとは到底思えなかった。

 

「あ……」

 

 何かに気付いたのか、鈴音は小さく声を上げると、ティナの顔を見つめながら立ち上がる。ゆっくりとした足取りで近づき、ティナの顔に手を伸ばす。敵意を一切感じさせない雰囲気のせいでティナは身構えようともせず、鈴音の好きなように触らせる。

 

「あの……私の顔に何かついてますか? 」

 

 顔の骨格を確認するかのように鈴音はティナの目鼻立ち、頬、顎、首筋を一通り触れる。手でティナの骨格を理解すると鈴音はニッコリと笑った。

 

 

 

 

「やっぱり、男の子が放っておかない綺麗な方でしたね」

 

「え? 」

 

 

 

 1秒後、ティナは何のことかさっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 2秒後、彼女の髪色、呪われた子供という情報、顔に触れる仕草が記憶を呼び起こす。

 

 

 

 

 

 

 3秒後、ティナは全てを理解した。

 

 

 

 

 

 

「ええええええええええええええええええええええええええ! ! ! ! ! ! 」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ダイニングテーブルを5人で囲み、壮助はこれまでの事情をティナに説明した。

 

「―――それで灰色の盾が準備している間に俺達が先に内地に来たんすけど……先生、話聞いてます? 」

 

「いや、もう正直、色々とビックリすることが多すぎて……。浮浪児から歌姫にジョブチェンジってなんですか。アメリカンドリームですか。ここアメリカじゃないですけど」

 

「とりあえず、ピザでも食って落ち着いてくださいっす」

 

「義塔さん。確かに私はピザばかり作りますが、ピザばかり食べてる訳じゃありませんからね」

 

「ピザばかり作ってる自覚はあったんだ……」

 

 ティナの視線は完全に初対面のエールへと向けられる。

 

「で、そこの貴方はギャングのリーダー 兼 鈴音さんのストリートチルドレン時代のお友達という訳ですね」

 

「まぁ、そんなもんだよ。とりあえず、敵じゃないことだけ覚えていてくれればいいさ」

 

 エールのことも助けてくれたギャングのリーダーだと正直に紹介した。ティナは一瞬、エールに訝る視線を向けるが「義塔さんを信用することにします」と言ってすんなりと受け入れた。今こうして社会に受け入れられている聖天子暗殺未遂犯の自分を重ねているのかもしれない。

 

「それにしても、突然の侵食率48%超過に機械化兵士のギャング、それと矛盾する簡易検査の結果ですか……。確かにこの事件、怪しいですね」

 

「バラニウムボックスのこと、信じてくれるんすか? 」

 

「ええ。むしろ高価な検査機を持ち込めない環境ではポピュラーな方法なんです。世界中の戦場で見てきました。大雑把な方法なので例外もありますが……」

 

 “例外”という言葉が引っ掛かり、鈴音と美樹の表情が暗くなる。急激な侵食率上昇が否定されていない今、自分達がその例外ではないかと考えてしまう。

 

「例外と言っても、ほんの一握りです。複数の生物種の因子を持つ多重因子保持者(マルチキャリア)や既存の生物学では因子を分類できない未知因子保持者(アンノウンキャリア)、あとは非現実的な戦闘力を誇る到達者(ゾーン)、それ以外だと幼い頃からモノリスの磁場に耐えられる特別な訓練を受けた子供ぐらいですかね。いずれも数千から数万人に一人の確率です。ちなみにお二方の保有因子をお聞きしても良いですか? 」

 

 ティナに問いかけられ、美樹は恥ずかしそうに机の下で両手の指を絡ませる。「えーっと……」と言いながら、目が泳ぎ答えを渋る。

 

「エンマコオロギです」

 

 美樹の躊躇いを無視して鈴音が即答した。

 

 エンマコオロギ――バッタ目・コオロギ上科・コオロギ科に属する虫である。美しい鳴き声で知られ、日本や中国では古くから観賞用として飼育されてきた。しかし、その姿については「カッコいい」という肯定的な意見と「ゴキブリに似てキモい」と否定的な意見が上がっている。美樹が躊躇ったのもモデルとなった生物の姿を想像されたくなかったからであろう。

 

「それ以外について定期検査で何か言われたりは? 」

 

「いえ、特には何も……。目の治療で侵食率が少し高いから気を付けてぐらいしか」

 

「病院の先生に『このペースだったら200歳まで全然余裕だよ』って言われた」

 

「そうですか……。特に例外という訳でもなさそうですね」

 

 会話に耳を傾けていたエールは壮助の視線が自分に向かっていたことに気付いた。

 

「何だよ」

 

「いや、お前の保有因子って何なのかなって」

 

「知らねえよ。検査受けたことねえし」

 

 角や翼など、極端な形象の発現でもない限り呪われた子供は自分の保有因子を自覚することが無い。仮にあっても動物に関する知識が無いため、イニシエーターや保護された子供を除いて、自分の保有因子を知っている者は1%にも満たない。

 

 ティナのスマホに着信が入り、テーブルの上で震える。今度は「松崎社長(ケータイ)」としっかりと発信者が出ていた。

 

「先生。スピーカーモードにしてくれないっすか。事務所の状況を知りたいっす」

 

「分かりました」

 

 ティナは口元に指をあて、「しーっ」と静かにするよう指示した後、通話ボタンを押し、スピーカーモードにする。

 

「はい。ティナです」

 

『おはようございます。ティナさん。ニュースは拝見されましたか? 』

 

 松崎社長の昼行燈な雰囲気が声で伝わる。

 

「ええ。今、見たところです 」

 

『実はですね、先方から口止めされていたので黙っていたのですが、義塔さんの仕事相手、護衛対象がニュースに出ている日向さん達なんです。今朝から彼とも連絡が取れていません。そちらはどうですか? 』

 

 ティナが壮助を一瞥するが、壮助は首を横に振った。

 

「いえ、こちらにも来ていません」

 

『そうですか……』

 

 壮助が部屋にあったペンを取り、『警察の人来た? 』とティナにメモを見せる。

 

「警察の人、来られましたか? 」

 

『ええ。朝一に来ましたよ。義塔さんと森高さんの交友関係や最近購入した武器など色々と聞かれました』

 

「ニュースだと鈴音さんと美樹さんが逃げたとしか言っていませんが、警察は逃走に義塔さんが関与をしていると踏んでいるんでしょうか」

 

『そうですね。警察の人が言うには、義塔さんは巻き込まれたと言っていました。それと詳しくは教えて貰えませんでしたが、赤目ギャングとの関りについてしつこく尋ねられました』

 

 松崎の話を聞いてエールが渋い顔をする。スカーフェイスの襲撃があったとはいえ、現状、日向姉妹を連れ去ったのは灰色の盾だ。自分達のせいで鈴音と美樹の立場が悪化しているのではないかと気鬱になる。

 警察が鈴音と美樹を殺そうとしたあの状況でそれ以外の選択肢があったのかと言われれば、「無かった」としか言えないが――。

 

「分かりました。こっちでも情報を集めてみます。松崎さんはあまり無理しないで下さい。もう年なんですから」

 

『大丈夫ですよ。義塔くんと森高さんが毎日のようにトラブルを起こしてくれるお陰で鍛えられましたから』

 

 ティナは壮助を睨み、思い当たる節が多すぎる壮助は黙ったまま視線を逸らす。

 

「松崎さん。少し音が気になるのですが、車に乗っているんですか? 」

 

『ええ。警察と入れ替わりで大角くんが事務所に来まして、身の危険が迫っているので安全な場所に身を移して欲しいと――。千奈流さんと一緒に大角くんの車で移動しています』

 

 ガストレア討伐だけでなく様々な荒事に手を伸ばす民警企業は警察、ヤクザ、赤目ギャング、同業他社、その他諸々の犯罪組織から恨みを買うことが多い。従業員=戦闘員の天童民間警備会社では心配する必要は無かったが、非戦闘員の松崎や空子を擁する松崎民間警備会社では従業員の安全確保にも気を配らなければならない。

 壮助もティナも気が回らなかった部分に大角勝典はいち早く気づき、既に行動に移していた。年齢の差か、職歴の差か、話を聞いていた壮助とティナは自分達がまだまだ子供であることに気付かされる。

 

『大角くんが、話があるそうなので代わりますね』

 

 向こうでゴソゴソと動く音が聞こえた。

 

『スプラウト』

 

「はい」

 

 電話越しでも身体の芯から震えそうなバスボイスが聞こえ、ティナは思わず返事する。

 

『義塔から連絡があったらこう伝えてくれ。『17時までハイエナ屋で待つ』と――』

 

「ハイエナ屋ですね。分かりました」

 

 ティナが返答すると通話は切られ、スマホがアニメキャラの待ち受け画面に戻る。

 

「義塔さん。ハイエナ屋って何ですか? 」

 

「俺らが世話になっている武器売買店だよ。三途麗香っていうオバサンがハイエナみたいに死んだ民警の武器を買い取って売ってるところだ」

 

 壮助は蓮太郎のスプリングフィールドXDがその店にあり、法外な値段がついて売られていることを思い出したが、ティナの前では口を噤んだ。言ってしまえば、トランク一杯に札束を詰めて「買い取ってきます」と言いかねない。少なくとも今は勘弁してほしいという気持ちだった。

 

「先の話をしましょう。私はこれからどうすれば良いですか? 」

 

「まず鈴音と美樹を安全な場所に運びたいんすけど、先生のコネが無いと厳しいんすよね」

 

「安全な場所の目星は付いているんですか? 」

 

「勿論」と言って壮助はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「司馬重工のエクステトラっすよ。あそこなら衣食住完備しているし区画分けが厳格にされているんで人間2人も簡単に隠せる。もしバレてスカーフェイスが襲撃しても施設の武装警備員や民警がたくさんいるから数の差で迎撃は十分に可能っすよ」

 

 司馬重工第三技術開発局の本部――通称「エクステトラ」。本来は司馬重工の研究施設だが、防衛省に卸している装備の開発も携わっている関係で施設内外の警備は厳重になっており、区画分けによって情報が統制されていた。

 現に3ヶ月前、その一画では♪ティナ先生のドキドキお泊りレッスン♪と称した監禁・暴行・傷害・殺人未遂といった犯罪が毎日のように繰り広げられていたが、それが外部に露呈することは無かった。

 

「なるほど……分かりました。私から未織さんにはお願いしておきます」

 

「それじゃあ、決まりっすね。俺はハイエナ屋に行って大角さんと合流する。その後はスカーフェイスの囮になる。その間にエールはトラックにティナ先生と姉妹を積んでエクステトラに向かってくれ」

 

「義塔さん……。一人で大丈夫なんですか? 」

 

 鈴音が心配そうに声をかける。

 

「大丈夫も何もこれしか無いだろ。お前らはエクステトラに隠さなきゃいけないし、交渉するためにはティナ先生も行かなきゃならない。お前らを隠しながら移動しなきゃいけないから、エールのトラックしか移動手段が無い」

 

「で、でも……」

 

 それでも鈴音は食い下がった。壮助はこの5人の中で唯一傷を負っている。機械化兵士と言えど普通の人間である彼は治りが遅い。偽の制服や帽子の陰に隠れていたが、血の滲んだガーゼや包帯が鈴音と美樹の目に映る。

 

 

 

 このまま、彼は「大丈夫」と言いながら死んでしまいそうで――――

 

 

 

「えーっと、ティナさん? そのエクステトラってのは遠いのか? 」

 

 鈴音と壮助が作った沈黙を破り、エールがティナに尋ねた。

 

「そう遠くはありません。車で15分ぐらいの場所にあります」

 

「それなら、鈴音と美樹を預けた後、私が囮になってスカーフェイスを誘き寄せる。連中からすれば、私もスズネとミキの居場所を知る人間だし、連中のやり口を知っている厄介な敵だ。一人でほっつき歩いているところを見つければ、仕掛けて来る筈だ」

 

「大丈夫なのか? 」

 

「これでも西外周区最優の闘争代行人(フィクサー)って言われているんだ。一人でも足止めや時間稼ぎぐらい出来るさ。私達は3年かけても連中を仕留められなかったが、逆に言えば連中は3年かけても私達を仕留められなかった。1日や2日鬼ごっこするぐらいどうってことない」

 

 エールは余裕の笑みを浮かべる。彼女の強さは噂でしか聞いたことがなく、その場にいる人間の誰もが本当の実力を知らない。しかし、それが虚勢ではなく、確かな根拠に基づいた言動であると感じさせられる。

 

「お前は何も気にせず、その大角とやらと合流しろ。武器・弾薬も補充して、ギリギリまで休め。目を覚ました森高にお前が死んだことなんて言いたくねえ。それに――

 

 

 

――これ以上、スズネとミキを悲しませるな」

 

 全員の視線が壮助に刺さる。彼を心配しているのは鈴音だけではない。美樹も、ティナも、エールも、彼の死を望んではいない。その想いを彼は受け取るしか無かった。

 

 

「ああ。……頼んだ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 警視庁本部庁舎・「日向姉妹逃走事件」特別捜査本部

 

 薄暗い大部屋に並べられた長テーブルとパイプ椅子、プロジェクターで壁に一杯に写された画面、映画館と見紛う特別捜査本部に100人の厚労省・警察関係者が集まっていた。危険域感染者の拘束は過去に例はあるが、感染者の逃亡を許してしまったのは今回が初のケースである。たった2人の少女の逃亡を許したことで東京エリアは存亡の危機に立たされている。異例とも言える大規模な特別捜査本部はその危機意識の表れともいえる。

 全員がパイプ椅子に座り、壁のスクリーンや手元のタブレット画面に目を向ける。

 

「現場から押収されたM60機関銃のライフリングから、護送車襲撃犯は赤目ギャング“灰色の盾”リーダー 通称『エール』の所有物であることが判明した。現場周辺の監視カメラでも灰色の盾メンバーが多数目撃されており、護送車襲撃犯と見てほぼ間違いないだろう」

 

「灰色の盾は護送車襲撃を計画していたということでしょうか」

 

「そうだ」

 

 スクリーンとタブレットが連動し、そこにピンク髪のふざけた表情の少女が映される。

 

「彼女は灰色の盾のサブリーダー通称『ナオ』。電子機器の扱いに長けており、愉快犯的なクラッキング、インターネット上での資金洗浄(マネーロンダリング)、コンピュータウィルスの散布など、サイバー犯罪の前科がある」

 

 パイプ椅子に座っていた男がメガネをかけ、書類に目を向けて話し始める。

 

「昨日、特異感染症研究センターのシステムに不正アクセスがあり、そこから日向姉妹を含む十数名の侵食率に関するデータが抜き取られていることが判明しました。時間帯的に姉妹の侵食率が48%を超過しているという情報も事前に入手していたと思われます」

 

「新世界教団事件と同様、形象崩壊直前の呪われた子供を用いたバイオテロが危惧される」

 

 

 “新世界教団事件”

 

 4年前、新世界教団と名乗るカルト教団が形象崩壊直前の呪われた子供を街中に放ち、ガストレア化させることで人為的感染爆発(パンデミック)を画策した事件である。凶行を事前に察知した警察が教団の施設に機動隊を投入、教祖含む31人を拘束し、ガストレア爆弾として利用される予定だった赤目の少女達を保護したことで彼らの計画は未遂に終わった。

 しかし、突入があと1日遅れていれば、彼らの計画が遂行され、東京エリアが滅亡していただろうと言われており、その恐怖は今でも社会に刻まれている。

 

 壇上には一人の男が登った。警察の制服に身を包み、帽子もキッチリと被っている。年齢は60代といったところだが、顔に似合わず体型と姿勢はしっかりとしており、実年齢マイナス20歳を維持している。全員が彼の一挙手一投足に注目する。

 

「この件の特例として、日向姉妹、灰色の盾、問わず全面的にバラニウム弾の使用を許可する」

 

 その一言が出た瞬間、一部の捜査員がどよめいた。ある捜査員は唾を飲みこんで決意を固め、ある捜査員は「マジかよ」と小声で言葉を零す。ある捜査員は鈴之音のファンなのか、涙を流し、手で顔を覆う。

 

「静かに」

 

 壇上に立つ男の一喝でどよめきがおさまり、全員が姿勢を正す。

 

「特異感染症研究センターから与えられたデータでは、姉妹共にいつ形象崩壊してもおかしくない数値とされている。現状、姉妹の形象崩壊回避や治療は難しく、仮に拘束できたとしてもセンター到着前に形象崩壊し、感染爆発(パンデミック)を起こす可能性が極めて高いと報告されている」

 

 全員が注目する中、壇上に立つ男は奥歯を噛みしめた。ここから先は警察の人間として許されざる言葉だ。奇跡が起きて、犠牲者が出ることなく事件が解決しても自分は今の地位を追い出されるだろう。

 しかし、言わなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

「君達は、罪の無い市民に向けて引き金を引くことになる。

 

解決しても罵倒され、非難され、心無い言葉を吐かれるだろう。

 

だが、それでも―――どうか東京エリアの市民の安全の為、その手を無実な血で汚して頂きたい。

 

これは私からの指示だ。

 

“形象崩壊する前に日向姉妹を射殺せよ”

 

全責任はこの私、警視総監・渡良瀬 京一(ワタラセ キョウイチ)が背負う」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 我堂民間警備会社 社長室

 

 東京エリアの一等地、タワービル上階にある社長室で我堂民間警備会社 社長 我堂 善宗(ガドウ ヨシムネ)は電話を取っていた。装飾が施され、机に固定されている有線電話の受話器を耳に当て、真剣な面持ちで聖天子との電話会談に当たる。

 

「はい。勿論、我々も事態を憂慮しております。感染源ガストレアの消失、形象崩壊直前の潜伏感染者の逃亡、共に我堂民間警備会社の総力を上げ、事態の対処に当たります」

 

『ご協力感謝致します。我堂社長』

 

「いえいえ。これが仕事ですから」

 

『はい。それでは朗報をお待ちしております』

 

 聖天子の澄んだ声を最後に通話は終わった。

 善宗は「ふぅ」と一息吐くと姿勢を崩す。表情も先程の真剣な面持ちが嘘のように崩れ、テキトーで、いい加減で、遊んでいる本来の彼に戻る。

 

「若くて綺麗な女の子とお喋りするのは大好きなんだけど、聖天子様相手だと肩が凝るなぁ~。おじさん疲れちゃったよ」

 

 拾い社長室で独り言を呟きながら善宗は拾い社長室を練り歩く。

 

 長い黒髪をゴムで束ね、無精ひげを生やした風貌、手足の長い細い体格は幽霊のように揺れ動き、それとは対照的に目はキラキラと輝いている。アイロンがけされているが何故かくたびれた印象を持たせるワイシャツとスラックス、解けて首にかかっているネクタイ、裸足にサンダルといったスタイルは彼の社会人としての品格を疑う。

 彼の兄・我堂長政が主君に仕える武人であるならば、弟・善宗は夜の街を遊び歩く流浪人といったところだろう。

 

 善宗は応接用のソファーに寝転がるとスマートフォンを取り出し、電話をかけた。

 

 

 

 「あーもしもし。おじさんだけどー。朝霞ちゃーん。 補修終わった? ちょっとお仕事頼みたいから、予定空けといてくれない? 」

 




作中ではガストレアウィルス感染爆発の危機
現実では新型コロナウィルス感染爆発の危機

同じウィルスと言っても感染経路や症状は全然違いますが、目に見えない恐怖に対峙する社会の空気や報道はかなり参考になります。
現実って、創作ネタの宝庫なんですよね。




次回「彼と彼女の第三次関東会戦 前編」


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彼と彼女の第三次関東会戦 前編

皆さん、お待たせしました。
新連載を始めたり、新生活が始まったりで忙しく、前回から少し日が空いてしまいました。
タイトルからも分かる通り、今回と次回は過去回想になります。

(ごめんなさい。前回の予告からサブタイトル変更しました)


 ティナのマンションから出て十数分、東京エリア在来線のホームで壮助は電車を待っていた。電車が来るまでの間、灰色の盾から借りた古いスマホ(おそらく盗難品)とイヤホン(中古)でネットのニュース動画を漁る。

 テレビの報道番組を同時配信しているチャンネルだ。どこの局もチャンネルもそうだが、東京エリアの話題は日向姉妹の逃亡、日向夫妻のガストレア化、赤目ギャングによる護送車襲撃で話題が埋め尽くされている。

 明るいスタジオで大画面の前に男性アナウンサーが立ち、横のカウンターには数名の男女が座っている。

 報道されている内容を見る限りだと事件の概要はこうなっている。

 

 

*       *        *

 

 8月上旬に瑛海市民病院は定期検査で日向姉妹の血液を採取、国立特異感染症研究センターに血液を移送して検査したところ姉妹共に48%という数値が出された。前回が12%、6%であった為、センター職員は検査機のエラーや手順の誤りがあったと考え、現場管理者の判断で再検査を実施した。しかし、数値が変わらなかった為、危険域感染者として厚生労働省・特異感染症取締部に通報した。

 通報当日の8月9日、日向家の近隣住民から「日向家からガストレアの鳴き声が聞こえた」と110番通報、同時に我堂民間警備会社にも連絡が入る。先に我堂の民警が到着したところ、日向夫妻がガストレア化しており、既に親戚の少年(詳細不明)が夫妻を処理していた。その後、我堂民間警備会社の民警が周辺で感染源ガストレアを捜索するが、現在も見つかっていない。

 同時刻、特異感染症取締部が日向家に到着し、姉妹を拘束。親戚の少年も同行を希望し、監視をつけて3人を護送車に乗せる。

 センターへ向かう為、高速道路を走行中、赤目ギャングと思しき集団が護送車と随伴車を襲撃。取締部の職員達を無力化させる。日向姉妹と親戚の少年の行方は分かっておらず、警察では赤目ギャングが日向姉妹を人為的感染爆発テロに利用する為に誘拐したとみて捜査を進めている。

 今朝、国立特異感染症研究センターは日向姉妹が呪われた子供であることを正式に認め、保有因子がエンマコオロギであることを公表。日向夫妻の形象崩壊した部位から()()()()()()()()()が確認されており、現在、感染源ガストレアの捜索を続けると共に精密なDNA鑑定で姉妹の侵食率との因果関係を調べている。

 

*       *        *

 

 

 超人気歌手の正体、危険域感染者の逃亡、夫婦の形象崩壊と感染源ガストレアの潜伏、赤目ギャングのテロ計画、一晩の間に4つの大事件が発生し、あまりにも多すぎる衝撃と情報量でアナウンサーは冷や汗を流す。

 

 

 番組の内容が警察や厚労省の今後の対応に関する話になり、コメンテーターの元・厚労省の幹部、元・警察関係者、それぞれの意見を述べる。

 

『現代医療では侵食率を下げる方法は無く、完全に止める術もありません。取締部が拘束に乗り出したということは彼女達が加害者になる非常に危険な状態だったと考えられます』

 

『聖居は自衛隊の出動も視野に入れて対応を検討すると発表しています。警察もおそらくバラニウム弾の使用も視野に入れて動いていると思われます』

 

 専門家たちが淡々と語る中、コメンテーター席に座っていた明るい髪の女性タレントが涙を流す。緊急報道ということもあり番組の内容も事前打ち合わせではなく、たった今、聞かされたのだろう。必死に顔を隠して悟られないようにするが彼女の意に反してカメラが向けられる。

 

『以前、鈴之音さんとお仕事を一緒にする機会があったのですが、こう……穏やかと言いますか、凄く癒される雰囲気を持っている子でして、……彼女が呪われた子供なのも、こんなことになってしまったのも未だに信じられません。ごめんなさい。ちょっと涙が……』

 

 感極まったのかタレントは顔を手で被い、カウンターに伏せる。カメラがタレントからアナウンサーに切り替わる。アナウンサーは少し困り顔をしていた。彼もこの報道番組の特集で鈴之音と一緒に仕事をしたことがあるのだろう。彼の目も潤んでいた。

 

『えー。この事件につきましては続報が入り次第、お届けいたします。続いては、8月の聖天子様不信任決議の話題です。関東維新の会の緑川会長はエリア民主党主導の野党連合に合流する意志を表明しました。これにより、東京エリア制定以来最大の野党連合が結成され――』

 

 話題が変わったところで壮助は動画を停止し、スマホをポケットの中に戻した。警察や厚労省がどう動くのかは理解できた。メディアの報道と警察の把握している情報、そして国の動きが必ずしも一致しているとは限らないが、その方針自体が変わることは無いだろう。彼らは日向姉妹を救うとは考えておらず、他の犠牲が出る前に処理することを念頭に動いている。多くの市民の命を背負っている彼らの立場を考えると対応を非難することは出来ない。しかし、壮助は怒りが煮え切らなかった。

 ふと自分の後ろに並ぶカップルの会話が耳に入る。

 

「マジかよ。やべーな」

 

「かわいそう。鈴音ちゃん何も悪いことしてないのに」

 

「もしかしてこの人混みの中に居たりしてな。昔にもあったみたいだぜ。地下鉄でウィルスか何かばら撒いてたくさんの人が死んだってやつ」

 

「えーやだ。恐いこと言わないでよー」

 

 怒りに身を任せ、カップルの男の方をぶん殴ってやろうかと思ったがぐっと抑えた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 当たり前のように電車に乗り、東京エリアの某駅前大通りから横道に逸れる。場末の居酒屋やキャバクラ、スナックが並び、その一角に何かの店の裏口だと思われる鉄製のドアがある。ドアの端っこには「ハイエナ屋」と小さなシールが貼られていた。

 

 ――相変わらず、商売やる気ねぇな。

 

 壮助はふと思い出した。この店の郵便受けは民警ライセンス証読み取り機になっており、ライセンスを読ませないとドアのロックが開かない。財布もスマホも特異感染症取締部に取り上げられた彼はこの店に入る手段が無かった。

 

「おーい。三途。大角さーん。開けてくれー」

 

 ドアをノックして、店主と大角の名前を呼ぶが開けてくれる様子は無い。

 

「よし。壊すか」

 

 右手に斥力フィールドを形成し、ドアを壊そうと構える。瞬間、ロックの外れる音がした。

 壮助はドアノブを回し、店内に入る。

 相変わらず雑多に並べられている武器弾薬、バラニウム製の刀剣、壁の高いところには相変わらず、蓮太郎のスプリングフィールドXDが額縁つきで飾られている。

 精算カウンターで店主の三途麗香が煙草をふかしていた。数か月ぶりに会うが、たばこの煙で傷んだ髪と擦れた目、不健康な生活なのに何故か維持される若いスタイルは相変わらずだ。

 

「やあ。菫の改造人間。ロケットパンチは撃てるようになったか? 」

 

 麗香が壮助をそう呼んだことに驚いた。機械化兵士になったことを知っているのは松崎PGSの面々と賢者の盾を貸し与えた聖天子、それを埋め込んだ菫ぐらいだと思っていたからだ。しかし、()()菫の親友である彼女にも情報が流れていてもおかしくないと思い、追及はしなかった。

 

「大角さんとバカ鳥来てる? 」

 

「ああ。爆弾と弾丸を馬鹿みたいに買いまくって、今そっちの作業室を使ってる」

 

「サンキュー」

 

 麗香が煙草で指した先に暖簾で仕切られた部屋がある。

 

 壮助が入ると、鉄製の作業台で松崎PGSのプロモーター大角勝典(ダイカク マサノリ)が弾倉に弾を込めていた。

 筋骨隆々な巨躯とダークグリーンのカーゴパンツ、上半身は黒のタイトTシャツ1枚のみ、室内だが何故かかけているサングラスのせいでただでさえ狭い店内が更に暑苦しく感じる。ここ最近、床屋に行けなかったのか総髪で後頭部にまとめられた髷は首筋まで伸びていた。

 

「待たせたっすね。大角さん」

 

「いや、想定通りだ」

 

「え? 」

 

「あの状況ならお前は最初にスプラウトを頼ると踏んでいた。電話したのもお前がもう部屋にいるんじゃないかと思っていたからだ」

 

 あまりにも的確な予想で壮助は身震いした。勝典の飛耳長目ぶりは知っていたが、ここまで思考を読まれると例え尊敬し親しい仲であったとしても一種の恐怖を感じてしまう。そんな彼の様子を見て、勝典は弾を込める作業を続けながらふっと笑った。

 

「お前の考えていることは分かるさ。ランドセルを背負っていた時期からの付き合いじゃないか」

 

 壮助は観念した。勝典とは、嘘も隠し事も出来ない純粋無垢な少年だった頃からの付き合いだ。一時期、離れていた時期はあったが、人生の2割ほどは彼と同じ場所で過ごしている。

 

「ほら。アンタも手伝って」

 

 少女の声と共に壮助に空の弾倉が投げ渡される。勝典の巨躯の陰に彼のイニシエーター飛燕園(ヒエンゾノ)ヌイが居た。ウェーブした明るい茶髪をサイドテールでまとめ、ファッション誌でキッズモデルが着てそうな数万円の服を着ている。今日のコーデはストリート系らしい。

 

「おい。バカ鳥。俺、怪我人なんだけど」

 

「手と指が動いて減らず口叩く元気があるなら問題無いでしょ」

 

 ヌイにカートン単位で購入したバラニウム弾を差し出される。壮助は不満げな顔をしつつも素直に弾を込める作業に入った。

 

 

 

 

 

 

「義塔。死龍は強かったか? 」

 

 

 

 

 

 

 驚愕のあまり、壮助の手が止まった。日向姉妹逃亡の件でスカーフェイスの関与は一切報道されていない。赤目ギャングの関与は触れられていたが、どこのチームかは不明とされていた。警察関係者ならまだしもあの場に居た人間以外で壮助と死龍の関与を知っている筈が無かった。

 

「大角さん。ティナ先生から聞いたんすか? 」

 

 壮助絵は恐る恐る尋ねた。

 

「いや、スプラウトとの連絡はあれっきりだ」

 

「だったら、何で、今ここで死龍の名前を出すんすか? 」

 

 冷や汗を流し、身構えながら壮助は問う。彼を前にして勝典は眉一つ動かさず、何かを決心するように深く呼吸した。

 

 

 

 

「死龍は、俺の前のイニシエーターかもしれない」

 

 

 

 

 壮助は勝典の言っている意味が分からなかった。

 

 

 

鍔三木飛鳥(ツバミキ アスカ)を覚えているか? 」

 

 

 

 問いに対する回答としては「イエス」だった。

 

 壮助がまだ小学生の頃、(一時的だが)地域の小中学校は民警会社「葉原ガーディアンズ」と契約し、民警ペアに登下校中の学生を守らせていた。当時の大角勝典は所属プロモーターの一人で、鍔三木飛鳥とペアを組み義塔一家が住むアパートの前に立っていた。2人は登下校の度に壮助と顔を合わせていた。何度か顔を合わせる内に壮助と勝典は挨拶するようになり、段々と交わす言葉が増えていき、与太話をする仲にまでなった。

 しかし、飛鳥とは打ち解けられなかった。最初は普通に話しかけたが、彼女からは睨まれ、「ザコ」「ガキ」「バカ」と悪口を叩かれた記憶しか無い。壮助は彼女のことが嫌いだったが、親に捨てられ、学校に行けず、イニシエーターとして働かないと生きていけない彼女の境遇には哀れみを感じていた。

 

 はっと我に返る。

 

「いやいや、ちょっと待って! ! 飛鳥は『第三次関東会戦で死んだ』って、大角さん自分でそう言ってたじゃないっすか! ? 」

 

「ああ。俺もそう()()()()()

 

「『思っていた』って……どういうことっすか? 」

 

「俺は、飛鳥は死んだと聞かされていた。だが、俺はあいつが死ぬ瞬間も、死体になった姿も見ていない」

 

 サングラス越しに勝典の視線が向けられる。いつも力強く、余裕があり、頼れる大人だった彼の視線に初めて“弱さ”を感じた。

 

 

 

 

「少し昔話に付き合ってくれ。準備の暇潰しにはなるだろう」

 




新連載始めました。興味がありましたら是非。

「GOD EATER 2 蓮の目を持つ者」




次回「彼と彼女の第三次関東会戦 中編」


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彼と彼女の第三次関東会戦 中編

今回と次回は謎多きゴリマッチョ大明神 大角勝典の過去回になります。
原作の補完的なエピソードも盛り込んだ結果、3話分割になってしまいました。
ごめんなさい。


 民警に「民警になった理由」を訊くと大抵の者がこう答える。

 

 ガストレアに殺された人達の仇を討つ。

 

 東京エリアを守る。

 

 戦いしか取り柄がなかった。

 

 可愛い女の子とイチャイチャしたかった。

 

 絞首台に行くか民警になるかしか選択肢が無かった。

 

 

 大角勝典()にそんなものは無かった。

 

 ガストレアに特別な恨みは無く、命懸けで戦うほど国や社会に愛着は無く、正義感も無く、年端もいかない少女と懇ろな関係になりたい願望も無かった。無論、刑務所に放り込まれるような犯罪もやったことが無かった。

 俺は、物心ついた頃には施設にいて、人並み以上に勉強ができて、人並み以上にスポーツもできて、当たり障りのない程度に人間関係を構築した。生まれた直後、母親にへその緒がついたまま公園の公衆便所に捨てられたこと以外、これといった苦労はなかった。ガストレア大戦もそうだ。大人の言う通り避難していたらいつの間にかモノリスの結界の内側にいて、大戦が終わっていた。

 元々何も持たなかった俺に失うものなどなく、ガストレアにもガストレア大戦にもこれといった感情は無かった。全てが他人事で、大戦前も大戦後も生活はさほど変わらなかった。

 成績が優秀だったので奨学金が貰え、教師が「この成績なら余裕で大学にも行ける」と言ったので大学に行った。

 

 “激しい『喜び』はいらない。その代わり深い『絶望』もない。『植物の心』のような人生”

 

 昔、クラスメイトが勧めてくれた漫画の悪役が目指していた人生を俺は歩んでいた。

 そんな俺が民警になったのは、「他にやることが無く、面白そうだったから」――単なる興味だった。銃器の無制限所持が許され、幼い女の子を戦力として使役する職業“民警”。大戦前の日本では到底考えられない異質な職業に俺は珍しく興味を持ち、プロモーターのライセンスを取得した。

 

 ――2~3年ぐらい働いて、飽きたら真っ当な職に就こう。

 

 そんな軽い気持ちだった。正直に言って、学生のアルバイト感覚だった。

 当時はそこそこ大手だった葉原ガーディアンズにプロモーターとして就職し、国際イニシエーター監督機構(IISO)の引き合わせにより、鍔三木飛鳥とペアを組んだ。

 初めて会った時、ガストレアウィルスの影響で変異したダークグリーンの髪が目に映った。一見すると普通の日本人らしい黒髪だが、強い光で照らすと緑色が見えてくる。彼女はそれらをリボンで二つ結びにし束を肩にかけていた。職員からの餞別だろうか、荒んでいる視線に反してリボンは可愛らしいデザインだった。

 飛鳥は親に捨てられ、ストリートチルドレンと生き、生活と抑制剤の為に嫌々イニシエーターになったらしい。「イニシエーターになる連中はだいたいそんな感じだ」とIISOの職員は語っていた。一人の人間として彼女達の境遇に憐れみを覚えるくらいの善意は持っていた。しかし、自分を犠牲にして、社会に歯向かってまでそれを是正しようと立ち上がる正義感は無かった。

 それ以上に――

 

 

「せいぜい私の足を引っ張らないようにしろ。デカブツ」

 

 

 目の前の少女は境遇に反して図太い神経の持ち主だった。

 民警の仕事をする上で誰もが不安に思うのがイニシエーターとの相性だ。人間を恨み、社会を憎み、まだ感情を制御できない年頃の少女という不安定要素だらけの存在に頼らなければ成立しない職業柄、その点は非常に重要だった。

 幸運なことに俺はそこに不安を感じなかった。飛鳥は壮言大語の通り、イニシエーターとしてかなり優秀だった。大当たりと言って良いだろう。ガストレア相手に怖気づくことは無く、高い身体能力と卓越した戦闘センスでガストレアの懐に飛び込み、サソリの因子により体内で生成した神経毒で麻痺させるという戦法を既に確立させていた。俺の仕事と言えば、飛鳥の毒で動きが鈍ったところを高威力の火器で止めを刺すぐらいだった。

 その戦闘スタイルのお陰で俺の民警生活は楽に上手くいっていた。

 

 一つ問題があるとすれば――

 

「これはなんて読むんだ? 分からん」

 

「これ全文ひらがなだぞ……おいマジか」

 

 飛鳥は字が読めなかったことだ。

 

 彼女は小学校どころか幼稚園・保育園すら通ったことがなかった。仕事が楽に終わる代償と言わんばかりに休日は彼女の教育に費やした。イニシエーターは人ではなく道具という業界の暗黙のルール、仕事がいつ入るか分からない身ということもあり、飛鳥を学校に通わせず、俺がプロモーター 兼 保護者 兼 家庭教師となった。

 ひらがなとカタカナの読み方を教える前にまずペンの持ち方から教育しなければならなかった。足し算と引き算を教えても10以上の数は「たくさん」の一言で集約された。横断歩道の前で「青信号は車を気にせず渡れ。赤信号は車を避けながら渡れ」と言われた時は戦慄した。

 

 そんな苦労があったからだろう。気が付くと彼女にはそれなりの愛着が湧いていた。

 

 プロモーターを2~3年で辞めるつもりだったが、5年後も10年後も彼女と民警を続ける気になっていた。不文律の会社規定に反して飛鳥を学校に通わせるか否かで本気で悩んだ。彼女の為にティーンエイジャー向けのファッション誌を買い漁り、店員に変な目で見られた。いずれ独り立ちするかもしれない日のために家事全般を教えた。

 誰かを愛することは無く、愛されることも無かった俺の辞書にその感情を表す言葉は無かった。

 

「ありがとう」

 

 一度だけ、日常のほんの些細な事だったが、飛鳥から素直にお礼を言われたことを覚えている。俺に背を向けていたので、どんな表情だったのかは分からなかった――。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 そんな俺達が第三次関東会戦に参加したのは不本意以外の何物でも無かった。防衛省の手筈で葉原ガーディアンズの社長にモノリス倒壊のシナリオが伝えられたのだが、それを聞いた直後に社長が夜逃げし、俺達が知ったのはモノリスの白化を報道ヘリが捉えた時、一般市民と同じタイミングだった。その頃には航空機のチケットは買い占められ、東京エリアから脱出する術は無くなっていた。

 お茶の間のテレビには白化するモノリスが映し出され、俺達はそれを見ながらいつものように朝食を摂っていた。

 

「大角。マヨネーズが無いぞ。あれほど切らすなと言っただろう」

 

「業務用のデカいやつがまだ冷蔵庫にあったと思うが……」

 

「それも使い切ったから言っているんだ」

 

「……」

 

「……」

 

「お前、あれ全部食ったのか。先週、買ったばかりだぞ」

 

「私は悪くない。マヨネーズが美味しいのが悪い」

 

「もう勘弁してくれ。イニシエーターがマヨネーズの食い過ぎで死んだとか笑い話にもならんぞ」

 

 いつもの部屋でいつもの他愛ない会話が繰り広げられる。しかし、俺も飛鳥もふと箸が止まった。大戦前も大戦後も生活が変わらなかった俺でもさすがにモノリス倒壊寸前という状況は他人事ではいられなかった。

 

「大角。どうするつもりだ? 」

 

「戦うしか無いだろう。もう逃げ道は残っていないし、シェルターも満員だろうからな。さっき電話で天崎からアジュバントに誘われた。板東にも声をかけているらしい」

 

「あの頭のおかしい武器ジャンキーペア頭のおかしいアル中ペアと組むのか? 正気か? 」

 

「正気も何もいつものメンツじゃないか」

 

 葉原ガーディアンズにはチーム制があり、3つ以上の民警ペアが1つのチームとなって業務に当たる仕組みになっていた。今思えば、アジュバントも想定していたのだろう。俺も当時は2つの民警ペアと共に仕事をこなしてきた。それが飛鳥の言う「頭のおかしい武器ジャンキーペア」と「頭のおかしいアル中ペア」である。

 

「飛鳥。いつも言っているだろう。ここ一番の勝負時こそ“いつも通り”がベストなんだ。一夜漬けやその場凌ぎの努力を無駄とは言わないが最終的にモノを言うのは常日頃の積み重ねだ」

 

 ふとニュースに目を向けると白化したモノリスに向けて移動する陸上自衛隊の装甲車・戦車の長蛇の列が映される。上空を同じ方向に飛ぶ航空自衛隊の機体も映っている。怪獣映画では見慣れた光景だが、実際のこととなると画面越しでも壮観だった。

 

「それに今回、俺達の出番は無いかもしれないしな」

 

「どういうことだ? 」

 

「前の戦い、第二次関東会戦は自衛隊の圧勝で終わったからな。運が良ければ、俺達は自衛隊vsガストレア軍団を観戦した挙句、何もしないまま聖居から報酬が貰えるかもしれない」

 

「成程。逃げた民警共はバカということだな」

 

「まぁ、連中は自ら信用を捨てたからな。戻って来ても東京エリアじゃ仕事は出来ないだろう。他所のエリアでも同じだ。ガストレアから逃げた民警に金を払う奴などいない」

 

 ――逃げた連中はバカだな。

 

 俺はそうやって逃げた民警たちのことを嘲笑い、逃げ損ねた悔しさを紛らわした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 早々にアジュバントが決まった俺達は倒壊目前となった三十二号モノリスの10キロ手前、民警軍団の前線司令部で登録を済ませた。前線司令部は自衛隊が仕切っているため、役所のように整然としているが、その周囲は騒がしかった。

 アジュバントを組んだ民警もそうでない民警も彼らを相手に商売する武器商人や占い師、屋台のラーメン屋や居酒屋が押し寄せてお祭り騒ぎを起こしており、前線司令部の自衛隊員たちは頭を抱えていた。ご愁傷様である。

 それは俺とアジュバントを組んだ民警ペアたちも同じだった。

 

「向こうに武器の闇市があるから行こうぜ! ! イニシエーターの決闘もやってるってさ! ! 」

 

「うん! ! 行く! ! 新調したチェーンソーの試し斬りしたい! ! 」

 

 真夏なのに黒のロングコートと伊達眼帯を外さない青年とカラフルなペンキを全身にぶちまけたようなサイケデリック少女――天崎重吾(アマサキ ジュウゴ)五場満祢(イツツバ ミツネ)のペアは登録を済ませた直後、闇市の方へと消えていった。言っていることは物騒だが、本当にチェーンソーで人を斬ったりはしないだろう――と心の中で願った。

 

「よぅーし! ! 桃子! ! 飲むぞー! ! ぶっ倒れるまで馬鹿みたいに飲みまくるぞー! ! 付いて来い! ! 」

 

「えぇ~。嫌ですよ~。一人で勝手に行って下さい。そんでもう肝臓やられてポックリ逝って下さい」

 

「お前も行くんだよぉ! ! 誰がテントで飲む酒を運ぶんだよ~! ! 」

 

 セーラー服の上に袖を千切ったスカジャンを着た女性、板東(バントウ)さくらは右手で半袖ジャージ姿のダウナー系少女、古賀桃子(コガ モモコ)を引き摺りながら屋台の居酒屋へと消えて行った。

 

「相変わらずフリーダムだな。どうする? 俺達もちょっと遊ぶか? 」

 

 俺が飛鳥に目を向けると飛鳥は屋台街道の一点に釘付けになっていた。生まれてから拾われるまでのストリートチルドレン時代、イニシエーターになってからも近所で祭りが無かったせいか、こういった場所に彼女を連れて来ていなかった。客として、普通の子供として、遊べる空間に羨望の眼差しを向けるのも頷けた。

 飛鳥は俺が見ていることに気付くとはっとして俺から顔を背ける。

 

「お前が行きたいのなら好きにしろ。喧嘩にでも巻き込まれて死なれたら困るから、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 相変わらず素直じゃない返答が飛んできた。

 

「そういうことにしておくよ。相棒」

 

 

 

 それから俺と飛鳥は前線司令部近くの屋台街道を廻った。飛鳥は「仕方なく」と言っておきながら、いつの間にか興味の向くままに様々な屋台に目を配らせ、「面白そうだ」と言って俺の手を引っ張る。ここがもし町内のお祭り会場だったら、俺達は奔放な娘とそれに振り回される父親に見えたのだろう。

 宵越しの銭を持たないくらいの勢いで散財し、ぼったくり価格の屋台飯をテーブルに広げて遅い昼食を取った。

 食べ終わってゴミを片付けていたところ、テーブルに届く日光が遮られ、背丈の違う人間2人分の影が映る。

 俺達が目を向けると不幸顔の少年とツインテールの少女がそこに立っていた。この炎天下の中でかなり歩いたのだろう。2人とも汗で髪と服が肌に張り付き、疲れ切った表情をしていた。大方、アジュバントのメンバーを探し回って、単独でいる俺達に目を付けたのだろう。

 俺は少年の顔に見覚えがあった。

 

「お前、里見蓮太郎だな」

 

「何で分かったんだ? 」

 

「蛭子影胤事件の時、俺も防衛省にいた」

 

 向こうは俺達と初対面だと思っていたのだろう。はっとすると同時に少し申し訳なさそうな顔をする。

 

「悪い。アンタのことは覚えてない」

 

「気にするな。俺だってあそこに居た全員の顔を覚えちゃいない。それにウチの会社は一番後ろの席だったからな。そもそも視界に入っていなかったかもしれない」

 

「そうか……。なぁ、もし良かったら俺のアジュバントに来ないか? それなりの額は用意する」

 

 ここでボンと大きな額を提示しない。俺がいくらで引き受けるか探っているところから、ステージVガストレアを倒した英雄も懐事情は厳しいと見える。俺の場合は金額以前の問題なのだが――。

 

「いや、すまないな。もう他のペアとアジュバントを組んでいる」

 

「そうか。邪魔して悪かったな」

 

 里見は力無い返事をする。逆光のせいで影になっている不幸顔が更に暗く見えた。少なくとも惜しい人材とは思ってくれていたようだ。

 

「お前程の大物は戦線に居るだけでも意味がある。良い仲間に巡り会えることを祈るよ」

 

 引き受けられなかったせめてもの償いとして励ましの言葉を贈った。

 

「おい。チビ」

 

 飛鳥が里見のイニシエーターである少女に話しかける。飛鳥はチビと呼んだが、見た感じ飛鳥の方が背は低かった。

 

「私からの驕りだ」

 

 飛鳥が2本のラムネを里見のイニシエーターの両頬に押し当てる。いきなり冷たいボトルを押し当てられて「ひゃっ」と可愛らしい声が上がった。

 

「か、感謝するのだ」

 

 少女は2本のラムネを受け取った後、2人は仲間を探しにまた雑踏の中に消えて行った。

 里見ペアは珍しくプロモーターの名前だけが独り歩きし、イニシエーターのことは有名ではなかった。彼女の名前が藍原延珠だと知るのは里見事件で義塔が知った後のことだった。

 

「珍しいな。お前が誰かに驕るなんて。あれ俺の金で買ったラムネだけど」

 

「私は炭酸が苦手なんだ」

 

「嫌いな飲み物を押し付けただけかよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 その日の夕方、テントに戻った俺達は自衛官に前線司令部に集まるように言われた。その時は「分かった」と返事したが、俺達のアジュバントは前線司令部には行かなかった。

 酔っ払って戻って来た板東がテントの中にゲロをぶちまけたせいで、それどころでは無かったからだ。

 後になって他のアジュバントから聞かされた話だが、同時刻、前線司令部では我堂団長の演説や作戦説明が行われ、団長と里見蓮太郎の舌戦が起きていたらしい。

 

 

 

 そして、2031年7月12日――

 予想より早いモノリス倒壊により、第三次関東会戦は混乱と共に始まった。

 




また回想編で3話もかけてしまった。話が進まねぇ……。


次回「彼と彼女の第三次関東会戦 後編」


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彼と彼女の第三次関東会戦 後編

自宅で暇を持て余している皆さんに最新話をお届け!!(便乗)

今こそ自宅でハーメルンの長編作品を制覇しよう!!


 2031年7月12日――

 予想より早いモノリス倒壊により、第三次関東会戦は混乱と共に始まった。

 

 

 

 

 自衛隊という防波堤があったお陰で俺達、民警軍団は装備を整え、陣地を固めることが出来た。平野部に雁首を揃え、地平線の向こう側から聞こえる砲撃音に耳を傾ける。銃声や爆音が聞こえる内はまだ安心できた。自衛隊がまだ戦っていると分かったからだ。しかし、次第に砲声は聞こえなくなり地平線の向こうは静寂に包まれた。

 

「どうなったんだ? 」

「自衛隊が勝ったのか? 」

「分かんねえよ。俺に聞くな」

 

 そんな淡い期待は打ち砕かれた。

 

 

 大地を陸棲ガストレアが埋め尽くし、空を飛行ガストレアが埋め尽くす。悪夢の光景が広がった。

 我堂団長の声を合図に一斉に銃撃が始まった。しかし、数でも個体の力でも勝るガストレアの群れに対して、俺達の銃撃は焼け石に水だった。戦車や攻撃ヘリ、戦闘機、護衛艦からの艦対地ミサイルまで導入した自衛隊に止められなかった軍勢をゲリラ同然の民警がどうにか出来る筈が無かった。

 次々と他のプロモーターやイニシエーターが食い千切られ、ウィルスを注入されてガストレア化する。味方は減る一方、敵は増える一方の絶望的な戦場の中でまともな精神を保った人間は何人残っているだろうか。たった数分の戦いでこの戦線は末期状態になっていた。錯乱しイニシエーターを射殺した後に自分の頭を撃ち抜くプロモーター、ガストレアを増やさないようにと言って仲間に向けて銃を乱射する者――そこには悲鳴と混沌が渦巻いていた。

 不幸中の幸いがあるとすれば、それは俺のアジュバントには無関係だったことだ。

 

「IP序列37564位を舐めんなよ! ! 皆殺し(37564)だぞ! ! 死に晒せや! ! オラアアアアアアアアアアア! ! 」

 

「もっと! ! もっと臓物をぶちまけて綺麗なパープルブラッドを見せてぇ! ! 」

 

 

 天崎重吾と五場満祢ペアはヤケクソになってナイフとチェーンソーを握ってガストレアの群れに突撃、全身を紫色の血で染めながら大立ち回りを見せる。

 

 

「まだテントに飲みたい酒が残ってるんだよぉ! ! 死ねるかチクショー! ! 」

 

「もうやだ。帰りたい。帰って『俺様クリーチャー』の続きが読みたい」

 

 板東さくらは自称「酔拳使い」らしくスキットルでウォッカを喉に流しながら両手に装着したバラニウム製ガントレットでガストレアを次々と殴殺、古賀桃子も「やだ」「疲れた」「帰りたい」と言いながらスレッジハンマーを振り回して的確にガストレアの頭をかち割っている。

 

 俺のアジュバントには頭のおかしい奴しかいなかったので、これ以上、狂いようが無かった。

 

 飛鳥もガストレアの群れの中に飛び込んだ。小柄な体格と軽快な動きで巨躯の獣たちを翻弄。ジャケットの中に隠していたサソリの尻尾を出し、先端の針を刺して神経毒を流し込む。俺は相変わらず後方でミニミ軽機関銃を抱え、飛鳥が毒で動きを鈍らせたガストレアに留めの一撃を刺す簡単なお仕事をしていた。手の空いたついでに天崎ペアと板東ペアの援護射撃も行う。

 陣地の比較的後方に居て、周囲を見渡せるポジションに居たからだろう。蟻型ガストレアの一部が迂回するのが見えた。

 

 ――別動隊か。向こうにも頭の回る奴がいるみたいだ。

 

 周囲を見るが、俺以外に別動隊に気付いた民警はいない。ただでさえ正面から来るガストレアを抑えるので手一杯の民警軍団が背後から襲われれば全滅は必至だ。

 

「天崎! ! 板東! ! そいつらは他のアジュバントに任せろ! ! 別動隊が来てる! ! 」

 

 チームで共有したインカムに連絡を入れるが2ペアから応答が無い。戦いの中で落としたか、鬱陶しく思って捨てたか、それとも戦いに集中して俺の声に気付いていないのか。いずれにしても“よくある”ことだ。

 自分に迫るガストレアを全て駆除した飛鳥が撤退し、大角の下に来る。

 

「大角。弾が切れた。カートンくれ」

 

 俺はミリタリーリュックから散弾のカートンを渡す。

 

「別動隊どうするつもりだ? 」

 

「ここはあいつらに任せよう。俺達だけで別動隊を叩く」

 

 念のため、インカムに「俺達は別動隊を叩きに行く」と言い残し、飛鳥と共に別動隊の移動先に向かった。

 

 その先は森だ。外周区の土地活用の一環として林業が行われており、細い木々が規則正しく並んでいる。その空間はバラニウム粉末で覆われた黒い空と相まって不気味に思えた。森の外はガストレアと民警軍団の戦いが続き銃声が鳴り止まないにも関わらず、ここは別世界のようにひっそりとしている。

 

「やけに静かだな。本当にこっちで合っているのか? 」

 

「おかしいな。確かにこっちに行ったのを見た筈なんだが……」

 

「お前の方向感覚は当てにならない。赤服仮面の時だって未踏領域で迷子になったじゃないか。お陰で私達は報酬を貰い損ねた」

 

「いや、あれはどっかの馬鹿が爆発物を使ったせいで興奮したガストレアに追い回されたからだろ」

 

 そんな与太話を続けながら暗い森の中を進んでいく。しかしガストレアが出て来ない。もしかして本当に方向を間違えたかと不安になる。このまま戻っても脱走兵扱いされるだろう。せめて2~3体は倒して弁解用に死体の一部を持ち帰りたいところだ。

 目の前の木々の間から少女が姿を現した。こんなところに普通の女の子がいる筈がない。得物は見えなかったがどこかのイニシエーターだろう。一瞬、別動隊に気付いた他の民警だと思ったが、それは違った。戦闘服は失血死するレベルにまで赤黒く塗れ、赤い瞳も瞳孔が開いていた。ずっと地面を見ており、身体の動きも操り人形のようにおぼつかない。

 

「飛鳥。あれ、どう思う? 」

 

「どう見ても罠だな。もう死んでいる」

 

 暗闇の中にいるガストレアはアンコウの疑似餌のように少女の身体を揺らす。俺達が助けに来るのを期待したのだろう。俺は少女の死骸の背後にいる馬鹿なガストレアに銃口を向けた。

 

「大角! ! 」

 

 突然、飛鳥の尻尾に弾き飛ばされた。突然のことで俺は抵抗することも受け身を取ることも出来ず、地面を転がる。

 響いたガストレアの叫声で俺は咄嗟に目を見開いた。大顎を持つワーム型のガストレアが地面を突き破り、飛鳥の尻尾に齧りついた。ガストレアは飛鳥を咥えたまま頭を振り回し、彼女を木々や地面に叩きつける。それは乱暴な人形遊びのようだ。

 

俺はミニミを構えてガストレアを撃とうとするが、森の中を縦横無尽に動くガストレアに照準が定まらない。ガストレアは大きな得物を持っている俺を恐れているのか、逃げるように林の奥へと逃げて行く。頭に比べて細長い胴体はうねり、木々を利用して俺の射線から隠れている。それ以上に「飛鳥に当たるかもしれない」という不安が人差し指を躊躇わせる。

 続くガストレアの声。2体目のワーム型ガストレアが地中から飛び出し、飛鳥の右足に食らいついた。林の中にまき散らされる赤い血はより増えてき、飛鳥の悲鳴が聞こえる。

 

俺は覚悟し、飛鳥に当たってしまうリスクも背負った上で引き金を引いた。バラニウム粉末で覆われた黒い空、背の高い木々によって影となった昼の暗闇に5.56mmバラニウム弾が飛ぶ。

 俺は暗闇に突撃した。ワーム型ガストレアが姿を見せたらすぐ撃てるように銃口を前に突き出し、林の中を駆け抜ける。

 突如、空気がざわついた。耳にははっきりと聞こえなかったが、空気が震えた。何かが叫んだような気がした。

 2体のワーム型のガストレアが姿を現す。口には食い千切った飛鳥の右脚と尻尾を咥え、バラニウム弾を叩き込む俺のことを意に介さず、地面を這ってどこかへと消えていく。

 

「大角……」

 

 再び静かになった林の中で微かに声が聞こえた。ミニミのオプションで付けたライトを声のする方に照らし、夥しい血痕を辿り、飛鳥の手が見えた。

 

「飛鳥! ! おい! ! 飛鳥! ! 」

 

 飛鳥の姿が見えた一瞬、俺は立ち止った。飛鳥は生きていた。手と上半身が見えた時、彼女は自力で脱出したと思っていた。だがそんな期待はすぐに裏切られる。彼女の身体のパーツが無くなっていた。尻尾は食い千切られ、その時の拍子に脊椎の半分が筋肉と皮膚を突き破り、背中から飛び出している。右脚も膝から下が無くなっており、その断面からは白い骨と神経系、黄色い脂肪、赤い筋肉と血液が露わになっていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 1回目の戦いが終わった後、俺は飛鳥を背負い、民警軍団のキャンプへと戻った。別働隊はどこかのアジュバントが倒してくれたのか壊滅的な被害は免れたものの、犠牲者の数は少なかったと言えるものでは無かった。至る所に人体だったものやそのパーツが散らばり、誰かの臓器を踏んで転びそうになりながらも医療班のキャンプとして使われている体育館に着いた。その頃になるとブーツの溝は誰かの肉で埋まっていた。

 飛鳥を連れて来た時、医者たちは慣れた手付きと擦れた表情で飛鳥の容態を見る。彼らは腰と背中から脊椎が飛び出ている彼女を見ても驚かなかった。もう似たような光景を何度も見たのだろう。

 

「正直、今生きているだけでも奇跡のようなものだ。覚悟はしておいて欲しい」

 

 飛鳥の右脚は傷口が包帯で巻かれ、飛び出していた背骨は医者が無理やり身体の中に押し込んで背中と腰の傷口を塞いだ。

 ベッドが足りず、床に敷かれた簡易寝具の上に飛鳥はうつ伏せで寝転がっていた。意識は保っている。手を枕にしてそこに顔を埋めていた。

 俺も飛鳥のことが心配で、まるで飼い主を心配する犬のように彼女の傍に座っていた。

 

「大角」

 

 弱々しく、篭もった声が耳に届く。

 

「私を捨てろ。もう戦えない。腰から下の感覚が無いんだ」

 

 彼女の声が震えていた。鼻を啜る音も聞こえる。腕で隠していたが、きっと目に涙を浮かべていただろう。

 

「帰ったら……車椅子を買わないとな。かっこいいスポーツ用のやつにしようか」

 

「………………馬鹿か。お前」

 

「ああ。馬鹿だよ」

 

 俺は気付いていなかった。背後からズカズカと荒々しく近づく足音に――。その音の主は俺の服の襟首を掴むと一気に引っ張り、後頭部を床に叩きつけた。

 上下が逆になった視界の中で包帯だらけの顔が目に入った。充血しギラついた目でそれが天崎だと分かった。

 

「よぅ。大角。テメェどこに行ってやがった! ! 」

 

 天崎が怒りに身を任せ俺の顔を踏みつけようとするが、背後から板東と古賀が羽交い絞めにしてそれを阻止する。

 

「やめなよ。(あま)っちゃん」

 

「傷、開きますよ」

 

「うるせぇ! ! 離せ! ! アル中とコミュ障が! ! 」

 

 天崎は2人を引き剥がそうとするが、武闘派の板東と呪われた子供の古賀を離すことが出来なかった。

 

「この野郎! ! 勝手に居なくなりやがって! ! テメェの援護が無かったせいで俺と満祢は袋叩きにされたぞ! ! そんであれか? 逃げる途中でガストレアにやられたから戻って来たってか! ! このインテリ坊ちゃんがよぉ! ! 」

 

 やはり、天崎たちに別動隊のことは伝わっていなかったのだろう。結果的に俺達は持ち場を離れたことになった。俺はただ黙ったまま天崎の叱責を受けた。

 別働隊のことは話さなかった。何も弁解はしなかった。飛鳥のことで頭が一杯で「話を聞かないお前達が悪い」と言い返す気力は無かった。

 

「テメェみたいな腰抜け、俺のアジュバントにいらねえ! ! 二度と俺の前に出てくんな! ! さっさとくたばりやがれ! ! 」

 

 板東と古賀は彼の言葉を「言い過ぎ」とは言わなかった。天崎ほどでは無かったが、2人も勝手に持ち場から離れた俺達に言いたいことはあったのだろう。2人は渋い顔をした後、俺達から視線を逸らした。天崎が離れて行き、板東と古賀も彼に付いて行った。

 

 俺達のアジュバントは事実上、ここで崩壊した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 それからの俺は、再び心を、意志を、情熱を失った。

 まるでアルバイトのように、周囲に文句を言われない程度に仕事をこなした。生き残った自衛隊員の救出、残った自衛隊の装備の回収、死体の処理をした。

 五体満足、見るからにまだ戦える身体で医療班のキャンプに留まるのはあまりにも居心地が悪かったからだ。「臆病者」「あいつ逃げたらしいぜ」「見てくれだけかよ」「さっさと戦いに行けよ」「俺と同じ地獄に来い」そんな声が絶え間なく聞こえていた。

 飛鳥の傍に居たいという感情と現場に戻れという周囲からの圧力に挟まれ、押し潰されそうになる。

 

「行け。お前が近くにいると光が当たらない。日照権の侵害だ」

 

 飛鳥がそう言って背中を押してくれたお陰で、俺は針の筵から出ている。

 

 そして、2度目のガストレア軍団襲撃が起きた。

 ミニミ軽機関銃を抱え、アルデバランと共に迫る陸棲ガストレアに向けて掃射する。時には危なそうな民警ペアを援護する。時には彼女達を救ったという充足感に浸り、時には援護も虚しくガストレア化しかけた仲間を射殺(介錯)して気が滅入る。

「背後に守るべき者がいるから戦える」なんて少年漫画めいた感情は湧かなかった。飛鳥のことが心配過ぎて戦いに身が入らなかった。本末転倒だし、自分でも呆れるほど愚かしい思考に囚われていた。

 同じく持ち場を離れたことで追放され、プレヤデスを一人で倒しに行った里見蓮太郎が同じ思考になっていないことを心の隅で願った。

 

 意識が伴わない行いは時間の浪費であり、無為に過ごした日々の記憶は曖昧になっていく。

 

 2度目の戦いで俺が語れることはあまりにも少ない。我堂団長の戦死、航空自衛隊によるミサイル攻撃とアルデバランの一時撤退、里見蓮太郎の生還、語るべきトピックスはたくさんあるのだが、飛鳥が無事か、まだ生きているのかどうか、それだけしか考えていなかった。

 

 周囲が里見の生還に湧き上がる中、俺は医師団がいる体育館に戻った。二回戦で負傷したプロモーターやイニシエーターが担ぎ込まれる中、俺は人混みを掻き分けて飛鳥が眠る場所に進む。

 そこに彼女は居なかった。簡易寝具も小物も片付けられ、まるで最初から誰もいなかったかのような状態になっていた。寝具が必要ないくらい回復したのか、スペース確保のためにどこかに移動させられたのか、俺はまだその状況を楽観的に考えていた。

 見慣れた顔の医師が近くを通り、彼を捕まえる。

 

「おい。飛鳥はどうした? どこかに移ったのか? 」

 

 医師は俺の顔を見るとはっと目を見開いた。俺から視線を逸らし、唇を噛む。

 

「すまない……。助けてやれなかった」

 

 彼の口から出る震えた言葉。それを聞いた瞬間、全身から血の気が引いた。俺の中の時間が止まり、周囲の音が聞こえなくなった。

 

「順調に回復していた筈だぞ! ! そんなことあるか! ! 」

 

 俺は情念にかられ、力任せに医師の肩を揺さぶる。

 

「君が出て行った直後に容態が急変したんだ! ! 私が診た時にはもう脈が止まっていた! ! 仕方ないだろ! ! 元々、生きているのが不思議な状態だったんだ! ! 」

 

「あいつは……あいつは、どこにいるんだ! ? 遺体を見るまで納得できるか! ! 」

 

「校庭だよ。そこに穴を掘って、遺体を入れている」

 

 俺は医師を解放すると脇目も振らず校庭に向かった。そこには重機で掘られた大穴があり、体育館で亡くなった人達の遺体はそこに入れられている。

 そこは死臭と腐臭が漂った。手で鼻と口を被うがそれでも感覚器官への刺激を抑えられない。呼吸をするだけで肺が腐りそうなる。

 俺は自分の目を疑った。戦場で自衛官や民警の死骸の山と海を見て来たが、ここも負けず劣らず凄惨な状態だった。せめてもの救いがあるとすれば、遺体が野晒しではなく、黒いビニール袋に詰められていたことだろうか。

 バラニウム粉末が混ざった黒い雨が降る中、俺は遺体袋の海に飛び込み、一つ一つを開封して中身を確認する。どこかのプロモーターの遺体、どこかのイニシエーターの遺体を見ては胃の中を吐き出し、神経を擦り減らしながら飛鳥を探した。

 

 気が付くと俺は体育館の床で寝ていた。遺体を捨てに来た医師団の一人が倒れている俺を見つけ、ここに運んでくれたらしい。

 

 もう一度、飛鳥を探そうという気は起きなかった。そんな気力も体力も残されていなかった。生きようとする意思すら出て来ない。むしろ、飛鳥と出会う前、何を考えて生きてきたのか忘れてしまうくらい今の俺は彼女に依存していた。

 戦う理由を失った俺は壁にもたれかかり、ただぼーっと体育館の天井を見上げていた。

 

「お前、イニシエーターはどうした? 」

 

 ふと俺に声がかかった。首を傾け声の主を視界に入れる。里見蓮太郎がいた。彼も死線を潜り抜けて来たのだろうか、モノリス崩壊前に会った時と比べて目付きは険しくなっていた。今の彼から善性や正義が感じられない。

 我堂団長の外套と刀を持った彼を見て、大方の事情は察することが出来た。

 

 ――そうか。次の団長か。

 

「死んだよ。俺なんかを守ってな」

 

 俺はシニカルな笑みを浮かべて答えた。投げやりだった。「もう、どうにでもなってしまえ」と思っていた。

 

「そうか……。だが、お前はまだ戦えるだろ。手が残っていて、目も見えているなら銃ぐらいは撃てるはずだ」

 

 彼が何を言おうとしているのかは分かった。民警軍団もそれほど残ってはいないのだろう。だから、不足した人員を負傷者で補おうとしている。ガストレアを誘き寄せるエサか、良くて固定砲台をさせられるだろう。

 

「俺には守りたいものなんてもう……残っていない。戦う理由も無い。それなのにまだ戦えって言うのか。お前はとんでもない悪魔だな」

 

 俺は目の前の里見団長を鼻で嗤った。

 

「こんなことになるんだったら、ハイジャックしてでも逃げるべきだったな。そう思わないか? 里見団長」

 

「そうか。じゃあ

 

 

 

 

――――ここで死ね

 

 里見は右手を伸ばすと俺のジャケットの襟首を掴み、体育館の真ん中に放り投げた。視界の中で天井と壁と床が何度も切り替わり、俺は何度も身体を打ち付けながら床を転がった。顔を上げようとした瞬間、里見の足に蹴り上げられ、反対側の壁にまで叩きつけられる。

 あの細い身体のどこにそんなパワーがあるのか、義肢のことを知らない当時は分からなかった。

 壁にもたれかかった俺を里見は再び服を掴んで持ち上げる。

 

 

「戦えない奴にくれてやる薬も包帯も無い。生きているだけで邪魔だ」

 

 

 里見は俺を床に叩きつけると、我堂団長の刀を突き立てた。刃は耳を掠り、血が流れる。

 

 

「お前にもう一度、チャンスをくれてやる。 選べ。戦うか。今、ここで俺に殺されるか

 

 

 静かに淡々と里見は語り掛ける。やはり英雄と呼ばれる者はカリスマというものを持っているのだろう。飛鳥を失った衝撃、心を擦り減らす極限環境、肉体的な実力差もさることながら、俺は彼の声に、口調に、言葉に恐怖した。心の底から、――いや、更に奥、生物的な本能として恐れ戦いた。

 

 

「戦う。固定砲台でも何でもやる。……だから、頼む。殺さないでくれ」

 

 大角勝典 22歳。16歳の少年に対する一世一代の命乞いだった。

 

 俺のような巨体が片手で振り回され、壁に叩きつけられる光景はさぞ衝撃的だっただろう。俺の命乞いは周囲の負傷者や医師団に恐怖を植え付けた。

 

 “里見団長に従わなければ殺される。戦わなければ殺される”

 

 その空気を作り上げる為に俺はまんまと利用された。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 そして、3度目の戦いが始まった。

 負傷者たちは自衛隊や戦死した民警の火器を渡され、固定砲台にされた。肉体的に動ける俺は移動砲台であると同時に固定砲台たちに弾薬を届けるサポートも命じられた。

 

「あそこに凄腕のスナイパーがいて、お前達が逃げようとしたら即座に撃ち殺すように命じている。変な気は起こすなよ」

 

 回帰の炎の近く、巨大な女神像を指す里見に脅された俺達は必死に戦った。「殺されたくない」という気持ちで一杯になり、迫りくるガストレア相手にトリガーを引き続けた。

 植物の心のような人生とは何だったのか。俺は泣き叫び、足掻き、必死になって、心の底から湧き上がる本能に従って生きた。もう何時間撃ち続け、何体倒して、その間に何人の仲間が死んだのか、分からなかった。

 

 そして、気が付いたら第三次関東会戦が終わっていた。

 

 その後、俺はもう一度、死体の山を探そうとした。しかし、疫病防止のために既に焼却処理され、探すことは出来なかった。

 俺は飛鳥の死を受け入れざるを得なかった。

 

 その後、葉原ガーディアンズを退社。しばらくはフリーランスの闘争代行人(フィクサー)として活動してきたが、紆余曲折ありヌイとペアを組み、再び民警に戻った。

 

 

 

 *

 

 

 

「これが俺の第三次関東会戦だ。生き残りだとかベテランだとか持ち上げられたが、実際はこんなもんだ。どうだ。情けないだろう」

 

 全員が準備を終え、静かに耳を傾けるハイエナ屋の作業室で勝典の野太い声が響いた。それは柔らかく、優しく壮助に語りかける。いつもの強く張り、迫力のある声が嘘のようだった。

 

「笑わないっすよ。あの戦いで活躍してようがしてなかろうが、俺をクソの掃き溜めから出して、民警にしてくれたのは大角さんなんすから」

 

「改めてそう言って貰えると、何かこそばゆいな」

 

 サングラスで分かりにくかったが、勝典の口元は笑みを浮かべていた。

 

「それで、どうして死龍が飛鳥っていう話になるんすか」

 

「俺が飛鳥の死に疑問を抱いたのは、1年前だ。同じアジュバントだった板東が電話して来たんだよ。『お前んとこのサソリ。本当に死んだのか? 』ってな。どういうことか問い詰めたら、バーの客からサソリの因子を持つ赤目ギャングの話を聞いたらしい。小柄な体格、得物はショットガン、神経毒を使う戦闘スタイルは飛鳥に似ていた」

 

「それだけっすか? 」

 

「ああ。最初はそれだけだった。俺も酔っ払いの戯言だと思っていたんだ。だが、調べてみる価値はあると思った。暇な時間を使って少しずつ調査を進めていたんだ。その時に起きたのが、スカーフェイスによる中国人グループ襲撃事件だ。いつもなら完璧に痕跡を消す連中がしっかりと襲撃の跡を残した。不審に思ったが俺はそれに喰いついた。里見事件の情報を警察に売り、そのコネを使って中国人グループの生き残りに接触することが出来た。そこで昔、スマホで動画に撮っていた飛鳥を見せたんだ」

 

「そうしたら、ビンゴ」

 

「ああ。その生き残りは『死龍の声だ』とハッキリ言った。俺は確信を得て、スカーフェイスと死龍が出て来る日を待ちながら準備を進めて来た。そして、今に至る」

 

 勝典がしばらく姿を見せなかった理由が死龍に、そして自分が置かれている状況に繋がったことに壮助は奇妙な縁を感じる。そして、勝典が以前から準備してきたのなら、一つの淡い希望が浮かび上がる。

 

「大角さん。もしかして解毒剤を持ってたりしてないっすか? 詩乃があいつの毒にやられて、危ないんだ」

 

「詩乃様がっ!?」――とヌイが立ち上がる。テーブルの上に立てて置かれていた弾倉がドミノ倒しのように崩れそうになり、勝典がさっと手を添えて阻止する。

 

「すまない。持っていない」

 

「そんな……」

 

 勝典からの返答は淡い希望を打ち砕いた。

 

「義塔。昨晩、何があったのか教えてくれ」

 

 勝典が尋ねた。壮助は包み隠さず、日向夫妻のガストレア化、スカーフェイスの襲撃、灰色の盾の協力、詩乃を救う為には死龍から解毒剤を奪わなければならないこと――。全てを語る。

 

「あの歌姫様と西外周区最強の闘争代行人が幼馴染か。人間、どんな縁があるか分かったものじゃないな」

 

「大角さん。解毒剤を手に入れる方法、他には無いんすか? 」

 

「無いな。解毒剤は俺達も何としても欲しかった。だが、昔のものは構造が劣化して使えない。新しく作ろうにも必要な漢方薬がこの数年で東京エリアじゃ手に入らない状態になっている。個人的なルートで輸入業者を頼ってはみたが、あまり良い返事を貰えなかった」

 

「そうか……。となると、やっぱり死龍から奪うしか無いのか」

 

 現実はそう上手くいかない。その厳しさを何度も噛みしめる。

 壮助が頭を抱えている間に勝典とヌイは準備を終え、ミリタリーリュックに一通り詰めた。重武装した勝典は、これから戦場に行く兵士のように見える。

 ヌイもいつも通りという訳にはいかなかったのだろう。普段着の上にハーネスを付け、そこにワルサーMPL2挺と予備弾倉、2本のレイピアをラッキングしていた。

 

「義塔。俺達はこれから遠藤に会ってみる。この件、警察がどこまで把握しているのか、どう動くのか情報を集めてみる。――お前はどうするんだ? 」

 

「ちょっと調べ物。エールには『休め』って言われているけど、詩乃が危ねえ状況でじっとしてらんねぇ」

 

「なんか傷とかヤバそうだし、少し休めば? 」

 

「俺の心配とか珍しいな。バカ鳥。明日は雪でも降るのか? 」

 

「うわっ。心配して損した。もう好きにしなさいよ。馬鹿ヤンキー」

 

 壮助とヌイがいつもの口喧嘩を繰り広げると勝典が彼の頭にチョップをかました。その拍子に壮助は舌を噛み「うべっ」と奇妙な声を発する。

 

「大角さん。何するんすか? 」

 

「……あまり、無理はするな。スカーフェイスが出たらすぐに連絡しろ。分かったな」

 

「大丈夫っすよ。俺が鬼ごっことかくれんぼ得意なの知ってるでしょう」

 

 真面目な面持ちの大角に向けて、壮助はニヤリと笑みを浮かべた。

 

 ――さて、藪を突いてサソリを出しに行きますか

 

 心の中で皆の心配を裏切りながら。

 

 

 

 *

 

 

 

 そこは、窓から入る日光だけが頼りの部屋だった。家具はほとんど無く、コンクリート打ちっ放しの壁をゴキブリとムカデが這う。所々に拭き損ねた血の跡や繁殖するカビの斑点が見える。

 皆がボロ布を纏い部屋の隅で雑魚寝している中、死龍はスマートフォンを眺めていた。そこに着信が入る。

 

『さて。死龍。昨晩の失態について説明して貰おう』

 

 おそらく男性の声だろうか。編集されており、年齢が推測できない。

 

「情報に無い機械化兵士がいた。灰色の盾の介入が早かった。それ以前にお前達が優秀な部下達を性処理の道具として()()()()()()()()()、こんなことにはならなかった。我々の失態ではない。お前達の失態だ。それに少なくとも日向姉妹を行方不明にすることは出来た」

 

 死龍は静かに、しかし怒りを込めて言葉を放つ。

 

『そうだな。結果として我々は最低限の目的は達成した。だが、その判断は君がすることじゃない。我々だ』

 

 淡々とした相手の言葉を聞き、死龍のスマートフォンにかかる握力が強くなる。

 

『ここ最近の君の勝手な行動は目に余る。忠誠心を疑わざるを得ない』

 

「忠誠心? 動けない私を拉致して、こんなものを身体に埋め込んで従わせておきながら、心まで求めるのか。『道具として役目を果たせ』私にそう命じたのはお前達だ。道具に心は必要無い筈だ」

 

『ふふふふっ。あはははははは! ! それもそうだな。赤目にしては面白いことを言う』

 

 スマートフォンから尊大な口ぶりと笑い声が部屋に響く。死龍は怒りに身を任せ、壁に叩きつけて壊そうとする憤りを抑える。

 

『話を戻そう。中国人の件は大目に見てやったが、今回ばかりはそうもいかない。君がしくじったせいで上は破滅に怯えながら今夜も眠れない夜を過ごすことになる。

 

――次は確実に日向姉妹を処理しろ。失敗すれば、お前も()()()()だ』




オマケ 隙あらば設定語り

(おそらく本編では語らないであろう)大角勝典のアジュバントとその後

天崎重吾 30歳

第一章で既に登場していますが、大角への誤解は未だに解かれていません。第三次関東会戦以降も葉原ガーディアンズ所属で民警を続けています。IP序列は37564位をキープ。本気を出せばIP序列10000位ぐらいになれる実力があるのですが、37564位をキープする為に仕事をしたりしなかったりしているという努力の方向性を全力で間違えている馬鹿です。死んでも治りません。

五場満祢 15歳

上に同じく、葉原ガーディアンズ所属イニシエーターを継続。戦闘用に改造したチェーンソーでガストレアを解体するスタイルは相変わらずで、戦闘動画(という名のスプラッター動画)をアングラな動画サイトにアップしています。「頭のネジが全部外れたイニシエーター」として一部の界隈では有名。思考回路だけで言えば小比奈よりヤバい子。

板東さくら 27歳

現在は民警を引退し、外周区付近でバーの店長をやっています。地域の治安が悪く、客層はほとんどが犯罪者、未成年や赤目ギャングにも平然と酒を売るなど、店の雰囲気はさながら東京エリア版イエローフラッグ。さくらが金を払わない客をシバき倒したり、逆に客が暴れたりして店は全壊4回、半壊10回、爆発オチ2回を経験。『笑顔と銃声が絶えないアット地獄(ヘル)なバー』として有名になっています。

古賀桃子 16歳

3年前、侵食率がイエローゾーンに入った為、ドクターストップによりイニシエーターを引退。現在は学校に通いつつさくらの世話係 兼 さくらのバーの手伝いをしています。将来の夢は漫画家。ピュアピュアな少女漫画を描きたいと思っていますが、持ち込んだ出版社の編集にボロクソに叩かれ、ストレス解消のため編集をイケメン化させて××するR-18なBL同人誌を書いたら人気が出てしまい、BL同人作家としてデビューしています。




次回「彼が忘れたもの」


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彼が忘れたもの

今回はちょっと短めです。
外出自粛中の暇潰しにでもどうぞ。


 東京エリアの市街地はいつもの朝を迎えていた。駅前ビルの大スクリーンには日向姉妹逃亡事件に関するニュースが報じられているが、道路は夏休みでどこかに遊びに行こうとする学生たち、ハンカチで汗を拭いながら取引先に向かうサラリーマンの姿が見られ、車道もいつも通り車が走っている。

 形象崩壊寸前の呪われた子供が逃亡している事態に警察、自衛隊、聖居は国家存亡の危機として対処しているが、市井の人々に彼らの緊張感はまだ伝わってない。初めての事例なのでまだ想像がつかないのだろう。

 

「美人薄命というか、理不尽というか、本人何も悪くないのにね」

 

「私、鈴之音のファンなんだけど……もう無理。しんどい。死ぬ」

 

「元気だしなよ。今晩、奢るからさ」

 

 オープンカフェで駄弁る女子大生3人の傍を1台のトラックが通り過ぎる。“ワークセル運輸”と小さくロゴが入った小型トラック――その中に世間を騒がせている日向姉妹がいるとは露にも思わないだろう。

 トラックのコンテナの中は天井に備え付けられた電球で明るく保たれている。中にはエールが愛用している大型バイク、配送会社に偽装するためのロゴ付き段ボールが置かれている。

 鈴音と美樹は床に腰をつけ、壁にもたれかかる。ティナから渡されたタブレットでニュースを見て、自分達がどう報道されているのかを知る。危険域感染者や厚生省特異感染症取締部といった専門用語の説明、呪われた子供がガストレア化するリスク、鈴音の歌手としての活躍が報じられ、美樹の陸上選手としての活躍にも少し触れられる。インタビューで初めて知り、心の整理がつかず涙を流すファンや業界関係者も写される。自分達が毎日のようにニュースで見る“事件”の当事者になったと実感する。

 

 その間、対面に座るティナはスマホで司馬未織と連絡を取っていた。

 

「ええ。分かりました。ありがとうございます。お礼はまたいずれ」

 

 ティナが話し終え、スマホをポケットに入れる。姉妹の視線はタブレットからティナに移っていた。

 

「未織さん――えーっと、司馬重工の責任者と話がつきました。無条件で貴方達を匿うとのことです」

 

「えっ。マジで」

 

 テレビのCMで見たことのある大企業が自分達の為に無条件で犯罪の片棒を担いでくれるという大盤振る舞い、その交渉を成し遂げたティナに美樹は驚愕する。

 

「それともう一つ、向こうで侵食率の検査が出来るように準備しているそうです。厚労省の認可が下りたものではないですが、貴方達の侵食率をハッキリさせるには十分かと」

 

 期待以上の働きをしてくれたティナに2人は目が潤う。

 

「ティナさん。ありがとうございます」

 

「気にしなくて良いですよ。私は義塔さんに言われたことをしただけですから。お礼は彼にしてあげて下さい。私も手間賃は彼から貰いますから」

 

 コンテナの中央に置かれたトランシーバーの液晶画面が光る。送信元は運転席にいるエールだ。彼女は今、ワークセル運輸のドライバーに扮してハンドルを握っている。ティナや鈴音と同じ16歳(推定)、更に戸籍が無い。当然だが免許も持っていない。しかし大きな体格と大人びた雰囲気で10代と疑われることが無く、2014年生まれの23歳と偽装した運転免許証で職務質問を乗り切っている。

 

『思ったよりサツの検問が厳しい。ちょっと遠回りするぜ』

 

「エクステトラには着けそうですか? 」

 

『安心しろ。そこは問題ねえよ。警察無線傍受して上手くすり抜けるから。まぁ、でもあと1時間ぐらいは見込んでくれ』

 

「分かりました。別の手は考えていますのであまり無理はしないで下さい」

 

『了解。安全運転でいくよ』

 

 エールが通信を切ったのだろう。トランシーバーの液晶が再び暗くなる。

 

「そういえば、蓮太郎さんのことを訊くために会いに来たんでしたね」

 

「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって……」

 

「構いませんよ。慣れていますから。それに、私も貴方達に会えて良かったです」

 

「え? 」

 

 ティナの言葉の意味が分からず、鈴音と美樹は首を傾げる。

 

「時間もありますし、少し昔話に付き合って下さい」

 

 オンラインゲームで民警のことは多少知っている美樹はIP序列38位という数字の意味と強大さを理解している。自分の姉が民警業界の超大物と面識があったことには驚いているが、更に身の上話まで話してくれるとなるとその心中は穏やかではない。

 姉はどうだろうかと隣に視線を向けるといつものにこやかな笑顔をティナに向けていた。

 

「鈴音さん。貴方と駅前のアーケードで出会った頃です。あの時、私と蓮太郎さんは第三次関東会戦で戦う準備をしていたんです」

 

 ティナの言葉に美樹が驚愕し固まった。

 

「か、関東会戦ってあれでですよね。モノリスが壊れて2000体のガストりぇアが集まったっていうあれですよね? 」

 

 緊張した噛み噛みな敬語で美樹が尋ねる。向こうに敵意が無いとは分かっているが、壮助から「俺を1ヶ月監禁して毎日フルボッコにした人」「平然と飛行機から未踏領域に俺を蹴落とす人」「あの人のピザはドラッグより危険」と説明されており、機嫌を損ねないように必死になっている。

 

「ええ。それで間違いないです。最終的には3000体まで増えましたが」

 

「さ、さんぜん……」

 

「恐くなかったのですか? 」

 

 震える美樹とは対照的に鈴音はいつも通りの笑顔を向ける。

 

「恐怖心はありませんでしたね。スプーンの握り方を覚える前に銃の撃ち方を覚えた幼少時代を過ごしましたから。それに私はイニシエーター以外の生き方を知らないんです」

 

「苦労されたんですね」

 

「衣食住に困っていた分、貴方達の方が苦労したと思いますが……」

 

 ティナは鈴音の顔をじっと見る。6年前の彼女は盲目のストリートチルドレンという境遇の中、笑っていた。それは本心ではない。強さからでもない。自分の心を守る為に怒りや悲しみといった感情を除外(オミット)し、楽しいことと嬉しいことだけを受容する自己洗脳によるものだった。そんな精神状態にまで追い詰められた彼女の境遇を“優秀な機械化兵士”として保護されたティナでは推し量ることが出来ない。

 

「話を戻しましょう。ギリギリでしたが蓮太郎さんは仲間を集め、聖天子暗殺未遂(少し悪いこと)をして序列剥奪中だった私も別の方とペアを組んで戦列に加わりました。フクロウの因子で目が良いせいですかね。多くの人がガストレアの犠牲になる光景を見ました。どれだけ援護しても徒労に終わりましたし、同じアジュバントの友達も失いました」

 

 ティナは友達――布施翠のことを思い出す。2度目の戦いの以降、彼女は姿を消した。当時、蓮太郎からは「居なくなった。逃げたんだろう」とだけ伝えられたが、ティナはその言葉に半信半疑だった。逃げたくなる気持ちは理解できる。しかし、彼女がそんな無責任な人間だろうか。翠と会って数日も経たないティナにその判断をするだけの材料は無く、真相は闇の中だった。――1年後、悪夢に魘される蓮太郎の譫言を聞くまでは。

 

「あの日の光景が今でも夢に出て来るんです。あの人達は何の為に戦ったんでしょうか。どうして逃げなかったんでしょうか。何の為に産まれて、生きて、あそこで死んだんでしょうか。私達の戦いに意味はあったんでしょうか。『無意味にしない為に生きて戦い続ける』と決心した後ですら、揺らぐことがあります。

 

 だから、貴方達と会えて良かったです。

 

 貴方達のように幸せな日常を過ごす呪われた子供がいる。

 貴方達を認めてくれた人がいる。

 貴方達が呪われた子供だと知ってもその幸せを喜び、不幸に涙を流す人が大勢いる。

 何も変わっていないようで確かに社会は良い方向に変わろうとしている。

 

 それを知っただけでも十分です。

 

 私達の戦いに意味はありました。

 あの日、流した血にも、散った命にも意味がありました。

 

 今、ようやく自信を持って言えるようになりました」

 

 関東会戦で死んだ皆が自分の生と死に意味を求めてはいないだろう。もっと低俗な理由の為に戦い死んだ者もいるだろう。真逆のことを考えていた者もいるかもしれない。これは弔いでもなければ報いでもない。自己満足であり、自分への慰めでもあるとティナ自身も理解している。しかし、数年来求めていた答え――それに辿り着いた時、彼女の手が震え、目から涙が流れた。

 それは関東会戦だけではない。東京エリアを守る為に戦った延珠の死、正義と復讐に身を焦がした木更の死への解答でもあった。

 

「鈴音さん、美樹さん。貴方達は幸せに生きて下さい。東京エリアを守る為に戦ってきた私達のためにも、その路の途中で倒れていった人たちの為にも。その日常を守る為に銃を持つのが生き残った私の役目です」

 

 気が付くとティナの首筋に腕が回る。温かく軽い毛布で包むかのように鈴音と美樹が左右から抱擁する。彼女達の体温が、涙の匂いが、服の擦れる音がティナを包む。

 

「ティナさん。貴方も幸せに生きて下さい」

 

「今度、3人で遊びに行こうね」

 

「そうですね。これが終わったら是非」

 

 

 

“だから、今度こそ終わらせるんだ。何も守れず、世界を救うなんて粋がった愚かな男の人生を”

 

 半年前の空港テロで蓮太郎が放った言葉を思い出す。東京エリアを守る為に戦い、戦い、戦い抜いて、「この世界に守る価値なんてない」という哀しい答えに辿り着いた男の慟哭を。

 

 

 

 

 ――お兄さん。私達は確かに守ったものがありました。救ったものがありました。貴方は“これ”を忘れてしまっていたんですね。

 

 

 

 

 次は、私が思い出させる番です。

 




今回のティナ先生は、太平洋戦争を生き残って戦争の記憶を孫に語るお爺ちゃんみたいになってるなぁと書いてて思いました。彼女、まだまだ現役なんですけどね。


次回「戦乙女の血戦 ①」


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戦乙女の血戦 ①

 大胆に大通りを走り、時には抜け道・裏道を使い、エールが運転するトラックは警察の包囲網を抜けた。ティナから教えて貰った地図を見ながら、大規模な工場や物流センターが左右に並ぶ埋立地の幹線道路を走る。

 

「あれか」

 

 エールは目的地だった司馬重工第三技術開発局が持つ拠点の一つイクステトラを見つけた。ティナが「巨大なアルミニウムの箱」と形容した通り、そこには白銀に輝く建物が見える。無駄を排除して機能性を追及したのだろうか、銀色の箱に建物の側面に「司馬重工」と青色のロゴが表記されただけの質素なつくりになっており、東京エリアで一二を争う大企業の最新拠点と考えると外観は物足りなさを感じる。

 ゲートに近付くと警備員が出て来た。とりあえずワークセル運輸と名乗ったところ、彼にはエール達のことが伝わっており、従業員用の屋内駐車場に誘導された。

 屋内駐車場には100台ほどの車が並べられている。比較的に高級車が多く見られ、イクステトラの従業員がいかに多くの給与を与えられているのか窺える。

 どこか停められる場所がないか探していると奥の自動扉から華やかな和装の女性――司馬重工第三技術開発局・局長 司馬未織が出て来た。エールはトラックを端に寄せ、2人の数メートル手前で停車する。無線でティナ達に出る様に伝えた後、トラックから降りた。

 コンテナの横扉を開けて日向姉妹が、続いてティナも出て来た。彼女の肩にはピアノケースが提げられており、中には自宅から持って来た銃器が入っている。

 

「あらまぁ、えろう別嬪さんが揃うて華があるわ。ようこそイクステトラへ」

 

「未織さん。ありがとうございます」

 

 ティナに続いて鈴音と美樹も「ありがとうございます」と言って頭を下げる。

 未織は下駄の音を鳴らして近づき、鈴音に目を向ける。

 

「日向鈴音ちゃんやね。テレビで活躍はよう見とるわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 鈴音は素直に喜べなかった。昔だったら歌手としての活躍のことだと思えたが、京都弁のバイアスもあり、今だと形象崩壊目前の騒動で有名だと皮肉のように聞こえる。未織にその意図が無いのは分かっていても今はテレビと言われるとそっちのことを考えてしまう。

 

「美樹ちゃんも。大変やったやろう。ゆっくりしてってや」

「……はい」

 

 美樹には“ゆっくり”という言葉が引っ掛かった。親友の詩乃の命が危うく1分1秒が惜しい状況の中、自分達はそれで良いのだろうか、何か出来る事は無いのだろうかと不安になる。

 未織は笑顔で目を細めた顔をエールに向ける。

 

「それと、貴方が灰色の盾のエールちゃんやね。ウチの民警部門でもよう名前が出とるわ。どう? ギャング辞めてウチに入らへん? 給料弾むで」

 

「悪いけど、プロモーターの飼い犬なんか御免だね」

 

「あら残念やわ。エールちゃんなら即戦力になれたのに」

 

 エールの辛辣な返答にかかわらず、未織は終始、微笑みを崩さなかった。

 

「未織さん。侵食率検査機の準備はどうですか? 」

 

「ようやく、系列会社のSBメディテックと話がついたところや。鈴音ちゃんと美樹ちゃんの血を抜いて向こうに届ければ、検査してくれるよう準備を進めとる。まぁ、ここで立ち話もあれやから、続きは奥で」

 

 未織に連れられて一行はイクステトラのエントランスに向かい足を進めようとした。しかし、エールの胸元からけたたましいロックが鳴り響き、全員が思わず足を止める。

 

 エールはズボンのポケットからスマホを取り出す。画面で発信元を確認すると「ナオ」と表示されていた。

 

 

 

『エール! ! スズネとミキを連れてそこから離れて! ! スカーフェイスに位置がバレてる! ! 』

 

 

 襲来を知らせるかのように轟音が響き、空間が振動する。砲弾でも撃ち込まれたのか、イクステトラのゲートには大穴が空き、真夏の陽光をバックに2台のランドクルーザーがエール達を轢き殺す勢いで突っ込む。

 

「奥へ逃げろ! ! スカーフェイスだ! ! 」

 

 エールの呼号を皮切りに未織は鈴音と美樹の手を引き、イクステトラ内部へと連れて行く。

 エールは下がらず、ベルトに掛けていた拳銃を抜く。陸上自衛隊仕様の9mm拳銃だ。第三次関東会戦で自衛隊が疲弊した際、裏市場に流れたものだろう。照準を合わせた瞬間、ランドクルーザーに運転手がいないことに気付いた。

 

「エールさん! ! 下! ! 」

 

 ティナが叫ぶ。彼女の意図が分からないままエールは下に目を向ける。黄色と黒のテープが地面に貼られており、「衝突防止ポール」と書かれていた。銃口を向けたまま半歩下がった瞬間、目の前にポールがせり上がる。

 2台のランドクルーザーが衝突して変形した。フレームが曲がり、フロントガラスやバンパーの一部が飛び散る。中に人間がいたら後部座席であっても無事では済まないだろう。

 エールは自警戒しつつも車の中を覗く。だが、やはりと言ったところか、車の中に人間はいない。ランドクルーザーは遠隔操作で動いていたのだろう。

 衝撃でひしゃげた助手席から、金属の筒が転がり落ちた。

 

「スタングレネード! ! 」

 

 180デシベルの爆音と100万カンデラの閃光が屋内駐車場で炸裂する。鋭敏な感覚器官を持つ呪われた子供に有効な手段だが、鉄火場で何度も同じ手を使われたエールとティナは咄嗟に目を瞑り、両耳を手で塞いだ。彼女達は爆音と閃光が一瞬であること、その一瞬を凌げれば問題ないことを知っていた。

 2人はすぐさま手を耳から離し、目を開く。耳が音を受容し始めた直後にモーター音が鼓膜を震わせる。エールは条件反射で身を翻し、何も無い天井に向かってトリガーを引く。

 数発の9×19mm弾は天井に到達する前に見えない何かに弾かれ潰れて地面に落ちる。

 エールの行動を察したティナがピアノケースからバレットM82を出し、同じ虚空に向けてトリガーを引く。対物ライフルから放たれた大口径弾が金属装甲を穿つ轟音が響く。

 何も無い空間にバラニウム装甲の凹みが浮かび上がる。現実の風景を侵食するようにバラニウム装甲に覆われた尾が姿を現した。

 

 2人は視線を動かし、根元を追う。ランドクルーザーを挟んで向こう側、通路の中心で尾の持ち主――死龍(スーロン)が立っていた。

 

 エールは9mm拳銃を、ティナはバレットM82の銃口を向ける。

 

「昨日の今日で襲撃とはご苦労さんだな。過労死するぜ? 」

 

「誰かさんが邪魔をしなければ、今頃優雅な休日を過ごしていた」

 

 脊椎直結型黒膂石拡張義腕(バラニウムの尾)の先端が2人に向けられる。

 

「これが最後通告だ。日向姉妹を渡せ。そうすれば、我々はこのまま退き下がる」

 

 エールはため息を吐いた。

 

「あのなぁ……。死龍。私らもう3年の付き合いだぜ。『はい。分かりました』って言って、あいつらを差し出す人間だと思うか? 」

 

「思っていないさ。試しに訊いてみただけだ。部下には当初の予定通り手荒な真似に出て貰おう」

 

 死龍の言葉に呼応するかのように屋外から銃声が聞こえ始めた。自動小銃の絶え間ない発砲、手榴弾が爆発する音が聞こえる。その場に居た警備員たちが応戦しているのだろう。戦闘の音は止まる気配が無い。

 

『第3ゲートを武装した赤目ギャングが襲撃。警備部は至急出動せよ。イクステトラ警備システム(ESS)避難警報を発令。職員は全業務を中断し、アナウンスに従って避難せよ。繰り返す――』

 

 襲撃を知らせる警報がけたたましく響き、館内放送も同時に流れる。

 ここを襲撃した赤目ギャングがスカーフェイスであることは状況的に明らかだ。しかし、エールは腑に落ちなかった。敷地内をトラックで移動していた時、司馬重工製の最新装備を抱えた警備員や民警ペアを10人ほど見かけた。自分が通ったごく一部の区画でこの人数だ。イクステトラ全体となると少なく見積もっても50人はいると見ていいだろう。対してスカーフェイスは10人弱。武装も死龍以外は他のギャングと変わらない。イクステトラ側にイニシエーターがいる以上、呪われた子供の身体能力というアドバンテージもない。

 

 ――イクステトラを制圧する算段があるってことか……。

 

 確証は無かった。しかし、今までの勝てる戦いしかしてこなかったスカーフェイスの実績、機械化兵士という異形の存在が「もしかすると……」と常識から外れた事態を想起させる。

 

「ティナさん。ここは私に任せて、アンタはスズネとミキを守ってくれ」

 

「どういう了見ですか? 」

 

 ティナが語気を強める。視線も死龍に向いているが、彼女の目は一瞬エールを睨んだ。死龍を倒し解毒剤を手に入れることが最優先とされている中、ここで戦力を分散させるエールの判断が分からなかった。多少の狂いはあったが、姉妹を未織に預けて安全を確保することが出来た。当初の予定通り、護衛は司馬重工に任せて自分達は死龍との戦いに集中すれば問題はない筈だ。

 エールもティナの意図は理解していた。ここに義搭壮助がいれば、「テメェ! ! ふざけんな! ! 」と憤慨していただろうとも考える。しかし、それ以上に彼女の勘が警鐘を鳴らす。

 

「ここの警備がどれほど厳重なのかは分かってる。だけど、あいつらも破れかぶれの特攻や玉砕攻撃をするような連中じゃない。ここを落とすか、スズネとミキを攫う算段があって動いている筈だ。嫌な予感がするんだよ」

 

「第三ゲートの攻撃は陽動で死龍(彼女)が本命では? 」

 

「だったら、私達が陽動に引っ掛かるのを待てばいい。義塔と森高は陽動とタイミングを合わせられない馬鹿に負けるような奴らか? 」

 

 蓮太郎を単独で倒した詩乃、手塩にかけて鍛え上げた壮助の実力を知るティナだからこそ、エールの問いかけにYESと答えることは出来なかった。加えて、エールの言う“嫌な予感”というのをティナも感じていた。言語化することが出来ない。論理的な説明も出来ない。野生動物の勘に似たような感覚があった。

 

「………分かりました。ここは貴方に任せます。取り逃がしたら、承知しませんからね」

 

「任せてくれ。伊達に西外周区最強を名乗ってる訳じゃねえんだ。増援が来るまでの足止めぐらいはするさ」

 

「ご武運を」

 

 ティナは死龍に狙撃銃の照準を向けながらも後ろに下がる。センサーが反応して防弾ガラスの自動扉が開いた。イクステトラの内部に入り、扉が閉じられた瞬間、奥に振り返り、エールに背中を任せて走って行った。

 

 ――ティナさん。アンタの名前と序列が義塔のハッタリじゃないことを祈るぜ。

 

 一対一の状況になり、エールは9mm拳銃を、死龍は電磁加速砲を互いに向け合う。呼吸を整え、相手を見据える。

 最初に動いたのは死龍だった。拡張義腕の先端マニピュレーターが開く。尾に電流が走り、バチバチと稲妻が先端に収束していく。

 瞬間、音速を越えたフレシェット弾が飛ぶ。エールに向けて放たれたそれはソニックブームで半密閉空間の空気を轟かせ、ランドクルーザーのエンジンを貫通、弾丸が擦れて生じた火花とオイルが接触して爆発を引き起こす。

 尾の動きから弾道を予測していたエールは回避し、柱の裏に身を隠す。ランドクルーザーのタイヤが炎上し、黒煙が天井を伝って広がっていく。

 エールは最初に身を隠した柱からすぐさま移動する。電磁加速砲の威力を前にすればコンクリートの柱も車も盾にはならない。足を止めれば餌食になる。

 

 ――さて、まずは得物をどうにかしないとな。

 

 エールは走りながらジーンズのポケットからキーホルダーを取り出した。輪っかに繋げられた自分の部屋の鍵やバイクの鍵、トラックの鍵の中に親指サイズのリモコンが含まれていた。

 彼女がリモコンのスイッチを入れた瞬間、ワークセル運輸のトラックから黒煙が噴き上がった。逃走用の装備として付けていたスモークディスチャージャーだ。ランドクルーザーから上がる黒煙と一緒にそれは屋内駐車場を埋め尽くしていく。

 2人とも目は黒煙で使えず、耳も警報とアナウンスが邪魔をする。敵の位置や動きに関する情報が読み取れず、迂闊に手が出せない状況が出来上がる。

 スプリンクラーが作動し室内の雨が降る中、エールは一目散にトラックに向かって走った。足音に気付いた死龍が放ったベネリM3の散弾が手足を掠るが止まらず、コンテナに辿り着いた彼女は自分の得物に手を伸ばす。

 

 警報とアナウンスが五月蠅い中で電気の走る音が聞こえた。

 

 咄嗟にコンテナを蹴って距離を取る。目の前を黒いフレシェット弾が通り過ぎた。音速の数倍で動いた弾はソニックブームを生み出し、黒煙と共にエールを吹き飛ばす。

 地面を転がり、壁に叩きつけられそうになるが身を転がしながら瞬時に立ち上がる。

 あの一瞬で辛うじて手に取ったバラニウム単槍を握りしめ、地を蹴って死龍に接近。日頃のトレーニングで培った筋力と赤目の力の重なり、並のイニシエーターでは比較にならない加速度を出す。

 死龍は真正面から再びエールにショットガンを向ける。トリガーが引かれ、拡散した散弾が迫る。しかし、エールは短槍を地面に突き立て、棒高跳びの要領で身体を持ち上げた。散弾を回避すると同時に空中で姿勢を制御、腹筋を収縮させて上体を持ち上げ、前方宙返りの勢いで死龍にバラニウム単槍を振り下ろした。

 しかし、槍は尾に阻まれ、空中でバラニウム同士が打ち合い、衝撃が腕に伝わる。

 鍔迫り合いした一瞬の隙に死龍がショットガンの銃口を向けた。エールは咄嗟に左手で死龍の尾を掴み、足先に遠心力をかけてショットガンを蹴り上げる。

 死龍の右手が蹴り上げられたショットガンと共に上を向く。その隙を突かれないように尾を振り回しエールを車のボンネットに叩きつけた。

 

「痛ってえなぁ! ! 」

 

 エールはまだ尾を掴んでいた。血管が浮き上がるほど腕に力を入れ、尾を引っ張って死龍を投げ飛ばした。腕力と遠心力が相乗し、壁に叩きつけられた死龍はその身でコンクリートをかち割る。

 

 

 立ち上がったエールは自分に刺さった車のガラスを抜き、血を拭う。

 

 

 死龍もロングコートに付いたコンクリートの砂礫を手で払う。

 

 

 互いの力を確かめ合ったかのように2人は再び向き合った。

 

 

 

 

「丁度良いや。3年越しの決着ここで付けようぜ。死龍(スーロン)

 

「奇遇だな。エール。私も目障りなデカ女をここで潰したいと思っていた」

 




久々のオマケ

呪われた子供の能力表(fate風)

エール

筋力:A 敏捷:A 耐久:A 知力:D 幸運:D 特殊能力(なし):E

戦闘の傾向
パワー・スピード・テクニック、全てにおいて優れた能力を持つバランス型。あらゆる局面に対応できるマルチロールファイターだが、とりわけ長身とバラニウム短槍を活かした格闘戦を得意とする。保有因子に由来する特殊能力が無いことと、教育を受けていないが故の頭の弱さが欠点。


次回「戦乙女の血戦 ②」


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戦乙女の血戦 ②

なんとなく思いついた小ネタ(デレステ風)

ティナ・スプラウトのウワサ

フクロウみたいに首を360度回せるか試したら首を痛めて入院したことがあるらしい。


 灰色の盾 vs スカーフェイス ②

 

『従業員は全ての業務を中断し、ESSマニュアルに従って避難せよ。繰り返す。従業員は――』

 

 警報と録音されたアナウンスが耳に響く中、鈴音と美樹は未織に連れられてイクステトラの廊下を早歩きで通り過ぎる。

 未織の歩く10メートル先、アクアリウムを彷彿させる清涼感のある廊下が降りて来た鋼鉄の壁に遮られた。

 

「えっ? ちょっ……」

 

 3人は慌てて走り出すが隔壁は止まることなく、隔壁は天井から床まで隙間なく遮断する。後ろも隔壁で塞がれ、完全に閉じ込められた。

 未織が袖からスマートフォンを取り出す。

 

「ちょっと小此木? 隔壁で閉じ込められたんやけど。どないなっとるん? 」

 

『警備システムが、こちらからの入力を受け付けないんです。おそらく外部からシステムに介入しているかと』

 

「んなアホな! ! イクステトラ内部で完結しているローカルネットワークなんやで! ! 外部から介入なんて――」

 

 “不可能だ”と告げようとした瞬間、未織はここのシステムを掌握する唯一の手段が閃く。

 

「サーバールームは! ? ここのシステムを掌握するなら、そこから有線で繋ぐしかあらへん! ! 」

 

『警備部の人間を行かせましたが、サーバールーム周辺が隔壁で封鎖されて入ることが出来ません! ! 』

 

「んなもん強化外骨格(エクサスケルトン)でぶち破ってまえ! ! 修理費なんて気にせんでええ! ! 」

 

『その強化外骨格も次々と原因不明のシステムエラーで機能が停止しているんです! ! ()()()()もギャングに乗っ取られましたし、このコントロールルームが落ちるのも時間の問題です! ! 』

 

「例のアレ! ? 例のアレって言うた? それって地下倉庫に置いといた()()()()! ? 」

 

『間違いなくそれですよ! ! ギャングだけならともかく、あんなのウチの警備じゃ手に負え――ザザッ

 

 一瞬のノイズがざわついた直後、通話が切られた。向こうが受話器を置いた訳でもなく、未織がうっかり通話を切ってしまった訳でもない。スマホ画面で電波状況を見ると圏外と表示されていた。

 

 ――あ。詰んだわ。

 

 6年前、司馬重工本社ビルが新世界創造計画の機械化兵士に襲撃され、多数の警備員と従業員が殺害された事件を契機に司馬重工は警備員の装備更新、無人運用システムの構築を急いだ。司馬重工が持つテクノロジーをかき集めた結果、数年前に建設されたばかりのイクステトラは強固な警備体制を敷くことが出来た。一見するとオシャレなオフィスも非常事態になれば、隔壁による封鎖、対侵入者用の催涙ガス、自動機関銃(セントリーガン)、武装ドローン、etc……が展開する。

 ガストレアの群れだろうと、赤目ギャングだろうと、特殊部隊だろうとここを落とすことは出来ない――と未織は自負していた。

 

 隔壁の向こう側で銃声を悲鳴が聞こえる。死者が増えれば増えるほど、反比例して銃声は少なくなっていく。

 自分達を匿ったせいで無関係の人が傷付いていく。当たり前のように明日の予定を組んでいた人達が死んでいく。静寂と共に重責と罪悪感が鈴音と美樹の心を押し潰す。

 目の前と背後の隔壁が駆動音を鳴らしながら、ゆっくりと上昇する。司馬重工が警備システムを奪還したのかと希望を抱く。

 

 未織が下の隙間に目を向けると、人の足が見えた。うす汚れたブーツにダメージジーンズが目に入った瞬間、希望は消えた。イクステトラの警備員や従業員にこんな格好の者はいない。

 隔壁が上がり切る頃には、赤目ギャングの少女がアサルトライフルを向けていた。外周区育ちの悪い目付き、傷を模した刺青が入ったその顔は昨晩見たスカーフェイスのメンバーだった。

 彼女の背後には司馬重工製の武装ドローンが浮遊している。回転翼の下に弾倉と機銃が装備されたシンプルなものだ。ギャングの少女の片耳にはインカムが付いており、それがドローンを操作している。

 

「2人を渡せ。そうすれば、悪いようにはしない」

 

 未織は少女の足元を見る。彼女の背後には血の足跡が続いていた。ここに来るまでに何人もの人を殺して、その血溜まりを踏んだのだろう。服にもまだ乾いていない血が付いている。「悪いようにはしない」という言葉も「楽に死なせてやる」ぐらいのニュアンスだろう。

 

「はー。分かった。分かった。降参や。ウチも死にとうないし」

 

 未織は両手を挙げると不敵な笑みを浮かべる。目の前の赤目ギャングを通り越し、彼女の背後を見据える。未織は相手が訝しんだタイミングを見計らう。

 

「今や! ! エールちゃん! ! 」

 

 未織が叫んだ瞬間、スカーフェイスの少女が振り返る。無論、そこにエールはいない。彼女は未織の演技にまんまと騙されたのだ。

 ギャングが目を離した一瞬、未織はライフルを掴んだ。大きく引いてギャングの姿勢を崩すと銃身を大きく回転させ、肩掛け紐(スリング)をギャングの手に絡めていく。その動作の中でさり気なく安全装置をかけた。

 その取っ組み合いの中でドローンは未織に照準を向けるが、所有者(オーナー)であるギャングの身体が盾になりトリガーを引けずにいる。

 捩じれたスリングが手錠の代わりになり、軍用の頑丈な繊維がギャングの両手を封じ込める。

 

「舐めんじゃねえぞ! ! 人間(黒目)が! ! 」

 

 ギャングが未織を振り解くと、縛られた腕を振り子にして胴を回転、その勢いに乗って左脚、時間差で右踵の回転蹴りが眼前を薙ぐ。

 蹴りが寸でのところ当たりそうになった焦り、当たらなかった安心が気の緩みを生んだ。

 カポエイラの動きでついた遠心力でギャングは銃床を未織の脇腹に殴りつける。赤目の力が加わった一撃は未織を壁に叩きつけ、内臓に伝わった衝撃で彼女に血反吐を吐かせる。

 怯んだ隙にドローンが機銃を未織に向けた。

 

 

「駄目っ! ! 」

 鈴音が飛び込み、両手を広げて未織の盾になる。一か八かの賭けだった。昨晩のことを壮助から聞いた際、スカーフェイスは連れ去ろうとしていたと聞かされた。殺害ではなく、拉致が目的なら、少なくとも自分達はその場で殺されることはないと考えた。

 鈴音の読みは当たっていた。ドローンから弾丸が放たれることはなく、誤作動で撃ってしまわないように銃口を逸らす。

 ギャングも鈴音の行動に驚き、ドローンと同様に銃口を逸らす。その隙に美樹はギャングを羽交い絞めにする。

 

「離せっ! ! このっ! ! 」

 

「離すもんか! ! 」

 

「殺されないからって、調子に乗りやがって! ! 」

 

 ギャングが肘打ちと銃床による殴打で美樹を壁に叩きつける。同じ呪われた子供でも潜り抜けた修羅場の数が実力差を生む。

 

「動くな! ! 」

 

 廊下に響き渡った声、誰の声か、言葉の意図は何か、それを考えるまでもなく咄嗟に鈴音と美樹は硬直した。同時に9mmバラニウム弾が通路を通り抜け、ギャングの右腕を穿った。続いて2発目、3発目がドローンを撃ち落とす。

 流血と軋む筋骨の痛みに耐えながら、ギャングが銃撃の元にライフルの照準を向ける。背の高い金髪の女が見えた瞬間、銃口に弾丸を撃ち込まれ、その衝撃でライフルが明後日の方向に飛んでいく。

 

「チッ! ! 」

 

 ギャングは勝てないと見込んだのか、ライフルとドローンを捨てたまま逃走を計る。彼女の足を狙って2発の銃弾が飛ぶが、銃口から弾道を予測し、巧みに弾丸を避けて脇道へと消えて行った。

 

 

 

 

「大丈夫ですか? 」

 

 安心したのか、力が抜けて尻餅をつく鈴音に声がかけられる。顔を上げるとティナが手を差し伸べていた。

 

「ティナさん。どうしてここに? 」

 

「エールさんが私を向かわせたんです。ギャングの勘って馬鹿に出来ないですね」

 

 ティナが鈴音の手を引いて立たせる。

 続いて殴打された痛みが頭に響く美樹にも手を伸ばした。

 

「美樹さん。立てますか? 」

 

「あ、ありがとう」

 

 鈴音がしっかり立ち上がったのに対し、美樹は生まれたての小鹿のように震えていた。躓きそうになり、ティナの肩を借りる。

 

「ご、ごめん……。ちょっと、恐かった」

 

 未織は殴られた脇腹を抑えながら、立ち上がる。袖から出したハンカチで口元の血を拭う。

 

「未織さん。大丈夫ですか? 」

 

「一応な。着物の中に防弾繊維を仕込んどって正解やったわ」

 

「ぬかりないですね」

 

「こうでもせんと木更には敵わんかったからなぁ」

 

 ――そういえば、犬猿の仲でしたね。

 

 在りし日の未織と木更の喧嘩を思い出す。事の発端は未織がティナを司馬重工民警部門にヘッドハンティングしようとしたことだったか。「ティナちゃんはうちの子よ」と猛反発した木更と壮絶な戦いを繰り広げ、天童民間警備会社を半壊させた。5~6年前の話だが、昨日のように覚えている。

 

「とりあえず、隔壁が空いている間に移動しましょう。すぐに敵の増援が来ます」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 西外周区を震撼させた二大ギャング、そのリーダー達の決戦場となった屋内駐車場は火の海になっていた。電磁加速砲が車列を貫通し、漏れたオイルはベネリM3や9mm拳銃から離れた弾丸、それが生み出した火花で引火し、連鎖爆発を起こす。

 燃え盛る業火の中でエールのバラニウム短槍と死龍の尾がぶつかり合う。互いに弾を撃ち尽くした今、肉弾戦だけが互いに残された手段だ。

 エールは光学迷彩を纏った見えざる尾を駆動音だけで位置と動きを判別し、鞭のようにしなる不規則なフェイントも勘で防ぐ。尾が離れても安心できない。電磁加速砲や即死の毒針を警戒し、足を止めることが出来ない。

 激しい動きで体内の酸素が奪われる。大きく呼吸しても供給が間に合わない。火災で空間の酸素が奪われているからだ。息を吸い込んだと同時に熱気も肺に入り、喉が焦げそうになる。

 天井のスプリンクラーは水を出し続けているが、文字通り焼け石に水だ。熱せられて蒸発したせいで余計に蒸し暑くなる。エールはワークセル運輸の赤いジャケットを脱ぎ捨てタンクトップ一丁になる。

 

「ったく、暑くてやってらんねえな。お前もそのダサいマントを脱いだらどうだ? ライバルが熱中症で倒れて決着なんて、笑い話にもならねえぜ」

 

「こう見えても私は淑女なんだ。そう易々と脱ぐクソビッチと一緒にされたくないな」

 

「おい。コラ。誰がクソビッチだって? 私はまだ処女だよ。クソチッビが」

 

「お前の股の事情など知るか。それと、人の身体的特徴を嗤うなと親に教えられなかったか? 」

 

 エールは鼻で嗤った。

 

「外周区生まれ外周区育ちの私が、親の顔なんて知る訳ねえだろ! ! 」

 

 エールは短槍を構え、地を蹴る。十数メートルも跳躍する彼女の一歩は瞬く間に死龍を肉薄する。

 示し合わせたかのように死龍の尾はその身を鞭のようにしならせ、地に振り下ろした。エールに躱された光学迷彩の尾はコンクリートの地面に縦一列の陥没を作る。スプリンクラーで水浸しになった地面から飛沫が上がる。

 

 ――外れた……? いや、違う。これは! !

 

 ギャングとして戦ったエールの勘が警鐘を鳴らす。スプリンクラーで水浸しになった地面、そこに付いた死龍の尾、電磁加速砲を放つ直前の挙動。

 エールは咄嗟に短槍を投擲。天井に突き刺すと自身も跳躍し、槍を掴んで宙にぶら下がる。

 地から足が離れたギリギリのタイミングで尾から電気が流れ、水を通して電撃が駐車場全体を走り抜ける。電圧が高すぎたのか、水は蒸発して霧散する。

 刹那でも判断が遅ければ感電死していた。この身体も黒焦げになっていただろう。エールは冷や汗を垂らす。

 

 ――ったく、隠し玉多すぎだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、空間が爆発した。

 

 

 

 

炎が瞬時に広がり、轟音と共に車や柱が吹き飛んでいく。その威力や範囲はグレネードの比ではなかった。

 死龍の本命はこの爆発だった。尾から発生した電撃は床に溜まった水を電気分解し、屋内駐車場を水素と酸素で満たす。酸素は燃焼を促進させる性質を持ち、水素は自身が爆発的に燃焼する謂わば可燃性ガスとしての性質を持つ。屋内駐車場という密閉空間、炎上する車という多量の火種は水素ガス爆発を引き起こす条件として揃っていた。

 

「さすがにやり過ぎたか」

 

 噴煙が充満する駐車場を見て、死龍は呟いた。柱の陰に隠れて爆発をやり過ごした彼女だったが、爆発音は彼女ですら手で両耳を塞がなければならないほど鼓膜を揺さぶった。加えて煙で充満した空間は自身の視界を潰しエールを隠すカーテンになる。

 咥えて、爆発で飛び散った車やそのパーツ、コンクリート片が死龍の尾にぶつかり、装甲を歪ませる。その衝撃でバラニウム装甲の表面に塗布されたナノマテリアルが不調を起こし、光学迷彩は古いテレビのノイズのように中途半端な状態になる。

 今の大爆発で大抵の呪われた子供は死んでいるだろう。多少頑丈な子でも無事では済まない。しかし、()()()()()なら分からない。今この瞬間にも爪と牙を研ぎ澄まし、襲い掛かる瞬間を虎視眈々と待っているかもしれない。

 死龍は尾の電磁加速砲を放ち、壁に穴を開ける。音速以上で動くフレシェット弾が煙を消し飛ばし、煙が壁の穴から抜けていく。

 視界がクリアになり、屋内駐車場だった光景が目に映る。車が消し飛び、燃えカスだけが残っている。エールがぶら下がっていた場所に目を向けたが、やはりと言うべきか、そこに彼女と得物のバラニウム短槍は無かった。

 爆発に巻き込まれて消し飛んだか、それとも柱の裏に隠れて機会を窺っているか。

 

 

 

 

 

 足元に歪んだボルトが落ちた。

 

 

 

 

 死龍は咄嗟に見上げた。水素ガス爆発で吹き飛んだ天井、剥き出しになった鉄骨造からエールがバラニウム短槍を逆手に持っていた。彼女は大きく振りかぶり、目を赤く輝かせる。

 放たれた渾身の投擲、急降直下する短槍は死龍の尾を貫いた。切っ先は外殻の隙間に入り込み、二重装甲の内殻を砕く。内部の疑似神経線維と毒の輸送パイプ、電磁加速砲の弾倉を貫き、尾を地面に串刺しにした。

 尾を固定され死龍の動きが止まった。

 拾った鉄パイプを握り、エールは鉄骨から飛び降りた。高低差と自身の体重、そこに腕の筋肉と遠心力を加重し、今自分が出せる最大の一撃を振り下ろす。

 

 

 エールの一撃は虚しくもコンクリートの床を殴打し、先端が折れ曲がった。

 

 

 彼女の一撃は死龍が動かなければ確実に当たるコースだった。どうしてかは分かっている。鉄パイプが直撃する寸前、死龍が腰のコネクタから尾を切り離したのだ。尾という枷を外した彼女は本来の小柄な体格に合った軽快な動きで回避した。

 死龍が右脚を振り上げる。今までマントで隠れていた長い脚が現れる。バラニウム装甲で覆われた鈍く光る義足、そのつま先から高周波ブレードが飛び出した。

 ブレードに気付いたエールは咄嗟に下がる。しかし、延長された数十センチの間合いから逃れることは出来なかった。

 高周波ブレードはエールの左腕を肘から手首にかけて刃を通す。超高速振動により絶大な切断力を誇るそれは縦一列に彼女の皮膚、前腕の筋肉、橈骨と尺骨、動脈と静脈を切断する。

 滝のように彼女の腕から血が流れる。多量の出血で失いそうになる意識を食い縛って繋ぎ止める。

 

 エールは左腕を振るった。手先に流れた多量の血が死龍に向けて飛散。マントとフードの隙間、彼女の目を狙った血液のピンポイント爆撃が当たる。

 

 

 目を潰された刹那、死龍が怯んだ。

 

 エールは右手の拳を握り、地を蹴る。

 

 自分の拳が先か、死龍が動くのが先か。

 

 赤い眼が輝き、乾坤一擲のアッパーカットが鳩尾に入った。

 

 死龍の身体が浮き上がった。尾を切り離した今、死龍の身体は見た目通りに軽く、数メートル飛んで背後の壁に叩きつけられた。

 エールは死龍を見据える。死龍が水素ガス爆発でエールが死なないと警戒したように、エールもまた死龍がこの程度では終わらないと警戒する。

 しかし、死龍は立ち上がらなかった。今の衝撃で後頭部を壁に打ち付けて脳震盪を起こしたのか、肋骨が折れて心臓か肺に突き刺さって絶命したか。

 エールは死龍が動かないことを確認すると警戒を解く。脱ぎ捨てたジャケットを拾い、腕をきつく縛って出血を抑える。

 気絶しそうな中で何とか足を進める。詩乃を救う為の解毒剤を確保しなければならない。

 

「これは……ちょっと、ヤバいな……。いや、マジで……ヤバい」

 

 腕を縛って抑えたとしてもかなりの血を流した。動脈と静脈が切断されたのだ。普通の人間なら死んでいてもおかしくない。高周波ブレードがバラニウム製ということもあって、治癒も期待できない。

 

 

 朦朧とする中、エールは気付かなかった。バラニウム短槍がコンクリートから引き抜かれる音、それが地面に落ちる音、近づくモーター音に――。

 

 死龍の尾が単独で駆動した。内部のバラニウム疑似筋繊維を収縮させ、蛇腹構造の装甲を動かし、文字通り蛇のように地面を高速で這う。

 頭部となったマニピュレーターは先端を閉じ、ハンマーのようにエールを殴打して地面に叩きつける。

 抵抗する余力も残っていないエールは地面に突っ伏せる。

 彼女を尻目に尾は死龍の元へ行き、彼女の腰のコネクタに自ら接続した。

 

 ――クソッ……。

 

 

 死龍が立ち上がった。

 

 しかし、その様子は復活と言うには様子がおかしかった。身体の動きに表情が伴っていない。視線も呼吸も合っておらず、関節の動きも生物のような滑らかさを感じない。まるで映画のゾンビのようだった。

 尾が接続して十数秒、死龍の身体は生物本来の滑らかな動きを取り戻す。視線も目の前の敵であるエールに向けられる。

 

 それでも彼女から()()を感じることが出来なかった。




・未織の京都弁が難しい

方言翻訳ページを見ながらじゃないと彼女のセリフが書けないし、うっかりすると関西弁っぽくなってしまうのが悩み。お陰で彼女の言動もどこか大阪のおばちゃんっぽくなってしまう……。



次回「戦乙女の血戦 ③」


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戦乙女の血戦 ③

サブタイトルが「灰色の盾vsスカーフェイス」だけど、ボス同士のバトル以外書いてねえ!!

ってことで、ここ数話のサブタイトルを変更しました。ごめんなさい。


「第二ラウンドとかマジで勘弁なんだけど」

 

 

 黒色の炭と灰だけが残るイクステトラ屋内駐車場で死龍は立ち上がった。それは人形のようで、ゾンビのようで、黒膂石拡張義腕という名の寄生虫が死龍を支配しているようにも見える。

 エールには立ち上がる力が残っていない。失血で意識が朦朧としている。視界もぼやけて敵の姿をハッキリと捉えることが出来ない。

 死龍の尾が先端をエールに向け、先端に青白い雷光が収束していく。電磁加速砲――音速の数倍で放たれるフレシェット弾による処刑が始まる。

 

 眩いライトが死龍を照らした。端の出入り口から青いストリートバイクが唸り声を挙げながら突入、勢いを殺さず死龍に向かって行く。

 死龍は咄嗟に電磁加速砲の照準をバイクに向ける。しかし、早撃ちは向こうが上手だった。青いバイクのライダーが9mm拳銃を抜き、トリガーを引く。弾丸は死龍の身体を掠めた。

 分が悪いと感じたのか尾は電磁加速砲の発射を中断。マニピュレーターを展開し、チンパンジーのように柱や鉄骨を掴んで移動する。死龍の本体も釣りのルアーのように尾の動きに振り回され、ガス爆発で吹き飛んだ壁を抜けて向こう側へと消えて行った。

 

「ボス。無事か? 」

 

 ライダーはバイクから降り、倒れたエールの元に駆け寄る。

 駆け寄った誰かが自分の名前を呼び、失血の酷い左腕を布で縛る。ようやく呪われた子供の治癒がはたらき始めたのか、朦朧としていたエールの意識がハッキリとし始め、ぼやけていた視界も輪郭線を得る。

 煤けた小麦色の肌とウェーブするブラウンのセミロングヘア。スタジャンとタイトパンツを着こなし、ライダーゴーグルを首にかけた姿はファッション誌の1ページを飾れるくらい様になっている。

 灰色の盾№3 ミカンの顔が見えた。

 

「ようミカン。遅かったじゃねえか」

 

「けど、グッドタイミングだっただろ」

 

 エールが上に手を伸ばし、ミカンが引っ張って彼女を立たせる。貧血になりよろめいたところにミカンが肩を貸す。

 

「増援はお前、一人か? 」

 

「まさか。他にもいるよ。ニッキー、サヤカ、アキナ、それとルリコ。今、別ルートから入ってる」

 

 灰色の盾は全部で31人。赤目ギャングとしては小~中規模の人数だ。その中で増援はたった5人。メンバーを選んだナオが出し渋ったと冷たく思われても仕方のない数字だった。

 しかし、エールはナオの名采配に笑う。

 

 増援に来た5人は全員、自分達が赤目ギャング()()()()()()()()から一緒にいる仲間達だった。あの地下鉄跡で鈴音や美樹と共に過ごし、反赤目団体に仲間を焼き殺されたあの日から、今日まで戦い抜いた強者たちだ。

 

「懐かしいメンツだな。ナオ以外の古参メンバー勢ぞろいじゃねえか」

 

「そのナオから伝言。『こんな1円にもならない戦場に首突っ込みやがって。アンタはリーダー失格だ』ってね」

 

「あいつには苦労かけるな」

 

 エールは頭をかく。伝言の内容に一言も反論出来なかったからだ。灰色の盾は赤目ギャングの中でも珍しい()()()()を生業とするチームである。暴力は彼女達の唯一の商品であり、それをタダで出すことを勝手に判断したエールは組織の長として適格とは言い難かった。

 

「今回はナオの言う通りだよ。相手は泣く子も黙るスカーフェイス。そこに警察や東京エリア中の民警も加わるのに報酬はナシ。強いて言うなら、歌姫様の『ありがとう』ぐらいかな。ハイリスクノーリターンにも程があるんじゃないか? 」

 

 ナオの伝言に重ねる様にミカンの言葉が「リーダー失格」のレッテルを重ね貼りする。更に恥ずかしくなり、エールは血まみれの左手で前髪をいじる。

 

 

 

 

「でも――あそこで2人を見捨てるようなボスだったら、私達は付いて来なかった」

 

 

 

 ミカンがエールに微笑みかける。

 

「私達の元・妹分がまだ危ない目に遭っているんだけど、戦えるよね? ボス」

 

「当たり前だ。ボス舐めんなよ」

 

 エールは鼻で嗤うとミカンの肩から離れた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 狭い空間の中でゴソゴソと衣服が擦れる音が聞こえる。未織、鈴音、美樹、ティナは息を殺し、スカーフェイスに見つからないことを祈りながら、サーバールームへと向かっていた。

 

「何にせよイクステトラの全システムはサーバールームが根幹。そこにおるハッカーを潰さへんことには不利なままや」

 

 美樹が冷や汗を流し、息をのむ。まだスカーフェイスに対する恐怖心が残っている。

 

「だ、大丈夫かな。そいつも武器持ってるんだよね? 」

 

「お二人は自分の身を守ることを第一に考えて下さい。敵は私が何とかしますから」

 

 下から駆ける足音が聞こえる。スカーフェイスのメンバーだろうか。鈴音達を見失ったことで焦る若い女性の怒声が響く。

 硬直し、押し黙り、足音が遠のくまでやり過ごす。

 

「未織さん。サーバールームまであとどれくらいですか? 」

 

「暑苦しい……」

 

「もう少しや。堪忍してな」

 

 4人は今にも身体で詰まりそうなダクトの中を匍匐前進で進んでいた。

 

 ダクトの中を進むこと15分、未織の尻が詰まったり、美樹の胸が詰まったり、特にどこも引っ掛かることなくスムーズに進めた鈴音とティナが落ち込んだりするトラブルがあったものの、4人はサーバールームに辿り着いた。

 

 天井の通気口を外し、4人がそこから降りる。

 同型のコンピュータが何十台も並び、青いランプが端末上で点灯・点滅を繰り返す。そこに佇むだけのコンピュータがどれほど動いているかは重なった駆動音が物語る。端末が発する50度近い熱を相殺するため空調は20度前後に設定されており、端末から離れると肌寒く感じる。

 4人はゆっくりとした足取りでサーバールームを周り、有線接続でシステムに介入するハッカーを探す。しかし、自分達以外の人を見つけることは出来なかった。

 

「逃げたのかな? 」

 

「いや、システムはまだ掌握されたままや」

 

「もしかすると、ここにルーターを接続して内部完結していたシステムにバックドアを増設する手口を使っているかもしれません」

 

「Wi-Fiで他の場所から動かしているってこと? 」

 

「イメージとしてはそんなところですね。ただ扱えるデータ量に限りがありますし、ネットワークをオープンにしていますので自分の作ったバックドアを別の誰かに利用されるリスクもあります」

 

「イクステトラの警備システムに介入するだけでも相当な量になる筈や。そこらに出回っとるツールじゃ掌握なんて無理や」

 

 3人が話している間、鈴音は何かが気になったのか、何十台も並ぶコンピュータの一つを凝視し、そこに耳を傾ける。

 

「鈴音ちゃん? どないしたん? 」

 

「未織さん。これ変な音しませんか? 」

 

「変な音? 」

 

 鈴音が指さす先、ラックの中に格納された端末の一つを見る。外観では両隣の端末と何ら変わらず、変な音というのも3人には聞こえない。特殊な環境で聴覚が異様に発達した鈴音だからこそ聞こえるのだろう。

 中を確認しようとティナがラックの扉を開け、顔が青ざめる未織を尻目にナイフを刺し込んでコンピュータのカバーを外した。

 ティナは目を見開いた。中に紺色の蜘蛛が入っていたのだ。8本の足に手の甲サイズの金属ボディが鈍く光る。タランチュラ型のロボットはボディからコードを伸ばし、内部の配線やコネクタに繋いでいる。

 機械化兵士と言えどティナは使う側の人間。コンピュータの内部にはそれほど詳しくないが、それでもこのロボットがコンピュータのパーツではないと一目で分かった。

 

 カバーが外されたことに気付いたロボットはコードを切断して飛び出した。8本の足を器用に使い、機敏な動きで跳ね回る。市販はおろか軍用でもあれほどの動きが出来る機体は見たことが無い。

 ティナは咄嗟に拳銃を抜き、照準を合わせる。ロボットは端末上を走っており、迂闊に引き金を引くことが出来ない。追いかけながら安全な射線を確保できる一瞬を狙う。

 ロボットが隣の端末の列へ飛び移った。ボディが空中に浮いた瞬間、弾丸がロボットを貫いた。ボディの真ん中に穴が空いたロボットは機能を停止し、床に落ちる。

 ティナが回収しようと駆け寄った瞬間、ボディや足が火花を散らして自爆し、パーツが飛散した。証拠隠滅の措置だろう。

 敵に繋がる情報が得られなかった未織は地団駄を踏む。

 

「あのロボットにウチのシステムは乗っ取られたん? 」

 

「ただのロボットじゃありませんよ。あんな実写版トランスフォーマーみたいな動き、米軍の装備でも見たことがありません」

 

 ティナはロボットのパーツの一つを拾い、未織の前にかざす。

 

「これって……バラニウム? 」

 

「はい。使用されている素材やロボットの能力を考えると機械化兵士の装備と考えた方が良いかもしれません」

 

 小型端末を遠隔操作する機械化兵士となれば、ティナはシェンフィールドを扱う自分、同じテクノロジーで生み出された『NEXT』の機械化兵士たちを思い浮かべる。しかし、ティナ以外の機械化兵士は5年前の東京エリア・クーデターの際に死亡しており、エイン・ランド博士が暗殺されたことで、その後も機械化兵士が創られることも無かった。

 暗殺された後、米軍やサーリッシュがランド博士の研究資料を押収しているが、全ての資料が暗号化されていたり、デタラメなことが書かれていたり、専門家が頭を抱えるほど高レベルかつ複雑な内容だったり、解析した結果それもデタラメだったりしたため、精査の進捗は芳しくない。米軍もサーリッシュも()()()()機械化兵士を作ろうとすれば、あと10年はかかるだろう。

 

 ――それだと、これは一体、誰が……。

 

「これでハッカーは倒したとして、ここの警備システムはどこまで奪還出来ましたか? 」

 

「施設内の監視カメラ、隔壁、自動機関銃、催涙ガス、それと照明ぐらいや。コントロールルームのコンソールがないとウチらは動かせへんし、そのコントロールルームもあちらさんに奪われた可能性が高いんよ」

 

 ゲームのお使いクエストのようだ――とティナは頭を抱えた。コントロールルームには従業員がいる。彼らも武装しているだろう。そこが制圧されたとなれば、スカーフェイスもそれなりの人数と武装で襲撃している筈だ。従業員も人質に取られているだろう。ここまで用意周到にしている彼女達のことだ。武器庫は最優先で潰されているだろう。

 

『サーバールーム奪還おめでとう。日向鈴音、日向美樹』

 

 天井にあるスピーカーからアナウンスが流れる。口調だけでもガラの悪さが分かる。

 

『だが、コントロールルームは我々の手の内だ。この施設のシステムも掌握し、従業員も人質に取った。今から5分間、ここまでの隔壁を開ける。その間にコントロールルームに来い。着物の女と金髪の女も一緒だ。裏でコソコソされると厄介だからな』

 

 イクステトラは敷地こそ広大で5分で廻れるような場所では無い。しかし、サーバールームにいて、未織という案内人がいて、小走りで行けば間に合う時間だ。

 

『1分遅れる度に人質を1人殺す。それでは、よーい……ドンッ』

 

 ドンという声と共に銃声が鳴った。男女の混ざった悲鳴も聞こえた。

 今のがただの号砲なのか、それとも見せしめに人質を一人殺したのかは分からない。人の命を何とも思っていない軽い態度のギャングに未織が怒り心頭だったのは言うまでも無かった。

 人として当然の倫理観を持つティナもそれは同じだった。しかし、ここで感情に身を任せれば鈴音達を危険な目に遭わせることになる。日向姉妹とイクステトラの従業員を乗せた天秤が彼女の中で揺れ動く。

 

「「未織さん。コントロールルームどこですか? 」」

 

 振り向くと鈴音と美樹の決意は固まっていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「ギリギリってところだな。うっかり2人目を殺っちまいそうだったよ」

 

 Uの字型に湾曲した空間、壁を埋め尽くさんとする巨大なスクリーン、数えきれないくらい多くのモニターが並んだ机、手足を縛られ一ヶ所に集められた従業員たちを背景にスカーフェイスのメンバーが4人を出迎えた。

 額には傷を模した刺青、両耳にはイヤリング、服の開いた胸元からは髑髏の刺青も見える。いかにもギャングといった容貌の少女だ。彼女の足元には胸から血を流した男性職員が転がっている。号砲の犠牲者だ。

 未織は壁のスクリーンを一瞥する。分割された画面にはイクステトラ各所の監視映像が映されている。サーバールームのハッキングが早かったのか、ほとんどの従業員が隔壁に閉じ込められて避難できずにいる。警備員や民警も同じだ。別の画面には()()()スカーフェイスと遭遇してしまった警備員、プロモーター、イニシエーターが血を流して廊下に倒れている。そこだけ激しい銃撃戦の痕跡が見られる。

 皮肉にもシステムを逆手に取り、少人数かつ必要最低限の戦闘で施設全体を掌握する彼女達のスマートな手段が犠牲者を少人数に留めていた。

 

 ティナも僅かな目配せで状況を把握する。コントロールルームにいるスカーフェイスのメンバーは7人。昨晩、壮助が戦った死龍以外の人数と一致している。それがスカーフェイスの総員だと仮定すれば、全員がここに集まっていることになる。外の警備はおそらくシステムかドローンに任せているのだろう。

 

 ――8人目?

 

 ティナが相手に気取られないよう視線を動かしていると、はるか遠くに8人目の少女が見えた。顔に傷の刺青が無く、他のメンバーから隠れるように移動している。彼女が着けているリストバンドにはエールのバイクと同じ灰色の盾のエンブレムが刺繍されていた。

 更に視線を動かすと同じエンブレムを持った少女達が柱の陰に隠れたり、デスクの下を這っている。

 形勢逆転の兆しが見え、ティナは心の中でほくそ笑んだ。

 

「きゃっ! ! 」

 

 ティナは鈴音を抱き寄せ、腕を回して首を捕らえた。鈴音の側頭部にベレッタの銃口を突き付け、彼女を人質にしたことをスカーフェイス達に見せつける。

 息を合わせたかのように未織も美樹を同じように拘束し、司馬重工オリジナルモデルの拳銃を美樹に付きつける。

 

「テメェら、何考えてやがる! ! 」

 

 まさかの行動に目の前のギャングは声を荒げた。他のメンバーも少なからず動揺している。

 

「これって、あれですよね。2人を渡したら『お前達は用済みだ。ここで死ね』っていうパターンですよね。嫌ですよ。そんなの。私は金で雇われただけなので、2人を渡したら見逃してくれませんか? さもないと彼女を殺します

 

「ウチも従業員たちを守らなあかんさかい。こんな小娘の為に犠牲になるなんて我慢できひん。とりあえず、従業員たちを解放してくれへん? その後はウチらや。ウチらの安全が確保出来たら、2人を渡したる。断ったら――

 

鈴音ちゃんと美樹ちゃんの脳天にド弾ぶち込んでお前らの計画パーにしたるわ

 

 はんなり京美人の仮面はどこかに飛んで行ってしまったのか、ドスの効いた彼女の本性が垣間見える。

 

「さっきの威勢はどないしたん? 」

 

「返事は無いんですか? 私って結構せっかちな性格なんですよ。早く返事をして下さい」

 

 日向姉妹と言う交渉材料を手に入れたことで2人は場の主導権を完全に握った。

 スカーフェイス全員の視線がティナ達に集まり、彼女達は2人の挙動に警戒する。

 

「分かりました。10秒です。10秒後まで返事がなかったら2人を殺します。

 

 

 10

 

 

 

 9

 

 

 

 8

 

 

 

 

 7654321! ! 」

 

 

「わ、分かった! ! 解放する! ! 約束するから! ! そいつらは殺すな! ! 」

 

 銃声が鳴った。柱の陰やデスクの下に隠れていた灰色の盾が飛び出し、一斉にスカーフェイスを銃撃する。少人数でありながら戦況は灰色の盾に傾く。彼女達の存在に気付いていなかったスカーフェイスはまんまと奇襲攻撃に晒され、7名いたメンバーが手足や得物を撃たれて無力化、それでも抵抗しようとする者は近接格闘(CQC)で止めを刺され、手足を後ろに縛られて拘束される。

 4人は灰色の盾の鮮やかな奇襲攻撃に舌を巻いた。鈴音と美樹はプロの戦闘屋となったかつての仲間達の姿に、ティナと未織はギャングとは思えない灰色の盾のレベルの高さに驚いた。

 

 30秒にも満たない奇襲作戦が終わると、やけに色気のある黒髪ボブカットの女性が近づいてきた。両手には89式5.56mm小銃が抱えられており、ノースリーブのカットソーの上に装着したホルスターには予備弾倉が刺さっている。

 

「灰色の盾のニッキーよ。貴方がティナね? エールから話は聞いてるわ」

 

「やっぱり、灰色の盾の方でしたか。助かりました」

 

「貴方の時間稼ぎのお陰でこっちも上手くいったわ。お礼を言わせて」

 

 名前を聞いた途端、鈴音と美樹は唖然とする。

 

「本当にニッキーさんなんですか? 」

 

「なんか見違えたね。大人っぽいというか色っぽいというか」

 

「6年もあれば人間変わるものよ」

 

 フラッシュが焚かれ、4人が目を瞑る。

 光源の方を見るとどこかの学校の制服を改造したのか、金髪ショートボブの少女がスマホで自撮りしていた。白い半袖ブラウスとチェックスカート姿はどこかの学校の制服を思わせる。首の大きな傷と手に血の付いたダガーを握っていなければ、どこかの学生だと思ってしまっただろう。

 

サヤカ。今はそれどころじゃないでしょ。さっさと武器を回収して。あと今の画像はアップしないでね」

 

 サヤカと呼ばれた少女はコクリと頷くとスマホをポケットに入れ、指示通りスカーフェイスが持っていた武器を回収し始める。

 

「どうだ! ! 見たか! ! これが灰色の盾だ! ! 思い知ったかー! ! あーはっはっはっは! ! 」

 

 一部を編み込んだ朱色ショートカットの少女――ルリコはPCを蹴飛ばしてデスクの上に仁王立ちし、高らかに勝利の笑声を挙げる。「アイ アム プレジデント」と書かれたTシャツと無駄にゴテゴテとチェーンが付いたジーンズ、悪趣味な装飾付きの二挺拳銃が彼女の自己顕示欲と馬鹿さ加減を見事に表している。

 

「あれ、誰か言わなくても分かるよね? 」

 

「ルリコさんですね」

 

「うん。あの小物っぽさはルリ姉だね。変わらないなぁ」

 

「おい。ルリコ! ! まだ終わってねえんだから、気ぃ引き締めろ! ! ブチ殺すぞ! ! クソが! ! 」

 

 燃え上がるような赤髪ベリーショートカットと左右4個ずつピアスを付けた女性が血の付いたマチェットでデスクを叩き、仁王立ちして高笑いするルリコを落とす。トップスからブーツまで皮製品で固めたパンクスタイルは真夏に見ると余計な暑さを感じる。

 

「うげっ。あの口の悪さ……」

 

アキナさんですね」

 

「相変わらずでしょ。でもあれくらいじゃないと外周区じゃ舐められるのよ」

 

 ガゴン

 

 増援に来たメンバーの紹介を終えた途端、天井裏から何かを叩くような音が聞こえる。鈴音だけではない。美樹も未織もティナも、灰色の盾も分かるくらい音が大きくなっていく。

 ニッキーは空になった弾倉をポケットに入れ、89式5.56mm小銃に次の弾倉を装填。天井に向けてフルオートでトリガーを引いた。白い天井に黒い斑点が次々と撃ち込まれる。

 仕留めたのだろうか、叩く音が聞こえなくなる。不気味なまでの静寂の中、ニッキーが空になった弾倉を外し、次を装填する。

 突如、天井が崩落した。同時に人影と黒い龍が舞い降りる。

 

死龍(スーロン)……ッ」

 

 死龍の襲来-―それはエールの敗北を意味していた。




オマケ

司馬未織のウワサ

寝る前に自作の蓮太郎ぬいぐるみ、木更ぬいぐるみ、延珠ぬいぐるみに仕事の愚痴を零すのが日課らしい。




次回「ヒーローは6年遅れてやって来る」


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ヒーローは6年遅れてやって来る①

エールのウワサ

自分の保有因子は強くてカッコいい動物だったら良いなぁと思っているらしい。



 イクステトラのコントロールルーム、スクリーンの灯りに照らされた空間で黒い龍が蠢く。起点となっている少女はオブジェのように動かない。項垂れ猫背になった死龍から生きている人間の気配が感じられなかった。

 死龍が襲来したことで勝利の喜びに満ちていた灰色の盾のメンバー達から、敗北と絶望の表情が浮かび上がってくる。

 ティナと未織、灰色の盾達がそれぞれの得物を構え、銃口を死龍に向ける。

 

「鈴音さん。美樹さん。私から離れないで下さい」

 

 フードに覆われた死龍の首が動いた。生きた人間とは思えない不自然な動きで、糸に繋がれた操り人形のようにその面はゆっくりとティナに向けられる。

 

「私から、離れて下さい」

 

 最初は鈴音と美樹を見ているのかと思った。しかし、2人がティナから離れても死龍の首は動かない。向けられる殺気も変わらない。

 

 

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』

 

 死龍が叫んだ。声の限りを出し、自身の喉を潰さんとする勢いで声を響かせる。鬨の声ではない。心の底から湧き上がる怒号のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ティナ・スプラウトオオオオオオオオオオオオ! ! 貴様さえ、貴様さえいなければあああああああああああああああ! ! 』

 

 

 

 

 

 

 

 本当に喉を潰してしまったのか、口から血を吐きながら彼女は叫ぶ。

 黒膂石拡張義腕からチェレンコフ放射光を思わせる蒼白い光が溢れ出す。薄暗いコントロールルームが一気に照らされ、直視すると目が潰れてしまいそうなほど眩しくなる。同時に装甲とマニピュレーターが外れ落ち、尾の半分を占める長大な熱切断ブレードが姿を現した。

 

 ――あれは、お兄さんの義手と同じ……。

 

 死龍が動いた。エールとの戦いとは比べ物にならない、得物を狩る蛇のように速く、不規則な動きで走り抜け、ティナに迫る。

 死龍が身を翻すと尾の長大なブレードが振るわれる。ティナは身を後ろに倒し、薙ぎを回避。目の前を青白い光と共に熱切断ブレードが通り過ぎる。

 ティナは仰向けに倒れ背中を床に打ち付ける。天井が見えた時にはもう死龍が飛び上がっていた。彼女は前方宙返りで尾を縦に回転させ、ブレードが振り下ろされる。身を転がして斬撃を躱すが、そのタイミングを狙っていたかのように右脚から飛び出した高周波ブレードが迫る。

 アキナが2人の間に割って入り、マチェットで死龍の右脚を抑える。彼女が生んだ一瞬の隙にティナは立ち上がりながら距離を取り、拳銃を抜いて死龍に向ける。

 

「離れてください! ! 」

 

 アキナがマチェットの角度を変えて死龍の足を受け流す。同時に赤目の力で床を蹴って跳躍。彼女が離れた直後にティナが銃撃。灰色の盾のメンバー達も続く。

 死龍の尾がバネのように動いて跳躍し銃撃を回避。尾が死龍の身体を引っ張り、蛇のように壁を高速で這い廻る。ニッキーの89式5.56mm小銃が弾幕を張って誘導しようとするが、照準がまるで間に合わない。

 

「何よ! ! あの動き! ! 今までの死龍とまるで違うじゃない! ! 」

 

 重力を無視して壁を這いまわる死龍と尾は壁から飛び出し、再びティナにブレードを突き立てる。間一髪のところでティナは回避したことで、尾のブレードは床を溶かしながら刃の半分が埋まる。

 

「ティナちゃん! ! 足元! ! 」

 

 未織の叫びで咄嗟に足元に目を向ける。死龍の尾を包む青白い光が先端のブレードに収束していく。それはかなりの高熱を帯びているのだろうか。床のマットが燃え上がって炭化し、その下にあった金属板が赤熱して飴細工のように溶解していく。

 ブレードの先端に収束した光が床下に放たれた。電撃のように光が床下を這うと床が一気にひび割れし、そこから一斉に崩落する。コントロールルームの中心に空いた幅数メートルの穴に死龍とティナは落ちていった。

 

「死龍の奴! !逃げやがったな! ! 」

 

 ルリコが溶解した穴を覗く。4~5フロアは突き抜けただろうか、自分達が侵入する時に通った1階エントランスのオブジェが見えていた。そこに向けて落下する死龍とティナの姿も見える。

 

「ニッキーどうする! ? あいつを取り逃がしたらエールにどつき回されるぞ! ! 」

 

「取り逃がしたらって……あんなバケモノどうすりゃいいのよ」

 

 ニッキーは頭を抱える。人体の構造を無視した不規則な動きと赤目の動体視力でも追い付くのがやっとのスピードを前に灰色の盾は太刀打ちできなかった。今、自分達が無事なのは死龍がティナを執拗に狙ってくれたお陰だ。

 ニッキーがどうしようかと悩んでいると、サヤカが人差し指で彼女の肩を突いた。

 

「サヤカ。どうしたの? 」

 

 サヤカは黙ったままもう一方の手でコントロールルームの出入口を指さす。開きっ放しになっていた観音開きの扉の向こうから、何体もの武装ドローンがこちらに向かっていた。

 武装ドローンの機関銃が一斉に火を吹いた。銃弾が暴風雨のように吹き荒れ、瞬く間にコントロールルームの扉を粉砕する。

 89式を持ったニッキーとスカーフェイスのアサルトライフルを拾ったルリコ、サヤカ、アキナが入口付近を陣取る。4人でドローンを迎撃していくが、脇道から次々とドローンが姿を現し、入口に向かって来る。

 

「ああもう! ! 次から次へと! ! 弾が足りないよ! ! 変な格好のおばさん! ! どうにかならない! ? 」

 

「あ゛? 」

 

 未織に睨まれたルリコはビビり上がる。

 

「ごめんなさい……()()()()

 

「このヘタレ」

 

 未織が身を屈めて移動し、デスクの裏に隠れるメガネの男性職員に声をかける。

 

「小此木はん。無事? 」

 

「ええ。私は何とか……。局長も無事で良かったです」

 

「サーバールームを乗っ取った奴はウチらで倒した。今なら警備システムも奪還することが出来る筈や」

 

「でもPCが全部やられています」

 

 未織は周囲を見る。死龍とティナの激戦でコントロールルームは壊滅的な被害を受けている。警備システムの制御に使っていたパソコンも全て破壊されており、システムにログインする方法が失われていた。

 小此木がはっと思い出す。

 

「あ、いや、ちょっと待ってください。そこのロッカーに予備のハードがあります。ケーブルに繋いで周辺機器を揃えば行けるかもしれません」

 

「その手しかあらへんやろ。指揮は任せてもええ? 」

 

「大丈夫です」と小此木は親指をグッと立てた。

 

「幾谷! ! 渡辺! ! 田山! ! 予備のハードを使ってシステムに入る! ! 俺はケーブルを引っ張り出すから、お前達は使えるディスプレイとキーボードを探してくれ! ! 他の者は彼女達の援護だ! ! 防衛訓練を思い出せ! ! 」

 

 小此木に指示された3人はデスク周辺を探り、他の者はアサルトライフルと防弾チョッキを拾う。それらを装備すると灰色の盾4人の後ろに付き、彼女達に合わせてドローンの迎撃を開始した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 コントロールルームの床が崩落し、落下したティナは階下の床も突き破った。エントランスホールの吹き抜け構造の中を落ちながら姿勢を制御し、両足で着地。死龍の追撃回避も兼ねて身を転がして衝撃を緩和する。

 白とライトブルーで彩られたエントランスホールで黒い龍が縦横無尽に刃を振るう。中央にあったインフォメーションセンター、休憩や応接に使っていたであろう小テーブルとソファー、上階を支える柱をバターのように溶断していく。

 それを回避しながらティナは背負っていたバレットM82を構える。相手が格闘戦を仕掛けられる近距離戦闘では向かない武器だが、ティナは照準器に頼らず、腕とライフルの角度だけで瞬時に狙いを定め、トリガーを引く。

 狙いは確実だった。しかし、12.7×99mm弾を死龍の尾が回避する。尾が主体的に動き、付属品のように死龍の身体がそれに引っ張られる。弾丸が彼女の手を掠め、風圧で前腕の血肉を抉る。しかし、彼女に痛がる様子は見られない。

 

『あはははははは! ! そんな弾が“僕”に当たる訳無いだろう! ! お得意の狙撃はどうしたぁ! ? 』

 

 弾丸は明らかに死龍の腕の肉を抉った。しかし、彼女の口は弾丸が当たっていないかのように語る。その口調もエールと嫌味を言い合っていた時とまるで違う。たった二言三言でも彼女の威厳と風格が窺えた。しかし、今の彼女からは下衆な雰囲気しか感じられない。理性すらどこかに置き去りにしている。

 

 ――それより、どうして私のことを……。

 

 死龍に自分が何者か名乗った覚えは無い。過去にどこかで出会ったのだろうか。

 そんなことを考えている余裕を死龍は与えない。装甲とマニピュレーターを外したことで身軽になった尾の動きは生物のように俊敏かつ滑らかになっている。尾の熱切断ブレードに気を取られてしまえば、彼女の右脚に内蔵された高周波ブレードが繰り出される。どちらも生身のティナにとっては致命傷になりかねない。

 刃が振るわれる中、尾から溢れていた青白い光が先端に収束した。コントロールルームの床を崩落させた一撃が来ると警戒したティナはバックステップで距離を取る。しかし、死龍は尾の刃を地面に突き立てるフリをして、その切っ先をティナに向けた。

 

『今度こそ! ! 今度こそ処分してやる! ! 赤目のゴミがああああああああ! ! 』

 

 ティナの脳裏に里見事件の光景がよみがえる。蓮太郎が見せた義肢の青白い輝き、黒膂石崩壊撃発(メルトダウンバースト)によって焦土と化した滑走路を――。

 

 

 迫るエンジンの駆動音と共に黒いハイエースが出入口のガラス戸を突き破って突入した。運転席の窓からはみ出した太い腕がH&K MP7のトリガーを引き弾丸をばら撒く。

 

『邪魔をするなあああああああああああああ! ! 』

 

 死龍が尾の切っ先をティナから逸らしハイエースに向ける。先端から放たれた雷光は瞬く間にハイエースの大部分を消滅させる。ガソリンもプラズマ化して消滅したのか爆発も起こらず、消し損ねたボディの底面とタイヤだけが慣性の法則に従って進む。

 大きな影が死龍に迫る。ハイエースと共に消滅したと見せかけ、音を殺して接近した()は熱切断ブレードをバラニウムの大剣で受け流す。大剣の間合いに入るとバラニウム大剣を振るった。刃ではなく、幅の広い面で殴打された死龍は尾と共に飛ばされ、近くの柱に叩きつけられる。

 

 ティナの視界に巨大なミリタリーリュックを背負い、バラニウム大剣を担いだ大角勝典の姿が映った。

 

「大角さん……。どうして……」

 

「義塔から事情は全部聞いた。あいつの相手は俺に任せてくれ」

 

 死龍の尾が立ち上がり、それに引っ張られて彼女の身体が無理やり立たされる。先ほどの殴打が効いたのだろうか、彼女の足は生まれたての小鹿のように震えている。普通の人間なら、それは恐怖心や怯えの証左だが、対照的に尾は再び青白い光を帯び、臨戦態勢に入る。

 度重なる激戦に耐え切れなくなったのか、留め具が割れ、死龍の身体を被うマントが地面にずり落ちた。

 最低限の手入れしかされていないボサボサの長い黒髪、その隙間から幼げな顔と沼のように濁った濃緑色の瞳が見える。当然の如く、傷を模した刺青もあった。

 今の彼女から理性や知性、人格といったものを感じられない。血肉を求めて蠢くゾンビのように焦点の合わない目で大角を見つめる。

 一瞬、彼女の瞳孔が動いた。はっと意識が戻り、その顔に表情が伴う。目に誰が映っているのか理解した彼女は今にも泣き出しそうな顔で血まみれの手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

「助……けて」

 

 

 

 

 

 

 

 涙が血と混じり頬を伝う。

 

『この僕が使ってやってるんだ。余計なことをするな。赤目のゴミめ』

 

 死龍から再び表情が消える。彼女は腹話術の人形のように口だけを動かして喋ると、尾という主人が奴隷を躾けるように熱切断ブレードの余熱で彼女の手を炙る。自分の手が焼かれているというのに死龍――鍔三木飛鳥は苦悶の表情一つ見せない。

 その光景にティナは戦慄した。機械化兵士の中でもあれは異常だ。

 

 ゴンッ! !

 

 振り向くと、勝典のバラニウム大剣が地面をかち割っていた。

 

「おい。そこのお前。スクラップにしてやるから、さっさとかかって来い」

 

 その背中には鬼神が宿っていた。

 




話の展開の都合のせいで死龍の装備がモリモリ盛られていく……。

プロットの段階であった装備
・猛毒の針
・光学迷彩

書いている途中に追加された装備
・電磁加速砲
・尾の単独行
・右足の高周波ブレード
・尾が本体を支配して戦闘続行
・謎の内燃機関
・熱切断ブレード

お陰で対スカーフェイス戦が想定以上に長くなってます。
プロット意味ねえや……。

「ヒーローは6年遅れてやってくる②」


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ヒーローは6年遅れてやって来る②

 見るも無残な光景となったイクステトラ1階エントランス、そこで大角勝典はかつての相棒と6年越しの再会を果たす。

 赤目ギャングのリーダーとなった飛鳥に何て声をかければいいのか、勝典の頭脳でも答えが出て来ない。彼女は関東会戦で人の闇を見たのかもしれない。6年もほったらかしにしていた恨みを吐かれるだろう。「今更来ても遅い」と言われて毒針を向けられるだろう。

 花束を片手に「久し振りだな。元気にしてたか? 」と気軽に声をかけられる微笑ましい再会にはならないだろうと、相応の覚悟はしていた。

 

 

 だが、かつての相棒が機械化兵士になり、何者かに身体の主導権を奪われていた。――などという状況を一体どこの誰なら想定できただろうか。

 

 

『僕をスクラップにする? やれるものならやってみろぉぉぉぉ! ! 』

 

 勝典の視界から死龍が消える。――と同時に彼のいた場所を熱切断ブレードが穿つ。刃先が地面に突き刺さるが、そこに勝典の姿は無い。

 

「随分と大振りで読みやすい動きだな。飛鳥よりは楽に勝てそうだ」

 

 背後から聞こえる勝典の声と同時にバラニウム大剣が振るわれる。バラニウムとバラニウムが衝突する鈍い音、勝典の咆哮が轟き、死龍が柱に叩きつけられる。

 尾はすぐに体勢を立て直し、再び蛇のように壁を高速で這いずり回る。呪われた子供でも目で追うのがやっとの高速移動に勝典の目は追い付いていない。

 

 死龍の尾は背後に廻った瞬間に方向転換し、勝典に迫る。

 それに気づいたティナが対物ライフルのトリガーを引き、死龍を牽制。弾丸を避けるように尾が動いたことで勝典が振り向くまでの刹那を稼いだ。

 振り向いた瞬間、死龍は尾をバネにして飛び上がる。

 

『これは読めなかっただろう。筋肉達磨』

 

 前方宙返りで熱切断ブレードを振り下ろされるが、余熱で服を焦がしながらも紙一重で回避。そのタイミングを狙って、右脚の義足から高周波ブレードが飛び出す。

 爪先から延長した刃は勝典の首を刎ね飛ばす軌道に入った。

 銃声と共に高周波ブレードの刃先が宙を舞い、H&K MP7から硝煙が上がる。

 刃が首に届く前、ティナの12.7×99mm弾が高周波ブレードに直撃、側面を打つように当たった弾丸はブレードを叩き割った。

 死龍は今の一撃で勝典の首を斬るつもりだったのだろう。それを阻止されたことに驚き、次の手を案じようと勝典から距離を取る。

 ティナが死龍に銃口を向けながら大角に歩み寄る。

 

「助かった。スプラウト」

 

「どんな事情があるかは知りませんが、イニシエーター抜きで戦うなんて無謀です。ヌイさんはどうしたんですか? 」

 

「あいつには別の仕事を頼んである。人助けも民警の仕事だからな」

 

 ティナは勝典の判断に不審を抱く。

 壮助がまだ入院していた頃、大角ペアの実力を測るために模擬戦をしたことがある。司馬重工が管理する外周区の試験場を舞台に「テロリスト ティナ・スプラウトを拘束せよ」というミッションを与えた。

 大戦前の廃ビルという狙撃ポイントが多数あり、非殺傷性のトラップも多く仕掛けたティナが圧倒的に有利なフィールド。そこで6時間に亘る激戦が繰り広げられた。

 

 結果だけ先に言えば、ティナの勝利だった。しかし接戦となり、決着がつかずに長期戦に陥ったのは想定外だった。

 

 プロモーター大角勝典は(イニシエーターや機械化兵士に及ばないものの)身体能力は前衛型プロモーターの中でも上位に入る。更に明晰な頭脳から来る判断力や豊富な知識はトラップの応用や再利用といった形でティナの肝を冷やした。

 

 だが、それ以上にイニシエーター飛燕園ヌイが脅威だった。延珠と同様にスピード特化型のイニシエーターだが、ペイント弾にペイント弾をぶつけて相殺し、ブービートラップに引っ掛かっても攻撃が来る前に回避するという飛び抜けた動体視力と反射神経を持っていた。判断の甘さ、経験の浅さ、戦いへの過度な恐怖心といった欠点があるが、それもいずれ時間が解決する。

 5~6年後には片桐弓月や壬生朝霞に代わって、東京エリア最強のイニシエーターに躍り出るかもしれない。

 

 ――飛燕園さんを直接戦わせた方が手っ取り早い、というのは野暮なんでしょうね。

 

 ティナは口に出したかったが抑えた。それが最も正しい判断なのは勝典も理解しているだろう。これは正しさや効率だけの問題ではない。そこには因縁があり、彼の意地や感情がそこには入っているのだと察した。

 

『何故だ何故だ何故だ何故だ! ? 何故、たかだか人間一人仕留められない! ! 僕は機械化兵士だ! ! 機械化兵士になったんだ! ! 全てを超越し、支配する存在に! ! 』

 

 死龍を支配する者はもっとスマートな勝利を頭に思い浮かべていたのだろう。思い通りに事が運ばず、癇癪を起こすその言動から器の小ささが伺い知れる。

 

「聞いたか? スプラウト。全てを超越し、支配する存在だとさ。同じ機械化兵士としてどう思う? 」

 

「大言壮語もいいところですね。里見蓮太郎ですらこの東京エリアに敗北したんです。あんな小物が何かを成し遂げられる訳ないでしょう」

 

『里見……蓮太郎……? あいつと、あいつと一緒にするなあああああああああああ! ! ! ! 』

 

 

 怒りのボルテージが上がると共に尾から青白い炎が噴き上がる。同時に死龍が視界から消える。大理石を焦がす匂い、黒い残像の消滅と共に熱切断ブレードが迫る。

 勝典は再び身を翻して回避、バラニウム大剣のカウンターを叩き込む。渾身の一撃は尾を主体とした死龍のバランスを崩した。

 

『何故だ! ? 何故、僕の動きが分かる! ? 』

 

“一撃でも貰えば即死”――それが俺達民警の戦場だ。その中を生き残りたければ、“観察”“先読み”は必須だろう」

 

『ガストレアと同列だと言うのか! ? この僕を! ! あんなケダモノと! ! 』

 

「いや、ガストレアの方が強いな」

 

 尾が刺突を仕掛けるが軽々と回避される。大剣の殴打で再び壁に撃ち飛ばされるとH&K MP7から放たれた銃弾の雨嵐をフレームに受ける。同時にティナのライフルも追撃をかける。

 

 ――幸い、あいつは自分の力を完全にコントロール出来ていない。情報処理が自分のスピードに追い付いていないといったところか。それでも速度を武器にすることに固執している。

 

 壁に焼き跡を作りながら尾が縦横無尽に駆け巡る。勝典には姿が見えていないが、溶解した大理石の痕が尾の動きを物語る。

 

 ――動きは確かに読めるが、俺の目が追い付いていないのは確かだ。それに大剣も銃もあの尻尾には有効打にならない。同じバラニウムでも強度が桁違いだ。背中の“これ”を使おうにもあの速度に追い付けない。

 

 ヌイを連れて来るべきだったと今更ながら後悔した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 コントロールルームでは迫るドローンと灰色の盾・司馬重工職員の応戦が続いている。銃声は鳴り止まず、出入り口に続く道にはドローンの残骸が至る所に散らばっている。スクラップの山が出来上がるが、それでも進軍が止まる気配はない。他のセクションからも集まったのか、壁の向こう側から次のドローンが待ち構えている。

 持ち前の得物は弾を撃ち尽くし、灰色の盾はスカーフェイスが持って来た得物で応戦、司馬重工職員たちはデスクやキャビネットを入口に寄せて、バリケードを作る準備に入った。

 

「局長。PC繋ぎました」

 

 未織は流れ弾に当たらないよう身を屈めながら、部屋の隅に向かう。小此木たちがセットアップしたデスクトップPCのキーボードを掴み、ログインのIDとパスワードを入れる。

 

「ウチの権限でドローンを強制停止させたる。これでお終いや! ! 」

 

 コマンドを入力した未織はトドメと言わんばかりにエンターキーを力強く押した。

 灰色の盾メンバー、ルリコの目の前でドローン達が一斉に止まる。地上を走行するドラム缶型のドローンはローラーが止まると同時に銃口を下ろし、飛行型もローターの回転数を落として着陸する。

 

「すっごい。やるじゃんお姉さ―――――――ズドン! !

 

 ルリコの顔面から数センチ隣の壁に穴が開いた。声にならない悲鳴が上がる。

 再びドローンが銃口を上げ、進軍を再開する。ルリコ含む灰色の盾も応戦を再開する。

 

「ちょっと! ! 止まってないんだけど! ! どうなってんの! ? 」

 

 未織は「ああもう! ! 」と喚きながら頭をかく。髪のセットが崩れるのをお構いなしだ。確かに強制停止コマンドは入れた。しかし、ドローンが自ら停止コマンドを解除している。本来の仕様には無い機能だ。

 

 ――あのクモや! !

 

 サーバールームで見かけたクモ型のロボットが脳裏に浮かぶ。もしかすると、あれが何十~何百体もいて、ドローンに貼り付いて直接プログラムを書き換えているかもしれない。

 未織は敵味方識別情報の改竄や映像処理ブログラムへの介入を試みるが、クモが介入に気付いたのか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 キーボードを持つ未織の手が止まった。

 

 応戦する灰色の盾や職員たちの弾もなくなり、次第に銃声も少なくなっていく。

 

 処刑装置となった警備ドローンが刻々と迫る。

 

 

 

 

 その中で駆ける足音が聞こえた。小さく、軽く、ドローンのモーター音の中で掻き消えてしまいそうだが、それは確実に近づいていた。

 

「伏せて! ! 」

 

 オペレーションルーム前に広がる幅広な廊下にリュックサックが投げ込まれる。ドローン群の中心まで飛んだそれは爆発し、爆風と轟音で空間を埋め尽くす。

 爆炎の中から飛燕園ヌイが飛び出した。ドローンでごった返す中、敵群の中心を舞う彼女は両手のワルサーMPLのトリガーを引く。

 10発/秒のフルオート射撃で放たれた弾丸は1発も無駄にすることなく、ドローンのカメラや装甲の隙間を的確に狙い、ドローンを無力化していく。

 3秒足らずで弾倉を空にしたヌイはワルサーを捨て、両手のレイピアを抜く。着地した瞬間、床を蹴った。目にも留まらない速さでドローンに真正面から接近した彼女はレイピアでカメラを破壊し、装甲の隙間に刃を通す。

 

 ドローンはヌイの動きに対応できなかった。照準はおろか、映像の処理が彼女のスピードに追い付いていない。決して足を止めることなく、駆け回る彼女を前にドローンは成す術もなく無力化されていく。

 ドローンも学習したのか、照準をつけず搭載した機関銃から弾丸をばら撒く。マシンにも「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という概念があるのだろうか。数の暴力が生み出した弾丸の雨はヌイに回避する余地すら与えない。

 弾丸の雨が吹き荒れ、レイピアと衝突した火花が散る。ヌイは自分に当たりそうな弾丸だけレイピアで弾く。ハチドリ(ハミングバード)の因子を持つ彼女の動体視力、1秒間に60回の動作が行える神速の腕がアニメでしか見ない神業を現実のものにする。

 刃こぼれしたレイピアを投擲、ドローン2体を串刺しすると腰にマウントしていた予備のレイピアを抜き、再び群れの中に飛び込む。

 

 一瞬にして銃声が止んだ。モーターの駆動音も聞こえなくなり、ヌイがドローンの残骸を蹴飛ばす音だけが聞こえた。

 

 一部始終を見ていた灰色の盾と司馬重工職員たちが絶句する。

 

「何だよ。あれ。エールよりヤバくねえか? 」

 

「もう死龍のせいで、その辺の感覚が分かんないわよ」

 

 ヌイはレイピアとワルサーをホルダーに戻すとオペレーションルームに駆け寄る。

 

「松崎PGS所属イニシエーター・飛燕園ヌイよ。義塔のバカ野郎の仲間って言えばわかる? 」

 

「ええ。大丈夫よ」

 

 誰も初対面のヌイを疑わなかった。壮助が内地で集める仲間の候補を事前に共有していたからだ。ドローンを殲滅し、窮地を救ったという実績を見せたのも大きい。

 ヌイはオペレーションルームに入ると床の大穴に驚いた。相手が機械化兵士と聞かされていたので覚悟はしていたが、やはりと言うべきか、蓮太郎と同様に常識から外れた敵なのだと改めて認識させられる。

 

 ――私の先輩、ヤバすぎ。

 

 見渡すと“ある人物”が目に映った。相手もヌイの存在を認識し、こちらに目を向けている。

 突然、ヌイの態度が畏まる。足を揃え、手を前に組む。その所作と表情は生意気なキッズギャルから良家のお嬢様に様変わりする。

 

「あ、貴方……まさか……」

 

「ご無沙汰しております。未織お姉様。分家筋の忌み子です」

 

 

 

 *

 

 

 

 死龍の尾は勝典とティナに攻撃が当たらず、対する勝典とティナは尾の装甲を破る決定打がない。互いに互いを仕留められない戦いが続き、ティナは持ち前の動体視力で、勝典は先読みで回避を続ける。

 しかし、勝典の先読みにも限度があった。相手も馬鹿だが知能が無いわけではない。先読みから外れようと不規則な動き、不正確な狙いで攻撃を展開する。

 それでも勝典はギリギリで避けるが、ブレードの余熱が彼の身を焼いていた。全身に服の焼け跡と火傷で爛れた皮膚が痛々しく残る。

 

 ティナが勝典から距離を取った。少しでも尾を自分に引き付けようと「こっちですよ」と言いながら手を叩く。

 

「まだ私達を倒せないんですか? この欠陥品。機械化兵士のとんだ面汚しですね。生身の蓮太郎さんの方がまだ強いんじゃないですか? 」

 

『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れええええええええええ! ! ! ! ! 』

 

 尾はまんまと策に引っ掛かった。煽るティナに向けて猛進する。

 

 しかし、推進力となっていた青白い光と炎が消え、残った慣性で死龍の尾が柱に激突する。

 

 突然の異変にティナは目を丸くする。エネルギー切れか、それともフェイントのつもりか、様々な憶測を脳内で展開する。

 

 死龍が立ち上がった。尾に引っ張られるわけではなく、身体が手と足をつきながらゆっくりと立ち上がる。

 

 尾が青白い炎を吹き上げようとするが、再び自身を柱に叩きつける。尾のブレードをティナに向けようとするが、それとは逆に向こうとする動きが拮抗する。バグを起こしたゲームのように尾はガクガクと揺れる。

 項垂れる死龍の口が動いた。

 

 

 

 

 

「……………………やれ。デカブツ」

 

 

 

 

 ティナの背後から勝典が走り抜ける。巨体と共に風が通り過ぎた。

 勝典の背中が見えた瞬間、ティナは目を見開いた。

 

 ――あれは、強化外骨格(エクサスケルトン)! ?

 

 イクステトラに着いた時からずっと背負っていた巨大なミリタリーリュック、その中に入っていたのは、両腕のみの強化外骨格だ。

 ただでさえ筋肉という鎧で逞しかった彼の両腕を金属装甲が被う。無骨な外観の裏側には小型のロケットブースターが搭載されており、ノズルから轟音と共に圧縮された空気が吐き出される。

 

 “クレイジー・メテオライト”

 

 腕にロケットを積んでガストレアを殴り殺すという最高に頭の悪い発想で生まれた強化外骨格の異端児だ。

 

 ロケットの推進力を利用して死龍に急速接近。勢いを殺さず、バラニウム大剣を死龍の尾に振り下ろした。

 今まで傷一つつけられなかった死龍の尾に大剣が食い込み、フレームに亀裂が入る。

 勝典は動きが鈍った尾にバラニウム大剣を叩く。

 

『調子に乗るなぁ! ! 』

 

 ぶっ叩く。

 

『僕は機械化兵士だ! ! 』

 

 ぶっ叩く。

 

『叡智の結晶なんだ! ! 』

 

 ぶっ叩く。

 

『貴様のような脳筋にぃ! ! 』

 

 ぶっ叩く。

 

 刃こぼれしても腕は止まらない。ブースターも点火させたままだ。その推進力と尾に打ち付けられた衝撃に耐えきれず、()()()()()()()()()()()

 

 勝典は大剣を放り捨て、強化外骨格のマニピュレーターで握り拳を作る。文字通りの鉄拳をロケットブースター極大出力と共に叩きつける。右腕の次は左腕、左腕の次は右腕、一発一発に憤怒が上乗せされる。

 殴る度に強化外骨格の装甲が衝撃で弾け飛び、黒膂石拡張儀腕のフレームが歪んでいく。

 

 

 

 

 

「ここで死ね! ! クソヤロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ! 」

 

 

 

 

 

 

 トドメの一撃は重かった。強化外骨格の外装は全て弾け飛んで内部が剥き出しになり、尾のバラニウムフレームは割れて死龍から分断された。

 

 尾から青白い光が消え、駆動音も聞こえなくなった。割れた根元から先端にまでかけて地面にへたり付く。

 勝典は息を荒げながら、強化外骨格を外す。尾の停止と共にその場で倒れた死龍を抱きかかえる。何度も「大丈夫か」と声をかけ、身体を揺さぶる。

 

 

 

 彼女の目が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな……。飛鳥」

 

「……6年遅い」

 

 

 

 死龍(スーロン)――改め、鍔三木(ツバミキ)飛鳥(アスカ)は目に涙を浮かべながら、しかめ面で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

≪黒膂石拡張義腕の停止を確認。警備システムも奪還されました≫

 

ジェリーフィッシュは? ≫

 

≪未だ暴走状態です。こちらからの指示を受け付けません≫

 

≪人格洗浄が完璧ではなかったか≫

 

≪ジェリーフィッシュは強制停止させろ。回収はこちらに任せてくれ≫

 

≪了解≫

 

≪それと、スカーフェイスは全て処分しろ

 

≪宜しいのですか? ≫

 

≪問題無い。ようやくナイトメアイーグルがロールアウトに入った。後は彼に任せればいい≫

 

≪了解しました。スカーフェイス、全ての処分を実行します≫

 




執筆のテンションが途中からおかしくなったので、今回は戦闘や武器がブラブレっぽさから離れているなぁ……と感じています。


若人もすなるTwitterといふものを我もしてみむとてするなり。

@drunk_writer13

本作の裏設定やボツ案、進捗状況、誰得な気持ち悪い妄想などを呟いていますので、興味がありましたら是非。



次回「命の在庫処分」


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命の在庫処分

片桐弓月のウワサ

自分の水着写真より、玉樹が作ったケーキの画像がたくさん「いいね」を貰ったことを気にしているらしい。


 オペレーションルームのスクリーンに施設内の現状が映し出されている。未織が警備システムにログインしたことで隔壁が開き、職員たちは誘導に従って避難を再開する。

 エントランスを映す監視カメラは勝典とティナの勝利を映し出しており、安堵の吐息が各々から漏れてくる。

 オペレーションルームの職員達も他ブロックの避難が再開されるのを確認すると、責任者などの数名を残して非常口から部屋を後にする。

 未織は唖然とした顔で死んだはずの従姉妹を凝視していた。

 

 飛燕園ヌイ――改め“司馬 縫衣(シバ ヌイ)”を。

 

「どうされました? お姉様。幽霊を見ているような顔をされていますが? あとこの口調、堅苦しいのでやめても構いませんでしょうか? 」

 

「そこは縫衣ちゃんの好きにしてもええけど――、いや、そんなことより? え? 本当に縫衣ちゃん? 死んだて聞かされとったんやけど。ウチが見てる幻覚とちゃうの? 」

 

 未織はヌイの実体を確認しようと両肩を掴んで揺さぶる。両足がちゃんと付いているのも確認する。

 

「ああ。それ嘘です。クソ両親や親戚が私を暗殺しようとしたので、いっそのこと死んだことにして家出しました」

 

 まるで天童家のようなドロドロとした話がヌイの口からあっけらかんと飛び出し、未織は固まる。それが司馬一族の話であるのだから尚更のことだ。

 だが心当たりがない訳では無かった。彼女が司馬縫衣だった頃、親戚から疎まれ、忌み子穢れた血と呼ばれ、未織も親から「あまり関わらないように」と言い付けられていた。そんな司馬一族がヌイを暗殺する可能性も考えられなくはなかった。

 

「ごめんなさい。ウチそんなこと知らんで……」

 

「別に謝らなくても良いですよ。お姉様は普通に遊んでくれましたから」

 

 

 

 

 拘束されたスカーフェイスのメンバーの一人は、モニター越しに死龍の敗北を見届けていた。最強だと思っていた、負け知らずだと思っていたボスが、赤目ならともかく“人間”に負けるとは考えたことも無かった。それが彼女に与えた衝撃は深刻なものだった。

 

 死龍がまだ戦えるなら何とかなる。

 

 挽回できる。

 

 逆転できる。

 

 彼女ならやる。

 

 自分達は処分されずに済む。

 

 その希望がたった今、潰えた。

 

 

「嫌だ……嫌だ……。死にたくない……。死にたくない……」

 

 少女は目から涙を零す。今にも泣き出しそうな震える唇から言葉が漏れる。

 その懇願が耳に届いたのか、ルリコが近寄って屈んだ。

 

「そうビビんなって。ウチのボス、けっこう器がデカいからさ。身の振り方次第じゃアンタ達のことも受け入れるかもしれねえぜ。かく言う私も昔はボスの座を巡って何度も死闘を繰り広げたもんさ」

 

「よく言うぜ。毎回ボロ負けだったじゃねえか」

 

「私達がドン引きするような卑怯な手段も使ったのに負けたじゃない」

 

 アキナ、ニッキーに続いて、背後でサヤカも「うんうん」と頷く。

 

 

「う、うるせぇやい! ! 次こそは勝ってボスの座を――「ルリコ! ! 後ろ! ! 」

 

 ルリコの上半身が吹き飛び、彼女だった肉塊がスクリーンに叩きつけられる。血飛沫が画面いっぱいに散らばり、彼女の潰れた臓器が壁を伝って垂れ落ちる。

 その光景は鈴音と美樹の目にまざまざと見せつけられた。

 

「ルリコ……さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 グギャギャギャギャギャギャギャギャギャガガガガガガガガガガエアアアアアアアアアア! ! ! ! ! !

 

 

 コントロールルームを圧迫する勢いで血肉が膨れ上がり、ガストレアが現れる。

 

「嫌だ! ! 嫌だ! ! こんなところで――」

 

「助けて。死龍――」

 

「…………お母さ――――」

 

 スカーフェイスの少女達が形象崩壊し、獣、昆虫、鳥、トカゲ、etcそれぞれのモデルに因んだ異形の怪物に変貌していった。

 

 

 

 *

 

 

 

 同時刻、フロアをぶち破って吹き抜け構造になった1階エントランスにもガストレアの咆哮が聞こえた。

 何事かと勝典とティナが見上げている中、死龍――飛鳥は全てを悟った。残った力を振り絞って勝典の胸板を蹴り、彼から距離を取る。

 

「飛鳥! ? なんのつもりだ! ? 」

 

「来るな! ! 」

 

 飛鳥は声で勝典を制止する。その直後、口から多量の血を吐き出し、自分の足元に血溜まりを作る。

 

「私達の中には……爆弾が仕込まれている。起爆すると体内のガストレアウィルスが活性化しガストレア化させる。最低最悪の()()だ」

 

 戦慄し、硬直する勝典とティナの前で飛鳥はマントを脱ぎ捨てた。息を荒げながら、肩にかけていたシェルホルダーベルトを力任せに引き千切り、勝典に向けて投げる。ショットガンの弾はもう入っていなかったが、差込口に数本、金属製の筒が入っていた。

 

「これは……」

 

「解毒剤だ。昨日の奴がまだ生きていたら、使え。それと……私の全てを託す。

 

 

 

 

 

 ――――――後は頼んだ。相棒」

 

 

 

「おい! ! 飛鳥! ! 待て! ! 待ってくれ! ! 」

 

 

 飛鳥の目が赤く輝く。獣のような唸り声を上げ、全身が人間とは思えない震え方をする。

 ふと糸が切れた操り人形のように彼女は自分が吐いた血溜まりの上で倒れた。

 呪われた子供の体内にはガストレアウィルスの侵食を抑える機構がある。普通の人間とは違い、ガストレアウィルスを注入されて形象崩壊するまでにタイムラグがある。

 上階からガストレアの鳴き声が聞こえ始めた。スカーフェイスのメンバー達だろう。銃声も響く。飛鳥の言う通り、爆弾は確かに呪われた子供を瞬時にガストレア化させる威力があるのだろう。

 勝典もティナも時間差の形象崩壊を警戒し、彼女をどうにかしたいという気持ちを必死に抑えながら距離を取る。

 

 

 

 

 

 しかし、鍔三木飛鳥の姿形が変わることは無かった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 最初に動いたのはヌイだった。彼女は神速で駆け、レイピアで鳥型ガストレアの首を串刺しにする。頸動脈を切断すると紫色の血液が溢れる前に首を蹴り、回転しながら2体目の甲虫型ガストレアの関節を切断、動きを封じる。

 ヌイが着地した瞬間を狙って他のガストレアが食らいつこうとするが、ニッキーと数名の職員が残り少ない弾でガストレアを銃撃する。その一発が眼孔を撃ち抜いた。痛みでガストレアがのた打ち回ったところをアキナがマチェットで首を両断する。

 ヌイの目にまだ形象崩壊していないスカーフェイスの少女が映った。縛られたせいで身動きが取れないようだ。仲間に踏みつぶされる前に彼女のパーカーの襟を掴み、一旦、ガストレアから離れる。

 

「大丈夫? 」

 

「あ、ありが――」

 

 彼女の背中から槍のような骨が飛び出し、ヌイの耳を掠る。ハチドリの因子を持つ彼女ですら完全に躱せなかった。普通の呪われた子供なら頭蓋骨を貫かれていただろう。

 手を離して咄嗟に少女から離れる。これも形象崩壊なのか、少女の血肉を突き破って内部から様々な形の骨が出て来る。

 

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

 

 

 サヤカがナイフを片手に懐に飛び込み、まだ人間の形を保っていた少女の胸元に刃を突き立てた。宿主が絶命したことでガストレアウィルスは活動を停止し、形象崩壊も止まる。

 

「全員、非常口から逃げて! ! 」

 

 未織の鶴の一声が全員を動かした。職員たちは一目散に非常口に向かって走り出す。職員の一人が鈴音と美樹に「こっちよ」と声をかけたことで2人も付いて行く。

 ゴリラ型のガストレアが4~5個のデスクを一気に放り投げた。放物線を画いてデスクは非常口を埋めるように落下。我先に向かった職員が一人、頭を潰されて絶命する。

 

 

 

「危ない! ! 」

 

 

 

 突然、若い男性職員が姉妹を突き飛ばした。次の瞬間、壁を這うカメレオン型ガストレアが職員を舌に絡め取る。大顎を開けて舌が運んだ職員()を齧りつこうとする。

 ――が、鈴音が赤目の力を解放してPC本体をガストレアの頭に投げつける。生物的本能からかガストレアは一瞬目を閉じて怯んだ。続いて美樹も目を赤く輝かせ、オフィスチェアをガストレアの頭に投げつける。

 姉妹が生んだ刹那をアキナは無駄にしなかった。飛び上がった彼女はマチェットでガストレアの舌を切断。もう一本もホルダーから抜き出し、首を斬り落とした。

 

「あ、ありがとう」

 

「弱っちい癖に無茶すんじゃねえよ。人間(黒目)

 

 職員に礼を言われると、アキナは舌打ちをしながら視線を逸らした。

 

 

 アキナがカメレオン型を倒している間、ヌイはゴリラ型、トカゲ型ガストレアの攻撃を引き付ける。スピードではヌイが圧倒的に勝っているが、ゴリラ型は全身の筋肉が鎧のように固くなっており刃が通らない。トカゲ型も鋼鉄のような鱗が二重三重構造となって皮膚を守っている。残り2本しかないレイピアが先に折れてしまうだろう。

 ガストレアを倒せる火力が無い。逃げようにも非常口は潰され、通常の出入り口もガストレアが陣取っている。

 

 ――大角! ! 終わったならこっち来てよぉ! !

 

 

 

 

 

「全員! ! 伏せろ! ! 」

 

 

 圧のかかった女性の声。それはヌイ、未織、灰色の盾、司馬重工職員の身を強張らせる。声の主が誰なのか、指示の意図は何か、それを考える間もなく全員が反射的に伏せる。

 その直後、無数の弾丸がガストレアの全身を穿った。三点バースト機構で断続する銃声と共にガストレアは銃創から紫色の血液を流す。

 トカゲ型は既に倒れた。ゴリラ型は振り向き、弾丸が飛んでくる出入り口に向かって咆哮する。威嚇のつもりだったのだろうか。無意味と言わんばかりに更に大きな銃声が響き、頭がスイカのように弾け飛んだ。

 ガストレアの死骸を踏み越え、コントロールルームに入ったのはエールミカンだった。エールはドローンから奪った狙撃ライフルを、ミカンは自前のアサルトライフルを抱えている。

 

「お前ら! ! 無事か! ? 」

 

「エールさん(姉ちゃん)! ! 」

 

 渡りに船とはこのことか、日向姉妹の表情は太陽のように明るさを取り戻す。

 ニッキーはため息を吐いた。

 

「『無事か? 』って、それはこっちのセリフよ」

 

「死龍がこっちに来たから、てっきりアンタはもうやられたのかと思った」

 

 サヤカが「心配した」と入力して、スマホ画面をエールとミカンに向ける。エールは「悪かったな……」と言い、サヤカの頭を撫でる。

 

 

 

 

 

「おい。ルリコはどうした? 」

 

 

 

 

 

 ミカンが尋ねると全員が渋い顔をする。ニッキーが顎でルリコの上半身が落ちている個所を指した。

 ルリコは腰から下が無くなり、切断面からは腸が零れている。仰臥する彼女の顔は不思議と綺麗なままだった。

 

「スカーフェイスの連中がいきなりガストレア化したんだ。それで近くに居たこいつが不意打ちを食らった」

 

「そうか……」

 

 ルリコの亡骸の前で片膝を付いたエールは遺体の目を閉じる。

 彼女の背後でミカンがこみ上げる嘆きと涙を抑え、歯噛みする。

 エールのスマホが振動した。ひび割れした画面のせいで発信者の表示が見えにくいが辛うじて「ナオ」と読める。

 

『エール!!無事! ? 』

 

「ナオか。どうした? 」

 

 エールは淡々と答える。ルリコの死を今伝えるべきかどうか悩んだがぐっと抑えた。ナオは大事な司令塔だ。馬鹿で最近まで字の読み書きも出来なかった自分達に代わり、頭を使ってくれている。今ここで彼女を感傷に浸らせる訳にはいかなかった。

 

『今すぐそこから離れて。騒動を聞きつけた警察がそっちに向かってる』

 

「サツぐらい何とかする」

 

『ただの警官じゃない。特殊急襲部隊(SAT)がそっちに向かってんの。対テロ特殊部隊。外周区ならともかく、内地じゃ勝ち目無いよ。死龍とスカーフェイスならまだ時間が――』

 

「両方とも片付いた。これから解毒剤を回収してバンタウに戻る」

 

『分かった。逃走ルート送るね』

 

「私のスマホ、画面がバッキバキになって見えねえから、ミカンかニッキーに送ってくれ」

 

『了解』

 

「あと、ごめん。バイクもトラックも武器も全部、木端微塵になった」

 

『はぁ! ? あれいくらすると――

 

 ナオとの通話を切った。エールも渋い顔をしてスマホをポケットに入れた。

 

「ごめん。ルリコ。後で迎えに行く」

 

 エールは深呼吸すると、いつもの表情に戻る。ルリコに向けていた視線を生き残ったメンバー達に向ける。

 

「バンタウに戻る。ミカン。お前が指揮を執れ」

 

「エールは? 」

 

「死龍を回収する。解毒剤を手に入れないといけないからな。スズネとミキを頼む」

 

「了解」とミカンは答えた。

 

「エールちゃん」

 

 未織が名を呼び、エールに車の鍵を投げ渡す。

 

「銀色のポルシェ。48-15や。第二駐車場に停めてる」

 

「良いのか? 」

 

「盗難車ってことで。あとけっこうな暴れ馬やから気をつけてな」

 

「了解。外周区までかっ飛ばすから、状態はあまり期待しないでくれよ」

 

 エールはそう告げると、颯爽と大穴へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 灰色の盾が逃走の段取りを立てている間、鈴音と美樹は床に転がっていたカッターナイフを拾った。2人は息を呑み、深呼吸すると、一気に息を止め、指を切った。

 痛みに耐えながら、指先を流れる血液をそれぞれのペットボトルの中に滴下していく。しばらく血が垂れたが、すぐに傷口が塞がった。

 ペットボトルの蓋を閉めると、姉妹は未織のところに向かう。彼女はデスクの裏で一息吐いていた。汚れることも気にせず、袖で汗を拭う。

 

「未織さん。こんな事に巻き込んでしまって、ごめんなさい」

 

「謝らんでええ。ウチが判断したことや。警察もこっちで何とかする」

 

 鈴音が未織に2本のペットボトルを渡す。元々は水が入っていたものだろうか、透明な水滴と赤い血が混ざり、薄くなったものが底に溜まっている。

 

「これ、私と美樹の血です。色々混ざっているかもしれないですけど、お願いします」

「お願いします」

 

 未織は両手でペットボトルを受け取った。

 

「ウチに任せて」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 1階エントランスで勝典は再び気絶した飛鳥を抱えた。突如、ガストレア化する可能性はまだ残っていたが、あのまま彼女を放っておくことが出来なかった。

「おーい」と上から声が聞こえる。ティナと勝典が顔を上げると、吹き抜けになったフロアの壁を蹴り、エールが2人の目の前に着地した。

 

「エールさん。無事だったんですか? 」

 

「ギリギリな。こっちこそ悪かった。死龍を足止め出来なくて」

 

「いえ、仕方ありません。相手が相手です」

 

 エールが死龍を抱える勝典に目を向ける。自分より背の高い人間に会うのが初めてなのか、少し驚いた様子で顔を上げる。

 

「アンタが大角勝典か? ……私よりデケェ奴、初めて見た」

 

「俺もここまで顔が近い女性は初めてだ」

 

「義塔からアンタのことは聞いてる」

 

「俺もだ。あと、元・相棒が世話になった」

 

 エールは勝典にお姫様抱っこされた死龍に目を向ける。元々小さい奴だとは思っていたが、勝典の太い腕と大きな図体のせいで更に小さく見える。目の前の可愛らしい少女が西外周区を震撼させた赤目ギャング・スカーフェイスのリーダー、機械化兵士・死龍(スーロン)の正体だと言われ、内心衝撃を受けていた。

 

 ――こいつ、意外と可愛い顔してんだな。

 

「色々と話したいことはあるが、SATがこっちに来てる。灰色の盾は外周区に一旦逃げるが、アンタ達はどうする? 」

 

 勝典は「う~ん」と数秒考える。判断がついたのか、「よし」と独り言を放つ。

 

「スプラウトは灰色の盾に同行してくれ。両方に顔が利く連絡役が必要だ」

 

「分かりました。大角さんは? 」

 

「俺は警察を足止めする。個人的なコネがあるからな。口八丁手八丁で何とかするさ」

 

 勝典は抱えていた飛鳥と解毒剤が入ったシェルホルダーベルトをエールに渡す。

 

「飛鳥のことを頼む。こいつだけ何故かガストレア化していない。何か理由がある筈だ」

 

「最初から、そのつもりだ。ただ、私らの行先は外周区だ。医者に心当たりはあるが、あまり期待するなよ」

 

「…………頼んだ」

 

 エールとティナは頷くと、未織の車がある駐車場に向けて走り出した。SATが到着する前にイクステトラを離れなければならない。時間が惜しかった。

 それを見送った勝典は倒れた柱に腰をかける。ようやく一息吐けるとタバコをポケットから出し、火をつけた。

 

 ――義塔。こっちは全部終わったぞ。お前、どこで油を売っているんだ?

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ――ったく、厄介な敵に見つかっちまったなぁ。

 

 義搭壮助はレイジングブルを放り捨て、両手を挙げる。全身から汗が吹き出す。止まる様子が無い。この局面をどうやって切り抜けようか必死に思考を巡らせているが答えが出ない。

 壮助を囲んでいるのは民警ペアだ。見た限り10組20人はいる。プロモーターもイニシエーターも武者鎧型の強化外骨格(エクサスケルトン)を纏い、刀や槍、矛、棍棒などのバラニウム製近接武器を装備している。彼らだけを見れば、戦国時代にタイムスリップしたかと錯覚してしまうだろう。

 

 

 

 

 我堂民間警備会社

 

 

 

 東京エリア最強の民警会社が、壮助の敵だった。

 




オマケ 隙あらば設定語り

灰色の盾 古参メンバー紹介

ミカン
灰色の盾№3。ワンマン経営者のエール、セクハラ大魔神のナオに代わって部下の面倒を見る苦労人。ストリートチルドレン時代、みかんの段ボールを寝床にしていた為、「みかん箱のあいつ」→「ミカン」と呼ばれるようになった。

ニッキー
色香で惑わす交渉担当。容姿に自信があり、内地に出かけてはナンパされた回数、モデル事務所に声をかけられた回数を更新するのが趣味。男も女もイケる口らしく、ストリートチルドレン時代に鈴音を襲おうとしてエールにシバかれている。

サヤカ
元イニシエーター。何を考えているか分からない不思議ちゃん。バラニウム製ナイフで喉を斬られた為、言葉を発することが出来ず、字の読み書きが出来るまで誰もコミュニケーションを取ることが出来なかった。(現在は筆談やスマホで可能)

ルリコ
古参メンバーきってのお調子者。元々は別の孤児グループのリーダーだったが、縄張りを巡ってエールと対立。ボロ負けし、部下共々彼女のチームに取り込まれる。かつてはボスの座を狙っていた。前のグループの仲間は反赤目主義者の襲撃で全員死亡している。

アキナ
新人の教育担当。違法風俗に売られるが、初仕事で客を殺害して逃走。路頭に迷ったところをナオと出会い、エールのチームに入る。女として見られたくない為、男性の格好をしている。だが、実のところテレビのイケメンアイドルにはトキめいているらしい。


次回「東京エリアの守護者」


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東京エリアの守護者

・室戸菫のウワサ
小学生時代の写真や映像は(本人曰く)国家機密らしい。

・三途麗香のウワサ
小学生時代は菫と一緒に黒い眼帯をつけて「邪王爆龍姉妹」を名乗っていたらしい。


 時は遡り、昼下がりの住宅街。そこから少し離れたビルの非常階段から義搭壮助は双眼鏡で日向家を覗いていた。

 事件現場の周囲には規制線が張られ、警察官が立っている。その更に周囲をマスコミが詰めかけており、ごった返す報道スタッフとアナウンサー、テレビ局の車両で道が塞がれている。お陰で除染作業に来た専門業者は機材を搬入できず、パトカーが無理やり人混みに入って道を開ける。モラルの無い記者はハシゴで勝手に近隣家屋の屋根に登り撮影を強行。警察官の一人が拘束する一幕も見られた。

 

 ――やっぱり……、侵入経路が見当たらない。

 

 壮助が双眼鏡で見ていたのは日向家の壁や屋根だった。夫妻がガストレア化し処理した後、壮助は屋内で感染源ガストレアを探したが見つけられなかった。侵入経路すら不明のままだった。こうして外から壁や屋根を見て回っても結果は変わらなかった。

 事件から約14時間が経過した今でも民警から討伐報告が上がってきておらず、報道も明言こそしていないものの日向姉妹が感染源ではないかという見方を仄めかしている。

 

 壮助は「ふざけんな」と吐き捨てる。呪われた子供の体液にはガストレアウィルスが含まれ、それは様々な形で家族や同居するプロモーターの体内に侵入している。しかし、ウィルスは細胞膜を突破することが出来ず、ほぼ100%の確率で体外に排出される。赤目から人間に感染するなら、同居するプロモーターはガストレア化していないと説明がつかない。

 

 仮にガストレアが居たとして、どうやって夫妻に感染させたか。似たようなケースなら1年前に経験している。マンションの貯水タンクに潜んでいたタコ型ガストレアが水道管を通って蛇口から触手を出し、住民を補食していた事件だ。あれが補食でなくウィルスの注入なら夫妻と同じ事件を起こすことが出来る。だが、マンションと違い日向家は公共水道しか通っておらず、監視体制上そこにガストレアが潜んでいたとは考えにくい。地上でも日向家の周辺にガストレアが隠れられるような場所はない。

 日向家周辺に仕掛けたカメラも回収したいところだが、さすがに警察に見つかってしまう。もう鑑識が見つけて、本体を回収しているかもしれない。

 壮助は苛立ちのあまり頭を掻く。

 

 ――やっぱ、馬鹿が何を考えても答えは出ねぇな。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 勾田大学病院 旧病棟4階

 昨晩から室戸菫は一睡もしなかった。森高詩乃にヘッドシザースホイップをかまされ痛めた首を労りながら、彼女から採取した毛髪、唾液、血液の解析結果を待っていた。彼女専用フロアとなった旧病棟4階の実験機器がフル稼働し、その駆動音がフロア中に響く。とても眠れる環境ではない。

 菫はビーカーに注いだコーヒーを飲みながら、ウェブニュースを眺める。

 テレビ・ラジオと同様にニュースサイトも掲示板も掲示板まとめサイトも日向夫妻のガストレア化と日向姉妹の逃走、感染源ガストレアの行方不明で話題が持ちきりになっている。

 菫は画面を睨みつける。普通なら、家族4人がガストレアに襲われて両親がガストレア化、姉妹の侵食率が上がるといった論理になる筈だが、まるで姉妹のウィルスが両親に感染したと言わんばかりの論調になっている。「いやいや、それはないだろう」「ガストレアが4人を襲ったんだろ」と否定的な意見も多いが、前者の主張が目立つようなレイアウトになっている。知識のないものが見たら簡単に騙されるだろう。

 

 菫は画面を睨む。

 

 ――日向教授。これでコペルニクスの気持ちが分かっただろう。科学に矛盾しても真実は成立する。

 

「動くな」

 

 背後から腕が伸び、菫の首を固める。目の前にはナイフが出され、彼女を脅しかける。

 

「スマートフォンをデスクの上に置け」

 

 言われるがまま、菫はポケットに手を伸ばしてスマートフォンを机の上に置いた。

 彼女の首を固める腕はゆっくりと背後に引っ張る。タイヤ付きのオフィスチェアでスムーズに移動し、デスクが遠のき、スマートフォンにもキーボードにも届かない場所まで引っ張られる。

 

「両手を挙げて、ゆっくりと振り向け。声は出すな」

 

 首の拘束が解かれる。同時に首を固めていた腕と彼女の前にナイフを出す腕が背後へと消えていく。

 言われた通り、床を蹴ってオフィスチェアを回転させる。左から右へ移動する研究室の景色の中に壮助がスライドして入って来た。

 

「やあ。義塔くん。乙女の部屋にノックもせず入って背後から襲うなんて、君は女の子の扱い方がなってないな」

 

「女の子って歳じゃないっすよね。ゾンビドーナツババア

 

「酷い言い草だね。これでも昔はケータイ小説を読んで号泣して、恋に恋して、クラスの男子を見て胸をキュンキュンさせて、こっそり下駄箱にラブレターを入れた時代だってあったんだ」

 

「……室戸先生。それネタ、どのエロゲーから持ってきました? 」

 

『美少女だらけの女子サッカー部の監督になりました。

~君のゴールに僕の棒ールをシュートする超エキサイティンな夏合宿 編~』

 

 あまりにも斜め上過ぎるタイトルに壮助は言葉が出なかった。日本最高の頭脳がお馬鹿なエロゲー攻略に費やされる現実に呆れるしか無かった。

 

「それにしても、いきなりナイフをチラつかせるなんてどういう了見なんだい? 」

 

「色々と追われる身なんで、警備に連絡されたくなかったんすよ」

 

 壮助は菫の背後にあるデスクトップPCの画面に目を向ける。多数のウィンドウが表示される中で見覚えのあるニュースサイトのレイアウトが見えた。そのタイトルが日向家の事件であることは大きく書かれたタイトルで分かった。

 

「そのニュースを見てるなら、話が早いっすね」

 

 

 

 

 

 

 壮助は勝手にパイプ椅子を出して座り、事のあらましを菫に話した。とりあえず鈴音と美樹が無事なこと、簡易的な方法だが彼女達の侵食率が10%前後であることを話すと彼女は安堵の溜め息を吐く。

 

「そうか。あの子達は無事か」

 

「知り合いなんすか? 」

 

「いや、遠くから何度か見かけただけだ。あとは目の手術の時ぐらいかな」

 

「先生、関わっていたんすね」

 

「ああ。彼女の目の治療に必要なデータを日向教授に提供した。幸い、薬剤によって制御されたガストレアウィルスがヒトの器官を再生させる臨床データはあったからね」

 

「よくそんなもん持ってたっすね」

 

『ガストレア化するかもしれないから出来れば使うなよ』と言って渡した薬を『了解。全部同時注入! ! 』ってことをやらかしたバカのお陰だ」

 

「……どんなバカだよ」

 

「里見蓮太郎っていう名前だったね」

 

「…………」

 

 そうなると蓮太郎は2度までならず3度も鈴音を救ったことになる。壮助は2人の間に偶然ではなく運命めいたものを感じる。自分があの空港に居たのも、偽の護衛任務に呼ばれたのも、橋渡しとしての役目を果たす為だったのではないかと感じる。

 

 心の中で暗雲が燻った。

 

 自分に嫉妬する権利などないと言い聞かせた。

 

「それと詩乃のことなんだけど、さっきも言ったように毒にやられて危ない状態だ。天下の勾田大学病院なら、サソリ毒に効く薬とかあるんじゃないすか? 」

 

 菫は静かに首を横に振った。

 

「サソリ毒と言っても種類があるし、呪われた子供由来となればガストレアウィルスで毒そのものが変異している可能性がある。未知の生物の毒と同じだ。既存の解毒剤が効くかどうか分からないし、逆に毒を強くしてしまうかもしれない。仮に君が詩乃ちゃんを連れて来たとしても解析だけで最低3日はかかる。外周区の医者が言っていたように本人の解毒剤を狙うのが一番現実的だろう」

 

「…………っ」

 

 壮助は苦虫を嚙み潰したような顔をする。ケガの酷さもそうだが、精神的にも追い詰められている。最悪の事態が彼の頭の中で浮沈している。

 6年前、延珠が行方不明になった時の蓮太郎と同じ顔をしていた。昨日の詩乃の身体のことも彼に話そうと菫は思っていたが、とても聞き入れられる精神状態ではないと考え、口を閉じた。

 

「分かったっすよ。解毒剤はこっちでどうにかする。先生、一つ頼みを聞いてくれないっすか? 」

 

「聞けるものであれば」

 

「ここにある侵食率検査機、使えないすか? 」

 

 壮助は入院していた頃、検査中の暇潰しにと菫の前の研究室について聞かされたことがある。地下の霊安室を改造して使用していたこと、蓮太郎を買い物係としてパシリにしていたこと、そこには個人的に購入した侵食率検査機があり、延珠の検査を行っていたことも聞かされた。

 勾田大学病院旧病棟4階に移った今でもその機材は残されている。しかし、型が古いうえに延珠が死亡し、ティナが東京エリアを去った5年前から使用していない。

 

「機材があることにはあるが、5年振りに稼働になる。ちゃんと動くかどうか怪しいところだ」

 

「マジか……」

 

「侵食率の証明は私の伝手で手を打ってみる。君はそれ以外のアプローチを考えるんだ」

 

「それ以外のアプローチ……?」

 

「今の2人の状況は冤罪のようなものだ。両親殺しの罪を着せられ、疑いの目を向けられている。彼女たちの潔白を証明することも大切だが、もう一つするべきことがある。さてそれは何だと思う? 頭が悪くてガラも悪い江戸川コナン君? 」

 

「真犯人を見つける…………感染源ガストレアか」

 

 なんとも民警らしい至極まっとうな答えが出て来た。そこで壮助は、ここに来た目的をはっと思い出す。

 

「そうだ。先生。ガストレアにハムスターのような小動物、それか虫ぐらいのサイズって存在するんすか? 」

 

 菫は驚きのあまり目を丸くすると、呆れ果てて大きく溜め息を吐いた。

 

「逆に聞くが、君は民警をやってきてそんなガストレアに遭遇したことはあるのかい? 」

 

「いや、無いっすね」

 

 ティナに未踏領域に蹴落とされ1ヶ月間サバイバルした日々も思い出すが、自分より小さなガストレアを見ることは無かった。もし居たとしたら、知らない間にウィルスを注入されて、ガストレア化していただろうと今更ながら身震いする。

 

「義塔くん。生物のお勉強の時間だ」

 

 菫は部屋の隅にあったホワイトボードを壮助の前に持って来きて、書いてあった謎の数式を消していく。

 

「生物の目的は『遺伝子の伝達』、『子孫を残すこと』だと言われている。これは生物の進化にも言えることで、『個体の生存能力を高めることで子孫を残す』または『大量の子孫を作ることで1匹でも生き残る確率を高める』の二種類に大別することが出来る。ガストレアの場合は前者だ。彼らは自らの身体を大きくすることで個体の生存能力を高めている。世界中で様々な形態のガストレアが報告されているが、その全てに共通することがある。それは、モデルとなった生物より大型化していることだ。

 

 まず答えから言おう。義塔くん。君が言っていたようなハムスターや虫サイズのガストレアは存在しない。仮に居たとしてもそれは私達にとってガストレア足り得ない」

 

「どういうことっすか? 」

 

「通常の生物の進化には、小型化という選択肢がある。『逃げること』、『隠れること』に適した身体になり、生存に必要とされるエネルギーを削減することで餌の少ない環境でも生きられるように進化する。6500万年前、隕石の衝突で恐竜が絶滅し、哺乳類が生き残ったのも身体が小さく、必要とする餌も少量で十分だったからだと言われている。

 

 では何故、多様な遺伝子を持つガストレアは、小型化という道を選ばなかったのか。――原因はこれだ」

 

 菫はグロテスクな肉塊と液体が詰まったケースを壮助に見せる。ケースは長さ50cmほどあり、菫は両手で抱えていた。ケースには「超危険物」「持ち出し禁止」「失くしたら、まず室戸先生を疑え」とシールが貼られている。

 

「ガストレアの体内にあるウィルス嚢のホルマリン漬けだ。ガストレアは体内で生成したウィルスをここに貯蔵している」

 

「けっこうデカいっすね」

 

「これが最小サイズだ。これ以下となるとウィルス嚢として機能しなくなる。義塔くん。想像してみよう。このウィルス嚢の周りに五臓六腑をつけ、骨格をつけ、筋肉をつけ、皮膚や毛を纏わせる。どれくらいのサイズの動物が出来上がると思う? 」

 

「大人の大型犬ぐらい? いや、それより少し大きいぐらいか」

 

「正解だ。それが、人をガストレア化させる最小のガストレアだ」

 

 その答えを聞き、壮助は目を見開く。水道は勿論のこと、周辺の道路も裏路地も地域の守護を担当する我堂民間警備会社が最新設備を投入して目を光らせている。仮にガストレアが大型犬サイズだったとして、彼らがそれを見逃すとは考えにくい。それだと感染源ガストレア(真犯人)が存在しないことになる。

 

 姉妹の潔白を証明する手段が無くなってしまった。

 

「…………先生。この質問も笑われるかもしれねえけど、赤目から人間に感染することってあります? 」

 

「もしあったとしたら、赤目の子を身籠った時点で妊婦がガストレア化する」

 

「侵食率が形象崩壊直前だったら? 」

 

「形象崩壊直前までイニシエーターと寝食を共にしたプロモーターが、ガストレア化していないのを君は知っているだろう。それが答えだ」

 

 日本最高の頭脳を頼ってみたが、真相は闇の中から出て来なかった。昨晩からの疲れもあってか、壮助は項垂れる。少なくとも鈴音と美樹が無意識の犯人であることを菫が否定してくれたのがせめてもの救いだった。

 

 ――ああ。駄目だ。小難しい話ばっか聞いてたから頭が回んねぇ。

 

 天井を見上げていると壮助のスマホが小刻みに震える。意識がはっと目を覚まし、身体ビクリと反応する。身体が一気に熱くなるのを感じながら、通話ボタンを押した。

 

『義塔さん。スカーフェイスが出ました』――ティナの声だ。

 

「どこっすか? 」

 

『イクステトラです』

 

 壮助は驚愕した。スカーフェイス襲撃も想定してイクステトラに姉妹を隠す案を出したが、あまりにも早過ぎた。マンションでの会話を誰かに聞かれたか、エール達が尾行されていたのかは分からない。

 

 ――けど、仕事が早いのは好きだぜ。

 

 それは僥倖だった。詩乃が死亡するタイムリミットが迫っている中、解毒剤を持った敵が向こうからやって来てくれたのだから。

 

「俺もすぐに向かいます」

 

 そう告げて壮助は通話を切った。

 

「室戸先生。検査機の件、頼みます。あとこれ貰います」

 

 壮助はダンボールに入っていた超バラニウム合金繊維の束を勝手に取り、菫の返事を聞く前にカーテンと窓を開け、外に飛び出した。

 彼の行動を何とも男の子らしいなと呆れていた菫は、ここが4階だったことを思い出す。慌てて外を見ると、十数メートル離れた大木に飛び移り、肩から生やした黒い3本目の腕で枝を掴み、ゆっくりと地上へ降りた。

 

 ――壁と足裏に斥力フィールドを発生させて自分を飛ばし、斥力フィールドでバラニウム合金繊維を被うことでフィールドの変形を動きとして再現しているのか……。

 

 義塔くん。君はバカなのか、頭が回るのか、いまいち評価が難しいな。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 大学の敷地を出ると壮助は地面と足の間に斥力フィールドを形成し、5階建てビルの屋上まで飛び上がった。屋上に着地すると走って隣のビルにジャンプして移動する。オリンピック選手が届かない距離でも地面と足の間に斥力フィールドを作り、その反発力で自分を飛ばせば簡単に越えることが出来る。100m先のビルにだって一瞬で辿り着ける。着地の衝撃や摩擦は斥力フィールドで緩和することで解決する。

 これが、赤信号も渋滞も関係なく最短かつ確実にイクステトラに迎える移動手段だった。

 昼間なので建物と建物の間を飛び跳ねる自分の姿は人に目撃されるだろうが、イニシエーターや赤目ギャングがこうして移動しているのが頻繁に目撃される。見られても下の人達はそういった類だと思ってくれるだろう。

 飛び跳ねながら壮助はスマホで勝典に連絡を取る。

 

「大角さん。スカーフェイスが出た。イクステトラっす」

 

『分かった。すぐに向かう』

 

「俺もすぐに――

 

 

 

 

 

 飛来した矢が壮助を直撃した。

 

 

 

 

 咄嗟に斥力フィールドを展開させ矢尻の刺突を防ぐが、その運動エネルギーの相殺までは出来なかった。空中に飛び上がっていた身体は明後日の方向に飛ばされる。

 上下左右が目まぐるしく切り替わる中で壮助は全身を斥力フィールドでコーティング。反発の塊となった彼の身体は駅前広場の噴水に叩きつけられる。斥力フィールドは壊れ、緩和しても尚、その衝撃は身体の中に響く。

 全身水浸しになりながら壮助は立ち上がる。周囲の視線が集まり、ざわつきが聞こえる。当然だ。男が隕石のように降って来たのだから。

 大勢の足音とそれに合わせてガシャガシャと金属同士がぶつかる音が聞こえる。この状況で近づいて来るのだから味方の筈がない。

 顔を振って水を弾く。髪から滴る水を鬱陶しく思いながら目を開き、視界に入る全てを睨む。

 

 東京エリアではもう数少ない新幹線の駅、その前を鎧武者が並んでいた。ざっと見渡すと20人近くはいる。その半分は赤い瞳を持つ10代の少女、もう半分は20~60代の男女とばらつきがある。この年齢層からして、彼らが民警なのは一目瞭然だった。

 プロモーターが装着している甲冑――甲冑型の強化外骨格(エクサスケルトン)――に目を向ける。彼らの胸元には家紋と刀を組み合わせてエンブレムが刻印されていた。

 東京エリアの民警であれば、この紋を知らない者はいない。彼らが何者かであることを知った壮助は緊張で汗が湧き出る。

 

 我堂民間警備会社――東京エリア民警企業の最大手であり、最強の名を手にしている者達だ。その中でも甲冑型・強化外骨格を着用し、刀や弓矢など古風な武器を使う彼らは“古株”と呼ばれる存在であり、我堂長政と共に第三次関東会戦の地獄を戦い抜き、生き残った正真正銘の実力者たちだ。その証左として、ここにいる全員がIP序列1000位以内に入っている。

 事情を察した壮助はレイジングブルを放り捨て、両手を挙げる。

 甲冑姿のプロモーターが一人、壮助に近付いて来た。

 

「おい。オッサン。ここはいつから戦国自衛隊のロケ地になったんだ? 」

 

「随分と懐かしい映画を知ってるんだな」

 

「古い作品はレンタル料が安いんでね」

 

 最前列にいた壮年のプロモーターは刀を抜き、切っ先を壮助に向ける。

 

「義搭壮助。君には日向姉妹拉致およびガストレアウィルステロの嫌疑がかけられている。警察からの依頼により、君を拘束する」

 

「おいおい。天下の我堂様が税金泥棒どものパシリかよ。民警の時代終わったな。お前らのだ~い好きな我堂長政(ツルッパゲ頭)が草葉の陰で泣いてるぜ」

 

 壮助はニヤリと笑みを見せ、目の前にいる我堂のプロモーターを嘲笑する。これは社風なのか我堂の古株たちは血の気が多い。壮助の挑発に乗せられ、周囲のプロモーターとイニシエーターが次々と得物を構え、壮助を睨む。

 

「本当にあの姉妹が形象崩壊直前だと思うか? キッチリと定期検診を受けて、侵食率10%前後と言われていた子が、いきなり48%に上がると思うか? 」

 

「個人としては俄かに信じ難い話ではある。だが、事の正誤を決めるのは我々ではない」

 

「そうかい。この思考回路停止集団が」

 

「好きなだけ言えばいいさ。君も大人になれば、我々のことが分かる」

 

「さぁ? どうかな。明日死んでもおかしくない身の上なんでな。ああ、それと――

 

 

 

 

 

 

 

 ――時間稼ぎに付き合ってくれてどうも」

 

 

 

 

 

 

 

 突如、壮助が横に飛んだ。転がりながら放り捨てたレイジングブルを拾い、膝立ちになってリーダー格のプロモーターに銃を向ける。我堂のプロモーターは刀を向け、壮助は膝立ちで銃口を向ける。

 

「随分とお粗末な――

 

 我堂のプロモーターが吹き飛んだ。間欠泉のように噴水から水が横向きに噴出したのだ。その爆発的な威力は我堂のプロモーターと巻き添えになった数名の民警を壁に叩きつけ、彼らの強化外骨格をかち割った。

 壮助は自身の背後に斥力フィールドを作っていた。噴水に水を供給する口を塞ぐように作られた空間は、壮助が我堂の民警達を嘲笑している間、ひたすら彼の背中とモニュメントの間で水を溜め込んでいた。そして壮助が横に飛んで銃をとった瞬間、斥力フィールドを一気に縮小させ、同時に穴を開けた。結果、圧力をかけられた水は穴から一気に噴出した。原理としては水鉄砲とそう変わらない。しかし、斥力フィールドの縮小スピードと内向きのベクトルが異常なまでに高い圧力を生み出し、砲弾の如き破壊力を生み出した。

 

 我堂の包囲網に穴が開いた。足裏に作った斥力点で瞬時に跳び、崩れた人の壁を抜ける。

 強化外骨格を纏った巨漢が壁のように立ちはだかり、鬼が持つ棍棒を天に振りかざす。巨体と重装備に似合わず動きが早い。強化外骨格の性能だろうか。

 斥力点をもう一つ作って緊急回避。棍棒は1秒前壮助がいた場所に振り下ろされ、地面に亀裂が入る。

 

 ――さっきの矢といい、こいつら俺のことガチ殺しする気だろ! !

 

 棍棒を回避すると我堂のイニシエーターが迫る。一人は薙刀を、もう一人は矛を向けて迫る。拘束するとは何だったのか。その切っ先は確実に壮助を串刺しにする軌道を画く。

 

黒膂繊維切断装甲 常夜境断(トコヨサカイダチ)

 

 服の中に隠れていた超バラニウム合金繊維が壮助の両腕に沿うように飛び出した。手首から先を被い、伸ばした指先を延長するようにバラニウム繊維が絡み合い、ブレードを形成する。

 両腕を振るい、薙刀と矛を切断。ブレードを形成する超バラニウム合金繊維が物体の隙間に入り込み、物体と物体を引き離す力(斥力)によって両断する。

 

 未知の力を目の当たりにしたイニシエーターはバックステップで引き下がる。更に一撃加えて戦闘不能にしようと思ったが、流石は我堂のイニシエーター。判断が早い。

 彼方から矢が飛来。背後から迫るそれを()()した壮助は半歩動いて回避。矢は彼がいた空間を通り過ぎ、アスファルトに亀裂を入れながら突き刺さる。

 

「殺意がダダ漏れなんだよ。バァーカ」

 

 浮上滑走点展開 雷駆(イカヅチガケ)

 

 足裏に斥力フィールドを展開し、壮助は地を滑る。ティナの特訓で見せた人間リニアモーターカーだ。スピードスケートとは比にならない速度で再び巨漢に向かうと、速度を落とすことなく、身を倒して彼の股下をスライディングで潜り抜ける。

 地面と自分の間に作った斥力フィールドで摩擦をほぼゼロにし、滑りながら立ち上がって駅構内を滑走する。夏休みということもあり、まばらに通る学生たちを避け、彼らの悲鳴を尻目に駆け抜ける。

 背後から刀を持ったイニシエーター達が駆ける。7~8人はいるだろう。我堂の古株ということもあって速い。

 完全に死角だがそれを知っていた壮助はタイミングを見計らって斥力点で方向転換、改札機の上を飛ぶ。何が起きたか分からず、駅員があ然とする仲、更に数人の少女が切符なしで改札を通り過ぎた。

  斥力フィールドを応用した高速移動に我堂のイニシエーター達も食らいつく。彼女達も利用客を避けて、赤目の身体能力を駆使して壁を走る。

 階段を飛び出して地上3階のホームに着地。追いかける我堂のイニシエーターから逃れようと更に斥力点で自分を飛ばし、距離を稼ぐ。

 

≪間も無く4番ホームを貨物列車が通過します。ホームからはみ出さないようご注意下さい≫

 

 ――タイミング完璧。

 

「食らえ! ! バラニウム入り空き缶型グレネード! ! 」

 

 壮助は振り向き、空き缶型グレネードを放り投げる。彼が発した声、言葉、行動に周囲の一般客の注目が集まる。

 我堂のイニシエーター達がグレネードを警戒し、引き下がろうとする。

 

「みんな! ! 逃げて! ! 」

 

 一人の少女は足を止めず、グレネードに飛び込んで覆い被さった。周囲に一般人がいる。自分を盾にしなければ彼らがグレネードの巻き添えを受けてしまう。人々を守る民警としての誇り、我堂のイニシエーターとしての矜持が彼女をそうさせる。

 

 

 

 グレネードは爆発しない。それどころか異様なまでに軽い。恐る恐る空き缶型グレネードを持ち上げ、中を覗く。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、ただの空き缶だった。

 

 

 

 

「自分の命は大切にしろ! ! バーカ! ! 」

 

 

 4番ホームを通過する貨物列車、そのコンテナにしがみつく壮助から、嘲笑が聞こえた。

 

 

 移動する列車の振動と風圧に飛ばされそうになりながら、壮助はバラニウム合金繊維を編んで作った第三の腕を伸ばし、コンテナの上に登る。真夏の快晴、青い空を仰いで一息吐く。

 コンテナには司馬重工のマークが入っていた。列車の移動方向からして、行先はイクステトラがある工業区画だろう。

 スカーフェイスと戦うまでの束の間の休息を取ろうとした矢先、車両の上空をヘリが通過する。

 我堂民間警備会社のロゴが見えた。

 前方の車両に()()が降りた音が聞こえる。

 壮助は立ち上がり、前方のコンテナ車に立つ人影を睨む。

 

 2037年だというのに彼女は藍色の袴と黒色の上衣を纏っていた。檸檬色の装飾と斑点が夜に浮かぶ三日月と蛍、照らされる芒(すすき)を彷彿させる。日本人形のような整った顔立ちと静かな佇まいとは対照的に、後ろで束ねた濡烏の長髪が風に靡き荒ぶる。

 

 目を引いたのは彼女の得物だ。柄の両端に刀身がある双刀と呼ばれる武器。通常の刀よりも使用者には高い技量と2倍重い刀を振るう腕力が求められる。そんな奇特な得物を使うイニシエーターはそうそういない。彼女の背格好からして、名乗らずとも誰だか分かった。

 

「チクショウ……。今日の我堂は出血大サービスだな」

 

 

 

我堂民間警備会社所属イニシエーター IP序列479位

 

壬生朝霞(ミブ アサカ)

 

 

 閉じられていた彼女の瞼が上がり、赤い瞳を見せる。

 

「私が何者で、何故あなたを追うのか、語る必要は無さそうですね。お覚悟を――」

 




告知

来月、「俺達でブラック・ブレットを盛り上げようぜ」ということで来月、二次作者が揃って短編をハーメルンに掲載するイベントが開催されます。
読み専の方も物書きの方も興味がありましたら是非ともご参加ください。

概要は、主催者の紅銀紅葉様の活動報告をご覧ください。

 URL:https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=242070&uid=198071





次回「瞬刃剛斬の麗武者」


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瞬刃剛斬の麗武者

前回のアンケート、「ティナさんに撃たれる」が多くてビビった。
ドM多すぎぃ!!


 時速60kmで貨物列車がコンクリートジャングルを走り抜ける。風に煽られ、髪と服が靡く中、後部のコンテナ車輛では壮助と朝霞が睨み合う。

 湧いた冷や汗が風で後方へと飛んでいく。壮助は前方から吹いて来る風と塵に潰されないよう目を細め、彼女の得物を観察する。双刀以外の武器は見られない。銃やボウガンといった遠距離武器もおそらく無いだろう。持って来るのを忘れたのか、それとも必要としないのか。壬生朝霞の場合なら後者だろう――と壮助は自答する。

 

 ――しっかし、マジで今回は年貢の納め時かもな。

 

 壬生朝霞、彼女のことは知っている。実際に会うのは初めてだが、片桐兄妹に並びその名前は広く知れ渡っている。IP序列479位、東京エリア№2の順位をイニシエーターのみで獲得したことから、その実力は伺い知れる。

 

 壮助はレイジングブルをホルスターから抜く。彼女の得物からして格闘戦になれば不利になるのは明らか。何とか手足か得物を撃って無力化したい。日向姉妹の今後のことを考えれば、朝霞に危害を加えるべきではないが、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。

 朝霞が双刀を後ろに構え、身を低く屈めた。

 一瞬だった。瞬きをする刹那で朝霞は壮助との距離を縮め、双刀の刃が迫る。我堂の古株たちと同様、「拘束する」と言っておきながらその戦法は殺意に溢れている。

 

 黒膂繊維切断装甲 常夜境断(トコヨサカイダチ)

 

 左腕にバラニウム合金繊維を纏わせブレードを形成。斥力で斬撃を防ごうと軌道上に刃置く。

 双刀がバラニウム合金繊維に触れる直前に引き下がる。フェイントだ。同時に梃子の原理で柄の反対から伸びる刀身の峰が脇腹を打つ。

 

 圧力反応装甲多重展開 鱗累(ウロコガサネ)

 

 脇腹、朝霞の峰打ちが直撃しそうな部位に極小の斥力フィールドを重ねて展開する。出力の低さをフィールドの展開範囲の限定と凝縮で補い、特訓ではティナの対物ライフルも防いだ“最小かつ最硬の盾”だ。

 峰と小さな光の盾が衝突して燐光を放つ。しかし双刀は斥力の反発をものともせず、5枚重ねの斥力フィールドを粉砕。何事も無かったかのように峰打ちを炸裂させる。

 

 ――5枚重ねの斥力フィールドをぶっ壊した上でこの威力かよ……! !

 

 身体の中で軋む骨とバラニウムの音を聞かされながら、レイジングブルの銃口を朝霞に向ける。致命傷にならない場所を狙う余裕なんてない。自分が殺されないようにするだけで精一杯だ。

 拳銃に気付いた朝霞は双刀を握っていた左手を離し、壮助の手首を掴む。トリガーが引かれた瞬間に手首を捻って銃口を明後日の方向に逸らした。

 朝霞の足蹴りで下駄の凹凸が鳩尾に刺さる。同時に壮助の身体は10両後方のコンテナ車に飛ばされる。身体が後方車両の上でバウンドし、列車から投げ出されそうになる。ブレード状に固定していた左腕のバラニウム繊維を鉤爪状に変形させ、車体に爪を立てて落下を防ぐ。

 意識が飛びそうになった。血反吐も吐きそうになった。しかし、臓器の代わりとなっている賢者の盾が神経の電気信号や体液の流れを強制的に制御することで意識を繋ぎ止め、体液の逆流を抑える。

 右手はレイジングブルの照準を朝霞に定め、トリガーを引いた。ティナの特訓の賜物か、どんな姿勢でも狙いは正確だ。

 朝霞は走りながら弾丸を双刀で弾く。バラニウム弾とバラニウム刀の衝突で散る花火は舞うように動く彼女を演出しているかのようだ。もっとも、それを見ている壮助に芸術性を感じる余裕も教養も無いが。

 

 弾切れになるまでレイジングブルを撃ちながら、服の中に隠していたバラニウム合金繊維を更に放出。左腕のバラニウム合金繊維を再びブレード状に変形させ、更に放出した繊維を纏わせて刀身を延長する。

 身の丈を越え、4mにまで刃が伸びたブレードで車両の連結部分を切断。動力を失った後方車両は減速し、朝霞のいる前方車輛と距離を開けた。

 

「逃がすか! ! 」

 

 朝霞は前方車輛の最後尾で足を止めると、強く踏み込んだ。赤い眼が燦燦と輝き、武道の型のように虚空を双刀で切った。

 

 ――あいつ、何を?

 

 大気が震えた。列車が生み出す風圧とは別に強大かつ強烈な圧が降りかかる。目視すら不可能なレベルで広く薄く展開した斥力フィールドが圧力を検知し、直後に崩壊する。その情報が賢者の盾、脊椎を経由して脳に伝えられル。

 

 

 

 ――ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! !

 

 

 

 それが何か知った瞬間、壮助は足裏に作った斥力点で線路の外に飛び出した。直後、切り離された後方車両が轟音を立てて跳ね上がった。鋼鉄のコンテナは大気の斬撃に押し潰され、断ち切られる。更に後方の車両も蛇のようにうねり脱線、送電線を巻き込んで隣の線路まで跨って車体が落ちる。

 

 飛び出した壮助は吹っ飛んだ列車を尻目に「テナント募集中」と書かれた横断幕と窓ガラスを突き破り、沿線の高層ビルに突入。衝撃をコーティングした斥力フィールドで緩和する。

 打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しになり、工具や資材が各所に置かれた広大なフロア、そこで立ち上がった壮助は何が起きたのか、窓から線路を見下ろす。ひっくり返った貨物列車という怪獣映画のワンシーンのような光景に驚愕した。

 

「マジかよ。あいつ保険会社に殺されても文句言えねぇな」

 

 そう吐き捨てると壮助は出入口へと向かった。朝霞と戦うつもりはない。呪われた子供と普通の人間の能力差は痛い程知っている。自分が機械化兵士として大したことないことも昨晩の戦いで思い知った。ましてや、刀を振って電車をひっくり返すようなイニシエーター相手に自分が通用する筈がない。

 いち早くイクステトラに向かい死龍との戦いに加勢し、詩乃を助ける。それが第一目標だ。

 

 

 しかし、彼の逃走を阻もうと朝霞もフロアに飛び込んで来た。彼女は壁を切断して大穴を開け、足袋と床の摩擦でブレーキ痕を残しながら静かに着地する。

 

 

 

 ――パワーもスピードもテクニックも兼ね備えてるって訳か。反則じゃねえか。

 

 

 格闘戦は避けられない。悟った壮助はバラニウム合金繊維を両腕に纏わせブレードを形成する。緊張で汗が流れる中、朝霞の一挙手一投足を凝視する。

 対する朝霞も壮助が機械化兵士であることを知らなかったのだろう。隠し手を警戒し、静かに間合いを計る。

 

「なぁ。悪いけど、今日だけは見逃し――ザンッ! !

 

 朝霞の双刀が迫り、ブレードの斥力フィールドで応戦する。燐光が瞬き、互いの刃が反発する。

 

「お前、『早とちりするな』とか『人の話は聞きなさい』とか、よく言われないか? 」

 

「残念ながら、奸賊の言葉に傾ける耳は持ち併せておりません」

 

「ああ。そうかい。意思疎通しようとした俺がバカだった」

 

 壮助と朝霞の間で刃と刃がぶつかり合い、斥力フィールドの燐光と共に弾かれる。双刀という初めて現実で見る武器、その使い手の動き、巧みなフェイントで5回に1回は峰打ちを食らう。斥力フィールドでも彼女のパワーは相殺しきれない。これが刃だったらもう何回も両断されているだろう。

 こうして斬り結ぶことが出来るのは朝霞がうっかり相手を殺してしまわないよう手心を加えてくれているからだ。今の壮助は敵の理性と良識によって生かされている。

 

 ――手加減してくれてどうも。堅物女。

 

 線形流動装甲・多重展開 詐蛇群狩(イツワリヘビムラガリ)

 

 朝霞と斬り結んでいた左腕のブレードが分解し、無数のワイヤーに代わる。生物のように忙しく動く触手に朝霞は一瞬驚き、生理的嫌悪もあってか引き下がる。

 しかし、バックステップのスピードよりも速くバラニウム合金繊維は迫る。朝霞は双刀をプロペラのように回転させ、一瞬にして繊維の群れを斬り落とす。ただ闇雲に振り回している訳ではない。的確に触手の数と位置を把握し、可動域が広く俊敏な手と指の関節で双刀を巧みに操っている。

 

 

 刃を目に映すことすら敵わない。それが朝霞の振るう本来の剣戟だ。

 

 

 だが、「そんなものは想定済みだ」と壮助は笑みを浮かべる。作戦は成功した。気持ち悪く演出したバラニウム繊維は自分と朝霞の距離を作り、彼女は触手を斬り伏せることに気を取られている。

 朝霞に向かわせていたバラニウム繊維を手元に戻し、代わりに足元に落ちていた横断幕を斥力点で飛ばす。室内で横断幕は壮助と朝霞を遮る様に広がり、互いの視界を被う。

 

 その数秒、壮助の右腕でブレード状になっていたバラニウム繊維が分解、無数の触手になると近くに置いてあった建築資材の鉄棒を拾い、それを絡め取りながら変形していく。左腕で蠢く触手になっていた繊維も合流する。

 編み物のようにバラニウム繊維が螺旋状に絡み合い、大型のライフルが形成される。グリップと砲身、オープンサイトのみの単純な構造だが、繊維の編み込み具合で幾何学的な紋様が浮かび上がる。

 朝霞が斬撃を飛ばし、横断幕が真っ二つになる。飛ぶ斬撃は壮助の左30cmの場所を通過し、背後の壁に裂傷を残す。

 しかし、ライフルを構える壮助は微動だにせず、静かに、集中して、ティナの教え通りに狙いを定めた。

 

 

 

 

 黒膂繊維斥力加速投射砲   爆 蜻 蛉(ハゼリアキヅ)

 

 

 

 

 

 大型ライフル内部で“点”になるまで濃縮された斥力フィールドが形成される。撃鉄を起こすように解放された斥力は格納していた鉄棒を射出する。

 銃が火薬の爆発、レールガンがローレンツ力で弾丸を放つように斥力という()()()()()()()()()()によって射出された鉄棒は音速に近い時速1200kmで飛翔する。音を置き去りにし、空気を押し出して壁を作り、その圧力で床と壁を剥がしながら朝霞と衝突する。

 風圧で建材がめくれ上がり、埃が舞ったせいで再び視界が潰れる。

 

 ――ちょっとやり過ぎたか。

 

 さすがにこれで彼女を死なせてしまっては後味が悪い。しかし、壮助に朝霞の生死を確認する余裕は無かった。今の騒ぎでじきに警察と我堂の民警たちが来る。朝霞がもし無傷だったら再び彼女と戦う羽目になる。それだけは避けたい。

 

 壮助は煙が立つフロアを尻目に窓から飛び降りた。下の通りは幸い人と車の往来が無い。斥力フィールドを展開し衝撃を緩和、足から着地する。

 瞬間、大きな影が壮助を被った。瞳孔が開き、鼓動が早くなる。まさかと思った。最悪の事態だけが頭に浮かび、振り向く。

 鬼の形相で赤い眼を輝かせ、落下しながら双刀を振りかぶる朝霞が眼に映る。

 

 ――斥力フィールド多重展開! ! 防御防御防御防御! !

 

 咄嗟に左手を前に出し、その前に10枚以上重ねた斥力フィールドを展開する。

 一瞬の燐光と共に全ての斥力フィールドが崩壊、双刀の峰が左腕を叩き激痛が走る。前腕の骨が折れただろう。

 痛みに悶絶する暇などない。朝霞は壮助の胸ぐらを掴むと数メートル離れたハイエースに叩きつける。ドアがひしゃげ、割れた窓ガラスが壮助に降りかかる。斥力フィールドを展開する余裕すら無く、モロに受けた衝撃で脳震盪を起こす。

 動かなくなった壮助を前に朝霞は双刀の切っ先を向け、踏み込んだ。

 

 

「そこまでだ! ! 」

 

 

 切っ先が壮助の肌に刺さったところで刺突が止まる。

 朝霞が声のした方を向くと、半袖カッターシャツ姿の上に防弾チョッキを着た壮年の男性と武装した警察官が並んでいた。

 中央に立つ男性は喧嘩をする子供を諫めるように鋭い眼光で朝霞を睨みつける。

 

「後は我々が身柄を拘束する」

 

「そう……でしたね。後はお任せします」

 

 朝霞は冷静さを取り戻す。息を吐くと、瞳を普段の焦茶色に戻し、双刀を降ろして壮助から離れた。同時に警官たちが拳銃を向けながら壮助に近付く。

 

 

 

 

 

 キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ! !

 

 

 

 

 

 急ブレーキで路面とタイヤが擦れる音と共にダークグリーンのジープ・ラングラーが通りに飛び込んで来た。サンルーフから帽子とマスクで顔を隠した女が身を乗り出す。彼女が束になった発煙筒を警官達に投げつけ、辺り一面が白い煙に包まれる。

 突然の出来事に警官達がパニックに陥る。白煙の中で数人が倒された。その隙にマスクの女は壮助の服を掴み、ジープの中へと放り込んでいく。

 朝霞が双刀を振るい、白煙を一気に飛ばす。突風と共に視界がクリアになる中、目的を遂げたジープが走り去る光景が見えた。

 

「クソッ! ! 」

 

 まんまと重要人物を取り逃がしてしまった刑事はパトカーを拳で叩く。

 

「付近に応援要請を出せ! ! ダークグリーンのジープだ! ! 絶対に逃がすな! ! 」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 車内で壮助は目を覚ました。同時に朝霞に折られた左腕の感覚が伝わる。不思議と痛みは感じない。アドレナリンが出て感じていないのとは違う。おそらく、賢者の盾が神経伝達を制御して一時的に痛覚を遮断しているのだろう。

 首を動かして周囲の状況を確認する。自分は後部座席に寝かせられている。一切に拘束はされておらず、バックミラーには帽子とマスクで顔を隠す男女が映っている。男は運転席に、女は助手席に座っている。車は隠れるようにどこかの高架下に停まっている。

 

 ――警察じゃない? こいつら一体……。

 

 ふと目を向けると、鈴之音のサインが入った鞘が見えた。

 

「どういうつもりだ? 小星」

 

 前方に座る男女が帽子とマスクを外す。壮助の予想通り、運転席の男は小星常弘、助手席の女性は那沢朱理だった。壮助の記憶が正しければ、彼らは朝霞と同じ我堂民間警備会社に所属する民警ペアだ。敵対する自分を助ける理由が分からなかった。

 

「『君を助けに来た』じゃあ、駄目かな? 」

 

「……」

 

「冗談だよ。そんな目で見ないでくれ。まぁ、ざっくり言えば、本音と建前って奴さ。ウチの社長は警察や厚労省の発表を信用していないんだよ。だけど証拠も無い中、『君達のことが信用できないから感染爆発の阻止に協力しない』なんて言えないからね」

 

「だから、古株と壬生朝霞は()()として、お前達は()()として動いたって訳か。その割にはあのサムライ女、俺のことガチ殺しするつもりだったけどな」

 

 常弘はハンドルを握りながらため息を吐き、朱理が「あぁ」と納得したような声を挙げる。

 

「うん。その点は……ゴメン。完全にこっちの人選ミス」

 

「そう言えば、朝霞さん。手加減が難しいから人間相手は苦手って言ってたね」

 

 壮助が右腕だけで身体を起こし、前部座席に身を乗り出す。

 

「小星……。イクステトラに向かってくれ。そこにスカーフェイスがいる」

 

「どういうことだ? 」

 

「スカーフェイスはこの事件を仕組んだ連中の手先なんだよ。そこに日向姉妹もいる。それに今日、死龍を倒して解毒剤を手に入れないと詩乃の命が危ない。頼む……」

 

 壮助から普段見えている生意気な雰囲気が消え、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。常弘は驚きながらも彼がそれだけ詩乃のことを想っていることを察し、頷いた。

 

「分かったよ。僕達も姉妹を保護するところまでが任務だからね」

 

 行先が決まると常弘はエンジンをかけ、ハンドルを握る。

 ふと朱理が壮助のジーンズのポケットを指さした。

 

「ねえ。アンタのスマホ、着信入ってない? 」

 

 灰色の盾から貰ったスマホがバイブレーション機能で震えていた。ポケットから出すと「発信者:ティナ先生」と画面に表示されていた。壮助は吉報を祈り、通話ボタンを押した。

 

『義塔さん。良かった。無事ですか? 』

 

「ああ……。まぁ、死なない程度には。そっちは大丈夫っすか? 」

 

『ええ。何とか……。大角さんの協力もあってスカーフェイスを倒すことが出来ました。解毒剤もここにあります。今、別の車を手に入れて外周区に向かっています。鈴音さんと美樹さんも無事です』

 

 自分なんて必要なかった。そう言いたくなるくらい最良の結果が耳に届き、壮助は安堵する。

 

「良かった……。ありがとう。先生……。俺も、そっちに向かうんで」

 

『分かりました。そっちで何が遭ったんですか? 』

 

「詳しいことは合流したら話すんで……」

 

 壮助は「ちょっと待って下さい」というティナの声を無視し、通話を切る。

 

「行先変更だ。バンタウに向かってくれ」

 

 朱理が「はぁ! ? 」と声を挙げる。

 

「アンタ正気? バンタウって灰色の盾の拠点よね? 外周区のど真ん中まで突っ走れって言うの? 」

 

 朱理の反応は正しかった。再開発が進んだ南側を除いて、外周区のほとんどは貧民街(スラム)とそこを支配する赤目ギャングの縄張りになっている。その中でも西外周区は中小規模のギャングが跋扈する混沌地帯となっており、バンタウに向かうには他の赤目ギャングの縄張りを通過しなければならない。警察の手が届かない治外法権、ジープ1台などものの10分で愉快な現代アートと化すだろう。

 

「他のギャングとかち合わないルートならある。ここを通れば、バンタウに直行できる」

 

 壮助はスマホを操作して画像を見せる。灰色の盾が使っている秘密の地図だ。それを見た常弘と朱理は顔を見合わせる。

 

「どうする? ツネヒロ」

 

「行くしか無いだろう。手ぶらで帰ったら何を言われるか分からないしね」

 




朝霞の武器、原作では「双剣」ですが、個人的にモンハンの双剣(二刀流)が頭に浮かんでしまうので本作では「双刀」と書いています。

オマケ①

壬生朝霞のウワサ

弓月に貰ったパンクな服を着てみたところ、「お嬢がグレた」と古株たちが大騒ぎになり、「朝霞様の反抗期について」が役員会議の議題になったらしい。



オマケ② 隙あらば設定語り

東京エリアの民警達の間では、「片桐弓月と壬生朝霞、戦ったらどっちが勝つか?」が定番の話題になっており、「弓月が勝つ派」「朝霞が勝つ派」「引き分け派」「そんなことより2人のおっぱい揉みたい派」の四大派閥が作られている。




次回「法の外側」


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法の外側 ①

・日向鈴音のウワサ

よれよれになったパンツを見ると「いや、まだ使える」「駄目よ。捨てましょう」と30分ほど葛藤するらしい。

・前回のアンケート結果について
約70%が「そんなことより2人のおっぱい揉みたい」に投票し、圧倒的一位になりました。
まぁ、そうなりますよね。私だってそうします。


 東京エリア西外周区

 

 ガストレア大戦前、神奈川県と呼ばれていたその地区は廃墟の森と化していた。ガストレア大戦を生き延びた建造物が数多く残り、真夏の太陽がひび割れたコンクリートやアスファルトを照らしていた。

 亀裂が段差となり、隙間から雑草が飛び出した道を1台のジープが走る。我堂民間警備会社のプロモーター・小星常弘の愛車だ。内地で壮助を回収した時は清潔さを感じられる綺麗なボディだったが、今は戦場を駆け抜けたかのように姿になっている。ここまでかなりの悪路を走って来たのだろう。

 

 常弘がハンドルを握っていると、どこかの紛争地帯よろしく武装した呪われた子供の一団とすれ違う。自衛隊や旧・在日米軍の流出した武器を抱えており、その重武装さに常弘と朱理はぎょっとする。

 撃って来ないことを祈りながらアクセルを踏む。呪われた子供達はジープを睨みつけはしたが、撃ってくることは無かった。

 常弘は大きく溜め息を吐く。

 

「はぁ~。外周区ドライブって、心臓に悪いなぁ」

 

「本当に手を出して来ないのね。灰色の盾のマーク入れるとか、アンタにしてはいいアイディアじゃん」

 

 朱理は助手席から振り向き、珍しく壮助を褒める。後部座席に座る壮助は顔色が悪くなっており、汗も多くなっている。手で脇腹を抑えており、出血でシャツが血で赤く滲んでいた。

 

「大丈夫? 」

 

「問題無ぇ。テメェんとこの堅物女が手加減しないせいで、昨日の傷が開いただけだ」

 

「いや、それ大丈夫ってレベルじゃなさそうだけど」

 

「死んだら……朝霞(あいつ)に靴下の片方が見つからない呪いをかけてやる」

 

「冗談言ってる場合じゃないと思うけど」

 

「朝、登校前に靴下が見つからなくて慌てる姿が目に浮かぶわ~。あっははははは――――痛っ! !

 

 段差を乗り越え、車内が縦に揺れる。喋っていた壮助は舌を噛み、座席の上で悶絶する。

 

「おい……社長付き運転手。もっと安全運転しろよ。傷が増えるだろ」

 

「最短で向かっているんだから勘弁してくれ」

 

「アンタがくれた地図だとそろそろの筈なんだけど……」

 

 朱理が窓から外を見る。元は住宅街だったのだろう。大戦前の家屋がまだ残っており、状態も悪くない。廃虚には縄張りを示すマークがスプレーで描かれており、ジープと同じ灰色の盾のマークも見えて来た。

 

「コの字型マンション…………そこが、連中の拠点だ」

 

「あそこか」

 

 常弘がハンドルを握りながらフロントガラス越しにバンタウを確認する。ガストレア大戦前に建てられたマンションだったが、今やその面影はない。大戦後に廃材を使った増改築が施されており、見張り台や防壁、ゲートらしきものが見える。その姿はかつての九龍城砦を彷彿させた。

 

「近づいたら出迎えが来るから……、あと頼む」

 

 ドサリと倒れる音がした。朱理が振り向くと壮助が後部座席で倒れ、シートと足元のマットをで赤黒く染めていた。

 

「ちょっ! ? バカヤンキー! ? 」

 

「義塔! ! しっかりしろ! ! おい! ! 」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 目を開けた時、今朝と同じ光景が目に映った。何らかの液体が付着して染みがついた天井、ヒビの入ったコンクリート、切れかけてカチカチと鳴る蛍光灯――そこは、バンタウの病室だった。

 

 

 

 

 

「おはよう。壮助。また無理したんだね」

 

 

 

 

 

 ベッドの右脇にある椅子に詩乃が座っていた。背後から蛍光灯に照らされ、陰となった綺麗な顔が微笑みかける。

 壮助は目を見開いた。ティナから解毒剤を手に入れたことは聞いている。自分より先に到着した彼女が詩乃に使ったことも当然考えられる。それでも目の前の光景が夢や幻覚の類ではないかと考えてしまう。

 壮助は手を伸ばし、詩乃の顔に触れる。感触を、体温を感じ、彼女が実在していることを確かめる。

 

「詩乃……。お前、大丈夫……なんだよな? 」

 

「うん。ティナとエールが持って来た解毒剤で治った」

 

 壮助は感極まって涙を流し、咄嗟に左手で目元を隠す。それでも震える口元と啜る音で感情を隠すことは出来なかった。

 

「良かった。本当に……良かった」

 

「壮助。泣いてる? 」

 

「ああ、泣いてるよ……。お前の食費に苦しめられる日々が……また来ると思うと、涙が出るよ」

 

「うん……。またいっぱい食べるから、よろしくね」

 

 詩乃は自分の頬に触れる壮助の手を握る。何かに斬られた傷、割れたり剥がれたりした爪、赤く滲んだ絆創膏と包帯で痛々しい姿になっていた。

 胸の奥で重圧(プレッシャー)が生まれる。自分のせいで彼を戦わせてしまった。イニシエーターとしての役目を果たすことが出来なかった。半年前の病室で「私が守る」と言っていながら、守られる側になってしまった。

 

「ごめんなさい。私のせいで……。お詫びに私のこと好きにして良いよ」

 

「それじゃあ…………俺の手をニギニギするのやめてくれないかな。傷に当たってちょっと痛い」

 

「あ、ごめん」

 

 詩乃は思わず手を離す。壮助の手がベッドの中に戻っていく中、もっとセクシャルな要求をしてこなかった彼の意気地の無さに頬を膨らませる。

 

「え? あれ? ()()! ?

 

 壮助は突然、目を見開いて上体を起こした。その衝撃で身体の各部が軋み、彼はお腹を抱えて悶絶する。痛みに耐えながらも片目を開き、詩乃を見る。

 

「お前、その()()……」

 

「ああ、これ? 」

 

 詩乃が左手をかざす。昨晩、レイジングブルで吹っ飛ばしたことなど嘘のように彼女の手は綺麗にくっついていた。指一つ欠けていない。手術痕もなかった。

 

「すげぇな。あのオッサン。くっつけたのかよ。傷跡一つ無ぇじゃねえか」

 

「あー……いや、これ、()()()()()

 

「は? 」

 

 

 

 ――俺のイニシエーターが何を言っているか分からない件。

 

 

 

「起きた時は『壮助に手取り足取り介護(プレイ)して貰えるから、これはこれでありか』って思っていたんだけど」

 

「おいコラ。介護をプレイって言うな」

 

「でも、ご飯食べる時に思ったんだよね。『あ、皿が持てなくて不便』って。そしたら骨がビュッて生えてきて、神経とか肉とかがぶわーって出て来て、元に戻った

 

 呪われた子供には人間を遥か超えた治癒力を持っている。多少の傷なら一瞬で消え、血肉が抉れても時間をかければ後遺症も無く完治する。しかし、無くなった部位が完全に再生するという話は聞いたことが無い。手足を失った元イニシエーターを日常的に見かけるぐらいだ。

 例外として、プラナリアの因子を持つイニシエーターが驚異的な再生能力を持つという話を聞いたことがあるが、詩乃の保有因子はマッコウクジラであり、その例には当たらない。

 

「お前、ゾンビドーナツババアに身体診て貰った時、何か言われなかったか? 」

 

「特に何も」

 

 専門家の菫にも分からないことはあるのか、それとも詩乃が嘘を吐いているのか、どちらにせよ彼女の手が元に戻ったという事実は喜んでおこうと、壮助は考えるのを諦めた。

 

 

 

 

「目が覚めたんだね」

 

 扉を開け、医師の倉田が入ってくる。倉田は壮助の近くに座ると両手で首筋を押し、目にライトを当てて瞳孔の動きを確認する。

 

「うん。問題なさそうだ。気分はどうかな? 」

 

「全然、大丈夫っす」

 

「それは良かった。君が死んでしまったら、“あれ”の処分に困るんでね」

 

“あれ”?」

 

 倉田は部屋の奥に行くと、小型のクーラーボックスを持って戻って来た。

 

「はい。これ」

 

 倉田に差し出されたクーラーボックスを壮助は受け取る。両手で持つことが出来るサイズ、そこそこの重みが感じられ、少し揺らすと中身が転がるのが分かる。

 

 

 

 

「これ、何?」

 

 

 

詩乃ちゃんの手

 

 

 

 

 壮助の全身にぶわっとした悪寒が走り、全身に鳥肌が立った。

 

「手術でくっつけようと思って、冷凍保管してたんだ」

 

「捨てといて」

 

 倉田にクーラーボックスを突き返そうとするが、詩乃の視線が刺さる。蛇に睨まれた蛙のように壮助は硬直し、伸ばした手をクーラーボックスと一緒に引き戻す。

 

「え? 捨てるの? 何で? 」

 

「いや、捨てるよ。だってもうお前、生えてるだろ。それとも三本目を生やす予定でもあるのか? 」

 

「だって、私の手だよ。遠慮して本物の私にはさせられない()()()()()()()()()()()をその手にさせられるんだよ? 」

 

「キモい。発想がサイコ過ぎてキモい」

 

「それを私だと思って肌身離さず持ってね。ご利益あるよ。多分」

 

「どこの日本昔ばなしだよ! ! こんなもん持ってたら、職質で人生終了だよ! ! 」

 

 手を捨てるかどかで2人が口論する中、倉田は困り顔でクーラーボックスを手に取る。

 

「とりあえず、冷凍庫に入れておくね」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 外の空気を吸いたいと思い、壮助は病室を出た。夕暮れの赤く染まる西外周区の廃墟群を眺めながら、バンタウの通路を詩乃と一緒に歩く。壮助は今日、自分が見聞きしたものを、詩乃は解毒剤を投与された際にティナから聞いた話を互いに伝え合う。

 

 

 

「義塔さん」

 

 

 声をした方を振り向くと、両手に布を抱えた鈴音が駆け寄って来る。姉妹が無事であることは聞かされている。しかし、その姿を直接見たことでようやく壮助は心の底から安堵する。嬉しさのあまり、緩みかけた表情を引き締める。

 

「良かった。歩いて大丈夫なんですか? 」

 

「ああ。見た目ほど大したことねえよ。まぁ、左手は当面使えないけどな」

 

 朝霞との戦いで彼女に折られた左腕はギプスで固定され、包帯で首から吊り下げられている。自分達のせいで、自分が戦えなかったせいで、一番弱い()()である彼に戦わせてしまった。その自責の念が鈴音と詩乃に圧し掛かる。

 

「鈴音。それってもしかして……」

 

「え? ああ、これ義塔さんの服ですよ。血まみれになったので洗っていました」

 

 壮助が視線を下に向けると鈴音が抱えていた布が自分の服であることに気付く。白にドラゴンの意匠が施されたシャツがったが、そこに薄茶色の大きなシミが残っていた。

 

「ごめんなさい。血のシミが取れなくて……」

 

「その服、デザインがシンプル過ぎて物足りないと思っていたんだ」

 

 鈴音が口元を手で被う。しかし、微かな笑い声と共に彼女の身体が小刻みに震える。

 

「え? 今の笑うところ? 」

 

「いえ、その、ごめんなさい。言い回しがキザ過ぎて」

 

「笑うポイントそこかよ。気を遣って損したぞ」

 

 ゲシッ

 

い゛っ! !

 

 2人の会話を眺めていた詩乃が壮助の脹脛を蹴る。

 

「詩乃、今のちょっと痛かったんだけど」

 

「……」

 

 壮助が振り向くと詩乃は据えた視線を向けていた。どうして蹴ったのか彼女は答えない。訳が分からず、壮助が戸惑っていると詩乃は黙ったまま彼の足を蹴り続けた。

 

 

「なんだぁ? テメェら。まだ素面(シラフ)じゃねえか」

 

 

 数本のビール瓶を指に挟み、千鳥足のアキナが来た。顔は赤くなっており、頭がふらついている。その目は壮助たちを睨んでいる。明らかに酒で酔っている様子だった。

 彼女は呪われた子供、年齢は高く見積もっても16~17歳であり、東京エリアの法律では飲酒が禁じられている。酔った姿を平然と見せるアキナに鈴音は驚いていた。

 

「アキナさん。お酒、飲んでいるんですか? 」

 

「ああ。そうだよ。オラ。飲めよ。ルリコの驕りだ」

 

 そう言って、アキナは持っていたビール瓶を鈴音、壮助、詩乃に渡す。面倒なことになりそうと思い、3人は断らず瓶を受け取る。

 

「今日ぐらいパーッとやろうぜ。じゃねえとあいつが浮かばれねえ」

 

 壮助は彼女が何を言っているのか分からなかった。ふとバンタウの中央にある中庭に目を向けると、アキナと同様に灰色の盾のメンバー達が酒で盛り上がっている。

 

 その中に混ざるティナと美樹を見つけた。何かの催しだろうか、ティナは美樹と灰色の盾のメンバーに見守られながら、壁に向けてリボルバー拳銃を構える。その先には数個の缶が並べられている。

 ティナが引き金を引くと缶に銃弾が当たった。その衝撃で缶が飛ぶと“飛んだ缶”に2発目、3発目と弾丸を当て続ける。空き缶は空中で踊り続け、ティナが全弾を撃ち尽くすと地面に転がった。同時に歓声が上がり、下が一気に騒がしくなる。

 

「すごく賑やかだね。屋台とかあるのかな」

 

「対スカーフェイス戦勝記念パーティか? 」

 

 

 

 

 

「これ……葬式らしいです」

 

 ティナを讃える歓声で騒がしい中、鈴音の声が耳に入った。彼女に目を向けると沈む夕日と共に表情が暗くなっていく。その笑顔も無理をして作った仮面のように見えた。

 

「知り合いが死んだのか? 」

 

「はい……。昔、一緒に遊んでくれた友達でした」

 

「そうか……」

 

 壮助は閉口した。誰かを殺すことも、誰かが死ぬことも、生き残った者が涙を流すのも、飽きるほど見て来た。経験を蓄積すれば、遺族にかける言葉だって数パターンは用意出来るようになる。しかし、鈴音には何て声をかければいいのか分からなかった。

 

 

 

「鈴音。もうご飯食べた? 」

 

 

 壮助の悩みを知ってか知らずか、詩乃が能天気な質問を飛ばす。

 

「え? いや、まだですけど」

 

「だったら下に行こう。なんか焼肉パーティやってるみたいだし」

 

「詩乃。お前こんな時に何言って――」

 

 詩乃は手を伸ばし、諫める壮助の口に指を当てて黙らせた。

 

「笑って死者を送るのがここの流儀なら、私達もそれに従おう。誰かが泣くと、その人は心配して天国に行けなくなるんじゃないの? 」

 

 

 

 

『新入りー。そんなところウロウロしてどうしたんだー? 危ないぞー』

 

『え? 靴を片方落とした? 靴探しなら、このルリコ様におまかせー! ! 』

 

『ごめえええん! ! スズネええええ! ! 見つからなかったああああああ! ! 』

 

 

 

 

 かつての記憶、暗闇の中で聞こえたルリコの声が脳裏で浮かび上がる。母に買って貰った靴を失くし、探し回っている時に声をかけてくれた彼女は半日かけて探してくれた。そんな彼女なら詩乃の言った通り、泣いていると心配して天国に行けなくなるかもしれない。

 

「そう……ですね。行きましょうか」

 

 詩乃と鈴音が手を繋いで階段に向かう。

 詩乃は壮助が付いて来ないことに気付いて振り向いた。

 

「壮助は行かないの? 」

 

「2人は先に行っててくれ。

 

 

 

 

 

 ――――俺は、ちょっとエールに話がある」

 




未成年飲酒 ダメゼッタイ!!



オマケ カットした会話

壮助「お前、普通に俺のパンツとかも洗ってたんだな。男のパンツとか普通嫌じゃないか? 」

鈴音「同じ洗濯機で服や下着を洗った仲じゃないですか。今更ですよ」

壮助「間違ってないけど、その言い回しは誤解を生むからやめろ。俺が鈴之音ファンに殺される」




次回「法の外側 ②」


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法の外側 ②

日向美樹のウワサ

白いドレスを着ると「これ、聖天子様の影武者いけるんじゃね? 」と思うらしい。




 賑う中庭の喧騒を俯瞰し、屋上でエールは酒を呷る。月明りが照らす彼女の傍らには中身が入ったビール瓶が置かれ、周囲には数本の空瓶と食器が転がっている。六法が適用されない外周区という環境で16歳の彼女は既に酒豪として目覚めていた。

 

「ルリコ……。お前、私を倒してニューリーダーになるんじゃなかったのか? 」

 

 珍しく涼しい風が吹く中、彼女の目元から水滴が飛ぶ。鼻を啜る音が聞こえる。誰もいない屋上で誰にも顔を見られないように蹲って隠す。

 

「ちょっと良いか」

 

 エールが涙を拭い振り向くと、既に開かれた扉を壮助がノックしていた。

 

「いいよ。座れ」

 

 エールが自分の隣の床を手で叩き、促されるまま壮助が座る。座ると同時に中身の入ったビール瓶を彼の頬に当てる。

 

「ほら、飲めよ」

 

「いや、いいよ。俺に呑む資格は無え」

 

「ここは外周区、法律の外側だ。盗んでも殺しても警察(サツ)なんか来やしない。ましてやガキの飲酒なんて誰も気にしないぜ」

 

「そういう意味じゃねえよ。…………悪かった。肝心な時にいなくて」

 

 灰色の盾を焚き付けておきながら、イクステトラの戦いに合流出来なかった。壮助はそこに負い目を感じていた。今日の自分は菫からバラニウム繊維を調達し、我堂の民警と鬼ごっこしただけで終わった。もし勝典と共に行動していれば、今日死んだ彼女(ルリコ)も助かったかもしれない。ここにいる面子の中で最弱の自分が“助ける”とは自惚れも甚だしいかもしれないが、そんな可能性を捨てることが出来なかった。

 

「気にするな。お前はちゃんと役目を果たした。協力者を集めたし、そいつらのお陰で勝つことが出来た。それに仕留めたのはティナと大角だ。私だって時間稼ぎが精一杯だったよ」

 

 壮助がふとエールに目を向けると、彼女の手足に包帯が巻かれていることに気付いた。人間より優れた治癒力を持つ呪われた子供は治療をあまり必要としない。大抵の傷は放っておいても勝手に治ってしまう。だからこそ()()()()()()()()酷い怪我を負った彼女の姿は戦いの凄まじさを物語っていた。

 

「お前こそ、その手はどうしたんだ? 」

 

「ああ。これ? 戦国時代からタイムスリップしてきたサムライガールにやられたよ。壬生朝霞って名前なんだけど」

 

 朝霞の名前を出した途端、エールは驚きの表情を見せる。

 

「東京エリア№2のイニシエーターじゃねえか。よく生き残ったな」

 

理由(ワケ)あって、向こうが手加減してくれたお陰でな。まぁ……手加減って言っても普通の人間から見れば、即死級の必殺技ばかりだったけど」

 

「お前を運んできた民警たちもそんなこと言ってたな。警察向けの演技だとかどうとか」

 

「我堂は厚労省や警察の発表を信じていないらしい。あの2人も姉妹を保護し、俺を連れて来るように指示されている。まぁ、イニシエーターを扱っている身としちゃあ、いきなり侵食率が30%以上も上がるなんて信じられないだろうな」

 

 壮助はエールから貰った串焼きを口に入れながら、中庭を見渡す。

 

「そういえば、俺を運んだ民警はどうした? まさか追い出していないよな」

 

「あそこだ」

 

 エールがバンタウの端にある一室に指さす。そこは灯りが点いており、玄関前の廊下は武装した少女2名が巡回している。常弘が玄関の扉をゆっくり開けて外の少女に話しかけるが、銃口を向けられ部屋に押し戻される。

 

「今日来たばかりの奴に歩き回られたくないからな。今はあそこに軟禁してる」

 

「その癖、昨日会ったばかりの俺は自由にするんだな」

 

「言っただろ。お前達は命懸けでスズネとミキを助けてくれた。2人からもお前達が悪い奴じゃないことは聞いている。それで十分だ」

 

「別れて5年も経つのに信頼されてるなぁ。あの2人は」

 

 ふと中庭を見下ろすと鈴音の周囲に人が集まっている。テレビで見たことのある芸能人の話に興味があるのだろう。周囲から質問攻めを受けており、どれから答えればいいのか、鈴音がおろおろしているのが遠めからでも分かる。

 代わりに美樹とティナが話し、数人はそっちに耳を傾け、目を輝かせている。内地の生活や外国の話をしているのかもしれない。

 

 ――あいつら、けっこう馴染んでるな。

 

 そう言おうとエールの顔を見る。

 

 

 

 

 

 その優しそうな表情に言葉が詰まった。

 

 

 

 

 西外周区最優の闘争代行人でもなく、男勝りなギャングのリーダーでもない。姉妹に向ける視線には、16歳の乙女としての彼女が凝縮されていた。

 

 

「なぁ。エール。何で5年も死人のままで居続けたんだ? 」

 

 エールは壮助がこっちを向いていることにはっと気づく。今の表情を見られただろうか、それが気になるも質問すれば墓穴を掘る。黙ったまま恥ずかしそうに指で髪をいじる。

 

「昨晩、あいつらにも同じ質問をされたよ」

 

「なんて答えたんだ?」

 

「『まさか生きているとは思わなかった』って」

 

「はぐらかしたんだな」

 

「知った風な口を利くじゃねえか」

 

「なんとなく……察しはつく」

 

 エールはしばらく壮助の顔を窺うと、大きく溜め息を吐いた。昨晩、初めて会った時からどこか()()()()()()()()()()を感じる。「察しはつく」という言葉に嘘は無いのだろう。自分が彼女達から避けて屋上に居る理由も今から言い当てそうな雰囲気だった。

 

「2~3年前ぐらい前だったかな。駅のアーケードで路上演奏するスズネを見つけたんだ。その時はミキも一緒だったかな。髪の色と声ですぐに分かったよ」

 

「声をかけなかったのか? 」

 

「指名手配中の赤目ギャングに声をかけられたって迷惑だろ」

 

 一瞬、エールの寂しげな表情が見えた。かつては同じ地下で過ごした彼女達だが、繋がることは許されなかった。エール自身がそれを許さなかった。彼女は警察から追われ、他のギャングからも命を狙われる身だ。彼女と姉妹の繋がりが発覚すれば、他のギャングが利用し、2人が危険に晒される。自分という存在のせいで2人の平和な世界を壊す訳にはいかなかった。

 今、こうして一緒にいられるのは鈴音と美樹が()()()()()()()()()()という最悪の不幸があったからだ。

 

「5年前の炎の中、私は襲ってきた純血会の連中を殺した。私だけじゃない。ナオも、ミカンも、生き残った連中は全員そうだ。殺さなければ殺される状況の中で殺す側になることを選んだ。――あの日から私達は別の世界で生きる人間になったんだ」

 

 

 

 

 

 絶対に関わらない。

 

 姿も見せない。

 

 私達は5年前の炎の中で死んだ。

 

 今までもこれからも2人にとっての死人で居続ける。

 

 

 

 鈴音と美樹を見つけたその日、古参たちを招集して全員で誓った時の言葉を思い出す。「結局、破っちまったけどな」と心の中で過去の自分を自嘲した。

 

「イニシエーターになるつもりは無かったのか? お前達ほどの実力者なら大企業が大金担いでスカウトしに来る。そうすれば、お前だって表の世界で生きることが出来る」

 

「かもな。けど、その為には一度、警察に捕まらなきゃいけないだろ。スリや強盗、売春、ドラッグの売人程度のショボい連中ならともかく、もう何人も殺している私をこの国の司法はどうすると思う? 」

 

 壮助は押し黙った。その答えが「死刑」しか無いからだ。東京エリアの刑法はガストレア大戦前の日本国のものを踏襲している。殺人犯の死刑は人数を基準とする傾向があり、3人を越えれば死刑は確実とされている。灰色の盾の活躍ぶりを知れば、3人などとうに超えているだろう。犯罪者を民警として徴用するシステムがあるが、悪用された過去もあってか採用された件数は全体から見れば圧倒的に少ない。イニシエーターになるために警察に捕まるというのは、あまりにも分が悪い()()だった。

 

「手足を失って外周区のドブ川にポイ捨てされた元イニシエーターを腐る程見て来た。違法風俗だって戦えない身体になった連中で溢れかえっている。ウチのメンバーも半分がそういったクチだ。そんなのを嫌と言うほど見せつけられて、『イニシエーターになろう』なんて誰が考える? 」

 

「抑制剤はどうしてるんだ? 」

 

「製薬会社からの横流しがある。それが無くてもボランティアが配ってくれる分がある」

 

 壮助の口から乾いた笑いが零れる。それに釣られてエールもわざとらしく笑う。

 

「イニシエーターになるメリットほとんど潰されたな。そりゃ赤目不足にもなるわ」

 

「民警業界に未来はねーよ。お前と森高も失業になったらウチに来い。歓迎してやる」

 

「よっしゃ。再就職先ゲットだぜ」

 

 2人で「はっはっは」と笑い合う中、エールの口が閉まる。彼女の視線は壮助から外れ、瓶に半分ほど残ったビールを喉に流す。

 

「まぁ、メリット・デメリット以上に――

 

 

 

 

 

 

 

 

私達を棄てた連中の為に戦うなんて御免だ」

 

 

 

 

 

 

 

 男勝りでさっぱりとした性格の彼女のがそこに詰まっていた。

 壮助はエールの視線の先にあるものを見る。遠く離れた内地だ。外周区にあまり電気が通っていないせいで、星空と共にビルの灯りがよく見えた。この数年、瓦礫の密林から眠らない都市を睨んできた彼女がどんな思いを抱いて来たのか、その片鱗を垣間見た。

 

 

 壮助は思った。「これこそ、呪われた子供たちが本来持つべき感情ではないか」と。

 

 

 

 

 

 賑やかだった中庭が静かになる。(葬式)も終わりかと思い下に目を向けると瓦礫を集めて作った壇上に鈴音が立っていた。誰かの持ち物であろうアコースティックギターを抱え、彼女の前に全員が座って耳を傾ける。

 鈴音はギターを試しに何度か弾いて調子を確認すると、弦に指をかけ、深呼吸した。

 

 

 

 

 

 

通り過ぎた雑踏を振り返って

日陰になった路地を覗いて

貴方の声を探す

 

恐いものに囲まれた時 助けてくれた声を

全てを諦めた時 立ち上がらせてくれた声を

 

真っ暗な記憶しか 私は持っていないから

高い所に登って 張り上げるんだ

 

ねえ 気づいてよ 見つけてよ

私はここにいるから

貴方に伝えたい言葉があるの

 

もう何も出来ない弱虫じゃない

何も見えない子供じゃない

貴方に会えたから 私はここに立ってる

 

お願い 来て

 

あの日の声が消えてしまう前に

 

 

 

 鈴音がギャング達に拍手喝さいを送られる中、壮助は静かにその光景を俯瞰していた。

 

 

 ――これ、里見とエールに向けた歌だったんだな。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 陽が沈んだ頃、警察署から勝典とヌイが二人並んで出て来た。背後で刑事に「捜査へのご協力、ありがとうございました」と敬礼される中、勝典は腕を回して肩を鳴らし、ヌイは腕を上げて背筋を伸ばす。

 

「あー。取調室って狭いなぁ。肩が凝った」

 

「アンタが大きいせいで余計に狭く感じたわ」

 

 イクステトラでエール達を見送った後、勝典とヌイは少ない時間の中、未織と打ち合わせを行った。日向姉妹と灰色の盾の関与を警察に知られると厄介なことになるからだ。

 勝典は到着した警察に「新型武器のテストに来たところ、それを狙ったスカーフェイスがイクステトラを襲撃。自分と司馬重工の民警が協力して倒した」と真っ赤な嘘を説明、未織が監視カメラの映像を隠す時間を稼いだ。

 

 警察署の敷地を出ると2人の進路を塞ぐように1台の車が止まる。

 助手席の窓が開き、白髪混じりのオールバックの中年男性が、鋭い視線を勝典とヌイに向けた。勾田署の遠藤弘忠(エンドウ ヒロタダ)警部だ。

 

「よう。大角。お務めご苦労さん。送っていくぞ」

 

「頼む。あと、別に務めてなどいない」

 

 遠藤が運転するファミリーカーの後部座席に勝典が座り、「あいつの隣じゃ狭いだろう」という計らいでヌイは助手席に座っていた。

 移動する車内で勝典は自分が知る日向姉妹の事件の情報を、遠藤は警察が得ている情報と今後の捜査方針について交換する。

 

「外周区に籠るとは、灰色の盾も考えたな。あそこは警察も民警も手が出せない治外法権だ。俺達も姉妹を捕まえられない言い訳に出来る」

 

「今現在、小娘2人を捕らえられない警察はメンツを潰されている。それなのにお前は嬉しそうだな」

 

「俺達だって人間だ。何の罪もない女の子を捕まえて殺すなんて真似はしたくない。だが、現状、それが仕事になってしまっている。何とか彼女たちの侵食率を証明できれば俺達も掌を返せるんだがな」

 

「そっちは司馬重工に任せてある。俺達は俺達にしか出来ない仕事をしよう」

 

「と言うと? 」

 

「義塔から聞いた話だと、昨晩、灰色の盾が日向姉妹を回収しようとした際、警察のヘリが飛んできて姉妹を狙撃したらしい」

 

「何だと! ? 」

 

「幸い姉妹の近くに着弾したが、それで彼女達は警察が姉妹を殺そうとしていると判断したらしい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。おかしいと思わないか? 」

 

「お前が言わんとしていることは分かった。すぐに調べる。警察航空隊には顔が利くんだ」

 

 しばらく走ると外周区と内地を区切る川沿いの道に出た。街灯はほとんど消えており、月明りと車のヘドライトだけを頼りに道を進む。川沿いには互いの往来を遮るためのバリケードが設置されている。遠藤はしばらく走ると路肩に寄せて車を止めた。

 

「遠藤。さっきの件、頼んだぞ」

 

「任せろ。警察(ウチ)に潜んだネズミを炙り出してやる」

 




前回のアンケート結果

詩乃ちゃんの手をゲットした。

(9) あんなことやこんなことに使う      ←
(4) 詩乃ちゃんの代わりとして肌身離さず持つ ←
(3) 捨てる
(15) とりあえず冷凍保管

ウチの読者、吉良吉影多すぎ。


次回「0.4グラムの手掛かり」


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0.4グラムの手掛かり

森高詩乃のウワサ

大食いチャレンジに挑戦し過ぎて出禁になった店がたくさんあるらしい。


 8月11日 午前7時

 

 バンタウの一室に一同が集う。マンションの一室、リビングだった場所にローテーブルが配置され、それを囲むボロボロの革製ソファーに壮助、日向姉妹、エールが座る。詩乃は壮助の傍らに立ち、灰色の盾の古参達は囲の椅子に座ったり、腕を組んで壁にもたれかかったりと思い思いの楽な姿勢で会議に臨む。昨日の酒が残っているのだろうか、二日酔いで頭を抱える者もいる。

 玄関ドアがノックされる。エールの「入れ」という言葉と共に外周区コーデの少女が顔を覗かせる。

 

「ボス。連れてきました」

 

 メンバーの少女が玄関ドアを大きく開くと、勝典とヌイが入って来た。勝典は深刻な面持ちであるのに対し、ヌイは「うぇぇぇ」と外周区の廃墟に対する嫌悪感をそのまま顔に出していた。

 エールが手を差し伸べた先、壮助の隣には一人分のスペースが空いていた。

 

「座っていいわよ。アンタ、ケガ人なんだし」

 

「ああ。助かる」

 

 一人分のスペースでは収まらない勝典の巨体が壮助を圧迫し、座った時の重みで壮助の座高はやや浮き上がる。

 

「大角さん。鍔三木、どうだった? 」

 

「眠ったままだった。俺の呼びかけにも応じなかった」

 

「そうか……」

 

 イクステトラの戦いの後、灰色の盾は死龍こと鍔三木飛鳥を回収。バンタウに連れ帰った。彼女の容態は倉田が診たものの、ろくな設備がないここでは「形象崩壊する様子はない」「眠っていて、いつ起きるか分からない」の二点しか分からなかった。

 彼女はまだ人間の形を保っている。形象崩壊する様子は無いが、意識が無いとバラニウムボックスを使った検査も出来ない。その為、彼女の侵食率がどうなっているのかは分からないままだ。

 倉田は「死龍の毒が体内に漏れたことで毒のウィルス抑制効果が作用しているのかもしれない」と推測している。

 勝典とヌイは到着した直後の昨晩と今朝、飛鳥に面会してきた。しかし、彼女が目を覚ますことは無く、スカーフェイスのことも、ドールメーカーのことも、何も分からず仕舞いだった。

 

「これでようやく揃ったな」

 

 エールの一声で全員が口を閉ざし、彼女に視線を集める。

 

「状況については昨晩、説明した通りだ。死龍は眠ったまま、スカーフェイスは全員ガストレア化、連中の飼い主に繋がる手掛かりは、ドールメーカーと()()だけになった」

 

 エールが中央のローテーブルに置かれた物を顎で指す。死龍をバンタウに運んだあと、彼女から回収した所有物だ。防弾繊維のマント、破れ・解れが酷い衣服、ショットシェルハーネス、スマートフォン、その他諸々の雑品だ。

 

「スマートフォンはナオに調べさせたが、めぼしい情報は何も出て来なかった」

 

「そうなると、ドールメーカーか」――と壮助は呟く。

 

「ああ。スカーフェイスがいなくなった今、売人を守る番犬はいない。まだ手を出していない売人が2~3人いるから、そいつらを捕まえて吐かせようかと思ってる」

 

 美樹は顔が強張り、緊張して固唾をのむ。エール達がどうやって情報を吐かせるか、最悪の手段を想像してしまったからだ。彼女達の拠点からして、資金が豊富には見えない。身体を売るという手もあるがプライドが許さないだろう。そうなると、手段は尋問か拷問に限られる。

 

「多分、売人は捨て駒だ。あいつらの価値はスカーフェイス以下だからな。大した情報は持っていないだろう」

 

 エールがむっとした顔で睨む。

 

「無駄とは言わねえよ。ドールメーカーそのものを手に入れられれば、内地の伝手で成分分析をかけられる。ベースとなった薬品や植物を特定するだけでも飼い主はかなり絞れる筈だ」

 

「分かった。その方針で行こう」

 

 エールは近くの壁に寄りかかるミカンに顔を向ける。

 

「ミカン。ドールメーカーの件はお前に任せた。薬の確保が最優先だ」

 

「了解。ボス」

 

 ミカンは「ふっ」と鼻で笑うと、鈴之音の曲を口ずさみながら玄関から出て行った。

 

 ――ミカン姉ちゃん。カッコいいなぁ……。

 

 美樹は部屋を去るミカンの背中を眺める。学校では「灰髪のイケメン王子」と女子たちにチヤホヤされていた自分が途端に恥ずかしくなった。本物のイケメンというのはエールやミカンのような人を言うんだと――。

 

 美樹の足先に軽い何かが当たり、ガサリと音を立てた。屈んでテーブルの下に手を伸ばすと指先に一枚の紙が当たり、それをつまんで引っ張る。

 紙には大きくマークのようなものがボールペンで描かれており、端には「by Sayaka」と書かれている。

 

「ねえ。エール姉ちゃん。これ落ちてたけど何? 」

 

「ああ。それか。それ死龍の脇腹にあったタトゥーだよ。サヤカにスケッチさせたんだ。外周区じゃタトゥーはチームメンバーの証だったり、身分証明書の代わりだったりするからな」

 

「へぇ~。何か凄い柄だね」

 

 美樹がスケッチをテーブルの上に置いた。

 その瞬間、目にも留まらない速さで勝典が立ち上がり、タトゥーのスケッチを取り上げた。震える両腕で紙を掴み、目を見開いてスケッチのタトゥーを凝視する。

 ()()()()()()()()が目に映った瞬間、取り乱さずにはいられなかった。

 

「これ……本当なのか!? 」

 

「ああ。嘘じゃないさ。疑うなら、あいつの服を捲って確かめて来ればいい」

 

「いや……いい。お前達のことを信じる」

 

 勝典は落ち着きを取り戻し、ソファーに腰を下ろす。深呼吸すると頭を抱えた。

 

「まさか……こんなところで繋がってくるとはな……」

 

「このマーク知ってるのか? どこのチームだ? 」

 

「チーム……というか、五翔会っていう秘密結社だ」

 

「秘密結社ぁ? 」

 

 エールはキョトンとした顔で固まり、ニッキー、サヤカ、アキナは笑いを堪えていた。秘密結社“五翔会”の都市伝説は外周区の赤目ギャングにも伝わっているようだ。

 

「五翔会は確かに実在していましたよ」

 

 ギャング達がティナに振り向く。

 

「6年前、里見蓮太郎は同じエンブレムを持つ機械化兵士と戦っています」

 

 話の続きを乞うように全員がティナを凝視する。

 

「ごめんなさい。私も里見さんから詳しい話は聞いていないんです。分かっていることと言えば、『エイン・ランド博士が協力していたこと』『私を含むNEXTの機械化兵士は五翔会の駒だったこと』それだけなんです」

 

「じゃあ、ランドを調べれば良いんじゃねえのか? 」と壮助が提案する。

 

「ランド博士は数年前に暗殺されていて、彼の研究施設や資料は米軍が押収しています。かなり用心深い方でしたからね。五翔会に繋がる証拠は一切出てきませんでした」

 

「マジっすか」

 

「五翔会が今どこで何をしているのか、存続しているのか滅んだのかさえ、私には分かりません。――ただ、何にせよあれだけの力を持つ機械化兵士を捨て駒として運用できる組織です。都市伝説のように大きな権力を持っていても不思議では無いでしょう」

 

 ティナの言葉には説得力があった。死龍の強さはここにいる全員が知っている。彼女の部下も警備システムを掌握したとはいえ、たった7人で司馬重工の民警を退け、イクステトラを制圧した優秀な兵士だった。

 

「とりあえず、当面の方針としてはドールメーカーと五翔会か……」

 

 壮助はテーブルに広げられた死龍のマントを掴む。他に何か手掛かりになるようなものは無いか、目の前で広げて振るう。

 マントに引っ掛かっていたのだろうか、十字架のアクセサリーがテーブルに落ちた。マントの下に隠した彼女の密かなオシャレ、そんな楽しみすら制限されていた彼女の状況を嘆かずにはいられなかった。

 テーブルに落ちた十字架を詩乃が拾う。

 

「どうした? 」

 

 彼女は十字架を耳元に近付けると、それを揺らした。

 

「壮助。これ何か入ってる」

 

「え? 」

 

 詩乃に十字架を渡されると、壮助は揺らして、中に入っているものの位置やサイズを確認する。確かに中で紙のようなものが擦れる音が聞こえる。

 壊してしまわないよう慎重になりながら、小さな斥力フィールドを作って十字架の端を切断。断面を下に向けて掌に中身を落とす。一見するとガムの包み紙だったが、それを解くと中身が露わになった。

 

「Micro SDカード?」

 

 幅15mm、長さ11mm、厚さ1mm、重量0.4グラム、ガストレア大戦以前から使用されていた記録媒体だ。ガストレア大戦で技術開発が遅れたことから、2030年代後半でもデジカメやスマートフォンといった小型機器に使用されている。

 

「ニッキー。ナオはどうしてる? 」

 

「寝てるわよ。昨晩、泣きながら徹夜でスマホを解析してたから」

 

「叩き起こせ」

 

 エールの冷徹な一言にニッキーとアキナは難色を示す。

 

「いや、さすがに今は……」

 

「お前のおっぱい揉ませてやるって言えば起きるかもな」

 

 アキナは冗談めかしてケラケラと笑う。

 

 

 

 

 

「構わない。起こせ」

 

 

 

「「え? 」」

 

 

 

 

 

「好きなところをいくらでも揉ませてやるから、叩き起こせ! ! 」

 

 

 

 

 

 

 数分後、一同が集まった部屋にナオが運び込まれた。頭はボサボサ、表情はまだ半分寝ており、寝間着姿のままだ。着の身着のまま連行された彼女はエールから事情を聞くと、自前のノートパソコンの用意し、互換機を経由してmicroSDカードを接続する。

 全員が見守る中、キーボードを叩く音が淡々と続く。ナオの表情は次第に険しくなる。額から汗が流れ、終にはキーボードから指を離し、仰臥した。

 

「あー駄目だ。ガッチガチにロックが掛かってる」

 

「何とかならないか? 」

 

「時間かかるよ。最低でも3日は欲しい」

 

「大角さんかティナ先生の伝手で司馬重工に頼めないか? あそこはIT関連にも手を出しているだろ」

 

「あいつらじゃ無理無理。本社ですらセキリュティがガバガバだもん」

 

「ガバガバって……お前、侵入したのかよ」

 

「あそこで使っている財務処理ソフトにちょっとスパイウェアを仕込んだだけだよーん」

 

「ナオさん……」「ナオ姉ちゃん……」

 

 彼女の犯罪行為に対して鈴音と美樹が冷たい視線を向ける。犯罪行為でしか生きられないエール達の事情は知っているものの、ナオのサイバー犯罪は彼女の口振りからして愉快犯のように思えた。被害者が昨日お世話になった司馬重工なのだから尚更の話である。

 

「仕方ないだろぉぉぉ! ! あの時は金欠が本当にヤバくて、インサイダー取引で一儲けしないとウチは経営破綻するところだったんだから! ! 」

 

 壮助は溜め息を吐き、頭を抱えた。死にそうなところを助けられ、イニシエーターの命の危機も救ってもらい、昨晩は楽しく食べて飲んで騒ぎ、今こうして同じ卓で言葉を交わしている彼女達が、犯罪組織なのだと改めて認識させられる。

 

「そこまで言い切るなら、任せたぞ」

 

「了解。タイタニック号に乗ったつもりでいてよ」

 

 ナオはピースサインを壮助に向けた。

 

「それ、沈んでるじゃねえか」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 フローリングの硬さと夏の蒸し暑さに小星常弘は目を覚ました。コンクリートが剥き出しになりひび割れた壁、飛び交う蚊の羽音でここが灰色の盾の拠点で自分達は軟禁されていたことを思い出す。

 常弘と朱理はジープで壮助を届けた直後、灰色の盾の少女達に銃口を向けられた。2人とも赤目ギャングが毛嫌いする民警で、灰色の盾とは初対面ということもあり、敵として扱われた。武器も車もスマートフォンも奪われ、こうして一室に軟禁されたのだ。

 常弘は立ち上がり、キッチンの蛇口を捻る。昨晩もそうだったが、外周区の廃墟でありながら電気と水道が整備されていることに驚かされる。

 お腹を壊さないことを祈りながら水を喉に流し終えると、朱理が目を覚ました。

 

「ツネヒロ~。私にも水ちょうだい~」

 

 そう言いながら、朱理は背後から常弘に抱き付く。剥き出しの肌と肢体が絡みつき、身も心も余計に熱くなる。

 

 

 

 ガチャリ――と玄関ドアを開く音がした。

 玄関リビングを繋ぐ短い廊下に目を向けると、ズボンのポケットに手を突っ込んだ壮助が立っていた。昨日の瀕死っぷりが嘘だったようにその態度は生意気だ。

 

「よう。小星。那沢。()()()()  ()()()()()()()()()

 

 一瞬、常弘は彼の言っていることが分からなかったが、自分の上半身が肌着一枚であることを思い出した。昨晩、あまりの蒸し暑さに服を脱いだのだ。それは朱理も同じであり、彼女も夜の内にトップスとスカートを脱ぎ捨て、下着姿になっていた。

 一応言っておくが、()()()()()()は致していない。

 

 常弘は前に出て壮助から朱理を隠すように立ち、その間に朱理は脱ぎ捨てた服を拾って着替える。常弘は服の擦れる音と共に背後から朱理の怒りに満ちた視線を感じていた。

 

「暑かったから脱いだだけだよ。今、真夏だし。ここクーラーないし。こっちは蒸焼きだよ」

 

 監禁されている中で服を脱いで爆睡する自分と相棒の危機意識の欠如に飽きれ、頭を掻く。それともこういうのは胆力がついたと肯定的に捉えるべきかとも考える。

 

「悪かったな」

 

「傷、大丈夫なのかい? 森高さんは? 」

 

「どっちも問題ねえよ。無事だ」

 

「そうか。良かった」

 

 常弘は安堵し、ほっと胸を撫でおろす。その優しそうな表情は彼の善人さを的確に表している。

 

「とりあえず、外周区ブレックファーストと洒落込みながら、仕事の話をしようぜ」

 

 壮助の笑みを見て、自分達は彼の悪巧みに加担させられるのかと頭を抱えた。




・活動報告について

今までTwitterに載せていた次回予告(サザエさん風や台本形式のSS)を活動報告にも載せています(過去の分も含めて)。興味がありましたら是非。

・前回のアンケート結果

エール「お前、見込みあるな。灰色の盾に来いよ」

(14) どこまでも付いて行きますぜ!!ボス!!
(8) 給料と福利厚生次第じゃ考えなくもないかな
(0) 犯罪組織とか外周区生活とか無理
(10) お前が俺の女になれよ

意外と人気あるんだな……。灰色の盾。
募集要項がこんな感じなのに……


学歴不問!!未経験者歓迎!!能力次第では報酬UP!!
若手(10代)中心の勢いがあるチーム!!
依頼に応じてカッコいい武器と共にこなすやりがいのある仕事です。
可愛い女の子がたくさんいる明るくアットホームな職場で共に頑張りましょう。
給与■■■円
(コンビニバイトより安いし、最低賃金以下だし、支払いが滞ることもある)
福利厚生:なにそれ?雇用保険?おいしいの?



次回「我堂の異端児」


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我堂の異端児

小星常弘のウワサ

よく芸能事務所にスカウトされるらしい。


那沢朱理のウワサ

常弘には自分だけのアイドルでいて欲しいらしい。


 ひび割れたレンガ道、パーツが抜かれボディだけが残った廃車、スプレーで乱雑に描かれたストリートアート――それらに囲まれたバンタウ1階の中庭で常弘と朱理は外周区ブレックファーストと洒落こんでいた。

 どこかの家具屋から盗んだ傷だらけのマボガニーチェアに座り、2人は賞味期限切れのコンビニ弁当を平らげる。

 食事をする小星ペアを組み込む形で、義搭ペア、日向姉妹、エールが円陣となって向かい合って座っていた。

 

「とりあえず、これが俺達の現状だ」

 

 食事の間、壮助からこれまでの経緯を説明された。空になった器をテーブルに置き、常弘は「ふぅ」と一息つく。

 

「なるほど……。それなら君達が警察から逃げて外周区に籠る事情も分かる」

 

 常弘はすんなりと壮助の話を受け入れた。壮助がつまらない嘘を吐くような人間でないことを知っていたからだ。また話の内容が調査を進めていたスカーフェイスと呪われた子供の集団失踪事件と符合する点もあった。

 

「うぅ……えっぐ……なにそれ……しんどい。鈴音ちゃんと美樹ちゃんが何をしたって言うのぉ……」

 

 親の死に想うところがあったのか、朱理は我が身の出来事のように泣いていた。涙声と鼻を啜る音が止まる気配がなく、彼氏らしく常弘が肩を抱き、胸を貸す。

 

「あー……話の続きしてもOK? 」

 

「うん。僕が聞きたいからお願い」

 

 壮助は話を仕切り直すため、一呼吸する。

 

「昨日の話なんだけど、『我堂は警察と厚労省の発表を信用していない。協力するフリだけをしている』これは本当か? 」

 

「我堂全体って訳じゃないけどね。こっちも確証がある訳じゃないし、警察や省庁とも取引がある手前、大々的に動くことも出来ない。現状、君達に協力することがテロ幇助になるからね」

 

「だから動かせる駒が限られているって訳か」

 

「ウチも一枚岩じゃないからね。下手に増やすと社長を貶めようとする裏切り者が出る可能性が出て来る」

 

「裏切り者? 」

 

 その状況に日頃から悩まされている常弘はため息を吐く。そして、エール、鈴音、美樹がいる方へと目を向ける。

 

「本格的な説明をする前に一つ。君達は我堂長正(ガドウ ナガマサ)という人物を知っているかな? 」

 

「いや、知らねえな」とエールは即答。

「ごめんなさい」と鈴音も困り顔で答える。

「えーっと、戦国武将? 」と美樹は頓珍漢な答えを出す。

 

「義塔くん。答えを」

 

「はいよ」と言って、壮助は不正解者3名に優越感に浸った笑みを見せる。

 

「我堂長正は我堂民間警備会社の創設者にして、第三次関東会戦に結成された民警軍団の初代団長だ。IP序列275位。“知勇兼備の英傑”と讃えられていた。我堂流剣術と武者鎧型の強化外骨格(エクサスケルトン)で接近戦は高位序列のイニシエーターに匹敵する強さを誇り、スタンドプレーヤーだらけの民警軍団を纏め上げる知性とカリスマも持っていた。だが、第三次関東会戦で大ボスのアルデバランと直接対決の末、戦死した」

 

 壮助の模範解答に常弘は軽い拍手を送る。意外に真面目な解答で鈴音と美樹は目を丸くした。

 

「義塔の兄ちゃん、変なところで物知りだね」

 

「まぁ、東京エリア民警の義務教育みたいなもんだしな」

 

 壮助は“変なところで”という部分を無視し、ふふんと誇らしげに腕を組んだ。

 

「それじゃあ、話の続きに入ろう。第三次関東会戦で長正さんが戦死した後の話だ」

 

「後継者問題だね。我堂民間警備会社は社長である長正がブレインとなり、一芸に特化した部下を動かす強固なトップダウン型の指示系統を取っていた。それがトップを失ったことで麻痺してしまい、関東会戦最後の作戦『レイピアスラスト』で彼らは組織として上手く機能出来なかった。それは関東会戦後も続いて、一時期は民警会社としての存続すら危ぶまれた。その時に新社長として指名されたのが長正の弟、我堂善宗であり、彼の選出が起死回生の一手となった」

 

 常弘は、これから言おうとしていたことを詩乃に全て言われた。一瞬、何を喋っていいのか分からなくなり、硬直する。

 

「……森高さん。僕が言う前に全部喋らないでくれるかな」

 

「ごめん」

 

 常弘は仕切り直すために咳払いする。

 

「善宗さんが我堂民警会社を再興させたのは事実だ。彼は我堂民間警備会社を立て直すだけでなく、倒産しかけていた我堂グループの企業も取り込み、純粋な戦闘集団だった我堂を東京エリア全体の民警業をカバーする多角経営の総合企業に発展させたんだ」

 

「良いこと尽くしじゃねえか」

 

「そうでも無いんだよ。厳格な武人そのものだった兄に対して、善宗さんは自由奔放で型破りな人だからね。やり手ではあるんだけど同時にとんでもない問題児で、その点で善宗さんを快く思わない人は多いんだ。閑職に追いやられたり、降格させられたりした人もいるしね」

 

 壮助は意外だと感嘆する。小星ペアをはじめ、我堂の民警とは何度か現場で顔を合わせているが、全員が真面目かつ職務に忠実な人柄だった。大企業ながらスタッフの意思統一がなされていると思っていたが、実態はそうでもなかったらしい。

 

「なるほど。そっちの事情は分かった。それなら良い提案がある」

 

 笑みを浮かべる壮助を見て、常弘はぎょっとした。悪辣だった。今、()()()()()()()()()()()()と尋ねられると「義搭壮助だ」と即答してしまうくらいには酷かった。

 

「小星。お前の仕事を灰色の盾に委託しないか? 」

 

「どういう意味だ? 」

 

「日向姉妹はこのまま外周区に残し、灰色の盾に守らせるんだよ。我堂にとっても悪い話じゃない筈だ。姉妹の護衛に割く人員を削減できるし、我堂が姉妹を匿うリスクも避けることが出来る。ちょっとばかし、金と武器弾薬を恵んで貰うけどな」

 

「いや、駄目だ。いくら外周区に警察の手が届かないとはいえ、治安が悪すぎる。このマンションの周囲は全部、敵対するギャングチームのナワバリなんだろ? 」

 

「灰色の盾ならそこは問題ない。この辺りのチームは灰色の盾に手を出さないのを見ただろ。車にマーク書いただけで素通りだったじゃねぇか。そんなに心配なら、お目付け役として我堂の民警を何人かこっちに派遣すればいい」

 

 ふと常弘はエールに目を向ける。勝手に組織の方針を決められた彼女がご立腹ではないかと心配したからだ。しかし、彼女は腕を組んで静かに2人の話を聞いていた。おそらく壮助の提案も事前に聞かされていたのだろう。彼女は納得している様子だった。

 壮助が突き付ける我堂にとってのメリットにも反論の余地はなく、常弘は押し黙った。それだけではない。日向姉妹にとってどっちに守って貰える方が良いのかを考えた時、彼の中でも灰色の盾という答えが出てしまったからだ。

 

 安全という面では我堂に保護されるのが良いのだろう。設備は揃っており、生活環境も外周区とは比べ物にならない。死龍のような機械化兵士が来たとしても我堂のセキリュティやIP序列1000番台のペアが対応。いざとなれば、朝霞が出れば問題ない。

 だが、安心という面ではどうだろうか。両親を目の前でガストレア化され、偽装された侵食率で警察に追われる身となった彼女達に今一番必要なのは心のケアであり、一度、落ち着くための時間と場所だ。灰色の盾はリーダーと幹部が幼馴染であり、何度も姉妹の命を救って信頼を獲得している。昨晩、軟禁されている時にドアの隙間から外を覗いたが、灰色の盾に打ち解ける光景も見えた。

 

 ――そうなると、後は本人の意志か。

 

「鈴音さん。美樹さん。君達はどちらが良い? このまま灰色の盾に匿われるか、我堂家の別荘に匿われるか」

 

 2人に悩む時間は無かったのだろう。彼が質問している時点で2人は覚悟を決めていた。

 

「ごめんなさい。出来れば、もう少しみんなと一緒にいたいです」

 

「せっかく会えたし、もっと色んな話とかしたいしね」

 

「分かった。身勝手な質問をしてすまない」

 

 常弘も2人がそう答えるのは想定済みだった。むしろ、そう言ってくれたことで灰色の盾と我堂民間警備会社の間にわだかまりを作らなかった彼女達に感謝すらしていた。

 

「じゃあ、俺の提案はOKってことで――「いや、まだだね」

 

「は? 」

 

 壮助の表情が途端に不機嫌になる。ようやく終わったと思った交渉をひっくり返されたからだ。これ以上の何を要求するのかと言いたげに常弘を睨む。

 

「この件は、僕が返答できる権限を越えている」

 

「お前、なにサラリーマンみたいなこと言ってるんだよ」

 

「みたいじゃなくて、サラリーマンだよ。企業に勤めて給与を得ているからね」

 

「じゃあ誰と交渉すれば良いんだ? 」

 

「ウチの社長だよ」

 

 常弘はニヤリと笑みを浮かべた。それは壮助を挑発するようで、試しているようだった。普段の清楚で爽やかな雰囲気とは打って変わり、彼も腹に一物抱えているのが窺えた。

 

「義塔くん。君をウチの本社に連れて行く。そこで東京エリア最大の民警会社を口説いてみないか? 」

 

壮助は鼻で笑い飛ばす。

 

「なにその安い挑発。サイコーじゃん。

 

 

 

 

 

  ――――――乗ってやるよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 常弘は灰色の盾から返して貰ったスマホで連絡を入れる。相手はおそらく我堂社長だろう。彼の返答や表情を一同が見守る。通話は5分ほどで終了し、常弘は「失礼します」と言って切電した。

 

「社長には話を通した。警察に見つからない移動手段も提供するそうだ」

 

「とりあえず、会う価値はあるって思ってくれたか」

 

 壮助は一安心し、だらしなく姿勢を崩す。

 

「条件を付けられたけどね」

 

「条件? 」

 

「来るのは義搭壮助、日向鈴音、エールの3名のみ」

 

 人数の制限は密会の秘匿と移動手段の都合で仕方ないと常弘は語った。メンバーも計画の立案者、顧客、現場の責任者と意思決定権を持つ者が揃っている。

 不安な点があるとすれば、我堂との交渉が決裂し武力行使された時だ。人数もさることながら、壮助は朝霞との戦いで左腕が使えず、エールも死龍戦の傷がまだ治っていない。我堂の優秀な民警達と朝霞を相手にしながら逃げられる可能性は限りなく低かった。

 しかし、駄々をこねても仕方ないと3人はそれを了承した。

 

「話は決まったようだな」

 

 しばらく席から離れていた勝典が戻って来た。彼は両腕を挙げて力こぶを作り、その下には双子の少女がぶら下がって遊んでいた。バンタウに来た時から、彼は双子に気に入られたようで、今朝からずっと遊園地のアトラクションのように遊ばれている。

 傍らにはヌイが「ケガ人のくせに……」と言わんばかりに腕を組んでプロモーターの様子を見守っている。こうしてみると3児の父親のように見える。

 

「もし会えたら、松崎さんと千奈流によろしく伝えておいてくれ」

 

「え? 」

 

 勝典の言っていることがよく分からなかった。

 

「そういえば、言ってなかったな。2人の護衛、()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 その部屋は美術館のようだった。壁は絵画で埋め尽くされ、デスク回りも壺や彫像が置かれ、部屋の至る所に仏像やギリシャの彫刻、日本刀、ネイティブアメリカンの仮面、etc……が雑多に置かれている。ガストレア大戦では多くの美術品が失われ、残ったものの価格は高騰している。この部屋にあるものだけで一体いくらになるか想像も出来ない。

 贅の限りを尽くし、絢爛豪華なここは我堂民間警備会社の社長室であり、最奥の社長席で善宗はスマートフォンを耳に当てていた。

 通話が終わると善宗は中央にある応接用のソファーに目を向けた。そこには老人と20代の女性――松崎民間警備会社の社長である松崎と事務員の空子が座っていた。

 

「今、ウチのプロモーターから連絡がありましてね。義搭ペア、日向姉妹とのコンタクトに成功したそうです。4人とも無事で姉妹の侵食率も偽装されている可能性があるとか」

 

 それを聞いた瞬間、空子から安堵の声が漏れる。

 

「良かったぁ……」

 

「お心遣い感謝します」

 

 松崎が立ち上がり、善宗に向けて上で頭を下げる。

 

 「お気になさらないでください。同業者の(よしみ)ですから」

 

 善宗は松崎の肩を押して座るよう促した後、自身も近くの革ソファーに腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 「それに個人的な興味があるんですよ。里見蓮太郎へ最も近づいた民警に」

 




前回のアンケート結果

“おたのしみ”しないと出られない部屋に閉じ込められた!!
一番最初に出て来るのはどのペア?

回答
(10) 壮助と詩乃
(15) 蓮太郎とティナ
(10) 常弘と朱理

男性陣は法律とか、貞操とか、覚悟とか云々で最初は躊躇うので、
「女子がいかに早く男子をベッドに押さえつけて、既成事実を成立させるか」
のスピードで勝敗がつきそう。

その点で言えば、現在、戦闘力皆無の蓮太郎が真っ先に敗北する。


次回「蟻のひと噛み」


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蟻のひと噛み 前編

義搭壮助のウワサ

ポールダンスが出来るらしい。


 我堂民間警備会社から「手配が完了した」と連絡が来たのは、30分後のことだった。おそらく日向姉妹を我堂へ運ぶために用意していたルートを使うのだろう。

 小星ペア、壮助、鈴音、エールの5人は外周区近くに手配された高級ミニバンに乗り込むよう指示された。5人が乗ったのを寡黙な運転手が確認すると内地の道路を走行。警察の検問でも運転手と警察官が一言交わすだけで終わり、中を検められることはなかった。

 これといった危機的状況に陥ることなく、6人はスムーズに本社に辿り着いた。運転手に車を任せ、常弘と朱理に連れられ、社長室へ続く廊下を歩く。

 

「社長。失礼します」

 

 常弘は扉を開けた。彼は全員が社長室に入ったことを確認すると静かに扉を閉める。

 ドアの隙間から見えた時から、そこが普通の空間でないと壮助、鈴音、エールは理解した。このフロアの半分は社長室なのだろう。走り回れるくらいの面積を誇っているが、執務用のデスク、応接用のテーブルとソファー、そして無造作に並べられた美術品によって狭く感じる。骨董品オタクのコレクション部屋のようだ。

 入った瞬間、鈴音は左右を見渡し、「すごい」と小さく言葉を漏らす。

 芸術や骨董のなんたるかを知らないエールですら、混沌とした空間に絶句する。

 

「ようこそ。我堂へ。姫君と忠義の騎士達」

 

 最奥の社長席に我堂善宗が座っていた。彼はデスクの上に足を乗せ、手を頭の後ろに置いて天井を眺めていた。少し首を動かして壮助たちを一瞥する。ゴムで束ねただけの揺れる黒髪、無精髭、スーツの独特な着方、彼の流浪人のような風貌は客人が来たとしても変わらない。

 3人は絶句し、常弘と朱理はため息を吐く。

 セキリュティの関係上、民警会社の社長がメディアに姿を見せるのは珍しいため、どんな人間かは知らなかった。現場の民警たちや長正のように堅実な人間だと勝手にイメージを抱いていたが、実際はその真逆だったようだ。感性の尖った芸術家やデザイナーと言った方がしっくりくる。

 善宗はデスクから足を下ろし、面倒くさそうに立ち上がる。

 

「外周区からの移動で疲れただろう。ソファーに座り給え。長話にもなりそうだからね」

 

 善宗が手を伸ばす先には応接用の空間があった。

 ローテーブルには「義搭壮助様」「日向鈴音様」「エール様」と書かれたカードが置かれており、それに従って3人がソファーに腰を掛ける。2人掛けのソファーに鈴音とエールが座り、1人掛けのソファーに壮助が座る形になる。

 テーブルに常弘と朱理の名前はない。2人は応接用のスペースに行かず、善宗に歩み寄っていた。彼の前で姿勢を正すと常弘は口を開き、何かを語り掛けている。

 

「義塔くん。日向さん。無事で良かったです」

 

 先客として座っていた松崎が声をかけてきた。

 

「心配かけました」

 

「森高さんと美樹さんは? 」

 

「まぁ色々あって危なかったっすけど、2人とも無事っす」

 

「それは良かった」

 

「アンタ。鈴音ちゃんと美樹ちゃんに変なことしてないでしょうね」

 

 ――と同じく先客の空子が詰め寄る。

 

「してねえし、んなこと出来る状況でもねえよ。やったら赤目ギャングのおっかねえリーダーにブチ殺されちまう」

 

 返答しながら壮助は親指でエールをさす。空子はエールの顔を見る。外国交じりの美しい顔立ちに見惚れそうになるが、彼女が犯罪組織のリーダーであることを思い出してうっとりする心を払拭する。

 

「エールだ。とりあえず、敵じゃないと思ってくれればそれでいい」

 

「鈴音と美樹の昔馴染みって奴だ」

 

 空子は一瞬、硬直した。内地に住む善良な市民である日向姉妹と外周区の赤目ギャングであるエールとの接点が見いだせなかったからだ。しかし、そこに「日向姉妹は呪われた子供である」という情報を付加すると、全てに合点がいった。

 

「あー……うん。分かった。今、何となく理解した」

 

 空子は額を指でこねくり回した後、考えることを諦めて両手で顔を覆う。

 

「ねぇ。これ、華麗になんて説明すればいいの? 鈴音ちゃんと美樹ちゃんは赤目ギャングの友達に保護されて、外周区で暮らしていますって言えばいいの? 」

 

「ああ。伝えても構わないが警察にバレない範囲で頼む。電話とメールも無しだ。口頭で伝えてくれ」

 

「分かった」

 

「千奈流さん。すみません」と鈴音が頭を下げる。

 

「気にしなくていいよ~。ウチは義塔のバカのせいで警察に言えないあんなことやこんなことをたくさん抱えちゃっているから」

 

「サーセン」

 

 背後でお茶を淹れる音を聞きながら、壮助達は各人の無事と2~3日ぶりの再会を喜ぶ。

 

「粗茶でございます」

 

 背後から女性の声と共に綺麗な手が視界に入った。緑茶の入った湯呑が茶托と共に目の前に置かれる。

 

「あ、どうも……ッ! !

 

 壮助は口に含んだお茶を“彼女”の顔に噴き出しそうだった。それもその筈だ。今から約20時間前、貨物列車と沿線のビルを巻き込んだ大激闘の相手――壬生朝霞――が何食わぬ顔で茶を配っていたのだから。昨日の件が無かったとしても東京エリア№2のイニシエーターがお茶配りをしている光景は何とも言い難かった。

 鈴音たちにもお茶を配る最中、朝霞も壮助がこっちを見ていることに気付いた。

 

「左腕の加減は如何でしょうか」

 

「え? ああ。これか。何ともねえよ。痛みもないし、1ヶ月もすれば骨もくっつくからな。強いて言えばギプスのせいで指が動かし辛いぐらいか? 」

 

 全員に茶を配り終えると朝霞はテーブルに盆を置き、膝を曲げて床につける。

 

「昨日の件につきましては、こちらの手心が足りず大変申し訳ありませんでした」

 

 両掌を地面に当て、壮助に対し深々と頭を下げる。目の前で手本のような綺麗な土下座をされ、壮助はたじろぐ。昨日の件で彼女を(なじ)ってやろうと思っていたが、ここまでされるとする気が起きなくなる。心なしか松崎達からの視線も痛い。

 

「治療費がそっち持ちなら文句言わねえよ。慣れてるし。そういう仕事だし」

 

「寛大なご配慮を賜り、誠にありがとうございます」

 

「分かったからもう顔上げてくれ。見ているこっちが辛い」

 

 朝霞は再び立ち上がると壮助に再び一礼すると松崎と空子の背後を通り、壮助からテーブルを挟んで対面にあるソファーの傍らに立つ。

 

「ここの席が埋まるなんて何年振りかな~。役者が揃った感があるよ」

 

 朝霞が傍らに立つソファーには善宗が座っていた。足を組み、アームレストに肘を立てて頬杖をついている。彼の背後には朝霞と小星ペアが立っており、その様は武将と家臣のようだった。

 

「まだ自己紹介をしていなかったね。我堂民間警備会社・社長 我堂善宗だ。今後ともよろしく」

 

 そう言って善宗は指で名刺を飛ばす。手品のように指から飛び立った名刺は手裏剣のように回転し、3人の手元に飛来。その受け取り方で各々の育ちが見えて来る。

 善宗の視線が一番近くに座る鈴音に向けられる。

 

「君が日向鈴音ちゃんだね? テレビで活躍は見ているよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いやぁ~やっぱり本物は華があるね~。こんなタイミングでなければ、サインとかツーショットとかお願いしたいところだよ。この事件が終わったらお願いしてもいい? 」

 

「ええ。大丈夫ですよ。ただSNSへ上げる場合は一度、事務所と相談させて下さい」

 

 鈴音はニコッと仮面のような笑顔を善宗に向ける。朱理の時もそうだったが、芸能人をしていると、こういうことを何度も経験するのだろう。その対応は丁寧かつ慣れていた。

 続いて善宗の視線はエールに向けられる。

 

「君は、灰色の盾のエールちゃんで良いのかな? 」

 

「名前は知っていたけど、こんな別嬪さんとは思わなかったよ~。ウチで――「断るッ! ! 」

 

 

 即答だった。

 

 

 善宗は笑いながら額をパチンと叩き、天井を見上げる。

 

「たっは~。こりゃ手強いねぇ。朝霞ちゃ~ん。おじさんフラれちゃったよ~」

 

「当然の反応かと」

 

 朝霞は置物のように瞼を閉じたまま、最低限の言葉で返答する。善宗の背後で常弘と朱理は頭を抱え、溜め息を吐く。何を言わんとしているのかは表情と仕草だけで伝わる。普段、この社長に3人がどれだけ振り回されているのか容易に窺えた。

 

「で、そこの君が義搭壮助くんだね」

 

 

 

 

 

 

 一瞬で空気が変わった。

 

 

 

 

 

 鈴音とエールを口説いていた時の軽々しい所作は鳴りを潜め、善宗は静かに鷹のように鋭い目で壮助を見据える。日向姉妹護衛の件で誰と交渉するべきなのかを既に理解しているのだ。その視線だけで彼が単なる女好きのおじさんでは無く、東京エリア最大の民警企業を作り上げた実力者であることを思い出させる。ただ見られただけで壮助は緊張し、周囲も2人の動向を見守る。

 

「我堂社長に知って頂けるとは光栄っすね」

 

「君はちょっとした有名人だからね。小星くん達から話を聞いているのもあるんだけど、それ以上に我堂の社長としても個人としても君には興味がある」

 

「我堂社長は男色の気をお持ちでしたか」

 

「冗談きついね~。おじさんはノーマルに女の子が大好きだよ」

 

 鈴音が微かに善宗から身を引かせ、エールに詰め寄る。

 

「義塔くん。里見蓮太郎は強かったか? 」

 

 壮助はさほど驚かなかった。里見事件は「自衛隊と空港に居合わせた民警が団結し蓮太郎を倒した」というのが公式発表であり、義搭ペアの関与は一切報道されていない。だが、聖居の情報封鎖が甘いのだろう。鈴音達が蓮太郎と壮助の繋がりを見つけたように独自の情報網を持つ我堂が自分に辿り着くのはそうおかしい話ではなかった。昨日の戦いで朝霞に機械化兵士の能力を見せているのも理由として大きい。影胤のそれと使い方は大きく異なるが、第三次関東会戦で戦場を共にした彼女なら壮助の能力がイマジナリーギミックであると見抜いていただろう。

 

 ――しらばっくれても無駄か。

 

「ええ。強かったっすよ。実力差があり過ぎて瞬殺されるぐらいでしたからね。そういうことなんで、話せることと言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ぐらいっすかね」

 

「ふぅん……。そっかぁ。それは残念だなぁ」

 

 善宗はあっさりと引き下がった。壮助が嘘を吐いているのを見透かしているようだったが、初対面の関係でこれ以上のことは聞き出せないと判断したのだろう。蓮太郎に関して追及することは無かった。

 

「さて、本題に入ろうか。灰色の盾が日向姉妹を匿う君のプランなんだけど……」

 

 そこから善宗の言葉が止まる。YESなのかNOなのか、そこにいる全員が固唾を飲んで解答を待つ。某クイズ番組の司会者のように神妙な顔で溜めて、溜めて、溜めて、溜めて、溜める。

 

 

 

 

 

 

 

「ウチとしては全然オッケー! ! 」

 

 

 

 

 

 ひょうきんな解答に安堵すると同時に一気に力が抜ける。常弘に「我堂を口説いてみるか」と発破をけられた壮助としては今までの緊張は何だったのかと問いたいぐらいあっさりと事が進む。

 

「むしろ願ったり叶ったりだよ。ちょっとお金を出すだけであらゆるリスクを回避することが出来るからね。ちなみにお値段はおいくら万円? 」

 

「移動中に出した概算になるけど、こんな感じっす」

 

 壮助はスマートフォンをポケットから取り出し、メモ帳アプリを開いて善宗に見せる。壮助は画面をスワイプさせて善宗に文面を見せていく。

 

「ちょっと高いな~。まぁ、でも別荘で鈴音ちゃん達を匿うリスクを考えたら安い買い物か。これ、ウチから出すお目付け役の生活費も入ってる? 」

 

「2~3人程度を想定して入れてあるっすよ」

 

「それなら納得。じゃあ、契約は成立ってことで――」

 

「いや、最後に一つだけ。確認したいことがあるんすよ」

 

 壮助がスッとスマホを引き、善宗から離す。

 

 

 

 

 

「我堂社長。俺達に協力することで、アンタは何を得るんだ? 何が目的なんだ? 」

 

 

 

 

 

 壮助の目が変わる。睨むように鋭く、周囲の雑多な美術品も人のことも無視し、ただ目の前の善宗を見据える。

 

「俺達の目的は鈴音と美樹の無実を証明して、この件を仕組んだ奴らをぶっ殺すことだ。金も栄誉も欲しけりゃくれてやる。だが、もし事件の()()()()()()を俺達と違うところに見据えているなら、回答次第では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 壮助の言葉で全員が気付く。善宗は何の為に動いているのか、その理由を一度たりとも話していない。彼にとっての利益と損失は何か、見返りとして求めるものは何か、動機は善意か、正義か、欲望かも分からない。

 

 

 善宗が鼻で笑う。

 

 

 

 

 

「鈴音ちゃんを革命の扇動者(アジテーター)にする為さ」

 




想定以上に長くなりましたので、前後編に分割しました。
サブタイトル「蟻のひと噛み」の意味についてはまた次回。

前回のアンケート結果


PS6新作ソフト「長正の野望」発売決定。誰を家臣にする?

(3) 自由奔放な傾奇者「善宗」
(15) 忠義に生きる女武者「朝霞」
(0) 美貌にして乗馬の名手「常弘」
(4) 農民上がりの奇策士「壮助」
(5) 南蛮から来た山賊王「エール」

まぁ、こういう結果になるだろうなとは思っていました。
(むしろ圧倒的一位じゃなかったら、朝霞ちゃんが泣く)
個人的には壮助とエールに票が入ったことに驚いています。
そして常弘ェ……。
まぁ、後々明かされる設定を考えたら、この中で一番長正の家臣として合わない人物なので妥当かもしれません。


次回「蟻のひと噛み 後編」


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蟻のひと噛み 後編

我堂善宗のウワサ

世界中のエリアに愛人がいるらしい。


 2031年 夏

 

 第三次関東会戦からしばらく経ち、戦死した我堂長正、息子の我堂英彦の葬儀が執り行われた。我堂家の邸宅では大勢の親族と関係者が参列し、2つの棺桶を前にして焼香を上げる。

 棺桶の片方には死に装束の長正が収められている。もう一方は空っぽだ。ガストレアに丸呑みされた英彦は肉片一つ遺らなかった為、空っぽの棺桶に遺影が入れられている。

 土砂降りの雨が傘を打つ音を聞きながら、我堂善宗は葬儀場に足を踏み入れる。自分を知る者から怒気に満ちた視線を向けられる。「我堂の恥」「落伍者」「欠陥品」と親族に罵られる彼にとってはいつものことだが、ちゃんと喪服を着てきた今でも睨まれるとは思わなかった。

 香典を受付の女性に渡すが、彼女にも親の仇のように睨まれ、受け取りを拒否される。

 

「兄と甥が死んだんだ。焼香の一つぐらい上げさせてくれよ」

 

 受付の女性は目を逸らすと「手短にお願いします」と呟き、香典を受け取る。

 周囲からの殺意を浴びながら善宗は堂々と棺の前へ歩く。かなり遅れてやって来たのか、棺周辺の人はまばらになっており、親戚たちは葬儀場の外で昔話に花を咲かせている。

 善宗は焼香を済ませると、人知れず遺影と画材が入った棺桶を覗く。

 

 ――英彦。お前の絵は好きだったよ。画家を続けさせてやれなくて、すまない。

 

 続いて死に装束姿の長正が入っている棺桶に振り向く。英彦には悲哀の目を向けた彼が長正には怒りを込めて睨みつける。

 

 ――強敵との一騎討で戦死だなんて……まぁ、これ以上なく兄さんらしい死に方だよ。尻拭いは里見蓮太郎がやったし、さぞ満足だろう。遺されたこっちの気も知らずにさ。

 

 善宗は長正の棺に小さな木箱を入れた。そして踵を返し、再び親族に睨まれながら葬儀場を後にする。

 雨が傘を打つ音に包まれながら庭を歩き、敷地を出る。

 門前の道路を車が往来する。善宗は少し離れたコインパーキングに自分の車を停めており、信号が青になるまで横断歩道の前で足を止める。

 向かいの歩道で小さな影が見えた。青色を基調とした酔狂な和装束、透明のビニール傘越しに黒髪の少女の顔が見えた。

 

 ――あの子が、壬生朝霞か。

 

 以前、酔った長正に写真を見せて貰ったことがある。酒で顔を赤くし、我が娘のように嬉々と語る彼のことは今でも覚えている。

 朝霞はただ黙って我堂邸の正門を見つめていた。誰かを待っている様子はなく、小さな手は握りこぶしを作っていた。我堂家の人達を恨んでいるようだ。

 見るに彼女は葬儀場に入ることを許されなかったのだろう。長正に仕え、彼と共に戦場を駆け抜けた彼女でさえ呪われた子供であるという理由だけでこの仕打ちを受ける。もし長正がこの光景を見たら、憤慨して親族全員を正座させて怒鳴り散らしていたかもしれない。いや、怒鳴り散らしていた。

 信号が青になり、善宗は横断歩道を渡る。

 

 そして、足を止めた。

 

「壬生朝霞ちゃんだね」

 

 名を呼ばれて朝霞が見上げる。善宗は膝を曲げて屈み、朝霞と視線の高さを合わせる。

 

「初めまして。おじさんは我堂善宗。君のプロモーター、我堂長正の弟だ」

 

「貴方が……」

 

 朝霞も以前、長正に写真でも見せて貰ったのだろう。目の前の人物が長正の弟であることを疑わなかった。

 

「何か……御用ですか? 」

 

「おじさん。美術商をやってたんだけど、仕事に飽きちゃってね。次はもっとスリリングな仕事をしようと思っているんだ。そう……例えば、()()とかね」

 

「二君に仕える気はありません」

 

 朝霞は睨みながら答えると、ぷいっと顔を逸らす。

 

「構わない。君にとっての主君は我堂長正だ。何年経ってもそれが変わることは無い」

 

「……」

 

「おじさんは仕事を頼んでお金を払う。朝霞ちゃんは報酬に応じて実行する。君と結ぶのは主従関係ではなく、対等な契約だ。どう? これなら仕えるには当てはまらないだろう? 」

 

「詭弁ですね」と朝霞は善宗を睨む。

 

「ああ。詭弁さ。でも悪くはない」

 

 目を見て、我堂善宗がどんな人間かをこの場で見極める。善宗は自信満々に目を輝かせ、荒く鼻息を出す。見た目も性格も長正の弟とは思えない、全く異なる性質の人間であることが容易に窺える。

 だが、彼がどんな人間であると関係ない。我堂善宗はこの場で唯一、罵倒以外で自分に声をかけてくれた、自分のことを認めてくれた唯一の人間なのだから。

 

「おじさんと一緒に、あそこの成金連中を黙らせようか」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 6年後

 

 我堂民間警備会社の社長室で放たれた言葉に壮助が驚愕した。善宗が鈴音たちを助けるのは、正義や善意ではなく利益に基づくものだと思っていた。しかし、「革命」という言葉が出てくるとは微塵も思わなかった。

 常弘と朱理、朝霞は事前に話を聞かされていたのだろう。3人は涼しい顔で状況を見守る。

 

「ははっ。『革命』? 金も地位も名誉も手に入れた我堂のトップが今の体制を崩してまで何を手に入れようって言うんだ? 」

 

「呪われた子供の社会的地位の向上かな」

 

 壮助の問いに対して善宗の返答はふわっとしていた。何を言っているのか分からない。呪われた子供の地位向上と彼の立場、そして彼が得るであろう利益の繋がりが見えない。目の前のオッサンは変なお薬でもキメてしまったのかと一瞬疑わしくなる。

 

「6年前、聖天子はガストレア新法を公布し、施行させた。これによって法律上は普通の人間と呪われた子供の差別がなくなった。だが、実態はどうだ? まだ大半の学校は何かと理由をつけて入学を拒否または退学を強要し、民警業界はイニシエーターを捨て駒扱いするプロモーターが多数派で、少し裏通りを歩けば違法風俗で使い捨てにされたりドラッグ漬けにされた赤目の少女が死体のように転がっていて、外周区はストリートチルドレンと赤目ギャングで溢れかえっている。

 

 

 ――現実に機能していない法律など、トイレの落書きと何ら変わらないではないか

 

 

 多少の誇張はあったものの、善宗の言葉に間違いは無かった。松崎と空子はニュースや知人から聞いた話で知っており、壮助は自身の目でその惨状を何度も見ている。鈴音とエールに至っては本人がそれを経験している。誰も善宗の言葉を疑わなかった。

 

「社会とは法と人があって成り立つものだ。法だけが変わっても人が変わらなければ真に変化とは言えない。変化には人々の意識に、記憶に、感情に刺さる衝撃(インパクト)と、大衆を変革へと駆り立てる扇動者(アジテーター)が必要だ。モンゴメリー・バス・ボイコット事件とそれを切っ掛けに活動を広めたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのようにね」

 

 善宗は、呪われた子供の境遇を1950年代アメリカの黒人で例えているのだろう。その先の彼が言わんとしていることを壮助は理解した。

 日向夫妻ガストレア化に端を発する一連の事件を反赤目主義者によるヘイトクライムだと風潮し、それによって生まれた日向姉妹という悲劇のヒロインを差別撤廃運動の扇動者として神輿に担ぎ上げるのだろう。

 

「民警会社の社長とは思えねえな。仮にアンタの言う革命とやらが成功したら俺もアンタも廃業だぜ? 」

 

「構わないさ。おじさんは民警が大嫌いだからね」

 

 民警会社の社長という立場、今も複数人のプロモーターとイニシエーターに囲まれた状況で放った言葉は、それが建前だとしても本音だとしても驚かざるを得なかった。

 

「さっきも言っただろう? おじさんはね、女の子がだ~い好きなんだ。普通の人間の子供も呪われた子供も区別なく愛している。だからこそ、彼女達がガストレア相手に戦って、傷ついて、死んでしまう光景は見ていて気分が悪くなるし、それをさせている民警なんて職業は滅んでしまえと思っている。だってそうだろう? 年端もいかない少女に武器を持たせて自分より大きな怪物の相手をさせるんだ。これ以上に非人道的な職業は無いだろう」

 

 ますます我堂善宗という人物が分からなくなり、壮助は頭を掻く。

 

「駄目だ。全くアンタという人間が分からねえ。民警嫌いが本当だとしても、そうまでする理由が無いだろ。何のメリットもない」

 

「純然たる正義と善意さ。そのためにリスクを背負えるのは()()()()()()()()()()だよ」

 

 その酔狂な物言いに壮助は相手を理解することを諦めた。親に失敗作として捨てられた底辺のチンピラ民警が由緒ある家系で育った巨大民警企業のトップを理解しようとするのが間違いだったのだ。

 壮助は疲れてぐったりとソファーに身を預け、善宗の傍に立つ常弘に視線を向ける。

 

「小星。お前がこんな戯言に付き合う馬鹿だとは思わなかったぞ」

 

「君なら理解してくれると思っていたんだけどね」

 

 大きく溜め息を吐き、天井を見る。骨董品がゴチャゴチャと置かれた部屋の中で唯一、スッキリとしている場所を見て、頭の中で整理する。数秒――思考を巡らせた壮助は顎を引き、再び善宗に視線を合わせる。

 

「我堂社長。アンタの意見には概ね同意だよ。東京エリアも民警もクソッタレだ。どうせ俺達がいなくなったって警察と自衛隊の仕事がちょっと増えるだけだからな。けど、アンタの『革命』とやらに鈴音を担ぎ上げるのは反対だ。奪われた世代は必ず革命に反発するし、その革命は無垢な世代の復讐に代わる。その先にあるのは目的を見失った暴力の応酬だ。ロサンゼルス暴動過激化したBLM運動が良い例だろうが」

 

「残念だよ。君はもう少し利口な人間だと思っていた」

 

 一瞬で視界が真っ黒になった。抜刀の構えで常弘が眼前に迫る。

 

 圧力反応装甲多重展開 鱗累(ウロコガサネ)

 

 彼の構えから抜刀のモーション、刃の軌道を予測し、そこに斥力フィールドを展開する。最初に微弱なフィールドを展開、それが圧力を受けて崩壊すると2枚目以降の斥力フィールドが圧力を受けた箇所に集中して展開する半自動防御システムだ。

 しかし常弘は壮助との距離を詰めると刀を抜かず、飛び上がった。前方宙返りで壮助の背後に廻ると鞘に入れたまま刀を振るい、壮助の頸動脈上数センチのところで寸止めする。

 想定外の動きに斥力フィールドが間に合わなかった。半年前から動きの速さもキレも格段に成長している。これが鞘から抜かれていれば、彼に寸止めする意志が無ければ壮助の首が飛んでいたかもしれない。60007位という順位が嘘のようだ。

 警戒すべき敵が朝霞だけでないと知り、壮助は緊張から冷や汗が流れる。

 

「テメェら、そういう腹積もりか! ! 」

 

 エールがソファーから立ち上がろうとするが、朱理の投げた苦無が耳を掠め、背後の壁に刺さる。朱理が口を開かずとも「動くな」と言っているのは肌で感じた。

 互いが互いを睨み合い、膠着状態に入る。

 

「鈴音ちゃん。君自身は呪われた子供の境遇をどう思っている? 」

 

 善宗の眼が鈴音を捉える。口説く対象を壮助から鈴音に変える。いや、最初から彼は交渉相手を鈴音と決めていたのだろう。傷を負ってまともに戦えない壮助とエールを指定したのも鈴音の精神的な動揺を誘うための材料として利用できるからだ。

 

「その……私は、あまり良いとは思っていないです。私も拾われる前はたくさん酷い事をされましたし、今でも昔の私と同じ……いや、それ以上に酷い目に遭っている子がたくさんいるんだと思うと、苦しいです。自分達だけが幸せになって良いのかなって……考える時もあります」

 

 そのサバイバーズ・ギルトに満ちた言葉と待っていた。そう言わんばかりに善宗はほくそ笑む。

 

「君の手で彼女達を救えるとしたらどうする? 」

 

「いえ……私にそんな力なんて」

 

「あるんだよ。君には歌手『鈴之音』としての名声とイメージがある。この事件で君達の名前は更に広がり、東京エリアで知らないものはいない有名人になっただろう。無実を証明し、再び表社会に戻れば誰もが『可哀想だ』と言いながら君の言葉に耳を傾け、君の願いを叶えるだろう。

 

『善良な市民として過ごした清廉な乙女は悪辣な反赤目主義者の陰謀によって貶められ、社会に追われる立場になる。しかし不屈の精神から少女は諦めず戦い続け、遂には己の無実を勝ち取った。そして、まだこの国に赤目差別が残っていることを知った彼女はそれを是正する為、自由と正義の為に立ち上がる』

 

 ちと臭いが、シナリオとしてはこんなものか」

 

 善宗はシナリオをテノール声で高らかと読み上げ、まるで演劇のよう振る舞う。そこだけスポットライトを当てられたステージのようだ。

 

「でも、人を傷つけさせることなんて……私には出来ません。ましてや革命だなんて……」

 

「今まで奪われた世代は無垢な世代に犠牲を強いることで繁栄を手にしたんだ。その代償と考えれば安いものだろう。もしかすると義塔くんが言うような事態を回避し、君は無血革命を成し遂げるかもしれない」

 

 鈴音はそっと壮助に目を配り、エールの服の裾を掴む。2人が助けてくれる気がした。しかし、静かなまま時間が過ぎる。

 

 「そろそろ決めよう。おじさんと一緒に東京エリアの呪われた子供を救わないか? 」

 

 契約の証と言わんばかりに善宗は鈴音に手を伸ばす。それを手に取るか、取らないか、選択の時が迫る。

 

 

 

 

「我堂社長。少しお時間よろしいでしょうか? 」

 

 

 

 

 松崎の放った言葉で善宗の手が止まる。彼は手を引っ込め、松崎に目を向ける。

 

 

「以前、日向さん家にお邪魔する機会がありましてね。勇志さんのご厚意に預かりまして、何度か一杯ひっかけてきました。親バカという奴ですかね。私にずっと鈴音さんと美樹さんの話をするんです。私に対する建前があったとはいえ、あれは本物の父親のようでした」

 

 松崎の話の意図が分からない。しかし、善宗はそれを問おうとはせず静かに耳を傾ける。

 

「我堂社長。普通の親が子に願うのは『その子が幸福に生きること』です。それは勇志さんと恵美子さんも変わりません。ご一緒した時間は短かったですが、私は2人の遺志を尊重したいと思っています」

 

 高齢による肺の衰えで松崎が息を切らす。空子が心配する中、彼は呼吸を整え、深呼吸する。

 

「我堂社長。鈴音さんに修羅の道を歩ませるなら、私は貴方の敵になります

 

 全員が押し黙る。張り詰めた空間の中、松崎と善宗の間で火花が散る。

 

「御老人。天下の我堂を前にして、貴方に何が出来る? 」

 

「そう大したことは出来ないでしょう。大戦で妻も娘夫婦も孫も失い、戦後は青空教室の生徒も守れず、今は孫のような歳の子供に振り回されて民警会社の社長にさせられた老いぼれです。ですが老いぼれと言えど、人間の命一つ使うんです。

 

 

 

 ――なに。(アリ)のひと噛みぐらいにはなりましょう」

 

 失い、失い、失い、失い、それでも人の正義と善性を信じ、栄光も救済もない道を歩んだ男の言葉は重かった。本気だ。例え、蟻のひと噛みにならなくても彼はその命を費やして動くだろう。

 善宗は内心、恐れ戦いた。冷や汗を流し、息を呑んだ。それを悟られないように必死に取り繕う。

 

 ――全く……とんでもないジョーカーが潜んでいたものだ。

 

 善宗はソファーに身を預けぐったりすると、片手を挙げた。そのサインを皮切りに構えていた常弘と朱理が得物を降ろし、警戒を解く。

 

「どういうつもりだ? 」と壮助が問う。

 

「降参だ。君は良い社長を持ったね。大切にするんだよ」

 

 善宗はふわっとした曖昧な答えを返す。引き下がるタイミングから見れば、松崎に怖気づいて、革命の扇動者を諦めたように見える。しかし、本当にそれだけで何の権力も武力も無い松崎に屈するだろうか……。そこに壮助は一つの答えを得る。

 

「俺達が鈴音で良からぬことを考えていないか()()()んだな」

 

「正解。小星くん達にも茶番劇に付き合って貰ったよ。けど、赤目差別が続くこの社会を壊したいというのは本当だし、民警は滅ぶべきだと思っているし、鈴音ちゃんが人権活動家になるんだったら全力で応援する所存でもある」

 

「アンタのこと信用して良いのか駄目なのか、いまいち判断がつかねえな」

 

「今、この場で決めることでも無いだろう。で、どうするんだい? 契約は成立か、それともご破算か。主導権は君が握っているんだ」

 

 壮助は大きく溜め息を吐き、頭を掻く。

 

「成立でいいよ。他に候補は無いし、これ以上サムライ軍団に追い回されるなんて御免だ」

 

「それは良かった。おじさんとしても鈴音ちゃんと美樹ちゃんのことは助けたいと思っているからね。誰かが言ってただろう? 『美女の死は世界の損失だ』って」

 

「あー。聞いたことある。それ何の漫画だっけ? 」

 

「おっと。それはそうと、お目付け役を決めておかないとね~。とりあえず小星くん達は決定として、あと単独か少人数で灰色の盾と互角に戦える人が欲しいな~」

 

 善宗はわざとらしく社長室を見渡す。

 

 その瞬間、朝霞の背筋に悪寒が走る。この先の展開が分かってしまったからだ。重要な職務だと理解している。断るつもりもない。だが10代の乙女として外周区で過ごして終わる夏休みを迎えたくはなかった。ただでさえ期末テストでケアレスミスを連発して赤点を取り、昨日の午前中まで補修と追試に時間を取られたのだ。本来であれば、今日から休暇を満喫出来る筈だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝霞ちゃ~ん。明日から外周区生活ね~」

 

「はい…………」

 

 

 美和女学院1年C組 出席番号28番 壬生朝霞 16歳

 

 

 ようやく始まった彼女の夏休みが、――――死んだ。




オマケ① 朝霞の学力

朝霞ちゃんは馬鹿じゃありません。ちゃんと授業の内容を理解していますが、うっかり屋さんなので解答欄を間違えて記入したり、名前を書き忘れたり、途中の単純な計算を間違えたりして、赤点を取っています。
(学校のレベルが高いというのもありますが……)


オマケ② 前回のアンケート結果


朝霞「大変申し訳ありませんでした」土下座

(9) 許す
(0) 許さんっ!!
(8) 「……」(黙ったまま土下座を眺める)
(1) とりあえずこっちも土下座する。
(15) 何でもするって言ったよね?(言ってない) ←

言ってないけど、「言ったよね?」って言われると「言ったかもしれない……」と思ってしまうのが朝霞クオリティ。


次回「秘密結社の足跡」


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秘密結社の足跡

大角勝典のウワサ
「シイタケ栽培技師」「開運アドバイザー」「アニマルセラピスト」の資格を持っているらしい。


 デスクトップPCのモニターと実験機器の灯りだけが頼りのフロアでティナは菫と向かい合っていた。ここは勾田大学病院・旧病棟4階、太陽の光は一切入って来ないが、まだ昼の12時である。

 イクステトラの一件から再び菫への用事が出来たため、警察のマークが一番緩いティナがお使いに行くことになった(一応、サングラスとキャップ帽で変装はした)。

 

 一つは日向姉妹の血液の輸送だ。イクステトラでも血を未織に渡して侵食率の検査を依頼しているが、職員が使ったジュースのペットボトルを容器として使ったことから検体の混雑(コンタミネーション)が危惧されている。また未認可の技術ということもあり証拠として厚労省に突き出せない可能性もある。そのことから厚労省が推奨する機器を有し、壮助が昨日検査を依頼した勾田大学病院で証明しようという目論見だ。

 

 二つ目は死龍の血液の輸送だ。死龍たちスカーフェイスの体内に埋め込まれていた“ガストレア化爆弾”について、倉田が『そんな危険な薬物、バイオセーフティレベル5(BSL5)の研究施設でしか扱えない筈だ』と言ったことから、分析を菫に依頼しようと持ち込んだ。BSL5はガストレア出現後、ガストレアウィルスを扱う研究施設のために設定されたレベルであり、東京エリアでは片手で数える程度の施設しか該当しない。薬品と出所を特定出来れば、そこの繋がりで黒幕を見つけることが出来る。

 

 ティナは3人の血が入ったクーラーボックスを渡す。菫はラベル付きの容器を出すと大型の冷凍庫に保管する。

 

「事情は昨晩のメールで把握したよ。義塔くんからも話を聞いているしね。侵食率検査の件は昨日、大学病院に掛け合っている。検体も届いているし早ければ今日の昼頃から始められる筈だ」

 

「結果はいつごろになりそうですか? 」

 

「順調に行けば24時間後だな」

 

「けっこう早いんですね。ニュースだと採血から結果までかなり日数が経っていましたが……」

 

「センターには日々の業務ルーチンもあるだろうし、再検査も重ねていればそれくらいにはなるだろう」

 

 東京エリアでは“ガストレアウィルスの取り扱いに関する特別法”により、呪われた子供の侵食率検査が許可されている機関が限定されている。限られた施設と限られた検査機で東京エリア全体の呪われた子供の管理をカバーしており、年々増加する検査数に対してキャパシティが不足しつつあるのが現状だ。勾田大学病院の検査機も予定が詰まっていたが、菫が日向姉妹の検査を無理やり捻じ込んだことで早急な検査が可能になった。

 

「それともう一つ、赤目ギャングをガストレア化させた“爆弾”についてだが、こっちは時間がかかる。短く見積もっても1週間は欲しい」

 

「その『爆弾』、日向夫妻をガストレア化させたものと同じだったりするんでしょうか」

 

「それだったら確認作業だけになるから楽になるんだけどね……」

 

 菫は頬杖をついて溜め息を吐く。彼女はそれが楽な作業にならないことを確信していた。

 

「業界の繋がりで夫妻の司法解剖を担当した医者から話を聞いたんだが、今のところそれらしい薬品は検出されていない。それどころか、『日向夫妻は日向鈴音・美樹由来のガストレアウィルスによってガストレア化した』という結果が出ているくらいだ」

 

 ――残酷だ。吐き気を催す事実にティナは思わず口元を押さえる。今朝の段階でこのことはまだニュースになっていない。警察がマスコミに公開しないことを選んだのか、それともまだ発表されていないだけなのか分からない。これを姉妹が知った時、彼女達は耐えられるだろうか。両親が死んだだけでなく、殺したのが自分の身体が原因だと知ってその心は壊れずにいられるだろうか。

 このことがマスコミに公表されないこと、姉妹に知られないことをティナは祈るしかなかった。

 

「物事には何にだって例外がある。ガストレアもガストレアウィルスも未解明な部分がほとんどだ。この数年で定説とされてきたことが実は間違っていて、新たな定説に更新される光景をたくさん見て来た。科学者の端くれとして『呪われた子供と一緒に過ごしても“絶対”にガストレア化しない』とは言うことが出来ない」

 

 ガストレアが出現して16年。世界各地の研究者が怪物とそのウィルスの研究を進めてきた。しかし、生物が数十億年かけた進化と作り上げた多様な生態系をたった16年で塗り替えたガストレアウィルスのスピードに人類の研究は追い付いていない。「分かる」ことより「分からない」ことの方が圧倒的に多い。

 ティナも戦闘では狙撃やシェンフィールドを主体とし、近接戦闘でも赤目の力を必要としないよう米軍で学んだトレーニングを続けている。お陰で侵食率は同年代のイニシエーターと比較してかなり低いが、何かしらの切っ掛けでその努力が全部水泡と化し、ある日突然ガストレア化しないとも限らない。自分がガストレア化しなくても体液に含まれる微量のガストレアウィルスによって誰かをガストレア化させないとも言い切れない。

 

「でも、何を信じるのかは自由だ。私は形象崩壊する直前までイニシエーターと共に過ごした人間を知っている。2人が過ごした年月とそれが証明したものを蔑ろにするつもりはない。ティナちゃん。君はどうかな? 」

 

 室戸菫とは、天才で引きこもりで捻くれ者で人間嫌いで厭世の死体愛好家だ。同時にティナにとっては数少ない頼れる大人であり、東京エリアから離れていた間も何度か連絡を取り合っていた。その付き合いの長さからか、彼女がこうして世を嫌っているのも愛情の裏返しなのではないかと思うことがある。

 

「私も同じです」

 

 薄暗く、しんとした研究室で固定電話が鳴る。菫はデスクの上に積もったファイルの山を押し退け、姿を見せた受話器を引っ張る。

 

「はい。勾田大学病院旧病棟・室戸研究室。――――ああ。分かった。先に済ませたい用事があるから少し遅くなる。腐るような検体じゃないんだ。問題はないだろう」

 

 数分ほど会話をすると菫を受話器を置いた。

 

「どなたからですか? 」

 

「警察だ。司馬重工と一緒に例の機械化兵士のパーツを分析して欲しいとね。最初から私を頼ればいいものを……」

 

 機械化兵士のテクノロジーは複雑で研究・開発には多岐にわたる専門的な知識を必要とされている。東京エリアでそれを理解出来るのは菫だけであり、半年前の里見事件で警察が押収した蓮太郎の義肢も彼女が分析している。だが、そう易々と菫に協力を仰げない制度的な事情が警察にもあるのだろう。菫に依頼が来るのはいつも事件から少し経った時だ。

 

「ティナちゃん。“あれ”は誰の作品だと思う? 」

 

 菫はため息を吐くと再びデスクに着き、ティナに目を向けた。生きた人体と死体が全く別物であるように、昨日、イクステトラで死龍と戦った彼女からしか知り得ない情報があるからだ。

 

「私も先生に訊きたかったんです。光学迷彩はアーサー・ザナック博士の『オベリスク』、呪われた子供への施術はランド博士の『NEXT』、駆動系は先生の『新人類創造計画 セクション二十二』が該当する技術だと考えてはいるんですが、他にも小型の電磁加速砲(レールガン)や熱切断ブレードなど、色んな装備が載っていまして、今までの機械化兵士とは違うものを感じました」

 

「何が違うと感じたのかな? 」

 

 菫はもう“違い”について気付いているが、教育者のようにティナを試す。

 

「そう……ですね。私の知る機械化兵士は一芸に特化したシンプルなものでした。蓮太郎さんの『超人的な攻撃力』、蛭子影胤の『絶対防御』、私のシェンフィールドも『ブレインマシンインターフェースによる情報収集と狙撃支援』がコンセプトでした。しかし、死龍の装備からはそれが見えてこないんです。変に無駄が多いと言いますか、バランスが悪いと言いますか…………

 

“改造したガンプラにとりあえず余った武器パーツをたくさん載せたデタラメフルアーマー”

 

――みたいな、そんな感じがするんです」

 

「……」

 

 菫はコーヒーを啜りながら呆れた視線をティナに向ける。

 

「私、変なこと言いましたか? 」

 

「いや、機械化兵士をガンプラで例える人を初めて見ただけだ」

 

 菫はカップをデスクに置き、一定のリズムで指でトントンとデスクを叩く。何から話そうか悩んでいるようだ。

 

「ティナちゃんの言っていることで概ね正解かな。機械化兵士にそれだけの武装を盛り込んで運用するとしたら相応のエネルギーが必要になる。まずどうして機械化兵士はシンプルなのか答えよう。動力不足だ」

 

「えっ」

 

「『新人類創造計画』、『NEXT』、『オベリスク』でコンセプトを決める時、最高責任者のグリューネワルト翁から一つのルールが課された。

 

()()()()()()()() にしてはならない』

 

 当時は誰もがそのルールに従った。現に機械化兵士はいずれも人間としてのフォルムを崩すことなく、その気になれば普通の人間として生きる余地を残していた」

 

 ティナは今まで気にしたことは無かったが、自分の姉妹――エイン・ランドの機械化兵士たちも見た目は普通の少女だったことを思い出す。蓮太郎は勿論のこと、あの蛭子影胤も道化師のような格好をやめれば普通の人間に見えたかもしれない。

 

「私の計画で一番の難関は出力だった。人間のフォルムを維持したまま超人的な攻撃力を付与するのがコンセプトだったからね。その攻撃力を生み出すためのエネルギーをどこから調達するのかが課題だった。悩んだ末のカートリッジ方式だったが、グリューネワルト翁には『及第点』と厳しく言われてしまった。まぁ、エインとアーサーもそこは同じだったが」

 

「でも、それをクリアした誰かがいるんですよね。半年前の蓮太郎さんも昨日の死龍も同じ青白い光を発していました。蓮太郎さんはそれを攻撃のタイミングで、死龍は移動と尾のブレードに使っていました」

 

 菫は嫌なことを思い出し、一瞬、苦虫を嚙み潰したような顔をする。

 

「ああ。半年前に蓮太郎くんから押収した義肢を視た時は驚いたよ。何もかもが私のそれを越えていた。素材も、アクチュエーターも、情報処理もだ。機序を理解するだけで2ヶ月もかかってしまったし、肝心のジェネレーターは自壊してもう何が何だか……私でもお手上げの状態だ」

 

 天才、賢人と持ち上げられた彼女が自分の得意分野で敗北する。その屈辱が如何ほどのものか、ティナには計り知れなかった。

 

「室戸先生でも分からないことってあるんですね」

 

「ティナちゃん。私は天才であって、全知全能の神じゃないんだよ」

 

 デスクに置かれたスマートフォンに着信が入る。デフォルト設定の着信音が止まると共に菫が画面を耳に当てる。

 

「私だ。…………丁度良かった。検体もこっちに届いている。ああ、それと検査の設定についてなんだが――」

 

 菫の話は終わる気配がなく、ティナは静かに立ち上がる。

 

「忙しいようなので失礼しますね」と囁いた。

 

「分かったことがあったら連絡する」と菫はメモ書きを見せた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 東京エリア沿岸部の海浜公園、そこのベンチで多田島茂徳は雲を眺めていた。時おり通過する海上自衛隊の護衛艦やタンカーを眺め、待ち合わせしている人物が来るのを待つ。

 6年前、東京エリア沿岸部は無法地帯だった。東・西・北と同様に呪われた子供の犯罪組織やストリートチルドレン、内地で居場所を失ったホームレスが跋扈していたが、4年前、聖居は湾港整備による海洋資源獲得、海上自衛隊の基地拡張などを目的に「南外周区再開発プロジェクト」を立ち上げた。警察と民警が協力して南外周区の犯罪組織を一掃し、聖居から事業を受注したゼネコンが再開発事業を進めたことで世界的にも珍しい治安の良い外周区が誕生した。内地の建設バブル崩壊で職を失った作業員に対する雇用が生まれ、海上輸送・貿易の拡大、アクアライン空港建設の足掛かりになる等の経済効果はあったものの、関東会戦後も慢性的に続く不況には焼け石に水だった。

 

 どれだけ綺麗になろうとも外周区は外周区であり、ガストレアへの恐怖から南外周区に設備を展開する企業は少なく、人通りはまばらだ。この海浜公園も気合を入れて作られたようだがそこで遊ぶ子供は見られない。モノリスの結界があるとはいえ、ガストレアが目と鼻の先にいるのだ。真夏の海水浴と洒落こむ人もおらず、ベンチでポツンとスポーツドリンクを飲む多田島以外の人間が景色の中にいなかった。

 巨体の影が多田島を被う。振り向くと勝典が背後に立っていた。視界を被う筋骨隆々な体格が暑苦しい。

 

「お待たせしました。多田島殿」

 

「おう。待ったぞ。危うく干からびてミイラになるところだった」

 

「お隣、失礼します」

 

 勝典がベンチに腰を掛ける。ベンチの脚から軋む音が聞こえ、コントのように崩れるんじゃないかと多田島はヒヤヒヤする。

 

「わざわざ会って話したいなんて。電話やメールでも良いだろうに」

 

「直接、会ってお話した方が良いかと思いまして」

 

――職業に似合わず、変に律儀な野郎だな。

 

「イクステトラの件は遠藤から聞いている。俺達の情報、役に立ったようだな」

 

「お陰様で6年前のツケを払うことが出来ました」

 

 多田島は勝典の顔を見る。対面したのは半年前の居酒屋が最後だったが、サングラスの下の瞳が以前より澄んでいることに気付いた。案の定と言うべきか、憑き物が落ちたような雰囲気が出ていた。

 

「で、話って何だ? 」

 

「難しい要求とは重々承知していますが、多田島殿のコネで公安の『五翔会構成員リスト』を見せ頂くことは可能でしょうか? 」

 

 多田島は驚きのあまり、口に入れたスポーツドリンクを噴き出しそうになる。

 

「無茶を言うな。俺は警察を辞めて今はただの私立探偵だぞ。そもそも、何でここで五翔会の話が出て来るんだ? 」

 

「飛鳥――いや、スカーフェイスのリーダーの身体に“これ”があったからです」

 

 勝典は懐から出した紙を広げて多田島に見せる。サヤカが飛鳥の脇腹にあった刺青をスケッチしたものだ。五芒星の端に二枚の羽があしらわれた刺青――それが五翔会のものであると多田島はすぐに分かった。

 

「成程な……。だが悪いがリストは役に立たない。あれは6年前に俺達が()()()()五翔会関係者のリストだからな。全員が死んでいるか牢屋の中だ。今回の事件に関与しているとは考えにくい」

 

「ですが、身に覚えのない罪によって追われる者とそれを追う警察と機械化兵士。状況は6年前の事件に似ています」

 

 多田島はかつて自分が担当した「水原鬼八殺害事件」を思い出す。里見蓮太郎が友人殺害の濡れ衣を着せられ、表では警察が、裏では機械化兵士が彼を追った事件だ。本当に姉妹の侵食率が低ければ、確かに今の状況は似ていた。

 

「また五翔会が警察を使って悪いことをしているって言いたいのか」

 

「可能性としては十分にあるかと」

 

「そうだな……。俺達は6年前の大規模な人事異動――いや“粛正の七日間”で例の事件や櫃間親子と裏の繋がりを持った連中を排除した。正直、それで警察内部から五翔会関係者を締め出せたとは思っていない。けど、今回の件で警察はシロだと思っている」

 

 勝典は驚嘆する。今回尋ねたのは警察が犯人側に絡んでいると考え、それを多田島に調べて貰おうと思っていたからだ。その当人から否定されるとは思わなかった。

 

「刑事の勘って奴でな。日向家の事件を知った時から俺も同じことを考えて調べていた。だが現状、狙撃した航空警察隊の件を除けば警察に不審な動きは無い」

 

「警視総監が日向姉妹射殺を直々に指示した件については? 」

 

「今の総監とはちょっとした知り合いなんだが……、あれは、あの人なりに責任を取ろうとしているんだ。厚労省の専門機関からあんな数字を出された以上、警察も日向姉妹殺害の方向で()()()()()()()()。だが、やることが同じだったとしても『警察という“組織”の判断』か『警視総監という“個人”の判断』かで責任の所在が変わってくる。例え姉妹がガストレア化寸前で殺害の判断が正しかったとしても無辜の市民を撃ち殺した警察を誰もがヒーローだと讃えはしない。『殺害なんてやり過ぎだ』『他に方法は無かったのか』『2人が可哀想』と後ろ指をさされ続けることになるだろう」

 

「そこで『不適切な対応を指示した責任を取り、警視総監を辞任する』ってカードを切るつもりですか……」

 

「おそらくな……。あの人ならやりかねない」

 

 警察から離れた身となった今も多田島は渡良瀬総監に絶大な信頼を置いているのだろう。自らを捨て石にして組織を守ろうとするトップの姿と彼がそうせざるを得なくなった状況に嫌気がさす。

 

「しかし、半年ぶりだな。この刺青をした奴が出たのは」

 

「芹沢CEOの偽物の件ですか」

 

「ああ。結局、あれは今でも名無しの仏さんだ。今でも何が目的だったのかはさっぱり分からない。容疑者として浮上していた蛭子小比奈は容疑を否認、証拠の凶器も空港での戦いで消炭になっちまったから、真相は闇の中だ」

 

「そういえば、彼女は今どこで何をされているのですか? 」

 

「検察の知り合いから聞いた話だと裁判中らしい。偽物殺しは証拠不十分、テロの件もお上の鶴の一声で書類送検で済んじまった。けど、あれをシャバに出すにはいかなかったから、6年前の大瀬フューチャーコーポレーション社長殺害事件を持ち出すしかなかった。ただあれも当時の親と環境が特殊だからな。裁判で刑事責任能力が無かったと判断され、早々とシャバに出て来るかもしれない」

 

 多田島と勝典は身震いした。さすがに野放しにはされないだろうが、IP序列()134位の殺人鬼が市井を闊歩するなど想像したくもなかった。

 

「話が逸れたな。五翔会の件だが俺がこの数年で集めた情報を渡す。役に立つかは分からないが無いよりはマシだろう。交換条件と言ってはあれだが、他で何か分かったら俺にも情報を流して欲しい」

 

「構いません。よろしくお願いします」

 

 勝典が手を出した。多田島はそれの意味が一瞬分からなかったが握手だとすぐに理解し、互いの手を固く握った。

 話が終わると勝典はベンチから立ち上がり、海浜公園から姿を消した。多田島はそれを見届ける。勝典が離れたことを確認すると懐からスマートフォンを取り出し、耳に当てる。

 

 

 

 

 

 

「多田島だ。日向姉妹の件で大角勝典から接触があった。――――“室長”に繋いでくれ」

 




・オマケ 前回のアンケート結果

善宗「おじさんと契約して呪われた子供を救おうよ」/人◕ ‿‿ ◕人\
(8) 契約する
(17) 契約しない

現状の社会が続けば普通の子供と呪われた子供の格差が広がりますし、かと言って無理やり是正しようとすれば衝突が起き、被差別側の復讐が始まってしまう。
どっちを選んでも正解じゃないのが難しいところですね。


次回「楽しい外周区生活」


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楽しい外周区生活

里見蓮太郎のウワサ

「里見蓮太郎はフィンランドのエクストリームスポーツを極めて強くなった」という謎のネットミームが広まっているらしい。


 燦燦と輝く太陽に照らされた駐車場で少女達の喚声が聞こえる。駆け回る足音と跳ね上がるバスケットボールの音が絶えず聞こえ、誰かが廃材を組み上げて作ったゴールにシュートを決めると場の興奮が高まっていく。

 ここは西外周区の廃マンション・灰色の盾の拠点バンタウだ。駐車場だった場所に手作りゴールを設置し、ペンキでラインを引いた簡素なコートを舞台にインターハイ出場選手が真っ青になるアクロバットな超人プレーが繰り出される。

 犯罪組織の数少ない健全な娯楽の中に日向美樹は混ざっていた。壮助達が我堂本社へ向かい、ティナも内地に向かったことで顔見知りがほとんどいなくなった彼女は灰色の盾の少女に声をかけられた。鈴音・美樹が別れた後に入った者達“新参組”だ。

 彼女はギャングの少女達に混じって汗を流しチームの一員としてコートを駆ける。

 

「ミキ! ! 決めろ! ! 」

 

 新参組の少女・トオルが相手選手の隙間を通り抜けるようにパスを流し、美樹は受け取る。相手が超人的な身体能力を持っていたとしても定石(セオリー)は変わらない。体育の授業とバスケ部の助っ人をした経験からシュートコースを見定め、フェイントを挟みながらゴールリングにボールを放り投げた。

 ボールがリングを通った瞬間、数人の観客は歓声を上げる。先にシュート5回決めた方が勝つこの試合でこれが“決定打の5点目”だった。美樹がいるチームに賭けた者は跳ね上がり、もう一方に賭けたものはガクリと膝から崩れる。

 勝利に貢献した美樹とチームリーダーのトオルがハイタッチする。

 

「やるじゃん。温室育ち」

 

「瑛海女子中の助っ人エースたぁ私のことよ」

 

「なんだそれ」

 

 両親が目の前でガストレア化して3日。あれから初めて笑ったような気がした。自身のガストレア化という不安、詩乃の負傷と命のタイムリミット、イクステトラの激戦、昔馴染みの惨死と緊迫した2日間を過ごしたが、こうして目の前の試合に集中することで気分が晴れたような気がした。

 それどころか、内地の生活でも感じたことがない解放感も覚えている。

 皆、自分が呪われた子供であることを知っている。赤い目が出ることを恐れて感情を抑えなくていい、ケガや傷を隠そうとしなくていい、そんな生活は内地でほとんど味わえなかっただろう。学校の友達を騙しているつもりは無かった。誰にでもある隠し事が自分の場合は「呪われた子供だ」というだけで大したものではないと思っていた。

 だが、今こうして本当の自由を知ると、呪われた子供であることを隠す生活の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えてしまう。

 

「ナイシュー。美樹」

 

 コートラインの向こう側から壮助が「よっ」と片手を上げて挨拶する。

 美樹はトオルに一言離れることを伝えると、壮助の元に駆け寄った。

 

「おかえり。あれ? 姉ちゃんとエール姉ちゃんは? 」

 

「エールは我堂のお目付け役にここの案内をしているよ。鈴音はそのお手伝い」

 

 壮助が放った言葉で美樹は自分が2人に尋ねようとしていたことの答えを知る。

 

「それってつまり、交渉は上手く行ったってこと? 」

 

「まぁ、色々あったけどな。当面は灰色の盾に守られながら、ここで生活することになる。我堂は金銭面の支援を行い、同時に優秀な民警をお目付け役としてこっちに置いてくれる」

 

「小星さん達もここに住むんだ」

 

「ああ。あと壬生朝霞もな」

 

「えっと……誰? 」と美樹は首を傾げる。

 

 民警の知名度というのはそれほど高くない。序列が低ければ見向きもされず、高位序列になればなるほど情報は秘匿される。朝霞もIP序列479位と決して低くはない数字だが、我堂民間警備会社がメディアへの露出を控え、本人も慎ましく生活していることからあまり名前は知られていない。彼女を知る者達からは、戦闘スタイルと共にSNSのフォロワーが芸能人並みにいる弓月と対極の存在として語られる。

 

「IP序列479位。東京エリアで一番目か二番目に強いイニシエーターだよ」

 

「へぇ~」

 

「なんか反応が薄いな」

 

「いや、だって38位(ティナ)とお知り合いになっちゃったし」

 

「言っておくけど、ティナ先生は狙撃手(スナイパー)無人機司令官(ドローンコマンダー)が本業だからな。接近戦になったら壬生が格段に上だ。銃弾は斬るわ、斬撃飛ばして電車をひっくり返すわでトンデモねー奴だよ。あと人の話を聞かない堅物」

 

 美樹は唖然となり開いた口が塞がらなかった。「漫画の読み過ぎだよ」と言いたかったが、機械の尻尾を振り回すギャングや3mの槍を音速で投げる詩乃の動画を見ていた手前、壮助の冗談だと否定することは出来なかった。

 

「そんな凄い人を連れて来てくれたんだ。ありがとね。義塔の兄ちゃん」

 

「今回はどっちかって言うとお前と姉ちゃんの功績だよ。我堂の社長がメロメロだったから話が上手く行ったんだ。俺は危うく、自分でぶち上げた契約をご破算にするところだったよ」

 

 壮助は冗談めかすが、笑いは返ってこなかった。彼の期待していた反応とは裏腹に美樹は顔を赤くし、目を逸らし、指で髪の端をいじる。

 

 

「いや、まぁ今回のことだけじゃなくてさ。ほら、一昨日からずっと私達の為に色々とやってくれてるじゃん。その……あの時、一緒に来てくれたのは、何て言うかな……凄く嬉しかったよ」

 

 

 日向家で過ごした約2週間、些細なことで素直に感謝されることは多かった。でもこうして面と向かって感謝されると壮助も釣られて気恥ずかしくなる。詩乃と同居しているので秀麗な少女には慣れている筈だったが、壮助は美樹も間近で直視することが出来なかった。陽光に照らされたアッシュグレーの髪が眩しいと心の内で言い訳する。

 恥ずかしさを紛らわすために壮助は美樹の頭に手を伸ばした。髪に触れるとセットを崩す勢いでワシャワシャと頭を撫でまわした。

 

「うわっ。何すんのさ」

 

 そう言いつつも美樹は頭を動かしたり、手で払い除けたりはしない。

 

「そういうのは最後の最後に取っとけよ」

 

「痛っ」

 

 壮助はデコピンを最後に手を離した。美樹は額を抑えながら半歩下がる。

 

「別に良いじゃん。言いそびれるかもしれないし。あと今のやつ、イケメンにのみ許された行為だよ」

 

「俺はイケメンじゃねえってか」

 

「顔は良いけど、それ以外が残念。10代で付き合う分には良いけど、将来とか結婚を視野に入れたガチ付き合いになったら躊躇うかも」

 

 美樹の辛辣な評価に壮助は真っ白になり、燃えカスのように心も体もボロボロと崩れる。

 

「別に私からモテなくたって良いじゃん。詩乃ちゃんという正妻がいるし」

 

「あいつは……そういうのじゃねえよ」

 

「へぇ~。じゃあ、義塔の兄ちゃんフリーなんだ」

 

 視線を逸らし、顔を見せないように答える壮助の仕草から、美樹はそれが恋心という弱点を見せない男の子の強がりだと理解した。

 そして、揶揄ってやろうと悪巧みする笑みを浮かべた。手を口元に添え、壮助にだけ聞こえるように囁く。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、この件が終わったら私と付き合う? 」

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジで! ? 」

「ごめん。今の嘘」

 

 

 義搭壮助にモテ期などない。現実は残酷である。

 

 

 

「いつもいつも思春期男子の心を弄びやがって! ! 男の恐ろしさを教えてやる! !クソガキャー! ! 」

 

「うわー! ! 助けてー! ! 襲われるー! ! 」

 

 

 別の意味で顔を真っ赤にした壮助は美樹を追い回す。呪われた子供と普通の人間では素の身体能力に開きがあるが、そこは大人気なく斥力フィールドの高速移動を使いカバーする。しかし、美樹は小回りを効かせて捕まらないように上手く逃げる。

 

 

 

 

 

 ――ああああ! ! なんであんなこと言っちゃったの! ? 私! ! 嘘って誤魔化したけど! ! 誤魔化したけど! ! 義塔の兄ちゃんも「何言ってんだ? 馬鹿」って言ってよおおおおおお! !

 

 バンタウを駆け回る中、美樹は熱くなった心と身体を運動で誤魔化し、さきほどの自分の発言に整理をつける。壮助のことはそう悪くないと思っている。母・恵美子から「鈴音より美樹が好み」と聞かされてから、少なからず意識もしていた。しかし、ここまで積極的に“好き”と思えるタイプでもなかった筈だ。今の発言は一時の気の迷いだ。吊り橋効果みたいなものだ。色々解決して落ち着けば冷める気持ちだ。――と自分に言い聞かせる。

 だが、「そういう未来も悪くない」と思っているのが今の美樹だった。

 ふと、自分以上に長く一緒にいる詩乃や鈴音は壮助のことをどう思っているのだろうか気になった。もし()()()()()()になった時、2人は怒るだろうかと不安になる。

 

 ふと、美樹の中で一つの違和感が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 ――あれ? そういえば、姉ちゃんが泣いたり怒ったりしているの()()()見たことない。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 次の日の朝、目を覚ました鈴音と美樹は洗面台で歯を磨いていた。

 外周区生活と言われて昔のホームレス生活を想像していたが、幸いなことにバンタウでは電気と上下水道を使うことが出来た。蛇口を捻れば水が出て、スイッチを押せば電気がつく生活のありがたさを姉妹は5年振りに感じる。

 外周区の生活事情はここ数年で劇的に変化した。内地の建築需要が頭打ちとなり復興バブル崩壊が起きた際、多くの建築作業員や技術者が職を失った。そこに救いの手を差し伸べたのは、皮肉にも犯罪行為で大金を手にした赤目ギャングだった。彼女達は「外周区なら仕事がある」という謳い文句で失業者たちを雇い(時には構成員にして)、スラムのインフラ整備や拠点の建設に従事させたのだ。灰色の盾とバンタウもその例の一つであり、バンタウの中には医者の倉田をはじめ、元建築作業員、元自衛官、元警察官、元エンジニアといった男性の構成員が在籍している。

 

 洗面と歯磨きを終えた後、気分転換に敷地内を散歩しようと2人は玄関ドアを開けて外に出る。

 

「おいおい。誰か助けてやれよ」

「いや無理。死にたくねえし」

「ってか、見事なまでに騙されたよな。あいつ」

 

 ふと男性数名のひそひそとした声が聞こえた。目を向けると灰色の盾の構成員たちが柱の裏に隠れて中庭を覗いていた。3人とも年齢は30~40代、ツナギ服を着ており、足元には工具箱が置かれていた。

 

「おはようございます」

 

 背後から鈴音に声をかけられ、3人はビクッとする。

 

「なんだ。歌姫の嬢ちゃんと妹か。ビックリしたよ」

 

「あの……どうかされたんですか? 」

 

「え? ああ。あれだよ」

 

 男の一人が中庭を指さす。鈴音と美樹も一緒に柱の陰からこっそり見る。

 

 

 

 

 

 縛られて3階の通路から吊るされた壮助と、彼を囲む赤目の少女達の姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

「テメェ! ! エールさんの着替えを覗こうなんざいい度胸じゃねえか! ! 」

 

「違うんです! ! 誤解です! ! あれは不幸な事故だ! ! 俺は悪くない! ! 」

 

「こいつ! ! 昨日はミキを『男の恐ろしさを教えてやるぜ! ! 』って言って、ケツを追いかけ回していたぞ! ! 」

 

「何てクソ野郎だ! ! エールさんの客人だからって許せねえ! ! 」

 

「いやっ、それは違……くないけど! ! それはそれで酷い誤解だ! ! 」

 

「下半身でしか女を区別しないケダモノめええええ! ! 」

 

「いや、本当にわざとじゃないんだよ! ! 不幸な事故なんだよ! ! エールも説明してくれよ! ! お前の部下だろ! ! 」

 

「気安くボスの名前を呼ぶんじゃねえ! ! 口でクソを垂れる前にサーを付けろ! ! 」

 

「Sir , yes , sir! ! 」

 

 部下達が壮助に怒号を送る中、被害者のエールは腕を組み、静かにレジャー用の椅子に座っていた。目を閉じて沈黙していた彼女が面を上げ、瞼を開く。壮助に投げかけられる罵声が止み、その場にいた全員が察してエールの言葉を待つ。

 

「テメェら『死ね』だの『殺す』だのピーピー喚いてんじゃねえ。私らは何だ? ガストレアも黙る西外周区最強の戦闘集団“灰色の盾”だろうが。場末のチンピラみてえにやりもしない、出来もしないことを言って脅してんじゃねえ」

 

「エール……」

 

 

 

 

 

 

「言ったからには実行だ。()れ」

 

「処刑じゃあああああああああ! ! 」

 

 赤目の少女達が一斉に湧き上がる。彼女達は宙吊りにされた壮助に向けてナイフやフライパン、やかん、スパナ、人形、拳サイズのコンクリートの塊を投げつける。壮助は身を捩って回避し、躱し切れないものは斥力フィールドで防御する。

 

「エールさんの下着の色、何色だった! ? 答えねえと殺すぞ! ! 」

 

「サー! ! 上下ともに黒です! ! スポーツタイプでした! ! サー! ! 」

 

「テメェ! ! 答えてんじゃねえええええ! ! 」

 

 エールがバラニウム短槍を投擲。壮助の耳を掠め、背後の壁に突き刺さる。

 

「理不尽すぎる! ! 質問した奴を責めろよ! ! 」

 

 続いて冷蔵庫が飛んでくるが斥力フィールドを集積させ、これを安全な方向に跳ね返す。

 

「誰だ! ! 今、冷蔵庫投げた奴! ! 俺じゃなかったら死んでたぞ! ! 」

 

 

「制裁じゃ制裁じゃー! ! 」

「万死に値する! ! 」

「ヒャッハー! ! 」

 

 半分遊び、半分本気の処刑場が影に包まれる。一瞬、エールと少女たちは雲ってきたのかと思ったが、それは固形物に遮られたようにくっきりと形を残していた。最初にそれが見えた壮助は顔面蒼白となり、振り向いて影の原因を見たエールと少女たちも唖然とする。

 

 

 どこから拾ってきたのだろうか、どうやって運んできたのだろうか、詩乃が怒りの形相で廃車の路線バスを持ち上げ、地面を陥没させながら一歩一歩近づいていた。

 

「壮助。何で私がバスを持ち上げているか分かる? 」

 

「分かりません」

 

 ――そもそも普通の人間はバスを持ち上げたりしません。出来ません。この規格外パワーモンスターめ。

 

「これは私の怒りの大きさだよ。私と一緒に暮らしていた時は一度も風呂場や脱衣所を覗きに来たことが無いくせに……へぇ~出会って3日しか経ってないエールは覗くんだぁ。私が服を脱いでアピールしても目を逸らすし、『服を着ろ』って言うし。ねえ? どうして? 何で私の時は来ないの? 抱いて来ないの? 年下は嫌い? 自分より背の低い女は嫌? 」

 

 危険な雰囲気を感じ取り、灰色の盾の少女たちが壮助の周りから蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「そういえば、前に壮助のパソコンから削除したエロ画像とエロ動画、ほとんど巨乳ものだったよね。洋物もちょっとあったよね」

 

 エールは両腕で胸元を隠し、後退りして壮助から距離を取る。柱の陰から様子を見ていた美樹もさっと隠す。

 

「壮助はやっぱりあれなんだね。Dカップ以下は女と認めないタイプの人間なんだね」

 

 詩乃の手の上にあるバスが壮助の方に傾いていく。鉄が軋む音と共に中の座席が窓ガラスを突き破って落下する。

 

「今まで私も壮助の気持ちを尊重して穏当な手段で行ってたんだけど、私も考えが甘かったみたい。恋とは戦争。もう少し強引に行かないとね」

 

「いや、今までも十分に強引だったぞ。俺じゃなかったらペア解消するレベルで。ってか、これ以上に強引って何やるんだよ! ? 」

 

 詩乃が持ち上げるバスが更に下がる。

 

「だから何で傾くの! ? 」

 

「ねえ。吊り橋効果って知ってる? 」

 

 壮助は恐怖のあまり声が出ず、「うんうん」と首を縦に振る。

 詩乃のバスが更に傾き始めた。彼女は理由を語らなかったが、揺れる吊り橋に対する恐怖(ドキドキ)が恋愛感情に変換されるように、バスが倒れてくるという恐怖(ドキドキ)を森高詩乃への恋愛感情に変換しようという思惑なのだろう。

 そして、刀のようにバスが振り下ろされた。

 

「死ぬ死ぬ! ! それはドキドキする前に死ぬ! ! お願いします! ! 森高さん! ! ごめんなさい! ! 俺が悪かったです! ! おっきいおっぱいに興味はありません! ! ちっぱい最高! ! 貧乳はステータス! ! 希少価値! ! 俺は13歳の黒髪ショートカットのイケメンアスリート系女子中学生にしか欲情しません! ! どうかお命だけはあああああああああああああああああああああ! ! ! ! ! ! ! ! ! 」

 

 

 

 

 全てを駆逐する轟音と共に西外周区が揺れた。

 

 

 

 

 柱の陰で一部始終を見ていた男性陣は自分達の悪戯のせいで大事になってしまった罪悪感から崩れ落ち、美樹は非現実的な光景に唖然とする。鈴音はニッコリと笑っていた。

 

 

「義塔さん、本当に詩乃ちゃんと仲良しなんですね」

 

「姉ちゃん。ちゃんと見えてる? あれは“なかよし”のやることじゃないよ」

 




オマケ
前回のアンケート結果

(4) アルブレヒト・グリューネワルト
(13) 室戸菫
(0) エイン・ランド
(3) アーサー・ザナック
(15) 何で一つだけなんだよ!!全部盛れ!!

エイン・ランド奇跡のゼロ票。室戸先生大爆笑してそう。
機械化兵士の能力全部盛り……誰かをサイボーグにするより、その技術でアンドロイド作った方が早そう。


次回「敵は二手先三手先」


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敵は二手先、三手先

片桐玉樹のウワサ

弓月に「私の服と兄貴の下着を一緒に洗わないで!!」って言われたら本気で凹む自信があるが、未だに言ってこないのでそれはそれで不安に思っているらしい。


 義搭壮助が、西外周区の中心で(命乞い)を叫んだ数十分後、会議室(という名のマンションの一室)に一同が集まった。エールと一部の新参、義搭ペア、日向姉妹とお馴染みになった顔ぶれが揃い、そこに我堂のお目付け役として派遣された小星ペアと朝霞もソファーに腰掛けていた。

 部屋は非常に重い空気になっていた。対面する詩乃と朝霞が睨み合い、両者の間で視線の火花がバチバチと瞬く。

 事の発端は詩乃だ。昨日の戦いで壮助から朝霞に腕の骨を折られたことを聞いた彼女は静かに激昂し、会議室に入るや否や「この件が終わったら首の骨を折る」と朝霞に宣言したのだ。それを聞いた朝霞は売られた喧嘩を買い、今に至る。

 

「いや詩乃、落ち着けって。この件はもう謝ってくれたし、治療費も慰謝料も出るし、もう俺は許したから」

 

「壮助が許しても私が許してない。壮助を傷つけて良いのは私だけだから」

 

「なにその独占欲重い」

 

 テーブルを挟んで壮助は詩乃を、対面では常弘と朱理が朝霞を宥めている。

 

「朝霞さん。落ち着こう。我堂最強がこんな安い喧嘩を買ったら駄目だよ」

 

「そうですよ。僕達、日向姉妹の護衛なんですから。今後に備えて無駄な争いは避けましょうよ」

 

「いいえ。これは我堂の沽券に関わる問題です。二度と野良犬に噛まれないよう決闘で格の違いを見せつけなければなりません」

 

 ――ああ、これプッツンしてる。

 

 常弘と朱理は諦め、朝霞から遠ざかる。

 

 普段の落ち着いた大和撫子然とした姿から想像できないが、壬生朝霞は激情家である。即決即断・人生のステータス極振りを良しとする我堂の気風に長く当てられたせいか、彼女は2021年生まれとは思えないくらい強情で頑固で短気で昔気質な人間に育ってしまった。

 そして残念なことに力づくで彼女を止められる者はいない。

 詩乃と朝霞の目が赤く煌めき、朝霞は得物の双刀を握る。詩乃は握り拳を作り、腕に血管を浮き上がらせる。パワー特化型イニシエーター同士の戦いだ。この部屋が跡形もなく消し飛ぶのは目に見えている。それを本能的に感じ取った灰色の盾のメンバー達は慄く。

 

「テメェら、いい加減にしろ」

 

 部屋中に響くエールの声とテーブルの上に乗せられたブーツの振動で全員の視線が彼女に集まる。無論、詩乃と朝霞の「邪魔をするな」と言いたげな赤い瞳も向けられる。

 

「喧嘩をするなら他所でやれ。私らの家をぶっ壊されたら堪ったもんじゃねえ」

 

 

「じゃあ、敷地の外で戦えば良いんだね? 」

「では、敷地の外で戦えば良いんですね?」

 

 

「へ? 」

 

 エールは遠回しに「やめろ」と言っていたつもりだったが、2人には通じなかったようだ。深く溜め息を吐くエール、頭を抱える壮助、愛想笑いをする常弘と朱理を尻目に詩乃と朝霞は窓を開けて、外に飛び出した。ここはマンション8階だが、呪われた子供である2人には着地に何ら問題の無い高さだ。

 しばらくすると建物が崩れる轟音が聞こえて来た。次々と廃墟が倒壊していく怪獣映画のような光景に窓際に立つトオルは唖然としていた。

 

 ――え? 何あのバケモノ? ガストレアよりヤベーんだけど。

 

「トオル。窓を閉めろ」

 

「うっす」

 

 ピシャリと外の音が聞こえなくなった。

 

「お前ら……苦労してるんだな」

 

「「「ご理解頂けると助かります」」」

 

 

 

 *

 

 

 

 西外周区の一角で灰色の盾№3 ミカンはバイクを走らせた。売人の居所と彼の隠れ家を特定出来たからだ。他のギャングチームとかち合わないよう緩衝地帯を通り抜ける。

 辿り着いたのは2階建ての建物だ。大戦前はどこかの会社が使っていたのだろう。ガストレア大戦の戦火に塗れることなく、人に放棄されて朽ちるのを待つ家屋や建造物が西外周区には溢れている。

 ミカンは相手から見えない位置にバイクを止める。得物の9mm拳銃がホルスターに入っていること、マガジンに弾が入っていることを確認すると音を立てず、小走りで入口前に向かう。

 人が出入りしている気配がない。ドアに耳を当てるが物音も聞こえない。もしかして逃げられたかとも考える。何にせよ入らないことには答えが出ない。

 ミカンは銃を構え、鍵のかかったドアを蹴破って突入した。銃を構えながら部屋全体を見渡す。内部はスッキリとしていた。普通なら得た金を隠す金庫や護身用の武器、売買の際に使用する包材が転がっている筈だが、見当たらない。

 

 ――尾行がバレて、逃げられたか?

 

 まさかの失態を頭に舌打ちしそうになった時、床に流れるが見えた。ミカンは警戒しながらゆっくりとカウンターの向こう側を覗く。

 

 ――遅かったか。

 

 目標の売人が死んでいた。瞳孔が開いており、身体の周囲に血溜まりが出来ている。脈を診るまでもなかった。

 死因は刺殺と言ったところだろうか。全身をアイスピックのようなもので突かれ、皮膚が肌色と赤色の水玉模様のようになっていた。骨も穿たれたのか、頭蓋骨が砕かれて顔が崩れている。服もマシンガンで撃たれたかのように穴だらけだ。10回や20回どころの話ではない。100回か200回は満遍なく刺されている。恨みを持った誰かの犯行だと思ったが、それでも傷の数と配置が尋常ではない。どこかの狂った赤目ギャングが死体を切断して作ったオブジェのようだ。

 ミカンはまだ現場に残っているかもしれない殺人鬼に警戒しつつ、スマホでエールに連絡を入れる。

 

『ミカンか? どうした? 』

 

「先回りされたよ。こっちの売人はもう死んでる。ニッキーとアキナはどうだった? 」

 

『いや、あいつらも駄目だった』

 

 電話口の向こうでエールは苦い表情をしているのだろう。口の端から漏れた舌打ちが聞こえた。

 

『ドールメーカーは? 』

 

「そっちもダメだ。クスリどころか金も見当たらない。多分、こいつら()()()になって始末されたんだろう」

 

 電話の向こうでため息が聞こえた。

 

『分かった。バンタウに戻ってくれ』

 

「了解――と言いたいところなんだけど、車を寄越してくれないか? それと死体袋。こいつら妙な死に方をしている。倉田に傷とか調べさせたら何か分かるかもしれない」

 

『分かった。手配する』

 

「頼んだよ。ボス」

 

 その後、ミカンは部屋の隅々まで探したが、殺人鬼も、ドールメーカーも、それに繋がるものも見つからなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 菫に姉妹の血液を届けた後、野暮用を済ませたティナは自宅マンションで一晩を過ごした。外周区のベッドが嫌になったからではない。この先の戦いで必要になるだろう武器を調達したかったからだ。

 テレビをつけ、朝のニュースを聞きながらキャリーバッグとライフルケースに選んだ武器を入れていく。部屋にある全ての武器弾薬(東京エリア民警法違反レベル)を運べる訳ではないので、灰色の盾が使用する自衛隊や旧・在日米軍の流出品と互換性のあるものを選んでいく。

 ティナのスマホに着信が入り、画面に「Dr Muroto」と名前が表示される。

 

「はい」

 

『ティナちゃん。まずいことになった。検査機を壊されたよ

 

「そんなっ……」

 

 姉妹の侵食率が証明されるまであと数時間のところだった。目の前に見えた希望を潰され、驚愕のあまり瞳孔が開く。武器調達なんかせず、徹夜で検査機を守っていれば良かったと今更ながら後悔した。

 

「あの、犯人は……」

 

『監視カメラに写っていた。抑制剤の治験のために入院していた赤目の子だったよ』

 

 ガストレアウィルス抑制剤は世界中に広まっているが、今でもより強い抑制効果や侵食の停滞を目的に世界各国の研究機関が開発を進めている。勾田大学病院もその一つであり、治験のアルバイトとして数名の呪われた子供が入院(という名目で生活)している。

 

「その子は? 」

 

『検査機を壊した後、夜勤の研修医を殴り飛ばして敷地を出て行った。動機についてもさっぱりだ。担当医や看護師が『虫も殺せない優しい子だ』と口を揃えているからな』

 

 菫と同様にティナもその子がどうして検査機を破壊し、逃走することを思い立ったのか分からなかった。最初から壊すために入院したのか、それとも金銭や人質で指示されたのか、どちらにせよ警察の捜査に任せるしかなかった。

 

「他の機関で検査をお願い出来たりしませんか? 」

 

『正直、厳しい所だ。ウチの検査機が壊されたせいで他の機関に検査の負担が回ることになる。そこに誰のものか明かせない秘密の血液を捻じ込むのは至難の業だろう。自分の人望の無さを恨む日が来るとは思わなかったよ』

 

「そう……ですか。死龍の血は大丈夫ですか? 」

 

『あれは別のキャンパスにある薬学部に移していたから無事だ。今、向こうで教授たちが分析を進めている。私もこの件の処理が終わったら合流するつもりだ』

 

「分かりました。引き続きお願いします。それと出来るなら警備を強化するか、民警をボディガードに雇ってください。そっちが狙われないとも限りませんから」

 

『ティナちゃんがこっちに来てくれるなら100人力なんだが……』

 

 菫の要望にティナは沈黙で答える。今のティナには守りたい人がいる。自分達の戦いが間違いでも無意味でもないと教えてくれた少女たち、彼女達を死なせる訳にはいかなかった。

 それを菫も察したのだろう。電話口の向こうで「ふっ」と笑ったのが聞こえた。

 

『分かった。それはこっちで何とかする。君は君が守りたい者のために戦いなさい』

 

「お心遣いありがとうございます」

 

『お礼は君を解剖する権利でどうかな』

 

「断固拒否するので失礼します」

 

 ティナがスマホの通話を切ろうとした瞬間、『ちょっと待った』と菫が制止する。

 

『後で例の尻尾の分析結果をメールする。大したことは分かっていないが、暇な時に目を通してくれたまえ』

 

 

 

 *

 

 

 

『――これで以上です。今からそちらに向かいますので迎えをお願いします』

 

「ああ。分かった。ありがとう。エールに伝えとく」

 

 しんと静まり返ったバンタウの一室で壮助の声だけが聞こえる。全員が彼とティナの通話に耳を傾け、状況を見守る。しかし、表情と声色からして芳しい結果報告でないことは明白だった。

 

「駄目だ。検査機をぶっ壊された」

 

「クソッ! ! どこのどいつだ! ? 」

 

 エールは憤りのあまり自身の大腿に拳をぶつける。彼女の怒声に灰色の盾のメンバー達が震えあがる。あまりの結果に美樹は泣き出しそうになる。

 

「大学病院に入院していた赤目の患者だそうだ。現在、行方不明。後は警察の捜査次第だ」

 

「チッ……完全に後手に回ってるじゃねえか」

 

「むしろ俺達が先手だったこと無いだろ。それに収穫が無かった訳じゃない」

 

 壮助がスマホをポケットから取り出して操作した後、鈴音に画面を向けて渡す。

 

「司馬重工に依頼した検査結果が届いた」

 

 

 

 日向鈴音:侵食率12.4% 日向美樹:侵食率6.6%

 

『備考:飲料水と混雑した容器から血液を抽出し実行。

    4種の検査法を並列して行い、うち3種において、

    科学的に信頼できる数値を得ることに成功した』

 

 

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「厚労省の数字は確実にデタラメってことだ」

 

 自分達は形象崩壊寸前である。この4日間抱き続けた恐怖から解放され、美樹は大粒の涙を流した。隣に座る鈴音に縋りつくと抱き寄せられ彼女の胸の中で泣く。その光景はまるで母にあやされる赤子のようだ。

 その更に隣で常弘すらドン引きするレベルで朱理が涙や鼻水を流している。

 ずっと不安を抱えていたのは壮助もエールも同じだった。外で朝霞と喧嘩している詩乃も同じ気持ちだろう。エールも安堵し、壮助も気が抜けてソファーの背もたれに身を落とす。

 

 ――この数字を然るべきところに見せれば、全部覆すことが出来る。

 

 問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

 さて、どう立ち回ったものか……。

 

 

 

 

 思案に暮れる壮助の脳裏にふと疑問が浮かび上がる。

 

 

 

 

 ――いや、待てよ。そもそも何で検査機を壊したんだ?

 

 機械もシステムもセンターと同じものだ。

 

 最初と同じように48%って数字を出して俺達を混乱させればいい。

 

 大学病院の機械だと48%って数字を出せないからか?

 

 センターとの違いは何だ?

 

 そもそも48%なんて数字を出したのはどういうトリックなんだ?

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

≪ジェリーフィッシュを使う? 正気ですか? ≫

 

≪ナイトメアイーグルのロールアウトまで待てないというのが“上”の判断だ。現にあれはまだ生体パーツとのマッチングが終わっていない≫

 

≪ジェリーフィッシュは暴走して強制停止をかけたばかりです。再起動をかけても制御できる保証がありません≫

 

≪再度、人格洗浄を行え≫

 

≪これ以上は認識能力に影響を及ぼします。最悪の場合、敵味方の区別すらつけられなくなるかと……≫

 

≪スカーフェイスを処分した今、その点に問題はない。それに、これは“上”の決定だ≫

 

≪わ、分かりました≫

 

≪次は確実に人格を消せ。さもなくば……≫

 

≪し、『失敗者には死を』……≫

 

≪ああ。そうだ。よく分かっているじゃないか≫

 




オマケ 前回のアンケート結果

質問文:おや?誰かが着替えているようだ。覗きに行こう。

ランキング

1位 日向鈴音(8票)

さすが原作の名脇役 堂々の1位。
覗きがバレても「もう、駄目ですよ~」ってやんわりと注意してカーテンを閉める程度で済ませてくれそうなところも票獲得に貢献したかもしれません。
しかし、以下の4人(別名:鈴之音親衛隊)が全力で殺しに来るので一番残酷で苛烈な制裁が待っている。

2位 義搭壮助(6票)

1枠空いたからネタのつもりで入れたらまさかの2位。
うん。確かに「お前、なに覗いてんだよ」ってちょっと怒るだけで済みそうだし、詩乃ちゃんも「壮助のエロさに気付いたんだね。仕方ないよ」と許してくれそうですが、それでいいのか。アンケート結果。
もしかして拙作の読者様は女性やLGBTの方が多いのだろうか。

3位 エール (4票)

本作屈指のナイスバディが3位のランクイン。
(作者の脳内キャラデザでは)エロさとカッコよさを両立させたようなキャラなので魅了されてもおかしくない。しかし、バレた時の制裁シーンを読んだ上で票を入れた読者様は些か下半身の欲求に正直すぎるのではなかろうか。

4位 森高詩乃 (3票)

顔と体型が良くても愛と怒りと悲しみのシャイニング路線バスソードを振り下ろすヒロインに需要は無かったか……。


5位 日向美樹 (2票)

ヒロインムーブまでかましたのに最下位となったボーイッシュ巨乳アスリート妹。
姉とはどこで差がついたのか。慢心、環境の違い。


次回「第五の賢人」


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第五の賢人

遂に語られる五翔会の正体――――


 8月17日

 

 スカーフェイスによるイクステトラ襲撃事件から一週間、未織と職員たちは事後処理に追われていた。数十台の車と共に消炭となった地下駐車場、コンソール一つまともに動かないオペレーションルーム、武装ドローンの残骸で足の踏み場が無い廊下、天井が崩落して未だに瓦礫が残るフロント、弾痕が残るサーバールーム、etc……と施設の復旧に頭を抱えながら、日向姉妹に関する隠蔽工作、警察とマスコミへの対応、関係各所への説明、事件で亡くなった警備員や職員の遺族に対する補償などもしなければならなかった。

 

「はぁ~。ようやく一息つけるなぁ。マスコミの皆はんも容赦あらへんわ」

 

 未織は局長室の椅子に腰を落とした。下半身の力を抜き、上半身を背もたれに預ける。

 付き人して同行していた小此木はバッグを応接用ソファーの上に置く。

 

「局長。無理しないで下さい。肋骨にヒビが入っているんですから」

 

 イクステトラでスカーフェイスのメンバーに銃床で殴られた際、未織は着物の下に仕込んでいた防弾繊維で衝撃を緩和した。しかし事件の後に違和感を覚え、病院でレントゲンを撮ったところ、右側の肋骨2本にヒビが入っていたことが判明したのだ。彼女の服の下には肋骨を固定するためのバストバンドが巻かれいる。

 

「でも、()()()()を盗まれたのが公になってへんのは助かったわ」

 

「ええ。イクステトラどころか、司馬重工が終わりますからね」

 

 節操のない刑事か記者でも来たのだろうか、ドアの向こう側から人を止めようとする職員たちの声が聞こえる。相手がすんなり引き下がったのか、職員たちを黙らせる何かを予定外の来客は持って来たのか、次第に声は少なくなっていく。

 そして、ノックされることなく局長室のドアノブが回った。

 

「やあ。思った以上に元気そうで良かったよ」

 

 185cmほどの引き締まった身体と精悍な顔立ちを持つ男が入って来た。オシャレ坊主の頭と喪服姿は体こそ粛々としているものの自信に満ち溢れ、キザな雰囲気は隠れていない。

 彼を見た瞬間、未織と小此木は心がざわついた。外の職員たちが騒然とするのも分かる。

 

 博多黒膂石重工 最高経営責任者 芹沢遊馬(セリザワ ユウマ)

 

 博多エリア軍需産業の重鎮が来客だったからだ。

 

「あら。芹沢はん。ようこそ。ぶぶ漬けでもいかが?(さっさと帰れ)

 

「来て早々に酷い扱いだなぁ。せっかくお土産も持って来たと言うのに」

 

 遊馬は手を上げて黄色いひよこがデザインされた紙袋を見せると、それを断ることもなく応接用テーブルの上に置く。

 

「勿論、ひよこの形をした饅頭だけじゃないさ」

 

 遊馬はチラリと小此木を一瞥する。それから口を開こうとしない。彼の意図を未織は嫌々ながら察した。「ちょっと席を外してくれへん? 」と小此木にお願いし、不服な顔を浮かべながら局長室を去る彼を見届ける。

 

「悪いことをしたかな? 」

 

「そう思うなら、用件は手短におたのもうします」

 

 遊馬は襟を正し、未織を揶揄ってにやけていた表情を消して、真剣な面持ちになる。

 

「この度、亡くなられた方々について、博多黒膂石重工を代表しお悔やみ申し上げます。またこのような事態を作り上げてしまった責任として、ここの修繕費用および遺族への補償につきましては、全て弊社で負担させて頂く旨をお伝えいたします」

 

 深々と頭を下げる遊馬に未織は面食らった。初対面の時から保たれていた女好きの軽い人というイメージが拭われる。同時に「事態を作り上げてしまった」という衝撃的すぎるワードが彼女を混乱させる。

 同時にどうしようもない怒りが湧き上がる。莫大な投資をかけて作った施設を破壊され、十数名の死者を出したあの事件を目の前の男が作り上げた。懐から司馬流武術で使う鉄扇を出して広げ、歪む形相の半分を隠す。

 

「どないな理由や? 事と次第によってはタダでは済まさへんよ? 」

 

 今にも司馬流武術をお見舞いされそうな雰囲気だったが、遊馬は余裕のある態度を崩さない。それどころか、大きく溜め息を吐いて肩を落とした。

 

「一つ誤解しないで欲しいが、あれを(けしか)けたのは我々ではない。五翔会残党だ」

 

「五翔会……残党? 」

 

「ああ。五翔会という組織はもう存在しない。彼らは醜い内部争いを繰り広げた後、滅んだ。今回の事件を引き起こしたのは死に損なった残りカスさ」

 

 機械化兵士という強力な武器を持ち、政財界に深く根差す秘密結社――五翔会、この数年間、影も形も見せなかった彼らの結末を遊馬は残党(敗者)というたった二文字で済ませた。

 未織は鉄扇を閉じ、懐に戻す。遊馬の言葉を完全に信じた訳ではないが、少なくとも目の前の男が黒幕である可能性は低いと推測する。わざわざ自分たちの関与を未織に話すメリットが思い浮かばなかったからだ。

 司馬重工と博多黒膂石重工が協力関係を結び、彼とは電話やメールでやり取りする機会が増えた。軽々しくいけ好かない男だが、つまらない嘘を吐くような人間ではないと知っていたことも鉄扇を戻した一因だった。

 

「まず、五翔会の始まりから話そう。今から90年前の話だ。日本は第二次世界大戦で敗北し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に置かれた。GHQは日本の資本主義国化、経済の自由化を目的にある政策を行った。さて、それは何でしょう。はい。出席番号1番 司馬未織さん。お答えください」

 

「財閥解体やろう? 司馬重工(ウチ)も元は旧・司馬財閥やし、朝鮮戦争が無かったら解散されとったって爺様からよう聞かされとったわ」

 

「共産主義勢力の拡大と朝鮮戦争の勃発、それによるGHQの方針転換(逆コース)、過度経済力集中排除法の廃止により、財閥は“企業グループ”という形で自由主義・資本主義経済に適応して生き残った。だが、その中には敗戦と占領の屈辱を忘れられなかった者もいた。彼らは第三次世界大戦(来るべき日)で勝利する為に裏で繋がり、力を蓄え、雪辱を晴らす機会を待ち続けた」

 

「それが……五翔会」

 

 第三次世界大戦に備えた旧財閥絡みの地下組織。未織は祖父から大昔の都市伝説として聞かされたことがある。くだらない都市伝説だと思っていたが、それが五翔会という形で現実世界に存在していたとは思いもしなかった。

 

「第二次世界大戦の終結から76年、日本が世界屈指の経済大国となり、日本人は戦争を忘れていったが、彼らは己の本分を忘れず、第三次世界大戦を待った」

 

 しかし、起きたのは第三次世界大戦ではなく、ガストレア大戦だった。

 

 ガストレアは脅威だった。彼らはその世界に出現しただけで人類のパワーバランスを崩壊させ、タガが外れたように「衝突」が勃発した。

 

 アメリカは世界中に駐留する軍を本土に撤退させたことで国際的な信用を地に墜とし、「世界の警察」から「世界の裏切り者」となった。

 

 中国人民解放軍(PLA)の軍閥争いが武力衝突に発展したことで“党”によるコントロールが事実上崩壊した。

 

 ロシアは反政府活動が活発化したことで政府は反政府テロ、ガストレア両方の対応に追われることになった。

 

 欧州連合(EU)はバラニウムの確保に失敗し、全ての呪われた子供を生体兵器として運用することで辛うじて対ガストレア戦線を維持している。

 

 日本も政府決定の遅さに自衛隊が業を煮やし、シビリアンコントロールが崩壊。政府を無視して自衛隊がエリアの選定と構築を主導した。

 

 日本と世界が傷付き、既存の体制が崩壊した時代は五翔会にとってチャンスだった。

 

 エリアの選定と構築を主導した自衛隊は旧日本軍の反省から、エリアの三権(立法・行政・司法)を握ることに消極的だった。その政治的空白を埋めようと乗り出したのが五翔会だった。初動こそ失敗したものの彼らは正当な選挙で、時には暗殺で大阪エリアと札幌エリアの実権を握った。

 

 

 

 ある男がいた。

 

 

 

 彼はガストレア大戦でアメリカの裏切り、責任の所在を理由に動かない日本政府、無力な自衛隊に絶望し、五翔会のスカウトマンに誘われて構成員になった。

 

 “ガストレア大戦はまだ終わっていない。我々の手で日本を勝利させ、真の強国にしよう”

 

 スカウトマンは、そういう謳い文句で五翔会に誘い、彼は五翔会の構成員“グリニングフォックス”となった。数々の現場で暗躍し、スパイとして非常に優秀だった彼の五芒星にはとんとん拍子に翼がつけられていった。

 翼が増えれば増えるほど開示される情報と与えられる権限が増えていった。

 そして、グリニングフォックスは知ってしまった。

 

 

 五翔会は日本の未来を託すに値しない。むしろ滅ぼすべき存在だ――ということに。

 

 

 組織にも寿命があるのだろう。数十年の待ち時間の間に五翔会は肥え、老い、衰え、腐敗していた。一枚羽根や二枚羽根といった下々は組織の掲げる理想に忠誠を誓ったが、それより上の者達は私腹を肥やし、“自分達”が支配者になることしか考えていなかった。その為なら日本と日本人を犠牲にすることを厭わなかった。

 以前から構成員に“死”を強要する組織に疑問を抱いていたグリニングフォックスにとって、それは五翔会に絶望する決定打となった。

 

 

 “真の敵は五翔会にあり”

 

 

 全てを知った彼はすぐに行動に移った。開示された情報と与えられた権限、そして五翔会の外側の人脈を駆使し、五翔会を徹底的に潰すことにした。

 上が隠していた情報を下に開示することで組織を“支配者”と“被支配者”に分裂させ、対立させた。その混乱の中で資産や更に隠されていた情報を奪取。外部の人脈を用いて、五枚羽根である紫垣仙一や斉武宗玄、機械化兵士を提供していたアルブレヒト・グリューネワルト、エイン・ランドを暗殺した。それ以外の五枚羽根も、四枚羽根も、その尽くを殺戮した

 

 全てが上手くいった訳ではなかった。そこには悲劇もあり、犠牲もあったが、グリニングフォックスは五翔会を壊滅させることに成功した。

 

 五翔会の資産はグリニングフォックスとその協力者に吸収され、それ以外は五翔会残党として、“新組織”に追われることとなった。

 

 

 遊馬が五翔会の始まりから顛末を語り終えると、未織は自分で淹れたデスクの茶を啜る。

 

「まるで自分が見聞きしたかのように詳しゅうなぁ」

 

「それもそうさ」

 

 未織の耳に届く布の擦れる音、遊馬が喪服の上着を脱ぎ、下のカッターシャツの袖を捲る。未織に見せつけた前腕には、×印で潰された五芒星と四枚の羽根の刺青が彫られていた。

 

「グリニングフォックスは私のことだからだ」

 

「やっぱり……」

 

 博多黒膂石重工の次世代バラニウム兵器を見た時から、未織はそれが新人類創造計画・新世界創造計画の後継、またはそのテクノロジーを流用したものだと見抜いていた。そこから博多黒膂石重工と五翔会の繋がりを想像するのはそう難しい話ではなかった。

 

「一つ……いや、二つ聞かせてもろうてもええ? 」

 

「構わない」

 

 未織が睨み、遊馬は気付きながらも爽やかに答える。

 

「6年前に里見ちゃんを苦しめた事件、あれに芹沢はんは関わっとったん? 」

 

「当時は札幌エリアを中心に活動していた。その件も計画段階から知ってはいたが、阻止はしなかった。まだ組織に忠実な男を演じる必要があったのでね」

 

「半年前のガストレアテロ、芹沢はんは『五翔会残党の炙り出し』が目的って言うとったけど、この事件も想定内やったん? 」

 

「連中が何かしらのアクションを起こすのは分かっていた。それを狙ったテロでもあったしね。犠牲者が出る前に連中を潰しておきたかったが、こうなってしまって()()だよ」

 

 

 バシィ!!

 

 未織の掌が遊馬の頬を打った。その衝撃で彼の首は明後日の方向に向き、頬が赤く腫れる。

 

 

「何が()()や! ! 何人もの人生を奪っておいて()()の二文字で済ませるんか! ! アンタも昔の五翔会と同じや! ! 自分が腐っとるって自覚が無い分、そこいらの悪党より性質(タチ)悪いわ! ! 」

 

 遊馬は叩かれた頬をさすりながら視線を未織に戻す。

 

「勿論、言葉だけで済ませるつもりは無い。彼らを焚き付けた責任は取る」

 

「ほな、それが空言ちゃうこと証明してもろか」

 

 未織はもう一発彼を殴りたかったが、怒りをぐっと抑えた。

 腕と脚を組み、局長席にふんぞり返る。彼女の体重が一気にのしかかり、チェアのサスペンションが一瞬、軋む音を立てた。

 

「この件を仕組んだのはどこのどいつや? 」

 

「恥ずかしい話だが、我々も掴めていない」

 

「はぁ? 」

 

「4~5年前、我々は東京エリアの五翔会に戦争をふっかけた。他の4エリアを潰した我々と東京に集まった敗残兵、結果は火を見るよりも明らかだった。我々は五翔会の資産を奪い、人員は取り込んだ。だが、掃除は不完全に終わった

 

「不完全? 」と未織は繰り返す。

 

「五翔会にとって東京エリアは要所だったんだろう。情報管理が他のエリアとは比べ物にならないくらい徹底されていた。お陰で我々は幾つかのセクションの存在に気付かないまま戦争をふっかけてしまった。残党に気づいたのは全てが終わった後だったよ」

 

 ここで事態が一気に進展すると期待していた未織は大きく溜め息を吐く。遊馬にもはっきりと落胆が聞こえるように。負い目からか遊馬はそれを諫めず、やれやれと肩を竦める。

 

「期待に添えなくて悪かったね。代わりと言ってはなんだが、これを君に」

 

 遊馬はポケットからUSBメモリー出すとそれを未織に手渡す。

 未織は訝しげな顔を浮かべながらUSBを受け取ると、ノートパソコンのUSBポートに挿し込んだ。ディスプレイにウィンドウが開き、3つのファイルが現れた。

 

「今から4年前、五翔会残党の手によって博多黒膂石重工から機械化兵士の装備が盗まれた。コードネームは『Parasite(パラサイト)』、『Jellyfish(ジェリーフィッシュ)』『Nightmare eagle(ナイトメアイーグル)』。今回、連中が運用している機械化兵士はその3体だとだと想定される。いずれも次世代バラニウム兵器のプロトタイプだ」

 

 未織が「Parasite」のファイルを開くと見慣れた装備が目に映った。――死龍の尾だ。光学迷彩、電磁加速砲、熱切断ブレード、尾の単独行動、遠隔操作、etc……と武装や機能が積載量オーバーしていたように図面もゴチャゴチャとしていた。1ファイルにつき数百ページある設計書に工学、物理学、数学、生物学の奥深い専門知識が盛り込まれている。数十人の専門家を集めないと理解できないそれを未織は一人で読み進めていく。彼女は内容を理解したのか時折「これとこれ繋げるんやな」「その発想はなかったわ」「は? これ効率悪ない? 」と声を挙げる。

 

 ほったらかしにされた遊馬は上がる口角を手で隠す。しかし、目はそれを隠せなかった。

 

 

 ――恐ろしいな。もう理解したのか。

   さすが、グリューネワルト()第五の賢人と見込んだだけのことはある。

   

 

   司馬未織。君が作る機械化兵士がどんなものになるか楽しみだよ。

 

 

 

 

 

  「ああああああああああああああ! ! 」

 

 未織が叫んだ。ノートパソコンを持って立ち上がり、その勢いでケーブルが抜ける。直後、顔面蒼白となった未織は全身の力が抜け、腰はチェアへ、顔はデスクへと落ちる。

 遊馬は彼女の奇行の意味が分からなかったが、「天才というのはそういうものだろう」と自身の中で納得させた。

 

 

「ヤバい……。この出力やったら、()()()()使えるやん……。終わった……。司馬重工終わった……。木更が草葉の陰でウチを嗤うとるわ……あはははははははは」

 




いつか、「贖罪の仮面」時空におけるガバガバ世界情勢をみっちり語りたい。

前回のアンケート結果

質問:喧嘩はどっちが勝った?
回答
(7) 朝霞
(8) 詩乃
(19) 引き分け

同じパワー型ですが、詩乃は対ガストレアに有利なパワー特化型、朝霞は単純なパワーなら詩乃に劣るもののスピードもテクニックも兼ね備えたバランス型になります。自分の強みを生かせる状況を作れるかどうかが勝利の鍵ですね。
どっちが勝っても周囲の被害は甚大必至ですが。



次回「理性なき蟲霧」


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理性なき蟲霧

藍原延珠の(生前の)ウワサ

天誅ガールズ1期14話の天誅ブルーの発言に対する解釈違いが原因で1週間蓮太郎と会話しなかった時期があるらしい。


「初めてなんでしょう? 緊張しなくて良いわ。ほら。力を抜いて」

 

 耳元で囁かれる艶めかしい声、それと共に白い指先が鈴音の手を撫でる。まるで絹に触れているかのように指は柔らかく手から前腕、二の腕、肩、首筋、頬を撫でる。

 

「あ、あの……ニッキーさん。私っ――」

 

「よそ見はダーメ。ちゃんと真っ直ぐ前を見て。そう、良い感じ」

 

 真夏の熱気と共にニッキーの吐息がかかる。香水だろうか、ほんのりとシトラスの香りもする。きめ細やかな肌と絶妙な力加減の感触は心地よく、姿勢を正すという名目で胸や腰を触れられても他人に身体をまさぐられる嫌悪より腹の底から湧き上がる快楽が勝る。

 鈴音の腕が震え始めた。

 

「ふふっ。可愛いわ……。誰だって最初は恐いもの。でも大丈夫。貴方もすぐにハマるわ」

 

「で、でも――――」

 

「私が付いているから安心して。ほら……指に力を入れて。もっと、グッと……」

 

 

 

 9mm拳銃の遊底(スライド)が下がり、排莢口から薬莢が飛び出す。9mm拳銃の銃口から9×19パラベラム弾が飛び出し、壁の前に並べた瓶の数十センチ上に着弾する。

 

「あら。残念。次、頑張りましょう」

 

「あ、あの……出来れば、服の中に手を入れるのはやめて欲しいのですが……」

 

 ニッキーが一方的に醸し出すサキュバスの吐息に包まれた空間を数メートル離れた美樹とアキナは冷ややかな目で見ていた。美樹も鈴音と同様に9mm拳銃を握っており、彼女が標的とする酒瓶は全て割れて落ちている。

 

「アキ姉ちゃん。向こうは背徳と淫欲の空気がハンパ無いんだけど」

 

「ニッキーは()()()()構わず食っちまうからな。今晩のお供にスズネのこと狙ってるんだろ」

 

「え゛! ? 」

 

 アキナが練習で空になったマガジンを投げつける。数メートル離れたニッキーの頭に鉄のケースが直撃し、「痛ぁ! ! 」と彼女は叫び、額を抑えて蹲る。

 

「おい! ! ニッキー! ! いい加減にしろ! ! 『スズネにセクハラしてた』ってエールにチクるぞ! ! 」

 

 エールの名前を出された途端、ニッキーが青ざめる。前にも似たようなことをして制裁を受けたのだろう。「バイクで西外周区引き回しの刑は嫌」と譫言を呟く。

 

「スズネから30センチ離れろ。決して身体に触れるな」

 

「手は? 手は良いよね? 銃の撃ち方を教えるんだから――」

 

 アキナは即座にスマホを取り出し、耳に当てる。

 

「あ、もしもしエール? ニッキーの奴が――――」

 

「ごめんなさい。もう二度とスズネにセクハラしません。YES 美少女・NO タッチ」

 

 ニッキーは服が汚れることを一切躊躇わず、その場でアキナに土下座した。

 

 

 

 

 時は8月17日 朝10時 真夏の炎天下の出来事である。

 

 

 

 

 司馬重工の検査結果が出てから数日、あれから事態は進展しなかった。

 姉妹の侵食率を証明する唯一の証拠――司馬重工の検査結果を遠藤・多田島を経由して警察内部にリークした。しかし、厚労省未認可の技術という点が引っ掛かったのだろう。警察からは「科捜研で精査する時間が欲しい。その間、姉妹を外周区から出すな」という保留に等しい返事が来た。現在、科捜研に司馬重工の検査官が乗り込み、12%と6%が科学的に信頼できる数値かどうか論争を繰り広げているらしい。

 

 死龍から得られた手掛かりである“microSDカード”と“ガストレア化爆弾”の解析も難航しており、答えが出る目途が立っていない。

 

 ドールメーカーは売人と共に外周区から忽然と姿を消した。新たな犠牲者は出なくなったのは良い事だが、黒幕に繋がる線は途切れてしまった。

 

 この数日の間、壮助は自分が日向家周辺にカメラを設置していたことを思い出し、遠藤にカメラと動画閲覧用のパスワードを教えたが、事件発生の直前に映像が途切れたことしか分からなかった。

 

 それならいっそのことスカーフェイスみたいな敵でも襲撃に来ないかと期待していたが、ここ数日音沙汰が無かった。姉妹を守るために意気揚々と内地のマンションから大量の武器弾薬を持って来たティナは暇を持て余し、今は同業者の好として常弘に狙撃を教えている。

 

 強いて良いことがあったとすれば、死龍こと鍔三木飛鳥を内地の病院に移せたことだろう。善宗が我堂民間警備会社社長のコネを使い、彼女がまともな医療を受けられるように手配してくれた。大角ペアと我堂の一部の民警は彼女を守るため、そちらの警護に就いている。

 

 捜査の手は詰まり、ナオと菫の頑張りに期待するしかない壮助はバンタウの屋上で外周区に吹く風を浴びる。何日も顔を合わせるとどこからか聞こえる銃声とガストレアの鳴き声、ポストアポカリプスな光景に愛着が湧いてくる。エールから教えて貰ったお陰で周辺の赤目ギャングにも詳しくなった。

 

 下から単発の銃声が聞こえる。壮助が中庭に目を向けると、鈴音と美樹が銃の練習をしていた。

 

 ――鈴音、笑っちまうくらいヘタクソだな。

 

 この数日で姉妹はすっかり外周区の住人になった。――いや、戻ったと言うべきかもしれない。普段は灰色の盾の仕事の一環として、彼女達が運んできた家電や車を解体して売れるパーツと売れないパーツを仕分けている。その仕事も一日中ある訳ではないので、暇な時はこうして旧友との親交を深めながら銃の練習をしている。

 

「壮助。何か言いたそうだね」

 

 肌と肌がくっつくほど隣に身を寄せた詩乃に声をかけられる。その時、壮助は自分がその光景を快く思っていないこと、それが表情に出ていたことに気付く。

 

「いや……まぁ、あいつらに銃を持たせたくなかったなって」

 

「気持ちは分からなくも無いけど、別に良いんじゃない? 撃ち方を知っておくぐらいは」

 

「……それくらい分かってる」

 

 ――分かってない顔だけど。

 

 自分の無力さによって、鈴音と美樹に「自分で戦う」「戦う術を身に付ける」という選択肢を与えてしまった。(フリとはいえ)護衛として、民警という戦闘稼業のプロとして、戦いでしか自分の価値を証明できない人間として、その光景は存在理由を否定されているようで、壮助は“それ”が嫌だった。

 

 詩乃はそれを揶揄しようと思った。しかし死龍に敗北し、プロモーターを戦わせてしまったイニシエーター(自分)にそんな権利などないと思い、これ以上、姉妹の射撃練習の話をしなかった。

 

「お前の武器、調達しないとなぁ……」と壮助がポツリ呟く。

 

「あーそういえば、そうだったね。エールに武器商人でも紹介して貰う? 」

 

「でも金がねえよな。俺の財布は厚労省に取られたまんまだし、お前だって大して持ってないだろ」

 

「我堂から出して貰えば良いんじゃない? 2人を守るための必要経費だし」

 

「それなら我堂から武器を提供して貰えば良いんじゃねえか? あそこならお前の扱いに耐えられる槍もあるだろ」

 

「別に槍じゃなくてもいいよ。大きくて丈夫な奴なら刀でも斧でも良いし」

 

 詩乃の発言に壮助は一瞬、戸惑った。「え?」と声が出た。

 

「いや、お前。槍じゃなかったら、天童流神槍術を発揮できないだろ」

 

 壮助の発言に詩乃は驚いた。「え?」と声を出した後、逡巡し「ああ。そっか」と自身の中で何かを納得させる。

 

「壮助には言ってなかったっけ? 」

 

「何が? 」

 

 

 

 

「破門された」

 

「はぁ! ? 」

 

 

 

 

 壮助は目を見開き、バンタウ中に聞こえるほどの驚嘆を上げる。

 

「お前何やらかしたんだよ……。門下生用の賄い料理を一人で全部食ったのか? それとも道場ぶっ壊したのか? 」

 

「壮助の中の私って何なの? 」

 

「三大欲求がギッシリ詰まった規格外パワーモンスター」

 

 デリカシー皆無な発言に怒った詩乃は壮助の鳩尾に拳骨を入れた。壮助は「ぐえっ」と声を吐き出し、その場で蹲る。

 

「天童助喜与師範に直接言われたんだよね。理由はよく分かんないけど」

 

「お前はそれで良いのか? 」

 

「良いも何も天童流の開祖に言われたからね。それに私も『向いてないかも』って感じていたし、諦めるには丁度いい切っ掛けだったと思う」

 

 師事していた武術の開祖から直々に破門を言い渡される。理由に心当たりなどない。特に説明もされない。普通の人間なら費やした時間の惜しさもあって納得いかないだろう。詩乃もそれは同じだった。彼女の面倒を見てくれた師範代も難色を示したが、天童流においては神に等しい助喜与の言葉を受け入れるほかなかった。

 

 

 

 

 

 ――獣の女王よ。ここにお前が求める力はない。

 

 

 

 

 

 道場を去る時、助喜与が詩乃にかけた言葉が脳裏にこびりついた。

 

 詩乃にかける言葉が思い浮かばず、ただ外周区の廃墟群を眺める壮助は背後のドアが開く音で現実に引き戻される。2人が振り向くとエールが屋上に足を踏み入れた。

 

「義塔。森高。ちょっと話がある」

 

「どうした? 」

 

「今日の昼なんだが、スズネとミキを連れて“マーケット”に行こうかと思ってる」

 

「「マーケット?」」

 

 エールが彼方の建造物を指さす。壮助と詩乃が目を凝らすと目測4kmほど離れた場所にスタジアムが見えた。ガストレア大戦前に建てられたものだろう。コートを照らすスポットライトと屋根の一部が無くなっていた。

 

アキンドっていう赤目ギャングがあそこで市場をやっているんだ。内地の盗品から粗悪極まる外周区産まで何でも揃っている」

 

「気分転換に外周区のショッピングモールにでも行こうって訳か? 」

 

「ああ。外周区で流行のファッションを伝授して、買い物の後は人気のカフェでオシャレなスイーツと洒落こもうじゃねえか」

 

 ここ数日、敵からの襲撃が無いとはいえ違うギャングの支配地域に道楽目的で姉妹を連れて行く――エールの腑抜けた考えに壮助は怪訝な視線で応える。

 

「睨むなよ。冗談だ。スズネとミキを匿っていることをアキンドのボスに知られてな。『2人を連れて来い。さもなくば抑制剤の流通を止める』ってメールが来たんだ」

 

「従うのかよ。西外周区最強のギャングが聞いて呆れるぜ」

 

「正直なところ断りたいんだが、機嫌を損ねたら後々面倒なことになる」

 

 エールは溜め息を吐き、肩を落とす。

 

「敵の罠の可能性は無いのか? 」

 

「連中、ドールメーカーのせいで売り上げがガタ落ちしてガチギレしていたからな。それは無いだろう」

 

 壮助も大きくため息を吐く。姉妹をマーケットに連れて行くのは反対だ。2人がいずれ内地の生活に戻ることを考えたら、他のギャングと関係を持たせることはリスクが大きい。またドールメーカーで売り上げが落ちるということはドラッグも扱っているのだろう。アキンドが灰色の盾のような“優等生”ではないことは明白だった。しかし、抑制剤の流通停止は呪われた子供にとって死活問題だ。エールは「いざとなったらマーケット襲って強奪するさ」と軽く言ってのけたが、戦闘に駆り出されるメンバー達や消費される武器弾薬のことを考えると従った方が得策だと壮助は自問自答で納得する。

 

「ちなみに来る人数に制限とか無いよな? 」

 

「ああ。人は多い方が向こうも市場が盛り上がって喜ぶだろうからな」

 

 その後、姉妹をマーケットに連れて行く件はティナや我堂組(朝霞と小星ペア)にも伝えられた。全員が壮助と同じように難色を示したが、最終的には「十分な人数の護衛を連れて行く」ということで妥協した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 バンタウを出てから5分。エール達はマーケットに着いた。

 ガストレア大戦前に建てられたスタジアムは外壁に銃弾や砲弾の痕が見られ、ヒビは地面から上端まで続いている。今崩れていないのが不思議なくらいだ。

 大戦時にゴジラ級の巨大ガストレアでも通過したのだろうか、スタジアムの壁の一部とその対面がごっそり無くなっており、そこを繋ぐ直線がマーケットのメインストリートになっている。そこを挟む形で露店が並ぶ。サッカー・ラグビーコートだった場所は露店やバラック小屋で埋まり、小屋と小屋の隙間が道になっている。計画性皆無で雑多に作られた貧民街はコート回りの陸上競技トラックまで巻き込んだ巨大な迷路を形成している。

 

 エール達一行はマーケットのメインストリートを歩く。灰色の盾の強さはここの人達にも伝わっているのか、ギャングやホームレス達は先頭を歩くエールの顔を見ると強張り、彼女達から目を背ける。

 先頭を歩くエールが道を開き、その背後に鈴音と美樹、壮助と詩乃、常弘と朱理が続く。一行はマーケットに馴染むよう古着で身を包み、鈴音と美樹はパーカーのフードで顔を隠していた。

 ここにいる7名の他にティナと灰色の盾のメンバー数名が来ているが、ティナは容姿が良い意味でも悪い意味でも目立つという理由で、メンバー達はここまで来るのに使ったバイクと車が盗まれないようにするため、スタジアムの外で待機している。

 

 ――これは、きついな……。

 

 最後尾で歩く常弘はさり気なく手で鼻を押さえる。大方予想は出来ていたが、マーケットの中は世辞にも衛生的とは言えなかった。炎天下の中、肉が焼ける匂い、火薬の匂い、よく分からない薬品の匂い、ホームレス達の体臭、生乾きの布の匂いが充満する。あまりの濃さに窒息しそうになる。

 

 ――朝霞さん絶対に耐えられないだろうなぁ。

 

 朝霞をバンタウに残して正解だったと常弘は己の英断を褒める。

 マーケットに行く話が決まった時、我堂から誰が付いて行くか話し合いになった。護衛という点では朝霞を連れて行くべきだったが「次に敵の襲撃があるとしたらバンタウを狙われる可能性が高い」という理由から戦力として彼女を残して来た。「彼女の性格上、アキンドと面倒を起こしそう」というもう一つの理由もあった。

 

「ひっさしぶり~。エールちゃ~ん」

 

 メインストリートの向こう側から、少女と青年が歩いて来た。エールの時と同様に周囲は少女の姿を見た途端、周囲の売人や客は強張り、固唾を飲む。その緊張っぷりはエールの時と比べ物にならない。彼女が赤目ギャング“アキンド”のボスだろう。

 黒いアイシャドウに覆われた瞳孔が開いた視線、広く塗りたくられた黒い口紅、ブリーチをかけて脱色した銀髪、世界観重視のヴィジュアル系バンドを彷彿させるファッションセンス、少女の姿はいずれも外周区のスラムから浮いていた。

 

「相変わらず趣味の悪いペットを連れてんな。マリー

 

「趣味が悪いなんて酷いなぁ。そう思わないかい? コウイチくん」

 

 隣で歩く――いや、歩かされている青年は見るからに奴隷だった。首輪に繋がった鎖で少女に引っ張られ、生気を失った視線はずっと足元を見ている。線の細い体格と顔立ち、生きることを諦めたその姿を見て、壮助は半年前の蓮太郎を思い出す。

 

「お。そこのイケメン2人は私への手土産かにゃ~? 感心感心」

 

 マリーの視線は日向姉妹を通り越し、壮助と常弘に向けられる。同時に詩乃と朱理が2人の前に出てマリーを睨みつける。

 

「後ろにいる連中は全員、灰色の盾の客人だ。手を出したら問答無用で戦争だからな」

 

「はぁ~マジか。こいつもそろそろぶっ壊れて動かなくなるだろうし。次のオモチャが欲しかったんだけどなぁ~残念」

 

 チッとマリーは舌打ちすると、ギラギラと輝いた目を鈴音と美樹に向ける。

 

「それはそうと、そこのシャイな2人が日向姉妹かな? フード外してよ~。折角綺麗なお顔がもったいない」

 

 2人はフードを外してマリーに顔を見せる。本物だと確信した途端、マリーはテンションが頂点突破した。その場で飛び跳ね、鎖でコウイチを引き寄せて彼の腹部を拳で殴打する。

 血を吐くコウイチを放置し、マリーはポケットからスマホを出して鈴音に詰める。

 

「ねぇ? 2人とも一緒に写真撮ってくんない? インスタに上げてフォロワー増やしたいんだ~」

 

「事務所的にNGですのでご遠慮ください」

 

 鈴音はビジネススマイルで一蹴した。赤目ギャングのボス相手でも物怖じしない彼女の肝の据わり様に周囲は固まる。

 直後、マリーの表情が曇った。

 

 

 

 

「はぁ? ぶち殺――――――

 

 その瞬間、マリーが降って来たと共に消えた。足元に生温かい感触が伝わる。視線を下げると目の前の地面が焼け焦げ、断面が黒ずんだマリーの脚だけが鈴音の脚に倒れ掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 見上げると雲一つない晴天の空に全長30mのモノリスが浮かんでいた。

 

 

 黒い光沢を放つ長方形のフォルムに2つのローターが内蔵されている。それが高速回転することで揚力を獲得しているのだろう。表面にはフジツボのように小さなパーツが大量についており、まるで生物のように蠢いている。

 

「壮助。あれ何……? 」

 

「少なくとも味方じゃねえよ」

 

 辺り一帯で悲鳴が上がる。突如、何の前触れもなく現れた殺人未確認飛行物体(UFO)に周囲はパニックになる。客と露天商はマーケットは泣き叫びながら走り抜ける。アキンドのメンバーも理解を越えた敵を前にして武器と思考を放り捨て、浮浪者たちと共に逃げていく。

 

「おい! ! 逃げるぞ! ! 」

 

 エールが鈴音と美樹を抱えて走り出す。壮助達も彼女に続く。

 

『見ツけTAぞ! ! 里トみ蓮太ロウ! ! 』

 

 フライングモノリスが発した言葉。その名前に壮助が振り向いた。浮遊するモノリスの真下、マリーの脚が転がっている場所にコウイチが立っていた。誰もが生きようとする本能で足を動かしている。生きることを既に諦めた彼に逃げる理由などなかった。

 

『あノ御方に近付イた報いDA! ! 』

 

 浮遊モノリスの表面から黒く小さなパーツが霧散する。それは自由落下する中で8本の脚をクモのように展開させ、小型の無人攻撃機(ドローン)となる。

 

 『報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ報イだ! ! あの御方の隣ハ僕が相応siいッ!! 』

 

 まるで蟻が小動物を補食するようにドローンはコウイチの全身に纏わり付き、頭部から出したブレードでめった刺しにしていく。無数のドローン血肉が裂かれても彼は悲鳴ひとつ挙げなかった。

 コウイチの体がドローン達にめった刺しにされ、元の姿が判別できない肉塊になった時、ドローン達の動きが止まった。

 

『あの御方っテ誰ダ……? そモそモ僕ha誰だ? ジェリーフィッシュ? そレハ僕のNameか? 』

 

 ドローン頭部のカメラアイが動き、一斉に死骸を観察する。

 

『違う……違ウ違ウtigaう! ! さと見蓮タ郎じゃない! ! 誰だ! ? 誰だ! ? 誰だお前えええええええええええ! ! ! ! 』

 

 ジェリーフィッシュは無数の触手を下に伸ばす。黒い光沢を放つ金属繊維は壮助のバラニウム合金繊維を彷彿させる。繊維は生物のように動くと地上で人肉ミンチを一つ作り上げたドローン達に巻き付き、自分の懐へと回収していく。

 

『ソウダ! ! ティナ・suぷラうトを殺そう! ! あいtuが悪い! ! あイツさヱいなKEれば! ! 』

 

 




オマケ 前回のアンケート結果

君は失言を放ち、未織さんにビンタされた。その内容は?

 (8) 雰囲気が大阪のオバちゃんみたいですよね
 (4) 和服の下は何もつけてないんですか?
→(15) 里見蓮太郎×天童木更はベストカップル
 (5) 聖天子様とタメなの?もっと上だと思った
 (2) やーい!親の七光り~!!

一番の地雷を踏み抜くなんて、無茶しやがって……。





次回「次世代機械化兵士 ジェリーフィッシュ」


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次世代機械化兵士 ジェリーフィッシュ

詩乃「フルパワーで除夜の鐘を()いたら粉砕しちゃった」

壮助「除夜の鐘を以てしてもお前の煩悩は祓えないのか……」


 Tina

 [台北エリアの仕事はどうですか?]

 

 ゆづき

 [ようやく終わりが見えて来た感じ。

 月末にはそっちに帰れそう。]

 

 [そっちはどう?]

 

 Tina

 [こっちも今は落ち着いています。

 スカーフェイスとの戦いが嘘のようです。

 敵の動きが見えないのが不安ですが……]

 

 [玉樹さんの様子はどうですか?]

 

 ゆづき

 [相変わらず……]

 

 [仕事はちゃんとやってくれるから助かるけど……]

 

 Tina

 [そうですか……]

 

 ゆづき

 [ダッシュで終わらせて戻るから

 それまで任せたわよ]

 

 [ \(`・ω・´)/ガンバレッ ]

 

 

 

 マーケットから少し離れた空き地でティナはスマートフォンの画面を眺めていた。今回の件で増援を頼めないか片桐弓月に連絡を取っていたが、彼女達は事件の直前から聖天子の指示で台北(タイペイ)エリアに行っていた。優秀な民警を海外のエリアに出張させる聖天子の危機意識の薄さにため息を吐くが、無期限の出向に赴いている自分(38位)がそれを詰る権利はないと自嘲する。

 スマホをポケットに戻す。ふと向けた視線の先には“マーケット”こと大戦前のスタジアムが見える。スタジアムの周辺には武装したアキンドのメンバーがうろついているが、談笑したり、ボードゲームに興じたり、雑誌を読んでいたりと、彼女達も自分とそう変わらない女の子に見える。

 

 日向姉妹を守るために同行したティナは一緒にマーケットの中に入るつもりだった。しかし、「綺麗な女を連れて来ると向こうのボスの機嫌が悪くなる」という理由で車の見張り兼待機要員としてここに残ることになった。エールに綺麗と評されたことは素直に嬉しかったが、姉妹と一緒に行動出来ないのは歯痒かった。どこかスタジアム内部を見られる高い建物でも無いかと見廻すが見当たらず、結局、エールと義搭ペア、小星ペアがしっかりと彼女達を守ってくれるのを願うしかなかった。

 暇を持て余し、同行していたサヤカは偶然見つけた蟻の行列を眺め、トオルは鼻歌を歌いながらスマホで音楽を聴いている。漏れている音からしてロックだろう。

 

 

 

 

『ドコだ! ? いつドこniいル! ? ティナ・suプらウト! !』

 

 

 

 辺り一帯に響き渡るスピーカー越しの音声。何事かと思い、ティナは立ち上がる。スタジアムに目を向けると、“今までそこに無かった”空飛ぶモノリスが浮遊していた。

 声に驚いたサヤカとトオルも宙に浮くモノリスを凝視する。

 

『お友達にエイリアンはいらっしゃいますか? 』とサヤカはタブレット画面を見せる。

 

「いないに決まってるじゃないですか! ! 」

 

『…………ダレだ? ティナっte誰だ? Naze、僕ハ――――アれ? 僕ha誰ヲ追ッていRUんだ? そモsoも僕は僕ナのか? 俺じゃなKAった? 私? 儂? 某? 拙者? 』

 

 モノリスから発せられる支離滅裂な言葉、自分に執着する様子からイクステトラで戦った死龍の尾を思い出す。今はスピーカーを通して加工された男性の声が聞こえるが、発音やアクセントが飛鳥の声帯を使って話していた時と似通っていた。

 

 ――あれが機械化()()? ちょっとした爆撃機じゃないですか。

 

「トオルさん! ! バイクの鍵貸してください! ! 」

 

 トオルはエールから鍵を預かっている身として一瞬躊躇うが、渋い顔をして放り渡す。

 

「私があれを引き付けます。2人は車で迎えに行って下さい」

 

「ボスの2号機、壊さないでくださいよ」

 

「保障はしかねます」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 商いの場として賑わっていたマーケットは地獄と化した。騒がしい売り口上や露天商と客の口喧嘩は悲鳴に代わり、人々は一目散にマーケットの外に出ようとゲートへと群がっていく。

 ジェリーフィッシュの下部にぶら下がった砲台から2発目の超高熱レーザーが放たれる。バラック小屋を構成するトタンが一瞬で蒸発し、一緒に相当数の人間も焼却された。鉄とコンクリートが沸騰した水のように泡立つ。スタジアム内部には血と肉の焼ける匂いが充満し、燃焼して霧散した脂肪で空気が粘り気を帯びる。

 地面は蜘蛛型のドローンが駆け回っていた。頭部と脚部に搭載したブレードで手当たり次第に人間を八つ裂きにし、血肉に塗れ、ボディに引っ掛かった誰かの臓物を引き摺りながら次の獲物を求める。

 

「チクショウ! ! せっかく商売が上手く行ったのに! ! 」

 

 アタッシュケースを抱えた男が叫びながら走る。明らかに運動不足な体型と余計な荷物のせいで逃げ遅れたのだろう。その鈍足で今までドローンの餌食になっていないのは幸運としか言いようがなかった。

 しかし、その幸運もそこまでだった。男が酒瓶を踏んで転んだ。その瞬間、数体のドローンが彼を捕捉し、接近する。

 

「来るな! ! 誰か! ! 誰か、助てくれ! ! 」

 

 身を転がし振り向くと走行するドローンが飛び上がっていた。真上で頭部と脚部からブレードを展開、落下の勢いで串刺しにしようと迫る。

 しかし、ドローンのブレードはグラウンドの枯れた芝生に突き刺さった。男が何者かに引っ張られたからだ。見上げると常弘がワイシャツの襟を掴んでいた。ホルスターからシグザウエルP250を抜き、ブレードを地面から抜こうとするドローンを銃撃。1発で機能を停止させた。バラニウム製と思われる装甲は以外にも薄いようだ。

 他のドローンは常弘に興味を示さず、男が落としたアタッシュケースを執拗に斬りつけていた。理由は分からないが興味が逸れた隙を狙って朱理がお揃いのシグザウエルP226で残りのドローンを銃撃、機能を停止させる。

 ドローンに攻撃された拍子にロックが外れたのだろう。アタッシュケースが開いて中の1万円札がバラック小屋から上がる黒煙と共に宙へ舞う。

 

「金が、俺の金があああああ! ! 」

 

「諦めてください! ! 生きていれば、また稼げます! ! 」

 

「そういう問題じゃ――ひぃぃぃぃぃ! ! また来たああああああ! ! 」

 

 男が指さす方に目を向けると10倍近いドローンがこちらに向かっていた。面を覆い尽くす勢いで群れをなし、前身する姿は押し寄せる洪水のようだ。男は立ち上がり、出口に向かって全力で走る。アタッシュケースを手放して身軽になったのか、その速さは先程の比ではない。「何故、最初からその走りを発揮しなかったんだ」と常弘と朱理は文句を言いたかった。

 

「ヒーローごっこもその辺にしておけ! ! 優等生! ! 」

 

 バラック小屋の屋根から壮助が飛び出した。後ろ腰から6本のバラニウム合金繊維の腕が生えたその姿はドローン達と同じく虫を彷彿させる。斥力フィールドによって形状を制御された腕は、その1本1本が露店からくすねたアサルトライフルを握っていた。

 

 ――全部潰せ! !

 

 壮助の指示が神経系と外科手術で接続された賢者の盾に流れる。それが斥力フィールドの形状を制御し、想像通りの変形、ワイヤーの動きを再現する。指となっていた繊維がトリガーを引き、一人で一個分隊並みの火力を掃射。5.56×45mmNATO弾の雨がドローンを貫き、ガラクタに変えていく。

 しかし、ドローンの進軍は止まらない。分隊火力の一斉掃射の中、一部は頭部のカメラで銃口を捉え、その角度から弾道を予測し回避していた。

 

 ブルドーザーに押し出されたかのように近くのバラック小屋が崩れ、壮助達に迫るドローンの群れが下敷きになる。瓦礫を踏み越えて詩乃が現れ、潰し損ねたドローンを自分の足で踏みつぶす。

 

「ありがとう。義塔、森高さん。助かったよ」

 

「「礼をするなら金をくれ」」

 

 壮助と詩乃は寸分違わないタイミングで常弘に手を出し、金を催促する。

 

「大企業勤めなんだから持ってるだろ? 」

 

「満漢全席おごってください」

 

「全く……君達は……」

 

 常弘は苦笑いしながらP250から空の弾倉を抜き、ホルスターに差していた予備弾倉をリロードする。

 

「義塔。ドローンはどれくらい残ってる? 」

 

「今倒した分で群れは最後だと思う。1~2体でコソコソしている連中までは見れてねえけど、もう十分だろう」

 

「あとは本体ね……」

 

 朱理が指さす先にジェリーフィッシュがいた。狂った発音でティナと蓮太郎の名前を叫びながら滞空している。下部に外付けされたレーザー砲はマリーを消した1発目、マーケットを薙ぎ払った2発目以降、ずっと蒸気を上げている。おそらく一定の冷却インターバルが必要なのだろう。3発目が放たれる様子は無い。

 

「小星。那沢。お前らはエールと合流しろ。ついでに作戦とか考えておいてくれ」

 

「本体は? 」

 

「俺達で何とかする」

 

 常弘と朱理は素直に頷いた。バスやトラックを持ち上げて投げるパワー特化型の詩乃、機械化兵士の壮助が自分達よりも遥かに強く、巨大兵器の相手に適任だと認めざるを得なかった。

 

 

 

 

『■■■様? ■■■様あああアアアアアアあaaaaあAAAアあ! ! ! ! 』

 

 

 

 

 突如、ジェリーフィッシュが何者かの名を叫ぶ。ローターの回転数が上がり、風圧でトタンやドローンの残骸を吹き飛ばす。

 自分が飛ばされないよう、飛んでくる瓦礫に潰されないよう壮助は斥力フィールドを展開して詩乃と小星ペアを守る。

 

「クソッ。今度は何なんだよ! ! 」

 

 ジェリーフィッシュは前傾姿勢になると一気に加速した。その巨体に似合わない速度とソニックムーブで真下のスラムを地面ごと抉り取り、()()()()()()()()()()へと飛んでいった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 エールは両肩に日向姉妹を抱えてスタジアムを駆けていた。日々のトレーニングで鍛えた脚力に赤目の力を増強させる。お陰で2人を抱えたままバラックの屋根に飛び乗り、誰よりも速く最短ルートでスタジアムの外へ向かう。

 

「ミキ! ! レーザー砲の向きどうだ! ? 」

 

「大丈夫! ! こっち向いてない! ! 」

 

 後ろ向きに抱えた姉妹から背後の状況を確認する。途中まで義搭ペアと小星ペアが付いて来ていたが、ドローン軍団を足止めする為に彼らは留まった。

 

「エールさん! ! 来てます! ! 」

 

「来てるって何が――――」

 

 エールが振り向いた瞬間、ジェリーフィッシュがこちらに迫って来た。同時に風圧で捲れ上がる地面と共に持ち上げられ、鉄とコンクリートと土の津波に巻き込まれた。

 何度も回転する景色の中でエールの身体は地面に叩きつけられる。鈴音と美樹は傷つけまいと自分をクッションにして、背中から落ちた。一瞬、意識が飛んだがすぐに取り戻す。

 

 ――足止め出来てねぇじゃん……民警ども。

 

 そうぼやきながらエールは顔を上げる。自分にしがみつき、胸元に顔をうずめる鈴音の頭が見えた。服越しに息も伝わる。

 

「スズネ。大丈夫か? 」

 

「は、はい……」

 

 しかし、安心も束の間だった。右腕で抱いていたはずの美樹がいなかった。代わりにトタンの破片が突き刺さり、血が流れていた。驚きのあまり瞳孔が開く。最悪の事態が脳裏に浮かぶ。

 エールは立ち上がり、周囲を見渡す。十数メートル離れた道に美樹が転がっていた。吹き飛ばされた時、彼女を手放してしまったのだろう。瓦礫のないところに落ちたのが不幸中の幸いだ。

 

「痛った~」

 

 美樹はたんこぶが出来た頭を労りながら立ち上がる。少し眩暈もするが呪われた子供の治癒力ですぐに意識がハッキリする。

 

「ミキ! ! 大丈夫か! ? 」

 

「大丈夫。ちょっと打っただけだから」

 

 自分は大丈夫だとアピールするように美樹は手を振る。

 

 真夏の晴天に照らされた美樹を影が被った。見上げると青い空真っ黒な四角形が浮かんでいた。それは徐々に高度を下げて視野の中で大きくなっていく。

 美樹の真上に来たジェリーフィッシュはローターの回転数を落としてホバリング、格納していた脚部を展開して接地させる。タカアシガニのような姿になったそれは屈むと、眼球を想起させるメインカメラを美樹に近付けた。

 キュイ、キュイとカメラの部品が回転し、焦点を美樹に合わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オ迎え二上がリまsiタ。■■■様』

 

「え? 」




皆さん。明けましたおめでとうございます。
今年もブラック・ブレット贖罪の仮面を宜しくお願いします。

前回のアンケート結果

(5) ちゃんと動作するか分からない銃
(3) なんかよく分からない肉のケバブ
(5) 頭がハッピーになるおクスリ
(11) 内地で盗んだクソダサTシャツ
(4) 調教し過ぎた結果、動かなくなった奴隷

本編ではカットしましたが、マーケットで買い物するシーンがあったら、クソダサTシャツが気になって露店の前から動かない鈴音と無理やり引っ張る美樹という場面を書くつもりでした。


次回「外周区流の戦い方」


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外周区流の戦い方

聖天子のウワサ

自伝を出版する時はタイトルを「女子高生の無駄づかい ~友達ゼロで卒業した国家元首~」にするつもりらしい。


 西外周区マーケット、ジェリーフィッシュは空飛ぶモノリスから巨大な蟹に変形し、臣従しているかのように美樹の前で頭部(と思われる部位)を下げる。

 エールは助けに入ろうとするが、彼女の前に3体のドローンが現れる。瓦礫の下に隠れていたのだろうか、威嚇するように頭部のブレードを展開してエールに向ける。彼女なら簡単に対処できる相手だ。鈴音を守りながらでも問題無いだろう。しかし、ドローンに手を出した直後、本体(ジェリーフィッシュ)が美樹を殺しにかかったら、助けが間に合う自信が無い。

 

 ――尻拭いのチャンスを残してやるからさ。早く来てくれ。民警。

 

『貴方ノ護衛を務める身とsiて、無断でお出かけniなルとは感心致しまSEん。お召し物まで汚さREteしマウとは……。さア、戻りmaしょウ。僕がエスコート致siます』

 

 ジェリーフィッシュを支える10本のアーム、その先頭にある1本が先端のマニピュレーターを開き、ゆっくりと美樹に近付ける。美樹は立ち上がって逃げようとするが恐怖で足がすくみ、地に着いた腰が上がらない。彼女の1メートル手前でアームの動きが止まった。

 

『……戻るってドコに……? ドコni戻るんだ? 僕は今、誰と会話しteいるんDA? 』

 

 突如、ジェリーフィッシュが小刻みに振動する。カメラや各部からランプが点滅を繰り返す。内部では何かしらの機械が動いているのか、駆動音が大きくなっていく。スピーカーからは理解できない言語を高速で唱え続けている。

 その全てが終わり、ジェリーフィッシュは落ち着いた様子で再びカメラを美樹に向ける。

 

『■■■様。私の車で申シ訳あリまseんが、▲▲までお送りいたします』

 

 3発連続した銃声、ジェリーフィッシュの背後から9×19バラニウム弾が迫る。背部装甲目がけて直進するが、数十センチ手前で青白い燐光が瞬いた。空中に浮かび上がる無色の膜の上で弾が潰れ、その場に堕ちる。

 背部装甲のハッチが開き、カメラレンズがせり出す。陽光に反射したレンズの表面にシグザウエルP250を構えた常弘が映っていた。

 

『見つkeたゾ……。里見蓮太郎ォォォォォォォォォォォ!!』

 

「ちょっと嬉しいけど、今は勘弁して欲しいかな」

 

 顔立ちとスタイル、スーツ姿、拳銃という共通する記号が多いからだろう。ジェリーフィッシュは常弘を蓮太郎と認識する。蓮太郎への怒りと憎しみにかられ、それに呼応するようにタービンが急速回転。ジェリーフィッシュのボディが浮かび上がり、接地用のアームが折り畳まれた。

 

 美樹への注意が逸れたタイミングでエールは9mm拳銃を抜いてドローン2体を銃撃、足元に近付いた1体を踏みつぶす。

 撃ち抜かれたドローンの1体はまだ動力が生きていた。壊れたラジコンのように辛うじて立ち上がろうとするが、それに気づいた鈴音が「えいっ」と拾った鉄パイプで叩き潰した。

 

「お見事」

 

 エールは鈴音の手を引っ張り、美樹の下に駆け寄る。壮助の挑発が効いているのか、ジェリーフィッシュの興味は美樹から逸れている。

 

「大丈夫か? 」

 

 エールが手を差し出す。美樹は涙目になりながら手を握るが、足に力が入らず、上手く立ち上がれない。

 

「ご、ごめん。腰が抜けちゃった……」

 

「気にすんな。どうせ私が担ぐんだ」

 

「やっぱり頼りになるなぁ。エール姉ちゃんは……」

 

 聞き慣れたバイクのエンジン音が近づいてくる。目を向けると、エールの愛車(2号機)にティナが跨っていた。バイクには乗り慣れているのだろうか、トップスピードで近づくとブレーキターンをかけてエール達の目の前に制止する。

 彼女に続いてジープとミニバンが続く。

 

「良かった。無事でしたか」

 

「ああ。何とかな。今、義塔たちがあれを引き付けてる」

 

 エールはティナの視線が自分の左腕に向いていることに気付いた。死龍との戦いでつけられた傷が開き、そこから血が滴っている。高周波ブレードがバラニウム製だったため、再生が阻害されてここだけ治りが遅かった。

 

「気にするな。赤目ギャングやってりゃ日常茶飯事だ」

 

「貴方がそう言うなら……」

 

 ティナはため息を吐くと、ポケットからスマホを取り出し、エールに向けた。それを見たエールは眉間に皺を寄せる。鈴音と美樹も画面を覗くが、同じ表情を見せる。

 

「いや、英語わかんねーんだけど」

 

「森高さんからです。『エール達をスタジアムから連れ出して。あと西側に近付かないように』とのことです」

 

「あいつら……何をやるつもりなんだ? 」

 

「ろくでもないことなのは確かです」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『貴様あああAAAアあアあ! ! ■■■様に当たっTAらドウsuる! ? 』

 

 ――狂ってるのに至極真っ当なこと言うなぁ……。

 

 常弘は全速力でスラムの小屋と小屋の間を駆け抜ける。彼の背後には十数メートルの高度を維持してジェリーフィッシュが追随していた。風圧で地上のバラック小屋を崩し、飛んできた瓦礫で道を潰される。しかし、我堂のプロモーターとして幾多の修羅場を潜った彼は難なく瓦礫を飛び越える。

 ただ闇雲に走っている訳ではない。彼の左耳には常備しているインカムが入っており、()から状況を見ている詩乃から走る方向の指示やレーザー砲の照準と回避する方向が伝えられる。

 

『朱理。もう大丈夫。回収お願い。その後は場外まで走って』

 

『了解』

 

 ポイントで待っていた朱理が道に飛び出した。タックルするように常弘に抱き付くと赤目の脚力で一気に飛び上がった。バラック小屋の屋根を足場にして更に跳躍、観客席に着地。コンコースに繋がる出入り口に飛び込んだ。

 

『逃geruナ!!里見ィィィィィ!!』

 

 ジェリーフィッシュが常弘と朱理を追いかけ、観客席に向かってホバリングする。光を収束させたレーザー砲を向け、コンコースを焼き払おうと照準を向ける。

 発射の寸前、轟音と共にジェリーフィッシュに影がかかった。陽光を遮ったのは雲ではない。カメラを上に向けると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「スタジアムの屋根」という総重量200トンの質量兵器

 

 

 これが常弘たちの狙いだった。質量兵器が使える場所にジェリーフィッシュを誘導するため、蓮太郎だと誤認される可能性が高い常弘が囮となった。その後、朱理が常弘を回収した直後に壮助は斥力フィールドで屋根の支柱を切断、同時に詩乃も支柱をへし折り、屋根を崩したのだ。

 鉄骨とガラスが降り注ぐ中、ジェリーフィッシュは機体を上に傾け、レーザーを放つ。熱線で鋼鉄の雪崩を焼き払うが、()で落ちて来る屋根に対して()のレーザー掃射は焼け石に水でしかなかった。

 ジェリーフィッシュはスラスターを吹かせて脱出を試みたが、あまりにも判断が遅かった。

 空飛ぶモノリスは崩落する屋根と共に地上のスラムへと沈んでいった。

 観客席とフィールドの四分の一が瓦礫の雨で潰れる。斥力フィールドがあったとしてもこの質量を前にしては無事ではいられないだろう。落下コースに人が残っていないのは常弘がジェリーフィッシュを引き付けている間、壮助と朱理で確認している。しかし、想定以上の威力とこれを発案した自分のイニシエーターに壮助は身震いした。

 

「こんな戦い方、内地じゃ出来ねえな」

 

「いや、出来るでしょ。保険料が上がって、空子に怒られるけど」

 

「……。内地でこんなことやったら飯抜きだからな」

 

「それは困る」

 

「じゃあ、やめろ」

 

 壮助のスマホがポケットの中で振動する。取り出すと画面には「発信者:小星」と表示されていた。

 

 

『義塔。敵はどうなった? 』

 

「大丈夫だ。鉄の布団の中でおねんねして――――」

 

 

 壮助がフィールドを見下ろした瞬間、ジェリーフィッシュが浮上してきた。自身に覆い被さる瓦礫を斥力フィールドで弾き飛ばし、スタジアム全体に鉄の雨を降らせる。急速回転したローターから生み出される空気の流れはジェット噴射のように地上を吹き払う。

 ジェリーフィッシュのカメラが壮助と詩乃の姿を捉えた。

 

 

 

「ごめん。嘘ついた」

 

 

 

 ジェリーフィッシュのレーザー砲の照準が壮助と詩乃に向かい、光が収束していく。

 詩乃が壮助の服の襟を掴み、スタジアムの外に飛び降りた。直後、数千から一万度に達する高熱がスタジアム上部を焼き払い、沸騰したコンクリートが四散する。貫通したレーザーは場外の廃ビルを飴細工のように溶断していく。

 飛び降りた先は駐車場だった。詩乃は壮助をお姫様抱っこした状態で着地、地面にクレーターを作りながらも脚を曲げて衝撃を緩和する。

 

「義塔! ! 大丈夫か! ? 」

 

 律儀に場外で待っていた小星ペアが駆け寄る。

 

「隠れろ! ! あの野郎、お前を追いかけるぞ! ! 」

 

 ジェリーフィッシュがスタジアムの外に飛び出した。彼は即座に小星ペアを見つけると底部のハッチを開放し、多数の棺のようなものを落としていく。人間一人が収まるサイズだ。それは空中でフレームが分割し、変形。機銃と弾倉をぶら提げた小さな戦闘機になる。

 

『アハハハハハハ!!ShineEE!!死ねエえEEえ!!里見蓮太郎オオオオオオ!!』

 

 朱理は常弘を抱え、目を赤く輝かせて跳躍。隠れる場所がない駐車場から200m先にある廃ビル群へ駆け抜ける。壮助も斥力スケートで滑走、詩乃も自分の足で駆け、小星ペアに追随した。

 戦闘機型ドローンがスラスターを吹かせて追跡。ジェリーフィッシュ本体も前傾姿勢になり、ビル群の中へと巡航していく。

 

「いつから民警はターミネーターやトランスフォーマー相手にドンパチする仕事になったんだよおおおおお! ! ! ! 」

 

 西外周区の廃墟群で壮助の嘆きが木霊した。

 

 *

 

 スタジアム場外、壮助達とは離れた駐車場でエールは浮遊するジェリーフィッシュを目撃した。ジープの上に立ち、双眼鏡で空飛ぶモノリスが廃ビル群への消えるのを見届ける。

 

「あんなのどうすりゃ良いんだよ……」

 

 スタジアムの屋根を崩す攻撃にはさすがの彼女も度肝を抜かれた。しかし、それだけの攻撃を以てしても傷一つつけられない敵に対し、珍しく諦めの言葉が出る。せめてもの救いがあるとすれば、サヤカが運転するミニバンで鈴音と美樹を避難させられたことぐらいだろう。

 

 エールの下にはティナとトオルが残った。フクロウの因子を持つティナ、保有因子は不明だが目が良いトオルは肉眼で同じものを捉える。

 

「イマジナリーギミックに超バラニウム合金装甲ですか……。厄介な敵ですね」

 

「何か策でもあるか? 次はビルでも崩すか? 」

 

「いえ、そういった面制圧の攻撃は通用しないでしょう。可能性があるとすれば点の攻撃――貫通力のある武器ですね」

 

「そのライフルで抜けそうか? 」

 

「さすがに厳しいと思います。戦車が欲しいですね……」

 

 それは冗談のつもりだった。いくら灰色の盾が自衛隊や旧在日米軍の武器を使っていると言ってもさすがに戦車や装甲車の類は持っていないだろうと思っていた。しかし、“戦車”というワードにピンと来たのか、エールは腹を抱えて大笑いする。

 

「あっははははははは! ! 戦車! ! 戦車か~! ! 」

 

「何ですか! ! こっちは大真面目に――」

 

 

 

 

 

「ウチに戦車あるぜ」

 

「マジですか」

 




オマケ 前回のアンケート結果

ジェリーフィッシュ「機械化兵士格付けチェック!!ティナ・スpuラうトはどれだあああああ!?」

回答
(2) 鈴音+金髪ウィッグ+ガンプラ(不正解)
(0) エール+金髪ウィッグ+ライフル(不正解)
(3) ティナ・スプラウト(正解)
(3) 髪を下ろしてカラコンつけた弓月(不正解)
(17) 壮助+金髪ウィッグ+ピザ(絶対アカン)


ジェリーフィッシュ『そkoに居タか!?ティNA・すプラ宇Toオオオオ!!』

壮助「違う違う!!性別すら違う!!こっち来るなああああああああ!!!!」

ジュッ(レーザー砲で壮助が焼かれる音)

ティナ「Oh my god! ! He killed Mr.Yoshito! ! 」
(訳:なんてことですか! ! 義塔さんが殺されちゃいました! ! )

詩乃「You bastard! ! 」
(訳:この人でなしー! ! )



次回「秒速1800mの徹甲槍」


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秒速1800mの徹甲槍 前編

次回予告からサブタイトルをかえてますごめんなさい定期



大角勝典のウワサ

1年前、腕相撲で詩乃に瞬殺されたことを未だに気にしているらしい。


 旧神奈川県――西外周区の廃ビル群の中に入り、壮助、詩乃、常弘、朱理の4人は幹線道路だった通りを駆け抜ける。背後からジェット噴射した戦闘機型ドローンが追尾、更に後方から空飛ぶモノリスことジェリーフィッシュが迫る。

 最後尾を走る壮助が斥力フィールドの相反するベクトルを調節し自身の向きを反転。スケートの後ろ滑りのような体勢になる。

 ドローンからの銃撃を弾き、ジェリーフィッシュのレーザー砲の向きを確認する。いつ発射されても避けられるようにするためだ。今までフィクションだと思っていた兵器に対して斥力フィールドが防御装置として通用するかどうか分からない。避けるしか今のところ対抗手段がなかった。

 マーケットでの戦いから連続発射は2回まで、それ以降は20分ほどの冷却インターバルが必要になる。今のカウントから考えて、あと1発は即座に発射出来る状態だった。

 ジェリーフィッシュの下部に提げられたレーザー砲が動き、光が収束する。

 

 それはチャンスだった。

 

 斥力フィールドはその名の通り斥力=引き離す力を展開することでバリアを形成している。その性質上、「外部からの攻撃を弾く力」「内部からの攻撃を弾く力」が同時に作用しており、防御と攻撃を同時にすることは出来ない。それは同じ能力を持つ壮助がよく知っていた。

 

「やれ! ! 詩乃! ! 」

 

 単独で走っていた詩乃が反転。逃げる途中で拾った「徐行」の道路標識を握り、投げの構えに入る。目を赤く輝かせ、右腕の筋肉を一気に収縮――そして解放。音速のミサイルと化した道路標識が砲口(マズル)に飛翔する。標識は衝撃波を伴い、周囲の空気を巻き込んでいく。

 発射直前になって気付いたジェリーフィッシュは急速旋回。標識は砲口から少しずれて斥力フィールドと衝突、燐光を瞬かせる。詩乃の腕力が斥力フィールドの出力に勝った。圧殺の壁を破った標識はレーザー砲の側面を掠め、十数センチの装甲板を抉り取った。

 本体の旋回中に4度目のレーザーが放たれる。急激な回避運動で射線は壮助たちから数メートル右に逸れたが、アスファルトを溶かしながら軌道が修正されていく。

 

 「させるか! ! 」

 

 女の声と共に大気が動いた。空間を切断するかのように周囲の塵や埃を巻き込み、鎌鼬が斥力フィールドと衝突、轟音と燐光が瞬く。圧殺の壁が敗れ、鎌鼬がジェリーフィッシュの装甲板を打った。その衝撃でレーザーは修正と真逆の方角を向き、薙ぎ払う。射線上の建造物を消し飛ばし、自身の右隣りにある高層ビルを溶断。上半分が地面に滑り落ち、ジェリーフィッシュは数機の戦闘機型ドローンと共に瓦礫の雨の中に消える。

 粉々になったコンクリートが煙のように舞う。少し距離を取った壮助たちからはジェリーフィッシュがどうなったか見えない。

 晴天の中で藍色の衣を靡かせながら、壬生朝霞が駆け寄ってきた。

 

「すみません。遅くなりました」

 

「よく俺達の居場所が分かったな」

 

「小星さんから詳しい状況は窺っていましたから」

 

 壮助が常弘に目を向けると、彼の耳にマイク付きイヤホンが装着されているのが見えた。3人が自分の足(または斥力フィールド)で走っていた中、真人間の彼もただ背負われていた訳ではなかった。朝霞が迷わず来れる様にスマホで位置や状況を逐一報告していた。

 

「グッジョブ」

 

「どういたしまして」

 

 砂煙から銀色の金属板が飛び出した。それは奇跡的なバランスで地面をバウンドし、電動丸ノコギリのように回転しながら壮助の眼前に迫る。

 あわや顔面が真っ二つになる寸前で詩乃が金属板をキャッチした。

 それはジェリーフィッシュの下部に搭載されているレーザー砲の装甲だった。詩乃の攻撃で剥がれ落ちたものがビル倒壊の衝撃で飛ばされたのだろう。

 

「大丈夫? 」

 

「ああ。大丈夫――! ? 」

 

 詩乃が掴んだ金属板を見た瞬間、壮助は驚きのあまり目を見開いた。詩乃からそれを取り上げて両手で掴み、自分の顔の前に持って来て確かめる。

 

「これ、レーザー砲の装甲だよな……? 」

 

「うん」

 

「おいおい。マジかよ。何がどうなってんだ? 」

 

 一人で困惑し頭をかく壮助に周囲が不思議がる。それを尋ねる間も無く彼はポケットからスマートフォンを出し、ピザ製造機に電話をかけた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

「ウチに戦車あるぜ」

 

「マジですか」

 

 ティナは驚愕した。構成員30名ほどの中規模ギャングが自衛隊の戦車を持っているとはにわかに考えられなかったからだ。エールは自慢げに腕を組んでいるが、ティナは何かしらの解釈違いではないかと疑念を払拭できなかった。

 

「あの、エールさん。それトヨタのピックアップトラックに無反動砲を乗せたテクニカルでは無いですよね? 」

 

「自衛隊のえーっと、なんだっけ? ヒトマル式って奴。闇オークションで買ったんだよ」

 

 10式戦車――27年前に陸上自衛隊に配備された第3.5世代主力戦車である。44トンという軽量ながら高腔圧に対応した44口径120mm滑腔砲、炭素繊維やセラミックスを用いた複合装甲と増加装甲モジュールによって同世代の主力戦車に引けを取らない性能を誇る。最大の特徴はC4I(指揮・統制・通信・コンピュータ・情報機能)による情報の共有・連接であり、陸上自衛隊のネットワークに組み込むことでその真価を発揮する。自衛隊以外の組織で運用するためC4Iは使えないが、滑空砲と弾があれば十分な戦力になる。

 

 ティナはこめかみに手を当てる。現在も陸自の主力として活躍する10式が横流しされたとは考えにくい。大方、先のガストレア大戦か3度の関東会戦で放棄されたものを誰かが動かせるようにして売り捌いたのだろう。

 

『こんなもん買って何に使うんだよ! ! バカ! ! 』ってナオさんにガチギレされましたね」

 

 運転席でシートとミラーの位置を調整するトオルが茶化す。

 

「弾はあるんですか? 」

 

「ダーツみたいな奴が中に入ってたな。なんだっけ? エーピーなんとかって奴」

 

装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)のことですか? 」

 

「そう。それ。陸自くずれのメンバーが言ってたな」

 

 装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)――タングステン合金や劣化ウランの侵徹体を射出することで着弾時に装甲と侵徹体を流体化させ相互侵食を起こす運動エネルギー弾だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()能力を持っており、超バラニウム合金装甲のジェリーフィッシュにも十分な効果が見込まれる。

 お誂え向きの装備を目の前の犯罪組織が揃えている状況にティナは思わず笑みを浮かべる。残るは作戦ポイントの選定だが、ティナは既に場所を思い浮かべていた。

 ティナのポケットの中でスマートフォンが振動する。SNSやアプリの通知だったら無視するつもりだったが、数秒続くと電話だと分かり手に取る。

 

『ティナ先生。今すぐ司馬未織に電話してくれ』

 

 単刀直入に告げられた壮助の言葉にティナは困惑する。

 

「あの、どういうことですか? どうして未織さんに? 」

 

『あいつのレーザー砲、司馬重工のロゴが入ってるんすよ! ! 』

 

 

 

 *

 

 

 

 司馬重工第三技術開発局イクステトラ――局長室のデスクで未織は頭を抱え、「嗚呼」と小さな嘆きを口から零す。その様子を目の前で見ていた遊馬は両手を上げて肩をすくめる。

 

「司馬のお嬢さん。“例のあれ”とは何かな? 」

 

『エキピロティック・アクセラレーター』……通称『EP加速砲』や」

 

 その単語を聞いた途端、飄々としていた遊馬がぎょっとする。

 

「まさか6年前の……」

 

「御明察。6年前の第三次関東会戦、そこでアルデバランに使ったE()P()()()()()()()や。500ポンド爆弾20倍に匹敵する成形炸薬を砲身内部で爆縮させて、その熱と圧力を線形に制御して撃ち出す兵器や」

 

 6年前の第三次関東会戦で使用されたEP爆弾は爆縮反応による高圧状態の形成と爆発後に一定の空間内に熱エネルギーと力学的エネルギーを閉じ込める特殊な制御技術で成立している。それは司馬重工のみが持つ技術であり、グリューネワルト嬢を擁し、次世代バラニウム兵器を世界で唯一開発している博多黒膂石重工も持ち合わせていない。

 博多黒膂石重工を含む各国の企業や研究機関がEP爆弾の再現すら出来ていない中、司馬重工は発展型のEP加速砲を開発し、更に差を広げた。その事実は遊馬にとって()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「大層なものを失った割にはあまり深刻な様子ではないな」

 

「あれを1発撃つだけで1200万キロワット、原子力発電所が3時間かけてつくる電力が必要やったさかい技術流出はあっても本体の運用は不可能やと考えとった」

 

「なるほど。ジェリーフィッシュの動力ならそれをクリア出来る」

 

「それにしても――――」

 

 未織がノートPCを回して遊馬に画面を向ける。ジェリーフィッシュの基本スペックが掲載されたページが表示されており、ジェリーフィッシュの動力源と出力の数字に未織が指さす。

 

「これ、ほんまにこのスペックなん? 計算やら入力やら単位やら間違うとらん? 」

 

「その数値で間違いない」

 

 未織は睨み、遊馬はポケットに手を突っ込んで余裕の笑みを浮かべる。未織にもたらされたデータには動力源に関する部分が削除されている。彼女にはまだ明かすべきではないという博多黒膂石重工の意図が透けて見えた。

 おそらく、ここで問い詰めても答えを出しては貰えないだろう。未織はため息を吐くとノートPCのディスプレイを自分に向ける。

 

 デスクに置かれたスマートフォンが鳴る。画面には「ティナちゃん」と発信者が表示されていた。

 

「失礼するで」「お構いな――「もしもし、ティナちゃん? 」

 

 遊馬が応え終える前に未織はスマホを耳に当て通話に出た。

 

『未織さん。今、レーザー砲を持った機械化兵士に襲撃されています。司馬重工製です』

 

 結果だけを端的に述べたティナの言葉はあまりにも分かり易かった。

 悪夢が現実となり、未織は苦い顔をして額に手を当てる。十中八九、その機械化兵士はジェリーフィッシュだろう。本来は無人攻撃機空母として設計されていたそれに無理やりEP加速砲を搭載して戦闘用として運用しているのだろう。

 未織は博多の機械化兵士に関する情報を話して大丈夫なのか逡巡するが、遊馬の顔色を窺うまでもなく吹っ切れる。

 

「……ティナちゃん。それ、空飛ぶモノリスみたいな機械化兵士とちゃう? 」

 

 遊馬の方をチラリと見る。未織の決断を悪く思っていないようで「どうぞ」と小声を出す。

 

『そうですが、どうして未織さんがそれを? 』

 

「説明は後。そっちの状況と装備を教えてくれへん? 」

 

『場所は西外周区です。装備は10式戦車1輌、弾はAPFSDSが8発。あと義塔さんと森高さん、朝霞さんもこっちにいます』

 

「灰色の盾は? 」

 

『エールさんがメンバーを2個分隊に編成。装備はアサルトライフルがメイン。あと輸入物の機関砲や無反動砲を乗せたテクニカルを4台用意しています』

 

「敵の状態とEP加速砲――レーザー砲の運用を教えて」

 

『本体は無傷で健在。クモ型のドローンは殲滅しましたが、戦闘機型のドローンが3~4機ほど随行。レーザー砲は本体の下部に搭載。目測ですが有効射程は500メートル、発射は連続2回まで。それ以降は20分ほどの冷却インターバルが必要のようです。動画送ります』

 

 ティナの名義でメッセージアプリに着信が入る。言葉通り動画が添付されていた。そこには西外周区の廃ビル群を遠くから写した情景とSF映画のUFOのように何かを追い回すジェリーフィッシュの姿が映されていた。下部に搭載されたEP加速砲もしっかりと確認できる。

 

「ティナちゃん。まず、APFSDSだけでその機械化兵士――ジェリーフィッシュを落とすのは無理や。フィールドの出力が蛭子影胤のそれとはレベルが違い過ぎる。フィールドを貫通できても侵徹体の相互侵食が起きない速度まで落とされて終わりや」

 

『だったら、どうすれば……良いんですか……』

 

 未織は、自分が何を求められているのか理解している。敵の性能と味方の戦力を完全に把握しているのは自分だけだ。電話の向こうの彼女達を救う鍵を握っているのは自分だけなのだと。

 遊馬も助け船を出す様子はない。「お手並み拝見」と言わんばかりにポケットに手を入れて未織を見る。

 未織は深呼吸し、自身を落ち着かせる。頭の中で情報を整理し、ティナ達の装備でジェリーフィッシュを倒す算段をつける。

 

 

 そして、彼女の中に答えが見えた。

 

 

 ――首を洗うて待ってな。五翔会。司馬重工を……いや、()()を怒らせたらどないなるか、教えたる。

 




ごめんなさい。思った以上に長くなったのでジェリーフィッシュ戦決着は次回に繰り越しです。


第二回ブラブレ短編杯をやるそうです。
貴方もこれを気にブラック・ブレット二次創作者になりましょう。

詳しくは紅銀紅葉さんの活動報告をご覧ください。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=254286&uid=198071



オマケ 前回のアンケート結果

詩乃「ごめん。ガストレアとの戦いで一等地のビルを崩しちゃった」壮助「 」

 (10) 今晩から飯抜きな。
 (3) もう無理。ペア解消する。
 (1) 気にするな。ビルなんてまた建てればいい。
 (1) そんなことより天誅ガールズの話しようぜ。
→(16) 朝霞がやったように偽装しよう。

翌日の松崎民間警備会社

フルアーマーヘヴィーウェポン朝霞(※)「義塔壮助はどこですか! ! 隠れてないで出てきなさい! ! 」

ティナ「『ガストレアの謎を解いてくる』と言って七星村に行きました」

※装備
全身:司馬重工製外骨格(エクサスケルトン)先進技術実証試験型
右手:バラニウム双刀
左手:アサルト火縄銃
背中:アンチマテリアル火縄銃・高出力レーザー火縄銃


次回「秒速1800mの徹甲槍 後編」

次こそジェリーフィッシュ戦を終わらせるっ!!


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秒速1800mの徹甲槍 後編

お待たせしました!!
ジェリーフィッシュ戦の決着です!!(今度はマジ)

いつもの倍ぐらいの文章量になっていますので時間にお気を付けください。


 ジェリーフィッシュが埋もれた場所から数百メートル離れたビル、そこの陰で壮助・常弘・朝霞の3人は1台のスマホを共有する。スマホのスピーカーから聞こえてくるティナの声に耳を傾ける。その間、詩乃と朱理はジェリーフィッシュとドローンの動向を注視していた。

 

『以上が未織さんからの情報と私が立てた討伐プランです』

 

 ティナからの説明が終わる。ジェリーフィッシュの性能、未織がそれを知っていること、灰色の盾が10式戦車を持っていること、驚愕の情報が次から次へと明らかにされ、頭の中で整理するのに時間がかかった。

 

「あいつら戦車なんか持ってんのかよ……」

 

「どうりで僕達の仕事が減る訳だ」

 

 常弘が肩を落とし、ため息を吐く。東京エリアにおけるガストレア侵入の通報件数は減少傾向にある。それは侵入するガストレアが減ったわけではなく、裏社会で売買されるガストレアの血や臓器、民警に売る討伐実績を目当てに外周区の赤目ギャングが狩っているからだとされている。法と社会の機能不全によって生まれた彼女達が対ガストレアの防波堤として機能しているのは皮肉な笑い話としてよく語られている。

 

『どうしますか? 』とティナが問いかける。

 

「それしか手が無いのであれば致し方ありません」と朝霞は即答する。

 

「俺も乗るっすよ」と壮助は挙手し、「右に同じく」と常弘も手を挙げる。

 

『分かりました。それでは手筈通りにお願いします』

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『逃ゲた! ! 里mi蓮タ郎がこの僕から逃げたぞぉ! ! あHAはハはは! !逃げるなぁ! ! 』

 

 ビルの瓦礫と煙を斥力フィールドで吹き飛ばし、ジェリーフィッシュは廃ビル群の中をホバリングする。低空飛行し、前方に付いているカメラでビルの隙間や中を覗き込む。狭い所に入れる戦闘機型ドローンがあるにも関わらず、彼は己の目(カメラ)で見つけることに拘っている。最新鋭テクノロジーの結晶でありながら、その行動はあまりにも非合理的だった。

 弾丸が斥力フィールドと衝突し、ジェリーフィッシュの側面装甲に燐光が瞬く。戦闘機型ドローンが一斉に旋回、遅れてジェリーフィッシュがその巨体を旋回させ、カメラの照準を銃弾が来た方角に向ける。

 

「また負けに来たんですか? ポンコツ機械化兵士」

 

 ビル街の隙間を通り抜けてティナの声が届く。彼女はエールがハンドルを握る大型バイクの後部座席に跨り、硝煙の上がるH&K MP5を向けていた。

 

『ティナ・スプラウトオオオオオオオオオオオオ! ! 』

 

 戦闘機型ドローンがスラスターを吹かせて前進、ジェリーフィッシュ本体もローターの回転数が上がり加速する。

 

「鬼ごっこだ。しっかりケツに喰らいつけよ」

 

 V型4気筒エンジンが唸りを上げる。クラッチレバーを握ると同時にバイクが爆発的に加速し、エールは廃墟都市に風を作る。ティナは振り落とされないよう必死にしがみついた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「釣りは成功したみたいだな」

 

 義搭ペアと小星ペアは地上からビルの陰からジェリーフィッシュの動向を見ていた。ティナの作戦通り事が進むのを確認すると聞き慣れた走行音が近づいて来る。常弘のジープ・ラングラーだ。

 壮助達の前に止まると運転席の窓が開き、トオルが顔を見せる。

 

「ヘーイ。お客さーん。乗るかい? 」

 

「乗るも何も僕の車だよ」

 

「運転代わってくれ。私がナビする」

 

 トオルが助手席に移り、常弘が運転席に座る。シートやミラーの位置を再調整し、スイッチを押して電動開閉式サンルーフを開く。

 その間に朱理は後部座席のシートを倒し、収納スペースから自動小銃SIG SG550を出す。弾倉を装填し、二脚(バイポッド)を展開。土足のまま倒したシートに上がり、車体上部のフレームにSG550を乗せて銃座代わりにする。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

「ああ。先生のこと頼む」

 

 壮助と常弘は互いの拳を当てる。常弘が両手でハンドルを握りジープは走り出した。その行先はティナとジェリーフィッシュが追走劇を繰り広げる廃墟都市だった。

 

「それでは、私も参ります」

 

 朝霞は壮助と詩乃に一礼すると常弘たちに続いて廃墟都市へ去っていった。足の親指に力を入れただけで彼女は十数メートル跳躍。麒麟の如く、軽やかに割れたアスファルトと雑草の生い茂る道を駆け抜ける。速度も機動力も自動車のそれを遥かに上回っていた。

 

 ――パワーもスピードもテクニックも兼ね備えたイニシエーターって反則だよな。

 

「どうする? ()()()()」――と詩乃が冗談めかす。

 

 ティナが立てた作戦において、灰色の盾と小星ペア、朝霞は明確な役割を与えられ、今その遂行に動いている。しかし壮助と詩乃だけは「貴方達は遊撃隊です。独自の判断で動いてください」と投げやりな指示を出されたのだ。

 

 ――高く評価されてるんだか、されてないんだか……。

 

 壮助は頭をかきながら思案する。ティナの作戦は即席で考えたにしては悪くない。セカンドプランも用意してある。自分と詩乃がいなくても成立するだろう。しかし、そこに粗がないわけではない。

 作戦の穴を見つけて壮助はニヤリと笑みを浮かべる。同時にティナはこのことを見越して遊撃隊にしたのではないか、今考えていることもこれからとる行動も全て彼女の掌の上ではないかと思うと少し癪だった。

 

「良い案が思い浮かんだみたいだね」

 

「ああ。作戦にちょっと保険をかけにいくぞ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 割れたアスファルトと生えかけの雑草を踏みならし、エールとティナを乗せたヤマハVMAXが駆け抜ける。片方が崩れた歩道橋の下を潜り抜け、廃ビルの中を突破し、地下鉄の出入口まで使う。西外周区を自分の庭だと自負するだけあり、逃走ルートの選択肢は下手なアトラクションよりもバラエティに富んでいた。

 

『貴様noせイで! ! 貴様のSEいデ僕はああああアアアああ嗚呼あaaa! ! ! ! 』

 

 ジェリーフィッシュが叫びながら追いかける。B-2爆撃機を彷彿させる姿だがその飛行はジェットエンジンではなく、ヘリコプターと同様に機体中央部の同軸反転式ローターで飛行している。速度もそれほど出せないようで追走劇は追い付きそうで追い付けない塩梅を維持していた。

 3機の戦闘機型ドローンがアフターバーナーを吹かせてエール達を追い越す。前方の上空で旋回し、腹部のウェポンベイを展開。小型の空対地ミサイルが切り離され、エンジンが点火する。

 

「ヘルファイア来ます! ! 」

 

「あんなのどうすんだよ! ! 」

 

 ミサイルがエール達に目がけて飛翔。着弾まで数秒の距離だったが、ティナがホルスターからフレアガンを出して明後日の方向に撃ち出す。ミサイルの先端にある赤外線ホーミング誘導装置は突如現れた熱源に対する情報処理と目標の再設定を強要される。

 混乱したかのようにミサイルは空中でループしたが、距離も時間も足りなかった。ヘルファイアはエールから数メートル離れた地点に着弾。成形炸薬が炸裂し、熱と圧力、それによって砕かれ砲弾と化したアスファルト片が2人に襲い掛かる。VAMXは倒れ、慣性で2人は灼熱の道路の上で身を転がす。

 トップスピードからの転倒により骨は折れ、肌は道路との摩擦で焼ける。呪われた子供の治癒力ですぐに治るものだが、それでも痛いものは痛い。その苦痛に悶えながらもティナは目を開き、肘を立てる。自分だけ遠くに飛ばされたのだろう。倒れているエールとVMAXからかなり離れている。

 

 浮遊していたジェリーフィッシュがローターを停止。接地アームを展開して着陸し、前面のカメラをティナに向ける。エールには一切興味を示さない。彼女は死んでしまったのか、それとも死んでいるとジェリーフィッシュが勘違いしているのか。

 

『やハりバラニウム弾でなケれば死にniくイな』

 

 ティナは腕から流れる血を抑え、骨折した脚の痛みに耐えながら立ち上がる。全長30mのモノリスが近くにあるせいで傷の治りが遅い。心なしかモノリスの近くに立った時のような吐き気もある。

 

『一つ生物学的実験をシないka? 『赤目』はEP加速砲(こいつ)ヲ何回撃てば死ヌのカ』

 

 ティナの脳裏に6年前の光景がフラッシュバックする。

 

「貴方は……! ! 」

 

 照準を合わせたEP加速砲に光が収束していく。逃げようにも片足が動かない。

 

「掴まって! ! 」

 

 朱理の声と共に常弘のジープ・ラングラーが飛び出した。ドリフトで急接近すると後部座席のドアを蹴破った彼女が手を伸ばし、ティナを掴んで車内に放り込む。

 ジェリーフィッシュはカメラでジープを捉える。高精度な顔認証システムがティナ、朱理、トオル、そして運転席の常弘を捉えた。

 

『見つけタぞ! ! 里mi蓮太郎! ! ハハHAハハ! ! そウいうこtoか! ! 6()()()()()()は全てオ前が仕組んダ茶番だったのka! ! 僕を貶メルtaめの! ! そのせいで僕は、僕はあaaaaあaaあ! ! 』

 

 ジェリーフィッシュが再びローターを回転させ浮上、接地アームを折りたたんで再び空飛ぶモノリスになる。3機の戦闘機型ドローンも再びカタパルトから射出される。

 見計らったようにビルとビルの隙間から朝霞が飛び出した。壁を走り高さ30mまで跳躍した彼女は空中で双刀を振るい、射出された直後のドローンを切断。更に返す刀を虚空に振るい、飛ぶ斬撃で既に遠く離れたドローンのウィングを斬り落とす。高度を維持できなくなったドローンはビルの壁に激突し、爆散する。

 

『赤目風情が僕no邪魔をスるなあああaaあアあ! ! 』

 

 ジェリーフィッシュがカメラで朝霞を捉える。接地用アームの一つを展開、空中で身動きが取れない朝霞を殴り飛ばし、ビル2棟を貫通させて彼女を地上に叩き落とした。しかし、一矢報いるかのようにアーム先端のマニピュレーターが彼女に斬り落とされた。

 朝霞に斬り落とされたアームをボディに格納したジェリーフィッシュは再びティナを、そして合流した蓮太郎(と誤認した常弘)を追いかけた。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 朝霞が稼いだ時間で常弘のジープはジェリーフィッシュから距離を取る。しかし、逃げてしまっては意味が無い。ティナとエールが動けなくなった今、自分達が「釣りの餌」として動かなければならないからだ。

 作戦の第一段階は指定のポイントまでジェリーフィッシュを連れて行くことだった。ティナとエールは餌として引き付け、もし2人が餌として機能出来なくなったら、()()()()()()()()()()()()。そういう手筈になっていた。

 逃げられるが、逃げ切れてはいけない。時間はかかるが確実にジェリーフィッシュに捕捉されるポジションを考えながら、戦況を見守っていた。

 

「ドローン残り1機! ! 朝ねぇはふっ飛ばされたけど、たぶん大丈夫」

 

 朱理はサンルーフから身を乗り出し、ジープに揺られながら双眼鏡で朝霞の空中戦を見ていた。状況を車内の常弘、トオル、ティナに報告する。

 

「本体と残りの動向は? 」

 

「こっちに気付いた。ドローンが先行。本体はちょっと遅い」

 

「了解」

 

 常弘はサイドミラーで迫るドローンを確認するとギアを切り替え、加速する。朱理からの報告、トオルのナビゲートを同時に頭に入れながら、巧みなハンドル捌きで外周区の廃墟都市を駆け抜ける。瓦礫のスロープを登り、倒れたビルの内壁を走り、もはや道ですらない悪路を走破する。

 しかし、ジェットエンジンを積んでいるドローンがスピードでは圧倒的に勝っていた。幹線道路に飛び出すと目の前でウェポンベイを展開し、M61バルカンをぶら下げたドローンがこちらに向かっていた。

 

「待たせたな! ! 」

 

 ビルの2階から傷だらけのピックアップトラックが飛び出した。それはサスペンションの軋む音と共に着地しすると、キャビンに立つタトゥー少女が積んでいたブローニングM2重機関銃を掃射する。

 晴天にばら撒かれた12.7×99mmNATO弾が奇跡的にドローンのウィングに直撃。飛行を維持できなくなり、ボディを削りながら着陸する。

 続いてハイドラ70、カールグスタフ無反動砲などを搭載したテクニカル仕様のトラックが飛び出し、着陸したドローンを撃って爆散させる。そして、嘲笑うかのようにバンパーで残骸を轢き飛ばした。

 総勢8台のテクニカルが集まる。自衛隊や旧在日米軍の武装を流用したトラックが陣形を組んで走る姿は昔ネットの動画で見た中東やアフリカの紛争地帯のようだった。

 

「悪ぃ。色男。遅くなった」

 

 運転席の窓からアキナが顔を出す。今は彼女がテクニカル分隊のリーダーだ。

 

「グッドタイミングだったよ。アキナさん」

 

「そりゃどうも。もしかして、今の最後か? 」

 

「2機は朝霞さんが落とした」

 

無人航空機(ドローン)ブッタ斬りとかヤベェな。私らの仕事なくなったじゃん」

 

 キャビンにいるタトゥーの少女が常弘のジープに目を向ける。

 

「ねぇ。ボスはどうしたの? 」

 

 全員が口を噤む。エールを観たのはジェリーフィッシュの脚下でバイクと一緒に倒れている姿が最後だった。バイクで転倒した程度で呪われた子供は死なない。しかし、打ちどころが悪く、ジェリーフィッシュから出る磁場で治癒能力が阻害されていたとしたら、生きている保障は出来なくなる。

 

「ハル。余計な心配はするな。あいつはそう簡単に死なねえよ」

 

「う……うん」

 

 キャビンの少女――ハルは気を取り直して銃座に戻り、アキナは両手でハンドルを握る。今にもハンドルを切ってエールを助けに行きたいという気持ちが表情から滲み出ていた。

 

『雑魚が徒党を組んで何をすRuつもリだァ! ? 』

 

 ジェリーフィッシュが追い付き、車列の中央、常弘のジープにEP加速砲の照準を向ける。

 

()()あれを撃たせるな! ! 」

 

 周囲のテクニカルから銃弾やロケット弾が一斉に発射される。ジェリーフィッシュは自身とEP加速砲を包むサイズまで斥力フィールドを拡大させる。最強の盾を前に銃弾は地上に向かってポロポロと小雨のように落ち、ロケット弾は虚空で爆発する。

 

「小星! ! もうすぐだ! ! 」

 

 トオルが指さす先にが見えた。大戦前に川を渡るためにかけられた二車線のアーチ橋、長さは100メートルほどだ。人のメンテナンスが途絶えてから久しく、各所にヒビが入っている。下に青々とした水が流れていることは大戦前と変わらなかった。

 トオルの指示のまま常弘はジープを走らせ、橋を渡ろうとする。しかし、途中で橋が崩れていたのが見え、ジープはドリフトブレーキで急停止する。

 

『アはハハhahaハ! ! 自ラ袋小路に入ったZO! ! 馬鹿めぇ! ! 』

 

 常弘たちの状況を嘲笑いながらジェリーフィッシュが迫る。灰色の盾の掃射も虚しく傷一つないボディをホバリングさせ、EP加速砲の照準をこちらに向ける。

 EP加速砲が駆動音を立てる。ジェリーフィッシュ内部のジェネレーターから供給されたエネルギーが砲身内部に収束していき、その一部が光として漏れだす。

 

 

 

 

「今です」

 

 

 

 

 ティナがスマホに吹き込んだ声と共に砲声が轟いた。

 

 向こう岸で待機していた切り札――10式戦車から放たれた装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)は秒速1600メートルで飛翔した。空中でスリッピングバンドと装弾筒が外れ、露わになったタングステン合金の侵徹体がジェリーフィッシュの斥力フィールドと衝突。見えざる壁と侵徹体の間に燐光が瞬いた――――が、侵徹体はそれを貫通し、EP加速砲の中間に直撃した。

 

 

 

 ――ティナちゃん。現状、ジェリーフィッシュを倒せる方法は一つ。ぶら下げとるEP加速砲や。砲身の中間にはエネルギーを線形に制御する装置が入っとる。発射直前にそれを破壊すれば本来制御されるはずやった500ポンド爆弾20個分の熱エネルギーと運動エネルギーが暴発。昔懐かしのEP爆弾に早変わりや。

 

 

 

 ジェリーフィッシュの直下で目も眩む激しい閃光と火の玉が発生する。それは川の水と触れて水蒸気爆発を起こし、熱線と共に衝撃波で周囲の建造物を吹き飛ばす。10式戦車も灰色の盾のテクニカルもひっくり返りそうになり、一番近くにいた常弘のジープは衝撃波をもろに受け、橋から落下し、何度も衝撃波に転がされる。

 辺り一面を蒸気が包む。常弘は打ち付けた頭を労り、横転したジープの窓越しから様子を窺う。6年前にアルデバランを消滅させた決戦兵器の威力を目の当たりにし、興奮気味になる。あの空飛ぶモノリスは見事に消し飛んだだろうかと目と耳の感覚を研ぎ澄ます。

 

 

 

 

 

 

『R jkp@穢gfgx後rgさjfp@亜sjgjb盤sdjfj肆gj! ! ! ! 』

 

 

 

 最早、言語として成立していない音と共にジェリーフィッシュが姿を現した。EP爆弾のダメージは確かに通ったのだろう。光沢を放っていた超バラニウム合金装甲は傷だらけになり、8本あった接地用アームのうち3本が崩れて地面に落ちる。EP加速砲は塵一つ残っていなかった。

 ジェリーフィッシュが旋回し、前面のカメラを10式戦車に向ける。その光景をモニターで見ていた草間、瀧、津名の自衛隊くずれ三人衆は戦慄する。

 

「こっち向いたぞ! ! 走れ! ! 走れ! ! 」

 

 ドローンとEP加速砲を失ったジェリーフィッシュに攻撃能力があるとは思えない。接地用アームで殴りかかろうにも距離がある。しかし「それがジェリーフィッシュの全ての装備だ」という保障は無い。嫌な予感しかしなかった。

 10式戦車は時速60キロで河川沿いの道路を駆け距離を取る。車体が動いても砲口はジェリーフィッシュに向かって固定され、スラローム走行射撃でAPFSDS弾を発射する。侵徹体が斥力フィールドを突破、侵徹体が超バラニウム装甲に突き刺さる。しかし、その先には進まなかった。ジェリーフィッシュにとっては皮膚を針でチクリと刺されたぐらいだろう。金属装甲の液状化を起こすには()()()()()()()()()()()()()のだ。

 立ち込める水蒸気が動き、斥力フィールドの形状が肉眼で見えた。ジェリーフィッシュを囲む球体の一部から突起物が生まれ、槍のように射出される。10式戦車に直撃し車体が宙に浮いた。空中で1回転すると90度に倒れた状態で着地する。そのはずみで砲身が折れ、履帯が外れた。

 

『gdfj;五百濟hkopser屡穢gerrg井jが;fjsdjfg! ! 』

 

 ジェリーフィッシュが常弘のジープを捉える。それを槍状に射出した斥力フィールドで吹き飛ばした。乱暴に遊ばれるオモチャの車のようにジープは堤防に叩きつけられる。

 ローターが生み出す風と斥力フィールドで水蒸気を消し飛ばし、クリアになった視界でカメラの照準をジープに向ける。――そこに乗員はいなかった。

 レーダーが人影を探知する。側面のカメラをレーダーの探知に合わせると、トオルが負傷したティナを、朱理が常弘を抱えて遠くに走っていた。

 

『jsd;ぃf着おr;府bぃ衰rdfポgr;pmリオdhjfgkzf! ! ! ! 』

 

 ジェリーフィッシュが方向転換し、河川に沿って朱理たちを追いかける。最早、怨敵であるティナや蓮太郎の名前すらまともに叫べない。槍状に変形させ射出した斥力フィールドも照準が狂い、周囲に被害を撒き散らす。

 

「おい! ! 民警! ! 何か手は無いのかよ! ? 」

 

「そんなの私が教えて欲し―――――」

 

 朱理とトオルに日差しがかかる。雲でもかかったのだろうかと思ったが、見上げるまでもなく、それが雲ではないと分かった。普通の雲なら、錆びたボルトやナットの雨は降って来ない。

 

 

 

 

 1輌の在来線が2人の頭上を越え、ジェリーフィッシュを叩き潰した。

 

 

 

 数十トンの砲弾と化した在来線はその重量で斥力フィールドを破壊。ジェリーフィッシュの装甲に直撃し、地上に落とす。

 朱理とトオルが逃げる先にある鉄道橋の上に詩乃がいた。彼女は2輌目の在来線を持ち上げ、投擲。再び錆びたパーツの雨を降らせながらジェリーフィッシュに直撃させる。

 

 

「壮助! ! 」

 

 

 詩乃が同じ鉄道橋に立つ壮助に向けて叫ぶ。

 

 

 黒膂繊維斥力加速投射砲 爆蜻蛉(ハゼリアキズ)――形成

 

 

  壮助は超バラニウム合金繊維を斥力フィールドでコーティングし、繊維を編み込んで大型ライフルを形成する。天候は晴れ、無風、距離200メートル、初めて射出する弾頭の重量を計算に入れ、照準を合わせる。ティナの特訓に比べれば、外す理由がない好条件だ。

 

 

 極点濃縮斥力点、開放――

 

 

 

 

 

 

――発射

 

 

 

 圧縮された斥力点の解放と共にAPFSDS弾が大型ライフルから射出される。秒速1800メートル――音も大気も置き去りにし、戦車砲に匹敵する運動エネルギーを得たそれはジェリーフィッシュの超バラニウム合金装甲に直撃した。

 詩乃の無人在来線砲弾で斥力フィールドを砕かれ、その隙に撃ち込まれたAPFSDS弾の侵徹体は生の速度で超バラニウム合金装甲に衝突。侵徹体と装甲が流体として振る舞い、相互侵食を起こす。先端を液状化させながら装甲を突き破った侵徹体は内部に到達。貫徹した侵徹体と内部に飛散した超バラニウム合金装甲が暴れ回り、内部を蜂の巣にしていく。

 飛行を維持できなくなったのか、ローターが止まり、ジェリーフィッシュは接地アームを展開し辛うじて着地する。

 

 言語ではない譫言をスピーカーから漏らし、生まれたての小鹿のようにアームを動かし、ティナと蓮太郎(と誤認中の常弘)を背負うトオルと朱理に迫る。

 

「クソッ! ! まだ生きてやがる! ! 」

 

「でも斥力フィールドが完全に消えてる。後はタコ殴りにするだけだよ」

 

 詩乃は鉄道橋から跳躍。爆発的なスピードでジェリーフィッシュに迫ると前面のカメラにしがみついた。赤い目を輝かせ、右腕の筋肉を凝縮、拳をカメラレンズに叩き込んで破壊し、内部からコードや情報処理機器を引き抜く。

 まるで目をくりぬかれた生物のようにジェリーフィッシュがのた打ち回る。その間に詩乃は壮助がAPFSDSで開けた穴に手を突っ込み、装甲板を掴んだ。彼女は金属の軋む音と共に超バラニウム合金装甲を引き剥がす。

 ジェリーフィッシュは接地アームの1本を持ち上げ、詩乃に向けて振りかぶる。しかし、アームは関節から切断され川に落下した。同時にジェリーフィッシュを支えていた残り4本のアームも切断され、本体が地に墜ちる。

 

「私ら抜きで楽しんでんじゃねーよ! ! 」

 

 詩乃が河川敷に目を向けるとバイクに跨るエールと双刀を振った直後の朝霞がいた。ここに来る途中で合流したのだろう。

 

「申し訳ありません。遅くなりました」

 

「ありがとう。遅れた分は仕事で取り返して」

 

「……承知いたしました」

 

 詩乃の素っ気ない言動にやや不満を抱きながらも朝霞は跳躍し、ジェリーフィッシュに双刀を突き立てる。手足を捥がれ、飛行ユニットも潰されたジェリーフィッシュに対し、詩乃は装甲板を剥がし、内部機器を朝霞が双刀で破壊していく。

 

 2人が暴れている間に壮助はAPFSDSの次弾をバラニウム合金繊維のライフルにリロードする。自身が切り札のスペアとして機能するため、10式戦車から事前に貰っていたものだ。斥力フィールドを濃縮させ、照準を合わせる。

 

 

 その時、小型のユニットがジェリーフィッシュから分離するのが見えた。長方形の箱に4本の脚がついた簡素なものだ。巨大な本体を破壊するのに夢中で詩乃と朝霞は気付いていない。

 

 

 ――成程な……。それがテメェの本体か。

 

 

 壮助は照準を走る小型ユニットに合わせた。濃縮斥力点を開放――砲弾を射出した。的が小さく、小刻みに動くせいでAPFSDS弾そのものは当たらなかったが、ソニックブームで吹き飛ばし、ビルの壁に叩き付けることに成功する。

 

 足裏に作った斥力点で自身を飛ばし跳躍。両足でブレーキをかけながら小型ユニットの目の前で停止する。

 

 小型ユニット――ジェリーフィッシュの本体はビルの壁に叩きつけられ、活動を停止していた。4本の細い脚は折れ、長方形の箱は外装が外れて中身が漏れだしていた。

 その姿を見た壮助は吐き気を催した。サイズからして予想はしていた。しかし、実際に目の当たりにすると予想以上の気持ち悪さが胸の中でこみ上げる。

 

 ジェリーフィッシュの本体、長方形の箱の中に入っていたのは人間の脳だった。生体組織の劣化を防ぐ溶液に浸され、各部には指示を伝達するためのコードが繋がれている。「人体という脆弱なパーツを最大限削ぎ落した機械化兵士の極致」という開発者の設計思想が窺える。

 

 壮助は目の前に転がる本体を前にして脚を上げる。ビルに叩き付けられた衝撃で脳はグシュグシュに崩れている。外気に晒され組織も急速に劣化しているだろう。止めを刺さなくても勝手に死ぬ。

 それでも、本体を踏みつぶそうと足が上がる。目の前の機械化兵士が日向勇志と日向恵美子をガストレア化させ、鈴音と美樹に濡れ衣を着せ、あの家族を破壊した敵の一人だと思うと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ジェリーフィッシュの生命活動は停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッ……靴が汚れたじゃねえか」

 

 




オマケ① 灰色の盾の愉快なメンバー紹介

・新参組

トオル(15歳)
鈴音と美樹が離れた後に加入した新参組のリーダー格。生まれも育ちも外周区。強盗で生計を立てていたが、灰色の盾を用心棒として雇っていた店を襲った際に返り討ちにされ、チームに勧誘される。

カナコ(13歳) 本名:湯谷叶子(ユタニ カナコ)
倉田の助手をしている新参組の少女。赤目であることを隠して学校に通う普通の少女だったが、家庭科の授業のケガが原因で正体が周囲に発覚。両親の自殺と迫害によりストリートチルドレンとなり、紆余曲折あって灰色の盾に入る。

ハル(12歳)
新参組の少女。元イニシエーター。心配性かつ臆病すぎる性格が災いして初仕事で敵前逃亡。プロモーターからペアを解消され、路頭に迷っていたところをアキナに勧誘される。肩のタトゥーがシールなのは公然の秘密。

・自衛隊くずれ三人衆

草間
元海上自衛官・航海科所属。6年前、天の梯子がステージVガストレア・スコーピオンを撃ち抜いた際、飛び散った肉塊に潰されて負傷。それが原因で退官するも再就職先が見つからず、就職アドバイザーに騙されて灰色の盾に入れられる。真面目で良い人なのだが、運が悪い。


元航空自衛官・航空機整備担当。「赤目ギャングに入ってハーレム作るぜ」と意気込んで退官し外周区をブラブラしていたところ灰色の盾と遭遇。自身のスキルをアピールして入れて貰うことに成功したが目論見が全部バレたため、今はメンバー全員に白い目で見られている。ちなみに現在も童貞。

津名
元陸上自衛官・音楽科所属。過去については「大戦前も大戦中もラッパを吹いてた」とだけ語っており詳細は不明。娯楽として灰色の盾のメンバーに楽器を教えている。いずれ彼女達でガールズバンドを作り、プロデュースしたいと思っている。


オマケ② 前回のアンケート結果

ナオ『こんなもん(10式戦車)買って何に使うんだよ! ! バカ! ! 』エール「 」←なんて返した?

回答
→(9) デカくて強そうだったから
 (7) 隣町のチームの拠点を吹っ飛ばしに行く
 (3) これで大型ガストレアが来ても安心だろ?
 (7) 電装品とかナオが欲しがるかなと思って

ナオ(前々から思っていたけど、エールって財布を持たせちゃダメなタイプの人間だよね)

翌月以降、エールだけお小遣いが大幅に減らされた。




次回「怨敵の名は」


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怨敵の名は

死龍(鍔三木飛鳥)のウワサ

五翔会残党に「マヨネーズの安定的な供給」を要求したらしい。


 西外周区の河川に全長30メートルの空飛ぶモノリス――ジェリーフィッシュが落ちる。逃げ出した本体を壮助が仕留めたことに詩乃と朝霞はまだ気付いていないが、接地アームは全て朝霞に切断され、装甲は詩乃に素手で剥がされ、内部機器も灰色の盾が放ったマシンガンやグレネードランチャーで爆散させられた今、これがもう動くことはないだろうと2人は悟った。

 

 その傍らで自衛隊くずれ三人衆は横転した10式戦車のハッチを開いて這い出る。砲身は根元から折れ、履帯は外れ、中のコンピュータは何度もひっくり返った衝撃で全て動かなくなっていた。

 

「こりゃひでぇ。確実に廃車だな」

 

「誰か大洗から自動車部を呼んでくれ」

 

「そのアニメ懐かしいな~」

 

 

 

 ――終わりましたか……。

 

 ジェリーフィッシュの残骸から少し離れたところでティナは河川敷の枯れ芝生の上に腰をつける。VMAXから投げ出された時の傷はほとんど治り、今は戦闘の興奮を鎮めようと静かに息を吐く。

 

「ティナさん。大丈夫ですか? 」

 

 常弘と朱理が武器と工具を持って歩み寄る。EP爆弾の余波で大破した愛車から抜き取ってきたものだろう。彼らの背後には横転してドアやバンパーが外れたジープが見える。

 

「まだ治癒がはたらいてないみたいです。あちこち痛いですね」

 

 ジェリーフィッシュという小モノリスの近くに居続けたせいか、今のティナは身体に力が入らない。傷も普段ほど治らず、今も傷口が肌の上に残っている。

 

「すみません。貴方達の車を」

 

「気にしないでください。仕事ですから」

 

「社長に水増し請求して次はもっと良いやつ買いますんで」

 

 常弘は民警らしくない柔らかい笑みを浮かべるが、焼きもちを妬いたのか、朱理は常弘とティナの間に割り込み救急箱を置く。

 

「応急処置します。多分、治癒は期待できません」

 

 朱理は脱脂綿に消毒液を垂らし、それを傷口に当てる。それから慣れた手付きでガーゼとサージカルテープで患部を被う。高い治癒力を持つ呪われた子供はよほどの大ケガでなければ治療というものを必要としない。救急セットでどうにかなる程度の傷はバラニウム由来のものでなければ、数秒も待たず完治する。その中でそれを扱い慣れている子はかなり珍しかった。

 

「慣れているんですね」

 

「私はウィルスの恩恵が凄く少ないので、よくお世話になるんです」

 

 朱理の首筋や胸元に目を向けると小さな傷跡が付いていた。それは、今まで彼女が潜り抜けて来た修羅場の数と彼女が呪われた子供としてかなり低い治癒力の持ち主であることの証だった。「ケガをしてもすぐに治る」という安心感があるからこそ年端もいかない少女(イニシエーター)はガストレアに立ち向かえる。その安心が無い中、どうして彼女はこんな危険な道を選んだのか、不思議だった。

 

「あの……。どうして民警になったんですか? 」

 

 突然の質問に常弘と朱理が固まる。

 

「昔――「昔、私達を助けてくれた民警がいたんです」

 

 常弘の言葉を遮り、朱理が語る。

 

「私とツネヒロは親に売られた子供でした。ヤクザに買われて、違法バラニウム鉱山で奴隷のように働かされて、2人で車を盗んで逃げだしたんです。そしたら今度はイニシエーターに追いかけられたんです。そいつは足が速すぎてすぐに追いつくし、変な格好のプロモーターと日本刀を持った女社長も来るし、……その時はもう終わったって思いましたね」

 

 持っている武器から目を逸らせば平和を尊ぶ一般市民のように見える常弘と朱理。2人がそんな過去を背負っていることにティナは驚いた。子どもが親に売られて犯罪組織に使われる話は山のようにある。似たような身の上話は何度も聞いた。しかし、影も闇も暗さも見せなかったこの2人が壮絶な過去を背負っているとは思わなかった。

 

「でもその民警たちは違う話を聞かされていたみたいで、私達の事情を知ったら自分の依頼主を殴り倒して、保護してくれる人を紹介してくれたんです」

 

 朱理の口調は優しかった。親に売られたことも奴隷のように扱われたことも今はさほど気に留めていない。小星常弘と出会えたことを、その民警に救われたことを嬉しそうに語る。

 

「自分の報酬をパーにして、目の前の他人を助ける。そんな()鹿()()()()の背中を追いかけて、私達はここまで来たんです」

 

 その時、ティナの脳裏に懐かしい3人の姿が浮かんだ。足の速いイニシエーター、日本刀を持った女社長、報酬よりも正義感を優先するプロモーター、それは天童民間警備会社と一致していた。彼ら以外の可能性もありえた。しかし、頭の中では蓮太郎と木更と延珠の姿が固定されていた。

 ジェリーフィッシュと同じことを言うつもりは無いが、今の常弘の出で立ちが蓮太郎を、朱理の赤みがかった髪色が延珠を彷彿させたからかもしれない。

 

「その民警、半年前に空港をふっ飛ばした人じゃありませんでした? 」

 

「……そうですね」

 

「辛くはないですか? 目指した人がああなってしまって」

 

 半年以上前ならその功績から蓮太郎のことを「憧れの人」「尊敬する民警」と挙げる人は多かった。しかし、里見事件でテロリストとなった彼を英雄と呼ぶ者はいなくなった。テロの動機を「天童家で育てられた歪んだ内面」とマスコミが報道したのもあり、世間における彼の評価は「ただ強かっただけの精神異常者」となってしまった。

 ティナの問いかけが気に障ったのか、朱理が睨んでいるように見えた。

 

「正直、色々と思うところはあります。でも彼が悲劇の英雄だろうと英雄の皮を被った悪党だろうと私達の目指すものは変わりません。――例え、あの時の行動が嘘だったとしても、私とツネヒロの“憧れ”は嘘じゃない

 

 朱理は包帯をキュッと強く締める。それが傷口に当たりティナの口から「痛っ」と声が漏れた。

 

「ま~だ地獄に落ちてなかったっすね」

 

 悪態をつき、ビシャビシャと足音を立てながら壮助が川を渡って来た。小脇にはバラニウム製のケースを抱えており、そこから黄緑色の液体が漏れていた。

 

「義塔さん。その箱は? 」

 

「ジェリーフィッシュの本体っすよ。中身は人間の脳みそ」

 

 そう言い放った瞬間、吐き気を催し、ティナと小星ペアが壮助から距離を取る。

 

「人間の脳を取り出して直接マシンに繋いでたんだろうよ。ついでに組織の言いなりになるように電気を流したり薬物を打ったりしてたら、バグっちまって手が付けられなくなったってところか? 」

 

 ――未織さんは、このことを知っているんでしょうか?

 

 未織に連絡を取ろうとスマホを出した瞬間、ヘリコプターのローターの音が聞こえて来た。上空を3機のヘリが並列して飛行する。両サイドはダークグリーンの自衛隊カラー。真ん中は白いボディに淡い桃色と紫のラインが入った民間機だ。サイドと底面に司馬重工のロゴが入っている。

 

「噂をすれば……ですね」

 

 3機のヘリは河川敷に着陸した。中央の民間機の扉が開き、未織が姿を現す。割れて雑草が伸びるアスファルトをものともせず下駄で駆け寄り、両手を広げてティナに抱き付いた。

 

「良かった~。ティナちゃん無事やったんやね~」

 

「あの、未織さん。どうしてここに? 」

 

「みんなが心配やさかい様子を見に来たんよ。あれも回収して調べなあかんし」

 

 未織はそう言って、閉じた扇子でジェリーフィッシュの残骸を指す。自衛隊機に目を向けるとコックピットで自衛官が無線で連絡を取っている。

 

司馬重工(ウチ)は自衛隊と仲良くさせてもろうててな。『外周区に墜落した所属不明機を回収。司馬重工に調査協力を依頼』っていう風にしてもろうたわ」

 

「司馬さん」と壮助が未織を呼ぶ。それは敵意か、疑惑か、尖った視線を未織に向け、ジェリーフィッシュの本体を突き出した。

 

「こいつは一体どこの誰が作ったんですか? 俺達の敵は一体誰なんですか? 」

 

 未織は周囲の視線が自分に集まっていることに気付いた。壮助だけではない。詩乃も、ティナも、常弘と朱理も、朝霞も、灰色の盾の皆もこちらを見ていた。全員が荒事稼業の民警か赤目ギャング。目から出る圧は凄まじく、未織も表情を崩さないだけで精一杯だった。

 

 

 

 

 

 日陰となった近くの橋の下で一同が未織の話に耳を傾ける。

 未織は「兵器開発で協力している博多黒膂石重工からタレコミがあった」という名目で盗まれた博多エリアの試作兵器と五翔会の顛末、そして残党の存在を語った。そこに芹沢遊馬の名前は一切出さなかった。

 壮助達は『都市伝説と思っていた組織が実在していると思ったら自分達の与り知らぬところで勝手に滅んでいた』という拍子抜けする話を聞かされたが、未だに影も形も掴めない残党に振り回され、一方的に攻撃されている現状、手強い敵であることに変わりはなかった。

 

「それにしても、博多の連中は随分と気色の悪い兵器を作るんですね」

 

 壮助はジェリーフィッシュ本体が入った箱を足蹴りする。

 

「博多エリアの設計図では人工知能(AI)を搭載する予定やったらしいで。そっちの開発が中止になったさかい、先に完成しとったボディが置物になっとったらしいで」

 

「AIが無いから人間の脳みそぶち込むとか、俺達の敵は碌な連中じゃねえな」

 

「それはウチも同感や」

 

 未織が自衛隊の動きに目を向ける。先ほどのヘリだけでなく自衛隊のトラックや装甲車、ジェリーフィッシュを解体するための重機も集まっている。向こうの準備がそろそろ終わるだろうと見込む。

 

「ティナちゃん。手出して」

 

 言われるがままにティナは手を出し、未織が袖口から出したUSBメモリが置かれる。

 

「博多黒膂石重工から盗まれた3機の次世代バラニウム兵器、そのデータが入っとる」

 

 博多エリア自衛隊の次世代バラニウム兵器――東亜連合との戦争で5倍以上の国力差を覆し、博多エリアを東シナ海の覇者にした人類戦史の特異点だ。世界中の諜報機関が数多くの犠牲を払いながらそれを欲したが、未だ手に入れたという話は聞いたことが無い。それが手元にある。途端にUSBメモリが心理的に重くなった。絶対に失くさないように強く握りしめる。

 

「……かなりの大盤振る舞いですね」

 

『情報は渡すから、東京エリアの人間で処理してくれ』って魂胆や。かつては同じ日本国とはいえ、今や博多エリアは立派な外国。武装した博多エリア自衛隊の特殊部隊や高位序列の民警を送り込んだら一発で国際問題や」

 

 人やモノの交流があるとはいえ、東京・大阪・札幌・仙台・博多の五エリアは司法・行政・立法が独立している。言葉も生活様式も違いはないが、それは独立した国家と言っても過言では無かった。東京エリアと博多エリアの間には軍事的な同盟がなく、かつておなじ自衛隊だった両エリアの自衛隊も()()()()()と化している。民警も民営化された軍事力と言われているが、高位序列者となればどこかのエリア政府と契約していることが多く、その渡航も厳しく制限されている。ティナが今、こうして東京エリア内を自由に出歩ける方が例外に近いのだ。

 

「それと……鈴音ちゃんと美樹ちゃんおる? 」

 

「灰色の盾の拠点に避難させています」

 

「はぁ~残念やわ。2人に吉報を持って来たのに」

 

 わざとらしく未織は大きなため息を吐く。吉報が気になり一同が彼女に視線を集中させると彼女は扇子で口元を隠し、ニコニコとした目で返す。そして数秒、次の発言を溜めた。

 

「ウチと科捜研の話に折り合いがついてな。警察はウチの検査結果を信用してくれることになったんや

 

 全員の表情が明るくなった。これで少なくとも警察と厚労省が姉妹を追う理由は無くなった。彼女達を内地の生活に戻す希望が見えて来たのだ。喜ばない筈が無かった。それぞれが思い思いの仕草で感情を表現する。

 

「ただ……悪いんやけど公表はできひん」

 

 未織の言葉で希望が掻き消された。希望と共に全員の声と動きも止まる。

 

「鈴音ちゃんと美樹ちゃんの侵食率が低いっちゅうことは、厚労省の検査システムは間違っとることになる。そうなったら、今までシステムによって()()()()()()()()()()()()はどないなると思う? 」

 

 壮助たちははっとさせられる。厚労省の大規模な侵食率検査システムは単に呪われた子供たちの侵食率を調べるだけのものではない。彼女達に侵食率を伝えていると同時に普通の人間たちに「管理下にある赤目は安全である」とアピールする政治的な意味合いも持っている。この件が公表されれば、日向姉妹は救われるだろう。しかし、安全神話が崩れたことで姉妹以外の全ての呪われた子供たちが疑いの目を向けられることになる。憎悪犯罪(ヘイトクライム)の爆発的な増加は想像に難くない。自分達だけが助かって、それ以外の子供たちが危険に晒されるのは姉妹の望むところではないのだろう。

 

「このことを知っているのも科捜研と一部の人間だけや」

 

「結局、2人は今まで通り外周区生活で48%なんて馬鹿な数字になったカラクリも暴かないと駄目って訳っすね」

 

 壮助は面倒くさそうに頭をかく。そういう態度を取りつつも警察の一部から協力を得られるという希望は大きかった。司馬重工経由で警察とコネクションを作れれば、彼らに調べ物を任せることが出来る。あと一つ条件をクリア出来れば、自分達を阻む壁になっていた警察を自分達を守る盾に変えることが出来る。

 

「せや。義塔ちゃん、見た目によらず物分かりが良くて助かるわ」

 

 毒のある誉め言葉に壮助はむすっとするが、自分が司馬未織という大物に評価されつつあるのは素直に嬉しかった。

 

「準備出来やしたぜ。司馬のお嬢」

 

 壮年の自衛官が未織に駆け寄り、敬礼する。彼がここにいる自衛隊のリーダーだろう。民間企業と癒着している体制のせいか、その口調はくだけており、素行や表情は自衛官というより汚職警官のようだった。

 

「ほな。ウチは自衛隊の人らと回収の打ち合わせがあるさかい」

 

 未織は手を振りながら、壮年の自衛官と共にジェリーフィッシュの残骸へ向かって行く。一同が必死に倒したジェリーフィッシュは自衛隊に解体され、パーツがCH-47チヌークに引っ張られて宙に浮かぶ。

 その光景を見ていた壮助たちはどこか腑に落ちない表情をしていた。自分達にあれを回収し、保管し、分析する知識も技術もない。司馬重工と自衛隊が肩代わりしてくれたのはむしろ幸運とも言える。しかし、一番美味しい部分を彼女に持って行かれたのではないかという思いが拭えなかった。

 

 壮助が遠ざかる未織と自衛官の背中を睨んでいると、突然ティナが尋ねた。

 

「義塔さん。お知り合いに人探しや身辺調査に長けた探偵っていませんか? 」

 

「いるっすよ。探偵じゃなくて情報屋っすけど」

 

 ティナが持っていたスマホの画面を壮助に向ける。ニュースサイトの記事だ。日付は今から7年前の2030年。内容はインタビュー形式になっており、インタビューを受けてる男が大きく映っている。

 美男子とも言える面長な顔立ちだが、眼鏡越しに見える釣り上がった目からは尖ったエリート主義の持ち主であることが窺える。白い聖天子付護衛隊の外套を纏い、胸元にはこれ見よがしに過剰装飾な階級章や勲章が飾られている。隠しきれない自己顕示欲がそこから溢れているようだった。

 

 

 

 

「6年前の聖天子付護衛隊長、保脇卓人を調べてください。

 

 

 

 

 

 

 ――彼が、ジェリーフィッシュの正体です」

 

 

 

 *

 

 

 勾田大学病院の6階、病室の前にあるベンチで勝典は座っていた。背後には死龍こと鍔三木飛鳥が眠る完全個室の病室がある。中で彼女はベッドの上に横たわり、様々な機械に繋げられ、リアルタイムで脳波や心拍数を計測されている。

 イクステトラの戦いから一週間、飛鳥は眠り続けていた。爆弾によるガストレアウィルスの急激な活性化と自身のによる抑制、による神経系の麻痺と爆弾により活性化したガストレアウィルスによる修復、これら同時に発生したことが身体の負担になったのだろう。

 

『毒はほとんど抜けて、ガストレアウィルスは不活性状態に入っている。命の心配はもう必要無いだろう。ただ、彼女が目覚めるかどうかは保証できない』

 

 看護師が飛鳥の身体を拭くというので男性の勝典は締め出され、今こうして終わるのを待っている。看護師が敵の手先で飛鳥を暗殺する可能性もあったため、部屋の中にはヌイを残した。

 

「こりゃ随分と厳つい忠犬ハチ公だな」

 

 声のあった方を向くと遠藤がポケットに手を入れ、ニヤニヤとこちらを見ていた。自分と対等に話す生意気な若造が年相応に弱っているところを揶揄っているのだろう。

 

「ヘリの件、ひと段落ついたぞ」

 

「……随分と時間がかかったな」

 

「通常業務に日向姉妹の捜索が加わって、更にこれだからな。時間をかけた分、手応えのあるものを揃えて来たんだ。それで勘弁してくれ」

 

「それもそうだな……。場所を変えよう。ここは静かすぎる」

 

 勝典はベンチから立ち上がるとスマホを取り出し、ヌイに「少し外出してくる」とメッセージを送った。

 

 

 

 エレベーターで1階に降り、勝典と遠藤は中庭のベンチに腰掛けた。屋外で人は少ないここはあまり聞かれたくない話をするのにうってつけの場所だった。

 

「まず結論から言おう。日向姉妹を狙撃したヘリと狙撃手は警察じゃない

 

「どういうことだ? 」

 

「確かにその日の晩、厚労省の取締部から通報を受けて警察航空隊はヘリを飛ばした。だが、ヘリは日向姉妹と灰色の盾を見つけることが出来なかった。動態管理システムのログも搭載していたレコーダーも全部見せて貰ったが、航空隊は一度も姉妹を見つけられなかった」

 

「警察航空隊が偽装した可能性は? 」

 

「そもそも偽装する理由がない。形象崩壊直前の呪われた子供が赤目ギャングと一緒に逃走しようとしていたんだ。射殺するには正当な理由が揃っている」

 

 勝典はそれに頷いた。形象崩壊直前やガストレア化しかけている呪われた子供はある種の生物兵器だ。その一人を処理し損ねたことでエリアが内部から滅んだ例もある。日向姉妹が逃走した際に警察が2人を射殺したとしても多くの人間は「可哀想だが仕方ない」と言うだろう。バッシングするのは鈴之音のファンと人権団体ぐらいだろう。

 

「それと狙撃に使われた弾丸なんだが、事件後に鑑識が7.62mm弾を回収していた。線条痕はデータベースに無いものだったから、灰色の盾が新たに購入した銃だと思っていたらしい」

 

「警察航空隊が狙撃したなら、線条痕がヒットしないのはおかしいな」

 

「ああ、警察の装備は線条痕も含めて全部データベースに入っているからな」

 

 遠藤は大きく溜め息を吐くと、アイスコーヒーを啜る。

 

「こうも辻褄が合わなくなると、『本当にヘリは飛んでいたのか? 』と疑うのが警察の性なんだが、どうもそれは本当のことらしい」

 

 遠藤はスマホを横向きにして勝典に画面を見せる。画面は有名な某動画共有サイトであり、タイトルには地域の花火大会の名前が表示されている。スカーフェイスによる襲撃があった場所に近い地域だ。

 遠藤は画面をタップして動画を再生する。河川敷に住民が集まり、対岸で花火が噴き上がる。歓声と共に夜空が明るくなった瞬間、遠くの空に浮かぶ青と白のヘリコプターが見えた。元々の動画が粗いせいか辛うじて形と色が分かる程度だ。そこで動画を一時停止する。

 

「ここに映っているヘリを鑑識に補正して貰った画像がこれだ」

 

 遠藤はスマホの写真フォルダを開き、ヘリをアップにした画像を見せる。先ほどとは打って変わり、警視庁の印字、デザイン、形状、「たかなみ」という機体名称もハッキリ見えた。

 

「今の警察航空隊に『たかなみ』という機体は無い」

 

「そういうことか……」

 

 勝典は全てを理解し、頭を抱えた。

 今の日向姉妹と警察の関係は仕組まれたものだ。スカーフェイスが特異感染症取締部を襲撃した日、何者かが警察航空隊に偽装したヘリで日向姉妹を狙撃した。それは最初から姉妹に当たらないように狙っていたのだろう。そうすることで「警察は姉妹を殺す」という()()()()を姉妹に行い、逃亡を選ぶように仕向けた。敵にとって「姉妹の逃亡」は、是が非でも成立させなければならない事象だったのだろう。

 警察と日向姉妹の対立が、全てが敵の掌の上だった。多くの捜査員が罪の無い少女達を殺さなければならないという残酷な現実に胸を痛め、それを嚙み潰して今も靴底を擦り減らしている。敵はそんな彼らを見て、嘲笑っているのかもしれない。

大腿の上で遠藤の拳が震える。

 

「秘密結社だかなんだか知らねえが、警察(俺達)の名前を好き放題に使いやがって……この落とし前、絶対につけさせてやる




感想の返信で「しばらく出番がなかったあの原作キャラが登場」って言ってたけど、しばらく先に持ち越しました。ごめんなさい。

お詫びに今日のオマケは三本立て!!


オマケ① ジェリーフィッシュの本来の用途

ジェリーフィッシュは元々、偵察や輸送を目的として設計された次世代バラニウム兵器でした。光学迷彩は隠密性を高めるため、斥力フィールドも防御ではなく飛行制御が主な役割であり、本編のように真正面から敵と撃ち合う運用は想定されていませんでした。
元々の装備もクモ型ドローンのみであり、これも敵のコンピュータに接続してシステムを乗っ取ったり、情報を抜き取ったり、ウィルスを流したりする等が本来の用途であり、西外周区戦で見せた人間への直接攻撃は完全に仕様外の運用です。
ちなみにEP加速砲と戦闘機型ドローンは五翔会残党が無理やり搭載した装備であり、攻撃能力の付与というメリットはありましたが、重量増加と重心の変化による飛行速度の低下、他社製ドローン(戦闘機型ドローン)との同機不全によるドローンの情報処理能力の低下など、デメリットも非常に大きくなりました。

壮大な計画を持つ大きな組織なのにいまいち残念な五翔会クオリティ。


オマケ② ティナと保脇はどうしてお互いのことを知っていたのか?

ティナ→保脇
聖天子暗殺にあたって周辺人物に関する情報を事前にランド博士から与えられており、聖天子付護衛官の面々もその中に入っていました。また、原作2巻ラストで蓮太郎が保脇の名前を叫んでいたこともあり、保脇卓人の名前は彼女の記憶に強く残っています。

保脇→ティナ
聖天子がティナに関する情報を蓮太郎に開示した後、「立場上、蓮太郎だけが知っていて聖室護衛隊が知らないのはまずいだろう」ということで“仕方なく”保脇たちにもティナの情報が開示されています。
でも全く活かされなかった。さすが保脇。


オマケ③ 前回のアンケート結果

エール「鬼ごっこだ。しっかりケツに喰らいつけよ」←誰のケツを追いかけたい?

 (3) エール
 (6) ティナ
 (1) 常弘
 (1) 朱理
 (0) トオル
 (4) 朝霞
 (0) アキナ
 (1) ハル
→(7) 詩乃
 (4) 壮助


ジェリーフィッシュ(保脇)「スポーティに引き締マった13歳のKETSU!!そreは背徳の味!!」

※その後、保脇は詩乃にロードローラーとタンクローリーと無人在来線を投げつけられてスクラップになった。



次回「タウルスの遺産」

※次回のサブタイトル変更しました。


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タウルスの遺産

・義搭壮助のウワサ
近所の赤目ギャングに指名手配されているらしい。


 東京エリアの高速道路を黒塗りのカローラが走る。

 ふわりと広がるセミロングの明るい髪に左目の泣き黒子が特徴の女性が運転席でハンドルを握る。きつい目付きと鋭い視線を前に向けるが、ふとした時に助手席に目を向ける。彼女に背を向け、頬杖をついて外を眺める遊馬の姿があった。彼は上機嫌のようで時折、大戦前の懐かしい曲が聞こえる。

 

「その調子だとナンパは成功したみたいですね」

 

「顔を平手打ちされたけどね」

 

「良いザマです」

 

 運転席の女が鼻で笑う。

 

周船寺(すせんじ)ちゃん。クビにされたい? 」

 

「それパワハラですよ。出るとこ出て慰謝料たくさん貰いますね」

 

「前言撤回。君は手放すに惜しい優秀な部下だよ。これからもよろしく頼む」

 

「それじゃあ給料の値上げお願いしますね」

 

「検討する」

 

 遊馬のポケットの中で一瞬、スマホが振動する。遊馬はポケットから取り出し、画面をタップして起動させる。暗い車内で彼の顔だけが画面のライトで明るくなる。

 何か吉報が来たのだろうか、それを見た彼はふふっと鼻で笑った。

 

「諜報部からだ。ジェリーフィッシュが倒されたそうだよ」

 

「自衛隊が介入してきたのですか? 」

 

「いや、現地の民警と赤目ギャングが倒したそうだ。最終的には司馬重工と自衛隊がパーツを回収したようだけどね」

 

「とりあえず、一安心といったところですね」

 

「そうもいかないさ。治外法権の外周区とはいえ、ジェリーフィッシュは数百人規模の死傷者を出している。我々があれの管理責任を問われるのも時間の問題だろう」

 

「殺したのってEP加速砲が主な要因ですよね? ウチのドローンも加担していますけど」

 

「あの女狐、ジェリーフィッシュを倒すついでにEP加速砲を消滅させているんだ。外部に装着されていた司馬重工製のパーツを抹消して、責任をこっちに押し付ける魂胆だぞ。あー恐ろしい恐ろしい。あれは旦那をケツに敷くタイプだ」

 

 ジョークを吐き捨てると、遊馬は大きく溜め息を吐き、背もたれに身を預ける。

 

「前回のようなヘマはしたくない。今度こそ五翔会を徹底的に潰すぞ

 

 先程と声色が違った。周船寺はハンドルを強く握りしめる。遊馬と同様に彼女も五翔会には少なからず憎しみを抱いている。「五翔会を徹底的に潰す」という言葉にはそれほどの重みがあった。

 

「もしもに備えて()()を用意しておいてくれ。調教の成果も試しておきたい」

 

「……分かりました」

 

 一通り支持を出し終えた後、遊馬は深く息を吐き、肩を落とす。

 

 ――それにしても、()()()()()()()ジェリーフィッシュを出すとはな……。連中は一体、何を焦っているんだ?

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「「はぁ~生き返る~」」

 

 バンタウの中庭で壮助と詩乃はキンキンに冷えたコーラを喉に流す。真夏の太陽の下で炭酸の刺激と共に乾きが癒される。ジェリーフィッシュとの戦いが終わり、バンタウに戻った一行を迎えたのは鈴音と美樹だった。2人は球場のビアガールのようにクーラーボックスを抱え、一人一人にジュースを配っていく。降りかかった火の粉を払っただけで何の報酬も得られない戦いだったが、2人の眩しい笑顔と冷えたコーラのお陰で全てを許してしまうことが出来る。

 

 ――あの2人の旦那さんは世界一の幸せ者になるだろうな。

 

 壮助は先に飲み干すと立ち上がり、空のボトルをゴミ箱に投げ入れる。ジュースを配り終えてベンチに腰掛ける姉妹の下に歩み寄った。

 

「お疲れさん。クーラーボックス(それ)重かっただろ」

 

「大したことないです。私こそ守られてばかりで何もお礼できないですし」

 

「大丈夫、大丈夫。元アスリート舐めないでよ」

 

 鈴音は頬に汗を流しながらいつもの木漏れ日のような笑顔を向け、美樹は真夏の太陽のような笑顔と共に片腕でガッツポーズを作る。

 姉妹のそれが無理をして作っているものだと誰が見ても気付くだろう。イクステトラの戦いでは司馬重工の職員たちと再会したばかりの昔馴染みが惨死した。マーケットでは数百人の他人が自分達の巻き添えを食らい犠牲になった。そもそもの始まりからして、2人は両親を目の前で殺されている。自分達が助けられている裏で大切な人や見知らぬ大勢が傷付いている。2人はその状況下で胡坐をかける人間ではなかった。

 壮助が見抜いていると悟った美樹は上げた拳を下ろし、作り笑顔を崩して視線を伏せる。

 

「『気にすんな』とは言わねえけどさ……気にしすぎるな。死んだ奴らのことを想うのは勝手だが、その()()()()をつけるのはお前達じゃない。俺達の敵だ」

 

 死も殺人も身近だった壮助に言葉は思い浮かばなかった。何て声をかければいいのか分からなかった。だが、何も言わない訳にはいかなかった。出て来たのは敵に対する己の怒りが混ざった不器用な慰めだった。

 廃虚の隙間を通り抜ける風音だけが聞こえる。姉妹からの反応がない。滑ったのかと思い恥ずかしくなった壮助は顔を逸らす。

 

「あの……1本余ってますけど、いります?」

 

「……ありがと」

 

 壮助は鈴音からクーラーボックスから出されたジュースを受け取る。キャップを回すと炭酸が抜ける音がした。1本目のようにボトルを逆さにして豪快な飲み方はせず、ちびちびと静かに口に入れる。何か別の話題を頭の中で探しながら――。

 

「あー。そういや、さっき未織さんに会ったよ」

 

「蜃気楼でも見ました? 」

 

「疲れてるんじゃない? 寝たら? 」

 

 毒のある返答をされて壮助は肩の力が抜ける。

 

「ガチだよ。自衛隊を呼んで、あの空飛ぶモノリスを回収の手配をしてくれた。あと、警察が例の検査結果を認めたことも教えてくれた」

 

 未織から伝えられたことをそのまま姉妹に伝える。警察に追われなくて済むと思った美樹は表情が明るくなるが、「一部しか知らされていない」「公表できない」と聞かされると途端に落ち込んだ。

 

「そうなんですね」

 

「まぁ、仕方ないよね……」

 

「けど、悪い話じゃない。警察の一部をこちら側につけられたなら、調べ物が格段にやりやすくなる。厚労省の人間を動かせるようになれば、内部からシステムの調査も進められる。()()()は近いかもしれないな」

 

 それは姉妹を安心させる希望的観測だった。壮助はそう簡単に事は進まないと予想している。それを実行するには「警察と厚労省が自分達の過ちを認める」という前提条件が壁として立ちはだかっているからだ。

 警察は大戦前から組織ぐるみの不祥事が取り沙汰されてきた。ガストレア大戦以降、警察は法の縛りが少ない民警に現場を荒らされ、強すぎて手に負えない赤目ギャングに辛酸をなめさせられている。その影響で法を後ろ盾にした権威と権力に対する執着は大戦前より強くなっており、組織的な不祥事も増加している。最悪、この件を握り潰されて「東京エリアの平和と安寧のために死んでくれ」なんてことになりかねない。それは、()()()()()()()()()()()()

 

 ――連中を貶めないシナリオを用意しなきゃ駄目か……。

 

 壮助は「さてどうしたものか」と腕を組み呻る。もう彼の中に「警察と厚労省が素直に認める」というシナリオは無い。それは念のための用心からではなかった。

 

 

 バンッ! !

 

 

 突然、大きく音を立てて扉が開いた。全員の心臓が跳ね上がり、視線がドアに集中する。

 中から灰色の盾のサブリーダー、ナオが姿を現す。セットが崩れた髪は桃色の滝と化し、隙間からもう何日徹夜したのか推し測れないクマの出来た目が垣間見える。

 彼女は拳を握り、睨みながらズカズカと壮助の目の前まで闊歩する。彼からコーラのボトルを奪うと間接キスなど気にすることなく、天を仰ぎ、ボトルを逆さにして炭酸飲料を喉に流し込む。そして、雄叫びを上げて空のボトルを地面に叩き付けた。

 

「だ、大丈夫か? 」

 

 ナオにSDカードを突き付けられ、壮助はそれを黙って手に取る。

 

「死龍が持ってたデータ、ロックを解除したよ。閲覧できるようにしたから」

 

「マジか。助かった」

 

「じゃあ、私は寝る。今度こそ寝る。次叩き起こしたら、どこの誰だろうと絶対に殺す。エールなら尚更ぶっ殺してやるぅ! ! 」

 

 寝不足とエールのワンマン経営ブラック企業ムーブに対する怒りで彼女の目は血走っていた。今なら本当に自分のボスを殺して下剋上をかましかねなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 SDカードに入っていたデータには、「タウルスの遺産」と名前がつけられていた。10ページほどの文章――その節々に白い粉末の写真、何かのデータを示す図とグラフ、顕微鏡で撮影した画像、複数のベンゼン環が繋がった化学構造式、英字論文の引用が散りばめられていた。

 バンタウのいつもの部屋に集まり、カーテンを閉め切り、ノートPCと繋いだプロジェクターで壁にディスプレイを投影する。映画鑑賞のように全員がスクリーンを眺める。

 ファイル名を告げられてから、全員の頭の中である存在が浮かび上がっていた。

 

「ステージVガストレア 金牛宮(タウルス)

 

 ティナがその名を呟いた。

 

 金牛宮(タウルス)――16年前に出現し世界を滅ぼした11体のステージV(ゾディアック)ガストレアの1体だ。山をも越える巨体とモノリスの磁場を受けない性質を持ち、多数のガストレアを統率する能力を持っていた。10のエリアがタウルスとその軍団によって滅ぼされたが、今から7~8年ほど前、序列第1位のイニシエーターに倒され、蹂躙の歴史は終焉を迎えた。

 タウルスが倒されて数年が経ち、同種の個体も出現していないが、その生態は現在も研究の対象となっている。ガストレアはステージが高くなるにつれて単独行動を取るようになる。ステージⅢ以降になるとDNAの書き換えがより複雑かつ独創的なものになっていき、ステージⅣになると同種と呼べる個体が誕生する確率は天文学的数字となる。生殖能力も失っていくため親や子孫といった繋がりも生まれなくなり、仲間意識や社会性といったものが彼らの脳から消えていく。その中でタウルス、そして第三次関東会戦を引き起こしたアルデバランの生態は稀少だった。

 

「そういうことかよ……。ったく、死んだ後も迷惑な野郎だな」

 

「これがドールメーカーのことなら、行方不明の子たちはもう……」

 

 常弘は今にも泣き出しそうな声を噛み殺す。

 部屋にいたティナ、朝霞、エールをはじめとした灰色の盾の面々も納得した表情を見せる。

「あの……」と囁く声で鈴音が挙手する。

 

「話が見えてこないんですが……」

 

「私ら一般ピーポーにも説明してよ」と美樹も便乗する。

 

「義塔。説明してやれ」

 

 エールから直々に指名が入る。

 

 ――俺、いつの間にかこいつらの教育係にされてねえか?

 

 壮助は面倒くさそうに頭をかくと、姉妹に視線を向けた。

 

「タウルスのことは説明しなくても大丈夫だよな? 軍団を作っていたことも」

 

「さすがにそれくらいは分かるよ。教科書に載ってるぐらいだし。ね? 姉ちゃん」

 

「……」

 

 鈴音が無言のまま壮助と美樹から目を逸らす。この時、2人は鈴音の学業が芳しくないことを思い出した。常弘と朱理、ティナは「ははは……」と愛想笑いし、エールは呆れて頬杖から頭を落とす。朝霞はコメントに困り、目を閉じて置物モードになる。

 

「まぁ、とりあえずザックリ話すぞ」

 

 壮助は鈴音にタウルスの説明をする。彼女にも分かり易くかつ身近な問題だと感じてもらうようにタウルスの右腕的存在であり第三次関東会戦の発端となったアルデバランのことも交えて説明した。

 

「――で、どうやってタウルスは数万のガストレアを統率していたのかと言うと、“あれ”が答えだ」

 

 壮助が壁を指さす。そこにはプロジェクターで投影された白い粉末“ドールメーカー”が映し出されていた。

 

「タウルスは体内で独自の覚醒剤を生成する器官を持っていたんだ。それを大気中に散布することで周囲のガストレアを自分に依存させ、駒にしてきた」

 

「じゃあ、ドールメーカーって……」

 

「これを読む限りだと、タウルスの覚醒剤を解析し、それをベースに作り上げた新種の薬物ってところだな」

 

 説明を終え、壮助は再び画面に目を戻す。ミカンがマウスを操作し、全員の視線や読むスピードに気を配りながら画面をスクロールさせる。

 ある植物が画面に映った。そこにいる誰もが「綺麗」だという印象を持った。形状としてはユリやアサガオに近い。花弁は1枚1枚が別々の色をしており、虹色の傘のようになっている。茎は螺旋状にねじれ、ところどころから出ている粘液が土を濡らしている。

 

「何だこれ? 植物……だよな? 」

 

 全員が絶句する中、壮助は画像の下にある文章に目を向ける。

 

「タウルス・チルドレン(仮名)」という日本語と、その隣に斜体の英語が表記されていた。和名と学名だろう。本文を読み進めると「タウルスのDNAを組み込んだことで奇跡的にタウルスの遺産の生産が可能になった」という一文が見られた。

 

「これ『リエン』のところにあったな」

 

 黙ってPCを操作していたミカンの発言に全員の注目が集まる。敵に繋がる重要な手掛かりを軽く呟かれたのだ。驚かずにはいられなかった。とりわけ壮助の驚愕は飛び抜けて目立っていた。その傍らでエールだけは舌打ちをして視線を逸らした。

 

「ま、まさかリエンって『ガーデン』のリエンか? 」

 

「ああ」

 

 壮助の問いかけにミカンは最低限の口数で応える。彼女の返答を聞いた瞬間、椅子から滑り落ちそうになった。

 

「リエンさんって何をされている方なんですか? 」

 

 スマホで調べ事をしていたティナの視線が壮助に向けられる。それに答えようと口を開いた瞬間、割り込むようにエールが吐き捨てた。

 

 

 

 

「赤目に身体を売らせて、金儲けしているクソ女さ」




第二回 ブラブレ短編杯 開催決定


・ガストレアがポケモンになった世界
・戦闘機VSガストレアの本格小説
・世紀末すぎる博多エリアと民警掲示板
・木更からAVを隠そうとする蓮太郎

などの迷作が誕生しブラブレファンを困惑させたあの祭典が再び開催されます。

原作、コミカライズ版時空、FAQ時空、IF時空、原作ギャグ時空、完全なオリキャラのみ、台本形式、掲示板形式、BL、百合、TS……ブラック・ブレットであれば、なんでもOK!!(ハーメルンの規約は守ってね)

開催日時:4月28日0時投稿開始

詳細は「天童一族の養子として転生したけど技名覚えられなくて破門された。」の作者「紅銀紅葉」さんの活動報告をご覧ください。
詳細はこちら


・前回のアンケート結果

保脇(ジェリーフィッシュ)「6年前にタイムスリップして聖天子様を守って僕の嫁にする!!」←どうなった?

 (3) なんやかんやでティナ(10歳)に負ける
 (3) 蓮太郎に敵と間違われて倒される
→(7) 聖天子様に「生理的に無理」と拒絶される
→(6) 自衛隊に所属不明機として撃ち落とされる
→(6) 脳がバグって目的を忘れる

ジェリーフィッシュはタイムトンネルを潜り抜けた影響で脳がバグってしまい、自分が6年前に来た目的を忘れてしまった。とりあえず空中でブラブラしていると自衛隊のレーダーに捕捉され、所属不明機としてミサイルで撃墜されてしまう。何とか本体だけは生き延びて聖居に向かうと、6年前の自分が聖室護衛隊員たちを使いクソダサ楽曲とダンスを添えたフラッシュモブ告白を聖天子様にかましていた。
しかし、「ごめんなさい。生理的に無理です」と大勢の前で盛大にフラれてしまった。
そして、ダブル保脇は脳が壊れ、頭の病院の住人になった。
ティナはなんやかんや蓮太郎に負けて天童民間警備会社に雇われた。


次回「美しく穢れた楽園」


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美しく穢れた楽園

飛燕園ヌイのウワサ

リズムゲームで「ALL PERFECT」以外のスコアを出したことがないらしい。


 エールの発言に全員が硬直する。10代後半の男女で構成された空間の中で「身体を売る」という言葉はあまりにもセンシティブだった。

 

「それって……売春ってことですか? 」

 

 全員が目を丸くする中、恐れ知らずの鈴音が尋ねた。エールが「身体を売る」と言って濁したものを彼女は空気を読まず、堂々と口にする。

 

「……スズネ。お前、どこでそんなの覚えたんだ? 」

 

「えーっと……、多分テレビだと思います」

 

「なんつーもん流してるんだよ。内地のテレビは」

 

「私らも同じ電波拾ってるだろ」

 

 ミカンはノートPCを動かす手を止めるとエールを睨む。どんな無理難題にもふっと笑みを浮かべ、片腕としてエールの意志を肯定してきた彼女が反抗の意を示す。

 

「……なんだよ? 」

 

「いや……大したことじゃない」

 

 エール(リーダー)ミカン(№3)の間で険悪な空気が漂う。気まずくなり、全員が口を閉じ、推移を見守る。

 

「あー、とりあえず、俺から説明するぞ」

 

 場の空気を壊し割り込むかのように壮助が挙手し、全員の視線を集める。

 

『ガーデン』指定暴力団・鷲頭(わしず)傘下の赤目ギャングだ。元々は組が赤目を売春婦として売り出すために作った性風俗(ヘルス)業者だったんだが、そこに買われた『リエン』って赤目がとんでもないキレ者でな。どんな手口を使ったのかは知らないが、自分の会社を乗っ取って、事業を拡大させて、たった4年で売春婦から組の本部長に成り上がった。そして、下部組織『ガーデン』を任されるようになった。今は性風俗の経営に加えて、出会い系サイトや有料マッチングアプリの運営、ガールズバーやナイトクラブにも手を広げている。最近だとフロント企業を据えて芸能界にも進出しているらしい。経済規模だけで言えば、間違いなく東京エリア赤目ギャングのトップクラスに入る」

 

 呪われた子供を扱った性産業の存在は2020年代後半から囁かれて来た。親に捨てられた呪われた子供を暴力団や半グレといった反社会組織が拾い上げ、裏社会で商品として売り出すことで利益を得る――ガストレア大戦前の人身売買や児童売春を呪われた子供に置き換えた産業が登場するのは火を見るよりも明らかだった。「病気にならない」「死ににくい」といった()()としてのアドバンテージもあったことから、人間の性産業を脅かす勢いで業界は成長していった。

 

「なにがトップクラスだ。オッサンに抱かれて札束を数えることしか出来ねえくせに」

 

「戦車を衝動買いしたボスはもう少し金勘定を気にした方が良いっすよ~」

 

 トオルがエールを茶化す。周囲のメンバー達もボスの金遣いの荒さには心当たりがあるのか笑いを堪えている。

 

「問題はリエンは俺達の敵なのか、それともただ同じ植物を持っているだけなのか。お前らはどう思う? 」

 

 壮助の問いにエールは微妙な顔をして黙る。リエンのことはクソ女と呼んで嫌っているが、敵と呼べる根拠が無いのだろう。その沈黙が答えだった。

 

「おそらくリエンはシロだ」

 

 代わってミカンが答えた。

 

「あいつは、あいつなりに赤目を守ろうとしてガーデンを作った。身寄りのない赤目、保護政策の手が届かない赤目にとって、ガーデンの嬢は一番()()な職業だ。私らやイニシエーターみたいに仕事で死ぬことはほとんどない。何かトラブルがあってもガーデンが守ってくれる。ちゃんと働けば飯に困らない程度には給料が貰えるし、売れっ子になれば高級ブランドバッグを買い漁ることだって出来る。見知らぬ誰かに身体を弄ばれることさえ我慢すれば、内地の人間並みか、それ以上の生活が出来る。そんな場所を作ったリエンがスカーフェイスをあんな風に扱うとは考えられない」

 

 内地の乙女たちが「初めては好きな人とがいい」と恋に恋して理想を語る一方で、外周区の子供たちは“乙女が大切にしているもの”を商品として売っている。そうしなければ普通の生活を望むことすら出来ない現実に全員がやりきれない気持ちになる。

 第三次関東会戦を経験したティナと朝霞は、「数多くの流血と散華の果てに得た“平和”がこれなのだ」と人間嫌いの神様に見せつけられるような想いだった。

 

「敵じゃないなら話は早いな。タウルス・チルドレンを一株……無理なら葉っぱか樹液だけでも貰っちまおう。――――誰が行く? 」

 

 壮助が尋ねた瞬間、ミカン含む灰色の盾メンバー全員がエールを指さした。事前に打ち合わせしたかのように、寸分違わぬ息とタイミングだった。

 

「お前ら……ボスを顎で使おうとは良い度胸じゃねえか」

 

「エールさん、リエンの電話番号とメールアドレス知ってるじゃないですか」

 

「こういうのはボスが直々に出向くのが良いと思うんですよー」

 

「リエンの奴、お前のこと気に入っているしな。むしろお前じゃないと頼めないだろ」

 

 エールは部下たちから言葉で背中を押される。眉間に皺が寄り、手の動きがぎこちなくなり、「断りたいけど、ハッキリと断れない」という彼女の心情を見事に表した顔になっていた。

 

「エールさん、お願いします」 「お願い、エール姉ちゃん」

 

 鈴音と美樹の視線がエールに刺さる。カーテンを閉め切った暗い部屋の中、姉妹の人形のような顔がプロジェクターの灯りに照らされる。光が反射し、瞳が潤い星空のように煌めく。彼女達は祈る様に手を合わせ、両手の指を絡ませた。

 

「―――――――――――――! ! 」

 

 エールは葛藤し、椅子の上で関節の錆び付いたアンドロイドのように悶える。そして、どうにもならなかったのか、頭がパンクして机に伏せた。

 

「…………行くよ……行けば良いんだろ……どうせ私が行くしか無いんだろ……? 」

 

 エールは顔を上げると壮助に視線を合わせる。

 

「義塔。お前も付いて来い」

 

「俺が? 」

 

「お前をリエンに会わせておきたい。あと、そこで判断して欲しいんだ。リエンとガーデン、引いては鷲頭組をどこまでこの件に噛ませるのか

 

「俺で良いのか? 」

 

「良いもクソもあるか。この件を()()()()()()のはお前だろうが」

 

 なんとなくそうは感じていた。しかし、エールに言われ改めて自分がリーダーなのだと壮助は認識させられる。ティナ、灰色の盾、小星ペア、朝霞が一室に集まる状況を作り、日向姉妹を救う為の協力者として纏めた。皆の集めた情報を全て頭に入れ全体を把握している。今まで誰もハッキリと言葉にしなかったが、壮助はそういう立場に立っていた。

 

「分かった……。俺も行く」

 

 壮助の一言がその会議の締めとなった。

 その後、エール、壮助に加え、護衛として詩乃、運転手と車の見張り番を兼ねて小星ペアがリエンのところへ向かうこととなった。

 

 

 

 *

 

 

 

 午後5時――まだ太陽が昇っている真夏日の道路をレクサスLXが走る。場所は東京エリア西部の内地――と言っても地理的にはほとんど外周区だ。道は整備が間に合っていないのかひび割れており、周囲の住宅も廃虚化・無人化が進んでいる。

 上下に振動する運転席では常弘が腑に落ちない顔でハンドルを握っていた。

 

「なんか重いなぁ……」

 

「どうしたの? 」

 

 助手席でスマートフォンを使い、ナビゲートしていた朱理が尋ねた。

 

「やけにタイヤの乗りが悪いんだよね。凄く重い荷物を積んでるような感覚」

 

 朱理は振り向く。後部座席では壮助、詩乃、エールの3人が各々の姿勢でリラックスしていた。常弘の疑問には意に介さず、エールは窓の外を眺め、詩乃は眠り、2人に挟まれた壮助はスマホでリエンと鷲頭組の情報を漁っている。

 

「そういう性能なんじゃない? 借り物だし普段の感覚とか分かんないでしょ」

 

「そういうものかなぁ……」

 

 その疑問が解消されることは無く、レクサスは“植物園”ことリエンの自宅へ向かう。エール曰く、事業で成功し莫大な財産を手にしたリエンは手放された植物園と周辺の土地を買い取り、そこを自宅として使っているらしい。

 

「そろそろ着くよ」

 

 常弘の爽やかな声と共に壮助は外の風景に目を凝らす。旧・国道沿いに広葉樹林が生い茂る土地が見えてきた。まだ高い陽光に照らされた小さな森はフェンスで囲まれており、数十メートルおきに設置された防犯カメラが首を振ってレクサスを凝視する。

 敷地をぐるりと回り半周したところで正門を見つけた。鉄製のゲートと共に武装した少女達が出迎える。警備として雇われた赤目ギャングかイニシエーターだろう。

 

「ちょっと話してくる」

 

 エールが車から出ると警備の少女たちの表情が柔らかくなる。お互いに顔見知りのようで少し談笑した後、車に戻って来た。

 彼女に車から出るよう言われ、全員がボディチェックを受ける。護身用に持っていた拳銃が見つかったが、「この程度のもの、武器の内に入らない」とそのまま携行が許された。

 

 車に戻ると電動のゲートが開いた。フェンスで見えなかった内部が一同の目に映った。外の寂れた景色とは打って変わり、コロニアル建築の豪邸と整備された庭園が出迎えた。日差しが降り注ぐ中で芝生が輝き、スプリンクラーと噴水の水が煌めく。とても外周区付近とは思えない別世界のような空間に常弘たちは舌を巻いた。

 屋敷の前に車を停め、エール、壮助、詩乃の3人が降りる。夏用の執事服を着た男装の麗人が扉を開けて出迎えた。

 

「お久し振りです。エール様。義塔様、森高様。リエン様が中でお待ちです」

 

「相変わらず、堅苦しい格好してんな」

 

「これが正装というものです」

 

「知ってるよ」

 

 運転席のウィンドウが下がり、常弘が顔を出す。

 

「執事さん。車はここで構わないのかな? 」

 

「裏に駐車場がありますので、そちらにお願いいたします。後ほど、デザートとアイスティーをご用意いたしますが、アレルギーはございませんか? 」

 

「「大丈夫ですよ」」

 

「かしこまりました」

 

 常弘は窓を閉めるとレクサスを屋敷の裏へと向かわせた。

 男装の麗人に連れられ、3人は屋敷の廊下を歩く。欧風の外観通りの内装で壁には木製の扉と絵画、台に乗せられた美術品が点々と並んでいる。3人とも芸術はよく分からないのでそれらの価値は分からないが、少なくとも3人の年収を合計したものよりは高いだろう――と思っている。

 最奥の扉の前で執事が止まり、ドアをノックする。

 

「リエン様。お客様をお連れしました」

 

 向こう側から「入っていいわよ」と女性の声が聞こえた。

 執事が扉を開くと、花の香りが漂ってきた。木製の家具をベースに作り上げたヨーロピアンとアジアンが融合した空間が目に広がる。天窓から陽光が射し込み、小鳥の囀りが聞こえてくる。森の中にいるような感覚にさせられる。

 部屋の3人掛けソファーに腰掛け、一人の女性が待ち受けていた。

 

 ――あいつが、『ガーデン』のリエン。

 

 アジアンビューティという言葉がお似合いの美女だった。器量の良い白い顔と薄茶色の瞳、艶のある亜麻色の髪が頭頂部から肩にかかる。ベトナムの民族衣装・アオザイを着ており、白い布越しでも彼女の体格ははっきり見えていた。そのボディラインは呪われた子供――16歳以下とは思えないほど大人びていた。本人もそれを理解し、強みとしているのだろう。姿勢も表情も煽情的で、男の注目を惹き、篭絡させんとしていた。

 

「久しぶり。エールちゃん。あの夜のことが忘れられなくなったかしら? 」

 

 エールの目が険しくなり、眉間に皺が寄る。

 

「会いたくねえけど、仕方なく会いに来てやったよ。リエン。今、テメェの頭に真っ赤な花を咲かせてやれねえのが残念だ」

 

「あら? 赤い花の髪飾りでもプレゼントしてくれるのかしら? それは楽しみね」

 

「テメェの頭にド弾ぶち込めないのが残念だって言ってんだよ」

 

 ――おいおい。いきなり喧嘩腰かよ。

 

 エールから一方的にふっかけた口喧嘩を見て、壮助は不安になる。これは、交渉役として早々に自分が出るべきではないかと考えるが、2人の雰囲気を見てその考えを捨てた。エールとリエンは悪友というか、腐れ縁というか、そういう憎めない関係なのだ。

 

「はぁ~。相変わらず物騒ねぇ。そんなんじゃ嫁の貰い手が見つからないわよ」

 

「んなもんいらねえよ」

 

「その強がりがあと何年持つのやら……。で、今日はどんな要件? 」

 

 リエンがエールの隣にいる壮助と詩乃を一瞥する。

 

「あ、もしかして男娼の売り込み? でもごめんね~。もう間に合ってるのよ~」

 

「そういうのじゃねーよ。つーか、片方は女だし」

 

 壮助が「女の子はこっちです」と指さし、詩乃は腰に手を当てて「I am lady.」と言わんばかりに胸を張っていた。張る胸などないのだが。

 

「あら、ごめんなさい。綺麗な男の子だと思ったわ」

 

「それに今日は真面目な話だ。テーマは『ドールメーカーの原材料について』

 

 リエンの表情が変わった。微笑んでいた口は閉じられ、視線が3人に突き刺さる。表情の変化だけで壮助は慄き、冷や汗を流す。彼女がヤクザであり、赤目ギャングのボスであることを思い出す。

 

「……良いわ。長話になりそうだし、座ってちょうだい」

 




アオザイを着たおっぱいもお尻も大きい女の子は好きですか?はい!大好きです!



オマケ 前回のアンケート結果

質問文

あっ!真夏の太陽の下で女の子がキンキンに冷えたコーラを配ってるよ!誰から貰う?

回答
(6) 鈴音
(1) 美樹
(2) 詩乃
(5) ティナ
(7) 朝霞  ←
(0) 朱理
(3) エール
(0) ナオ
(1) ミカン


(イカサマありの)ポーカーでボロ負けした朝霞は罰ゲームとして球場のビアガールコスでバンタウにいる全員にコーラを配ることになったが、頑張って作った営業スマイルを「恐い」と言われて凹んで泣いた。

一方、ティナはビアガールコスの朝霞を撮影しまくり写真を弓月に送った。


次回「ミナミの女帝」


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ミナミの女帝

エールとリエンのウワサ

口喧嘩が長引くと大乱闘スマッシュブラザーズで決着をつけるらしい。


 リエンの邸宅でエール、壮助、詩乃はソファーに腰掛ける。

 

 壮助は屋敷の主人(リエン)に座る所作を見られているような気がしてならなかった。自分が育ちの良い子なのか悪い子なのか見定められているのかもしれない。口八丁でインテリヤクザ達を手玉に取った女傑を不機嫌にさせまいと考えると緊張が高まる。

 そんな壮助の緊張とは裏腹にエールは足を組み、背もたれに手を乗せ、不遜な態度でリエンに挑む。リエンも承知の上なのだろう。眉を顰める様子はなく、ただ微笑んだ。

 

「ドールメーカーの原材料ねぇ……興味のそそられる話ではあるけど、まずそこの2人を紹介してくれない? 」

 

「ウチの新入りさ。失業して行く当てが無いって言うんでな。引き取ってやった」

 

「義塔です」「森高です」「「今後ともよろしくお願いします」」

 

 リエンには「灰色の盾の新入り」と紹介することでエールとは打ち合わせしていた。壮助と詩乃の正体を知っているか否かでリエンがこの件についてどこまで情報を持っているのか測る魂胆だ。

 下手に興味を持たれないよう淡白な自己紹介を済ませる。一瞬、リエンの目に不審の色が浮かび上がったが、すぐにエールに視線を戻した。

 

「へぇ~。なんでわざわざウチに連れて来たの? 」

 

「こいつらがガーデンのリエン様を一目でも見たいって言うんでな」

 

「……部下のワガママに応えてあげるなんて、お優しいボス様だこと」

 

 リエンが足を組み直し、「ふぅん」と何か言いたげな目で3人をまじまじと見つめる。

 

「こうして見ると十代で子供を産んだ二児の母みたいね。貴方」

 

「誰がママだ」

 

「子育ての予行練習には良いんじゃない? 貴方って硬派ぶってるくせして早々に結婚して、次に会った時には赤ちゃん抱いてそうだし」

 

 その時、壮助と詩乃の頭上に電球が浮かんだ。

 

「ママー帰ろうよーアニメ始まっちゃうよー」

「ママーおなかすいたー今日の晩ごはんなぁにー?」

 

 2人が猫撫で声で両サイドからエールの服を掴み、互いに取り合うように引っ張る。

 

「あははははっ。さすがはエールちゃんのお眼鏡に適った子達ね。まともじゃないわ」

 

「テメェら……後で覚えてろよ……」

 

 冗談抜きでエールの睨みが壮助と詩乃に刺さる。ママと呼ばれたことが嫌だったのか、リエンのいじりに2人が便乗したことに怒ったのか、その両方だろう。壮助は「向こうを楽しませたんだから良いだろ」と心の中で言い訳しつつも懺悔し、詩乃は何を考えているのか分からないポーカーフェイスになる。

 

「それじゃあ、つまらないコントは終わりにして本題に入りましょうか。まずドールメーカーの件、それは貴方達が厚労省の護送車を襲撃した件と関係があるのかしら? 」

 

 ――そういえば、世間的には灰色の盾が姉妹を拉致したことになってたな。

 

「ああ。勿論さ。ちなみに訊きたいんだが、どこからどこまで知っているんだ? 」

 

「警察と厚労省が把握している部分なら概ね知ってるわ。ウチの常連には警察関係者や省庁の幹部が多いの」

 

 リエンの視線が壮助と詩乃に向けられる。扇子で口元を隠し、上向き曲線の眼を向ける。

 

「勿論、貴方達が灰色の盾の新入りではなく、日向鈴音の護衛を務めていた民警ということもね」

 

 壮助は肩を落とし、ため息を吐いた。自分が鈴音の護衛をしていることは報道されていない。ニュースには義塔壮助の名前は一切出て来ていないのだ。リエンがそれを知っているということは、警察か厚労省かその両方の幹部がベッドの上で口を滑らせたということだ。情報管理の甘さに思わず落胆する。

 

「私の前で身分を偽るのはご法度だけど、エールちゃんを弄れて楽しかったから、今回は不問にしてあげる。次は無いわよ。()()()()()()()()()()()()()

 

 壮助は息を呑んだ。義搭ペアが里見事件に関与していたことを知っているのは聖居と自衛隊の一部関係者――その筈だったが、彼女はそれを知っていた。ガーデンの顧客層は壮助が思う以上に口の軽い富と権力を持て余した人々に満ちているようだ。

 彼女の怪しく艶かしい表情と仕草が勝ち誇る様に向けられる。「貴方の事は全てお見通しよ」というメッセージが込められているようだった。

 

 ――これは……下手に隠し事したまま話を通せる相手じゃねえな。

 

「お望み通り、全部話してやるよ。女帝様」

 

 それから、壮助はスカーフェイスによる護送車襲撃からタウルス・チルドレンに至るまでのあらましをリエンに話した。「今日のニュースについて話す日向姉妹」の動画を見せることで2人が今も平然と生きていることを証明する。ティナ、我堂民間警備会社、司馬重工がこちらの側に付いていることも話したが、特に驚く様子は見せなかった。こちらが情報を公開するというよりも公開することで相手に誠意を見せる儀式のようだった。

 

「――で、辿り着いたのがこの植物だ。俺達が手に入れた資料だとこいつがドールメーカーの原材料だとされている」

 

 スマートフォンにタウルス・チルドレンの画像を写し、リエンに見せる。彼女は相変わらず「ふぅん」と冷めた目で画面を見ていた。

 

「お前の()()()にあったよな」

 

「まさか、私がドールメーカーを作ったなんて思ってないでしょうね? 」

 

「思っちゃいねえよ。だからこうして堂々と来てるんだ」

 

 リエンとエールがじっと睨み合う。眼で互いの意思を確認し、何かが通じ合うと同時にふっと鼻で笑う。その直後、ほんの一瞬、リエンは壮助をちらりと見た。

 

「来なさい。タウルス・チルドレンを見せてあげる」

 

 リエンが立ち上がり、続いてエール、壮助、詩乃も立ち上がる。彼女に連れられて屋敷の廊下を歩くと隣接する旧・植物園に入った。

 屋敷の倍ほどある全面ガラス張りのハウスに太陽の光が直接射し込む。内部は熱帯の気候を維持するためか多数の空調設備が部屋を暖めるために稼働している。無論、そこで育成されている植物も本来は熱帯のジャングルで自生しているものたちだ。

 映画でしか見たことのない自分より太い樹木や鮮やかな花、囀りながら頭上を飛ぶ小鳥や未踏領域でも見かけない派手な昆虫に壮助は目を奪われる。

 

「お疲れ様です。リエン様」

 

 農具を持った少年がハウスの奥から出て来た。手袋と長靴、オーバーオールが土で汚れており、日に焼けないよう帽子を目深に被っている。服装からして、ここで雇われている庭師だろう。声は若く、壮助と同じくらいの年齢だと思われる。

 リエンへの礼儀として少年が帽子を外し、顔を見せた。面長な顔立ちと生来の黒い瞳、オールバックで後ろに束ねた長い黒髪が露わになる。つり目と顔の傷のせいか、庭師というよりは戦場帰りの兵士に見える。

 帽子を上げ、壮助たちの顔を見た瞬間、少年の顔色が一瞬で変わった。

 

「どうかしたの? 」

 

「……少し日に当たり過ぎたようです。休んできます」

 

「お大事に」

 

 庭師の少年が去る。リエンは彼の変容を特に気にすること無く、植物園の奥へと案内する。

 到着した場所は植物園のほぼ中心、周囲のジャングルに似つかわしくない鋼鉄の箱の前だった。人間4~5人が入ればそれで一杯になる程度の大きさだ。

 

「この中にタウルス・チルドレンがあるわ」

 

 壮助達に背を向けていたリエンが振り向く。彼女は不敵な笑みを浮かべている。

 

「実を言うとね。私もドールメーカーのことを追っていたの。この中の子がその原材料だということも知っていたわ」

 

 騙された気になり、3人の表情に怒りが滲み出る。エールはリエンに聞こえる大きさで舌打ちした。

 

「私らがドールメーカーを追ってること知ってただろ。何で教えなかったんだよ」

 

「教える義理も無ければ、メリットも無かったから。――けど、今は違う」

 

 リエンの首が傾き、彼女の視線は壮助に釘付けになる。壮助は蛇に睨まれた蛙のように緊張で心拍数が上がり、汗が頬を流れる。

 

「義塔くん。私から()()()があるの。貴方がそれを聞き入れてくれたら、私が知る全てを話してあげる。この中で、2()()()()()()()()()()()()

 

 エールがジャケットの裏にある9mm拳銃をチラつかせ、グリップを握る。詩乃も目を赤く輝かせ、拳を握って構える。

 

「安心して。獲って食べたりはしないわ。私って、お花より重い物を持ったことがない可憐な乙女なのよ。エールちゃんと詩乃ちゃんを怒らせたら確実に死んじゃうわ」

 

 西外周区最強の武闘派ギャング、序列元50位と互角に戦ったイニシエーター、この2人を相手にしてリエンが勝利するとは思えない。自分にもしものことがあれば、詩乃は怒り狂って彼女をミンチにするだろう。更に言えば、壮助自身も機械化兵士であり、並大抵の呪われた子供に倒されるほど弱くはない。

 リエンの目的は「2人きりの秘密の話」だ。壮助は誘いに乗っても大丈夫だという理由を自分の中で挙げていき、自分を納得させる。

 

「詩乃。もし15分で俺が出て来なかったら、この箱をぶっ壊せ」

 

「……了解」と不服そうな顔で詩乃は答えた。

 

「ふふっ。15分で話が済めば良いのだけれど」

 

 リエンが扉のセンサーに網膜、静脈をスキャンさせ、パスワードを入力する。扉が開き、リエンが入った後、壮助を手招きする。2人が入った後、扉は再び閉まった。

 内部は銀色の壁で囲まれており、太陽光を模した白色LEDライトで明るく照らされている。土と草と虫と小鳥――有機物に溢れた外とは対照的に内部は実験室のように無機物がほとんどを占めていた。奥のガラスケースにタウルス・チルドレンが鎮座していた。

 虹色の花に目を奪われる壮助の襟首をリエンが掴み、壁に叩き付けた。一瞬、怯んだ隙に彼女は壮助の両頬に手を当てて、顔を自分に近付ける。香水の香りとお互いの吐息がかかり、今にも接吻しそうな距離で。

 

「不思議ね……。5年前のあの時と同じ眼をしてるわ」

 

「アンタとは初対面のはずだぜ」

 

 

 

 

 

「ええ。貴方のことじゃないわ。――――天童木更のことよ

 

 

 

 

 

 その名を聞いた瞬間、壮助の瞳孔が開く。まさか、ここで、彼女の名を聞くとは思わなかった。

 

「貴方に私のフルネームを教えてあげる。名はグウェン・チ・リエン。生まれはベトナム・ハノイエリア。8歳の時、赤目を理由に親に売られて、天童家に雇われたブローカーを経由してこの国に()()()()()()。変態の遊び道具としてね」

 

 イクステトラの特訓の時、ティナに聞かされたことがある。天童家の一人、天童和光は途上国から少女を買い取り、権力者への賄賂として使っていたと――。賄賂として使われた少女達の顛末をティナは語らなかった。語るまでもなく想像に容易かったからだ。

 

「60も70も歳上の爺さんに抱かれて、その息子に抱かれて、その孫に抱かれて、鞭で叩かれて、ナイフで切り刻まれて、銃で撃たれて、連中の下卑た笑い声を聞く毎日だったわ。私は自分の心を殺して、人形になるしかなかった。それしか自分を救う手段が無かったの。

 

 

 

 

 

 

 ――でもある日、彼女は殺戮を以って私を地獄から救ってくれた。

 

 

 

 

 

 天童木更はね……私にとっての女神なの」

 

 

 

 




オマケ 前回のアンケート結果

鈴音・美樹「「お願い」」エール「駄目だ……。いくらお前達の頼みでも――

(6) 天誅レッドのコスプレなんてやらないぞ!
(1) 天誅ブルーのコスプレなんて(略)
(2) 天誅バイオレッドのコスプレなんて(略)
(2) 天誅プリンセスのコスプレなんて(略)
(2) 天誅ダークネスのコスプレなんて(略)
(1) 天誅レッドカスタムのコスプレなんて(略)
(1) 天誅フルアーマーのコスプレなんて(略)
(9) 天誅ファイナルのコスプレなんて(略) ←

※0票は省略。


エール「つーか、私に合うサイズなんて無いだろ! ! 」←身長186cm

鈴音「天誅ファイナルなら大丈夫ですよ」

美樹「天誅ファイナルならむしろ身長あった方が良いよね」

ティナ「天誅ファイナルの衣装が完成しましたー」

説明しよう。天誅ファイナルとは天誅ガールズ第五期「幕末剣客伝」の最終話で登場した9代目天誅レッドの最終フォームである。過去・現在・未来問わず全ての天誅ガールズの衣装をかき集め、力を結集させた最強の天誅装束である。
そのサイズは最早、衣装ではなく巨大ロボであり、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船(黒船)と合体したアルティメット吉良上野介MkⅢと巨大ロボットガチンコバトルを繰り広げた(江戸城をぶっ壊した)。

エール「重い……。動けねえ……」←着た。

鈴音・美樹「「本当に着ちゃった……」」

ティナ「デンドロビウムみたいですね」

朝霞「小林幸子ごっこですか?」


次回「共犯者」


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共犯者

日向鈴音のウワサ
6年前(原作当時)、蓮太郎の顔を「好みです」と言っていたが、今でもそうらしい。

日向美樹のウワサ
蓮太郎の顔は「悪くないけど、暗いしなんか色々とめんどくさそう」と思っているらしい。


今更ですが、Twitterでは更新の数日前に次回予告SSを投稿しています。興味がありましたら是非。(活動報告にもまとめています)


 天童殺しの木更

 

 東京エリア犯罪史上最悪の連続殺人鬼を人々はそう呼ぶ。彼女は呪刀“雪影”一振りで親族たる天童家を滅ぼし、彼らの悪行に加担した有力者を殺戮していった。

 警察も、民警も、果ては海外から来た傭兵ですら彼女を止めることが出来なかった。

 里見蓮太郎が彼女を殺した時には、52名が雪影の錆となっていた。

 その殺戮によって、数百件に及ぶ汚職や不正が明るみになり、数多くの人間が人身売買や違法労働から救出された。

 殺人というほとんどの文化圏で悪とされる行為を賞賛する者はいなかったが、彼女を義賊と呼ぶ声は今も絶えない。

 

 義搭壮助の目に映る美女――グウェン・チ・リエンも殺戮の女神によって救われた少女の一人だった。

 

「彼女の姿は今でも覚えているわ。残酷なまでに強くて、美しくて、優しかった。正義なんていう一度も私を助けなかった大義名分ために殺されたのが残念だわ」

 

「俺に何をさせたいんだ? ウィッグと美和女のセーラー服で木更のコスプレでもやれってか? 」

 

「それはそれで魅力的な提案ね」

 

 両頬に当てられるリエンの手から温度が伝わる。涼しげな白い肌とは裏腹に奥底から沸き上がる熱が壮助の顔を熱くさせる。感情の昂りが抑えられないのか、彼女の瞳が赤く輝く。

 

「だけど、姿形は大した問題じゃないの。聞かせて頂戴。貴方はこの件の黒幕をどうするつもり? 」

 

「……お前は何が目的なんだ」

 

 天童木更の話を踏まえると何が正解なのかは明白だ。例え嘘でも演技でもリエンが求める回答を口に出せば、誰にだってこの場面をクリアすることは出来る。運が良いのか、それともリエンが最初から狙っていたのか、壮助は既に正解を持っている。

 

「下手に勘繰る必要は無いわ。貴方は思った通りのことを言えば良いの。そうでしょ? 勾田町刑事惨殺事件の犯人くん

 

 壮助にまつわる悪評の中にある数少ない()()、メディア沙汰にされなかったが裏の人間はよく知る義搭壮助の罪。リエンがそれを口に出した時、壮助はようやく彼女の目的に気付いた。気を張るのを止め、溜め息を吐いて肩を下ろす。

 

 ――ああ。そうか。これは質問じゃない。確認なのか。

 

 “答え”を思い浮かべた時、壮助はリエンに感謝した。この密室で、2人きりという状況で、誰にも聞かれたくなかった“正解”を口に出すことが出来る。

 

 

 

 

 

「俺は……あの家を、あの幸福な一家をガストレアの血肉で穢した奴らが許せない。連中が今ものうのうと心臓を動かし、呼吸していることが許せない。絶対に落とし前をつけさせる。法の裁きなんて生易しいものだけじゃ足りない。殺しても足りない。奴らが過去に積み上げたものを、未来に繋ごうとするものを、否定して、踏み躙って、辱めて、汚物の中に沈めてやる。そして連中の同類に教えてやるんだ。()()()()()()、畜生の餌がお似合いだ』ってな」

 

 

 

 

 

 

 この時、壮助は天童木更(殺戮の女神)と同じ眼をしていたのだろう。5年前に失った絶対悪の英雄が目の前に現れた。リエンは恍惚とした笑みを浮かべ壮助を抱きしめる。

 

「期待した通りね。外の2人が許すなら今すぐにでも押し倒して可愛がってあげたい」

 

 

 

 殺して、殺して、殺して、もっと、たくさん、悪を殺し尽くして。

 

 その果てでいつか、もう一度私に絶対悪(ヒーロー)を見せて。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 植物園の密室の外、小鳥の囀りとそよ風で揺れる木々の音を聞きながら、詩乃とエールは15分を待っていた。

 詩乃は足を広げ、掌底を前に出し、拳を引く。天童流神槍術の攻めの構えを槍なしでアレンジしたものだ。彼女は目を赤く輝かせると腕の筋肉が収縮し、血管が浮き出る。

 

「エール。15分経ったよね」

 

 エールは呆れた顔で画面の割れたスマホで時間を確認する。

 

「まだ10分だ」

 

「エールのスマホは壊れて当てにならないし、多分15分経ったし壊すね」

 

「まだ10分っつってんだろ! ! このやり取りもう5回目だぞ! ! 」

 

 扉のロックが外れる音がした。自動扉が開き、壮助とリエンの姿が見えると詩乃は目を生来の濃藍色に戻した。

 

「お待たせ~」

 

 リエンがニコやかに手を振る。それに対してやや後ろに立つ壮助はばつが悪そうに斜め下を向き、悪態を吐いていた。

 

「壮助、どうなったの? 」

 

「交渉成立だ」

 

「……そう」

 

 詩乃の疑念に満ちた視線が壮助を心を突き刺す。交渉が成立したのは結構なことだが、その対価として彼が何を失ったのか、それが気になって仕方がなかった。

 

「何をお願いされたの?」

 

「……後で話す」

 

「壮助からあの女の匂いがする点も含めて、説明お願いね」

 

 壮助は「へいへい」となげやりな返事をした。

 2人が話している間にリエンは密室の奥にいた。内部のライトが付き、部屋の全貌がようやく見えるようになる。

 壁と天井がコンクリートで覆われ、部屋の各部を配管が通っている。機械の稼働する音が響き、心なしかひんやりとしている。壁には温度を表示するパネルが埋め込まれており、そこには「マイナス58℃」と表示されていた。この部屋の涼しさはその余波だろう。植物を栽培するための部屋とは思えないほど内装は無機質で、それは実験室のようだった。

 

「これがタウルス・チルドレンよ」

 

 リエンが我が子のように撫でるのは大量のケーブルで繋がれた分厚いガラス製のポッドだ。その中にタウルス・チルドレンは入っていた。虹色の花弁と全体から溢れる液体――その姿は死龍のUSBに入っていた文書の画像と一致していた。

 

「何だ? そのポッドは? 」

 

「インキュベーターよ。この子、マイナス50度以下の環境でしか生きられないの」

 

「マイナス50度! ? 」

 

「これ、冷凍機の音だったんだ……」

 

「そういう訳で一株プレゼントすることも葉や枝だけ渡すことも出来ないわ。インキュベーターも開けられるような設計にしていないしね」

 

 壮助とエールは頭を抱え、大きく溜め息を吐く。これでは屋敷まで足を運んだ意味も、黒幕を皆殺しにする約束をした意味もなくなったからだ。

 

「それ、どこで手に入れたんだ? 」

 

「鷲頭組のおクスリ係よ。『ガストレアすら支配した禁忌の植物』なんていう宣伝文句に乗せられて、ドールメーカーの製法と一緒にアメリカのバイヤーから仕入れたの。こんな面倒な植物を仕入れるあたり、かなり期待していたんでしょう。――だけど、出来上がったのはただの毒だったわ。人間に使えば確実に死亡し、呪われた子供も廃人になった。良いドラッグは客を壊さず依存させるドラッグよ。いかにリピーターを確保できるかで利益が決まる。たった1回で客を壊すドールメーカーはドラッグとして最低の粗悪品だったって訳。結果、ドールメーカーとタウルス・チルドレンは廃棄されて、この子だけは観賞用として私が機材と一緒に引き取ったの」

 

「ちなみにガストレアには試したのか? 」とエールが冗談めかしながら尋ねる。

 

「ガストレアがお金を出してくれるなら試したかもしれないわね」

 

 リエンの話を聞き、壮助は黒幕に繋がる情報を整理する。まずタウルス・チルドレンとドールメーカーを仕入れた鷲頭組が最初に黒幕候補として上がるが、すぐに払拭する。かつてエールが話したように薬物売買を主産業とする彼らはドールメーカーによって大打撃を受けている。金ヅルを壊され、市場も粗悪品の流通によって明らかに売り上げが落ちた。そんな彼らがドールメーカーをばら撒くとは考えにくい。

 

 ――鷲頭組じゃないとなると、アメリカのバイヤーか。

 

「そのアメリカのバイヤーは誰か分かるか? 」

 

「分かるけど、調べようとしても無駄よ。彼、シカゴエリア在住だったの」

 

 シカゴエリア――その地名を聞いて、壮助達はバイヤーを調べるのは不可能だと理解した。シカゴエリアは里見事件の少し前、エリア内部で同時多発感染爆発(パンデミック)が発生し、住民の95%が死亡またはガストレア化したからだ。北米初の大絶滅は東京エリアのニュースでも大きく取り沙汰されていた。

 

「鷲頭組はおそらくシロ、バイヤーも駄目か……」

 

 壮助が「どうしたものか」と腕を組んで唸ると詩乃が手を挙げる。

 

「リエンさん。質問いいですか? 」

 

「どうぞ」

 

「タウルス・チルドレンの栽培、ドールメーカーの精製に()()()()()()()()()()とかもあったら教えてください」

 

「良いわ。後でリストに纏めてエールのスマホに送っておいてあげる」

 

「ありがとうございます」

 

 リエンはふぅを息を吐き、肩を下ろす。

 

「これで私が話せることは全部ね。それ以上のこととなると鷲頭組のおクスリ係に話を通さないといけないのだけれど、どうする? 」

 

 リエンが壮助のことをじっと見つめる。もうこの3人の中で判断する者(リーダー)がエールではなく、壮助であることを悟っていた。

 バイヤーの正体やタウルス・チルドレンの出所を知るには実際に取引したおクスリ係に繋いで貰うのが一番だろう。しかし、灰色の盾は仕方ないとして、姉妹を表社会に戻す上でこれ以上の犯罪組織や反社会組織の直接的な関与は好ましくなかった。

 新しい情報を得た。黒幕を推理する上で参考になる情報も貰えるようになった。今回はそれで良しとしよう。

 

「いや、これで十分だ。ありがとう」

 

「どういたしまして。私からの()()()、忘れないでね」

 

 リップクリームで艶を出している唇の端が上がった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 植物園でリエンと別れ、執事に連れられて壮助達は屋敷の廊下を歩いていた。入った時のルートをそのまま逆戻り、行先は屋敷の正面だ。

 

「なあ。執事さん。トイレってどこ? 」

 

 おもむろに壮助の口から飛び出した質問に全員が振り向く。

 

「男性用でしたら、今の道を戻って左手にございます」

 

「サンキュー」

 

 壮助は踵を返すと全力ダッシュで廊下を駆け抜ける。「やべーもれるもれるー」という必死さが伝わらないわざとらしいセリフと共に角を曲がった。

 壮助は男子トイレの扉を開けると、入らずに力強く閉めた。自分がトイレに入ったと音で伝わるようにするためだ。その後、リストバンドに偽装していた超バラニウム合金繊維を斥力フィールドのコーティングで動かし、鍵穴に入れる。ピッキングの要領で外側から鍵をかけると再び廊下を走り抜けていった。「トイレに行きたい」「漏れそう」というのはなのだ。

 

 壮助の行先は植物園だった。屋敷の使用人に見つかることなく植物園に戻った彼は人影を見つける。土で汚れた白色の作業着を着た少年、タウルス・チルドレンを見せて貰う直前、植物園ですれ違った庭師の少年だ。

 壮助は庭師の少年めがけて走る。トップスピードまで行くと、一切減速することなく背中にドロップキックをかました。現役武闘派プロモーターの脚力と体重で庭師の少年は背中に足跡を付けられ、前方に転がって地面に顔面をぶつけた。

 

「テメェ! ! いきなり何しやがる! ! 」

 

 庭師の少年が立ち上がって振り向く。怒りに身を任せて帽子を脱ぎ捨てる。仕返しに殴りかかって来そうな勢いだったが、彼は壮助の顔を見て、硬直した。

 

「お前……やっぱり、そうだよな……」

 

「久し振りだな……井上清二(イノウエ セイジ)

 

 6年振りに口にした名前――彼は義搭壮助の小学校時代の親友。

 

 両親と姉をガストレアに殺され、ガストレアと呪われた子供を憎み、

 

 

 

 

 

 そして、藍原延珠がクラスから追い出される原因を作った壮助の()()()だった。

 




オマケ 前回のアンケート結果

質問文 どのママに育てて貰う?

(4) エールママ
  →性別問わず漢気溢れる子を育てそう。
(2) リエンママ
  →子供の性癖や貞操観念をぶっ壊しそう。
(2) 詩乃ママ
  →旦那が好き過ぎて自分の子供に嫉妬しそう。
(4) ティナママ
  →子供が日曜朝の特撮やプリキュアを卒業しても自分だけ見続けそう。
(8) 朝霞ママ
  →しっかり者のママでいようとするがポンコツ部分は子供にバレていて、逆にフォローされそう。
(3) 鈴音ママ
  →でろでろに甘やかして子供が自立できなさそう。
(2) 美樹ママ
  →普通に心身ともに健全な子を育てそう。

しまった。弓月ママと小比奈ママを入れるの忘れてたぜ……。




次回「永遠の罪人」


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永遠の罪人

小星常弘のウワサ

ハンドルを握って一定の速度を超えると人格が変わるらしい。


 義搭壮助が井上清二と初めて会ったのは小学校一年生の時だった。体育の授業を切っ掛けに交流を持つようになり、気が付くと間島を含めた三人で遊ぶようになっていた。彼の家族、ガストレア、呪われた子供の話題をしなければ、時に仲良く時に喧嘩する良い友達だった。

 

 

 

 

 藍原延珠が呪われた子供だと発覚するあの日までは――

 

 

 

 

()()()()のお前が赤目ギャングの下っ端とは、どういう了見だ? 」

 

 清二は作業着に付いた土を払い、脱ぎ捨てた帽子を拾って再び被る。彼の睨むような視線が帽子のつばで見え隠れする。

 

「……俺が施設育ちなのは覚えてるよな」

 

「ああ。覚えてるよ」

 

 清二は深呼吸する。壮助の知らない「井上清二のその後」を語るにはそれだけ心の準備が必要なのだろう。普通の小学生が赤目ギャングの下っ端になる経緯が無感情かつ無感動で語れるようなものほど平坦でないのは壮助も分かっていた。

 

「第三次関東会戦の後だったかな。内地の騒乱や暴動で親を失った奴、戦死した自衛官の子供が孤児として施設になだれ込んで来たんだ。キャパオーバーするのにそう時間はかからなかったさ。服も飯も布団も足りない。聖居からの支援は当てにならない。そんな中で施設の連中はどうしたと思う? 」

 

 清二の顔に影が差す。自分に似た皮肉屋な嗤い顔を見て、施設の判断がまともなそれではないと悟った。

 

「俺達を売ったのさ。表向きは系列の施設への移動に伴う転校ってことにして、ヤクザとか人身売買市場とかお金持ちの変態とか色んな所に売っぱらって、それで残ったガキや自分達の生活費を工面したんだ」

 

 第三次関東会戦直後、戦災孤児の急増に伴い東京エリアの子供を保護する社会(システム)は崩壊した。前線で死んだ自衛官や民警ばかり取り沙汰されるが、エリア内部でもパニックによる騒乱、暴動、略奪が多発し、数百名の死者を出した。その上、関東会戦によるダメージで東京エリアの経済は低迷、生活困窮者は増加し、自衛官の遺族への補償すらままならない状態だった。

 最初に犠牲になったのは力のない子供たちだった。受け皿となるべき児童養護施設や孤児院が犯罪組織と裏で結託し、人身売買の温床となった。

 

「俺を買ったのは民警会社だったな。『イニシエーターに人の殺し方を教える練習台』って言われた。俺が連れて来られた時には2~3人くらい死んでたし、俺と同じタイミングで連れて来られた奴は逃げようとしてプロモーターに撃ち殺された」

 

 イニシエーターに犯罪行為を強要することで共犯者にし、罪の意識を植え付けてプロモーターに依存させる手法は悪徳民警業者ではポピュラーなものだ。とりわけ罪悪感が強く残る殺人は効果的な犯罪であり、清二のように孤児を練習台にする、無関係な一般市民を殺害させる、わざと感染者ガストレアを出してイニシエーターに処理させるといった手段が取られている。

 

「俺に『練習台』の番が回って来た時、もう『楽に死なせてくれ』としか思ってなかったな。――でも死ねなかった。鷲頭組の赤目ギャングが民警会社を襲撃してプロモーターを皆殺しにしたんだ。間一髪、俺は殺されずに済んだ。それで鷲頭組に拾われた後はここに飛ばされて長らく雑用係って訳さ」

 

 第三次関東会戦を切っ掛けに壮助は勾田小学校を離れた。それ以降の二人がどうなったかは知る由も無かったが、「自分の事も藍原のことも忘れて普通に生きているだろう」と漠然ながら思っていた。しかし、清二が置かれていた環境と関東会戦後の東京エリアの惨状を組み合わせると不思議としっくり来る経緯だった。むしろ生きているのが奇跡だ。

 

「お前、ここで働いて平気なのか? 」

 

リエン(ボス)の我儘に付き合わなきゃいけないのがしんどいが、働いた分の金はちゃんと出してくれるし、ボーナスもあるし、休暇もあるぜ」

 

「そうじゃねえよ。お前、()()()()はどうしたんだ? 」

 

 冗談を交えながら友人のように明るく話していた清二が口を閉じ、その表情は次第に気鬱になっていく。まだ彼の中に地雷は残っていた。

 

「……別に治った訳じゃねえよ。けど10年以上前のことをガタガタ言ってたらここで仕事なんて出来ねえ」

 

「そりゃそうだ」

 

「それに……あいつらも話してみると案外可愛いって言うか、面白いって言うか……。16にもなって『良い子にしてたのにサンタクロースが来なかった』なんて真顔で言う奴らを憎むのも、なんか馬鹿馬鹿しくなってきた」

 

 表情が緩くなった清二はそれを隠そうと帽子のつばを摘んで下げる。しかし嬉しくて口角の上がった口元は隠しきれていなかった。

 5歳の時から抱いていた呪われた子供への憎悪に対し、清二は自分なりにけじめをつけていた。それは良いことだと思いたかったが、藍原延珠の一件を未だに引きずる壮助は自分だけが小学校の教室に置いて行かれた気分になる。

 自分や蓮太郎にとって()()も続く傷が彼にとってはもう()()なのだ。そう思うと共犯者である彼だけが救われたことに心の中で暗雲が立ち込める。

 

「義塔、お前、民警やってるんだろ? 」

 

 清二の表情が重かった。先ほどの呪われた子供に心を許したにやけ顔は影に潜め、覚悟した面持ちで壮助を見つめる。帽子で表情を隠そうともしなかった。

 

「ああ。知っての通りな」

 

「もし……藍原に会ったら、伝えてくれ。『全部、俺のせいだ。いつでも……覚悟は出来てる』

 

 “いつでも”の後に本来入る言葉は何だったのか、それは想像に難くなかった。しかし、それを口にする訳にはいかなかった。言ってしまえば、穢してしまう。6年前のあの教室で“報復”ではなく“逃走”を選んだ藍原延珠の理性を、その理性によって生かされている自分達を――

 井上清二にとって、あの教室はまだ()()ではなかった。いや、この6年、呪われた子供を憎むことをやめた彼は()()にしていた教室を()()に引っ張ってきたのだろう。かつて自分のやったことがいかに奸悪だったか気付いたのだ。それを知っただけでも壮助は気分が良かった。

 

 

 お前は共犯者だ。

 

 お前だけが救われて良い筈がない。

 

 お前も一緒に苦しむんだ。

 

 だから、非情な現実を突き付けてやろう。

 

 

「そいつは無理な相談だな」

 

「何でだ? 」

 

「俺は天国に行けない」

 

 壮助が言ったことの意味を理解するまで5秒とかからなかった。清二は帽子のつばをつまんで顔を隠すように下げる。しかし、歪む口元と頬を滴る涙は隠せなかった。彼は償う機会も赦しを乞う機会も永遠に失ったのだ。

 

「井上。俺達は永遠の罪人だ。裁かれる権利も、赦される権利も、もう残ってないんだよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 壮助は清二と別れ、男子トイレの鍵に細工をして勝手に屋敷を歩き回ったことをリエンに怒られた。追い出されるように屋敷の正面玄関から出ると目の前にはレクサスが止まっていた。常弘と朱理は運転席と助手席に、詩乃とエールは車の傍で彼を待っていた。

 

「随分と長いトイレだったね。漏らした? 」

 

「ちゃんと手洗ったか? 」

 

「漏らしてねえし、洗ったよ」

 

 他愛のないやり取りを終えて3人はレクサスに乗り込んだ。常弘が「忘れ物はない? 」と尋ね全員が頷くと彼は前を向き、アクセルペダルを踏んだ。

 壮助は振り向き、リアウィンドウから小さくなる屋敷を眺める。屋敷の前で数名の少女が手を振っていた。出迎えは男装の麗人だけだったが、見送りは数名のメイドが追加されていた。

 

「何人たらし込んだんだ? 色男」

 

「ちょっと仲良くなっただけだよ」

 

 朱理が常弘の脇腹を小突いた。

 

 

 

 リエンの屋敷からしばらく走る。外周区付近のひび割れたアスファルトの段差に揺られる中、壮助はリエンから得た情報を常弘たちに共有した。無論、リエンとの約束は「大したことじゃない」とぼかした。

 

「鷲頭組はおそらくシロ、シカゴのバイヤーは死亡またはガストレア化、現物も手に入れられず……か」

 

「まさか無駄足? 」

 

 朱理がぼやくと詩乃が「違うよ」と否定した。

 

「チルドレンの栽培とドールメーカーの精製に必要な機材を教えてもらう手筈になってる。チルドレンは特殊な環境でしか栽培が出来ないし、ドールメーカーの犠牲者数から考えて、かなりの数を栽培しなきゃいけない。東京エリアでそれを整えられる組織ってだけでもかなり限定できると思う。機材を作った工場の出荷記録を追う手もあるかな」

 

「なるほどねぇ」と朱理が応える。壮助、常弘、エールも異論は無かった。

 

 栽培・精製という過程を他のエリアで行い、錠剤や粉末にしてから輸入しているという説も壮助の頭には浮かんでいたが、今は一つ一つの可能性を潰していくしかないと振り払った。

 

「エール。どうかしたの? 」

 

 詩乃が物憂げに景色を眺めていたエールの顔を覗き込む。珍しくエールが押し黙った。いつも堂々としカラッとしていた彼女が今は目が泳ぎ、どこか湿っぽく感じる。数秒、観念したのか溜め息を吐く。

 

「近い内、スズネとミキを連れてバンタウから出た方が良い」

 

 唐突な提案に全員が驚く。まだ何も解決していない状況で灰色の盾が降りるとは誰も考えていなかった。解決する最後まで付き合ってくれるものだと思っていた。それだけ壮助も小星ペアもエールと灰色の盾を信用していた。

 

「どういうことだ? 」

 

「今朝の戦いでマーケットとアキンドが壊滅しただろ。そのせいで西外周区のパワーバランスが崩壊する。私の見立てが正しければ、今晩にでも覇権を巡って赤目ギャング同士の戦争が始まる」

 

 一般的に西外周区は中小規模のギャングが跋扈する混沌地帯と呼ばれている。しかし、その実態は本日ジェリーフィッシュの襲来により壊滅したアキンドが覇権を握っていた。彼女達は物資と流通を支配し、市場を作り上げ、経済を成り立たせ、そのシステムの上で他のギャングチームが商売を行っていた。アキンドが壊滅した今、次の支配者の座を巡って他のチームが武力衝突を起こすのは火を見るよりも明らかだった。

 壮助はその凄まじさを想像して息を呑む。武力衝突の際、運用される火器のレベルが内地とは違い過ぎるからだ。内地のヤクザや民警の豆鉄砲とはレベルが違う。ここは自衛隊や旧在日米軍から流出した武器、海外から密輸した武器で溢れている。灰色の盾に至っては戦車まで持っていた。そこに呪われた子供の身体能力も加わるのだ。日向姉妹はおろか自分の命を守る自信すら無くなってしまう。

 

「それはもうスズネとミキを守るための戦いじゃない。ただの悪党同士の殺し合いだ。お前らや我堂が関わる訳にはいかないだろ」

 

 バンタウで姉妹を匿うプランは「外周区生活のリスク」が「内地で警察に射殺されるリスク」を下回っていたから成立した。そこに「ギャングの大抗争に巻き込まれる」という要素が付加されれば、姉妹を外周区で匿うメリットは無くなる。昔馴染みが一緒という安心すら危険で塗り潰す。反比例して内地では司馬重工、我堂民警会社、勾田大学、科捜研など本当の侵食率を信用してくれる人が増えた。隠れ家の当ても増加し、いざとなれば強力な我堂の民警達を護衛につけられる。

 エールの提案は理に適っていた。姉妹の今後を考えると外周区生活はどこかで終わりにしなければならなかった。犯罪組織・灰色の盾とはどこかで縁を切らなければならなかった。それは全てが解決した時だと思い込んでいた。その“どこか”が今日や明日の話になったのだ。心の整理がつかない。再会した日向姉妹と灰色の盾の生活を突然終わらせると思うとやりきれない気持ちになる。

 

「分かった」

 

 全員が押し黙る中、常弘がブレーキを踏んで車を停めた。慣性の法則で全員の上半身が前に傾き、車体が揺れる。

 

「社長には僕が話を通す。新しい隠れ家が決まり次第、二人を連れて内地へ行く」

 

 常弘の冷淡な返答に壮助が食ってかかろうとするが、自制する。バックミラーに映った彼の目、ハンドルを強く握る手から、同じ気持ちだと悟ったからだ。その上で「決断する」という()()()を買って出た彼を非難する権利などないと分かった。

 

「スズネとミキのことを頼む。あいつらは()()が生きた証だ」

 




オマケ

壮助「俺にコスプレでもやれってか?」リエン「それは魅力的な提案ね」←誰のコスプレをさせる?

回答
(8) 蓮太郎 ←
(3) 木更
(4) 延珠
(3) ティナ
(4) 影胤
(1) 小比奈
(2) 聖天子
(0) 玉樹
(1) 弓月
(0) 彰磨
(1) 翠
(1) 火垂
(0) 悠河
(1) ユーリャ


リエン「ということで彼に勾田高校の制服を着せてウィッグも被せたわ」

壮助「何で持ってんだよ」

義搭壮助のコメント
「ブレザーが熱いし、ネクタイが堅苦しいし、ブーツが蒸れる。よくこんなもの着てたな。あいつ絶対に足臭いだろ」

小星常弘のコメント
「目付きが悪すぎる。この里見さんだったら僕達のこと助けなかっただろうなぁ……」

那沢朱理のコメント
「学校の制服を着ただけなのにこんなにも似合わない人間って初めて見た」

エール
「内地のコンビニの前にこういうのが2~3人くらいいるよな」

森高詩乃のコメント
「こんなの駄目だよ。ブレザーは脱いで。ネクタイも解いて。シャツのボタンは全部外して。胸もお腹も曝け出して。もっと自分の身体をアピールしないと駄目だよ。もっとポーズを意識して。あと表情も固い。もっと煽情的に誘って。雌を蠱惑する為だけに生まれた顔と身体をもっと活用しないと月刊民警のグラビアページは飾れないよ」ハァハァ

もう二度と勾田高校の制服なんて着るか、あとムカついたから里見は一発ぶん殴る。

そう誓った壮助であった。




次回「交渉・妥協・手打ち、そして――」


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交渉・妥協・手打ち、そして――

保脇卓人のウワサ

眼鏡はファッションの中で一番お金をかけていたらしい。


 8月18日――ジェリーフィッシュ襲来、マーケット壊滅、リエンとの交渉という濃い一日を越えた朝、昨日までの晴天が嘘のように空は灰色だった。今年一番の大雨が降り、窓の外は水のカーテンで景色がゆらぐ。

 水の奏でる雑音に混じり、機関銃の発射音や爆裂音が聞こえる。エールの言った通り、次の西外周区の支配者を決める“戦争”が始まっているのだろう。朝から灰色の盾の面々も忙しなく走り回っている。

 紛争地帯と化した周囲の雰囲気など余所にして壮助はバンタウの一室のソファーに座り、ナオから拝借したスマホを眺めていた。今朝、リエンからタウルス・チルドレンの栽培とドールメーカーの精製に必要な資材・機材のリストが送られてきたのだ。

 画面には東京エリアでテレビを見ていれば番組のスポンサーやCMで目にする大企業の名前がずらりと並んでいた。冷凍機やポッドは司馬重工に並ぶ東京エリア大手の『五峰重工』を中心に手配しており、農薬や栄養剤は『ルーサ製薬』のものを使用している。チルドレンからドールメーカーへの精製に使う機材は化粧品メーカーの『白花堂』の研究所が仕入れているものを横流しして貰ったようだ。

 

「こりゃとんでもない大企業どもだな。どこから調べれば良いのか分からねえ」

 

 壮助は頭を抱え、遂にはスマホをテーブルに放り捨てる。詩乃がタブレットを拾い上げるが、彼女にも画面が「CMで見たことある大企業のリスト」にしか見えなかった。ここから五翔会残党を探すのは至難の業だ。

 リエンからのリストをティナ、朝霞、常弘と朱理、鈴音と美樹が回し読みするが彼女達にもピンとくるものは無かった。

 

「もう少しフィルタリングする要素が欲しいね」

 

「そうなるとジェリーフィッシュの中身か……」

 

 壮助の脳裏でジェリーフィッシュの中身こと保脇卓人の名前、とりわけ保脇という苗字が引っ掛かる。この一件以外でも何度か耳にした記憶がある。赤の他人かもしれないが、どうしてもそれが振り払えなかった。

 スマホから着信音が鳴る。発信者の項目には「大角さん」と表示されていた。通話ボタンを押すと同時に全員に声が聞こえる様にスピーカーモードに切り替える。

 

『義塔。今、大丈夫か? 』

 

「大丈夫っすよ。あと全員、ここにいるっす」

 

『それなら丁度いい。今、優雅小路から保脇に関する調査報告書を貰った。ペーパーでな』

 

「相変わらずアナログっすね」

 

『仕方ない。昔ネットで酷い目に遭っているからな。とりあえず、俺の方で読み上げるぞ。特殊加工のフィルムのせいで撮影が出来ない』

 

 バサバサと紙を捲る音が聞こえた後、勝典から咳払いが聞こえた。

 

『保脇卓人。元聖天子付護衛隊・隊長。享年25歳。戸籍上は2031年10月に死んだことになっている』

 

「死因はなんすか? 」

 

『自殺……ということになっている』

 

 ティナ意外だと思った。6年前、自分に銃口を向ける保脇は出世欲と自己顕示欲に塗れた人間に見えた。自殺するぐらいなら意地汚く誰かを呪いながら生きることを選ぶタイプの人間だと思っていた。

 

『とりあえず、時系列順に話すぞ。生まれは2006年4月10日。衆議院議員の保脇良寛(ヤスワキ リョウカン)、元女優の保脇夏子(ヤスワキ ナツコ)の長男として生まれる。親のコネでエリート街道をまっしぐらなお坊ちゃま人生を歩んでいたが、ガストレア大戦で父親が死亡。戦後は母親が女手一つで育て上げる』

 

「苦労してるんすね」

 

『母子家庭と言えばそう聞こえるが、どうも実態はそうでなかったらしい。夏子は旦那のコネを使って政財界の大物たちと繋がりを持ち、金銭面で莫大な援助を受けていた。関係者の話によると肉体関係も持っていたという話だ――――失礼。10代の女の子に聞かせる話じゃなかったな』

 

「気にしなくても良いっすよ。全員、手遅れなんで」

 

 全員が壮助を睨む。「ガーデンの話を聞いているから大丈夫」というニュアンスで言ったつもりだったが、彼女達には違った意味で伝わってしまったらしい。「さーせん」と呟く。

 

『話を続けるぞ。母親が作ったコネで戦後も保脇はエリート街道を歩み防衛大学校を卒業後は聖天子付護衛官に任命され、1年後には隊長になっている。20代男性が聖天子様に近付くには絶好のポジションをゲットした訳だ。まぁ、話はそう上手くいかなかったがな』

 

 その話の続きを知っている壮助は切っ掛けとなったティナに向けてにやけ顔を見せる。ティナは壮助のしたり顔を視界に入れないよう目を逸らした。

 

『まず普段の行いが悪過ぎた。表向きは真面目で器量の良い護衛官を演じていたが、実態は金と権力を振りかざして部下や聖居関係者へのパワハラを繰り返し、休日は呪われた子供を狩猟する娯楽(マンハント)に興じる生粋のクズだったのさ。極めつけは聖天子暗殺未遂事件の時だ。保脇は意気揚々と陣頭指揮に当たったが、情報漏洩と失策続きで能力を疑われ、果てには臨時で雇われた民警に手柄を取られた。さぞ屈辱だっただろうな。周囲から白い目で見られ、職務評価はストップ安、しばらくしない内に精神の均衡を崩し、聖天子付護衛官を罷免され、精神病院にぶち込まれた』

 

 勝典はエリート公務員の没落物語を陽気な口調で語り、実験と称して自分を撃った男の顛末を知ったティナは思わず笑いそうになり、口元を手で隠す。

 

「そりゃあ……自業自得っていうか、身から出た錆っていうか、当然のこと過ぎて何の感情も湧かないっすね。で、病院の屋上から飛び降りたんすか? 」

 

『いや、病室で首を吊ったそうだ。最初に母親が発見し、医師の死亡確認後は彼女が遺体を引き取っている』

 

 その話を聞かされた直後から全員の中でこの件の黒幕の想像が固まっていた。

 

 五翔会残党の機械化兵士“ジェリーフィッシュ”には制御装置として保脇卓人の脳が入っていた。四賢人のような天才、高位序列イニシエーターでもない限り人間の脳にそれほど価値は無く、五翔会残党がわざわざ卓人の脳を選んだとは考えられない。そうなると彼の関係者が火葬で灰にする予定だった脳を利用したと考えるのが妥当だった。

 

「大角さん。優雅小路に保脇夏子の調査、依頼してください」

 

『大丈夫だ。もう資料が手元にある』

 

 まさかの返答に全員がぽかんと口を開ける。一流の情報屋は気の利かせ方も一流のようだ。これにかかった費用がいかほどのものか考えたくもなかった。

 

『どうした? 読み上げるぞ?』

 

「……お願いします」

 

『保脇夏子。63歳。1974年1月16日生まれ。旧財閥の名家で生まれたお嬢様。大学進学で上京した際、芸能事務所にスカウトされてモデルとして活躍する。その後は女優、タレントとしても活動を広げ、30歳の時に衆議院議員の保脇良寛と結婚する』

 

 常弘がスマホで夏子の名前を検索し、ヒットした画像を映してテーブルに置く。

 順当に老けた美人という印象の女性だった。気品のある白茶色のモダンヘアと鋭い視線、パンツスーツに包んだ細身の体格は元モデルという彼女の経歴に説得力を持たせる。顔の皺など年齢を想わせる特徴もあったが、日頃の美容の賜物だろうか上手く隠れていた。

 

『大戦後は自ら政界に進出。今は野党・エリア民主党の衆議院議員だ。亡き夫のコネって奴だな』

 

 壮助ははっと何かに気づき、手をパンと叩く。

 

「見たことあると思ったら、国会中継で聖天子とレスバしてるオバサンじゃん」

 

『正解だ。野党議員として聖天子様とは国会でよく問答を繰り広げている。その様から関係者には皮肉も込めて聖天子の天敵野党の女帝などと呼ばれている。性格もあだ名に似てかなりきついらしい。彼女の秘書曰く『他人を支配して自分が一番でないと気が済まない人』だそうだ』

 

 ――ビンゴだ。

 

 壮助は悪辣な笑みを浮かべ、歪む口元を隠す。常弘が卓に置いたスマホ画面を見つめる。これから自分が全てを奪い、壊し、己の生誕を呪うまで嬲り殺しにする女を目に焼き付ける。保脇夏子は五翔会残党だ。この件の黒幕か関係者だ。そう断言できる情報が揃っていた。旧財閥の名家生まれなら、同じく旧財閥の生き残りである五翔会と関わりを持っている可能性は十分に考えられる。聖天子と敵対している立場なら、聖天子肝煎りのプロジェクトである侵食率管理システムを崩壊させ、人間と呪われた子供が共存する社会を破壊する動機もある。つい先日も夏子は国会で侵食率管理システムの不備について聖天子を詰っていたばかりだ。

 

 もし姉妹の本当の侵食率を公表してしまったら、夏子の思う壺だったかもしれない。

 

 ――後はドールメーカーと夏子をどう紐付けするかだ……。

 

「大角。ちょっといい? 」

 

『どうした? 森高』

 

「資料に保脇夏子と関係が深い企業の一覧ってある? 選挙の後援や忖度して貰ったところとか」

 

『ああ。勿論、揃ってる。五峰重工、霧ヶ島建設、ユリシロ、ルーサ製薬、白花堂、四葉海上保険、関東通信、あと――』

 

 タブレットから企業名を読み上げる勝典の声が聞こえる。詩乃の思った通り、それらはリエンが用意したリストにも名前が載っている企業だった。ドールメーカーの精製に必要な資材・機材を持つ企業、機械化兵士になった保脇卓人、その二つの情報が結びつけられたことで「五翔会残党」という姿形の見えない敵が「保脇夏子とその支援企業」という形で滲み出て来た。

 

「この纏まり方、どっかで見たことあるな……」

 

 壮助は思い出そうと企業名を暗唱する。順番を変えたり略称に変えたりして記憶領域に引っ掛けようとするが、中々引っ掛からない。

 

「あの……義塔さん」

 

 呼ばれて鈴音に視線を向けると彼女は小さく手を挙げていた。

「どうした? 」そう尋ねようとした瞬前だった。テーブルの上に置かれていたスマホに着信が入る。常弘が置いたものではない。持ち主はここにいない。

 

 ――何故?

 

 着信が入る筈のないスマホが鳴ったことに全員が驚愕する。それは――死龍こと鍔三木飛鳥のスマホだったからだ。画面には「クソご主人様」と発信者の名前が表示されていた。

 

『どうかしたのか? 』

 

 タブレット越しに全員の動揺が勝典にも伝わる。

 

「飛鳥のスマホに“クソご主人様”から着信が入ってる」

 

『五翔会残党か? 』

 

「おそらくは……」

 

 相手が出るのを待っているのか、律儀にクソご主人様は電話を発信し続ける。自分の駒が倒され敵の手に落ちたのは向こうも知っている筈だ。この着信が飛鳥宛とは考えにくい。そうなると可能性は一つに絞られる。

 

 

 

 

 五翔会残党からの接触(コンタクト)だ。

 

 

 

 誰が電話に出るのか、壮助は周囲の顔色を窺おうとするが、全員の視線は自分に集まっていた。誰も何も言わなかったが目で語っていた。

 

「俺かよ……」

 

 壮助はテーブルから飛鳥のスマホを拾い上げ、通話ボタンを押す。

 

「はいはい。どなたですか? 」

 

『君は誰かな? 』

 

 ボイスチェンジャーで辛うじて男性とだけ分かる声、自分のことを明かさないくせに一方的に名前を尋ねる偉そうな物言いで壮助の眉間に皺が寄る。敵と会話する唯一の機会を激情でふいにする訳にはいかない。沸き上がる怒りを抑え、ため息に見せかけて深呼吸する。

 

「松崎民間警備会社所属プロモーター・義搭壮助」

 

『なるほど。日向鈴音の護衛か。よろしく。義塔くん』

 

「そういうアンタは……五翔会って呼べば良いのか? 」

 

『よくご存知で』

 

「死龍の身体に怪しい都市伝説サイトと同じ刺青があったからな」

 

 相手の意図がどうであれ、自分達が博多黒膂石重工からの情報を持っていることは隠すことにした。知らない振りをしていれば、それを前提に相手が隠したり騙したりするのがハッキリ分かるからだ。

 

『成程。ただ、それは我々を表す名前だ。私個人のことはネストとでも呼んでくれ』

 

「そうかい。ネストさん。で、ご用件は? 」

 

『君達と交渉しに来た』

 

 電話の用件が与太話でないことは分かっていた。武力では上手くいかないことを悟り、交渉というステージを用意して仕切り直す魂胆だろう。壮助は身構える。相手は旧財閥の生き残り達から選ばれた交渉人、大して自分は小学校中退(厳密に言えば中学校も少し行っていた)のチンピラ民警だ。どこまで戦えるのか分からない。詩乃、ティナ、朝霞といった頭の良い面々に代わって貰いたい気分だ。

 

『恥ずかしながら、我々は君達の力を過小評価していた。死龍とスカーフェイス、ジェリーフィッシュが倒されるのは想定外の事態だった。兵力の更なる投入という手もあるが、いたずらに消耗できるほど潤沢という訳でもない』

 

「だから手打ちにしようって訳か」

 

『その通りだ』

 

「言っておくが、鈴音と美樹を売るってのは無しだぜ。俺達はそんなものの為に戦っちゃいない」

 

『重々承知している……。では本題に入ろう』

 

 ――さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

 

 

 

【日向姉妹に身分を偽らせ、他のエリアに移住させること】【二度と我々のことを詮索しないこと】それが要求だ』

 

 これまで機械化兵士や赤目ギャングを投入し、多数の死傷者を出した悪党とは思えない比較的ソフトな要求に拍子抜けした。壮助は一瞬、間抜け顔になるが、二つ目の要求を聞いた途端、顔つきが険しくなる。相手の要求は「負けたまま全てを諦めて遠いところで平和に暮らせ」ということだ。少なくともそれは壮助が望むものではなかった。

 

『これを呑んでくれれば、我々は全ての攻撃行動を中止し、加えて移住と当面の生活費として日本円で5億円振り込む』

 

 この言葉が本当であれば、五翔会残党にとって最も重要なのは「日向姉妹を生死不明のまま表舞台から消すこと」になる。それは姉妹の拉致を最優先にしていたスカーフェイスの行動と合致する。ジェリーフィッシュの行動とは矛盾するが「暴走して五翔会残党でも制御出来なかった」と解釈することが出来る。

 

「5億円とは……随分と大盤振る舞いだな」

 

『初対面かつ身分を明かせない私が示す()()()()()()()だ』

 

「誠意ねぇ……。このスマホにかけて来たんだ。アンタが五翔会の人間だってことは信じるよ。けど5億円も攻撃中止も信用できねえ。他のエリアに移って安心したところで殺して金を回収って可能性もあるだろ」

 

『では、こうしよう。君達が承諾してくれれば、指定した口座に前金として2億円を振り込む。君や灰色の盾も一緒に移動する資金としては十分だろう。行った先で高位序列の民警ペアを雇うという手もある』

 

 博多黒膂石重工からのタレコミが真実であれば、東京エリア以外の五翔会は全滅している。残党が集結した東京エリアですら自分達を潰すのに苦労している。護衛付きで他のエリアに移った後の暗殺は難易度が高くなろだろう。このネストという男が正気ではないのか、それとも壮助の思っている以上に「日向姉妹を表舞台から消すこと」は重要な目標なのか。

 

『言っていなかったが、姉妹の侵食率は心配しなくていい。48%というのは我々が偽装したものだ』

 

 ――んなことは知ってるんだよ。クソが。

 

 さて、ここからどう話を展開させようかと壮助は思案する。承諾だけして2億円を持ち逃げしても良いが、今はゴネて話を続けて敵の情報を一言でも引き出すのが得策ではないかと考える。

 

 

 

 

 

ズン……

 

 

 

 

 

 突然、部屋が揺れた。地震が来たかと思ったが、同時にアサルトライフルの連発する銃声とグレネードの爆発音が聞こえる。赤目ギャング同士の仁義なき戦争が始まった今日の西外周区では紛争地帯よろしく常に聞こえているが、今回は近かった。灰色の盾のナワバリの中で誰かが撃った。そう確信できる大きさだった。

 どこかのギャングが襲って来たのかと不安になる。一昨日までなら特に気にしなかったが、昨日の「バンタウから出ろ」と忠告したエールの弱音を思い出す。

 壮助は飛鳥のスマホを握ったままベランダの外に出て地上の様子を見た。

 

「おい……冗談だろ」

 

 ガストレアで溢れかえる西外周区に目を疑った。しかし、それは現実だ。見える範囲だけで20体近くのガストレアが暴れている。彼らはその巨体で廃墟を崩壊させ、西外周区のギャング達を蹂躙している。これだけのガストレアがいつの間に来たのか分からなかった。外周区の赤目ギャングにとってガストレアは獲物だ。血肉を欲しがる業者や討伐実績を欲しがる民警に売れる高額商品だ。利益の為にガストレアを狩る陣地が自然と構成されていた筈だ。それが今は立場が逆転している。ホームレスの男達やギャングの少女達の悲鳴が聞こえる。ガストレアが人間の血肉を食い千切り、弄ぶ地獄のような光景が目に映る。

思わず出た声は耳に当てたままだった飛鳥のスマホにも吹き込まれる。ネストにもその言葉は届いただろう。

 

『騒がしいようだが、何か起きたのか? 』

 

「第四次関東会戦だよ。……これも五翔会のシナリオなのか? 」




あーあ。保脇なんか使ったから……。


オマケ 前回のアンケート結果

常弘「新しい隠れ家、どこにしようか……」

 (3) 純和風でリラックス・我堂家の屋敷
 (2) 二人の愛の巣・常弘と朱理のマンション
→(7) THEオタクの城・ティナのマンション
 (5) 狭い部屋でドキドキ密着?壮助のアパート
 (1) 伝統とテクノロジーの融合・司馬家の屋敷
 (4) 腐女子の洞穴・華麗のマンション
 (3) 昔懐かしのホームレス生活

美樹「なにこれ? ドカポン?」
鈴音「気晴らしにみんなでやりましょうか」

“友情破壊ゲーム”ことドカポンをプレイした一行は仲間割れを起こし、血で血を洗う激闘を繰り広げ、五翔会残党が手を出す前に全滅した。



次回「家と墓標」


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家と墓標

ニッキーのウワサ
下着のエグさは灰色の盾随一らしい。

トオルのウワサ
美樹と連絡先を交換したいらしい。


 多数の赤目ギャングが跋扈し爆発寸前の火薬庫と評された西外周区のスラムはその言葉通り、アキンドとマーケットの壊滅という火種によって大爆発を引き起こした。

 この夏一番の大雨の中、西外周区では爆炎が上がり、砲弾が飛び交う。その様子をニッキーは89式5.56mm小銃に備え付けたスコープで静観していた。バンタウから少し離れた廃ビルの上階、そこに陣取った彼女は他のチームが襲撃して来ないか注視していた。

 新参組のトオルもFN FAL自動小銃(レプリカ)を窓枠に置いて周囲を警戒する。――が、ただ見ているだけというのもつまらなかったので2人は「戦っているギャングのどちらが勝つか」賭けに興じていた。

 

「フリップスラップの勝利。賭けはウチの勝ちっすね」

 

 トオルは勝ち誇り、ニッキーに向けて平手を出して賭け金を催促する。ニッキーはため息を吐きながら財布から1000円札を出し、トオルに手渡す。

 

「カナガワアンガーの子達には頑張って欲しかったわ。あ、キョウコちゃん見なかった? 」

 

「キョウコって、アンガーの無駄におっぱいデカいやつ? 」

 

「そう。その子」

 

「グレネードで吹っ飛びましたよ。ありゃ死体も残ってないですね」

 

「あら勿体ない……。けっこう好みのタイプだったんだけど」

 

「死体漁りにでも行きますか? ワンチャン胴体残ってるかもしれないっすよ」

 

死体性愛者(ネクロフィリア)の気は無いわよ」

 

 二人の間で愛想笑いが流れるが、しばらくすると声は途切れ、再び雨がコンクリートやアスファルトを打つ音が場の空気を湿っぽく包む。それに交じりどこかからか銃声や爆裂音も聞こえるが、さほど気にならなかった。

 

「ニッキーさん……。ボスはどうするつもりなんすかね? 」

 

「どういう意味? 」

 

「なんか……ここ最近のボスは凄味が無いって言うか、覇気が無いって言うか、ミキ達が来てからなんか腑抜けたような気がするんすよね……。この戦いだって興味なさげで灰色の盾を勝たせるつもりが無いんじゃないかって思うんですよ」

 

 語っている内にトオルはニッキーが美樹と昔馴染みであることをはっと思い出す。

 

「あ、いや、まぁ~その、えーっと何て言うか……」

 

「気にしなくて良いわよ。別に怒ってないから」

 

「あ、あざっす」

 

「……正直な話をするとね。エールは西外周区の覇権に興味なんて無いのよ。それどころかギャングも外周区暮らしも“終わり”にしたいって思っているんじゃない? 」

 

 サラリと告げられたエールの本心にトオルは歯噛みする。あまり稼ぎが良いとは言えない傭兵稼業と武器密売で組織を運営するエール(ボス)の方針から、西外周区の覇権に興味を持っていないのは薄々感づいていた。それでも灰色の盾という居場所があればそれで良いと思っていた。しかし、エールは灰色の盾すら捨てようとしていると聞かされ、トオルは怒らずにはいられなかった。

 

「それは……ミキ達が来たからっすか? あいつらが悪いとかそういうことを言いたくないっすけど、あの2人がそうさせたんですか! ? 」

 

「半分正解ってとこかしら」とニッキーはサラリと軽く応える。

 

「エールとはもう8年の付き合いだけど、最近ようやく分かったことがあるの。あの子はね、私達が求めるからボスを演じているだけの女の子なのよ。内地の人間みたいに盗みも殺しもご法度だと思っているけど、それを我慢してギャングをやってるのよ。でもそれも我慢の限界ね。今まではバイクとかギターとか趣味を見つけて現実から目を逸らしていたけど、あの子達と再会した時に心の中でなんかこう……色々なものがプッツンしちゃったのよ」

 

 最後の肝心なところをふんわりとさせたニッキーの物言いにトオルは苛立ちが頂点に達した。

 

「ふざけないで下さいよ。灰色の盾は金の為に人を殺しまくって西外周区最強のギャングになったんじゃないすか。薬物(ヤク)売春(ウリ)に手を染めなかったからって、内地の連中からしたら他のギャングと何も変わらないっすよ。ボスが内地の女共みたいにキャーキャー騒いで楽しく暮らしたいって気持ちは分からなくもないっすよ。けど……私らの居場所は外周区(ここ)っすよ。盗みと殺しが出来ないと生きていけない私らの居場所は外周区(ここ)しか無いんだよ!!」

 

 トオルは自分の敬語が崩れたこと、上であるニッキーに怒りの矛先を向け食ってかかったことにはっと気づく。荒げた息を落ち着かせる。

 

「すみません……」

 

「別にいいわよ。トオルの言っていることの方が正しいんだから」

 

 雑然と続く大雨が地を打つ音が響く中、背後で複数の空き缶が転がる音が聞こえた。誰かがこの廃ビルに入った時作動するよう仕掛けていたトラップだ。2人はライフルのグリップを握り、ビルの内側へ振り向く。

 ヒタヒタと小さな足音と雫の音が聞こえる。相手は1人だろう。自分達がこの部屋にいることに気付いており、刻々と音が大きくなる。ホラー映画のような異様な雰囲気に包まれ、2人の緊張は高まっていく。

 扉が開き、2人の目に少女が映った。顔も体格も取り立てて特徴がある子ではなかったが、二人は異様な様子から警戒する。彼女は入院着姿だった。この大雨に当てられて服は肌に張り付き、簡素な下着が透けて見える。大雨の紛争地帯を出歩く格好ではなかった。

 

「ニッキーさん。あいつ知ってます? 」

 

「見たことないわね。それにあの様子……」

 

「ドールメーカーにやられた奴みたいっすね」

 

 トオルがFN FALの銃口を下ろす。ドールメーカーを服用し廃人になった呪われた子供は立って歩く以外の行動が出来ない、警戒に値しないからだ。

 

「回収役のスカーフェイスがいなくなったから放置されたってところかしら」

 

「どうします? 縛ってバンタウにでも連れ帰りますか?」

 

「そうね。何か手掛かりになるかも――

 

 突如、2人に向かって少女が走り出した。目を赤く輝かせ十数メートルあった距離を詰める。

 ドールメーカーの廃人にこんなことが出来る子はいなかった。しかしニッキーとトオルは驚愕に怯むことなく、銃の照準を少女の足に合わせトリガーを引く。5.56mm弾と7.62mm弾が両膝を撃ち抜いた。

 少女は文字通り膝から崩れ落ち、地面に突っ伏せる。苦痛に顔を歪ませることも悲鳴を上げることもなく倒れる姿は人形のようだった。

 

「クソッ。ビビらせやがって。やいテメェ。どこのどいつだ!? 」

 

 トオルが少女に近付こうとするがニッキーが肩を掴んで制止する。

 

「待って。様子が変」

 

 ニッキーが顎で少女の背中を指す。トオルも背中に目を凝らすと服の下で何かが蠢いているのが見えた。それが何か分かった瞬間、トオルは全身から冷や汗が噴き出た。

 

「ちょっと待って下さい。こいつ――」

 

 少女の背中から深緑色の腕が飛び出す。器から溢れた水のように全身の細胞が変異し、血肉が膨れ上がり、フロアをその身で埋め尽くす異形の怪物――ガストレアに変異する。

 出入口を肉で塞がれた2人には応戦以外の選択肢がない。小銃を構え、マガジンが空になるまでトリガーを引く。合計20発のバラニウム弾を叩き込まれたガストレアは沈黙する。

 2人は弾倉を交換して目の前のガストレアを警戒する。

 窓の外から蛇型ガストレアが飛び込んだ。2人は小銃を向けるがトリガーを引くよりもガストレアが速かった。ガストレアはトオルの胴を食らい付いた瞬間、その大顎で彼女を噛み砕く。同時に長い胴を振るってニッキーを窓の外に弾き飛ばした。

 ニッキーはビル10階から地面へ自由落下。地面に背中を打ち付け一瞬意識が飛びそうになるが、何とか繋ぎ止める。

 ガストレアに嚙み砕かれ口から零れたトオルの骨肉片が雨と共に落ちる中、ニッキーは起き上がる。――が、それを阻止するかのように彼女の身は打ち飛ばされた。

 廃墟の壁に叩き付けられ、剥き出しの鉄骨が胸部を貫通した。心臓の鼓動と共にが胸から流れ出る。決壊したダムのようだ。

 体温が下がり、意識が朦朧とした中でニッキーは目を開き、その光景を網膜に焼き付ける。

 ガストレアで溢れかえる西外周区スラムの光景だ。トオルを食った蛇型ガストレアが怪獣映画のようにビルに巻き付き、熊をそのまま大きくしたようなガストレアがこちらを見てニタニタと笑う。更にはワニ型のガストレアの群れが血の匂いに釣られてこちらに向かってきている。

 この出血量ではまず助からない。万全の状態だとしてもガストレアの群れから逃れることは出来ないだろう。今の自分に出来るのはガストレアにならないようにするだけだ。

 誰かの落とし物だろうか、手の届きそうな場所に拳銃が落ちていた。ガストレアの足音が刻々と近づく中、ニッキーは鉄骨が傷口を拡げる痛みに耐えながら、手を伸ばす。

 

「お願い……届いてよ……死に方ぐらい……選ばせて」

 

 呪われた子供に神がいたとしたら、それはとても怠惰なのだろう。その願いが叶うことは無く、ニッキーは()()()()()ガストレア達のとなった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 第四次関東会戦の幕開けと言わんばかりに西外周区はガストレアで溢れかえっていた。それは西外周区で比較的高いバンタウの13階からハッキリ見えていた。地上も空もステージⅠ相当のガストレアが支配する。哺乳類、爬虫類、両生類、鳥類、昆虫類、etc……と多種多様なモデルのガストレアが混在していた。

 同じものを見たティナと朝霞は第三次関東会戦のことを真っ先に思い出しただろう。

 地上では近隣に勢力圏を持つ他のギャングチームや見張りをしていた灰色の盾が応戦するが、装甲車や戦車を持つ彼女達でも圧倒的な物量差で潰されていく。

 その光景を目の当たりにした壮助達は驚愕する。外周区は確かに未踏領域に近く、ガストレアが貧民街に襲来するのもそう珍しい話ではない。しかしこれほど大量かつ多種多様なガストレアがここまで来ることは今まで無かった。これほどの軍勢の襲来にどうして誰も気づかなかったのか不思議で仕方がない。

 

『騒がしいようだが、何か起きたのか?』

 

「第四次関東会戦だよ。これも五翔会のシナリオか?」

 

『どういう意味だ?』

 

 スマホから聞こえるネストのすっ呆けた質問に壮助は苛立つ。今にもスマホを床に投げつけたい気分だが、それを抑え窓の外の見渡し状況を把握する。

 雷雨が轟く分厚い雲を突き抜け、ステージⅠモデル・スタッグビートル(クワガタムシ)が飛来してきた。ジェット機の如きスピードで迫り、大顎を突き立てて吶喊する。

 

 圧力反応装甲多重展開 鱗累(ウロコガサネ)

 

 壮助はベランダに向けて斥力フィールドを展開、何枚も重ねることで防御力を底上げする。ガストレアの大顎と斥力フィールドが衝突し燐光が瞬く。しかしガストレアの巨体とスピードが持つ運動エネルギーに負け、燐光の瞬きは一瞬、斥力フィールドを重ねた盾も数秒ともたなかった。

 ベランダ柵と窓ガラスを突き破り大顎が突入。ガストレアの口が壮助に迫るが、詩乃が前に飛び出し大顎を掴んで制止する。

 

「朝霞!!」

 

 すかさず朝霞が双刀を振るい、ガストレアの大顎を切断。返す刀で心臓を突き刺した。ガストレアが紫色血液を噴き出す前に彼女はガストレアを外に蹴り飛ばし階下に死骸を落とす。

 今度は部屋が横向きに揺れた。地震か、それともまたガストレアがマンションに吶喊して来たのか、考えるまでもなく後者だろう。しかし、肝心のガストレアの姿が見えない。

 

「!!」

 

 ティナが鈴音の、朱理が美樹の服を掴んでベランダ側に引く。

 玄関扉をぶち破り、黄土色の細長い手が部屋の中に手を伸ばす。先端の鋭利な爪は一番近くにいた日向姉妹を切り裂こうとしたが、ティナと朱理の咄嗟の行動で間一髪届かなかった。

 聞くに堪えない汚い咆哮と共に細い腕はキッチン・トイレ・バスルームを壁ごと抉り取る。その先の開けた視界に猿の顔――正確に言えば猿型ガストレアの顔があった。

 人間という獲物を見つけたのか、猿のガストレアは笑みを浮かべると再び手を伸ばす。

 常弘が居合の構えで姉妹の前に出て抜刀。神速のバラニウム刀がガストレアの腕を切断した。紫色血液が噴き出す中、彼はバラニウム刀を鞘に戻し、ホルスターからSIG SAUER P226を抜く。ガストレアの眉間に向けて照準を合わせて発砲。猿のガストレアの眉間に風穴を開ける。切り落とされた腕がゴトリと床に落ちた。

 

「お前ら、大丈夫か!?」

 

 エールが玄関前の通路から飛び出した。右手には新調したバラニウム短槍、両腰にH&K MP5を携え、全身にガストレアの返り血を浴びた姿は正しく戦場真っただ中に立つ姿だった。戦いで興奮し、瞳孔が開いた赤い瞳と険しい顔つきに美樹が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。

 

「全員無事だ」

 

「何が遭ったんですか?」とティナが尋ねる。

 

「見たことねえチームが襲ってきたと思ったら、全員ガストレア化しやがった。あいつらスカーフェイスと同じだ」

 

 ――そうか。ガストレアは()()()()来たんじゃない。()()()ガストレアになったんだ。

 

 自衛隊やギャング達に気付かれず、どうやってガストレア達はこの西外周区貧民街に来たのか、壮助が抱く疑問に答えが出た。ガストレアはその生態上、ほとんどが熊をも越える巨体だ。それが群れを成して動けば嫌でも目立つ。しかし、ガストレア爆弾付きの赤目であれば話は変わる。彼女達は小柄で人間と同じリソースで運搬することが出来るのだ。数十人を密かに運ぶことなど造作もない。

 この状況を作り上げられるのは東京エリアで五翔会残党しか考えられなかった。ネストは最初から交渉する意図など無かったのだろう。これから死ぬ敵を嘲笑う趣味の悪い戯れなのかもしれない。

 

『おい。義搭壮助。何が起きている?』

 

「ネスト。悪いがアンタとの話は無しだ。テメェんとこの人形が襲って来たからな」

 

 壮助は一方的に切電する。信用に値しない交渉人と話すことなどもう無いからだ。スマホを耳から離す一瞬『勝手な真似を――』と怒りを露わにするネストの声が聞こえた。

 

 ――さて、どうする?

 

 壮助は冷静に情報収集する。ガストレアはどれだけいるのか、どの方角に多いのか、バンタウに籠って抗戦すべきか、それともここから逃げるべきか、その判断材料を収集する。

 

「エール。武器と弾薬、あとどれくらい残ってる?」

 

「籠城するには足りねえな。昨日の空飛ぶモノリス相手に撃ちまくったし、マーケットがぶっ飛んじまったから補充も出来てねえ。あと偵察に向かわせたメンバーとも連絡が取れない」

 

 エールは何かを決意し、壮助をじっと見つめた。その真剣さに壮助は汗を流す。

 

「スズネとミキを連れてここから逃げろ。大戦前の地下鉄を走れば内地に行ける」

 

「お前らはどうするつもりだ?」

 

 エールはふっと笑みを浮かべる。大雨が降り注ぎ、砲弾が飛び交う最悪の状況の中、彼女は真夏の青空のように爽やかな笑みを浮かべる。

 

「お前……まさか……」

 

「ここで死ぬまで戦う。外周区(ここ)は私達の家で、私達の墓標だからな」




オマケ 前回のアンケート結果

壮助「5億円ゲットしたぜ。どこに移住する?」

 (2) 札幌エリア
 (2) 仙台エリア
→(4) 大阪エリア
 (2) 博多エリア

壮助「みんなで大阪エリアに逃げるぞ」

それから数年後

鈴音「なんやねんこれ」
美樹「なんや?」
壮助「なんなんや?」
詩乃「これナンなんや」
エール「ナンってなんや」
鈴音「ナンはナンや」
美樹「なんやなんや」

全員「なんや」で会話が出来るようになった。


次回「西外周区感染爆発事変 前編」


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西外周区感染爆発事変 前編

 運命とか奇跡とか神様とか、そういうのは信じたことがない。

 もし信じてしまったら、私は全てを呪わずにはいられない。

 

 私に“エール”と名付けてくれたホームレスの婆ちゃんは同じ人間に焼き殺された。

 よく私をからかって遊んでいたマナとユカは爆弾でバラバラに吹き飛んだ。

 あの地下鉄跡でたくさんの友達が人間に虐殺され、蹂躙され、灰と死体に変わった。

 力の使い過ぎで形象崩壊しかけた新入りのノリカを私の手で葬った。

 アリスは敵対していたギャングに掴まって、全身をミンチにされた状態で戻って来た。

 イニシエーターになったユイはプロモーターの弾避けにされて死んだ。

 内地に出稼ぎに行ったミーナは変態共のオモチャにされた。壊れたあいつを介錯した。

 ルリコはガストレアに奇襲されて上半身と下半身がサヨナラしてしまった。

 あとは……飯や寝床の取り合いが殺し合いに発展したストリートチルドレンとか、赤目ギャング“灰色の盾”として敵対は避けられなかったチームとか、その中で脅しが通じない奴を何人……いや何十人も殺して来た。

 

 そうやって周囲の人間を死なせて、殺して、積み上げた死体の上で私は踊っている。

 このクソッタレな人生はいつになったら終わるんだろう……

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「ここで死ぬまで戦う。外周区(ここ)は私達の家で、私達の墓だからな」

 

 大雨が降り注ぎ、砲弾が飛び交う最悪の状況の中、彼女は真夏の青空のように爽やかな笑みを浮かべる。玄関側とベランダ側の壁がガストレアによって取り払われ、風通しが良くなった部屋に雨が降り込む。

 

「ガストレアには自分達以外の生き物を優先して襲う習性がある。私らがここで固まって戦っていればある程度は引き付けられる。地下鉄のルートは小星が知っているから問題ないはずだ」

 

 それは灰色の盾を捨て石にして鈴音達を逃がすということ。その判断をボスであるエールが下したことに一同が愕然する。他の可能性を模索する素振りすら見せない。

 壮助は怒りのあまり、今にも噛みつきそうな視線をエールに向けていた。

 

「お前……本気で言ってるのか? 」

 

「全員無事で乗り切るなんて甘いこと言っていられる状況じゃねえ。それくらいお前だって分かっているだろ」

 

 怒れる壮助と愕然とする一同を見てエールは鼻で嗤う。それが相手の神経を逆撫ですることに気付いているのか、いないのか。どちらとも取れる笑い方だ。

 

「それに心配すんなよ。ここは私らの庭だし、伊達に西外周区最強の武闘派ギャングを名乗ってる訳でもねえ。そう簡単には全滅しねえさ」

 

 

 

 

 

 

「エール姉ちゃん。歯食いしばって」

 

 

 

 

 

「え? 」

 

 睨む壮助の横を通り抜け、美樹の拳がエールの下顎を打ち抜いた。エールはもろにアッパーを喰らい、殴られた衝撃で仰け反る。

 普段の彼女なら素人のパンチぐらい避けるか手で防ぐぐらい出来ただろう。しかし美樹に殴られるとは考えていなかった故に全くの無警戒で無防備だった。

 

「美樹……? え……? 」

 

「エール姉ちゃんはいっつもそうだよ!! 私達の気持ちなんて全然考えないで勝手に一人で決めて勝手にカッコ良く死のうとして!! そんなんで生かされた私達の気持ちも考えたことあるの!?」

 

「んなこと――」

 

「無いよね!! 地下鉄の時もエール姉ちゃんは残る側だったし、今までもずっと残る側だったんでしょ!? 警察に保護された後、私がずっと泣いてたの知ってた!? 『逃げてごめん』『私達だけ幸せになってごめん』ってベッドの中で泣いて、『もし私が戦えたら、一人か二人は助けられたかもしれない』ってずっと後悔してた!! 」

 

 エールは唖然とする。美樹がそんな悩みを抱えているとは露にも思っていなかったからだ。【姉妹は過去のことを置き去りにして、優しい人達に囲まれながら幸せに生きました】本気で信じていためでたしめでたしな結末を本人に否定されたのだ。言い返す言葉が出なかった。口は空虚に開閉する。

 

 美樹の目から大粒の涙が落ちる。握り拳を作った手は震え、床は横風で降り込んで来た雨と滴る涙で次第に濡れていく。

 

「もう友達を見捨てて逃げるなんて嫌だよ!! みんな残るんだったら私も残る!! アキ姉ちゃんに銃の使い方だって教えて貰ったんだ!! 次は私が助ける!!」

 

「ミキ……言いたいことは分かった。でも、それだけは――それだけは認めねえ!!」

 

 エールは腕を伸ばし、美樹の胸ぐらをつかむ。腕を引き、鬼にも勝る形相に美樹を引き寄せる。互いの吐息がかかりそうな距離まで近づき、身長差で美樹の足が宙ぶらりになる。

 

「お前達は生き残るんだ!! そうしないと全てが無駄になる!! この事件だけじゃねえ!! 私達が今まで生きた意味も、これから死ぬ意味も!! 」

 

 それでも美樹の心が折れることはない。彼女は言葉を返さず、歯を食いしばり、負けまいと真っ直ぐエールを見つめる。

 

「だったら生きてよ。最後の最後まで私達を守るためにその命を使ってよ。こんなところで死んだら、()()()()()()()()()()

 

 それに気圧されているのはエールの方だった。表情は怒りから哀しみ、脅しは懇願に変わっていく。今、泣きそうになっているのはエールの方だった。

 

「頼むよ……。言うこと聞いてくれ。お前達だけなんだ。このクソッタレな世界から抜け出して真っ当な人間として生きたのは――。お前達をあの地獄から救った。それが、盗んで奪って殺して誇りもクソも無い、この悪党の唯一の誇りなんだ……」

 

 壮助がエールの腕を掴む。エールが目を向けると壮助は首を横に振った。

 

「離せ。エール。お前の負けだ……」

 

「義塔。お前まで……」

 

「美樹だけじゃねえ。この部屋にいる連中は最初っから逃げようなんて考えてねえよ。俺達の職業、忘れたのか? 」

 

「民警……」

 

「ああ。そうさ。ガストレアぶっ殺して人を助ける誇り高~いお仕事だ。さらに言えば、今の5倍以上のガストレアを相手に戦って生き残ったイニシエーターが2人もいるし、あの里見蓮太郎をぶっ倒して監獄にぶち込んだペアだってここにいる」

 

「壮助はボロクソに負けて死にかけたけどね」と詩乃が冷やかす。

 

「お前、今それを言うな」

 

 ガンッと音が鳴った。全員が振り向くと朝霞が双刀のサラシを解き、剥き出しになったバラニウムの刀身をフローリングに突き立てていた。彼女は自立した双刀から手を離すと袖を縮め、サラシでたすき掛けする。

 

「私は我堂社長より『日向姉妹に迫る敵の()()()()()()()()と仰せつかっております。業務命令が更新されず、雇用主より報酬が約束されている以上、私はそれを遂行するのみです。それに――敵に背を向けて逃げることは我堂の流儀に反する」

 

 朝霞は本気でここのガストレアを全て斬殺するつもりなのだろう。鋭い眼光と共に目が赤く輝く。双刀の柄を握る腕に血管が浮かび上がり、その戦意に圧倒され、壮助は固唾を飲む。もう梃子でも彼女は動かせない。

 

「『ガストレアから逃げた』なんてレッテル貼られたら民警として終わりだしね~」

 

 ――と朱理はガンホルスター付のハーネスを装着し、各部に短刀、予備弾倉を取り付けていく。朝霞と一緒にいる時間が長い彼女にとって、これはもう慣れたことなのだろう。その言動は軽々しかった。

 常弘も笑い肩をすくめる。社長の無茶振りにも、朝霞の頑固さにも慣れている彼にとって、こんなことは日常茶飯事なのだろう。ガストレアに包囲された今でも笑うくらいの余裕がある。

 

「それに、あの地下鉄いつ崩落してもおかしくない状態だしね。下手するとみんなまとめて袋の鼠か、最悪は生き埋めになるかも」

 

「そりゃあ、ますます()()()()()()()()()()()

 

 ――何で……誰も……()()()()()()()()()()()()()……。

 

 エールは自然と鈴音に目を向けていた。まだ何も言っていない彼女なら――自分達を見捨てて逃げるなんて選択をする人間じゃないと分かっていながらも――彼女の口から「逃げたい」という言葉が出るのを願った。

 鈴音は意図を酌んだのか、静かに首を横に振る。

 

「私……里見さんのこともそうなんですけど、エールさんにも私を見つけて欲しくて、歌手をやってきたんです。鬼のようなレッスンを続けて、指を傷だらけにしながら楽器もたくさん練習して――。それでようやく会えたのに一週間でお別れだなんて……そんなの寂しいじゃないですか。まだまだ話したいことがたくさんあるんです。聞きたいこともたくさんあるんです。どちらかが死んじゃったら、何もできないじゃないですか」

 

「こっちは元から死人のつもりだよ。それが何かの手違いで生き返って、それがまた死に返るだけだ。それで元通りになるんだ」

 

「手違いでも間違いでもいいから、生き返ったままでいてよ!!」

 

 鈴音が声を荒げる。「妖精か仙人の類」「喜怒哀楽の怒と哀が欠け落ちた子」「泣いたり怒ったりしたところを見たことが無い」そう評された彼女の口から怒声が突き抜ける。周囲も、昔を知るエールも、物心ついた頃から一緒にいた美樹も驚かずにはいられなかった。

 壮助は冷や汗を流しながら、勝ち誇るかのように笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「――と歌姫様はご要望だぜ。どうする? 騎士団長殿」

 

 

 

 ここから自分が望む展開に持って行く方法が思い浮かばない。自分がどれだけ言っても姉妹の意思は変わらないだろう。それを無視して力技で逃がそうにも自分より遥かに強いイニシエーターが敵にいるのだから不可能に近い。

 エールは大きく溜め息を吐いた。

 

「ああ。馬鹿だ馬鹿だ。とんでもねえクソ馬鹿共だ。さっきも言ったけど、人数も弾薬もそう多くはねえ。30分もすれば弾が底をつく。その前にこっちが全滅するかもしれねえ。策はあるんだろうな?」

 

「策なんて立派なもんじゃねえよ。連中が来るまで生き延びるだけだ」

 

「連中?」

 

「ああ。()()()()()()()()()()()()だ」

 

 敵は増える一方、味方は減る一方、武器弾薬は底をつく寸前。その上、地上も空も東西南北問わず敵に制圧されている。その中で壮助は既に()()()()()を見ていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 突然の感染爆発から十数分。一瞬にして灰色の盾は壊滅寸前に追い込まれた。他チームの抗争を様子見するため出した複数の偵察隊は全滅し、バンタウのすぐ近くでも前触れも無くガストレアが現れた。その奇襲攻撃で3人のメンバーが死に、2人がウィルスを注入され形象崩壊前に()()()()

 ガストレアは西外周区の各地で突然現れると次々に感染者を増やしていった。外周区に住むホームレス達や殺し合いを繰り広げてバラニウム弾を浪費したギャング達が襲われ、ガストレアになったのだ。殺し合いを中断してガストレアに抵抗したチームもちらほら見えたが、ほとんどが死んだかガストレア化しただろう。もうバンタウ以外から銃声が聞こえない。

 最初は20~30体だったガストレアが今ではその20倍に数を増やしている。その群れの中には偵察に出て音信不通となった灰色の盾のメンバーもいるだろう。

 ナオは生き残ったメンバーをバンタウの屋上に集め、最後の抵抗を繰り広げている。味方と弾薬は減る一方、ガストレアは増える一方、勝算などとうの昔に消えた。1秒でも長く生きるための末期戦だ。

 

「やっぱ格闘が一番だな!! そうだろ!? サヤカ!!」

 

「……」

 

 せめてもの救いがあるとすれば、地上のガストレアはまだ何とかなっているところだ。アキナやサヤカといった一部のメンバーはバラニウム製武器を握り、ガストレア達を格闘戦で蹴散らしている。だが、それも屋上からの援護射撃を絶やせばたちまち物量差で圧倒され全滅してしまう薄氷の戦線だ。

 

「ナオさん!! 上!!」

 

 アキナ達の援護に集中し過ぎたせいで空の警戒が薄まっていた。部下の声に気付いた時には大鎌が迫っていた。飛来したカマキリ型ガストレアが前肢を拡げ、ナオの首を狩らんとする。

 先に狩られたのはガストレアの首だった。バラニウム短槍が頭部と胴体の付け根を断ち斬り、力の抜けた胴体が慣性のままマンションから少し離れたところに落下していく。

 

「大丈夫か? ナオ」

 

 ガストレアの返り血を浴び、全身が紫色に染まったエールが声をかける。

 

「痴話喧嘩は終わった? エール」

 

「ああ。ミキにぶん殴られた」

 

「ヒューッ。やるぅ~」とナオは口笛を吹いて冗談めかす。

 

 続いて上空を飛行していたハエ型ガストレアの群れが急降下する。鳴りやまない砲声と銃声の中で羽音に気付いたエールとナオは銃口を上に向け、次々と撃ち落としていく。

 

「状況は? 」

 

「見ての通りだよ。防衛ラインは全て放棄。全員バンタウに集めて防戦してる。全員って言っても半分も生き残ってないけど」

 

「誰も逃げなかったのか? 」

 

「私からも『逃げていい』って言ったんだけどね。みんな『灰色の盾で死にたい』ってワガママ言うんだよ」

 

「ったく、真面目な死にたがりばっかだな。ウチは」

 

「エールに似たんでしょ。例外なのはチビ4人組ぐらいだよ。あいつら早々に我堂の(レクサス)を盗んで逃げていった」

 

「ははっ。その判断の早さ、見習いたかったなぁ」

 

 エールは笑う。明るく、優しく。憑き物が落ちたのか、その表情は年相応の――16歳の少女のようだった。

 それを見てナオは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。同時に哀しくもあった。30分もしない内にガストレアに殺されるという状況で初めて彼女は「本当のエール」に戻れたのだと。

 

「クソッ!!また空から来やがったぞ!!」

 

 メンバーが指さす先、鷹型のガストレアが飛来する。灰色の盾のメンバー達は迎撃するが急旋回で回避され、曲芸のように予測できない機動に翻弄される――が、重い銃声と共に鷹型ガストレアが紫色血液を流しながら地上へ落下した。

 通常の生物では不可能な機動で動いていたあれが撃ち落とされた。誰が当てたのか、狙ったのかまぐれなのか、メンバー達が騒然とする中、()()()()()()が注目を集める。

 屋上に吹く風に乗せられ雨に濡れた金色の髪がなびく。使い古されたバレットM82のマズルブレーキから上がった硝煙も吹き消された。熱のこもった12.7×99mm弾の空薬莢が排莢される。

 傍らで膝をつく()()()()()()()は双眼鏡で射線の先を観る。

 

「えーっとモデルホーク。地上に落下。動かなくなったよ」

 

「ありがとうございます。その調子でお願いします」

 

 狙撃手の後ろでは()()()()()()()が不器用な手つきでアサルトライフルに何かしらの機械を取り付ける。

 

「遠隔装置の付け方ってこれで大丈夫ですか?」

「ええ。その調子で他のもお願いします」

 

 その光景が信じられなかったナオは目を丸くする。

 

「え? ……え?」

 

『おい。ナオ!! 下で()()()()がガストレア殺しまくってるぞ!! こいつら逃がすって話じゃなかったのか!? 』

 

 スマホのイヤホンを通じて下で戦っているアキナから信じられない内容の連絡が入る。

 

「エール。これ、どういうこと?」

 

 エールはナオの足元にある拡声器に目を向ける。前触れもない戦闘を前に全員がインカムを用意出来なかったため、ナオはこれで指示を出していた。無論、指示の内容は敵にも丸聞こえなのだが知能の無いガストレアが相手なので問題はなかった。

「ちょっと貸せ」と言ってエールは拡声器を拾い上げる。音量をMAXに調節すると吹き込み口を前にして深呼吸した。

 

「灰色の盾、総員!! 作戦変更だ!! 」

 

「はあっ!?」

 

「あの馬鹿姉妹!! 人の話もろくに聞かねえで民警どもとここに残りやがった!! ありゃ私にもどうにもならねえ石頭だ!! 馬鹿だ!! 馬鹿!! あいつらまで死んだらそれこそ全滅だ!! ルリコの仇討ちも出来やしねえ!! なのに理解した上であいつら『残って戦う』とか『生き返ったままでいろ』とかナメた口利きやがった!! つーわけでテメェら気合い入れろ!! ここも馬鹿姉妹も守って生き残れ!! 死んだ奴は命令違反でぶっ殺すからな!!」

 

 




オマケ 前回のアンケート結果

ニッキー「死んで幽霊になっちゃったけど現世に留まっちゃった……」

→(11) エールにセクハラしに行こう
 (1) ナオにセクハラしに行こう
 (0) ミカンにセクハラしに行こう
 (0) アキナにセクハラしに行こう
 (0) サヤカにセクハラしに行こう
 (3) スズネにセクハラしに行こう
 (1) ミキにセクハラしに行こう
 (0) 詩乃ちゃんにセクハラしに行こう
 (2) ティナちゃんにセクハラしに行こう
 (3) 朝霞ちゃんにセクハラしに行こう
 (0) 朱理ちゃんにセクハラしに行こう
 (4) 義塔くんにセクハラしに行こう
 (0) 小星くんにセクハラしに行こう

ニッキー「エールにセクハラしに行きましょう。あの16歳とは思えないダイナマイトサイズと16歳らしい弾力を持ち併せたおっぱいを堪能してナオに自慢するのよ~」

怨霊①「お前に殺された恨み~」
怨霊②「俺からイニシエーターを奪いやがって」
怨霊③「お前のせいで赤目風俗が潰れたぞ」
怨霊④「お前に殺された恨みぃ~」
怨霊⑤「お前のナイスバディに見惚れて事故死した恨み~」
怨霊⑥「お前の部下に殺されたけど質問ある?」
怨霊⑦「灰色の盾で『ドラッグに手を出した』という理由で追い出された私が別のギャングチームで『麻薬王』に成り上がったけど、お前に殺された件」

ニッキー「うわっ、エールの怨霊……多すぎ」

次回「西外周区感染爆発事変 後編」


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西外周区感染爆発事変 後編

ナオのウワサ
クラッキングで大国同士の核戦争を阻止したことがあるらしい。

ミカンのウワサ
エールのことを一番理解しているのは自分だと思っているらしい。


「ったく……キリがねえな……」

 

 雷雨の中、アキナは手で顔の雨水を拭う。薄暗い視界に映るのは生きたガストレアと死んだガストレア、ド派手に喰いちぎられてしまった仲間の肉片だ。雨水に溶けた赤い血と紫色の血が足元に流れブーツを染めていく。

 バラニウム製マチェットも度重なる酷使で刃こぼれし、いまは鈍器のように叩きつけて使っている。呪われた子供の膂力でようやく使い物にしている有様だ。

 

「大丈夫か? サヤカ」

 

 サヤカが頷く。そうは応えているが疲れているのは明らかだった。彼女はいつも通りナイフ一本で戦場を飛び回り、ガストレアを殺し回った。雨でも流しきれないほど全身に返り血を浴びているのがその証左だ。それほど勇敢で、場数慣れしたサヤカですらこの局面は過酷に感じていた。

 正面の住宅街跡地の瓦礫を踏みしめ、10メートルほどのガストレアが姿を現す。

 一言で言えばモデルタイガーのガストレアだが、その上半身は筋肉が極端に肥大化しており、爪も人間一人分の長さがある。低く見積もってもステージⅡだ。昔の外国の漫画のようなアンバランスなフォルムだが、目の前にいるアキナとサヤカに自身を大きく見せる効果は十分にあった。

 あれが襲って来ないことを願いたい二人だったが、ガストレアの紅い両眼はバンタウを見据えていた。

 ステージⅡは爪を地面に食い込ませ、マッシブな両腕の力で跳躍。50メートル近くあった間合いを一気に縮める。巨大な体躯、巨大な爪、巨大な牙が――――黒い塊に叩き潰され、肉塊と化した

 

「ちょうどいい重さだ。これ」

 

 聞き覚えのある声と共にステージⅡの血肉を纏わせた黒い塊がそそり立つ。そして、森高詩乃の肩に担がれた。

 彼女が握るのは全長5メートルのバラニウム塊だ。先日の戦いで自衛隊が回収しきれなかったジェリーフィッシュの超バラニウム合金装甲、それを詩乃は「長さと重さが良い感じだった」という理由でバンタウに持ち帰っていたのだ。今、彼女はそれを無加工のまま手で掴みガストレアを絶対に撲殺する鈍器として使っている。

 ステージⅡの後方に控えていた数匹のモデル・ラットが前歯をむき出しにして飛び掛かった。

 詩乃は鈍器を構える。そして一気に薙ぎ払おうとした瞬間、藍色の衣が目の前に飛び込んだ。()()は数体のモデル・ラットを瞬時に両断し、ついでに剣戟の衝撃波で遥か先にいるガストレアの群れも斬殺する。

 仮にバラニウムが触れずとも身体を真っ二つにされれば、そこから再生できるガストレアはそうそういない。道路にたまる水たまりがガストレアの血で更に濃くなっていった。

 

「貸し一つですね。覚えておいてください」

 

「朝霞が前に出て邪魔したからチャラ」

 

 詩乃は感染爆発の真っ只中にいながら憎まれ口を叩く余裕を見せる。

 そんな彼女を見て朝霞は安心した。彼女はただ強いだけのイニシエーターではない。()()()()()()()()()()()()()()をどこかで経験しているのだろう。少し心配していたが、むしろ損したと思うくらいだった。

 

「足を引っ張らないでね。朝霞」

 

「貴方こそ」

 

 2人は前方のガストレア群に飛び込んだ。ガストレア達は飛び込んで来た餌に群がるが、逆に叩き潰され、一刀両断される。彼女達の強さを理解し建物に逃げ隠れする個体もいたが、建物ごと潰され、斬られ、葬られていった。

 灰色の盾だけここに残し、日向姉妹と民警たちは内地へ逃がす――そう聞かされていたアキナは目の前の現実を信じられずにいた。

 

「おい。ナオ!! 下で民警共がガストレア殺しまくってるぞ!! こいつら逃がすって話じゃなかったのか!? 」

 

 ナオから返事が無い。もしかして屋上にいる連中はやられてしまったのか。それとも民警達が残ったのはナオも想定していなかったのか。

 

『――ここも馬鹿姉妹も守って生き残れ!! 死んだ奴は命令違反でぶっ殺すからな!!』

 

 エールは雨音に負けない大声を拡声器で響かせる。民警達がここに残り戦った経緯を知るとあまりの馬鹿馬鹿しさにアキナとサヤカは呆れた。

 

「うわぁ~。さっすが我らのボス。言ってることメチャクチャだよ」

 

『考えることをやめた馬鹿は最強』と文字を打ったスマホ画面をサヤカが見せる。

 

「ははっ。違えねえ」

 

 スマホに繋いでいたインカムにナオから連絡が入る。

 

『アキナ。サヤカ。聞こえる? 2人は朝霞たちのフォローをお願い』

 

「フォローって言われたって……いらねえレベルで強いぞ。あいつら」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 バンタウの北側は小星ペアが地上で応戦していた。モノリスの磁場から逃れようとしているのか、ガストレアの群れは全体的に西から東に移動しており、北側は西側ほど苛烈な戦線ではない。それでも迫るガストレアは既に20体を越え、大戦前から残っている廃墟のせいで視界も遮られている。相手の姿が見えないという点では、一概に楽とは言えない防衛線だった。

 朱理が跳び回る。両手には小太刀を持ち、その健脚で自分の数倍あるカマドウマ型ガストレアを翻弄する。呪われた子供でありながら身体能力の強化も治癒の恩恵も乏しい彼女がこうして並以上のイニシエーターとして戦えるのは我堂民警会社の鍛錬の賜物だ。

 朱理は一瞬の隙を見出すとカマドウマ型の懐に飛び込み脚の腱を斬る。神経を断たれたガストレアは足元から崩れた。

 そこに常弘が居合の構えで一気に距離を縮める。察知したカマドウマ型が待ち構えるように大口を開けた。吐き出されたのは巨大なハリガネムシ。ガストレアウィルスで巨大化した個体だろう。常弘の頭部めがけて跳躍、頭蓋を貫く速度だったが、彼は抜刀と同時にハリガネムシのガストレアを斬り伏せる。

 その勢いをつけたまま切っ先をカマドウマ型の頭部に突き刺した。ガストレアの甲殻の隙間を狙った刃は抵抗なく内部へと入り込み、傷口から噴き出した紫色血液が常弘のスーツを染める。

 常弘はカマドウマ型から刀を抜き、付着した血肉を振り払う。雨に濡れ、光沢する刀身を鞘の中に収めた。

 

「ツネヒロ。大丈夫? 疲れてない?」

 

「朝霞さんの(しご)きに比べたら大したこと無いよ。それに……たまにはこうやって(白兵戦で)ガストレアを倒さないと古株たちに『貴様!! それでも我堂のプロモーターか!!』って怒られるしね」

 

 普段の彼は我堂のプロモーターとして珍しく銃による後方支援を行うプロモーターだ。外周区生活が決まった際も自宅や本社から銃や弾薬を持って来ていたが、それらをレクサスに積んでいたのが運の尽きだった。灰色の盾の誰かが彼の車を盗んでここから逃走したため、「身体の一部として肌身離さず所持せよ」と徹底的な教育を施されたこの刀だけが手元に残ったのだ。

 廃屋を崩しながらカニ型ガストレアが前進する。全身を土色の甲殻に包んだそれは戦車のようだった。

 

 常弘は打刀「風柳(かざやなぎ)」で抜刀の構えに入り、朱理も小太刀「岩喰万十郎(いわぐいばんじゅうろう)」「鎧殺匡親(よろいごろしくにちか)」を逆手持ち構える。雨に打たれ身体が冷える中、2人は深呼吸する。

 

「IP序列60007位 我堂流 “彷徨終踏” 小星常弘

 

「同じく60007位 我堂流 “鱗霧飛天” 那沢朱理

 

 いざ――――参る」」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 バンタウの南側には堤防と河川敷を挟み広大な河川が流れている。水道が不安定な外周区では貴重な水資源であり、人類文明が河川沿いに発展したように外周区のスラムも河川沿いに集中していた。

 

「毎度毎度、俺にだけ無茶苦茶なこと言いやがるな!! あのピザ工場!!」

 

 豪雨で濁流と化した川を前に壮助は叫ぶ。サーフボードを抱える姿は傍から見ると河川敷すら飲み込んだ濁流でサーフィンしようとする馬鹿に見えた。

 

 実際のところ、彼はその馬鹿を実行するためにここに来た。

 

 バンタウ防衛の作戦と人員配置を考えたのはティナだ。彼女はまず屋上からガストレアの群れを観察し、彼らがモノリスの磁場から離れようと全体的に西から東に向かっていることに気付いた(大量の餌がある内地を目指しているのかもしれないとも言っていた)。

 敵の進行方向が決まっているのであれば、そこから作戦を考えるのは簡単だった。正面になる西側には最大戦力である朝霞と詩乃を配置し、下で戦っている灰色の盾のメンバーもそのフォローに廻らせる。

 廃屋が多く残る北側は市街地での対ガストレア戦闘に慣れている小星ペアを配置。バンタウの上階にも数名ほど射手(シューター)を配置し、ペアの援護をさせる。

 東側はほとんどガストレアが来ていないため、バンタウにUターンする変わり種のみ屋上にいる射手が銃撃する。

 南側は豪雨で濁流と化した河川が天然のバリケードとなっているが、その中でも魚類や両生類ベースのガストレアが移動し、急襲している。バンタウの上階から迎撃しているが、弾薬には限りがあること、堤防の幅が狭く河川との距離が近すぎることもあった為、銃を使わず、水上移動できる()()()()()()壮助を迎撃要因として配置した。

 

『義塔さんはとりあえず、()()()()()()()()()()()()()

 

 ティナに投げかけられた往年の少年漫画から引用したのであろうセリフを思い出す。

 

「やってやるよ!! やりゃあ良いんだろ!? 溺れ死んだら呪ってやるからなああああああああああああ!!」

 

 壮助はヤケクソになった。足裏に作った斥力点で跳躍し、川のど真ん中に飛び込む。「川でサーフィンしようぜ」と言ってエールが買ったが一度も使わなかったサーフボードを基点に斥力フィールドを展開し、自分の体重、ボードの重量と得られる浮力、水の流れ、地面(固体)と水面(液体)の抵抗の違いも全て計算に入れて斥力フィールドの強さと形状を調整し、ホバーボードのように水面を滑走する。

 意外に簡単だったことを喜ぶ暇などなかった。荒ぶる波の中でサメ映画定番のそそり立つ黒い背びれが迫る。東京エリアの川にサメは生息していない。十中八九ガストレアだ。

 

 ――さっそく来やがった。

 

 黒膂繊維切断装甲 常夜境断(トコヨサカイダチ)

 

 斥力フィールドでコーティングしたバラニウム合金繊維を腕に纏わせブレードを形成。長大な刀身を薙ぎ、水面もろともガストレアを切断する。

 ガストレアも相当なスピードで迫っていた。慣性で切断された血肉が水上に飛び散る。しかし、その形状、質量は壮助の予想とは違っていた。肉塊の表皮は赤みがかりゴツゴツとした粒が散りばめられている。飛び散る肉塊の中にサメを想わせるパーツがあったが、頭部らしきパーツには目も口も無く、胸鰭も異様に小さい――明らかにそれはダミーだった。

 

 ――向こうに頭の廻る奴がいるってことか。

 

 背後から赤みがかった触手が飛び出し壮助を打ち飛ばす。突然の衝撃と共にブラックアウト、身体は堤防を越えてバンタウの壁に叩きつけられ、意識を現実に引っ張り出される。

 今の一撃で普通の人間なら即死して全身がバラバラになっていただろう。しかし、壮助は微弱な斥力フィールドを利用したアクティブレーダーで死角からの攻撃を察知し、展開範囲を限定することで防御力の底上げしたバリアで衝撃を緩和した。

 壮助は痛みに耐えながらも立ち上がり足裏の斥力点で跳躍、一歩で堤防の上まで戻る。その一瞬の間に死角からの攻撃を考察する。敵は複数か、それとも――

 流木が流れる幅500メートルの川を1体のガストレアが占拠していた。ベースはタガメのような水生昆虫だろうか、褐色の甲殻と鎌状の前脚、毛のある後脚といった名残りがある。だが、その頭部は異様だった。目も口も見当たらず、先端がサメを模した無数の触手がせわしなく動いている。あれが感覚器官として機能しているのだろう。その巨体と構成する生物的特徴からステージⅢだと推測される。

 

「毎度毎度、飽きさせねぇな!! お前らは!!」

 

 黒膂繊維斥力加速投射砲 爆蜻蛉(ハゼリアキズ)

 

 バラニウム合金繊維を大型ライフル状に形成。照準をステージⅢに合わせる。

 ステージⅢが跳躍し射線から逃れる。その行動に壮助は驚愕した。あのガストレアは銃や砲といった武器を理解している。ここに来る前に他の赤目ギャングと一戦交えて学習したのだろう。ここまで頭の廻るガストレアは珍しかった。

 

 ――なるほど。馬鹿じゃねえってことか。

 

 ズシンと地を鳴らして着地したステージⅢは壮助に向け触手を伸ばす。サメの頭部を模していた先端はその形状を無視して花弁のように開き、無数の牙を見せる。

 斥力ライフルの照準が間に合わない。仮に間に合っても強力な一発の弾丸で無数の触手を相手にするのは分が悪すぎる。しかし、彼は嗤っていた。

 

 ――じゃあ、こいつはどうだ?

 

 壮助が指をパチンと弾く。手品のようにステージⅢの触手が全て斬り落とされ、雨と共に地に落ちていった。

 

「目に頼り過ぎだ。馬鹿め」

 

 かつて黒い龍を携えた機械化兵士を彷彿させる言葉を壮助は吐き捨てた。

 

 これは手品でもなければ超能力でもない。斥力フィールドの本来の姿だ。磁力や重力といった力がそのままだと視認できないように斥力もまた本来は目に見えないものである。斥力フィールドも物体と衝突した際に発生する燐光や塵の舞う環境がなければまず視認できない。

 

 

 不可視の攻撃

 

 

 それがイマジナリーギミックの真の恐ろしさ、蛭子影胤をIP序列134位に至らしめた力だ。もし彼に構えて技名を叫ぶという酔狂な趣味が無ければ、6年前の戦いで勝っていたのは彼だったかもしれない。

 

 

 

 

 まるで賢者の盾が義搭壮助を見定めているかのように、リミッターは徐々に緩んでいる。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 バンタウの屋上で銃声が散発する。1分でも1秒でも時間を稼ぐためにフルオート射撃による無駄撃ちを避け、確実に当たるタイミングにだけトリガーを引く。言うだけなら簡単だが、実践すると技術的・心理的な面で可能に出来る者は少ない。

 しかし灰色の盾はギャングとは思えない高い練度と命中率を見せた。彼女達は自衛官くずれのメンバーを擁し、彼らから銃器の扱いを教育されていたからだ。防衛予算の少なさから無駄撃ちが許されず、市民の財産を傷つけず敵を仕留めることを要求されてきた自衛隊のノウハウをしっかりと受け継いでいる。

 

「西外周区最強を自称するだけありますね」

 

 そう讃えるティナだったが、狙撃手として群を抜いているのは彼女だった。群で飛来するハエ型ガストレアも一匹残らず撃墜し、雲の上から急降下して奇襲するトビ型ガストレアも撃墜する。

 彼女の傍らには遠隔制御装置を取り付けられた複数のバレットM95が鎮座する。それらはティナの脳に埋め込まれたニューロチップを介して感覚器官が得た情報や弾道計算が遠隔制御装置に送り込まれ、装置が彼女と同等の狙撃手として機能している。

 NEXTの機械化兵士 ティナ・スプラウトの真価は索敵、情報収集と処理、指揮決定、武器管制、射撃管制を一人で行い、無制限の火器運用を可能とする点だ。

 ブレインマシンインターフェース(BMI)を失ったことで空いた穴は日向姉妹の目と耳で補う。ティナがスコープを覗いている間に死角を埋める重要なレーダーだ。

 

 今の彼女――いや、彼女達は三人でイージスシステムとして機能している。

 

 ガストレアを次から次へと撃墜するティナを目の当たりにし、エールは肩から力を抜かす。それを近くで見たミカンはふっと笑った。

 

「『ここで死ぬって意気込んだ自分が馬鹿みたいだ』って思ってるだろ」

 

「正解だよ。まぁ、まだ油断出来る状況じゃねえけどな」

 

 エールはバラニウム短槍を肩に担ぐと北側に足を向ける。

 

「小星たちがちょっと危うそうだし、そっち行ってくる。こっちのことは頼んだ」

 

「了解。ボス」

 

 エールは屋上から飛び降りた。数秒もしない内にしたから「オラアアア!! 死ねやああああ!!」と叫ぶ声が聞こえ、ガストレアの返り血が屋上まで噴き上がってきた。

 ミカンはM4カービンを携え空を見上げる。ティナ達のイージスシステムが協力とはいえ数で押されれば一溜りもない。その弱点を埋める形で灰色の盾の射手は屋上で飛行ガストレアの迎撃に当たっている。

 

 自分の持ち場に就こうとした時、ミカンの視界に()()()()()()()が映った。

 

「スプラウト!! 右だ!!」

 

 ミカンが叫ぶ。M4カービンを構えるが射線上にティナと日向姉妹がいて迂闊に引き金を引けない。指をかけることすら躊躇った。

 ミカンの声に気付いたティナが右を向く。視線の先には灰色の盾のメンバーではない少女が無表情のまま拳銃を向けていた。

 ティナはサイドアームのベレッタを抜いてトリガーを引く。相手が誰でどんな目的で自分を撃とうとするのか考えなかった。“撃たれる前に撃つ”という戦場で身に着いた条件反射で少女の銃を撃ち抜いた。拳銃は手元から吹き飛ばされ、続いて肩と脚を撃って戦闘不能にする。

 

「ちゃんと仕留めろ!! ガストレア化する!!」

 

 ミカンがティナと日向姉妹を押し退けて少女の前に出る。M4カービンを構えると引き金を引き、5.56mmバラニウム弾で頭蓋を撃ち抜く。少女の頭蓋骨に穴が空き、眼球が砕け、脳漿と共に血が流れ出る。

 咄嗟の判断だった。ここを急襲したガストレアは全て呪われた子供が突然形象崩壊したものだ。ミカンも最初の襲撃でそれを目の当たりにしている。ここは、仲間以外の呪われた子供はガストレア爆弾として扱わなければ生き残れない戦場になった。今ここで殺すしか選択肢は無かった。

 背後で鈴音と美樹はどんな顔をしているんだろうか。ミカンは自分の判断は間違っていなかったと自分に言い聞かせつつも、()()()()()()()()()()()()()()()()と悔やんだ。

 うつ伏せに倒れる少女の腹部で緑色のランプが光っている。服の隙間から点滅するそれが見えた瞬間、ティナは血の気が引いた。

 

即席爆破装置(IED)!!」

 

 ティナは鈴音を、ミカンは美樹を地に伏せさせ、自身の身体で被う。

 少女の身体に巻かれていたIEDが起爆。爆発と共に燃えカスとなった少女の血肉とバラニウムの破片が周囲に散らばる。近くにいたティナとミカンは無論、少し離れた灰色の盾のメンバー達もバラニウム片に吹き晒され、負傷する。

 

 鼓膜が破れ、何も聞こえなくなった。自分を守るように覆い被さったティナの腕で鈴音は目も塞がれた。何が起きたのか分からなかった。呪われた子供の治癒力で耳が治ると「大丈夫か!?」とナオの叫ぶ声が聞こえる。

 鈴音はふと自分に抱き付いているティナの背中に手を回した。生温かいねっとりとした液体が手の平に付き、指先は硬く鋭利な金属に触れる。

 鈴音は肘を立てて上体を起こす。眼に映ったのはバラニウムの破片が突き刺さり、爆薬の熱に晒されて赤黒く焼け爛れたティナの背中だった。

 

「ティナさん……ティナさん!!」

 

 呼びかけても返事がない。身体をゆすると焼け爛れ溶けた皮膚が地面に流れ落ちる。呪われた子供の治癒がはたらく様子もない。

 隣ではティナと同じ状態になったミカンが倒れ、ナオが声をかけている。

 階下に続く階段から倉田が飛び出した。彼は血塗れになったティナとミカン、周囲に散らばる誰かの肉片を見て一瞬驚くが、そこに囚われず、周囲に目を向ける。

 

「全員!! 今すぐ中に入るんだ!! バラニウムの雨が降るぞ!!」

 

 鈴音は倉田の言っている意味が分からなかった。いや、バラニウムの雨の意味は分かっていたが、どうして()()()()()()()()()でそれが来ることを知っているのか、分からなかった。

 ナオをはじめとした動けるメンバーは負傷したティナとミカン、気絶している美樹を抱えて屋内に入る。鈴音も自分で立ち上がって階下へ続く階段へと逃げ込む。

 

 階段を降りる直前、鈴音の耳に()()()()()()()ジェットエンジンの音が聞こえた。

 

 

 

 

『お前はティナ先生と一緒に屋上に居てくれ。あの人の近くが一番安全だ。それと――』

 

 壮助はポケットからスマートフォンを出し、鈴音にある動画を鈴音に見せる。

 

『鈴音はこの音を覚えてくれ。少しでもこいつが聞こえたら、全員に屋内に逃げるよう伝えるんだ』

 

 壮助のスマホに映されていた動画にはこうタイトルが付けられていた。

 

 

 

 

【F-2戦闘機・32式空対空ミサイル実戦テスト公開映像】

 

 

 

 

 

『こいつが来たら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の合図だ』




前回のアンケート結果

エール「ガストレアに囲まれて弾薬尽きたけど、どうする?」

 (3) 逃げる!!
 (3) 残って戦う!!
→(18) 死ぬ前におっぱい揉ませて。

~地獄~

エール「地獄じゃ人は死なねえみたいだしよぉ……私のおっぱい揉んだ落とし前をつけさせてもらうぜ」

鬼達「「うわっ……。俺達より残酷……」」


次回「都合の良い手駒」


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都合の良い手駒

ミカンのウワサ

シ●バニアファミリーを「構成員全てが呪われた子供で構成された実在する海外の犯罪組織」だと信じているらしい。


 ステージⅢの身体がバラバラになり、肉塊となって堤防から濁流へと滑り落ちた。

 壮助はバラニウム合金繊維のブレードを肉塊に向け、今度こそ再生しないか注視する。この個体は無駄に再生能力が高く、斥力フィールドで真っ二つにしただけでは死ななかった。バラニウム合金繊維も交えて再生能力を阻害し、ようやく殺すことが出来た。

 突如、上で爆発が起きた。吹き飛んだ瓦礫が壮助に降りかかるが斥力フィールドで明後日の方角に弾き返す。上階で誰かが爆発物でも使ったのか、降りかかる雨水を斥力フィールドで弾きながら顔面を上げる。

 その光景にわが目を疑った。顔の前に斥力フィールドを張っていることが原因の錯覚とも思った。しかし、バンタウの屋上で黒煙が上がっている現実を変えることは出来なかった。

 あそこにはティナがいる。鈴音と美樹も傍にいる筈だ。灰色の盾の射手も何人かいた。火を吹くガストレアでも襲ってきたのか、爆弾が暴発したのか、何が原因か考えても答えは出ない。

 最悪のパターンが頭に浮かんだ。

 

 いや、信じろ。ティナ先生はそう簡単に死ぬような人じゃない。

 

 そう簡単に誰かを死なせるような人でもない。

 

『全員!! 今すぐ中に入るんだ!! バラニウムの雨が降るぞ!!』

 

 拡声器で叫ぶ倉田の声が聞こえた。何故彼が()()を知っているのか疑問だったが、考えている余裕などなかった。壮助は南側の戦線を放棄してマンションの屋内へと逃げ込んだ。

 

 ――ようやく来たな。東京エリア自衛隊(最強の武装勢力)

 

 

 

 *

 

 

 

東京エリア自衛隊法 対ガストレア特別条項

 

防衛大臣は、人命または財産に重大な被害を及ぼすガストレアの出現、感染爆発ないしはその予兆が確認されたとき、聖天子の承認を得て、東京エリア自衛隊に対し、全ての火器使用を許可し、ガストレア殲滅の旨を命じなければならない。

 

 滑走路から東京エリア航空自衛隊のF-2が緊急発進した。ハードポイントには対艦ミサイルに匹敵する重量の32式空対空ミサイル4基を引っ提げ、2つの青い影が曇天の空へと飛び立った。

 彼らに与えられた任務は東京エリア第四十四区・通称“西外周区”に出現したガストレア群の殲滅。F-2と32式空対空ミサイルは航空優勢確保を目的とした一番槍だ。

 F-2パイロットTACネーム“オールド”は自機の翼に付いているミサイルの存在を疎ましく思っていた。NBC兵器ではないとはいえ、ガストレア大戦前の自衛隊が持っていたら非難轟々だっただろう。その上、()()()()()()()()()()()()()()()()というのが個人的に気に入らなかった。

 

≪ラビット。嫌な気分になるな≫

 

≪ですね。第三次関東会戦を思い出します≫

 

 32式のつもりで言ったのだが、思いは違っていたようだ。曇天の空、キャノピー場を滑る水滴、向かう空には無数のガストレア。確かに第三次関東会戦のようだとオールドは気付く。

 航空無線から空自指揮官コールサイン“レギオン”から流暢な航空英語で飛行進路やポイントの指示が入る。

 

 キャノピー越しの空にガストレアはまだ見えなかったが、レーダーは既に捉えていた。数が多すぎて()ではなく()で表示されているレーダーを見て、既存のミサイルや投下型爆弾では対応できない状況だとオールドは認識する。

 

≪Spear two one. This is Region. Clear fire. Kill Gastrea. ≫

 

≪Wilco. Spear one. Kill Gastrea. ≫

≪Wilco. Spear two. Kill Gastrea. ≫

 

 基地から武器の使用許可とガストレア掃討が命じられた。ミサイルのロックを解除、操縦桿のミサイル発射スイッチに親指を近づける。個人的に気に入らない兵器だとしても撃たなければ東京エリアは終わる。そこにもう躊躇いは無かった。

 

《Spear one FOX1》

《Spear two FOX1》

 

 32式空対空ミサイルがハードポイントから離される。後部のロケットエンジンが点火し加速。その巨体と重量に似合わず音速の10倍に達し、曇天の空に放射状の八本線を刻む。

 セミアクティブレーダー誘導方式の32式はF-2から送られるガストレアの位置情報をもとに最適なポジションへと軌道修正を行う。ミサイルが前後左右のみならず上下もガストレアに囲まれるコースだ。

 飛行ガストレア群に飛び込んだところでミサイルの外装が外れ、地上に落下する。その内側からは2000発にも及ぶ25mm口径バラニウム徹甲弾頭が顔を出し、全方位のガストレアに弾頭を向けていた。

 バラニウム徹甲弾頭の薬室が点火、西外周区全域に25mmバラニウム徹甲弾が放たれる。その景色は花火のように美しかったが、その空間にいる全ての生物に死をもたらす残酷な芸術だった。

 

一定空間内におけるガストレア殲滅を目的とした無差別飽和攻撃兵器

 

 それが32式空対空ミサイルの本質だった。

 空も地上も黒膂石の雨に晒される。ミサイルを理解していないガストレア達は身を隠そうとも逃げようともせず、その尽くがバラニウム徹甲弾に穿たれ屍に変わる。地上の建造物もバラニウム徹甲弾で砕かれ、小さな家屋は屋根も壁も貫通して内部から人間なのかガストレアなのか分からない悲鳴が聞こえる。

 ガストレア大戦前の自衛隊は国民や国民の財産を守る名目上、自分達の攻撃によってそれらが傷つくことを極力避けていた。それに対する非難が強かった背景もある。しかし、ガストレア大戦で全てがひっくり返った。命や財産を数字として捉え、足し算引き算で勘定し、天秤にかけ、救える命とそうでない命を彼らは選別した。その残酷なまでの合理性が数多の国民を救い、5つのエリアという形で日本を存続させたことを奪われた世代は知っている。

 

 今その瞬間、その空間に差別は無かった。

 人間にも呪われた子供にもガストレアにも等しくバラニウム徹甲弾が降りかかるのだから。

 

 数秒もかからず、西外周区は数百体のガストレアの死骸で埋め尽くされた。

 

 ――間近で見るとエグい威力だな。

 

 マンションの1階から壮助が外を覗く。いつの間にか雨は止み、雨雲の隙間から陽光が射す。視線の先にある川は浮き上がったガストレアの死骸でいっぱいになり水が堰き止められていた。向こう岸の家屋も穴だらけになり、このバンタウも壁や柱が徹甲弾に撃ち穿たれ無惨な姿になっている。

 4基のターボプロップエンジンを唸らせ、C-130Hハーキュリーズをガンシップとして現地改修したA/C-130Hハーキュリーズ改が飛来。バンタウの周囲を旋回しながら12.7mm重機関銃で死に損なったガストレアに止めを刺していく。

 もう自分が戦う必要はない。そう判断した壮助はバンタウの中庭へ出る。32式をやり過ごしたらここに集まるよう事前に打ち合わせしていた。大量の25mm徹甲弾が地に刺さり、詩乃が運んできた路線バスは蜂の巣になっていた。

 

「義塔」

 

 先に到着していた常弘が手を振る。朱理とエールも一緒だ。3人ともガストレアの返り血を浴びて服が紫色に染まっていたが、本人たちは無傷でピンピンしていた。

 

「なんだ。無事だったのか」

 

「我堂の民警は伊達じゃないのよ」

 

 突然、中庭に放置されていたトラックの残骸が転がった。まだガストレアが残っているのかと全員が注視し警戒するが、すぐに警戒を解く。廃車を押し退けて中庭に入って来たのは詩乃、朝霞、サヤカの3人だったからだ。

 詩乃の背中でぐったりとしたアキナが揺さぶられていた。彼女は多量の汗を流し、顔色が悪くなっている。視線を少し下に向けると彼女の左足が無くなっていた。膝から先が無くなり、止血用に巻いた布も赤黒く染まり、吸いきれなくなった血がポタポタと零れ落ちている

 

「悪い……最後の最後でしくじっちまった……」

 

「何があったんだ?」

 

「逃げ遅れてバラニウム弾で吹っ飛ばされた」

 

「私の不徳が致すところ、申し訳ありません」と朝霞がエールに頭を下げる。

 

「上げてくれ。そもそもアンタらが残らなかった全員死んでいたんだ」

 

「とりあえず倉田に見せるぞ。このままだと失血死コースだ」

 

 バラニウム徹甲弾から逃れるため、屋内の奥に逃げるよう指示はしていた。だが、どのフロアに引き篭もったのかは壮助も把握していない。前方と左右に立つ棟を見渡していると「おーい」との声が聞こえた。

 自動扉が無くなって久しい1階エントランスからナオ、鈴音をはじめとした10人ほどの屋上組が出て来る。ナオはティナを背負い、もう一人の灰色の盾のメンバーがミカンを背負う。美樹は意識を取り戻したが鈴音の肩を借りながらおぼつかない足取りで歩く。

 壮助はわが目を疑った。彼にとってティナは最強の師匠であり、完全無欠の強者だった。自分が3ヶ月かけてかすり傷一つつけられなかった存在が負傷し虫の息になっている。冷静さを失い、気が付くとナオに詰め寄っていた。

 

「おい。なんだよ……何がどうなってんだよ!!」

 

「こっちが知りたいよ!! いきなり知らない赤目が来て、そいつが自爆したんだ!!」

 

 壮助ははっとさせられる。スカーフェイスに仕組まれたガストレア爆弾とこの感染爆発から、五翔会残党が放ったのは“人間と同じリソースで輸送出来るガストレア兵器”という認識だった。それに間違いはなかったが、“人間の形を保ったまま運用できる”という点を見落としていた。五翔会残党はガストレア化爆弾と同時にドールメーカーも使っている。その原材料が周囲のガストレアを麻薬漬けにして使役したタウルスであることを考えれば、麻薬漬けの少年兵と同じ使い方は想定しておくべきだった。

 

 命を平然と使い捨てる五翔会残党のやり口に、彼らの思考に届かなかった自分の至らなさに、それでティナとミカンを負傷させてしまったことに苛立ちを覚える。

 

 ――絶対服従の呪われた子供ってのは、さぞ都合の良い手駒だったのだろうよ。

 

「ごめん……。私と姉ちゃんを守ろうとして……」

 

「謝らなくていい。指示したのは俺なんだ」

 

 苛つきと焦りから頭をかく壮助の手は忙しなく髪を乱す。自分を罰するかのように爪を立て、皮膚を引っかく。

 

「落ち着くんだ」

 

 倉田が壮助の手を掴み、引いて彼の頭から離す。

 

「まだ生きている。放置して良い状態じゃないが助けられる」

 

「そうは言っても医者はアンタだけ。患者は3人だ。ドクターヘリだってここには来ねえだろ」

 

「いや、大丈夫だ。もう迎えは来ている」

 

 倉田が空に指さす。東京エリア自衛隊と印字されたダークグリーンのCH-47チヌークが中庭に着陸する。ローターが生み出す空気の流れで突風が吹き、その騒音に赤目たちは耳を塞ぐ。

 ハッチが開き、迷彩服の自衛隊員がぞろぞろと出て来る。ヘルメットと防弾チョッキ、20式5.56mm小銃を装備した隊員、災害救助で見かける装備の隊員が半々だ。そのうちの一人が銃口を下げたまま倉田の前まで走り、敬礼する。そして、倉田も敬礼で返す。背後で自衛隊くずれ三人衆も敬礼する。

 

「御無事で何よりです。()()()()

 

「助かったよ。ありがとう。そちらの損害は?」

 

「ゼロです」

 

「上々だ。こちらは負傷者3名。全員赤目だ。基地の医療班に緊急手術の準備をさせろ。3人ともバラニウム刺創だ」

 

「了解しました」

 

 やり取りを終えると自衛隊員はチヌークに戻り、他の隊員に指示を出す。

 その様子を壮助をはじめ全員が目を丸くし、口をぽかんと開けて見ていた。

 

「おい。ちょっと待て。どういうことだよ?アンタ一体……」

 

 倉田はニヤリと不敵な笑みを浮かべると先程までの猫背や気弱な姿勢が消え、自衛官らしく直立し、壮助たちに向けて敬礼した。

 

東京エリア自衛隊情報本部統合情報部現地情報隊所属 山根宗司三佐であります」

 

 あまりにも長い肩書きにエールをはじめとした灰色の盾のメンバーは理解が追い付かず、頭上から疑問符が消えない。

 

「えーっと、つまりどういうことだ?」

 

「――簡単に言うと僕は()()()()()()()って奴さ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 東京エリアの外周区には防衛の要であるモノリス、モノリスや内地に電力を供給するトカマク型核融合発電所があり、各所には警備として自衛隊員を駐留させている。彼らも人間である以上、水や食料といった生活物資、作戦行動を取れば弾薬の補給も必要になる。それらは内地で製造され、外周区にある中継基地を通じて各駐留部隊に配送される。

 東京エリア西部に展開する部隊への兵站はここ東京エリア陸上自衛隊・神奈川駐屯地が担っている。

 

 壮助たちはチヌークに乗せられ、この基地に連れて来られた。

 機内では全員が終始無言だった。ガストレアに囲まれた戦場から解放されたことでアドレナリンの分泌が収まり、興奮によって麻痺していた疲労感や仲間の死への感情が一気に噴き出して来た。ある者は死者のように眠り、ある者は親友達の名前を呼びながらすすり泣き、ガストレアへの恐怖がフラッシュバックして赤子のように泣いた。

 突発的なガストレアテロから約30分で家も仲間(親友)も失った彼女達の姿は、災害で全てを失った人間と同じように見えた。

 着陸した後は隠すように隊員たちに囲まれながら誘導された。付着したガストレアの体液を流す名目でバケツをひっくり返したような温かいシャワーと消毒液のミストを浴びせられ、着替えとして患者用のガウンを渡された。

 自分達は武装解除させられ、周囲は武装した自衛官だらけ、エールが素直に従ったこともあり、灰色の盾のメンバーで逃走や反抗を企てた者はいなかった。

 

 今は全員が会議室のような部屋に押し込まれ、与えられた食事を静かに摂っていた。

 

「自衛隊の人的諜報(ヒューミント)部隊か。まさか実在するとはね」

 

「そうか? むしろ無い方が恐ろしいじゃねえか」

 

 一般市民のような感想を吐く常弘を尻目に壮助は目の前の食事を口に入れる。

 食事に手を付けず、腕組みするエールが呆れた様子で壮助を見ていた。

 

「お前、よく食えるな。毒が入ってるとか考えねえのか?」

 

「殺すつもりなら、俺達はとっくに撃ち殺されてる。倉田――じゃなかった。山根が俺達のことを生かして『自衛隊のスパイです』ってわざわざバラしたのは――「私達を利用するため、ということですね」

 

 最後のセリフを朝霞に持って行かれた。壮助は食事を飲み込むと「そうだ」と答える。

 

「まぁ、噂通りの話って感じだな」

 

 壮助の言葉に詩乃、朝霞、常弘と朱理はうんうんと頷く。エールはその意味が分からず、「え?」と素直に疑問を口にした。

 

「自衛隊はガストレア相手ならバカスカ撃ちまくれるが、それ以外の相手だと自衛隊法に則った形でしか身動きが取れねえんだよ。表向きにはスパイは存在しないし、暗殺部隊も存在しないことになっている。だけど綺麗事だけじゃ何も守れないことを()()()()()は知っている。

 だから、汚れ役として民警や赤目ギャングを使うんだ。民間人や民間企業を装って民警を使うのは業界じゃ誰もが知っている噂話だし、赤目ギャングに金を出して都合の悪い市民団体のトップを暗殺したなんて話もある。民警()赤目ギャング(お前ら)も偉い人にとっては端金で使える都合の良い手駒なんだよ。お前らの仕事にも心当たりがあるんじゃねえか? 」

 

「知らん。そういう難しい話はナオの仕事だ」

 

 エールは偉そうに自分の無知を晒した。壮助達がナオに目を向けると、彼女は大きく溜め息を吐いた。この参謀様が普段どれだけボスに苦労させられているのか、その表情と一呼吸だけで理解した。

 

「失礼するよ」

 

 ノックをして、自衛官の正装を身に纏った山根が会議室に入る。彼の後に続いて()()自衛官くずれ三人衆も続く。様子を見るに彼らも山根の部下であり、自衛隊のスパイだったようだ。

 彼らは部屋の前面に設置されたスクリーンの前に立つ。天井に設置された映写機から出る光で山根の伊達メガネが反射し、怪しく光った。

 

「落ち着いたようだし、話をしようか。我々の目的君達のこれからについて」

 




オマケ① 我堂流と二つ名

我堂流武術は「武芸に己が心身を捧げる」という“在り方”に重きを置く武術であり、流派内の階級は「己の在り方が見つかっていない“半人前”」と「己がどうあるべきか答えを得た“一人前”」の2種類のみが存在しています。
一人前となった我堂流の修練者は師範に“修号”と呼ばれる二つ名を与えられる習わしがあり、第一章から第二章までの間に一人前と認められた常弘と朱理も与えられています。それが前回の「彷徨終踏」と「鱗霧飛天」になります。

ちなみに師範から与えられた修号が気に入らなかった場合、師範を倒せば改名する権利を得ることが出来ます。

オマケ② 32式空対空ミサイル

第三次関東会戦の翌年に司馬重工が開発した対ガストレアに特化したセミアクティブホーミング式短距離空対空ミサイル。25mmバラニウム徹甲弾を1発でも多く搭載できるよう技術陣が病的なレベルでエンジンや誘導装置の軽量化や小型化を行い完成させた。司馬重工としては第三次関東会戦のような未踏領域での使用を想定していたが、2033年の南外周区感染爆発事変にて通常兵器では対応不可能としてエリア内で実践投入された。
ガストレアを殲滅し大絶滅の危機を防いだもののバラニウム徹甲弾による死傷者も多数出たため、運用の是非に対しては自衛隊内外を問わず議論の的となっている。

ちなみにこれを使った後はばら撒いたバラニウム徹甲弾を全部拾い集めるというもの凄く面倒くさい仕事が待っているのでそういう意味でも自衛官達には忌み嫌われている。

オマケ③空自の人達

TACネーム“オールド”
ガストレア大戦前からファイターパイロットを務め、ガストレア大戦、第一次~第三次関東会戦を経験した大ベテラン。プレアデスの水銀レーザーに撃たれ翼を片方失いながら基地に帰還した逸話を持つ。
ちなみにTACネームの“オールド”は老け顔であることから上官に名付けられた。本人は不服に思っており先の逸話から“ピクシー”に改名できないか申請したが部隊内に既にピクシーがいたため、却下された。

TACネーム“ラビット”
ニンジンが嫌いであることを公言したら先輩にニンジンばっかり食べさせられたため、皮肉を込めてラビットと名付けられた。第三次関東会戦が初実戦ながらプレアデスの水銀レーザーを回避し機銃で10体のガストレアを撃墜して帰還した若きエース。でもニンジン嫌いはまだ治っていない。

オマケ④前回のアンケート結果

Q自衛隊の32式空対空ミサイルの性能とは!?
 (0) 純粋にガストレアをぶち殺すだけの兵器
 (3) 呪われた子供も巻き添えになる生物兵器
 (1) 不思議な力でハッピーエンドになる兵器
→(13) ガストレアを美少女にする兵器かよ!!
 (7) ゾロリたちがらんにゅうしおならで全部解決

美少女その1(元ガストレア)「おなかすいた」
美少女その2(元ガストレア)「裸なのはずかし~」
美少女その3(元ガストレア)「おうちどこ~」
(略)
美少女その480(元ガストレア)「私は空の王者に戻りたい」

エール「お前ら全員!!ウチ(灰色の盾)に来い!!面倒みてやる!!」
ナオ「いや無理だよ!!500人ぐらいいるぞ!?んな金ねえよ!!」
鈴音「お金なら……何とかなるかもしれません」
エール・ナオ「「え?」」

その後、アイドルプロデューサーとなった鈴音Pは元ガストレアの女の子達を集めて、ユニットメンバー最多のアイドルユニット「AKM480」を結成。大人気歌手による直接指導、人間離れした身体能力による圧巻のパフォーマンス、ガストレアウィルスがなんやかんや頑張って作った美貌によって、AKM480はアイドル界の頂点に立ち、かなり儲けたらしい。あと呪われた子供への差別もAKM480によって消え去ったらしい。

追記:五翔会残党は勝手に滅亡した。


次回「赤の兵士・黒の兵器」


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赤の兵士・黒の兵器

義搭壮助のウワサ

菫に「『かめはめ波~!!』と叫べば斥力フィールドの威力が上がる」と言われ3日ぐらい本気で信じて練習したらしい。


 プロジェクターの灯りだけが頼りの薄暗い部屋で山根のメガネが怪しく光る。彼と部下三人は自衛官らしく後ろに手を組み、スクリーンの前に立つ。

 壮助達は椅子に座っていたが、我堂組以外は姿勢を崩していた。ある者は頬杖を突き、ある者は寝落ちしそうで首がカクカクと動いている。詩乃に至っては色々なショックで料理に手を付けていない子からトレーを取り上げ、食事を続けている。

 その構図は偏差値最底辺高校の教室のようだった。

 山根の視線が食事を続ける詩乃に向かう。顔は笑っているが、話を聞く気が無い詩乃への怒りが滲み出ていた。

 

「あー。森高さん。話を始めても良いかな?」

 

「静かに食べてるのでお構いなく」

 

 医師くずれの倉田としてバンタウで過ごし詩乃の治療にも当たったので彼女の食い意地はよく理解している。しかし、自分達が自衛官であると明かし、基地に入れても態度が変化しないことには内心驚いていた。

 山根がため息を吐く。そこから深呼吸すると「総員、傾注!!」と叫ぶ。彼と部下三人は改めて姿勢を正し、頬杖をついたり寝落ちしそうになった子も驚いて釣られて姿勢を正す。

 詩乃を除く全員が山根に視線を向けていることを確認すると彼は再び落ち着きを見せる。

 

「僕達、現地情報隊は“ある目的”のため4年前に設立された非正規部隊だ。一つ目は『外周区に展開する非合法武装組織の内部調査』、二つ目は『ガストレアウィルス潜伏感染者に適した教導の検証』だ」

 

「要は灰色の盾を通して赤目ギャングのことを調べつつ、こいつらを使って兵士として教育できるかテストしてたってことか」

 

「その通り。あと2年もすれば無垢な世代も18歳になる。自衛官になろうとする赤目も出て来るだろう。自衛隊としては彼女達を受け入れる方向で意見は固まっているんだが、残念なことに我々には彼女達の身体能力や生理機能、人間との差異に関する知見が乏しい。訓練は人間と同じプログラムで問題ないのか、赤目に適したプログラムを作る必要があるのではないか、それすら分からなかった」

 

 話のタイミングが良いところで常弘が挙手する。山根は「どうぞ」と答えた。

 

「その件でしたら、我堂が防衛省と協力してプロジェクトを立ち上げている筈です。現に我堂のイニシエーターも一環として自衛隊の訓練に参加しています」

 

「勿論、それは知っている。あれは大いに参考になったよ。()()()の教導プログラムはほとんど完成している」

 

 その一瞬、壮助が眉をひそめる。

 

()()()?」

 

「そうだ。ガストレア新法に則り、彼女達が末永く人として生きられるよう侵食率に配慮した人道的なプログラム。悪くはないさ。大金かけて育てた自衛官にガストレア化されては堪ったものじゃない。だが、世界は違う。侵食率を一切考慮せず、赤目の兵士に極限まで能力開放を求める部隊は星の数ほど存在する。ロシアの魔女部隊、EUの赤い瞳(イレーヴ・ルージュ)、東亜連合の无名之虎(ウーミィンジンフー)のようにね。僕達はそういったガストレア化を恐れない敵を相手にしなければならないんだ」

 

「程度の差はあれど、私達イニシエーターも赤目の力を解放して戦う者です。そのような者達に後れを取る謂れはありません」

 

 朝霞は突然口を開き山根に食ってかかる。常弘と朱理はぎょっとするが、当人はいつものすまし顔のままだった。

 

「じゃあ、君は武器を捨てて降伏する敵を殺すことが出来るか? 民間人が爆弾テロを仕掛けてくる戦場で『爆弾を持ってる可能性がある』という情報だけで子供を殺すことが出来るか? スパイを誘き寄せる為に何も知らない家族を拉致して人質に取ることが出来るか? 」

 

 朝霞はぐうの音も出なかった。「そんな非道は出来ない」という答えは既に彼女の中にあったが、口を開けばイニシエーターは使い物にならないと自分で言ってしまうようなものだった。

 

「で、その汚れ仕事を私ら(灰色の盾)にやらせようって魂胆だったのか」

 

 エールはパイプ椅子をギシギシと鳴らし、偉そうにふんぞり返る。全員の視線が彼女に集まる。今ここで立場上優位なのは山根なのだが、エールはその差を感じさせず、毅然とする。

 

「話が早くて助かるよ。ボス」

 

「ボスって呼ぶな。テメェはクビだ。スパイ野郎」

 

「ちなみに退職金と未払いの給料は貰えるのかな?」

 

「んな訳ねえだろ」

 

 山根は鼻で笑う。だが、すぐに真剣な面持ちに戻った。

 

「まぁでも、僕達の計画は上手くいかなかったね。この数年、僕は倉田医師として、彼らは自衛官くずれとして潜入し君達を訓練してきたが要求するスペックに達したのはエール、アキナ、サヤカの3人のみ。その3人ですら僕達の教育というより生まれ持った素質で強くなったようなものだ。それは君達イニシエーターも同じだろう?」

 

 壮助たちは黙って頷く。酷い話だがイニシエーターの強さは生まれ持った素質によってほとんど決まる。努力が全くの無駄という訳ではないが、努力を重ねた凡人が怪物に届くことは無い。

 

「上はもうイニシエーター部隊に興味を持っていない。戦いに適した素質を持った子が生まれる確率がランダムである以上、いくら強力でも補給が不安定な戦力に依存するのは危険だと判断した。今のトレンドは機械化兵士さ」

 

 機械化兵士――その言葉が出た途端、壮助達は固唾を飲んだ。おそらく、これまでの話は前置き、これからの話が本番だと悟ったからだ。

 

「アンタらジェリーフィッシュの残骸を回収しただろ。あれだけ持って帰ってまだ満足しないのか?」

 

「確かにあれから得られる情報は非常に多かった。東京エリア自衛隊(ウチ)の兵器開発計画を全部白紙にしなきゃいけないレベルでね。けど、肝心の動力炉は自爆して何がどうなっているのかさっぱり分からないままだ」

 

「動力炉?」

 

「里見蓮太郎の義足も死龍の尾もジェリーフィッシュもその動力炉が生み出す膨大なエネルギーを前提に設計されている。今の僕達は車を作ろうとしているのにエンジンの構造と燃料の種類を全く理解していない状況だ。そうなると頼みの綱は最後の機械化兵士“ナイトメアイーグル”になる」

 

 壮助は目を見開き、顔が強張った。山根達が自分達を利用して何を成そうとしているのか、それを理解してしまったからだ。拒否権など与えて貰えないであろう状況で冷や汗を流す。

 

「俺達に……『ナイトメアイーグルを鹵獲しろ』って言うのかよ!!」

 

「ああ。()()()()()()()()()()()

 

「は?」

 

 壮助は目を丸くし、ぽかんと開けた口が塞がらなかった。それはエールとナオ、その他灰色の盾の面々も同じだ。

 

「話は簡単さ。君達を囮にして、ナイトメアイーグルを誘き寄せる。そこに自衛隊の大部隊をぶつけて鹵獲、最悪の場合は破壊する」

 

 山根は「な? 簡単だろう?」と誇ったような顔を見せる。もっと酷い扱いをされて利用されるだろうと思っていた壮助は予想を裏切られたことが癪に障った。

 

「それが終わって用済みになった俺達はどうなるんだ? 非正規部隊の存在を知っちまったんだ。口封じに射撃訓練の的か? 」

 

「まぁ、確かに機密保持を考えればそれが確実なんだけど、壬生さんと森高さんを相手にするのは骨が折れる。大隊規模の損失は覚悟しないといけないだろう。それに君達を死なせたらティナ・スプラウトが黙っていない。彼女を、引いては彼女のプロモーターを怒らせたら国際問題だ。最悪、東京エリアは核の炎で地図から消えるね」

 

 山根は冗談めかす。それを聞いていた我堂組も灰色の盾も呆れていたが、壮助は身震いした。彼はティナのプロモーターがアメリカ第三位の巨大民警企業サーリッシュの会長であることを知っている。CIAとコネがあり、ホワイトハウスにも顔が利くらしい彼女なら、もしかするとやるかもしれない。

 

「事が済めば、ここで見聞きしたものを忘れ、以前の生活に戻ればいい。口止め料として相応の見返りも用意しているから、馬鹿な真似はしないようにね。君達を物理的に殺すことは出来ないけど、社会的に抹殺する方法なんていくらでもあるから」

 

 

「三佐殿。そろそろお時間です」

 

 

 部下が山根に耳打ちする。山根の時間感覚とは大きな差があったようで腕時計で確認し、わざとらしい驚きのリアクションを見せる。

 

「小難しい話ばかりで疲れただろう。今日はゆっくり休むといい。ああ、それと――」

 

 山根が部下からA4サイズの茶封筒を受け取り、それを壮助の前に差し出す。

 

「なにこれ?」

 

「僕達に協力する見返りと口止め料の一部かな」

 

 壮助は疑りながらも茶封筒を受け取る。表には「H-01・H-02 分析結果」と手書きされ、封を開けようと思い裏面を見ると「防衛省ガストレアウィルス対策本部」と小さく印字されていた。

 

 ――さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

 封を切り、茶封筒の中にあった数枚のプリントを取り出す。

 表題は「侵食率証明書」、本文も日向姉妹の侵食率が12%と6%であることを証明する旨が記載されていた。だが、これはもう司馬重工の関連会社が検査を行い、数値を叩き出している。今更これを渡す山根の意図が分からなかった。

 

「バンタウで採血した後、こっそり送って調べて貰ったんだ。混入(コンタミネーション)のない血液、厚労省が採用している検査機と()()()()()()()()()()()()()()()()()で証明している。これに文句をつける奴はいないだろう」

 

 完璧な証明、それは日向姉妹に貼り付けられた善悪と真偽のレッテルを全て覆す最強の切り札になる。そして――――

 

「山根三佐。勾田大学病院にある侵食率検査機と自衛隊の検査機、後は病院や特異感染症研究センターにある検査機、それらは何が違うんだ? 」

 

「強いて挙げるなら、管轄の違いかな。勾田大学病院の検査機は文部科学省、自衛隊の検査機は防衛省、病院やセンターにあるのは厚生労働省の管轄だ」

 

 壮助の中で侵食率48%のトリック、その大まかな輪郭が見えて来た。五翔会残党は厚労省管轄下の検査機にのみ姉妹の侵食率を偽装する仕掛けを施した。文科省管轄下の勾田大学病院ではそれが出来なかったから破壊し、倉田医師の正体が現役の自衛官だと気付いていなかったため、防衛省の検査機は仕掛けも破壊も間に合わなかった。厚労省管轄下の検査機にあって、それ以外の省庁の検査機に無いもの、それを調べていけば、()()()()()()()()()()()()()

 

「なるほどな……。縦割り行政バンザイ」

 




オマケ 前回のアンケート結果

壮助「おい……何だよ……。何でティナ先生がこんなことになってるんだよ!!」←何が起きた?

回答
→(8) ピザ以外の料理をまともに作っている
 (2) 祭りの屋台の射的で弾が当たらない
 (6) 連邦に反省を促すダンスを踊っている
→(9) おっぱいが大きくなっている
 (0) 天誅レッドのフィギュアを下から覗いている

壮助「ふざけんな!!こんなのティナ先生じゃねえ!!ティナ先生はピザキチなんだ!!ピザしか作れないピザに呪われしピザ製造機なんだよ!!割烹着姿で肉じゃが作る家庭的なティナ先生なんてティナ先生じゃねえ!!ただの家庭的な美人だ!!それに見ろよ!!この胸の駄肉!!駄肉!!あの人は戦いに必要ない無駄な肉を削ぎ落した身も心も戦闘に染まった戦闘キチなんだよ!!こんなにおっぱいデカいのはティナ先生じゃねえ!!ただの胸の大きいいい女だよ!!」

その後、壮助はティナにボコボコにされた後、東京湾に沈められた。


次回「俺達はずっと負けていた」


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俺達はずっと負けていた

日向鈴音のウワサ

積木プロデューサーと意見が割れた時「Youtubeで勝手にデスメタルバンドとコラボします」と脅すらしい。


「では、僕はそろそろ退散するよ。君達、お世話は頼むね」

 

 山根が手を振りながら部屋から出ていく。自衛官らしくない所作に対し、部下の3人は敬礼で応答した。

 3人は壮助たちに起立し、自分達に続いて部屋から出る様に指示する。駐屯地のど真ん中、周囲には武装した自衛官が大勢いる中で逃走・反抗という選択肢は最初から潰えており、素直に従うしかなかった。

 灰色の盾の面々は複雑な面持ちだ。「路頭に迷っていたところを拾ってやった」とマウントをとっていた男達に立場を逆転されたのだから。

 駐屯地の廊下を歩いていると白衣の女性達が向こう側から歩いて来る。医者か研究者の一団だろう。数人で一人を取り囲んでおり、中心の女性がタブレット端末の画面を見せながら他の面々に指示を出している。

 中心の女性に見覚えがあった壮助は彼女がここにいることに目を見開き、向こうも壮助たちに気付いて手を振った。

 

「やあ。義塔くん。まだ死んでなかったようだね」

 

 ここは外周区の自衛隊駐屯地。そこで、まさか室戸菫を見かけるとは思わなかった。

 第三次関東会戦の野戦病院で顔を合わせたことがある朝霞は軽く会釈し、ニュースで彼女を見たことがある常弘、朱理、ナオは有名人のご登場にあわわと震える。それ以外の面々は興味がないのか教養がないのか首を傾げていた。

 

「何でこんなところにいるんすか? ゾンビババア」

 

「ティナちゃんの治療さ。負傷したのが背中とはいえ、治療や投薬がニューロチップにどんな影響を及ぼすか分からない。専門家に任せるのは賢明な判断だ」

 

 菫に名前を出され、改めて壮助はティナが負傷し治療を受ける身になっていたことを思い出す。あれだけ酷い傷を受けた彼女を見ておきながら、「死にはしないだろう」と安心を――いや、甘えを抱いていた己を咎める。

 

 ティナは飛び抜けて強いだけだ。不死身でも、無敵でもない。

 

「大丈夫なんすか?」

 

「命に別状はない。少し時間はかかるが後遺症も無く完治するだろう。ただし、最低でも2週間は()()()()だ」

 

 壮助は「クソッ……」と言葉を漏らし、頭を抱える。2週間――その間、五翔会残党に動きがあっても、ナイトメアイーグルと戦うことになっても彼女抜きで戦わなければならない。動けないところを襲われる可能性だってある。

 

「全身に刺さったバラニウム片を除去して、活動を停止していたガストレアウィルスを低濃度の活性剤を使って治癒力を高めている。治癒だけなら侵食率は誤差の範囲内だが、戦闘などで自発的にガストレアウィルスを活性化させると相乗効果をもたらして、パーセンテージが跳ね上がる。寿命を縮めるも同然だ」

 

 壮助の心を読んだのか、それとも表情に出ていたのか、ティナを戦わせない理由を菫が畳みかける。つい十数秒前、ティナの強さに甘えた自分を咎めたことを思い出し、「今ある手札でゲームを続けるしかない」と無理やり割り切った。

 

「……あの人、じっとする性質(タチ)の人っすかね? 」

 

「させるとも」

 

 語気を強めて断言した菫に壮助は少し驚く。

 

「担当医として私が許さない。ワガママを言うなら、ベッドに縛り付けて、麻酔を打って完治するまで眠らせ続ける」

 

 いつも気だるそうな雰囲気の菫から壮助は強い意志を感じた。医者としては勿論、室戸菫個人としてもティナには長生きして欲しいと願っているのだろう。

 ティナ抜きでこの先、どう立ち回るか、壮助が思案に暮れるとエールに押し退けられる。

 

「おい。医者。ミカンは? アキナはどうなったんだ?」

 

 エールは菫に問うが、菫の隣にいた妙齢の医者達が手を挙げる。

 

「2人の手術は私達が担当しました。お2人とも命に別状はありませんが、ミカンさんは2週間の絶対安静。アキナさんも脚の傷口の治癒が遅行しているため、当面は安静です」

 

「そ、そうか……」

 

 エールは安堵し肩を落とす。ギャングのボスとして取り繕う余裕すら無かったのか、彼女の瞳は涙が流れそうなくらい潤っている。その姿は、彼女がまだ16歳の少女であることを思い出させた。

 

「話は終わったな。行くぞ」

 

 話のキリが良いところで自衛官が声をかける。彼らに連れられ全員が再び足を動かした。

 

「おっと。義搭くんはこっちに」

 

 後ろから菫に手を引かれ倒れそうになった壮助は半歩下がってバランスを取る。

 全員が気になって振り向き、彼らの監視を命じられた山根の部下は怪訝な視線を向ける。

 

「どういうおつもりですか? 室戸先生」

 

「そういえば思い出したんだ。彼もそろそろメンテナンスが必要でね」

 

「メンテナンス?」

 

「おや? 上から聞かされていないのかい? 彼はあの蛭子影胤と同じ能力を持つ機械化兵士だ。ただ移植手術が緊急だったせいで色々と不安定でね。定期的なメンテナンスが必要だ」

 

 そんなことは知らされていない。むしろ菫から「手術は大成功。ノーメンテで一生ものの性能を保証するよ」と真逆のことを言われている。実際、移植手術から一度もメンテナンスをしていない。壮助は訳が分からず、ただ驚くばかりだった。

 

「彼の身柄は我々が預かっています。勝手なことは――」

 

「良いのか? このままだとイマジナリーギミックが暴発してこの駐屯地がクレーターになるぞ」

 

 菫の脅しに自衛官が狼狽える。その背後で別の自衛官が内線で連絡を取り、話し終えると受話器を置いた。

 

「行かせろ。一曹。三佐から許可が降りた」

 

 

 

 *

 

 

 

 菫に引っ張られ、壮助はメンテナンスのことを碌に聞かされないまま診察室に放り込まれた。菫は扉の鍵を閉め、診察室に自分達しかいないことを確認する。

 

「どういうことか説明して欲しいんすけど?」

 

 菫は白衣のポケットからメモ紙を出し、壮助に見せる。

 

≪私と君だけを囲むように弱い斥力フィールドを展開しろ≫

 

 壮助は黙って頷くと指示された通り斥力フィールドを展開する。

 

「もう喋って大丈夫だ。これで私達の会話は誰にも聞こえないな」

 

「ああ、成程。声が漏れないのか」

 

 壮助はようやく菫の意図を理解した。2人きりになったのは、他の人間に聞かせられない話をするからだ。斥力フィールドは念のための盗聴器対策といったところだ。

 

「ようやくガストレア爆弾の正体が分かったよ」

 

「本当っすか?」

 

「嘘は言わないさ。この中にデータをまとめてある」

 

 USBメモリを手渡された壮助は入院着のポケットに入れる。この後、自衛隊員にボディチェックされないことを願った。

 

「手短に話す。正体は『INS-10』。北米のボストンエリア、ハーバード大学分子生物学科附属の『シンス研究所』で誕生したガストレアウィルス培養剤だ」

 

「んなもん生物兵器じゃねえっすか。何で大学が開発してんだよ」

 

「元は研究目的だ。実験で使うガストレアウィルスの培養はガストレア研究者にとって永遠の課題だったからね」

 

「んなもん、わざわざ増やさなくたって、ガストレア殺して死体から抜き取れば良いじゃないっすか。あいつら腐るほどいるんですし」

 

 壮助の提案に菫は頭を抱え嘆息を吐く。一般論からすれば壮助の言っていることはごもっともかもしれないが、研究者としてはあまりにも的外れなのだ。

 

「義塔くん。君は『モデル・ラット由来のガストレアウィルスを()()()に調達して来てくれ』って言われて、首を縦に振れるかい?」

 

 壮助は一考し、菫の意図に気付いた。ガストレアは確かに腐るほどいる。しかし、種類を限定されると出会える確率は極端に低くなる。あまりにも多様過ぎるのだ。ステージⅠですら大型化の度合いや独自の進化を遂げており、複数種が混ざり合ったステージⅡやステージⅢともなれば、同種と呼べる個体の存在は天文学的な確率になる。定期的な供給は不可能だ。

 壮助は肩を落としながら「無理っすね」と回答した。

 

「実験というのは対象の条件を揃えなければならない。ある薬品の比較テストに複数種から抽出したガストレアウィルスを使って結果を出したとしても、それが薬品の効果なのかウィルスの違いなのか判断がつかなくなる。それでは実験の意味がない」

 

「なるほど……」

 

「培養剤自体は以前から実験用として存在はしていた。増殖速度は非常に緩やかで『ウィルスが増えるまで実験が出来ない』なんてことはよくある話だった。そんな状況を改善しようとして開発されたのがINS-10だ」

 

「だが、あまりにも強力過ぎた。ってところっすか?」

 

「その通りだ。あれの能力は開発者の予想を大きく超えた。一瞬でウィルスを数百万~数億倍に増加させるほど強力だった。日向教授の家に居候していた君なら、これがどういうことなのか理解は出来るな? 」

 日向教授の名前が出た時、壮助は菫から目を逸らす。沸き上がる憎悪と悲哀を、抑えても尚漏れだすそれらを菫に悟られたくなかった。

 

「臨界量……っすよね。晩飯の席で聞かされました」

 

「正解だ。あのバカは相変わらずだったようだな」

 

 菫も生前の勇志を懐かしみ、ふとした瞬間に笑みを見せた。

 

「INS-10はガストレア爆弾として十分な能力がある。呪われた子供に投与すれば侵食率が即座に50%を越えてガストレア化。人間の場合は普段の生活で体内に入っていた不活性のウィルスが活性化しガストレア化する」

 

 あの日、ガストレア化した日向夫妻は昆虫の――コオロギに似た形質を持っていた。夫妻の遺体から鈴音と美樹に由来したガストレアウィルスを検出したと報道されていた。同じ屋根の下で生活していれば、不活性のウィルスが娘達から夫妻の身体に移るのは当然の話だ。INS-10というタネが明かされたことにより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という最低最悪の冗談が現実となってしまった。

 

「そのINS-10はどこが管理しているすか?」

 

「フォート・デトリック。アメリカ陸軍の基地と医学研究所を兼任している施設だ。シンス研究所は『INS-10の開発は失敗』と公表し、秘密裏に全てのサンプルとデータを米軍に渡した。そうすることでINS-10がテロ組織の手に渡ることを防げると考えた。だが、先日サンプルの一部が無くなっていることが発覚した」

 

 ガストレアウィルス培養剤「INS-10」はこの世に()()()()()()()()()()()()()。それが、ガストレア爆弾の解明に一週間以上かかってしまった理由でもあった。INS-10の開発が成功し、この世に存在していると知れたのは菫の科学者としての人脈だろう。

 

「まさかアメリカが五翔会残党のバックに?」

 

「いや、その可能性は低いだろう。生物兵器は貧者の核――安価で作れる大量破壊兵器だ。そんなものが普及すれば、世界一の経済力と工業力を持つ米軍は相対的に弱体化する。現に今回の事件で東京エリアは夫妻の遺体と飛鳥ちゃんからINS-10を採取することが出来た。()()()()()()()この国でも研究が出来るようになる。その内、生産も可能になるかもしれない」

 

 ガストレア大戦当時、タガが外れたかのように様々なNBC兵器が研究・開発・製造・使用されてきた。無論ガストレア殲滅が目的だったが、ガストレアを殺せるほど強力な兵器は当然人間にも強力であり、ガストレア以上に人間の犠牲者を出した。その教訓からほとんどのエリアはNBC兵器の運用に消極的であり、東京エリアでも聖居が正式に“人体に危害を及ぼすNBC兵器”の使用を禁止している。少なくとも今の聖天子政権でINS-10が認められることは無いだろう。

 

「アメリカからすれば、この事件は外国がINS-10を保有し、それを自分達に使われるリスクを産んだ迷惑極まりないものだ。今、向こうの軍関係者や政府高官は昼夜を問わず、血眼になって行方不明のサンプルや漏洩の関係者を探している」

 

 喋り過ぎて疲れたのか、菫は一息吐く。

 

「今のところ分かっているのはこれくらいだ。詳細はさっき渡したUSBに入れてある。この内容はまだ私と君、解析に関わった研究者、それとINS-10のことを教えてくれたアメリカの友人しか知らない。聖居もアメリカ政府も知らないことだ」

 

 一介の民警だった壮助の手元にはあまりにも重すぎる情報が握らされていた。これは最強のカードになるが、使い処を間違えれば、自分達を滅ぼす最大の凶器にもなる。手に汗が滲み、握っていたUSBメモリが熱くなった。

 

「16歳のガキに、これは重すぎやしませんか?」

 

「……。不安がる人間の顔には見えないな」

 

 菫の訝る視線で、壮助は自分が笑っていることに気付いた。

 

 

 

 *

 

 

 

 山根の部下に案内された部屋のベッドに寝転がる。白とクリーム色の内装を白色蛍光灯が照らす。家具は4つのベッドとロッカー、中央には小さなテレビが置かれており、いずれも装飾といったものは皆無だ。普段は自衛官が使っている部屋なのだろう。照明の色も相まって「寝て起きる為だけの場所」という感じだった。

 それでも自由に電気も水道も使えるという点ではバンタウの部屋とは比べ物にならないくらい快適だ。

 自衛隊に保護されたのは義塔ペア、日向姉妹、ティナ、我堂組、灰色の盾8名の計16名、その内3名は病室にいるため、残り13人。その13名の部屋割りも壮助が菫と話し合っている間に決められたらしく、壮助は詩乃、鈴音、美樹と同じ部屋に振られていた。

 男女混合の部屋割りは如何なものかと思ったが(常弘はそう主張したらしい)、ベッドの数からしてそれを避けることは出来ず、話し合いの結果こうなった。

 時刻は23時。消灯時間はとうに過ぎ、月明りだけが頼りの部屋で壮助は思案に暮れる。

 ドールメーカーに関わった企業、保脇夏子、ネストからの交渉、ガストレア急襲、自衛隊の非正規部隊、ナイトメアイーグル鹵獲作戦、生物兵器INS-10、etc……整理しなければならない情報があまりにも多かった。これからどう動くかのプランも自衛隊の介入で白紙にせざるを得なかった。

 どうにも答えが出ず、寝るに寝られず、壮助は上体を起こす。

 

「義塔さん……」

 

 鈴音が囁く。「どうした?」と小声で応答するがそこから返事がない。寝言のようだ。

 どんな夢を見ているのか気になりながらも再び情報を整理する作業に戻る。今日の朝、ガストレアが襲ってくる前のバンタウの光景が頭に浮かべる。データの入ったスマホもタブレットも自衛隊に押収されたため、記憶だけが頼りなのだ。

 ふと、壮助はガストレアが襲ってくる前、鈴音が何かを言おうとしていたことを思い出した。彼女は何を伝えようとしていたのか、鈴音が寝ているベッドに目を向けるが、パーテーションで仕切られているため姿すら見えない。

 

「仕方ない。明日、本人から聞いてみるか」

 

 そう独り言ちて、壮助は再びベッドに寝転がった。

 

 

 

 

 

 

 ――いや、待て待て待て!! 嘘だろ!!

 

 衝撃のあまり壮助は飛び起きた。彼の中で()()()()()()()()()()()()。瞳孔が開き、顔が強張り、指は錆び付いたサイボーグのようにぎこちなく動く。クーラーが効いている筈なのに嫌な汗も噴き出す。

 

 

 ――五翔会残党候補の企業……全部、鈴之音がCM契約を結んでる企業じゃねえか!!

 

 

 頭の中にある五翔会残党候補の企業名を思い出す。確かに鈴之音がCMやイメージキャラクター契約している会社と合致していた。一社や二社ではない。十社も被っていた。これを偶然で済ませることが出来なかった。

 

 五翔会残党は歌手「鈴之音」のスポンサーになって、彼女を担ぎ上げた。

 

 そして両親を殺害し、妹と一緒に拉致しようとした。

 

 スカーフェイスにとって姉妹は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。ネストは大金を出してでも日向姉妹を東京エリアから追い出し隠居させたかった。

 

 もし五翔会残党の目的が日向姉妹を行方不明にすることだとしたら――。

 

 

 

 

 

 ああ。そういうことか。

 

 鈴音と美樹は殺されていない、連れ去られてもいない。

 敵はしくじって、俺達はまだ勝っている。

 

 そう思い込んでいた。

 

 けど違った。

 

 

 俺達はずっと負けていたんだ。

 あいつ等はとっくの昔にゲームをアガっていたんだ。




オマケ 前回のアンケート結果

Q:どっちが強そう?

(15) イニシエーター部隊
(10) 機械化兵士部隊

現状、機械化兵士一体に対しイニシエーター数名の戦力差ですが、後の章では逆に一人で機械化兵士部隊を相手に出来る悪魔に魂を売ったレベルのバケモノイニシエーターが出てきますし、そのバケモノイニシエーターに匹敵する性能のゲテモノ機械化兵士が登場して、それらの一気に殲滅する天の梯子が霞んで見えるレベルの超兵器が登場して(略)

バトルもののインフレってこうやって始まるんですね。

次回「生贄にスポットライトを」


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生贄にスポットライトを

片桐玉樹のウワサ

黒膂石回転刃拳鍔(バラニウムチェーンソーナックルダスター)はミ●四駆のモーターで動いているらしい。


 冷房機の駆動音が静かに唸る真夜中の宿泊室。消灯時間はとうに過ぎ、各々が眠りに付いてから2時間は経過していた。その中、まだ瞼を開けている者達がいた。

 

「エール……起きてる?」

 

 掠れるような声でナオが囁く。自衛隊のヘリの中で仲間の死に涙を流し、泣き喚いた彼女の声は枯れていた。

 

「…………………………………………起きてる」

 何をどう思い、答えを悩んだのだろうか。エールの返答は数秒遅かった。

 

「みんな寝てるよ」

 

「そうだな……」

 

「黙っててあげるから……今ぐらい泣きなよ」

 

「うる……せぇ……」

 

 エールはナオに背を向け、シーツを頭まで被せる。それでも、こみ上げてくる哀傷を抑えることは出来なかった。唇の隙間から嗚咽が溢れる。目から零れる涙も止まらない。赤子のように身体を丸く縮ませ、この声が誰にも届かないことを願い、枕に顔を埋めた。

 数年振りに聞いた親友の啼泣を耳にナオは天井を眺める。

 いつかニッキーは言っていた。エールは私達が思っているほど強い人じゃない。私達がボスを、リーダーを、姉ちゃんを求めるからその役を全うしたお人好しだと――。

 そんなものは一番付き合いの長い私がよく分かっている。だから、今日のエールを見るのは辛かった。本当に私達みたいに人目もはばからず泣きじゃくりたかった。でも、それを我慢して灰色の盾のボスで居続けた。人に棄てられ、人に虐げられ、人を憎む赤目ギャングのボスで居続けた。

 

 本当はもう、そんな気持ち残ってない癖に――

 

 

 “バケモノ”だと蔑まれてきた。

 

 だから“バケモノ”らしく振舞った。

 

 でも……せめて、友達の死に涙を流す時ぐらいは“女の子”でいさせたい。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 まだ陽が昇り切っていない早朝、壮助は宿泊室のテレビで朝のニュースを眺めていた。他の3人が起きないよう音量は自分がギリギリ聞こえる最小限に抑える。

「自分達が負けていた」と気付いてからとても寝られる気分ではなかった。最初は頭の中で情報を整理し、その後は仮眠。3時間後には目を覚ましてニュースをずっと見ていた。

 パソコンもスマホも自衛隊に取り上げられた今、テレビだけが情報収集の手段だった。

 

・前田防衛相「ガストレアの駆除は完了」と発表

・「生存は絶望的」日向姉妹の捜索打ち切り 事件の捜査は継続

・我堂民警社の躍進 IT化する民警の未来像とは?

・「ガストレアは出て行け」児童養護施設へ脅迫状 57歳の女性を逮捕

・第三区女子小学生殺害事件 同級生が反赤目団体に殺害を依頼

・西外周区感染爆発は宇宙人の仕業? 前日に相次いだUFO目撃情報

・天誅ガールズ大正デモクライシス 劇場版製作決定

・「公平性に欠ける」永山陸上競技委員長 日向美樹さんの記録取り消しを検討

・急増する赤目差別と憎悪犯罪 警察はバラニウム製武器の取り締まりを強化

・政権支持率25%を下回る 就任後初

・市民団体に届く「赤目排斥」を願う声 「ウチは純血会じゃない」と代表は困惑

・積木P事件後初の記者会見 「また彼女の声が聴ける日が来ることを願う」

・玄界 博多エリア代表 西外周区事変の犠牲者に哀悼の意

・アロイス LAエリア代表 ガストレア新法の決議延期を提案

・屋上から飛び降り19歳女子大生が死亡 “鈴之音 後追い自殺”か

 

 

 背後で布の擦れる音がする。起こしてしまったか、と壮助はテレビの音量を更に下げるが既に遅かった。彼女はスリッパを履き、パタパタと足音を立てながら壮助に近付いた。

 

「おはようございます。義塔さん」

 

「おはよう。鈴音」

 

 寝起きながらしっかりと開く瞼、ノーメイクでも損なわれない美貌、こんな状況でも笑顔で居続けるメンタリティ。(彼女は歌手なのだが)どこまでも理想の女の子を崩さない彼女は骨の髄まで偶像(アイドル)なのかもしれない。

 

「悪い。起こしたか?」

 

「私が早起きなの知ってるじゃないですか」

 

「それもそうだったな」

 

 他にもソファーがありながら、鈴音は二人掛けソファーの壮助の隣に腰をかける。ソファーはそれほど大きくない。さり気なく端に詰めようと努めても肩、腕、腰、脚が密着する。

 

 ――相変わらず距離感バグってんな。こいつ。

 

 鈴音と出会ってもう一ヶ月が経つ。ほぼ毎日顔を合わせ、同じ屋根の下で過ごすとこうして密着されるのも無意味に顔を触られるのも慣れてくる。会ったばかりの頃のようなドキドキも……無くなった訳では無いが軽くなった。

 

「義塔さん。ちゃんと寝てないですよね」

 

「何で分かるんだよ」

 

「肌に出るんですよ。そういうの。あと汗も流して無いじゃないですか」

 

「汗臭いんだったら離れろよ」

 

「言いませんよ。私達の為に頑張って流した汗なんですから……それに――

 

 鈴音は誇らしげな顔をして、鼻息を荒く立ててガッツポーズする。

 

「臭さで言ったら昔の私も負けてませんよ。一週間以上身体を洗えなかったなんて普通でしたし、ハエが集るのはいつものこと、服はカビ臭かったですし、悪い人から逃げる時には下水道とか通りましたから、出てきた直後はもう自分の臭さで嗅覚がしばらく死んでました」

 

「……路上生活ガチ勢は反則だろ」

 

 鈴之音ファンが聞いたら泡を吹くであろう汚いエピソードに愛想笑いする。味覚殺しの異名を持つエールの飯を平然と食べたり、ギャングと一緒に解体現場でスレッジハンマー振り回す生活を過ごしたなんて話も加えれば卒倒は確実だ。

 

「まぁ、でも平気そうで良かったよ」

 

 大勢のガストレアに囲まれ、友達はほとんどが死ぬかガストレア化し、目の前で年端もいかない少女が自爆テロを仕掛け、自分達を守る為に2人が生死の境を彷徨った。訓練を受けた兵士ですら心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症しかねない。

 鈴音が心の均衡を保っていられるのは、不本意ながらも幼少期にそれらを経験し乗り越えていたからかもしれない。

 

「平気なんじゃなくて、分からないだけですよ。泣けば良いのか、笑えば良いのか、怒れば良いのか……」

 

「そういうのって、()()()()()()()()()じゃなくて()()()()()()()の問題じゃねえのか? 」

 

「……………………………………」

 

 鈴音は何も答えなかった。彼女は壮助から目を逸らし、テレビに視線を向ける。ギリギリ聞こえるか聞こえないかの音量でニュース映像が垂れ流される。

 壮助は急かさなかった。これは個人の気持ちの問題だ。模範解答なんて存在しない。ましてや自分達は性別も、生まれ育った環境も、持っているものも失ったものも違う。自分の言葉に鈴音がどう思っていても、返答に困って話を止めても、それは仕方のないことだと自分の言い聞かせる。

 

「あの、実は昨日言い忘れていたことがあるんです……」

 

「ん? 何だ?」

 

「五翔会残党って言われている会社……全部私がCMやイメージキャラクターで契約を結んでいる会社です」

 

 昨晩、思っていた通りの話が出てきて、壮助はふっと鼻で笑う。

 

「やっぱりか……」

 

「やっぱり?」

 

「昨日俺も気付いたんだよ」

 

「これって偶然なんでしょうか……?」

 

「多分、偶然じゃない。俺の推測が正しければ、五翔会残党はお前を持ち上げて、貶めて、それによって生じる影響で利益を得ている」

 

 壮助は鈴音の顔色を窺う。ここからする話は世辞で言っても精神衛生上良いものではない。彼女には何も知らせないまま敵を殲滅し、綺麗になった場所に送り届けるという手もまだ残されている。

 

「教えて下さい。私も守られてばかりのお姫様は嫌です」

 

「さっきも言ったけど、あくまで推測だ。それにあまり気分の良い話でもねえ」

 

「それでも構いません」

 

 自分は目の前の少女を見くびっていたようだ。どうなっても知らんぞと言いたげに壮助はため息を吐く。

 

「五翔会残党の目的……そいつは聖天子不信任決議だ」

 

 鈴音はさっそく首を傾げた。

 

 聖天子は、国民投票で三分の二以上の賛成により不信任が可決されたとき、十日以内に国家の代表たる資格と権利を返上し、辞職しなければならない。

 

「簡単に言うと聖天子を合法的に政界から追い出す制度だ。『東京エリアは聖天子様の独裁国家』なんて言われているが、追い出す手段は法律でちゃんと定められている。そうしないとテロや暗殺でしか排除出来なくなるからな」

 

 壮助がテレビを指さす。丁度、ニュースで8月21日に投開票が行われる聖天子不信任決議に関する報道が流れている。専門家は第三次関東会戦ショックから続く経済の低迷、天童家を失ったことによる発言力の低下、聖天子肝煎りのプロジェクトであった侵食率管理システムの不備発覚を例に挙げ、東京エリア史上初の不信任決議可決となる可能性があると語っている。

 

「ガストレア新法の施行と赤目保護政策は聖天子肝煎りだ。この政策の評価が今の彼女の評価に直結していると言っても過言じゃない。ただでさえ経済政策も外交も目立った成果が無い彼女を貶めようとするなら、そこに泥を塗るのは当然の発想だ」

 

「私達はそれに利用された……」

 

「ああ。それも……何年も前からな」

 

 壮助は一度話を止めて再度、鈴音の顔色を窺う。自分が歌手になったせいで皆が死んだのではないかと思い詰めるのではないか、そう思っていたが、当の鈴音はさして気にしている様子は無い。

 

「話はこうだ。保脇夏子にとって聖天子はどうしても潰したい相手だった。五翔会残党にとっても邪魔な存在だった。そこで残党は赤目保護政策に泥を塗り、聖天子の評価を地に墜とし、そのタイミングで始めた国民投票により政界から追い出す作戦を考えた。それがこの事件だ。

 保護政策に泥を塗るには保護された赤目に大事件を起こして貰うのが手っ取り早い。ついでに厚労省の侵食率管理システムの信用もぶっ壊してくれると助かる。そうなるとガストレア爆弾を使って保護対象の子供たちをガストレア化させて感染爆発を引き起こし、大勢の尊い犠牲を出す方法が一石二鳥だ。

 でもこれには欠点がある。被害のコントロールが出来ないところだ。ガストレア化させても、たまたま居合わせた民警に倒されて犠牲者一名で終わるかもしれない。そうなってしまったら国民に与えるショックはその分小さくなる。警察に対策を取られれば、同じ手が二度と使えなくなるかもしれない。逆に対応が遅れて東京エリアが滅亡するかもしれない。これでは元も子もない。

 だから五翔会残党は別の手を考えた。ガストレア化させて犠牲者を出すのではなく、「ガストレア化寸前の少女が街中に潜んでいる」という恐怖を作り出し、それを保護政策を推し進めた聖天子への批判に繋げ、国民投票に持ち込むという作戦だ。

 その為には東京エリア全市民が事件に関心を持たなければならない。どこぞの馬の骨を侵食率48%に仕立て上げても大して話題にならない。

 

 誰もが注目し、誰もが心配し、誰もが事件に関心を寄せる。

 

 そんな生贄が必要だった。

 

 そして、鈴之音――日向鈴音に白羽の矢が立った。

 

 芸能界に飛び込んだ呪われた子供。その中で頂点に立つ可能性のある原石。

 

 五翔会残党にとっては生贄候補として疑う余地なんて無かったんだろう。残党の人脈と財力を挙げてスポンサーになった。自らCM契約やイメージキャラクター契約を持ちかけて有名にし、『鈴之音』を東京エリアの誰もが知る、みんなに愛される生贄(アイドル)に仕立て上げた」

 

 鈴音が「あの……」と言って挙手する。

 

「弓月さんじゃ、駄目だったんすか? 前から有名人でしたしファンもいますし、SNSのフォロワーも私より多いんですけど」

 

「片桐パイセンじゃ無理だな。まず聖天子の保護政策の対象じゃないし、加えてイニシエーターだ。仕事で能力を使うから侵食率が日常的に上がるし、仕事柄ガストレアとの接触は避けられない。ある日突然侵食率が上がっても『ガストレアにやられたのを隠していたんじゃないのか?』と思われてお終いだ」

 

「そうですか……」

 

侵食率管理システムによって安全と保障され、日常生活で赤目の力を使うことも無く、ガストレアと接触することも無く、模範的な市民として暮らしていた日向姉妹ですら突然ガストレア化する。

 これでは共存など無理だ。聖天子の保護政策は間違っていた。――そう世論を誘導出来ればそれで残党の勝ちだったんだ。聖天子の支持率は25%を下回った。対して不支持率はこの数日間で保留層を取り込んで70%を越えている。このまま投票に持ち込めば負けるだろう。その先にあるのは――票集めの為に呪われた子供も外周区の人間もガストレアの餌にした政治家たちの国だ。

 俺達は日向姉妹(お前達)を守り切ってそれで勝ったつもりでいた。でも、違う。あいつらが侵食率48%なんて数字をでっち上げた時点で俺達の負けは確定していたんだ」

 

 壮助は熱くなり、いつの間にかソファーから立って、まるで頭に血が登った活動家のように雄弁に語っていた。美樹と詩乃がそれでも目を覚まさなかったのは幸いか。

 鈴音は座ったまま、ぽかんとしていた。

 

「義塔さん……。どうして()()()()()()()()()?」

 

「壮大な計画をぶっ壊すお楽しみが待っているからさ」

 

 

 

 

 今から真実を公表しても明後日の投開票までに世論をひっくり返すのは不可能だ。

 だから、()()()()()()は五翔会残党の勝ちで終わらせてやる。

 

 次は俺達がゲームを始める番だ。




オマケ 前回のアンケート結果

菫「君のメンテナンスをしたらとんでもないことになってしまった」壮助「え?」
 (1) 両手をサイコガンに改造
→(7) 声が小山力也になる
 (3) 斥力フィールド暴発により駐屯地消滅
→(10) 女の子にしてしまった。
 (3) 菫の科学力は世界一ィィィ!!状態になる
 (1) ただし、斥力フィールドは尻から出る

義搭壮助(♀ CV小山力也)「声が小山力也の女とかどこに需要があんだよ!?せめてどっちかにしてくれ!!」

 (1) 両手をサイコガンに改造
 (7) 声が小山力也になる
 (3) 斥力フィールド暴発により駐屯地消滅
→(10) 女の子にしてしまった。
 (3) 菫の科学力は世界一ィィィ!!状態になる
 (1) ただし、斥力フィールドは尻から出る

義搭壮助(♀ CV悠木碧)「よりによって何でこの声なんだよ!!」
詩乃「壮助。これ被って」黒髪ウィッグ
詩乃「あとこれも着て」黒のドレス
詩乃「あとこれも持って」小太刀×2

弓月「まんま小比奈じゃん」
ティナ「けっこう似てますね……」
詩乃「不思議だねー(棒)」


次回「目標:第2ラウンドKO勝ち」


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目標:第2ラウンドKO勝ち

ミカンのウワサ

ちゃんとした本名があるが訂正するのが面倒なのでそのままミカンと呼ばせているらしい。


 8月19日 午前10時

 4つのベッドと小さなテレビで構成された現地情報隊の宿泊室、そこで壮助と山根は小さなテーブルを挟んでソファーに腰掛けていた。山根は壮助の話に口を挟むことなく黙って頷き続けていた。

 

「なるほどね……。憶測や不確定要素が混ざっているし、まだ残党の動きで説明できていない部分もあるけど、今の状況から考えて最も現実的な話ではある」

 

 各々楽な姿勢で耳を傾けていた部下三人衆も16歳の少年の推理に舌を巻いていた。

 

「選挙前の世論作りが目的? それで何千人もガストレアの餌にしたって言うのかよ」

 

「東京エリア史上初の聖天子不信任投票だ。理由としては十分だろう」

 

「ガストレアを抑え込んだとはいえ、昨日の一件で関東会戦並みの死者が出ている。緊急事態として投開票の延期(繰延投票)になる可能性だってあるぞ」

 

 部下達がやいのやいのと問答する中、山根は顎に手を当てて熟考する。

 

「確かに残党の動きには矛盾……というか愚策が目立つ」

 

「愚策?」

 

「例えば、最初から姉妹を殺害し遺体を秘密裏に処分する方針を取れば高速道路の戦いで全て終わっていた。スカーフェイス、ジェリーフィッシュ、ガストレア爆弾、ナイトメアイーグルといった戦力を複数同時に投入すれば僕達は負けていた。状況は常に残党が優位で、僕達はバンタウで堂々と待っていたにも関わらず、彼らは逐次投入を繰り返し、いたずらに戦力を消耗させた」

 

 壮助は日向夫妻がガストレア化した夜から今日までの戦いを振り返る。山根の言う通り、敵はスカーフェイス→ジェリーフィッシュ→ガストレア爆弾という順番で投入されて来た。驚異レベルも段階的に上がっている。まるで主人公のレベルに合わせて敵が出て来るロールプレイングゲームのようだ。

 ジェリーフィッシュとガストレア爆弾は別件で使う予定だったがやむを得ず日向姉妹襲撃に使った。スカーフェイスだけで済ませるつもりだったので準備していなかった。様々な考えが頭に浮かぶが決定的なものは出て来ない。

 山根が手をパンと叩き、全員の渦巻く思考や問答を止め、自分に注目させる。

 

「まぁ、今ここであれこれ考えても仕方ない。まずは義塔くんの推理の真偽を確かめよう。保脇夏子は五翔会残党なのか。意思決定の場で彼女の発言力はあるのか。そこを固めないと僕達は総崩れになる。で、確かめる方法は考えてあるのかな? 」

 

 山根が年甲斐もなく期待に満ちた視線を壮助に向ける。40も年下の少女達にこき使われビクビクしていた闇医者(倉田)からは想像出来ない様子だ。目の前の少年がどんなプランを出すのか楽しみで仕方がないのだろう。

 

 ――この妙なところで俺に期待する感じ……。我堂のオッサンに似てるな。

 

 しかし期待されて悪い気分ではない。意見を求められているということは、必要とされているということ。この先の主導権を自衛隊(大人達)に取り上げられること無く、自分で握るチャンスが残っているということだ。それが分かり、壮助は心中笑みを浮かべた。

 

「荒っぽい手段になるけど――――

 

 そう言葉を添えて語ったプランは本当に荒っぽい手段だったのだろう。山根達は難色を示した。壮助のプレゼンテーションが終わった後、山根が大きく溜め息を吐く。やはり不味かったかと壮助は不安になり、それが冷や汗として浮き出る。

 

「ふふっ……ふふふふふふふふっ」

 

 俯いていた山根の口から笑みが噴き出た。笑いを我慢できず、肩が震える。

 

「当たれば官軍。外れれば賊軍の大博打か……面白いじゃないか」

 

 正体を明かしても尚、被り続けていた“気弱な中年男性”という仮面が剥がれる。ねっとりとした口調が耳に纏わりつく。

 

「やはり、真っ当な手段が通じない組織には君のような顧みない若者を使うのが一番のようだ。大人としては情けない話だがね」

 

 山根が面を上げる。真夏の快晴が陽光として射し込む部屋の中で、彼はどんよりと沼のような笑みを浮かべていた。まるで悪巧みをする壮助のように――

 

「君の大博打が無駄にならないよう僕達は国民投票に破壊工作を仕掛けて壊しておくよ。嘘で作られた世論とはいえ、投開票で結果が出てしまうとゲームオーバーだ」

 

 現役の自衛官が選挙に介入し、あまつさえ破壊工作を行う。民主主義もシビリアンコントロールもサラリと否定した山根に壮助は戦慄する。40歳も年下の少女達のパシリにされていた医者くずれの腹の底にこんなものが潜んでいて、バンタウで彼に全ての情報を明かしていたことに身震いする。

 

「この人、大丈夫か?」

 

「大丈夫だ。三佐殿はこれが素の性格だから」

 

「気を付けろよ。色々とやらかし過ぎて防衛省出禁になった人だからな」

 

『テロリストになられたら困る』って理由で自衛官をクビにならなかった人だしな」

 

 山根の部下達は「ははは」と口を合わせて笑い合う。3人もこのトンデモ上司に振り回されてきたのだろう。その笑いには諦めが混ざっていた。

 

「あー、盛り上がっているところ悪いんだけど、国民投票は妨害しない

 

「「「はぁ!?」」」

 

 三人衆の視線が一気に壮助に集まる。

 

「ちょっと待て。さっきと言っていることが違うだろ」

 

「お前、正気か?三佐殿が言っただろ。開票結果が出ればゲームオーバーだ」

 

「勝敗が付けば、残党がナイトメアイーグルを使う理由も無くなる。鹵獲するチャンスも失うぞ」

 

 昂り壮助に詰め寄る迷彩服の男達を山根が右手を挙げて制止する。

 

「詳しく……話を聞こうじゃないか」

 

「まず国民投票はデッドラインじゃない。不信任が可決されても聖天子が国家元首じゃなくなるまで10日間の猶予がある。俺はその10日間で五翔会残党に勝負をしかけたい

 

「破壊工作じゃ駄目なのかな? あれだって半月ほど投開票を延期させることが出来る。まぁ、国民感情のことを考えると使えるのは1回きりだけどね」

 

「だったら、10日の猶予とそう大して変わらない。それどころか聖天子の評価にケチをつけることになる。この最悪のムードでどっかの馬鹿が『聖天子の手下が選挙を破壊した』なんて叫べば、もう取り返しがつかなくなる。俺達みたいにまともに学校に行けなかった若者は自分が思っている以上に馬鹿で、陰謀論なんていう分かりやすいストーリーにホイホイ引っ掛かるからな。そんで真実が分かっても脳味噌のアップデートに時間がかかるし下手すりゃ出来ない」

 

 モノリスの結界により限られた安寧を手にして十数年経つが、ガストレア大戦が残した数多くの傷跡は今でも社会に蔓延っている。その一つが進学率の低迷、労働人口の低年齢化である。ガストレア大戦、そして3度にわたる関東会戦で疲弊した東京エリアは経済的に困窮していた。かつての途上国のように親も子供も働かなければ生きていけない時代が続き、社会全体で子供に無駄な勉強をさせる余力が無くなっていった。

 奪われた世代の中、30代の3割は最終学歴が中卒、20代ともなると社会的・経済的理由で義務教育すら受けられなかった者も珍しくない。今の10代、無垢な世代になって就学率は好転していったが、迫害されてきた呪われた子供、壮助のように特殊な事情でドロップアウトした人間は大勢いる。そんな戸籍を持たず、国民、市民、社会の一員としてカウントされていない少年少女も含めてしまえば、とても日本とは思えない就学率・識字率を叩き出す。

 

 そして、東京エリアはそういった者達にも平等に選挙権を与え、教育を受けられた者と受けられなかった者の一票にも差をつけなかった。

 

 子どもじみた嘘に騙される国民が増えているとも知らずに――

 

「それともう一つ、俺は一度、連中を勝たせて油断させたいんだ。お宅らも知っての通り、残党はかなり慎重で注意深い。正直、今掴んでいる情報だって奇跡と偶然で手に入ったようなものだ。これらを基に捜査を続けてもどこかで壁にぶち当たる可能性がある。だったら、邪魔者は西外周区で死んで、国民投票のデッドラインも越えて、勝利を確信した隙を突きたい」

 

 山根の部下が鼻で笑う。

 

「目指すは第2ラウンドKO勝ちか……。そんな隙、生まれると思うか?」

 

「正直、こっちも博打だな」

 

「心許ねえな……」と大きく溜め息を吐いた。

 

 もう一人の部下が挙手する。

 

「相手に勝利を確信させるとなるとナイトメアイーグルを出す理由が無くなる。鹵獲作戦はどうするつもりだ?」

 

「勝敗がついた後もナイトメアイーグルを手元に置いておきたい理由を作ればいい。俺の作戦はそれも兼ねている」

 

「……なるほどな」

 

 今度は別の部下が手を挙げる。

 

「重ねて質問。11日目はどうするんだ? 残党を潰して姉妹の名誉を回復させても投票結果は覆らないぞ」

 

 壮助は押し黙る。その反応から山根の部下達は呆れてため息を吐いた。

 

「……お前、まさか考えてないのかよ」

 

「ああ。残党潰してしまえば、目的を達成しても意味が無いからな」

 

 16歳の少年が一晩で考えた方針、それは論理立っていたが、粗く、雑で、仮定の上に立った博打で一部は他力本願だ。山根の部下達は頭を抱える。

 山根の茶を啜る音が4人の耳に届く。湯呑をテーブルに置いた頃には全員が彼の発言を期待し、眼差しを向けていた。

 

「まぁ、そこは女王様の立ち回り次第でどうにでもなるさ。不信任可決後の聖天子の扱いについては法律が整備されていない。まぁ、これは()()()だろうね。法解釈次第で返り咲く方法なんていくらでも見つけられる。その辺のやり方は聖居の偉い人達が上手い事考えてくれるさ」

 

 部下達はあからさまに嫌そうな顔をしている。このトンデモ16歳とトンデモ三佐殿の悪巧みに振り回されるのかと思うと、悩み、諦めを通り越して乾いた笑いが零れた。

 

「保脇と国民投票の件は義塔くんのプランで進めよう。僕もそれが最善に思えて来た」

 

「それともう一つ、頼みがある」

 

「何だい?」

 

「俺だけ内地に行かせてくれ。例の作戦は俺一人でやる」

 

 山根は深く溜め息を吐いた。部下達も壮助の提案に驚く様子は無かった。

 

「君が適任者で、君にしか出来ない内容だからね。そう来るとは思っていたよ」

 

 壮助は歯をかみ締め、つばを飲み込む。ここまで来て突然NOと言われてしまわないか不安になったからだ。

 

「良いだろう。手配するよ。ただ僕は非正規部隊の嫌われ隊長なんでね。エコノミークラスで我慢してくれ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「おい!! 待て!! これのどこがエコノミークラスなんだよ!!」

 

「手配して貰っただけでも感謝しろ!!」

「おらもっと頭下げろ!! 入らないだろ!!」

「大人しくしろ!!生意気なガキめ!!」

 

 壮助は屈強な自衛官3人に無理やり段ボールに押し込められ、輸送ヘリに放り込まれた。騒がしいローター音と身体が感じる揚力でヘリが離陸したのを確認した。やり方はともかく駐屯地と自衛隊が封鎖する西外周区をこっそり抜け出すことが出来てほっとした。

 

 ――恩に着るぜ。山根三佐。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 駐屯地のヘリポートで空を仰ぎ、山根達は視界の中で小さくなる輸送ヘリを見送った。その光景のどこか感慨深げに眺める。

 関東平野で吹きすさぶ風の中、山根は呟いた。

 

「16年前……」

 

「はい?」

 

「16年前、蛭子影胤とその協力者を拘束するため、()()は実験場に突入した。あれは酷い作戦だったよ。現場は用済みになった母親たちの死体が山のように重なっていて、ガストレア化した赤子に襲われて隊員の半数が死んで、そして肝心の目標には逃げられた後だった。命を無駄に失った最低最悪の作戦だったけど、死体の山から赤子を救えただけでも意味はあったかな」

 

「その話、何度も聞きま――」

 

 部下が火を灯そうと指に挟んでいた煙草を落とす。

 

「って、ええ!? もしかして、彼があの子ですか!?」

 

「あれ? 言わなかったっけ?」

 

「いや、一度も聞いてません」

 

「右に同じく」

 

「……」「……」「……」「……」

 

 4人は沈黙し、風音だけが耳に入る。山根は本気で言い忘れていたようだ。

 

「16年振りの再会はどうでしたか? 三佐殿」

 

「いやぁ、あれは酷いね。父親そっくりじゃないか。いつか、とんでもないことをやらかしそうで恐ろしいよ」

 

「そのとんでもないことが、今回の件になるかもしれませんよ」

 

「そうなったらそうなったで僕達大人が責任を取ろう。彼のような子どもを使わないと問題を解決できない無力さの責任をね」




オマケ① 国民投票による聖天子不信任決議 の流れ

衆議院で聖天子不信任の議案が提出され、出席議員の三分の二が賛成すると「聖天子を不信任にするか否かの国民投票」を行うことが決定される。

国民投票により「不信任」票が総投票数の三分の二を超えて可決されると聖天子は10日以内に国家の代表としての権利・資格を返上する(聖天子ではなくなる)

世継ぎが12歳以上の場合、次代聖天子としての信任投票が行われる。
信任投票が否決された又は世継ぎがいない場合、閣僚の中から暫定総理大臣が選ばれる。



オマケ② 前回のアンケート結果

鈴音「えっ?私の匂いを嗅ぎたいんですか?」←どこを嗅ぐ?

→(5) 髪
 (1) 耳の裏側
 (4) 首筋
 (2) 鎖骨
 (2) 脇
 (2) 手の平
 (1) 鳩尾
 (3) へそ
 (1) 太腿
 (3) センシティブな場所

※0票は除外。

美樹「義塔の兄ちゃん……何で吊るされてるの?」

壮助「鈴音の髪の匂いを嗅いだ罪で灰色の盾(別名:鈴之音親衛隊)にシバかれました」

美樹「どうだった?」

壮助「シャンプーの香りがしました」

美樹「私も同じシャンプー使ってるんだけど……嗅ぐ?」

壮助「なんで?」

美樹「ふんっ!!」
壮助「ぐえっ!!」


次回「100万人のゆりかご」


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100万人のゆりかご

山根宗司のウワサ

医師を名乗っていたが、医師免許は持っていないらしい。


「――という訳で保脇夏子を調べるため、義搭くんは自衛隊の荷物に混ざって内地へ行きましたぁ~彼の健闘を祈りましょ~拍手ぅ~」

 

 昨日と同じ会議室に集められ、詩乃、我堂組、灰色の盾の面々は一人拍手する山根を冷ややかな目で見ていた。ちなみに美樹は昨日の一件で肉体的・精神的な疲労が激しいため欠席、鈴音も付き添うため宿泊室に残った。

 詩乃がデスクを叩き、真っ二つに割る。コーティングされた木材が破裂し、脚部を構成していた金属パイプがひしゃげる。

 

「ぶち殺すぞ。クソメガネ」

 

「そう怒らないでくれよ。本人が一人で行きたいって言ったんだから」

 

 怒気が溢れた詩乃の言葉に山根以外の全員が身震いする。彼女の赤い双眸が真っ直ぐと山根に刺さり、手には砕けたデスクの破片がナイフのように握られていた。

 

「自分だけ逃げた……とかじゃないよね?」

 

「カナコの言う通りかもなぁ~。スカーフェイスと戦わなかったし、UFOの時も別行動だったしな」

 

「そう咎めるな。ルーシー。所詮は弱い黒目(人間)だ。逃げない方がおかしい」

 

 エールが机を殴った。ドンとした音と共にデスクが浮き上がり、着地の振動で脚部のパイプが震える。

 

「カナコ、ルーシー、ライラ。ちょっと黙ってろ」

 

 ドスの利いたエールの言葉が彼女達を震えさせ、言葉通り黙らせた。3人からエールの表情は見えなかったが、見えない分、普通に睨まれるよりも恐ろしかった。

 

「森高さん。貴方はどう思いますか?」と朝霞が問う。

 

「壮助は裏切らないよ。死なない限り、戻って来る」

 

「ならば主の戦果を信じ、座して待つのもまた女房役の務めです」

 

 大腿の上に手を置き、背筋をぴんと張り、朝霞は陶器のよう静謐に端座する。盛大にデスクを真っ二つに破壊し椅子の上で胡坐をかく詩乃とは礼節の差が一目瞭然だった。

 

「それなら別に私は待たなくても良いよね」

 

「どういう意味ですか?」

 

「私は壮助の強さを信じて無いから」

 

 朝霞は大きく溜め息を吐いた。これほどまで相棒に信用して貰えない壮助のことを初めて気の毒に思った。

 

「貴方が毒で倒れている間、彼は我堂の精鋭達を相手に大立ち回りを演じ、私とも互角に渡り合いました。それでも尚、“弱い”と言うつもりですか?」

 

 朝霞と“互角”という誇張こそ混じっていたが、それでも古株の包囲を突破し朝霞と刃を交えることが可能な民警はそう多くない。東京エリアに限れば片手で数える程度だろう。そんな彼を“弱い”と評する詩乃の感覚は朝霞から見ても異常だった。

 朝霞の冷たい視線が詩乃に刺さる。普段なら両者の間に火花が走り一触即発の状態になるだろう。しかし、毒で倒れていた負い目が利いたのか詩乃はあからさまに視線を逸らした。

 

「……2日ぐらいなら……我慢してあげる」

 

 場が収まり、常弘は安堵し肩をすくめる。

 

「とりあえず、僕達は僕達で出来ることをやろう。ドールメーカー、厚労省の侵食率検査機、ガストレア爆弾の調査、ナイトメアイーグル鹵獲作戦の立案、やることはいくらでもある。仲間の仇討ちをしようにも五翔会を丸裸にしないと全員がここから進めない」

 

「あいつが戻って来た時に『お前ら何やってたんだ?』って馬鹿にされたくないでしょ?」

 

 朱理の焚き付けも利いたのか、全員の心情が「何かをやる」ことで一致した。赤目ギャングもイニシエーターも負けず嫌いなところは変わらないようだ。

 

「まぁ、『義塔くんからの宿題』でもあるしね」

 

 山根は手書きのメモをひらひらとさせる。よく見ると箇条書きで常弘の言っていたことが書かれていた。戻って来た彼に成果を見せて鼻を明かしてやろうと思っていた子達はあからさまに嫌そうな顔をした。

 

「ああ。それとガストレア爆弾の調査は室戸先生、ナイトメアイーグル鹵獲作戦は我々と司馬重工が協力して立案する。君達は残りを頼むよ」

 

「山根三佐。僕から一つ良いですか? あと東京エリアの地図も拝借したいのですが」

 

 常弘の挙手に山根は「どうぞ」と応え、リモコンを操作して前面のスクリーンに東京エリアの地図を投影する。

 

「ドールメーカーとそれに操られた赤目の子供たち――“ドールズ”の件です。僕と灰色の盾が把握しているだけで約300人。デューイ・コンプトン感染爆発計算法から昨日の感染爆発の起爆剤として使われた子を50人と推定しても残り250人が行方不明のままになっています」

 

 デューイ・コンプトン感染爆発計算法――地形、人口密度、民警ペアの数、軍隊の規模などの数値をベースに、ガストレア出現から感染爆発・大絶滅までの速度を計算する計算法である。これを逆算することで「その都市が大絶滅に至るには最初に何体のガストレアが必要か」を求めることが出来る。

 

「実は以前から社長の指示で赤目の失踪事件を調べていたんですが、僕達の調査結果と灰色の盾が把握しているスカーフェイスが拉致した少女たちの活動範囲。これらを照らし合わせると――」

 

 常弘は前面のスクリーンに映し出された東京エリアの地図をなぞる。指の圧力を感知したスクリーンは常弘の指の動きに追随しマーキングし、西外周区のスラム、西側の居住区を囲む円が描かれた。

 

「まぁ、普通に西に偏るよな」

 

 そう驚くことでもないと、エールが率直に意見を述べた。

 

「ええ。その通り。西だけなんです。東京エリアの権力構造を破壊する一大プロジェクトなのにこれは西外周区付近に偏っています。東や北ではドールメーカーはほとんど流通していません」

 

 主に東京エリア東部で活動する詩乃はうんうんと頷く。

 

「『西でしか流通出来なかった』のか『西でしか流通させなかった』のかは今でも分かりませんが、ドールズはスカーフェイスが回収した後、どこかへ輸送し、どこかで保管していた可能性があります。西外周区と内地を自由に往来し、数百人の輸送と収容が可能で、灰色の盾の調査を逃れた組織。それを数日前から本社に調べて貰っていたんです。そうしたら、一つキナ臭い組織が浮かび上がって来ました。――NPO法人『100万人のゆりかご』

 

 山根の部下がパソコンを操作し、「100万人のゆりかご」公式ホームページをスクリーンに映す。東京エリアの衛星画像を映していた画面は乳白色を基調とした柔らかい雰囲気に様変わりする。サイトには幼い少年少女の笑顔が大きく映し出され、簡単な活動概要やこれまでの実績が書かれている。

 

「彼らはガストレア新法公布以前、それこそ東京エリア発足時から()()()()()()()()孤児の保護活動を行ってきた団体です。聖居からの助成金や寄附金を収入源とし、東京エリア西部を中心にストリートチルドレンや外周区の赤目の子への生活物資提供、保護と養子縁組の機会提供などを行ってきました」

 

「外周区で飯とか服とか配ってる団体だな。小さい頃よく世話になった」

 

「炊き出し美味かったよね。すごく薄味だったけど」

 

「田中の婆ちゃん元気にしてるかな?」

 

「ピンピンしてるんだろ。ありゃ200歳まで生きるぜ」

 

「今もどっかで『列に並べ!!』『お残しは許しまへんで!!』って赤目を叩いてるさ」

 

 灰色の盾の面々は100万人のゆりかごの支援を思い出し、昔話に花を咲かせる。皆が常弘の話に耳を傾け静寂していた会議室がやいのやいのと五月蠅くなる。山根が大きく咳払いし、皆を静かにさせる。

 

「話を聞いた限りですと社会貢献に努める善良な組織に見えますが?」と朝霞が問う。

 

「善良な組織だったんです。4年前までは」

 

「4年前?」

 

「100万人のゆりかごは従業員8名の小さなNPO法人でしたが、ガストレア新法施行後その活動がメディアに取り上げられたことを機に一躍有名になり、会費・寄附金が大幅に増加。それに合わせてゆりかごは事業を拡大させ、従業員も増やし、都市部に本社ビルを構え、政界にも影響を及ぼす巨大法人へと成長していきました。さて問題です。発足当初の8名はどうなったでしょうか?」

 

 ルーシーが挙手し「寄附金を懐に入れて大富豪」としたり顔で応える。皮肉屋で水を差す物言いに隣席のライラは肘でルーシーの脇腹を突く。

 

「正解は『全員死亡』。1名は老衰、2名が病死。残りは事故死、不審死、他殺、その他諸々。今のゆりかごはトップから末端まで事業拡大後に入って来た人間で構成されています。残っているのはせいぜい組織の名前と先人が築いた信用くらいです」

 

 日向姉妹と別れてしばらくの間、ゆりかごの支援は自分達のライフラインだった。自分達の命を今日へと繋げた人達であり、もしどこかで再会することがあったら礼を言いたかった人達だ。故に灰色の盾は100万人のゆりかごを疑わなかった。スカーフェイスや五翔会残党との繋がりなど想像すらしなかった。

 そこまで信用していた人達がもうこの世にいない。それが五翔会残党による凶行だと聞かされ、彼女達の顔から感情が消える。ただ情報を受け止め、整理して、誰をどうやって殺すかだけ考えるようになる。

 

 ――また人殺しの目をしてる。

 

 常弘はそれを感じ取りつつも平静を保つ。外周区で彼女達と同じ屋根の下で眠り、同じ釜の飯を食ってきて、それでも自分と彼女達を“同じ存在”だと思うことが出来なかった。殺人が出来るか否かの境界線が常に引かれていたからだ。

 殺人を生業の一つにしてしまった少女達、彼女達をそうさせてしまったこの社会の業はどこまで深いのだろうか。

 

「まず我堂が疑ったのは入る物の数と使った物の数の違いです。食料、衣服、衛生用品、抑制剤、いずれにおいてもゆりかごが仕入れた量と支援・保護した人数が釣り合わなかったんです。約300人分、彼らは過剰に仕入れていました」

 

「買い溜めて備蓄しているという可能性は?」

 

「食料と抑制剤は冷蔵・冷凍での保存が必要ですし、300人分の衣類も含めれば、それなりの倉庫が必要です。ですが、ゆりかごが契約している施設にそういったものはありませんでした。仕入れた物資を“計上されていない誰か”に使っていると考えて間違いないかと」

 

 山根は顎に手を当てて唸る。

 

「横領にしては規模が大きいね。むしろ、これがゆりかごを乗っ取った目的か」

 

「加えて、ゆりかごに寄附している企業なんですが、ルーサ製薬、霧ヶ島建設、白花堂、この3社で8割を占めています。保脇議員と癒着があり、鈴之音のスポンサーでもある企業です。これが偶然でないとしたら、100万人のゆりかごは五翔会残党の表向きの姿、もしくはフロント企業であると考えるのは妥当かと」

 

 エールが頬杖をついて常弘に訝る視線を向ける。敵意とまではいかない。眉間に皺をよせ、珍しく難しい顔をする。

 

「お前ら……民警会社なんだよな? 手際良過ぎねえか?」

 

「ガストレアが出ないと民警は暇だからね。普段は交友関係や浮気の調査、行方不明のペット探し、たまに警察のお手伝い、そんな感じで探偵みたいなことをやってるんだよ」

 

「へぇ~」

 

 

 

『まぁ、さすがに今回は本職に外注したけどね』

 

 

 

 卓上に置かれたスマートスピーカーから男性の声が聞こえる。聞き覚えのあるエールは「げっ」と嫌そうな顔をする。

 前面のスクリーンに作務衣姿の我堂善宗がポップアップされた。寝ぐせはそのまま、背景には床の間が見切れており、自宅である我堂邸からリモートで繋いでいることが窺える。

 

『すまないね。そこの山根三佐にご招待されて、最初から盗み聞きさせて貰ったよ。君達の状況も彼から聞いている。とりあえずは……よく生き残ってくれた。これからも君達と話が出来て、おじさんは嬉しいよ』

 

 常弘が踵を返し、スクリーンの善宗に視線を据える。

 

「社長。外注とはどういうことですか?」

 

『その言葉の通りさ。片手間で調べて尻尾を掴めるような相手じゃないんでね。おじさんのコネを使って、その道のプロにお願いしたんだ』

 

「大丈夫なんですか?その人達」

 

()()が優秀であること、五翔会と繋がっていないこと、守秘義務を遵守することはおじさんが保障するよ。もう数日すれば、ドールズの収容施設も特定できそうだから、君達はアニメでも観ながらゆっくり休むと良い。あ、そうだ。朝霞ちゃん。駐屯地土産はシュウマイ弁当をお願いね』

 

 ブツリと音がして、善宗が画面上から消えた。朝霞は怒りで眉間に皺を寄せ、身体を震わせながら「お断りします」と返答した。しかし一足遅く、その声はオフラインとなった善宗に届かなかった。

 

「あれ?じゃあ、私ら何をすれば良いんだ?」

 

 エールの言葉を皮切りにカナコ、ルーシー、ライラも「ってことはお休み?」「また、あの殺風景な部屋に閉じ込められるのかよ」「売店ぐらい行かせてくれよ。金ないけど」と雑談が再会される。

 

「仕事ならもう一つあるでしょ。厚労省の検査機」

 

 今度はサブリーダー・ナオが鶴の一声を上げ、3人が噤んだ。

 ナオは3人が黙った後、再び前を向き、山根に視線を向ける。

 

「ねえ。倉田」

 

「山根だ」

 

「昨日の義塔との話で思ったんだけど、ここの侵食率検査機ってネットワーク機能は使ってる?」

 

「ネットワーク? ああ。使っているけど、医務室のパソコンとしか繋がっていないよ」

 

「じゃあ、それだ」

 

 ナオはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「スズネとミキの一件からずっと調べていたんだけど、厚労省の侵食率検査機はネットワーク機能を使っていて、検査機が出した数値を厚労省直轄データセンターに直接アップロードしている。病院も特異感染症研究センターも例外じゃない。推測だけど、データセンターのサーバーに細工をして改竄した侵食率を検査機が表示するようにしたんじゃないかな? 司馬重工の警備システムみたいに」

 

「防衛省管轄の検査機はネットワークの影響を受けないからそのままの数値を出し、勾田大学病院の検査機は文科省管轄だったから破壊して検査を妨害した……なるほど。理に適っていますね」と朝霞が理解を示す。

 

「ナオ。それを証明する方法はある?」

 

 詩乃の瞳がナオに刺さる。表面上は蒼く、その奥は深海のようにどこまでも深い闇色の瞳が――。詩乃だけではない。エールの、サヤカの、朝霞の、常弘の、朱理の、山根の瞳がナオに刺さる。

 皆が自分の知識と手腕に賭けようとしている。東京エリアの歴史を変えるかもしれない大事件。その解決の糸口を掴めるかどうかは自分次第。掴むことを期待され、そのプレッシャーを感じずにはいられなかった。

 

「イクステトラと同じパターンなら、データセンターのサーバーのどれかにジェリーフィッシュの蜘蛛型ドローンが入り込んでいる。そいつからシステムログを抜き出せば、改竄に関する証拠は手に入ると思う」

 

 確証は無かった。五翔会残党が同じ手を使っている保証もない。でも今思いつくのはこれだけだった。反論されれば何も答えられない。十数秒の沈黙が心を擦り減らす。

 腕を組んだまま座すエールが静かに鼻で笑い、口角が上がった。

 

 

「ナオ。全員、お前のプランに文句は無いみたいだぞ」

 




オマケ① 東京エリアの統治機構

東京エリアの統治機構は基本的に日本国の議院内閣制・三権分立を踏襲しており、聖天子の立ち位置も大戦前の内閣総理大臣にほぼ近いものとなっています。
一方で聖天子には任期が無い為、死ぬか辞任するか不信任決議が可決されるまでトップの座に居続けることができます。その為「独裁者」と指摘されることも少なくありません。
また聖天子は政党に所属することが出来ませんが、天童家と縁のある者を閣僚に選んできた経緯から、天童家の息がかかったエリア自民党が事実上の与党、エリア民主党が野党第一党となっています。


オマケ② 灰色の盾のメンバー紹介

ルーシー 12歳
生き残った新参組の一人。灰色の盾随一の狙撃手(自称)。
灰色の盾に壊滅させられたチームのメンバーだったがトオルに狙撃の腕を買われて灰色の盾に入る。皮肉屋で空気が読めず、チーム内でも「余所者」を自称する。ライラのことはライバルだと思っている。

ライラ 14歳
生き残った新参組の一人。灰色の盾随一の狙撃手(自称)。
妹の仇討ちのため、独学で腕を磨いた孤高のギャング。復讐を果たした後、ミカンに誘われて灰色の盾に入る。口数が少なく人間不信(呪われた子供は対象外)。ルーシーのことはライバルだと思っている。

オマケ③ 前回のアンケート結果

聖天子「不信任投票が可決されてクビになったのでアルバイト始めます」←どこで働く?
 (1) コンビニ
 (0) ガソリンスタンド
 (0) 居酒屋
 (0) ファミレス
 (1) 喫茶店
 (1) 塾講師
 (5) 家庭教師
 (1) アパレルショップ店員
 (0) 引っ越し作業
 (0) 工事現場
 (0) 警備員
→(13) ニート


元聖天子「聖天子じゃなくなりましたのでこれからは本名で呼んで下さい」

蓮太郎「……」
玉樹「……」
弓月「……」
ティナ「……」
その他「「「……」」」

元聖天子「あの……遠慮しなくても良いのですよ」

蓮太郎「本名……聞いたことねえ」
玉樹「同じく」
弓月「聖天子様は聖天子様だから気にしなかったよね」
ティナ「そういえば、聖天子って役職名でしたね」
その他「「「俺達も知りませーん」」」

元聖天子「私……泣いて良いですか?」


次回「邪の道を歩む者」


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邪の道を歩む者

大角勝典のウワサ

素手でガストレアを絞め殺したことがあるらしい。


 自衛隊ヘリで15分、民間のトラックに積み変えられて運ばれること20分。「出ろ。義塔」という聞き慣れた声と共に段ボールが蹴られた。壮助は思い切り段ボールを蹴破り、大きく息を吸って外の空気を肺に入れる。

 開けた視界には大男の分厚い身体、太い腕に握られた銃把、壮助の額に銃口を向けるH&K MP7A1、そして大角勝典の顔が映った。

 

「まさか、本当だったとはな……」

 

 勝典は壮助の顔を見て少しほっとするとMP7を降ろす。

 

「えっと……大角さん。なんでここに?」

 

「倉田医師から電話が来たんだ。『自衛隊の荷物に紛れて義塔くんが来るので回収お願いします』ってな。無理やり段ボールに押し込まれるお前の動画とデジタルの入場許可証もスマホに送られて来た。彼は何者なんだ? 」

 

 勝典の問いに壮助は一瞬言葉が詰まる。スカーフェイス戦の後、勝典は一度バンタウを訪れ、闇医者の倉田には会っている。しかし、自衛隊の非正規部隊の隊長である山根のことは知らない。現地情報隊のことを勝典に話してしまって良いのか、彼を「知ってしまった人間」に含めてしまって良いのかと、筋骨隆々の大男に詰め寄られながら逡巡する。

 

「えーっと、まず俺達が生き残ったところから話さなきゃいけないんだけど――――」

 

 結果的に言うと壮助は諦めた。上手い言い訳が思いつかなかったからだ。おそらく山根も壮助が現地情報隊のことを話すことを想定して入場許可証を用意したのだろう。たぶん。

 壮助はこの24時間で起きたことを勝典に話す。彼は静かだった。感情を表情や態度に出すことなく、まるで仏像のように静かに耳を傾けた。

 

「よく……生き残ったな」

 

 勝典が壮助の背を叩く。励ましてくれていたが、それでも気分が晴れることは無かった。励ます勝典も、励まされる壮助も、西外周区というならず者の街――そこに住む法の外側へと追放された少女達に訪れた悲劇を想い、胸を痛めずにはいられなかった。

 壮助は勝典から買って貰ったミネラルウォーターを喉に流し込む。真夏に段ボールに梱包され熱中症になりかけた身体が冷えていく。

 

「大角さん。死龍――あ、じゃなかった。飛鳥はどうっすか?」

 

「目を覚ます兆候は無い。死ぬまで植物状態かもしれないし、今突然目を覚ますかもしれないと医師には言われた。ガストレアウィルスの爆発的な増加と毒による抑制が同時に起きたなんて前例が無いからな。この先どうなるかは神のみぞ知るだ」

 

「残党が殺しに来たりは?」

 

「来ていたらお前に伝えるさ。今まで音沙汰無しだ」

 

 イクステトラの一件から9日が経過している。イクステトラ襲撃事件とスカーフェイスのリーダー逮捕はテレビでも報道されており、警察病院に入院しているのも明かされている。ガストレア爆弾(INS-10)で殺し損ねたことは残党も知っている筈だ。目を覚ます可能性が残っているのであれば、暗殺して口封じを確実なものにするだろう。自分が同じ立場であれば十中八九そうする。

 

「飛鳥もスカーフェイスも所詮は捨て駒。漏れても問題ない情報しか握らされていなかった――と考えるのが妥当か」

 

「だとしたら、どうやってタウルス・チルドレンの情報を手に入れたんすかね」

 

「飛鳥の努力か、奇跡か、それとも誰かが飛鳥に握らせ、()()()()()()()()のか」

 

 勝典がふんと鼻で笑う。

 

「考えてもキリが無いな」

 

「でも、これを信用して前に進むしか無いっすね」

 

 SDカードの中身――タウルス・チルドレンに関してはリエンで裏付けが取れている。菫にも科学者の視点から精査して貰ったが不審な点はなかった。敵を振り回す偽情報である可能性は限りなく低い。

「それと松崎さんから連絡があってな。飛鳥の護衛は警察と我堂に任せることにした」

 

 警察が日向姉妹の捜索を打ち切ったと同時に警察の依頼で動いていた我堂も手を引いた。それによって浮いた人員を飛鳥の護衛に回したらしい。我堂はともかく警察はグレーなところがあるが、イクステトラ襲撃事件の犯人として警察関係者が周囲を固めていたので今更の話だった。

 

「人数がいる民警会社はいいな。ローテーションが簡単に組める」

 

「ウチもペア増やします?」

 

「やめておこう。これ以上問題児が増えたら千奈流が憤死する」

 

「問題児が前提なんすね……」

 

 今いる問題児が誰のことで、この先()()()()()()()()()()()()が誰のことなのか、壮助は悟っていたが敢えて問わなかった。それが永遠に叶わないかもしれない夢だとしても――。

 

「で、21日の夜までお前はどうするつもりだ?」

 

「潜伏しつつ調べ物ってところですかね。()()()()をしくじったらカッコ悪いじゃないっすか」

 

「寝床はどうする? 我堂社長の別荘でも借りるか?」

 

「いや、止めとくっす。ジェリーフィッシュに壬生や小星達を見られた以上、我堂が五翔会にマークされていてもおかしくない。俺達しばらくは外周区で死んだことにしておきたいんで」

 

「なるほど。どうりでお前の話と自衛隊の発表が矛盾する訳だ」

 

「どういうことっすか?」

 

「いや、これはお前の差し金じゃないのか?」

 

 2人は話が噛み合わないことに目を丸くし、首を傾げた。

 勝典はスマホでニュースサイトを開く。新着記事一覧を少し遡り「西外周区感染爆発、生存者なし 防衛省発表」というタイトルの記事を壮助に見せた。内容はタイトルの通りだった。壮助達が保護されたことは一切報道されていない。

 壮助にとっては願ったり叶ったりな状況だったが、32式ミサイルの悪評を拭いたい自衛隊としては生存者をアピールしたかった筈だ。しかし山根達はそれを覆し防衛大臣に嘘の発表をさせた。救助者のことを隠したのか、上の人間を脅したのか、それとも説得したのか――手段が何であれ山根の三佐とは思えない影響力は頼もしく恐ろしかった。

 

「何にせよお前にとって都合の良い状況になったなら問題はないだろう。それともう一つ、お前の話を聞いて気になったことがある」

 

 勝典は再びスマホを操作し、政治カテゴリの記事を見せる。ここ1年間の聖天子政権支持率の折れ線グラフが表示されている。元々それほど高くない支持率が3月に入ってから急降下し、今は23%あたりで落ち着いている。

 

「3月? 何かあったんすか?」

 

 壮助は1月末に起きた里見事件のケガで3月下旬まで病院のベッドで眠っていた。その間に世間で起きたことはネットニュースの過去の記事を読んで頭に入れていたが、リアルタイムに過ごした人と比べれば雀の涙だ。

 

「いや、無いんだ。3月は切っ掛けが無かった。里見事件の対応を巡って保脇議員がバッシングしていたが、それも2月の話だ」

 

 犯人逮捕、犠牲者ゼロ、完全勝利で終わった里見事件の顛末に難癖をつける人間がこの世にいるのだと驚いたことを思い出した。

 

「保脇のバッシングとの関係は分からないが、3月から聖天子へのネガティブキャンペーンが始まった。とりわけ偏向報道とSNS上での活動が酷かった」

 

 壮助も思い当たる節がある。里見事件の前と後で聖天子への風当たりが強くなっていたことには気づいていた。だが政治の世界を気にしても仕方がないので特に気にはしていなかった。

 

「ただ、おかしいのは今まで聖天子を支持していた、好意的に報道していた機関までもがそれに便乗――いや、むしろ積極的に行っていた。聖天子の神輿担ぎと揶揄された東京エリア国営放送(TNB)ですらな」

 

「もう不信任投票でクビにして隠居させた方が良いんじゃないっすか? その内ストレス爆発して亡命するっすよ。あの人」

 

 勝典は「ははっ」と笑い同意する。

 

「政治と報道の世界で何が起きたのかは分からないが、どうも妙な感じがする。聖天子が特に対策を取る気配がないから尚更な」

 

「もし本人に会うことがあったら聞いてみるっすよ」

 

「ああ。ついでに胃薬でもプレゼントしてやれ」

 

 壮助は立ち上がり、長話でずっと曲がっていた背筋を伸ばす。

 

「じゃあ、俺はそろそろ」

 

「そうだな。俺も次の用事がある」

 

「次の用事?」

 

 飛鳥の護衛を我堂と警察に任せた今、勝典とヌイは身動きが取れるようになった。飛鳥のそばに居続けるという選択肢もあることにはあるが、戦いが続いている中で戦力外になることを望む2人ではないだろう。

 

「司馬重工だ。あそこのお嬢様に目をかけて貰ってな。強化外骨格(エクサスケルトン)の修理や武器の提供、他にも色々と世話になることになった。多分、お前の言っていた機械化兵士鹵獲作戦にも関わるだろう」

 

「じゃあ、次も期待してるっすよ。大角さん」

 

「若者の足を引っ張らないよう頑張らせてもらうさ」

 

 2人は拳を当てた。壮助は踵を返して歩み始める。

 

「義塔……」

 

 勝典が背後から壮助を呼び止めた。

 

「大博打しくじるなよ。いくら俺でも()()()は無理だからな……」

 

「その二度目があった時は()()()()()()()()()()()

 

 

 

 *

 

 

 

 勝典と別れた後、壮助は麗香の店を頼った。民警御用達の中古武器専門店だが、それ以外の物品も頼めばどこかから調達してくれる裏メニューがある。壮助はそこでバイクと偽の免許証、スマホのスパイアプリを調べてくれるハッカーの紹介を頼んだ。口止め込みで高くついたが、費用は勝典にツケた。

 二つ返事で応えた麗香はどこかへ連絡した。それから1時間もしない内に壮助と同い歳であろう少女が文句を言いながらバイクと偽装免許証を置いて行った。ほぼ同時にハッカーも来て自衛隊から返して貰ったスマホを調べたが意外なことに仕込まれていなかった。

 ホンダCBR400Rに跨り麗香の店を後にした。寝床の第一候補へ向かいながら、ヘルメット越しに内地の様子を見る。西外周区の感染爆発が嘘だと思えるくらい普段の日常が繰り広げられていた。感染爆発事変は確かに報道されているが、待ち往く人々は他人事のようだった。

 

 

 

 

 

 

「アポ無しなんだけどさ。リエンいる?」

 

 

 

 

 

 

 寝床の第一候補、それはリエンの邸宅だった。立地は外周区寄りだが内地へのアクセスに問題がない。壮助の手で五翔会を葬ることを望む彼女なら頼みを聞いてくれるだろうと見込んだ。

 しかし正門に近付いた途端、警備の少女達に銃口を向けられた。前来た時は2人しかいなかった警備は十数人に増えている。武装も拳銃のみから特殊部隊さながらのフル装備だ。少女達が銃口を向けながら無線で連絡を取る。リエンに入れるかどうか問い合わせているようだ。何人かは前来た時に壮助を見ており、こちらから名乗るまでも無かった。

 リエンの許可が降りたようで正門の扉が開いた。警備の少女達に睨まれながら、庭を歩き、邸宅の前で男装の麗人からボディチェックを受ける。無論、拳銃(レイジングブル)は取られた。

 相変わらず花の香りが漂う屋敷内を歩き、前回とは違う部屋へ案内される。ドアにはベトナム語で何か書かれているが読めなかった。

 男装の麗人がノックし、リエンの許諾を得て扉を開ける。

 

「お待たせしました。リエン様。義塔様をお連れしました」

 

 扉を開けた先は広間だった。壮助の部屋の何倍あるのかわからない空間に変わらず華美な装飾が施されている。

 しかし、壮助は眉をひそめた。そこに不釣り合いな者達がいたからだ。スーツ姿のいかつい顔の男達、腕のタトゥーを見せつける派手な格好の若者、顔に大きな傷を持つ男、10人近くいる男達の誰もがどれかに該当する。まるで反社会的組織の悪人博覧会だ。

 

 ――こいつら……鷲頭組の幹部だ。

 

 壮助は狼狽える様子を見せず、毅然と、むしろ舐めた態度でリエンに歩み寄る。彼女は前と変わらず艶美な姿でソファーに腰掛け、男達と肩を並べていた。

 

「男娼連れ込んで今からお楽しみってか? ふざけんのも大概にしろや!! 売女(ばいた)が!!」

 

 派手な格好の若者がローテーブルを蹴飛ばす。テーブルの上にあったティーカップが倒れ紅茶が零れる。若者は額に青筋を立て、いかにも血管が決壊して噴き出しそうな怒り顔をしている。壮助が来る以前からリエンにイライラさせられていたのだろう。他の男達も同情しているようで若者の蛮行を諫める様子は無い。

 

「タイミング悪かった?」

 

「いいえ。むしろグッドタイミングよ」

 

 リップクリームの塗られた唇が横に広がる。

 それが本音なのか皮肉なのか、壮助は判断に困った。




オマケ 前回のアンケート結果

Q:「100万人のゆりかご」に100万円以上寄附した貴方にドールズ(ドールメーカーで精神を壊された赤目ちゃん)をプレゼント!!←寄付する?

→(4) する
 (7) しない
→(10) しないけど欲しい。

ロリコン「うっひょー!!あかめちゃん ゲット だぜ!!」

ロリコン「……おや!? あかめちゃんの ようすが……!!」

テーテーテーテレレテッテレー♪

「おめでとう!!あかめちゃんは ガストレアに しんかした!!」

ガストレア Lv.50
しんしょくりつが 50パーセントを こえたものだけが しんかする。
ロリコンに ウィルスを ちゅうにゅうして なかまをふやす。

その日、大勢のロリコンがガストレア化した。
後に語られる「幼女性愛者感染爆発事件」である。



次回「パイの奪い合い」


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パイの奪い合い

今年最後の投稿です(Twitterで『年内に第二章完結させる』と言っていましたが無理でした)

グウェン・チ・リエンのウワサ
裏ルートで学校の制服を買い集め、“学生ごっこ”をするのが趣味らしい。

井上清二のウワサ
制服姿のリエンを見て「学校でも馴染めますよ」と言っているが、心の中では「10代の制服姿なのにコスプレ風俗感が凄い」と思っているらしい。


 ――どう考えてもグッドタイミングって状況じゃねえだろ。

 

 壮助は冷や汗の雫を垂らしながら広間を見渡す。鷲頭組の上層部が一堂に会する会議。おそらく内容も与太話の類ではないだろう。全員が今にも壮助を殺す勢いで睨む。その筆頭――激昂した若者は右手を後ろ腰に隠している。ナイフか拳銃がそこにあるのだろう。

 

「それが例の彼か? リエン」

 

 低く渋いバスボイスが一触即発の空気を抑え込んだ。声の主は最奥の席で紅茶を嗜む。

 無地の甚平に裸足という簡素な格好ながら、太く筋肉質な体格と腕と胸元の和彫り、角刈り頭と岩のように厳格な顔つきが壮助と周囲を威圧する。大股を開いてソファーに腰掛ける姿は正しく()()だった。

 

「ええ。組長(お父様)。彼が義搭壮助。日向姉妹を守り、数多の刺客を退け、ガストレアが跋扈する西外周区を生き抜いた()()()()()()ですわ」

 

 リエンの紹介で幹部たちの目の色が変わる。壮助は招かざる客から、どんな手を使ってでも席に着かせなければならない客に変わる。一回りも二回りも年上で経験した修羅場の数も桁違い、そんな猛者達の注目を浴び、壮助は内心落ち着けなかった。とりわけ最奥の席の組長の圧は格が違った。

 

 ――あいつが鷲頭組初代組長 大山田楽(おおやまだ がく)

 

 壮助は民警という裏社会に片足突っ込んだ職業柄、暴力団の情報はよく耳にしている。無論、鷲頭組の組長の名前も知っていた。呪われた子供を暗殺者として教育し、敵対組織や警察関係者を殺戮していった武闘派であり、楽自身もバラニウムの斧でガストレアを屠り生首を敵対組織の事務所に放り投げた逸話を持つ。

 

「それはそれは、とんだ大物だ。――――――殺せ。秀顕(しゅうけん)

 

 楽の一言で派手な格好の若者――秀顕がホルダーからナイフを抜いた。一瞬でソファーから立ち獣のように低い姿勢で標的に向かい、刃を伸ばす。壮助は咄嗟に足を振り上げ、秀顕の手を蹴飛ばす。手放されたナイフが宙を舞い、ソファーに突き刺さった。

 

「お前ってさ。馬鹿って言うか、空気読めないタイプだろ。普通は()を殺す流れだよな」

 

 秀顕の標的はリエンだった。ナイフの切っ先はリエンに向けられ、壮助が蹴っていなかったら彼女のアオザイが赤く染まっていただろう。それでもリエンは顔色一つ変えていなかった。壮助が守ると見込んでいたのか、赤目の力を使って避けるつもりだったのか。

 

「おっと危ねえ危ねえ。手が滑っちまったよ。んじゃ仕切り直しと行きますか」

 

 秀顕がソファーに刺さったナイフを手に取り、再びホルダーに仕舞う――ように見せかけた。

 

 ――飛び出し式!!

 

 一瞬、柄のスイッチが見えた。秀顕の指がスイッチに触れる瞬前に壮助は跳躍。身長180cm後半の偉丈夫の懐に飛び込み、掌底を腹に当てる。

 

 ――濃縮斥力点解放!!

 

 掌で形成した斥力フィールドを解放し、秀顕を吹き飛ばす。彼の身体は広間の掃き出し窓のガラスを突き破り、庭のプールへと着水、水飛沫が派手に上がった。

 幹部たちが唖然とし、屋敷を破壊されリエンがため息を吐く中、楽は腹を抱えて大笑いしていた。

 

「はっはははは!! これは随分と派手にやったなぁ!! 余興に呼んだ男娼でないのは確かだ!!」

 

 プールサイドに腕が伸び、秀顕が水面から姿を現す。牙を剥き出しにし、壮助を睨むその様相はもはや獣だ。

 

「クソッ!! テメェ!! どういう手品使いやがった!?」

 

「殺す相手を間違える脳味噌で一生懸命考えな!! バーカ!!」

 

「考えるまでもねえ!! テメェボコして吐かせりゃ良い!!」

 

「もう良い。お前の負けだ。秀顕」

 

 壮助に殴りかかろうと踏み込んだ秀顕を楽の一言が止めた。額に浮き出た血管から血が噴き出しそうなほど怒り心頭だった秀顕は次第に牙を潜め、落ち着きを取り戻す。

 

「わかったよ……。組長(オヤジ)

 

 秀顕は身体を拭く素振りも見せず、ずぶ濡れのまま広間に戻った。びちゃりと音を立ててソファーに腰掛け、リエンに向けてニヤリと笑みを浮かべる。誰がどう見てもリエンに対する意趣返しだ。

 

「で、話を戻すけど何がグッドタイミングなんだ?」

 

「ここに集まったみんなで貴方達の話をしていたのよ。正確に言えば、貴方達の戦いとその敵の話」

 

「ドールメーカーのことか」

 

 リエンは勿体ぶった言い回しをするが、壮助は鷲頭組が動く理由に心当たりがあった。彼らはドールメーカーの流通によりドラッグの(カモ)を壊され、売り上げに影響が出ていた。今まではドールメーカーを流通させる敵の正体が分からず手をこまねいていたが、壮助達がリエンを尋ねたことで彼らもドールメーカーの正体と五翔会残党と思しき企業群を知ることとなった。そうなった以上、彼らに動かない理由など無かった。

 

「まぁ、それも理由の一つね。“アキンド”ってチームは知ってるかしら?」

 

「スタジアムでマーケットをやってた赤目ギャングだろ。全員死んだかガストレア化したけど」

 

「あれ、鷲頭組傘下なのよ。彼女達に商売を教えて売上の一部を上納して貰っていたの。けど西外周区があんな風になったでしょ。お陰で組の収入も減って、今までの投資も全部パーになったのよ」

 

「そりゃ運が悪かったな。御愁傷様」

 

 中年の幹部たちが壮助を睨み、秀顕はあからさまに舌打ちする。

 

「あれが普通の感染爆発なら諦めもつくわ。けど、違うでしょ?」

 

 リエンに眼を向けられ、壮助は見透かされた気分になる。おそらくそれは気分ではなく実際に見透かされていたのだろう。彼女は言語も文化も違う東京エリアで一切の後ろ盾を持たず、16歳で暴力団の本部長に成り上がった女傑なのだから。

 

「簡単な話よ。自衛隊や旧在日米軍の装備を持つ武闘派ギャングがゴロゴロいて、ガストレア襲来なんて日常茶飯事の西外周区がどうして1時間で陥落したのか。タウルス・チルドレンとスカーフェイスの死に様を知っていれば、想像に難くないわ」

 

 100点満点の解答だった。これが学校のテストならサービスで花丸をつけていただろう。

 

「それと貴方の様子からして姉妹とイニシエーターは無事みたいね」

 

「ああ。自衛隊が来る前にギリギリ逃げることが出来てな。今は立川駅の廃墟に身を隠してる」

 

 無論、立川駅の話は嘘だ。壮助は自衛隊に保護されたことを勝典以外の誰にも話していない。こうやって偽の居場所を伝えることで敵を釣れないか試しているのだ。

 

「エールはどうなったかしら? カッコ良く殿を務めて、あの廃虚と心中した?」

 

「生きてるよ。美樹にぶん殴られて色々と吹っ切れた」

 

 リエンが一瞬固まった。何でも見透かしていた彼女でもそれは想定外だったようで間抜けにぽかんと口を開けていた。彼女ははっと気づき、いつもの艶美な笑みを浮かべる。

 

「あら、そう。何回死に損なえば気が済むのかしらね。あの子は」

 

「で、鷲頭組としては『五翔会残党に落とし前をつけたい』ってことで良いんだよな?」

 

 壮助は広間を見渡し、秀顕を含む他の幹部、そして組長の楽と視線を合わせる。沈黙の数刻で壮助はこの場における自分の役割、求められているもの、協力するべきか否か、何を提供し何を隠すべきか整理する。

 

「大山田組長。その落とし前ってのは命か? それとも金か?」

 

「無論、両方だ。骨の髄まで金を毟り取り、命以外の(ことごとく)を奪い、残り(カス)となった命を頂き、屍は鷲頭組の利益を害した者の末路として見せしめにする。鷲頭組はそうやって成長してきた。今までもこれからもだ」

 

 暴力団を通り越し蛮族と呼びたくなる楽のやり方に壮助は慄くが、自分がこれから五翔会残党にやろうとしていることも大して変わらないと気付く。

 

「事のあらましはリエンから聞いていると思うが、俺達の目的は『日向姉妹の潔白を証明し()()()()に戻すこと』その過程で五翔会残党の殲滅は必須条件だ」

 

「ほぅ……」

 

「これがそこらの犯罪組織なら証拠集めて警察頼って終わりなんだが、何せ相手は90年も隠されていた巨大なパイ。マナーにうるさい正義の味方じゃ()()()()()()()()()()()()()

 

 壮助は内心、悪辣に笑む。自分だけでは五翔会残党(パイ)を全部食い切れない。警察も自衛隊も聖居もだ。そこに貪欲な大飯喰らいが来てくれたのだ。笑わずにはいられなかった。

 

「ならばそのパイ、我らが喰い尽くしても構わんな?」

 

「正義の味方の分も少し残してくれるならな。裏が落とし前の生贄を欲しているように、表も落としどころの生贄が欲しい」

 

「良いだろう。話に乗ったぞ。紹介したリエンの顔も立ててやらんとな」

 

 幹部の中年男性がにやけた顔で壮助を一瞥する。それは1人2人程度で他の幹部はまるで善良な市民のように静かに耳を傾ける。ある幹部は保育士のような笑みを浮かべている。印象は三者三様だが、その本質が貪欲な捕食者であることに変わりは無かった。

 彼らは壮助の要求に対し首を縦に振るだろう。パイを食わない理由は無い。だがいずれパイ以上のものを求め、壮助に集るだろう。その為なら手段を問わないことも容易に想像できる。その()()に日向姉妹が巻き込まれれば本末転倒だ。

 

「一つ言っておくが、俺はパイを用意して切り分ける。鷲頭組はそれを食べる。俺達の関係はそれだけだ。だが、もしアンタらが味を占めてパイ以外のものを求めようなら――」

 服の繊維に偽装し隠していた超バラニウム合金繊維が全身から飛び出す。斥力フィールドで制御されたそれは蛇となり、組長の楽、秀顕を含む幹部たち、そしてリエンの喉元に切っ先を突き付ける。全員の生殺与奪が壮助に握られた。

 

 「――俺がお前らを喰い尽くす。機械化兵士・義搭壮助がな」

 

 楽が鼻で笑う。斥力の槍を喉元に突き付けられながらも尚余裕な姿に組長としての威厳が見える。

 

「そう無駄に怯えるな。小僧。貴様ら無垢の世代がいかにバケモノ揃いなのか、我らがよく知っている」

 

 

 

 *

 

 

 

「あいつら話が終わったらさっさと帰りやがって」

 

 ぼやきながら壮助は箒と塵取りでプールサイドのガラス片を集める。鷲頭組を脅した後、最悪の雰囲気で情報の共有、鷲頭組の役割と取り分について話が進められた。16歳の少年にマウントを取られたことがよほど気に入らなかったのだろう。大山田以外の幹部は話が終わるとすぐに邸宅から去った。組長の楽はリエンに少し世間話をした後、ここの修理費をポケットマネーから負担することを伝え、邸宅を後にした。

 今、リエンの邸宅の広間では壮助と執事とメイド達が文句ひとつ言わず掃除を進めている。家主のリエンはというと幹部たちが帰った後、ずっとスマホでどこかと連絡を取り合っていた。

 

「――明日の朝までに全て揃えなさい。寝ている子も叩き起こして。これは最優先事項よ」

 

 今までの飄々とした態度とはうって代わり、語気を強めて電話口の相手を突き動かす。今日の会議もそうだったが壮助はリエンが風俗経営者のお姉さん(※同い年)ではなく、ヤクザなのだと改めて認識させられる。

 

「すみません。リエン様。遅くなりました」

 

 出入り口から井上清二がひょっこりと顔を出す。一昨日会った時は白色の園芸作業着だったが今日は休みだったのか、派手な柄シャツ、ハーフパンツ、サングラスとラフな格好をしていた。

 清二は壮助を視界に入れるや否や眉をひそめた。壮助の存在と共に小学校時代の罪が思い起こされるからだ。清算できないのであれば、せめて思い出さないようにしたかった。

 

「なんだ。来てたのか」

 

 延珠のことも愚行のことも今は伏せ、旧知の仲のように振る舞う。

 

「悪いな。ちょっとの間、世話になる」

 

「別にいいよ。俺の家って訳じゃねえし。そんで何があったんだ? また伊熊が暴れたのか?」

 

「いくま?」

 

「貴方に喧嘩ふっかけた男のことよ」

 

 いつの間にか各所への連絡を終えていたリエンが割り込む。

 

伊熊秀顕(イクマ シュウケン)。内地で風俗やら金融やらに手を出してそこそこの利益を出している組長の弟分よ」

 

「もしかして伊熊将監の親戚か?」

 

「それの弟」

 

「へぇ~。兄貴と違って弟はクソザコなんだな」

 

 伊熊将監を知る一般人は少ないが民警の間では死後6年経った今でも名前が出て来る。前衛プロモーター・後衛イニシエーターという民警システムの成り立ちを全否定したペアは2037年になっても超少数派であり、それでIP序列1584位に登り詰めた彼らの存在は「東京エリアの民警七不思議」として語り草となっている。

 また勝典が使っていた(そして粉々にした)バラニウム大剣の前の使用者が将監だったという経緯もあり、彼らの逸話は壮助の記憶にも残っていた。

 

 ――俺が兄を殺した男の息子って知ったら、どうなっちまうんだろうな。

 

 秀顕がどう怒り狂って滑稽に踊るか、その光景が想像して壮助は思わず噴き出した。

 ポケットの中でスマホが振動する。手に取ると画面には「詩乃」と発信者が表示されていた。壮助は出ようか出まいか逡巡する。

 今、駐屯地にいる面々は機密保持を理由にスマホを取り上げられており、詩乃のスマホも例外ではなかった。そこから電話が来るのは山根達が詩乃に返したということ、つまり壮助と連絡を取り合うことを許可したということだ。重要な話があるのかもしれない。

 そして通話に出たくない理由は、詩乃に一切説明せず駐屯地から出て行ったことだ。事前に話すと反対され面倒くさいことになるのは火を見るよりも明らかだった。黙って出て行ったことで彼女が怒り狂うのも想定していたが、まさか自衛隊基地で暴れてスマホを取り戻したのではないかと最悪の事態が頭に浮かぶ。

 恐る恐る通話ボタンをタップし、スマホを耳に近付ける。

 

「もしもし……?」

 

『私、詩乃。今までもこれからもずっと貴方のそばにいるの』

 

「……メリーさんネタやるなら、もっと段階踏めよ」

 

 意外と怒ってなさそうで壮助は拍子抜けする。怒っている人間にふざけるような精神的余裕など無いからだ。

 

『怒ってると思った?』

 

「……思ってた。ブチギレて机の一つでも叩き割ってるんじゃねえかなって」

 

『……』

 

 詩乃から応答がない。向こうはハンズフリー通話にしているのだろうか、まさかと慄く壮助の気など知らず、誰かが笑いを堪えた声が聞こえた。

 

『費用は壮助にツケたから』

 

「お前、飯抜きな」

 

 背後から白い手が伸び、ひょいと壮助のスマホを取り上げる。振り向くとリエンがいたずらっ子のような笑みを浮かべ、スマホを口を近づけていた。

 

 

 

「ねぇ~そんな電話よりぃ……私と()()()()()()()しましょ?」

 

 

 さすが赤目風俗を取り纏める夜の女王とでも言うべきか。煽情的で、蠱惑的で、直接耳に囁かれたら大抵の男が腰を抜かすだろう声と言葉をマイクに吹き込む。

 

「リエン!! 返せ!! それはマジで洒落にならねえ!!」

 

 血相を変えた壮助が飛び出し、慌ててスマホを取り返す。弁明しようと再びスマホを耳に当てるが、『不潔』『クズ』『最低』『やっぱ逃げてんじゃん』『これだから男は』『チ●コもげろ』と罵詈雑言の数々が鼓膜に突き刺さった。

 

『何でリエンの声が聞こえるの?』

 

 重くドスが利いて、内臓の底に響きそうな声に壮助は震えあがった。忘れていた。電話の向こうにも女王がいる。相手がガストレアであろうと機械化兵士であろうと圧倒的なパワーでねじ伏せる暴力の女王が。

 

『壮助。今どこにいるの?』

 

「俺、壮助。今までもこれからもずっと詩乃のそばにいるよ」

 

 メリーさん返しでお茶を濁す。

 さすがにネタが寒かったのか、電話が切れたかと思うくらい向こうは静かだった。詩乃がスマホ画面をタップしているのだろうか、コンコンとした音がかすかに聞こえる。

 

『今、ネットで人間用の首輪と(ケージ)買ったから』

 

 その言葉を最後に通話は切れた。

 

 ――ヤバい。飼育される。

 

 壮助はスマホを手に震えあがる。全身から汗が噴き出る。いつぞやの病室で言われた「手足をへし折って世界で一番安全なところに閉じ込める」という言葉が真実味を帯びて来たからだ。

 彼が恐れ戦く様にさすがのリエンと清二もドン引きして距離を取る。

 再び壮助のスマホに着信が入る。いつものメロディが流れ発信者に「詩乃」と表示される。壮助は「ひぃっ!!」と小動物のような悲鳴を上げ、つい反射で通話ボタンを押す。

 

『やあ。浮気男』と常弘が一声。

「……誤解だ。一途男」と壮助は応える。

 

 相手が常弘で良かった。彼のいけ好かない爽やかな雰囲気と落ち着いた性格に今更ながら感謝する。

 

『詩乃ちゃんが怒って不貞寝したから、僕が代わりに話すね。とりあえず、君の宿題を終わらせる目途が出てきた。詳しい内容はメールで送ったから後で確認してくれ。添付ファイルのパスワードは『朱理が鈴音ちゃんにサインして貰った物』だ。こちらで立てた今後の計画も入ってるから、最後まで読むように』

 

「了解」

 

 常弘は口頭による報告を最低限に済ませる。壮助の電話口にリエンがいると分かった今、例え離れていても赤目の鋭敏な聴覚で聞き取られている可能性があったからだ。

 

『必ず戻るんだ。彼女達のためにも、君自身の為にも』

 

「ああ。大丈夫だ。()()()()

 

 そう平然と嘘を吐く自分に吐き気がした。

 




オマケ① 前回のアンケート結果

壮助「聖天子様、ストレス溜まってそうっすね」勝典「〇〇でもプレゼントしてやれ」

 (1) 胃薬
→(9) お酒
 (2) ゲーム
 (4) サンドバッグ
→(7) かわいい猫の動画まとめ
→(6) プレス機で潰す動画まとめ


壮助「という訳で『かわいい猫が酒をプレス機で潰す動画』をプレゼントしたっす」
勝典「どうしてそこで合体させた」


聖天子様「??????」←あまりにも前衛的すぎる動画を視聴し思考が停止した。


オマケ② ちょっとした新キャラ紹介

・大山田楽(40歳)
ガストレア大戦で社会が崩壊した時代に暴力による征服と略奪で成り上がった世紀末覇者。暴力を信条とする実力主義者であるため、ガストレア新法以前から呪われた子供を差別せず積極的に受け入れ優遇してきた(そして戦闘員として教育してきた)。

・伊熊秀顕(24歳)
伊熊将監の弟。幾つかの事業で成功し利益を出しているインテリヤクザ。喧嘩で一度も将監に勝ったことが無く、兄のことは「筋肉バカ」と蔑んでいる。昔、兄のイニシエーター(千寿夏世)に喧嘩売ってボコボコにされたため、大の赤目嫌い。


今年一年、ブラック・ブレット贖罪の仮面を応援していただきありがとうございました。来年も鋭意執筆して参りますのでこれからもよろしくお願いします。


次回「電脳世界の魔術師」


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電脳世界の魔術師 前編

みなさん。明けましておめでとうございます(13日遅れ)
本年も「ブラック・ブレット贖罪の仮面」をよろしくお願いいたします。

(2022年中に第二章を完結させたい。あと第三章も書きたい)


 8月19日の朝、詩乃が目を覚ますと朝のニュース番組の音が聞こえて来た。普通の人間ならスピーカーに耳を当てないと聞こえない音量だが、マッコウクジラの因子を持ち聴覚に優れた詩乃はテレビから離れたベッドの上でも番組の内容を把握できた。

 上体を起こし、ベッドから足を出す。宿泊室の中央に目を向けるとアイスコーヒー片手にテレビを見る鈴音の姿が目に映った。

 

「おはよう」

 

「おはよう。詩乃ちゃん。起こしちゃいました?」

 

「いや、大丈夫」

 

 壮助はまだ起きていないのだろうかと目を向けるとベッドはもぬけの殻になっていた。

 

「壮助は?」

 

「2時間ぐらい前に出ました。山根さんと話があるみたいで」

 

 テレビの明かりだけが頼りの部屋で壮助から聞かされた話を詩乃にも話す。聖天子不信任決議、鈴之音が五翔会に育てられた生贄だったこと。

 自分が芸能人になったことで両親と旧友達が犠牲になった。普通の人間ならショックを受けて当然の話だったが、まだ頭の整理がついていないのか、その生い立ち故にもう人の生き死にに麻痺しているのか、語る鈴音に悲しげな様子は無く、聞く詩乃も驚く様子は無かった。

 コンコンとドアがノックされ、「草間だ。朝食を持って来た」と向こう側から声が聞こえた。まだ起きていない美樹が寝相であられもない姿になっていないか一瞥した後、「どうぞ」と応えた。

 

「失礼する」と一言添え、草間が台車を押して入って来た。乗せられているのは3つのトレーに配膳された朝食。うち一つは異様な量が盛り付けられているが、誰の分なのかは言うまでもない。

 

0900(マルキュウマルマル)に作戦会議を始める。それまでに済ませておいてくれ」

 

「まるきゅう?」と鈴音が首を傾げ、「9時だね。分かった」と詩乃が代わりに返答する。

 

 草間は詩乃と鈴音にトレーを渡し、テーブルの空きスペースに美樹の分も置く。布団をかぶりいまだ起きない美樹を彼は一瞥し、鈴音と詩乃に視線を戻す。

 

「もし、心の整理がついていないなら相談してくれ。駐屯地付のカウンセラーを手配する。誰かに胸の内を吐き出すだけでもだいぶ楽になる」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 草間は台車を部屋の端に移動させ、敬礼して部屋を出た。彼の言葉の意味が分からない鈴音と詩乃はとりあえず礼を言い、出て行く草間の背中を見送った。

 

「美樹。起きて。朝ごはん来たよ」

 

 鈴音が声をかける。美樹の布団がもぞもぞと動いた後、だるそうに上体が起きる。明らかに寝不足で顔色もあまり良くない。空調が効いているにも関わらず、汗ばんでシャツが肌に張り付いている。

 

「大丈夫?」

 

 鈴音が立ち上がり、美樹の傍に歩み寄る。

 一瞬、美樹が怯えた。顔がひきつり、感情が制御できず瞳が赤く光る。彼女はそれを隠そうと2人から目を背けた。汗を拭うフリをして手で顔を隠す。

 

「ちょっと……悪い夢見ただけだから」

 

「嘘言わないで。全然大丈夫じゃないでしょ」

 

 顔を隠す美樹の手を掴もうと鈴音が手を伸ばす。しかし、それを詩乃が掴んで制止した。何故止められたのか分からない鈴音は理由を求めて詩乃の顔を見る。

 彼女の目は赤く輝き、美樹を凝視していた。

 

「美樹。()()()()

 

「何で?」

 

「いいから見て」

 

 美樹が恐る恐る手を除け、詩乃を視界に入れた。その瞬間、瞳孔が開き、小さく声にもならない悲鳴が口から零れた。明らかに詩乃を恐れていた。

 再び手で視界を塞ごうとする美樹の手を詩乃が掴む。赤く輝く瞳が美樹に刺さる。

 

 

「やめてよ……見ないで……」

 

 

 美樹が目に涙を浮かべ懇願する。同じ屋根の下で暮らして、何度も命を助けてくれた()()なのに今は彼女への恐怖で心が張り裂けそうになる。

 

 嫌だ……嫌だ……

 

 

 

「その目で見ないで!!」

 

 

 

 美樹が詩乃の手を振り払った。言われた通りに詩乃は目を戻し美樹から距離を取る。美樹の大声に鈴音は腰を抜かし、その場でへたり込んだ。

 

「赤い目を引き金とした心的外傷後ストレス障害(PTSD)赤目恐怖症(ガストレアショック)だね」

 

 詩乃の診断に硬直した鈴音は何も返さず、美樹から乾いた笑いが出る。

 

「おかしいよ……私も赤目なのに赤目恐怖症だなんて……」

 

「おかしくないよ。赤い目が恐くて戦えなくなったイニシエーターなんてたくさんいる。美樹のそれは正常な証拠だよ。ちゃんと命の危機を感じることが出来てる。目の前の死にちゃんと目を向けてる」

 

 詩乃は部屋に備え付けられた内線で別棟の山根に連絡を取る。通話に出たのはさきほど朝食を持って来た草間だった。彼はこうなることを予想していたのだろう。「分かった。5分以内でそちらに着く」即答だった。

 

 ――むしろ、あの状況で何もショックを受けない方がおかしいよね。

 

 詩乃は自分が()()()()ことを自覚している。今更それをどうこうするつもりは無いし、この()()()()のお陰でイニシエーターを続けられている。

 

 内線の受話器を置くと詩乃は腰を落としたままの鈴音の肩を叩き、声をかける。

 

「鈴音。大丈夫?」

 

「え………? あ、うん」

 

 放心していた鈴音は魂の抜けたような返事をした。

 

 

 

 *

 

 

 

 詩乃が会議室のデスクを叩き割ってから2時間後、厚労省データセンターへの潜入方法と内地へ行くメンバーの選出、今後の予定の話し合いが終わり、詩乃は姉妹のいる宿泊室へと戻った。

 自衛隊の機密保持、姉妹の生存を五翔会残党に隠す目的もあり、駐屯地内の移動は制限されている。美樹の診療はカウンセラーが宿泊室に来て行われた。

 詩乃が部屋に戻ると美樹はベッドで静かに眠り、鈴音はその傍らに座り妹を見守っていた。もう診療は終わったのか、カウンセラーの姿は見えなかった。

 

「良かった。落ち着いたんだね」

 

「ええ。薬も処方して貰いました。睡眠薬らしいですけど」

 

「鈴音も休んだら?」

 

「私は大丈夫ですよ。何ででしょうね。美樹と同じものを見たのに」

 

「……そこは個人差としか言いようが無いかな」

 

「カウンセラーの先生にも言われました」

 

 詩乃はパイプ椅子に座り、テーブルの上に置かれていた飴玉を舐める。カウンセラーが姉妹のために置いて行ったものだがお構いなく袋を開けて口に放り込む。

 

「会議。どうでした?」

 

「まぁ、色々あったかな。壮助が1人で内地に行ったり、NPO法人が五翔会のフロント企業だったり、厚労省のデータセンターに侵入することになったり……。とりあえず、鈴音と美樹はしっかり休養を取って元気になってね」

 

「私達だけ何もせずに大丈夫なんでしょうか……」

 

「壮助もこう言うと思うよ。『そういう血生臭いのは俺達の仕事だから、お姫様は優雅に紅茶でも飲んで待ってな』って」

 

 詩乃は声を1トーン低くし、眉間に皺をよせ、決めポーズをして、壮助の真似をする。鈴音は突然のモノマネにどう反応したら良いか分からず、きょとんとする。「滑ったかな?」と思い、詩乃はポーズを崩して壮助の真似をやめた。

 

「もし暇だったら、ナオの大仕事が成功するよう祈っててよ」

 

「データセンターの件、そんなに難しいんですか?」

 

「『呪われた子供と人間が共存する社会』、聖天子肝煎りのプロジェクトを支える大事な施設だからね。()()()()()()でもいればかなり楽になるんだけど」

 

 鈴音はある人物のことを思い出し「あっ」と小さく声を上げた。その人物のことを提案していいのか悩んだ後、恐る恐る手を挙げる。

 

「あの……協力してくれる保証は無いんですけど、一人だけ心当たりがあります」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 かつて霞が関と呼ばれた場所に立つ厚生労働省の庁舎、オフィスの一角にあるデスクには数本のエナジードリンクが隊列をなし、皺のひどいスーツに包まれた女性が横たわっていた。耳元にあるノートPCとタブレットは絶え間なくメールの通知音が届くが読む気にならない。

 恋と結婚を捨て、仕事一筋で生きたキャリアウーマンとは思えない醜態だった。

 

 厚生労働省・特異感染症取締部 部長補佐

 宇津木梨々香(ウツギ リリカ) 38歳 独身

 

 彼女は10日前、現場にいながら侵食率48%の呪われた子供(日向姉妹)を逃がし、東京エリアを感染爆発の危機に晒すという大失態を犯した。その失態の責任を取る為、スカーフェイスに殴られて激痛の残る身体に鞭を打ち、こうして仕事漬けの日々を過ごした。

 失態の翌朝には退院して始末書を書き、痛み止めを飲みながら警察と協力し姉妹の捜索に出た。灰色の盾が籠る治外法権“西外周区”に歯噛みし、イタズラの目撃報告に振り回された。

 そして昨日、西外周区感染爆発事変という最悪の事態が発生した。自衛隊が現場を封鎖しているため、この感染爆発に日向姉妹が関与していたかどうかは分からない。姉妹が起爆剤となったという戯言が厚労省の中で飛び交う。あろうことか、その戯言をメディアが拾い()()()()()()として取り上げている始末だ。

 

 ――赤目みんなガストレア爆弾みたいに言うんじゃないよ……。マスゴミ……。

 

 パソコンのニュース記事に毒づく。積み重なった疲労と睡眠不足で宇津木のイライラは頂点に達していた。確かに自分達の仕事には形象崩壊の危険がある赤目を拘束することも含まれている。職務上、彼女達には厳しい視線を向けなければならない。しかし、そこに敵意や悪意はない。同じ人として可哀想だとも思っている。だから、こういう差別を助長するような報道には吐き気がした。

 彼女のデスクにコーヒーの入ったマグカップが置かれる。見上げるとここのトップである部長が仏のような顔を向けていた。

 

「お疲れのようだね。宇津木くん。今日は家に帰りたまえ」

 

「しかし……」

 

「あれから休んでいないだろう。いざとなった時、君に倒れられては困る。この老体に呪わ――失礼、赤目を追いかけることなんて到底出来ないからね」

 

 部長に言い包められながら宇津木はアイスコーヒーを啜る。部長補佐という役職だが、その権限は部長と変わらない。しかし、亀の甲より年の劫という言葉があるように20年近いキャリアの差はこうしたところで見せつけられる。

 

「私が若くても捕まえることは出来ませんが、今日はお言葉に甘えさせて頂きます」

 

「ああ。何か動きがあったら連絡するよ」

 

 

 荷物をまとめ部署を出たのは14時。電車に揺られながら自宅マンションに戻ったのは30分後のことだった。見慣れていたはずが懐かしい気持ちになる中庭を抜けてエントランスの自動扉へと向かう。

 

「宇津木さんですか?」

 

 背後から声をかけられ、宇津木の足が止まる。振り向くと一人の女性がそこにいた。

 ロックバンドのロゴTシャツ、スキニーデニム、明るい色のスニーカーと今時の若者のような装いだが、それに反して佇まいは深窓の令嬢のようだった。彼女はキャップ帽とサングラスを外し、半分見えていなかった顔を宇津木に見せる。

 

「御無沙汰しております。壬生です」

 

 

 

 

 *

 

 

 

「協力者に心当たりがある? それは本当かい?」

 

「はい……」

 

 会議室に再び一同が集まり、山根が鈴音に問いかける。鈴音は自身なさげに答えた。

 

「特異感染症取締部の宇津木さんです」

 

 灰色の盾が「誰?」と頭上に疑問符を浮かべる。

 

「確か、貴方達を拘束した厚労省の方ですよね」

 

 朝霞が確認ついでに補足説明する。エール達も高速道路で倒れていた職員達のことを思い出し、その()()()だろうと漠然とイメージする。

 

「ご存知なんですか?」

 

「捜査本部でお会いしたことがあります。表向きは警察・厚労省と協力していることになっていますので」

 

 ずっと外周区で一緒に過ごし、当たり前のように一緒に戦っていた為か、全員が「そういえばそうだったな」と朝霞の立場を思い出す。

 

「第一印象ぐらいしか語れませんが、真面目で仕事熱心な方だとは思います」

 

「私も……」と鈴音が口を開き、全員の視線が彼女に集中する。

 

「私も同じ印象なんです。真面目で仕事熱心で、おそらく私情を挟まない。侵食率を信じているから私達を捕まえただけで、赤目を嫌ったり憎んだりはしていない、と思います。ここの検査結果を見せれば、もしかすると……」

 

 朝霞と鈴音が宇津木の人となりを話している間、山根はタブレットで彼女の情報を集める。

 

特異感染症取締部(GCD)の部長補佐か。彼女の権限を使えば工程の大半をスキップして成功率を格段に上げることが出来る。だが彼女が五翔会だった場合、こちらが掴む前に証拠を消される可能性もある。危険な賭けだね」

 

「いや、賭けにならねえよ。宇津木はシロだ」

 

 壁際で腕組みし立っていたエールが自信満々に言い放つ。ナオも同じ意見のようでうんうんと頷いた。

 

「スズネの人を見る目は当てになるんだ。考えてみろよ。盲目のストリートチルドレンなんて真っ先に殺されるか人身売買の餌食だ。それなのにそいつは綺麗な身のまま何年もストリートで生きてきた。声と話し方だけで人を見抜くことが出来るんだよ。――それはもう勘じゃねえ。立派なスキルだ」

 

 

 

 *

 

 

 

「え……? あ、ああ。お久し振りです」

 

 朝霞とは面識があった。日向姉妹が逃亡した翌日、警視庁の捜査本部にて特異感染症取締部の代表、我堂の民警筆頭として幾度か言葉を交わしている。しかし、服のせいで一瞬誰だか分からなかった。

 

「すみません。和服姿しか見ていなかったものですから。その……意外ですね」

 

「私も遊び盛りの10代ですので」

 

 無論、このコーデは朝霞の趣味ではない。これは約1年前、弓月に誘われて買い物に行った際、彼女の口車に乗せられて購入した服である。自宅に持ち帰ってからは箪笥の住人と化していたのだが、外周区生活の準備をする際、「郷にいて郷に従う」という考えに基づき、ギャングらしい恰好として持って来ていた。そして多くの着物がガストレアの返り血で汚れる中、()()()()()()これだけが無事だった。

 

「姉妹の捜索にご協力いただき、ありがとうございました」

 

「いえ、こちらこそお力になれず申し訳ありません」

 

 宇津木が疲れて猫背気味になっていた姿勢を正し、朝霞に敬礼する。それに応えて朝霞は頭を下げた。

 

「実は……姉妹の捜索の折、気になる話を耳に致しまして。突然で申し訳ないのですが、少しお時間をいただけないでしょうか。出来れば、2()()()()()

 

「私と……ですか?」

 

「はい」

 

 宇津木は朝霞と2人きりになれる場所が無いか一考する。喫茶店、ファーストフード店が思い浮かぶがどこも店員や客がいて秘密の話をするには不適切だ。そうなると最も近くにあるプライベートな空間が頭に浮かぶ。

 

「……少し汚いですが、私の家で良ければ」

 

「構いません」

 

 朝霞と共に1階の自動扉を抜け、エレベーターに乗り、自宅の前に辿り着いた。約5日ぶりの帰宅だ。洗い物を残していないか、洗濯物は片付けているか、5日前のことを思い出し、それらが残っていないことを願いながら鍵を回した。

 

「お、やっと来たね。初めまして。宇津木部長補佐殿」

 

 扉を開けた瞬間、無人のはずの自宅でピンク髪の少女・ナオが玄関の電気を点けて出迎えた。

 

 ――灰色の盾!?

 

 捜査本部で共有された日向姉妹拉致に関与した赤目ギャング、そのサブリーダーを目の前にして宇津木の反応は早かった。瞬時にカバンから拳銃を抜く。ナオに銃口を向けようとするが背後から朝霞に腕を掴まれ照準は天井へ。もう片方の腕も掴まれて背に回される。宇津木は立ったまま身動きを封じられる。

 

「どういうつもりですか……!? 壬生さん」

 

「訳は後で話します。今は落ち着いてください」

 

「そうそう。獲って喰ったりはしないからさ」

 

 ナオが近づき、天井へ向けられた拳銃を奪う。唯一の武器を奪われまいと宇津木は抵抗するが朝霞の捕縛から逃れることが出来ない。奪われた拳銃は弾倉を抜かれると横の脱衣所に放り捨てられた。

 

「貴方達……何が目的なの?」

 

「そう恐い顔しないでよ。スペシャルゲストが恐がるじゃないか」

 

 睨む宇津木を前にナオは余裕の笑みを浮かべて振る舞う。リビングへ繋がる扉を開けスペシャルゲストに「こっち来て良いよ」と声をかける。近付く足音と共に奥のリビングからスペシャルゲストが姿を見せた。

 彼女を目にして宇津木は驚愕するしかなかった。生きている筈がない。生きていたとしても人間の形を保っているはずがない。その前提で多くの捜査員や取締官が残酷な正義に心を痛め、それでも市民の安全のため職務を遂行してきた。

 

「お久し振りです。宇津木さん」

 

「日向鈴音……」

 

 

 

 

 今、彼女の中で全てがひっくり返った。

 




オマケ① 年末の日向姉妹

2036年12月31日の日向家

恵美子「そういえば鈴音って紅白歌合戦のオファー来たことあるの?」

鈴音「あるけど、華麗さんが断った」

美樹「え~。何で? もったいない」

鈴音「華麗さん曰く『一語一句の間違いもアドリブも許されない、タイムスケジュールは秒刻み、リハーサルで殺気立ったスタッフが『0.3秒縮めろ!!』ってショットガン振り回しながら叫ぶ現場よ』って」

勇志「スタッフのカンペに気付かずホルモン焼きが飲み込めない話を延々とやって番組の予定を破壊した鈴音には無理だな」

鈴音「何で知ってるの?ファンクラブ会員限定の配信だったのに」

勇志「公式ファンクラブ会員番号03は何を隠そう私だからな」

鈴音「え?」
 
恵美子「ちなみに04は私よ」

鈴音「え?」

美樹「ちなみに05は私」

鈴音「も、もしかして鈴之音デビュー初期の黒歴史になっている会員限定『耳かき囁きASMR』も……」

勇志・恵美子・美樹「「「買いました」」」

鈴音「ごめん……しばらく部屋に籠っていい……?」

恵美子「年越しそば食べてからね」


オマケ② アンケートの結果

「セリフとセリフの間を開けた方がいい」という意見が多かったですので、これからもこのスタイルで行きます。ご協力、ありがとうございました。


次回「電脳世界の魔術師 中編」


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電脳世界の魔術師 中編

前編・後編にしようとしたけど無理だったよ!!


ナオのウワサ

スマホの中には灰色の盾のメンバー全員のバストサイズや揉んだ時の感触を綴った「おっぱいレポート」があるらしい。


「鈴音ちゃんが内地に行く?」

 

「はい」

 

 駐屯地の会議室でその言葉を発した時、鈴音は全員の視線を集めた。大人気歌手だったという経歴上、注目されることには慣れている。その相手が、顔はにこやかだが底知れぬ恐ろしさがある山根と部下達(自衛官)、反対だと言わんばかりに睨む灰色の盾(赤目ギャング)、普段の爽やかな笑みが消え真剣な面持ちで見つめる朝霞と小星ペア(我堂の民警)だとしても普段の穏やかな雰囲気が崩れる様子はない。

 その細い体躯のどこにそれだけの胆力があるのか、鈴音は否定的な視線に気を留めることなく、飴色の瞳を真正面の山根に向ける。

 

「宇津木さんは生真面目で正義感が強く、()()()()()()よりも()()()()()()()()()()()()を選ぶ。その信念の強さが融通の利かなさに直結している、そういう人だと思います」

 

「要は朝ねえみたいな人ってことだよね」

 

 常弘が朱理の頭を叩く。その横で朝霞は誰もいない壁に目を向けた。真っ向から否定しないあたり、自覚はあるようだ。

 

「生半可な証拠では説得できないと思います」

 

「だから君が直接出向く訳か。疑う余地が無い。絶対に揺るがない証拠として」

 

 鈴音を内地に行かせて大丈夫かと山根は思案する。安全面はまずクリアだ。朝霞が一緒なら機械化兵士やドールズの襲撃があっても対処可能だろう。内地なら五翔会残党も大規模な攻撃は控える可能性が高い。()()()()()()()()()()()が気がかりではあったが、こればかりは今更どうにかなるものではないと片隅に追いやった。

 

「良いじゃないか。久々に内地の空気を吸って来なさい」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 広さも間取りも至って普通、家具も日用品も庶民的。その一方で雰囲気は過度に整然とし、生活感が欠けている。そんなリビングで宇津木はテーブルを挟み、生きている筈がない鈴音、味方であった筈の朝霞と顔を合わせる。

 

「――これが事件の真相です」

 

 この10日間で起きた出来事を朝霞は淡々と語った。誤解なく正しく伝えようと言葉に感情を乗せなかった。

 だが何も思わなかった訳では無い。テーブルの下で朝霞は握り拳を作っていた。西外周区がアウトローの街だったとはいえ、東京エリア市民であることに変わりはない。敬愛する長正が、仲間たちが命を懸けて守ってきたものを一晩で奪い去った五翔会残党への怒りを必死に抑えていた。

 朝霞の淡々とした語りが、冷たさとなり宇津木を追い詰める。朝霞にその意図が無くとも「陰謀の片棒を担いでしまった公僕」である彼女はきつく胸を締め付けられる。

 テーブルには司馬重工傘下企業の検査証明書、陸上自衛隊神奈川駐屯地の検査証明書が置かれている。検査証明書を毎日のように見ている宇津木の目からして、紛れもない本物だ。

 自分は公共の安全という大義名分の下、彼女達を拘束し、両親の亡骸から引き離した。葬儀すらさせなかった。自分達をそうさせた正義が、信念が、真実が、全て偽りの数字の上で転がされていたものだと知り、それを受け入れるには十分な破壊力だった。

 被害者当人――鈴音はどう思っているのだろうか、チラリと見遣る。宇津木は内心驚いた。テレビで見た姿と変わらない。ほぼ戦場と言って良い極限環境を生き抜いていながら、ステージにいるかのようにほんのりと温かい春の日差しのような微笑をこちらに向けていた。

 自分を許すかのように、最初から責など問うていなかったかのように――。

 

「すまなかった……こんな……こんなことになるとは……」

 

 人前で大粒の涙を流したのは何年振りだろうか。歯噛みし、声を上げて泣きたい気持ちを抑える。年齢が半分以下の少女達の前でみっともない姿を見せたくないというプライドが彼女をそうさせる。

 

「妹は……元気にしてるか?」

 

 恐る恐る震える唇を動かした。騙されていたとはいえ今の自分は加害者だ。何を言っても家族を奪われた彼女の逆鱗に触れかねない。

 

「ちょっと落ち込んでいますけど……()()()()

 

「そうか……」

 

「元気です」とは答えられなかった。その言葉選びを宇津木も察した。姉妹の置かれた状況を考えれば、心が無傷である方がおかしいのだから。

 

「そんじゃあ、そろそろ本題に入ろうか。宇津木部長補佐殿」

 

 壁に寄りかかり腕組みしていたナオがニヤリとする。宇津木はハンカチで涙を拭い、鼻を啜り、「本題?」と聞き返す。

 

「アンタを泣かせるためだけに来るほど私ら暇人じゃないんでね」

 

 ナオの生意気な物言いが癪に障ったのか、宇津木はいつもの不機嫌気味なきつい顔つきに戻る。

 

「朝霞の話で察しはついていると思うけど、今回の件を仕組んだ連中は厚労省の侵食率管理システムのサーバーに細工をしている。それを暴くために協力して欲しい」

 

「……無論だ。特異感染症取締官として、そんな嘘が罷り通る状況を許す訳にはいかない。償いをしろと言うなら、好きなだけ使ってくれ」

 

 ナオがふふんと小馬鹿するように笑う。

 

「ギャング相手に『好きなだけ』は危険だよ」

 

「それも承知の上だ」

 

 多少は狼狽えて欲しかった、そこに付け入って揶揄いたかったナオはばつが悪そうに宇津木から視線を逸らした。腹を括り、覚悟を決めて強く言い放った彼女の姿がエール(ボス)を想わせる。

 

「えっと……常識の範囲内でお願いします」と鈴音が困惑しながら頭を下げる。

 

 宇津木は組んだ手を口元に当て、視線を何も無いテーブルに向けた。

 

「しかし、サーバーか。そこは調べた筈なんだが……」

 

「どうせ警察のサイバー課か厚労省の御用プログラマーでしょ。あ~んな象も素通りできるガバガバセキリュティで満足してる連中の調査なんて、たかが知れてるよ」

 

 宇津木の眉がピクリと動いた。もう罪悪感は飛んで行ってしまったのだろうか、彼女は腕を組み、椅子に背を預けてふんぞり返る。

 

「よく言うな。そういう君はどれほどの腕前を持っているんだ?」

 

「庁舎を出る前に見ていたニュースサイトの記事、9月に予定されていた聖天子の特異感染症研究センター視察スケジュール、無許可のガストレアウィルス取り扱い業者一覧、竹本薬品の製薬機器横流しに関する調査報告書、あとは庁内にある全てのパソコンのパスワード、全部ここで言ってあげようか?」

 

 宇津木は絶句した。驚きのあまり口がぽかんと開いていた。ニュースサイトはともかく、それ以外は厚労省の内部、とりわけ一部の人間しか知らない、担当者が「絶対に破られない」と自画自賛したセキリュティを突破しないと存在すら認知できないものだ。それを目の前のふざけたピンク頭の少女が知っていた。

 

「……いや、言わなくて良い」

 

 認めたくないが、ナオの実力を認めるしかない。今の宇津木に意地で不都合な現実に抵抗する気力は無かった。

 

 

 

 

 

 30分の仮眠を取った後、シャワーを浴び、別のスーツに着替えて宇津木は自宅マンションを出た。朝霞、鈴音、ナオと共に1階駐車場へ向かい、少し離れたところに路駐していたミニバンに乗り込む。

 山根の部下・津名はバックミラーで後部座席に3人が乗ったことを確認、助手席にナオが着くとエンジンをかけハンドルを握った。

 

「津名。ちょっと寄り道お願い」

 

「どこへ行くんだ?」

 

 津名が問い返すと、ナオは言い辛そうに口を閉じたままもごもごと動かし、ばつが悪そうに窓へ視線を逸らした。

 

 

 

 

「………………美容室とブティック」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 “人と呪われた子供が共生する社会”――それを名目に打ち出された国家規模の侵食率管理システムは厚労省データセンターによって支えられている。スーパーコンピュータが東京エリアで保護された呪われた子供全員から収集した侵食率、DNA、健康状態、個人情報といったビッグデータの管理・分析を行い、各サーバーの管理を専門知識を備えた数十名のスタッフが行っている。施設内部はセキリュティ区画設定による移動制限と監視カメラによる常時監視が行われ、人間の警備員と司馬重工製の警備ロボットが巡回している。

 データセンターに到着し、宇津木がミニバンから降りた。彼女に続いて落ち着いた髪色と無難なコンサバファッションの淑女が降りる。

 

「スカートとか5年振りだよ。パンツがスースーする」

 

「喋らない方がいい。疑われるぞ」

 

「へいへい。ごめんあそばせ。梨々香お姉様」

 

 ナオは日向姉妹拉致事件の首謀者の一人として警察・厚労省の中で顔写真が公開されている。そのままの姿で行けば即座に通報されるだろう。仮に職員がナオのことを知らなくても外周区ギャング感丸出しの彼女の服装は不審な目で見られる。そのため、美容室で髪を、ブティックで服装を変え、エリート官僚(宇津木)の親戚という設定が通る姿に変えたのだ。

 顔見知りの受付嬢にはナオのことを親戚と紹介、特に疑問に思われることは無く、首から提げるゲストカードを渡された。無論、これでサーバールームまで行けないが、宇津木が持つカードキーの権限ならほとんどの区画を出入りすることが出来る。

 警備員と笑顔で挨拶を交わし、綺麗なゴミ箱のような警備ロボットに「オツカレサマデス。ウツギサマ、オキャクサマ」と声をかけられる。

 

 

 

 

 

 

 センターに入って十数分、一切の障害もピンチも無く、宇津木とナオはサーバールームへと辿り着いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 部屋全体を白色蛍光が照らし、モノリスのような黒いハードウェアが幾列も並んでいる。1と0の二進数のように部屋は白と黒で構成される中、ハードウェアラックからネオンブルーライトが怪しく明滅する。

 静かだが確かな駆動音を響かせる数百台のハードウェアを前に2人は絶句する。

 

「いくら部長補佐の顔パスでもさぁ……ガバガバすぎない?」

 

「セキュリティの抜本的な見直しが必要だな……」

 

 拍子抜けしたあまりナオは全身から力が抜け、ピカピカな床に膝を落とす。

 

「まぁ……排熱ダクトを匍匐前進するよりマシか」

 

 ナオの呟きに宇津木がぎょっとした。

 

「摂氏200度だぞ。正気か?」

 

「全身大火傷を覚悟してたよ――って言っても赤目だからすぐ治っちゃうんだけど」

 

 ――君にだって痛覚はあるだろう。

 

 宇津木はそう諫めたかった。赤目の治癒力は人間と比べ物にならない。死ななければ(個人差はあるが)大抵の外傷も完治する。それでも人間と同様に痛覚がある。死ににくい分、人間よりも過酷なものを経験する可能性もある。それ以前に10代の少女がその身を犠牲にして、吶喊のような真似をすることを一人の人間として許せなかった。

 しかし、言わなかった。それは“安全圏からの正論”でしかなく、自分は正論が通じない場所に彼女達を追い詰めた加害者なのだから。

 ナオはカバンからノートPCを取り出すとケーブルをサーバールームのハードウェアに繋いだ。胡坐をかいて床に座り、脚に乗せたノートPCのキーボードを指ではじく。

 宇津木は床に座るナオを「はしたない」と思い見ていたが、イスとテーブルを用意できない以上、仕方ないと割り切った。

 

「テキトーに時間を潰しててよ。ここのシステムはもう掌握してるから監視カメラは無人のサーバールームを見せ続けるし、入室記録も消したし、当面の間は人も入って来れないから」

 

 サラリと言ってのけたナオを前に宇津木は硬直した。カバンがドサリと床に落ちる。

 

「いつ……やったんだ?」

 

「オバサンに会う前。トロイの木馬の進化系で職員全員のPCをコッソリ乗っ取って、リモートで管理者権限を奪った。あとはまぁ色々と企業秘密的なソフトとか使った」

 

 宇津木は再び絶句する。目の前が真っ白になり、がっくりと床に手をつける。

 

「ここ……東京エリア最先端の情報技術が集まって、その道のプロフェッショナルを集めた場所だぞ……」

 

「人間の愚かさはテクノロジーの進歩じゃ埋められないんだよ」




オマケ① ナオのピンク髪
地毛は暗めの茶髪でしたが、外周区生活で「舐められないよう、見た目をもっとギャングっぽくしよう」と思い至り髪を染めました。

オマケ② 前回のアンケート結果

朝霞「私も遊び盛りの10代ですので……

 (2) 夏休みに髪を染めたりします
 (6) 8/31に徹夜して宿題をやったりします。
 (1) ライブハウスで騒いだりします。
 (4) 朝から晩まで布団の上で過ごしたりします
 (6) コミケで同人誌を買い漁ったりします。
→(7) ゲームに廃課金して全財産溶かしたりします

ティナ「朝霞さん。ゲームやるんですか?何をやってるんですか?スマホですか?据え置きですか?ちなみにプロ彼(※)に興味はありませんか? 今なら新規さん限定200連ガチャ無料ですよ」(同志を見つけたオタクの早口)

※プロ彼→スマートフォンゲーム「プロモーター彼氏」の略。

朝霞「そのプロ彼にお金を使ってしまいまして……」

ティナ「プロモーター(※1)は誰にしてますか? ガチ勢ですか?ライト勢ですか?編成は?スキルは?IP序列(※2)はいくつですか? ちなみに私は克美燕太朗です」(同志を見つけて純粋に根掘り葉掘り聞こうとするオタクの早口)

※1.プロモーター:プロ彼ユーザーの間では「推し」という意味で使われる。
※2.IP序列:プロ彼ユーザーにおける「プレイヤーランキング」
※3.克美燕太朗:プロ彼のキャラクター。里見蓮太郎がモデルではないかと囁かれているが運営は「偶然です」と否定している。

朝霞「プロモーターは蘭堂鱈正です。あとIP序列は30位以内(※5)です」

※4.蘭堂鱈正:プロ彼のキャラクター。我堂長正がモデルではないかと囁かれているが、公式は否定している。

※5.IP序列30位以内:「プロ彼に魂を売った廃人にしか辿り着けない境地」「札束で殴り合う資本主義の魔窟」「元プロデューサーも元提督も元指揮官も元トレーナーも元先生も元マスターも元団長も元監督生もあそこで死んでいった」と言われる激戦区。

ティナ「…………」(あまりのガチ廃っぷりにドン引き)

ティナ「朝霞さん。ゲーム卒業して弓月さんと一緒にリア充を歩みませんか?」



次回「電脳世界の魔術師 後編」


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電脳世界の魔術師 後編

宇津木梨々香のウワサ

男の理想が高すぎたせいで婚期を逃したらしい。


『続いてのニュースです。西外周区の感染爆発を受けて、中央選挙委員会の三ノ宮委員長は本日記者会見を開き、聖天子不信任決議の国民投票は予定通り行うと発表しました。会見で三ノ宮委員長は『西外周区の感染爆発は収束しており、緊急事態に当たらない』と説明し、改めて国民に投票を呼びかけました。この判断を政治ジャーナリストの向井氏は――』

 

 ワンセグ搭載カーナビから流れるニュース映像と音声に耳を傾け、津名は大きくあくびをする。車内は冷房が効いて程よく冷えており、後部座席で朝霞は置物のように姿勢を正して安座する。

 データセンターから少し離れた場所で待機し、ナオからの連絡を待つ。それが今の3人に出来ることだった。

 

「あの、津名さん……」

 

 不安と車内の沈黙に耐えられなかったのか、鈴音が声をかける。

 

「どうした? 歌姫の嬢ちゃん」

 

「ナオさんって、どうしてあんなにパソコンがすごいんですか?」

 

「え……今更?」

 

 一週間以上も共に暮らし、彼女が灰色の盾のブレインとして機能する姿も見て、尚且つ旧知の友でもあった。その鈴音が今このタイミングになってナオの実力の由縁を尋ねてきた。「パソコンがすごい」という間抜けな言葉選びも相まって朝霞と津名は唖然とする。

 

「えーっとまぁ……最初は俺が教えたんだよ。俺って音楽やっててさ。自衛官になった後も趣味で曲作りとかしてたんだ。こう見えてボカロPなんだぜ」

 

「「ぼかろぴー?」」

 

「えーっと……初音ミクなら知ってる?」

 

「「誰ですか?」」

 

 知らない鈴音と朝霞は揃って首を傾げる。イニシエーターの朝霞はともかく、音楽業界に身を置いていた鈴音すら知らなかった。それはショックだったのだろう。「今の子達は分からないかぁ~」と津名は寂しそうに項垂れる。

 

「灰色の盾に入った時、ジャンクのパソコンが手に入ってさ。作曲と言う健康的かつ文化的な趣味に興じれるよう何人かにパソコンの使い方や楽曲制作に使うアプリやソフトを布教したんだよ。結局、まともに覚えたのはナオぐらいだったけどな。――で、ナオも音楽より根本的な仕組みの方に興味を持ってな。ネットを繋いだこともあって、そのパソコンで色々と調べるようになったんだ。食い入るようにパソコンをいじるあいつを『小遣い稼ぎでも出来れば上等だな~』なんて笑いながら見てた。

 

 ――気が付いたら、電脳世界の魔術師(ウィザード級ハッカー)が誕生しちまったよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 ナオのPC画面上で忙しなく多数のウィンドウが開き、プログラミング言語が矢継ぎ早に記述されていく。ナオは刹那も止めること無く指でキーボードを弾き、専門用語だらけの独り言を呟きながら画面の動きを目で追っていく。背後で見ていた宇津木は理解するどころか、開いては文字を自動で記述し消えていくウィンドウを追うだけで精一杯だ。

 

「一体……何をやってるんだ?」

 

「奪った管理者権限でサーバーの余剰領域にハイパーバイザー型仮想PCを組んでる」

 

「仮想PC?」

 

「普通はコンピュータ1台につきハードウェア1台なんだけど、そのハードウェアの使っていない部分に違うOSで動くコンピュータを疑似的に作ることが出来るんだよ。それが仮想PC」

 

「それが証拠とどう繋がるんだ?」

 

「まず連中のやり口から説明するんだけど、簡単に言うとゼロデイ攻撃と持続的標的型攻撃(APT攻撃)の合わせ技。五翔会は長い時間をかけてここのサイバーセキリュティやトラブル発生時の対応を研究してきたんだと思う。脆弱性データベース、アンチウィルスソフトが持つシグネチャ――マルウェアと攻撃者のパターン情報、次世代型アンチウィルスソフト(NGAV)の振る舞い検知やAIの学習状況も把握し、この事件のためだけに生み出した新種のマルウェアでセキリュティホールを突いた。そして今でもマルウェアはこの中に()()()()()()()。残念だけど、今のままじゃ私でも見つけることは出来ないよ。そこで――」

 

 ナオは持ち込んだカバンから1枚のブルーレイディスクを取り出し、「ぱんぱかぱーんぱぱーん。秘密兵器ぃ」と某猫型ロボットを真似た声で宇津木に見せた。

 

「この中には神奈川駐屯地にあった侵食率検査機のOSと検査プログラムの挙動をモニタリングする自家製のアプリケーション、後は検査機のOSをこの中で動かすのに必要な諸々が入ってる。これを厚労省サーバーに組み込んで内部に仮想の検査機を作り、そこで姉妹の個人情報と紐付けされた血液の検査を疑似的に行う」

 

 ナオはブルーレイディスクをドライブに挿入、彼女のノートPC画面に再び大量のウィンドウがポップアップし、その中で大量のプログラミング言語が羅列されていく。

 突然、赤いウィンドウが開き、大量のエラーが通知された。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「ぶっつけ本番だし、現地修正は承知の上だよ」

 

 再びナオは画面に集中する。専門用語だらけの独り言を呟き、眼球を左右に動かし続け、目にも留まらない速さで指をキーボードに叩きつけて行く。

 

「で、話の続きなんだけど、五翔会のマルウェアは普段巧妙に隠れていて、こことオンラインの検査機が日向姉妹の血液を検査する時だけ動くよう設定されているんだと思う。正確には姉妹の個人情報と紐付けされたラベルの血液を検査する時かな。検査機が最初に読み取ったラベルの情報はリアルタイムでここに送られて東京エリアが保護した呪われた子供の個人情報と紐付けされる。改竄プログラムは姉妹の個人情報が紐付けされたことを検知するとサーバーから当該検査機のシステムに不正侵入し、姉妹の検査結果のデータを上書きする。大元の検査機さえ上書きしてしまえば、以降の端末は全部騙せるって寸法だよ」

 

 宇津木は蹲って膝を抱える。種を明かされた今、様々な感情が沸き上がる。日向姉妹に対する罪悪感だけではない。検査機の数値を盾に壮助と口論した自分が、つい数時間前まで身体を酷使し激務の日々を過ごした自分が、嘘の上で踊らされたピエロだと分かり、五翔会残党への怒りと、自分の恥ずかしさで頭に血が昇る。

 

「データの上書きか……それだけで我々は……いや、この国は騙されたのか」

 

「仕方ないよ。検査はリトマス試験紙みたいに目視で分かるものじゃないんだし。私達も色んなものを犠牲にして、やっとここに辿り着いたから」

 

 エラー表示は瞬く間に無くなっていくが直後に新たなエラーウィンドウが表示される。それにナオは動じることなく、プログラムを動かしながら直接コードを書き換え修正、エラーと修正の戦いは時間の経過と共にナオが有利になっていく。

 少なくなっていく通知で素人の宇津木も修正作業が進んでいると分かり、安堵する。サーバールームで何も出来ない彼女は二回り年下の少女に全てを委ね、このまま事が上手く運ぶことを願った。

 キーボードを叩く音が止んだ。ナオはPCから手を離し、額の汗を拭う。

 

「インストール完了。疑似検査も始めてる。後は馬鹿が引っ掛かるのを待つだけ」

 

 宇津木は手を捻り腕時計で時間を確認する。

 

「警備が来るまであと20分。大丈夫か?」

 

「多分……10分は越えないと思う」

 

 ダイアログウィンドウが開き、緑色のゲージが10%から徐々に伸びていく。宇津木の視線はゲージが右端に到達するまでの距離、表示されるパーセンテージ、腕時計で確認する現実の経過時間を往復していく。

 サーバールームは定時で警備員が巡回している。機械の目は誤魔化せても人間の目は誤魔化せない。もし鉢合わせになってしまえば、赤目ギャングのナオは勿論のこと、宇津木もサーバールームへの不法侵入で手錠をかけられるだろう。最悪、このサーバーから改竄の証拠を消され、真相が闇の中へと消えていくことになる。

 証拠を手に入れるか、それとも全てを失うか、人生で最も長く感じる10分間だ。

 開始から8分、ゲージは100%に至り、「保存が完了しました」とウィンドウが出た。

 

「はい。終わったよ」

 

「中身は大丈夫なのか?」

 

「確認するからちょっと待ってて」

 

 またしても画面上でコードがスクロールする。並みの人間では認識できない速度で上へと消えていく文字列をナオは目で追い、「うん、大丈夫」と告げる。

 

「それ、()()()()()()()()()()()()()()警察のサイバー課か厚労省の御用プログラマーでも分かる内容だろうな?」

 

「勿論、税金泥棒じゃなければ」

 

 画面の端に「6件のコードを検出」とポップアップが出る。ナオは仮想検査機の進行に意識を向けながらそちらを一瞥する。その一瞬で検出は6件から288件になった。更にその数値は651件、2384件、9546件……指数関数的に跳ね上がる数値にナオは青ざめ、息をするのを忘れてしまう。

 慌ててキーボードを弾く。通知のポップアップを拡大し、高速でスクロールさせながら検出の詳細を確認する。あまりにも早過ぎて、背後で見ていた宇津木には文字すら認識出来なかった。

 

「どうしたんだ?」

 

「仮想検査機に入ってきたプログラムのデータパターンを抽出して従来のウィルス対策ソフトみたいにパターンマッチング方式で逆探知してたんだけど、とんでもない数がヒットしてる。侵食率の改竄だけじゃない。他にもヤバいことやってるよ」

 

 次から次へと画面に出て来る大量の図形やソースコードをナオは()()()1()()()()()2()()()()()()1()0()()()()で処理し、口からは素人には理解不能な専門用語を垂れ流す。

 

「あいつら、ここのCPUを使って()()の計算をしてる」

 

()()とは何だ? もっと具体的なことを説明しろ」

 

「分かんないよ。こっちは小学校中退なんだから」

 

 宇津木がPC画面をのぞき込むと4つのアルファベットの羅列、カラフルなリボンが絡まったようなグラフィック、英字と六角形が組み合わさった図形が目に映った。その他にも膨大な図形や文字列が画面いっぱいに広がっていたが、落ち着いて見てみると見覚えのある単語や図形があることに気付く。

 

「これ……生化学の分野だな。こっちはDNAの塩基配列、こっちはおそらくタンパク質の構造だ。これは……化学構造式だな。何のかは分からないが……」

 

 一つ一つ、分かるものを指さして説明する。斜め下から視線を感じ目を向けると、鳩が列車砲を食らったような童顔がこちらを向いていた。

 

「忘れているのか? 私は特異感染症取締部の“№2”だぞ」

 

 ――と誇った直後、

 

「だが、これらのデータが何を意味しているのかほとんど分からん。コピーして教授や専門家に見せた方が得策だろう」とあっさりプライドを捨てる。

 

「そうしたいところだけど、残念なお知らせ。――――時間オーバー」

 

 ナオのPC画面の中心に【00:00:00】と表示される。撤収のタイムリミットだ。ハードウェアに繋いでいたケーブルを抜き取ろうと手を伸ばす。

 その一瞬、あるファイルの名前がナオの目に映った。タイムリミットのことなど忘れ()()()()()()を開こうとケーブルに伸ばしていた筈の手がキーボードに引き寄せられる。

 

 File.01 『私はここにいる』

 File.02 『真夜中』

 File.03 『Diamond Rain』

 File.04 『それは春風のように』

 File.05 『帰り道』

 File.06 『道化師(ピエロ)に花束を』

 

 ――なんで、鈴之音の曲が?

 

 厚労省が業務の一環として保存している、酔狂な職員の仕業とは考えにくい。明らかに五翔会残党が仕込んだ()()()()()とファイルがリンクしている。鈴之音の曲を使って何かを()()()()()()

 ナオの脳裏にある情報が浮かび上がる。ジェリーフィッシュ、ガストレア化した人形達(ドールズ)による襲撃ですっかり忘れてしまっていたことを――

 

 “スカーフェイスにとって日向姉妹は()()()()()()()()()()()()()()()()だった”

 

 ――()()が……スズネとミキを殺せなかった理由?

 

「おい。ぼっとするな。時間が無いぞ」

 

 宇津木の一喝でナオはハッと自分の状況を思い出す。口惜しい思いを抱き、歯噛みしながらもケーブルを抜き、ノートPCを畳んでバッグに仕舞う。

 脳をフル回転させていたせいで額が汗ばんでいる。それを手で拭い、乱れていた髪のセットを直しながら出口へ向かう。

 宇津木がカードキーでドアロックを解除。予定通り通路に誰もいないことを確認し先に外へ出る。後に続くナオは自動的に閉まろうとするドアを手で抑えた。

 悔しかった。当初の目的は達成した。しかし、その奥にある更なる真実に手が届かず、中途半端なままサーバールームから出ようとしている。そんな自分の姿が敵に背を向けて逃げるかのようだった。

 

「みんなの仇、絶対に討ってやる!! 首を洗って待ってろ!! 五翔会!!」

 

 誰もいないサーバールームで少女の声が木霊する。返ってくる言葉は無く、変わらず空調機とハードウェアの無機質な駆動音が続いた。




オマケ 前回のアンケート結果

宇津木「特異感染症取締官として、そんな嘘が罷り通る状況を許す訳にはいかない」

 (6) ナオ「セクハラなんてしたことありません」
 (2) 鈴音「人を騙したりなんてしません」
→(14) 朝霞「列車や建造物に配慮して戦います」

宇津木「え……? 配慮……してるのか?」

朝霞「はい」

宇津木「毎年、数百億円単位の被害を出しているのにか?」

朝霞「はい……」

宇津木「ちなみに厚労省は毎年『特例災害“壬生朝霞”によって発生した失業者に対する補償』を予算に組み込んでいる」

朝霞「名指しされるレベルなんですか!? 災害扱いなんですか!?」

宇津木「嘘だ」

朝霞「 」


次回「殺戮の翼 前編」


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殺戮の翼 前編

みなさん。(ブラブレ短編杯を書いたり、エイティシックスの二次を書いたりして)長らくお待たせしました。更新です!!


 冷房が効いたミニバンの中でラジオが流れる。パーソナリティとゲストの雑談が流れ、その後は大人気アーティスト“エリアクライズ”の曲が流れる。ゆったりとしたベースのメロディから始まり、一気に畳みかけるハイテンポなドラムとギター、そして爽やかな男性ヴォーカルの歌声がカーオーディオから流れる。

 津名はハンドルを指で叩きリズムをとり、ところどころ鼻歌も出始めた。

 

「そういや、エリアクライズって同じ事務所なんだっけ?」

 

「先輩です」

 

「ピジョンローズすげえよな。エリアクライズ、西山剣士、PinkPunkPixy、鬼瓦リン、そして鈴之音。ヒットしてない奴がいねぇ……」

 

 恥ずかしそうに鈴音は愛想笑いする。対して10代に人気なはずのアーティストを知らない朝霞は話を振られないよう目と口を閉ざし、手本のような姿勢で座る――常弘曰く“置物モード”になっていた。

 

「その一人と同じ空気吸ってんだから、俺もヒットする曲作れるようになるかな?」

 

「あははは。その……どうなんでしょう? 私の場合、積木さんが凄かったから」

 

「積木Pか……。確かにあの人はすげえよな。俺らがガキの頃にハマった曲もほとんどあの人が関わっているし、ありゃ稀代のヒットメーカーだよ」

 

 津名はバックミラーで鈴音の表情を見やる。鈴音が謙遜し代わりに持ち上げたものを更に持ち上げるようなことを言ってしまったと気づいたからだ。彼女が泣かない・怒らない人間だと知っていても悲しむ心はあるはずだ。

 

「で、鈴音ちゃんはヒットメーカー様に『大金積んでもいいから連れて来い』って言わせるほどの逸材だった訳だ」

 

「そんなんじゃないですよ。本当の私は……私は――」

 

 言葉が詰まる。今、自分は何て言おうとしたのだろうか。「私は」――その言葉に続くものが思い浮かばない。選択肢があってどれを選べばいいのか分からない――という訳ではない。その選択肢すら自分の頭に浮かばない。光すら感じ取れない盲目時代の暗闇の如く、鈴音は“私”から連想できる言葉が思い浮かばなかった。

 

 ――あれ……? 何を言おうとしたんだろう?

 

 ガチャリとドアロックが開錠され、全員の意識がそっちに向けられる。助手席にはナオ、後部座席に宇津木が乗り込む。

 

「よう。ナオ坊。社会科見学は楽しかったか?」

 

「大したこと無かったよ。はい。これデータのコピー」

 

 津名は渡されたUSBメモリをまじまじと見つめる。家電量販店で売っている普通のUSBメモリだが、東京エリア全土を騙した大犯罪の証拠が詰まっていると考えると特別な重みを感じる。

 

「首尾は上々ということで宜しいでしょうか?」と朝霞が尋ね、ナオがVサインで応える。

 

「誰にも気づかれていないし、一切の痕跡も残してない。完璧なスパイっぷりを見せてあげたかったよ。ジェームズ・ボンドもイーサン・ハントも私を見習うべきだね」

 

「クソつまんなさそうな007とミッションインポッシブルだな。興行収入大爆死だ」

 

 ナオ達の会話の意味が分からず、鈴音は「?」と首をかしげる。

 

「長居は無用です。早く移動しましょう」

 

 朝霞は昔のスパイ映画の話で盛り上がる2人を窘める。「そりゃそうだな」と津名はシフトレバーを操作し車を発進させる。ビルとビルの隙間にある小さなコインパーキングを抜け、幹線道路の上り線を走る。

 

「すまないが、今どこに向かっているんだ?」

 

「「「……」」」

 

 宇津木の質問に全員が押し黙る。朝霞は顔を反らし、津名とナオもバックミラーから表情を悟られないように唇を噛む。全体的に気まずい雰囲気が車内に漂う。

 

「梨々花お姉様ぁ~。泊めてぇ~。このままだと私たちホームレスなのぉ~」

 

 ナオが助手席から振り向き、猫なで声で手を合わせる。目は潤んでいるがこれは事前に目薬をさしていたからだ。ふざけた演技に宇津木は「は?」と睨み付けて返す。

 

「山根のクソメガネがこっそり駐屯地に戻る手段を用意出来なかったしぃ~、『それじゃあ』と手配した内地の隠れ家が火災で焼失しちゃってたのぉ~」

 

 宇津木の反応を意に介さず、ナオは一文の価値も無い芝居を続ける。宇津木が疑いの目を向けるが、「あの……事実です」と朝霞が補足し、鈴音も頷いた。

 

「俺は車中泊で構わないから、せめてこいつらだけでも泊めてやってくれ」

 

 全員に押され、首を縦に振らざるを得ない状況に宇津木は追い込まれる。狼狽え、汗の流れる額に手を当て、大きくため息を吐く。

 

「すまない。寄り道を頼めないか?」

 

「……? どこに行くんだ?」

 

「ホームセンター。布団が足りん」

 

 

 

 *

 

 

 

 駐屯地の司令官室、レザーソファーに腰かけていた山根の前に冷や麦茶の入ったグラスが置かれる。テーブルを挟んだ向かいには日に焼けた肌の司令が大股を開いて堂々と座る。

 

「急に大所帯で押しかけて申し訳ありません。北見司令。受け入れ、感謝いたします」

 

「問題ない。避難民は以前から想定し訓練を行っていた。それが実践になっただけだ。()()()()()()()()()()()()でな」

 

 西外周区スラムは住民のほとんどが戸籍を持たない呪われた子供や逃亡中の犯罪者で構成されるため、正確な人口は把握できていない。自衛隊は空撮や山根からの報告で2万人ほどと推定しており、スラムで大規模火災や感染爆発が起きた際、一部の難民が自衛隊の保護を求めて駐屯地に押し寄せることを想定していた。

 しかしガストレアの発生源がスラムの外側、駐屯地との間だったこともあり、昨日の西外周区感染爆発事変を生き延び、辿り着いたのは山根たち含めた14名だった。

 

「人数が少ない分、丁重に扱わせて貰う。足りない物資があれば好きなだけ言ってくれ。隠匿できる範囲内だが、なるべく調達しよう」

 

「それでしたら」と言葉を添えて山根が悪巧みし、ニヤリと笑む。

 

「新型兵器鹵獲のため、二個中隊ほど――「論外だ」

 

 取り付くしまもないとはこのとこか。山根は「たはは……」と愛想笑いする。二個中隊を貸し出せという荒唐無稽な要求が通るとは最初から思っていない。それは北見も承知の上だった。

 

「山根三佐。君は嗅覚に異常はあるかい?」

 

「いえ、正常ですね」

 

「なら、この臭いは言わなくても分かるだろう」

 

 北見は自分たちの頭上、何もない空間を指さす。深呼吸するとふとした瞬間に腐敗臭が鼻孔を刺した。キッチンの生ゴミ箱から漏れたような意識しなければ気づかない微かな臭い。

 

「我々の最優先事項はガストレアの死体処理だ」

 

 感染爆発の現場となった西外周区のスラムには今でも数多くのガストレアと人間の屍骸が残されている。それらは8月の炎天下で腐敗・発酵という化学反応が進み、体内で膨張したガスが死体を破裂させている。数キロ離れ、窓を閉め切り、冷房と空気清浄機をフル稼働させているこの駐屯地にも届いている。

 

「あれを放置しておけば未知の病原菌が蔓延する恐れがある。陸自の総力を挙げて処理に取り掛かるよう通達もあった。残念だが、今の我々には分隊一つ出す余力もない」

 

 三度の関東会戦、モノリスの磁場による衰弱死など、東京エリア発足以来のガストレア大量死は幾度とあったが、死体の処理はそれほど急務ではなかった。それは現場が外周区の更に外側、エリアの外縁という居住地から遠く離れた場所だったからだ。

 しかし、今回の現場は居住区から河川一つ挟んだ向こう側のスラムであり、既に近隣住民が悪臭で倒れ、救急搬送されているという報道もされている。

 そして悪臭以上に恐ろしいのが未知の病原体の誕生だ。DNAを書き換えて異常なスピードで進化するガストレアは常に未知の生物であり、その身体は未知のDNAから合成された未知のタンパク質を含んでいる。遺伝子組み換え作物が周辺の生態系を汚染したように、未知のタンパク質を他の生物が摂取したり、何かしらの物質と化学反応を起こしたりすることで、今まで地球上に存在しなかった病原菌や有機物が誕生する可能性がある。“疫病王”リブラがそうであるように今この瞬間、西外周区の死体の山で人類を絶滅させる猛毒が誕生してもおかしくないのだ。

 

 ガストレアが全滅し感染爆発が治まっても尚、東京エリア滅亡の可能性は残っている。

 

 北見は立ち上がり、ブラインドの隙間から外を眺める。駐屯地のフェンス、ガストレア大戦で放棄された廃墟の街、スラムだった場所、その奥に蜃気楼で揺れるビルが目に映る。

 

「山根三佐。あのスラムはどんな場所だった?」

 

「そうですね……。平たく言えば、治外法権の暗黒街です。殺人・強盗・薬物売買・未成年売春・武器密売、なんでもありでした。……ですが、血を理由に社会から追放された赤目たちにとっては、差別のない“最後の楽園”でした」

 

「最後の楽園か……。一度くらいはお忍びで足を運ぶべきだったな……」

 

 

 

 *

 

 

 

 駐屯地の診察室で菫とティナが対面する。菫は本業の医者らしく白を基調とした明るい部屋で白衣を纏い、タブレットで電子カルテを記入し、スクリーンに写さしたレントゲン写真を眺める。

 

「破片は全部取れている。骨の再生も異常なし。背中の痛みはどうかな?」

 

 ティナは腕を回してみるが、肩甲骨の動きに伴い背中に痛みが走る。

 

「動かすとまだ痛いですね」

 

「君達の回復力なら、明日にはほとんど治っているだろう。背中も見た感じだと傷は残らなさそうだ。来年は安心してマイクロビキニを披露するといい」

 

「着ませんよ」

 

 6年前、ティナにとって菫は変人だが天才で“頭の良さ”は尊敬していた。しかし、今は蓮太郎というセクハラの標的を失ったせいか、セクハラ発言はティナに向けられるようになった。お陰でティナにとっての菫は「変人で天才のセクハラおばさん」という風になった。

 

「それにしても……」

 

 菫は入院着姿のティナをまじまじと見る。主に平坦な胸元を。かと思えば、ティナの後ろで診察の順番を待っているミカンに目を向け、腕組みで膨らみが増す彼女の胸元をまじまじと見る。そしてティナの平坦な胸元に視線を戻した。

 

「ティナちゃん……。大丈夫だ。蓮太郎くんはおっぱい星人だが、同時にロリコンだ」

 

「ドクター。セクハラで訴えますよ」

 

「日本最高の頭脳を持つ弁護士に勝てると思うか?」

 

「え? 医者……ですよね?」

 

「医者が弁護士をやっちゃいけないという法律はないよ。ちなみに六法全書は30分で暗記した。ティナちゃんも暇な時に読んでみるといい。人間の欲望の数が書いてある」

 

 ――ああ神様。どうしてこの変人に天才的な頭脳を与えたんですか?

 

 

 

 殺してやる

 

 

 

 

 一瞬、ティナの視界にノイズが走る。ここ半年見ていなかったウィンドウが視界の中で開く。同時にノイズが更に酷くなり、ティナの様子を心配した菫を塗り潰すように大量のウィンドウがポップアップされる。

 ――シェンフィールドver6.2の拡張現実(AR)。どうして?

 

【WARNING】

 

 BMIネットワークへの不正侵縺ゅ>縺∴縺撰托抵繧譁怜喧縺代ヱ繧繝繝讖溯繝遐皮樞包シ搾繹竭竇

 

 

 殺してやる。

 殺してやる。

 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

 

 お前達、呪われた子供は奪った!!

 

 僕から自由を、大切な家族を!!

 

 全て!!殺し尽くしてやる!!

 

この力で!!この身体で!!

 

 

 

 

 

 

 ネストよりクイーンビー

 

 ナイトメアイーグルの起動を確認。

 これより敵対勢力の排除を開始します。

 




前回のアンケート結果

ナオ「五翔会残党って、もしかして……

 (0) 鈴之音ファンクラブ
 (1) 鈴之音親衛隊
 (6) 鈴之音厄介オタ軍団
 (7) 鈴之音のASMRだけ聞いて生きる会
→(8) 鈴之音のグラビア写真集懇願連合

五翔会残党A「マイクロビキニ!!マイクロビキニ!!」
五翔会残党B「はぁ!?競泳水着だろ!?」
五翔会残党C「スク水だ!!スク水!!」
五翔会残党D「ここは一つ、間をとってスリングショットで」
五翔会残党E「布なんかいらねえ!!ヌードだ!!」
五翔会残党F「鈴之音はそんな破廉恥な恰好しねえんだよ!!」

鈴之音に対する解釈違いが衝突した結果、五翔会残党は内部分裂を起こし全滅した。

次回「殺戮の翼 後編」


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殺戮の翼 中編

室戸菫のウワサ

最新の原著論文のタイトルは「ツンデレのツンとデレの黄金比理論を用いたヤン–ミルズ方程式と質量ギャップ問題の証明」らしい。


 殺してやる

 

 殺してやる

 

 殺してやる

 

 しゃがれた男の声が木霊する。耳も鼓膜も通らず、自分の記憶のように頭の中から直接響いている。ブレインマシンインターフェース(BMI)ネットワークが不正侵入のアラートを鳴らし、警告ウィンドウが視界を覆う。一気に情報が雪崩込み、その処理をしているせいか酷い頭痛に襲われる。ティナは椅子に座る姿勢すら保てず、床に身を落とす。菫とミカンが身体をゆすって声をかけるが、頭の内から響く怨嗟の喧騒、BMIネットワークのアラートにかき消されていく。

 同じものを見たことがある。半年前、里見事件の時だ。蓮太郎を前にしたティナは突如BMIネットワークを奪われ、全ての武装ドローン(シェンフィールドver6.2)がティナと自衛隊を攻撃するようプログラムを書き換えられた。

 蓮太郎は()()の種も仕掛けを知らず、サンフランシスコエリアのサーリッシュ本社でもニューロチップのログや回収したドローンから解析を進めているが、未だに種明かしは出来ていない。それ故、シェンフィールドを全て停止させ、BMIネットワークも()()()()()()()()()()

 

 ――動かせるシェンフィールド(ドローン)はありません。侵入したところでっ……

 

 里見事件の時はシェンフィールドを乗っ取るという目的があった。しかし今はティナしかBMIネットワークに繋がっておらず、ドローンのようにネットワークからティナを支配するシステムも無い。今の侵入ではティナの視覚と聴覚の妨害ぐらいにしかならない。

 

 ――アラート強制停止 コード:******

 

 ニューロチップが作り出す疑似的な警報音(アラート)が消え、拡張現実(AR)からエラーメッセージとウィンドウが一斉消去される。

 

「しっかりするんだ」「どうした? 何か悪い物でも食ったか?」

 

 アラートが消え、心配する菫とミカンの声もようやく頭の中に入ってくる。

 

ザザッ……

 

 BMIネットワークの不正侵入は今も続いている。その影響なのか、拡張現実が不調を来たし、視界全体にノイズが走る。

 視界が揺らいだその一瞬、ティナの脳に情報が流れ込んで来る。高速で移動する()()の位置情報、それと同時に空撮と思しき映像が入ってくる。上半分は青天、下半分はガストレアの死骸で溢れる西外周区が広がる。それは超音速、ジェット機と同等の速度で飛行し、画面の中央で見覚えのある建物が――東京エリア陸上自衛隊・神奈川駐屯地が大きくなっていく。

 映像の意味を理解したティナは戦慄した。全身にぞわりと悪寒が走り、額から汗が滲み出る。

 前回はドローン乗っ取りが目的だった。そのバイアスに引っ掛かり、肝心なことを見落としていた。自分の機械化兵士としての本来の性能は「脳波によるインターフェースの操作および()()()()()

 

 自分とシェンフィールドがそうであるように、位置情報、見えているもの、聴いているもの、肌で感じている温度や湿度、考えていること、それが今、()と共有されているとしたら――

 

 

「伏せて!! 」

 

 

 突然の轟音と共に身体が吹き飛ばされる。窓が吹き飛び、割れたガラスがカーテンを突き破って雨嵐のように診療室内へ吹き荒ぶ。乱回転する視界の中で診察用ベッドがひっくり返り、デスクが波のように押し寄せた。

 背中と後頭部を壁に強打し飛びそうになった意識が、デスクに足を潰された痛みで無理やり繋ぎ止められる。デスクに潰され、脛骨が折れただろう。人間並みに痛みを感じながら、何が起きたのか、どんな攻撃が来たのか、目配せして状況を把握する。

 右手の少し離れたところに菫が倒れていた。横転したベッドが盾になったのか、幸い飛んできたガラスや備品が刺さった様子はない。しかし、頭を打って気絶したのか動く気配がない。

 ミカンも見えた。少し離れたところで薬品棚の下敷きになり、散らばった備品と血だまりの中で手が微かに動いている。

 

 駐屯地のアラートが鳴り響き、火災防止のスプリンクラーが作動し部屋の中で雨が降る。水は気絶している菫の顔を打ち、ミカンの血をどこかへと流していく。

 ティナは水しか無いはずの空間に目を凝らす。スプリンクラーが作動しているこの時間が敵を捉える最初で最後のチャンスになるかもしれない。

 BMIネットワークを介した敵との情報共有は続いている。位置は6時の方向、距離は約3mほとんど目の前だ。それを裏付けるかのように頭に流れ込んでくる画像はティナを真っすぐ見据えている。

 死龍やジェリーフィッシュと同じく、光学迷彩は標準搭載なのだろう。スプリンクラーから振る水が何もない空間で弾かれ、まるで透明なガラスを伝うように空中で滴る。そのお陰でおおまかだが、敵の輪郭も辛うじて見ることが出来る。

 全高約2.5m、2本の腕と2本の足を持つ細身の人型。それは美織から貰ったナイトメアイーグルのデータと一致していた。

 

 ――これが、ナイトメアイーグル。五翔会最後の機械化兵士。

 

 重量をかけられガラスが細かく割れる音がした。それはモーターの駆動、擦れる金属の音と共に足音の間隔で刻々とティナに近づく。そして、向こうもティナが気づいたことを察知したのだろう。わざと薬の瓶を踏みつぶして音を立てる。姿は見せないが、自分はここにいると教えるように――

 突然、ティナの身体が持ち上げられ、壁に押し付けられる。周囲の空気が凝固し、それが鈍器となって自分を潰しに来ているようだ。その鈍器から温度を感じない。知らない者が見れば、サイコキネシスのようにも思える能力だが、ティナは知っていた。

 

「イマジナリーギミックの……応用ですか……」

 

≪驚かないのか?≫

 

「私から見れば、二番煎じ……ですから」

 

≪減らず口だけは人間並みだな≫

 

 ナイトメアイーグルから粗悪なスピーカーを通した声が聞こえる。素性が分からないように敢えてそうしているのだろう。分かることと言えば、若い男性、日本語のネイティブスピーカーもしくはネイティブ並みに自然な発音が出来る人、そして呪われた子供に対して強い差別思想を持っていることぐらいだ。

 

≪答えろ。日向姉妹はどこにいる?≫

 

「ぐっ……」

 

 内臓を潰さんとする勢いでナイトメアイーグルは斥力フィールドの出力を上げ、ティナを圧し潰す。肺から空気を押し出され、苦しさのあまり話すことが出来ない。苦しみながら、頭の中では「死んだ」と伝えようか、デタラメな居場所を伝えようか、少女のように泣き喚いて命乞いでもしようかと思案する。

 

「室戸先生!! 大丈夫ですか!?」

 

 近くで襲撃の音を聞いていたのだろう。医師の男と2名の看護師が診察室に入る。無論、彼らに光学迷彩を解いていないナイトメアイーグルは見えていない。見えているのはメチャクチャになった診察室と倒れる菫、そして壁際に立つティナだけだ。

 

「逃げ――≪邪魔だ≫

 

 一瞬、ティナの目でも捉えられない速さで斥力フィールドは医師たちの眉間を貫いた。即死だっただろう。声を上げることすら無く、3人は膝から崩れ落ちる。この状況を理解する時間も、自分が死んだことを理解する時間も彼らに与えられることはなかった。

 

≪早く話せ。でなければ犠牲者が増えることになる≫

 

 ナイトメアイーグルの首が動いた。光学迷彩でどこを向いているか分からないが、かすかに機械の駆動が聞こえる。

 大きな音を立てて壁にかかっていた薬品棚が倒れる。棚のガラス扉が粉砕し、中の備品が床にぶちまけられる。

 

「痛っ……」

 

 棚の下敷きになっていたミカンが足を上げていた。彼女が棚を蹴飛ばしたのだろう。スプリンクラーの水で血を流しながら、絶え絶えとした息で壁を支えに立ち上がる。

 

「おい。スプラウト。一体何が」

 

≪次はあの女だ≫

 

 光学迷彩が解け、虚空から黒い剣が現れる。儀礼的な装飾が一切施されず、シンプルに切断・刺突という機能を追求した工業製品という印象を受ける。バラニウムは高純度のものを利用しているのか傷一つない刀身は光沢を放ち、ティナの顔が反射して映る。

 空中に浮かぶ剣は単独で方向転換し、切っ先をミカンに向ける。機械の駆動する音が聞こえない。おそらく壮助と同じく斥力フィールドで腕を作り、柄になる部分を握っているのだろう。斥力もまた無色透明、光学迷彩(マリオットインジェクション)とは相性が良いのかもしれない。

 

≪最後の質問だ。日向姉妹はどこにいる?≫

 

「話……します。話しますから……これ、解いてください。肺が潰れ……て……」

 

 ナイトメアイーグルが斥力フィールドを解いた。床に落下したティナは仰臥し、大きく息を吸って酸素を肺に取り込み、弱まっていた心臓の鼓動を速めていく。BMIネットワークへの干渉が今でも続き、酷い眩暈に襲われる。

 

≪話せ。姉妹はどこにいる?≫

 

「死にましたよ。貴方たちが放ったガストレアに殺されてしまいました。こんなところまで死亡確認ご苦労様です」

 

「ふふっ……ふふふふ……」ティナの口から笑みが零れる。

 

≪気でも触れたか?≫

 

「死体を確認したかったら、向こうでガストレアの死骸でも漁ってください。骨ぐらいは出てくると思いますよ」

 

 ナイトメアイーグルとティナの視界で同時にアラートが鳴る。微弱な出力で展開した斥力フィールドレーダーが背後から急接近する敵を察知。振り向くと同時に防御出力のフィールドを展開する。

 ヘッドアップディスプレイ(HUD)が捉えたのは詩乃だった。彼女は素手の貫手で斥力フィールドを突き、指先とフィールドの間で燐光を瞬かせる。イニシエーターでも突破は物理的に不可能。一瞬で手は弾かれ、その衝撃で骨が砕けるであろう反射ベクトルを腕力だけで抑える。

 

 ナイトメアイーグルが詩乃に気を取られた一瞬の隙にミカンが走る。射出された剣を回避し、足の折れたティナと菫の服を掴み、診察室の窓だった大穴から屋外に飛び出した。

 

 皮と血肉が弾け、剝き出しになった中指の骨が斥力フィールドを突破。戦車砲クラスの威力を誇る掌打をナイトメアイーグル本体に叩き込む。バラニウムが軋む音、床を撥ねる水からナイトメアイーグルがバランスを崩し、後ずさるのが見えた。

 

 ――固い。

 

 詩乃も関節がグシャグシャになった右手をフィールドから抜き、足で斥力フィールドを蹴る。反射を利用して大きく後方に跳ぶ。宙返りし着地、もう一度両足で地面を蹴り更に距離を取る。光学迷彩による不可視の剣が飛翔、それを躱しながら下がる彼女は傍から見ると一人で踊っているようだった。

 

 見るからに丸腰、本来であれば接近し格闘戦に持ち込むべき詩乃が自ら離れる。その意図をナイトメアイーグルが理解したのは、足元、自分と斥力フィールドの間に転がる手榴弾を見た時だった。

 

 手榴弾が爆裂し、飛散する破片と剛性ワイヤがナイトメアイーグルのアーマーに直撃する。更に斥力フィールドにより外部へ逃げられなかった爆発の衝撃波や破片が跳ね返され、二重になってナイトメアイーグル本体を襲う。詩乃の第二撃を警戒して張った斥力フィールドが完全に仇となった。

 光学迷彩(マリオットインジェクション)の不調を知らせるアラートがARに表示される。しかしダメージはその程度だ。アーマーの強度に問題はなく、センサーも駆動系も無傷のまま、作戦遂行には問題なかった。

 

 外で待ち受ける詩乃を追い、ナイトメアイーグルはゆっくりと余裕の足取りで吹き飛ばした診察室の大穴から外へ出る。

 カメラ越しに見える赤く染められた駐屯地の道路。夕暮れの風景を映すHUDに敵を示すマーカーが多数表示されていく。画像による識別とBMIネットワーク経由のデータベースから対戦車ミサイル装備の自衛隊員、10式戦車、16式機動戦闘車、空は5機のAH-64Dアパッチ・ロングボウがホバリングしている。診察室から先に脱出したティナとミカン、菫にもエネミーマーカーが付く。

 

「姿を見せたらどう? 私、光学迷彩が通じない系女子だし、中途半端だけど、みんなにも見えているから」

 

 HUDに表示されている光学迷彩(マリオットインジェクション)の稼働率は24%。手榴弾の直撃を受け装甲表面のナノマシンが機能停止したのだろう。ナイトメアイーグルのほとんどが詩乃や自衛隊に見えている。

 

≪マリオットインジェクション、停止≫

 

 光学迷彩が解かれ、斑模様に浮かび上がっていたナイトメアイーグルの全体像が景色に上塗りされていく。

 全高2.5m。2本の腕と2本の脚、鴉の嘴のような頭部、一見すると鳥人間を模したようなフォルムだが胴体は小ぶりに抑えられ、逆に手足は異様に長く設計されている。全身は鋭角的な形状の超バラニウム合金装甲で覆われ、細身なフォルムと相まって全身が刃物のような印象を受ける。

 本体の周囲には斥力フィールドで制御された8振の高周波ブレード、8門のライフルが魔法のように浮遊し、切っ先と砲口を周囲に向ける。

 

 ナイトメアイーグルのHUDが詩乃を捉えエネミーマークを付与。詩乃の顔を画像識別し、BMIネットワークが該当する人物をピックアップする。欧州連合軍外人部隊の制服を着た同じ顔の少女だ。

 

 ≪あれが地獄の欧州戦線最凶の生体兵器“白鯨(モビーディック)”≫

 ≪ネストの言っていた()()()()()()()()




前回のアンケート結果

菫「このままだと蓮太郎くんは釣れないね」ティナ「では、どうすれば?」
 (3) おっぱいを木更サイズにしよう
 (4) ピザ以外の料理を作ろう
→(16) 蓮太郎くんを襲って既成事実を作ろう

ティナ「キ、キセイジジツ……」

菫「極東文化ヨバーイ。デキてしまえば負けヒロインも一発大逆転の究極奥義さ」

ティナ「…………いや、あのそれはまだ早いというか、いきなりされても蓮太郎さんもびっくりするというか、私もよく分からないというか……」

菫「………………ティナちゃん。ち○ち○見たことある?」

ティナ「…………無いです」

菫「そうか……。蓮太郎くんを落とすには、まずこの『男の子の身体がよく分かる薄い漫画』でお勉強しようか」


数日後

ティナ「やっぱりですね。時代は影×蓮だと思うんです。逆カプは解釈違い」

菫「腐ってやがる。(ティナちゃんには)早すぎたんだ」


次回 「殺戮の翼 後編」


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殺戮の翼 後編

ティナ・スプラウトのウワサ

モデル事務所に何度も声をかけられているが「天誅ガールズのBlu-rayBOXを買いに行くので」と断っているらしい。


 ナイトメアイーグルの襲撃より2日前

 まだ西外周区が赤目ギャングの怒号と銃声で賑やかだった8月17日の夜。バンタウの一室に集まった壮助たちはプロジェクターで投影した壁に視線を集める。

 投影した画面は未織がティナに渡したUSBメモリの中身、五翔会残党が博多黒膂石重工から盗んだ次世代バラニウム兵器の設計書だ。常に後手に回っていた壮助たちは戦う前に敵の性能を知り、弱点を知り、先手を打てるようになると期待した。

 

 

■■■■■計画応用実験機

 

コードネーム『ナイトメアイーグル』

 

 一部が黒塗りされたタイトルから一同は嫌な予感がした。ティナがマウスを借りてページをスクロールさせると肝心な部分が黒塗りされたページが続く。PCの処理速度の問題でページの読み込みが追いついていない、という訳ではない。博多黒膂石重工が意図的に検閲目的で塗ったのだろう。

 見えている部分も難解な図面、専門用語だらけの文章、高等な教育を受けられた人間だけが理解できるように書かれている。嫌がらせと言うより、そういった知識を持つ人間向けに作られているのだろう。

 

「あの……誰かこれ理解できますか?」

 

 元医師の倉田、現役高校生の朝霞・鈴音・朱里、現役中学生の詩乃と美樹、中学校中退の常弘を除き、集まっている面々のほとんどが就学経験ゼロか小学校中退。「これを理解できる人間はいないだろう」と思いつつティナはちらりと()()勾田大学医学部卒の倉田を見る。

 

「ごめん。専門外過ぎて分かんない」と気弱な返答が来た。

 

 続いて東京エリア最難関校・美和女学院に進学した朝霞なら、淡い期待の眼差しを向ける。

 

「……面目ありません」

 

 朝霞の口から出た気まずそうな返答の次、コンピュータに詳しいナオに目を向けたが、彼女もお手上げのジェスチャーで返す。

 とりあえず、画面をスクロールさせ、先へ先へとページを進める。細かい図面、専門用語だらけの難解な文章、意味不明な数式、化学式、グラフetc……が続く。つまらない授業が続くクラスルームのように半分のメンバーは居眠りしかけている。

 最終ページを映し終えた後、ナオの指が止まり、PCのタッチパッドから離れた。

 

「とりあえず、理解できたのはこのページぐらいか」

 

 スクリーンに移されたのはナイトメアイーグル本体の三面図だった。両手を広げたバラニウム製の機械人間(アンドロイド)、隣にはオプション兵装のブレードとライフルが並べられ、各部に小さく説明が書かれている。本体と兵装のSFじみた見た目のせいか、一同はロボットアニメの設定画を見ているような気分だった。

 

「結局分かったのって『全高2.5m・重量1.8t。遠隔操作で動く人型兵器。武装はブレード8本とライフル8挺。斥力フィールドを装備』ってことぐらいかな」

 

 常弘はメモしていたビジネス手帳を閉じ、万年筆も手帳のホルダー入れた。

 

「また斥力フィールドかよ……どいつもこいつも俺の専売特許を標準装備しやがって……。『ぼくのかんがえた最強のガンダム』じゃねえんだぞ……」

 

 壮助が項垂れ、額をテーブルに付けた。嘆きの声もテーブルを伝って床へ落ちるように小さくなっていく。

 ニッキーが口元に手を当てて「ん~」と呻った後、指をパチンと鳴らす。

 

「遠隔操作ってことは、動かしている人見つけて倒せば良いのよね。楽勝じゃない」

 

 案外勝てるかもしれないという希望が湧き、場の空気が明るくなり始める。

 

「操縦者が海の向こう側にいる可能性もありますよ」

 

 一気に場の空気が沈み、全員が水を差した朝霞を睨む。

 

「その可能性は……無いんじゃない?」

 

 眠たげな顔で目を擦りながら、詩乃が口を開いた。全員は朝霞への対抗心でそう言ったのではないかと疑うが、彼女はナオにページを戻すよう指示する。

 

「このページ、ナイトメアイーグル運用の想定が書かれているんだけど、『エリア内部に侵入した敵対勢力との戦闘を想定』って書いてある。せっかく遠隔操作できるんだから、未踏査領域(エリア外部)のガストレア駆除や敵国への攻撃に使えば良いのにそこには不自然なくらい言及していない」

 

「黒塗りのところに書いてるんじゃねえか?」とエールが問う。

 

「可能性はあるけど……隠す意味が無い。公開されている部分を見れば、その運用は簡単に想像出来る。これは推測なんだけど、遠隔操作に使うネットワークは距離に制約があるか、もしくはモノリスの磁場に干渉される技術を使っているんだと思う。おやすみ」

 

 一通り喋り終えた詩乃はバッテリー切れのアンドロイドのように額をテーブルに落とし、そのまま眠りに入る。某国民的アニメの眼鏡の少年に匹敵する速度だったが、誰も驚くことは無かった。

 

「続きは明日にしようぜ。さすがに疲れた」

 

 全員、詩乃と同じ気持ちだったからだ。エールのセリフを皮切りに全員が一斉に脱力する。まだ目が冴えていたナオとティナも今日はここが潮時だと感じ取る。

 

「後はドクターに見せましょう。餅は餅屋。機械化兵士は彼女に任せるのが一番です」

 

 

 

 *

 

 

 

 8月19日

 

 東京エリア陸上自衛隊・神奈川駐屯地でそれは姿を現した。絵の具の滲んだ背景にペンキを落としたかのように――。

 8振の刃と8挺の銃を周囲に浮遊させる黒膂石の巨人は鴉の嘴のような頭部を上下左右に動かす。目に該当するパーツは無く、わざわざ首を動かさなくとも全身にあるセンサーで周囲の状況は把握出来る。明らかに動かしている人間の癖だった。

 ナイトメアイーグルが把握している敵の数は24。うち20は自衛隊だ。10式戦車3輌、16式機動戦闘車6輌、AH-64Dアパッチ5機、車両の陰には自衛隊員数名が潜んでいる。彼らはティナ達を救出するための要員だろう。

 緊急出動(スクランブル)とはいえ神奈川駐屯地の戦力としては非常に少ない。その上、不自然なほど距離を詰めている。おそらく自衛隊が表立って五翔会残党と敵対すること、ナイトメアイーグルを包囲していることを示すための配置だろう。

 イマジナリーギミックにより重力を無視して浮遊する12.7mm斥力加速砲(リフレクトガン)が一列に並び、各々の砲口がエネミーマークを付与した標的に向けられる。

 詩乃がニヤリと悪辣な笑みを浮かべる。壮助を写したかのように――

 

「撃って良いの? 戦車やヘリの中に鈴音と美樹がいるかもしれないよ」

 

そこの女(ティナ)の話では、一昨日ガストレアの餌になったようだが?≫

 

「そうだっけ? あ、でもそんな気もするし、生きているような気もする」

 

≪どっちかハッキリさせろ≫

 

 詩乃の三文芝居、もとい一文の価値すらない芝居にナイトメアイーグルは苛つき始めている。機械のように冷静な挙動とは裏腹に言葉は怒りが込み始めている。

 

「そんなに気になるなら自分の目で確かめなよ。まぁ――その前に粗大ゴミになって貰うけどね」

 

 詩乃の指さしと同時に一斉に砲が火を噴いた。10式戦車の44口径120mm滑腔砲、16式機動戦闘車の52口径105mmライフル砲、アパッチ・ロングボウの30mm機関砲が一斉掃射。鼓膜を塞いでも脳と内臓を揺さぶるソニックブームをまき散らし、鉄鋼の塊は秒速1500メートルで滑空。鉄と発砲炎の暴風雨(ストーム)が吹き荒れ、それらが生み出す硝煙がナイトメアイーグルを塗り潰す。

 砲撃の巻き添えにならないよう詩乃はナイトメアイーグルを注視しながら後退する。砲弾の爆発、巻き上げられた瓦礫の煙でその姿は全く見えなくなった。視界を潰されても音で敵の動きを把握できる彼女だが、今は至近距離で戦車砲を連発され鼓膜が破れてしまっている。一瞬の静寂、鼓膜の再生と共に聞こえ始める爆発音、そして再び鼓膜を破られ静寂が訪れる。

 アパッチに搭載したレーダーは斥力フィールドによる電波反射でナイトメアイーグルの健在を確認。その情報が部隊に共有されるが、全員が冷静に受け止め、砲撃を続ける。

 

≪救助隊の離脱を確認≫

 

≪イニシエーター後退≫

 

≪全車、射撃を継続。足止めは効いて――

 

 全員の耳に金属のひしゃげる音と砂嵐(ノイズ)が流れる。上空から状況報告していたアパッチの1機<バジリスク1>からの通信が途切れた。

 僚機<バジリスク2>の副操縦士は視線を射撃の目標地点に向けていた。それは、瞬きした一瞬のことだった。ナイトメアイーグルを包んでいた煙が消え、目標地点の視界はクリアになる。いる筈の敵がそこにはおらず、気づいた戦車隊も砲撃の手を止める。

 姿を消した敵、通信が途切れたバジリスク1。まさかと思い副操縦士は首を傾け、バジリスク1がホバリングしていた箇所を視界に入れる。

 

 黒鉄の巨人は空に浮いていた。

 

 背部と脚部に展開したノズルで推力を得たそれはホバリングし、バジリスク1の眼前で制止する。ジェットエンジンらしきものは見えるが、揚力を得るための翼も姿勢制御のための機構も見当たらない。その光景は航空力学を一切考慮しなかったSF映画のようだ。

 目の前に敵がいるにも関わらず、バジリスク1は銃撃しなかった。血塗れのコックピットにはもう操縦桿を握る者がいない。命の灯のようにメインローターは徐々に回転数が落ちていき……完全に停止。数トンの巨体を駐屯地に落とす。

 ナイトメアイーグルの右手に握られた高周波ブレードは高速で振動し、刃に纏わり付く血肉を地上へ振るい落とす。一切の穢れを纏わない黒膂石の刃がバジリスク2に向けられた。「次はお前だ」と宣言するように。

 

≪俺を狙え!!≫

 

 規定により指揮権を委譲されたバジリスク2の操縦士が操縦桿を深く傾け、ナイトメアイーグルから距離を取る。ヘルファイア対戦車ミサイルと機銃を一斉掃射。同時に高度を下げ、地上の戦車隊が仰角の取れる範囲内に誘導する。

 黒鉄の巨人は推力偏向ノズルで急加速し、バジリスク2を追う。銃弾もミサイルも斥力フィールドで防ぎ、爆炎を高周波ブレードで振り払う。

 

≪これもハズレか≫

 

 頭部のカメラでパイロット2名が日向姉妹ではないことを確認。高周波ブレードでキャノピーごとパイロット達を一閃。空を切るかのように刃は振り切られる。

 バジリスク2に照準を合わせていたヘリ部隊、地上の戦車隊による一斉攻撃がナイトメアイーグルを襲うが、自立飛行する斥力加速砲がヘルファイアや戦車砲の成形炸薬弾(HEAT弾)を迎撃し、メタルジェットを吹き散らす。

 インターバルという概念が無いのか、迎撃と同時に斥力加速砲は次弾を射出。秒速2000メートルの弾丸が戦車・機動戦闘車の車輪と砲身を撃ち抜き、無力化する。

 

 詩乃は地上から眺めることしか出来なかった。地上からAPFSDS弾を投げるという手もあったが、戦場があまりにも高すぎた。重力と空気抵抗で威力を削がれ、斥力フィールドで防御されるか斥力加速砲で撃ち落とされるのは目に見えていた。

 

 残った3機のアパッチは距離を取り一斉掃射。残り少ないミサイルと弾丸を撃ち尽くすが、それらは虚空で弧を描き、駐屯地に着弾する。自分達の命が尽きるまで数分もないだろう状況の中、パイロット達は冷静に且つ正しくナイトメアイーグルを捉えていた。

 話は単純だ。ナイトメアイーグルの機動がそれを遥かに上回っていた。

 足を揃え、両手を横に広げたナイトメアイーグルはそのフォルム通り、戦闘機の如く飛行する。その速度でミサイルも機銃も回避し、直撃コースに入ったミサイルも蜂矢の陣を作り渡り鳥の群れのように飛行する斥力加速砲が迎撃する。

 ナイトメアイーグルは両手に高周波ブレードを握り急速接近。キャノピーを覗き、日向姉妹が乗っていないことを確認して1機、2機、3機とヘリを斬り捨てていった。

 

 それは一方的な殺戮だった。

 

≪ネストだ。ナイトメアイーグル。聞こえるか?≫

 

≪問題ない≫

 

≪基地に潜伏させていた1枚羽根(奴隷)が日向美樹を捕らえて脱出した。陽動を終了し、直ちに撤退せよ≫

 

≪了解≫




オマケ 前回のアンケート結果

ナイトメアイーグル「日向姉妹はどこだ!!どこにいる!!」ティナ「 」

 (3) 友達とデ○ズニーランドへ行きました。
→(12) 2人でコミ○クマーケットへ行きました。
 (2) 夏休みの宿題を取りに家に戻りました。
 (3) 補修を受けに学校へ行きました。
 (5) ス○バの新作を飲みに行きました。

ナイトメアイーグル「日向姉妹はどこだ!!」

オタクA「あのコスプレ、レベル高ぇわ。元ネタなんだっけ?」
オタクB「ア●セルワールドのブラッ●ロータス?」
オタクC「いや、ガ●ダム00のオーバー●ラッグでしょ」
オタクD「オ●フェンズのグ●イズアインじゃね?」

その後、「30cm以上の長物持ち込み禁止」に抵触したため、ナイトメアイーグルはコミケスタッフに追い出された。

美樹「で、姉ちゃんは何買ったの?」←好きな漫画の二次創作(全年齢)を数冊購入。

鈴音「えーっと……

『東京エリアホームレスガイドブック 2037夏 決定版』
『建築工学から学ぶ理想の段ボールハウス』
『赤目ギャングの勢力図とその変遷 2037年夏期中間報告』

鈴音「またホームレスになっても大丈夫なように備えなきゃ」
美樹「自分の年収が一億越えたの忘れたの?」

次回「Highway Rage」


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Highway Rage

みなさん。長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
短いですが更新です!!


日向美樹のウワサ
I字バランスをやっていたら、うっかり姉の頭に踵落とししてしまったらしい。


 電気を消して、カーテンを閉め切って、エアコンで部屋を冷やす。シーツを頭から被り、目を閉じる。まだ昼間だけど眠ってしまおう。()()()()()()()に怒られるかもしれないけど、今はそれで良い。2人の顔が見たい。

 今までの悪いことはぜんぶ夢、目を開けたらここは私の部屋。いつの間にか床に落ちているスマホや漫画を避けて歩き、テーブルの上に広げた夏休みの宿題を見てうんざりするいつもの朝。階下から聞こえる両親と姉の声、窓の外から聞こえるセミの鳴き声、それらを爆音が掻き消した。

 

 ここは自衛隊の基地の中。両親は死に、自分と姉はエリア中のお尋ね者になり、死んだと思った友達に再会したと思えば半分以上がまた死んでしまった現実だ。

 部屋が揺れ、窓がガタガタと震える。またガストレアが襲って来た。そう思った瞬間、手足が震える。上手く呼吸できない。心臓が苦しくなり、額が汗ばむ。まるで現実を見たくないと脳が、身体が告げているかのように視界もぼやけていく。

 

「おい。ここは立ち入り禁――

 

 部屋の外から聞こえる草間の声と言葉を銃声が消す。他の部屋にいたエールほか灰色の盾の生き残りも異常に気付くが、その後もアサルトライフルの絶え間ない射撃が続いた。

 遠くで銃砲の声が轟く中、美樹の部屋の外は静かになった。銃声も仲間の声も聞こえない。

 静寂を打ち破るように硬質ゴムの靴底が扉を蹴破った。迷彩服を着た2人の男達が部屋に押し入る。自衛官だと思われるが山根の部下ではない。血の雨でも浴びたかのように赤黒く染まる迷彩服、硝煙の臭いがする銃口から真っ当な自衛官ではないことは素人の美樹でも分かった。

 逃げなきゃ――、そう思っても恐怖で身体が動かない。その一瞬の隙をついて男の一人が美樹に拳銃を向け、トリガーを引いた。

 空気圧で放たれた針が美樹の服を破り先端を皮下に突き刺す。後部の注射筒から投与された麻酔薬は張り詰めていた美樹の精神を解し、意識を奪う。

 力が一気に抜け、膝から崩れ落ちる美樹を押し入った男の一人が抱えた。

 

「これ大丈夫か?ゾウ用だろ?」

 

「赤目だ。死にはしないだろ」

 

 もう一人、武装した自衛官と思しき男が部屋に入る。息を切らしながら駆け足で入る様は明らかに焦りを見せていた。

 

「駄目だ。姉の方が見当たらない」

 

 仲間の一人が舌打ちし、もう一人も嘆きそうな顔をした。

 

「どうする?」

 

「時間がねえ。こいつだけで勘弁して貰うか」

 

 

 

 *

 

 

 

 1枚羽根が日向美樹を捕らえて基地を脱出した。そうネストから連絡を受けたナイトメアイーグルは役目を終え、周囲に展開する斥力加速砲と高周波ブレードを背部のウェポンラックに格納させる。そして一気に高度を上げた。機械化兵士の技術を応用して作られた新世代のシリーズハイブリット方式ターボジェットエンジンは数秒足らずで黒鉄の大鴉を音速に到達させる。

 機体の()()()()()()()から傘状の雲(ベイパーコーン)が発生し、地上にソニックブームがまき散らされる。身を打つ衝撃波と鼓膜を突き破らんとする音の刺突に怯んだその一瞬で大鴉は青天の黒粒となり消えていった。

 

 神奈川駐屯地のヘリ部隊はほぼ壊滅。射線の延長に居住区があるためか、自走砲や短距離ミサイルによる追撃もない。空自の戦闘機が追って来ることも考えたが、今のところその気配は無い。

 両手を翼のように広げ、天空の覇者の如くナイトメアイーグルは悠々と飛行する。斥力フィールドという“無制限に形状を変えられる力場”が現在の飛行に最適なボディと翼を容易く再現する。後退翼、前進翼、デルタ翼といった平面形状、フラップ、スポイラー、エルロン、ラダーといった部位も質量ゼロのまま適宜生成し、理論上最も理想的な飛行を実現する。

 住宅や低層ビルが広がる居住区、モノリスのように高層ビルが聳え立つ都市区、それら全てを見下ろすモノリスが見える光景の中にウィンドウがポップアップされる。

 

≪よくやった。ナイトメアイーグル≫

 

 ネストの年若い、しかし年の割に落ち着いた声が再生される。ナイトメアイーグルの活躍を誉め、労う言葉とは裏腹に喜ぶ様子は一切感じられない。

 

≪……作戦は成功か?≫

 

≪まずまずと言ったところだ。まさか肝心の姉がいないとはな……。運の良い子だ≫

 

「SOUND ONLY」と表示されたウィンドウには無論、ネストの表情は見えない。しかし画面の向こう側で彼が頬杖をつき嘆息しているのが目に浮かぶ。作戦の成果もそうだが頭痛の種はもう一つあった。

 

≪“クイーンビー”にはどう説明するつもりだ? 元々は敵勢力の排除だったんだろう?≫

 

 当初の目的は「敵対勢力の排除」だった。ティナ・スプラウト、白鯨(モビーディック)、壬生朝霞、その他の民警や赤目ギャング、必要であれば神奈川駐屯地の自衛官も殲滅せよと<クイーンビー>は指示を出していた。しかし直前になってネストは()()で目標を「日向姉妹の拉致」に変更した。ナイトメアイーグルは敵勢力殲滅の真打ちから自衛隊を引き付ける囮役と格下げされた。

 その判断にナイトメアイーグルは不満を持たなかった。むしろ次世代バラニウム兵器とはいえ、試験機で、たった一機で、それも初実戦で、東京エリア最強格の民警達や自衛隊一個大隊を滅しろというのが突飛だと思ったからだ。

 

≪爆弾入りのドールズを放った件でルーサ製薬は怒り心頭だ。日向鈴音の生け捕りが出来なければ出資を取り止めると通達もあった。クイーンビーは彼らを軽く見ているが我々としては重要なパトロンだ。離れられては困る≫

 

 作戦の変更はナイトメアイーグルが離陸した後に決まった。おそらくネストはクイーンビーに話を通していないだろう。そして()()の性格からして、火を点けたガソリンの如く激怒するのは目に見えていた。

 

≪女王様のご機嫌取りは慣れている。君が心配することはない≫

 

 声色からネストが余裕の笑みを浮かべているように思えた。

 

≪すまないが、もう一仕事頼まれてくれないか≫

 

 唐突な頼みと共にHUDに地上を爆走する高機動車の映像が映し出される。日向美樹を確保した一枚羽根が逃走に利用しているものだ。慌てているのかハンドルさばきは危うく、高速道路上で何度も壁にぶつかりそうになっている。

 

≪捨てても惜しくない駒だが、積荷はそうもいかない。予定より早いが回収してくれ≫

 

 

 

 *

 

 

 

 内地と神奈川駐屯地を繋ぐ高速道路は昨日の25mmバラニウム徹甲弾で無惨な路面を晒していた。凹凸だらけになった道で車体は揺らされ、そのスピードで何度も空中に飛び上がる。横転していないのが奇跡のようなものだ。

 運転手はもう何分も前からアクセルを踏み抜いている。法定速度などとっくの昔にオーバーし、速度違反取締装置に何度も捉えられる。

 

 

 それでも悪魔は桔梗色の髪を靡かせ、韋駄天の如く迫る。

 

 

 情報なんてもうどうでもいい。絶対に殺してやる。

 一切隠す気の無い殺意と鬼気を溢れさせながら、エールは偵察用オートバイを駆る。

 美樹が拉致された時、エールは別の区画にいた。赤目恐怖症になった美樹にとって自分は姉貴分から恐怖の対象に変わった。それなら少し距離を置いた方が良いだろう。彼女の心の安静のためならそうした方がいい。

 それらしい理由を自分に言い聞かせた。

 本当は美樹に恐怖の眼差しを向けられるのが恐くて、彼女に拒絶されたら自分がどうなってしまうのか、その変化が恐くて、逃げたくせに。

 その結果がこれだ。美樹は連れ去られ、代わりに護衛として宿泊棟に残ってくれていた草間、ルーシー、ライラが殺された。自分がいれば例え丸腰でも何とか出来た。そう思うのは傲慢かもしれないが、そうしなかった自分への怒りを原動力に彼女は前へ進む。

 交通規制が敷かれているためか高速道路には自分と一枚羽根の高機動車以外ほとんど見当たらない。お陰で距離を離されても一目で追うべき車が分かる。

 一枚羽根の高機動車との距離が残り200メートルとなったところで動きがあった。

 後部ベンチに座っていた男がロールバーを掴みながら立ち上がり、銃架に5.56mm機関銃MINIMIをセット。照準をエールに合わせトリガーを引いた。

 遮蔽物は無く左右の移動も制限された高速道路というステージ上で彼女は巧みにハンドルやブレーキを操り銃撃を回避する。空薬莢が虚しくも路上へ転がり落ちる中、一枚羽根は当てる射撃から追い立てるように計算した掃射に切り替えるが、エールは銃口から弾道を予測し間をすり抜ける。

 当然のことだ。機関銃を搭載した車との鬼ごっこは彼女達にとって日常茶飯事であり、それが出来る子だけが西外周区で生き残ったのだから。

 

「赤目ギャング舐めんなよ!!」

 

 MINIMIが弾切れになった。弾倉を交換する数秒の隙を突いて果敢に距離を詰める。

 フルスロットルで接近し、数メートルの距離まで近づいたらバイクを乗り捨て車体に飛び乗る。車の上なら銃火器もさほど役には立たないだろう。ステゴロ無双で男達を殴り殺し、車を乗っ取って基地に戻る――そういう算段だった。

 遥か遠く小さかったはずの耳鳴りが、一瞬で轟音に変わった。押し潰された空気の圧力と振動の暴力が高速道路を横殴る。バイクごと投げ出されたエールは時速130kmのまま路面に叩きつけられ、アスファルトとの摩擦で手足が削ぎ落されていく。

 血肉のレッドカーペットの先端で這い、面を上げる。激痛とガストレアウィルスの治癒で全身が熱くなる中、赤黒くなった視界で高機動車が小さくなっていくのが見えた。

 

「待ち……やがれ……」

 

 立ち上がり、血を拭う。皮膚の治癒はまだ終わっていないのか、夏の温い風が神経に響く。だが筋肉が治っているなら今はそれで構わない。足を進めようと踏み出した。

 遮るように黒鉄の巨人が降り立つ。斥力フィールドで生成した質量ゼロの脚がショックアブソーバーの役割を果たし、ナイトメアイーグルはほぼ無音で着地する。

 

≪答えろ。日向鈴音はどこにいる?≫

 

 処刑人のように一切感情を混ぜない物静かな問いがスピーカーから発せられる。

 

「教える訳ねえだろ。バーカ」

 

 エールは血の混じった唾を吐き捨て、中指を立ててナイトメアイーグルに見せつけた。丸腰で飛び出し、バイクは恐し、治癒が追いつかず半身が思うように動かない。目の前にいるのは五翔会最強の機械化兵士。死と敗北を突きつけられた彼女が出来る唯一の抵抗だった。

 

≪そうか。ならもう用はない≫

 

 ナイトメアイーグルは背部ウェポンラックから高周波ブレードを引き抜いた。鋼鉄すら容易に裂く刃が獲物を求める獣のように金切り声を上げた。

 




オマケ 前回のアンケート結果

Q:ティナ(この中で一番頭が良いのって誰でしょうか?)

A
 (2) 自称「勾田大学医学部卒」の倉田(山根)
 (5) 東京エリア最難関校・美和女学院在学の朝霞
 (4) ウィザード級ハッカーのナオ
 (8) 頭は良いらしいがそんな雰囲気皆無の詩乃
→(0) 見た目に反して中学校中退の常弘
 (5) 小学校中退の壮助

倉田「君、意外とやんちゃな経歴なんだね……」
朝霞「すみません。てっきり高校は出ているのかと……」
ナオ「まぁ、このご時世だから珍しくは無いよね」
詩乃「それで『大学卒業して大企業に勤めています』って雰囲気出せるのは逆に凄い」

常弘「……」
壮助「まぁ、気にするなよ。中学校中退」
常弘「黙っててくれないかな。小学校中退」

次回「音速のチキンレース」


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音速のチキンレース

那沢朱理のウワサ

学校では大人しいキャラで通している――と本人は思っているが実は薄々クラスメイトには本性を感付かれているらしい。



 ナイトメアイーグル急襲で慌ただしくなる神奈川駐屯地で敵とは真逆の方向に走り出す者達がいた。一見するとそれは逃走のように見えたかもしれない。

 駐屯地にいる面々の中で彼らはおそらく最弱の部類でナイトメアイーグルはカタログスペックの時点でまともに戦える相手ではなかった。蛮勇を抱いて立ち向かっても瞬殺されるだろう。故に彼らは弱者でも出来ることを考え、動いた。

 

 目の前の敵を倒すことではなく、敵の目的を阻止するために――

 

 しかし、バイクで高機動車を追い駐屯地のゲートを突破するエールを見て、全てが手遅れだったと察した。追いかけようにも今からでは追いつけない。今飛び出した高機動車とバイク以上に速い車輛がヘリや戦闘機を除いて自衛隊には無いのだ。

「クソッ!!」と珍しく彼は声を荒げる。何か手はないかと必死に思考を巡らせる。

 その時、彼は思い出した。本来、自衛隊の駐屯地には無い移動手段がここにあると――

 

 

 

 *

 

 

 

≪そうか。ならもう用はない≫

 

 ナイトメアイーグルはウェポンラックから引き抜いた高周波ブレードを両手で握る。新人類創造計画から引き継いだ超バラニウム合金製のアクチュエーターによる駆動と疑似神経回路による制御でその所作は人体のように有機的で感情的だった。

 黒鴉の巨人が儀式のようにブレードの切っ先を天に掲げる中、エールは状況を脱する策を考える――が、何も思いつかない。抵抗しようにも自分は丸腰な上、仮に武器があってもどうにかなるレベルの相手ではない。一か八かの逃げ道はあるが、逃がしてくれる隙は無さそうだ。そもそも路面に肉を削がれて片足がまともに動かない。

 

 ――潮時か。

 

 ずっと昔から分かっていた。外周区に、赤目ギャングに未来はない。採算が釣り合わないから見逃されているだけで、この国がその気になれば潰される虫けらだ。

 スズネに「生き返ったままでいて」と言われた。ミキに「私達を守る為に命を使って」と言われた。けど、お姫様の涙じゃ何も救えないのが現実だ。

 

 あーあ、一度くらいあいつらと普通に遊びたかったな

 銃とか爆弾とか殺し合いとか、そういうのが無い場所で

 

 突如ナイトメアイーグルが斥力フィールドを展開、空中に展開する無色透明の膜に何発もの12.7mm弾が囚われる。絶え間なく続く銃撃に気を取られ、黒鴉の視線が外れた。

 夕日に照らされた地平線の向こうから銀色のポルシェ992 カブリオレが駆ける。近未来的な流線形のフォルムが風を切り、不釣り合いに武骨な12.7mm重機関銃M2(ブローニングM2)が助手席のフロントガラスを突き破りボンネットの上から弾丸を吐き出す。オープントップから空薬莢がまき散らされる。

 エールはその車に見覚えがあった。スカーフェイスとの激戦の後、警察から逃げるために未織から(盗難という体で)貰ったものだ。警察の追っ手を振りまき、西外周区に着いた後はバンタウの地下駐車場に保管したところまでは覚えているが、自分達が保護された後、山根が灰色の盾の装備をどう処理したのかは把握していなかった。

 

 ――馬鹿野郎。

 

 ポルシェのハンドルを握るのは小星常弘だった。彼は駐屯地に移送された後、我堂民警会社の代理人として山根達と情報を交換していた際、灰色の盾の武器や車両が押収され、駐屯地に運ばれていることを知っていたのだ。

 速度は自衛隊の高機動車やバイクの数倍、音速の一歩手前まで加速する暴れ馬であれば多少の遅れをカバーできる。重機関銃とその他装備はナイトメアイーグルと会敵した場合の保険として積んでいたものだ。

 

「ブローニングを積んでこの速度――さては魔改造したな? 司馬重工」

 

 善宗の送り迎えでスポーツカーに乗り慣れているとはいえ、オーバーヒート必至のトップギア、積載重量を越えた重機関銃の搭載と射撃の反動、昨日のバラニウム徹甲弾の雨で凹凸だらけになった路面で車体がひっくり返りそうになる。

 隣で朱理が重機関銃のトリガーを引き、常弘も気休め程度に左手で拳銃を発砲する。

 

 ――ツネヒロの読み通りだ。あいつ防御と攻撃を同時に出来ない。

 

 斥力フィールドは離す力(斥力)を自身の周囲に展開することで外からの攻撃を防いでいるが、それは同時にフィールドの内側から放つ自分の攻撃も止めてしまうという盾のジレンマも持っている。EP加速砲を放つ瞬間にフィールドを解いたジェリーフィッシュ、同じく斥力フィールドを駆使する壮助を見ていた二人はその弱点を把握していた。

 高速道路が湾曲し且つ防音壁で車体が隠れていたこと、ナイトメアイーグルのレーダーが地上では役に立たないこと、エールを殺すことに気を向けていたこと、それらが繋がり、残り200mの地点まで捕捉されずに近づくことが出来た。常弘が駆るポルシェならナイトメアイーグルに衝突するまで()()()()()()()()

 常弘はひび割れたフロントガラス越しに黒鴉の巨人を見据える。ブレーキは踏まない。アクセルも緩めない。今更そうしたところで1.5トンの鉄の塊は止められない。ナイトメアイーグルがカタログ通りのスペックで操縦者がマニュアルに忠実な人間なら、()()()()()()()()()()()()()()

 新たな敵の脅威評価、意思決定、行動のプロセスを短時間で迫られたナイトメアイーグルは咄嗟にマニュアルで最も推奨された対応を取る。人体のように脚部を跳ね上げて初動をつけ、背部のスラスターを噴かせて回避する。

 

 その判断が間違いだったとナイトメアイーグルは気付いた。

 

 最優先事項である日向美樹の回収はまだ済んでいない。その状況で数倍の速度で走る追手を素通りさせてしまったことは大きな失態だ。今、小星常弘の駆るポルシェが最大の脅威となった。

 

≪行かせるか≫

 

 8門の斥力加速砲を横一列に展開、バラニウムフレシェット弾を地上に向けて放つ。

 銃身内部で凝縮させた斥力点の解放によって生まれた莫大な運動エネルギーは弾頭そのものの質量以上の破壊をもたらした。路面のアスファルトを割り、内部の鉄筋・コンクリートを貫き、支柱を砕き、高速道路を数十メートル崩落させる。

 小星ペアのポルシェは頭から崩落に突っ込んでいった。瓦礫と共に地上へとなだれ込み、立ち込める煙に埋もれて見えなくなった。

 真下にカメラを向ける。置き土産にエールを死体に変えておこう。自分が()()()()()()()()()()()()()()()が少しぐらい晴れるかもしれない。()()()()()()()()()()()の一端を果たせるかもしれない。それくらいの時間は十分にある。

 展開した斥力加速砲の一門を真下で足を引きずる虫けらに向けた。

 

≪何を遊んでいる。イーグル。回収が最優先だ≫

 

 痺れを切らしたネストから通信が入る。クイーンビーの命令を無視してまで実行した作戦だ。手ぶらで終わる訳にはいかない。その声には珍しく焦りが見えた。

 神奈川駐屯地と内地を繋ぐ直通道路を潰したが、脅威は完全に排除されたわけではない。自衛隊の車輛であれば瓦礫とガストレアの死骸まみれの地上を走破することが出来る。駐屯地から連絡を受けて内地の部隊や警察が動けば待ち伏せを食らうことになる。

 HUDにレーザー照射の警告が表示――直後に激震。

「斥力フィールド崩壊」「高度低下」「高周波ブレード2振損失」「斥力加速砲3門喪失」「左腕部の疑似神経伝達エラー」「斥力フィールド再展開」「L4スラスター出力85%まで低下」衝撃で揺れる視界の中で脳にナイトメアイーグルの異常を知らせる警報が一気になだれ込む。

 高度計が急速に0へと向かっていく中、機体各部のサブカメラが新たな敵の姿を捉えた。

 F-35AライトニングⅡ――ステルス性を高める凹凸を排除したフォルムとダークグレーの装甲、空戦における機能を追求した純粋な戦闘機だ。東京エリア航空自衛隊が保有する最新のステルス戦闘機が2機編成で接近する。

 墜落寸前でナイトメアイーグルは斥力フィールドを展開。背部のターボジェットエンジンを燃焼させ、レーダーで捕捉されないよう超低高度で地上を()()する。

 

≪撤退だ。イーグル。戦闘機では分が悪い≫

 

≪回収はどうする?≫

 

≪問題ない。別の手を打ってある≫

 

≪了解……≫

 

 外周区の廃ビル群、内地と駐屯地を繋ぐ高速道路の下を潜り、黒鴉の巨人は鉄筋コンクリートの森へと消えていった。

 

 

≪ダガー1より司令部(HQ)。目標を喪失(ロスト)。指示を乞う≫

 

 

 

 *

 

 

 

 ナイトメアイーグルが飛び去った神奈川駐屯地では自衛官達が慌ただしく、しかし整然に走り抜けた。墜落した攻撃ヘリの消火活動、引火の危険性があるヘリの残弾処理、攻撃を受けた医療区画からの退避、殉職したパイロットや医師・看護師たちの遺体収容etc……と敵が去っても彼らの戦いは続いている。

 襲撃を受けた医療棟には簡易ベッドが並べられ、そこへ負傷者が運ばれていく。

 ティナとミカンは運ばれる担架の邪魔にならないよう廊下の端に立つ。呪われた子供の治癒が作用したため、彼女達の識別救急(トリアージ)保留または不要(グリーンタグ)とされた。

 昨日の治療の影響で2人は一時的に浸食率が上がりやすい体質になっている。今日、ナイトメアイーグルに負わされた傷の治癒でどれほど上がったのか、自分が人間として生きられる時間はあとどれほどあるのか、この数年で抑制剤の効果が上がってもその恐怖が拭われることは無い。

 また一人、二人、三人と担架で運ばれていく。それが美樹を追って駐屯地を飛び出したエールと小星ペアだと分かりティナとミカンは愕然とする。

 エールは左腕・左足の肉が半分ほど抉られていた。骨まで見える様は傷を通り越して欠損に近く、呪われた子供の治癒力でも治るかどうかは保有因子次第だ。

 常弘と朱理は人工呼吸器をつけられ、医師たちの慌ただしさから生死の境を彷徨っているような状態だと伺える。高速道路の崩落に巻き込まれた後、ポルシェごと亜音速で川に突っ込んだ中で一命を取り留めたのは奇跡に近い。

 圧倒的な力の差を見せつけられ、敵を倒すことも美樹を守ることも、自分も仲間も守ることが出来なかった。IP序列38位「殲滅の嵐(ワンマンネービー)」の二つ名が途端に虚しく思えてきた。

 

「酷い有様だねえ」

 

 まるで他人事のように山根が歩み寄る。自衛官であり同じ迷彩服を着ている彼だが、地位の違いか部署の違いか、隊員たちが事後処理に奔る中悠々としている。

 

「ミキは見つかったのか?」「美樹さんは見つかりましたか?」

 

 二人から同時に問いかけられるが、山根は首を横に振る。

 

「車と裏切者は見つけたけど、美樹ちゃんはまだ捜索中だ」

 

「その裏切者、拷問して吐かせたらどうだ?」

 

「もう死んでるよ。検死はこれからだけど、あの死に様からしてドールメーカーだろう」

 

「また……ですか」

 

 捨て駒を使い事が終われば殺害して口封じ、非人道的だが情報管理の面で言えば合理的かもしれない五翔会残党の手段にティナは吐き気がする。ミカンも舌打ちし「外道が」と吐き捨てた。

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア・アクアライン空港 国際線ターミナル

 

 バカンスに出かけるカップルや家族、出張に向かうサラリーマン、パイロット、CA、その他従業員が往来し、コーティングされた到着ロビーの床は靴底で叩く音が絶えない。人々の和気藹々とした話し声と共に手荷物検査場や搭乗口に向かうことを促す場内アナウンスが響き、ロビーは静寂とは無縁の盛況ぶりだった。

 半年前、ここはテロリスト里見蓮太郎が放ったガストレア群が占拠し、自衛隊と激戦を繰り広げたのだが、今の活気を見るとそれが嘘のように思える。里見事件を覚えている人がどれだけいるのか怪しいくらいだ。

 

『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』

 

「あー!! もう!! ティナ全然出ないじゃん!!」

 

 弓月は国際線ロビーでスマホに怒鳴りつけた。往来の注目を集め、空港のガードマンの視線が集まる。別に恥ずかしいとは思わないが、居心地は悪い。

 

「行くぞ。弓月」

 

「あ、うん……」

 

 玉樹に促され空港の出口へと向かうとスーツ姿の男が堅苦しい所作で兄妹を出迎えた。空港の出入口がいくつもある中、自分達がここを通ると最初から分かっていたかのように。

 

「お待ちしておりました。片桐様」

 

 彼の顔は見覚えがあった。聖居情報調査室の調査員であり、聖居と兄妹の連絡役を務めている男だ。端正な顔つきだが、彼が持ってくる話はいずれも国家の存亡をかけた厄介なクソ仕事ばかりであり、弓月は基本的に彼のことが嫌いだった。見たくない顔№1と言っても良い。

 

「自分の足で帰れって話じゃなかったの?」

 

「状況が変わりました。至急、聖居までお越しください」

 

 弓月は大きく溜息を吐き、肩を落とした。

 

「要は『今からお仕事』ってことね」




オマケ 前回のアンケート結果

美樹「これは夢オチなんだ……ぜんぶ悪い夢なんだ……」

回答
 (3) 父さんと母さんが死んだのも夢
 (0) ルリコ姉ちゃんが死んだのも夢
 (1) 西外周区が滅んだのも夢
→(7) 義塔の兄ちゃんと付き合ってないのも夢
 (2) 詩乃ちゃんが私の妹じゃないのも夢
 (3) 夏休みの宿題がまだ終わっていないのも夢
 (6) 部活やめて体重がちょっと増えたのも夢


美樹「自分で言うのもあれなんだけどさ。脈ありだと思うんだよね。おっぱいチラチラ見てたし」

壮助「 」

壮助「え……? マジで……? バレてた?」

美樹「うん。けっこうバレバレ」

壮助「もうやだ……誰か殺して……」

美樹「死ぬぐらいだったら、私を幸せにする為にその命を使ってよ」


↑ここまで夢

美樹(――って言えたら良いなぁ……)


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ご注文はヘルシーで淡泊なお味ですか?

皆さん。長らくお待たせいたしました。更新です。

今回はナイトメアイーグル戦の少し前、「パイの奪い合い」の直後から続いたり、また時間が戻ったりして「みんなヤバい機械化兵士に襲われた間、義塔くんはどこで油を売っていたのか」を書いていくエピソードになります。


「リエンの奴。俺らにおしつけやがって」

 

 アジアンテイストの高級家具やインテリアで彩られたリエンの屋敷で壮助と清二はぼやく。口では文句を言いつつも身体は律儀に箒と塵取りでガラスの破片を集め、ゴミ箱に集めていく。小学校の掃除の時間を思い出す。

 

「そういや、さっきの電話、彼女からか?」

 

 清二が揶揄い、箒の柄で壮助を突く。リエンにスマホを盗られ、淫靡な声を吹き込まれた時の反応から自信はあった。

 

「あれが彼女からのラブコールを受け取った姿に見えるか?」

 

「俺にはそう見えたな」

 

「眼科行け。アホ。ただのイニシエーターだ」

 

「へぇ……」と清二は言葉では納得しつつも疑いの目を向け続ける。いつの間にか箒の手が止まり、心の内を伺おうと壮助の一挙手一投足から目を離さない。

 

「その割には随分とご機嫌取りに必死だったな」

 

「イニシエーターの機嫌はプロモーターの生命線なんだよ」

 

 壮助は掃除の手を止めると清二の前に左手を出し、強調するように大きく指を広げる。

 

「ここに5本の指があります」

 

「あるな」

 

「よく見ると薬指と小指に縫った跡があります」

 

「ガストレアにやられたのか?」

 

「これはそのイニシエーターに指を噛み千切られそうになった時の傷です」

 

「はぁ!?」

 

 清二は大きな声と共にあんぐりと口を開ける。詩乃との関係を揶揄ってやろうという優越感は吹き飛び、目から光が無くなる壮助の民警生活が(元)友人として心配になる。

 

「あれはペアを組み始めた頃の話だ。ウチの事務員(空子)の爆乳をガン見していたら機嫌を損ねてな。浮気だの何だのと言われて喧嘩して、指を噛み千切られそうになった。つーかほとんど千切れてた。骨まで見えてたし」

 

「うわっ。グロ……」

 

「本人曰く『壮助がゆりかごから墓場まで私のことを忘れないように傷をつけたかった』『結婚指輪が買えないからそれで代わりにしようと思って』だそうだ」

 

 壮助の目は焦点が合わず、口は乾いた笑いを垂れ流し続ける。感情と表情の連携が崩壊している。指の傷だけではない。これまで詩乃が振り回した槍が当たって死にかけたり、指相撲をやったら指の骨を折られたり、彼女が投げたガスボンベの爆発に巻き込まれたり、唐揚げの取り分を巡って喧嘩して肋骨を折られたり、意識無意識問わず、数多くの傷を負わされてきた。

 壮助の身体には「敵につけられた傷」よりも「詩乃につけられた傷」の方が多い。

 もうどうしようもないので壮助はこれについて考えることを放棄した。

 

「なんだよ。その猟奇サイコパス地雷女。さっさとペア解消しろよ」

 

「そんなことしたら、俺は殺されるか手足をもぎ取られてケージで飼育される」

 

「IISOに連絡して収容所にぶち込んでもらったら?」

 

「バスを放り投げる女だぞ。監獄島(アルカトラズ)だって閉じ込められねえよ」

 

「お前のイニシエーターってモデルゴリラなのか?」

 

「気をつけろよ。赤目は『殺す』と思った時には俺ら人間なんて『ぶっ殺した』状態にできるくらい強いからな。それが標準仕様だからな」

 

 呪われた子供は生まれながら大抵の人間を圧倒出来るパワーとスピードと回復力を持ち、人間と同等の(あるいはそれ以上の)知能を持っている。個体の強さだけで言えば彼女達は人類の上位互換であり支配構造の上に立ってもおかしくない存在だが、呪われた子供という()()そのものが幼いことで人類が優位の構造が維持されてきた。

 しかし年月の経過による精神的な成長、自我の形成と確立がなされたことによって、呪われた子供が()()()となる殺人・暴行・傷害・虐待・DV・パワハラはそう珍しくもない話となった。

 

 

 

「いや、ナナだって赤目だけど、そこまでバケモンじゃねえよ」

 

 壮助が石のように固まった。瞬きせず、口がぼかんと開く。

 

「……ナナって誰?」

 

「え? 彼女」

 

「お前……彼女いんの?」

 

「いるぞ。言わなかったか?」

 

「聞いてない」

 

 初耳である。

 赤目嫌いを拗らせて延珠迫害の一因となった彼が赤目に雇われて真面目に働いている状況がそもそも不思議でならなかったが、更に赤目の彼女がいると聞かされて壮助は更に混乱する。彼の脳内に宇宙が広がり銀河が輝く。

 

 

「も、もしかして…………ヤった?」

 

 

 混乱のあまり普段ならしないであろう品の無い質問をしてしまう。お茶の間に流れるテレビ番組なら完全にカットされるであろうハンドサインも見せる。

 清二はふふんと勝ち誇った顔を見せる。

 

「大人の階段の向こう側で待ってるぜ」

 

 壮助は怒りに震えた。自分は6年も延珠への贖罪意識や蓮太郎への英雄願望を拗らせながら世界一可愛くて頼もしい猟奇サイコパス地雷イニシエーターを養ってきたというに共犯者である清二は安定した仕事と愛する彼女(よりによって赤目)を手に入れたのだ。怒らずにはいられなかった。

 

「処刑じゃあああ!! 未成年淫行!! 青少年健全なんとか罪で頭もチ〇コもギロチンじゃああああ!! チクショオオオオオオ!!」

 

 壮助は箒を刀に見立てて振り翳し、清二を追い回す。対する清二も箒を刀に見立てて応戦し、二人は調度品に傷をつけないよう配慮しながら得物を叩き合う。

 その遊び様は掃除の時間の男子小学生のようだ。

 

「死ねええええええええええええい!!」

 

 数十秒のチャンバラの末、ヤケクソになった壮助が箒を投げる。指で柄をスクリューのように回転させ、軌道を安定させた箒ミサイルが清二に向かって飛翔する。

 しかし清二は首を横に動かし回避した。壮助が箒を投げると分かっていたからだ。距離をとり振りかぶる動作も予見の一因だったが、小学生の時に何度も受けた経験がその下地となっていた。

 清二が回避したことで箒ミサイルは標的を見失い、彼の背後へと抜ける。

 

 

 

「あぱっ――――

 

 それはリエンの顔面にクリーンヒットした。

 

 

 何を伝えようとしたのか分からない間抜けな断末魔を上げて、彼女は仰向けに倒れた。

 壮助と清二は真っ青になる。誰を倒してしまったのか理解すると寒気と同時に汗が一気に噴き出る。

 

「後は頼んだ」「待てや。実行犯」

 

 逃げる壮助と服を掴んで逃がさんとする清二が悶着する間にリエンが立ち上がる。美しく長い髪は柳のように揺れ、顔面にかかる。髪の隙間から憤怒に満ちた赤い瞳を覗かせる。その様は往年のホラー映画のようだった。

 リエンは何も語らない。何も語らずとも相手が察して自ずと彼女が望む行動に出るからだ。彼女がこの数年で築き上げた地位と権力が周囲にそうさせる。

 

「「大変申し訳ありませんでした」」

 

 壮助と清二はその場で正座し、三つ指をつき首を垂れる。平身低頭の構えだ。

 数分、リエンは許すとも許さないとも言わずに土下座する2人を見下ろした。その後、溜飲が下がったのか彼女はため息を吐き、前に垂れ下がっていた髪を肩の後ろへ持ち上げた。

 耳に届く音で壮助はそれを把握し、床を見ながら安堵した――直後、パンプスの爪先で額を蹴り上げられる。首が千切れて後ろに飛びそうな勢いでのけ反り、仰向けに倒れる。箒ミサイルのお返しが来たようだ。

 

「いっだああああああ~」

 

 額を押さえながら悶えるの股下をリエンはパンプスの(トップリフト)で突く。絨毯の鈍い音とリエンの姿勢で壮助はあと数センチで自分から男性としての機能が失われていたかもしれない現実に身震いする。

 

「人に仕事をさせて自分達は遊ぶなんて、良い御身分ね」

 

「いや、その、マジで、ごめんなさい」

 

 一切否定できない。壮助はAIの自動応答のように拙い日本語で返答する。

 

「でも良い御身分同士、彼女と気が合うかもしれないわ」

 

 リエンは名刺を指で弾き飛ばし、壮助は自分の胸元に落ちる前にそれをキャッチする。

 

(株)ビドウ 代表取締役 遊楽街京夜

 

 会社名と役職、名前(おそらく源氏名)、他には住所と電話番号、カクテルと青年を模したシンプルなロゴが載っていた。

 

「何これ?」

 

「15時までにその店に行きなさい。ラスボスの目の前まで案内してあげる」

 

 

 

 *

 

 

 

 綾弦優斗(あやづる ゆうと)が保脇夏子に初めて会ったのは2034年(3年前)9月のことだった。

 

 就活という人生の過渡期に彼女から「刺激が無くてつまらない」と一方的にフラれた全ての始まりだった。優斗は人生何もかもがどうでも良くなったのだ。そんな彼を気にかけてくれたのはサークルでお世話になった先輩だった。体育会系で面倒見の良かった彼は優斗を「お前、テレビ局来いよ。一緒にドラマ撮ろうぜ」と誘ったのだ。

 何か目標が欲しかったのかもしれない。誘いを素直に受けた優斗は失恋を忘れたい気持ちもあり、一心不乱に就活に打ち込んだ。そして純粋に実力なのか、先輩のコネが効いたのか、優斗は見事に合格した。

 入社後は誘ってくれた先輩の部下(AD)として、雑用アンド雑用の毎日を過ごした。バラエティ番組のADとして朝から翌朝まで仕事のことしか考えない多忙な日々を送った。お陰で失恋はおろか元カノのことすら頭から消え去っていた。

 

 ある日突然、政治部への異動を言い渡された。優斗は訳が分からなかった。何か功績を立てた訳でもなく、政治に深い造詣も無い。いちADをエリート部署に異動させるなど正気の沙汰じゃない。先輩も同じことを思っていたようで理由を人事に尋ねてみたがハッキリとはしなかった。

 政治部では芦名という壮年のジャーナリストが上司になった。まず朗らかな人柄に優斗は安心した。異動により先輩との約束が守れなくなったこと、畑違いの部署に飛ばされたことに不満はあったが、ひとまずいじめやパワハラが無さそうで安心した。

 

「それじゃあ明日、保脇議員に会いに行くからね。身嗜みとかしっかり頼むよ」

 

 赴任初日の帰り際、前触れもなく芦名に告げられた。彼は瞼が開いたまま固まり、持っていたコーヒー入りの紙カップを落としそうになった。

 政治のことはよく分からない優斗だが保脇議員が誰なのかは知っている。エリア民主党の衆議院議員。歯に衣着せぬ物言いで聖天子や閣僚たちと真っ向から対立する「聖天子の天敵」、芸能人時代のノウハウを活かしメディアでも発言力を強める「野党の女帝」と呼ばれる大物政治家だ。

 

 一体何がどうしてそうなってしまったのか、一晩中考えたが分からなかった。

 

 翌朝、芦名と合流し社用車に乗り込んだ。

 助手席から芦名が彼の顔色を伺う。

 

「昨日はちゃんと寝れたかい?」

 

「あっ、はい……その緊張してしまって。どうせ寝れないならって、保脇議員の過去の記事とか著書とか読んでいました」

 

「殊勝な心掛けだね」

 

 芦名は笑った。優斗も運転に支障が出ないレベルで軽く笑う。

 一緒に笑っていた筈だったが、いつの間にか芦名は口を閉じていた。

 

「ただ、今は何も知らない馬鹿な若者でいろ」

 

 朗らかな印象が消えるくらい重く腹の底に響きそうな低い声だった。これは政治ジャーナリストとして重要な何かを伝えようとしているのではないかと優斗は解釈する。

 

「そっ、そうですよね。一晩漬けの知識なんて――」

 

「違う。そうじゃない」

 

 どうやら解釈違いのようだ。

 

「とにかく政治のことはよくわからない馬鹿な若者でいろ。()()の前ではそう演じろ」

 

 

 

 *

 

 

 

 議員会館のロビーは白い大理石と青空を写す一面のガラス張りで彩られ、陽光が屋内で反射する機構と吹き抜け構造が開放感を演出する――と、ここのデザイナーはそう想定していたのだろうがエントランスに立つ警備員とセキュリティゲートの物々しさが見事に台無しにしていた。

 共にセキュリティチェックを受けた彼はゲートを抜けて会館ロビーに足を進める。

 芦名はロビーの奥に目を向け、優雅に寛ぐ彼女を見つけた。

 芦名は小走りする。優斗も両手に荷物を抱えながら付いて行った。

 二人掛けのラウンジソファに彼女は座っていた。コーヒーの入った紙コップを片手に掃き出し窓から中庭を眺めている。芦名と綾弦のことも気に留めていないようだ。

 

「お待たせしてすみません。保脇先生」

 

「気にしなくて良いですよ。むしろ休憩時間には丁度良かったんですから」

 

 可愛げのある口調に優斗は面を食らった。保脇議員が国会で檄を飛ばす姿はメディアを通して何度も見ており、天敵や女帝という物騒な二つ名の通りの人物だと勝手に想像していたからだ。

 夏子(保脇議員)はソファーから立ち上がり、芦名達に目を向ける。

 近くで見るとやはり美人だと言う感想を抱く。気品のある白茶色のモダンヘア、可愛げとお茶目さを演出する柔らかいメイク、フォーマルさと高級さを併せ持つスーツに包んだ細身の体格は元芸能人という彼女の経歴に説得力を持たせる。

 

「そこの彼は?」

 

「ご紹介します。ウチの新人です」

 

「あっ、綾弦です。よろしくお願いします」

 

 大物政治家を前にして緊張した優斗は噛んでしまった。それがウケたのか夏子が口元を隠しふふっと笑う。

 

「緊張しなくて良いですよ。議員なんて選挙で落ちればただの無職ですから」




次回「いいえ。罪深くスパイシーなお味です」


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いいえ。罪深くスパイシーなお味です。

 取材は会館の一室を借りて行われた。取材のテーマは「衆議院議員総選挙の戦略と争点」についてだ。最初は軽く雑談を行い、その後は芦名が質問し、夏子がそれに答える形式で取材は勧められた。

 

「来月に控える総選挙の争点についてですが、保脇先生としてはどうお考えですか?」

 

「ガストレア新法の評価。これは避けられないでしょう」

 

「やはり、そうなりますよね」

 

 今回の衆議院議員総選挙はガストレアウィルス潜伏感染者問題基本法(ガストレア新法)・ガストレアウィルス拡散防止法が施行されてから初の総選挙となる。評価に必要な年月も経過しており、メディアも新法と拡防法の是非が争点になると予想していた。

 

「『赤目の子供達は権利と自由を得て然るべき存在であり、私達と共存することが出来る』この前提は崩れません。その上で私はガストレア新法が――赤目の子供に()()()()()()()()()()()を与えたことが果たして正しかったのか、それを国民に問うつもりです」

 

 優斗は昨晩のことを思い出す。夏子のインタビュー記事や著書の内容だ。確か彼女は呪われた子供を危険視する立場をとっており、積極的な排斥とまではいかずとも彼女達にヒトと同等の権利を与える事には慎重だった。ガストレア新法が施行された後、彼女のスタンスは多少の軌道修正はあったものの根本的な方向性は変わっていないようだ。

 

「ご存知の通り、赤目の子供達はガストレアウィルスに由来する高い身体能力を有しています。民警、イニシエーターが良い例でしょう。彼女達は自分の何十倍も大きなガストレアを倒すことでこの国の安全保障の一端を担っています。ですが同時に赤目ギャングというその力を私利私欲のために使う子達もいます。機動隊が敗北した四ツ葉銀行強盗事件、21名の犠牲を出した第三区公営バスジャック事件、自衛隊の治安出動にまで発展した南外周区抗争は記憶に新しいと思います」

 

 優斗はうんうんと頷く。呪われた子供に対して特別な感情を抱いていない自分でも夏子が挙げた凄惨なニュースはよく覚えている。被害の規模が人間のそれとはスケールが違う、もはや犯罪ではなくテロだ、戦争だ、というのが率直な感想であった。しばらくの間、警察や民警の人達には頭が上がらない思いだった。

 

「3年前……私の息子も赤目の子供から聖天子様を守る為にその身を挺しました」

 

 夏子の指に力が入る。こみ上げてくる感情を押さえようと口元が歪む。

 

「聖天子狙撃未遂事件の時ですか。確か息子さんは当時の護衛隊長でしたね」

 

「ええ。儀礼的な面が強い聖天子付き護衛官でしたが、息子は果敢にも卑劣な狙撃手に立ち向かったと聞いています。幸いにも息子は一命を取り留めましたが傷を負ったことで退官を余儀なくされ、その後は心的外傷後ストレス障害(PTSD)により――――自ら命を絶ちました」

 

 場の空気が重くなり、呼吸一つにも優斗は緊張する。息子の死は著書で軽く触れてはいたが、遺族の口から出る言葉はやはり重みが違う。

 ふと夏子の視線が優斗に向けられる。

 

「ごめんなさい。あなたを見ていると息子を思い出して」

 

「あ、いえ。お気になさらず」

 

 夏子がすすり泣き始め、取材は一時中断となる。湿気た空気を生み出す原因となり、仕事の邪魔にもなってしまったことで優斗は居た堪れない気持ちになる。芦名からの視線も痛い。

 夏子は目尻に浮かんだ涙をハンカチで拭い、丁寧に折りたたむ。

 

「続きを始めてもよろしいかしら?」

 

 1分も経たず取材は再開された。案外、立ち直りは早いようだ。涙が演技という可能性も否定はできないが、写真も動画もない今回の取材でそのような演出は意味が無い。

 

「赤目の子供達に自由と権利を与えること――それは人として正しいのかもしれません。ですが、聖天子様の正義と理想は私達のような非力な人間の平穏と安全を脅かす一面も孕んでいるのです。拡散防止法のような『起きた後』では手遅れです。『起きる前』に動き、大切な人を失う悲劇を防ぐ。そんな体制が必要ではないかと私は考えています」

 

 優斗は何も話さない。ただ芦名の隣に座っているだけだ。政治のことは分からない若者という設定なので馬鹿の演技でもすべきか考えたが、夏子の饒舌を前にそんな余裕は産まれない。

 夏子の視線は芦名に向かい、身振り手振りも彼に向ってアピールをしている。優斗のことなど置物かもしくは存在そのものを忘れていているのかもしれない。

 結局、優斗は一言も発する事無く、保脇議員への取材は終わった。本当に顔を覚えて貰うためだけに呼ばれたのかと思い、唖然とする。

 

「ごめんなさいね。こんなオジサンとオバサンの話に付き合わせてしまって」

 

「いえ。勉強になりました。本日は貴重なお時間ありがとうございました」

 

 最後の最後で自分という人間を出し切ろうと爽やかに微塵も思ってもいないことを言う。

 突然、夏子に手を握られて心臓が跳ね上がる。大物議員に向こうから触れられて緊張のあまり額に汗が流れる。

 

「来月、第四区の会館で講演会をやるの。良かったら、貴方も来て頂戴」

 

 まるでクリームを塗りこむかのように両手でさすられる。驚きを通り越して嫌悪感が滲み始める。美人とはいえ自分の母と同じ年代の他人にベタベタと触られるのはあまり良い気分ではない。

 

「あ、ありがとうございます。予定を確認しますので少しお時間を――――「来なさい」

 

 ナイフを突き立てるかのような勢いと鋭さに優斗は気圧される。予定のことなど考えず、「はい……」と答えてしまった。

 芦名がわざとらしく咳払いする。

 

「綾弦くん。車を回しておいてくれ」

「は、はい」

 

 芦名が放り投げた社用車のキーを両手でキャッチすると優斗はロビーを後にした。夏子の前から離れられる。解放感が一気に押し寄せた。

 会館前で助手席に乗り込んだ芦名はやけにご機嫌だった。自分が車を回している間に何かあったのだろうか。別人のように満面の笑みを浮かべていた。

 

「保脇先生は君を気に入ったようだ」と何度も肩を叩かれる。ちょっと痛い。

 

「次の取材も()()だ。さすが()()

 

 自分は何かまずいこと利用されているのではないか、そんな嫌な予感が脳裏を過る。だがどうすることも出来ない。予感は予感でしかない。そう諦めて、優斗はアクセルペダルを踏みこんだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 眠らない街をセンチュリーが走る。ビル街の明かり、街路樹の影、対向車のライトがボディに映し出され、メタリックブラックのボディが彩られていく。

 支援団体との会食を終えた夏子は公用車の後部座席で名刺を眺めていた。昼間、取材に応じた芦名の付き添いだった青年のものだ。顔と体格はすっかり覚えたが、少し酒が入っているせいか、名前は名刺を見ないと思い出せなかった。

 

「ふふっ……昼間の子、可愛かったわあ。芦名のセンスも悪くないわね」

 

 酒が入って朧気になっているせいか、思っていたことが口から零れてしまった。運転手の耳にも届いただろう。だが問題はない。どんな秘密も、汚職も、腐敗も、彼は把握しているのだから。

 

「男遊びが過ぎませんか? ()()()()()()

 

 運転席から年若い男が諫める。高級感と清潔感に溢れたスーツを着こなし、髪もワックスですっきりとまとめられている。どこにでもいる、一週間後には忘れられていそうな、ごく普通の爽やかな青年といった印象だ。

 夏子はネストに艶めかしく笑いかける。バックミラー越しににも見えるように。

 

「あら。嫉妬してるの? ()()()

 

「まさか。御冗談を」と鼻で笑う。

 

「言っておくけど、今回は芦名が勝手に連れて来たのよ」

 

「なるほど。先生に取り入る為に男も女も買って売って。彼も立派な奴隷商人ですね」

 

 夏子は十代の少女のようにむっとしたと表情を見せる。ネストはバックミラー越しに見える彼女を冷ややかな目で見る。過程がどうあれ、彼女が若い男を前に鼻の下を伸ばし、セクハラ・パワハラ紛いの行為をはたらいたことに変わりはないのだから。

 

「くれぐれも表の人間には手を出さないで下さいね。今度、()()()()を用意しますから」

 

 ネストは穏やかに制止し、妥協も提示したが、夏子は返答せず窓の外に不機嫌な眼差しを向けた。ネストの言うとおりにするしかないと理解しつつも高いプライド故に首を縦に振りたくなかったからだ。

 ネストもそれを理解していたが、とりあえず癇癪を起こして運転中に殴られるような事態にならないだけ上出来だと言い包めた自分を評価する。

 

「ああ、それと」とネストが思い出したかのように呟く。

 

「例のプロジェクトですが、スポンサーより<タウルス・レプリカ>の捜索を依頼されました。少しばかり駒を使いますね」

 

 車窓越しのオフィス街に向けられていた夏子の瞼がピクリと動いた。

 

「随分とプロジェクトに肩入れするのね」

 

「ルーサ製薬はスポンサーの中でも最大手ですから」

 

 不機嫌に怒りを上乗せした夏子にネストは変わらず軽やかに返答する。

 

「彼らの金と票が無ければ、貴方は国会議員になれなかったし、我々も都市伝説のまま日陰で滅びる運命だった。これからの為にも尻尾を振って――

 

 夏子が運転席を足蹴りする。慣れているネストは取り乱さず、ハンドル操作を誤ることもなく、涼しげな顔で運転を続ける。

 

「無様ね。旧財閥の末裔」

 

 バックミラーには今にも殴りかかってきそうな形相の夏子が映っている。わざわざ確認するまでもない予想通りの表情を見て、ネストは微かに笑む。

 

「お忘れですか? 貴方もその一人ですよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 2037年(3年後) 8月18日

 

 この日、東京エリアを震撼させる大事件“西外周区感染爆発事変”が発生した。

 

 駅前の演説中に感染爆発の一報を耳打ちされた夏子は聴衆の前で驚いたかのように見せた。「市民のパニックを防ぐため悟られないように隠しつつも漏れる動揺」を芸能人時代の経験で()()切り、手早く演説を済ませて議員会館のオフィスへと向かった。

 幸い自衛隊の迅速な対応によるガストレア駆除は完了したが、彼女達の仕事はそこからだった。情報の収集、メディアへの対応、募金の呼びかけ、エリア民主党の緊急会合、etcと多忙な一晩を過ごした。費やした時間、行動による実績は()()だけではどうにもならないのだから。

 

 8月19日 夕方

 

 睡眠不足で頭がぼうっとする。議員会館のオフィスに差し込む夕日が鬱陶しい。感染爆発発生からの対応はシミュレートし実行したが、エリア民主党の緊急会合が長引いてしまったのは想定外だった。

 所属議員の見解が「外周区の住民を巻き添えにする非人道的な作戦を行った自衛隊とそれを容認した聖居への批判」に統一されているか否かの確認で済む話だったが、是々非々路線の派閥が水を差したことで話が拗れたのだ。

 

 夏子は一昨日の自分を恨んだ。最初からこうなると分かってはいて、覚悟もしていたが、とにかく恨んだ。

 

 西外周区にガストレア化爆弾(INS-10)を埋め込んだ少女達を解き放ち、感染爆発で敵を一網打尽にするなんて大袈裟な作戦を考え、指示した自分を。

 

 

 ――もうちょっとスマートなやり方にするんだった……

 

「いやぁ~お疲れさまでした」

 

 芦名と()()()()()()()()()の早乙女が疲労困憊といった様子でバッグを床に下ろす。彼らは以前から予定していた密着取材で今朝から同行していたのだ。背後にはカメラマンと音声担当が機材を構えており、ハードなスケジュールに付き合ったせいで滝のような汗を流している。

 

「こんな日に密着取材の予定を立てるなんて、貴方も運が悪いわね」

 

「歴史的大事件の最前線が見れたんです。ジャーナリスト冥利に尽きます」

 

「先生のお仕事、けっこう、ハードですねぇ……」

 

 重いバッグを一日中抱えていた早乙女は疲労のあまり膝に手を突きそうなほど屈み、息が荒くなっていた。

 

「早乙女くん。貴方まだ20代でしょ。還暦過ぎた私に負けてどうするの」

 

「スタントマン無しでハリウッドのアクション超大作に出た先生には負けますよ」

 

「あら、懐かしいわね。脇役だったけど」

 

 新しいアシスタントは女性の扱いに慣れているらしい。彼は前のアシスタントよりも流暢に喋り、ユーモアのセンスも良い。口達者な男は夏子の好みではなかったが、顔の良い男に煽てられるのは悪くなかった。

 

「とは言っても、私も今日は疲れたわ。続きは明日にしましょう」

 

 

 

 *

 

 

 

 議員としても、<クイーンビー>としても用事を済ませた夏子は自宅に戻った。シャワーを浴び、バスローブに着替え、絢爛なリビングでワインを嗜む。

 夫は大戦時に亡くなり、長男には先立たれ、次男は10年以上前に絶縁し、独りの女となった夏子だが、寂しいという感情は無かった。むしろ大金を使い、これ幸いにと家全体を自分好みに仕立て上げたのだ。内装は欧州の貴族を思わせる贅を尽くし、そこで彼女は女王のように寛ぐ。

 古風なドアベルが鳴った。待ち遠しかった“モノ”が届き、夏子は鼻歌を歌いながら玄関へ足を進める。通り際に横目で玄関カメラをチラリと見て、白を基調とした服装の配達員が映っていることを確認する。

 玄関を開けると少年が立っていた。夏子は違和感を覚える。店名が刺繍された可愛らしいホワイトピンクのパーカーはいつもと変りないが、下半身はダメージジーンズと厳ついブーツという真逆の印象を持たせる。

 

「ご注文ありがとうございます。ホワイト&キャッツです」

 

 少年は視界に入るよう手提げ袋を持ち上げる。夏子は袋を一瞥することなく、少年をまじまじと見る。注文よりも背が高い。声も違う。香水も純朴で優しいものだったが、今日は刺激的な遊びを感じさせる。パーカーのジッパーも下げられており、セクシャルな首まわりと鎖骨が肌を晒す。

 

「あら、()()()()が違うわね」

 

「申し訳ありません。()()が届かなかったものですから。こちらで代わりのものを用意致しました」

 

 少年の顔はあざといネコ耳フードを目深に被っているせいでよく見えない。しかし見える口元だけでもいけ好かないクソガキということは分かる。

 

「それならいらないわ。帰って頂戴」

 

 夏子がドアを閉じようとすると少年が足を挟んで阻んだ。ブーツの硬さ、細身ながらも感じさせる膂力がドアノブ越しに伝わる。夏子の腕力では到底動かない。

 

「ちょっと待って下さいよ~。料理をお届けして代金を貰って来いって店長に言われてるんですよ」

 

「そちらの不手際でしょう。私には関係ないわ」

 

「まぁまぁそんなこと言わずに」

 

 少年はパーカーのフードを摘まみ、少しだけ持ち上げる。隠れていた鼻、目、眉に玄関灯の光が差し込む。

 夏子の腕に力が入らなくなった。顔が見えた瞬間、自分はこの少年を拒むことが出来ないと分かったからだ。

 彼は夏子の好みだった純朴で可愛らしい少年とは真逆の印象だった。女を手玉に取り、遊び尽くし、飽きたら捨て去る。女の敵のような所業を繰り返し、それでも許される禁忌の魅力持っている。触れてはならないと分かっていながらも手を伸ばしてしまいたくなる悪魔的な美しさに警戒心が融解する。

 

「ヘルシーで淡泊な味も良いですが、時には罪深くスパイシーなお味はいかがですか?奥様」

 

 少年は顔を夏子に近づけ、耳元で囁く。

 

「今なら店長に内緒で()()()()()も付けちゃいますよ」

 



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人間という名の商品

大変長らくお待たせいたしました。更新です。


 3時間前

 

「ここ……だよな……?」

 

 壮助はリエンから受け取った名刺の住所を地図アプリに入力し、ルート案内を頼りに閑散とする真昼の歓楽街を歩いた。街の様子はとくに変わらない。昨日の西外周区感染爆発もまるで海外の戦争のように捉えられている。

「目的地に到着しました」というアナウンスで足を止め、目の前の光景を睨む。間違いじゃないかと思い名刺の住所とスマホの地図アプリに視線を戻すが、どうやら間違いではないようだ。

 いかにも女子受けしてSNS映えしそうなあざとくファンシーなエクステリア、ガラス越しに見えるインテリアも違わぬ雰囲気を醸し出している。集客効果も十分なようで時折、数名の女性客が来ては店の写真を撮り、店内でスイーツを物色している。

<White & Cats>と看板を掲げたスイーツ店の前に壮助はたじろぐ。

 リエンが紹介した店なのだから16歳が入ってはいけないような妖しい雰囲気のお店――ハッキリ言えば風俗店を覚悟していた。実際は16歳が入っても問題ないスイーツ店だったのでそこは安堵べきかもしれないが、自分が場違いすぎて逆に足が重くなる。

 しかし名刺にあった“ビドウ”という会社名が見当たらない。やはり間違いかと思い建物に目を凝らすと隣の建物との隙間に外付けの非常階段が見えた。細身の人間1人がようやく通れる幅で年季が入っているのかステップも手摺も錆びついている。

 非常階段の出入口を閉じるこれまた錆びた門に<(株)ビドウ>と書かれた札が提げられていた。いかにもアングラな雰囲気を前に壮助は安堵し、1階スイーツ店の客の目を盗みながら非常階段を登った。

 どこかにカメラか人感センサーでもあるのだろうか、2階に到着する直前でドアが開き、可愛らしい面持ちの少年が出迎える。年齢は壮助と同じか少し下。化粧っ気があり女性と見紛う。胸に下げたネームプレートには「ケン」と記載されていた。

 

「あ、京さんが言ってた人っすね。入ってください」

 

 ケンに指示されるがまま、壮助は一言も喋らず屋内に招かれる。

 中は従業員1~2名規模の零細企業の事務所だった。壁や天井には掃除しても落ちないであろう汚れが染み付き、デスク周りは付箋やメモでいっぱいになっている。備品や書類が入った段ボールが至る所に積み上げられており、事務所の狭隘化を加速させている。松崎民間警備会社を彷彿とさせる光景だが、鼻を突くきつい香水の匂いだけは違った。

 ホスト風の男が最奥の席に座り、忙しなくパソコンのキーボードを指で弾いていた。彼が匂いの元のようだ。彼の机にはコーヒーの空き缶や栄養ドリンクの空き瓶がアユタヤ遺跡のように積み上げられている。

 ホスト風の男が壮助の存在に気付き、ぎこちない笑顔で声をかける。

 

「ようこそ。義塔くん。リエンを口説き落とすなんて大したものだ」

 

「アンタが遊楽街?」

 

「まぁ……そうだね。でも覚えなくていいよ。その名前も今日で捨てるから」

 

 壮助は首を傾げるが、遊楽街は疑念を払拭するように手で目の前を掃う。

 

「気にしなくて良いよ。こっちの事情だから」

 

「京さん、時間ないっすよ。早く準備しないと」

 

 ケンが抱えた段ボール箱を壮助に近いデスクの上に置く。音からして中身はガラス瓶のようだが蓋をしているせいで中身は見えない。

 

「準備って何をするんだ?」

「オシャレ、メイク、ヘアアレンジ。そして乙女の園でシャルウィダンスさ」

 

 訳が分からず、壮助はケンに視線を向ける。彼に説明してくれと無言で投げかける。

 

「ウチがどういう会社かは聞いてるっすか?」

 

 首を横に振る。

 

「表向きは小規模なフードデリバリーサービス会社。でも、その実態は()()派遣会社っす」

 

 男娼――性的サービスを提供し金銭を得る男性の総称。日本では古くから同性愛者を客層とした業態が展開されていたが、1960年代を最後に減少の一途を辿り、市井で彼らを表す言葉も耳にしなくなった。しかし、2020年代後半から彼らは増加の傾向を見せ始めた。ガストレア大戦と戦後の混乱期に身寄りのない少年が溢れかえったことから人身売買市場が国内で拡大、2030年代には鉱山などの重労働、裏社会の荒事といったシェアを呪われた子供が奪っていったことで、体力がない・病気になる・すぐに死ぬ少年は労働者(奴隷)としての価値が低下していった。そんな彼らが最後に縋った働き口が男娼だった。呪われた子供(女性)には出来ない、()()であることを利用したサービスや業者は瞬く間に裏社会で増加していった。

 そして、供給過多による価格競争、低価格で提供される()()は性的サービス以外の需要を生み出していった。今では赤目ギャングの憎悪の捌け口、イニシエーターの殺人の練習台として多くの命が消費されている。

 壮助はこれから自分が何をやるのかを理解した。リエンが誂えてくれたものとしては()()()もあり心の中で頷けるものだったが、正直なところ今すぐトイレに行って胃の中を吐き出したかった。

 

「男娼として、保脇夏子に近付けってことか」

 

「その通り。都合の良いことに今夜、彼女からオーダーが入っている」

 

 まさかの繋がりで驚いた。思わず「マジで」と反応する。男娼の客層として近年は女性が増加している話は聞いたことがある。嗜虐欲が強かったジェリーフィッシュ(保脇卓人)、その親である夏子が同様の性格であることは想像に難くなく、嗜虐の対象として男娼を使っていることも納得がいった。それがまさか鷲頭組の傘下と取引関係にあるとは露にも思わなかった。

 

「なんていうか……老舗の会員制高級クラブとか使ってそうなイメージだったんだけど」

 

「ウチも老舗の会員制高級クラブってことになってるよ。ダークウェブ上ではね」

 

 ダークウェブ――特定のソフトウェアを使わなければアクセスできないインターネット上のコンテンツのことだ。サイトの閲覧者を限定出来る、アクセスした者の追跡が困難という性質から国家や政府機関の監視を逃れた情報の受信・発信、内部告発などに用いられてきたが、警察・検察の目が届かないことから武器、薬物、人身を扱った違法な売買の温床にもなってきた。

 そして未成年を取り扱うこの男娼業も東京エリアの法律では立派な違法であり、そんな彼らが事業を展開する上でダークウェブは欠かせないものだった。

 

「よく騙せたな」

 

「ガストレア大戦でリアルもネットも一度はぶっ飛んでメチャクチャになったからね。過去の記録なんていくらでもでっち上げられるし、鷲頭組と繋がりのある政治家や企業の偉い人にデタラメなレビューを書いて貰えば、後は簡単さ」

 

「で、大丈夫なのか?」

 

「問題ない。さっきも言った通り、お得意先だからね。店の名前を出せば素通りできる」

 

「いや、そっちじゃなくて。守秘義務とか信用問題とかあるだろ?」

 

 遊楽街とケンが固まった。まさかこちらの心配をしてくるとは。だが、壮助が問いかけてきたことには納得した。客を騙し得意先を失う――明らかにデメリットしかない策謀に躊躇なく付き合う自分達はさぞ裏があるように思えただろう。

 

「心配しなくて良いよ。ここは保脇議員を貶めるためだけに作った企業なんだから。むしろ今日、君が来たことで()()()()()()

 

 あまりにも都合が良い話で壮助は訝る。リエンや鷲頭組が用意した罠、もしくは自分を試す仕掛けではないかと思い、感覚が研ぎ澄まされる。遊楽街もそれを悟るが、不敵な笑みを浮かべる。

 

「<100万人のゆりかご>っていうNPO法人は知ってるかな?」

 

「ああ」

 

「彼ら、以前から<ガーデン>にちょっかいをかけていてね。『性産業に従事させられている未成年の保護』というお題目を掲げて、<ガーデン>の解体と全従業員の()()()()を要求してきたんだ」

 

 お題目は赤目保護団体として至極真っ当なものだったが、あまりにも滅茶苦茶な要求に苦笑する。ちょっかいというレベルではない。それを聞いたリエンが鼻で嗤う姿が容易に目に浮かぶ。

 

「清廉潔白な正義馬鹿なら可愛いものだったが、彼らはどうやら本気のようでね。断ったら鷲頭組の他の事業にも嫌がらせをするようになったんだ」

 

 どうりで鷲頭組との交渉がすんなり進んだわけだ――と壮助は納得する。自分達の敵と鷲頭組の敵は以前から一致していた。自衛隊や司馬重工を味方に付け、暴対法で縛られた自分達の手足となる壮助が現れたことは、大山田組長にとって渡りに船だったのだろう。

 

「そこで、連中のバックにいる保脇議員の弱みを握って、ゆりかごを封じようとした訳だ」

 

「正解。話が早くて助かるよ。さっさとクソババアの息の根を止めて来てくれ」

 

「……個人的な恨みでもあるような言いぶりだな」

 

 遊楽街の顔に一瞬暗い影が落ちる。それを壮助とケンに悟られんとオフィスチェアを回転させ、ブラインド越しに差し込む夕日に顔を向ける。

 

「昔の話さ。ちょっと顔の良い男が先輩のコネでテレビ局に入ったら、偉いオバサンに唾をつけられて、それを拭ったら懲戒解雇された挙句、殺されかけた」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ――ああ。クソッ。アカデミー賞もらったって二度とやらねえ。

 

 保脇邸の玄関を跨いだ壮助は内心毒づく。

 男娼のフリをして、夏子の支配欲をくすぐるように生意気なガキを演じた。らしくもなく、ネットの広告でチラ見した『オンナを落とすテクニック』とやらを使い、どこまでも小悪魔で、煽情的で、自分が食われるとも知らずに粋がる捕食者の前に据えられた膳をイメージして振る舞う。

 壮助は夏子に付いて行き、邸宅のリビングに連れられる。

 

「ほら、さっさと脱げよ。ババア。俺のテクで天国までぶっ飛ばしてやるからよ」

 

「品の無い子ね。焦らすことも覚えるべきよ。座りなさい」

 

 夏子はスッと手を差し伸べ、壮助へソファーに座るよう促す。出来る限り、還暦を過ぎた女性を脱がせずに事を終わらせたい。そう思う壮助は素直に従った。

 腰を下ろした瞬間から理解させられる高級感のある低反発、外観と邸宅全体の装飾から想像はしていたが、想像以上のクオリティだ。

 誰もいない静かな邸宅でコンロの火が点く音、水が沸く音が聞こえる。オープンキッチンからは紅茶だろうか、華やかな香りが漂い、壮助は思わずリラックスしそうになる。

 艶のあるボーンチャイナのティーカップが目の前のローテーブルに置かれる。細やかな金の装飾が室内灯に反射して輝き、カップ内の紅茶の水面が微かに揺れる。

 壮助は警戒する。これは飲まなければいけない流れだ。しかし内蔵の半分がバラニウムの機械になっていても解毒能力は普通の人間とさほど変わらない。もしこの紅茶に睡眠薬や毒薬が入っていれば、それが命取りになる。かと言って、ここで拒否すれば不審に思われてしまう。

 中々手を付けない壮助を見て夏子が笑みを浮かべる。

 

 

 

 

「安心しなさい。薬なんて入ってないわ。――勿論、()()()()()()()もね」

 

 

 

 壮助は笑みを浮かべる。その薬の名前を出された以上、保脇夏子が黒か白かを確認する必要はもうない。男娼のフリもしなくて良い。相手から勝手に白状してくれる好都合な展開に感情が抑えきれなかった。

 壮助はすかさずジャケットの裏に隠したレイジングブルを抜き、銃口を夏子に向ける。人差し指はまだトリガーにかけない。今ここで殺してしまえば、五翔会残党の全貌が闇の中へと消えてしまうからだ。今すぐにでも頭に風穴を開けて殺したい気持ちを抑える。

 夏子は銃口を向けられても一切動じていなかった。壮助の指の動き一つで命を奪われかねない状況の中、彼女は自分の紅茶を啜っていた。

 

「クイーンビーの館へようこそ。義塔壮助くん」

 



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