一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― (無月)
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守り 捧げる者 【凪視点】

まずは、お久しぶりです。初めまして。
約束通り、帰ってきました。


魏エンド後、私の考える三国同盟。


「ふんっ、そんな男など居ない方が正解だ。

 万が一、桃香様がその毒牙にかけられた可能性があったかと思うと、想像しただけで苛々してくる」

「何・・・だと?」

 魏の領地内、警邏の最中に聞こえてきた言葉に、私の目が発生源たる者を見つけるのはそう時間はかからなかった。

 誰かなど、どうでもいい。

 身分など、関係ない。

 力量差など、この怒りが埋めてくれるだろう。

「凪! アカン!!」

 真桜の制止よりも早く、私の怒りが込もった気弾は発射され、周りに被害を及ぼすこともなくただ一人へと吸い込まれていった。

「何だ?! これは!

 お前は・・・・ 魏の者か!」

 気弾を大きな棍棒で防ぎながら顔を見せたのは、白と黒の髪を併せ持つ特徴的な容姿。そしてその背後には、あの劉備が姿を覗かせる。

 隊長を奪った、隊長が不調となった時に関わっていた蜀の王たる者・・・ その蜀が隊長を語る、だと?

「もう一度、言ってみろ」

 襟首を掴みあげ、鋭く睨みつける。

 私の怒りに対し、掴みあげた当人は何故怒っているのかが理解できないものであり、それが殊更に私の怒りを増幅させた。

「何だと?」

「隊長のことを何も知らずに、出所もわからぬ噂に振り回され! 直接会うこともなかった貴様らが!! 隊長が『居ない方が正解だ』だと?!

 ふざけるなぁ!!」

 戦の最中から流れていた事実無根の『魏の将を誑し込んだ男(あの噂)』を隊長本人は笑って『他所から見たら、俺なんてそんなもんだよ』と言う中で、私達がどれほどの怒りを抱いていたかをこいつらにわかる筈がない。

「凪、やめいて!

 警邏隊が街で問題を起こしたら、それこそ本末転倒やろ?」

 首を絞めつけるように固く握りしめた拳を掴んだのは、やはり真桜。

 だが、一度放たれた怒りはそう収まらない。

「真桜! それでも、こいつは・・・・!!」

「そん気持ち、ウチには痛いほどわかる。けど、隊長がウチらに残してくれたもんは・・・ ホンマに隊長が一から作り上げた北郷隊がせなあかんことは争いなんかやない。

 見回って、誰かが怪我する前に止めに入って、問題になる前に片付けて、笑って過ごすこと。それがウチらの仕事や。そやろ? 凪」

 そうだ、それこそが隊長が一から作り上げた部隊。北郷隊の成すべきこと。それでも・・・!

「はっ! その男が作り上げた隊すらまた、この程度か。

 女たらしの上に、隊もまた町の警備程度しか出来ぬとは・・・ まったく無能だな。

 望み通りもう一度言ってやろうじゃないか、そして付け足してやろう。そんな男など、居なくなって正解だな」

 襟首を離し、私と少々距離をとった者から再び紡ぎだされた言葉に私が拳を振り上げようとした瞬間、真桜が私たちの間に割って入ってくる。

「ハハッ、おもろいこというなぁ。

 町の一部隊を育て上げた男を無能なんて言うんやから、自分も言われる覚悟くらいあるんよな?」

 笑っていない笑みを張りつかせ、真桜はいつもと変わらぬ様子で歩き出す。

「ならアンタは、女の尻追っかけてついて回る犬ってとこかいな? あの有名な劉備の腰巾着はん。

 それにな、よっこい、せ!」

 そんな荷物でも持ち上げるかのような掛け声とともに、人が地面に倒れる音と周囲から少しの悲鳴が上がる。

「ウチらの前でよかったなぁ。

 これがもし、秋蘭様や姐さんの前やったら、問答無用で命なかったで?」

 言葉を向けられた当人は何が起こったか理解できずに、ただ茫然としていた。だが、それは無理もないことだろう。真桜が以前隊長から習った技、『背負い投げ』を行使し、投げただけだからだ。

 隊長がかつて『学校』という所で習い、練習さえ積めば無手で人を怪我すらさせることもなく、どんな状況下であっても使うことの出来る護身術。

「んで?

 魏の、会議にも出れんような末端の武将の、アンタが言う無能な男の直属の部下の手によって、んでもって隊長から直々に教わった体術で地面に倒されるっちゅうんはどんな気持ちや?」

 長い付き合いの私ですら見たこともない、冷たい怒りを宿した真桜がそこにいた。

「きっさまあぁぁぁぁーーーー!!!」

「春蘭様より沸点ひっくぅー。

 まっ、一言でキレたウチが言うてえぇかは微妙やけど」

 振られた拳を軽々とよけながら、どこか楽しげに笑う真桜はまるでつもりに積もった怒りをぶつける場所をようやく見つけたかのように映った。

 私と同じ、隊長が居なくなった日から向ける場所を失った寂寥感。会えぬことへの飢えや乾きにも似た感情。そして、憎みたくとも、憎むことすらも許されぬ状況に。

「真桜!」

「止めんよなぁ? 凪ぃ。

 始めたんは凪でも、もうこれはウチらの喧嘩や。隊長をこんだけ虚仮にされといて、ウチになーんもせんと見とけとか、ありえへんやろ」

「だが!」

 これでは私の責任だけではなく、真桜すらも問われてしまうだろう。そう口にしかけた時、真桜は大きく地に足をつけ、胸を張った。

「ウチらは北郷隊! 隊長が、北郷一刀がここに()った証や!!

 隊長を、魏の柱石を! ウチらが愛したもんを馬鹿にされ続けて一年。えぇ加減、我慢も限界や!!」

「あぁ・・・」

 もう一年。隊長が居なくなり、三国が結ばれ、一年。

 大陸が平和となったことを、争いがなくなったことを民は喜び、将たちは次なる仕事へ糧とし、邁進する。君主はそれを守り、三国をより良いものへと導いていく。

 だが、私たちの胸にはぽっかりと穴が開いたまま。

 誰よりもこの平和を喜ぶ筈だった人は、この平穏な日々を誰よりも望んだ者はいない。

 この言いようのない空虚を埋めるすべは、この大陸のどこにも存在しないのに。

「私もだ」

 蜀と呉から流れてくる噂は隊長を嘲り、笑い、悪しざまに語られた。

 許せるはずがない。憎くないわけがない。そんな者たちを友と呼ぶなど、ましてや真名など預けることなど出来る筈がない。

 固く拳を握りしめ、構えながら、真桜の横に並び立つ。

「凪ちゃーん、真桜ちゃーん、すとーーーっぷなのーーー!!」

「焔耶ちゃんもだよーーー!」

 一触即発、そんな私たちの間に割って入った影は二つ。

 沙和と、最初は確かにあの女の後ろに居た筈の劉備だった。

「二人とも、喧嘩はめーなの!」

 そう言って私たちを叱る沙和に対し、私達はかみつくように吠える。

「沙和! 奴は・・・ 奴らに隊長をここまで愚弄され続けたんだぞ?!

 お前だって知っているだろう?! 蜀や呉から流れる隊長についての噂の内容を!」

「そうや! この怒りを抑えるんはもう無理や!!」

 私たちの言葉を聞き、沙和はゆっくり頷く。

 だが、次の瞬間に見せた表情はいつものような笑顔で、私たちを優しく見ていた。その眼差しはどこか隊長を彷彿させ、私は目を開く。

「わかってるの。

 でも、隊長が望んだことは何だったかなんて、二人はわかってるよね?」

「っ! だがっ!!」

 隊長の望み、魏の将の誰もが知っていること。そしてそれを、私たちは誰よりも近くで感じてきた。力を持たず、知恵も人並み、だからこそ誰よりも懸命で、人を惹きつけた。当たり前のように私達と接し、隊長が居ればそこにはいつだって笑顔があった。

 そんな隊長だから背を追いかけ、恋をし、共に居たいと願っていた。ずっとその傍に居たかった。居てほしかった。

「拳をあげて、喧嘩して、怒鳴って隊長が帰ってきてくれるんなら、沙和だって喜んで怒るし、いくらでも喧嘩するの。

 でも、隊長が見たがってくれたのは沙和たちが笑顔になる今、でしょ?」

 その笑顔はいつもと何も変わらぬはずだというのに、どうして悲しげに見えてしまうのだろう。どうして、見ている私の方が耐えられなくなってしまいそうになるのだろう。

「沙和・・・」

「だって、隊長だもんね」

「焔耶ちゃん、やめなよ。

 だって、もういない人を悪く言ってもしょうがないでしょ?」

 瞬間、周囲に響くように錯覚してしまうようなその言葉は劉備の口から吐き出され、悪気などなく、ただ事実をありのままに伝えたその言葉に私は強い殺意を抱いた。

「うん、そう・・・・ いないの」

 先程の笑みのまま沙和の目からは涙が溢れ、地面に零れ落ちていく。涙を零すことを恥じるように空を仰ぎ、そのまま崩れていってしまいそうだった。

 見上げれば蒼天の空、白き雲。

 隊長が愛した街の空、でも隊長が守りたかったのは大陸なんかじゃなかった。蒼天に浮かぶ雲のように、風に流され、形を変え、眩しすぎる陽射しをほんの少し優しくしてくださるそんな方だった。

「ごめんね、隊長。

 沙和、今ちょっとだけ笑うの辛いかもー」

 泣き笑いをしながら、恥じながらもけして涙を隠すこともなく、沙和は空を見上げていた。

 

 あぁ私は、あの日から何も見てなんかいなかった。

 真桜の怒りも、沙和の悲しみも、そして・・・・

 

「凪さん、真桜さん、沙和さん、大丈夫ですか?」

 他の方々の、想いすら。

 突然肩に置かれた手に驚きながらも、稟様の姿と声に私は無意識に安堵していた。

「一部始終、拝見させていただきましたよ。劉備殿、そして魏延殿」

「貴様は確か・・・」

「魏の、郭嘉さん」

 さりげなく私たちの前へと出ながら、稟様は笑みを浮かべて蜀と対峙する。だが、その視線は交流の少ない私ですらわかるほど冷たく、厳しいものだった。

「えぇ、その通り。

 あなた方の発言に対しては私からも言いたいことはありますが・・・ まずは凪さん、真桜さん、沙和さん」

 わずかにこちらへと視線を向けられるが、その目に先程の冷たさはない。むしろどこか羨ましそうに映ってすらいる目に私は困惑しながらも、言葉を待った。

「この方たちが否定した彼が成し遂げたこと、残したことを魏の将の中で最も知っているのは悔しいですがあなた達です」

 そう言って軽く周囲を見渡し、ほんの少しだけ考えるように顎に手を当てられる。その視線を追いかけると私たちの周囲に行き着き、私はようやく周囲の状況に気づくことが出来た。既に我々の部隊(北郷隊)によって民は散らされているが、いまだに残っている民から覗くことが出来る感情は隠すこともない怒り。

「北郷様を・・・」 「あの方が無能なら、蜀はなんだってんだよ」

 その中からわずかに聞こえてくるのは、隊長を悪く言われたことへのものだった。

「私がこの場を片づけますので、あなた方はこの二人に彼がいた証を見せてきてはいただけませんか?」

「隊長のいた、証・・・・」

「そんなん、ありすぎて逆にわからんですよって。稟様」

「けど、沙和たちなら知ってるの。

 どうして似てるように見える桃香ちゃんと隊長がかぶって見えないかってことを・・・」

 そう、不本意なことに劉備と隊長の理想はよく似ている。

 だが、私たちは劉備には惹かれない。それは出会った順序でも、傍に居たからでも、争いあったからでもない。

「沙和」

「うん! あそこなの!!

 あの村なら馬でもすぐだし、隊長と一緒に行ったことがあるの!」

 沙和が涙を振り払い、すぐさま駆け寄った兵が渡してきた地図のある場所を指差す。

「真桜」

「わかっとるがな。馬五頭と外套二つを城門に用意しとき!

 久々にウチらが巡回するで、他はいつも通り町の警邏やっときや。ウチらがおらんでもきっちり街守るんやで」

『はっ!!』

 真桜の声に周囲の兵が一斉に答え、その場で姿勢を正す。

「報告は明日の朝までに各班長が書を提出! 全員、すぐさま行動へ移れ!!」

『はいっ!!』

 駆け出していく兵たちを見送り振り向けば、稟様が劉備と魏延に何事かを話していたらしく、あの二人はどこか顔を青くさせていた。そして、先程まではいなかったはずの趙雲がそこに増えていた。

「稟様、そこの二人を連れ出してもよろしいでしょうか?」

「えぇ、かまいませんよ。

 そちらはお任せしました。凪さん」

 一言告げると趙雲へと向けていた視線をこちらへと向けてくださり、微笑んでくださる。

「はっ。

 それでは行ってまいります」

「えぇ、お願いします」

 そうしたやり取りをした後、私は顔を青くさせている二人の手を掴んだ。

「来い。

 お前たちが笑った存在が残したものを、無能だと言った者が築いた消すことの出来ない痕跡を見せてやる」

 隊長が居なくなっても、隊長が残したものをこの大陸から消すことなど誰にも出来はしない。

 如何に悪評で覆い隠そうとしても、どれほどの嘘で塗り固めようとしても、そんなものを吹き飛ばしてしまうような実績を隊長は静かに残されて行った。

 

 

 

 先程まで剥き出しにしていた怒りは冷め、あの村のことへ考えを巡らせる。万が一の時を考え、怒りを抱いては行動することが出来なくなってしまうだろう。

「おい! こんな山道になど連れ込んで、私たちをどうするつもりだ!!」

「黙れ。じきに着く」

 街道からやや外れた山道、今でこそ道とわかるほどに整備されている山道だがかつては荒れ果て、馬で行くことすら困難だった村。魏の都に近くありながらこの町の存在はあまり知られておらず、交流も無に等しかった。

そう、かつて(・・・)は。

「あっ、お疲れ様です! 楽進隊長、李典隊長、于禁隊長」

 門に近づくと兵が親しげに頭を下げ、頷きつつも誰であるかがわからずに首を傾げる。そんな私を察したのか、兵は姿勢を正して礼をとった。

「自分は曹操様の御前指導において、楽進様に教えを受けた者です。

 北郷隊に所属後北郷様の推薦もあり、この村の配属となりました」

「そうか・・・」

 あの時の新兵がこうして育ち、誰かを守っている。それがとても誇らしかった。

「おー、クソ虫がちゃんと成虫になってるの」

「まっ、頑張りや」

「ありがとうございます」

 それぞれが一声かけながら、私たちはその場で馬を降りる。

「今回は少々急ぐ。ここに馬を預けてもかまわないか?」

「はい、お任せください」

 蜀の二人をつれ、私は迷うこともなく小さな村の中央へと向かって歩き出す。さほど広くもなく、人の数は五十をようやく超えるかどうかだった筈だ。

「おい、この村は一体・・・」

 魏延が疑問を口にしかけた時、ちょうど村の中央に到着し、ある石碑の前で立ち止まる。

「劉備、お前はこの村を覚えていないだろう?」

「えっ?」

「おい、貴様。何を言っている?!」

 私の言葉の意味を理解できずに困惑する劉備と魏延をかまわずに、私は石碑の前で手を合わせる。

 それと入れ違うように私より先に手を合わせていた一人の女性が立ちあがり、私を見て・・・・ いや、その後ろを見て驚愕の表情を見せた。

「なんでここに、あなたが居るの?」

 その表情は驚愕から怒りに染まり、近くにあった石を持って劉備へと迷いもなく襲いかかろうとした。

「あの人を返してよ!」

 襲い掛かろうとした女性の手を掴み、それを防ぐ。

「すまないが、それはさせられない」

 私の言葉に女性は悲しげに顔をゆがめ、手をどうにか動かそうとするがその意に反するように私は振り上げられた手を降ろさせる。

「どうして・・・ どうして、あなたが止められるんです?! 楽進様!

 あなただって、北郷様をあの戦いのせいで失われたじゃないですか!

 彼女が! 劉備さえいなければ、夫が死ぬことも、北郷様が天へと還られることもなかったのに!!

 あんた達さえ馬鹿げた戦いさえしなければ、誰も死ぬことなんてなかったのよ!」

 怒りと悲しみを声と顔に滲ませて、思いのままに叫ばれた言葉はまるで刀剣のようだった。

 『劉備』という名に、近くにいた民の視線が一斉にこちらへと向けられた。

「劉備・・・・?」 「劉備だと?!」

「どの面下げて、この村に来やがった」 「あの噂を流してるっていう蜀の・・・・」

 ざわざわと囁かれる言葉に好意的なものは一つもなく、私たちの周囲を民が集まってくる。

「えっ・・・・?」

「外套かぶせた意味、なくなってもうたな」

「うん・・・・

 でも、この村に来る以上はこうなる可能性もあったの。全然嬉しくないけど」

 戸惑う劉備と、真桜たちの会話を聞きながら、私は女性から手を放すことはない。今もまだ力は籠められ、私の手を離せば彼女は間違いなく劉備へと襲い掛かることは明白だったからだ。

「っ! どうしてそんなに何も知らずにいられるのよ!!

 どうして、そんな傷ついたような顔をあなたがしてるのよ!」

 女性は劉備へと叫び、それ以上の発言を防ぐように女性と劉備の間に私が立つ。

「劉備、お前に彼女の言っている言葉の意味がわかるか?」

「この村は一体・・・ どうしてこんなに私を?」

 首を振り、疑問を口にすることでさらに周囲の怒りが増幅しているのを肌で感じる。

「この村は、兵として家族を奪われ、お前たちを追っていた袁軍によって、一度は村すらも失った」

 劉備たちが越境した際に起きてしまった悲劇、兵として夫や息子を奪われ、村は焼失し、難民として魏へと流れ着いた民。

「あっ・・・・」

 私の言葉に顔を青くさせ、石碑から目を逸らすように俯いていく。

「何故、そやつを庇われるのです?!

 蜀は、その者たちは曹操様を悪逆非道と謳って息子を奪い、挙句我らを捨てて逃げたのですぞ!」

 右足を失った中年の男性が叫び、怒りのままに拳を振り上げた。

「しかも、あちこちで北郷様を悪く言いやがるのは蜀から来たやつばっかりだって話だ。

 ふざけやがって! たとえどんな噂を流したってなぁ、あの人と一度でも話したことのある奴はそんな話は信じねーんだよ!!」

 農具を持った青年が石を投げながら、怒鳴りちらす。だが、彼の投げた石は誰にもあたることなく、真桜によって受け止められた。

「桃香様は逃げたわけではない! 次の戦いに向け、力を蓄えようと・・・・」

「俺らに次なんてねぇんだよ!」

 魏延の反論すら許さぬように、言葉は矢となって降り注ぐ。

「何が『非道』よ!

 曹操様は生きていく方法を見失ったあたしたちを受け入れてくださったわ」

 一人の年若い女性の言葉に続くように、また一人男性が前へと出た。

「何が三国同盟だ!

 曹操様の慈悲によって、運よく生きれただけじゃねぇか!!」

「貴様らぁ! 言葉が過ぎるぞ!!」

 青くなり、ついには言葉に耐えきれずその場に俯く劉備を支えるように、傍にあろうとする魏延。

 

 私にはその姿が、支えることが出来る、守るべき人がいるという事実がとても羨ましく、妬ましかった。

 私にも、私の背に居る彼女にも、もうそうした存在はいないというのに。

 

「・・・復讐だ」

 ポツリと呟かれたその言葉は、一体誰のものであっただろう。

「報復だ!」 「そうだ! 劉備を殺せぇ!!」

 一つの怒りが殺意となって全てを飲み込み、次々と手近にあった得物が掲げられていく。

 

 それでも隊長。あなたが望んだ平和の中には当たり前のように味方も、敵も、君主も、将も、兵も、民も、全てが含まれていた。

 

「我らが隊長は! それを望まない!!」

 たとえ、全ての決定を行ったのが華琳様であっても。

「隊長が、あの日々に失ってしまった者たちが、再び悲しみを望むとお前たちは思うのか?!」

 民の暮らしを守る基礎を作り、生活を支える警邏隊を形としたのは隊長だった。

「命を失う覚悟をしてまで彼らが守りたかったのは!

 自分が居なくなってでも生きていてほしいと望んだのは!!

 その先を残した者が築いてくれると信じた今の平和のためだったのではないのか!!!」

 その覚悟と決意を残された者が拒んでも、その望みを勝手だと思っても。

「北郷様・・・」 「あの方は、そうだった」

「強くもないのに、いつも駆けまわってたよな」 「私は子どもたちを守ってもらったわ」

 それでも『あの人たちはここに居たんだ』と言えるのは、残された者(私たち)だけだから。

「皆の者、やめよ」

 そう言って前へと歩み出てきたのは一人の老人、そして私たちの前で深く頭を下げた。

「儂はこの村の長をしている者です。

 まず、皆の無礼をお許しください。ですが・・・・」

 謝罪を口にしながらも、老人が劉備たちを見る目は悲しげだった。

「あれもまた、我らの思いなのです。

 死した者が望まぬとも、行く宛てのない怒りと悲しみはどうしても胸に残ってしまう。ましてや、北郷様を悪く言われる噂が多くなっていく最近は消えていた筈のその感情が燻って、火を起こしてしまうほどに」

 老人が慰霊碑の前で手を合わせ、いくつかの名をなぞりながら石碑を撫でる。

「劉備様、あなたは今の大陸がお嫌いか?

 かつてあなたが口にした理想とは少しだけ違うかもしれない。じゃが、戦乱なき大陸、かつての夢、この者たちが命をなげうって作り上げたものが今の世にはあるのです」

 皺の深い手、小さい背中、おぼつかぬ足取りで老人は慰霊碑を守るようにしっかりと立ち上がる。

「儂らからこの平和を、奪わんでくだされ。

 どうかこれ以上この石碑に、名を増やさせんでほしいのです」

 深く頭を下げ、その場を去ろうとする。

「待って、ください。

 あなた方にとって、北郷さんはどんな方だったんですか? 私と何が違ったんですか?」

 劉備の言葉に老人は立ち止まり、わずかな間を持ってから口を開いた。

「あなたの見る平和は儂らには少しばかり視線が高く、笑顔をわかちあっても、涙は見てはくれなかった。

 北郷様は我らと共に泥だらけになり、汗を流し、同じ視線に居てくれたそんな方じゃったよ」

 老人はそう言って立ち去り、民もまた老人を追うように普段の生活へと戻っていく。

「これが、隊長の居た証だ」

 かつて焼き払われた村にも人が戻り、活気が宿る。命は繋がり、教えを受けた者が育ち、救われた者たちが生きている。

「隊長がしたことは君主にも、将にも出来ないことだった。

 だから私は隊長を侮辱するお前たちを許すことも、友と呼び合い、真名を交わす日もない」

 それでも、隊長が自分と命と引き換えに私たちが生きることを望んでくれたというのなら、この大陸の平和を守りたかったのなら。

「私は隊長が守ったこの大陸を、望んだ平和を守るためにこの生涯を捧げよう」

 守りたかった人がその身をとして守ってくれたこの国を守ること、それが私の生きる道なんだ。




まずは、すでに完結している前日譚から投稿いたします。
その後、番外を設置し直し、本編等を現在投稿しているところまで投稿します。


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憤り 想う者 【稟視点】

「りーんちゃん、お待たせしたのですよ」

「それほど待ってはいませんよ、風」

 突然かけられた声に私はさほど驚きもせずに返事をし、読んでいた書簡を脇へと置く。

 ここは魏の城内、庭園の一角にある四阿(あずまや)であり、その位置から魏の将しか知ることがなく、使うこともない場。三国が手を取りあった今もこの場は将たちの憩いの場として使用され、我々の茶会の場となっている。

「それにしても、もうじき一年になるというのにあちこち騒がしくなってきましたね。

 臥龍も、鳳雛も、いまだに空を仰ごうとしているなんて、本当に・・・ 馬鹿馬鹿しいかぎりです」

 三国同盟が結ばれ一年、天下を諦めない様子を見せたのは将ではなく、軍師たる彼女たちだった。

 武将のように剣をとり、あからさまな行動を移さずに、ひっそりと動いているつもりでしょうが、耳を掠めていく噂は消すことは出来ません。

「あちらの美周郎さんと、孫家に遜る方もですねぇ。困ったものです」

 風もやれやれと言った様子で首を振り、用意しておいた菓子へと手を伸ばす。私も菓子に手を伸ばし、その菓子を三つに割り皿の上に置く。

「ですが、流している噂は見過ごすことは出来ませんねぇ?

 まさか、いまだにお兄さんをネタに使われるとは思っていませんでしたよ。

 それにとってもわざとらしく広がってますよねー、将たちの耳に入ることが前提で都でも流されていますし」

「我々を怒らせること、我々から剣をとらせることが狙いなのでしょうね。

 美周郎たちはむしろその先を見ているように見えますが・・・ 一つの大陸、三つの国、平和である今ですら満足しないなど、なんて欲が深い」

 この策を考えた理由も察しはつきますが・・・・ 彼女はそんなに自国が中心であってほしいのでしょうかね?

 菓子を口にしかけ、どうにも食が進まずに手を置く。

 かつての私であったなら、この一件にも積極的に対策を練ろうとしただろう。けれど今の私に、その気はない。

「・・・・ねぇ、風」

 一年前のあの日から、全てが向こう側の出来事のように感じてしまう。

 茶も、菓子も味がしない。映る景色に心が動かされない。幾多の本を読んでも、策を練っても満たされることがない。そんな中でふと頭によぎるのは、会いたい彼が望まないことだと理解しているというのに。

「戦が起きれば、世がもう一度乱れてしまえば・・・・ 彼は帰ってきてくださるのかしら?」

 三国が争った時、時代の移り変わりに彼が来るというのなら、今一度戦を起こしてしまおうとすら考えてしまう。

 その程度で一刀殿が戻ってきてくださるというのなら、私は喜んであの二国を壊滅させる策を練ることだろう。

「もし仮にそれでお兄さんが帰ってきたとしても、お兄さんはきっと泣いてしまいますねぇ」

 そう、優しい彼なら、誰よりも民に近しかったあの方は悲しげな顔するに決まっている。

「それでも・・・

 彼が私たちの元へ帰ってきてくださるというのなら、私はそれすらも実行に移してしまいたい」

 役目として己に課してきた戦すらもなくなり、彼が居た場所だけに埋められない空白を残して世界はただ漠然とそこに在る。生きることは虚しく、出来ることなら私もあの日に、彼と共に消えてしまいたかった。

「稟ちゃん・・・

 あの日から、心は凍ったままなのですねぇ」

 風の悲しげな言葉に、私はおかしくもないのに口元に笑みが浮かぶ。

「おかしいでしょう? 風。

 彼がいなくなった日から、世界がまるで色を失ったように見えてしまう。あれほど望んでいたというのに、願っていたのというのに。

 『彼一人がいなくなった』 たったそれだけで、全てが味気ない」

 まさか私がこうなってしまうなんて、思ってもいなかった。

 けれど、あぁ・・・ 本当に臥龍も、鳳雛も愚かですね。

「負け犬たちがなんと吠えようと、彼が居ない事実に比べれば無に等しいというのに」

 あれ以上の悲しみなどなく、あの時ほど自分の無力を嘆いたことはない。

 どうすれば、彼は居なくならずに済んでいたのか?

 あの体調不良に関連しているというのなら、どうして私は蜀の伏兵に気づけなかった?

 他者よりも己に対し怒りを抱き、行く宛てもない感情を積み上げられた仕事へとぶつけていくしかなかった日々。

 彼の居ないこと以上に我々の感情を乱れさせることなど、ありはしないのに。

「稟ちゃん、泣きたいときは泣いてくださいねー?」

 そんなことを考えている私を、不意に風が抱きしめた。

座っている私の頭を抱えるようにして、何度も優しい手が私の髪を撫でていく。

「涙すら乾いて、消えてしまったんですよ。あの方と共に」

 どうすれば、彼の元へ行けるのだろう。

 どうしたら、彼が居た日々に戻れるのだろう。

 どうすることも出来ないことも、もう何も変えられないこともわかっているというのに願ってしまう。

 涙は枯れ、怒りは燃え尽き、悲しみは使い果たし、彼の愛してくれた笑顔は忘れた。それでも会いたい。彼に会いたい。

「では、稟ちゃん。少しの間、こうして風に勇気をわけてください。

 お兄さんが皆さんに笑顔を運んでいたように、大切な友達を、仲間を、同朋を守る力を風にわけてください」

 あぁ、風。あなたは本当に強い。

 そうしてあなたは、あの日からずっと私たちを支えようとしている。

「風は強いわね」

「いえいえ、風は非力ですから、大したことは出来ていませんよ」

 私たちを支えるあなたは、一体いつ泣くのでしょうね?

 けして私たちに押し付けることもなく、受け止めて、支えようとしてくれるあなたの優しさに私たちはきっと甘えている。

「ありがとう、風」

 そして、ごめんなさい。

 あなたにばかりそんなことを押し付け、それでもなお彼を求めてしまう私が居ることを。

「それはお互い様ですよ、稟ちゃん」

 言葉に出さぬ思いすら察してしまうほど私と風の付き合いは長く、互いに涙を見せることを拒むように四阿に静かに温かな雨が降り、私たちを濡らしていった。

 

 

 

 城で風と別れ、私は目的もなく街を歩く。

 街のいたる所に彼が残した意匠、生活の知恵、彼が好んで通った店など消すことの出来ない痕跡に溢れていた。

 表立った武勲をあげることも、文官としての際立った才があったわけではない。それでも彼が基礎から作り上げた警邏隊は、街を治める上ではなくてはならないことだった。

「一刀殿・・・ やはりあなたは変わった方でした」

 将としても、人としても、この大陸、この時代にあまりにもそぐわない方だった。

「ですが、やはりあなたは・・・ とても凄い方です」

 平凡な彼が一つの隊を作り上げ、それは今も多くの街を守っていることも。ただの男である彼が華琳様を始めとした多くの者たちを変えていってしまったことも。存在自体が謎だらけであり、そこに居ることが異常そのもののような方だった。それでも彼が居ることは自然で、当たり前になっていた。

「今も、心からお慕いしていますよ。一刀殿」

 誰にも聞こえぬように囁いたその言葉を、私は一度も真正面から彼へ向けることが出来なかった。いつか言おうと思い、ずっと胸に秘めたまま言えずにいた言葉はこんなにも簡単に口に出来るものだった。

「伝えることが出来ていたなら、あなたはなんと言ってくださったのでしょうね?」

 策を巡らせ、多くを想定する軍師にも出来ない。難解でありながら、どうしたいかは容易に答えが出てしまうもの。それが私の今もなお侵され、これからも侵され続けるだろう愛しき病。

「それが恋、ですか」

 あなたが残してくださったことは目に見える物ばかりではない、消え去ってしまうばかりではないとわかっていても。

 ここにあなたが居なかったら、意味がないじゃないですか。一刀殿。

 残したものは宝であり、守るべきもの。それが一人の不在で、こんなにも切なくなる。

「おや? あれは・・・・」

 そうして目的もなく歩いていると、広場の端に集まる人だかりで視線が止まる。

 人の間からわずかに見えた中央に居たのは、彼の直属の部下であった凪さんと真桜さん。凪さんが掴みかかっているのは劉備の忠犬と名高いあの魏延。この時点で彼女が何を言ってしまったかを想像するのは容易ですが、何もわからぬまま突っ込むのは愚行ですね。少し情報収集し、機を見計らってからにしましょう。

「すみません。何があったかご存知ですか?」

「楽進様があそこの嬢ちゃんの言葉に掴みかかっちまったんだよ・・・・ でもまぁ、あの発言を聞き逃せねぇのは楽進様だけじゃねぇけどな。周りを見てみなよ」

 とりあえず間近にいた男性へと声をかけると、簡潔に説明し、周囲を指差す。見れば周囲の民も魏延へと冷たい視線を向け、中には怒りや憎しみの類のものすら見られた。

「北郷の旦那が『居ない方が正解』なんざ誰にも言わせねぇ・・・!

 北郷の旦那が、北郷隊がいてくれっから俺たちは安心して生活できてんだ!」

 一刀殿、あなたは知っていましたか? これがあなたの居た証です。

 他の誰でもない、他国にすら真似することの出来ない魏の警邏隊。『民の生活を守ること、日常を守ること』言葉にすればそれは簡単ですが、とても難しいことです。

 下手に高い身分の者が街を歩けば、何事かと普段の生活を送ることは出来ず、かといって力のある名のある武将が常に歩けば、民は恐れてしまう。警邏隊は、弱いあなたと新兵だからこそ作れたものなのです。

「――――― だって、もういない人を悪く言ってもしょうがないでしょ?」

 その言葉には私だけでなく、周囲の者の全員が一斉に一人へと視線を向けていく。

 あぁ、劉備殿。やはりあなたですか。本当にあなたは臥龍や鳳雛、軍神に大切そうに守られる宝玉のような方ですね。穢れを知らず、覚悟すら抱いたのは私がわかる限りでは最期の戦だけではないでしょうか。

「北郷隊の皆さん、郭奉孝の名において命じます。

 民を散らしてください。このままではこの場で暴動が起こりかねません」

 冷静であることを装いながら、私は近くに居た警邏隊へと指示を出します。

「ですが、郭様!

 我々も北郷隊長をここまで言われ、黙ってなどいられません!!」

「彼がそれを望むと?

 あなた方の隊長ならばこの場で何と言って、どんな行動を移すか、私よりもあなた方は知っているでしょう」

 まっすぐこちらを見てくる兵の目は怒りに揺れ、私はそれを冷たく睨み返す。

 隊長としての彼を一番知っているのは現場に居た彼らであり、直属の部下である彼女たち。そんな彼らが彼がこの場に居合わせたらどうするかを、わからない筈がない。

「・・・・っ! はっ!」

 何かを堪えるようにした兵は姿勢を正し、素早く行動へと移っていく。そう、それでいい。彼ならきっと自分の悪口すら笑い飛ばし、この混乱を丸く治めてしまう。

「全員、民の誘導を行うぞ!」

「ですが! 班長!!」

「この程度の信ずるに足らん噂など、北郷隊長なら笑い飛ばすようなことだ。我々は職務を全うする!」

 一刀殿、あなたは本当に多くの者に慕われていますね。恋慕と敬慕、形は違えどあなたを慕う者はなんと多いことでしょう。

 けれど一刀殿、私はあなたのようにはなれない。

 あなたの居ない世界は寂しく、戦のない大陸に私は不要だとすら感じてしまう。

 ですが、あなたが守った世界を、華琳様が今も守ろうとしているこの大陸に私は価値を見出すことは出来るのでしょうか?

 風や春蘭殿のように多くを支えることも、彼女たちのように私はあなたが守りたかったものを守ることが出来るのでしょうか? 仮にその答えがわからずとも

「ごめんね、隊長。

 沙和、今ちょっとだけ笑うの辛いかもー」

 あんな顔をする可愛い部下を、あなたが放っておかないことはよく心得ていますよ。

「凪さん、真桜さん、沙和さん、大丈夫ですか?」

 凪さんの肩に手を置くと少々驚かれてしまいましたが、かまいません。私には似合わないことだということは重々承知しています。

「一部始終、拝見させていただきましたよ。劉備殿、そして魏延殿」

 よそ行きの笑みを作りながら、私は彼女たちへと視線を向ける。将として下の方である彼女たちを知らずとも、三国会議に何度か出席している私を知らないということはあり得ませんからね。

「貴様は確か・・・」

「魏の、郭嘉さん」

「えぇ、その通り。

 あなた方の発言に対しては私からも言いたいことはありますが・・・ まずは凪さん、真桜さん、沙和さん」

 二人から視線を外しながら、私は後ろに居る凪さんたちへと視線を向ける。おそらくはもっとも彼と長く過ごし、距離感が近かったであろう方々。

「この方たちが否定した彼が成し遂げたこと、残したことを魏の将の中で最も知っているのは悔しいですがあなた達です」

 そんな彼女たちならば、誰もが目に見えてわかる形で彼がいた証を他者に見せることが出来る。出会うという意味では私と風が最初ではありますが、魏の中で最も新参なのは私たちですからね。

「私がこの場を片づけますので、あなた方はこの二人に彼がいた証を見せてきてはいただけませんか?」

「隊長のいた、証・・・・」

「そんなん、ありすぎて逆にわからんですよって。稟様」

「けど、沙和たちなら知ってるの。

 どうして似てるように見える桃香ちゃんと隊長がかぶって見えないかってことを・・・」

 皆さんの目に光が宿りましたね、これでこちらは心配無用。ならば、私がすべきことはこの場の処理。そして・・・ この二人がしたことの重さを示すこと。

「さて、劉備殿、魏延殿。

 あなた方蜀は、三国同盟から脱退なさりたいのでしょうか?」

 私は振り返り、久しぶりに感情の高ぶりを感じながら、そのまま笑顔を向ける。

「えっ!?」

「な、何故そうなる!」

 何も考えずに口にした、やはりですか。

 ならば改め突きつけてあげましょう。彼が立場としてどんな存在かを、その噂がどんな危険なものであるか。そして、自分たちが一年前どんな立場であったかをじっくり思い出していただきましょう。

「不在でありますが彼は魏の柱石であり、魏の将。劉備殿、あなたは義妹の御二人や同朋の侮辱を聞き穏やかで在れると?

 まして彼女たちにとって、彼は直属の上司。魏延殿、あなたは師である厳顔殿を見も知らぬ者に悪しざまに語られ、笑われた時、その武器を振り上げぬ自信がおありで?」

「そ、それは・・・・」

 真桜さんがいっていたように、この程度(・・・)で済んでいるのは居合わせたのが私たちだったからだ。もしこの場に居たのが桂花殿や秋蘭殿、霞殿であった時など考えるだけで恐ろしい。逆の立場であったなら彼女たちが怒り狂うことは明白、蜀は主従の線引きは曖昧ですが非常に仲間思いですからね。

「仮にも一国の王ならば、発言に気を付けることです。そして・・・」

 視線は蜀の忠犬であり、劉備の腰巾着と名高い彼女(魏延)で止まる。

「将の発言は王への責任へと直結します。

 王に近しいものは勿論、王の護衛たる者が国を危険に晒すようなことなどあってはならない。それを肝に銘じることをお勧めします」

 笑顔のままそう言いきり、私は北郷隊への方へと足を向ける。一つだけ言い忘れたことを思い出し、私は笑みを消して振り返る。

「それでもなおあなた方が戦乱を望むというのならば、私の持てる全ての軍略をもって、今度こそ徹底的に潰して差し上げましょう。敗残国殿」

 そんな私たちの間に響くは手を叩く音と、この場に似合わない楽しげな笑い声。

「いやはや、主に猪が一人しかついていないと聞いて飛んできてみれば、なかなか面白い状況になっているようで」

「これは良い所に来ましたね、星。

 最近蜀から流れている魏の柱石への暴言等は、蜀の総意ととってもよろしいでしょうか?」

 楽しげにする星に冷ややかな視線を向けつつ、にこやかに対応してみせる。いかに友人と言えど、彼女は蜀陣営。その辺りを明確にしていただかない限り、私は真名を預けた友人であっても気を許すことはない。

「小さな軍師たちの考えまでは知らないが、蜀の総意ではない。そして私がこの場に居ることもまた、あの小さな軍師たちは望んでなどいないことだろう。

 彼の噂は蜀内ではここまで酷くはなかったというのに、魏に近づくほど酷くなる一方で驚かされたものだ」

「そうですか・・・・」

 蜀の総意ではないのならば、これは独断の可能性がある。だが、軍師の主たる者が関わっていることは間違いないでしょうね。

 背後の劉備をわずかに覗き、私は星へと視線を向け続ける。

「あなたの主は一年前から何も変わらないようですね、星。

 あなたがどうしてあんな者を主に選んだのか、理解に苦しみます」

 そう、何も変わらない。

 他の者はどうかはわからないが、『王になどなりたくなかった』と叫んだ彼女に対し抱いたのは失望。彼女は王になる覚悟も、上に立つ野心もないままに担ぎ上げられただけの神輿なのだと深く実感した。

 そして今も、軍師のしていることもわからないまま、無知であることを許されている。

「あの方は・・・ 純粋でな。

 他者を疑うということを知らず、信じ頼るのだ」

「あそこまで来ると、ただの阿呆でしょう」

「今日はいつになく手厳しい」

 私の言葉に苦笑し、肩をすくめる星は言い返す言葉もないと言った様子で両手をあげた。

「もしもまたあなた達が戦をするというのなら、また民を信じ頼るのでしょうね。けれど・・・」

 信じ、頼るという言葉は一見は響きがいい。事実、彼女の言葉を信じ、頼ってついて来た者はこれまで多くいた。だが、それは実績があってこそ発揮されるもの。

「魏の平和の元で生きた民のどれほどが、かつてと同じ大義名分で共に戦うのでしょうね?」

「戦などさせぬさ、少なくとも私はそう動く。

 現状、信じてくれとは言えぬ身だ。これは我々蜀の不備、謝罪の言葉すら嘘に聞こえてしまいかねん」

 星の言葉はいつもと変わらないというのに、その目はまっすぐにこちらを見てくる心地よいもの。

「結果は、期待せずに待つとしましょう」

 星が動くというのならば、こちらが下手に動くことは出来ません。妙な動きをして、発案者たちに状況がばれても面倒ですからね

「それではまるで、戦をしたいように聞こえるぞ? 稟」

「柱石を失ったものが傾くことはとても容易ですよ、星。

 龍と鳳は私たちが脆く崩れることを狙っているのでしょうが、基礎が腐っているわけでもなく、要がまだしっかりしているというのにその場で自壊するはずがないでしょう?

 大きく揺れ、周りに多大な被害を被って崩れることが摂理というものです」

 その柱石は、私たちが崩れてしまわぬように多くの支えを残してくださるような方でしたがね。それでも空いた穴が埋まることなど、ありはしないのですが。

「末恐ろしい限りだ・・・

 精々、これ以上揺らさぬように努力するさ」

「えぇ、そうしてください」

 星の言葉に短く返し、私は北郷隊の元へ歩こうとすると肩を掴まれた。

「稟よ。

 それほどまでにお前を変えた御使い殿は、一体どんな方だった? そして、恋とはそれほどまでに良いものか?」

 どんな方・・・・ そう言われ見上げた空に浮かんでいたのは白き雲。

 あぁ、そうだ。あの方は雲に似ている。流されているというのに、それすらも形を変えて楽しまれ、どんな空であっても嬉しそうに進んでいく。人を包んで魅了して、そして誰も拒むこともない方。

「雲のような方でしたよ。

 人々を魅了し、見ているだけで笑顔にさせてしまうような、そんな方でした」

 彼が残したものを、華琳様が築くものを、私は己に守ることを課そう。私の戦い方で、今度こそ守ってみせよう。

「そして恋は・・・ 星、あなたもすればわかりますよ」

 それだけを応え、私はそっと笑った。



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支え 恋を認める者 【桂花視点】

「華琳様、書簡をお持ちしました」

 そう言って入った執務室にはいつものように華琳様が休まれることもなく、筆を執っていた。声をかけたにもかかわらず、こちらに気づかれた様子もなく集中を続ける姿をかつての私なら『素晴らしい』と口にしたかもしれない。けれど、その姿はどこか辛そうに感じてしまう。

「華琳様、お茶もお持ちしました。

 なので、書簡を一旦この桂花に任せ、ひと息つかれてください」

 肩に触れながら半ば強引に書簡を遠ざけ、こちらへと視線を向けていただく。

「桂花・・・

 あなた、随分強引になったわね」

 一瞬だけ驚いたような表情を見せられ、茶を口にしてから立ち上がれる。

「家臣に気を使われるなんて、君主失格かしら?」

 どこか自嘲気味な笑みを浮かべられ、私を見る華琳様の目は・・・・ 一瞬、華琳様にこんな思いをさせているだろう馬鹿の顔が浮かび、そんなことやありえないと首を振った。

「いいえ、そんなことはありえません!

 華琳様はいつであろうと我々魏国の至高の王であり、三国一の王たる御方です!!」

「ふふっ、そうね。

 少し城内を歩いてくるわ、四半刻ほどで戻ってくるからそれまでは任せたわよ。桂花」

 私に触れながら、先程よりもずっと良い表情された華琳様に私は満面な笑みを向けた。

「はいっ! お任せください!」

 私の言葉と同時に扉の向こうへと消えていく華琳様を見送り、その瞬間に浮かんだのはここに居ない馬鹿への罵声(言葉)だった。

 

 なんで勝手に消えてんのよ、この馬鹿!

 アンタぐらいの馬鹿で、女ったらしな男を雇ってくれるような国なんて天にだってありゃしないわよ!

 本っ当に最低!

 自分のやりたいことだけやって、さぞ満足げに還ったんでしょうけどね。アンタがいないせいで警邏隊だけじゃなくて、あっちこっちがてんてこ舞いよ!!

 しかももう一年よ?!

 職務怠慢による給料減額、隊長から一兵卒への降格は覚悟できてんでしょうね!

 部屋もあのまま散らかしっぱなしだし、アンタ城の部屋を間借りしてた自覚あるわけ?!

 一つ一つあげたらきりがないほど、言いたいことがあるっていうのになんで当の本人であるアンタはここに居ないのよ!

 アンタなんか本当に最低よ・・・ 馬鹿。

 身勝手で、馬鹿みたいに優しくて、馬鹿の癖に自分が出来ること探して、人のことばっか心配して、自分のことなんか目もくれないで、結局自分の幸せより人の幸せ選んで!

 嫌だったなら逆らいなさいよ! 私たちにだってあんだけ減らず口叩いてきたんだから、天にだって噛みついてみせなさいよ!! 馬鹿男!!!

 

 咽喉まで出かかった多くの言葉を飲み込んで、罵声を声に出すこともしないまま、私は仕事机に向かう。見れば多くの案件が持ち込まれ、その山の一つである外交関係の書簡のいくつかを手にとった。

 今は領主が不在となり、警邏隊が何とか回している街をどうするか。

 職を失ったも同然の武官や兵たちのこれからの職をついて。

 警邏隊に関する知識等の共有要請や、身分差のない私塾『学校』への会議の書類。

 しまいには、蜀と呉の問題である筈の荊州の領土問題。

 何これ、怒っていいわよね?

「華琳様はあんたらの問題解決所じゃないってのよ!

 っていうか、自国で解決すべき問題の方が多いじゃない!!

 警邏隊に関しては自力で何とかしなさいよ! 『学校』なんて君主内で言いだしてたのは蜀でしょうが!

 あの馬鹿虎と能天気女! 少しは自分たちで考えるってことをしなさいよね!! っていうか、軍師の奴らは何やってんのよ?! あれだけ戦の時は謀略練っておいて、何で治政にその無駄知恵使わないのよ!!」

 おもわず書簡を投げ捨てかけるがどうにか堪え、机を叩くことで発散させる。

「それに警邏隊も、学校も私たちなんかよりよっぽど・・・・」

 『適任が居る』と口にしかけて、舌打ちと共に次の書簡を手にとる。そこに書かれていたのは『風車・水車の仕組みの説明、設置の協力要請』。

「真桜にでも、自分たちで頭を下げて頼みなさい!

 私たちから遠回しに指示させようとしてんじゃないわよ!!」

 風車も、水車もあいつが残した知識の一つであり、脱穀や、小麦を挽くことに水力や風力を使うことは効率がよいもの。川の多いこの大陸で実用化できれば労力の軽減が出来ることは明白であり、実用化へと向けて熱心に会議は行われた。その仕組みを理解しているのは私たち軍師を除けば、真桜だけで作成に関しても彼女の力は必須と言っていい。

 が、肝心の真桜が他国のこととなるとやりたがらず、技術的な協力がほとんどうまく出来ていないのが実情だった。しかもその件で稟から諍いがあったことは報告され、あの趙雲が蜀内部から動くことがわかっているけど、どうなるかはわからない。

「それもこれも、臥龍と鳳雛が呉とまで連携しておかしな噂を流してるせいじゃない!

 今更あいつの悪口? 魏は天の知識によって成り立ってる? ふざっけんじゃないわよ! あいつのくそ曖昧な知識を形にして! 歴史に関しては過ぎたことすら話すことを拒んでたあいつの知識が、一体何の役に立つってのよ!!

 大方、あのちびの軍師は天の妖術とかで私たちが勝ったとか、天の知識があったからこの一年で栄えたとか思ってんでしょうけどねぇ!」

 叫びかけた言葉は咽喉でとまり、再度机を強く叩く。

 あの日の私たちには、それ(仕事)しかなかっただけだ。

 行き場のない思いをぶつけた結果、この国を栄えさせることしか出来なかった。

 そうしても、あの馬鹿は帰って来やしないのに。

 それなのに、言葉にしなくてもあいつが望んでたことを私たちは誰よりも知っていた。

「そんなに戦争がしたいって言うんなら、自分たちが剣持って攻めてくりゃいいのよ」

 私たちの神経を逆撫でて、剣をとらせて戦の大義名分を得る。なおかつ、あいつ(天の知識)がいなければ(なければ)自分たちは勝てると踏んでるんでしょうけど、考えが浅いわね。

「敗残国でありながら何も失わなかった国(蜀)と、戦勝国でありながら古参の将を失いかける恐怖と、あんな奴でも実際に失った国(魏)じゃ、勝利への必死さが違うのよ。

 しかもその策としてあいつの悪口を流す? はっ、馬っ鹿じゃないの!」

 むしろその全てが逆効果、あの日から怒りに堪えてる凪と真桜、霞、秋蘭、稟は蜀も、協力してる呉さえも嬉々として潰しにかかるだろう。特に秋蘭、霞、稟の怒りは表に出されていない分、秘めている危険度も私たちが思っている以上と考えるべきだ。しかも稟にいたってはこの機を好機とすら思っている節があり、もし趙雲が止めに入っていなかったことを考えると頭が痛くなってくるわね。

 外交関係の書簡から一度目を離し、他にこなせそうな魏内部の書簡を片づけにかかる。一年経った今でも変わらずにあげられてくる警邏隊の報告書、収穫、経理などの物を片づけていく。

 誰がいなくなっても、どんなことが起きても変わらない、日々の仕事はなくならない。あいつがいなくたって太陽は昇って、落ちていく。季節は廻って、時間は過ぎる。何があろうともやるべきことはあって、私たちはここに居る。

 それなら何があっても立ち向かって、進んで行くしかないんだから。

 

 

 書簡作業を続けた私の元に何かが駆け込んでくる足音に気づいて顔を上げると、華琳様が風を連れて入ってくる。

「華琳様?! それに風まで・・・」

 二人が駆けてくるなんて、一体何が・・・

 そう続けようとした私は、華琳様の手に一つの書簡が握られていることに気づく。そして、ほんのわずかだが華琳様と風の目は赤くなり、それにもかかわらず二人の目はどこか嬉しそうに緩み、やる気に満ちていることが私をさらに混乱させた。

「桂花ちゃん、真面目にお仕事お疲れ様なのですよ。

 いえいえ、ちょっとお兄さんの部屋に行ったら面白い物を見つけまして、偶然いらした華琳様と共に熱くなってしまいましたよー」

「風、一度読んだあなたと私はこの内容をまとめ、具体的な案にする作業へと入るわよ。

 桂花、あなたは霞たちを呼んできなさい。

 他の仕事をしている場合もこの書簡を直接見せ、連れてくるように」

 いつもと変わらない風とは対照的に、華琳様はどこか急いだ様子で私へと書簡を投げ渡される。

 書簡の表に書かれたのは『三国同盟(仮)後 催し案』という題、子どもでももう少し的まともな字を書くような拙い字。

 その書簡には見覚えがあった。倒れた日、たまに意識を取り戻したあいつが書いていたそれは、様子を見に来た者にすら見るのを拒むように隠しながら書いていたものだった。あの時は『どうせろくでもない内容を書いてるんでしょ』と言ってさっさと寝るように怒鳴り散らしたが、何故今になってこの書簡が出てきたのだろうか。

「内容は呼びに行くときに確認なさい。

 集合は遅れてもかまわないわ、私と風の作業も時間はかかるもの」

 私を見て紡がれる華琳様の言葉は優しく、この内容を私たちが読んだとき時間がかかってしまうことだということが理解できた。

「集合場所は会議の間でよろしいでしょうか?」

「えぇ」

「それでは行ってまいります」

 内容を気にかけながら、私は執務室から離れたところで書簡を開く。

 そこに書かれていたのは、あいつらしいと思うと同時に酷く驚かされる内容だった。

 

 

 

 書簡を片手に霞を探す。

 あの日以降、霞はこっちが心配になるくらい仕事ばかりをして、しかも騎馬隊を有効的に使うためと言って、三国を繋げる運送業を自分で発案するなんて偉業を成し遂げた。

 それによって騎馬隊の者たちは仕事を得た上に、稟と協力して効率的な運送路の確保した。しかも自分が行った方が早いとか行って、行き来の不便な街道を直接確認して、整備の申請までしてくるのだ。

 あんなに酒好きで、サボり魔だった霞がここまで必死になっているのにはむしろ危うさすら感じてしまう。

「これならまだ、昔のダラダラしてた時の方が気が楽よ・・・」

 そう思って軽く戸を叩いてから霞の部屋に入ると、そこに彼女はいなかった。部屋の中は書簡が多く積まれ、その内容は運送業の業務に関するものと街道の不備まで報告書としてまとめられていた。

「・・・これで戦、ね」

 霞がこれをやったことに戦の意図がなくとも、今の魏の騎馬隊以上に地の利に長けた部隊はいないだろう。しかも霞と組んで行動しているのはあの稟である。街道だけでなく裏道すらも確認し、完全な大陸の地図を完成させる可能性は高い。

 本当に地に落ちたわね、臥龍も鳳雛も。

 机の上に『不在 城門にて休憩中 緊急要件以外お断り』と伝言が置かれ、軽い頭痛を覚える。

 皆そう、休憩と言って行く場所はあいつとの何らかの思い出があるだろう場所。そして私自身も休む場所はいつも・・・・

「あー! あの馬鹿!! こういう時に限っていないんだから!」

 考えかけたものを振り払って、私は城門へと向かって歩き出した。

 

 

 城門に腰かける霞に孫権が何かを言っている姿が見え、遠くから見ても霞が相手にしようとしていない。

「あの『神速の張遼』ともあろうものがこの体たらくか。

 落ちぶれたものだな、張遼」

「何とでもいい。

 妙な噂流して、他国に迷惑かけるようなことはしてへんし、あんたらに害があるわけでもないやろ」

「害はあるな。

 城下に流れているような女たらしの天の遣いや、そんな体たらくの将に祭が討たれたかと思うと腹立たしい。しかも当の天の遣いは姿を消しただと?

 祭を殺し、何の覚悟もせずに自分だけが逃げ帰ったような男にあの曹操殿は惚れたというのか? 信じられん。我々の策を見透かしたように、そうした好意もまた天の妖術だったのではないか?」

 安心していたが近づくにつれ聞こえた言葉を、私は聞き逃すことが出来なかった。

 あいつが何の覚悟もしなかった? あいつが逃げた? けれど一番許せないのは・・・・!

