大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season> (白鷺 葵)
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大丈夫だ、また始まるから。
0.Wake up,hero


 吐き気を催す邪悪がこの世にあるとするならば、それは、エゴまみれの人間だ。自分たちの都合の悪いことはすべてスケープゴートに押し付け、その対象者を『絶対悪』に仕立て上げる。

 そいつらのせいで犠牲になる命の、なんと多いことか。たとえ命が無事だったとしても、被る不利益も計り知れない。立ち止まってしまえば、前回起こってしまった過ちの再来を招くだろう。

 

 治安部隊という名を借りた、一方的な統一支配。それが招いた悲劇と犠牲を、人類の有識者たちは忘れてしまったわけではない。だからこそ、彼らは彼らで、必死になって戦っているのだ。

 

 しかし、世の中では、それと逆行することを率先してやるようなバカもいる。

 ハザード・パシャ。あん畜生、名は体を表す、獅子身中の虫……奴に相応しい言葉はいくらでもあった。

 奴の策略のおかげで、クーゴの愛すべき仲間たちは、翼を雁字搦めにされているのだから。現在進行形で。

 

 

「なぜですか!? 今は、世界の危機です! こんなときに出撃できないとは、何のための軍ですか!? 何のための軍人ですか!」

 

「命令だ。黙って従え」

 

「その命令がおかしいって言っているんです!」

「そうです! 世界を救うために戦っている奴らを見殺しにするつもりですか!?」

「人を守るための軍人ではないのですか!? この命令は、軍人の本分を踏みにじっています!」

「アンタはそれでいいんですか!? アンタの頭、おかしいんじゃないんですか!?」

「あそこには、副隊長がいるんです! あの人が戦っているんです!」

「出撃許可を出してください! お願いします!!」

 

「命令は絶対だ!」

 

 

 出撃許可を出してくれと直訴するグラハムと、それを足蹴りにする上官。上官に食って掛かる仲間たちと、彼らの訴えを踏みにじる上官。話し合いは決裂した様子だった。

 

 上官からは、吐き気を催す邪悪と同じ悪意で満ち溢れている。ハザードの息の根がかかった奴に違いない。奴は着実に軍閥を作り出しつつある。

 クーゴの嫌な予感が、よりにもよって、こんな形で的中してしまうなんて。しかも、グラハムや仲間たちもその被害にあってしまうだなんて。

 自分で言ったことであるが、それが友人たちに適用されてしまうなんて思ってもみなかった。“あん畜生”、絶対許さない。そんな奴に負けてたまるものか。

 

 

「く……!」

「隊長……!」

 

 

 グラハムが、悔しそうに歯噛みした。

 握り締められた拳からは、薄らと血が滲んでいる。

 

 

「世界の敵だと言われようと、アンノウン・エクストライカーズ(かれら)が世界のために戦っているというのに……! あそこには、クーゴやベルジュ少尉、それに彼女たちだって……」

 

 

 血反吐を吐き出すような、悲痛な面持ち。人を守るために帰ってきた男からしてみれば、こんなにも悔しい状況はないだろう。だが、グラハム・エーカーは根っからの軍人だ。いつぞやのライセンサー時代でなければ、むやみやたらな行動はできない。

 何て皮肉だ。あのみょうちきりんな仮面と刹那が選んでくれた陣羽織を羽織っていた時期でなければ――一番歪んでいたときでなければ、正しいことをしようとして孤軍奮闘する人々を助けることができないとは。

 最も、当時の彼は、このような事態になっても動かないだろうが。己の望む死に方と死に場所を求めるような愚行/身勝手な行動を繰り返した傍迷惑な男(某准将談)である。一番、ライセンサーという権限を与えてはいけなかった存在であった。

 

 今の彼なら、ライセンサーという肩書に相応しい存在でろう。

 しかし残念ながら、連邦軍にはそんな権限自体が存在しない。

 

 

(……生存報告できるような空気じゃないな、これ)

 

 

 クーゴがそう思ったとき、思念が漏れたのを感じ取ったのだろう。グラハムたちが一斉に振り返った。

 

 こちらの姿を目に留めて、面々は悔しそうに目を伏せる。

 援軍に駆けつけられそうになくて申し訳ない、と、彼らの瞳が言っていた。

 クーゴは静かに首を振る。その気持ちだけで充分だ、と。

 

 

「今から、加藤機関との決戦に赴く」

 

「……クーゴ」

 

「刹那、言ってたよ。世界の敵になることには慣れてる、って」

 

「!」

 

 

 途端に、グラハムは眉間に皺を寄せる。泣き出してしまいそうに歪んだ顔を見て、クーゴは思わず苦笑した。

 予想通りだ。彼の瞳は、「だからといって、刹那が傷つかねばならない道理はない」と訴えている。

 

 

「おそらく、連邦軍もテロリスト掃討のために出撃してくるだろう。完全に四面楚歌になる」

 

 

 だけど、と、クーゴは言葉を続けた。

 

 

「それでも俺たちは、諦めずに飛ぶよ。俺たちのために頑張ってる人や、俺たちを信じてくれる人、俺たちに想いを託してくれた人のために。……その人たちの想いを背負って戦えるのは、俺たちしかいないから」

 

「副隊長……」

 

 

 ハワードが悲痛な表情を浮かべて、クーゴの役職を呼んだ。

 他の部下たちも、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

 

 

「だから……なんていうと、相当な自惚れになるんだけどさ。うん。……お前たちの想いも背負って、お前たちの分まで、戦ってくるよ」

 

 

 クーゴの言葉を聞いた面々が、大きく目を見開く。対照的に、クーゴはゆるりと目を細めた。

 ちっぽけな自分にできることは限られているけれど、諦めたくはない。だから自分は、加藤機関との戦いに赴くのだ。

 自分たちの還るべき場所を守るために、宇宙(そら)へと向かう。長い戦いになるだろう。覚悟はもう、決まっている。

 

 そんなクーゴに影響されたのか、仲間たちは顔を見合わせた。

 

 たった1回、断られただけじゃないか。出撃許可が下りるまで、何度だって食い下がればいい。もっと他にも、いい方法があるはずだ。良識派の上官に掛け合って、許可が下りるよう便宜を図ってもらうやり方だってある――。

 彼らも諦めていなかった。絶対に援軍として駆けつける、と、グラハムたちの眼差しが叫んでいる。やっと、いつもの仲間たち『らしさ』がもどってきた。これで安心して戦える。

 

クーゴは頷き、瞳を閉じた。

 

 目を閉じてもう一度瞳を開けば、目の前の光景は、地球連邦本部から愛機のコックピットへと早変わりだ。

 出撃準備は万全。目的地はすぐそこだ。作戦内容も、しっかり頭の中に入っている。

 さあ行こう。たとえ世界中から敵として非難を受けようとも、胸を張って戦い抜く。

 

 

「ブ■■ヴ・E■P-■s■onバ■■ト搭載型。クーゴ・ハガネ、出る!」

 

 

 操縦桿を握り締め、クーゴは空母のカタパルトから飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとしていた意識が戻る。クーゴは、はた、と首を傾げた。

 

 自分が何をしていたのか曖昧だったが、ややあって、それをはっきり思い出す。目の前には、クーゴが作った料理の品々――鰻のちらし寿司、鮭のあら汁、林檎とカマンベールチーズのサラダが鎮座していた。全部、クーゴが自分で作り、盛り付けた品々だ。

 あともう1品。クーゴが振り返れば、そこには野菜と果物――黄色いトマト、パプリカ、パイナップル、セロリ、バナナ、マンゴー、レモン、人参、パッションフルーツと、野菜ジュースがこれ見よがしにならんでいる。ならばスムージーを作ろう、とクーゴは思った。

 近くに置きっぱなしになっていたミキサーに材料を放り込み、スイッチを押す。物々しい起動音とともに、放り込んだ材料がすり潰され、混ざり合っていった。いい具合にできたのを確認し、ボトルに入れた。我ながら、いい感じの出来栄えである。

 

 そこまで考えて、頭に1つの疑問が浮かんだ。どうして自分は、こんな凝った品を用意したのだろう、と。

 

 何かパーティをする予定もなかったし、誰かに料理をふるまうと約束した覚えもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 不意に、人の気配を感じて前を向く。見知った顔が、4人。ハワード・メイスン、ダリル・ダッジ、ジョシュア・エドワーズ、アキラ・タケイ――いずれも、かつてユニオンのオーバーフラッグス隊に所属しており、クーゴと親交があった面々だった。

 

 彼らが身に纏っていたのは、クーゴと同じもの――ユニオン軍所属の証である青基調の軍服ではない。深緑の軍服である。未だかつて見たことのない/どこかで目にしたことのある軍服だ。

 いいや、格好もだが、クーゴを見るハワードたちの様子が、どことなく鬼気迫っているように見えるのだ。何か、自分は、知らず知らずのうちに、彼らを戦慄させるようなことをしでかしてしまったのだろうか。

 

 

(どうしたんだよ。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をして――)

 

「しょ……」

 

「え」

 

()()ァァァァァァァァっ!!」

 

 

 クーゴが言葉を言うより先に、仲間たちが突っ込んできた。アラサーのいい大人がするとは思えないほどの泣き顔で、だ。

 引率の先生ってこんな気持ちだったのか、なんて現実逃避に走るが、このままでは埒が明かない。……とりあえず、この場は。

 

 

「ほら、ご飯でも食べて落ち着きなさい」

 

 

 クーゴはどうにかして男4人の突撃から抜け出すと、テーブルの上に並べた料理を指し示す。それを視界に入れた途端、ハワード、ダリル、アキラの3人は更に涙を流して咽び泣き始めた。一体何があったと言うのだろう。

 

 おいしい、おいしいと泣きながらちらし寿司/あら汁/サラダを頬張る3人に対し、ジョシュアはぶつくさ言いながらもちらし寿司を食べ進めていく。皆ペースが速い。いい食べっぷりである。特に、ハワードたち3人のペースが突出していた。

 おいしいご飯で咽び泣いてしまうとは、3人はどんな食生活を送っていたのだろう。考えるだけでゾッとする。原因は思い当たらないわけでもないのだが、本人に悪意がないというのがネックであろう。クーゴはちらりとジョシュアを伺い見た。

 彼らは皆、ちらし寿司/あら汁/サラダをかっこむようにして食べながらも、じっくり味わっている様子だった。その様が、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とでも言いたげな表情である。

 

 

「おかわりあるから、好きなだけ食べな」

 

 

 ほら、と、追加分をテーブルに乗せる。彼らはそれを見て目を点にし、幾何かの間をおいて、また咽び泣きながらの食事を再開した。

 時間が経過するにつれ、彼らも落ち着いてきたらしい。大きく息を吐いて、ゆっくり食べれるようになったようだった。

 

 これなら、会話を振っても大丈夫だろう。

 

 

「なあ、その軍服、どうしたんだ? ユニオンのものとは違うみたいだけど……」

 

 

 クーゴの問いかけに、面々はぴたりと動きを止めた。物々しい空気が漂う。

 何か、まずいことを訊いてしまったのだろうか。クーゴは内心冷や汗を流した。

 途端に、彼らは今にも泣き出してしまいそうな程に顔を歪めた。一体何が起きたというのか。

 

 

独立治安維持部隊(アロウズ)

 

 

 そう零したのは、誰だったか。

 この単語を皮切りに、面々は口火を切ったように言葉を紡ぐ。

 

 

「あの後俺たちはアロウズに招集されて、皆バラバラになっちまったんです」

 

 

 ハワード・メイスンが嘆きを叫ぶ。

 

 

「今の軍はまともではない! 非人道的な行為を繰り返している! しかも、その事実を国民たちに黙っているんだ!」

 

 

 ダリル・ダッジは義憤に駆られる。

 

 

「俺、嫌です。こんなの嫌ですよ! 隊長はおかしくなっちゃうし、技術顧問のカタギリさんもおかしくなっちゃうし、アロウズの動きもおかしいし、下される命令は虐殺まがいのことばっかりだし!」

 

 

 アキラ・タケイが涙目で訴える。

 

 

「アンタ、あの『グラハム・エーカー』上級大尉殿の副官なんだろ!? だったら早く仕事しろよ! 上級大尉殿(あのひと)の暴走を止めるのがアンタの役目だろうが!!」

 

 

 ジョシュア・エドワーズが掴みかからん勢いで捲し立てる。

 

 いきなり詰め寄られたことで、クーゴは思わず目を白黒させた。彼らの様子や言動からして、余程、彼らや親友――グラハム・エーカーやビリー・カタギリは切迫した状況にあるらしい。

 詳しい話を聞きだしたかったが、彼らの精神状態も色々と危険な状態らしい。一体、彼らに何が起こっているのだろう。そこまで考えて、自分の異常性が脳裏によぎった。が、それを吹き払うかのように、面々は言葉を紡ぐ。

 

 

「俺たちじゃ、どうしようもないんでさぁ……」

 

 

 ハワードが。

 

 

「もう、飛べないんです。自由に飛べないんです」

 

 

 ダリルが。

 

 

「お願いします。あの人たちを助けてください!」

 

 

 アキラが。

 

 

「頼むから、帰ってきてくださいよ……!」

 

 

 ジョシュアが。

 

 籠に閉じ込められてもがく鳥のように、血反吐を吐き出すかのように、苦悶の声で訴えた。

 彼らの眼差しは、痛切に訴えている。帰って来て欲しい、どうしてクーゴは『ここにいない』のだ、と。

 

 彼らの言葉を引き金にして、ずきりと鈍い痛みが走った。脳裏に断片的な光景が浮かんでは消えていく。

 最終決戦、グラハムと交わした「必ず帰る」という宣言、姉の悪意の被害者、踏みにじられた想い、牙を向いた鳥型のMA。

 視界を焼き払うような紫の光を最後に、クーゴの頭痛はぱったりと収まる。それと同時に、理解した。

 

 

(――俺は、『帰れなかった』のか)

 

 

 だから、クーゴはこの4人の現状を全く知らなかった。親友たちの現状を全く知らなかった。

 そもそも、彼らを取り巻く世界の状況もわかっていない。故に、彼らにどんな言葉をかけてやればいいのか、わからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く見ないうちに、親友がとんでもないことになってた。

 何を言っているかわからないと思うが、この言葉で察して頂けたら喜ばしい限りである。

 

 唐突な無茶ぶりで申し訳ない。

 

 オーバーフラッグスの面々が武道大会に出場して、ガンダムたちと戦いを繰り広げてたのは間近で見ていた。彼らの口から「隊長をやっていた『彼』が新たな力を得て、姿形が変わった」という話も耳にしている。

 自分がいなくなってから、オーバーフラッグスたちは大変な目に合っていたらしい。闘技場からとぼとぼと出てきた彼らに話しかけたら、「『彼』が暫く失踪したと思ったらいつの間にか帰って来て、でも、そのときにはもう性格が変貌していた」と泣きつかれた。

 元・オーバーフラッグス隊長機が新たな姿へと変わってからずっと、オーバーフラッグスたちとは別行動を取っていたそうだ。その行方は全く掴めていないという。現在の『彼』はライセンサーという特殊な地位にいて、行動制限が少ないためだ。

 

 友人たちが『姉』の陰謀に振り回されている仲間たちを見過ごせるはずがなかった。『姉』の企みを止めるために奮闘していた『自分』であったが、なかなか方法は見つからないでいる。

 

 

「会いたかった……会いたかったぞ、ガンダム!」

 

 

 向う側から聞こえた声につられて、奥の通路に向かった。多分、ここまでのノリだったら、『自分』は「ああ、アイツは何も変わってない」と力なく笑い飛ばしていただろう。

 しかし、『自分』は、すぐに『彼』が変わってしまったことを思い知ることになった。

 

 

「ヴェーダの情報を餌にすれば、必ず会えると信じていたぞ!」

 

 

 餌。その言葉に、『自分』は息を飲んだ。

 

 『彼』は決して卑怯な真似はしなかった。相手を罠にかけるという卑怯な戦術を、誰よりも嫌う性格をしていた。正々堂々、全力でぶつかり合うことを好み、それを至上としていたのに。

 誰かの大切なものを人質/餌にするようなことを、率先して行うような性格ではなかったのに。『自分』が行方不明――実質敵には死亡扱い――になっていた間に、一体何が起こったというのか。

 元からエクシアを(いろんな意味で)困らせていたけれど、そこまで酷くはなかった。確かにこんな変貌を遂げてしまえば、オーバーフラッグの面々がオロオロするのも頷ける。『自分』の場合は、彼らとは違う感情が湧き上がっていた。

 

 

「まさか、あんたがヴェーダの情報を!?」

 

「その通りだ! あの情報は、キミをおびき出すためのもの!」

 

 

 エクシアの面影を宿す『彼女』の問いに、『彼』は悪びれる様子もなく答えた。

 『彼女』は急ぎの用事がある様子だった。スターゲイザーの面影を宿す機体も、困ったようにため息をつく。

 『彼女』たちと行動を共にする異界の英雄たちも同じらしく、「何しに来たのコイツ」と言いたげな眼差しを送っていた。

 

 

「どいてくれ! 今は、あんたに構っている暇はないんだ!!」

 

 

 『彼女』は切実な響きを持って訴える。だが、『彼』は何を思ったのか、

 

 

「邪険にあしらわれるとは……ならば、キミの視線を釘付けにする! 今日の私は、阿修羅すら凌駕する存在だ!!」

 

 

 鞘から武器を引き抜き、『彼女』に突きつけた。戦え、と、『彼』の纏う覇気が訴える。

 その口調はまるで、何かを懐かしみ、その光景を慈しんでいるようにも見えた。

 

 

「ようやく巡り会えたこの機会……。乙女座の私には、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられない」

 

 

 『彼』は噛みしめるように呟く。そこは以前と変わっていない。

 

 「何を言ってるんだこの人」――周囲の面々が反応に困っている。彼らの困惑が手に取るように伝わってきた。

 スターゲイザーの面影を宿す機体は、どこか懐かしそうな眼差しを向けている。

 彼女は『彼』が暴走する様子を、「わあ元気ですねえ」程度のノリで流してしまえる猛者であった。

 

 もうどうしたらいいかわからない、と、ウルトラマンや仮面ライダーたちが頭を抱えている。知り合いなら何とかしてくれと、彼らは『彼女』に視線を送った。

 『自分』は知っている。それは、『彼女』にとって相当の重荷であることに他ならない。『彼女』が申し訳なさそうに肩を落としたのを見た彼らは、状況を察したらしい。

 

 彼らの予感を決定づけるかのように、『奴』は語り始める。

 

 

「そう。ガンダムの存在に、私は心奪われたのだ! この気持ち、まさしく愛だ!!」

 

「愛!?」

 

 

 いきなりの愛の主張に、『彼女』は素っ頓狂な声を上げた。『彼』の口調や言っている内容も以前と変わらないのに、明らかに『彼』は変貌してしまったように思える。

 スターゲイザーの面影を宿す機体以外の面々がドン引きしていた。ある種の恐怖を感じ取ったのだろう。皆、不審者を見るような眼差しを『彼』に向けていた。

 

 

「……あのー、あれはどうにもならないんですか?」

 

 

 ウルトラマン・メビウスが恐る恐ると言った感じで問いかけてきた。『奴』の言動を真正面から受け止めようとして、精神が悲鳴を上げているらしい。

 

 SAN値直葬という言葉がよく似合うメビウスに対し、スターゲイザーの面影を宿す機体はのほほんと微笑む。

 今までの言動を思い返すと、彼女は意外と図太かった。『奴』の言動を見ても、平然としているためである。

 

 

「ふふ。相変わらずだなぁ、あの2人」

 

「……アンタも動かないってことは、そういうことかよ……」

 

 

 ウルトラマン・ゼロも苦い表情を浮かべる。その横顔がげんなりとしているように見えたのは、決して気のせいではない。あの様子だと、ゼロは彼女によって、恋愛云々についてがっつりと根掘り葉掘りされたように見えた。

 彼の父親――七番目のウルトラマンも、もれなく餌食になりそうな気がしてならない。一児の父親ということは、妻に当たる相手とのアレやコレがあるわけだから、彼女が食いつかないはずがないのだ。

 他にも、スターゲイザーの面影を宿す機体に対して苦手意識を抱く面々もいた。いや、恋愛系の話には乗り切れないでいる様子だ。『彼女』たちが所属するチームは、男性が9割を占めている。……これ以上話すと埒が明かないので、閑話休題といこう。

 

 盛大に愛を叫んでいたはずの、『彼』の表情が曇る。どろりとした闇を湛えたように、カメラアイが黒光りした。昏い輝きにぞっとする。

 

 

「だが、愛を超越すれば、それは憎しみとなる。――だから、私はキミを倒す!」

 

「あんたは……ッ」

 

 

 歪んでいる、と続けようとした『彼女』が言葉を止めた。「お前が歪んだ原因は俺なのか?」――『彼女』の視線は、そう問いかけている。

 『彼女』の心を察知したのだろう。ほんの一瞬、『彼』は沈痛そうな表情を浮かべる。そうして、『彼女』を気遣うような眼差しを向けた。

 何かが脱線してしまっても、『彼』が『彼女』に向ける想いは変わらなかった。愛とは、そういう感情のことを言うのだ。『自分』は1人、納得する。

 

 誰かを傷つけるようなものは、愛と呼べるものとはいえない。

 いつかどこかで聞いた言葉。恋する少年が言っていた言葉だ。

 

 

「……私には、“これ”だけしかないんだ。いくら歪んでいると非難されようとも、こうしてキミに挑み続けるしかない」

 

「マ■■オ……」

 

「道化でなければ、守れないものがある。そうなってでも、失いたくないものがある。取り戻したいものがある」

 

 

 『彼』は痛々しいほど儚げな笑みを浮かべる。

 

 以前だったら、決して浮かべたことのない表情(かお)だ。

 だが、それはすぐに、決意と激情に歪んだ。

 

 

「……だからこそ、私は――!!」

 

 

 刀を模したサーベルを振り上げ、『彼』は『彼女』たちに迫る! 『彼女』も覚悟を決めたように、ビームサーベルを構えた。他の面々も迎撃態勢を取った。戦いが始まろうとしている。

 『自分』はそれを見ていた。少し離れた場所から、英雄たちと『彼』とのやり取りを聞いていた。そうして、思ったことがある。ただただ、感じたことがあった。それはとても簡単なこと。

 鞘から日本刀を模したブレードを引き抜き、『自分』はGNドライブを作動させた。青い燐光を纏い、緑の粒子をまき散らしながら、『彼』と『彼女』の間に割って入るかのように突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「え」

 

 

 そこは、剣道場であった。実家の剣道場とよく似ているが、この場所は違う。ホーマー・カタギリ氏の別荘にある剣道場だ。

 元日本人で剣道の有段者――珍しい二刀流の型を使う人間――として、彼とここで剣戟を繰り広げたこともあった。といっても、練習試合程度だが。

 ホーマーや彼の関係者との試合は本当に有意義だった。興味津々で素振りをしてみる者、二刀流の真似事をして竹刀を吹っ飛ばした者もいた。

 

 背後から風切音が木霊する。クーゴは振り返った。白く輝く真剣を振るっていたのは、金髪碧眼の男性だった。

 彼の顔の左半分には、大きな傷が刻まれている。しかし、彼の表情には、一切の痛々しさは感じない。

 

 男性の動きは、誰かの型をなぞるかの様な、どことなくぎこちないものであった。けれど、何度も何度も動きを練習した気配が伺える。

 

 

「それ、『彼』の……」

 

 

 奥から現れたのは、茶髪をポニーテールに結び、眼鏡をかけた学者であった。彼に視線を向けることなく、男性は言葉を続ける。

 

 

「『彼』の想いを継いで、私は空を飛ぼう」

 

 

 男性の眼差しは、窓の外へと向けられていた。窓枠の向う側には、どこまでも澄み切った青い空が広がっている。

 翠緑の双瞼が見据えるのは、男性が憧れ、手にしたいと願った空の果てへと向けられていた。

 揺らぐことのない眼差しとぶれることのない意志。眼差しの先に、男性が求める明日があるのだろう。

 

 

「そのためにも、私は――!!」

 

 

 男性はそう言って、刀を振るい始めた。

 

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

*

 

 

 

 晴れ渡る空の下、なだらかな平原には数多の石が屹立している。花や食べ物、その他の調度品やら何やらが供えられていた。その平原に屹立する石の名前を、クーゴは知っていた。

 仲間を失う度に何度も訪れ、花や嗜好品を備えた。彼らが安らかに眠れるように、と、祈りを捧げていた場所だ。――ユニオンの、共同墓地である。

 

 どうして自分はこんな場所にいるのだろう。ふと視線を落とせば、真新しい墓石が目に入った。

 墓石に刻まれた英語のスペルは『Kugo Hagane』。自分と同じ、否、自分の名前。

 

 

「……」

 

 

 ああ、と、クーゴは己の状況を察した。自分は帰還(かえ)れなかったのだから、こうなっているのは当然だろう。やはり自分は死んでいたのだな、と、素直に納得できた。

 

 墓前にはたくさんの花が供えられている。そのすべては、クーゴの死を悼む人々のものだった。

 自分は存外慕われて/懐かれていたらしい。不謹慎かもしれないが、嬉しいことである。自分は果報者であった。

 

 その墓前に、2人の男女が立っていた。

 

 女性は黒髪黒目の東洋――日本人であり、花が描かれた豪奢な桃色の着物を身に纏っている。『死者に花を手向けに来た格好』としては、あまりにも場違いな格好だった。死者を悼む気持ちなど一切感じない。むしろ、その人物が亡くなったことを喜んでいるかのようだ。

 男性は金髪碧眼の白人で、端正な顔立ちだった。だが、顔の左半分には痛々しい傷跡が刻まれている。先に行われた国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦で、男性は心身ともに深い傷を負ったのである。終戦から時間が経過したとはいえ、傷はまだまだ癒えていない。

 

 

「カタギリに、ゼロシステム(あんなもの)を与えたのは、貴女なのか」

 

 

 男は藪から棒に問いかけた。女性はきょとんとした表情で首を傾げる。

 だが、男は引かない。屹然とした眼差しで、再び問いかける。

 

 

「彼と彼女を手にかけたのも、貴女なのか」

 

 

 問いかけの形を取ってはいるが、もはやそれは確信だった。女性の漆黒の瞳と、男性の翠緑の瞳がかち合う。バチバチと火花が爆ぜていた。

 女性はくすくすと笑うだけ。男は黙って女を睨むだけ。そんな時間がどれくらい続いたのか、わからない。静かな風が吹き抜ける。

 

 

(刹那が、殺された?)

 

 

 男性の言葉に、クーゴは首を傾げた。

 

 クーゴの記憶は、姉の悪意に晒された友と天使を庇って()とされたところで途切れている。まさか、自分を()とした後も、彼女は彼らに牙を向いたというのか。

 女性の狙いはクーゴだったはずだ。クーゴを苦しめるために、クーゴの関係者を標的にすることが多々あっただけである。……もしや、刹那のことも標的にしていたのだろうか。

 思い当たる節がなかったわけではない。京都旅行で彼女たちが鉢合わせしたときのやり取りを思い出し、寒気を覚えた。幽霊でも寒気を感じるらしい。不思議なことであった。

 

 

「だから、何?」

 

「――!!!」

 

 

 女性は悪びれる様子もなく肯定した。男は反射的に拳を振り上げる。

 

 

「アタシに何か起きれば、貴方のお友達は精神崩壊する手はずになっているわ。アロウズに所属する貴方の元・部下たちも、安全じゃないかも」

 

 

 女性の言葉が意味している内容を無視できるほど、男は非情な性格ではなかった。むしろ男は、「気さくで面倒見がいい」と言われる部類に入る。男は大きく目を見開き、口元を戦慄かせる。この場で男が動けば、そのしわ寄せが仲間たちに及ぶのだ。

 そんな脅迫をされれば、彼がどんな反応をするか、クーゴは知っていた。この女性が、そのすべてを最初から理解していたうえで、男にこんな脅しをかけているのだということを。いつの間にか、男は振り上げかけていた拳を下していた。

 

 それを見た女性は、笑みを深くする。対照的に、男は唇を噛みしめる。

 

 

「ところで貴方、刹那・F・セイエイに会いたい?」

 

 

 刹那・F・セイエイ。男にとって、大切な女性の名前だった。

 

 しかし何故、女性がそんなことを訊いてくるのだろう。先程女性は、男の問いかけに肯定で返した。彼女――刹那・F・セイエイを殺したと、認めた。

 女性の口ぶりはまるで、刹那が生きていると言わんばかりである。どういうことだと問いかけようとした男に、女は不気味な笑みを浮かべて迫る。

 

 

「彼女に会わせてあげるわ。だから――」

 

「断る。私は彼女と約束した。……生きてくれと、言われたんだ」

 

 

 男は女の言葉を遮り、女を睨む。何がおかしかったのか、女は思い切り吹き出して嗤った。

 

 

「貴方、自分に選択権があると思ってるの? 馬鹿みたい」

 

 

 女は笑っている。しかし、その目は一切笑っていない。

 黒曜石のような瞳の奥に、絶対零度が揺らめいている。

 

 

「アタシの意に従わないなら、彼女も死んじゃうわね。せっかく生き残ったのに、貴方のせいで」

 

「――生きている? 刹那が?」

 

 

 女の言葉に、男は思わず息を飲んだ。女はますます笑みを深める。気のせいか、顔を覆う影が多くなった。

 

 

「彼女に会いたいでしょう? 仲間たちにも死んでほしくないでしょう? 返答次第では、あの子が守り抜いた人たちを、あの子の親友である貴方が危機に晒すのよ。耐えられるの?」

 

 

 試すように女が問う。男は大きく目を見開き、口元を戦慄かせた。

 それを見た女性は、笑みを深くする。対照的に、男は唇を噛みしめる。

 

 

「何が望みだ」

 

 

 呻くように、男性は言った。女性は満足げに笑い、男の胸倉をつかんで引き寄せる。

 女性は、まるで内緒話をするかのように、呟き程度の声量で、男の耳元に何かを囁いた。

 

 

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に広がったのは、牢獄を思わせるような殺風景な場所だった。鉄格子の向う側に立っているのは、グラハム・エーカーである。

 彼の顔はいつぞやの京都旅行で彼自身が購入した仮面がつけられている。顔の左半分は、仮面でも覆い隠せない程の大きな傷があった。

 どこか濁った翠緑の瞳がこちらを見返す。無感動な眼差しに、ほんのわずかだが光が差した。じゃらり、と、どこからともなく鎖の音が響く。

 

 

「グラハム」

 

 

 クーゴが親友の名を呼べば、グラハムはのろのろとクーゴの方を見た。幾何かの間をおいて、首を振る。

 

 揺るがぬ意志を湛えた翠緑の瞳には、彼らしくない「諦め」の感情が浮かんでいた。

 大胆不敵で野心的な輝きは鳴りを潜め、儚げではあるが悲壮な決意に満ちた闇に満たされている。

 

 知らない。こんなグラハム・エーカーの姿を見たことは、未だかつてないことであった。

 彼は本当に“フラッグファイターのグラハム”なのか、と、疑いたくなるくらいに憔悴している。

 

 

「フラッグファイターであるグラハム・エーカーは、既に死んだ」

 

 

 クーゴの動揺を察したかのように、グラハムは呟いた。

 生きてはいるけれど死んでいる――そんな言葉が脳裏によぎる。

 

 

「ここにいるのは、ただの亡霊だ」

 

 

 もっとも、キミも似たようなものなのかもしれないがね――グラハムは自嘲気味に呟く。それは、既に死んでいる身でありながらも、確固たる自我を持つクーゴへの羨望のように聞こえた。

 知らない。こんなグラハムの姿なんて知らない。グラハム・エーカーは、こんな風に弱音を吐くような人間だっただろうか。他者への羨望を爆発的な推進力へと変換するような男が、萎れた花のような姿を晒すはずがなかった。

 

 

「どうしてこうなったんだよ。お前、こんな奴じゃなかっただろ?」

 

 

 クーゴの問いかけに対し、グラハムは力なく微笑む。

 

 

「道化でなければ、守れないものがある。そうなってでも、失いたくないものがある。取り戻したいものがある」

 

 

 自分にはそれしかないのだと、諦めたように。諦めながらも、その方向に決意を固めながらも、その過程をもがいて足掻こうとしているかのように。

 昔から、グラハムが一念発起すると、何かがおかしい方向に突っ走り始める。その最もたる例は、刹那を(公私ともに)『お』とそうとしたときの言動であろう。

 

 彼が守ろうとしていたもの。“フラッグファイターのグラハム”を殺してでも、失いたくないと願ったもの。

 クーゴは、墓地で会話していたグラハムと女性の光景を思い出しながら、唇を噛みしめた。

 友の決意はよくわかる。でも、それで納得していいとは思わないし、思えない。彼の決意の先には、明らかに「己の死」が存在している。

 

 精神的な面だけでなく、肉体的な方面での死も覚悟しているかのように。

 

 そんなこと、誰も望まない。彼が守ろうとしているものすべてが、そう訴えるであろう。クーゴには強い確信があった。

 友達が盛大に道を間違うならば、それを引きもどしてやるのも友人の役目だ。共に()ちることだけが友人ではないのだから。

 

 

「……グラハム」

 

「だから、グラハム・エーカーは既に死んだと……」

 

「じゃあ、お前の名前は何だよ? 名前がなきゃ不便だ」

 

 

 クーゴの言葉に、グラハムは押し黙る。少し考えるような動作をした後、ため息のような声色で宣言した。

 

 

「ミスター・ブシドー」

 

「武士道? そんなナリで?」

 

「私の格好を見ていた兵たちが、隅の方で噂していた。……まことに迷惑千万なことだがな」

 

 

 本物の侍に関する知識を有するグラハム――もとい、ブシドーからしてみれば、「似非侍相手に何を黄色い声(?)で囃し立てているのか」という気持ちなのだろう。彼は深々と息を吐いて肩をすくめた。

 

 そうか。

 ならば。

 

 

「……ああ、そうだ。ミスターブシドー、お前に言伝を頼みたい」

 

 

 クーゴの言葉に、ブシドーは仮面越しから目を丸くした。

 

 

「俺の相棒であるフラッグファイター、グラハム・エーカーに伝えてくれ」

 

 

 今から告げる言葉は、クーゴ・ハガネの決意だ。

 亡霊となってしまっても、大切なものを守りたいという願いだ。

 

 

「『どんな手を使ってでも、お前をあいつらの元へと連れ帰る』ってな!」

 

 

 死んだ人間が何を、と人は言うのだろう。死んでしまった人間にできることなんてたかが知れている。だとしても、このまま成仏できるはずがない。

 部下たちだって言っていたではないか。「グラハムたちを助けてくれ」、「自分たちではどうしようもないのだ」と。

 それに、今の彼を見た刹那が、どう思うか。……きっと、悲しむに決まっている。彼女はとても優しい人だから。

 

 ブシドーはぽかんとした表情でこちらを見ていたが、ややあって、クーゴに背を向けた。そのまま歩き出しかけ、脚を止めて振り返る。

 

 翠緑の瞳は、どこか希望を手にしたかのようにキラキラと輝いている。儚げな微笑ではなく、自信満々の不敵な笑みだ。

 知っている。その笑い方を、その眼差しを、その表情を、クーゴはよく知っている。今、鉄格子の向うにいるのは、紛れもなく――。

 

 

「――ああ、楽しみにしている」

 

 

 そうして彼は、歩き出す。もう二度と、クーゴの方を振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微睡みの底から、声が聞こえる。耳が聞こえている、ということは、感覚があるということか。

 ならば、と、指先を動かす。長らく使っていなかったためか、些細なことなのに億劫さを感じた。

 

 どんなに時間がかかってもいい。動かせるなら動かしたい。そうして、はやく()()()()()()()

 

 友と共に、仲間たちの元へ『還』らなくては。どこまでも澄み渡った青空の下。そこが、クーゴ・ハガネが『還る』場所であり、大切な場所なのだから。

 ぴくん、と、指先が動いた。それを皮切りに、鉛のように重かった体が、嘘のように動いた。同時に体にかかったのは、無重力空間特有の浮遊感。

 そのまま漂ってしまうかと思った刹那、不意に、誰かに手を掴まれたような感触を覚える。真っ暗闇だった視界に、眩い白が差し込んだ。

 

 逆光のせいか、自分の手を引く人物の表情は伺えない。

 影からして、それは2人いた。女性と、少年。

 

 

(この2人、どこかで――?)

 

 

「よう、若造」

 

 

 クーゴがそんなことを考えたとき、不意に誰かの声がした。からからとした、女性の声。

 

 自分の手を引く影の向う側に、誰かがいる。シルエットからでは性別がわからないが、おそらく、この声の主本人だろう。

 女性の声もまた、クーゴはどこかで聞いたことがあった。フラッシュバックしたのは、砂漠の街、転がった車椅子、牙、名刺。

 

 

「長い長い夜が明ける。――そうして、目覚めの(とき)が来た」

 

 

 ぱちん、と。

 何かが弾けるような音がして、クーゴの意識は急激に浮上した。

 視界は鮮烈な白に染められる。どこからか、自身の鼓動が聞こえてきたような錯覚に見舞われた。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「『同胞』たちの大半が、若い見た目でいますからね。実年齢を聞いたらびっくりしますよ」

 

「……ちなみに、貴女や社長の御歳は?」

 

「私は250年以上300年未満ですね。グラン・マは確か、500歳を超えてたかな……」

 

「…………」

 

 

 

「僕、レイフより7歳年上なんです。アラウンドエインティー、ですかねぇ」

 

「と、年の差60歳以上……」

 

 

「ッ、だからといって諦めるという選択肢はないんだからねっ!!」

 

「?」

 

(あの()、前途多難じゃなあ……)

 

 

 

 

 外見で人を判断してはいけない(特に年齢)ということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「若者よ、『目覚めた』キミたちは知る“義務”と“責任”がある」

 

「我が『同胞』が辿ってきた歴史を、受け継いだ想いを、その『力』の在り方を」

 

 

「同時に、知る権利がある」

 

「私とイオリア・シュヘンベルクが何を願い、何を思い、その道を突き進んでいったのかを」

 

 

 

(……すべて、ってわけじゃないんだけどね。うん)

 

 

 

 

 

 初代ソレスタルビーイングの生き残りから託される使命(但し、すべてではない)のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『還りたい』だけだったのに、こんなことになっちゃうなんてなあ」

 

「随分と面倒なことになった、と言いたそうな顔ですね」

 

「まあ、サービス残業って考えれば、お釣りがくるレベルだからな。報酬が世界平和、人類の未来なんて言われちゃ、戦わないわけにはいかないだろ」

 

 

 

「――さあ、帰ろう。皆が待ってる」

 

 

 

 

 『還る』ための戦いが、世界と人類の明日を左右する大事になることを。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『うなぎちらしずし(白いぐれーぷさま)』、『カマンベールとりんごのsweetサラダ(ふなここさま)』、『黄色い野菜と果物のスムージー(camphoraさま)』
『KAGOME 野菜生活 フルーティーサラダ』の材料


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大丈夫だ、みんな元気だから。
幕間.関係者曰く、とってもデンジャラス


 

 

 

「っはー、長かったー」

 

 

 ボロボロの青年は、どっかりとベンチに体を沈めた。束ねられたプラチナブロンドが揺れる。半分ほど壊れた仮面から覗いたのは、琥珀色のアーモンドアイだ。

 

 

「最後の最後に『奇襲を受けた』のを見たときは肝が冷えたよ。……お疲れ様」

 

「いえいえ、こちらこそ。世話になりました、リボンズ」

 

 

 青年を労いの言葉をかけたのは、薄緑色の髪に紫苑の瞳の青年――リボンズ・アルマークである。彼は静かに微笑みながら、スポーツドリンクを手渡してきた。

 それを受け取り、煽るようにして一気に飲み干す。相変わらず味はしない。けれど、からからに乾いた喉と心を潤すには丁度いい。沁みていく。

 安堵の息を吐いて、格納庫に視線を向けた。突貫工事で新調したばかりの機体だというのに、廃棄処分(スクラップ)一歩手前とは無情なものである。

 

 後できちんと部品の交換と新調をして、改修しておかなくてはならない。整備もしなくては。

 

 

「これで、キミの戦いも終わったんだね」

 

 

 青年の思考回路を引き留めるように、リボンズは声をかけてきた。青年も頷く。

 

 

「ええ。……いざ終わってみると、なんだか心に穴が開いたような気分になります」

 

「ひと段落したってことだもんね。僕も、似たような状態かな」

 

 

 青年とリボンズは顔を見合わせて微笑む。終わった、という事実だけが、2人の心に満ちていた。

 失ったものの数は多く、だからといって、この手の中に何も残っていないという訳ではない。

 

 その事実を噛みしめていたとき、リボンズが青年の隣に腰かけた。彼の眼差しはどこか遠くを見つめている。もう戻ることのできない、遠い日々を想っているのだろう。

 

 彼の口が動く。声にはならなかったけれど、確かに、その口の動きは4文字の言葉を意味している。見間違えでなければ、「おとうさん」という単語だった。

 リボンズの言葉に、青年は俯く。後悔を抱える者同士、同じ『痛み』であるということは容易に察せた。もう戻らぬ過去に思いを馳せようとし、青年は首を振った。

 

 

(大丈夫。もう歩いていけるから、安心していいですよ)

 

 

 記憶の中で心配そうにこちらを見つめる家族たちに、青年は笑い返した。それを見た家族たちも、安心したように笑ってくれたような気がする。

 彼らは踵を返し、どこかへ歩いていく。昔の自分だったら引き留めたのだろうが、いつまでも家族たちに迷惑をかけ散られないのだ。

 寂しくないと言ったらウソになる。それでも、遅すぎた巣立ちだと言えよう。青年は彼らの背中を見送ったのち、静かに顔を上げた。

 

 ヘルメットタイプの仮面に手をかけ、外す。仮面の下にあった素顔と、ヘルメットの中に押し込まれていたプラチナブロンドの髪が外気にさらされた。

 

 

「仮面、外すのかい?」

 

「はい。もう、必要ありませんから」

 

 

 リボンズが神妙な顔で問いかけてきた。青年は晴れ晴れとした笑みでそれに答える。それを見たリボンズは、ふっと表情を緩めた。

 ……気のせいか、口元の端が悪意に満ちているような気配がした。背中を撫でるような寒気。ああ、彼は今、悪いことを考えている。

 

 青年の予感が確信に変わった刹那、

 

 

「教官! 大丈夫ですか!?」

 

「機体大破して重傷だって聞いたけど、大丈夫か!?」

 

「教官!!」

 

 

 この場にどやどやと、聞き覚え/見覚えのある面々が、文字通りなだれ込んできた。茶髪で浅黒い肌の青年――ヨハン・トリニティ、藍色の髪に白い肌の青年――ミハエル・トリニティ、赤い髪にそばかすが印象的な少女――ネーナ・トリニティである。

 3人は血が繋がっていない兄妹であり、青年の教え子たちであった。青年が仮面を外すにあたって、自分の元から卒業することが決まっていた面々だ。その際、自分が戦死したというお題目を使うことで、雲隠れするような形で別れるつもりだった。

 

 彼らの前では、青年は常に仮面をしていた。素顔を晒したことは一度もない。

 

 だが。

 現在。

 自分は。

 

 仮面をして、いない。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 この場を満たしたのは、沈黙だ。

 

 トリニティ兄妹の表情を支配したのは、驚きである。普段は顔を晒さない男が、素顔を晒しているのだ。当然と言えよう。

 しかも、男が素顔を見せぬ理由――「顔に酷いやけどの跡がある」というのが嘘っぱちであり、且つ、彼らが何度か目にしたことのある人間だったら。

 特に、末妹のネーナは、青年の顔をよく知っている。彼女がおっかけをやっていた、アイドル歌手ご本人だったとしたら。

 

 

「…………テオ・マイヤー?」

 

 

 ネーナがぽつりと呟く。静かな空間の中、絞り出すように響いたのは、青年の芸名だった。

 背後でリボンズが噴き出す気配を感じ取る。青年はがばっと振り返った。

 悪戯を成功させた子どものように笑うリボンズと目が合う。

 

 

「リ……」

 

 

 青年はわなわなと体を震わせて、友人に掴みかかろうと立ち上がる。

 

 

「リボンズゥゥゥゥッ!!」

 

「わはははははははー」

 

 

 怒りに満ちた声とやる気のない笑い声を皮切りに、青年2人は同時に走り出した。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 結論から言わせてもらうと、鬼ごっこはリボンズの勝利で終わった。いくら『力』を使ってリボンズの気配を探そうにも、彼の思念を掴めないのである。何らかの手/あるいは彼の『力』を使い、思念をシャットアウトしたのだろう。

 こうなってしまうと、思念を追跡することは不可能だ。青年は悪態をついてため息をつく。トリニティ兄妹たちに何と説明しようか――否、どうやって彼らの前からずらかろうか。青年がそこに思考を集中させたときだった。

 

 

「ずらかる、とは、どういうことですか」

 

 

 背後から声が聞こえた。青年は、弾かれたようにして振り返る。

 

 

「勝手にいなくなろうなんて、俺たちが許すと思ってんのか!?」

 

「どうして何も言ってくれないのっ!!」

 

 

 息を切らせて問うてきたのは、トリニティ3兄妹であった。3人の額には、薄らとだが汗がにじんでいる。ふと見れば、ほんの少しであったが、彼らの体が淡い光を放っていた。

 

 ヨハンも、ミハエルも、ネーナも、己が何を行使しているのかわかっていない。青年は確かに「ずらかろう」とは思っていたが、3人の前では一切それを仄めかしていないのだ。彼らは、青年が考えていることを読み取って、その上で発現している。

 それだけではなく、()()()()で青年の居場所を察知し、そこまで走ってきた。トリニティ兄妹は、このコロニーの内部についてよく知らない。青年が重傷だという嘘情報に踊らされたような形で訪問した今回が、初めての来訪である。見取り図を参照したにしては、青年の居場所を看破するには早すぎだ。

 見知らぬ場所で誰かを探そうとした場合、何も考えずに走り回れば自身が迷子になってしまう。地図を参考にしようとも、使い慣れていなければ見方が分からないため本末転倒になるし、使い方を知っていても、場所と地図情報を一致させるためには、ある程度の時間が必要だ。だが、3人は、その苦労をしたようなそぶりはない。

 

 何の迷いもためらいもなく、青年がここにいると確信したうえで、青年が今いるフロアの廊下になだれ込んできた。

 それが成せる『力』を、青年はよく知っている。青年にとって、一番馴染みのある『力』なのだから。

 

 

(嗚呼)

 

 

 青年は思わず、感嘆の息を吐いた。

 目の前にいるのは可愛い教え子。

 

 

(キミたちも、『目覚めた』のか)

 

 

 否――『目覚めた』ばかりの、青年の『同胞』だ。

 

 思えば、彼らが『同胞』として『目覚め』そうな兆候はあった。ヨハンは何かが『聞こえて』いたし、ミハエルは無意識にだが壁を展開していたことがあるし、ネーナはビームサーベルの出力を爆発的なまでに跳ね上げていた。

 もしかして、とは考えていたけれど、本当に『目覚めて』しまうとは。ルーツは多少薄暗いものを背負っているが、文字通り“ただの人間”だった3人が、青年と同じ『同胞』に至るためには、彼らの心理状態が深く関わっている。

 

 本来、人間が『同胞』に『目覚める』場合は、特別な因子が外的要因によって発現する必要がある。自然のままに任せておけば、『目覚め』を迎えるか否かは五分五分と言えよう。

 “因子があるか否かを判断し、因子があった場合は容赦なく殺しにかかる”システムや、『同胞』によって因子を見出されて覚醒を促された場合は確実に『目覚める』ものの、前者は強制的に死亡一直線である。

 青年が3兄妹の因子を確認したとき、彼らは因子を有してはいなかった。因子を有さぬ人間が『同胞』として覚醒するには、『目覚め』を促される以外の方法しかない。――『同胞』の存在を心から受け入れることが絶対条件だ。

 

 しかも、いくら『同胞』を受け入れ心を赦したとしても、本人が『同胞』として『目覚める』かのタイミングはまちまちだ。赤子の内に『目覚める』者もいれば、幼少期に『目覚める』者、青年期に『目覚める』者、年老いてからようやく『目覚める』者だっている。『目覚め』ぬまま一生を終えるものだっていた。

 ヨハン、ミハエル、ネーナが『目覚めた』タイミングは偶然の産物だったとしても、“『同胞』の因子を持たなかった彼らが『同胞』としての『目覚め』を迎えた”ということが意味していることは――。

 

 

(……年甲斐もなく、自惚れてしまいそうです)

 

 

 若さ保って60年。精神年齢は20代、実際年齢はアラウンドエインティ。

 そのため、青年の思考回路には、若干の齟齬が起きつつある。

 

 教官なんて真似ごと、自分に務まるとは思っていなかった。正直、彼らから向けられる尊敬のまなざしが、胸を抉るようなものに感じられたこともあった。教官らしく振舞おうとして、彼らに厳しいことを言ったことだってある。

 迷って、悩んで歩いてきた道は、間違いではなかった。真正面から青年を見つめる教え子たちの姿が、それを証明してくれている。教える側が教わる側に変わることはよくあるけれど、こんな感じらしい。漠然と、そんなことを考えた。

 今、自分の目の前にいるのは、歪んだ感情をむき出しにしていた“図体ばかりが大きな獣”ではない。悩み、迷い、それでも前を向いて成長し続ける若者たち。等身大の“ヒト”だ。ヨハン/ミハエル/ネーナは訴えている。青年に、ここにいてほしい、と。

 

 真正面から向けられた強い思いに、青年は胸が熱くなった。気のせいか、少しだけ、視界が滲んだように不鮮明になる。誰かに信頼されるというのは、こんなにも温かい。

 

 ――ならば。

 

 

「僕も、覚悟を決めなくてはいけませんね」

 

 

 青年が自嘲気味に笑えば、ネーナたちが驚いたように目を見開く。

 

 

「教官……」

 

「あんた、それが地なのか?」

 

 

 ミハエルがおずおずと青年に問いかけた。おっかなびっくり気味な様子に、ちょっとだけ吹き出しそうになる。

 

 

「はい。騙すような真似をして、申し訳ありません。……これには、深い事情があったんです」

 

 

 青年は目を伏せた。3人を裏切るような真似をしてきた罪悪感。今まで降り積もってきたそれが湧き上がり、彼らの顔を見ることはできなかった。

 今更何を、と言われても仕方がないことだ。青年はひっそりと自嘲する。これで、もう、彼らは――考えると、胸が痛む。そんな資格などあるはずがなかったのに、だ。

 

 

「……いや、言い訳をする資格もないか。見苦しいですね」

 

「聞かせて」

 

 

 苦笑した青年の言葉を遮るように響いたのは、酷く張りつめたネーナの声だった。青年は息を飲む。勇気を持って、彼らの眼差しを受け止めた。

 

 

「貴方が何者であろうとも、我々の尊敬する教官であることには変わりありません」

 

 

 ヨハンが。

 

 

「あんたに比べれば俺たちはダメダメかも知んねーが、それでも聞き役になることくらいならできるっての。……だから、その……だーもう、言わせるなぁ!!」

 

 

 ミハエルが。

 

 

「教官は、私たちに真っ直ぐ向き合ってくれたでしょ? ……そりゃあ、教官みたいにできるわけじゃないけど、そこまで人間できてないけど……どんなに時間がかかっても、絶対に受け止めるから。……だから、聞かせて。全部聞かせて」

 

 

 ネーナが。

 

 ただ真っ直ぐに、青年を見つめている。

 その目は決して、逸らされることはない。

 

 先程「ずらかろう」などと考えていた自分が、いかに卑劣な存在だったか。青年は深々とため息をつく。これでは、アレハンドロ・コーナーと何も変わりはしない。いや、むしろ、奴の方がまだ可愛げがあったと言えそうな気がする。

 リボンズが青年の計画を台無しにするようなドッキリを敢行したのも、教え子たちと真正面から、ありのまま向き合う必要があると思ったために違いない。……いや、もしかしたら、悪戯と悪乗りが大好きであるが故の行動だったのかもしれないが、この際どうでもよかった。

 

 

「わかりました。すべて、お話します」

 

 

 青年は頷き、トリニティ兄妹を促した。廊下で立ち話と言うのも何なので、適当な空き部屋に足を踏み入れる。

 ブリーフィングルームの電気をつけて、戸棚から適当な茶菓子と飲み物を引っ張り出す。

 

 

「飲み物は何にしますか?」

 

 

 3人は目を点にした。ぴりぴりした空気の中で話を進めるのだと思っていたためか、トリニティ兄妹は出鼻をくじかれて困惑しているらしい。

 しかし、何を飲みたいかは決めたようだ。指示されたものを手渡せば、面々は珍妙な顔つきでそれらを受け取り、ちびちびと啜る。

 幾何かの間をおいて、青年は大きく息を吐いた。自分のことを話すとなると、どこから話せばいいのかよくわからない。

 

 自分の人生について話す? 『同胞』の成り立ちについて話す? 自分が果たそうとした目的のことについて話す? ――悩ましい限りだ。

 

 

「教官は、テオ・マイヤーですよね」

 

 

 飲み物を啜るのを止めたネーナが、神妙な顔つきで青年を見上げた。

 

 

「『今日もどこかで眼鏡が割れる』で華々しくデビューし、『カイメラ隊は病気』等の電波ソングだけでなく、哀愁漂う『貧乏くじ同盟』のような歌や爽やかな恋愛歌である『恋愛少年団』、映画『Toward the Terra』、『ミュウ』編のテーマソングになった『Terra -還るべき青き惑星(ほし)-』等のヒット曲を連発し、突然の休止宣言を出して、知人の結婚式でゲリラライヴを開催中に偽ガンダムからの襲撃を受けてから音信不通になっていた、あの売れっ子アイドル歌手の」

 

 

 テオ・マイヤーについて語り出す彼女の目は座っている。

 やたら饒舌に喋る姿に、青年は思わず口元を引きつらせた。

 

 

「は、はい、そうです。……く、詳しいですね」

 

「私、テオ・マイヤーのファンだもん」

 

「恐縮です」

 

 

 反射的に、青年は頭を下げた。アイドル歌手活動に精を出していた頃の名残である。

 

 なら、と、ネーナは言葉を続けた。

 

 

「テオ・マイヤーって、本名なの?」

 

「いえ、芸名です。テオというのは仇名で、マイヤーは母の旧姓から取りました」

 

 

 そこまで話して、青年は顎に手を当てた。何から話せばいいか迷っていたが、『ここ』から話すことにする。

 

 

「僕の本名は、テオドア。テオドア・ユスト・ライヒヴァイン。コーナー家によって滅ぼされた監視者、ライヒヴァイン家の末裔です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教官!」

 

 

 廊下を歩いていたとき、背後から少女の声が聞こえた。それにつられるかのようにして、老紳士の隣を歩いていたテオドアが足を止めて振り返った。

 そばかすと赤い髪が印象的な少女は、ネーナ・トリニティ。テオドアの教え子であり、彼に恋慕する乙女である。残念ながらテオドアは、その事実に気づいていない。

 昔から、彼は恋愛ごととは壊滅的だった。突発性難聴と超鈍感という2つの病を抱えていたせいで、彼に好意を寄せた女性たちは皆、彼を諦めてしまう。

 

 

(仕事が恋人という面も、少なからず影響していたのかもしれん)

 

 

 当時の様子を振り返りながら、老紳士は深々と息を吐いた。当時と言っても、60年近く前の話であるが。

 

 レイフ・エイフマン、御年アラウンドエインティーである。70代にも終わりが来た側的な意味で、だ。対するテオドアは80代を超えた的な意味でのアラウンドエインティーである。目の前にいるネーナは、どこからどう見てもティーン、しかも前半の方だ。

 春が来たことは喜ばしいが、このままいくと、テオドア・ユスト・ライヒヴァインはロリコン一直線になりそうだった。まあ、外見が20代前半で固定だから誤魔化しは効くだろうが。こんなかわいい女の子に好かれているのに無自覚とは、なんて罪深い男なのだろう。

 

 

(まあ、ワシも人のこと言えんからなぁ)

 

 

 恋は何度もしたけれど、その度に別れを繰り返したものだ。そうして、エイフマンは、“仕事が人生の伴侶”という答えにたどり着いたのである。

 さしずめ、息子はユニオンフラッグか。最終的に、ジンクスの登場によってフラッグは廃れてしまったのだが。寂しくないわけではない。

 ユニオンの技術的権威が失墜したという話は耳に入っている。教え子のビリー・カタギリは何をしているのやら。喝を入れられるものなら入れてやりたい。

 

 そんなことを考えたとき、エイフマンの背中に寒気が走った。何かが『視える』。

 

 高笑いする教え子/ビリー・カタギリ。彼の瞳は明らかにおかしい。麻薬常用者を連想させるような、どろりと濁った鳶色の瞳に、エイフマンは言葉を失う。

 ビリーが見上げる黒い機体は、武者のような佇まいだった。よく見れば、機体の細部にフラッグの面影がちらついている。あの機体が、教え子の暴走。あるいは最高傑作。

 

 取りつかれている。明らかに、悪いものに取りつかれている。麻薬によく似た、けれども麻薬以上に恐ろしい“何か”に。

 PC画面を埋め尽くすデータの羅列、散らばったメモに書き殴られた文字。ゼロシステム。未来を見せる、演算予測。

 勝利法を演算する代わりに、使用者の精神を蝕む――現実では再現不可能とされた、虚憶(きょおく)由来の技術だ。

 

 

(何故、こんなものが――)

 

「教官の生年月日を教えてください」

 

 

 幼さと甘さを残した少女の高い声に、エイフマンは現実へと引きもどされた。そこには、高笑いしていた教え子の姿はない。

 目の前にいるのは、テオドアとネーナの2人であった。ネーナの手に握りしめられていた端末には、相性診断という可愛らしい文字が躍っている。

 

 このとき、テオドアが端末に視線を向けていたら――いや、彼の性格上、見たとしても気づかないであろう。エイフマンには確証があった。もっとも、テオドアの視線は端末ではなくネーナの表情に向けられており、彼は彼女が何を考えているか見当もついてなさそうであったが。

 

 テオドアはいつもと変わらぬ笑顔のまま、平然と、自分の生年月日を告げた。途端にネーナは表情を引きつらせる。

 驚きすぎて、年代とそれに関する情報以外、耳に入っていない様子だった。

 

 

「僕、レイフより7歳年上なんです。アラウンドエインティー、ですかねぇ」

 

「と、年の差60歳以上……」

 

 

 ネーナがどれ程打ちのめされているのか、テオドアには一切の自覚がないのだ。彼女はしばし戦慄いていたが、涙を堪えながら、キッとした眼差してテオドアを見上げた。

 

 

「ッ、だからといって諦めるという選択肢はないんだからねっ!!」

 

「?」

 

 

 高らかに宣言し、少女は踵を返して走り去る。まるで、嵐が去ったようだ。

 テオドアはネーナの言葉の意味を、一切理解していない様子だった。こてんと首を傾げ、背中を見送る。

 

 

(あの()、前途多難じゃなあ……)

 

 

 エイフマンは深々と息を吐いた。この調子でいくと、いつか、テオドアに一服盛ろうと計画しだしそうな気がする。いや、絶対やる。既成事実打ち立てる以外にいい方法が思いつかないためだ。

 しかし、確実に、彼は軽く流す。体の不調を感じながらも気合でスルーするテオドアの姿が『視えた』ような気がして、反射的に天を仰いだ。盛られたことに気づくまでの分も上乗せされそうだ。

 

 

「流石にワシも、媚薬云々に関しては力になれんぞ」

 

「何の話をしているんですか? あと、以前ユニオン基地を襲撃したνガンダムの偽物ですが、トランザム中はドラグーン・フルバーストを使用できないという欠陥が……」

 

 

 エイフマンのぼやきを軽く流し、テオドアは図面に視線を落とす。

 こんなのだから彼女ができないんだなぁ、と、エイフマンは静かに納得したのであった。

 …………勿論、声に出さずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 阿鼻叫喚のパーティ会場。

 その真上に、4機のガンダムが佇んでいる。

 

 怪我を負った民間人の中には、ネーナ・トリニティが憧れてやまないアイドルたちがいた。エ□ーダ・ロッサ、□ェリル・ノーム、ラン□・リー、……そして、テオ・マイヤー。ネーナからしてみれば、夢のような光景である。彼らが談笑する様子を見れただけでも、充分楽園であった。

 このパーティはドラゴンズハイヴが主催したもので、彼らと関係があった人々が多数参加しているという。政府高官から一般人までより取り見取りだ。正直、アイドルたちのきゃっきゃうふふ以外、特に眼中になかった。楽園を眺めるので忙しかった。HAROの頭をどつきながら、楽園を盗撮するので手一杯だった。

 憧れのエイー□と一緒に仕事をできただけでも僥倖だというのに、土下座して頼み続けたらサイン入り色紙とCDとポスターまで貰ってしまった。勿論、保存用・鑑賞用・布教用の3点セットを所持し、大事に保存している。兄にだって、布教用以外触らせていない。布教しようとしたら拒絶反応を貰ってしまったので断念した。閑話休題。

 

 ネーナはぎりぎり歯ぎしりしながら、自分たちの乗るガンダムと瓜二つの機体を睨みつけた。

 ただでさえ、この偽物たちの暴挙によって肩身が狭い思いをしているというのに。

 

 

「この状況……どう見ても、あたしたちが憧れのアイドルたちを襲撃した図にしか見えないじゃない!!」

 

『イテーナオイ、イテーナオイ!!』

 

 

 あまりにもあんまりな状況に、ネーナはばんばんとHAROの頭を叩いた。この場にノブレスがいたら呆れ果てるのだろうなと思っても、この感情はどうしようもない。

 いつぞやのシミュレーターで護衛対象――女の敵を撃ち殺したとき並みの苛立たしさが込み上げてくる。偽物死すべき、慈悲はない。ネーナの怒りは頂点に達した。

 

 

「あたしの天使(アイドル)たちを傷つけて……! あたしを怒らせたらダメってこと、思い知らせてやる……!」

 

 

 ネーナが操縦桿を握り締めたときだった。

 通信が入る。主は、ヨハンだった。

 

 

「落ち着けネーナ。教官の言葉を忘れたのか?」

 

「だって!」

 

「……だが、奴らの行動は目に余るものがある」

 

 

 ヨハンの言葉に、ネーナは思わず目を見開いた。冷静沈着な長兄が、憤怒の感情をむき出しにしている。

 その様子に驚いたのはネーナだけではなく、ミハエルも同じ気持ちだったようだ。だが、彼も真剣な面持ちになった。

 

 

「ミハエル、ネーナ。ここからは、我々の独断行動になる」

 

 

 ヨハンは確認するような声色で言った。

 

 

「この行動は、ソレスタルビーイングの規律に反するだろう。……だが、アンノウンの行動を見過ごすわけにはいかない」

 

「当然だ! これ以上、奴らの好き勝手にさせらんねーぜ!」

 

「うん!!」

 

 

 自分たちは顔を見合わせ頷いた。操縦桿を動かす。

 3機の座天使たちは、自分たちを騙る偽物目がけて攻撃を仕掛けた!

 

 

 

 

<><><>

 

 

 

 

 シ□リル救出のために囚人収容施設へ忍び込むとはいえ、アイドルおよびミュージシャンたちの生ライブを行うなんて作戦を立てた奴は誰だろう。立案者がいたら、褒め称えたいのが半分と、怒り狂いたいのが半分の気持ちでいっぱいである。

 ラ□カを中心に、九条□海、エイー□・ロッサ、ホ□ー・バージニア・ジョーンズというそうそうたるメンバーが揃っているのはいいのだ。しかし、そこに、ネーナが愛してやまないアイドルはいない。女形の歌舞伎役者が女装してステージに上っているのに、何故テオ・マイヤーはダメなのか。

 身長のごまかしようがないと本人は言う。むさ苦しいおっさんたちが男性アイドルなんか望んでるはずがないと本人は言う。確かにこの収容施設、むっさいオッサンしかいない。いろんな意味で、「女性に飢えています」という感情が漂っている。

 

 

『こんな場所に男性アイドルを放り込んでみてください。たちまちブーイングの嵐が巻き起こりますよ』

 

 

 テオ・マイヤーの声が頭にリフレインする。

 それでも。

 

 

(正論だけど。正論だけど! やっぱり納得できないッ!!)

 

 

 ネーナの視線の先には、ゴスロリを着た女方役者が演奏している。彼も内心「なんでこんな格好をしなきゃいけないんだ」と思っているためか、動きがややぎこちない。

 

 テオ・マイヤーだって、女装は似合いそうである。その際、ゴスロリではなくスーツ姿が合いそうな気がした。

 詰め物を詰めてムダ毛の処理とメイクを徹底すれば、絶対にアルティ・早乙女など敵ではない。ネーナは1人確信する。

 

 

「まさに姫だ! 抱きしめたいなぁ!!」

 

「お、おいおい……」

 

 

 遠くから会話が聞こえてきた。声の方を振り向けば、アルティ・早乙女のファンと化した金髪碧眼の男がうちわ片手に歓声を贈っている。意識不明の恋人がいるとは思えない元気っぷりに、ネーナの眉間に皺が寄る。

 浮気か、浮気なのか。この話を聞いたら、意識不明の友人はどんな反応をするだろう。表情をぴくりとも変えず、後で男性を呼び出して別れ話を切り出しそうだ。やけにその光景が鮮明に浮かんできた。嫌な予感がした。

 

 未だに意識が戻らない友人を想う。金属生命体と対話しようとした彼女が目覚める日はまだだろうか。そこまで考えたとき、不意に、何か映像がフラッシュバックした。怒髪天の桜の王と対峙するのは、対話のための機体だった。パイロットは、彼女。

 光景は二転三転と変わる。恩師の叫びに耳を閉ざす男に対し、美しい緑の光が心を繋ぐ。対話のための機体が宿す、わかり合うための力だ。そうして男は、恩師の願いを受け取った。次に浮かんだのは隕石を押し返す機体たち。階級は大尉だがガンダムパイロットたちを纏める男の掛け声に、対話のための機体が全力で応えた。人の心の光は温かい。

 

 そこで戦う友人は、意識不明の現状からは想像できない姿だった。同時に、彼女が意識不明になる直前までは、当たり前のように戦う姿でもある。

 

 

(そろそろ、目覚めて欲しいな。あのオジサンもあんな感じだし)

 

 

 ネーナは、アルティ・早乙女に対して一心不乱に歓声を贈る金髪碧眼の男に視線を向ける。その横顔は確かにアルティ・早乙女のファンだ。だが、どことなく、無いものを無理矢理調達したような空気が漂っているように思える。

 空元気? それとも、自分の愛した女なら大丈夫だという強い確信があるとでも言うのだろうか。どことなく自信たっぷりに見えなくもない。しかしながら、ネーナの思考回路では答えを導き出すことなど不可能だ。

 ユニオン時代から阿吽の呼吸でやって来た副官でさえも「あいつについていけないときがある」と零すほどである。付き合いの短いネーナが、金髪碧眼の男の心情を推し量ることなど無茶/無謀の極みと言えよう。

 

 実際、金髪碧眼の男性の副官は、無言のまま天を仰いでいた。

 

 この思考回路はここで終わらせ、作戦開始まで、ネーナはアイドル及びミュージシャンたちの慰問ライブを楽しむことにする。

 世界が平和になった暁には、彼らのライブに参加したいものだ。見果てぬ夢を描くような気持ちで、ネーナはステージへ視線を向けたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あれ?」

 

 

 今、何か『視えた』ような気がする。

 

 ネーナは思わず周囲を見回してみたが、特に変わったことはない。何が『視えて』いたかを思い出そうとするが、何も浮かんでこなかった。

 アイドルがいっぱいいたような気がしなくもないが、今はそれ以上に大切なことがある。ネーナは思考回路を中断し、雑誌のページをめくった。

 

 「自分が尊敬し思慕する教官は自分たちの命の恩人で、彼の仮面の下は自分が追っかけていたアイドル歌手(勿論容姿端麗のイケメン)だった」という事例に直面して、その相手に惚れ込まない人間なんて絶対にいない――ネーナはそう考える。

 今現在、自分が熱心に読み漁っている古雑誌は、テオ・マイヤー特集が組まれたものだ。古書店やネットオークションを何か所も梯子/サーフィンして、ようやく手に入れた品物である。ここに掲載された彼のプロフィール情報は本物だ。

 テオ・マイヤーの誕生日から、60年以上前に『亡くなった』とされたテオドア・ユスト・ライヒヴァインの情報を結び付けるような人間なんていない。彼の外見を知る人間も、殆どいないだろう。そう踏んでいたからこそ、彼は顔や情報を晒していた。名前は芸名だったが。

 

 お目当ての情報が乗ったページを見つけ、ネーナは手を止めた。

 

 身長は181cm、体重は70kg。そこは特に関係ない。

 誕生日は7月10日、血液型は0型。それを確認したネーナは、即座に端末を操作する。

 

 

「えーと、教官は蟹座のO型だから…………」

 

 

 自分の血液型と星座を入力し、相性占いを行う。程なくして、結果が出た。

 

 相性最悪。

 

 もう1度見直してみた。相性最悪という文字は何も変わらない。何度も見直してみた。結果は同じ、相性最悪。

 ネーナは再度、情報を入力してみた。幾何かの間をおいて、結果が出る。先程と同じ4文字がディスプレイに踊った。

 

 相性最悪。

 

 その4文字で諦めるような性格ではない。ネーナは端末を握り締める。

 みしり、と、端末が軋むような音を立てた。握り潰れてもおかしくない。

 

 

「…………星座占いが何よ。血液占いが何よ。そんなもの、絶対信じない! ぜったいぜったい、諦めないんだからっ!!」

 

 

 ネーナ・トリニティ。

 花も恥じらう10代前半。

 

 恋する乙女を舐めてはいけない。

 

 

「ふ、ふふふ、ふふふふふふ。あはははははははははーっ!!!」

 

 

 決意も新たに、ネーナは高笑いする。

 燃えるような情熱に身を任せていたがために、彼女は周囲の様子に気づかなかった。

 

 

「ネーナが! ネーナが壊れた!! どうする!? ってかどうすればいい!?」

 

「……わからん。ただ、前途が多難であることだけは確かだ」

 

 

 兄たちが、高笑いする妹の様子に危機感を覚えていたことも。

 

 

「――!?」

 

「どうしたんだい?」

 

「今、ものすごい悪寒が……!?」

 

 

 別行動していたテオドアが、彼女の熱意を受信してそう評していたことも。

 

 

「おじいちゃーん! 教官を落とすためのいい案はないかなっ!? やっぱり既成事実打ち立てたほうが早いかな!?」

 

(貞操とはいったい何だったのか……)

 

 

 相談を受けたエイフマンが、毎回毎回遠い目をすることを。

 

 

 

 ネーナは、まったくもって予測していなかったのである。



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幕間.アンドレイ・スミルノフの嫌いな季節

 

 アンドレイ・スミルノフの嫌いな季節がやって来た。

 

 しんしんと雪が降り続くのと対照的に、街は喧騒に満ちている。煌びやかに輝くイルミネーションで満ち溢れていた。

 踊る文字はどれもこれも同じで、クリスマスを祝う文句ばかりであった。アンドレイは、それらすべてが寒々しく思える。

 

 

「今年のサンタさんはサヤたちだからな。頑張れよ」

 

「任せてください! 極楽亭サヤ、落語のオチは完璧です!」

 

「アユルもな。期待してるぞ?」

 

「はい! 極楽亭アユルも頑張ります!! 孤児院のみんなやジン、喜んでくれたらいいな……」

 

「ええ。きっと喜んでくれるわよ」

 

 

 楽しそうに過ごす家族が視界の端を過ぎ去っていく。髪の一房に茶色のメッシュを入れた男性が、2人の娘に笑いかけていた。彼より少し離れた位置から、けれども心の距離には一切の隙間も感じられない程の距離で金髪の女性が続いた。

 あの少女たちと同じ年頃だったときの自分を思い出した。軍人と言う職業柄、両親が揃って休みを取ることは滅多になかったように思う。けれど、両親の休みが一致して、家族団欒を過ごしたことは、心の片隅に残っていた。

 父と母に手を引かれて、雪と光の化粧を纏った街の中を歩いた。2人の手はとても温かくて、優しかった。今となっては色褪せた記憶だ。母は任務中に、父に見捨てられて亡くなった。父はそのことに対して何の弁明もしなかった。それが許せなくて家を出た。

 

 それ以来、アンドレイは実家に帰っていない。父に連絡を取ったこともないし、父から接触してくることもなかった。その事実が、ますますアンドレイの心に影を落とす。

 父親のことなんて大嫌いだったが、不思議なことに、現在の自分の職業は軍人である。期せずして、父と同じ職業に収まったという訳だ。母の職業でもあったのだが。

 

 

「最近、ライルから連絡が来ないの。仕事も辞めちゃったっていうし……」

 

「うわあああ!? 泣かないでアニュー!」

 

「あの野郎、僕らの可愛い妹分を泣かせやがって!!」

 

「……ふむ。これは、ヴェーダを使わざるを得ない」

 

「やめてくださいリボンズさん! スパコンの使用用途間違ってます!!」

 

「大丈夫だよ。イオリアだって、マザーが出産するときは、毎回ヴェーダで母子の生存確率から先天性の病気の有無まで調べてたんだから。ライル・ディランディの行方くらい一発で検索できるさ」

 

「だからと言って、『覇王翔吼拳を使わざるを得ない』のノリで語っちゃダメですよ!!」

 

 

 藤色の髪の女性を励ます美男美女。見た目の差異が大きいことから、彼らは血のつながった家族ではないのだろう。だが、家族以上の絆で結ばれていることは容易に伝わってくる。女性からしてみれば、彼らの行動は過保護の域に入るらしい。その様に辟易しているが、どこか嬉しそうに見えたのは気のせいではなさそうだ。彼らの姿も、あっという間に雑踏に消えた。

 

 

「じいさんへの贈り物、何にするか決まったか?」

 

「悠兄さんは決めたの?」

 

「いや、全然。役に立つものをあげたいんだけどな」

 

「アリスに訊いたら『一鷹さんや悠凪さんから貰えるものなら、博士は何でも喜ぶので問題ありません!』って言われたんだ」

 

「ハルノに訊ねても似たようなこと言われたぞ。何でもいいってのが逆に困るんだよ……」

 

 

 茶髪の青年と緑の髪の少年が、うんうん唸りながらアンドレイの目の前を横切った。かと思えば、立ち並ぶ店のショーウィンドウに沿って歩き始めた。視線は看板や品物へと向けられている。2人の眼差しはどこまでも真剣であった。

 数メートル歩いた彼らは足を止めた。どうやら彼らのお眼鏡に適う店/商品を見つけたらしい。2人は顔を見合わせて頷くと、躊躇うことなく店の中へと足を踏み入れた。その横顔は、プレゼントを贈る相手が喜ぶさまを想像しているかのようだった。

 

 

「なあネーナぁ。何件梯子するつもりなんだよー?」

 

「寄る所すべてで買い物しているのは感心しないな。無駄遣いは控えるようにと言っているだろう」

 

「ごめん! でも、あとはこの品物だけだから! 教官が欲しがってたし……」

 

「マジでか!?」

 

「そう言う話は早くするようにと言っただろう。急ぐぞ」

 

 

 赤い髪の少女に続くのは、青い髪の青年と茶髪で浅黒い肌の青年だ。誰かに贈り物をしようとしているらしい。

 

 ざわめく人の波を流し見ていたアンドレイは、店の中に陳列されていた棚に山積みされていた袋に目を留めた。アレーシュキ――ロシアの焼き菓子である。

 

 

『アンドレイ』

 

『この焼き菓子はね、お父さんが作ってくれたの』

 

『私とお父さんが恋人同士になったきっかけは、このアレーシュキなのよ』

 

 

 幸せそうに笑った母が、アレーシュキを片手にしてくれた話を思い出す。父と母の馴れ初めだ。

 幼い頃はいつもその話を聞きたがっては、父を赤面させていたか。照れる両親を見るのは、とても珍しい光景だった。

 

 しかし、足を止めたのはほんの数秒のみだ。何の感慨も抱くことなく/抱きかけた何かを振り払って、アンドレイは街を歩く。

 

 肌を掠める風はどこまでも冷たいのに、耳に入る笑い声はどこまでも温かい。その差異が、アンドレイの奥底に閉じ込めていた過去を引き出そうとするのだ。

 だから、この季節は好きではない。もう戻れぬ/戻らぬ時間に感慨を覚えたところで、どうしようもなかった。……最も、アンドレイがこの季節を嫌う理由はそれだけではないのだが。

 

 クリスマスで多くなるのは家族連れだけではなかった。周囲を見回せば、恋人たちの様々な姿が、嫌が応にでも目に入ってくる。

 

 

「先輩、あっちにも寄りましょう!」

 

「待てひまり。流石にこれ以上寄り道したら帰りが遅くなるだろう」

 

 

 ほんの一瞬、アンドレイのすぐ横を突風が駆け抜けた。振り返れば、荷物を抱えた男女が店の中へと消えていく。

 しかし、左手は固く繋がれていた。互いに、決して離そうとしていない。羨ましいなとは思ってない。断じてだ。

 

 

「ふふふー」

 

「……どうしたんだよクレア。さっきから、変な笑い方して」

 

「マフラー、お揃いだなーって思って。そう考えてたら、幸せな気分になってさー。笑いが止まらないんだー」

 

「ば、馬鹿」

 

 

 先程の2人の背中を追いかけていたら、それを阻むかのように、別の男女がアンドレイの視界を横切った。

 

 茶髪の男性と青みを帯びた黒髪の少女が、同じ色のマフラーを身に着け、寄り添っている。幸せそうに笑う少女に対して、男性は頬を赤く染めて視線を逸らした。

 男性の口調はぶっきらぼうだが、彼の口元はむずがゆそうに緩んでいた。マフラーに顔をうずめて誤魔化していた男を見て、少女はますますにやける。

 幸せだなぁ、と、吐息のように言葉を続ける。しばしの間をおいた男は同意するように小さく頷いた。その姿もまた、雑踏に紛れて消えてしまった。

 

 

「えーと、あれもこれもそれも買ったし、買い足りないのは……」

 

「待ってくれベル。もう動けないんだが」

 

 

 車椅子を漕ぐ女性の後ろに続く初老の男性は、荒い呼吸を繰り返していた。彼の手には、文字通り「積み上げられた」プレゼントの山。

 ひいひい言いながら女性を呼び止めた彼に、女性は冷たい眼差しを注ぐ。

 

 

「体が鈍っているんじゃないの? 他にも、孤児院のみんなに配るプレゼントは足りないのよ。方々に頼んで買い出ししてもらってるけど」

 

「…………はあ」

 

 

 強い調子で言い返した女性は、すぐに踵を返して車椅子を漕いだ。男性は泣き笑いに近いような表情を浮かべた後、文句ひとつ言わずに彼女についていく。

 

 アンドレイの隣には、誰もいない。ついでにやや前方にも、誰もいない。

 生まれてこの方、プライベートな意味で、女性と並んで歩いたことはなかった。

 

 

(リア充め……!)

 

 

 家族連れを見てもアレだが、恋人たちの姿を見ても(別の意味で)アレである。顔がいかつかったのは父親だが、アンドレイは幸いなことに母親似だ。

 だが、顔がいかつかった父でさえ、マドンナ級と称された母を落としたのだ。母に似た顔つきであるアンドレイが女性と縁がないと言うのはおかしな話ではなかろうか。

 アンドレイは顎に手を当てた。冷たい風が頬を打つ。びょう、という風音が耳を掠めた。足元の枯葉が飛んでいく。寒さが一段と厳しくなったような気がした。

 

 深々と息を吐きだす。やけに、頭上に様々な光がちかちか点灯しているように思えた。見上げれば、大きなクリスマスツリーが鎮座している。

 

 都内で一番大きいツリー、と、物々しい仮面をつけた金髪碧眼の男が、悲壮感を漂わせながら零していたのを思い出す。彼の手には、『恋人と行きたいクリスマスのデートスポット特集』という文字が躍る雑誌が握られていた。彼はその後、派手な着物を着た東洋人女性に腕を絡められ、引きずられるようにして雑踏に飲まれていったか。閑話休題。

 アンドレイは周囲を見回した。どこもかしこもカップルだらけである。アンドレイの体感気温がぐっと下がった気がした。マフラーやセーター、および防寒着でしっかりガードしているにもかかわらず、だ。リア充たち自身だけはぬくぬくしているのは不公平である。最も、世の中と言うものは大抵が不平等でできているものだが。

 

 

「……はー……」

 

 

 アンドレイは遠い気分になった。独りに身クリスマスは毒でしかない。

 そろそろ婚活に励むべきだろうか――アンドレイがふと視線を動かしたときだった。

 

 そこに乙女がいた。透き通ったプラチナブロンドの髪に、青い宝玉を思わせるような双瞼。陶器のように白くてなめらかな肌は、寒さに晒されたせいか、ほんの少しだけ赤らんでいる。彼女が吐き出した息が白くけぶった。

 

 一瞬で、アンドレイはすべての感覚を奪われた。

 呼吸も、鼓動も、何もかもが止まってしまったような錯覚を覚える。

 

 

「か、可憐だ……」

 

 

 今のアンドレイには、そう言葉を吐き出すだけで精いっぱいだった。

 人生初の一目ぼれである。ああ、恋に落ちるとはこういうことを言うのだろうか。

 アンドレイは一端足を止め、方向転換した。ふらふらと可憐な乙女へと歩み寄る。

 

 できることならお近づきになりたい。まずはお友達から、と、アンドレイが脳内で計画を立てていたときだった。

 

 乙女がぱっと表情を輝かせる。

 彼女の視線の先には、向う側から駆けよってくるさえない男。

 

 

「ああ、沙慈ー! 遅ーい!」

「ごめんよルイス。色々あって……」

「許さなーい! 本当に申し訳ないと思ってるなら、今すぐ私にちゅーしれー!」

「ちょっと待ってよルイス! ここ、人がいっぱいで、その……」

「うふふ、そういうところがかわいいのよねー。からかうの楽しいー」

「る、ルイスっ! ……ぼ、僕だって、僕だって男なんだからね」

「!」

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 じゃれあっていた2人は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

 幾何かの沈黙の後、どうにか立ち直ったようだ。短く会話を交わしたのち、男が乙女に引っ張られるような形で、彼女たちは雑踏の中へと消えてしまう。乙女の肩に触れようとしていたアンドレイの手は、宙ぶらりんに彷徨っていた。

 物事の理解が追い付かない。頭の中で、何度もバク転を繰り返す――そんな無茶な運動を繰り返したような感覚を得て、アンドレイは1つの結論にたどり着く。アンドレイの出した答えを肯定するかのように、冷たい風が吹き抜けた。

 

 

「………………失恋した」

 

 

 崩れ落ちなかったのは僥倖と言えよう。

 生まれたての小鹿を思わせるような足取りで、アンドレイはツリーの前から歩き出した。

 

 

 

 

 

「アンドレイ……。……強くなれ、息子よ……!」

 

「どうかしたんですか? 大佐」

 

 

 敗北した息子の背中に、届かぬ声援を贈る男がいたことを、アンドレイは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンドレイ・スミルノフの嫌いな季節がやって来た。

 

 しんしんと雪が降り続くのと対照的に、街は喧騒に満ちている。煌びやかに輝くイルミネーションで満ち溢れていた。

 踊る文字はどれもこれも同じで、バレンタインディを祝う文句ばかりであった。アンドレイは、それらすべてが寒々しく思える。

 

 

「もうちょっと大きな花束にしたかったな……。もっと節約してればよかった……」

 

「……ジン、流石に80本もあれば充分じゃないか?」

 

「アユルは『100本のバラの花束が欲しい』って言ってたんだぞ。叶えてあげたいじゃないか」

 

 

 紫の髪の少年は、難しそうな顔でバラの花束を睨みつけている。予算不足で、望んだ本数の花束を作れなかったらしい。どこかで聞いたが、3000円で花束を作ってくれと頼むとカスミソウオンリーの花束が出来上がるという話を思い出した。

 対して、鳶色の髪の少年は、完璧主義の友人の背中と花束を複雑そうに眺めていた。彼の抱える花束は、紫の髪の少年と比較すると2回り――否、3回りほど小さい。おそらく、“花束”というカテゴリにぎりぎり収まるほどの大きさ/本数しかなかろう。

 花束の大きさには差はあるが、少年たちが花束を贈ろうとしている相手への想いに差異などない。貰う側はきっと幸せだ。雑踏に消えていく少年たちの背中を見送る。現在、アンドレイがいる国では、2月14日は家族や恋人、親しい人々に花を贈る風習があったことを思い出した。

 

 ちなみに、どこぞの東洋の国では「好きな男性にチョコレートを贈る」なんて風習があるらしい。今では、性別関係なく、お世話になった相手にチョコレートを贈る場合もあるのだそうだ。先程すれ違った浅黒い肌の女性が読んでいた雑誌の表紙にでかでかと書かれていた。

 彼女はどこか寂しそうな眼差しを空に向けながら、赤いマフラーに顔をうずめて通り過ぎて行った。この季節に1人身とはキツイだろう。お仲間は自分だけでなかったことに安堵した、なんて、かなり酷いことを考えたものである。

 

 

「グラン・マに花束贈るつもりなのだが、どんな花にすれば良いだろうか?」

 

「この季節になると、バラの花は人気らしいね。どこもかしこも売り切ればかりだ」

 

「特に赤はな。残っているのは白、黄色、青……」

 

 

 花屋のショーウィンドウに釘付けになっているのは、青い長髪の女性と深緑で短髪の女性2人と、銀髪で赤い瞳の少年だ。

 女2人も侍らせて、だなんて思っていない。しかし、少年が侍らせていた女の人数は2人だけではなかった。

 

 

「ルナは何をプレゼントするか決めたのかい?」

 

「私はチョコレートにするつもりです。以前の無茶ぶり出撃は死ぬかと思いましたが、おかげで給料がっぽがぽ! お財布の潤い具合が半端なくて」

 

 

 少年の問いかけに、短い藍色の髪の女性が現金な笑みを浮かべて答えた。が。

 

 

「それじゃあ、お財布が危なくなったら言って頂戴。頑張ってもらうから!」

 

「お財布が危なくなくても出撃させる気満々じゃないですかぁぁぁぁぁッ! エイミー艦長の鬼ィィィィィ!!」

 

 

 女性の悲鳴が延々と響く。哀れな光景だとは思わないわけではない。そういえば、アンドレイがひっそりと出入している電脳掲示板に『こんな仕事なんて聞いてない』なんてスレッドがあったことを思い出す。事務職で採用されたはずなのに、何故かMSパイロットとして戦う羽目になった女性の愚痴が書かれていた。

 後に、『しばらく会えなかった妹が、再会したら鬼指揮官になってた』というスレッドに出てきた登場人物と被っていたことが発覚し、『アニキと事務員の災難』にスレッドの名を変更し統合した。最近は多忙でスレッドを覗きに行けなかったが、今度久々に覗いてみるとしよう。アンドレイはなんとなくそう思った。

 

 

「ふふ、うふふふふふ……」

 

 

 不意に、不気味な笑い声が聞こえた。声の方向へと視線を向ければ、赤い髪の少女がショーウィンドウを凝視していた。彼女の隣に並び、心配そうに彼女を見ていたのは、杖をついた白髪の老紳士である。

 

 少女は明らかに未成年だった。おおよそ、アルコールには縁のなさそうな雰囲気が漂っている。

 対して、老紳士は積み重ねてきた人生の貫録が伺えた。少女の様子に困惑している様子だったが。

 

 

「酒で人の理性をどうこうできるかなって思うんだけど、おじーちゃんは何かいい知恵知らない?」

 

 

 少女は至極真面目な顔で老紳士に問うていた。

 

 

「酒を混ぜるとすごいことになるって情報を手に入れたのよ。日本語で確か、『チョポン』っていうんだっけ? でも、あたし未成年だから買えなくて」

 

「ワシ、MS論には精通しているが、アルコールによる欲情、およびその因果関係については専門外なんじゃよ。あと、『チョポン』ではなくて『ちゃんぽん』だからの」

 

「とりあえず、度数高いヤツを混ぜまくって責めればいけるかな」

 

「いや、無理だと思うぞ。おにーさんは酒をいくら飲んでも酔わない体質だったし……」

 

「スピリタス、エバークリア、ノッキーン・ポチーン、ハプスブルグ アブサン プレミアムリザーブ、ドーバースピリッツ88……」

 

「聞いとらんな」

 

 

 まるで呪文を諳んじるかのごとく、高アルコール度数の酒の銘柄を呟く少女。

 老紳士は額に手を当てて深くため息をつく。もう諦めの極致に入ったようだった。

 黒魔術でも始めてしまいそうな空気が漂う。無関係を決め込んだ方が良さそうだ。

 

 

「大佐ぁぁぁぁ! 俺と石破ラブラブ天驚拳を一緒に打ちませんかーっ!?」

 

 

 不意に、アンドレイの眼前をつむじ風が横ぎった。鳶色の髪の男が、眼鏡をかけた知的な女性の後ろを全速力で追いかけている。不思議なことに、女性は速足で歩いているだけなのに、全力疾走していると思しき男が追い付けるような気配はなかった。

 高嶺の花を全速力で追いかけている――先程のつむじ風を例えるなら、その言葉がぴったりだろう。追いかける対象がいるだけマシか。残念ながら、アンドレイには追いかけたい高嶺の花もいない。……いや、いないと言うには語弊がある。

 

 クリスマスに見かけた乙女の姿がよぎった。透き通ったプラチナブロンドの髪に、青い宝玉を思わせるような双瞼。陶器のように白くてなめらかな肌は、寒さに晒されたせいか、ほんの少しだけ赤らんでいる。彼女が吐き出した息が白くけぶった。

 

 だが、乙女には既に相手がいた。さえない顔をした茶髪の青年。人生初の一目惚れは、開始わずか数秒で終わりを迎える。

 略奪愛、という単語が脳裏に浮かんでは消えていく。そこまでの畜生になるだけの覚悟は、残念ながら持ち合わせていなかった。

 

 

「……はぁ」

 

 

 びゅう、と、一陣の風が吹き抜けた。枯葉がくるくると舞う。この枯葉もまた、友に踊る相手がいないらしい。似た者同士のようだ。

 枯葉が舞う方向に向かって視線を動かせば、先程とは違う花屋の看板と心配そうに向うを見つめる店員の姿が目に入った。

 店員の方に視線を向けると、襟元にクラバットを結んだ青年が、誰かと押し問答をしている姿が映る。

 

 相手のものと思しき車のトランクには、大量の、赤いバラの花がバケツごと入れられていた。花屋にあったものすべてを買ったのだろう。

 

 青年は、バラの花を譲ってもらいたいと頼み込んでいた。

 頑なに切り捨てる相手に怯むことなく、青年は叫ぶようにして言葉を紡ぐ。

 

 

「貴方程の人物であるならば、プロポーズでYESを引き出すために必要な花と、その色を知っているはずだ!」

 

 

 青年の言葉に、相手は大きく目を見開く。どこまでも真摯な鳶色の瞳に圧倒されたように相手は息を飲んだ。幾何かの間をおいて、相手は微笑み、青年にバラを分けてやる。

 バラの花束を手にした青年は嬉しそうにはにかむと、相手に礼を言って駆け出した。程なくして、男の姿は雑踏に飲まれる。相手も車に乗り込んだ。その後ろ姿は遠ざかって行った。

 

 セリフも気障だが、イケメンが言うなら何でも許されるという風潮がある。先程の青年もその類に相当した。悔しくない。断じて悔しくない。「告白が失敗しますように」だなんて、祈ってない。呪いはかけたかもしれないが。

 

 アンドレイは大きくため息をついた。こんな日に街の中をうろついていても、いいことなんて何もない。

 独り身であることが辛くなるだけなのに、どうして自分はあてもなく街を歩き回っているのだろう。

 吹き抜ける風は冷たい。先程までは粉雪だったはずなのに、いつの間にやら綿レベルの大きさに変わっていた。

 

 

「……はー……」

 

 

 そろそろ婚活に励むべきだろうか――アンドレイが真剣に考えたときだった。

 

 視界の端に、乙女がいた。栗色の髪を首にかかる程度の短髪に、宝玉を思わせるような琥珀色の瞳。凛とした眼差しに宿るのは、真実へのあくなき探求心だ。彼女の屹然とした瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 

 一瞬で、アンドレイはすべての感覚を奪われた。

 呼吸も、鼓動も、何もかもが止まってしまったような錯覚を覚える。

 

 

「う、麗しい……」

 

 

 今のアンドレイには、そう言葉を吐き出すだけで精いっぱいだった。人生2度目の一目ぼれである。ああ、恋に落ちるとはこういうことを言うのだ。

 前回の乙女とは人生最短で恋破れてしまったが、今度こそは。アンドレイはふらふらと麗しい乙女へと歩み寄る。

 できることならお近づきになりたい。まずはお友達から、と、アンドレイは脳内で計画を立て始める。伸ばした手が、女性の肩に触れ――

 

 

「どちらさまですか?」

 

「先輩に、何か?」

 

 

 ――なかった。

 

 アンドレイの手が肩に触れるか否かのタイミングで、2人の男性が、女性を庇うように姿を現したためである。

 

 1人は夜闇を思わせるような黒髪と黒目をした青年、もう1人は銀髪に月を思わせるようなブラウンゴールドの瞳が特徴であった。前者はアンドレイよりも身長が低いが、後者はアンドレイとそんなに変わらない。

 しかし、両者とも整った顔立ちをしており、この場にいる誰もが「美人」「イケメン」と称しそうな風貌だった。それだけでなく、彼らはアンドレイに対して不審者を見るような眼差しを向けてくる。

 

 

「セキ、ジョナ。大げさよ」

 

 

 麗しき乙女は苦笑し、肩をすくめる。しかし、2人は威嚇をやめようとしない。

 

 

「先輩もです。単独行動は危険だって、何度も言ってるのに……」

「そうですよ、絹江さん。何かするときは一緒に行動するって約束ですよ」

「だからと言って、引き下がるわけにはいかないわ。ここで諦めたら、ジャーナリストの名折れじゃない」

 

 

 乙女は2人を諌めるつつ、不敵に微笑む。

 

 

「それに、私の身に何かあったら、セキとジョナが助けてくれるんでしょう?」

 

 

 青年2人は虚を突かれたように目を丸くした。ぱちぱちと瞬きしたのち、女性とお互いの顔を見比べる。

 彼女は青年たちを心の底から信頼している様子だ。それを察したのだろう。青年たちは照れたようにはにかむ。

 

 しかし次の瞬間、彼らは悍ましいものを間近で見たかのように、顔面蒼白になった。間髪入れず、女性もさっと顔を青ざめる。刹那、アンドレイの背中に殺意が襲い掛かった。

 慌てて振り返ると、そこにいたのは1組のカップル。片や、アンドレイが恋に落ちたコンマ数秒で失恋した可憐な乙女。片や、可憐な乙女ときゃっきゃうふふしていたさえない青年。

 可憐な乙女は特に問題なかった。問題だったのは、さえない青年の方である。どこまでも濁った鳶色の瞳は、アンドレイを含んだ男たち2人に向けられていた。

 

 

「すみません。姉と貴方方は、どのようなご関係なんですか? 貴方方のいずれかが、僕の、未来のお義兄さんになるんですか?」

 

 

 殺される。返答を間違った瞬間、自分はこいつに殺されるんだ。

 

 アンドレイは直感した。修羅場を潜り抜けてきた軍人だと言うのに、一般人から放たれる圧力に反論できない自分がいる。

 青年2人は情けないことに、麗しい乙女の陰に隠れるように身を縮こませた。できることなら、アンドレイもそうしたかった。

 

 

「すみません。姉と貴方方は、どのようなご関係なんですか? 貴方方のいずれかが、僕の、未来のお義兄さんになるんですか?」

 

「やめなさい沙慈! 私たちはそういう関係じゃないの!! それに、ここにいる人は単なる巻き添えじゃない!!」

 

 

 どうやらこのさえない青年は、可憐な乙女の彼氏であり、麗しい乙女の弟にあたるらしい。運命とは色々な意味で不公平且つ不平等だ。アンドレイは漠然とそう思った。

 

 

「貴方、お義姉さまとはどんなご関係なんですか?」

 

 

 前言撤回。運命は自分に味方してくれた。

 

 可憐な乙女がアンドレイに話しかけてきた。思っても見ない絶好の機会である。乙女と――あわよくば乙女たちとお近づきになるチャンスだ。

 勿論、それを表に出すような、馬鹿な真似はしない。アンドレイは内心あわあわしながら、可憐な乙女の問いかけに答えた。

 

 

「彼女とは初対面だよ。1人で佇んでいたから、心配になって……この周辺は治安が悪いから」

 

「そうなんですかー。最近、世界情勢も混とんとしているから、治安も不安定になってしまうんですよねー。あ、ご職業は?」

 

「軍人を。貴女は?」

 

「私と沙慈は技術者をやってるんです! 公私共に最高のパートナーなんですよー」

 

「……そ、そうなのか……」

 

 

 胸が痛い。ある程度予想はしていたが、恋人に心底惚れている様子は突き刺さるものがある。しかし、めげてはいけない。

 

 

「貴女のお名前は?」

 

「ルイス・ハレヴィといいます。で、あっちで言い合いしている日本人男性が私の恋人、沙慈・クロスロード。彼と言い争っているのが義姉(あね)の絹江・クロスロードです」

 

「へえ……。お2人とも、美し――」

「ああっ、いけない! 沙慈、映画始まっちゃう!!」

 

 

 アンドレイの言葉を消し飛ばすかのように、可憐な乙女――ルイスが金切り声をあげた。彼女の言葉につられ、さえない青年――沙慈・クロスロードが腕時計を確認する。

 麗しい乙女――絹江・クロスロードもそれに便乗し、沙慈を促す。ようやく沙慈は追及することを諦めたらしい。

 

 

「帰ってきてから話はじっくり聞かせてもらうから。姉さん、変なことやったりしないようにね。そこの3人もだよ!」

 

 

 そう言い残し、ルイスと共に駆け出していった。若者2人の背中を見送り、4人は大きく脱力する。さて、話の続きを――。

 

 

「そろそろ移動しましょう。こんな寒い場所じゃ、おちおち話もできない」

 

「誰に聞かれているかわかりませんしね」

 

「それじゃあ、いつもの喫茶店に行きましょうか」

 

 

 乙女の肩に触れようとしていたアンドレイの手は、宙ぶらりんに彷徨っていた。

 物事の理解が追い付かない。頭の中で、何度もバク転を繰り返す――そんな無茶な運動を繰り返したような感覚を得て、アンドレイは1つの結論にたどり着く。アンドレイの出した答えを肯定するかのように、冷たい風が吹き抜けた。

 

 

「………………失敗した」

 

 

 崩れ落ちなかったのは僥倖と言えよう。

 生まれたての小鹿を思わせるような足取りで、アンドレイはその場から歩き出した。

 

 

 

 

 

「……久々に、アレーシュキでも作るかな」

 

「どうかしたんですか? 大佐。そちらは家と反対方向ですが……」

 

「少尉。買い出しに付き合ってくれないか」

 

 

 いかつい顔の男が、銀髪の乙女を伴いマーケットへ向かったことを、アンドレイは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 ポストに何か入っていた。

 

 アンドレイは訝しみながら、“それ”をポストから取り出してみる。小奇麗にラッピングされていた包装紙をはがせば、ビニールの袋が露わになった。中身はロシアの伝統的な焼き菓子、アレーシュキである。

 袋の口に巻き付けられていたカードを見る。差出人の名前を見て、アンドレイは表情をこわばらせた。思わず力が入り、ぐしゃりという音と一緒に袋に皺が刻まれる。幾何かの間をおいて、アンドレイは舌打ちした。

 

 扉を開けて、家の中に入る。迷うことなくゴミ箱へと直行したアンドレイは、まず包装紙をゴミ箱へぶち込んだ。

 続いて、袋ごとアレーシュキを。最後に、包みについていたメッセージカードを放り込む。

 その作業を終えた後、アンドレイは踵を返した。部屋を出ようとして、何故だかわからないが足を止めた。振り返る。

 

 ゴミ箱から覗くアレーシュキ。脳裏を駆けたのは、もう戻らない優しい時間。

 

 

『アンドレイ』

 

『この焼き菓子はね、お父さんが作ってくれたの』

 

『私とお父さんが恋人同士になったきっかけは、このアレーシュキなのよ』

 

 

 何の感慨も抱くことなく/抱きかけた何かを振り払って、アンドレイは部屋を出た。

 

 薄暗くなった部屋の中。ゴミ箱の中に落ちたカード。

 差出人の欄には、セルゲイ・スミルノフという名前が書かれていた。




【参考および参照】
『「覇王翔吼拳」を使わざるを得ないとは (ハオウショウコウケンヲツカワザルヲエナイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科』より、『「覇王翔吼拳」を使わざるを得ない』
『どこかの英会話のCM(ソース不明)』より『プロポーズでYESを引き出すために必要な花と、その色をご存知ですか?(うろ覚え)』
『ペルソナ3 恋愛コミュ』より『3000円で花束を作りたい。え? カスミソウ? ……やっぱいいです(うろ覚え)』
『【危険】世界で一番強いお酒 TOP3発表【注意】 - NAVER まとめ』より、『スピリタス』、『エバークリア』、『ノッキーン・ポチーン』
『意外!世界で最も強いお酒は日本酒だった?! TABIZINE~人生に旅心を~』より、『ハプスブルグ アブサン プレミアムリザーブ』、『ドーバースピリッツ88』


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1.再動 -もういちど-

 変な奴らがいる。

 何度見直しても、変な奴しかいない。

 

 

(通報しよ)

 

 

 男たちを見たクーゴが真っ先に思ったことは、それだった。端末の番号に警察署への番号をプッシュしかけた自分は悪くないはずである。

 

 仮面が1人、2人、3人。金髪碧眼、仮面を取ったらイケメンと思しき男が3人、椅子に座って並んでいる。

 その中の1人は見覚えがあった。見覚えのある男が、見覚えのある仮面と陣羽織を身に纏っている。

 彼がそれを買う現場にいたクーゴからしてみれば、何とも言えない気分になるのは当然であった。

 

 先程顔を合わせたキリシア・ザビの目元から下を覆うタイプの仮面もアレだったが、これも相当である。ジオンでは仮面が流行(はや)っているのだろうか。ついていきたいとは思わない。

 

 誰か褒めてほしい。この状況で、大声で「変な奴がいるぞ! この国は皆こうなのか!?」と叫んでトレーズの元へ駆け込まなかったことを。

 誰か褒めてほしい。この状況で、『服装その他諸々に見覚えのある男』に対して暴挙に出なかったことを。

 

 前回のゴタゴタ以来、クーゴと彼が音信不通であったことは事実だ。その間に、彼に何があったかなんてクーゴは知らない。

 

 だけど。

 でも。

 これは。

 

 流石にひどすぎるのではないだろうか。

 

 

(なんだ、この、『子どもから目を離したらいつの間にかはぐれてて、探し回ってようやく再開したと思ったら、子どもがヤンキーになっていたのを目の当たりにした親』のような心境は)

 

 

 クーゴの口元が引きつる。半ば脱力してしまいそうになったが、どうにか踏ん張った。

 目元を覆うタイプの白い仮面をつけた男は何かを察知したようで、陣羽織を羽織る仮面の男とクーゴを何度か凝視する。

 彼は最後にクーゴへ向き直ると、これまた何とも言えない表情を浮かべてこちらを見ていた。

 

 無言であるが、おそらく、彼に台詞を付けるとしたらこうだ。『ご愁傷様。キミも苦労しているのだね』と。

 

 

「少し見ないうちに変わりすぎじゃないのか、『グラハム』」

 

「『グラハム・エーカー』は既に死んだ。嘗ての名前も、階級も、全ては過去のものだ」

 

 

 そう言った男は、酷く尖った雰囲気を身に纏っていた。

 空を愛して翔けていたフラッグファイターの面影など見当たらない。

 

 目の前にいるのは侍だ。クーゴはすぐにそう思ったが、同時に嫌な予感も感じていた。彼の愛する侍――もとい日本文化の知識は、9割が思い込みと勘違いで構成されている。

 口を開けばあらびっくり。元日本人の自分が全力でツッコミを入れるような、斜めにかっ飛んだ話をしてくれる。修正すること幾星霜。その努力は、どうやら水泡に帰したらしい。

 特に、『真の愛で結ばれた日本のカップルは、石破ラブラブ天驚拳を放てる』なんて話をされたときはどうしてやろうかと本気で考えた。今でも悩んでいる。

 

 クーゴが目を離さなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。不可抗力とは言えど、考えてみても、もはや後の祭りであった。

 

 閑話休題。

 

 

「じゃあお前、なんて名乗ってるんだ。名前がなきゃ不便だろう」

 

「人は私をミスター・ブシドーと呼ぶ。兵士たちが自分を遠巻きにしながら、そう口にしていた」

 

 

 ふんぞり返った『グラハム・エーカー』――他称(コードネーム)、ミスター・ブシドーは堂々と名乗った。

 そりゃあそうだろうよ。クーゴは心の中で呟き、脱力してしまった。この空間にいると、ものすごく疲れる。

 

 クーゴは仮面の男たちから距離を取る。部屋の外、むしろジオンの外に逃げた方が得策かもしれない。それに、ここにはクーゴの相棒である『グラハム・エーカー』はいないのだ。ならばもう、ここにいる意味など存在しない。

 

 

「帰ります。俺は、『グラハム・エーカー』と話をしに来ただけですので。彼がいないなら、これ以上の話など無意味だ」

 

「待ちたまえ、ス*ー**ト・トレイ**の客員MS乗り。今は亡きグラハム・エーカーから、キミへの言伝を預かっている。……いいや、遺言と言うべきかな?」

 

 

 ブシドーの言葉に、クーゴは思わず足を止めた。ドアノブにかけようとした手を戻し、振り返る。ブシドーの瞳はまっすぐにクーゴを捉えていた。

 揺るぎない眼差しはグラハムなのに、彼は自ら「そうではない」と主張する。なんて矛盾に満ちた男なのだろう。

 ただ、はっきりとわかることが1つある。『奴』が『奴』である限り、クーゴはずっと『奴』に振り回され続けるのだ。

 

 

「平和工作を目的とした特務部隊・オルトロス隊に入隊し、連邦との平和路線打ちだし、および人類の脅威を討つ戦いに参加してほしい。この部隊には、キミのような人物と、キミが持つ力が必要不可欠なんだ」

 

 

 ああ、やはりこいつはグラハムだ。

 外見が変わろうと、佇まいが変わろうと、雰囲気が変わろうと、根っこは何も変わっていない。

 

 クーゴはふっと笑みを浮かべた。そして、ある確証を得るために問いかけてみる。

 

 

「ひとつ、訊ねたいことがある」

 

「何だ?」

 

「お前、刹那・F・セイエイという女性のこと、どう思ってる?」

 

 

 それを聞いたブシ□ーは、間髪入れずに返答した。

 

 

「愚問だな! 『彼女』は私の運め」「うん、わかったもういい。やっぱりお前は『グラハム・エーカー』だ」

 

「『グラハム・エーカー』は既に死んだと言った!」

 

「わかった、わかったから」

 

 

 ぷんすこという擬音がよく似合うような怒り方である。そこも全然変わっていなくて、クーゴは目を細めた。

 

 目元のみを覆うタイプの仮面をした男――シャアは苦笑していた。自分たちのやり取りに、何とも言えない気持ちになってしまったのだと思う。対して、ヘルメットタイプの仮面をした男――ゼクスは懐かしそうに微笑んでいた。

 ヘルメット仮面の笑い方は見覚えがある。連邦軍時代の戦友にして、年の離れた友人でもあった男だ。自分たちのやり取りを見ていた彼が、柔らかな笑みを浮かべていたことを思い出す。こんな形で3人が揃うなんて、誰が思うか。

 

 

「協力する、『グラハム』」

 

「だから、『グラハム』は既に死んだと……っ、本当か!?」

 

「ああ。只今より、クーゴ・ハガネは、オルトロス隊に入隊、貴殿らと行動を共にする」

 

 

 ブシドーはぱっと表情を輝かせた。奴だけではなく仮面2人組も嬉しそうに笑う。面倒なのが倍に増えるなんて、最初から分かっていた。もう諦めの境地である。この際、グラハム級の問題児が何人増えようと同じことだ。

 クーゴが同意の返事をしたのと同じタイミングで、キリシアとトレーズが部屋の中に足を踏み入れてきた。2人は嬉々とした様子で「歓迎しよう。準備をする」と言い残して部屋を出る。もしかして、最初から会話を聞いていたのだろうか。

 協力すると言って数分しか経過していないが、もう後悔し始める自分に気づく。今からでも協力を撤回できないだろうかと考えて、クーゴは心の中で首を振った。そんな外道は『あの人』だけで充分である。現在進行形で、『あの人』は暗躍を続けていた。

 

 ミューカスを始めとした人類の脅威どもが湧いているというのに、人類は内輪もめで手一杯だ。ジオンはジオンでガッタガタだし、連邦は連邦で汚職まみれである。こんな人類で大丈夫か? 大丈夫じゃない、問題だ。むしろ問題しかない。

 今こそ、派閥やら何やらを超えた集団が必要だ。キリシアやトレーズが内密で援助及び協力体制を結んでバックアップしている組織――コネクト・フォースのように。『目覚めた』クーゴだからこそ、その重要性はひしひしと痛感している。

 

 オルトロス隊の和平工作の中には、コネクト・フォースのバックアップも含まれているという。とんでもない多重スパイだ。

 

 

(世界だけではなく、獅子身中の虫も騙さなくちゃいけない、か)

 

 

 クーゴは思考回路を別方面にフル回転させる。そのとき、机の上に何か置かれた。

 

 並べられたのは仮面、仮面、仮面。フルフェイスタイプのものから目元のみを覆うタイプのものまで、様々な種類の仮面が並んでいる。

 嫌な予感がしたクーゴは、仮面3人組を見上げた。奴らは無邪気な瞳でクーゴを見つめている。子どもみたいに輝く瞳には、強い期待の色が見て取れた。

 ブシドーとゼクスが同意するかのように頷く。金髪碧眼イケメン仮面3人組を代表して、シャア・アズナブル大佐その人が厳かに言った。

 

 

「見ての通り、今日から同志となるキミの仮面は手配済みだ。好きなものを選ぶといい」

 

「いや、いらねーよ!」

 

 

 間髪入れず、手元にあった仮面を投げつけた自分は、何も悪くないはずである。

 

 

「そんなに嫌かね?」

 

 

 仮面3人組は顔を見合わせた後、残念そうな空気を醸し出す。

 う、と、クーゴは面食らった。

 

 何を思ったのか、シャアはクーゴが投げ捨てた仮面を手に取った。仮面と言うよりは、顔全体を覆うお面と言った方がいいような形のものだ。白くて丸いお面には、目の部分だけを見せるようにしてV字の穴が開いていた。視界は良好どころか最悪そうな仮面である。実用性には程遠い。

 

 2世紀ほど前のゲームのキャラクターに、同じような仮面をつけていた奴がいた。

 確かそのキャラクター、“世界一カッコいい一頭身”とか呼ばれていたような気がする。

 脱線した思考のまま顔を上げれば、シャアが機体に満ちた眼差しを向けてきた。

 

 

「私はこれが似合うと思うのだが」

 

「だからいらないっての!!」

 

 

 重ねて言おう。

 間髪入れず、手元にあった仮面を投げつけた自分は、何も悪くないはずである。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 跳ね起きたクーゴが見た景色は、白一色の部屋だった。

 

 小さなベッド、申し訳程度に書物が放り込まれた本棚、花が挿されていない陶器の花瓶。

 壁には、クーゴにとって馴染みのある空色の軍服と、どこかで見たことのある制服が飾られている。

 

 あれは、どこで見たのだろう。そう考えたクーゴの脳裏に浮かんだのは、年若い技術者たちの後ろ姿だった。

 

 

(ああ、アニエスたちが着ていた制服と同じやつか。……あれ?)

 

 

 おかしい、とクーゴは思う。自分が身に纏っているのは、病人が着るような簡素な服であった。

 

 

(俺が意識を失ったときの状況は、どう状態だった……!?)

 

 

 思い出す。友人たちの決意、汚された想い、牙を向く悪意。宇宙(そら)の果てで向き合った敵の攻撃が、愛機――GNフラッグに降り注いだ瞬間で、クーゴの記憶は断線していた。

 自分は死んでしまったのではないか。ここは死後の世界で、夢うつつのような気分なのだろうか。迷走し始めた己の思考回路を抑え込むついでに、己の頬を抓って見る。痛い。

 死人に痛覚はない。そもそも死人は、外部の刺激に反応しない。そう考えると、多分、クーゴは生きていると言えるだろう。次に浮かんだ疑問は、至極当然のことだ。

 

 ここは、どこだ。

 愛機のコックピットから、何故、こんな部屋に。

 

 クーゴの思考は、急に開いた扉の音によって中断された。

 

 音に惹かれて、その出どころへ向き直る。そこにいたのは、ペールグリーンの髪を簪でまとめた女性と黒髪黒目の少年だった。

 前者は日常と戦場で何度も顔を合わせてきた相手であり、後者はクーゴが救ったUnicornのパイロットである。

 

 

「クーゴさんっ!」

 

 

 ペールグリーンの髪の女性――イデアがクーゴの眼前に立った。彼女の紫苑の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。女性に泣かれてしまったことなど、自分の人生で初めてだ。正しい対応の仕方など知る由もない。

 

 しかし、それだけでは終わらなかった。イデアの隣に立っていたUnicornのパイロットである少年も、くしゃりと顔を歪ませた。

 間髪入れずに嗚咽が響く。目を真っ赤に腫らして、思いの丈をぶつけるように涙を溢れさせる。よかった、という言葉を聞き取れたのは僥倖だろう。

 どうしたものか。泣きじゃくる女性と少年を、同時に/早いタイミングで泣き止ませる手段など思いつかない。

 

 

「え、えっと、その……」

 

 

 クーゴはおろおろと手をさまよわせた。2人は相変わらず、涙を零し続けている。クーゴの無事を心から喜んでくれているのだ。

 目が覚めてよかった、と声がする。聞き覚えのある女性の声と少年の声。その主を、クーゴは『知っている』。

 

 

『助けた後も全然意識が戻らないから、僕らが助けるの遅かったからじゃないかと思ったんです。ああ、本当に良かった……!』

 

『そろそろ目覚めると持っていたんだけど、いつになったら“そろそろ”が来るのかなって心配したんですから……!!』

 

 

 脳裏にフラッシュバックしたのは、宇宙(そら)の闇。大破したフラッグが煙を上げていた。血まみれの男を引っ張り出したのは、イデアと少年だった。

 次に映ったのは、白い部屋に横たわったままの青年。眠っていたのは、他ならぬクーゴ・ハガネである。自分を心配そうに見つめている人物もまた、あの2人であった。

 どうやら、自分は2人に心配をかけたようだ。ならば、かけるべき言葉は1つだろう。彼女と彼は、その言葉を待っているに違いない。クーゴはえぐえぐ泣きじゃくる2人に笑いかけた。

 

 

「……心配かけてすまない。俺を、助けてくれてありがとう」

 

 

 クーゴの言葉を聞いた2人は、ぐしぐしと涙をぬぐって笑い返す。

 

 やっぱり、イデアには泣き顔よりも笑顔が似合う。彼女の笑顔を見ているだけで、クーゴの胸があたたかくなるからだ。

 そして、彼女の隣にいる少年もだ。Unicornに搭乗していたときのような、悲痛な顔など浮かべるべきではない。年相応の笑みを見て、クーゴもほっと息を吐いた。

 

 そうして、再び部屋の中を見回してみる。病院の個室を思わせるような内装であったが、窓が一切見当たらない。

 

 

「ところで、ここは一体どこなんだ?」

 

「『悪の組織』の本社です」

 

 

 クーゴの問いかけにイデアが答えた。

 

 『悪の組織』は世界各国に支社を置いている――その話は、ちらほら耳にしたことがあった。しかし、本社の場所は詳しく明言されていなかったように思う。そこまで思考を回転させたとき、はたと、クーゴは気づいた。思わずイデアを凝視する。

 確か、彼女はソレスタルビーイングのガンダムマイスターだったはずだ。『悪の組織』とソレスタルビーイングの関係は――その大多数が噂話でしかなかったが――「良好な関係ではなかった」とされている。その疑問を察したのか、イデアはちょっと困ったように苦笑した。

 

 

「元々は私、『悪の組織』からソレスタルビーイングに出向していた派遣社員だったんですよ。……所謂、出戻りってヤツですね」

 

「出戻り……」

 

 

 その言葉に、クーゴははっと息を飲んだ。クーゴの記憶は、ソレスタルビーイングと国連軍の最終決戦で止まっている。

 「ソレスタルビーイングから、古巣である『悪の組織』に出戻った」――イデアの言葉を反濁したクーゴは、もう一度イデアの顔を凝視した。

 大至急確認しなければならないことがあった。反射的に、クーゴはイデアの腕を掴んで問いかける。

 

 

「そうだ! 国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦は!? あの戦いは一体どうなったんだ!? キミたちがここにいるということは……」

 

「……あ、そっか。クーゴさんは半年間意識不明だったから、あの戦いの顛末を知らないのか」

 

 

 合点が言った、と言うかのように、イデアがぽんと手を叩いた。うんうん頷くイデアと少年の様子に流されかけ、クーゴは止まる。

 今、何やら聞き捨てならないことを言わなかったか。自分の耳がおかしくなければ、とんでもない言葉を拾ってしまったように思う。

 

 半年。半年とな。

 

 

「俺は、奇襲されてから半年間、ずっとここで眠ってたってことなのか?」

 

「はい」

 

 

 クーゴの問いに答えたのは、Unicornのパイロットをしていた少年だった。

 

 

「貴方が撃墜された現場にたどり着いて、貴方を助けようとしたんです。でも、僕じゃどうしようもできなくて……途方に暮れてたところに、イデアさんが来てくれたんです。それで、『悪の組織』本社に運び込んでもらって、治療もしてもらえて……」

 

 

 当時の様子を思い出してしまったのだろう。言っている傍から、少年の瞳が涙で潤む。

 無事でよかったです、と、彼はしゃっくり混じりの声で締めくくった。

 

 それに続くようにして、イデアも口を開いた。

 

 

「半年前に起きた、国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦。あの戦いで、国連軍は疑似太陽炉を搭載した新型機の大半を失いながらも、ソレスタルビーイングを壊滅させることに成功しました」

 

 

 何も映さない紫苑の瞳。彼女が見ているのは、あの戦いで起こった出来事なのだろう。そんな気がして、クーゴは押し黙る。

 いくら自らを派遣社員であった称していたとしても、ソレスタルビーイングもまた、彼女にとっては大切な場所だったはずだ。

 イデアが刹那と仲睦まじげにしていた様子が脳裏を翔けた。ソレスタルビーイングが壊滅したということは、刹那はどうしたのだろう。

 

 

「ソレスタルビーイングが壊滅したってことは、ソレスタルビーイングのメンバーは、全員戦死したってことなのか?」

 

「戦死はしていません。ですが、メンバーは散り散りになってしまっているようです」

 

 

 「詳しいことは、出戻ってしまったためにわからないですけど……」と、イデアは締めくくった。彼女が古巣に出戻ったのは、そういう経緯があったからなのかもしれない。

 でも、どうしてだろう。他にも何か、理由があるかもしれないと思ってしまった。組織が大打撃を受けたという理由だけで、イデアは出戻ることを選べるような人間だろうか。

 

 友人たちの話をするとき、彼女はとても楽しそうにしていた。今思えば、その友人たちこそ、ソレスタルビーイングのメンバーたちだったのかもしれない。

 

 話を聞く限り、イデアは仲間のことを大切にしていた。壊滅したという理由だけで、古巣に出戻るような人間だとは思えない。じゃあ、何故、彼女は出戻ることを選んだのだろう。不意に、クーゴの頭の中に何かがフラッシュバックした。

 2人の男女が、化け物を見るような目つきで『こちら』を見返している。いや、この男女だけではない。この場にいるすべての人間が、『こちら』を化け物だと認識していた。手をかざせば、男女は怯えるように身をすくめる。その瞳には、明らかな拒絶の意があった。

 はっとして、クーゴはイデアを見た。彼女が出戻った理由は、仲間から拒絶されてしまったためだったのか。その疑問を肯定するかのように、イデアは苦笑しながら目を伏せた。寂しそうに、苦しそうに笑うその姿に、胸が締め付けられる。

 

 

「みんなの反応は、当然のことです。私は、ニンゲンとは違いますから」

 

「何が違うんだ。確かに、キミは俺と同じ共有者(コーヴァレンター)で、虚憶(きょおく)持ちだ。でも、それだけじゃないか」

 

「そうですね。私と貴方は同じです。でも、()()()()()()()()

 

 

 イデアはそう言って、静かにクーゴの手を取った。ふわり、と、青い光が舞い上がる。

 

 青。鮮烈な青。荒ぶる青(タイプ・ブルー)。いつかどこかで、この色にまつわる話を聞いたことがある。この色にまつわる物語を紐解いたことがある。

 特殊な力に目覚めたがゆえに、人類から迫害された者たちがいた。命の生まれ故郷――青い星へ、母なる地球へ『還りたい』と、旅を続けた者たちがいた。

 クーゴが初めてその物語に触れたとき、証拠は何一つないにも関わらず、「これはただの創作ではない」と確証を抱いたことを思い出す。

 

 『悪の組織』からの技術提供。その条件が、『Toward the Terra』というSF小節の読破だった。そこに出てきたのは、『ミュウ』と呼ばれた人々。

 機械によって記憶を消すという成人検査の過程で生まれた、サイオン波と呼ばれる脳波でテレキネシスを駆使する者たちの総称だったはずである。

 

 ある者はサイオン波によるテレキネシスで対象者を攻撃し、ある者はテレキネシスで防壁を作り出し、ある者は他者の感情や思考を深層心理の隅々まで読み取り、ある者は生身のまま宇宙(そら)を翔る。

 特に、生身のままで宇宙(そら)を翔ることが可能な者は、『ミュウ』の中でも最強と謳われる能力者――荒ぶる青(タイプ・ブルー)である場合が多い。そこまで思い出して、クーゴはイデアから発せられる光の色に気づいた。

 イデアの色は、青。生身のまま宇宙(そら)を翔ることが可能な、最強と謳われる能力の持ち主だ。ということは、先程男女が怯えていた理由は――生身で宇宙空間を縦横無尽に飛び回り、且つ、敵を倒していたことが起因していたのだろうか。

 

 

「……だとするなら、共有者(コーヴァレンター)は……ヴィジョンや虚憶(きょおく)は……」

 

「クーゴさんの考えている通りです。これらはあくまでも、『ミュウ』が有するサイオン波による副産物にしかすぎません」

 

 

 イデアは真剣な表情で頷く。

 紫の瞳は、まっすぐにクーゴを捉えていた。

 

 

「ヴィジョンや虚憶(きょおく)は、その人物が『ミュウ』として『目覚め』を迎える前兆の1つなんです」

 

「……じゃあ、俺は――」

 

 

 彼女の言葉を、クーゴは正しく理解した。

 己が一体『何』かを、理解してしまった。

 

 クーゴがイデアと()()()()()ということは、即ち。

 

 

「俺も、キミと同じ――『ミュウ』なのか」

 

 

 その問いかけに、イデアは静かに微笑んで、頷いた。そうして、クーゴへ手を差し伸べる。

 

 

「立てますか?」

 

「あ、ああ」

 

 

 頷き、クーゴはイデアの手を取った。長らく動いていなかったせいか、体が鉛のように重い。

 よくよく考えてみれば、半年間眠っていた人間が立ち上がろうとするのは無理がある。

 しかし、多少の難はありつつも、クーゴは立ち上がった。よろめきながらも、一歩一歩、確実に足を進める。

 

 これもまた、『ミュウ』のなせる業だというのか。問いかけるようにイデアを見れば、彼女はふわりと微笑んだ。

 

 

「そういう訳じゃないですけど……うん、大丈夫ならそれでいいです」

 

 

 グラン・マの言うとおりだったなぁ、と、イデアは呟く。はて、グラン・マとは誰だろう。

 

 

「私たちの長です。同時に、『悪の組織』の代表取締役でもあります」

 

「代表取締役……」

 

 

 その言葉を皮切りに、クーゴの脳裏に1人の女性の姿が浮かんだ。アザディスタンの空港で会った、車椅子の女性。彼女が差し出した名刺に、「『悪の組織』代表取締役」という文字が書かれていたことを思い出した。

 もしかして、彼女もまた、『ミュウ』なのだろうか。そんな疑問を抱いたことに気づいたイデアは、曖昧に微笑んだ。「会えばわかります」と言って、クーゴの手を引く。車椅子の女性/『悪の組織』代表取締役の元へ案内してくれるらしい。

 

 

「その前に、着替えたいんだが……」

 

「あ、わかりました。一応、ユニオン軍の軍服と、私たちが支給される制服と、2種類ありますけど」

 

「ユニオン軍の方でいい。俺はフラッグファイターだからな」

 

 

 そう言ってユニオンの軍服に手をかければ、イデアはふっと表情を緩める。愛おしいものを見つめるような眼差しに、クーゴは何となく気恥ずかしさを感じて目を逸らした。

 イデアと少年は気を使ってくれたようで、「着替え終わったら声をかけてください」と言い残して部屋を出た。彼らの背中を見送った後、クーゴは制服に袖を通す。

 見慣れた制服を身に纏った自分。何の変哲のない、見慣れた姿だ。しかし、言いようのない違和感を感じる。その理由を、クーゴはきちんと自覚していた。

 

 深緑の軍服を身に纏った友人や、部下たちの姿が脳裏をよぎる。夢の中で対面した彼らは、誰1人ユニオン軍の制服を着ていなかった。

 彼らが身に纏っていた軍服は、どの組織のものだっただろう。独立治安維持部隊アロウズなんて、クーゴの知識では思い当たらない。

 

 あるとすれば、虚憶(きょおく)から齎されたものだけだ。文字通り、けれども悪い意味での治安維持を任務にしていた部隊と同じ名前である。まさか、やっていることまで同じなのだろうか。

 

 考えすぎていたせいか、制服を着る手を止めていたようだ。これ以上、イデアや少年を待たせてはいけない。

 思考を止めて、クーゴはさっさと制服に着替えた。扉を開けて、着替えが終わったことを告げた。

 

 

「終わった。行こう」

 

「はい。……あら?」

 

 

 遠くから騒がしい声が響いてくる。そこへ、イデアは視線を向けた。

 

 赤い髪の少女、青い髪の青年、鳶色の髪と浅黒い肌の青年が、談笑しながら小走りで翔けてきたところだった。3人とも、パイロットスーツを身に纏い、ヘルメットを脇に抱えている。

 『悪の組織』の技術者だろうか。いや、でも、あの格好は、技術者と言うよりは、クーゴと同じMSパイロットだろう。年齢は、明らかに10代後半か20代前半である。クーゴよりも若い。

 

 

「あ、イデアーっ!」

 

「ネーナ。ノブレスくんから頼まれたミッション、どうだった?」

 

「ばっちり! 治安維持部隊が行っている虐殺行為に介入して、虐殺対象者の救出および保護任務に成功したよっ!」

 

 

 赤い髪の少女――ネーナは満面の笑みを浮かべてVサインした。後ろにいる青年たちも得意げに微笑む。

 

 

「教官、褒めてくれるかなぁ」

 

「褒めてくれると思うよ。報告を受けたとき、『無事に終わってよかった』って安心してたから。一緒に話を聞いていた教授に、ネーナたちのこと自慢してたのよ」

 

「えへへ……」

 

 

 ネーナは仲睦まじくイデアと話していたが、クーゴの存在に気づいて目を瞬かせる。そして、合点が言ったように手を叩いた。

 

 

「あ、だからおじいちゃんが『紅茶のパウンドケーキを作るのに必要な茶葉を調達してほしい』って言ってたんだ」

 

 

 彼女の言葉を皮切りに、青年たちがクーゴを見た。まじまじと見つめられると、どうにも恐縮してしまう。

 青年たちは端末とクーゴの顔を見比べ、ややあって納得したように顔を見合わせていた。

 

 

「そういや、教官も仰っていたな。『病室の彼がそろそろ目覚める頃だろう』って」

 

「『別の病室にいるヤツも、どうにか話を聞ける状態になる頃だ』とも言ってたよな。双子の弟に間違えられて覇王翔吼拳を叩きこまれそうになったり、双子の弟を強襲しようとする輩から弟を庇って弟の代わりに覇王翔吼拳叩きこまれたりして、病室と外を行ったり来たりしてたらしいし」

 

「……た、大変だな」

 

「ロックオ――……その人、先に待ち合わせ場所に行ってますから、すぐ会えますよ」

 

「そ、そうか」

 

 

 イデアがのほほんと補足してくれた。

 

 青年2人の会話を聞いたせいか、クーゴの背中に空恐ろしい寒気が走った。それ以前に、自分以外にも『悪の組織』で療養していた人間がいたらしい。

 どんな人間なのだろう、と、クーゴが思ったときだった。青年が握りしめていた端末が鳴り響く。その音を聞いたネーナが、弾かれたように端末を持つ青年の隣に並んだ。

 3人はしばし端末と睨めっこをしていたが、ややあって、クーゴらに視線を戻した。どうしたのだろう。クーゴが問う前に、ネーナがイデアに視線を向けた。

 

 

「『悪の組織』総帥から、集合してほしいって連絡が来たんだ。イデアたちもそこに行くんでしょ? 一緒に行かない?」

 

「私は賛成だけど、クーゴさんは?」

 

 

 いきなり話を振られ、クーゴは面食らった。

 しかし、断る理由はない。

 

 

目的地(しゅうごうばしょ)が一緒なら、断る理由はないな。一緒に行こうか」

 

 

 彼女たちの申し出を受ける。同行者が増えたためか、周囲の空気が賑やかになった気がした。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 端末からの地図情報を確認する。『中庭』という区画に、赤いマークが点滅していた。

 現在位置を表す青いマークは、『中庭』の手前にある。目の前の扉を開ければ、待ち合わせ場所に到着だ。

 

 イデアが先陣を切り、ネーナやクーゴたちがそれに続く。扉が開く音と共に、満天の星空が目に入った。遠くには、青く輝く惑星(ほし)――地球が見える。

 

 

(宇宙……!? ってことは、『悪の組織』の本社は宇宙にあったのか!?)

 

 

 そこまで考えて、クーゴはふと気づいた。ほんの少しずつであるが、地球が見える位置が移動していく。はっとして周囲を見回せば、そこは地上にある公園とよく似た場所であった。

 足元には芝生が生い茂り、所々には座って休めるベンチスペースが点在し、オブジェクトや噴水などが設置されている。つい先程まで誰かいたのだろう。遊具のブランコが、名残惜しそうに音を響かせていた。

 イデアやネーナたちは迷うことなく歩みを進める。広場の中央にある、ひときわ大きなベンチスペースに向かってだ。様々な花で彩られたアーチの下には、丸くて大きいテーブルが置いてある。繊細な装飾が施された、金属製のものだ。光源を受けて、テーブルや椅子らが銀色の輝きを帯びている。

 

 既に先客がいたようで、3人の男性が腰かけていた。

 

 1人目は、茶髪で緑の瞳を持つ白人男性だ。頭や首、服の袖から見える肌には包帯が巻かれており、彼の座る椅子の脇には松葉杖が置かれている。先程青年たちがしていた話――覇王翔吼拳が云々――から顧みるに、彼が『クーゴよりも先に『悪の組織』にいた人物』であろう。

 2人目は、プラチナブロンドの髪に琥珀色のアーモンドアイが特徴な青年だ。端正な顔立ちを見つめて、気づく。テレビで取り立たされていたアイドル、テオ・マイヤーとよく似ていた。いや、似ているのではない。本人である。エイフマン教授が「昔亡くなった兄貴分とそっくり」だとよく話していた。

 

 そうして、3人目は――

 

 

「約束の時間10分前には到着しているのがモットーのキミにしては、随分と寝坊したようじゃのう?」

 

「エイフマン教授……!」

 

 

 白髪に青い瞳を持つ老紳士――レイフ・エイフマン。ユニオンのガンダム調査隊、後のオーバーフラッグス隊の技術顧問を務めていた人物にして、クーゴの愛機フラッグの生みの親だった人だ。

 先のMSWAD基地襲撃事件で亡くなったと思っていた。もう、彼と言葉を交わす機会はないと思っていた。その相手が、目の前にいる。込み上げてくるものをどうにか押しとどめながら、クーゴは笑って見せた。

 20代の終わりといういい大人が、泣き顔を晒すことなんてできやしない。ちゃんと笑えていたかどうかはわからないが、エイフマンは幼子に向けるような温和な笑みを浮かべて頷き返してくれた。

 

 

「よがったねぇ。よがったねぇ。感動の再開……」

 

「……2番目もだめ、3番目もだめ、4番目も……5番目も……う、うう……!」

 

 

 不意に、誰かが鼻をすする音が聞こえた。音の出どころを見れば、車椅子に乗った女性が服の袖で涙をぬぐっている。女性の後ろには、顔を覆っている初老の男性。どちらにも、クーゴには見覚えがあった。

 

 黒い髪をお団子に結んだ女性は、イナクトの発表をしていた軍事基地やアザディスタンで顔を合わせている。彼女こそ、『悪の組織』の代表取締役だ。

 白髪交じりの初老の男性は、イナクトの発表をしていた軍事基地やテレビでよく見かけていた。国連の代表者、エルガン・ローディックその人だ。

 

 どうしてこの2人が、同じ場所にいるのだろう。前者の女性はともかく、後者のエルガンは『悪の組織』とは無関係ではないのか。それ以前に、国連代表がこんな場所で油を売っていていいのだろうか。

 クーゴの問いかけを察したのか、エルガンは顔を上げた。涙と鼻水にまみれた顔をハンカチで無理矢理拭い、何事もなかったかのように真面目な表情になった。突き崩したら男の矜持と沽券に係わるため、黙っておくことにする。

 

 

「ベル、泣き止め。彼らをここに集めた張本人が泣いていてどうする」

 

「これが泣かずにいられますかっての。そんな風に変なところでドライだから、私にとってアンタは『妥協して100番目くらいに好きな男』って言われるのよ」

 

「……この世は、地獄だ……!!!」

 

 

 再びエルガンが崩れ落ちる。というか、何だ、その『妥協して100番目くらいに好きな男』という微妙な表現は。その言葉だけで、エルガンの扱いに大体予想がつくのは何故だろう。

 周囲の人々は何かを察したようで、エルガンからそっと目を逸らしていた。成程、クーゴの予想は正解だったようだ。居たたまれなくなり、クーゴもまた視線を逸らす。

 

 話し合いが始まるまで、もう少し時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「何言ってるんだ。兄さんはこの前、覆面を付けた暴漢に襲われていた俺を助けてくれたんだぞ?」

 

「なんだって!!?」

 

「そのときに酷い怪我をしてな。俺が救急車を呼んだんだ。だから、兄さんが死んでるなんてあり得ないんだよ」

 

「そんな、バカなことが……!!」

 

 

「……あれ? そういえば、あの救急車、病院の名前が書いてなかったような……?」

 

「……は?」

 

「しかも、俺が電話したら、『近くにいるので拾いに行きます。30秒くらいで到着しますから、安心してください』とか言ってた……――ッ!!!」

 

 

 

 

 覇王翔吼拳の被害者の弟が、紆余曲折の果てに、ソレスタルビーイングに加入することを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『悪の組織』は、技術者にとって天国であり、楽園であり、己を磨くのにふさわしい環境が整っている場所だと思う。そのおかげで、大破したキミのフラッグをベースにし、思う存分改修することができた」

 

「これは……!?」

 

「フラッグの系譜に『悪の組織』の技術を合わせた物じゃ。『ミュウ』由来の技術の結晶を組み込んだからな。事実上の、『キミのためだけにチューンされた機体』となる」

 

「俺のためだけに作られた、フラッグの後継機……」

 

「そう。ただな、機体は完成したのだが、まだ完全ではないのだよ」

 

「どういうことですか?」

 

「――機体の名前が、まだ決まっておらんのだ。キミに、名付けてもらおうと思っていたからな」

 

 

 

 

 

 フラッグの系譜を継ぐ、新たな翼が舞い降りることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「身バレを避けるためには、やっぱり顔を覆う必要があると思うんだ」

 

「使いませんからねそんな仮面!!?」

 

 

 

 

 世界一カッコいい一頭身がつけていた仮面を、現実でもごり押しされることを。

 

 

 

 

 

 

 

「……はは、ひどいな」

 

 

「キミはひどいオンナだ、ベルフトゥーロ」

 

 

「ああ、認めよう。ソレは確かに、ワタシが欲したものだ。……しかし、ソレ“だけ”を残されても、ワタシにとっては無価値なんだよ」

 

 

 

 

 “とある世界”の“どこかの誰か”が、一番欲しかったものを手にし、一番大切だったものを失うことを。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。

 



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2.ゼロからイチへ至るまで

 

 

「若者よ、『目覚めた』キミたちは知る“義務”と“責任”がある」

 

 

 女性は、この場に集った全員を見回してそう言った。

 

 

「我が『同胞』が辿ってきた歴史を、受け継いだ想いを、その『力』の在り方を」

 

 

 レイフ・エイフマン、テオドア・ユスト・ライヒヴァイン、ネーナ・トリニティ、ミハエル・トリニティ、ヨハン・トリニティ、ロックオン・ストラトス/ニール・ディランディ、ソラツグ・ハガネ、イデア・クピディターズ、そして――クーゴ・ハガネの9人である。

 つい数分前まで情けない泣き顔を晒していたエルガンは、自分の脇に控えるようにして立っていた。目元がやや赤いが、話をするという点からしてみればまだマシであろう。大体、エルガンが変なことを言うのが悪いのだ。

 

 

『お前から、“世界で2番目に愛される男”になりたい』

 

 

 数十分前の会話が、エルガンの言葉が、女性の脳裏にフラッシュバックする。

 

 どこまでも真摯な眼差し。今まで押し込めてきたものを吐き出すかのように、鬼気迫った声が脳裏に響いた。

 

 

『私がお前の1番目になれないことなど、承知している』

 

『それでも……世界で2番目でもいいから、選ばれたい。1番目はイオリアに明け渡すとしても、それだけは譲れないんだ』

 

 

 確かに、女性にとって1番愛する男はイオリア・シュヘンベルクである。それ以外の男を愛せと言われても無理だ。性格的にも、状態的にも。

 息子認定しているリボンズやイノベイドたち、自分を指導者(ソルジャー)と慕う仲間たちに抱くのは家族愛であり、愛は愛でも例外枠であるが。

 前々から女々しい奴だとは思っていた。変なことを言う奴だと思っていた。長く生きすぎた弊害だとでもいうのだろうか。女性には、彼の気持ちなんてわからない。

 

 わかったとしても、応えることはできないだろう。だから、女性は見ないフリをする。理解することを放棄する。そうすれば、すべてが平穏のまま。

 いつものように軽口を言いあって、喧嘩し合って、背中を預けて、生きていく。女性の命の光が燃え尽きるその瞬間まで、愛すべき日々は繰り返されるのだ。

 

 今までも、これからも。

 

 

「同時に、知る権利がある」

 

 

 ……いけない、盛大に思考回路が脱線してしまった。

 閑話休題である。

 

 

「私とイオリア・シュヘンベルクが何を願い、何を思い、その道を突き進んでいったのかを」

 

 

 女性は大仰に頷き、手をかざした。青い光が舞い上がる。エイフマン、ネーナ、ミハエル、ヨハン、ロックオン、ソラツグ、クーゴらは反射的に目を閉じた。

 『ミュウ』の有する能力を使った、過去の追体験だ。これから6人は、『ミュウ』の歴史と歩み、ソレスタルビーイングの始まりについて『視る』ことになる。

 

 彼らがどんな答えを出すかはわからない。しかし、少なくとも、何も知らなかった頃に戻ることは不可能だ。『ミュウ』として目覚めてしまった彼らは、常に選択を迫られることになる。その試金石が、『ミュウ』と女性の歩んできた軌跡を見た後の判断だ。

 ここに残ることを選んでもいい。古巣へ還ることを選んでもいい。彼らが何を選んでも、女性たちは彼らのバックアップに全力を注ぐつもりだ。『同胞』のよしみである。この世界はまだ、異質なものに対して厳しいきらいがあるためだ。

 だって、ソレスタルビーイングが壊滅するタイミングとか、国際状況を鑑みるに、イオリアの夢見た統一には遠すぎる。統一という名の言論封殺と虐殺が、秘密裏に行われているという時点でお察しだった。8割がた、アレハンドロのせいだろう。

 

 いや、正確に言えば、『アレハンドロを利用しようとしていた存在』のせいなのだが。

 

 

(……すべて、ってわけじゃないんだけどね。うん)

 

 

 女性はひっそりと苦笑しながら目を閉じる。

 新たな『同胞』たちが目覚めるまで、まだ時間がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐるん、と、体が一回転したような感覚に見舞われた。変な浮遊感と振動が続いた後、浮遊感を残して不快な振動はなくなる。

 それを確認した後、クーゴは恐る恐る目を開けた。自分の周囲に漂っているのは、『悪の組織』総帥によって集められた面々である。

 

 眼下には、穏やかな街が広がっている。

 自分たちの見慣れた、平和な光景だ。

 しかし、次の瞬間、世界は一変する。

 

 高層ビルを思わせるような大きな建造物が見えた。気づけば、いつの間にか施設内部に光景が変わる。

 

 内部には、少年少女が集められていた。背丈や声から判断するに、中学生くらいの年齢だろう。彼らはみんな、病院着に似た服を身に纏っていた。

 看護師とよく似た格好をした女性が、少年の名前を呼ぶ。金髪に青い瞳の青年が立ち上がり、看護師に促されるまま部屋へと足を踏み入れた。

 

 ICUを彷彿とさせる機械に横たえられた青年を尻目に、大人たちが機材を動かす。

 それを皮切りに、世界が目まぐるしく動き始めた。

 

 

『一切の記憶を捨てなさい。貴方はまったく新しい人間として、青い星(テラ)の上に生まれ落ちるのです』

 

 

 その言葉は、どこかで目にしたことがあった。

 

 

『お前はブルー・1(ワン)、突然変異種『ミュウ』のニュータイプだ』

 

 

 その光景は、どこかで思い描いたことがあった。

 

 

(これは……『Toward the Terra』?)

 

 

 以前、クーゴが読んだことのあるSF小説に、同じ場面が出てきたことを思い出す。『Toward the Terra』を読んだとき、どうしてか、「これはただの創作ではない」と感じたことを覚えている。

 もしかしたら、それは、クーゴの『ミュウ』因子や荒ぶる青(タイプ・ブルー)の系譜が、クーゴの知らぬ間に訴えかけてきたものだったのかもしれない。異種族の末裔としての本能が、先祖の記憶に反応したのだろう。

 

 

『早く乗り込むんだ! 船に!』

 

 

 燃え盛る街並みから飛び立った宇宙船。当てもなく彷徨い続けた彼ら――『ミュウ』は、長い旅を経て、惑星アタラクシアの育英都市アルテメシアに潜伏する。

 『ミュウ』の初代指導者が、後継者を見出した/ある少年が成人検査を受けたとき、長い戦いと旅路の幕が上がったのだ。少年の名は、ジョミー・マーキス・シン。

 人類と和解するためにメッセージを送る彼に対し、人類は容赦ない攻撃を繰り返した。長い逃亡生活に疲れ果てた『ミュウ』たちは、逃れの星へと身を寄せる。

 

 人類が植民地惑星にしようとして失敗し、捨てられた『赤い惑星(ほし)』。東雲色の空と、赤い大地が広がる惑星だった。『ミュウ』たちはこの惑星をナスカと名付け、命を育む。

 

 移り変わる光景の速度が緩んだ。

 

 固く閉ざされた部屋の向うから、女性の叫び声が木霊する。廊下に並んだ男は、完全に無力であった。

 特に椅子に座っている男性――茶髪で額にバンダナを巻いた青年は、手を組み、願をかけるようにして叫んでいた。

 

 

『嗚呼! 神様、仏様、コーラサワーッ!!』

 

『おい、ちょっと待て。コーラサワーって何だ?』

 

『クレアが言ってた。ご利益あるって』

 

 

 この会話を耳にして、クーゴは思わず噴き出した。コーラサワーは、AEUのエースパイロットであり、国連軍の友僚だ。以前からちょくちょく顔を合わせており、彼の2つ名である“不死身”というのは、クーゴが名付け親である。

 パトリック・コーラサワーの幸運は、確かに後利益ありそうだ。ガンダムと戦い、何度も撃墜されながらも無事に帰還する男。「大丈夫、必ずここに帰る」というフレーズは、彼のためにあるようなものであった。

 

 

(……でも、どうしてこの人たちが知ってるんだろう?)

 

 

 クーゴがささやかな疑問を抱いた刹那、扉の向こうから赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。男性たちが、弾かれたように、扉を開けてなだれ込む。

 

 病室の中で、青を帯びた黒髪の女性が、汗だくになりながらもやり遂げたような笑みを浮かべていた。彼女の腕の中には、夜の闇を思わせるような黒髪の女児が元気に動いていた。

 夫がよたよたと近付いてきた様子を見た女性は、満面の笑みを浮かべた。女性を労うようにして、老若男女の『ミュウ』たちが、彼女の周囲に集まって来る。

 誰もが、新たな命の誕生に心躍らせていた。S(スペリオル).D(ドミナント)体勢では人工授精が一般的であり、自然分娩が廃れていた時代だ。喜ばしいのは当然だろう。

 

 

『お前ら、その子の名前はどうするんだ?』

 

 

 襟元にクラバットを巻いた男性が、夫婦に問いかけた。

 2人は幸せそうに微笑み、おくるみに包まれた娘へ告げる。

 

 

『ベルフトゥーロ・ティアエラ』

 

『ベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイド……』

 

 

 盲目の女性は、確認するように、女児の名前を鸚鵡返しした。そして、ふっと笑みを浮かべる。金の長髪がさらりとゆれた。

 

 

『“未来の鐘を鳴らす者”……。きっとこの子は、誰も考えられないような偉業を成すでしょう』

 

 

 盲目の占い師から託宣を得た少女は、自分より数か月早く生まれていた男児と楽しそうに笑いあっている。

 黒髪に、青い瞳。ベルフトゥーロと呼ばれた女児は、誰かに似ていた。その面影を、クーゴはどこかで見たことがある。

 刹那、女児の姿は幼子へと成長していた。髪をお団子に結んだ少女は、年齢以上の好奇心と行動力を持っていて、縦横無尽に駆け回っていた。

 

 彼女よりも先に生まれた男児や、2人の後に生まれた8人の子どもたちが加わる。それと並行して営まれる、ナスカでの穏やかな日常。それが永遠に続くものなのだと、誰もが信じて疑わなかった。

 しかし、その平和は唐突に終わりを告げた。人類が差し向けたのは、星そのものを破壊する兵器――メギドシステム。安息の地となるはずだった赤い星は、瞬く間に戦禍に飲み込まれた。

 

 

『どうして!? どうして私の大切な人は皆、私を置いて逝ってしまうの!?』

 

 

『ユウイ、トオニィ! 私を1人にしないで!!』

 

 

 ベルフトゥーロの友人である男児――トオニィの母親が、悲鳴を上げて泣き叫んでいた。

 彼女は己の能力を暴走させた果てに、愛する人の幻を見ながら死んでいった。その死に顔は、まるで眠っているかの様子だった。

 

 

『言った、だろう? エターナ。……俺は、キミを、1人にしない、と……』

 

『……ありがとう、マーク』

 

 

 瓦礫に潰れた伴侶の手を取って、友人――イニスの両親は息絶えた。唯一の救いは、最期の最期に伸ばした手が届いたことだろう。

 

 

『やだよ、こんなの嫌だ……! ずっと一緒だって言ったじゃない! 約束破らないでよ、ラナロウ!!』

 

『……ったく。本当にお前は、しょうがねぇな……クレア』

 

 

 血まみれになって息絶えた男性の傍を、女性は最期まで離れなかった。この2人は、ベルフトゥーロの両親だった。

 この2人は最期まで、滅びゆく星と共に命を散らした。娘の故郷で、意識不明となった娘の目覚めを待ち続ける――その願いに殉じたのだ。

 

 犠牲は終わらない。惑星を破壊し、『同胞』を殺す兵器を止めるために、命を賭けた者がいた。

 

 

『……ジョミー、皆を頼む』

 

 

 銀色の髪に、紅蓮の瞳。彼こそが、初代の指導者(ソルジャー)――ブルーだ。彼は、己の命と引き換えに、『同胞』の命を救ったのである。

 その犠牲を引き金に、2代目の指導者(ソルジャー)となったジョミーは、優しさだけでは生きていけないことを痛感する。そうして――彼は、強硬手段に出た。

 

 宇宙(そら)に、爆炎の花が咲く。戦艦が、戦闘機が、次々と撃墜されていった。青い光が宇宙(そら)を飛び回る。その光の中央にいたのは、赤き星で生まれ育った10人の青年たちだった。

 彼らは強制的に、自分の体を成長させた。それも、全ては2代目指導者(ソルジャー)の力となるため。青い星(テラ)へ『還る』という悲願を叶えるためだった。その中に、黒い髪をお団子に結んだ女性――ベルフトゥーロの姿があった。

 彼女の隣にいたのは銀髪の女性、イニス。2人の後に続くようにして飛び回っていたのは、鳶色の髪の青年だ。白髪が混じってもう少し老ければ、エルガンとよく似ている。いや、あの青年がエルガンなのだ。クーゴは直感した。

 

 彼らの活躍で、ジョミーはアルテメシアへと帰ってきた。そこで、彼は自分を殺そうとした張本人、テラズ・ナンバー5と直接対決を行う。ジョミーが『ミュウ』として目覚めた因縁の場所で。

 

 

〔無駄です、ジョミー・マーキス・シン。この聖域は、何人たりとも近づくことはできません〕

 

 

 姿を現したのは、テラズ・ナンバー5。

 たらこを模したようなフォルムに、能面のような顔がついている。

 無機質で不気味な赤い瞳が、こちらを静かに見据えていた。

 

 

(こいつ、モラリア戦役で見たぞ!?)

 

 

 クーゴは息を飲んだ。テラズ・ナンバー5は、モラリア戦役でイデアを追いつめた存在と酷似している。いや、瓜二つと言っても過言ではない。何故、S.D体制――西暦3000年代相当の技術が、西暦2300年代に存在しているのだろうか。

 

 クーゴの思考を断ち切るかのようなタイミングで、奴は告げる。[『ミュウ』は秩序を乱す。お前たちは存在してはならない]――その判断によって、沢山の命が奪われたのだ。犠牲を目の当たりにしてきたジョミーが、おめおめ引き下がるはずがない。

 青い光が、バリアを打ち破った。サイオン波が、テラズ・ナンバー5の本体を撃ち抜く! 馬鹿な、と、最期の悲鳴を残してテラズ・ナンバー5の映像が掻き消え、本体のコンピュータが派手な爆発を引き起こした。光が晴れ、瓦礫が散乱する。

 

 岩場が丸々なくなったためだろう。ジョミーの足元は、透き通った水で満たされていた。歩みを進めれば、ばしゃんと水の音が響く。

 彼は何かを懐かしむように目を伏せて、懐から何かを取り出した。幾何の沈黙の後、彼はそれを放り投げる。とぽん、と、水の音が響いた。

 

 

『行こう』

 

 

 世界は移り変わる。黄昏の空と、さびれた遊園地。

 

 新緑の瞳が見据えるのは、ブルーが帰りたいと願った青い惑星(わくせい)。すべての命が生まれ落ちた楽園――青い星(テラ)

 

 

『道は、開かれた』

 

 

 世界が移り変わる。宇宙(そら)に、沢山の花が咲いた。赤く燃える、爆炎の花だ。いくつもの命が、炎に飲まれて散っていった。

 楽園の名を冠した母艦の中庭に、多くの犠牲者が並んでいる。その中には、ベルフトゥーロたちと同じ赤の制服を身に纏った者たちがいた。

 多くの犠牲を払って、『ミュウ』たちは青い星(テラ)にたどり着く。青い星だと思われていたそこは、赤く濁った死の星だった。

 

 その事実に絶望するのは当たり前のことだった。多くの仲間たちが涙をこぼし、咽び泣いた。それでも、彼らは事実に向き合い、生存権を手にするために人類側の面々と対話を行う。

 グランドマザーの元へ向かうことになったのは、ミュウの指導者(ソルジャー)・ジョミーと人類の代表者・キース。2人は地下深くへ向かい、グランドマザーと対峙する。最終的に、機械は人類と『ミュウ』両方を抹殺することを選ぶ。

 

 奴の判断に対し、ジョミーとキースは協力してグランドマザーを撃破した。だが、グランドマザーは2人に致命傷を追わせたのち、青い星(テラ)に向けて、全メギドシステムのエネルギーを照射しようとしたのである。

 

 

『トオニィ、ベル、イニー。……お前たちは強い子だ、僕の自慢の……。……だから、皆を頼む』

 

 

 尊敬する指導者を追いかけてきた若者たちに、未来は託された。青年たちは戦場に躍り出て、種族の垣根を超えたニンゲンの戦いが始まる。

 光の消えた地下深くに、人類と『ミュウ』の指導者たちは横たわっていた。彼らはここで散ることを選んだのだ。

 もうすぐ死を迎えるというのに、ジョミーとキースの表情は晴れやかだった。己の歩んできた道を誇るように、微笑んでいた。

 

 

『……箱の最後には、希望が残ったんだ』

 

 

 最初に力尽きたのは、ミュウの指導者だった。人類の指導者は友の死を見送り、寂しそうに天井を見上げる。

 

 

『…………最期まで、私は独りか』

 

 

 言葉を紡ごうとするキースを制するかのように、天井から巨大な岩が落下してきた。

 キースはそれに抗うことなく、目を閉じる。轟音が何もかもを飲み込んでいく。

 

 それを最後に、世界は闇に飲まれた。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ぐるん、と、体が一回転したような感覚に見舞われた。変な浮遊感と振動が続いた後、浮遊感を残して不快な振動はなくなる。

 それを確認した後、クーゴは恐る恐る目を開けた。自分の周囲に漂っているのは、『悪の組織』総帥によって集められた面々である。

 

 先程、最後に見た暗闇とは打って変わり、天を覆うのは惑星(ほしぼし)だった。遠くに見える青い星は、クーゴたちにとって親しみのあるものだ。

 

 

「地球……?」

 

 

 そう零したのは、誰だったのだろう。声の主を探そうと面々の顔を伺えば、イデアとテオが静かに目を逸らした。その横顔を一言で表すとするなら、苦笑いが妥当だろう。

 まるで、バカップルの馴れ初めを延々と聞かされる相手や、そうなるであろう自分の運命を憐れんでいるかのようだ。例えが酷いかもしれないが、そんな気がしてならない。

 次の瞬間、眼下に白い船が見えた。あれは、『ミュウ』の祖先たちが暮らしていた母艦、シャングリラだ。いつか見た白い鯨よりも小さいが、外観はほぼ一緒である。

 

 人革連がガンダムを鹵獲しようとしたときに現れた白鯨は、おそらくシャングリラの後継艦なのだろう。西暦3000年相当に発達したテクノロジーの結晶だ。西暦2300年代の技術力が及ぶはずがない。

 資材や食べ物、鉄鋼や特殊金属すら人工で生み出せる世界だ。各惑星で資源の取り合いを行う必要がない。なんと便利な世の中だろうか。ただ、命の重さに関しては最悪の極みだと言えそうな部分はあったが。

 

 気づいたら、見覚えのある芝生の上に立っていた。

 

 ここは、自分たちが集められた中庭とよく似ている。しかし、今、自分たちがいる場所は、自分たちが集められた中庭とは違い、目につくようなオブジェクトや人が座れそうなベンチは見当たらない。心なしか、狭いような印象を受けた。

 赤い制服を身に纏った若者たちが、青い星を見上げている。後ろ向きのため表情は伺えないが、彼らが酷く驚いている様子が『伝わって』きた。何に対して驚いているかを探ろうとした瞬間、世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこに向かうのかと問われた。未来へ向かうのだと答えた。

 

 赤い空、崩れていく機械仕掛けの巨大樹。命が散っていく姿を、ベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイドは今でも覚えている。

 同時に、どれ程の年月が過ぎ去っても、忘れることはないだろう。嘗ての長老たちがメギドの戦禍を忘れていなかったように。

 

 

(あれから、長い時間が過ぎたなぁ)

 

 

 何をするわけでなく椅子に腰かけていたベルフトゥーロは、ぼんやりと天井を見上げた。ニンゲン同士が手を取り合い、未来を生きることを選択してから、3世紀の時間が流れた。

 忌まわしきグランドマザーが停止した後の青い星(テラ)は、おおよそ、生き物が住めるような状況ではなかった。星を再生するための環境制御が機能しなくなったため、青い星(テラ)の再生力に頼るしかない。

 グランドマザーは人類の管理だけでなく、惑星の環境も管理していたのだ。青い星(テラ)再生を速めるため、惑星の環境を制御していた。それがなくなってしまったため、青い星(テラ)の環境をいじることができなくなった。

 

 人類と『ミュウ』は、青い星(テラ)が再び命が降り立てる場所になるまで、別な惑星で暮らす/流浪することとなった。

 グランドマザーとの最終決戦の後、人類と『ミュウ』は共に生きるための体制を整えてきた。

 

 300年の間に、シャングリラから植民地惑星に降り立って人類と共に生きることを選択した『ミュウ』や、シャングリラと共に宇宙を流浪することを選んだ人類もいる。

 青い星(テラ)は相変わらず死の星のままであった。惑星の環境を変えるなんて、ちょっとやそっとの時間ではどうしようもない。千年、万年、億年……遠い時間がかかる。

 それこそ、『ミュウ』の長命をもってしても、青い星(テラ)再生を見届けるなんてことは不可能だ。世代をまたぐ勢いで、気長に見守るしかないのであった。

 

 

「あーあ。今日も今日とて、暇だなー」

 

 

 ベルフトゥーロは大きくあくびをし、頬杖をついた。机の上には、彼女が描いた図面が散乱している。

 

 どの図面に描かれた機体も、デザインやフォルムはバラバラだ。ただ、共通点があるとしたら、変形した際の形態または佇まいが人型であるということだろう。

 最近『視る』ようになった光景で目にする機体を、記憶している限り描きだしたものだ。人型ロボに浪漫がないかと問われれば、浪漫の塊しかないと答える。

 

 しかし、残念ながら、S.D体制および西暦3000年相当の技術では、「人型ロボは効率性が悪い」という判断によって、人型ロボの開発は放置されてきた。無駄なことはしないというのがグランドマザーの基本方針である。その犠牲になった研究は山ほどあった。

 その風潮は『ミュウ』と人類の思考回路にも言える。実際、新型戦闘機の開発で、ベルフトゥーロが人型ロボを提案したら「効率性が悪い」だの「開発が難しい」という理由で、最終的には却下されてしまった。近頃の奴らには浪漫が足りない。

 描いた図面をファイルにとじて、再び図面を引き始める。以前『視た』ロボットを思い出しながら、ベルフトゥーロは手を進めた。今回は色のことも覚えていたので、図面に色を付けていく。白と青を基調にした機体。額に刻まれていたアルファベットは――G-U-N-D-A-M。

 

 

「繋げて、ガンダム……。唯一機体名が分かるのは、これだけね」

 

 

 似たような機体をいくらか描き続けた後、それらの共通点であるアルファベットを眺める。ガンダムという機体名は聞き覚えもないし、見覚えもない。

 S.D体制の技術では、到底たどり着けない境地のものだ。そもそも、人型ロボを作るという発想がないのだからしょうがない。ベルフトゥーロは苦笑する。

 

 ベルフトゥーロは、そのまま机に突っ伏した。何をするわけでもなく、ただぼんやりと思いを馳せる。誰も手を出そうとしない、人型ロボの開発。賛同者がいないわけではなかった

 

けれど、ベルフトゥーロ派の発言を組んでくれる者はごく少数派である。

 

 

(……一緒に浪漫を追いかけてくれるような、そんな相手はいないものか)

 

 

 深くため息をついて、目を閉じた。心地よい微睡みに、ベルフトゥーロは身を任せる。

 闇の中には誰もいない。一瞬の浮遊感。意識がゆっくりと沈んで――

 

 

「――……え?」

 

 

 微睡みの闇の底にあったのは、どこにでもあるような2階建ての家だった。1階の部屋は光がなく、2階の一室が妙に明るい。引き寄せられるように、ベルフトゥーロは明るい部屋へと近づいた。サイオン波で浮かんでいるときと同じような感覚で、だ。

 部屋の中にはたくさんの機材や本で埋め尽くされている。どれもこれも、その道の専門家が読む本だ。特に多かったのは、機械関連やロボット工学のものだった。それらに埋もれるようにして、小さな人影が動く。そこにいたのは、まだ14にも満たない少年だった。

 彼は一心不乱にキーボードを叩いていた。PC画面に映し出されているのはプログラムの羅列である。ベルフトゥーロは、自然とその画面に目線を向けた。少年がマウスをクリックすると、画面に画像が表示された。人型ロボットの図面である。

 

 それを見て、ベルフトゥーロは息を飲んだ。先程自分が描いていた図面とほぼ同じデザインの機体である。

 

 この少年こそ、ベルフトゥーロと同じ浪漫を追いかける者だ。本能的に、ベルフトゥーロは悟る。次の瞬間、少年がベルフトゥーロの方を向いた。

 黒髪に黒目。端正な顔から滲み出るのは、彼が持つ才能と、世界に対する絶望だ。すべてを諦めてしまったかのような、達観した境地。

 

 

(…………)

 

 

 ほんの一瞬、心臓がざわめいた。何もおかしいものなど見ていないというのに、心拍数が異常に早くなった気がする。何が起こっているのか、ベルフトゥーロには分からない。

 

 少年の瞳が大きく見開かれる。ひゅっ、と、息が漏れる音がした。色白の肌が淡く染まる。少年は惚けたようにこちらを見ていた。

 彼の瞳には、ベルフトゥーロの姿が映し出されている。……まさか、彼は、ベルフトゥーロを認識しているというのだろうか?

 

 それの真偽を問う間もなく、世界が反転する。がくん、と、体全体に衝撃が走った。

 

 

「痛ァ! っ、何!?」

 

 

 起き上がると、そこは自室だった。机の上に置きっぱなしにしていた図面やファイルが散乱している。どうやら、先程の衝撃は、シャングリラが揺れたことが原因だったらしい。

 各所からざわめきの声が聞こえる。シャングリラに何かが起きた、と言うことだろうか。トオニィたちが慌てふためく思念を追いかけて、ベルフトゥーロは即座に転移した。

 中庭には、多くのクルーが集まっていた。誰も彼も、遠くの宇宙(そら)に釘付けである。ベルフトゥーロも、彼らの眼差しを追いかける。そこにあったものに、目を疑った。

 

 青い星。すべての命を生み出し、育んだ故郷そのもの。

 けれど、それは、違うものだ。自分たちの知る青い星とは、別のもの。

 

 一体全体、何が起きたのだろう。愕然としていたベルフトゥーロの脳裏に浮かんだのは、先程邂逅した少年の姿だった。

 

 ここにいる。彼は、この青い星にいる。

 確証なんて何もないけど、絶対的な確信があった。

 

 

「……うん。行かなきゃ」

 

「は? って、おい――」

 

 

 ふらり、と、ベルフトゥーロは足を踏み出した。視界の端で、エルガンが怪訝そうな眼差しを向けてきていたのが見えたが、それも一瞬のことだった。間髪入れず、ベルフトゥーロは転移した。

 降り立った場所は、先程の夢で見た景色と同じ場所。どこにでもあるような2階建ての家だった。1階の部屋は光がなく、2階の一室が妙に明るい。引き寄せられるように、ベルフトゥーロは明るい部屋へと近づいた。

 次の瞬間、がらりと窓が開く。室内にいた人物が、大きく身を乗り出すようにしてベルフトゥーロの方を向いた。黒髪に黒目、端正な顔立ち。先程、微睡みの底で見かけた少年、その人である。

 

 少年の瞳が大きく見開かれる。ひゅっ、と、息が漏れる音がした。色白の肌が淡く染まる。少年は惚けたようにこちらを見ていた。

 ベルフトゥーロの心臓がざわめいた。心拍数が早くなった気がする。こちらも、惚けて少年を見つめていた。

 

 ベルフトゥーロと同じ浪漫を抱く者。志が同じ、同志となる相手。けれどそれ以上のものを、ベルフトゥーロは感じていた。

 

 

良い男(うんめいのあいて)を見つけた」

 

「え?」

 

 

 込み上げてくる衝動のまま、ベルフトゥーロは少年の手を取る。

 その勢いに身を任せ、ベルフトゥーロは、少年に思いの丈をぶつけた。

 

 

「少年、私はキミが好きだ! キミが欲しい!! ――私にキミの子どもを孕ませてくれ!!!」

 

「待たんかいぃぃぃぃッ!!」

 

 

 カッコよく決めたベルフトゥーロの脳天に、エルガンのサイオン波が叩きこまれた。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「……宇宙(そら)からの来訪者、か」

 

 

 嘗ての少年――現在では立派な青年となった男性は、静かに空を見上げた。彼に続いて、ベルフトゥーロも空を見上げる。

 

 

「どうかしたの?」

 

「いや、昔のことを思い出していたんだ。キミと初めて出会ったときのことだ」

 

 

 青年は懐かしそうに目を細め、くつくつと笑いをこぼした。ベルフトゥーロも、当時のことを思い出して口元をほころばせる。己の衝動を告白にした結果が、「私にキミの子どもを孕ませてくれ」だった。

 現在、自分たちは、所謂婚約者同士となっている。式を挙げる日取りも決まっており、その日を楽しみに過ごしている真っ最中だ。将来的には、彼の子どもを孕み、慈しみ、育てる日も近いだろう。無論、同じ浪漫を追いかけることも忘れていない。

 

 この地球に残ることを選んだ『ミュウ』は、ベルフトゥーロを指導者(ソルジャー)とした団体を作って生活していた。最も、その大半が、青年の掲げる理想実現のために協力する技術者となっている。面々はこの星の社会に順応しつつ、イオリア計画を進めている真っ最中であった。

 人間社会に溶け込んでいる代表格は、エルガン・ローディックやイニス・メファシエル・ギルダーらが筆頭である。彼らは青年や、青年の仲間たちと同じ“天才科学者”という隠れ蓑を使って活動していた。実際に、『同胞』たちの中では策謀とメカニックを担当していただけある。

 

 

「この世界には、キミたちと同じ、外宇宙を旅する流浪の民がいる」

 

「そうね。私たちの場合は外見が人間と同じだったから、力を発現させなければ社会に受け入れてもらえるわ」

 

「……しかし、すべての来訪者が、ヒトと同じ外見であるとは限らないだろう」

 

 

 青年は、憂うようにしてため息をついた。

 

 

「ヒトは、自分と違うものを排除しようとするからな。もし、私の想像するような来訪者が地球へやって来たとしたら、このままの人類だと、対話することは不可能だ」

 

 

 殺し合いでも始めそうだよ、と、青年はため息をつく。ベッドサイドに置いてあった端末をいじれば、ニュース番組が映し出された。

 どこかの国で行われている民族紛争。多くのMSが、戦車やMSに攻撃を仕掛けている。傷ついた人間の姿が画面をよぎった。

 この惑星でも、人類同士の争いが続いている。同じ種族でもダメなのだ。外見や特徴が人とかけ離れていたら、容赦なく迫害する。

 

 ベルフトゥーロは、青年にすり寄った。青年も、ベルフトゥーロを抱き寄せる。

 

 

「……だが、希望はある。外宇宙の人類が、キミたちのような力に目覚めたんだ。他者に想いを伝え、わかり合うために必要な力を、キミたちは持っている」

 

「確かに『ミュウ』は、私たちの人類が進化した姿よ。……もしかして、この地球の人類も、私たちと同じような存在として進化することができるってこと?」

 

「ああ。可能性はゼロではない。“人類が『ミュウ』を受け入れたことによって、その者が『ミュウ』に目覚めた”というケースがあるとキミが言っていたんじゃないか」

 

「確かに、S.D体制の研究で、“人類すべてが『ミュウ』を受け入れると、最終的にはすべての人類が『ミュウ』に進化する”だろうとは言われたわ」

 

「それこそが、人類が生き残るために必要な革新(シンカ)なのだと私は思う」

 

 

 青年は静かにベルフトゥーロへ手を伸ばす。大きく、けれども繊細な掌が、ベルフトゥーロの頬に触れた。

 優しい手つきに、ベルフトゥーロは目を細めた。愛おしさに任せて、青年の方に寄り添う。

 

 

「だから、革新者(イノベイター)なのね」

 

「そう。それこそが、人類の未来の姿だ」

 

 

 2人は顔を見合わせ、微笑み合った。そして、何やら重大な決断を下したように、厳かに頷く。

 

 

「よし。じゃあ、今日も愛を育むことにしようか」

 

「オーライ! 再出撃だ!!」

 

 

 女性の元気な返事により、夜戦開始の狼煙が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が白く染まる。光が晴れたそこにいたのは、テーブルに頬杖をついてこちらを見つめる女性――ベルフトゥーロ・ティアエラ・シュヘンベルクの姿だった。彼女の後ろに控えるような形で、エルガン・ローディックが佇んでいる。

 あの光景は、ベルフトゥーロの過去だ。彼女が歩んできた人生だ。クーゴはそう直感した。他の面々が息を飲む音が聞こえる。その中でも、イデアとテオは殆ど動じていない様子だった。まるで、以前からその話を知っていたかのように。

 

 

「……だから、世界を統一させるために、ソレスタルビーイングが生まれたって訳か」

 

 

 茶髪の色男が、渋い表情を浮かべてため息をついた。

 

 

「イオリアのメッセージの裏側に、こんなものがあったなんて驚きだぜ。……しかも、その妻が当時の姿のまま、300年間も生きてたなんてな」

 

「ははは。どこぞの“金色が大好きな成金野郎”にも言われたよ」

 

 

 ベルフトゥーロはけらけらと笑う。その言葉を引き継ぐように、イデアが補足を入れた。

 

 

「『同胞』たちの大半が、若い見た目でいますからね。実年齢を聞いたらびっくりしますよ」

 

「……ちなみに、貴女や社長の御歳は?」

 

「私は250年以上300年未満ですね。グラン・マは確か、500歳を超えてたかな……」

 

「…………」

 

 

 ――嘘だ、こんなこと!!

 

 クーゴは大声で叫びたい衝動に駆られたが、寸でのところで押し留まった。

 茶髪の色男も、エイフマンも、少年も、ネーナたちも、あんぐりと口を開けている。

 

 

「老衰の速度にも個人差があるし、場合によっては強制的に体を成長させてる人もいるわ。エルガンなんて、こんな見た目だけど、私より年下よ?」

 

 

 ベルフトゥーロの言葉を肯定するかのように、エルガンが小さく頷く。誰かが息を飲む声が聞こえた気がした。クーゴも、ベルフトゥーロとエルガンを見比べてしまう。

 どこからどう見ても、ベルフトゥーロの方が若い。外見年齢で言うとするなら、20代のバリバリの女性である。車椅子に乗っていなければ、もっと活動的な女性だと思うだろう。

 エルガンは、どこからどう見ても40代後半から50代前半、初老の紳士にしか見えなかった。生来の貫録も相まって、渋く落ち着いているように思える。彼女より年下とは思えない。

 

 「あ、そっか。教官とおじーちゃんのことか」と、ネーナが合点が言ったように手を叩く。その隣で、テオとエイフマンが肩をすくめた。

 その言葉が本当だとすると、テオの方がエイフマンよりも年上だということになる。最早、なんでもありだとでもいうのだろうか。

 

 不意に、肩を叩かれた。見上げれば、茶髪の色男が、クーゴの頭を乱暴に撫でる。

 

 

「そうだよな。びっくりするよな。俺も同じ気持ちだから、よくわかるよ」

 

 

 彼は気を使ってくれているらしい。まるで、弟をあやすかのような手つきだ。そろそろ三十路のクーゴであるが、頭を撫でられるとは予想外であった。

 掌から伝わってくるのは、年下へのスキンシップ。――その感情を読み取ってしまったクーゴは、反射的に色男を見上げた。勘違いが起きているという、確証的な予感を得たためだ。

 

 

「……非常に失礼なんだけどさ」

 

「どうした?」

 

「キミ、何歳?」

 

「25」

 

 

 やっぱりそうだ。彼は、多大な勘違いをしている。

 

 ユニオン軍ではよくあることであり、クーゴ自身も、このことで何度も大変な目に合った。勝手にクーゴを年下認定した面々から兄貴風を吹かされたため、誤解を解こうとして年齢を告げれば「存在自体が詐欺だ」と喚かれたことは1度や2度ではない。

 車を運転すれば呼び止められ、夜の街を歩けば警察に連れていかれ、酒を購入しようとしたら店員に呼び止められた挙句店のバックヤードへ拉致されて説教され、免許証を提示すれば偽装だと決めつけられて警察署へ連れていかれた。

 

 クーゴは生温かい目で色男を見返す。年下からそんな反応が帰ってくるとは思わなかった色男は、目を見開いて狼狽した。

 彼は明らかに混乱している。クーゴへの対処の仕方を考えあぐねているようにも見えた。年の甲とはこういうことを言うのだろう。

 一拍。間をおいた後で、クーゴは苦笑した。困惑する色男に、間違いを修正するため口を開く。

 

 

「俺の方が年上だな」

 

「え?」

 

「29だ」

 

 

 長い沈黙。色男は数回瞬きした後、眉間に皺を寄せた。

 見る見るうちに血の気が引いていく。

 

 

「嘘だろ……? 俺より、年上だと……!? どこからどう見てもティーンエイジにしか見えない、この男が……!!?」

 

「あれ? ロックオン、覚えてないの? この人がクーゴさんよ」

 

 

 イデアが妙なニュアンスで色男――ロックオンに補足を入れた。途端に、ロックオンがぐるんと首を動かす。

 そうして、イデアとクーゴを交互に見返した。……正確に言えば、記憶の中にある何かと、クーゴを比較対象しているようだ。

 しばしの沈黙の後、ロックオンは信じられないようなものを見るような眼差しを向けながら、崩れ落ちるようにして椅子に座ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の母が亡くなった事故のこと、あまりよく覚えていないんです」

 

「確かに私、事故の現場に居合わせたはずなのに。……確かにそこで、母から希望を託されたはずなのに」

 

「……とても大切なことだったのに」

 

 

 

「グラン・マ、教えて」

 

「――あの日、私は一体『何』を見たの?」

 

 

 

 

 レティシア・カノンが見た光景が、少しだけ先の未来に起きうる出来事の鍵となることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変ですイオリアさん! イニスとアランが、決着をつけるって言い残して役所へ向かったんです!!」

 

「どうしますか!? このままだと、役所が血みどろに……っ!」

 

 

 

「イオリア。イニスからこんなのが届いたんだけど」

 

「なんだこれは。……立会人状?」

 

「なんでも、『最後の戦いをするから、みんなに立会人になってほしい』んだって」

 

「ええと、場所は――……教会?」

 

 

 

 

 

 

 

 遠い昔に、こんなやり取りがあったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うちの一族の男って、早逝するんだよ。俺も、子どもの頃は『長くても20代までしか生きられない』って言われてた」

 

「当時のキミがこの光景を見たら、なんて言うのだろうな?」

 

「驚くんじゃないかな。今の俺も、充分驚いてるよ」

 

 

「あれから長い時間が過ぎ去ったけど……これからも、長い時間、生きていくんだろうなぁ。俺たちは」

 

 

 

 

 予想だにしない程の長い時間を、仲間たちと共に歩んでいくことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれから長い時間が経過して、すべてが御伽噺になりました」

 

「それでも僕は、生きていきます。今までも、これからも」

 

 

「――だから、見守っていてくださいね? 父さん、母さん」

 

 

「艦長、出発のお時間です」

 

「わかった。これより、本艦は外宇宙探索へ出発する」

 

 

 

 予想だにしない程の長い時間を、歩いていく者がいることを。

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。



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3.Tomorrow's whereabouts

 

「さて、これが“ゼロからイチに至るまで”の歩みだ」

 

 

 ベルフトゥーロはうんうん頷いて、クーゴたちを見返した。『ミュウ』の年齢云々の話でうっかり(精神的に)大炎上してしまった余韻は、未だにくすぶり続けている。

 

 

『あれ? そういえば、今回はグラン・マとイオリアのいちゃいちゃシーンが少ないですねぇ』

 

『いつもだと、32時間ぐらいぶっ続けで年齢指定物のシーンが続くのに……』

 

『ピー音まみれになるのが日常でしたから、夜戦開始一歩手前で止まるのは新鮮です。むしろ異常です』

 

『これに関しては、異常が正常なんだよなぁ。間違っているのが私たちだし……』

 

 

 テオとイデアがひそひそ囁くような声が『聞こえた』。2人はちらりとアイコンタクトをしただけで、口は一切動かしていない。

 何も知らない頃の自分だったら、“2人は一切口を動かしていないのに、2人の声が聞こえる”という現象に恐怖を覚えていただろう。

 しかし、自分が『ミュウ』であることを知り、『ミュウ』の能力について知った今なら納得できる。この現象に、恐怖を抱くこともなかった。

 

 2人の会話内容を伺うに、ベルフトゥーロは結構自重したらしい。この場には齢7歳に満たない子どももいるのだから当然のことである。むしろ、今回は少年によって救われたということらしい。

 彼がいなかったら『視せられていた』だろう光景を想像し、クーゴは小さくかぶりを振った。想像するだけでも薄らと寒気がした。これ以上考えると精神的に凹みそうなので、以後は考えないようにしなくてはならない。

 

 

「ここからは、現在の世界情勢の話になるよ。一部の方々からしてみれば“おさらい”みたいなものかな」

 

 

 そう言って、ベルフトゥーロはクーゴに視線を向けた。この話は、少し前に意識を取り戻したクーゴ向けの内容らしい。迷うことなくクーゴは頷き返した。そのタイミングを待っていたというかのように、ベルフトゥーロは端末のボタンを押す。

 ホログラムの映像が映し出される。燃え盛る炎と、天を遮らんばかりに広がる粉塵。国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦で見た機体――ジンクスが縦横無尽に飛び回っていた。まるで、仇敵の行方を探しているかのように。

 

 

「国連軍とソレスタルビーイングの戦いが終わったのち、議会は『世界の戦力を1つに集め、統合軍を作る』ことを提案。各国もそれを承認し、統合軍を作るために動き始めた。でも、それに反対する勢力が大規模なテロを起こしたのよ」

 

 

 「彼らの行動は、結局、己の首を締めるような結果を招いたけどね」と、ベルフトゥーロは締めくくる。ホログラムの映像が切り替わった。

 ジンクスとよく似た赤い機体と、赤を基調にした見知らぬ機体がずらりと並んでいる。ごつごつしたフォルムは、人革連のティエレンを彷彿とさせた。

 エイフマンが苦い表情を浮かべてその機体を見返している。何か憤りに近いものを抱いているようだ。その対象者は、愛弟子のビリーに向けられている。

 

 

「教授、どうかしたんですか?」

 

「……この半年間の間、私の教え子(カタギリ技術顧問)は、何に現を抜かしていたんだと思ってな」

 

 

 ユニオンの技術的権威が、と、エイフマンは小さくぼやいた。

 

 彼の言葉とティエレンの面影を彷彿とさせる機体を見比べ、クーゴは何となく合点が言った。統合軍のMSは、人革連の技術者がメインになって開発を進めているのだろう。

 ということは、平穏な頃にビリーと話した「フラッグの後継機」は、かなり難しい案件になりつつあるということか。エイフマンが憤る理由もわかる気がした。

 

 

「大規模なテロをどうにかこうにか鎮圧した統合軍は、統一を推し進めるために独立治安維持部隊を発足したの。部隊名はアロウズ。この部隊には、各国の精鋭たちが招集されたわ」

 

「アロウズ!? ハワードたちが所属してる部隊の名前じゃないか!」

 

 

 聞き覚えのある部隊名が耳に入り、クーゴは思わず声を荒げた。その言葉を証明するかのように、アロウズに所属している軍人のデータが表示される。

 己の言葉/己が夢で聞いた通りに、見覚えのある名前が提示される。ハワード、ダリル、アキラ、ジョシュア――それらを追いかけて、ふと、クーゴはある名前に目を留める。

 コードネーム、ミスター・ブシドー。その名前を、クーゴは『知っていた』。脳裏をよぎったのは、仮面と陣羽織を身に纏った親友――グラハム・エーカーの後ろ姿であった。

 

 

「どうして意識不明だった奴が、世界情勢の一端を知ってるんだよ?」

 

「……夢で、仲間たちから話を聞いた。多分、『ミュウ』の能力が理由なんだと思う」

 

 

 ミハエルが怪訝な顔をして首を傾げた。思い当たる節は『ミュウ』の能力くらいしかない。

 自信なさげに頷いたクーゴの言葉を肯定するように、ベルフトゥーロは頷いた。

 

 

「アロウズの役目は治安維持にある。但し、奴らのスタンスは“治安を維持するためならば、言論封殺だって厭わない”タイプだ。奴らから邪魔者だと認定されてしまえば、あの手この手で抹殺される。社会的、あるいは肉体的な意味でもね」

 

 

 ベルフトゥーロは深々とため息をつき、肩をすくめた。クーゴも眉をひそめ、名簿に映し出された仲間たちの名前を見つめる。彼らはみんな、虐殺を強要されているのだ。

 夢の中で『知らされて』いたとはいえ、改めて現実を目の当たりにすると辛いものがある。彼らは自ら進んで、この治安部隊に移ったわけではないと『知って』いれば、尚更。

 

 丁度、ホログラムには戦地が映し出されている。無抵抗の人間たちに、ジンクスとよく似た赤い機体からの攻撃が降り注いだ。

 

 

「これは、連邦政府のやり方に否定的だった少数部族の住む地区に、アロウズが攻撃を仕掛けたところよ」

 

「……こんな光景を見ても、議会や市民は何も言わないのか」

 

「言えないんだよ。議会の連中も、市民も、虐殺が起こっているなんて()()()()んだからな」

 

 

 クーゴの言葉に、ロックオンと呼ばれた青年は首を振った。彼の発言に嫌な予感を覚え、クーゴは息を飲む。

 

 

「まさか、情報統制か!?」

 

「ああ。しかも、情報統制を行っているのは、アロウズが所有するスーパーコンピュータだって話だ」

 

 

 「ソレスタルビーイングの頭脳と同じレベルのモノがあるなんて知らなかった」と、青年は遠い目をした。彼は、そのコンピュータにまつわるものに思いを馳せているように見える。

 彼の言う“ソレスタルビーイングの頭脳”が何を指しているかは、コンピュータという発言からなんとなく予想はできた。クーゴの予測を肯定するかのように、脳裏に光景が浮かぶ。

 

 特攻兵器が飛び交う中に、小惑星が見える。あれこそがソレスタルビーイングの頭脳であると、クーゴは直感した。

 

 スーパーコンピュータに仕掛けられていた防壁を突破しようとするのは、紫基調で重装備のガンダムだ。その隣には、青基調で羽が生えたガンダムが並んでいる。羽の生えたガンダムには、ゼロシステムという“勝利を演算する”システムが搭載されていたはずだ。

 この光景を、『知っている』。虚憶(きょおく)で何度も目にした光景だ。「人間ではシステムが齎す情報に耐えられない」とされながら、防壁を突破しつつ五体満足で帰ってきたガンダムパイロットの名前。確か、名前は――ヒイロ・ユイ。コロニーのガンダム、ウィングガンダムゼロのパイロットだ。

 そういえば、彼はどの虚憶(きょおく)でも、刹那と相棒のような関係にあった。OEでもコンビを組んで飛び回っていたし、Zでは無二の親友と言える間柄だった。それを見たグラハムが何やらぶちぶち言っていたような気がする。奴にも思うところがあったらしいが、今はどうでもいいことだった。

 

 

「しかし、誰もがこの支配を受け入れたわけではない。現状を打破しようとしている者たちは存在する」

 

 

 次に口を開いたのはエルガンだった。

 彼もまた、端末を操作する。

 

 映し出されたのは、旧式のMSたち。疑似太陽炉が流布したことによって廃れた、各国の機体たちだった。ティエレン、ヘリオン、イナクト、ブラスト、そして――フラッグ。

 

 

「政府の強制的な統一に反対する、過激派武装組織カタロン。彼らは第2のソレスタルビーイングになろうとしているようだが、結果は察するに余りあるな」

 

「要するに、世界の害悪とされてるってことか」

 

「ああ。……当然だな。スーパーコンピュータによって、世界に発信される情報には偏っている。箱庭を造り上げる人間にとって都合のいいものばかりだ」

 

 

 箱庭、という言葉を語るエルガンの眉間には、深々と皺が刻まれていた。まるで、その言葉自体に嫌悪感を抱いているかのように。

 エルガンは古の『ミュウ』だ。コンピュータ(グランドマザー)が打ち立てたS.D体制によって故郷を滅ぼされ、家族や仲間を失っている。

 S.D体制を一言で言い表すなら、箱庭と言う言葉が相応しい。――ああ、だから彼は、この言葉を嫌っているのか。合点がいった。

 

 クーゴはホログラムに視線を向ける。疑似太陽炉搭載型と非疑似太陽炉搭載型の機体が戦いを繰り広げていた。

 どちらが優勢かなんて、見なくてもわかる。疑似太陽炉搭載型1機に対し、旧式の非疑似太陽炉搭載型十数台が戦っていた。

 

 しかし、非疑似太陽炉搭載型の機体は次々と撃墜されていく。カタロンの方がじり貧であった。

 

 ホログラムの映像が変化した。そこに映し出されるカタロンの活動は、第2のソレスタルビーイングを名乗るには、いささか荒々しいものだった。テロリストと言っても過言ではない行動も見られる。

 穏健派よりも過激派の方が多いのだろう。いや、過激な路線を取らないといけない程、カタロンに所属する面々は切羽詰っているように思った。世界から理不尽に責められ、弾圧される側だから仕方ないのかもしれないが。

 

 

「で、その脇で人命救助とボランティア、およびアロウズの妨害に動き回っている組織が『スターダスト・トレイマー』ってワケです」

 

 

 エルガンに代わって、テオが口を開いた。

 

 

「アロウズから攻撃、あるいは弾圧される人々の大部分が、“連邦の支配体制に異を唱えた”あるいは“支配体制に疑問を抱いている”人間です。優秀な軍人や政治家など、その分野は多岐にわたります。しかもその大半が、有能で人望のある場合が多い」

 

「箱庭を造り上げたいと思う人間からしてみれば、邪魔者になり得る存在ってことか」

 

「ええ。……と言っても、アロウズが1枚岩かと言われれば、答えは否ですけどね。組織内の中でも、“支配体制に疑問を抱いている”人間だっています。表だって言わないだけで」

 

「でも、ひとたびそれを口に出すと、即座に抹殺されます。『スターダスト・トレイマー』の任務は、彼らを保護したり、アロウズの弾圧を妨害したり、現在の支配体制を打倒するための作戦を水面下で行うことです」

 

 

 テオの言葉をヨハンが引き継いだ。クーゴは首を傾げ、問いかける。

 

 

「支配体制の打破って、具体的に何をするか決めているのか?」

 

「一番手っ取り早いのが、アロウズのしていることを世界に発信することかな」

 

 

 「なかなかうまくいかないみたいだけど」と、ネーナは肩をすくめる。スーパーコンピュータによる厳重なロックを乗り越えるのは、相当骨の折れる作業であることは明らかであった。それでも、『スターダスト・トレイマー』の面々は諦めていないようだが。

 他に何をしているのかと問えば、やはり、アロウズの作戦を妨害することがメインとなっているという。特に、保護に関することを重点的に行っている様子だった。「守るべきは人材である」ということだろう。次の時代を切り開くには、やはり人の力が必要不可欠だ。

 

 そこまでの話を聞いて、クーゴはふと気づいた。

 

 ネーナを筆頭としたトリニティ兄妹、およびテオの話を聞く限り、彼ら自身が『スターダスト・トレイマー』に所属しているような話しぶりである。

 確認するようにテオを見れば、彼は満面の笑みを浮かべて見せた。キミの考えは間違ってないよ、と言いたげな、綺麗な笑みであった。

 笑顔の意味の答え合わせとでも言わんばかりに、ベルフトゥーロが悪い笑みを浮かべる。それこそ、『悪の組織』の総帥に相応しい笑顔だった。

 

 

「ふっふっふ。キミの想像通りだよ。『悪の組織』と『スターダスト・トレイマー』は、同一組織だったのさ!」

 

 

 これ以上にもないドヤ顔だった。そこまで胸を張って言う内容かと思ってしまうくらいに。

 ベルフトゥーロは得意げに笑っていた。何とも言えない空気が漂う。

 

 

「どうだ、驚いたか?」

 

「…………そうですか」

 

 

 どうにかして、それだけを口にした。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 沈黙。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 沈黙。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 沈黙。

 

 

「…………」

 

「…………ちょっとォ! そこは『な、なんだってー!!?』って驚くとこじゃない! ノリ悪い!」

 

 

 ベルフトゥーロが口を尖らせる。彼女の後ろに控えていたエルガンが、額に手を当ててため息をついた。

 ロックオン、ヨハン、ミハエルは顔を見合わせたのち、ベルフトゥーロから視線を逸らして首を振る。

 少年はおろおろと女性と周囲を見回し、イデアとテオは生温かく微笑んだ。これが通常営業らしい。

 

 ぶうたれたベルフトゥーロに代わって、エルガンが口を開いた。

 

 

「『悪の組織』が技術提供や慈善事業による穏健的なアプローチを行い、『悪の組織』では解決しづらい荒事を担当するのが『スターダスト・トレイマー』だな。大体の面々が、『悪の組織』の技術者と『スターダスト・トレイマー』のMSパイロットおよび戦術指揮官、あるいはクルーの構成員となっている」

 

「ってことは、アニエスたちも……」

 

「ああ。彼らも、若輩者であるが腕利きの技術者であり、MSパイロットでもある」

 

 

 クーゴが頭に思い浮かべたのは、ユニオン軍に在籍していた頃に交流を重ねた若き技術者たち――アニエス・ベルジュ、ジン・スペンサー、サヤ・クルーガー、アユル・クルーガーの4人であった。クーゴを()()と呼んだ面々である。

 クーゴの問いかけにエルガンは頷いた。端末をいじり、何かを確認する。「……ふむ。この件が片付けば、彼らは戻ってくるだろう」と、小さく呟いた。彼の様子から察するに、アニエスたちはMSパイロットとして出向いているらしかった。

 

 

「ま、現状確認はこんなものかな」

 

 

 ベルフトゥーロはそう締めくくり、クーゴを見た。何かを問いかけるかのような眼差しだった。今までのこと、現在のことと話が続いてきたのならば、次にする話は1つである。

 

 

「次は、これからの話ってことか?」

 

「そうだね。それに関しては、ここにいる全員に当てはまるよ」

 

 

 ベルフトゥーロは周囲を見回す。ここにいる面々の大半が、訳があって『悪の組織』/『スターダスト・トレイマー』に身を寄せている者らしい。

 表では死んだことにされている者、組織の壊滅によって行き場を失ってしまった者、元いた場所に出戻る以外方法がとれない者の3グループに分かれている。

 そして、クーゴ以外の人物が、『どうするかの回答を保留している』もしくは『行動を起こすためのタイミングを待っている』面々なのだ。

 

 ベルフトゥーロは、答えを急がせるつもりはないらしい。時間はまだあるから、と、静かに微笑んだ。20代の女性が浮かべるような晴れやかな笑みではなく、老婦人が若者を見守るような、慈愛に満ち溢れた微笑みであった。

 若々しい外見とは打って変わった表情に、クーゴはほんの一瞬面食らう。どう反応していいのかわからない。それは、イデアとテオ以外の面々も同じだったようだ。何とも言い難そうな表情を浮かべ、視線を彷徨わせる。

 

 

「さて、今回はここまで。何かあったら連絡して頂戴。もしくは、イデアやテオ、アスルやエイミー辺りに連絡してくれればいいからね」

 

 

 そう告げて、ベルフトゥーロは車椅子の向きを変えた。刹那、彼女の端末に着信が入る。

 

 

「はいもしもし、『悪の組織』代表取締役(そうすい)です。――ああ、貴女様でしたか。……はい、……はい! わかりました、即座に向かいます!」

 

 

 並大抵の男が霞むほどのいい笑顔で、ベルフトゥーロは端末越しの相手に答えた。そして、即座にこの場から転移する。『ミュウ』の能力を使ったのだろう。

 彼女の背中を見送った後、エルガンが肩をすくめてため息をつく。端末を確認した後、彼は「そろそろ時間だな」と呟いた。彼は国連代表だ。会議があるのかもしれない。

 エルガンもベルフトゥーロと同じように転移する。残されたのは、ベルフトゥーロによってここに集められた面々ばかりだ。何とも言い難い沈黙が広がる。

 

 

「……えーと、とりあえず、自己紹介しましょう」

 

「そうだな。名前は会話の最中に訊いたわけだけど、自己紹介はまだだったし」

 

 

 イデアの提案にクーゴは乗った。

 

 クーゴの自己紹介を皮切りに、面々が自己紹介を終えていく。最後になったのは、黒髪黒目の少年だ。

 Unicornのパイロットで、蒼海の息子。少年はおずおずと口を開く。

 

 

宙継(そらつぐ)です。刃金(はがね) 宙継(そらつぐ)。宇宙の『宙』に、跡継ぎの『継』という字を書くんです」

 

「へえ。……そっか、宇宙の『宙』の字も、『そら』って読むからな。そう言う意味ではお揃いかな」

 

「お揃い?」

 

「ああ。俺の名前、『空』を『護』るって書くと言っただろう? 前に使われた『空』()の字が、同じ読みになるんだよ」

 

 

 それを聞いた外国人枠が、面白そうなものを見つけたかのように感嘆のため息を漏らす。確かに、漢字の同音異字については興味深いものがあるだろう。湧くのもわかる気がする。

 周囲の湧きように、少年が目を瞬かせた。おそろい、と、囁くように零して、口元をほころばせる。以前対峙したときに見た悲壮なものではない、年相応の少年の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「リチャード少佐に代わって、僕がオルフェスに搭乗することにしたんです」

 

 

 そう言ったアニエスは、強い決意を固めているようだった。彼の眼差しはどこまでも真っ直ぐで、迷いなど見えない。彼の姿を見ていると、どうしてか、前大戦の自分たちのことを思い出す。

 クーゴたちの始まりも些細なことがきっかけだった。運命的な何かに引きずられて振り回されて、けれど最後は自分から「運命と向き合う」ことを選択した。『未来のために戦う』ことを選んだときも、『大切な場所へ還る』ことを選んだときも。

 懐かしいような心地と、部下の成長していく姿に、クーゴは感慨深いものを抱いた。もし、クーゴが早い段階で結婚していたら、年頃の子どもがいたのかもしれない。だから、息子を見ているような心地になるのだろう。

 

 

「……そうか。何を言えばいいかは分からないが、それがお前の選択なら、それでいいと思うぞ」

 

「はい」

 

「頑張れよ。俺も、できる限りサポートするから」

 

 

 クーゴが笑いかければ、アニエスも微笑んで頷き返した。

 

 アンノウン・エクストライカーズに居候する羽目になってから、もうすぐ1カ月近くになる。謎の巨大ロボットに後輩共々撃墜され、機体の暴走で死にかけていたところをリチャードたちに助けられたときのことは、遠い昔のように思えた。

 当然だ。アーカムシティに現れた謎のロボに撃墜されて以降、世界を揺るがしかねない陰謀に巻き込まれてしまったのだから。おかげでアンノウン・エクストライカーズはテロリスト認定され、連邦軍やその他諸々から追われる立場にある。

 

 

(心配事がないわけじゃないけどな。グラハムとか、ジンとか)

 

 

 脳裏をよぎった憂いに、思わずため息をつく。クーゴの関係者はみんな、クーゴと同程度、あるいはそれ以上に厄介な事態に身を置かれてしまっていた。その理由は、クーゴが社会的に死んだことにされてしまっているのと、指名手配犯の1人にされてしまったことと深く関わっている。

 露骨な監視である。かねてから親交があった面々は、アンノウン・エクストライカーズや異邦人たちに対して敵対的な人間の下に配属させられていた。その代表は、上司のローニン・サナダやグラハム率いるソルブレイブズ隊が挙げられる。犯人であるハザードの顔が浮かび、クーゴはひっそり眉をひそめた。

 特に大変な目に合ったのが、クーゴの身内である。“彼”の精神と外見は10代の子どもだ。たとえ大卒程度の学力を持っていても、子どもであることには変わりない。犯罪容疑者の身内だからといって、独房に放り込まれそうになったり、自白を強要させられそうになったり、暴力を振るわれる云われはないはずだ。

 

 グラハムたちが庇ってくれたものの、ハザード率いる一派は追撃の手を休めなかった。アンノウン・エクストライカーズと関わりのある人間たちで、多くの者たちが監視対象にされているという。親しい関係であればあるほど、対応が不当で厳しいものになるという話を、グラハムから『聞いた』。

 思えば、身内の“彼”は、クーゴを神聖視している印象があった。身内同士、腹を割って話せる関係を築いていこうとしているクーゴたちであるが、身内になるまでのゴタゴタが尾を引いている部分があるのだろう。無条件で慕ってくれるのは嬉しいが、ぎこちなさが残ったままなのが悲しい。

 

 最近は、どうにか普通に過ごせるようになったと思う。そう思いたい。

 

 半ば祈るような気持ちで“彼”を見る。彼は、早瀬浩一を筆頭とした面々と楽しく談笑していた。友達が増えたと語る“彼”の姿を見ていると、込み上げてくるものがあった。

 大人しく控えめな“彼”であるが、行動力は凄まじい。『悪の組織』からのバックアップを受けたとはいえ、ハザード一派の監視を掻い潜って、単身日本へ高飛びするとは思わなかった。

 しかも、“彼”もまた、クーゴと似たような巻き込まれ体質を発症した。なし崩しで早瀬軍団に所属し、そのままJUDAおよびアンノウン・エクストライカーズに合流したのである。

 

 

(……まるで、本当の“身内関係”みたいだ)

 

 

 クーゴはほっとして微笑んだ。

 

 自分と“彼”を繋ぐものは、まるで互いが互いの過去/未来の姿をしているとしか思えない外見と、“身内”という関係と、一緒に暮らしているという事実だけである。

 だから、ふとしたときに「自分と“彼”が“身内関係”だ」と指摘されたり、感じたりすると、とても嬉しく思うのだ。クーゴはゆるりと目を細める。

 

 

「さて、俺も頑張らなきゃな」

 

 

 自分にできることを、全力で。

 クーゴは、決意を固めるように手を握り締めた。

 

 

 

*

 

 

 

 

 どんな理由があっても、子どもが親を殺していいはずがないのだと。

 家族が家族を手にかけていい理由などないのだと。

 アニエスはそう言って、サヤの代わりに引き金を引いた。

 

 サヤと寄り添う彼の姿を見ていると、意地の悪い質問をぶつけてみたくなる。

 

 

(なあ、アニエス。お前の理論だと、俺はとんでもないヤツだってことになるな)

 

 

 クーゴは身内関係にある人間に、引き金を引いたことがあった。

 大切なものを守るため、大切な場所へ『還る』ため、暴走し続ける身内――“彼女”を止めるために。

 

 その決断が正しかった、とは、まだ断言することができない。大丈夫だと思っても、日々を生きるうちに、自信が持てなくなる日があった。

 今だって、そう。若者の背中を見て、自分の歩みを鑑みる。悩んで、迷って、それでも生きていくしかできないのだろう。

 不意に、手を引かれた。振り返れば、イデアが心配そうにこちらを見つめている。クーゴは相当憔悴していたらしい。

 

 

「大変なことって、立て続けに起きるんだな」

 

「そうですね」

 

 

 イデアはクーゴの手を取る。

 

 

「……今のクーゴさんに必要なことは、ゆっくり休むことだと思いますよ。頑張るの、ちょっとお休みしましょう」

 

 

 ね? と笑うイデアの横顔は、とても綺麗だった。

 それにつられて、クーゴも表情を緩める。

 

 

「そうだな」

 

 

 クーゴの手から零れ落ちたものは、沢山ある。前者の方が圧倒的に多いけれど、手の中に残ったものもある。手の中から零れ落ちそうな中で、紙一重で手の中に残っているものもあった。

 “身内”である“彼”こそ、紙一重で手の中に残っているものだ。クーゴは祈るように目を伏せた。もうこれ以上、自分たちの手の中から何も零れ落ちてくれるな――その願いが、叶えばいい。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 死せる者たちの魂が、生きる者たちを走らせる。未来のために散った人々が、未来を生きようとする自分たちに力を貸してくれたのだ。

 

 世界の秩序を守るため、世界のすべてをリセットしようとする女神。その存在こそ、ノーヴル・ディランが“アルティメット・クロスに超えさせようとした強大な壁”だ。

 誰もが決意を固めて神に挑む。大切なものを守るため、人が人として生きる“当たり前”を守るため、積み上げられてきた過去とこれから積み上げていく未来を守るために。

 女神が使役する化身たちを打ち倒し、あるいは掻い潜り、仲間たちは攻撃を叩きこむ。クーゴもそれに続いて攻撃を仕掛けた。機体の武装が唸りを上げる。

 

 強大な力を持つ女神の体が揺らいだのはいつだろう。仲間たちが放った攻撃が効いているのだ。それを確認した面々の士気も一気に上がる。

 攻撃を仕掛け、攻撃を躱し、攻撃を防御し、どれ程の時間が経過したのか。ついに、女神が崩れ落ちた。それを確認した、青い機体が飛び出す。

 

 

「うおおおおおおおっ!」

 

「はあああああああっ!」

 

 

 オルフェスとライラスが合体する。命の答えに到達したサヤとアニエスが手にした、新しい力――オデュッセイアが降臨した。

 

 機体を動かしているのはアニエスとサヤだけではない。2人とは違う方向性から命の答えにたどり着いた者たち――ジンとアユルもいる。彼らが見出した答えが互いの答えを補完し合い、機体の出力を爆発的に引き上げた。

 青白く輝く光は、アニエス、あるいはアルティメット・クロスたちの命の輝きだ。明日を手にし、未来に向かって歩み出すことを望む、人々の想いそのものだ。光の太刀が女神に叩きこまれる。1つ、2つ、3つ。女神は断末魔の悲鳴を最後に、爆炎の中に消え去った。

 自分たちがやり遂げたことを感じ取り、仲間たちが歓声を上げた。お調子者も、物静かな人も、知的な人も、不愛想な人も、誰構わず笑顔を浮かべる。しかし、気づいてしまった。

 

 戦いに勝ったのはいいが、地球に帰還する方法が見つからない。どうしようかと仲間たちが悩み始めたときだった。

 

 

「地上へ帰還するためのエネルギーは、自分たちに任せてほしい」

 

 

 その言葉を皮切りに、この戦いで命を落とした者たちが動き出す。彼らに呼応するかのように、一部の機体と人々が“そちら”側へと向かった。

 異界の歌姫、ホウジョウの王、決して仲間を裏切らなかった少年、悠久を繰り返した大魔導士とそのパートナー、フェストゥムの少年、三国志の修羅2人。

 

 

「せっかく一緒に戦えたのに、これでお別れなのか?」

 

「そんなことはない。我々は『あるべき場所へ還る』だけだ」

 

 

 別れを悲しむ自分たちに、彼らは笑い返す。

 

 一緒に戦えてよかった。一緒に過ごした日々は楽しかった。これから生きるキミたちに、未来を託す――。

 彼らの言葉を胸に刻み、アルティメット・クロスは前を向いた。アニエスとサヤも、晴れやかな笑みを浮かべた。

 

 

「それじゃあ、いくぞ」

 

 

 その言葉を合図に、世界が白く染まる。輪廻の果ての世界が消えて、見えてきたのは青い惑星(ほし)――地球だ。

 自分たちの大切な人たちが待つ、自分たちが生きていく場所。多くの命を育む星。最後に見たのはいつだっただろう。随分昔のことのようだ。

 『帰ってきた』――その言葉が、その実感が、すとんとクーゴの胸に落ちる。自然と頬が緩んだ。

 

 

「さあ、帰ろう」

 

 

 そう音頭を取ったのが誰だったのか。

 

 

「ああ、帰ろう」

 

 

 そう答えたのが誰だったのか。

 

 地球へ進路を取った面々には、些細なことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くから、ざわめきが響いてくる。悲鳴に近い声だった。ばたばたという足音も聞こえてくる。

 

 

「少佐! リチャード少佐っ!!」

 

「お父さん!」

 

 

 聞き覚えのある声より、ほんの少しだけ若い声がした。クーゴは足を止め、振り返る。担架に乗せられた男性と、単価の周囲に集まる少年少女が見えた。

 担架に乗せられた男性とは直接顔を合わせてはいないが、虚憶(きょおく)では何度も顔を合わせている。彼が弟子によって撃たれる現場に、クーゴも居合わせていた。

 名前はリチャード・クルーガー。虚憶(きょおく)では、UXのまとめ役でオルフェスのパイロットだった人物である。

 

 男性を取り巻く少年の1人――茶髪でくせ毛の少年こそ、彼の弟子――アニエスだ。黒髪の少女がサヤ、紫の髪の少年がジン、金髪の少女がアユルである。

 

 担架と少年少女は廊下の奥に消える。見知った顔で、交流を重ねていた相手でなければ、クーゴはそのまま無視して部屋へ戻っただろう。

 どうしてか、気になって、クーゴは彼らの元へ向かった。途中ですれ違った者たちの声が『聞こえる』。

 

 

『リチャードさん、大丈夫かな。アロウズとの交戦で怪我したって聞いたけど』

 

『アニエスたちを庇ったんだって。大丈夫かな……』

 

『あの傷だと、パイロットとして戦線復帰するのは無理だろうな。むしろ、無理を押して戦おうとすれば本当に死ぬかもしれない』

 

『アーニーたち、これから大変だろうなぁ』

 

 

 誰もが、彼らのことを心配していた。

 

 

(虚憶(きょおく)にも、似たようなことがあったな)

 

 

 すれ違う人々の会話を総合的に組み合わせながら、クーゴは思い返す。いつかどこかで、地球と人類の未来を切り開くために、己の運命に従った男がいたことを。

 死の運命を受け入れ、未来を切り開く礎となった男。それが、リチャード・クルーガーだった。死せる魂が、未来を生きる者たちを走らせる。その光景を、『知っている』。

 

 果たして、少年少女の姿は見つかった。廊下の一番奥にある椅子に、4人は座っている。誰一人として、明るい表情を浮かべている者がいない。声をかけようとしたとき、奥の扉が開いた。出てきたのは、医師と思しき格好をした若者である。

 

 

「少佐は!?」

 

「お父さん、大丈夫ですよね!?」

 

「一命はとりとめましたが、戦線復帰は絶望的です。無理を押して戦場に立てば、確実に命を落とすでしょう」

 

 

 4人の言葉に、医師は沈痛な面持ちで告げた。それを聞いた面々は俯く。

 

 

「しかし、オルフェスが中破、ライオットが2機ともシステム崩壊によって修理不能になるとなぁ。ジンの方は新型機の開発がもうすぐ終わるからいいとしても……」

 

 

 『悪の組織』クルーは、自分の専門分野だけでなく、組織のMS開発状況にも精通しているらしい。難しい顔をして、端末を開き情報を確認している。

 何とも言い難そうにしていたアニエスだが、覚悟を決めたように顔を上げた。彼の横顔は、いつかどこかで見た青年の面影を感じる。

 

 

「じゃあ、僕がオルフェスに乗ります」

 

 

 「機体のシステムは、僕が搭乗してたライオットの発展型なんですよね?」と、アニエスは確認するように問いかけた。医師は目を瞬かせたのち、頷く。

 アニエスの決意表明を聞いたジンたちが、驚いて立ち上がった。何かを言う前に、アニエスが放った言葉によって、3人は大きく目を見開く。

 

 

「少佐が意識を失う前に、言ってたんだ。『オルフェスとサヤを頼む』って」

 

「アニエス、お前……」

 

 

 アニエスはジンをまっすぐ見つめて、頷いた。何かを感じ取ったのか、ジン、サヤ、アユルたちは顔を見合わせて、アニエスに視線を戻した。

 訝し気だった3人の表情は、アニエスと同じ微笑みが浮かんでいる。互いの眼差しに応えながら、3人はもう1度頷き合った。

 その光景を、クーゴは『知っている』。輪廻の果てで、未来を求めて戦った青年たちの姿が脳裏によぎった。懐かしさと安堵感が込み上げてくる。

 

 虚憶(きょおく)の中で、クーゴはアニエスとジンを自分とグラハムの関係性に重ねていた。かけがえのない、大切な相棒同士。片方が欠けるなんて、あまり考えたくない。

 彼らの道が分かたれたのはいつだろう。別々の道を行き、刃を、銃口を向け合って、殺し合うことになったのは。もう1度道が重なることを願い、それは2度と訪れなかった。

 

 

(ああ、よかった)

 

 

 この世界の彼らは、虚憶(きょおく)の彼らと同じようなことはないだろう。同じ場所を終着点と定め、同じ道を歩んでいく。

 

 クーゴは思わず表情を緩める。

 不意に、少年少女は顔を上げてこちらへ振り返った。

 クーゴの気配に気づいた彼らは、ぱっと表情を輝かせる。

 

 

「ハガネ()()!」

 

「待てアーニー! ()()少佐って呼んじゃダメだろ!」

 

「でも、国連軍とソレスタルビーイングとの最終決戦で名誉の戦死扱いされて2階級特進したから、少佐が正しいんじゃないのか?」

 

「あっ……」

 

 

 以前見かけたやり取りと違うけれど、彼らは相変わらず仲良しのようだ。その事実が嬉しくて、クーゴの口元が自然と緩む。

 こちらへ駆け寄ってきた彼らに応えるように、クーゴも4人に会釈し返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

「オルフェスがライラスと合体できるようになったんだ!」

 

「これで、ベルジュくんと共同作業が……うふふふふふ」

 

「いいなー。お姉さまばっかりずるい! 私もジンと合体したいです!!」

 

「あ、アユル……!」

 

 

「ああああああああおあああああああああっああああああうわああああああああああああああああああっああああああああああ!?!?!?」

 

 

 

 

 リチャード・クルーガー氏が一時的狂気を発症することを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね、どうかな?」

 

「何がですか?」

 

「フラッグよりも、はや」

 

「言いませんよ!? 俺はフラッグ一筋なので」

 

「……つれないねェ」

 

 

 

 

 

 

 

 あまり意図せずに、トラウマフラグをへし折ることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行け、刹那! お前は、ガンダムを超えろ!!」

 

「刹那、その顔はなんだ? その目はなんだ? そんな状態で敵を倒せるか」

 

「キミの想いは充分伝わってる。だから、僕らはその道を切り開く力になる!」

 

 

「まったく。連邦のスーパーエース殿ときたら……相変わらず、引き際を心得ていないのだな」

 

「アナタの愛は、そこで朽ちるはずがありません。そうでしょう? カテゴリー平民の異端者」

 

 

「行くぞ、アンドレイ。我々は、市民を守る軍人だ!」

 

 

「あんたが背負ってる想いは、こんなところで落ちるようなものじゃないだろう!?」

 

「露払いは任せてもらおう、ライトニング。――伊達に、火消しのウインドを名乗っている訳ではないのでな!!」

 

 

 

 いつかの想いが、今ここで生きる人々を奮い立たせる瞬間を、目撃することを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。



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4.行く道

 アニエスたちと別れたクーゴは、行く当てもなく『悪の組織』本部内を歩いていた。当てもなく、と言っても、地図データは端末に登録されている。

 地図情報を確認しているが、明確に「ここに行きたい」という意思がないだけだ。どこに何があるのかを、自分の五感で確認していると言ってもいい。

 

 しばらく歩くと、廊下の左側――外の風景を眺めるための大きな窓がある――に人影を見つけた。身長が170~180cm程度の、茶髪の青年だ。

 

 彼はロックオン・ストラトス。ソレスタルビーイングのガンダムマイスターだった男だ。自己紹介では怪我で療養中だと言っていたが、この怪我は最近のものだという。

 松葉杖で体を支えた青年の目は、暗く静かな宇宙(そら)へ向けられていた。何かに、あるいは誰かに、思いを馳せているかの様子だった。

 ロックオンに声をかけようとしたとき、不意に、頭の中に光景が浮かんだ。その光景はハッキリと『視えた』し『聞き取れる』。

 

 

『スナイパー型のガンダムか! 私の変幻自在、天衣無縫の動きを追いきれるかな!?』

 

 

 グラハムの声が響く。ユニオンのガンダム調査隊を率いるカスタムフラッグで、彼は空を翔けていた。遠くの方に見える紫の機体は、AEUのライトニングバロンが駆るリーオーだ。

 ゼクス・マーキスがいるということが何を意味しているか、クーゴは『知っている』。これは、虚憶(きょおく)の光景だ。ユニオン軍とAEU軍が、ZEXISを叩こうとしたときの。

 

 

『この野郎、俺の狙いを甘く見るなよ!』

 

 

 そう言うなり、白と緑基調のガンダムがライフルを構える。この色の機体は、遠距離射撃を得意としたものだったはずだ。

 

 虚憶(きょおく)の中で、クーゴはこの機体とぶつかり合った。

 日本刀対銃の戦い。グラハムの暴走によって、決着は中途半端になっていたように思う。

 

 

『私は彼女が好きだ! 彼女が、欲しいィィィィィィィ!!』

 

『お父さんは! お父さんは赦しません! こんなの絶対に認めないぃぃぃぃぃぃ!!』

 

 

 虚憶(きょおく)がフェードアウトしたと思った刹那、周囲の光景は一変する。薄暗かった山脈の景色とはうって変わって、真昼の蒼穹が広がっていた。

 ユニオン郊外にあったゲッター線の研究施設だ。カスタムフラッグと、白と緑基調のガンダムが戦いを繰り広げていた。

 

 

『何人たりとも、私の愛を阻むことはできない! 阻むものがあるなら、そんなもの、私の無茶で押し通す!』

『年の差その他諸々考えろ、この変態が!!』

『キミにそれを言える資格はないな! キミは私と同類と見た!』

『天地がひっくり返ったとて、お前さんとだけは一緒にされたくないね! こっちは頑張ってお兄さんやってるんだからな!』

『そうやって、キミは愛するものが他人にかっさらわれていくのを、手をこまねいて静観すると? そんなこと、私はお断りだ!』

 

『俺は人殺し、いつかは裁きを受ける身だ。幸福を手にする権利なんか存在しない。あんただってそうだろう? 軍人さん。――その覚悟は、とうにできてるんだよ!』

『ああそうだな! 敵を撃ち、部下や上官を死なせ、屍の山を築いていく……そんな人間がたどり着く場所くらい、私も心得ているさ! そしていずれは、私もそこに墜ちるのだと!』

『だったら!』

『だからこそだ!』

 

『だからこそ、好いた相手を――心から愛した女性(ひと)を! せめて、他ならぬ己自身の手で、幸せにしたいと願うのだよ――!!』

 

 

 この会話は、どこかで聞き覚えがあった。聞き覚えがありすぎた。

 会話している当人たちはとても真面目だった。それ故に、異常な雰囲気があった。

 グラハムが現実に戻ってこなかったときの絶望感ったら、本当にない。

 

 次の瞬間、また風景が変化した。蒼穹は夜空へ、ゲッター線の研究施設はアザディスタンの太陽光発電受信アンテナ施設へと変わる。

 テロリストたちが駆るアンフ、ユニオンのフラッグ、白と緑基調のガンダムの姿がフラッシュバックした。

 

 迷うことなく一方のアンフを倒していくフラッグのカメラアイが、弾かれたように空を見上げた。そこへ、ミサイルが飛来した。

 

 その数、4弾。いや、正確に言えば4弾ではない。クラスター爆弾と同じ原理だ。

 花を咲かせるように展開したミサイルの中から、大量の爆弾が、施設目がけて降り注ぐ!

 避けようとするフラッグだが、数が多すぎてよけきれない。

 

 次の瞬間、白と緑を基調にしたガンダムが見えた。スナイパーライフルを連射して、ガンダムは爆弾を相殺していく。すべてを無効化することは叶わずとも、その十数発がフラッグの命運を分けた。間一髪でフラッグが飛び立ち、コンマ数秒前までフラッグがいた場所が爆炎に包まれる。

 

 

(あれは、俺のフラッグだ。――ということは……)

 

 

 あのとき、白と緑を基調にしたガンダムを駆っていたのは――クーゴが確証を得かけたとき、また風景が変わる。

 ガンダムは、カスタムフラッグと派手な鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

 

『お父さん、刹那を私にくださぁぁぁぁぁぁぁいッ!』

『誰がやるかコンチクショウ! お父さんは赦しませんよォォォォ!』

 

 

 どこかで見聞きしたことのあるような会話である。

 

 

『身持ちが堅いな、ガンダム! 流石はお父さんだ!』

『このしつこさ、尋常じゃねえぞ!? 刹那はこんなのに言い寄られてたってのか……!?』

『そうだな。私はしつこくてあきらめも悪い。俗に言う、人に嫌われるタイプだ!』

『言った! 自分で認めやがったぞコイツ!』

 

 

『皮肉なものだ。嘗て空を飛ぶためにすべてを絶った私が、ただひとりを求めて空を飛ぶことになろうとは』

『あんた……』

『そういう訳でお父さん、彼女を私にくださぁぁぁぁぁぁぁいッ!』

『やっぱりあんたはダメだ! 絶対にダメだ!!』

 

『くっ! よくも私のフラッグを傷物にしてくれたな!』

『お前こそ、よくもウチの刹那をたぶらかしてくれたな!』

 

 

 どこかで見聞きしたことのあるような鍔迫り合いである。あのとき、クーゴはグラハムと別行動をしていた。それでも、なんとなく、懐かしさのようなものを感じた。

 クーゴがその虚憶(きょおく)の光景を目の当たりにしていないだけで、もしかしたら、この光景とよく似た虚憶(きょおく)を有していたのかもしれなかった。

 俺の親友がごめんなさい、という言葉が口から出かかって止まる。自分が謝罪しても仕方がないことは、クーゴ自身が重々承知していたためだ。

 

 アザディスタンへの救援要請が入った後も、グラハムとガンダムマイスターの会話は混沌を極めていた。聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。

 会話を終えたフラッグが空へ向かう。それを見送ったのち、ガンダムも撤退した。次の瞬間、コックピット内が『視えた』。

 

 搭乗していた人物は、やはり、ロックオン・ストラトスその人だった。コックピットの前方には、丸いペットロボが耳(?)をパタパタさせている。

 

 

「あ」

 

 

 不意に、世界が反転した。回想の世界から現実へと意識が帰還したらしい。

 

 先程まで窓の外の景色へ思いを馳せていたロックオンが、クーゴの方を凝視していた。どうやら彼も、クーゴと同じような景色を『視た』ようだ。

 何か言いたげに口を開いては閉じてを繰り返す。クーゴも似たようなものだった。幾何かの沈黙の後で、クーゴはおずおずと言葉を紡いだ。

 

 

「キミ、あのときのガンダムパイロットだったんだな」

 

「ああ。アンタこそ、あのときのフラッグファイターだったんだな」

 

 

 隣にならんでもいいかと尋ねれば、ロックオンは2つ返事で頷いた。クーゴは彼の隣に並ぶ。

 

 

「……あのときは、ありがとう。助かったよ」

 

「俺は任務を果たしただけだ。礼を言われる覚えはないよ」

 

「それでも、助かったことは事実だ。おかげで生きてる。だから、それでいいんだ」

 

「……そうか」

 

 

 自分たちの間には、変な沈黙が広がった。

 

 2人は黙ったまま、窓の外へ視線を向ける。中庭だけでなく、自分たちがいる大きな窓からも地球を臨むことができた。

 生きとし生ける命、すべてを育む、青く輝く美しい星。宇宙(そら)から見た美しさとは対照的に、地上は諍いが絶えない。

 

 日や争いの火種が巻かれ、燃え上がり、悲しみや怒りを生み出している。長い時が過ぎても尚、人類はそれを繰り返し続けた。終わりは見えない。

 

 

「……信じられないよな。こんなに綺麗なのに」

 

「そうだな。世界規模のテロから個人レベルのいがみ合いまで、なんでもありだ」

 

 

 ロックオンはぽつりと呟いた。クーゴの思考回路を読んだかのような言葉だった。

 クーゴもそれに同意し、ロックオンへと視線を向ける。

 

 

「俺は、テロで両親を亡くしたんだ。妹も、そのテロが原因で意識不明の重体になった。……だから、テロが憎かった」

 

「それで、キミはソレスタルビーイングに入ったのか」

 

「まあな。スカウトされた瞬間から、ロクな最期を迎えられないって覚悟してた。罰が下されるならそれを贖うつもりでいた。自分はどうなったとしても、弟や妹の生きる世界と未来を、もっとよくしてやりたかった。だが――」

 

 

 彼はそこで言葉を切った。ロックオンの横顔は、憤りに満ちている。

 

 

「俺は、こんな世界のために戦ってたんじゃない。俺たちが夢見た世界は、戦争根絶という理想は、こんなものじゃなかった」

 

 

 その言葉が、ロックオン・ストラトスの出した答えだった。眉間に刻まれた皺が、彼の感情の爆発を示しているかのようだ。彼の体が重傷でなければ、彼の愛機がこの場に存在していたら、すぐに戦場へと飛び出してしまいそうな勢いがある。

 ロックオンが『悪の組織』にいるのは、最終決戦で『悪の組織』に保護されたことと、体が本調子でないのが理由のようだった。体の方は――先程小耳に挟んだ話なのでよくわからない――最終決戦の傷よりも別件の傷が理由のようだったが。

 確か、『ロックオンの弟が、「恋人の家族の逆鱗に触れた」ことが理由で私刑に処されかけたところを庇い、弟の身代わりになった』という話だったか。クーゴの思考回路がそこに飛んだことに、ロックオンは気づいたらしい。深々と息を吐いた。

 

 

「リハビリが順調に進んでいたときに、弟の恋人と鉢合わせしてな。彼女が俺と弟を見間違えたんだ。弟は恋人のことを長期間放ってたらしくて、恋人の家族が怒り狂っててな……」

 

「見間違われたってことは、怒りの矛先は……」

 

「それで俺が殴られて、寝たきりに逆戻りだ。それが1回目」

 

 

 ロックオンは肩をすくめる。

 

 1回目、と言う言葉に、嫌な予感を覚えたのは何故だろう。

 おそるおそるロックオンを伺えば、彼は遠い目をして天を仰いだ。

 

 

「またリハビリを行って、ほぼ全快だってときだった。廊下を歩いてたら、弟の恋人の家族とすれ違ったんだ。覆面と下駄とバイクを手配しながら、弟を襲撃する計画立ててた」

 

「なんでまたそんな……」

 

「『弟の居場所を突き止めたから、今度こそ責任を取らせる』って……」

 

 

 俺がいない間に何をしたんだ、と、兄はさめざめと泣いた。

 恋人ができたところまではおめでたかったのに。

 

 

「しかも、音信不通になってた理由が『転職活動で忙しかった』からなんだぜ? 転職活動がひと段落したって連絡が入って、関係は元通りになったんだと」

 

 

 これはひどい。とにかくひどい。べらぼうにひどい。

 

 報われなさすぎである。とんだ骨折り損だ。ロックオンは乾いた笑みを浮かべていた。

 これ以上、この話を続けてはいけない。クーゴは話を逸らすことにした。

 

 

「キミは、体が本調子に戻ったらどうするんだ? ソレスタルビーイングに戻るのか?」

 

「できれば戻りたいと思ってる。……ただ、どうやら俺は戦死したことになってるからな。まともに戻れるかどうか……」

 

 

 「それ以前に、連絡手段が何もないから」と、ロックオンは肩をすくめた。ソレスタルビーイング壊滅の報を聞いて以後、『悪の組織』とソレスタルビーイングは連絡が取れずにいるらしい。

 『悪の組織』へ出戻ったイデアからクルーの安否を聞いていたとはいえ、やはり、直接会って確認したいというのが本音なのだろう。連絡が絶たれているという状態は、彼にとって都合が悪かった。

 クーゴがそう分析していたときだった。「あんたはどうするんだ」と、ロックオンが問いかけてきた。社会的に死亡とされた人間同士、あるいは『ミュウ』に目覚めたばかりの同期の間柄として、気になるのだろう。

 

 脳裏に浮かんだのは、クーゴが人生で初めて『視た』虚憶(きょおく)だった。

 

 空で待っていると言った親友たち。彼らは今、独立治安維持部隊に身を寄せている。組織の異常さに気づきながらも、何もできないでいるのだ。

 特にグラハム、もといミスター・ブシドーは悲惨である。クーゴの姉――蒼海の手駒にされ、意志無き人形の如く扱われていた。

 

 空を翔るフラッグファイターを、姉は独立治安維持部隊(アロウズ)という檻に閉じ込めている。

 

 

「目が覚めたばかりのアンタじゃ、まだ決まるはずないよな。時間は充分あるんだし……」

 

「――『還りたい』」

 

 

 ロックオンの言葉を遮るように、クーゴは言葉を紡いだ。ロックオンが大きく目を見開く。

 

 

「俺が軍人になったのは、虚憶(きょおく)で出会った人たちに、『空で待ってる』って言われたからだ。『絶対空へ行く』って約束したからなんだ。現実で会った面々は何も覚えてないけど、ちゃんと待っててくれた」

 

「それって、まさか……あの軍人か!?」

 

 

 クーゴが頷けば、ロックオンは何とも言い難そうに眉をひそめた。

 その虚憶(きょおく)の中にはロックオンとよく似た顔立ちの青年が2人いた――2人は双子だった――のだが、それに関しては言わないでおく。

 

 

「みんな、約束を守ってくれた。だから、今度は俺の番だ」

 

 

 「『どんな手を使ってでも、あいつ(グラハム)をみんなの元へと連れ帰る』って約束したから」と、クーゴは締めくくった。

 口に出したことで、もやもやしていた想いがはっきり形になる。まるで――否、正真正銘の言霊だ。

 クーゴは1人納得しながら、何度も頷く。ロックオンはしばしこちらを見ていたが、苦笑しながらため息をついた。

 

 

「意外と肝が据わってるんだな」

 

「そうかな。そうかもしれない。でなきゃ、あいつの相棒なんて務まらないだろうし」

 

「あー……」

 

 

 グラハムのしつこさと暴走具合を思い出したのだろう。ロックオンは天を仰いだ。彼もまた、グラハムの暴走やしつこさの余波を喰らっていた人間の1人である。

 苦労人と言う観点から、クーゴとロックオンは似た者同士らしい。だから、なんだか妙な親近感を感じるのだろう。妙な同族意識を感じていたときだった。

 

 

「目が覚めたばかりだから、決断するのに時間がかかるかと思ったんですけど、余計な心配でしたね」

 

 

 聞こえてきた声に振り返れば、ショートボブの少女が立っていた。

 

 外見は10代前半から半ばくらいにしか見えないが、彼女も『ミュウ』なのだ。外見と年齢は一致しない。もしかしたら、年齢が3桁になっている可能性だってある。

 接し方を考えあぐねるクーゴと対照的に、ロックオンは親しいものに声をかけるかのようなフランクさで、少女に話しかけた。

 

 

「エイミー! 無事に帰ってきたんだな」

 

「当たり前よ。これでも、1つの艦と部隊を率いる戦術指揮官なんだから。兄さんが心配性なだけよ」

 

 

 エイミーと呼ばれた少女は薄い胸を張った。彼女はどうやら、ロックオンの妹らしい。随分と年齢が離れた兄妹だ。

 

 

「これでも私、20代前半ですけど」

 

「失礼しました」

 

 

 ジト目でクーゴを見つめてきたエイミーに、クーゴは即座に謝罪した。似たような目に合って嫌な思いをしたことは何度もある。

 誤解を解こうとして奮闘したことを思い出し、いたたまれない気持ちになった。エイミーはクーゴの謝罪を受けてくれたようで、すぐに機嫌を直してくれた。

 

 彼女はこほんと咳ばらいし、問いかけてきた。

 

 

「方向性は決まったみたいですが、今後どうするかの方針は決まっていませんよね?」

 

「……まあ、そうですね」

 

 

 エイミーに痛いところを突かれ、クーゴは苦笑した。いくら『仲間を助けたい』や『彼らの元へ還りたい』と思っていても、クーゴ個人には何の力もない。

 夢の中で仲間たちから聞いたことや先程の話を総合するに、アロウズは統制が厳しいようだ。高性能のスーパーコンピュータに、集中された戦力がある。

 対抗組織となるとされるカタロンも、実際はその体を成していない。本当の意味で対抗組織になり得たであろうソレスタルビーイングは壊滅から立ち直っていないのだ。

 

 真正面からアロウズに挑むなら、苦戦は必須だろう。むしろ速攻で叩きつぶされるに違いない。

 しかも、友人たちに関しては蒼海が関わっているのだ。彼女のやり口を考えると、嫌な予感がしてならない。

 

 

「正直、目的を達成するのは難しいと思ってる。フリーで動いたら簡単に叩き潰されるだろうし、組織に所属するとしてもな。過激なテロ活動をしたいわけじゃないから、カタロンのやり方は好かん。他にアロウズと対抗できそうな組織は――」

 

 

 そこまで口に出して、気づく。エイミーが何を言いたいのかを。

 

 弾かれたようにエイミーを見れば、クーゴの予想を肯定するかのような笑みを浮かべていた。

 しかし、彼女が口にしたことは、おおよそ兵士のヘッドハンティングとは程遠い話だった。

 

 

「貴方はユニオン軍で優秀なMSパイロットだったと聞いています。……最近、技術部の面々が新型MSを開発しようとしているんです。貴方には、その機体のパイロットになってほしい。勿論、その見返りとして、その機体の貸し出しと貴方のバックアップを約束しますが、どうでしょうか?」

 

「……随分破格な条件だな。いいのか?」

 

「ええ」

 

 

 満面の笑みで頷いたエイミーだが、何か気づいたように「ああ、そういえば」と手を叩いた。何やら、クーゴ側に要求することがあるらしい。

 やはり、おいしい話には裏がある。内心無茶ぶりを覚悟しながら条件を問えば、彼女はちょっと困惑したように眉をひそめて、言った。

 

 

「『時々でいい。5分、いいや1分だけでもいいから、ちょっとした世間話をしてほしい』と、総帥(しゃちょう)が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、彼はOKしてくれたのね」

 

『はい』

 

 

 エイミーからの連絡に、ベルフトゥーロは表情を緩めた。

 

 アザディスタンは今日も快晴。治安の悪さが這い寄っていた首都や、戦いが絶えなかった郊外も、小康状態が続いている。

 以前と比べれば、人々の横顔や街並みから、活気と希望が伺えた。それはとてもいいことである。女王マリナの憂いもなくなれば万々歳なのだが。

 

 

『でも、総帥(しゃちょう)の提示した条件が破格過ぎませんか? 彼へ要求するものもアレですし』

 

「いいのよ。私にとっては、確かに意味のあることだから」

 

 

 訝しむエイミーと短い会話を交わした後、ベルフトゥーロは電源を切った。端末に映し出されたのは、黒髪黒目の青年――若かりし頃のイオリアと、彼に寄り添うベルフトゥーロの写真であった。

 そこには何もおかしいところはない。特筆すべき理由を挙げるなら、それは――若かりし頃のイオリアが、とある青年と瓜二つの顔立ちであることだけだ。ベルフトゥーロの過去を『視た』彼であるが、イオリアの顔は逆光で伺えなかったであろう。

 勿論、それはベルフトゥーロが意図的にやったことだ。現時点で、とある青年はそのことに気づいていない。以前の話を思い出せば気づくかもしれないが、今はそれどころではないだろう。何せ、基本方針が固まったのだから。

 

 丁度いいタイミングで技術班からのメールが届いた。テストパイロットを引き受けてくれたクーゴ・ハガネ専用のドライヴ調整を行うという。機体の改修は8割強終わっており、あとは彼専用ドライヴの完成を待つだけだ。

 専用ドライヴはGNドライヴの派生形であるが、『ミュウ』由来の技術――主にサイオン波に関係するものだ――を使う。『ミュウ』にしか扱えないのと、各パイロット専用のオーダーメイド品なので調整に難航するという欠点があった。

 

 ドライヴは大まかに、苛烈なる爆撃手(タイプ・イエロー)完全なる防壁(タイプ・グリーン)思念増幅師(タイプ・レッド)荒ぶる青(タイプ・ブルー)という4つの分類の基礎平均数値までは設定しているため、あとは細かな調整だけである。

 

 

(似たような性能のGNドライヴを“狙って”造るよりは、はるかに生産性あるけどね)

 

 

 イオリアが残した『ツインドライヴシステム』のデータを開きながら、ベルフトゥーロはひとりごちた。GNドライヴの欠点は、短期間に量産できないことと、個々の性能差が大きいことが挙げられている。ソレスタルビーイングにあるGNドライヴ同士の組み合わせで一番同調率が高いのは、0ガンダムとエクシアだ。

 アプロディアたちに探してもらったところ、ソレスタルビーイングの手元にあるのは0ガンダムの太陽炉のみで、エクシアは機体ごと行方不明ということらしい。国連軍との最終決戦後、エクシアはソレスタルビーイングから離れて行動している様子だった。メカニック無しで、まともに修理できているかどうかは怪しい。

 

 今から新しいものを造ろうとしても、相当の時間がかかることは確かだ。ソレスタルビーイングだって、アロウズの暴走を静観していられるような人間の集まりではないだろう。むしろ、そんな奴らだったらベルフトゥーロが直々に殴り込みに行く。

 

 端末をしまい、ベルフトゥーロは空を見上げる。テロによって巻き起こった粉塵で、空が覆われたのが昨日のような気分だ。一時期、大気圏付近で舞い上がった粉塵やデブリが殻/層を形成し、太陽は完全に遮られてしまったのだ。

 太陽光エネルギーに頼りっぱなしだった3大国家陣営は、唯一無二のエネルギー源を失って大打撃を受けた。価値が暴落した太陽光の代わりに見出されたのは、旧時代にエネルギーの中心にあった化石燃料である。粉塵の影響を受けず、安定的な供給が可能なため、需要は瞬く間に広がった。

 テロの余波が完全になくなった後も、万が一の備えとして、化石燃料の需要が発生している。化石燃料の原産国である中東諸国は、このテロによって息を吹き返したような形だった。そのため、テロの首謀者と関係があるのではとあらぬ疑いをかけられた時期もあった。

 

 勿論、中東諸国がテロと無関係であるということは既に証明されている。たとえ――仮に、テロリストが中東関連の回し者だったとしても、各国が化石燃料を求めることはやめられなかっただろう。生活の質を下げるというのは難しいためだ。特に、テクノロジーが溢れる昨今は。

 

 

「お母さーん!」

 

 

 浅黒い肌に茶髪の少年が、女性の元へ駆け寄っていく姿が視界を横切った。少年を腕に抱く母親は、以前、マリナ暗殺に協力させられていた女性だ。

 彼女はふと顔を上げ、ベルフトゥーロの姿を瞳に捉える。鳶色の瞳が大きく見開かれた。ベルフトゥーロがひらひら手を振れば、女性は深々と頭を下げた。

 

 そこへ、夫らしき男性がやって来た。母子は男性と連れ立って、町の雑踏へと消えていく。平穏という言葉が、以前よりも身近に感じられるような気がした。

 

 しかし所詮は薄氷の上。はりぼて、あるいはかりそめの平和は、いつかボロが出る。誰かの悪意が世界を満たしていく。その足音が、聞こえてきそうだった。

 “誰もが当たり前に生きられる世界”は、簡単なようで難しい。西暦3000年相当のS.D体制も、西暦2300年代のこの惑星も、根本的な悩みは変わらないのだろう。

 相変わらず、世界は悲しみに満ちている。嘗てのグラン・パや古の『ミュウ』たち、そして、ベルフトゥーロとイオリアが夢見た世界は、遠い夢物語の出来事らしかった。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「はは、ははは、あはははははははははははっ!!」

 

 

 男は笑う。狂ったように笑い続ける。

 

 

「このガンダムは素晴らしい。ゼロシステムによって、僕の思考は無限に広がった! 僕はすべてを理解したよ!!」

 

 

 男は恍惚とした笑みを浮かべた。

 しかし、まだ足りない。

 

 

「喜んでくれ、グラハム! これで君の機体も完成する! クーゴや他の皆との約束を――フラッグの後継機開発を果たすことができるんだ!」

 

 

 いなくなってしまった人たちと交わした、大切な約束があった。

 それを果たすことは困難だった。ほぼ不可能だと思っていた。

 だが、ゼロシステムは齎してくれた。不可能を可能にする手立てを。

 

 

「きっと、エイフマン教授やクーゴだって、喜んでくれるに違いない……!!」

 

 

 白衣を着た男は、明らかに“何か”に取りつかれている。もう正気ではない。

 彼を愕然とした表情で眺めていたのは、仮面で顔を隠した金髪碧眼の男だった。

 

 笑い続ける男と、それを愕然とした表情で眺める仮面をした金髪碧眼の男。彼らの後ろ姿は、薄闇のベールがかかっていてよく見えない。

 

 

「カタギリ……」

 

 

 仮面の男が、茫然と男の名前を呼んだ。

 笑い続ける男は、親友に名前を呼ばれたことに気づかない。

 

 

「キミも、魔道に堕ちたのか……」

 

 

 狂ったように笑い続ける男に、仮面の男の言葉は届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来を演算するシステムを解析し始めてから、ビリー・カタギリはまともに家へ帰っていない。

 

 ビリーにゼロシステムの解析依頼が入ったのは、高嶺の花であるリーサ・クジョウが転がり込んで有頂天になっていたのと同時期だった。亡くなった親友の姉が、どこぞの伝手で入手した欠陥品だという。どうにかして、このシステムを完全なものにしてほしいそうだ。

 欠陥品とはいえ、ゼロシステムが示す情報は多岐にわたる。最初は制御不能で膨大な情報に振り回されたが、最近になってようやく、欲しい情報をピックアップできるようになってきたばかりだ。欠陥品で初体験の一般人(ビリー本人)が3日間の記憶が飛ぶなら、完成品を一般人が初体験したらどうなるのだろう。

 

 親友曰く、「あれは見ていて恐ろしかった。キミも魔道に堕ちたのかと思った」らしい。見ないうちに武士道にのめりこんだ彼の言う台詞ではないだろう。

 クーゴたちと一緒に京都旅行に行ったときに買った、と、自慢げに見せてきた仮面と陣羽織を身に纏っていた親友は、常に物々しい空気を漂わせるようになった。

 リハビリを終えて退院した彼は、亡くなった親友の姉の元へ出入しているようだ。どことなく不本意そうにしていたが、2人の間に何があったか、ビリーは知らない。

 

 閑話休題。

 

 

(彼女はこれを「機体に搭載したい」って言ってたな。パイロットにかかる負荷は相当のものだろう。……対策は、どうするんだろうね?)

 

 

 ゼロシステム搭載機に搭乗するであろうパイロットに思いを馳せながら、ビリーはマグカップへ手を伸ばした。口にいれたコーヒーは、既に生ぬるくなっていた。

 時計を見ると、前回確認したときよりも針が3週回っている。そろそろ休憩しようかと、背伸びをしたときだ。急に、デスクトップ画面に映し出された数字が点滅し始めた。

 何か起こったのか、とビリーが目を剥いた途端、膨大な情報が一気に流れ込んでくる。内側から殴られるような痛みと共に、頭の中が一気に真っ白になった。

 

 がんがんとした痛みの中で、光景がフラッシュバックする。そこにいたのは、ビリーにとっての高嶺の花――リーサ・クジョウその女性(ひと)であった。

 彼女は見慣れぬ制服を見に纏い、戦術指揮を取っている。ときにはアルコールに舌鼓を撃ち、ときには見知らぬ人々と楽しそうに談笑していた。

 

 指揮を執る彼女の眼前に映し出されたモニターに、機体が映った。世界を騒がせたMS――ソレスタルビーイングのガンダムだ。それが意味することは、ただ1つ。

 

 

(嘘だろう……!? クジョウが、ソレスタルビーイングの人間だって……!!?)

 

 

 あまりの情報に、ビリーは我が目を疑った。目の前で点滅する光景を信じられなかった。自分が思いを寄せる相手が世界の敵の一員だなんて、認められるはずがない。

 嘘だと否定しても意味がないことは分かっている。しかし――残念ながら――ゼロシステムが示す情報(もの)が、未来すらも見通す演算能力が、偽りを見せるはずがないのだ。

 ビリーはクジョウの気を引くために、三大国家の軍事演習に関する情報を提供したことがある。まさか、あの情報を入手するために、彼女はビリーに近づいてきたのだろうか。

 

 ビリーの心が疑念に塗りつぶされそうになったとき、頭の中に光景が浮かんだ。

 クジョウは悲しみに満ちた目をして、情報の入ったマイクロチップを懐に戻す。

 

 

『ごめんなさい、ビリー』

 

 

 彼女は、横流しされた情報を使わなかった。ソレスタルビーイングのガンダムパイロットにも、クルーにも、ビリーが齎した情報を口外しなかった。自分たちが敗北し、ガンダムを失うことを分かっていて、パイロットたちを戦地に送り出したのである。

 

 ソレスタルビーイングの新型ガンダムが姿を現したのもこのときであったが、クジョウの作戦プランには、新しいメンバーのことなど一切流れていなかったのだ。

 MDたちが暴走して大変なことになることも予測できていなかったようだし、「クジョウがビリーを裏切った」という馬鹿な予想は的外れだったらしい。

 

 むしろ彼女は、ビリーのために心を痛めてくれた。その事実に、体がじわじわと熱を帯びていく。口元がかすかに震えた。このまま舞い上がってしまいそうだった。

 ぱちん、と、何かが弾けるような音が耳を掠めた瞬間、ビリーは椅子の上から立ち上がっていた。ディスプレイ画面には、相変わらず数字の羅列が表示されている。

 静かな研究室。自分以外、誰も人がいない。街の明かりも大体が消え去っていた。今晩も研究所に泊まることになりそうだ。ビリーは大きく息を吐いた。

 

 同居人となっている高嶺の花に、「今日も研究所に泊まる」とメールを入れた。ゼロシステムで見た情報を話そうかと端末のボタンを押しかけ、ビリーは手を止める。

 しばし迷った後、ビリーは下の文章――クジョウがソレスタルビーイングの人間だと知ったこと――をすべて消して、飲みすぎないようにと注意する文面を入力した。

 

 

「送信、っと」

 

 

 ピロリン、という軽快な音が響く。

 間髪入れず、『メッセージを送信しました』の文字が浮かんだ。

 

 

(ソレスタルビーイングは僕の友人(グラハムとクーゴ)たちを助けてくれたし、クジョウは僕を庇ってくれた。……これで、いいんだよね)

 

 

 ビリーの脳裏に浮かんだのは、ユニオンの軍事工場。偽物と死闘を繰り広げ、満身創痍だった親友たちを助けてくれた天使(ガンダム)たちの姿だった。

 借りを返すにしては遅すぎるのかもしれないし、自分のやっていることは軍人としてあるまじき行為なのかもしれない。だとしても、ビリーとて人の子である。

 そこには、以前の――三大国家の軍事演習を彼女に漏らした――ときとは違い、“クジョウに気にいられたい”という下心はなかった。

 

 システムを完成させるのは、根気の居る作業だ。少し休んでから、もう一回頑張ろう。

 

 ビリーはコーヒーを追加するために立ち上がった。そのまま、PC画面へ背を向ける。

 真っ暗闇の窓ガラスには、PC画面の光がぼんやりと浮かんでいた。緑と青を基調とした光だ。

 

 

(――!?)

 

 

 ほんの一瞬、PC画面に黄色と赤の光が激しく点滅した。振り返ってPC画面を確認すれば、何事もなかったかのように緑と青を基調とした光が映し出されている。

 

 

「……何だったんだ……?」

 

 

 狐につままれたような気分で、ビリーはPC画面を凝視した。次の瞬間、マグカップを持っていた手に熱が走る。慌てて見れば、白衣にコーヒーが染みていた。

 コーヒーの汚れは落ちにくい。やってしまった、と、白衣の袖を見てため息をつく。連日徹夜の強行軍は、流石にこたえたようだ。今日は少し長めに休息を取ろう。

 ビリーは白衣を脱いで予備のものに着替える。目覚まし時計のタイマーを普段より遅めにセットして、短い眠りの旅へと舟をこぎ始めたのであった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ゼロシステムの解析は順調(?)に進んでいる。同時に、システムの欠陥の修繕も進んでいた。

 完全まではまだまだ時間がかかるけれど、徐々に近づいているという実感があった。

 

 今日も頑張るぞ、と、ビリーが背伸びをしたときだった。

 

 ぞっとするような悪寒。

 弾かれたように振り返れば、そのタイミングで扉が開いた。

 

 

「失礼するわ。カタギリさん」

 

 

 銀の刺繍で鶴が描かれた、豪奢な着物を身に纏った女性が研究室へやって来る。彼女の来訪時に起きる寒気には、いつまでたっても慣れなかった。

 ビリーは会釈し、女性をソファに促した。女性は優雅に座る。彼女が研究室に足を運ぶようになってから、高級の玉露が常備されるようになった。

 女性の好みに合わない飲み物を出すと、延々と愚痴をこぼされるのである。徹夜で疲れているときに愚痴につき合わされるなんて、悪夢以外の何物でもない。

 

 

「ゼロシステムの解析は?」

 

「ぼちぼちです」

 

「そう。早くしてね」

 

 

 女性の問いに、ビリーは曖昧に答えた。女性が研究所に来ると、決まって、ゼロシステムの解析と欠陥部分のカバーがどれ程進行したかを訊ね、急かす。

 技術屋のことなど何もわかっていない様子だ。開発やプログラムの見直しには長い時間がかかるということを、彼女には理解してもらえないらしい。

 

 理系は人生規模で物事を考えるが、文系は即効性を求める傾向にある――そう零していた人物は、もう、この世にいない。

 

 いつも通りのやり取りが終われば、彼女はすぐ帰ってしまう。だから、今回もそうだろうとビリーは思っていた。

 ビリーの返事を聞いた彼女は緑茶を啜ったのち、妖艶な笑みを浮かべた。大抵の男が見れば、誰もが胸を高鳴らせるような微笑だ。

 しかし、彼女の微笑みを見たビリーは悪寒に襲われた。嫌な予感がする。ごくりと生唾を飲み干した。

 

 

「貴方が高嶺の花と仰ぐ女性の真実を知って、どう思った?」

 

 

 女性が告げた言葉に、ビリーは思わず目を剥いた。どうしてこの女性は、ビリーがゼロシステムで知った真実を知っているのだろう。

 

 

「彼女は貴方を裏切っていたわ。貴方を騙していた。……憎いと思わない?」

 

 

 頭がくらくらしてきた。場にそぐわぬ倦怠感に、意識が沈んでいく。

 

 

「貴方は彼女を憎んでいる」

 

 

 まるで、ビリーに言い聞かせるかのようだった。うつらうつらとする意識の中、女性の声が反響した。

 

 憎んでいる。

 誰が、誰を。

 ビリーが、クジョウを。

 

 ビリーは憎んでいる。

 リーサ・クジョウを憎んでいる。

 

 ――憎んでいる?

 

 誰が、誰を?

 ビリーが、クジョウを?

 

 リーサ・クジョウを憎んでいる?

 ソレスタルビーイングを、憎んでいる?

 

 

「違う」

 

 

 ビリーは、はっきりと口にした。

 

 

「僕は、クジョウを憎んでいない」

 

 

 反響していた女性の声が止まった。曖昧になりつつあったビリーの意識が、一気にクリアになる。目の前にいる女性は大きく目を見開いていた。

 己の意思を確かめるように、相手に確かめさせるように、ビリーは言葉を紡ぐ。

 

 

「僕は、クジョウを憎んでいません」

 

 

 それは、ビリーの確固たる意志だ。

 

 

「――そう」

 

 

 幾何の間をおいて、女性は笑った。妖艶な笑みを、更に深くする。

 ビリーの背中に、これ以上ない程の悪寒が走った。

 

 ビリーの中にある『何か』が悲鳴を上げている。女性が、恐ろしいことをしようとしていると訴えている。今すぐにこの場から離れなければならないと叫んでいる。

 だというのに、ビリーの体は動かなかった。蛇に睨まれた蛙のように、一切の身動きができなかった。心臓が早鐘を打つ。すべての動きがスローに見えた。

 女性はビリーの額に手をかざした。聖母のような、悪魔のような――どう形容すればいいのかわからない、綺麗な微笑を浮かべた女性の姿が視界の端にちらつく。

 

 急に、頭がくらくらしてきた。場にそぐわぬ倦怠感に、意識が沈んでいく。うつらうつらとする意識の中、女性の声が反響した。

 

 

「聞き分けの悪い玩具(オニンギョウ)さん。しょうがないわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

「これが、ゼロシステムの力……!」

 

「これさえあれば、私は世界を変えられる! こんなクソみたいな世界を、私の力で変革することができる!!」

 

 

「キミが革新者(イノベイター)として優れた存在であることは事実だ。そこは素直に賞賛し、敬服するよ」

 

「……だが、イオリア計画は……父さんの遺志は、決して、お前のような存在を認めない!!」

 

 

革新者(イノベイター)のなり損ないのくせに! 紛い物のイノベイドが、真の革新者(イノベイター)に勝てるはずないでしょう!!」

 

 

「お前は真の革新者(イノベイター)じゃない」

 

「イオリアが提唱した存在を……本当の意味での革新者(イノベイター)を見出した僕が言うんだ。間違ってなんかいないよ」

 

 

「刹那・F・セイエイ」

 

「純粋種の力、見せてくれるよね?」

 

 

 

 

 遺志を冒涜する者と遺志を継ぐ者同士の戦いに、ゼロシステム搭載機が関わることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方の父君は、軍を裏切った。市民を傷つけた」

 

「そうやって、同じように、貴方の父君は貴方の母君を見殺しにした」

 

「貴方は、父君を憎んでいる。――そうでしょう?」

 

 

「――憎い」

 

「私は、あいつが憎い」

 

 

「貴方が想いを寄せる人たちをたぶらかし、光が差さない獣道に引きずり込もうとしている奴。それは、貴方が1番分かっているはずよ」

 

「そうだ……。そいつさえ、そいつさえいなければ……!!」

 

 

「彼女たちを助けたい?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、どうすればいいか、わかるわね?」

 

 

「――ああ」

 

「ころせば、いい」

 

 

 

 

 

 ほの暗い闇の底へ、新たなる迷い子が引きずり込まれていくことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もういっそ、MSファイトで決着付ければいいんじゃないのか?」

 

「そ れ だ ! !」

 

「えっ」

 

 

「ロックオン・ストラトス!」

 

「デュナメスガンダム-クレーエ!」

「ケルディムガンダム!」

 

「狙い撃つぜ!!」

「乱れ撃つぜぇ!!」

 

 

 

 後に伝説と称された『狙い撃ち合い宇宙(そら)』と呼ばれる、兄弟喧嘩を目の当たりにすることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。

 



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5.翼はここに

 クーゴとグラハムの愛機(専用カスタムフラッグ)が、数分間目を離した隙になくなってた。

 何を言っているのかわからないと思うが、クーゴたちも何が起こったのか全然わからない。

 

 愕然と佇む自分の背中を叩いたのは、00■アン■と呼ばれる白い機体を操っていた女性――刹那・F・セイエイだった。彼女は、わけのわからぬ世界に放り出されて四面楚歌状態だったクーゴとグラハムを助け、この部隊に迎え入れるよう進言してくれた恩人でもある。

 刹那の表情も晴れない。何とも言い難い表情を浮かべてふるふる首を振った。どうやら、彼女が駆っていた愛機も被害にあったらしい。指揮官殿は一体何を考えているのだろう。いくらパイロットがいても、機体がなければ意味がないというのに。

 グラハムはぼんやりと格納庫を見上げていたが、変わらぬ現実に打ちのめされてしまったようだ。愛機の名前を呼びながら、がっくりと膝をつく。気のせいでなければ、彼の肩がプルプルと震えていた。

 

 

「泣いてるのか?」

 

「泣いてなどいない!」

 

 

 キッ! とグラハムはクーゴを睨む。普段は彼を見上げているのだが、彼を見下ろす構図は珍しかった。

 

 言葉とは裏腹に、グラハムは泣きそうなのを耐えている。口はへの字に歪み、新緑の瞳にじわりと涙がにじんでいた。

 自分が大切にしていた愛機がなくなってしまったのだ、無理もない。落ち込む気持ちはよくわかる。

 

 クーゴの場合は、諦め半分で達観していた。普段からグラハムに振り回されてきたのだ。多少のことなら動じないでいられる。

 ただ、今回はかなり斜めにかっ飛んだ状況に置かれていた。人間、想定外のことに遭遇すると茫然とすることしかできないとは、本当のことらしい。

 刹那はグラハムの肩を叩いた。口数が少ないが、相手を思いやれる優しさを持っている。特に、グラハムに対しては人一倍、慈愛の感情をあらわにしていた。

 

 

「大切な愛機だったんだな。その気持ちはよくわかる」

 

 

 刹那はうんうん頷く。

 そして、重々しく息を吐いた。

 

 

「よく、やられるんだ。突発的な“シャッフル乗せ換え”をな」

 

 

 その単語にグラハムとクーゴは顔を見合わせた。首を傾げた自分たちに、刹那は訥々と説明を始める。

 

 どうやらこれは、指揮官――イデアによって行われる“お遊び企画”のようなものらしい。戦い詰めである自分たちの気分を紛らわせるためには、このような娯楽が必要なのだという。お茶目と笑えばいいのか、悪質だと非難すればいいのかわからない。

 向う側から悲鳴が聞こえた。喧騒はあちこちに広がっていく。他の部隊も似たような被害にあったようだ。自分たちだけじゃなくてよかったと安堵すべきか、なんで自分たちがこんな目にと嘆けばいいのか。

 自分たちの扉が開き、メカニックたちがやって来た。乗せ換え用の機体が用意できたことを伝えに来たようだ。誰も彼もが苦笑を浮かべている。端末に、今回自分たちが乗ることになる機体の名前が表示された。

 

 クーゴの機体名は『ガンダムアストレイ・レッドフレーム』。遺伝子改造を施されていない人間が使用することを意味した赤い機体であるが、元の持ち主がOSに手を加えたり、疑似人格コンピューターによるバックアップを受けていた。刀を使った接近戦を得意とする機体である。

 ただし、空中戦闘は行えないという欠点があった。宇宙空間での戦闘は可能なのに、空は飛べないのだ。世の中にはそんな機体もあるらしい。クーゴは落胆したが、頭を切り替える。アストレイ・レッドフレームでどう戦うか、作戦を練らなければ。

 

 何より、グラハムや他の面々との連携についても考えなければならないだろう。

 

 まずはグラハムの機体がどんなものか、知る必要があるった。端末を操作して確認してみる。

 機体名は『ゴッドガンダム』。名前を聞いた瞬間、何の脈絡もなくぞっとした。恐る恐るグラハムを見れば、目をキラキラ輝かせているではないか。

 

 

「クーゴ、刹那! 我々はガンダムタイプの機体で戦えるようだぞ!」

 

 

 一度、隅々を眺めてみたかったのだと奴は笑う。そもそもゴッドガンダムは、自分たちの世界で運用されていたガンダムとは違うものだ。勿論、太陽炉も搭載されてない。彼が追いかけてやまない“天使”とは似て非なるものだというのに、このはしゃぎ様。余程ガンダムが好きなのか。

 子どものように大喜びするグラハムに、刹那は静かに目を細める。何かを懐かしむような瞳の奥から、深い慈しみと悲しみが滲み出ていた。刹那の過去に何があったかは知らないが、彼女自身が決して語ろうとしないだろう。

 

 

『ジェネレーション・システム起動。ステージを再現します』

 

 

 無機質なシステムアナウンスが響く。戦闘が始まる合図である。

 自分たちはメカニックに挨拶し、戦闘準備に入った。パイロットスーツに着替え、指定された機体へ飛び乗る。

 

 

『皆さん、出撃してください! イデア・クピディターズ、行きます!』

 

 

 指揮官の指示が飛んだ。パイロットたちは頷き、次々に宇宙(そら)へと飛び出していく。

 

 

「ウイングガンダムゼロ。刹那・F・セイエイ、未来を切り開く!」

 

「ゴッドガンダム! グラハム・エーカー、出るぞ!」

 

「ガンダムアストレイ・レッドフレーム。クーゴ・ハガネ、出る!」

 

 

 刹那に続いてグラハムが、グラハムに続いてクーゴが、宇宙へと飛び出した。

 

 

 

*

 

 

 

 

「ゴッド・グラハムフィンガー! ヒート・エンド!!」

 

 

 奴の拳が黄金(こがね)に爆ぜる。敵を倒せと轟き叫ぶ。終いには、元の機体の持ち主に無断で技を改名してしまった。

 まともに一撃を喰らった機体は、耐えきれずに爆発四散。視覚的にも威力的にも、ゴッドフィンガーはオーバーキル過ぎるのだ。

 文字通りの一騎当千である。「もうこいつ1人でいいんじゃないかな」と言いたくなるような光景であった。

 

 これはひどい。とにかくひどい。べらぼうにひどい。

 

 

(始末書どころか裁判沙汰だ)

 

 

 ゴッドガンダムの持ち主から、何か言いたげな視線が突き刺さってくる。彼は現在、シャッフル乗せ換えで『連邦の棺桶(ボール)』と呼ばれる機体に搭乗して、一騎当千の活躍を見せていた。

 持ち主――ドモン・カッシュの場合、始末書や裁判よりもガンダムファイトを所望するのか。いずれにしろ、ロクなことになりゃしない。胃がキリキリと痛むのを感じながら、クーゴはため息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『還る』ために、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に身を寄せることにしてから、早半年が経過しようとしている。テストパイロットの仕事が忙しすぎて、似付けを数える暇もなかった。カレンダーの日付が進んでも、技術開発や任務の進退で響く悲喜こもごもの悲鳴は変わらない。だから、慣れてしまったのだろう。

 ロックオンが弟の身代わりになって重傷を負うというやり取りも、雑務係の女性――ラ・ミラ・ルナが「こんな仕事なんて聞いてない」という悲鳴を残してMSに乗せられ出撃させられるというやり取りも、ネーナがテオドアに既成事実で迫ろうとして失敗するというやり取りも、クーゴの中では『日常』になってしまっていた。

 

 パイロットスーツを着ずに、コックピットに座る。虚憶(きょおく)の中でゼクスやヒイロたちがしていたこのスタイルにも、もう慣れた。

 『ミュウ』の中でも、サイオン能力が高い者や、最強と謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)の能力を持つ者は、生身で宇宙空間を活動できるためだ。

 テストパイロットになる前は、荒ぶる青(タイプ・ブルー)の力の使い方をイデアから習っていた。パイロットとしてのリハビリ中である現在も、それを続けている。

 

 

「クーゴさん。余計なこと考えてますね?」

 

 

 どこか拗ねたような声がした。目を瞬かせれば、鼻先がくっつく寸前程の至近距離にイデアの顔が現れる。声同様、彼女は不満げな面持ちである。髪につけられた桜の簪がきらきらと輝いた。

 

 

「すまない。もうすぐ半年になるなと思って」

 

「……もしかして、焦ってますか?」

 

「なるべく早く『還りたい』というのが本音だな。しかし、姉さんが関わっている以上、万全の態勢でなければ勝ち目はないだろう」

 

 

 心配そうにこちらを見上げたイデアに、クーゴは微笑んで首を振った。彼女の言葉通り、どこか焦りのようなものを感じていたことは確かである。

 しかし、速さに固執して敗北してしまったら意味がない。誰1人欠けることなく、仲間たちと一緒に、青い空の元へと『還る』のだから。

 イデアは目を瞬かせた後、慈しむように目を細めた。どことなく羨望が見え隠れしているように思ったのは、クーゴの気のせいではなさそうだ。

 

 

「私も、微力ながらお手伝いさせてください」

 

「イデアは充分手伝ってくれてるよ。キミにだって、やらなければいけないことがあるだろうに」

 

「私はやりたいことをしているだけです。……それに、私は『帰れない』から」

 

 

 「だから、貴方が『還る』ための手伝いをさせてほしい」と、イデアの双瞼は訴える。

 

 仲間たちから化け物と言われたからだと思うが、イデアはソレスタルビーイングに戻ろうとしない。でも、ソレスタルビーイングの動向は気になって仕方がなさそうだった。

 アプロディアというスーパーコンピュータに『ソレスタルビーイングの動向について』調べてもらっていることは知っている。彼女も本当は、仲間たちの元へ『還りたい』のだろう。

 

 なんとかしてやりたいとは思う。だがしかし、残念ながら、今のクーゴがどうこうできるようなものではなかった。

 

 現在、クーゴはサイオン能力を駆使した宇宙空間探索の特訓をしている。今回は、小惑星に思念を使って干渉するそうだ。

 上手く干渉できるようになれば、思念波を使った攻撃や防御に使えるようになるという。下手したら、他者の精神も操れるそうだ。

 サイオン能力も道具に過ぎない。使い方を間違えれば、大変なことが起こる。それを懸念した人々の疑心暗鬼が何を引き起こしたかは察して余りあった。

 

 

「こんな凄い能力を手にしたら、色々と勘違いしてしまう奴もいるんだろうな。驕り高ぶって、害悪をまき散らすだけの存在になり下がるだろう」

 

「確かにそうですね。S.D体制時のグランドマザーや多くの人類も、『ミュウ』の持つ力を恐れました。特に荒ぶる青(タイプ・ブルー)は、1人で数十の戦艦を墜とす力を持っていますから。グラン・マも現役時代は百数十艦程沈めたって言いますし」

 

「なかなかに強大だな」

 

 

 イデアの言葉に、思わずクーゴは視線を逸らした。クーゴも荒ぶる青(タイプ・ブルー)の1人である。そこまでの力を有しているのなら、MSなんて必要ないだろう。S.D体制を敷いていた地球には、そもそもMSという概念が存在しなかった。

 ベルフトゥーロがこの世界に残ることにしたのは、彼女の考案する人型ロボット――MSのさきがけとなるものが存在していたという点もあったに違いない。1番の理由は、やはり愛おしい相手――イオリア・シュヘンベルクの傍にいたかったからだろうが。

 

 

「クーゴさん」

 

「わかった」

 

 

 イデアがおかんむりになられた。クーゴは苦笑し、小惑星に向き直る。惑星、と言っても、MSより2回り程小さい程度のものだ。周囲には星になれなかったかけらが漂っている。

 呼吸を整え、手をかざす。クーゴを包んでいた青い光が、より一層輝きを増した。小惑星の周辺が青く発光し、ぐらりと傾く。少しづつ、少しづつ、クーゴは力を加えた。

 時計回りに動かしたり、反時計回りに動かしたり、別の小惑星をぶつけてみたり等、小惑星に干渉した。こめかみを汗が伝う。は、と、クーゴは大きく息を吐いた。

 

 どうやら、他のものに干渉する――特に、ものを自分の意のままに動かす――のには、自身を防御したり他者へ攻撃したりするのはかなり力を使うらしい。在るものの在り方を強引に捻じ曲げようとするわけだから、相手も全力で抵抗する。意思の有り無しに関わらず、どんなものであろうとも同じようだ。

 

 そう考えると、何の気なしに小惑星を消し飛ばすイデアやテオドアたちは、相当の手練れであることは明らかだ。戦艦を百数十艦沈めたベルフトゥーロに至っては、文句なしの最強だろう。

 強大な力が使えるとはいえ、『ミュウ』も無敵ではない。『Toward the Terra』の人類軍は、サイオン波に抵抗する訓練をした兵士やサイオン波を無効化して攻撃できる兵器を開発し、実戦投入している。

 

 

「今日はこれくらいにしましょう」

 

「……だな」

 

 

 イデアの申し出に頷き、クーゴは小惑星の干渉をやめた。彼女に促され、自分たちの拠点へ戻るため宇宙(そら)を舞う。

 

 程なくして、大きな白鯨が姿を現した。ここが『悪の組織』の本部である。古の『ミュウ』もまた、この艦とよく似た白い艦だった。『悪の組織』本部の方がはるかに巨大だが。

 MSの発着場に視線を向ければ、怠惰の悪魔の名を冠したガンダムが放り出されるようにして出撃していた。ルナの悲鳴がドップラー効果を残して消えていく。今日も通常運転だ。

 

 

「あ、お帰りなさい!」

 

「午前中のノルマ、達成ですね。お疲れ様です」

 

 

 それと入れ替わりで発着場に降り立ち、母艦内へ足を踏み入れた。クーゴの気配を察したのか、管制室のすぐ脇にあった休憩室から宙継が飛び出してきた。

 彼の後に続いて、テオドアが顔をのぞかせる。休憩室の奥の方で、何やら作業をしているトリニティ兄妹とはらはらしているエイフマンの背中が見えた。

 確か、エイフマンは、「以前約束した紅茶のパウンドケーキを作る」と言っていた。朝の時点では、トリニティ兄妹たちは関与していなかったはずだ。

 

 おそらく、3兄妹はエイフマンの作業に便乗したのだろう。特にネーナは、テオドアを墜とそうと奮闘していた。

 

 ……食べ物に媚薬を盛るとかしてなければいいのだが。

 やったとしても、効果がないというのは予想できている。

 

 

「エイフマン教授が、紅茶のパウンドケーキを作ってくれたんです!」

 

「ソラくんも手伝っていたんですよ。レイフたちのパウンドケーキは完成したんですが、後から加わった教え子たちの方が難航しているようで……」

 

 

 宙継が皿を差し出した。ふんわりと漂うミルクティーの香りが鼻をくすぐる。テオドアが補足を入れながら苦笑したのと同じタイミングで、部屋の奥から爆発音が響いた。

 

 「ぎゃあああああああああああああ!」と、キッチンにいた4人が悲鳴を上げた。オーブンが火を噴いている。もうもうと黒煙が溢れ、辺り一面、墨の臭いが充満する。

 宙継が、慌てた様子でキッチンへ駈け込んだ。間髪入れず、換気扇を回す。程なくして、墨の臭いは消えうせた。げほげほと4人が急き込んでいた。

 

 

「大丈夫ですか!?」

 

「あ、ああ。なんとか……」

 

 

 エイフマンはクーゴにそう返して、ちらりとトリニティ兄妹――厳密に言えば、ネーナ――へ視線を向けた。

 オーブンの中にある消し炭を見て嘆きを叫んだ彼女の隣で、兄2人がオロオロと右往左往している。

 

 

「どうして!? なんでレシピ通り作ってるのに、あたしがやると大爆発するのよォォォ!!? 惚れ薬以外何も入れてないのにィィィィィ!!」

 

「ね、ネーナおねえさん、落ち着いてください! 今回がダメだっただけで、次は大丈夫ですよっ」

 

「そうだぜネーナ! 俺たちも手伝うから! なっ? なっ!」

 

「ああ! 失敗は恥ずべきことではない! 成功のための糧になるからな!!」

 

 

 だから自信を失わないで、と、宙継、ヨハン、ミハエルが必死になって励ましていた。何やら危険な単語が出てきたように思ったけど、気のせいと言うことにしておく。

 エイフマンは額に手を当ててため息をつき、テオドアは苦笑しながら4人の元へ歩み寄った。ぐずるネーナに肩を叩き、何やら会話を始める。途端に、ネーナは目を輝かせて頷いた。

 会話の内容は不明だが、どうやらネーナは立ち直れたようだ。ヨハンとミハエルも安心したように表情を緩ませる。仲の良い兄弟とは羨ましい。クーゴには得られないものだった。

 

 とりあえず、クーゴは椅子に座った。ネーナとトリニティ兄たちはもう1度パウンドケーキに挑戦するつもりらしい。

 

 宙継も手伝おうとしたが、ネーナは首を横に振った。「ソラはおじさまと一緒にケーキを食べるんでしょう? あたしは大丈夫だから」と言い、宙継の背をぽんと叩いた。

 おいでおいでと、エイフマンが宙継を手招きする。少年はぱちくりと目を瞬かせた後、クーゴを伺うように視線を向ける。クーゴはふっと笑みを浮かべた。

 

 

「それじゃあ、一緒に食べようか」

 

「! はいっ!!」

 

 

 宙継は目を輝かせ、パウンドケーキが乗った皿を手渡す。クーゴはそれを受け取り、椅子に座った。宙継も、いそいそと椅子に座る。エイフマンも目を細め、パウンドケーキを切り分けて皿に乗せた。宙継の分だろう。

 「まだたくさんあるから」と、エイフマンはイデアに皿を手渡した。イデアも口元をほころばせて、嬉しそうに椅子に座った。テオドアも椅子に座り、奮闘する教え子たちの背中を見守る。今日もまた、いつもの日常が過ぎていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これで、最後」

 

 

 指定された標的を、ガーベラストレートで一刀両断する。惚れ惚れとするくらい、素晴らしい切れ味だ。

 視界の端に表示された時間が止まる。目標時間内に、すべての標的を破壊し終えた。これでノルマは達成である。

 

 

『おお! 良い数値が出ましたね! 出力も安定しているようですし、これなら……!』

 

『ふむ。これで、ESP-Psyonドライヴの調整は完了じゃな。よかったのう、おにーさん。徹夜デスマーチから解放されて』

 

『……あれ? そういえば今日は地球歴で何日でしたっけ?』

 

『お、おにーさん……』

 

 

 通信越しから聞こえてきたテオドアとエイフマンの会話に、クーゴは思わず遠い目をした。“クーゴの全面バックアップ”というベルフトゥーロの方針が原因で、テオドアを筆頭とした技術班が駆り出されていたためである。

 彼女たちは、同族に対して甘い傾向があるらしい。特にベルフトゥーロは、S.D体制――“人類は敵、味方は同胞のみ”という極限状態を生き抜いてきた、最古参の『ミュウ』なのだ。いくら後世になって人類と手を取れるようになったとはいえ、思うところがあるのだろう。

 テオドアもそれを了承して、地球歴がわからなくなる程の徹夜デスマーチをやってのけた。後で差し入れを持っていこう。彼には味覚がないけれど、彼が味覚を借りる相手は結構なグルメらしい。おいしいものや珍しいものが好きだという話を聞いた。

 

 見た目にもこだわるという話を小耳に挟んだので、和菓子で勝負してみようかと思っている。

 

 

『ガンダムアストレイ・レッドフレーム、帰還してください』

 

「了解」

 

 

 テオドアたちとの会話をそこそこに、クーゴは操縦桿を動かした。クーゴ用のESP-Psyonドライヴを調整するために持ち寄られたのが、ガンダムアストレイ・レッドフレームと呼ばれる機体だった。

 クーゴは以前、虚憶(きょおく)でこの機体に搭乗したことがある。ジェネレーションシステムの異変を解決するための戦いの最中のことだ。イデアが思いついた突発的なシャッフル乗せ換えが原因である。

 

 正直、アストレイ・レッドフレームの性能は、グラハムがやらかしたことの方が印象が強すぎて覚えていない。ドモン・カッシュの愛機の必殺技を無断で改名していた奴だ。

 終いにはヒート・エンドまできっちり言いきった。パクリというよりは、「本歌取りして魔改造した結果、本家以上のインパクトを持つシロモノになった」ようなノリである。

 あの後、グラハムに技を奪われたドモンはどうしたのだろうか。思い出そうとしたが、凄まじい頭痛に襲われてしまう。思い出してはいけないと警告するかのようだった。

 

 程なくして、大きな白鯨が姿を現した。MSの発着場へ降り立ち、機体を格納庫へ収納する。ハッチを開いて機体から降りれば、そこには技術者たちが待ち受けていた。

 

 テオドアが指示を飛ばし、それに合わせて技術者たちが慌ただしく作業を始めた。徹夜デスマーチから解放されたという喜びが、テンションを高くする理由なのかもしれない。

 あまりの熱気に耐えられなくなって、クーゴはそそくさと格納庫から撤退した。廊下を通り抜け、中庭へ向かう。以前は地図を頼りにしなければ迷子になっていたのだから、慣れたものだ。

 

 中庭へ足を踏み入れれば、遊具で遊んでいた宙継と子どもたちがこちらを振り向いた。

 金髪碧眼の少年――ジョミーと、黒髪に青い瞳の少年――キースだ。2人とも、宙継と同年代の子どもたちである。

 『Toward the Terra』の主人公にして、両陣営の指導者と瓜二つであること以外は、どこにでもいる普通の子どもだ。

 

 

「クーゴさん!」

 

「グラン・マ! クーゴさんが来たよ!」

 

 

 クーゴの存在に反応した宙継に続いて、ジョミーがベルフトゥーロに声をかけた。彼女は花が咲くように破顔すると、大きく手を振った。

 

 

「よっ、若造! 今日も来てくれたのかー」

 

「約束ですからね」

 

「誠実な人は好きよ。関心関心」

 

 

 ベルフトゥーロはうんうん頷いた。彼女に促され、クーゴは椅子に腰かける。ベルフトゥーロとの談笑もまた、クーゴにとっての日常であった。端末越しか、直接本人と顔を合わせるかの差異はあったが、どちらだろうとあまり変わらない。

 視界の端にいた宙継たちは、何かを確認するかのように顔を見合わせ、人差し指を口に当てた。そして、そそくさと遊具から離れ、1番端のベンチスペースに腰かける。クーゴとベルフトゥーロの邪魔にならないよう、遊びを変えることにしたようだ。

 

 なんともいじらしい子どもたちである。見ているだけで微笑ましい。

 視線を感じて向き直れば、慈しむように目を細めたベルフトゥーロがいた。

 彼女もクーゴと同じような心境だったようだ。ふ、と、クーゴは小さく噴き出した。

 

 

「そういえば、キミ専用のESP-Psyonドライヴ、調整が終わったんだってね」

 

 

 談笑の皮切りと言うかのように、ベルフトゥーロが話題を提供してくれた。クーゴは頷く。すると、ベルフトゥーロは子どものようにはしゃいだ様子で問いかけてきた。

 

 

「ね、どうかな?」

 

「何がですか?」

 

「フラッグよりも、はや」

 

「言いませんよ!? 俺はフラッグ一筋なので」

 

「……つれないねェ」

 

 

 「今日こそ言ってもらえると思ったんだけどなー」と、ベルフトゥーロは苦笑しながら肩をすくめる。クーゴ専用のドライヴを調整するための機体――ガンダムアストレイ・レッドフレームに登場することになって以来、彼女はずっとそんな話ばかり振ってくるのだ。

 確かに、フラッグとガンダムの性能差は明らかだった。疑似太陽炉が普及してからは、ジンクスおよびアヘッド系列の機体が主流となっており、フラッグの系譜は絶たれてしまったと言っていい。どうしようもないことは、クーゴとて認めている。

 それでも、クーゴにとっては、フラッグは思い入れのある機体だった。クーゴが空を目指した理由の1つであり、クーゴと友人たちを繋ぐ絆そのものでもある。フラッグを捨てるということは、自分が憧れたものや積み上げてきたすべてを捨てるということを意味しているのだ。

 

 ガンダムに対して強い思い入れのあるベルフトゥーロも、そういう意味ではクーゴのご同輩であった。彼女にとってガンダムは、イオリアと育んだ愛そのものを指している。

 ソレスタルビーイングにあるガンダムたちも、『悪の組織』が所有するガンダムたちも、ベルフトゥーロとイオリアの愛の結晶――子どもたちなのだ。

 

 フラッグという単語から何か思い出したようで、ベルフトゥーロがぽんと手を叩いた。

 

 

「キミ用の新型機、ラストスパートに入ったから。エイフマンが張り切ってたよ。テオドアにも頑張ってもらわなきゃ」

 

「テオドアはやっと徹夜デスマーチから解放されたばかりなんです。休ませてやってください」

 

 

 無茶ぶりにゴーサインを出そうとするベルフトゥーロを諌める。彼女は目をぱちくりさせた後、苦笑した。もう少し我儘になっていいのに、と、彼女は呟く。

 クーゴからしてみれば、自分は充分すぎるほど我儘を言っているのだ。自分のために頑張ってくれている人たちに気を使うのは当然である。

 

 

「キミのために無茶をしてくれる人間がいるってことは、とても幸せなことなんだよ。若造はその人の想いを大切にしてほしいねぇ。……キミ自身も、誰かのために無茶をするタイプだろうに」

 

「……肝に銘じておきます」

 

 

 なんて屁理屈だ、という言葉を飲み干した。

 

 おそらく、ベルフトゥーロはクーゴの気持ちを察しているだろう。年の功と荒ぶる青(タイプ・ブルー)は伊達ではない。何を言われても論破するくらいの貫禄がある。

 彼女が傍若無人な面を惜しげもなく見せるのは、相手を心から信用し、信頼しているためだ。その人物ならやってくれるだろうと確信しているためだ。

 そしてその分、自身もまた無茶を惜しまない。相手を信じているからこそ、自分も相手に応えようとする。全身全霊、そして己の持ちうるものすべてを使ってだ。

 

 今は遠いユニオンの空が脳裏に浮かんだ。グラハムは今、ミスター・ブシドーとして、どこかの戦場に立っているのだろうか。姉によって鳥籠に閉じ込められ、羽をもがれた鳥のように、身動きできずにいるのだろうか。

 彼から無茶なことを要求されたことは何度もあった。戦場でも、日常でも、刹那とのアレコレでも、無茶を要求されなかったことなんてなかったと思う。むしろグラハムは、期待されたら全力でそれに答える代わりに、相手にも同等あるいはそれ以上の無茶を(本人は意識せずに)求めるようなタイプだった。

 

 グラハムを厄介者呼ばわりし疎む相手がいた一方、グラハムの味方になり、彼の無茶ぶりに応えようとした人間がいたのも事実だ。かくいうクーゴも後者に当たる。それ程の人間的魅力が、彼にはあった。

 

 

「貴女と話していると、友人のことを思い出します。無茶ばっかりやらかすし、そのせいでしょっちゅう迷惑を被るけど、どうしてだか放っておけない……あいつはそんな奴です」

 

「そうか。大切な友達なんだね」

 

 

 ベルフトゥーロは静かに目を細めた。まるで、クーゴの姿に誰かを重ねて見ているかのようだ。

 しかしそれも一瞬のこと。彼女はすぐに朗らかな表情を浮かべ、新しい話題を切り出した。

 

 

「日本が新しく人工衛星打ち上げるらしいね。何号機かは忘れちゃったけど、名前は覚えてるよ。『はやぶさ』だったかな? キミが好きな人工衛星の名前も、『はやぶさ』だったよね」

 

「あ、はい」

 

 

 いきなり、どうしてそんな話題が出てくるのだろう。クーゴは思わず首を傾げ、ベルフトゥーロはますます笑みを深くした。

 

 

「『還る』ための旅路。使命を果たし、『はやぶさ』は『還ってきた』。まるで、キミが向かう旅路のようだよ」

 

 

 ベルフトゥーロの言葉はどこか重々しかった。彼女もまた、青い星(テラ)へ『還る』ための旅路を征った流浪の民。故に、旅路の辛さを知っている。

 『還る』という言葉の意味や重さも、ベルフトゥーロは知っているのだ。それこそが、彼女の人生だったから。だから、『還る』という言葉に反応する。

 クーゴの願い――仲間たちと共に、大切な場所へ『還りたい』――を叶えるために、全力でサポートしてくれる。嘗ての自分や同胞たちを支え、励まそうとするかのように。

 

 相槌を打ち、クーゴは宇宙(そら)を見上げた。遠くに、青く輝く地球が見える。この星に、クーゴが帰りたいと願う蒼穹(そら)があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイフマンから呼び出されたのは、専用ドライヴの調整が終わってから1週間後のことだった。

 

 格納庫の2階にある休憩室には、完全燃焼したと思しきテオドアが死んだように眠っている。彼の背中には毛布が掛けられており、目元には凄まじいクマがあった。他にも、多くの技術者がグロッキー状態になっている。

 休憩室の中を観察するのをやめて、クーゴはエイフマンに続いた。閉まっていた扉が開く。逆光のせいか、扉の先にある機影がよく見えない。しばし目を凝らして、ようやくその全体像を見ることができた。機体の面影を、クーゴは知っている。

 

 

「『悪の組織』は、技術者にとって天国であり、楽園であり、己を磨くのにふさわしい環境が整っている場所だと思う。そのおかげで、大破したキミのフラッグをベースにし、思う存分改修することができた」

 

 

 エイフマンはそう言って、ゆっくりと振り返った。

 

 

「これは……!?」

 

「フラッグの系譜に『悪の組織』の技術を合わせた物じゃ。『ミュウ』由来の技術の結晶を組み込んだからな。事実上の、『キミのためだけにチューンされた機体』となる」

 

 

 彼の言葉は、クーゴの予想を肯定した。

 クーゴの機体は、フラッグの系譜を継ぐ機体。

 

 

「俺のためだけに作られた、フラッグの後継機……」

 

 

 これが、クーゴの翼。仲間たちと共に、青い空の元へ『還る』ための力。

 

 国連軍との戦いで大破した相棒が、新たな力と姿を手に入れて生まれ変わった機体なのだ。

 もう一度、相棒と一緒に空を飛べる――その事実が、じわじわとクーゴの心に沁みていく。

 口元が歓喜に震えたクーゴとは対照的に、エイフマンは困ったように苦笑した。

 

 

「そう。ただな、機体は完成したのだが、まだ完全ではないのだよ」

 

「どういうことですか?」

 

「――機体の名前が、まだ決まっておらんのだ。キミに、名付けてもらおうと思っていたからな」

 

 

 エイフマンは静かに微笑み、じっとクーゴを見返す。クーゴの言葉を待っているかの様子だった。

 

 名づけなんてやったためしがない。ネーミングセンスも皆無である。いきなりの難題に、クーゴは思わず生唾を飲み干した。これから苦楽を共にする戦友に、変な名前をつけることはできない。

 この翼は、『還る』ためのものだ。嘗て、クーゴが空を目指すきっかけになったフラッグの系譜を引き継ぐものだ。この御旗を目印に、クーゴは仲間たちの待つ空へとたどり着いた。そうして今、そこへ向かって『還ろう』としている。仲間たちと一緒に、空の元へと。

 

 脳裏に浮かんだのは、幼い頃に夢見た宇宙(そら)。長い長い旅路を追えて、地球へと帰還した人工衛星の名前だった。

 『還る』ための旅路を征く機体の名前は、『還るべき場所』へとたどり着いて見せた伝説の人工衛星にあやかろうと思ったのだ。

 無茶苦茶な願掛けだとはわかっている。確認するように相棒を見れば、その名前がいいと言わんばかりにカメラアイが輝いた。

 

 クーゴはふっと表情を緩め、エイフマンへと向き直る。新しい相棒に魂をふき込むため、その名を口にした。

 

 

「――“はやぶさ”」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ユニオンよ、俺は『還って』来た!!」

 

 

「……ダメだ、ものすごくこっ恥ずかしい……! いくら約束とはいえ、この台詞言うのに何の意味があるんだ……!?」

 

 

 

 

 本格的な初陣で、開口1番にこんなセリフを言わされる羽目になることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とくと見るがいい! いきり立て! 私の――」

 

 

『グラハム、知ってるか? 益荒男には、その、……公の場では口に出すことを憚られるような、えっと、……アレな意味があってだなぁ……』

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………とくと見るがいい! 盟友が作りし、我がマスラオの奥義を!!」

 

「おいちょっと待て。何だこの異常な間は!? いや、そもそも何故言い直した!?」

 

「そこは突っ込んではいけない! それ以上突っ込まれたら、その……私が破廉恥なことになってしまう!!」

 

「待ってくれ! あんたは一体何を思い至ったんだ!!?」

 

「ナニ!? ナニって、キミ……っ、キミも相当破廉恥だな少女!!?」

 

「おい待て! 字面がおかしいぞ!? あんた本当にどうしたんだ!? 大丈夫なのか!?」

 

 

「えっ? 何? 何が起きてるんだこれ?」

 

 

 

 

 

 

 御旗の元から分かたれた機体と対峙することを。

 

 

 

 

 

 

 

「人工衛星のはやぶさは、自分が燃え尽きても、ちゃんと役目を果たしてくれたそうだ」

 

 

「……ありがとう。俺を、俺たちを、ここまで送り届けてくれて」

 

 

 

 

 『還る』ための翼は、己の役目を果たすことを。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。

 



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幕間.ミスター・ブシドーの祈り

 

『まるで、片思いの純情少年だな』

 

 

 パトリック・コーラサワー――仕事中は旧姓を使っている。本名はパトリック・マネキン――が言っていた言葉が、脳裏によぎる。

 

 思い返せば、グラハム・エーカーはずっと、『彼女』を追い続けていた。最初はずっと、一方的に『彼女』への愛を叫んでいた。

 しかしながら、今の自分にはもう、その資格はない。……『彼女』の瞳を見つめる勇気も、『彼女』に下げる面もなかった。

 それでも、『彼女』の力になりたかった。その想いに突き動かされるような形で、グラハムは時獄事変と今回の戦いに参戦している。

 

 ふと、グラハムは足を止めた。ブリーフィングルームの中は活気に満ちていた。

 Z-B■■■の仲間たちが楽しそうに談笑している。その中には、『彼女』の姿があった。

 

 

「あ……」

 

 

 振り絞ろうとしたなけなしの勇気は、一瞬で拡散した。『彼女』の隣には、『彼女』の親友である少年――ヒイロ・ユイの姿があったためだ。

 破界事変と再世戦争を経た『彼女』とヒイロは、深い絆で結ばれている。2人の姿は、グラハムにとって、あまり見ていたくない光景だった。

 

 伸ばしかけた手を下し、グラハムは逃げるようにして背を向けた。どこかへ行く当てもない。あるのは、「ここにいてはいけない」という予感だけだった。

 

 

(……何をしているんだ、私は)

 

 

 壁に背を預けて、グラハムは深々と息を吐いた。込み上げてくるものを押し殺そうと、左手で目を覆った。女々しいにも程があるだろう。

 再世戦争が終わり、深い闇から這い出ることができた――否、『彼女』や親友たちに救われた後も、グラハムに纏わりつく影は消えない。

 たとえそれが己の意志でなくとも、『彼女』と敵対する相手に魂を売った。奪われたものが魂だけなら、まだマシだったであろう。

 

 本意でなくても“『彼女』を裏切った”という事実は、グラハムの中に傷を残している。胸を張って『彼女』と向き合えないのも、その傷が起因していた。

 『彼女』を裏切った己自身を、未だにグラハムは赦せずにいる。同時に、『彼女』も、愚かにならざるを得なかったグラハムを赦してくれるとは思えない。

 

 更なる無様を晒しかける己を支えたのは、『彼女』を想い続けることだった。傀儡と成り果てた再世戦争でも、その想いがあったから、前を向くことができたのだ。ここに『還って』くることができた。

 

 もう向けることすら赦されぬ想いを抱えるように、グラハムは俯く。本来ならば、想い続けることすら罪深いことなのかもしれない。

 何もかもが許されなくなったとしても、それだけは奪われたくなかった。やっと手にした答えを手放すつもりは毛頭ない。

 

 ――それさえあれば、きっと、グラハムは生きていける。

 

 

「グラハム・エーカー」

 

 

 かつ、と、足音が響いた。感じた気配に顔を上げれば、『彼女』が佇んでいる。グラハムは大きく目を見開いた。舌が張り付いてしまったかのように動かなくなる。酸欠の金魚のように、はく、と、小さな息が漏れた。

 足が動かない。ここにいるべきではないとわかっているのに、ここから離れたくないと望む自分がいた。心臓が早鐘を鳴らす。彷徨うように伸びた手は、『彼女』に届かない位置で動きを止めた。中途半端である。まるで、今のグラハム自身のようだ。

 

 

「グラハム」

 

 

 『彼女』の声が静かに響く。グラハムは、顔を上げることができなかった。

 

 

「……グラハム」

 

 

 『彼女』の声が、かすかに震えた。グラハムは恐る恐る顔を上げる。

 声の通り、『彼女』は静かな面持ちでこちらを見上げていた。

 哀しげ/愛おしげな眼差しが、こちらに向けられている。

 

 侮蔑の視線を向けられる覚悟は固めていたけれど、哀しげ/愛おしげな眼差しを向けられるとは思っていなかった。どうすればいいのかわからなくて、グラハムは狼狽する。

 『彼女』は表情を緩ませた。本当に些細な変化だけれど、『彼女』をずっと見つめ続けたグラハムには、それが『彼女』の笑顔だとわかっていた。笑いかけてくれたのだ。

 

 

「□□……」

 

 

 情けない声が零れた。どこまでも弱々しい声だった。

 

 そんな表情(かお)をされてしまうと、錯覚しそうになる。『彼女』に赦されているのだと勘違いして、手を伸ばしてしまいそうだ。

 抱きしめて、想いの丈をぶちまけてしまうかもしれない。あの頃のように『彼女』を傷つけてしまうような気がして、グラハムは俯く。

 

 

「……その、私は――」

 

「クーゴ・ハガネから聞いた。あんたが■-B■■■に合流したのは、俺のためだと」

 

「!!」

 

 

 グラハムは思わず目を剥いた。親友は余計なことを言いふらしてくれたらしい。後で嫌味の1つでもぶつけてやらねばなるまい。

 いや、それよりも。「『彼女』の力になりたかった」という、おおよそ言葉にできないことを、聞かれたくなかった相手に聞かれてしまった。

 ちっぽけで安っぽくてしょうもないけれど、グラハムにだってプライドがある。格好良くしていたいというのも、大人としての矜持であった。

 

 聞かれてしまったとなればしょうがない。グラハムは観念したように苦笑した。その笑みには、自嘲の意味がこめられている。

 

 対して、『彼女』は慈しむような眼差しをこちらに向けてきた。

 胸が、痛い。心臓が悲鳴を上げた。『彼女』が微笑む。

 

 

「ありがとう、グラハム。……あんたが来てくれて、よかった」

 

 

 その表情(かお)はまるで、聖母のようだった。どこまでも大きく深い愛を世界に注ぐ女性。グラハム・エーカーの“運命の人”。

 赦すとか赦さないとかの問題ではない。『彼女』は最初から、グラハムを拒絶してなどいなかった。その事実が、グラハムの胸にじわじわと沁みてくる。

 

 自分が馬鹿馬鹿しい程遠回りしていることに気づいてしまい、ますます「どの面下げて」『彼女』を見返せばいいのかわからない。思い込むと損をするとは理解していたが、ここまでくるとは思わなかった。

 

 

「やっと笑ったな」

 

 

 そっちの方があんたらしい、と、『彼女』は安心したように微笑んだ。

 しかし、少し悲しそうに苦笑して目を伏せる。

 

 

「あんたが辛そうな顔をしていたのに、俺は何もできなかった。……すまない」

 

 

 その言葉に、グラハムははっと息を飲む。

 

 『彼女』を傷つけるだけの存在になってしまったと思い知るのが怖かった。『彼女』に拒絶されるのが怖かった。

 耳をふさぎ、視線を逸らし、背を向けた。それが、『彼女』を傷つけることだったと言うのに。

 グラハムは深々と息を吐いた。やはり自分は、人間としてまだまだ未熟者のようだ。

 

 

「□□」

 

 

 躊躇う己を叱咤して、グラハムは言葉を紡ぐ。

 

 

「どうした?」

 

「この場で言うには相応しくない言葉であるのは重々承知している。だが、あえて言わせてもらおう」

 

 

 グラハムはまっすぐ、『彼女』の眼差しを見返した。いつか見た、優しい双瞼。愛おしい、女性(ひと)

 

 

「今ここで、キミを抱きしめても構わないだろうか?」

 

「――――」

 

 

 『彼女』は目を瞬かせた。ひくり、と、眉が引きつる。コイツは何を言っているんだ、と言いたげな眼差しが突き刺さった。そんなことは重々承知である。でも、いや、……やはり。嫌な汗が吹き出し、こめかみを伝って落ちた。どくどくと心臓が騒ぎ始める。

 幾何の間をおいた後、『彼女』は深々とため息をついた。しょうがない、と言いたげに苦笑した後、『彼女』は静かに歩み寄る。グラハムとの距離はすぐに0になった。グラハムも一歩踏み出し、『彼女』を抱きしめる。

 『彼女』の温もりを腕に抱いたのはいつぶりだろう。華奢な体を痛いほどに抱きしめながら、グラハムは『彼女』にすり寄る。『彼女』も、躊躇うことなく身を任せてくれた。――それだけで、充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都合がいい虚憶(きょおく)を『視た』。残酷なまでに、幸せな光景だった。今の自分が『視る』には、あまりにも不釣り合いな光景だった。

 体を這いずり回るような悪夢はまだ終わっていない。いや、そもそも、終わりが見えなかった。その事実を、現実を拒むように、男は瞳を閉じた。

 

 

「現実逃避なんて、いいご身分ね」

 

 

 私の玩具(オニンギョウ)、と、女の笑う声がした。女は楽しんでいるのだ。地獄の底でもがく男の姿を。

 

 せめてもの抵抗にと悲鳴を押し殺す。頭を振って、与えられる地獄を振り払おうとした。くぐもった呻き声が漏れる。何かが頬を伝って流れ落ちた。――どうやら、自分は泣いているらしい。涙を流す資格など、男には存在していないのに。

 流してしまった涙の意味を、知っている。瞼の裏に浮かんだのは、男が心から愛した女性(ひと)の姿だった。赤銅色の瞳は、まるで汚いものを見るかのようにこちらを見つめている。口が、動いた。男の記憶が、そこから言葉と声を再現する。

 

 ――「裏切り者」。

 

 ――「汚らわしい」。

 

 

(――――っ)

 

 

 男には、反論する術などなかった。謝る術もなかった。その罵倒を甘んじて受ける。

 大切なものを守りたかった。そのためなら、魂すら売っても惜しくなかった。魂では足りなくて、それを補うために傀儡になった。

 だが、女にしてみれば、男を傀儡にするだけでは足りなかったらしい。女は男を侍らせた。男に不貞を強要した。

 

 奪われたのは、それだけではない。大切な記憶が奪われていく。

 

 仲間たちと積み重ねた日々、愛する少女と過ごした時間――そして、彼女が教えてくれた名前。

 以前は少女が教えてくれた名前の意味は思い出せたのだが、今はもう、意味(それ)すら思い出せなくなった。

 

 

『止めてくれ。俺は、あんたにそうされる資格はない』

 

 

 自身に罰を科すように、目を閉じた少女の姿を覚えている。ただひたすら己の咎を責め続ける少女の姿は、あまりにも痛々しかった。悲鳴を上げる心を抑え込めて、ただ静かに泣いていた少女の姿を、男は覚えていた。

 

 

『やはり俺には、赦されるはずがなかったんだ。ありきたりの幸せなんて』

 

 

 彼女は自分の思いの丈をぶつけることよりも、男を傷つけないことを優先していた。

 ボロボロになりながらも尚、手放したくないと願い続けて、ひっそりと抱ええこんでいた想いを知っている。

 己を破滅に導くと知っても尚、失いたくないと祈り続けていた想いを知っている。

 

 

『結局この手は、何かを壊すことしかできない。……あんたを幸せにすることなんて、できるはずがなかった』

 

 

 信じる対象(もの)も祈る対象(もの)もないと言う少女が、文字通り『勇気を出して』、信じて祈ったもの。

 それは、少女に対して惜しみなく好意を手渡す男の心だった。愛していると、好きだと、真正面からぶつかってきた男の心だった。

 

 幸せになる資格がないと悩みながらも、それでも、自分に惜しみなく愛を手渡す相手を幸せにしたいと願った少女の心を――男はまだ、覚えてる。

 

 

『夜明けまで、まだ時間はある』

 

『言ったはずだ。……『夜明けまで、まだ時間はある』』

 

 

 すべてが終わる前に、最後に過ごした夜があった。自分らしくない弱音を吐いた。愚かなことだとわかっていて、祈らずにはいられなかった。

 馬鹿な男の戯言だった。でも、少女は目を逸らすことなく頷いた。この先に待ち受ける運命が悲しみに満ちていることを知っていて、手を取ることを選んでくれた。

 

 

『……俺にとっても、あんたは……運命だった』

 

『でも、不思議だ。……あんたが言うと、希望が見える』

 

『俺のような人間でも、あんたの言う“明日”を手にすることができるのではないか、と』

 

 

 男の言葉が少女に希望を与えたという事実は、どうしようもなく心が震えた。

 今から殺し合いが始まるというのに、場違いな高揚感に満ち溢れていたことを覚えている。

 本当の意味で、やっと対等になれたような気がしたのだ。やっと好敵手になれたような気がした。

 

 

『この世界に、神などいない』

 

『……この世界には、あんたがいた』

 

『だから、何も恐れていないし、悲しんでもいない。……大丈夫だ。俺は、あんたの心を信じている』

 

 

 神なんていないと言った少女が、涙をこぼして嘆きを叫んでいた姿を知っている。そんな少女が、微笑みながら言った言葉を覚えていた。男を信じていると言ってくれた。

 その言葉が、その行動が、その微笑が、男にどれ程の幸福と希望を与えたのか――少女は知らない。

 

 

『生きることをやめてしまったら、明日を掴むことなんてできないだろう』

 

『……だから、俺は生きる。お前も、生きろ。――生きてくれ、グラハム・エーカー』

 

 

 彼女のおかげで、男は明日を信じることができた。……今、だって、そうだ。

 男はずっと、少女の居るであろう場所を見上げている。彼女の行く末を見つめている。

 自分の望む明日は来ない。彼女と共に生きる明日は来ない。そんなことはわかっていた。

 

 男が信じている明日は――信じることが赦された明日は――信じたいと願う明日は、ただひとつ。自分が愛した女性が生きる明日だ。彼女が掴む未来だ。

 

 

(私は、キミに多くのものを貰った。……本当に、幸せだったよ)

 

 

 せめて、願わくば、それを少女に伝えられる日が来ればいいのだが。

 現状では、男のささやかな願いも、叶いそうになかった。

 

 

「……反応がないわ。面白くない」

 

 

 不意に、女の声がした。男の思考回路を遮るかのように、女はわざとらしく男の視界に入ってきた。医者が患者の意識を確認するかのように、ひらひらと手を振る。

 この声に反応しないとロクなことにならない。しかし、不快な怠惰感に浸かってしまった身体は、もはやまともな反応を返すことは困難であった。

 女はべたべたと身体を触る。その手が、男の傷に触れた。刹那、男はほぼ反射的に女の手を振り払う。残された力をすべて注ぎ込むような勢いで、女を睨みつけた。

 

 女に触れられるのは苦痛だった。特に、男の顔と身体に残る傷に触れられることが一番辛い。

 男と少女が悩みながら出した答えを、そこに至るまでの過程を、共に過ごしてきた軌跡を汚されている。

 

 

「あら、意識あったのね」

 

「……傷に、触るな……!」

 

「嫌よ嫌よも好きのうち、でしょう」

 

「自惚れるのも、いい加減にしろ……! お断りだ……っ」

 

「貴方は彼女を裏切っているのに?」

 

「――!!」

 

 

 男の反応を見た女は、楽しそうに笑った。悪魔を彷彿とさせるような、妖艶な笑み。あるいは、獲物を捕食する蜘蛛だ。

 

 「こんな貴方を見た彼女は、貴方をどんな目で見るかしらね?」――ああ、まただ。脳裏に、男を蔑むような眼差しを向ける少女の姿が浮かんでは消える。当たり前のことなのに、ひどく心が痛む。

 溢れそうになった悲鳴を押し殺そうとしたが、無理だった。上ずった呻き声と一緒に、また涙が頬を伝う。女がくつくつ嗤う声が聞こえた。ああ、なんて無様なのだろう。今の自分の状態は、籠の鳥という言葉そのものだ。

 

 自分が生き恥をさらすのはいい。それくらいなら、いくら晒しても平気だ。耐えてみせる。

 この傷を、少女の想いを、自分たちが選んだ答えを、否定されて踏みにじられるのは我慢ならない。

 しかし、ここで反抗すれば、人質に取られたものすべてに害が及ぶ。この女は、平然とやりかねない。

 

 いくら男が我慢弱い性格であったとしても、優先順位くらいは心得ている。でなければ、軍人なんて務まらないのだ。

 

 

(――すまない)

 

 

 もはや意味のない謝罪を、心の中で繰り返す。相変わらず、記憶の中の少女は冷たい眼差しで男を見下ろしていた。目の前の女は愉悦に満ちた笑みを浮かべている。

 夢の中は、あまりにも幸せすぎて悪夢のようだった。現実は、ただひたすらに陰惨だった。望まぬ高ぶりが近づいてくる。逃れようと首を振ったが、無駄な行為だった。

 

 悲鳴を飲み込む。ぷつん、と、何かが切れたような感覚に見舞われた。

 

 荒い呼吸が響いた。女の気配が離れる。

 終わったのだ、と、男の頭は漠然と理解した。

 そうしてやっと、意識が落ちる。

 

 夢は、見なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煌びやかなパーティの中、ミスター・ブシドーは、女の脇に侍るように控えていた。

 

 嘗てフラッグファイターと呼ばれていた頃から、こういう場所はあまり好きではない。仕事でなら何度か顔を出したが、自ら積極的にこんな場所へ赴こうとはしない方だった。

 ブシドーの真横にいるのは、黒地に黄金の蝶が描かれた着物を身に纏う東洋人女性――アロウズの最大出資者および支援者、刃金(はがね) 蒼海(あおみ)だ。

 蒼海は各方面の財界人に挨拶して回っている。朗らかに応対しているように見えるが、ブシドーには、彼女の笑顔は上っ面だけを取り繕った作り物のように思えてならない。

 

 

「おねえさま!」

 

 

 不意に、向う側から声が聞こえた。女性の声だ。

 蒼海は顔を上げ、声の主へ向き直る。

 

 

留美(リューミン)!」

 

 

 貼り付けられたような笑みが、本当の笑みに変わった。心の底から、女性の来訪を喜んでいる様子だ。

 

 女性は(ワン) 留美(リューミン)。有名な資産家である(ワン)家の当主であり、蒼海とは懇意にしている間柄だった。彼女もまた、使用人である紅龍(ホンロン)を侍らせている。あちらが望んで侍っているのに対して、ブシドーは強制的に侍らせられているのだ。奇妙な対比である。

 彼女らは年相応――いいや、どこか歪な子どもっぽさを強調するような笑みを浮かべ、会話に花を咲かせる。抑圧され続けた子どもがようやく年相応に振る舞うことを赦されたかのような印象が頭から離れなかった。紅龍(ホンロン)はそんな主を咎めることも嗜めることもせず、静かに見守っている。

 蒼海と留美(リューミン)は楽しそうに盛り上がっている。今はもう失ってしまった時間が脳裏を翔けた気がして、ブシドーは目を逸らした。親友たちや大切な人と語り合った時間が少しづつ薄れて消えつつある自分にとっては、どことなく羨ましい光景であった。もう、ブシドーには縁のない光景なのかもしれない。

 

 少し離れた場所では、蒼海の息子たちである海月(かづき)厚陽(あつはる)星輝(せいき)らが料理に舌鼓を打っている。

 厚陽は未成年のくせにこっそりワインを煽っていた。星輝は野菜料理には見向きもせずに、肉料理ばかり皿にとっている。海月はデザートに夢中だった。

 

 今なら、気を抜いても問題ないだろう。

 

 ブシドーはそっとため息をつき、蒼海から離れた。そのタイミングを待っていたかのように、壮年の男性と会話をしていた青年がブシドーに近づいてきた。

 ビリー・カタギリ。ユニオンが誇るエイフマン教授の後継者して、嘗てのグラハム・エーカー/現在のミスター・ブシドーの親友である。

 

 

「元気そうだね」

 

「そちらも息災そうで何よりだ、カタギリ」

 

 

 久々に顔を合わせた親友は、ゼロシステムの解析をしていたときよりも元気そうだった。今のところは、蒼海の毒牙に害されていないようで、内心でほっと息を吐く。

 「ゼロシステムの解析と欠陥を補完する作業はひと段落した」とホーマー・カタギリ司令から伺っていたが、本人の顔を見て、それを実感できた。

 光をなくした瞳、狂ったように笑い続ける親友の姿を思い出す。あんな顔、していない方がいい。ブシドーは心底安心した。友人が魔道に堕ちたなんて、洒落にならない。

 

 

「もう少ししたら、フラッグの後継機の開発に取り掛かれそうなんだ。楽しみにしていてよ!」

 

「ああ。テストパイロットは任せてもらおう」

 

 

 屈託なく微笑むビリーを見ていると、あの頃に『還る』ことが赦されたような心地になる。実際は何も赦されていないのに、だ。

 

 ブシドーは、自分の口元が緩むのを止められなかった。

 自分が憧れ、手にしようとしたものを、思い出せそうな気がした。

 

 

「そういえば、僕の家に空き巣が入ったんだよ」

 

「なんと。それは災難だったな。被害はどうだ?」

 

 

 しばし雑談に興じていたとき、ビリーはそう言って話題を変えた。ブシドーは目を瞬かせ、彼の災難を憂いた。

 ビリーはちょっと困ったように苦笑する。「それが奇妙なことなんだけど」と付け加え、話題を展開する。

 

 

「何も盗まれてなかったんだ。部屋はこれでもかってくらい、派手に荒らされていたんだけどね」

 

「そうか……」

 

「ただ、その日を境に、クジョウが出て行ってしまって……」

 

 

 失恋しちゃった、と、ビリーは悲しそうに微笑んだ。高嶺の花に袖にされてしまったという事実は、彼にとってとても辛いことのようだ。

 ブシドーは何も言わず、彼の肩を叩く。失恋したのはお互いに同じだからだ。但し、ブシドーの場合は特殊な理由のため、口に出せるものではないが。

 元気を出せ、なんて言うのは無責任な気がする。何かいい言葉はないか――ブシドーが静かに思案していたときだった。

 

 寒気がした。すぐ傍にいる、気を許せる親友からだ。

 

 蒼海と話しているときに感じる悪寒とは似て非なるものだった。

 まるで、親友の身に何かが起きていると警告するかのようだった。

 

 

「ひどいんだよ。クジョウは、ひどいんだ」

 

「カ、カタギリ……?」

 

「クジョウは僕を騙していた。クジョウは僕を裏切ったんだ。ひどい女なんだ、クジョウは」

 

 

 虚ろな目をして、ビリーはその言葉を繰り返した。先程まで特に変わった様子はなかったはずなのに、急にスイッチが入ってしまったかのようにビリーは話し始める。合成音声のような、無機質で平坦な声色だった。ブシドーの声など聞く耳持たず、繰り返し続けた。

 

 

「ああ、恨めしい。憎いんだ。憎くてたまらない。僕はクジョウが憎いんだ。憎い。恨めしい。許せない……! 僕は、僕は、クジョウを――……?」

 

 

 唐突に、ビリーは言葉を止めた。彼の瞳は驚愕に見開かれる。己の発言内容に疑問を抱いているかのようだ。いや、自分の言動に違和感を感じているらしい。

 大きく見開かれたビリーの瞳がブシドーに向けられた。驚愕は、恐怖へと変わっていた。得体の知れない、説明すらできない事象に対する恐れを抱いている。

 

 違う、と、ビリーは零した。

 僕はクジョウを憎んでいない、と、ビリーは首を振った。

 恐ろしいものを目にしたかのように、彼は頭を抱えて体を震わせる。

 

 違う、違うと、ビリーは何度も繰り返す。頭を抱えて、必死になって首を振る。――それを何度か繰り返した後、ビリーはひときわ大きく目を見開いた。気づいてはいけないことに気づいてしまったかのようだった。あ、と、乾いた声が零れる。

 

 

「カタギリ!?」

 

「う、あ、……や、いや、だ。嫌だ! 逃げろクジョウ! 今すぐここから逃げるんだ! でないと僕が、僕はっ、――ぁ、うわああああっ!!」

 

 

 頭を抱えて悲鳴を上げたビリーが、崩れ落ちるように膝をついた。参加者が突然崩れ落ちたのを目の当たりにしたギャラリーの人間たちが、ビリーとブシドーへと視線を向ける。離れて談笑していた蒼海たちもその騒ぎに気づいたようで、いの一番に駆け寄ってきた。

 恐怖に震えるビリーの元へ駆け寄った蒼海は、彼を落ち着かせるために声をかける。大丈夫、と、言い聞かせるかのように蒼海は繰り返した。どこかを彷徨うように虚空を見ていたビリーの瞳に、徐々に焦点が戻って来る。彼の叔父であるホーマーも、心配そうに様子を見守っていた。

 幾何の時が過ぎて、ようやくビリーは平静を取り戻したらしい。しかし、先程とは違って、ひどくやつれてしまったように見えた。疲労が色濃く残っているように思う。ビリーは、「今日はもう、帰りなさい」というホーマーの勧めに従うことにしたようだった。

 

 

「迷惑かけてすみません」

 

「いいえ。ゆっくり休んでくださいね」

 

 

 ビリーを介抱し終えた蒼海は優雅に微笑む。その口元が厭らしく歪んだのを、ブシドーは見逃さなかった。

 

 彼女の笑みを見て、直感する。蒼海は、ビリーに“何か”をやったのだ。既に彼は、蒼海の毒牙に穿たれている。しかも本人は無自覚だ。

 ブシドーは目を剥いて蒼海を睨む。女はこちらの視線に気づいたようだが、ブシドーの怒りは蒼海の余裕を崩すには至らない。蒼海はますます笑みを深くした。

 

 

(卑怯な……!!)

 

 

 何もできない自分が、こんなにも腹立たしい。

 ブシドーは拳を強く握りしめる。拳の震えが止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「所属不明のMSが目撃されている」という噂がある。スターダスト・トレイマーやカタロンの活動と並んで、アロウズでは有名な部類のものだった。詳しい内容はわからないが、「機影がガンダムに似ている」だの、「フラッグと似ていた」だの、玉石混合な情報と憶測が飛び交っている。

 端末で情報を確認してみたが、画像や映像データは殆どない。遭遇した相手が、記録媒体部分を優先的に潰しにかかるためだ。嘗てのソレスタルビーイングの戦いとよく似ているし、神出鬼没のスターダスト・トレイマーも似たようなことをしていた。

 

 現在、ブシドーは機動エレベーター周辺にあるステーションにいた。ライセンサーに与えられた特別任務――所属不明のMSについて調査するためである。

 

 他の部隊は、カタロンを文字通り鎮圧するために駆り出されている。ライセンサー権限で参加者名簿を確認したのだが、嘗ての第8航空部隊(オーバーフラッグス)の参加者たち――ハワード・メイスン、ダリル・ダッジ、アキラ・タケイ、ジョシュア・エドワーズの名前があった。

 文字通りの虐殺任務だ。良心的な軍人である4人には心苦しいものとなるだろう。蒼海曰く、「アロウズのやり方に反発してもおかしくない」らしく、彼女の息子たち――あの3人も、ブシドーと同じライセンサーである――を監視役として同行させている。

 彼らが何かアクションを起こせば、蒼海は息子たちを使って4人を処分するつもりでいた。あるいは、ブシドーが蒼海に反逆を企てれば、即座に4人は彼女の息子たちによって殺されるだろう。厄介なことこの上なかった。

 

 

(表向きはワンマンアーミーとしての任務だが、実際は、あの女の私兵でしかない。……私も、随分と深い闇の中へ堕ちたものだ)

 

 

 もう戻れない場所を想う。もう『還れない』場所を想う。――もう、名前を思い出せない“大切な女性(ひと)”を想う。

 

 所属不明のMSという単語に、漠然とした予感を抱いた。針の穴を貫き通す程度の希望を、馬鹿馬鹿しいと誰もが一蹴するレベルの可能性を、ブシドーは確かに見出していた。

 「純正の太陽炉の証――緑の光を見た」と語る者がいた。「顔の半分がないMSを見た」と語る者がいた。……これは、直感だ。運命の相手を見出したときに感じたものだった。

 

 

(なあ、キミなのか? ……少女)

 

 

 名前を呼べなくなってしまった愛しい女性(ひと)を思い浮かべる。最後に顔を合わせた姿を手繰り寄せれば、静かに微笑んだ少女の姿がはっきりと見えた。

 安堵する。まだ、ブシドーは彼女の面影を覚えていた。その事実だけで、充分救われている。また、前を向いて歩いて行ける。胸の奥がじんわりと温かくなった。

 ブシドーが前を向いたとき、見覚えのある制服を着た作業員たちを見つけた。以前、ユニオンに出入りしていたアニエスたちが着ていたものと同じ服だ。

 

 『悪の組織』の技術者集団だ。彼らの姿を見かけたブシドーは、思わず端末を起動させて情報を確認していた。どうやら、彼らはこの機動エレベーター整備に派遣された面々らしい。そういえば、機動エレベーターに『悪の組織』が独自開発した技術が使われるという話があったような気がする。

 ブシドーが端末を確認しながら歩いていたら、不意に衝撃を感じた。うわ、と、くぐもった青年の声がした。ブシドーの不注意のせいで、人とぶつかってしまったようだ。すまない、と、ブシドーはその相手に謝罪した。相手も大丈夫だと返し――

 

 

「あれ?」

 

 

 ブシドーの顔を見るなり、何か引っかかったような顔つきで、こちらを凝視してきた。

 

 

「どうかしたのかね?」

 

「……あのう、僕たち、どこかでお会いしませんでしたか?」

 

 

 茶髪の青年は、眉間に皺を寄せながら問いかけてきた。ブシドーの姿を見て、誰かの面影を手繰り寄せようとしているかの様子だった。青年の様子に、ブシドーも顎に手を当てて考えてみる。

 青年の顔をまじまじと観察しなおせば、似たような面影を持った人物と顔を合わせたような気がしなくもない。では、どこで、ブシドーは彼と顔を合わせたのだろうか。そのとき、自分たちはどんな状態だったのだろうか。

 とても大切なことがあった。少女の嘆きと万感の想いを抱きしめ返した後に、ブシドー――嘗てのグラハム・エーカーは、何をしたのだろう。ざわめく声が聞こえる。たくさんの屋台が並んでいて、出店が賑わっていた。

 

 しかし、それ以降は、靄がかかったように思い出せない。

 ブシドーは申し訳なさをにじませながら、首を振った。

 

 

「いいや」

 

 

 それを聞いた青年は、苦笑しながら頭を下げた。

 

 

「いいえ。こちらこそ、いきなりすみません。グラハムさん――……あ、いや、刹那の……友達の恋人さんに、そっくりだったから」

 

「……え」

 

 

 青年の言葉に、ブシドーは思わず目を剥いた。彼の言った名前が、すとんと胸に落ちてくる。

 刹那。刹那・F・セイエイ。『永遠よりも長い時間の中で切り取られた、一瞬よりも短い時間』。

 それが、少女の名前だった。途方もない覚悟を決めた彼女が、万感の思いを込めて教えてくれた名前だった。

 

 思い出せた。ブシドーの心が歓喜に震える。だが、次に湧き上がったのは、それを打ち消すような恐怖だった。「いずれ奪われる」という、忘却への恐怖。

 蒼海は、何度だって、ブシドーから奪おうとするだろう。ブシドーを手駒にするために。容易に想像がついてしまい、愕然とした。

 

 

「沙慈ー! 何してるの、置いてくよ!!」

 

「あ、待ってよルイスー!」

 

 

 立ち尽くすブシドーを横目に、遠くにいる金髪の女性に名前を呼ばれた青年が駆け出した。こちらに頭を下げて去っていく姿を、心ここにあらずのまま見送る。

 

 

「刹那」

 

 

 震える声で、その名を紡いだ。当たり前のことだが、応える相手はいない。

 

 

「刹那」

 

 

 もう一度、彼女の名を呼ぶ。

 刹那、窓の外に広がる宇宙(そら)に、きらりと光るものが見えた。

 

 空軍エースの視力は伊達じゃない。ブシドーは思わずその光を凝視した。キラキラ輝く緑の光。ソレスタルビーイングのガンダムに搭載されている太陽炉――GN粒子由来のものだ。

 目を凝らしてみると、白と青を基調にした機影がちらつく。光も機影も、あっという間に闇の底へと消えてしまった。ブシドーの心臓が早鐘を鳴らす。期待と不安がせり上がってきた。

 窓の外には闇が広がるばかりである。先程目にした光景が嘘のように、静かな宇宙(そら)がそこにあった。もう一度、ブシドーは刹那の名前を呼ぶ。返事はない。――返事はない、けれど。

 

 

「……キミは、そこにいるのか……?」

 

 

 ブシドーには、そんな気がしてならなかった。



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6.始まりの“刻《とき》”

 果てなき宇宙(そら)を翔る。青い光が煌めき、闇を割いた。指定されたコースを旋回した後、はやぶさは母艦へと帰還した。

 今頃、格納庫は若者たちでにぎわっている頃だろう。ベルフトゥーロは小さく笑った後、端末に送られてきた図面に視線を落とした。

 

 図面に描かれている機体は、テオドアが手掛けている新型機――トリニティ兄妹の専用機となる3体のガンダムだ。前回の戦いで修理したとはいえ、旧型機のスローネシリーズではそろそろ限界なのだろう。今は搦め手で応戦しているが、真っ向勝負となると力負けしてしまうのだ。

 スローネシリーズを修理した際に搭載したESP-Psyonドライヴであるが、元々スローネたちはESP-Psyonドライヴを搭載することを前提にして設計された機体ではない。半ば無理矢理積んでいるようなものなので、そのツケが、機体性能やその他諸々に回りつつある。

 この図面に描かれた機体は、スローネシリーズの発展形だ。パイロットたちの希望や要望をできる限り具現化しつつ、当人の才能に合う武装を作り出すため試行錯誤を繰り返している。そのせいか、ここ最近、設計者のテオドアは第3次デスマーチに体を突っ込んでいた。

 

 同じ技術者として、テオドアの気持ちはよくわかる。ベルフトゥーロは図面を見つめながら、うんうんと頷いた。

 

 

「どの武装を追加するか、本当に悩むよねー。ビットやノルンもつけたいし、クロッシングも追加したいし、オーラコンバーターも載せたいし、ドリルもつけたいし、ドルイドシステムや月光蝶も搭載したい。ツインサテライトキャノンとかツインバスターライフルも欲しい。無限拳も欲しい。てか全部やりたい」

 

 

 思いつく武装を、思いつくままに口に出す。

 それを聞いた面々が、いっせいに顔を顰めた。

 

 

「そんな無茶苦茶な……」

 

 

 ノーヴルが天を仰ぐ。

 

 

「お前は何を作るつもりなんだ……」

 

 

 エルガンは額に手を当ててため息をつく。

 

 

「……貴女らしいよ、マザー」

 

 

 リボンズが遠い目をした。

 

 己の発言が、採算を度外視した発言であることはわかっていた。でも、口に出しただけで顔を顰められるのは酷くないか。ベルフトゥーロは口を尖らせながら端末を見直す。

 ガンダムデュナメスをベースにして作り出された機体の調子もいい。パイロットであるロックオンも、己の持つ力――思念増幅師(タイプ・レッド)にも慣れてきた様子だった。

 思念増幅師(タイプ・レッド)は広範囲攻撃やマルチロック、索敵を得意にしている者が多いが、ロックオン個人は一撃必殺/一発必中の狙撃を得意にしていた。

 

 本人の得意分野と能力の特性が不一致を起こすという事態も、よくあることだ。

 そこら辺は慣れである。とにかく慣れしかない。ロックオンには辛いかもしれないが。

 

 

「そういえば、彼、搭載された武装に変なデジャウを感じてるらしいよ」

 

「貧乏くじ同盟の絆は伊達じゃない、か」

 

「デュナメス-クレーエに搭載された武装の元ネタは、“揺れる天秤”だったかな? 彼、天獄戦争を生き残った後も借金漬けだったらしいね」

 

「え、そうだったの? 知らなかったわ。……というか、天獄戦争の虚憶(きょおく)、聖なる喜びさんを撃破した後に関することがよくわからないんだけど」

 

 

 リボンズとベルフトゥーロが会話を始めたとき、視界の端にいたエルガンの表情が曇った。ベルフトゥーロはちらりと彼へ視線を向ける。彼は逃げるように視線を逸らし、目を閉じた。

 最近、エルガンは沈痛な面持ちでいることが多い。何かに怯えているように見えるし、憤っているようにも思うし、諦めているようにも思うし、戦おうとしているようにも見える。長年幼馴染をやっているが、こんなことは初めてだ。

 昔から、彼は何も言わない男だった。綿密に計画を立て、それを実行に移す際、人の心の動きまで予想して策謀を張り巡らせていた。計画の成就のためなら、味方すら嵌めるような男であった。

 

 彼の作戦で不利益を被ったことがある。逆に、大きな利益を得たこともある。それでも――恨めしいことはあるが、彼の判断は間違っていなかった。

 エルガン・ローディックは参謀役として優秀だった。気難しくて頑固で融通が利かなくて突拍子のないことを相談なしにやってのける男だが、決して悪人ではなかった。

 

 だから、ベルフトゥーロにとって、心を赦して愚痴――暴言に近い部類だと他人は言う――をこぼせる、気安い相手だった。

 

 それは、「世界で2番目に愛してほしい」事件が起きる以前も、起きた後も、何も変わらない。今も、昔も、これからも、その在り方を変えるつもりは毛頭なかった。

 ベルフトゥーロの答えが、表情を曇らせるほどショックだったのだろうか。いや、エルガン・ローディックに限って、傷心で元気をなくすなんて馬鹿な話はあり得ない。

 

 

「マザー? どうかしたのかい? エルガン代表が気になるの?」

 

 

 リボンズに指摘され、初めてベルフトゥーロは自分の状況――エルガンを目で追っていることに気づいた。はて、これは一体どういうことだろう。浮気なんてするつもりはない。ベルフトゥーロにとって、1番愛する人間はイオリアだけなのだ。一生、それは不変である。

 

 声を聞いていたエルガンが、酷く驚いたような顔でベルフトゥーロを見た。何度か瞬きをした後、普段通りの鉄仮面に戻る。

 何かを取り繕うかのような様子に、胸が酷くざわついたのは何故だろう。自分が今、決定的な何かを見落としたような気がしたのは何故だろう。

 あんまりにもエルガンを凝視したためか、彼は眉間に皺を寄せてこちらに歩み寄ってきた。

 

 

「お前が惚けるなんて珍しいな」

 

「私はいつでも絶好調ですよー。ってか、おかしいのはアンタの方でしょ? エルガン」

 

 

 百面相、と言いながら、ベルフトゥーロはエルガンの眉間のしわに触れた。それを無理矢理伸ばそうと引っ張る。余計に彼は困惑したような表情を浮かべた。

 何も言いたくないと言わんばかりに、奴の口は閉ざされている。こうなってしまえば、テコでも彼は口を開かない。ベルフトゥーロは大きくため気をついた。

 

 

「アンタは昔からそうだったわね。1人で何でもかんでも抱え込んじゃってさ」

 

「…………」

 

「責めてるわけじゃないのよ。だから、そんな風にどんよりとしたオーラを背負わないでくれる?」

 

「……すまない」

 

「いいのよ。必要になったら、言ってくれればいいから」

 

 

 アンタのことは分かってる、と、ベルフトゥーロは笑った。それを見たエルガンも、安心したように口元を緩ませる。壮年の男が浮かべるにしては、どこか幼い笑い方だった。

 背後で誰かが噴き出した。振り返れば、リボンズが笑いをこらえていた。「エルガン代表、わかりやすい」と、言葉の端々に草を生やしている。エルガンのこめかみがひくついた。

 ノーヴルは生温かい目つきでエルガンを見ていた。別方向には、松葉杖をついていたリチャードが目を丸くしている。ひまりが目を輝かせ、征十郎はきょとんと首を傾げていた。

 

 一鷹とアリス、悠凪とハルノらが顔を見合わせてひそひそ話を始める。聞き耳が間違っていなければ、「未亡人」という不穏な単語が聞こえてきたような気がしなくもない。

 スオルとグライフも、ノーヴルと同じように目を細めてエルガンを見守っていた。別任務から帰還したエイミーらも、昼のドラマを品定めするような目を向けてきている。

 

 エルガンが目に見えて狼狽し始めた。居たたまれなくなったのだろう。彼は即座に踵を返す。この場から逃げるようにして、彼の姿は掻き消えた。

 

 その様子を目の当たりにした面々は、がっかりしたように肩をすくめた。天を仰いだり、頭を抱える者もいた。程なくして、蜘蛛の子を散らすように面々は去っていく。

 得体のしれない空間に放り込まれたような心地になってリボンズを見れば、彼はひいひい言いながら大爆笑していた。今の状況に、笑える要素なんてあっただろうか?

 

 

「ね、マザーは、再婚とか考えてるのかい?」

 

 

 藪から棒に向けられたリボンズの発言に、ベルフトゥーロは目を真ん丸に見開いた。息子の言葉に頭を殴打されたような心地になる。

 

 

「そんな話とは無縁だけど」

 

「エルガン代表とマザーはお似合いだと思うけどね」

 

「……リボンズ」

 

 

 ジト目で息子を睨めば、彼は苦笑しながら言葉を続ける。

 

 

「あの人は、全部わかってるよ。わかってて、それでもマザーのことが好きなんだよ。……イオリアが後を託す相手にあの人を選んだのも、それを知っていたからだと思う。それを信頼していたからだと思うんだ」

 

「――“世界で2番目に愛されたい”?」

 

「そう、それ」

 

 

 だとしても、ベルフトゥーロが選ぶのはただ1人だ。今も、昔も、これからも、イオリア・シュヘンベルクを愛し続ける。この愛と共に、生き続ける。

 ベルフトゥーロの決意を知っているからか、リボンズは少し寂しそうに微笑んだ。どうして、そんな哀しそうな顔をするのだろう。ベルフトゥーロにはわからない。

 不意に、懐かしい気配を感じた。愛する人のものだ。反射的に振り返れば、イオリアの幻が『視えた』。彼も、どこか哀しそうにベルフトゥーロを見つめている。

 

 どうして、イオリアまでもが、そんな顔をするのだろう。頭をひねっても、ベルフトゥーロには分からない。

 いつの間にか、彼の幻は消えうせていた。哀しそうな顔をさせたままだったということが、心にちくりと痛みを残す。

 

 

「あの人は大義を1番にしてるけど、それ以上に、“貴女が生きて結末を見届ける”ことを優先しているんだよ。文字通り、“貴女を罠にはめて、自らが悪役になろうとも”」

 

 

 それだけは覚えておいてあげてね、と、リボンズは苦笑した。並大抵のことではできることじゃないから、と。

 

 用事があるから、と言い残して、リボンズは転移する。ヴェーダを駆使した情報収集と、最近連絡が滞りがちで約束をすっぽかしてばかりの“アニューの恋人”の動向を探るためだろう。またロックオンが重傷で医務室送りになる未来が見えたような気がした。

 件の人物は何度も転職を繰り返しているようだ。自分に合う職業を探すというのは結構だが、このままだと彼は完全に“アニューのヒモ”になってしまうのではなかろうか。息子(長男坊)が妹(末娘)を不安に思う気持ちはわからんでもない。

 

 アプロディアやコード・フェニックスおよびアメリアスも頑張ってくれているようだ。3人が集めてくれた情報を、端末越しに確認する。

 独立治安維持部隊の活動や行動、連邦政府の動き、そして――敵が抱え込んでいる最強の頭脳(コンピュータ)の存在。どれもこれも厄介な相手である。

 特に、コンピュータは強敵だ。スペックはヴェーダやアプロディアとほぼ互角だし、S.D体制の技術をくんだネットワーク回路と対人洗脳を得意としているタイプである。

 

 

(グランドマザー……)

 

 

 忌々しい存在の名前。尊敬する指導者(ソルジャー)だったグラン・パを殺した張本人であるコンピューターの姿が、頭から離れない。

 ベルフトゥーロが目にしたのは破壊された後だったけれど、怨敵を忘れたことは一度もなかった。

 

 ベルフトゥーロが世界で1番嫌いな相手である。因みに、2番手は、グランドマザーのネットワーク回路と人類の監視および『ミュウ』や反思想持ちたちの処分を担当していた端末――テラズ・ナンバーたちだ。奴らが形成したプログラムによって、多くの『ミュウ』が命を落とした。

 

 あれは、この世界にあってはならないものだ。人間が人間らしく生きることが赦される世界には、存在してはいけないものだ。

 イオリアの理想を壊す存在であるし、ベルフトゥーロの理想を阻む宿敵でもある。グランドマザーの系譜を継ぐモノは、ここで絶たねばなるまい。

 嘗てグラン・パが対峙した相手に、今度はベルフトゥーロたちが立ち向かう。……彼のように、ベルフトゥーロ1人で何とかできればよかったのだが。

 

 ……いや、違う。

 彼は、最高の戦友(とも)、キース・アニアンと共に、グランドマザーを倒したのだ。

 

 ベルフトゥーロにはイオリアがいた。彼はもうここにいないけれど、ベルフトゥーロの心の中で生き続けている。

 彼だけではない。エルガンやリボンズを筆頭とした仲間たちや、イデアのような後継者、クーゴのような希望の子も存在している。

 だから、大丈夫。ベルフトゥーロには、恐れるものなど何もない。

 

 

「……グラン・パ、見守っててね。私、頑張るから」

 

 

 静かに決意を固めて、ベルフトゥーロは宇宙(そら)を見上げる。

 満天の星の向う側に、青く輝く惑星(ほし)があった。

 

 ベルフトゥーロが決意を新たに固めたとき、そのタイミングを待っていたかのように端末が鳴り響く。連絡主はマリナ・イスマイール王女だ。おそらく、用事は技術支援に関する話し合いの日程についてだろう。

 

 果たして、ベルフトゥーロの予想は的中した。自分の予定を確認しながら、都合の言い日時を設定する。その旨を連絡すれば、相手方も納得してくれた様子だった。「では、そのときに」というメッセージが返ってきた。

 そうと決まれば、アザディスタンへ提供する技術を纏めておかなくては。端末を操作していたとき、アプロディアからメールが届いた。『アロウズの動向がきな臭くなってきたので注意してほしい』という内容だった。

 アロウズが『悪の組織』を快く思っていないことは把握していた。スターダスト・トレイマーのことは目の敵にしていることも察知している。幸運なことに、相手方には、2つの団体がイコールで結べるということは知られていない。

 

 

(エルガンも水面下でアロウズと派手にやり合っているみたいだし、アイツにも注意を入れておかなくちゃ)

 

 

 ベルフトゥーロはエルガンに連絡しようとして、止まる。端末の電源が着られていた。じゃあ思念波で連絡を取ろうとしたが、完全にシャットアウトされている。

 まるで、すべてを完全に拒絶しているかのように、エルガンの動向がつかめない。彼の思念を掴めない。あまりの事態に、ベルフトゥーロは眉間に皺を寄せた。

 

 こういうときのエルガンは、良い意味でも悪い意味でも、何か恐ろしいことを計画している。しかも、連絡不能になるということは、「他者の行動――特にベルフトゥーロ――が計画成就/作戦成功の妨げになる」と感じ、単身で動こうとしているときのものだ。

 

 

「――っ」

 

 

 だから先程、エルガンは変な顔をしていたのだ。あのときの彼の表情は、何かに怯えているように見えたし、憤っているようにも思えたし、諦めているようにも思えたし、戦おうとしているようにも見えた。

 おそらく、彼は相当悩んでいたに違いない。相当葛藤したに違いない。行動を起こすのに、途方もない勇気と決断が必要だったのだ。最悪なことに、ベルフトゥーロはエルガンの背中を押してしまったらしい。

 自分の行動を悔いても、何もかもが遅かった。エルガン・ローディックは、もう既に行動を起こしているのだろう。やると決めたらとことんやり遂げる男だ。ベルフトゥーロは、そんなエルガンのことを信頼している。

 

 しかし、今は。

 その信頼が、かえって嫌な予感を湧き立たせる原因になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日のシミュレーターは豪華である。

 自分たちを殺しにかかる勢いで、絢爛である。

 雁首揃えて自分たちを見据える機影を確認したクーゴが真っ先に思ったことだった。

 

 

「ハロ、サイコハロ、サイコロガンダム、マスターガンダム、デビルガンダム、金属生命体付リーブラ……」

 

「マークニヒトが2体、ヴァーダント、プリテンダー、飛影、零影、オウカオー、ナナジン……」

 

 

 戦慄くクーゴの言葉を引き継ぎ、ロックオンは口の端をひくつかせる。

 

 前者はジェネレーションシステム関連の虚憶(きょおく)で破壊神だの悪魔だの厄介な相手の代表格たち、後者はUX関係の虚憶(きょおく)で共闘した友軍たち(一部の機体は元敵対者だった)である。まるで悪夢のような布陣だ。どうしてこんなシミュレーターにしたのだろう。

 悪夢と言えば、『続.女の敵護衛任務 -お前が言うな篇-』――“シャアの護衛をしていたらアムロ、シン、カミーユが増援でシャア襲い掛かってきた。3人を撃退したら、フォウ、ファ、ルナマリア、ステラ、チェーンが追加で出現し、男たちに襲い掛かってきた。護衛対象に件の3人が瀕死状態で追加され、彼女たちと戦う”というシミュレーターも酷かった。

 

 勿論、追加出現した女性たち+ベルトーチカのヤジ付きである。本当に凄まじかった。

 このシミュレーターを攻略したのちに、『続々.女の敵護衛任務 -地獄篇-』が出現した。

 まだやってはいないが、もっと阿鼻叫喚の光景が広がっているのだろう。嫌な予感が拭えない。

 

 因みに、かなり以前にこのシミュレーターをクリアしたことのあるテオドアとその親友曰く、「女性が全員集合して男どもに攻撃を仕掛ける図は壮観である」という。地獄の名は伊達ではないらしい。

 

 

「……どうやら、俺たちはシミュレーターに嫌われているようだな」

 

 

 クーゴは乾いた笑いを零した。はやぶさも、クーゴの気持ちに同意するようにカメラアイの光が力なく瞬く。

 

 

「ふざけんのもいい加減にしろよ!? こんなモン、狙い撃つなんて無茶だっつの!」

 

 

 ロックオンは今にも泣き出してしまいそうな声色で叫んでいた。

 心なしか、ガンダムデュナメス-クレーエも、スナイパーライフルを投げ出してしまいそうだった。

 

 

「あらら。今日は奮発しましたねー」

 

 

 イデアは相変わらずのほほんとしているが、自分の実力だと即刻撃墜されてしまいかねないと自覚しているらしい。紫苑の瞳はそっと逸らされていた。

 つい先日にロールアウトしたばかりの新型専用機――スターゲイザーの後継機である白い機体――スターゲイザー-アルマロスも、どこか遠い場所を見つめている。

 大きな輪っかに星を思わせるような自律兵器――アーチャーを背負い、ビームサーベルの代わりに装備された腰のアームズに五芒星のブレードを展開していた。

 

 アルマロスは武装の向上だけでなく、武装のデザインが星を連想するものに変更されていた。前回のスターゲイザーは、引用した武装のデザインを流用していたという。

 魔術や妖術を無効化出来る護符の知識をもたらしたとされる天使の名を冠した機体は、その名の通り防御に優れる。防御だけでなく、高機動戦闘も得意としていた。

 

 対戦相手のラインナップに気圧されているうちに、戦闘開始の合図が響く。間髪入れず動き出したのは、敵チームの方だった。白い影/飛影が一気に迫る!!

 

 

「うおおおおおおおお!? 忍者早ぇ! こっちくんなぁぁぁぁ!!」

 

 

 顔を真っ青にしたミハエルの悲鳴が反響した。パイロットの恐怖を反映するかのように、こちらもロールアウトほやほやの新型機――ガンダムラグエル-フォルスが全速力で離脱を図ろうと奮闘していた。

 

 トリニティ兄妹の新型機シリーズは、「光の世界に復讐する者」という名の天使/新たな堕天使が生まれないようチェックする光の監視官の名を冠している。機体の開発者がフランス語のコードネームを名乗っていたことが影響しているようで、専用機の名前が微妙に違っていた。

 ラグエル-フォルスは、ピンポイントバリアを応用した白兵戦(特に、拳による殴り合い)を得意にしている。ミハエル本人はファングのような派手な武装を好んでいるようだが、能力の方向性が盛大にズレてしまっている様子だった。

 最近は、ファングにもピンポイントバリアやノルン等を応用した攻撃手段を搭載したという。今回はその追加新武装の披露式なのだが、湧いて出てきた敵がアレのため、お披露目よりも逃走を選んだのだろう。普通に考えて、彼の行動は間違いではない。

 

 

「怖くなんか……怖くなんか、ないんだから! こ、怖くなんかぁぁぁうわああああん!!」

 

「ネーナ、ミハエル! 最後まで泣くんじゃない!!」

 

 

 大泣きするネーナを叱咤しながら、ヨハンが涙目で敵に向き合う。

 兄としての矜持が、今のヨハンを奮い立たせているのだろう。

 

 大泣きするパイロットとは対照的に、ネーナの機体であるガンダムラグエル-フルーレは花を模したバトンやレーザービット兵器を展開し、攻撃の雨あられを振らせていた。但し、その攻撃はしっちゃかめっちゃかで、まともに狙いを定めていない。

 ヨハンの機体であるガンダムラグエル-フィオリテは、バスターモードに切り替えたツインライフルを構えた。月が出ていればツインサテライトキャノンを撃てたのだが、今回のシミュレーターの条件では、サテライトキャノンを撃つことはできなかった。

 2機の攻撃を軽々とさけて、忍者たちが迫って来る。アホみたいな速さだ。1対1の戦いでは光明なんて見えないし、チームプレイをするには自分たちの連携経験が浅すぎる。正直、逃走した方が確実に生き残れそうだ。逃走が赦されないのが悲しいことである。

 

 世の中には逃走不能に陥ることだってあるのだ。その訓練だと思えば、なんとか腹を括ることができそうだった。心境はアレだが。

 

 絶望に心が折れそうになりながらも、面々は敵と戦うことを選んだようだ。拙いながらも連携を取ろうと行動を開始する。対して、敵は連携し慣れているようで、迷うことなく攻撃を始めた。

 プリテンダーは縦横無尽に駆け巡りながらこちらを翻弄し、その隙をついてヴァーダントが太刀を振るう。オウカオーとナナジンは、入れ代わり立ち代わりでオーラを纏った太刀を振るった。これだけも大変だというのに、ハロ・ビットやハロ・バブル等が飛んでくるのだ。嘆きを叫びたくもなろう。

 

 

(最早涙しか出ないぞ)

 

 

 爆音が轟き、あっという間に味方機が沈黙していく。クーゴのはやぶさが撃墜されたのも、間もなくのことであった。

 

 

 

*

 

 

 

 

「おーおー、今日も派手にやられたのねー」

 

「今日のヤツも恐ろしい難易度ですから、気持ちはわかりますけど……」

 

 

 シミュレーターを終えてぐったりしていた自分たちに話しかけてきたのは、ベルフトゥーロとテオドアであった。2人とも、『悪の組織』の制服ではなく、前者はスーツ、後者は普通の服を身に纏っていた。

 

 

「あれ? 教官、どこか行くんですか?」

 

「ああ。ちょっと気になることがありまして。……もしかしたら、暫く別行動になるなるかもしれません」

 

 

 滅多に見れぬテオドアの私服姿に有頂天になりながらも、ネーナは己の疑問を口にした。

 テオドアは普段と変わらぬ笑みで応対したが、何か憂いを抱えているらしい。ほんの少しだけ、影があった。

 恋する乙女は、彼が纏う空気の変化に目ざとく気付いた。テオドアの憂いに心を痛め、ネーナの表情が曇る。

 

 それに気づいたテオドアは、心配はいらないとばかりに首を振る。

 

 

「友人から連絡があったんです。監視者の生き残りである僕に、何やら白羽の矢が立ったらしくて……その理由を知るためにも、ちょっと潜入と接触とその他諸々やってきます」

 

「接触って、誰に?」

 

「本人無自覚な特殊事項があること以外は、とあるハイスクールに通う、ごく普通の学生です。確か、名前はレイヴ・レチタティーヴォくんですね」

 

 

 端末に映し出されたのは、深緑の髪に紫の瞳を持つ好青年だった。彼が、レイヴ・レチタティーヴォ。……気のせいか、髪型と顔立ちが、誰かによく似ているような気がする。

 以前、クーゴの服に吐瀉物をまき散らした青年だ。髪の色と目の色は、彼の方がレイヴより少し薄い色合いだった。……いや、名前を知らない彼よりも、もっと身近に似ている相手がいたはずだ。

 

 クーゴはイデアに視線を向けた。イデアは目を瞬かせ、こてんと首を傾げる。紫苑の瞳が瞬き、ペールグリーンの髪がさらりと揺れた。天竺葵の香りが鼻をくすぐる。クーゴが贈った練り香水を、彼女は愛用してくれているようだ。

 

 やはり、似ている。イデアは件の青年たち――レイヴや吐瀉物(以下略)の青年と、何らかの関係があるのだろうか? それを問う間もなく、「いってらっしゃい」とネーナがひらひら手を振った。テオドアの姿が掻き消える。

 恋する相手を見送った後、ネーナは椅子に座り込んでため息をついた。ヨハンとミハエルが顔を見合わせて唸る。妹の恋路も大切だが、恩師の邪魔もしたくない――これはこれで複雑な立場だった。

 

 

「前髪よーし、寝ぐせよーし、ファンデーションのノリよーし、アイシャドーの色合いよーし、チークの色合いよーし、口紅の色合いよーし! うん、今日も私は完璧っ!!」

 

 

 その脇で、ベルフトゥーロがポケットミラーと睨めっこを繰り広げていた。マリナ・イスマイールとの話し合いがあるため、その身支度を念入りに行っているようだ。くせ毛から化粧のノリ具合まで、綿密に確認している。

 彼女を見るたび、エルガンが天を仰いでいたことは昨日のことのように思いだせる。彼は数か月前から、『悪の組織』に戻っていない。連絡も入れていない様子だった。エルガンの行動力は、破界事変から始まり、天獄戦争までの虚憶(きょおく)で熟知しているが、心配である。

 エルガン・ローディックは、世界平和のそのまた向う側を見ているような男だった。彼の見つめる視線の先はどこまでも遠く、人類の明日を見つめていた。そのための犠牲は止むを得まいと考えていながらも、自分が認めた相手のことを大切に想っていた。

 

 

(あの人は、希望を繋げるためだったら、己が悪役になろうとも気にしなかったな)

 

 

 クーゴがそんなことを考えたのと、ベルフトゥーロが己の具合に満足したのは同じだった。車椅子をターンさせて転移しようとし――彼女はこちらに向き直った。

 

 

「近々、でかいことが起こりそうって話を聞いたの。……もしかしたら、キミたちの願いが前倒しになるかもしれない。準備だけは、しっかりね」

 

 

 これでもかってくらい、真面目な顔だった。鋭い眼差しは、『ミュウ』の指導者(ソルジャー)として一団を率いる者としての品格があった。反射的に、クーゴたちの背がまっすぐに伸びる。

 ベルフトゥーロは静かな面持ちでクーゴの方へ車椅子を進める。ちょっと、と、真面目な空気を崩さずに声をかけてきた。何事かと身を固めるクーゴを見た彼女は、鞄の中から『それ』を取り出した。

 

 仮面だった。

 

 いや、仮面と言うよりは、顔全体を覆うお面と言った方がいいような形のものだ。

 白くて丸いお面には、目の部分だけを見せるようにしてV字の穴が開いていた。

 

 視界は良好どころか最悪そうな仮面である。実用性には程遠い。

 

 2世紀ほど前のゲームのキャラクターに、同じような仮面をつけていた奴がいた。

 確かそのキャラクター、“世界一カッコいい一頭身”とか呼ばれていたような気がする。

 しかもこの仮面、OEの虚憶(きょおく)で、間近で見たことがあった。

 

 脱線した思考のまま顔を上げれば、ベルフトゥーロが期待に満ちた眼差しを向けてきた。

 

 

「身バレを避けるためには、やっぱり顔を覆う必要があると思うんだ」

 

「使いませんからねそんな仮面!!?」

 

 

 間髪入れず、手元にあった仮面を投げつけたクーゴは、何も悪くないはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷蔵庫を開ける。3時間前に入れた純白のレアチーズケーキは、綺麗に固まっていた。

 

 クーゴはそれを確認し、冷蔵庫からそれを取り出す。チーズとレモンの爽やかな香りが鼻をくすぐった。これだけでも充分美味しそうだが、もう少し盛り付けてみてもよさそうだ。

 どうしようかと思案していたとき、キッチンの扉が開いた。姿を現したのは、宙継である。彼の姿を見つけたクーゴが振り返って微笑めば、宙継も嬉しそうにはにかんだ。

 

 

「あれ? その手に持っているのは?」

 

「ミントです。ジョミーくんやキースくんとハーブを育てていて、ミントはぼくが育てたものです。ジョミーくんがエルダー、キースくんがアーティチョークを育ててるんですよ」

 

「へぇ……」

 

 

 宙継が、手の中に抱え込んだミントの山を差し出した。

 どれもみずみずしく育っており、ハッカ特有の香りが鼻をくすぐる。

 宙継が丹精込めて育てたのだろう。クーゴはゆるりと目を細めた。

 

 

「ペパーミント、スペアミント、アップルミント、ラベンダーミント……どれも、立派に育てられてるな」

 

「クーゴさんに褒められるの、嬉しいです」

 

 

 照れたように微笑む宙継は、本当に嬉しそうだった。年相応に笑う少年の姿に、クーゴはひっそりと安堵する。戦場で対峙した宙継は、いつも苦しそうにしていた。あどけない笑みを見ていると、込み上げてくるものがあった。

 あ、と、宙継が目を瞬かせた。彼の視線はチーズケーキに釘付けになっている。クーゴは微笑んで見せた後、宙継が持ってきたアップルミントを摘んで、チーズケーキの上に乗せた。包丁でチーズケーキを切り分け、皿に盛りつける。

 

 皿の端に、ラベンダーミントを添える。ペパーミント、スペアミント、アップルミントは食用だが、ラベンダーミントは食用に向かない。専ら、観賞用とポプリ用に使われる。食べないようにと注釈しておけば、栄える盛り付けになるだろう。

 

 「できた」とクーゴが言えば、宙継が嬉しそうにこちらを見返した。黒曜石のような瞳をきらきら輝かせている。

 自分が育てたハーブが料理に使われる――育て主として、これ程嬉しいことはないだろう。なんだか微笑ましい。

 ちょっと手伝ってくれないかと声をかければ、宙継はふたつ返事で了承した。お膳に皿を乗せていく。

 

 キッチンを出た2人は、ブリーフィングルームに足を踏み入れた。

 

 イデアとロックオンが書類と睨めっこをしながら何かを話し合っている。真剣な面持ちからして、戦術関係のことだろう。

 少し離れたところにある別の机では、高笑いしながら「いあいあくとぅるふ」等と呪文を唱えるネーナをヨハン、ミハエル、エイフマンらが羽交い絞めにして止めようとしていた。

 

 

(今日も元気だなぁ)

 

 

 クーゴは生温かい眼差しで、日常となった光景を見守る。暫し日常を堪能した後、クーゴはイデアのいるテーブルに歩み寄り、チーズケーキの皿を置いた。

 

 イデアとロックオンが顔を上げ、クーゴとチーズケーキを見比べた。途端に、イデアはぱっと表情を輝かせる。ラベンダーミントは食べられないことを伝えて皿を差し出せば、イデアは即座にフォークを手に取った。チーズケーキを口に運び、幸せそうに頬を緩ませる。

 「おいひいです」というイデアの声を引き金に、呪文を完成させる一歩手前だったネーナの動きが止まった。チーズケーキを視界にとらえた彼女は、目を爛々と輝かせる。彼女は甘いものが大好きだった。ネーナが止まったことを確認し、羽交い絞めにしていた3人が安堵の息を吐いた。

 面々は作業を止めて、チーズケーキに舌鼓を打つ。宙継にも食べるようにと促せば、彼も椅子に座って行儀よくケーキを食べ始めた。幸せそうに綻ぶ少年の姿を見ていると、やはり、心がじんわりと温かくなった。

 

 

「あんた、料理が趣味なのか?」

 

「多少嗜む程度かな。ユニオン時代は『厨房の番人』って呼ばれてた」

 

「嗜んでこれかよ……。軍人より料理人の方が向いてたんじゃないのか」

 

「だろう? わしも同じことを考えていたんじゃよ」

 

 

 ロックオンやエイフマンと談笑しつつ、クーゴもチーズケーキを口に運んだ。チーズのなめらかな口当たりと甘さ、レモンの爽やかな風味が絶妙だ。

 このブリーフィングルームには穏やかな時間が流れている。いつもと変わらない、薄氷の上に成り立つ『平和な時間』が繰り返される。

 

 『始まりの(とき)』までは、まだ遠い――そう思っていた。

 

 遠くの方から足音が聞こえる。ざわめく声が『聞こえてきた』。何事かと振り返ったとき、同じタイミングで、ブリーフィングルームの扉が開かれた。開けた人物は、コード・フェニックスと呼ばれる仮面の青年だ。

 仮面越しでもわかるくらい、彼はひどく焦っている。フェニックスに続くような形で、半泣きのコード・アメリアスが部屋に飛び込んできた。気が動転しているせいで、彼らの言葉は要領を得られなかった。

 首を傾げるクーゴたちと何も伝えられない己に憤慨したようで、2人はテレビジョンを付けた。ニュース画面が映し出される。そこには、大きな見出しで『エルガン・ローディックが反政府組織スターダスト・トレイマーの内通者だった』と書かれていた。

 

 あまりのことに目を見開いていると、ニュース画面が切り替わる。アザディスタンが解体され、王女であるマリナがソレスタルビーイングの内通者として身柄を拘束されたというニュースであった。しかし、マリナに関するニュースはすぐに切り替わる。

 

 

『連邦政府は『悪の組織』を戦争幇助企業と認定し、独立治安維持部隊による鎮圧を行うことを決定しました。これにより、旧アザディスタンを訪れていた『悪の組織』代表取締であるベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイド氏の身柄を拘束し……』

 

 

「なんてこった……!!」

 

 

 クーゴの口元が引きつった。他の面々もぎょっと目を剥く。誰も彼も、視線は映像に釘付けだ。

 出かける前に見たベルフトゥーロの表情が脳裏によぎる。酷く真面目な眼差しは、この未来を見据えていたとでもいうのだろうか。

 追い打ちと言わんばかりに、「『悪の組織』の技術者も、拘束の対象になる」と、ニュースキャスターが補足を入れた。

 

 

「こりゃあまずいぞ!」

 

「大変……! グラン・マが、グラン・マが……!! 機動エレベーターの整備に駆り出されてるみんなも危ない!!」

 

 

 ロックオンとイデアが顔を青くした。

 

 

「嘘でしょう!? あの人が……」

 

「あのときと同じ……ッ、完全に濡れ衣じゃねえか!」

 

「政府の奴ら、本気でこちらを潰しにかかるつもりか……!」

 

「…………」

 

 

 ネーナが口元を覆い、ヨハンとミハエルが憤る。

 エイフマンは険しい顔のまま、テレビ画面を睨みつけていた。

 

 宙継は不安そうに映像を見ていたが、はっとした様子で立ち上がった。彼はベルフトゥーロを慕う親友たち――ジョミーとキースのことが心配になったようだ。

 『ミュウ』の力を使い、宙継は親友たちの元へと転移したらしい。あちこちからざわめく思念が『聞こえて』くる。指導者と参謀がまとめて捕まったということが、大きな衝撃だった。

 不意に、端末が鳴り響いた。クーゴたちは端末を起動させ、送られてきたと思しきメッセージを確認する。その内容を読み終えたタイミングで、慌てふためくクルーたちの思念が止まった。

 

 差出人はベルフトゥーロとエルガン。2人は最初から『こうなる』ことを予期し、予め作戦プランを練っていたらしい。それに従うように、クルーの面々たちが動き始める。

 

 この場にいた面々は顔を見合わせて、頷いた。

 これが『始まりの(とき)』だと、正しく理解した。

 

 

 ――『還る』ための旅路は、ここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミ、大丈夫かい!?」

 

「ぁ、ああ……」

 

 

「……あれ? キミは……」

 

「もしかして、刹那?」

 

「お前たちは……沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィか?」

 

「違うわ。私はルイス・クロスロード。沙慈のお嫁さんよ!」

「そうだね。僕は沙慈・クロスロード。ルイスのお婿さんだよ!」

 

「…………そ、そう、なの、……か……!?」

 

 

 

 

 とあるコロニーで、バカップルと元バカップルの片割れ(注:本人は無自覚)が邂逅することを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕のお父さんはカッコいいんですよ! ソルブレイヴズ隊に所属してるんです!」

 

「僕のお父さんだって凄いんですよ! 僕と同じく、監視者の仕事で世界を回っているんです!」

 

 

「息子がいい子過ぎて涙が止まらない」

 

「……そうか」

 

 

「……俺にも、息子がいるんだ。名前はブリュンといってな……」

 

 

 

 

 

 

 後に、父親/息子繋がりで友人ができることを。

 

 

 

 

 

 

 

「イオリア! ベル! エルガン! アラン! トォニイ! アルテラ! ――ああ、みんなもいるんだね!?」

 

「さあ、行こう」

 

「そして、還ろう」

 

「――青い星(テラ)へ」

 

 

 

 

 すべてを見届けた『はじまりの女』が、青い星(テラ)へ『還る』ことを。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日探しは、ここから始まった。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『レアチーズケーキ(麦芽糖さま)』
『ハーブの図鑑』より、『ミント』、『エルダー』、『アーティチョーク』
『ミントの種類』より、『ペパーミント』、『スペアミント』、『アップルミント』、『ラベンダーミント』


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第1回現状確認
【大丈夫だ、また始まるから】『 0.Wake up,hero』~【大丈夫だ、みんな元気だから】『6.始まりの“刻《とき》”』時点の中心オリキャラまとめ


名前:クーゴ・ハガネ/刃金(はがね) 空護(くうご)

性別:男性

年齢:33歳

誕生日:12月22日(山羊座)

身長:169cm

体重:??kg

血液型:B型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:はやぶさ

主に交流のある人物:レイフ・エイフマン、ロックオン・ストラトス、トリニティ兄妹ほか

 

特筆事項

・社会的には、『2308年に行われたソレスタルビーイングと国連軍の最終決戦の際に亡くなった』ことになっている。二階級特進で少佐になった。

・最終決戦でMAに撃墜された際、イデアとUnicornのパイロット――宙継に救出された。おかげでどうにか生き残っている。

・ベルフトゥーロから真実を聞いて、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に居候することになった。

・目下の目標は、“みんなと一緒に、青い空の元へと『還りたい』”。夢の中で苦しむ仲間たち――特に親友のグラハムと邂逅したことが、この願いに起因している。

・『ミュウ』として覚醒しており、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に居候しているが、制服はユニオン軍のものを着用している。

 

 

 

 

蛇足

・イメージCV.私市淳

・イメージソング:『もっと光を』(BLUE ENCOUNT)/『そこに空があるから』(江崎とし子)

 

 

______

 

 

 

 

名前:イデア・クピディターズ

性別:女性

年齢:20代(外見年齢)/実年齢:250歳以上300歳未満

誕生日:11月11日(蠍座)

身長:160cm

体重:??kg

血液型:O型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:スターゲイザー-アルマロス

主に交流のある人物:レイフ・エイフマン、ロックオン・ストラトス、トリニティ兄妹ほか

 

特筆事項

・コードネームの由来は『理想への憧れ』(ラテン語)。本名はレティシア・リン。

・ソレスタルビーイングからは『2308年に行われた最終決戦の際に戦死した』と扱われている。実は死んでいなかった。

・『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・クルーに「化け物」と呼ばれたことを引きずっており、もう二度とソレスタルビーイングに『還れない』と思っている。

・恋愛ごとを見ると、所構わず介入する。根掘り葉掘りするのもされるのも好き。

 

 

 

蛇足

・イメージCV.桑島法子

・イメージソング:『fortissimo-the ultimate crisis-』(fripSide)/『イデア』(天野月子)

 

 

 

______

 

 

 

 

名前:テオドア・ユスト・ライヒヴァイン

性別:男性

年齢:20代(外見年齢)/実年齢:84歳

誕生日:7月10日(蟹座)

身長:181cm

体重:70kg

血液型:O型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:不明

主に交流のある人物:レイフ・エイフマン、チーム・トリニティ、リボンズ・アルマーク他

 

特筆事項

・チーム・トリニティの教官にして、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の技術者兼MSパイロット。コーナー派と対立していた監視者一族の末裔。

・嘗てはノブレス・アムと言うコードネームを名乗っていた。意味は『高貴なる魂』(フランス語)。

・『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)

・味覚がない。但し、他人の味覚をコピーすることで代用可能。リボンズから借りているようだ。

・ネーナ・トリニティから好意を抱かれていることに気づいていない様子。

・監視者の生き残りであることから白羽の矢が立ったため、単独行動をとることになる。レイヴ・レチタティーヴォと接触する予定のようだ。

 

・以前は人気歌手テオ・マイヤーとして活動していたが、無期限の活動停止を宣言している。

 

 

 

 

蛇足

・イメージCV.置鮎龍太郎

・イメージソング:『ゴールデンタイムラバー』(スキマスイッチ)/『リライト』(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

 

______

 

 

 

名前:ベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイド

性別:女性

年齢:20代後半(外見年齢)/実年齢:500歳以上

誕生日:??

身長:??cm

体重:??kg

血液型:?型

所属:『悪の組織』およびスターダスト・トレイマー

主に交流のある人物:イオリア・シュヘンベルグ、E.A.レイ、リボンズ・アルマーク他

 

特筆事項

・本名はベルフトゥーロ・ティアエラ・シュヘンベルク。イオリア・シュヘンベルクの妻であり、『悪の組織』代表取締役にして、スターダスト・トレイマーのリーダー。

・イオリアの遺志を継ぎ、自分たちの理想――『人が人として生きられる世界』および『来るべき対話のため』に邁進している。

・車椅子使用。しかし、それでも精力的に動き回っている。

・ナスカと呼ばれる惑星で生まれ育った古の『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・尊敬する相手は『ミュウ』の2代目指導者であるジョミー・マーキス・シン。彼を『グラン・パ』と呼んで慕っていた。

・愛称は『グラン・マ(おばあちゃん)』。リボンズからは『マザー』と呼ばれている。

・宇宙を流浪していた『ミュウ』から別れて、この地球にやって来た。そこでイオリアに一目惚れし、熱烈なアタックをかましている。

・同じ星で生まれた幼馴染は9人いた。名前はそれぞれ、トオニィ、アルテラ、タージオン、タキオン、コブ、ツェーレン、ペスタチオ、エルガン、イニスという。

・実は、エルガンの方が年下。

・旅路の中で、『牙』として多大な戦果を挙げていた様子。具体例としては、戦艦百数十艦の撃沈。

 

・『悪の組織』が戦争幇助企業に認定されたことで、政府に身柄を拘束されてしまう。

 

 

 

蛇足

・イメージCV.神田沙也加

・イメージソング:『戦士よ、立ち上がれ!』(影山ヒロノブ&遠藤正明)/『This Night』(CHEMISTRY)



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大丈夫だ、2ndシーズンに入ったから。
幕間.第3者から見た開幕の図


 ジンクスが宇宙(そら)を翔る。アロウズの機体であることを示す、赤いカラーリングが施されていた。

 

 5機のジンクスを先導するかのように、アヘッドが先陣を切った。対峙するブラストやティエレンたちからの攻撃を難なく躱し、ビームランスから攻撃を繰り出す。銃の要領で放たれた粒子の弾丸は、ブラストやティエレンたちをぶち抜いた。爆炎の花が咲き乱れる。

 ジンクスたちも慣れた様子で敵を屠っていく。疑似太陽炉搭載型の新型にかかれば、旧型機を一網打尽にすることなど赤子の手をひねるようなものだ。嘗てのソレスタルビーイングのガンダムを操っていた者の気持ちが、今なら分かるような気がした。

 

 ブラストたちが展開した機関銃の弾幕は、アヘッドの機体性能から見ればスローモーションに見えるレベルだ。

 アヘッドは縫うようにしてそれを躱し、一気に距離を詰めた。ビームランスを振りかぶり、ブラストの胸部に突き立てる。

 別のブラストが突っ込んできたが、アヘッドは振り向きざまに獲物を薙ぎ払った。また、爆発の花が咲く。

 

 

「作戦完了だ」

 

 

 レーダーが完全に沈黙したことを確認し、アヘッドの操縦者――バラック・ジニンは息を吐いた。味方機を確認する。誰も撃墜されていなかった。部隊を指揮する者として、仲間たちの無事は何よりも安心することだ。

 嘗てジニンは、大切な人を守り抜けなかった。燃え盛る街が脳裏を翔る。倒れたきり、動かない女性。瓦礫に身体を押しつぶされた彼女の目は、虚ろに天を見上げている。――ジニンの妻は、反政府組織カタロンのデモによって犠牲になったのだ。

 

 

(……エティ)

 

 

 今は亡き妻を想う。懐から取り出した女性の写真。とある女性歌手ユニットのファングッズに身を包んだエティ・ジニンは、快晴を思わせるような笑顔を浮かべていた。

 彼女の笑顔は、永遠に見れない。声を聞くことも、触れることさえ叶わないのだ。ジニンは静かに目を伏せた。妻の敵を取るために、ジニンはアロウズに身を置いている。

 カタロンの奴らはいくら潰しても、害虫の如く湧いてくる。奴らのテロ行為で、何人もの無辜の人々が犠牲になった。奴らの存在を赦しておくことはできない。

 

 脱線した思考回路を元に戻す。振り返れば、5機のジンクスのうち、4機が綺麗な隊列を組んでいた。

 

 この4機のパイロットたちは、嘗てユニオン軍の第8航空部隊(オーバーフラッグス)に所属していたという過去がある。同じ部隊に所属していた者同士が勢ぞろいするとは、変わった偶然もあるらしい。

 残りの1機は、綺麗な隊列の後ろを飛んでいる。同じ部隊で気心の知れた4人のパイロットたちは、強い絆で結ばれていた。その中に他人が加わるには難しいようだ。実際、ジニンも、4人のやり取りを見ていると疎外感を感じることがあった。

 

 

『う、うわあああああああ! メシマズテロだー!!』

 

『ま た お 前 か ! !』

 

『何をどうすれば、シチューが虹色になるんだよ!?』

 

『な、なんだよぅ! せっかく頑張って作ったってのに……!!』

 

 

 4人の会話を思い出し――結果、連動的に副産物である虹色の料理を思い出してしまった。

 

 それだけなら、まだいい。

 ジニンの頭は、別なものまで思い出してしまった。

 

 

『お前、俺たちに何か恨みでもあるのか!?』

 

『なんだこれは……なんなんだこれは……!』

 

『怪しいレーザー光線を発してるんすけど!?』

 

『目を楽しませるために頑張ったんだ。暗いところではちゃんと光るんだぞ!』

 

『おいやめろ』

 

『ばかやめろ』

 

『食材に謝れ』

 

 

 蛍光系の青に輝くパンケーキが鎮座していたのを目の当たりにしたときには、どうしてやろうかとジニンは思った。

 暗がりに持ち込んだら本当に光っていた。作り手は何かに呪われてるのではなかろうか、と、心配になったのはここだけの話である。

 そういえば、ジニンが口にして、医務室に運び込まれたのもこのパンケーキが原因だった。思い出すと涙が出そうになる。

 

 それだけなら、まだいい。

 ジニンの頭は、更に別なものまで思い出してしまった。

 

 

『なあ、どうしてだよ!? どうしてこんな神話生物が湧いて出てくるんだよ!?』

 

『ヒィ!? なんか変な触手が蠢いてる!』

 

『ああ、鍋が! 鍋が! しっかり蓋して紐で結んだってのにカタカタ言ってるぞ!!』

 

『そこまでする必要あるかよ!? ――あ、紐が切れた』

 

『う、うわああああああああああああああ!!!?』

 

 

 彼らが和気あいあいと語り合う休憩室に足を踏み入れた刹那、ジニンは“何か”を見た。

 

 それは、言葉にするには、あまりにも冒涜的なものだった。

 笛の音が聞こえた。「てけり・てけり・り」という、不思議な響きを宿した音だった。

 玉虫色の輝き。目がいっぱい湧いてて、触手みたいなものがゆらゆらと蠢いていた。

 

 不気味な生き物と目があった。てけり・り、という声が響いた。そこから先の記憶は曖昧だ。……玉虫色の“何か”は、あの後どこへ行ってしまったのだろう。

 行方を尋ねたら、4人は曖昧な表情を浮かべて流し台を見つめていた。彼らの口は貝のように閉じられ、一言も発されることはなかった。閑話休題。

 

 

「ジニン隊へ。カタロンのテロ行為に関する情報を入手した。反政府テロ鎮圧のためコロニー・プラウドへ向かい、他の部隊と合流してくれ」

 

「了解」

 

 

 脱線したジニンの思考回路を引きもどすが如く、アロウズ本部からの連絡が入った。忌々しい反政府組織が、またテロ行為を行おうとしているらしい。

 コロニー・プラウドは反政府組織の連中が拘束されている牢獄である。妻のエティを手にかけた連中の仲間たちだ。操縦桿を握る手に力がこもる。

 

 次の瞬間、叫ぶような声が聞こえた。ジニンには、聞き覚えのある歌詞のフレーズだった。妻が大好きだった女性歌手ユニットの歌だ。

 

 

「生き残りたい、生き残りたい!」

 

 

 声の主は、綺麗に隊列が整った4機と距離を取っていた1機だった。ジンクスは突然、あらぬ方向に向けて進路を取った。アクロバティックな動きを繰り返し、ジニンの隊から逸れていく。

 

 

「ジニン隊長! ()()あいつです!」

 

()()あいつか……」

 

 

 ジニンはため息をついた。

 

 

(以前のシミュレーターでも、突然『私とあなたのように、本来交わるはずのないもの達……』って叫んで、ガンダムに挑みかかっていったからな。大丈夫なのか……?)

 

 

 アロウズでは、「国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦や、その他の戦場で入手したガンダムたち」のデータをベースにしたシミュレーターが流行している。

 あらぬ方向へ迷走するパイロットは、しょっちゅうシミュレーターで問題を起こすのだ。内容は『奇行に走る』ものだが、場合によっては機械を破壊してしまうこともあった。

 

 件の彼は、妻が大好きだった歌を熱唱(?)しながら変な方向へ飛んでいく。気のせいか、その声が妻の声にダブってきた。ジニンの正気度は夢の30代に突入したらしい。

 彼は延々と「生き残りたい」というフレーズを熱唱していた。そのフレーズ自体が、彼自身の切実な叫びのように聞こえてくるのは何故だろう。しかも、他人事のように思えない。

 同じ隊に所属する4機のパイロットに、迷走し続けるパイロットを迎えに行く旨を伝える。4人は了承の返事を返した。ジニンは迷走する機体の元へと向かう。

 

 

「お前はどこへ行くつもりだ、准尉!」

 

「頭に……響くんだよォ……! 叫んでばかりでぇ!!」

 

「准尉ィィィィィ! 本当にどこへ行くんだァァァァァァ!?」

 

 

 明後日の方向へと飛んでいく機体を追いかける。

 

 作戦開始までに、彼を連れもどすことができればいいのだが。

 ジニンは頭を抱えたい衝動に駆られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふたりのこの手が真っ赤に燃える!」

「幸せ掴めと轟き叫ぶ!」

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 うら若き青年と乙女は手を取り合う。彼らの目には一切の迷いがない。2人の手が真っ赤に燃える。生きて幸せ掴むと轟き唸る。夫婦は同じ場所を見て、同じ未来を見ているのだ。

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃波と光が発生し、何もかもを吹き飛ばした。辺りには、粉々に砕け散ったオートマトンの残骸が転がっている。これ、本当に殺傷兵器だったのだろうか?

 先程からずっと、エディ・ミヤサカのキャパシティを軽々超えた出来事が立て続けに発生している。目の前で石破ラブラブ天驚拳無双を繰り広げる夫婦とか、まさにそれだ。

 「『悪の組織』の技術者をカタロンに引き込めたら」という下心で接していた連中が、こんな恐ろしい奴らだったなんて思わなかった。エディは1人身のためである。

 

 そりゃあ、件の技術者――沙慈・クロスロードとルイス・クロスロードが仕事中にする会話も、常に花とハートが飛び交っていたように思う。うふふあははという笑い声が絶えなかったように思う。エディの僻みかもしれないが、そんな気がしてならなかった。

 常世の春という言葉が良く似合う、脳内お花畑な夫婦だ。新婚ほやほやのバカップルだ。そんな奴らが、殺傷兵器を次々と薙ぎ倒していく人間兵器だなんて誰が予測できるか。しかも、2人の必殺技が、1人身の人間に容赦ないダメージを与える恐ろしい技だったとは。

 

 

「私もいつか、ライルと一緒に打ちたいなぁ」

 

 

 クロスロード夫妻を援護しながら、もう1人の技術者――アニュー・リターナーが呟いた。

 彼女の拳がほんのりと赤く光ったように見えたのは、エディの気のせいだと思いたい。

 

 

「爆発しろ……。リア充爆発しろ……」

 

「バカップルめ……」

 

 

 エディの周囲は、白目を剥いた連中たちでいっぱいだ。彼らの共通点は、エディと同じ「1人身である」という部分だろう。

 彼らはまるでゾンビのように、ふらふらとした足取りで、クロスロード夫妻やアニューの後を追いかけている。とんだバイオハザードだ。

 もうクロスロード夫妻とアニューだけでいいんじゃないかな――飛びそうになる意識をどうにか奮い立たせながら、エディも足を進めた。

 

 遠くで同胞の悲鳴が聞こえる。本来なら率先して助けに向かうべきなのだろうが、エディの精神は昏倒一歩手前の状況に陥っていた。体も精神もぼろぼろである。クロスロード夫妻やアニューに続くので手一杯だった。

 

 そんなエディの代わりに、クロスロード夫妻やアニューは率先して人助けへ向かう。相手がカタロンの関係者であろうと、上層部から見捨てられたアロウズの兵士だろうと、貴賤も分け隔てもなく助けていた。そうして1人身どもを地獄へ突き落しているが、自覚がないって本当にタチが悪い。

 銃撃音が響く。誰かがオートマトンと戦っているらしい。黒いパイロットスーツに身を包んだ、小柄で華奢な人影が見えた。その人物は手慣れた様子でオートマトンを駆除する。しかし、人影の死角から別のオートマトンが攻撃を仕掛けようとしていた。影が振り返るが、到底間に合わない。

 

 

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 次の瞬間、人影に襲い掛かろうとしていたオートマトンが、木端微塵に爆発した。あまりのことに、人影が茫然と夫婦を見返す。

 その人物はきっと、数刻前のエディと同じ顔をしていることだろう。なんだこれは。本当になんなんだこれは。安心しろ、俺も同志だ。

 

 

「キミ、大丈夫かい!?」

 

「ぁ、ああ……」

 

 

 パイロットスーツを身に纏う人物に声をかけた沙慈が、目を見開いた。

 

 

「……あれ? キミは……」

 

「もしかして、刹那?」

 

 

 沙慈の疑問を引き継いだルイスが、ぱっと表情を輝かせる。

 2人の反応に何か思うところがあったのだろう。

 

 

「お前たちは……沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィか?」

 

 

 どうやら、パイロットスーツに身を包んだ人物――刹那は、2人の知り合いだったらしい。何か、思い至ったように2人の名を呼んだ。沙慈とルイスは即答する。

 

 

「違うわ。私はルイス・クロスロード。沙慈のお嫁さんよ!」

「そうだね。僕は沙慈・クロスロード。ルイスのお婿さんだよ!」

 

「…………そ、そう、なの、……か……!?」

 

 

 お花満開新婚バカップルの答えを聞いた刹那は、酷く困惑したような気配を漂わせた。周囲の人間に助けを求めるかのように、エディたちの方を向く。

 縋るような眼差しでこちらを見られても、どうしようもない。もう手遅れだ、こっちを見ないでくれ――その意味を込めて、エディはパイロットスーツ姿の人影を見返した。

 彼/彼女はしばし沈黙する。きっと、眉間には盛大にしわが刻まれていそうだった。数刻前のエディと同じ表情だろう。……本当に、可哀想だ。助けてやりたいが、無理である。

 

 やっぱもうクロスロード夫妻とアニューだけでいいんじゃないかな――飛びそうになる意識をどうにか奮い立たせながら、エディはここに存在していた。存在するだけで、こんなにも命が削れてしまうことがあるなんて知らなかった。

 

 遠くで爆発音が響いた。足音が聞こえる。ゆっくりと振り返れば、ユニオン、AEU、人革連と不揃いのパイロットスーツを身に纏った老若男女がエディ等の元へ駆け寄ってきた。

 彼らはエディたちと同じ、カタロンの構成部隊であった。近々プラウドへ救出作戦が行われると言われていたが、その部隊の面々らしい。エディたちは助かったのだ。

 

 

「ああ、ああああああ!」

 

 

 多くの同志たちが咽び泣く。あの悪夢のような技を見なくて済む。バカップルのきゃっきゃうふふを目にしなくて済むのだ。エディもガッツポーズを取った。

 

 

「お、おい! お前ら大丈夫なのか!?」

 

「アロウズの連中、酷いことしやがる……!」

 

 

 カタロンの救出部隊が何かを勘違いしているような気がしたが、今のエディにしてみればどうでもいいことだった。バカップルのいちゃいちゃなんて、1人身の人間には完全な拷問であった。――成程、救出部隊の面々が言ったことは何も間違いではなかった。

 エディは崩れ落ちる。構成員が慌てた様子で自分を支えてくれた。そのまま彼らに身を任せる。ようやく意識を落とすことができるのだ。もう、休んでいいのだ。エディはゴールテープを切ってもいいはずである。かくん、と、首が傾いた。

 意識が暗闇に落ちていく。その視界の端に、何かが映った。刹那と呼ばれた人影が、構成員が来た場所とは別な方向に走って行く。クロスロード夫妻とアニューも、その人物と同じ通路へと消えて行った。歓声に紛れて、声が聞こえる。

 

 

「待ってくれ刹那! キミはカタロンじゃないのか!?」

 

「違う。俺は――」

 

 

 少し低い、女性の声がした。

 彼女の声をすべて聞く前に、エディの意識は闇へと刈り取られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて奴を目にしたときから、気に食わない相手だと思っていた。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「はじめまして、僕の『同胞』。僕の、新しい家族。……はやく、キミたちに会いたいな」

 

 

 薄緑の髪にアメジストの瞳を持つ青年は、愛おしそうにこちらを見返している。その眼差しがあまりにも腑抜けているように思えて、苛立たしさを覚えた。

 気持ち悪い。とにかく、気持ちが悪い。生理的に、自分はこいつを受け入れられなかった。憎い。奴が憎い。兎にも角にも、奴の存在を赦すことができなかった。

 こいつは邪魔になる。自分はすぐにそれを直感した。こいつは何としても消さなければならない。こいつに関わるすべてのものを、根こそぎ、跡形も残さずに。

 

 次の瞬間、自分の中に膨大な情報が入り込んでくる。自分の名前、己に与えられた使命、己の存在、目の前にいる者の名前と存在の強大さ――そのすべてを受け止めて、自分は本当の意味で“目覚め”を迎えた。

 自分の名前は、ビサイド・ペイン。イオリア計画遂行のために生み出されたイノベイドである。そして目の前にいるのは、1番最初に生み出されたファーストイノベイドであり、ビサイドと同じ塩基配列を有する者。

 

 全てのイノベイドの兄に当たる者――リボンズ・アルマーク。イオリア・シュヘンベルクにとっての息子のような存在だ。彼はイオリア計画の継承者として、これからの人生を生きていくのだろう。ビサイドは、彼に協力するために生み出された。

 

 気に食わない。自分に与えられた存在意義(レーゾンテートル)も、自分を慈しむように見つめるこの男も、この男に微笑み返す他の個体たちも、下等生物(ニンゲン)たちが存在するこの世界も。

 ビサイド・ペインはイノベイドだ。人間よりも高位の生命体。人類を統率し、支配し、導く者。そうする資格を有する者。だから、イオリア計画の継承者となったリボンズの存在を赦すことができない。

 

 

(下等生物(ニンゲン)と寄り添い、共に手を取り合い、生きていく世界……。そんなの、くだらない!)

 

 

 自分たちは優良種だ。ニンゲンのような、未成熟な劣等種とは違う。自分たちのような完成された存在は、未成熟な者たちを導く義務があるのだ。

 

 人間じみた微笑みを向けるリボンズを見ていると、本当に反吐が出る。心をどす黒く燃やすほどの感情が溢れる。優良種のくせに、劣等種と同格に堕ちた同胞の恥さらしだ。

 激しい憎悪と憤怒を、ビサイドは惜しみなくリボンズに注いだ。慈しむような眼差しでカプセルを見ていたリボンズが、酷く驚いたように目を見張った。

 ゆっくりと、こちらを見返す。目が、合った。リボンズはぱちくりと目を瞬かせると、ちょっと困ったような、哀しそうな笑みを浮かべてビサイドを見返した。

 

 やはり、気に食わない。

 ビサイドはあからさまに舌打ちし、目を閉じた。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 豪邸の、穏やかな昼下がり。見知った相手の背中を見つけて、ビサイドは彼の名を呼んだ。

 名前を呼ばれたリボンズは、ゆったりと振り返る。いつもと変わらない、穏やかな微笑を浮かべていた。

 

 リボンズの微笑は、いつ見ても嫌悪感をあふれさせる。ビサイドは苦々しさを露わにしながら、リボンズへ食いつくようにして問いかけた。

 

 

「キミは一体、何を考えているんだ」

 

 

 いきり立つビサイドの気持ちなど、こいつは気にしていないのだろう。

 リボンズはこてんと首を傾げ――けれどすぐに合点がいったように、彼はぽんと手を叩いた。

 

 

「ああ、あの子をエクシアのパイロットに推挙した件だね? 僕があの子を――ソラン・イブラヒムを見つけたんだ」

 

「ソラン・イブラヒム? そいつにエクシアを?」

 

 

 その言葉を皮切りにして、奴の腹立たしい微笑がへにゃりと緩む。

 

 

「凄いんだよ。あの子は、僕に“可能性に賭ける”ということを教えてくれたんだ。また1つ、“答え”に近づけたんだよ」

 

 

 春に満開の花が咲くように、リボンズは微笑んだ。余程興奮しているのだろう。奴の頬は薔薇色に上気している。

 奴は頼まれてもいないのにソラン・イブラヒム――刹那・F・セイエイの話を始めた。リボンズは朗々と語り続ける。

 ビサイドは何度か呼びかけたが、リボンズは一切反応しなかった。ただ一方的に、べらべらと刹那について語り続けた。

 

 日が暮れた。星が見えた。水平線の向うから日が昇った。青空が広がった。太陽が傾いた。夕焼けが目に眩しい。

 時計の短針が何回動いたのだろうか。15から先を、ビサイドは数えていない。話が終わったのは、星が瞬き始めた頃だった。

 

 奴は満足したのだろう。うんうん頷いた。

 

 

「楽しみなんだ。あの子がこれから、どんな花を咲かせるのか」

 

 

 リボンズは色々と語っているけれど、結局は、1つの答えに帰結する。奴は恐れているのだ。ガンダムマイスターとしての“滅び”を。

 ソレスタルビーイングは世界の敵として滅びるという運命を背負っている。リボンズのような男が、むざむざ滅びを受け入れるようなタマではない。

 

 ビサイドは鼻で笑った。

 

 

「まあいい。オレはキミの計画に従う者。キミの計画に協力するよ」

 

 

 その言葉が薄っぺらいことは、ビサイド自身が良く自覚していた。ビサイドには、最初から彼に協力するつもりもない。

 むしろ逆だ。イオリア計画を乗っ取り、リボンズを出し抜く。そうして、イノベイドたちによる世界を造り上げるのだ。

 自分にはそれができる。何故なら、ビサイドの能力は――“滅び”とは無縁のものだからだ。自分は、永遠の存在なのだから。

 

 ビサイドはちらりと振り返った。リボンズは、どこか哀しそうな表情を浮かべ、こちらをじっと見つめている。苦しそうに、寂しそうに、ずっと。

 馬鹿げている。同じ塩基配列であること以外に、繋がりなんて何もないのに。イノベイド同士であること以外に、繋がりなんてないのに。

 

 

「リボンズ!」

 

 

 リボンズの背後から声がした。ヒリング・ケア、リヴァイヴ・リヴァイバル、ブリング・スタビティ、デヴァイン・ノヴァ、リジェネ・レジェッタらが顔を覗かせる。

 

 彼らを年下の妹弟のように思うリボンズは、彼らの方向へ向き直った。悲しそうな笑みはどこにもなく、その横顔は慈愛に満ち溢れている。

 家族ごっこ、か。ご苦労なことだ。ビサイドは再度鼻で笑い、踵を返した。リボンズたちに背を向けて、揺らぐことなく歩き出す。

 

 振り返ることは、二度となかった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 もうすぐだ。

 もうすぐ、はじまる。

 

 ビサイド・ペインは待っている。自分の肉体が帰ってくる瞬間を。

 ビサイド・ペインは待っている。自分がすべてを手にする瞬間を。

 ビサイド・ペインは待っている。自分の革新が始まるその瞬間を。

 

 

 ――ビサイド・ペインは、待ち続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターに表示されていたオートマトンが、次々と稼働を止めていく。反応が消えて、最終的には全機が停止した。

 

 一体全体、何が起こっているのだろう。ジニンはモニターを凝視した。他の面々もそれに気づいたようで、ジンクスやアヘッドたちがそわそわし始めた。

 次の瞬間、プラウドの区画から“何か”が飛び出した。緑色の粒子が宇宙(そら)に舞う。あの色が何を意味しているのか、ジニンはよく知っていた。

 

 

(ガンダム……! まさか、ソレスタルビーイングだと!?)

 

 

 白と青を基調にした機体――ガンダムが姿を現す。顔の半分は装甲が剥がれており、カメラアイの片方は違う機体から拝借および代用したものなのだろう。機体の右半分はマントに覆われている。

 ガンダムは迷うことなく、アヘッドとジンクスの元へと飛び込んでいく。半分折れたブレードが収納され、現れたピストルが火を噴いた。ジニンは即座に反応し、アヘッドの操縦桿を動かす。アヘッドは難なく攻撃を躱した。

 他の部隊のジンクスたちが動き始めた。旧時代の遺物を潰すために攻撃を繰り出す。ビームランスから放たれた攻撃を、ガンダムは軽やかに避けた。傷だらけだとは思えない動きだった。一部のジンクスの動きが鈍くなる。

 

 その隙を、ガンダムは逃さなかった。再びブレードが展開し、ジンクスが一刀両断された。別のジンクスが慌てて攻撃しようとするが、ピストルでコックピットをぶち抜かれた。

 白い天使は、4年前と変わらぬ殺戮ぶりを披露する。そうやって、再び奴らはジニンの同胞たちを刈り取っていくのだ。ジニンは強く操縦桿を握り締める。

 

 ガンダムはピストルで攻撃を仕掛けてくる。アヘッドは距離を摘めようとし――真正面から弾丸が突っ込んでくる。盾で相殺した。爆発する。

 

 ジニンのアヘッドは即座にビームサーベルを振りかぶった。

 ガンダムはそれを、ブレードで受け止める。ばちばちと火花が散った。

 

 

「何故、今になって現れた!?」

 

「――破壊する」

 

 

 火花に混じって、声が聞こえた。接触回線が開いたのだろう。

 

 

「ただ、破壊する……!」

 

 

 少しだけ低い、女性の声だ。

 

 

「――こんな行いをする、貴様たちを!!」

 

 

 女性の一喝が響く。旧式の機体(ガンダム)が、新型機(アヘッド)との鍔迫り合いに競り勝った。

 アヘッドが弾き飛ばされた。ガンダムは即座に刃を戻し、ピストルをこちらに向ける。

 

 

「この俺が、駆逐する!」

 

 

 光弾が降り注いだ。慌てて盾で防いだが、また盾が吹き飛んだ。崩れかけた体制を整えて、ジニンのアヘッドはガンダムから距離を取る。

 

 ガンダムとはいえ、5年前の機体だ。新型機――アヘッドの敵ではない。ジニンの想いに応えるように、アヘッドが飛び出した。

 銃を構えて連射する。ガンダムは回避行動に移るが、逃がさない。ジニンの執念が、ついにガンダムの肩を捕らえた。

 傷は与えられなかったものの、ガンダムの体勢が崩れた。そこを逃すほど、ジニンとアヘッドは甘くない。

 

 足に一発。また、態勢が崩れる。このまま押せば、旧世代の遺物を撃ち落とせる。同胞たちの命を狩り続けた天使に、裁きを降すのだ。

 他のジンクスたちも飛び出し、アヘッドの援護に回ろうとした。しかし、5機いるジニン隊のジンクスのうち、4機がぴたりと動きを止めた。

 

 

「何をやっている! 援護だ!!」

 

 

 シミュレーターの問題児が叫ぶ。しかし、4機は困惑したかのように留まっていた。

 何が起きたんだ、と、シミュレーターの問題児が問いかける。

 

 

「なあ、あの金髪の男……」

 

「大尉! 大尉じゃないか!」

 

「じゃあ、大尉に笑いかけられてる女の子は……」

 

「嘘だろ!? じゃあ、あの大尉殿が言ってた“運命の相手”って奴は――!」

 

 

 何度呼びかけても、返事がない。彼らは彼らで、何か、とんでもない事実を掴んでしまった様子だった。そのショックが大きすぎて、身動きができないようだ。

 これはこれで使い物にならなかった。彼らを当てにすることは不可能だろう。ジニンは舌打ちし、身動きがとれる者/ジンクスたちに援護を要請した。

 銃弾の雨あられをもろに喰らったガンダムの動きが止まる。その隙を逃さず、アヘッドは一気にガンダムとの距離を詰めた。ビームサーベルを振りかぶる。

 

 こいつらのせいで、多くの仲間たちが犠牲になった。その仇を、今ここで取る。

 

 アヘッドのビームサーベルとガンダムのブレードがぶつかり合う。競り勝ったのは、ジニンのアヘッドだった。ビームサーベルがブレードを薙ぎ払う。

 パイロットのうめき声が響いた。弾き飛ばされたガンダムとの距離を再び詰め、アヘッドは2本のビームサーベルを振りかぶった。また、刃同士がぶつかり合う。

 

 

「貴様らの時代は、もう終わったんだ!」

 

 

 競り勝ったのは、アヘッドだ。ガンダムのブレードを、真っ二つに切り飛ばす。体制の崩れたガンダムへ、容赦なくビームサーベルを振り下ろした。

 ガンダムの腕とマントを斬り飛ばした。これでもう、ブレードもピストルも使えまい。完全に無防備となったガンダムが晒される。

 シミュレーターの問題児がとどめを刺そうと飛び出しかけ――今度は、彼が動きを止めた。チャンスだというのに、ジンクスがあらぬ方向を向く。

 

 一体全体、今度は何が起こったというのだろう。

 

 

「おい、どうした!?」

 

「……歌?」

 

「は?」

 

「歌が聞こえる」

 

 

 シミュレーターの問題児が、また問題を起こしたらしい。ガンダムを他の部隊のジンクスに任せ、ジニンは問題児の指示した方向にカメラアイを向けた。問題児の言葉を皮切りに、動きを止めていた4機も同じ方向を向く。

 ジニンには何も聞こえない。けれど、パイロットたちは口々に告げる。「歌が聞こえる」と。そうして、しきりに明後日の方向を気にしていた。……やはり、ジニンには何も聞こえない。奴らは一体、どうしてしまったのか。

 

 次の瞬間、自分たちの眼前で青い光が爆ぜた。地球を連想させるかのような、どこまでも透き通った群青(あお)の光。

 見覚えのあるシルエットが横ぎる。一拍おいて、ジニンはその機体が何の面影を宿していたかに気が付いた。――飛行形態のフラッグである。

 第8航空部隊(オーバーフラッグス)に所属していた4人が、はっと息を飲む音が通信機越しから響いた。彼らには馴染み深い機体のためだ。

 

 刹那、世界が一変する。

 

 そこは、どこまでもなだらかな草原だった。草の匂いが鼻をくすぐる。空は真っ青に染まっており、雲1つない晴天だった。吹き抜ける風はとても優しく、心地よい。ジニンが周囲を見回すと、そこには件の4人が佇んでいた。

 彼らの眼差しは、ある一点に釘付けであった。4人の目は驚愕に見開かれている。まるで、()()()姿()()()()()()()()()()かのような表情である。ジニンも、彼らの方向を向いた。

 

 小高い丘に、誰かが佇んでいる。太陽の光が眩しいためか、逆光になっていてよく見えない。どこかで見覚えのある青い制服は、空の色に同化してしまいそうに見えた。

 よく観察してみると、その服は見覚えがあった。旧ユニオンの軍服である。黒髪が風に弄ばれて揺れた。小さな背中が、ジニンの視界にはっきりと収まる。

 風が吹いた。彼が被っていた帽子が吹き飛ばされる。それに呼応するかのように、その人物が振り返った。ジニンの位置では、丁度逆光が酷くて顔を伺うことができない。

 

 しかし、この4人の位置からは、丘に佇む男の正体がわかったようだ。

 

 

「――ハガネ少佐?」

 

 

 4人は大きく口を開けて、声にならぬ声を漏らした。ジニンが再びその人物の姿を捕らえたとき、不意に衝撃を感じた。

 

 

「――!?」

 

 

 見渡すと、そこはなだらかな丘ではない。真っ青な空もなく、佇んでいた人影の姿もなかった。いつの間にか、視界の光景はコックピットに戻っていた。

 先程からずっと怪現象に直面している。……そろそろ、ジニンの正気度が狂気の10代に突入しそうだ。一体全体、この場に何が起こっているのだろう。

 瞬きをした刹那、青い光が再び舞った。眼前に、鳥型のMSが姿を現す。フラッグの面影を色濃く残した機体は宇宙(そら)に留まったまま可変した。

 

 その佇まいは、紛れもなく、フラッグの系譜を継ぐ新型MSだった。だが、ジニンは知っている。フラッグの後継機開発担当者は、必死になって図面と睨めっこしている真っ最中だった。思うように進まない、と言う話を耳にしたばかりなのである。

 じゃあ、この機体は何だ。困惑するジニンたちをよそに、新型MSは静かに佇んでいる。攻撃をすることもなく、逃げることもなく、4機のジンクスを見つめていた。黄色い粒子がきらきらと舞う。あの光は、スターダスト・トレイマーの機体によく見られるものだった。

 

 

(まさか、こいつも――!)

 

 

 次の瞬間、背後で爆発音が響いた。振り返れば、友軍機が何かによって真っ二つに切り裂かれたところだった。何事かと、ジンクスたちが慌てた様子で周囲を見回す。間髪入れず、輪を背負った白い機影がジンクスに体当たりを喰らわせ弾き飛ばした!!

 

 緑色の粒子がきらきらと舞う。ソレスタルビーイングのガンダムが、また現れたのだ。ジニンは舌打ちする。

 別のアヘッドが新手のガンダムと対峙する。また別の部隊が、満身創痍である白と青基調のガンダムへと迫った。

 が、そんな友軍に、紫の光が降り注ぐ! 現れたのは――また、ガンダムだ。見たことのないタイプのものである。

 

 

「一体、何がどうなってるんだ!?」

 

 

 ジニンの悲鳴に応えるかのように、

 

 

「ユニオンよ、俺は『還って』来た!!」

 

 

 青年の高らかな声が、コロニー・プラウドの周囲に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ああ」

 

 

 仮面の男は、その戦場に釘付けだった。

 

 

「キミたちは、ここにいたのだな」

 

 

 口元には、笑み。

 

 懐から端末を取り出す。つがいのお守りが揺れ、澄んだ鈴の音色が響いた。

 映し出された端末の待ち受けには、幸せそうに微笑む運命の女性(ひと)

 端末を操作すれば、第8航空部隊(オーバーフラッグス)の集合写真が映し出される。

 

 自分の隣で微笑む東洋人男性に視線を落としたのち、待ち受け画面へ戻る。そうして、前を向いた。

 仮面の男も今すぐ戦場(そこ)へ向かいたかったが、今の己は自由が利く身ではない。戦場(そこ)に立つ資格もなかった。

 

 

(――ならば、せめて……)

 

 

 仮面の男は、その戦場(こうけい)を目に焼き付ける。

 赦される限り、彼らの軌跡を見つめていたかった。




【参考および参照】
『メシマズ.net-メシマズ画像ニラヲチサイト』より、『Rainbow Stew:レインボーシチュー』、『怪しいレーザー光線を発するパンケーキ』


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7.帰還者疾駆

 端末に送られてきた情報は、嘗ての第8航空部隊(オーバーフラッグス)のメンバーたち――ハワード、ダリル、ジョシュア、アキラが所属する部隊のものだった。彼らは、コロニー・プラウドで行われる作戦に参加するらしい。日時と時間まで記載されている。

 コロニー・プラウドに収容されている『悪の組織』技術者はいない。別の場所に収容されているようだ。収容されている多くの人間が、カタロンの構成員や関係者だった。その中に添えられるように、アロウズから反政府関係者というレッテルを張られた者たちである。

 行け、と言うことだろうか。クーゴが問いかけようにも、情報を送ってきた張本人であるベルフトゥーロおよびエルガンは今、囚われの身となっている。彼女/彼の行方は未だ掴めていない。2人のレベルであれば、サイオン能力を駆使して逃走することは可能だろう。

 

 それでも、彼女/彼が脱出したという情報はない。

 ……もしかして、脱出できない理由があるのだろうか。

 

 

(いや、考えていても仕方がないか)

 

 

 クーゴはかぶりを振った。嘗ての仲間たちの動向は気になる。

 

 反政府テロの鎮圧任務とあるが、彼らがさせられることは文字通りの虐殺だ。良心的な軍人を地で行く面々には、些か厳しいかもしれない。

 それでも、ハワードたちはやり遂げようとするのだろう。……やり遂げなければ、ならないのだろう。クーゴは深く息を吐いた。

 

 

「…………」

 

 

 隣にいて端末を見ていたイデアの表情は晴れない。眉間には深々と皺が刻まれている。何か、悩んでいるようだ。

 

 

「イデア、どうかしたのか?」

 

「……クーゴさん。あの、私も貴方に同行してもよろしいですか」

 

 

 イデアは真剣な眼差しで、クーゴを見上げた。紫苑の瞳は逸らされることはない。言葉は確かに疑問形なのだが、クーゴが何と答えようとも、イデアは絶対について来ようとするだろう。

 彼女と一緒に行動することに、何か問題があるわけでもないのだ。むしろ、単騎出撃を想定していたクーゴにとって、とても頼れる相棒であろう。断る理由どころか、その申し出はとても心強いものだ。

 

 

「ああ、頼むよ」

 

 

 2つ返事で頷けば、彼女は安心したように微笑んだ。その表情はすぐに消えて、満面の笑みで「お任せください」と、大仰に胸を張って見せる。

 これでも彼女は250歳以上300歳未満。クーゴよりもはるかに年上なのだ。話していても、そうとは思えない。少々子どもっぽい同年代に思える。

 機体の準備も万端だ、と、エイフマン教授を筆頭とした技術者たちから連絡が入った。流石は旧ユニオンが誇る技術顧問だ。頼れる存在である。

 

 イデアの後ろで椅子に座っていたロックオンも、クーゴとイデアに声をかけようとして立ち上がり――ふと、何かに気づいて端末へ視線を落とした。

 

 中途半端に上がった右手の動きが止まる。眉間に深いしわが刻まれる。口元が戦慄いた。

 顔が顔面蒼白通り越して、今にも卒倒してしまいそうだ。ロックオンは大丈夫なのだろうか。

 

 

「――ッ、ライル!」

 

 

 弟の名前――ロックオンが零していたのを耳にしたことがある――を叫びながら、ロックオンは即座に能力を使って転移した。思念増幅師(タイプ・レッド)および『ミュウ』の力に慣れた彼は、後者由来の新しい力、もとい『サイオン波を駆使したテレポート』を使えるようになったばかりである。

 

 以前は“弟に何かあった/何か起きるかもしれないと察知する”と、暴発的にテレポートを繰り返していた。

 そのおかげで、弟の危機を未然に防ぐことができた代わりに自分が身代わりになっていたか。今回も、それに近いのかもしれない。

 『悪の組織』関係者の救急車に浚われるようにして連行されるロックオンの姿が脳裏に『視えた』ような気がした。その光景を頭の端へ片付ける。

 

 

(……あれ?)

 

 

 端末の下の方に、追伸と書かれた文面があった。それを一読し、クーゴは思わず眉をひそめた。

 「元第8航空部隊(オーバーフラッグス)の面々に遭遇したら、この台詞を言うように」というものだった。

 

 

(なんだこれ。……この台詞に、何か意味があるのか?)

 

 

 文面には「還ってきたとならばこの台詞」とある。しかも、ご丁寧に、その文章が赤く点滅しているのだ。情報の送り主があらぶっているのがよくわかる。

 脳裏に誰かの声がした。『ソロモンの悪夢』という単語が頭から離れない。その言葉の該当者もまた、還ってきた人物だった。義に生きた男の名前は、何だったか。

 考えたって分からないことは仕方がない。今は、自分にできることをするだけだ。クーゴ・ハガネという男が生きていることを、世界に知らせる必要がある。

 

 世界の裏で暗躍する蒼海も、操り人形にされているグラハム/ミスター・ブシドーも、これで気づくはずだ。まだ何も“終わっていない”のだと。

 

 蒼海の暴挙を赦すことはできない。彼女の支配を赦すことはできない。そのせいで、クーゴが関わってきた人々や無辜の人々が踏みにじられていくのを、黙って見ていられるはずがないのだ。

 己の胸に手を当てる。旧ユニオン軍の、青基調の制服が目に入った。今のクーゴが拠り所にする大切な絆の証であり、自分が取り戻したいと――『還りたい』と願う場所。決意を固めて前を向く。

 

 

「コロニー・プラウドで行われる掃討作戦の開始時間は……今から1時間後ですね。ESP-Psyonドライヴのワープを使えば、目標地点にすぐ到達できます」

 

 

 イデアは静かな面持ちで頷いた。

 

 S.D体制の技術水準では、既にワープドライブが開発され、実用化されていたという。惑星間の移動距離も短縮されていたようで、西暦2300年代からしてみれば羨ましいの一言に尽きる。しかもそれは、人類側も使えた技術であった。

 幼い頃に夢見たこと――外宇宙探索という言葉がリフレインする。西暦2300年代では実用化されていない技術ばかりだ。今後実用化されるとしても、膨大な時間がかかることだろう。その片鱗に触れているというのは、胸が熱くなる事実だった。

 どこかに置き忘れてきた子どもの姿が『視えた』ような気がして、クーゴは人知れず目を細める。感傷に浸るのは、これで終わりだ。後は前を向いて、還るべき場所へ向かって突き進むのみ。

 

 還りたい場所があるから、鳥は飛んでいける。

 はやぶさは、飛んでいけるのだ。

 

 クーゴはイデアと顔を見合わせ、頷いた。能力を駆使し、格納庫へ転移する。そのまま愛機に乗り込めば、技術者たちがざわめく声が聞こえてきた。カタパルトが開き、いつでも出撃できるという合図が見えた。

 操縦桿を握り締める。はやぶさのカメラアイが光った。スターゲイザー-アルマロスが飛び出していったのに続いて、はやぶさが飛んだ。宇宙(そら)の闇を切り裂いて、飛んでいく。純白の天女と夜色の鳥が並ぶ姿は、どこか神秘的な空気を漂わせた。

 2機の周囲に青い光が舞う。搭載されたドライヴが輝き、黄色かった粒子の色が翡翠色に変わった。宇宙(そら)と空間を、飛び越える。――周囲の風景ががらりと変わった。背後にいた白鯨の姿はなく、遠くの方にコロニーが見える。

 

 

(あそこが、コロニー・プラウド……)

 

 

 クーゴは目的地を睨みつけた。

 クーゴ・ハガネの、“始める場所”。

 

 赤く塗装されたジンクスたちが映った。懐かしい気配を感じ取る。

 

 

「みんな……!」

 

 

 ハワード・メイスン、ダリル・ダッジ、ジョシュア・エドワーズ、アキラ・タケイ。

 意図された采配であるとはいえ、仲間たちと再会したのはかれこれ4年ぶりである。

 

 じわり、と、クーゴの心に込み上げてくるものを感じた。その衝動に駆られるようにして、クーゴの口が開く。

 

 

「『還ろう、始まりの場所へ』」

 

 

 歌を、口ずさんだ。

 

 クーゴが歌いだしたのを皮切りに、5機のジンクスが攻撃の手を止めた。4機はハワードたちの機体だったが、残りの1機はクーゴの知らない相手のものだ。

 もしかしたら、残りの1機に搭乗するパイロットにも、クーゴの歌が『聞こえた』のかもしれない。その人物にも、『ミュウ』やそれとよく似た因子があるのだろうか。

 

 

「――危ない!」

 

 

 イデアの声が響いた。スターゲイザー-アルマロスが飛び出していく。スターゲイザー-アルマロスが守ろうとしていたのは、満身創痍のガンダムだ。

 両手と右脚がちぎれ、顔半分が黒いパーツになっている。その機体には見覚えがあった。グラハムとフラッグが追いかけ続けた天使――ガンダムエクシア。

 パイロットは勿論、刹那・F・セイエイだ。彼女もどうにか生き残ってくれていたらしい。ブシドーを止める手立て、もとい希望はここに存在していた。

 

 砲撃が再開される。見知らぬガンダムが、エクシアを助けるために戦場に降り立ったのだ。

 

 

「一体、何がどうなってるんだ!?」

 

 

 男の声が聞こえた。刹那、拳を振り上げるベルフトゥーロの姿が脳内によぎる。

 いけ、と、彼女の口が動いた。今だ、と、彼女の口が動く。――それに従うようにして、叫んだ。

 

 

「ユニオンよ、俺は『還って』来た!!」

 

 

 クーゴの高らかな声が、コロニー・プラウドの周囲に響き渡った。

 

 

「……ダメだ、ものすごくこっ恥ずかしい……! いくら約束とはいえ、この台詞言うのに何の意味があるんだ……!?」

 

 

 じわじわと湧き上がってきた羞恥心に押しつぶされそうになりながらも、クーゴは操縦桿を握り締める。

 

 アヘッドやジンクスが唖然とした様子でクーゴ/はやぶさを見つめていた。珍妙な乱入者が珍妙なことを口走ったのだ、誰だって驚くだろう。ハワードたちとは違う他のジンクスやアヘッドが、クーゴのはやぶさへと攻撃を仕掛けてきた。

 戦いに来たわけではないが、このまま大人しく殴られてやるつもりはない。『還る』前に死ぬなんて結末は御免である。突っ込んでくるジンクスやアヘッドに対して、クーゴ/はやぶさは真っ直ぐ突っ込むようにして飛んだ。

 

 ビームランスから繰り出されるレーザー攻撃を縫うようにして躱しつつ、こちらもビームライフルを打ち放った。

 ジンクスやアヘッドらが回避に専念する。その隙を狙って、クーゴははやぶさの速度を上げた。

 

 

「トランザム! ――サイオン、フルバースト!!」

 

 

 己の持ちうるサイオン能力を爆発させる。青い光が舞い上がり、普通からは想像できない勢いではやぶさが加速した。ESP-Psyonドライヴ搭載の特別性疑似太陽炉は「ガンダムに搭載されていた純正GNドライヴにおける“トランザム”も使用可能である」らしい。エイフマンとテオドアの談だ。

 トランザムとは、GNドライヴが作り出す特殊粒子の性質を利用したシステムだ。一定時間――数分間程度、爆発的な高速戦闘を行える。粒子貯蔵量が一定以下になる、あるいはタイムリミットがきてしまうと、GN粒子が充填されるまで再度使用することができないというデメリットがあるらしい。

 はやぶさは目にもとまらぬ速さでジンクスたちの元へと突っ込む。相手側から見れば、はやぶさが急接近してきたように見えるだろう。だが、そのまま突撃するのではない。クーゴの脳裏に浮かんだのは、嘗てのグラハム・エーカーが得意としていた空中可変だ。

 

 

「――グラハム・スペシャル」

 

 

 友の名を冠した技を、口に出す。

 どこかで見ているであろうグラハム/ブシドーに、届いてほしいと願いながら。

 

 

「――アンド」

 

 

 はやぶさが可変する。フラッグの面影を色濃く残す形態だ。

 速度を落とさず、勢いそのままに、ジンクスやアヘッドたちとすれ違う。

 すれ違いざま――あるいは出会い頭に、はやぶさは、鞘からガーベラストレートを引き抜いた。

 

 

「――“抜刀(ダラン・ソード)”!」

 

 

 薙ぎ払うような一太刀を浴びせる。すれ違いざま、あるいは出会い頭に行われた高速攻撃を躱すことなどほぼ不可能だ。侍の時代に生み出された抜刀術には、出会い頭やすれ違いざまに行う暗殺術もあった。それを、はやぶさで再現した。

 真正面にいたジンクスの首が吹き飛んだ。振り向きざまにアヘッドの肩に一太刀浴びせる。流れるようにして方向変換し、勢いそのまま別のジンクスたちに斬りかかった。煌めく太刀筋は、ジンクスやアヘッドたちを一網打尽にする。

 

 はやぶさと対峙していたジンクスおよびアヘッドが沈黙したのと同じタイミングで、クーゴはサイオンバーストを解いた。

 

 機体を覆っていた青い光が弾け、翡翠色の粒子が黄色へと変化する。ドライヴの出力は一気に数値を減らしたが、安定していた。

 クーゴは小さく息を吐く。今のところ、クーゴやはやぶさに大きな異常は発生していない。何かあったら大変なことになる。

 

 

『ESP-Psyonドライヴは、GN粒子だけでなく、パイロットの有するサイオン波の特性を利用します。よって、発動した際の効果や持続時間は使用者によって大きな差異があるんですよ』

 

 

 テオドアの話が脳裏を翔けた。

 

 

『例えば、“デコイを大量に作り出す”、“通常のシールド以上の強度を誇る鉄壁を発生させる”、“トランザムシステムを上回る高速戦闘が可能”など、その種類は多岐にわたります。パイロットの特性次第では、複数の効果を発生させるものもあるんですよ!』

 

 

 クーゴは己の手を見つめた。サイオンバーストを駆使した際、自分とはやぶさが青い光を放ったことを思い返す。テオドアとイデアも、複数の能力を組み合わせていると言っていた。

 複数の特性を有するのは、各能力でもトップクラスの実力者や荒ぶる青(タイプ・ブルー)の能力者に多いようだ。特に、“トランザムシステムを上回る高速戦闘”は荒ぶる青(タイプ・ブルー)であれば多くの者が使えるという。

 イデアやテオドアも使える能力であり、現時点でのクーゴが把握している己の特性だ。『悪の組織』関係者曰く、クーゴの能力は未知数だということらしい。まだまだ使える特性があるかもしれないそうだ。

 

 

『但し、能力の継続時間やその他諸々は、本人の精神力および精神状態に強く影響されます。感情が昂りすぎると、“サイオンバーストを暴走させ、最悪の場合は周囲に被害をまき散らして当事者も命を落とす”……なんて場合もありますので、注意してくださいね』

 

 

 危険を忠告するテオドアは、どことなく沈痛な面持ちでいた。彼にも何か、思うところがあったのかもしれない。

 

 サイオンバーストの危険性に関しては、テオドアだけではなく、他の面々からも聞かされた。特にベルフトゥーロは、真面目な顔をして何度も忠告していたか。

 彼女の幼馴染の母親(カリナ・アスカ)が、サイオンバーストの暴走によって命を落としたことを知っているためだろう。激高した幼馴染(トオニィ)の暴走による被害のこともあったのかもしれない。

 感情によって能力を引き出すのだ。感情をコントロールできないと、己と周囲に破壊をまき散らす。充分に注意しておかねばならない。クーゴは息を吐いた。

 

 

「撤退だ!」

 

 

 あちこちから、指揮官たちの声が響く。それを皮切りに、アロウズのMSたちは蜘蛛の子を散らすようにプラウド周辺から立ち去った。幾何か後に、カタロンの輸送船と思しき艦がプラウドから現れ、宇宙(そら)の闇へと消えていった。

 初陣にしてはいい感じだ。クーゴは1人納得する。視界の端に映ったのは、どこかで見たことのあるような母艦だった。以前、軍の情報で、ソレスタルビーイングの母艦であると示された画像の艦とよく似ている。

 

 『悪の組織』のデータベースにも、同じ母艦があった。名前は確か――プトレマイオス。

 

 見知らぬガンダムが、エクシアとスターゲイザー-アルマロスを見つめている。攻撃を仕掛けてくる様子はない。

 あれは、ソレスタルビーイングが新しく作った機体なのだろうか。以前目にした重装備系の機体と似ている。

 

 

『イデア・クピディターズ』

 

 

 青年の声が『聞こえた』。紫の髪をおかっぱに切りそろえ、眼鏡をかけた青年の顔が『視える』。

 彼の顔、およびプトレマイオスを目にしたイデアが狼狽えるように表情を曇らせた。

 

 

『イデア!』

 

 

 沢山の声が、イデアの名前を呼んでいる。驚きと、喜びと、祈りにもよく似た切実な想いが渦巻いていた。スターゲイザー-アルマロスは動かない。

 イデアは身を縮ませ、俯いた。彼女は何かに怯えている。嘗て仲間に向けられた畏怖の眼差しが、イデアの動きを止めているのだろう。

 「自分は『還れない』」と零していたイデアの言葉が脳裏をよぎる。彼女は、『還れない』――否、『還らない』決意を固めていた。

 

 イデアの決意は揺らいでいる。この場に留まり続ければ、彼女はまた違う決意を固めるのではないだろうか。共に歩む道を選択するかもしれない。

 

 『還りたい』と願うクーゴ個人としては、彼女にも『還って』欲しいと思っている。イデアは口では「『還れない』」と言い、『還らない』決意を固めている。けれど、仲間たちの動向に気を配っているあたり、本当は『還りたい』と思っているのだろう。

 仲間たちに対し、彼女は『ミュウ』であることを黙っていた。その判断が間違っていたとは思わない。迫害されてきた一族の記憶を鑑みれば、自分の正体を隠そうとするのは当然のことだ。仲間たちを失わぬよう、けれども『ミュウ』であることが露呈しないよう、イデアは必死にやってきた。

 

 

「……イデア。キミは、『還らない』のか?」

 

 

 クーゴは通信回路を開き、イデアに呼びかけた。

 

 

「彼らは、キミを呼んで……」

 

「『還れない』」

 

 

 イデアは、きっぱりと言い切った。

 

 

「そんなの、都合のいい幻聴です。……ソレスタルビーイングのみんなが、化け物の存在を赦すはずがない。争いの引き金になりかねない存在を、赦すはずがないんです」

 

 

 彼女の声は震えている。もしかして、泣いているのだろうか。場所が場所でなければ、涙をぬぐってやることができたかもしれない。クーゴは内心で歯噛みする。

 今は『還らない』。イデアの決断に対して、クーゴが何か言えるようなものではないのだ。わかった、と返して、スターゲイザー-アルマロスへと視線を向けた。

 純白のガンダムは、満身創痍のエクシアや新型ガンダム、および嘗ての古巣に背中を向ける。イデアの名を呼ぶ声が一層強くなった。悲鳴、と言った方がいいかもしれない。

 

 イデア/スターゲイザー-アルマロスを追いかけようとする機体の前に、クーゴ/はやぶさは躍り出た。

 ほんの一瞬、驚きの感情を持ってイデアが振り返る。クーゴの行動が予想外だったのだろう。

 

 

「――ありがとう、ございます」

 

 

 ほんの少し上ずった声で、イデアはクーゴへ感謝の言葉を述べた。

 

 名残惜しそうに嘗ての仲間たちを見つめた後、スターゲイザー-アルマロスは飛び立った。未練を断ち切ろうとするかのように、緑色の粒子が爆ぜた。トランザムシステムとサイオンバーストを併用した全力離脱。

 流石に、新型ガンダムでも対応できなかったようだ。それと同じく、進路を遮るはやぶさに対し、どう対応するか迷っているようである。にらみ合いを続けながら、クーゴはイデア/スターゲイザー-アルマロスが離脱したことを確認した。

 

 それを確認した後、クーゴ/はやぶさはスターゲイザー-アルマロスとは別方向へと飛び出す。飛行形態に可変し、サイオンバーストとESP-Psyonのワープを駆使して『飛んだ』。

 宇宙(そら)と空間を超える。ガンダムとソレスタルビーイングの母艦はなく、クーゴたちが身を寄せている白鯨が見えた。イデアのスターゲイザー-アルマロスの姿も見える。

 クーゴの想いは、嘗ての仲間たちに届いただろうか。蒼海の操り人形にされてしまったグラハム/ミスター・ブシドーに届いただろうか。考えてもわからないし、賽は投げられた後だ。

 

 

(……これから、か)

 

 

 先の見えない明日へ思いを馳せながら、クーゴは帰投する。

 はやぶさの隣にスターゲイザー-アルマロスが並んだ。

 

 その様は、例えるなら――隼が乙女を導いているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、怒ってるんだろうなぁ」

 

 

 プトレマイオスの廊下で、クリスティナ・シエラは目を伏せた。普段の調子からは想像できない程、声が沈んでいる。

 

 

「……やっぱり、辛いッスよね。俺たちは、イデアに酷いことしたんだ……」

 

 

 リヒテンダール・ツエーリも同じ気持ちだ。

 深々と息を吐く。天を仰ぎ、目を手で覆う。

 

 

「俺だって、イデアのこと、化け物だなんて言えるような立場じゃなかったのに」

 

 

 リヒテンダールは覆っていた手を離して、己の腕を天にかざした。服の下に隠れているが、そこには機械化した鉄の肢体が存在している。太陽光紛争のテロに巻き込まれた際、体の大部分を機械化することでリヒテンダールは生き延びた。

 生きているのか、死んでいるのか――あるいは“生かされている”のか。人間なのか、機械なのか――そもそも“生き物”と言える存在なのか。リヒテンダールの境界線は曖昧だ。もっと体を弄繰り回せば、化け物並みの力を得ていてもおかしくない。

 人間離れした力を持っていたイデアは、己の力がばれた末路を悟っていたのだろう。化け物と畏怖され、罵られることを覚悟して、それでもクリスティナとリヒテンダールを助けるために力を使ったのだ。二度とここに戻れないと――戻らないと覚悟して。

 

 クリスティナに嫌われるのが怖くて黙っていたリヒテンダールなんかより、イデアは辛く怖い思いをしていたのだ。

 秘密を抱えて、それでもみんなが大好きで、だから守ろうとしていた。リヒテンダールは目を伏せる。

 

 

「会いたいな。もう1回、話がしたい。また一緒に、笑いあいたい」

 

 

 クリスティナは蹲ったまま、視線を下したまま、声を震わせた。

 

 彼女は、イデアと親友のような間柄だった。クリスティナとイデアが楽しそうに談笑する現場を、リヒテンダールは何度も目にしている。

 イデアの戦死にはクリスティナが1番心を痛めていた。フェルトも、姉のような相手を失った悲しみに打ちひしがれていたものだ。

 

 後から合流した刹那もまた、沈痛そうな表情を浮かべていた。刹那にとっても、イデアは大切な相棒だったから当然だろう。それに、刹那に春をもたらした立役者でもある。

 4年前はイデアといがみ合っていたティエリアでさえ、イデアが自分たちの元から逃げ出したのを目の当たりにして落ち込んだのだ。クルーたちにとって、イデアはもう、大切な家族だった。

 今更かもしれない。でも、仲間たちは確かに気づいたのだ。――……イデア・クピディターズという女性が『何』であろうとも、自分たちにとっては、かけがえのない大切な仲間なのだと。

 

 

「俺もッスよ」

 

 

 リヒテンダールは瞼を閉じる。4年前には日常のように繰り広げられたイデアとの掛け合い。彼女に茶化されて振り回されてきたけれど、その騒がしさと和やかさが、今は酷く恋しい。

 還ってきてほしい。プトレマイオスクルーは、みんなそう考えている。みんなそう願っている。……そんなささやかな願いを壊してしまったのは、他ならぬリヒテンダールとクリスティナ自身だったのに。

 

 

「伝えたいことが、沢山あるのになぁ。……イデアに」

 

「……そうッスね。俺たちのこととか、今までのこととか……沢山、沢山」

 

 

 ――そう。

 

 ――伝えたいことが、沢山。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空の向うに、ぽつぽつと星が姿を現し始めた。市内に複数の学校があるためか、夕方になると学生らしき風貌の若者を見かけることが多い。丁度この時間帯が帰宅ラッシュなのだろう。中には遅くまで残っている者もいるようだが、それは少数派だ。

 テオドアは校内のゴミ拾いをしながら、目的の人物がここを通りかかるのを待っていた。用務員としてハイスクールに潜り込んで早3ヵ月。目的の相手とはそれなりにコミュニケーションを取れている。彼は最近、変な映像を見ると悩んでいる様子だった。

 

 

『大家族の兄弟たちが顔面蒼白になって大慌てしていたんです。何でも、「母が濡れ衣を着せられて政府に拘束されてしまった」「見せしめで処刑されてしまうんじゃないか」って、とても心配している様子だったなぁ』

 

『長兄が「落ち着け」ってみんなを宥めるんですけど、そう言っておいて、その人、自分が開発したMSと、MSを破壊できる威力にまで違法改造した対物ライフル片手に飛び出していこうとしていたんです。弟妹たちから「あんたが一番落ち着け」って怒られてたなぁ』

 

 

 彼の話を聞いて、脳内で「リアルタイム生中継」と草を生やしながら遠い目をしたのは1週間前のことだ。『悪の組織』の代表取締役であるベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイドの身柄が拘束されたのと同日でもある。

 ヴェーダを掌握、もとい、アロウズのスパコンからのハッキングから防衛していたリボンズたちにとって、母と慕うベルフトゥーロが敵の手に堕ちたとなれば相当な打撃である。その際の動揺および騒動が垂れ流しにされてしまったらしい。

 

 最近のリボンズは、コロニー・プラウドに勾留されているアニューと、ソレスタルビーイングの動向を気にしていた。

 

 

「ああ、ノブレスさん」

 

「おや、レイヴくん」

 

 

 聞こえてきた声に、待ち人が来たことを悟った。呼ばれた偽名(コードネーム)に一瞬身をすくめたが、すぐに人当たりのいい笑みを向ける。振り返った先にいたのは、テオドアに負けず劣らず人当たりのいい好青年だった。深緑の髪にアメジストの瞳が印象的である。

 

 この青年の名前はレイヴ・レチタティーヴォ。“表向き”は、この高校に通う学生だ。レイヴ自身はまだ何も自覚していないが、テオドアは彼のことを知っている。彼はリボンズと同じ塩基配列を有するイノベイドであり、ヴェーダがピックアップしている人物でもあった。

 しかし、テオドアが知っているのはその程度である。ヴェーダを掌握しているリボンズは興味深そうに微笑むだけで何も語ってくれない。教えてくれたことは、「テオドアは、レイヴ・レチタティーヴォが辿る顛末を見届けなくてはならない」ということだけであった。閑話休題。

 連日の映像(ヴィジョン)とレポートを纏めるための徹夜強行軍が祟っているためか、レイヴは酷く疲れ切った様子だった。彼との談笑で得た情報から総合すると、使命を帯びたイノベイドとして覚醒する間近のようだ。早ければ今日、あるいは明日一番になるであろう。

 

 

「これで、レポートの徹夜地獄からも解放された。清々しい気分です」

 

「そうですか。これでレイヴくんは進級確定ですね。確か、お友達は留年一歩手前でしたっけ?」

 

「あはははは。……フレッド、泣いてたなぁ」

 

 

 苦笑したレイヴは、教授にしこたま叱られたのちに留年宣言されたフレッドの横顔を思い出しているようだ。救済措置のレポートもハードな内容らしく、今度は彼が徹夜強行軍に入っているという。

 留年と言う単語を聞いて、テオドアの脳裏に地獄事変の一件が浮かんだ。仲間の中に『時の牢獄を破壊したら、次なる時の牢獄――留年が待ち構えていた』なんてことがあったか。一難去ってまた一難である。

 

 永遠の不変を望む者がいる一方、変化に富んだ未来を望む者がいた。後者の人々が起こした奇跡を、テオドアは『知っている』。

 

 

「今日は、レポートデスマーチ完走記念でもするんですか?」

 

「はい。今日はちょっと奮発して、外食するつもりでいます」

 

 

 そう言って、レイヴは端末を指示した。学生が行くには少々値の張るレストランだ。自分自身にご褒美、というものだろう。

 懐かしいものだ。嘗てのテオドアも、似たようなことをしては家族から顰蹙を買ったことがある。家族に内緒で、美味しい店の美味しいものを食べていたためだ。

 一度に家族を亡くしてしまうことになるなら、みんなと一緒に美味しいもの巡りでもすればよかった。――後悔しても、もう、失ったものは戻ってこない。

 

 今なら、一緒に美味しいもの巡りをしたいと思う相手が沢山いる。ネーナ、リボンズたち、レイフ、ヨハン、ミハエル――頭に浮かんだのは、彼らの笑顔だ。

 味覚を失い、仲間から借りなければ食事がままならない状態だが、テオドアは気にならない。守りたいものが手の中にあるのだと、改めて実感した。

 

 レイヴと話し込んでいたら、鐘の音が響いた。時計の針は丁度一周しており、薄闇は色を濃くして周囲を包み込んでいた。

 

 

「じゃあ、ボクはこれで。ノブレスさん、また明日」

 

「ええ。――さようら、レイヴ」

 

 

 レイヴは笑いながら手を振り、駆け出した。テオドアも2つ返事で頷き、若者の背中を見送る。

 彼の背中が見えなくなったのを確認し、テオドアは真顔になった。もう大学には用はない。

 

 テオドアは帰宅の手続きをさっさとこなし、作業服から私服へと戻る。ハイスクールの門を出て繁華街へと赴き、隠れ家となったマンションの一室に足を踏み入れた。人目についていないのを確認したテオドアは、端末を開いた。持ってきていたPCと繋ぎ、電源を入れた。

 軽やかな手つきでキーボードを叩く。テオドアの目的は、この大学に勤めていた用務員――ノブレス・アムの痕跡を、『違和感なく』消すことだ。ヴェーダやアプロディアからのバックアップのおかげで、データ改竄は難なく終了した。

 これで、ノブレス・アムという人物は『本日付で、一身上の都合により退職した』ことになっている。テオドアは大きく息を吐いた。オールバックにしていた髪を解いて、銀縁眼鏡とカラーコンタクトを外す。琥珀色のアーモンドアイがゆるりと細められた。

 

 このまま役者になってもいいかもしれない――なんて、ふざけたことを考える。歌手か技術者のどちらかで悩み抜いていた時期や、死へ向かって突っ走っていた頃が懐かしい。

 

 

「ふー……」

 

 

 テオドアは大きく息を吐き、ペットボトルの飲み物を煽った。時刻は22時52分。それを確認したのを待っていたように、端末が鳴り響いた。メールの着信である。

 コロニー・プラウドで発生した反政府デモの情報だ。実際は、カタロンによる救出作戦を察知したアロウズが行った鎮圧作戦であった。確か、そこにはアニューが拘束されていたはずだ。

 彼女は大丈夫だったのか。アニューに何かあれば、ヒリングやリヴァイヴが黙っちゃいない。それこそ、リボンズのように、ガデッサを駆り特別改造した対物ライフル片手に飛び出していくだろう。

 

 ふと、テオドアは手を止めた。ソレスタルビーイングのガンダムが姿を現した、という欄である。エクシアの奮闘に百面相するリボンズの様子が頭に浮かび、苦笑した。

 他にも、フラッグとよく似たMSが現れていたらしい。そちらはスターダスト・トレイマーのMSだと言われているそうだ。その正体を、テオドアはよく知っている。

 

 はやぶさを駆るクーゴの姿が『視えた』ような気がして、テオドアはふっと表情を緩めた。

 

 現在時刻は23時02分。間髪入れず、また端末が鳴り響く。

 こんな短時間の間に何が起きたのか、と、テオドアは身構えながら端末を操作する。

 

 

「『レイヴ・レチタティーヴォの機能覚醒を確認』、か」

 

 

 これで、ヴェーダは『レイヴがミッションを完遂できる環境』を整えるだろう。下手したら、レポートやテストは既にパスしたことにされているかもしれない。フレッド氏が耳にしたら発狂ものであることは確かだ。

 

 一通りの情報を確認した後、テオドアは端末をしまいPCを閉じる。

 手早く身支度を済ませ、隠れ家から目的地へと転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『Wikipedia』より、『居合術』および『抜刀術』


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8.半信半疑あっちこっち

「だーかーらー! どうしてお前は無駄撃ちばかりするんだ!? もう少し考えて攻撃しろよ!」

 

「兄さんこそ! 俺は大丈夫だって言ってるのに、どうしていつも庇おうとするんだよ!?」

 

 

 隣の部隊に所属する初代と2代目ストラトス兄弟は、今日も喧嘩で忙しい。

 同部隊に所属するトリニティ3兄妹やフロスト兄弟とはえらい違いである。

 

 傍から見れば、ストラトス兄弟はミラーコントをしているように見えるだろう。さもありなん、2人は一卵性双生児(双子)である。彼らは両名とも射撃を得意とするパイロットだが、戦術の方向性は全く違っていた。

 兄の初代ストラトスが一撃必中の精密射撃を得意とするなら、弟の2代目ストラトスは手数で翻弄する早打ちやバラ撃ちを主体にした戦いを得意としている。指揮官のイデアがときたま乗せ換え企画で2人の乗る機体を入れ替えるのだが、お互いの機体の違いに戸惑う姿を見かけた。

 性格の違いも大きい。兄がハロとピンクの髪の少女が大好きで立派な兄貴分なら、弟は薄紫の髪の女性が大好きで煙草を嗜む色男だ。両名に共通しているのは、ブラザーコンプレックスをいい感じにこじらせているという点だろう。現在進行形で、だ。

 

 なんてことはない、単純なことだ。

 

 兄は弟が心配だから口出しするし、弟は兄に認めてほしいと思っているから反発する。

 弟は兄が心配だから口出しするし、兄は弟を守れるような存在であろうとするから無理をする。

 

 ストラトス兄弟のミラーコントを眺めていたクーゴは、互いを思いあうが故にすれ違う双子を見つめていた。

 グラハムと『彼女』の色恋沙汰から逃げてきた先でこんな光景を見ることになるとは。クーゴにとっては、複雑な光景である。

 そこへ近づいてくる足音。振り返れば、そこにいたのはフロスト兄弟だった。

 

 

「お互いにとってお互いが、大切な存在なのにね。こんなにも簡単なことなのに、どうして彼らは仲が悪いのかな? 兄さん」

 

「それがなかなか難しいところなんだろうよ、オルバ。あの2人は素直になれないだけなのさ」

 

 

 そう言いながら、彼らは生温かい眼差しでストラトス兄弟を見つめていた。フロスト兄弟はストラトス兄弟とは違い、素直に互いへの思いを表現している。

 

 

「……いいな」

 

 

 彼らの後ろ姿を見つめながら、クーゴはぽつりと呟いた。

 

 自分もストラトス兄弟のように、感情をぶつけられたらよかったのに。自分もフロスト兄弟のように、仲良くできたらよかったのに。

 もしかしたら、存在したかもしれない可能性へと思いを馳せる。どこにでもある家族の、どこにでもいるような『きょうだい』の姿を。

 無意味だと知っていながらも尚、想像せずにはいられない。考えれば考えるほど、心に陰りが出てきそうだ。

 

 

「俺もあんな風に、喧嘩したり、仲良くしてみたかったな」

 

 

 自分の傷に触れると知っていても、呟かずにはいられなかった。

 兄弟たちの背中がやけに遠い。元々別の部隊に所属しているというのもあるけれど。

 

 ここにいると、かえって気分が重くなってきそうだ。グラハムと刹那の色恋を見ている方が、よっぽど元気になれそうな気がする。

 

 2人が繰り広げるバイオレンスなやり取りを思い出し、ひどく恋しくなる。大人しく自分の部隊に戻った方がよさそうだ。別部隊の人々とシミュレーションや模擬戦をやってみたかったのだが、今はそんな気分になれなかった。

 踵を返して元来た道を戻る。仲間たちの行き来は活発で、どこかで誰かが何らかの問題を引き起こしていた。ニュータイプとイノベ□ドがババ抜きを通して腹の探り合いをしていたり、ガロードとヒイロが先の乗り換え企画の感想を述べ合っていたり、シャアが自分の機体をせびっていたりしている。

 自分たちの部隊がよく使う休憩室へ戻れば、相変わらずの光景が繰り広げられていた。グラハムが刹那にちょっかいをかけ、刹那がその手を振り払う。彼女の顔は真っ赤だ。それを見たグラハムは、ますます嬉しそうにする。奴は意外と悪趣味なのかもしれない、とクーゴは思った。

 

 グラハム曰く「これが我々の愛」らしい。あながち間違っていないところが怖い。

 周囲の面々も、中心となる2人に対して生温かい視線を向けていた。

 

 

「羨ましいですか?」

 

 

 不意に声を掛けられ、振り返る。我らが指揮官であるイデアが、悪戯っぽさそうに笑っていた。

 

 

「難しいな。割を食うのがいつも俺だと考えると」

 

「それを差し引いたら?」

 

「ちょっとだけ」

 

 

 クーゴは苦笑し、付け加える。

 

 

「でも、いいんだ。俺にだって、そういう相手がいることは知ってるから」

 

 

 自分にも心配したいと思う相手がいる。自分のことを心配してくれる相手がいる。思いの丈をぶつけ合える相手がいる。

 そう、心の底から言える相手がいる。だから大丈夫だ、とクーゴは笑った。指揮官はしばらく目を瞬かせた後、嬉しそうに頷く。

 彼女は「あ」と間抜けな声を出し、急な思い付きを口走るように言った。

 

 

「その相手の中に、私はいますか?」

 

「…………そんなの、訊くまでもないだろ」

 

 

 いい言葉が見つかりそうにないので、そうやってごまかした。

 

 もっとも、彼女はすべて察しているのだろうが。ばつが悪くなって目をそらせば、指揮官がくすくす笑う声が聞こえてきた。

 自分たちにはこれくらいがお似合いだろう。クーゴはグラハムたちのほうへ視線を戻す。刹那に足を踏まれたグラハムが、くぐもった悲鳴を上げていた。

 

 

 

<><><>

 

 

 

 サーシェスのア■ケーガンダムと、ロックオンのガンダムデュナメス-クレーエが、宇宙(そら)で激突する。

 

 戦争をばらまくサーシェスは、ここでもまた争いを引き起こそうとしていた。カイルスのメンバーたちもそうだが、奴に両親を殺されたロックオンが、敵であるサーシェスを野放しにするはずもない。

 カイルスの仲間たちが雑魚敵と戦いを繰り広げる中、サーシェスとの一騎打ちはロックオンに任された。ぶつかり合いは――あまり認めたくないことであるが――サーシェスの方がやや優勢であった。

 

 

「ははっ、どうしたァ!? 俺を倒して仇を取るんじゃなかったのかァ、にいちゃんよォ!」

 

「相変わらず、腹立たしい下種野郎だ……! 今度こそ地獄に返品してやるぜ!!」

 

 

 デュナメス-クレーエのスナイパーライフルが唸る。しかし、アルケ■ガンダムは難なくそれを躱すと、デュナメス-クレーエとの距離を一気に詰めた。

 射撃特化型のデュナメス-クレーエには、近接戦闘向けの武器はビームサーベル程度しかない。おまけに、剣はロックオンの獲物ではないのだ。

 ほぼすべての武器を獲物として対応しているサーシェスにしてみれば、ロックオンに白兵戦を仕掛けるということは最良の戦術であった。

 

 ビームサーベル同士がぶつかり合う。ロックオンの舌打ちとサーシェスの笑い声は、両機体の拮抗状態を表しているように思えた。競り負けたのは、ロックオン/デュナメス-クレーエ。弾き飛ばされたデュナメス-クレーエに、■ルケーガンダムがサーベルを振りかざす!

 それを視界にとらえた仲間たちが悲鳴を上げた。ミシェルやムゥが援護しようとするが、間に合わない。万事休すかと思った刹那、四方八方からレーザーが降り注いだ! 不意打ちを本能で察知したのか、サーシェス/アルケ■ガンダムが飛び退った。

 

 ビームの雨あられが小惑星の大地を抉る。もうもうと広がった煙が晴れて、デュナメス-クレーエを救い出した機体が降臨した。

 

 

「テメェの戦争は終わりだ、アリー・アル・サーシェス!」

 

 

 白と緑を基調とした機体。その面影は、どことなくデュナメス-クレーエと似ている。しかし、細部のデザインや武装にははっきりとした違いがあった。

 本来、ロックオンにはガンダムデュナメスの後継機が与えられるはずだったのだが、『悪の組織』によって『ミュウ』専用の改造を施された機体に搭乗することになったという。

 

 今、この場に降り立ったのは、『ミュウ』に目覚めなかったロックオンが搭乗する予定だったデュナメスの後継機だ。そうして、この場に響き渡った声は、ロックオンの声と瓜二つである。以前、ロックオンは双子の弟がいると漏らしていた。――そこから導かれる答えは。

 

 

「お前……まさか、ライルか!?」

 

 

 ロックオンの素っ頓狂な声が響いた。ライルはニヒルに微笑み返す。

 

 

「フ、久しぶりだな。兄さん」

 

 

 乱入者の存在に気づいた雑魚敵が、ライルを屠らんと迫る。しかし、奴らの剣は、ライルの機体に傷をつけることは叶わなかった。雑魚敵とライルの機体の間に割り込んだ機影によって、真っ二つにされたためである。

 夜明けの空を思わせるような淡いペールブルーの機体が、ライルの機体に寄り添うように降り立った。ペールブルーの機体は、『悪の組織』第1幹部関係者が搭乗する機体――「ガ」シリーズのものとデザインがよく似ている。

 ライルと一緒に乱入した人物の正体は、すぐにわかった。イデアが懐かしそうに、パイロットに声をかけたためである。『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の構成員で通信士を担当しているアニューというらしい。

 

 誰に促されたわけでもなく。

 アニューはいい笑顔で自己紹介を始めた。

 

 

「初めまして、お義兄さま。私、アニュー・リターナーと言います。ライルとは結婚を前提にしたお付き合いをさせていただいてます」

 

 

 爆弾が落ちた。ロックオンがあんぐりと口を開ける。

 

 

「元々は『悪の組織』に所属していた事務員兼通信士ですが、現在はソレスタルビーイングへ出向しています。イデアと同じ『ミュウ』であり、ティエリアさんやリボンズさんと同じイノベイドです。起動してから、今年で9年と3カ月になります」

 

 

 更に核弾頭が落ちた。ロックオンのこめかみがひくついた。

 

 

「あっ、体の年齢は20代前半なので大丈夫ですよ! 夜のアレコレだってちゃんとできますし、実際もう既にやりつくしてますし! ライルったら、本当に激しいんですよ。しかも言葉責めが大好きで……」

 

 

 アニューが頬を染める。世界が焦土と化したのを目の当たりにしたかのような表情を浮かべ、ロックオンがパイロット席に背中を打ち付けた。

 彼の口元は戦慄いている。この場が戦場でなければ、激高してライルへと殴りかかっていきそうだ。辛うじて、ロックオンはそれを押さえつけている。

 

 修羅場一歩手前の双子のやり取りを見たサーシェスは、新しいおもちゃを見つけたかのようにはしゃいでいた。兄弟と弟の婚約者をまとめて始末することにしたらしい。

 戦闘態勢を整えた■ルケーガンダムを目にして、ライルとアニューの機体は臨戦態勢を整える。ロックオン/デュナメス-クレーエだけが茫然としていた。

 しかし、それも一瞬。すぐにロックオン/デュナメス-クレーエはスナイパーライフルを構えて戦闘態勢を取った。カメラアイがきらりと輝く。

 

 

「何故お前がここにいるのかとか、いつの間に彼女ができたのかとか、9歳児に手を出したのかこのロリコン野郎とか、お前の性生活や性癖がそんなんだったのかとか……聞きたいことは沢山ある」

 

「あんたは今まで何してたんだとか、いつの間に彼女ができたのかとか、9歳差の女の子に手を出すつもりでいるのかこのロリコン野郎とか、場合によっては警察への通報も辞さないとか……俺も、兄さんに言いたいことが沢山ある」

 

 

 ロックオンとライルがしかめっ面をした。

 しかし、ライルの切り替え早い。

 

 

「だが、詳細は後だ。まずはあの糞野郎を……!」

 

「ああ。そうさせてもらう」

 

 

 ライルの言葉に従い、ロックオンはサーシェスを睨みつける。

 

 

「ロックオン・ストラトス」

 

 

 ニール・ディランディとライル・ディランディ。

 双子の声が、綺麗に重なり合う。

 

 

「狙い撃つぜ!」

「乱れ撃つぜぇ!」

 

 

 ディランディ兄弟(2人のロックオン)による、奇跡の競演が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「……随分派手にやられたんだな」

 

「ああ、まあな」

 

 

 白鯨内の医務室。包帯まみれのロックオンは、どこかやり遂げたような顔だった。

 

 クーゴとイデアがコロニー・プラウドへ向かっていたのと同時刻に、彼は弟の元へと飛んだらしい。そこで暴漢に襲われていた弟を助けて満身創痍になり、『悪の組織』が調達した偽の救急車と救急隊員に回収されてきたという。

 やっとリハビリが終わったと思っていたのに、また病室へと逆戻りとは。貧乏くじを引きまくっているようにしか思えない。クーゴの考えを察したのか、ロックオンは苦笑した。貧乏くじ、と、彼の口が動く。

 

 

「あいつだけは……弟だけは、守ってやりたくてさ」

 

 

 祈るように、ロックオンは天を仰ぐ。良くも悪くも、彼は長兄と言う言葉が良く似合う男だった。一番上のお兄ちゃん――それが、彼を奮い立たせ、突き動かす原動力なのだろう。

 クーゴは弟であるが、姉の蒼海はロックオンと行動原理が違いすぎた。ロックオンが弟への愛で動くなら、蒼海はクーゴへの憎しみで動いている。クーゴは大きく息を吐いた。

 ロックオンは良い兄貴分だと思う。模範的過ぎるくらい、優しい男だと思う。優しいがゆえに、彼は、すれ違いを繰り返すのであろう。クーゴには、そんな予感が離れない。

 

 ……尤も、クーゴも人のことを言えないのだが。

 

 善意が相手を追いつめる、と言うことはよくある話だ。知らぬ間に相手のコンプレックスを悪化させてしまう。クーゴとロックオンは、その点でシンパシーを感じているのだろう。といっても、これはクーゴの個人的な見解でしかない。

 ロックオンは背伸びをし、小さく呻いた。余程派手にボコボコにされたらしい。確か、全治数週間だった気がする。再生医療を駆使して、だ。自然治療に任せると倍の時間がかかるという。クーゴはふっと苦笑した。

 

 

「俺も基本、守る側だったからなぁ」

 

「お前さん、弟なんだろ? そりゃあまたどうしてだ?」

 

 

 ロックオンが不思議そうに首を傾げた。彼の認識では、弟や妹は無条件で守ってやらねばならぬ者らしい。

 

 

「ねえさんは、いつも俺と比較されてきた。俺だけが異常に贔屓され、あの人だけが異常に蔑まれてきたんだ。そんなねえさんを、俺は何とかしてやりたかった」

 

 

 その結果がどうだったかを、クーゴはよく知っている。ことごとく裏目に出た。差別と贔屓はますます強くなり、蒼海のコンプレックスは肥大したのだろう。追いつめられた蒼海の横顔を思い出して、どうしてか、哀しくなった。

 真正面から意見をぶつけることができたら、今の自分たちの関係は変わっていたかもしれない。IFを考えたところでどうにもならないことも、クーゴは痛いほど理解していた。だから、口に出すようなことはしない。

 

 姉が虐められるというパターンを聞いたのは初めてらしく、ロックオンは信じられないと言いたげに眉をひそめた。

 しかし、片方が蔑まれて傷つけられるという場面を目の当たりにしていたという点には共通項を感じ取ったらしい。

 ロックオンの口がかすかに動く。三文字。それは、弟の名前であった。成程、コンプレックスを刺激されていたのは弟なのか。

 

 

「俺、兄弟喧嘩したことないんだ」

 

「いがみ合ってるのにか? 話を聞く限り、罵り合いをしててもおかしくなさそうだが」

 

「姉の癇癪を一方的に聞くだけで、こっちは何も言わなかった。殴りかかるのも姉だったし、叫ぶのも姉だったし。俺はずっと姉の言い分を聞くだけだった。聞いた後にしたことがあるとするなら、謝り返すことくらいだったし」

 

「それは……確かに、喧嘩って言えないな」

 

 

 他人同士でもそれはちょっと異常じゃないのか、と、ロックオンは眉をひそめる。クーゴもそれに頷き返した。

 

 

「ロックオンは……少ないかもだけど、兄弟喧嘩したことあるんだろ。真正面から意見をぶつけあったこと、あるんだろ」

 

「まあな。大半が、俺の方が折れたり、宥めすかしたりしてたけど。……今思えば、それがまずかったのかもしれないな」

 

 

 ロックオンは懐かしむように目を伏せた。テロが起きる直前の頃から、彼の弟は家から逃げる/飛び出すような形で寮付のスクールへ転校したという。

 家から飛び出したロックオンの弟――ライルは、今もコンプレックス――『良き兄(ロックオン)』の幻想と戦い続けているのだろうか。

 逃げる/飛び出すことを選んだのはクーゴも同じであった。家というしがらみと籠から、「空で待つ」といった友人たちの元へ向かうために。

 

 不意に、背後の扉が開いた。振り返れば、ロックオンの妹――エイミーが見舞いに来たところであった。

 彼女の腕には、釣り鐘状の茎に桃色の花をたわわに咲かせた植物――ナスカの花で作ったブーケが抱えられている。

 

 

「ニール兄さんは過保護なのよ。私やライル兄さんだって、いつまでも、ニール兄さんに守られなきゃいけなかった子どもじゃないんだから」

 

 

 エイミーは呆れたように苦笑した。「いい加減、一人前だって認めてよ」と、彼女の目は告げている。ロックオンは肩をすくめ、視線を遠くへ向けた。

 

 

「見ないうちに、逞しくなったんだなぁ……」

 

「当然。もう20代半ばですから」

 

 

 エイミーは得意げに笑いながら、花瓶にナスカの花を活けた。

 

 エイミーは現在、スターダスト・トレイマーの作戦指揮および艦長として頑張っている真っ最中である。ロックオンにはまったく想像できなかった未来図のようだ。

 妹の成長っぷりに、兄はついていけないらしい。どうしてこうなったと言わんばかりに天を仰いだり、顔を両手で覆ったりすることがあった。気持ちは分からなくもない。

 「兄さんたちはため込んでばっかりで。そこばっかりは似てるからタチ悪いのよ」と、エイミーはばっさり言いきる。それを聞いたロックオンは目を泳がせた。

 

 彼女のように、己の心をはっきりと言えたなら、ロックオンと彼の弟の関係もいい方向へ転がったかもしれない。“表向き”は死人扱いとなっているロックオンだ。やり方によっては、弟と再会して関係を築き直すチャンスもあろう。

 ロックオンとエイミーが談笑する邪魔にならぬよう、クーゴは立ち去ることにした。その旨を2人に伝えて挨拶した後、クーゴは病室を後にする。兄妹の和やかな会話がやけに響いていたような気がした。

 

 

(――俺も、あおちゃんと、そんな風に話をしてみたかったなぁ)

 

 

 叶わぬ望みを想う。

 あまりにもささやかすぎる、願いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AEU領、北アイルランドの空は曇天。重苦しい鉛色の空が広がっている。晴天時の青空を探すことはできなかった。

 以前起こったテロで犠牲になった者たちが眠る広場に、鎮魂の音が響いた。空同様、重苦しい鐘の音だ。

 

 慰霊塔の前で、茶髪の色男と中東出身と思しき男物の衣装を身に纏った女性が何かを話し込んでいた。

 

 男性の名前はライル・ディランディ。女性の名前はソラン・イブラヒム――いや、今は刹那・F・セイエイか。2人の間には物々しい空気が漂っている。

 ヒリングは双眼鏡を片手に、2人の様子を見守っていた。思念波の感度を上げて、2人の会話を聞き洩らすまいと神経を使う。

 

 

(あの子、見ないうちに綺麗になっちゃって……。あんなに小っちゃかったのにね)

 

 

 リボンズが刹那を見出したとき、ヒリングたちもそこに居合わせていた。その頃の少女と、眼前にいる刹那の姿を重ね合わせる。胸の奥から、じわじわと何かが込み上げてきた。

 親戚の子どもの成長を実感したような気分、とは、こういうことを言うのだろう。刹那を見出した本人だったら、その気持ちの高ぶりはどれ程のものだろうか。その喜びは計り知れない。

 ヒリングの隣にいたリヴァイヴは、あんパンと牛乳を片手にその光景を見守る。シャーロック・ホームズを彷彿とさせるコートと帽子を被ったリヴァイヴの姿は、意外と様になっているように見えた。

 

 中世の探偵が、現代日本における警察の張り込みアイテムを持っているという点には突っ込んではいけない。

 ヒリングは素知らぬ顔で、ジャムパンとフルーツ牛乳を口に運んだ。

 

 

「ニール・ディランディはガンダムマイスターだった」

 

 

 相変わらずの仏頂面で、刹那は淡々と話を続ける。彼女の言葉を聞いたライルの表情が困惑顔になった。

 

 

「彼は、ガンダムに乗っていた」

 

「なんだよ、その『乗っていた』って。……まるで、兄さんが死んだみたいな言い草だな」

 

 

 ライルの言葉に、刹那は真顔のまま頷いた。「兄さんが、死んだ?」――ライルは鸚鵡返しする。

 彼は苦笑した。刹那の言葉を信用していないようだ。本当のことを、ヒリングとリヴァイヴは知っている。

 

 ニール・ディランディは生きていた。4年前の戦いの後、『悪の組織』に身を寄せていた。思念増幅師(タイプ・レッド)として『目覚めた』ニールは、時たまテレポートを暴発させている。

 テレポートが暴発するのは、ライルに物理的な危機が迫っているときばかりだ。ヒリングたちがアニューの件でライルを粛せ――ちょっと“お話”しに行ったことが一番分かりやすい例えであろう。

 今から数日前――もとい、コロニー・プラウドでの反政府デモが発生した日も、ニールはライルの危機を感じ取って、能力を駆使して弟を助け出していた。代わりに、再生医療を駆使して全治数週間の重傷を負い、医務室送りとなっている。

 

 一応、ニールがライルの前に姿を現す度に、自分たちや同胞たちが認識や記憶の改竄を行っている。だから大丈夫なはずなのだ、本当は。

 

 しかし、ライルは鼻で笑った。

 刹那の言葉を、妄言だと切り捨てるかのように。

 はっきりと、ライルは言ったのだ。

 

 

「何言ってるんだ。兄さんはこの前、覆面を付けた暴漢に襲われていた俺を助けてくれたんだぞ?」

 

「なんだって!!?」

 

 

 刹那は思わず目を剥いた。ヒリングとリヴァイヴもだ。ライルは頷く。

 

 

「そのときに酷い怪我をしてな。俺が救急車を呼んだんだ。だから、兄さんが死んでるなんてあり得ないんだよ」

 

「そんな、バカなことが……!!」

 

 

 あまりの展開に、刹那は愕然としていた。4年前に死んだと思っていた人間が生きていた訳だから、その驚きは当然のものだ。パニックになってもおかしくはない。

 衝撃的な話を理解しようとしている刹那の脇で、何か引っかかったようにライルが目を瞬かせた。顎に手を当て、必死に何かを思い出そうと唸る。

 

 

「……あれ? そういえば、あの救急車、病院の名前が書いてなかったような……?」

 

 

 それを皮切りに、ライルの記憶は鮮明に当時の出来事を思い浮かべたらしい。ライルの様子に、刹那は目を瞬かせた。

 

 

「……は?」

 

「しかも、俺が電話したら、『近くにいるので拾いに行きます。30秒くらいで到着しますから、安心してください』とか言ってた……――ッ!!!」

 

 

 ライルは完全に思い出したようだ。眼球が飛び出るのではという勢いで目を見開き、状況の不自然さに(おのの)く。サイオン波による認識改竄を、彼は振り払ったのである。

 認識改竄を振り払う原動力になったのは、兄を想う弟の心だ。もっと俗っぽく言い換えれば、完全なブラコン魂だった。人間の繋がりは、ときに凄まじい力を発揮する。

 顔を真っ青にしたライルと、話の内容から恐ろしい予感を覚えた刹那が顔を見合わせた。兄が/仲間が生きていて、何者かによって拉致されてしまった――戦慄するのは当然だ。

 

 どうしよう、どうしよう。兄さんが、兄さんが。

 

 つい先日、ヒリングやリボンズたちが叫んでいた言葉をよく似た内容を心の中で叫び散らしながら、ライルは頭を小刻みに振るわせた。

 刹那も真剣な面持ちで頷き返す。彼女は懐からデータを取り出した。カタロンのアジトも危険だという胸を告げて、彼の手にそれを握らせる。

 

 

「あの様子だと、思った以上にすんなり仲間に加わるんじゃない?」

 

「これで、奴はソレスタルビーイングと合流することになるか。確か、アニューもあっちにいるんだったね」

 

「もしかしたら、それを見越して、プラウドの方は救助に行かなかったのかも」

 

 

 双眼鏡を外し、ヒリングはリヴァイヴに話しかけた。リヴァイヴも、最後の1口になったあんパンと牛乳を流し込み、頷く。そうして、間髪入れず脳量子波とサイオン波を展開した。

 

 

『ブリング! デヴァイン! 救急車の病院名はちゃんと書いておけって言ったじゃん!』

 

『電話対応もだよ! 『近くにいるので拾いに行きます。30秒くらいで到着しますから、安心してください』はアウトだっての!! 待ち構えてたのがバレバレだろ!』

 

『すまん』

『すまん』

 

 

 2人の突っ込みに、違和感の戦犯であるブリングとデヴァインが申し訳なさそうに謝罪した。認識改竄は便利な力だけれど、完全に無敵ではない。

 何らかのきっかけがあれば、記憶や認識改竄が解除されてしまう。強い精神力を持つ人間や、サイオン波を有する『ミュウ』なら、打ち破ることができる。

 あるいは、関係する対象に強い思い入れがある場合だろう。ライルが己に施された記憶および認識改竄を打ち破ったのは、ニールを大切に想う心が強かったためだ。

 

 兄弟の絆を、ヒリングは考える。――自分たちも、そんな風に。

 

 ちょっとだけ羨ましさを感じながら、ヒリングは別の方へと回線を繋いだ。

 リボンズと一緒にヴェーダへ居残りしているリジェネにだ。

 

 

『で、僕らが『悪の組織』関係者であることをカモフラージュするための布石は? どんな感じになってるの?』

 

『ダミー会社設立までもうちょっとかな。アロウズが有するコンピューターからハッキングされてもばれない数値や実績が必要だから、結構難航してるけど……』

 

 

 リジェネは眼鏡のブリッジに手を当てて、深々とため息をついた。

 

 

『徹夜デスマーチが祟ってるのか、ちょっと言動と手段がアレなことに……』

 

『腹が立ったから、とりあえず嫌がらせに株価暴落させよう。アレハンドロからパクった財産もあることだし、仕込みは上々。……あんの糞野郎ども、どんな顔をするのかな? 想像するだけで楽しみだよ。……ふふ、フハハハハハ!』

 

 

 聞こえてきたリボンズの声に、ヒリングとリヴァイヴは頭を抱えた。長兄は相当疲れ切っているらしい。

 こういうときこそ、弟/妹である自分たちが何とかしなければならないのだ。

 2人は顔を見合わせて頷き、広場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙(そら)を臨む中庭に、見知った相手を見つけた。

 

 イデアは憂いに満ちた眼差しで端末を見つめている。今にも泣き出してしまいそうな横顔だ。

 思わず、クーゴは声をかけるのを躊躇った。中途半端に伸ばした手が、宙を彷徨う。

 

 

「ああ、クーゴさん」

 

 

 クーゴの気配を機敏に感じ取ったようで、イデアはこちらを振り向いた。貼り付けたような笑顔を浮かべる。それが、とても痛々しい。

 

 

「隣、座ってもいいか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 

 許可を得たので、クーゴはイデアの隣に腰かけた。幾何かの間、何とも言い難い沈黙が辺り一面を包む。

 何かいい話題を提供できたら、この空気を打破できるのではなかろうか。考えてみたが、何も浮かばなかった。

 

 

「『悪の組織』技術者が、アロウズの収容施設に囚われているのは知ってますね?」

 

「ああ」

 

「さっき、データが送られてきたんです。グラン・マが捕まっている施設の場所と、同じ施設につかまっている人々の一覧なのですが」

 

 

 イデアはそこまで言って、言葉を切った。

 

 何かを躊躇っている様子だった。クーゴに言うことではなく、それをイデアが口にしていい言葉なのかと悩んでいるように見える。

 最終的に、彼女は無言のまま端末を差し出した。それを覗き込む。データは、名前だけではなく、顔写真も一緒に表示されるようだった。

 ベルフトゥーロの他には、解体されたアザディスタンの元王女マリナも勾留されているようだ。画面をスクロールして、クーゴはふと手を止めた。

 

 ソレスタルビーイングのガンダムマイスター、という文章に目が留まる。顔写真に映し出された青年の姿には、どこかで見覚えがあった。虚憶(きょおく)で何度も遭遇/共闘した青年だった。名前は、アレルヤ・ハプティズム。

 嘗ての古巣に所属していた仲間のことを大切に想うイデアだ。『悪の組織』の技術者だけでなく、アレルヤという青年のことも助けたいのだろう。ただ、彼を助けるということは、必然的に古巣と接触しなくてはならないということだ。

 

 

「……私は、彼を、助けたい、です。でも、……みんなと会うことは、できない」

 

 

 絞り出すような声で、イデアは言葉を紡いだ。

 

 

「どの面下げて、会えばいいのか……わからないんです。化け物、って、言われるかもしれないって思うと……」

 

 

 ぽつぽつと零れる声を、クーゴは静かに聞いていた。震える声を、聴き続けた。取りこぼしてしまわぬよう、気を付けながら。

 

 

「私の母は、人間が同胞を嫌悪し殲滅する現場を目の当たりにしていました。人間によって、故郷を滅ぼされた現場を目の当たりにしていたんです。……その話を、その歴史を、私に語って聞かせてくれました」

 

「もしかして、ナスカの子どもたち、か?」

 

 

 クーゴの言葉に、イデアは小さく頷いた。

 

 ナスカの子どもたち――『Toward the Terra』で、『ミュウ』たち安住の地になるはずだった惑星、ナスカで生まれた9人の子どもたちだ。彼らはみな荒ぶる青(タイプ・ブルー)の能力を有しており、対人類戦ではその力をもってして青い星(テラ)への道を切り開いたという。

 9人の子どもたちは、自分の故郷が滅ぼされる現場を目の当たりにした。人類軍によって、家族や幼馴染を殺されるという凄惨な体験をした。人間への憎しみや怒りを抱えながらも、未来のために人類と共に生きることを選択したのだ。尊敬する相手から託されたとはいえ、共生を選ぶのに、どれ程の葛藤を必要としたのだろうか。

 

 

「この惑星(ほし)で生きる人類が、母の言っていた人類とは違うということは分かっています。刹那やソレスタルビーイングの面々も、母の言うような人類とは違うんだって、信じたいです」

 

 

 でも、と、イデアは弱々しく呟いて目を伏せる。膝の上で握り締められた拳が、小刻みに震えていた。『信じていた/信じられると思えた相手から、化け物と言われ恐れられた』――その痛みに、イデアは押しつぶされかけている。

 痛みから身を守ろうとするのは当然のことだ。逃れようとするのも、当たり前のことである。振り返ったら、恐怖が待っていると思っているためだ。逃げて、逃げて、イデアはどうにか平静を保っている状態なのだろう。

 彼女は頑張った。昔もだし、今だって頑張り続けている。ままならない己に嫌悪して、前を向けない己を赦せないでいる。イデアが今欲しているのは、一歩踏み出す力なのだ。その方向性が何であれ、新しい一歩を踏み出す勇気。

 

 あるいは――安心して踏み出せるような、心の拠り所。

 

 『悪の組織』が、それに値しないわけじゃない。イデアや彼女を取り巻く人々だって、重々理解している。

 途方に暮れたイデアは、身動きが取れないでいた。それを責めることなど、誰もできやしないのだ。

 

 

「逃げてもいいと思うよ」

 

 

 馬鹿正直に向かい合うことだけが、正義ではない。状況を打破するための、絶対的な正解ではない。三十六計逃げるに如かずとも言うではないか。

 絶対的な困難(しょうがい)から距離を取り、冷静に確認してみてこそ、初めて分かることもあるだろう。

 1人で向かい合うことより、複数の人間と一緒に問題を見直すことも解決の糸口になるかもしれない。クーゴは、嘗ての日々を思い浮かべた。

 

 

『何を考えているのかは知らないが、そんなに悲観することはないぞ。私はいつだってキミの親友だからな』

 

『そうだよ。キミが何になってしまっても、僕たちは最後まで親友だよ』

 

 

 そう言って、笑ってくれた親友たちがいた。

 

 

『副隊長、大丈夫ですよ。我々もサポートしますから』

 

『役として不足かもしれませんが、お手伝いさせてください』

 

 

 そう言って、頷いてくれた仲間たちがいた。

 

 身動きができずにいて、身を守ることに必死だから。

 イデアは、後ろから響く声に気づいていない。

 

 

「でも、そうする前に、もう1度だけでいいから、振り返ってみてもいいんじゃないかな? ――キミを呼ぶ、ソレスタルビーイング(かれら)の声に」

 

「…………」

 

「逃げるのは、それからでもいいと思う」

 

 

 イデアは怖々とした表情でクーゴを見上げてきた。滲むのは、言葉にできない恐怖と不安。

 まるで、迷子になった子どもみたいだ。どこにも行く当てがなくて、途方に暮れるしかない。

 クーゴはイデアの手に己の手を重ねる。――嘗て、己の命を救い上げてくれた手だ。

 

 今度は、自分の番。

 

 

「……そういえばさ、ベルフトゥーロ氏が捕らわれてる施設の場所ってどこだっけ」

 

「ええと、ここですけど」

 

 

 藪から棒に問いかけられたイデアは、目をぱちくりさせながら端末を指示した。その場所を確認し、クーゴは自分の端末を起動させた。

 配属されている人間たちのリストを確認する。大義名分になりそうなものは何もない。ならば、でっちあげるまでだ。クーゴはわざとらしく声を上げる。

 

 

「ハワードたちの部隊、今度はここに転属するらしいんだ。あのとき、言葉を交わすことはできなかったけど、今回はチャンスがあるかもしれない」

 

 

 イデアがじっとクーゴを見上げた。彼女の眉が顰められる。クーゴの真意を探ろうとしているかのようだ。

 伊達に250歳以上300歳未満、クーゴの言葉の真偽を見抜くなんて簡単なことだろう。なんだか居心地が悪くなってきた。

 澄み切った水面のような双瞼が、自分の姿を映す。居たたまれなさを感じて、クーゴは思わず目を逸らした。

 

 幾何かの沈黙の後で、イデアが小さく噴き出した。

 

 ふふ、と、彼女は笑いをこぼす。突然笑い出したイデアだが、クーゴは別に何かしたわけではない。

 何事かとイデアを見れば、彼女は目元に薄らと何かを浮かべながら、花が綻ぶように微笑んだ。

 

 

「クーゴさんは、やさしい人ですね」

 

 

 天竺葵の柔らかな香りが鼻をくすぐる。イデアの周囲が、きらきら輝いているように見えるのは何故だろう。

 

 

「貴方のそういうところ、好きです」

 

「ありがとう」

 

 

 褒められるというのは、悪い気はしない。ただ、少々照れくささを覚える。クーゴは柄にもなくはにかみながら、髪を掻いた。

 イデアはほわほわした笑みを浮かべている。先程まで影を落としていた表情はもうない。これで一安心だ。

 

 

「そこのご両人。話がまとまったみたいで何より」

 

 

 茶化すような声が聞こえて振り返れば、エイミーが悪い笑みを浮かべていた。ロックオンとの語り合いは終わったらしい。

 

 中庭の外からざわめく思念が聞こえる。エイミーが艦長を務めるホワイトベースのクルーたちだ。確か、ベルフトゥーロがいる施設に勾留されている『悪の組織』技術者たちの救出任務を行う班だった。

 ベルフトゥーロは、ちょっとした用事を片付け次第の合流となるらしい。彼女が大人しく救出されるような人間ではないとは、4年間の付き合いで、クーゴは嫌と言う程身につまされている。エイミーも察している様子だった。

 近隣まで向かうということなのだから、同行するんだろう? と、エイミーの目は問いかける。イデアとクーゴは間髪入れず頷き返した。作戦開始時間までは、まだ時間がある。作戦に向けた準備をしなくては。

 

 クーゴとイデアは、準備をするために立ち上がる。

 吹き抜けた天窓の向う側に、満天の星空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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幕間.そっちもこっちもてんやわんや

 アロウズ本部の空は快晴だ。薄ら暗い世界の動きなど全く知らぬ民衆のように、穏やかな天気である。ミスター・ブシドーは、太陽の眩しさに目を細めた。

 

 目の前にある談話スペースでは、何名かの軍人が話をしていた。1人は眼鏡をかけた知的な女性――AEUが誇る戦術予報士、カティ・マネキンだ。その向かい側にいるのは、人革連の荒熊/セルゲイ・スミノルフの息子――アンドレイ・スミノルフである。

 先程、人革連の超兵と呼ばれた乙女――ソーマ・ピーリスとすれ違った。ユニオンが誇るエイフマン教授の後継者であるビリー・カタギリも招集されている。各陣営のトップガンや名指揮官、および技術者を集めるとは、ホーマー・カタギリ司令の仕事が早い。流石の手腕と言えよう。

 

 

(……いや、手回しや根回しは、カタギリ司令だけのものではないな)

 

 

 “アロウズの裏の裏”にどっぷりと浸かっているブシドーは、ホーマーの後ろにいるであろう黒幕の存在に気づいている。……当然か。自分自身が、その黒幕の手駒の1つなのだから。ひっそりと自嘲する。

 アロウズという組織も、ライセンサーという立場も、ブシドー――否、嘗てのグラハム・エーカーを閉じ込めるための檻に過ぎない。自分は、翼を奪われた鳥と同じようなものだ。もう、飛ぶことすらままならない。

 鳥籠のような窓から見た空は、幼い頃に憧れたときと同じ青が広がっている。遠くの方に、白くたなびく飛行機雲が見えた。変わらない景色と、変わらざるを得なかったブシドーの姿。ああ、なんて皮肉なのだろう。

 

 それでも、ブシドーの眼差しは、空の向うに向けられていた。正確に言えば、どこかの空/宇宙(そら)を翔けているであろう、青いガンダム/刹那・F・セイエイに。

 

 鳥籠に閉じ込められたブシドーにできることは、ただ見上げ続けることだけなのだ。

 ……もしかしたら、見上げ続けることも『忘れて』しまうかもしれない。

 

 

「あー! ここにいたのかよ、オッサン!」

 

 

 背後から喧しい声が響いた。聞くだけで、耳に悪い子どもの声だ。躾のなされていない獣を思わせている。振り返れば、ライセンサーである少年――刃金(はがね) 海月(かづき)が苛立たしげに眉をひそめていた。

 親友と瓜二つの顔立ちであるが、海月の表情は、母親である刃金(はがね) 蒼海(あおみ)を連想させるような、憎たらしい顔をしていた。駒にされた直後は思わず睨み返すこともあったが、最近は対応するのも慣れたものだ。

 

 

「次の作戦、アンタも出るんだ。さっさと準備しろよ」

 

「ああ」

 

 

 ブシドーは返事をした。抑揚のない声だった。

 嘗ての仲間たちが聞いたら、驚くだろう。

 漠然と、ブシドーはそんなことを考えた。

 

 背後から声が聞こえる。ちらりと視線を向ければ、アンドレイと刃金(はがね) 星輝(せいき)が派手に言い争いをしていた。それを諌めたカティと刃金(はがね) 厚陽(あつはる)だが、何を思ったのか、厚陽はカティに対して、ふてぶてしくもどこか悪い笑みを浮かべた。

 

 

「僕たちのことに口出ししないでくださいね。殺してしまうかもしれませんよ? お、ば、さ、ん!」

 

「なっ――!!」

 

「あはははははははははっ!!」

 

 

 カティが厚陽に何かを言い返そうとしたが、それよりも早く厚陽と星輝は駆け出した。軍に場違いな程、明るく騒がしい子どもの声が響き渡る。カティとアンドレイは、苦々しい表情で少年2人の背中を睨みつけた。

 海月はその後を追いかけようとして、ブシドーの方に向き直った。「あと、あの人が呼んでるぞ。ちゃんと行けよ」と言ってこちらを睨み返した。ああ、と、ブシドーは抑揚のない声で答える。海月は舌打ちしたのち、駆け出した。

 

 少年の後ろ姿を無感動に見送る。何かを感じるのは、もうやめた。――でなければ、地獄が延々と繰り返されるためだ。

 重苦しい息が零れた。動くのが億劫で仕方がない。体を引きずるようにして動き出そうとしたら、刃金3兄弟の被害者たちと目が合った。

 こちらを心配するような眼差しに、ブシドーは苦笑で答える。ほとほと困っているんだ、と、言葉にする代わりに、小さく肩をすくめた。

 

 

「ミスター・ブシドー。貴殿は……」

 

「何も言わなくていい。……もう、慣れた」

 

 

 カティの表情が曇ったが、ブシドーは「もう触れるな」と手で合図を送る。カティはアンドレイと顔を見合わせたが、黙ることを選んでくれた。

 小さく会釈し、感謝の意を伝える。鉛のような体をなんとか動かしながら、ブシドーは目的地――指定された場所へと歩き始めた。

 

 鳥は、帰る場所があるから/向かいたい場所があるから、飛んでいけるという話を耳にしたことがある。今のブシドーには、そんな場所はない。見つめていたい場所/もの/人がいるだけだ。けれど、それが――ブシドーを世界に繋ぎとめる、大切な理由だった。

 

 懐から端末と空色の扇を取り出す。端末についていたつがいのお守りが、澄み渡った鈴の音色を響かせた。離れた恋人同士の心を繋ぐと言われるお守り。

 運命の赤い糸、という言葉が、ブシドーの脳裏に浮かんだ。刹那とはそれで結ばれていると、ブシドーは信じている。否、信じていたいだけだった。

 目を閉じる。刹那は、侮蔑の眼差しでこちらを見返していた。赤い糸なんて不確かな繋がりは、とうに絶たれているだろう。ブシドーは目を伏せた。

 

 

(……それでも、私は、キミを見つめていたい)

 

 

 ブシドーは空色の扇を撫でながら、先日の一件を思い出す。コロニー・プラウドで起こった反政府デモと、4年前に壊滅したとされたソレスタルビーイング、およびガンダムの再出現。

 

 正体不明のMSを調査する独自任務を与えられたブシドーは、そこで青いガンダム/刹那の姿を見た。彼女が生きていたことに、途方もない喜びを覚えた。

 継ぎはぎだらけになってしまった記憶を必死になぞる。そうしているうちに、何か、ブシドーの脳裏に引っかかるものがあった。――ブシドーは、何かを忘れている。

 

 他にも、誰かいたはずだ。コロニー・プラウドでの反政府デモ鎮圧に向かった小隊の中に、見知った名前があったはずだ。第8航空部隊(オーバーフラッグス)の生き残りたち。ブシドーが人質に取られていた、大切な仲間だ。なのに――顔と名前が、出てこない。

 また奪われてしまった。ブシドーはぎり、と歯噛みした。この前は、自分が相棒だと認め、交流を深めていた親友――クーゴ・ハガネのことを思い出せなくなりかけたばかりだというのに。彼の場合は――真に不本意だが――蒼海の顔を見て思い出せた。流石、双子である。

 

 

『ユニオンよ、俺は『還って』来た!!』

 

 

 はっとして、ブシドーは目を見張る。

 ああそうだ。あの場に現れたのは、ガンダムだけではなかった。

 フラッグの面影を宿すMSと、二度と聞けないと思っていた声。

 

 奪われていたものの一部を、取り戻した。ブシドーは安堵の息を吐く。大切な親友もまた、『還って』きた。

 

 大丈夫。まだ、ここに残っているものがある。グラハム・エーカーが失いたくないと願ったものだ。

 そうして――ミスター・ブシドーが『還る』ことのできない場所でもある。

 

 

(『還って』きてくれて、ありがとう。……これで私は、安心して進むことができる)

 

 

 ブシドーは、寂しげに微笑んだ。

 

 

(私は、『還れ』そうにないからな)

 

 

 もう、戻れない日々を想う。生きていた、と、実感できた時間を想う。ブシドーは扇と端末を握り締める。鈴の音が優しく響いた。

 ブシドーは前を向く。これから赴く場所は、思い出したくもない地獄が待っている。本当はこのまま逃げ出してしまいたい、けれど。

 

 ――これは、自分の戦いだ。

 

 重い体を引きずりながら、地獄へ向かって歩き出す。地獄の中にいても、空を見上げれば、緑色の光と青い光が見えるだろう。それを見つめることができるなら、きっと。

 本部の廊下を歩き、外に出る。予想通り、金と赤の豪奢な着物を身に纏った蒼海が待っていた。奴は意地の悪い笑みを浮かべ、手招きする。ブシドーは黙ってそれに従った。

 

 

 

*

 

 

 

 地獄の底から空を見る。綺麗な光が『視えた』気がした。

 多くのものがまた零れ落ちてしまったけれど、きっと、大丈夫。

 

 ブシドーはのろのろとベッドから体を起こす。真正面にある鏡に、濁った深緑の瞳が映し出された。体を引きずるようにしてシャワールームへ足を踏み入れる。

 

 手早く身支度を整える。体を洗い、制服を身に纏い、仮面をつけた。空色の扇と、つがいのお守りがついた端末を懐へしまう。優しい鈴の音色が響いた。この音色に、何度救われてきただろう。

 部屋を出て、ライセンサーの集合場所へと向かう。そのとき、ブシドーの端末が着信を告げた。ディスプレイに情報が提示される。アロウズの作戦行動に関する情報だった。

 画面に映し出されたのは、ソレスタルビーイングのメンバーが拘束されているとされる施設だ。厳重な警護態勢が敷かれている。それでも、仲間を救出するために、天使たちは姿を現すだろう。

 

 もしかしたら、『彼女』も、そこに――ブシドーは大きく目を見開いた。

 『彼女』の名前が、思い出せない。その意味も、出てこない。また、自分は『奪われた』のだ。

 

 

「ッ――!!」

 

 

 何かに縋りつくように、ブシドーは端末を握り締めた。鈴の音色が響く。

 

 やはり自分は、『還れない』のだ。

 漠然とした確信が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『MSパイロット、襲撃される』というセンセーショナルな文面が躍る新聞と、有名店のフローズンシェイクを片手に、テオドア・ユスト・ライヒヴァインは歩いている真っ最中だった。

 新聞のMSパイロットとは、アロウズに所属するフリンチ・ブレイク氏だ。彼は誠実な性格で人柄もよく、狙撃されるなんて惨たらしく殺される理由があるなんて思えないという。

 彼の顔写真を見る。髪型は違うが、ブリングやデヴァインと同じタイプの塩基配列だ。つまり、フリンチ・ブレイク氏は(本人無自覚であるが)イノベイドである。

 

 

(真昼間から狙撃だなんて、物騒な世の中になったものですね)

 

 

 新聞を流し読みしていたとき、テオドアはふと足を止めた。

 

 ――なんだか、騒がしい。

 

 テオドアは眉をひそめた。現在地は病院の前。ロータリーには、沢山の救急車が止まっている。

 各方面から怒号のような悲鳴が響き渡った。看護師と患者の声がひっきりなしに聞こえてくる。

 

 

『3か所同時に爆発事故が起きるなんて……!』

 

『患者はまだ来るぞ! オペ急げ!!』

 

『痛い……痛い……!!』

 

 

 テオドアはじっと、その会話を聞いていた。「3か所同時に爆発事故」という言葉が、頭に引っかかる。

 「複数個所で、同じ時刻で同じことが起きる」なんて、誰かが作為的にしなければ起こりえない出来事であった。

 刹那、テオドアの背中に悪寒が翔る。何者かが、悪意を持って“何か”しようとしているのだ。

 

 テオドアは思念体となり、この場一体に漂う思念を探した。悪意の出どころは病院の裏口である。見覚えのある老紳士が、顔半分に包帯が巻かれた子どもを抱えていた。

 

 殴りたくなるような顔をしている。嘗て、テオドアが老紳士――といっても、当時の彼はテオドアより1つ年上の青年だった――に抱いた第1印象である。いずれ、彼も殴る対象になるのだと、当時のテオドアは何となく確信していた。

 どうやら、その確信は、60年以上経過した現在になって意味を成すようだ。テオドアはひっそりと苦笑し、周囲の様子に気を配る。誰1人、子どもが連れ出されたことに気づいていない。爆破事故の怪我人処理でてんやわんやしているためだ。

 

 

(やはり、爆破事故は囮か)

 

 

 テオドアが確証を得た直後、老紳士は子どもと一緒に車へ乗り込んだ。黒い車はそのまま走り去る。テオドアは体に戻ると、即座に老紳士の思念を追いかけた。

 老紳士の思念は、大きな洋館の前に止まった。その家の中へ入っていく。おそらく、そこが老紳士の本拠地および自宅なのだろう。場所さえわかればこちらのものだ。

 テオドアはサイオン波を駆使し、病院からその家へ向かって転移した。断崖絶壁の上に立つ洋館は、古来の城を思わせるような外観となっている。庭の広さも壮観だ。

 

 ……この庭には、見覚えがある。60年以上昔、この家で行われた会合に参加したことがあるからだ。

 

 

「リヒカイト邸か……」

 

 

 「案の定」を体現した結果に、テオドアはげんなりとため息をついた。

 リヒカイト家の連中は、コーナー家の腰巾着だった奴らである。

 勿論、コーナー家と対立していたライヒヴァイン家との仲は最悪だ。

 

 4年前の戦いの後、リヒカイト家もまた、粛清の憂き目にあったという。監視者から外され、色々と制裁を受けたそうだ。

 

 しかし、それでも、リヒカイト家には潤沢な資本力と組織力が残されている。今回の同時多発爆破事故を起こすのも、その間に子どもを誘拐するのも簡単なことだ。

 ……金も資本力もある老人が、10代にも満たぬ子どもを誘拐する理由は解せない。疑問が残る。テオドアが眉間に皺を寄せたとき、端末の着信が点滅した。

 

 

「リボンズからか……。ええと、クレーエ・リヒカイト関係の情報と、誘拐された子どもの情報ですね。――イノベイド!?」

 

 

 情報を読み上げ、テオドアは目を見張った。浚われた子どもの名前はブリュン・ソンドハイム。子どもの姿を模したイノベイドだ。

 

 

(そういえば、アレハンドロが言ってましたね。「トリニティ兄妹を生み出すために、リボンズの遺伝子と、とある医師の力を借りた」と)

 

 

 家の中を家探しすれば、それ関連の情報が手に入るかもしれない。

 

 

『リボンズ』

 

『任せてくれ。監視カメラやセンサー類は、適当にいじっておくから』

 

 

 つい最近、ダミー会社の代表取締役になったばかりのリボンズ(連日徹夜)が親指を立てた。目元には凄まじい隈が刻まれているが、それなりに元気そうだ。

 機械音が響き渡る。ロックが解除された音だ。監視カメラも動作を止めた。これで、家探しし放題である。テオドアは悪い笑みを浮かべ、リヒカイト邸へ足を踏み入れた。

 

 

 

*

 

 

 

 

「うわ、なんだこれ」

 

 

 テオドアは、反射的に声を上げた。

 部屋中に、可愛らしい人形がずらりと並んでいる。

 どれもこれも、フリフリのドレスを着た少女ばかりだ。

 

 

「そういえば、あいつ、少女人形趣味でしたね」

 

 

 クレーエ・リヒカイトの性癖を思い返し、テオドアはげんなりと肩をすくめる。気を取り直し、作業を再開した。

 

 ヴェーダおよびリボンズから受け取った情報を確認し、テオドアは人形の入った棚を押した。棚はゆっくりスライドし、隠し部屋への入り口を開いた。

 端末の明かりを頼りに、足を踏み入れる。部屋には、書類やデータ保存用端末が綺麗に並んでいた。それらを確認する。

 

 

(……これは)

 

 

 現当主であるクレーエは、嘗て、イノベイドに関する研究を行っていた。その過程で生み出されたのが、チームトリニティ。

 つまり、クレーエは、教え子たちの生みの親なのだ。遺伝子を弄繰り回した犯人とも言えるだろう。テオドアは眉間に皺を寄せた。

 大量のデータや情報が書かれた書類や情報端末を見比べる。内容も内容で、ろくな研究を行っていない。命を何だと思っているのか。

 

 

(マザーが知ったら、怒り狂いそうな内容ですねぇ)

 

 

 一族から受け継いだ、S.D体制時の記憶をなぞる。『ミュウ』に非道な人体実験を行う人類の姿が脳裏をかすめた。ベルフトゥーロは実験の被害にあったことはないけれど、ソルジャー・ブルーからその話を聞いていたはずだ。

 テオドアは、生物学には詳しくない。それでも、クレーエが必死になって、イノベイドの遺伝子や生態を解読しようとしていることはわかった。やたらとテロメアの修復だの、不老だのという単語が踊っている。

 

 こんな奴が、テオドアやベルフトゥーロのような『ミュウ』の存在を知ったら――もれなく人体実験と、クレーエが人工的に『ミュウ』へと目覚めるために協力させられるだろう。真面目に御免こうむる。

 

 ひとしきり情報を確認し、テオドアはデータや書類を放り投げた。見ていて本当に腹立たしい。

 この研究データは即刻破棄するべきだろう。二度と、クレーエがそんなことができないようにしなくては。

 テオドアが早速、力を行使した。ばちり、と、紫電が爆ぜる。記録媒体から火花が散り、それが紙媒体に燃え移った。

 

 

「燃えるとこまで燃えたら、しっかり鎮火しないと」

 

 

 紙媒体が灰になり、記録媒体は使い物にならなくした。爆ぜた炎を鎮火させる。火災報知機は作動しない。リボンズが抑えてくれたためだ。

 

 あとはPC類や、残りの資料を潰して回る。古城と呼ばれる程の豪邸だ、資料室も複数に分かれて保存されている。無駄に広い家に住みやがって、と、テオドアは心の中で悪態をついた。

 城の内部の探索をどうにか終えて、テオドアは離れの方へと足を踏み入れた。離れは、その存在自体が資料庫のようだ。ここは盛大に燃やした方が良さそうである。キャンプファイアーという言葉が脳裏を翔けた。

 

 

『――助けて!』

 

 

 子どもの声がした。少年の声だ。テオドアは弾かれたように振り返り、その思念を辿る。

 しかし、その声が途切れ、思念もぷつんと途切れてしまった。残ったのは、異様な沈黙。

 思念が辿れなければ、目的の場所へと転移することもできない。テオドアは歯噛みする。

 

 

(これじゃあ、探しようがない……!)

 

 

 テオドアは舌打ちした。焦燥に駆られかけたとき、端末の光が点滅した。リボンズからの情報だ。

 

 

「『レイヴ・レチタティーヴォたちが、リヒカイト邸(こちら)に向かっている』……」

 

 

 その情報を読み上げたとき、間髪入れずに、一台の車が転がり込むようにして止まった。乱暴に扉が開き、レイヴ・レチタティーヴォが飛び出す。彼の後に続いて出てきたのは、黒髪黒目の紳士――テリシラ・ヘルフィだ。

 嘗てソレスタルビーイングに所属していた医者の、弟子にあたる人物だ。国境なき医師団で大活躍する名医である。そして、テリシラはイノベイドであり、レイヴが探し求める仲間の人でもあった。

 

 彼らが助けようとしている人物は、クレーエが浚った子ども――ブリュンなのだろう。テオドアは身を翻して姿を隠した。

 

 青年たちが部屋の中へ踏み込む。彼らの思念は迷いながらも、とある部屋の前にたどり着いた。そのまま彼らは部屋の奥に入り込んで動きを止めた。

 レイヴたちは、部屋の中で人を見つけたらしい。フリルがふんだんに使われた女物の洋服を身に纏った子どもが椅子に座らせられているようだ。

 その室内には、豪奢に飾り付けられた子ども以外、誰もいない。しかし、この子どもは、大量に血を抜き取られてしまって昏睡状態のようだった。

 

 

『キミ、キミっ!!』

 

『邪魔しないでもらおう!』

 

 

 レイヴたちがたどり着くことを予想していたのか、クレーエの思念もその部屋へと現れた。奴は、レイヴとテリシラに拳銃を突きつけ威嚇した。

 

 

『キミたちもヴェーダに造られし者だな。どうやってここに……』

 

 

 クレーエはすぐに思い至ったのだろう。愚問だったと言って言葉を切った。

 当然だ。レイヴたちのような特別なイノベイドは、ヴェーダのサポートを得られる。

 彼らは彼らで、監視センサー類には細工を施したのだろう。

 

 

『ブリュンは――貴方が浚ったイノベイドはどこです!?』

 

 

 レイヴの言葉を聞いたクレーエは、一瞬、呆けたようにレイヴを見返した。

 

 ややあって、クレーエは笑った。

 何がおかしいのだとレイヴが問い返す。

 

 

『探し物は、キミたちの目の前にあるじゃないか』

 

 

 それが意味するのは、1つだけだ。「豪奢な服を着せられた人形の少女」のような外見の子ども自体が、ブリュン・ソンドハイムその人だった。

 レイヴとクレーエが押し問答を始める。不老を求めてやまぬ朽ちかけの老紳士と、不老を持つイノベイドの会話は平行線をたどる。当然の結果だ。

 

 

『ヴェーダが造りだした偽りの生命よ。医師であった私は、以前ある方の依頼でお前たちの仲間をコピーしようとした。生み出された3人には戦闘能力を付加した。……だが、それよりも私は――不老が欲しかった!!』

 

 

 クレーエが吼える。

 

 そのタイミングに合わせて、テオドアは彼の思念を辿って転移した。周囲の光景は、あっという間に薄暗い部屋の前へと変わる。

 老紳士の背中越しに、レイヴとテリシラ、拘束されているブリュンの姿が伺えた。何かに気づいた2人が目を見開く。

 間髪入れず、テオドアは能力を発現させた。青い光が炸裂し、クレーエの体が壁に叩き付けられる。

 

 

「見ないうちに老けましたねぇ、クレーエ。僕よりも1つ年上だったから、今年で……85歳か。それじゃあ老けますよねー」

 

 

 テオドアはへらへら笑いながら、クレーエに話しかけた。

 勿論、マウントポジションを陣取ることは欠かさない。

 

 

「その声、その姿……! まさか、テオドア・ユスト・ライヒヴァインか!? 馬鹿な、お前は――」

 

「死んだはずだ、でしょう?」

 

 

 クレーエが目を剥いて戦慄する。テオドアは薄ら寒い笑みを浮かべた。

 

 突然の乱入者に、レイヴとテリシラはぽかんと口を開けた。気持ちは分からなくもない。

 いきなり現れた男が、クレーエと楽しそう(?)に会話を始めたのだから。

 

 

「相変わらずの少女人形趣味ですか。昔から言いたかったんですが、気色悪いったらないです。自分の年齢考えてください。84歳の僕でもそんな趣味ありませんよ?」

 

「84歳!? ――お前、あれから64年間、生き延びていたと!? この姿のまま!?」

 

「はい。……ああ、不老が欲しくて仕方がなかったクレーエには、羨ましい光景ですかね。やたらと若さの保存に執着してたからなー」

 

 

 茶化すように肩をすくめれば、サイオン波によって拘束されているクレーエが身じろぎした。

 

 

「馬鹿な! 貴様はただの人間だろう! なのに何故、貴様はあのときの姿を保っているんだ!?」

 

「そうですねぇ。イノベイドとよく似た感じですが、ヴェーダに造られたわけではありませんよ。……ま、貴方がそこにたどり着くことは、死んだって無理だと思いますがね」

 

 

 テオドアは笑みを消した。

 

 

「命を弄んだお前に相応しい場所を、僕は知っています」

 

 

 サイオン波を強める。青い光が、一層強くなった。

 それに比例するかのように、クレーエが喘ぐ。

 

 いきなりのことに驚いたレイヴが問いかけてきた。

 

 

「あ、貴方は一体……!?」

 

「僕は、テオドア・ユスト・ライヒヴァイン。ソレスタルビーイングの、最後の監視者。……といっても、監視者というシステム自体が形骸化してますから、意味なんてないんですけどね」

 

 

 テオドアは肩をすくめて見せる。ついでに、サイオン波を更に一層強めた。クレーエが、のたうち回ろうと身じろぎした。

 このまま力を発生させ、負荷を生み出せば、クレーエの心臓を止めることも可能だ。じわじわと力を強めていく。

 クレーエが呻いた。青い光の輝きとクレーエの様子から、医者であるテリシラは何かを察したようだった。

 

 まさか、と、彼の口が動いた。切羽詰った様子で、テリシラは護身用の銃をテオドアに向けた。

 

 このまま放置すれば、クレーエ・リヒカイトが死ぬと踏んだためだろう。

 流石は医者だ。対象物の命が消えかかっていることに敏感である。

 

 テオドアは即座に力を行使した。テリシラの銃が、青い光によって弾き飛ばされる。

 

 

「くぅッ!」

 

「ドクター!」

 

 

 テリシラが苦しそうに呻いた。レイヴが悲鳴に近い声を上げる。

 しかし、彼はすぐにテオドアへと向き直った。

 

 

「――このッ!」

 

 

 次の瞬間、レイヴが凄まじい速さで飛び込んできた。一般形のイノベイドからは予測できない――もとい、あり得ない速さである。

 

 

「ッ!!」

 

 

 レイヴの手がテオドアへ迫る。テオドアは間一髪で、レイヴの手を弾き飛ばした。彼を弾き飛ばすためにサイオン波を注ぎ込んだため、クレーエの拘束が解かれる。クレーエは呻きながら咳き込んだ。テオドアは飛び退り、レイヴたちから距離を取る。

 

 

「戦闘用……!? キミは、ただの学生だったはずじゃあ……」

 

「ぼ、ボクは……」

 

 

 テオドアが零した言葉に、レイヴが大きく目を見開いて狼狽える。彼もまた、自分が戦闘用イノベイドであることを知らなかったのだろう。

 その隙をつくようにして、テリシラがクレーエを庇うようにして立ちふさがった。その手には、クレーエが握っていた小銃が握りしめられている。

 

 照準はテオドアの心臓を捉えていた。弾丸なんて簡単に防げるのだが、どうしてだろう。行動しようとした動機をごっそり削がれてしまったような気分になった。

 

 

「……殺しませんよ。こんな奴ですが、可愛い教え子たちの生みの親でもありますし」

 

 

 テオドアは深々と息を吐く。何もしない、と、両手を上げてアピールする。テリシラは怪訝そうにテオドアを見上げていたが、信じてみる気になったようだ。

 自分の言葉を聞いたクレーエは、大きく目を見開いた。トリニティ兄妹のその後を、ここで知らされるとは思わなかったらしい。「そうか」と、クレーエは目を伏せた。

 テオドアたちのやり取りを横目に、テリシラは横でぐったりしていたクレーエを助け起こす。名医の介抱を受けた老紳士は、どうにか立ち上がることができるようになった。

 

 それを確認し、レイヴが彼を取り押さえる。

 ブリュンを拘束されては困るからだ。

 

 

「ブリュンは返してもらう」

 

「私を殺さぬのか? お前たちが去っても、また別のイノベイドを捕らえることになるぞ?」

 

 

 椅子ごとブリュンを運び出そうとするテリシラに、クレーエは嗤った。しかし、テリシラは毅然とした表情で言い返す。

 

 

「私も貴方も医者だ。私は人の心を理解し、人と接する。――それが医者だと信じる」

 

 

 クレーエが息を飲んだ。理想を追いかける若者の姿に、動かされたものがあるのだろう。

 

 甘いな、と笑った彼の表情は、不老にこだわっていた醜悪な笑みとは違っていた。自分でもそう思う、と、テリシラは微笑む。腰を曲げて佇む老紳士を横目に、レイヴたちは椅子ごとブリュンを運び出した。

 その背中を見送った後、テオドアはクレーエを見返した。医者という言葉を噛みしめながら、老紳士は物思いにふけっている様子だ。トリニティ兄妹を生み出したこの老紳士は、何を思って3人を生み出したのだろう。

 

 

「……私が生み出した者たちは、どうしている」

 

「みんな元気ですよ。世界の歪みと、全力で向き合っています」

 

「そうか」

 

「ええ。自慢の教え子です。僕には勿体ないくらいに」

 

「……そうか」

 

 

 クレーエは黙り込んだ。テオドアは付け加えるようにして、告げる。

 

 

「もう二度と、こんな研究ができないようにしていきます。有無なんて言わせませんからね」

 

「――ああ」

 

 

 それきり、クレーエは沈黙した。言質を取ったのだから、構わないだろう。テオドアは思念を集中させる。離れの資料庫を思い浮かべ、力を込めた。

 どん、と、衝撃が走る。クレーエはわかっているのか、微動だにしなかった。老紳士の背中を見つめながら、テオドアは踵を返した。

 即座にリヒカイト邸の入口へと転移し、振り返る。夕日を浴びた古城は、血塗れたかのような佇まいだ。どことなく寂れているように思える。

 

 もう二度と、テオドアはクレーエと言葉を交わすことはないだろう。

 寂しい予感を感じながら、テオドアはリヒカイト邸を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんだこれは」

 

 

 刹那・F・セイエイは、まったくもって、どうしたらいいのかわからなかった。

 

 

「セイエイさん、知らないんですか? これは石破ラブラブ天驚拳といって、日本では“真の愛で結ばれたカップル、および夫婦のみが放てる”とされる、伝説の……」

 

「それは知っている」

 

 

 刹那の何とも言えないしかめっ面を見たミレイナ・ヴァスディが解説するが、欲した説明はそれじゃない。

 

 

「何故、プトレマイオスに風穴が開くんだ」

 

 

 刹那の問いを聞いて、下手人たち――沙慈・クロスロードとルイス・クロスロード夫妻、イアン・ヴァスディとリンダ・ヴァスディ夫妻、クリスティナ・シエラとリヒテンダール・ツェーリは、居たたまれなさそうに視線を逸らした。

 おそらくその現場を目の当たりにしたであろう2人――ラッセ・アイオンとスメラギ・李・ノリエガの精神状態は最悪だ。ラッセは「もうだめだぁ、おしまいだぁ」と延々と呟き、スメラギは「水でも酔っぱらえそうだわ」と不気味に笑いながら水をがぶ飲みしている。

 

 クロスロード夫妻がやった石破ラブラブ天驚拳無双の恐ろしさを、刹那はコロニー・プラウドの一件で間近に見た。

 殺傷能力を有するオートマトンを、一撃で木端微塵にする程の威力だ。壁の強度によっては、簡単にぶち抜けるレベルだろう。

 しかし、戦艦やコロニーに穴をあける威力は有してなかったはずである。刹那は風穴を見上げ、深々と息を吐いた。

 

 

「いや、その……カップル繋がりだから、いざというときの自衛手段に使えるんじゃないかなって思って」

 

「…………」

 

「…………ごめん」

 

 

 A級戦犯(いいだしっぺ)の沙慈が、視線を泳がせながら謝罪した。ルイスは苦笑いを浮かべて、別の方向を向いている。悪い、とは思っているらしい。

 

 幸い、プトレマイオスに開いた風穴は、短時間で修復できるものだ。下手人の1人であるであるイアン本人がそう判断したし、下手人たち全員が修理に協力するという。

 これ以上説教しても何も始まらないだろう。修理が送れるだけである。精神的打撃を受けてボロボロのラッセとスメラギを宥めすかし、次の作戦の準備に移るように進言した。

 

 面々と別れて、刹那は1人、休息スペースに腰かけた。目を閉じる。4年前まで繰り広げられていた、穏やかな日々が鮮やかに浮かび上がった。偽りだらけの4人が顔を合わせ、積み重ねてきた優しい時間。

 刹那にとってその日々/時間は、かけがえのないものだった。もう戻ってこないけれど、あの瞬間は、確かに未来を信じることができた。刹那は服に隠れたシェルカメオを表に出し、掌に乗せた。飛翔しようとする天使は、かすかな微笑を浮かべている。

 きらきらと青い光が舞う。その光に触れると、グラハムが朗らかに笑う姿が浮かんだ。刹那をすくいあげ、生かしている、優しい光だ。彼のような男がこの世界情勢を目の当りにしたら、きっと黙っていないだろう。刹那が愛した男は――グラハム・エーカーは、そういう奴だった。

 

 

(グラハム・エーカー……)

 

 

 追う者と追われる者でありながらも、確かに、刹那とグラハムは互いを信頼していた。お互いを想いあえていた。

 4年前の戦いの後、グラハム・エーカーという男は忽然と姿を消している。彼は今、どこで何をしているのだろう。

 

 刹那の思考回路を引きもどすかのように、小規模の爆発音が響いた。アロウズからの襲撃か、と、刹那はがばりと体を起こす。

 

 爆発音の元へ駆け込む。そこは、ライル・ディランディとティエリア・アーデがいる部屋だ。次の作戦で、ライルは、デュナメスの後継機であるケルディムのパイロットとして初陣を飾る予定でいる。

 扉を開けた先に広がっていたのは、派手に凹んだ壁と、床に手と膝をついてうな垂れるティエリアと、何とも言い難そうな顔をしているライルとアニュー・リターナーであった。ライルとアニューの拳が淡い光を放っている。

 

 

「ティエリア。これは……」

 

「もうだめだぁ、おしまいだぁ」

 

 

 お前はこんな性格だったかと小一時間ほど問いかけたいと思ったが、刹那は寸でのところで押し留まった。数分前に精神分析をしたラッセも、同じようなことを口走っていたからだ。

 凹んだ壁の下手人は、ライルとアニューだろう。この2人は所謂恋人同士だ。石破ラブラブ天驚拳の説明を思い出す。……ならば、この2人も、石破ラブラブ天驚拳を撃つことができるかもしれない。

 いや、実際に撃ててしまったのだろう。ティエリアは運悪く、その現場に居合わせてしまったのだ。石破ラブラブ天驚拳を目撃し続けたカタロンの構成員が精神的打撃を受けていたから、彼もそれと同じ状態に違いない。

 

 あの技は、1人身に対して凄まじい破壊力と精神攻撃性を有している。刹那も現在1人身であるが、精神的打撃は多くなかった。

 その理由はよくわからない。刹那は深々と息を吐いて、頭を掻いた。宥めすかすことができればよいのだが。

 

 

「何やら凄いことになっちまったな……」

 

「あらら……」

 

 

 ライルとアニューは、完全崩壊してしまったティエリアの様子に引いてしまった様子だった。刹那だって引いているのに。

 

 

「ティエリア、落ち着け」

 

「もうだめだぁ、おしまいだぁ」

 

 

 お前は本当にティエリアなのか、という言葉が喉元に引っかかった。刹那は全力でそれを飲み込む。

 遠くから熱っぽい少女の声が響いてきた。ミレイナの声だ。途端に、ティエリアは叫ぶのを止めて立ち上がる。

 その横顔は平静かつ冷徹な、普段のティエリア・アーデだった。華麗な変身っぷりである。

 

 しかし、刹那の目で見る限り、ティエリアは無自覚な様子だった。ならば、無理に指摘する必要もないだろう。あれは自分で気づくべき変革だ。

 こちらを通りかかったミレイナがティエリアに話しかける。先程の、石破ラブラブ天驚拳の一件だった。そこまで話し、彼女は壁に目をやって素っ頓狂な声を上げる。

 

 

「ロックオンさんとアニューさんも、石破ラブラブ天驚拳の使い手!? ってことは、強い愛で結ばれてるってことですか!? 素敵ですぅ!!」

 

「はは、まあな」

「ふふ」

 

「あぁ、いいですねぇ! 私もいつか、石破ラブラブ天驚拳を撃てるような相手に巡り合いたいですぅ……」

 

 

 頬を薔薇色に染め、ミレイナは遠い未来に思いを馳せた。ティエリアがぴくりと身体を震わせる。心なしか、彼の様子がそわそわしているように見えた。理由は、以前のリヒテンダールの言動と同じであろう。

 

 

(……何故だろう。まだ、増えそうな気がする)

 

 

 刹那は漠然と、そんなことが頭に浮かんでいた。

 何の気なしに、自分の掌に視線を向ける。

 

 ――掌が、淡く光ったような気がした。



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9.交錯するモノ

『連邦保安局を独立治安維持部隊の直轄組織にすることが議会で決定した』

 

 

 ウィンドウ越しから聞こえる男の声は、どことなく嬉しそうなものだった。

 

 

『4千万人規模の軍隊……その創設を可能にしたのは、ひとえにマザーコンピュータやそれが構成するネットワークの力があってこそ』

 

「お役に立てて光栄ですわ」

 

 

 褒められて悪い気はしない。アオミはくすりと微笑み、会釈した。

 音声同士の会話だとしても、己の仕草や心理状態は反映されるものであるとアオミは思っている。

 

 男との会話回線のほかに、ウィンドウには沢山の情報が提示されていた。

 反乱分子であるカタロンや神出鬼没の『スターダスト・トレイマー』、ついこの間から封じ込めにかかっている『悪の組織』。

 カタロンの情報はつぶさに手にできるのだが、残りの2つはなかなか情報が入ってこない。

 

 

(『悪の組織』や『スターダスト・トレイマー』のセキュリティも中々ね。このマザーコンピュータでも、解析できずにいるのだから)

 

 

 この2つの組織は、自分が有する力と同等のものを有していると言えるだろう。アオミは舌打ちしたかったのを堪える。

 

 

「連邦政府は、どんな些細な抵抗にも屈してはなりません。人類の繁栄と、未来のためにも」

 

『貴女方の協力に期待する』

 

「勿論ですわ」

 

 

 その言葉を最後に、男との通信は終わった。相変わらず、ウィンドウに提示される情報に動きは見られない。アオミは深々と息を吐き、部屋を出た。

 大広間に出ると、シミュレーター訓練を終えた留美(リューミン)紅龍(ホンロン)が休憩しているところだった。留美(リューミン)はフルーツの盛り合わせに舌鼓を打っている。

 

 彼女はアオミの存在に気づくと、ぱっと表情を輝かせた。

 

 

「連邦の動きはどうなっていますの?」

 

「連邦保安局が、独立治安維持部隊の直轄組織になったみたい。これでアロウズの行動範囲が広まり、軍事力の強化にも繋がるわ」

 

 

 アオミは留美(リューミン)と向かい側のソファに腰かけ、フルーツへと手を伸ばした。

 ブランドで保障された果実の甘みは、やはりブランドに恥じぬ味である。今後とも贔屓にするとしよう。

 留美(リューミン)も、どこかうっとりとした様子で頷いた。カットされたパイナップルを齧りながら、彼女は妖艶に微笑む。

 

 

「アザディスタンの王女様(プリンセス)や『悪の組織』の代表取締役を拘束したのは、ソレスタルビーイングや『悪の組織』を炙り出すためのものね」

 

「ええ。どちらも確実にここへ来るでしょう。特にソレスタルビーイングはね」

 

「あそこの施設には、ガンダムマイスターだったアレルヤ・ハプティズムも拘束されている。活動再開にあたって、戦力は増強したいですもの」

 

 

 留美(リューミン)はそう言って、端末を指示した。ソレスタルビーイングに送った情報である。

 画面には、アレルヤが拘束されている施設の場所が映し出されていた。

 

 アオミは白桃を齧る。甘い果実をじっくり堪能した後、言葉を続ける。

 

 

「そして『悪の組織』の連中は、同族意識が強い。1人でも仲間が拘束されれば、奴らはどんなに危険な状態になろうとも救出へ赴くわ。奴らはそういう生き物よ」

 

「そうなのですか?」

 

 

 はっきりと言いきったアオミに、留美(リューミン)は目を丸くした。アオミは確証を持って頷く。

 

 

「ならば、『悪の組織』は今頃てんやわんやしているでしょう。指導者を失ってしまったのだから、烏合の衆になるのも時間の問題です。あまり気にしなくとも……」

 

紅龍(ホンロン)、黙ってなさい」

 

 

 言葉を発した紅龍(ホンロン)に、留美(リューミン)はぴしゃりと言い放った。彼女の黒い目には、紅龍(ホンロン)への嫌悪感が惜しみなく注がれている。

 無能な兄への怒り。突き刺さる眼差しに耐えきれなくなったのか、紅龍(ホンロン)は目を伏せ、2つ返事の後に視線を逸らした。留美(リューミン)は彼に指示を出す。

 

 

「もういいわ。貴方は人質の監視をしていて頂戴。暫く出番はないもの」

 

 

 アオミは次の獲物に手を伸ばしながら、ちらりと視線を向けた。

 

 元国連の代表であるエルガン・ローディックは、背中を壁に預けるような形で体を投げ出していた。彼はぐったりとしていて、身じろぎ一つしない。最初に行ったマザーコンピュータの尋問によって、彼はあそこまで衰弱してしまった。

 本来ならばもっと徹底的に、深層心理の奥底まで探ってやりたかった。だが、殺してしまっては意味はない。エルガンもまた、『スターダスト・トレイマー』と交渉するために必要な人質なのだ。生きていてもらわなくては困る。

 計画上仕方がないとはいえ、完全な支配権に置けないというのは厄介なものだ。エルガンと似たようなことを行って、どうにか動きを制限しているブシドーのことを思い出す。奴の場合は、薬と快楽と機械漬けだが。

 

 普通の人間にやったら、その人物は即刻廃人と化しているであろう。

 その観点から見ても、ブシドーの精神力は計り知れない。

 

 ……最も、それは、この世界の異例事態(イレギュラー)――『刹那・F・セイエイとグラハム・エーカーが恋人同士である』という部分に起因しているのだろうが。

 

 

(まあ、うまく使わなくちゃね)

 

 

 アオミはくすりと微笑みながら、端末に視線を向けた。『知識』では、ここを抜けた後々に行われる戦いで、ブシドー/アヘッド・サキガケが刹那/ダブルオーと交戦する。現時点を含む『その時点』では、ダブルオーのトランザムは未完成状態だ。

 できれば、ここでダブルオーを潰しておきたい。だが、『知識』におけるブシドーはガンダムとの真剣勝負に拘っているため、刹那に追撃することなく、ダブルオーを“敢えて”逃がしている。手駒にしたブシドーも、過程が違えど似たような思考回路を持っていた。

 この場でダブルオーを潰すということは、同時に、ブシドーも一緒に潰れてしまう可能性がある。貴重な手駒を失うのは避けたいが、刹那がいなくなった後の彼がまともに使えるかと問われれば、恐らく否であろう。

 

 ――なら、視野に入れていても問題なさそうだ。

 

 海月たちにその旨を連絡する。彼らは即座に是の返事を返した。

 これで、あとはいい報告を待つだけである。アオミはより一層笑みを深くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天気は晴天。アロウズの軍事基地の周囲は、異様な沈黙を保っている。戦力の大部分が、この基地から収容施設の方へと出払ったためであろう。

 クーゴたちの目標地点でもあるその収容施設には、ソレスタルビーイングのガンダムマイスター――アレルヤ・ハプティズムが収容されている。

 アロウズのお偉いさんたちは、「ソレスタルビーイングが仲間を救いにやって来る」と踏んで、この采配にしたに違いない。

 

 ――そして、確実に、天使たちの息の根を止めるつもりだ。

 

 

「アニエスたちから連絡があった。救出準備は完全に整ったそうよ」

 

 

 ブリーフィングルームから、艦長であり戦術指揮官でもあるエイミーの声がした。今回、彼女たちの部隊は救出作戦の陽動および収容役だという。その収容施設には、『悪の組織』総帥であるベルフトゥーロや、他の技術者たちが収容されているためだ。

 その作戦は、『ミュウ』の持つサイオン波のテレポートを駆使し、収容されている技術者たちを各部隊の戦艦へと転移させるのだという。アニエスたちの部隊は、戦艦に搭載されているワープドライヴのような役目を果たすために、先に施設内へと足を踏み入れているそうだ。

 

 クーゴは彼らの指揮下にはない。クーゴは“イデアが「嘗ての同僚を助け」ようとしているのに同行しているにすぎない”からだ。

 そしてイデアも、己の目的――自分が背負う役目を果たすために動いている。だから、イデアもエイミーの指揮下には入ってない。

 イデアはじっと端末と睨めっこを続けている。彼女の横顔はどこまでも真剣で、とてもじゃないが話しかけられるような空気ではなかった。

 

 さて、どうしたものか。クーゴがそんなことを考えていたとき、イデアが端末を閉じて立ち上がった。そのタイミングを待っていたかのようにブリーフィングルームの扉が開く。

 

 

「2人とも。射出準備はできたよ」

 

 

 声をかけてきたのは、ケイ・ニムロッドだ。ホワイトベースのクルーで、メカニックを担当している。彼女の後ろに、通信士であるルナもついてきた。

 彼女たちに礼を言い、クーゴとイデアは格納庫へと転移する。整備が行き届いた愛機は、光を反射して煌めいていた。心なしか、カメラアイ近辺の反射が強い気がする。

 

 まるで、相方の存在が近くにあると示しているかのようだ。

 はやぶさの眼差しに応えるように頷き、クーゴはコックピットに飛び乗る。

 イデアも真剣な様子しで、コックピットに乗り込む姿が見えた。

 

 ハッチが開く。眼前には、澄み切った青空と乾いた大地が広がった。遠くの地平線の果てに、海が見える。

 

 

「ソレスタルビーイングが作戦を開始したようです」

 

 

 ルナはそう言って、クーゴたちに情報を提示した。目標地点である収容施設の映像が、ウィンドウに映し出される。

 大気圏を突っ切るような形で突入してきたソレスタルビーイングの母艦。アロウズがその情報を得たとき、間髪入れず施設が爆発した。

 プトレマイオスは降り注ぐ砲撃の雨を縫うように切り抜ける。宇宙船にはあるまじき速度だ。よく見ると、艦は緑の粒子に包まれている。

 

 砲撃の雨あられに対しても、プトレマイオスは減速しようとしない。目標、およに着陸地点をしっかり見据えているためだ。船は変形し、そのまま海へと突っ込んだ。ド派手な水しぶきが上がり、施設周辺に海水が流れ込む。

 これで、地上に配備されていたMS部隊は一時的に行動不能状態に陥る。水中では、粒子ビームの効力は半減される。アロウズの部隊がプトレマイオスに攻撃を仕掛けるとしたら、手段はミサイルくらいにしかならないだろう。GNフィールドの前では意味がなさそうだが。

 

 

「さっすがスメラギさん!」

 

 

 映像を見ていたイデアが、我がことのように喜んだ。その姿を見ていると、やはり、イデアもソレスタルビーイングへ戻るべきではないのかと言いたくなる。彼女の『還りたい』場所は、やはり、ソレスタルビーイングのようだった。

 

 攻撃がプトレマイオスに集中する中、2機のガンダムが施設へ飛来した。1機はコロニー・プラウドで見かけた機体で、もう1機はエクシアの面影を宿す新型だ。後者のパイロットは刹那だろう。クーゴには確信があった。

 「今から行けば、ソレスタルビーイングの作戦行動に間に合います」と、ルナは告げた。それに促されるように、クーゴとイデアは前を見据えた。ここまで連れてきてもらった例を告げれば、ルナは力強く微笑み頷く。

 

 

「では、お2人とも。ご武運を――」

 

「あ、ルナちゃん。ここにいたの」

 

 

 オペレーターとしての役目を果たしていたルナを呼び止めたのは、エイミーだった。通信欄に映り込んだ彼女の笑顔は、明らかに何か企んでいるような顔である。

 嫌な予感を感じ取ったルナが、ブリキの人形を思わせるようにして首を動かした。彼女のこめかみからは大量の汗が流れ落ちる。対して、エイミーは益々笑みを深くした。

 それを最後に、ルナからの通信が途切れた。間髪入れず、彼女の思念が艦内全体に響き渡る。思念と言うよりは、もはや金切り声や絶叫という類のものだった。

 

 もしかしたら、ガンダムベルフェゴールに搭乗させられ、出撃させられることが決まったのかもしれない。その真偽を知る術は、クーゴは持ち合わせていなかった。思考を切り替える。

 

 一足先に、スターゲイザー-アルマロスが飛び出す。はやぶさもまた、それに続いて、カタパルトから飛び出した。

 ESP-Psyonドライヴの力で転移すれば、目的地の基地が眼下に広がる。アロウズのジンクスたちが忙しなく飛び交い、ガンダムの迎撃に当たっていた。

 

 

「……何か、庇ってるのか?」

 

 

 シールドと砲撃を展開し、梃子でも動こうとしない機体があった。コロニー・プラウドで見かけた重装備型の機体である。ジンクスたちはその機体に攻撃をしようとしたが、別方向からの狙撃によって阻まれていた。

 シミュレーターで見かけたロックオンのガンダム――デュナメス-クレーエとよく似た機体だ。おそらく、この機体はデュナメス-クレーエの元になったとされるガンダムデュナメスの、正統な後継機なのだろう。

 増援のジンクスたちが飛来する。攻撃はますます激しくなった。それを見たイデア/スターゲイザー-アルマロスが、重装備型の元へと真っ直ぐ飛んでいく。一方的な攻撃に圧され気味だった機体の眼前に降り立つと、サイオン波を発生させた。

 

 重装備の機体に攻撃を仕掛けようとしていたジンクスたちが吹き飛ばされる。いくつかの機体が、何かに押し潰されるかのように爆発四散した。

 

 

『イデア!?』

 

『どうしてここに!?』

 

『まさか、私たちを助けるため……!?』

 

 

 どこからか、ざわめく声が『聞こえた』。水の中にいるプトレマイオスの母艦か、重装備型のガンダムか、クーゴには判別がつかない。

 水しぶきからどうにか立ち直ったティエレンたちが、新手として舞い降りたイデア/スターゲイザー-アルマロスに攻撃を仕掛けた。

 

 その攻撃などものともせず、スターゲイザー-アルマロスはフレキシブルアームズを展開した。五芒星型のブレードが、近寄ってきたジンクスたちを真っ二つに叩き切る。

 

 ガンダムに殺到する攻撃部隊は、さながら砂糖に群がる蟻のようだ。クーゴは操縦桿を動かし、その中へ突っ込む。大気を切り裂くような勢いに、幾つかのジンクスが距離を取った。

 クーゴのはやぶさを新手と認識したジンクスが、こちらに向かってきた。ビームランスから攻撃が繰り出される。飛行形態のはやぶさはひらりとそれを躱していった。アクロバティックな飛行を繰り返し、回避に専念する。

 

 

(ユニオン時代、あいつの無茶ぶりに応えてきたことを思い出すなぁ)

 

 

 場違いだというのに、クーゴの口元には乾いた笑みが浮かんでいた。当時の苦労がフラッシュバックしたのだろう。これではいかん、と、クーゴは小さく首を振る。

 

 そのとき、視界の端に映ったジンクスが、スターゲイザー-アルマロスへ攻撃を仕掛けようとしていた。

 クーゴは即座にはやぶさを旋回させ、飛行形態を解いた。ライフルを撃ち放つ。鮮やかな光がジンクスを撃ち抜いた。

 間髪入れず、今度はスターゲイザー-アルマロスが自律兵器を飛ばす。はやぶさの背後に迫る機体が爆発した。

 

 

「ありがとう、恩に着る」

 

「お互い様です」

 

 

 イデアがにっこり微笑んだのが『視えた』。クーゴも頷き返す。

 ふと視線を向ければ、重装備のガンダムの丁度真後ろに、穴が開いていた。

 

 視界の端に映ったのは、刹那が搭乗していた機体――ガンダムエクシアの面影を宿す新型機。

 

 

(まさか、刹那はあそこに?)

 

 

 その真偽を確かめる間もなく、新手のジンクスやティエレンたちがこちらに迫ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこもかしこも、銃撃音が響き渡る。アロウズの連中と、カタロンの部隊が戦っているのだろう。

 

 

『グラン・マ。みんなは無事に、転移が終わったみたいです』

 

 

 アニエスからの思念波が届き、ベルフトゥーロは笑みを浮かべた。

 首尾は上々、とは、こういうときに使う言葉である。

 

 

『オーケイ、アニエス。キミたちも早く転移しなさい』

 

『え!?』

 

 

 アニエスが素っ頓狂な声を上げた。

 

 

『じゃあ、グラン・マは!?』

 

『大丈夫大丈夫。アテはあるから』

 

『……了解』

 

 

 ベルフトゥーロも一緒に脱出する者だとばかり思っていたようで、ジンが驚いた声を上げる。それに対して、ベルフトゥーロは満面の笑みで宣言した。足元には気絶した看守や兵士たちが転がっている。奴らはぴくりとも動かない。

 普段は車椅子を利用しているベルフトゥーロであるが、この収容所にはそんなものなど置いていなかった。尋問されるときくらいしか持ってきてくれなかったな、なんて思いながら、ベルフトゥーロは背伸びした。

 地面を蹴るように立ち上がる。こうして立ち上がるのは久々だが、まあ、今回は致し方ない。非常事態だ。ベルフトゥーロは背筋をぴんと伸ばし、一歩踏み出す。そうして、ほぅ、と息を吐いた。

 

 ちょっと、しんどいかもしれない。

 

 深層心理チェックの影響が出てしまったのだろうか。荒ぶる青(タイプ・ブルー)の力や、元から高い能力を有していたということもあって、特に苦労もなく耐え抜けたのに。

 もしかして、最近やたらと『尋問』という名の深層心理チェックが行われていたのは、ソレスタルビーイングがここに突入してくると察知していたからなのだろうか。

 

 

(私が逃げ出すと踏んでたんだろうなぁ。『ミュウ』の力を使えないようにしといて、身動きできないようにしようとした。……でなきゃ、兵士が来るはずないわけだし)

 

 

 まだまだ現役だと思っていたが、年は取りたくないものである。因みに、今年で500歳代。しかも後半だ。

 エルガンと年齢は変わらないのに、どうしてか、ベルフトゥーロは日常生活に車椅子を利用する羽目になってしまっている。

 

 

「やっぱ、車椅子回収していこう」

 

 

 ベルフトゥーロは深々と息を吐いた。

 

 この差は一体何なんだろう。不公平だ。なんで外見年齢が上のエルガンは普通に歩けるのだ。エルガンはベルフトゥーロよりも3つ、年が下だというだけなのに。

 牢屋から出て、トイレへ足を踏み入れる。服は捕虜用の簡素な囚人服で、可愛くもなければ格好良くもない。髪はぼさぼさだし、肌もガサガサであった。

 まるで、徹夜帰りのリーマンみたいな風貌である。これを目にしたら、大抵の人間が「こいつ平社員だろ。しかもダメな方の」と太鼓判を押しそうだ。

 

 ベルフトゥーロはサイオン波を発生させた。青い光が舞う。瞬間、どこからともなく車椅子が独りでに転移してきた。そのまま、車椅子に腰かける。

 車椅子を漕ぎだせば、その度に体が小さく揺れた。収容所の床は殆ど舗装されていないようだ。車椅子利用者のことは考えていないらしい。

 

 

「うぉう! 揺れるなぁ……」

 

 

 ソレスタルビーイングの襲撃で、攻撃が仕掛けられているのだ。多少揺れるのはいた仕方がない。振動をどうにかやり過ごしながら、車椅子を漕いだ。

 マリナ・イスマイールが捕まっている独房の場所は、閉じ込められているときに思念を追いかけていて把握している。彼女も脱出させてあげたい。

 

 そんなことを考えていたためか、曲がり角から誰かが飛び出してきたのに気付かなかった。サイオン波を使ったのは、ほぼ反射の行動であった。ばちん、と、派手な音が鳴る。銃弾の薬莢が床に転がった。

 青いパイロットスーツに身を包んだ女性――ソレスタルビーイングの刹那・F・セイエイと、彼女に連れられてきたマリナ・イスマイールだ。どうやら、マリナは刹那に助け出されたらしい。それはそれでほっとする。

 ベルフトゥーロの姿を目にした刹那が銃を構えて怪訝な顔をし、見知った姿であるマリナは表情を緩ませた。ベルフトゥーロはマリナに会釈しつつ、刹那に向き直る。イデアが見つけた、イオリアの遺志を受け継ぐ“希望”。

 

 

「ねえ」

 

 

 ベルフトゥーロは刹那を呼び止めた。マリナを助けてこの場から脱出しようとしていた刹那は、更に眉間の皺を深くする。ベルフトゥーロを連れていく予定がなかったためだ。

 

 

「私も連れて行って」

 

「っ」

 

「――私を連れて行けば、イデアが『必ず』戻って来るわよ」

 

「!!」

 

 

 刹那の手を引いて、耳打ちする。驚きに満ちた赤銅の瞳が、ベルフトゥーロを映し出した。

 瞳の中の女は、どこまでも妖艶で自身に満ち溢れた、見るからに不敵な微笑みを浮かべている。

 「必ず仲間が戻って来る」という言葉は、ソレスタルビーイングにとって魅力的な条件だ。

 

 暫しの思案の後、刹那は小さく頷いた。そうして、何かまずいものを目の前にしたように渋い顔をする。

 ――ああ、ガンダムのコックピットは車椅子には対応していなかった。そりゃあまずいか。

 

 

「大丈夫。車椅子無くてもなんとかなるから。乗り込むときに乗り捨てるし」

 

「………………わかった」

 

 

 刹那はようやく、渋々ながらも納得してくれたようだ。マリナをリードしつつ、車椅子のベルフトゥーロを気にしてくれているらしい。

 

 

「『刹那は、無表情でぶっきらぼうだけど、心根はとっても優しい子なんですよ』」

 

「……は?」

 

「イデアが言ってた通りだった」

 

 

 囁くようにして刹那に告げれば、彼女は大きく目を見開いた。何か言いたげにこちらを見返したが、ベルフトゥーロは素知らぬ顔をして視線を逸らす。勿論、わざとだ。

 変な沈黙とぴりぴりした空気の中、3人は施設内を駆けていた。目的地は、刹那のガンダムが突っ込んできた場所である。エクシアの後継機、ダブルオー。イオリアの理論――ツインドライヴ搭載機だ。

 想像するだけで、メカニックだった頃の血がたぎって来る。場違いな高揚感を感じつつ、ベルフトゥーロは人知れずにサイオン能力を発動させた。

 

 連絡相手は、ソレスタルビーイングに加勢しているイデアとクーゴだ。

 特にイデアは、ベルフトゥーロの意図を測りかねるであろう。

 

 

(本当に、『還りたい』場所に、『還れる』ように)

 

 

 イデアの想いを辿るように、ベルフトゥーロは物思いに耽る。

 

 

(……吹っ切れば強いのに、難儀だなぁ。レティシアは)

 

 

 母親/親友に似て、頑固で思い込みが激しいきらいがあるから。

 

 

(そう思わない? ――ねえ、イニス)

 

 

 ベルフトゥーロの問いに答えてくれるべき人の声は、聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『プトレマイオスに随伴しろ』、ねぇ」

 

 

 つい先程届いた思念波に、クーゴはひっそり首を傾げる。ベルフトゥーロは何をしたいのか分からない。

 

 前を見れば、ガンダムたちがジンクスの群れを屠っている光景が広がっていた。もう、クーゴやイデアの援護は必要ないだろう。特にイデアは、本当ならば「この場から離脱していたかった」はずである。

 スターゲイザー-アルマロスは、どことなく落ち着きがなさそうに見えた。パイロットであるイデアの思考が反映されてしまっているかのようだ。ジンクスを屠りながら、しきりにガンダムたちの動きを気にしていた。

 

 オレンジ色の可変型ガンダムが、鬱積した想いを吐き出すようにしてジンクスたちを倒していく。刹那が乗っているであろうガンダムも、ジンクスたちをばったばったと倒していった。重装備型のガンダムも、敵を倒しながら距離を取る。

 離れたところで狙撃をしていたガンダムは、別の方向を気にしていた。その方向に視線を向ければ、輸送船へ向かって捕虜たちが走っているのが伺える。『悪の組織』の面々は、サイオン波によるテレポートで脱出したわけだから、あそこにいるはずがない。

 ならば、あの輸送船団と捕虜はカタロンの連中だ。ソレスタルビーイングの理念上、暴力に訴えるカタロンのやり方に同調したり、彼らと結託するようなことをするとは思えない。

 

では、何故、狙撃型ガンダムはカタロンの面々を気にしているのか。

 

 

『あのパイロット、カタロンの構成員よ。しかも、相当な腕を持ってる』

 

「え」

 

『多分、ソレスタルビーイングの何人かはそれを把握したうえで、マイスターとして引っ張ったんだと思うわ。だって彼、MSファイトの一般企業部門で優勝してる』

 

 

 ベルフトゥーロの思念波が流れ込んできた。間髪入れず、ウィンドウに新聞記事が表示される。大きな優勝トロフィーを持つ青年の顔は、ロックオンと瓜二つである。

 彼は双子の弟がいたと言っていた。しかも、新聞記事の時期からして、ソレスタルビーイングの構成員として行動していた頃のものだから、この青年はロックオンではない。

 

 じゃあ、この青年がライル・ディランディ――ロックオンの双子の弟で、エイミーの兄なのか。

 

 

『ときに若造』

 

『なんでしょう?』

 

『ニール・ディランディやエイミー・ディランディに関すること、ソレスタルビーイングのクルーには喋んないでね』

 

 

 そう言ったベルフトゥーロの声は、どこまでも真剣だった。しかし、彼女の顔は茶目っ気のある笑みを浮かべている。青い瞳は悪戯っぽく細められた。

 この4年間、クーゴは彼女と話をしてきた。その経験則が、「彼女はロクなことを考えていない」と告げている。クーゴは思わず眉間に皺を寄せたが、ベルフトゥーロは何も言わなかった。

 ベルフトゥーロを問い詰めるのをやめたのと同じタイミングで、ガンダムたちが明後日の方向へと飛び立っていく。まずは青い機体が、次に紫の機体が、その次に橙色の機体が、虹の彼方へと飛び退る。

 

 そこから一歩遅れて、カタロンの輸送船が動き出したのを見届けた緑色の機体が最後尾についた。ソレスタルビーイングは撤退することを選んだらしい。

 クーゴ/はやぶさはイデア/スターゲイザー-アルマロスの方へと視線を向けた。顔を見合わせ、頷く。2機のカメラアイが陽光を反射し煌めいた。

 

 

「全速力で振り切るぞ、はやぶさ」

 

 

 空中で可変し、飛行形態となったはやぶさが空へと飛び立つ。それに続いて、スターゲイザー-アルマロスが飛んだ。

 

 ジンクスたちは追ってこない。追いすがろうとした機体もいくつかあったが、動きを止めた。ややあって、彼らは施設の方へと戻っていく。

 この場を取り纏めていた指揮官は、ソレスタルビーイングを追うことよりも施設の安全を取ったらしい。模範的な軍人の判断だ。

 

 

「アロウズの指揮官の中には、武功を上げようとして無茶苦茶なことをする人もいると聞きます。……今回の作戦担当者には感謝しないと」

 

 

 どこか安堵したようなイデアの声には実感がこもっているように思う。そういえば「カタロンに対する治安維持行為にも、指揮官の良心や良識および常識がしっかり反映されている」とベルフトゥーロが言っていたことを思い出した。

 指揮官、という言葉に浮かんだのは、部隊を率いていたグラハムの背中だった。彼の性格や要求には幾度となく振り回されたが、指揮は常に良心的で的確だった。……ただ、「彼が成してしまうことが周囲にとって想定外なこと」が多いのが玉に傷だったが。

 今、グラハム――ミスター・ブシドーは、ライセンサーという特殊な地位についているという。表向きは、「指揮官や任務に束縛されることなく、自由に動き回る遊撃役」だそうだ。戦果を見るに、彼は一騎当千型のワンマンアーミーとなっているらしい。

 

 アプロディアが入手したデータを見るに、「問題行動が多い」「自由にしすぎだ」「ライセンサーの地位を剥奪すべき」という評価がちらほら見られたのが、ちょっとばかし気がかりである。閑話休題。

 

 ガンダムたちは次々と海の中へ身を沈めた。ド派手な水しぶきが上がる。そういえば、タリビア紛争のとき、ガンダムエクシアが海中に潜ることで戦線から離脱していたか。

 ESP-Psyonドライヴとサイオン波を使えば、はやぶさも海中に潜ることは可能だ。シミュレーターでは何度も繰り返したが、実践するのは今回が初めてである。

 

 

「大丈夫ですよ。何かあったら、私もお手伝いしますから」

 

 

 イデアがふわりと微笑み返した。彼女の笑顔を見ていると、不思議と大丈夫な気がする。

 

 

「ありがとう。キミがいるなら大丈夫だな」

 

 

 クーゴもイデアへ笑い返し、操縦桿を握り締めた。集中する。身体とはやぶさが青い光に包まれ、粒子の色が黄色から翡翠色に変わった。そのまま、はやぶさは着水。のちに潜水へと移行した。ドライヴの出力も安定しているし、問題は無い。

 ふと見れば、スターゲイザー-アルマロスも潜水を終えていた。はやぶさと並ぶようにして、天女は水中を泳いでいる。イデアも無事で何よりだ。通信を開けば、嬉しそうに笑うイデアの顔が映し出される。釣られてクーゴも微笑んだ。

 

 

『2人とも』

 

『はい』

『なんですか?』

 

『プトレマイオスへの着艦許可もぎ取るまで、随伴し続けて。――なるべく早く済ませたいし』

 

 

 何やら不穏な響きを宿した思念が流れてきた。ベルフトゥーロが悪い笑みを浮かべている姿が『視えた』ような気がする。刹那、背中に凄まじい悪寒が駆け抜けた。

 嫌な予感がする。確実に、ベルフトゥーロは何かをする気だ。悪意に満ちた行動をするつもりだ。ソレスタルビーイングのクルーに、研ぎ澄ました牙を立てようとしている。

 

 

『グラン・マ! みんなに変なことはしないで!! お願いですから――っ』

 

 

 血相変えてイデアが叫ぶが、ベルフトゥーロは答えない。

 

 刹那、頭の中に直接映像が流れ込んできた。プトレマイオス内のどこかの部屋、だろうか。簡素なつくりの部屋の椅子に、ベルフトゥーロは拘束されている。

 彼女の前には、刹那やプトレマイオスのクルーと思しき男性が数名、怪訝な顔をして立っていた。彼らの表情は、捕虜に尋問するそれである。剣呑な眼差しが突き刺さる。

 

 

『――答えてくれ。あんたとイデアは、どんな関係なんだ?』

 

 

 刹那の問いかけに、ベルフトゥーロは鼻で笑った。その態度に腹を立てたのは、紫色の髪で眼鏡をした青年である。

 

 

『答えろ。貴様は彼女の何なんだ!?』

 

 

 彼は強い調子でベルフトゥーロを問い詰める。暴力や薬物に訴えようとしないだけ良心的なのかもしれなかった。

 他の男性たちも口々に彼女に問いかけるが、ベルフトゥーロは不敵な笑みを崩さない。

 

 

『ふふ、ふ、ふふふっ。――はは、あっはははははははははは!!』

 

 

 終いには、盛大に大爆笑し始めた。ベルフトゥーロに尋問していた面々が凍り付く。異様な対応に、どう反応すればいいのかわからなくなったためだ。

 

 

『キミたち、自分たちが『尋問する側』だと思ってるようだね』

 

 

 ベルフトゥーロはひいひい笑いながら、そう言った。何を言っているんだ、と言いたげな眼差しが、四方八方から突き刺さる。

 しかし、クーゴは『わかって』いた。研ぎ澄まされた牙が、鈍い光を放っていることを。狩られることを知らぬ獲物たちは無防備にしていた。

 

 ――そして、牙は突き立てられる。

 

 次の瞬間、尋問していた面々が崩れ落ちるように膝をついた。刹那や男性たちは呻きながら『何か』に対して抵抗するが、圧力に耐え切れず床に倒れこんでしまう。体を起こすことすらできないらしい。

 ベルフトゥーロの体が青く発光している。彼女のサイオン波によって発生した超重力が、刹那たちを床に縫い付けているのだ。骨が軋むような音が耳を掠める。ベルフトゥーロの青い瞳がぎらついた。

 そこにいるのは獣である。嘗て、人類軍の戦艦を屠った“ナスカの子”。生身での戦闘は久しいと笑っていたベルフトゥーロの姿からは似ても似つかない。クーゴが息を飲むのと、ベルフトゥーロが鋭い笑みを浮かべたのは、同時だった。

 

 

『――『尋問される』のは、テメェらの方だ』

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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10.天女の帰郷、居候のはやぶさ

 S.D.596年。人類がジルベスター星系第7惑星と呼ぶこの惑星に、『ミュウ』たちがナスカと命名して暮らし始めてから、3年の月日が経過した。

 『ミュウ』たちが暮らす母艦――シャングリラの、とある部屋の前に、2人の幼子が佇んでいる。

 

 

「あいつはダメだ」

 

 

 夕焼け色の髪と瞳を持つ幼子は、敵意をむき出しにしてそう言った。

 

 

「あの男は、殺さなきゃいけない」

 

「でもさ、トォニィ。グラン・パがそれを赦すとは思えないよ?」

 

 

 夕焼け色の髪と瞳を持つ幼子――トォニィの言葉に、ベルフトゥーロは訝しみながら眉をひそめる。前を向き直れば、大きな扉が目に入った。

 この奥には、ナスカにやって来た人間の男が捕らわれている。『ミュウ』が人類と“まとも”に接触するというのは珍しいことだと、仲間たちは言っていたか。

 古参の『ミュウ』たちは、「青い星(テラ)へ『還る』ための手がかりが手に入る」と息巻いており、尋問をもっと行うという。

 

 『ミュウ』を率いる指導者(ソルジャー)であるグラン・パも、今回迷い込んできた人間の男を重要視している。グラン・パはこの男に対し、『ミュウ』の生存権と安住の地を求めた。しかし、男は完全な“模範的人間”だった。奴は、然るべき手を使って『ミュウ』を殲滅すると宣言したためだ。

 奴は自然分娩で生まれた『ミュウ』の子ども――トォニィを目にして「気持ち悪い」と言ったような、人間の男である。トォニィが何かを危惧する気持ちは分からなくもない。ただ、ベルフトゥーロは、あの男を即刻抹殺する必要性があるとは思わなかった。今は生かしておくべきではないのか、と思っている。

 

 そんなベルフトゥーロの考えを読んだのか、トォニィはむっとした表情でこちらを睨んだ。

 

 

「ベルも、他の奴らと同じ考えなの?」

 

「うーん。正直に言うと、どうしたらいいのか分からないって感じ? グラン・パが『生かしておくべきだ』って言うならそうだと思うよ」

 

 

 ベルフトゥーロにとって、一番優先すべきことは家族及びグラン・パの判断である。

 彼らの判断は、ベルフトゥーロにとって“絶対”だ。トォニィにだって、同じことが言えるだろう。

 

 

「グラン・パがやらないなら、僕がやる」

 

「へ?」

 

「――そのために、僕はここに来たんだ」

 

 

 トォニィははっきりと言い放った。夕焼け色の眼差しは、扉の向こうにいるであろう人類軍の男へと向けられている。

 憎しみに満ち溢れた、どこまでも攻撃的な眼差し。揺らめいたのは、禍々しい輝きを宿す光だ。グラン・パと同じ、青い光。

 すべては、敬愛するグラン・パ――ジョミー・マーキス・シンのために。彼の根底にあるのは、その想いだけである。

 

 グラン・パを一番神聖視しているのはトオニィだった。そんな彼が、グラン・パの意見に対して異を唱えている。人類軍の男を生かしておくべきだという判断を「間違っている」と断じ、グラン・パに相談することも許可を得ることもなく、己の判断で、奴の命を取ろうとしている。

 

 

「ベル、僕たちには力が必要なんだ。グラン・パの理想を叶えるため、グラン・パがソルジャー・ブルーから託された使命を果たすためにも、今のままの僕たちでは力が足りない」

 

 

 トォニィの眼差しは真剣だった。そうして、自分の掌を睨みつける。幼子特有の、小さな掌だ。こんなちっぽけな手では、できることなどタカが知れている。

 彼の気持ちを理解したベルフトゥーロもまた、己の手の平に視線を落とした。大きな使命と理想を背負うグラン・パの手助けをするには、あまりにも無力だ。

 

 

「わかった。他のみんなにも、伝えておく」

 

「頼んだよ、ベル」

 

「任せといて!」

 

 

 互いの顔を見合わせ、頷き合う。ベルフトゥーロとトォニィは、成すべきことのために動き出した。

 

 トォニィが部屋の扉を開けたのと、ベルフトゥーロが仲間たちの遊び場に転移したのはほぼ同時だった。ベルフトゥーロの気配を感じ取ったエルガンが振り返る。

 遊んでいた仲間たち――イニス、アルテラ、タキオン、タージオン、コブ、ツェーレン、ペスタチオも、遊ぶのを止めてこっちに駆け寄ってきた。

 

 

「ねえ、ベル。トォニィ知らない?」

 

 

 アルテラがこてんと首を傾げる。可愛い顔をしているなぁ、と、ベルフトゥーロはついついにやけてしまった。

 エルガンが泣きそうな顔をしていたのが視界の端に映り、ベルフトゥーロは本題を切り出すことにする。

 真剣な顔つきになったベルフトゥーロに、仲間たちは何かを感じ取ったのだろう。神妙な表情で、ベルフトゥーロを見上げた。

 

 

 

*

 

 

 

 頭に浮かんだのは、遠い昔のこと。

 戦いなんて知らない幼子が、牙を砥ぎ始めたときの出来事だった。

 

 呻き声を上げる者たち――ソレスタルビーイングのクルーを見下ろしながら、ベルフトゥーロは力を振るった。ばちん、と派手な音を立て、拘束具が吹き飛ぶ。

 アロウズに拘束されていたときに着せられた服じゃあ格好がつかない、なんて考えつつ、椅子に座って足を組んだ。顎に手を当て、ベルフトゥーロは笑みを深くした。

 足の下から呻き声が響く。サイオン波に対する訓練を積んでいなければ、とてもじゃないが、この力に対抗することはできない。

 

 

『青い、光……!?』

 

『これって、まさか、イデアと同じ……』

 

 

 どこかから、若い男女の思念が漂う。この場で呻いている面々の声と比べてみるが、ここにいる面々とは違うようだ。

 

 

「ね、誰?」

 

「ッ!?」

 

「あの子を『化け物』って畏怖した奴」

 

 

 ベルフトゥーロは青い制服を着た女性――刹那・F・セイエイの胸倉を、サイオン波を使ってつかみ上げた。

 彼女はベルフトゥーロを睨んでいるが、サイオン波による力のせいで体の自由を封じられているため、それ以上は何もできない。

 圧力に苦しみながらも、刹那は訝しげに眉をひそめる。この様子だと、刹那はイデアを『化け物』と呼んだ人間ではないようだ。

 

 青い光を見ても、刹那はこの光の意味を理解していない。当てが外れたか、と、思ったとき、驚愕に目を見開いてこちらを見上げる男がいた。眼鏡をかけた男だ。

 確か、名前はイアン・ヴァスディ。ベルフトゥーロは、イアンに無断で彼の深層心理に潜り込む。映し出されたのは、4年前の最終決戦。青い光がMDを消し飛ばす光景だ。

 

 

「よぉ若造。テメェ、あの現場にいたんだな」

 

「こ、この年で、若造って言われるとは思わなんだ……」

 

「何言ってんのよ。たかだか40年や50年弱しか生きてないんだから、まだ若造でしょう。――あ、人間は寿命が短いんだっけ。いけないいけない。じゃあ爺さんでも仕方ないのかなー」

 

 

 サイオン波の矛先をイアンに変える。刹那が床に縫い付けられたのと入れ替わりに、今度はイアンの体が宙に浮いた。

 

 

「人間、だと……!? 貴様、一体――っ!?」

 

 

 リジェネと同じ塩基配列を持つイノベイド――ティエリア・アーデが、ベルフトゥーロの物言いに違和感を感じたらしい。

 彼は敵意をむき出しにしながらこちらを睨みつける。悪役の気持ちがなんとなくわかるような気がした。ベルフトゥーロはニヤリと嗤う。

 

 

「それを、貴方が口に出すの?」

 

「!!」

 

 

 ティエリア自身も、おそらく、漠然とだけれど気づいているはずだ。自覚しているはずなのだ。己もまた、人間と呼べるようなものではないのだと。――そうして、現時点では、「そのことを口に出すべきではない」と分かっている。――嘗てのイデアと、同じように。

 

 押し黙ったティエリアを一見し、ベルフトゥーロは深々とため息をついた。

 このクルーの中の誰かによって、イデアは泣かされて帰ってきたのである。

 親友の忘れ形見を泣かされて、黙っていられるような性格ではないのだ。

 

 

「ヴェーダはどうして、イデアのことを『化け物』呼ばわりするようなバケモノたちを見出したのかしら。こんなのが計画の後継者だなんて知ったら、あの人――私の旦那、失望するだろうなぁ。何てったって、イデアの両親と私たち夫婦は親友同士だったし。あの子は――イデアは、私の親友から託された大切な忘れ形見ですもの。泣かせた奴らを赦しておけるわけないじゃない」

 

「あ、あんた、一体……」

 

「――ベルフトゥーロ・ティアエラ・シュヘンベルク」

 

 

 ラッセ・アイオンが呻きながら問うてきたことに対し、ベルフトゥーロは厳かな声色で答えた。プトレマイオス中に激震が走る。

 シュヘンベルクという姓は、ソレスタルビーイングの面々にとって聞き覚えがあるものだからだ。創始者――イオリアと同じ姓。

 

 

「私の旦那様の名前は、イオリア・シュヘンベルク。そして私は、アンタたちが『化け物』と呼んで恐れた力を持つ者たちを束ねる指導者でもある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感が現実になった。しかも、かなり斜め上に飛んだ形で。

 

 頭の中に映し出される光景に、クーゴは戦々恐々としていた。割って入って止めるべきだと頭では分かっていたのに、身体はすくみ上ってしまったかのように動かない。

 ベルフトゥーロは女帝を思わせるような佇まいで、ソレスタルビーイングのクルーたちに尋問を続けている。サイオン波のことも『ミュウ』のことも、彼らは何も知らないのだ。

 おまけに、彼らはベルフトゥーロとイオリアの関係性を知ってしまった。その衝撃も相まって、クルーの中には動揺の波紋が広がっている。

 

 

「グラン・マ、やめて。やめてください! みんなに酷いことしないで!!」

 

 

 イデアが金切り声をあげて訴えるが、映像の中で嗤うベルフトゥーロに、彼女の声は届いていない様子だった。ベルフトゥーロは表情を変えることなく、面々を嬲っていく。

 嘗て、人類軍の戦艦や戦闘機を生身で沈めた“ナスカの子”/『ミュウ』の牙。その名に恥じぬ力による蹂躙が、目の前で行われている。

 

 

「『忘れ形見を泣かせる奴は赦さない』って言ってる傍から、貴女がイデアを泣かせてどうするんですか!?」

 

 

 半泣き寸前のイデアの表情に突き動かされ、クーゴは思わず叫んでいた。渾身の叫びも、ベルフトゥーロを止めるには至らない。

 

 そのとき、部屋の中に茶髪の少女と少年が飛び込んできた。イデアがはっと息を飲み、怯えるように紫苑の瞳を彷徨わせる。彼女の口が、声もなく誰かの名前を紡いだ。

 彼と彼女の姿には見覚えがある。イデアの手に触れたときに『視えた』光景で、イデア/こちらを畏怖の眼差しで見つめていた2人組だ。――だから、彼女たちはここへ来たのだろう。

 ベルフトゥーロも2人の存在に気づいた様子だった。何かを探るような鋭い双瞼が男女を射抜く。幾何かの沈黙の後、彼女は何かを察したようにため息をついた。

 

 

『あんたたちが、イデアを泣かせた張本人ってわけ』

 

 

 現在進行形で彼女を泣かせている張本人であるベルフトゥーロは、値踏みするように男女を見返した。

 青年も女性も、本当はこの場から逃げ出してしまいたかったのだろう。手が小刻みに震えている。

 

 己の罪に向き合うかのように、2人は頷いた。自分たちが悪かったのだと、血反吐を吐き出すようにして言葉を紡ぐ。

 

 

『あの子は……イデアは、私たちを助けてくれたんです。私たちを、命がけで守ってくれた』

 

『でも、俺たちは、イデアに酷いことしたんだ。……俺だって、イデアのこと、化け物だなんて言えるような立場じゃなかったのに』

 

 

 青年は己の手をじっと見つめる。女性の瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。

 

 

『イデアが死んだって思ったとき、凄く悲しかった。どうしてあの子を呼び止められなかったんだろうって、どうして『化け物』だって怯えてしまったんだろうって、ずっと後悔してた。あの子はヒトだったのに。あの子が仲間であることが、私たちにとって大切なことだったのに!』

 

 

 女性は自分の涙を乱暴に拭った。

 目が腫れてしまうのではないかと、心配になる勢いで、だ。

 

 

『……だから、プラウドで、イデアが生きているって分かったとき、嬉しかった。無事でいてくれたんだって、また一緒に戦えるんだって、……『還って』来てくれたんだって、そう思った』

 

『クリス……』

 

 

 隣にいた青年が、女性の名前を呼んだ。女性――クリスは涙を湛えた瞳で、真っ直ぐにベルフトゥーロを見返す。対して、ベルフトゥーロの目はどこまでも冷え切っていた。

 例えるなら、お涙頂戴モノのテレビ番組に対して無反応な人間の表情である。彼女の顔を見ていると、背中を走る悪寒がより一層激しくなったような気がした。

 普段のベルフトゥーロは、お涙頂戴モノのテレビ番組を見ると延々と泣き続けるタイプである。場合によっては、涙の流しようもない番組でも何故か泣き所を見つけて泣いているのだ。

 

 そんな彼女が、仮面のように冷たい表情のまま、微動だにしない。

 

 

『本音は?』

 

 

 クリスの言葉をばっさり切り捨てるかのように、ベルフトゥーロは問いかけた。

 鋭利な響きを宿したそれに、クリスと青年が身をすくませる。

 

 

『アンタたちが動き出した理由は、大体見当がつく。……だからこそ、“『化け物』としての力”が必要不可欠だってことでしょ?』

 

『違う! そんなことは、絶対にない!!』

 

 

 間髪入れず、この場にいた面々が異口同音でそう叫んだ。刹那も、眼鏡をした青年も、屈強な男性も、眼鏡をかけた黒髪の男性も、クリスも、茶髪の青年も、イデアの力を目的として連れもどそうとしている訳ではないのだと主張する。

 

 彼女たちが必要としているのは、イデアの『力』ではない。イデア・クピディターズという仲間なのだ。

 サイオン波によって凄まじい圧力を受けながらも、刹那たちは訴える。“大切な仲間だからこそ、イデアに戻ってきてほしい”のだと。

 クーゴはイデアに視線を向けた。彼女の葛藤が伝わってきて、何とも言えない気分になる。イデアの心は、大きく揺れ動いているのだ。

 

 クーゴの脳裏に、懐かしい仲間たちの姿が浮かぶ。

 ソレスタルビーイングの面々とは違うけれど、揺るがぬ絆があった。

 

 

『何を考えているのかは知らないが、そんなに悲観することはないぞ。私はいつだってキミの親友だからな』

 

『そうだよ。キミが何になってしまっても、僕たちは最後まで親友だよ』

 

 

(グラハム、ビリー)

 

 

 そう言って、笑ってくれた親友たちがいた。

 

 

『副隊長、大丈夫ですよ。我々もサポートしますから』

 

『役として不足かもしれませんが、お手伝いさせてください』

 

 

(ハワード、ダリル)

 

 

 そう言って、頷いてくれた仲間たちがいた。

 

 身動きができずにいて、身を守ることに必死だから。

 イデアは、彼らの言葉を信じることができずにいる。

 

 

「良い人たちじゃないか」

 

「!」

 

「どこからどう見ても、良い仲間たちだよ」

 

 

 クーゴの言葉に、イデアは目を瞬かせた。鬼気迫るような状況で、そんなことを言われるなんて思わなかったのだろう。現状を指さし、畳みかけるようにして、クーゴは言葉を続けた。

 

 

「……このまま、この光景を眺めていたら、取り返しがつかないことになると思う。…………ベルフトゥーロ女史は、本気だ」

 

「……」

 

「もし、彼女がキミの仲間たちに、危害を加えるなんてことになったら――……ッ!!?」

 

 

 次の瞬間、一際大きな呻き声が響いた。頭の中に映し出された光景に、変化が起きたのだ。

 めきめきと嫌な音が鳴る。ベルフトゥーロが、クリスの首をサイオン波で締めあげていた。

 クーゴの嫌な予感は、最悪な形で的中したらしい。あのまま首を締められ続ければ――末路は明らかだ。

 

 クーゴはイデアの名前を呼んだ。彼女の顔は顔面蒼白を通り越している。口元が戦慄いた。ベルフトゥーロは止まらない。

 クリスが呻く。意識を保てなくなってきたのだろう。瞼が力なく降りていく。このままだと、本当にマズイ!!

 

 

「イデア、急げ!」

 

「……ぁ……」

 

「このままでいいのか!? 彼女はキミの仲間なんだろう!? キミは、すべてを賭して守った仲間を見殺しにするって言うのか!? ――そんなの、良い訳ないじゃないか!」

 

 

 クーゴの言葉に、イデアがはっとしたように息を飲む。

 

 

「だ……」

 

 

 イデアの口が動いた。恐れも悲しみも、全部振り切るように前を向く。紫苑の瞳に迷いはない。

 

 

「――ダメェェェェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエッ!!」

 

 

 彼女の咆哮が高らかに響き渡った。コックピットから、イデアの姿が掻き消える。クーゴの頭の中に浮かんでいた光景に、イデアが現れた。サイオン波を駆使して転移したのだろう。その勢いのまま、青い光を纏ったイデアがベルフトゥーロへと突っ込んだ。

 青い光が爆ぜる。クリスが床に崩れ落ち、隣にいた青年がそれを支えた。地面に縫い付けられていた刹那たちが体を起こす。だが、光と圧力のぶつかり合いに、手出しすることはできなかったようだ。吹き荒れていた風が晴れる。

 サイオン波のぶつかり合いだ。シールドを纏って体当たりするイデアと、ベルフトゥーロの思念波が派手に火花を散らしている。力関係はベルフトゥーロの方が上だが、イデアも全力を注いでいた。じりじりと、ベルフトゥーロを押し戻していく。

 

 ばちん、と、何かが弾けた。ベルフトゥーロが飛び退り、イデアが仲間たちの前に立ちふさがる。突然現れた彼女の存在に、仲間たちは酷く驚いた様子だった。

 

 床に膝をついたベルフトゥーロは、目を丸くしてイデアを見上げる。

 光のない紫苑の瞳は、真っ直ぐに敬愛する指導者を見つめていた。

 

 

『みんなに、手を出さないで』

 

 

 固い声だ。温和で朗らかなイデアからは想像できないくらい、ぴりぴりしている。

 

 

『いくらグラン・マであっても、私の希望(なかま)に害をなそうって言うのなら……』

 

 

 紫苑の瞳には、強い決意が宿っていた。

 

 

『私が全力で、叩き潰します……!!』

 

 

 大切な仲間だから、と、イデアは絞り出すようにして紡いだ。彼女の掌に青い光が舞う。それは、温かさと冷たさという、相反するものを宿している。

 艦内だというのに、どこからともなく風が吹き始めた。刹那たちを守るように、あるいはベルフトゥーロに牙を向こうとしているかのように。

 

 ベルフトゥーロとイデアの間に火花が飛び散る。荒ぶる青(タイプ・ブルー)同士の頂上決戦だ。想像するだけで、この場一体が焦土になる予感しかしない。

 片や、全盛期は百艦以上の戦艦や戦闘機を撃墜した“ナスカの子”にして『ミュウ』の牙。片や、一度に20機以上のMDを蹴散らしたソレスタルビーイングの守護神。

 どんなに穏便に済むように想像しても、やっぱり、この場が焦土になる未来しか見えなかった。どうやら、クーゴは想像力が足りないらしい。助けてくれ加藤機関。

 

 虚憶(きょおく)で敵対し、手を組み戦った加藤久嵩の姿が脳裏に浮かぶ。彼は無言のまま視線を逸らし、首を振った。彼の部下である石神邦生も、乾いた笑みを浮かべた後に額を抑えた。だめじゃねえか。

 

 

(このまま彼女たちが戦い始めたら、収拾がつかなくなる……!!)

 

 

 2人の睨み合いと沈黙が、どれ程続いたのだろう。一瞬のことのように思えたし、長い時間のようにも思える。

 

 変化は唐突だった。ベルフトゥーロが小さく噴き出し、口元を抑える。

 何かを堪えているかのような、くぐもった声。――笑い声だ。

 

 

『え?』

『は?』

『ん?』

 

 

 イデアや刹那たちも、それに気づいたらしい。誰も彼もが怪訝そうに眉をひそめた。

 

 

『ふふ、ふ、ふふふっ。――はは、あっはははははははははは!!』

 

 

 ベルフトゥーロは盛大に大爆笑し始めた。気のせいでなければ、彼女の双瞼には薄らと涙の幕が張っている。なんだ、この状況。クーゴも唖然とするしかなかった。

 ひとしきり笑った後、ベルフトゥーロはイデアを見た。『ミュウ』たちからグラン・マ(おばあちゃん)の愛称で敬愛されるに相応しい程、慈愛に満ちた眼差しが向けられる。

 獲物を駆る気満々だった獣が、いきなり戦闘態勢を解いたのだ。突如流れた穏やかな空気に、困惑するのは当然のことである。反応に困るのも、当たり前であった。

 

 周囲の反応をよそに、ベルフトゥーロは言葉を続ける。

 

 

『そこまで言って啖呵を切ったんだから、今更、尚更、『私は『還れ』ません』なんて言えないわよね?』

 

『――!!?』

 

 

 イデアがはっとして振り返る。後ろには、驚いたような顔をしながらも、イデアが自分たちを守ろうとしてくれたことに喜ぶ面々の姿があった。

 刹那たちの表情は、イデアがソレスタルビーイングへ戻ってくるものだと疑わない。むしろ、そう望んでいることは疑いようがなかった。

 

 「還って来て」と、クリスが言った。それを皮切りに、ソレスタルビーイングのクルーたちが、イデアへ「『還って』来て欲しい」と訴える。コロニー・プラウドでの遭遇/再会時から、ずっと『聞こえて』いた言葉たちだ。

 イデアは困惑した表情でその言葉を聞いていた。彼らの言葉に嘘がないことを本能的に感じ取ったのだろう。しかし、心についた傷は深い。その傷の深さは、相手のことが大切だったから/大好きだったからこそのものだった。

 大好きだったから、化け物と言われて哀しかった。大好きだったから、畏怖の眼差しを向けられたことが辛かった。大好きだったから、もう傍にいられないのだと思った。――1番の理由と、イデアはもう一度、向き合っている。

 

 

『――いいん、ですか?』

 

 

 か細い声が、部屋に響く。

 

 

『私は、ここにいても……貴方たちと一緒にいても、いいんですか……!?』

 

 

 イデアの双瞼から涙が零れ落ちた。彼女の言葉を待っていたと言わんばかりに、クリスが飛び出す。クリスはその勢いのまま、イデアに思いっきり抱き付いた。

 それを皮切りに、次から次へとソレスタルビーイングのクルーたちが駆け出す。部屋の中にいた者たちがイデアを取り囲んだ。間髪入れず扉が開き、残りのクルーも突進する。

 

 誰も彼もが、イデアの名前を呼んでいた。彼女が『還って』来たことを喜んでいた。それ以上に、イデアもまた、ソレスタルビーイングに『還って』来れたことを喜んでいた。

 

 その光景を、クーゴとベルフトゥーロは眺めていた。正直、ああやって、仲間の元へ『還る』ことができたイデアが羨ましい。

 いつかクーゴも、あの光景と同じように、虚憶(きょおく)で見た青空の元へ――仲間たちと一緒に『還れる』だろうか。

 

 

「ベルさん」

 

『何』

 

「貴女、最初からこうするつもりだったんですか」

 

『……ふふ。あの子、昔から難儀なところがあったからね』

 

 

 クーゴの問いに、ベルフトゥーロはゆるりと目を細めた。そうやってイデアを眺めるその姿は、孫を見守るおばあちゃんそのものだ。やはり、グラン・マ(おばあちゃん)の愛称は伊達じゃない。

 

 案の定、彼女は楽しそうに笑いながらネタばらしをした。「私の言った通りだったでしょう」と得意満面の表情を目の当たりにした刹那が、何とも言えなそうな顔をしてベルフトゥーロを見返す。

 「本当に殺されると思った」、「目が本気だった」というのは、ソレスタルビーイングのクルーたち全員に共通する意見であった。この光景を見ていたクーゴにだって、同じことが言えるだろう。

 とにかく、これでイデアは『還りたい』と願った場所へ『還れた』のだ。それはとても喜ばしいことである。クーゴは思わず表情を緩めた。泣き笑いの表情を浮かべるイデアの横顔を見つめていると、胸の奥が温かくなるような心地になった。

 

 

「イデア」

 

『はい?』

 

「よかったな」

 

『――はい。クーゴさんのおかげです』

 

 

 イデアに声をかければ、彼女は花が咲くような笑みを綻ばせた。クーゴも頷き、笑い返す。

 

 

『あれ? 社長じゃないですか! おまけにレティ――イデアまで!』

 

 

 話がひと段落したと思ったとき、部屋を覗きに来た女性が大きく目を見開いた。薄い藤色の髪の女性だ。彼女は『悪の組織』の制服を身に纏っている。

 しかも、この女性はベルフトゥーロと親しそうだし、イデアの本名――レティシア――も知っていた。ということは、技術者の中でも古参なのだろう。

 

 

『アニュー! ソレスタルビーイングに同行してたのね』

 

『はい! ……あ、リボンズさんたちが心配してたんで、ちゃんと連絡してくださいよ? 対物ライフル持ち出して暴れようとして、みんなに止められていたらしいですから』

 

『了解。話し合いが終わり次第、確実に連絡入れるわ』

 

 

 2人の会話を聞いていた(イデア以外の)クルーたちが目を剥いた。……これは、第2ラウンド開始の兆候である。クーゴは思わず遠い目をした。

 

 

(いつになったら、はやぶさと俺は休むことができるんだろうか)

 

 

 そもそも、プトレマイオスはどこへ向かおうとしているのだろう。行先不明の母艦の後を見失わないようにするのには、意外と気を使うものだ。

 クーゴとはやぶさは、暫くプトレマイオスに随伴し続ける羽目になった。着艦許可が出たのは、かなり時間が経過した後だったことを記載しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、アンタは『ミュウ』と呼ばれる“外宇宙からの来訪者”を率いる指導者で、『悪の組織』の社長で、『スターダスト・トレイマー』を率いる総帥で、イオリア・シュヘンベルクの妻その人で、500年以上の時間を生き続けてきたと?」

 

「うん」

 

 

 ベルフトゥーロの説明を総合した眼鏡の男性――イアン・ヴァスディが天を仰いだ。それにしても、ベルフトゥーロの返事が軽すぎやしないだろうか。本当に、彼女が社長で大丈夫なのかと心配になってきそうだ。クーゴは乾いた笑みを浮かべて話を聞いていた。

 どうしてか、UXの虚憶(きょおく)で、「本当は経営が苦手だったので社長辞める」と森次怜二へ社長業を押し付け、1番隊の隊長に収まった石神の笑顔が脳裏に浮かぶ。「あの笑顔を殴りたいと思うことがある」と森次が小さく零していたことを思い出した。

 彼が合法的に石神を殴る機会があったかどうかは不明だ。……気のせいか、どこかでは森次が誰かに「石神を殴ってよし」とゴーサインを出していたような光景が頭をよぎる。しかし、それはすぐに意識の彼方へと消えてしまった。閑話休題。

 

 現在、クーゴとイデアは、プトレマイオスの艦内にあるブリーフィングルームにいる。はやぶさの着艦許可が出て、真っ先にここへ通された。

 

 クーゴがはやぶさと水中で待ち惚けている間に、あらかたの説明は終わっていたらしい。クーゴがこの部屋にたどり着いたときにはもう、既に冒頭の台詞とやり取りが交わされていた。クルーの大半が頭痛そうにしている。

 彼らの気持ちは分からなくもない。クーゴだって、最初に『ミュウ』のことやイオリア計画の秘密を聞かされたときは唖然としたものだ。……多分、こういうのは、誰もが通る道なのだと思う。スケールの大きさ的に、だ。

 

 

「では、何故、ソレスタルビーイングは生み出されたんだ?」

 

「“来るべき対話”のため」

 

「“来るべき対話”? それは一体?」

 

「教えない」

 

 

 紫の制服を身に纏った眼鏡の青年――ティエリア・アーデの問いに、ベルフトゥーロは口を尖らせてそっぽを向いた。

 ティエリアの眉間に皺が寄る。こめかみに青筋が刻まれたあたり、彼の沸点は低めらしい。

 

 

「は?」

 

「連帯責任。イデアを泣かせた罰」

 

 

 「それくらいで済ませるんだから、安いものでしょう」と、ベルフトゥーロは胸を張った。実際そうだから文句は言えない。彼女程の能力を有していれば、この場にいる人間全員を血祭りに挙げるくらい訳ないのだ。

 サイオン波で首を締められた女性――クリスティナ・シエラや、ベルフトゥーロのサイオン波で地面に押さえつけられていた男性――ラッセ・アイオンがベルフトゥーロから視線を逸らした。気持ちはよく分かった。

 それでもティエリアは諦めない。「ヒントくらいよこせ(意訳)」と、ベルフトゥーロと交渉していた。どこか必死な形相だったティエリアに何か思うところがあったのか、ベルフトゥーロはもったいぶるような口ぶりでこう言った。

 

 

「ヒントは……そうねー。“その理想形および縮図が、人間である貴方たちと『ミュウ』であるイデアの関係性”かしら」

 

 

 人間と『ミュウ』の関係性に、すべてのヒントが隠されている――。

 それが、“人類の革新”のために必要なことだと、ベルフトゥーロは言うのだ。

 

 『同胞』の特権で詳しい話を聞いたクーゴであるが、“人類の革新”が“何のために必要なのか”までは教えられていなかった。“来るべき対話”なんて、今初めて聞いたばかりである。イデアも、詳しいことは知らされていないという。

 

 

「……ねぇ、ティエリア。グラン・マが話してくれないからって、私たちを見つめても無理だからね? 私もクーゴさんも、詳しいことは分からないから」

 

「そうか……」

 

 

 ついに、ティエリアが諦めてくれた。深々とため息をついて、眼鏡のブリッジに手を当てる。見ていて居たたまれない気持ちになってくるのは何故だろう。

 不満そうな横顔をじっと眺めていたベルフトゥーロは、何か思いついたらしい。「その代わりに」と切り出す。

 

 

「そっちにウチの技術者や関係者を、サポート役として出向させるから」

 

 

 ベルフトゥーロはそう言って、端末を指示した。そこに浮かんでいる人数は7人だが、名前が表示されているのは5人だけである。残る2つはアンノウンと表示されていた。

 

 以前からプトレマイオスおよびソレスタルビーイングに同行していた技術者――沙慈・クロスロードとルイス・クロスロード夫妻、アニュー・リターナーの3名。今回から合流することになったMSパイロットに、イデア・クピディターズの名前があった。

 そこまでならばまだいい。問題は、次だ。クーゴは何度も端末画面に表示された名前を確認した。何度確認しても、目の前の光景は覆らない。眉間に皺を寄せてベルフトゥーロを見れば、彼女は「何が不満なんだ」と言いたげに――けれど満面の笑みを浮かべて首を傾げた。

 

 MSパイロット――クーゴ・ハガネ、搭乗機体はやぶさ。

 それが、クーゴにとっての大問題である。

 自分はただの居候なのに、いつの間に関係者になっていたのか。

 

 

「ベルさん」

 

「何?」

 

「あざとく小首傾げても無駄です。……何故俺が、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の関係者扱いにされているんですか」

 

「違うの?」

 

 

 至極当然のことを語るようなベルフトゥーロの笑顔を、クーゴは訂正した。

 

 

「俺は居候です。友達を助けたら、元の古巣へ帰ります」

 

「居候先が変わるだけじゃない。問題ない問題ない」

 

「いや、ですが……」

 

 

 クーゴがなおも反論しようとしたとき、思念波が『聞こえた』。

 勿論、これもベルフトゥーロのものだった。

 

 

『それに、その友人を一本釣りできるでっかい餌は、目の前にいるでしょ』

 

「刹那を餌扱いせんでください!!」

 

 

 あまりの発言に、クーゴは思わず怒鳴っていた。

 そうして、大声でそれを口に出していたことに気づく。

 

 周囲から見れば、クーゴのそれは、“突然訳の分からないことを叫んだ変人”のように見えるだろう。それで済めばまだマシだった。

 

 

「……餌?」

 

 

 刹那が首を傾げた。しかし、彼女はすぐに“刹那=餌”という連想を発展させ、グラハム・エーカーへたどり着いたようだ。

 「餌……」と確認するように呟くその声色からは、疑問符は無くなっていた。刹那が顔を上げて、クーゴを見つめる。

 何かを問いかけるような強い眼差しに気圧され、クーゴは反射的に視線を逸らした。逸らしてしまった。

 

 刹那は何か確信したように、小さく息を飲んだ。

 その表情を視界の端に捉えたクーゴは、余計に気まずくなった。

 

 あの様子だと、刹那はグラハムの現状について何も知らない。彼がアロウズにいることも、仮面と陣羽織を身に纏い『ミスター・ブシドー』という名前で呼ばれていることも、人形同然の状態になっていることもだ。そして――クーゴの反応から、大体を察したのだ。奴が大変なことになっている、と。

 

 

(――なんだろう。ひと波乱巻き起こりそうな気がする)

 

 

 何とも言えない予感が、クーゴの頭の中に引っかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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11.混沌地帯 -ただのカオス-

「ところで、この艦はどこへ向かうんですか?」

 

「アザディスタンだ」

 

 

 クーゴの問いに答えたのは刹那だった。4年前の面影を残しながらも、顔つきは女性としての成長を遂げている。

 あれから4年が経過したということは、彼女は20歳(ハタチ)になったということだ。日本で言えば、成人していた。

 もう、酒や煙草に手を出せる年齢になったのだ。変化も色濃く表れる年頃である。月日の流れは早いものだった。閑話休題。

 

 アザディスタンと言えば、つい先日、アロウズによって解体されたばかりであった。以降、反政府派と連邦の諍いが絶えないという。アロウズの兵士や地球連邦軍政府の目が激しく光っていてもおかしくない。

 そんな危険地帯に、ソレスタルビーイングの面々は何をしに行くのだろう。今回の作戦――仲間の救出任務があるわけでもないし、危険へ飛び込むメリットが想像できなかった。クーゴは首をひねった。

 

 

「先程、アロウズの収容施設で保護した……」

 

「マリナ・イスマイール様の故郷よ。そして、反政府組織カタロンの力が強い地区でもあるわ」

 

 

 説明を続けようとする刹那を遮り、ベルフトゥーロが補足を入れる。

 

 マリナ・イスマイールは、アザディスタンの王女『だった』人物だ。地球連邦および治安維持部隊の介入を受けて国の解体が決まった際、彼女は王女としての資格を失っている。

 指導者を奪われてしまった旧アザディスタン関連国は、内戦の影響もあってバラバラになってしまった。しかしどの関連国も、連邦政府による統一支配に甘んじる気はないらしい。

 反政府武装組織の力が強く、特に、過激派のカタロンが急激に勢力を広めているという。同組織の支援によって、関連国たちは各地で連邦政府相手にゲリラ戦を行っているそうだ。

 

 

「この艦には私以外に、アロウズの収容施設から保護された非戦闘員であるマリナ様が同行してるの。でも、この艦に同行していると、嫌が応にも戦いに巻き込まれてしまうでしょう? ……それは、マリナ様にとってよろしくない事態なのよ。幸い、比較的落ち着いた地区もあるし、そこにはマリナ様が信頼できる人物が暮らしているわ。彼女は、その人物を頼るつもりでいるみたい」

 

「だから、故郷であるアザディスタンに送り届ける、と。了解です」

 

 

 クーゴの返事を聞いたベルフトゥーロは満足げに笑った後、サイオン波を駆使して浮き上がった。車椅子がないため、サイオン波が彼女の移動手段となっている。この程度のサイオン波なら、特に体調を崩すようなものではないそうだ。

 彼女の背中が廊下の向こうへ消えた。間髪入れず、女性と話す声が聞こえてくる。この声の主がマリナ・イスマイールなのだろう。クーゴがそう思い至ったときには、既に2人の声は小さくなっており、やがて完全に聞こえなくなった。

 

 ブリーフィングルームを見回す。話し合いが終わって解散したためか、残っている人間の姿もまばらであった。

 

 

(さて、これからどうしようか)

 

「すみません! ちょっと質問があるのですが」

 

 

 手持無沙汰になった、と思ったときだった。不意に、声をかけられる。

 振り返れば、髪を2つに結び、黄色い制服を身に纏った少女――ミレイナ・ヴァスディがこちらを見上げていた。

 

 ミレイナの瞳は好奇心に満ち溢れている。きらきら輝く双瞼には、クーゴとイデアの姿が映し出されていた。

 

 

「ズバリ、お2人は恋人同士ですか!?」

 

 

 熱っぽい眼差しが向けられた。しかも、何やらとんでもない質問を投げかけられたような気がする。クーゴの頭は、一拍遅れて、ミレイナの質問の意味を理解した。

 恋人同士? 誰と誰が? 確認するようにミレイナの眼差しを辿れば、そこにいるのはやはりクーゴとイデアだった。つまり、ミレイナは、クーゴとイデアの関係について訊ねたのだ。

 「何を言っているんだ」と、クーゴは反射的に言葉を紡いでいた。当たり前のことを、当たり前に告げただけである。だから、胸が痛むとか、何かが込み上げてくるなんてあり得ない。

 

 

「俺なんかが恋人だなんて、イデアに失礼じゃないか」

 

 

 クーゴは苦笑しつつ、ミレイナに眼差しを合わせた。

 親戚の子を諭すように、言葉を続ける。

 

 

「彼女のような素晴らしい人には、もっと相応しい相手がいるはずなんだ。冗談や勘違いでも、そういうことは言っちゃいけないよ?」

 

 

 ミレイナは目を瞬かせる。そんな返事が返ってくるとは、まったく予想していなかったのだろう。え、と、困惑したような声を漏らし、クーゴとイデアを交互に見比べた。

 

 背後から視線が突き刺さってきたような気がして振り返れば、眉間に皺を寄せたイデアがクーゴを睨んでいた。一拍遅れて、彼女の思念が流れてきた。

 怒っている。理由は不明だが、イデアは強い憤りを感じているらしい。今までの会話に、そんな要素があっただろうか。クーゴには一切身に覚えがなかった。

 こめかみから汗が伝い落ちる。もの凄く、居心地が悪い。イデアの視線は容赦なく、クーゴを責め立てるかのように向けられた。変な空気に耐え切れなくなる。

 

 どうして、彼女は怒っているのか。

 どうしても、クーゴにはわからなかった。

 

 

「……イデア」

 

「なんでしょう」

 

「どうしてキミが怒るんだ?」

 

 

 単刀直入に問いかければ、ますますイデアの表情が曇る。怒りと悲しみがごちゃ混ぜになった感情が向けられた。

 どうして、と、イデアの口が小さく動く。彼女は何かを言ったようだが、その先は聞き取ることができなかった。

 光のない紫苑の瞳は、磨かれた鏡のようにクーゴの姿を映し出す。瞳の中の青年は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 イデアの手が、クーゴの服の袖を握り締めた。控えめに、けれども強い力を以てだ。

 アンバランスなその様子に、クーゴは一瞬面食らった。間髪入れず、紫苑の瞳にじわりと涙が浮かぶ。

 

 

「クーゴさんの、ばか」

 

「え」

 

「どうして貴方は、そんな風に、過小評価通り越してネガティブなんですか」

 

 

 そんなことを、言われた。今度こそ、もう、どうすればいいのか分からない。内心狼狽しながら、クーゴはイデアを宥めることにした。それ以外に、いい方法が見つからないためでもある。

 

 

「キミが怒るようなことも、涙を流すようなことも、何もないじゃないか」

 

 

 至極当然のことを、当然のように、当たり前のことを当たり前に告げただけだ。イデアが怒ったり、泣いたりするような要素なんてどこにもない。

 なのにどうして、彼女は怒るのだろう。どうして彼女は泣くのだろう。悲しいことなんて何もないのに、だ。

 

 幾何かの沈黙の後、イデアはクーゴの腕に顔を押し付けるようにして寄せてきた。かすれたような小さな声が、耳を打つ。

 

 

「貴方が、貴方自身のことを蔑ろにするからです。……貴方がそんな風に言われるの、私は嫌なんです。――例えその相手が、貴方自身であったとしても」

 

 

 そんなことを言われても、クーゴにはどうしようもない。

 

 

「……すまない」

 

「上っ面だけの謝罪じゃないですか、それ」

 

「わかってる。でも、ごめん」

 

 

 多分、自分を過小評価し続ける癖は一生治らないだろう。異様な贔屓と歪んだ憎悪の中で生きてきたクーゴには、それくらいが妥当な評価だと思っているためだ。

 「本来ならば、きっと、クーゴなんかよりも高い評価を得るべきだった人物がいたはずだ」――その考えは、ちょっとやそっとでは変わってくれそうにない。

 世の中には、クーゴのことを認めてくれる相手がいる。「キミは自分のことを過小評価しすぎだ」と苦笑していた親友たちの姿が脳裏をよぎった。

 

 自分自身を「ダメなもの」だと扱うことは、自分を信じ、認めてくれる人々を傷つけることになる。クーゴのような存在を見出してくれた人々に、何も悪いところなんてないのだ。

 彼らが信じたクーゴ・ハガネを、クーゴ自身が信じられなくてどうする。その想いに応えることが――もう少し、自分を誇ることが、彼らに報いる最良の方法ではないか。

 

 

(そう考えると、俺のために泣いたり、怒ったりしてくれる人がいるっていうのは、凄いことなんじゃないかな。……とても、大切なことなんだろうな)

 

 

 なんだか照れくさくなって、クーゴは苦笑した。傍にいたイデアは何かを察知したように目を瞬かせ、改めてクーゴを見つめる。

 

 つられるようにして、イデアも微笑む。クーゴの気のせいでなければ、彼女の頬は薔薇色に上気しているようにも見えた。綺麗な笑みだな、と、漠然とそんなことを思う。

 何となくぎくしゃくしていた空気は元に戻ったようだ。先程までもの息苦しさや、変な空気はどこにもない。そもそも、どうしてこんな話になったのだろう? 忘れてしまった。

 そのタイミングを待っていたかのように、この場に場違いな音が響き渡った。その出どころは、クーゴとイデアの腹からだ。最後に食事を取ってから結構な時間が経っている。

 

 

「……あー」

 

 

 非常に居たたまれない。というか、恥ずかしい。クーゴは思わずイデアから視線を逸らした。

 とりあえず、こちらをじっと見ていた刹那とミレイナに、キッチンの使用許可を取る。2つ返事が返ってきた。

 

 「泣かせてしまった詫びをしたい」と、クーゴはイデアに声をかけた。キッチンの使用許可から、イデアは料理を連想したのだろう。ぱっと表情を輝かせた。そんな彼女を見ていると、なんだか心が温かくなるような気がする。

 

 さて、何を作ろうか。イデアにキッチンへの案内を頼みながら、クーゴは料理へ思いを馳せる。

 満面の笑みを浮かべたイデアが、幸せそうに料理を頬張る姿が鮮明に思い浮かんだ。

 

 

 

 

 余談だが。

 

 

「……セイエイさん、あれは……」

 

「どこからどう見てもバカップルだろう? まだ付き合ってすらいないんだぞ、あの2人」

 

「乙女の勘が狂いっぱなしですぅ」

 

 

 何とも言い難そうにした乙女2人がそんなことを漏らしていたことなど、クーゴとイデアは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 ミス・カイルス。

 クーゴたちが所属する部隊で行われた、美女コンテストである。

 

 石神からバカンスへ行こうと誘われたときから、なんとなく嫌な予感がしていた。『悪の組織』の連中が嬉々と同行してきたのを見たときから、愉快犯的な作為を感じていた。石神が理由を説明するときに悪人面なんかするものだから、黒い笑みを浮かべて「真の目的とはミスコンである」と宣言されたとき、反射的に飛び蹴りしたクーゴは悪くないはずである。

 渾身の蹴りは石神に避けられ、懐刀のあまりにもあんまりなコメントにずっこけてしまった加藤にクリーンヒットしてしまった。そのとき巻き上げた砂の余波を喰らったのは、近くにいて話し合っていた森次とゼロであった。汗まみれの彼らには酷なことをしてしまった。もちろん、全方位に対して土下座ものである。お詫びにスポーツドリンクを差し入れしたが、帳消しになるとは思えない。

 クーゴがぐだぐだ考えているうちに、ミスコンはどんどん進んでいく。教師コスプレをしたヨーコが速着替えで水着に変化したり、無人機が襲撃してきたので撃退したり、美海が水着で出てきて浩一と絵美の三角関係が大炎上したり、無人機が襲撃してきたので撃退したり、アイドルファンとマネージャーが露骨な贔屓に走ったり、無人機が襲撃してきたので撃退したり。途中で挟まる出来事――無人機の襲撃が、普段の日常と大差ないように思うのは何故だろうか。

 

 ミスコン進行と無人機撃退を繰り返し、やって来た乱入者(くろまく)も追い払い、休暇なのに休暇じゃないバカンスは過ぎていく。

 

 夏の日差しが眩しい。いや、原因はおそらく、ミスコンで盛り上がる熱気とか、ミスコンで披露されるアレなアレとかだろう。

 それに見惚れてパートナーからぶん殴られる男性陣とか、落ち込んで裏方でぐちぐちやってる女性陣とか、悲喜こもごもだ。

 

 

「ロックオン、最ッ低……!!」

「待ってくれフェルト! これは誤解だァァァァァァァ!」

 

「ライルが、ライルが浮気したァァァァァァァァァァ!」

「待ってくれアニュー! これは誤解だァァァァァァァ! お前の家族にも説明させてくれェェェェェェ! 俺死ぬ、確実に殺されるゥゥゥゥゥ!」

「待てコラ、ライル・ディランディィィィィィィ!」

「可愛い妹分を泣かせやがってぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「貴様の罪を数えろォォォォ!」

「天誅だ!」

「粛清する!」

「DNAを残さないレベルで頑張ってみようか。これは、リボンーズキャノンを使わざるを得ない案件だな」

 

「眩しいわね、アレルヤ」

「そうだね。でも、僕にとって一番眩しいのはマリーだよ」

「アレルヤ……」

「マリー……」

 

「アーデさんの馬鹿ー! 女装で可愛いなんて悔しいですぅー!」

「ちょっと待ってくれ! 山下は!? 彼はいいのか!?」

「私よりも可愛いアーデさんなんて、アーデさんなんて……っ! 大好きですぅぅぅぅうわぁぁぁぁぁん!」

「待ってくれミレイナ、僕もキミが大好きだァァァァァァァァァ!!」

 

 

 喧騒が聞こえる。

 

 審査員に抜擢されて壇上に上がり、美女を見てデレデレしていたストラトス兄弟は、お互いの恋人から顰蹙を買ったらしい。特に弟は悲惨で、彼の背後には妹分を想う家族が獲物を構えて迫っていた。スイカ、スイカ割り用のバット、氷で作られたジョッキ、サメの形をした浮き輪、釣竿、ロケット花火等、凶器は様々である。

 端の方では、「ミスコンなんてどうでもいい。キミさえいてくれるなら。むしろキミこそがミス・カイルスだ」を地でいく恋人たち――アレルヤとマリーがいた。見るからに、幸せそうで何よりである。クーゴも彼らのように自分の世界へ入り浸れればよかったのだが、性格上、うまく逃げることができないでいた。本当にしょうがない。

 後ろでは、山下の巻き添え+αを喰らって女装したティエリアを見たミレイナが、大泣きしながら走り去っていったところだった。彼女の悲しみもわかる。だって、件の恋人はそこらへんの女性よりも女性らしいのだから。そんなティエリアも、ミレイナの後を全力で追いかけていった。

 

 ミスコン進行と無人機襲撃を繰り返し、休暇なのに休暇じゃないバカンスは過ぎていく。

 C.Cによって半ば強引に引きずり出されたバニーガール――紅月カレンが悲鳴を上げて逃げ去っていった後のことだった。

 

 

「何やら、向うが騒がしいな」

 

 

 悲鳴が聞こえる。引きずり出されたバニーガールと同じ色の悲鳴だ。

 

 

「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 羞恥心によって憤死してしまいそうな、女性の声。何事かと壇上を見た。

 

 

「また飛び入り参戦らしいな」

 

「いや、無理矢理引きずり出されたの間違いだろ」

 

 

 隣にいたグラハムは能天気に言った。クーゴは思わずツッコミを入れる。誰がどう聞いても、飛び入り参戦しようとした風には聞こえない。

 真夏の太陽が目に刺さる。次の瞬間、かき氷片手に観戦していたグラハムが目を剥いた。クーゴも息をのんで、その光景を凝視する。

 

 白。

 

 太陽の光なんか気にならないほど鮮烈な、白だった。

 

 水着である。まごうことなき水着である。胸元が強調され、きわどいレベルでざっくりと切込みが入った水着である。フリルもふんだんに使われていた。

 一言で表すとするなら、花嫁という単語が相応しい。頭につけられたヘアバンドの飾りが、花嫁に被せるようなヴェールのようにも見える。

 隣にいたグラハムがかき氷を落とした。砂浜にブルーハワイの青が派手に飛び散る。しかし、奴はもう、かき氷なんて気にしていなかった。

 

 視線はただ、まっすぐに。

 純白の水着を身に纏う、刹那・F・セイエイに向けられている。

 

 彼女を引きずり出したイデアは、真夏の太陽よろしくな笑みを浮かべていた。

 空と海の境目を思わせるような、青いグラデーションのビキニ。

 目が焼けただれそうなくらいの眩しさを感じる。クーゴは思わず目を逸らす。

 

 その先に、グラハムの横顔があった。

 

 

「――天使だ。天使が降臨した」

 

 

 グラハムの声は、至極真面目な響きを宿していた。言っていることは(経験則上)アレだが。

 

 ギャラリーが大盛り上がりする中で、グラハムは迷うことなく壇上へと向かった。顔を真っ赤にしてぷるぷる震える刹那だが、グラハムが近づいてきたことに気づいて顔を上げる。

 至極真面目な顔が、今にも泣き出してしまいそうな顔と向き合う。ギャラリーがどよめいたその瞬間、奴は姫に求婚する貴族よろしく刹那の手を取り跪く。どこまでも澄み渡った翠緑の瞳が、赤銅色の瞳を射抜いた。

 

 

「刹那」

 

「な、なんだ?」

 

「結婚しよう。今すぐ、ここで」

 

 

 絶対零度。熱気に燃えていたギャラリーが、ほんの一瞬だけれど、確かに、文字通り『凍り付いた』。

 

 

 

*

 

 

 

「ご家族の皆さん、刹那を私にくださぁぁぁぁぁぁぁいッ!」

「誰がやるかコンチクショウ! お父さんは赦しませんよォォォォ!」

「兄さんが! 兄さんが壊れたー!」

「いくらなんでも酷すぎる……!」

「ここから先は死守する! テコでも動かん!」

「スメラギさん、指示を!」

「ええ。各自に通達! 手段は問わないから、グラハム・エーカーを全力で迎撃して!」

「よっしゃああ! イアン、アレ持ってこい!」

「任せろラッセ! こんなこともあろうかとォォォォ!」

 

 

 空を彩る花火なんてなんのその。波打ち際で、ぎゃあぎゃあ叫び声が聞こえる。

 さっきまでいいムードだったのに、完全に台無しであった。

 

 

「ラッセさんとイアンさんが構えてるやつ、バズーカじゃないですか?」

 

「そうだな」

 

「どこから持ってきたんだろう、アレ……」

 

「わからん」

 

 

 銀河の問いかけに、クーゴは曖昧な笑みを浮かべて見せた。

 

 

「あの人たち、生身の人間に対してバズーカ向けてますケド大丈夫なんですか?」

 

「多分」

 

「多分、って……」

 

 

 浩一の問いかけに、クーゴは曖昧な笑みを浮かべて見せた。

 

 

「……止めないのですか?」

 

「止められると思うか?」

 

「劣等種にしては、賢明な判断ですね」

 

 

 連邦初の革新者が、言葉とは裏腹に、労わるような眼差しを向けてきた。

 クーゴは曖昧な笑みを浮かべて見せる。ぶっきらぼうに肩を叩かれた。

 

 

「結局、最後までしまりませんでしたね」

 

「そうだな」

 

 

 取っ組み合うグラハムとソレスタルビーイングクルーたちを眺めながら、イデアがのほほんと微笑んだ。

 クーゴは大きく息を吐く。打ち上げ花火はもうすぐ終わりそうだというのに、彼らの戦いはまだ終わりそうもない。

 寄せては返す波の音に紛れて、水しぶきが跳ねる音がひっきりなしに響く。誰かが転んだのか、派手に水が爆ぜた。

 

 でも、とイデアは言葉を続ける。

 

 

「私たちらしくて、いいですよね」

 

「……そうだな」

 

 

 クーゴはイデアの言葉に同意し、喧騒へと視線を向ける。

 平和な日常が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 今、現状には場違いなくらい和やかな景色が広がっていたような気がする。

 幾何かの間の後で、それが虚憶(きょおく)の光景だったと、クーゴはようやく合点がいった。

 

 いつかは続くと信じていた、和気藹々とした日常の光景が頭をよぎった。今となってはもう、手が届きそうにない光景のようで悲しくなる。グラハムが刹那を口説き倒していた様子は昨日のことのようにも思えたし、遠い昔のようにも思えた。

 

 クーゴは思考を切り替えるように首を振り、切った材料をフライパンに入れた。熱されたオリーブオイルが爆ぜるような音が響く。野菜が焦げないよう気を使いつつ、ゆっくり、しんなりするように炒めた。タイミングを見て、クーゴはトマトソースを加えた。

 さっと炒め、栽培されていたハーブの棚からバジルを取り出し、加える。塩コショウで味を調え、バジルと粉チーズを皿に盛りつけた。これで、ラタトゥイユの完成だ。次のおかずを作るため、冷蔵庫を物色する。ここの台所事情は意外と良く、様々な野菜や肉、魚や果実が取り揃えられていた。

 アボガド、トマト、モッツァレラチーズを手にして振り返れば、椅子に座っている人数が増えていた。最初はイデア、刹那、ミレイナしかいなかったのが、いつの間にやらティエリア、アレルヤ、ラッセ、ベルフトゥーロ、マリナらが加わり、楽しそうに談笑している。その光景が尊いもののように思えた。

 

 

(ちょっと多めに作ったかな、と思ったけど、そうでもなかったなぁ)

 

 

 トマトソースの鮮やかな赤を身に纏った野菜が、おいしそうな香りと湯気を漂わせている。大皿に一山盛られたそれを満足げに眺めた後、クーゴは次の品へ取り掛かった。

 

 充分熟れたアボガドの皮は、黒曜石を思わせるように黒々としていた。包丁を入れて真っ二つにし、種をくり抜き、皮を剥く。柔らかい果肉を崩さないようにするのは、少々骨が折れた。トマトは瑞々しく、艶やかな赤が視界をよぎった。

 どれも同じような幅になるよう気をつけながら、モッツァレラチーズ、トマト、アボガドを手早く切る。手早く大皿に盛りつけてれば、目に栄えるような色合いになった。次は調味料を混ぜ合わせ、盛り付け終わった皿にソースをかける。これで、カプレーゼの完成だ。

 

 

「スメラギさんも、折角だから食べましょうよ!」

 

「え、ちょっと……!?」

 

 

 響いた声に振り返れば、イデアが茶髪の女性――スメラギ・李・ノリエガを引っ張り込んでいるところだった。彼女の姿を、クーゴはどこかで目にしたことがある。

 確か、ビリーが「高嶺の花」と言って、見せてくれた卒業写真に、女性とよく似た人物が写っていたように思う。ビリーは彼女をクジョウと呼んでいた。

 ……もしかして、スメラギがビリーの言う高嶺の花である、ということだろうか。年も彼と同年代のように見えるが、……まさか、そんなことはないだろう。

 

 スメラギがイデアに引っ張り込まれる光景を見つけたのか、足音が2つ近づいてくる。

 

 

「わあ、おいしそうな匂い!」

 

「待ってよルイス! そんなに引っ張らなくても……本当だ」

 

 

 顔を出したのは、『悪の組織』の技術者夫婦――沙慈・クロスロードとルイス・クロスロード夫妻だ。2人はキラキラ目を輝かせ、皿に盛りつけられた料理を眺めている。

 

 

「私、パパを呼んで来るです!」

 

 

 ミレイナが弾丸のように部屋を飛び出した。やはり多めに作っておいて正解だった、と、クーゴはひっそりそう思った。

 4人しかいなかった部屋は、いつの間にかちょっとした居酒屋の団体客みたいな賑わいになっている。

 

 クーゴは冷蔵庫を確認した。材料が入ったスペースの一角に、クーゴが一番最初に作ったミルクプリンが陣取っている。充分冷えており、問題はなさそうだ。

 トッピング用のシナモンやココア、砕いたナッツの準備も万端だ。出来上がった料理を配膳すれば、この場に感嘆の声が響き渡った。……やっぱり、照れくさい。

 そのタイミングで、両親を引き連れたミレイナが部屋に戻ってきた。誰も彼もが目を輝かせ、椅子に座る。おいしそう、という声が止まない。

 

 

「どうぞ」

 

 

 クーゴの合図を待っていたと言わんばかりに、みんな料理へ手を伸ばした。一口食べた途端、ぱっと表情を輝かせる。口々に賞賛の言葉が向けられた。美味しいという言葉は、最高の褒め言葉である。

 

 照れくささを誤魔化すように、クーゴは椅子に座った。

 自分も腹ごしらえをしなくては。作った料理へ箸を伸ばし――

 

 

「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああん!!」

 

 

 女性の泣き声が響いた。間髪入れず、何者かが扉を蹴破る。何事かと振り返れば、大泣きしたアニューがベルフトゥーロへ抱き付いた。

 アニューは確か、ロックオン(ライル)と一緒にいたはずだ。何があったのだとベルフトゥーロやクルーたちが尋ねるが、彼女はわんわん泣くだけである。

 そんなアニューを、ベルフトゥーロは慣れた様子であやしていた。やはり、グラン・マ(おばあちゃん)の愛称と500年生きた年の功は伊達じゃない。

 

 幾何かの間をおいて、アニューの泣き声が小さくなっていく。ひく、と、しゃっくりの音が響いたが、どうやら落ち着いて話ができるようになったらしい。藤色の瞳は、派手に泣き腫らしたためか赤くなっていた。

 

 

「落ち着いた?」

 

 

 ベルフトゥーロの問いかけに、アニューは小さく頷いた。

 何があったの、と、ベルフトゥーロは再び問いかける。

 

 途端に、アニューの瞳に涙がにじんだ。ライルが、と、アニューは何度も口にする。ベルフトゥーロはアニューの言葉を待っていた。

 ライルの名前を繰り返していたアニューの口から、次はフェルトという名前が出てきた。今度は「ライルが、フェルトちゃんに」と繰り返す。

 自分の言葉が引き金となったのか、アニューはまたぐずり始めた。今度はイデアも一緒になって、アニューに寄り添う。

 

 幾何かの間をおいて、アニューの泣き声が小さくなっていく。ひく、と、しゃっくりの音が響いたが、どうやら落ち着いて話ができるようになったらしい。アニューは涙にぬれた顔をそのままに、ヒステリック気味な声で叫んだ。

 

 

「ライルが……ライルがフェルトちゃんと浮気したの!」

 

 

 その言葉を言い残し、アニューは再び大泣きし始めた。先程部屋に飛び込んできたときと同じ勢いで、彼女はわんわん泣き叫ぶ。

 

 和気藹々とした食卓が、一気に切迫した空気に包まれた。アニューの声と言葉を聞きつけたクリスティナとリヒテンダールが部屋に雪崩れ込み、スメラギとイアンが絶句する。ラッセとティエリアがこめかみをひくつかせ、アレルヤが愕然とした表情のまま噴き出した。

 ベルフトゥーロとイデアは完全に無表情である。マリナが狼狽し、刹那は「もうどうしたらいいのか分からない」と言いたげな顔をしていた。ミレイナはゴシップにも興味があるようで、「修羅場ですぅ!」と好奇心に満ちた目で現状を眺めている。とんだカオスだ。

 

 

「アニュー! 待ってくれ! 誤解なんだ!!」

 

 

 浮気した男が使う常用句(テンプレート)な台詞を引っ提げて、ロックオン(ライル)が部屋へと飛び込んだ来た。周囲からの視線なんて気にせず、ロックオン(ライル)はアニューに訴える。

 だが、アニューはキッとした眼差しでロックオン(ライル)を睨みつけた。涙にぬれた恋人の姿に、ロックオン(ライル)は思わず怯んでしまう。そこへ、アニューは間髪入れず言葉をぶつけた。

 

 

「何が誤解よ! さっき、フェルトちゃんにキスしてたくせに!!」

 

 

 この場の空気が凍り付いた。爆弾を投下されたのだ、当然である。

 

 

「しかも口によ!?」

 

 

 即座に核弾頭が落ちてきた。イアンとラッセが無言のまま立ち上がり、アレルヤが戦きながら軽蔑の眼差しを向け、ティエリアは気持ち悪いものを見るような眼差しを向けた。ミレイナが口元を覆う。

 椅子に座っていたベルフトゥーロも立ち上がった。気のせいでなければ、彼女の手から青い光が瞬いているようにも見える。……そういえば、ロックオン(ライル)は、彼女の尋問を目の当たりにはしていなかった。

 周囲の反応と恋人の涙に、ロックオン(ライル)は孤立無援だと悟ったらしい。それでも何とか足掻こうとしているようで、助けを求めるように後ろを振り向いた。彼の視線の先には、ピンク色の髪を束ねた少女が佇んでいる。

 

 おそらく、彼女が件のフェルトちゃんなのだろう。

 ロックオン(ライル)の無実を証明できる、唯一の証人。

 

 

「なあ、頼むよ! お前もアニューに説明してやってくれ!!」

 

 

 涙目で懇願する色男を、少女は無表情で見つめていた。ガラス玉のように無機質な瞳がロックオン(ライル)の表情を映し出す。

 

 例えるならそれは、生ゴミを嫌悪する主婦の目だった。同時に、復讐鬼とも言えそうな、鋭く冷たい光を宿しているようにも見える。

 フェルトちゃんには、ロックオン(ライル)の無実を証明する気なんてさらさらない。彼女は淡々とした口調で言葉を紡ぐ。

 

 

「こいつ、最低」

 

 

 救世主が悪魔に変貌した瞬間を目の当たりにし、ロックオン(ライル)は派手に狼狽した。

 フェルトちゃんの告発は止まらない。むしろ、立石に水の如くすらすら話し始める。

 

 

「私が“前のロックオン”を好きだったことを知られた上に、面白半分でキスされた」

 

「ちょ、待っ」

 

「……ファーストキス、だったのに……!」

 

 

 薄らと涙を浮かべて、乙女は悲しみを吐露する。文字通りのトドメだった。

 

 この場にいる誰もが、フェルトちゃんの味方だった。かくいうクーゴも、状況にはあまりついて行けてないが、彼女の味方側に立っている。

 恋人がやらかしたことを聞いたアニューは、悲しみから怒りへとシフトチェンジしたようだ。ベルフトゥーロから離れ、怒りの形相でロックオン(ライル)を睨む。

 もしここにロックオン(ニール)がいたら、卒倒した後に、ライフル片手に狙撃体制へと移行したであろう。そうしたら、もっとこの場が混沌地帯になる。

 

 クーゴの思考回路が脱線していたとき。

 間髪入れず、アニューが動いた。

 

 

「ライルの」

 

「え」

 

「――ライルの、ばかァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

 

 

 美しい右ストレートは、ロックオン(ライル)の頬にめり込んだ。ロックオン(ライル)の体は錐揉み回転し、そのまま沈み込むようにして壁と床に叩き付けられる。スローモーションのような光景だったが、実際にはコンマ十数秒の出来事だった。

 アニューは泣きながら部屋を飛び出し、廊下の向こうへと消えていく。文字通り、弾丸みたいな速さだった。アニューの姿が廊下に消えた後、ロックオン(ライル)がよろよろと立ち上がる。その足取りは、生まれたての小鹿みたいだ。

 「待ってくれぇ! 俺の話を聞いてくれぇぇ!」――なんとも情けない声を残して、ロックオン(ライル)は駆け出した。生まれたての小鹿は一瞬でトムソンガゼル並みの跳躍力でアニューを追いかける。彼の背中も、廊下の向こうへ消えて行った。

 

 スメラギとクリスティナがフェルトちゃんを宥める。変な沈黙が暫く広がっていたが、最終的にはそれを払しょくするかのように、全員が椅子に座った。

 姉貴分たちに促され、フェルトちゃんは料理を食べ始めた。暗く沈んだ横顔が、ほんの少し明るくなる。蚊の鳴くような声だったが、確かに「おいしい」と聞こえた。

 

 それを皮切りに、団欒の時間が戻って来る。先程の空気はどこへやら、和やかな雰囲気がこの場を満たした。

 

 

(さて、今度こそ)

 

 

 中断していた腹ごしらえを再開しようと、料理へ箸を伸ばし――

 

 

『――ざまあ』

 

 

 ぽつりと響いた思念に、クーゴは手を止めた。

 思念の出どころを探りながら、そこへ眼差しを向ける。

 

 ――フェルトちゃんが、優雅にカプレーゼを食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『栄養素満点濃厚アボカドカプレーゼ(ぺトロさま)』、『簡単10分!なのにおしゃれ!ラタトゥイユ(はるるるな☆さま)』、『トルコのデザート セモリナのミルクプリン(yukitrさま)』


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幕間.ミスター・ブシドーは希う

 『ソレスタルビーイングの母艦が海底に潜伏している』という情報がミスター・ブシドーの端末に届いたのは、丁度今しがたのことであった。

 

 画面をスクロールさせると、作戦行動への参加要請が出ている。要請と銘打たれているが、実際は強制だ。……最も、たとえ強制でなかったとしても、この機会を逃したいとは思わないのだが。

 “この作戦に参加すれば、ブシドーの望む場所にたどり着ける”――乙女座の勘が、そう主張していた。予感でもあるし、ブシドーが前を向いていられる希望でもある。ブシドーは黙々と情報を確認していく。

 

 

「陣頭指揮はアーバ・リント少佐、同行者はカティ・マネキン大佐か……」

 

 

 アーバ・リントもカティ・マネキンも、アロウズの指揮官である。但し、前者と後者にはマリアナ海溝並みの差があった。

 カティはAEUが誇る指揮官であり、ソレスタルビーイング壊滅戦でも陣頭指揮を執っていた。彼女の采配は素晴らしいものであるし、良識人として人望も兼ね備えている。

 対して、リントに関しては悪い噂しか聞かない。彼は非戦闘員や民間人を巻き込むだけでなく、非人道的な手段を行使することすら是としているタイプだ。

 

 率直に言う。ブシドーは、リントのようなタイプが気に食わない。本来の自分――嘗てのグラハム・エーカーは、そういう姑息な手段を使う人間に対して、物申さずにはいられない性質だった。例え最後には従わざるを得なくとも、声を上げて訴えただろう。

 しかし、ブシドーにはそれができない。自身もまた、姑息な手段を使う人間の手駒として存在しているためだ。何度も何度も、この手を汚した。アロウズの闇の底に身を窶したブシドーは、もう、元の場所へ『還る』ことは不可能である。あの場所へ『還る』には、あまりにも闇に浸りすぎたのだ。

 

 

(……それでも、私には、まだ、できることがある。……そう、思いたい)

 

 

 ブシドーは、祈るようにして端末を握り締めた。

 

 つがいのお守りが揺れて、澄んだ鈴の音色が響く。挫けてしまいそうな己を奮い立たせてくれる、優しい音色だ。

 ブシドーに残された時間も、与えられた選択肢も少ない。おまけに、どれもこれも不本意なものばかりである。

 だからといって、諦めたかと問われれば否だ。自分の運命の相手だって戦っている。彼女の好敵手(ライバル)を名乗る男が、潰れていいとは思わない。

 

 『還れない』自分の末路を、ブシドーは十二分に『分かっていた』。いつか、少女にとってのグラハム/ブシドーは、単なる遠い過去になるのだろう。生きていくうえで、時折、「ああ、こんな男がいたんだった」と思い返す程度の存在になる。

 グラハム/ブシドーにとっての少女は、世界をひっくり返すほど鮮烈な存在だった。己のすべてを賭して追いかけた相手であり、己のすべてを賭して愛した、運命の相手である。今この瞬間も、グラハム/ブシドーは少女に思いを馳せているのだ。

 

 正直、ちょっとばかし、不公平だ。自分ばかりが、少女を追いかけているように思う。

 

 嘗てブシドーがグラハムだった頃、一方的だと言われようが構わなかった。彼女に手を伸ばし続けることがすべてで、手を握り返されたときのことなんて一切考えていなかった。

 だから、同じ想いを抱いてくれたことを知ったときは驚いたものだ。驚きは一瞬で喜びへと変化し、幸福へと至る。グラハムは、それを抱え込むので手一杯だった。

 彼女に相応しい存在でありたいと願うようになったのも、同じ頃からだったと思う。結局は、自分の無力さと弱さを思い知らされ、今では己の行く先すらままならないでいるが。

 

 

「キミは、私を忘れてしまうのだろう。きっとそうだ」

 

 

 囁くように呟いた言葉には、どこか恨みがましい響きが宿っていた。己の女々しさに反吐が出る。

 運命なんて変えられない。未来なんかどこにもない。分かっているのに、止めることができなかった。

 

 

「……だが、私は存外諦めの悪い男でね。それが取り柄なんだよ、少女」

 

 

 針の穴を通す程度の希望を、ブシドーの眼差しは見据えている。

 

 第3者から見れば破滅への道程だろうが、構うものか。せめて――グラハム/ブシドーの存在が過去になっても、少女にとって、鮮烈なものとして残ってくれたなら。そうして、最期の瞬間に、彼女を見つめることができたなら。

 己すらままならずとも、自分がどう死ぬか/生きるかくらいは決めたい。破滅一直線の、馬鹿馬鹿しいくらいささやかな願いだ。少女にとって、いい迷惑だとは充分承知している。「それくらいしないと思い出してくれなさそうだ」と言ったら、彼女は何と言い返してくれるだろうか。

 

 ブシドーは苦笑しながら、情報を読み進める。そうして、目を留めた。文面を目にしたとき、凄まじい悪寒が駆け抜ける。

 今回の作戦に参加するMSパイロットの名前に、刃金3兄弟――海月、厚陽、星輝の名前があった。最近ロールアウトされたばかりの新型に搭乗するという。

 センチュリオシリーズと銘打たれた異質な機体。天使を思わせる外観だが、不気味に輝くモノアイの瞳が印象的だった。

 

 

『あの機体は、素晴らしい破壊力を有しているわ。MDとしても、搭乗機体としても使える。双方の連携も可能よ』

 

 

 脳裏にフラッシュバックしたのは、センチュリオシリーズの機体性能を語る刃金 蒼海の姿だ。彼女はうっとりとした口調で、ウィンドウに映し出された情報を眺めていた。

 ノイズだらけの記憶を――あまり信頼のおけなくなってしまった記憶を必死に手繰り寄せる。ブシドーの記憶が正しければ、あの機体には広範囲兵器が搭載されていたはずだ。

 

 下手をすれば、同じ場所で作戦行動をしている友軍諸共消し飛ばしかねない。あの3人は、気分次第で広範囲兵器を使用することも厭わないはずだ。ブシドーの思考回路は容易にそれをはじき出す。悪寒がより一層酷くなった。

 

 ブシドーは端末を操作する。今回の指揮官たちに、この情報を報告しておかなくてはならない。邪気にまみれた子どもは、何をするか予想がつかないのだ。

 アーバ・リントにカーソルを合わせた途端、寒気が悪化した。ブシドーの本能が、「こいつには言うだけ無駄だ」、「言っても碌なことにならない」と叫んでいる。

 ならば、消去法でカティ・マネキンだろう。彼女は良識ある軍人だ。きっと、この情報も有意義に活用してくれるだろう。犠牲を減らすよう動いてくれるに違いない。

 

 

(伝えるべきことは……)

 

 

 端末に文章を打ち込む。今、ブシドーが覚えていられる限りのことを――いずれ『消され』、『改竄され』てしまうであろうことを、大急ぎで打ち込んでいく。

 

 冒頭に、『この情報は内密にすること』、『送り主であるブシドーに、内容について尋ねるような連絡や接触は取っていけないこと』、『その連絡が届く頃には、ブシドーはこの情報のことを『覚えていない/いられない』可能性が高いこと』を書き記した。

 次の文面を打ち込み――そのタイミングを待っていたかのように、ずきりと頭が痛んだ。その痛みは、情報を打ち込めば打ち込むほど悪化していく。ブシドーは歯を食いしばって痛みをねじ伏せた。まだ、倒れてはいけない。

 

 

(……あと、すこ、し……!)

 

 

 覚えていた分の情報を打ち終えたのと入れ替わりで、ブシドーは崩れ落ちた。痛みに耐えられなくなったのだ。

 倒れまいと壁に手を伸ばした際、端末が手から離れる。拾い上げようとしたが、体が動かない。

 床を滑るように飛んでいくブシドーの端末は、誰かの足にぶつかることでようやく動きを止めた。

 

 誰かは親切な人間のようで、ブシドーの端末を拾い上げた後、ブシドーの存在に気づいて駆け寄ってきた。

 足音は2つ。女性と男性。「大丈夫ですか?」と響いた声も2つあった。ブシドーはのろのろと顔を上げる。

 

 

「ピーリス中尉……に、……スミノルフ少尉、か」

 

 

 荒い呼吸を整えながら、ブシドーは自分を助け起こしてくれた相手を見上げた。ソーマ・ピーリス中尉とアンドレイ・スミノルフ少尉が、心配そうにこちらを見下ろしている。端末を拾ったのはピーリス中尉だったようで、端末を差し出してくれた。

 受け取って情報を送信したいのは山々だが、多分、頭痛が悪化して失神するのがオチだろう。申し訳ないがと前置きし、送信してくれるように頼めば、彼女は2つ返事で頷いた。端末を操作しようとし――ピーリスの眉間に皺が寄る。間髪入れず、アンドレイも眉をひそめた。

 

 

「これは、一体……!?」

 

「なんだ、これは……!?」

 

 

 多分、端末内に書かれた情報が、2人にとって衝撃的なものだったのだろう。どんな内容、だったのだろうか。頭ががんがんと痛みを訴えている。

 

 意識がぼうっとしてきた。何か、大事なことをしていた途中だったはずなのに、思い出せない。ピーリスとアンドレイが何を疑問に思っているのか、分からない。

 自分の端末に視線を向ければ、余計に頭痛が悪化した。頭が割れんばかりの痛みに見舞われ、ブシドーは思わず頭を抑えて呻く。痛い。痛い。痛い。

 

 

「……そうだ、端末……。……連絡、送らなくては……」

 

 

 うわ言のように頭に浮かんだそれは、そのまま口に出ていたらしい。必死の形相に気圧されたのか、2人は黙って頷いてくれた。

 

 幾何の間の後、送信を告げる音が響いた。

 これで一安心である。ブシドーはほっと息を吐いた。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、すまない。ありがとう」

 

 

 鈍い痛みが残っているが、立てなくなる程ではなくなった。ブシドーはよろめきながらも立ち上がる。――行かなくては。

 

 

「大尉」

 

 

 ピーリスに名前を呼ばれ、ブシドーは振り返った。困惑に満ちた表情のピーリスとアンドレイが、こちらを見返している。

 どうかしたかと尋ねると、2人は顔を見合わせる。変な沈黙がこの場に広がった。

 

 

「……いえ、なんでもありません。今回の任務、宜しくお願いします」

 

「こちらこそ、宜しく頼む」

 

 

 ピーリスはぺこりと頭を下げた。ブシドーも頭を下げ返す。

 

 作戦開始の時間は、刻々と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「……シンが、死んじゃう?」

 

「ええ。貴女が戦わないから、代わりに彼が死んじゃうの」

 

 

 声が響いた。ブシドーは思わず足を止める。

 

 部屋に近づいて、扉の隙間からこっそりと部屋の中を覗き見た。部屋の中にいたのは、女性――蒼海と、金髪の少女。少女は、外見からして10代であることは明らかである。

 少なくても、成人しているとは思えない。しかも、言動から見るに、実年齢はまだ幼いのだろう。おそらく、刃金3兄弟と似たようなものだ。嫌な予感を感じながら、ブシドーは2人の会話に耳を傾けた。

 

 

「やだ……! ステラ、死にたくない……!」

 

「じゃあ、シンが死んじゃうわね。貴方の身代わりになって、ここから居なくなっちゃう」

 

「ぁ……」

 

 

 ステラと呼ばれた少女は、愕然とした表情で蒼海を見上げた。幼子が怯えるような眼差しに、ブシドーは胸が痛くなった。同時に、蒼海への怒りを募らせる。

 蒼海はまた、卑劣な手を使って手駒を揃えようとしているのだろう。ブシドーだけでは足りないとほざくのか。ブシドーは強く拳を握り締めた。手が小刻みに震えた。

 2人は延々と問答を繰り返す。その度に、ステラはどんどん追い詰められていく。顔面蒼白になったステラは、恐怖で身を震わせていた。

 

 死という言葉に、彼女は異様な怯えを見せる。まるで、その言葉が引き金になっているかのようだ。

 

 蒼海は不気味な笑みを浮かべながら、何度も何度も引き金を引いた。死という言葉を、ステラに突きつける。

 ステラは今、崖っぷちに突っ立っているような状態だ。落ちるのも時間の問題だろう。

 

 

「何してるんだよ、オッサン」

 

 

 背後から声が響いた。振り返れば、不機嫌そうな表情の海月が腕を組んで佇んでいる。おそらく、次の作戦についての話だろう。ブシドーはすぐに合点がいった。

 

 

「次の任務か」

 

「正解! オッサンもわかるようになったじゃないか」

 

 

 海月がへらへらと笑いながら、立石に水の如く、任務内容を喋り出す。

 この様子だと、彼は諜報に向いていない。ブシドーは漠然とそう思った。

 

 

「親プラント派の衛星を破壊する任務だよ。オッサンは敵の露払いを頼むぜ!」

 

 

 そう言い残し、海月は廊下の向こうへと駆けて行った。少年の背中を見送った後、ブシドーは端末へと目を落とした。そこには、アロウズや地球連邦が集めた、カイルスの情報が提示されている。

 半年前の戦いの後、カイルスは散り散りになった。アークエンジェルを中心に集まった連合艦隊の中に、嘗てのグラハムが焦がれた相手が所属する組織がある。ソレスタルビーイングも、この世界のどこかで息をひそめているに違いない。

 カイルスに属する団体や参加している個人個人が、今回の任務のように、無辜の人々を虐殺するようなことを赦すとは思わない。カイルスに所属するどの団体/誰かが、確実に行動を開始するだろう。

 

 今回の任務には、どの団体が阻止に来るのだろうか。

 

 

(できることなら、ソレスタルビーイングが――……彼女が、いい)

 

 

 名前も思い出せなくなったけれど、ブシドーにとっては大切な相手だ。自分の運命の相手と言っても過言ではない。彼女は、歪みを破壊するために戦う少女だった。

 地獄の底から見上げる希望は、何よりも尊く美しい。それがあるから、ブシドーはこうやって生きていられる。――生きていたいと、思うのだ。

 

 ブシドーは端末を握り締めた。つがいのお守りが揺れて、澄んだ鈴の音色が響き渡る。このお守りは、「離れた恋人たちが、互いを想いあうもの」だったはずだ。

 

 彼女から手渡された銀色のハートは、貰った当時から何も変わらず輝いていた。その煌めきを見ていると、少女の想いもブシドーと同じく代わっていないのではないかと、馬鹿馬鹿しいことを考えてしまう。今のブシドーは、到底少女に釣り合うようなものだとは思えない。

 あの頃とは大きく様変わりしてしまったグラハム/ブシドーだけれど、根底にあるものは変わらないと信じたかった。いずれその理由を忘れてしまうとしても、ブシドーは、少女を見つめ続けていたい。――例えその末路が、己の破滅だったとしても。

 

 

 

*

 

 

 

 果たして、ブシドーの望みは叶った/予想は的中した。

 

 惑星の破壊を防ぎに来たカイルスは、ソレスタルビーイングが中心となったチームだった。彼らは人々を救出しながら、アロウズの連中と大立ち回りを繰り広げる。

 ブシドーは周囲を見回した。センチュリオシリーズの機体を駆る刃金3兄弟が、同シリーズの下位互換機をMD部隊として率いている。奴らの動きには注意しなくてはならない。

 奴らが“ある一定の布陣”を組むことが、センチュリオシリーズが誇る広範囲兵器の発動条件だ。一度それが発動されれば、惑星や戦艦、敵味方の区別なく、何もかもを消し飛ばすだろう。

 

 

(今のところ、その布陣が並んでいる様子はないようだな……)

 

 

 カイルスのロボットたちは、センチュリオシリーズに対して善戦している様子だった。旧世代のガンダムでは追いすがれないと蒼海は言っていたが、パイロットの腕と経験がその差を縮めている。

 特に、少女が駆るガンダムエクシアは、海月の搭乗する機体と互角――否、海月の機体を圧倒していた。当然の結果だ。少女の健闘を視界の端に捉えつつ、ブシドーはひっそりと笑みを浮かべた。

 

 伊達に、彼女の好敵手(ライバル)を自称していた訳ではない。手心や贔屓目を加えるまでもない事実であった。

 

 

「旧世代の機体のくせに、なんなんだよお前!」

 

「――世界の歪みは、俺が断ち切るッ!!」

 

 

 癇癪を起こした海月のセンチュリオは、弾薬のことも考えずにランチャー・ジェミナスを展開する。エクシアは降り注ぐ砲撃の雨あられを難なく躱し、センチュリオへと躍りかかった。さながらそれは戦乙女のようだ。

 エクシアの実体剣と、センチュリオのブレード・ルミナリウムがぶつかり合い、派手に火花を散らす。武装性能的にはセンチュリオのブレード・ルミナリウムが上だが、エクシア/少女は難なくそれをひっくり返した。

 文字通りの一閃が叩きこまれる。センチュリオはバランスを崩した。場所が場所だけに仕方のないことだが、エクシアの太刀筋と佇まいはいつ見ても惚れ惚れしてしまう。パイロットが少女だからというものもあるが。

 

 センチュリオの機体損傷は、みるみるうちに修復されていく。あの機体にはナノマシンが搭載されていた。厄介な相手であることは、(立場上)味方であるブシドーから見てもすぐに分かった。あの子どもたちが搭乗するのには危険すぎる兵器だ。

 少女/エクシアはそれに驚いた様子だったが、迷うことなく追撃行動に移った。瞬時の判断力は賞賛に値する。――そう、いっそ好意すら抱いてしまいそうだ。この場には場違いだと思うくらい、甘美なときめきが胸を満たす。それこそが、今の己を己足らしめているのだ。

 

 

「――……っ」

 

 

 ああ、どうして。

 

 今、このとき程、運命の相手である少女の名前を呼べないことが、惜しいと思ったことはない。

 ブシドーのアヘッド・サキガケが事実上の静観を決め込んでいたときだった。

 

 下位互換機のMDたちが動き始めた。ブシドーの背中に悪寒が走る。それは文字通り、本能からの警告だった。

 海月は、MDたちと連携して広範囲攻撃を放つつもりだ。そんなのに巻き込まれてしまったら、カイルスは――エクシア/少女は。

 ブシドーは操縦桿を動かした。爆発的な加速と共に、アヘッド・サキガケはエクシア目がけて突っ込んで行く!

 

 

(頼む、少女)

 

 

 どうか。どうか。

 

 

(私を、見つけてくれ)

 

 

 ブシドーの祈りが届いたのか、エクシアがこちらを見た。少女の面影を宿した麗しい女性が、酷く驚いた顔でブシドーを『見返して』いる。

 彼女は見つけてくれたのだ。だから、もう、充分。情けない面を晒したが、それも、これで終わりだ。意識を切り替えるように、ブシドーは叫ぶ。

 

 

「見つけた……見つけたぞ、ガンダムエクシアァァ!!」

 

 

 勢いそのまま、アヘッド・サキガケはエクシアへ突撃する。驚きながらも、エクシアは即座に実体剣で応戦した。刃同士がぶつかり合い、派手に火花を散らした。

 海月のセンチュリオはぶつかり合いの余波に巻き込まれ、思わず距離を取る。突然の乱入者に、下位互換機が狼狽えるように動きを止めた。これで、広範囲兵器は使えまい。

 カイルスのメンバーも、ブシドー/アヘッド・サキガケの乱入に気づいたようで、エクシアの援護へ向かおうとしている者もいた。一歩遅れて、厚陽と星輝、下位互換機が動き出す。

 

 

「何人たりとも手出しは無用! あの機体は、私の獲物だ!!」

 

 

 ブシドーの一喝に、厚陽と星輝のセンチュリオが動きを止めた。トップの驚きが伝染したのか、下位互換機のMDたちも動きを止める。余波はカイルスの面々にも広がったらしい。

 

 特に驚いているのは、ブシドー/アヘッド・サキガケと対面している少女/エクシアだろう。同時に、彼女は知ってしまたはずだ。ブシドーがグラハム・エーカーであることや、アロウズの従順な駒と化したことを。

 胸の奥底がじくじくと痛んだが、ブシドーはそのすべてを受け入れた。望んだ明日が来ないことも、己の進む道に待ち受ける破滅も、とうに覚悟はできている。もう、ブシドーはどこへも『還れない』。

 

 だから。/アヘッド・サキガケは再びエクシアへ突っ込む。

 どうか。/ビームサーベル実体剣がぶつかり合い、火花を散らした。

 キミは。/鍔迫り合いに押し勝ったのはアヘッド・サキガケ。弾き飛ばされたエクシアが体勢を崩す。

 

 

(生きてくれ。――私が居なくなった後も……その先の明日を)

 

 

 視界の端で、海月のセンチュリオと下位互換機が動き出すのが見えた。それよりもコンマ数秒先に、アヘッド・サキガケの一撃が、エクシアに叩きこまれた。

 

 

「がぁっ……!!」

 

 

 女性の悲鳴が響く。機体は中破。体を強かに打ち付けてしまったのか、パイロットである少女がぐったりしていたのが『視えた』。彼女の頭から血が流れている。

 この結果に、ブシドーは一瞬狼狽した。彼女が死んでしまったら本末転倒である。ブシドーが手心など加えずとも、彼女は死なないだろうと思っていたが、それが仇になったのか。

 別方向でセンチュリオと対峙していたガンダムデュナメスがエクシアを庇うようにして立ちはだかる。パイロットであるお父さんの怒りは計り知れない。

 

 こんなときでさえ、ブシドーは少女の名前を呼んでやることができないのだ。声に出すことはおろか、心の中で叫ぶことすらも。

 

 

「オッサン、意外とすげーな」

 

「旧式とはいえ、ガンダムを戦闘不能に追い込むなんて……母さんが貴方に拘る理由も頷けますね」

 

 

 星輝と厚陽の声が聞こえた。相変わらず、他者を見下す節は変わってない。

 間髪入れず、通信が開いた。海月が不満そうに撤退の指示が出たことを告げる。

 

 

「……ここまでか。今回は敢えて見逃そう。次は、互角の機体での全力勝負を所望する」

 

 

 動揺を他者に悟られるわけにはいかない。ブシドーは勤めて平静と無関心を装いながら、ぴくりとも動かないエクシアに背を向けた。

 

 去り際に、振り返る。カイルスの面々が慌てた様子でエクシアを格納庫へ運んでいるのが見えた。少女は大丈夫だろうか。それを知る術は、ない。

 ブシドーは懐から端末を取り出した。つがいのお守りが揺れて、澄んだ鈴の音色を響かせる。青いお守りは、ブシドーが少女に手渡した方の片割れだ。

 元は恋愛成就のお守りで、人の生死にかかわるようなことから持ち主を守るのは分野違いなのかもしれない。だが、願をかけるものはそれしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 現を彷徨っていた意識と視界が、急にクリアになった。幾何かの間をおいて、ブシドーは『己が虚憶(きょおく)を見ていた』ことに気が付く。

 意識が断線していた時間はほんの数秒間だが、目の前の光景は様変わりしていた。視界の端々に、センチュリオシリーズの機体が点在している。

 

 天使の外観をした悪魔の群れは、ガンダムたちを今か今かと待ち構えていた。どうやら、ライセンサーの作戦加入は「リントの作戦が失敗する」ことを想定して参加要請が出ていたらしい。しかも、作戦を立てたリントには、その想定の話はされていないようだ。

 

 

『2分間の爆撃の後、トリロバイトで近接戦闘を行います。敵艦が圧潰する瞬間が見れないのが残念ですが……』

 

 

 リントが得意満面で作戦を説明する光景が『視えた』。リントの作戦が失敗することを前提として参戦したブシドーからしてみれば、彼がおめでたい頭の人間にしか見えないのは致し方ないことなのだろう。おそらくは、蒼海も同じように思っているはずだ。

 彼の作戦を聞いていたカティは、ずっと海面およびセンチュリオンたちの動きに気を配っている。彼女は敵指揮官の技量をよく知る人物だ。リントにやり込められるはずがないと踏んでいるようだ。同時に、センチュリオたちの動きを警戒している様子だった。

 カティがセンチュリオを危惧している――その光景を目にしたブシドーの胸に、安堵感が広がった。そこで、はてと首を傾げる。自分はどうして、センチュリオシリーズに気を配るカティを見て安堵したのだろう。その理由が全く分からなかった。

 

 センチュリオたちは陣を組んでこの場を旋回している。それを視界にとらえた途端、ブシドーの背中に悪寒が走った。

 突如、激しい頭痛に見舞われた。悪寒が一層激しくなる。どこかで警笛が鳴る音がした。得体の知れない焦燥が、ブシドーを苛む。

 

 ノイズだらけの世界に、センチュリオと戦うエクシアの姿が映し出される。視界の端に見えた陣形は、今、センチュリオたちが組んでいる陣形と同じものだ。

 

 

(――いけない)

 

 

 あの陣形は、だめだ。

 ブシドーの本能が、叫ぶ。

 

 突然、指揮官が乗った戦艦が方向変換した。付近を飛んでいたセンチュリオの羽が、淡い燐光を宿し始める。獲物が網にかかるのを待ち構えるような図に見えたのは、きっと気のせいではない。

 

 次の瞬間、派手な水しぶきが上がった。逆光に反射して、飛び出してきた機影が映し出される。エクシアの面影を宿した、新型機。ブシドーが焦がれてやまぬ相手が、目の前にいる――!!

 胸の奥から湧き上がった甘美なときめきは、しかし、得体の知れない恐怖と焦燥感に塗り潰された。センチュリオたちの羽の光が強くなる。白と青基調の戦乙女(ガンダム)は、センチュリオたちの動きに気づいていない。

 否。少女/ガンダムは、目の前にある戦艦を潰すことを優先した。指揮系統を叩けば、この場は混乱に包まれる。その隙に乗じて逃げようという算段なのだろう。だから、全機撃破よりも指揮系統を潰すことに全力を注いだのだ。

 

 一足早く方向変換し離脱を図ろうとした戦艦だが、少女/ガンダムにしてみればいい獲物だろう。彼女は迷うことなく戦艦に刃を振り下ろそうと迫る。

 その視界の端で、陣形を組んだ海月とMDのセンチュリオの羽が、一際激しく輝いた。醜悪に笑う海月の横顔がちらつく。

 

 

「――みんな、死んじゃえ!」

 

 

 ――それだけは、させない!

 

 ブシドーの想いに応えるかのように、アヘッド・サキガケは新型ガンダム目がけて突っ込んだ。ガンダムとの距離はあっという間に縮まった。驚いたように、ガンダムのカメラアイがこちらに向けられる。

 スピードを緩めることなく、アヘッド・サキガケはガンダムに体当たりを仕掛けた。視界の端に、陣形を組んだセンチュリオンの羽がこの場を覆いつくさんほどの光を爆ぜさせたのがちらつく。刹那、凄まじい衝撃が機体に襲い掛かった。

 目を閉じていても、瞼の間から溢れんばかりの光が突き刺さる。大量の光と水しぶきが上がり、容赦なく戦艦のブリッジやMDたち、アヘッド・サキガケやガンダムたちに降り注いだ。アヘッド・サキガケは半ば覆い被さるようにして水を受け止める。

 

 衝撃を耐えきって、ブシドーは目を開けた。体は少しばかり悲鳴を上げているが、機体は水を被っただけで無事である。少し離れた先にいた少女/ガンダムも、回避のために旋回していた戦艦も無事だ。カティはやってくれたらしい。目の前に広がる光景に、ブシドーは酷く安堵した。

 そのまま、ブシドー/アヘッド・サキガケは武器を構え、少女/ガンダムと対峙する。勿論、視界の端にちらつくセンチュリオたちの動きにも気を配った。海月のセンチュリオたちが陣形を解いたのが伺える。どうやらあの広範囲兵器は、1回だけしか使えないらしい。

 

 

(なら、()()2()()、あれが降り注いでくる可能性があるということか――……?)

 

 

 思考を巡らしかけたブシドーは、はたと気づいた。どうして自分は、「広範囲兵器は()()2()()降り注いでくる」と知っているのだろう。

 知らないことをどうして思い出したのか――違う。ブシドーはそれを知っていた。知っていたが、消されたのだ。そこまで考えて、ブシドーは納得する。

 なら、味方の戦艦が巻き込まれぬように注意を払いながら、ガンダムと戦うまでだ。できれば、自分と彼女の戦いにも横槍を入れられたくはない。

 

 アヘッド・サキガケは、ブレードを構えてガンダムへと斬りかかった。剣がぶつかり合い、派手に火花を散らす。入れ代わり立ち代わり、アヘッド・サキガケ/ブシドーとガンダム/少女は剣載を繰り返した。

 流石は好敵手(ライバル)、そして、ブシドー/グラハムにとってのプリマドンナ。こちらのエスコートに任せるだけでなく、こちらを振り回そうと大胆な動きを見せる。この世界に自分たちしかいないのではと錯覚してしまいそうだ。

 

 

『あの剣捌き……誰かに、似ている……? まさか、クーゴ・ハガネか?』

 

 

 少女の声が『聞こえた』。確かに、と、ブシドーはひっそり自嘲する。このコンバットパターンは、嘗て、クーゴ・ハガネが提供してくれた剣道の型をベースにしている。クーゴは一刀流と二刀流を使い分けていた。今回の型は一刀流である。

 

 

『いや、違う。だとしたら……でも、そんな……』

 

 

 気のせいか、少女の声が震えた。多分、連想してしまったのだろう。クーゴ・ハガネではない人物で、この動きを知っている人間を。あるいは、好んで真似しそうな人間を。

 少女の面影を宿した麗しい女性が、酷く驚いた顔でブシドーを『見返して』いる。――彼女は、ようやく、ブシドー/グラハムを見つけたのだ。見つけて、くれたのだ。

 

 

『グラハム・エーカー……?』

 

 

 恐る恐ると言った感じで、少女は問いかけてきた。嘗てのグラハムならば、きっと、見るに堪えない程酷い笑みを浮かべていたであろう。

 

 それに引っ張られ、ブシドーはくしゃりと表情を歪ませた。痛みや切なさ、どうしようもなく温かな想いが胸を満たす。

 地獄の底から見つめ続けた希望が、今、ブシドーの目の前にあるのだ。ああ、なんて僥倖だろう。

 今このとき程、運命の相手である少女の名前を呼べないことが、惜しいと思ったことはない。

 

 ――だが、もう、充分だ。

 

 情けない面を晒したが、それも、これで終わり。

 意識を切り替えるように、ブシドーは叫ぶ。

 

 

「なんという僥倖……! 生き恥を晒した甲斐があったというものだ!!」

 

 

 万感の思いを込めて、アヘッド・サキガケは剣を振るう。刃がぶつかり合い、派手に火花を散らした。

 

 背後の甲板から、MS部隊が空へと飛びあがったのが見えた。先陣を切ったのは、アヘッド・スマルトロン――パイロットは、ソーマ・ピーリスだ。

 アヘッド・スマルトロンは可変型のガンダムに狙いを定める。こちらも派手な鍔迫り合いを演じていた。優勢なのはアヘッド・スマルトロンの方である。

 しかし、なかなか攻めきれないのは、センチュリオの動きに注意しているためだった。先程の攻撃は広範囲な上に、この場一体を吹き飛ばすレベルの威力だ。

 

 あの3人は気分野のため、何を引き金にして(面白半分で)力を振るうか分かったものではない。彼らがあれを使えば、この場に居合わせたすべての人間が死に絶えるだろう。残るとしたら、当事者たちと水中にいるソレスタルビーイングの輸送艦くらいか。

 MS隊の面々もそれを察知しているためか、刃金3兄弟の周辺にMDが集まりにくくなるように気を配りながらガンダムを迎え撃っている。普通に戦うより、精神的に辛い戦いであることは確かだ。

 

 

『なんだろう……。部隊の様子が変だ』

 

『まるで、何かの動きを妨害している……?』

 

 

 ガンダムのパイロットたちも、何かに勘付いたらしい。しかし、2人の思考回路はそこで中断された。少女の方はアヘッド・サキガケが突っ込んできたのを躱したため、青年の方はアヘッド・スマルトロンの攻撃を受けたためである。

 再び鍔迫り合いが始まりかけたときだった。別方向から、ビームライフルの光が降り注いだのである。それらはアロウズのMS部隊へ向けられたものだった。レーダーに機影が映し出される。機体は――ユニオンフラッグやAEUイナクトを中心とした構成だ。

 太陽炉非搭載型の機体を中心にしている部隊は、反政府組織くらいしかない。しかも、アロウズのMS部隊より倍の機体数で隊を組んでいるということは、反政府組織の中でもかなりの力を有している組織だ。そうなれば、答えは1つ。

 

 カタロンが、ソレスタルビーイングの援護に入ったのだ。しかもこれは、ソレスタルビーイングたち本人も予想外のことらしい。

 

 

「撤退だ。体勢を立て直す」

 

 

 カティの声が響いた。妥当な判断である。大分口惜しいが、仕方がない。そう思ったときだった。

 

 カタロンの連中と、アロウズ及びガンダムのMSと戦艦を取り囲むようにして、センチュリオたちが陣取っているのが視界の端に映った。しかも、端と端に1組づつ、先程海月のセンチュリオが組んだ陣形を組んでいる。

 それを目にした途端、ブシドーの背中に激しい悪寒が走った。カタロンの攻撃に翻弄された結果、MS部隊はセンチュリオの動きに気を配れなくなった。その隙をつくような形で、厚陽と星輝があの陣形を組み直したのだ。

 

 総員散開の指示を出すには、もう遅い。カティはそれを理解してしまったようで、悔しそうに俯くのが『視えた』。他のMSたちも、その事実に気づいてしまったのだろう。

 遅れて戦場に乱入したカタロンの面々は、事態は飲み込めていない。辛うじて「何かが危ない」ということは気づいたらしい。勿論、彼らもまた、手遅れの部類に入った。

 陣形を組んだセンチュリオンの羽がこの場を覆いつくさんほどの光を爆ぜさせた。もう、何もかもが、遅い。ここにいた命は、例外なく刈り取られる――そんな末路が見えた。

 

 白い光が何もかもを飲み込んでいく。

 視界が白一色に染まっていく中で、

 

 

「――いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 空を思わせるような青い光と、聞き覚えのある男女の声が聞こえたような気がした。



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12.悲痛なる叫び

 暫く見ないうちに、親友がとんでもないことになってた。

 何を言っているかわからないと思うが、この言葉で察して頂けたら喜ばしい限りである。

 

 唐突な無茶ぶりで申し訳ない。

 

 オーバーフラッグスの面々が武道大会に出場して、ガンダムたちと戦いを繰り広げてたのは間近で見ていた。彼らの口から「隊長をやっていた『彼』が新たな力を得て、姿形が変わった」という話も耳にしている。

 自分がいなくなってから、オーバーフラッグスたちは大変な目に合っていたらしい。闘技場からとぼとぼと出てきた彼らに話しかけたら、「『彼』が暫く失踪したと思ったらいつの間にか帰って来て、でも、そのときにはもう性格が変貌していた」と泣きつかれた。

 元・オーバーフラッグス隊長機が新たな姿へと変わってからずっと、オーバーフラッグスたちとは別行動を取っていたそうだ。その行方は全く掴めていないという。現在の『彼』はライセンサーという特殊な地位にいて、行動制限が少ないためだ。

 

 友人たちが『姉』の陰謀に振り回されている仲間たちを見過ごせるはずがなかった。『姉』の企みを止めるために奮闘していたはやぶさであったが、なかなか方法は見つからないでいる。

 

 

「会いたかった……会いたかったぞ、ガンダム!」

 

 

 向う側から聞こえた声につられて、奥の通路に向かった。多分、ここまでのノリだったら、はやぶさは「ああ、アイツは何も変わってない」と力なく笑い飛ばしていただろう。

 しかし、はやぶさは、すぐに『彼』が変わってしまったことを思い知ることになった。

 

 

「ヴェーダの情報を餌にすれば、必ず会えると信じていたぞ!」

 

 

 餌。その言葉に、はやぶさは息を飲んだ。

 

 『彼』は決して卑怯な真似はしなかった。相手を罠にかけるという卑怯な戦術を、誰よりも嫌う性格をしていた。正々堂々、全力でぶつかり合うことを好み、それを至上としていたのに。

 誰かの大切なものを人質/餌にするようなことを、率先して行うような性格ではなかったのに。『自分』が行方不明――実質敵には死亡扱い――になっていた間に、一体何が起こったというのか。

 元からエクシアを(いろんな意味で)困らせていたけれど、そこまで酷くはなかった。確かにこんな変貌を遂げてしまえば、オーバーフラッグの面々がオロオロするのも頷ける。はやぶさの場合は、彼らとは違う感情が湧き上がっていた。

 

 

「まさか、あんたがヴェーダの情報を!?」

 

「その通りだ! あの情報は、キミをおびき出すためのもの!」

 

 

 エクシアの面影を宿す機体――ダブルオーの問いに、『彼』は悪びれる様子もなく答えた。

 彼女は急ぎの用事がある様子だった。スターゲイザー-アルマロスも、困ったようにため息をつく。

 ダブルオーたちと行動を共にする異界の英雄たちも同じらしく、「何しに来たのコイツ」と言いたげな眼差しを送っていた。

 

 

「どいてくれ! 今は、あんたに構っている暇はないんだ!!」

 

 

 ダブルオーは切実な響きを持って訴える。だが、『彼』は何を思ったのか、

 

 

「邪険にあしらわれるとは……ならば、キミの視線を釘付けにする! 今日の私は、阿修羅すら凌駕する存在だ!!」

 

 

 鞘から武器を引き抜き、ダブルオーに突きつけた。戦え、と、『彼』の纏う覇気が訴える。

 その口調はまるで、何かを懐かしみ、その光景を慈しんでいるようにも見えた。

 

 

「ようやく巡り会えたこの機会……。乙女座の私には、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられない」

 

 

 『彼』は噛みしめるように呟く。そこは以前と変わっていない。

 

 「何を言ってるんだこの人」――周囲の面々が反応に困っている。彼らの困惑が手に取るように伝わってきた。

 スターゲイザー-アルマロスは、どこか懐かしそうな眼差しを向けている。

 彼女は『彼』が暴走する様子を、「わあ元気ですねえ」程度のノリで流してしまえる猛者であった。

 

 もうどうしたらいいかわからない、と、ウルトラマンや仮面ライダーたちが頭を抱えている。知り合いなら何とかしてくれと、彼らはダブルオーに視線を送った。

 はやぶさは知っている。それは、彼女にとって相当の重荷であることに他ならない。ダブルオーが申し訳なさそうに肩を落としたのを見た彼らは、状況を察したらしい。

 

 彼らの予感を決定づけるかのように、『奴』は語り始める。

 

 

「そう。ガンダムの存在に、私は心奪われたのだ! この気持ち、まさしく愛だ!!」

 

「愛!?」

 

 

 いきなりの愛の主張に、ダブルオーは素っ頓狂な声を上げた。『彼』の口調や言っている内容も以前と変わらないのに、明らかに『彼』は変貌してしまったように思える。

 スターゲイザー-アルマロス以外の面々がドン引きしていた。ある種の恐怖を感じ取ったのだろう。みんな、不審者を見るような眼差しを『彼』に向けていた。

 

 

「……あのー、あれはどうにもならないんですか?」

 

 

 ウルトラマン・メビウスが恐る恐ると言った感じで問いかけてきた。『奴』の言動を真正面から受け止めようとして、精神が悲鳴を上げているらしい。

 

 SAN値直葬という言葉がよく似合うメビウスに対し、スターゲイザー-アルマロスはのほほんと微笑む。

 今までの言動を思い返すと、彼女は意外と図太かった。『奴』の言動を見ても、平然としているためである。

 

 

「ふふ。相変わらずだなぁ、あの2人」

 

「……アンタも動かないってことは、そういうことかよ……」

 

 

 ウルトラマン・ゼロも苦い表情を浮かべる。その横顔がげんなりとしているように見えたのは、決して気のせいではない。あの様子だと、ゼロは彼女によって、恋愛云々についてがっつりと根掘り葉掘りされたように見えた。

 彼の父親――七番目のウルトラマンも、もれなく餌食になりそうな気がしてならない。一児の父親ということは、妻に当たる相手とのアレやコレがあるわけだから、彼女が食いつかないはずがないのだ。

 他にも、スターゲイザー-アルマロスに対して苦手意識を抱く面々もいた。いや、恋愛系の話には乗り切れないでいる様子だ。ダブルオーたちが所属するチームは、男性が9割を占めている。……これ以上話すと埒が明かないので、閑話休題といこう。

 

 盛大に愛を叫んでいたはずの、『彼』の表情が曇る。どろりとした闇を湛えたように、カメラアイが黒光りした。昏い輝きにぞっとする。

 

 

「だが、愛を超越すれば、それは憎しみとなる。――だから、私はキミを倒す!」

 

「あんたは……ッ」

 

 

 歪んでいる、と続けようとしたダブルオーが言葉を止めた。「お前が歪んだ原因は俺なのか?」――彼女の視線は、そう問いかけている。

 彼女の心を察知したのだろう。ほんの一瞬、『彼』は沈痛そうな表情を浮かべる。そうして、ダブルオーを気遣うような眼差しを向けた。

 何かが脱線してしまっても、『彼』がダブルオーに向ける想いは変わらなかった。愛とは、そういう感情のことを言うのだ。はやぶさは1人、納得する。

 

 誰かを傷つけるようなものは、愛と呼べるものとはいえない。

 いつかどこかで聞いた言葉。恋する少年が言っていた言葉だ。

 

 

「……私には、“これ”だけしかないんだ。いくら歪んでいると非難されようとも、こうしてキミに挑み続けるしかない」

 

「マ■■オ……」

 

 

 ダブルオーは、震えた声で『彼』の名前を呼んだ。名前を呼ばれるとは思わなかったのか、『彼』は一瞬目を見張る。

 

 

「嬉しいな。初めて、名前を呼ばれた。……いいや、違うな。私が『覚えていない』だけか」

 

 

 『彼』は、何かを手繰り寄せるように考え込む。

 幾何かの間をおいて、『彼』は悲しそうに微笑んだ。

 

 

「私がキミに挑み続ける本来の理由は、今、私が口にしたもの――あるいは認識しているものとは違うのだと思う。……いや、違うはず、だった」

 

「はぁ? アンタ、何訳の分からないことを言ってるんだ?」

 

 

 自信なさげに言葉を紡ぐ『彼』の様子に、ゼロは違和感を感じたらしい。最も、「何を言っているのか分からない」にウエイトを置いたツッコミであったが。

 

 ここで、『彼』は初めてダブルオー以外の存在に興味を示したようだ。目を瞬かせ、ゼロに視線を向ける。

 どこかぎこちない反応に、ゼロは眉間に皺を寄せた。『彼』の様子がおかしいと察したためであろう。

 「ああ」と、『彼』はゼロの言葉に対して相槌を打つ。その声は、先程のような感情に溢れた叫びとは程遠かった。

 

 まるで、機械の合成音声を彷彿とさせるような、平坦な声。『彼』を知っている者が聞いたら、確実に凍り付くレベルのものだ。かくいうはやぶさも、その1人に入る。

 メビウスや仮面ライダー・オーズも、本能的に「彼は何かがおかしい」のだと察したらしい。流石は歴戦の英雄。力を失っていても、その実力は伊達じゃない。

 

 

「訳有って、私は自分の記憶を信用できない状態にある。今、こうしてキミたちと会話した内容も、後で『ヤツ』に消されるか、『ヤツ』の都合のいいように改竄されるのだろうな。……しかも、私が『消された』、あるいは『改竄された』と自覚できるようにしているあたり、相当性質が悪いようだ」

 

「そんな酷いことをされているのに、どうして貴方は『ヤツ』に従っているんですか!?」

 

「……どうして、か」

 

 

 憤るメビウスに、『彼』は自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

 

「道化でなければ、守れないものがある。そうなってでも、失いたくないものがある。取り戻したいものがある」

 

 

 カメラアイは、真っ直ぐにダブルオーを映し出した。

 

 

「……今の私が、確固たる確証を持って信用できるものは、ただ1つ」

 

 

 万感の思いを込めた眼差しに、彼女は思わず息を飲む。

 

 

「――“最期まで、キミを見つめていたい”。……それだけなんだ、“少女”」

 

 

 少女、というのは、ダブルオーが嘗てエクシアだった頃、『彼』が彼女の愛称として使っていたものだった。彼女が己の名を『彼』に明かすまで、そう呼ばれていた。

 そういえば、『彼』は、ダブルオーと遭遇した後も、彼女の名前を呼んでいない。『彼』の性格上、機体名が変わったとしても、エクシア呼びで突っ込んで行きそうだ。

 エクシアの名前を知った際、『彼』の喜びようは半端なかったのだ。はやぶさ――当時のカスタムフラッグやオーバーフラッグたちに自慢していた程だったから。

 

 名前を知った以後は、頻繁に彼女をエクシアと呼んでいた。そんな『彼』が、名前を知らぬ頃の愛称でダブルオーを呼んでいる。

 『彼』の言葉から違和感の正体を察してしまったダブルオーが、驚愕に目を見開いた。彼女の声が戦慄く。

 

 

「あんた、まさか……!」

 

「はは。キミの名前すら『忘れて』しまった。……その名前を告げるのに、キミがどれ程の勇気を必要としていたか……辛うじてだが、まだ覚えているのにな」

 

 

 『彼』は痛々しいほど儚げな笑みを浮かべる。今にも泣き出してしまいそうな気配が漂った。

 

 以前だったら、決して浮かべたことのない表情(かお)だ。

 だが、それはすぐに、決意と激情に歪んだ。

 

 

「……だからこそ、私は――!!」

 

 

 刀を模したサーベルを振り上げ、『彼』はダブルオーたちに迫る! 彼女も覚悟を決めたように、ビームサーベルを構えた。他の面々も迎撃態勢を取った。戦いが始まろうとしている。

 はやぶさはそれを見ていた。少し離れた場所から、英雄たちと『彼』とのやり取りを聞いていた。そうして、思ったことがある。ただただ、感じたことがあった。それはとても簡単なこと。

 鞘から日本刀を模したブレードを引き抜き、はやぶさはGNドライヴおよびESP-Psyonドライヴを作動させた。青い燐光を纏い、翡翠色の粒子をまき散らしながら、『彼』と『彼女』の間に割って入るかのように突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリロバイトを退けたダブルオーは、アリオスに掴った。即座にアリオスがトランザムを発動し、2機は海面へ向かって行く。ソレスタルビーイングには、可変機=タクシーという方程式でもあるのだろうか。クーゴはそんなことを考えた。

 思い返せば、デュナメスがキュリオスの上に乗ってテロリストたちを狙い撃っていた映像を目にしたことがある。確か、あれはタクマラカン砂漠での出来事だった。連鎖的にMD大暴走の記憶が引っ張り出されてしまったのは仕方のないことだろう。

 セラヴィーとケルディムは海中に残ることにしたらしい。他の罠を警戒しているようだ。賢明な判断だろう。指揮官がいると思しき旗本艦を潰す役目は、ダブルオーとアリオスに任されたという訳である。

 

 はやぶさとスターゲイザー-アルマロスは、役に立たなくなったEソナーの代わりに、サイオン波を使った人力ソナーでの索敵を行っていた。正直、海底よりも海上に大量の反応が見られる。己の身を苛むような寒気を感じるのは何故だろう。

 索敵結果をプトレマイオスクルーへ伝えた後も、クーゴは海面へと視線を向けた。悪寒が段々と強くなってくる。このままでいたら、何かまずいことになるという確信があった。はやぶさのカメラアイには、海上から差し込む光が揺らめく様子が映し出されている。

 

 次の瞬間、海上から、水をぶち破るかのような振動が襲い掛かってきた。水面が激しく紋を刻む。

 

 

「な、なんスか今の!?」

 

「上空からの砲撃か!?」

 

 

 リヒテンダールとラッセが水面へと視線を向けたのが『視えた』。先程の衝撃が余程のものだったのか、プトレマイオスの動きを拘束していた樹脂繊維がぶちぶちと切れる。

 艦体は大きく傾いたものの、操舵が復活したおかげで即座に体制は整えられた。攻撃で使用不可になっていたEソナーが回復するのももうすぐであろう。

 

 

「やりぃ! 怪我の功名ッス!」

 

「調子に乗らない!」

 

「Eソナーおよびセンサー、機能回復です! ――アロウズの新型機、反応多数!?」

 

 

 もう窮地を脱出した気でいるリヒテンダールに、クリスティナが厳しいツッコミを入れた。

 2人のやり取りは夫婦漫才みたいなように思える。状況が状況でなければ、微笑ましい光景だったであろう。

 そんな夫婦漫才を尻目に、ミレイナがEソナーおよびセンサーの復旧を告げた。間髪入れず、彼女は金切り声をあげる。

 

 プトレマイオスのEセンサーが、海上にいた反応を映し出しているのが『視えた』。旗本艦と思しき戦艦の周囲には、Unknownと銘打たれた機体やMDが飛びまわっている。

 映像がピックアップされた。白と紫に翼を持つ、謎の新型機。その佇まいは天使のようだが、緑に輝くモノアイの瞳が異様さを引き立てている。あれは、天使と言う名の悪魔だ。

 

 クルーたちがざわつく。連邦、あるいはアロウズの新型MSを目の当たりにしたのだ。その気持ちはよく分かる。

 

 

「戦艦からMS部隊、来ます!」

 

 

 フェルトの声が響いた。その脇には、戦況を険しい顔つきで見つめるアニューの姿がある。出撃前、ボロ雑巾同然のロックオンが、転がるようにしてケルディムに乗り込んだ姿を見かけたのだが、3人はちゃんと和解(あるいは妥協)できたのだろうか。閑話休題。

 画面には、変わった外観をしたアヘッドと対峙するダブルオー、ジンクス部隊と対峙するアリオスが映し出される。クーゴの目を惹いたのは、アヘッドだ。兜を被った武者を連想させるような佇まいに、刀を彷彿とさせるような形状のビームサーベル。その太刀筋は、クーゴの型と似ていた。 

 

 あの方を知っている人間は、ユニオン関係者くらいのものだ。その中でも、クーゴと同じ型を再現できるような人間はいない。

 ――そういうものに惹かれていた物好きなら、クーゴはよく知っていた。まさか、アヘッドに乗ってダブルオーと交戦している奴は。

 

 

『なんという僥倖……! 生き恥を晒した甲斐があったというものだ!!』

 

 

 何とも言えない予想を肯定するかのように、奴の声が響き渡った。

 

 グラハム・エーカー/ミスター・ブシドーの搭乗するアヘッドは、流れるような剣技でダブルオーと鍔迫り合いを繰り広げる。太刀筋はクーゴのものをベースにしているため、自分がダブルオーと戦っているような図を眺めているような気がしてきた。

 胸を潰されるような痛みが走る。これは、ブシドーの想いだ。残された親友とともに、失ってしまった親友の想いを背負って飛ぼうとしていた。親友を人質に取られた。行き場のない籠の鳥は、それでも空へ焦がれていた。赤黒い機体を見上げる研究者が、歪んだ笑みを浮かべた姿が『視える』。

 開発途中の新型機。エイフマンの弟子であるビリーが、ブシドーのために作り上げた機体だ。フラッグの系譜を継ぐ“それ”は、クーゴと交わした約束の結晶でもある。その機体は、初陣の瞬間を待ち構えているかのように見えた。

 

 

「……あいつら! 俺のコンバットパターン、覚えた上に組み込んだのか……!!」

 

 

 クーゴは歯噛みした。自分が社会的に死んでいたことは知っていた。だが、まさか、親友たちがそんなことをやり遂げてしまうとは思わなかったのだ。

 特にグラハム/ブシドーは、クーゴの型を完璧に再現するために、計り知れない努力をしたのだろう。あいつは、負けず嫌いで執念深い男だ。

 

 

「この動き……何か変だわ」

 

 

 センサーと睨めっこしていたスメラギが、眉間に皺を寄せて敵の動きを見つめている。次の瞬間、クーゴの眼前に、海上の様子が広がった。戦況の動きが『視える』。

 

 背後の甲板から、MS部隊が空へと飛びあがったのが見えた。先陣を切ったのは、ブシドーの搭乗するアヘッドとは違う型のものだ。その機体は可変型のガンダムに狙いを定める。こちらも派手な鍔迫り合いを演じていた。優勢なのはアヘッドの方である。しかし、アロウズのMS部隊は、なかなか攻めきれないでいた。

 彼らは新型機の周辺にMDが集まりにくくなるようにしながら、ガンダムを迎え撃っている。スメラギはそれを指摘して、首をひねった。アロウズにとってその戦術は、普通に戦うより精神的に辛いものである。どうして彼らは、味方の妨害をするかのように布陣を組んでいるのだろう。

 

 

「まさか、あのときの衝撃は――!!」

 

 

 スメラギは、はっとしたように顔を上げた。即座にデータを打ち込み、情報を確認する。幾何の間をおいて、スメラギの横顔がこわばった。

 データの数字がとんでもない数値を叩きだしている。先程の衝撃が敵からの攻撃だったと仮定し、空中及び地上でその攻撃を受けた場合の被害状況を確認したのだろう。

 

 

「この数値……地上および空中の、半径数キロから数十キロ範囲が焦土と化す威力です」

 

「何ィ!? じゃあ、あの新型機のパイロットは、旗本艦や友軍も吹き飛ぶと分かってて、そんな武装を展開したってことか!?」

 

 

 フェルトとラッセ表情を戦慄かせた。水中だったから、威力が大分抑えられていたらしい。

 

 

「アロウズの指揮官は、不完全で不確かながらも、この武装のことを予測していた……。だから、新型機の広範囲攻撃から逃れるために回避行動を取ったのね。……そして、その武装を展開させないよう、MS部隊を配備させている。――この場にいる自軍の命を、守るために」

 

 

 スメラギの声がひどく震えていたのは、何故だろう。クーゴがそれを疑問に思う前に、プトレマイオスのセンサーがけたたましく鳴り響いた。レーダーに機影が映し出される。機体は――ユニオンフラッグやAEUイナクトを中心とした構成だ。

 太陽炉非搭載型の機体を中心にしている部隊は、反政府組織くらいしかない。しかも、アロウズのMS部隊より倍の機体数で隊を組んでいるということは、反政府組織の中でもかなりの力を有している組織だ。そうなれば、答えは1つ。カタロンが、ソレスタルビーイングの援護に入ったのだ。

 この連係は、自分たちの意図したものではない――スメラギの目がそう語っている。アロウズのMS部隊は、突然の乱入者に対応するため動き出した。当たり前のことであるが、新型機への注意が散漫になる。

 

 カタロンの連中と、アロウズ及びガンダムのMSと戦艦を取り囲むようにして、新型機たちが陣取っているのが視界の端に映った。

 しかも、端と端に1組づつ、目を惹くような陣形を組んでいる。それを目にした途端、クーゴの背中に激しい悪寒が走った。

 

 

「いけない!」

 

『イデア、若造!』

 

 

 スメラギが声を荒げた。割り込むようにして、ベルフトゥーロの思念が流れ込んでくる。彼女はマリナの傍についていたため、通信できるようなものは思念波くらいしかない。

 

 

『行って! でなきゃ、大変なことになる!!』

 

 

 ベルフトゥーロの思念に背中を押されるような形で、クーゴ/はやぶさとイデア/スターゲイザー-アルマロスは顔を見合わせ頷いた。

 先程海上へ飛び出したダブルオーとアリオスに倣い、飛行形態のはやぶさにスターゲイザー-アルマロスが捉まる。

 

 

「トランザム! ――サイオン、フルバースト!!」

 

 

 己の持ちうるサイオン能力を爆発させる。青い光が舞い上がり、普通からは想像できない勢いではやぶさが加速した。

 一歩先に海上へ向かったダブルオーとアリオスよりもずっと速く、海面へと近づいていく。

 

 

「――いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 間髪入れず、はやぶさとスターゲイザー-アルマロスが海上へと飛び出した。眼前には、陣形を組んだ新型機が広がる。彼らの羽が、この場を覆いつくさんほどの光を爆ぜさせた。

 スターゲイザー-アルマロスがはやぶさから手を離し、即座にトランザムとサイオンバーストを発動させた。青い光が煌めく。コンマ数秒で、新型機との距離が迫る。

 はやぶさがガーベラ・ストレートを握り締めて居合の型を取り、スターゲイザー-アルマロスがアームズについたブレードを展開し、舞い散る光を、光ごと一刀両断した。

 

 追撃とばかりに、スターゲイザー-アルマロスを中心にして防壁が展開し、凄まじい風が巻き上がる。真っ二つに引き裂かれた光は、風によって吹き払われた。

 

 コンマ数秒後、遠くに飛ばされた光の残骸が爆ぜる! 残骸は四方八方に降り注いだが、広範囲且つ遠くへ吹き飛ばされたためか、威力は疎らなものだった。先程海中で感じた衝撃には程遠いであろう。

 アロウズの旗本艦やMS部隊、ダブルオーやアリオス、特別な改造が施されたアヘッドたち、カタロンの太陽炉非搭載型MSたちも、スターゲイザー-アルマロスの展開した防壁のおかげで傷一つついていない。

 

 爆発の余波で、新型の下位互換機と思しきMDが爆発四散した。新型も無事では済まなかったようで、羽の一部がえぐれている。しかし、新型の羽は、徐々にではあるものの自己修復が始まっていた。

 

 

(ナノマシンによる自己修復……! 虚憶(きょおく)由来の技術でも、実現が『可能そうで難しい』と言われたヤツを搭載してるのか)

 

 

 新型機たちは陣形を解いて、この場から逃げるように飛んでいく。

 状況が状況でなければ追撃した方がいいのだが、アロウズ、カタロンとの三つ巴状態である。

 下手に動くことはできない。彼らはじっとにらみ合いを続ける。

 

 クーゴ/はやぶさは、武者のような佇まいのアヘッドへと視線を向けた。少し離れたところにいるダブルオー/刹那も、武者のようなアヘッド――否、グラハム・エーカー/ミスター・ブシドーへ視線を向けていた。

 

 

「グラハム」

 

『……グラハム・エーカー』

 

 

 クーゴが嘗ての友人の名を呼べば、ほぼ同じタイミングで、ひどく震えた刹那の声が『聞こえた』。

 茫然とグラハム/ブシドーを見つめる刹那の横顔が『視える』。卒倒一歩手前の、愕然とした表情だ。

 

 アヘッドを見つめるダブルオーは、パイロットである刹那の心が反映されているかのようだった。幾何かの間をおいて、アヘッドのカメラアイが静かに輝く。クーゴは思わずアヘッドを見た。

 仮面をつけた男――ブシドーが、今にも泣き出してしまいそうな顔を浮かべた様子が『視えた』。それでも、なんとか微笑もうとしているかのように口元を震わせる。苦しそうに、悲しそうに、寂しそうに、彼は目を伏せた。

 その光景が終わった直後、武者のようなアヘッドは、自分たちに背を向けた。眼下には、アロウズの旗本艦とMS部隊が撤退していく様子が伺える。アロウズは、この場から一端引いて体勢を立て直すことにしたようだ。

 

 カタロンのMS部隊は、彼らに追撃する様子はない。彼らの目的は、ソレスタルビーイングとの合流らしかった。

 

 

「ラッキー……では、なさそうです」

 

 

 イデアはぽつりと呟いた。眉間には皺が寄っている。彼女は、カタロンが自分たちの完全な味方であるとは思っていないようだ。

 過激派の中心となっている武装組織カタロンは、ソレスタルビーイングの理念とはそりが合わなさそうである。

 相手が求めているのは、疑似太陽炉搭載型と戦うための力だ。アロウズの支配を打ち砕く力。――あくまでも、戦力として。

 

 もし、ソレスタルビーイングがカタロンとの共闘を拒んだら、カタロンはどんな反応を示すだろうか。特に、ケルディムのパイロットであるロックオン(ライル)は、カタロンの関係者である。ヘタをしたら、ケルディムが寝返るなんてこともあり得そうだ。

 ロックオン(ニール)がその現場を目の当たりにしたら、修羅場は一気に加速するだろう。そう考えて、クーゴははたと止まった。どうしてクーゴは、「この場にロックオン(ニール)がいたら」という予想を巡らせているのだろうか。

 

 不意に、虚憶(きょおく)が『視えた』。焼野原の男と対峙するロックオン(ニール)の前に降り立ったケルディム。パイロットはロックオン(ライル)だ。顔を合わせた2人が、何やら不穏な会話を続けている。状況が戦場でなければ、即座に兄弟喧嘩コースへまっしぐらだったであろう。彼らが踏みとどまったのは、焼野原の男がいたからだ。双子はぐだぐだと会話しながらも、的確な連携で焼野原の男を追いつめていった。

 

 

(……もしかして、双子が揃うのか?)

 

 

 クーゴがそんなことを考えたとき、プトレマイオスから通信が入った。このまま、カタロンと合流することになったらしい。

 プトレマイオスが海中から浮上する。ガンダムたちも水中から姿を現し、カタロンのMS部隊の誘導に従った。

 

 ダブルオー/刹那は、ただ茫然と、アヘッド/ブシドーの去っていった方角を見つめていた。フェルトやミレイナの呼びかけで、漸く我に返ったようだ。殿につく。

 はやぶさ/クーゴとスターゲイザー-アルマロス/イデアは、最後尾のダブルオー/刹那に視線を向ける。――なんだか、見ていて胸が痛くなってきそうな姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那がよく知るグラハム・エーカーは、晴天の空を思わせるような笑顔を浮かべた男だった。どこまでも一途で、真っ直ぐで、生真面目で、妥協を知らなくて、負けず嫌いで……とかく、面倒な男であるともいえる。

 

 だが、今。アロウズの新型アヘッドに搭乗していた男は、矛盾をはらんだ目をしていた。何かを諦めながらも、何かを求めているかのような、悲痛な瞳。

 クーゴの反応からして、「グラハムがアロウズに身を寄せている」ことや「何か大変なことになっている」ことは察していた。ロクなことでない、と。

 その詳細を、刹那は今、目の当たりにした。グラハムは、自軍が巻き込まれることも厭わず広範囲兵器を起動させようとする者たちと水面下で駆け引きを行っていた。

 

 それだけではない。相手に悟られぬようにと計算しながら、それとなく刹那とダブルオーを庇ったのだ。

 あのとき、彼のアヘッドが体当たりを仕掛けてこなかったら、ダブルオーは広範囲兵器の攻撃によって塵芥になっていたであろう。

 

 

「グラハム・エーカー……」

 

 

 グラハム自身は何も言わなかったけれど、彼の剣は叫んでいた。ただ真っ直ぐ、刹那を求めていた。星に手を伸ばし、届かないと落胆し、それでも手を伸ばすことをやめない子どものように。

 彼は、あんな風に、儚く笑うような男ではなかった。悲痛さを孕んだ笑みを浮かべるような男ではなかった。何かを飲み込んで、泣きそうな――歪んだ笑みを浮かべた彼を見たのは、初めてだった。

 

 

「どうして――」

 

 

 震えた声が漏れた。次の瞬間、頭の中にノイズが走る。

 悲鳴、絶望、闇の底。妖艶に嗤う女の顔が『視えた』。

 

 一度、刹那はそうやって嗤う女を見たことがあった。4年前、京都で、白いワンピースを着ていた刹那を水たまりへ突き飛ばした相手だ。クーゴの実の姉――蒼海。

 

 何故、あの女の顔が見えたのだろう。刹那が首を傾げたとき、不意に、言葉にできぬ息苦しさを感じて胸を抑えた。悲鳴、絶望、闇の底。見上げた空に、緑の光が舞う。白と青を基調にした機体――刹那の乗る、ガンダムが見えた。

 羽をもがれた鳥は、ずっと空を見つめている。その鳥の姿は、仮面をつけた金髪碧眼の男へと姿を変えた。あの仮面と陣羽織を、刹那はよく知っている。片方はグラハムが購入したのを見かけたし、もう片方は刹那が似合うと言ったものだった。

 虚ろな緑が刹那を捕らえた。能面みたいな顔が、ありとあらゆる感情をごちゃまぜにしたように歪む。助けを求めるようでもあるし、刹那を突き放すようなものでもあったし、何かに祈っているかのようにも見える。

 

 

『――……』

 

 

 彼の口が動く。少女、と、その口は紡いでいた。

 

 久方ぶりにその愛称で呼ばれた。刹那が彼に本名を告げる以前の愛称。刹那が名乗ってからは、ほぼ名前で呼ばれるようになった。名前を教えてもらえたことが余程嬉しかったのだろう。一音一音確かめるように、「刹那」と紡いでいた姿が脳裏によぎる。

 しかし、グラハムは刹那の名前を呼ばなかった。その代わりとでも言わんばかりに、グラハムは嘗ての愛称で刹那を呼び続ける。刹那がその違和感に気づいたのと入れ替わりに、グラハムは口を動かした。何かを紡ぎかけ――けれど、彼は悲しそうに目を伏せる。

 

 それきり、グラハムは口を真一文字に結び、首を振った。懐から何かを引っ張り出し、縋りつくようにしてそれを握り締める。

 空の色を思わせるような青い扇。すべてが始まる前に、刹那がグラハムに贈った誕生日プレゼントだ。ちりん、と、澄み渡った鈴の音が響く。

 瞬きすると、刹那の前には、見慣れたコックピットの光景が広がっていた。しかし、胸の苦しさはじくじくと残り続けている。

 

 

「刹那、大丈夫?」

 

 

 フェルトの声が、遠くから響く。

 

 

「セイエイさん、どうかしたのですか?」

 

 

 ミレイナの声も、遠くから響く。

 

 ああ、なんだろう。

 刹那は息苦しさをやり過ごそうとする。

 

 フェルトの声が、また、遠くから響いた。

 

 

「刹那、応答して」

 

「――胸が……」

 

「え?」

 

「胸が、痛い――?」

 

 

 その痛みの答えを、刹那はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ビサイド・ペイン?」

 

『ああ。今から15年前に、マザーから譲り受けたデータがあっただろう? あの力を持っていた人物――人格だよ』

 

 

 そう言ったリボンズの横顔は、どこか寂しそうだった。

 

 

『懐かしいな。……反抗期の弟みたいな存在だったから』

 

 

 彼は俯いていたが、すぐに顔を上げた。リボンズの後ろには、まだ秘匿するつもりのリボーンズガンダムが佇んでいる。

 その脇には、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の第1幹部たちが搭乗する機体――ガラッゾやエンプレスたちが並んでいた。

 どの機体も出撃準備は万端である。リヴァイヴとヒリングがコックピットに乗り込むのが『視えた』。ブリングやデヴァインもそれに続く。

 

 彼らの目は燃えていた。怒りの矛先にいるのは、アニューの恋人――ライル・ディランディである。

 “ベルフトゥーロを迎えに行く”だけのはずだったのに、別な目的の方にウエイトが傾いている気がした。

 

 

『じゃ、ちょっと頑張ってくる』

 

「程々にお願いします。カタロンは1人身が多いですから」

 

 

 テオドアの言葉が最後まで紡がれる前に、リボンズの思念波および脳量子波が途切れた。もう1度繋ごうとしたが、ぶっつりと途切れてしまっている。これはもうだめだ。テオドアは匙を投げた。

 

 こうなってしまっては、リボンズたちがやらかすことに関して、テオドアは何もできないだろう。

 今できることは、レイヴたちの仲間探しを見届けることだけである。テオドアは操縦桿を握り締めた。

 

 テオドアのガンダムが動き出す。コックピットには、目的地が表示されていた。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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13.途上にて

「反政府勢力収監施設がガンダムの襲撃を受けたことは、間違いのない事実です」

 

 

 記者会見を開いた代表代理が、淡々と事実を報告する。

 彼女の話を遮るように、記者たちは手を上げて次々と質問をぶつけた。

 

 

「彼らはソレスタルビーイングなのでしょうか?」

 

「反政府組織がガンダムを独自開発したという噂もあります」

 

「それらは憶測の域を出ていませんが、どちらにせよ、現政権を脅かすテロ行為であることは明白です。政府はテロ組織撲滅のため、直轄の治安維持部隊の派遣を決定しました」

 

 

 女性は淡々と話を続けた。

 

 記者会見は滞りなく行われ、終了する。報道者たちはぞろぞろと会見場から出て行った。絹江は隣に座っているシロエに視線を向ければ、彼も目配せで答えた。マツカもアイコンタクトで了承の意を伝える。

 3人の報道陣たちは、殿役のようにして部屋を出た。そのまま街へ繰り出して、とある喫茶店の前で足を止めた。桃色の花を鈴なりに咲かせた、特徴的な花が風に揺れている。扉にはclauseの文字。それが、安全地帯である証だ。

 ナスカの花は、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に所属する『ミュウ』に関する目印だ。ここが、絹江・シロエ・マツカら3人の拠点であった。政府から公式発表された情報と、組織が掴んだ情報を組み合わせる。

 

 世界を歪ませる者たちが何を企てているのか、この情報から判断するのは難しい。しかし、真実を集めて繋ぎ合わせていけば、きっと真実にたどり着けるはずだ。

 思考回路を巡らせていたとき、絹江の眼前にカフェラテが置かれた。泡にはナスカの花が描かれている。顔を上げると、スオルがお茶目に笑ったところであった。

 

 

「ありがとうございます、スオルさん」

 

「いやいや、サービスだよ。ちょっと待っててくれ」

 

 

 スオルはひらひらと手を振って、カウンターへと戻っていった。シロエは口元を緩ませてチョコレートドリンクを口に運び、マツカが緑茶を飲んでほうと息を吐いた。

 厨房から甘い匂いが漂ってくる。スオルがケーキを焼いてくれているのだろう。それを楽しみにしつつ、絹江はコーヒーを啜った。

 

 

「ソレスタルビーイングの復活を予見し、アロウズの権限拡大を図る……。その集大成が、もう少しで形になろうとしているのね」

 

「でも、“反政府組織を叩き潰す”だけにしては、ちょっと大げさな気がします。もしかしたら、本命は別なところにあるんでしょうか?」

 

 

 マツカが神妙な顔で問いかけてきた。シロエは眉間に皺を寄せ、顎に手を当てた。

 

 

「いずれにしても、ソレスタルビーイングや『悪の組織』()および()『スターダスト・トレイマー』()が頑張らなきゃいけないってことですね」

 

 

 絹江も頷いた。そのことは、絹江だってわかっている。だから、沙慈とルイス夫婦がソレスタルビーイングへ出向し、頑張っているのだ。

 戦いとは無縁だった沙慈とルイスが、この4年間で随分様変わりしたように思う。自分にできることを探し、できることを全力で行っている。

 沙慈はもう絹江に守られる必要もないし、ルイスだって立派な淑女だ。まだまだ子どもだと思っていた2人の成長に、絹江は複雑な気持ちになった。

 

 結婚して夫婦になった2人に対し、絹江は未だに独身である。伴侶? そんなもの、どこにいるの状態だ。

 

 イケメン2人を侍らせていて何を申すかと言われそうだが、シロエとマツカは戦友だ。それ以上の感情は、ないったら、ない。多分。

 絹江をゲイリー・ビアッジの魔の手から救ってくれたときの2人は、本当に格好良かった。防壁を展開するマツカや、思念波でゲイリーの足を止めたシロエとか。

 

 

「いや、そこらへんに積まれていた資材や石を大量に投げつけたり落下させたりした絹江センパイの方が格好よかったと思いますよ」

 

「傭兵の不意を突きましたからね。前や後や横だけならまだしも、上からも振ってきた訳ですし」

 

 

 絹江の思考を『読み取った』ようで、シロエとマツカがのほほんと答えた。居たたまれなくなり、絹江はそっと目を逸らす。ゲイリーの魔の手から逃れる際、絹江は思念増幅師(タイプ・レッド)の『ミュウ』として『目覚め』を迎えたのだ。

 その際、能力を盛大に暴発させ、路地裏にある資材や石を投げつけたり、建物の屋上に置かれていた資材や石、鉄パイプ等を上空から大量に降らせたりしたのである。流石の傭兵でも、四方八方と上空から飛んだり落ちたりした資材や石には対応できなかったらしい。

 

 

「『金盥が奴の脳天に直撃した』ってのは傑作でしたね。古典的なドッキリ番組、あるいはコントみたいで」

 

「『鉄パイプと資材を、対象物の足元目がけてピンポイントで降らせる』ってのも、凄いコントロールがいるんですよ。絹江さん」

 

「……やめましょう、その話。どんどん脱線してきたから」

 

 

 2人からの賛辞に居たたまれなくなった絹江は、情報収集に集中しようとペンを握った。

 

 次の瞬間、絹江の背中に悪寒が走った。ノイズまみれの光景が広がる。鮮血を思わせるような赤いMSに歩み寄る男の後ろ姿が『視えた』。口元には特徴的な無精髭を生やしている。あの傭兵だ。

 ゲイリー・ビアッジ――あるいはアリー・アル・サーシェス。偽名をいくつも使い分けており、本名は不明。絹江は思わず顔を上げる。シロエとマツカも先程の光景を『視た』ようで、険しい表情を浮かべていた。

 

 

「……一筋縄ではいかないわね」

 

 

 地獄の底から這いあがってきた悪魔の権化に、絹江は頭を抱えたくなった。ゲイリーおよびサーシェスは、4年前から姿を消していたという。そういえば以前、4年前に行われた国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦で、ゲイリー・ビアッジというAEUの軍人が参戦していたというデータを見つけた。

 彼はそこで「体の半分を失う重傷を負った」という記載があったものの、行方までは分かず仕舞いだった。五体満足で立っていたのだから、おそらく、彼は再生手術を受けたと思われる。この4年間は、再生手術とそのリハビリのために潜伏していたのかもしれない。

 では、一体誰が、ゲイリー/サーシェスに再生手術の費用を出したのだろう? 体の半分を再生させるとなれば、時間は当然、費用だって莫大な額が必要になる。傭兵稼業で羽振りが良かったとしても、そんじょそこらの小金持ちが出せるような金額ではない。

 

 今回手にした情報から仮定するに、アロウズの背後には、相当な財力を持つ人間が背後にいることは明らかだ。参考までに、アロウズの最大出資者は刃金蒼海である。次点で、(ワン)留美(リューミン)が挙げられた。

 後者はソレスタルビーイングのエージェントである。何故、彼女は敵組織にも援助を行っているのだろう。エージェントとして情報収拾するにしても、留美(リューミン)とアロウズの関係はかなり密接である。

 

 

「何だろう。物凄く、嫌な予感がします」

 

「その予感、間違いじゃないかもしれませんね」

 

 

 マツカが不安そうに目を伏せ、シロエが苦々しい顔をしてホットチョコレートを煽る。

 

 とにかく、確証を得なければ始まらない。しかし、情報は少なかった。

 絹江は情報を見直しながら、深々とため息をついた。

 

 

「ここは、懐に飛び込むしかないかもしれないわね」

 

「懐?」

 

「密着取材よ。アロウズの軍人に、ね」

 

 

 絹江の言葉に、シロエとマツカが顔を上げた。2人は目を瞬かせ、即座に真剣な眼差しになって頷く。

 そうと決まれば、早速下準備だ。手にした人脈と情報を再び広げて、3人は議論を交わし合う。

 何か忘れてしまったような気がしたが、絹江たちにとって、そんなことは些細なことであった。

 

 

 

「……ケーキ、できたんだがなぁ……」

 

 

 スオル・ダグラスがそう小さく呟いたことに気づくのは、外が真っ暗になった後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ミヤサカさん! お久しぶりです、沙慈ですー!」

 

「沙慈のお嫁さんのルイスですー! お元気でしたかー?」

 

「う、うわああああああああああああああああああ! リア充だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 歓迎ムードのカタロン基地に足を踏み入れて、コンマ数秒後のことである。

 

 沙慈とルイスに声をかけられた男が、2人の姿を視界に入れた瞬間発狂した。彼の悲鳴を皮切りに、一部のカタロン構成員が悲鳴を上げ、ダッシュで逃げ出し始める。

 あまりの展開に、ティエリア、アレルヤ、ロックオン(ライル)が、ぽかんとその光景を静観していた。かくいうクーゴも、この状況についていけていない。

 イデアはのほほんとした顔つきを崩さないでいた。この中でただ1人、何かを察した刹那が天を仰ぐ。こめかみには沢山の青筋が刻まれていた。

 

 

「あっ、待ってくださいよミヤサカさーん!」

 

「なんで逃げるんですかミヤサカさーん!」

 

 

 逃げる男性を追いかけて、クロスロード夫妻は基地内へと駆け出していった。施設の奥から阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る。反響していた複数の声は、やがて遠くなり、聞こえなくなった。

 悲鳴が聞こえなくなってから幾何かの間をおいて、金髪の男がこちらへ姿を現した。彼はしきりに廊下の奥を気にしていたけれど、ソレスタルビーイングを迎えることにしたようだった。

 

 クラウス・グラード。彼が、このカタロン支部を取り纏めるリーダーらしい。彼は簡単な自己紹介を行った。

 

 クラウスの自己紹介が終わった後、彼に先導されるような形で施設内に足を踏み入れる。通路の至るところに、座り込んでガタガタ震えている人々を見かけた。

 奥の方から再び阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてきた。それに混じって、クロスロード夫妻の声が聞こえる。2人はミヤサカという男と追いかけっこをしているらしい。

 時折「リア充怖い」というか細い声が、座り込んでいる人々のあたりから聞こえてきた。異様な空気に痺れを切らしたロックオン(ライル)がクラウスに問いかけた。

 

 

「なあ、何が起こってるんだ?」

 

「彼らはコロニー・プラウドに捕らわれていたんだ。その際、アロウズから酷い尋問を受けたようでね。そのPTSDに、今も苦しんでいる」

 

 

 クラウスが沈痛な面持ちで語った。その横で、刹那が何とも言えない微妙な表情を浮かべている。何か言いたいのだが、どう言えばいいのか分からない――彼女の渋面は、密やかにそう訴えていた。

 

 刹那の表情から何かを察知したスメラギとティエリアが「あっ」と小さく呟き、彼らからそっと視線を逸らした。口は真一文字に結ばれている。

 イデアはニコニコ笑みを浮かべ、何も語らない。クーゴとアレルヤとロックオン(ライル)の3人は、相変わらず状況を理解できないままであった。

 

 そのまま部屋へ通される。扉が閉じる直前、ひときわ大きな悲鳴が響いたが、扉が閉まると同時にかき消された。

 クロスロード夫婦は職場の先輩だった人物――カタロンの構成員を気にかけており、その人物へ言伝を頼もうとしてここへ同行したのだ。

 先程悲鳴を上げて逃げた人物こそ、2人が心配していた相手なのだろう。しかしその人物は、夫婦を目の当たりにした途端に逃げ出した。

 

 あれがPTSDだと言うのなら、引き金はもう少し別なところにありそうな気がする。さしずめ、“リア充恐怖症”か。ここの医療関係者は大変だろう。閑話休題。

 

 

「会談に応じてくださり、ありがとうございます」

 

 

 カタロンの面々が会釈した。スメラギたちも会釈し返す。ソレスタルビーイング側は自己紹介をしなかったが、カタロンの面々は事情をくんでくれたようだ。寛大な心で流しつつ、マリナ・イスマイールの保護を引き受けてくれた。

 彼女はアザディスタン方面の非戦闘地区にいる人物を頼るつもりだったらしいが、どうするのだろう。彼女はカタロン構成員の女性――シーリンと、旧知の中にあるらしい。しかし、顔を合わせない間に、2人の間には何とも言い難い溝ができていたようだ。

 互いの立場に関する言及を続けたマリナとシーリンの間には、微妙な空気が漂っている。戦争や戦いというものを好まないマリナからしてみれば、武力で道を切り拓こうとする選択を選んだシーリンが信じられないのだろう。

 

 

「シーリンさま、マリナさまを苛めないでください。彼女の笑顔は、こんな世の中にこそ必要なんです」

 

 

 背後から声がした。この場にいる全員の視線が、1点に集中する。

 

 そこにいたのは、ローラー付きの椅子に座って大きく足を組んだ女性がいた。黒髪をお団子にまとめ、青い瞳を持つ女性――ベルフトゥーロ・ティアエラ・シュヘンベルク。彼女を視界に捉えたクーゴたちは目を剥いた。

 ベルフトゥーロはプトレマイオスで待機する、留守番組だったはずだ。輸送船やガンダムに忍び込んでいた様子もないし、はやぶさのコックピットにだっていなかった。要約すれば、『彼女はここに居るはずがない』部類になる。

 

 

「ちょっと待て! あんた、どうしてここにいるんだ!? 留守番してたんじゃなかったのかよ!?」

 

 

 それを頭の中ではじき出し、いち早く動いたのはロックオン(ライル)であった。ベルフトゥーロは煩そうに耳をふさいでそっぽを向く。

 勢いよく椅子がぐるぐる回転した。「お前の意見など聞いちゃいないんだよ」と言いたげに、頬を膨らませる。聞き分けの悪い子どもみたいだ。

 一歩遅れて、アレルヤがロックオンの意見に同調した。どうやってここに来たのかと問われたベルフトゥーロは、回転を止めて、いい笑顔で答える。

 

 

「“飛んで”きた」

 

「はぁ!?」

 

「だから、“飛んで”きたんだってば」

 

「い、意味が分からない……!」

 

 

 ベルフトゥーロの答えに、ロックオンとアレルヤが表情を戦慄かせる。そういえば、この2名はベルフトゥーロのサイオン波が牙を向いた現場を見ていないし、サイオン波に関する能力がどれ程のものかを知らない。いや、後者はソレスタルビーイングの面々にも言えることだった。

 『ミュウ』が「外宇宙からやって来た、異なる人類の辿った異なる進化の果てにいる者」であることは知っているだろう。アロウズの部隊が水中を航行していたプトレマイオスに攻撃を仕掛けてきたことで、会話および情報は中断されてしまっていたが。

 

 飛んできた、という言葉から、『ミュウ』であるクーゴが連想したのは2つだ。1つはサイオン波を使ってこの場へ転移したこと、もう1つはサイオン波を駆使して文字通り“空を飛んで来た”かである。

 後者だった場合、あの椅子はカタロン施設内のどこからか拝借したということになるだろう。だが、彼女が座っている椅子は、カタロンの施設で使われているものではない。逆に、プトレマイオスでなら見かけたことがあった。

 そうなると、後者ではない。ベルフトゥーロは、あの椅子ごと、この場へ転移してきたのである。荒ぶる青(タイプ・ブルー)の思念波を駆使し、クーゴたちの思念を辿り、この場所を見つけて“飛んで”きたのだ。

 

 随分とまあ、アグレッシブなグラン・マ(おばあちゃん)である。エルガン代表がこめかみを抑えた理由が分かる気がして、クーゴはそっと目を逸らした。

 

 

「相変わらず、『悪の組織』の総帥さんは行動力に溢れているのですね」

 

 

 シーリンが苦笑しながら眼鏡のブリッジに手を当てた。シーリンの言葉を聞いたクラウスが、ほんの少しだけ目を見開いた。

 クラウスは何かを考えているかのように、顎へ手を当てる。ベルフトゥーロは目敏くそれに気づいたようで、鋭い視線を向けた。

 

 

「武装面での協力なんてしねぇからな」

 

 

 地の底から轟くような声だった。チンピラのような口調と獣を思わせるような眼差しが、容赦なくクラウスに突き刺さる。

 

 ばっさりと言い捨て、ベルフトゥーロは再び椅子を回転させた。クラウスがぎょっとした表情でベルフトゥーロを睨んだが、彼女は「あーあーあー、何も聞こえませーん」と言いながら、椅子を回転させる速度を倍にあげた。

 おそらく、クラウスは『悪の組織』に協力を取り付けようとしたのだろう。ガンダムの戦力を当てにしているということは、自分たちでは手の届かない技術を有する『悪の組織』の力だって欲していてもおかしくない。

 あわよくば、トップの協力を得て戦力増強をと考えていたらしいクラウスの表情が歪む。人に対しては誤魔化しが効いても、人の心や感情を機敏に察知する『ミュウ』には、彼の思考は丸わかりであった。イデアもムッとした顔でクラウスを睨む。

 

 クラウスは取り繕うように咳払いした。カタロンの構成員たちが目を逸らし、シーリンが落胆したようにため息をつく。そのとき、扉が開いた。

 無邪気な顔した子どもたちが、カタロンの構成員に纏わりついた。子どもたちの姿を見た刹那が眉をひそめる。掌が、強く握りしめられた。

 

 

「まさか……カタロンの構成員として、育てているのか……!?」

 

 

 その言葉と同時に、頭の中で誰かの記憶がリフレインする。身の丈に近い大きさの機関銃を構えた少女が、戦場の中を駆けていた。

 人が死に、人を殺し、少女は戦い続ける。――幾何かの間をおいて、クーゴは、その少女が刹那であると気がついた。

 

 ならば、今のが刹那の過去なのだろう。彼女の過去はざっくりと聞いていたが、やはり、戦争によって傷を負った人間であった。記憶の中の少女は10代の前半だったように思う。日本生まれのクーゴからしてみれば、程遠い世界のように思えた。閑話休題。

 

 

「勘違いしないで。身よりのない子どもたちを保護しているだけよ」

 

 

 間髪入れず、シーリンが厳しい表情で刹那の言葉を否定した。連邦の政策によって、あの子どもたちは皺寄せを喰らったのだという。彼らもまた、連邦の被害者なのだ。

 

 

「予算の関係上、すべての子どもたちを保護するとまではいかないが……」

 

「――逆に言えば、予算と設備が整えば、あの子たちのような子どもたちを保護することができるってことでしょうか?」

 

 

 クラウスの言葉を遮ったのは、つい数秒前まで「あーあーあー、何も聞こえませーん」と言いながら椅子を回転させ部屋の端から端に移動するという奇行を繰り返していたベルフトゥーロであった。

 彼女は丁度クラウスと向き合う位置で椅子の動きを止める。先程までいた聞き分けの悪い子どもや、チンピラ口調の獣はどこにもいない。凛とした佇まいの――それこそ、女社長という肩書がよく似合う。

 『悪の組織』は技術の提供や技術者の派遣を行っているだけではない。子どもたちの支援教育やボランティア、更には慈善事業にも力を入れている。子どものことになると、見捨てることはできなかったようだ。

 

 やる気満々で臨むベルフトゥーロの様子に、カタロン構成員やソレスタルビーイング勢が表情を引きつらせる。ギャップについていけないのだろう。彼らの気持ちはよく分かった。

 その脇で、マリナを見つけた子どもたちが彼女に纏わりつく。子どもたちにとって、マリナは憧れの存在のようだ。嬉しそうに笑う子どもたちの様子に、マリナも表情を綻ばせた。

 

 

「あれ?」

 

 

 そのうちの1人が、何かに気づいたようにベルフトゥーロの横顔を覗き込む。ベルフトゥーロもそれに気づいたのか、その子へと視線を向けた。

 

 子どもはじっとベルフトゥーロの顔を見つめていたが、ややあって、合点がいったように手を叩いた。

 他の子どもも、その様子に連鎖したように手を叩く。彼らの表情がぱっと明るくなった。

 

 

「おばさん、クサナギさんのお友達でしょう? クサナギさんがおばさんと仲良く写ってる写真、見せてもらったんだ!」

 

「前に来てた『悪の組織』の第一幹部の人が言ってた! 自慢のお母さん(マザー)なんだって! 写真も見せてもらったよ!」

 

 

 意外なところでそんな繋がりができていたらしい。誰もが目を見張る中で、ベルフトゥーロだけがニコニコ笑っていた。女性が反応しそうな単語――「おばさん」という単語にも動じない。……まあ、500歳ほどの年齢になれば、「おばちゃん」や「おばあちゃん」など、痛くもかゆくもないだろうが。

 子どもたちに人気なマリナとベルフトゥーロは、そのまま子どもたちの相手をすることにしたようだ。子どもたちに引っ張られるような形で、2人の背中が部屋の向こうへと消えていく。その背中を見送って、面々は前を向き直った。長らく脱線したが、ようやく本題に入ることにしたらしい。

 

 そうして、ソレスタルビーイングとカタロンの会談が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリロバイトを失った責任を取るような形で、リントにあった指揮権はカティへと移行した。モニターに映し出されていたアーサー・グッドマンは、深々とため息をついた。

 そんな会話を、ブシドーはぼんやりと見つめていた。最近は、目の前で何かが起きていても無感動でいることが増えたような気がする。薬漬けの弊害だろうか。

 

 唯一、激情を露わにできるときがあるとするなら、それは――。

 

 脳裏に浮かんだのは、刹那が駆るガンダムだ。そうして、クーゴが駆る、フラッグの面影を宿した機体。ブシドーが地獄の底から見上げ続けた希望だった。

 胸の奥に、鈍い痛みを覚える。息が詰まりそうになる衝動をどうにか堪えながら、ブシドーは静かに目を閉じた。今は、それを露わにするときではない。

 

 

「ああ、そういえば」

 

 

 通信を切ろうとしたグッドマンが、何かを思い出したように手を打った。彼は手元にあった資料を引っ張り出す。

 

 

「今度の作戦から、ジャーナリストが同行するそうだ。最前線で戦う軍人を取材したいと言ってな」

 

「民間人を同行させろ、と?」

 

「かいつまんで言えば、な。まあ、アロウズのイメージアップに繋がるということで、宜しく頼むよ」

 

 

 カティが何かを言い返そうとしたが、それよりも前に、グッドマンからの通信が切れるほうが早かった。民間人を同行させることに、カティは反対したいのだろう。しかし、それは上層部の決定事項で覆らないと察したようだった。

 良識派の軍人が肩身の狭い思いをする場所――それが、アロウズという名の檻である。ここに集められた良識派の軍人は、自由に飛ぶための羽と思考を奪われてしまうのだ。ブシドーは無感動の表情を崩さぬまま、漠然と考えた。

 

 深々と息を吐いたカティがブシドーへ振り返った。

 

 

「……という訳だ。今後、私の指示にも従ってもらう。宜しいな? ミスター・ブシドー」

 

「…………断固、辞退する」

 

 

 どこまでも平坦な声が出た。昔の自分が聞いたら驚くだろうな、と、ブシドーは漠然と考える。

 カティの眉間に皺が寄った。彼女の気持ちも分からなくはないが、これだけはどうしても譲れない。

 

 

「私は司令部より、独自行動の免許を与えられている。つまりはワンマンアーミー……たった1人の軍隊なのだよ」

 

「そんな勝手な……!」

 

「免許があると言った」

 

 

 勝手な行動を咎めるカティの言葉を叩き切る。彼女の隣で、リントがひっそりとほくそ笑むのが見えた。ブシドーはリントへ向けて睨み返す。お前のための行動ではないし、この意見はお前にも該当するのだと。

 まさか睨まれるとは思わなかったリントが、怯えるように身を竦ませた。釘はしっかりと刺さったらしい。それを確認した後、ブシドーは壁から背中を離した。そのままさっさと部屋を出ていこうとして、足を止める。

 

 

「もう一度、敢えて言わせてもらおう。私には独自行動の権限がある」

 

 

 ブシドーは振り返った後、確認するように言葉を紡ぐ。カティは、訳が分からないと言いたげに眉をひそめた。

 

 

「……勿論、その権限には、私の発言行為も含まれる」

 

「貴殿は、何を……」

 

「司令部からは秘匿とするようにと言われたが……私個人で、秘匿にしておくには危険すぎる情報(モノ)だと判断した。よって、指揮官である貴殿らに連絡しておく」

 

 

 ブシドーの言葉を聞いたカティとリントが目を瞬かせた。

 アロウズの情報体制のせいで、指揮官でもまともに情報が入ってこないのだ。

 

 部隊によって、入ってくる任務の内容や情報も全く違う。「治安維持任務だと思って取り組んでいた任務が、実質的にはただの虐殺だった」――なんていう話は、よくあることだった。

 

 幸か不幸か、その事実を知ってしまう人間もいる。知っていて協力し続ける者、知ったが故にアロウズに反旗を翻し反政府組織へ鞍替えする者、すべてから逃げ出すためにアロウズを辞める者など、対応の仕方は様々だ。最悪の場合だと、知ったが故に口封じされたり、ブシドーのように薬漬け等の手段によって傀儡にされることもある。閑話休題。

 

 

「――“1つ目の天使たち”も、次の作戦に参加する」

 

「!」

 

「この情報をどう使うかは、貴殿らに任せよう。……有効に活用してくれることを、願うばかりだ」

 

 

 今度こそ、ブシドーは部屋を出た。

 

 先程の戦闘で、2人はあの天使を――センチュリオシリーズの機体を目にしている。そうして、2人を含んだアロウズの面々は、あの天使によってガンダム諸共消し飛ばされそうになった。一応助かったものの、次も助かるとは限らない。

 センチュリオに搭乗する海月、厚陽、星輝が参加するということは、またあの広範囲兵器が使用される可能性があるということだ。部屋を出る間際、カティが戦慄し、リントが何とも言い難い表情を浮かべていた。

 次の作戦は、どうなるだろうか。ブシドーはぼんやりと空を見上げた。嘗て、仲間たちと一緒に飛びまわった、美しい空だ。太陽の光はどこまでも眩しい。青はどこまでも深く、目に突き刺さってきそうだ。

 

 

虚憶(きょおく)で出会った人たちがいてさ。……その人が言ってたんだ、『空で待ってる』って』

 

 

 クーゴがそう言って笑っていたことを、思い出す。彼は、「待っていると言った相手に会えた」と笑っていた。

 自分も、それにあやかりたいものだ。『還りたい』と願う場所に『還れない』代わりに、目指す場所へたどり着けたなら。

 

 ブシドーは静かに目を閉じた。少女の後ろ姿が『視える』。振り返った少女の口元は――どんな形を、描いていたのだろうか。それを知る前に、彼女の顔は闇へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタロンの拠点内部を当てもなく歩き回っていたとき、刹那の後ろ姿を見つけた。彼女の視線は、部屋の中へと向けられている。

 部屋の内装は、外から見ても「子ども用の遊ぶ部屋」だとすぐにわかる作りになっていた。中では、マリナとベルフトゥーロが子どもたちと遊んでいる。

 楽しそうに笑う子どもたちを見つめる刹那の目は、何かを諦めているかのように見える。――その眼差しは、どこかで見たことがあった。

 

 『還れない』覚悟を固めた、人の目だ。

 刹那もまた、ミスター・ブシドーと同じ瞳をしている。

 

 

「キミも、諦めたような目をしているんだな」

 

 

 クーゴの言葉に、刹那は振り返った。彼女は静かな目でクーゴを見返したが、居心地悪そうに視線を逸らす。

 

 

「俺は二度と、あの中に入ることはできない」

 

「キミを見ている限り、俺はそうとは思えない。思わないよ。――キミとグラハムは、あんなにも幸せそうだったのに」

 

 

 クーゴは刹那をまっすぐ見返した。こうして見ると、刹那だって、どこにでもいる普通の女性と変わりない。ただ、歩んできた道が過酷だったが故に――人一倍優しかったが故に、茨の道を選択することしかできないでいる。それが己の償いなのだと信じているのだ。

 だから、茨の道のほかに存在する道を選べない。選ぼうとする自分を赦せない。そんな道があるという事実に、見ないふりをしている。その頑なさは、現在のブシドーと似通ったものがあった。そう考えると、クーゴは何とも言えない気持ちになる。

 

 刹那はバツが悪そうに俯いた。無言の時間がしばらく続いたが、意を決したようにして彼女は言葉を紡ぐ。

 

 

「俺には、そんな資格はなかったんだ。……それでもあいつは、俺を選んだ」

 

 

 彼女の手は、パイロットスーツの襟元を握り締めた。金属が擦れる音が響き、天使が刻まれたシェルカメオが姿を現す。グラハムが刹那へ贈ったものだ。

 刹那は愛おしげにシェルカメオを握り締める。気のせいか、青い光が舞いあがったように見えた。サイオン波を発現させたときに発生する光と、どことなく似ている。

 その輝きは、晴天の空を連想させるような晴れやかな光であった。グラハム・エーカーが愛してやまない色である。何とも言えない懐かしさが去来した。

 

 

「だから、あいつを幸せにしてやりたかった」

 

 

 刹那は噛みしめるように言葉を紡いで、シェルカメオを再度握り締めた。

 

 クーゴの頭の中で、ノイズだらけの映像がフラッシュバックした。屈託のない笑みを浮かべる、金髪碧眼の男性の姿だ。金色の髪は太陽に照らされて輝き、眩いばかりの光を宿した翠緑の双瞼は、ただ真っ直ぐに刹那だけを見ている。

 なんて、蕩けたように笑うのだろう。幸せそうに笑うのだろう。目に眩しいだけでなく、仲間内に対する笑みとは一線を画していた。仲間へ対する笑みが明るさや不敵さを全面的に押し出したようなものならば、刹那に対してのそれは、愛しさを惜しみなく滲ませていた。

 

 間違いない。あの金髪の男は、グラハム・エーカーその人だ。

 それを確認したクーゴは、思わず噴き出した。刹那が怪訝そうに眉をひそめる。

 すまない、と謝った後、クーゴはむずがゆさを堪えながら笑った。

 

 

「充分、幸せそうに笑ってるじゃないか。あいつのあんな顔、見たことないぞ」

 

「そんなことはない。俺はいつも、あの男から貰ってばかりだった」

 

 

 彼女の口元が、かすかに戦慄く。刹那にとって、グラハムはとても大切な相手だったようだ。

 恋人同士というのも、それらしきことを言葉にしなかっただけであって、実質的にはちゃんと結ばれていたのである。

 

 グラハムも、刹那も、互いのことを大切にしていた。おそらく、今この瞬間も、2人はお互いのことに思いを馳せているのだろう。なんとなく、クーゴはそう思った。

 

 

「あんたは、あいつに何があったかを、知っているんだな」

 

「……ああ」

 

 

 刹那の問いに、クーゴは小さく頷いた。

 

 こちらを見つめる赤銅の瞳は問いかける。

 「あいつに何があったのか、教えてくれ」と。

 

 クーゴはわざと勿体ぶるように顎に手を当てて、呟いた。

 

 

「1つだけ、条件がある」

 

「条件?」

 

「――あのバカを連れもどすの、手伝ってくれ」

 

 

 愛情を込めて、クーゴは親友をバカと呼んだ。

 刹那も納得したように、ゆるりと目を細める。

 

 クーゴの脳裏に浮かんだのは、『還れない』覚悟を固めたブシドーの横顔だった。地獄の底から希望を見出したように、彼は目を細める。万感の思いを抱えて、ブシドーは破滅への道を突き進もうとしていた。

 いつか見た虚憶(きょおく)で見た満面の笑みを/すべてが始まる前に、そうして終わる前に見せた満面の笑みを、もう一度グラハムが浮かべられるようにするためにも、刹那の力は必要不可欠になる。

 グラハム/ブシドーにとって、刹那・F・セイエイとガンダムは、希望そのものなのだ。彼が生きる理由にして、彼が目指す道の果てにいるであろう相手。傍迷惑な奴め、と、クーゴは苦笑した。

 

 

「あいつ、バカだからさ。多分、自分がどうなろうと、キミを追いかけ続けるんだと思う。……あいつの目指す終着点(ばしょ)には、確実に、キミがいるはずなんだ」

 

 

 だから、と、クーゴは言葉を続けた。

 

 

「あいつをとっ捕まえて、言ってやってほしい。『『還って』来い』って。『お前の『還る』場所は、ちゃんとここにあるぞ』って」

 

「当たり前だ」

 

 

 刹那は間髪入れずに答えた。赤銅色の瞳には、強い決意が宿っている。

 

 

「俺は、あの男に生きろと言ったんだ。生きてくれと。……だから、死ぬなんて真似はさせない。死ぬために生きるなんて、絶対に許さない」

 

 

 気のせいか、刹那の口元が緩く弧を描いた。凛とした空気は変わらないけれど、ほんの少しだけ、柔らかい気配を感じる。

 彼女が真顔になったのを確認して、クーゴはようやく、あれが刹那の微笑みだったのだと気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端末の情報を見つめ、蒼海は笑みを深くする。

 

 

「――さあ、狩りの時間よ」

 

 

 蒼海の言葉に反応するかのように、画面に映像が表示された。

 3体の天使が飛び立っていく。――獲物である、カタロンの支部へと向かって。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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14.いろんな意味でのカタロン壊滅

 そこに乙女がいた。

 

 アンドレイの思考回路はそれだけに支配されていた。

 目の前には、大嫌いな季節に出会った麗しい乙女が、アンドレイに対して微笑みかけている。

 

 

「今回、アロウズの前線を密着取材させて頂くことになった、絹江・クロスロードです。お久しぶりですね」

 

「は、はい! 本当に、お久しぶりです」

 

 

 麗しき乙女――絹江が会釈した。彼女は自分を覚えていてくれたのだ。アンドレイもそれに続いて頭を下げる。絹江の立ち振る舞いは洗練されていて、けれどどこかエキゾチックな雰囲気を漂わせていた。例えるなら、そう、大和撫子。

 アンドレイは日本文化に詳しくはない。ただ、この艦にいる侍かぶれによる日本文化講習が(嫌でも)耳に入ってくるせいで齧らされた程度である。しかし、そのおかげで、アンドレイの頭の中では美しい着物を着た絹江の姿が想像されていた。

 着物の柄についても、侍かぶれのライセンサーによる日本文化講習で齧っている。どの柄物も素晴らしかったが、アンドレイは百合の花が気に入っていた。ちなみに、今、自分の頭の中にいる絹江が身に纏っている着物の柄も百合である。

 

 どの着物も素晴らしいのだが、特に、緑系の色が良く似合っていた。

 アンドレイは頭の片隅で、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

 しかし、世の中は、いいことだらけではないらしい。アンドレイの思考回路に水を差すが如く、青年たちの声が響いた。

 

 

「あ、あのう……」

 

「すみません、僕たちもいるんですけど……」

 

 

 声の方向にいたのは、大嫌いな季節に出会った絹江の傍にいた青年2人――シロエとマツカである。

 前者は絹江と同じジャーナリストであり、後者は研究者である。どうしてこの組み合わせなのか。

 

 有頂天気味だったアンドレイの頭は一瞬で冷めた。例えるなら、常夏の島から南極大陸に放り出されてしまったかのような体感気温、および心境である。

 

 あくまでも、それは、アンドレイ個人の心である。今、アンドレイは軍人だ。母と同じ、市民を守るためにここに立っている。個人的な感情を表に出すことは憚られた。

 歪みかけた自分の口元を無理矢理戻しつつ、アンドレイは民間人、もといジャーナリストたちを連れて、艦内を案内することにした。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「…………」

 

 

 端末に映し出された任務を確認し、アンドレイは目を伏せた。『オートマトンをキルモードで使用する』ということが何を意味しているのかなんて明白だからである。

 アンドレイはちらりと背後を伺い見た。絹江たちジャーナリスト3人組は、戦艦内の談話スペースに座って話し込んでいる。本部からの連絡だと言って、距離を取っていて本当によかった。

 作戦内容には守秘義務がある。当然、ジャーナリストたちに作戦の全貌を話すというのは言語道断だ。それ以上に、このことを知った絹江がどんなことをするか、分かったものではない。

 

 作戦内容の下部の方に、絹江たちへ流す用の情報が書かれていた。どこからどう見ても、『過激的な活動を行う反政府組織の鎮圧』である。勿論、「オートマトンをキルモードで投入する」なんて話は、完全に秘匿とされていた。

 更に情報を確認すれば、『もし、ジャーナリストたちが深入りしそうになったら適宜処理を行え』とあった。つまり、アンドレイは実質的な“3人の監視役”として、アロウズの闇を覆い隠せということである。

 

 

(絹江さん)

 

 

 アンドレイは強く手を握り締めた。凛とした笑みを浮かべた絹江の姿が脳裏にちらつく。自分は、彼女を手にかける日がきてしまうのだろうか。

 

 軍人としての任務の中で、もしかしたら、親友や恩人、血縁者または配偶者、および恋人を見捨て/手にかけねばならなくなる――なんてことは、よくあることだ。軍人としての務めを果たすために、アンドレイの母を見殺しにした男のことはよく知っている。

 しかも、そいつはアンドレイのことを放置した上に、よりにもよって“アンドレイと同年代の女性”――ソーマ・ピーリスを養子として迎え入れようとしているのだ。彼女をアンドレイの代替えにすることで、自身の心を慰めようとでもしているのだろうか。

 

 なんて裏切りだ。アンドレイは強く拳を握り締めた。ピーリスは、父――セルゲイをとてもよく慕っている。奴の行動は、彼女にとっても失礼なことではないのか。

 母を見殺しにしたときからつくづく思っていたのだが、セルゲイが何を考えているのか分からない。いや、あんな奴のことなど、分かりたくもなかった。

 セルゲイに背を向けて家を飛び出してから、アンドレイはずっと、父親を見ようとは思わない。奴の言葉を聞こうとすら思わなかった。

 

 

「スミルノフ少尉、大丈夫ですか?」

 

 

 不意に、絹江の声が間近で響いた。目を瞬かせれば、彼女の憂い顔が間近に迫っている。

 乙女とは、憂い顔すら絵になるらしい。アンドレイはそれを深く思い知った。

 

 

「あ、ああ、平気です」

 

「……本当にですか?」

 

「はい」

 

 

 ぎこちない会話のキャッチボールを繰り返した後、絹江は眉に皺を寄せて周囲を見回す。談話スペースで情報を纏めているシロエとマツカも、どこか険しい面持ちでいた。

 絹江はどうしたのだろう。アンドレイが彼女の様子を疑問に思ったのと、絹江がアンドレイを見返したのはほぼ同時だった。彼女の口が動く。

 

 

「作戦が、始まるんですね」

 

「!!」

 

 

 確証を持った物言いに、アンドレイは思わず目を剥いた。

 

 

「どうしてそれを……!」

 

「やっぱりそうなんですね!」

 

 

 合点がいったように絹江が食いつく。彼女の物言いは、鎌をかけたような感じだった。

 目を見張って唖然とするアンドレイに対し、絹江は顔の影を深くさせながら、表情を曇らせる。

 

 

「艦内がざわめき始めたような気がしていたから、もしかして……と思ったのですが」

 

「……守秘義務があるため詳しくはお答えできませんが、作戦が行われることは確かです」

 

 

 絹江は不安そうに周囲を見回していた。アンドレイは彼女の不安を和らげようと、勤めて笑みを浮かべてみせる。なるべく声に力強さを出して、言葉を紡いだ。

 

 

「けれど、大丈夫です。貴女が心配するには及びません。私は作戦に参加するのでここには居られませんが、他の方々の指示に従って、待機していてください」

 

 

 アンドレイは真っ直ぐ絹江を見つめた。ヘイゼルの瞳が静かにアンドレイを映し出している。

 

 

「……分かりました。スミルノフ少尉も、お気を付けて」

 

 

 幾何かの沈黙の後、絹江は頷き返した。ご武運を、と、淡く色づいた唇が言葉を紡ぐ。アンドレイは迷うことなく返事を返した。それを聞いた絹江は、ふわりと微笑んだ。

 乙女の微笑みは眩しい。アンドレイは人知れず、目を細めてそんなことを考えた。胸の奥底に、甘美なときめきが広がった。今なら、いくらでも武勲を挙げられそうな気がした。

 絹江に背を向け、アンドレイは着替えに向かった。部屋に入り、パイロットスーツに着替える。乙女の微笑の余韻に浸りながら格納庫へ足を踏み入れれば、ピーリスが憂い顔でアヘッドを見つめていた。

 

 どうかしたのだろうか。アンドレイが声をかける前に、ピーリスは独白のように言葉をこぼした。

 

 

「このような作戦が……。大佐が転属に反対した理由が、ようやく分かった」

 

 

 セルゲイがピーリスの転属を反対していた――その言葉に、アンドレイの胸の奥がざわめいた。幼い頃から蓋をしてきた怨嗟の感情が声を上げ始める。

 アンドレイがアロウズにいることに関しては何も言わなかったくせに、どうしてピーリスのことには口を出したのだろう。どうして、ピーリスを心配したのだろう。

 

 湧き上がってきた感情の正体がちらつき始める。『それ』を認めるには、アンドレイにとって癪なことだった。すべてを切って捨てるかのごとく、アンドレイはピーリスの元へと足を踏み出した。

 

 

「中尉は誤解しています。スミルノフ大佐は……任務のためなら、肉親すら見捨てられる男ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふたりのこの手が真っ赤に燃える!」

「幸せ掴めと轟き叫ぶ!」

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 うら若き青年と乙女は手を取り合う。彼らの目には一切の迷いがない。2人の手が真っ赤に燃える。生きて幸せ掴むと轟き唸る。夫婦は同じ場所を見て、同じ未来を見ているのだ。クーゴにはその姿がはっきりと『視えた』。

 

 次の瞬間、シャトルの内側から凄まじい光とエネルギーが発生した。それらが収まったのと同時に、シャトル内部に送り込んだオートマトンの反応はすべて沈黙している。

 シャアもゼクスもブシドーも、その他の部下たちも、誰も何も言わなかった。クーゴも何も言えぬまま、眼前に広がる現象を眺めていた。沈黙が痛い。

 似たような光景を、クーゴは間近で目にしたことがある。そのときは平和な観光地で、夫婦と対峙していた若い恋人たちが撃っていた。

 

 現在、その恋人たちは様々な悲劇を乗り越えた果てに、『悪の組織』に所属する技術者として、おしどり夫婦となっていた。

 件の夫婦は、エクシアの後継機をコネクト・フォースに届けるため、シャトルに搭乗している。

 

 

「いくよルイス!」

「いくわよ沙慈!」

 

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 今度はシャトルの前方から、凄まじいエネルギー砲が撃ち放たれた。慌てて総員散開の指示を出したが、回避が遅れたザクとゲルググが吹き飛んだ。

 どの機体も大破はしていないが、戦闘続行は不可能だろう。部下たちが動揺する声が『聞こえて』くる。その中で、クーゴは深々とため息をついた。

 

 

「……だから、やめとけって言ったのに」

 

 

 『エクシアの後継機を奪取せよ』という任務を自分たちに与えた上層部の人間が、クーゴの頭によぎった。彼らはクーゴの進言を聞かず、この作戦にGoサインを出したのである。……まあ、その理由を「勘」としか言えなかったクーゴも悪いのかもしれないが。

 沙慈・クロスロードとルイス・クロスロード。この名前を見たときに感じた悪寒の正体は、これだったのだ。今ならば、「エクシアの後継機を乗せたシャトルを襲ってはいけない」理由を事細かに説明できるのに。そんなことを思っても、もう後の祭りであった。

 オルトロス隊の中に動揺が走る。輸送船に護衛役がついていなかったのは、夫婦が『石破ラブラブ天驚拳』の使い手だからだろう。あの攻撃は、使い手の技量およびサイオン波によるブースト効果によっては一騎当千の破壊力と化す。

 

 ――丁度、今みたいに。

 

 

「なんだあれは」

 

 

 幾何かの間をおいて、シャアが弱々しい声で問いかけた。

 彼の言葉を皮切りに、ゼクスも同じようにして呟く。

 

 

「なんだあれは」

 

 

 精神状態が崖っぷちなシャアとゼクスの問いかけに反応したのはは、凍り付いていた空気から復活を果たしたブシドーであった。クーゴが説明する間もなく、ブシドーが声を上げる。

 

 

「あれは……!」

 

「知っているのかミスター・ブシドー!?」

 

「石破ラブラブ天驚拳だ。日本では“真の愛で結ばれたカップル、および夫婦のみが放てる”とされる、伝説の奥義……!」

 

「なんと……!」

「あれが、伝説の奥義……」

 

「…………俺は突っ込まんぞ。もう、何も突っ込まんからな」

 

 

 ブシドーの説明を受けたシャアとゼクスが戦慄する。以前のクーゴならこの説明に突っ込みを入れたのだろうが、クーゴは日本を離れて久しい身である。日本の観光地で初めて『石破ラブラブ天驚拳』を見たときもそうだった。

 久々に日本に帰って来たら、いつの間にやら日本文化に『石破ラブラブ天驚拳』が増えていた。その説明をグラハムから聞き、否定しようとしたら実物が目の前に現れた――そのときのクーゴの気持ちなんて、きっと誰もわからないだろう。

 

 

「――…………私も、撃ってみたかったなぁ」

 

 

 ややあって、ブシドーはぽつりと呟いた。今にも泣き出してしまいそうな横顔が『視えた』気がして、クーゴは何とも言えない気持ちになる。

 ブシドー/グラハムは、連邦の闇から命からがら逃れた後――蒼海の支配から逃れた今も、その眼差しは刹那だけを見つめていた。

 彼が抱える想いを察したのか、シャアとゼクスも俯く。女性関係が大炎上気味の2人(特にシャア)だが、だからこそ、ブシドーのことが心配なのかもしれない。

 

 元々、ブシドーは刹那のガンダム――エクシアの後継機を奪うという任務には乗り気ではなかった。納得だってしていない。しかし、ジオン優勢の講和条約を結ぶための戦力として、ガンダムが注目されていることは理解している。だから、彼は何も言わなかった。

 

 「自分は我慢弱い」と豪語するという言動からして、ブシドー/グラハムは自分勝手な男だと思われやすい。だが、彼は良識派の軍人であり、優先順位はきちんと心得ている。そうでなければ、ブシドーはこの戦場にいない。

 どこか諦めたように微笑むブシドーは、迷いを振り払うように目を閉じた。再び目を開けた彼の双瞼には、爛々とした光が宿る。彼の口元が不敵に微笑んだ。何か、強い確証を持ったかのように。

 

 

「――来る」

 

 

 嬉しそうに、ブシドーの口元が緩んだ。

 

 

「ゼクス特尉!」

 

「どうしたのだ?」

 

「こちらに急速に接近する熱源を補足しました! おそらく、コネクト・フォースかと!」

 

 

 間髪入れず、部下たちから連絡が入った。

 

 

「フハハハッ! そうこなくてはな!」

 

 

 ブシドーはそれを予期していたのだろう。刹那を求めてやまぬ彼の表情が、久々に恋人と逢瀬をするように見えたのは気のせいではない。

 ……まあ、実際に、ブシドー/グラハムと刹那の関係はそういうものなのだが。クーゴは遠い目をしながら苦笑した。本当に、しょうがない奴だ。

 

 彼の言葉を肯定するかのように、ガンダムたちが姿を現した。エクシア、ウィングゼロ、スターゲイザー-アルマロス、エグザート――コネクト・フォースの先遣部隊だろう。

 

 

「間に合ったか」

 

 

 刹那が表情を緩めた姿が『視えた』。エクシアの隣には、当たり前のようにウィングゼロとスターゲイザー-アルマロスが陣取っている。

 それを目にしたブシドーが、悲しそうに目を伏せたように見えたのは気のせいではない。代わりに、ゼクスがムッとしたように口元を結んだ。

 ヒイロとリリーナの関係について文句を言うゼクスであるが、何かあっても何もなくても怒りを爆発させる。そういう意味では、彼も難儀な人であった。

 

 ゼクスの怒りは、リリーナを放置して同僚(ブシドー)の恋人――刹那と良い仲になっているヒイロに向けられていた。残念ながら、ヒイロ本人は恋愛に疎めな部分があるため、なかなか進展しないようだ。

 最も、ゼクスは「リリーナに手を出したら、今度開発される新型を駆って強襲しに行く」と豪語している。妹の幸せを応援したいのか邪魔したいのかよく分からない。リリーナの恋愛も大変そうであった。閑話休題。

 

 

「刹那!」

「来てくれたのねっ!」

 

 

 沙慈とルイスが嬉しそうに手を振ったのが『視えた』。

 

 彼らを横目にしつつ、オルトロス隊とコネクト・フォースたちは交渉を始める。しかし、結局のところ、交渉は決裂した。

 オルトロス隊およびジオンは連邦側に近いコネクト・フォースを完全に信じている訳ではない。故に、彼らの指揮下に入ることを拒んだのだ。

 

 ブシドーやゼクスは連邦の闇によってダメージを受けた人間である。特にブシドーは、連邦の後ろ盾の1人である蒼海によって、文字通りの傀儡にされていた時期があった。

 連邦の闇をどうにかできないなら、コネクト・フォースと共に戦うことは不可能だ。かくいうクーゴも、連邦の後ろ盾云々の懸念については同意する。

 下手をすれば、自分たちの情報が流れて大惨事になりかねない。不気味な笑みを浮かべる蒼海の姿を振り払いながら、クーゴは深々と息を吐いたのだった。 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「ふたりのこの手が真っ赤に燃える!」

「悪を赦すなと轟き叫ぶ!」

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 うら若き青年と乙女は手を取り合う。彼らの目には一切の迷いがない。2人の手が真っ赤に燃える。虐殺など赦さないと轟き唸る。夫婦は同じ場所を見て、同じ想いを抱いているのだ。

 次の瞬間、凄まじい衝撃波と光が発生し、何もかもを吹き飛ばした。辺りには、粉々に砕け散ったオートマトンの残骸が転がっている。これ、本当に殺傷兵器だったのだろうか?

 

 いや、それよりも。

 

 

「……なんだあれは」

 

 

 クーゴの疑問を代弁するかのように、ロックオン(ライル)が抑揚のない声で呟いた。

 それも問題かもしれないが、そちらは重要度は低い。もっと大きな問題があるからだ。

 

 

「なんであの2人がここにいるの!?」

 

「あの2人は、プトレマイオスにいたはずではなかったのか!?」

 

 

 ロックオンに続いて、アレルヤとティエリアが驚愕の声を上げた。

 

 そう、問題はこっちである。あの夫婦は、プトレマイオスに残っていたはずだったのだ。カタロンとの会談を終えた後、クーゴたちと一緒に戻ってきたはずなのに。

 プトレマイオスはこの場に来ていない。ガンダムを先行させたためだ。このカタロン支部に到着するとしたら、丁度夕方頃だろう。

 

 

「まさか、サイオン波を駆使して転移したってのか……?」

 

「サイオン波ってのは、そんなことまでできるのか!?」

 

「ば、万能にも程がある……!」

 

 

 クーゴの言葉に、ソレスタルビーイングのクルーたちが目を剥いた。サイオン波の力が、数キロ先の目標地点に一瞬で転移できるものだと知ったためだろう。

 最初からそれを知っていた『悪の組織』勢は、当たり前のことを確認するように首を傾げている。そっと視線を逸らした例外は、クーゴだけのようだった。閑話休題。

 

 カタロン中東支部がアロウズに発見されたということで、ソレスタルビーイングは彼らの救援に駆けつけたのだ。しかし、眼前に広がる光景は、自分たちの予想していた地獄絵図とは大きく異なっていた。……大惨事であることは変わりないのだが。

 目の前で石破ラブラブ天驚拳無双を繰り広げるクロスロード夫婦の姿は、文字通り圧倒的であった。2人は石破ラブラブ天驚拳で次々とオートマトンを粉砕していく。京都で見た恋人たちを彷彿とさせる光景であったが、威力はあの恋人たちを軽く超えていた。

 クロスロード夫婦の奮闘により、カタロンの構成員たちは我先にと逃げ出していく。気のせいでなければ、「リア充怖い」という心の声が四方八方から響いてきたように思った。カタロンは1人身が多い、という言葉が脳裏をよぎったのは何故だろう。

 

 アロウズの部隊は散開し、カタロンの旧式MSを次々と屠っていく。アヘッドやジンクスは、赤子の手をひねるかのように基地やMSを吹き飛ばしていった。オートマトンが使えないなら、MSで直接攻撃をすることにしたようだ。

 

 その中で、特別改造の施されたアヘッドの動きが鈍い。搭乗しているパイロットの女性の思念がクーゴの中に流れ込んできた。彼女はこの作戦に乗り気ではない。アロウズの作戦が文字通りの虐殺であることを知っていて、困惑しているらしい。

 オートマトンを破壊し尽くしたクロスロード夫妻は、自分たちの元へ突っ込んできたMSたちを睨みつけた。2人は迷うことなく拳を構え、ジンクスやアヘッドたちに向き直る。2人の拳が光に包まれた。沙慈の体が赤く輝く! 思念増幅師(タイプ・レッド)の力だ。

 

 

「いくよルイス!」

「いくわよ沙慈!」

 

「せきぃっ!」「はっ!」

「ラァァァッブラブゥゥゥッ! 天っ驚ぉぉぉ拳っっっ!!」

 

 

 虹色の光と衝撃波が発生した。その様は、セラヴィーの砲撃と大差ない。(勿論ガンダムよりは劣るが)ジンクスを一撃で戦闘不能にする威力があった。

 その様を間近で目撃したティエリアが、あんぐりと口を開けた。眉間に深いしわが刻まれ、眉の根元がぴくぴく震えている。

 

 

「石破ラブラブ天驚拳。日本では“真の愛で結ばれたカップル、および夫婦のみが放てる”とされる、伝説の奥義……」

 

 

 どこかで聞いたことのある説明文だった。昔のクーゴが聞いていたら、真っ先に否定しただろう。しかし、クーゴは京都でその使い手たちを間近で目撃している。

 今でもあれは間違いだと信じたいのだが、クーゴは日本を離れて久しい身だ。自分が知らないうちに、新しい文化が生み出されていてもおかしくない。

 故に、今のクーゴがその真偽を論じることはできなかった。だから、クーゴはティエリアの言葉に突っ込みを入れる資格は存在していないのだ。

 

 ティエリアはぶつぶつと、石破ラブラブ天驚拳の説明を繰り返し続けた。――そうして、彼は、吼えた。

 

 

「何なんだ、あれは!? いったいどういう原理だ!? 何をどうすれば、連邦の機体が一撃で戦闘不能になるほどの威力になるんだ!?」

 

 

 ごもっともである。すべて、サイオン波という力のせいなのだ。

 大パニック一歩手前のティエリアに、イデアはいい笑顔で言った。

 

 

「あれこそ、サイオン波によってブーストされた一撃――いわば、愛の力!」

 

「愛ィ!?」

 

「いいなあ2人とも。私も、あの人と一緒に撃ちたいなぁ」

 

 

 イデアはうっとりとした口調で、石破ラブラブ天驚拳の光を眺める。夫婦による愛の力は、また別のジンクスのカメラアイを吹き飛ばした。

 カタロンもアロウズも混乱しているようで、様々な思念が飛び交っていた。……彼らの気持ちは、分からなくない。かくいうこちらも困惑している。

 

 

「もう2人だけでいいんじゃないかな」

 

 

 アレルヤが抑揚のない声でそう言った。偶然『視えた』彼の顔は、完全に白目を剥いていた。時折、「いいなぁ。僕もマリーとああなりたい」なんて思念が漏れるのは気のせいであろう。

 そうあってほしいと強く願ったのは何故なのか、クーゴは全然わからなかった。脳裏に、クロスロード夫妻やグラハムと刹那らとよく似たような男女が石破ラブラブ天驚拳を撃つ図が『視えた』ような気がする。

 男女の足元には、「もう勘弁してください」と泣き叫ぶ者たちがいた。彼らはみんな1人身だった。エイフマンやトリニティ兄妹の兄たち、ラッセやスメラギ、マリナとよく似た人もいる。エルガンなんて、泡を吹いたっきりピクリとも動かない。

 

 

『もう嫌だ。劣等種もリア充も、大嫌いだ……』

 

 

 銀色の髪を長く伸ばした男性が白目を剥いて呟いた。かすかに見えた瞳が金色に輝いたような気がしたが、それを確認する間もなく彼は失神してしまった。

 

 正直、連想するだけで頭の痛い光景だ。

 クーゴは思わず首を振る。

 

 ――そのとき、それらとは一線を画す思念が流れた。

 

 

『――…………私も、撃ってみたかったなぁ』

 

 

 悲痛な声だった。クーゴが顔を上げれば、武者のような佇まいのアヘッドが隊列の中にいる。

 あの機体に乗っているのはブシドー/グラハムだ。クーゴは反射的に彼の名を呼んだが、反応はない。

 

 ややあって、武者のような佇まいをしたアヘッドが隊列から離れた。別のジンクスに搭乗しているパイロットがブシドーを呼び止めるが、彼は「興が乗らん」とだけ言い残し、空の彼方へと進路を取った。

 武者のアヘッドが向かった方角の先には、アザディスタンの旧クルジス領土地区がある。つい数時間前に、マリナと刹那が向かった方角だ。あのままアヘッドが飛び続ければ、刹那と鉢合わせる可能性だってある。

 『ブシドー/グラハムを一本釣りできる大きな餌』――ベルフトゥーロの例えは酷かったが、言っていることは何も間違っていない。その事実に、クーゴは天を仰ぎそうになった。それだけ、彼は刹那を求めているのだ。

 

 

「すまない。俺は、あの機体を追いかける!!」

 

 

 武者のようなアヘッドの背を追いかけようとしたとき、はやぶさのカメラアイは『何か』を捕らえた。前回の戦いで見かけた『天使の面した悪魔』たちが、徒党を組んでやって来たのである。

 

 

「げ……!」

 

「最悪……!」

 

 

 思わず、クーゴとイデアは悪態をついた。

 

 アロウズとの交戦で見かけたモノアイの天使は3機がMSで、あとは下位互換機のMDで組まれた複数の小隊を連れていた。今回も同じ面々であるが、数が多い。

 そのタイミングを予期していたかのように、アヘッドやジンクスがその場から逃れようと背を向けた。しかし、悪魔たちはお構いなしに布陣を組み始めた。

 奴らの羽が白く輝き始めた。指揮官機である3機は同時に、以前使った広範囲攻撃を打ち放とうとしている。友軍も敵軍も関係なく、カタロンの基地ごと消し飛ばすつもりらしい。

 

 ガンダムたち、およびはやぶさは、それを止めるために即座に方向転換した。

 悪魔たちに攻撃を仕掛けようと武装を展開するが、それらを阻むかのようにMDたちが躍り出る。

 

 

「クーゴさん!」

 

「了解!」

 

 

 MDの欠陥を、『ミュウ』である自分たちはよく知っている。クーゴとイデアは顔を見合わせて頷き合うと、即座にサイオン波を展開した。そのシグナルを受け取ったMDは動きを止め、はやぶさとスターゲイザー-アルマロスへと殺到してきた!

 S.D体制の系譜を継ぐ技術によって生み出されたのがMDである。OSには、『ミュウ』因子を持つ者や『ミュウ』に覚醒した個体を優先的に狙うよう設定されていた。それを利用すれば、奴らの動きを自分たちに殺到させることができる。

 タクマラカン砂漠で、イデアがオーバーフラッグス部隊を守るためにやったことだ。要するに、囮役である。砂糖に群がる蟻のように、MD部隊ははやぶさとスターゲイザー-アルマロスに襲い掛かってくる。それらすべてを迎撃した。

 

 その端で、セラヴィーのバズーカが/変形したアリオスの鋏が/ケルディムのスナイパーライフルが唸りを上げる。たまらず、天使たちは陣形を解いた。

 

 

『――ちぇ。しょうがないや』

 

 

 子どもが、面倒くさそうに呟いた。次の瞬間、はやぶさとスターゲイザー-アルマロスに殺到していたMDが動きを止める。

 モノアイの瞳が青く光ったと思ったとき、奴らは突然この場一体に散開した。何の布陣も組まず、無作為に、天使たちは空を舞う。

 

 アロウズの機体も、カタロンの機体も、ガンダムたちも、彼らの動きが何を意味しているのか全く理解できない。クーゴが訝しげに眉をひそめたとき、背中に凄まじい悪寒が走った。

 その予感を肯定するかのように、天使の羽が白く輝き始める。奴らが広範囲攻撃を放つ際に見せる前兆だ。しかも、この場にいる天使たち、すべての羽が白く光り輝いているではないか。

 

 

「この数値……地上および空中の、半径数キロから数十キロ範囲が焦土と化すです!」

 

「何ですって!?」

 

「あのときの武装と、ほぼ同じ範囲と威力じゃないか!!」

 

 

 ミレイナの声に、フェルトとラッセが表情を戦慄かせた。ミレイナは分析結果を仲間たちに伝える。

 

 

「1機1機の攻撃範囲は、以前の戦いで見た広範囲攻撃にはおよばないです! ですが、これだけのMSおよびMDが、この場で同時に攻撃技を使うと……!」

 

「なんてこった……!」

 

 

 ミレイナの分析結果を聞いたリヒテンダールが弱々しい声を出した。面々は、最悪の結果を頭に思い浮かべる。文字通り、この場が何も残さず消え去る光景が広がっていた。

 今から迎撃しようにも、ジンクスやアヘッドの小隊より倍の数で徒党を組んだMSおよびMDを撃墜することは不可能だ。仮に一部を撃墜できたとしても効果は薄い。

 時間切れによって、数の暴力による広範囲攻撃に晒されるためである。指揮官機たちを叩けば動きを止められそうだが、そこに至るまでの道程は、MDたちがひしめいていた。

 

 それでも、やるしかない。

 自分たちの決意を示すように、6機は各々の獲物を構えて飛び出した。

 

 アロウズの機体が次々とこの場を離脱し始める。その中で、アロウズの作戦に乗り気ではなかった女性の搭乗する機体がぽつんと取り残されていた。特別な改造が施されたアヘッドだ。あの機体には戦意らしきものはない。動揺によって塗り潰されてしまっている。あの様子なら、後回しにしても問題ないだろう。

 

 はやぶさのガーベラストレートが/スターゲイザー-アルマロスのブレードが/セラヴィーのバズーカが/変形したアリオスの鋏が/ケルディムのスナイパーライフルが唸りを上げる。それらは天使の群れを薙ぎ払い、切り裂き、撃ち抜き、吹き飛ばした。レーダー上から、多くの反応が消え去る。

 しかし、自分たちの猛攻から辛くも逃れたMDが、カタロンの支部へと突っ込んで行く。その先には、怪我人の避難のために手を貸していたクロスロード夫妻の後ろ姿があった。2人が急襲に気づいて振り返るも、石破ラブラブ天驚拳を撃つには間に合わない。付近にいたケルディムが追いすがろうとするが、邪魔するようにしてMSが攻撃してきた。

 

 

「邪魔するなよ! せっかく楽しく遊んでるんだから!」

 

「ふざけるな! それが、人間のやることか!?」

 

「砂漠の花火も楽しいじゃん! 俺は花火が見たいんだよ!」

 

「――こんの、クソガキがァァァァァァァァァ!!」

 

 

 子どもの笑い声に、ロックオン(ライル)が怒りをあらわにして攻撃を仕掛けた。彼の怒りを代弁するかのごとく、ケルディムが二丁拳銃で天使を迎撃する。

 

 その隙をついて、MDはケルディムを躱して基地へと突撃した。天使の羽が白く輝く。何もかもを焼き尽くし、吹き飛ばす一撃が迫る。

 あんなものを喰らえば、カタロン支部の人間たちは文字通り殲滅されるだろう。誰1人残さず、構成員だろうが子どもだろうが非戦闘員だろうが関係なく、命を刈り取られる。

 基地へ向かうMDを止めに行こうとした面々の前に、他の天使たちが舞い降りた。どの機体も羽を白く輝かせており、このまま放置することはできない。

 

 MDたちの羽の光が、より一層強まった。

 誰かが悲鳴を上げたのと同時に、MDの翼の光が爆ぜる!

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 

 渾身の叫びを嘲笑うようにして、MDの天使はカタロン基地を殲滅するための攻撃を仕掛けた。裁きの光が、カタロンの基地に――

 

 

『GNメガランチャー、発射!』

 

 

 ――落ちなかった。

 

 間髪入れず、別方向から、ド派手な黄色の光が炸裂する。ランチャーと言うよりは最早バズーカと言った方が正しいレベルの極太レーザーが、MDがまき散らしかけた光ごと機体を消し飛ばした。

 何事かと砲撃の先を見れば、見たことのないMSたちが天使目がけて突っ込んでくる。そのうちの2機は、ビームサーベルやブレードの代わりに、鋭利な爪を展開して天使の羽を切り落とし、容赦なく貫いた。

 それに続いて、MAに近い風貌の機体が飛び出し、天使たち目がけてアームを伸ばした。その一撃が天使の羽を穿ち、トドメと言わんばかりに雷撃を喰らわせる。衝撃波を伴う余波が、周囲にいた天使の群れもまとめて駆除した。

 

 彼らは一体何者なのだろう。クーゴは思わず機体を見つめ――そこに刻まれていたシンボルに、目を瞬かせた。

 金の翼にナスカの花――それは、『スターダスト・トレイマー』に所属していることを示すロゴマークである。

 

 そうして、その脇に小さく刻まれた数字は1。『スターダスト・トレイマー』の第1幹部が率いるMSたちだ。クーゴは彼らとは直接顔を合わせたことはないが、組織の中では信頼が厚い部隊だと聞いている。

 

 

「ガデッサ、ガラッゾ、エンプラス……凄い凄い! 造ったんだね!!」

 

 

 プトレマイオスの通信から、ベルフトゥーロの黄色い声が聞こえてきた。彼女が嬉しそうに目を輝かせる様子が『視える』。

 まるで、我が子が初めて大掛かりなものを作ったことに喜ぶ親みたいな顔であった。

 

 

「いいなぁ。私も、あんな機体に乗って、ライルと一緒に戦ってみたいなぁ……」

 

 

 彼女の後ろにいると思しきアニューもまた、きらきらと目を輝かせている。どこか羨望に満ちた眼差しで、アニューはぼそりと呟いた。

 双子が勢ぞろいした虚憶(きょおく)の中で、弟の婚約者が乗っていた機体が脳裏をよぎる。理由は一切不明であったが、なんだか変な予感がしてならない。

 基地に群がるMDは彼らの機体に任せることにして、はやぶさやガンダムたちは天使たちの迎撃に移った。それを目の当たりにした指揮官機は不利を悟ったらしい。

 

 子どもの癇癪が『聞こえた』直後、天使たちはそのまま離脱した。天使が逃げていくのを見たアヘッドが、我に返ったかのようにこの場から離脱する。アリオスのカメラアイはパイロットの心境を反映したかのように、悔しそうな面持ちでその後ろ姿を見送っていた。

 

 カタロンの基地に視線を向ける。多くの人間が怪我をしていたり、「リア充怖い」と悲鳴を上げていたりしているが、人命関係の被害は少ない様子だった。しかし、基地が基地として機能するには、被害は甚大である。

 機材もMSも失った。壊滅と言ってもいい。幸いなことは、命が刈り取られずに済んだということか。クーゴは大きく息を吐いて、『スターダスト・トレイマー』のMSたちに向き直った。

 

 

(……あれ?)

 

 

 彼らは、敵がいなくなったはずなのに、武器を構えたままである。MSたちのカメラアイが鋭く輝いた。仇敵を探しているように見えたのは気のせいではない。

 

 違和感に気づいたプトレマイオスのクルーや、ガンダムマイスターたちが話しかけるが、彼らは反応しなかった。仇敵の姿を追い求めるが如く、カメラアイが動く。

 何かを察したイデアが、苦笑しつつ視線を逸らした。ベルフトゥーロは不気味な笑みを浮かべて、許可を出すかの如く、これ以上ないってくらい厳かに頷く。

 それを待っていたと言わんばかりに、向うの通信が開いた。この場にいる人間全員に聞こえるほどの大音量、および異口同音で、彼らの第1声が響き渡った。

 

 

「――こちらに、アニュー・リターナーを泣かせた、最低な二股クソ野郎がいると聞いてきました!! 今すぐ面貸せこの野郎!!!」

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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15.天使たちの出立

「そちらのクルーの中に、アニュー・リターナーを泣かせたライル・ディランディはいらっしゃいませんか!?」

 

「僕らの妹分を恋人にしておきながら、不貞行為を働いたライル・ディランディはいらっしゃいませんか!?」

 

「『悪の組織』第1幹部とその配下の者たちが、処刑準備を万端にしてお待ちしております」

 

「ライル・ディランディ、そこにいるなら今すぐ出て来い。一瞬で済ませる」

 

「安心していいよ。塵どころか、DNAの一遍すら残さず消してあげるから」

 

 

 やって来たのは、モンスターペアレントならぬモンスターファミリーであった。

 

 彼らの第一声を聞いたクーゴの脳裏によぎったのは、その一文である。『悪の組織』第1幹部たちの発言は、この場を混沌へと突き落とすには充分すぎる台詞だった。

 ソレスタルビーイングのメンバーは、何とも言い難そうに眉間の眉を深くした。例外として、本名を名指しされたロックオン(ライル)が顔を真っ青にしている。

 『悪の組織』総帥は相変わらず悪い笑みを浮かべていたし、イデアはロックオン(ライル)の弁護を放棄しているように見える。下の方から、カタロン構成員のざわめきが聞こえた。

 

 

 『スターダスト・トレイマー』の紋章をつけたMSのパイロットが、自分たちのことを『悪の組織』と称したわけだから、驚くのも無理はないのかもしれない。

 ……尤も、カタロン構成員がどよめく理由は、それ以外にもあるようだが。クーゴは眼下にいるカタロン構成員たちに目を剥けた。

 

 

『ライル・ディランディって……』

 

『クラウスが言ってた“ジーン1”の本名じゃなかったっけ?』

 

『馬鹿な……。“ジーン1”に彼女がいたなんて聞いてないぞ!?』

 

 

 カタロン構成員の声が『聞こえて』きた。彼らの眼差しは、ケルディム――もとい、ケルディムのパイロットであるロックオン(ライル)へ向けられている。

 大半の面々は、ロックオン(ライル)がソレスタルビーイングに潜入していることは知っていたらしい。しかし、彼女持ちなのは知らなかったようだ。

 支部を取り纏めていたクラウスが愕然とした表情でケルディム――否、ロックオン(ライル)を見上げている。この場にいる中で、クラウスが一番驚いたようだ。

 

 四方八方から、『羨ましい』だの『妬ましい』だの思念が飛び交う。カタロンは1人身が多い、という言葉が脳裏をよぎった。もしかして、こういうことを指していたのか。

 

 

「そっちが返事をしないなら、カタロンのみんなに聞いてみよう」

 

 

 どこかで聞いたことのある声が聞こえた。4年前、夜にばったり出くわし、吐瀉物をまき散らしてきた犯人の声だった。

 コックピット内部の様子が『視え』、クーゴは思わず息を飲む。薄緑の髪に紫の瞳――紛れもない、彼である。

 

 クーゴがそれに気づいた瞬間、アニューを妹分として可愛がっていた家族たちが牙を剥いた。

 間髪入れず、彼らはカタロンの構成員たちに向かって問いかける。声の音量からして、叫んでいると言っても過言ではない。

 

 

「そちらの諜報員の中に、“ジーン1”というコードネームを持つ人物がいたはずだけど、知らないかい?」

 

 

 彼の声を皮切りに、大合唱が響き渡る。

 

 

「アニュー・リターナーを泣かせた“ジーン1”はいらっしゃいませんか!?」

 

「僕らの妹分を恋人にしておきながら、双子の兄の恋人に対して無体を強いた“ジーン1”はいらっしゃいませんか!?」

 

「我々の妹分だけでなく、双子の兄の恋人の純情までもを踏みにじった“ジーン1”許すまじ」

 

「“ジーン1”、そこにいるなら今すぐ出て来い。一瞬で済ませる」

 

「葬式の準備くらいはしてあげるよ。ところで、彼の宗教って何教なの? 面倒だから、この場でインスタント火葬でいい?」

 

「ああ、くそ。……僕の機体、やっぱり秘匿にしないで持ってきちゃえばよかったかなぁ」

 

 

 彼らのMSは相変わらず武装を展開したままだ。ロックオン(ライル)が姿を表せば、容赦なく砲撃の雨あられを振らせるだろう。しかも、彼だけに当たるよう、ピンポイントに攻撃してきそうだ。

 ロックオン(ライル)の顔からさらに血の気が引いた。真っ青通り越して顔面蒼白である。カタロンの構成員たちも、その言葉で何かを悟ったようだ。ほとんどの人間たちが、仇敵を見るような視線を彼へ集中砲火させる。

 

 

「完全に殺す気満々じゃないですか! 誤解だって説明したのに、ああもう……!」

 

 

 周囲がロックオン(ライル)の敵になっていく中、彼を弁護する側に回ったのはアニューだけであった。こんな状態でも恋人側につくとは、健気な女性(ひと)である。

 

 

「は、はは。アニューは愛されてるんだなぁ……」

 

 

 四方八方敵だらけという事実に、ロックオン(ライル)のSAN値は文字通り直葬されてしまったのだろう。偶然『視えた』彼は、完全に白目を剥いていた。

 

 

(今にも死にそうな顔をしてる……)

 

 

 ロックオン(ライル)の表情を一言で表すならば、それが一番相応しい。

 多分、彼が生きていられるのは、ひとえにアニューのおかげであろう。

 

 クラウスが笑っているのが見えた。会談で見せた穏やかな微笑ではなく、どこまでも冷たい笑みだった。彼の視線がロックオン(ライル)を捉える。

 彼の口が動いた。「彼女持ちのくせに浮気だなんて最低だ」や、「今日から彼と私は他人だ。いいね」等と紡いでいるように見えたのは気のせいではない。

 クラウスの言葉に触発されたように、カタロンの構成員たちも怒りを爆発させる。下からは、『ふざけるなジーン1』だの『最低だジーン1』だのと大合唱が響いてきた。

 

 ちなみに、ティエリア/セラヴィーとアレルヤ/アリオスはロックオン(ライル)/ケルディムからじりじりと距離を取っている。イデア/スターゲイザー-アルマロスとプトレマイオスは事実上の静観を決め込んでいた。はやぶさも、黙ったままケルディムを見ていた。

 

 こんな修羅場に放り込まれても、クーゴにはいい打開策など見つけられない。人間的にまだ未熟と言うのも理由だが、こんな状況に放り込まれた経験自体ないのだ。

 静観同然の対応になっても仕方がないことだろう。誰にともなく言い訳し、クーゴはロックオン(ライル)からそっと視線を逸らした。

 

 

 

*

 

 

 

 壊滅したカタロン基地は、「誰が基地の情報を流したか」で持ち切りだった。GN粒子が散布されている地域に築いた拠点は、GN粒子の特殊性ゆえ連邦側にも発見できないという利点があったためである。

 基地は使い物にならなくなったものの、人命は損なわれなかった。怪我人は山ほどいたけれど、死者は1人も出ていない。……但し、「リア充怖い」とブツブツ呟き続けるPTSD患者は爆発的に(パンデミックよろしく)増えてしまったが。

 その功労者にして戦犯であるクロスロード夫妻は、率先して怪我人の手当に駆け回っている。PTSD患者は2人を目にすると、一目散に逃げ出してしまった。逃げ回る相手に対しては、カタロンの医療班が治療を施していた。

 

 

(……まあ、あんなの目の当りにしたらああなるよな)

 

 

 クロスロード夫妻による石破ラブラブ天驚拳無双は、クーゴからしてみてもかなりインパクトのある光景であった。文字通り、頭を抱えたくなるレベルだ。

 コロニー・プラウドに収容された後に救出されたカタロン関係者がPTSDになったのは、あの夫婦の石破ラブラブ天驚拳無双が原因のような気がしてきた。閑話休題。

 

 

「待ってくれ! 話を聞け、クラウス! あれには深い訳が……」

 

「ははは。“ジーン1”なんて諜報員も、ライル・ディランディという人物も、私は知らないなぁ」

 

「え、ちょ――」

 

「ところで、キミは誰だい? 私はキミと親しくなった覚えはないんだが」

 

「クラウスゥゥゥゥゥ!!?」

 

 

 向うでは、カタロン支部のトップがロックオン(ライル)を塩対応で迎えている。ロックオン(ライル)は、怖いくらい冷たい笑みを浮かべたクラウスと押し問答を繰り広げていた。あちらの問題に介入する勇気もなければ、悪化させる予感しかない。クーゴは我関せずを貫くことにした。

 

 

「マザー! アニュー!」

 

「2人とも、無事でよかった!」

 

「心配したんだから!」

 

 

 別の方向では、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の第1幹部――リボンズ・アルマークを中心とした面々が、ベルフトゥーロやアニューの元へ駆け寄って再会を喜んでいるところだった。

 第1幹部とその仲間たちの部隊編成は、リボンズ・アルマーク、リヴァイヴ・リヴァイバル、ヒリング・ケア、ブリング・スタビティ、デヴァイン・ノヴァ、リジェネ・レジェッタ、アニュー・リターナーの7名である。

 そのうち、リジェネとアニューは戦いよりも情報収集関係に力を入れているそうだ。すべて、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の構成員――主にアニエスたち――からの受け譲りだった。

 

 アニューはコロニー・プラウドでソレスタルビーイングに助けられてから、ベルフトゥーロの命でソレスタルビーイングに出向していた。

 そのため、今回、カタロン基地に来た機体は5機である。リジェネはブリングのエンプラスに相乗りさせてもらったそうだ。

 

 『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の面々が盛り上がる中、ティエリアは険しい顔でその光景を――特に、リジェネを見つめていた。2人の横顔を見比べると、非常によく似ている。一卵性双生児と言ってもおかしくなさそうだ。

 

 

(そういえば、ブリングとデヴァイン、アニューとリヴァイヴ、リボンズとヒリングもそっくりだよな)

 

 

 わいわい盛り上がる第1幹部の面々の横顔を見つめる。この場に、顔立ちがほぼ鏡合わせの人間が勢ぞろいするなんて。偶然にしては出来過ぎてはいないだろうか。

 しかも、リボンズとヒリングは、イデアとよく似ているように思う。特に、髪の色とか、瞳の色とか。遺伝子的な関係性を勘ぐってしまいそうだ。

 

 

「あっ!」

 

 

 ベルフトゥーロとアニューの無事を喜んでいたリジェネが、ティエリアの方を向いた。彼はこれ以上ないくらい表情を輝かせると、迷うことなくティエリアの元へ突撃した。

 

 

「キミがティエリアだね!? 僕、ずっとキミと話がしたいと思ってたんだ!」

 

「は!?」

 

 

 混乱するティエリアの手を握り締め、リジェネは嬉しそうに笑う。リジェネのテンションに、ティエリアはついていけない様子だった。

 困惑に表情を曇らせるティエリアを更に突き落とすが如く、リボンズたちも表情を輝かせて彼の元へと突進して来る。

 逃げようとするティエリアだが、リジェネの力が思った以上に強すぎたため、身動きが取れない。彼はあっという間にリボンズたちに取り囲まれた。

 

 「こんなところで同類に会えるなんて」だの「キミの活躍は知ってるよ! 凄いねぇ」だの、リボンズたちは機関銃の如くティエリアに話しかける。流石に、聖徳太子であったとしても対応できない勢いだ。

 ティエリアは終始おろおろしっぱなしである。しかし、リボンズたちはそんな彼を置いてけぼりにして話を続けていた。そうして何を思ったのか、突如、ティエリアを取り囲むような形で円陣を組み始めた。

 

 そして、次の瞬間。

 

 

「よーし、胴上げだー!」

 

「よっしゃー!」

「祭りだ祭りだ!」

「めでたいめでたい!」

「わっしょいわっよい!」

 

「ちょ、まっ、――なんでだぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 

 本当に、ティエリアの言うとおりである。何をどうすれば、彼を胴上げするという流れになるのか、クーゴには理解できなかった。

 そんなティエリアの様子を、イデアは生温かい目で見ている。アレルヤはポカンとした表情のまま、一連の流れを見つめていた。

 

 

「ねえ、イデア」

 

「何? アレルヤ」

 

「キミの古巣の人たちって、みんなああなの?」

 

「人によって違うよ」

 

「そう……」

 

 

 どこまでも朗らかなイデアの声と、酷く疲れ切ったようなアレルヤの乾いた声を聞きながら、クーゴはぼんやりと天井を見上げた。

 3年の月日で作り上げた拠点。しかし、壊れてなくなるのは一瞬だ。盛者必衰、諸行無常という単語を頭に思い浮かべる。

 日本人は災害が起きても冷静だと言われているが、その理由は、“どんなものでもいずれなくなる”と人一倍理解しているからなのかもしれない。

 

 江戸時代の木造建築家屋は、火事が起こったときには家を壊すことで火の手を弱めるために“敢えて”簡素なつくりにしていたという。「壊す/壊れることが前提の家なんて信じられない」と言っていたグラハムの横顔が浮かんだ。

 

 クーゴがそんなことを考えていたとき、不意に、背後から足音が聞こえてきた。振り返れば、マリナと共にアザディスタンへ向かっていたはずの刹那が立っている。

 少し離れたところでは、マリナがシーリンに抱き付いて泣いていたところだった。マリナはしきりに「アザディスタンが」と繰り返している。一体何があったのか。

 

 

(――!?)

 

 

 不意に、頭の中にノイズまみれの光景が広がった。――眼下の国が、燃えている。

 テロにしては、破壊の規模が大きすぎた。誰が一体こんなことをしたのだろう。

 そう思ったとき、視界の中央に赤い機体がちらついた。いつか目にした焼野原がフラッシュバックする。

 

 焼野原の向こうで嗤ったのは、いつぞや空で対峙したPMCトラストの傭兵――アリー・アル・サーシェスだ。

 

 

「……刹那」

 

 

 すべてを理解したという代わりに彼女の名を呼べば、刹那は神妙な面持ちで頷いた。

 次の瞬間、ティエリアを胴上げしていた面々が動きを止めて、刹那に視線を向ける。

 

 

「キミは……!」

「ああっ!」

「おお!」

 

 

 リボンズたちはこれ以上ないくらい表情を輝かせると、迷うことなく刹那の元へ突撃した。

 いきなり解放されたティエリアは、虚ろな目で虚空を見上げている。彼は未だに状況が理解できないでいる様子だった。

 多分、ティエリアのSAN値は一定量を一気に持っていかれてしまったのだろう。一時発狂で茫然としているのかもしれない。

 

 リボンズはいの1番に刹那の元へ駆け寄ると、彼女の手を取った。親しげな口調で、刹那に声をかける。

 

 

「刹那! 久しぶりだね! 僕のこと、覚えているかい?」

 

「あんたは……あのときの!」

 

「ああ、嬉しいなぁ! キミも、僕のことを覚えていてくれたんだね!」

 

 

 リボンズの問いに、刹那はすぐに合点がいった様子だった。彼女の答えを聞いたリボンズが、花が咲いたように口元を綻ばせた。年に不釣り合いなくらい、子どもっぽい笑い方だ。

 それを皮切りに、ヒリング、リヴァイヴ、リジェネ、ブリング、デヴァインも満面の笑みを浮かべて刹那に殺到した。これでもかって位、刹那は6人にもみくちゃにされる。

 6人の様子は、近所に住む子ども――または親戚の子どもと久々に会い、その人物が成長した姿を目の当たりにして喜ぶ人と同じであった。それ以外の例えが見つからない。

 

 「見ないうちに綺麗になったねぇ」だの「そういえばキミ、好きな人できたんだって? おめでとう! で、結婚はまだなの?」だの、リボンズたちは機関銃の如く刹那に話しかける。流石に、聖徳太子であったとしても対応できない勢いだ。

 刹那は終始おろおろしっぱなしである。しかし、リボンズたちはそんな彼女を置いてけぼりにして話を続けていた。そうして何を思ったのか、突如、刹那を取り囲むような形で円陣を組み始めた。デジャウを感じる光景である。

 

 そして、次の瞬間。

 

 

「よーし、胴上げだー!」

 

「よっしゃー!」

「祭りだ祭りだ!」

「めでたいめでたい!」

「わっしょいわっよい!」

 

「はあ!? ちょ、まっ、――うおおおおおおおお!!?」

 

 

 本当に、刹那の言うとおりである。何をどうすれば、彼女を胴上げするという流れになるのか、クーゴには理解できなかった。

 そんな刹那の様子を、イデアは生温かい目で見ている。アレルヤはポカンとした表情のまま、一連の流れを見つめていた。

 どこかで見た光景である。しかも、つい先程も目にした光景だ。このデジャウの正体を、クーゴはよく知っていた。

 

 ティエリアのときと、ほぼ同じなのだ。刹那が胴上げされるに至るまでの状況が。

 

 突如響いた声につられて、マリナとシーリンが刹那のほうを見た。いきなり胴上げされている人間を目にしたためか、今まで浮かべていた困惑の表情はベクトルが変わる。

 クラウスに土下座していたロックオン(ライル)も、胴上げされる刹那を見て口元をひくつかせた。ティエリアは相変わらず、虚空を眺めている。不定の狂気は継続中らしい。

 

 

「……どうするんだろうな、これから」

 

 

 クーゴの呟きは、夜空に飲まれるようにして消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあ、派手にやられてるな……」

 

 

 眼下に広がるカタロン基地の跡を見つめ、ミハエルが苦い表情を浮かべた。ヨハンも険しい眼差しでその様子を見つめる。

 

 

「……っ」

 

 

 一緒に来ていた宙継が、辛そうに俯いた。ネーナは無言のまま、彼の視界を両手でふさぐ。齢10にも満たない少年が見るには、あまりにも惨たらしい光景だ。

 この惨状の中で失われた命がなかったというのが、一番の幸いであり救いであろう。荷物を積んで移動しようとする車を目にして、ネーナはそう考えた。

 

 現在、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に身を寄せるチーム・トリニティは、居候の遊撃部隊として世界中を回っていた。

 時にはアロウズの暴挙から人々を守り、時には物資や人を各地へ運ぶ運び屋として、人知れず活躍している。充実した日々を過ごしていると言ってもいい。

 ……唯一の不満を挙げるなら、“教官であるテオドアとは別行動を取っており、なかなか彼から連絡が来ない”ということくらいだろうか。

 

 今回の任務は、カタロンに支援物資を届けるという内容だ。主に、食料と子どもたちの教育に必要な道具などが、この輸送船に積まれている。

 

 勿論、積み込まれているのは物資だけではない。トリニティ兄妹たちのガンダムも、目覚めのときを待っている。

 最も、今回は目覚めないで任務が終わってくれるのが一番いいのであるが。ネーナは深々と息を吐いた。

 

 

「む?」

 

「どうしたのヨハン兄」

 

「……あの輸送船は、(ワン)家のものか?」

 

 

 ヨハンが眉間に皺を寄せ、眼下にいる黒い輸送船を睨む。ネーナもそれに視線を向けた。

 

 

「ホントだ。そういや、(ワン)留美(リューミン)はまだ、ソレスタルビーイングのエージェントとして動いてるんだっけ――っ!?」

 

 

 突如、ネーナの背中に凄まじい悪寒が走る。脳裏にフラッシュバックしたのは、4年前に自分たちを追いつめた告死天使(ガンダム)の姿だ。

 どうして今、あの輸送船を見てそんなものを思い出したのだろう。ネーナたちが首をひねったとき、宙継がへたんと崩れ落ちる。HAROが声を上げた。

 

 

『ドーシタ、ドーシタ!?』

 

「ちょ、ソラくん!?」

 

「大丈夫か!? 顔真っ青だぞ!?」

 

 

 宙継の横顔を覗き込んだミハエルが目を剥いた。宙継は顔面蒼白で身を震わせている。怯え方が尋常ではない。何度呼びかけても、彼は返事をしようとしなかった。

 

 ネーナたちは思わず顔を見合わせる。本来なら、宙継はここでソレスタルビーイングに合流し、『悪の組織』のMSパイロットおよび技術者候補生として出向する予定だった。

 しかし、肝心の宙継本人がこんな状況では、合流したとしても意味がない。いや、合流すること自体が難しいかもしれなかった。一体、宙継に何が起こったのだろう。

 

 

(あの輸送船を目にするまでは、普通に元気だったのに……!)

 

 

 ネーナは歯噛みしながら、輸送船を睨みつける。輸送船のハッチが開き、黒髪の東洋人が優雅に砂漠へ降り立った。ゆったりとしたチャイナドレスを身に纏う女性こそ、(ワン)留美(リューミン)その人であった。

 砂漠の戦場跡地には不釣り合いの雰囲気が漂う。本人がここにやって来たということに、何か意味があるのだろうか? ネーナの予想に応えるかのように、ヴェーダのデータが流れ込んできた。

 彼女はこの場にいる人々に会釈し、普通に会話を続けていた。これと言っておかしな点は見つからない。ただの気まぐれ、なのだろうか? だとしても、留美(リューミン)のようなお嬢様の行動にしては、らしくなかった。

 

 次の瞬間、ヴェーダからの情報がノイズまみれになった。頭の中に、壊れたラジオのようなざらついた音がガンガンと響いた。思わずネーナは耳をふさぐ。

 がりがり、ざりざり、ぎりぎり――ラジオをチューニングしたときに聞こえるような不快な音が断続的に聞こえてきた。誰かが嗤う姿が『視えた』のは、気のせいではない。

 

 あそこにいるのは、誰だ。痛みと音に耐えながら、ネーナはノイズの向こうにいる人間を探ろうとする。

 

 ほんの一瞬、誰かが映し出された。首元で切りそろえられたショートボブの黒髪に、軽く焦がしたバターよりも薄い肌色。日本の民族衣装である着物――しかも、豪奢なものだ――を身に纏った東洋人女性。

 その人物の顔を見据えようとしたとき、ノイズまみれだった光景は、一瞬で元通りになった。ヴェーダは相変わらず、人々に会釈して回る留美(リューミン)の様子を映し出している。異常な光景は見当たらない。

 

 

(――違う)

 

 

 何とも言えぬ確証を覚え、ネーナは輸送船を睨みつけた。

 

 

(今、確実に、何かが“起きた”)

 

 

 あれは、何だ。

 ヨハンとミハエルが生唾を飲む。

 

 

「……“あの人”だ」

 

 

 宙継が、蚊の鳴くような声で、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アニューが足を止めたのは、誰かに呼び止められたような気がしたからだ。

 

 振り返ると、そこには、黒い輸送船があった。確かあれは、ソレスタルビーイングのエージェント、(ワン)留美(リューミン)が所有する輸送船だと聞いた。

 持ち主の留美(リューミン)はカタロンの構成員たちに声をかけていた。誰もが彼女の美貌に惹かれ、男はデレデレとした、女は羨望の眼差しを向けている。

 例え方は悪いが、その様は、篝火に魅せられ引き寄せられた蛾のようだ。自ら火の中に飛び込み、焼かれて命を落としていく――そんな光景が頭によぎったのは何故だろう。

 

 

「――こんにちわ」

 

 

 不意に聞こえた声に顔を上げれば、輸送船の奥から女性が降りて来たところだった。派手な赤い着物を身に纏った、黒髪黒目の東洋人女性。

 気のせいか、彼女の顔立ちや雰囲気は“誰か”を彷彿とさせた。方向性は全く別なのに、どうしてその人物に似ていると思ってしまったのだろう。

 

 

「こんにちわ」

 

 

 そんな疑問を抱きながらも、顔の表情に出さぬように気を付け、アニューは彼女に会釈し返した。女性は綺麗な笑みを浮かべている。まるで、精巧なガラス細工のようだ。

 

 黒の双瞼がアニューを映している。気づくと、アニューの視線は女性の瞳に釘付けになっていた。目を逸らそうとしたが、逸らせない。強い力で固定されたような、瞳の奥底の闇へと引きずり込まれてしまいそうな心地になる。

 女性は笑みを深くした。アニューの背中に凄まじい悪寒が走る。今すぐ、彼女から離れなければ。今すぐ逃げなければ――本能は必死になって訴えている。アニューもまた、この女性から逃れようとした。

 だが、アニューの意志や思考回路などお構いなしに、アニューはこの場から動けなかった。女性はニコニコ笑いながら、どんどん距離を詰めてくる。だめだ。逃げなければ。アニューの体はピクリとも動かない。

 

 

(――!!)

 

 

 ついに、女性はアニューの眼前に立った。黒い瞳が、どこまでも不気味な金色に光る。その瞬間、アニューの頭が割れんばかりに痛み始めた。

 痛みに耐えられずに目を閉じようとするが、瞼すら動かない。アニューの視界は、取りつかれたかのように女性だけを映していた。

 

 頭をぐちゃぐちゃにされるような感覚。悲鳴を上げて悶え苦しんでいてもおかしくないのに、身体は一切動かなかった。喉が蓋をされてしまったかのように、声を出すことができない。

 

 

『嫌、嫌! 助けて、誰か!!』

 

 

 アニューは必死に叫ぶが、誰も返事を返してくれなかった。いつもならすぐに飛んできてくれるリボンズたちやベルフトゥーロも反応しない。

 彼らは自身のやるべきことを果たすため、真剣に話し合いをしているところだった。アニューの声が聞こえた様子はない。どうして、聞こえないのだろう。

 金色の瞳は、アニューのすべてを見透かしているようだ。見透かしたうえで、アニューという存在を侵そうとしている。自分なのに、自分ではなくなっていく。

 

 自分は自分のはずなのに、自分じゃない“何か”を植え付けられる。得体の知れぬ何かが、アニューと言う存在の中で蠢いているのだ。

 

 怖い。怖い。気持ち悪い。

 誰か、誰か――!!

 

 頭の奥底で、何かが弾けた。スイッチが切り替わるような音が響く。

 

 それを最後に、アニューの意識は断線した。

 

 

 

*

 

 

 

「アニュー」

 

 

 声が聞こえた。アニューははっとして振り返る。そこにいたのは、何故かボロ雑巾のような成りをしたライルだった。

 確か、彼は、カタロンのリーダーと話していたのではなかったか。アニューが問いかければ、彼はへらりと笑い返した。

 「ひと悶着あったけど、まあ、大丈夫だ」――ライルの言葉に嘘はない。秘密はあったが、多分大丈夫だろう。アニューはそんな予感がした。

 

 どうやら、ソレスタルビーイングは、カタロンの面々を逃がすために囮役をすることになったらしい。そろそろプトレマイオスへ戻って来いということだった。

 アニューは2つ返事でライルに続こうとしたが、ふと、足を止めた。何の気なしに振り返る。当たり前だが、そこには誰もいなかった。

 

 

(……あれ?)

 

 

 頭の片隅によぎった違和感は、一体なんだったのだろう。

 

 考えても思い出せないということは、大して重要なことではなさそうだ。

 アニューはそう結論付けて、ライルの後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プトレマイオスの談話スペースに、クーゴは体を丸めて座り込んでいた。空調は過ごしやすい温度で設定されているはずなのに、どうしても寒気が止まらない。

 吐き出した呼気が白くけぶっているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。ぶるりと体が震える。歯と歯がぶつかり合い、かちかちと音が響いた。

 一応、ただ事でもないということを察した面々に進められてメディカルチェックを受けたが、結果は異常なしの健康体だ。みな、揃って首を傾げるレベルである。

 

 なんとなく、クーゴは理由を察していた。

 察していたが、その原因となる人物が、ここにいるとは思えない。

 

 でも、クーゴの悪寒はハッキリと告げている。刃金蒼海が、この近辺にいると。

 

 この場から早く離れなくてはならない。今すぐ、蒼海の傍から逃げなくてはならない。

 得体の知れない強迫観念に煽られるように、悪寒はますます酷くなった。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 響いた声に顔を上げれば、そこにはイデアがいた。彼女の手には、淹れたてのコーヒーと緑茶のカップ。コーヒーが自分の分で、緑茶がクーゴの分だろう。

 

 

「ん、ありがとう」

 

 

 礼を述べてカップを受け取り、緑茶を受け取る。心なしか、淹れたての割には少し温度が低いような気がした。

 控えめに啜れば、熱が体の中にじんわりと沁みていく。心の奥底に灯りがともったような、温かな気持ちになった。

 悪寒はまだ残っているけれど、体を丸めて身を縮ませる必要性はない。ゆっくり体を伸ばせば、気分が楽になる。

 

 そんな様子を見たイデアは、ふっと表情を緩める。紫苑の瞳が、情けない男の顔を映し出していた。

 ……なんだろう、すごく格好悪い。クーゴは彼女の視線から逃げるように顔を逸らし、緑茶を飲み干した。

 

 

(……しかし、毎回こうだと、我ながら先が思いやられるな)

 

 

 クーゴは深々と息を吐いた。居候の身が、居候先に迷惑をかけるってどうなのだろう。なんだか居たたまれない気持ちになってくる。

 

 ガンダムマイスターたちはカタロンとの戦闘に備えて各自準備に入っているし、アニューやクロスロード夫妻は自分にできることを探して艦内を駆け回っていた。

 何もしないで身を丸めているのはクーゴだけである。その事実が、無性に腹立たしさと無力さを募らせていた。クーゴは深々と息を吐いた。

 

 

「それじゃ、プトレマイオス、発艦ッス!」

 

 

 リヒテンダールのアナウンスが響き、船体が揺れた。間髪入れず、フェルトがステルスを解除する連絡を告げる。アロウズがソレスタルビーイングを見つけるまでのタイムラグに関する注意事項も聞こえてきた。足音が響く。

 おそらく、ガンダムマイスターが出撃準備に入っているのだろう。クーゴは体調不良で留守番組となっていた。まったくもって不甲斐ない。イデアはそんなクーゴの気持ちを察したように、穏やかに微笑んで見せた。

 

 

「大丈夫ですよ。誰も、クーゴさんのことを責めていませんから。充分すぎるほど助けられてますし、役に立ってくれてますもん!」

 

「……だと、いいけど。俺は居候だから、もっと頑張らなきゃいけないんだけどな」

 

 

 御世辞でも嬉しい言葉だ。そんなことを考えながら苦笑すると、イデアはムッとしたように頬を膨らませる。

 

 

「本当ですよ。みんな、クーゴさんの料理を褒めてました。こんなにおいしい料理を食べたのは初めてだって。ティエリアなんて、私が狙ってたカプレーゼを目の前で奪い取ったんですよ! クーゴさんの作ったカプレーゼ!!」

 

 

 彼女が例に出したのは、先日の食事のことだった。「ティエリア、絶対許さない」と、イデアは不気味な笑みを浮かべた。

 気のせいか、格納庫へ向かうティエリアが足を止めて振り返った姿が『視えた』ような気がする。彼は何かに怯えているかのようだった。

 食べ物の恨みは恐ろしいと相場が決まっている。…………後で、ティエリアが大変なことにならなければいいが。

 

 思い返せば、イデアはクーゴが作った料理を人一倍食べていた。次点に食べるのがティエリアである。2人はしょっちゅう、静かにだが、おかずの奪い合いを繰り広げていた。

 たまにラッセや刹那が乱入するが、前者だけが周囲から一方的に非難される。見ていて、とても和やかな食卓であった。――ユニオン時代が恋しくなるような、光景だ。

 

 

「終わったら、また作るよ」

 

 

 クーゴがそう告げれば、イデアは満面の笑みを浮かべた。

 

 

「約束ですよ! ――じゃあ、行ってきます!」

 

 

 そう言い残し、彼女はくるりと踵を返した。

 

 

「ああ。――いってらっしゃい」

 

 

 クーゴは手を振り、イデアの背中を見送った。部屋の中から外を見れば、カタロンの基地跡がどんどん遠のいていく。

 それに比例するかのように、いつの間にか、悪寒はなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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16.語り継ぐような“美談《コト》”じゃあないが

「……だろうと思った」

 

 

 飛来したセンチュリオ――MDの群れを睨みつけながら、ネーナは深々とため息をついた。

 

 どういう経緯で漏れたのかは知らないが、アロウズのライセンサーたちは『ソレスタルビーイングがカタロンを逃がすための囮になった』ことを察したらしい。

 今のカタロンには力がない。アロウズに見つかってしまえば、一方的に蹂躙されることは目に見えている。勿論、相手もそれを狙ってるのであろう。

 

 

「使わないでいられたら良かったのだが、致し方ないな」

 

「備えていりゃあ嬉しいな、ってか。心配してた通りだぜ」

 

 

 ヨハンとミハエルは真顔で呟き、宙継に向き直る。基地から離れてから、宙継の悪寒は大分収まったらしい。真っ青だった顔色に血の色が浮かんでいた。

 輸送船の操縦くらいなら、問題なくできそうだ。宙継本人もやる気であり、真っ直ぐネーナたちを見つめて頷き返す。3人は彼に操縦を任せ、格納庫へ駆け出した。

 ヘルメットを被り、コックピットへ乗り込む。間髪入れず、宙継の声が響き渡った。出撃準備が完了したという旨である。輸送船のハッチが開いた。

 

 真っ先に飛び出したのは、ヨハンのガンダムラグエル-フィオリテだ。続いてミハエルのラグエル-フォルス、最後にネーナのラグエル-フルールが戦場へと躍り出る。

 

 眼下から、カタロンの構成員たちの声が上がった。期待と不安に満ちた眼差しを受け止めながら、ラグエルたちはセンチュリオたちと対峙する。カタロンが別の支部に辿り着くまで、自分たちは奴らと戦わなくてはならない。

 おそらく、MDたちはキルモードで投入されているだろう。奴らのキルモードはオートマトンと同じく、対象物が完全に沈黙するまで攻撃を続けるのだ。つまり、人間相手だと、人間の生体反応が無くなるまで攻撃し続ける。

 

 

「MDだけで構成された部隊のようだが、油断するな」

 

「分かってる! 兄貴とネーナも気を付けろよ」

 

「了解! ぱぱっと片付けちゃおう」

 

『トーゼンダ、トーゼンダ!』

 

 

 3人と1機は顔を見合わせ、頷き合う。そうして、眼前の敵へと挑みかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アプロディアの通信を聞いたリボンズは、思わず眉間に皺を寄せた。

 彼女から提示された情報を眺める。心の奥底が、ざわめき始めた。

 

 

「ヴェーダに、何かが起きている……? まさか、ハッキングか?」

 

 

 そこまで呟き、リボンズは顎に手を当てて首を振る。ヴェーダはハッキングに対して非寛容だ。大半が防衛プログラムによって防御されるし、仮に成功できたとしても、書き換えられるのはアクセス権のみである。それも、閲覧制限にはあまり影響が出ない程度でだ。

 

 アロウズが、ヴェーダと同レベルのスーパーコンピュータを有していることは知っていた。その力が未知数だということも分かっていたし、注意だって払っていた。

 まさか、アロウズの所持するスーパーコンピュータが、ヴェーダをハッキングし書き換えるほどの力を手にしたというのか。厄介だ、と、リボンズは歯噛みする。

 誰のアクセスなのかを探ってみる。出てきたのは、『Grandmother “Terra”』というアクセスコードだ。そのコードの出どころを探ろうとし――何かに弾かれた。

 

 防御機構が働いたのか、相手がそれを察知したのか。いずれにせよ、これ以上の追跡はできそうにない。

 リボンズは盛大に舌打ちしたい気持ちを堪えた。頭が痛くなってきそうな状況である。

 

 

「リボンズ、大丈夫?」

 

「ヒリング」

 

 

 心配そうに顔を覗き込んできたのは、ヒリングだった。彼女の手には、彼女お手製の料理が湯気を立てている。作り立てだろうな、と、リボンズはぼんやり考えた。

 それを皮切りに、リヴァイヴが、リジェネが、ブリングが、デヴァインが、ひょっこりと顔を出す。リボンズの憂いやストレスを察知したせいだろう。

 

 

(僕はお兄ちゃん、僕はお兄ちゃん)

 

 

 長男坊がこんなのでどうするんだ、と、自分自身に言い聞かせる。これだと、弟や妹たちに余計な心配をかけてしまいそうだ。

 

 

「大丈夫、なんでもないよ」

 

 

 リボンズは穏やかに微笑んでみせる。それを見た面々は、それでも心配そうに顔を見合わせた。彼らの憂いをどうにかしたいと思うのだが、いかんぜん、うまくいかない。

 家族を守るのが自分の務めだ。後から生まれた|イノベイド『同類』たちや、ヒリングやリヴァイヴらをはじめとした面々を見ていると、強くそう思う。

 いつか訪れるであろう、“来るべき対話”。そのために必要なのは、人類やイノベイド、『ミュウ』やイノベイター、それらが共に生きる世界だ。

 

 互いの命が互いを尊重し合う世界。即ち、ヒトがヒトらしく生きられる世界。リボンズが両親と慕う、イオリアとベルフトゥーロの理想。

 その成就のためにも、アロウズの存在を赦すことはできなかった。――……そうして、アロウズの後ろに潜む黒幕の存在も。

 

 

「『Grandmother “Terra”』……」

 

 

 このアクセスコードを、何としても辿らねば。

 

 その前に、ヒリングが作った夕ご飯を食べて、腹ごしらえをしなければならないだろう。

 リボンズが立ち上がれば、面々がぱっと表情を輝かせた。

 

 ――願わくば、この中の誰一人として、欠けることのないように。

 

 リボンズは、心の中でひっそりと祈った。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前では、両団体の代表者――刹那/ダブルオー、ヒイロ/ウィングガンダムゼロ、アムロ/ガンダム、ブシドー/スサ■オ、ゼクス/トールギス、シャア/ジオングらが握手を交わしていた。

 

 

「会いたかったぞ、ガンダム」

 

 

 ブシドー/■サノオは、どこまでも静かな面持ちで刹那/ダブルオーを見つめていた。彼の眼差し/スサノ■のカメラアイが、愛しい相手を見つめているように輝いているように見えたのは、決して気のせいではないだろう。

 刹那/ダブルオーもまた、同じようにブシドー/ス■ノオを見返す。2人がこんな表情を浮かべて向かい合うだなんて、とても久しぶりの光景だ。何かある度に2人の様子を見てきたクーゴにしては、目を細めたくなるような眩しさがあった。

 ゼクスとヒイロ、シャアとアムロとは一線を画す空気が漂う。勿論、それはひとえに刹那とブシドーの“本当の”関係性にあるのだが、それを暴露するような無粋な真似はしない。クーゴは素知らぬふりをすることにした。

 

 全員、準備ができたようだ。

 それを確認したドモンは厳かに頷く。

 

 

「それでは、ガンダム・ファイト! レディィィ・ゴォォォォォォッ!!」

 

 

 開戦の狼煙が上がった。ドモンの言葉に、両陣営の、各MSたちは動き出した。

 

 各々宿命の相手の元へ、わき目もふらず向かって行く。アムロがシャアと、ヒイロがゼクスと戦い始める。

 その脇で、ブシドーと刹那は対峙していた。こうやって、2人が静かに向かい合うのは久しぶりのように思えた。

 

 

「生きてきた……。私はこのために生きてきた」

 

 

 ブシドーは、ため息をつくようにしてそう呟いた。彼の眼差しは、どこか遠い場所を見つめているように『視える』。連邦の闇で、手を/身も心も汚し/汚され続けた日々を思い出しているのだろうか。

 

 

「たとえこの身を闇に浸そうとも、キミのことを忘れさせられても、黒幕の元から逃げ出すという無様な行動を選んだとしても……この想いだけは、貫きたかった」

 

「ミスター・ブシドー……」

 

 

 どこか噛みしめるようにして呟いたブシドーの言葉に、刹那は苦しそうに目を伏せた。

 その様子を察したのだろう。ブシドーは苦笑した。

 

 

「キミが責任を感じる必要はないよ。キミ自身にその覚えはないのかもしれないが、私はずっとキミに救われてきた。だから、私はここにいる」

 

 

 仮面越しに『視えた』その笑みは、彼が殺した『グラハム・エーカー』その人だ。刹那/ガンダムと再び相見えるため、蒼海の手から逃れ生き延びるために、名誉の戦死を遂げたクーゴの親友。そして――刹那・F・セイエイが愛した人。

 この戦いが終わったとして、蒼海との決着をつけたとして、ミューカスとの戦いが終わったとして、きっと、彼はもう戻らないだろう。『ミスター・ブシドー』という名を背負い、この世界を歩んでいくに違いない。

 多分、これは、『グラハム・エーカー』の未練だ。そして、本当の意味での『ミスター・ブシドー』としての第一歩となる。彼は、刹那との宿縁に区切りを付けたいのだろう。過去を抱え、未来を見て歩んでゆくために。

 

 

「……あれ?」

 

「どうしたの? 沙慈」

 

「なんだろう。うまく言えないけど、ブシドーさんが誰かに似てるような……?」

 

 

 オーライザーに乗り込んでいたクロスロード夫妻の片割れが、何かに気づいたように首を傾げる。

 

 試合を観戦していた面々や2人の周辺で鍔迫り合いを繰り広げる面々は、「2人の間に漂う空気がおかしい」という疑問を抱いたようだ。鍔迫り合いの手が止まり、刹那とブシドーをまじまじと見つめた。

 沙慈は通信越しにいるブシドーの顔を確認し、何度も何度も首をひねり唸った。そうして、何か、合点がいったように手を叩く。ルイスも同じだったようで、「あー!」と、かん高い声を上げた。

 

 

「誰かに似てると思ったけど、そうだよ! グラハムさんだ!」

 

「確か、刹那を愛してやまなかった人! 刹那の恋人さんよね!?」

 

「えええ!?」

 

 

 爆弾が落ちた。戦闘中の面々含んだギャラリーが騒然となる。

 「な、ばか、やめろ」と、刹那が慌てた様子で声を上げた。

 それを皮切りに、ひまりとネーナが大声で問いかける。

 

 

「じゃあ、ブシドーさんと刹那は恋人同士ってこと!?」

 

「2人とも、どこまで進んだの!?」

 

「おいやめろ! 今はそんなこと、どうだっていいだろう!?」

 

 

 ざわめくギャラリーを制そうと刹那が叫ぶが、顔が赤らんでいるところや狼狽えぶりのせいで、説得力は皆無である。

 

 以前からの付き合いで、クーゴは“グラハム(現:ミスター・ブシドー)と刹那が恋人同士である”ことは知っていた。本人たちは口に出していなかったが、2人の間には確かな絆があった。

 しかし、不思議なことがある。普段はあまり感情を表さない刹那が、必死になって話を逸らそうとしていた。まるで、2人の間に「何かあった」とでも言いたげである。とても、言葉にできない“何か”が。

 

 

「私個人の見解としては、自然消滅……と言うべきところなのかもしれん」

 

 

 ブシドーはどこか寂しそうに笑った。もう終わってしまったのだと、その表情は語っている。――けれど、次の瞬間、開き直ったように不敵に笑う。翠緑の瞳に祈るような想いを孕ませながら、彼は盛大に叫んだ。

 

 

「だが、ここは敢えて言わせてもらおう! ――私と彼女は、もう既に一線を超えていると!!」

 

「ええええええええええええええええええええええええええええええ!!?」

 

 

 恐ろしい爆弾発言に、この場一体が悲鳴に飲み込まれた。

 ……別に、そんなこと、知りたくなんてなかったのに。

 

 

 

*

 

 

 

 

「貴ッ様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

「ははははははは。羞恥に悶えるキミも魅力的だな!」

 

 

 ブシドー/グラハムとの関係を暴露された刹那は、羞恥心からか顔を真っ赤にしていた。彼女の怒りを反映させたかのように、2つのゼロを冠する機体がグラハム/ブシドーの機体に攻撃を仕掛ける。対するブシドーは問題発言をしながら、彼女の機体と鍔迫り合いを演じていた。

 クーゴ含んだ大半のギャラリーは、ただただ驚きに声を上げることしかできない。「お前らいつの間にそんなことになってたんだ」と、言葉にするので精一杯だった。ひまりが目を輝かせ、言葉の意味を理解できなかった征士郎が首を傾げる。スオルは何を思ったのか、妻に連絡を取り始めた。

 審判役を買って出ていたドモンは顔を真っ赤にしてうろたえ、ボビーが「見かけによらず熱いじゃない!」と口笛を吹き、「ブシドーが言った言葉の意味について教えてほしい」という子ども組の質問に大人組が真っ青になり/頭を抱え、テオドアに想いを寄せるネーナが「そこのところ詳しく!」と身を乗り出す。相当なカオスだ。

 

 その中で、にこにこ笑っているイデアは強者と言えよう。

 

 

「は、『犯罪だけには走るな』って言ったのに……。いや、厳密的に、法律的に考えれば問題はないのかもしれないけど……でも……」

 

 

 イデアの隣にいたビリーが崩れ落ちた。余程ショックだったようで、変なオーラを背負い、「ははははは」と力なく笑っている。

 ビリーの瞳は酷く濁っていた。ブシドーと彼の愛機の勇士を見に来ていただけだというのに、とんだとばっちりである。

 

 騒然となったのはギャラリーだけではない。代表者として戦っていたアムロ、シャア、ヒイロ、ゼクスたちも度肝を抜かれた様子だった。

 

 

「な、なんて恥ずかしい奴!! シャア、お前まさか知っていたのか!? 知っていて、刹那さんとブシドーを!? だとしたら卑怯だぞ!!」

 

「知らん! 今初めて知ったぞ!! 知っていたら絶対に、こんな組み合わせなど考えなかった!! 我が同僚ながら、なんてうらやま――けしからん奴だ!!」

 

「本当にうらやま――けしからん奴だな、ミスター・ブシドー!」

 

 

 思春期の少年(アムロ)と、何かを拗らせ気味だった青年(シャア)の心が同じ方向を向いていた。同志になるならないで戦っていた彼らであるが、今このとき、確かに彼らは同類(どうし)であった。

 

 

「エピオンシステムのテスト中に見えたので、まさかとは思っていたのだが……」

 

 

 額に手を当てて、ゼクスが深々と息を吐く。未来の可能性を見せることでパイロットを勝利に導く――ゼロシステムと同等の力を持つ演算システム、それがエピオンシステムだ。 

 ゼクスはそのテスト中に、刹那とグラハムの関係を垣間見ていたらしい。彼が困惑していたのは、この場でそんなことを悪意なく言い放ってしまったブシドーの行動だろう。

 

 しかし、あらかじめ知っていたことが幸運だったのか、彼は立ち直りが早かった。

 

 

「と、とにかく! 今はそんなことをしている場合ではない! 我々は我々で、決着をつけるぞ、ヒイロ!」

 

「……にんむ……りょうかい……」

 

 

 ライバルに促され、ヒイロは半ば呆然とした表情で頷いた。驚きすぎたせいで、何か間の抜けたような響きの声。流石のヒイロにもショックが大きかったらしい。

 茫然とするしかない周囲の状況など何のその、刹那とブシドーは派手な剣裁を繰り広げている。2人の周囲だけが闘技場に見えてきた。クーゴは相当疲れているらしい。

 周囲は相変わらずざわめいたまま。おかしな方向に転がり始めた『コネクト・フォース代表VSジオン軍オルトロス隊代表のガンダムファイト』の決着は、まだつきそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、あのアヘッドのパイロットさんとセイエイさんは恋人同士ってことですかぁ!?」

 

 

 ミレイナの悲鳴によって、クーゴは虚憶(きょおく)の世界から強制的に帰還させられた。誰かがミレイナの叫びと似たようなことを叫んでいたような気がする。

 いいや、それ以前に、何がどうしてそんな会話になってしまったのか。クーゴの意識が断線している間に、プトレマイオスはアロウズとの交戦状態に入っていたらしい。

 デジャヴだ。逃れようのないデジャウを感じる。つい数秒前まで、クーゴが見ていた虚憶(きょおく)に通じる部分があった。ますます嫌な予感がしてならない。

 

 刹那とグラハム/ブシドーの関係性を知らなかったのは、ソレスタルビーイングの中でもミレイナとロックオン(ライル)だけだったらしい。他の面々は「あーそうなの。だから?」や「うん、知ってた」等と流している。

 自分が仲間外れだと思い知ったミレイナが、不満そうに頬を膨らませた様子が『視えた』。恋愛とゴシップが大好きな彼女に、そういう話を振ると面倒なことになるということなのか。賢明な判断だ。

 

 アロウズとの交戦中だというのに、戦場には変な空気が流れている。アヘッドやジンクスのパイロットたちの一部が盛大に困惑し、ガンダムマイスターの面々は乾いた表情を浮かべながら状況に対応していた。

 

 状況を読めず掴めていない敵指揮官機は、別な方向に困惑していた。どの道、敵機は困惑する運命にあるらしい。

 アリオスと対峙するアヘッドの女性パイロットは頭が痛そうに眉をひそめた。恋人、という言葉が引っかかるようだ。

 

 状況が状況だが、それでもミレイナの興味は尽きなかった。ブシドーに届くはずがないのに、それでも大声で問いかけた。

 

 

「ちなみに、おふたりはどこまで進んだのですか!?」

 

「おいやめろ! 今はそんなこと、どうだっていいだろう!?」

 

 

 ざわめくミレイナを制そうと刹那が叫ぶが、顔が赤らんでいるところや狼狽えぶりのせいで、説得力は皆無である。

 

 以前からの付き合いで、クーゴは“グラハム(現:ミスター・ブシドー)と刹那が恋人同士である”ことは知っていた。本人たちは口に出していなかったが、2人の間には確かな絆があった。

 しかし、不思議なことがある。普段はあまり感情を表さない刹那が、必死になって話を逸らそうとしていた。まるで、2人の間に「何かあった」とでも言いたげである。とても、言葉にできない“何か”が。

 

 不意に、アヘッドのコックピット内部の様子が『視えた』。まるでミレイナの声が『聞こえた』のか、ブシドーはどこか寂しそうに笑う。

 

 

「私個人の見解としては、自然消滅……と言うべきところかもしれん」

 

 

 もう終わってしまったのだと、その表情は語っている。――けれど、次の瞬間、開き直ったように不敵に笑った。

 

 

「ちょっと待て!!」

 

 

 クーゴは弾かれたように飛びあがった。クーゴのデジャヴが正しければ、この後、大変なことにならなかったか。

 この場にいる人間たちではどうしようもないことが起こった気がする。ダメだ、ブシドーにこの先を言わせてはいけない。

 慌てて制しようとしたクーゴを振り切るが如く、翠緑の瞳に祈るような想いを孕ませながら、ブシドーは盛大に叫んだ。

 

 

「だが、ここは敢えて言わせてもらおう! ――私と彼女は、もう既に一線を超えていると!!」

 

「ええええええええええええええええええええええええええええええ!!?」

 

 

 恐ろしい爆弾発言に、この場一体が悲鳴に飲み込まれた。

 

 

「貴ッ様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

「ははははははは。羞恥に悶えるキミも魅力的だな!」

 

 

 ブシドー/グラハムとの関係を暴露された刹那は、羞恥心からか顔を真っ赤にしていた。彼女の怒りを反映させたかのように、ダブルオーがグラハム/ブシドーの機体に攻撃を仕掛ける。対するブシドーは問題発言をしながら、彼女の機体と鍔迫り合いを演じていた。

 

 大半のギャラリーは、ただただ驚きに声を上げることしかできない。「お前らいつの間にそんなことになってたんだ」と、言葉にするので精一杯だった。ミレイナが目を輝かせ、ラッセとスメラギが魂を飛ばしたような表情で呆けている。

 アレルヤとアヘッドの女性パイロットは顔を真っ赤にしてうろたえ、クリスティナとリヒテンダールが絶叫した。ロックオン(ライル)が「見かけによらず熱いなぁ!」と口笛を吹き、ティエリアとフェルトが戦慄いている。相当なカオスだ。

 

 その中で、にこにこ笑っているイデアは強者と言えよう。

 ……ここまでデジャヴに忠実にしなくていいじゃないか。

 クーゴは椅子に座りこみ、天を仰いだ。

 

 

(――あれ?)

 

 

 そうして、ふと、気づく。

 

 本来なら、敵側の通信なんて聞こえてこない。GN粒子のせいで、傍受することすらままならない状態だ。

 だが、先程のブシドーの声は、フルオープンでプトレマイオス中に響き渡っている。

 

 

「そういえばあいつ、人間卒業間近だった……」

 

 

 4年前の時点で、グラハム/ブシドーはクーゴと似たような状態――『ミュウ』としての『目覚め』を迎えかけている途中だった。

 思念波を展開して機体を確認すれば、彼のアヘッドが薄く発光している。どこまでも透き通った、綺麗な群青(あお)だ。

 まさか、彼もクーゴと同じ荒ぶる青(タイプ・ブルー)なのか。そう思ったとき、別の機体――ジンクスたちが発光しているのが『視えた』。

 

 

『……こういうとき、なんて言えばいいんすかね?』

 

『えーと、えーと……おめでとう?』

 

『いや、リア充爆発しろ?』

 

『どれもおかしいってことしかわかんねーよ……』

 

 

 懐かしい声だ。アキラ、ハワード、ダリル、ジョシュア――元第8航空部隊(オーバーフラッグス)の面々も、この場に居合わせてしまったらしい。

 しかも不幸なことに、4人はこの会話を『聞いてしまった』のだろう。その結果、正気度をごっそり持っていかれてしまったようだ。文字通りの混沌である。

 

 いや、それよりも。

 

 

(あの4人も人間卒業間近なのか……!?)

 

 

 4年間の間に、部下も大変なことになっていた事実に気が遠くなった。彼らの機体には、各々赤、緑、黄色の光が瞬いている。

 いつか、彼らにも変な会話が『聞こえる』ようになってしまうのではないかと思っていた。正直言って、現実になってほしくない光景だった。

 気苦労を一身に背負うのは、自分1人で充分だ――そう思っていたのに。なんだろう、どうしてだか泣きたくなった。

 

 戦場は相変わらず硬直状態である。混沌極まりない空気をまき散らしながら、誰もが一進一退の攻防を繰り広げていた。

 特に、刹那/ダブルオーとブシドー/武者のような佇まいのアヘッドと、アレルヤ/アリオスと女性/特殊改造のアヘッドが接戦状態である。

 

 

「……僕だって、僕だって……!」

 

 

 戦況が大きく変化したのは、後者だった。

 

 

「な、何!?」

 

「マリー! 僕はもう、二度とキミを離さない……!」

 

 

 アヘッドの攻撃を真正面から喰らいながらも、アリオスはアヘッドへと手を伸ばす。アレルヤの叫びに応えるように、アリオスはアヘッドを掴んだ。

 何とかして振り払おうとしたアヘッドであるが、アレルヤ/アリオスの意地に「負けた」と言わんばかりにGNドライヴが小規模の爆発を引き起こす。

 

 そのまま弧を描くようにして、2つの機体は眼下の島へと真っ逆さまに落ちていく。木々の生い茂る場所に堕ちたと思ったが、細かい位置を『視る』ことは不可能だった。

 

 丁度そのタイミングで、ダブルオーと武者のような佇まいのアヘッドの勝負も動いた。ダブルオーの機体が輝き、急速に加速し始める。あれは、トランザムだ。

 高速戦闘を行うダブルオーに翻弄されながらも、ブシドーのアヘッドは真っ向勝負を挑む。刃が閃き、間髪入れず片腕が吹き飛んだ。アヘッドがたまらず後退する。勿論、刹那は追撃に移った。

 ブシドーも、ただ逃げるだけではない。ダブルオーのピストル連射をギリギリで回避しながら、アヘッドは頭部のショートビームで応戦した。接近戦に特化させすぎたためか、遠距離武装はそれしかないらしい。

 

 だが、圧倒的な劣勢状態でありながらも尚、ブシドーのアヘッドはダブルオーに食い下がっている。あれは、ブシドーの気迫が成せる業だ。

 

 

(相変わらず恐ろしいな)

 

 

 諦めが悪くてしつこい男――それが、グラハム・エーカーの真骨頂である。ミスター・ブシドーとなった後も、根っこのところにあるものは変わらなかったらしい。

 コックピットにいた彼は、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。好敵手(ライバル)である刹那との戦いに、高揚と喜びを抱いているのが『伝わって』くる。

 しかし、その感情の奥底にあるのは、悲痛なまでの祈り/叫びだった。ブシドーが泣いているように見えたのは――星に手を伸ばす子どものようだと思ったのは何故だろう。

 

 次の瞬間、ダブルオーの動きが止まった。トランザムが切れたらしい。だが、その程度の問題だけではなかったようだ。ダブルオーの体ががくんと傾く。機体はそのまま、海へと不時着した。GNドライヴから白煙が上がる。

 

 文字通りの形勢逆転だ。ブシドーのアヘッドが、刹那のダブルオーを見下ろしている。刀の形をしたビームサーベルが、ダブルオーの首筋にひたりと付けられた。

 ダブルオーの危機に気づいた他の機体が、慌てて救援へ駆けつける。逆に、アロウズは天使へ追撃しようとするであろうブシドーを援護するために近寄ってくる。

 

 

「違う」

 

 

 不意に、ブシドーはそう言った。どこか怒りと憤りを感じさせるような声だった。

 

 

「キミの力は、そんなものではないだろう。そんなものではなかったはずだ」

 

「……!?」

 

 

 何かを確かめるような調子で、ブシドーは言葉を続ける。彼の表情が泣きだしそうに歪んでいるように『視えた』のは何故だろう。

 刹那が目を見開いたのと同じタイミングで、ブシドーのアヘッドはビームサーベルを鞘に戻した。そのまま、ダブルオーに背を向ける。

 

 

「未完成の機体……ならば、斬る価値もない」

 

「おい、ミスター!?」

 

 

 隊長機の制止に耳を貸さず、アヘッドはダブルオーから離れようとして――止まる。その動きに驚いた隊長機が再び声をかけるが、ブシドーは沈黙していた。

 次の瞬間、ブシドーのアヘッドが突然振り返った。カメラアイがギラリと光る。まるで、自分たちの邪魔をしようとする乱入者の気配を感じ取ったかのように。

 ブシドーのアヘッドの動きに呼応するが如く、ハワードたちが乗っていると思しきジンクスたちもそちらの方向へ向き直った。

 

 無邪気な悪意がこの場に満ちていく。その持ち主を、クーゴはよく『知っていた』。

 

 何度も対峙してきたモノアイの天使たちだ。今回は、MDの群れを引き連れていない。次の瞬間、天使の羽が武装を展開し、実弾とレーザーの雨あられを振らせてきた!

 異変に気づいたジンクスやアヘッドたちが退避行動をとる。ブシドーのアヘッドはどうしてか動こうとしないし、ダブルオーは身動きができない。

 

 

『イデア!』

 

『はい!』

 

 

 クーゴの思念波に応えるように、ダブルオーの一番近くにいたスターゲイザーが飛び出す。トランザムを発動させたのか、スターゲイザー-アルマロスの機体が赤く光り――

 

 

「――無粋な」

 

 

 スターゲイザーが防壁を展開するよりも早く、ブシドーのアヘッドが動いた。

 

 一閃。

 

 サーベルの赤とサイオン波らしき青の光が閃いたと思ったとき、ブシドーのアヘッドが、降り注いだ攻撃を真っ二つに切り裂いた。まるで、誰かの――クーゴの動きを再現したかのような一撃である。片腕でありながらも、見事な一撃だといえよう。

 彼の見せた動きは、いつぞや、天使たちと対峙したクーゴの居合斬りとよく似ていた。アヘッドの一撃が入ったのに遅れて、スターゲイザー-アルマロスが割り込み、防壁を展開した。攻撃の余波がびりびりと響いたが、ダブルオーもアヘッドも無事である。

 それを目にしたモノアイの天使たちは、癇癪を起したようだ。再び武装を展開し、身動きの取れないダブルオーを屠ろうとする。イデアのスターゲイザー-アルマロスが迎撃しようとしたとき、ブシドーのアヘッドが天使たちを睨みつけた。

 

 コックピット越しから、ブシドーも天使および天使のパイロットを睨みつけているのだ。肌を刺すようなプレッシャーが、この場全体を支配する。

 ダブルオーより離れた場所にいるプトレマイオスでさえそうなのだ。アヘッドの傍にいる刹那やイデア、アヘッドと対峙している天使たちは、どれ程の圧力を感じているのだろう。

 

 

「……私は、貴様らのような輩が、大の嫌いときている」

 

 

 大地の底から轟くような声だった。天使のパイロットはたじろいだが、それでも言い募る。

 

 

「何言ってるんだよオッサン!」

 

「今ここでダブルオーを倒せば、こちらが有利になることは分かっているだろう?」

 

 

 次の瞬間、殺気が増大した。それに気圧されるようにして、クーゴの体は吹っ飛ばされたような形で崩れ落ちる。壁に背中をぶつけたため、痛い。

 自分でさえこれなら、彼の近辺にいる人間たちは一体どんな状態になっているんだろう。不安になったが、縫い付けられたように身動きが取れなかった。

 

 天使たちは武装を展開したまま、身動きできない様子だった。彼らの砲門は、明らかにブシドーのアヘッドを狙っている。奴らはダブルオー諸共、ブシドーを葬り去るつもりだったらしい。

 

 

「何人たりとも手出しは無用。あの機体は、私の獲物だ」

 

 

 ブシドーの声は、勤めて静かであろうとしているように聞こえる。

 だが、その言葉には、激しい感情がにじみ出ていた。

 

 アヘッドがダブルオーを見下ろす。

 

 

「今回は敢えて見逃そう。次は、完全な機体での全力勝負を所望する」

 

 

 それだけ言い残し、今度こそ、ブシドーのアヘッドはダブルオーから離れていった。幾何か遅れて、アロウズの指揮官機がブシドーを引き留めようと飛んでいく。しかし、引き留めることはできなかったようだ。

 ダブルオーを取り囲んでいたジンクスたちの動きも鈍い。おそらく、ブシドーの殺気および気迫が尾を引いているのだろう。さらに遅れて、モノアイの天使が刹那/ダブルオー、およびブシドー/武者のような風貌のアヘッドを葬ろうと動き出す。

 だが、奴らはスターゲイザー-アルマロスやセラヴィー、ケルディムらの攻撃によって散開した。3機のガンダムはダブルオーを守るように陣取り、ジンクスやアヘッドたちと対峙する。間髪入れず、船内に魚雷発射を告げるラッセの声が響き渡った。

 

 海中から飛び出した魚雷が爆ぜる。この場一帯に、高濃度のGN粒子が散布されたらしい。ジンクスやアヘッドのパイロットたちが焦る声が四方八方から『聞こえて』きた。

 

 幾何かの間をおいて、彼らの悔しそうな感情が『伝わって』くる。彼らの気配はあっという間になくなった。

 どうやらアロウズ側は撤退することにしたらしい。しかし、問題はまだ終わらなかったようだ。

 

 

「アリオスの反応、補足できません!」

 

「ダブルオーを収容後、他の3機はアリオスの捜索に回って! みんなはそのまま、アリオスの反応を探し続けて頂戴!」

 

 

 フェルトの悲鳴と、スメラギの指示が飛んだ。クリスティナやミレイナが必死になってキーボードを叩く横顔が『視えた』。リヒテンダールとラッセも、心配そうに島の地図を見上げている。

 

 

「クーゴさん、出撃できそうですか?」

 

 

 イデアからの通信に、勿論と言いかけてつっかえる。

 言葉を飲み込んだのは、頭の中に虚憶(きょおく)が浮かんだからだ。

 

 アレルヤが銀髪の女性と抱き合っている姿が『視えた』。長い間会えなかった、遠距離恋愛の恋人を彷彿とさせるような光景である。2人は幸せそうに見つめ合い、ぐっと距離を縮めた。――キス、したのだ。

 次に脳裏に映ったのは、女性の加入によってある種のお祝いムードに沸くZEXISだ。アレルヤと銀髪の女性が照れた様子で互いの紹介を始めている。恋愛に首を突っ込む面々が、アレルヤと女性に根掘り葉掘り問いかけていた。

 トドメとばかりに『視えた』のは、アッシュフォード学園で行われた恋のキューピット祭りで追いかけっこに興じるアレルヤと銀髪の女性である。どこからどう見ても、普通の恋人同士のキャッキャウフフだ。この追いかけっこが超高速でなければ、だが。

 

 

「――お祝いしなきゃ」

 

 

 その光景を『視』終わったクーゴの口から出てきたのは、自分でも意味が理解できない言葉だった。だのに、異様な使命感がクーゴを突き動かす。がばりと立ち上がったクーゴの足は、迷うことなく厨房へ向かっていた。

 

 

「はぁ!?」

 

「な、何言ってるんスか!?」

 

 

 クーゴの返答が聞こえていたのだろう。地図と睨めっこしていたラッセとリヒテンダールが眉間に皺を寄せたのが『視えた』。

 クーゴの反応が厨房へ向かっていることにも気づいたのだろう。「お前は一体どうしたんだ」という思念が『聞こえて』くる。

 クーゴだって捜索に加わりたいのは山々なのだが、何かに乗っ取られたかのように足が勝手に進んでしまうのだ。

 

 

「分からん! 俺だって、どうしてこんなことになっているのか分からないんだ!」

 

 

 弁明している間に、クーゴは厨房に足を踏み入れていた。そのまま、慣れた手つきで材料を取り出し、料理を作り始める。しかも、お祝い用の――かなり手間がかかる料理だ。

 尾頭付きの金目鯛を人数分取り出し、沸騰した鍋へ投入した己の行動に戦慄する。他にも、(材料から判断したものだが)ケーキやローストチキン等を作ろうとしていた。

 

 奇行に走ったクーゴの手を借りることは不可能だと判断したらしい。面々が深々とため息をついて、アリオスの捜索に向かう/捜索を続ける様子が『視えた』。

 

 本当に申し訳ない。クーゴは心から謝罪する。その間にも、クーゴの手は慣れた様子で料理を作り続ける。

 しかも、その手は休まる様子がないのだ。……なんて不気味な光景だろうか。超常現象もかくやと言わんばかりだ。

 1人大パニックに陥るクーゴであるが、どうにかする手立ては見つからない。料理を作り終えるしかなさそうだった。

 

 

 

*

 

 

 

 プトレマイオスが阿鼻叫喚になっている。理由は簡単、アレルヤが女性とキスをしている現場をおさえたためだ。

 

 その悲鳴を聞きながら、クーゴは眼前に並ぶ料理を見つめる。尾頭付きの金目鯛と豆腐の煮つけ、丸々1匹の鶏肉を使ったローストチキン(中にはハーブをふんだんに使ったピラフが入っている)、色鮮やかなエディブルフラワーを使って作ったフラワーハーブゼリーなどが雁首揃えて鎮座していた。

 和洋折衷。祝わなければならないという謎の使命感に駆られた結果がこれである。プトレマイオスから響く絶叫から、クーゴはようやく、この使命感の意味を理解した。おそらく、アリオス/アレルヤが回収されれば、ちょっとした宴が繰り広げられるであろう。

 

 

「盛り上がってるところ悪いんだが、やっと奇行が止まった」

 

「ってことは……」

 

「お祝い仕様のご飯もできた」

 

「やったぁぁぁぁ! 今日はパーティですねっ!!」

 

 

 イデアに報告すれば、彼女はガッツポーズを取った。豪勢な食事であると確信した面々も、ぱっと表情を輝かせる。それを聞いたロックオン(ライル)が、いいムードでいるアレルヤと女性に対して大音量で呼びかけた。

 2人の世界を盛大にぶち壊されたアレルヤたちは狼狽したようだが、「今日はパーティ」「主役はアレルヤ」という言葉に観念したらしい。若い恋人たちは頬を染め、はにかみながらプトレマイオスへと帰還した。

 艦内のあちこちから足音が聞こえる。食堂は大変なことになるだろう。クルーたちの和やかな話し声が聞こえてきた。その中には、今日の主役であるアレルヤの声もある。クーゴは苦笑しながら、作り上げた料理をテーブルへと運んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『生のお頭つき◆金目鯛と豆腐の煮付け(じゅげむ?さま)』、『柔かジューシー★ローストチキンハーブ風味(chez★zooomさま)』、『***フラワーハーブゼリー***(レンバスさま)』


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17.『宴のあと』事変

 アレルヤは覚悟した。あの恐ろしい悪魔から、自分は決して逃れることはできないのだと、骨の髄まで思い知った。

 

 目の前では、満面の笑みを浮かべたイデアがいる。ソレスタルビーイングの中で、「恋愛ごとを見ると介入せずにはいられない」と豪語する危険人物だ。

 彼女と似たようなタイプの人間として、最近ソレスタルビーイングに合流したミレイナが挙げられる。案の定、2人は最強のタッグを組んで、恋愛ごとを根掘り葉掘りしていた。

 

 以前、アレルヤは、イデアに根掘り葉掘りされたことが原因で失言をしてしまったことがある。

 自分が幼馴染のマリー・パーファシーに想いを寄せているということを、イデアの気迫に押されてうっかり話してしまったのだ。

 しっかり言葉にしたわけではなかったが、「マリーは優しい子」というコメントだけで、イデアがすべてを察するのはおかしくなかった。

 

 

「その子が、噂の『優しい子(マリーさん)』?」

 

 

 肉食獣が笑っている。さしずめ、アレルヤは獲物だろう。

 イデアの隣には、出がらし状態の刹那が天を仰いでいた。

 

 つい数分前まで、刹那はイデアから「恋人と一線を越えた」件について根掘り葉掘りされていたのである。あの様子だと、こってり絞られてしまったらしい。

 

 あれは、数秒後の自分が数十分後に辿る末路だ。アレルヤは直感する。ハレルヤがいたら、イデアと顔を合わせた瞬間に逃走していたであろう。

 ハレルヤは以前、「第3者視点からの話を聞かせてほしい」ということで、イデアに根掘り葉掘りされたことがあった。とんだとばっちりである。

 以来、そういう話になると、さっさと眠りにつくようになった。アレルヤの救援コールに対し、完全無視を決め込まれたことは1度や2度ではない。

 

 むしろ、その場に居合わせた他者を巻き込むような行動をとるようになった。主な例としては、先代ロックオンとティエリアである。

 たまにイアンや刹那、リヒテンダールやスメラギも道連れにしていた。後者を巻き添えにした後が一番恐ろしいことになったが、割愛する。

 

 

『……俺は退散するぜ。じゃあな!』

(ちょ、ハレルヤ!? いたの!? ってか、待って! 僕1人を、ラスボスの真ん前に置いていかないで!!)

 

 

 不意に、頭の中に響いたのは、もう会えないと思っていた片割れ――アレルヤのものだった。だが、彼の気配は一瞬で拡散し、掴めなくなる。幻聴の彼にさえも見捨てられたため、アレルヤは正直泣き出してしまいたかった。

 

 周囲の人間たちは「ご愁傷様」と言いたげな眼差しを向けてきた。この場には、アレルヤの味方など存在していないようだ。

 ちらりと視線を向ければ、マリーはミレイナたちと楽しそうに話し込んでいる。ガールズトークができるという環境が嬉しいらしい。

 イデアはアレルヤへの尋問を止めて、ガールズトークの輪に入ることにしたようだ。ニコニコ笑いながら雑談に加わる。

 

 

「練り香水っていい匂いね」

 

「種類も豊富だし、外見もかわいいですしね」

 

「ねー」

「ねー」

「ねー」

 

 

 ガールズトークを行う面々の周囲に、お花が沢山飛んでいる。

 見ているだけで、この後に待ち受ける運命なんて忘れてしまえた。

 アレルヤはデレデレした笑みを浮かべ、噛みしめるように呟く。

 

 

「そんなマリーがかわいい」

「そんなアニューがかわいい」

 

 

 声が被った。振り返れば、デレデレと笑う2代目ロックオンがアニューを見つめている。

 2人は無言のまま顔を見合わせた後、拳を撃ち合わせハイタッチしたのちに親指を立てた。同士がいるって素晴らしい。

 

 

「……お前ら」

 

 

 ラッセがげんなりとした口調で何かを言っていたような気がするが、今の/イデアに尋問された直後のアレルヤには、関係のないことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴会が始まったときから、アレルヤは精根尽き果てたようにぐったりとしていた。ついでに、刹那も心なしか疲れ切っているように思う。そんな2人に対し、ティエリアとリヒテンダールが「ご愁傷様」と言いたげな眼差しを向けていた。

 ラッセ、イアン、スメラギはどこか遠い目をしていたし、ロックオン(ライル)は会話のノリについていけずにいる。そんな中で、イデア、アニュー、クリスティナ、ミレイナ、マリーが楽しそうに雑談に興じていた。文字通りのガールズトークである。

 

 

「アレルヤ、大丈夫か?」

 

「……うん。マリーが楽しそうなら、僕は、もうそれでいいよ……」

 

 

 ティエリアの問いかけに、アレルヤは煤けた笑みを浮かべて頷いた。彼は、クーゴが作ったローストチキンをぽそぽそと食べ進めている。食べるペースがいつもより遅い。

 味が合わなかったのだろうか? クーゴがそれを問いかける前に、アレルヤは力なく微笑んで「美味しいよ」と言った。囁くような声色は、疲労を色濃くにじませている。

 どうやら、宴会が始まる前に何かあったらしい。そのせいで、アレルヤは疲れ切ってしまったようだ。彼の視線の先には、眩しい笑顔を浮かべるマリーの姿があった。

 

 ガールズトークに興じながらも、イデアは食事の手を緩めなかった。ティエリアも、アレルヤのことを心配しながらも食事の手を緩めない。

 

 イデアのフォークがローストチキンに伸びた。ほぼ同じタイミングで、ティエリアのフォークもローストチキンに伸びる。2人とも別方向を向きながらフォークを伸ばしたため、気づいていない。

 次の瞬間、鈍い音が響いた。ガッ、という音と共に、皿の上に残されたチキン――しかも、最後の1切れだ――に2つのフォークが突き刺さる。双方から引っ張られたチキンは微動だにしなかった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 イデアとティエリアが、静かに火花を散らしている。無言のまま、2人は互いの出方を待っている様子だった。睨み合いが続く。

 

 

「また始まった……」

 

「4年前は、ああいうことなんてなかったのにね」

 

 

 2人の戦いを観戦しているリヒテンダールとクリスティナが苦笑した。気になって、クーゴは思わず問いかける。

 

 

「じゃあ訊くが、4年前の食卓事情はどうだったんだ?」

 

「クルーの中でも、イデアが一番こだわりが強くて食い意地張ってたッス。逆に、ティエリアは今みたいに食い意地張ってなかったかも」

 

「リヒティ、行儀悪い」

 

 

 金目鯛の煮物に舌鼓を打ちながら、リヒテンダールがフォークでイデアたちを指示した。間髪入れず、キヌアや野菜を使ったキッシュを食べていたクリスティナに頭をはたかれる。リヒテンダールは苦笑しながら、クリスティナに頭を下げた。夫婦漫才である。

 イデアは以前から、食べることが大好きだったようだ。以前からいい食べっぷりを見せてくれると思っていたが、成程納得である。不意に、「いっぱい食べるキミが好き」というフレーズが頭をよぎったのは何故だろう。クーゴにはよくわからなかった。

 次の瞬間、イデアとティエリアの短い声が重なって響いた。見れば、最後の1切れだったチキンが真っ二つになっている。視線を上げれば、ナイフを片手に持った刹那がいた。唖然とするイデアとティエリアを一見した刹那は、厳かに言い放つ。

 

 

「戦争の火種となるものを絶つ……それが、ソレスタルビーイングだ」

 

 

 刹那はどこまでも大真面目だった。ポカンと自分を見つめるイデアとティエリアを真っ直ぐ見返しながら、自身もカプレーゼを食べ進める。

 

 イデアとティエリアは顔を見合わせる。幾何の沈黙の後、イデアが思いっきり噴き出した。一歩遅れて、ティエリアも小さく噴き出し口元を緩める。

 「半分こね」「ああ、だな」なんて会話をしながら、2人はチキンを皿に取った。丸く収まったようで何よりである。クーゴはふっと息を吐いた。

 

 

「早いな。もう、メインディッシュがなくなっちまった」

 

 

 あーあ、と言いながら、ラッセがローストチキンが乗っていた皿を名残惜しそうに見つめた。どうやら、彼もチキンを狙っていたらしい。

 同じように、ローストチキンが乗っていた皿を見つめていたのは他にもいる。マリーやアニューも、もう少し食べたかったと目で訴えていた。

 半分こまでして丸く収まったはずのイデアとティエリアも、内心はもっと食べたかったのだろう。寂しそうに視線を逸らした。

 

 クーゴはふっと笑みを浮かべ、立ち上がった。

 

 

「いやはや、こんなこともあろうかと」

 

 

 そう言って、厨房から大皿を運び込む。皿の上に盛り付けられていたのは、先程姿を消したばかりのローストチキンであった。

 「2羽目」とクーゴが言えば、物足りなさそうにしていた面々が表情を輝かせる。他にもおかわりはまだあると言えば、この場が喝采に包まれた。

 

 

「じゃあ、いっぱい食べても大丈夫ね! 沙慈、あーん!」

 

「あーん……うん、おいしい! じゃあルイスも、あーん!」

 

 

 クロスロード夫妻が、いい笑顔でキッシュの食べさせ合いっこをしている。こっちもこっちでバカップルであった。ハートが目に眩しい。

 視界の端で、スメラギが水を一気飲みしていた。彼女はお冷の消費量が一際激しい。気のせいでなければ、「リア充め!」という叫びが聞こえた気がする。

 仲睦まじい夫婦の様子に触発されたのか、マリーがカプレーゼを大量に皿に取り始めた。躊躇うようにそわそわした後、アレルヤの元へ近づく。

 

 

「どうしたの、マリー?」

 

「……アレルヤ、あーん」

 

 

 マリーの「あーん」は、ルイスや沙慈よりも棒読みであった。おそらく、彼女はそういったことをやり慣れていないのだろう。元は超兵として実験や戦闘に勤しんでいたため、平穏とは程遠い場所にいたと聞く。

 いきなりの展開に、アレルヤは真顔で噴出した。そのまま、彼は顔を真っ赤にして狼狽える。アレルヤの様子を見たイデアとミレイナがニヨニヨと笑い、彼の様子を見守っていた。狼狽するアレルヤの様子に、マリーは悲しそうに目を伏せる。

 

 

「やっぱり、嫌だった?」

 

「そんなことない! 嬉しいよ!!」

 

 

 泣き出してしまいそうなマリーを引き留め、アレルヤは勢いよく頷いた。彼の様子に、マリーは安堵したように頬を緩ませる。

 

 2人はぎこちなく――けれど、とても嬉しそうに、食べさせ合いっこを始める。次の瞬間、ラッセとスメラギがテーブルの上に突っ伏した。

 ミレイナとイデアが嬉々迫る悲鳴を上げ、刹那やティエリア、クリスティナとリヒテンダールが生暖かくアレルヤたちを見守った。

 

 何を思ったのか、イアンが端末を片手に席を外す。彼の頭の中に浮かんだのは、麗しい貴婦人であった。どうやらこの人物がイアンの妻らしい。外見がかなり若いが、『ミュウ』の若作り云々を知っている身からしては油断できない。

 世の中には、外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズをかます展開があるのだ。年齢指定モノのゲームでもびっくりである。事実は小説より奇なり。

 不意に、頭の中に虚憶(きょおく)が浮かんだ。イアンの妻を目にした貧乏探偵が「犯罪だ」と零している。お前が言うなと口から出かかったのは何故だろう。別の虚憶(きょおく)では、ザフトレッドの少年から「何かが間違ってる!」と突っ込まれていた。酷い言われようである。

 

 

『大丈夫よ、問題ないわ。世の中には“外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズする展開がある”んだから』

 

『諸君、それは私だ』

 

 

 非難轟々の面々に対し、女性はいい笑顔で弁明した。その言葉を肯定するかのように、ベルフトゥーロが踏ん反り返る。

 この場一帯が凍り付く中、『ミュウ』の面々は天を仰いだ。かなり初めの頃から、その話は聞かされていたためである。

 

 

(……うん、これはひどいなあ)

 

 

 クーゴは乾いた笑みを浮かべながら、ローストチキンを食べ進めた。

 

 

 

*

 

 

 

 宴は滞りなく進み、デザートのフラワーハーブゼリーがお目見えした。様々なハーブや色とりどりのエディブルフラワーをふんだんに使った、目に栄えるデザートである。

 花を使ったデザートを初めて見たのか、女性陣が目をキラキラ輝かせた。煌びやかなものに疎そうな男性陣も、その美しさには惹かれるものがあったらしい。感嘆の息を吐いた。

 ちなみにこのゼリー、2層のケーキとなっている。上部――花が彩りよく詰め込まれた方――が白ワインとキルシュを使ったゼリーで、下部がレアチーズケーキだ。

 

 未成年であるミレイナに配慮し、上部のゼリーを作る際に使った白ワインは、水と一緒に煮込んでアルコールを飛ばしてある。

 

 

「ここ、凄いですよね。特に酒類の品揃えが豊富で。白ワインはお酒専用の冷蔵庫から拝借しました」

 

 

 ゼリーを切り分け配膳しながら、クーゴは自ら話題を振ってみた。

 

 白ワインを取り出した冷蔵庫には、ありとあらゆる種類の酒が入っている。

 終いには、日本酒の大吟醸――時価1万数千円程のものだ――まで入っていた。

 

 

「もしかして、キッチンドランカーの方がいらっしゃったり?」

 

 

 途端に、スメラギがびくりと肩をすくませて視線を逸らす。それを見たイアンが、そういえばと手を叩いた。

 

 

「スメラギさん、アルコール飲むのやめたのか? 冷蔵庫の酒類、全然減っていなかったし……」

 

「あー。確かに、おやっさんの言う通りだな。飲まないのか?」

 

 

 イアンの問いかけに、ラッセが補足を入れた。成程、あの冷蔵庫はスメラギ用のものだったらしい。

 彼女は居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、深々と息を吐いた。その横顔には陰りが見える。

 スメラギは何かを思い返すように瞳を閉じた。そうして、静かに目を開ける。――陰りは、無くなっていた。

 

 

「もう、やめたの」

 

 

 スメラギは、満面の笑みを浮かべて頷いた。何かを振り切ったような、晴れやかな表情である。ラッセとイアンは驚いたように目を瞬かせたが、納得いったように微笑んだ。

 他の面々も何か思うところがあるようで、この場に沈黙が落ちる。この質問は、何かまずかっただろうか。クーゴが居心地悪そうにしたことを察したのか、スメラギが笑った。

 

 

「私はもう飲まないから、他のみんなで消費して頂戴。勿論、料理に使ってくれても構わないわ」

 

 

 そう言って、スメラギは部屋を出て戻ってきた。彼女の両手には、大吟醸の一升瓶やワインの瓶が握られている。

 

 スメラギはその中から赤ワインを引っ張り出すと、それをワイングラスに注いでアレルヤとマリーに手渡した。

 本日の主役、と、彼女は楽しそうに笑う。素面にしては、どこかほろ酔い気分の人間に見えるのは気のせいだろうか。

 …………いや、違う。あれは、酔っているのではない。半ばヤケになっているのだ。

 

 スメラギは鼻歌混じりにアルコールをグラスへ注ぎ、クルーの面々へ配って回る。クーゴには、日本酒の大吟醸が入ったグラスが手渡された。

 「この大吟醸はロックで飲むと美味しい」という話を、親戚から聞いたことがある。スメラギはそのことを知っていたようで、手渡されたグラスはロックであった。

 

 

『いいかいクーゴ。間違っても、キミはアルコールを飲んじゃいけないよ』

 

 

 いつかの記憶がフラッシュバックする。こめかみに青筋を立てたビリーが、必死な顔で訴えていた。彼の隣にいたグラハムも、沈痛な面持ちで頷いている。

 どうして2人がそんな顔をしているのだろう。どちらかというと、圧倒的な意味で被害者になっているのはクーゴの方である。特にグラハムには、何度も振り回された。

 自分があの2人を振り回した経験は少ないとクーゴは思っている。最も、そんなことを言ったら、グラハムとビリーも「振り回したつもりはない」と豪語するだろうが。

 

 クーゴはしばしグラスを見つめた。氷とグラスがぶつかり合い、軽やかな音を響かせる。

 

 少しくらいなら、飲んだって大丈夫だろう。

 記憶の中の親友たちが顔面蒼白になった姿を思考の外へ追いやり、クーゴはグラスを煽った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起きた。誰もが同じことを考える。

 何が起きた。誰もが同じ表情を浮かべて、互いの顔を見合わせる。

 何が起きた。誰もが騒然としながら、男を見上げていた。

 

 宴が終わった後の食堂は、始まる前と同じようにピカピカだった。後は、それぞれの自由時間を過ごすだけだった。なのに、どうしてこうなったのだろう。

 

 鈍器と同じレベルの分厚さの本を片手に、クーゴ・ハガネは仁王立ちしていた。本にはおどろおどろしい文字で『CALL Of CTHULHU』と書かれている。小脇には『CTHLUHU2010』と書かれた別の本を抱えていた。そんなものどこから出したのか。

 この場にいる面々を見つめるクーゴの瞳は、日本刀を思わせるような鋭さを宿している。容赦なく垂れ流しになる殺気によって、誰1人ともこの場から逃げ出すことができないでいた。足は縫い付けられたように動かない。

 

 どかん、と、派手な音が響いた。

 

 クーゴが、鈍器のような分厚さの本を、食堂の机に置いたからだ。

 置いたというよりは、叩きつけたといっても過言ではない。

 

 厳かな空気を漂わせ、クーゴは静かに告げる。

 

 

「――クトゥルフやるぞ。刹那・F・セイエイ、イデア・クピディターズ、ロックオン・ストラトス、ティエリア・アーデ、アレルヤ・ハプティズム。お前ら全員、日本の学生な」

 

 

 

*

 

 

 

「『はは、はははは。はははははははは!』」

 

 

 日本刀の刃を思わせるような眼差しはそのままに、クーゴは高らかに笑った。圧巻且つ、迫真の演技である。

 怖い。怖すぎる。クーゴの気迫に流されるまま、テーブルトークアールピージー(通称TRPG)をする羽目になった面々全員の見解だった。

 

 現在、彼が演じているのは、今回のシナリオにおけるラスボス――オカルト研究部の部長、ナオミ・カシマである。その高笑いは、自分たちの眼前に邪心が降臨したかのようだ。

 

 今回のプレイヤーであるガンダムマイスター一同も、恐怖を煽るようなクーゴの様子に戦慄していた。例外はイデアで、彼女は熱っぽい眼差しでクーゴの演技を見つめている。

 恋する乙女とは、中々に便利な存在らしい。羨望を覚えないわけではないが、それとこれとは何か違う気がした。そもそも、イデアの方向性は大丈夫だろうか。

 

 

「『今回は失敗してしまったし、これくらいでいいだろう。もう、ここには何の用もない。私は失礼させてもらうよ』――ナオミ・カシマは高笑いし、屋上の手すりへ向かって走り出し始めた。このまま放置すると、彼女は屋上から飛び降りるだろう」

 

「……屋上の高さは?」

 

「落ちたら確実にタダじゃすまないな。打ち所が悪ければ即死もあり得る」

 

 

 クーゴの演技に飲まれていた刹那が、絞り出すようにクーゴへ問うた。クーゴは悪い笑みを浮かべながら、彼女の問いに答える。

 キーパーの答えを聞いた面々は思案した後、各々答えを出した。

 

 

「なら、駆け寄って引き留める」

 

「僕も刹那と同意見だ」

 

「俺もだ」

 

「僕は気絶してるから無理だろうね」

 

「私はハレヤ・アレイに応急手当使うためにその場を離れるわ」

 

 

 イデアだけ、他の4人と毛色が違う行動を取った。

 

 因みに、ハレヤ・アレイはアレルヤのプレイヤーキャラクターである。

 先程の戦闘で、彼はショックロールに失敗して気絶していた。

 ハレヤの耐久は1。賽子の女神によって、辛うじて生かされている状態であった。

 

 

「本音は?」

 

 

 クーゴは悪い笑みを浮かべたまま、イデアに問うた。

 イデアは悪戯っぽく笑う。

 

 

「『嫌な予感がするから、ナオミ・カシマから視線を逸らしたい』ですね」

 

「あっ! だったら俺も……」

 

「遅いぞ、タイムアップだ。このままイソラ・イラベ、ミライ・アサデ、ロクオ・スドウの3名は、ナオミ・カシマとのDEX対抗ロールに入る。レイカ・リンドウは応急処置の技能ロールだ」

 

 

 イソラ・イラベが刹那、ミライ・アサデがティエリア、ロクオ・スドウがロックオン(ライル)、レイカ・リンドウがイデアのプレイヤーキャラクターの名前であった。

 DEX対抗ロールの成功率は、全員20~30程度だ。その数字を見たロックオン(ライル)が「げっ!?」と声を上げる。刹那とティエリアも同じ気持ちのようだった。

 因みに、レイカの応急処置は65だ。この数値より低い値を出せば成功となる。クーゴは悪い笑みを浮かべつつ、ダイスロールを行った。賽の目が数字をはじき出す。

 

 イソラ・イラベが97、ミライ・アサデが09、ロクオ・スドウが69、レイカ・リンドウが52。結果は、刹那が致命的失敗(ファンブル)、ティエリアが大成功(スペシャル)ロックオン(ライル)が失敗、レイカ・リンドウが成功である。

 

 

「またか……!!」

 

「ご愁傷さま、刹那」

 

 

 頭を抱えた刹那の肩を、アレルヤが優しく叩いた。彼女のキャラクターは、先程からずっと出目が悪かった。

 アレルヤのキャラクターであるハレヤも、幸か不幸か、賽の目の気まぐれによって気絶状態にある。

 

 クーゴが応急処置の回復値を決めるために賽子を振った。1D3の結果は1。ハレヤの耐久は2になった。

 

 

「賽の目の悪意が見えるようだよ」

 

「まあまあ、皮一枚つながったってことで」

 

 

 アレルヤは天を仰いだ。イデアがのほほんと付け加える。

 

 

「嘘だろ!? 俺がこの3人の中で一番成功率高かったのに!」

 

「こんなこともあるのか……」

 

 

 ロックオンが悔しそうに声を上げ、3人の中で一番成功率が低かったティエリアが驚きの声を上げた。

 その結果を聞いたクーゴは、楽しそうに口元を緩ませた。……悪人面は相変わらずであったが。

 

 

「じゃあ、次はナオミ・カシマとミライ・アサデのSTR対抗ロール……と行きたいが、2人の数値だと自動失敗だな」

 

「ミライ・アサデはもやしだもんなぁ。STR最低値だっけ」

 

「茶化すな」

 

 

 苦笑したロックオン(ライル)を一見し、ティエリアはそっぽを向く。

 すべてのダイスロールが終了したのを確認し、クーゴは適宜処理を行った。

 

 

「では、結果を。まずは刹那からだ。ナオミ・カシマを捕まえようとしたイソラ・イラベは足がもつれて転倒してしまう。刹那は耐久値から-1だ」

 

「了解した」

 

「次はロックオン。ロクオ・スドウは、ナオミ・カシマの俊足に追いつけなかった」

 

「あー……」

 

「最後にティエリアだ。ミライ・アサデは、爆発的かつ驚異的な俊足により、ナオミ・カシマの腕を掴むのに成功する。しかし、力のなさが災いし、ナオミに弾き飛ばされてしまった。その際の衝撃で、彼女が小脇に抱えていた黒い表紙の本を偶然手にしてしまう」

 

「その本、明らかに魔道書じゃないか!」

 

 

 それぞれの悲喜交々が終わり、クーゴの語りが始まった。

 

 

「だが、ミライ・アサデがナオミ・カシマの腕をつかんだコンマ数秒が功を奏したのか、ナオミ・カシマは地面に叩き付けられることはなかった。その直前で、巨大な鳥の背中に着地したためだ。門の入り口をふさいでいた不気味な鳥である」

 

「シャンタク鳥ですね」

 

「そうだな」

 

 

 イデアの問いに、クーゴは頷いた。そうして話を続ける。

 

 

「ナオミ・カシマを乗せた鳥は、そのまま夜空の向こうへと飛んでいく。彼女と鳥の姿はあっという間に見えなくなった。……暫くして、校門にパトカーがやって来る。悪夢のような夜は終わったのだ。――おめでとう。キミたちは、化け物たちが徘徊する学校から脱出し、誰1人欠けることなく生き残った。シナリオクリアだ」

 

 

 ぴりぴりとした空気が拡散する。クーゴは先程までのような悪人面ではなく、素面のときによく見せる爽やかな笑みを浮かべていた。殺気から解放された面々は、椅子に座ったまま崩れ落ちる。特に、イデアを除いたガンダムマイスターたちの疲労が人一倍大きい。

 当然だ。この酔っ払いキーパー、何よりもまずロールプレイ――特に、台詞を言ったときの様子や口調、および態度――を重視する。ロールプレイのやり方によっては、ボーナスに+30~-30の変動が起きるのだ。しかも、物語の山場になるとボーナスが連続且つ頻繁に発生するのである。

 故に、プレイヤーは必然的に、キャラクターになりきることを要求される。それも、演技的な意味でだ。おまけにこのキーパー、本職とタメ張れるレベルの演技力を持っていた。しかも、どんな状況でも即時、即席対応する。難攻不落且つ隙のない演技に、飲み込まれてしまうことも多々あった。

 

 そんな極限状態で、5人の分身たちはどうにか生き残ったのである。賽の目の大暴走やキーパーのロールプレイ要求にも負けずにだ。

 彼らの健闘を讃えるクーゴからは、先程のような鋭い殺気を感じない。文字通りのチャンスだ。

 

 プレイヤーとしてゲームに参加していなかった面々が立ち上がり、そそくさと食堂から逃げ出そうとする。――しかし、彼らは扉まであと一息というところで足を止めた。否、止めざるを得なかったのだ。

 

 先程と同じ、鋭い殺気によって、体ごとこの場に縫い付けられる。辛うじて呼吸することは赦されているようだが、それ以外の行動は取れなかった。

 「どこへ行くんだ」――絶対零度の声がした。背中に寒気が走ったのは、きっと気のせいではない。低い声が、厳かに言葉を告げる。

 

 

「次。イアン・ヴァスティ、ラッセ・アイオン、スメラギ・李・ノリエガ、アニュー・リターナー、マリー・パーファシー」

 

 

 それは、次なる生贄の名前。

 第2ラウンドで舞台に引きずり出される面々の、死亡宣告だった。

 

 

「――お前ら全員、日本の小学生、女子児童な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソーマ・ピーリス中尉が名誉の戦死を遂げた――その情報は、アンドレイ・スミルノフの耳にも入っていた。

 

 彼女の遺品整理を申し出たアンドレイは、殺風景な部屋に足を踏み入れる。必要最低限のもの以外、この部屋には何もない。

 これなら、遺品整理もすぐ終わるだろう。アンドレイがそう思ったときだった。机の上に、可愛く包装された袋が2つ置いてある。

 メッセージカードの宛名には、父・セルゲイと、アンドレイの名前があった。自分の名前が書いてある袋を手に取り、開く。

 

 中身は、ロシアの伝統菓子であるアレーシュキであった。もう既に冷めてしまっているが、とてもおいしそうな香りを漂わせている。

 アンドレイは、何かに引き寄せられるようにしてアレーシュキを手に取った。そのまま菓子にかぶりつく。

 

 

「……美味しい」

 

 

 しかも、なんだかとても懐かしい。

 アンドレイがそう思ったとき、過去の記憶がフラッシュバックする。

 

 

『アンドレイ』

 

『この焼き菓子はね、お父さんが作ってくれたの』

 

『私とお父さんが恋人同士になったきっかけは、このアレーシュキなのよ』

 

 

 幸せそうに笑った母が、アレーシュキを片手にしてくれた話を思い出す。父と母の馴れ初めだ。

 幼い頃はいつもその話を聞きたがっては、父を赤面させていたか。照れる両親を見るのは、とても珍しい光景だった。

 

 しかし、どうして、ピーリスはこの味を知っているのだ。この味を再現できたのか。

 

 アンドレイが疑問に思ったとき、メッセージカードが目についた。そこには、「大佐から作り方を教わった(要約)」と書いてある。ああ、だから味を再現できたのか。

 いつぞや、迷うことなくゴミ箱にぶちこんだアレーシュキの袋が脳裏をよぎる。しかし、アンドレイはそれを振り払うようにして首を振った。

 

 

(これは、ピーリス中尉が作ったものだ。スミルノフ大佐が作ったものじゃない)

 

 

 そう言い聞かせながら、アンドレイはアレーシュキを食べ進める。

 しかしながらその味は、遠い日に父が作ってくれたアレーシュキそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(昨日の夜の記憶が思い出せない)

 

 

 クーゴはしきりに首をひねったが、本当に何も出てこない。他の面々に話を聞いてみると、「クトゥルフ」だの「セッション」だのと呟き、そっと視線を逸らされてしまう。

 そういえば、クーゴが使わせてもらっている部屋に、いつの間にかクトゥルフ神話TRPGに使うルールブックとサプリメントが置かれていた。私物として持ってきた覚えがないのに、だ。

 ユニオン時代から、何度かセッションはしたことがある。大抵、主にグラハムの暴挙によって収拾のつかないことに陥りがちであった。次鋒でビリー。彼らはいつも、キーパーのSAN値を削りにかかってくる。

 

 しかし、その話をすると親友たちは不満そうに言うのだ。「キミだって、我々のSAN値を削りにかかってるではないか」と。そんなセッションをした記憶は一切ないのに。閑話休題。

 

 

「むー……」

 

 

 談話室の片隅で、ルイスはPCと睨めっこを続けていた。パタパタとキーボードを叩く音がひっきりなしに響いてくる。

 そんな妻の様子を、夫の沙慈は静かに見守っていた。当然、2人の様子に疑問を抱く人間だっている。

 

 クーゴもその1人であるが、自分よりも速く動いた人物がいた。

 

 

「お前たち、何をしているんだ?」

 

「あ、刹那」

 

 

 話しかけてきた刹那に、ルイスは笑顔で応えた。そのまま、PC画面を指示す。

 

 PCを覗き込んだ刹那の表情が凍り付いた。何度も瞬きを繰り返し、PC画面と睨めっこを繰り返した。

 そんな刹那を脇目に、ルイスは再びPCのキーボードを叩いた。刹那の目が更に見開かれる。口元が戦慄いた。

 彼女はピクリとも動かない。次に声をかけてきたのは、やっと正気に戻ったスメラギだった。

 

 スメラギもまた、PC画面を見て凍り付く。

 眉間に皺が寄った。ぜろがこんなに、と、彼女の口元が動く。

 

 

「……投資した額は?」

 

「これの2000分の1ですけど」

 

 

 「この調子で、目指せ! 投資額から8桁増の利益!」なんて、ルイスが笑いながらキーボードを叩いた。スメラギが「嘘でしょう!? こうしている間にもまた桁が増えた!」と言ったあたり、ルイスの資産は鰻登り状態であるらしい。

 元々彼女は大きな財閥の跡取り娘だったと聞く。財閥の長だった父親の才能――特に、金を増やす才能――を、ルイスは色濃く受け継いでいたらしい。パタパタとキーボードを叩く音がひっきりなしに響き渡る。

 というか、どうして今、自分の資産をそんなに増やさねばならぬのか。クーゴが疑問に思ったとき、クーゴの端末が高らかに鳴り響いた。誰からの連絡だろう。それを確認する。差出人は、ベルフトゥーロだ。

 

 文面はない。ただ、画像データが1つ。

 

 クーゴがそれを開いたとき、そこには黒いダイヤという異名を持った魚――クロマグロが映し出されていた。丸々肥えた様子と大きさからして、100Kgは優に超えているだろう。人間と比べると、大人2人が肩車する程度か。

 しかも、このクロマグロには真空処理が施され、冷蔵されている。鮮度は抜群だ。だが、この写真が何を意味しているのか、クーゴにはよく分からない。どうして今、こんなものが出てきたのか。

 

 

『よう、若造。元気かい?』

 

『……ぼちぼちです』

 

 

 ベルフトゥーロからの思念波だ。クーゴは苦笑しながら、曖昧に返事を濁した。

 

 

『で、このクロマグロが何か?』

 

 

 クロマグロの写真だけを送られても、クーゴには何をどうすればいいかなんて分かるはずがなかった。……まあ、マグロ解体士の資格は持っているが。

 今からベルフトゥーロの元へ来いというのだろうか。クーゴが眉間に皺を寄せると、ベルフトゥーロは微笑んだ。

 

 

『近々使うからさ。そのときに、こいつを解体してほしいと思って』

 

 

 

 この依頼の真意が、ルイスが投資額を増やそうとした理由と同じであることをクーゴたち知るのは、しばらく後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『簡単 生地なし!キヌアキッシュ(いのひろキッチンさま)』
『Pixiv』より、『学校の怪談inクトゥルフ 【クトゥルフ神話TRPGシナリオ】(やまひつじさま)』
『ダイスロール|クトゥルフWebダイス』より、『1D100(ダイスツールで実際に振ってみた)』、『1D3(ダイスツールで実際に振ってみた)』


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幕間.『ミュウ』たちの遥かなる想い

 うだるような日差しが差し込んでくる。どこまでも真っ白な砂浜と、真っ青な海が広がっていた。

 

 

「いやあ、良い景色ですねぇ。絶好のバカンス日和ですよ」

 

『……ああ、そうかい』

 

 

 感嘆の声を上げたテオドアに返答したのは、虚ろな目でPC画面を見つめていたリボンズであった。

 彼に何があったのか、テオドアは知らない。状況報告がてら思念波で連絡を取ったときにはもう、こうなっていた。

 

 

「どうしたんですか? FXで有り金全部溶かしたような顔して」

 

『有り金は何とか無事だよ。相当時間がかかるけど、巻き返しは図れるさ』

 

「じゃあ、何があったんです?」

 

『とあるアクセスコードを追っかけてたら、その報復で、一番でっかいダミー企業に大打撃喰らった。他企業も連鎖で虫の息』

 

 

 リボンズは頭を抱えた。目の下の隈や窶れ具合からして、彼は相当憔悴しているように見える。ヴェーダの異常を発見して以来、アプロディアやフェニックス、アメリアスらとその原因究明のために駆け回っているのだ。当然と言えよう。

 

 

『まあでも、情報が掴めなかったわけじゃないよ。あのアクセスコードは複数の場所で使われているみたいで、そのうち1つは(ワン)家の秘匿通信系のところだってことがわかったんだ』

 

 

 ああ、やっぱり。

 

 

「あの人、裏だらけですからねー」

 

『つくづく思うけど、女って怖いよねー』

 

 

 リボンズの言葉に、テオドアは何となく納得した。2人は揃ってため息をつく。

 

 (ワン)家は世界的大財閥である。ソレスタルビーイングに多額の出資をしている一方、アロウズや、明確な用途および提供先不明の出資が行われているのも事実だ。しかも、用途不明の金額をすべて合計すると、ソレスタルビーイングに関する出資よりも額が多い。

 出資者が自団体(ソレスタルビーイング)以外にどこに出資するかのチェックはするだろうが、自団体(ソレスタルビーイング)の敵対組織に潜り込むための費用だって必要なのだ。「諜報活動の費用」と言われれば、アロウズに出資していたとしてもお咎めは少ないだろう。

 今、ソレスタルビーイングが欲しているのは情報だ。自身の情報収集およびバックアップを担当するスーパーコンピュータを持たない彼らは、アロウズを動かす存在と接触したいと考えている。……ぶっちゃけ、ヴェーダを有していたとしても、ヴェーダを改竄すると思しき力を持つ連中が相手なのだ。

 

 活動を始めた当時は、ヴェーダがハッキングされているという事実を想定しようとさえしなかった/ヴェーダを熱く信奉していた面々である。

 特にティエリアは、自分の親のような存在が、他者によって悪意のために使われているだなんて信じられなかっただろう。4年前の彼なら、卒倒していたに違いない。

 

 

『そう考えると、あの子も成長したってことか……』

 

「親戚の子が成長した様子を喜ぶおじさんみたいですよ」

 

 

 感慨深そうに目を細めるリボンズの顔が『視えた』ような気がして、テオドアは苦笑した。

 年齢差から考えると、テオドアだってもれなくその対象に入っているのだろう。気持ちは分からなくないが。

 

 

『リボンズの坊も、感慨深さを感じる年になったのか』

 

『……ちょっと、意外だったかも』

 

 

 アプロディアと一緒にヴェーダの異常を解析していたフェニックスとアメリアスが声をかけてきた。

 

 因みに、この2人はリボンズより年上であり、ベルフトゥーロと共にこの地球へ降り立った一団である。世代的に考えれば、フェニックスとアメリアスは第1世代の『ミュウ』だ。第1世代は他にも、エルガンやスオル、クラールやノーヴル等が挙げられる。

 また、この地球上に降り立って以後に生まれた『ミュウ』の子どもたち、または地球で暮らしていた人間が『ミュウ』としての目覚めを迎えて引き入れられた者たちが、第2世代以後の『ミュウ』たちである。例としては、イデア、テオドア、クーゴ、リチャード、悠凪、征士郎、ひまり等が挙げられた。

 リボンズが2世代目の古参で、テオドアは推定5世代目である。最近『ミュウ』に目覚めたばかりのクーゴやロックオン(ニール)、教え子たちのトリニティ兄妹、元・お隣さんのエイフマン、生み出されてそんなに稼働年数が経過していないアニュー等が一番若い世代となっていた。

 

 

『そりゃあ、僕だって第2世代の古参なんだ。300年近く生きてるんだよ』

 

『俺はそろそろ400歳になるぞ』

 

『……私、フェニックスより20歳年上だよ』

 

『うん、知ってた』

 

 

 どこかムッとしたように言い放ったリボンズに対し、フェニックスとアメリアスが名乗りを上げる。

 それを聞いたリボンズは、居心地悪そうに目を逸らしていた。年上に反論してもしょうがないと思ったのだろう。

 リボンズは取り繕うように咳ばらいした後、至極真剣な眼差しになった。

 

 

『今、僕たちが欲しているものは、敵の情報だ。それを手にするためには、アロウズの懐に飛び込まなくてはならない』

 

「確かに」

 

『……近々、アロウズの関係者や出資者を中心に集まるパーティがあるっていう話は聞いてるだろう?』

 

「ああ、(ワン)留美(リューミン)も参加する」

 

 

 テオドアの確認に、リボンズは頷く。

 

 

『そこに潜入するための下準備をしていたんだけど……』

 

『一番大きなダミー企業が大打撃を喰らって、色々と辛い状況下にあるってやつか』

 

 

 フェニックスは深々とため息をつき、リボンズも沈痛な表情で頷いた。現在作り上げたダミー企業の中でも一番大きいものは、アロウズに多額の出資をしている。

 ダミーとばれないように気を付けるためには、途方もない財力をつぎ込まねばならない。企業の実績なんて、簡単に作り出すことはできないためだ。

 

 多少ならでっちあげられそうだが、アロウズにはヴェーダ以上のスーパーコンピュータがある。それを騙すためには、並大抵および付け焼刃でどうにかなるようなものじゃない。

 

 

『どうにかパーティにお声がかかるレベルになったと思ったのに……。今回は、見送るしかなさそうかな。別な手を考えなきゃ』

 

 

 リボンズは遠い目をした。損失を埋めている間に、件のパーティには間に合わないと踏んだのだろう。「そっちも頑張れ」と言い残し、彼の思念波はぷつりと途切れた。

 

 

「……だそうですよ?」

 

『OK! お金増やすの得意そうな人に声かけてみる!』

 

『確か、クロスロード夫人は学生時代、株とFXで小遣い荒稼ぎしてたんだったな』

『夫は逆に、FXや株で壊滅被害出したんだったか』

 

『草薙博士に連絡ついた? あの親子、運試しには強かったよね』

『それを言ったらひまりも相当だったわよ』

 

『アリスとハルノにも頼んでみよう』

 

 

 リボンズの思念が完全に途切れたのを確認し、テオドアは別の面々に思念波を送った。

 ヒリングが元気に返事を返したのを皮切りに、彼の弟妹たちが行動を開始する。

 フェニックスとアメリアスは、微笑ましそうにそれを眺めていた。が、すぐに2人も行動を始める。

 

 リボンズがこれ知ったら頭を抱えそうだ。彼はプライドが高く、何事もそつなくこなすのが当然だと思っている。そのために、彼はいつもひっそりと努力をしていた。

 しかも、その努力を他人に知られることを異様に嫌うのだ。「お兄ちゃんは常に頼れる人間でなければいけない」という脅迫概念でもあるのだろうか。

 

 

(さて、僕も頑張らなきゃいけませんね)

 

 

 テオドアはひっそりと頷き、視線を向けた。

 

 美しい海岸から陸地を臨むと、ぱっと見て、人工的な建物は一切ない。切り立った山々と、鬱蒼と生い茂る密林が視界を覆い尽くしている。まともに上陸できそうな浜辺は、テオドアがいる場所ぐらいだ。島の周囲は断崖絶壁で囲まれており、容易に侵入できないようになっていた。

 

 勿論、立地条件その他諸々の要素を加味しても、人の出入りは皆無に等しい。しかし、それを逆手に取ったソレスタルビーイングは、この島の奥地に秘密ラボを造り上げた。

 宇宙と地球には、ソレスタルビーイングの秘密ラボが多数存在している。物資補給用の貯蔵庫、日々開発が行われている武器庫、ガンダムに関係するものを隠すための保管庫等、用途は様々だ。

 

 

「……しっかし、よりにもよって、どうしてこの無人島だったんでしょうか」

 

 

 テオドアはげんなりと顔を歪めた。ここは、とあるガンダムが封印されている“いわくつき”の無人島である。木々や蔦が生い茂り、断崖絶壁や高低差の激しい大地という自然の要塞がいく手を阻むのだ。おかげで、上陸後の移動手段は徒歩に限られる。

 この島に足を踏み入れたレイヴは徒歩で島を探索するのだ。ガンダムが封印されている格納庫にたどり着くのは、ナビゲートがあっても日にちがかかるだろう。しかも、あの格納庫は何者かの意志によって固く閉ざされている。以前、入り込もうとして迎撃されたことを思い出し、テオドアは深々と息を吐いた。

 色々と多忙なリボンズに頼るわけにはいかない。幸い、(精神的な)持久戦はテオドアの得意分野だ。大量に持ち込んだゼリー食料へ手を伸ばし、封を切る。どろりとした液体を喉の奥へと流し込みながら、テオドアは待ち続けた。

 

 

(あれ?)

 

 

 不意に、別の思念/脳量子波が流れ込んできた。確か、彼はヒクサー・フェルミ。フェレシュテに属するガンダムマイスターでイノベイドである。彼は、ヴェーダの指示に従ってここへ足を踏み入れたらしい。

 ここには、ヒクサーにとって因縁深いガンダムが眠っている。イノベイドがガンダムマイスターになることを想定した機体――1(アイ)ガンダムだ。この島は、ビサイド・ペインに関わるものが揃っている。――揃いすぎている。

 

 ……なんだろう。どこかで悪意が蠢いているような気がしてならない。テオドアは薄ら寒さを感じつつ、ゼリー食品を煽った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リボンズが、寝ているな」

「寝ているな、リボンズが」

 

 

 ブリングとデヴァインが、部屋の中を偵察しながらそう言った。彼らの言葉通り、リボンズは机の上に突っ伏して眠っている。ここ最近、リボンズはずっと徹夜続きだった。

 「アロウズに出資している中堅企業経営者」と振る舞うために必要な隠れ蓑を失いかけているのだ。情報収集――黒幕との接触のために必要な肩書を失うわけにはいかない。

 自分たちの長兄は、世界を裏で操ろうとしている存在を追いかけている。ダントツで怪しいのが(ワン)留美(リューミン)と刃金蒼海だが、確証はまだ掴めていなかった。

 

 おまけに、件の2人が有している力は、自分たちが母と慕うベルフトゥーロにとって因縁深い存在の系譜を受け継いでいる。

 リボンズが気合を入れる理由も、自分たち5人――ブリング、デヴァイン、リヴァイヴ、ヒリング、リジェネは重々理解していた。

 

 

「それじゃあ、作戦を決行する!」

 

「手はず通り頼むわよ、アンタたち!」

 

「了解した!」

「了解した!」

「任せといてよ!」

 

 

 リヴァイヴとヒリングの音頭に、ブリング、デヴァイン、リジェネが敬礼のポーズを取った。そうして、5人はそれぞれの戦場へと駆け出していく。

 

 一番最初に部屋へ戻ってきたのはリジェネだった。彼の手には、大きなブランケットが握られている。色は、リボンズの髪よりも少し黄色がかったライム色だ。ダイア柄の薄緑がぼんやりと浮かび上がっている。

 高品質のラムウール100%の大きなブランケットは、リボンズの肩はおろか、体全体をすっぽり覆うような形となった。ブランケットの感触が心地よいのか、リボンズはもそりと小さく身じろぎし、ブランケットにすり寄るような動作を見せた。

 リジェネが部屋から出て暫くした後、ブリングとデヴァインが部屋に足を踏み入れる。ブリングはシンプルなデザインのアロマディフューサーが、デヴァインはアロマオイルの小瓶がセットになった箱を抱えていた。

 

 音を立てないように細心の注意を払いながら、ブリングはアロマディフューサーを使う準備を進めていく。

 その隣で、デヴァインはアロマオイルの説明書と睨めっこを続けていた。リボンズを起こさないよう、2人は思念波で会話する。

 

 

『ラベンダー2滴、クラリセージ2滴はどうだろうか。甘さもあるが、少々さっぱりめの香りとなっている』

 

『フランキンセンス2滴、ミルラ2滴、ベンゾイン2滴も良さそうだ。宗教的・スピリチュアルな組み合わせと言われており、嗅いだ者を甘く穏やかな気持ちにさせるという』

 

『睡眠への効能を追求するとするなら、ラベンダー2滴、サンダルウッド2滴という組み合わせもある。サンダルウッドの効能は、睡眠薬レベルらしいからな』

 

『しかし、サンダルウッドには催淫効果があると聞いたが』

 

 

 ブリングとデヴァインが言葉を止めた。ややあって、デヴァインが思念波を紡ぐ。

 

 

『そういえば、レティシアが張り切ってたな。『最強の催淫効果を持つ練り香水を作って、クーゴさんと熱く激しい“ピー(年齢指定のため略)”するんです!』って、サンダルウッドやイランイラン、クラリセージ等のオイルを集めていた』

 

『……………………………………………………そうまでしないと希望が見えないのか』

 

『……………………………………………………そうまでしても、希望は無さそうな気がする。むしろ、何か地雷を踏みぬきそうだ』

 

『『姉の使ってた香水と同じ臭いがする』って言われて凹む未来が見えるぞ』

 

 

 2人は淡々と作業を続ける。程なくして、心地よい香りが部屋いっぱいに漂い始めた。

 アロマディーフューサーのタイマーを設定し、灯りを調節する。

 作業が終わったタイミングで、リボンズが身じろぎした。眉間のしわが和らぐ。

 

 兄がほんの少しだけ緊張を解いた様子を確認したブリングとデヴァインは顔を見合わせ微笑み合うと、そそくさと部屋から退出した。

 

 それから更に時間が経過した後、次に部屋に入ってきたのはヒリングである。彼女が持っていたお膳には、狐色に焼き上がったクッキーや甘い香りを漂わせるスコーンが乗っていた。前者は蜂蜜レモン、後者はチョコレートを使っている。

 疲労回復には甘いものがいいと聞いた。ヒリングは戦闘用イノベイドではあるが、名前の語源――“Healing(治癒)”および“cure(治療法)”――に関する知識および技術にも長けている。その延長戦、もとい食事療法的な方面で、ヒリングは料理も嗜んでいた。

 

 

(暫く眠っててもらうわけだから、起きた直後に食べれるようなお菓子にしてみたんだけど……)

 

 

 クッキーとマフィンは、冷めても充分美味しく食べれるように工夫を凝らしてある。勿論、飲み物も完備だ。

 新鮮なレモンとフレッシュミントを使ったデトックスウォーターは、疲労回復や体調を整える働きがあるという。

 今のリボンズには必要なものだろう。目が覚めたときが楽しみだと思いつつ、抜き足差し足で彼女は部屋を出た。

 

 その直後、同じような調子でリヴァイヴが部屋に足を踏み入れる。彼の手には、CDを再生するプレーヤーが抱えられていた。部屋全体に音楽を流すようなタイプのもので、両手で抱えて持ち運ぶ程度の大きさである。

 

 リボンズの寝ているすぐ横を忍び足で歩きながら、コンセントにプラグを刺す。CDプレーヤーが動いたことを確認し、リヴァイヴは持ってきていたCDをセットした。やや控えめな音量で流れてたのは、ゆったりとしたクラシックであった。

 曲調は、どれも静かで穏やかなもので構成されていた。クラシックだったり、オルゴールの曲調だったり、流行歌をクラシックやオルゴール風にアレンジしたものだったり、様々である。

 

 リヴァイヴはそっと、眠っている長兄の顔を覗き込んでみた。眉間の皺は完全に消え去っており、規則正しい寝息がすうすう響いてくる。

 

 

『ミッションコンプリート。さあ、次の仕事だ』

 

『了解!』

 

 

 リヴァイヴの音頭に従い、各自が動き出す。音頭を出した張本人もまた、音を立てぬよう気を付けながら部屋を出て、次の戦場へ向けて走り出した。

 

 

 

*

 

 

 

 温かい。

 

 温度的な問題とは少し違う。いつかどこかで、リボンズはその感情/光に触れたことがあった。

 人の心の光。原初の男が体現したものだ。その優しい奇跡を、どこかの『自分』は『知っている』。

 

 

「……ん……?」

 

 

 どこか遠くから、オルゴールの曲が響いてくる。どこかもの悲しい曲調だが、オルゴール音源のため、透き通って綺麗な音色であった。

 やや遅れて、どこかから心地よい香りが漂ってきた。まどろみの中に沈んでしまいたいと思えるような気分になり――

 

 

「そうだ! 寝てる暇なんてなかったんだ!!」

 

 

 まどろみと甘えの気持ちを吹き飛ばし、リボンズは慌てて飛び起きた。

 

 途端に、何かが自分の肩からずるりと落ちる。その瞬間、思いのほかひんやりとした空気に身を震わせる羽目になった。

 床に落ちたのは大判のブランケットだ。拾い上げてメーカー云々を確認すると、材料にこだわって作られたブランド品であった。

 成程。通りで、手触りおよび肌触りがいいし、優れた防寒性および保温性を有している訳だ。くるまって眠っていたいと思ってしまう。

 

 

(人をダメにする系のヤツか……)

 

 

 襲い来る誘惑を振り払い、リボンズはどうにかしてブランケットを畳んだ。端末画面を確認しようとして、ふと、端末のすぐ横に置かれた皿とグラスに目を留める。

 美味しそうなクッキーとスコーンが置いてある。グラスは透明な液体で満たされており、リボンのようにスライスされたレモンとミントが飾られていた。涼しそうな見た目だ。

 

 皿の下にはメモが置いてある。『お疲れ様。ゆっくり休んでください。 家族一同』と書かれていた。

 

 どうやらリボンズは、弟や妹たちに沢山心配をかけたらしい。こんな風に気遣われてしまう程、第3者から見た自分は切羽詰っていたのであろう。

 思い返すと、最近は午前様と早朝出勤なんて当たり前な強行軍だった。世間一般の言うような“まともな睡眠”を取ったのは、いつだったか。

 睡眠どころか、休息時間や睡眠時間すら惜しい日々が続いていた。ダミー会社を回すのと情報収集に時間をつぎ込んで、端末画面を睨む日常。

 

 

「……近々、みんなを食事に誘おう」

 

 

 誰に言うでもなく、リボンズはぽつりと呟いた。

 

 弟や妹たちに気遣われっぱなしでは長男の名が廃る。自分はお兄ちゃんなのだ。彼らの頑張りや好意に応えて何ぼではないか。そのためにも、早くダミー企業を立て直し、アロウズの内情を探らなくては。

 チョコレートマフィンを口に運ぶ。疲れた体に、甘い味がじわりと染み込んだ。自分たちの中で一番料理が上手なのはヒリングである。逆に、料理を作ろうとして剣の丘を造り上げたのはリヴァイヴであった。原材料は厨房の包丁とまな板すべてである。

 

 悪夢のような光景を思考の端に追いやりつつ、リボンズはグラスの水を煽った。ほのかにミントとレモンの味がする。確か、ヒリングが「健康にいい。疲労回復の効果もある」と言ってデトックスウォーターを作っていたか。

 彼女は主に美肌効果のあるものを中心に飲んでいたように思う。最近は、苺とレモンのデトックスウォーターを大量生産し、自分で消費していた。化粧品や石鹸作りも始めたい、なんて言っていたことを思い出した。

 端末画面を立ち上げつつ、リボンズはクッキーを口に運んだ。レモンの酸味と蜂蜜の甘さが絶妙である。家族の応援を貰ったから、リボンズはもう少し頑張れそうだった。早速、ダミー企業関連の動向をチェックし――

 

 

「……あれ? 立ち直ってる?」

 

 

 端末画面に表示される情報を、自分が最後に見た情報と見比べる。大打撃を受けて虫の息だった企業は、いつの間にか打撃を受ける以前の規模に戻っていた。

 リボンズが意識を落とした後に、誰かが何かをやったのか。それを確認しようとして――リボンズは、思わず間抜けな声を漏らした。

 

 ヒリング、リヴァイヴ、リジェネ、ブリング、デヴァインらが、大広間で熟睡している光景が『視える』。全員の目元には大きな隈が刻まれていたが、彼らの寝顔は、何かをやり遂げたという充実感に満ち溢れていた。

 

 5人の寝顔を見て、確信する。リボンズが眠っている間に、彼らがダミー企業を回してくれたのだ。

 彼らの大奮闘を想像した途端、胸の奥底からじわじわと熱が込み上げてきた。

 

 

「なんて尊いんだろう」

 

 

 人間でよかった。目頭を押さえながら、リボンズは大きく息を吐いた。

 

 この1件がひと段落ついたら、絶対、彼らに何か買ってあげよう。

 誰に何を贈るかをシミュレートしながら、リボンズは端末画面を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠い昔に喪ってしまった指導者(ソルジャー)の瞳は、真夏の草木のような深緑色だった。

 丁度、今、エルガンの眼前にいる男女――トォニィとベルフトゥーロが羽織っているマントと同じ。

 

 タキオンとツェーレンから手渡されたマントを、ベルフトゥーロは嬉しそうに撫でている。手渡した張本人たちも、そんな彼女の様子に頬を緩めた。

 

 『ミュウ』にとって、指導者(ソルジャー)の証は、先代の瞳の色のマントと初代指導者(ソルジャー)の形見である補聴器である。トォニィがつけている補聴器がそれだ。

 偶然たどり着いた地球に移住し、この星に暮らす人類と共に生きる――。ベルフトゥーロは、その選択をした『ミュウ』たちの指導者(ソルジャー)となった。

 これで、『ミュウ』たちは2つに別れ、それぞれの道を進むことになる。再び相見える可能性は限りなくゼロに等しい。さようならは、もうすぐやって来る。

 

 

「お前は、ベルについていくんだろう?」

 

 

 楽しそうに談笑するもう1人の新たな指導者(ベルフトゥーロ)の背中を見つめるエルガンに、トォニィは静かな口調で話しかけてきた。

 

 

「分かっているなら、敢えて指摘する必要などないだろう」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 じろりとトォニィを睨めば、彼は夕焼け色の瞳を瞬かせながら苦笑した。

 わかっていたよ、と、言いたげな顔をしている。思念波を使わずともすぐに察せた。

 

 

「昔から思ってたけど、お前、報われないよな」

 

 

 トォニィは寂しそうに笑いながら、エルガンから視線を逸らす。トォニィの視線を改めて追いかければ、その先には、シャングリラに招待された少年――イオリアの姿があった。

 幼馴染同士の団欒を邪魔しないようにと遠慮していたイオリアだが、結局は、ベルフトゥーロと惚気ている。彼が然るべき年齢になれば、きっと2人は結ばれるのだろう。

 それこそ、エルガンやベルフトゥーロの両親やトォニィの両親のように、愛し合い、命を紡いでいくことは明白だ。未来予知などなくても、鮮明に思い描けた。

 

 悲しくは、ない。寂しくも、ない。

 

 ただ静かに、エルガンはベルフトゥーロを見つめていた。利害の範疇を超えて、意味と無意味の間も超えて、そうしたいと願ったことだ。

 報われるか否かなんて、さほど問題ではない。そうし続けることができるからこそ、己は己として存在できる。

 

 

「この想いの前には、利害という名の物差しなど意味を成さない。損得なんてどうでもいいから、自分がそうしたいだけだ」

 

「それが愛ってやつか?」

 

「いいや」

 

 

 トォニィの問いに、エルガンは首を振った。

 

 

「愛と恋の共通点は、利害関係や損得勘定を度外視して行動するという点だろう。但し、愛の場合は『相手のためを思い行動』し、恋の場合は『自分の中だけで完結させる行動』だ」

 

「お前のそれは愛じゃないのか」

 

「愛ではない。これは私の中では完結している。見返りも必要ないし、期待もしていないからな」

 

 

 これのどこが愛なのか、と、エルガンは視線で問いかけた。

 トォニィは夕焼け色の瞳を右往左往させた後、苦笑する。

 

 

「だとしたら、これ以上ないくらい分かりやすいぞ。大局的な視点で見ないと分かりにくいだけで、その本質は、詰まる所、愛じゃないか」

 

 

 お前の愛は大きすぎるんだなぁ、なんて、トォニィは笑った。ベルフトゥーロに相手にされなくて落ち込むエルガンを見て、笑っていたときと同じ笑みである。

 トォニィは嘗て、体の成長に力を入れすぎたために、アルテラの好意に気づかなかった。“ナスカの子どもたち”の中でも、朴念仁という冠を手にしていた男だ。

 彼がアルテラの想いに気づいたときにはもう時すでに遅く、数時間前の戦いで、彼女が命を落とした後だった。トォニィは愛と恋を理解する前に、その相手を失ったのだ。

 

 幼い頃から、アルテラはトォニィに恋していた。体を成長させていく中で、彼女の想いも育っていった。愛だ恋だの情緒は、女性の方が早熟であると聞いたことがある。実際、トォニィはアルテラが亡くなるまで、そんな情緒の意味すら知らなかった。

 

 自分の中で育つ思いに、気づかなかったくせに。

 なんだか悔しいので、エルガンは弱点をつくことにした。

 

 

「アルテラを泣かせていた朴念仁に言われるとは思わなかった」

 

「ぐ」

 

 

 当時のことを思い出したのだろう。トォニィは苦い表情を浮かべた。

 

 

「情緒的な面では、お前には勝っていると自負している」

 

「生まれて数か月から片思いしてるお前が言うと、とんでもなく重いな」

 

「まあ、それだけだがな」

 

 

 エルガンの言葉を最後に、沈黙が降りた。

 ベルフトゥーロとイオリアが惚気る声が、やけに遠い。

 

 外の景色は夕焼けに染まっていた。感傷的な気分になるのは、大人になった証なのだろうか。

 

 トォニィは遠い眼差しで夕日を眺めていたが、ややあって、くるりと踵を返した。

 何が起きたのかと視線を向ければ、彼の手には髪とペンが握られていた。

 エルガンの脳裏には、得体の知れぬクリーチャーが描かれた紙が思い浮かんだ。

 

 だから、つい。

 エルガンは、トォニィを呼び止める。

 

 

「おい、何するんだ」

 

「アルテラを懐かしむついでに、彼女の絵を描きたくなっただけだよ」

 

 

 案の定だ。エルガンは真顔になり、だらしなく笑う指導者(ソルジャー)に言ってやった。

 

 

「やめておけ。……お前の酷い絵を見たら、アルテラが泣くぞ」

 

 

 奴の絵心は、3歳児のままで止まっていることを注記しておく。

 

 

 

*

 

 

 

 遠い夢を見ていたらしい。エルガンは小さく呻いた後、悟られぬように気を付けながら周囲を見回した。

 (ワン)留美(リューミン)や刃金蒼海の姿はない。代わりに、紅龍(ホンロン)がじっとこちらを見つめている。

 文字通りの四面楚歌。深層心理検査で疲弊したエルガンでは、ここから逃げることなど不可能だった。

 

 ……最も、そんな場所に放り込まれることなど、最初からわかりきっていたことである。むしろ、それを計算に入れた上で、エルガンはここにいるのだ。

 

 連中は、ヴェーダを書き換える力を有している。しかし、彼らの力は、まだヴェーダの中枢に達してはいない。アクセス権限自体には変化はなく、最近作られた改竄探知用のバックアップログにも異変が見当たらないためだ。但し、システムが完成する以前のものは調査中である。

 ヴェーダ自身が悪用される可能性は開発当時から予想されてため、重要情報を「ヴェーダに存在しないもの」として処理する機能を兼ね備えていた。アレハンドロのカウンタートラップとして発動したそれは、現在も問題なく運用されている。

 

 故に、留美(リューミン)や蒼海が、ヴェーダを経由して、ソレスタルビーイングおよびプトレマイオスの行方を入手することはできない。

 グランドマザーやテラズ・ナンバーの監視を掻い潜ってきた技術は伊達じゃないのだ。西暦3000年相当の技術力の結晶に、敵たちも苦労しているらしい。

 

 

(……だが、それでも、奴らは――刃金蒼海は、“知りすぎている”)

 

 

 まるで、この惑星(ほし)と、この惑星(ほし)の人類が辿るであろう未来を、予め知っていたかのような采配だった。

 完璧とはいかずとも、確実に先手を打っている。……その手はいつも、些細な差異によって突破口を開けられてしまうようだが。

 

 最近では、「ブシドーの威圧に負けた息子たちが何もできずに帰ってきた」「カタロンの残党処理に向かわせたMDが全滅していた」等と憤っていた。

 

 その差異こそが、奴らの野望をくじくために必要な鍵となる。エルガンは直感した。イオリアとベルフトゥーロが夢見た理想――嘗てのジョミーが願い、殉じた思いを形にするためにも、人類の未来のためにも、彼女たちの存在を赦してはいけない。

 すべてを管理できるという傲慢は、グランドマザーのプログラム回路と非常によく似ていた。世界の監視者によって造り上げられた箱庭。その犠牲者たちの声を、エルガンは忘れたことなど一度もなかった。

 

 

(すべてがお前たちの思い通りになると思ったら、大間違いだ)

 

 

 エルガンは、口の端をそっと緩める。

 

 

(――ニンゲンを、舐めるな)

 

 

 自分たちが信じた後継者たちが、機械ごときに負けるはずがないのだ。

 ニンゲンは、そうやって未来を切り開いてきたのだから。




【参考および参照】
『KLIPPAN(クリッパン)|ずっと使い続けたいモノを集めたセレクトショップ - ZUTTO(ズット)』より、『スロー ステラ ライム』
『アロマ安眠ブレンドの作り方を公開!睡眠障害を解消しスッキリ爽快!』より、『ラベンダー2滴、クラリセージ2滴』、『フランキンセンス2滴、ミルラ2滴、ベンゾイン2滴』、『ラベンダー2滴、サンダルウッド2滴』
『アロマオイルの効能一覧』および『催淫性香水のブレンド|【草食男子も肉食男子もこれでゲット】 ~彼の心をがっちりつかんで離さない、魅惑のアロマ調合術~』より、『サンダルウッド』、『イランイラン』、『クラリセージ』
『COOKPAD』より、『ミントとレモンのデトックスウォーター(Teriちゃんさま)』、『おしゃれなスライスレモンの飾り切り(MIU〜みぅ〜さま)』、『いちごとレモンのデトックスウォーター(Alilineさま)』


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18.祭りの前のグランドフェスティバル

 政略結婚というのは、古来から存在している外交手段だ。主に、政治に王族を立てている国家が行う。他国の王族や政治関係者と婚姻を結ぶことで、政治的便宜を図ってもらおうという魂胆だ。これで幸せな結婚となった例は稀であり、大抵が不幸になっている。

 中華連邦もまた、王族同士の婚姻によって権益を得ようと画策している。その相手は、ブリタニア帝国の第1皇子だ。……但しその御仁、この多元世界では些か存在感が皆無である。ブリタニア帝国で有名どころは、皇帝シャルルとシュナイゼル皇子であろう。

 まあ、当人が存在感皆無でも、彼の肩書は“世界の覇権を握る巨大帝国の第1皇子”だ。その繋がりから得られるであろう利益は計り知れない。それに、「中華連邦の天子が第1皇子と婚姻」という見出しはセンセーショナルなものだ。クーゴは冷静に、そんなことを考えた。

 

 

「地球連邦の中で冷や飯食いの立場である中華連邦が、天子を差し出すことでブリタニア系とくっつくのか」

 

 

 神様もへったくれもない、純然たる事実。死神の名を冠するガンダムを操るデュオが、珍しく真面目な面持ちでそう言った。

 

 

「ブリタニアの第1皇子って、天子よりもかなり年上なのよね……」

 

「下手すれば、ギリギリ親子手前の年の差だって噂ですぅ」

 

 

 ルナマリアとミレイナが話をする横で、イアンがそっと目を逸らしているのは何故だろう。

 

 そう言えば、彼は結構な年の差婚らしい。実際に聞いたわけではないが、時折、彼が麗しい女性を思い浮かべることがあった。

 佇まいは30代半ばといったところだろうが、ベルフトゥーロみたいな例を知っていると、外見だけで年齢を判別するなんてできなかった。

 

 

「しかも、写真からでも分かるレベルで、典型的な“ダメな2代目フェイス”だったわ」

 

「ぶっちゃけ殴りたくなるような顔してた」

 

「グラン・マ、物騒です」

 

 

 葵とベルフトゥーロは、互いの発言に共感したのだろう。拳を撃ち合わせハイタッチしたのちに親指を立て、固く握手を交わしていた。

 勿論、ベルフトゥーロはイデアの注意も軽く聞き流している。しかし、忘れてはいけない。日本には「上には上がある/いる」という例えがあることを。

 

 

「ブリタニア王家許すまじ!」

「一片の慈悲も要らぬ!」

 

「落ち着いて2人とも!」

 

「止めないでくれカレン! 奴らのような人でなしを野放しにするわけにはいかないんだ!」

「こうなったら、私たちの真の愛の力――石破ラブラブ天驚拳を使わざるを得ないわ……!」

 

「やめて! そんなもの撃たれたら、朱禁城が焦土と化すからぁぁぁ!!」

 

 

 その言葉通り、ベルフトゥーロ以上に物騒なことを言う人間たち――否、新婚夫婦がいた。クロスロード夫婦である。

 夫婦のご学友であった紅月カレン(という生贄)だけでは、この場を落ち着かせることは荷が重い様子だった。

 カレンの叫び声を耳にした大半の面々が勢いよく目を逸らす。割って入れば貧乏くじは確実だ。避けるのは当たり前だろう。

 

 そういえば、黒の騎士団の長ゼロも、2人の様子にタジタジになっていたように見えた。むしろ、どう扱えばいいのか思案しているみたいだった。

 一歩間違えれば、石破ラブラブ天驚拳が牙を向く。彼の心労を想像したら、どうしてだか天を仰ぎたくなった。閑話休題。

 

 

「……文字通り、天子には中華連邦繁栄のための生贄になってもらおうってのか。あんな小さな少女に犠牲を強いるとは、世も末だな」

 

 

 クーゴは深々と息を吐いた。憂いを抱かずにはいられない。

 

 ZEXISの面々も、クーゴと同じ気持ちになっている者が多かった。婚姻を見直せないか――否、大半の面々が、政略結婚反対派である。

 確かに、天子といえど、彼女はうら若き乙女だ。いきなり年齢が大きく離れた相手と結婚しろだなんて、困惑通り越して恐怖しかないであろう。

 

 

「一国の判断だ。俺たちにどうにかできるものじゃないだろう」

 

 

 デュオが肩をすくめる。一部女性陣が彼に非難の嵐を向けたが、彼の言葉も一理あった。

 いかにZEXISが軍への監察権を持っていても、他国の婚姻に介入できるものではない。

 だからといって、このまま黙っていられる程、ZEXISの面々は割り切れる人間ではなかった。

 

 

「――そんなZEXISのみんなにお知らせだよっ!」

 

 

 場違いなくらいに明るい声が響き、次の瞬間、プトレマイオスの格納庫が開いた。

 紫のくせ毛を束ね、眼鏡をかけた青年が足取り軽く部屋に入り込む。彼を目にしたベルフトゥーロが、ぱっと目を輝かせた。

 

 

「リジェネ! 久しぶりー!」

 

「マザー! 元気そうで何より!」

 

 

 久方ぶりの再会を果たした親子みたいに、ベルフトゥーロは青年――リジェネと手を取った。呆気にとられる周囲を無視し、2人はしばし雑談に耽る。そうして、本題が切り出された。

 

 

「今回の結婚披露宴では、今まで表舞台に姿を現さなかったアロウズ上層部が出席するそうだよ」

 

「ってことは、司令部のホーマー・カタギリって人か?」

 

 

 シンが何気なく告げた言葉に、クーゴは思わず目を逸らした。ホーマー氏は嘗ての上司であり、予てから親交がある人物だった。彼の別荘にある剣道場で、剣を交えたことが昨日のように思いだせる。

 そういえば、クーゴが“社会的に”死んだことにされた後は(当たり前のことだが)一度も顔を合わせていない。アロウズの総司令官に抜擢されたという話は聞いていたが、実質的な権限は第3者にありそうだった。

 

 そして、その第3者こそが――クーゴの姉、刃金蒼海なのだろう。クーゴの予感を肯定するかのように、悪寒が背中を撫でてきた。

 

 

「シンくんの言う通りだけど、ぶっちゃけ組織の中ではお飾りっぽい。総大将はもうちょい別にいるって感じだね」

 

「じゃあ、何だ。もったいぶらずに教えろ」

 

「タンマタンマタンマ! 殴るのは止めてよティエリア!」

 

 

 おふざけ全開のリジェネに痺れを切らしたティエリアが、眉間に皺を刻みながら彼を睨みつけた。今にも右ストレートを叩きこもうと振りかぶるティエリアの様子に観念したのか、リジェネは慌てた様子で説明を始めた。

 リジェネの話を総合すると、その結婚披露宴に参加するのはアロウズの上層部だけではないようだ。アロウズの最大出資者と2番手の出資者が、パーティに参加するという。しかもこの出資者は、地球連邦とは無関係の人間だという。

 だからといって、どこかの国家連合に属している訳でもなく。簡潔に言えば、財閥を形成するほどの大金持ちであること以外は、実質的な区分で言うと“一般人”なのだという。それを聞いたZEXISの面々がどよめいた。

 

 

「要するに、連邦を操る黒幕のご登場ってわけか」

 

(そうして、その人間こそが――あの人ってわけだな)

 

 

 デュオの言葉を聞き、クーゴは思わず目を伏せた。

 

 クーゴの様子に気づいたイデアが心配そうにこちらを見上げている。何も言わないあたり、彼女は相当気を使ってくれているらしい。ちょっとだけ泣きそうになったが、堪える。蒼海の気配を感じるたびに、悪寒に襲われたことは数知れない。姉の暴走――彼女の手駒にされた親友の悲痛な姿を目の当たりにしたときから、蒼海と対峙する覚悟は決めていた。

 もう、寒さに身を縮こませてはいけない。黙って俯いてばかりでは、姉の手駒にされてしまった面々を連れ戻すことなど不可能なのだ。クーゴはイデアを見返し、微笑んだ。大丈夫、という思いが伝わったようで、イデアも表情を緩める。――うん、やはり彼女には笑顔が似合う。クーゴはひっそりと目を細めた。

 

 そのとき、ZEXISの面々がざわめきはじめた。どうやら、「『悪の組織』の面々が情報収集のためにパーティに参加するから、何かやるなら合同でやらないか」という提案らしい。

 むしろ、『悪の組織』の面々は、ZEXISがパーティで何かしようとしていることを察知しているのだろう。結婚反対派の女性陣が、興味深そうに耳を傾けている。

 

 

「だが、下手すりゃあ、俺たちの顔が向うに知れてる場合もあり得る」

 

「それも想定済みさ。参加って言っても、潜入するって形での参加だし」

 

 

 険しい顔をしたラッセに、リジェネは満面の笑みを浮かべて親指を立てた。

 そうして彼は、端末の情報を提示する。

 

 

「ZEXISのみんなが参加するって言うなら、僕らのダミー企業関係者って名目で、警備員やウェイター、もしくは会社の役員に変装してもらうけど」

 

「ふぅん……」

 

 

 リジェネの話を聞いたスメラギが、興味深そうに彼の話を聞きながら端末を見つめる。彼女の瞳は真剣だ。戦場で采配を振るう姿を連想させる。

 

 

「……アレルヤ。クォーターへ行って、ボビー大尉を呼んで来てもらえるかしら?」

 

「へっ!?」

 

「スメラギ・李・ノリエガ!? 何を……」

 

 

 幾何の沈黙の後で、スメラギが重々しく口を開いた。彼女から漂う異様な気配に、アレルヤとティエリアが身を竦ませる。

 2人は本能的に何かを感じ取ったしまったらしい。だが、その予感から逃げられるとは思えなかった。クーゴの予想を肯定するかのように、スメラギは不敵に微笑む。

 

 

「やるからには万全を期する……。私の指示に従ってもらうわよ」

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「グラマラスなティエリアもサイコーだねへぶぅッ」

 

 

 女性の肘鉄を喰らったリジェネが吹っ飛んだ。彼女は腰程に伸びた紫の髪に、シンプルな赤いドレスを身に纏っている。

 この女性こそ、ティエリア・アーデその人だ。普段の様子からは予想できない変貌ぶりに、誰もが呆気にとられている。

 ミレイナはキラキラと目を輝かせ、アニューが自分の胸とティエリアの胸を比べて絶望一歩手前の表情を浮かべていた。

 

 功労者のボビーはやり遂げた顔で胸を張っている。彼のメイク術は称賛に価した。

 

 

「うわー……凄いや」

 

「ティエリア、綺麗だ……」

 

「こんなに化けちまうたぁなー」

 

「流石は稀代のメイクアップアーティスト、ボビー大尉だ」

 

「いやいや、下地がいいってのもあったんだろう」

 

 

 ZEXISの面々も、ティエリアの変身ぶりに拍手喝采であった。

 

 乱暴に吹き飛ばされても尚、リジェネはティエリアに絡みたがる。その度、リジェネはティエリアの一撃によって宙を舞った。

 それを何度繰り返したのだろうか。顔面崩壊一歩手前で鼻血を拭きながら、リジェネは何かを思い出したように手を打った。

 そうして、クーゴの方にやって来る。まさか自分が絡まれるとは思わなかったクーゴは、思わず目を瞬かせた。

 

 

「なんでしょう?」

 

「キミ、確かマグロ解体できるよね?」

 

 

 藪から棒に、変な質問をされた。この場に居合わせた面々もクーゴと同じ気持ちだったようで、リジェネの質問に目を瞬かせた。「資格持ちで解体ショーに飛び入り参加したこともある」と返答すれば、周りから色めき立った声が響く。

 マグロ解体の様子を説明する者もいれば、マグロ繋がりで寿司談義に花を咲かせる者もいた。中にはマグロから海洋生物の養殖に話を飛ばし、食に関する日本人の変態性について論じる者も現れる。この場は、ちょっとした混沌地帯と化していた。

 

 彼が何を言いたいのか分からずに首を傾げたとき、リジェネは「ちょっと待ってて」と言い残して部屋を出た。幾何かの間をおいて、彼が道具一式を抱えて戻ってきた。漁師や魚屋がつけるようなビニール製の重々しいエプロンと、桐の鞘に入った刀のようなもの。

 

 

「なんだあれ? 刀か?」

 

「違う。あれは包丁だ。マグロ解体用の」

 

「こんなデカいのが包丁だって!?」

 

 

 クロウが首を傾げる。クーゴはそれを否定した。

 

 確かに、知識のない者がぱっと見ただけで判断しようとすると、鞘に収まった刀と見間違いそうな長さと外見である。マグロ解体用の包丁は、マグロの鮮度を保ちつつ、身を一気に切るために刀身が長い。

 マグロは切った傍から、鮮度が落ちてしまうためだ。鮮度が落ちれば、当然、味や質も落ちる。それを避けるために、マグロ解体用の包丁は刀を連想させるような長さとなっているのだ。

 そんなことを考えていたら、リジェネが端末に画像を映し出した。クーゴを2人並べたような体長の、丸々と肥え太ったクロマグロである。黒いダイヤと称される魚に相応しい巨体に、クーゴは思わず唾を飲んだ。

 

 何だろう、変な予感がする。

 嫌な予感ではないけど、これは絶対、良い予感でもない。

 

 

「……まさか、俺にこいつを解体しろと仰る?」

 

「Yes! 結婚披露宴の目玉の1つだから、宜しく頼むよ!!」

 

 

 満面の笑みを浮かべたリジェネが親指を立てる。反射的に、クーゴは天を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 『悪の組織』から通信が届いたという報告を聞いたときから、何となく変な不安を感じていた。その内容が「『悪の組織』の面々が情報収集のためにパーティに参加するから、何かやるなら合同でやらないか」という申し出だったときは、変な不安が確信に変わった。

 直後、アニューが「クーゴさん宛に荷物が届きましたよ」と部屋に入って来たのを見て、異様なデジャヴを感じた。トドメに、漁師や魚屋がつけるようなビニール製の重々しいエプロンと、桐の鞘に入った刀のようなものを持ってきたのを見たときには、虚憶(きょおく)の光景を思い出して天を仰いだ。

 

 

「なんだあれ? 刀か?」

 

「違う。あれは包丁だ。マグロ解体用の」

 

「うぇ、マジ!? こんなデカいのが包丁だって!?」

 

 

 ロックオン(ライル)が首を傾げる。クーゴはそれを否定した。

 

 確かに、知識のない者がぱっと見ただけで判断しようとすると、鞘に収まった刀と見間違いそうな長さと外見である。マグロ解体用の包丁は、マグロの鮮度を保ちつつ、身を一気に切るために刀身が長い。

 マグロは切った傍から、鮮度が落ちてしまうためだ。鮮度が落ちれば、当然、味や質も落ちる。それを避けるために、マグロ解体用の包丁は刀を連想させるような長さとなっているのだ。

 いきなりそんなものを運び込まれたため、プトレマイオス側の面々が表情を引きつらせていた。彼らからすれば、こんな道具なんて馴染みがなさすぎるだろう。用途が分かったところで、こんな場所に持ち込む物ではない。

 

 

「こんなもの、誰が、何のために使うの……?」

 

「そりゃあ勿論、獲物を解体するために決まってるじゃない」

 

 

 スメラギの疑問はごもっともである。彼女の問いに答えたヒリングは、「ちょっと待ってて」と言い残して奥の方へ消えた。暫くして、彼女はリヴァイヴと一緒に台車をひいて帰ってきた。

 台車の上に乗っていたのは、丸々と肥え太ったクロマグロである。以前、端末に送信されてきた画像データの現物だ。ここまで虚憶(きょおく)と同じような光景を繰り広げられると、必然的に、自分の中から出てくる言葉だって限られる。

 

 

「……まさか、俺にこいつを解体しろと仰る?」

 

「え? だって、グラン・マが『クーゴ・ハガネはマグロ解体の資格を有していて、解体ショーに飛び入り参加したこともあるから、是非とも』って聞いてたから……」

 

 

 ダメなの? と言いたそうに、ヒリングとリヴァイヴがこちらを見返した。2人の眼差しは、いつぞや勝手にクーゴを『悪の組織』関係者としてソレスタルビーイングに出向させたときの、ベルフトゥーロの眼差しとよく似ている。

 まあ、確かに、潜入の話が出たら立候補するつもりでいた。そういうパーティ会場には、自分の姉である蒼海が参加している可能性が高い。彼女は昔から、煌びやかなものや華やかな社交界を好み、積極的に足を運んでいた。

 クーゴの様子に気づいたイデアが心配そうにこちらを見上げている。何も言わないあたり、彼女は相当気を使ってくれているらしい。ちょっとだけ泣きそうになったが、堪える。蒼海の気配を感じるたびに、悪寒に襲われたことは数知れない。

 

 姉の暴走――彼女の手駒にされた親友の悲痛な姿を目の当たりにしたときから、蒼海と対峙する覚悟は決めていた。もう、寒さに身を縮こませてはいけない。

 黙って俯いてばかりでは、姉の手駒にされてしまった面々を連れ戻すことなど不可能なのだ。クーゴはイデアを見返し、微笑んだ。

 

 大丈夫、という思いが伝わったようで、イデアも表情を緩める。

 

 

(――うん、やっぱりイデアには笑顔が似合う)

 

 

 クーゴはひっそりと目を細めた。

 そうして、画面の向こうにいる第1幹部の仲間たちへ向き直る。

 

 

「了解しました。本職ではありませんが、精一杯務めさせていただきます」

 

「あ、どうも」

「よ、宜しくお願いします」

 

 

 クーゴが深々とお辞儀をすれば、それにつられるような形で、ヒリングとリヴァイヴもお辞儀を返した。2人のお辞儀はぎこちなく、おずおずとした感じであったが、日本人なら微笑ましく写る光景だ。

 

 

「社交界ってことは、私の出番でもあるわけね」

 

「ルイスのドレス姿……」

 

 

 話を聞いていたルイスが真顔で頷いた。隣にいた沙慈は何を思ったのか、顔を真っ赤にして首を振っている。

 まさかの技術者――もとい、一般人立候補に、ソレスタルビーイングの面々は動揺を禁じ得ない。

 

 確かに、ルイス・クロスロード夫人は財閥一族・ハレヴィ家唯一の生き残りである。

 沙慈と結婚する以前はハレヴィ一族の本家として社交界に顔を出していたそうだ。

 今回のようなパーティに潜り込んでも、場馴れしている彼女なら自然体でいられるだろう。

 

 蛇足だが、彼女は少し前に“株やFXや投資で投資金額を8桁増にした”という武勇伝をやり遂げた人間だったりする。しかもそれは、第1幹部の面々が社交界に潜入する隠れ蓑を立て直すためだったらしい。

 

 

「この前は本当に助かったよ。ありがとう、クロスロード夫人」

 

「いえいえ。また何かあったら言ってくださいね! あの程度だったら、すぐ稼いじゃいますから!!」

 

 

 やはり、ルイスは大物であった。クーゴは煤けた笑みを浮かべてその様子を見守る。

 『悪の組織』に属する人間は良くも悪くも個性が強いと聞いていたが、本当にその通りであった。

 国民的アイドルが(テオドア・)MSパイロット(ユスト・)兼設計者である(ライヒヴァイン)なんて例もあるわけだし、人は見た目によらない。

 

 特に『ミュウ』は、外見と中身が一致しないなんてよくあることであった。頻繁にありすぎて、普通の人間が何度腰を抜かせばいいか分からないレベルである。

 中でも、総大将――もとい、指導者(ソルジャー)であるベルフトゥーロが1番インパクトがあるだろう。何せ、外見20代の中身500歳代だ。イデアも凄かったが。

 

 

「…………」

 

 

 ふと、視界の端に、刹那の姿が映った。彼女は何か深く思い悩んでいる様子だった。物思いに耽りながら、刹那は掌でペンダントを弄ぶ。以前、グラハムが彼女の誕生日プレゼントとして贈った天使のシェルカメオだ。

 気のせいか、シェルカメオが淡く光ったように見えた。祈りにも似たその感情は、紛れもないグラハム・エーカーのものである。青い光は、グラハムの想い――言うならば、愛――で満ち溢れていた。

 

 幾何かの沈黙の後、刹那が顔を上げた。赤銅色の瞳に強い光が宿る。

 

 

「その作戦、俺も参加させてほしい」

 

「えっ!?」

 

「俺は知らなくてはならないんだ。この世界を歪ませている元凶を――俺たちが倒すべき敵を」

 

 

 刹那は強い調子で言いきった。彼女の眼差しには一片の揺らぎも曇りもない。ソレスタルビーイングが倒すべき相手を――世界の歪みの元凶であり、グラハムを傀儡にした張本人に対する怒りを、彼女は露わにしているのだ。

 グラハム曰く、「朴念仁で感情の起伏が見えづらいと思われがちではあるが、刹那はただ単に、人一倍不器用なだけである」らしい。そんな話を思い出し、クーゴは納得した。親友は恋人を振り回しているようで、彼女のことをちゃんと見ていたらしい。

 

 

「だが、下手すりゃあ、俺たちの顔が向うに知れてる場合もあり得る」

 

「僕がバックアップに回ろう。――それに、貴様たちには、個人的に訊きたいことがあるからな」

 

 

 険しい顔をしたラッセに、ティエリアが立候補した。彼はモニターに映し出されたヒリングトリヴァイヴを、剣呑な眼差しで睨みつけている。

 ヒリングとリヴァイヴは驚いたように目を瞬かせた。何かを確認しあうように2人は顔を見合わせると、ティエリアに向き直って頷き返す。

 途端に、画面の向こうから足音が響いてきた。ティエリアと瓜二つの顔立ちをした青年――リジェネが嬉しそうな顔をして、部屋へ飛び込んできたのだ。

 

 リジェネに対して、ティエリアは苦手意識を持っているらしい。彼は、「ティエリアが行くなら僕も参加するからね!」と息巻くリジェネから視線を逸らした。

 

 やいのやいのと騒ぐ面々や、刹那の参加表明に対し、スメラギは肩をすくめて深々とため息をついた。

 しかし、それも一瞬。スメラギはすぐに不敵に微笑む。彼女の瞳は真剣だ。戦場で采配を振るう姿を連想させる。

 

 

「いいわ。やるからには万全を期する……私の指示に従ってもらうわよ」

 

 

 ソレスタルビーイングと『悪の組織』。

 “イオリアの後継者たち”という双璧による、夢の競演が幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、ドレスがこんなに……!」

 

「綺麗ですぅ!」

 

「女の子の夢が目の前に溢れてる……。ホント、壮観だわ……!」

 

 

 試着室と銘打たれた空き部屋には、最低限の試着スペースすら圧迫する程のドレスで満たされていた。フェルト、ミレイナ、クリスティナが感嘆の息をこぼす。煌びやかな世界とは縁のない生活を送ってきた刹那にとっても、圧巻の光景であった。

 どれもこれも相当な高級品だ。提供者はルイス・クロスロード夫人である。これだけのドレスを持ってきていても、ハレヴィ家の財産にとっては痛くもかゆくもないのだろう。ルイスは財産を増やす才能に溢れているためだ。

 

 

「スメラギさん。本当にこの程度の数でよかったんですか? もっと持ってきた方が……」

 

「無理だわ。……正直ね、それ以上持ってこられても、ドレスを置く部屋がないのよ」

 

「えー……。勿体ないです」

 

 

 後ろの方から空恐ろしい会話が聞こえてきた。金持ちの頭は、ネジが数本緩んでいるのではなかろうか。

 

 金持ちと言えば、最近、ソレスタルビーイングのエージェントである(ワン)留美(リューミン)との連絡が取れない。彼女および(ワン)家はソレスタルビーイングへの最大出資者であり、権力および財力的な意味での協力者だった。

 彼女は今でもソレスタルビーイングに協力してくれている。援助だって滞りなく行われている。それに、数少ない協力者なのだ。自分たちを裏切るなんて、そんなことは――そこまで考えたとき、何とも言えない寒気を感じたのは何故だろう。

 思えば、ソレスタルビーイングが『悪の組織』関係者と行動を共にし始めた頃から、(ワン)留美(リューミン)からの接触が減ったように思う。それと、双方の情報交換を行うとき、『悪の組織』関係者についての話を執拗に聞きたがっていた。

 

 

「刹那はどんなドレスを着るの?」

 

 

 刹那の思考回路を止めたのは、クリスティナの言葉だった。

 彼女の言葉を皮切りに、フェルト、ミレイナ、ルイスが刹那の周りを取り囲む。

 

 

「こんなにいっぱいあるんだもの。そう簡単に決まらないか」

 

「だったら、私たちが選んであげようか?」

 

「よーし! 可愛くしてあげるからね!」

 

「これなんてどうでしょう? セイエイさんに似合うと思いますよ?」

 

 

 彼女たちの勢いに驚いて硬直した刹那を見て、クリスティナたちは何か勘違いしたらしい。クリスティナが苦笑し、フェルトが申し出、ルイスが腕まくりし、早速と言わんばかりの勢いでミレイナがドレスを持ってくる。

 ミレイナが持ってきたドレスは、ギリシアの女神を思わせるようなマーメイドラインのものだった。光沢のあるパステルピンクの生地が目を惹く。胸元には豪華な金の装飾が施されており、高級感が漂っていた。

 彼女たちの申し出は嬉しいし、ミレイナが選んでくれたドレスも美しいものだ。だが、刹那はもう、何を着ていくか既に決めている。色めき立つ4人を制し、刹那は自前で持ってきたイブニングドレスを指示した。

 

 ビスチェ形態の上着にスカートを付けたイブニングドレス。蒼穹を思わせるような鮮やかな青が目を引く。スカート部分には、チャペルトレーン――長い引き裾が付けられていた。そのため、スカートの長さ自体はショートドレスだが、引き裾の長さが床につくため、ロングドレスに分類される。

 上着代わりに羽織るのは白いショールだ。ラメの煌めき具合のせいか、純白というよりもホワイトシルバーと呼んだ方がいいのかもしれない。頭には、花を模した青いコサージュに純白の羽があしらわれたヘッドドレスを留めるつもりでいる。唯一の不安要素はサイズだろう。着るのがご無沙汰だったためだ。

 

 ――そう。4年前の、最後の休日。グラハムと過ごしたときに、彼から贈られたドレス一式だった。

 

 

「セイエイさん、ドレス持ってたんですか!?」

 

「ああ」

 

「意外だわ……。しかも、こんな素敵なやつを持ってたなんて」

 

 

 ミレイナとルイスが感嘆の息を吐いた。しかしそれもつかの間、彼女たちのお喋りは満場一致で「試着」コールへと転化した。

 4人の勢いに押されるような形で、刹那は件のドレス一式を身に纏う。唯一の問題であったサイズも、少々手を加えれば大丈夫そうだ。

 

 後はメイクだと湧き立つ4人に引っ立てられるような形で、刹那はスメラギとティエリアの前に連行された。刹那の姿を見た2人は一瞬惚けたような表情を浮かべたものの、すぐに元に戻った。

 

 スメラギが不敵な笑みを浮かべ、大量のメイク道具一式を取り出す。どれもこれも、世界の有名ブランド品ばかりだ。そういうものに疎い刹那からしてみれば、異世界の道具を見ているような気分になる。

 次の瞬間、今度はティエリアが4人に連行された。彼はドレスを選ぼうとする4人をどうにかこうにか押し留め、自分でドレスを選んでいた。彼はシンプルな赤いドレスを着ることにしたらしい。

 胸部を盛れば即刻女性に化けることは可能なのだが、ティエリアは念を入れることにしたらしい。腰までの長さのヴィッグを持ちだした。しかも、眼鏡もつけないで行くつもりのようだ。戦場に出るときの横顔とよく似ている。

 

 

「……なんだか、悔しいです」

 

「えっ?」

 

「女として、悔しいです」

 

 

 ティエリアの変貌ぶりを見ていたミレイナが、不満そうに頬を膨らませた。気のせいでなければ、ちょっとだけ涙ぐんでいるようにも見える。突然の発言に、ティエリアは狼狽した様子だった。

 

 

「確かに悔しい」

 

「そうね。フェルトとミレイナの言う通りだわ」

 

 

 間髪入れず、フェルトとクリスティナが同意した。両者とも目が座っている。

 ティエリアのこめかみから、ドッと汗が噴き出した。相当困惑しているらしい。

 そんな彼女たちをルイスは諌めた後、満面の笑みで提案する。

 

 

「じゃあ、全員でファッションショーでもします?」

 

「それだ/です!」

 

「ティエリアに負けっぱなしじゃいられないわ!」

 

 

 彼女の提案を皮切りに、クリスティナ、ミレイナ、フェルトが息巻いた。その勢いに、ティエリアは思わずたじろぐ。

 しかし、4人はそれだけでは終わらなかった。折角だからと言いながら、艦内にいるであろうイデアとマリーに呼び出しをかける。

 

 程なくして、イデアとマリーが部屋の扉をぶち破って現れた。その後ろから、意味も分からず彼女を追いかけてきたであろうアレルヤが部屋に足を踏み入れる。間髪入れず、彼は間抜けな悲鳴を上げた。煌びやかなドレスの山に目を奪われたらしい。

 

 因みに、アニューと沙慈は、イアンと共に宇宙へ向かった。ダブルオーの支援機を作るためである。

 この場にアニューがいたら、彼女も一緒になってドレス選びに加わっていたであろう。

 沙慈の場合は、ルイスのドレス姿に喝采していただろうか。閑話休題。

 

 

「2人のメイクが終わったら、私も参加したいのだけれど?」

 

「大歓迎です!」

 

「そうと決まれば!」

 

 

 そう言うなり、スメラギは鬼気迫る形相でメイク道具を動かし始めた。あまりの勢いに、刹那はただ硬直するしかない。お人形宜しくな状態になるしかなかった。呆気にとられるティエリアの表情が見えたが、次は彼が刹那と同じ末路を辿る人間でもある。

 

 十数分後。この部屋には、化粧を終えた麗しい淑女2人と、バーゲンで洋服を漁る買い物客――まさしく、中年女性のそれである――宜しくドレスを選び、真剣に吟味する女7人の姿があった。

 巻き込まれたアレルヤは惚けて微動だにしないし、彼の数分後に部屋の前を通りかかったリヒテンダールは卒倒一歩手前の状態だ。クーゴは部屋に足を踏み入れる気配すらない。

 

 

「……女性というのは、凄いんだな」

 

「安心しろティエリア。俺も生物学上女性だが、彼女たちにはついていけそうにない」

 

 

 互いに変な親近感を抱きながら、刹那とティエリアはお人形さんのように椅子に座り、鏡に写る己を見つめていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで、ソレスタルビーイングとはさよならね」

 

 

 (ワン)留美(リューミン)は、名残惜しそうに目を伏せた。しかしそれも一瞬のこと、彼女はすぐに楽しそうに笑みを浮かべる。彼女の手には、パーティで身に纏うであろうイブニングドレスとアクセサリーのセット一式が抱えられていた。

 蒼海もまた、自分が着ていく振袖の着物を見上げた。黒地に赤と金の蝶が描かれた、豪奢で艶やかな柄のものだ。蒼海のお気に入りでもある。パーティで着物を着るのは、洋装中心の会場では一際目を惹く。注目が集まるというのは、堪らない快感があった。

 

 

「母さん、今度のパーティに俺たちも出たい!」

 

「いいですよね?」

 

「なあ、いいよな?」

 

 

 蒼海の腰から響いてきた声に振り返れば、海月、厚陽、星輝らがじっとこちらを見上げているところだった。勿論、彼らも参加してもらう。その旨を伝えれば、3人はぱあっと表情を輝かせた。

 着物を着るのが楽しみだと言いながら、子どもたちはパタパタと走り去っていく。後で、有名ブランドの着物一式を調べ、取り寄せておかなくてはなるまい。蒼海はその段取りを思い浮かべながら、振り返る。

 ゆったりとした4人掛けのソファに、ミスター・ブシドーは座っていた。彼は黙ったまま微動だにしない。ご機嫌ななめなのだろうが、そんなこと、蒼海にとってはどうでもいいことだった。

 

 

「勿論、貴方もパーティに参加してもらうわ」

 

「…………」

 

「あの子、来るでしょうねぇ」

 

 

 次の瞬間、ブシドーががばりと顔を上げた。普段はどろりと濁った深緑の瞳が、明確な感情を乗せてこちらを睨んだ。

 

 

「――彼女に、何をするつもりだ」

 

「貴方こそ」

 

 

 地の底から轟くような声で、ブシドーが蒼海に問いかける。答える代わりに、蒼海は目を細めた。

 瞳が金色に輝く。それを目にしたブシドーは、悔しそうに歯噛みした。

 

 

「貴方が何を考えているのか、私は察知できるの。本気を出せば、貴方が危惧する結果を、貴方の目の前で招いてあげてもいいのよ?」

 

 

 ブシドーは黙ったまま、蒼海を睨みつけていた。いつもならすぐに目を伏せるのだが、面白いこともあるものだ。

 せっかくなので、少しの間、ブシドーを泳がせてあげよう。自分たちならば、運命を味方につけることなど容易いのだから。

 僅かな誤差を修正すれば、自分たちは簡単に勝てる。勝って、この世界のすべてを手にすることができるのだ。

 

 自分たちが作り上げる、自分たちだけのための統一世界。蒼海はそれを思い描きながら、天を仰ぐ。

 

 

「さあ、世界を変えに行きましょう」

 

 

 蒼海と留美(リューミン)は、無邪気な乙女のように微笑む。2人の瞳は、金色に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『Select Dress Salon BLOSSOM』より、『ピンクメッシュレースの女神ドレス』


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19.重役出勤のディープカバーオペレーション

 『更衣室』と書かれた部屋を通りかかる。丁度そのとき、甘ったるい臭いがクーゴの鼻腔に突き刺さってきた。

 

 

「クーゴさん!」

 

 

 部屋の扉を蹴破る勢いで、イデアが飛び出してきた。彼女の格好に、クーゴの視線は完全に固定される。視界の端で女性陣が煌びやかなファッションショーをしているのがちらついていたが、真正面にいるイデアから目を離すことはできなかった。

 シフォン生地で作られた、空色のイブニングドレスだ。ホルターネックにスレンダーラインで、着丈およびトレーンはフロアレングスとなっている。背中は肌を見せるような形のクリスクロスだ。淑女と言っても過言ではない出で立ちである。

 イデアがくるりと一周すれば、トレーンがふわりと舞い上がった。伏目がちに微笑んだイデアは、優雅に一礼する。つられてクーゴも頭を下げた。なんというか、照れくさい。クーゴは口元を手で抑えながら、イデアの顔を覗き込む。化粧の効果もあってか、とても綺麗だ。

 

 

「どうです? 似合ってます?」

 

「ああ。綺麗だ」

 

 

 素直に賛辞の言葉を贈れば、イデアは嬉しそうにはにかんだ。えへへ、と笑い声を零しながらステップを踏むようにまた回転する。

 次の瞬間、甘ったるい臭いがクーゴの鼻腔に突き刺さってきた。直接的な臭いの出どころは、どうやらイデアかららしい。

 

 思いもよらぬ場所からだったため、クーゴは一瞬表情を引きつらせた。

 

 

「……イデア」

 

「何でしょう?」

 

「香水、つけた?」

 

 

 その質問を待っていたのか、イデアはぱっと目を輝かせた。彼女は勢いよく「はい!」と返事する。

 

 

「自分で練り香水作ったんですよ。この香り、自信作なんです」

 

 

 「どうですか?」と、彼女は何かを期待するような眼差しを向けてきた。紫苑の瞳は、褒めてもらえると信じて疑わない。まさか嫌がられるだなんて想定していなかった。

 どうしたものだろう。答えを間違ってしまえば、イデアを悲しませることになる。だが、仮に嘘をついたとしても、彼女は『ミュウ』の力を駆使して見抜いてしまう。

 ここは素直に答えた方がよさそうだ。クーゴは申し訳なく苦笑しながら、「この香りはちょっと苦手だ」と返答した。案の定、イデアはしょんぼりと肩を落とす。

 

 この場全体には、甘ったるい臭いが充満している。おそらく、イデアが部屋にいる女性陣に自作の練り香水を配ったらしい。そうして、彼女たち全員がそれを使用したようだ。

 

 この、舐めまわされるように不快な臭いは、どこかで嗅いだ覚えがあった。確か、クーゴがユニオン軍に所属することが決まり、そのお祝いとしてパーティを開いてくれたときのことだ。親族が集まってお祝いしてくれたのだが、そこに参加させられた蒼海が身に纏っていた臭いだった。

 香りの成分や配合は違うのかもしれないが、この臭いに込められた意図は非常によく似ている。最も、お祝いパーティのときは、クーゴがこういう臭いをあまり好まないと知っていて、蒼海が嫌がらせのために纏ってきたものだったのだが。

 

 

「ああそうだ。これ、姉さんが使ってた香水と似てるんだ」

 

「確かに、京都で刃金蒼海と会ったときもこんな臭いがしたような気がする」

 

 

 クーゴの言葉を聞いた刹那が、合点がいったように呟いた。途端、イデアが愕然とした表情を浮かべた。まるで、この世の終わりを目にしたような顔であった。

 何か拙いことを言ってしまったらしい。イデアがわなわなと震えている。クーゴがはっとしたのと、イデアが更衣室の方へ振り返ったのは同時だった。

 

 

「すみません! その練り香水、不備が見つかりましたんで回収させてください!!」

 

 

 ほぼ怒鳴るというか、泣き叫ぶような声色でイデアは言った。彼女の言葉を聞いた女性たちが目を点にする。

 彼女たちが「何があったの?」の「な」の字を呟くが否やの速さで、イデアは練り香水の入った容器を回収していった。

 間髪入れず、イデアはその容器をゴミ箱にぶち込む。蒼海と同じ香りと言われたことは、とても嫌なことだったらしい。

 

 イデアはゴミ箱の前で座り込んだ。気のせいでなければ、ぐす、と、鼻を鳴らすような音が聞こえた気がした。

 じめじめとしたオーラを纏う背中へ歩み寄った。クーゴはおずおずとイデアへ問いかける。

 

 

「……キミは、こういう香りの方が好きだったのか?」

 

「…………?」

 

「だとしたら、ずっと前に俺が贈った練り香水じゃ、香り的に物足りないよなぁと思って」

 

 

 イデアがゆっくりと振り返った。目元がほんの少しだけ、涙で滲んでいる。クーゴの発言を吟味するように目を伏せたイデアであるが、合点がいった途端にカッと目を見開いた。

 

 

「そんなことないです。あの香り、大好きです」

 

 

 ものすごく強い調子で断言された。半ば気圧されるような形で、クーゴは納得させられてしまう。

 イデアの眼差しはどこまでも真摯だ。嘘偽りはない。クーゴは納得したという代わりに、首を縦に振って見せた。

 クーゴの様子を見ていたイデアは安心したように威圧を解いた。プレッシャーが無くなったのを確認し、クーゴは微笑む。

 

 

「それはよかった。あの香り、キミにぴったりだと思って選んだものだから」

 

 

 イデアが完全に動きを止めた。ややあって、何かが破裂するような派手な音が響いた。彼女の頬が薔薇色に染まる。

 何かあったのかとクーゴが訊ねる前に、「ちょっと待っててください!」と言い残してイデアが駆け出した。

 

 彼女の背中はあっという間に廊下の向こうへ消えていく。それから十数分後、再びイデアがこの場に戻ってきた。格好はそのままだが、あの突き刺さるような甘ったるい臭いはない。爽やかな天竺葵の香りが漂う。彼女にぴったりの香りだった。

 

 クーゴの思考を読み取ったのだろう。

 イデアは、嬉しそうにはにかんでくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、スミルノフ少尉。こんなところまで護衛して頂いて……」

 

「いいえ、構いません。これが私の仕事なので」

 

 

 絹江が申し訳なくそう言えば、アンドレイは快活な笑みを浮かべてくれた。アロウズは部隊の再編で大忙しだというのに、ご苦労なことである。

 ちなみに、つい先程まで、アンドレイは「こんなときにライセンサー全員が部隊を離れるなんて、何を考えているんだ」と苛立たしげにぼやいていた。

 戦力の大半が前線からいなくなるというのは大問題である。いくら補充要員が送り込まれるとはいえ、「送り込んどけば何をしてもいい」というのは暴論だ。

 

 彼がぼやいている場に出てこなければ、アンドレイは延々と愚痴をこぼしていたであろう。彼の気苦労を思うと、同情を禁じ得なかった。

 

 最も、アンドレイ自身もまた、現場に疎い官僚たちの指示によって、絹江たちの護衛をする羽目になっているのだが。

 現場の状態を憂うアンドレイの思念が痛いほどに伝わってくる。絹江はおずおずと、彼に話しかけてみた。

 

 

「やはり、迷惑でしたよね……?」

 

「そんなことは!」

 

 

 鬼気迫るようなアンドレイの形相に、思わず絹江は目を白黒させた。それに気づいたアンドレイは一瞬狼狽し、バツが悪そうに肩をすくめる。

 

 

「……申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったのですが……」

 

 

 申し訳なさそうに目を伏せたアンドレイだが、彼はすぐに絹江へと向き直った。どこまでも真っ直ぐで、真摯な眼差し。

 絹江に対して、彼はいつだって誠実だった。誠実であろうとしてくれた。彼の思念が、そうありたいと訴えている。

 

 

「貴方の護衛役という仕事に関して、私は――私個人は、迷惑だと思ったことはありません」

 

「スミルノフ少尉……」

 

「……ですから、そんな――悲しそうな顔を、しないでください。貴女には、似合わない」

 

 

 言いなれぬ台詞だったのだろう。そう言うなり、アンドレイは何とも言い難そうに視線を彷徨わせた。気のせいか、ほんの少しだけ頬が赤らんでいるように見える。

 彼の言葉の意味を吟味して、そのすべてを理解し終えたとき、絹江は思わず顔を赤らめた。今、自分は、異性から、口説き文句に近いことを言われたのだ。

 理解しなければ何てこともなかったのに。理解してしまったが最後、どこからか、ヤカンが沸騰するようなカン高い音が聞こえてきた。

 

 絹江の狼狽えぶりを見たアンドレイが、ますます顔を真っ赤にして視線を逸らした。余計に居心地が悪くなる。本当に、もう、どうすればいいのだ。いい歳こいた大人2人が、並んでパニックに陥っている。純情なんて年頃は、とうに過ぎ去ってしまったというのに。

 

 

「絹江センパイは、男性とおつき合いした経験はないんですよね?」

 

 

 何を思ったのか、シロエが悪い笑みを浮かべて絹江に問う。

 彼に掴みかかりたい衝動を押し殺し、絹江は努めて冷静に応対した。

 

 

「セキ、やめて頂戴。私のプライベートを、こんなところで暴露しないで」

 

「でしたら、このパーティはチャンスに繋がるかもしれませんよ? 各界の著名人が一同に会する機会ですからね。玉の輿だって夢じゃないかも」

 

「あのねぇ、私はここに仕事しに来たの。間違っても、男を漁るために来たわけじゃないのよ。それこそ、スミルノフ少尉に対して失礼じゃない!」

 

「それでも、パーティ用のドレスを新調したあたり、センパイも気合入れてますよね」

 

「気合を入れたのは私じゃないわよ! …………もういい。釈明しても無駄そうだから、あとはノーコメントにさせてもらうわ」

 

 

 悪戯っぽく笑うシロエの様子に、絹江は大きくため息をついた。

 

 現在、絹江たち――絹江、シロエ、マツカの3人と、護衛役のアンドレイ――は、アロウズの関係者および出資者たち主催のパーティ会場にいた。

 この施設は、普段から政財界の有力者や各分野の著名人が集まる催しに使われている。税金の無駄遣いで建設されたという噂がある、いわくつきの場所だ。

 今回のパーティはドレスコードが定まっていた。そのため、絹江がドレスを、他の3人がタキシードおよびスーツを身に纏っている。

 

 今の絹江は、テールグリーンのショートドレスを着ていた。ビスチェ形式のドレスの胸元には、繊細なレース細工が編み込まれている。花をモチーフにしたものだ。上着として羽織るボレロは、ドレスの色よりも一段階濃い深緑色である。アクセサリーは、エメラルドのイヤリングとネックレスを身に着けていた。

 シロエはタキシードを、マツカは燕尾服を身に纏っている。どちらの身に纏っている服も高級感に満ち溢れており、2人とも気合を入れていることが伝わってきた。アンドレイは式典用のフォーマルスーツであるが、シロエとマツカの着ている服よりグレードは下だ。それが、余計に「無理矢理連れてこられた」感じを醸し出していた。

 

 

「あ、お義姉さま!」

 

 

 不意に、前方から明るい声が聞こえてきた。慣れ親しんだ女性の声である。

 絹江が声の方向へ視線を向けると、カクテルドレスを身に纏ったルイスが大きく手を振っているところであった。

 

 ルイスは瑠璃紺のAラインドレスを着て、白いフリル袖のボレロを着ていたいた。ドレスには、アップリケのように大きな花の刺繍がふんだんに施されている。刺繍は特に、胸元と首元、スカート部の上側に集中していた。スカートの部分の色は、淡い勿忘草色をしている。腰の部分は、リボンでウエストラインを区切っていた。

 

 

「ルイス。貴女、どうしてここに?」

 

「私、アルフヘイム社の役員やってるんですよ。その関係です」

 

「ああ、成程ね」

 

 

 ルイスの言ったアルフヘイム社は、『悪の組織』が隠れ蓑にしているダミー企業の1つだ。名前の由来は、北欧神話においてエルフが住まう国から来ている。

 彼女は彼女で、『悪の組織』の潜入調査員として白羽の矢が立ったらしい。ルイスはその出自故、社交界には充分慣れ親しんでいる。違和感なく振る舞えるだろう。

 やや子どもっぽい雰囲気は残るが、立ち振る舞いは淑女と言うに相応しかった。近くにいた人々が、惚けたように彼女を見つめている。

 

 

「ルイスさん、素敵ですよ」

 

「お褒めの言葉ありがとうございます、マツカさん」

 

 

 マツカが感嘆の声を上げた。ルイスは優雅に会釈する。

 彼女は自分たちを見回して、何を思ったのか、明るい調子で言葉を紡いだ。

 

 

「でも、凄い偶然ですよね。こんなところで会うなんて」

 

「そうね。私は取材で、貴女は役員としての仕事だもの」

 

「それじゃあ、お義姉さまと疑惑のある殿方が全員集合したというのも偶然ですか?」

 

「貴女何言ってるのよ!?」

 

 

 ルイスの言葉にシロエが凍り付き、マツカが「ふえっ!?」と奇声を上げ、アンドレイが盛大にせき込んだ。絹江の突っ込みにも、ルイスは明るい笑みを浮かべて流す。ルイスはそのまま手を振って、さっさと会場内へと消えて行った。

 

 絹江たちの間には、なんだか微妙な空気が漂っている。誰も彼もが困った顔をして、頬をほんのりと染めながら、視線を彷徨わせていた。

 もしもこの場に沙慈が居合わせていたら、確実に大惨事になっていた。沙慈もルイスも、夫婦揃って絹江を崖っぷちに落とすのが得意らしい。

 そんなことを考えた途端、凄まじい悪寒が背中を駆け抜けた。絹江の脳裏に、死んだ魚のような目でこちらを見つめる弟の姿がちらつく。

 

 

「と、とにかく、会場へ行きましょう。行くわよ、セキ、ジョナ」

 

「は、はい!」

「了解です」

 

「スミルノフ少尉、お願いします」

 

「お、お任せください」

 

 

 恐ろしい幻を頭の片隅に追いやりながら、絹江は音頭を取った。

 それを聞いた3人は、弾かれたように動き始める。

 

 そうして、4人はパーティ会場へと足を踏み入れたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見る限り、自分たちはうまく潜入できたようだ。官僚と談笑しながら、ティエリアはそんなことを考えていた。

 

 ちらりと刹那へ視線を向ける。刹那も、官僚や官僚夫人と談笑していた。彼女が上品な笑みを浮かべて朗々とお喋りに興じているのは、疑似人格を使ったためである。今回使用した疑似人格は、官僚や政治関係者等の上流階級でおしとやかな性格のものを使用していた。

 ここにいる官僚たちはみな、アロウズに協力することで利権を貪るクズどもだ。苛立ちと憤りなどおくびにも出さず、ティエリアは官僚の話に相槌を打った。そうして、刹那の様子を確認しながら周囲の人間たちの動向に気を配る。

 今のところ、この中で一番重役なのは、司令のホーマー・カタギリだ。彼は甥を紹介しつつ、記者たちからのインタビューを受けている。どうやらこの記者たちは、アロウズに密着取材をしているらしい。丁寧に護衛役がつけられているということは、アロウズ擁護派だろう。

 

 

『違うよ。あの面々は、『悪の組織』に属する『ミュウ』たちだ。僕の『同胞』だよ』

 

 

 不意に、頭の中で声がした。自分と同じ顔をした青年――リジェネの声だ。本人はどこだと視線を巡らせれば、丁度、奴は部屋に足を踏み入れたところだった。

 彼は式典用の高級スーツを身に纏い、優雅な足取りでティエリアの方へやって来た。手を挙げて、互いが身内同士であることを周囲にアピールしつつ声をかけてくる。

 

 リジェネの外面は優雅な富豪そのものだ。だが、ティエリアは知っている。奴は、奴の家族やティエリアのことになると、途端に残念仕様になる男だと。

 

 

『わぁお! グラマラスなティエリアもサイコーだね!!』

 

 

 嬉々迫る声。状況が状況じゃなければ、容赦なく右ストレートで殴ってやるのに。

 リジェネはティエリアの思考を読み取ったようで、すぐに『怒らないで! ごめんってば!』と謝ってきた。

 

 

『2人とも仲良しだね。同類(なかま)としては嬉しいことだよ』

 

 

 頭の中に割り込んできたのは別の声だ。はっとして振り返れば、薄緑の髪に紫水晶の瞳を持つ青年――リボンズが、グラスにシャンパンを注いでいるところであった。

 

 彼は優雅な笑みを浮かべて、ティエリアにシャンパンの注がれたグラスを差し出してきた。断る理由はないので、顔だけ笑顔で受け取ってやる。途端に、リボンズとリジェネが苦笑する声が頭の中に響いてきた。なんだか腹が立つ。

 ティエリアは仕草だけ優雅にシャンパンに口を付けつつ、リボンズとリジェネを睨みつけた。奴らはまるで、ティエリアの思考を読み取ったうえで話しかけてくる。しかも、頭の中に声を響かせるという方法でだ。

 

 脳量子波を使ったヴェーダとの交信(コンタクト)――それが、ティエリアがガンダムマイスターとして選び出された最大の理由だった。リボンズやリジェネも脳量子波を使うことができ、前者はイデアと顔立ちが似ているし、後者は自分と同じ顔かたちをしている。

 刹那のバックアップもだが、ティエリアのことを同類(なかま)と称する理由についての情報を知りたくて、この任務に名乗りを上げたという訳だ。黒幕探しも重要な任務であるが、自分たち(ソレスタルビーイング)以外の“イオリアの後継者”について知りたかったというのもある。

 探るような目をしたティエリアの様子に、リボンズとリジェネはちょっとだけ苦笑した。『それじゃあ、ちょっとこの場から離れようか』と、リボンズが提案する。人の多い場所では話しにくいのだろう。ティエリアは頷き、2人に従うようにしてテーブルを離れた。

 

 うまい具合に人込みを避け、壁の花になったようだ。人が近寄ってくる気配はない。

 

 

(ん?)

 

 

 ティエリアがふと見れば、リジェネの体が淡い赤の光を纏っていた。はっとして彼を睨みつける。

 

 

「大丈夫だよ。ちょっと人避けしただけだから、怯えないで」

 

 

 リジェネは、いつになく真剣な面持ちでそう言った。不慣れながらも、ティエリアも脳量子波を使って彼らの感情を読み取ろうと試みる。彼らの言葉に、嘘はない様子だった。

 一先ず警戒を解けば、リジェネは目に見えて安堵したように表情を綻ばせた。周囲に花でも舞いそうな笑みだ。あまりにも無防備なそれに、ティエリアは毒気を抜かれた。

 

 そんな自分たちの様子を見たリボンズが、穏やかに微笑んだ。

 

 

『リジェネ。キミはやけに、ティエリアにご執心だね』

 

『だって、僕と同じ塩基配列なんだよ? 親近感を通り越して好意を抱くのは当然じゃないか!』

 

『その理屈で行くと、“塩基配列パターンが0988タイプなら誰でもいい”という人格破綻者になってしまうけど』

 

『わかってないなあリボンズ。ティエリアだがら特別なんですー!』

 

 

 小気味よい会話が頭の中に飛び交うが、正直、ティエリアには何がなんだかよく分からない。塩基配列がどうだと言われても、こちら側が持つ情報は少ないのだ。

 幾分か腹立たしい感情が伝わったのだろう。2人は「あ」と間抜けな声を漏らすと、バツが悪そうに頭を掻いた。わざとではないところが、逆に腹立たしい。

 『人に聞かれるといけないから、このまま話すよ』という2人の言葉に、ティエリアも頷いた。イオリア計画の重要事項だ、何が何でも秘匿にしなくてはいけないだろう。

 

 

『『悪の組織』やスターダスト・トレイマーに属する人々が『ミュウ』であることは、知っているね?』

 

『ああ。『ミュウ』が“外宇宙からこの地球へ来訪した異種族”であることは、シュヘンベルク夫人から聞いている』

 

 

 リジェネの問いに、ティエリアは頷いた。リジェネは話を続ける。

 

 

『この銀河にいる『ミュウ』の区分は大きく分かれて3つある。1つは、外宇宙から来訪した張本人たちだ。一番分かりやすい例で例えると、マザーのことだよ』

 

『把握した』

 

『で、2つめのパターンが、外宇宙から来訪した『ミュウ』の血筋を引く子孫。片方でも親が『ミュウ』ならば、生まれた子どもが“生まれながらの『ミュウ』”として覚醒する可能性はほぼ確実となる。一番分かりやすい例が、キミたちの元へ腰を据えることにした子――イデアだね』

 

『……成程。ならば、3つ目のパターンは、“この星で生まれ育った人類が、何らかのきっかけを得て『ミュウ』へと覚醒する”という例か』

 

『うわあ凄い! 大正解だよティエリア!!』

 

 

 リジェネがぱああと表情を輝かせた。ならば、3パターン目の例は、自分たちに同行するクーゴ・ハガネやクロスロード夫妻だろうか。

 では、3つ目のパターンが適応される場合はどんな状況なのか。ティエリアがそれを問う前に、疑問を察知したリボンズが答える方が早かった。

 

 

『人類が『ミュウ』に目覚めるパターンは2つあるんだ』

 

『2つ?』

 

『1つめは“元から有していた『ミュウ』因子が、外的要因を得て覚醒する”ことだね。2つめは“『ミュウ』という存在を心から受け入れる”ことだ。……最も、条件を満たしても、いつ覚醒するかどうかは個人差があるからね。下手したら、人間としての寿命が尽きる寸前で覚醒する――なんてこともある』

 

 

 『マザーがやって来た惑星で行われていた、『ミュウ』に関係する実験結果の1つだけど』――リボンズは、憂いを滲ませた表情でそう呟いた。

 実験結果という単語を聞くと、碌なものが思い浮かばない。唯我独尊を突っ走るようなベルフトゥーロの過去には、凄惨で陰惨な背景がありそうだ。

 おそらく、人革連の超兵機関のようなものか。どの銀河/外宇宙でも、人類は酷いことができるらしい。ティエリアは表情を曇らせた。

 

 『ミュウ』に関する話は一通り終わったらしい。それを察した後、ティエリアは、1番知りたかったことを問いかけた。

 

 

『では、単刀直入に訊く。……お前たちの言う“同類”とは、何だ?』

 

『僕たちはイノベイド。イオリア計画遂行のため、ヴェーダによって生み出された生体端末だ』

 

 

 その問いに答えたのは、リジェネだった。彼もリボンズも、弟を見守るような兄を連想させるような、慈愛に溢れた眼差しを向けてくる。

 

 ティエリアは、自分が人間とは違うということを重々理解していた。けれど、その正体が“生体端末”であることは知らなかった。頭を殴られたような衝撃が走る。

 「ティエリア、大丈夫?」――心配そうな声が響く。声の主の方へ向き直れば、リジェネがはらはらしたように眉を派の字に曲げ、手を右往左往させていた。

 

 

「話、聞ける? なんなら、この話はもう――」

 

「……いや、続けてほしい」

 

 

 裏声を崩さず、ティエリアは乞うた。リジェネはリボンズと顔を見合わせる。

 幾何化躊躇った後、彼らは話を続けることを選んだようだ。リボンズが言葉を続ける。

 

 

『イオリアは、人類が外宇宙へ進出する中で芽生える“可能性”に興味を持った。そのきっかけが、“外宇宙から来訪した『ミュウ』との接触”だったんだ。『ミュウ』と出逢い、マザーと結ばれたイオリアは、“この銀河に存在する人類も、『ミュウ』と似たような形で進化を果たすのではないか”と考えた』

 

『それが、イノベイド』

 

『いいや、それはイノベイドのことではないよ。イオリアは“人類が自力で、且つ、『ミュウ』とは違う系譜の進化を果たした”新たな人類の出現を予期し、提唱した。革新するという言葉から取って、その新人類のことをイノベイターと呼んでいる。……で、その新人類を元にして、ヴェーダによって生み出された生体端末が、僕たちイノベイドだ』

 

 

 でもね、と、リボンズは付け加える。

 

 

『確かに僕たちは、ヴェーダに代わって人間を評価するデバイスとして生み出されたという側面もあるかもしれない。ヴェーダを至上とし、その命令に従うだけの端末として生み出されたというのも、純然たる事実だ。だが、僕たちには自意識がある。自分で考えて、自分で判断して、行動することができるし、感情だって持っているんだ』

 

「――そう。僕たちは、『人間(ヒト)』だ。築き上げた人生や絆と同じく、その事実は揺るぎない」

 

 

 清々しい笑みを浮かべて言いきったティエリアの様子に、リジェネとリボンズが目を丸くした。ややあって、2人は「あ」と声を漏らす。ティエリアの感情を読み取ったのだろう。

 ティエリアの脳裏に浮かんだのは、4年前の決戦前夜だった。ティエリアのことを「機械みたいで怖かった」と苦笑したイデアの姿だ。彼女が言った言葉が、頭の中でリフレインする。

 

 

 

『笑って、泣いて、怒って、悩んで、喜んで、悲しんで、憤って、呆れて、反省して、後悔して、無謀な賭けに挑戦してみて、不確定な未来を夢見て……機械はこんなことしない。人間だからこそ、そうやって考えることができる』

 

『だから、ティエリア。貴方は『機械』なんかじゃない。立派な『人間(ヒト)』だ。誇っていい』

 

 

 

 ――ああ。

 

 

(今ならば、貴女の言葉の意味が、よく分かる。あの言葉に込められた重さが、ようやく分かった)

 

 

 胸にじわじわ込み上げてくるものを感じながら、ティエリアはグラスのシャンパンを飲み干した。長らくそのままにしていたためか、炭酸が少々抜けてしまっている。

 余韻冷めやらぬという感情を一端片付け、もう1つ、ティエリアは2人へ疑問をぶつけた。リジェネとティエリアの顔が瓜二つであるという点である。

 

 

『先程、塩基配列がどうとか言っていたが、それが僕とリジェネの容姿と関係があるのか?』

 

『うん! 僕とキミは、ある科学者が提供してくれた遺伝子の塩基配列をベースとして生み出されたんだ。キミも僕も、0988タイプの塩基配列が元になっているんだよ』

 

 

 嬉しいね、と笑うリジェネの横で、リボンズが『ちなみに』と補足を入れる。

 

 

『僕の元になっている塩基配列パターン0026タイプは、レティ――イデアの父親である、E.A.レイ氏のものだよ』

 

 

 成程。ならば、リボンズとイデアの外見が似ていてもおかしくない。しかも今、何か別の人物の名前を言いかけている。

 もしかしたら彼は、かなり古参のイノベイド/『ミュウ』なのか。稼働年数は余裕で3桁を超えているのかもしれなかった。

 

 ティエリアがそんなことを考えていたとき、不意に、リジェネとリボンズが振り返った。彼らの眼差しは、今、パーティ会場にやって来た女性に向けられていた。

 

 そこにいたのは、黄色のドレスに身を包んだ美しい才女であった。ティエリアは、彼女のことをよく知っている。ソレスタルビーイングのエージェントであり、最大のスポンサーである人物――(ワン)留美(リューミン)だ。

 彼女がこのパーティに参加するだなんて話など、自分たちは一切耳にしていない。動揺したのはティエリアだけではなかったようで、女性たちと話をしていた刹那も目を大きく見開いている。対して、リジェネとリボンズは冷静であった。

 途端に会場がざわめいた。話を聞く限り、アロウズに対し2番目に多く出資しているのが留美(リューミン)だというのだ。確かに留美(リューミン)はアロウズとのコネクションを有していたが、あくまでもソレスタルビーイングが活動しやすいためにという名目だったはずだ。

 

 だが、周囲の人間たちの盛り上がり様を鑑みるに、潜入費用としての出資ではない。

 

 まさか留美(リューミン)は自分たちを裏切り、アロウズに与していたというのか。ティエリアの視線に気づいたのか、留美(リューミン)はこちらを見て微笑む。艶絶な――けれど、どこか冷徹な笑み。纏わりつくような感情に寒気を覚える。

 彼女がそんな風に笑う現場を、ティエリアは一度も見たことがなかった。いや、おそらく、ソレスタルビーイングの誰もが、そんな顔を浮かべる留美(リューミン)を見たことなんかないはずである。留美(リューミン)の隣には、紅龍(ホンロン)が控えていた。

 

 

「……重役出勤」

 

 

 ぼそり、と、リジェネが呟いた。

 

 

「だね。大物は、1番最後に来るものだし」

 

 

 リボンズがそう言って、会場の奥へと視線を向けた。そのタイミングと合わせて、奥の方の廊下から女性がやって来る。

 黒の生地に金の蝶々が描かれた豪奢な着物を身に纏う東洋人女性だ。彼女を目にした刹那が、更に表情を険しくする。

 着物の女性は、他に3人の少年を引き連れ、傍らにはアロウズの軍服の上に陣羽織を身に纏った金髪の男性を侍らせていた。

 

 女性の顔は、誰かの面影を連想させた。自分たちと同行している『悪の組織』関係者(本人曰く「居候」)――クーゴ・ハガネとよく似ている。

 

 

「おお! あの女性が、アロウズ最大の出資者か!」

 

「25代目の刃金家当主、刃金蒼海……なんて美しい」

 

 

 周囲の人間たちがざわめく。

 

 刃金。はがね。ハガネ。苗字まで、彼のものと同じである。そういえば、以前見たデータでは、双子の姉がいるとあったが――まさか。

 ティエリアが2人の関係性の意味を悟ったとき、リボンズが悪い笑みを浮かべた。

 

 

「――さて、こちらも召喚しようか。あの女に対する、唯一無二の切り札を」

 

「同時に、彼にとってもあの女が最大最悪の鬼門だけどね」

 

 

 「大丈夫かな」と、リジェネが心配そうに呟く。リボンズは静かな笑みを浮かべたあと、会場全体に響き渡るような勢いで手を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、アルフヘイム社からのささやかな余興です」

 

 

 リボンズの声が響き渡る。そのタイミングに合わせて、クーゴはマグロの乗った台車を押した。脇に抱えた道具一式、手入れは既に完了している。

 姉の気配を感じたためか、背中に悪寒が走った。しかし、普段よりもはるかに寒気はない。むしろ、誰かが悪寒から自分を守ってくれているようだった。

 

 たとえ悪寒が強くても、決して逃げるつもりはないが。

 

 

(――さて)

 

 

 パーティ会場に踏み込めば、突如現れた黒いダイヤ――クロマグロの存在に、人々がざわめき始める。

 目の前で解体ショーが行われるという話を聞いた人々の感情が周りを満たした。驚きと興奮、といったところか。

 銀髪に赤い瞳のウェイターが、マグロを解体する用の台を用意してくれた。クーゴはそこへクロマグロを置く。

 

 道具箱からマグロ解体用の包丁を取り出し、鞘から抜いた。日本刀と遜色ない刀身が煌めく。向こうにいたホーマー氏とビリーが目を見開き、懐かしそうに目を細めたのが見えた。

 4年前までは、何かある度に彼らの前でマグロ解体をしていたことが昨日のことのようだ。懐かしさを噛みしめた後で、クーゴはゆっくり包丁を構える。

 

 マグロの鮮度を保つためには、時間との戦いとなる。短時間で解体を終えなければ、おいしいマグロは食べられない。すべての雑念を振り払い、クーゴは包丁を振るったのだった。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『イブニングドレス 高級ブランド - Landybridal.jp』より、『スレンダー ホルターネック ブルー シフォン イブニングドレス F12074』
『ウェディングドレス専門サイト,オーダーウェディングドレス、パーティードレス、タキシード、ウェディング小物など結婚式用品販売-GoldenDown』より、『パーティードレス ショートドレス ビスチェ ダークグリーン pplrpr1337』(ドレスとボレロのデザインのみ)
『安価な特別な日のドレス、結婚式アパレル·アクセサリー&熱い販売のための靴Online@Dresswe.com』より、『ラブリーレースジッパーアップ ショートAラインカクテルドレス』(ドレスのデザインのみ)
『パーティーボレロ通販|【RyuRyu】(リュリュ)ファッション通販』より、『Dorry Doll(ドリードール) 衿フリルボレロ』


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20.天を穿つビー・アングリー

 クーゴは慣れた手つきでマグロを解体していく。長い刀身であるマグロ解体用の包丁は、マグロの体をバターを切るような滑らかさで切り裂いていった。

 その度に感嘆の声が響いてくるが、右から左に流れていく。あるいは、どこか遠い世界の喧騒のようにしか思えない。クーゴは解体のみに集中した。

 手を休めることもなく、ただひたすらに、己の役割を全うする。そこに余計な雑念はない。クーゴは、どこまでも静かな世界を感じていた。

 

 最後の一太刀。これで、代の上に鎮座していたマグロは解体を終えた。解体用の包丁を布巾で拭いて、鞘に戻す。次に取り出したのは刺身包丁である。

 

 解体した各部位を刺身にして皿に盛り付ける。その間にも、感嘆の声や拍手が聞こえた。が、作業を続けるクーゴの様子に影響されたのか、会場の声が消えていく。いつしか、この場は静寂に包まれていた。

 刺身にできる部位は調理し終えた。その旨を合図すれば、リボンズが音頭を取った。観客たちが刺身に舌鼓を打つのを横目に、クーゴは次の作業へ取り掛かった。後は、各部位の「美味しい食べ方」を考慮して適宜処理をしていく。さながら料理番組のようだった。

 

 

(――よし、これで最後)

 

 

 すべての部位の調理を終えてテーブルへ配れば、辺りから拍手喝采が巻き起こった。クーゴはパーティの参加者たちに一礼する。包丁を片付けていたとき、不意に声をかけられた。

 

 

「素晴らしい解体ショーだったよ」

 

 

 声をかけてきたのは、アロウズ上層部のトップであるホーマーだ。隣には、甥のビリーも並んで拍手を贈ってくれる。

 込み上げてくる懐かしさを噛みしめながら、クーゴも微笑み返して一礼した。「その動作」と、ビリーが呟く。

 

 

「何でしょう?」

 

「キミを見ているとね、4年前に亡くなった親友のことを思い出すんだよ」

 

「4年前……」

 

「国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦。……彼は、そこで戦死したんだ」

 

 

 ビリーはそう言って、どこか寂しそうに目を伏せた。

 

 彼は、目の前にいる人間が、4年前に戦死したと思われている親友――クーゴ・ハガネ本人であることを知らないのだ。

 帽子を深く被ることで誤魔化してはいるが、些細な雰囲気は似通ってしまうらしい。

 

 

「丁度、キミと似たような雰囲気だったんだ。マグロを解体しているときとか、MSを操縦しているときとか。……懐かしいな」

 

 

 悲しそうに笑うビリーの肩を、ホーマーは静かに叩いた。彼もまた、クーゴの死(社会的な方)を悲しんでくれたらしい。だが、叔父と甥がこんなところ(アロウズ)にいるのは、「それとこれとは訳が違う」ということなのだろうか。

 2言3言言葉を交わした後、カタギリ叔父甥は別の富豪および官僚に話しかけられたため、クーゴから離れていった。2人を皮切りに、マグロ解体の様子を絶賛する人々からひっきりなしに声をかけられた。

 内心動揺しつつ、クーゴは彼らの賛辞に対して適宜対応していく。彼らの賛辞は心からのもので、クーゴは照れくささを感じていた。ややあって、群がっていた人影はまばらとなり、いつの間にかいなくなった。

 

 熱狂も冷めれば、人がいなくなるのは当然である。クーゴは大きく息を吐いた。道具の片づけや手入れをしつつ、周囲を見回す。

 

 

「おねえさま!」

 

留美(リューミン)!」

 

 

 少し視線を逸らせば、4年ぶりに見る姉の――刃金蒼海の姿があった。彼女は楽しそうに、髪を一つに結った美しい女性――(ワン)留美(リューミン)と談笑している。その女性の隣には男性が控え、蒼海の隣には険しい顔をした仮面の男が侍っていた。

 仮面の男は、どこかで見たことのある仮面と陣羽織を羽織っていた。ああ、彼が、ミスター・ブシドーなのか。クーゴはすぐに合点がいった。ブシドーは蒼海に対し、望んで侍っている訳ではなさそうだった。むしろ、やりたくないのを我慢しているように思える。

 

 ブシドーの眼差しは刹那に向けられていた。ティエリアとリジェネらと会話をしていたはずのリボンズが、刹那の元へ向かう。官僚たちが離れ、この場はリボンズの独壇場と化したらしい。リボンズに話しかけられた刹那はあからさまに困ったような表情を浮かべているのだが、話しかけた当人は気にしていない様子だった。

 

 

「――やめたまえ。彼女、嫌がっているだろう」

 

 

 次の瞬間、ブシドーが2人の間に割り込んだ。刹那を庇うように躍り出て、ブシドーがリボンズと対峙する。刹那が目を丸くして、ブシドーの背中を見上げていた。

 射殺さんばかりの眼差しに対し、リボンズは苦笑を返した。笑い方まで優雅である。彼はブシドーの耳元で何かを囁くと、刹那へひらひら手を挙げて去って行った。

 

 刹那とブシドーは呆気にとられていたようだが、ややあって、ぎこちなく会話を始めた。

 

 

「あ、ありがとう……ございます」

 

「い、いや……うむ」

 

 

 あの2人が顔を合わせるのは、本当に久しぶりである。まともな連絡だって取り合っていなかったのだ。

 しかも、刹那は潜入捜査のためにここにいて、ブシドーは(おそらくだが)会場の警備と蒼海の飾りとしてここにいる。

 以前のような――4年前のような調子で話すのは難しいだろう。特に、互いの現状を加味して考えると、だ。

 

 ぎこちないやり取りを幾らか続けた後、ブシドーは刹那へ手を差し出した。その姿は、4年前、蒼海に突き飛ばされた刹那を支えたときのような貫禄があった。元・空の貴公子という仇名は伊達ではない。

 

 

「どうだろう? これも、何かの縁だ。私でよければ、1曲踊ってもらえないか?」

 

 

 刹那は目を丸くした。ブシドー/グラハムがダンスをするだなんて、彼女にとっては予想できない姿だったらしい。

 黙ってしまった刹那の姿を見たブシドーの表情がみるみるうちに曇っていく。何かを諦めてしまったように、ブシドーは苦笑した。

 

 

「……いや、キミが嫌なら、それでいいんだ。すまない、変なことを言った。忘れてくれ」

 

「いいえ。是非」

 

 

 ブシドーが手を脇へ戻す前に、刹那が彼の手を取った。まるで大切なものを包み込むような手つきに、今度がブシドーが目を丸くする番だった。

 刹那の口元が緩む。赤銅色の瞳が細められた。相手を慈しむ/愛おしむような優しい眼差しが、惜しみなくブシドーに向けられている。

 優しい感情を受け止めた彼は、今にも泣き出してしまいそうな微笑を浮かべた。翠緑の瞳には、相手を慈しむ/愛おしむ感情で溢れていた。

 

 そうと決まれば、と言わんばかりに、ブシドーは刹那をエスコートした。周囲が見惚れる程、様になっている。4年前までは当たり前のように見た光景だ。

 ホーマーとビリー、蒼海と留美(リューミン)らが、珍しいものを見たかのように目を瞬かせた。前者はすぐに談笑の輪へ戻ったが、後者はしばし2人を見つめていた。

 

 

「お久しぶりですね、(ワン)留美(リューミン)

 

「ええ。4年ぶりですわね、リボンズ。今は大会社の社長だなんて、出世したのですね」

 

 

 刹那とブシドーから離れたリボンズは、迷うことなく留美(リューミン)に話しかけた。2人は楽しそうに談笑しているが、あくまでも表面上だけだ。勘のいい人間であれば、2人が派手に火花を散らしているのが分かるだろう。クーゴもその1人だった。

 

 そのまま、リボンズはリジェネとティエリアの方へ向き直った。自分の会社の役員として、彼は2人を紹介する。2人は上品な笑みを浮かべて会釈したが、心とは反比例していた。

 リジェネの思念はどこまでも冷淡だったし、ティエリアの場合は荒れている様子だ。彼らは彼らで、黒幕関係者――(ワン)留美(リューミン)との接触を図っている。

 

 

「――すみません」

 

 

 不意に、声をかけられた。声の方向に視線を向ければ、自分とよく似た顔立ちの女性――双子の姉、蒼海が立っていた。黒地に金の蝶が描かれた、豪奢な着物を身に纏っている。

 蒼海の後ろには、彼女にまとわりつくようにして3人の少年がいた。彼らは幼い頃のクーゴ、あるいは宙継とよく似ている。おそらく、彼らも宙継と同じ、蒼海の息子なのだろう。

 3人の少年は無邪気な顔立ちをしていたが、内面は蒼海と同じ、底の見えない闇が蠢いていた。どこまでも残虐な感情がクーゴに突き刺さってくる。クーゴはごくりと唾を飲み干した。

 

 以前の自分だったら、悪寒を感じて逃げようとしただろう。蒼海との遭遇を、回避したいと考えたであろう。

 だが、もう、逃げるわけにはいかない。姉の暴走を止めるためにも、大切な親友を助けるためにも、彼女と向き合わなければならないのだ。

 

 

「先程の解体ショー、素晴らしかったわ」

 

「それはどうも」

 

 

 どこまでも冷ややかな蒼海の声に、クーゴは静かに答えた。蒼海は笑みを深くする。

 

 

「折角ですし、少しお話をしませんか?」

 

 

 蒼海の瞳が細められた。「お前のことは知っているぞ」と、彼女の瞳が継げている。「お前はもう逃げられないし、逃すつもりはない」とも。彼女の周囲にいた子どもたちもまた、同じような眼差しをクーゴに向けていた。

 そんなの、こっちだって同じである。最初から、蒼海の懐へ潜り込もうとしていたのだ。何の問題もない。クーゴもまた、蒼海に対して不敵に笑い返して見せた。蒼海が目を丸く見開く。――呆気にとられたような顔なんて、初めて見た。

 

 

「ええ、喜んで。――丁度良かった。俺も、貴女と話がしたかったんです」

 

 

 お久しぶりですね、姉さん。

 

 怯えず、真っ直ぐに蒼海を見つめる。挑みかかられるとは微塵も想像できていなかったのか、蒼海は眉間に皺を寄せた。

 彼女の隣にいた子どもたちが、不快なものを目の当たりにしたかのようにクーゴを睨みつけてきた。3人とも、腰の銃に手をかけている。

 こんな場所で銃など抜けば、大惨事になるのは当然のことだ。蒼海は子どもたちに碌な教育をしていないのか。

 

 「そんな物騒なものをこんな所で抜こうとするなんて、教育方針は大丈夫ですか?」と囁けば、蒼海はイラついた様子で舌打ちした。

 彼女はアイコンタクトを取る。途端に、子どもたちは申し訳なさそうに目を伏せた。勿論、クーゴへ非難の眼差しを向けることも忘れない。

 

 

「俺の方はどこでも構いませんが、どこで話をするんですか?」

 

「……そうね。私の控え室があるから、そこで話しましょうか」

 

 

 蒼海は暗い笑みを浮かべた。彼女の申し出を受けるということが何を意味しているか、クーゴは重々理解している。敵陣の真っただ中に飛び込むということが、どれ程危険なのかもわかっていた。

 それでも、虎穴に要らずんば虎児を得ずとも言う。仲間を連れて『還る』ことを選んだ時点で、蒼海と対峙することは想定されていたことだ。迷っている暇なんて存在しない。一度決めてしまえば、真正面から向き合えるような気がした。

 

 先導するように蒼海が一歩踏み出しかけ、ふと視線を向けた。彼女がまず目に留めたのは、リボンズらと会話をする留美(リューミン)の姿であった。彼女はリボンズたちとしばし話をした後、彼らと一緒にホールから去って行く。大方、クーゴと蒼海がしようとしていることと同じだろう。

 彼らの姿がホールの奥へと消えたのを確認した蒼海は、次にブシドーと刹那に視線を向けた。穏やかに笑うブシドーの横顔を、蒼海は興味深そうに眺めている。ややあって、蒼海は不気味な笑みを浮かべてブシドーを見つめた。途端に、彼女の悪意を感じ取ったブシドーが刹那を守るようにして立ちはだかる。

 ほんの一瞬伺えたブシドーの横顔は、蒼海に対する怒りで満ち溢れていた。翠緑の瞳が蒼海を睨みつける。だが、蒼海は歯牙にもかけていない様子だった。どこまでも不敵に、傲慢に、彼女はブシドーへ笑い返す。揺るがぬ自信に満ちたその微笑は、どこか歪んでいるように思えた。

 

 

「……っ!」

 

 

 悔しそうに俯く親友の横顔。あの悔しがり様はただ事ではない。

 

 蒼海が彼の弱みを握って、彼を手駒にしているのは前々から分かっていた。しかも、その方法がえげつないことも薄々感づいていた。

 だが、ブシドーの憔悴ぶりからして、クーゴが予想している以上に、彼は追い込まれているらしい。クーゴも思わず姉を睨んだ。

 

 彼女の周囲にいた子どもたちが、負けじとクーゴを睨み返す。ここがパーティ会場でなければ、容赦なく拳銃に手をかけていただろう。蒼海の命令は絶対のようで、彼らは銃を抜こうとはしなかった。

 再び蒼海はブシドーの方へ視線を向けた。彼は刹那と何か話をしている様子だったが、ややあって、ブシドーは刹那と一緒にホールから離れる。2人もまた、クーゴや蒼海と似たようなことをするのかもしれない。

 蒼海は何か面白いおもちゃを見つけたような、不気味な笑みを浮かべていた。やはり、彼女はロクなことを考えていない様子だ。4年前も、その後も、その前も、蒼海は何も変わっていない。クーゴの胸の奥に、妙な安堵感と深い悲しみが湧き上がってきた。

 

 

(あおちゃん)

 

 

 もう二度と使わないであろう彼女の愛称を、心の中で呟いてみる。

 当たり前のことだが、蒼海はそれに答えることなく、速足で歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない部屋に通された。部屋の大きさからして、VIPご用達の部屋らしい。(ワン)留美(リューミン)なら選びそうな広さと豪華さがあった。

 

 

「どうぞ?」

 

 

 留美(リューミン)に促され、リボンズはソファに腰かけた。相変わらず紅龍(ホンロン)留美(リューミン)の隣に侍っている。その立ち振る舞いは正しく使用人であった。

 彼女と彼は、血の繋がった実の兄妹だ。本来ならば、紅龍(ホンロン)(ワン)家の当主となっているはずだったのだが、彼の才能では(ワン)家の後釜になるには力不足だった。

 そのため、先代当主は優秀な才女であった留美(リューミン)に目を付けた。次世代の当主として教育を受けた留美(リューミン)は、それはそれは苦痛な日々を送ったという。その溝と蟠りが、今の2人の関係に響いていた。

 

 兄弟姉妹というのもは、もう少し仲良くするものではないのか。リボンズは、そんなことを考える。

 リボンズにも兄弟がいる。血は全く繋がっていないけど、それでも、兄弟姉妹だと胸を張って言えた。

 

 

「……家族なのに、キミは自分の兄を使用人みたいに扱うんだね」

 

「前々から変だなって思ってたんだ。実の兄をそんな風に扱えるなんて」

 

 

 途端に、留美(リューミン)のこめかみがひくついた。口元が歪んだあたり、この話は彼女にとって地雷だったのだろう。どうやら紅龍(ホンロン)の逆鱗にも触れたようで、彼が戦闘態勢を取った。

 使用人が身勝手なことをしようとしていると察したのか、麗しき女主人は視線で彼を黙らせた。渋々と言った形で、紅龍(ホンロン)が構えを解く。ティエリアが驚いたように目を見開く。ああ、彼は何も知らないらしい。

 

 

「……そうね。私と紅龍(ホンロン)は、確かに実の兄妹ですわ。でも、紅龍(ホンロン)には、次世代の(ワン)家当主たる器と才覚が無かった。だから、私が跡取りとして選ばれましたの」

 

「知ってるよ。……ただ、いくら跡取りとして不適合者だったからって、実際の戸籍からも抹消するっていうのはやりすぎじゃないの?」

 

『そうか。だから、公式的な資料や情報から“2人が兄妹である”という記述が出てこなかったのか』

 

 

 リジェネの突っ込みを聞いたティエリアは、納得したように顎に手を当てた。彼の思念が流れ込んでくる。

 

 世間や公の場では、留美(リューミン)は“(ワン)家の1人娘”として認識されている。逆に、紅龍(ホンロン)の経歴は“天涯孤独の孤児”であり、“(ワン)家に引き取られ、幼い頃から使用人の職に就いている”と認識されていた。先代の権限であれば、兄妹の関係性を書き換えることなんて造作もないだろう。

 先代にとって、紅龍(ホンロン)は「存在そのものが恥」という認識だったのだろうか。生まれた子どもが自分の思い通りに動くものだと考える時点で、親として破綻している。――懐かしい。イオリアのことを誤解していたとき、リボンズは彼に対してそんな反感を抱いていた。今となっては笑い話であるが、当時の自分にしてみれば死活問題だった。

 

 

「さあ。それは先代の采配ですから分かりません。本人はもう、彼岸の彼方ですので」

 

 

 留美(リューミン)はそう言ったが、それだけでないというのは、彼女の纏う空気からして明らかであった。

 しかし、それについてはもう語ることはないだろう。リボンズはそんな予感を感じて、次の話題へ進むことにした。

 訊きたいことがあるんじゃないのかと促すように、ティエリアに視線を向ける。彼は目を瞬かせた後、小さく頷き返した。

 

 

「単刀直入に訊く。(ワン)留美(リューミン)。貴女は、ソレスタルビーイングのエージェントではなかったのか!?」

 

 

 鋭い眼差しが留美(リューミン)を射抜く。ティエリアの鋭利な感情が、容赦なく彼女に向けられた。

 

 

「何故、貴女はアロウズに与する!? アロウズがしていることを、ソレスタルビーイングは認めない。認められるはずがない。貴女もソレスタルビーイングの一員だ。それくらい、分かっているだろう!?」

 

 

 留美(リューミン)は、ティエリアの怒号に等しい詰問を、黙って聞いていた。優雅に紅茶を啜るあたり、真面目に聞いているとは思えなかったが。

 彼女はティーカップを握ったまま、俯く。その口元がゆっくりと弧を描いた。何がおかしいのか、留美(リューミン)は笑い始める。

 

 異様な空気を感じ取り、ティエリアが身構える。リボンズも内心動揺したが、最初のイノベイド――とどのつまり、ティエリアとリジェネのお兄ちゃん――という矜持で踏みとどまった。こんな場所で、無様な姿を晒すわけにはいかない。

 笑い茸でも食べたのかと問いかけたくなるような高笑いだ。そんな留美(リューミン)とは対照的に、紅龍(ホンロン)は無表情の鉄仮面を崩さない。非対称な兄妹――使用人と主の姿に、寒気を感じたのは気のせいではないだろう。

 ひとしきり笑った後、留美(リューミン)はティーカップをテーブルの上に置いた。どこまでも優雅な姿勢を崩さない。先代の教育が、彼女をここまで異質な存在に育て上げたのだろう。先代を嫌う留美(リューミン)であるが、彼女自身が誰よりもその影に縛られている。

 

 

「ティエリア・アーデ。貴方は幸せね」

 

「っ!? 何を言って……」

 

「自分が生まれてきた意味を知らないで、そういう風にしていられるんだもの」

 

 

 閉じられた瞳が開いた。黒曜石を思わせるような漆黒の瞳が、突如、くすんだ金色の光を放つ。

 

 それと同じ現象を、リボンズはよく知っていた。脳量子波を使うイノベイドが、その力を行使するときに起きる現象だ。

 (ワン)留美(リューミン)は人間だ。普通の人間には脳量子波を使うことができない。一般的な人間が辿る人生では、そうなることは不可能だ。

 嘗て人革連で行われていた超兵の実験や、アレハンドロの協力者が行ったデザインベイビーの実験を得なければ、脳量子波を使えるようにならない。

 

 

「貴方たちはイノベイド。新人類の想像図をベースにして生み出された生体端末。言うなれば、イノベイターの模造品にすぎませんわ」

 

「……同時に、こうも言える。イノベイド(偽物)は、イノベイター(本物)が現れれば、その時点で用済みであると。後は、適当に使い潰されるだけの存在でしかなくなる」

 

 

 ずっと黙っていた紅龍(ホンロン)が、ゆっくりと口を開いた。物思いに耽るように閉じられた瞳が開かれる。彼の瞳もまた、鈍い金色の光を放っていた。

 何もかもを見透かされるような眼差し。リボンズの能力――サイオン波による危険予知は、この状況がとんでもなく不利であると悟っていた。

 

 ここで何か反応を見せるというのは得策ではない。頭の理屈では分かっていたが、心が唸りを上げている。

 

 今、この女は何を言った。嘗ての自分が思い至り、イオリアを誤解して迷走していたときの思考回路と同じことを言わなかったか。

 すべてのイノベイドに対して、恐ろしいことを言わなかったか。リボンズが、リジェネが、ティエリアが、使い潰されるためだけの命だと。

 

 

「キミは、もう少し物の言い方をどうにかできないのか」

 

「あら、ごめんなさい。イノベイターになり損なった模造品(イノベイド)さんには、看破できない論点でしょうが」

 

 

 噛みつくように言葉を紡いだリボンズに対し、留美(リューミン)は余裕綽々の風貌を崩さなかった。一々腹立つ言動をする女だ。

 天から人を見下すような物言いである。何か1つでも選択肢を間違えれば、ああなっていたのはリボンズだったのかもしれない。

 奢りにまみれた兄と妹の姿を見て、リボンズは空恐ろしい予感を抱いた。まあ、結局は、今の形に収まっているけれど。閑話休題。

 

 

「なら、貴様等は……」

 

「ええ。私たちは革新者(イノベイター)。既存の人類より高次の段階へと移行した、正真正銘の“新人類”」

 

 

 戦慄くティエリアに対し、留美(リューミン)は優雅に会釈する。どこか神々しい/禍々しい雰囲気を纏った女は、艶絶に微笑んだ。

 

 

「本来、ソレスタルビーイングは、世界の敵として一度滅ぶ必要がありました。武力介入によって発生した憎しみによって、世界を統一させる必要があったためですわ。……ティエリア・アーデ。貴方方は、業によって業を制するための生贄でしかなかった」

 

「同時に、構成員――主にMSパイロットに対し、GN粒子を大量に浴びさせ、革新者としての目覚めを促す場でもあった。とどのつまり、ソレスタルビーイングは巨大な実験場だったというわけだ」

 

「貴方方はそれを知らず、また、1番重要なファクターである“革新者を生み出す”という目的を果たすこともできず、4年前の戦いで散りました。貴方方が唯一成し遂げたのは、世界の統一だけですわ。それだけでも僥倖でしょう。……だというのに、貴方たちは懲りずにまた世界の表舞台に現れた」

 

 

 金の瞳が向けられる。留美(リューミン)は楽しそうに笑っていた様子を崩して鋭いまなざしをこちらに向けてきたし、紅龍(ホンロン)は完全に無表情だ。しかも、こいつらはヴェーダが秘匿していた超重要機密を把握している。

 ティエリアのアクセス権はリボンズより下である。そのため、ティエリアはこのことを一切把握していない。自分のアクセス権では見れない情報があるとは自覚していただろう。彼の狼狽はただ事ではない。

 問題は、(ワン)兄妹の言うことが正しいという点であった。2人の言葉通り、人間をイノベイターへ革新させるには、(絶対的な条件であるという訳ではないが、一番の近道として)GN粒子を大量に浴び続ける必要がある。

 

 だが、この2人は、GN粒子を浴び続けるような環境下にいたとは思えない。GN粒子を浴び続ける以外にも方法があるという話は噂程度で耳にしたことがあったが、彼女たちはどうやって革新したのだろう。

 あまりにもひどい真実に打ちのめされたのか、ティエリアは愕然とした表情を浮かべていた。留美(リューミン)はそんな彼の様子を見て楽しんでいる。なんて嫌な女なのだろう。リボンズは思わず眉間に皺を寄せた。

 

 

「では、……僕たち(ソレスタルビーイング)は、ソレスタルビーイング(僕たち)の存在意義は、もう……」

 

「“世界の統一を成し遂げたが、革新者を生み出せなかった”――この時点で、イオリア計画は既に破綻していたのです。貴方たちは理想の残骸、文字通りの“お払い箱”ですわ」

 

 

 か細い声で呟いたティエリアの言葉を、留美(リューミン)は容赦なく切って捨てた。彼女はどこまでも残忍で暗い笑みを浮かべている。相変わらず、彼女の瞳はくすんだ金色の光を放っていた。

 

 このまま言われっぱなしで終わるなんて、癪だ。

 特に、イオリアが見出した希望を、土足で踏みにじろうとする奴らに。

 リボンズは大仰にため息をついた。(ワン)兄妹が眉間に皺を寄せる。

 

 

「それで? イオリアの提唱した革新者(イノベイター)となったキミたちは、一体何をするつもりなんだい? 人類を導く救世主にでもなるつもりか?」

 

「ええ。未熟な人類を、新たな存在として目覚めたイノベイターが纏め、導く。私たち革新者にはその責務があるのです」

 

「――笑わせるなよ、アホンダラが」

 

 

 リボンズは優雅をかなぐり捨てるついでに吐き捨てた。まさかそんな言葉を使うとは思ってもみなかったようで、ティエリアが真顔で噴出した。

 留美(リューミン)紅龍(ホンロン)が呆気にとられ、リジェネが口元を抑えて俯く。後者は相当ツボに入ったようで、かすかな笑い声が聞こえた。

 

 

「とどのつまり、“世界を自分の自由に動かしたい”ってだけじゃないか。自分が思い通りに生きられなかったから、代わりに世界を動かすのかい? 喪われた青春を取り戻そうって? それにしちゃあ、規模が大きすぎるよ。我儘と傍迷惑が合体するとロクなことになりゃしない」

 

 

 リボンズはノンブレスで言った。まだ言葉は終わっていない。留美(リューミン)紅龍(ホンロン)が言い返す前に、間髪入れず言葉を続けた。

 

 

「端的に、且つ簡潔に言う。お前等みたいなのは、イオリアの提唱するような革新者(イノベイター)なんかじゃない。他者の存在を認め、共に歩もうとしない限り、お前等に待っているのは破滅だけだ。賭けてもいいね」

 

 

 そこまで言って、リボンズは一端言葉を切る。

 大きく息を吸い込んで、言い放った。

 

 

「イノベイターの責務ってのは、お前等の言うような『支配』なんかじゃない。人類の未来のために尽力することだ。ヒトがヒトらしく生きられる未来を築き上げることなんだ。そのための革新を、わかり合うための力を、お前等の壮大な“おままごと”のために使い潰されてたまるものか」

 

 

 リボンズはティエリアに向き直る。射抜かれるような眼差しを向けられたことに、ティエリアは目を丸くした。

 

 

「ティエリア・アーデ。ソレスタルビーイングの理念を、イオリアの言葉を思い出してくれ。彼は言ったはずだ。『キミたち自身の意志で、真の平和のために戦い続けることを祈る』と」

 

「僕たち自身の、意志で……」

 

「そう。本当の意味での平和を手にするため、人類が正しい革新を迎えるために、キミたちは――ソレスタルビーイングは、必要なんだ」

 

 

 まだ、――いや、もう、ソレスタルビーイングは“滅びるべき存在”ではない。世界のために、未来のために、“存在し続けなければならない”のだ。

 託された使命はまだ何も終わっていないし、始まってすらいない。真の平和と真の統一、そうして、正しい革新を迎えるまで、彼らの存在意義は揺らがない。

 イオリアが見出した希望を、守り抜く。それが、イオリアの継承者であるリボンズの役目だし、イオリアの息子である自分が果たさねばならない約束だ。

 

 そうして、ティエリアたちは――ソレスタルビーイングは、イオリアの望んだ子どもたちが集っている。彼らもまた、イオリアの正当な継承者。

 これからの未来のために必要不可欠な存在だ。イオリア計画は、完全に頓挫したという訳ではないのだから。

 

 

「……そうか。僕たちには、まだ、できることが……すべきことが、あるんだな」

 

「ああ。そして、それらはキミたちにしかできないことだ。キミたちだからこそ託されたことだ」

 

 

 世界にはまだ、キミたちが必要だ――リボンズの、ひいてはイオリアの想いは、ティエリアにちゃんと受け取ってもらえたらしい。彼は納得したように頷くと、自分たちが撃たねばならぬ仇敵を見据えた。紫の瞳は、驕り高ぶる新人類を睨みつけている。

 

 まさか、ティエリアが立ち直るとは思わなかったのだろう。留美(リューミン)の感情が僅かに揺らいだ。

 もう、ティエリアは何を言われても揺らがないであろう。彼を突き崩すことは不可能だ。

 留美(リューミン)は小さく舌打ちした後、矛先をリボンズへと変えた。

 

 

「イノベイターになれなかったくせに、一丁前のことを言うのね」

 

「それがどうしたと言うんだ。僕はヒトだ。マザーとイオリアの息子だ。イノベイターであるか否かなんて、人よりほんの少し優れたところがある程度の認識でしかない。むしろ、イノベイターに革新した程度で、人類の支配者気取りになっているお前等の方が異常だよ」

 

 

 やれやれ、と、リボンズは肩をすくめた。うっかり「頭おかしいんじゃないの」と言ってしまったが、ご愛嬌ということで流してほしい。その物言いがツボに入ったようで、隣にいたリジェネが腹を抱えて大爆笑していた。

 あからさまに留美(リューミン)紅龍(ホンロン)の感情が膨れ上がる。どうやら、今の台詞とリジェネの大爆笑が、兄妹の逆鱗に触れてしまったようだ。殺気が増大し、この場一帯にぴりぴりとした空気が漂う。

 

 べき、と、嫌な音がした。見れば、留美(リューミン)が飲んでいたティーカップの取っ手が折れ、コップから分離している。次の瞬間、彼女はそれを容赦なく握り潰した。ぱらぱらと音を立て、陶器の破片が屑と化す。

 

 大笑いしていたリジェネが笑うのをやめた。彼の顔は真っ青である。ティエリアは表情を引きつらせていたが、さりげなく、腰に忍ばせていた銃へと手を伸ばした。

 リボンズもまた、隠し持っていた銃へと手を伸ばしつつ、サイオン波を展開できるよう戦闘態勢を整える。相手も、おそらく、自分たちの対応に気づいているだろう。

 だが、兄妹は迎撃する姿勢を見せなかった。兄は無表情を崩さず、妹は歪んだ笑みを浮かべる。くすんだ金色の瞳がぎらついた。

 

 留美(リューミン)は、あくまでも優雅さを崩さずに、言った。

 

 

「そこまで言って、ただで済むと思わないことね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人類を革新させ、来るべき対話に備える――それが、イオリア計画に込められた真実だった。

 そうして、今目の前にいる姉とその子どもたちは、イオリアが提唱した新人類として確信した者――イノベイターなのだという。

 

 くすんだ金色の瞳をぎらつかせながら、蒼海は朗々と話してくれた。自分たちのような新人類が、腐敗した旧人類を導く役目があるのだと。

 

 

「“外宇宙から来訪した異端者(『ミュウ』)”として覚醒したアンタのような出来損ないとは違うのよ。アタシたちこそ、この星の正統なる新人類。『この星に生きる人類を正しく導く』という使命を帯び、資格を有する者なのだから」

 

 

 蒼海は厳かに語る。/ソレスタルビーイングは存在意義を果たせなかった失敗作で、もうこの世界に存在する意義はないのだと。

 蒼海は厳かに語る。/外宇宙から来訪した異端者の居場所は、この惑星(ほし)のどこにも存在する場所はないのだと。

 蒼海は厳かに語る。/もうこれで、誰も蒼海を否定し、蔑ろにし、踏みにじることはできなくなるのだと。

 

 

「今のアタシには、それを成すための力がある。ソレスタルビーイングの頭脳をも超える力が」

 

「……それが、アロウズに提供されているスーパーコンピュータか」

 

 

 クーゴの問いかけに、蒼海が不気味な笑みを浮かべて頷いた。その隣にいた少年の1人が、自慢げに胸を張って言った。

 

 

「『グランドマザー・テラ』は、世界中にネットワークを張り巡らせているんだ。子機の『テラズ・ナンバー』がそのネットワーク網を形成し、『グランドマザー・テラ』の防衛機構をも担っている。お前等がどうにかできるものじゃないさ」

 

「星輝」

 

 

 蒼海が咎めるように少年の名前を呼んだ。少年――星輝ははっとしたように息を飲むと、申し訳なさそうに肩を落とす。

 彼の隣にいた少年たちは、「バカ野郎」と怒鳴りながら星輝を突き飛ばした。蒼海はそれを止めない。何て異様な光景だろう。

 

 異様な光景に戦慄しつつ、クーゴはふと気づいた。星輝の言葉には、どこかで聞いた単語が紛れている。引っかかったのは2つだ。総括元のコンピュータである『グランドマザー・テラ』と、その子飼いの『テラズ・ナンバー』。

 両方とも、クーゴが読んだ小説/ベルフトゥーロが辿ってきた足跡で目にした/耳にした単語だ。前者はS.D体制の継続と人類および『ミュウ』の監視を行っていたコンピュータと名前が似ているし、後者はグランドマザーの子機である。

 『ミュウ』としての遺伝子が、その存在が忌むべきものであると叫んでいる。その2つは、あってはならないものだと訴えている。ざわつく感情を制しながら、クーゴは蒼海を睨みつけた。この話は確かに重要情報だが、クーゴにとって知りたいことは別にあった。

 

 

「どうして貴女は、人類を支配しようだなんて思ったんだ」

 

 

 新人類がどうとか、支配権がどうとか、おそらくは――蒼海にとっての大義名文、および隠れ蓑にしか過ぎないのだと思う。世間的な説明でしかないのだと思う。

 彼女の本音は、きっと別の場所にあるのだ。クーゴはそう直感していた。自分の直感が正しいようで、蒼海はふっと笑った。

 

 

「正直なところ、新人類云々とかどうでもいいのよ。アタシは、今度こそ誰にも邪魔されず、思うがままに振る舞いたいだけ。世界から一番だと認めてもらいたいだけ」

 

 

 蒼海は何が楽しいのか、くすくすと笑い声を漏らす。喧嘩をしていた子どもたちは、それを見るなり、嬉しそうに笑った。

 母親が幸せならば、彼らもそれを至上としている様子だった。そうして、そのために力を振るうことを誇らしげに思っている。

 ……だから、彼らは、4年前のあのとき――ユニオンのMSWAD基地を蹂躙した際、容赦なく命を蹂躙することができたのか。

 

 無垢なる歪みを目の当たりにし、クーゴはごくりと生唾を飲み干す。だが、もっと歪んだ悪意が目の前にあった。

 

 

「アタシは好きに生きるの。楽しいことをするのに、大義名分なんて必要ないでしょ?」

 

 

 「まあ、周りを納得させるためのスローガンは必要かしら?」――なんて、蒼海は嗤う。

 言っていることが滅茶苦茶だ。しかも、本人はふざけている様子もない。

 

 

「……その“貴女にとって楽しいこと”のために、貴女は、俺の親友たちに手を出したのか」

 

「ええ。グラハム・エーカー……今はミスター・ブシドーだったかしら? 彼、傑作よね」

 

 

 クーゴの震える声をものともせず、蒼海は悪びれる様子もなく頷いた。そうして、朗々と、ブシドーを――グラハムを手籠めにしたときのことを話し始める。部下を、親友を、彼が愛した女性(ひと)を、彼らとの記憶を人質にして、グラハムを自分の駒にするまでの手順を語り続ける。

 到底、言葉にできるようなものではない。言葉にして語っていいものでもない。言葉にするに値しない程、えげつない手段だ。アロウズの――蒼海の駒として、グラハムは地獄の底へと押し込められた。暗い闇の底で、延々と、手を、身体を、心を汚し、汚され続けた。……だから、彼は、あんなにも憔悴していたのだ。

 「一周回って前向きになったみたいで、何よりだわ」なんて蒼海は嗤う。思わず、クーゴは拳を握り締めた。口を開く。戦慄いたように震えた呼吸が漏れた。溢れた感情が大きすぎて、どうすればいいのかわからない。何か言いたいのだが、言葉が詰まってしまった。

 

 おそらく、蒼海はクーゴが何を言いたいのか察したのだろう。満面の笑みを浮かべてみせた。

 

 彼女は一切言葉にはしていない。けれど、蒼海が何を言いたいのか――何を考えているのか、クーゴは本能的に『分かって』しまった。

 クーゴは怒りを込めて蒼海を睨みつける。蒼海の脇にいた3人の少年たちが、彼女を庇うようにして躍り出た。ホルスターから銃を引き抜き、クーゴに照準を向ける。

 

 

「海月、厚陽、星輝。いいのよ、お楽しみは別にあるんだから」

 

 

 彼女がそう言った直後。

 

 ホールの方角から悲鳴が響いた。何かが炸裂するような音が響き、それが悲鳴と共鳴する。あの炸裂音は銃撃だ。悪夢のような二重奏が、四方八方から反響する。

 悲鳴以外で辛うじて聞き取れたのは、「反政府組織の連中がテロ行為を行った」、「鎮圧に特別用のオートマトンが投下された」という言葉だった。

 後者の言葉を肯定するように、クーゴの視界に光景が広がる。ホールで起きた悲劇を、思念波が『読み取って』しまったために『視えて』いるのだろう。

 

 オートマトンは、容赦なく人を――否、『ミュウ』だけを撃ち殺していく。サイオン波を駆使して抵抗しようとした者もいたが、銃弾は防壁を飛び越えて体を穿つ。容赦なく蜂の巣にされた者は、次々と崩れ落ちた。まともに戦えているのは、強い力を持つ者だけである。

 『ミュウ』だけをピンポイントに襲うというのは、MDにも搭載されていたS.D体制の遺産だ。なんてものを搭載した兵器を作らせたのか。しかも、このオートマトンは、『ミュウ』が持つ強い『同胞』意識を利用するような戦術を得意としていた。

 

 

「アタシはね、楽しければいいの。アタシが一番になれるなら、なんだっていいの。だって、世界はアタシのために存在するんだから」

 

 

 蒼海も、この光景を『視て』いる。『視て』いて尚、その光景を楽しんでいるのだ。彼女が笑うその前で、クーゴの『同胞』が惨たらしく殺されていく。

 蒼海の子どもたち――海月、厚陽、星輝らも、その光景を楽しそうに眺めていた。時折、「俺も殺したい」なんて愚痴をこぼしている。

 こんなのおかしい。酷い光景を目の前にして、楽しそうに笑うこの家族たちは、絶対におかしい。クーゴは強く拳を握り締める。異常な家族を睨みつける。

 

 クーゴの体が、青い燐光を纏う。蒼海たちがくすんだ金色の目を瞬かせたのと、クーゴが思いきり叫んだのは同時だった。

 

 

「こんの、ド外道がァァァァァァァッ!!」

 

 

 渾身の一撃であり、この場から逃げるための目くらましでもある。

 青い光はこの部屋を派手に吹き飛ばした。その間に、クーゴは部屋から廊下へ転移する。

 

 ティエリアは『悪の組織』――『ミュウ』の面々と行動を共にしている。蒼海たちのことだ、ソレスタルビーイングの構成員に関する情報も、オートマトンは有しているだろう。彼らに襲い掛かる光景がはっきりと『視えた』。

 

 

(とにかく、みんなと合流して速く脱出しないと……!)

 

 

 クーゴが走っている間にも、この場に潜入していた『ミュウ』たちがオートマトンによってなぶり殺しにされていく。文字通り、命からがら脱出していく様子が『視えた』。

 『ミュウ』を助けて回っているのは、マグロ解体のときに準備を手伝ってくれたボーイの青年だった。青い光を纏っているということは、彼も荒ぶる青(タイプ・ブルー)ということらしい。

 

 

『ここは僕に任せてくれ。キミたちは、キミたちの成すべきことを』

 

 

 青年からの思念波が届いた。クーゴは即座に二つ返事をして、刹那やティエリアたちの元へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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幕間.ミスター・ブシドーと刹那・F・セイエイ

 走る。走る。走る走る。走る走る走る。

 

 ミスター・ブシドーが追いかけているのは、ZEXISおよびソレスタルビーイングに所属するガンダムのパイロットだ。アロウズでは2個付きと呼ばれるガンダムを駆る、ブシドーにとっての“運命の女性(ひと)”。

 あれから長い間、少女と顔を合わせていなかった。今、目の前でブシドーから逃走する女性は、あの頃の少女の面影を残しつつ、麗しく美しい女性へと変貌を遂げていた。ガンダムのパイロットに相応しい佇まいである。

 少女とブシドーの追いかけっこを目の当たりにしたアッシュフォード学園の生徒たちが、蜘蛛の子を散らすように道を開けた。現在、“額に手を当てれば、この祭り限定の恋人同士になれる”という祭りが行われている真っ最中だ。

 

 独立治安維持部隊のライセンサーだったとしても、一応は休暇というものが存在する。ほんの少しの間だけ、本当に珍しく、休みを取ることが赦された。

 普段は休暇となると蒼海の小間使いおよび奴隷のように扱われるのだが、完全にフリーになれたのは僥倖である。……まあ、注意するに越したことはないが。

 

 

「少女!」

 

 

 本来なら、『彼女』の名を呼ぶべきなのだろう。ブシドーだって、『彼女』の名前を呼びたいと心の底から望んでいる。だが、今の自分ではそれができない。

 『彼女』の名前を、ブシドーは『思い出せない』のだ。一度、確かに、『彼女』の口から名前を聞いたのに。『彼女』がどんな思いで己の名を告げたのかも、まだ覚えているのに。

 件の少女が足を止めようとしないのは、おそらく、ブシドーが『彼女』の名前を呼ばないからだ。嘗ての愛称で呼び続けているから、なのだと思う。

 

 

「少女! キミは、私の想いをいなす気かっ」

 

 

 できるだけ、以前の調子を思い出しながら、『彼女』に呼びかける。多分、このくらいのトーンで合っていたはずだ。

 『彼女』は逃げながらもブシドーの方に振り返った。まだ追いかけてくるのか、と言いたげな眼差しが突き刺さってくる。

 

 グラハム・エーカーですらなくなったブシドーであるが、当時のしつこさと面倒臭さは変わっていないと自負している。相変わらず、ブシドーは他人から嫌がられるようなタイプの人間であった。

 

 だから、『彼女』を追いかけるのを諦めない。相手がそれを拒んだとしても、否定されたとしても、ただひたすらに追いかけ続ける。

 赦されないのだと分かっていても尚、その姿を、最期まで見つめることができたなら――それはきっと、幸福なことなのだと思う。

 

 

「少女!」

 

「ええい、しつこいぞ!」

 

 

 『彼女』は心底嫌そうにブシドーを見返す。胸の底が抉られたような痛みが走ったが、足を止めるようなことはしない。絶対に、足を止めてはいけない。ブシドーは走る速度を上げた。

 距離が、縮む。勿論、『彼女』も加速した。勢いよく曲がり角へ飛び込む。ブシドーも、『彼女』が飛び込んだ曲がり角へと続いた。だが、次の瞬間、ブシドーは足を止めざるを得なくなった。

 曲がり角は十字路になっていた。どこに行ったのか、『彼女』の姿は伺えない。追いかけていた後ろ姿が、どこにもない。ブシドーの荒い呼吸だけが、この場所に延々と響き渡る。

 

 背中に走ったこの悪寒の正体を、何と言おう。世界が足元から崩れるような感覚を、何と言おう。

 ぐらりと自分の体が傾いた。ブシドーは壁に体を叩きつけるようにして崩れ落ちる。倒れて気を失わなかったことは奇跡であろう。

 

 息が、できない。強烈な息苦しさを感じて、ブシドーは胸元を抑えた。何度も何度も咳き込む。苦しい。前を見ることができない。視界がやけに暗かった。

 

 

(ああそうだ。私は、わかっていたんだ)

 

 

 改めてそれを感じ取れば、ますます胸が痛くなった。

 

 『彼女』の姿を見つめ続けることも、その背中を追いかけることも、赦されない行為だと知っていた。自分はもう、望む場所へ『還れない』ことをわかっていた。

 ブシドーが深々と息を吐いたときだった。不意に、視界の真ん中に、誰かの靴が見えた。靴の主は幾何か躊躇うように立ち止まった後、こちらへ歩み寄ってくる。

 

 誰だろう。ブシドーはのろのろと顔を上げた。先程まで自分が追いかけていた『彼女』が目の前にいる。その事実に、ブシドーは一瞬惚けてしまった。

 相変わらず、静かな面持ちでこちらを見つめている。『彼女』はじっとブシドーを見下ろしていたが、ややあって、非常に困ったように視線を彷徨わせた。

 先程までブシドーを苛んでいた息苦しさも、痛みもすっかり消えていた。なんて現金なのだろう。内心苦笑しつつ、ブシドーは『彼女』の動向を見守る。

 

 

「……はあ」

 

 

 『彼女』は深々と息を吐いた。心底迷惑そうな顔である。

 それもそうか、あんなに派手に追いかけ回されれば傍迷惑もいいところだろう。

 

 ブシドーが俯きかけたときだった。

 

 

「仮面の上からでも、有効なのか?」

 

「は?」

 

「……無理だろうな。仕方がない」

 

 

 『彼女』は変わったことを問いかけてきた。今のブシドーでは、何やら要領を得ない質問だ。意味が分からず首を傾げたとき、不意に視界が明るくなった。

 目を瞬かせれば、『彼女』の手にはブシドーの仮面がある。成程、視界を遮るものがなくなったから、世界が開けたような感覚に陥ったわけだ。

 そこまで考えて、ブシドーははたと気づく。仮面がないということは、自分は今、素顔を晒しているということだろうか。

 

 ブシドーが仮面を取り返そうと手を伸ばしたとき、何かが自分の額に触れた。視界の一部が、ほんの少しだけ暗くなる。――露わになったブシドーの額に、『彼女』の手が触れたのだ。

 相手の額に触れれば、額に触れた者と触れられた者は、この祭り限定での恋人同士になれる。この祭りのルールを思い出した途端、ブシドーは大きく目を見開いた。

 

 途端に『彼女』が目を逸らす。気のせいでなければ、頬がほんの少しだけ赤らんでいた。それが、『彼女』が照れているときに見せるものだと、ブシドーは知っている。

 

 

(嗚呼)

 

 

 じわじわと、温かな感情が胸を満たす。赦されたのだと、ブシドーは実感した。この一瞬だけでも、そう在れること――それがどれ程の幸いか、『彼女』は何も知らないのだろう。

 また視界が暗くなった。ブシドーの顔に、仮面が戻ってきたらしい。『彼女』は苦笑したのち、ブシドーへ手を伸ばした。細かい傷が幾重にも刻まれていたけれど、綺麗な手だ。

 

 手を伸ばすことを躊躇う。闇の底で汚し続けたこの手が、『彼女』の手に触れていいものだろうか、と。

 痺れを切らしたのか、『彼女』はため息をつく。やや強引に、『彼女』はブシドーの手を取った。

 まるで大切なものを包み込むような手つきに、ブシドーは目を丸くする。『彼女』は、どこか悲しそうに目を伏せた。

 

 

「俺と恋人同士になるのは、嫌か」

 

「そんなことはない! 断じて!!」

 

 

 何やら酷い勘違いをされてしまったらしい。ブシドーは重ねて、『彼女』の勘違いを否定した。

 

 ただ、自分がそれに相応しいかを考えていただけなのだと付け加える。それを聞いた途端、『彼女』は深々とため息をついた。自分から追いかけてきたくせに、と悪態をつかれる。

 ブシドーは苦笑したのち、『彼女』へ向き直った。内心おっかなびっくり気味に、けれど平静を装いながら、『彼女』へ手を差し伸べる。いつか過ごした優しい日々と同じように。

 

 『彼女』は躊躇うことなく、ブシドーの手を取ってくれた。赤銅色の瞳は優しくこちらを見返す。

 ただそれだけなのに、どうしようもない程泣きたくなるのだ。それを堪え、ブシドーも微笑み返した。

 学園祭はまだ、始まったばかり。瞬きにも満たぬ程のひと時の夢が、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねえさま!」

 

留美(リューミン)!」

 

 

 刃金蒼海は楽しそうに、髪を一つに結った美しい女性――(ワン)留美(リューミン)と談笑している。

 ミスター・ブシドーはその光景を一瞥した後、ゆっくり視線を動かした。煌びやかな会場には、ドレスやタキシード等に身を包んだ男女らで溢れている。

 

 普段は何の気なしに人々を眺めるのだが、ブシドーの視線は1点に釘付けにされた。そこには、見覚えのある格好をした、見覚えのある女性がいたためだ。

 

 ビスチェ形態の上着にスカートを付けたイブニングドレス。蒼穹を思わせるような鮮やかな青が目を引く。スカート部分には、チャペルトレーン――長い引き裾が付けられていた。

 上着代わりに羽織るのは白いショールだ。ラメの煌めき具合のせいか、純白というよりもホワイトシルバーと呼んだ方がいいのかもしれない。会場の光源を反射し、きらきらと煌めく。

 頭には、花を模した青いコサージュに純白の羽があしらわれたヘッドドレスを留めている。そして、首元には、天使が飛翔しようとする様子が刻まれたシェルカメオが輝いていた。

 

 

「――!」

 

 

 『彼女』だ。名前すら思い出せなくなってしまった、グラハム・エーカー/ブシドーの“運命の女性(ひと)”。4年前、グラハムがその相手に贈ったものすべてを、『彼女』は身に着けている。その事実に、胸が熱くなった。

 

 『彼女』の元へ歩み寄ろうとして、ブシドーは足を止めた。『彼女』の元へ、実業家風の青年が歩み寄ってきたためだ。薄緑の髪に紫水晶を思わせる瞳は、慈しむような眼差しを向けている。

 この4年間、自分と『彼女』は音信不通だった。4年前に一線を超えて結ばれた仲だとはいえ、今のブシドーと『彼女』の関係は自然消滅したと言っても過言ではない。『彼女』は魅力的な女性だ。そういうことも、あるだろう。

 しかし、ブシドーは目を逸らせなかった。ただ、『彼女』を見つめていたかった。祈るような気持ちで『彼女』を見ていたとき、ブシドーは違和感を感じた。『彼女』へ親しみを持っているのは、実業家の青年だけらしい。

 

 『彼女』は、青年に話しかけられることに困っている様子だ。明らかに、迷惑そうな顔をしている。

 赤銅の瞳が、ブシドーを捉えた。目が、合う。――もう、動かずにはいられなかった。

 

 

「――やめたまえ。彼女、嫌がっているだろう」

 

 

 ブシドーは2人の間に割り込んだ。『彼女』を庇うように躍り出て、実業家風の青年と対峙する。『彼女』が目を丸くして、ブシドーの背中を見上げていた。

 射殺さんばかりの眼差しに対し、青年は苦笑を返した。笑い方まで優雅である。彼はブシドーの元へ歩み寄り、耳打ちした。

 

 

「人の恋路を邪魔するつもりはないよ。馬に蹴られて死ぬのは御免だ」

 

 

 思わずブシドーは、青年を見上げた。彼はにこにこ笑って、再び小声で告げる。

 

 

「キミは、この子の恋人なんだろう? なら、すぐに助けに来なくちゃダメだよ」

 

 

 それだけを言い残し、青年は踵を返す。彼は『彼女』へひらひら手を挙げて去って行った。

 変な沈黙がこの場を支配する。ややあって、『彼女』はぎこちなく会話を切り出した。

 

 

「あ、ありがとう……ございます」

 

「い、いや……うむ」

 

 

 2人が顔を合わせるのは、本当に久しぶりである。まともな連絡だって取り合っていなかったのだ。

 しかも、『彼女』は潜入捜査のためにここにいて、ブシドーは会場の警備と蒼海の飾りとしてここにいる。

 以前のような――4年前のような調子で話すのは難しいだろう。特に、互いの現状を加味して考えると、だ。

 

 ぎこちないやり取りを幾らか続けた後、ブシドーは『彼女』へ手を差し出した。愛おしい相手と一緒に煌びやかな場所にいるせいか、言葉がすらりと出てくる。

 

 

「どうだろう? これも、何かの縁だ。私でよければ、1曲踊ってもらえないか?」

 

 

 『彼女』は目を丸くした。ブシドー/グラハムがダンスをするだなんて、彼女にとっては予想できない姿だったらしい。表情を曇らせ、考え込む。

 その姿を見て、ブシドーは自分が調子に乗っていたのだと思い知った。途端に、冷や水を浴びせられたかのように思考回路が冷静になる。

 

 刃金蒼海の傀儡として生かされているブシドーは、アロウズの闇にどっぷりと浸かっている。手も、身も、心も、すべてが汚れているような状態だ。到底、『彼女』につりあうような人間だとは思えない。『彼女』を目の前にしたことで、ブシドーは相当舞い上がってしまったようだ。身の程知らずもいいところである。ブシドーは苦笑した。

 

 

「……いや、キミが嫌なら、それでいいんだ。すまない、変なことを言った。忘れてくれ」

 

「いいえ。是非」

 

 

 ブシドーが手を脇へ戻す前に、『彼女』が彼の手を取った。まるで大切なものを包み込むような手つきに、今度がブシドーが目を丸くする。

 『彼女』の口元が緩む。赤銅色の瞳が細められた。相手を慈しむ/愛おしむような優しい眼差しが、惜しみなくブシドーに向けられている。

 優しい感情を受け止めて、ブシドーは今にも泣き出してしまいそうな微笑を浮かべた。胸の奥から、『彼女』を慈しむ/愛おしむ感情が溢れだす。

 

 そうと決まれば、と言わんばかりに、ブシドーは『彼女』をエスコートした。周囲が珍しいものを見たかのように、ブシドーたちのダンスを見つめている。

 この場の視線を釘付けにしているらしい。あちこちから感嘆の声が聞こえる。だが、ブシドーの視線は周囲など眼中にない。『彼女』に釘付けであった。

 

 

(夢みたいだ)

 

 

 焦がれた相手が目の前にいる。他でもないブシドーの手を取ってくれている。――これ以上の喜びがあろうか。

 

 時間が過ぎるのは早い。あっという間に、申し出の1曲は終わってしまった。少々名残惜しいが、最初からそういう誘いだったのだ。致し方がない。

 名残惜しさを押し殺そうとしたブシドーだが、『彼女』は無言のまま、ブシドーの服の袖を控えめに握り締めた。よく見れば、『彼女』の顔はほんのりと赤らんでいる。

 どうやら、離れがたいと感じていたのはブシドーだけではないらしい。こんなにも穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろう。ブシドーがそんなことを考えたときだった。

 

 

『――私のお人形』

 

 

 ぞっとした。向けられたのは、悪意。

 弾かれたように、ブシドーは『彼女』を庇う。

 

 案の定、悪意の主は蒼海だった。どこまでも不敵に、傲慢に、彼女はブシドーへ笑い返す。揺るがぬ自信に満ちたその微笑は、どこか歪んでいるように思えた。

 ブシドーの怒りなど、奴は歯牙にもかけていない。ブシドーはぎりりと歯ぎしりをして俯く。誠に遺憾だが、今の自分はあの女の言いなりになるしかないのだ。

 『彼女』へ視線を向き直せば、心配そうにブシドーを見上げている。余計な心配をかけてしまったらしい。取り繕おうとする前に、『彼女』はブシドーの手を取った。

 

 

「この場に、居たくないんでしょう?」

 

「っ」

 

「私も丁度、この場に()()()()()()()と思っていたところです」

 

 

 『彼女』はそう言って、ブシドーの背中越しに蒼海を睨みつける。蒼海はマグロ解体ショーで活躍した青年や息子たちと連れ立っている様子だった。この場を離れるとしたら、今がチャンスだろうか。

 

 

「……そうだな。キミに、少しばかり話があるんだ。大丈夫か?」

 

「構いません。私も、貴方とお話がしたかった」

 

 

 互いに見つめ合いながら、息を吐く。ブシドーと『彼女』は、同じことを考えていたらしい。

 ブシドーは女性の手を引いた。『彼女』をエスコートする形で、ホールから抜け出す。

 

 背中に悪意が突き刺さる。それを振り払うようにして、ブシドーは『彼女』と共に人気のない場所へと踏み出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の風が、静かに頬を撫でる。施設の中庭に面した通路は、自分たち以外誰もいない。遠くから音楽が響いてきた。

 少し前まで、刹那・F・セイエイとミスター・ブシドーがいたホールの方からである。刹那はどこか、冷ややかな気分でその音を聞いていた。

 離れた場所から煌びやかなものを眺めると、夢から覚めたような気分になる。刹那はひっそり、そんなことを考えた。

 

 

「この通路は、俗にいう“曰くつき”の場所でね」

 

「“曰くつき”?」

 

「詳しいことは分からないが、昔、ここで人が亡くなったそうだ。その後も、ここに興味本位で近づいた人間たちが大なり小なり怪我をする事件が多発してね。……だから、あまり人が寄りつかないのさ」

 

 

 ブシドーはそう言って、刹那へ手招きした。おいで、と、紡ぐ彼の声色はとても優しい。どこか、蕩けるような響きを宿しているようにも思う。

 本館と別館を繋ぐ通路の1つでありながら、この通路は長らく使われていないようだ。心なしか埃っぽいし、柱の隅に蜘蛛の巣が張っている。

 

 大丈夫か、と、ブシドーは心配そうに問いかけてきた。刹那は大丈夫だという代わりに頷き返す。ブシドーはふっと目を細める。安心したような様子だった。

 

 差し伸べられた手をつかむ。刹那、背後から派手な光が炸裂した。刹那とブシドーが振り返ると、後から遅れて音が響いた。どうやら、花火が上がったらしい。

 赤や黄色、青や白の光がこの場を満たす。刹那とブシドーは、暫しその光を眺める。隣に立ったブシドーは、ほうと感嘆の息を吐いた。

 

 

「打ち上げ花火か。雅だな」

 

 

 仮面越しに見えた翠緑の瞳は、どこまでも穏やかで優しい。先程目の当たりにした鬼気迫るような表情など、嘘みたいだった。

 

 刹那はしばしブシドーの横顔を見つめていたが、決意を固めて、彼の服の袖を引いた。

 こちらが何かを問いかけようとしている様子に気づいたのだろう。ブシドーは微笑んだ。

 「何かな?」と問いかける声は、4年前から何も変わっていないように思う。閑話休題。

 

 

「グラハム・エーカー。何故あんたは、アロウズにいる?」

 

 

 疑似人格を解いて、素に戻る。そうして、刹那は単刀直入にブシドー――グラハム・エーカーへと問いかけた。

 

 

「あんたなら、アロウズのやり方がおかしいことくらいすぐに分かったはずだ。奴らのやり方を否定し、物申すことくらいやっていてもおかしくない。……なのに、どうして、あんたはアロウズに付き従っているんだ」

 

 

 彼は、刹那から詰問されると分かっていたのだろう。

 ほんの一瞬、目を伏せる。だが、すぐに顔を上げた。

 

 

「……どうして、か」

 

 

 憤る刹那に、ブシドーは自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

 

「道化でなければ、守れないものがある。そうなってでも、失いたくないものがある。取り戻したいものがある」

 

 

 翠緑の双瞼は、真っ直ぐに刹那を映し出した。

 

 

「……今の私が、確固たる確証を持って言えることは、ただ1つ」

 

 

 万感の思いが込められた眼差しに、思わず息を飲む。

 

 

「――“最期まで、キミを見つめていたい”。……それだけなんだ、“少女”」

 

 

 刹那の脳裏に浮かんだのは、カタロンの乱入によって全滅しかけた戦いのことだ。カタロンと合流しようとした刹那が『視た』光景である。

 ブシドーは、刹那を愛称で呼んでいた。戦場で何度も彼と対峙したが、ブシドーは1度も、刹那の名前を呼んでいない。

 4年前、刹那の名前を知ってからは喧しいくらいに名前を呼んでいたような男だったのに。違和感の正体を掴んだ気がして、刹那はまた単刀直入に踏み込んだ。

 

 

「……あんた、俺の名前、呼んでみろ」

 

 

 質問の意図を理解したのだろう。ブシドーはさっと顔を青くした。

 間髪入れず、刹那は畳みかける。

 

 

「俺の名前だ。俺があんたに教えた名前」

 

「…………わからないんだ」

 

 

 ブシドーは、哀しそうにそう言った。

 

 彼の様子や性分からして、刹那に嘘を言っているようには思えない。ブシドーは――グラハムは、刹那に対して誠実であろうとしていた男だからだ。

 「わからない」とはどういうことなのだろう。刹那はそう問いかける代わりに、眼差しで訴えた。ブシドーは苦しそうに目を伏せる。

 

 

「いや、私が『覚えていない』と言う方が正しいな」

 

「『覚えていない』?」

 

「ああ。訳有って、私は自分の記憶を信用できない状態にある」

 

 

 ブシドーは深々とため息をつき、天井を仰ぎ見た。翠緑の瞳は憂いで滲んでいる。

 

 

「今、こうしてキミと話した内容も、後で“あの女”に消されるか、“あの女”の都合のいいように改竄されるのだろうな。……しかも、私が『消された』、あるいは『改竄された』と自覚できるようにしているあたり、相当性質が悪いようだ」

 

 

 “あの女”とは、刃金蒼海のことなのだろう。ブシドーの言葉の意味を噛み砕いたとき、刹那の背中に悪寒が走った。

 

 記憶を勝手に改竄されるというのは、自分が自分であるという確証を失うということに他ならない。自分が歩んできた道が一番信じられないという状況は、刹那も体験した覚えがある。教義を植え付けられ、兵士に仕立て上げられていた頃のことだった。

 テロリストおよび少年兵としてクルジスの紛争に参加していた少女――嘗ての自分であるソラン・イブラヒムも、戦争末期には洗脳が解けかかっていた。都合のいいことを嘯く者たちを、心のどこかで軽蔑していた。

 あの戦場では、神のために死ぬことが正しいとされた。ソランだって、最初はそのために戦っていた。けれど、洗脳が解ける頃には、神のためだと嘯く奴らが己の都合のいいようにソランたちを動かしているだけだと分かってしまった。

 

 リボンズ・アルマークに見出されてゲリラ兵を辞めた後、自分の歩んできた道筋を思い出して、歩みを留めたことは何度もある。何故自分が生き残ったのか/生き残ってしまったのか、何故自分は「神のため」と嘯く奴らに対して何の疑問も持たず従っていた時期があったのか、何故自分は奴らのことを信じたのか。

 一瞬の判断をしなければ命を落とすような戦場から解放されて、分かったことが沢山あった。積りに積もった後悔を忘れたことは一度もない。もう変えられない過去を思い返しては、膝を抱えて蹲った夜もあった。それでも、ソランは――刹那は、生きなければならなかった。生きて、生きて、そうして、今の自分がここにいる。

 

 

「その改竄は、私以外にも適応されるらしい。周囲に被害をまき散らすのは、私の本意ではないからな」

 

「……」

 

「……最も、私が気づいたときには、もう手遅れに等しかったが」

 

 

 ブシドーは深々とため息をつく。

 

 模範的な良識人であり、軍人――それが、グラハム・エーカーの本質だった。

 一部の言動が苛烈すぎて我儘のように見えても、きちんと筋を通す男だった。

 

 グラハムは比較的健全な人生を歩んでいたであろう。何事も自分で考え、自分で選択し、自分で責任を取って、自分の道を歩んできたという自負を持っていたはずだ。目が覚めたら、友人や部下たちと過ごした掛け替えのない時間や、その相手の存在自体を忘却していくという恐怖。『忘れてしまった』という事実だけが存在している。

 しかも、その被害にあったのは自分だけではないと知っている。グラハム/ブシドーは既に、彼にとっての大切な存在が蒼海の毒牙にかかった現場を目の当たりにしたのだろう。だから、これ以上の犠牲者を出さないためにも、大人しく従わざるを得なかったのだ。

 

 

「あんたは、ずっと戦っていたのか」

 

 

 グラハム/ブシドーの痛みを思うと、刹那もまた、胸が潰れるような痛みを感じた。

 その言葉を聞いたブシドーは、無言のままに目を伏せた。

 

 

「自分が自分ではなくなってしまうのではないかという恐怖と……たった1人で」

 

 

 グラハム/ブシドーは、誰かに助けを求めることをしなかった。否、できなかったのだ。手を伸ばせば、刃金蒼海の悪意が他者に及ぶと分かっていたから。

 刹那がブシドーの現状を『正しく』理解したのを察したらしい。ブシドーは淡く微笑む。多分、彼本人は刹那を安心させたかったのだと思う。

 だが、彼の笑い方は、今にも消えてしまうのではと錯覚してしまいそうなくらい、儚く頼りないものだった。4年前のグラハムからでは想像できるものではない。

 

 唐突に、刹那は思い至る。刹那がブシドーと初めて対峙した際に『視えた』光景で、彼が何を口走っていたのかを。

 今なら鮮明に、ブシドーの口が何と動いたのかを把握できた。声にならなかったそれが、明確な音を持って、言葉になった。

 

 

『少女。……助け――』

 

 

 そこから先を、ブシドーは飲み込んだ。飲み込んで、首を振った。多分、その先に続くであろう言葉を、刹那は『知っている』。

 

 助けてくれ、と、彼は言いたかった。でも、それを口に出すことを憚られるような状態だった。

 刹那は思わず歯噛みした。どうして自分は、肝心要なところで取りこぼしてしまうのか。

 4年前、目の前にいたのに救えなかった仲間――ロックオンの姿が浮かんでは消える。状況は、あのときとほぼ同じなのだ。

 

 今、ブシドー/グラハムは、刹那の目の前にいる。手を伸ばせば届く距離に、助けられる場所に、彼はいる。

 ならば、迷う暇はない。刹那は躊躇うことなく手を伸ばし、ブシドー/グラハムの手を両手で掴んだ。

 

 

「教えてくれ、グラハム。この4年間、あんたに何があったんだ?」

 

 

 その問いに、ブシドーは酷く驚いたように目を丸くした。

 何度か瞬きした後、彼は心底意外そうに呟く。

 

 

「キミは、そんなことを聞きたかったのか?」

 

 

 他にも何か、訊くべき質問があるだろう? 聴きださねばならぬ重要事項があるはずだろう? ――そう、彼の目は問いかけてきている。

 

 4年前のグラハムだったら、きっと、大喜びで自分の近況を報告しただろう。勿論、機密と暗黙の了解はしっかり守ったうえで、晴れた蒼穹を思わせるような笑みを浮かべ、語って聞かせてくれるに違いない。

 だが、今の彼は――ブシドーは、何か引き気味であるように感じた。強いて言うなら、ミスター・ブシドー/グラハム・エーカーという存在自体を蔑ろにしているように思う。嘗ての自身に満ち溢れた誇り高きフラッグファイターの姿は、そこになかった。

 

 

「――ああ。教えてくれ、グラハム」

 

 

 刹那は念を押すようにして、言った。真っ直ぐ、ブシドーの瞳を見つめる。ほんの一瞬、ブシドーが酷く驚いたように目を見張った。

 

 ややあって、ブシドーは深々とため息をついた。

 刹那の言葉を否定するように、力なく首を振る。

 

 

「グラハム・エーカーは既に死んだ。……ここにいるのは、ただの亡霊だ」

 

 

 ブシドーはそう言って俯いたのち、ゆっくりと仮面に手をかけた。慣れた手つきでそれを外す。仮面に隠されていた素顔が露わになった。

 顔の左半分を覆い尽くす、大きな傷跡。これは、4年前の戦い――刹那との一騎打ちで負った傷なのだろう。刹那は一目でそれに気づいた。

 それでも、彼の顔立ちは端正なままだった。表情の端々に暗い影を落としてはいたけれど、刹那へ向ける眼差しだけは変わらない。

 

 

「だが、キミが……こんな亡霊の話を聞きたいというなら、それに応えよう」

 

「グラハム……」

 

「これから言うことは、亡霊の戯言だ。……そんなもの、生者は気にも留めないだろうさ」

 

 

 ブシドーは――グラハムは、憂うようにして窓の外を見上げた。

 

 視線の先には、とある部屋の窓があった。おそらく、あそこが蒼海がいると思しき部屋なのだろう。刹那もまた、その窓辺に視線を向けた。

 幾何の間をおいて、グラハムは刹那に向き直る。少し困ったように笑った後で、グラハムは、静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 

*

 

 

 

 いつの間にか、花火は終わっていたらしい。グラハムが歩んだ4年間の話を聞いているうちに、相当の時間が経過していたようだった。

 

 おおよそ、言葉にできない惨たらしい軌跡を語り終えたグラハムの表情には、疲労の色が見て取れた。顔色も、青を通り越して蒼白に近い。

 当然だ。自分が手籠めにされたなんて、好き好んで話せるような内容ではないだろう。フラッシュバックに苦しむのは当たり前だと言える。

 しかし、刹那が話を制しようとしても、グラハムは言葉を止めなかった。止めないでくれ、と、翠緑の瞳が強く訴えてきたのだ。

 

 彼の眼差しに気圧されるまま、刹那はグラハムの話を聞いていた。耳も、目も、心も逸らすことなく、最後まで。

 話し終えたグラハムは、大きく息を吐いた。ほんの少しだけ、彼の体が傾く。それを支えようとして手を伸ばしたが、やんわりと押し返された。

 

 

「そろそろ、戻った方がいい。……あの女は――刃金蒼海は、キミを目の敵にしているから」

 

 

 グラハムはそう言って、蒼海がいると思しき部屋へと視線を向けた。しかし、それも一瞬のこと。彼はすぐに刹那へと向き直り、促すようにして肩を押した。

 彼の言葉に刹那は違和感を覚えた。蒼海が刹那を目の敵にしている? あの女が目の敵にしている相手は、双子の弟であるクーゴではなかったのか。

 

 

「あの女が言っていた。キミは、人類初の革新者(イノベイター)と“なるはずだった”人間なのだと」

 

革新者(イノベイター)?」

 

「あの女曰く、『既存の人類より高次の段階へと移行した、正真正銘の“新人類”』だそうだ。他者の気持ちを読み取ったり、常人の倍以上の能力を有していたり、ビット兵器を遠隔操作したり……新人類の名に恥じぬ能力を有している」

 

 

 刹那の疑問を察したようで、グラハムは沈痛な面持ちでこちらを見る。

 

 

「奴らは、ソレスタルビーイングを――特に、キミを潰そうとしていた。そのために、センチュリオと呼ばれる機体を実戦投入したんだ」

 

 

 センチュリオという単語が何を意味しているのか、刹那は理解した。何度も対峙した、モノアイの天使たち。

 敵味方の識別なく、自身の周囲にいる機体や戦艦をまとめて消し飛ばす兵装を有するMSおよびMDを指しているのだろう。

 奴らとの戦いで、刹那は何度かグラハムに助けられてきた。彼がいなければ、今、刹那はここにいなかったのかもしれない。閑話休題。

 

 

「俺が、『革新者(イノベイター)に“なるはずだった”』とは、どういうことだ?」

 

「……私には、詳しいことは分からない。だが、奴らはキミが革新者(イノベイター)になることを危惧していた」

 

「俺が革新者(イノベイター)になる? どうやって?」

 

「残念ながら、私では皆目見当もつかんよ。もしかしたら、私が『覚えていない』だけなのかもしれんが」

 

 

 自分の記憶に信頼が置けないからね、と、グラハムは苦笑した。申し訳ないと彼は言うが、刹那は被害にあった人間を責めるような神経を持っていない。「あんたは悪くない」と念を押せば、グラハムは少し安心したように微笑む。

 

 

「……ただ、こんなことを言っていた。『革新者(イノベイター)となったキミが、計画で最大の脅威となる相手だ』と。……そして、キミが『革新者(イノベイター)に一番近い人間であり、いずれ新人類として目覚めを迎える人間でもある』とも」

 

 

 彼の言葉に、刹那は思わず息を飲んだ。己の存在が、刃金蒼海やその一派に対しての切り札となるなんて、予想していなかったためだ。

 グラハムはちらりと部屋の窓を見上げる。その横顔が、より一層険しくなった。何かまずいものを察したように、彼は刹那へ向き直る。

 外していた仮面を手早く身に着け、グラハムは――ブシドーは刹那の肩を押す。にべもなく――けれど眼差しだけは優しいまま、刹那を促した。

 

 

「お喋りが過ぎたようだ。急げ」

 

「だが、あんたをこのままにするわけには……」

 

「急いでくれ。頼む」

 

 

 嫌な予感がするんだ、と、ブシドーは部屋の窓を見上げた。刃金蒼海の居ると思しき部屋ではなく、今度は違う部屋に視線を向けている。

 彼の視線の先に何があるのだろう。刹那がブシドーにつられるようにして、部屋の窓を見上げたときだった。少し軋んだ床の音と一緒に、足音が響く。

 

 振り返った先に、タキシードを身に纏った男性が立っていた。長い髪をポニーテールに束ね、眼鏡をかけている。ホールで見かけた人物だった。確か、名前は――ビリー・カタギリ。アロウズの技術者で、ホーマー・カタギリの甥である。

 

 

「カタギリ……?」

 

 

 ブシドーが、酷く驚いた表情で彼を見返した。ブシドーの語り口調からして、この2人は親しい間柄なのだろう。刹那はなんとなくそう思った。

 「どうしてキミはここにいるんだ?」と、ブシドーは心底意外そうに問いかける。だが、ビリーは何も答えない。暗がりのせいか、彼の表情が伺えなかった。

 異様な空気が流れ始める。何かを察したブシドーが、刹那を庇うようにして前に出た。刹那も前へ出ようとしたが、強い力で引きもどされた。

 

 刹那は抗議しようとして、その先の言葉を飲み込んだ。

 まるで阿修羅を連想させるかのように、鬼気迫る横顔に圧倒される。

 

 

「カタギリ、どうした?」

 

「…………あは」

 

 

 ぞっとした。目の前にいるのは確かに人間なのに、機械を思わせるような声が響いたためだ。

 

 声の主はビリーである。ホールで人と談笑していたときは、朗らかに笑っていたはずの男のものだった。到底同一人物だとは思えない。

 ブシドーは警戒を解かぬまま、ビリーに呼びかける。次の瞬間、不気味な高笑いが響き渡った。ビリーは狂ったように笑い続ける。

 

 

「あはは、あは、あははははははははははははっ!」

 

 

 間髪入れず、ビリーは懐から何かを取り出した。光を反射し、黒光りする獲物。アロウズの軍人が持っている護身用のハンドガンだ。その照準は、寸分の狂いもなく刹那を捉えている。

 炸裂音が響く。それよりも先に、刹那は強い力で引っ張り込まれた。銃弾は刹那を穿つことなく床に当たる。見上げれば、険しい顔をしたブシドーの横顔が近くにあった。どうやら、刹那はブシドーに庇われたらしい。

 ブシドーはビリーに呼びかけるが、ビリーはただ笑い狂っている。今度は、銃口がブシドーへ向けられた。間髪入れず、ブシドーは刹那を突き飛ばし、自らも銃弾を回避する。翠緑の瞳には、怒りと困惑が同居していた。

 

 

「カタギリ、やめろ!」

 

「ダメだよグラハム。ソレスタルビーイングは、刹那・F・セイエイは、殺さなくちゃあ!」

 

 

 再びビリーが銃を構える。虚ろな鳶色の瞳がぎらつく。再び引き金に手がかかった直後、ブシドーが飛び出した。彼はビリーの銃を奪うように手をかける。

 銃の奪い合いが始まった。2人は派手に取っ組み合いを繰り広げる。ホーマーの話ではビリーは技術者だと聞いたが、彼はブシドーと互角の力を有しているように見えた。

 

 刹那がブシドーの元へ駆け出そうとした瞬間、一際派手な破裂音が響いた。ビリーと揉みあっていたブシドーの動きが止まる。ややあって、彼の体がぐらりと傾いた。そのまま、崩れ落ちるように膝をつく。

 

 

「グラハム!」

 

「ぐぅ……!」

 

 

 刹那は慌ててブシドーの元へと駆け寄った。深緑の軍服に、じわりと黒いシミができている。そのシミはどんどん広がっていった。

 ブシドーは浅い呼吸を繰り返しながらも、自分を撃った男を見上げた。ビリーは、酷く驚いたように目を見開いている。

 

 

「――グラハム?」

 

 

 何度か目を瞬かせて、ビリーは親友の真名を呼んだ。そうして、自分が握りしめている銃と、ブシドーの傷を見つめる。幾何かの間をおいて、彼は自分が何をやったのかを『正しく』理解したらしい。一気に顔面蒼白になった。

 

 

「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!?!?!!?」

 

 

 ビリーは絶叫し、拳銃を投げ捨てた。立っていられなくなったのか、そのまま床に腰をついた。頭を抱えてうずくまった彼は、ブシドーの呼びかけにも答えない。

 ブシドーは手で傷を抑えるが、傷口からはじわじわと血が滲んでいる。刹那は迷うことなくチャペルトレーンを引きちぎり、ブシドーの傷に応急処置を施す。

 「少しは躊躇ってくれないか」なんて軽口を叩くブシドーだが、刹那は一切無視した。本人の命と本人からの贈り物、どちらが大切かなんて一目瞭然だろうに。

 

 ブシドーも、刹那の様子からそれを察してくれたらしい。大人しく応急処置を受け入れてくれた。程なくして、止血処理は終わる。あくまでも応急処置なので、医療機関の治療が必要だろう。それまで、安静にしてもらわなくては。

 相変わらずビリーは頭を抱えて怯えている。彼に話を聞けるような状態ではなかった。あまり動かしてはいけない怪我人のこともある。どうしようかと考えあぐねていたときだった。遠くの方から炸裂音が響き始める。間髪入れず、悲鳴も聞こえてきた。

 

 

(何が起きている!?)

 

 

 刹那は通路から廊下へ身を乗り出した。向う側に、見覚えのある機械が蠢いているのが伺えた。

 

 あれは、コロニー・プラウドでも目にしたオートマトンである。外見の違いを上げるとしたら、色が濃いカーキ色から毒々しい紫色に変わっていることくらいか。

 パーティ会場にオートマトンを投入するなんて、黒幕どもは一体何を考えているのだろう。刹那が舌打したとき、オートマトンがくるりと向きを変えた。

 照準は刹那に向けられている。刹那は舌打ちした後、蹲って動かないビリーを無理矢理通路の向こうへ引っ張り込んだ。オートマトンが近づいてくる音が響く。

 

 隠し持っていた拳銃を引き抜き、刹那は迎撃態勢を取った。一応、オートマトンを撃退する装備も持ってきていたが、まさかそれを使うことになるとは思わなかった。

 遠くから響く悲鳴や銃撃音からして、オートマトンはあの1機だけではないのだろう。コロニー・プラウドのときよりも多く投入されていると踏んでよさそうだ。

 

 オートマトンが近づいてくる。タイミングを見計らい、刹那は通路に躍り出る。迷うことなく引き金を引いた。オートマトンの真正面に銃弾がめり込むが、機械は足を止めない。

 

 牽制用の銃撃が、すべてオートマトンの装甲にめり込む。だが、奴は動きを止めなかった。刹那が小型の爆弾に手をかけるより先に、オートマトンの銃口が刹那を捉える。ちかり、と、カメラアイが不気味に輝いた。

 

 

(しまっ――)

 

 

 己の死を明確に感じ取った、その刹那。自分の背後から炸裂音が響いた。視界の端を横切ったのは、爆ぜるような青い光。

 何かがオートマトンを貫通する。穴の大きさは、銃弾と同じくらいだろう。白煙を上げ、オートマトンが動きを止めた。

 振り返れば、拳銃を構えたブシドーがいた。白煙が立ち上る銃口からして、膝をついた体制のまま撃ったのだろう。

 

 彼のこめかみには嫌な汗がびっしょりと伝っている。どこからどう見ても、動けるような状態じゃない。何とかしようと駆け寄ろうとしたら、彼は強い眼差しでこちらを睨んだ。

 

 

「武器を、しまってくれ。――誰か、来る」

 

 

 鬼気迫る様子に気圧され、刹那は武器を隠し場所へとしまう。ブシドーの警告通り、誰かの足音が聞こえてきた。

 足音の主は、ホーマー・カタギリ。ビリーの叔父であり、アロウズの司令官だ。ブシドーは、ふっと刹那に笑い返した。

 

 翠緑の瞳が告げている。「自分は大丈夫だから、キミもはやく避難しろ」と。刹那はそれに従うことにした。

 

 ホーマーは現状を目の当たりにして驚いていたが、すぐに対応してくれた。ブシドーとビリーを介抱することを申し出て、ホーマーは刹那にも逃げるようにと促す。刹那は頷いた。

 2人を介抱するホーマーの背中を見つめる。正確には、ホーマーに介抱されているブシドーを、だ。ブシドーはそれに気づいたようで、ちらりとこちらを見返してきた。――どこまでも優しい眼差しが向けられる。

 

 

「――ッ!」

 

 

 後ろ髪をひかれるような思いで、刹那はこの場から駆けだした。阿鼻叫喚と化したパーティ会場から、仲間たちと共に脱出するために。



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21.大脱走、プル・エクスチェンジ・ピーポー

 次から次にオートマトンが襲い掛かってくる。アンドレイはそれらを必死に巻きながら、一般人である絹江、シロエ、マツカらを先導していた。

 

 オートマトンは何をトチ狂ったのか、一般人である3人に対して優先的に攻撃を仕掛けてくる。彼らを守りながら逃げるというのは至難の業だったが、それが軍人としてのアンドレイの職務であった。

 職務である以上に、絹江を守りたいと願うのはアンドレイ個人の想いだ。まあ、今はそんなことなどどうでもいい。この3人の安全を確保しつつ、施設内から脱出しなくてはならない。

 

 

(あの新型は、テロリストおよび反政府組織の人間“だけ”を鎮圧するものではなかったのか!?)

 

 

 護身用の銃を構えつつ、アンドレイは身を潜める。勿論、取材に来ていた一般人3人組を庇うことも忘れない。

 自分は市民を守る、誇り高い軍人なのだ。絹江の不安そうな眼差しを受け止め、安心させるために彼女に言い聞かせる。

 

 

「絹江さん、大丈夫です。必ず私が貴女たちを守ります」

 

「スミルノフ少尉……」

 

 

 絹江は安心したのだろう。ふっと表情を緩ませた。シロエとマツカは周囲の状況を確認している。

 一般人でありながら、周囲の危険を探るその眼差しは、軍人たちのものとよく似ているように思った。

 

 会場にテロリストが潜伏しているため、鎮圧用のオートマトンが投入される――話を聞く限り、嫌な予感は感じていた。参加者に危険が及ぶのではないかというアンドレイの申し立てを、上層部は軽くあしらったのである。「新型は、アロウズに異を唱える異分子だけを鎮圧するから問題ない」と。

 

 なんて暴論がまかり通ったのだ。アンドレイは思わず歯噛みする。アロウズの理念は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。

 しかも、反乱分子“だけ”を鎮圧すると言いながら、ただの一般人に襲い掛かっているという事実はどう説明するというのか。

 

 

「うわあああああ!」

 

 

 また1人、オートマトンによって、人が無残にも蜂の巣にされた。その人物はウエイターの格好をした青年であった。彼の虚ろな眼差しは絹江へ向けられている。倒れた拍子に投げ出された手は、彼女に助けを求めているかのようだった。

 

 

「――ッ!」

 

 

 人が殺される現場を間近で目撃したことはなかったのだろう。絹江が顔面蒼白になって口を抑えた。シロエとマツカも顔を真っ青にして、彼の姿を見つめていた。

 オートマトンは獲物を探してうろついていたが、別の方向にいる獲物を見つけたようだ。アンドレイたちを無視して廊下を突き進んだ。

 

 

「今だ! 走るぞ!」

 

「はい!」

 

 

 アンドレイの号令と共に、絹江たちが駆け出す。背後から銃撃音が響いた。視界の端で青が煌めく。

 振り返ることなく、4人は廊下を駆ける。奥の方に非常口が見えた。4人は躊躇うことなくそこへ駆け込み、ドアを蹴破る勢いで飛び出す。

 外には脱出できた人々が集まり、身を寄せあっていた。自分たちはどうにか助かったらしい。命拾いしたという訳か。

 

 絹江たちの無事を確認しようとし――アンドレイは気づいた。絹江たちはじっと会場を見つめている。彼女たちの眼差しは、救えなかった命を悼むような眼差しであった。悲しみの奥には、何かに対する強い怒りが滲んでいるように見える。

 

 自分の中に去来したこの疑問と予感を、何と呼ぼう。

 アンドレイは、3人に声をかけることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい先程、自分が何をしたのかを、ビリーは『正しく』理解した。

 あろうことか、親友に向かって発砲したのである。終いには、揉みあいの果てに親友を撃った。

 

 

「ああ、あああ、ああああああああああ……!」

 

 

 どうして自分は、何の躊躇いもなく親友を殺そうとしたのだろう。彼を恨んでいるなんてあり得ない。

 そりゃあ、親友のせいで徹夜デスマーチを敢行する羽目になったことは何度もあるし、怒りを抱える出来事がないわけではないが。

 流石に、親友を「殺してやろう」だなんて思ったことなどないし、ビリーにはそんな大それたことができるとは思ってもいなかった。

 

 自分がとんでもないことをやろうとしている。自分の意識外で、誰かに体を乗っ取られてしまったかのようだ。

 

 

(とんでも、ないこと)

 

 

 ビリーがその単語を反復したとき、ずきりと頭が痛む。ノイズまみれの光景の向こうで、誰かが首を締められていた。ぎりぎりと音が聞こえてきそうである。

 誰かは、見目麗しい茶髪の女性だった。苦しそうな呻き声が、徐々にか細くなっていく。手の主は相当女性を恨んでいたようで、更に力を込めていた。

 

 このまま首を圧迫され続ければ、女性はやがて呼吸を止めるであろう。物言わぬ死体となり、床に転がるのだ。女性を締める手の主は、そのことをよく知っていた。むしろ、知っているから首を締めているのだ。

 不鮮明なノイズが少しづつクリアになっていく。見覚えのある女性の姿が鮮明になってきた。彼女のことを、ビリーはよく知っている。淡い想いを抱き、焦がれ続けた高嶺の花――リーサ・クジョウだった。

 では、そのクジョウの首を締めて殺害しようとしている人物は、誰なのか。ビリーが思案に耽る間にも、映像の中で聞こえるクジョウの呼吸が弱々しくなっていく。クジョウは己の死を悟ったのか、悲しそうに目を閉じた。

 

 

『……ごめんなさい、ビリー……』

 

 

 弱々しく紡がれた謝罪の言葉が何を意味しているのか、ビリーは『正しく』理解した。――理解してしまった。

 

 ビリーは、殺そうとしたのだ。リーサ・クジョウを。

 そんなことをしたいなんて、考えたことなんか、なかったのに。

 

 

(そうだ。僕は、あのときも同じように……!)

 

 

 意識ごと体を乗っ取られたのは、親友を撃ったときだけではない。高嶺の花を殺そうとしたときもだ。部屋が荒らされ、高嶺の花が姿を消した日のこと。その日、ビリーは彼女を手にかけようとしていた。

 ビリーの体中から嫌な汗がどっと噴き出す。頭の中は完全にパニックであった。今、自分に何が起きているのだ。自分じゃない何者かに体を奪われ、自分の望まぬまま動いている。この状態が異常であるということはわかっていた。

 助けを求めるように親友へ視線を向ける。彼は、叔父に介抱されていた。軍服には美しい空色の布が巻かれている。しかし、端の方に、無理矢理引きちぎられたような痕跡があった。誰かが親友を手当てしてくれたらしい。

 

 ビリーの脳裏に、ドレスの引き裾を引きちぎって応急処置を施していた人物の後ろ姿がよぎった。そういえば、親友を撃つ前に、自分はその女性を殺そうとしていた。恐ろしい事実を次から次へと理解し、ますますビリーは寒気を覚えた。

 

 

(ああ、僕は……僕は……!!)

 

 

「止血がきちんとなされているようだな。これなら……」

 

 

 叔父の声が、どこか遠くから響いてくるようだ。叔父の話を聞いた親友が、ふっと笑みを浮かべる。異様に儚い微笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様ぁッ!!」

 

 

 リボンズが端正な顔を歪ませ、留美(リューミン)を睨んだ。彼の激昂を目の当たりにした留美(リューミン)は高笑いする。

 

 

「だから言ったでしょう? 『そこまで言って、ただで済むと思わないことね』って!」

 

 

 楽しそうに笑う留美(リューミン)を、ティエリアも睨み返した。彼女の脳量子波が見せる光景の凄惨さに、ティエリアは怒りをあらわにしないではいられなかったのだ。

 オートマトンによって人が撃たれていく。いや、オートマトンは『ミュウ』因子を有している者だけを狙い撃ちし、何の躊躇いもなく蜂の巣にしていった。

 『同胞』が殺されていく現場を目の当たりにしたのだ。『ミュウ』であるリボンズが怒りをあらわにするのは頷ける。特に、『ミュウ』は同胞意識が強い。

 

 それは、S.D体制で『ミュウ』が“『同胞』同士以外、完全に孤立無援だった”という極限状態にあったことが原因なのだろう。だから、『同胞』が傷つく現場を目の当たりにすると平静でいられなくなるし、この状況に耐えられない。

 映像の中で逃げ惑う『ミュウ』たちは、それでも『同胞』を見捨てることができなかった。中には、仲間を助けようとして自分諸共撃ち殺された者も多い。生き残って逃げ延びた者は、助けられなかったことを悔い、己を責めていた。

 

 

「なんてことを……!」

 

「酷い、酷いよ……!」

 

 

 ティエリアの唸るような声も、リジェネの大泣きに近い悲鳴も、留美(リューミン)の心を動かすに足らないようだ。彼女は脇に控える紅龍(ホンロン)に目配せする。主の命を受けた使用人は、忠実に従った。

 彼の目がくすんだ金の光を放つ。それに呼応するかのように、起動音が響いた。轟音と共に、部屋の扉が吹き飛ばされる。青い光が爆ぜ、間髪入れずティエリアは何かに引っ張り込まれた。見上げれば、リボンズの眼前に青い光が舞っている。

 

 あれは、自分たちを守るためのものだ。ティエリアはそれを理解した。次の瞬間、青い光の向こう側にいるオートマトンが攻撃を繰り出してきた。弾丸が青い光にめり込む。思念波による防御壁――ティエリアは、イデアのものを見て知っている。

 

 オートマトンは何発も銃弾を撃ち込んだ。リボンズが苦悶の声を漏らす。びし、と、何やら嫌な音が響いた。

 よく見れば、鉄壁の盾にひびが入り始めている。その光景を目の当たりにした留美(リューミン)が笑った。

 

 

「このオートマトン、ただのオートマトンではないの。対サイオン波用の武装が搭載されている、特別仕様」

 

 

 留美(リューミン)の言葉に同調するが如く、オートマトンは銃弾を撃ち込んでくる。その度に、サイオン波で編まれた盾にひびが入った。リボンズが苦悶の声を漏らす。

 

 

「S.D体制下の技術……! しかも、当時の人類が対『ミュウ』用に生み出した兵装か!!」

 

 

 忌まわしいものを眼前に捉え、リボンズが苦々しい表情を浮かべる。そうこうしている間にも、思念波の壁は弾丸が次々と突き刺さってきた。蜘蛛の巣状に広がったひびが、どんどん大きくなってきている。

 こんな状況じゃなければ原理やその他諸々を聞きだしたい。だが、切迫した状態で悠長に話せるはずがなかった。『ミュウ』やS.D体制等のことはまだ理解しきれていないティエリアだが、非常にマズイ事態であるということは察していた。

 あの壁が破壊されれば、自分たちは容赦なく蜂の巣にされるだろう。窓から脱出を試みようとし――リジェネがティエリアの手を引き留めた。そうして首を振る。彼の顔は鬼気迫っていた。よく見れば、暗闇の中に赤い光がぎらついている。

 

 リジェネは思念波/脳量子波を使い、ティエリアに声をかけた。

 

 

『あの窓の下にはオートマトンがうじゃうじゃいる。『ミュウ』である僕は当然だけど、下手したらキミも狙い撃ちされる可能性があるよ』

 

『文字通り、袋の鼠にされたという訳か……!』

 

 

 (ワン)留美(リューミン)らしい采配である。前門の黒幕どもとオートマトン、後門もオートマトン。悪趣味な布陣ではないか。 

 どこへ逃げても、会場中にオートマトンがはびこっているのは確実だろう。「害虫駆除の準備は完璧ですわ」と、留美(リューミン)は艶絶に微笑む。

 

 逃げようにも逃げ場がない。防御するにしても、リボンズのシールドもいずれはオートマトンの特別兵装――銃弾に撃ち抜かれる。留美(リューミン)の思念波で見せられた光景――無残に殺された『ミュウ』たちの躯が頭をよぎった。

 

 

『こんの、ド外道がァァァァァァァッ!!』

 

 

 刹那、どこか遠くから、クーゴの声が響き渡った。

 間髪入れず、部屋の天井に派手な凸ができる。

 おそらく、上の階の床は思い切り凹んでいるであろう。

 

 部屋が吹き飛ぶことはなかったが、この場一帯を押しつぶすかのような圧力が発生し、爆ぜる。突如の事態に、留美(リューミン)紅龍(ホンロン)、オートマトンらが動きを止めた。その隙をついて、リボンズが手をかざす。

 ティエリアたちを守っていた防壁が掻き消え、次の瞬間、目が眩むような眩しさの青が爆ぜた。途端に、オートマトンたちが吹き飛ばされる。どのオートマトンも紫電が走り、自分たちに攻撃することはできない様子だった。

 

 

「走れ!」

 

 

 残骸と化したオートマトンを派手に蹴飛ばしながら、リボンズが先導するように部屋から飛び出した。リジェネとティエリアもそれに続く。リボンズが先陣を切り、ティエリアが中心、リジェネが殿役の順番で部屋を出た。

 

 ちらりと振り返れば、外壁をよじ登ってきたオートマトンが窓を割って部屋内へと侵入してきたところだった。照準は最後尾のリジェネを捉えている。だが、リジェネはそれを察していたようですぐに手をかざした。赤い光が舞いあがる。

 リジェネの足元に転がっていたオートマトンが浮き上がった。部屋に侵入してきたオートマトンの銃弾を、残骸を使って防御する。機械の装甲を穿つことはできなかったようで、オレンジ色の火花がばちばちと爆ぜた。

 

 

「それ、もう一丁!」

 

 

 リジェネの体が赤く発光する。浮かび上がったオートマトンの残骸が、勢いよくオートマトンの元へと突っ込んだ。残骸を避けられなかったオートマトンが動きを止める。間髪入れず、オートマトンの残骸が派手に爆発した。火柱が上がる。

 流石の革新者(イノベイター)でも、炎に飲まれるという事態は恐ろしいものらしい。留美(リューミン)が金切り声をあげ、紅龍(ホンロン)が焦ったように呻いた。狼狽する使用人を女主人が怒鳴りつける。その声を背にして、ティエリアたちは駆け出した。

 

 

 

*

 

 

 

 四方八方、オートマトンがうじゃうじゃいる。奴らは『ミュウ』因子を有する者――特に、力が強い人物を優先的に狙ってくるのだ。

 当然、最強と謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)と一緒に行動していれば、オートマトンの強襲に巻き込まれるのは当然と言えよう。

 そこまで説明したリボンズは、考え込むように顎へ手を当てた。いや、考え込んでいるのではない。言いたいことがあるが、言い出しにくいだけなのだ。

 

 ティエリアは、リボンズが何を言いたいのか察していた。おそらくはリジェネも、リボンズが何を考えているのか分かっている。

 

 

「……オートマトンの特性と、奴らを操っている人間の精神状態を考えれば、現状で一番、優先的に狙われているのは僕だ」

 

「囮役をするつもりなの? 危険だよ!」

 

 

 リジェネがリボンズの服の袖を引っ張った。彼の瞳は、兄を心配する弟の眼差しを向けていた。イノベイドたちには血縁関係なんて存在しないのに、本物の兄弟のように見える。

 先程対峙した(ワン)留美(リューミン)紅龍(ホンロン)兄妹――使用人と女主人とはえらい違いだ。あちらは完璧に主従関係が成立しているうえ、妹の方は兄を道具としか見ていない。

 

 

「けれど、このままじゃあ、全滅する可能性の方が遥かに高いんだ。僕が囮役を買って出た方が生還率が上がる」

 

「でも!」

 

「――リジェネ」

 

 

 聞き分けの悪い弟を諭すように、リボンズは優しい眼差しを向けた。リジェネは言葉を詰まらせた後、不満そうに俯く。しかし、彼はすぐに顔を上げると、意を決したようにして頷いた。

 

 

「わかった。絶対無事に帰ってきてね、絶対だよ」

 

「約束する」

 

 

 リジェネの言葉にそう返して、リボンズはひらひらと手を振った。そうして、間髪入れずに物陰から飛び出して、オートマトンの群れの前へと躍り出る。

 青い光が舞いあがった。まるで篝火のように揺らめくそれに、オートマトンたちは蛾の如く群がっていく。しかし、奴らはすぐに衝撃波で吹き飛ばされた。

 火花が散る。潰されるような激しい音が響き、一歩遅れて炸裂音が響いた。それでも尚、オートマトンの数は減らない。むしろ増えた。

 

 留美(リューミン)および紅龍(ホンロン)が操っているため、リボンズに狙いが集中する――そう睨んだのは間違いではなかったようだ。様々な方角からオートマトンが殺到し始める。リボンズとは目と鼻の先の距離しかないのに、どのオートマトンもリジェネおよびティエリアなんて眼中にない。

 

 逃げるとしたら、これ以上のチャンスはないだろう。リジェネが後ろ髪引かれるように振り返り、けれどもすぐに前を向く。

 ティエリアも彼と共に駆け出した。背後から炸裂する青い光は、あっという間に闇に飲まれて消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これで、この場に潜入していた工作員たちで生きている者たちは、全員か)

 

 

 アスルは思念波を展開しながら、生存者を確認する。このパーティ会場に潜入していた『同胞』の人数は25人程だったが、生き残ったのは10人程度のようだった。

 最後の生き残りだったルイス・クロスロードを、彼女の夫がいるであろう宇宙へ転移させたのは少しばかり前のことだ。今頃は、半泣きの夫と共に無事を確かめあっているだろう。

 身に纏っていた服は銃弾や攻撃でボロボロになっており、その幾つかからは、じわりと血が滲んでいる。オートマトンによる、執拗な攻撃のせいで負った傷だった。

 

 そうやって足を止めている間にも、アスルの思念波に引かれたオートマトンたちが武装を展開して迫ってくる。

 アスルも即座に思念波で応戦した。オートマトンの群れはあっという間に爆風に飲み込まれ、破裂していく。

 

 

『……ソルジャー・ブルー……』

 

『……イマイマシイ、『ブルー・ワン』……』

 

『……『ミュウ』ハ、マッサツ……』

 

 

 ノイズまみれの機械音から漏れたのは、無機質な声と懐かしい単語や言葉だった。アスルはそれらが何を意味しているのか『知っている』。

 

 ソルジャー・ブルー。世界で一番最初に生まれ落ちた『ミュウ』にして、原初の青(タイプ・ブルー:オリジン)。初代指導者(ソルジャー)として古の『ミュウ』たちを率いた男の名前である。

 彼は2代目の指導者(ソルジャー)であるジョミーを見出した後に長い眠りにつく。ナスカに人類の男が来訪し捕虜になったのと同時期に目覚め、ナスカ崩壊時には衛星破壊兵器メギドと相打ちになった。

 

 何の因果か、アスルはその男の記憶を有していた。この記憶とは、超兵機関で目覚め、B001と呼ばれていた頃からの付き合いである。

 ベルフトゥーロ曰く、外見も完全に瓜二つと言うことらしい。元々アスルは金髪碧眼だったが、機関の実験台にされている間に色が変わったのだ。

 元の記憶は手術のせいですべて失ってしまっていたが、『ミュウ』として目覚めて以後、少しづつだが取り戻してきていた。閑話休題。

 

 

「やはり、S.D体制の系譜を組んだ遺産か……。どうして、こんなものを……」

 

 

 焼けこげたメモリを拾い上げ、アスルは歯噛みする。それは自分自身の感情でもあるし、アスルの中で息づくソルジャー・ブルーの憤りでもあった。

 

 グランドマザーに関する系譜は、もう破壊されたはずだ。人類は――ヒトは機械の支配を否定し、破壊し、己の意志で生きていくことを選んだ。故に、グランドマザーの存在は完全に否定された。

 機械にとって、己の存在を否定されたり、己の存在意義が無くなるというのは、人間でいう所の死に等しい。そのため、すべてを否定されたグランドマザーは、「死なば諸共」と暴走したのだ。

 

 嘗ての青き星に砲門を向けた衛星破壊兵器。それを破壊するために手を取り合った人類と『ミュウ』の最終決戦。

 その場にアスル/ブルーはいなかった。だが、戦いの顛末はベルフトゥーロから『視せられ』たため把握している。

 ブルーの夢見た青き星(テラ)は幻想でしかなかったのがショックだったが、長い時間をかければ、あの星はきっと『還って』くるだろう。

 

 

(今の一撃で、僕に殺到していたオートマトンはすべて倒したな……)

 

 

 あとは自身の脱出だけ――そう思ったときだった。近くから、気配がする。刹那、少し離れた林の向こうで、青い光が爆ぜたのが見えた。

 

 あれは、アスルと同じ荒ぶる青(タイプ・ブルー)のものだ。色もそうだが、工作員たちの思念波なんて比べ物にならない強さを有している。

 アスルの脳裏に浮かんだのは、薄緑の髪に紫の瞳の青年である。彼は思念波を駆使し、大量のオートマトンを一手に引き受けていた。

 

 リボンズ・アルマーク。『悪の組織』の第1幹部だ。彼は黒幕と真正面から対峙していたはずではなかったのか。

 

 

『この命、そう簡単にはくれてやれないね。家族のためにも、無事に帰らなきゃならないんだ!』

 

 

 リボンズの脳裏に浮かんでいた人物の顔には、見覚えがある。『悪の組織』の第1幹部たちだ。その中でも一際鮮明に見えたのは――明るく笑うベルフトゥーロの姿だった。

 ベルフトゥーロは慈しむような眼差しでリボンズを見つめていた。彼女の口が動く。「貴方は私の、自慢の息子」――紡がれた言葉に、アスルは思わず目を見開いた。

 アスルの中で生きるブルーが叫ぶ。あの青年を――ベルフトゥーロの息子を死なせてはいけない。まったくもってその通りだ。アスルは苦笑する。

 

 どうやらまだ、戦う必要がありそうだ。彼の思念を辿り、戦場へと転移する。

 即座にアスルは思念波を展開し、リボンズに襲い掛かろうとするオートマトンを吹き飛ばした。

 

 まさかアスルがこの場に残っているとは思わなかったのだろう。リボンズは大きく目を見開いた。

 

 

「キミは……アスル・インディゴかい!? 何故――」

 

「逃げなかったか、だね?」

 

「っ!」

 

 

 アスルが先回りして言えば、リボンズは酷く驚いたように息を飲む。アスルは静かに笑った後、自分の中に存在する原初の青(ソルジャー・ブルー)の言葉を告げた。

 

 

「『逃げられるわけないじゃないか。キミが死んだら、“赤き星の子”が――ベルが悲しむ』」

 

「あ、貴方は……」

 

「『これ以上、彼女を悲しませたくはない』――僕の中にいるソルジャー・ブルーがそう言ったんだ」

 

「!!」

 

 

 世界で最初に現れた原初の『ミュウ』の名を出されたためか、リボンズが目を瞬かせる。アスルの言葉を『正しく』理解したリボンズは、どこか狼狽したような眼差しを向けた。

 敬意を持って接しようとしたが、この場でどう反応すればいいのかわからない――彼の眼差しはそう訴えている。アスルは苦笑して肩をすくめた。

 

 

「僕が誰の記憶を有していようが、僕はアスル・インディゴであることには変わりないよ。だから、畏まったり恭しくするのはなしにしてくれ」

 

「……わかった。但し、1つ約束してくれ」

 

 

 リボンズが真剣な面持ちでアスルを見下ろす。身長差で言えば、アスルの方が数センチほど低いためだ。閑話休題。

 

 約束という言葉をオウム返しにすれば、彼は表情を崩さぬまま頷いた。

 顔つきは険しい。何か重大なことかと思い、アスルは身構えた。

 

 

「キミも、無事に帰ること。キミがいなくなったら、マザーはとても悲しむから」

 

 

 彼の横顔は、どこまでも優しい。だが、敵を目にした途端、強気で不敵なものへと変貌した。血が繋がっていなくても、その面影はベルフトゥーロを思い起こさせる。

 

 

「アスル。こういうときにピッタリな言葉があるんだ」

 

「……その様子だと、途方もなく物騒な言葉なんだろうね」

 

「でも、この光景以上に相応しいのもないと思うよ」

 

「わかった。乗るよ」

 

 

 リボンズとアスルは軽口を叩き合った後、オートマトンの群れへと向き直った。自分の中にいるブルーは、やや興奮しているように思う。彼の記憶では、まともに軽口を叩き合ったことが皆無だったためであろう。

 幼少期の記憶は成人検査で消されていたし、指導者となってからは『同胞』を導くため、強くなければならなかった。それは、超兵機関で実験されていたときも変わらなかったし、現在でも隊のリーダーを務めているから大差ない。閑話休題。

 

 リボンズとアスルは視線を合わせて頷く。そうして、同時に思念波を展開させ、叫んだ。

 

 

「――くたばれ、ブリキ野郎!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オートマトンの群れを消し飛ばし、時には掻い潜りながら、どうにかして会場から脱出することに成功したらしい。自分たちの機体が隠されていたポイントが眼前に広がるのを感じて、クーゴは大きく息を吐いた。

 つい今しがた、リボンズから『パーティ会場から脱出完了』の連絡を貰ったばかりである。それを聞いたリジェネが安心したようにへたり込んだのが印象的であった。あとは愛機と一緒にこの場を去るだけである。

 変装していた衣装一式を脱ぎ捨てて、クーゴは旧ユニオン軍の制服を身に纏った。自分が『還りたい』と願う場所と同じ色をした制服は、クーゴがフラッグファイターとしてここに存在していることの証だった。

 

 クーゴははやぶさのコックピットに飛び乗る。次に、ドレス一式を脱ぎ捨てたティエリアが、リジェネと一緒にセラヴィーへ乗り込んだ。リジェネ同伴に関して、ティエリアは仕方がなさそうにしている様子だ。

 最後に、ドレス一式を抱えて刹那がダブルオーへ飛び乗った。彼女が身に纏っていたもののすべてが、グラハムからの贈り物である。例えチャペルトレーンがちぎれてしまったとしても、そう簡単に捨てられるようなものではない。

 

 

(俺が思っていた以上に、刹那はあいつのことを好いてるんだな)

 

 

 それはおそらく、グラハム/ブシドーにだって言えることだろう。グラハム/ブシドーが思っている以上に刹那は彼のことを想っているし、刹那が思っている以上にグラハム/ブシドーも彼女のことを想っている。

 

 互いを思いあう2人を、蒼海は滅茶苦茶にしようとしているのだ。“グラハム/ブシドーがクーゴの親友だった”なんて、くだらない理由のために。

 クーゴは歯噛みしながら操縦桿を動かした。はやぶさは空へと舞い上がる。間髪入れず、ダブルオーとセラヴィーもそれに続いて空を舞った。

 パーティ会場はどんどん遠くなっていく。これで一安心――そう思ったとき、突き刺さるような悪寒を感じた。明らかな殺意が迫ってくる。

 

 

「っ!?」

 

 

 レーダーがけたたましく鳴り響く。敵機が1つ、映し出された。

 毒々しい赤紫。鳥を思わせるようなそのMAは、見覚えがあった。

 

 PMCトラストのイナクトと戦っていたときに乱入し、クーゴのフラッグに襲い掛かってきた機体。そして、国連軍とソレスタルビーイングの決戦で、グラハムと刹那たちを強襲し、クーゴを撃墜した機体。――刃金蒼海が有するMAだ。

 次の瞬間、ずんぐりとしたフォルムの羽が不気味に発光する。光の群れは、まるで複数の目玉がぎょろぎょろと動いているように見えた。あれがやばいものだと察したのはクーゴだけではなかったようで、セラヴィーとダブルオーが散開した。

 一歩遅れてはやぶさも散開する。次の瞬間、MAの翼が火を噴いた。幾筋もの光が放たれる。それらは会場近辺の林に着弾し、その周辺を焦土へ変貌させた。砲撃の威力を目の当たりにして、クーゴは思わずごくりと息を飲んだ。

 

 ダブルオーとセラヴィーの視線は、あのMAに釘付けだった。パイロットの心境を如実に表しているといえる。

 

 

「今のは、ほんの牽制よ」

 

 

 鳴り響く鈴を思わせるような笑い声と一緒に、全員の回線が開いた。声の主は刃金蒼海である。

 

 

「ねえさん……!」

 

「せっかくだから、もうちょっと派手にした方がいいかしらね?」

 

 

 クーゴの呼びかけにも動じることなく、蒼海は楽しそうに笑っていた。彼女の提案に従うように、林の下から2機の機影が飛びあがる。

 片や、告死(こくし)天使を思わせるような機体。片や、燃え盛る不死鳥を思わせるような機体。そのフォルムは、ガンダムを連想させた。

 

 

「――ハルファスガンダムに、フェニックスガンダムだと!?」

 

「しかもこの機体、発展型じゃないか!!」

 

 

 ばかな、と、ティエリアが戦慄した。

 リジェネは顔を真っ青にする。

 「ご名答」と、別の女性が笑う声がした。

 

 声の主は(ワン)留美(リューミン)。嘗て、ソレスタルビーイングのエージェントだった女性だ。

 

 

「ヴェーダにあった『机上の空論』から再現した機体を、私たちが独自改良した機体(ガンダム)ですわ。私の告死天使(ガンダム)がハルファスベーゼ、紅龍(ホンロン)紅蓮の不死鳥(ガンダム)がマスターフェニックス・フオヤンというの。素晴らしいでしょう?」

 

 

 留美(リューミン)の言葉に共鳴するかのように、彼女の告死天使(ガンダム)――ハルファスベーゼが鎌を振りかざす。地獄の底を連想させるような青紫色の光が、鎌の刀身から吹き上がる。

 紅龍(ホンロン)紅蓮の不死鳥(ガンダム)――マスターフェニックス・フオヤンも、どこからともなく、バスターソードを思わせるような双剣を取り出した。赤白い焔が爆ぜる。

 

 

「そうして――私の機体は、バルバトロ」

 

 

 うっとりとした口調で、蒼海が留美(リューミン)の言葉を引き継いだ。次の瞬間、MA――バルバトロの四方八方からワイヤーが飛び出す。

 その照準が狙うのは、クーゴ/はやぶさではない。刹那/ダブルオーの方だった。ダブルオーは寸前で攻撃を回避するが、攻撃は終わらない。

 いつもなら真っ先にクーゴを狙うのに、どうしたことなのだろう。クーゴの疑問は、ダブルオーへ追撃を図る2機の光景によって遮られた。

 

 マスターフェニックス・フオヤンが構えたバスターソードの切っ先がダブルオーへ向けられる。次の瞬間、バスターソードから砲門が現れた。赤白い光が放たれる!

 ダブルオーはそれを難なく回避したが、待ってましたと言わんばかりにハルファスベーゼが鎌を構えてダブルオー目がけて突っ込む!

 

 

「ちぃ!」

 

 

 刹那は舌打ちしたものの、即座にGNソードをビームサーベルにして受け止めた。二刀流の構えである。ハルファスベーゼの鎌も、いつの間にか二刀流になっていた。刃がぶつかり合って派手に火花を散らしている。力関係は留美(リューミン)に軍配が上がっていた。

 

 ハルファスベーゼの鎌に弾き飛ばされたダブルオーを追撃するように、マスターフェニックス・フオヤンが飛び出す。巨大なバスターソードを振りかぶり、ダブルオー目がけて突っ込んできた。勿論、ハルファスベーゼも追撃しようとワイヤーを射出する。

 

 そうは問屋が下ろさない。次の瞬間、セラヴィーガンダムの砲門が火を噴いた。放たれた一撃はマスターフェニックス・フオヤンの足を止めるには充分な威力を誇っていたようで、マスターフェニックス・フオヤンは攻撃を中断して回避行動に移る。

 はやぶさはダブルオーの前に躍り出ると、ガーベラストレートを引き抜く。刀身の長さを15mから一気に50mに引き延ばした。刃が青い燐光を纏う。そのまま、はやぶさはワイヤー目がけて剣を振るった。バターを切るかのごとく綺麗に切断されたワイヤーがばらばらと落ちていった。

 

 

「まだだ!」

 

 

 ティエリア/セラヴィーが反撃とばかりに攻撃態勢へ移行しようとし――

 

 

「――ところがぎっちょん!」

 

 

 クーゴの脳裏に、焼野原が広がる。炎の中で醜悪に笑う男の顔を、クーゴはよく『知っていた』。刃がぶつかり合う音が響いた。

 見れば、突然の攻撃を咄嗟にビームサーベルで受け止めたセラヴィーがいた。どこかで見覚えのあるフォルムの、赤い機体。

 

 

「スローネシリーズの発展型!?」

 

 

 ティエリアが酷く動揺した声を上げた。

 

 

「まさか……!」

 

 

 刹那が酷く戦慄する。

 

 そこにいたのは、アリー・アル・サーシェス。争いをばら撒く傭兵だ。

 2人が敵意をむき出しにしたことを察した傭兵は、ニヤリと不気味な笑みを浮かべて肯定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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第2回現状確認
【大丈夫だ、2ndシーズンに入ったから。】『幕間.第3者から見た開幕の図』~『21.大脱走、プル・エクスチェンジ・ピーポー』時点の中心オリキャラまとめ


名前:クーゴ・ハガネ/刃金(はがね) 空護(くうご)

性別:男性

年齢:33歳

誕生日:12月22日(山羊座)

身長:169cm

体重:??kg

血液型:B型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:はやぶさ

主に交流のある人物:ロックオン・ストラトス(ニール)、刹那・F・セイエイほか

 

特筆事項

・社会的には、『2308年に行われたソレスタルビーイングと国連軍の最終決戦の際に亡くなった』ことになっている。二階級特進で少佐になった。

・最終決戦でMAに撃墜された際、イデアとUnicornのパイロット――宙継に救出された。おかげでどうにか生き残っている。

・『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に居候していたが、イデアと行動を共にすることを選択した。

・結果、彼女の事情とベルフトゥーロの采配によってによって、ソレスタルビーイングに出向し、彼らと行動を共にすることになった。

・目下の目標は、“みんなと一緒に、青い空の元へと『還りたい』”。夢の中で苦しむ仲間たち――特に親友のグラハムと邂逅したことが、この願いに起因している。

・『ミュウ』として覚醒しており、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』からソレスタルビーイングに居候先を変えたが、制服はユニオン軍のものを着用している。

・パーティ会場に潜入した際に蒼海と対峙。親友を手籠めにした理由と経緯を知って激高する。そうして、蒼海と戦う決意を固めるに至った。

・パーティ会場から撤退する際に、今度は蒼海たちの駆るMSと対峙する。

 

・ベルフトゥーロの指示により、「ユニオンよ、俺は『還って』来た!!」という台詞を言わされる。意味はまったく分かっていない。

・『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の関係者扱いにされていることに思うことがある様子。あくまでも「自分はフラッグファイターだ」と思っているが故である。

・ミレイナに恒例の質問をされた返事が「イデアに迷惑だから、そんなことを言うのはやめなさい(要約)」と返答し、イデアを怒らせてしまった。

・イデアとは付き合っていない(重要)

・グラハム・エーカー/ミスター・ブシドーという共通の人物が関係しているため、刹那とは不思議なシンパシーで結ばれている。

・元部下たちまで人間卒業の兆候があることに(おのの)いている。

・マリー合流時には体が勝手にお祝い用の晩餐を作り始めた。尚、マリーがプトレマイオスに加入した時間とほぼ同時に料理は完成した。

・酔っぱらうと、何故か唐突にクトゥルフ神話TRPGのセッションを始める。常にKPで、PLに無茶苦茶な要求をする鬼畜KPと化すので大変。RP重視の演技派。

・酔っているときの記憶は殆ど残っていない。

・クロマグロを解体する免許を持っている。アロウズの関係者パーティに潜入したとき、マグロを解体士として潜入し、その腕前を披露している。

 

 

 

 

蛇足

・イメージCV.私市淳

・イメージソング:『もっと光を』(BLUE ENCOUNT)/『そこに空があるから』(江崎とし子)

 

 

______

 

 

 

 

名前:イデア・クピディターズ

性別:女性

年齢:20代(外見年齢)/実年齢:250歳以上300歳未満

誕生日:11月11日(蠍座)

身長:160cm

体重:??kg

血液型:O型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:スターゲイザー-アルマロス

主に交流のある人物:刹那・F・セイエイ、ミレイナ・ヴァスティ、クリスティナ・シエラ、マリー・パーファシーほか

 

特筆事項

・コードネームの由来は『理想への憧れ』(ラテン語)。本名はレティシア・リン。

・ソレスタルビーイングからは『2308年に行われた最終決戦の際に戦死した』と扱われている。実は死んでいなかった。

・『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・ベルフトゥーロの采配によって、ソレスタルビーイングのクルーたちと和解した。以後、ソレスタルビーイングの構成員として復帰する。

・恋愛ごとを見ると、所構わず介入する。根掘り葉掘りするのもされるのも好き。

 

・ミレイナから恒例の質問をされたクーゴの答えに怒りをあらわにする。本人は、クーゴと恋人に思われることは嬉しいことのようだが、その真意は彼に伝わっていないようだ。

・クーゴとはまだ付き合っていない(重要)

・恋人との一線を超えた刹那と、マリーと一緒に帰ってきたアレルヤを容赦なく根掘り葉掘りした。

・4年前から食い意地が張っていた様子。現在は、イデアに感化されたティエリアと静かな戦争を繰り広げているらしい。

・自分が作った練り香水の匂いが、クーゴの姉と同じような臭いだったことにショックを受けた。が、クーゴが贈った練り香水の話を聞いて復活している。

 

 

 

蛇足

・イメージCV.桑島法子

・イメージソング:『fortissimo-the ultimate crisis-』(fripSide)/『イデア』(天野月子)

 

 

 

______

 

 

 

 

名前:テオドア・ユスト・ライヒヴァイン

性別:男性

年齢:20代(外見年齢)/実年齢:84歳

誕生日:7月10日(蟹座)

身長:181cm

体重:70kg

血液型:O型

所属:『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』

搭乗機体:不明

主に交流のある人物:チーム・トリニティ、リボンズ・アルマーク他

 

特筆事項

・チーム・トリニティの教官にして、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の技術者兼MSパイロット。コーナー派と対立していた監視者一族の末裔。

・嘗てはノブレス・アムと言うコードネームを名乗っていた。意味は『高貴なる魂』(フランス語)。

・『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)

・味覚がない。但し、他人の味覚をコピーすることで代用可能。リボンズから借りているようだ。

・ネーナ・トリニティから好意を抱かれていることに気づいていない様子。

 

・以前は人気歌手テオ・マイヤーとして活動していたが、無期限の活動停止を宣言している。

 

・レイヴ・レチタティーヴォと接触後、『6人の仲間探し』の顛末を見届けるために奔走する羽目になる。

・現在、曰くつきのガンダム――1(アイ)ガンダムが封印された無人島で、動きを待っているようだ。

 

・クレーエ・リヒカイトとは旧知の仲。彼の人形趣味を目の当たりにしてきたため、げんなりしていた。

・彼との邂逅の後、「もう二度とクレーエと言葉を交わすことはない」という予感を感じる。

・ビサイド・ペインのことをリボンズから聞いた。リボンズ曰く、彼のことは「反抗期の弟」という認識だった様子。

・リボンズの力になりたがっていたリジェネたちに情報を流していた。

 

 

 

 

蛇足

・イメージCV.置鮎龍太郎

・イメージソング:『ゴールデンタイムラバー』(スキマスイッチ)/『リライト』(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

 

______

 

 

 

名前:ベルフトゥーロ・ティアエラ・シェイド

性別:女性

年齢:20代後半(外見年齢)/実年齢:500歳以上

誕生日:??

身長:??cm

体重:??kg

血液型:?型

所属:『悪の組織』およびスターダスト・トレイマー

主に交流のある人物:イオリア・シュヘンベルグ、E.A.レイ、リボンズ・アルマーク他

 

特筆事項

・本名はベルフトゥーロ・ティアエラ・シュヘンベルク。イオリア・シュヘンベルクの妻であり、『悪の組織』代表取締役にして、スターダスト・トレイマーのリーダー。

・イオリアの遺志を継ぎ、自分たちの理想――『人が人として生きられる世界』および『来るべき対話のため』に邁進している。

・車椅子使用。しかし、それでも精力的に動き回っている。

・ナスカと呼ばれる惑星で生まれ育った古の『ミュウ』であり、能力は最強クラスと謳われる荒ぶる青(タイプ・ブルー)。宇宙服なしで活動できる。

・尊敬する相手は『ミュウ』の2代目指導者であるジョミー・マーキス・シン。彼を『グラン・パ』と呼んで慕っていた。

・愛称は『グラン・マ(おばあちゃん)』。リボンズからは『マザー』と呼ばれている。

・宇宙を流浪していた『ミュウ』から別れて、この地球にやって来た。そこでイオリアに一目惚れし、熱烈なアタックをかましている。

・同じ星で生まれた幼馴染は9人いた。名前はそれぞれ、トォニィ、アルテラ、タージオン、タキオン、コブ、ツェーレン、ペスタチオ、エルガン、イニスという。

・実は、エルガンの方が年下。

・旅路の中で、『牙』として多大な戦果を挙げていた様子。具体例としては、戦艦百数十艦の撃沈。

 

・『悪の組織』が戦争幇助企業に認定されたことで政府に身柄を拘束されていたが、ソレスタルビーイングのアレルヤ奪還作戦に乗じて、刹那と共に脱出した。

・イデアの想いを憂えたので、ソレスタルビーイングクルー相手に大立ち回りを演じた。目撃者曰く、「本当に殺されると思った」、「目が本気だった」らしい。

・カタロン支部でリボンズたちと合流後、彼らと共に自らの拠点――白鯨へ戻っている。

 

 

 

蛇足

・イメージCV.神田沙也加

・イメージソング:『戦士よ、立ち上がれ!』(影山ヒロノブ&遠藤正明)/『This Night』(CHEMISTRY)



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大丈夫だ、2ndシーズンの中盤だから。
22.決別-さよなら-


「さあ、始めようじゃないか! ガンダム同士の、とんでもない戦争ってヤツをよォ!!」

 

 

 サーシェスの宣言を皮切りに、赤いガンダムが自律兵器をこちらへ向けて飛ばしてきた。彼の言葉を『聞く』に、あの武装の名前はファングというらしい。4年前に起きたMSWAD基地での戦闘でも、似たような兵器を搭載した偽ガンダムがいたか。

 四方八方に飛び回る自律兵器を回避すれば、間髪入れずマスターフェニックス・フオヤンとハルファスベーゼの砲撃に晒される。相変わらず2機はダブルオーをマークしており、刹那を執拗に狙って攻撃を繰り出していた。

 

 背後に佇むバルバトロは、クーゴ/はやぶさと刹那/ダブルオーの両方に対して砲撃を撃ってくる。四方八方に炸裂した後に一点へと集まるビームや、極太のレーザー砲を交互に撃ち放ってくるため、なかなか距離を詰められない。その間にも、赤いガンダムやマスターフェニックス・フオヤンとハルファスベーゼが接近戦および遠距離兵装で攻めてくるのだ。数の上でもその他諸々でも、敵の方が有利である。

 

 

(くそ、躱して撃ち落とすのだけで手一杯だ……!)

 

 

 ガーベラストレートやライフルを駆使して敵の攻撃を相殺しているが、状況は完全に防戦一方である。特に、赤いガンダムのファングは早すぎて目が回りそうになるのだ。

 『ミュウ』としての能力を使って先読みしているものの、相手の攻撃が『読めた』としても完全に回避できるとは限らない。シールドを展開すれば、赤い雨あられに穿たれた。

 気のせいでなければ、展開したシールドに蜘蛛の巣状のヒビが走っている。しかも、赤い光弾がシールドに突き刺さる度、力/意識をそぎ落とされるような感覚に見舞われるのだ。

 

 

『クーゴ・ハガネ、気を付けてよ! 奴のファングには、S.D体制下で開発された、対『ミュウ』用の兵装も搭載されてる!』

 

「なんだって!?」

 

 

 リジェネの思念波を聞いて、クーゴは血の気が引くような気持ちになった。

 

 S.D体制下の技術がどれ程惨たらしいものなのか、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』に居候することになったときに散々聞かされていた。人類と『ミュウ』の戦いでも投入され、多くの『同胞』を嬲り殺しにした忌々しい兵器。

 並大抵のサイオン波を無効化し、強力なサイオン波を有する『ミュウ』の場合はその力をじわじわとそぎ落とし、最終的には命を奪う。他にも、「サイオン波の暴走を強制的に引き起こし、広範囲の敵味方を殲滅する爆薬にする」なんてものも開発されていたらしい。

 

 次の瞬間、再びファングが展開する。四方八方に飛んだ牙が標的にしたのはセラヴィーだ。ファングの攻撃を回避しようとしたセラヴィーの眼前に、ハルファスベーゼの放ったワイヤーが纏わりつく。

 本来ならワイヤーの先に搭載された爪で機体を穿つのだろうが、ハルファスベーゼはそれをしない。ワイヤーによって動きを封じられたセラヴィーは、さながら蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物のようだった。

 

 

「まずい!」

 

「ティエリア!」

 

「――させん!」

 

 

 助けに入ろうとしたはやぶさとダブルオーを阻んだのは、マスターフェニックス・フオヤンであった。巨大なバスターソードで、ダブルオーのGNソードとはやぶさのガーベラストレートを纏めて受け止める。赤い火花が散った。

 そのコンマ数秒の差で、再びファングが展開する。牙が狙ったのは、身動きの取れなかったセラヴィーだ。ダブルオーとはやぶさの手が届くはずだった場所に、赤い光が容赦なく降り注ぐ!!

 

 

「うわあああああああああああっ!!」

 

 

 リジェネとティエリアの悲鳴が響き渡る。セラヴィーの姿は、爆風に飲み込まれて消えてしまった。間髪入れず、赤いガンダムはダブルオーに躍りかかった。

 

 

「く……!」

 

 

 ダブルオーはGNソードで受け止める。マスターフェニックス・フオヤンのバスターソードよりも2回り以上小さなバスターソードであったが、変則的な接近戦では充分使える代物だった。

 いつぞや目の当たりにしたモラリア戦役の再現だ。エクシアがイナクトに押されていたときの光景が頭をよぎる。援護へ向かおうとしたはやぶさへ、鎌を二刀流に構えたハルファスベーゼが突撃してきた。

 刃が派手にぶつかり合って火花を散らす。押し合いは互角であったが、そこへマスターフェニックス・フオヤンが飛び出してきた。代わりに、ハルファスベーゼが後ろへ後退する。流れるようなコンビネーションだ。

 

 関心する間もなく、今度はマスターフェニックス・フオヤンのバスターソードと力比べをする羽目になった。刃と刃が拮抗する。

 しかし次の瞬間、バスターソードが赤白い炎を纏った。光が爆ぜる。間髪入れず凄まじい力が発生し、はやぶさは吹き飛ばされそうになる。

 

 

「うおおおおおおおおおおおッ!」

 

 

 対抗措置として、クーゴもサイオン波を展開した。荒ぶる青(タイプ・ブルー)の力をもってして、マスターフェニックス・フオヤンの推進力に真正面から挑みかかる。赤白い炎と青の光が派手にぶつかり合い、拮抗し、爆発する。

 機体を震撼するような衝撃に呻きながらも、クーゴは敵機を見据えた。はやぶさも、マスターフェニックス・フオヤンも、関節部から僅かに白煙が漂っている。先程の拮抗で互いにダメージを追ったらしい。相手はまだやる気のようだ。

 クーゴだって諦めるつもりはない。ガーベラストレートを構えて(ワン)留美(リューミン)とその使用人紅龍(ホンロン)と対峙する。2人の後ろには蒼海だって控えていた。1人で3人纏めて相手するなんて、いつぞやのシミュレーター――女の敵を守る戦いより難易度が高すぎやしないか。

 

 相変わらずセラヴィーは行動不能だし、ダブルオーは赤いガンダムに押されている。

 こちらが圧倒的に不利なのは、何の変化もないことであった。

 

 

「アリー・アル・サーシェス。遊ぶのもそこらへんにして頂戴。貴方のために、どれだけのお金が消えたと思ってるのかしら」

 

 

 高笑いして暴れるサーシェス/赤いガンダムの戦い方を眺めていた蒼海は苛立ち紛れに呟いた。途端に、赤いガンダムがダブルオーとの剣載を中断するようにGNソードを切り払った。

 

 

「――嫌なこと思い出させるんじゃねえよ、雇い主さんよォ」

 

 

 楽しそうに笑っていた表情が、醜悪に歪む。

 サーシェスもまた、苛立たしさを爆発させながら刹那へ斬りかかった。

 

 

「4年前、俺の半身が吹っ飛ばされたせいで受けた再生手術代で儲けがパーだ! 終いにゃそれを、あのオンナに盾に取られてこき使われて……!」

 

 

 赤いガンダムがバスターソードを振りかざす。

 

 

「そのツケ、テメエらの命で償えッ!!」

 

 

 そうして、その刃をダブルオーに振り下ろした。ダブルオーもやられっぱなしでいるつもりはないようで、再びGNソードやライフルで応戦する。

 間髪入れず、紫の砲撃が赤いガンダムに降り注いだ。セラヴィーが復活したらしい。再び剣載が始まったが、こちらがジリ貧であることには変わりなかった。

 このまま戦い続ければ、確実に、クーゴたちは黒幕たちの手によって落とされるだろう。その果てに待ち受けるのは、明確な死だ。背中に悪寒が走る。

 

 

「貴様だけは赦さない……! ロックオンの仇討ちをさせてもらう!」

 

 

 ティエリアとセラヴィーが飛び出す。彼の言うロックオンは、『悪の組織』に居候しているニール・ディランディのことを指している。彼は刹那から「ニールが生きている可能性がある」という話を耳にしていたはずだ。

 それでも、ニールが大怪我を追って行方不明になった原因はサーシェスである。例えニールが生きていたとしても、ティエリアにとってサーシェスは「仲間を奪った張本人」という認識を持っているのだから、仇と言うのも間違っていないのだろう。

 

 刹那もティエリアの怒りに同調したらしい。ダブルオーはセラヴィーを援護するように銃撃を放った。セラヴィーもまた、赤いガンダムの至近距離からビームキャノンを撃ち放つ。

 

 だが、赤いガンダムはそれを躱して砲口を叩き切った。爆風が炸裂するが、煙の奥から腕が伸びる。ティエリアの執念を反映した機体は、ほんのわずかだが赤く発光していた。リジェネがサイオン波を駆使し、ティエリアの執念とセラヴィーの性能にブーストをかけたのだろう。

 セラヴィーの手はがっしりと赤いガンダムを抑えつけた。ぎぎぎ、と、取っ組み合いが始まる。これだけ至近距離なら、セラヴィー自慢の砲撃を浴びせれば消し飛ばせたであろう。しかし残念なことに、砲口は叩き切られてしまっている。

 このまま取っ組み合いを繰り広げても、近接戦闘に向かないセラヴィーの方が不利だ。次の瞬間、セラヴィーの膝関節付近から突然腕が生えた。その腕はビームサーベルを構え、躊躇うことなく赤いガンダムへと振り下ろす!

 

 

「隠し腕だと!?」

 

 

 サーシェスは驚いたように声を上げたが、調子近距離の攻撃を曲芸師のように避けて反撃に移った。

 

 

「残念だな。それならこっちだって持ってるぜェ!」

 

 

 赤いガンダムの脚から飛び出した腕は、セラヴィーの隠し腕を真っ二つに叩き切った。間髪入れず、セラヴィーの姿は爆風に消える。今度はダブルオーが赤いガンダムへ躍りかかる。バスターソードとGNソードが火花を散らす。

 身動きの取れなくなった赤いガンダムへ再びセラヴィーがビームサーベルで挑みかかるが、今度は別の脚から隠し腕が飛び出した。赤い光のビームサーベルが、紫の光のビームサーベルとぶつかり合った。文字通り、隙がない。

 

 

「貴方、他人の心配なんてしている暇がありまして?」

 

「っ!!」

 

 

 留美(リューミン)の声で、クーゴは我に返った。降り注ぐ砲撃を躱し、ガーベラストレートで攻撃をいなしていく。四方八方に飛んだワイヤーを避けたとき、はやぶさは足を引っ張られた。

 はやぶさの脚に爪が突き刺さっている。ワイヤーの先を辿れば、蒼海のバルバトロの放った攻撃だとわかった。次の瞬間、ワイヤーがムチのようにしなった。はやぶさはバルバトロによって、縁日の水風船のように弄ばれる。

 

 

(まずい!)

 

 

 このままでは、思い切り振り下ろされる。高度数百メートルから、地面に叩き付けられるのだ。その末路は――言わずもがな、である。

 背中を襲った悪寒は、己の末路に対する恐怖だけじゃない。もっと別な場所にあるものだ。少し前、自分はそれと対峙していたような気がする。

 

 クーゴの思考回路は、体を襲い始めた遠心力とGによって、強制的に中断させられた。代わりに湧き上がるのは、己が死へと向かっている事実と、それに対する恐怖のみ。

 

 

「この世界に、あんたなんか要らない」

 

 

 醜悪に微笑んだ蒼海の姿が『視えた』。

 彼女の表情が、歓喜に満ち溢れている。

 

 

「塵芥と成り果てなさい! 刃金(ハガネ)空護(クーゴ)ォォォォォォォッ!!」

 

 

 咆哮にも似た笑い声が、クーゴの頭の中にがんがんと響き渡った。

 

 死にたくない。

 でも、死ぬ以外に道がない。

 それでも、死にたくない。死んではいられない――!

 

 

「クーゴさん!」

 

「――っぉう!?」

 

 

 次の瞬間、何かが切断されるような音と聞き覚えのある声が響いた。はやぶさを振り回していた力から、投げ出されるような形で解放される。

 

 寸でのところで機体の態勢を整え持ちこたえると、翡翠色の粒子が見えた。顔を上げる。はやぶさと瓜二つの機体が、目の前に降臨していた。

 はやぶさとの違いを挙げるとしたら、機体が少々小柄で高速戦闘に特化したフォルムになっていることだろうか。あとは機体のカラーリングか。

 因みに、はやぶさの機体の色は鉄紺(てつこん)といい、黒みを帯びた紺色だ。目の前の機体の色は、非常に淡い青緑色である。確か、白緑(びゃくろく)と言ったか。

 

 声の主のことを、クーゴはよく『知っている』。

 戦うことを――人の命を奪うことを嫌う、優しい少年のものだった。

 

 

「……宙継、くん?」

 

「はい!」

 

 

 クーゴの問いかけに、少年――刃金(はがね) 宙継(そらつぐ)は躊躇うことなく頷き返した。通信の向こうに映し出された彼の表情は、年相応の笑みを浮かべている。4年前に見た泣き顔はどこにもなかった。

 バルバトロのアームを切り裂いたのは、はやぶさと瓜二つの機体が構えていた実体剣である。刀身の長さは脇差、あるいは短刀程の長さしかない。よく見れば、宙継の機体は青い光を纏っている。彼もまた、クーゴと同じ荒ぶる青(タイプ・ブルー)なのか。

 

 『悪の組織』に居候していた時点で、宙継の能力はまだ未知数扱いだったはずだ。クーゴがイデアと行動を共にするようになった後で、この能力を本格的に開花させたのだろう。

 間髪入れず、視界の端で爆発が起こった。サーシェスの機体に、花を模したレーザービット兵器と水晶を思わせるようなデザインの自律兵器――牙が次々と襲い掛かっていく。

 レーザービットと牙はサーシェスの機体だけではなく、留美(リューミン)紅龍(ホンロン)、蒼海の機体にも容赦なく攻撃を繰り出した。

 

 

「あれは……」

 

 

 見たことのある武装。あの武装を搭載した機体は、トリニティ兄妹のラグエルシリーズだ。花を模したレーザービットはネーナのフルール、牙を搭載したのはミハエルのフォルス。

 

 

「――月は、出ているな!」

 

 

 不意に響いたのは、ある兵器を使用するためのキーワードだ。そのキーワードを必要とする機体は、ヨハンのフィオリテである。

 その言葉から間髪入れず、フィオリテ最強武装のツインサテライトキャノンが火を噴いた。一騎当千を地で行く威力は流石と言えよう。

 

 ツインサテライトキャノンの砲撃は、セラヴィーの砲撃以上に範囲が広い。何とか逃げ切った敵機たちだが、どの機体も脚や腕、および武装を失っていた。最強兵装によって欠損した個所からは、紫の火花が派手に散っている。

 新たに表れたスローネシリーズの発展型と味方識別に、刹那とティエリアが驚いた声を上げる。ラグエルたちはセラヴィーとダブルオーを、宙継の機体ははやぶさを庇うようにして戦場へと躍り出た。

 6対4。数の上で、どうにかこちらが上に回れた形となる。最も、戦いが激化することは変わらない。さてどうするかとクーゴが思案しかけたときだった。遥か上空から、鮮やかな翡翠色の光が降り注いだのだ。

 

 誰か/何かがサイオンバーストを展開しているのだろうが、レーダーには反応がない。その砲撃は、一方的にサーシェスの機体を追い詰めていく。まるで、セラヴィーを援護しているかのようだった。ティエリアは困惑しつつも、その長距離狙撃に合わせることにしたらしい。連携を繰り広げていた。

 

 

「あの告死天使(ガンダム)を操ってたのはテメエだったんだな!? (ワン)留美(リューミン)!!」

 

「よくも我々を嵌めてくれたな……!」

 

「ソレスタルビーイングの理念に従いつつ、あたしたち個人の恨みとその他諸々! 倍にして返してやるんだから!!」

 

 

 ミハエル、ヨハン、ネーナが怒りをあらわにした。ラグエルたちがダブルオーと連携してマスターフェニックス・フオヤンやハルファスベーゼと鍔迫り合いを繰り広げる。

 間髪入れず、別方向から紫の光が雨あられのように降り注いだ。見上げれば、ケルディム、アリオス、スターゲイザー-アルマロスが遠距離兵装の狙撃で面々を援護している。

 これで、自分たちの戦力は10対4。数の上でもこちらに軍配が傾く。己の不利を察したのだろう。4機はそれぞれ散開し、空の彼方へと消えていく。

 

 

「ティエリア、スメラギさんから帰投命令が出てる」

 

「止めるな! 奴がロックオンの仇なんだぞ!!」

 

「ダメだって! そんな満身創痍で追いかけたら死んじゃう!!」

 

「ええい邪魔だ、抱き付くなぁ! というか貴様、どこ触ってるんだ!?」

 

「えっ? ……そんな、分かってるクセにィ」

 

「やめろぉ!! 顔を赤らめるな気持ち悪い! それ以上触ったら、痴漢とわいせつ罪で訴える!!」

 

 

 セラヴィーは執念深くサーシェスの機体を追いかけようとしていた。激高するティエリアを、言葉的な意味でアレルヤが、物理的な意味でリジェネが引き止める。後者は何やら変な状況になりつつあるが、効果は抜群だったようだ。

 

 とりあえず、ティエリアを宥めすかした面々は、プトレマイオスへと戻ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分かりすぎるというのは、かえって不便なものである。ロックオン(ニール)は大きく息を吐き、スナイパースコープから離れた。

 つい先程まで、ロックオン(ニール)の瞳はサーシェスの搭乗するガンダムと、そいつに挑みかかるティエリアのガンダムを鮮明に映し出していた。

 もう一度スコープを覗けば、きっと、サーシェスの機体を追いかけて狙撃することも、嘗ての仲間たちの様子を見ることもできるのだろう。

 

 だが。

 

 

「……ダメだ。気持ち悪ィ」

 

 

 口元を抑え、ロックオン(ニール)はコックピットに崩れ落ちる。能力の適正と自分の長所を無理矢理噛み合わせようと試行錯誤している弊害が出ているのだろう。元々、思念増幅師(タイプ・レッド)の力は狙撃型のガンダムにはあまり向いていないと聞く。

 むしろ、ファングやファンネル等の自律兵器を運用するのに適しているそうだ。狙撃系では苛烈なる爆撃手(タイプ・イエロー)の攻撃力増強が向いていると聞く。でも、仕方がないものは仕方がない。ロックオン(ニール)はのろのろと顔を上げた。

 

 コックピットのコンソールに、帰投命令の表示が出ている。どうせもう、今日は戦えそうにないのだ。素直に従うべきだろう。

 応用とは難しいものである。特に、思念波の扱いは『ミュウ』にとってデリケートな案件だ。無理を通せば、暴走させて死んでしまう可能性だってある。

 せっかく生きているのだから、また死ぬのはダメだろう。そんなことをしたら、今度こそ、古巣の面々を悲しませてしまう。そんなのは御免だった。

 

 

(速く使いこなせるようにならねぇと。合流がどんどん遠のいていっちまう)

 

 

 ロックオン(ニール)は頭を抱えてしまいそうになった。ベルフトゥーロやエミリーの方針上、今のままのロックオン(ニール)では合流したとしても足手まといにしかならないという。

 

 それもそうか。戦う度にグロッキーになってしまうのだから。戦闘中に気を失ったり、意識を朦朧とさせてしまったりしては、作戦行動の遂行に支障が出る。当然のことだった。

 シミュレーターでは別に平気だったのだが、実際に差異を調整しようとすると、影響は頓著に出てくるらしい。『ミュウ』の繊細さには、有難迷惑しか感じなかった。

 

 大気圏の真下の下。嘗て、デュナメスは地上から大気圏までの距離から狙撃をしたことがある。4年前の武力介入の一件で、その力を示した。

 今、デュナメス-クレーエがやったのはその逆で、高高度からの狙撃だった。大気圏上空から下にある対象物を狙い撃ちしたのだ。

 相手からはデュナメス-クレーエを視界の端に捉えることはおろか、レーダーでキャッチすることも、距離的にほぼ不可能だろう。

 

 

「せめて、作戦時間内の間だけでも、普通にしてられるようにならなきゃな……」

 

 

 果てしない目的に、ロックオン(ニール)の気が遠くなる。

 もう一度深々と息を吐きだした後、ロックオン(ニール)は操縦桿を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オートマトンの暴走?」

 

「あれは無茶苦茶だ。罪もない一般人および民間人を、見境なく殺していきました」

 

 

 首を傾げた上司に向かって、アンドレイは声を張り上げた。

 

 

「新型オートマトンは、反乱分子だけを鎮圧するものではなかったのですか!?」

 

 

 アンドレイの脳裏に、無残に殺された一般人の姿がよぎっては消えていく。ウエイター、アルフヘイム社の役員数名、警備員――そうして思い浮かんだのは、オートマトンから襲撃される絹江たちの姿だ。

 テロリスト鎮圧にオートマトンが投入されるのはよくあることだ。勿論、鎮圧に重点を置いたモードで起動させるのが普通である。しかし、あの会場で使用されたオートマトンは、最初からキルモードで動いていた。

 オートマトンをキルモードで投入するという作戦は、今まで何度も繰り返してきた。だが、あれはあくまでもカタロン殲滅時に行ったものである。一般人がひしめくパーティ会場に投入したことは一度もない。

 

 人が多くいる場所では、オートマトンの誤作動が心配される。

 今回の一件は、誤作動による暴走ではないのか。

 

 

「何を言っているんだ、スミルノフ少尉」

 

 

 アンドレイの訴えを聞いた上官は、どこか呆れた様子でアンドレイを見返した。息巻くアンドレイを諌めた彼は、机の上から書類を差し出した。

 その書類にはご丁寧に写真も添付されている。オートマトンによって蜂の巣にされた死体だ。業務上目にする機会が多いとはいえ、気持ちのいいものではない。

 

 

「オートマトンは正常だった。見たまえ」

 

 

 上司に促され、アンドレイは書類に目を通す。死体の写真の下に、写真の人物が所持していたと思しき遺留品のリストが並んでいた。勿論、写真付きである。

 オートマトンによって殺された人間たちとその遺留品を見比べ、アンドレイは目を丸くした。彼らはみな、共通のものを所持していたためであった。

 花と翼が描かれたエンブレム。ある被害者は手帳に、ある被害者はネクタイピンに、ある被害者はアクセサリーに、控えめながらもその紋章が刻まれている。

 

 このエンブレムは見覚えがあった。少し前に反政府団体の認定を受け、取り締まりが行われている謎の組織――『スターダスト・トレイマー』のロゴマークである。

 

 アンドレイの様子を察したのか、上司は厳かに頷いた。

 そうして、淡々と事実を告げる。

 

 

「こいつ等はみな、反政府団体に所属するテロリストだった。証拠も裏は取れている。そして、他の一般人には一切危害を加えていなかったぞ」

 

 

 茫然と書類を眺めていたアンドレイに、上官は「もういいか」と問うた。アンドレイは頷き、書類を戻す。「所用があるから」とだけ言い残し、上官は速足で去って行った。

 

 オートマトンが正常に動いていたと言うのなら。

 オートマトンに襲われた絹江たちは。絹江の正体は。

 

 

(そんな、まさか……)

 

 

 信じられない。信じたくない。アンドレイの頭の中で、絹江の表情が浮かんでは消えていく。

 『ジャーナリストたちが怪しい動きをしたら、適宜処理を』――上司から言い渡された言葉が脳裏をよぎった。

 軍人の職務を全うするために母を見殺しにした父親の後ろ姿がフラッシュバックし、アンドレイは首を振った。

 

 自分は、どうすればいいのか。

 

 アンドレイは歯噛みする。そうしてふと、思い至った。

 父は、どんな気持ちでその決断を下したのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白緑(びゃくろく)の機体を見上げる。はやぶさと瓜二つの外観だが、よく観察するとちょくちょく差異が見つかった。曰く、高速戦闘に特化した機体ということらしい。

 

 

「ちょうげんぼう、って言うんです」

 

 

 宙継が、嬉しそうに機体の名前を口に出した。ちょうげんぼうは、クーゴの機体名の元ネタの元ネタ――隼の別名である。大きさは鳩程度の大きさで、小鳥やネズミを狩るそうだ。

 4年前は一角獣の名を冠するガンダムに搭乗していた宙継が、クーゴと同じフラッグの系譜を継ぐMSに搭乗するなんて思わなかった。宙継はくるりと振り返り、微笑む。

 

 クーゴは思わず、疑問を口にしていた。

 

 

「ガンダムには、乗らないのか」

 

「僕、フラッグの方が好きなんです」

 

 

 はにかむ宙継に、クーゴは何となく照れくささを感じた。こちらを見上げる宙継の眼差しは、神を信仰する信者のようだ。

 自分が神聖視されるという状態に、もう、なんだか、どうすればいいのかわからなくなる。クーゴは視線を彷徨わせた。

 変な気分を持て余しながら、クーゴはブリーフィングルームへ足を運んだ。互いの報告事項で、部屋は賑わいを見せている。

 

 トリニティ兄妹はプトレマイオスの面々を助けてくれたということで、着艦許可が下りていた。ネーナは刹那やイデアたちと談笑し、ミハエルがティエリアの女装について問いただしてリジェネ共々叱られ、ヨハンはリヒテンダールと話し込んでいる。

 

 そのとき、話し込んでいた輪からロックオン(ライル)が離れてクーゴへ歩み寄ってきた。クーゴの存在に気づいたティエリアも顔を上げる。

 剣呑な眼差しが突き刺さってきた。あれは、加害者家族を詰問する被害者遺族の眼差しとよく似ている。なんとなく、クーゴはすべてを察していた。

 

 

「刃金蒼海って、お前の姉なんだろ? なんでああなったんだ」

 

「十中八九俺のせいだよ」

 

 

 ロックオン(ライル)の問いに答えたのは、ほぼ反射だった。その先の言葉もすべて、事実関係を元にして紡がれた言葉である。

 

 

「俺が大人しく死んでいれば、そもそも生まれてさえこなければ、あの人は普通に生きていけたんだ」

 

 

 クーゴの言葉を聞いた面々が目を剥いた。何か地雷を踏んでしまった、と、悔いるような表情。

 どうして彼らはそんな顔をするのだろう。彼らはただ、当然のことを問いかけたに過ぎないのに。

 

 

「いくら努力しても、あの人を認めてくれる人間は誰もいない。あの人の結果はいつも俺に持っていかれてしまう。いくら頑張っても、弟より出来が悪いと蔑まれる。終いには、弟からも憐みの眼差しを向けられ、同情され続けるんだ。鬱屈した人生を原因である俺に吐き出しても、余計惨めになるだけで意味がない。周りはみんな、俺を持ちあげてあの人を蔑ろにする連中しかいない。自分の味方がいない状況で、あの人は怒りや悲しみを抱えて生きてきた」

 

「お、おい!?」

 

 

 誰かが酷く動揺した声が聞こえた気がした。

 

 

「うちの家の男子って早死にするってジンクスがあってなあ。俺、昔は何かある度に倒れて寝込んで点滴や病院のお世話になる生活してたんだよ。医者からは『この子は20まで生きられないでしょう』って太鼓判押されてた位病弱だった。あの人も、それを希望にしてたんだ。当然だよな。自分が日陰に追いやられて全否定される要員は、絶対この世からいなくなるんだ。そうなれば、今度こそ、自分のことをみんなが評価してくれる。素晴らしいって褒めてもらえる――そう信じて、頑張ってきたのに」

 

「ちょ、大丈夫!?」

 

 

 誰かが慌てている声が聞こえた気がした。

 

 

「誕生日が来るたびに『どうしてアンタが生きてるんだ』、『アンタさえ生まれてこなければ』、『アンタが死んでさえいれば』って罵詈雑言ぶつけられるのが日常茶飯事だった。俺自身だって、『俺がいなければ、あの人は普通に生きていけたはずだ』とか『俺さえ死んでいれば、あの人はおかしくならずにすんだんじゃないか』って、いつも思ってた。生きていることが申し訳なくて、その被害が俺の関係者に向けられるのが辛くて、今なんてその極致じゃないか」

 

「と、とにかく落ち着け!」

 

 

 誰かが話を遮ろうとする声が聞こえた気がした。

 でも、それはきっと、クーゴの気のせいだろう。

 

 頭の片隅で何かが警笛を鳴らしている。断片的に、ノイズまみれの光景が浮かんでは消えていく。目まぐるしく光景は変化していった。

 

 厳かな雰囲気が漂う、機械仕掛けの広場があった。天使が誰かを見出した。見出された少年が泣いている。いきたくないと泣いている。それでも天使は彼を連れていこうとした。

 引き留めたのは、少年とよく似た顔立ちの少女だった。彼女は天使を引き留めて、前へ出る。天使は少女に手を伸ばす。少女は何の迷いも躊躇いもなく頷いて、振り返った。

 口が動く。何を言ったのか聞き取れない。少女はにっこりと微笑んだ。それを最後に、ノイズまみれの光景が一気に白み、断線する。暗転。深い闇と、後悔があった。

 

 その光景の意味など、クーゴは何も知らない。

 故に、己の口が紡いだ言葉の意味も、分かるはずがなかった。

 

 

「あのとき、本当に死ぬべき人間だったのは、俺なのになぁ」

 

 

 いつもより上ずった声が漏れた。あれ、と思う。気のせいでなければ、視界が滲んでいた。今年で33歳になった大の大人が、無様に泣き顔を晒している。なかなかにキツイだろう。

 

 周囲から漂う思念は動揺だ。地雷を踏んづけてしまった、と、誰もが焦っている。おかしいな、こんな無様を晒すつもりはなかったのに。クーゴはごしごしと目を拭った。

 不意に、何かが腰にぶつかったような衝撃が走った。間髪入れず、腕を強い力で引っ張られたような感覚。振り返れば、宙継が腰に抱き付き、イデアが腕を引いている。

 2人はじっとこちらを見上げていた。言葉にせず、その眼差しで訴えている。クーゴの言葉を否定し、クーゴの存在そのものを肯定するかのような眼差しだ。クーゴは目を瞬かせる。

 

 

「……僕、貴方が生きていてくれなかったら、死んでいたと思います」

 

 

 ぽつりと宙継が呟いた。

 イデアも頷く。

 

 

「私は、貴方に出会えてよかったと思ってます。……だから、不用意に、死んでいればよかったとか、言わないでください」

 

 

 紫苑の瞳は、揺らぐことなくクーゴを映し出している。彼女の瞳に映った男は、虚ろな表情を浮かべていた。漆黒の瞳には黒洞々と闇が広がっているだけだ。

 

 ああ、こんな顔して延々と湿っぽいことを言い続ければ、誰だって心配するだろう。

 居候の身で、居候先にこんな迷惑をかけてはいけない。

 

 

「ありがとう」

 

 

 クーゴが礼を言えば、宙継とイデアは表情を緩ませた。やっぱり、2人は笑っている顔が良く似合う。

 

 

「……えーと……なんか、ごめん」

 

「いや、別に。大丈夫だって」

 

 

 凍り付いていた面々に頭を下げれば、彼らは少々狼狽した様子だった。配慮が足りなかったとロックオン(ライル)は申し訳なさそうに目を伏せる。ティエリアも同じように、バツが悪そうに視線を彷徨わせていた。

 アレルヤなんて、巻き込まれただけだったらしい。虚ろな顔して延々と喋り出したクーゴを心配して声をかけてくれたようだった。本当に申し訳なかったと思う。お詫びとして、今日の晩御飯は奮発しよう、なんて考えた。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『BIRD FAN (日本野鳥の会)』より『チョウゲンボウ』


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23.命の星でアイを謳う者たち

 リヒテンダールの様子を見たネーナはすべてを察したのだろう。

 彼女はぐいっとリヒテンダールの腕を引っ張り、耳打ちした。

 

 

「あんた、やるじゃない!」

 

 

 ネーナが親指を立てる。リヒテンダールははにかみながら前髪をいじった。

 

 嘗ての自分が“夢のまた夢”と諦めていた願いが叶って、今年で4年が経過した。好きな女の子に好きだと言って、好きな女の子に好きって言ってもらえて、おつき合いをさせていただいている。周囲も祝福してくれた。

 しかし、夢が現実になると、それ以上のことを望みたくなるものだ。恋していた頃のささやかな幸福――自分の一方的なものは、それだけでは全然物足りなくなる。これ以上は望まないという覚悟が、どんどん薄っぺらくなってしまう。

 意味を成さなくなる覚悟と反比例し、膨れ上がる欲望の際限の無さに苦笑したくなるのだ。しかも、そのほろ苦い充足感が癖になってしまいそうで、これまた問題である。クリスティナと過ごし、過ごしていく日々を思い、リヒテンダールはにへらと笑った。

 

 

「で、そっちはどうスか?」

 

「………………」

 

「…………あぁ、それは辛いッスね」

 

 

 リヒテンダールの問いかけに、ネーナはそっと目を逸らした。リヒテンダールの春が到来することを何よりも望んでいた彼女であるが、彼女の春は未だ来ていないらしい。

 彼女の兄と想い人を「イケメン」と称し、射程圏内に収めていたクリスティナはリヒテンダールと結ばれている。これで、ネーナも心置きなく想い人を攻略できるという訳だった。

 

 ――しかし、現実と言うものはどこまでも残酷である。ネーナは薄暗い笑みを浮かべて天を仰いだ。多分涙目になってるだろう。

 

 

「教官は鈍すぎるの。終いには、ダメ押しとばかりに私と教官は別任務のため別行動だし……」

 

「だ、大丈夫ッスよ! チャンスはまだあるって!!」

 

 

 ぐずり始めたネーナを、リヒテンダールはあやした。琥珀色の瞳が「本当にチャンスはあるのか」と問いかけてくる。気持ちは分からなくもない。

 リヒテンダールだって、現実を舐め腐っていたことは認める。自分の夢など叶わないのだと思い込み、好きな女の子に何も言わないことを選択した。

 4年前のシチュエーションが吊り橋効果ではないかと怯えていた時期もあったけれど、リヒテンダールとクリスティナの関係は続いている。

 

 だから、現実も、陰惨なだけではないのだと思えた。

 悪いことや悲しいことばかりではないのだと思えたのだ。

 

 

「俺みたいなのにだって、奇跡が起きたんだ。だから、ネーナだって上手くいくッス!」

 

 

 リヒテンダールはネーナの手を強く握りしめ、首を縦に振った。リヒテンダールの眼差しに何か思うところがあったのだろう。ネーナは目を瞬かせた後、涙を拭って破顔した。

 

 

「ありがと。私も頑張る!」

 

 

 やる気が出てきた、と、ネーナは握り拳を振り上げた。彼女は勢いそのまま、ぱたぱたと駆け出していく。

 

 トリニティ兄妹は、『スターダスト・トレイマー』から依頼を受けて、新しい技師およびMSパイロットである少年――刃金宙継を出向先(ここ)へ送り届けに来たという。依頼を果たした後は、別行動を取るらしい。

 先程見かけたヨハンとミハエルが色々と準備をしていたから、もう少ししたらここを出発するのだろう。リヒテンダールはネーナの背中を見送り、ふっと笑みを浮かべた。恋する乙女に幸あらんことを、なんてひっそりと祈る。

 

 

「……リヒティ」

 

 

 背後から声が響いてきた。声の主を、リヒテンダールはよく知っている。ただ、今は、声の主は酷くご機嫌ななめらしい。声が刺々しているからだ。

 リヒテンダールは振り返った。自分が思いを寄せ、結ばれた相手――クリスティナが、不満そうな眼差しでこちらを見ている。

 どうかしたのだろうか。彼女が不機嫌になるようなことは、していない。意味が分からず首を傾げれば、クリスティナはリヒテンダールの腕にしがみついた。

 

 

「クリス?」

 

 

 勢いよく突撃されたため、ほんの少しだけ体がぐらつく。しかし、それも一瞬のことだ。リヒテンダールはクリスティナの重みを、何の苦も無く受け止める。

 

 リヒテンダールの体躯を揺らがせられなかったことが不満なのか、クリスティナはムッとしたように眉間の皺を深くした。

 何かを訴えかけるように、彼女の瞳はリヒテンダールを映し出す。長い沈黙を経て、クリスティナはぽつりと呟く。

 

 

「1つ、確かめたいことがあるんだけど」

 

「え?」

 

「……キミはさ」

 

「うん」

 

「……“私の”、彼氏だよね?」

 

 

 蚊の鳴くような小さな声だったが、リヒテンダールの耳は正確にクリスティナの声を拾い上げていた。一文字一句逃すことなく、完璧に、一音一音を再現できるレベルでだ。

 よく見れば、クリスティナの顔全体が真っ赤になっている。腕を掴んでいた手がほんのわずかに振るえていた。挑みかかるようにこちらを見上げる眼差しが堪らない。

 リヒテンダールの口元が緩む。胸の中にじわじわと熱が込み上げてきた。俺の恋人――クリスティナがこんなにも可愛い、と、大声で叫んで回りたいという衝動に駆られる。

 

 まさか、クリスティナから嫉妬の感情を向けられるとは思わなかった。4年前は、リヒテンダールだけがクリスティナを見ていたからだ。

 当時のことを思い返すたびに、今の自分たちの関係を見たらどんな風に思うだろうと気になって仕方がない。羨むのだろうか。

 

 おそらく、羨むだけ羨んで、何もしようとしないのだろう。あの頃の自分は、ささやかな幸福を噛みしめるだけで「充分だ」と笑ってしまうような人間だったから。

 

 恋を知って、恋が成就する喜びを知って、想いが通じ合っているという幸せを知って、その日々がこれからも続くのだという確証を得て、リヒテンダールの心は貪欲になってしまったらしい。

 もう、4年前の片思いに戻ることはできないし、戻りたくはない。戻ったら、苦しすぎて即死する自信があった。際限なく湧き上がる熱をどうしようもできなくて、リヒテンダールははにかんだ。

 

 

「へへ」

 

「何!? 何なの!? 人が真剣に……!」

 

「わかってるッスよ!」

 

 

 怒りをあらわにしたクリスティナを諌めて、リヒテンダールは言葉を続ける。

 

 

「……ただ、嬉しいんだ。嬉しくて、どうすればいいのかわかんなくて」

 

「リヒティ?」

 

「――だって、嫉妬するのは、いつも俺だけだったし」

 

 

 こんなにも幸せなのに、どうして今、心が痛いのだろう。リヒテンダールの視界がじわりと滲んだ。一歩遅れて、ああ今自分は泣いているんだなと理解する。

 クリスティナは目を真ん丸にしていたけど、すぐに苦笑した。そうね、と相槌を打って、リヒテンダールに寄り掛かった。

 

 

「こんなカッコイイ男が傍にいて、私を想ってくれていたのにね」

 

 

 「私の目は節穴同然だったわ」と、クリスティナは言った。「ホントッスよ」とリヒテンダールも頷く。

 幸せだ。今、自分たちは戦いの渦中にいるけど、確かに幸せだ。こんなささやかな平穏が、続けばいい。

 相変わらず世界を敵に回す戦いを繰り広げているけど、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、完成」

 

 

 クーゴは目の前に並んだ料理を見返し、満足げに頷いた。そうして、いそいそと箱に料理を詰める。箱詰めしていないのが自分たちの食べる分で、箱に詰めた分がプトレマイオスを出発するトリニティ兄妹に手渡す分だ。

 ごろごろとした大きさに切ったベーコンとブロッコリーがふんだんに盛り付けられたキッシュ、色とりどりのパプリカにひき肉とみじん切りにした野菜を詰めたパプリカの肉詰め、サーモンと枝豆のポテトを使ったクリームコロッケ、グラニュー糖の雪を被ったかぼちゃのデザートグラタン。どれも渾身の出来である。

 

 

「手伝ってくれてありがとう、宙継」

 

「えへへ」

 

 

 くしゃりと頭を撫でてやれば、宙継は嬉しそうに微笑んだ。照れくさいのか、ほんのりと頬が染まっている。

 クーゴは今年で33歳だ。もし結婚していれば、宙継くらいの年齢の子どもがいてもおかしくない年齢であった。

 なんだか父親になったような気分である。自分に子どもができたら、こんな風に接していたのだろうか。

 

 視線を感じて振り向けば、テーブルへ料理を配膳してきたイデアが微笑ましそうに自分たちを見つめていた。何とも言えない気持ちになり、クーゴは咳払いする。

 

 

「まるで親子みたいですね」

 

 

 ふふ、と、イデアは静かに目を細めた。彼女の眼差しは、夫を見つめる妻のように優しい。もし自分が結婚していたら、その相手はこんな風にこちらを見ていたのであろうか――。

 変なことを考えてしまい、クーゴは全力でかぶりを振った。選ばなかった道のifを考えても仕方がないことだ。今は、目の前にある現実をしかと受け止めなくてはなるまい。

 

 やけに上機嫌なイデアを横目に、クーゴは箱詰めした料理を片手に厨房を出た。少し遅れて、イデアがプトレマイオスのクルーたちを呼びに駆け出す。

 格納庫へ向かえば、丁度出発しようとしていたトリニティ兄妹たちの背中が目に入った。クーゴは3人を呼び止め、持ってきていた差し入れの箱を手渡した。

 ヨハン、ミハエル、ネーナは箱を見て首を傾げたが、箱の中身を空けて目を輝かせた。感嘆のため息が漏れる。3人の口元が嬉しそうに緩んだ。

 

 

「相変わらず美味そうだな!」

 

「感謝する」

 

「今度、作り方教えてね!」

 

 

 ミハエル、ヨハン、ネーナはそう言い残し、箱を片手にコックピットへ飛び乗った。ラグエルたちは格納庫からカタパルトへ移動する。

 

 光の世界への反逆者が飛び立っていったのは、それからすぐのことであった。

 それを見送り、クーゴは食堂へと戻る。食堂では、各々がおかずを食べ進めていた。

 クーゴも席に腰かけ、食事をとることにした。イデアに声をかける。

 

 

「隣、座っていいかな?」

 

「どうぞ!」

 

 

 クーゴの申し出を、イデアは快く引き受けてくれた。礼を述べて座ると、宙継がトレイを抱えて、いそいそとクーゴの隣にやって来る。

 「隣に座っていいですか?」と、心配そうに訊ねてくる宙継に、クーゴは2つ返事で頷き返す。彼は安堵したように微笑むと、クーゴの隣に腰かけた。

 

 

「クーゴさんの作る御飯、大好きです」

 

「僕もです」

 

 

 イデアは幸せそうにコロッケを齧る。宙継はパプリカの肉詰めに舌鼓を打っていた。この2人に褒められると、心がふわふわするような心地に見舞われる。浮足立っているとも言えそうだ。

 「おかわりはあるからいっぱい食べなさい」と言えば、イデアはキッシュへ手を伸ばした。丸いキッシュをナイフで大きく切り取り、皿に乗せる。宙継はコロッケにフォークを伸ばした。

 いっぱい食べるキミが好き――そんなフレーズが頭をよぎる。クーゴはふっと目を細め、幸せそうに料理を頬張るイデアと宙継を見つめた。なんて微笑ましく、愛おしい光景なのだろう。

 

 そんな様子を見ていた面々が、暫し目を瞬かせる。どうかしたのかと問いかける前に、ラッセが微笑ましそうに呟いた。

 

 

「3人並ぶと、家族みたいだな」

 

 

 家族。その言葉を頭の中で反復する。意味を理解した途端、周囲から向けられる眼差しが生暖かいものに変貌したような気がした。どうしようもない程、居心地が悪い。

 宙継は「家族」という言葉を繰り返した後、嬉しそうに微笑んだ。イデアも満面の笑みを浮かべて、クーゴが作った料理を食べ進める。ペースがいつもより早い気がした。

 思わずラッセに反論しそうになったクーゴであるが、以前、自分を謙遜(イデア曰く「卑下」、あるいは「自己否定」)した際の2人の怒りを思い出す。出かかった言葉を飲み込んだ。

 

 何かを言うと地雷を踏んでしまいそうな気がして、クーゴはため息をついて苦笑するに留めておく。

 この判断は間違っていなかったようで、食堂は和気藹々とした空気に満ち溢れていた。

 

 

「だとしたら、貴方たちの方が、家族としての繋がりが強いのではないのですか?」

 

 

 クーゴは思い立ったように口を開けば、ラッセは「だろ?」と頷いた。

 

 

「イアンのおやっさんは親父枠だろ。スメラギさんはトレミーのママで――」

 

「――私はそこまで老けてないわよ?」

 

「アッハイ」

 

 

 ラッセの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 

 笑顔の仮面の下に修羅を宿したスメラギがラッセを睨んだためである。女性に対し、年齢関係の地雷を踏みぬくのはご法度だ。スメラギは絶対零度の笑みを浮かべ、キッシュを口に運ぶ。その動作は優雅だったが、どこか荒々しさが目についた。

 女性陣は非難するかのように男性陣を見回す。面々の様子に気圧された男性陣は回れ右の如く視線を逸らした。自分は関係ありませんと言わんばかりに、キッシュ/パプリカの肉詰め/コロッケ/デザートグラタンを口に運びつつ、飲み物を煽った。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 食事を終えたクーゴたちは、ブリーフィングルームにいた。宇宙にいるイアンたちも、通信画面に映し出されている。現在、面々は現状確認を行っていた。

 

 革新者(イノベイター)。イオリア・シュヘンベルクが『ミュウ』との接触でヒントを得て提唱した存在だ。既存の人類より高次の段階へと移行した、正真正銘の“新人類”のことを指している。

 曰く、「大量のGN粒子を浴び続ける」ことが覚醒の条件だということだが、逆に、「GN粒子を大量に浴びると命を落とす」というケースが存在しているらしい。それ関連の事故で亡くなった者たちもいたという。

 

 

「だが、トランザムを使用した際、人体には影響の出ないレベルでだが、パイロットがGN粒子を浴びているという計測結果が出た」

 

 

 通信越しのイアンは、神妙な顔で言葉を続ける。

 

 

「会場に潜入した面々の話を総合するに、“人類が革新者(イノベイター)に目覚めるためには、『純正太陽炉のトランザムを使い続けることで、GN粒子を浴び続ける』必要がある”ということらしいな?」

 

「ああ」

 

「――そして、現在覚醒している革新者(イノベイター)以外で、最も革新者(イノベイター)に近いのが刹那、か」

 

 

 イアンはそう言って唸った。周囲の面々も、何とも言い難そうな表情で刹那を見つめる。眼差しの集中砲火を受けても尚、刹那は揺らぐ様子は見られなかった。水面を思わせるような、静かな面持ちのままである。

 現時点でイノベイターとなったのは、刃金蒼海、彼女の3人の息子――海月、厚陽、星輝、(ワン)留美(リューミン)と使用人にして実兄の紅龍(ホンロン)らの6名だ。そうして、彼らが警戒しているとされるのが刹那であった。

 彼女が搭乗する機体はツインドライヴシステム搭載機である。整備班の面々でも、ツインドライヴの全容は明らかにされていない。もしかしたら、明らかになっていない未知の部分が、イノベイターに覚醒するヒントなのか。

 

 イアンはがしがしと頭を掻いた。彼もまた、色々困惑していることがあるのだろう。

 ティエリアは何かを確かめるようにリジェネを見た。

 

 

「貴様はツインドライヴシステムについて、何か知っているか?」

 

「『マザーが何か知ってる』のと、『リボンズが何か察した』程度しか知らない」

 

「チッ!」

 

 

 ティエリアは派手に舌打ちして視線を逸らす。何を思ったのか、リジェネは「そんなティエリアもそそる」と鼻息を荒くした。間髪入れず、ティエリアの左ストレートが彼の顔に直撃し沈黙する。

 

 

「イノベイターたちが搭乗していた機体のデータも恐ろしいな。どの機体も、凄まじい火力を有している。特に、バルバトロはその極みだろう」

 

 

 イアンは深々とため息をついた。あの化け物じみた火力を持つMSたちと一戦交えたクーゴからしてみれば、恐ろしいものだというのがよく分かっている。

 革新者(イノベイター)の翔る機体は、どれもこれも破壊的な威力を有していた。まるで、革新者(イノベイター)の力は破壊のために存在していると言わんばかりに。

 倒れたリジェネが呻きながら体を起こした。彼はクーゴの思考回路を『読み取った』のか、じっとこちらを見つめている。紫苑の瞳は、否と訴えていた。

 

 ベルフトゥーロは言っていた。「革新者(イノベイター)は、“来るべき対話”のために必要な存在なのだ」と。戦うために生まれた存在だとは、一言も述べていない。

 おそらく、彼女が「この機体に搭乗しているのは革新者(イノベイター)だ」と知ったら、激高しそうな気がする。革新者(イノベイター)は戦う者ではないのだと。

 

 

「……」

 

「どうした? フェルト」

 

「……不安なの」

 

 

 フェルトの憂いを帯びた眼差しが、刹那へと向けられた。

 

 

革新者(イノベイター)たちの力を見ていると、革新者(イノベイター)として目覚めた刹那もああなってしまうんじゃないかって」

 

 

 いずれ、己を戦いの道具として酷使するようになりそうで――そう言って、フェルトは心配そうに刹那を見つめた。

 彼女の言葉に、他の面々も不安そうな面持ちになる。ソレスタルビーイングの面々は、刹那を戦いの道具にしたくないと思っているらしい。

 最も、刹那自身もまた、己が戦いを振りまく存在になることは望まないはずだ。クーゴの予想通り、刹那はきっぱりと言い切った。

 

 

「世界の歪みを絶つのが俺の役目だ。……奴らは歪んでいる。その存在を、赦しては置けない」

 

 

 見ているこちらが安心してしまえる程、ばっさりとした台詞である。言外ではあったが、気持ちのいい程の否定であった。クーゴはひっそり、安堵の息を吐く。

 

 同時に、今の刹那の言葉は、蒼海と同じ轍は踏まないという宣言でもあった。赤銅色の瞳は、倒すべき敵を――傲慢な新人類たちをきちんと見据えている。

 いや、刹那だけではない。他のガンダムマイスターやソレスタルビーイングの構成員も、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の面々も、敵を見据えていた。

 

 

「そうだね。刹那の言う通りだ」

 

 

 イデアは感慨深そうに頷いた。

 

 

「嘗ての『ミュウ』も、人類から“その力が驚異だから”という理由で迫害されてきたの。特に、戦闘面に関しての脅威論が盛んに叫ばれたらしいわ」

 

 

 彼女の声が、どこか熱を帯びているように思ったのは、クーゴの気のせいではないだろう。

 『ミュウ』の『同胞』としての意識のせいか、イデアの気持ちが痛いほど伝わってきそうだ。

 特にイデアの母は、人類によって故郷と親、親友を失っている。その話を、昔から聞かされてきたに違いない。

 

 S.D体制の中でも、「何故『ミュウ』が生まれたのか」を議論した科学者もいたという。ロクな答えを出すには至らなかった、と、ベルフトゥーロから聞いたことがあった。

 

 

「『ミュウ』の力は、誰かに想いを伝えるための力だ』と――『ヒトとヒトを繋ぎ、わかり合うための力だ』と言った人がいたの」

 

「わかり合うための、力……」

 

「『ミュウ』も革新者(イノベイター)も、きっと、同じなんだと思うんだ」

 

 

 イデアの言葉に、刹那が目を丸くする。何か思うことがあったのか、刹那はじっと己の手を見つめていた。

 

 話は変わるが、「『ミュウ』の力は、誰かに想いを伝えるための力である」ということを言った人物がいた。

 提唱者――そこまで大げさではないけれど――は、レティシア・シンという『ミュウ』の少女だった。

 

 

(……そういえば、イデアの本名もレティシアだったな)

 

 

 クーゴはふと、そんなことに思い至った。

 

 思い返せば、4年前にクーゴはイデアの本名を聞いている。彼女の名前を呼んだのは、4年前の“最後の休暇”の1度だけだ。

 約束を忘れていた訳ではない。ただ、今は、それよりも優先すべきことが――優先したいことが、あったからだ。

 すべてが終わったら、もう一度、イデアの本名――レティシアの名前を呼べるときが来るだろうか。クーゴはそんなことを考えた。

 

 

「でも、もし、この後もイノベイターの数が増えたら、世界はイノベイターをどんな風に扱うんだろう……」

 

 

 アレルヤは眉間に皺を寄せて呟いた。嘗て、実験施設で戦闘用特化の人間兵器に改造されかけたという過去を持つ、アレルヤらしい懸念である。彼の隣にいたマリーも、不安そうにしていた。

 おそらく、アロウズの上層部は革新者(イノベイター)の戦闘能力がどれ程のものかを知っているだろう。何と言っても、彼らは蒼海と繋がっている。蒼海のことだ、イノベイターの素晴らしさを延々と語って聞かせたに違いない。

 

 そうして、イノベイターによる統一支配を容認している――この時点で、現状マイノリティである革新者(イノベイター)の未来は明るくなさそうだ。

 

 

「圧倒的な力を用いて戦場を蹂躙していくんだ。人類から畏怖の対象として見られるだろうな。恐怖の象徴、あるいは憎悪の象徴になってもおかしくない」

 

「私のようなイノベイドたちは、『革新者(イノベイター)下位互換(スペア)』として扱われるような世の中になるかもしれないわ」

 

 

 ロックオン(ライル)が神妙な表情でため息をついた。彼の隣にいるアニューも、暗い表情のまま懸念を吐露する。

 恋人の不安を感じ取ったロックオン(ライル)は、アニューの肩に手を置く。大切な女性(ひと)を守るように、だ。

 決して、彼女を戦いの道具になどさせはしない――深緑の瞳には、揺るがぬ決意が燃えていた。

 

 言葉にせずとも2人は通じ合っているようで、ロックオン(ライル)とアニューは互いの瞳を見つめて表情を緩める。

 それを見ていたミレイナが、何を思ったのか、ティエリアへと向き直った。ミレイナは彼の手を両手で包み込む。

 

 

「私も、アーデさんが革新者(イノベイター)のスペア扱いされたり、戦いの道具にされたりするのは嫌ですぅ!」

 

「ミレイナ……」

 

「セイエイさんも、リターナーさんも、アーデさんも、絶対に守るです! 絶対絶対、兵器になんてさせないです!!」

 

 

 「だから安心してくださいです!」と、ミレイナは力強く微笑んだ。ティエリアは括目したように目を瞬かせた後、照れたように目を細めて感謝の言葉を述べた。気のせいでなければ、彼の頬がほんのりと赤く染まっているように見えなくもない。

 

 それを目ざとく見つけたのか、ティエリアに張り倒されて気絶中だったリジェネががばりと起き上って声を上げた。

 「ずるい」というリジェネの抗議は、やはりティエリアによって途切れさせられる。リジェネの頭に、大きなたんこぶができていた。

 

 わいわいがやがやする周囲を横目に、スメラギはモニターへと向き直った。

 

 

「それで、オーライザーの調子は?」

 

「ばっちりだ。後は、ダブルオーに搭載して、実験するだけだな」

 

 

 イアンの言葉を聞いたスメラギは、顎に手を当てた。そのタイミングを見計らったかのように、『悪の組織』からの連絡が入る。

 割り込むように映し出されたウィンドウには、見知った姿があった。嘗てユニオンに出向していた技術者の女性――ノーヴルである。

 彼女はクーゴとイデアに挨拶し、すぐに本題に入った。宇宙に配属されたアロウズの部隊が、怪しげな動きをしているという話であった。

 

 ノーヴルの話を聞いたスメラギが表情を曇らせる。アロウズの指揮官が自分の手を読んでいることを察したのだろう。アロウズの指揮官の手はずを諳んじて、彼女は小さく唸った。

 

 スメラギの様子が少しおかしいような気がして、クーゴは彼女の表情を覗き見た。スメラギは、アロウズの指揮官に心当たりがありそうな顔をしている。

 脳裏に浮かんだのは、AEU軍の軍服を身に纏った女性2人の後ろ姿。「キミたちは優秀すぎたんだ」――2人にかけられた言葉が何を意味しているのか、今はまだ分からない。

 

 

(次の戦いは、過酷なことになりそうだな)

 

 

 クーゴは何となく、そんな予感がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の作戦で、プトレマイオスはアロウズの包囲網を潜り抜け、宇宙へ向かう。作戦開始までは、まだ時間があった。

 刹那は自室のベッドサイドに腰かけていた。何をするでもなく、1人ぼんやりと先程のやり取りを思い返す。

 

 

『『ミュウ』の力は、誰かに想いを伝えるための力だ』と――『ヒトとヒトを繋ぎ、わかり合うための力だ』と言った人がいたの』

 

 

 イデアが噛みしめるように呟いた言葉が、脳裏をよぎった。『ミュウ』の力も革新者(イノベイター)の力も、戦うために振るうものではないのだと。

 

 今も昔も、刹那は戦うことしかできない。戦うこと以外、何もわからないからだ。刹那に与えられた選択肢は、武器を持って戦うこと――武器によって壊すこと以外になかった。

 そんな刹那の在り方を見て、涙をこぼしていた女性――マリナ・イスマイールの姿が脳裏をよぎる。戦うことではなく、もっと別な方法で平和を目指していた姫君のことが頭から離れない。

 自分とは違う道を行く、同じ終着点を目指す者。今も昔も、マリナは戦いを否定した/否定している。その姿勢は何も変わっていなくて、刹那は不思議な安堵感を噛みしめていた。

 

 

(……わかり合うための力、か)

 

 

 刹那は己の手を見つめる。イデアは、革新者(イノベイター)存在意義(ちから)をそう言った。

 わかり合うというのは、マリナの目指す平和の在り方にも密接に関わっている。

 

 皮肉なものだ。繋ぐための手など、刹那は持ち合わせていない。あるのは、武器を取り、壊すことしかできない手だ。そんな自分が、わかり合うための――ヒト同士を繋ぐ力を得るだなんて。刹那はひっそりと自嘲する。

 不意に、青い光が視界の端にちらついた。4年前の誕生日に、グラハムが刹那に贈ったシェルカメオの光だった。淡い輝きに、刹那はそっと目を細める。グラハムが愛した空の色を思わせる光は、刹那の自嘲を打ち消そうとしているかのように瞬いていた。

 「キミの手は、壊すだけではない。それ以外のことを成したじゃないか」――少し呆れたような、あるいは怒ったような、グラハムの声が聞こえてきたような気がする。どこか咎めるような響きに、刹那は思わず苦笑した。

 

 

「そうだったな。……俺の手は、確かにあんたと手を繋げていた。その事実は、認めよう」

 

 

 4年前の穏やかな時間がフラッシュバックする。グラハムは、晴天の蒼穹を思わせるような眩しい笑みを浮かべていた。彼は躊躇うことなく刹那の名を呼ぶ。どこまでも甘い声が響いてきたような気がして、頭の奥底がくらくらした。それを、ぎりぎりで踏みとどまる。

 

 伸ばされた手を、おっかなびっくりに繋いでいた日々があった。壊すことしかできない手が、愛した/愛する人を幸せにすることができるのではないかと思えた時間があった。

 自分の手が、壊す以外のことを成せるのだと信じたくなったことを思い出して、刹那はシェルカメオを握り締める。刻まれた大天使は、穏やかな微笑を湛えていた。まるで、刹那のことを肯定するかのように。

 

 

「グラハム・エーカー」

 

 

 愛する男の真名を紡いで、刹那は前を向く。

 鏡に映った自分の顔は、いつも以上に真剣だった。

 赤銅の眼差しは、どこかにいる彼を捉えている。

 

 

「待っていろ。――必ず、あんたの手を掴んでやる」

 

 

 きっと、グラハムは――ミスター・ブシドーは、暗闇の底から光を見上げているのだろう。そうして、空に憧れていた頃のように天へ手を伸ばし、その手を下すことを繰り返しているのだ。諦めたように笑って、慈しむような眼差しを向けて、憧れを込めて、光に焦がれる姿が『視えた』。

 4年前は、諦めていたのは刹那で、手を差し伸べてくれたのはグラハムであった。刹那の手を掴んで、溢れんばかりの幸福を手渡してくれた男性(ひと)が、今、すべてを諦めようとしている。……こちらもこちらで、なんて皮肉なのだろう。刹那はぐっと歯噛みした。

 

 今度は、自分の番だ。刹那がブシドーへ手を差し伸べる。

 

 ブシドーは思い込みが激しく、どこまでも頑固で面倒くさい男だ。きっと、自分はもう、刹那の好敵手(ライバル)に相応しくないと思っているだろう。

 4年前に見せたグラハムの自信は、蒼海の策略によって木端微塵に瓦解している。今のブシドーは、生きていること自体が苦痛になっていそうな気配があった。

 どこか生き急いでいるような――破滅に向かうことで現状から解放されたがっているような、儚い笑みを浮かべたブシドーの姿が脳裏をよぎった。

 

 

(ミスター・ブシドー。あんたの望む結末(おわり)を、俺が破壊する。……そんな歪んだ望みを、成就させるわけにはいかない)

 

 

 そうして、願わくば、彼と自分が願う結末(おわり)を。4年前、最後の戦いで思い描いた続きを、もう1度。

 

 決意を新たにし、刹那は部屋を出た。

 気のせいか、廊下の向こう側が騒がしい。

 

 

「うわああん! ティエリアと離れるのは寂しいよー!」

 

「煩い! というか貴様、どこ触ってるんだぁ!!?」

 

 

 何かが吹き飛んで、どこかに叩き付けられたかのようなド派手な音が響き渡った。音の出どころを覗き込む。騒音の主は、リジェネとティエリアであった。

 どうやら、リジェネは急用が入り、急遽地上へ戻ることになったらしい。サイオン波を使って目的地へ転移するつもりのようだった。

 同類(なかま)であるティエリアとの別れが寂しいらしく、彼は「お見送りをして」と要求したらしい。勿論、ティエリアが頷くはずもなかった。

 

 

「いってらっしゃい、リジェネさん」

 

「うう、アニューは天使だ。……じゃあ、キミたちも頑張ってね」

 

 

 まともに見送りをしているのは、妹分のアニューだけだったようだ。そのやり取りを最後に、リジェネの姿が掻き消えた。サイオン波は本当に便利である。

 作戦時間まで時間があるためか、他の面々は休憩時間を思い思いに過ごしている様子だ。刹那もそれに倣うようにして、一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『ブロッコリーとベーコンのキッシュ(★ちっぽ★さま)』、『サーモンと枝豆のポテトクリーム♡コロッケ(れっさーぱんださま)』、『野菜スィーツ!かぼちゃのデザートグラタン(スタイリッシュママ さま)』


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24.宇宙へ向かって

「スミルノフ少尉。今回の取材の件ではお世話になりました」

 

 

 「今回の取材はとても有意義なものでした」と、絹江は清々しい笑みを浮かべて一礼した。

 

 少し前のアンドレイだったら、きっと、絹江の動作1つ1つに見惚れていたであろう。しかし、今は、自分の中にある不信の芽吹きがそれを阻害していた。

 絹江に合相槌を打つ己の声のなんと平坦なことか。アンドレイは、冷めた様子で自分のことを――そうして、ジャーナリストたちのことを眺めている。

 

 シロエもマツカも、いい笑顔だ。どちらの表情も、「アロウズの密着取材は有意義なものであったと」語っている。その表情に疑いの余地はない。

 故に、不信が募るのだ。彼女たちが反政府組織(『スターダスト・トレイマー』)の工作員であれば、“アロウズの密着取材という潜入活動は有意義なものだから”である。

 しかも、3人から取材の完了を告げられたのも先日のことだ。当初の予定ではもう少し長い期間密着取材を続けるはずだったのに、急遽取材を切り上げたのだ。

 

 

(私がオートマトンの真実を知ったのと同じタイミングだなんて、これは何かある)

 

 

 アンドレイは訝しみながら――勿論、表情には出さないが――3人を見返した。

 もし彼女たちが反政府組織の工作員であるならば、アンドレイはずっと騙されていたことになる。

 

 沸々と湧き上がってきた感情を、何と言おう。怒りか、悲しみか、アンドレイには判別できそうになかった。

 

 

「絹江さん」

 

 

 アンドレイは絹江を呼び止めた。絹江は目を瞬かせ、アンドレイを見返す。榛色の瞳に、険しい顔をした軍人の顔が映っていた。

 

 

「貴女は――貴女たちは、本当に、“ただのジャーナリスト”なのですか?」

 

 

 責めるような口調のせいか、絹江たちは驚いたように身を竦ませる。その眼差しには動揺が浮かんでいた。

 アンドレイの疑念が正しいのか、間違っているのか、今の時点ではまったく判断できない。

 返答に窮したような3人の様子が引き金になった。アンドレイは声を張り上げ、ジャーナリストたちに詰め寄る。

 

 

「あのとき投入されたオートマトンは、“反アロウズの人間のみを襲う”仕組みです。実際、あそこでオートマトンによって殺された人間たちはみな、反政府組織『スターダスト・トレイマー』に所属していたテロリストばかりでした。しかも、オートマトンには起動時の不備など存在しなかった。つまり、正常に動いていたんです」

 

 

 そこまで言って、アンドレイは一端言葉を切った。腰の銃に手を伸ばしながら、絹江に問う。

 

 

「正常に動いていたオートマトンが、貴女方を襲った。――それが何を意味しているのか、教えていただけませんか」

 

 

 返答次第では、アンドレイのすることは変わってくる。自分は独立治安維持部隊に所属する軍人だ。

 世界の治安を乱す者は、ここで撃たねばなるまい。それが、軍人であるアンドレイの役目だった。

 

 絹江はシロエとマツカの方に視線を向けた。何か躊躇うような表情だ。シロエとマツカも絹江と同じ気持ちらしい。

 

 3人はしきりにアイコンタクトを繰り返している。3人の仲が良いことは知っていたし、つい先日までのアンドレイはシロエやマツカに対して妙な苛立ちを覚えていたこともあった。

 今も、ほんの少し苛立っている。アンドレイだけのけ者にされているような気がして腹立たしい。……実際、アンドレイはシロエやマツカにとって邪魔者なのだろうが。

 

 

「スミルノフ少尉」

 

 

 口を開いたのは、シロエだった。

 

 

「貴方は、4年前にユニオンおよびタクマラカン砂漠で起こったMDの暴走事件をご存知ですか?」

 

「ああ。戦闘中にMDが突然暴走し、ユニオンのパイロットたちに襲い掛かった事件だな。後に、『MDには、共有者(コーヴァレンター)を優先的に襲う』ような欠陥があったと聞く」

 

 

 シロエの話を聞いたアンドレイは、ふと思い至った。そういえば、アロウズが持て余しているライセンサーの男――ミスター・ブシドーも、元々はユニオン軍に所属していたと聞いたことがある。ユニオンでのMD暴走事件、タクマラカン砂漠でのMD暴走事件の現場にも居合わせていたらしい。閑話休題。

 

 

「今回の一件は、それと同じなんです」

 

「は?」

 

「この資料を見てくださ……うわぁ!」

 

 

 シロエの説明を引き継ぐようにして、マツカがわたわたと鞄から資料を引っ張り出そうとして床にぶちまけた。

 いくら疑いを賭けていようと、困っている一般人(限りなく黒に近いグレーだが)を見捨てる程、アンドレイは人でなしではない。

 慌てて資料を拾い集めるマツカの手伝いをするため、彼の元に駆け寄った。マツカの感謝の言葉を聞きながら、アンドレイは資料を拾い集める。

 

 そうして、ふと、目を留めた。

 

 犠牲者全員の共通点は、『スターダスト・トレイマー』の人間である以外にもう1つあった。欄の脇に『共有者(コーヴァレンター)』もしくは『虚憶(きょおく)保持者』と小さく書かれている。しかも、書かれている場所的にも、文字の大きさ的にも分かりにくい。

 その文面を目で読んだとき、アンドレイの脳裏に嫌な考えが浮かんだ。もし、この記述が本当だったとしたら――オートマトンによって殺された人間の中には、反政府組織と何の繋がりもない、「能力を有していただけの一般人」がいた可能性が出てくるのだ。

 

 

「これは……」

 

 

 アンドレイの口元が戦慄いた。

 

 アロウズの上層部は、オートマトンは正常だったと発表している。オートマトンによって殺された者たちは全員テロリストだった、とも。

 おまけに、一般市民に対する発表も、この情報を得たマスコミの動きも、アロウズの発表が正しいのだと大々的に放送していた。

 

 

「スミルノフ少尉」

 

 

 アンドレイがその結論に辿り着いたのを察したのだろう。マツカが神妙な顔で頷いた。

 

 

「僕も、シロエさんも、絹江さんも、あの場で出会ったルイスさんも、共有者(コーヴァレンター)なんです」

 

 

 思い切り、頭を殴られたような衝撃に見舞われた。アンドレイは銃に伸ばしていた手を離し、強く握りしめる。ざり、と、手袋がこすれる音が響いた。

 なんてことだ。それじゃあ、アロウズは。自分が所属する組織は、一般市民を虐殺している可能性があるというのか。市民を守る軍人が、市民を惨殺した?

 アンドレイが誇りとしていたものが瓦解していく音が聞こえてきた。己の矜持を、他ならぬ己自身の手で踏みにじった可能性に、アンドレイは体を戦慄かせる。

 

 倒れないでいられたのは奇跡に等しい。

 愕然とするアンドレイの名前を、絹江が呼んだ。

 

 

「スミルノフ少尉のような人がいてくれることが、アロウズにとって唯一の救いです」

 

 

 絹江はアンドレイに微笑みかけると、哀しそうに俯いた。

 

 

「オートマトンの襲撃で亡くなった人たちの中には、私が懇意にしていた友人や情報提供者、取材先でお世話になった人……たくさんいたんです」

 

「絹江さん……」

 

「私たちは、亡くなった人たちのためにも、真実を解き明かしたい」

 

 

 絹江の瞳は揺らがなかった。乙女の気丈な眼差しに、アンドレイの胸の奥が締め付けられるように痛む。その佇まいは正しく、正義の女神――アストレア、あるいはユースティティアを彷彿とさせた。正義の在りかを追い求める探究者とも言えるだろう。

 そのために、彼女たちは行くのだ。絹江たちの求める真実は、ここでの取材では手に入らないと知ったから。アンドレイの心配事は完全に杞憂だったと言ってもいい。杞憂どころか、1人で空回りして暴走したとも言える。なんだか申し訳なくなってきた。

 自分の馬鹿さ加減に呆れてしまいそうになって、アンドレイは目を伏せた。すみません、と紡いだ声は、酷く弱々しい。絹江をテロリストの一味と疑った自分が恥ずかしかった。とんでもなく失礼なことだったため、言葉にできそうにないのだが。

 

 改めて、絹江たちはアンドレイに頭を下げた。

 アンドレイもまた、絹江たちに頭を下げ返す。

 

 

「またいつか、お会いできるといいですね」

 

「ええ、楽しみにしています」

 

 

 絹江の背中を見送って、アンドレイは大きく息を吐いた。そのタイミングで、アンドレイの端末に指示が入る。

 

 

(次の作戦か)

 

 

 気を引き締めてかからなくては。

 アンドレイは拳を握り締めて前を向く。

 

 空は晴天であった。これ以上ないくらい、澄み切った空であった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 カイルス所属のソレスタルビーイングが、宇宙でアロウズと対峙した――その情報が入ったのは、つい数時間前のことである。そうして、エクシアがアロウズの新型機と戦い中破したという報告も、そのパイロットがミスター・ブシドーと名乗るグラハムだという報告も、つい先程齎された情報だった。

 ベルフトゥーロに呼び出されて『悪の組織』へ出戻りしていたイデアにとって、刹那の負傷は寝耳に水だったろう。クーゴにとって、グラハムがミスター・ブシドーと名乗ってアロウズの駒と化した挙句、刹那に重傷を負わせたという話が青天の霹靂なのと同じように。

 その情報が舞い込んできたのが“自分たちの専用機が完成し、1回目のテスト運用で上々の結果を叩きだせた”というタイミングだったのは、良かったのか悪かったのか微妙なところだ。本当はもう少し、テスト運用をしっかりこなしておきたかったのだが致し方がない。

 

 

「ほぼぶっつけ本番になりそうだが、致し方ないか」

 

「そうですね。心配事がこんなにあるんですから」

 

 

 端末を閉じてぼやいたクーゴに、イデアも神妙な顔つきで頷いた。

 

 休憩室の窓を見つめれば――格納庫を見下ろせば、つい先日ロールアウトされてテスト運用されたばかりのクーゴの新型機――はやぶさが、飛び立つ瞬間を今か今かと待ちわびていた。黒みを帯びた紺色の機体は静かに佇んでいる。

 その隣には、イデアのスターゲイザーをバージョンアップさせた新型機――スターゲイザー-アルマロスが佇んでいた。純白の天女という表現がよく似合う。武装面は強化されたのは当たり前だが、デザインが星型のものに統一されていた。

 

 

「カイルスの、他部隊の行方に関する情報はどうなってるんだ?」

 

「ナデシコはアロウズに制圧されて佐世保に抑留され、アークエンジェルはオーブで身をひそめてるらしいです」

 

 

 「スメラギさんから連絡が入りました」と言って、イデアは大きくため息をついた。半年前の戦いの後も、カイルスは各方面から執拗に攻撃を受けているようだ。

 同時に、クーゴが社会から死んだものとみなされてから半年経過したということでもある。半年の間に、世界は争いの泥沼へと突き進みつつあった。

 

 

「――カイルスは、今の世界を認めません」

 

 

 イデアは神妙な面持ちで呟いた。

 

 

「統一という名前の強引な支配を、見過ごすことなんてできませんから」

 

 

 紫苑の瞳は叫んでいる。世界に真の平和が訪れることを、心から望むと。きっと、カイルスに所属する他の面々も、同じ眼差しと理想を抱いているのだろう。

 立場が違えども、クーゴもイデアも平和を望んでいる。特にイデアたち――カイルスの面々は、己が世界から争いの権化と責められても、その理想を手放さない強さを持っていた。

 だから、カイルスは再び集おうとしているのだ。再び立ち上がろうとしているのだ。自分たちの大切なものを守るため、彼らが心から望んだ“真の平和”を勝ち取るために。

 

 強い決意を抱いたイデアだったが、彼女の決意を阻害するかのように間抜けな音がした。音の出どころは、イデアの腹部からである。

 途端にイデアは気まずそうに視線を逸らした。最近は、カイルスの動向やアロウズの暴走で頭と心を痛めていたのだ。その反動が出てもおかしくない。

 

 

「腹が減っては戦はできぬって言うしな。厨房で何か作ってくるよ」

 

 

 クーゴの申し出に、イデアはぱっと目を輝かせて頷いた。元気のいい返事である。自然とクーゴの口元が緩んだ。一端部屋を出て厨房へ足を踏み入れると、奥の方から物音がした。

 

 

「あ、クーゴさん」

 

 

 どうやら厨房には先客――宙継がいたらしい。彼の手には、色とりどりの白玉団子が盛り付けられた器の乗ったお膳が抱えられていた。水切り棚に置かれた調理器具からして、宙継が白玉団子を作った後に片付けたようだ。

 宙継は一端お膳を作業台の上に置いて、棚から爪楊枝を取り出した。白玉団子の1つに突き刺し、クーゴに差し出す。「自分で作ってみたんです」――そう言った彼の面持ちは、どこか緊張している様子だった。

 

 クーゴは白玉団子を受け取り、口に頬張った。つるりとした団子を噛むと、中からじわりと何かが溢れる。すぐに、口の中が甘さでいっぱいになった。

 これは、中にチョコレートが入っているのか。確認するように宙継へ視線を向ければ、彼は小さく頷いた。その眼差しは、クーゴからの評価を待っている。

 「美味しいよ」――そう言った途端、宙継は目を輝かせて微笑んだ。他の人にも配ってきますと言って駆け出そうとして――ふと、足を止めて振り返った。

 

 

「クーゴさんは、カイルスに合流するんですよね」

 

 

 口に出しているのは疑問なのだろうが、宙継の中では確定しているらしい。己の確信が正しいことを確かめるような問いかけに対し、クーゴは是と答えた。イデアからの報告を聞いた――グラハム/ミスター・ブシドーのことを聞いたときから、決めていたことである。

 

 クーゴの肯定を聞いた宙継は、何かを思案するように目を閉じた。

 しかしそれも一瞬のことで、彼は目を開いてクーゴを見上げた。

 

 

「僕も、貴方のお手伝いがしたいです」

 

 

 僕も一緒に戦いたい、と、彼の眼差しは訴えている。半年前、人を殺すのが嫌だと叫んだ少年が、戦いを嫌う優しい少年が、そんなことを言ったのだ。

 宙継の手はかすかに震えていた。宙継の小さな体に、戦いと言うものは重すぎる。普通に考えればすぐにわかる話だ。本当は、怖くて堪らないはずだろう。

 

 

「宙継」

 

「半年前、貴方は僕を助けてくれました。その恩返しがしたいし、それ以上に、僕はクーゴさんの役に立ちたい」

 

 

 彼の声は、少しだけ震えていた。

 

 

「確かに、戦いは嫌いです。人を殺さなきゃいけないから」

 

 

 人が死んでいくから嫌なのだと、宙継は言う。人間であるのなら、それは当たり前のことだ。

 戦いが好きで、人の死を好む人間の方が異常なのだ。どこぞの戦争屋が脳裏によぎる。

 

 

「だけど、クーゴさんが……僕の大切な人たちが傷つく方が嫌です」

 

 

 宙継の声は、クーゴの胸を穿つ。

 

 

「お母さんや兄さんたちのすることを、黙って見過ごすことはできません。……だから、僕だって、できることをしたい。クーゴさんの力になりたいんです!」

 

 

 お願いします、と、宙継は言った。揺るぎのない――けれど、どこか悲痛な思いが伝わってくる。

 クーゴはふっと微笑み、少年の頭を撫でた。その気持ちだけでも、充分だった。

 彼の姿を見ているだけでも、心が温かくなる。子どもの成長は早いものだ。

 

 

「ありがとう。その気持ちだけ充分だ。とても心強いよ」

 

 

 願わくば。この優しい少年が、少年らしく笑っていられる世の中が来ればいい。

 それは、クーゴが思い描く真の平和、そのものであった。

 

 

 

*****

 

 

 

「――頼む、少年。彼女を救ってやってくれ」

 

 

 あの子はまだ間に合うから、と、ブシドーは言った。

 

 

「あの子はまだ還れる。……だから、私と同じ轍を踏ませないでやってくれ」

 

 

 そう言って、ブシドーが寂しそうに微笑んだ姿が『視えた』。彼はもう、『還れない』という方向で覚悟を固めてしまったらしい。

 お前だってまだ間に合う――クーゴはそう叫ぼうとしたが、ブシドーの表情がそれ以上のことを言わせてくれなかった。

 

 ブシドーの言葉に困惑したオーブのガンダムパイロット――シン・アスカは驚いていたようだが、すぐに行動に移った。

 彼の乗るガンダムは、知り合いであり、かけがえのない少女――ステラ・ルーシェが無理矢理搭乗させられたガンダムへと向かう。

 だが、シンのガンダムの前に、大量の砲撃が襲い掛かった。攻撃によって、ガンダムの手は空を切る。

 

 

「何者だ!?」

 

 

 突然の乱入者に、シンはその相手を睨みつける。現れたのは、アロウズのライセンサー――センチュリオと銘打たれたMS3機と、その配下であるMDたちの群れだった。

 

 

「何やってるんだよ、オッサン!」

 

「こいつらを皆殺しにするって任務、忘れたわけじゃないだろうな!?」

 

「そのためにも、デストロイガンダムを止められては困るんですよ」

 

 

 センチュリオのパイロットたちは口々にそう叫ぶと、陣形を展開して、カイルスとオーブの面々に襲い掛かった。砲撃の雨あられが各方面から降り注ぐ。

 あまりの火力に、シンの行く手は阻まれた。そのうちの何発かが、ステラが乗っている機体――デストロイガンダムに着弾する。ステラの悲鳴が響き渡った。

 

 

「ほらほらどうした!? このままだと、お前も、お前が大好きなシンって奴も死んじゃうんだぞ!!」

 

「!! や、やだ! 死ぬの嫌あ!! シンが死んじゃうのは、もっと嫌ああああっ!!」

 

 

 ステラは絶叫し、その悲鳴に呼応するかのようにデストロイガンダムが動いた。各砲門が火を噴き、周辺を一瞬で瓦礫に変えていく。その威力に戦慄したのは誰だったのか、もうわからない。

 敵も味方もMDも関係なく、デストロイガンダムはすべてを吹き飛ばしていく。幼子のような少女の純粋な想いが、破壊の力へと歪ませられ、無辜の人々に向かって放たれる。人の想いも、人の命も、奴らは蹂躙しているのだ。

 目の前のデストロイガンダムは加害者であるが、デストロイガンダムに乗せられているステラも立派な被害者だ。怖い、苦しい、哀しい――彼女の声がひっきりなしに響く。何とか助けてやりたいが、あのライセンサーたちとMDが邪魔である。

 

 ライセンサーの搭乗するセンチュリオが、シンのガンダムへ向けて攻撃を繰り出した。展開したブレードが、シンのガンダムの剣とぶつかり合う。火花がばちばちと散った。

 何度も何度も剣載を繰り返す。少女を助けに行きたいのに邪魔され、集中力を欠いたのだろう。怒りに任せて振るわれた剣は、いともたやすく弾かれた。

 

 何名かが彼を助けに行こうとしたが、間に合わない!

 

 

「あははっ! 墜ちちゃえ!!」

 

 

 ライセンサーのセンチュリオがブレードを振り上げたとき、斜め向うから“何か”が降ってきた。それは寸分の狂いもなく、センチュリオの手首を穿つ。次の瞬間、爆発音が響いた。

 日本の短刀をモチーフにしたようなダガー。それが振って来た場所へと視線を向ければ、白緑の機体が降り立ったところだった。外見ははやぶさと似ているが、はやぶさと比べると少々小柄でスマートなフォルムである。

 白緑の機体は他のセンチュリオに向き直った。間髪入れず、センチュリオの羽部分に短刀が突き刺さる。紫電が爆ぜ、センチュリオの動きが止まった。普段はナノマシンが機体の損傷を自動で修理するのだが、ナノマシンは動いていない。

 

 

「なんだよ!? 機体トラブル!?」

 

「あの機体は……!?」

 

 

 2機のセンチュリオが動揺する中、中央にいたセンチュリオのパイロットは、白緑の機体を操縦するパイロットが誰なのかを理解したのだろう。激しい敵意を向けた。

 

 一歩遅れて、クーゴも、パイロットが誰なのかを理解する。同じタイミングで、白緑の機体から通信が入った。

 10にも満たぬ、戦いを好まぬ優しい少年が――刃金宙継が、クーゴの顔を確認するや否や、嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 プトレマイオスがアロウズのMAに囲まれたという一報が響き渡る。敵指揮官はこちらの動きを読んでいたらしい。格納庫へ向かおうとしたクーゴはふと足を止めて、振り返った。

 戦いの予感を察した宙継の表情は、どこか暗い。彼は4年前、蒼海の命令に逆らい、人を殺すことを嫌がっていた。宙継は優しい心根の持ち主だ。戦闘に気が進まないのも頷ける。

 

 

「宙継。戦いたくないなら、無理しなくてもいい。今からでも間に合う」

 

 

 クーゴは宙継と同じ背丈になるように屈んで、少年の表情を覗き見た。姉によって調整されたためか、宙継の成長速度は常人よりも緩やかである。彼の外観は、未だ10歳に満たない子どものままだ。

 アロウズの要人が集うパーティ会場で相対峙した蒼海の息子たち――宙継の兄たちは、16歳程度の少年の風貌をしていた。おおかた、彼らの外見に関する部分を蒼海が調整したのだろう。10歳児が軍人になるのは無理があるためだ。

 宙継の小さな体に、戦いと言うものは重すぎる。普通に考えればすぐにわかる話だ。どうして、そんな簡単なことが分からなかったのだろう。クーゴは自分自身を殴り倒してやりたくなった。彼の意志を聞かないなんて、蒼海と同じではないか。

 

 クーゴはじっと宙継を見つめた。幼い少年は目を丸くした後、表情を曇らせる。

 だけど、それも一瞬のことだ。彼はすぐに、真っ直ぐクーゴを見つめる。

 

 

「嫌です」

 

 

 彼の声は、少しだけ震えていた。

 

 

「確かに、戦いは嫌いです。人を殺さなきゃいけないから」

 

 

 人が死んでいくから嫌なのだと、宙継は言う。人間であるのなら、それは当たり前のことだ。

 戦いが好きで、人の死を好む人間の方が異常なのだ。どこぞの戦争屋が脳裏によぎる。

 

 

「だけど、クーゴさんが……僕の大切な人たちが傷つく方が嫌です」

 

 

 宙継の声は、クーゴの胸を穿つ。

 

 

「お母さんや兄さんたちのすることを、黙って見過ごすことはできません。……だから、僕だって、できることをしたい。クーゴさんの力になりたいんです!」

 

 

 お願いします、と、宙継は言った。揺るぎのない――けれど、どこか悲痛な思いが伝わってくる。

 彼の想いを無碍にする気にはなれなかった。クーゴはふっと微笑み、少年の頭を撫でた。

 宙継は目を丸くしたけれど、クーゴの意図を察したのだろう。ぱっと表情を明るくした。

 

 「頑張ります」と、宙継は元気に返事を返した。漆黒の瞳は真っ直ぐにこちらを見上げている。クーゴは思わず目を細め、頷く。

 

 さあ、格納庫へ――そう思って顔を上げたら、イデアが微笑ましそうにこちらを眺めていたところだった。彼女の眼差しはどこまでも優しい。

 クーゴはイデアに笑い返すと、宙継へ視線を戻した。宙継も真剣な面持ちで頷き、前を向く。――とうに、覚悟は決まっていた。

 

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

 

 

 丁度そのタイミングで、どこか愛嬌のある機械音声が聞こえてきた。振り返れば、丸いものが勢いよく転がっていく。あれは、狙撃型のガンダムに搭載されるサポートロボット――確か、名前はハロだったか――だ。

 

 そういえば、プトレマイオスは海上へ向かって急浮上していた。そのため、現在、艦内中の至る所が急こう配の坂になっている。クーゴがそれに気づいたとき、イデアの手が青く発光した。途端にハロの動きが止まる。

 ハロは『タスカッタ、タスカッタ』と礼を述べて、耳をパタパタ動かす。今回の作戦では、サポート役のハロは留守番となっていた。こんなところに転がしておくあたり、ロックオン(ライル)はこのロボットをどう思っているのやら。

 ロックオン(ニール)だったら、この子が転がっていかないように注意したのだろうか。そんなことを考えていたら、波に浚われて流されたハロを回収しようと、パイロットスーツで海へ駆け込んだロックオン(ニール)の姿が『視えた』。

 

 とりあえず、この子をここに転がしておくのはまずいだろう。クーゴの意図をくみ取ってくれたのか、イデアは手をかざした。

 途端にハロの姿が掻き消える。ロックオン(ライル)の部屋に転移させたようだった。これで問題は片付いた。

 

 格納庫へ転移し、機体に乗り込む。ダブルオーも、はやぶさも、ちょうげんぼうも、緊急発進の準備は万全だ。

 スターゲイザー-アルマロスは、ケルディム、アリオス、セラヴィーと一緒にプトレマイオスに残り、加速炉としての役割を果たすという。

 

 

「――さて、うまくいけばいいな」

 

 

 クーゴはぼそりと呟いた。それと同時に、加速炉的な役割を果たす機体たちがトランザムを発動させる。その勢いを利用して、プトレマイオスは水中から空へ――そうして、宇宙へと飛び出した。

 海面から空へ飛び出したプトレマイオスは止まらない。真っ直ぐ、わき目もふらず、目的地へと突っ切っていく。アヘッドやジンクスたちには目もくれない。勿論、アロウズのMSたちは追いすがろうとしていた。

 

 勿論、その対策も立てていたらしい。発射されたミサイルが、しつこく追いすがるジンクスを叩き落とした。

 

 

『またかよぉ……ッ!!』

 

 

 ……今、どこかで聞いたことのある男の声が響いた気がする。情けない叫びは、4年前に何度も耳にしたことはあった。

 脳裏に浮かんだのは、不死身のコーラサワーが嘆きを叫ぶ横顔である。どうして今、そんなものが浮かんだのか。

 まさか、今、叩き落とされたジンクスに搭乗していたパイロットが彼だと? ――何とも言えぬ予感がしたが、首を振った。

 

 もしも、今、撃墜されたのがパトリックの機体だとしたら、彼は五体満足で帰還するだろう。4年前からずっと、彼はカティ・マネキン大佐に片思いをしている。それも、今まで遊びで付き合っていた女たちとの関係を完全清算し、彼女一筋になるレベルでだ。

 そうして、パトリックは最後まで、カティの元へ帰還(かえ)ってくるのだ。例え、バイストン・ウェルの黒騎士にボコボコにされても、人類を守るために僚友と一緒に自爆しても、神様を相手に戦う羽目になっても、五体満足で、愛する女の元へと。

 

 心配する必要は、どこにもなさそうだ。心配すべきは、ミスター・ブシドーやクーゴ自身のことであろう。

 

 

「今よ!」

 

 

 クーゴがそう判断したのと同じタイミングで、緊急発進の指示が入る。間髪入れず、ダブルオーがカタパルトから飛び出した。はやぶさとちょうげんぼうもそれに続く。

 

 大気圏を離脱したプトレマイオスは、わき目もふらず突き進む。プトレマイオスからやや離れた位置を、2機のMSは飛んでいた。ちょうげんぼうは、ダブルオーやはやぶさとは違うルートを飛んでいた。

 このまま何も妨害がなければ――そう思ったとき、極太のレーザーがプトレマイオスに着弾した。その衝撃で、艦の角度がずれる。それでも今のプトレマイオスには、突き進む以外の選択肢など存在していない。

 

 光の方角を見れば、マスターフェニックス・フオヤンとセンチュリオたちが陣取っているところだった。前者は己の役目を果たしたと言わんばかりに微動だにしない。勢いよく飛び出してきたのは後者だった。

 センチュリオの群れはプトレマイオスではなく、ダブルオー目がけて殺到する。スメラギの作戦――待ち伏せされていることを承知の上で、ダブルオーを緊急発進させつつ敵の元へ突っ込む――を予期していたかのようだ。

 「プトレマイオスの別方角から飛来したダブルオーが、敵本丸に直接攻撃を仕掛ける」という部分も察していたらしい。もし、遊撃役がダブルオー単騎であったら、センチュリオの群れどもを捌き切れなかったであろう。

 

 だから、はやぶさとちょうげんぼうも、緊急出撃枠に入れられたのだ。

 

 

(怖い戦術指揮官だ)

 

 

 これ程の戦術眼を持っているのだ。4年前の武力介入が鮮やかで的確だったのは、スメラギ・李・ノリエガあってのことだろう。

 他にも色々と要素があったのかもしれないが、人間という点で言えば、彼女の戦術および戦局予想が優れているためだ。

 

 殺到するMDを引きつけるため、クーゴはサイオン波を展開した。案の定、『ミュウ』殲滅用のプログラムが発動し、大半の機体がクーゴへ群がってきた。しかし相手も馬鹿ではないようで、一部のMDには『ミュウ』殲滅用のプログラムを搭載しなかったらしい。

 一部のMDは、寸分狂わずダブルオーへ突っ込んだ。勿論、ダブルオー/刹那は慌てることなく、的確に敵を屠っていく。はやぶさもダブルオーに倣い、センチュリオの群れを次々に駆逐していった。今更、MD風情で足を止められるとは思わないでほしい。

 次の瞬間、ライセンサーのセンチュリオが1機、ダブルオーに躍りかかった。ブレード同士がぶつかり合い、派手に火花を散らす。奴らは梃子でもダブルオーを先に進ませたくない様子だ。クーゴ/はやぶさも援護へ駆けつけようとしたが、残りの2機が襲い掛かる。

 

 

「墜ちろよぉ!」

 

「道を開けろっ!」

 

 

 ダブルオーとセンチュリオが剣載を繰り広げる。はやぶさも、センチュリオたちと対峙した。

 

 奴らを退けて、早めにプトレマイオスと合流したい。アロウズの部隊が待ち伏せていた場合、トランザムの効果を失ったプトレマイオスは無防備になってしまうためだ。

 一応対策は練っているけれど、早いうちに合流した方がいいだろう。――そんなことを考えていたとき、上空から悲鳴が『聞こえた』。慌てる声がひっきりなしに響く。

 

 

『アロウズの戦艦です! 敵MSは6体!』

 

『トレミー、上層部に被弾!』

 

『トランザムが切れる直前だったのも幸いして、損傷は軽微ッス!』

 

 

 スメラギの予測通りの展開だ。だが、彼女の表情は晴れない。スメラギが予期する作戦時間およびタイミングに、ズレが起きているためだろう。そのズレが、予想の範囲内で収まってほしいという願いがちらついている。

 はやぶさに課せられた役目は、ダブルオーの露払いだ。2機のセンチュリオをいなし、はやぶさはダブルオーの邪魔をするセンチュリオに攻撃を仕掛ける。ライフルの一撃は、センチュリオの肩を掠めた。

 

 しかし、センチュリオはダブルオー以外に見向きもしなかった。4年前だったら、攻撃してきた相手に襲い掛かったはずなのに。

 4年という月日は、パイロットとして成熟する――あるいは己の役割を果たすという一念を強くするのに充分な期間だったらしい。

 蒼海の子どもたちは、精神的な未熟さが最大の欠点だった。そこを突けないとなると、どこを切り崩すべきだろうか。

 

 思案しようとしたが、2機のセンチュリオは猛攻を繰り出す。余計なことなど考えさせぬと言わんばかりの雨あられが降り注いだ。

 

 これは本格的にマズイかもしれない。

 クーゴの脳裏に、そんな予感が掠めたときだった。

 

 

「うわぁ!」

 

 

 パイロットの悲鳴が聞こえた。間髪入れず、爆発音。見れば、ダブルオーと戦っていたセンチュリオの腕が吹き飛んでいたところだった。

 センチュリオは攻撃主を探そうと遠距離兵装を展開し――今度は兵装が真っ二つに叩き切られた。紫電が爆ぜ、また悲鳴が響く。

 これで、ダブルオーを足止めする兵装はすべて失われた。入れ替わりに、はやぶさを足止めしていたセンチュリオたちがダブルオーへ迫る。

 

 だが、彼らの武装も同じ末路を辿った。ブレードも、遠距離兵装も、バターを切るかの如く真っ二つにされる。また紫電が爆ぜ、癇癪のような叫び声が響いた。ダブルオーは驚いたかのように動きを止めたが、すぐにプトレマイオスの元へと飛んだ。

 

 

「なんだよ、なんなんだよぉ!? どうしてナノマシンが動かないんだ!?」

 

「くっ。ここは撤退するしかないな」

 

「畜生、覚えてやがれ!」

 

 

 三者三様の捨て台詞を残して、センチュリオたちは空の彼方へ消えていく。クーゴは思わず刹那/ダブルオーの姿を探した。青基調の機体はあっという間にプトレマイオスの元へたどり着くと、敵軍の旗本艦へと襲い掛かる。ビームダガーは指令室を見事に穿った。

 爆発と断末魔の叫び声は、敵指揮官の死を意味する。光景を『視て』、声を『聞いて』、クーゴはそれを理解した。ジンクスのパイロットたちが慌てふためく声も『聞こえた』。指揮官を失った兵士は、慌てた様子で撤退していった。

 

 プトレマイオスから安堵の感情が漂う。だが、はやぶさのカメラアイは敵を捕らえた。微動だにしなかったマスターフェニックス・フオヤンが、再びバスターソードを構えている。照準はプトレマイオスの下部だ。

 

 

「――させるかぁ!」

 

 

 はやぶさは方向転換し、ガーベラストレートを構えて突っ込んだ。長さを150mのフルサイズに変更し、思い切り振りかぶる。

 バスターソードの砲が開き、赤白い炎が燃え盛る。それが撃ち放たれる前に、間に合え――! クーゴは操縦桿を動かした。

 その刀身がマスターフェニックス・フオヤンに叩きこまれる寸前に、奴の腕に何かが突き刺さる。日本の短刀をモチーフにしたようなダガー。

 

 マスターフェニックス・フオヤンは怯んだように身じろぎする。もう片方のバスターソードでガーベラストレートを受け止めた際、砲身が大きくずれた。

 

 赤白い炎は容赦なく放たれたが、それはプトレマイオスの下部を掠るようにして闇に飲まれた。いや、掠っていたら僥倖だったろう。

 プトレマイオスの下部には一切傷がない。青い光が、砲撃の炎を弾いたためである。イデアやクロスロード夫妻たちのサイオン波だった。

 

 

「く……」

 

 

 作戦が失敗したのか、マスターフェニックス・フオヤンが撤退していく。追撃する必要性はない。それを察したはやぶさは、ちょうげんぼうを探してみた。

 白緑の機体はすぐに見つかった。ちょうげんぼうの構えた短刀は、センチュリオやマスターフェニックス・フオヤンを穿ったものだ。どうやら、あれは宙継の機体の武装らしい。

 クーゴと宙継の機体は並んで宇宙へ向かう。程なくして、プトレマイオスとダブルオーの姿が見えてきた。クルーたちの安堵も『伝わって』くる。しかしそれは中断された。

 

 

「スメラギさん。敵MSから、有視回線通信によるメッセージが届きました」

 

 

 敵側からの通信ということで、今度は動揺がプトレマイオスを支配する。スメラギは、フェルトにメッセージを読み上げるよう頼んだ。

 

 

「『ソレスタルビーイングの、リーサ・クジョウの戦術に敬意を表する。独立治安維持部隊大佐、カティ・マネキン』」

 

 

 カティ・マネキン。リーサ・クジョウ。

 

 前者は、パトリック・コーラサワーが思いを寄せる相手だ。彼女がアロウズにいるということは、先程聞こえたパトリックの断末魔は幻聴ではなかったということだ。彼は、アロウズへ向かったカティを守るために降り立ったのであろう。

 後者は、ビリー・カタギリが思いを寄せて止まぬ高嶺の花だ。しかし、どうしてそんなメッセージが、リーサ・クジョウ名義で、スメラギ・李・ノリエガに贈られたのか。――彼女の本名が、リーサ・クジョウだからとしか言いようがない。

 

 それを肯定するかのように、スメラギが苦悶の表情を浮かべたのが『視えた』。

 周囲に困惑が広がっていく。一難去っても、憂いは断ち切れてくれないらしい。

 

 

(こんなときに、そんな厄介な繋がりなんて知りたくなかった……)

 

 

 クーゴは深々と息を吐いた。

 因縁と憂いの先に、帰還の夢は叶うのか。

 今はまだ、わかりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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25.静と動の狭間で

 絶無僅有、開口一番、非難轟々、阿鼻叫喚。

 

 2000年代に存在した四字熟語の出てくるアニメソングのリズムが、頭の中でガンガンと鳴り響く。どうしてか、この曲調が頭から離れなかった。

 終いには、色々と酷い替え歌まで作ってしまう始末である。「今の状況がクーゴにとって蚊帳の外であるから」なのかもしれない。

 イアンの妻――リンダの若さを間近で見た面々が、次から次に叫ぶ。ちょっとしたお祭り状態だ。年の差婚は、老若男女ともにセンセーショナルな話題らしい。

 

 

「い、意外と若い……!」

 

「犯罪ですよ」

 

 

 沙慈は目を丸くし、感嘆の息を吐く。アレルヤは咎めるような眼差しをイアンに向けていた。

 

 特に後者は、「世間から犯罪者(テロリスト)とみなされる者がモラルを語る」という異様な光景が成立していた。それを突っ込む人間はいない。

 しかし、沙慈とアレルヤのリアクションの方がまだ優しい方だった。世の中、上には上がいる。勿論、それは感情の振り幅にだって言えることだった。

 

 

「何かが間違ってる!」

 

 

 そう言って激しい怒りをむき出しにしたのは、ザフトレッドのシン・アスカだ。これが、彼女いない歴年齢とイコールの少年であれば、彼の叫びの悲痛さはよく分かる。若者にとって、年下の女性と結婚するというシチュエーションは、憧れるものがあるためだ。

 シンの言葉に素直な賛同者がいなかった理由はただ1つ。シン・アスカには、ルナマリア・ホークという同年代の可愛い彼女がいるためである。2人の関係は良好で、清いおつき合いを続けていた。ルナマリアがシンと恋人関係に漕ぎつけるまで色々あったらしいが、割愛する。

 自分の恋人が血涙を流す勢いで怒りを露わにしている姿を目の当たりにしたルナマリアは、「何でそこでシンが怒るのよ!」と突っ込みを入れた。気のせいでなければ、ルナマリアも怒りをあらわにしているように見える。気持ちはわからないでもなかった。

 

 シンの発言は、「“自分よりも若い女性を恋人にしたかった”という邪な欲望を持っていました。今も持ってます」と言ったも同然なのだ。

 彼の言葉を悪い方面に発展させれば、「ルナマリアに対し、(彼女の努力では改善不可能レベルの)不満を抱いている」と思われても仕方ない。

 

 

「イアンさんに嫉妬してるんだよ」

 

「解説しなくていいです!」

 

「むしろ、解説してはいけなかったヤツだよ」

 

 

 いい笑顔で解説したキラにルナマリアが目くじらを立てた。やり遂げたと言わんばかりの笑みを浮かべるキラに、クーゴはひっそりと突っ込みを入れる。これ以上、彼にシンの思考回路を解説されてしまったら、シンとルナマリアの間に亀裂が入りそうだ。

 

 一歩間違えば修羅場が発生しそうな赤服の恋人たちを脇目に、ルイスがひょっこりと顔と口を出す。

 彼女の瞳は、好奇心に満ち溢れていた。恋愛話を根掘り葉掘りするイデアと似通っている。

 

 

「ってことは、イアンさんが猛烈アタックしたんですね!?」

 

「いや、その……」

 

「違うわ。アタックしたのは私なの」

 

 

 ルイスの質問に視線を逸らしたイアンに代わり、リンダがいい笑顔で親指をサムズアップした。それを聞いた女性陣から黄色い声が上がる。

 夫婦の様子からして、イアンはリンダのアプローチに押し切られるような形で結婚したらしい。しかも、かなり強引な手段だったのだろう。

 クーゴはちらりとリンダの横顔を覗き見る。彼女の横顔は、アッシュフォード学園で見かけた肉食系女学生を彷彿とさせた。寒気を感じたのは気のせいではない。

 

 

「でも、よくもまあゴールインできたわよね。年齢差のことで色々言われたんじゃない?」

 

「そうね。たまーに、私たちの年齢差について、悪いように言う人もいるのよ」

 

 

 葵の問いに、リンダは困ったように苦笑した。確かに、年の差(四捨五入で)約20歳となれば、色々言う方が出てくるだろう。

 大半が年齢差を咎める者だったり、年若い妻を娶ったイアンを羨む者だったりする。あるいは、リンダの趣味に対してか。

 

 しかし、世の中には「上には上がある」という言葉があるのだ。たかだか2桁程度の年の差で大騒ぎしすぎなのでは――と思ってしまうあたり、クーゴは色々麻痺してしまったのだろう。これも、『ミュウ』として覚醒した弊害であろうか。

 

 

「最近は、胸を張って言い返せるようになったの。こんな風にね」

 

 

 リンダはいい笑顔を浮かべた。

 

 

「大丈夫よ、問題ないわ。世の中には“外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズする展開がある”んだから」

 

「諸君、それは私だ」

 

 

 一瞬、この場が水を打ったように静まり返った。

 

 補給部隊の船から、車椅子に乗った女性が出てくる。ベルフトゥーロだ。彼女もまた、先程のリンダ以上に晴れやかな笑みを浮かべて親指を立てた。

 そういえば、ベルフトゥーロはこの地球にやって来た時点で200歳を超えていた。イオリアとの年齢差は驚異の3桁代である。イアンとリンダの年の差なんて大差ない。

 いや、そもそも、彼女は何故、ソレスタルビーイングの補給部隊と一緒にいたのだろう。クーゴが思考回路をそちらにチェンジした瞬間、再び阿鼻叫喚が巻き起こった。

 

 

「それなんてエロゲ!?」

 

「羨ましい……羨ましすぎるぞ、イオリア・シュヘンベルク!!!」

 

 

 健全な青少年や下心たっぷりの大人が全力で吼えた。間髪入れず、彼らは恋人/保護者に張り倒される。

 現実的な事象として、「事実は小説よりも奇なり」なのだ。

 

 

「えろげ?」

 

「何でもないよ、宙継」

 

 

 クーゴは薄く笑いながら、宙継の耳を抑えた。10にも満たぬ子どもが目の前にいる状況の会話ではないだろう。情報教育は徹底せねばなるまい。クーゴはひっそり心に誓った。

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 人間の寿命は100年程度が限度である。それ以上生きる者は、人間という括りから外れてしまうのだろう。クーゴは『ミュウ』として『目覚め』ており、とうに人間を卒業していた。

 最古参の『ミュウ』であるベルフトゥーロが500歳程だ。もしかしたらかもしれないが、クーゴも3桁代まで生きるのだろう。人間からしてみれば、気の遠くなる時間を生きていく。

 

 

『この銀河系にやって来てから、『ミュウ』はここに合わせて適応してきたわ。おそらく、今後も平均寿命は延びていくんじゃないかしら』

 

 

 ベルフトゥーロがけらけら笑っていたことを思い出したのは、目の前で繰り広げられるちょっとしたお祭り騒ぎが原因なのだと思う。どこかで『視た』光景とよく似たものが展開した結果だ。

 

 

「でも、年齢差のことで色々言われたんじゃないですか?」

 

「そうね。たまーに、私たちの年齢差について、悪いように言う人もいるのよ」

 

 

 アニューの問いに、リンダは困ったように苦笑した。確かに、年の差(四捨五入で)約20歳となれば、色々言う方が出てくるだろう。

 大半が年齢差を咎める者だったり、年若い妻を娶ったイアンを羨む者だったりする。あるいは、リンダの趣味に対してか。

 

 しかし、世の中には「上には上がある」という言葉があるのだ。たかだか2桁程度の年の差で大騒ぎしすぎなのでは――と思ってしまうあたり、クーゴは色々麻痺してしまったのだろう。これも、『ミュウ』として覚醒した弊害であろうか。

 

 

「最近は、胸を張って言い返せるようになったの。こんな風にね」

 

 

 リンダはいい笑顔を浮かべた。

 

 

「大丈夫よ、問題ないわ。世の中には“外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズする展開がある”んだから」

 

「諸君、それは私だ」

 

 

 一瞬、この場が水を打ったように静まり返った。

 

 施設の奥の方から、車椅子に乗った女性が出てくる。ベルフトゥーロだ。彼女もまた、先程のリンダ以上に晴れやかな笑みを浮かべて親指を立てた。

 そういえば、ベルフトゥーロはこの地球にやって来た時点で200歳を超えていた。イオリアとの年齢差は驚異の3桁代である。イアンとリンダの年の差なんて大差ない。

 いや、そもそも、彼女は何故、ソレスタルビーイングの補給部隊と一緒にいたのだろう。クーゴが思考回路をそちらにチェンジした瞬間、再び阿鼻叫喚が巻き起こった。

 

 

「それなんてエロゲだよ!?」

 

「むしろエロゲなんて目じゃないッス……!」

 

「あんた何してるんだよ……」

 

 

 ロックオン(ライル)が素っ頓狂な声を上げた。リヒテンダールやラッセも戦慄する。

 現実的な事象として、「事実は小説よりも奇なり」なのだ。

 

 

「えろげ?」

 

「何でもないよ、宙継」

 

 

 クーゴは薄く笑いながら、宙継の耳を抑えた。10にも満たぬ子どもが目の前にいる状況の会話ではないだろう。情報教育は徹底せねばなるまい。クーゴはひっそり心に誓った。

 

 

「たかが2桁程度の年の差でグダグダ言うのは、そいつの器が小さい証拠よ。3桁でも同レベルだけどさー」

 

 

 ベルフトゥーロは鼻で笑いながら、年の差婚について談義していた者たち――特に、年の差婚に否定的な面々――を見上げた。

 当時14歳のイオリアに一目惚れし、その場で「私にキミの子どもを孕ませてくれ」とプロポーズした人物の言うことは伊達じゃない。

 ……因みに、女性が一定年齢以下の少年に手を出した場合も犯罪になる。逆のケースが当然すぎて、あまりコメントされないが。

 

 

「それ、多分、人間卒業して長寿命を手に入れた種族だけしか言えない理屈ですよ」

 

 

 「というか、貴女はなんでここにいるんですか」と、クーゴはベルフトゥーロに問いかけた。『悪の組織』/『スターダスト・トレイマー』の本部へ戻ったはずなのに、ベルフトゥーロは何故ソレスタルビーイングの秘密ラボにいたのだろうか。

 しかも、リンダととても仲が良さそうである。2人には“夫とは年の差婚をした”という共通点があった。リンダは2桁年上の紳士、ベルフトゥーロが3桁年下の若いツバメという差異があったが、それは些細ごとに過ぎないのだ。

 

 バリバリの女社長が若いツバメを籠の鳥にした――なんてスキャンダラスな文面だろうか。最も、今更300年前の事案を引っ張り出したところで意味はないだろうが。閑話休題。

 

 

「内緒」

 

 

 ベルフトゥーロは悪戯っぽく微笑んだ。そうして、彼女は何かに思いを馳せるようにして天を見上げる。

 視線の先を辿れば、そこからは宇宙(そら)がよく見えた。星を探す子どものような、キラキラした眼差し。

 彼女は何かを見たくてここに来た――漠然と、クーゴにはそんな予感がした。

 

 ベルフトゥーロの話を聞いたアレルヤは、何かに合点がいったかのように手を叩く。

 彼はイデアの方に向き直る。金と銀の瞳には、純粋な好奇心があった。

 

 

「そういえば、イデアも『ミュウ』だよね。もしかして、キミの年齢も3桁かい?」

 

「アレルヤ。女性に年齢を聞くのはマナー違反」

 

「250年以上生きてるのに、まだ年齢のことで意地を張るの? まだまだね、イデア」

 

 

 イデアはむくれるように唇を尖らせた。が、ベルフトゥーロがあっけらかんと笑い飛ばす。実年齢を暴露されたイデアは不満そうにベルフトゥーロを睨むも、彼女はけらけらと笑い飛ばすのみであった。

 

 彼女の実年齢を知ったスメラギが凍り付く。

 にひゃくごじゅう、と、スメラギは掠れた声で唱える。

 まるで異国の言葉を鸚鵡返ししているようだ。

 

 

「……ってことは、“意中の人”との年齢差は――」

 

 

 そこまで言いかけて、クリスティナは何かに気づいたように息を飲んだ。

 

 しかし、「イデアの答えが是であった場合、何かとんでもない事案が発生してしまう」――クリスティナの瞳はそう叫んでいた。

 それを悟ったのは彼女だけではなかったようだ。刹那をはじめとした面々が、弾かれたようにイデアを見る。誰も彼も彼女も、表情が危機迫っていた。

 イデアに集中砲火していた視線が、ゆっくりとクーゴに向けられる。意味が分からなくてクーゴは首を傾げた。4人はまたイデアに視線を戻す。

 

 イデアは笑っていた。綺麗な笑みを浮かべていた。

 しかし、顔の陰が普段よりも濃くなったように見えるのは何故だろう。

 

 クリスティナの首が、軋んだ音を立てて動いた。彼女の眼差しの先には、笑みを浮かべるイデアが佇んでいる。

 ベルフトゥーロとアニューは何かを察したようで、薄い笑みを浮かべた。そのまま、2名は沈黙を守り続けていたが。

 

 

「ねえ、イデア」

 

「何?」

 

「イデアは、“意中の人”が何歳のときに――」

 

 

 クリスティナの問いは、きちんとした問いかけになる前に遮られた。

 彼女がその問いを完成させる前に、イデアが先手を打ったためだ。

 

 

「それはあなたのセキュリティクリアランスには開示されていません」

 

「え」

 

「市民。即刻抹殺です」

 

 

 いきなりパラノイアが始まった。しかも、PCが問答無用で死亡するシーンからである。パラノイアはPL同士の騙し合い、進行役のGMから齎される理不尽な死が特徴的なTRPGだ。これも理不尽な例だといえるであろう。

 

 己の発言をトリガーにしたのか、イデアは刹那たちの方に向き直った。マイスター一同および操舵士と通信士が表情を青ざめ、クロスロード夫婦は他人事のまま面々を眺める。

 イデアは奇妙な威圧感(オーラ)を身に纏っていた。それ以上の発言は言語道断、問答無用の粛清が待っている――イデアは一切言葉にしていないが、そんな気迫があった。

 彼女の気迫で凍り付いた者がいたように、彼女の気迫によって現実に戻ってきた者もいる。にひゃくごじゅっさい、と唱え続けたスメラギが弾かれたようにイアンへ向き直った。

 

 

「冗談と茶番はそれくらいにして、本題に入るわ」

 

 

 ソレスタルビーイングの面々が身を寄せているのは、ラグランジュ3にある秘密基地であった。ダブルオーの支援機オーライザーが完成し、それを受け取りに来たのだ。他にも、アリオスの支援機GNアーチャーというのも完成したらしい。

 ラグランジュ3の秘密基地は、ぱっと見た程度では小惑星にしか見えない。他にも、似たような偽装を施した秘密基地をいくつも所有しているのだろう。秘匿事項が多い組織なら考えていることだ。幸い、この基地はまだアロウズに察知されていない。

 

 

「『悪の組織』の技術者だけでなく、社長が直々に協力を申し出てくれたからな。機体の整備は早く終わりそうだ」

 

 

 イアンはそう言ってベルフトゥーロを見た。車椅子の女性は「任せなさい」と言わんばかりに胸を張る。

 会社社長が整備をするなんて話は前代未聞だろう。ソレスタルビーイングの面々が驚いたように目を見開いた。

 

 

「あんた、整備できるのか!?」

 

「当たり前じゃない。嘗て起こった人類との対戦では、優秀なメカニックに弟子入りして、『ミュウ』用戦闘機の設計開発と整備に関わってたんだから」

 

 

 ついでにテストパイロットもやってたんだよ! 自分で設計開発して、整備もやったんだよ! と、ベルフトゥーロは自慢げに笑った。

 

 

「しかも現役ですよ。総帥(しゃちょう)に整備されたMSは、恐ろしい程高い結果を叩きだしてくれるって評判ですし」

 

「マジかよ……。500歳凄いな」

 

 

 アニューがうっとりとした口調で感嘆をこぼす。恋人の様子に動揺しながらも、ロックオン(ライル)も大きく息を吐いた。どうやらイデアGMのパラノイアは幕を下ろしたようだ。

 周囲がベルフトゥーロを見つめる中でも、スメラギとイアンは業務会話を続けている。むしろ、本題に入っているのはこの2人だけだった。

 

 

「どれくらいで終わるの?」

 

「最短で4日あればいいか」

 

「なるべく早めにお願い。アロウズの襲撃や追撃がなかったとはいえ、早いに越したことはないわ」

 

 

 スメラギは深刻そうな表情でそう言った。イアンも頷き、早速作業に取り掛かると返事を返す。その言葉に嘘はないようで、彼は技術者たちに声をかけた。

 クロスロード夫妻とベルフトゥーロが2つ返事を返し、アニューもサポートに名乗りを上げてついていく。その背中を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガンダムの整備に要する時間は、最短で5日」

 

 

 端末をいじりながら、蒼海はゆるりと笑みを浮かべる。

 

 

「アロウズの部隊がラグランジュ3にたどり着くまで、あと4日」

 

 

 そうして、と、蒼海は付け加えた。

 

 

「ソレスタルビーイングの面々は、アロウズが既に秘密基地の場所を割り出していることなんて知らない」

 

「そうなれば、多少は危機感が緩むかもしれませんわね」

 

 

 蒼海の言葉を聞いた留美(リューミン)はくすくすと微笑んだ。彼女はロゼワインを注ぎいれる。紅玉を思わせるような透き通った赤が綺麗だ。

 ふと、留美(リューミン)は蒼海のワイングラスに目を留めた。「どうぞ」と、白ワインを注いでくれる。蒼海は視線で礼を述べて、ワインを煽った。

 

 

「オーライザーの調整や機体の整備が終わる前に、ソレスタルビーイングを叩く……。オーライザーさえ使用不可になれば、刹那・F・セイエイが革新者(イノベイター)に目覚めることはない」

 

 

 オーライザーはダブルオーの切り札。ダブルオーの持つ、ツインドライヴシステムの力を最大まで引き出す。その力が、刹那を革新者(イノベイター)へと導いた。

 ならば、オーライザーさえ使用不可に――最良の結果は完全破壊なのだが――させてしまえば、ソレスタルビーイングの戦力は一気に削げる。革新者の出現も阻止できるだろう。

 刹那が革新者として目覚める機関が遅くなればなる程、事態(こと)は蒼海たちにとって有利に運ぶ。自分たちが夢見た世界の実現へと近づいていく。考えるだけで心が弾んだ。

 

 理想郷の到来を夢見て、女2人は談笑に花を咲かせる。

 歪んだ少女たちの理想もまた、蕾を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦々と晴れていた青空は、いつしか曇り空に覆われていた。

 

 

「酷い天気ですねぇ」

 

 

 テオドアは空を見上げながらゼリー飲料を煽る。今日で何日目かなんて、数えることはしない。

 何とも言えない嫌な予感を感じて、テオドアは深々とため息をついた。

 

 

『……戦争幇助企業認定された『悪の組織』が協賛および企画していた映画『Toward the Terra』が、無期限の上映停止になりました。原作である小説も発禁に……』

 

 

 相変わらず、ニュースはつまらない話ばかり流す。カタロンや『悪の組織』は、アロウズの卑劣な情報隠蔽によって絶対悪に仕立て上げられていた。市民たちの大半も、アロウズから流れる情報を鵜呑みにしている。

 アロウズのやり方に表立った反論意見がないのは、「表側の人間は、誰も不満がない」からだ。市民の生活水準は引き上げられ、抗争の原因は宇宙進出というお題目で地球から追い出す。――まるで、『ミュウ』みたいだ。

 

 居場所を奪われ、故郷を壊され、宇宙を流浪し続けた民の想いを憂う。胸と鼻の奥底がつんとした。

 

 

『……次のニュースです。××の××にある民家で爆発が発生しました。この爆発により、家主であるクレーエ・リヒカイト氏が亡くなり……』

 

 

 聞き覚えのある名前に、テオドアは思わず目を見開いた。もう二度と言葉を交わすことはないだろうと、奇妙な確信があった相手の名前である。

 『ミュウ』のサイオン波には、未来予知的な力もある。あのとき感じたテオドアの予感は、こう言うことを指していたらしい。

 

 

『うわ、また人形ですか? しかもフリルって……年齢考えてくださいよ。キミ、今年で18でしょ』

 

『黙れ』

 

 

 フリルのついた豪奢な人形を大事に抱えた青年の姿が、脳裏にこびりついて離れない。

 

 

(いけない。感傷に浸る暇はない)

 

 

 教え子たちも、親友も、それぞれの戦場で頑張っているのだろう。己の成すべきことを成し遂げるために。テオドアの戦場はここだ。ここで、全力を尽くすのみ。全力、と言っても、ここでことが動くのを待つしかないのだが。

 テオドアは思念波を展開して、状況を読み取る。レイヴが施設内に足を踏み入れる光景が『視えた』。施設に封印されていたのは、ガンダム。イノベイドによる武力介入を想定した機体、1(アイ)ガンダムだ。0(オー)ガンダムの正当な後継機。

 もしも、イノベイドがメインとなってソレスタルビーイングが結成されていたら、この機体が、後のガンダムの系譜に受け継がれていったのかもしれない。1(アイ)ガンダムのスペックは、理論上、連邦のジンクスとも充分張り合える。

 

 

(まあ、人間よりも高スペックなイノベイドが搭乗することを前提とした機体ですからね。ヴェーダのバックアップと相まって、ジンクスとやり合える力があってもおかしくない)

 

 

 しかし、と、テオドアは考える。

 

 

(……どうして、1(アイ)ガンダムは、レイヴを呼んだのでしょう?)

 

 

 レイヴという青年の人生――もとい、彼を構成する人格データは、MSを扱う仕事や戦闘に関する技術とは無縁で生きてきた。当然、本来ならば、彼の肉体は情報収集用のスペック――常人と同程度になるはずである。

 しかし、彼の肉体は戦闘用のものが使用されていた。イノベイドの肉体は再利用が可能なので、“ヴェーダによって、一定のサイクルによって使い回されている”という状態だ。おそらく、レイヴの肉体は再利用されたものだったのだろう。

 

 では、誰の肉体だったのか。

 

 戦闘関連に特化したイノベイドは、情報収集型程ではないがごまんといる。彼らもまた、適宜身体を使い回されているのだ。身体(ボディ)の人格遍歴1つを辿るだけでも、膨大なデータがある。

 だが、“1(アイ)ガンダムに関係する、塩基配列0026タイプの戦闘用イノベイド”は1人だけだ。同位体およびイノベイドの肉体をジャックする力を有した特別型であり、つい最近聞いた名前。

 

 

(……でも、ビサイド・ペインは、ヴェーダによってリセットされた。彼に関するデータは残っているけれど、“人格データそのもの”はバックアップ含めて消されたはずです)

 

 

 故に、ビサイドの人格データをヴェーダからダウンロードして復活させるという手法は取れない。どこかにビサイドの人格データが残っていれば――そこまで考えて、テオドアはハッとした。

 レイヴは頻繁にビサイドの記憶を見せられており、そのルーツを追いかけて無人島へやって来たのだ。まるで、ビサイドが「自分はここにいる」と示すかのように。……否、導かれたのではない。レイヴは誘導されたのだ。

 

 

「まさか、1(アイ)ガンダムには――!」

 

 

 テオドアが答えにたどり着いたのと、島が揺れたのはほぼ同時だった。

 爆発音が響き、木々がなぎ倒される。施設の屋根が吹き飛び、白い悪魔が姿を現した。

 1(アイ)ガンダムは浮き上がり、地上を一見する。カメラアイがぎらりと光った。

 

 

「――そこにいるのはわかっている。出て来い」

 

 

 通信が開いた。レイヴと同じ声だが、その口調は威厳と傲慢に満ちている。肉体の主が変わると喋り方が変わるのだから、当然のことだろう。

 

 1(アイ)ガンダム、および今のレイヴ――ビサイドには、小手先のステルスなど通じない。テオドアは愛機のステルスを解いた。

 白い砂浜に、白と青を基調としたガンダムが姿を現す。4年前に大破した機体(もの)を修理し補強した、Hi-νガンダムだ。

 

 

「その機体は、ヴェーダにあった虚憶(きょおく)由来のものか」

 

 

 吐き捨てるように呟くビサイドの声を、通信は余すところなく拾い上げる。彼は虚憶(きょおく)関連の機体や武装を軽んじている節があった。

 『1(アイ)ガンダムなら、あのガンダム如き、簡単に殲滅できる』――ビサイドの声が『聞こえた』直後、1(アイ)ガンダムの銃口がこちらへ向けられた。

 テオドアは小さく舌打ちし、即座にファンネルで防御フィールドを展開した。紫の光は防御壁によって弾かれる。即座に、別のファンネルが牙を向いた。

 

 1(アイ)ガンダムは飛来するファンネルを的確に叩き落とす。ほんの少しだけ、パイロットの集中がそがれたようだ。それで充分。

 

 Hi-νガンダムはファンネルを飛ばしつつ、一気に距離を詰めた。ビサイドは苛立たしげに舌打ちしたようで、その感情を乗せた一閃が叩きこまれる。

 防御癖とビームサーベルがぶつかり合い、ばちばちと火花を散らす。競り勝ったのは、1(アイ)ガンダム。Hi-νガンダムは弾き飛ばされたが、即座に体勢を立て直した。

 

 

「まだまだ!」

 

 

 再び、別のファンネルが飛び出した。ビームの弾幕が1(アイ)ガンダムに降り注ぐが、1(アイ)ガンダムは躊躇うことなくファンネルを撃ち抜いていった。

 

 

「馬鹿の1つ覚えだな」

 

 

 すべてのファンネルを撃ち落とした1(アイ)ガンダム――ビサイドは、得意満面の笑みを浮かべる。

 

 

「これで、お前の守りは――」

 

 

 なくなった、という言葉をビサイドが言い終える前に、Hi-νガンダムはビームサーベルを構えて飛び出していた。1(アイ)ガンダムも慌ててビームサーベルを引き抜き応戦する。

 斬っては結び、結んでは斬りを繰り返した。火花が散り、派手な鍔迫り合いを演じる。テオドア/Hl-νガンダムは守りの要――ファンネルの防御壁を失っている。

 余計なもの、あるいは己の歯止めになり得るものがなくなった人間は、なりふり構わず攻めに回るものだ。追いつめられた債務者然り、犯罪者然り、捨て身の行動を取る。

 

 

「おおおおおおおッ!」

 

「ちぃ! 『ミュウ』風情の劣等種が!!」

 

 

 ビサイドの苛立ちを反映するように、1(アイ)ガンダムはビームサーベルを振りかざした。荒っぽい剣の軌跡が肩に突き刺さらんとするタイミングで、Hi-νガンダムは伝家の宝刀を引き抜く。

 

 

「――トランザム! サイオン、フルバースト!!」

 

 

 1(アイ)ガンダムの一撃が叩きこまれる。ビームサーベルが貫いたのは、質量を持ったHi-νガンダムの幻影であった。

 一気に加速したHi-νガンダムは、その一瞬で、1(アイ)ガンダムの背後へ回り込む。イノベイドの反射か、1(アイ)ガンダムは即座に振り返った。

 

 その刹那、幻影たちが一度に牙を向いた。四方八方から実弾やビーム兵装が飛び回る。流石の1(アイ)ガンダム/ビサイドでも、すべてをさばくのは不可能だった。何発か被弾していたようで、装甲の一部に傷が目立つ。関節から火花を散らしている部位もあった。

 

 

「おのれ……!」

 

 

 ビサイドは忌々しげにテオドアを睨み返した。頭のいい人間は、馬鹿な人間の行動力を甘く見ている。それは、驕り高ぶるイノベイド(ビサイド)にだって言えるだろう。機体の性能が良くても、それに胡坐をかいていれば、どこかでぼろが出るものだ。

 彼を突き崩すヒントは、その奢りにある。テオドアがそう確信したとき、空の向こう側から何かが飛来してきた。赤い粒子をまき散らしながら近づいてくるのは、地球連邦軍のジンクスたちである。何ていいタイミングで湧いてくるんだ。

 ジンクスはガンダムを目ざとく見つけ、襲い掛かってきた。しかも、Hi-νガンダムに対して兵力を集中させるような布陣でだ。戦力が手薄な包囲網。1(アイ)ガンダムは難なくすべてのジンクスを沈黙させ、海の向こうへと飛んでいく。

 

 

「逃しませんよッ!」

 

「逃げるな、ガンダム!」

 

「――ちっ! どいてください、邪魔です!」

 

 

 1(アイ)ガンダムを追いかけようとしたが、ジンクスの包囲網がしつこいのだ。腹立たしいことに。

 どうにか包囲網を脱出したときにはもう、1(アイ)ガンダムの姿はどこにもなかった。

 

 逃げられたか。テオドアが頭を抱えたとき、暗号通信が割り込んできた。表示されたのは、1(アイ)ガンダムの移動先と思しきポイントである。予想到達位置は、中東の砂漠地帯だった。特筆事項として、近隣にカタロンの秘密基地があるという。

 

 

『ありがとう、リボンズ』

 

『気にしないでくれ。その代わり、そっちは任せる。頼むよ』

 

 

 送り主に思念波で礼を言えば、彼はゆるりと笑みを浮かべた。

 テオドアは操縦桿を握り締める。Hi-νガンダムは、砂漠目指して飛び立った。

 

 

 

*

 

 

 

『私は似非人……生きる価値のない、似非人……!!』

 

 

 目的地が近づいてきたとき、悲痛な叫び声が聞こえた。それに呼応するかのように、空から光が落ちてくる。

 

 

「!?」

 

 

 裁きの光は、目的地近郊の砂漠地帯に着弾した。轟音が響き渡る。

 何だ、今のは。テオドアが困惑したとき、端末に着信を告げる音と光が点滅した。

 送り主はアプロディアだ。今のは、大気圏上空――機動エレベーター付近からの砲撃らしい。

 

 同時に添付されてきたのは、その兵器が都市部で使われた際の被害予測である。一言で言うなら、都市部を壊滅させる程度のレベルであった。

 これを、カタロンの秘密基地なんかに打ち込まれたら、施設にいる者たちは文字通り皆殺しにされるだろう。

 

 メギドの火――『ミュウ』の遺伝子に刻まれた悪夢が脳裏をよぎる。『同胞』を焼き払い、滅ぼすために放たれた惑星破壊兵器の惨劇だ。規模は遥かに小さいが、あの災厄と同じ光景が、カタロンで繰り広げられるだなんて、考えただけでもぞっとした。

 

 

(後の世代である僕ですらこうならば、その現場を間近で見たあの人はどうなるんでしょう)

 

 

 メギドの火で故郷と家族を、仲間を失った、自分たちの指導者(ソルジャー)のことが頭によぎる。

 先程、裁きの光で大地を焼き払ったあの兵器は、惑星破壊兵器とよく似ていた。

 

 おそらく、ベルフトゥーロのトラウマを悪化させるものになりそうだ。

 

 テオドアがそんなことを考えたとき、追加情報が提示された。アロウズのセキュリティを掻い潜ったアプロディアたちが集めた情報である。

 アロウズおよび地球連邦が開発した極秘兵器、メメントモリ――それが、裁きの光の正体だという。

 

 

「連邦の極秘兵器が、こんな辺境に……? でも、どうして?」

 

 

 極秘兵器を、そうホイホイ放つものだろうか。しかも、この辺境にはカタロンの軍事基地がある。これでは、敵に自分たちの手を晒しているようなものだ。

 

 端末に手をかければ、衛星兵器に関する情報が提示される。先程の攻撃に関しての公式見解は、ない。「発射されていない」というデータだけがあった。

 そんなバカな。テオドアは口元を引きつらせる。あれだけ派手な一撃を放っておいて、「何もしていない」なんて誤魔化すのには無理があるだろう。

 

 もし、連邦が己の言葉を通そうとするならば、近隣の目撃者たちを黙らせる必要があった。

 目撃者に賄賂を渡すか、目撃者を惨殺してしまうか――アロウズが取りそうな手段は、確実に後者だ。

 そうなると、近隣にあるカタロンの秘密基地では虐殺が行われるだろう。

 

 

『私は似非人……生きる価値のない、似非人……!!』

 

 

 また、悲痛な叫び声が聞こえた。それに呼応するかのように、空の向こうから光が落ちる。

 あの光もまた、カタロンの秘密基地があると思しき地点に着弾したようだ。テオドアは舌打ちし、Hi-νガンダムの速度を上げる。

 

 砂漠の向こうに見えたのは、カタロンの基地を見下ろす黄色と紫基調のガンダム――1(アイ)ガンダムだ。ビサイドは、レイヴを装ってテリシラたちと会話していた。

 

 

「お前……レイヴではないな。誰だ!?」

 

 

 テリシラは、レイヴが別人(ビサイド)になっていると気づいたらしい。眦を吊り上げ、奴を詰問する。

 しかし、ビサイドはあくまでもシラを切り通すつもりのようだった。へらりと嗤いながら、あくまでもレイヴを装う。

 

 

『何を言っているんですか。僕はレイヴ・レチタティーヴォですよ。顔が見えなくとも、脳量子波でわかるでしょう? 脳量子波は誤魔化すことができないんですから』

 

『私にはわかる。お前とレイヴは別の存在だ! 彼は他人の死を自分の痛みとして感じられるような、優しい青年だ』

 

 

 テリシラから伝わってきた映像が『視えた』。レイヴの姿だ。イノベイドハンターに殺されたブラッドの死を悼む横顔や、不老不死のためにブリュンの命を奪おうとしたクレーエに怒りをあらわにする横顔が浮かんでは消えていく。

 彼とレイヴの付き合いは仲間探しの間だけという短い時間だった。けれど、それでも仲間として共に過ごし、互いを理解し合うには充分すぎる時間だった。2人の絆が、ビサイドの暗躍を止める刃となる。

 

 

『お前は言ったな。『ドクターは()ではないし、ドクターが救おうとしているのも()ではない』のだと』

 

『ええ。だってそうでしょ? 僕も貴方も、ラーズだってイノベイドだ。ニンゲンじゃない』

 

『それだよ。その言葉こそが、お前がレイヴではないという絶対的な証拠だ!』

 

 

 レイヴはそんなこと言わない――テリシラは、1(アイ)ガンダムを睨みつける。分が悪いと悟ったビサイドは舌打ちし、操縦桿を動かしたのが『視えた』。

 ビサイドの苛立ちを反映したかのように、1(アイ)ガンダムは銃口をテリシラへと向ける。ラーズ共々、彼を吹き飛ばそうとすら思案し始めたようだ。

 

 

『ドクター、変な言いがかりはやめてください。流石の僕だっていい気分はしませんよ』

 

『気に食わないというのであれば、私共々撃ちたまえ。私がいなくなれば、見つけた仲間を覚醒できないぞ?』

 

「――ええ、その通りです!」

 

 

 1(アイ)ガンダムが銃の引き金を引くより速く、Hi-νガンダムがビームサーベルを引き抜いて躍りかかった。突然の乱入者に気づいた1(アイ)ガンダム/ビサイドは、ビームサーベルでそれを受け止める。

 相手の疑似太陽炉が悲鳴を上げた。機体の出力が思った以上に振るわないらしい。ここでテオドア/Hi-νガンダムと対峙する前に、何かと戦って苦戦したのであろうか。周囲にはティエレンの残骸が転がるだけだ。

 ティエレン如きで1(アイ)ガンダムが消耗するとは思えない。他にこの場で、1(アイ)ガンダムを消耗させるものといえば――まさか。先程の衛星破壊兵器を、この機体が受け止めていたとでもいうのだろうか。

 

 己の不利を悟ったのか、1(アイ)ガンダムは短い剣載の後、一気にHi-νガンダムから距離を取った。

 ビサイドはテリシラに「貴方だけでは仲間探しはできない」と捨て台詞を残して去って行く。

 

 

(――さて)

 

 

 こちらを剣呑な眼差しで見上げるイノベイド3人の眼差しをカメラアイ越しから見つめて、テオドアは大きく息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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26.家族 -つながり-

「……誰もいないってのは、寂しいな」

 

 

 周囲をきょろきょろと見回しつつ、リジェネはぼそりと呟いた。仲間たちが多忙であることは知っている。リジェネも、彼らの手伝いのために――来るべき対話のために、己の戦場で戦っていた。次の戦場になり得るであろうと指定されたのが、この公園である。

 鉛色の雲が居座っている。今にも雨が降りだしてきそうな気配があった。不穏な天気のせいか、公園には人っ子1人も居やしない。晴れの日に見かける賑わいなど想像できないくらい、しんと静まり返っていた。

 近くにあったベンチに腰かけて、紅茶のペットボトルに手をかけた。余分な甘みのないすっきりした味わいに、リジェネはひっそりと目を細める。ペットボトル紅茶の中で、一番好きな会社の銘柄だ。本格的な紅茶に比べればそりゃあ劣るが、充分美味しいといえるだろう。

 

 なんて、考えていたときだった。懐かしい脳量子波が、頭の中に流れ込んできたのは。

 

 

『見つけたぞ、リジェネ・レジェッタ』

 

 

 脳量子波が響いてきた方向に視線を向ける。深緑の髪を乱雑に伸ばし、どこか中世風の雰囲気を漂わせる私服に身を包んだ青年――ビサイド・ペインがそこにいた。

 

 

「久しいな」

 

「そうだね。最後に会ったのは、ソレスタルビーイングのマイスターにソラン・イブラヒムが選出された直後だったから……別にどうでもいいか。年月なんて重要じゃないし」

 

 

 リジェネは肩をすくめた。ビサイドがやらかしたことを考えると、リボンズや自分たちから見たビサイドは、さながら“勘当された問題児”のようなものである。以前から、ビサイドの反抗期っぷりを目の当たりにしてきたという点もあるのかもしれない。

 ニンゲンであることを誇らしいと思うリボンズ一派とは違い、ビサイドは人類を下等生物としか思っていなかった。ビサイドにとって、『イノベイドは選ばれた存在であり、下等生物である人類を統一し、導くべき存在』であると考えていたようだ。

 そのため、人間から選出されたマイスターおよび人間をマイスターにするために奮闘していたエージェント――クラーベ・ヴィオレントというイノベイドを目の敵にしていた。彼への妨害工作および殺害だけでなく、第2世代のマイスターを間接的に殺したことだってある。

 

 色々バタバタした後で、ビサイド・ペインのオリジナル人格と肉体は敵討ちされて死亡。そうして、コピーされた先の肉体と人格は、ヴェーダによるリセットを受け入れた。ビサイドという個人の人格はヴェーダによって破棄され、彼の活動内容や思考回路等のデータだけが残されている。

 本来なら、ビサイド・ペインはこの時点で死んでいた。もう二度と、この世界に降り立つことが不可能なはずだったのだ。そう考えると、リジェネの脳裏に浮かんだのは1つの可能性である。ビサイドの有していた、己の人格データのバックアップ。

 

 

「……キミ、リセットされる寸前の人格データを、適当なところに保存してたんだね。しかも、自分がかつて使っていた肉体(ボディ)にシグナルを送ることで、今の肉体の持ち主から肉体の支配権を奪い取る算段を立てた」

 

「ご明察だ、リジェネ。オレの作戦は、見事に成功した」

 

 

 自らの創造主(ヴェーダ)を出し抜き、次は誰を出し抜こうとしているのか。哀しいことに、リジェネは一瞬で合点がいった。

 

 ビサイドの脳裏に浮かんでいるのは、柔らかく微笑むリボンズの姿だ。水の幕が張っているかのようにぼやけた視界だけれど、彼の微笑みははっきりと見える。

 リボンズの表情には、リジェネも覚えがあった。遠い遠い昔、微睡みの中で見た光景。こちらを見返す男が、慈しむような笑みを浮かべていた。

 

 

『はじめまして、僕の『同胞』。僕の、新しい家族。……はやく、キミたちに会いたいな』

 

 

 自我が形成される直前に見たその姿が、リジェネの身体(ボディ)が目覚めて最初に見た景色である。そうして、本当の意味で――イノベイドとしての目覚めを迎えたとき、寸分狂わぬ同じ笑みで迎え入れられた。

 懐かしい。リジェネは心の中で過去の光景に浸る。ビサイドも同じように、己の身体(ボディ)が目覚めたときのことを思い出しているのだろう。頬を緩ませたリジェネとは対照的に、ビサイドは忌々しげに口元を歪める。

 昔から、ビサイドはリボンズが嫌いだった。同時に、ベルフトゥーロのことも嫌っていた。嫌われている張本人は「反抗期」と笑って流していたことを思い出した。ヴェーダにビサイドのリセットを進言したとき、彼女はどんな気持ちだっただろう。

 

 

『……私、ダメな母親だったんだなぁ』

 

 

 寂しそうに笑った横顔がよぎる。そんなことはない、と、リジェネは叫びたくて仕方がなかった。多分、リボンズだって、そうだったのだと思う。

 

 

「……それで? 大嫌い(ベルフトゥーロ)()連中(リボンズ)派に属する僕に、キミが接触してくる意味がわからないんだけど?」

 

 

 強気な笑みを張りつけながら、リジェネはビサイドに問いかけた。

 ビサイドの狡猾さは、ヴェーダを出し抜いたという点からして侮れない。

 

 警戒の色を強くにじませたリジェネに、ビサイドは不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「お前、悔しいって思ったことはないか?」

 

「は?」

 

 

 藪から棒に何を言っているのだ、この男は。眉間に皺を寄せたリジェネを横目に、ビサイドは朗々と言葉を続ける。

 

 

「何故、リボンズばかりが重用されるのだと、自分だって特別な存在だと思ったことはなかったか?」

 

「言っている意味がよくわからないんだけど?」

 

「つれないな」

 

 

 はあ、と、ビサイドはこれ見よがしにため息をついた。ため息をつきたいのはリジェネの方である。

 やはり、ビサイドがリボンズを出し抜こうとしているという己の予想は正解だったようだ。

 

 自分が特別――そんなこと、考えなかったことはない。リジェネも、自分は特別なのだと思ったことは何度もある。リボンズ派に属する面々は、誰かしら、どこかでその問題にぶち当たってもがいていた過去があった。

 贔屓だ何だと腹を立てたことがあった。ベルフトゥーロと派手に殴り合ったこともあった。ベルフトゥーロや他の兄弟たちと一緒になって大泣きしながら取っ組み合いをしたこともあった。そうやって、リジェネは仲間たちと一緒にコンプレックスと向き合ってきたのだ。

 リジェネには、母と兄弟たちがいる――安心して、そう思えるようになったのはいつだったのか。何度もやり取りを繰り返すうちに芽生えた信頼関係と強固な絆をなぞりながら、リジェネは「ははあ」と息を吐いた。ビサイドが眉をひそめる。

 

 

「そう思っているのは、キミの方じゃないか」

 

 

 自分の感情を、そっくりそのまま他人におっかぶせようとするのはおかしいんじゃないの? と、リジェネは深々と息を吐いた。……いや、ビサイドなら、そうやってイノベイドを操作してしまうのが恐ろしい部分だ。相手の脳量子波をサイオン波で遮断しつつ、リジェネは身構える。

 

 ビサイドはしばし黙ってリジェネを見つめていた。リジェネも無言で答える。

 無言の応酬がしばらく続いた後、ビサイドはこれ見よがしに舌打ちした。

 

 

『“6人の仲間”候補のコイツ(リジェネ)を引き入れれば、リボンズを出し抜けると思ったんだがな。こうなったら、排除するしかないか』

 

 

 聞こえてきた声に、リジェネは内心ゾッとした。これは確実に、リジェネを殺そうとしている。

 

 

「オレの脳量子波を読み取ったのか。なら、話が早いな」

 

 

 ビサイドは銃を取り出し、リジェネにつき付けた。引き金が引かれたのと、リジェネがサイオン波を展開したのはほぼ同時。銃の破裂音が響いた。銃口から放たれた弾丸は、リジェネを貫くことはない。リジェネの頭と心臓スレスレで動きを止めていた。

 勿論、ここで追撃を緩めるはずがない。ビサイドは引き金を引いた。リジェネはシールドを張った。衝撃と一緒に、銃弾が壁にめり込む。1発、2発、3発。その度に、力をそがれたような感覚に陥った。対『ミュウ』用の技術が使われている、特別性の銃弾だ。

 攻撃を受け続ければ、リジェネのシールドは破壊されるだろう。4発目の銃弾が防御壁に当たったとき、派手な音を立ててひびが広がった。リジェネの適正は思念波による幻覚攻撃やテレパシー能力の強化である。正直、防御や攻撃は辛うじて平均値だった。

 

 ビサイドがニヤリと笑った。これで終いだと言わんばかりに、ゆっくりと引き金に手をかける。銃口の向く先は、リジェネの心臓。

 

 引き金が引かれる。リジェネは即座に、シールドに費やしていたサイオン波を別な用途のために変換し、再展開した。銃声が響く。放たれた鉛玉が、ゆっくりと心臓に迫ってきた。

 リジェネはサイオン波を身体能力強化につぎ込む。心臓目がけて放たれた弾丸を、体をずらすことで回避した。ビサイドが目を剥いたのと入れ替わりに、またサイオン波を再展開する。

 

 

(こんなとこで死んでたまるか!)

 

 

 この場に留まり続ければ、確実に殺されるだろう。ここではない場所へ――その一念で、リジェネは『飛んだ』。

 

 景色が一気に移り変わる。曇天の公園は、いつの間にかざわめく施設の中に変わっていた。窓から見えた空は綺麗に晴れ渡っており、人々の声で満ち溢れている。

 リジェネの意図した通り、ビサイドの魔の手から逃れることができたらしい。リジェネは深々と息を吐いた。視界に飛び込んできた植え込みの淵に腰かける。

 どうにか心を落ち着かせた後、リジェネはビサイドの発言を思い返していた。奴は、リジェネを“6人の仲間”と称した。似たような話を、リジェネは聞いたことがあった。

 

 確か、テオドアが関わっているのも『“6人の仲間”集めが辿る顛末を見届ける』というミッションではなかったか。リジェネははっと顔を上げた。

 ビサイドは言った。リジェネは、“6人の仲間”候補であると。あくまでも候補であり、仲間には代替え(スペア)がいることは確かだ。

 

 

「……でも、今のところ、僕も候補なんだよね」

 

 

 もし、リジェネが“6人の仲間”として目覚めたならば。

 あの反抗期を、矯正することができるかもしれない。

 

 

「家出して、縁切りしたも同然だけど、家族なわけだし」

 

 

 うん、と、リジェネは1人頷いて、脳量子波でヴェーダおよびリボンズにコンタクトを取る。すぐに、リジェネの望んだ情報――“6人の仲間”集めの状態が提示された。

 ビサイドが乗っ取ったのはレイヴの肉体であり、その肉体は『仲間を見分ける』という役目を有していた。肉体の持ち主がレイヴの状態で見つけた仲間は3名である。

 『仲間を覚醒される』役目がテリシラ、『脳量子波によって仲間同志を繋ぐ』役目を持つのがブリュン、『ヴェーダを含んだ機械そのものを操る』役目がラーズだ。

 

 合計、4人。あと2人揃えば、ヴェーダからのミッションは完遂される。その2つの椅子に座る候補の中に、リジェネはいるのだ。思惑は違えど、善は急げである。

 

 

『テオ!』

 

『何ですか、リジェネ?』

 

『キミ、今どこで何をしてるの!?』

 

『カタロン支部から、Dr.テリシラの自宅へ向かう途中ですが』

 

「っしゃあ! ナイスタイミング!!」

 

 

 テオドアの返答を聞いて、思わずガッツポーズを取ってしまったリジェネは悪くないはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テリシラ・ヘルフィは医者である。勿論、医者としての彼の腕は素晴らしい。しかも、医者の中でもかなり稼ぎのいい方だ。

 最も、テリシラ本人はそれを鼻にかけるようなことはしないし、報酬云々で患者の治療する順番を斡旋するなんて真似もしない。

 文字通り、医者の鏡を体現するような人物である。師匠のモレノ医師とは違う道を進みながらも、根底には彼の教えが根付いていた。

 

 人には2つの死があるという。1つ目が肉体の死、2つ目が周囲の人間から忘れ去られることの死だ。その理屈で言えば、モレノはまだ、テリシラの中で生き続けていると言えるだろう。

 

 それならば、テオドアの家族たちも、テオドアの中で生き続けていると言えそうだ。テリシラ邸を眺めながら、テオドアはそんなことを考えていた。

 カタロンのキャンプが壊滅した後、居場所を失ったスルー・スルーズとハーミヤ、気を失っているラーズ・グリーズと共に、テオドアはテリシラ邸にやって来ていた。

 

 

「兄さんの家、凄いや」

 

 

 こんな豪邸は初めて見たのだろう。スルーが感嘆のため息をついた。ハーミヤは家の内装にウキウキしているようで、楽しそうにステップを踏んでいる。

 彼女の姿を見ていると、上機嫌になったイデアの姿が脳裏をよぎった。主に恋愛面でいいことがあると、躍るようなステップを踏んでいたことを思い出す。

 

 

「私は今からテオドアと話をするから、向うへ行っていなさい」

 

「えー」

 

「いいから」

 

 

 他にも来客の予定がある、お前たちには話せないことだと言って、テリシラはスルーとハーミヤを説き伏せた。2人は不満そうにしていたが、渋々といった形で引っ込んでいく。

 彼女たちが立ち去った方角からはブリュンの気配が漂っているような気がしたが、まあ大丈夫だろう。ブリュンの格好が、クレーエ邸から出てきたときのままでなければ。

 

 スルーとテリシラは同じ塩基配列のイノベイドだ。性別と、人格および肉体の稼働年数が違うだけである。ヴェーダから与えられた記憶の中にも、2人は一切関係していない。

 しかし、スルーは自分のことを人間だと思っている。そのため、同じ塩基配列のイノベイドを目の当たりにした挙句、相手から「家族」と言われれば信じ込んでしまうだろう。

 もしかしたら、ヴェーダのバックアップもあったのかもしれない。言い方は悪いが、「スルーを懐柔することが計画を円滑に進めることができると判断した」ということか。

 

 スルーは本気でテリシラを兄だと信じて敬愛している。テリシラはスルーの様子に少々罪悪感を感じながらも、スルーの良き兄として彼女を見守っていた。傍から見ても、立派に「家族」をやっている。その様子が親友(リボンズ)と重なって見えた。テオドアはふっと表情を緩める。

 

 

「……イノベイドの家族、ですか」

 

「『家族ごっこ』と嗤うのかね?」

 

「まさか。僕の親友のことを思い出して、微笑ましいなあって思っただけですよ」

 

 

 厳しい眼差しを向けてきたテリシラに、テオドアはふわりと笑い返した。

 

 

「自分たちがイノベイドであると知っていても、『自分たちは兄弟だ』って、みんな胸を張っているんです」

 

「……そうか。とても仲がいいんだな」

 

 

 テリシラも影響されたのか、厳しい眼差しが緩んだ。テオドアも、リボンズたちの様子を思い浮かべながら、我がことのように胸を張った。

 丁度そのタイミングで、下の方から悲鳴が『聞こえて』きた。スルーとハーミヤの思念である。2人はなかなか衝撃的なものを目撃したようだ。

 彼女たちの思念に映し出されたのは、クレーエ邸で見た、少女人形のような格好をしたブリュンである。あのままの姿にしていたのか。

 

 

「変な質問をするんですけど」

 

「?」

 

「ブリュンくん、クレーエの家から運び出した格好のままなんですか?」

 

「ああ。あの椅子と服が、彼の生命維持装置の役目を果たしていてね。下手にいじろうとすると、彼の命に係わる可能性がある」

 

 

 成程。ブリュンが身に纏っていたゴシックロリータ風のフリフリドレスは、彼の命を繋ぎとめるためのものらしい。嫌な意味での「実用と美の両立」だ。

 クレーエの趣味全開に、テオドアはそっと遠い目をする。当の本人の忘れ形見と考えると、余計に何とも言えない気持ちになってしまいそうだった。

 

 そんな重要な事情があるのはわかったが、何も知らない第3者が目撃したらどうなるか。その答えは、スルーとハーミヤが如実に証明してくれた。

 

 

『兄さんにこんな趣味があったなんて!!』

 

『あひーん! なんですかこれぇぇ!?』

 

 

 本人のあずかり知らぬところで、テリシラの株がダダ下がりしている。多分、説明しても余計に悪化する未来しか見えない。そうして、テオドアもフォローできないという確信があった。

 スルーたちの誤解が飛躍して、“テリシラ更生計画”が始動するのは時間の問題だろう。更生計画を真剣に語るスルーとハーミヤの姿が脳裏に浮かび、テオドアはそっと視線を逸らした。

 丁度そのタイミングで呼び鈴が鳴り響く。モニターに映し出されたのはリジェネだった。気のせいでなければ、どことなく窶れているように見える。彼は疲労を取り繕うようにして笑みを浮かべた。

 

 テリシラによって扉が開かれる。

 彼は静かな眼差しで、リジェネを迎え入れた。

 

 

「キミが、レイヴの力を持つ何者かによって見つけ出された“6人の仲間”候補か」

 

「ええ。リジェネ・レジェッタといいます。以後お見知りおきを……と言っても、そうなるかどうかは今後にかかっているでしょうが」

 

 

 リジェネはそう言って肩をすくめた。やはり、疲れ切っているように見える。

 

 

「連絡が来たときから元気ないですけど、どうかしましたか?」

 

「ビサイドに襲われた」

 

「ああ……」

 

 

 テオドアは思わず遠くを見つめた。ビサイドが行動を起こすことは分かっていたし、気に食わない奴は遠隔操作して使うことも知っていた。操ることができない相手は、力づくで処分しようとする性格であることも。

 2人のやり取りから、レイヴの肉体を乗っ取った人物の名前を知ったのだろう。テリシラの瞳が金色に輝く。ヴェーダにアクセスし、ビサイドという名前のイノベイドについての情報を探っているのだろう。

 幾何かの間をおいて、テリシラは大きく息を吐いた。瞳の色は漆黒に戻る。彼の表情は険しい。「ビサイド・ペイン」と紡いだ声には、苦々しい響きが宿っていた。ビサイドの経歴を理解したためだ。

 

 イノベイドを操る力を持ち、自分の人格(パーソナル)データのバックアップを他人のイノベイドに書き写す力を持つ能力者。

 イノベイドによる武力介入を目指し、その過程で生涯となる者たちを嵌めた狡猾な男。それが、ビサイド・ペインという人物だった。

 

 肉体(ボディ)と人格データのバックアップさえあれば、理論上、ビサイドは不死身である。そんな相手と真正面からやり合うだなんて、どう考えても勝率は低い。

 

 

「……なんて厄介な相手なんだ」

 

 

 テリシラが深々とため息をつく。リジェネも頷いた。

 

 

「そうなんだよね。終いには、他のイノベイドも操るわけだし。戦闘用に調整された人格の中でも群を抜いて好戦的だし、気に食わなければあらゆる手段を用いて潰そうとする」

 

「終いには、ダメ押しとばかりに、奴はガンダムという力を手に入れた。……力を持ったあいつを、止められる者がいるかどうか」

 

 

 テリシラは憂いに満ちた眼差しをこちらに向けた。

 その気持ちは分からなくもない。

 

 ビサイド()イノベイド()で制しようとしても、後で彼に操られてしまうという不穏な可能性を孕んでいる。ヘタをしたら、4人の監視者諸共処分されるのだ。だから、イノベイドにイノベイドをぶつけるという手段は得策ではない。

 だからといって人間をぶつけても、ビサイドのような戦闘用イノベイドに敵う人間など一握りしかいない。テオドアでさえ、奴の傲慢を突くような形の特攻でイーブンに持ち込んだのだ。奴から油断や慢心がなくなれば、確実にテオドアが不利であろう。

 いや、ビサイドのことだ。油断や慢心を無くすことより、機体の性能を一気に引き上げることで対応するだろう。隙を見つけることができない程の、怒涛の火力で攻めようとするつもりだ。その様子が鮮明に浮かんだ気がして、テオドアは天を仰ぐ。

 

 

「アレの意表を付けるようなパイロットがいればいいんですけどね」

 

「『悪の組織』には、それに該当する人間がいないというのか?」

 

「それはないです。ただ、みんな、ちょっと出払ってまして」

 

 

 無いものねだりはできないんですよ、と、テオドアは苦笑した。

 

 ビサイドと互角以上の勝負に出られそうなパイロットたちは皆、裏方役として出払っている。主に遊撃部隊として、アロウズを牽制したり時間稼ぎをしたりする役目があるのだ。

 今頃、彼らはラグランジュ3へ向かおうとしているアロウズの部隊と交戦中だろう。補給と整備にベルフトゥーロが全面協力すると言っても、時間は相当/結構かかるためである。

 

 

「ソレスタルビーイングの面々も、組織の立て直しおよび戦力強化のために必死か。こちらに戦力を割くような余力はなさそうだ」

 

 

 文字通りの八方塞がりである。3人は顔を見合わせて、深々と息を吐いた。

 こうしている間にも、ビサイドは行動を起こしている。己の目的のために。

 ビサイドを捨て置くことはできないが、今の自分たちではどうしようもない。

 

 そのとき、テオドアの端末が着信を告げた。同じタイミングで、テリシラが虚空を見上げて息を飲む。彼の瞳は金色に輝いていた。

 

 端末の文面には、『最後の監視者へ』とあり、とある座標ポイントが指示されていた。

 送り主の名前は、フォン・スパーク。それを見て、テオドアは回れ右して逃げ出したい衝動に駆られたためである。

 

 

(4年前に対峙して、ヨハンが首輪を爆発させたあの一件以来、顔を合わせたくない相手だったのに……!)

 

 

 自身の采配ミス(テオドア個人はそう思っている)で、ヨハンはフォンの首輪を爆発させて重傷を負わせたことがある。首輪爆破については、アレハンドロからの秘匿命令で、テオドアには一切連絡がなかった。

 

 そのため、フェレシュテとの接触時は相手にかなり不信感を抱かせてしまったし、フォン・スパークに会うたびに気まずくなってしまう。爆破された被害者は「あぎゃぎゃ」と笑うのみで、特に報復はされていない。されてはいないのだが、罪悪感からか身構えてしまうのだ。

 他にも、ベルフトゥーロがフェレシュテに所属する女性たちを片っ端から手籠めにしようとするのを止められなかったときは、穴があったら入りたいという気分に陥りそうになった。女性陣を守りつつ、無言でこちらを見つめるフォンの眼差しが物理的威力を伴っていたことは、今でもはっきり思い出せる。

 

 

(確か、フォンはヴェーダのターミナルユニットを所持していたようですけど……)

 

 

 そこまで考えて、テオドアはふと思い至った。ターミナルユニットを手に入れたことは風の噂で耳にしている。しかし、ただ所持しているだけでは宝の持ち腐れだ。あれは、使えるからこそ意味がある。ヴェーダからの情報を手にすることができる。

 もし、フォンがターミナルユニットを修復させ、それを媒介にして“6人の仲間集め”のミッションを知ったのならば――行動に出る可能性はあった。どのような思惑で、このミッションに関わるのかまでは推し量ることはできないが。

 テリシラも、何とも言い難い表情を浮かべてテオドアを見た。リジェネも、どこか不安そうに視線を彷徨わせる。しかし、フォンは人間の中でも人間離れした力の持ち主だ。ソレスタルビーイングより始末が悪い人間であるが、実力は折り紙付きである。

 

 フォン・スパークなら、ビサイド・ペインを撃破できるだろう。ただ、威力が凄まじすぎて、レイヴの肉体ごと破壊しそうな気がしてならない。

 行っても行かなくとも、フォンならやり遂げてしまいそうだ。それに、テオドアは“6人の仲間集め”を見届ける義務がある。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 誰1人として、言葉にしなかった。でも、選択肢は全員同じである。

 

 

「……準備、しますか」

 

 

 大掛かりになりますね、と言えば、テリシラとリジェネが苦笑した。

 

 

「じゃあ、スルーたちに家を開けると伝えてくる」

 

「僕も。他のみんなに、帰るのが遅くなりそうだって連絡入れとく。テオの分も入れておくから」

 

「ありがとうございます」

 

 

 テリシラが荷物を纏めようとしたとき、丁度いいタイミングでドアが開いた。扉を開けたのはスルーとハーミヤである。2人はどこか顔色が悪かった。

 丁度いい、と、テリシラは2人に外出する旨を告げる。スルーたちは頷いたが、他にまだ用があるらしい。あのさ、と、スルーは言いにくそうに口を開く。

 

 

「兄さんの趣味に文句を言うつもりはないよ。大人が人形遊びをしちゃいけないって法律もないし、好きなものなんて人それぞれだし。……ち、地下に等身大のゴスロリ人形が隠されてても、私は……兄さんのこと、嫌いになんてならないから」

 

 

 たどたどしく、スルーは言った。顔は血の気が引いていたし、明らかに、テリシラに対してドン引いている。

 生き別れの兄(だと思い込んでいる相手)が、他人に言えない性癖を持っていた――そのショックは計り知れないだろう。

 ああこれはまずいやつだ、と、テオドアは思った。予想通りの展開である。嫌な予感がしたのだろう、テリシラは眉をひそめた。

 

 

「違いますよ、スルーさん。あの子、生きた人間です」

 

 

 更なる爆弾が投下された。要らぬ補足を入れたのは、スルーと一緒に直談判しに来たと思しきハーミヤだった。彼女の発言は善意で構成されているのに、この場を混迷させるという点では悪意にも思えた。それを聞いたスルーは、顔面蒼白になってテリシラに詰め寄る。

 

 

「兄さんは、地下室に少女を監禁してるってこと!?」

 

「違う! 第1ブリュンは男で……」

 

「ってことは、少年に女装コスプレをさせて監禁してるの!?」

 

「どうしてそうなる!?」

 

 

 どうやら、スルーは暴走するとあたりが見えなくなる性格らしい。スルーは半べそになりながらテリシラの襟首をつかみ、揺さぶった。「もうやめて! 自首しよう、兄さん!!」と叫ぶスルーの姿は、「犯罪を犯し、それから逃れようとする身内を説得する」図そのものだ。

 「ブリュンが男性である」ことよりも、「ブリュンの格好は生命維持装置である」ことから説明していたらワンチャンあったのかもしれない。だが、もう後の祭りである。ブリュン本人が説明しない限り、スルーとハーミヤは納得してくれないだろう。

 

 何を思ったのか、リジェネが立ち上がって散策を始める。彼の思念はすぐに地下室を見つけ出し、部屋内にいるゴスロリ人形――もといブリュン・ソンドハイムを発見した。

 あの格好にした張本人の名前を思念波で伝えてやれば、リジェネはあからさまに表情を歪ませた。酷い趣味、と、小さく呟く。この格好でなければ、テリシラは疑われなかったのかもしれない。

 泣きながら警察へ連絡しようとするスルー、スルーの行為を愛だと称して感嘆の涙をこぼすハーミヤ、その2人をなんとか宥めすかして誤解を解こうとするテリシラの喧騒はどんどんヒートアップしていく。

 

 出発の準備が終わるまでは、まだまだ時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソレスタルビーイングのメカニックと、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』のメカニックが共同戦線を張っている。

 

 夢の共演というのはこういうことを指すのだろう。ヴァスティ家の面々と何かを語り合いながら整備を行うベルフトゥーロと宙継の様子を眺めながら、クーゴはそんなことを考えた。そろそろ、時間的に休憩が欲しいだろう。

 差し入れ片手に格納庫へ入れば、丁度面々も休憩しようとしていたらしい。クーゴの来訪は喜ばれた。差し入れを差し出すと、面々は感嘆の声を漏らして手に取っていく。綺麗な狐色に焼けたフィナンシェだ。甘い匂いが漂う。

 

 

「疲れたときには甘いものって言うからね」

 

「おいしいですぅ」

 

 

 リンダとミレイナが幸せそうにフィナンシェを頬張る。その脇で、イアンはコーヒーを飲みながらフィナンシェを味わっていた。ふと、リンダが何かに気づいたようにイアンを見た。彼の口元には、フィナンシェの食べかすらしきものがついている。

 彼女は迷うことなくイアンの口元に手を伸ばした。食べかすを掬い取り、口に運ぶ。目を丸くするイアンを横目に、リンダは楽しそうに微笑みながらフィナンシェを食べ進めた。じわじわと羞恥が来たのだろう。イアンは視線を彷徨わせていた。

 母と父が仲良しなのがうれしいようで、ミレイナがきゃあきゃあ黄色い声を上げた。ベルフトゥーロが何か言いたげにリンダに視線を向けた。リンダとベルフトゥーロは顔を見合わせると、楽しそうに笑った。2人はそのまま、互いの夫婦間の惚気話へ移行していく。

 

 相変わらず黄色い声を上げる娘を諌めるイアンだが、彼もどこか楽しそうだ。

 幸福を噛みしめるかのように、口元を緩ませる。

 

 

「…………」

 

 

 その中で、1人だけ、家族とその他の交流を眺めている少年がいた。宙継である。

 

 宙継は羨望の眼差しを向けていた。やはり、彼も家族――母親である蒼海が恋しいのかもしれない。なんだかんだ言っても、宙継にとって蒼海は母親なのだ。

 虐待された子どもは、その責任を親ではなく己に向けるという。自分がダメな子だから虐待されたのだと、自分がいい子にすれば愛してもらえると信じている。

 

 

(でも、その兆候は、宙継には無かったはずだ)

 

 

 宙継は蒼海と縁を切っているし、彼女と戦う覚悟を固めたのだ。だからこうして、ソレスタルビーイングと合流したのだとクーゴは思っている。でも、子どもに「母を殺せ」というのはあまりにも酷であった。

 こんなとき、クーゴはどんな言葉をかければいいのかわからない。言葉を向ける代わりに、クーゴは宙継の隣に座った。声をかけてやりたいのに、何も言葉にできない――何てまどろっこしいのだろう。

 それでも伝わってほしいというのは我儘だ。わかっていて、でも、それ以外に、クーゴには語る術を持たない。だから、静かに宙継の頭を撫でる。宙継は驚いたように目を瞬かせたが、嬉しそうに目を細めた。

 

 宙継は、頭を撫でられるのを好む。特に、クーゴが頭を撫でると表情をより一層綻ばせるのだ。

 貴方に褒められるのが好きです、と笑った宙継の言葉を思い返す。普段からも、こうして笑ってくれたらいいのだが。

 

 

「僕って、役に立ってますか?」

 

「ああ。お前は偉いよ」

 

 

 フィナンシェを食べながら、宙継はぽつりと問いかけた。クーゴは間髪入れず頷き、より一層、宙継の頭を撫でる。宙継は嬉しそうに頬を緩めた。

 

 宙継はもくもくとフィナンシェを食べ進めていたが、また、静かに視線を向ける。視線の先には、黄色い声を上げるミレイナとそれを諌めるイアンの姿があった。

 思い返せば、蒼海には関係を結んでいる男性はごまんといたが、伴侶や恋人だといえるような相手はいない。故に、父親という存在に馴染みがないのだろう。

 

 

「お父さん、か」

 

「宙継?」

 

「…………僕のお父さんが、貴方ならよかったのに」

 

 

 かすれるような声で、宙継は呟いた。クーゴの耳は、彼の言葉をはっきりと聞き取る。しかし、その言葉を本当の意味で理解するのに、かなりの間/時間を必要とした。

 父親、という単語がぐるぐると頭の中を回る。父親、父親、父親。クーゴは、自分の中で何かが込み上げてくるのを感じていた。咳を切ったように、溢れだす。

 不意に脳裏をかすめたのは、よく似た親子の姿だった。顔は伺えないけれど、父と息子は幸せそうに手を繋いでいる。仲間たちは、そんな親子を優しく見守っていた。

 

 息子は書類を周りに見せびらかす。これを役所に提出すれば、自分たちは親子になれるのだ。息子は嬉しそうに周りに語った。息子の友人たちは我がことのように喜び、年上の友人たちも祝辞の言葉を述べる。

 父親はそれを見守りつつ、他の仲間たちにも報告した。武骨な男たちが次々に祝辞の言葉を述べながら、父親の肩を思い切り叩く。父親は痛みに苦笑しながらも、彼らの言葉に頷いて決意表明を語った。

 

 次の瞬間、派手な水音が聞こえた。振り返れば、涙目になった息子と顔を真っ青にした仮面の少年。書類には、少年が飲んでいたジュースがぶちまけられている。

 

 息子が半泣きになり、少年は顔面蒼白になって右往左往する。

 親子になれないと口走る息子を、父親は宥めた。同時に、真っ青になっている少年も諌めた。

 

 

『何度だって書き直すよ。お前と親子になれるなら』

 

 

 その言葉を聞いた息子が、父親に抱き付く。2人の横顔にかかっていた影が明るくなった。そこにいたのは――

 

 

「クーゴさん?」

 

 

 宙継に呼ばれ、クーゴはハッと息を飲んだ。

 心配そうな眼差しがこちらに向けられている。

 

 

「なんでもないよ。大丈夫」

 

 

 クーゴは微笑み、宙継の頭を撫でる。宙継は、嬉しそうにはにかんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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27.煌めく光

今回、作中に一部下品な表現があります。ご注意ください。


 ソレスタルビーイングの秘密基地――通称ラグランジュ3の場所は、アロウズに知れ渡っている。何事もなければ、アロウズの部隊は今日中にラグランジュ3へたどり着き、攻撃を仕掛けていたであろう。

 アロウズの足止めをし、ツインドライヴの実験を安全に行うための時間を稼ぐことが、エイミー・ディランディ率いるクルーたちに与えられた任務である。首尾は上々と言っていい。

 

 

「相手に与えた損害は、総計で5割強。牽制によるプレッシャーも充分与えたわけだし……」

 

 

 戦果報告を読みつつ、エイミーは相手部隊の様子を確認する。

 

 アロウズの面々は、一端進軍を止めて補給を行うことにしたらしい。部隊はコースを離れ、別の場所にいた小規模の部隊と合流していた。地上からも、宇宙へ向かう部隊が確認できた。

 

 

(これで、見積もりではあと3日程到着が遅れる)

 

 

 ラグランジュ3にいるベルフトゥーロへ、このことを報告する。すぐに了承の返事が返ってきた。

 ツインドライヴの調整やガンダムの整備も順調に進んでいるようだ。エイミーは納得して頷く。

 

 

「マーク隊、ホワイトベースに帰投しました! 全機体、損傷軽微です!」

 

「わかったわ。おヤエさん、ケイ、各機の整備を。操舵のみんなは、指定されたポイントへ向けて舵を取って。全速離脱」

 

「了解!」

 

 

 ルナからの報告を聞いたエイミーは、てきぱきと面々に指示を出した。指示を受けた面々も、即座に反応して動き始める。ホワイトベースは大きく舵を切り、この区域から離れていった。

 自動扉が開き、帰投した仲間たちがブリッジへとやって来た。アスルを欠いた構成ということで仲間たちはピリピリしていたけれど、その分頑張ってくれたのだ。エイミーは素直に感謝の言葉を述べた。

 

 

「みんな、おつかれさま。ありがとう」

 

「そっちこそ。おつかれさん、エイミー」

 

 

 エイミーの言葉に、アスルの代打で部隊を率いたマークが微笑む。それを皮切りに、仲間たちが話始めた。

 

 

「キムとハロルドが大活躍だったよね」

 

「今回のMVPだよな。おめでとう」

 

「褒められると照れるな。嬉しいけどさ!」

 

「だな!」

 

 

 クレアとマークから賛辞の言葉を受けたキムとハロルドが、はにかむように笑った。この2人は強気な性格だし、撃墜すればする程に、自身と仲間の士気を上げてくれるムードメイカーだ。但し、感情の振れ幅が激しくて、感情的になってしまうこともあるが。

 指揮官は作戦を提示するだけではない。MSの性能やパイロットの能力および性格も把握したうえで、作戦を練る必要がある。『ミュウ』の場合は、後者には特に気を使わなくてはならないのだ。調子に乗りやすい相手には、冷静な人間からのフォローが必要である。

 

 

「キム、ハロルド。日本には、『勝って兜の緒を締めよ』という諺がある。今回の勝利に驕ることなく、これからも高みを目指すように」

 

「……わかってるよ、エルフリーデ」

 

「ちぇー」

 

 

 エルフリーデに釘を刺されたキムとハロルドは、ムッとした様子で口を尖らせた。先程の喜びはすっかり失せてしまったらしい。

 

 ミス騎士道と呼ばれるエルフリーデは、驕り高ぶることをよしとしない。調子に乗りやすい面々を諌めるのに適しているのだ。

 清廉潔白な在り方を利用されてしまうという弱点もあるけれど、何でもありな戦闘に身を置いてきたラナロウたちがそれをカバーする。

 性格が穏やかな面々が、尖っている面々との間を取り持つ形となっているのだ。いいチームだと、エイミーは思う。采配は間違っていなかったようだ。

 

 

「アスルさんから通信入りました。すぐに合流できるそうです」

 

「わかった。指定ポイントで合流すると伝えておいて」

 

「了解」

 

 

 さて。エイミーはモニターに映し出された情報を見つめる。今のところはこちらが有利だが、どう転ぶかわからない。

 何せ、相手は軍そのものを動かすことができるのだ。民間私設武装組織はゲリラ戦が関の山である。

 

 カタロンならば、アロウズとの泥試合も厭わないのだろう。彼らのやり方を見ていると、「世界を変えるためならば、カタロンという武装組織そのものが崩壊してもいい」と考えている節がある。

 下の兄――ライルはカタロンの密偵としてソレスタルビーイングに張りついているようだが、今後、彼はどうするのだろうか。イノベイドとイノベイター、および『ミュウ』と人類の関係性について悩んでいた。

 恋人のアニューが誰かに利用される可能性があるとなれば、ライルは黙っていられまい。エイミーだって、自分の義姉になるであろう女性が生物兵器として利用されるなんて可能性を見過ごすことはできなかった。

 

 誰もが当たり前に生きる世界。革新者(イノベイター)とイノベイド、『ミュウ』と人類が手を取り合って生きる世界。その中で、兄夫婦が笑いあう未来があればいい。

 

 

(そのためにも、頑張らなくちゃ)

 

 

 穏やかな時間は短いけれど、確かに存在している。

 和気藹々としたクルーの様子を見つめながら、エイミーは微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、無茶苦茶なことやってますよねぇ」

 

 

 施設の壁をぶち抜いたアストレアFの後ろ姿を見つめながら、テオドアは深々と息を吐いた。アストレアFの武装であるGNハンマーを見ていると、∀ガンダムのハンマーを思い出すのだ。

 正直なところ、虚憶(きょおく)の∀ガンダムは月光蝶を使っていることが多かった。機動エレベータの破片が落ちてきたとき以前が霞んでしまうくらい、ハンマーは影が薄かったように思う。

 次の瞬間、アストレアFのハッチが開いてテリシラが放り出された。彼は転がるように床に倒れこんだが、目の前に現れたものに目を見張った。右腕を失ったレイヴの体が、カプセル内に保管されている。

 

 

(874(ハナヨ)から話は聞いていましたが、本当に手加減しなかったんですね)

 

 

 1(アイ)ガンダムのコックピット付近についた傷は、アストレアのサーベルが突き刺さった跡である。

 いくらビサイドが「肉体を乗り換えれる」とはいえ、肉体を捨てさせるため本当に致命傷を負わせるとは。

 

 しかも、「イノベイドが持つ特別なナノマシンを起動させることができる」という前提で行動したのだ。でなければ、レイヴの肉体にダメージを与えようとは思わない。

 

 

(まあ、Dr.テリシラという名医もいますから、レイヴのことはもう大丈夫でしょう。問題は――)

 

 

 テオドアはちらりと視線を動かした。別の肉体を得たビサイドが、真っ裸のままコックピット席に乗り込む。服を着ている暇がないとはいえ、全裸でコックピットに乗り込むのは非常にアレだ。

 

 

『人前で全裸って……せめて、葉っぱでもなんでもいいから、そのひっどいイチモツは隠しましょうよ。現実世界にはモザイクなんて存在しないんですよ』

 

『ええい、余計なお世話だ!!』

 

 

 テオドアはひっそり脳量子波で指摘したが、ビサイドは顔を真っ赤にしながら切り捨てた。一応、知恵の実を食べたアダムとイヴよろしく羞恥心はあったらしい。その脳量子波を偶然キャッチしてしまったのか、テリシラが何とも言えない表情になった。

 ちなみに、874(ハナヨ)も何か思うところがあったらしいが、口を開きかけたところをフォンが制した。フォンはこれ以上ないくらい真剣な表情で、無言のまま首を振る。彼は874(ハナヨ)の発言が絵面的にマズイと悟ったのであろう。

 余計な会話はそれまでと言わんばかりに、アストレアFとHi-νガンダムが1(アイ)ガンダムと対峙する。正直な話、フォン・スパークは「もうお前1人だけでいいんじゃないかな」を地で行く男だ。テオドアなんておまけにすらならない。

 

 しかし、フォンはテオドアに同行するよう言ってきた。

 「最後の監視者として、今回の1件を見届けろ」と。

 

 

(フォンは既に、“6人の仲間集め”に関わる秘密を知っているのでしょうか。僕がこれを見届けなければならない理由も……)

 

 

 フォンならば、普通にあり得そうで怖い。彼は己の力で道を切り開こうとする人間を愛している。そのためなら、多少の荒療治も厭わないタイプだった。……たとえそれが、どんな方向であっても。

 

 

「そんじゃ、第2ラウンドを始めるか!」

 

 

 げゃ、と、笑いをこぼしたフォン/アストレアFと、不敵に笑うビサイド/1(アイ)ガンダムが対峙する。

 テオドア/Hi-νガンダムはレイヴとテリシラを庇うように立ち、ファンネルの防御壁を展開した。

 

 

「こっちは完全防備です。迷うことなく派手にやっちゃってください」

 

「上等」

 

「待て! フォン・スパーク、何故お前はオレを攻撃するんだ? お前の目的は何だ?」

 

 

 フォンの感情を現すように、アストレアFはGNハンマーを構える。次の瞬間、何を思ったのか、ビサイドがフォンへ通信を入れた。何故、ただの人間(フォン・スパーク)がイノベイドの仲間集めに関わろうとしているのか――今更な質問である。

 彼らの感情を読み取ったテオドアは、思わず蛙のような呻き声を上げたくなった。フォンもビサイドも確信犯だからだ。特に、前者は後者なんて足元にも及ばないレベルであった。

 

 ――2人とも、己の/相手の質問に答えは要らないということも、意図があることを悟っていたのだから。

 

 

(えげつないです)

 

「俺も1枚かもうと思ってな。“6人の仲間集め”とやらに」

 

 

 高度な心理戦に、テオドアは寒気を感じて身を縮ませる。

 こちらの心情など気にせず、フォンはにやりと悪い笑みを浮かべた。

 

 

「おっと、お喋りはここまでだ。これ以上、時間稼ぎはされたくないからな」

 

「気づいていたか……だが、もう遅い!」

 

 

 ビサイドが叫んだのと同じタイミングで、壁がぶち抜かれた。降り立ったのはアロウズのMS――センチュリオ。ライセンサーだけが搭乗を赦された、特別な機体だ。ライセンサー以外はMDとして利用されている。

 虚記(きょおく)では、現在アストレアFと対峙している機体は、センチュリオシリーズでも末端の機体だ。末端といえども、機体性能はかなり高い。ジオン驚異のメカニズムと言われ、ボスを務めた機体というのは伊達ではないのだ。

 だが、フォンにとっては大した意味もなさそうだった。彼は上機嫌に笑い、ハンマーを振りかぶった。センチュリオの売りであるナノマシンを駆使した防壁を叩き壊し、打ち崩す。自身を守る盾を失った天使たちは、あっという間に倒れ伏した。

 

 飛んでくる破片や銃弾は、ファンネルに寄る防壁によって阻まれた。

 周囲はあっという間に荒れ果て、瓦礫が散乱している。

 

 

「防御壁がなかったら、完全に巻き添えを喰らっていたぞ……」

 

「僕、防御型じゃないんですけどね。ファンネル駆使したトリッキーな戦術するのが本職なんですけどね」

 

 

 テリシラが戦々恐々とした様子で戦いを眺めていた。テオドアも、自身の専門外の戦い方をする状況に嘆きをこぼす。

 

 その隙に、1(アイ)ガンダムが逃走しようと試みる。勿論、フォンがそれを赦すはずがない。即座にGNハンマーを振りかぶった。それは1(アイ)ガンダムの背中に叩き付けられる寸前で、センチュリオに受け止められる。

 勿論、センチュリオはGNハンマーの質量可変効果によって叩き潰された。イロモノ装備の効果に感心しながら、ファンネルフィールドを解除する。フォンは、1(アイ)ガンダムが去った壁の穴を見つめながら、独り言のように呟いた。

 

 

「はっ、バカめ。これから、イバラの道が待っていることも知らずに――」

 

 

 フォンは一体何を知っているのだろう。彼の眼差しは、真っ暗な夜空の向こうへと向けられていた。

 その先に何があるのか、テオドアも辿ってみる。残念なことに、テオドアには、その先を見通すことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 戦場は、文字通りの大混戦だ。

 

 四方八方から特攻兵器が飛来し、争い続ける人類に見切りをつけたイマージュの群れが攻撃を仕掛け、操られたバジュラ達がZEXISに集中砲火してくる。

 

 

「バジュラとの戦いで疲弊したところを狙うなんて……!」

 

「流石は世界の影……しかも、元がつく連中だな」

 

 

 アレルヤとロックオン(ライル)が苦々しい表情を浮かべた。気持ちは分からなくもない。

 4つ巴とは名ばかりで、実際はZEXIS対イマージュ・バジュラ・特攻兵器という酷い構図だ。

 

 

「ZEXIS。これはね、一方的に嬲られるだけの簡単なお仕事よ。そのまま死んでくれれば完璧なんだけど」

 

「ねえさん! あんた、一体どこにいるんだ!?」

 

 

 蒼海の笑い声が聞こえてきた。クーゴの問いに、彼女は言葉を返さなかった。代わりに、宇宙艦近辺に隠れていた“何か”がここへ姿を現す。

 例えるならそれは、20世紀に日本で行われた万国博覧会でお披露目された太陽の塔だ。塔の最上部に覗く顔は、いつぞや対峙したテラズ・ナンバーと雰囲気がよく似ている。

 その姿を確認したベルフトゥーロが、仇敵を見るような眼差しになった。彼女の口が動く。『視』間違いでなければ、ベルフトゥーロは「グランドマザー」と言った。

 

 グランドマザー。嘗て、人類と『ミュウ』を殲滅するために地球を滅ぼそうとしたスーパーコンピュータにして、S.D体制を造り上げた存在そのもの。

 『ミュウ』からしてみれば、一族の怨敵に当たるだろう。その遺伝子は次世代の『ミュウ』たちにも刻まれているようで、クーゴの本能が戦いていた。

 

 

『返してよ、人殺し! 私の仲間たちを返してぇぇ!』

 

 

『沙慈、沙慈! やだ、やだよ……返事をして、沙慈ィィ!』

 

 

 遠くから悲鳴が『聞こえて』くる。女性が血まみれになった青年たちを支えて金切り声をあげる光景が『視えた』。次に映し出されたのは、頭から血を流して動かない沙慈を抱えて泣き叫ぶルイスの姿だ。

 女性の仲間を撃ち、沙慈に大怪我を負わせたのは、この場に乱入した独立治安維持部隊のアヘッドである。GNアーチャーに搭乗していたピーリスは、そのパイロットが誰であるかを察した様子だった。

 

 

「アンドレイ、貴様……! 大佐だけでなく、非戦闘員の一般人まで手をかけたのか!!」

 

「私は悪くない! 裏切ったのはあいつらだ! お前もだろ、裏切り者があああああああああああああ!」

 

 

 怒りを燃やしたピーリス/GNアーチャーがアンドレイ/アヘッドへと迫る。アンドレイもまた、錯乱しながらもピーリスを敵だと認定したらしい。2機は激しく鍔迫り合いを繰り広げた。

 

 

「ほら、ごらんなさい。人間は己の感情を制御できない生き物。だからこそ、革新者(イノベイター)による導きが必要なのよ」

 

「テメェがそれを言うのかよ……!」

 

 

 高みの見物をしているのは蒼海だけではない。彼女をはじめとした革新者(イノベイター)たち――(ワン)兄妹、蒼海の息子たち――が、ZEXISたちを嘲笑った。

 奴らの物言いが琴線に触れたのか、ZEXISの隊列から1機が飛び出した。ホランド・ノヴァクが操る機体だ。余命幾何もないホランドは、世界を守るために特攻しようとしているのだ。

 勿論、最前線に飛び出すわけだから、イマージュたちはホランドの機体へ狙いを定める。機体に攻撃が命中し、その度にホランドのうめき声が聞こえてきた。レントンが彼を呼び止めようとするが、止まらない。

 

 

「聞けよ、イノベイター! それにイマージュ!」

 

 

 ホランドの叫びに呼応するかのように、ほんの一瞬だけ、イマージュが動きを止める。

 

 

「俺は自分だけが不幸だと思いこんで、周りに毒を撒き散らかしたクズ野郎だ! あそこにいる“自称”新人類と同レベルの、身勝手なドアホウだ!」

 

 

 その言葉は懺悔のようでもあるし、自身に対する嘲りのようにも思える。破界事変のときの彼は、その言葉通りのことをやってのけた。

 エウレカとイマージュを利用することで世界をリセットしようとしたことを、ホランドはどこかで気にしていたのかもしれない。

 

 

「だがな、俺は変われた! ここにいる奴等と、俺の愛する奴らのおかげで!」

 

 

 だから自分は戦うのだと、ホランドは叫ぶ。

 

 

「俺の愛する奴らと世界を、俺やテメェ等みたいなクズの好きにさせないために!!」

 

 

 だから命をかけても惜しくないのだと、ホランドは叫ぶ。

 

 彼の気迫に、ホランドを制止しようとしていたレントンが止まる。彼もまた、エウレカのために命を賭けたことがあったからだ。

 勿論、命を賭けているのはホランドだけではない。次の瞬間、プトレマイオスがトランザムを発動した。

 事実上、グランドマザーの支配下に置かれたヴェーダを取り戻しに行ったのだろう。彼らが戻るまでの戦線の維持――ZEXISの役目。

 

 

(――!?)

 

 

 しかし、物事はうまくいかないというのが常識であった。クーゴの脳裏に、突如ヴィジョンが映し出される。スメラギと対峙するビリーの姿だ。

 

 

『クジョウ! はやく、僕を撃って!』

 

『ビリー!? 貴方、何を言っているの!』

 

『このままじゃ、僕はキミを殺してしまう……! 僕は嫌だ、キミを殺すなんてできない! 殺したくなんか……』

 

 

 顔を真っ青にして叫ぶビリーの表情とは裏腹に、彼の手には銃が握られている。銃口は、スメラギの心臓に向けられていた。

 引き金を引けば簡単に彼女の命を奪えるだろう。ビリーの意志を反映しているのは、彼の表情と震える腕であった。

 

 

『クジョウ、僕はキミが憎い……違う、違う! 僕はキミを憎んでなんかっ……! ああ、殺したい、殺してやる……ッ、違う……違うよ、僕は、僕はぁぁぁぁぁぁッ!』

 

 

 引き金が引かれた。銃弾はスメラギの頬を掠めて壁にめり込む。ビリーの目は、虚ろになったり光が戻ったりと目まぐるしく変化していた。グランドマザーの支配に逆らっているためだ。

 完全に操られていて、尚且つ相手が外道ならば、躊躇うことなく撃ち殺せる。でも、目の前にいるビリーにはまだ正気が残っているのだ。しかも、ビリーは必死になってスメラギを守ろうとしている。

 そんな相手を撃ち殺せるだろうか。万に1つほどの可能性ではあれど、助けることができる人間を、殺すことができるだろうか。命を賭して自分を守ろうとしている昔なじみを、自分に危害を加えるという理由だけで、躊躇いなく殺せるだろうか。

 

 スメラギの答えは否だった。彼女は小さく首を振る。

 

 刹那、ビリーの瞳から光が消えた。悲鳴が止み、彼は虚ろな表情のまま銃を構える。今度は、銃を持つ手に震えはない。

 グランドマザーに意識を支配されてしまったのか。クーゴがハッとしたとき、はやぶさに衝撃が襲い掛かった。

 

 

「ぐ……!」

 

 

 機体損傷は軽微だが、攻撃は次々に降り注ぐ。あちらこちらで悲鳴が響き、光がちらついた。戦艦かMSに被弾したのだろう。

 

 

(くそ! このままじゃあ、完全にジリ貧だ!!)

 

 

 どうする。どうすればいい。

 このまま仲間の命が散っていくのを、自分は見ていることしかできないのか。

 

 そのとき、クーゴの視界にダブルオーの姿が目に入った。カメラアイの光は昏く、呆けてしまったように見える。まるで、取り返しのつかない過ちを犯し、途方に暮れているかのようだ。

 

 

「俺たちの生んだ歪みが、広がっていく……」

 

 

 弱々しい刹那の声が聞こえた。今にも泣き出してしまいそうな声だった。

 

 

「みんなの命が、消えていく……!」

 

 

 爆発音が遠くから響いた。また悲鳴が聞こえる。命を燃やして戦う者たちの声が、小さくなっていく。

 希望は絶望に飲まれた。憎しみの声が延々と『聞こえてくる』。ZEXISは、怨嗟の中に沈んでいるのだ。

 

 

「――そんなことを……」

 

 

 刹那の想いが伝わってくる。不器用だけれど、本当は深い愛情を持って相手を思いやれる優しい女性(ひと)だ。世界のことを誰よりも憂い、理想を掲げて戦う強い女性(ひと)だ。どこまでも温かい心を持つ女性(ひと)だ。

 ダブルオーの機体が淡く発光した。GN粒子の輝きが、どんどん強くなっていく。まるで、刹那の心に呼応するかのようだ。その温かな輝きを、クーゴは『知っている』。これは、人の心の光だ。世界に指し示す希望の道しるべ。

 

 

「刹那!」

 

「――させるかああああああああああッ!!」

 

 

 アムロがはっとしたように声を上げた。ニュータイプの直感で、彼は何かを感じ取ったのだろう。次の瞬間、ダブルオーの太陽炉が一際強い輝きを放った。刹那の瞳が暗い金色に輝いたのが『視える』。あれは、純粋なイノベイターの特徴と一致していた。

 

 

「目覚めさせるものですか!」

 

「いけない!」

 

 

 留美(リューミン)/ハルファスベーゼが砲門を撃ち放つよりも先に、イデア/スターゲイザー-アルマロスが割り込んでシールドを展開する。宝石を思わせるような防御壁が、放たれたレーザーを防ぎ切った。シールドには傷一つ付いていない。

 間髪入れず、ダブルオーの太陽炉から発生した輝きが、この場一帯を包み込む。どこまでも温かな光の中に、仲間たちの声が響き渡る。今まで以上に、彼らの近くで戦っているのだと実感した。

 

 

(これが、真の革新者(イノベイター)が有する力。人と人とが分かり合うために必要な力なのか)

 

「今です! 人と人を繋ぐのが、僕たち『ミュウ』の仕事ですよ!」

 

 

 不意に声が聞こえた。振り返れば、ZEXISとは別行動をしていたテオドア/Hi-νガンダムの姿があった。

 彼の言葉は、嘗て『ミュウ』の少女が残した名言そのものである。『ミュウ』の力は、心を繋ぐためのものだった。

 クーゴはイデアと顔を見合わせて頷く。前に向き直り、自分たちはサイオン波を展開した。能力を駆使し、仲間たちの心を繋いでいく。

 

 失ったと思った仲間が還ってきたことに喜ぶ女性がいた。死の淵を彷徨っていた沙慈がルイスと再会し、寸でのところで還ってこれたことを喜ぶ声がした。父の愛情と、誰も自分を裏切っていなかった事実を知って、涙をこぼすアンドレイがいた。友人が何を思い、何のために戦ったのかを知って和解したルルーシュとスザクの笑顔があった。ようやく高嶺の花に「好きだ」と告げることができたビリーが、「クジョウを殺さなくてよかった」と泣きわめいていた。

 

 

(ああ、なんて綺麗な光なんだろう)

 

 

 真っ暗闇に光がともるような心地になり、クーゴはゆるりと目を細める。限界で悲鳴を上げていた体が、嘘のように軽い。

 仲間を助けたいと願う刹那の想いを、GN粒子は――イオリアの遺産が叶えて/応えてくれたのだろう。

 

 

「どうなってやがるんだ? 体の痛みが全くない。まるで、細胞の1つ1つが生まれ変わったみたいだ……」

 

「どうしてだろう。お腹が熱い……。それに、さっきまでの頭痛が完全に消えてる」

 

 

 満身創痍だったホランドとシェリルが、何事もなかったかのようにぴんぴんしている。片や寿命が目前に迫り、片や死を待つしかない病を患っていたというのにだ。

 間髪入れず、イマージュたちが攻撃の手を止めた。しばしZEXISの方を見つめたのち、くるりと向きを変えて去って行く。人類に攻撃を仕掛ける意図はないらしい。

 

 

「よかった……。みんな、分かってくれたみたい」

 

「イマージュは俺たちのこと、もう1度信じてくれたんだね」

 

 

 レントンとエウレカが安堵したように微笑んだ。GN粒子は、人だけでなく、知的生命体ともわかり合う力を持っていたようだ。

 もしかしたら、これが“来るべき対話”の鍵を握っていたのだろうか。クーゴがそれを問いかけるより先に、仲間たちが湧き立った。

 真の覚醒を成したイノベイターと、驕り高ぶる支配者が激突する。世界の明日を決める戦いは、もうすぐ決着を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴは思わず目を見開いた。周囲を見回すと、心なしか、周囲に煌めくものが漂っているように思う。この光を、クーゴはどこかで目にしたことがあった。遠い虚憶(きょおく)で、奇跡を起こした優しい光。

 件の光は、ラグランジュ3中に漂っている。確か、今、ツインドライヴに関する実験が行われていたか。今、ラグランジュ3のなかに漂うこの輝きは、イオリアが残した遺産に秘められた真価なのかもしれない。

 GN粒子を浴び続けることで、人間はイノベイターに革新するという。……もしかして、今、この一帯を包み込む光こそが、刹那を革新者へ誘う鍵なのだろうか。

 

 談話室に舞い散る光を目の当たりにし、宙継とイデアが感嘆の息を吐いた。

 

 

「うわぁ……。綺麗な光だぁ……」

 

 

 宙継は目を輝かせてその光を見つめていた。

 光から伝わってくる感情を読み取るように、ゆっくり目を細める。

 

 そんな宙継を見ていると、なんだかとても微笑ましく思うのだ。彼が年相応の子どもとして振る舞う姿を見ると、安堵感がじんわりと湧き上がってくる。

 

 

(当たり前のことを当たり前に……それが一番難しいんだよな。特に、俺たちみたいなのは)

 

 

 心のどこかに薄暗い影を持つ人間は、当たり前とか平穏とかいう言葉がどれ程尊いか、身を持って体感していた。遠い昔に負った傷は、未だ癒えることなく血を流し続ける。表面上、何事もないように装いながら。

 真正面からそれと向かい合いながら生きる者。傷に背を向けながらも、時折振り返りながら生きる者。その傷をなかったように振る舞いながら生きる者。人の数だけ、傷との向かいあい方がある。折り合い方があるのだ。

 

 

「……声が聞こえる。これは、刹那?」

 

 

 イデアは少し驚いたように目を見張ったが、すぐにゆるりと目を細める。その姿はまるで、母親が我が子の成長を喜んでいるようだった。

 

 

「優しい光。これが、あの子の想いなのね」

 

 

 光を見つめるイデアの眼差しは、どこまでも優しい。紫苑の瞳は慈しみで満ちている。

 彼女は、こんな綺麗に笑うのか――クーゴの脳裏に、漠然とそんな思考が浮かぶ。

 不思議なことに、宙継を見ているときとは違う微笑ましさが湧き上がってきて、口元が緩む。

 

 

『クリス……ッ!!』

『ちょ、何!? いきなり抱きしめてくるなんて……う、嬉しいけど……』

 

 

 不意に、感極まったリヒテンダールがクリスティナをぎゅうぎゅうと抱きしめている姿が『視えた』。クリスティナの声が聞こえて嬉しくなった、とリヒテンダールは笑う。それはクリスティナの方も同じようで、2人ははにかんだ笑みを浮かべていた。

 

 

『沙慈……』

『ルイス……』

 

 

 別の場所では、沙慈とルイスが顔を真っ赤にして照れ照れしている。この夫婦もまた、お互いの声が聞こえて嬉しくなったらしい。そういえば、似たような光景を虚憶(きょおく)で目の当たりにしたような気がするが、どこだっただろう。思い出せない。

 

 また、光景が切り替わる。そこにいたのは、ダブルオーの実験を見ていた面々だ。

 その中でも、一際クーゴの目を惹いたのは、ベルフトゥーロの横顔だった。

 

 

『――嗚呼』

 

 

 地球を思わせるような青い瞳が、歓喜に打ち震えている。

 

 

『これが、あの人が待ち望んだ光。私たちが夢見たもの。私が見たかったもの』

 

 

 ベルフトゥーロの眼差しは、ツインドライヴの実験結果と周囲を漂う緑の光――GN粒子に釘付けであった。

 彼女はきっと、数世紀前の仲間たちと夫の姿を『視て』いたのかもしれない。青い瞳がゆっくり細められる。

 

 

『300年、待ち続けた甲斐があった』

 

 

 ベルフトゥーロは幸せそうに微笑んだ。『ミュウ』としての長命だからこそ、彼女はツインドライヴが最大限の力を発揮する瞬間に居合わせることができた。

 200年越しに、夫の英知が使われる姿を見たのだ。嬉しくないはずがなかろう。それまでの200年間、彼女はソレスタルビーイング創設に関わった第1世代のメンバーとして、ずっと見守ってきた。

 ……どんな気持ちだったのだろうか。仲間たちが次々と寿命で去って行く中、見知った顔に――大切な人たちに置き去りにされていくというのは。きっと、どんなに長生きしたとしても、忘れられるものではない。

 

 クーゴが目を伏せかけたとき、ベルフトゥーロが弾かれたように息を飲んだのが『視えた』。

 

 ベルフトゥーロのいた光景が切り替わる。

 どこかに、光が落ちた。次の瞬間、大地が炎に飲み込まれた。

 

 

(――!?)

 

 

 思わずクーゴは目を見張る。砂漠の都が、一瞬で焦土と化した。

 あの場にいた人間は、自分に何が起きたかを理解する間もなく死んでいったのだろう。

 沢山の命が、一瞬のうちに奪われた――その喪失感に、恐怖すら覚えてしまいそうだった。

 

 今の光景は、クーