『デーモンを殺す者』の帰還 ~SAO・偽伝~ (ネイキッド無駄八)
しおりを挟む

断章 ~召還~

 

 ―――声が、聞こえる。

 

 前も後ろも、上も下も、光も闇も、何も見えない虚無の世界。

 

 たゆたい続ける身体に感覚は無いが、声はたしかに、聞こえてくる。

 

 この魂に、流れ込んでくる。

 

 

 ――Soul of the mind key to life's Aether.――

 

 

 

 それは懐かしき響き。胸を刺すような懐古の念。

 

 

 ――Soul of the lost, withdrawn from its vessel.――

 

 

 

 何度もこの声を聞き、何度も戦いに赴いた。

 

 

 

 ――Let strength be granted, so the world might be mended. ――

 

 

 何度でも聞きたいと思った。何時までも聞き続けたいと願った。

 

 そう願い、捧げ、求め、貪り、殺し続けた。

 

 そして、空っぽになった。

 

 もう何も、残っていないはずだった。

 

 空っぽなはずのこの魂に、暖かく流れ込むこれは、いったいなんなのだろう。

 

 

 

 ――so the world might be mended. ――

 

 

 ああ、そうか。

 

 オレは、また。

 

 オレは、まだ。

 

 

 

 ――目覚めてください、デーモンを殺す方――

 

 

 

 

 「終わらせては、くれないんだな…………」

 

 

 ―――――――

 

 

 かつて、ボーレタリアと呼ばれる大国があった。

 偉大なる王、オーラントは未開の地において『楔の神殿』を発見し、そこで『ソウル』の業を見出した。

 強大なソウルの業は、ボーレタリアに繁栄をもたらしたが、その栄華も長くは続かなかった。

 老境にいたり、さらなる力への執着に囚われた老王は、楔の神殿の最奥において封じられていた『古き獣』を呼び起こしてしまう。

 それが、破滅の始まりだった。

 色の無い濃霧が国を覆い、そこから現れたデーモンが人々からソウルを奪い去り、瞬く間に大ボーレタリアはソウルを奪われた亡者たちが彷徨う亡国と成り果ててしまった。

 洩れ出した濃霧はやがて世界を覆い尽くし、緩やかな滅びに抱かれて世界は終りを迎えようとしていた。

 霧の裂け目にボーレタリアへと乗り込んでいった数多の英雄が帰らず、人々はやがて訪れるであろう終焉に絶望していた。

 

 

 ところで、偉大なる王オーラントの下には名だたる英傑たちが忠誠を誓っていた。

 

 例えば、ボーレタリアの三英雄。

 つらぬきの騎士、メタス。

 塔の騎士、アルフレッド。

 蛮族の長、ウーラン。  

 

 

 例えば、王の双剣。

 剛力無双を誇った、双剣のビヨール。

 

 そして、ただひとり霧に包まれたボーレタリアから逃れ出でて、外の世界に全てを知らせた者。

 

 

 

 その者の名は、双剣のヴァラルファクスといった―――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ソードアート・オンライン ~世界の寄る辺となりますように~
四十四のウォークライ


一応、プロローグというか、プレストーリー?的な話になります。
では、はじまりはじまり。


 「攻撃、開始!!」

 

 号砲一喝。

 青髪の指揮官、ディアベルの叫びと共にその戦の狼煙は上がった。

 

 「おおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 ディアベルの号令によって鼓舞された戦士たちもまた、一斉に鬨の声を上げて突撃を敢行する。

 総勢四十四人の戦士たちは皆、帯びた武器も身につけた鎧も、背格好も年の頃もバラバラで、統一感など何ひとつとしてなかった。バラバラの軍団は、しかしその意気は揚々とただ一つの目標へ向けて疾駆する。

 

 「グルォオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 そんな戦士たちを迎え撃つのは、赤く巨大な獣人の王と、王を守護する三匹の近衛。

 敵愾の意に満ちた赤き眼光を放つ亜人の王は、二メートルを優に超えるその体躯に見合った巨大さを誇る骨の荒斧を振りかざして、闘争心も露わに前へ前へと駆ける。

 王に先行して駆ける近衛は、王を守護するという己の役目を体現したかのような物々しい鎧に身を固め、眼前に得物である棍棒を構え、あくまで王に先んじる。

 浮遊城アインクラッド、第一層迷宮区ボスモンスター『イルファング=ザ=コボルドロード』、その取り巻きモンスター『ルインコボルド=センチネル』は、完璧なフォーメーションで戦士たち目掛けて猛走する。

 

 『勝とうぜ!』

 何もかもがバラバラの四十四人の戦士たちに向けて、戦の前に彼らの指揮官である青髪が掲げた言葉。

 それに応える思いは四十四人の誰ひとりとして違うことはなく、そして今、四十四の雄叫びはひとつの軍団――レイドとなって勝利へ向かって突き進む。

 

 「おおおおおおりゃあああ!!」

 

 突撃する戦士たちの先頭で一番槍を務めるイガグリ頭の男、キバオウが雄叫びと共に振りかぶった一撃が、コボルドの近衛センチネルの棍棒とかち合い、この戦闘で初めての剣戟が鳴り響いた。

 

 かくて、ここに迷宮区第一層攻略戦、初の大型レイドバトルの幕は上がった。

 

 ――――――――――

 

 

 (この調子なら、いける……!)

 

 剣戟の火花が激しく散り、敵も味方も誰も彼もの怒号が飛び交う戦場、その一角。

 眼前に迫り来るセンチネルの棍棒の一撃をいなし、体勢を崩したセンチネルへの追撃のため後ろに控えていたパートナーとの位置取りの切り替え――スイッチを行いながら、どことなく女性的なルックスでやや線の細い片手剣使いの男プレイヤー、キリトは内心に高揚を得ていた。

 フロアボス攻略戦が始まってからいくらか時間が経過したが、今のところ戦いの流れは攻略隊にあった。

 レイドを指揮するディアベルの采配は見事であり、彼の指示に従って己の役目を全うするプレイヤーたちの士気にも、未だ翳りは見られない。総じて、良い流れだとそう言って良いだろう。

 6つの隊によって編成されたレイドは、担う役割によって更に2つの群に分かれている。

 A、B、さらにディアベルの属するC隊の3つは、最前線でコボルドロードと直接殴り合う役。  

 残るD、F、そしてキリトの属するE隊の3つは、コボルドロードの取り巻きであるセンチネルの注意を引きつけ、コボルドロードと戦うA、B、C隊の立ち回りを助ける後方支援部隊の役を担っていた。

 

 「三匹目…!」

 

 眼前では、キリトと入れ替わる形でセンチネルの前へ躍り出た彼のパートナー、アスナの凄絶な速度による細剣ソードスキル、リニアーが流星の如くセンチネルを一閃、ポリゴン片の爆散へと変じさせていた。

 その剣捌きは流麗であり鮮烈。恥ずかしながらSAOでも随一だろうと自負する己自身の技前と比較してみても、その冴えは見事の一言に尽きた。一切の無駄なく繰り出された技の切れは抜群であり、その手並みにキリトは素直に賞賛を禁じ得なかった。

 

 「グッジョブ……!」

 

 静かにパートナーを讃えた後、キリトは自分たちから少し離れた位置にて戦う、前線組の様子を窺う。

 

 「グォオオオオオオオオ!!」

 

 見ればボスであるコボルドロードの残りHP量を示す4本のバーの内、最後の一本が半分を切ろうとしていた。卓越したディアベルの指揮により、ボスとの長い戦いもいよいよ終盤に差し掛かろうとしていたのだった。

 

 「グルルルルルルル……」

 

 赤き獣人の王は、両の手に握られていた荒斧と、革張りの円盾を投げ捨て、低く唸りを上げる。

 

 (よし、ここまではベータテストの時と同じみたいだな……)

 

 無手になったコボルドロードの様子を、キリトは注意深く観察していた。

 第一層フロアボスであるコボルドロードは、まだこのSAOがゲーム内での死イコール現実世界での肉体の死を意味してはいなかったころ、ベータテストの時代にも変わらず第一層で冒険者たちを待ち構えていた。

 ベータテスト当時、かのモンスターの行動ルーチンには『残り体力が少なくなると、武器を持ち替える』というものがあった。それまで携えていた荒斧と円盾から、両手持ちの曲刀であるタルアールへと装備を変更する、という攻撃パターンの変化である。

 どうやら、デスゲームと化した今に至ってもそのAIに変わりは無いようだった。

 事前情報通りのボスの行動に、キリトを始め攻略パーティの戦士たちは皆、比較的冷静に事の成り行きを注視していた。

 

 

 「下がれ! 俺が出る!」

 

 突然、静観していた戦士たちの中から、指揮官であるディアベルがひとり、コボルドロードの前へと突出した。コボルドロードの目はディアベルに向けられ、迎え撃つようにディアベルの構える長剣にもソードスキルのアジャストを意味する黄色の光輝が纏われる。

 おかしい、とその振る舞いにキリトは奇妙を覚えていた。

 ボスのHPは残り僅かであり、この状況ならパーティ全員の総力を集結し、一斉に叩くのが常道であり、それが最も効果的な一手であるはず。これまで実に合理的に戦いを推し進めてきた彼が、ここに来て不可解極まりない手を打ってきたことの意味を、しかしキリトは理解した。

 

 (ラストアタックボーナス……!)

 

 刹那、こちらを見ていたようなディアベルの視線に込められた意図と、一見血迷ったかのような行動の真意。

 それがボスにトドメの一撃を加えた者のみが得ることのできる褒賞である、ラストアタックボーナス、通称LAを得るためのものであることを、ベータテスト経験者であり、図らずも何度か己もLA獲得を成したことのあるキリトは悟っていた。

 自らこのレイドの指揮官を買って出たこと、そしてこの場での行動から、キリトはこの青髪の騎士が自分と同じベータテスト経験者、ベータテスターであること、またその彼がLAについてを一切伏せたまま自らがその恩恵に預かろうとしていることまで思索し、キリトはディアベルに待ったをかけようとした。

 コボルドロードはたしかに武器を持ち替えようとしてはいるが、それがベータの時と同じタルアールである保証はないのだ。それがはっきりしないこの状況で打って出るのは、あまりにもリスクが高すぎる、とそう判断してのことだった。

 

 しかし、その憂慮は彼の、そしてこの場に居合わせた全員の想像を遥かに上回る事態によって、無惨に打ち砕かれることになった。

 

 

 

 「グ……ガァァアアアア……!!」

 

 「な、なん……だよ……これ……」

 

 

 

 キリトの眼前で、崩れ落ちる影はふたつ。

 ひとつは、コボルドロードの新たに持ち替えた武器、長大な刃渡りを誇る恐ろしい得物、『()()()』による一撃を受け、倒れ伏すディアベルの姿。

 

 そしてもうひとつは、野太刀を振りかぶった姿勢のまま、背中から巨大な()()()()を生やして膝をつく、イルファング=ザ=コボルドロードの姿だった。

 

 「な、なんやコレ……? なにが起こっとるんや……?」

 

 「どういうことだ? 前情報と違う……というよりも、こんなことが有り得んのか?」

 

 キリトの耳には、目前で起こっている出来事に、理解が追いつかず呆然としたキバオウと、彼よりはいくらか落ち着いてはいるものの、やはり困惑を隠しきれていない大柄スキンヘッドの斧使いエギルの呟きが漏れ聞こえてきた。

 動揺しているのは彼ら二人だけではなかった。

 それまでディアベルの的確な指示により、危なげなく戦いを進めてきたレイドメンバーもリーダーの突然の負傷、更に計画には含まれていなかった不測の、そして異常な事態に対し、どうすればいいのか分からずにオロオロと立ち尽くすのみだった。ここに来て、急遽集められた攻略パーティの脆弱さと、それを見事に束ねあげていたディアベルの手腕が立証されたことは、皮肉と言わざるを得ないだろう。

 

 (マズイぞ……この状況、危険すぎる!!)

 

 そして動揺しているのは、キリトもまた同じだった。

 目の前の事態に対し、現在の状況は極めて危うい。

 指揮官であるディアベルが倒れ、指示ができる人間が居ない現状、レイドはその機能を成さない正しく烏合の衆と化している。あまりに異常すぎる事象に対して、誰もが停止してしまっているため今は何も起こってはいないが、ひと度パニックが起こればレイドの総崩れは避けられないことは明白だった。

 さらに危険なのは、とキリトはこの場で最大の異常である、原因不明のダメージを受けたコボルドロードを見やる。

 背中から槍の一撃を受け、地面に縫い止められる形で膝をついているコボルドロードが、いつ暴走するか分からないというのも一応はある。しかし、その可能性は極めて低いだろう。

 

 「グ…………ア………アァ……」

 

 もはや虫の息といった体のコボルドロードのHPゲージは、残り少ないその残量をみるみる内に減らしている。身体を深々と抉り貫いている槍による、継続ダメージがその原因だった。凶悪なそのビジュアルに違わない空恐ろしいスリップダメージが、獣人の王の命を削り取っていく。

 それを横目に、キリトは倒れ臥しているディアベルの元へと駆け寄った。

 

 「く……つッ…………」

 

 痛みをこらえるように呻くディアベルのHPゲージは、残酷な速度で減少していく。

 どうやら傷は相当以上に深いらしい。

 キリトは急いでイベントリを開き、ポーション瓶を取り出し治療に当たろうとした。

 

 「どういうことだ……ベータの時とは、違う仕様……?」

 

 どこを見ているかも分からない、焦点の定まっていない虚ろな目のディアベルは呟く。

 

 「喋るな! 今、ポーションを……」

 

 ポーション瓶を取り出したキリトは、封を切ってディアベルに含ませようとしながら、思考をフル回転させていた。

 まず、ディアベルの負傷。

 原因はベータテストの時とは違うコボルドロードの得物、野太刀によるもの。

 先走りが過ぎたディアベルの行動が招いてしまった結果ではあったが、彼にも何か思うところがあったのだろう。でなければ、こんなハイリスクな賭けに打って出はしまい。

 次に、コボルドロードの槍による負傷。

 原因は、背を貫く長大な槍。

 当然、プレイヤーによるものではない。槍使いはレイドの中にも何人か在籍してはいる。しかし、事前のブリーフィングで確認した彼らの装備と、コボルドロードの背から生えている長槍とそれらはまるで一致しない。どころか、あんな凶悪なビジュアルの槍、キリトはSAO内で今まで一度も目にしたことはなかった。

 いったいあれは、と思ったところでキリトは、はっとあることに気づいた。

 

 「あの槍の仕手は、いったいどこに……!?」

 

 その答えを探そうとしたキリトの前に、しかしそれは唐突に、そして酷薄に提示された。

 

 

 ドズッ、ドズドズドズ

 

 

 「ガアアアアアアアアッ!!!!!」

 

 眼前で虫の息のコボルドロードの背に、さらに幾本もの長槍が突き刺さった。

 無惨な槍衾と化したコボルドロードは、ついに断末魔の叫びを上げ、ポリゴンの爆散と化して消え失せた。

 

 「な………!?」

 

 スリップダメージで消滅したのではない。さらなる槍の殺到、明確な殺意によるもの。

 瞠目するキリトの前に、驚愕はさらに追い討つ。

 

 「あ……………」

 

 倒れ伏すディアベルの胸に、槍の柄が生えていた。

 それは、コボルドロードを絶命させたものと同じ槍。

 愕然とした思いでディアベルのHPゲージに目を向けたキリトは、絶望的な現実を目の当たりにした。

 ポーションで回復を始めていたディアベルの残り僅かなHPが、一気に削り取られていく。

 

 「そんな…………」

 

 呆然と眺めるキリトの前で、ついにディアベルのHPゲージの残量が底をつき、数値は「0」を示した。

 最後の表情は、悔恨の色だった。道半ばで散ることが、よほど無念だったのだろう。

 その目はしっかりとキリトを見据え、何かを伝えんと訴えかけていた。

 

 「みんなを、頼む」

 

 あるいは空耳かと紛うほどにか細かったが、たしかにキリトの耳は、彼の最期の台詞を捉えていた。

 そして、ディアベルもまたポリゴンの欠片となって飛び散っていった。

 

 「ディアベル………!」

 

 灰のように儚く散っていくポリゴンは、掴もうと伸ばしたキリトの掌の中を無情に零れていった。

 人は、これほどあっさりと消えてしまうものなのか。

 こんなに安っぽい子供騙しの輝きが、生命の輝きであって許されるのか。

 嘆き悲しむ余裕は、しかしキリトには許されなかった。

 

 「ちょっと、あれ………!!」

 

 息を呑むアスナの声に視線を上げたキリトの前に、()()はあった。

 

 

 そこにあったのは、ひとつの『軍隊』だった。

 一見すると黒い小山が蠢いているかのようなソレは、盾と槍を携えた黒いスライムのようなモンスターの集合体であり、小山の表面は何十体ものスライムにびっしりと、隙間なく固められていた。

 コボルドロードを、そしてディアベルを絶命させた槍と同じものを装備したスライムたちは、小山の表面からうち何匹かを剥がれ落とし、小山の前に立ちふさがるかのように陣形を敷いた。

 盾で前を完全に固め、槍を物々しく突き出したスライムたちの姿は、まさしく古代バビロニアの兵士たちが用いた密集陣形、ファランクス方陣そのものだった。

 

 「『Phalanx』………!? こんなモンスター、今まで見たことないぞ……!?」

 

 デスゲームに放り込まれてから、そしてベータテスト時代も含め、キリトはこのファランクスと名付けられたモンスターを見たことも聞いたこともなかった。

 無論、コボルドロードのAIに変調が見られた以上、新たなモンスターがボスとして立ちはだかるであろう可能性も大いに有り得ることだ。

 

 しかし、眼前の敵は『何かが』違う。

 キリトとて伊達に今までデスゲームをくぐり抜けてきたわけはなく、これまでにも何度か『死』の危険と直面し、なんとかそれらを乗り越えてきた。

 修羅場を生き延びたことで、多少のことでは動揺しない度胸も身につけてきたつもりだった。

 だが、今目の前にいるこのファランクスというモンスターが、キリトは恐ろしくて仕方が無かった。

 それは、先程まで戦っていた獣人の王たちと相対した際の、手に汗握る緊張感とはワケが違う。

 

 濃厚な『死』が、撒き散らされる『死』が、口を開けた『死』が、これ以上ないほどに明確に現出している『死』が、キリトから身動きを奪っていた。

 彼だけではない。

 彼の横に立ち尽くしたアスナも、口を開けたまま硬直するキバオウも、歯噛みするエギルも、攻略組の皆も。

 ここに存在するあまねく誰もが『死』の軍隊を前に、動作することを奪われ、迫り来る『死』に足を取られ、槍衾の贄となるのを待つばかりだった。

 

 ファランクスが、一斉に槍を水平に構える。

 突撃の構えを取ったファランクスから、槍の嵐が殺到せんと迫り――――

 

 

 

 

 「ボォオオオオオレェタァアアリァアアアアアア!!!!」

 

 

 

 

 ―――裂帛の気合と共に駆け抜けた突風が、キリトに肉薄していたファランクスの槍を轟然と叩き伏せ、キリトの横を通り過ぎアスナへと向かった槍も、まとめて一挙に吹き飛ばした。

 

 「んなっ…………!?」

 

 途端、どっと冷や汗が背を伝い、緊張の糸が切れたことでへたり込みそうになったキリトは、ファランクスと己との間に割って入り、彼の命を救った闖入者の後ろ姿を目の当たりにした。

 

 身を包むのは質素なプレートアーマー。くすんだ様な色合いのそれは卸したての新品にはありえない年季を感じさせる代物であり、長く使われてきた代物だということが見て取れた。

 小柄なキリトとは違い長身の部類に入るその体格は頼りない印象とは遠く、無駄なく鍛えられているその体躯は筋力ステータスのような目に見えない数字とは違い、雄弁に力強さを物語る。

 兜は装備しておらず、長めの髪が後ろで縛られまとめられていた。

 その手に下げている得物は、長槍の穂先に斧の刃を取り付けた斧槍、俗に言う『ハルバード』と呼ばれる武器であり、油断なくハルバードを両手に構えるその立ち姿は隙が見当たらず、闖入者がかなりの使い手であることをキリトは察した。

 

 ぼんやりとその様子を観察していたキリトの方に、闖入者は振り返り視線を巡らせる。

 その容貌は精悍な面立ちの青年であり、意外なことにキリトたちとさほど年が離れているとは思えないほどの年若さだった。

 キリトとアスナを確認するように見回した後、更に彼らの後方へと視線を投げかけ、低音だがよく通る声で言葉を投げかけた。

 

 「いいぜ、オストラヴァ! 冒険者たちを連れて後退してくれ! 時間を稼ぐ!」

 

 どうやら誰かに指示を出していたらしい。オストラヴァという聞きなれない名前から察するに、攻略組のメンバーでないことは明白であり、闖入者の仲間か何かへのものだったようだ。

 その発言の内容に対し、キリトは思わず闖入者へと疑問をぶつけていた。

 

 「お、おい! アンタ、時間を稼ぐって、あいつら相手に、ひとりでか? 無茶だ! 危険すぎる!」

 

 至極もっともな意見に対し、闖入者はじろりとキリトを見つめ、それからニヤリと口端を歪めさせた。

 

 「お気遣い、たいへんありがたいがね。お前が真に心配すべきなのは、オレのことじゃあないだろう?」

 

 「なんだって?」

 

 どこか悪戯めいた調子で告げられた闖入者の台詞を反芻し、キリトは彼が何を言わんとしているかをなんとなく理解した。

 

 「まずは己の身を守れって、そう言いたいのか?」

 

 「半分、正解だ。もう半分は、傍らのレディでも見て考えるんだな」

 

 それを聞き、完全に得心が行ったキリトは斜め後ろに振り返る。

 

 「れ、レディって……」

 

 そこで頬を引きつらせていたのは、何かの拍子で吹き飛ばされたのか、被っていたフードが落ち素顔を露わにしたアスナだった。

 女性であることにはプレイヤーネーム等から薄々気づいてはいたが、いざその素顔を拝んでみれば、可憐な雰囲気漂うかなりの美少女であることが発見できた。

 こんな非常時でありながら場違いな思考に囚われつつあったキリトに、ニヤリ顔のまま闖入者が言葉を続ける。

 

 「そんだけ鼻の下伸ばせてりゃ、まだまだ大丈夫だろう。ここはいいから、オレに任せて下がってな」

 

 「失礼なこと言うな! 鼻の下なんか伸ばしてない!」

 

 「まぁまぁ。いったん、ここは大人しく撤退するのを優先させてもらっても構いませんか?」

 

 憤慨して反論するキリトに対し、既に後ろに後退しつつある攻略組の方向から、礼儀正しい印象を受ける落ち着いた青年の声が聞こえてきた。

 見れば、全身を騎士の鎧とそう形容するのがしっくりくる、フリューテッドアーマーと呼ばれる鎧に身を包んだ男がキリトたちの方へと歩み寄って来ていた。

 堅牢で、ともすれば地味な見た目のその鎧とは打って変わり、左の腕には繊細な装飾を施された黄金の盾を、右腕にはこれまた華美な装飾があしらわれた黄金の剣を携えたその騎士は、言うなればおとぎ話の中の英雄、勇者のようにも感じられる。

 

 

 「おう、オストラヴァ。冒険者たちの退避は済んだか?」

 

 「完全には行きませんでした。目下、ファランクスの攻撃が届かない位置に誘導しただけです。原因ですが、私たちが入ってきた扉が内側から封鎖されています。間違いなく、デーモンの霧の封印です」

 

 「なるほど。つまりこいつを倒さなきゃ、あらゆることの埒があかないってワケか」

 

 「そういうことでしょうね」

 

 どうやら、この若い騎士がオストラヴァというらしい。

 キリトは、今度こそアスナと共に後ろに下がりながら、彼らに問いかけた。

 

 「……本当に、大丈夫なのか?」

 

 その問いに対し、闖入者はフンと笑って前に向き直るのみで、若い騎士は頷いて答える。

 

 「たしかに、あのファランクスというデーモンは難敵です。我々では、果たして勝てるかどうか。ですが彼は私たちに、任せろとそう言っています。ならば、私は彼に賭けてみようと思います」

 

 「デーモン……?」

 

 落ち着いた様子の騎士――オストラヴァの言葉を聞きながら、キリトは目の前で死の一個軍隊と真正面から向かい合う、ハルバードを携えた闖入者の後ろ姿を見た。

 

 「彼なら、ベルモンドならば、きっとなんとかしてくれるはずです。信じましょう」

 

 オストラヴァの言葉と時を同じくして闖入者――ベルモンドは、槍を一斉に構え盾を翳すファランクスへと向けて、勇猛果敢に突っ込んでいった。

 

 

 

 「らああああああああああああっ!!!!!」

 

 

 

 

 




ソウルを捧げよ!(使命感)

あ、ちなみにこの作品ですが、勢いで書いたサブであり、自分としてはメインはパズドラの作品のつもりです。
ただ、こっちのほうがアウターがあるからとても書きやすかったです。
原作って偉大。

ではまた次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鉛の軍団

SAOのアニメ2話を見返したんですが、かなり盛り上がってますよねこれ。
音楽は梶浦さんなんだろうか、めっちゃカッコイイし。
これがSAOだっていうことに目をつぶれば、かなりいい出来のアニメだと思いました。
そんな私は、キリコちゃんの見た目が気に食わなかったので未だにGGOのアニメを見てません。


 波乱に次ぐ波乱を迎えた第一層フロアボス攻略戦は、混沌の極みに達しようとしていた。

 

 「らああああああああああああっ!!!!!」

 

 ハルバードを振り翳して走るベルモンドの姿に、恐れは微塵も見られない。

 そうとう肝が太いのか、あるいはただの馬鹿なのか。どちらにせよ、傍目からは無謀な行いにしか見えないことだろう。

 猪突猛進する彼に、ファランクスの槍の一斉掃射が迫る。

 

 「うおおっと、とっ、とっ!」

 

 真正面に飛来した槍を、サイドロールで躱す。

 躱したところに飛んできた槍を、ハルバードであさっての方向へ逸らす。

 遅れて飛んできた同じコースの槍は、ダッシュの軌道をやや左に、ダッキング気味に回避する。

 コボルドロードをあっさりと絶命させたその槍は、当然のことながら威力もスピードも並々ならぬものではあったがベルモンドはそれを軽やかに、あくまで前進する速度は落とさずに最低限の動作で対処していく。

 顔色ひとつ変えずにそれらをやってのける手腕は、見事と言わざるを得ないだろう。

 足元狙いのコースの最後の槍を跳び越え、勢いそのままに大上段でハルバードをファランクス目掛けて叩きつけた。

 

 「どおらっ、せい!!」

 

 ソードスキルの光輝こそ見られないただの斬撃ではあったが、その速度は凄まじく、恐ろしげな風切り音を伴ってファランクスを一挙に両断―――

 

 ガギィン!!

 

 「あーらら?」

 

 ―――できなかった。

 

 「嘘だろ? 盾かった……おかしいな。オレの腕力なら、ファランクスの盾くらい余裕で貫通できるはず……っておい、この状況、まずいっ……!」

 

 会心の一撃も甲斐無く、ダメージを与えることが叶わなかったベルモンドに向け、ファランクスはカウンター気味に幾本もの槍を射出した。

 

 「ベルモンド!!!」

 

 心胆を寒からしめる恐ろしい音と共に大量に射ち出された槍に、槍衾となったコボルドロードの姿が脳裏に浮かんだキリトは思わず声を上げた。

 間合いはほぼゼロ距離。あの状態で繰り出されようものなら、無傷では済まない。どころか、生存すら難しいだろう。絶望的な気分を味わっていたキリトの前に、しかし現実は予想を裏切る体を示していた。

 

 「っ、ふぃ~…… し、死ぬかと思ったぞ……あぶねぇあぶねぇ」

 

 そこに見えたのは、重傷であるどころか、傷一つ負っていないベルモンドが、安堵の息をついて膝をついている様子だった。

 客観的に判断して非常に危うかった先の状況を、彼がどのように切り抜けたかは一目瞭然。

 

 「あいつ、いつの間に盾なんて装備してたんだ……?」

 

 よっこいせ、と立ち上がるベルモンドは先ほどと違い、ハルバードを両手持ちにしていなかった。

 斧槍は右手一本に移され、代わりに彼の左腕にあてがわれていたのは、表面に太陽の意匠が施された鉄製の盾、『北騎士の盾』だった。

 

 「ギリギリ、捌けたか……用心して準備してたのが幸いしたな」

 

 可能な限り後ろに飛び退いて距離を稼ぎ、回避できるものは身をひねって回避、それが叶わなかった槍は右のハルバードで叩き、その動きで生じた隙を左の盾でもってカバー、というのが彼が取った一連のアクションだった。

 こうして言葉にすればなんということはない、極めて単純な対処ではあるが、しかしそれをあの状況で瞬時に行えたのはなんという僥倖だろうか。

 尤もそれを可能にしたのは決して偶然などではなく、ひとえに彼の持つ類稀な戦闘センス、並びに戦闘経験値によるものではあったのだが。

 

 「さーて、どうしたもんか。ファランクスの盾ごときに阻まれちまうなんてな。オレもなまったか?」

 

 嘯くベルモンドは、手首を回してインパクトの反動を和らげながら、目の前のファランクスを窺う。

 密集陣形を固持し、それまで黒い小山のまま不動であった黒いスライムたちは、今やその方陣を変化させていた。

 前衛として既に配していた何匹かだけに飽き足らず、更に小山からスライムが剥がれ落ち始め、

およそ半数を前面に押し出してベルモンドに対し包囲の構えを取りつつあった。

 

 「ふん。こっちの攻撃が通らないと見るや、立て込めて殺さけむ、ってか。舐められたもんだぜ」

 

 面白くなさそうに吐き捨てながら、ちらと後ろを振り返る。

 その方向に居たのは、彼がファランクスから遠ざけようとしていた冒険者たちだった。

 オストラヴァの誘導のおかげで彼らとファランクスの間の距離にはまだ余裕があり、ベルモンドが引きつけていた甲斐あって今のところ彼らに累が及ぶことはないだろう。

 ただし、あくまでそれは、このままの状況が続けばという前提の上に成り立っている極めて危ういものである。

 

 「正直、ファランクス程度なら余裕だとタカをくくってたんだがなぁ。こりゃあそうもいかない、か?」

 

 予想よりも手ごわいファランクスの前に、ベルモンドは徐々にその余裕を失いつつあった。

 むざむざ負けることはないだろうが、このまま背後の冒険者たちを守り抜いて戦える自信がない。

 それは彼の望むところではなく、故にこの状況に対する認識を彼は改めざるを得なかった。

 

 「悠長に構えてられる場合じゃない、な。よっし!」

 

 柏手一つ。ベルモンドは、己の取るべき行動を定めた。

 

 

 ―――――

 

 「……あの、オストラヴァ、さん? 彼は、ベルモンドはいったい何をしようとしてるの?」

 

 いまだ緊張を緩めずにレイピアを抜き身で下げているアスナは、目の前で繰り広げられている行動に対し、傍らに居る騎士、オストラヴァに疑問をぶつけた。

 それまでファランクス相手に一歩も引かぬ立ち回りを見せていたベルモンドが、なぜかだしぬけに得物であるハルバードを地面に突き立て、盾もどこかに消し去ってしまったのだ。

 突然の戦意喪失、戦闘放棄としか思えないその光景に、オストラヴァは心なしか緊張しているような声音で返答する。

 

 「どうやら、状況はあまり思わしくないようです。やはり、あのファランクスは一筋縄ではいかなかった。ベルモンドは、全力を出すつもりなのでしょう」

 

 「全力? どういうことだ? 武器を手放した、あの状態でか?」

 

 オストラヴァの答えに対し、そりゃないだろうという意を込めてキリトは口を挟んだ。

 苦笑の音を洩らしながら、若き騎士は律儀にその問いに答える。

 

 「ははは… まぁ、それが当然の反応ですね。かくいう私も、初めて見たときは気でも狂ったのかと思いましたよ」

 

 「ということは、あれはふざけてるわけでもなんでもない、ってこと?」

 

 「信じ難いでしょうが、その通りです」

 

 「あんな戦い方があるのか? というより、あそこからいったいどうなるんだ?」

 

 「それは見てのお楽しみ、ご照覧あれ、というところでしょう。ただしさっきも言いましたが、現在の状況は悪いようです。我々も、備えはしておかなければなりません」

 

 そこまで言って、オストラヴァは自身の得物である黄金の剣を握り締めた。

 

 「本当の戦いは、ここからです」

 

 

 ――――――

 

 「よっ、と」

 

 ハルバードを地面に突き立て、北騎士の楯をしまったベルモンドは、まず両腕を交差させるような構えを取った。

 光と共にその手に握られたのは、二振りの曲剣。

 SAOにも同形の武器が存在するそれらは、ファルシオンと呼称される武器だった。

 ベルモンドは二振りのファルシオンもまた、ハルバードと同じく地面へと突き立てた。

 

 「ほっ、と」

 

 続けて出現したのは、大振りの直剣。俗に言う、直大剣と呼ばれる武器だった。

 クレイモアと呼称されるそれも、ベルモンドは地面へと突き立てる。

 

 「はっ、ほっ、と」

 

 武器の現出は止まらず、続けざまに取り出されたのは二振りの斧。

 左手にはちょうど攻略組の中ではエギルが携えるそれに近い両刃の斧、バトルアクスが。

 右手にはそれとはいささか様相が異なった不気味な片刃の斧、ギロチンアクスが、それぞれ握られていた。

 やはりそれらも、地面に次々と突き立てられる。

 

 「こいつも、ついでにこいつも」

 

 さらに二本の槍、ショートスピアとウイングド・スピアが取り出され、

 

 「こいつも、おっとこいつもか?」

 

 ロングソードが、ブロードソードが取り出され、

 

 「最後に、こいつもだ!」

 

 最初に突き立てたのと同形の斧槍、ハルバードを最後に勢いよく突き立てベルモンドの動きはようやく止まった。

 

 「完成、っと。うーむ、我ながら壮観よのぉ。絶景かな、絶景かな!」

 

 さながらその有様は、物々しい剣山だった。

 あるいは、林立する剣の林。

 あるいは、見渡す限り武器が突き立つ戦禍の戦場か。

 武器が乱立するその中心で、ベルモンドは不敵に哂った。

 

 「名づけて、『偽剣・嵐の祭祀場』、ってか? ……ねぇな。後でもっとイカスやつを考えよう。もっとも? そいつはファランクス、てめぇを欠片も残さず切り刻んでから、だがな」

 

 じりじりと包囲の輪を狭めつつあるファランクスを前に、ベルモンドは力を溜めるように身を撓めた。そして数瞬、瞑目するように目を伏せて呟く。

 

 「そんなに焦れんなよ。安心しな、すぐ終わる。すぐに、な………」

 

 次の瞬間、勢いよく面を上げたベルモンドの顔は、歯を剥いて獰猛な笑みを浮かべるさながら獣の如き形相だった。

 獣は、高らかに吼えた。

 

 

 「………(みしるし)……頂戴……!!」

 

 

 

 ―――――――

 

 

 「えっ………!?」

 

 今、アスナの目の前で繰り広げられている光景は、このエリアに入って以降何度も目にした尋常ならざる事象の中でもとりわけ凄まじい、言ってしまえば、現実離れした光景だった。

 

 掻き消えた。

 

 そう表現するのが適切かどうか定かではないが、しかし、そうとしか言い様がない。

 戦いの趨勢を注視していたアスナの視界から、突然ベルモンドが消え失せたのだ。

 転移結晶によるワープでもなければ、プレイヤーのライフが0になったことによる霧散でもない。

 

 「隠蔽(ハインド)スキル……!?」

 

 身隠しの類のスキルも存在するということは、情報屋が配布していたブックにも記載されておりアスナもその存在は知っていた。

 実際に発動しているところは目にしたことが無かったが、これほど見事に姿が消えるものなのかと、アスナは大いに驚愕していた。

 

 「いや、違う…… あれは、隠蔽スキルじゃない」

 

 しかし、アスナの横から否定の意を示す声が発せられた。

 振り返ると、そこには目を細め、瞬きの間すら惜しむように戦場の様子を必死に観察するキリトの姿があった。

 

 「それって、どういう意味?」

 

 「言葉通りだ。あれは、システムスキルじゃない。今、この目で見ていても、とても信じられないけどな……」

 

 たしかに、忽然とベルモンドが消え失せた目の前の状況を見れば誰もがそう思いたくなるのは必定だろう。事実、後ろに退っていた攻略組の戦士たちの目にも、それはそのように写っていた。

 

 ――実にSAOの全プレイヤーの中でも、トップクラスの反射神経を持っているキリトを除いては。

 

 キリトの目は、その反射神経をもってしても辛うじてというレベルだが、確かに事の顛末を捉えていた。

 

 「速く、動いているだけだ。そう、ただ速く……!」

 

 前傾の姿勢を取っていたベルモンドは、まず左にブロードソードを、右にはバトルアクスを握り、右斜め前方に猛烈なスピードでロケットスタートを切ったのだった。

 そう、突然の消失の正体は単純な、しかし異常な―――

 

 「速力……!!」

 

 

 キリトはその異常な機動の理由に、なんとなくだが見当をつけていた。

 おそらくそれは、武器を手放したことによる重量の低減。

 地面に突き立てられた大量の武器に、キリトは目をやる。

 あれほど大量の武器をイベントリに格納していたのだとすれば、彼は今まで相当な重量を背負ったまま立ち回っていたことになる。

 それだけの荷物を背負ったままであの動きをしていたなら、はたしてそれを下ろした時、どれほどの速力を得られるというのか。

 それが今現在、目の前で繰り広げられている光景に対する答えだろう。

 

 「そら、ひとつ……!」

 

 唐突に声が聞こえたと同時、崩れ落ちる一体のファランクスの背後から、ブロードソードを突き出したベルモンドの姿が垣間見えた。

 かと思えば、瞬く間にその姿は見えなくなる。

 鉄の軌跡を曳いた突風が、ファランクスの群れの中を縦横無尽に駆け回る。

 

 「ふたつ……!」

 

 右のバトルアクスを旋回させ、真芯からファランクスを豪快に輪切りにする。

 

 「みっつ……!」

 

 旋回する動きは止まらず、勢いもそのままにバトルアクスをブーメランさながらに投げ飛ばす。

 一撃で倒せるほどではなかったものの大きく体勢を崩した遠方の一体を尻目に、背後に居たもう一体にブロードソードを深く突き立て、刺さったブロードソードもそのままに再びダッシュ。

 

 「よっつ! いつつ!」

 

 再び垣間見えたその姿には、いつの間に握られたのか左にウィングド・スピアが、右にはギロチンアクスがあった。

 左手一本でウィングド・スピアを突き出し、背後からあさっての方向を向いていた一体を串刺しにした後、左斜め後ろから迫り来るファランクスの槍をサイドロールで回避。

 反転と同時に回転の勢いを乗せたギロチンアクスを横殴りに叩きつけ、槍を突き出した一体を撃破。左右から突き出された槍の合間を縫うようにして、ウィングド・スピアが刺さったままの一体へ向けてショートダッシュ。

 

 「ヒャッハァ!!」

 

 ショートダッシュを助走に、()()()()ウィングド・スピアを踏み台に、一息に串刺しの一体の上へとジャンプ。

 落下の勢いも合わせた兜割り気味のギロチンアクスを打ち下ろし、串刺しの一体も絶命させた。

 

 

 

 さらに、その速力の上昇に一役買っているであろうもうひとつの要素も、キリトは見抜いていた。

 

 「そのための、無手……!!」

 

 彼は、徒に剣の林を作ったのではなかったのだ。

 速力を得るために武装を下ろした彼は、移動の妨げになる要素を可能な限り排除するために、武器は極力手には装備せず、振るっては捨て、振るっては捨てを繰り返していたのだ。

 己の得物ですらデッドウェイトと見なすその思考に、キリトは空恐ろしいものを感じた。

 

 (あいつは、恐怖を覚えないのか…?)

 

 浮かんだ考えを、しかしすぐにキリトは打ち消した。

 本当に速力の上昇を追究するならば、無手になることよりも効果的な手段が他にあるのだ。

 すなわちそれは、装備している鎧の解除。

 しかしそれをしてしまえば、被弾した場合のリスクが高すぎる。おそらく、一撃でHPを全損するだろう。それを彼がしていないのは、彼が単なるバーサーカーなのではなく、あくまでも合理的に、あくまでも計算ずくで動いているということを示唆していた。

 

 

 

 「まだまだぁ!!」

 

 ショートスピアで抉った一体を蹴り飛ばし、ロングソードを逆手で大上段から振り下ろして突き刺し、そのまま肩口からタックル。

 吹き飛んだ一体の背後から飛来した槍を上体を逸らして回避し、背後にいたもう一体に突き刺させ同士討ちを誘発させる。

 

 「えーっと……もう数えるのやめた! なんかたくさんとかそのくらい!!」

 

 担ぎ上げたクレイモアを旗振りでもするかのように豪快に振り回し、まとめて三体をぶった斬る。

 突き出された二本の槍を、一方は横っ飛びに回避、避けきれないもう一方はクレイモアの刃を盾がわりに防ぎ、槍の仕手である二匹へ向けて猛然とダッシュ。

 そのまますれ違いざまに二体を横薙ぎに一閃。その勢いでクレイモアを投げ捨て――

 

 「おらおらおらおらおらおらおらァ!!」

 

 鉄風一過。両の手に握ったファルシオンを縦横無尽に振り回し、一直線に駆け抜けたその跡には、累々とファランクスの死体が積み重なるのみだった。

 

 「おまけにもういっちょう!! 遠慮せずに取っとけやぁ!!!!」

 

 とどめとばかりに、ベルモンドは暴れに暴れまくった。

 ロングソードで刺し、ブロードソードで切り倒し、ショートスピアで貫き、ウィングド・スピアで滅多突き、バトルアクスで薙ぎ倒し、ギロチンアクスでぶっ断ち、ファルシオンで切り刻み―――――

 

 正しく、人外。

 吹き荒れた鉄の突風は災禍の具現、殺戮演戯の鳥獣戯画。

 圧倒的な光景に、その場に居合わせた誰もが呆気に取られるのみだった。

 なんという力。なんという暴威。

 なんという、デーモンじみた所業。

 

 しかし、どんな嵐にも終わりは訪れる。

 

 「ぜっ、はぁ………ぜぇ………はぁ…… さ、さすがにしんどくなってきたな……」

 

 無茶な駆動にも限界が来たのだろう。

 ここに来てようやくと言うべきか、ベルモンドは息を大いに荒げて、その場に急停止した。

 疲労困憊を隠す余裕もないのか、一歩も動かない彼の周囲には―――

 

 「……なんだよ。まだ、結構居るじゃねぇか」

 

 鉄の旋風による燼滅を免れたファランクスたちが、槍を一斉に射出していた。

 

 「あーあ……マズったな、こりゃ」

 

 スタミナが底をついていたベルモンドには、頭や心臓などの最急所を避ける程度の回避行動しか取れなかった。

 

 

 

 ドスッ、ドズドズドズッ

 

 

 

 鎧がひしゃげ、肉が抉られる嫌な音が鳴り響く。

 幾本もの槍に貫かれ、ベルモンドはそのまま後方へと吹き飛ばされて地面へと叩きつけられた。

 

 「あー……クソッ………ってーぞ……畜生……」

 

 ぼやくように一声呟くと、ベルモンドはそのまま動かなくなってしまった。

 

 

 

 

 戦場を、静寂が支配する。

 それまで獅子奮迅の活躍をしていたベルモンドが倒れたことに、攻略組のプレイヤーたちの間には大きな戦慄が走っていた。

 当然だろう。彼が倒れた以上、死の軍隊に抗し得る者はもう居ないのだから。

 自らの邪魔をする者が排除されたファランクスは、現れた時と同じように、ゆっくりと前進を開始した。

 一旦は晴らされたはずの死の恐怖が、再び冒険者たちに迫り来る。

 

 詰んだな。

 そう洩らしたのは誰だったろう。

 

 終わったな。

 そう口走ったのは誰だったろう。

 

 負けかよ。

 そう吐き捨てたのは誰だったろう。

 

 

 

 死にたくない。

 

 そう呟いたのは、はたして誰だっただろう。

 

 

 

 見るも無残な姿を晒したまま倒れ臥すベルモンドに、冥土の土産とばかりにファランクスは槍の穂先を一斉に翳した。

 例え戦えなかろうが動かなかろうが、その身を、原型を留めている以上、死の軍隊に容赦は無い。

 噎せ返るような殺意の集合に曝されていてもなお、ベルモンドはその指一本すら動かさず、狙いを定めた槍群が鈍い反射光を放った。

 無情なる殺意の殺到が、死体を貪る鴉のように降り注いだ。

 

 その瞬間。

 

 

 

 「「はぁあああああああああああっっ!!!!」」

 

 

 

 駆け抜けたのは、ふたつの剣閃。

 

 ひとつは、黒の閃き。

 片手直剣『アニールブレード』を振るい、迫り来る槍を叩き斬った。

 

 ひとつは、白の閃き。

 レイピアの鋭い切り返しで、飛来した槍の軌道を美しく流し切った。

 

 共に闘志を漲らせた眼差しで、ふた振りの剣はファランクスを前に一歩も退かぬ勇気を示した。

 

 

 「人間を………」

 

 「舐めないで………!」

 

 

 横たわるベルモンドの前に、キリトとアスナが立ち塞がったのだ。

 

 串刺しを妨害されたファランクスは新たな敵性対象に向け、槍の斉射を開始した。

 

 「ハアッ!!」

 

 その目には、もはや恐れなど欠片も見られない。

 ソードスキル『ホリゾンタル』、続けての『バーチカル』でもって、キリトはベルモンドに勝るとも劣らない力強さを見せつけファランクスの槍を次々に迎撃する。

 

 「せいっ!!」

 

 アスナの瞳にも、化物になど屈してなるものかという固い意思の光が宿っていた。

 敏捷性を極限まで発揮したステップで槍を軽快に回避し、カウンター気味に狙い澄ました細剣スキル『リニアー』で、レイピアでありながらファランクスの大振りで凶悪な槍を逸らし受け流す。

 八面六臂で乱れ舞う二人は、後ろは振り向かず剣撃の手も緩めずに、背後に向かって声を叫ぶ。

 

 

 

 

 「「スイッチ!!!!」」

 

 

 

 

 

 「了解しました!!」

 

 応えて駆けるは、黄金の剣を携えた騎士。

 奮戦するキリトとアスナの間を突っ切り、オストラヴァはファランクス目掛けて突貫を仕掛けた。

 

 「シッ!!!」

 

 鋭い掛け声と共に振るわれたのは、左への薙ぎ払い、返す刀での右への切り返し、そこから大きく踏み込んでの直突きという三連撃のコンビネーション。

 速度と威力、どれを取っても一級品の練達の技は、しかしファランクスが掲げた盾によってあっさりと阻まれた。

 ところが、

 

 「それで、防いだつもりですか?」

 

 オストラヴァの斬撃を盾で受けたファランクスは次の瞬間、盾の奥でその身体を弾け散らせた。

 見れば、二条の斬痕と貫きの穴がぽっかりと、その残骸には刻まれている。

 

 「………………!」

 

 声なき黒いスライムたちは心なしかオストラヴァを恐れるように、じりっと距離を置いた。

 瀟洒な黄金の盾『ルーンシールド』を油断なく構え、オストラヴァは笑みの色を含んだ音を甲冑の中から洩らす。

 

 「やはり、思ったとおり。『ルーンソード』の斬撃なら、その盾を貫くことができるようですね……!」

 

 オストラヴァが翳した黄金の剣が、鈍い黒光のファランクスたちの中にあって美しくその刀身を照り映えさせる。

 

 「フッ!」

 

 再び振り抜かれた金の剣閃が二体のスライムを盾の上から打ち据えると、やはり盾の防御も虚しく二体は黒き飛沫を散らせて崩れた。

 どういう仕掛けがあるのやら、オストラヴァの振るうルーンソードはファランクスの盾をまるで意に介さぬ摩訶不思議な、まるで魔法の如き切れ味を持つようだ。

 続けてまた一体を撃破し、オストラヴァは伏したままのベルモンドへと声を投げる。

 

 「しっかりしてください! これしきのことで倒れるあなたではないでしょう!」

 

 その声には今までの落ち着き払った余裕がなく、無様な戦友を叱咤する響きがあった。

 彼より離れ、最前線で槍の嵐を前に戦い続けるキリトとアスナも叫ぶ。

 

 「あれだけ威勢良くタンカ切ったんだ! やるなら最後までやってくれ!!」

 

 「お願い…! 立ち上がって……!!」

 

 ベルモンドが死の軍隊の半数以上を単身で壊滅させたものの、状況は依然として厳しいと言わざるを得ない。

 残党のファランクスたちが繰り出す激しい槍撃の前に、キリトとアスナは綱渡りのような防戦を一方的に強いられており、現状を維持するので精一杯だった。

 頼みの綱はファランクスの盾を貫通可能なオストラヴァだが、リーチ自体は長剣の部類に入るルーンソード一本では、群がる多数の黒スライムたちを一斉に相手にすることは不可能だ。

 キリトとアスナが二人でタグ取りをして彼の攻撃のチャンスを必死で作っているものの徐々にそれも通用しなくなってきており、次第にオストラヴァもルーンシールドでの防御に行動を割く回数が増えつつあった。

 

 「このままではジリ貧です……! 弱りました……ッ!?」

 

 槍の連打を受けきること叶わずに、オストラヴァはルーンシールドを跳ね上げられた。

 不覚、と盾を引き戻そうとすが今からではその猶予がない。

 直撃を覚悟したオストラヴァだったが、しかし着弾の衝撃が訪れることはなかった。

 

 「オオオラアアアアッ!!」

 

 猛々しい気合と共に振るわれた緑の豪風が、オストラヴァに向けて射ち出された槍を吹き飛ばしたのだ。

 両手斧ソードスキル『ワールウインド』を振り抜いたスキンヘッドの巨漢戦士、エギルは頼もしげな様でオストラヴァに吠える。

 

 「俺たちも支えるぜ! 踏ん張れ!」

 

 その台詞に呼応するかのように、勇ましい掛け声が戦場に次々と響く。

 エギルに率いられた恐れを知らぬ攻略組プレイヤーの一団が、死の軍団に果敢に挑みかかっていったのだ。

 盾持ちのプレイヤーは槍を引き受けるガード役に徹し、両手剣や斧持ちの攻撃力が高い戦士が側面や背後に回ってファランクスを叩く。

 キリトやアスナほどの動きではないが、彼らもディアベル仕込みの見事な連携術でファランクス相手に必死に食い下がり続ける。彼らのリーダーが築こうとした絆は、確かに皆の中に息づいていたのだ。

 ここに、この戦場に集う全ての戦士たちが共闘して、ファランクス相手に立ち向かっていた。

 生を求める人間たちが死の軍隊を退けようと戦うその姿は、何にも勝って尊く気高い。

 もしこの剣の世界を創った何者かが居るとして、この光景を目にしたならば歓喜に震えたに違いないだろう。それほどまでに、その光景は壮絶なまでに凄絶な、生の輝きを放っていた。

 

 「ベルモンド! 早く起きてください! あなたが寝ている暇なんてありません!」

 

 ルーンシールドで槍をパリィし、反撃の突きを見舞ったオストラヴァが叫ぶ。

 

 「さっさと立て! 任せろって言っただろ! 言ったことには責任くらい持て!!」

 

 片手剣突進系ソードスキル『レイジスパイク』を叩き込み、ファランクスを吹き飛ばしたキリトが叫ぶ。

 

 「あなたに頼る他ないのは悔しいけど、今はそれしかないの……! お願い……!」

 

 滑り込むように槍を躱し、すれ違いざまに『リニアー』でファランクスを穿ったアスナが叫ぶ。

 

 

 「くそっ、誰かポーション回せ! 回復させるんだ!」

 

 「そんな余裕が有るように見えとんのかワレ! こっちだって限界や!」

 

 「ベルモンドとやら! 無理を言っているのは承知だが、頼む! 立ってくれ!!」

 

 ファランクスと切り結ぶキバオウが、両手斧を振り回すエギルが叫ぶ。

 

 「立て……!」

 

 「立ってくれ……!!」

 

 「立てよ……!!」

 

 「立ちやがれ……!!」

 

 攻略組のプレイヤーたちが叫ぶ。

 バラバラだった戦士たちの心は、再びひとつに重なる。

 皆が自分の戦いを必死に戦い抜きながら、願う思いはただひとつ。

 

 救世主の帰還を。英雄の再起を。圧倒的で暴力的な、デーモンじみた魂の復活を。

 

 

 

 

 「「「「「「立ち上がれ!!!!!!!!!!」」」」」」

 

 

 

 「聞こえないのですか!! あなたを呼ぶこの声が!! 答えないというのですか!!命の限りを燃やして戦う、戦士たちのいさおしに!! それでもあなたは、ボーレタリアを救った英雄ですか!!」

 

 余裕も気品も、全てをかなぐり捨てたオストラヴァが声の限りに叫ぶ。

 

 「起きなさい!! ベルモンド!! デーモンを殺す者よ!!」

 

 叫びはやがて、悲痛なまでの祈りを孕んだ怒号へと変わった。

 

 

 

 

 

 

 「とっとと起きろ!! ベルモンド=ヴァラルファクス!!!」 

 

 

 

 

 

 衝撃が、走り抜けた。

 

 

 

 地を揺るがす重爆の痕に、黒き軍隊は千々に瓦解した。

 ファランクスを鎧袖一触したのは、青く尾を曳き燃え盛る炎の赤を纏った、灼熱鋼の突撃槍。

 

 片手剣突進系ソードスキル、『レイジスパイク』の残光だった。

 

 目を見開くプレイヤーたちと慄き後退る死の軍隊。

 その総勢の中心で、衝撃の主は静かに残心の構えを解いた。

 

 左の肩に担ぐは長槍の穂先に斧の刃を取り付けた斧槍、ハルバード。

 システムアシストの残光を帯びてほの青く光るは、右腕一本で打ち出したもう一対のハルバード。

 身につけたプレートメイルはあちこちが破損し、半ば鎧の機能を果たせていない有様。

 それでもその立ち姿は毅然と。闘志は厳然と。魂は燦然と。

 

 

 

 

 「うっせーぞ、オストラヴァ。んなデケェ声出さなくても、ちゃんと聞こえてるぜ」

 

 

 

 ハルバードの(きっさき)をファランクスへと翳し、ベルモンドは傲然と言い放った。

 

 

 

 「覚悟はいいか、デーモン? ケリ、つけさせてもらうぜ」

 

 

 

 

 

 

 




今回のセルフツッコミ。

いやファランクス何匹いんだよ!
あと、ファランクスの槍ってパリィできんのかよ!

次回、第一層攻略戦完結です。ではまた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇気と孤高の証明

 「はは……ずいぶん勿体ぶってくれるじゃないか。寝坊が過ぎるんじゃないか?」

 

 口では憎まれ口を叩きながらも、どこか安堵と嬉しさを滲ませた調子でキリトはベルモンドを呼ばわった。

 

 「うるせぇな。ヒーローは一度ピンチを迎えて、そこから復活するからカッコイイんじゃねぇか。オレの二つ名を教えてやろうか。『不撓の不死鳥神話(ネバーエンディングストーリー)』とは、このオレのことだぞ?」

 

 「0点だな」

 

 「センスの欠片もないわ」

 

 手厳しいコメントを放つエギルとアスナの顔も、隠しきれない笑みで染まっていた。

 見れば、ベルモンドの纏ったプレートメイルは見る影もなくズタズタであり、ファランクスの槍雨がどれだけ尋常ならざる威力をもたらしたかを雄弁に物語っている。

 一発で昇天しなかったのはひとえに彼の技量と悪運ゆえだろうが、それにつけても妙なのはそのHPゲージだった。 

 今の今まで倒れていたベルモンドには回復のためにポーション瓶を取り出す挙動も暇も無かったはずだが、残り僅かだったそのHPゲージは小康状態どころか既に半分を越えて、十分戦闘安全圏まで回復していたのだ。

 これはいかなるカラクリかと様子を窺ったキリトに向けて、ベルモンドはひらひらとその手を振った。

 

 「お前らが時間を稼いでくれたおかげで、しっかり回復できたんだ。伊達に寝坊してない」

 

 その手で輝くのは、奇妙な形状の指輪だった。

 奇怪な意匠のその指輪は、内部に正体不明のどろりとした液体を封じたモチーフで、表面からは淡く生命力の波動を発している。

 

 「なるほど、自動回復か……」

 

 『再生者の指輪』と名付けられているそれも、やはりキリトの知識にない未知のアイテムだった。 

 戦闘時回復能力を備えたその指輪を嵌めた手を、ベルモンドは掌を上向けてそれだけじゃない、と続ける。

 

 「アンバサ戦士どもがよく使ってたやり方を再現させてもらったのさ。面白くないことに、たいへん効果的だな、これは」

 

 ベルモンドの眼前で現出し、落下して地面に突き刺さったそれは彼が展開した武装群の中にあったひとつ、ファルシオンのひと振りだった。

 先ほど振るわれていた時には気づかなかったが、そのファルシオンもまた指輪と同じく薄光を纏って輝いていたのだ。

 

 「再生者の指輪プラス、『祝福されたファルシオン』の二重自動回復ってことだ。ここにもう一味加えれば完璧なんだが、あいにくと今は持ち合わせてなくてな。おかげでこんだけかかっちまった」

 

 軽薄な調子は崩さぬままに、ベルモンドは気のせいかと思うほどの僅かにではあったが台詞に申し訳なさを滲ませて、キリトやアスナを、攻略組のプレイヤーたちを見回す。

 

 「オレに任せろと息巻いておいて、結局はあんた方を巻き込んで力を借りちまった。情けない限りさ、戦士の名折れだ。救世主を気取るつもりはなかったが、ここまで格好がつかないなんてな」

 

 自嘲するような調子で続けるベルモンドはプレイヤーたちから視線を外し、ファランクスへと向き直った。

 

 「しまいには同郷の友人からも叱られる始末。甲斐性なしここに極まれりだ、笑えねぇよ。いや、一周回って逆に笑えるな?」

 

 クスリ、と静かに微笑んだオストラヴァは、しかし彼に対して何かを言うことはしなかった。

 

 「ここまでくれば、もう何をしたって恥じゃあねぇ。だから、恥の上塗りをもう一度させてくれ」

 

 さながら二挺拳銃を構えるように、双のハルバードをファランクスへと向けたベルモンドは、決然とした様で大きく叫んだ。

 

 

 

 「このクソデーモンを血祭りに上げるのを、アンタらにも手伝って欲しい!! 今ここに、人間の手による勝利を!!!」

 

 

 

 応、と力強く答える声は、実に四十三。

 しかし、その場に居た誰もが、ここには居ない彼らの指揮官、彼らを導いた青髪の騎士の声が、たしかに耳朶を震わせたのを感じた。

 ベルモンドは、オストラヴァは、キリトは、アスナは、エギルは、キバオウは、攻略組のプレイヤーたちは。

 アインクラッド迷宮区第一層攻略隊は、今こそ天壤を震わす雄叫びを上げて、死の軍隊に高らかに宣戦した。

 

 

 

 

 

 「「「「「「勝とうぜ!!!!!!!!!!!!」」」」」」」

 

 

 

 

 

 四十三の、否、四十六のウォークライが戦場に轟々と木霊し、自由を求める生者のたちの行進の関が切られた。

 雪崩を打つ戦士たちの中、キリトは先頭を行くベルモンドへと問いを投げた。

 

 「勢いがあるのは結構だけど、ちゃんと勝算はあるんだろうな!?」

 

 「オーライオーライ。そりゃあもちろんアリアリだ!」

 

 答えと共に掲げられたのは、先ほどソードスキルを放つのに用いられた右のハルバード。

 近くに居る今だからこそ分かったが、その斧槍はほのかに熱を帯びていた。

 

 「ファランクスには弱点がある! ひとつ、盾のない側面や背後を突け! こいつは当たり前だな、猿でも分かる。ふたつ、魔法や奇蹟を使え! まぁもっとも、この方法はこの世界だと使えないみたいだから、除外だ。そしてみっつ、これが今現在切れる最高の、そして最強の手札だ!」

 

 言い様、戦士たちの先頭に躍り出たベルモンドは右のハルバードに青白い光輝を漲らせた。

ソードスキルのアジャストの構えだ。

 

 「第三の弱点! それは………!!」

 

 のみならず、なんと斧槍は赤き炎熱を吹き上げて燃え盛り始めた。

 赤と青の螺旋を纏ったハルバードを翳し、ベルモンドはファランクスへと、突撃槍の如くに進撃した。

 

 

 「こいつらは、炎に極めて弱い!!!!」

 

 

 炎を帯びたハルバードによる突進ソードスキル『レイジスパイク』が、ファランクスたちを一挙に炎上させた。

 その言どおりに、黒きスライムたちはその身を大きく悶えさせて次々と消滅していった。

 ベルモンドはダッシュの速度は緩めないまま、ハルバードを豪快に旋回させてファランクスの包囲網をまるで砂の楼閣を崩すようにあっさりと破城していった。

 

 「この『竜のハルバード』ならば、効果は覿面! さらに、ソードスキル? ってんだっけか? この世界にはずいぶんといい技があるんだな! どんなデーモンだって楽勝で殺せそうだ!!」

 

 「あ、ああ…… ていうか、なんでハルバードで『レイジスパイク』が撃てるんだ? それ、片手剣用のソードスキルなんだが…」

 

 「さあな! 打ってよし、突いてよし、切ってよしの三拍子揃った武器ってのが、こいつの素晴らしいところだからな、そういうことじゃねぇのか! んなことより構えろ! もうそろそろ楽しいパーティもお開きだ!」

 

 背後に攻略組のプレイヤーたちがファランクスの残党とやり合う音を聞きながら、ベルモンドとキリト、それにアスナとオストラヴァの4人はファランクスの包囲網の、その中心へと至った。

 

 「オストラヴァ! やっちまえ!」

 

 「言われなくとも!」

 

 進み出たオストラヴァによる左薙ぎ払いから突きまで繋げる三連コンビネーションの前に最後の黒スライムたちが崩れ去り、ファランクスはついにその正体を晒した。

 

 「これが……ファランクスの本体………!?」

 

 息を飲んだアスナの台詞には、どこか拍子抜けするような響きがあった。

 

 「ああ。これが、こいつらの司令塔、本体ってわけだな」

 

 ベルモンドの頷きにも、やはりどこか軽んじるようなニュアンスが含まれている。

 それもそのはず。

 

 黒スライムたちが敷いていた堅牢極まりない密集陣形、その中心に座していたのは、仄白い光を放つ身体を蔦状の物質で覆った、一体の大きなスライムだった。

 配下の黒スライムたちよりもふた回りほど大きな、小山のようなそのスライムは、しかし武装らしきものを何一つ装備していなかった。

 ベルモンドが、うりうりとハルバードの先端で小突くと、仄白き親玉スライムは怯えるように巨体を引きずってキリトたち一行から距離を取ろうというのか、のっそりと逃走を開始した。

 

 「……なんか、哀れだな。これが、あいつらの大将なのか」

 

 「なんだぁ? 敵に情でも移ったか? やめとけ。こいつはデーモンだ、情けは要らねぇ」

 

 「分かってるよ、それくらい。現にこいつは、ディアベルの仇だ。容赦をするつもりも、ない……!」

 

 手にした『アニールブレード』を構えるキリトを見て、そいつは重畳、とベルモンドは肩をすくめた。

 彼もまたキリトに倣い、双のハルバードをファランクスの親玉目掛けて構える。

 

 「あーっと、そこの女形の……」

 

 「キリト、だ。あと、俺の顔のことはほっといてくれ」

 

 「悪い悪い。んじゃま、キリト? いい加減、幕引きと行こうぜ」

 

 「ああ……!」

 

 ベルモンドのハルバードには炎をまとった青と黄緑。

 

 キリトのアニールブレードには空色。

 

 アスナのレイピアには薄紅色。

 

 オストラヴァのルーンソードには青。

 

 4人の戦士が掲げた武器に、ソードスキルのライトエフェクトが輝いた。

 

 「決め台詞は、あれだな?」

 

 「ええ、あれでしょう」

 

 「あれしかないな」

 

 「あれでいくわよ」

 

 すうっと一息の深呼吸の後、終戦を告げる鬨が勇ましく響いた。

 

 

 

 

 

 「「「「勝利を!!!!!!!!!」」」」

 

 

 

 

 オストラヴァの『ホリゾンタル』が切り裂き、アスナの『リニアー』が雨あられと降り注ぎ、キリトの『バーチカル・アーク』が縦に二連の斬痕を刻み、ベルモンドの『ソニックリープ』、『ヘリカル・トワイス』が叩き込まれ―――――

 

 

 『THE DEMON WAS DESTROYED』

 

 

 メッセージがポップされると共に、ファランクスは断末魔の叫びを上げて、光へと還っていった。

 

 「っはー………勝った、な」

 

 「ああ………勝ったんだ」

 

 どちらからともなく迷宮区の冷たい床に倒れ込みながら、ベルモンドとキリトは、誰とはなしに己たちが成し遂げた戦果をぽつりと呟いた。

 

 

 次第に大きくなっていく歓声を耳にしながら、ベルモンドは静かに目を閉じた。

 

 

 ――――――――――――――

 

 「おら、キリト。これ、お前が取っとけ」

 

 無造作に放り投げられたアイテムを慌ててキャッチしたキリトは、たたらを踏みながらベルモンドの方を見やった。

 散らばっていた武器を拾い集め、形骸でしかない状態で張り付いていたプレートメイルを鬱陶しそうに引っペがしながら、彼は身支度を済ませようとしていた。

 展開したそれが、本来の第一層フロアボスのコボルドロードのラストアタックボーナスアイテム『コートオブミッドナイト』であるのを尻目に、キリトはベルモンドの元へと駆け寄った。

 

 「ん? なんだよ、そんなにジロジロ見やがって。ちょっと可愛いナリしてるからって、オレにそんな趣味はねぇぞ」

 

 「礼をまだ言っていなかっただろ。俺を、そしてみんなを助けてくれて、ありがとう」

 

 キリトの真っ直ぐな視線と言葉に、居心地が悪そうな顔をしてベルモンドは適当に返す。

 

 「いいってこった。デーモンを狩るのがオレの仕事、というか使命みたいなもんだからな。当然の義務を果たしたまでよ」

 

 「それなんだが、ずっと気になってたんだ。おたくがさっきから口にしてる『デーモン』って、いったいなんなんだ? あいつらみたいな異常なのが、もっと他に居るのか?」

 

 「さあなぁ。ここはどうだか分からんが、世界には実にたくさんのデーモンが巣食ってやがる。あれは、そんな中のたった一匹だ」

 

 「質問に答えろ。デーモンが何なのか、って聞いてるんだ」

 

 焦れたように問いを投げるキリトの声に、ベルモンドは露骨に面倒そうな顔を作った。

 彼が大義そうに鼻を掻いていると、

 

 「せやせや! そこの坊主の言うとおりや! 知っとること、全部吐いてもらおうかい!」

 

 便乗するようにイガグリ頭の戦士、キバオウがベルモンドへと食ってかかってきた。

 ベータテスト組が気に入らない彼のことであるから、ベルモンドが握っているであろう既得権益が我慢ならなかったのだろう。

 詰め寄ってくるイガグリ頭にやれやれと嘆息しつつ、ベルモンドは唐突にキバオウに向けてハルバードを構えた。

 

 「ひぃっ………!?」

 

 一気に場の緊張感が高まる中、仕手であるベルモンドだけが暢気そうにあくびを噛み殺している。

 気だるげな態度はそのままに、ハルバードを更にキバオウへと押し付けてベルモンドは宣う。

 

 「るっせぇぞ。このチンチクリンが。オレはお前らの命の恩人、並びに救いの神様だろうが。素直に敬って、黙ってありがたがってればいいんだよ。余計なことに首突っ込むもんじゃねぇ。でなけりゃその首、永遠に体とハイサヨウナラさせてやってもいいんだぜ?」

 

 「ふ、ふざけたこと抜かしよって………やれるもんならやってみいや! PKなんぞしたらどんな目に遭うのか、知っててこんなマネしよるんやろなぁ!?」

 

 「P……なんだって? 知らねぇな、食い物か? よく分かんねぇけど、ここでチンチクリン一匹の首塚作ることに、別段抵抗なんかねぇよ。気になるのは減っちまうだろう武器の耐久値だが、それもお前の死体から失敬した財布で賄えばいいだけだ。ふざけたこと言ってんのはどっちか、もう一度よく考えるこったな」

 

 「チィッ………」

 

 ハルバードがなければ罵詈雑言の嵐でも飛ばしたげな様子で、悪態をつきながらキバオウは渋々といった様子で引き下がり、ベルモンドはそれをニヤニヤ笑って眺めていた。

 

 「行儀がなっていませんね、ベルモンド?」

 

 「いでぇっ!? ………っつー……! なにしやがんだオストラヴァ!!」

 

 「なにしやがんだはあなたのほうです。同じボーレタリア人として大変恥ずかしい振る舞い、少しは自重してください」

 

 ベルモンドの脳天に拳骨による制裁を加えながら、オストラヴァは彼を促すように背を向けた。

 ぶつぶつ言いながらベルモンドも彼に倣ってボスフロアを辞そうと、2階への扉へと足を向けた。

 

 「つくづく破天荒な奴だぜ、まったく。また会おうぜ! ベルモンドとやら!」

 

 威勢のいい声を張り上げて手を振るエギルに応え、背を向けながらベルモンドはひらひらと手を振った。

 

 「ワレェ!! この借りはキッチリ返させてもらうで!! 覚えとけやコラァ!!」

 

 ダミ声を飛ばして後ろ姿にぶつけてきたキバオウの声に、ベルモンドは背を向けながら中指を突き出して挑発を置いていった。

 

 

 

 

 そうして扉をくぐり、第二層へと登る階段を踏みしめながらベルモンドはオストラヴァに向けて声を掛けた。

 

 「『この世界の人間には、デーモンのことは可能な限り伏せておいたほうがいい』、か。確かにその通りかもしれないな。あいつらは、命のやり取りにまるで慣れていなさすぎる」

 

 答えるオストラヴァの声にも、同意の意がにじみ出ていた。

 

 「無理からぬことです。我々の世界のように常に人々が争い合う世界もあれば、彼らのように命のやりとりにさっぱり触れないまま、生きていける世界もある。どちらが正しい世界のあり方かなんて、我々には論じる資格すらないでしょう」

 

 「だな。どっち道、あいつらはその目でデーモンを目の当たりにしちまったんだ。もはや関わらないで生きていくほうが、よっぽど難しいか。やーれやれって感じだな………お?」

 

 驚きの音を洩らしたベルモンドの声に、オストラヴァも背後を振り返った。

 

 

 「っはあ…! はあ…! 登るのが…速いな、アンタたち…!」

 

 「ちょっとくらいゆっくり行ってくれても、いいじゃないですか……!」

 

 

 軽く息を弾ませて、キリトとアスナの二人組が下から追いついてきたのだ。

 

 「いや……なんで当たり前のようについてくるんだ、お前ら?」

 

 「勘違いするな。俺はアンタたちについてきたわけじゃない。ただ、誰よりも先に第二層へと踏み出したかっただけだ」

 

 「なるほど。新天地へと一歩を踏み出すことは、たしかに心躍りますからね」

 

 「あ、分かるんですか、オストラヴァさんにも。私、ずっとこの時を楽しみにしてたんです」

 

 「ええ。私も昔は、諸国を巡る放浪の旅をしていましたから。新たな土地の空気を胸いっぱいに吸い込んだら、旅の疲れなんて一息に吹き飛んだものです」

 

 「放蕩王子め……で、下の方はいいのか? 戦利品山分け大会で盛り上がりでもしてるんじゃねぇのか?」

 

 「考えただけで面倒くさい。俺はもう十分稼いだ。これだけでいいさ」

 

 新しく身に纏った黒のコートを翻し、キリトは満足そうに笑んだ。

 それを見て、ベルモンドもつられて思わず笑みを浮かべてしまった。

 キリトはすっきりした表情で、気にかかっていたことをベルモンドへと尋ねてみた。

 

 「アンタ、キバオウを挑発したのはワザとだな? いろんなごたごたを、全部自分に向けさせるためにヒールを演じた、とか?」

 

 「悪ぶったってのか? ないない、オレはどこまでも自分本位さ。他人がどんな思索巡らせてようと、オレにはなんも関係ないね。知らん知らん」

 

 「……本当に、食えない男だ。いろいろアンタから聞きたかったんだが、とりあえずそれはまた今度にしようかな」

 

 「それがいい。今日はもう帰って寝たい気分だからな」

 

 言ってあくびをかますベルモンドに、キリトは真正面から向き合って言った。

 

 

 「俺を、フレンド登録してくれないか」

 

 

 あん?とけったいそうな顔をするベルモンドに、キリトはあくまでも真摯な顔のままだった。

 そんな真面目な顔つきのキリトを見たベルモンドは、あくまでも軽佻浮薄に、フンと笑って答えた。

 

 「フレンド? 登録? 分り難い言葉を使うんじゃねぇよ」

 

 傍らのオストラヴァも、静かに笑みを湛えている。

 

 「言われるまでもないさ。オレは助太刀に入ったその時から、とうにお前らとはトモダチのつもりだったぜ?」

 

 

 

 

 気づけば4人は、扉の前に立っていた。

 重苦しい音を立てて開く扉に、ベルモンドとオストラヴァは背を向け、キリトとアスナは一歩を踏み出した。

 

 「では、縁があればまたどこかで。お二人共、お気をつけて」

 

 「オストラヴァさんにベルモンドさん!二人もどうか元気で!」

 

 「レディはしっかり守れよ、キリト。達者でな」

 

 「いちいち一言余計だな。言われなくてもやってやるさ」

 

 別れの言葉もそこそこに、4人はそれぞれの道を踏み出した。

 

 キリトとアスナは上へ。

 ベルモンドとオストラヴァはどこかへ。

 

 やがて4人の姿が見えなくなっても、扉は下から上がってくる人間のために、ずっとその入口を開いたまま。

 開き続けているその扉の向こうには、明るい未来を暗示するかのように、澄み渡る青空がどこまでも広がっていた。

 

 

 

 第一層フロアボス攻略戦、終了。

 討伐、イルファング=ザ=コボルドロード。

 死亡、ディアベル。

 

 殲滅、ファランクス。

 

 

 

 かくして激動の初レイド攻略戦は、その幕を下ろすこととあいなった―――

 

 

 

 

 「………あ」

 

 「ん、どうかしましたか、ベルモンド?」

 

 「いや、ふと気になってな。なぁ、『フレンド登録』って、具体的には何をするんだ? てか、どういう意味なんだアレ?」

 

 「………もしかして、何も知らないであんな恥ずかしいセリフ言ってたんですか? あなたは」

 

 「まぁな。で、何なんだよそれって。なぁ?」

 

 「……あなたはとりあえず、キリトたちとは『フレンド』では無いということです……」

 

 「え゛!? 嘘だろ! オレたしかに友情宣言したじゃないか! なのにフレンドじゃないなんて、そんなヒドイ話があるか! なぁ!」

 

 「………アンバサ………」

 

 




今回のセルフツッコミ。
ハルバードどんだけ万能なんやねん!
てか最初から竜ハルバードで無双してりゃよかったじゃん!

次は、SAO開闢のあの日の話です。
ではまた次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剣の世界が堕ちた日

 

  懐かしい夢を、見た気がする。

 

 

 ――初めてあの神殿に喚ばれた日。

 

 ――打ち捨てられた鉱山の頂で見た夕焼け。目を焼くような溶岩の赤。竜の神。

 

 ――監獄と化した象牙の塔。女王の偶像。狂気の翁。

 

 ――腐りきった谷。底なしの毒沼。最も尊き聖女。

 

 ――打ち捨てられた祭祀場。彷徨う骸骨。嵐の顕現。

 

 ――三柱の英雄。刃を向けざるを得なかった友。王の似姿。

 

 

 

 ――――古き獣―――――

 

 

 ああ、誰かが呼んでいる。

 

 この身を呼ぶ声が、聞こえる。

 

 できればこのまま、永遠に微睡んでいたい。

 

 だけどその声は暖かくて。

 

 この微睡みよりも、ずっと恋しくて。

 

 だから、目覚めなければならない。

 

 この懐かしき夢から、目覚めなければならない。

 

 そう、我が身は御身のためだけに。

 

 

 あなただけの、ためだけに。

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 『Welcome to Sword Art Online!』

 

 

 

 

 

 まず目に入ったのは、抜けるような青空。

 次に感じたのは、頬を撫でるそよ風。

 最後に手に触れたのは、青々と茂る草原。

 

 浮遊城アインクラッド、第1層・はじまりの街・西フィールド。

 

 広がる草原の片隅で、ひとりの男が目を覚ました。

 身の丈おおよそ1mと80の後半と、かなりの長身の持ち主である。

 無駄なく鍛え上げられた肉体は筋骨逞しく引き締まっており、戦場に身を置く兵士のそれを彷彿とさせる。

 年の頃は判然とせず、若いようにも老いさらばえているようにも見える。

 その理由は男の顔立ちにあった。

 彫りの深い横顔にはこれまでいったいどんな人生を送ってきたのだろうか、重く苦しい痛みと憂愁が深く刻み込まれており、尋常ならざる超然たる雰囲気――それはまるで、人間ではないもっと別の『ナニカ』であるかのような――を漂わせている。

 どちらかと強いて言えば、老成しているように見える比率の方が高い容貌だろう。

 今はその相貌を眠りから覚めた直後の浅い微睡みによって、眠たげなどこか茫洋としたものとさせていた。

 

 大の字の姿勢で仰向けに寝そべっていた彼は、しばらくの間そのままぼんやりと空を眺めていた。

 やがて意識がはっきりしてきたのか、はたまた空模様を見続けるのに飽きたのか。男はのそりと上体を起こして辺りを見回し始めた。

 

 左手、遠くの方で何人かの人間が手に手に刀剣を携え、己が得物を振り回してみては何が面白いのか声を立ててはしゃいでいる。

 右手、これまた遠くの方で二人の男がイノシシと向き合っており、赤毛の男がイノシシに体当たりをかまされ盛大に吹っ飛ばされていた。

 そこまで見て後ろを振り返った男の視界には、ひとりの女性の姿があった。

 

 

 

 「お目覚めになりましたか? デーモンを殺す方」

 

 

 

 真っ黒。

 第一にその女を見て受ける印象を、大半の人間が間違いなくそう答えるだろう。

 全身にはまるでそのようなデザインの服を着ているかのように、隙間なく黒い布をまきつけており、ぼさぼさで手入れもしていないであろう黒髪は短めのボブカット気味で、長い後ろ髪は無造作に三つ編みで結えられている。

 手には長い灯火杖を捧げ持っており、纏った黒衣も相まって、後ろ暗き魔導の徒である『魔女』のような印象に拍車をかける。

 その顔の上半分。

 黒い蝋のようなもので、彼女の目元は無惨に潰されていた。

 靴の類を履いていない素足の所以は、光を拝することが叶わないであろうその眼のためか。

 

 異形な風体の真っ黒なその女性―――『黒衣の火防女』の姿を見とめた男は、刹那、なんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべた。

 嬉しいような、悲しいような。

 笑っているかのような、泣き出す寸前のような。

 再会を懐かしむかのような、二度と逢いたくなかったかのような。

 抑えきれない恋慕の情か、荒れ狂う殺意の念か。

 

 男の表情が見えない火防女は返答が返ってこないことに対し、不思議そうに首を傾げている。

 

 「デーモンを殺す方、どこか良くないのですか? もしかしたら、召喚の仕方が悪かったのかもしれません。よろしければ、具合を診させて………」

 

 「ああ、いや、結構。オレは極めて健常そのものだ。問題ない」

 

 慌てて返事をした男の貌からは先ほどまでの凄惨な表情は既に消えており、元の巌の如きそれに戻っていた。

 

 「ああ、よかった……あなたの身になにかあったら、どうしようかと……」

 

 余計な心労をかけまいと発された男の声を聞いた彼女は、ほっとしたように顔を綻ばせた。

 目元が潰されてしまっている彼女の顔は、ともすれば『醜悪』とそう捉えられても仕方が無いかもしれないほどに残酷な様相である。

 そんな彼女に、男はただ慈しむように静かに肩に手を置くだけだった。

 男の瞳に浮かぶ感情の色には、怪物じみた容貌に対する嫌悪など微塵も存在しなかった。

 隠し様も無い思慕と、それと同等の深い哀れみの色。

 あえて表現するなら、そんな思いが湛えられた視線。

 

 「なんにもないさ……オレのことなんか、心配いらないよ……」

 

 男は、独り言のようにそう静かに呟くのみだった。

 

 ――――――――――

 

 「さて、大事なことを聞かなきゃならん。火防女(メイデン)?」

 

 彼の他には誰も呼ぶことのない変わった呼び方をして、男は火防女に改まった様子で尋ねた。

 

 「はい、なんでしょうか」

 

 「まずひとつ目。この世界は、なんだ?」

 

 それは彼が意識を得てからこっち、ずっと気に掛かり続けていたことだった。

 彼がかつて身を置いていた世界と、今立っているこことでは、何もかもがまるで違うのだ。

 穏やかな陽の光も、伸びやかな青空も、頬をくすぐる風も、生い茂る植物も。

 何もかもが生き生きとして、何もかもが平和そのもので。

 遍くすべてが荒廃しきって終わりきっていたあの世界とは、何もかもが違いすぎている。

 男の問いに、火防女は極めて簡潔に答えを返した。

 

 「浮遊城アインクラッド、です」

 

 「………ふむ?」

 

 質問の仕方が悪かったか、と問い直そうとした直後に火防女は話の接穂を繋げた。

 

 「そう名付けられた世界のようです。具体的なことは私にも分かりません。少なくとも言えるのは、ここはボーレタリアとは全く異なる世界ということです」

 

 「まぁ、そうだろうな。この世界は何というか、かなり元気な世界だ。あっちほど枯れ果ててはいない」

 

 「付け加えるならば、この世界にはソウルが存在しないようです」

 

 火防女の口から出た一言に、男は目を剥いて驚きを露わにした。

 

 「ソウルが存在しない? そんなことが有り得るのか?」

 

 「考え難いことですが、事実のようです。わたしの呼びかけにソウルが応じる気配が無いのです」

 

 「ふむ……言われてみれば、たしかに感じないな。根こそぎ食い尽くされた……というのとは違う。これはやはり、元から存在しないと言ったほうが適切か」

 

 

 『ソウル』

 

 それは『魂』の力であり、『世界を認識する』力。

 生きとし生けるもの全てに備わっているそれは、使役する者に強大な力をもたらす存在。

 されど、一度ソウルに魅入られた者はその力への誘惑に逆らうこと能わずソウルの奴隷と化す。

 また、ソウルを奪われた者は世界を認識できなくなり、ソウルを無差別に他者から貪るだけの畜生へと成り下がってしまう。

 

 男が火防女の発言に驚いた理由、それはソウルを本来内包しているはずの人間がたしかにそこかしこに存在しているにも関わらず、ソウルが全く感じられないということだった。

 そんなことは本来起こりえない。生きて思考を持っている人間である以上、ソウルを備えていないわけがないのだ。そんな人間が仮に存在するとすれば、それはもはや『人間』とは呼べない別の何かだ。

 バリバリと頭を掻き回してしばらく唸っていた男は、不意に顔を上げて火防女を見つめた。なにかまた、妙な発見をしたような様子で彼は意気込んで尋ねる。

 

 「待ってくれ。それじゃ、どうやってオレをこの世界に呼んだんだ? オレをここに呼んだのはおそらくあんたなんだろう、メイデン」

 

 「はい、おっしゃるとおりです。わたしが、あなたを引き上げました」

 

 「ソウルが使えないというのに、いったいどうやって?」

 

 彼が抱えた違和感はそれだった。

 黒衣の火防女は、魂の力そのものであり異形の力である『ソウル』の業を操ることができる存在である。

 それもソウルの中でも異形中の異形、『デーモン』のソウルを自在に操ることが可能な、彼の知る唯一の存在だ。

 そんな彼女の業によって男は幾度となく助けられてきた。

 

 以前にも似たような経験をした身から言うと、魂の引き上げ、『召喚』は事実上実行可能な現象だ。 

 彼はたしかにその魂を火防女により掬い上げられ、あの『神殿』に繋ぎ留められていたのだから。

 しかしそれも、ソウルの業ありきの芸当だったはずである。

 ソウルが存在しないというこの世界で、全体どんな方法を用いたのか。

 その疑問に、わずかなはにかみと共に火防女は答えを返した。

 

 「わたしの中のソウルを使いました。あなたほどの方を引き上げるのには尋常ならざる量が必要でしたが、なんとかやり遂げることができました。本当に、成功して良かった」

 

 「なっ………!?」

 

 絶句。

 なんでもないことのようにあっさりと告げられた事実に対し、男は返す言葉が見つからなかった。

 そして気づいた。

 平常でさえ精気に乏しい彼女の顔は、今やさらに血色が失われてまるで死人さながらなまでに衰弱の相を見せていたことを。

 彼女は本来、ソウルを自在に操るその能力に見合った途方もなく強大なソウルの持ち主なのである。

 裏を返せばそれは、誰よりもソウルへの依存度が高いということでもある。

  平常ならば世界の所々に点在している――例えば、大気、水、土、そんな森羅万象に――ソウルを使って術を行うのが常道なのだ。それを全て自前のソウルのみ で行ったというのだ。いくら強大なソウルの持ち主であるとはいえ、彼女が負ったであろうリスクは、はたしていかほどのものであったのだろうか。

 

 「なんてことを………」

 

 ようやくそれだけ搾り出した男を前に、火防女はあくまでも真摯に答えるのみだった。

 

 「これはわたしの使命なのです。あなたが気にすることは何もありません。私は、大丈夫ですから」

 

 「嘘を言え。どう見ても辛そうじゃないか。いったいどれくらいソウルを使ってしまったんだ?」

 

 「少なくとも、まだ存在を繋ぎ留めていられるだけの力は残っています。ただ、これ以上のソウルの行使は難しいでしょう。力になれなくて、申し訳ありません……」

 

 「悠長なことを言ってる場合か! それに、この先どうするつもりだ? この世界にソウルが無い以上、消滅は時間の問題だろう! クソッ……どうしてこんな……」

 

 苛立ちまぎれに悪態をついたものの、現状、男にはどうすることもできそうになかった。

 己のソウルを分け与えれば、という考えも頭をよぎったが、それもその場凌ぎにしかなり得ないだろう。

 それに、目の前の彼女がそれを受け入れてくれるとは到底思えない。

 彼女にとっては、己の使命に殉じることだけが存在理由なのだ。

 その前では万象一切、例え己の命でさえも、彼女は一顧だにしないのだ。

 使命のためなら己が身を犠牲にすることすら露とも思わない彼女に、助けられるだけ助けられて何一つ報いることが出来ない。

 そんな自分が、男は腹立たしくてならなかった。

 

 「使命使命って……オレにそこまでする価値なんぞ、ないだろうに……オレなんぞ引き揚げる意味が……」

 

 言いさして、彼は唐突にあることを思い出した。

 それは彼が火防女に聞こうとしていた、ふたつめの質問。

 

 「なぁ、メイデン。オレを呼んだのがあんただというのは、たしかなんだな?」

 

 「それは先ほどから申し上げているとおりですが」

 

 「じゃあ、そういうあんたはいったいどこから来た? オレより先にこの世界に存在していたあんたをここに呼んだのはいったい……!」

 

 

 しかし男はその台詞を、最後まで言い切ることが叶わなかった。

 

 

 

 

 リンゴーン、リンゴーン。

 

 

 

 

 詰問する男の声は、唐突な大音によって中途でかき消されてしまったのだ。

 

 「……なんだこの音? いったいどこから……?」

 

 周囲を窺った男は、どうやら音はずいぶんと遠くから聞こえてくるらしいということ、にも関わらずその音はまるで直接頭の中で再生されているかのように力強く響いてくるということが分かった。

 やがて男は、音の正体に気づいた。

 

 「これは、鐘……?」

 

 男の目にとまったもの、それは遠くに小さく見えた鐘楼だった。

 男が今いる草原からかなりの距離の座標に、ひとつの巨大な街が浮かんでいたのだ。

 そう、その街はどういう仕掛けか『宙空に』浮遊していた。

 目を疑うような光景に男の脳裏で、浮遊城アインクラッド、という火防女の先の言葉がフラッシュバックする。

 彼方に見えるその街の中心部には鐘楼が存在しており、今まさにそれが鳴動しているのだ。

 覗いていた『真鍮の遠眼鏡』を懐にしまい込みながら、男は意識せぬまま徐々にその顔を歪めていた。

 

 リンゴーン、リンゴーン。

 

 世界中に響いているかの如き遠雷のような鐘の音は、まるで頭の中に直接働きかけるように五月蝿く脳を揺さぶる。ただの鐘の音などではないことは明白だった。

 耳を塞ごうとして、果たしてその行動にどれほどの意味があるものかなどと考えていた男は、不意に暖かい感触を掌に覚えた。

 

 「デーモンを殺す方、気をつけてください。なんらかの術が為されているようです」

 

 火防女の他意の無い態度に、男は一瞬跳ね上がった己の鼓動に呆れていた。

 何を期待しているというのだ、お前にそんな機会が巡ってくるものか。

 火防女の手を握り返し、男は気を引き締めて警戒に努めた。

 

 「術、か。あんたがそう言うくらいなんだ、よっぽど大したモノらしいな」

 

 「規模で言うならば、世界を覆い尽くすほどです。これほど大掛かりな術は、わたそでも難しいでしょう。相当な高位者の御業です」

 

 「あんたをも上回る? そんな存在、いよいよもって信じがたいが」

 

 それこそ『神』くらいなものだろう。

 

 神、と引き合いに出してみて、その響きのくだらなさに男は自嘲するような笑みを浮かべた。

 男の世界にも、『神』と呼ばれる存在は居た。

 居た、という表現が適切かどうかは置いておくがとにかく人々が崇め奉っていた『神』という存在は、ひどく懐疑的なものだった。

 男の周りにもかの存在への熱心な信者が居たが、彼らの信仰心を男は心の中では笑っていたのだった。

 特に、その存在にまつわる極めて馬鹿らしい『真実』を目の当たりにしてからは、男には彼らがなお一層滑稽に、哀れに思えた。盲目な信仰は、どんな意味であれそれだけで救い足り得るのだと、見下して分かったようなことを宣った過去の自分に男は失笑を禁じ得なかった。

 誰よりも盲目だったのは、どこのどいつだ、と。

 

 「どうやらこの世界の神様は、ちゃんと仕事をする奴らしい。で、どんな術なんだ?」

 

 「転移の法のようです。行き先は、おそらく……」

 

 火防女の応答は最後まで続かなかった。

 本当は続いていたのかもしれないが、男にはそれを耳にすることも、その必要もなかった。

 

 

 リンゴーン、リンゴーン。

 

 今や割れんばかりの響きで最高潮に達した鐘の音が、ついに男の視界をも揺さぶり始めた。

 ホワイトアウトしていく視界の端に、己の手を握る黒衣を見ながら男の意識は鐘の音の彼方に漂白されていった。

 

 

――――――――――――

 

 「どうなってるの?」

 

 「分からない」

 

 「強制テレポート…?」

 

 まず最初に聞こえてきたのは、そんなざわめき。

 耳に続いて利いてきた男の視界には、人がぎっしりひしめく人混みが広がっていた。

 男が立っていたのは、石畳が敷き詰められた巨大な広場。

 その広大な空間に入れるだけ人を入れたような人口密度に、男は軽くめまいを覚えるようだった。

 

 (こんなに大量の人を見たのは、いつぶりだろうな……)

 

 ひとりごちる男の周囲では、しかし人垣は男を避けるようなやや離れた位置で取り巻きを為していた。

  恐ろしげな風貌の巨漢と、顔を醜く潰した黒衣の女の取り合わせに人々は皆一様に得体の知れなさを感じていたのだろう。男が首を巡らせると、ひっと笛の音の ような息と共に視線を逸らす者、気味悪げな様子で露骨に帯びている得物に手を伸ばす者、反応は様々だったが友好的でないことだけは共通していた。

 息をひとつ吐いた後、男は状況の把握に努めた。

 

 転移の術の行き先はここ、鐘楼のあった浮遊都市の中枢部であるらしい。

 世界規模という火防女の証言に違わず、かなりの面積があるこの広場を埋め尽くさんばかりの人数が転移の対象だったようだ。

 男の後にもちらほらと幾人かが転移の光と共に広場に現れ、鐘の音は徐々におさまっていった。

 改めて見てみれば、凄まじいまでの人数だ。

 軽く千は超えるだろう、下手をすれば一万は居るのかもしれない。とにかく掻き集められるだけ掻き集めて広場に詰め込んだ、という印象を男は受けた。まず間違いなく、何者かの明確な意図による所業だ。

 集められた人間に共通しているのは、皆一様に武器を帯びていること。

 どうやら戦士を生業としている者たちを狙って転移させたらしい。

 

 (戦士を集めた…か。どっかの要人(かなめびと)を彷彿とさせるな)

 

 記憶を浚って過去に出会ったとある人物のことを思い返しながら、男は胡散臭い感覚を禁じずにはいられなかった。

 ざわつく彼らの様子を見ても、やはり強制的に連行されたのは自分だけでは無いらしいことが分かる。転移という方法を用いた集団拉致、とそう断言していいだろう。

 まず間違いなく、まともな用件である筈がない。十中八九そうだ。

 あなたには従うほかないのですよ、という要人の不愉快な台詞が木霊するようで、男は気分まで不快になるようだった。

 そんな折り、ざわめきの中でひとつの声が上がる。

 

 「おい、上…!」

 

 思考の檻に囚われて俯いていた男は、群衆からやや遅れて天を仰ぎその異変を目の当たりにした。

 

 空が、赤い。

 先までの夕焼けとは違う、まるで血のようにべったりとした敵愾心を煽るような紅。

 そんな悪趣味な色に、空は一面染まりきっていた。

 これまで様々な経験を、それこそありとあらゆる魑魅魍魎と渡り合ってきた経験を持つ男にあっても、眼前の状況にはただただ驚愕するしかなかった。

 それは彼を取り巻く群衆にしても同じことだったが、彼が彼らと違ったのは、ただ慄いているだけではないところにあった。

 その紅い全天の、その奥に潜む何かに男は勘付いていた。

 

 「何か、来る………!」

 

 そして、空は血を流した。

 赤い空の間隙、赤に染まった雲の合間から赤い雫が落涙しはじめたのだ。

 紅がどろどろと零れ落ち、どろどろはやがて形を得て空にその身を固定した。

 群衆が見上げる中、形を得た”ソレ”は広場に響き渡る声で、彼らに語りかけた。

 託宣と啓示と、迷える子羊への導きを込めたその声で、語りかける。

 

 「プレイヤーの諸君。私の世界へ、ようこそ」

 

 空に浮かぶのは、赤外套を纏った巨大な人型。

 というよりも、いっそそのまま『巨大な赤外套』と、そう言ってしまってもいいかもしれない。

 目深に被られているのであろうそのフードの奥に在るべき筈の顔面は存在せず、虚空がぽっかりと洞を開けるのみだった。長く広がる外套の裾の奥にも、やはり 伸びていて然るべき脚の二本も見えない。主も居ない赤外套が幽鬼の如くに漂っているその光景に、男は不思議と既視感を覚えた。

 

 (主の無い衣。黄色の翁、か……)

 

 「私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる、唯一の人間だ」

 

 赤外套の発言に今までとは種類の異なるざわめきが生まれる。

 彼らは皆、そのカヤバという名前に心当たりがあるのだろう。

 ざわめきの様子を鑑みるに、そこそこ人口に膾炙している人物らしい。

 異邦人である自分たちだけがその名前に聞き覚えがないようだった。

 

 「諸君らも既に、メニュー画面からログアウトのボタンが消滅していることには気づいているだろう。しかし、これはゲームの不具合などではない。あくまで、『ソードアート・オンライン』本来の仕様だ」

 

 ところで、男にはずっと気に掛かっている事があった。

 それは、群衆の様子。

 先程から彼らにはこの異常な状況に対する緊張感、警戒心のようなものがどうも著しく欠けているように見受けられるのだ。

 場数を踏んだことによる練達の余裕とは趣が違う。そんな、血の滲む修羅の果ての強さによるものではない。

 これは、平和ボケによる無警戒の匂いだ。戦と死と血煙に縁のない、愚かな温室の匂いだ。

 

 「諸君らは、この世界から自発的に抜け出すことはできない。また、外部からのナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない」

 

 彼らは揃って眉目美しく、帯びた得物とは対照的に肉体も頑健さとはほど遠い。  

 戦士としての風格などまるでない、言うなれば戦士の格好だけの仮装大会だ。

 

 「もしもそれらが試みられた場合、ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君らの脳を焼き、生命活動を……停止させる」

 

 戦士もどきの彼らには、聞こえていないのだろうか。

 男の中でうるさいほどに鳴り響いている目の前の事態に対する警鐘が、彼らの中の誰か一人でも聴こえているのだろうか。

 カヤバとやらが何を言っているのか、言葉の意味は男には半分も分からない。

 だが、カヤバがいったい何を言わんとしているのか、集めた人間たちに何を告げようとしているのかはこの場に居る誰よりも男は直感し、理解していた。

 

  「現時点で213名のプレイヤーが、アインクラッドおよび現実世界から永久退場している。この現状は各メディアが大々的に報道を開始しており、世間並びに関係各位には周知の事実だ。ナーヴギアの強制的な解除の可能性は低くなるだろう。諸君らには、安心してゲームの攻略に臨んで欲しい」

 

 カヤバは、『ゲーム』という言葉を繰り返し用いている。

 彼は、ここに集められた人間たちを巻き込んでなんらかの遊戯を始めようとしているのだ。

 それも、おそらくただのゲームなどではない。

 

 「しかし、十分に留意してもらいたい。今後、ゲーム内ではあらゆる蘇生手段は機能しない。HPが0(ゼロ)になった瞬間、諸君らのアバターは消滅し―――」 

 

 力への妄執に囚われた狂気の老人を思い起こし、そういえば彼もまたこの赤外套と同じように己が囲った世界の支配者を気取っていた、ということも頭をよぎった。

 この世界の支配者が、虜囚と化した人間たちに何を課そうとしているのか。

 カヤバは、閉じ込めた人間たちに何を下そうとしているのか。

 

 

 

 「――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される」

 

 

 

 静寂が、場を満たした。

 もはやざわめきなど欠片も聞こえない。誰もが息を呑み、己が置かれた状況を理解したのだ。

 囚人たちに与えられた枷、否、奪われた自由は、己の生命の天秤の重りだったのだ。

 

 「諸君らが解放される条件はただひとつのみ。それはこのゲームのクリアだ。この浮遊城アインクラッドを第一層から百層まで踏破すれば、それでゲームクリアとなる……!」

 

 囚人に負された労役は、血塗られたバベルの塔の登攀。

 茨を踏みしめ進む、ゴルゴダの丘への道。

 無理だろ。

 できっこない。

 絶望の息吹が、あちこちで生まれ始める。

 

 「最後に、私から君たちに贈り物をひとつ与えよう。手に取って、確認してくれたまえ」

 

 カヤバの声に、人々が一様に右手を振り下げる動作を行い宙に何かを現出させた。

 男もそれに倣い、右手を振り下げてみた。

 すると男の眼前には、何やら文字入りの方陣のようなものが浮かび上がった。

 勝手が分からずあちこちを弄りまわしていたその時、周囲から驚愕の声が次々と飛び交い始めた。

 その驚天の声は、カヤバに告げられたあらゆる台詞よりも何よりも、雄弁に現実を見せつけられた群衆の悲鳴。

 見れば人々が次々と光に包まれ、その身を続々と変容させていたのだ。

 彼らが手にしていたのは、一枚の手鏡。

 その鏡が写し出したのは、彼らの本当の姿。

 

 ある者は身長がずっと縮み。ある者は横幅がぐっと膨らみ。

 ある者は人形のように整ったその理想の顔を、醜い本物の顔に変えて。

 ある者は、性別すら変わった。女物の服を身につけた男、男同士で睦まじく身体を密着させたカップル。広場に集まった人口比率は、幻想が剥がれる前とはすっかり様相を異にした。年若い女性ばかりだった広場に、もはや女性は数えるほどしか見当たらなかった。

 

 ここに、かりそめの虚飾は剥がされ、真実の光景が広がる。

 現実を覆い隠し、プレイヤーたちを守っていたアバターという目隠しはもう存在しない。

 彼らは己がこの世界に、現実に、本当に囚われてしまったことを遅まきながらようやく理解しようとしていた。

 

  「諸君らは大いに疑問していることだろう。何故、と。ナーヴギアとソードアート・オンラインを創り出した茅場晶彦は、どうしてこんな真似をしでかしたの か、と。私の目的は既に達成されつつある。この世界を創り出し、鑑賞すること。全ては、このためのプロセス。全ては、このために創られたのだ」

 

 創造主は、今高らかに託宣する。

 

 この世界の開闢を。

 

 『これはゲームであっても、遊びではない』

 

 このゲームの、起動を。

 

 

 「全ては、達成せしめられし。以上でソードアート・オンライン、正式サービスチュートリアルの一切を終了する。プレイヤー諸君、健闘を…………」

 

 言葉が切れ、赤外套はその身を宙に爆散させた。

 それがきっかけだったように紅の空はその色を元の夕焼けの赤、斜陽の光に変じた。

 いつしか誰もが口を閉ざし、再び沈黙が場を満たしていた。

 

 始まりは、おそらくひとりの少女の悲鳴。

 それが決壊のしるし。

 それを皮切りに、広場を悲鳴と怒号と狂騒が覆った。

 もう誰が何を叫んでいたのかも定かではない。

 誰もが恐慌し、誰もが恐怖していた。

 

 ふざけるな。

 

 ここから出せ。

 

 殺す気かよ。

 

 出してくれよ。

 

 嘘だと言ってくれ。

 

 帰してくれ。

 

 

 この世界の虜囚となった人々の悲鳴が、茜空に溶けて消えていく。

 慟哭と、災厄と、理不尽と、現実。

 それが、剣の世界のはじまりの日。

 デスゲームの、幕開けだった。

 

 

 

 

 ――――その日、剣の世界は始まった――――

 

 

 

 黒の剣士は、ひたすらに駆けた。

 吼えて、駆けた。

 この世界で、生き延びてみせる。

 誓いを胸に、誰よりも速く。

 

 閃光は、立ち尽くしていた。

 彼女は、気づいてしまったのだ。

 自分が踏み外してしまったレールの先、これから落ち行く奈落の冥さに。

 

 投剣使いは、悔いていた。

 ゲームであって遊びではないこの世界で、己が犯してしまったどうしようもない選択を。

 

 戦乙女は、歓喜していた。

 彼女は見出したのだ。

 己の前に拓かれた、唯一無二にして願ってもみなかった最高の戦場を。

 

 

 

 それぞれのプレイヤーの思惑の下、運命は動きだす。

 ここに、『ソードアート・オンライン』は開始された。

 

 ―――――――――――――

 

 

 それに気づいたのは、おそらく三人。

 一人は、ボーレタリアの英雄、『デーモンを殺す者』

 一人は、魂の業を手繰る者、『黒の火防女』

 そしてもう一人は、この剣の世界の創造主、『茅場晶彦』

 

 現時点では、彼らだけが気づいていた。

 この剣の世界が、密かに堕ちゆき始めていることを。

 

 

 

 

 「なっ………!? おい、メイデン! これは……!!」

 

 「ええ。たった今です。今まさに、ここから……」

 

 男と火防女は姿を変じさせるプレイヤーたちの中、その現象に驚きを隠せていなかった。

 

 

 

 

 

 

 「ソウルが……! ソウルが、現れた……!?」

 

 

 

 

 つい先程まで全く感知が叶わなかったソウルが、そこかしこで現出し始めていたのだ。

 あらゆる者に魂のこもっていないこの世界に、ソウルは存在しないのではなかったのか。

 そして、その発生源は、まぎれもなく――

 

 「戦士たち………ここに居る、人間たちからです……」

 

 男の眼前、幻が解けたかのように群衆は、光に包まれて次々と人形のようなその外見を崩れさせていた。

 その変遷の光と共に、今まで全く感じられなかったソウルが、人間たちの身体に宿り始めていったのだ。

 

 「どういうことだ……!? どうして急に、それも一斉に……!?」

 

 「彼らは、確かにソウルを備えた人間だった。しかし、彼らの肉体は、おそらくこの世界には存在しないのです。あの赤外套の術によるものか、ここには無い彼らの肉体と魂が、今繋ぎ合わされたのでしょう……」

 

 「なんだと? この世界には無い肉体? では、いったいどこに………ッ!?」

 

 詰問の言葉を、男は続けることが出来なかった。

 男は思わず言葉を呑み込んだ。

 

 

 何かが、来る。

 

 どうしようもない何かが、取り返しのつかない何かが、この世界に現れる。

 

 

 

 「そんな……これは……まさか、どうして………」

 

 

 破滅の凶兆を前に、男は呆然と呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「デーモンが、この世界に……?」

 

 

 

  

 

 

 身も凍るような禍々しいソウル。

 吐き気を催すような醜いソウル。

 破壊と暴虐と殺戮をもたらす恐ろしいソウル。

 

 信じられない。

 信じたくない。

 しかしそれは、もはや疑いようもない事実。

 

 

 

 終わらせたはずの過去から、それは現れた。

 封じたはずの霧の底から、それは這い出てきた。

 

 

 

 デーモンが、アインクラッドに現出したのだ。

 

 

 

 

 男の脳裏には、かつての戦いの記憶が走馬灯を巡らせる。

 それは、長く、辛く、忌まわしい最悪の記憶。

 

 

 

 そして、言葉を失した男の前でそれは責め立てるように続けざまに起こった。

 

 

 

 

 「あ………」

 

 

 

 ふらりと、揺らめくように音も立てず。

 黒の火防女は、その場に静かに崩れ落ちた。

 

 「お、おい!! しっかりしろ!! 大丈夫か!! おい!!」

 

 どうにか火防女を抱きとめた男の腕の中で、弱々しい声が発せられる。

 

 「すみません……どうやら、限界です。この身を繋ぎ留められるだけのソウルが、もう残っていない、ようです……」

 

 今やもう衰弱の極み、風前の灯の有様で、火防女は心底申し訳なさそうに弱りきった微笑みを浮かべた。

 触れれば消えてしまいそうな儚い笑みを前に、男は叫び続ける。

 

 「ふざけるな!! 気をしっかりもて!! 消えるなんて許さんぞ!! あんたに消えられたら、オレはどうすればいい!! 何か、何か手は無いのか!!」

 

 「ソウルを補給する手立てが、もうありません……私のことは、もう……」

 

 「ソウルがあればいいんだろう!? だったら、今まさに目の前に……!!」

 

 喚く男の頬に、暖かさが触れる。

 火防女は、静かにかぶりを振った。

 

 「いけません……誓いを、お忘れですか…?」

 

 「…………!!」

 

 「デーモンを殺す方。忘れては、なりません……他者のソウルを、己の欲のために身勝手に使役しないと……ソウルの業に囚われないと、そう誓ったでは、ありませんか……」

 

 「それはそうだが……! そ、そうだ! デーモンが現れている!! デーモンの強大なソウルなら!! デモンズソウルなら!!」

 

 「無理です……間に合いません……デーモンを殺す方、どうか、はやまったことはなさらないでください……」

 

 「しかし……! しかし……ッ!!」

 

 「どうか、誇りを捨てないでください…気高く、あってください……そして、どうか…この世界の…人々を……」

 

 「……ちくしょう……ちくしょう……! ちく、しょう……!!」

 

 男はその巌の如き表情を、どうしようもない苦痛に歪めて打ちひしがれていた。

 男は、恐ろしかった。耐えられなかった。

 また、こんな思いをするのか。

 また、自分は助けられないのか。 

 また、自分は、彼女を――――――

 

 ――――否。

 

 もう二度と。

 

 もう二度と、あんなことは、御免だ。

 

 もう二度と、繰り返して、なるものか。

 

 もう二度と。

 

 そう、誓ったではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「………があああッ!!!!!! ああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 突如、男は天を衝かんばかりに吼えた。

 喉も枯れよと、あらん限りに叫んだ。

 叫んで、吠えて、男は頬に伸ばされた火防女の手をがっしりと握り締めた。

 

 「メイデン! 消える前に、まだやるべきことがある!! 聞け!!」

 

 「は……はい……?」

 

 「”吸魂”だ!! あんたの魂の業だ!! できるだろう!! できないとは言わせんぞ!! 早くしろ!!」

 

 「し…しかし、いったいどこから吸魂を……? 対象は、いったい……?」

 

 「四の五の言わずにさっさと構えろ!! オレの命令が聞けないのか!! やれと言ったらやれ!!」

 

 「デーモンを殺す方、あなた、まさか……!?」

 

 「うるさい!! 楔に囚われし最古のデーモンよ!! 今ここに、見せろ!! その業を、その力を!!」

 

 火防女は、男の腕の中で不意にその身を硬直させた。

 ついに、躊躇い続けていたその手を、諦めるように差し出した。

 

 「分かり、ました……」

 

 火防女の掌が、淡い光を放ち始める。

 震えた声で、火防女は誓いの言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「あなたが、世界の寄る辺となりますように………」

 

 

 

 

 

 

 掌の輝きは、今や目も眩まんばかりに強さを増していた。

 それは、獰猛に魂を欲する貪欲な光。

 ソウルを寄越せと、ぎらつく光。

 男は、貪欲な光輝を纏った火防女の手を取り、ゆっくりと腰を上げた。

 

 あたりには、恐慌する人々。

 彼らの悲鳴は実に生命に満ち溢れ、生きていることを身体中で体現していた。

 男の眼前では、魂が犇めいていた。

 迷える魂が、視界いっぱいに暴れていた。

 ひとりふたり消えても誰も気づかないであろうほどに、魂が犇めいていた。

 

 男は、静かに目を閉じた。

 口の中で、呟いた。

 

 「すまない……悪く、思わないでくれ……」

 

 

 火防女はか細く訴えを続けていた。

 泣きじゃくるかのように、哀願し続けていた。

 

 「ああ……どうか、デーモンを殺す方……どうか……」

 

 男はそれに答えなかった。

 

 

 

 「………!!」

 

 

 

 ただ光輝を纏った火防女の手を、無情に突き出しただけだった。

 

 喧騒の中、貫手が肉を抉る音が誰の耳にも届かないままひとつ、確かに響いた。

 誰にも気取られないままに、魂がひとつ。

 確かに抉り取られて、貪られ、散らしていったのだ。

 

 

 

 ―――――――――――――――

 

 ここに、剣の世界は始まった。

 

 同時に、剣の世界は堕ち始めた。

 

 創造主の意図を外れ、底の見えない絶望へ。

 

 哀れなソウルと、それを貪るデーモンと共に。

 

 

 

 

 

 その日、剣の世界は堕ちた。

 

 

 

 

 




はい。
以上、原作で言う『はじまりの日』でした。
なんかいろいろヤバイ奴らがログインしましたが、いったいどうなってしまうのでしょうか。

ところで、今回からちらっと登場し始めているのですが、次回はSAOの中でも異端中の異端、『投剣使い』にスポットを当てたお話になります。
このキャラは創作キャラなのですが、自分が作ったキャラではありません。
自分が愛してやまない、とある方の作品からお借りしたキャラなのです。
詳しくは次回で。
お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その日暮らしの投剣使い

今回登場するのは、本サイトで活動している私が敬愛する作者様である『kujiratowa』さんが描いた作品、『ソードアート・オンライン──投剣──』の主人公である、SAOでも異端の投剣使い『ツブテ』くんです。
自分、kujiratowaさんが書く作品と、このツブテくんの大のファンでありまして、この度我が駄作に参戦のお許しが出たこと、感謝してもしきれません。この場を借りて、お礼申し上げます。
本当に、ありがとうございます。
それでは、本編スタートです。


 

 2023年、3月25日。

 浮遊城アインクラッド第一層、遺跡群『リメイン・アンカー』。

 

 1万人のプレイヤーたちを巻き込んだ茅場晶彦によるデスゲーム開始の宣告から、はや4ヶ月ほどが経過しようとしている。

 昨年の12月に達成された第一層攻略を皮切りに、最前線でフロア開拓のために戦う戦士たち、通称『攻略組』の働きは実に目覚しく、現在はアインクラッド迷宮区は28層までがその扉を解放されていた。

 ほぼ一ヶ月につき7層。

 これがゲーム内での死イコール現実世界での死を意味するデスゲームであることを鑑みれば、その勢いたるや破竹の如し。いかに前線で戦い続けるプレイヤーたちが強壮な勇士であるかということを物語っていると言っても過言ではないだろう。

 

 そんな有様であるから、攻略の最前線から離れた下層エリア、特にここ第一層などは人々の活気も喧騒もすっかり寂れつつあった。

 今やこのフロアに残っている人間といえばデスゲームについていけなかった落伍者たちばかりであり、第一層はそういった彼らの安息所と相成っていたのである。

 人が集う場所である街の様子ですらそうなのだから、街から離れたここ迷宮区などにおいては、

閑古鳥が鳴いているどころの話ではない。

 過疎も過疎、プレイヤーの姿など数日に一度見かければいいほうである。

 

 

 そんな人気のない遺跡を、鼻歌交じりに闊歩する人影がひとつ。

 背丈はそう高くない。どころか、子供程度のタッパしか無いむしろ小柄なほう。

 目深に被ったフードからは顔が少しだけ覗いており、頬に三本のラインが横に走っているのが窺える。さながら、猫のヒゲのようなフェイスペイントだ。

 フード姿のプレイヤーは、人影も敵影もない閑静な遺跡群を行くあてもないのか、ただぶらぶらと歩を進めていた。

 散歩でもしているのだろうか。

 暢気そうに奏でていた鼻歌を、しかし何故か不意に中断して、フード姿は歩みを止めた。

 

 敵でも見つけたのか、否。

 罠でも引っ掛けたのか、否。

 ただ単に、前方から接近してくる人影に気づいただけである。

 フード姿のプレイヤーが何か言葉を発する前に、先に前方の人影のほうが声をかけてきた。

 

 

 「よぉ。誰かと思えば、鼠の情報屋じゃないか。元気でやってたか?」

 

 

 快活な調子で挨拶を投げたのは、精悍な印象を受ける青年プレイヤー。

 ハルバードを担いだ170後半ほどの背丈を軽く折り曲げ、気取った仕草で会釈などした男にフード姿の情報屋―――アルゴもまた愉快そうに挨拶を返した。

 

 「相変わらず、アコギに稼がせてもらってるヨ。アンタの方こそどういう風の吹き回しダ? 有名人が、こーんな辺鄙な場所をぶーらぶら。なにやら、特ダネの匂いがプンプンするナ」

 

 「ははっ、商魂たくましくて何よりだ。期待してるとこ悪いが、あいにく金になりそうなネタは持ってないぜ?」

 

 「つーカ、むしろアンタの存在そのものがスクープになりえるんだヨ。そろそろ、オイラと専属契約を結んで情報提供してくれる気にはなったかイ? 『デーモンを殺す者』、ベルモンドさんヨ」

 

 アルゴの商魂丸出しのトークに、へらりと笑みを浮かべて青年―――ベルモンドは応えを返した。

 

 「熱烈なアプローチ、大変嬉しいんだが、オレには『彼女』がいる。浮気はできないな」

 

 そう言って振り返ったベルモンドの後ろには、真っ黒な出で立ちの女性がひとり。

 二人の話を聞き、よく分かっていないような曖昧な笑みを浮かべているその女性―――黒の火防女に、アルゴは興味津々を隠そうともせずに歩み寄る。

 

 「よっ、”かぼたん”。アンタも元気そうじゃないカ。覚えているかイ、情報屋のアルゴだヨ」

 

 「ああ……鼠の方でしたか。お久しぶりです、いいお天気ですね」

 

 「えッ………」 

 

 「………?」

 

 「…いや……アンタに言われると、なんかすごく悲しくなるナ、そのセリフ……」

 

 「え? なぜですか?」

 

 「ああ、気にしないでくれメイデン。大した意味じゃないんだ、大した」

 

  

 …なァ、あの目って実は見えてんのカ? うるせぇ、見えてんだよきっと心の目か何かで。

 などとコソコソとベルモンドとアルゴが言葉を交わすのを、聞こえているのかそうでないのかやはりよく分からない様子で薄く微笑んでいるのみの火防女。

 彼女の目元は蝋で固められており、傍目からはどう見ても盲人のそれにしか見えない。

 そんな有様で空模様について言及されても、いったいどうやって返したらよいものか。

 アインクラッド1の情報通であるところのアルゴにしても、その答えは見いだせそうもなかった。

 

 ため息をひとつ吐いた後、アルゴは気を取り直すかのように話題を切り替えた。

 彼女は自分の背後を親指で指し示し、ベルモンドに水を向ける。 

 

 「見たところ、ヒマしてるんだロ? せっかくだ、ちょっくらアッチに行ってみなヨ。面白いモンが見れるゼ」

 

 「なに、『面白いモン』? なんかイベントでもやってんのか?」

 

 訝しるベルモンドに、アルゴは違う違うと手をひらひらさせて話を続ける。

 

 「話題の人間が居たのサ。アンタとはちょっとベクトルが違うタイプの、ネ。実を言うと、オイラもそいつを見に来たってワケなんダ。いやぁ、ホントびっくりしたゼ。わざわざ出向いた甲斐があったってもんだヨ」

 

 「ほぉー。情報屋のお前さんが興味を持つってことは、よっぽど大した御仁なんだろうな」

 

 「この情報はロハにしといてやるヨ。まぁ、どうするかはアンタに任せル。どうぞお好きなように、ってナ」

 

 それだけ言うと、話は終わりとばかりにアルゴはスタスタと出口の方角へ歩を進める。

 じゃあネー、と軽く手を振って別れの挨拶とし、情報屋は去っていった。

 

 「おう、そんじゃあな! また何か耳寄りな情報があったら頼むぜ!」

 

 「お気をつけて……」

 

 アルゴの後ろ姿を見届けた後、ベルモンドは傍らの火防女へと顔を向けた。

 気配を感じたのか面を上げた火防女に、笑みと共にベルモンドは提案をする。

 

 「どうせ当てのない散歩だったんだ。どうだろう、せっかくだからちょっと行ってみないか?」

 

 「そうですね。鼠の方がわざわざ教えてくださったのは、きっと私たちにも見て欲しいからなのだと思います。私は、一向に構いません」

 

 「おっし。なら、決まりだな」

 

 手をひとつ打ち、ベルモンドは破顔して火防女の手を取った。

 目が見えない故、素直に彼の手を握り返した彼女を先導する形で、ベルモンドはゆっくりとアルゴが指し示した方角へ歩き始めた。

 

 

 ―――――――――――

 

 『リメイン・アンカー』は、第一層の奥に位置する遺跡型ダンジョンである。

 入り組んだ遺跡群は天然の迷路を形成しており、遮蔽物や高低差など地形ギミックには事欠かない造りになっている。

 モンスターを上手く誘い込んで挟撃したり、会敵を避けたりする選択肢がプレイヤーにはあるわけだ。

 そのアドバンテージと引き換えにと言うべきか、ここに出現するモンスターはそこそこ厄介な手合いが多い。

 その一例が、今まさに目の前をのっしのっしと練り歩いている鉱物系モンスター、『ライクアストン』だ。

 レンガで形成されたゴーレム、と言えばお分かりいただけるだろうか。持ち前の固いボディで剣を通さず、巨体を活かした打撃とそこらへんに転がっている岩を用いた投石を行う、このエリアでも屈指の強敵である。

 経験値の入りは良いのだが、その手強さとあっという間に減耗する武器耐久値が、プレイヤーから相対する気力を奪うのだろう。

 前述の特徴に加え、機動力自体は低いため大抵のプレイヤーはこいつを見かけるとスルーするのが通例である。

 

 見れば、件のライクアストンがちょうどこちらに背を向けたところである。

 『索敵』スキルを発動させ、石人形の姿を一眸する。

 あった。

 どうやら今回は『右アキレス腱』のようだ。

 頭の中で、これからどう動くかを軽くシュミレートしてみる。

 うん、問題は無い。

 再度、こちらにはノーマークなのを確認した後、状況を開始する。

 

 物陰から躍り出て、瓦礫を握った右手を後ろに引く。

 モーション認識。身体はアシストに任せるまま、照準を己で定め―――

 

 

 

 「―――フッ!!」

 

 

 

 投剣ソードスキル『シングルシュート』によって射出された瓦礫が、ヒ(・)ビ(・)の(・)入(・)っ(・)た(・)ライクアストンの右アキレス腱に炸裂する。

 破砕音と共に、石人形が大きく後ろに仰け反った。狙い通りの当たりだ。

 動きを止めることなく、再度足元の瓦礫を拾い上げてソードスキルの立ち上げモーションを作る。

 足は止めない。ダッシュの勢いを乗せ、一投目よりも威力の乗った投擲を続けざまに右アキレス腱狙いで射ち出す。

 

 「―――ッ!」

 

 フロントステップからの高威力投剣ソードスキル『アプライト』。

 狙いあまたず、ライクアストンの右アキレス腱に瓦礫は衝突。

 続く二投により、ヒビは大きく拡散。亀裂が石人形の全身に達した。

 『アプライト』の動きを止めず、そのまま右手を左腰の位置まで持っていく。

 

 「――――ッッ!!」

 

 ダメ押しの一撃。左腰のホルスターから抜き放った千枚通し型のピック『サウザンド=オウル』を、右手を返す動きで一息に放つ。

 『アプライト』からの連結投擲。

 投剣ソードスキル『バックハンド』が、吸い込まれるように石人形に命中。

 絶命するその時まで仕手の姿を捉えることのなかったライクアストンは、虚しくガラガラと音を立て崩れ去っていった。

 

 『Congratulation!!』

 

 戦闘終了のリザルトのポップを横目に、『バックハンド』で放ったピックを回収する。

 もう何度繰り返したか分からない一連の作業を終え、伸びをして緊張をほぐした投剣使いの頭の中には、ひとつの思考があった。

 

 

 

 (………だから、『アレ』はいったいなんなんだ………!?)

 

 

 

 伸びをしつつ、こっそりと視界の端に映したのは、柱の影からこちらを窺うひと組の男女。

 

 ひとりは、快活な顔をした青年。

 得物なのだろうか、ハルバードを背負ったその青年は、柱からひょっこりと上半身を出すという隠れているというにはいささかお粗末な姿勢を取り、雰囲気だけは隠れる気満々の様子でこちらに視線をじっと向けている。

 もうひとりは、真っ黒な出で立ちの女性。

  漆黒の衣を身に付け、目元は何やら蝋のような物で黒く目隠しが為されているらしい異様な風体のその女性は、男よりも更に露骨に柱の影から身を乗り出してこちらを眺めている。いや、その塞がった目で眺められているのかどうか定かではないが、とにかくこちらへと視線(?)を送っている。

 

 最初に気づいたのは、半刻ほど前だったろうか。

 『索敵』スキルに引っかかるオブジェクトが二体、近づくでもなく離れるでもない微妙な距離を保ってこちらの動きに追従するのを発見した。

 すわ、敵がこちらをつけているのかと一瞬焦ったが、今までそんな動きをするモンスターは居なかったし、こんな低階層のダンジョンにそんな高度なAIを備えたエネミーが配備されているワケが無いと、ひとまず警戒だけは怠らないことにしていた。

 その内、何回か敵と戦闘に入ったが、相変わらず二つの反応は戦闘に介入するでもなく、ただひたすらにこちらを観察するかのように一定の距離を保つのみだった。

 

 (いい加減、正体が気になるな………よし)

 

 反応に気づいてから三体目のライクアストンと戦う最中、回避行動を取る振りをしてターンをしながら、思い切って反応の方角を確かめてみた。

 

 

 「「あ………」」

 

 

 そこには、揃って口を半開きにして驚きの表情を作る男女。

 一瞬のターンを終えて視線を切り、石人形に向かっていくと、

 

 「や、やべぇ……気づかれたかと思ったぜ……幸い、戦うのに夢中でこっちには気付かなかったみたいだが……ま、まぁ、ここはオレの華麗な隠形の術が功を奏したってことだな。うん」

 

 「流石、デーモンを殺す方。なんだか目が合ったような気がしましたが、それでも隠れおおせられるとは。ボーレタリアの英雄の名は伊達ではありませんね。敬服します」

 

 「はっはっは!! 照れること言ってくれるじゃないか! よし、メイデン! 大船に乗ったつもりでオレに続くんだ! 今のオレには、隠れんぼの神が憑いているに違いない!」

 

 などと背後でコソコソと、最後の方はもはや隠れる気などまるで無いかのような音量で、男女が言葉を交わすのが耳に入った。

 いや、何一つ上手く行ってないけどな、と心の中で突っ込みを入れて黙々と石人形と向き合うこと、小一時間。

 未だ二つの気配は消えず、相変わらずこちらを窺い続けているようだった。

 

 (あいつら、いつまでついてくるつもりなんだ……?)

 

 なんでずっとその姿勢なんだ全然隠れられてないんだけど。ていうか、なんでふたり揃って柱の影から上半身だけなんだ、明子おねえちゃんかお前らは、などともう気になりすぎて、投剣使いはそろそろ我慢の限界に達しつつあった。

 今日は既にひとり、生身のプレイヤーと久しぶりの会話をしたばかりだ。

 つい最近まで人と会話することなど皆無だったというのに、今日に限ってずいぶんと珍しいことだ。

 今更、ひとりもふたりも三人も変わりはしないだろう。

 意を決して、振り向きざまに声を投げてみることにした。

 

 「いつまでも見てないで、出てきたらどうだ?」

 

 「のわあっ!?」

 

 よほど驚いたのか、派手な音を立てて転倒した後、柱の影から青年が身を起こした。

 その顔は驚愕の一色。どうやら、本当にバレていないと思っていたらしい。

 

 「なっ……!? なぜ、看破された!? オレのスニーキングは完璧だったはず……!」

 

 「あー、その、なんというか……ごめん、普通に気づいてしまったんだけども」

 

 「そんなっ!?」

 

 「どうやら、向こうのほうが一枚上手だったようですね。ここは潔く敗北を受け入れましょう、デーモンを殺す方」

 

 「ちっ……隠れんぼの神様に見初められたオレを見つけるとは……どうやらお前は、隠れんぼ名人のようだな! いいだろう。ここは大人しく、負けを認めるとしよう! 誇るがいいさ!!」

 

 「いや……隠れんぼ名人、早速今日鼠の人に欺かれたばかりなんだけど……ていうか、誰と何の勝負をしてるんだよいったい」

 

 「何を言うか! 人間、常に何かと戦って生きているモンだ! ステレオポ○ーも歌ってるだろ、『生きてゆくことが 戦いなんて』って!!」

 

 「デーモンを殺す方、我々がそれを言うと、激しくメタいことになります。ここは、Y○Iの『Tomorrow's way』を引き合いに出すべきところでしょう」

 

 「むしろ『HINOKIO』なんて知ってる奴、今時居ないと思うんだけど……」

 

 やいのやいのと言い募り始めるふたりを前に、やれやれと投剣使いは息を吐いた。

 何だか妙なことになってきたぞ。

 そう、軽い後悔に駆られながら。

 

 ――――――――――――

 

 「ふむ、『ツブテ』か。変わった名前だな。ていうか、珍妙な名前だな。きっとエキセントリックな親御さんをお持ちなんだろう。ともあれ、よろしくな。ツブテ!」

 

 「うん、なんか当たり前のように呼んでるけど、俺もその名前で呼ばれたのは今日が初めてだ。ついでに言うと、俺の名前ですら無いからな、そのツブテっていうのは。で、そちらの……」

 

 「わたしは、ただの火防女です。かつては楔の神殿で灯りの番をしていました。大した者ではありませんが、どうかよろしくお願いします。礫(つぶて)の方」

 

 「いや、だから……」

 

 「そうだぞメイデン。礫の方、なんてまどろっこしい呼び方じゃ距離なんて縮まりっこない。親しみを込めて、ツブテと呼ぶべきだ。なっ、ツブテ!」

 

 話聞けよ、と思いつつもとりあえず笑みを浮かべ、投剣使い―――ツブテは、よろしくと二人へ向けて会釈をする。

 なにせ、いくら今日に入って二組目だとは言っても、NPCではない生身のプレイヤーと会話するのは本当に久しぶりだ。

 ちゃんと笑えているだろうかと些かの不安を覚えつつも、黙っていても埒が開かないので、こちらから口火を切ることにした。

 

 「で、あんたたち……ベルモンドに、火防女さん? いったい俺に、何の用かな」

 

 「おい、なんでオレだけ呼び捨てなんだよ。……まぁ、別にいいかそれは。いやなに、さしたる目的があったわけじゃない。たまたま、そこで知り合いと会ってな。あっちに面白い奴がいるから見物したらどうか、と言われたんだ。で、さっきまで暖かく見守ってたのさ」

 

 「知り合い、っていうと……もしかして、鼠のアルゴのことか?」

 

 「なんだ、知ってたのか。じゃあ話は速いな。とにかく、彼女の大変珍しい無償の情報にあずかった結果、たしかに面白いものが見れたってわけだ。礼を言うぜ」

 

 歯を見せて笑う青年―――ベルモンドの様子に、どうしたものかと反応に困ってしまう。

 別にこっちは、取り立てて面白いことをしているつもりは無い。

 

 

 

 ただ単に、多くのプレイヤーがそうするように剣を振るわず、『投剣』―――剣を投げて用いているだけ。

 

 

 

 ある者は臆病者の戦い方と呼び、ある者は費用対効果に合わない金欠ビルドだと言い、ある者はうっかり狙いが外れたらPKされそうでパーティを組むなど有り得ないと吐き捨てる、ただそれだけの、しがない投剣使いだ。

 傍目から見れば滑稽に映っているのかもしれないが、これでも一生懸命やっているのだ。

 デスゲームと化し、明日をも知れない剣の世界で、それなりに頑張って生きているのだ。

 

 こうして対面で向かい合っている彼、ベルモンドの様子からは悪意の色は見えないが、腹の底ではいったい何を考えているのだろう。

 ひとりで居るのが長かったせいで、軽く人間不信を患ってしまったのかもしれない。

 その笑顔を、どこか素直に信じられない自分が居た。

 緩んだ顔を少しだけ真面目なものに変えて、ベルモンドは問いかける。

 

 「聞いてもいいか。何故、投剣にこだわる?」

 

 「……こだわってる、か」

 

 生憎と、そんなに大袈裟なもんじゃない。

 そんなに、カッコいいもんじゃあない。

 

 初めは、ただ剣を振るうのとは違う、変わった立ち回りに惹かれた。

 はじまりの街を飛び出し、そこに居た猪を的にひたすらナイフを投げ続けた。

 身体をカタパルトに。

 腕を発条に。

 全身で引き絞り、ナイフを射ち出す。

 その感覚が、ただただ純粋に楽しかった。

 

 

 『ゲームであっても、遊びではない』

 

 

 変わったのは、他のプレイヤーたちでもなければ俺自身でもない。

 ゲームの難易度が、ルールが、変わってしまっただけだ。

 デスゲームと化した世界では、遊びの余地はない。

 効率性や合理性などまるで皆無な投剣使いは、自然、ソロにならざるを得なかった。

 まともに剣を振るおうと、考えたこともあった。

 しかし、アインクラッドに降り立ってからの数時間の間に身体に刻み込まれた投剣の感覚と、死のゲームとなった世界で敵と鼻面突き合わせて剣劇を交わすことに対する恐れの感覚が、それを許さなかった。

 こうして、単身ダンジョンに赴いては、その日の空腹を満たし寝床を確保するだけのコルを稼ぐため、ひとり孤独にモンスターへ向かって礫と投げナイフを投じ続ける寂しい投剣使いが生まれた。

 

 惰性と、恐怖。それに、孤独。

 

 それが、その日暮らしの投剣使いの真実だった。

 

 

 

 「ふぅーん……なるほど、な」

 

 「だから言ったろ。そんなに大それたことじゃないって。笑ってくれていいよ」

 

 おどけて笑おうとしたが、上手くいかなかったかもしれない。

 乾いた、笑いのような音が中途半端に口から洩れただけだった。

 そんな俺に、ベルモンドはひとつ頷いた後、ぐいっと身体を近づけてきた。

 

 「ツブテ。ちょっと手ェ出せ」

 

 「えっ? 手?」

 

 そうだ、と首肯するベルモンドの勢いに圧され、何が何だか分からないままに右手を差し出す。

 すると彼は、同じく右手を差し出してこちらの右手をがっしりと握り締め、座談用のテーブルとして使っていた石台へと肘を下ろした。

 テーブルを挟んで、こちらと真っ向から対峙するベルモンドの姿。

 今更ながら、彼がこれから何をしようとしているのかがやっと理解できた。

 最後にやったのはいつだったろう。もう思い出せないほど前だということは確かだ。

 でも、なぜ今、このタイミングでなんだろう。

 疑問する間もなく、彼は傍らの真っ黒な火防女に声を掛けた。

 

 「メイデン、ジャッジを頼む。公正にお願いするぜ」

 

 「分かりました。では両者、準備はよろしいですか?」

 

 「ちょ、ちょっと待て! あんた、その目でちゃんと審判とか出来るのか!? ていうか、なんでまた唐突に腕相撲!?」

 

 「おら、構えろよ。問答無用、待ったは無しだ。いざ、尋常に……」

 

 「あ、こら……!」

 

 はじめ、と火防女がのんびりと告げると同時、慌てて右腕に力を込めた。

 自分でもあまり自信のない筋力ステータスのあらん限りを振り絞り、全力で右腕を叩きつける動作を取る。

 しかし、

 

 「うおお……! ぜんぜん……ビクとも、しない……!」

 

 自分とは鍛え方がまるで違う肉体の持ち主であるベルモンド相手に、こちらの右腕はピクリとも左に傾けることが出来ない。

 全霊のこちらとは対照的に、相手方は別段力を込めているわけでも無さそうである。始まる前と全く変わらない飄々とした面のまま、彼は徐々に徐々にこちらの右腕を押し返し始めた。

 

 「ふ……ぬ……ぬ………ぬ…!!」

 

 「よっ……と……そら、勝負アリだ」

 

 必死の抵抗も虚しく、実にしめやかに卓上の戦の勝敗は決した。

 筋肉を酷使した右腕を労わるようにマッサージするこちらに、ベルモンドはニヤリと笑い顔を作る。

 

 「まぁ、まずはオレの一勝だ。次、なんか適当な石でもそこらへんで拾ってくれ」

 

 そう言いざま、足元から拳より大きめの石を拾い上げて、お前もだと促すようなジェスチャーを送ってくる。

 彼より少し小さめの、握りやすそうな石を見繕って顔を上げると、彼は10メートルほど先に屹立している、二本の石柱を指し示す。

 

 「オレは右の。お前は左のだ。じゃあ、最初はオレな」

 

 構えを作り、ベルモンドはおおきく振りかぶって剛速球で石を投じた。

 

 「おおおらああっ!」

 

 気合と共に放たれた石の速度は凄まじく、コースも正確に右の石柱へとクリーンヒットした。

 乾いた破砕音を残して石は粉々に変じ、右の石柱はその表面に浅いクレーターを作る。

 

 「次、お前だぞ」

 

 ベルモンドの促す声に、ひとつ息を吐いて一歩を前に踏み出す。

 すぐには投擲の構えに入らず、まずは石柱の表面を観察する。

 目当てのものはわりと簡単に見つかった。

 石柱の真芯から、少し左斜め下にずれた場所。

 狙いを定め、ソードスキルのモーションを起こす。

 呼吸を落ち着かせ、タイミングを計り―――

 

 「―――フッ!!」

 

 『シングルシュート』の光輝を纏った石礫が、吸い込まれるように狙いの箇所に命中。

 走っていた小さな亀裂は、石礫の衝撃により大きく拡散。

 負荷を支えられなくなった石柱は、ひびの入った真芯から横に真っ二つに崩壊した。

 背後からは、ぱちぱちぱちと拍手の音が聞こえた。

 

 「お見事、です」

 

 手を叩いて褒める火防女の言葉に、気恥ずかしいようなむず痒い感覚が走るのを感じる。

 拍手こそしていなかったが、ベルモンドもまた満足そうに頷いている。

 

 「とまあ、こんな感じか。一勝一敗、勝負はお預け、だな」

 

 事此処に至っても彼が何をしたかったのかさっぱり掴めずにいたこちらに、ベルモンドは真っ直ぐに視線を合わせて述べる。

 

 「あんたは自分のことをしがない投剣使いと言ったが、それは謙遜が過ぎるとオレは思うぜ。なんせ、この『デーモンを殺す者』から、あろうことか引き分けを奪ったんだからな。オレの故郷の連中が聞いたら、きっと腰を抜かすぞ」

 

 「……それは違うだろ。最後の的当ては、実力勝負じゃない。あんたは素の一投だったけど、俺はソードスキルを使ったんだから」

 

 反論するこちらに、有無を言わさぬ口調で彼は続ける。

 

 「オレは、『投剣』ソードスキルなんて使えねぇ。そのソードスキルは、お前にしか使えないだろ。オレは、オレの持てる全力をかけて、お前と勝負に臨んだまでだ」

 

 「……でも、俺の他にも『投剣』を取ってる奴は……」

 

 「よしんば居たとするだろう。だとしても、そいつにはお前と同じ真似が出来ると思うか?」

 

 「…………」

 

 「オレは、そんな奴は他に居ないと思うね。つまり、このアインクラッドにおいて、あの石柱をお前と同じ方法であそこまで破壊できる奴は、誰ひとりとして居ない。オンリーワンにして、ナンバーワンってわけだ。どうだ、ちょっとは自分が誇らしく思えてきただろ?」

 

 そこまで言って、ベルモンドは背を向けて歩き出す。方向は、第二層への出口のほうだ。

 火防女の手を取り、首だけこちらへ向けて、もう一度彼はニカッと笑みを浮かべた。

 

 「あんたは、その日暮らしの投剣使いなんかじゃない。その技で、きっとこの世界を切り開いていける。もっと自信を持て。お前はスゴイ奴だ、オレが保証する」

 

 「……ずいぶん、言ってくれるじゃないか。どうしてそんなに偉そうなんだ?」

 

 「オレは偉いんだよ。何しろ、世界を救った英雄なんだからな。じゃ、オレはそろそろ行くぞ。もうじき夕飯の時間だ。早く帰らないと食堂が店じまいしちまうぜ」

 

 「礫の方。どうかご健勝で、お達者で。あなたが、世界の寄る辺となりますように……」

 

 またなー。

 そう言い残し、快活な青年と真っ黒な火防女は慌ただしく去っていった。

 空を見上げてみると、たしかに日差しも傾いてきており、腹もちょうどいい具合に減ってきている。

 途中から数えるのを止めてしまっていたが、もうノルマ分は十分稼げているだろう。

 今日はもう潮時だ。引き上げることにしよう。

 伸びをした後、彼らとは逆の出口へと足を向けた。

 

 

 

 「俺は、その日暮らしの投剣使いなんかじゃない、か………」

 

 

 

 口に出して呟くと、悪くない響きだと少しだけ思った。

 今日会った人間たちのことが、頭を次々とよぎっていく。

 

 

 

 鼠の情報屋、デーモンを殺す者、黒の火防女。

 

 

 

 またどこかで会えればいいなと願いながら、投剣使いは『リメイン・アンカー』を後にした。

 

 

 

 




はい。以上、投剣使いツブテのお話でした。
作者の筆力のせいで、なんだかコレジャナイ感が出まくっておりますが、それはひとえに私めの技量の至らなかったせい故です。
ごめんよツブテくん。
彼は今後も、ことあるごとに作品に登場していく予定です。今から楽しみでなりません。

さて次回ですが、登場するのはもうひとりのオリキャラである『戦乙女』です。これは自分のオリジナルなのですが、果たして上手くキャラが立ってくれるかどうか、今から心配です。
ではまた次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦乙女は月下に舞う

今回は作者謹製のオリキャラ、『戦乙女』の登場です。
……しかし、書いていくにつれて、キャラの迷走ぶりに四苦八苦することになりました。
やはり無から有を生み出すのは難しいです。
では、はじまりはじまり。



 火花が散る。

 

 左で、右で。頭上で、足元で。遠くで、近くで。

 

 休みなく、間断なく、途切れることなく、散り続けて咲き続ける。

 

 

 

 「そこ!!」

 

 

 

 鋭い叫びが飛ぶと共に、火花は更に速度を上げて絶え間なく閃き踊り始める。

 

 鉄の花咲くその向こう側には、爛々と目を輝かせるひとりの戦乙女。

 

 その火花に、その眼光に、魅入られたら終わりだ。

 

 胸の内で考えつつも、手は決して休めることなく火花を捌き続ける。

 上がった火花のペースに合わせ、こちらもハルバードの回転を上げて応じながら、ベルモンドは新たな思索――それほど大仰なものではなく、そう、言うなれば湧き上がったぼやきを、声を出さずに呟いた。

 

 

 何だってこんなことに、と。

 

 

 

 ―――――――――――――

 

 遡ること、一時間弱。

 時刻にして、およそ21時を少し回った頃だったか。

 あたりはもうとっぷりと夜の色に沈んでいた。

 街でもいくつかの建物は既に明かりを消し、いくつかの建物から明かりが僅かにもれ出てくるだけで、プレイヤーはおろかNPCですら街路では滅多に見かけない。

 良い子ならずとも、アインクラッドではもうすっかり『寝る時間』なのだ。

 

 いわんや街の光から離れたここ、迷宮区などはもはや完全に『魔境』である。

 百歩譲って、先の見えない真っ暗闇なのはいいとしよう。

 全く良くはないが、いいとしておこう。ダンジョンによっては篝火が据えられているなどして、夜でもさほど暗くは無かったりすることが結構あるからだ。

 明かりを準備し、さて踏み込もうとすると、次に驚かされるのは昼間とは全く異なるダンジョンの様相だ。

 特にそれが顕著なのは自然系ダンジョン、とりわけ森林や渓谷の類だろう。

 仮に、真夜中の森に入ったことがあるならばそれを思い起こしてほしい。

 耳が痛くなるほどの気味の悪い静寂と、その静寂をBGMに前触れもなく唐突に聞こえてくる得体の知れない物音。

 周りに人は居ないはずなのに、何故か時折背中に感じる正体不明の視線。

 周囲でざわめく木々でさえ、自分を見て笑い声を上げているかのような奇妙な錯覚に襲われるだろう。まさに人外魔境だ。

 そんなところに好き好んで出向こうとする者はそうそう居ない。

 例を挙げるとするなら、人が少ない夜間に熱心にレベル上げに励む攻略組の戦士たちがそれに当たるのだろうが、その彼らにしても何人かのパーティーを組み、尚且つ安全マージンが確保できるような、いわゆる『狩場』でそれを行うというのが絶対の前提だ。

 

 こんな夜更けに、マッピングすらロクに為されていない森林系ダンジョンに、ましてやたった二人で乗り込もうとする者など、正気の沙汰では無いのだ。

 そう、正気の沙汰では――――

 

 「無いんだよなぁ。これが………」

 

 「文句が長いですよ、ベルモンド。口より足を、舌より目を動かしてください」

 

 ぶーたれるのはハルバードを担いだ青年、ベルモンド。

 やんわりと、それでいてぴしゃりと彼の不平を窘めるのは全身をかっちりと鉄の鎧で覆った騎士、オストラヴァ。

 

 浮遊城アインクラッド迷宮区第26層外れ、『月光の森』。

 墨をぶちまけたかのような真っ暗闇の中、木々の合間、手に提げた心細い明かりひとつだけを頼りに進んでいく人影がふたつ。

 

 「全く、何が悲しくて野郎と二人でナイトウォークせにゃあならんのだ。最悪だぜ、最悪」

 

 「麗しいレディでなくて申し訳ありませんが、いい加減観念したらどうですか。これはあなたにも害どころか益をもたらす行いなんですから」

 

 「いちいち言われんでも分かってるよ。ケッ、面白くねぇ……」

 

 ぶつぶつと悪態をつき続けるベルモンドと、それを半ば聞き流しながら先導するオストラヴァ。

 月の光も届かない鬱蒼とした森を、二人の戦士は闇を掻き分け進んでいく。

 光を放つ鉱石――『ソウルの輝石』をかざしたベルモンドは、そのわずかな明かりを頼りに周囲を一望し、先を行くオストラヴァに訝しる様に尋ねる。

 

 「しかし、本当にあるのか? 『アレ』が」

 

 「その話なら、あらかじめ言っておいたじゃありませんか。私は既にこの目で確認しました。間違いないと思います」

 

 「見間違いじゃあ無いのか? この世界はオレたちが居たボーレタリアとは違うんだぞ。実際、『アレ』の役目を果たすアイテムなら、既にもう存在してるじゃねぇか」

 

 ベルモンドの言葉に、オストラヴァは振り返らないままに答える。

 

 「たしかに、その可能性もあるでしょう。しかし、その逆もまた、あってもおかしくはありません。それに、私はこのことに関する裏付けを取るためにアインクラッド中を回れるだけ回ってみました。結果から言えば、確認が取れたのは今のところこのエリアだけなのです」

 

 「ふぅむ。どこにでもお目にかかれるわけじゃないから、今まで見かけなかった、ってか? まぁ、たしかにこいつは店なら大抵どこでも売ってるからな。わざわざ『アレ』を探すまでもないってことか」

 

 アイテムストレージから『ポーション』の瓶をひとつ取り出して弄びながら、ベルモンドは得心がいったように頷く。

 ちゃぽん、と目の前で揺り動かしてみると、瓶の向こう側でオストラヴァがこちらに振り返っているのが見えた。

 

 「そして、『アレ』の存在を知る者は、現在アインクラッドには片手の指に収まるほどしか居ない。時が経てばいずれ目聡い誰かが気づき始めるでしょうが、それにはまだ、少し早い」

 

 「だから、お前ひとりであちこち嗅ぎまわってたと。ついでに、鼠の情報屋に協力を仰がなかったのも、それが理由か?」

 

 「ええ。彼女はとても優秀ですが、それゆえにもし彼女を介せば、この情報はアインクラッド全域に瞬く間に拡散するでしょう。そうなれば、彼らの間に混乱は避けられません。無用の争いを産む前に、まずは我々で事の真偽を見極めるべきです」

 

 「常々思ってたんだが、お前って存外悪い人間なのかもな。慇懃ぶりやがって。もしや、権益を独り占めする腹積もりなんじゃあないだろうな?」

 

 「ならばなおのこと、誰にも明かさずひとりでここを訪れるのが筋でしょう。こうして不満の嵐をぶいぶいと吹かせるあなたを連れ回すのは、正直かなり面倒くさい。私も、早々に切り上げてしまいたいところなのです」

 

 「けっ、違いねぇ」

 

 鬱蒼とした森に、笑い声がふたつ木霊する。

 それからもしばらく、あることないこと、よしなしごとを何とはなしに話し続けて歩き続けてしばらく、ついにオストラヴァはその歩みを止めた。

 

 「到着しました。ここです」

 

 「ほぉ……こりゃあ」

 

 

 

 闇が、拓けていた。

 

 それまで背高く林立してそびえ立っていた木々が構成していた黒を、そこだけぽっかりと切り抜いたかのような空白、エアポケットがそこにはあった。

 ある種、人口なのではないかと思わせる程に唐突に現れたその空漠は、一軒家なら優に3つ、いや4つは収まろうかというほどの広さがあり、そこには森の全域を覆い尽くしている背の高い樹、『ノクターン』が一切生えていなかったのだ。

 切り株のひとつに至るまで『ノクターン』が存在しないのが原因だろう、それまでずっと黒く塗りつぶされていた頭上の空も、今や全天がまるごと開いたオールビュー。

 散りばめられた星々と浮かんだ月の光がしっとりと広場を濡らしており、なんとも幽玄たる雰囲気がそこには醸し出されていた。

 

 月光降り注ぐ妖精の踊り場、とでも言えばその神秘的な光景の十分の一はひょっとしたら説明できるやもしれない。

 それほどまでに、名状しがたい圧倒的な光景がそこにあった。

 

 「この森の名前を始めに聞いた時は、いったいどういう皮肉なんだと思ったもんだが、なるほど。悪くないじゃないか」

 

 「ええ。一周回って、余計に皮肉な話です。さぁ、目当ての物はあちらにあります」

 

 降りしきる月のシャワーの中を、甲冑の騎士が迷いのない足取りで進む。

 未だ物珍しそうに其処此処をきょろきょろと見晴かしながら、ハルバードを担いだ青年もそれに続く。

 二人の間に言葉は交わされない。

 木々のざわめきも遠く、夜風すら鳴りを潜めたかのように凪いだ空漠。

 しんしんと降り注ぐ月光の中、草を踏みしめる足音だけが、しばし静かに響いた。

 

 ひとしきり歩いた後、広場のとある一角で甲冑の騎士は足を止め、そこに無言で佇んだ。

 青年も立ち止まった。騎士と並び、そこにあった『モノ』をただ無言で眺める。

 しゃがみこみ、『ソレ』に顔を寄せたオストラヴァが、強く確信するように頷いた。

 

 「どうです? 自分の目で見て、納得しましたか。このとおり、この場所で自生しているのですよ」

 

 「ふん。疑いようもないな。こりゃあ間違いない。驚きだよ、随分と粋なことしてくれるじゃないか」

 

 ベルモンドも喉から唸るような音を上げて同意する。

 なおも矯めつ眇めつして『ソレ』を観察しているオストラヴァに、それで、とベルモンドは尋ねる。

 

 「どうするつもりだ。よもや、根こそぎ刈っていくなんて真似はしないよな?」

 

 「さて、それはそれでひとつの手ではあるでしょう。しかし、それはあまりに性急すぎるというもの。決断には熟慮の上の熟考が必要です」

 

 どうだかな、と白々しそうに呟いた青年。

 考え込むかのように俯くオストラヴァを尻目に、ベルモンドは欠伸をしいしい満天の星空をぼうっと眺めた。

 心洗われるような、とはこういう景色のことを言うのだろう。

 月を見上げ、傍らに居ない彼女のことを思う。

 連れてくればよかったかな、と心の隅で青年は少しだけ後悔を覚えた。

 

 「まぁ、どうせ見えはしないだろうけどな……」

 

 何か言いましたか、とオストラヴァが尋ねるのを聞き流し、ベルモンドは不乱に空を見上げ続けていた。

 物思いの海に耽っていたベルモンドの思索は―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そこな殿方お二方! ちょっとお時間、よろしいかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 月の静寂(しじま)を破って響く、凛と澄んだ声音によって現実に引き戻されたのだった。

 

 「おや。こんな素晴らしい月夜に、こんな素敵なレディとお目見え出来るとは。この月と、貴女に感謝を。こんばんは、麗しいレディ」

 

 立ち上がり振り返ったオストラヴァが、気取った台詞と共に一礼する。

 声の主は、いやですわと頬に手をやって応えを返す。

 

 「そのような美辞麗句、身に余りますわ。わたくしは麗しいなどという言葉とは程遠い、粗野で野蛮な女ですゆえ。仮にそう見えたのなら、きっとこの月の光がそうさせたのでしょうね。この月と、貴方に感謝しますわ。慇懃な騎士様」

 

 こちらも気障な言い回しで一礼した声の主は、凛とした調子を崩さずに言葉の矛先を変えた。

 

 「それで、いまだに顔も見せてくださらないそちらのお方? あなたは何か、気の利いたことは言ってくださらないのかしら?」

 

 「あん?」

 

 矛先が自分に向いたことを感じたのか、面倒臭そうに声の主を振り返ったベルモンドは、フンと鼻を鳴らす。

 

 「気の利いたことだぁ? かゆくなるようなお世辞なら、さっきそこのそいつがさんざっぱら奉ったじゃねぇか。それとも、まだ足りないってか? ったく、見上げた奴も居るもんだな」

 

 思索を邪魔されたからか、幾分か喧嘩腰のベルモンドに声の主はあらあらと笑む。

 

 「騎士様とは大違いの、無作法なお口ですこと。育ちの違いがモロに見えるようですわ。でもまぁ、実のところわたくしもかなーり痒かったので、あまり人のことは言えませんわね。騎士様は好感が持てますが、どうやらあなたのほうが信用には足るようですわね」

 

 これはこれは、と恐縮するように仰け反るオストラヴァに、相変わらず不機嫌そうなベルモンド。

 そして、何が面白いのかクスクスと笑む第三の女。

 夜の帳の月の下、集った三者の間に奇妙な空気が生まれ始める。

 それを破るように、ベルモンドは口火を切った。

 

 「もう面倒くせぇのはナシでいこう。あんた、オレたちにいったい何の用だ」

 

 問われた女が、一歩を前に踏み出す。

 降り注ぐ月光の元、その立ち姿が明らかとなった。

 

 年の頃はベルモンドやオストラヴァよりも少し若い、女性という領域にもう手が届きそうな少女。

 大人びたその印象を引き立たせる、女性にしては高めの160後半ないし170弱の背丈。

 すらりと伸びた手足は華奢な印象とは遠いシャープな輪郭を描いており、毅然とした立ち姿勢も相まって、武道の心得があることを証左している。

 月の光に美しく流れる髪は、腰まである見事なプラチナブロンド。

 慎ましやかな唇と、凛と前を見る黒曜石の瞳が目を引く、しなやかな強さを備えた貌。

 その美貌とは裏腹に、戦いの傷も生々しいハードレザー、女性が佩くにはやや武骨なブロードソード、背に負われたラウンドシールドと、身につけた装備はひたすらに実戦本位な華やかさとは対極の代物。

 強さをもって、美しさと為す。

 さながら戦乙女の如きその少女は、花が咲いたかと思われるほどに顔を綻ばせて笑みを深める。

 さも楽しげに、さも待ち望んでいたかのように、戦乙女は指を突きつけて高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

 「わたくしと、踊りませんこと?」

 

 

 

 

 

 ―――――――――――

 

 

 まったく、淑女ぶりやがって。とんだじゃじゃ馬も居たもんだ。

 これのどこがダンスなものか。頭蓋の中にカニ味噌でも入ってるんじゃなかろうか、猪女が。

 

 「余計なお世話、ですわ!」

 

 こちらの心を読んだかのような気合を放ち、戦乙女は体重の乗った斬撃を上段から振り下ろしてきた。

 

 「なら言ってみやがれ! これはなんていう踊りなんだ、よっ!?」

 

 ハルバードを横一文字に構えてそれを受け止めると、必然ガラ空きにならざるを得ないこちらの胴へと、突き刺さるような前蹴りが放たれる。

 くの字に折れそうになる身体を腹筋でこらえ、こちらもカウンター気味に前蹴りを放つ。

 

 「ご存知ないのかしら? 剣の舞(ダンス・マカーブル)というんですの、っ!」

 

 こちらから見て右へのサイドロールで蹴りを回避した戦乙女は、その勢いに任せて回転斬りを撃つ。

 ハルバードを右に立てて斬撃を防ぐと、まるでガードなど関係ないと言わんばかりの勢いで、回転斬りと同じコースの乱れ斬りが幾閃も飛来してきた。

 少女の細腕で繰り出されるものとは思えないほどに鋭く重い斬撃の累積に、ハルバードを支える両の腕が痺れを訴え始める。

 このまま防御を続けるのは危険だと判断するのと同時、斬撃の波状に晒されていた右側からの圧が、不意に消失した。

 

 「………!?」

 

 「遅いですわ!」

 

 背後から声が飛ぶと共に、こちらが振り返るより速く、逆袈裟の軌道で背が切り裂かれるのを感じた。

 

 「がっ……あぁ………!」

 

 戦乙女が放った会心の斬撃の勢いに、身体が前方へと吹き飛ばされる。

 

 「ふふん。まずは一本、取らせていただきましたわ……」

 

 得意げに宣う戦乙女の言葉は、しかし最後まで言い切られることなく遮られることとなった。

 

 

 

 「……っらああああああ!!!」

 

 

 

 吹き飛ばされる勢いに全力でブレーキを掛けてその場に踏ん張り、ハルバードの尻の部分、石突を逆手持ちで背後へと、渾身の力を込めて射ち出した。

 

 「ぐぅ………が……は……!?」

 

 手応え十二分。

 肺から空気が搾り出されたような音に続き、石突の一撃によって吹き飛んだ戦乙女が地面に叩きつけられたところまでを、ベルモンドの耳は捉えた。

 

 「ふぅ……存外、やるじゃないか。ここまでの使い手、この世界に来てからこっちとんと見かけなかったもんだが。お前さん、只者じゃあないな」

 

 息を整えつつ背後を振り向き、ベルモンドはハルバードを担ぎ、肩をとんとんと叩く。

 感じた手応えとは裏腹にさほどダメージは受けていない様子の戦乙女も立ち上がり、目を弓にして青年の言葉に応じる。

 

 「お褒めに預かり、光栄の至。そういうあなたの方こそ、並々ならぬ技前の持ち主とお見受けしますわ。どうせ、まだまだ本気では無いんでしょう? 良くてせいぜい五割ほど、といったところかしら?」

 

 「へっ、どうだかな」

 

 お互いに呼吸も落ち着いたところで、ベルモンドは戦いが始まってから今に至るまで、戦乙女の様子について気にかかっていたことを尋ねてみた。

 

 「加減してるというんなら、むしろそっちの方こそとオレは言いたいね。お前さん、何故使(・)わ(・)な(・)い(・)?」

 

 「……なんのことかしら? わたくしの戦い方に、何か文句でもお有りですか?」

 

 「文句は無いさ。実際、お世辞抜きで大したもんだと思うぜ」

 

 佇まいを見た当初は武道の心得が有るものとばかり思っていたその剣は、驚くことに我流の実戦剣術。

 力に任せた剛の剣とは趣を異にする、鋭く、それでいて重い剛柔ハイブリッドの斬撃。

 それを為すのは恵まれた身体能力と、天性の才に更に磨きを掛けてきたのであろう精緻な身体操作。

 その剣は臨機応変にして、千変万化。

 何合打ち合おうと見切ることが叶わない不可思議な太刀筋と、剣撃のみに留まらない拳や蹴りも織り交ぜられた密度の高い波状攻撃。

 どことなく高貴な匂いが漂う美しい見た目に全くそぐわない、血生臭いまでの修羅の剣。

 それがこれまで切り結んできて感じた、戦乙女に対するベルモンドの印象だった。

 

 なればこそ、解せない点がひとつ。

 

 

 

 

 「なんだってまた、お前さんはソードスキルを使わない?」

 

 

 

 

 それこそが、彼が感じていた違和。彼が感じていた異様。

 ベルモンドとて、このアインクラッドにおいて全てのプレイヤーと剣を交えたわけではない。

 しかし、それほど多いわけではないこの世界での経験から言っても、ソードスキルを使わないプレイヤーなどこれまで全く見かけたことはなかった。

 ソードスキルはこの世界において、文字通り必殺の剣だ。

 練度や好みなどにより頻度に差はあれど、対モンスターは言うに及ばず、人対人の戦いにおいてソードスキルを用いないプレイヤーなど居るわけが無いのだ。

 素の斬撃を遥かに上回る、システムアシストによる斬撃に、頼らない手は無い筈なのだ。

 

 或いは、戦乙女には何か、戦いにおいて譲れない流儀などがあるのやもしれない。

 だが、ここまでの打ち合いから、そうではないとベルモンドの勘は告げていた。

 

 「殴る蹴るまで厭わないお前さんが、勝負の決め手たるソードスキルを使わないなんざ奇妙以外の何物でもないんだよ。いったい、どういう了見だ?」

 

 切り込むように問いをぶつけるベルモンドに、戦乙女は悪びれない調子で肩を竦める。

 バレてましたの、と別段気にも止めていない様子で、彼女は答えを返した。

 

 「わたくしだって、使えるもんなら使ってますわよ。不可抗力、というやつですわ」

 

 「なに……? じゃあ、お前まさか……」

 

 「おそらくあなたが今思い描いているような、深刻な理由ではありませんわ。これはただ単に、そう、『才能』の問題なのでしょうね」

 

 才能、と青年は反芻するように呟く。

 

 「元よりわたくし、あまり人に指図されるのが好きでは無い方なんですの。なんでも自分で決めなければ我慢できない、そういう星の下に生まれたんだと思いますわ。故にわたくし、身体を勝手に引っ張っていくこのソードスキルというのが、どうにも肌に馴染みませんのよ」

 

 ぶんぶん、と戦乙女は剣を虚空に振るう。

 月明かりを映して白く軌跡を曳いた剣は、ぴたりと正眼に翳された。

 

 「笑いたくば笑えばいいですわ。剣に、振るわれるのですよ。このわたくしが。これほどの屈辱はありませんわ」

 

 笑わないさ、とベルモンドも担いだハルバードを地面に垂らす。

 

 「あくまでも己の剣を振るう、ってか。その意気や見事。この世界で、お前さんが三人目ってわけだ」

 

 「三人目?」

 

 「オレが心から敬服した、強き戦士の数さ。三人目のお前さん、いったい名前は何と呼んだらいい?」

 

 クスリ、と戦乙女は艶然と微笑む。

 光栄ですわ、そう口端に乗せて彼女は名乗りを上げた。

 

 

 

 

 

 

 「”ヴァルキュリア”、そう呼んでくださると嬉しいですわ。不遜な戦士様」

 

 

 

 

 

 

 結構、と青年はぎらつく笑みを顔に浮かべた。

 

 月光降りしきる森の空漠に、二人の戦士の昂ぶりが満ちていく。

 ボルテージマックス。エグゾースト全開。

 緊張と緊迫の臨界点で、ベルモンドの声が響き渡った。

 

 「……ひとつ、言わせてくれ。オレの名前だ」

 

 「……どうぞ。拝聴させていただきますわ」

 

 身を切るような緊張感の中、同時に地を蹴った二人の戦士の剣戟が、月光の森に激しく木霊する。

 その交錯点で、二人の戦士の叫びが衝突した。

 

 

 

 

 

 「ベルモンド、ってんだ………!! よろしくな、ヴァルキュリア……!!!」

 

 「こちらこそ………!! よしなにお願い申し上げますわ、ベルモンド……!!!」

 

 

 

 

 

 

 




今回のセルフツッコミ。
後半のオストラヴァ、空気すぎるやろ!!
ではまた次回、決着です。
それでは。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。