「ふざっけんじゃないわよ!!」

 怒鳴り声と共に、立ち上がろうとしていた霞と孫権の間に割って入る。

「城下でどんな噂を聞いたか知らないけどね、仮にも君主の身内がそんな噂に振り回されてんじゃないわよ!!

 えぇ、確かにあいつは女ったらしだったわよ! どうしようもないほど、魏の将全員と恋仲にあったわよ!!

 でもね! あいつは相手が持ってる身分や権力に頭下げてたわけでも、言葉を偽ってたわけじゃない!! まして、妖術なんか使えたわけでもない!

 ありのままの自分を見てくれるあいつに、こんな身分や権力縛られざるえない中でただの女として見てくれたあいつに! 心の底から惹かれたのよ!!」

 私の発言に霞まで呆気にとられた表情をしているけど、構うもんですか!

「あいつが覚悟しなかった? 逃げた?! 全っ然違うわよ!

 あいつはね、人を殺す覚悟なんか最後までしたくなかったのよ! 最後まで馬鹿みたいな理想を考えて、でもそう出来ないことを理解して! 目を逸らすこともなく黄蓋の最後を見届けたのよ!!

 最後まで生きたくて、ここに居たくてどうしようもなかったくせに! それでもあいつが優先したのは自分なんかじゃなくて、今ここに在る大陸の平和だった!!

じゃなきゃ、自分が消えかかってる中でこんな書簡残せるもんですか!!」

 そう言って孫権にあの書簡を投げつける。

 そこに書かれてたのは、あいつの夢。戦の最中では誰もが笑って馬鹿にするような、絵空事だった。

 

『●月×日

 最近、どうにも体調がおかしい。

 元々、この世界に来たのもおかしいことだったんだし、もしかしたら俺はある日突然消えるかもしれないなぁ。でも、俺が消えてきっと大丈夫。俺がしてることはみんなに比べれば大したことじゃないし、警邏隊だって凪たちに任せておけば安泰だろうしな。

 だからここには、俺がもし突然消えてなくなった時、三国が平和になった時の催し物案を書こうと思う。

 華琳なら呆れるかな? 桂花なら『馬鹿だ』って鼻で笑うかもしれないけど、戦のなくなった時、居なくなっていい人なんていない。だって、俺が見てきたこの大陸に生きる人たちは、みんな凄い人ばっかりなんだ。魏だけじゃない、蜀にも、呉にも、それぞれ考え方は違っても何かを必死に守ろうとすることが出来る、そんな優しくて、心の強い人たちなんだってことを俺は知ってるんだ。

 

案一『競馬』

 馬に乗ってある距離を走る競技。それの順位を観客は予想して楽しむっていったものなんだけど、霞は勿論蜀の馬超さん、公孫賛さんとか凄そうだよなぁ。でも、馬の体調も関わってくるし、呉の人たちだって負けてないと思う。予想に関しても盛り上がるし、将だけじゃなくて民だって一緒に楽しめると思う。

 

案二『将棋大会』

 象棋(シャンチー)があるのは知ってるんだけど、これは俺が知ってる国の奴。

 とった駒を利用できるよく爺様に付き合わされたものなんだ。覚えてる限りの配置や決まりは別の書簡に書いておくから、詳しくはそれを探してほしい。

 あー、でも見たいなぁ。蜀の孔明さんや鳳統さん、陳宮さん。それに霞が言ってた賈詡さん。呉の周瑜さんや陸遜さん、呂蒙さん。そこに桂花や稟、風が一つの盤を挟んで憎みあうんじゃなくて、楽しんで競い合う姿が凄く見てみたい。数か月に一度試合をして、将だけじゃなく、民にも広めて、大会をしたらきっと楽しいんだろうなぁ。

 

案三『武闘大会』

 これはある程度の広さのところから出たら負け、相手が降参した時点で試合終了。

 武術を人を殺す(すべ)としてじゃなくて、民の娯楽にしたらどうだろう? 武将たちの人たちはそれぞれの武に誇りがあるし、戦うことが目的じゃなくて楽しむことを目的にしたらいいと思う。自己の研鑽も出来るし、武術だって一つの文化として残すべきものだと思う。

 それにみんなが大切なものを守ろうとした力が、悲しいもの、危ないものとして思われるのは俺が嫌だ。

 それから実際に戦うことも一つだけど技の正確さや型の美しさ、飛距離、それに団体で出来る競技も将棋の決まり事とかを書いた方に記しておくから、使ってほしいかな。

 俺の国にあった娯楽なんだけど、だんだんとでいいから国とか関係なく仲間になったらきっと最高なんだろうなぁ。孫策さんは人を乗せるのがうまそうだし、孫権さんは真面目そうだからこそきっといいまとめ役になってくれると思う。足が速そうな甘寧さん、発想力がありそうな馬岱さん、でも凪たちほど連携が取れるところはそうそうないだろうけどな! なんて身内贔屓の部下自慢、かな?

 

案四『料理大会』

 これはその・・・ 俺が三国の料理が食べてみたい。地域ごとに全然料理が違うだろうし、華琳と流琉、秋蘭だって同じ料理を作っても味が違ったのが凄く印象的だったから思いついた案。

 多数決で優劣を決めてもいいし、決めなくてもそうした文化の交流が出来たらもっとお互いの良い所を知ることが出来ると思うんだ。仲良くなるきっかけにもなるし、料理を教え合ったりだって出来るんじゃないかな。新しい料理も出来るかもしれないし、美味しいものを一緒に食べるってそれだけで幸せだからさ』

 

 

 あいつが残したもの、あいつがやりたかったこと、あいつが見てたものが全部ここに書いてあった。

 馬鹿みたいに他陣営の将の名前まで並んでて、仲良くなるなんて夢物語を書いて、将だけじゃなくて、民にどう参加させるかなんて書いてある。本当に馬鹿みたい。

 

 

『明日はいよいよ運命をわける戦い。あの、赤壁の戦い。

 笑われるかもしれないけど、俺は誰にも死んでほしくない。魏のみんなは勿論だけど、蜀にも、呉にも、誰一人としていなくなってほしくない。魏の将としては間違っていても、黄蓋さんのあの策も実現しなければいい。それと叶うことなら、周瑜さんに病気などないことを祈ってる。性別も、年代も、人すらも俺の知ってるものと違うから、事態が起こらなければどうなるかわからないけど起こらなければいいなぁ。

 でももしその時が来てしまった時、俺は人の死から目を逸らさない。昨日まで顔合わせた兵が死ぬ、その家族が泣く姿も何度も見てきた。その全てが明日の戦いでなくなることを願うよ。

 体調はみんなの前じゃどうにか誤魔化しているけど、俺の終わりは確実に近づいてる。結果がどうなったとしても、俺は多分この戦が終わったら消えてしまうと思う。

 嫌だなぁ、ずっとみんなと居たい。平和な大陸でみんなと笑って、過ごしたいなぁ。

 霞と羅馬行く約束もしたし、天和たちの三国統一も見たい。春蘭に追いかけ回されて、秋蘭に呆れられて、桂花に怒られながら仕事して、凪たちと過ごして、風に突っ込み入れて、稟ともっと話をして、流琉の料理を季衣と一緒に食べたい。

 みんなと、華琳とずっと一緒にいたいなぁ』

 

 最後はもはや案じゃなくて、あいつの日記のようになっていた書簡。

 進むにつれて文字も滲み、徐々に読みにくくなっていくけれど、あいつの思いが全部語られていた。

「天の歴史や妖術なんて言う馬鹿が居たみたいだけどねぇ!

 年代も、性別も、居る存在すら違うのにどうやって使えっていうのよ!? あてになんかできっこないわよ! 大体! 天の歴史に天の遣いなんて存在居ないっていうのに、同じになるわけがないじゃない!!」

 どうしてあの馬鹿が、春蘭が片目を失った時、あんな悲しげな顔をしていたのか。どうして定軍山の時、あいつがあんなにも焦っていたのかが今ならわかる。

「わけもわからないところに突然落っことされて、それでも前向いて生きて! 当たり前みたいに人と接して笑顔ふりまいて! 自分が消えるかもしれないっていうのに、その先のことを考えて・・・」

 あの日からずっと、見てみぬふりをしてきた感情が溢れ出す。何かが顔を濡らしていく。

「もうえぇって、桂花。

 あんまし使わん咽喉使うと、酸欠でぶっ倒れんで? それにほれ」

 そう言って霞が示した先には、丁寧に頭を下げた孫権がいた。

「すまなかった。

 彼のことを何も知らずに侮辱したことを、深くお詫びする」

 そう言って頭をあげた彼女の顔は涙に濡れていて、その表情から噂の一件は蜀と呉の一部の軍師の独断かもしれないことが窺えた。

「あらあら、聞いたことのないお酒に興味を惹かれて城下で遊んできたから遅れたと思ったんだけど、こんなとこ(城門)で何やってんのよ。蓮華。

 それにしても、ずいぶん面白い話してたわね? 荀彧ちゃん。

 ちなみに天の歴史じゃ、私たちはどうなってたのかしら?」

 そう言って出てきたのは呉の君主である孫策は酒瓶片手に妹の手に在る書簡を覗き見て、複雑そうな顔をした。

「知らないわよ、頑なに話すこと拒んでたもの」

「ふぅーん?

 もしかしたら天の遣いくんが居たおかげで生きてたっていう子も居たのかしらね? 冥琳に病気・・・ これは見過ごせないわね」

「なら、さっさと華佗でも呼べばいいわ。

 魏のどこかに居を構えてるって話よ。ついでに噂の一件も、アンタたちが知らないんなら調べておいてほしいもんね」

 もしその体が病気で侵されているというのなら、この一件に乗った理由も多少は説明がつくのだけど。

 孫権から書簡を受け取り、何故か笑ってる霞を睨みつけておく。

「ありがたい情報と耳が痛い言葉、ありがとねー。

 それにしても意外よね、あなたが一番天の遣いのことを嫌ってるって話だったけど。そうでもなかったのかしら?」

 見定めるような目を向けながら笑う孫策に対して、私はあいつにしていたように仁王立ちをして睨みつけた。

「えぇ、大っ嫌いだったわよ。

 誰に対しても思わせぶりな言葉は吐くし、いつもへらへら笑ってるし、華琳様を誑かそうとするあんな男はいなくなって清々してるわ。

 けどね!」

 そこで私は背を向け、城内へと向かって歩き出す。霞も察してくれたのか、私の後について来て、私が振り向くと同時に孫策へと振り向いた。

「私が恋した男は、あいつだけよ」

 初めて会ったあの時からずっとわかってて、否定し続けた想いでも。

 私はきっと無自覚に、一生分の恋をあいつにぶつけてたんだ。



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前を向き 笑う者 【春蘭視点】

「うむ! 良い朝だな!!」

 そう言って私は昇ってくる朝日を城門で眺め、城下を見下ろす。

 華琳様の国、我らが魏国、愛しき曹魏の旗の元、この国を、北郷隊が守るこの街を眺めることは私の毎日の日課となっている。

 今日も美しい街並み、朝の早い時間だというのに市場は賑わい、活気にあふれている。

「今日も頑張るぞ! 見ていろ、一刀!!」

 あいつが一番居たい場所に、見たかっただろう景色の中に私たちは生きていることを実感する。

 羨ましいだろう? なら、さっさと帰ってこい!

 一年経った今でもお前の部屋も、居場所も何も変わってなんかいない。

 お前に抱くこの不可思議な気持ちも、華琳様に誓った忠誠も、どれほど時間が経とうと変わりはしないんだ。

 でもな、私の杏仁豆腐は日々うまくなっていくのだぞ?

 この間は秋蘭どころか、あの桂花にも渋々だが旨いと言わせることが出来たのだ。

「姉者」

 秋蘭の声に振り返ると、少し呆れたようないつもの視線をくれる。そんな秋蘭に私はいつものように笑顔を向けた。

 かつてよりわずかだが痩せ、あの日からうまく眠れていないのか、目の下には黒いものが残っている。それにもかかわらず、文官の仕事をする傍らで毎日流琉と一緒に厨房に立ってくれる。

「おはよう、秋蘭」

「おはよう、姉者。

 食事だ、日課もほどほどにしてそろそろ降りてくるといい」

「秋蘭!」

 そう言って立ち去ろうとする秋蘭を後ろから抱きしめ、じゃれつく。

「ととっ、姉者。危ないだろう?」

「ふふっ、隙だらけだぞ? 秋蘭」

 なぁ、一刀。賢い秋蘭や稟、風・・・ 不本意なことに桂花の考えも私にはわからん。

 馬鹿なお前の考えを、お前よりはましではあるが馬鹿な私はそれなりにわかってるつもりだ。

 『もしお前が居たら』などとは、思わない。お前が居ないから、私はこんな秋蘭を見ているんだからな。

 何が起こったか、どうしてお前が居ないのか、私にはまったくわからん。

 だが、お前が秋蘭と流琉を命懸けで守ってくれたことだけは、私にだってわかるんだぞ?

「姉者・・・ そろそろ・・・」

 離れてくれと、続けるつもりだっただろう秋蘭の前へ素早く回り込み、頭を抱えるように抱きしめる。

「姉者? 今日は一体・・・・」

「秋蘭、姉の胸で泣け!」

 戸惑う秋蘭に、私は吼える。

 私は馬鹿だけど知っている。あの日から秋蘭が心から笑わなくなったことを。

 あの日から自分だけを責め、一度として涙を零すことをなかったことを。

 そして、蜀に対して皆が殺意に近い感情を抱いてることがなんとなくわかってしまうのだ。

 何故なら、私たちは同朋だからな。

 華琳様の元で背を預け、共に戦場を駆けたかけがえのない仲間なのだからな。

「私は一刀の代わりになれん。

 あいつのように皆を笑わせることもうまくは出来んし、喜ばせることも下手糞だ。

 それでもな、秋蘭。

 辛そうなお前を見ていると、あいつ(一刀)がどうしたくなるかはわかってしまうんだ」

 理解なんてしない。出来るとも思わん。

 あいつは私じゃないし、私はあいつじゃない。

 あいつが私と違ったから興味を示し、何故か目を離せなくなったから、居ることが当たり前だと思うくらいに傍に居たから、居なくなってほしくなかった。

 その思いは華琳様に抱くものと似ているようで、少し違う気がした。

「あいつが居ないことは、寂しいよな。秋蘭」

「あぁ・・・」

 風からあの言葉を聞いたとき、私はそれを信じたくなかった。

「あいつが居ない街は・・・・ 一人いないだけだというのに盛り上がりに欠けているな」

「あぁ・・・」

 あいつが居なくなった次の朝、たった一日あいつが街にいなかっただけであいつのことを気にかける声があった。

 そのことが嬉しくて、悲しかった。

「私たちはあいつの傍に一番居て、毎日あいつを殴ったり、呆れたりしていたな」

「あぁ・・・・ だが、あいつはいつも笑っていた。

 あの笑顔はとても、卑怯だった」

 私たちが怒っても、殴っても、呆れても、必死に逃げて、避けて、受けとめてくれた。

 そんな人間、今まで見たことがなかった。

 だからいつも、私たちも本気だった。

 本気で、ありのままの感情をぶつけることが出来ていた。

「底抜けのお人好しで、誰に対しても裏表がない一刀が稀に見せる真剣な表情は・・・・ かっこよかったな」

 かつてなら言えなかっただろう言葉が、今はあっさり口に出来てしまう。

 お前が居ないことに比べれば、恥ずかしさなどどうってことないものなんだな。

「あぁ・・・・!

 姉者、私のせいで一刀は消えたのか? 私と流琉がもしあの定軍山で死んでいれば、一刀はここに居てくれたのか?」

 秋蘭の変化は、突然だった。

 私に縋るように力を籠め、顔を胸へ押し付けてくる。それはまるで子どもみたいで、そんな秋蘭の背中を優しく撫でる。

「私たちが惚れた男がそれをよしとすると、秋蘭は思うのか?」

 人の笑顔が好きで、悲しい顔に敏感で、誰かが一人だとすぐに傍に行って、いつの間にか一人だった者すら笑顔にしていた。

 誰かの陰口を叩くこともなく、むしろ聞こえるように言って私たちを怒らせて、追いかけられる姿を見ると将どこかろか民すらも笑顔にした。

「それ・・・は!」

「あいつは自分がしたいからやったんだ。

 自分が華琳様との約束を破ってでも、二人に居なくなってほしくなかったんだ」

 あの書簡によって行われた緊急会議で、華琳様は天の歴史を明かすことを禁じていたことを全員に伝えられた。そして、一刀がそれを破ったのは秋蘭たちの生死が関わった時の一度だけだということも明かされた。

「それでも! 私たちが歴史通り死んでさえいれば・・・!」

 それでもなお、何か言おうとする秋蘭に私は思ったことをそのまま口から出した。

「私たちは幸せ者だな? 秋蘭」

「姉者・・・?」

「だってそうだろう?

 あいつは私たちをそれほど想い、愛してくれた。

 自分の命をなげうってでも守りたいと、生きてほしいと望んでくれた」

 私たちが華琳様に抱いたものと同じ、命を懸けてまで守りたいという決意。

 力も、知恵もないあいつが確かに抱いてくれたその思いが私は嬉しかった。

「そんな相手に恋をすることが出来た私たちは、三国一の果報者だな。

 胸を張れ、秋蘭。

 私たちは、三国で最も幸せな恋を知る者だ!とな」

 あいつが残してくれたものは幸せばかり、あいつがくれたものは笑顔ばかりを生んでいく。ならば、それを共に築いた私たちも笑っていなければ、それはきっとあいつが望んだ幸せにはならない。

 あいつが消えても、想いは残る。思い出はここ()に刻まれている。

 あいつが教えてくれてたもの()を、私たちは生涯忘れない。

「姉者・・・

 あぁ、本当にそうだ」

 秋蘭がやっとかつてのように笑い、私もそれが嬉しくて笑う。

 人が笑うと嬉しいことを前は鼻で笑って馬鹿にしたが、こんなにも嬉しいものなのだな。

「さて、姉者。食事にしよう。

 姉者は今日休日だが、私は仕事がある。昼は外で取ってくれ」

「私は子どもじゃないぞ、秋蘭」

 そう言いながら私の頭を書き撫で立ち上がる秋蘭に、おもわず頬を膨らまして文句を言う。

「子ども扱いなどしていないさ。

 姉者は私の頼りがいのある、自慢の姉なのだから」

 そう言って微笑む秋蘭の歩みは来た時よりもずっと軽そうに見え、私はまた嬉しくなって笑ってしまった。

 

 

 

 食事を終え、秋蘭が執務室に行くまでのんびり過ごした後私は一人城下を歩いていた。

 魏には一年前のこの頃に作られた酒があり、とある事情により魏の将は優先的に提供してもらっている酒がある。完成した当日は魏の将全員が集まり、その酒を味わうことが決まりが定められ、今年もそれは行われた。

 その後は欲しい分だけ、各々で買いに行くことが無言の決まりである。

「うむ、今日あたりは霞とでも楽しむとしよう!」

 最近、休んでいないと聞くしな。あの酒ならば、霞も断るまい。

「すまん、店主。

 あの酒を・・・・」

 そう言って私が店に入った瞬間、見慣れた顔が二つほど並び、店の端にある飲酒場所にたむろっていた。

「あらぁー、夏候惇ちゃーん。

 偶然ねー」

「ほぅ、夏候惇か。

 先日は儂の不肖の弟子が失礼なことをした。本当に、すまなかった」

 見ればそこには孫策と厳顔があの酒を飲み、楽しそうに笑っていた。厳顔は私を見ると丁寧に頭を下げてくるが、あのことに関して私は気にしていない。

「おぉ、孫策と厳顔か。

 なに、気にすることはない。お前たちは一刀に会うことなどなかったのだからな。あいつの良さはあいつに出会わなければわからん。

 それに、私自身何度かあいつに腹を立てて、大剣を持って追いかけ回しては死を覚悟させていたからな」

 私がそう言って笑うと、二人は顔を見合わせて笑う。

 うむ? 私は何かおかしなことを言ったか?

「この子ほど、他のみんなも気楽であれたらいいのにねぇ」

「まったく。

 ウチの軍師たちも見習ってほしいものじゃ」

 二人は頷き合いながら、何かを納得しているがまぁいい。

「よくわからんが、お前たちが気にすることではないだろう?

 その一件の詳細は知らんし、その後どうするかも私の及ぶところじゃない。

 だからと言って、他の我々が険悪な関係である理由にはならん。

 三国同盟で互いに手を取りあった今、再び争いを起こす気など馬鹿のすることだ。お前たちもそう思うだろう?」

 酒を見ながら思ったことを口にすると、二人が黙ってしまう。

 まぁいい、そこの二人にもあの酒を飲ませてやるか。

 これも何かの縁、戦のない今この二人とも友になれるのだからな。

「おい、店主。

 いつもの瓶にあの酒をくれ、それと今ここで飲む用に小瓶を一つ頼む」

「夏候惇様! 行ってくださればお届けいたしますのに・・・」

 奥から店主が出てきて、私へと頭を下げる。

「そこまでしてもらうのは悪いだろう?

 お前たちはこの酒を完成させてくれた、それはとても凄いことなのだからな」

 あいつの故郷の酒、ほとんど知識のないあいつの言葉から内容を理解し、完成へと導いたのは職人の努力あってのことだからな。

「ですが・・・!」

 私はまだ何か言おうとする店主に代金を手渡し、小瓶と大瓶を受け取る。

「あいつもきっとそういうさ。

 昨年もそうだが、完成させてくれたことを我々は本当に感謝している」

 そう言って頭を下げ、上げた時店主は泣いていた。

 うむ、今日はなんだか人を泣かせてばかりだ。

「申し訳っ・・ありません・・・!

 おさまるまで奥にいますので、どうかごゆっくりお過ごしください」

 小走りに奥へと行く店主を見送り、人の涙は嫌なものの筈だというのに私は一刀を想って泣いてくれる存在が居てくれることが嬉しくてたまらなかった。

「私の奢りだ、飲んでみてくれ」

 私は小瓶の酒を空になっていた二人の杯に注ぎ入れた。

 二人は迷うこともなく、酒を呷り、同時に杯をおく。流石、良い飲みっぷりだな。

「その酒は美味いだろう?」

 私が得意気に笑うと、二人は酒の余韻を楽しむように目を閉じた。

「これ、どこでも見たことのないお酒だけど、誰の発案なのかしら?」

「うむうむ、我々が知っている酒は待ってこそうまい酒ばかりだったが、甘いことが多い酒の中で辛みのある酒など珍しい。

 して、この酒の銘は?」

「この酒の銘は『華乃郷(はなのさと)』。

 一刀の語る故郷の酒を元に、職人たちが作り上げたものだ」

 本当は去年、戦勝祝いとして飲めたかもしれないだった酒。

 だが、一番完成を喜ぶはずだったあいつの不在を知った際、職人たちが流した涙を私は忘れない。

 だというのに、あの馬鹿は酒の銘だけはしっかり頼んでいたのだから抜け目のない。

 華琳様と、自分の名を入れるなど本来なら斬って捨てるところなのだからな?

「天のお酒、ね。

 まったく、本当に天の遣いくんには会ってみたかったわね。いろいろな意味で」

「まったくじゃな」

「ふふっ、呉の王や蜀の老将にそこまで言わせるような大した男じゃないさ」

 そう、あいつはどこにでもいるような・・・・ それこそ、空に多く浮かぶ雲のような存在だった。

「私はこれで戻るが、この酒は二人で飲むといい」

 知らない人間を人は悪く言うことが出来る。

 それは当然だ、実際にあったことなどないのだから。

 そして、親しい人間がその言葉に対して怒りを抱くのもまた当たり前のことだ。それがここに居ない存在ならば、尚更だろう。

 だが、この二人のようにあいつを悪く言う人間ばかりじゃない。それだけで十分だ。

 憎み、殺し、怨みあうことなどあの戦争で終わった。

 そしてあいつも、そうなることを願っていた。

「ねぇ、夏候惇ちゃん。

 一つだけ、聞いてもいいかしら?」

「うむ? 何だ?」

 孫策の言葉に立ち止まり、その海のような目をまっすぐに見つめ返す。

「あなたは天の遣いくんのことを、どう思ってるの?

あなたにとって彼は、どんな存在だった?」

 なんだ、そんなことか。それなら、答えは一つしかない。私にとってあいつは・・・

「あいつは今でも大事な仲間で、私たちのかけがえのない存在だ。

 私のこれを恋と呼んでいいかわからんが、私が知っているただ一つの恋で最高の日々をくれた愛しい男だ」

 恥じることもなく笑って言いきり、私は店を後にした。

 

 

 城へと戻ると城門ですぐ風に捕まり、四阿へと連行され、ほとんど強制的に私は風と茶を飲むこととなった。

「風よ、どうかしたのか?」

「いえいえー、たまの休日に友人とお茶を飲みたかっただけなのですよ。

 春蘭ちゃんには武官や兵の方をよく見てもらっていますしねー」

「見ているとは思っていない。これは私が勝手にやっていることなのだからな。

 それに皆を気遣って、自分の休日となると茶会を開く風ほどではない」

 私がそういうと、風は笑って首を振る。

「それこそ、風が勝手にやっていることですからねぇ。

 違いますね、きっとここには居ない沙和さんもそう答えるでしょう。

 お兄さんの代わりは誰にも出来ませんし、三国のどこを探しても同じ存在などいませんから」

 笑って言うその言葉は、私には理解しきれない何かが含まれているのかもしれない。

 だが、私には直接言われなければわからない。

 だから私は、わかる範囲の言葉しか返すことは出来ない。

 そしてきっと風もそれをわかっていて、私にそんな話をしているんだろう

「ふっ、あんな奴が二人もいることなど想像も出来んな」

「ですねぇ」

 風は目を細めて笑い、私たちはその後どうということもない会話をしたり、ただ無言で過ごしたりしているとあっという間に日は西へと下り、赤くなっていた。

 

「おぉ、もうこんな時間ですか。

 では、そろそろ解散しますか」

 風の言葉に私は頷き、立ち上がって酒瓶を担ぐ。

「そうだな・・・・

 あぁ、そうだ。今夜は霞と飲もうと思っていたのだがお前もどうだ? 風」

 私の何気ない言葉に、風は夜によって美しさを増していく月を見上げてから首を振った。

「あー・・・ 今夜は満月ですから、遠慮して早く寝ることにしますねー。

 月が満ちていない時、また誘ってくださいー」

「あぁ、ではそうしよう。

 また明日な」

「最後に一つだけ、春蘭ちゃんも泣きたいときは泣いてくださいね?」

 風の言葉を受け止めて、私は笑う。

 私はずっと泣いている。あの日から今日まで、そして今も。

「私は泣いているさ。

 あの日からずっと、この眼でな」



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理解し 危惧する者 【詠視点】

「はぁ・・・・ あっちでもこっちでも何やってんのよ、この陣営は」

 そう言いながら僕は、自室を兼ねた執務室で星から来た手紙という名の報告書を見て溜息を吐いた。

 そこに書かれていたのは蜀と魏に流れる天の遣いの噂の差異と、焔耶と桃香が起こした騒動についてのこと。

 本来ならこうした報告は僕じゃなく筆頭軍師である朱里、もしくは雛里に渡されるべきだが、星が僕に『手紙』として渡してきたのは協力と意見を求めてのことだった。

「本当は、僕が口を出すことじゃないんだけど・・・」

 僕と月の立場はあくまで桃香に保護され、侍従という立場を与えられた身。

 僕らにそんな権限も権利もないし、ましてや協力するだけの義理もない。僕が執務を片づけたり、知恵を貸したりすることは異常なことなのだ。しかも当初は『侍従としての仕事もしつつ、片手間でいい』筈だったのだが、最近は僕を文官としての戦力として数に入れての配分をしてるとしか思えない量の書簡を日々渡されるようになっているのが現状だった。

「僕が蜀に忠誠を誓ってるとか、桃香の徳に惹かれてるとか、今でも命を救ってくれたことを感謝してるとでも思ってるのかしら?」

 だとしたら、それは大間違い。

 僕は月ほどここに思い入れはないし、感謝も抱いていない。それに僕らが死なずに済んだのだって、城を抜け出すときに出会った彼が居たからだ。

「月が頷いてさえくれれば僕はこんなところさっさっと見限って、恋と音々引っ張って涼州に帰ってるわよ」

 ちょうど良い事に、数日前に魏から届けられた書簡の中にあった領主不在の土地についての返答は『かつてそこを治めていた者たちが治めたらいい』という簡潔なもの。西涼からは翠に現状を伝えるように老将・韓遂に蜀訪問するように頭を下げられたことを告げられ、心遣いも細やかだった。

 白蓮についても同様で幽州を治めてほしいということが書かれ、警邏隊は派遣されているのも各地域に一部隊程度でそのほとんどが現地人から構成されている。しかも丁寧に、一部隊が魏に戻った後も警邏隊は維持が出来ることまで明記されていた。

 この一件から改めて魏がどれほどの人材を各地に送り、領地を維持し続けていたかを実感させられる。しかも人員は必要最低限にもかかわらず、あとのことすら考えられた計画的なのものなのだ。

「本当にこの警邏隊のやり方には驚かされるわよ・・・」

 軍の新兵を鍛錬しながらも、街の警備をさせるのは勿論だけど、旅人とか職を失った者の働き口にするとか何なのよ・・・ でも、確かに名の知れた武将が飛び出すよりもずっと民は構えずに済むし、大きな被害を出すこともなく事態を治められる。

「しかもこれを考案したのがあの天の遣い、ね・・・

 何が女ったらしの無能よ。こんな案を考えて、実行まで移すことが出来る人材がこの大陸に一体何人いるっていうのよ?」

 この警邏隊の隊長を務める人物は決して強くあってはいけないし、かといって意見や指示が出せない人物でもいけない。そして、それに適した人材がこの二国には居ない。武将は誰もが強すぎ、どこの軍師も身分差がありすぎて向いていないのだ。現に警邏隊のやり方を真似してはいても、成功していない理由はそこにある。

 だというのに魏はそれを、将を組み込むこともないただの一部隊派遣しただけで涼州と幽州に基礎を作りあげ、働き口としても、街の治安を守ることにも活用できているのだ。

「まったくあの噂がどれだけ民を敵に回してるか、あの二人は承知でやってるのかしら?」

 この警邏隊を創ったのが天の遣いという時点で、民との距離が遠い筈がない。そしてそれは曖昧な夢を掲げて民を引っ掻き回したこの陣営よりも、信頼を置くのは必然。まして、警邏隊を認可し、指示を行った曹操が民に疎まれることなんてありえない。

 むしろあれほど悪逆非道と言われながら、自分たちの生活を守ってくれた存在を民がどう思うかなんて火を見るより明らかだ。

「桃香は・・・ ううん、この陣営は失うことを知ってるくせに、そのことを直視しようとも、どういうことかをちゃんと理解しようなんて一度もしてないんだもの」

 口では大切だとか、尊いと言いながら剣をとり、守ることを目指しているわりには何も守ろうとなんかしていなかった。

 逃げて、逃げて、逃げて、追い詰められてようやく桃香()が覚悟を決めたのは最後の赤壁だけ。

 だから、桃香たちにはわからない。

 誰かを一途に想う人の強さも、誰かを失うということの空虚も、何かを守る者の覚悟も、そしてそれでもなお前を向くことの力も、再び失うかもしれないという恐怖すらも。

「それこそ愛紗か鈴々でも失わなきゃ、桃香にはわからないでしょうね」

 もっとも、洛陽を守りきれなかった僕が言うのもおかしな話なんだろうけど。

「月・・・」

 月はこの陣営に残るという決意は固い。

 それは行き場のなかった私たちを受け入れてくれた桃香への感謝もあるんだろうけど、今の状況を内側から何とかしたいという想いも強いんだと思う。

 でも僕は、そうは思ってない。

 桃香はともかく、あの時朱里たちは僕らの状況を理解して戦に乗ってきた。

 自分たちが乱世に乗り出すため、他の諸侯に潰される前に結果を出すために僕らを踏み台にした。

 僕らを保護したことは偶然であり、仮に桃香たちに保護されていなくてもあのまま彼か、曹操に保護されていた可能性も十分あった。桃香自身には確かに善意もあったのだろうけど、恋たちを味方につける要素を増やしたかったんじゃないか、というのが僕の予想だ。

 もっと言うなら反董卓連合(あの時)に酷似した風評から相手を陥れる手段をとっている朱里や雛里に対し、怒りを抱いているのが正直なところ。

 けど、それを話しても月は首を縦に振ってはくれなかった。

 

 

「詠ちゃん、私たちはあの城で天の遣いさんに出会ってるよね」

 そう言ってどこか嬉しそうに、少しだけ悲しそうに語る月は遠い日を見ていた。

「えぇ・・・」

 あの時城から逃げようとしていた僕たちは、天の遣いである北郷一刀に一度会っている。

 まるで呼吸するのと同じくらい目の前の人を気遣って、お姫様だと勘違いした僕らを安心させるように、楽しそうに沙和と真桜と話し笑いあう男だった。

 彼が勘違いしてくれたおかげで僕らは生きているし、沙和たちとの会話のおかげで僕は周りを見ることと、考える余裕すらもらえた。

「詠ちゃん、私ね。

 あの人が見たがってた平和って何なんだろうって、ずっと考えてた。

 あんな風に初対面の人のことを気遣って、笑って、優しくしてくれた人が何を想って戦いの中に居たんだろうって」

 そうして語る月の目はとても優しくて、彼を語る沙和に少しだけ被って見えたのは僕の気のせいなんかじゃないと思う。

 きっと月は戦いが終わった後、彼に会うことを楽しみにしていたんだろう。

「答えはまだ出てないけど、それはきっと曹操さんたちがしてることなんじゃないかなって最近思うの。

曹操さんたちはこの一年過剰なくらい頑張ってるのに、私だけ何もしないで逃げるなんてことしたくない。

 私たちを守ってくれたのは桃香さんだけど、救ってくれたのはきっとあの人だから。

 私には大したことは出来ないかもしれないけど、それでも何もしないで自分だけ逃げるのはもう嫌なの」

 月は時々とても強くて、僕には眩しすぎて、見えなくなりそうだった。

 君主だった月は、軍師である僕以上に桃香に何か思う所があるのだろう。そして同時に、君主として曹操がどれほどのことをしてるかも理解した上で、何か力になりたいと思ってる。

 もっと言うのなら彼への恩と、憧れに近い感情を抱いているのかもしれない。

 やっぱり、僕の王は月だけ。

 僕が心から仕えたい、傍に居たいと思うのは月だけなんだなぁって改めて実感する。

「はぁ・・・ 月がそういうなら僕は何も言わない。

 僕は他の誰でもない月の味方で、軍師なんだからね。勿論、協力するよ」

 優しい月を何があっても守ること、それが僕が選んだ道なんだから。

 

 

 つい先日のやり取りを思い出しながら、僕は書簡とあちこちで聞いた彼の噂の詳細に頭痛を覚えた。

「僕が守りたい人が月であるように、魏の将たちにとっての彼がそんな存在なら、僕たちは殺されたって文句は言えないわよ」

 大切な人を貶され、知識や技術をあるだけ求められ、しかも自分たちとは関係ない領地の仲介の依頼。

 他にも領主不在の土地を管理、技術や文化の革新、新しい仕事を作るなど魏はいつ休んでいるのかを聞きたくなるくらい発展を続けている。三国を繋げる運送業が、霞の発案だったと知ったときは耳を疑ったものだった。

「しかもその運送業に噛んでるのが霞とあの郭嘉ですって? 勘弁してよ・・・」

 生粋の軍師である彼女が大陸の地図を完成させ、蜀と呉を本気で潰しにかかったらどうなるか、想像しただけで背筋が凍る。

「霞は仕事に没頭してるって聞くけど、それが逆に怖いのよ・・・・」

 三国を行き来している騎馬隊が情報を集めてこない筈がないし、その全てが霞に行き着いていることもまず間違いない。

 もし今、霞が仕事に向けていることで逸らされている怒りの矛先が、こちらへと向いたらどうなるか。郭嘉の地理と霞の騎馬隊は大陸を自由に駆けまわり、私たちを追い詰めることなど容易に出来てしまうだろう。

「荀彧と程昱、沙和の苦労が見えるようね・・・・」

 おそらくは魏内部の戦いを望む者たちを押さえてくれるだろう人物に、頭が下がる思いだった。

 『押さえてる者たちの言葉で止まることが出来る』ということもまた、彼女たちの強い繋がりが垣間見えてしまう。

「朱里、雛里・・・・ あんた達は一体何がしたいって言うのよ。

 これ以上、あの子たちを傷つけて、大陸を救ったに等しい彼を貶めて、昇る先も見失って、あんた達は何を追いかけてるのよ」

 あんた達はあの日、何を見ていたのよ。

 戦勝国でありながら、喜ぶべきはずのあの子たちがどんな顔してたか。

 一番辛い筈の彼女が、どんな姿で立っていたか。

 たった一年で忘れたの? それとも、一年前のあの日からあんた達には何も見えてなかったの?

「あんた達はわかってないんでしょうけど、今の蜀はばらばらよ。

 身内すらまともに見ることが出来なくなってる軍師が、戦場を見て采配を振るうなんて出来るわけないじゃない」

 魏に対し蜀は、争いを望む者、変わらない者、迷う者、現状を改善するために動く者、まだ留まる者、前を向く者。まとまりなんてあったもんじゃない。

 星の手紙の中にこっそりと入れられた郭嘉と程昱からの文書は、恐ろしくて開けていない。

 おそらくは話が通じなさそうなあの二人(朱里と雛里)ではなく、話が通じそうな僕と意見を交わしたいんだろうけど、頭じゃなくて胃が痛くなりそうよ・・・・

「賈詡様!」

 僕を呼びながら駆け込んでくる兵士に嫌な予感がしないのに、僕は不思議と落ち着いていてなんとなく何が起きたが想像できてしまった。

「僕はもう、様付けで呼ばれるような身分じゃないんだけど」

 苦笑しながら振り返り、董卓軍時代からの付き合いの兵士が僕と目が合った瞬間に深々と頭を下げた。

「張遼様が参られました・・・!

 賈詡様とのご面会をご希望しておられます」

「そう・・・・ わかったわ」

 天の遣いの騒動があった直後の今、霞が蜀に来る要件なんて僕には一つしか思い浮かばない。

 あぁ僕、死んじゃうかな? でも、月だけは何としてでも・・・・!

「賈詡様! そのような覚悟を決めた顔をなさらないでください!!」

 涙をこらえるようにして必死に叫ぶ兵士に僕は誤魔化すように、怒った振りをする。

「そんな顔してないわよ!」

 でも、それだけのことを僕達は魏にしたんだもの。それは傍観していた僕だって同じ。

 真名を預けた霞を向かわせてくれたのは、せめてもの慈悲かしらね?

「さっ、行ってくるわ。

 あなたは持ち場に戻りなさい」

「はっ・・・」

 有無を言わさぬ僕の言葉に彼は渋々と下がり、持ち場に戻っていく。

 それを見送りながら、僕は霞が待っているだろう部屋へと向かって歩き出した。



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酒宴 惚気 怒りを抱く者 【霞視点】

「おっ、来た来た」

 荷物を隣に置いて用意された部屋で待っとると、ゆっくりとした足音が近づくのが聞こえてくる。

「霞、入るわよ」

「詠、待っとったでー」

 ウチが軽く笑いかけながら振り返ると、そこにはなんや死を覚悟した武人みたいな顔した詠が立っとった。

 って、なんでやねん!

 何でウチ、久々に会ったダチに死の覚悟されなあかんねん。

「霞、僕の命はあげてもいいから、月だけはどうか見逃してあげて」

「はっ? ちょっ」

 何でウチが、詠の命をもらわなあかんねん?!

 てか、斬ること前提ってどういうこっちゃ?!

「魏の将の怒りはわかってるけど、どうか月だけは・・・!

 僕の命が欲しいならあげるから、月の身の安全だけ約束してほしいの・・・・」

 変わらずに頭を下げ続ける詠に駆け寄り、ウチは自分でもらしくないほど慌てとる。

「いやいやいやいや?! 何言うてんのか、話が全然読めへんのやけど!?

 ウチはただ韓遂の爺様から頼んどいた涼州(故郷)の酒と、行きがけに惇ちゃんから『華乃郷』ももろたから詠と飲もうと思うてきただけなんやけど!?」

 そう言うと、詠は少しだけ落ち着きを取り戻したように姿勢を戻してくれた。

 あぁ、よかった。話がわかってくれたんやな。

「そう・・・・ 末期の酒が故郷のものなんて、流石曹操殿。優しい心遣いね、ありがとう。

 でも、僕は月が助かればいいの。だから、一思いに・・・・」

「なんでそうなんねん!

 洛陽着任後も一度も帰っとらんし、結局戦い続きで涼州に戻っとる様子がないみたいやから爺様にウチが頼んだんや!!

 道中、我慢するの大変やったし、詠たちと飲むことを楽しみにしとったんやからな?!

 あんまし斬られるだとか、訳わからんで死ぬ覚悟しとると全部ウチが飲んでまうで!」

 左手に持って来た酒瓶の一つを持ち、呷る真似をすると詠は驚いたように目を丸くしとった。

 だから、なんでやねん!

「えっ?

 じゃぁ、本当に僕たちを斬りに来たんじゃないの?」

「だ・か・ら! なんでそんなこと考えるようになっとんねん!!

 話が全然見えへんし、ウチは韓遂の爺様送ったついでに、詠たちと酒飲みに来ただけやで!

 それともあれかいな?! まさか詠まであのちびっこどもと一緒になって、なんか後ろ暗いこと考えとるんかい!」

「なっ! 違うわよ!!」

 すぐ怒鳴り返しくれた詠を見て、ウチがにやりと笑うと詠はまた驚いたような顔をしとる。

 あー・・・ ようやく戻ってきてくれたわ。これでやっとまともに話が出来る。

「なら詠がこうなっとる理由、一から話聞かせてもろてもええな?」

「・・・はぁ、まさか僕が霞に口で負ける日が来るなんてね。

 でも、ありがと。おかげで冷静になれそうだわ」

 苦笑交じりに言うその言葉はいつもの詠で、ようやくウチが知っとるダチの顔になってくれたわ。

「んならよかった。

 さっ、一緒に酒飲んで、ゆっくり話でもしよか。

 道中、韓遂の爺様が鳥とか、山羊とか、猪とか狩るもんやから、塩漬けやら干し肉やらをぎょうさん作ったんよ」

 あの爺様突然弓構えたかと思うたら、次の瞬間鳥落とすんやもん。流石のウチもびっくりしたわ。おかげで毎日、肉食えたんやけど。

「しょっぱいもんばっかりじゃない?!」

「そう思うて、甘い菓子も街でいくつか見繕ってきたわ」

 また驚く詠に懐から饅頭の包みを出せば、噴き出して笑ってくれる。それで緊張が解れたんか、そのままひとしきり笑ってウチを見た。

「まったく・・・ 抜け目がないんだから」

「酒に関することで、ウチが抜けとることなんてあらへんがな」

「それもそうね」

 そう言って互いに笑って、ようやくウチらは席に着いた。

 

 

 まず涼州の酒を互いの盃に注ぎ、飲み交わしながら、つまみの干し肉をかじる。手製の割にはうまく出来たわ、よかったよかった。

「それで、単刀直入に聞くけど霞はどこまで知ってるの?」

「ウチは今の仕事柄外に出ること多いからなぁ、まぁいろいろ聞いてんで?

 蜀と呉が一緒になって阿呆な噂流しとることと、蜀からくる商人がいろんなところの村長を口説こうと躍起になってることとかな」

 てか、聞かんでも村長が教えてくれるんよなぁ。

 噂に関しては風や稟から集めるように頼まれとるし、最近稟に至ってはその出所を探そうと細かなとこまで調べようとしとる。

「村に手回しもしようとしてるのね、あの二人・・・

 しかもそれは魏に筒抜けっていう、どんだけ各村に魏が信用されてるかを実感するわよ」

 あーぁ、詠が頭抱えとる。

 詠は冷たそうに見える癖に、いろんなこと抱え込むからなぁ。

「まっ、その辺りは魏っちゅうか、警邏隊のおかげなんやけどな」

 一刀が最初に育ててくれた奴らの大半は、今や一部隊を任せられる隊長になっとる。

 一刀が残してくれたもんがウチを守ってくれとる。

 守ってたつもりやのに、結局ウチらはずっと一刀に守られたんやな。

「んで? 詠があんな早とちりしたん理由、教えてもろうてもえぇか?」

「今の霞なら大体察しはつくでしょ?

 蜀がこんだけ好き勝手やってる中、あの郭嘉と程昱からの書簡が手渡されて、そのすぐ後に『神速の張遼』が来るのよ? 嫌な想像しか出来ないわよ」

「まぁ、そうやろな。

 けどな、間違っとるで? 詠」

 肩をすくめてウチを見る詠に、ウチは笑う。

 そう間違っとる、ウチは誰か一人を闇討ちするなんて面倒なことはせん。んなことしたら、絶対に軍師の桂花や風に迷惑かけるやろ?

「ウチが本気で殺る気やったら、蜀の重鎮が揃う会議中に堂々と乱入するに決まっとるやろ?」

 あっ、詠が固まってもうた。でも、これは本音やしなぁ。

「霞、やっぱり怒ってるのね・・・・」

「ハハハ、当然やろ?

 人が心底惚れた男のこと馬鹿にするっちゅうことがどういうことか、ウチがわからしたろうかと思ってるだけやで?」

 やれ女ったらしだの、無能だの、片っ端から女襲う野獣だの、言いたい放題やしなぁ。しかも大陸中に広めてるから随分面白がった阿呆や、嫉妬した馬鹿が居ったみたいで脚色されとるし。

 『三国の女、全員に手を出した』とか報告が来た時、本気で殺しに行こうとしたウチを惇ちゃんが止めんかったら、どうなってたんやろうなぁ?

「・・・・参考に聞くけど、それはどのくらいなの?」

「んー? そうやな・・・

 この陣営に居る噂に関わっとる馬鹿と噂に左右されとる馬鹿、君主として無能な馬鹿と盲信者。ぜーんぶぶっ殺してやりたいくらい、やな」

 あぁ、思い出しただけでムカつくわ。

 あの報告を歯くいしばって伝えてくれた部下は、ホンマ偉いと思うで?

 警邏隊に迷惑かけずに怒り押さえて、仕事をまっとうしたんやからなぁ。

「えぇ、霞がかなり怒ってるっていうことが、よーくわかったわよ・・・」

 頭痛を堪えるように頭を押さえて、詠は杯を空にする。

 おぉ、詠にしては珍しくえぇ飲みっぷりやな。

「そんなにいい男だったの? 天の遣いは」

「いやぁ、世間で言ういい男ではなかったと思うで?」

 そう、別に金を持っとったわけでも、我儘を何でも答えてくれるわけでもない。

 整った顔立ちではあったけど、美形ってわけやなかった。

 ましてや、地位や権力があったわけでもない。

 でも、だーれもそんなこと気にせんかった。

 『天の遣い』だからだとか、男だからとか、隊長だからとか、もっとるもん何一つひけらかすこともない男やった。

「武もない、智もない、金もない。

 権力ももっとらんかったし、誰でも当たり前のように気に掛ける男やったよ」

 そう、本当に誰にでも分け隔てなく笑いかける変りもんやった。

 君主も、軍師も、将も、民も、何も変わらないとでも言うように、そこに居る人間を全員幸せにして歩いとるんやないかと思うくらい誰にでも分け隔てのない男やった。

「でもな、だからウチは惚れたんや。

 誰にでも手伸ばしてくれる、誰も彼も笑いかける優柔不断な男にウチは心底惚れたんや」

 ウチが惚れたんは一刀の外側についたもんやない。

 人には見えん、実際に言葉交わして、触れ合わなわからんもんを好きになった。

 ウチに多くを気づかせて、教えてくれて、残してくれて、一番肝心な本人はいなくなってもうた。

「城から逃げる時に一度だけ会ったけど・・・ 本当にあのままの人だったのね」

「お! 一刀に会ってたんか。

 どうせ一刀のことやから、二人のことを気づかんで送り届けるとか言うたやろ?」

 返ってきたのは意外な言葉にウチは笑って、一刀がやりそうなことを適当に言ったら、詠はまた驚いた表情をした。

「よくわかったわね?」

「だと思ったわ」

 ホンマ、一刀やなぁ。

 いつでも、どこでも、なーんも変わらんお人好し。もう、だから大好きなんや。

「んで、あのちびっこどもはあれかいな?

 戦争したいんか?」

「したいんでしょうね。

 全部の状況が見えなくなるほど、魏を倒すことを目標にしてるようにしか私には見えないわ。

 蜀の良心である黄忠が荊州問題で不在、それなのに領地問題で戦力である馬超達が居なくなる前に行動を起こしたいのが正直なところでしょうね」

「はっ! 胸糞悪っ!!

 結局、関係ない月たちをここまで巻き込んで、他もなんも見えとらん。あれが桂花たちと同じ名称で呼ばれとることすら腹立つわぁー」

 ウチの正直な言葉に詠は肩をすくめて、苦笑する。

 返す言葉もないっちゅうか、同感ってカンジやなぁ。

「あっ、そうやった!

 風達が手紙がどうこう言うとったんやけど、それは読んだんか?」

 あっ、詠が速攻で目逸らした。

 まぁ、さっき言った通りに思っとったんなら、魏の軍師の二人の書簡は開きにくいわな。

「怖くて開けるわけないじゃない!」

「っていうのを予想した風が、ウチに映しを持たしたんや。

 ウチも一緒に読んだら、怖くないやろー?」

 風って凄いわぁ、千里眼でも持ってるんやろうか?

 まぁ、警戒されてるんなら、もう少し詳しくウチにそのこと伝えてもええと思うんやけど。

「郭嘉のも?」

「そやで? ウチはどっちも内容知らんけどな」

 詠はすっごく嫌そうな顔をしながら書簡を睨むもんやから、ウチは書簡を放ったりして遊ぶ。

 うーん、かといって読まんのはあかんやろし。

「詠ー? あんまり覚悟決めんとウチが音読するで?」

「わかったわよ・・・

 読むわよ・・・ 貸しなさいよ」

 そう言って書簡をウチの前で開くと詠は頭を抱え、それどころか腹を辺りに触れていた。

 

 

『賈詡殿、今更名乗る必要はないかと思いますが念のために、私は郭奉孝と申します。

 今回はあなたに、ある提案をするために筆をとらせていただきました。

 単刀直入に申します。董卓殿共々、こちらへと来ませんか?

 そして、私はあなた方にこそ蜀を治めてもらいたいと考えています。

 『董卓』の名を出すことが出来ないという面に関してはあの乱の真相を語り、そちらに居る袁紹を処刑すればいいだけの話ですので。

 敏いあなたのことです。私が作成している物が何か、運送業が何を意味するかを察しがついていることでしょう。

 洛陽を任されていたあなた方の手腕、こちらで活かしてはいただけないでしょうか?』

 

『とまぁ、郭ちゃんは過激な内容を書いているでしょうが、これは争いが起こった場合の選択肢の一つと考えてくださいー。

 程昱である私として戦が起こった場合のあなた方に一つ選択肢を示すのなら、さっさと涼州に戻ることをお薦めするのですよ。傍観し、領地を治めてくだされば、こちらには何の不満もありませんからねぇ。

 ですが、争いがないのならそれに越したことはありません。

 私としてはそちらの内部で動いてくださるだけでも十分なのですよ。

 でも忘れないでください、賈詡さん。

 あなたは本来、蜀の者ではありません。責任もありませんし、死を共にする理由もないのです。

 自分が一番優先したいものを、守ることを心がけてくださいね』

 

 りーん? ちょい過激すぎやしないかー?

 風はまぁなんちゅうか、風やなぁ。

 持って来たウチでも、さすがにこの内容には顔が引き攣るわぁ・・・

「ていうか、この陣営に袁紹居るんか?!」

 書簡の中に書かれた知らなかった事実におもわず驚き、声が自然と大きくなる。

「いるわよ・・・ 街のどこかには居るんじゃない?」

 対する詠はもう諦めたと言った声で、興味もなさそうに視線を移す。

「はぁ?!

 月と詠、恋に音々音が居るっちゅうに何であいつらを陣営におくなんてことが出来るんや?!

 神経おかしいんとちゃうか! あの君主!!」

「知らないわよ、思い出させないでよ。なるべく視界にもいれたくないし、名前すら思い出したくないんだから。

 どうせあれでしょう?

 『恨みとか憎しみをいつまで抱いててもしょうがない』とか、『過去は乗り越えるもの』とか言うんじゃない?

 あの子なら割と本気で、あの乱の真実を知らないとかありえそうで怖いけど」

 詠の目が死んどる。怒ることすら諦めたんやろうなぁ。

 怒りの内容が一個増えたなぁ、ホンマこの陣営ぶっ殺したいわ。

 厄介なんは武官じゃ関羽くらいやしなぁ、まぁ出てきても斬り殺すだけやけど。

 そこでウチらはほぼ同時に盃を呷り、涼州の酒が尽きたことに気づいて、ウチは追加として一本の酒を取り出した。

「何、このお酒?

 聞いたこともない銘だけど、どこの酒よ?」

 酒のおかわりとして『華乃郷』を注ぎながら、詠は首を傾げて、その瓶を手にとる。

「一刀の話を元に作った天の酒で、魏の酒や。

 作ってるところも少ないのもあるんやけど、作るに関わった杜氏たちが他国に流通させることを拒んどるんよ」

 理由はいうまでもない、一刀のことをあんなん言う馬鹿共にこの酒を流通させてまで飲ませるなんてしたくないんやろうな。直接買いに来たら、流石に売れんとは言わんらしいけど。

 詠は飲みかけたが何故か手を止め、盃を置く。

 その目には疑いなんかやなく、どこか悲しげで、何かに気づいたような感じやった。

「詠?」

「本当・・・ 技術を渡せとか、協力しろとか、意見をくれとか、身勝手で最低よね」

 そう言って詠は、泣いとった。

「天の知識を渡せっていうことは、あなた達と彼の思い出にずけずけ入っていって、彼が残した欠片を奪っていってるようなもんなのよね。

 しかもそんな彼を貶して、怒らせようとしてる・・・ 僕らは本当に、殺されたって文句は言えないのよね」

 

 ウチがその涙が嬉しいと思ったんのは、悪いことやろうか?

 一刀が守りたいって思った大陸(もん)が一刀を否定するんやったら、そんなところいらんとすら思った。

 でもウチは、詠のその表情を見て人間ってまだまだ捨てたもんやないって思えた。

 ダチが泣いとるっちゅうんに、ウチって最低やな。

 

「詠、飲んでみ」

「えっ? だってこれは・・・ 思い出の酒でしょ?

 他陣営に飲ませたくないものじゃない」

「えぇから飲みやって。

 泣くのが馬鹿らしくなるほど、うまい酒やで」

 ウチが手渡した盃を受け取り、透き通った綺麗な酒を前にして詠は意を決したように口にする。

「どうや? うまいやろ?」

 ウチは自分のことのように得意げに笑うと、盃を空にした詠はまた涙を零した。

「詠、謝るんは無しやで?」

「・・・・!!」

 ウチの予想通り謝りかけた詠は言葉を飲み込んで、思いっきり息を吸った。

「あーもー! ちゃんと言葉を交わしてみたかったわね!!

 魏の将にここまで想われて、霞が恋した男に。

 こんな涙が出るほど素敵な酒を知っている彼の話を、彼の言葉で聞いてみたかったわよ」

 涙ながらに笑う詠を見て、ウチは見せつけるように笑う。

「世界中に自慢したくなるような、最っ高の男やったよ」

 そういったウチの目にも何かが流れた気がするんは、きっとこの酒が旨すぎるせいや。

 そうや、きっとそうに決まっとる。

 

 

 

 詠とは部屋で別れ、ウチは夜道を歩く。

 人の居ない方へと歩いて行くと、馬を連れて外套を被った人が橋の近くに立っとった。

「霞殿、賈詡殿は如何でしたか?」

「稟、やっぱり来たんか・・・・」

「えぇ、あの手紙への反応は気になりますからね。

 まぁ、彼女たちがどう動こうとも争いが起きた際は、さしたる問題はないのですが」

 先日の一件から稟はずっとこの調子であり、その目に宿る冷たい殺意は三国同盟以前でも見たことのないものやった。

 空虚だった稟をここまで怒らせとるんやから、凄いわなぁ。

「風も、沙和殿も、桂花殿も、春蘭殿も、優しすぎますよ。

 霞殿、あなたも本音を言えば、こんな国なんて潰してしまいたいでしょう?」

「否定はせんよ。

 今からでも蜀のちびっこやら、盲信者を血祭りにあげたいと思っとる」

 そういう意味じゃウチは、稟がそうしてくれとるおかげでぎりぎり行動に移さんで済んどるのかもしれんなぁ。

「・・・まぁ、いいでしょう。

 争いが起きれば私の出番、それまでは風や他の方にお任せしますよ。

 それでは私はこれで、また魏でお会いしましょう」

「おぅ、また魏でなー」

 そう言って馬で走り去っていく稟を見送り、ウチは空を見上げる。

 そこに輝くんは半月、半分でも輝いてる月を見とると一刀のあの言葉を思い出した。

「宙天に輝く銀月の美しさに、か・・・・」

 呟き目を閉じれば、あの日と何もかわっとらん笑顔を思い出され、自然と言葉がこぼれ落ちとった。

「あぁ、会いたいなぁ。一刀」



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創り 残す者 【真桜視点】

「・・・・あぁ、もう朝かぁ」

 安全眼鏡を首に下げながら、ウチは窓から入ってきた光が眩しくて目を細める。

 ウチの近くには隊長の書簡に残されとった催し案の模型やら、ウチの中での模索案が書かれたもん、完成品やら、作りかけのもんばっかりやった。

「隊長、自分は居らんくせにこんな大仕事残すんやもんなぁ・・・・ ホンマ、参るで・・・ 

 この催し案とか、ウチにだけ負担でっかくあらへんかぁ?」

 なんて言いながら、隊長の顔が浮かぶだけで自然と笑みが浮かんでまう。

 今でも自分が隊長のこと好きなんやって思えることが嬉しゅうて、悲しゅうて、でも隊長がやりたいことにはウチが必要なんやってことが思えることが今でも幸せで、なんや複雑な気持ちやわ。

「ホンマ、ウチらのことばっかり・・・・

 隊長、どんだけウチらのことが好きやねん」

 魏の将全員に配られた隊長の書簡の写しは何度確認してもウチら()のことばっかりで、何度読み返しても笑てまう。合間合間に入る他陣営の名前に嫉妬するのも阿呆らしくて、なんちゅうか隊長やなぁとしか思わんもん。

 競馬に将棋、武闘大会に料理大会。水車に風車、姐さんの運送業に必須な荷車。

 ホンマ、いろいろ多すぎやろ。

 しかも、発案者の隊長が居らんとかウチに丸投げしすぎやないかー?

「真桜ちゃーん? 朝ご飯の差し入れだよー?

 起きてるー? 寝てるー? どっちみち突撃なのー!」

「沙和ー? 突撃してもえぇけど、散らばってる部品一個でも踏み潰したら張ったおすから、そんだけは覚悟してはいりやー?

 そんから扉空ける勢いで棚揺らして、ウチ埋めるのも勘弁してなー」

 扉の前で聞こえたいつもの沙和の声に、ウチは自分でも不自然なくらい良い笑顔をしながら警告しとく。まぁ、部屋散らかしとるんはウチやけど。

 昔それで、隊長埋めたことあるんよなー。

 寝取った隊長飛び起きて、『俺を永眠させる気か、コラー!』とか言って怒っとったんよなぁ。

「はーいなの・・・・」

 肩落として静かに入ってくる沙和が持っとるんはまだ湯気が立っとる肉まん。こんな朝からやっとるとこなかった気がするんやけどなぁ?

「おはよーさん、沙和」

「おはよーなの、真桜ちゃん」

「んで、その肉まん。どうしたんや?」

「今朝、幽州に出発した職人のおっちゃんに渡すように頼まれたのー。

 真桜ちゃんが徹夜してること、おっちゃんたちにばればれなの」

 おっちゃん共、余計なこと言うてからに・・・

 そう言って沙和は足元に注意しつつ歩いて、ウチに肉まんを手渡してきた。

「徹夜駄目って言って聞かないのは昔からだから諦めるけど、おっちゃんたちに心配させるほどってどんだけなのー!」

「んー・・・ 最近、特に忙しゅうてなぁ」

 やってなぁ、隊長の書簡の前から仕事ばっかりやったしー。

 沙和の言葉を聞きながら、口には肉まん咥えて、ウチは近くにある模型のいくつかを弄る。競馬場に武闘会場の立体見取り図、それに必要な道具とか、隊長の作成説明文解読できるのって何遍も話しあっとったウチくらいやし。

「でも、無理しちゃ駄目なの。

 ちゃんと寝るんだよー?」

「そのうちなー」

 ウチじゃないと出来んことが多いんやもんなぁ、この一件。

 まぁ、将棋の駒は隊長が結構細かく図にしといてくれたおかげで、彫るだけやけど。あとの設備が大半大掛かりなんやもんなぁ。

 料理大会に関しても外にそういう設備作るんだか、どっかの飯店借りんのか、全然書かれてないんやもん。その辺りの詰めが甘すぎやねん。

「寝・な・さ・い・な・の!」

「えー・・・・ ウチの仕事ぎょうさんあること、沙和なら知っとんやろ?」

 警邏隊の仕事の比率減らしてもろてるけど、それでも毎日時間たりひんよ。

 案の状態ならウチが決めんことの方が多いし、それが終わっても理解しとるウチが指揮に回らな作業は進まんやろしなぁ。

「こんなこともあろうかと! 凪ちゃん!!」

 そう言う沙和もウチには想定内やけどな~。

 ウチは凪を呼ぼうと沙和が一瞬後ろを振り向いたのを狙って、一分の一影武者人形の頭に書簡をさしてから、窓から飛び出す。

「あっ! 真桜ちゃんが逃げたの!?」

「はぁ・・・・ 沙和、私たちも仕事に行くぞ。

 真桜を見てるのは私たちだけじゃないしな、ぎりぎりになる前に止める者が将だけとは限らない」

 二人の言葉を背後に聞きながら、ウチは街の工場(こうば)の方へ足を向ける。

 おっちゃんたちにいろいろと頼まなあかんし、教えなあかんからなぁ。

 

 

「へーい、おっちゃんども。

 今日も汗水流して、頑張っとるかー?」

「おぉ、真桜の嬢ちゃん。

 また来たのかよ? 幽州組なら今日出発したし、荷車の方は足りてるだろ?」

 ウチがそう言ってはいると、一番近くにいたおっちゃんが応対してくれる。まぁ、いつもこんな感じやし、簡潔に状況教えてくれるんも助かるわ。

「工場長言わんかーい。

 つーわけでみんな! 今の作業、一旦止めて、ちょっと集まってもろうてえぇかー?」

「あー? 人使いあれぇーよ! 嬢ちゃん」

「あいよー、今日昼飯奢ってくれたらなー」

「つか、久々じゃね?

 わざわざ嬢ちゃんがこっちまで足運ぶって、なんかあったのかよ?」

 ウチがそう言って大声で呼ぶと、あちこちから文句やら軽口混じりに返事が返ってくる。

 ホンマ、工場は相変わらずやなぁ。でも、頑固一徹の職人どもしかおらんこんなとこでも隊長はいつも通りやったっけ。

「えーから、はよ集まりやぁ!」

『うーっす!』

 ウチがそう言うと全員が持ち場からのそのそと立ち上がり、弟子とかのちんまいのまで集まってくる。

「んで? 久々に集めた理由はなんだよ? 工場長」

「隊長が、ウチらにでっかい置き土産したんや」

「北郷の旦那が・・・?」

 そう言ってウチは持ってきた隊長の書簡の写しと華琳様たちが書いた案の書簡、ウチが必要となるだろうと予測した器具やら、なんやらのこまごました書簡を机の上に投げる。

 その書簡を見た工場のまとめ役のおっちゃんは顔に手を当てた後、大声で笑い出した。

「まったく、旦那だなぁ・・・

 よえぇー癖に、技術もくそもねぇ癖に、俺らにしか出来ないことをうまく残しやがる」

「やろ?」

 ウチとおっちゃんが笑いあい、机に置かれた書簡を全員が見ては同じような笑みを見せる。

 ここに居るんは根っからの技術屋、全員無理難題が大好きな阿呆共、不可能を可能にしてこそ北郷工作隊。

「何から取り掛かりゃいい? 工場長」

「まだ会場となる場所が決まってない、大掛かりなもんは何も作れん。

 けど、始まりんとこの厩舎もどきは何度か試作が必須や。おっちゃんがまとめる一班には、これを中心に進めてほしいんや。ウチが考えた模型はあとで持ってくる。許可とかは全部ウチに任しとき。

 二班には将棋の駒や。これも実際何度かやってもろうて、高さやらなんやらの調節まで試行錯誤してもらうで。

 他の班は魏国内での水車や、風車の普及作業を継続的に続ける。それに近々涼州にももう一班送らなあかんから、ウチがじっくり教え込んだるわ。

 ここまででなんか質問ある奴、居るか?」

 軽く見渡すと全員が頷き、ウチは満足げに笑う。

「ほな、いつものやるでぇ!」

 そう言ってウチは大きく息を吸って、吐き出した。

「やるときゃやったる、全てを創れ! ウチらは魏国の」

『北郷工作隊!!』

「失敗なんぞ屁でもない! 北郷隊の理念はー!!」

『発案! 実行! 改善!』

「やるでーーー!!」

『おおおぉぉぉぉぉーーーーー!!!』

 隊長が団結力を持たせるとかで始まったこの掛け声は、団結力が高まった今でも続けとる。

 これをやるとみーんな、表情変わって、やる気に満ち溢れてるような気がするんよな。

「ったく、旦那は大陸にどんだけ笑顔を運べば気が済むんだよ。

 あぁ、やってやろうじゃねぇかよ!

 天の遣いの名において、職人の誇りにかけて、全部作り上げてやろうじゃねぇか!!」

 そういうおっちゃんの目は輝いていて、傷だらけの腕を叩いて鑿を握りしめる。

「『大陸に北郷工作隊あり』って、言わせてやろうじゃねぇか!」

 若い職人が鉋を持って、拳を振り上げる。

「んでもって全部に刻んでやるよ、『北郷』の二字を。

 あんたあっての大陸だと、あんたがいたから俺たちは作れたんだって、後の世すらも語り継ぐように!」

 その言葉にウチは頷いて、もう一発号令を叫んだ。

「さぁ、取りかかるでーーーー!!!」

『おおおぉぉぉぉぉーーーーー!!!』

 

 

 

 そうして日が暮れるまで、熱気あふれる工場で過ごしてウチは上機嫌に城へと道を歩く。下手な睡眠より、ウチにはこっちの方がずっと体にえぇわ。

 仕事の方も順調やし、あと問題なんは大掛かりな建物とかやろうなぁ・・・・ となると桂花様やら風様辺りに掛け合わんと。

 仕事のことをあれこれ考えとると、あっちゅう間にウチは自分の部屋兼工房の前についとった。

「真桜、勝手に邪魔しとるでー」

 扉開けたら、そこには姐さんが酒盛りしとった。まぁ、たまにあることやからウチは驚かんけど。

「『華乃郷』の新酒ですかいな」

「おー、真桜も飲みや」

「んじゃ、遠慮なく」

 姐さんに盃渡されて、酒瓶から手酌で飲む。

 相変わらず、杜氏のじっちゃんたちもえぇ仕事しとるわ。

「んで? 今日はどないしたんです? 姐さん」

 いつもと違う雰囲気、この酒を飲んでるとは思わんような真剣な雰囲気を持っとるのをウチが気づかんはずがない。

「ちょっち、仕事で蜀に行ってきたんよ」

「・・・それをウチに報告する意図がわからへんです」

 ガキみたいにそっぽ向くウチを姐さんはいつもみたいに笑いもへんで、まっすぐ見つめてくる。

 姐さんの目はたまに隊長に似とる。

 まっすぐ人を見る目は眩しゅうて、時々見えへん。見透かされる気がして、なんか落ち着かへんし。

「仕事ついでに詠と飲んで、そん時泣きながら言われたんよ。

 『天の知識を渡せっていうことは、あなた達と彼の思い出にずけずけ入っていって、彼が残した欠片を奪っていってるようなもんなのよね』ってな。

 それ聞いて、ウチは『まだ人間も捨てたもんやない』って思えた。

 その後、ふと気づいたんよ。その痛みを一番味わっとんのは真桜なんやないかって」

 隊長の思い出の欠片、か・・・・ そう思ってくれるん人が、蜀にも居るんやな。

 目から零れそうになったものを堪えながら、ウチはほとんど使わん机の一番上の引き出しには入っとるもんを手にとった。

「姐さん。これ、なんやと思います?」

「ん? 何やそれ?」

 いくつかの部品が飛び、大きな穴の開いたそれは『初代・全自動籠編み機』。もっとも全自動なんて名ばかりのもんで、籠売る傍らに置いといたらネタになる程度やった。

「この子は、ウチと隊長を出会わせてくれた子なんです。

 ウチ、元々農民出身で、沙和と凪と一緒になって籠売りに来たんです。

 そん時、偶然隊長と華琳様に会うて、顔覚えてもらってたんです。

 隊長、子どもみたいに目輝かせて『スゲー、スゲー』言うて、籠まで買うてくれたんですよ」

 置いといても誰も目をくれんかったこの子を、隊長は何の表裏もなく褒めてくれた。

 たったそれだけが、嬉しかった。

 やってウチの作品を褒めてくれたんは、凪と沙和以外は隊長が初めてやったから。

 豪天砲を作っても、他になんか作っても爆発ばっかさせたウチなんて村では変わりもん。村が黄巾賊に襲われてたからこそ役に立っただけで、ウチなんかいつ村から追い出されててもおかしくなかったんやし。

「その後、なんやかんやあって華琳様に仕えることになって、隊長の下についてたくさんのもんを作りましたんよ。

 防柵、弩、即席の大木落とし、春蘭様たちの武器・・・ 戦いに関するもんだけやない。玩具やら、棚やら、臼やら、水車やら、身近なもんまで隊長作らすんやもん。ウチ、おもわず笑ってもうた」

 技術で危ないもん作っとる傍らで、隊長の案で作ったもんは気がつけばウチの周りに笑顔を作っとった。豪天砲なんて危ないもん作ったウチにそれだけやないって、誰かを笑顔を作れるんやって教えてくれた。

 天の知識なんて曖昧な、夢物語みたいな話は職人の遊び心も、探究心も、向上心をくすぐられて、毎日が楽しゅうてたまらんかった。

「姐さん、ウチな・・・・ ううん、ウチら技術屋は隊長の言葉にな。

 壊すばっかりの中に、光りをもろうた気がしたんよ」

 作っても壊されて、作ったもんは壊すもん。

 ウチら技術屋が作ったもんは戦いにばっか活かされて、技術屋のなかには腐るもんも多くて、金のために物を作る奴も増えとった。

「意見の交わし合いなんて言いながら喧嘩みたいなやり取り何遍もして、職人と向き合って、もっとも喧嘩弱い隊長が職人のおっちゃん共に勝ったことなんて一度もなかったんやけど。

 あのくっそ頑固なおっちゃん共が隊長を驚かした時だけ得意げに笑って、隊長も嬉しそうに笑うんや」

 いちいち驚いてくれて、自分の身近にあったもんが出来たことを嬉しそうに笑うてくれた。

 使う側だけじゃなく、作る側のことも隊長は見とってくれた。

 使い捨ての技術屋を、使い捨ての道具を大切なもんとして、苦労に気づいてくれたことが心底嬉しかったんや。

「真桜・・・」

「戦いはなんも生まんのですよ、姐さん。

 壊すばっかり、なくすばっかり、有望視されとった若い職人も死んでくんや。

 奪いたくないもん奪わせて、作る可能性すらも摘んでってまう・・・・」

 ウチはただ悲しかったんや。

 物も、人も壊して、奪うだけの戦いが。

 やったらやり返す、子どもの喧嘩と一緒で進歩もない繰り言が。

 壊すんは一瞬でも、作るんはその何倍の時間がかかるっちゅうことを知っとるくせに、誰も振り返ってくれへんことが。

「やっぱり、真桜が三人中で一番戦いを望んでへんのやな」

「一番は沙和やで、姐さん」

 あんだけ誰に対して仲を保とうとして、ウチには無理なことをしてくれとる沙和が一番戦いを嫌がっとるとしか、ウチには思えん。いつもの愚痴の時も、友好関係も、ついこの間の件もそうやったしなぁ。

「いやぁ、沙和も前回の一件で相当きてると思うで?

 仲を保とうとしても無駄で、あーんな噂流されて、向こうが戦う気満々。

 むしろ逆に『これで駄目だったら、今度こそ容赦なく叩き潰せる』って、考えそうなもんやないかー?」

 姐さんの考えにウチは笑い飛ばすことが出来ずに、顔を強張ってく。

 今の沙和なら、ありえへんと言えへん。

「かもしれへんですね・・・

 姐さん、戦は起こるんでっか?」

 ウチのその問いかけに姐さんは苦笑して、酒を飲んではる。

 おそらく姐さんはどっちかっていうと戦いを望んでる側で、華琳様が頷いたら先陣きって行きはるんやろうなぁ。

「どうやろな・・・・」

 姐さんが言葉を濁して沈黙を訪れようとしたそん時、突然窓が開かれた。

「それは蜀の穏健派たちがどう動くか次第、ね」

 星の明かりを背負ってのご登場するんは、魏の王たる華琳様。

「華琳様・・・」

「華琳・・・ どっから聞いとったんや?」

 姐さんの問いに答えず、華琳様はウチへと歩み寄り、突然抱きしめた。

「真桜、ごめんなさい」

 その言葉にも、行動にも目を白黒させるウチにもかまわず、頭を撫でてきてくれはってさらにウチを混乱させる。

「私は技術を尊びながら、あなた達技術者への配慮が欠けていたわね。

 本当に、ごめんなさい」

「華琳様が謝るんことはなんにもあらへん!

 華琳様が居ったから、ウチらは技術を守ることが出来たんです!!

 だからウチらは、隊長に会えたんです!」

 華琳様の言葉にウチは気づけば泣いていて、子どものように首を振って否定しとった。

 華琳様に守ってもろうて、居場所を貰えた。

 隊長に会えて、作るっちゅうことに光り(希望)を貰うた。

 それはどんなことよりも幸福やった。

 泣きつくウチを華琳様はただ優しく撫で続けてくれて、受け止めてくれはった。

「私はあなたが技術提供を拒んでいた理由を他国への嫌悪ばかりだと思っていたけれど、違ったのね。

 ねぇ、真桜。

 あなたは他国に技術提供をすることで、その技術を戦争に利用されることを恐れていたんでしょう?」

「隊長、たまに『技術の発展は素晴らしいことだけど、みんな使い方次第なんだよな・・・・』って、悲しそうに言うとったんですよ。

 そん時のウチには理解出来へんことやったんですけど、今ならその言葉の意味がわかる気がするんです」

 水の力を利用した水車をうまく使えば、人力のいらない投石器が出来る。豪天砲をばらして、作りを簡略化したもんが量産できるようになったらそれだけで戦のやり方は変わってまう。

「魏の職人はえぇんです。みんな隊長の影響受けて、戦いなんて誰もしたないし、望んでないっちゅうことを知っとる。

 けど、他国はそう見えへんのです! 信じられへんです!!」

 ウチは拳を握って、叫ぶ。

 戦うことばかり考えて、『寄越せ寄越せ』と叫んで、この技術が何のために生まれたかも知らん阿呆共には渡しとうなかった。

「隊長が笑顔のために作ろうとしたんもんを、いろんな願いが詰まったもんを!

 人を殺す兵器として利用されるんを、ウチらは耐えられんのです!!」

 もう嫌なんや、平和望んだ隊長が考えて、作り上げたもんが人の命奪うだけなんて。

 ウチらのあの時間を、思い出を血で汚されんのは我慢できへん。

「また、大事なもんを奪ったり、失ったりするんをウチは嫌なんです・・・・ 華琳様・・・」

 呉から黄蓋を奪ったように、今度は誰を奪うんですか?

 隊長を失ったみたい、ウチらは次に誰を失うんですか?

 民から、どれほどの家族を奪うんですか?

「そうなってほしくないから、一つの書簡に多くの希望を残した者がいることをあなたは知っているでしょう?

 諦めの悪く、おせっかいで、優しさに満ち溢れて、人の幸せを当たり前に望んでくれたそんな馬鹿な人を私たちは愛して、それを見習って動いてくれてる子たちがいる」

 動いてくれてるんが誰なのかは、ウチにはわからへん。

 けど、華琳様の手が優しくて、暖かくて、響く言葉がとても心強いと思えたんや。

「おおきに、華琳様」

 ただウチは、こうして思うてくれてる人の下に居れることに自然と感謝を口にしとった。



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単純馬鹿と苦労する者 【蒲公英視点】

「星姉様の馬鹿ー・・・・

 なんでよりによってたんぽぽに、こんなめんどくさいこと頼むのかなー」

 多分今頃、魏からこっちに戻ってくる道中にいるだろう星姉様に文句を言いながら、朱里ちゃんたちに行った報告書とは別に来た手紙を見直して、机に突っ伏した。

 

『この書簡が来た時点でお前のことだから、どの件かは察しが付くだろう。

 わからなかったら詠に聞くか、情報を集めて自分で察せ。ただし、朱里たちには聞くな。

 この手紙の内容についても、適当にぼかしておくように。

 魏でうまいメンマの店を見つけた、自慢話をされたとでもでっち上げておいてくれ。

 蒲公英、お前に頼みたいことは一つだけだ。

 もしあの(馬鹿)が馬騰殿の一件で朱里たちに乗せられそうになり、馬鹿なことを実行する前に止めてもらいたい。あるいは(馬鹿)が馬鹿なことを実行に移しかけたら止めることが、今蜀の地に居るお前にしてもらいたいことだ。

 こちらの焔耶(馬鹿)を止めきれなかった私が言うのもおかしいが、魏の都にて起きた一件にて、あの焔耶(馬鹿)は魏の軍師の中で最も怒らせてはいけない者に火をつけてしまった。まぁ、私が本当に恐ろしいのはあいつよりも、その後ろで一切の自己の感情を見せていない者たちの方なんだが・・・

 まぁいい。とにかく蒲公英、そちらは任せたぞ。

 仮に止めることが出来なくとも、私が戻るまでに足止めはするようにしてほしい』

 

 あっれー? この手紙の中って『馬鹿』って言葉が異様に多くない?

 わざわざ名前のところに馬鹿って書かなくてもいいんじゃない? 星姉様。

 ていうか、そっちの焔耶(馬鹿)何やったの?!

 商人さんとかの噂とか聞いてれば、そりゃなんとなくはわかってるけどさぁ・・・ たんぽぽ、一応武官だからこういうの専門外なんだけどなぁ。

「はぁ・・・ お腹痛くなりそう・・・」

 でも、行くしかないよねー。

 この間韓遂のお爺様来てお姉様に何かを話しに来てるんだし、魏からの返答の内容だって『前に治めてたところに戻っていい』って言ってくれてるんだし。

 それどころか、たんぽぽたちが戻るまで警邏隊とか技術提供だってしてくれてるみたいだし、感謝はしても恨むことなんてこれっぽっちもないんだよね。

「問題はお姉様がどれくらい叔母様の一件を引きずってるか、ってことだよね」

 叔母様の最期は、曹操さんから三国同盟後にようやく伝えられた。その死に様は武人としてではなく為政者としてのものであり、そして曹操さんはそんな叔母様に敬意を示して丁重に弔ってくれた。

 そんな曹操さんに対して感謝こそしても、恨むのはお門違いも良い所だと思う。

 殺し合うっていうことは死体を野晒しにされても、貶されても文句を言えない。そんな中で手を合わせて弔ってくれるということが、どれだけのことかわかる人って意外と少ないんだよねー。

「はあぁー、星姉様の馬鹿~~~~」

 そう言ってもう一度、ここに居ない星姉様へと文句を言ってから諦めて立ちあがる。内容もすっかり覚えた書簡を整理されてない本棚に適当に放り入れてから、お姉様の部屋へと向かった。

 

 

 少しだけ憂鬱な気持ちになりながら、『西涼に帰るかどうかと、韓遂のお爺様の話を聞くだけ』と割り切ってお姉様の扉を叩く。

「お姉様ー? 入るよー」

「おっ? 蒲公英か。

 でも、お前が扉叩くなんて珍しいなぁ。いつもはどーんと入ってくるか、悪戯しかけてはまった音か、悲鳴に気づいて笑いに来るかのどっちかだってのに」

「後半は否定しないけど、扉叩かないで入るのはお姉様だからね?!」

 どっかの子どもとか、馬鹿とか、酔っぱらいじゃないんだから、たんぽぽは入る時ちゃんと声かけるし、扉叩くもん。

「後半も否定しろよな・・・・

 まぁ、蒲公英から悪戯とったら白蓮と似たようなのになるもんな」

 そうだね、お姉様から馬術とったら馬鹿が残るみたいにねー。

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、笑顔を向けるだけにしておく。ちょっと強張ってるかもしれないけどね!

「ちょっと聞きたいことあってきたんだけど、今平気?」

「見ての通りだよ、昼前にあいつら()の世話もしちまったし。槍の手入れぐらいしかすることがないくらいだ」

 そう言って肩をすくめてながら、お姉様は片手に持った銀閃を叩いた。

 うわぁ、本当にお姉様って趣味少ないなぁ・・・・

 女として枯れてるっていうか、根っからの武人っていうか、お姉様に強制的にでも女の子的な遊び教えなきゃ駄目かも・・・

「おい、蒲公英。

 何だよ、その同情的な視線」

「気のせいじゃない?」

 本当にわからないと言った様子のお姉様ににこやかな笑みを向けて、そろそろ本題に入らなきゃな―、本筋に戻らないとなぁ、でもお姉様は遠回しじゃ気づかないんだろうなぁとか考えた結果、直接的に言うことにした。

「ねぇ、姉様。

 私たちこれからどうする?」

「何だよ、突然。

 それにそれじゃ、漠然としすぎてわかんねーぞ?」

「んっとさ、韓遂のお爺様も来たし、魏からも『人手が足りないから、領地に戻ってほしい』ってなってるじゃん?

 それに関して姉様はどう考えてるのかなぁー?って思ってさ」

 それにたんぽぽたちのまとめ役はお姉様だし、仮にたんぽぽが反対してもお姉様の決定の方にみんな従うだろうしなぁ。

 まぁ、朱里ちゃんとかはたんぽぽたちが西涼に帰ったら不都合なんだろうけど。

「うん、そろそろ帰るか」

「はぁ?!」

 あっけらかんと言われたその言葉に、なんかいろいろと考えていた頭が追い付かなくておかしな声をあげちゃったじゃん?!

「いやー、韓遂の爺様に『いつまでほっつき歩いてないで、いい加減帰って来い! この家出娘どもが!!』って言われたんだよ。

 なんかそれに妙に納得しちまって、こりゃ帰るしかねぇなーって」

「いや、家出じゃないから?!

 そりゃ韓遂のお爺様は年齢的に戦場無理だから民のことを任せたけど、たんぽぽたちがそうしなかったら慣れない籠城戦で負けが見えてたからね?!

 しかもたんぽぽたちに『前衛に出ろ』って言ったの叔母様だし!」

 突っ込みどころ満載のお爺様の言葉におもわず叫び、お姉様はそれを気にした様子もなく、言葉を続けた。

「それにあたしたちにこっちの気候あわないし、料理は辛いし、地理的にだってあいつら(馬)を走らせなんないしなぁ。

 韓遂の爺様が持ってきてくれた馬乳酒を飲んだら、なおさら西涼が恋しくなっちまった」

 そう言って笑うお姉様の手にはお爺様が持って来ただろう馬乳酒があり、とても単純なことのように言ってのけてしまう。

「大体、こっちの異民族っつっても美以(みい)だから戦うことなんてありえねーだろ? 

 だけど西涼は、五胡とかまだまだ守らなきゃいけないとこだしな。

 それに、故郷を恋しがってるのはみんな同じだし。うん、帰るか。蒲公英」

 お姉様って普段馬鹿なのに、こう言うことになると馬鹿じゃないよね・・・

 でもさ、星姉様が気にかけてたのも、たんぽぽが心配なのはそこじゃないんだよ。

「・・・お姉様は、叔母様のことで魏を恨んだりしてないの?」

 星姉様は手紙じゃ馬鹿馬鹿言ってたけど、遠回しに話を聞いてやれって言ってくれたんじゃないかなー?

 気持ちがわかって、なおかつ距離が近いたんぽぽに止めるついでに想いを共有するようにに言ってくれたんじゃない?

 星姉様は基本的に楽しいことが好きな快楽主義者だけど、鋭い人だし。

「うーん・・・ 今でもまったく恨んでない、って言ったら嘘になるかもしんないなぁ」

 自分の髪を弄って少しだけ迷うようにしてるのに、その目は逸らさないでまっすぐにたんぽぽを見ていた。

「でも、本当にただの悪逆非道な奴が母様の遺体を弔ってわざわざ墓作ってくれたり、負けた側であるあたし達に同盟っていう形を作ってくれるなんてありえっこないだろ。

 それにさ、あたし達が留守にしてても西涼がなんとかなるようにしてくれて、よくしてくれてたみたいだし。

 そんな奴らをいつまでも憎むことなんて出来ないし、韓遂の爺様から母様の最期も聞いたけど、母様自身が望んだんじゃ反対も出来ないよ。母様、頑固だしな」

 叔母様も、お姉様も本当にいつも槍みたいにまっすぐだ。

 そんな二人に憧れて、だからみんなついていきたいって思うんじゃないかな?

 だからたんぽぽはさ、叔母様からお姉様が足りないところを任されてたんだよね。

「お姉様の親だもんね」

「あたしはあそこまで頑固でも、強情でもない!」

「いやいや、そっくりだってー」

 こうやってお姉様が考えないところを考えることとか、気を回すこととかさ。

 はぁ・・・ 星姉様。

 ウチのお姉様は星姉様の心配を斜め上に行くくらい単純馬鹿だったけど、そっちの焔耶(馬鹿)みたいに暴走する系の馬鹿じゃなかったよ。

「んじゃ、明日にでも荷物まとめて帰る準備しとくか!」

 前言撤回、考えなしのただの馬鹿かもしんない。

「いや、それは無理だから!?

 とりあえず、お姉様はここでの自分の立場考えてよ!

 一応『五虎将』の一角やってるんだし、今決めて明日帰るなんて出来るわけないでしょ?!」

「はぁ?

 だってそんなの朱里たちが勝手につけた名称で、あたしたちは桃香の臣下になったわけじゃないし、むしろ立場って同盟に近いだろ?」

「そうだけど! そう簡単にいくもんじゃないの!!」

 あの時は前衛に出てたたんぽぽたちが戦って戻ってきたときには全部終わってて、逃げるしかなかったんだもんなぁ。それで行く宛てもなく彷徨ってたら、桃香ちゃんたちに拾われたって感じだったし、その時も別に仕官したわけじゃないんだもんなぁ。

「大体、ここの土地って異民族に対して優しくないし、いまだに構えてる奴多いじゃねぇかよ。じめじめするし、料理辛いし、遠駆け出来ないし、馬乳酒ないし」

 子どもみたいに頬を膨らませてそっぽを向くお姉様。

 たんぽぽ、頑張れ。まだ大丈夫、たんぽぽ強い子。我慢の子。まだ怒らなーい、まだ怒らなーい。

「仕方ないじゃん!

 ここの土地って私たちが来る前美以たちとの関係よくなかったし、こんな入り組んだ山の中にわざわざ来る人いないんだから!!

 それにこの後、たんぽぽ仕事で荊州に行かなきゃいけないから、それまでは帰ること言いふらさないでね!」

「はぁ? なんで蒲公英が荊州に行かなきゃいけないんだよ?

 全然関係ないじゃん」

 むしろそれ、たんぽぽが一番聞きたいよ!

「お姉様は荊州問題って知ってる?」

「んー、あれだろ?

 元は袁家のどっちかの領土で取ったり取られたり、任されたり、逃げたりしてて、結局誰が治めてるんだかよくわからない土地になっちまった。ってやつだろ?

 でも結局、あたし達が赤壁で負けて逃げた時治めた魏が今も治めてるんじゃなかったっけか?」

 地理的に大陸の中央にある荊州はこの乱世で見事に掻き回されて、上が変わり続けた大変な土地なんだよね・・・

「そう。

 そのことで今、紫苑さんが向かってるんだけど、もう一人補佐が必要だから、それで馬で早く合流できるたんぽぽが指名されたの!」

「ふぅん? まぁ、わかったよ。

 じゃ、蒲公英が戻ってきたら、帰れるようにはしとくからな?」

「うん、そうしてね。

 く・れ・ぐ・れ・も、朱里ちゃんたちには余計なことを言わないようにね」

 納得できてなそうに首を傾げながらも、一応頷いてくれたお姉様に念を押しておく。

「いや、何でだよ?!」

「い・い・か・ら!」

「はぁ・・・・? まぁ、わかった」

 これで聞きたいことは聞けたし、言いたいことも言えたから部屋を出ようと思って背を向けたけど、一つだけ聞き忘れていたことを思い出した。

「ねぇ、お姉様。もう一つだけいい?」

 そう言って顔だけ振り向くと、やっぱりそこにはいつもと変わらないお姉様が居て、その傍にはよく見れば結構な数の瓢箪が転がっていた。

「なんだ? 今日はやけに質問が多くないか? お前」

「もし、もしもだよ?

 もう一度、魏と蜀が・・・・ ううん、この三国が戦になった時、お姉様は誰につくの?」

 今の状況なら『ありえない』といえないことであり、むしろ星姉様やもっと今の事態がわかってる人なら別のことを考えているかもしれないこと。

 でも、たんぽぽにわかるのはこの程度だし、たんぽぽがやらなくちゃいけないことは西涼に居た時から変わってない。

「仮定の話なんてしたって仕方がないだろ・・・

 三国は同盟して平和になってる今に戦いなんていらないし、ありっこないじゃないか」

 仮定の話ってだけだったら、よかったのになぁ。

 だから、仮定の話。もし戦が起こってしまった時、お姉様はどうするのか、何を選ぶのかをたんぽぽは知っておきたい。どうなってもついていくしかないけど、その選択にどんな思いを抱いてついて行けばいいのかをたんぽぽ自身が決めておきたいんだと思うから。

「これだけは本気で応えて、お姉様」

 たんぽぽの声が本気なのかをわかったのか、お姉様は少しだけ真面目な顔になって、少しだけ考えていた。

「全部をちゃんと知って、話を聞いたとき、あたしは義がある方につくよ」

 姉様の予想外の言葉に、おもわず目を開く。

「蜀につくって言わないんだ?

 義理って意味じゃ、蜀に対してたくさんあるとか言うのかと思った」

「義理っつうか、蜀にあるのは友好だけだろ?

 でも、あたし達はもう月たちのことを繰り返しちゃいけないんだよ。何も知らないで戦って、終わったあとにわかって後悔するのは一度で充分だろ?」

 そう言って笑うお姉様の答えは単純なもので、また一本瓢箪を空にした。

 はぁ・・・ これだからお姉様を放っておけないだろうし、傍に居るんだろうなぁ。

 でも、それとこれとは別だよね?

「ねぇ、お姉様。

 話は変わるんけどさ、たんぽぽの分の馬乳酒は?」

「・・・・・美味かったぜ!」

 そう言って親指を立てるお姉様に、たんぽぽがすることは一つしかないよね?

「歯を食いしばれーーーー!」

 渾身の一撃を叩き込むために、たんぽぽはお姉様(単純馬鹿)に襲い掛かっていた。

 

 

 

「まったく、お姉様には困ったもんだね」

 そう言ってたんぽぽはすっきりとした顔で城内を歩いていると、詠ちゃんが居たから軽く手を振ったら、首を傾げられた。何で?!

「やっほ、詠ちゃん」

「白蓮はもう帰ったけど、あんた達は帰らなくていいの?」

 えっ? ちょっと待って。

 今、すっごく聞き捨てならないことが混じってたんだけど?

「白蓮ちゃん、昨日今日で帰っちゃったの?!」

 まさかお姉様、これを知ってて帰りたがってたんじゃ・・・・?

「えぇ、元々あの子は一人で彷徨っていたし、一人でさっさと帰っちゃったわよ。

 幽州の地も、以前は民の方の避難に回っていた妹さんでも回らなくなっていたみたいだし、朱里たちは白蓮の能力を見誤っているんだもの・・・・ まったく、あの子がいるだけでどれだけの書簡が片づけられていたかも理解できてないなんて、頭おかしいんじゃない?

 まぁ、いいわ。

 どうなっても僕は月についていくだけだもの。それ以上でも以下でもないし、月以外のためじゃない。もしそれ以外の感情があったとしても、それは蜀のためじゃないもの」

 まるで自分に言い聞かせるみたいに小さな声で言ったそれを、たんぽぽは聞いてるしかなかった。

 でもなんだろう、たんぽぽと詠ちゃんはどこかとても近い気がした。

「それに流石に官位的にはずっと上の立場の者を使っていたことを、いい加減まずいとでも思ったのもあるんじゃない?」

 えっ? カンイ? カンイって、官位?!

「それって、皇帝様がなくなった時点で効力なくなったんじゃ・・・?!」

「劉協様はご存命で、魏で穏やかに暮らされてるわよ。

 今はこの国の象徴として、生きていらっしゃられるわよ」

「えっ?!」

 詠ちゃんは肩をすくめて、それ以上は話そうとはしなかったけど、ちょっと待って・・・・ お姉様は太守の娘、白蓮ちゃんは幽州の為政者、じゃぁ桃香ちゃんの最後の官位って・・・・

「気づいたようね。

 まぁ、この陣営の『友達』とか、『仲間』なんて立場を適当にしたぼやけた言い方だもの。気づけば将の一角に数えられていたり、戦力として見られていたりと、いろいろと詐欺じみてるわよね」

「・・・・詠ちゃん、蜀のこと嫌いなの?」

 言いたい放題の詠ちゃんにそれだけを聞くと、詠ちゃんの顔から表情が消えた。

「反董卓連合の一件を、僕は一度として『許す』なんて口にしてないと思うけど?

 まぁ、そんな僕よりも今は魏の郭嘉の方が恐ろしいと思うけどね。

 手紙ですら伝わってくる冷たい殺意、それがもし表に出たらどうなるかなんて見なくてもわかるよ。でも、それでも僕のすることは変わらない」

 うっわー・・・ 荊州問題の魏側の代表、郭嘉さんじゃなきゃいいなぁ・・・ たんぽぽ、まだ死にたくなーい。

「蒲公英もそうでしょ?」

「うん、まぁねー。

 じゃぁ、ちょっと荊州まで行ってくるから、それまで頑張ってね。詠ちゃん」

 これからどうなるかはまだわからないけど、お姉様が決めたことがたんぽぽがついてくことだって言うことはきっと変わらない。

 それに、沙和ちゃんが本気で恋した相手が噂みたいな人なわけないしね。



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救われ 綴る者 【千重視点】

本編では現在名前だけの登場ですが、劉協視点となります。


「それじゃ、今日はよろしくお願いします。劉協様」

 そう言って当たり前のように手を伸ばして、曹操から私を任されたあなたは、私の知らないことをたくさん教えてくれました。

 あまり話さず、また自分から話すことを苦手とする私に、たくさんの話をあなたはしてくれましたね。

 自分のことも、彼女たちのことも、日々の何気ないことも・・・ 本当に多くを教えてくれたあなたに私は最初こそ戸惑い、表情のぎこちない表情をしていたことでしょう。

 そんな私を投げ出すこともなく、半ば無理やり街へと連れ出してくれましたね。

「隊長ー、まーた女の子連れ歩いてるんですかい。

 今度はなんやぁ? 迷子か? それとも天から降ってきたなんて言わへんよな?」

「もー・・・・ そんな将来美人さんになる子をあんま連れ回しちゃ駄目なのー」

「ばーか、仕事だよ。

 真桜たちも、凪にばれないうちに仕事に戻れよー?」

 少し街を歩くだけで、人がいる。そして

「旦那ぁ・・・ さすがに節操なさ過ぎじゃねーの?

 流石に犯罪だって・・・・ 季衣ちゃんたちだって俺らからしたら駄目だっつうのに」

「ちげぇっつってんだろ! 仕事だっつの!!」

 あなたが隣にいるだけで

「嬢ちゃん、可愛いな。

 旦那もついでにやるよ、肉まんだ」

「俺、おまけかよ?!

 ただで貰うの悪いし、昼用にいくつか包んでもらえるか?」

 多くの人が笑いかけてくれました。

「おにいちゃーん、遊んでー。

 うわぁ、きれいなお姉ちゃんだね。花冠、あげる!」

 たくさんの笑顔が、そこにはありました。

 

 私の知らない笑顔、私の知らない民たち。

 私の見ることのなかった遠い遠い人たちの笑顔に、自然と私も笑顔を浮かべていました。

「あっ! やっと笑ってくれた!!」

 そんな私を見て、あなたが向けてくれた笑顔はとても優しくて、私のことだというのに嬉しそうにしてくれましたね。

「やっぱり笑った方が可愛いですよ、劉協様」

 何故か私は、あなたにそちらの名で呼ばれることを『嫌だ』と感じたのです。

 だから私は、今までごくわずかにしか預けたことのない名前をあなたに渡したい。

 呼んでほしいと、思ってしまった。

 お飾りの皇帝としてでもなく、何も出来ぬ無力な者としてでもなく、私をありのままの『千重』()としてあなたに見てほしいと願ったのです。

「千重、です」

「えっ? だってそれって・・・」

「私の名は千重、あなたにはそう呼んでほしいのです。天の遣い殿・・・・・ いいえ、北郷 一刀殿」

 それはきっと、私があなたに願った最初の我儘。

 皇帝()ではなく、ただの千重()という少女として、誰かの隣に並んでどこにでもいる町娘のように歩いてみたかった。

 それはあなたが無意識にしてくれたことでも、私がかつて心の底に沈ませた願い事だったのかもしれません。

 あなたの横にいられたあのわずかな時を、私はこれまで生きたどの時間よりも尊いと思ったのですから。

 その時抱いた思いがどんなものかを気づいたのはもっと後でしたが、その時はそれだけでよかったのです。

 

 

 河原で腰かけ、あなたは私の髪を撫でてくれましたね。

「突然・・・・ 恥ずかしいで・・・」

 子どもの頃、数える程度しかされたことのない感触に戸惑う私に、あなたは少しだけ言いにくそうに苦笑していましたね。

「ずっと、気になってたんだけどさ。

 千重が、不意に悲しそうな顔をする理由を教えてくれないかな?

 いや、言いにくかったら・・・・?!」

 うまく隠していた筈なのに、表情など消えていた筈なのに、あなたにはどうしてわかってしまうのでしょう?

 どうしてあなたは、私の気持ちを()ってくれるのでしょう?

 沈めて、自分すらも騙せていた感情の全てが溢れ出していってしまう。

 辛いことも、悲しいことも、そして、多くの人の死も見てきました。

 母の死、姉の死、そして臣下でありながら友としてあってくれた二人の訃報。行方知れずとなってしまった恋と音々音、華雄。

 私が居なければ八重姉様は死ななかったという罪悪感。

 あの乱で守ってくれた月たちを守ることも、助けることも出来なかった無力感。

「私なんて! 姉様の代わりに、死ねば・・・ よかったのに!!

 でも・・・ 死んじゃ、いけなくて! 守られてしまって! 生き残って・・・」

 誰かが私の代わりに死んでいく。

 誰もが私を守って消えていく。

 何も出来ない私を残して、大切な誰かが、大切になったかもしれない何かが壊れていく。

「私、なんか・・・・ いなければよかったのに!」

「それは絶対にないよ」

 私を受け止めてくれたあなたから出た言葉は、触れている優しい手とは違いとても強いものでした。

「それだけは絶対にない。

 消えていい人間も、居なくていい人間も、死んでいい人間なんか、この世界中のどこにも居ない」

 まるで自分自身に言い聞かせるように、決意や覚悟の中に悲しみを覗かせるあなたの気持ちが私にはよくわかりませんでした。

「だって俺は・・・ みんなに、千重に会えて良かったって思ってる。

 この時代に来て、一緒に生きて、話して、こうして触れられて・・・・ そりゃぁいろいろあったけど、ここに来れて、出会えてよかった。

 千重がしたたくさんの悲しい思いは俺にはわからないし、それだけ千重のことを自分の命を懸けてでも守りたいと思ってくれた人が居たってことをわかってほしいんだ」

 泣いている私を抱きしめて、私の肩を濡らすのがあなたの涙。

 守られる側の私にはわからない、守る側の言葉でした。

「だから死ねばよかったなんて、居なければいいなんてこと、そんな悲しいこと・・・ 言わないでくれ」

 温かな涙と共に降ってくる、優しい言葉。

 あの時の私はただ、あなたの優しさが嬉しかった。

 あなたの思いが、あなたの言葉が、私を守ってくれた月たちの思いであることを信じたいと思ったのです。

 その後もお互い泣き止んで、少しだけ気まずくなった中であなたは空気を換えるように言ってくれましたね。

「千重は、これからどうしたい?」

「これから・・・・ ですか?」

 あなたにそう問われたとき、私は一瞬何を言っているのかがうまく理解することが出来ませんでした。

「そう!

 華琳はさ、『覇王』なんて名乗ってるけど別に大陸が欲しいわけじゃないし。千重をこうしてる時点で、千重が決めなきゃいけないんだろうし。

 もう千重は、好きに生きていいんだよ」

「好きに生きて、いい?

 でも私は・・・・ 皇帝としての生き方しか、知りません」

 そう在ることを望まれ、そうしなければならないと運命づけられ、皇帝という名に縛られる。

 それが私の人生、そうすることしか道はない。そう思っていたのに・・・

「なら、これから知っていけばいいじゃないか。

 もう千重を利用する奴も、命を狙う奴だっていない。

 好きなだけ魏に居て、たくさん迷ってゆっくり一歩ずつ、自分で決めていけばいいんだ。

 なーんにもなかった俺だって、ここじゃたくさんのものを得たんだ。

 きっと千重なら、もっともっとたくさんの素敵なものを得られるよ」

 私の手を放さずに街へと駆け出すあなたがとても眩しくて、その笑顔につられるように私も笑うことが出来ました。

 何故でしょうね? あなたの言葉は私のどこかにすんなりと落ちていくのです。

「そう、かもしれませんね」

 あなたが傍に居るのなら、私は私の在り方を見つけることが出来るのかもしれません。

 形骸となってしまったこの皇帝という名をどうするかという答えも、この抱き始めた思いが何なのかもきっと。

 

 

 そうして私は三国の戦いが終わるまでを魏で過ごし、彼女たちの帰還と同時に彼が天へと還った事実を知りました。

 悲しい、寂しい、辛い、多くの思いを抱いても、私よりも近くにいた彼女たちはそこに立っていました。悲しみに暮れる間もなく、多くの感情を曝け出したい筈だというのに、彼女たちはすぐさま三国を守ろうと動き出したのです。

 悲しみの中にありながら雄々しく、背を正す立派な姿。

 『悲壮』を姿で体現する魏の将に、民もまた立ち上がっていくのを私は見ていました。

 その中で私が出来ること、それは形骸となった皇帝の在り方。

 それはかつて、彼が語ってくれた天皇というものに近しいものでした。

「君臨すれど、統治せず。

 私はこの国の象徴として、民と共に生きたいと思います。

 見ていますよ、曹操。

 あなたがこれから蜀と呉と共に作っていく世を、彼が愛したこの大陸の先を」

 一刀さん、私はあなたが愛したものの行く先を、その傍で見続けましょう。

 あなたが一番見ていたかったものを、あなたが私に自慢げに教えてくれた多くのものを、私は語り継いでいきたいのです。

「これからがどうなるかなどわかりませんが、彼が残した多くのものはきっとこの大陸を救い、守るのでしょうね」

 でも、どうしてでしょうか? 一刀さん。

 あなたが居ないこの大陸は、なんだか少しだけぼやけて映ってしまうのです。

 

 

 

『――――― それだけ千重のことを自分の命を懸けてでも守りたいと思ってくれた人が居たってことをわかってほしいんだ。

 だから死ねばよかったなんて、居なければいいなんてこと、そんな悲しいこと・・・ 言わないでくれ』

 今思えば、あれはあなたの弱音だったのですね。

 あなたはあの時すでに、彼女たちを守る決意をされていたんでしょう?

 本当に優しく、ずるい方。

 それがあなたの決意なら、誰も反対など出来るわけがありません。

 天があなたを消しても、あなたの決意はあなたのもの。

 あなたがここに居たという事実だけは、誰にも消すことは出来ないのです。

 天の遣い・北郷一刀。

 私はあなたの名を残し、語り継ぎましょう。

 

 

 そうして私は毎日のように街を歩き、多くの方と話し、歴史を描こうとしています。

 本当に多くのことを知らなければ、多くの視点を知らなければ歴史を語ることは出来ません。それに私は、大陸の乱の中央に居ながら、何も知らずにこれまでを見てきてしまいました。その分の知識は誰かに教わりながら、直接話を聞くことでしか埋めることは出来ないでしょう。

「劉協様、孔明様より文が」

「はい、今は手が離せないので、そこへ置いておいてください」

 動かす手は止めずにそう言うと、こちらを見て少々苦笑している雰囲気を感じました。

「はっ。

 執筆もほどほどに、お体を休めるようお願いいたします」

「ありがとう、あなたは私にあわせることなく休んでくださいね」

 机で寝てしまった私を運ばせてしまっていることは申し訳ないですから、ほどほどにしないといけません。

「もったいないお言葉です」

「人に向ける言葉に、もったいないものなどありませんよ。

 何故なら言葉とした時点で、それは向けた相手へと届いてほしいと思ったものがそこには詰まっているのですから」

 私のその言葉に少々驚いたような顔をした世話役に、私は口元に指を当てながら少しだけおどけてみせました。

「ある方の受け売りですが、ね」

「北郷様・・・・ いえ! 何でもありません。

 お言葉、ありがとうございます。今日はこれで、失礼いたします」

 私がそう言って笑うと世話役は深く頭を下げ、涙をこらえるような顔をして足早に去っていきました。

「本当に、この地であなたを知らぬ方はいないのですね」

 苦笑しながら孔明殿から来た書を開くと、そこに書かれていた内容に私は目を伏せました。

 

『劉協様、突然の文をどうかお許しください。

 あなた様が今、魏に滞在し、歴史書の作成をしていることは聞き及んでおります。

 ですがそれは、魏によって利用されているだけではないのでしょうか?

 そんな使われるだけの立場でよろしいのですか?

 あなた様が今一度この大陸を治め、あなた様の手によって采配を決めるあの時代を取り戻したくはありませんか?

 どうか、曹操討伐の命を ―――――』

 

「孔明、あなたはこの大陸で、まだ人の血を流すことを望むのですか?」

 街を歩く私が、彼へと事実無根の噂を聞いていない筈がありません。それがどこが流しているかも、この書簡から察するに彼女たちなのでしょう。

 私は表舞台に立つべき者ではありません。それに、彼女たちが気づいていない筈がない。

「・・・・ならば私は、見守りましょう」

 朝は早くから筆をとり、人が活動していく日中は話を聞くため街を回り、夜は灯りをともして書いていく。

 それが今の私の日課であり、日々の過ごし方。

 皇帝らしくない生活かもしれませんが、私にはとても満ち足りた生活。

 それを終わらせたいとも、以前のような生活に戻りたいなどとは欠片も思いません。

 全てのきっかけをくれたのは、彼だった。

 多くのことを教えてくれたのは、彼だった。

 そして、戦いを終わらせたのは彼の傍にいた彼女だった。

「おそらく歴代の皇帝(天子)の中で、私ほど民の笑顔を見た皇帝(天子)はいないでしょうね」

 ねぇ、一刀さん。

 あなたはここには居ませんが、あなたはここに生きているのです。

 そして私は・・・・ 私たちはこれからもあなたに守られて生きていくことでしょう。

 あなたがくれた多くの幸せを、一つでも多く増やせるように、あなたがしてくれた多くを次へと語り継いでいきたいと思います。

 だからどうか、心配しないでください。

 私たちは今、幸せですよ。

「けれどもし、一つだけ我儘を言っていいのなら・・・・」

 どうかあなたが再び、この地へと降り立ってくれますように。



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支え続け 支えられる者 【風視点】

「風、今回の荊州問題の立会人はあなたと流琉に行ってもらってもいいかしら?」

 書簡作業、桂花ちゃんがお茶を用意しに言ったので不在の中、華琳様が突然言われた言葉に風は少しだけ驚いてしまったのですよ。

「風はかまいませんが、流琉ちゃんも連れていくのですか? 意外な人選ですねぇ」

 素直な感想を言うと華琳様は肩をすくめながら、目の前の書簡の山を見渡していました。

 まぁ、この状況下筆頭軍師である桂花ちゃんに行ってもらうというのは論外ですし、稟ちゃんは運送業務や他国への情報を管轄していますから、全体の補佐をしている風が行くのはわかるのですよ。

「本来なら私も、季衣や流琉達にはあまり今の状況に触れてほしくないわ・・・ けれど、今はそうもいっていられないほど人手が足りない。

 それに、大切に握りすぎて輝きを曇らせていい子たちでもない。

 戦に出しておいておかしな言葉だとは思うけれど、そろそろ今の守り方を知るために外を経験してもらいたいのよ」

 優しく、穏やかな目ですねぇ。まるで我が子の成長を見守る母のようなのです。

「承知しましたのです。華琳様。

 ですが、我々はどうしましょうかね? 荊州の問題に関しては、そもそも魏が介入しても二国も困ると思うのですが?」

 大陸のほぼ中央、河をまたいでいこうと思えばどこにでもいけてしまう場所であり、どこからでも攻め込まれやすいという欠点を持ちながら、逃げることもまた容易な土地。海からすればこれほど大陸に通じやすい場所はなく、陸からすれば流通などでこれほど便利な土地はそうないでしょうねぇ。

 風がもしどちらかの国であったなら今の状況を利用して二国で共有し、魏に攻め込む足掛かりにしますね。

「これ以上土地を広げ、二国から挟まれる場所に土地を持ってもしょうがないわ。今回、私たちはただの仲介人であり、見届け人になればいい。

 『二国が協力して統治』という結論にならないということ。そして、蜀からは黄忠と馬岱、呉からは陸遜と周泰がくるという情報が正しければ、二国は協力していないと考えていいでしょう」

「そうなりますねぇ。

 蜀の方の人選も『協力』というより、邪魔になりそうな存在を遠ざけた。といった様子ですし」

 今の様子を見るに呉の方で今回の一件に深くかかわっていたのは美周朗さんと、その弟子である陸遜と考えてまず間違いないでしょう。

 あぁ、それにしても気に入らないですねぇ。あの美周朗さんに関しては本当に。

「あまりにも話が進まない場合はどうしますか?」

 もっとも現状がそうであるからこそ、魏に間に立ってもらおうとしたんでしょうが。

「そうね・・・」

 華琳様のお顔が険しいのですー。

 まぁ、本当に我々の管轄外ですし、桂花ちゃんが居ない時を狙ったのも反対するのが目に見えていたからですしねー。

 お気持ち、お察しするのですよ。

「・・・その時は風、あなたの判断に任せるわ」

 華琳様の蒼き瞳がまっすぐ風を見て、多くのことを託すことを言外に告げてくれるのです。

 ならば風は、その期待に応えるのです。

 お兄さんがそうであったように、皆がそうであるように、風は風のためにこの国を繋げていきたいのです。

「けれど風、それはあなたを殺せという意味ではないことを忘れないで頂戴。

 あなたがこの一年、どうしていたかを誰も口にはしなくとも知っているのだから。

 風、あなたは少し頑張りすぎよ」

 おやおや、華琳様にも皆にもばればれなのですか。

「いえいえ、風は大したことはしていませんよ。

 さて、風はこの書簡が終わり次第、明日の準備をしてくるのですよー」

 そう言って手がけたのは幽州に当てた職人たちの報告書、日々頑張ってくれているようで順調とのことです。良い事ですねぇ、『北郷工作隊』の仕事は丁寧でしっかりやってくれていますからねぇ。

「えぇ、頼んだわよ。風」

「任されましたのですよ、華琳様」

 

 

 

 荊州までの道中、流琉ちゃんと一緒に仲良く並んで馬で駆けているとなんだか少しだけ何かを聞きたいようにしていますね。

「流琉ちゃん? どうかしたのですかぁ?」

「いえっ、その・・・ どうして私が選ばれたかは華琳様から説明されているのでわかったのですが・・・

 今回の荊州問題はどうすることが正解なのでしょうか?」

 風の言葉に迷う割には、良い所をついてきますねぇ。

 ですが、そうしたところを学ぶことが今回の目的なのですよ。

「いい質問ですねー、流琉ちゃん。

 ではまず、蜀と呉。その両方の言い分を考えてみましょうか」

 そこで馬を降り、流琉ちゃんにも降りるように促すと正直に降りてきてくれます。お馬さんにも塩や、食事を与え、軽く野営の準備もしておきます。

「さて、流琉ちゃん。

 まずは蜀の言い分を考えてみましょう。

 荊州を以前治めていたのは劉表殿でしたが、その劉表殿は自らの死期を悟って劉備殿に預けているのですよー。息子たちではなく、同じ劉姓である劉備さん・・・ 特に任せた時期が蜀攻めを終えた頃ですからねー。劉備さんたちに預けたほうが安泰とでも考えたんでしょう」

 確か蜀攻めの頃はこちらも慌ただしく、気を配っている暇もありませんでしたしねー。あちらが蜀を治め終わっていた頃、お兄さんの体調も怪しくなっていましたし、多くの意味であの頃は大変でしたから。

「それなら蜀が治めるべきなんでしょうか?」

「いやー、流琉ちゃんは素直なのです」

 手を叩いてそれを褒めると、風は地面に一つの大きな円を書きます。

 そこに『荊州』を書き入れ、その中に一つの円をつけたし『領主』と書いていきます。

「ですが、事はそううまくいかないのです。

 ここからが呉の言い分であり、荊州問題の厄介なところ一つ目です。

 土地とは領主だけで治めているものではありません。その土地には領主以外にもそれなりの名士がいて、武を持つ豪族がいるのです。商人さんや、村長さんがそれにあたりますねー」

 円の中にいくつかの円を増やし、『商』や『長』をいくつか書いていきます。

 これはまぁ、村に住んでいた流琉ちゃんならなんとなくわかるんじゃないでしょうか。実際、民を治めているのは領主とか言われるより、村長さんとかの方が身近でわかりやすいですしー。

 風の説明に頷いて、真剣な顔をしてる流琉ちゃんは真面目ですねー。教え甲斐があるのですよー。

「問題はここからなのです。

 この豪族たちが自分たちの上に立つ者として求めたのは蜀の劉備ではなく、武力として名高い呉の小覇王・孫策の方だったのですよー。

 まぁ、当然ですよねー。

 『大徳』なんて名ばかりのものであり、当人に武の実力は皆無ですし。対して孫家は、各地の豪族を黙らせて今の立場を築いた、生粋の武力派ですからねー。自分の上に立つ者は強くないと不安なものですから、気持ちはわかるのですよ」

 ここに付け足すなら劉備さんは農民出身であったこと、孫家が押さえていた豪族たちからの情報等もあったんでしょうけど、これは流琉ちゃんも今後知ることでしょう。今はこの程度で十分でしょうね。

「・・・・そうですね、上に立つなら守ってくれる人の方がいいですよね」

 理解が早くて助かるのですよ。

 流琉ちゃんたちは人に頼らず自分で守ってましたし、他の村も結局は上に立つ者にされるがままなのですがねー。

「一つ目、ということは他に何か問題があるんですか?」

「そうなんですよー・・・

 この二つ目が一番問題であり、風達が今荊州に向かっている最大の理由でもあるのですよ」

 これさえなければ、風達が荊州に向かう必要がないんですよねー・・・

「さて、突然話は変わりますが、風達が最後に戦ったのは成都ですが、その前に戦ったところはどこでしょーか?」

「赤壁、ですよね?

 呉の方たちは合流のために成都に向かって、全てが終わって・・・・ そして・・・」

 おやおや、暗い表情になってしまいましたねー。まぁ、この話題は嫌でもお兄さんのことを思い出してしまうものですから、仕方ありませんね。

 それにしても本当に流琉ちゃんは物覚えがいいのですね、合流のあたりまではきっと春蘭ちゃんにはわからないと思うのですよ。

「その通りです。

 彼女たちが逃げ、成都へと向かった。

 そして、捨てていった土地がこの荊州なのです。

 我々将や軍師から見ればそれだけのことですが、どこにでも村があり、人は生きているのですよ。そんな土地を救い、守ったのは警邏隊なのです」

 そこで一呼吸おいて、おもわず溜息を零してしまうのですよ。

「そして守られた民が求めている統治者が我々、魏なのですよー」

「えっ・・・・・」

「まぁ、ですよねー。

 戸惑うことしか出来ませんよねー」

 困った顔をして固まってしまった流琉ちゃんに、風も苦笑しか出来ないのですよ。

 それに流琉ちゃんもどちらかと言えば民よりの考えでありながら、少しずつ多くの情報を得ている今、この複雑な気持ちを理解してくれるんでしょうねぇ。

「わ、私たちの村もそんな感じでしたよね?」

「みたいですねー、それどころか魏が一度は通った場所はこうした村が多いのですよ」

 それどころか国境の村は、村ごと魏に移住してるんですよねー。

 警邏隊の評判は本当にどこでも良いもので、お兄さんが体調崩れてからはお兄さんを気遣ってか指示が飛ぶ前に行動し、迅速に対応するようになりましたしね。

「はい・・・・

 魏が民に支持される理由と、書簡の山に納得しました」

「あははは・・・ 良い事であり、困ったことでもあるのですよ」

 最近に至っては、書簡仕事を季衣ちゃんたちまで協力してくれるほどですからねー。

 華琳様はまだしてもらうつもりはなかったのでしょうが、この人手不足と華琳様がしている業務の多さを見て、じっとしていることが出来る子たちではないのですよ。

「『荊州問題はどうすればいいか』という問いの答えは非常に難しいのです。

 劉表殿の遺言を尊重するなら蜀、豪族たちの思いを聞くなら呉、民の一番を優先するなら魏、という三すくみ状態なのです。

 そして、風達には『これ以上統治する余裕はない』というのが本音なのです」

「ですよね・・・・」

 付け足すなら戦前でこの土地をどちらが得るかを見定めるというのもあるのですが、それは流琉ちゃんたちにはまだ言えないのです。まっすぐと前に向かってくれるこの子たちに、また戦の音を聞いてほしくないのですよ。

 

 各地のあちらこちらで、お兄さんが無自覚に残していったくださったものは芽を出し、華を開く。どこにでもお兄さんはいるのですね。

 お兄さんは何ですか? 大陸の守護者にでもなる気ですかぁー?

 まったく、お兄さん。早く帰ってきてください。

 あなたの帰りを、大陸が待っているのですよ。

 

 

 

「~~~~~~~ ~~~」

「======= =======」

 眼前で広がるのは黄忠さんと陸遜さんの議論のぶつけ合い。なんというか予想通りの展開で、風の耳は内容を理解することを放棄しているのですよー。

 『荊州(ここ)を治めるのはこちらだ』という本音を多くの言葉で彩って、本当に見苦しいですね。見届け人が見届けるのはどこまでなのか、黙っているのはどこまでなのか、その見極めは結構難しいのです。

 が、黙っていることを流琉ちゃんが気にしているようですし、意見も出揃ったようですから、そろそろいいですかね?

「さて、建前も出揃ったところでそろそろ本音を聞いてもいいですかー? 黄忠さん、陸遜さん」

 風の言葉に場だけでなく、後ろに控えていた馬岱さんと周泰さんの表情も凍りましたねー。もっとも、お二人は覚悟を決めた表情で頷いてくださいましたけど。

「では、先程同様に蜀の方からお願いしますねー」

 そう言って促すと黄忠さんは苦笑し、考えるように顎に手を当ててますねー。

「そうね・・・

 こちらが治めて、朱里ちゃんたちの思惑通りに行くのは防ぎたいところだわ。それにこの問題に私たちが選ばれたのも今の蜀から遠ざけることが目的でしょうしね」

「紫苑さん?!」

 馬岱さんが非難っぽい声をあげてますけど、風にとってはうるさいだけなのですー。

「蒲公英ちゃん、これは事実よ。

 それにこの土地に縁も所縁もない私たちが選ばれた理由はそれしかないもの」

 黄忠さんはそれ以上発言しようとせず、着席してしまいましたねー。

 内容も結論も単純でわかりやすいものでした。と同時に、彼女は争いを求めていないということもわかりましたね。

「さて、呉の方はいかがですか? 陸遜さん」

「こちらは~、中心となってくださっていた冥琳様が病気療養中なので~、これ以上治める土地を広げたくないのが本音なのです~」

「穏様?!」

 うわぁ、うるさいのですー。

 おもわず風は顔をしかめてしまうのですよ。

「では二国とも治められず、このまま魏に任せるとか寝ぼけたことを言いませんよねぇ?

 今回の荊州問題はまだしも、技術提供や情報支援、流通や二国が行き届かない領地への警邏隊の派遣など、軽くあげただけでこれほどの仕事を負担している魏にまだ土地を治めろなどというのはどの口ですか?

 こちらはここに居る流琉ちゃんも書簡片づけに奔走しているのですが、二国の様子もぜひ窺ってみたいものですね」

 風は今、とても晴れやかに笑っていることでしょうねー。

 それに対し今度はお二人も表情を凍りつかせて、俯いてしまいますが事実ですから。

「この一年、二国は随分面白い噂を流してくださいましたよね~。

 おやおや、馬岱さん。どうして顔を青くするのです? ただの噂でしょう?」

 青くしているのは馬岱さんだけじゃないんですけどね、他の三人も思う所があるのかそれぞれ顔を逸らしていますよね。立場としても周泰ちゃんが実行犯なのは確実ですし、もっとも本家の周瑜さんに逆らうことなど出来ないでしょうけどね。

「お兄さんの知識で風達が勝ったなどという妄言に振り回され、まさか本気で三国の一角を担う風達が男に惚れるなどとは思っていなかったようですねー。

 でも気づいてますかー?

 日常を作る技術も、守る警邏隊も、その発案の根本へとさかのぼれば行き着くのは、あなた方が小馬鹿にするお兄さんなのですよ?」

 この人たちに言っても何にもなりませんし、意味などありません。

 師を、夫を、叔母を、失ったこの人たちに言っても仕方のないことなのです。

 こんなことをしてもお兄さんは帰ってきませんし、この光景を見ればきっと風を止めることでしょう。

 誰にでも優しく、多くを包み込んでしまうお兄さんなら、きっとこんな状況になる前に風を助けてくれるんでしょうね。

風様()! もういいんです(もういいんだ)!!」

 お、にいさん?

 突然の背後から抱きしめられて、風は流琉ちゃんの姿と声にお兄さんが重なり、おもわず目を開いてしまったのです。

「流琉ちゃん・・・」

「もういいんです! 風様!!

 風様はもう、傷つかないでください!

 私たちが何とかします! ですからもう! これ以上、風様は頑張らなくていいんです!!

 この一年の風様たちの努力を、私たちはちゃんと見てきましたから!」

 呆然としまった風は、流琉ちゃんの言葉を受け止めるしかないのです。

「皆さん、私の考えを聞いてください!」

 そう言って風から離れ、四人へと頭を下げる流琉ちゃんに全員が戸惑うしかないのです。

「私はこの土地を三国で共有したらいいと思います!」

「「「「「はっ?」」」」」

 おそらくは誰もが考えることの出来なかった流琉ちゃんの案に、全員が口を開けて固まってしまいましたねー。

「だって私は・・・ 私たちは知ってるんです!

 華琳様が、劉備さんが、孫策さんが、皆さんが国のことを考えて、行動していたことを!!

 見てきたんです!

 何もなくても、ただ必死に人のために走る兄様の背中を!!

 だから、だから! 争うことじゃなくて、手を取りあって、この国を幸せにしましょうよ!!」

 ・・・・・ですが、この考えはなかなか面白いのですよ。

「ならば、流琉ちゃん。

 流琉ちゃんと季衣ちゃんでこの土地を治めてみませんか?」

「「はぁ?!」」

 おぉ、驚きの声が減りましたね。

 流琉ちゃんも驚いていますが、声も出ない様子ですねぇ。

「それなら、こちらからは鈴々ちゃんに頼んでみようかしら?」

「そうですね~。

 なかなか面白い案だと思うので、こちらからは小蓮様に向かって貰いましょうか~」

 お二人の賛同も得られましたー、では可決ですねー。

「えっ・・・ いいんですか?

 そんなあっさりと決まってしまって、それに私は農民の出身で・・・」

 おやおや、三国の将を驚かせるほどの案を出しておいて、今更謙虚になられてもこちらが困ってしまうのですよ。

「いいんじゃないかしら?

 出身で言うのなら、こちらの桃香様も同じようなものだもの」

「そんなこと言ったら、こちらは孫堅様の前の代なんて海賊みたいなものですよー?」

「紫苑さん?!」

「穏様?!」

 黄忠さんと陸遜さんからもさらっと毒が漏れてますねー、仕方ないのですが。

 では、仲介人として最後にまとめしょうか。

「風達では行き詰った答えを流琉ちゃんが出してくれましたし、それを風達は最善だと判断しました。

 三国に文句は言わせません。ですよね? 黄忠さん、陸遜さん」

 そう言ってお二人を促すと力強く頷き、笑ってくれました。

「そうね、こちらとしても最善だと思うわ。

 過去に囚われる私たちではなく、子どもたちが作る新しい国。

 鈴々ちゃんも成長するいい機会だし、今の蜀にいるよりもずっといいと思うわ」

「こちらも同感ですね~。

 孫の血筋を残すため、守られ続けていた小蓮様に外を知ってもらういい機会だと思うのです~」

 見ていますか? お兄さん。

 お兄さんが守ってくださった玉が今、素晴らしい輝きを放っているのですよ。

「さぁ、流琉ちゃん。

 忙しくなるのですよ」

 忙しい日々、前を向く力をくれたのはやっぱりお兄さんが残してくれたものだと思うとおもわず微笑んでしまったのですよ。



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戸惑い 歓迎される者 【白蓮視点】

「遠かったなぁー」

 そう言って私は、かつて太守を務めていた懐かしい幽州の城門の前へと立っていた。

 自分が麗羽から守りきれなかった、守りきれずに結局帰ることも出来ずに、今の今まで一度も戻ることの出来なかった土地。

「はぁ・・・

 合わせる顔がないなぁ」

 曹操殿から『戻って治めてほしい』という言葉があっても、今更どんな顔をして私が入っていけばいいのかわからないというか・・・

 ていうか、公孫越(赤根)心配してるかなぁ。手紙も一度も来なかったし、こっちからも出す暇なかったし。

「えぇい! 城門の前でうろうろうろうろ鬱陶しい!!」

 そうして城門の前を右往左往していたら、背後に衝撃をくらって後ろを振り向くと、そこには私と同じ色の髪を短く刈り上げた、勝ち気そうな少女が立っていた。

「えっ・・・ ちょっ」

「今までどこほっつき歩いてた、この家出姉があぁぁ!」

「ちょ?! 家出?!

 家出違う! 韓遂殿もそう言ってたみたいだけど、私たちって傍から見たらそんな感じなの?!」

 突然の言葉と衝撃に戸惑い、私は目を白黒させてしまう。

「えっと・・・ 失礼ですが、どちら様ですか?」

「妹の顔も忘れたのか!? 本当に失礼だな!」

 間髪入れずに返されるこの声にも、やはり聴き覚えがない。

というか、私の妹・公孫越こと赤根は同じ色の髪をして、常に前髪でどちらかの目を隠し、控えめで可愛らしい女の子だった。

 身内の贔屓目というのもあるんだろうが、小さな声で話す姿はとても可愛らしく、しかし書簡仕事はしっかり出来る。その上、姉である私が行き届かないところも気遣ってやってくれる。少々地味だが真面目で、優しいよく出来た妹だったのだ。

「聞いてんのか! この馬鹿姉!!」

 そう、こんな口調で誰かを怒鳴り散らすような子じゃなかった。

 出会いがしらに誰かを蹴とばすなんてことを出来るような子じゃない。

「えーっと、人違いじゃないでしょうか?

 私の妹はもっとこう・・・ 地味だけど可愛らしい子でした」

「あぁん?

 どこほっつき歩いてたんだか知らないが、妹のことを忘れるほどボケたのか? コラ!」

 わーい、自称妹が私の襟首を掴んだよー。

 昔の赤根は実際可能でもするような子じゃなかったし、やっぱり違うと思うんだ。

「『大志を掲げることは出来なくても、太守として私はこの土地を精一杯守るって決めたよ』って私に言ったのは嘘だったのか! こらあぁぁぁーーー!!」

 自称妹から出てきたその言葉は、私が太守着任の祝いの席に家族の前で告げたものだった。

「え?! 本当に赤根なの!?」

「どっからどう見てもそうだろうが!」

 どっからどう見ても・・・・

 そう言われ、私は改めて赤根(仮)を上から下まで見直す。

 短く刈り上げられた私と同じ色の髪、荒っぽい口調、とがった眼、目の下にあるのは太い隈、肩にかけられているのは家に飾られていた筈の大槍。

「いいえ、違います」

「ふざけんなあぁぁぁーーー!」

「あの公孫越様、公孫賛様、その辺りにした方がよろしいかと・・・・」

 そう言って怒りだす赤根(仮)を宥めたのは近くにいた門番さんであり、私は見覚えがあったのでおもわず頭を下げた。

「うるせぇ! 門番!

 私はこのぼけた姉を、一発ぶん殴らなきゃ気がすまねぇんだよ!」

「押さえてください、公孫越様」

「えっ・・・・ 本当にこの人って、赤根なの?」

「そうだっつってんだろうが!」

 私はいまだに信じることが出来ずに問うと、逆上した赤根(仮)の怒鳴り声が響き、門番さんは苦笑しながら頷いた。

「はい、公孫賛様。

 信じられないかもしれませんが、この方は間違いなく公孫越様です。

 公孫賛様が不在の中で民を統率しているときはまだこうではなかったのですが、魏によりこの地が守られ、太守の仕事を肩代わりするようになった頃から白馬義従をまとめ異民族との話し合いなどを繰り返していたら、いつの間にかこのように逞しく・・・・」

 逞しく、逞しく? 面影が残ってないよー?

 どうしたらこうなっちゃうのかなー?

「まだ、納得してないような顔してこっち見てる家出姉を私はぶん殴っていいと思う」

「納得した! 納得したから、赤根!

 私の話を聞いてくれ!!」

 拳を振り上げようとしてる赤根に私は必死になり、どうにか降ろしてもらった。

 はぁ・・・ しかししばらく会ってないからって、こんなに変わるもんなのか。

 可愛い妹が、こんなになるのか・・・・

「その視線は気になるが、状況を教えてもらっていいか? あ・ね・き」

 昔は姉様だったのになぁ。

 私の後ろをちょこちょこついてくる姿は、そりゃぁもう可愛らしいかったのに、なぁ・・・

「えーっと、私はあの後からずっと桃香のところにお世話になっていて・・・」

「はぁ?!」

 私の言葉に赤根がまた大きな声をあげ、怒りを向けるように近くの木へと拳を打ち付けた。

「あの自称親友・詐欺女のところにいたのかよ?!

 っていうか、私は何度も文送ったんだぞ!

 『ウチの迷子だか、家出だかよくわからない姉は知りませんか?』ってな!!」

 迷子、家出・・・・ でも探してくれたんだ、優しい赤根は変わらないことが姉様凄く嬉しいなぁ。

「文? 朱里たちからそんなこと聞いてないが、届いてなかったんじゃないか?」

「握りつぶしてやがったな、臥龍と鳳雛・・・」

 私が首を傾げると赤根は低く小さな声で何かを呟いたけど、私には聞こえなくて再度聞き直そうとしたら『なんでもねぇよ』と言って手をかざした。

「それで? 人に幽州任せておいて、蜀の地で何やってたんだ?

 そっちから一通の手紙も寄越さずに、魏がこっちに警邏隊寄越してくれるようになってからは『姉貴を見た』っていう兵が居たけど、曖昧だしよぉ」

 ふむ、蜀で私は・・・・

 あれ? 部屋と書簡しか浮かんでこない。

 太守の時とほとんど勝手が同じだったから、ひたすらに手を動かした思い出しか、ない。

「・・・・書簡仕事?」

「何、小首傾げて言ってんの?!

 姉貴、太守だよな?! 官位的に言ったら、立場上は上の筈だよな!」

 カンイ、官位・・・・ 官位?

 久しぶりに聞くその言葉に首を傾げて、あれ? だって・・・

「桃香って、蜀の王だろ?

 立場なんて、私よりずっと上に決まってるじゃないか」

「はい、姉貴アホー」

 その言葉と同時に額を指で弾かれ、赤根は頭痛を堪えるように頭を抱えていた。

 なんでだ?

「『蜀の王』っつったって、あれ自称だし。

 皇帝陛下は『魏の王』たる曹操殿は認めてても、『蜀の王』なんて認めてねーし。

 大体、どいつもこいつもわかってねぇみてぇだけど、劉協様はご存命だっつーの!」

「何?!

 劉協様はご存命だったのか!? 今すぐに挨拶に伺わねば・・・・!!」

「してねーのかよ!?

 まじで姉貴、蜀の地で何やってたんだよ!!」

 赤根からもたらされた新事実に私はただ驚き、急いで立ち上がろうとしたところを怒鳴り声と共に逞しい腕に遮られた。

 というか、この剣幕の赤根を見てどこかに行ける度胸なんて私にはなかった。

「姉様、知らなかった。てへ」

 とりあえず笑って誤魔化してみた。

「はぁ・・・・ 結局曹操殿だけが劉協様を気にかけて、守ってたんじゃねぇかよ。

 今もそうだけどよ、全体見てる曹操殿のどこが悪逆非道だっつうの。

 つーか姉貴、まじでどんな生活してたんだよ、情報知らなすぎだろ」

 しかし、劉協様を曹操殿が保護しているなんてなぁ。まったく知らなかったけど、朱里たちはこれをどう思ってたんだ?

 大体、桃香がそういうことを話していなかったのはどういうことなんだろうなぁ。

「おい、待て。姉貴。その表情は何だ?

 ていうか、そっちが掲げてたって『漢王朝の復興』だよな?」

「あぁ、そうだが?」

 朱里たちに聞いた話じゃそうだったし、私のところに来たころは明確な指針が決まってなかったからいろいろ困ってたけど、私が拾って貰った時は目標に向かって進んでたからなぁ。

「どこが復興だ!

 劉協様失くして、どう復興するんだっつーの!!」

「そりゃ、桃香だろ?

 本人もそう言ってたし、あいつにはいろいろな夢があったからな」

「・・・・あいつらが漢王朝の最大の敵じゃね?

 成り変わる気満々じゃねぇか」

 小さく何かを言った後、赤根は立ち上がって溜息を零した。

「まぁ、姉貴の事情は分かったから、あとは城で茶でも飲みながら話そうぜ」

 なんだか対応が、さっきより優しくなった気がするのは何故だろう?

 それにこっちに向けてくる目も凄く優しいっていうか、憐れんだ目のような気がするのは気のせいかな?

「じゃ、入るかー」

「そうだなー」

 そう言って私が扉に手をかけて入った瞬間

「公孫賛様、おかえりなさいませ!」

「よくご無事で! 本当によかった・・・・!」

「公孫賛様のご帰還だーーー!!」

 そこにあったのは多くの民からの出迎えの声だった。

「人違いです」

 おもわずそう口走り、私は一度門を閉じた。

「な・に・が! 人違い、だ!!」

 顔に青筋を立てて、私の顔をしっかりと手で掴む赤根が怖いし、凄く痛いぃーー?!

「だってだって私だぞ?!

 地味で、太守だけど守りきれなれなくて、蜀に長期滞在してた私だぞ?!

 地味人間、太守失格を絵に描いたような私だぞ?!

 そんな私が民に歓迎されるなんて、ありえない!

 きっと別の公孫賛様に決まってる、そうに違いない!

 はっ?! そうだ。実はお前が公孫賛様?!」

「んなわきゃねーだろ!

 さっきの発言の方がよっぽど太守失格だ!

 つーか、さっきの珍行動をとった理由を十文字以内で説明しやがれ!!」

「歓迎される、ありえない」

「片言かよ!」

 だって、私は・・・ 石を投げられる覚悟だってしてきたっていうのに、こんな風に歓迎されるなんて思ってなかったんだ。

 曹操殿に言われるまで蜀に居ることを当然だと思っていたし、幽州の地を再び治めるように頼まれるなんて想像すらしていなかった。そんな私が・・・・

「歓迎される権利なんてないだろう・・・・ まして、再びこの地の太守になるなんて許される筈が・・・」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!

 『歓迎される権利』だぁ?

 自分たちが避難する時間作るために先陣切ってくれた太守が生死不明で、そいつが今ようやく帰ってきたんだぞ?! 嬉しくねぇわけがねぇだろうが!」

 その言葉に私は、さっきの蹴りよりもずっと重い衝撃を受けた気がした。

「『太守になるなんて許される筈がない』?

 幽州の民はな、世話になった魏よりも、恨みを抱いた蜀よりも、まったく知らねぇ呉なんかでもなく、姉貴が戻ることを望んだんだよ!」

 重い言葉、それは民からの信頼の重みで、かつてあれほど恥ずかしがり屋だった妹から貰う、初めてのまっすぐな言葉だった。

「胸張っていけ!

 あんたは今でもここの太守で、白馬義従を作り上げた公孫賛だ。

 そして私の、自慢の姉様さ」

 赤根に背を押され、私はもう一度門へと手をかける。

 私を待っていてくれた、大切な守るべきものたちと再び向き合うために。



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理想に気づく者と別れを知る者 【紫苑視点】

「おかあさーん! 璃々、もう入ってもいーい?」

 話し合いがちょうど終わったその時、扉の向こうから聞こえてきたのは璃々の声。

 私が制止の声をかける前に扉を開けて入ってきて、私の元へとまっすぐに駆けてきた。

「ごめんなさいね。娘が・・・」

「かまわないのですよ。

 指針は決まりましたし、一人きりの時間は寂しいものですからねー」

「お猫様人形ですよー。

 にゃーにゃーさんです」

「猫さん、かわいー!」

 私が謝ろうとすると程昱さんも、周泰ちゃんも気にした様子もなく、璃々の頭を撫でたり、懐から出した手製の猫の人形で遊んでくれている。陸遜さんも、典韋ちゃんもその光景に目を細め、暖かな空気がそこを包んでた。

 三国同盟後、どうして私たちはすぐにこうした些細な幸せな光景を作ることが出来なかったのかと不思議に思ってしまうほど、その空間はとても暖かなものだった。

「ねぇねぇ、ぼんやりとしたお姉ちゃん」

 そして璃々はおもむろに近づき、程昱さんの服の裾を引っ張った。程昱さんはそれに怒ることもなく、視線を璃々に合わせて問う。

「はい、何でしょう?」

「お姉ちゃんは、ぎの人?」

「はいー、そうですよー?

 風は魏国で、たくさん書簡の片づけをするお仕事をしているのですよー」

 そう言って程昱さんは璃々の頭を優しく撫でると、璃々も気持ちいいのか嬉しそうに目を細める。

「璃々ね、まちのいろんなところで『天のつかいさま』ってきくんだけどね。一度も『会ったことがある』って人がいなかったの。

 だからね璃々、天のつかいさんを会ったことがある人にずっときいてみたいことがあったの」

「はいー、なんでしょう?」

「天のつかいさんって、どんな人だったの?」

 その言葉に蒲公英ちゃんと周泰さん、典韋ちゃんは表情を硬くするけれど、私と陸遜さんだけは彼女の変化を見守っていた。

「そうですねぇ・・・・」

 彼女は怒ることも、悲しみ様子もなく、むしろ穏やかな笑みを浮かべていた。

「たくさんの女の人を次々と夢中にして、人の心を奪っていく女たらしさんだったのです」

「風様?!」

 程昱さんのその発言に典韋ちゃんが反応するけれど、それは彼女だけでなく、周囲にいた私たちも同様だった。

「そうなの?

 じゃぁ、天のつかいさんってわるい人なの?」

 さらに続く璃々の問いに頷いて、程昱さんは大袈裟な手振りをつけて首を振っている。

「はいー、とっても悪い人なのです。

 誰にでも優しく、わずかな時間でもお兄さんと一緒に過ごした人はお兄さんのことを好きになってしまうのです。

 人がどうすれば喜んでくれるか、どうしたら笑ってくれるかを本当によく心得た、まさに大陸一の人たらしでした」

「だから、風様ぁ!?」

 クスクスと笑いだす璃々と、優しげに語る程昱さん。そして、その発言に驚きや戸惑いを見せる典韋ちゃんの姿が何だかおかしくて、私は自分の口元が自然とあがっていたことに気づく。

「けれど、誰かが困ってること見逃すことが出来ず、どんなに強い人にもまっすぐ向き合っていくお馬鹿さんでした。

 危ないものも、強い言葉も、たくさんの目の前に広がったことも受け止めて、ありのままの自分で在り続けたおかしな人なのです」

「ふふっ、お姉ちゃんは『おかしな人』とか、『わるい人』って言ってる筈なのに、なんかすごく良い人みたいだね」

「ふふふー。

 えぇ、風達にとって、どこを探しても他に居ないとても素敵な好い人でした。

 けれど、とっても極悪人さんでもあるのですよー。

 なにせ、そうしたたくさんの人を置いて、帰ってしまったのですからねー。

 本当にもう、最初から最後まで困ったお兄さんでした」

 肩をすくめ、呆れたようにしている彼女の目元には、ほんの少しだけ光るもの。けれど、そんなものは錯覚だと思わせてしまうほど、彼を語る彼女はとても幸せそうだった。

「璃々も、お姉ちゃんがそんなにうれしそうに話してくれる天のつかいさんに会ってみたかったなぁ」

「おやおや、そこに居る流琉ちゃんみたいにお兄さんの毒牙にかけられてしまいますよ?

 なにせお兄さんは年齢どころか、体型すら気にせずに、誰も彼も節操なしに声をかけるような方ですからねぇー」

「毒牙にかけられたのは風様もじゃないですか!

 それに体型的なことなら、風様だって人のこと言えないような・・・」

「流琉ちゃんとはあとで、話し合いが必要ですかねー」

 典韋ちゃんのその発言に、程昱さんはこちらを振り返らないで応えている。その様子を見た私たちは、誰ともなく笑いだしてしまった。

「おやおや、皆さんともお話が必要ですかー?

 まったく、困ったものです」

 そう言っておどけて見せる程昱さんを見て内心ほっとしながら、私はもう一年前になるあの光景を思い出していた。

 

 

 

「あれは・・・」

 あの戦いが終わって数日後、負けた側である私たちよりやつれた彼女たちのその姿に私は、夫を失った時の自分の姿を重ねた。

「けれど、私には彼女たちの気持ちを完全に理解することは出来ないのでしょうね」

 近くにいる璃々にも聞こえないような小さな声で言いながら、私は自分の恋を思い出していた。

「お母さん」

 手を引いた璃々がまるで自分のことのように悲しそうに、魏の子たちを見ていた。

「どうしてあのお姉ちゃんたち、あんなに悲しそうなの?」

「それはね・・・・」

 人の輪から離れながら、璃々をそっと抱きしめる。

「とても大切な人と、突然お別れをしなくちゃいけなくなったからよ」

 父方の叔父との昔から決められていた恋、歳が離れていたからこそ置いて逝かれる覚悟もあった。

 私には時間があり、璃々がいた。だから、受け止めることが出来た。

 けれどあの様子では彼女たちには別れを覚悟するだけの時間も、そして彼と共に居た証もまた得ることなどなかったのだろう。

 にもかかわらず、あの子たちはあそこに立っている。

 誰よりも泣きたい筈なのに、悲しみに暮れていてもおかしくないのに、あの子たちは立っていた。

「お別れは・・・ 悲しいよね」

 私の服をぎゅっと握り、顔を伏せる璃々の背を撫で続けた。

 そうしていると後ろから皆を見渡していると桔梗が酒樽を持ち、手を振っていた。

「紫苑、一杯どうじゃ?」

「今はそんな状況じゃないでしょう・・・ 桔梗」

「今飲まずに、いつ飲む?

 こちらの負けという形であっても戦が終わり、この年齢(とし)で三国の平定と大きな戦にも関わることも出来た。

 今の儂は武官として、これ以上ないほど満ち足りておる」

 喉の奥を鳴らして笑う桔梗はその場にどっかりと座り、私にも座ることを促してきた。盃の一つを押し付け、手酌で豪快にお酒を注いでいきながらもその目は焔耶ちゃんや朱里ちゃん、桃香様たちなどを順々に見渡している。

「じゃが、それは儂だけの様じゃがな」

「そうみたいね、けれど・・・・」

 戦が終わった後に朱里ちゃんの目に宿っていたあの狂気にも似た感情、あれはどうしても止めなくてはいけないともの。

「まぁ、だからと言って儂はどうする気もないがの。

 武官は軍師が指し示す方に行き、駆けるのみ。その戦のなくなった世では儂ら武官など不要。

 儂も戦いのない世など知らぬし、焔耶に教えることも出来はせん」

 お酒を呷り、満足げに息をついて桔梗は笑っていた。

「これからを創るのが若者だというのに、見てみよ。紫苑。

 蜀の先を作る若者たちは、多くの者が前など見ておらん」

 ただ、戦いが終わったことを喜び、彼女たちの何かを察することもなく笑う桃香様。

 狂気を抱く朱里ちゃん、それに引き摺られるようにして傍に居る雛里ちゃん。

 どこか不服そうに、舌打ちでもしてしまいそうな焔耶ちゃん。

 戦いが終わってもまだ実感がわかない白蓮ちゃんに、純粋に戦いが終わったことを喜び合うのは翠ちゃんと蒲公英ちゃん、鈴々ちゃんたちだけ。そして、愛紗ちゃんは・・・・・

「くくっ、何も失わず、負けを見てなおも生き残ることの出来た儂らこそが一番前を向くべきだというのにこの有様とは・・・・ 実に笑えてくるのぅ」

「いや、まったく」

「星ちゃんまで、笑いごとじゃないでしょう・・・」

 手を叩いて、さりげなくお酒を奪いながら同意する星ちゃんへも、私は溜息を吐きながら注意する。

 が、二人ともどこ吹く風と言った様子で相手にすることなく、お酒を呷り続けていた。

「呉が失うは長く孫家に仕えし猛者であり、多くの者の師たる者。

 その喪失は大きく、埋めることは容易ではないじゃろうな」

「魏が失いしは天の遣い、彼がどれほどの存在であったかなどは彼女たちの様子を見れば一目瞭然といったところ。

 その喪失はいかほどのものか、我らには到底想像することなど出来ますまい。

 その二国の喪失を、今の小さき軍師たちがどう考えるかを想像するは容易」

「それなら、私たちはそれを止めなくてはならないわ。

 誰かを失わずに済んだ私たちだからこそ、あの子たちの悲しみに付け入るではなく、理解してあげなくてはいけないのよ」

 まるで他人事のように語る二人に、私の意思を告げる。

 たとえ、他の誰が動かずとも、大切な誰かを失う悲しさを知っている私には動かないという選択は初めからなかった。

「ふふっ、紫苑殿からそうした強い言葉を聞くことは初めてのような気がしますな?

 戦の終わった今、新たな戦を生み出すなど野暮。ならば私が協力するのはやぶさかではない。

 桔梗殿は、いかがなされる?」

「儂まで動いたら目立つ。

 酒に酔い、戦に酔う。武官としての儂で在り続けるとしよう。

 何より儂は、人の機微に疎い。こうしたことには向いておらん」

 そう、ね。

 三人が同時に動けば、それこそ朱里ちゃんたちにすぐにばれてしまう。

 ならいっそ、桔梗に動かないでいてもらった方がいいわね。けれど

「・・・・だから、婚期を逃すのよ」

「何ぞいうたか?! 紫苑!!」

 武官として生き過ぎた桔梗は戦の機微は鋭くても、人の機微に疎いからここまで来てしまったのだものね。

「紫苑! その同情的な視線の説明せい!」

「さて、それでは動き出しましょうか。星ちゃん」

「うむ、承知した」

 酒樽を持って騒ぐ桔梗を置いていき、私たちは一年前のあの日から行動を開始した。

 

 

 が、その結果はこの通りだった。

 動きすぎた私は結果的に朱里ちゃんたちに警戒され、荊州の問題や書簡仕事を多く任される結果となり、星ちゃんに関しては自由で掴みどころがないからこそ逃げれているのであって、油断できない存在として目をつけられていた。

 動いても、何も変えることは出来なかった。

 何も知らぬまま一年が経過した桃香様。

 具体的に動き出してしまった朱里ちゃんたち。

 そんな朱里ちゃんたちの思惑通り噂に振り回される焔耶ちゃん。

 私が出来たのは、噂が酷くならないようにと蜀内部から近辺への噂の軽減のみだった。

 魏で起きてしまったことをきっかけに徐々に良くない方へと動いていたけれど、今回の荊州の一件でまた方向は変わっていく。

 私たちはまだ諦めちゃいけないんだと、思わせてくれる希望がそこには確かにあった。

 

 

 

「最後の雰囲気はよかったけど、会議中の程昱さんがすっごく怖かったよおぉぉぉぉーーーー」

「はいはい、よく頑張ったわね。蒲公英ちゃん」

 私は荊州から蜀へと戻る馬車の中で、泣き言を言う蒲公英ちゃんの頭を撫でながら、璃々が起きないように声の加減だけはしてもらう。

「星姉様の馬鹿―! あんな遠回しの表現じゃわかるわけないじゃん!!

 何が『その後ろで一切の自己の感情を見せていない者たちの方なんだが・・・』だよ! もっとちゃんと書いておいてよーーー!!

 詠ちゃんは詠ちゃんで郭嘉さんのことしか言ってなかったし!」

 実際、郭嘉さんが荊州問題に来る可能性もあったのだし、詠ちゃんの注意も間違ってはいないのだけれど・・・・ 今は言わない方がよさそうね。

「劉協様がご存命だって言うことも、詠ちゃんからこの間ようやく知ったっていうのに!」

「えっ? 劉協様はご存命なの?」

 蒲公英ちゃんからもたらされた予想外の事実に私は驚き、おもわず聞き返してしまっていた。

 劉協様はてっきり、中央の混乱で亡くなってしまったのかと思っていたのよね。

「何で紫苑さんまで知らないの?!」

「ほら、私はほとんど書簡仕事ばかり任されていたものだから、外の情報に疎いのよ」

 精確に言えば、私を外に出したくない朱里ちゃんたちが動けないように書簡ばかりをやるように任されていたのだけれど、ね。

「ていうか、朱里ちゃんたちおかしいよ! どうしてあんなに戦争したいの?!

 最後に三国揃って、お茶飲めるみたいなのが理想なんじゃないの?

 それなのに、あれだけ想われてる人の悪口を言いふらすとかわけわかんないよ!!」

「そうね・・・」

 あの時の程昱さんの表情を見れば、どれほど彼女たちが彼を愛していたかのかがよくわかる。

 愛し、愛され、共に過ごした時がどんなに大切だったか。輝かしいものだったのかが伝わってきてしまう。

「ねぇ、紫苑さん。

 あんなに人って、誰かを愛せるものなの?」

「そう、ね・・・・

 私の場合は決まっていた恋だから、彼女たちの物と全く同じかと言われれば違うでしょうけれど」

 けれど、決まっていた恋でも私は夫を愛していた。

 夫婦として共にあった時間がたとえごくわずかであっても、それはとても幸せで、その別れは身を引き裂かれるような思いが確かにあった。

「誰かを愛することで得られる強さと弱さは・・・・ 恋をした者にしかわからないものよ。蒲公英ちゃん」

 彼がいるから守りたいと、愛した人がいるから死ねないと思えた。

 少しでも長く共に居たいと思ったからこそ、夫婦としてあった。

「ふぅん・・・?

 いいなぁ、たんぽぽもそう言う人に会えるといいなぁ」

「蒲公英ちゃんよりも焦るべきなのは、桔梗なのだけどね」

 最近は自分でも嫁ぎ遅れたのを開き直っている傾向にあるし、いい加減本格的に何とかした方がいい気がするのよね。桔梗も。

「紫苑さん、その笑顔凄く怖いよ?!」

「あら、そう?

 まぁ、それはいいのだけれど、これからまた忙しくなるわよ。

 今回の一件を必ず朱里ちゃんたちは抗議してくるでしょうから、立ち合いをした蒲公英ちゃんには協力してもらわなくちゃいけないわ」

「え?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした蒲公英ちゃんに、私は笑顔のまま続ける。

「当然でしょう?

 今回は私たち二人が参加して、なおかつ今回のことは反対されることが目に見えている内容だもの。勿論それは呉も同じでしょうけど、朱里ちゃんたちの説得は私たちがしなければならないことよ」

「もー、やだー! 西涼帰る―!!

 馬乳酒飲んで、遠駆けするのーーー!!

 蜀の料理は辛いし、じめじめするし、いーやー!!」

「我儘言わないで、しっかりと協力してね。蒲公英ちゃん」

 蒲公英ちゃんを宥めながら、私はこれから起こるだろうことへと思いを馳せていた。



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焦った者と聞き入れた者 【穏視点】

「穏」

 三国同盟から早三か月の時間が経過した今、私は冥琳様と共に書簡仕事に追われていますぅ~。

 魏の計らいによって呉の領地はほとんど奪われることもありませんでしたし、むしろ各地に派遣されている警邏隊のおかげで目立った混乱もないので大助かりでしたぁ~。

 しいて問題点をあげるとするなら~、魏では当たり前に行われていた警邏隊の書簡業務は不慣れな我々には時間がかかってしまうことくらいでしょうか~?

 そのせいでしょうか~? 最近は私の性癖が若干変わり始めているんですよねぇ~。ただの書簡というか、お仕事の書簡ではどきどきしないと言いますかぁ~。むしろげんなりしてくるようになってしまったのですよ~。物語でないと、あのえも言われぬ快感を得ることが出来なくなってしまったのですぅ~。

「はい~? 何でしょうか~? 冥琳様ぁ~」

 書簡仕事の最中、顔を上げることもなく返事をすると、何故かこちらへの返事がなくなってしまいましたぁ~。どうしたんでしょう~?

「冥琳様ぁ? 何ですか~?」

 おもわず作業の手を止めそちらを見ると、何かを決意したような目をした冥琳様がそこに居ました。

 どうして冥琳様が、そんな顔をする必要があるのでしょうかぁ~?

 もう戦いのない世が生まれ、呉はかつて望んだものを手に入れようとしているにもかかわらず、どうしてあの策を決断したときのような顔をなさっているのですかぁ?

「最近、蜀から流されてはじめている噂の一件を知っているか?」

「い~え~? ここの所あまり外に出る用事がありませんし、余裕がなかったのでぇ、知りません~。

 明命ちゃんも外に行ったり来たりしていて、あまりお話しできていません~」

 武官すらも総出で治世に必須な書簡仕事へと駆り出さなければならないほど、呉は深刻的な人手不足ですからねぇ~。祭様がいらしたらもう少し状況は変わったんでしょうが、あの策を持ち出したのはほかならぬ祭様自身でしたからぁ~、誰も恨むことは出来ません~。

 祭様はもしかしたら、孫堅様が亡くなった時点でずっと死に場所を求めていらしたのかもしれませんねぇ・・・

「臥龍と鳳雛はいまだに空を仰ぐことをやめていないようでな、この書簡を見ろ」

 そう言って手渡された書簡の中に書かれていたのは明命ちゃんの字で、天の遣いさんへの罵詈雑言でしたぁ~。

 まぁ、私たちからしてみれば彼ってよくわからない存在ですからね~?

 知ってることと言えば魏の方々が揃いもそろって彼を愛していたことぐらいなのですが、正直それをそのまま信じることは出来ないのですよねぇ~。

 彼女たちの人となりを知ることが出来た今ですら・・・ いいえぇ~、むしろ優秀な彼女たちだからこそ、どうしてこれと言って取り柄のない彼を愛していたのかがわかりません~。

 家柄もなく、表立った武勲も聞いたことがありませんし、あの警邏隊を彼が作ったというのも眉唾物ですからねぇ? 警邏隊のことを知れば知るほど、本当に彼が作ったかどうかを疑ってしまうのです~。

 

『一人の「男性」があれほどまでに成長し、大陸に広くいきわたっている警邏隊の基礎を作った』

 

 なぁ~んて、とてもじゃないですが想像できないんですよね~。

 あれほど効率よく新兵に体力や物事の対処を見につけさせ、報告書を作成するために全員が字を学ぶことから始めるなんて私たちには浮かばない考えばかりでしたから~。まぁ、この噂を流して孔明さんたちが何をしたいかはわかるのですがぁ~・・・ 正直、あの敗戦を認めたくないお二人のあがきにしか見えません~。

 赤壁は蜀と呉が連携し、呉が得意とする海上戦を選びましたぁ~。その上で孔明さんたちによる地形的な策、連携した蜀は勿論呉の一部の将にすら黙って行われた祭様による苦肉の策の二段構え。

 私としましてはぁ~、ここまでして負けたのですからもはや天命としか思えないのですぅ~。

「これを見て、お前はどう思う?」

「天の遣いさんへと非難を向けさせ、自分たちに来る民への怒りをばらけさせるんですか~?

 魏の方から剣をとってくだされば戦いの大義名分には十分ですしぃ、向こうから攻めてきてくだされば民をいくらでも言い繕えますからねぇ~。

 ですが、どうしてここまでして空を仰ぎたがるのか少々理解に苦しみますぅ~」

 あの時、私たちは全力を尽くして負けましたぁ~。その上で『三国同盟』という、三国が協力して大陸を守る案を提示されましたぁ~。

 しかも、我々が見捨ててきた各地は警邏隊によってそれほど荒らされることなく、むしろ私たちが何とかしなければいけない問題としていた越族すらも天の遣いさんによって片づけられていた後でした。

『俺だって、他所者みたいなもんだしなぁ。

 こんな俺だって迎えてくれた人がこの大陸にいたんだ。

 そんな人たちが、同じ大陸にいる人たちとうまくやれない筈がないだろ?』

 彼はそう言って、当たり前のように彼らと接しただけだそうですぅ~。

 そんなことも私たちには出来なかったんですよねぇ~。

 彼らはそう言う存在でしたから、人として扱うことすら私たちは知らなかったんですぅ~。

 あははは、本当に私たちは魏によって救われている面が大きいんですよねぇ。

「・・・・理解に苦しむ、か。

 私には臥龍と鳳雛の思いがわかる気がするがな」

 私はおもわず冥琳様からのその発言に顔をしかめ、そちらを注視すると冥琳様は肩をすくめていましたぁ~。

「今の魏を見ろ。

 経済の発展も、技術の向上も、我々はそれに追いつくことが出来ず、提供されている側だ。いや・・・ むしろ魏が乱世で作りあげた警邏隊の体勢を理解することにすら一苦労し、治政することが精一杯の状況だ」

 自嘲するような笑みを浮かべ、書簡を見ていく冥琳様は小さく『祭殿がここにいれば、少しは違ったのだろうがな』と呟き、私を見ます。

「だからこそ私は、今回の臥龍と鳳雛の企みに乗った」

 冥琳様のその言葉に、私はおもわず耳を疑いましたぁ。

「流石にそれは、独断が過ぎませんかぁ? 冥琳様」

 言葉に咎めるものを含め、なおかつ私はその真意がわからず冥琳様を見つめると、そこには武官ではない私ですら・・・ いいえぇ~、呉の将ならば一度は必ず見たことのある死を覚悟した武人の顔、あの時の祭様と同じ顔をしていますねぇ。

「声を荒げもしない、か・・・・

 穏、お前も本当はわかっているんだろう?

 このままでは呉も、蜀もそう遠くない将来、魏の属国・・・・ いいや、魏に取り込まれ、国として成り立たなくなっていくことを」

「それは戦いに負けた時点でわかっていたことですぅ~。

 今こうして国として成り立っていることの方がずっとおかしいことを、冥琳様もご承知かと~」

 あの戦いの後、本来ならば私たちは殺されていてもおかしくなかったのですから~。

 こうして手を取りあうという形の方がよっぽど不自然ですし、おかしな状況ですよね~。

「我々は生かされた側ですぅ。

 本来ならば殺されても文句は言えませんし、生かされるだけでなく、あちらはほとんどのことを協力的にしてくださっています」

「あぁ、今は協力的だな。

 だが、その協力すら我々を懐柔させていくものにしか、私には見えん。

 それともこちらの主戦力たる将が居なくなるのを、虎視眈々と狙っているようにな」

「それは穿って見すぎですぅ!」

 冥琳様の発言を流石に聞き流すことが出来ず、おもわず怒鳴ってしまいましたぁ~。

「呉の悲願は叶ったではありませんかぁ!

 袁家の支配から離れ、祭様の死こそありましたが、呉の地を守ることが出来ていますぅ~!

 この案を考えた孔明ちゃんたちの気持ちもわかりますがぁ~、再び乱世へと戻って一体何を得るというのですかぁ~!?」

「今だからこそ立ち上がらねばならんのだ!

 将の力がなくなる前に! これ以上魏が発展する前に!

 呉が、これからも呉であるために!

 私の命が尽きる前に、立場を確立するために!

 乱が起きたその時、蜀と対等であるためには呉はこの争いに勝利する側にいなければならんのだ!」

「ちょっと待ってください~!

 『命が尽きる前に』とはどういうことですかぁ?

 この独断はそれに関連しているとでもおっしゃられるのですかぁ?!」

「・・・・赤壁の少し前から、私の体は病魔に蝕まれている。

 医者が言うには短ければ一年、長くとも二年以内だそうだ」

 自分の体のことだというのに、淡々とおっしゃられるその姿は祭様によく似ていると思ってしまいましたぁ~。

「本当は、私とてわかっている・・・!

 あの日の曹操たちの目を見れば、奴らは私たちと同じなのだと! 仕事に打ち込むことでしか、自分たちを保てないのだということも!

 だが! 今のまま進み続けた奴らに、我々は追いつけぬのだ!

 天の遣いが残したであろう知識の欠片を創り上げ、発展し続ける魏に呉は・・・ 二国は置いて行かれる・・・・!!

 あれほど多くの血を流したからこそ、緩やかに滅ぶことを受け入れることは私には出来ん!!」

 冥琳様は・・・ わかっておいででした。

 戦いばかりに明け暮れていた我々とぉ~、乱世でありながら治政を熱心に行っていた魏に差がつくのはむしろ必然のことでしたぁ~。

 ですが、彼を失ったことによって魏はさらにその速さが増し、我々が思い浮かばないようなことを行ってしまう。

 戦勝国でありながら我々敗戦国へと手を伸ばし、なおも発展を続ける魏は脅威以外の何物でもありません~。

「これが愚策だということもわかっている・・・!

 だがっ! 今しかないのだ!」

 唇を噛み締め、痛みをこらえるように胸元を強く握って、弟子である私へと縋るような目をする冥琳様の頼みを断ることが私には出来ませんでしたぁ~。

 そしてそれを聞き入れた日、私は呉が滅ぶことも、我々の誰かが死ぬことも、覚悟しましたぁ~。

 あるいは魏の方へ身勝手な希望を抱いて、私はあの日冥琳様の言葉に頷いたのですぅ~。

 

 

 

「穏様、もう着きましたよ。

 起きてください」

 明命ちゃんの声に目を開けると、そこは馬車の中で私はようやく自分の状況を思い出しましたぁ。

 荊州の話し合いが無事に終わって、馬車に乗って戻ってきたところでしたね~。

「まずは冥琳様のところに行きましょうかぁ~。

 報告書の作成もありますがぁ、その前に口頭で報告した方がいいでしょうしねぇ~。雪蓮様もそちらに居ることでしょうしぃ」

「冥琳様は療養中ですが、いいんでしょうか?」

「まぁ、蓮華様の方がいいんでしょうけどぉ~、書簡の山に埋もれている蓮華様に報告するのは酷でしょうから~」

 蓮華様も魏で何らかの影響をうけたようで真面目なだけではなく、視点を広く持とうとしていますからねぇ。

 彼の書簡によって救われたのは、冥琳様だけではないのかもしれません~。

「穏様、穏様はあの書簡を聞き、天の遣い様をどう思われましたか?」

「ん~、そうですねぇ・・・」

 そう言いながら、申し訳なさそうに目を伏せる明命ちゃんの考えがなんとな~くわかってしまうような気がしましたぁ~。

 私も明命ちゃんも冥琳様の命令という形で従い、関わっていた人間ですからねぇ。むしろ明命ちゃんこそが、言いたいのかもしれません。

「驚いてしまいましたぁ~。

 私たちは彼を知らない、どうでもいい存在とすら思っていたにもかかわらず、彼は私たちの良い所を見つけてくれていたことが純粋に嬉しかったですねぇ~。

 明命ちゃんはどうですかぁ~?」

「はい・・・ 私もそう思いました。

 あの書簡を聞いて驚きましたし、程昱殿と典韋殿があれほどまで優しく語る彼を私は・・・・」

「謝罪の言葉を彼女たちは欲していませんよ~、明命ちゃん。

 だから私たちはやるべきことをやりましょうかぁ~。

 もう争いが起きないよう、冥琳様がもうあんな心配をなさらなくていいように、私たちが頑張りましょ~。

 頼りにしていますからねぇ~、明命ちゃん」

 俯く明命ちゃんの背に触れて、私は軽く励ましますぅ。

 病気療養ということと今回の責任の件もあり、冥琳様は仕事を私たちに任せることを宣言していますぅ。

 冥琳様が病気であることを知った雪蓮様が魏から戻ってきてすぐに大喧嘩なさった時は、おかしなことにほっとしてしまったんですよねぇ~。あのお二人が互いに向き合って喧嘩する姿なんて、あの戦い以降全くなかったことでしたから、あるべきものが元に戻った・・・ いいえぇ~、ようやく今が動き出した気がしましたぁ~。

「おぉっと、危ない」

 冥琳様の部屋の扉を開けようとしたその時、突然扉が開いたのでおもわずぶつかりかけてしまいますが明命ちゃんがそれを防いでくれましたぁ~。

「おぉ、久しいな。陸遜殿。

 定期検診は無事終了した。

 だが、孫策にはあまり患者に酒を飲ますなと伝えておいてくれ」

「華佗さん、お疲れ様ですぅ~」

 見ればそこには定期検診に来てくださった華佗さんが、荷物を抱えて帰ろうとしていたところでしたぁ。

「いや、俺は医者として当然のことをしているだけだからな。

 だが、俺に治せるのは人の病だけ・・・ 一刀のように人を変えることも、曹操のように大陸を変えるようなことは専門外だ」

 そう言って彼は遠い遠い空の向こうを眺めて、何かを振り払うように首を振りましたぁ。

「そして、君たちには・・・ 治政に関わるものには、それが出来る。

 この大陸を守り、国を導くことが出来るのは君たちだけであり、創り上げていくのもまた君たちだ。

 だから、君たちも周瑜のように無理はしないようにな。俺が必要だったらいつでも早馬で知らせてくれ」

 そう言って去ろうとする彼に、私は一つだけ聞きたいことがあったことを思い出しましたぁ~。

「華佗さん~、あなたは友人である彼を悪く言っていた私たちを恨んでいないのですかぁ~?」

 彼が天の遣いさんと友好関係があったことはこちらに来てもらう前に明命ちゃんたちの情報から明らかになっていたので、当初は随分論議になったんですよねぇ~。まぁ、雪蓮様の鶴の一声と、こちらは殺されても文句を言えない立場なので受け入れたのですが、月に一度はこちらに通ってくれるほど献身的にしてくださっているので頭が下がる思いですぅ~。

 ですがやはりここまでしてくださる理由が単に『医者だから』という答えではどうしても納得できなかったので、一度はお聞きしてみたかったんですよねぇ~。

「もし、あの噂を俺の友である彼が聞いたらなんというか君たちには想像できるか?」

 こちらを振り向かずに告げられた彼の問いに、私たちは質問の意図がわからず首を傾げましたが、その沈黙をわかっていたかのように彼は笑いながらこちらを振り向きました。

「『そんなことは気にするな』さ。

 そう言ってから、当たり前のように俺に彼女を治療することを頼んでくることだろう。

 北郷一刀という男は、そう言う奴だったんだ。

 本人が笑って許すようなことを、俺が怒ることなんて出来ない。まして恨むことなんて出来る筈もない。

 なら俺は、自分のやるべきことをやるだけなんだ。君たちだってそうだろう?」

 まるでこちらを見透かすような言葉ですが、彼の言葉はすんなりと受け取ることが出来ましたぁ~。

「それじゃ、俺はこれで失礼する」

 そう言ってくださる彼を見送り、私たちはこれからを創るために扉へと向き直りましたぁ~。

「さぁ~、頑張って説得しましょうかぁ~」

 これは私たちがしなければならないことですしぃ、戦のない世を彼女たちと共に築いていくための第一歩を踏み出しましたぁ~。



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苦労を背負う者たち 【思春視点】

「お猫様ぁ~、お猫様はどこですかぁ~~~?」

「あはは~、面白いこと言いますねぇ~? 明命ちゃん。

 この部屋にあるのは書簡だけで、生き物なんて筆を執っている私たちだけに決まってるじゃないですかぁ~」

「書簡が一つ、二つ・・・ あれ? 一本、足りない?」

 呉の城の一室、所狭しと書簡が積まれたそこで私たちはただ淡々と筆を動かしている・・・ 筈だが、流石に全員が徹夜三日目となると会話をしていないと意識を失いかねないので、会話が止まることはない。

「・・・亜莎、失くした分の書簡を補うのはどれほどの書簡が必要かわかっているのか?」

 まずその書簡に書かれていた内容がどんなものであったかを把握するためにこの三日間にあげられた報告書を照らし合わせ、すでに終わっていた書簡の山の中から何が紛失したのかを確認しなければならない。

 無論、そうしている間にも仕事は増えていくが。

「ありましたーーー!」

 そう言って一本の書簡を高々と上げ、一つの山の頂上へと叩き付けるようにして置く。

「そうか・・・

 では、次の書簡にとりかかれ」

「鬼ですか!? 思春様!」

「まだ徹夜三日目だ。

 折り返し地点にすぎない今日、私たちに小休止と食事以外の休息があるわけないだろう」

「そもそも五日間徹夜後、一日休みというのがおかしいんですよ!?」

「七日間徹夜していた冥琳様のお姿を忘れたのか! 貴様!!」

 冥琳様が病気療養するまではこの仕事の主軸を担い、その上で策略まで手を伸ばしていたというのだから、あの方の頭は少しおかしいと思ってしまう。

 一体いつ休息をとっていたのか、眠っていたのか。病魔に憑りつかれていたとは思えないような仕事量をこなし、本当に人間なのかどうかすらも正直疑ってしまうな。

「お猫様ぁ~、うふふふ・・・・ 肉球の感触が物足りませんが、これはこれで・・・・ うふ、うふふふふ・・・」

 私たちがそうしたやり取りをしている間に、明命が懐から出した猫の人形を顔に押し付け始めている。その作りは細かく、小蓮様の愛玩動物である周々、善々の抜け毛を利用したそれは遠目からでは猫にしか見えない代物だった。

「明命ちゃーん? 一人だけ妄想世界に逃げないでくださいね~?」

 当然、それで仕事の手が止まれば、こうなるのだが。

「穏様だってしてたことじゃないですか!」

「私が妄想世界に逃げていた時、仕事を押し付けた人たちがどの口で言いますかぁ~?」

 その発言には明命だけではなく、私と亜莎も睨まれたが、私たちは素知らぬ顔で仕事を続ける。

 だが、考えてみてもらいたい。

 仕事である書簡を片づける中で一人悦に浸り、楽しげに興奮しながら作業する存在。

 まして、こちらが苦戦しているものが快楽であるのなら、仕事を押し付けないわけがない。

 むしろその喜びを増やして、何が問題あるのだろうか?

「思春ちゃーん? なんかすごく開き直った酷い考え方してませんかぁ~?」

「ならば言うが・・・ 書簡を眺め、興奮する悪癖は完治。これで書庫の管理もでき、なおかつ仕事を真面目に取り組むことも出来る。

 ふむ、利点ばかりだな。何か問題点でもあるか?」

「しいて言うなら、思春ちゃんのその対応が問題だらけですぅ~!」

 そう言い返し、怒鳴りあっている中であっても、誰もが手を動かすことをやめることはなく、鋭く書簡を睨み続けている。最早頭の空き容量で別の作業をしていないと仕事をしていることが出来ないほどに、疲労が達しているのだろう。

「うふふふ、穏様はまだいいじゃないですか・・・

 物語を読めば、まだ気持ちよくなることが出来るのですから・・・

 私なんてもう、休みの日ですら疲れ切って生でお猫様を見たのはどれほどの前でしょう・・・」

「それは明命が『癒しが必要』だと言って、連れてきた猫が書簡の山を崩したからじゃないですか!」

 悲しげに言う明命へと亜莎が怒鳴って返す。

 そう、この仕事が始まり、五日間の徹夜が日常となる前に『癒しが必要です!』と主張する明命の意見を取り入れ、猫をこの部屋にいれたことがあったのだ。

 数日間はそれでよかった。

 明命によって用足しや爪とぎなどをしっかり躾けられた猫たちは確かに私たちの疲れを癒すには向いており、仕事中に足元に寄り添う姿やその温もりには目元が緩んだものだった。

 だが、どんなに躾けられていても猫は猫。

 自由気ままで、我儘な存在であり、自分が楽しいことが生きるということである。

 そうして自由を満喫していた猫が書簡の山に登り、飛び降りた時、無残にも書簡の山は崩れた。

 それだけならまだいい。

 小さな山が崩れることは猫が入室して以来たびたびあったことであり、その被害も微々たるものだった。

 だが、この時は崩れた山の規模、そして倒れた方向が悪かった。

 私たちが作業している(・・・・・・)硯が乗っている机(・・・・・・・・)の方へと(・・・・)、崩れてきたのだ。

 当然、作業していた私たちは埋まり、既に終わった書簡は終わっていない書簡と混ざり合い、一部に至っては書き直しという最悪の事態を引き起こした。

「だからと言って、ここまで徹底することはないじゃないですか・・・ お猫様ぁ~」

 それ以来猫の入室は禁止され、書簡を行うこの部屋に近づくことすら禁止。室内では猫が苦手とするらしい柑橘類などの香をたくのと常としている。また窓際からの侵入も防ぐため、窓の前の花壇には香りの強い植物が植えられた。

「この対応は明命ちゃんが常に懐に入れてるマタタビの性ってわかっていますかぁ?」

「それでも猫をこの部屋に入れるというのなら、その被害を受けた書簡の全てをお前が片づけると約束してもらうがな」

「大人しく仕事します・・・」

 穏の言葉と私の言葉を受け、明命は観念したように反論がやむ。

「小休止の時間だよー。

 みんな、お茶とお菓子ねー」

 そう言って入ってくる小蓮様は慣れた足取りで書簡を避け、『済』と書かれた書簡だけを脇に避けていく。私たちも『小休止』という言葉に手元の書簡を終わらせ、担当している書簡をわかるように避けていく。

「小蓮様、ありがとうございます。

 そちらの書簡の進み具合はいかがでしょうか?」

「まだ今日の分は半分くらいかなー、シャオも運んだりして手伝ってるけど、姉様の方も休憩入れないと駄目だね。

 シャオはこのまま蓮華姉様にもお茶とお菓子持っていくから、印璽必要な書簡ってどれー?」

 小蓮様も立派になられたとしみじみと思いながら、お茶を口にする。

「あっ、そうだ。穏。

 姉様たちに聞いたんだけど、シャオが荊州に行くって本当?」

「はい~、荊州は三国それぞれから将を集め、共同で管理するという形になりましたからぁ~。

 しかも三国共に年若い将がそれぞれ派遣される形ですので、こちらからは小蓮様を推薦しましたぁ~」

 私たちは既に穏が帰って来た当日に会議にて話されていたので、これと言って驚くこともなく、その話を黙って聞いていた。

 話を聞いたときは耳を疑ったものだったが、三国の状況から見れば最善の手段。

 あえて付け足すなら、こうした書簡片づけの援護に回ってくださっていた小蓮様が抜けるのは少々辛いが、それも荊州問題が戦へと発展しなかったことを考えれば些細なことだ。

「ってことは、流琉や季衣、鈴々に会えるってこと?」

「はい~」

「やったー!

 シャオはこの書簡地獄から解放されるんだね!!」

「「「「・・・・・」」」」

 天真爛漫という言葉が似合うその笑顔に私たちはあえて何も答えず、笑って誤魔化す。

 今我々がこうして忙しくなっているのは各地の警邏隊の報告書に加え、地方の状況から改善へと持っていく案などが多く持ち込まれているためであり、それは勿論荊州にも言えたこと。むしろその状況は、しばらく上に人がいなかった荊州の方が酷いであろうことは目に見えていた。

 だからこそ魏は二人派遣するのだろうが、呉にも、そしておそらくは蜀にもその余裕はない。蜀は占領されている土地がなかった分だけ警邏隊の書簡はないだろうが、統治するにはそれなりの書簡が行き交うことは確かだ。

 小蓮様は雪蓮様に比べればいくらか書簡に慣れてはいるが、苦労することになることはまず間違いない。というのが、将の結論であった。

「ん? みんな、どうかしたの?」

「「「「イーエ、ナンデモアリマセン」」」」

 内心で手を合わせ、私たちは小蓮様が運んでくださったお茶とお菓子で味わうことに集中した。

 

 

「思春ちゃーん、この仕事はいつ終わるんでしょうねぇ~」

 小休止が終わり、また書簡へと向き直った私たちはまた会話を開始していた。そうでなければ、静かなどにしてしまったらここに居る者が眠りへと落ちかねない。

「あと二月は無理だろう。

 あの書簡に書かれていた大会などの試作会がこの忙しさの区切りになるだろう、というのが冥琳様の予想だ。

 その頃になれば各地にも多少は余裕が生まれ、数名は戻ってくるという話が出てきている」

「ふ、二月・・・・ 私たち、それまで持つんでしょうか・・・」

「お猫様成分が足りません! もう無理ですよぉー!」

「えぇい! 泣き言を言うな!!

 かの公孫越はこの一年、たった一人で幽州の地を統治し、以前からあった異民族との友和すら保っているのだぞ!

 名立たる将を持つ我々の方が、幾分かいい状況だということを自覚しろ!!」

 泣き言を口にする亜莎、明命を一喝する。

 最近は隠密の仕事を出来ず、報告でしか知らないが、公孫越は遠く離れた地で一人、姉の留守を守っている傑物だと聞いている。

 隠密として飛び回っていた頃は、公孫賛の影を支える控えめな女性といった印象の強かったが、元からそういった才はあったのだろう。もし会う機会があったのなら、ぜひとも話を伺ってみたいものだ。

 そう言って何とか二人を奮い立たせようとはするが・・・・ 気力がどうにかなれば回るような状況下ではなく、人手が足りていない。

「くそっ、人手が足りん!!

 明命! 周々と善々を連れてこい!!」

 こうなれば最後の手段・・・・ 人手がないのなら・・・・

「はい?! 思春様、何をする気ですか!?」

「書簡をやらせるに決まっているだろう!

 猫の手は役に立たんし、言葉は通じん。だが、奴らなら小蓮様の言葉を理解している。

 ならば、書簡作業ぐらい躾ければできるように・・・」

「思春様、落ち着いてくださいーーーーー?!」

「うるさい、離せえぇぇぇーーー!」

 明命に押さえつけられながら、亜莎を見れば、手を動かしたまま口から半透明な何かをだし、そちらも書簡を片づける作業を行っていた。

「おぉ、流石は亜莎。

 体を二つに分け、人手を増やすか。見事だな」

「え? ・・・・って亜莎ーーー?!

 一人で逃げるなんて狡いですー! 逃げないでぇー! 逝かないでーー!! これ以上、人手を減らさないでーーー!!

 穏様、亜莎をお願いします!!」

「任されましたぁ~~~。

 一人だけ逃げるなんてさせませんよぉ~? 亜莎ちゃん」

 そう言って穏はどこから取り出したのか、七節棍『紫燕』で亜莎を殴りつけ正気に戻らせた。半透明な何かは口へと戻り、亜莎は自分がどうなっていたのかわからなかったらしく、周囲を確認していた。

「ちぃっ、人手が減った!」

「そこですか?! 思春様!」

 それ以外にこの部屋に重要項目は、存在しない。

 雪蓮様に仕事をさせればいいのだろうが、あの方は冥琳様の看病という建前を使い、街のあちこちを放浪している。

「くっそ! あの飲んだくれが!!」

「思春様! 流石にその発言は駄目ですよ!?」

「はははは、おかしなことを言うな。明命よ。

 私は『飲んだくれ』と言っただけで、看病と言いながら酒を飲み、語り合うだけで一日を過ごすような我らが王・孫伯符様のことを言ってなどいない。

 そう断じて! 言ってなど! いない!」

 週に一度は繰り返すこのやり取りを続けながら、私たちの毎日はこうして過ぎていく。

 書簡に追われる日々、武官には縁のなかった仕事。

 だが、それをあの乱世でこれほどの書簡仕事を行っていただろう魏と、幽州の地へと尊敬の念を抱かざるえなかった。

「こんな忙しい中で、戦などやっていられるかあぁぁーーー!」



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志を継ぐ者 【沙和視点】

「やっぱり、隊長の部屋は落ち着くのー」

 隊長が使っていた椅子に座って、机についた墨の痕が何だか隊長の居た小さな証が愛しくて指でなぞる。

 沙和たちは外を回ったり、訓練したりしてたから、ほとんど来ることのなかった部屋だけど・・・ ここに来ると自然と落ち着いて、隊長が居た楽しい時間が次々と浮かんでくるの。

「隊長は本当に、お人好しなのー。

 自分が居なくなった後もいろんなところ気に掛けるし、真桜ちゃんに無理難題残すし、あれじゃ隊長いないのに隊長を好きになっちゃう女の子が出てきちゃうの」

 隊長の机の上に置かれた一本の書簡、それは魏だけじゃなくて三国のたくさんの人の名前が書かれた催し案の原本。

「もう、どんだけ女好きなのー?

 隊長が戦場でどれだけ三国の美女を見てたのがよーくわかって、華琳様たちもみんな呆れちゃったんだからね」

 魏だけじゃなくて、他の陣営の人たちのこともこれほど見ていたことに少し嫉妬しちゃったけど、それも含めて『隊長だなぁ』って思ったの。

 人の良い所を見つけるのが凄く上手で、誰にでも手を伸ばしてくれた隊長。

 思えば沙和がここに居れるのも、隊長のそうした面のおかげだよね。

 だって隊長は、みんなの良い所もたくさん見つけてくれたんだもん。

 自分じゃ当たり前って思ってたちょっとしたことが凄いことなんだって教えてくれて、いろいろなことをさせてくれたよね。

 そんな隊長をね、沙和は凪ちゃんと真桜ちゃんとずっと一緒に追いかけてたんだよ。

「えへへ、でもだーい好きなの。隊長」

 ここに居なくても、どれだけ離れてても、たとえもう会えなくても、ずっとずっと大好きなの。

「沙和、居るか?」

 突然聞こえた凪ちゃんの声と扉の開く音に対して驚かずに、沙和はそのままの姿勢で向き直ったの。

 凪ちゃんも椅子に座ったままの沙和を気にした様子もなくて、むしろ少しだけ目元が緩んだ気がしたの。そんなちょっとした仕草で、凪ちゃんがこの椅子に本来座っているべき隊長の面影を見たことは沙和にはばればれなの。でも、その気持ちもすっごくわかるから、沙和はなーんにも言わないし、言えないの。

 幻でも嬉しくて、一瞬でも励まされちゃう。悲しい筈なのに、ここだと涙よりも笑顔が零れちゃう。まるで隊長がこの部屋に残したお(まじな)いみたいだよね。

「なぁーに? 何かあったのー? 凪ちゃん。

 ていうか、沙和がここに居るってよくわかったね?」

 そう言って笑いながら立とうとすると、凪ちゃんはそのままでいいことを手で示してくれたからとりあえず座ったままにしておくの。

 今日は非番だったから書き置きも特にしないで朝からずっとここに居たし、誰にもわからないと思ったんだけどなぁ

「我々将の誰かが非番で、部屋には不在。

 街に居るのなら警邏隊の誰かが見かけ、直接お前に報告するだろう。わざわざ私のところまで報告は来ない・・・・ ならば、ここしかないだろう?」

 まるで自分も非番の日にそうすることが自然みたいに言う凪ちゃんは、隊長が使っていた寝台を目を細めて撫でてるの。こういう凪ちゃんの表情は、沙和たちと隊長ぐらいしか知らないもんね。

「それにここ最近は何かと忙しない。休みの時ぐらいは、ここで過ごしたくなる気持ちもわかる」

 でも、その表情は途端に険しくなっちゃったの。

「劉備がお前の元を訪ねてきたそうだ。

 今は街の、お前の行きつけの茶屋で待っているそうだが・・・」

「うん、わかったー。

 じゃぁ、ちょっと行ってくるね」

 少し言いにくそうにする凪ちゃんに、沙和は笑って立ちあがる。そうして扉へと向かうと、凪ちゃんは手を掴んできたの。

「沙和・・・・」

 凪ちゃんが止めようとする理由もわかってるし、それでも沙和が止まらないことをわかってるんだと思う。だから、そんな複雑そうな顔をするんだろうし、ほどけるぐらいの力でしか手を握ってこないんでしょ?

 

『沙和、どうしてお前はそう在れる?

 どうしてあいつらを・・・・ あんな奴らを友と呼べる? 真名を預けられる?

 何故・・・ 迷いもなく手を伸ばすことが出来るんだ?』

 

 他の陣営の子たちと仲良くする沙和に、凪ちゃんが言ったあの言葉は別に意地悪じゃないってわかってるの。

 隊長がいなくなった理由が、蜀と関わってたかもしれないこと。

 もし桃香ちゃんが違うことをしていたら、隊長はここに居たかもしれないこと。

 沙和がわかる範囲で、これくらいはわかってはいるの。

 それに隊長を馬鹿にされて怒ってないわけじゃないし、悲しくないわけでもないの。

 でも・・・・ でもね、凪ちゃん。

「桃香ちゃんは、どうして沙和の元を訪れたんだろうね?」

 沙和のその言葉に凪ちゃんが質問の意味がわからない感じで見てくるけど、沙和は続けるよ。

「きっとあの村を見て、何かを思ったから・・・ 何かを考えなくちゃいけないと思ったから、誰かと話をしたいんじゃないかって思うの」

 あの村は隊長の居た証、隊長が築いたもので溢れてたの。

 だけど同時に、桃香ちゃんが見てこなかったものがたくさんあったの。

桃香ちゃん(友達)がちゃんと向き合って、変わろうとしてるんだもん。

 沙和はそれを、全力で応援するだけだよ」

「だが!」

「隊長はさ、なーんにもない沙和にもいろんなことを教えてくれたよね」

 何かを言おうとして怒鳴りかけた凪ちゃんの言葉に割り込んで、まっすぐ凪ちゃんを見つめる。

 気術を使える凪ちゃん、頭のいい真桜ちゃん、だけど沙和は・・・ 沙和だけは何にもなかったの。

 そんなに力はないし、頭がいいわけじゃない。泳げないし、好きなことはお洒落だもん。

 でも、そんな沙和を華琳様は受け入れてくれて、隊長も見捨てたりしないで、沙和の可能性を見つけてくれたの。

「いつも沙和たちを信じて、任せてくれて、たくさんたくさん応援してくれてたよね」

 その応援はきっと大したことじゃなかったもしれないけど、沙和はすっごく嬉しかったの。

 あの演習の時も、泳ぎ方を教えてくれた時も、隊長はいつも沙和たちを見守ってくれて、信じてくれて、届かない筈なのにいつも隊長の気持ちは聞こえてる気がしたの。

 たった一言で勇気が溢れてきて、立ち向かうことが出来たことをずっと忘れない。忘れられないから

「今度は沙和が、頑張ろうとしてる桃香ちゃんを応援してくるの」

 駆けだした沙和を今度は止めなくて、でも凪ちゃんが言ったことは沙和にははっきり聞こえてたの。

「隊長・・・ あなたの志を私たちの中で一番継いだのは沙和だったようですね」

 誠実さと、発想を受け取った二人には負けちゃうようなことだけど、なんだか嬉しくなったのは秘密なの。

 

 

 

 行きつけの茶屋に行くと、外の席でぼんやりと空を見ている桃香ちゃんを見つけた。沙和に気づいた様子もなくて、この間の焔耶ちゃんの姿はなかったの。

 まぁ、居ても別に気にしなかったけどねー。

「とーおっかちゃん!」

「きゃっ?!

 って、沙和ちゃん・・・」

「やっほ、桃香ちゃん。来たよーん」

 手をあげて挨拶すると、なんでそんな微妙な顔するのかなぁ? 怒っちゃった?

「来てくれたんだ・・・・」

 なんかすごくほっとしたような顔されたのー。何でー?

 わけがわかんなくて首を傾げると、桃香ちゃんは座るように促してくれたの。

「ちょっとだけね、来ないかもしれないって思ってたの。

 あの時、沙和ちゃんのことも怒らせたんじゃないかって思って・・・ 会ってくれないんじゃないかって」

 桃香ちゃんは顔を合わせることが気まずそうに目を逸らしたの。

 そう言う不安を抱いてくれるくらいあの村を訪れたことは、桃香ちゃんの中にちゃんと何かが残ったことが嬉しいなんておかしいのかな?

「そんなことくらいで友達を嫌いになったりなんかしないよー」

 そう言いながら沙和はいつものお茶とお菓子を頼んで、目を丸くしてる桃香ちゃんへと笑いかける。

「沙和ちゃん・・・・」

 俯いてた顔は少しだけ明るくなったけど、やっぱり暗いままで何から話せばいいかわからないって顔に書いてあるの。

 桃香ちゃんの言葉を待ってたら、沙和のお茶とお菓子が届いたの。

「桃香ちゃん、ここのお菓子すっごく美味しんだよ。一緒に食べよ」

 隊長が『くっきー』と呼んでいたお菓子を差し出しながら、このお菓子って杏仁餅(シンレンビン)によく似てるよねー。違うのは緑豆粉じゃなくて小麦粉を使ってることと、香りづけに使ってた杏仁がないこと。でも卵とばたーは微妙に高いから、もっと手軽に作れるように出来ればいいのになぁ。

「沙和ちゃん・・・・ 私、私はどうすればいいのかなぁ」

 くっきーを食べて、桃香ちゃんはようやく少しずつ整理していくみたいに口を開いた。

「村を見た後、ずっと一人で考えてたの。

 私は民の人たちから見たらどう映ってたんだろうとか、朱里ちゃんたちが何をしようとしてるのかを知ろうと思って噂を聞いてみたりとか、私は朱里ちゃんたちを罰さなくちゃいけないのかなとか・・・・ でも、その前に沙和ちゃんたちに謝らなくちゃって思って今日ここに来たんだけど」

 一生懸命に自分の気持ちを言葉にしようとしている桃香ちゃんを見守りながら、思い出したのはあの時の桃香ちゃんの言葉。

『だって、もういない人を悪く言ってもしょうがないでしょ?』

 あの言葉は、痛かったの。

 でも、痛かったからって、それを同じように殴りつけたらきっと何も変わらないの。

 今沙和が向き合ってるのは『蜀の王』でも、『敵』でもなくて、『友達』の桃香ちゃん。手を取りあう大切な友達を殴って、気持ちが晴れるわけじゃないもんね。

「ねぇ、桃香ちゃん。

 今、桃香ちゃんは朱里ちゃんたちを『罰する』って言ったけど、一つだけ聞いてもいい?」

 桃香ちゃんは私の言葉に不安げにしてるけど、それはちょっと気にしない振りをするの。

「桃香ちゃんが最後に妹ちゃんたちを・・・・ ううん、桃香ちゃんが『仲間』って呼ぶみんなの顔をまっすぐ見たのはいつ?」

「えっ? それは毎日・・・・」

「『まっすぐ見る』って、顔を合わせるってことじゃないの」

 ゆっくりと首を振って、桃香ちゃんの手を取ってまっすぐと見つめる。

 白くて、指先にも、掌にも胼胝(たこ)のない綺麗な手をほんのちょっとだけ羨ましくて、いろいろしてるけどやっぱり荒れてる沙和の手とは違うんだなぁって思っちゃった。

「確かに朱里ちゃんたちがしてることに沙和たちは怒ってるし、嫌だなぁって思ってるけど、それは隊長が大好きな沙和たちの・・・ 魏の意見なの。

 でもね、それが全てじゃないんだよ?

 桃香ちゃんの意見だって、焔耶ちゃんの意見だってあるみたいに、朱里ちゃんたちだって何かを思って行動してるって思うの」

「朱里ちゃんたちの、意見・・・?」

「そうなの」

 沙和にはわからないことだってたくさんあるけど、桃香ちゃんが仲間って呼ぶ朱里ちゃんを信じたいし、沙和にとっても大切な友達だから信じたいの。

「沙和は下っ端だから詳しいことはわかんないけど、軍師の策は確かに戦うためのものだけど、いつも誰かを守るためのものでもあるんだよ?

 けどこの誰か(・・)は、顔が見えない民なんかじゃないって沙和は思うの」

 桂花様も、稟様も、風様だって、沙和の知ってる軍師様は一途で、自分たちがしてることの重さを正面から受けとめる凄い人たちなの。

 策はいつも守るための戦いで、自分の失態を誰よりも責めちゃう人だって稟様を見てるとわかっちゃった。

「ねぇ、桃香ちゃん」

 もうわかるよね? 沙和がさっき言った言葉の意味。

「・・・・っ!」

 桃香ちゃんは突然、両手で自分のほっぺたを叩いて立ち上がったの。

 もう何も迷ってない緑がかった青の瞳はまっすぐと前を向いて、輝いてたの。

 うん、これならもう大丈夫だね。

「沙和ちゃん、話を聞いてくれてありがとう。

 私、今から蜀に帰るね。

 蜀に帰って、みんなとちゃんと話をする。朱里ちゃんたちとちゃんと向き合って、頑張ってみる」

「うん。

 話が終わったら手紙送ってねー」

「うん!

 じゃぁ、またね。沙和ちゃん」

 そう言ってお代を置いて駆け出していく桃香ちゃんに手を振って、沙和はもう一人分お茶を頼むの。

「あっ、ついでにメンマもお願いするの」

「大盛りで頼む。

 あと茶は結構、酒を買ってきたのでな」

 さらっと桃香ちゃんが居た席に座って、酒瓶を手にして酔っぱらったみたいにしてるけど、お酒の匂いが全然しないのに酔った振りされても微妙なの。

「酔っぱらった振りしなくていいの。

 ずっと聞いてたんでしょ? 茶屋の窓際の席で」

「やはり、警邏隊の一角ということはある。その洞察力には感服する」

 手を叩いて、ほめたたえてくるけど、それも少しの間だけで真面目な顔をして沙和へと向き直ったの。

「だがまずは、礼を言わせてほしい。

 桃香様を励ましくれたこと、深く感謝する。そして・・・」

 どうってことないの、と返そうとした瞬間、星ちゃんはまだ言葉を続けたの。

「身内である我々以上に朱里たちのことを想い、信じようとしてくれたことにも感謝する」

 そう言って星ちゃんに頭を下げられるけど、それは違うの。

 確かに沙和は友達だから三人を信じたけど、行動に移そうとしたのも、変わろうとしたのも沙和じゃない。

「それは違うの。

 誰かを想ったのも、信じようとしてたのも、沙和じゃないもん。

 沙和は桃香ちゃんの背を押して、応援しただけだよ」

「それでもそれは、同じ陣営の我々には出来ぬことだ。

 『仲間』と呼ばれながら、我々は『武将』で在りすぎる。

 あの方の思いも、朱里の思いにも気づいて傍に居てやることも出来ずに、決めつけてしまったかもしれぬ」

 どこか自嘲気味に笑う星ちゃんは肩をすくめて笑うけど、その笑みにいつもの明るさはない。表情にも出してないつもりなんだろうけどそれが秋蘭様と重なって見えて、自分を責めてることがなんとなくわかるの。

「かといって、気遣おうとした紫苑殿は動きすぎたが故に遠ざけられてしまう始末。

 見ようとしても避けられ、普通に接するということも忘れてしまっていた。

 まったく、我々はどれほど前から行き違っていたのだろうか」

 その言葉で蜀の中にも気にかけて動いてくれた人が居たことがわかって、嬉しくなっちゃった。

 止めようと動いてた風様とかの努力は、けして無駄なんかじゃないんだって思えるもんね。

「でも、桃香ちゃんはちゃんと気づけたもん。

 もう大丈夫なの、一人で誰かが背負うことなんてしなくていいの。

 みーんなで泥をかぶっても、そこからどうするかで全部変わるの」

「泥をかぶる、か。

 それも悪くない・・・・ いいや、そうするべきだったのだろうな。

 主と、あの小さな軍師たちと共に泥をかぶり、今度こそ我々は前を向いて見せる。

 こうして気遣ってくれる他国の友に、少しでも顔向けできるように行動するとしよう。

 この趙雲子龍、魏に受けたこの恩をけして仇で返さぬと約束する」

「そんな約束しなくていいから、桃香ちゃんを助けてあげてほしいの。

 王も、将も、軍師の括りもない蜀の、大切な仲間なんでしょ?

 一緒に歩いてきた友達を、ちょっと見失っただけで探すのやめちゃうようなことはしないよね?」

「・・・フフッ、その強さもまた彼が残したものか。まったく、恋とはどれほど女を強くする?

 清きを捨てずに、恋を知らぬ我々が勝てぬも道理よな。

 去りてなおこれほど大陸に影を落とす男、天の遣い・北郷一刀。

 いやまったく、良き男であったのだろうよ。

 では、また会おう。魏国の友よ。

 良き報告を待たれよ」

 凄く芝居がかった言い方をしながら去っていく星ちゃんを見送って、沙和は聞く人の居ない返事を呟いた。

「それは違うよ、星ちゃん。

 沙和は強くなんかなくて、ずっと信じることが出来たわけでもないの」

 焔耶ちゃんと桃香ちゃんの言葉を聞いたあの日、沙和は本当に怒ってた。

 『これでもし本当に戦いがおきたら、見限れる』『容赦なく叩き潰せる』って思ってたのに、隊長があんな手紙残すんだもん。

 もう、隊長はずるい。

 自分はさっさといなくなっちゃたのに、こんな風にみんなを守っちゃうんだもん。

「隊長が居たから、あの手紙をあったからそう思えたの」

 でもやっぱり、沙和たちを沙和たちで居させてくれるのは隊長だけなの。

「だから、早く帰ってきてほしいの」

 帰ってきたら『おかえり』って笑って、新婚さんみたいに隊長を出迎えるからね。




杏仁餅について
 クッキーに似た風味のあるお菓子。実在します。
 マカオではアーモンドクッキーと呼ばれているようです。
 杏仁、緑豆粉、砂糖、植物油を使用して作られているそうです。


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優しい夢となくした者たち 【秋蘭視点】

「秋蘭?」

 私を呼ぶ声が聞こえ、ゆっくりと目を開ける。

「秋蘭がうたた寝なんて珍しいなぁ」

 ぼんやりとした思考と視界の中、映ったのは声の主である北郷一刀。

 おもわず目の前にいた一刀の背中へと腕を回し、子どもが親に甘えるように回した腕を結ぶ。

「秋蘭?!」

 一刀の温もりと鼓動を感じる、ただそれだけがどうして安心してしまうのだろうか。

「一刀・・・・ もう少しこのままでもいいか?」

 頬が触れ合い、耳元でそっと囁くように呟く。

 一刀の温もりがここに在る。傍に居る、こんなにも傍に居てくれる。

「秋蘭?

 どうしたんだよ、なんか怖い夢でも見たのか?」

「あぁ・・・ とても恐ろしい夢を、な」

 額に流れた汗を回した手で触れながら、先程まで見ていた筈の夢の名残なのかわずかに体が震えていた。

 夢の内容を思い出せないというのに、ただ『恐ろしい』ということだけが胸に残り、言い様のない感情が溢れてきた。

「そっか・・・」

 一刀もそれ以上は聞かず、黙って受け止めてくれる。

 互いに抱き合い、他に何をするわけでもない穏やかな時間は、とても一人の人間が生み出しているは思えないほど大きな足音によって中断された。

 もっとも私はその音の源が誰であるかがわかり、苦笑してしまったが。

「一刀!

 き~さ~ま~あ~! 公衆の面前で、秋蘭に何をしているか!!」

「どこをどう見たら、俺が一方的に何かしてるように見えるんだよ?!」

「うるさい!

 どう見ても貴様が嫌がる秋蘭を抱きしめ、辱めていたようにしか見えん!!」

「だー! ちっげぇーーー!

 秋蘭も笑ってないで、春蘭に説明するのを手伝ってくれよ!」

 反射的に怒鳴り返す一刀と、状況をわからずともとりあえず一刀に責任を押し付ける姉者が微笑ましく見守っていると、こちらへと火の粉が飛んでくる。

「姉者、一刀は何もしていないさ。

 私が少々寝ぼけてしまってな、掛け布代わりに叩いてしまっていた」

 姉者の納得し、北郷は胸をなでおろしたが、私はもう少しだけ言葉を続ける。

「もっとも・・・・ 北郷がこうして腕を回し返すことは想定外だったがな」

「か~ず~と~?」

「ちょっ?! 秋蘭!」

 一度閉じかけた怒りの釜を開けようとする姉者と、顔を青くさせ焦りだす北郷を見ながら、私は笑う。

「フフッ。

 さぁ、逃げろ逃げろ。一刀。

 怒りを露わにした姉者が向かってくるぞ? 捕まったらどうなるか、とてもおもしろ・・・おっと間違えた、大惨事となるぞ?」

「秋蘭の性だよな?! ていうか、本音漏れてるから!

 あーもう! こうなりゃ、秋蘭も道連れだ!!」

 頭を抱えるようなこともなく、絡めていた腕から私を抱えて走り出そうとする北郷に少々驚きながら、私は自分の口元が弧を描いていることに気づいた。

「あぁ、かまわん。

 私がしたことなのだからな」

 北郷の腕の中、流れてゆく景色。喧しく、慌ただしい日々。

 穏やかとは程遠い筈だというのに、私は何故こんなにも安らかな気持ちなのだろうな。

 北郷が来てからというのも、私の中で多くが変わっていくことを自覚する。

 華琳様と姉者だけだった世界に、多くの者が関わった乱世。

 そして、その中で私の心へと先陣を切って入ってきたのがこの男だった。

 出会いは突然、当初は笑って全てを済ます適当な男とすら思ったこともあり、失望しかけたこともあった。だが、諦めることを知らず、努力を続ける北郷の姿を認め、少しずつ惹かれていった己が居たことに気づいていた。

 必死な顔で走っている北郷を見れば、私へと不思議そうな顔をかえしてくる。

「秋蘭?」

 『華琳様と姉者の次』と言っても、『その二人を除けば一番って事だろ? 十分すぎるよ』などと返してくる女心に鈍い男。

 あの言葉の意味を理解しているようで、わずかに取り違えるこの男を好いてしまう自分をかつての自分が見たらなんというのだろう。

「いや・・・ なんでもないさ。一刀」

 そう、ただ幸せだと思っただけ。

 華琳様と姉者と、乱世を共に駆けた同朋たち。そして、愛する男(一刀)がいるということがとても幸福だと思っただけのこと。

 

 あの言葉の意味、それは『この世のどの男よりも、お前を一番愛している』。

 あの時の私の精一杯の告白つもりだったそれを、あぁも受け流されると私といえど少々落ち込んだものだった。

 

 

 

「あぁ・・・ やはりそちらが夢だったのか」

 再び目を開けたとき、私は寝台の上であり、どこまでもいつも通りの自分の部屋が広がっていた。

「一刀・・・ ありがとう」

 幸福な夢だった。とても、とても。

 こうあれたらどれほど幸せだったのだろうと思うような、満ち足りたひとときだった。

「秋蘭! 朝だぞ!!」

 元気な姉者の声を聞きながら、私は寝台から起き上がる。

 北郷が消えてから半年、誰かが居なくなっても日々は続き、何かが起こっても人々の生活は終わらない。

 そんな当たり前が、今はただ苦しい。

「あぁ、起きているさ。姉者」

 今日は私の見合いの日。

 食事も含め、少々急いで用意をしなければな。

 

 

 私の化粧を施すために来てくれた沙和に服を選んでもらい、体を任せている中で姉者は私をじっと眺めいていた。

「姉者・・・ あまりじっと見られると困るのだが・・・・」

「秋蘭、嫌だったら断ってもいいんだぞ?

 親族も今回の見合いは以前の借りを返すためだけのものだと言っていたし、見合いなど無理にするものではないだろう」

 まったく、姉者は・・・ どうしてこうも鋭いのだろうな。

「姉者、私はこの見合いの機会をくれた親族に限らず、この半年私を支えてくれた皆にとても感謝している」

 過剰なほど仕事をし、食事もまともにとらなかった結果倒れるということもあった。

 たまに休みをもらったかと思えばふらりと森へ入り、そのまま夜になったことも気づかず、警邏隊に捜索をされてしまったこともあった。

 眠れぬ夜は一人あてもなく彷徨い、一刀の残したものを眺めて回ったこともあった。

 俯き、顔を上げることも出来ず、ただ日々を過ごしたかと思えば奇行に走った私を華琳様も、魏の将も、親族すらも見捨てることもなく、好きにさせてくれていた。

「前を向くことは出来ずとも、家のために役に立ち、俯いたままでも進めるというのなら、私はその道を進もう」

「秋蘭・・・ 無理はしてないか?」

「していない。

 それに話を聞いている限りでは相手は権力にも興味はなく、ある理由から多くの見合いを断っていると聞く。

 今更私など、どんな男であろうと歯牙にもかけることはないだろう」

 その理由は知らないが、我々が一刀を愛していたことは周知の事実。

 各地に脚色された噂から見ても、高位にある人間が『天の遣い』というだけで魏の重鎮たちに愛された男などさぞ気に入らなかったに違いない。まして、その男のお古など自尊心の高い者たちが耐えられるはずがないだろう。

「そうか・・・ うむ、そうだな」

 私の言葉に納得し、何度も頷く姉者はもう一度私を見て、満足げに笑った。

「綺麗だな、秋蘭。

 一刀にも見せたかったぞ」

 そう言って去っていく姉者を見送りながら、化粧をしてくれていた沙和が仕上げとして鏡を持ち、今の私を見せてくれる。

「秋蘭様、どうですかー?」

「あぁ、感謝する。

 そう言えば奴の前では化粧など、一度もしたことがなかったな」

「えー? 秋蘭様、いつもすっぴんであんなに綺麗だったの?!」

「あぁ、あまり化粧をすることも得意ではないからな。

 だが、こうまで違うとは・・・

 私もせめて一度くらいは一刀のために紅をさし、白粉を纏ってやればよかった。

 いや、違う・・・ 正しくは」

 一度くらいは奴の前で着飾ってやればよかった、だろうな。

「きっと隊長、こんな綺麗な秋蘭様を見れなかったことを悔しがってると思うの!」

「あぁ、かもしれん」

 沙和の言葉に私はわずかに笑って、立ち上がる。

「それでは、行ってくる」

「いってらっしゃいなの、秋蘭様」

 沙和にそう言って、私は親族が用意しているだろう馬車へと向かった。

 

 

 

「見合い相手殿よ。

 まず、初めに言っておくことがある」

 数名の親族が立ち会う見合いの席、決まり文句ともいえる両家の挨拶が済んだ時、言葉を促された私の口から紡ぎだされたそれは感情をまるで感じさせないもの。

 たとえこの場が親族のみならず多くの者の気遣いによって成り立ち、この婚姻を受け入れることを了承していても、一つだけ伝えておかなければならないことがある。

「私は今でも天の遣い・北郷一刀に恋をし、生涯奴以外にこの想いを捧げることはない」

 誰に体を許そうとも、この想いだけは一刀に捧げたもの。

 この心は、この想いを向ける相手は、どれほどの時が経とうとも相手が変わることなどありえない。

 この想いを抱いて私は生き、死んでいくことを受け入れることが出来ないのなら、どんな婚姻であろうと破棄しよう。

 私の発言に場が凍りつくが、少々の違和感があった。

 こちらの親族はこういう事態も考えていたためかどこか諦めた様子もあるが、あちらも同様とはどういうことだ?

「奇遇ですね、夏侯淵殿。

 では、私も同じ言葉を返しましょう。

 私は今でも亡き婚約者を深く愛し、生涯彼女以外にこの想いを捧げることはないでしょう」

 私の発言に一切表情を変えることもない男はまっすぐに見据え、言いきった。

 その目はここに居ない一人の存在だけを想い続ける、私のよく見慣れた目をしていた。

「ですがだからこそ、私たちは似合いの仮面夫婦になるとは思いませんか?」

 突然の男の提案に親族たちがざわつくが男が相手にする様子はなく、私はただ黙って耳を傾ける。

「家という義務、想い人をなくしたという境遇。

 互いを想い合うこともなく、愛し合うこともない。関心もなければ、興味もない。

 実に最適だとは思いませんか?」

「そう、だな」

 互いに最高の想い人をなくし、愛し合うことも、想い合うこともない関係。

 歪で、傍から見れば互いの傷をなめ合って生きるような婚姻だろうが、私たちは憐みも、優しさも欲さない。まして、理解など求めているわけでもない。

 恐らくこの男が断ってきた者たちは皆、権力のみを求めた者か、あるいはその傷につけこもうとしたのだろう。

 最高ではなく、最善の関係。

 互いを理解できるがゆえに、混ざり合うことのない我々の関係はそう言えるだろう。

「では、結婚するとしようか。夫殿よ」

「えぇ、そうですね。妻殿」

 そうしてここに仮面夫婦が生まれ、話について行けずただ呆然とする親族たちが慌ただしく部屋を出て行ったのは、そのしばらく後のことだった。



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過ぎ去ったものと 変えられる今と

秋蘭視点の続き小話となります。


「ということが、昔あってな」

「そっか・・・」

 逢引き中、茶屋で菓子をつまみながら秋蘭が語ったのは俺がいなくなった後のこと。

 秋蘭たちの立場を考えれば自然で、あって当たり前のことだった。それに俺のあの件を伝えてある今、覚悟はしていた。

「他のみんなはどうしたんだ?」

「華琳様は立場もあり、皇族の血に連なるものと結婚した。

 桂花はそれなりの立場があったがあの男嫌いは親族でも熟知し、初めから子を残すことは期待していなかったようだ。それに荀家は後継ぎにも困らなかったからな。

 季衣、流琉も後に結婚したと聞いた。

 だが、風や稟は『実力主義である魏において、世襲制はあってはならない』と言って、全てを断っていたらしい」

「あぁ・・・」

 何も言う権利もない昔のこと、華琳達も割り切って受け入れ、風達は自分たちの想うように生きた。

 俺が否定することも、意見を言うことも間違っている。

 だってそれは、もう変えることの出来ない過去の事なのだから。

「それでその・・・ 秋蘭?」

「何だ? 一刀」

 聞こうとしていることをわかっているのか、机の向こう側で意地の悪い笑みをする秋蘭に俺は小さく聞いた

「相手のことを・・・ どう思ってたんだ?

 それに、その相手はこっちにも・・・・」

「冬雲、嫉妬か?」

 ・・・その通りなんて、言えるか。

 俺がいるから秋蘭が見合いをして結婚することはないとしても、俺が愛想尽かされて彼へと行くことはあり得るし、なぁ・・・

 嫌われないように努力はするつもりだけど、やっぱり不安なんだよ!

「話した通り、我々は仮面夫婦だった。

 家のために子どもを残すこともしたが、その関係に恋慕の情はない。

 ある意味、友愛に似ていたものだった」

「だけど・・・ やっぱり心底嫌った人間とは傍には居られないだろ?

 それにその人の恋人だって、助けられるなら助けたいんだ」

 不安と、別れの経験を知っているからこそ、同じ思いを繰り返してほしくない。

 俺たちはこうして出会えたのに、身を裂かれるような思いを誰かがするのは・・・ 嫌だと思ってしまう。

「そう、だな・・・

 互いに立ち入らぬ、興味関心、好意を持たないとした中であっても・・・・ 夫として奴が傍に居た時間は悪くはなかった。後継ぎとして子も残した・・・ だが、不思議なことに子らは互いの亡き想い人の話ばかりをせがんできたよ。

 死ぬまで付き合ってもいいと思うほどには、互いに情はあったのだろうな。

 そしてもう一つの答えは・・・ あぁ、あれを見ろ」

 どうとでもないことのように言いきり、秋蘭は茶屋の一角を指差す。

 何かと思い振り向けば、そこには仲睦まじい恋人が俺たちと同じようにしている光景があった。

「あの男がかつて私と結婚した男だ。

 隣に並んでいるのが、流行病で死んだと聞いた奴の恋人だろうな」

 華奢でどこか病弱そうな肌の白い女性と、女性を愛おしげに見つめ、優しげに笑う男性はとても幸せそうで、冷やかすのも馬鹿らしいほどお似合いだった。

「記憶違いでなければ、彼女はこの頃既に亡くなっていたそうだ」

「えっ?」

「医者も少なく、医術も未熟。交通も、流通も悪かったあの時、薬一つで治る筈だった流行病で亡くなった。

 だが、今は違う。

 お前が早々に華佗に協力を求め、医術が広まったおかげで彼女は生きている。

 冬雲、お前がしたことは今も、昔も多くを救っている」

 嬉しそうに笑いながら、まっすぐに見つめてくる秋蘭の綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。

「だから、冬雲。

 もう二度と私たちを置いていくな、行くというのなら我々全員を連れていけ」

 そして、釘を刺すことを忘れない。秋蘭らしいよ。

「あぁ、約束するよ。

 絶対に俺は、みんなを置いて消えないってな」

「それでいい。

 この世のどの男よりも、お前を一番愛しているぞ。冬雲」

 唇を重ね合うことはなくとも、この言葉だけで十分。

 言葉を交わし、共に居ることを感じられるこの距離が俺たちの幸福なのだと感じられる。

「そう言えば、荊州の地ではあの張勲が知恵袋となったと聞いたな」

「何でだよ?!」

「フフッ、詳しくは二人にでも聞くといい。

 こうして、逢引きでもしながらな」



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苦労する者と単純馬鹿 そして 獣たち 【翠視点】

「蒲公英の奴、おせぇなぁ・・・」

 いつも通りあいつら()の世話をしてから、部屋で銀閃の手入れや軽い柔軟、型をこなす。

 本当は外でやりたいけど、最近どうも城も街も空気が悪くてやりにくいんだよなぁ。

 帰る準備してるだけだってのに、ちょっと朱里と雛里に見られたらやたらしつこく聞かれたし。

「まっ、霞が馬乳酒持ってきてくれたから、多少マシだけどな」

 そう言ってあたしは何本目かの馬乳酒を飲み、空になった瓢箪を転がしながら寝台で横になる。

「あぁー、平和だなぁ~」

 鼻歌でも歌いかけたその時

「お姉様の馬鹿ー!

 馬鹿なお姉様の馬鹿ーー!!」

「帰ってきて、いきなりそれか!?」

 人の悪口を叫びながら、扉を壊さんばかりに入ってきた蒲公英を反射的に怒鳴り返すが、涙目になってこちらへと詰め寄ってきた蒲公英の勢いは一度のツッコミでは収まりそうにない。

 ていうか、何で涙目なんだ? こいつ。

「何が『あぁー、平和だなぁ~』だよ!

 ていうか、朱里ちゃんたちに余計なこと言わないでって言ったのにどうして二人にたんぽぽたち帰るってこと知られてるの?!

 しかも何、この汚い部屋!?」

「だって平和だし」

 あたしがきっぱりと答えると、何故か蒲公英は一瞬だけ呆気にとられたような顔をしてから、体全体を動かして深く息を吸ってから吐き出した。

「この国で平和なのはお姉様の頭ぐらいだよ!」

「どーいう意味だ!」

「言葉通り以上の意味があるわけないじゃん!!」

 何で蒲公英の奴、こんなに怒ってんだ?

 三国が同盟を組んで、一緒に頑張ろうとしてる今以上に平和な時なんてあるわけないっつうのに。

「まぁ、少し落ち着けよ。これでも飲んで」

 そう言ってあたしは蒲公英へと一本の瓢箪を投げ渡すと、すぐさま栓をとって豪快に飲んでいく。

「あー! もう!! 水が美味しい!」

 叩き付けるように瓢箪を置いて、普段使わないあたしの椅子に座りながらさっきより多少は落ち着いたようだ。

 まぁ、あたしを見る目は相変わらず不機嫌そうだけどな。

「それで、どうして朱里ちゃんたちに帰ることを話したのかと、この部屋の惨状は何?」

 そう言って蒲公英が視線で示すのはあちこちに散らばった服や鎧、非常食。髪留めに地図、それからあたしの身の回りの物が袋へ入れるところで放置されていた。あとは鞍とか、あいつら(馬)の手入れに必須なものだけはきっちりとまとまっている。

「帰るにしても前もって一言言っておくのが礼儀だと思ってさー。部下たちに伝えた後、向かおうとしたらちょうど二人が来たから、その時に軽く話したんだよ。

 そしたらまぁ、二人が妙に話聞いてくるから正直に伝えた」

「その時点でいろいろ言いたいけど、今はいいや。

 それで、お姉様はなんて答えたの?」

 いろいろってなんだよ・・・

 あたしは普通にしてただけだっつの。いいけどな、蒲公英がおかしいのは今に始まったことじゃねぇし。

「大したことは言ってないねーぞ? ありのままに話しただけだしな。

 韓遂の爺様にも帰って来いって言われたし、そろそろ西涼も恋しいし、心配だから帰るって言っただけだって・・・」

「何で全部正直に言っちゃってんの?!

 ていうか、たんぽぽはあの時直接的には言わなかったけど『帰ること自体も待って』って言ったつもりだったんだけど?!」

「はぁ? お前こそ、何言ってんだよ?

 あたしは『蒲公英が戻ってきたら、帰れるようにはしとく』って言ったぞ?

 大体お前、あの時もすげぇいろいろ言ってたけど帰ること自体には反対してなかっただろうが」

「なっ・・・! でも・・・!」

 何かを言い返そうとしてるけど、口はぱくぱくと動くだけで声にはなってねぇな。それと一緒に手があてもなくさまよって、叩く仕草をしようとして途中で力尽きたように大した力も籠ってない拳を机に置いた。

「・・・・馬鹿の癖に、何で変なところ頭いいんだろ。

 こういうのを想像の斜め上を行かれる、っていうんだろうなぁ」

「どーいう意味だ!

 つーかそれ、絶対褒めてねぇだろ!」

「ここまで来ると、ある意味褒めてるよ!」

 お互い怒鳴り合いながらも、結局手をあげないのはこれがあたしと蒲公英の普通だからなんだろうなぁ。日常的な会話が怒鳴りあいとか自分でもどうかと思うが。

「じゃあさー、どうして帰る準備は出来てなくて、部屋がこんなに汚いの?

 まさか、朱里ちゃんたちと取っ組み合いのけんかしたわけじゃないよね?」

「お前はあたしを何だと思ってんだ!?」

「えー?

 子どもの頃からずっと傍に居たお姉様(従姉妹)で、ついでに西涼太守の娘で、もう血っていうか呪いの域に達してる馬好きで、おまけに名前にまで超がつくような単純馬鹿?」

「うし、表出ろ! 蒲公英。

 久々に稽古つけてやるからよ!」

「事実じゃん!

 名前もちょうど馬超だし!!」

「ふざっけんなー!

 あたしの名前を悪口と混ぜ合わせてんじゃねぇ!」

 狭い部屋の中で追いかけっこが始まり、力も技も大したことないくせに、うまくあたしの手を逃げていく蒲公英を必死捕まえようとする。

「あっ、そこ足元注意ね?」

「はっ、いくらお前が罠を作るのが得意って言ったってこの短時間でできるわけえぇぇぇーー?!」

 嬉しそうに笑って注意する蒲公英の言葉を気にせずに、足へと体重をかけて踏み出そうとしたあたしは無様にすっころぶ。

「この短時間にどうやった?!」

 すぐさま起きあがって怒鳴り返すと、蒲公英は得意げな顔でほとんどない胸を張った。

「お姉様の部屋が散らかってるから、いくらでも出来るよ?

 瓢箪とか、書簡とか、荷物の位置。それにさっきくれた水とかを工夫すれば、人を転ばせることなんてわけないもん」

「その知恵、もっと別なことに使えよ?!」

「お姉様にだけには言われたくないよ!

 それに結局、どうしてこの部屋が散らかってる理由答えてないし!」

「あぁ、それな。

 お前が戻ってくるまでに用意するつもりだったんだけど、荷物がまとまらなくて気が付いたらこうなってた」

 追いかけ回すのを諦めて、あたしがその場に座り直すと蒲公英は立ってた寝台の上で壁に寄りかかる。

「やっぱ馬鹿だ!? このお姉様(従姉妹)

 あれもこれも持って帰ろうとするから、うまく荷物がまとまらなかったんだよなぁ。ほとんど何も持たずにきた筈だってのに、平和になってからちょっとした物増えたし。

「そういやよ、荊州問題とかどうなったんだよ?」

「今、それ聞くの?!」

「さっきまで涙目だった理由って、それ関係なのか?」

 そもそも蒲公英が出かけたのってそれが理由だったしな、しかもさっきまで涙目だったし。

 蒲公英が泣くって結構怖い目にあったか、相当嫌だったかのどっちかしかないだろ。

「お姉様・・・・ まさか、わざとふざけたの?」

「はぁ? あたしは一度もふざけたつもりなんてねぇぞ?」

 あたしはありのままのあたしでいただけっつうのに、蒲公英がわちゃわちゃ言ってるだけなんだけどな?

「ははは・・・ お姉様だなぁ。

 なんか、力抜けた~」

 そう言って、大きな音を立てながらあたしの寝台に横になりやがった。

 そこ、あたしの寝床だぞコラ。

「だから、どういう意味だっつの・・・」

「さぁ~? お姉様自身にはわかんないと思うけど、まぁ今のは褒めてないこともなくもない、かな?」

「わけわかんねぇよ!」

「馬鹿にはわからない言葉で出来てるの~。

 まぁ、いろいろあったよ。

 怒ってなさそうな人が実は怒ってたり、自分より年下なのにいろんなことを見て大きくなってた子にびっくりさせられたり。子ども子どもって思ってた子が、実はちゃんとした芯を持ってたこととかね。

 さっきの涙目は・・・・ 紫苑さんと朱里ちゃんたちの報告の時、ちょっとね・・・」

 何でか最後だけ視線を遠くにやり、疲れ切った顔になっちまった。

 仲間同士の報告で疲れるとか、わけわかんねぇぞ?

 なんかぶつぶつ言ってるのがあんまり聞き取れねぇけど

『大体さ、なんなのあの空気? 蒸し暑いここが涼しいっていうか、寒くなるような空気とかって何? 紫苑さんも紫苑さんで一歩も譲る気ないから話長引くし、そもそも・・・』

 ・・・・なんかわかんねぇけど、大変だったのはよくわかった。

「あー・・・・ その、何だ。

 お疲れ?」

「そーだねー、これはもう飲まなきゃやってらんないぐらい疲れたねー。

 まさかこんなに馬乳酒の匂いしてる上にこんだけ瓢箪が転がってるんだから、疲れて帰ってくるだろう可愛い妹分(従姉妹)に馬乳酒一本も残してないとかないよね?

 ねぇ? お・ね・え・さ・ま?」

「わりぃ! 今日、恋たちと飯食う約束してるんだ!」

 あたしはそう言いながら素早く窓へと走り、窓枠を飛び越える。

「待てや! コラアァァァーーーー!!

 馬乳酒、寄越せーーーー!!」

 待てと言われて待つ馬鹿いないし、もうないもんは渡すこともできるわけがない。

 走りながら思ったことを心に留めて、あたしは遠回りしながら待ち合わせの店へと走った。

 

 

 

「待たせたな」

「待ったのです!

 まったく、恋殿を待たせるとはどういうつもりなのですか。今回はお前の奢りなのです!」

 そう言って席に座るとすぐさま音々が噛みついてくる一方で、恋は待ってないというように首を振ってくれた。

「勘弁してくれよ・・・

 さっきまで蒲公英に追いかけ回されてて、あんまり金持ってねーんだよ」

「どうせお前が何かしたに決まっているのです」

「話も聞かないで決めつけるのかよ?!」

 あたしらがそうしてるうちに恋はお品書きを指差していくつかの料理を頼んでいたようで、あたしらの服を引いてきた。

「二人とも・・・ 飲み物」

「茶をお願いするのです!」

「あたしも茶でいいや」

「ん・・・」

 店の人が下がっていくをの見送ってから音々を改めて睨みつけて、あたしは噛みつく。

「何であたしが何かしたこと前提なんだよ」

「蒲公英は理由なく悪戯はしても、わざわざ自分で人を追いかけ回すことはしないのです。

 大体、お前は毎日毎日何をしているのです?

 ねねはお前を、城だと厩舎と厨房ぐらいでしか見かけたことがないのです」

 恋以外興味関心がないのかと思ってたけど、意外とちゃんと見てることに驚き、あたしはおもわずじっと音々を見る。なんか睨み返されたけど。

 まぁ、確かにあたしは厩舎と厨房ぐらいしか行かないな。あとはたまに鈴々と稽古するために中庭に行くぐらいか?

「だって、その通りだしな。

 つーか、武官が馬の世話と武器の手入れ以外でやることがあるのかよ? なぁ、恋」

 そう言って恋へと振り向けば、不思議そうな顔をしてから首を縦に振る。

「ほら、恋だって頷いてるだろ?」

「書簡仕事が抜けてるのです!

 お前は本当に、それでも一太守の娘なのですか?!」

「あたしがやらなくても、蒲公英がやってくれるしな。

 あたしはもっぱら土地を守るために睨みきかせて、走り回る方が多かったんだ」

 母様も土地を守ることはほとんどあたしに任せて書簡仕事やってたし、蒲公英もそれに付き合わされたり、あたしについて来たりって結構まちまちだったからなぁ。

「あぁ、でも・・・・」

 いろいろ昔のことを思い出していくうちにあることに気づき、おもわず口にする。

「ん・・・?」

「蒲公英の悪戯癖が酷くなったのは、書簡やるようになってからだな」

「蒲公英がどうして悪戯をするのかがわかった気がするのです・・・・

 書簡とかの憂さ晴らしとなれば、反応の大きい焔耶の方がよかったというわけですか・・・ 焔耶を少しだけ不憫に思うのです」

 話していると料理が円卓に並び、それぞれ料理をつまみながらも話は続く。

 相変わらず品数多いなぁ、恋が食うからいいんだろうけどよ。

「つーか、蒲公英がいろいろおかしなことばっか言ってよー。

 『もし、三国が戦になったらどうする?』とか、『魏を恨んでないのか』とか聞いてきやがってさ。

 三国が平和になった今はそんなことありえねーし、あの時あたしらは殺し合いをやってたんだ。いつまでも恨んでたってしょうがねぇし、あんだけ広くいろんなことしてくれてんだ。悪く思えっていうのが無理なんだよなぁ・・・

 ってなんだよ、二人とも。

 どうしてそんな驚いたような顔すんだよ?」

 あたしの言葉に音々だけじゃなく恋まで目を丸くして、箸を止めていた。でも恋はすぐに目元を緩めて、あたしの頭を撫でてきた。

 何でだ?

「翠、まっすぐ・・・

 いつも、凄くまっすぐ」

「うん? まぁ、ありがとな?」

 優しいその眼差しがよくわからなくて、とりあえず礼を言う。

「馬鹿超がまともなことを言ったのです・・・・ 明日は雨なのです!

 どうしてくれるのですか! 張々たちが散歩に行けなくなってしまったではないですか!!」

「馬鹿超って誰だよ?!」

「馬鹿翠がいいのですか? ねねはどちらもいいのです」

「そこじゃねー!

 蒲公英もしやがったけど、あたしの名前と馬鹿を合体させてんじゃねぇよ!」

「ふんっ、馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのです」

 鼻を鳴らして料理にがっつく音々と、静かにたくさん食べる恋は対照的でなんか見てると面白い。勿論、あたしも食うけどな。

「まったく・・・

 ここからは仮定の話ですが、もし蒲公英の言うようなことになったら音々たちは南蛮に行くつもりなのです」

「南蛮? またなんでだよ?」

「動物いっぱい・・・ 幸せ。

 ご飯もたくさん」

 あたしが聞けば、恋がぽつぽつと単語で答えてくれて、なんとなくはわかってもそれ以上わからないから音々へと視線を向けた。

「セキトたちを連れ歩くにはやはり近くで、広い土地があった方がいいのです。

 それに食事もとれる環境となると、恋殿に懐いている美以たちのところへ行くのが一番ちょうどいいのです」

 真剣な顔をして語る音々は、同じような話をしていた時の蒲公英と同じ笑い飛ばしにくい空気を発していた。

 でも、違うだろ?

 また戦いが起きるなんて想像することも、そうしたら自分たちがどうするかよりも先に考えることがあるだろ?

「まぁ、もしもの話なんてしてもしょーがねーけどな。

 乱世終わらせたあたしらが、また戦いをするなんて馬鹿なことをしちゃいけねーんだよ。

 戦いが起きたらどうするかじゃなくてさ、そうしないために何とかしよーぜ?

 あたしは武しかないけど、手伝えることがあったら何でも言ってくれよな」

「ふんっ、お前に得はないのです」

「同じ陣営の仲間で、友達だろ?」

 そう言って空になった茶碗へお茶を注ぐと、音々は少しだけ顔を赤くして吐き捨てるように言った。

「・・・・やっぱりお前は馬鹿なのです」

「ははっ、なんか今日一日で馬鹿って言われすぎて慣れちったよ」

 笑いながらあたしは茶を飲んで、二人と料理を食べ続けた。

 この幸せと友情を、いつまでも続けられるように。

 『祈る』なんて人任せじゃなくて、あたし達がなんとかすることなんだってことを頭じゃないもっと深い所に残るようにあたしは誰に言うでなく誓った。



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未来を担う者たち 【季衣視点】

「遠かったねー、流琉」

「もぅ! 季衣!!

 やることはいっぱいあるんだから、寝ちゃ駄目だからね?」

 荷物を降ろしてすぐに寝台に寝転がる僕を注意しながら、流琉は自分の荷物を降ろして二つある机の片方に荷物を片していく。

「着いたばっかりなんだから、少しぐらいいいじゃん」

「そうも言ってられないでしょ?

 鈴々ちゃんと小蓮ちゃんも今日中には着くだろうし、先についた私たちで少しでも生活環境整えておかなくちゃいけないんだから。

 ほらっ、季衣も自分の荷物をほどいて片づける」

「はーい。

 わかってるよ、流琉」

 体を起こして必要な物しか入ってない荷物を引っ張ってきて、机や棚に収めてく。

 まぁ、元々僕らはあんまり物を持ってないし、身なり着のままで放り出されても生活出来ちゃうんだけどね。僕も、流琉も華琳様のところに仕官するまではそうしてたんだし、身だしなみなんて気を使ってなかったもん。

 でも、今回荊州に行くってことで華琳様を始めとした魏の将のみんなが『荊州の生活に困らないように』って使うことになるだろう筆を一揃えと硯、普段持ち歩くように矢立(やたて)。ちょっとしたお守りや、いつもの装備一式を整備したもの。礼服とか、今まで縁のなかったけど、これから必要なものまでしっかり説明されて持たせてくれた。

 けどそれを含めてもやっぱり荷物は少ないし、ほとんど一緒に生活してきた流琉とは同じ部屋を使うことにした。

「さっき案内してくれた小隊長さんが城の見取り図と、書簡の状況とかが書いてある書簡を渡してくれたけど、書簡のほとんどは警備の報告書と町のちょっとした事の改善要求書が主で、食料の備蓄とかは滞りなく出来てたって書いてあるね。

 この一年間は警備隊と一緒に来た数名の工作隊の人が、街のちょっとしたところは直してくれてたみたい」

「・・・・僕らが来なくても、兄ちゃんの部隊と工作隊だけで荊州だけなら何とか出来ちゃったんじゃん?」

 北郷隊・荊州派遣部隊は兄ちゃんが警邏隊を創った最初の頃に・・・ それこそ凪ちゃんとかが来る前に指導した副官だった人が中心になって作られた。この隊は華琳様が指示を出す前、赤壁の戦い中に荊州近隣に控えていた人たちが率先してやりだしたことだった。

 だから当初はいろいろ配置を変えようとしたんだけど、動いていた警邏隊の働きを見た華琳様がこの部隊なら任せられるって言って任せてたのが実情だったんだよねー。

「兄様の部隊がこれまでやってたことは、とりあえずみんなが生活できるように、困らないようにしてることだって、季衣だってわかってるでしょ?」

「わかってるよー。

 大きく何かを変えたり、日常よりもっと大きなことは警邏隊には出来ないもんね」

 

 

 流琉の案が採用されて、荊州を三国で協力し合って管理することまではいいと思うけど、その面子がまさか僕らと鈴々、小蓮だなんて聞いたときは僕ですら無茶だって思った。

 なのに、風様を始めとした魏の将は誰も反対もしなくて、桂花様や稟様からはいくつかの質問はあったけれどそれも確認だけで、華琳様は僕らをまっすぐ見つめて言ってくださった。

『季衣、流琉。

 あなた達がこれまで学んできたこと、見てきたもの、全ての成果を出す機会が訪れたわね』

 とても優しい声と眼差し、大好きな僕らの華琳様の言葉。

『誰もが不可能と謳い、手を出すことを恐れた三国共有の土地。

 三国の本当の意味での共同の治政、その始めの一歩を私に見せて頂戴。

 あなた達は誰も歩んだこともない道を創る。それは険しいだろうけれど、乱世を知り、戦いを見て、私たちがしてきたことを理解しながら、手を結ぼうとするあなた達なら出来るわ。

 季衣、流琉、胸を張って、堂々と行ってきなさい。荊州は任せたわよ』

 農民でただの子どもでしかなかった僕らを見出して傍に置いてくれた、僕たちも、村も守ってくれた。優しくて、かっこよくて、何でも出来る多く、多くの人々の憧れである方。

 それが、僕が一年前まで抱いていた『華琳様』だった。

 ううん、今でもそれを信じてる。

 だけど、それは外側から見た華琳様だってことを僕はこの一年で知ったんだ。

 

 

「あー、でも早く二人も来ないかなぁ。

 そしたら何をするかとかの話し合いも出来るのに、それにご飯は大勢で食べた方が美味しいし」

「・・・二人が着くまではお城の中で出来ることをするから、街に食べにはいけないからね?」

「はーい・・・」

 僕はご飯が食べたいとしか言ってないのに、どうして流琉にはわかっちゃうんだろ。荊州のおいしい店も知りたいし、お昼とかで覚えようと思ったのに。

「はぁ、別に普段のお昼とか外に言っちゃ駄目とまでは言ってないからね」

「やったーーー! 流琉、だーい好き!!」

「もう・・・ 季衣ったら」

「鈴々も、美味しいご飯が大好きなのだーーーー!」

 僕達がそんなやり取りをしてると部屋に突然荷物を背負った鈴々が乱入してきて、その後を白い虎に乗った小蓮が必死に追いかけてた。あっ、大熊猫もいる。

「周々の全力の走りで追いつけないって、どういうことなの?!」

 部屋の広さ的には二人が入っても大丈夫なんだけど、鈴々が走ってきて蹴り開けたから扉は見事に粉々になって、そのすぐ後を結構大きな虎と大熊猫が入ったから粉々になっていた扉だったものがさらに砕ける。

 勿論その破片は僕らの寝台や、部屋に散らばって、それを見た流琉が笑顔で怒りだしてるけどまぁ、いっかー。

 怒られるの僕じゃないし。

「鈴々の走りには、翠の馬たちだって追いつけないのだ。

 だから、当然なのだ」

「競走したんじゃなくて、部屋に突撃しちゃ駄目って言いたかったの!

 それに友達とはいえ、いきなり人の部屋に入るなんて失礼じゃない!」

「うん、そうだね」

 別の話で盛り上がりかけた二人に、笑顔の流琉が近づいて腕を組んで立ってる。

 僕、知ーらないっと。

「二人はご飯や礼儀作法の前に、ここの片づけから始めよっか」

 僕は流琉の背後に見えた鬼と、扉の欠片が綺麗に片づけられるまで小隊長さんから貰った報告書の一覧を見て、軽く場内を回ってくることを決意した。

 どうせ時間かかるだろうしね。

「あっ、流琉。

 僕は城内見て回ってくるね。いろいろ場所覚えたほうがいいだろうし」

「迷子にはならないでね?

 ここのお掃除が終わったら街で食事して、軽く見て回りたいから」

「だいじょーぶ。

 見取り図、借りてくねー」

 書簡の部屋に置いておくことになるだろう筆と硯もついでに持って、いくつかの何も書いていない書簡も忘れない。

 『置いて行かないで(欲しいのだ)!』って二人が視線で訴えてきてるけど、完全に自業自得だからしっかり怒られておいた方がいいと思うー。それに『力加減できなくて物を壊しました』とか、うっかりやった行動でいろいろ失敗してたら領主勤まらないだろうしねー。

 

 

 

 僕が城の配置を確認し始めて四半時もしないうちにちゃんと掃除は終わって、みんなでお昼を食べに行こうってことになった。小蓮が連れてきた虎と大熊猫にはとりあえず中庭を警備することで住処にしてもらって、今は長旅で疲れたからかすぐに寝ちゃってた。

「ここのご飯、美味しいのだ~!」

「うん! いいわね!!」

「鈴々ちゃん、小蓮ちゃん、かっ込まないの。

 もっと味わって、ゆっくり食べていいんだよ。誰もとらないんだから」

 みんなでおしゃべりしながらお昼を食べてると、僕はとりあえず丼を置いて、お茶を飲む。

 うーん・・・ 美味しくないわけじゃないけど、やっぱり魏の料理の方が好きだなぁ。大陸の中央だからもうちょっといろいろな料理があるかと思ったけどそうでもないし、警邏隊の人たちじゃ交易とは出来てないんだろうなぁ。

「季衣?」

「それにしてもあの書簡の量は凄かったねー。

 資料はほとんどないって話だったのに、まさか書庫が報告書で埋まってるとは思ってなかったよー」

 流琉がなんか察したみたいで僕の方へ視線を向けたけど、僕が話を逸らすとそれを深追いしないで苦笑した。

「みんなに騙されたあぁぁぁーーー!

 だから、シャオが書簡地獄に解放されるってあれだけ言っても何も言わなかったなんて!

 あの書簡妄想狂のおっぱいお化けと、姉様大好き鈴付き暗殺者の馬鹿ーーーー!!」

 あははは、誰のこと言ってるかそれだけで何となくわかるけど、呉が書簡地獄ってどれだけなんだろうねー。

「仕方ないでしょ? だって一年と半年分の報告書だよ?」

「えっ・・・・?

 あれって一年と半年分の報告書なの?」

「そうだけど、どうかしたの?」

 流琉が答えると小蓮は机に頭をぶつけて俯いて、小さくぶつぶつなんか言ってる。

「・・・と同じ量・・・・・やってるのよ?」

「え? 何言ってんの? 聞こえないよー?」

「あれと同じ量の書簡、もしくはあの量以上の書簡が一月で行き交ってるんだよ?!

 将のみんなが五日間徹夜して、一日休憩を繰り返しても終わらない書簡の山なのに、一年と半年の書簡があれだけってどういうことなのよ?!」

 僕が聞き返せば机を叩いて怒鳴ったから、軽く店の人に睨まれちゃった。

「蜀なんて、書簡がどうなってるかなんてわからないのだー。

 というか、将のみんなが書簡やってるところを鈴々見たことないのだ!」

 呉の心配と、蜀のことも今の言葉でかなり心配になっちゃったんだけど・・・

 でも、不思議だなぁ。やってることは大して変わらない筈、っていうか華琳様の仕事の量とか内容を考えると、むしろ二国は治政ぐらいしかやることないと思うんだけど。

「んー? でも、何で?

 蜀はともかく、呉の方には警邏隊がいくつか派遣されてたよね?」

「こっちが聞きたいよー。

 シャオは経理とかの最終確認ぐらいしか手伝えなかったし、蓮華姉様は印璽押し続けてるし、それ以外の報告書とかはみんながやってたし」

「慣れの問題、じゃないかな?」

「慣れ?

 だってシャオ達は、一年間もやり続けたんだよ?!」

「警邏隊がまだ創られて間もない頃、元々新兵の訓練の場だったんじゃなくて、職のない人たちや他のところから仕事を求めてきた人たちに協力してもらってたみたい。

 作った兄様自身も当初は書簡の書き方なんてわからなくて、誰でもわかる報告書の書き方とかを臨機応変で工夫してきたんだって。将だけじゃなくて、一般兵の人たちとも意見を出し合って、今の形に落ち着いたみたい。他の地方に派遣されてるくらいなら基礎は出来てる人たちだろうしね。

 それに慣れは警邏隊だけじゃなくて、それをまとめる上の人たちにも言えることだと思うの」

 あー・・・ 確かに。

 警邏隊の報告書ってほとんど兄ちゃんと、凪ちゃんたちの四人でまとめてたもんなぁ。

「三人とも凄いのだー。

 鈴々はまったく書簡なんてやってこなかったから、ちんぷんかんぷんなのだ」

 僕達の話をぼんやり見てた鈴々がそんなことを言うけど、僕だって書簡をやりだす前までそうだったしなぁ。

 書簡なんてやることじゃないとか思った時もあったけど、報告書とかはやっぱり必要なことだから秋蘭様とかに教わって今までやってきたんだもんなぁ。

「わからないなら、頑張ってやっていこうよ。

 だって荊州を守れるのは、僕達だけなんだからさ。

 僕達は国がばらばらだけど、三国がいっぺんに揃って何かをやるなんて今まで出来なかったんだもん」

 僕は茶碗を掲げると、みんなが目を丸くする。もー、なんでだよー。

「兄ちゃんが警邏隊を創ったみたいに、今度は僕らが荊州を創っていこうよ」

「季衣・・・・ うん、そうだね」

 流琉が笑って、茶碗を掲げてくれる。

「勿論よ!

 だって、シャオはそのためにここに来たんだから!」

 小蓮も茶碗を掲げて、ない胸を張ってる。

「鈴々も頑張るのだ!

 みんなで一緒に頑張るのだー!!」

 鈴々が茶碗を掲げて、全員でぶつけ合った。

「これから頑張るぞーーー!」

「「「おおおーーーー!!!」」」



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未来を担う者たちと変わる者たち 【流琉視点】

「どうか、どうか・・・・」

 私たちが誓いを新たにして食事処から出ると、道端に汚れた頭巾を被った人が二人座っていました。

「あー・・・ 物乞いかぁ。

 あぁいう人たちがいなくなるようによくしていかないとねー」

 そう言いながら私たちを置いて、季衣はもうその人たちへと駆け寄っていっちゃいました。

「なーんかどっかで聞いたことのある声なんだけどなぁ・・・

 気のせいかなぁ?」

 その後を追って私たちも走り出すと、小蓮ちゃんだけが首を傾げていてそれを気にかけつつ、さっきの声を思い出しても、私には覚えが全くありませんでした。

「どうか、吾に蜂蜜水を!」

「要求高っ?!」

「流琉ー、結構要求高い物乞いさんだったよー」

 物乞いさんの言葉に季衣は笑ってこっちを振り向く前に、小蓮ちゃんが驚く方が早かったです。

「いえ、あげなくて結構です」

「やっぱりいいってー」

「七乃~~~?! 何故、断るのじゃ!」

「その方が美羽様の反応が可愛らしいからですよ」

 小さい子の方の発言をきっぱりと大きな方が否定して、小さい子の方は涙目になってしまいました。頭巾の方も小さい方が立ち上がった時捲れて、そこには綺麗な髪をした女の子がいました。

「っていうか!

 袁術と張勲じゃない?!」

「ぴっ?!

 孫家・・・ に、こんな奴居ったかのぅ?

 あの鬼は知っておるが、吾はあまり他の奴を知らんのじゃ」

 小蓮ちゃんの大声に袁術と呼ばれた小さな子は怯えて、すぐさま張勲と呼ばれた大きな方の背に隠れてしまう。張勲もその声に小蓮ちゃんへと視線を向けていますが、しばらく見て首を傾げてしまいました。

「あらあら、これは孫家の・・・・ どちら様でしたっけ?」

「何で知らないのよ?!」

「あー! 思い出しました!!」

 張勲さんは手を叩いて何かを思い出したように、小蓮ちゃんを指差します。

「胸がなくて、存在感も薄く、私たちが統治していた頃はどこかの地方に左遷されていた孫家の末っ子さんですね」

「あんた、シャオに喧嘩売ってんのね! そうよね!

 買ってやろうじゃない!! 表出なさいよ!」

「鈴々ちゃん、とりあえず小蓮ちゃんを押さえて!」

 事態の収拾がつかなくなりそうなので、とりあえず鈴々ちゃんに小蓮ちゃんを押さえつけてもらいました。季衣は季衣でさりげなく二人の傍に立ってるのは、多分二人がどさくさに紛れて逃げ出した時すぐに追えるようにしてくれてるんだと思います。

「了解なのだー。

 ていうか、袁術と張勲って誰なのだ?」

「はーなーしーなーさーいーよー!

 シャオは今、譲れない戦いをするんだからぁ!

 ていうか、あんた達袁術たちのこと知らないの?!」

 小蓮ちゃんってツッコミいれたり、怒ったり忙しないなぁ。

 でも、袁術? 袁家の人なの? この人たちが?

「知らないよー。

 『袁』って言われて浮かぶのって、あのくるくる金髪くらいだし。そう言えばあの人たちって今、どうしてるんだろうね?」

「あぁ、あのくるくる金髪は蜀に居るのだー。

 普段は、なんか変な仮面になって遊びほうけてるのだー」

 今、蜀の治安がすっごく心配になりました・・・

 というか、霞様のご友人がいるなら袁紹さんがそっちに居るのって結構まずいような・・・?

「そのくるくる金髪の腹違いの妹がそれよ!

 そっちの張勲は、袁術の付き人!

 大体、その二人のせいで孫家は・・・・!!」

「小蓮ちゃん」

 どう見ても怒り以上の気持ちを抱いて何かを言おうとした小蓮ちゃんを私は止めて、ゆっくりと言いました。

「ここはもう呉でも、乱世でもないよ。

 ここは、三国が共に並ぶ地・荊州。今はみんなが手を取りあう時代、だよ?」

「っ!! そうだけど・・・ けど!」

「恨むのも、怒るのも、簡単だよ。

 でも、私たち三国は一番手をつなぐことが難しいと言われた人たちと、ちゃんと手を結べてるよね?」

 呉と越族の間に立った兄様のように、三国を結んだ私たちの王様のように。

 私たちはもう、過去に囚われちゃいけない。

そのための希望が私たちだから。

「・・・・ごめん」

 鈴々ちゃんも大丈夫と判断したみたいで小蓮ちゃんを離して、小蓮ちゃんはさっきの二人へと頭を下げた。

「突然大声で怒鳴っちゃって、ごめんなさい」

 小蓮ちゃんの様子に張勲さんと袁術ちゃんも驚いたみたいに目を丸くし、私たちを見ていた。

「七乃~、この者は孫家の者なのか?」

「えぇ、そうですよ~。

 けれど、すぐに殺そうとしてるわけではないですから大丈夫ですよ。美羽様」

「そうではなくてじゃの。吾も孫家のことを知ろうとしなかったのじゃ。

 父様も、母様も居なくなってしまってから、吾は七乃と蜂蜜水ばかり考えておったのじゃ。

 それどころか他の者たちを鬼とか、怖い者としか思ってなかったのじゃ。でも、違うのかのぅ?

 普通に泣いて、笑って、怒る。誰もが吾と同じなのかのぅ?」

「それは・・・」

 張勲さんが何かを言おうとする前に、季衣がその間に割って入った。

「そうだよ。

 怒りたい時は怒って、泣きたい時は泣いて、笑う時は笑う。で、誰かが困ってる時は手を差し伸べる。

 それがこれからの時代、僕らの生きる時代なんだよ。

 だから僕たちは、困ってる君たちの助けになりたいんだ」

 胸を張って、得意げに応える季衣の言葉はまるで兄様みたいで、私はおもわず笑ってしまいます。

 あぁ、私たちの中に兄様の考えは染みついているんだって、そんな当たり前になってしまうようなことを兄様は(ここ)に残してくださったんだと気づかされました。

「そうなのだ!

 二人とも、生活に困ってるんなら城に来るのだ!

 お城なら住むところもあるし、蜂蜜水は難しくてもご飯は用意できるのだ。

 流琉もそれでいいのら?」

「そうね。

 まずは物乞いをしてた二人の意見を聞いて、それから他のいろんなことを考えてきましょう!」

 さっきまで怒っていた小蓮ちゃんも、鈴々ちゃんと一緒になって二人の手を引っ張り出していて、困った顔をした張勲さんがこちらを見てくる。けど私はそれに、笑顔を向けることを答えとしました。

 

 観念してくださいね、張勲さん。

 硬く繋がれたその手は一番最初に教えてくれた人がそうだったように、一度握ったら絶対に離してくれないんです。

 相手がどれだけ怒っても、困って逃げ出しても追いかけて、泣いてる時は嫌でも離してくれなくて、笑った時は一緒になって喜んでくれるもの。

 繋いだ手は優しいのに、とっても強い繋がり()なんですよ。

 

 

 

 とりあえず私が非常食として持ってきた食材で軽い料理を作っているうちに、三人には二人の身なりとかを整えてもらうことにしました。

 私たちの服ってほとんどは動きやすさ優先の薄着だし、余るほど服は持ってきてないので小蓮ちゃんに服を買ってもらうことにして、井戸の位置を鈴々ちゃんと季衣に案内をしてもらっています。

「と言っても、大した料理は出来ないんですけどね」

 昨日、旅の途中で季衣が狩った肉を炒めて、いくつかの野菜も入れて水を入れてしばらく放置する。その間に乾燥麦を水で戻して、戻ったら出汁の中に麦を入れて軽く煮込むだけ。

「健康状態とか、どれくらい食事してなかったかもわからないもんね」

 なるべく体に優しいものにしないと、あとお茶のためにお湯も沸かさないと。

「いい匂い、なのじゃ」

「ですねー」

「もう出来ますから、そちらの席について待っていてくださいね」

 食べる前から褒め言葉を貰うとやっぱり嬉しくて、おもわず頬が緩んでしまいました。

「流琉! 僕も食べたい!!」

「鈴々も!!」

「・・・・シャオも」

「三人はさっきご飯食べたばっかりから、駄目!

 夕食は私が作るから、三人はそれまで仕事だからね」

 匂いにつられて食いしん坊さん達の食欲も刺激されたみたいだけど、さっき食べたばっかりだから禁止です。

 財政を食事で圧迫しましたなんて、華琳様に報告できるわけがないもの。

「さぁ、どうぞ」

 袁術さん達へお粥と漬物を出しながら、袁術ちゃんは早速口にしてあまりの熱さに百面相しているけど、それでも勢いは止まらずに食べていました。張勲さんもゆっくりとですが食べ始めて、漬物と一緒に味わって食べていることが伝わってきました。

 感想は言わなくても、『美味しい』ということを表現しているその姿はやっぱり嬉しいです。

「袁術ちゃん、そんなにかっ込まなくて大丈夫ですよ。

 お替りもありますから、遠慮なく言ってください」

 二人にそう言ってから、季衣が真面目な顔をして、小蓮ちゃんと何かをしゃべってました。

 あれ? 小蓮ちゃんが何故か首を傾げて、不思議そうな顔で二人を見始めてる。どうしてだろう?

「ねー、張勲さん。

 小蓮から少し話を聞いたんだけど、袁術ちゃんがそんなに毎食蜂蜜水を飲んだくらいで財政って圧迫されるものなのー?」

「そんなわけないじゃないですかー。

 蜂蜜は確かに高価なものですけど、美羽様(子ども)が飲むのに使う量なんて大したことないですし」

「はぁ? じゃぁ何で・・・」

「それはまぁ、あははは~・・・ いろいろあったんですよね~、名家には。

 ある意味私たちは、孫家に救われたとも言えるかもしれませんね」

 問われると誤魔化すように笑う張勲さんの顔にはどこか悲しみがあって、その視線を向けたのは袁術ちゃん。

 最初はからかっていたけれど、張勲さんが袁術ちゃんへと向ける視線はとても優しくて、もし私のお母さんが生きていたらこんな視線を向けてくれるかなってほんの少しだけ思ってしまう。

「さて、私たちをどうするんですかぁ?

 助けてくださると言われても、正直私も美羽様もこれと言った取り柄もありませんし」

「はぁ?!

 取り柄がない人相手に、孫家が四苦八苦なんてするわけないでしょ!

 文官としてすっごく優秀で、あの雪蓮姉様と冥琳を手玉に取った手腕と度胸を引き抜かない手なんてないもん!

 だから、どうせ行くところないんだろうし、文官として雇ってあげるわよ」

 なんか今の言葉、凄く素直じゃなくて桂花様思い出して、おかしくて笑ってしまいました。小蓮ちゃんも素直じゃないなぁ。

「と言われましても、そうしたら美羽様はどうなるんでしょうー?

 私が雇われても、美羽様の身の安全を保障されないのなら意味がありませんし」

「それも、心配ないみたいですよ?」

 私たちがそうして視線を向けた先では、食事の終わった袁術ちゃんを囲む鈴々ちゃんと季衣の姿がありました。

「ねぇ、袁術はさ。

 もし、自由に何か出来るとしたら何がしたい?」

「んー? 蜂蜜が欲しいのじゃ!」

「あはは、袁術は本当に蜂蜜が好きなのだ。

 でも、蜂蜜は取るのが大変なのだ。まず巣を見つけて、蜂を倒してその巣を壊さないといけないのだ」

 手をあげて、はっきりという袁術ちゃんを囲んで三人は楽しそうに会話していて、その姿に張勲さんは静かに涙を零して、口元を押さえていました。

「お嬢様が、あんな風に歳の近い方と楽しげにしているなんて・・・」

「ん・・・」

 そんな張勲さんに小蓮ちゃんが布を渡してる姿も、なんだか微笑ましいです。

「んー・・・ だから蜂蜜って高いんだよね。

 見つけるのも、採るのも大変だし、でも栄養価も高いから凄く貴重で・・・」

「そうじゃったのか!?」

「それに甘いから、とっても人気もあるのだ。

 甘味屋でも使うから、高くても買うことがあるらしいのだ」

 流石鈴々ちゃんと季衣、食べ物こととなると凄い知識があるよね。私もあまり人のことを言えないんですけど。

「ねー、流琉。

 そういえば兄ちゃんが蜂蜜のことで、なんか言ってなかったっけ?

 『よーほー』とか言う、蜂蜜を作る方法・・・」

「え・・・?

 あぁ! 箱に細工して、蜂の巣の一部を定期的に分けてもらうあれ?」

「そうそう!

 兄ちゃんの年棒じゃ土地が買えないし、花畑を管理しきれないからって、諦めかけてたあれ!!

 荊州(ここ)でそれをやったら、どこの土地でもやってない売りになるんじゃん?

 それに兄ちゃんのことだから書簡残してるかもだし」

「吾、それやってみたいのじゃ!」

 私と季衣が盛り上がってる中に割り込んできたのはまさかの袁術ちゃんで、そんな袁術ちゃんを私はまっすぐ見つめ返して言いました。

「とっても大変だよ?

 私たちだって兄様の話でうろ覚えだし、もしかしたら書簡は残ってないかもしれない。そうしたら本当に一からやらなくちゃいけないの。きっと何回も失敗するし、時には人に笑われちゃうかもしれない。

 それでもやる?」

「やるのじゃ!」

 決心の硬いその目を見て、私は次に張勲さんを見る。

 嬉しそうだけど少しだけ寂しそうな目、その目は私たちを送り出した時の華琳様の眼差しによく似ていて、一瞬だけ抱いてしまった考えを無礼だと思って振り払います。

「もー! そこの四人だけで世界を作らないでよ!!

 シャオ達もしっかり混ぜなさいよね!」

「そうなのだ!

 恥でも泥でも一緒に被って、蜂蜜を荊州の売りにしてみせるのだ!!」

 二人が張勲さんごとこっちに突撃してきて、全員がぶつかりあってその場に倒れちゃいました。

「ぷっ・・・・ そうですね。

 では、ご一緒させていただきますね。

 これから美羽様共々、よろしくお願いします」

 寝転がった姿ではどんな顔をしてその言葉を張勲さんが言ったかはわからないけれど、その声は優しく響きました。

 

 

 兄様、見ていますか?

 私と季衣が領主なんて、驚いてしまいますよね。

 心配でしょう? 季衣が治政をするんですよ?

 だから、兄様。

 心配だったら、私の料理が食べたかったら、帰ってきてください。

 兄様がいないと私の料理、何故か少しだけしょっぱくなっちゃうんです。

 でも、兄様はきっと泣いてたら帰ってきてくれないんでしょうね。

 兄様が帰ってくるその日まで私、頑張りますから。

 帰ってきたら、私の料理をたくさん食べてくださいね。



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殺意を抱く者と友を想う者 【雛里視点】

「こんばんわ、鳳雛」

 ある商家との話し合いを終え、辺りはすっかり暗くなってしまった帰り道。私にかけられた言葉は冷たい殺気が込められた、一番聞きたくない人の声でした。

「だ・・・・」

「人など来ませんよ。

 警邏隊のない町の夜に、誰かが助けに来るはずがないでしょう?

 ましてや、将たちもこの時間は得物を持って駆けまわることも出来ません。

それに少々、あなたと二人きりで話をしたかったので細工をさせていただきました。

 今更私が、『誰?』などと愚かな問いを口にしたりはしませんよね?」

 言葉を遮り、蜀の欠点をつく外套を被った女性。

『誰?』と問うことも無意味、私は彼女を誰かわかっているんです。

 私と朱里ちゃんがこの策を立てた時、もっとも警戒しなければならないと思っていた人。

「何の様ですか? 郭嘉さん」

 幾度も戦場で向き合い、互いの腹を探り合った魏の軍師の一角である存在。

 曹操さんにも噛みつくその威勢、名を偽り、大陸を渡り歩いた彼女は朱里ちゃんと私を悩ませました。

 定軍山にて将の一角を確実に打ち取れると思っていた策が破られた際、公には天の遣いの功績とされましたが私と朱里ちゃんはずっと彼女が破ったのではないかと思っていました。

「ましゃか、私を殺しに・・・?!」

 魏が今の噂から行動起こす中で最悪な手段を取ったのかと思い身構えますが、彼女はゆっくりと首を振りました。

 そう、とても残念そうに。

「いいえ、残念ながら違います。

 私はあの方が望まれることを成すためにここに在り、あなた達がしてしまっているだろう誤解を解くためにあなたに会いに来ました」

「誤解・・・?」

「えぇ、誤解ですよ。鳳雛。

 そして、臥龍もまた同じ誤解をしていることでしょう」

 口元に笑みを浮かべることもなく、ただ冷たい殺気を向け続ける彼女の蒼い瞳は形を保ち、幻想的に美しい筈の色。だというのに、下手に触れてしまったら火傷どころでは済まないような怒りに揺れていました。

「それは、一体・・・・」

「鳳雛、あなた達は己の敗因を『天の遣いによって、魏が歴史を知っていたから』とでも思っているのではないですか?」

「っ!? そんなこと!」

「ないとは言わせませんよ。

 現にあなた達は彼がいなくなったことを好機と思い、行動を起こしているではありませんか。

 天の歴史と知識が自分たちにあれば、違っていた。

 それがあったから負けたのだと、あなた達は信じてやまない。いいえ、信じていたいのです。

 自分たちが立場としても低く、この大陸で劣った存在として見られる男性に負けたことを認めたくがないために」

 笑うこともなく、ただ淡々と言葉を紡ぐ彼女は私からけして目を逸らさない。

「そ、そんなことはありません!

 天の歴史で私たちの策を予測なんて、何の根拠もないことです!!

 それに私達が成功とする思っていた定軍山だって! 郭嘉さんは・・・!」

「それを破ったのは、私ではありませんよ。鳳雛」

「えっ・・・・?」

 郭嘉さんから口から放たれたのは、予想外の言葉・・・・ いいえ、信じたくない言葉でした。

 あの策を破ったのは、郭嘉さんじゃない?

「もう一度、言いましょう。

 あなた達の策を破ったのは、私ではありません。

 いいえ、あの方の傍に居たのが我々だけであったのならば、あなた達の策は成功していたと言ってもいいでしょう。あの策は荀彧殿にも、程昱にも、そして私にすら読むことが出来ず、あの方の不意を打つことすら出来てしまった。

 そう、たった一つの異分子。この大陸に、陳留に落ちたあの星さえなければ」

 私たちの策は、成功していた? 荀彧さんの、程昱さんたちの・・・・

あの曹操さんの裏をかけていた?

「えぇ、確かに彼は一度だけ、一握りの天の歴史を我々へと語りました。

 もっともその代償は、我々がもっとも愛した彼を喪失するというあまりにも大きなものでしたがね」

 自嘲ぎみに彼女はわずかに笑い、その言葉を言い放つ。

「彼は自らの存在と引き換えにしてまで・・・・ あの方との誓いを破ってまで彼は、彼女たちを守ることを選んだ」

 自分の存在と引き換えにしてまで? 守ることを選んだ?

 まさか・・・ まさか? まさか!? まさか!!?

「言ったでしょう?

 あなた達は一つ、誤解をしています」

 私は・・・ 違う。私だけじゃない。きっと、私と朱里ちゃんはしてはいけない誤解をしていたんだ。

 そこで彼女は一拍置き、その瞳は強い輝きを放ち、まるでそこに彼女の強い思いがあるように感じられました。

 揺らめき、燃え盛り、本当ならば燃やし尽くしてしまいたい存在を前にして己を律し、形を保つ姿が私はただ恐ろしくてたまりませんでした。

「あなた達は、彼を見誤った。

 彼を信じず、彼の存在を疑い、彼が成したことを我々がしたことだと勘違いし、彼のことを『たかが男』と見下した」

 私たちは彼を知らない。

 表に出ることも、武勲も上げることもない。軍師として名高いわけでもなく、名家でもなかった彼が『警邏隊』などというものを作ったことすらも眉唾であり、信じようとすらしなかった。

 実際に会ったこともなければ、言葉を交わすこともなく、遠目で見た程度では常に笑顔をするどこにでもいる胡散臭い男と感じた程度。

 ましてや苦戦を強いられ、優秀であることを噂に聞いていた彼女たちが心から彼を愛しているなんて、信じられる筈がない。

「ま、さか・・・・」

 噂の全ても、私たちが本当に思っていたこと。

 女たらしであることも、妖術を使ったということも、歴史と知識にのみ頼って生きていたんじゃないかという推測も。

 彼は無能であり、周囲の彼女たちによって魏は成り立ったのだと。そう思わなければ、辻褄があわないとすら思っていた。

『もし本当に、噂に流れている全てを彼が行っていたことだとしたら?』

 そんなことを頭の片隅にすら置くこともなく、可能性の一つとして考えることも出来なかった。

 いいや、正しくはそうではない。

 私たちは彼女が言うように、信じたくなかった。認めることなど出来る筈がなかった。

 自分たちが存在すら不確かな男性が考えつくような警邏隊(もの)を生み出すことも出来ず、彼が成したことの半分も私たちは出来ていない現状を突きつけられることを無意識に拒んでいた。

「気持ちはわかりますよ? 鳳雛。

 我々軍師にとって男など兵の一兵にすぎず、女よりも本能に生きる者。

 愚かで扱いやすく、かといって女の強いこの大陸で力もない憐れな存在。そんな者に負けたなどとなれば、汚名どころではないでしょう。

 ましてや、同性のみで構成された学院から出てきたあなた達にとって、異性は怪物に映ってもおかしくはない。それにあなた方は黄巾兵に襲われたところを救われたとのことですから、その際に男性に対して恐怖心を抱いても仕方がありません。ですが・・・」

 変わらぬ殺意と、怒りを乗せた目で私を見る彼女の想いがようやく私にも理解できる。

「だからこそ、あなた達には我々の行動を読み切ることが出来なかった。

 彼が知り、行い、守り、残し、望んだこと。そして、そんな彼から私たちが教わり、この胸に残したものを。

 彼を知らず、恋を知らぬあなた達に理解することなど出来はしないでしょうね」

 その言葉を最後に彼女は私から背を向け、歩み去ろうとしていく。

「待ってください! あなたはどうしてこんなことを・・・・」

 その想いが本当だというのなら、私たちは魏によって抹殺されてもおかしくない。この事を伝えるまでもなく、軍を連れて踏み潰すことが魏には出来てしまう筈なのに・・・

 もし本当にそうだというのなら、彼女こそが一番私たちを・・・・

「どうしてあなたが、私たちへと手を・・・・!」

 『差し伸べてくださるんですか?』と続けようとした瞬間、彼女の拳が壁を叩き私を鋭く睨みつけました。

「あなた達へ私が手を・・・ なんですか? 調子に乗らないでください。鳳雛」

 先程までと変わらぬ鋭い声から溢れるのは一瞬前までよりもはるかに感情的であり、もし彼女に武があったならこの場で私を斬り殺しまいそうで。

「彼が望み、あの方が成し遂げる覇道の中にこの国はあり、あなた方がいた。

 あなたが今、私の前で命を繋いでいる理由はそれだけです。

 そうでなければこんな国もあの無能君主も、あなたも、臥龍も、傍観し続けた老将も、若き盲信者も、何も知らずのうのうと生きる者たちも、叶うことならばこの国の全てを私は塵にしてしまいたい。

 そうならないのは一重に、それを望まぬ方々が居たというだけの事です」

 怒鳴りもせずにただ淡々と、成すことをのみを端的に告げるその様子こそが何よりも恐ろしく。

「主の意を超えて行動するのが軍師ですが、主の想いのためならば己の願望すら捨てるもまた軍師。

 もっとも・・・ 偶然という名の下で自らの望みを聞き入れるような傀儡君主を仕立てあげ、ある意味主を作り上げたあなた方には理解することは出来ないでしょうね」

「私たちが桃香様を・・・・ 作り上げた?」

 言葉を繰り返す私を一人残し、彼女は今度こそ振り返ることもなく、夜の闇の中へと消えていきました。

 

 

 

 思い返せば私と朱里ちゃんは郭嘉さんが言った通り、男性を見下していました。

 女学院という狭い世界で得られる『男』という知識と、士官先を求めて飛び出した先で私たちを襲った黄巾の人たち。

 怖かった。

 朱里ちゃんと二人、多くの男性に囲まれて刃物を突き付けられ、大きな声を向けられ、今にも襲い掛かってきそうだった姿は今も脳裏に焼き付いています。

「けれど郭嘉さん、あなたの言っている言葉は正しいけれど、違ったんです」

 私たちがしてしまった誤解は彼を知ろうともせずに見下したこと。それは揺るがない。

 けれど、私たちの最大の誤算は曹操さんの方でした。

 曹操さんがたった一人の男性によって変わったことが、私たちの誤算。

 曹操さんが以前の曹操さんのままだったのなら、私たちはきっと・・・・

「でも、それは・・・ 自分の視野が狭かったことの言い訳にもなりませんよね・・・」

 あの時、偶然出会った桃香様に惹かれたことに偽りはないけれど、打算が全くなかったわけではないのが正直なところです。

 劉姓と『靖王伝家』、武に愛された二人の義妹。そして、軍師が足りないという欠点はまさに私たちにとってうってつけの士官先でした。勿論大成する保証もありませんでしたが、その点において桃香様はまさに運に愛された方でした。

 黄巾の乱、反董卓連合、官渡の戦い・・・ 次々と起こる争いの中で勝ったことはなくとも生き残り、勢力として衰えることがなかった。けれど、その時に筆頭軍師である朱里ちゃんにかかった負担は大きなもので、私は朱里ちゃんを支え、傍に居て、肯定することが役目となっていました。

 多くの策を練っても勝利を掴むことが出来ず、出会う将の多くは武に特化しすぎました。

 その苦しみを理解できる私は、誰よりも朱里ちゃんの味方でなければならない。

 だかこそ、朱里ちゃんが考えた今回の策を反対することが出来ませんでした。

「それに朱里ちゃんの想いは・・・・」

 朱里ちゃんがただ欲に溺れただけなら、止めることが出来た。

 戦が終わったその時から・・・・ ううん、きっと正確には違う。

 桃香様があの日にあの言葉を口にした時から、朱里ちゃんの中で強い焦りが生まれ、留まることを知らない魏の発展がそれに拍車をかけていったんだと思う。

 次へ、次世代へ繋げよう。新しきを取り入れて、技術と文化を守り、残そうとする魏に対して蜀は・・・・

「誰かが悪かったなんて、ないのに」

 郭嘉さんと別れて数か月、遅すぎたかもしれないけれど多くの情報を集めて、私が思ったことの結論がそれでした。

 みんな必死でそれぞれ違って、誰しもが何かを守りたくて、全てが行き違ってしまった。

「・・・・ねぇ、天の遣いさん」

『彼が望み、あの方が成し遂げる覇道の中にこの国はあり、あなた方がいた』

 他に驚く点が多く、後になって気づくことになりましたが、あの時郭嘉さんは確かにそう言いました。この言葉から考えるに彼が消える前に言い残した、あるいは何かに書き記したものにそうした類の言葉があったことが想像できます。

 けれど、彼は私たちと顔を合わせたことなんてなかったのに・・・・ 私たちの事なんてそれこそ噂ぐらいでしか知り様がない筈です。

「あなたは一体、何を望んだんですか?

 あなたはこの大陸に、何を思い描いていたんですか?」

 知らない土地、知らない人、わからない常識。未知に囲まれていた彼は曹操さんと出会って何を思ったのか。

「あなたに会ってみたかったなんて、遅すぎましゅよね・・・・」

 私と朱里ちゃんのどちらかでもあなたに会えていたら、何かが変わっていたんですか?

 あなたが蜀へ降りたなら、私たちを救ってくれたんですか?

 もうありえない仮定ばかりが浮かび、私は首を振ってその考えを散らしました。

「朱里ちゃん・・・」

 私たちはここまで来てしまった。もう止められない。止まらない。

そして私は朱里ちゃんの傍らで、どんなときだって味方であることを選んだから。

 机の上に山となっている書簡、その中でほんの数日前に届いた書簡を手にとり、そこに書かれた文字へと目を落とします。

 書かれている内容は桃香様らしくなく簡潔で数日後には帰還し、その後に全ての将を集めた会議を行うとのこと。

 全て遅かったかもしれない。手遅れかもしれない。けれど、今はもう今に向き合うしかなくて、目を逸らすことは許されない。

 でもどんなに間違ってしまっていたとしても一緒に背負って、傷ついて、守ることは出来ないけれど、ずっと隣で並んできた親友の手を何があっても離さない。

「桃香様、あなたの言葉であなたの考えを教えてください」

 そしてその結果、どんな道をたどることになっても私が優先するのは桃香様じゃなく、朱里ちゃんだから。



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探す者 【地和視点】

「ちーほーちゃーん。

 いつも通り、人寄せのビラ配ってきたわよー」

「案内の立札もあちこちに立ててきたぜ!」

「お疲れ様。

 もうしばらくしたら舞台の方も終わるらしいから、それまで休憩してて。

 馬車近くで天和姉さんたちがお茶と軽食を用意してるから、午後からは明日に向けて練習よ!」

「はいはーい」

「了解!」

 数名の団員の報告を舞台の設営している子たちを見守りながら聞いて、一つ確認するのを忘れたことを思い出し、団員達に振り返った。

「それといつもの奴もやってきてくれた?」

「勿論!

 ちゃーんとビラと一緒に配ってきたわよ、北郷さんの人相書きを書いたものをね」

「当然、案内の立札にも貼って来たぜ!

 早く北郷の旦那を見つけねぇとな、まったくいろんなもんをほっぽってどこ行ってんだよ。あの旦那は」

 団員の言葉を聞き頷きながら、ちぃは見えないように左手を強く握りしめる。

 本当はわかってる。でも、探さずにはいられない。一刀がこの大陸にいるって信じていたい。

 ううん、どこかに行ってても一刀は必ずちぃ達のところに帰って来るって信じてる。でもちぃは待ってるだけの殊勝な女になんてなってやらない。そんなの一刀を好きになった私でも、一刀が好きになってくれたちぃでもない。

 いつだって全力に、好きなことに妥協なんてしてやらない。それがちぃだもん!

「どこに居たって関係ないわ!

 ちぃが一番に見つけて、一刀が嫌がっても椅子に縛り付けて、目にクマと耳にタコが出来るくらい私達の歌と芸を見せつけるんだから!!

 その後は首に縄つけて魏に帰って、華琳様たちに説教でもくらっちゃえばいいのよ!」

 ちぃの宣言にも似た強い言葉に一瞬だけ団員たちが呆気にとられてようにしてから、顔を見合わせて笑い出す。

「笑いごとじゃないわよ? ちぃは本気よ?」

 ていうか、多分ちぃが見つけて連れてったら、華琳様たちも順番に説教して一刀下手すればひと月くらいまともに寝れないような生活を送ることになるかもしれないわね。

 ちぃ達にこれだけの思いをさせてるんだから、当然だけど。

「いや・・・ そっちに笑ったんじゃなくてよ。

 旦那もとんでもねぇ女たちに愛されたもんだと思っただけだよ」

「それ、どういう意味よ?!」

「だって、なぁ?」

 ちぃの言葉にその場にいた団員全員が笑っていて、なんだかおもしろくなくて頬を膨らませる。その中で綱渡りを得意とする年上の女性が近づいて、ちぃの頭を優しく撫でていった。

「うふふ、可愛い顔が台無しよ? ちーちゃん。

 それだけ愛してることも、そんなに想っちゃうほど愛されたことも、胸を張らなきゃもったいないわ。

 恋は女を綺麗で可愛くすることを、ちーちゃんはちゃーんと知ってるでしょう?」

「とーぜん!」

 いつものように人をからかうよう聞こえるけど、ちぃはこれがこの人の接し方だって知ってる。だってその手は昔、天和姉さんがちぃを撫でてくれたのと同じ優しい触れ方だもん。

「だってちぃたちは三国一の男に恋したし、恋をさせたんだから!」

 これだけは、どんなときだって胸を張って言える。

 ううん、これを恥だなんてちぃは思っちゃいけない。たとえ、一刀のことをどれだけ酷く言われても、その噂を消してしまえるくらい一刀がしてきたことをちぃたちが伝えればいい。

「はいはい、ご馳走様」

「まったく、嫉妬するのも阿呆らしくなるよな・・・

 こんな顔されて言われっちまうとよ」

「会ってみたいもんだよねー。

 三国一の歌姫の一人にここまで言わせた男に」

「てか、ちぃちゃんの惚気いつもじゃーん。あたし、飽きたー」

 さっすが、売れないことが常の大道芸人。

 みんなの打たれ強さっていうか、しぶとさっていうか、神経の太さはちぃ結構好きだけど、本当に言いたい放題よね!

「だから、見つけるのよ!

 大陸でも足りないなら、次はもっと広く足を延ばせばいいんだから!!

 早くご飯食べてくる!

 その後は適度に休憩入れつつ、明日に備えてずっと練習よ!!」

「きゃー、鬼教官ー」

「ぶー、仕事の鬼ー」

「・・・・ツンデレ貧乳ー」

 ちぃがそう言って散らそうとするとあちこちから冗談交じりの不満が飛び交い、聞き捨てならない最後の言葉に反射的に怒鳴る。

「ちょっと! 最後の誰よ!?」

 軽く見渡しても手をあげて正直に出てくる犯人がいる訳もなく、そこで一度咳払いをして一喝する。

「みんなも芸に生きてる変り者なんだから、ぶつくさ言わない!

 好きでやって、(これ)で生きてるちぃたちが妥協なんてありえないでしょ?」

 ちぃが挑発するように笑うとみんなも同じような顔をして、にやりと笑う。

 そうだ、ちぃ達は一人じゃない。

 もう流浪の、三人だけの歌姫じゃない。

 ここに居るみんなだってそう、かつては一人一人いろいろなところから出てきた大道芸人だった。『芸』という娯楽を、誰も真剣にしようとしなかったもの(遊び)を真剣にやろうとしたどこにでもいる変り者だった。

「好きなことをしないで、やりたいことやらないで、好きなことに全力を尽くさないで何のための人生よ。

 ちぃ達は『北郷一座』!

 いつだって本気で誰かの笑顔を創ろうとした三国一の男の名前を背負ってんだから、生半可なこと出来るわけないでしょ!」

 それぞれの衣装に刺繍されているのは、青地の円に白抜きの『北』の一字。衣装に統一感なんて一切ないちぃたちの、唯一と言ってもいい意匠。

 その意匠を見せるようにして、ちぃは左手を高くあげた。

「午後も気合い入れていくわよ!」

『ほわぁー、ほわぁー、ほわああぁぁぁぁーーーー!』

 全力で返ってきた返事代わりの掛け声にずっこけそうになりながら、ちぃも笑いながら全力で怒鳴り返した。

「最後まで茶化すんじゃないわよ!!」

 まっ、芸で生きて笑いを生むことを目的にしてるちぃたち(芸人)にとって、こんな言葉は褒め言葉でしかないってわかってるんだけどね。

 

 

 

 今日の練習を終えて、姉さんと人和と軽いお茶をしながらいろいろと書簡を見る。

「それで人和、噂はどうなの?」

「あの書簡が華琳様から届いた以降は呉の方では収まりつつあるみたいだけど、蜀から魏に近づくと蜀と繋がりがあるところの噂は相変わらず酷いみたい・・・

 それに一部の高い位にある男性はやっぱり一刀さんのことが気に入らないようで、あからさまに歪んで伝わってて、その近辺は警邏隊も居ないから噂が広まり放題。おそらくは臥龍さん達が動いているんでしょうね」

 ちぃが聞けば、人和は顔を少ししかめながら答えてくれる。姉さんはそれを気にした様子もなく、笑顔でお茶を飲んでちぃたちにもお替りを注いでくれた。

「胸糞悪いわね! 一刀に会ったこともないくせに好き放題言って!!」

「えぇ・・・」

 吐き捨てるちぃと、わかりにくいけれど人和も怒りで書簡を揺らして、その目は辛さを隠しきれてなかった。

「まぁまぁ、地和ちゃん。人和ちゃん。怒らない、怒らない」

「「でも! 姉さん(天和姉さん)!!」」

 ちぃたちが怒りを露わに怒鳴りかけても天和姉さんは穏やかに笑って、開いた口の中にお菓子を放り入れてきた。

 口の中に甘さが広がっていって、蜂蜜なのに味がくどすぎずにさっぱりとしてる。

「美味しい・・・」

「これ、本当に蜂蜜・・・?」

 どうやら、味がくどいことを理由に蜂蜜が苦手な人和も気に入ったみたい。

「あっ、二人ともが気に入ってくれた?

 それ、季衣ちゃんたちから届いた奴なの。それは果樹園に実験的に置いてもらった蜂から分けてもらった蜜なんだって。

 お湯で割ったり、牛乳で割ったりしても美味しいんだってよ?」

 天和姉さんのその笑顔に毒気が抜かれて、ちぃも人和も剥き出しにしていた筈の怒りが鞘に納められてしまった。そんな私達の肩を姉さんは優しく触れて、椅子に着席されてしまった。

「私達はありのままに、華琳様たちに連絡すればいいんだから。

 それに噂を集めることはおまけで、私達がしたいことはこの大陸に笑顔を運ぶこと。運んでる私達がしかめっ面だと、誰も笑ってはくれないよー?

 人を笑顔にするときは、まず私達が笑顔にならないとね」

 口の端を指で持ち上げて、満面の笑みを私達に見せる姉さんはとっても強くて綺麗だった。その強さはまるで一刀を見てるみたい。なんだか羨ましいような、眩しいような、嫉妬してまいたいような複雑な気持ちになるけど。だけど・・・・

 姉さんのこういう所は本当に敵わないし、そう言ってくれる姉さんがちぃたちの姉さんでよかったって思う。

 そう思って人和を見るとちぃと同じように苦笑していて、姉さんを見ていた。

「はいはい、わかったわよ。座長☆」

「私、その呼ばれ方きーらーい!」

「座長☆、次に行く荊州のことだけど・・・・」

「もう、人和ちゃんまで!

 お姉ちゃんに意地悪しないでー」

 この一座を創って最早日常になりつつある姉さんの抗議を聞こえないふりをしながら、私達はからかいながら今日も笑っていた。

 

 

 今日も明日も明後日も、ちぃはずっとこうして大陸を進んで笑顔を創っていく。

 その中でちぃはずっと・・・ どれだけ時間が経とうとも、一刀を探すことをやめることはない。諦めてなんかやらない。

 絶対にちぃが見つけて、一番に怒鳴りつけてやるんだから。

だから、早く帰ってきなさ・・・・ ううん、違う!

「絶対に見つけて、飽きるほど三国一の美声を聞かせてやるんだから!!」



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語り継ぐ者 【人和視点】

「一刀さん・・・・ 弱音を吐いてもいいですか?」

 あれは何度目かの逢引きの時、時期としては蜀との本格的な戦が始まる少し前、彼女たちが蜀を治めている頃のこと。私はいつもの川の傍で、一刀さんに寄り添っていました。

「俺でよければ、喜んで。

 それで人和の気持ちが楽になるなら」

「一刀さんだから、聞いてほしいんです。

 天和姉さんにも、地和姉さんにも・・・ ましてや、華琳様にも言えないことを」

 一刀さんの肩へ寄り添って、私は言葉を探していました。

 何から言えばいいのか、この話を明かした時、彼が私を嫌ってしまわないか。

 そんな不安を抱いて、自分から口にしながら戸惑い、沈黙しかけてしまう。

 私はなんて卑怯で、臆病なのだろう。

 この罪に向かい合おうとしている筈なのに、私はまだ目を逸らそうとしている。

 いろいろと考えていると一刀さんの手がふいに私の体を掴み、自分の膝へと倒しました。

「一刀さん・・・?」

 私の顔を覗きこむ一刀さんの顔はいつものような笑っている筈なのに、少しだけ辛そうに見えました。

 その様子はまるで、したくもない隠し事をしている時の子どもみたいで、それを隠すように膝に乗せた私の頭を撫でてくれました。

「人和、隠すことは別に悪い事じゃないと思う。

 でも、それを隠すことが少し辛くなったから、抱えていられなくなったから人和は辛そうな顔してるんだろうから・・・ ゆっくりでもいいから、教えてくれよ。

 俺は、人和が話すのをいくらでも待つからさ」

「一刀さんは・・・ 本当に狡いです」

 この人は本当に、狡いくらい優しい。

 そんな言葉を言われたら、縋ってしまう。甘えてしまいたくなる。

 あなたと会う前の私すらも、あなたが居る正面を見たくなる。

「一刀さん・・・ あの乱は、私が悪いんです」

 一刀さんの膝の上で、私は腕で顔を隠すようにしてポツリポツリと語り出す。

 思い返すのはあの日、誰も咎めてはくれない戦いの日々。

 今はもう誰もが過去とし、『起こるべくして起こったこと』と語る乱世の始まりに過ぎない出来事。

「地和姉さんの一言から始まった乱、集まっていく人々を私は偶然見つけたあの書を・・・私は危険性を知っていながら、自ら使うことを選んだんです」

 姉さんたちを守るためと語って、ただ必死に広がりつつある黄巾党を治めようとした。けれど、結果的には私は統治することは失敗し、華琳様によって捕らえられた。

 言葉にすれば、たったそれだけ。

 けれど、『たったそれだけ』に多くの血が流れ、数えきれない命が消えていった。

「あの乱で犠牲になった人たちは・・・ 私が殺したようなもの。

 私が書を利用しようとしなければ乱はあれほどまで拡大することも、あるいはあんな事さえなければ漢王朝は崩れず、乱世が起きるなんてこともなかったかもしれないんです」

『乱世』という一時代の始まりを告げ、漢王朝を崩すきっかけにすらなった黄巾党の乱。

 その乱の中央に居た三人の歌姫のことを今は誰も知らなくて、そしてその中枢を握っていた私を罰してくれる人は誰もいなかった。

「私は姉さんたちを守りたいなんて銘打って、ただ自分が生きていたかっただけ。

 旅芸人が日々を生きることの難しさに嫌気がさして、あの乱に乗じて楽に生きようとしただけ。

 もっと言えば、あの乱の中に入る間は私が必要とされることに喜びすら感じてしまっていた!」

 天和姉さんには人を惹きつけてやまない魅力があって、地和姉さんには歌唱力と踊りがある。

 じゃぁ、私は?

 何もなくて、ただ姉さんたちを追いかけて、少しでも役に立ちたくて経理や生きる方法をずっと探していた。

 あの乱の中に入れば、あの組織の中に入れば、私は必要で、大切な何かだった。

 けれど私のとった行動は、結果的に姉さんたちを危険にさらしただけだった。

 地和姉さんから好きなこと()を奪いかけてしまっただけだった。

「姉さんたちも、華琳様も、真実を知っている筈の魏の将の方々も・・・・ 誰も私を責めない・・・ 罰してはくれない。

 それどころか、暖かく包み込んでさえくれました」

 生きる環境と目標を貰い、愛しい人にすら出会うことが出来た。

 死にたくないだけだった筈なのに、ただの協力関係に過ぎなかったのに、あまりにもこの国が温かくて、優しくて・・・ そして、一刀さんと過ごし、流れる日々が愛おしくて。

 けれど罪は消せなくて、ただ後ろめたくて。

「たとえ他の誰が私を許してくれても、私が私を許せないんです」

 記されることのない事実であっても、あれは私の罪。

 こんな私に生きる資格なんて・・・・

「なぁ、人和。

 生きる資格や理由って、誰がくれるんだろうな?」

「え・・・?」

 一刀さんの唐突な問いに私は意味がわからず、聞き返す。

 それはあまりにも私が考えかけたことに似ていたからか、それとも語りだそうとする彼の横顔がとても寂しそうに見えてしまったからなのか。

「きっと資格は、神様っていう気まぐれな存在が人に平等にくれるんだろうけど・・・ 俺って結構その神様の気まぐれって奴に振り回されたっぽいからなぁ。

 でも、そんな気まぐれ奴に振り回されて、ここまで来た俺なりの答えはさ。

 確かに生きる資格とか、ここに居させてくれるのは人の手なんか届かない神様って奴なんだろうけど・・・・ 生きる理由をくれるのはいつだって神様じゃなくって、人なんだよ」

「生きる理由をくれるのは、人?」

 私が繰り返すと一刀さんは嬉しそうに笑って、私の頭を何度も何度も撫でる。

 その理由をくれたのが誰かなんて、言うまでもないことをその笑顔が何よりも雄弁に語り、嬉しそうな筈なのに。

「俺が今ここに生きる理由を貰ったみたいに、とはいかないかもしれないけど・・・・

 俺が人和に生きて、華琳たちが創る時代を見てほしいって望むことは生きる理由にならないか?」

 どうしてか私には、一刀さんがそのまま泣き崩れてしまいそうに見えてしまった。

 

 

 ねぇ、一刀さん。

 そう言ったあなたが消えてしまうなんて、あんまりじゃないですか。

 でも、だから・・・・ だから、私は!

 

 

 

「人和さん、舞台の設営は完了しました」

「同じく、警備の配置とかも確認してきたぜ」

 聞こえたその言葉に目を開けば、自分が書簡の片づけの最中にうたた寝をしてしまっていたことに気づきました。

「お疲れ様です。

 いつもありがとうございます。お二人とも」

 私達が魏から飛び出し、この一座を開くと決めた時について来てくださった数名の警邏隊と工作隊の出身の方々。どちらも忙しい筈だというのに、隊の皆さんも特に反対することもなく、それどころか凪さんたちに至っては『しっかりやり通して来い』と激励したときは感謝以外の感情を抱くことが出来ませんでした。

「礼なんてよしてくれよ、人和ちゃん。

 俺たちは好きでやって、一座について来てんだからよ」

「それに隊長の留守の間、あなた方を守るのは部下の仕事ですから。

 どうか、お気になさらずに。

 親衛隊の方々も客席の準備を終えたと言っていましたので、日が暮れる前に確認をお願いします。人和さん」

「えぇ、ありがとうございます。

 あとで見に行きますので、皆さんも休憩をとってください」

 私の指示にお二人が頷いて出ていくのを見送りながら、机の上にある経理と次の公演の場である荊州への手紙、そして私が個人的に書き残している書簡を確認する。

 どれも大事なものであることに変わりはなく、特に最後の書簡は今後私の役目を継いでくれる人しか読むことのない物となることでしょう。

 誰も語ることすら許さないだろう黄巾の乱、その中枢にいた私から見えていた全てがここには書き記されています。

 

『確かに天和たちの一言があの乱を引き起こした。それは事実かもしれない

 けど、普段は気にしないような言葉を拾って、縋って、担ぎたくなるほど、その言葉を誰かに言ってほしかったんじゃないかな?

 きっとあの時、誰もが変わる理由が欲しかったんだよ』

 一刀さんがあの後言ってくれた言葉の一つに、私は今ですら素直に頷くことが出来ずにいます。

 でも、だからこそ・・・・ 私はあえて、全ての真実を残すことを決意しました。

 もう二度と、私達が同じ過ちを起こさない戒めとして。

 

「一刀さん・・・・ 私は、あなたを語り継ぎます」

 劉協様のような公の歴史としてではなく、いつまでも人の間で語り継がれるようなささやかな物語のように。

「あなたの名を、この大陸が忘れないように」

 国は時に誰かの一言で滅び、儚く移り変わるものであり、歴史とは改竄され、全てがありのままに後世に残らないことを、私は身を持って知っているから。

「私は姉さんたちとも違う、自分のすべきことをようやく見つけることが出来たんです」

 天和姉さんがあなたの描いた平和を、華琳様が創る時代を笑顔で彩り、地和姉さんが自分の技術を持って全力を尽くし、あなたを探すことを諦めないというのなら。

「あなたがここに居たことを、国にも、権力にも、立場にも縛られずに『北郷一座』(あなた)の名を残すことで証明してみせます。

 あなたが居るかもしれない千年、二千年先・・・ いいえ、あなたの元に届くその日まで、残してみせます」

 私は天和姉さんのように周りを見ることなんて出来ず、地和姉さんのように希望へと進むことは出来ないけれど、それでもあなたがそこに居るというのなら私でも手を伸ばす努力がしたいんです。

「一刀さん、また会いましょう」

 それがどれほど遠い未来であったとしても、必ずあなたの元へ行きますから。

 だから一刀さん、あなたも帰ってきてくださいね。



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笑顔を広める者 【天和視点】

「ねぇ、二人とも。

 旅に出よっか」

 一刀がいなくなって一月ほどたったある日、私が二人に言ったのはそんな思いつきだった。

「天和姉さん?」

 ずっと俯いていた人和ちゃんがやっと顔を上げ、戸惑うような表情だけど確かに私を見てくれた。

「え・・・・? 何で?」

 ここの所、少しも笑わないでただ自分の練習だけは忘れないようにしていた地和ちゃんも久しぶりに私と視線を合わせてくれた。

「前みたいに・・・ ううん、今度は一刀が警邏隊でしてたみたいに、あちこちで一人で芸してる人たちも誘って、大人数で大陸を旅してみない?」

 突然の提案に二人は呆然として、私は気にしないでそのまま言葉を続ける。

「一刀はさ、みんなの笑顔が大好きだったよね」

 前みたいに兵を集めるためじゃなくて、資金を集めるためじゃなくて、今度はただ笑顔を運びたいから。私達がやりたいから。

 本当に最初の時、ほとんど何も持たないで姉妹で村を飛び出して、どことも知れない道端で歌いだした時みたいに。

「お客さんたちが笑顔になるようなことを、元気になっちゃうようなことをしながらさ。この大陸が平和になったことを伝えて歩こう?」

 私達は華琳様たちみたいに大陸を平和にすることなんて出来なくて、凪ちゃんたちみたいに街を守ることは出来ない。

 私達に出来ることは歌うことと、踊ること。

『天和たちは凄いよな。

 歌と踊りだけで、こんなにもたくさんの人を笑顔に出来る。勇気をわけることが出来る。誰かの希望になることが出来る。

 天和たちがしてるのは、華琳にだって出来ないことなんだよ』

 そう言った直後に一刀が華琳様に足を踏まれて、春蘭様たちに追いかけられていたけど、あの時私の顔は凄く真っ赤になってたと思うんだよね。

 だって、そんなこと自分じゃ思ったことなかったんだもん。

 大好きだから、やめたくなくてやめられないから、歌い続けてた私達。

「一刀が夢見た平和と、華琳様たちが頑張って創ろうとしてるこの大陸を、私達の歌と笑顔で彩って、そうしてみんなを笑顔にしようよ!」

 人が好きで、子どもが好きで、誰かを喜ばせることが上手で、凄くだらしなくて、男でも、女でも大好きな節操なしだったけど、そんな一刀をみんな好きになってた。

 私もそんな笑顔に包まれた一刀を見るのが、大好きだったから。

「笑顔で彩る、かぁ・・・・

 姉さんらしいよね、本当に」

「そうですね・・・・

 それにいつまでも下を向いて、何もしないわけにはいかないですし」

 お姉ちゃん、結構いいこと言ったと思うんだけど、どうして二人とも苦笑してるのかなー?

「それで? 他に具体的な案はありますか? 天和姉さん」

「うーん・・・ まず、馬車とかはこれまで使ってたのがあるから平気だと思ってるんだけど、その辺りは人和ちゃんお願い!」

「はいはい・・・

 だと思ったわよ、まったく」

 呆れるような言葉だけど人和ちゃんに怒った様子は少しもなくて、いくつかの書簡を取り出して、早速墨をすり始めてくれる。

「それじゃ、ちぃはいつも通り歌と踊りをやればいいってわけね?」

「おねがーい! 歌と踊りはちぃちゃんが頼りなの!!

 お姉ちゃんは今から街で知り合った芸人さんとかに声かけてたり、親衛隊のみんなに話を聞いてくるから!」

「「ちょっと待った(待ってください)!」」

 私がそう言って駆け出そうとしたら地和ちゃんは襟首を掴み、人和ちゃんは言葉だけでとめてきて、そのまま進んで首が絞まる

「ちょ、地和ちゃんっ・・・ 苦しい・・・・ 二人とも、なーに?」

「姉さんが座長やることは決まりとして、一座の名前は決めていきなさいよ。

 『数え役満姉妹』は一座じゃなくて、ちぃたちの芸名なんだから」

「言いだしっぺである天和姉さんが座長をやることは確定だけれど、名前のない一座はしまらないもの」

「一座の名前はあれしかないでしょ・・・・ って、どうして私が座長なの?!」

 地和ちゃんとか、人和ちゃんとかの方が断然向いてると思うんだけどなぁ?!

「姉さんが言いだしっぺだし、ちぃも人和も他の仕事で忙しくなりそうじゃない?

 だから、みんなをまとめるなんて出来なさそうだしねー。

 それに姉さんになら出来るわよ」

「えぇ、姉さんになら」

 二人ともそれぞれ書簡に視線を向けながら、私のしようとしてた反論は聞いてくれなさそうだった。

「『座長』って、なんか可愛くないからいやー!」

「はいはい、じゃぁ『座長』じゃなくて『座長☆』にしてあげるから。

 行ってくるなら、ぱっぱと行ってくる」

「それじゃぁ、勧誘お願いね。姉さん座長☆」

「二人とも、お姉ちゃんの扱い酷くない?!」

 人の不満を笑顔で聞き流してる二人にちょっとだけほっとしながら、私は芸人さんたちを求めて今度こそ街へと駆け出して行った。

 

 

 

 とりあえず、荊州の町の外に荷馬車とかを置いて、私と地和ちゃん、人和ちゃんが代表として滞在許可書を貰いに行くことになった。人和ちゃんが前もって書簡でやり取りしてくれたおかげで荊州を季衣ちゃんと流琉ちゃんが治めてることもわかってたし、大まかな話も書簡で出来たみたい。

 許可書が貰えたら今日は公演場所を視察して、人和ちゃんが中心になって設営と警備の人たちの話し合い。地和ちゃんはいつものように指導に入ってもらって、私は指導を見ながら他のみんなのお手伝いかなぁ。

「ひっさしぶりー! 季衣ちゃん!!」

「久しぶりー! 天和ちゃん!」

 城門に居た季衣ちゃんへと私が手を振って大きな声で叫んだら、季衣ちゃんも答えてくれて、そのままお互い抱きしめあう。

 その隣には知らない小さな子がいて、私たち三人を見てから何かに気づいたように手をぽんっと打った。

「一人だけ胸が大きい『数え役満姉妹』なのだ!」

「胸がなんですって!」

 その子の言葉にすぐさま反応したのはやっぱり地和ちゃんで、人和ちゃんが後ろから羽交い絞めにして押さえてくれてる。

 地和ちゃん・・・ まだ気にしてたんだね・・・・

 ごめんね、お姉ちゃんにも胸だけはどうしようもないの。

「天和ちゃん、今思ってること絶対言葉にしちゃ駄目だからね?」

「何のことかなー? 季衣ちゃん」

 季衣ちゃんの警告に私は舌を出して笑って誤魔化し、季衣ちゃんはいくつかの書簡を渡してくれた。

「とりあえずこれが滞在許可書で、こっちは公演場所の見取り図。

 で、街の方の誘導はこっちの警邏隊も手伝うから、一座の方の警備の人は会場の整理をしてほしいなぁって思ってるー」

「うん、わかったー。

 人和ちゃん、聞こえてたー?」

 書簡を受け取って、軽く見ながら別の書簡に書かれた説明にも軽く目を通しておく。一応座長だし、人和ちゃんって任せきりにしたらすぐに無茶しそうなんだもん。

「えぇ、勿論。

 でも、姉さん座長☆もしっかり覚えておいてね。

 私が現場にいるときは姉さん座長☆にもしっかり動いてもらいたいし」

「はーい・・・」

 二人に押し付けられた座長って言う立場でもあるから、一通り覚えておかなくちゃいざみんなに聞かれた時答えられないって事になりそうだしね。それ、芸で失敗しちゃうことよりも恥ずかしいと思うし。

 それに・・・ この一座は私が言い出したことだもんねー。

「それにしても、季衣ちゃんも立派になったねぇ」

 普段の服じゃなく露出を控え、魏の色である蒼を基調とした礼服を纏う姿は凛々しくて、姿勢を伸ばして立つ堂々とした様子はまるで華琳様みたい。

「よく頑張ってるね、偉い偉い」

 私が頭を撫でると季衣ちゃんは少しびっくりしたような顔をして、顔を赤くして下を向いちゃった。

「あ・・・ ごめんね? なんか懐かしくなっちゃって、頭撫でちゃった」

 いつまでも幼いと思っていた季衣ちゃんたちが大きくなる姿を見てると、地和ちゃんと人和ちゃんが幼かった頃を思い出して、懐かしくなっちゃう。

「ううん! 嫌だったんじゃなくて・・・ 僕、兄弟とかいなかったから嬉しくて・・・

 なんだか恐れ多いけど、僕にとって華琳様たちは家族みたいに思ってるから・・・ ありがとう、天和ちゃん」

 顔を真っ赤にしながら、照れくさそうに笑う季衣ちゃんはなんだか凄く可愛くて、私はおもわず抱きしめちゃった。

「季衣ちゃん、可愛い!

 もう、私達の妹になっちゃえばいいと思う!!」

「はいはい、姉さん。そろそろ解放してあげようねー。

 季衣ちゃんだって暇じゃないんだし、この後は交代で流琉ちゃんが街を案内してくれることになってるんだから。

 まったく姉さんも一刀に負けないくらい人たらしで困るわよ」

 また地和ちゃんに襟首を掴まれて、無理やり季衣ちゃんから離されちゃった。もっと良い子良い子してあげたかったのに~。

 こんなに頑張ってるんだから、誰かが褒めてあげなきゃいけないと思うもん。

「私、あんなに節操なしじゃないよ~」

「自覚のない所もそっくりですね・・・」

「まったくよね」

 私の言葉を二人して反論するのはずーるーい。

「お待たせしました・・・ ってどうして天和さんの頬が、栗鼠みたいに膨らんでいるんですか?」

「気にしなくていいですよ。少し拗ねてるだけですから」

「はい・・・? じゃぁ、こちらです?」

 そうして流琉ちゃんに先導されながら私達は荊州の街並みを眺める。警邏隊のおかげで街の治安が守られて、そこにしっかりと治めてくれる人が来たことによって活気に溢れている。

「あったかいなぁ」

 まるで日向ぼっこしてるみたいな気持ちよさに包まれながら、街の音に耳を傾けてると

「~~~~♪ ~~♪」

 歌声と、それに合わせるみたいに寄り添った二胡の音が聞こえてきて、私はつい立ち止まっちゃった。

 音を探して周りを見ると、ちょっと離れた場所に居たのは金髪の綺麗な女の子と、その隣に並んだ短い髪の女の人。

「あぁ、あれは・・・・」

 流琉ちゃんが何か説明してるみたいだけど耳に入ってこなくて、私と地和ちゃんはほぼ同時に走り出していた。

 地和ちゃんが何をしたいのか、私も何をすべきなのかが自然とわかって、女の子の手をいきなり掴んだ。

「ぴっ?! なんなのじゃ?!

 そなたたちは誰なのじゃ?!」

 突然すぎる私たちの登場に女の子は怯えて、私は目線を合わせながらもその手を放さない。

「突然、ごめんね?

 すっごく綺麗な声と音で驚いて、えっと・・・ あなたに・・・ ううん、あなた達にお願いしたいことがあります」

 綺麗な歌声、妖精みたいな金の髪。小さなその姿はとっても可愛らしくて、それを生かす二胡の音は綺麗だった。

 だから、どうしてもこの人たちにお願いしたかった。

「私達と一緒に歌ってくれませんか?

 この荊州に居る間だけでいいから、あなたの力を私達に貸してください!」

「吾の力・・・・?

 じゃが、吾は何も出来な・・・・」

「何も出来ないなんてことない!」

 後ろから聞こえた大きな反論は流琉ちゃのものだった。

 あぁ、この子は流琉ちゃんのお友達なんだ。だから、子どもたちを励ますみたいに歌を歌ってたんだ。この子も優しい良い子なんだなぁ。

「美羽ちゃんがあの日から凄く頑張ってるの、私知ってるよ。

 それにこれもお仕事、みんなを笑顔にする凄い大変なことだよ?」

「じゃが、吾は明日も蜂たちを見なければ・・・・」

「美羽ちゃんが毎日細かくいろいろ残してくれてるから、天和さん達がいる間くらいはどうにかなるよ。

 毎日報告書は渡すから、ね?」

「じゃが・・・・」

「あぁもう! 美羽ちゃん頑固なんだから。

 天和さん、もう兄様みたいに行動しちゃってください!」

 なんか私達にはわからない話だけど、とりあえず流琉ちゃんから正式な許可が下りたし、ちょっと強硬手段行きまーす!

「地和ちゃん!」

「わかってるわよ!」

 呼べばすぐさま私と地和ちゃんが走りだし、私が女の子の体を持ち上げて、地和ちゃんが足をしっかりと持って走り出す。

「人和ちゃん、会場の方任せてごめんね。あとで話聞くから!」

「はいはい・・・・ いつものことだもの」

 振り向きざまにそれだけは言って、女の子をしっかり持ち上げて、一座の荷馬車へと駆け抜けた。

「ひ~と~さ~ら~い~!? 七乃~~! 助けてたも~~~??!!」

「あぁ、悲鳴をあげるお嬢様・・・ なんて可愛らしい」

 

 

 

 あの後、どうにか女の子(美羽ちゃん)にもちゃんと事情説明して、協力をしてもらえることになった。勿論、七乃さんにもしっかり謝って、正式に依頼して参加してもらうことが出来た。

 それから小蓮ちゃんの案で今回提供することになった『はにぃれもん』はお客さんたちに試しに配ってるみたい。なかなか策士だなぁ、小蓮ちゃん。

「座長☆さーん、地和ちゃん、人和ちゃん、そろそろお願いしまーす」

「はーい」

 すっかりこの呼ばれ方も慣れちゃったけど、仕方ない。うん、仕方ないよね・・・ でも、舞台に出るときくらいはやめてほしいなぁ。

「地和ちゃん、人和ちゃん、行こ!」

 舞台の最初と最後は私達が飾る、これだけはいつも変わらない。

「はいはいっと、座長☆挨拶だからしっかりね。姉さん」

「地和姉さん、それはさらに緊張させるだけよ」

「もう、二人はすぐそうやってお姉ちゃんを茶化すんだから」

 始まる前の軽口は互いの緊張を少しだけ楽にする物だってわかってる。

「でも、ありがとね。二人とも」

 私達は堂々と、一刀がいた時とも、居なくなった後も何度も続けてきた舞台へと立つ。照明と、人々の視線が集まり、凄く気持ちよくて、胸が高鳴ってくる。

「荊州のみんなー! 今日は集まってくれてありがとーーーー!

 北郷一座がこうして公演出来るのも、みんなのおかげだよー!

 今日は復興で頑張るみんなと、そんなみんなを陰で支えてくれる人たちと、それから・・・」

 私はそこで一拍置いて、息を吸う。

 誰になんて言われても、私達がここに居れるのは一刀のおかげだから。

「この大陸がだーーーい好きだったあの人のために歌うから、みんな応援よろしくね!」

 お客さんたちからの溢れる掛け声はまるで私が言った誰かをわかってるみたい。

 みんなの声と、私達の声。

 全てが一つになった、最高の舞台が実現する。

 

 

 一刀、見てる? みんな、笑ってるよ。

 一刀が好きだった私達の舞台を見て、みんなが笑ってる。

 最初は私達の夢で、いつの間にか一刀の夢にもなってたこの夢は、大陸だって包んじゃった。

 でもね、私達の目標はまだ達成してないの。

 他の人には達成してるように見えるかもしれないけど、ここには一つだけ足りないものがあるから。

 それにね、誰も知らない歌があるんだよ。

 私たち三人が綴った、誰も聞いたことのない歌。

 あなたの笑顔を見たい私達が創った、あなたに捧げる愛の歌。

「次に会えた時は、とびっきりの愛を込めて歌ってあげるからね。一刀」



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悩み 俯く者 【愛紗視点】

『私は・・・・ 私は、あなたや雪蓮さんが羨ましかったのかもしれない・・・・』

『強くて、優しくて、何でも出来て・・・っ!

 私・・・ 何にも出来ないから・・・っ!』

『みんなで笑って、仲良く過ごせれば良かった!』

『――― だから、私は作りたいと思ったの!

 みんなが笑って暮らせる、優しい国を!』

 あの方が曹操と向き合い、剣をとり、立ち向かう姿を見た時、私はただ見ていることしか許されず、あの方のために何もすることが出来なかった。

 傷つくあの方の元へ、これほどまで近くにいるというのに駆けつけることが出来ないことがもどかしかった。

 『将』である私には絶対に届かぬところへいる()たちの戦いを見ているしか出来ないことが、悔しかった。

 あの方の矛である私があの方を守ることの出来ない事実が、辛かった。

『現実なんか朱里ちゃんや雛里ちゃんがいくらでも見てくれる!

 なら、上に立つ者はもっと遠くを見るべきでしょうっ!?』

 だが、そこには・・・・ 私達が知らない桃香様(あの方)がいた。

 全ての感情を、想いを、嘘偽りなく叫び、子どものように曝け出す。

 対等な王たる曹操だからこそ、あの方は多くの言葉をぶつけ、懸命に剣を振るった姿は痛々しくすら感じられた。

 私達には向けられることのなかった、されることのなかったその行為に、私はただ嫉妬にも似た感情が湧き上がるのを否定し続けていた。

『愛紗ちゃんや、朱里ちゃんの仕事のお手伝い、したいんだよ・・・

 桃香様なんて言われなくていい・・・ 桃香様がいてくれて助かった、って言ってほしいだけなんだよ・・・・ だから・・・ 王様なんて・・・』

 

 王になんて、なりたくなかった?

 

 私はその時ようやく、自分が桃香様の想いを気づくことが出来ていなかったことを知った。

 あの方は自分が王になることなど、望んでいなかった。

 ただ私達と楽しい日々を過ごせたらいいと願い、それだけで立っていた。

 旅をして、世界を知り、あの方はどこまでも純粋な御心で、見た者全ての幸せを望んだ。

 その願いは尊く、望みは美しい。

 だから私達は、あの方のために・・・・ その夢の実現のために・・・・

「いいや・・・ 違う、な。

 あの方の言葉を良いようにとり、私達がただ勝手に動いていただけだったのだろう」

 あの方の想いの全てを理解せず、あの方の夢を実現させるために場を用意し、策を巡らせ、武を捧げ、これ以上あの方が悲しまぬように包み込み、大切に守ろうとした。

 だが、それは全て間違っていた。

 私がしてきたことは・・・・ 『あの方のため』と語って行っていたことは、すべきではなかった。

 あの方から出来ることを奪い、成したいことを奪い、夢を捻じ曲げたのは他ならぬ私自身だった。

「桃香様・・・・」

 矛が意志など、持つべきではなかったのだ。

 ならば私は、あの方が望むことを行うしかない。

 あの方の振るう矛となり、あの方の思うように動くモノであればいい。

 私はもう、間違えてはいけない。

 ただ日々を過ごし、この国のために在り、矛として、将として、この国に尽くせばいい。

 そしてあの方の盾となり、矛となり、いずれ錆びつき、埃を被るその日まで、あの方の傍に在ればいい。

 その存在を忘れ、使われず、倉庫で錆びて朽ちていくことになろうとも、私にそれを拒む権利などありはしないのだから。

 

 

 

 あの日から、一体どれほどの時が流れただろうか。

 ただ日々を過ごし、仕事のみに精を出し、必要以上に人と関わることすら避け続けた。

 何もする気には、なれなかった。

 何をしていいか、わからなかった。

 どんな顔をして人と接すればいいか、わからなくなった。

 何をしても無意味で、自分の行いは間違っているのではないかと思ってしまった。

 それらを抱いてなお、前を向こうとすらすることは偽りでしかなく、己が信じていた正義()が何であったかも、もうわからない。

 自棄になり、何かをすることすら自らを慰めているようにしか感じられず、日々を淡々と過ごすことを選んだ。

 この無為の日々に何度か星が訪れた気がしたが、星が私へと語りかけるという一方的なものだった。

 幾度も繰り返された言葉に私はいつしか相手にすることをやめ、ただ書簡に向き合うだけとなっても彼女は諦めることもなく、訪れ続けた。

 ここ数か月ほど姿を見ていないが、ついに諦めたか。

 それでいい。私などに関わらずとも、お前はお前で在れる。

 その名が示す通り、星のように瞬いて、悪戯に流れ、人の希望であればいい。

 矛であることしか知らぬ私は、誰かの花になどなれはしない。

「桃香様・・・・」

 それでも気にかけるのはあの方だけ。

 他に名が浮かんでも、守りたいのも、生涯を捧げたいと願ったのはあの方だけだった。

「私は・・・ どうすればよかったのですか?」

 誰に向けるでもない問いは閉め切った部屋の中に吸い込まれ、闇にまぎれて消えていく。

 向けるべき相手は誰なのか。誰にこそ問いたいのか。そんなことはとうにわかりきっていても、あの方を利用し、無意識に自分の都合のいい傀儡としてしまった私が、一体どの面を下げてあの方の元へ行くというのだろう。

「私は・・・」

 ただ・・・

「愛紗さん、失礼します」

 私が思考の渦へと飲み込まれそうになったその時、扉を数度叩く規則的な音が響き、一拍の間をおいてから暗い部屋に光りが差し込んだ。

「何だ、月」

 冷たい、威圧感のある厳しい声。

 かつては嫌っていた筈の声だが、今は感謝している。

「私は今日非番であり、侍女たる者が訪れる用などなかった筈だが?」

 人を威圧し、退ける。声だけでそれが容易に出来てしまえる。今の私には、なんと都合の良いものだろう。

「はい、本日愛紗さんは非番ですし、侍女である私が来る用など確かにありません」

「ならば、早々に出てい・・・・」

「ねぇ、愛紗さん」

 私の言葉の途中で割り込み、彼女はいつものように笑っている気がした。もっとも彼女へと視線を向けていないため、予想でしかないのだが。

「嘘つきですよね、桃香様は」

 その口から発せられたのは、とても彼女らしからぬ内容であった。

 驚いて視線を向ければ彼女は扉の近くに立ち、逆光となって表情こそ見えないが、声はどこか笑っている気配がした。

「月・・・?」

 何が言いたい? と問おうとすれば、彼女は言葉を続ける。

「力のない人を苛める世の中を変えたいというのも、嘘。

 民の暮らしを守りたいというのも、嘘。

 この国を笑顔で満たし、優しい世界にしたいというのも、嘘。

 掲げていた『漢王朝の復興』も、嘘。

 たった一本の剣を頼りにしている劉家との繋がりも、王家の許可もなく名乗っている『蜀の王』という立場も、嘘。

 世の中を変える力もなく、民の暮らしを守ることなんて一度も出来たことなんてない。

 それどころか今こうして俯いて、閉じこもっている妹にすら気づくこともありません。笑顔にするどころか、見てすらいないですよね?

 『漢王朝の復興』を掲げながら劉協様を蔑ろにし、保護するどころか探そうとする気配すらありませんでした。

 『靖王伝家』を『劉家の証』としていますが、記憶すれば模倣することも、購入することも、たった剣一本盗むことなんて容易に出来てしまうんですよ?

 そして当然、乱世という混乱を利用して用意した『蜀の王』という偽りの称号。

 ほら、少しあげただけで桃香様の言葉には嘘ばかり」

 嘘?

 あの方が口にした、行動に移し、これまで行ってきた全てのことが、嘘だと?

「洛陽を救ってくれるという言葉も嘘、土地を守ると言ったのも嘘。

 変わりたいという思いも嘘、みんなと仲良く過ごせばいいというのも嘘。

 洛陽を燃やすことも止められず、何度も土地を捨てて、この土地に居た劉璋さんも追い出して、結局何も知らずに、今もずっと何も変わってなんかいません」

 そこで月は呼吸を整えるように間をおいて、深く息を吸った。

「桃香様のことを曹操さんはかつて『優しい』と評されましたが、はたしてこれは本当に優しさなんでしょうか?」

 目が慣れ、徐々に見えてくる彼女の表情はやはりいつものように笑っていた。

 まるで思っていることを素直に口にしているだけ、とでも言うかのように。

「月、貴様・・・ 何が言いたい?!」

 おもわず怒鳴る私へと月は心なしか寂しげに笑い、私を見ていた。

「『(ユエ)』・・・ですか。

 あの乱が起こってしまったことによって、私も詠ちゃんも家族から貰った大切な名前をもう二度と名乗ることは出来ません。

 心を許し、情を向け、信頼を寄せ、何らかの愛を向けた相手にしか託したくない、呼ばれたくない大切なもの(真名)。けれど、私達はもう真名でしか己を称することが出来ません」

 深い紫を宿した瞳は悲しみに揺れることもなく、まるで私が目を離すことを許さないようにこちらを見つめ続けていた。

「ねぇ、愛紗さん。

 皆さんは何を守りたかったのですか?

 剣をとり、平原から功績を持って成り上がり、乱世の果てに・・・ 何を、変えたかったんですか?」

「何を守りたかった・・・ だと?

 そんなものは決まっているだろう?!

 虐げられた民を守り、強き者のみが支配するこの大陸を変えるために桃香様は立ち上がられたのだ!!

 そんなこともわかっていないで貴様は・・・!!」

 たとえ、私達がしてしまったことが間違っていても。

 あの方の成したかった願いだけは、否定などさせない!

「えぇ、わかりません。

 自分が望んだからこそ行動し、望まなかったとはいえ一国を・・・ 土地を治める王となった者が自分の責務を果たすこともなく夢を語るなんて、理解することが出来ません」

 怒りから強く睨みつけ怒鳴る私を、彼女は恐れる様子など全く見せず、それどころか一歩前へ歩み寄ってきた。

「王になった者が足元を見ることもなく、彼方ばかりを見て、何を守ることが出来るというのですか?

 その足元に居るのは、あなた方が守りたいと言った民ではないのですか?

 誰かに任せては実現できないと思ったから、皆さんは立ちあがったんじゃないんですか?!

 だから! 何も知ろうともせず、功績を得るために『董卓』()『賈詡』(詠ちゃん)も殺したんでしょう!

 逃亡を繰り返し、土地を奪い、徳を語って人を集い、戦い続けたんでしょう!」

「違う・・・」

 違う違う違う違う違う・・・・ 違う!

「違う!! そうではない!

 あの方が彼方を見ているからこそ、私達は前を向ける!

 あの方が守りたいと言ったものを、私達が守ればいい!」

 あの方が指す未来に、私達の光りがあったんだ。私達は、その光をただ追いかけて・・・

「それはかつての漢王朝と一体何が違うというのですか!

 桃香様は、どうして王となったんです?!

 王となった者が『王となりたくない』と望むなんて、誰もが思ってることなのに!

 でも、その思いを抱いていても! 王になることでしか出来ないことがあったから、立ち上がったんじゃないんですか!!」

「なんだ・・・ と?」

 王となった者が、『王となりたくない』と望む? 誰もが思ってる?

 あの孫策も? 曹操も? 王になることを望んでなど、いなかった?

「月、それは一体、どういうことだ・・・?

 王は王になるがために、立ち上がったのではないのか?」

 私の言葉を受けて、私が発言を予測していたのか、落胆したように月は悲しげに目を閉じた。

「あれほど多くの戦で向き合っていながら、知ろうとすらしないんですね。

 愛紗さんも、桃香様も、そして多分、朱里さんや雛里さんも。

 『王のことは王にしかわからない』

 そう決めつけて、自分から考えることも放棄して、ただ『王』という名称に縋っていただけなんですね・・・」

「月! 私の問いに答えろ!!

 ならば、貴様に王たる者の何がわかるというのだ!

 曹操が、孫策は一体何のために王になったと・・・」

「愛紗さんにとって、王とは桃香様を含めてたった三人だけなんですね・・・

 いいえ、きっとこの大陸の多くの方にとって、王は三人だけなのかもしれません」

 苦笑する彼女へと、私は鋭い視線だけを向け続ける。だが、彼女が気にした様子は一切なく、ただ静かに立っていた。

「愛紗さんがおっしゃられた方々は確かに王です。

 才あるものを見出し、相応の仕事を出来るようにと大陸に大きな変革を望んだ魏の曹操さん。

 一族の復興を目指し、そのために立ち上がることを選んだ呉の孫家。

 ですがお二人は乱世を潜り抜け、勝ち残った王でしかありません。

 土地を守ろうと孤軍奮闘した白蓮さんも、自らの身分からさらに上へと手を伸ばそうとした袁紹さんも、西涼で病に侵されながらも立ち向かっていた馬騰さんも、漢王朝が崩壊したあの時、大陸に居た全ての諸侯が王とも言えるのです」

 大陸に居た、全ての諸侯が王?

 たったそれだけのために、あの二人は王となったというのか?

 一族と、才ある者を正しく評価するために?

 白蓮殿も、あの袁紹も、王だと?

「ならば・・・ ならば!

 そう思うことが必然だというのなら! 私はあの方のためにどう動けばよかった?!

 幸せを、平和を望むあの方のために私は・・・!!」

 どうすることが正解だった?

 どうしたら、あの方に・・・・

「愛紗さんは、『将』として『王』を支えられないことで苦しんでいるんですか?

 それとも、『妹』として『姉』に何もすることが出来ないことが辛いんですか?

 お二人の関係は『王』と『将』というには近すぎ、『姉妹』というにはあまりにも遠すぎます。

 今、愛紗さんが苦しんでいるのはその境が明確でなかったからこそ、そのどちらの想いにも潰されそうになっているのではないんですか?」

「私、は・・・ あの方の・・・・」

 【桃園の誓い】

桃の花咲く木の下で、私達が誓ったことは・・・

『姓は違えども、姉妹の契りを結びしからは』

 剣としてあることではなかった。ならば、私は一体いつから・・・

「愛紗さん、あなたは桃香様の『将』ですか?

 それとも『妹』ですか?」

 私は・・・・ あの方の・・・・

「私の用はこれで終わりです。

 お気に障りましたら、申し訳ありません」

 月はそう言ってから、少しの間動くこともなく、その場に立っていた。

 まるで、何かを待っているかのように。

 何かを、覚悟していたかのように。

「それでは、失礼いたします」

 綺麗に一礼しながら外へと出て、扉を閉めていく彼女を見送れば、室内はまた暗闇へと包まれた。そして音も・・・

「何やってんのよ! 月!!」

 頬を叩く音と、詠の大声が扉越しにもはっきりと聞こえた。

 扉の向こうで聞こえる二人の言い合いを聞きながら、私は天井を仰いだ。

「詠は、親友を叱ることが出来るのだな・・・」

 王と軍師であった筈の二人は、ずっとそんな括りに縛られてなどいなかったのだな。

「羨ましい、な・・・」

 

 

 周囲から音がだんだんと聞こえなくなり、日が暮れたことを知りながら、私はただ月の言葉を考え続けていた。

「たっだいまーーーなのだ!!

 うわっ、相変わらず暗いのだ!

 もう夜なのに灯りもつけないで、愛紗は何をしてるのだ!?」

「鈴々・・・」

「まったく、こんな暗い部屋で一人でいたら茸生えちゃうのだ!

 人がいる部屋も、書庫でもいっぱい陽がさしてる荊州を見習うのだ!!

 仕事ばっかりじゃなくて、お陽様に当たらないと体にもよくないらしいってことも、七乃が言ってたのだ。

 だから、愛紗は明日仕事が終わったら鈴々と街に行くのだ!」

 荊州・・・ そう言えば、鈴々が荊州へ向かうという話がいつかの書簡に書かれていた。私は仕事を理由に見送りにもいかず、会うのはいつ振りになるだろうか。

「なぁ、鈴々よ。

 お前にとって桃香様とは、どんな存在だ?」

 突拍子もなく向けた問いに、鈴々は少しだけ不思議そうな顔をしながらも口を開いた。

「駄目なお姉ちゃんなのだ!

 仕事もしないし、すぐさぼろうとするし、書簡仕事は出来ないし、力も弱くて、駄目駄目なのだ!

 でも、明るくて、笑顔が優しい大事なお姉ちゃんでもあるのだ!」

「そうか、駄目駄目なのか・・・」

 鈴々らしい元気で、容赦のない答えを聞き、何も眩しくもない筈だというのに、私は目を細めてしまう。

 何故だろう。今はその答えが、お前の笑顔が酷く眩しい。

「ならば私は、お前にとってどんな存在だ?」

「駄目なお姉ちゃん弐号なのだ!

 部屋は暗いし、休日は引き籠っちゃうし、誰とも話さないし、桃香お姉ちゃんをお姉ちゃんと呼ばないし、駄目駄目なのだ!

 でも、一人だった鈴々と最初に居てくれて、たくさん叱ってくれたお姉ちゃんなのだ!」

「そうか・・・ 駄目か・・・

 あぁ、本当に駄目だな。私は」

 でもお前は、そんな駄目な私達のことを『姉』と呼んでくれるのか。

 あの日(桃園の誓い)から何も変わらずに、いや変わってなおもお前は私達のことを、変わらず姉として見てくれていたんだな。

「何がおかしいのら? 愛紗」

 指摘されて、私は自分が笑っていることに気づいた。

「いや・・・ 私はあまりにも愚かで、未熟なのだと実感しただけだ」

 月に多くを言われ、妹にここまで想われていたことを気づかないで・・・・ 何も見てなどいなかった。

「荊州はどんなところだった?

 魏の者と、呉の者と・・・・ 共に仕事をしてみて、どうだった?」

 話を逸らすように問うと、鈴々は満面の笑みを向けてくる。

「毎日、とーっても楽しいのだ!

 今は季衣と鈴々がそれぞれ報告に帰って、次は入れ違いで小蓮が呉に戻るって言ってたのだ。

 毎日たくさん話し合って、領内のいろいろなところを回って、一緒になって書簡仕事をして、前よりもずぅーっと三人のことが好きになったのだ! それに仲間も出来たのだ!」

「わかり合えるのか?

 かつて敵だった、剣を向けた相手と・・・・」

「何言ってるのだ!」

 鈴々は怒鳴り、突然飛び上がって、私の頭の上に軽い拳が落ちた。

「合える、合えないじゃなくて、わかろうとするのだ!

 それは初めて会った誰かでも、名前だけ知ってる誰かでも、ついさっきまで喧嘩してた人でもおんなじなのだ!」

 『わかり合えるか』ではなく、『わかろうとする』か・・・

 子ども、子どもと思っていた筈のお前に私は今日、どれほど教えられるのだろう。

「・・・私でもまだ、間に合うだろうか?」

 まだ、取り返せるのだろうか?

 この俯いていた時間に見ようとしなかった、全てを。

「とーぜんなのだ!!

 愛紗の傍には仲間も、友達もちゃんといるのだ!」

 鈴々に手を掴まれ、引きずられるようにしながら、私は外へと連れ出されていく。だが、もう拒みはしない。

 私は、ようやく立ち向かう覚悟が出来たのだから。



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企む者の真意 【朱里視点】

「朱里ちゃん、魏に居る桃香様から書簡が届いたよ・・・」

 扉を叩く音と共に聞こえたその言葉に私が顔を上げれば、そこには汗をかいて慌てた様子の雛里ちゃんが立っていた。

「そうなんだ・・・」

 けれど私は対照的に、『あぁ、ついに来るべき時が来たんだな』とどこか穏やかな気持ちでその事実を受け入れていた。

「ついに来ちゃったんだね・・・・」

 私は雛里ちゃんから受け取り、書簡を開いて内容を軽く確認する。

 相変わらずの桃香様の字、そこには自分が到着した翌日、蜀に居る軍師と将の全員集めて会議を行うことが書かれていた。蜀に居る・・・ ううん、おそらくは桃香様を知る者なら誰もが桃香様らしくないと感じるだろう簡潔な書簡。

 これまでの桃香様であったなら、この書簡の中はお土産話や魏で行く最中に起こったこと、今回護衛を頼んだ焔耶さんの様子や魏での食事など、日常の些細なことが雑多に書かれていただろう。

 それがこれだけ簡潔に、しかも最後に行ったのがいつかもわからないような会議を全ての将を集めて、桃香様御自身(・・・・・・)からやることを明言したということは、魏で何らかの形で心境の変化があったことは明らかだった。

 やっぱり、桃香様が魏に行くのは止めるべきだった。

「読みが甘かったかな・・・」

 天の遣い・北郷一刀。

 あの曹操さんと魏の将が愛したとされる男の噂を流し、悪く語れば、いずれ向こうから何らかの形で問題を起こしてくれると思っていた。

 でも魏は、私が想像していた以上に冷静に対処を行った。

 それどころか桃香様を諭したのは完全に想定外であり、そのために護衛も感情的な焔耶さんを付け、諍いが起きやすいようにしたにもかかわらずにだ。

「それとも、あの人たちにとって天の遣いさんはその程度の存在だったのかな?」

 実在も怪しく、あの人たちが愛したというのは偽りである可能性もある。

 仮にいたとしても、いなくなってもいい情夫のような存在だったのかもしれない。

 あの乱世でただの男が私達も思い浮かばなかったような一つの隊を築き上げ、あの策を見破ったなんてありえない。あれらの功績は情夫であることを隠すための、偽りのものだとみるのが妥当なところだろう。

「朱里ちゃん、そのことなんだけど・・・

 もし乱世に流れていた全ての功績が本当に天の遣いさんのだったら、どうする?」

 少しだけ言いにくそうに雛里ちゃんが口にしたのは、私達が想像していなかった仮定だった。

「もしそうだったら・・・・」

 私達はとても見当違いのことをしていたことになる。けど・・・

「そのことを雛里ちゃんは誰から聞いたの?」

「郭嘉さんが・・・・ 私に伝えに来たの。

 あの策を破ったのは郭嘉さんなんかじゃなかった。天の遣いさんが魏の人たちを守るためにしたことだったって・・・

 でも私達はそんなこと、可能性の一つとして考えなかった。それどころか私達は!」

 何かを思い出したのか、肩を震わせて恐怖に怯える雛里ちゃんを私は抱きしめる。

「朱里ちゃん・・・?」

「雛里ちゃんが無事でよかった・・・」

 雛里ちゃんの言う通り、私達が彼と彼女たちの関係を見誤っていたというのなら・・・ 彼女たちが噂通りの関係を結び、想いに偽りがないならば、その絆が故にこの策は成功するはずだった。

 想い合っているからこそ、何も知らない者が語ることを許すことなど出来る筈がない。

 にもかかわらず、魏の軍師の中で苛烈な策を立て、あの乱世で私達が最も恐れていたと言ってもいいあの郭嘉さんが、憎悪の対象である私や雛里ちゃんを前にしてただ言葉を伝えるだけに留めた。

 たったそれだけでこれほどの恐怖を雛里ちゃんに残していったところを見る限り、彼女の怒りがどれほどのものかが伝わってくる。

「朱里ちゃん・・・・ もう・・・」

 雛里ちゃんの言葉が終わるよりも早く、私は首を振った。

「もうそれは、出来ないよ。

 ここまで、来ちゃったから」

 もう止まらない、止めることは出来ない。

 この結末がどうなろうとも、私がすることは変わらない。

 自分がどうなるかもわかった上で、この策を成すことを私は選んだのだから。

「だから、雛里ちゃん・・・」

 『あとはお願いね』と続けようとしたとき、雛里ちゃんは私の手を強く握った。

「それは聞けないよ、朱里ちゃん」

 さっきまで怯えていた筈の雛里ちゃんはもうそこにはなくて、私をまっすぐ見つめてくる目は何かを覚悟しているようだった。

「朱里ちゃんが本当にしたかったことを、私はちゃんとわかってる。

 けどね、朱里ちゃん。私にもそれを止めなかった責任はあるから。

 それに私は・・・・ 郭嘉さんや朱里ちゃんのようにもう(桃香様)のことも、この国のことも守りたいなんて思ってない。

 私はきっと、桃香様のあの言葉を聞いた時から軍師じゃなくなったのかもしれないね」

 軍師としては間違っているとわかっているのだろう雛里ちゃんは自嘲気味に、けれどどこか晴れやかな顔をしていた。

「私がこの怖い世界の中に入れたのは、朱里ちゃんが一緒に居てくれたからだよ。

 だから今度は、私の番。

 罪も、罰も、全部朱里ちゃんと受け止める。

 朱里ちゃんが嫌がっても、私はずっと一緒だよ」

 固く握られた手が絶対に離してくれないことを示していて、私は何も言っても聞いてくれないことがよくわかってしまった。

 雛里ちゃんがいるから、この後の全てを任せられるのに。それなのに・・・ 雛里ちゃんの心は、私の想像以上に桃香様から離れてしまっていた。

「・・・・雛里ちゃんの馬鹿」

「それは朱里ちゃんもだよ」

 お互いの考えがわかるから、ずっと一緒に並んできたから、言葉以上にいろいろなことがわかって、想像することが出来てしまって、泣き笑いをしながら私達はただ互いの手を握り合っていた。

 私達の気持ちも、考えも、守りたいことも、きっと何もかもまるで違う。

 だけど私達が親友であることだけはどんなことがあっても変わらないんだって、その手の温もりが語っていた。

 

 

 

 ついに始まった蜀会議。

 桃香様が円卓の中央に座り、向かって右側に愛紗さん、先日荊州から一時的に帰還した鈴々ちゃん、星さんなどの武将が並び、私と雛里ちゃんは桃香様の左へと座る。

 何のために集まったかわかっている人たちの表情はどこか険しく、わかっていない人たちは不思議そうに辺りを見渡していた。

 蜀内に居る人たちで今ここに居ないのは恋さんと音々音さん、侍女である月さんと詠さん、元々関係者ではない麗羽さん一行。そして、南蛮の美以さん達。

「おい、蒲公英!

 恋たちは何故ここに居ない!? 桃香様の直々の招集だぞ!」

「うっさいなー、そんなに叫ばなくてもこの距離だから聞こえるってば。

 音々に『音々たちは協力関係に過ぎない。蜀の将になった覚えもなければ、重鎮が揃う会議に出席する必要もない』って突っぱねられたの。

 大体天下の飛将軍を無理に引っ張ってくるなんて、たんぽぽに出来るわけないじゃん」

「おい、蒲公英。

 そんなこと言ったらあたしたちだって別に協力関係ってだけで蜀の将になったわけじゃねーし、この会議に居る必要ねーだろ?」

「お姉様はちょっと黙ってよっかー」

 そんな一部のやり取りを見つつ、桃香様は全員の顔を見渡しているようでした。

 これまで見たこともない真剣な表情、これならばこの方は私が望む答えを選んでくださるかもしれない。

「そろそろいいかな?」

 桃香様の言葉に皆がそちらを注目し、また驚いていた。

 いつもならば桃香様から会議の開始を促すことなどなかった。むしろ、議題などを私達が促さなければ、桃香様も会話に参加して会議が始まらないことも多々あった。

「今日、みんなに集まってもらったのはね。

 大陸全土に広まってる天の遣いさんの噂についてのことなの」

 そして議題は、私が想像していた通りのものだった。

「噂って何のことだよ、桃香。

 大体、天の遣いって沙和たちの想い人で、どっか行っちまったんじゃなかったのかよ?」

「私も翠とほぼ同意見です。

 噂とは何のことですか? 姉上」

 桃香様は愛紗さんの発言に軽く驚いた様子を見せながらも、返事を頷くだけに留め、星さんの方を見て何かを促しました。

 ほとんど城内に引き籠り、兵の調練や仕事だけをして過ごしていた愛紗さんや翠さんに情報がいかないことはわかりきっていたし、紫苑さんからの余計な入れ知恵を避けるためにわざと遠ざけてきた効果はあったようですね。

「蜀内で関わりがなかった彼の噂は、ほぼ無に等しい。

 ましてや各地から来ていた商人からもたらされる彼の噂は、同一人物とは思えぬほど噂からはかけ離れているのだから無理もあるまい。

 私が調べ上げ、まとめた噂の内容はこれに書いてある」

 星さんが取り出したのは一本の書簡、それを円卓の中央で全員に見せるように開いていく。

 内容に顔をしかめる愛紗さん、不思議そうに首を傾げる鈴々ちゃんと翠さん、内容を知っていたのか目を背ける蒲公英さん、事態を静観する紫苑さんと桔梗さん、そして星さん。ただ一人、苛々としながら書簡を見ているのは焔耶さんだけ。何かを言いそうになりつつも、桃香様の前だから我慢しているのが透けて見え、魏に行く前からあまり変化は見られませんでした。

「紫苑さん、桔梗さんはこの件について、何かある?」

「知ってはおったが、所詮は噂。

 真偽の定かなど、確認しようもないのでのぅ。それに・・・ 儂らは噂の者に会ったことがないのでな」

「私もこれといってありません」

 お二人の答えも想像通り。

 桔梗さんは『我関せず』の姿勢を崩すことなく、この一年を自由に過ごしていたのはわかっていたし、私達としても策に口出しもしようとしない面は助かってすらいた。紫苑さんは止めに入ることが目に見えていたからこそ、確かな人材が必要かつ桃香様から最も遠い所に居てもらった。

 けれど、桃香様はもう誰が行動していたかはわかっている筈。それならば・・・

「桃香様、前置きはもう結構です」

 これ以上、話し合いは不要。

 原因探究など無意味であり、話し合うことなど何もない。

 必要なのは私への追及だけの筈。

「朱里・・・?」

 不思議そうな顔をする人たちを置き去りにして、何を話しているかを理解している一の表情は険しくなっていきます。その中でただ一人私のことを気にかける雛里ちゃんと、何かを覚悟した表情の桃香様はまっすぐに私を見ていました。

「朱里ちゃん・・・ あなたはこの策で一体何をしたかったというの?」

 紫苑さんの言葉を聞きながらも、私はただ桃香様だけを見ていました。

 桃香様、あなたは私を嫌ってください。

 どうか私を、許さないでください。

「桃香様を玉座から降ろすためです」

「何だと?!

 朱里! それは一体どういうこと・・・!!」

「黙らんか、阿呆。

 朱里の話はまだ始まってすらおらん。話の腰を折るでない」

「ですが! 桔梗様!!」

「儂は、黙れといったぞ?」

 私の発言に怒りを露わにする焔耶さん、そしてそれを止めるのは桔梗さん。けれどそれは当然であり、想定内。

「朱里、何故だ?

 姉上を玉座から降ろし、お前は何がしたかったというんだ?」

 冷静に問うてくる愛紗さんは想定外、けれどある意味で今後を任せていける方がいることは私にとって幸運なのかもしれません。

 愛紗さん、今のあなたならば桃香様を支えてくださることでしょう。

 けれど、その問いは少々間違っています。

「桃香様を玉座から降ろすことが目的であり、私はそのためだけに今回の策を実行に移しました」

「それはどういう・・・・」

「考えても見てください。愛紗さん。

 現状を見れば、二国がどう立ち向かっても魏に勝てる要素などありません。

 技術力も、経済力も、民からの信頼も、全ては魏が握っているに等しいんですから」

 ここにいる誰もが、私の言葉を聞いていることしか出来ない。

 出来るわけがない。わかるわけがない。

 だって私がしていた行為は、まるであの敗戦を掻き消したかったかのように見えていただろうから。

 『魏に勝利する』などという、現実味のないことを目的としていたように見えるように行動してきたのだから。

「もし仮にこの噂によって怒りを抱き、魏が攻め込んできても、私達は負けていたことでしょう。魏が私達を殺さないという保証もありませんしね」

 私はおかしくもないのに、笑う。

 私は軍師、勝率のない戦はしない。

 だから私はこの策で、戦なんて起こす気はなかった。

「けれど、その噂の発生源であり、この策の中心人物たる()を差し出せばどうでしょう?

 あるいは、魏の庇護を受けている劉協様が『曹操討伐』を許可していたら?」

 会議場は静まり返り、それでも桃香様は私から目を逸らさないでいてくださる。

 あなたを変えたのは、誰なんでしょう?

 あなたを強くしてくださったのは、魏の誰だったんですか?

 あぁ、間違っているとわかっていても、私はその方に感謝を告げたいのです。

「責任はそちらへと行き、国としても桃香様が王をやめる程度で済むでしょう。

 もし、戦にならなくとも私を罰することが出来れば、また重鎮である私を自らの手で罰することを決断できたのなら・・・・」

「王としての示しもつく、ってか」

 吐き捨てるように私の言葉を継いだ翠さんの目は厳しく、私に対して激しい怒りを向けていることがよくわかりました。

「つまり、朱里。

 お前は桃香のために、民も、劉協様も殺そうとしたってか?」

「はい、そうです」

「『はい、そうです』じゃねよ!!

 お前、自分が何をやろうとしたのかわかってんのか!?

 たったそれだけのために、乱世が終わって、ようやく出来た三国の繋がりをぶっ壊そうとしたんだぞ?!」

 今にでも私へと掴みかかってきそうな翠さんに対しても、私は特に何の感情も抱くことはありませんでした。

「だから、何ですか?」

「・・・・テメェ!!」

「フフッ、よくわかったぞ。朱里」

 蒲公英さんが翠さんを止め、他の誰もが動かない中で星さんの笑い声が響く。

 私と雛里ちゃんでは動きが読めなかった、何をしていたかもよくわからない人。

「お前は、民が嫌いなのだな」

 私を指差し、今の話と繋がりの読めない言葉を言い放つ。

 空気を読むことを得意としているというのに、空気を壊すことも、断ち切ることもしてしまう。この人は、本当に掴めない。

「民を使い潰すようなこれまでの策もそうだが、先程言った策の中でもっとも被害を受けるのは民だろう。

 戦場となれば土地は荒れ、人は死に、噂を流した者たちとなれば魏の民から良くは思われまい。

 実のところ、天の遣いの噂の真偽もどちらでもよかったのではないか?

 乱を起こすネタになるのであれば何でもよく、その中でも効率が良さそうだったのが彼の噂というだけだった・・・

 だろう? 小さき軍師たちよ」

「・・・・普段は変革を嫌い、日々の生活を送れればいいと言いながら、いざ生活に支障をきたせば不平を漏らして剣をとる。

 乱世では自ら賊に落ちぶれ、乱世が終われば何の罪もない振りをした民となり、求めるばかり」

 どうして・・・ どうして、どうして!

 努力する者たちばかりが、変革を起こした者たちばかりが、多くの重圧に耐えなければならないのだろう。

 女学院から『民を守りたい』と飛び出したはずの私は、乱世の中で民の真実を見た。

 いつしか『守りたい』という思いは消え失せ、私達を救ってくれた桃香様の望みを叶えることこそが夢となっていた。

「桃香様が王でなくなることを望むのなら、私は全てを持って桃香様のために策を練り、実行に移します。

 それも不可能であるというのなら、何を犠牲にしてでも桃香様を『王』とします」

 たとえ、その犠牲が自分自身だったとしても。

「だから、桃香様。

 あなたが私を裁いてください。

 王として私を裁き、三国へとあなたが蜀の王であることを示してください。

 それが私に出来る、あなたへの最後の奉公です」



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ここから変わる者 そして 彼の居ない世界の限界 【桃香視点】

「だから、桃香様。

 あなたが私を裁いてください。

 王として私を裁き、三国へとあなたが蜀の王であることを示してください。

 それが私に出来る、あなたへの最後の奉公です」

 朱里ちゃんから明かされたのはこの一件の目的と理由、そしてほんの少しの朱里ちゃん自身の想い。

 

『桃香様が王でなくなることを望むのなら、私は全てを持って桃香様のために策を練り、実行に移します。

 それも不可能であるというのなら、何を犠牲にしてでも桃香様を「王」とします』

 

 沙和ちゃん・・・ 沙和ちゃんが言ってた通りだね。

 私はみんなと毎日会ってたのに、ちゃんと向き合ってなんていなかった。

 顔を合わせてた筈なのにみんなの気持ちになんて気づいてなくて、それなのに沙和ちゃんみたいに考えることも、信じることも出来なかった。

 郭嘉さんが焔耶ちゃんに言っていたみたいに、自分の言葉や行動にどれだけの責任が乗ってるかどうかも私には見えてない。

 あの町で見た私がしてきたことのもう一つの面なんて、楽進さんに連れていってもらうまで考えようとすらしなかった。

 沙和ちゃんから聞いた天の遣いさんのことも、帰り道で星ちゃんに教えてもらったこの一年間の愛紗ちゃんのことも、荊州で頑張ってる鈴々ちゃんのことだって・・・ ううん、それだけじゃない。

 白蓮ちゃんのことも、翠ちゃんのことも、紫苑さんのことも、月ちゃんたちのことだって、私は何も知らなくて、わかろうともしてなくて、見てるつもりで何も見てなんかいなかった。

 口先だけの出来てるつもりで、結局私は何一つできてなくて。

 そんな自分が情けなくて、恥ずかしくてたまらなかった。

 華琳さん達を『羨ましい』って言いながら、結局自分が何一つとして変わろうとしていなかったことに、嫌というほど気づかされた。

「みんな、私ね。

 最初はただ、自分の周りをほんの少しだけ幸せにしてみたかったの」

 最初はただ私でも何かが出来るってことを示したかった。

 でも、何がしたいのか、何をすればいいかなんて、まるでわからなかった。

「普段見てるところにだって辛いことや苦しいことがあるって知って・・・ 先生からたくさんのことを学んで、大陸のあちこちに、自分でも旅してみて、最初の気持ちはだんだん大きくなっていったの」

 先生から多くを聞いて、私は白蓮ちゃんみたいに官位についてどこかを守ることより、まず自分で大陸を知るために旅することを選んだ。

 草鞋売りをしてあちこち回って、野宿もして、生活はけして楽じゃなかったけど、その旅の途中でみんなに会えた。

「みんなと会って、姉妹になって。

 仲間が増えて、軍になって。

 領地を治めて、国を得て、たくさんのことがあったよね」

 でも、いつも怖かった。

 戦うことも、自分が何も出来ないっていうことに向きあうことも。そして何より・・

「でもね、私はいつも凄く怖かった。

 あの剣(靖王伝家)がなかったら、私が投げ出してしまったら、みんなが私の元からいなくなっちゃうんじゃないかって。

 『桃香』じゃなくて、『王』としてしか見てくれないんじゃないかって」

 私から剣を奪ったら、『劉』というこの姓を奪ったら、何も残らない。

 愛紗ちゃんたちみたいに剣が振るえるわけじゃない。

 朱里ちゃんたちみたいに頭がいいわけでもない。

 白蓮ちゃんみたいにずっと努力を続けることも、翠ちゃんたちみたいに馬に乗れるわけじゃない。

 雪蓮さんみたいな凄い勘もないし、華琳さんみたいに何でもできるわけじゃない。

 そんなの私自身が一番よくわかってる。

 でもわかってるからこそ、怖くて誰にも聞けなかった。

「姉上・・・」

「でも、そんな心配いらなかったんだね」

 だから、私は嬉しかった。

 『王』としての(劉備)じゃなくて、『桃香』としての私を見てくれて、そのために朱里ちゃんが行動してくれたってことが。

 誰も私を『王』じゃなくて、『桃香』として見てくれてたことに気づけたから。

 愛紗ちゃんの迷いも、朱里ちゃんの想いも、他のみんなが私の傍に居てくれるのは私が王だからじゃないっていうことが嬉しかった。

「私、やっとわかったから。

 みんなからもう、目を逸らさないでちゃんと向き合っていくから。

 だから、お願い」

 私はその場で立ちあがってみんなへと頭を下げる。

 私は一体いつから、人に頭を下げることをしなくなったんだろう。

 『お願い』と言いながら、いつからか私は自分が上に立つことが当たり前になっていた。

 『王』として扱われることに恐怖しながら、私自身が一番自分を『位の高い誰か』として見ていたのかもしれない。

「桃香様?! 頭をお上げください!」

 焔耶ちゃんの声と、みんなの驚く様子が見なくても伝わってくる。

 でも、これでいい。こうじゃなきゃいけなかった。最初はこうしてた。

 私は何も出来ないから、頼ることしか出来なかったから、学問がどれだけ長い時間と努力によって大成するものかは馬鹿な私にだってわかってたから。

「お願いします。

 この大陸の平和を保つために、二国との関係を維持し続けるために、みんなの力を私に貸してください」

 何もわからないなら、何が出来るかわからないなら、また踏み出せばいい。

 私はもうあの時みたいに一人じゃない。みんながいてくれるんだから。

「姉上・・・・

 私はあなたが望んでいなかったことを押し付け、あなたが本当に成したかったことが出来なかったのではないか。

私がしてきたことで姉上の自由を奪ってしまったのだと思っていました。

 そして私は・・・ 大きくなる勢力の中で自分自身をいつしか『妹』ではなく、『将』という括りにいれてしまっていたのです」

 愛紗ちゃんはまっすぐに私を見て、手を伸ばしてくれた。

「『蜀の王』にではなく姉上。あなたに問います。

 あなたはこれからどうなさりたいのですか?

 あなたが何を選んでも、それこそ玉座を捨てること選んでも、私はあなたにどこまでもついていきましょう」

 愛紗ちゃんの言葉に呆然としている朱里ちゃんと雛里ちゃんを置き去りにして、その場にいるみんなが少しだけ笑ってくれる。

「あたしは西涼に帰らなきゃいけないからついていくことは出来ないけどさ、どんなことになっても桃香は大事な友達だぜ?」

「翠ちゃん・・・」

 あぁ、やっぱり私は恵まれてる。

 だって、こんなに素敵な友達がいるんだもん。

「桃香様、それでも私は罰せられなければなりません。

 私がしたことはどんな言葉を尽くしても、許されることではないんでしゅ!

 それに今回の噂を、既に魏の将たちは・・・」

「知ってるよ。

 だって、私に教えてくれたのは沙和ちゃんだから。

 でもね、朱里ちゃん。もういいんだよ」

「私は独断で、三国同盟の崩壊及び蜀という国の存続すら危うくさせたんです! まったく何もないなどという選択肢はもう出来ないんです!

 他国にも示しがつきません! それどころか、もし噂の全てが彼が行ったというのなら民すらも納得はしないんです!

 だから、桃香様! ご決断を!!」

「もういいの! 朱里ちゃん!」

 私は叫びながら、左隣に座っていた朱里ちゃんを強く抱きしめた。

 私が思ってたよりずっと朱里ちゃんの体は小さくて、軽くて、細かった。

 私はこの小さな体に、どれだけのものを背負わせてしまっていたんだろう。

 その欠片すら私にはわからなくて、わかろうともしてこなかった。

 でも、このままじゃもう駄目だから。

 私が一番最初に変えなくちゃいけなかったのは、私自身だったのをようやく気づいたから。

「私を想って行動してくれた二人を罰することなんて、私には出来ないよ。だから・・・」

 言葉を続けようとした瞬間、何の前触れもなく扉が開いた。

 

「やはり、ですか。

 流石は劉備、あなたのその甘さは筋金入りですね。

 甘ったるすぎて、見ているだけで胸焼けしてしまいそうです。

 本当に・・・ 気持ち悪くなるほどに」

「稟ちゃん、それは言いすぎですよ~。

 風達がどう思おうと、それが彼女の持ち味なのですから。

 『蓼食う虫も好き好き』と言いますし、ここにはそうした彼女を好む方々もいるようですしね」

 

「郭嘉に程昱!?

 貴様ら! どうしてここに!」

「あなたに用などありませんよ。魏延殿」

 焔耶ちゃんのことを相手にすることもなく、郭嘉さんは円卓の誰もが見える位置に立ち、それでいて誰もが一歩踏み出さなきゃ届かないところで止まった。程昱さんも郭嘉さんの隣に立って、私達をゆっくり見渡していた。

「いやいや、こんな日も高い時間からほぼ全ての将を集めて会議、お疲れ様なのです」

 いつもみたいににこにこしながら頭を下げる程昱さんとは違い、郭嘉さんの目は魏の街で会った時とまるで変わらない厳しいもので、目を逸らしたいのを必死に堪えて彼女たちを見据えた。

「郭嘉さん・・・・ 程昱さん・・・・」

「『どうやって入ったか』などのくだらない問いはしないでください。

 私は堂々と、城門から、自分の立場を利用して来ただけですので」

 私の言葉を聞くことすら拒むようにすぐさま応える郭嘉さんは取りつく島もなくて、そんな郭嘉さんを程昱さんは軽く後ろへ下げるように裾を引っ張った。

「りーんちゃん、あまりそう言う対応をしていると話が先に進まないのですよ。

 この部屋どころか、この国に長く居たくない気持ちもわかりますけどね~」

 ちらりと見るのは私の左隣に居る朱里ちゃんたち。

 もしかして程昱さん達は・・・

「その、今回の一件は・・・!」

 今回の件で来たのならもう華琳さん達が動き出したんだと思って、私は慌てて何かを言おうとするけど程昱さんがゆっくりと手で制した。

「あぁ、何も言わなくて結構なのですよ。劉備殿。

 何故なら今回の一件はただの民の間に流れた噂というだけにすぎず、そして民自らその噂を鎮静化させ、事態は終息へと向かっているのです」

「えっ・・・? まさか、そんな筈が・・・」

 驚く朱里ちゃんと雛里ちゃんに対してだけでなく、ほぼ全員に冷たい視線を向け続ける郭嘉さんは失笑した。

「『民を見る』と言いながら、あなた方は何も見えてなどいないのですね。

 特に臥龍と鳳雛、あなたが見ているのは本当に人ですか? それとも得体のしれない化け物ですか?

 地に堕ちてなお人を見ることも出来ず、本当に滑稽ですね」

「我らが軍師へのこれ以上の侮辱は聞き逃さんぞ、郭奉孝」

「侮辱? ただの事実でしょう。軍神。

 あなた方がおそらくは最初に流したであろう、『天の遣いは魏の王と将、全てと恋仲である』というものと同様にね」

 穏やかではない気を放ちながら言う愛紗ちゃんに対して、郭嘉さんは何も変わらない。

 冷たい視線も、私達に向ける殺意も、私達に見せている怒りなんてきっと火花程度でしかないことを示しているようだった。

「今回の一件にて臥龍に与した者たちは噂ばかりに目をとられ、商人としての仕事を疎かにして機を逃し、運送業という新しい波に乗り遅れました」

「ましゃか・・・ 私と会ったあの日・・・!」

「えぇ、その通り。あなた如きのために私がこの地を訪れる筈がないでしょう?

 あの日私は、この地に居るある商人との話し合いを終えた後でした。

 波に乗り遅れ、ありもしない噂を流して信頼を失った商人がどうなったかなど、私の知ったことではありませんが」

「まぁ、こればかりは致し方ありませんよねぇ。

 商人としての選択まで、風達が関与するところではありませんし。

 正直自業自得でもあるのですよ、物を扱う以前に彼らは言葉を扱う方々。契約を結ぶ口の信頼を失えばどうなるかなんて、わかりきっていたことですよねー」

 私が居ないうちに起こったこと、私が知らないところで起きてしまったことがどんどん話されていく。

「まぁ、風から言えることはあれですかねぇ。

 お兄さんに対してどんな噂を流しても、お兄さんを知っている方が一人でもいればそれは否定されるのですよー。

 何よりお兄さんの姓である『北郷』の名は、どこにでもありますしね。

 物に、一座に、街を守る隊の名に・・・ あぁ、越族の方々は記念碑を作りたいという申し出もありましたねぇ」

 なのに、彼の名を口にしている間だけ、程昱さんはとても幸せそうに笑ってる。

 もういない彼が残したもののことを、とても大切そうに抱きしめているみたいに私には見えた。

「ならば風、稟。

 お前たちはわざわざ蜀の重鎮が揃う会議の間に、そのことを伝えに来たのか?」

 肩をすくめながら語りかけた星ちゃんに対してだけ、二人はわずかに目を緩めた気がした。

「あはははー、流石に風達もそこまで暇ではないのですよ。星ちゃん。

 華琳様からあなた方・・・・ というよりも、この場合は臥龍さんに伝言を預かっているのですよ。

 身分も身分ですし、本来なら同じ立場にある桂花ちゃんとかが来るのがいいんでしょうけどねー。何分魏の筆頭軍師は多忙の身で、魏を留守にするわけにはいかないので我々二人が来たのですよ。

 それに稟ちゃんの仕事ならば、いろいろとしながら来れますしねー」

「そうでなければ、今すぐにでも抹殺してしまいたい者たちが都合よく揃うこんな場に来る筈がないでしょう。

 もっとも、先程行われた会話だけでも十分戦を起こせるのですが・・・・」

「りーんちゃん? 言いすぎですよー。

 風も同じ気持ちですが、あの程度のことで次の子たちに迷惑をかけるわけにはいかないのです。

 それに・・・ たとえ止めることが出来なくても、なんとかしたいと思った方々は居たんですし」

 程昱さんがちらりと視線を向けた先に居たのは紫苑さんと星ちゃん、そして蒲公英ちゃんだった。

「まぁ、何も知らない方々も結構いたようですが、それはどうでもよいのですよ。

 華琳様からの伝言は

『民の噂などに目を向けず、治政へと目を向けなさい。

 この一年、蜀からの民の流出が目立っているわよ』

 とのことですー」

 その言葉に朱里ちゃんや雛里ちゃんだけじゃなく、翠ちゃんたち武将のみんなも驚いて何も言えなくなる。

「なっ・・・・ 曹操さんは! 彼を愛していたんじゃないんですか?!」

「えぇ、愛しておられますよー。

 華琳様だけでなく、我々魏国の将は今でもお兄さんのことが大好きなのです」

 朱里ちゃんの言葉をどうということもなく受け止めて、程昱さんは笑う。

「だからこそ、取るに足らない噂程度では、あの方の心は動かないのですよ」

 その言葉だけ少しだけ悲しそうで、どこか寂しそうで。

「正直、風も今回の件はどうだってよいのです。

 お兄さんを知らない人がどう語ろうとも、お兄さんは帰ってこないのですから。

 まぁ、だからこそ怒ってる方も居るには居るんですけどねー。稟ちゃんが最も激しいというだけのことですし」

「恥を知るならば、今すぐ自決することをお勧めしましょう。

 生きていられることが不愉快ですので」

 程昱さんは左手で郭嘉さんを指し示すのとほぼ同時に、彼女は短く容赦のない言葉を口にする。

 かと思ったら、彼女はその場で身を翻し、扉の方へと歩き出した。

「稟ちゃーん、もう少しで終わるので待ってくださいよー」

「言ったでしょう、風。

 出来ることなら私は、この国を塵にしてしまいたい。

 私がそれをせずに今を生きているのは、あの方と彼が望んでくださったからというだけです」

 彼女が言葉を口にするたびに、彼女の怒りの一端が見えるようで怖くてたまらなかった。

「郭嘉さん! 私は!!」

「最後まで黙っていただけませんか、劉備殿」

 私が叫ぼうとした瞬間、何も起こっていない筈なのに冷たい風が吹いた気がした。

 数拍遅れて、それが殺気だということに気づいたけれど、私は既に驚いて椅子に座ってしまっていた。

「あなたの言葉は、私にとって一切価値がありません。

 あなたがこれから何を成そうとも、どう行動しようとも、私があなたに対して思うことは変わりません。

 この国がどうなろうと私にとっては些事でしかなく、いっそ滅んでしまえばいいとすら思っています。

 『人々の笑顔のため』と謳うのなら、どうか私の笑顔のために死んでください。劉備殿」

 最後に笑顔でこちらをほんの少しだけ振り向き、彼女はまた歩み出した。

「貴様! 言わせておけばーーーーー!!!」

「駄目!! 焔耶ちゃん!

 愛紗ちゃん、お願い! 焔耶ちゃんを止めて!!」

 武器を持って駆けだした焔耶ちゃんは私が言っても止まってくれず、愛紗ちゃんたちが止めようと動きだしてくれた。

 とっても早い筈なのに、なんだか全てがゆっくりに見えた。

 駄目! 間に合わない!!

 そう思って目を閉じかけた時に聞こえたのは、程昱さんののんびりとした声だった。

「はぁ・・・ 霞ちゃーん」

「へいへい、任せときー。

 よっと!」

 その後に聞こえたのは固い物同士がぶつかった音と、人が倒れる音。

 目を開ければそこには居たのは張遼さんと、倒れた焔耶ちゃんだった。

「この方は将から外すことをお勧めするのですよ。

 あるいはどこか旅をさせるなど、外の世界を知るべきですねぇ」

「ハッ、無駄や無駄。猪に人の話は通じんわ。

 あーぁ、あほらし。風が連れて来よるから何かとおもたら、猪相手の保険かいな」

「もっとも稟ちゃんは、これすら狙っていたんでしょうけどねー。

 風達のどちらかが殺されれば、この国を滅ぼす大義名分を得られますから」

 郭嘉さんはこちらを気にすることもなく立ち去っていて、程昱さんと張遼さんは本当に呆れたように倒れた焔耶ちゃんを見ている。

 そして、程昱さんだけがこちらへと改めて向き直った。

「劉備殿、あなたが描く理想も夢も、聞いているだけならば大変素晴らしいのです。

 ですが、稟ちゃんのように・・・・ あなた方がしたことによって、どうしてもわかり合えない方がいることも心に留めておいてほしいのですよ。

 それでは、失礼するのです」

「風」

 立ち去ろうとした程昱さんを止めたのは星ちゃんで、そして多分星ちゃん以外の誰も彼女たちを止めることなんて出来ないことがわかってしまった。

「私達はもう・・・ わかり合えぬのか」

「わかり合えないわけではないのですよ、星ちゃん。

 ただお兄さんがいないこの大陸では、これが限界なのです。

 ではでは、星ちゃん。また~」

 そう言って張遼さんと程昱さんは去っていった。

 

 私はこの日、どんなに願っても、行動しようとしても出来ないことがあるということを思い知らされた。

 きっと彼女たちは、天の遣いさんが帰ってこない限り笑うことはなくて、幸せになることもない。

 勿論私達を許すことも、友達になることもない。

 でもそれは、私が何もしないという理由にはならない。

 だから、この国のために、みんなのために出来ることをやっていくことを硬く心に誓った。



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背負い 決断する者 【華琳視点】

「あの子も随分、変わったわね」

 桂花に半ば強制的に休憩に出されたあの日、私の足は無意識に一刀の部屋へと向かっていた。

「どうしてかしらね・・・

 小休止の際、何故かここに来てしまうのはあなたが私に残した呪いなのかしら?」

 扉の前でおもわず溜息が零れ、私はかつてのように扉を叩きかけ、それが意味のないことだと気づき、手を降ろす。

 扉を叩いても返事などなく、開いた先に書簡に向かい合う彼は居ない。

 驚いたような声も、どこか頼りない笑顔も、誤字だらけの書簡も、そんな彼の元で笑む愛しい将たちの姿もありはしない。

 それでも私は一年経った今ですら、月に数度必ずここを訪れてしまう。

「愛する者を失った女は強く、そしてとても弱いものね・・・」

 この部屋に入る時、私は一刀がいた時の『華琳』になりかける。

 だが私はもう、あの頃の『華琳』ではない。

 王となった際に捨てる筈だった『華琳()』は、彼が居たからこそ生きていた。

 だから一刀と別れたあの日、私は一度死んだ。

『少女』としての『華琳』は死を迎え、ここに残るのは『覇王』としての『曹操』。

 けれど、それでいい。

 後の世に残るは『覇王』としての『曹操』であり、乱世を、三国を創り上げた英雄として歴史に刻まれる。

 華琳を知るのは、愛しい部下と彼だけでいい。

「入るわよ、一刀」

 あの日と変わらない言葉と共に、私は扉を開けた。

「おや、華琳様でしたか。

 こんな時間にこの部屋に来るということは、さては桂花ちゃんにでも部屋を追い出されてしまいましたか?」

 扉を開ければ、箒とはたきを持った風が掃除を行っていた。

「えぇ、そんなところよ」

 これは一刀がいなくなってすぐの頃に、この子たちが自主的に行いだしたこと。

 侍女たちにすらその人柄から好かれていた一刀の部屋を掃除することに対して、文句をいう者などいなかった。

 けれど、この子たちがやりたいということを押し切ってまでやろうとするような強者は侍女の中には居なかった。多忙の身にもかかわらず、それぞれが非番の日をやりくりし、この部屋の主がいつ帰ってきてもいいようにと維持され続けている。

「フフフ、桂花ちゃんは否定するでしょうが、お兄さんにベタ惚れな上に長く傍に居たということもあって、影響を受けていますからねー。

 いやはや、なんだか妬けてしまうのですよ」

「そうね、私はどちらに妬けばいいのかわからなくなりそうだわ」

 話しながらも手を止めることもなく作業する風は、寝台へと腰かけて肩をすくめる私を見ると楽しげに目を細めた。

「フフフ、そうですねぇ。

 それはそうと、華琳様は最近大陸を行き交っている噂についてご存知ですかー?」

 いつもと何も変わらない口調で、これはただの世間話だと言うように楽しげに話題を振ってくる。

 言葉の中に隠された気遣いに、私の口元は自然と笑みを浮かべていた。

 仕事()としてでなく、ただここに居る私としての意見を聞いてくれる。

 この子は本当に・・・ 仕えたあの日の言葉通り、私を支えてくれようとする。

 風だけでなく、私を懸命に支えてくれる将が、兵の全てが、この国に生きる民が愛おくてたまらない。

 一刀、彼女たちの全ては私のものだけど、あなたが残してくれたものよ?

 私が『曹操』のままであったなら得られなかった、『華琳』がいたから得られた。あなたが居たから、ここにあるもの。

 あなたは名実ともに、魏の柱石だった。

 大陸の誰が否定しても、この私(魏王)が認めてあげる。

「えぇ、稟からいろいろと報告書があがっているわ」

 地図を完成させるため、運送業を円滑に進めるため、そして今回流れている噂に関しての稟の考察・推察がまとめられた報告書。

 けれど、噂にされている張本人がいたならなんというか、どう対応するかが瞬時に脳裏に浮かんでしまった私には、この噂も、彼女たちの真意も些事でしかなかった。

「所詮は民の噂、その出所がどこであろうと私達がすることは変わらないわ」

 この国を、大陸を守ること。

 文化を、歴史を、この名を。彼がいる千年、二千年先へと残すこと。

 それがここに居る私達の役目。

 そして、その全てはいつかまた遠い遠い場所で、一刀と再び出会うため。

 そんな私の想いを察したのか、風はしばらく私を見つめて満足げに頷いた。

「ですね。

 では、風は稟ちゃんの止め役になることにしますかねー」

「えぇ、任せたわよ。風」

 風の返事を聞きながら、私は気まぐれに彼が使っていた本棚へと手を伸ばす。

 そこに並んでいるのは書きかけのいくつかの書簡、おそらくは勉学に使っていたのだろう書。いつでも彼が帰ってきてもいいようにと、そのままで維持することを目標としている現状ではあまり触れる機会のない場所だった。

「あぁ、お兄さんの本棚ですかぁ。

 お兄さんがいた頃、寝台の近辺や本棚を細工して艶本があったので、あまり触れないようにしていたのですよー。

 季衣ちゃんたちの目に触れるのもあれですし、暴くにしてもお兄さん本人がいないのなら、面白みに欠けますしねー」

 艶本、ね。

 それとこれとは違うと理解していても、いざ自分がされると面白くはないものだわ。

「なら、これを機にいろいろと見ておくのも面白いかもしれないわね」

 どんなものを持っていたかによっては、いろいろと言いたいことがあるもの。

「あははははー、華琳様は知識欲が旺盛なのですねー。

 そして風は、そんな華琳様を補佐するためにあるのですよー。

 一番下の段、左隅の壺をどかしてみてくださいー」

 風の言葉通り左隅の壺をどかすと、何故か一番下の段のみ丁寧に布がかけられていた。装飾として違和感はないが、何かを覆っているようにも見える。

「その布を剥ぐと、あら不思議。

 ちょっと押すと横に動く、不思議な扉が出てくるのです」

 木の板は落ち、隙間に指をさしこみ横に動かすと下には空間が出来ていた。

 よく考えられているわね、外見上からは飾りにしか見えない箇所をこんな風に有効活用させる。発案者の発想も悪くないし、作成者の腕を信頼してなければこんな発想は出来ない。

 けれどそれを、艶本を隠すために利用するなんて本当に・・・ 呆れて言葉も出てこないわね。

「そこだけ何故か一冊分くらいの書簡が入るような仕組みになっているのですよー。

 そしてお兄さんは、そこに自分のとびっきりの物を入れておく習慣があったのです」

 風の言葉通り、そこから出てきたのは一冊の書簡。

 だがそこに書かれていたのは、『三国同盟(仮)後 催し案』。それも、隠していただろう当人の字で。

 私がそれを迷いもなく開けば、そこに広がっていたのは彼の夢。

 彼が残した、あの日の想い。

「馬鹿ね・・・・」

 発案をしたのなら、責任を持って仕事をまっとうするのがあなたの務めでしょう?

 案だけを残し、他を全て丸投げなんて・・・ あなたは一体何様なのかしらね? 一刀。

 

『みんなと、華琳とずっと一緒にいたいなぁ』

 

 あなたは覚悟していたじゃない。私を残して、逝くことを。

 それでもあなたは、ここに居たかったのね・・・

 三国の将の名をほぼすべてを覚えて、私達にとって注意点でしかないところを良さとしてまで見ていたことに驚かせられながら、私はそっと書簡を閉じる。

 一刀、あなたは私以上に強欲で、女好きだということがよくわかったわ。

 三国の平和(全て)が、あなたはそんなに欲しかったの?

「馬鹿よ、あなたは本当に・・・ 三国一の大馬鹿よ」

 膝に落ちた雫の感触に、私は自分が泣いていることに気づかされた。

 涙なんて、あの日に使い果たしたと思っていたのに。

「華琳様ー? どうかされましたかー?

 さてはお兄さんが巨乳な艶本でも・・・」

 私の様子を見て不思議に思ったのか、傍へと寄ってきた風へと書簡を渡し、涙を拭いながら、熱を帯びた目頭へと手を当てる。

 まだ零れだそうとする涙を堪えようとしても止まることはなく、涙を追うように次々と彼との思い出が脳裏に蘇ってくる。

 哀しみも、喜びも、苛立ちも、全て、思い出していく。

 彼への想いが溢れて、とまらなかった。

「私の感情を乱れさせるのは、いつもあなたなのね・・・・」

 完全に不意打ちだった。

 まさか一年越しにこんなものを私に見せるなんて、想像出来る筈もなかった。

 あの体調で、あの状況下で、彼が何かを残す余裕などあるとは思ってなどいなかった。

 まったく、いつもの仕返しのつもりかしらね?

「お兄さん・・・ まさか、こんなところに仕込んでおくとは不意打ちが過ぎますよー。

 心臓に悪いのです。断固抗議ものですよ。ぷんぷんです」

 書簡から目を逸らすことなく、頬を膨らませて怒ったかと思ってみていれば、風は書簡を大切そうに抱きしめた。

「ですが、流石にこの不意打ちは・・・・ 効きますねー」

 風が、泣いていた。

 無理もないわ、これは不意打ちすぎるもの。

「まったく、もし誰も探さなかったらどうするつもりだったんでしょうね~」

「私達なら見つけると思っていたんでしょうね」

 あるいは見つからずとも、私達ならこの書簡に書かれていることを行うと信じていたのかもしれない。

「さぁ、風。

 これから忙しくなるわよ」

「はいですよー。

 まったくお兄さんは、居なくなっても手のかかる困った人ですねー」

 風の言葉に同意の代わりに笑い、私達は桂花が仕事を行っているだろう執務室へと駆け出していた。

 

 

 

 そんなことがあったのはもう半年近く前のこと、あの後私達は一刀が残した案を具体的に詰め、真桜に説明書の解読及び作成を一任。その一方で私達は土地の確保から、細々とした決め事の詳細を詰めるなど、やることは山のようにあった。

 それをやっている間にも他の仕事はあり、蜀へのいくつかの問題に関する返答、呉への医術提供。西涼の老将・韓遂への依頼、幽州の領主へと復帰した公孫賛とのやり取り。涼州への工作隊派遣と、荊州への季衣と流琉の派遣。

 そして・・・

「華琳様、蜀へと向かった風達から文が届きました。

 おそらくは今回の報告書だと思われます」

 いくつかの書簡を抱えた桂花が手渡してきたのは一つの手紙、それは風と稟の字で書かれていた。内容は伝言を口頭で伝えたこと、孔明たちの今回の目的及びそれを知った上で桃香が下そうとしていたことなど、事細かに書かれている。

「本日、劉協様から蜀へ下す罰を軽くしてほしいという嘆願書まで届いています。

 また、劉協様から孔明から文が来ていたことも判明し、その内容も確認させていただきました。劉協様をそそのかし、我々を狙った行動も明らかになっています」

 続けざまに渡された劉協様からの文へと目を通しつつ、言葉の節々に一刀の影が見え、おもわず笑ってしまう。

「たった一日任せただけで劉協様にまで手を出していたのね・・・

 一刀には本当に困ったものだわ」

「そこですか?! 華琳様!」

「えぇ、今回は何もなかったもの。

 国どころか、誰か一人を罰することもない。

 民の中で生まれ、民の中で一つの噂が消えたというだけのこと。

 付け加えるとするのなら、噂を気にかけすぎた国の一つが治政を疎かにしてしまった。というところかしらね」

 驚く彼女に私は肩をすくめてみせると桂花どこか不満を残した顔をし、言葉にしようか迷っているのがよくわかる。

 この子も稟ほどは激しくはないにせよ、怒っていることには変わりはないのだから。

「これで、よろしかったのですか?」

「本人があの噂を聞いてなんて答えるか、あなたにもわかるでしょう(想像できるでしょう)? 桂花」

 笑い飛ばし、どうして彼女たちがそうしたかを考え、ない頭で考えてもわからないと判断したら、すぐさま行動に移す。

 きっと、本人がいたなら無意識に彼女たちを誑し込んでいたことでしょうね。

「そう、ですね・・・ あの馬鹿ですもんね・・・

 それに自国の治政も出来ず、この程度の噂を流すことしかできない蜀なんて罰する価値もないですよね!」

「そういうことよ」

 罰する価値もなく、罰したところで何も満たされはしない。

 蜀という国を滅ぼしても、孔明たちを言及し罰しても、意味などない。

「所詮は恋を知らない女未満の者たちに、この気持ちなんてわかる筈もありませんしね」

 桂花から出たとは思えない言葉に目を丸くすれば、顔を赤らめながらも堂々としている姿を見て私は噴き出してしまった。

 まさか、この子にここまで言わせるなんてね。

 やるじゃない、一刀。

「本当にそうね」

 出会い、歩み寄り、恋をして、愛を知り、共に見たいと願った未来(さき)があった。

 それこそが私達にはあって、彼女たちになかったものだろう。

「一刀がこの大陸へとやってきたのは、天の知識を与えることでも、歴史という別の私達を伝えることでもなく、私達に争いのない平和な未来を描く力を与えるためだったのかもしれないわね」

「あんな馬鹿にそれほどの力はあるとは思えません。

 華琳様の手腕あっての大陸であり、覇王たるあなた様の功績です。

 ・・・・まぁ、あいつがしたこともほんの少しは認めてやらなくもありませんが」

「ふふ、一刀に対してはいつまでも素直じゃないわね」

「か、華琳様?!」

 あぁ、私達を泣かせるのも、笑わせるのも、結局いつもあなたなのね。

 あなたは果報者よ、一刀。

 だってあなたは大陸一の女たちに愛され、今もなお想われ続けているのだから。

 

 

 月が昇り、街に夜の帳が降りた頃、私は一刀と別れて以降一度も来ることのなかった川辺に訪れていた。

 懐かしい水音、風が揺らす木の葉、星と月の光の下で私は何をするわけでもなく、ただ立ち尽くす。

 目を閉じれば、ここで彼と過ごした日々が昨日の事のように思い出され、泡のように儚く消えていく。

 時は必ず過ぎ去るものだが、ただなくなってしまうものではない。

 形をなくしてなおも(ここ)に刻まれ、今も共にあり続けるもの。

 だから今は、寂しくはない。

「それで、あなたはいつまで隠れているつもりかしら?」

 川を見つめたまま問えば、背後に気配を感じられた。

 殺意もなく、敵意もないその存在に私が声をかけたのはただの戯れ。

 ここに居た、ただそれだけの理由で行った気まぐれのものだった。

「あなたは私に何か用でもあるのかしら?

 こんな時間に、こんな場所に来ることはそうないと思うのだけれど」

 やや街から外れたこの場所は、昼間ならばともかく夜に人が訪れるような場所ではないだろう。

 三国が平和になった今、賊こそいないが野の獣は変わらずにあるのだから。

「大陸の覇王・曹孟徳。あなたに問いましょう。

 もしもう一度彼を・・・ 天の遣い・北郷一刀をこの大陸に招く方法があると言ったら、あなたはどうしますか?

 そして、その引き換えに今の世の平和も失い、この穏やかな世でその生涯を閉じる彼女たちをもう一度乱世へと送り込まなければならない。

 この世の全てと引き換えに、あなたは彼との再会を望みますか?」

 『一刀を招く方法』 『この穏やかな世でその生涯を閉じる彼女たち』

 『もう一度乱世』 『この世の全てと引き換え』

 言葉の節々に見られるおかしな点が繋がり、多くの疑問を生み出していく。

 だがもし私がその疑問を口にしたとしても、おそらく答えは返ってこないだろう。

 ならば、私が考えるべきことは疑問ではない。

 私の選択一つであの子たちの生涯を狂わせ、この世界を壊す。

 それどころか、今回以上の犠牲を払うことにすらなりかねない。

 それでも・・・・

「もう一度一刀に会えるというのなら、私は地獄の業火に焼かれようと後悔はないわ。

 あの子たちも、この大陸も、この世界すらも、彼が私の傍に居るのなら、全てを今以上のものに出来ると断言してあげましょう」

 私はその罪を背負ってなおも、彼と共に生きることを選ぼう。

 そして今度こそ、本当に誰もが幸せとなる大陸を築くことを約束するだろう。

 誰に何と言われようと、かまわない。

 許されなくてもいい。

 いつかこの身が、地獄の業火に焼かれることになっても、彼とならば地獄にすら平和をもたらしてみせよう。

「本当に羨ましいほど、彼を愛していたのですね。あなたは」

「愛していた(・・)ではなく、今も愛している(・・)のよ」

 想いは過去ではなく、今も変わらずここにある。

 魏の誰もが、兵の一兵、民の一人に至る全ての者が彼への想いを過去にすることはない。

「知っていますよ。

 彼があなた方をどれほど愛していたかも、彼が成し遂げたかったことも全て。

 ずっと見ているだけの私ですら変わりたくなるほど、眩しくて、温かそうだった」

 その言葉にどれほどの思いがあるかなど、私にはわからない。

 ただ一つわかるのは、彼女もまた彼のせい(おかげ)で変わってしまった(変えられてしまった)という事実だけ。

「彼との再会がいつになるかまでは、明言することは出来ません。

 ですが、必ず彼をこの大陸へと連れてくることを約束しましょう。

 その代わり、あなた方と彼が再会を果たすその時まで彼の時間は私が頂きます」

 これまで例にない斬新な宣戦布告をされ、おもわず笑う。

 なんて欲のない宣戦布告で、独占宣言。

 せめて『奪ってみせます』くらいは、言ってほしかったのだけれど。

「どれほど一緒に居ても、彼の心は私達から動くことはないでしょう。

 どんな行動に移しても、彼は私たちを想い続ける。

 それを耐えられるというのなら、好きになさい」

「えぇ、嫌というほどわかっています」

 私の言葉に頷いて、『嫌』という割にはその言葉に一切の嫌味もなかった。

「それでも私が恋したのは、あなた方を想い、愛し続けた彼だから。

 精々、あなた方が出来なったことを多くしてからお返ししますよ」

 音もなく気配は消え去り、そこに先程まで確かにいた筈の彼女は既にいない。

 一歩下がった辛い恋を自覚し、自覚してもなお想いを捨てきれない。

 報われるようで報われず、報われずに終わるようなそんな恋。

「だけど・・・ そんなあなたを、一刀が放っておくなんてある筈もないのだけどね」

 彼はとても欲が深く、それでいてとても・・・・ お節介なのだから。

 

 

 見上げた空には彼と別れた日と同じ、白き満月が昇り、私を照らす。

 私は届く筈もない月へと手を伸ばし、掴むように強く拳を握りしめた。

「もう二度と、あなたを天になんて渡しはしないわよ。一刀。

 だからそれまではあなたを、彼女に貸しておくわ」

 もう誰にも、彼を奪わせない。

 彼と出会うその日まで、私は私であることに全力を尽くしていくだろう。

「彼女ごとでも構わないから天から多くを持って、帰ってきなさい。

 あなたと再び出会う日を、私はいつまでもここで待っているわよ」

 私の、誰よりも愛しい一刀。



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再会へと続く道

「おーい、かずぴー」

 本へと目を落としていた俺の背中に奔る衝撃、その方向へと目を向ければ及川が立っていた。

「悪い、今忙しい」

「そら悪かった・・・ って、本読んどるだけやん!」

 鋭い突っ込みを入れられても、俺はそのまま本へと目を落とす。

 華琳たちと別れ、全てが夢だったことを受け入れられずに過ごした一年間。そして、それ以降の時間の全てを、知識と技術を詰め込むことにのみ使おうとしていた。

 ありもしない空想を語り、廃人になったかと思ったら、ある日突然一念発起した俺がおかしく見られるのは当然であり、そんな俺の元からかつての友人達が去っていく中で、及川だけは今も友人としてあり続けてくれた。

「そんな固いこと言わんで、俺に付きおうてくれよー。

 今回の合コンは、かずぴーがいるから誘えた女の子も居るんやから頼むて」

「いつも言ってるけど、人を出汁に使うなよ・・・

 俺は行かないからな、合コンなんて」

 俺の恋も、人生も、魏にある。

 昔も、今も、そしてこれからもずっと。

 そんな俺から及川は突然本を奪い、無理やり視点を上げさせられた。

「なぁ、かずぴー。

 最後に笑ったんはいつや?」

「・・・笑ってるだろ、必要なときは」

「ちゃんと、腹の底からやで?」

 ある筈がない。

 華琳たちが、あの日々が、大陸が、あの時代の全てが夢だと実感させられた日から、俺にはこの世界で起こる全てが遠くなった。

 まるで色をなくしたみたいに全てが真っ白で、自分が呼吸をしてることすら嘘みたいだった。

「かずぴーが、腹の底から想ってる人がもう二度と会えへんのはわかっとるよ。

 けど、どうせ待つんなら、満たされて待っとってもえぇんやないか?」

 満たされて、待つ?

「かずぴーが惚れた女は、かずぴーがこないな面してるんを見ても何も言わへん女共なんか? ちゃうやろ?

 ごっつえぇ女たちって、俺に自慢したくらいやもんな」

 俺にはもったいない、世界中に自慢したくなるような存在だった。

 誰かを守るために傷だらけになって、人を思うが故に厳しくて、隠れた優しさが愛おしくて、底抜けの明るさに励まされて、女の子らしい可愛らしさを持っていて、熱中できる何かを持っていて、いつも周りを気遣って、いつも一生懸命で、誰かを支えるために縁の下すら厭うこともなく、これからと明日を繋いでくれる希望を持ち合わせて、誰かを笑顔にすることが大好きで、そして、寂しがり屋なのに強がりな女の子たちだった。

「何が何でも会いたい気持ちは、俺にはわからん。

 かずぴーがいつかここからいなくなって、その子らに会いに行っても身勝手には変わらへん。

 いつかいなくなるん言うことは、全部捨てることや。

 やから、かずぴーは人と関わらんようにしてるんやろうけどな。

 どんなに少なくしたって、そんなこと意味あらへん。

 親も、ダチも、周りに迷惑かけへん別れ方なんてひとっつもないんや。

 事故で死のうが、自殺しようが、突然そこから消えようが生きてる限り、別れなんちゅうもんは痛みが伴うもんなんや」

 及川は俺をまっすぐ見据えて、俺もまたそんな及川からけして目を逸らさない。

「でもな、かずぴーはそれも覚悟の上なんやろ?

 何してでも、誰に罵られてもそこへ帰りたいんやろ?」

「あぁ」

「なら、今も楽しんだらいいんよ。

 なーに、ダチのよしみや。かずぴーがなに中途半端にやらかしても、いなくなった後のケツくらいはもったるわ。

 今すらも楽しんだれよ、かずぴー。

 俺がここに居るんは、嘘でも夢でもあらへんやから」

 あの日からずっと、俺と本気に向き合ってくれた友人がそこには居て、俺はあの日から何度か思っていながら言葉にしなかったことを口にした。

「サンキュ、及川。

 俺、お前と親友でよかったわ」

「おっそいわ、ダアホ。

 てなわけで、合コン行くでー!」

「わかったから、引っ張んな!

 あと、本返しやがれ!」

「取り返してみー」

 そうして俺は、いつ振りか年相応に及川とふざけながら走り出す。

 

 

 この後、どこか懐かしい香りを纏った彼女に出会うことになるなんて、少しも考えていなかった。



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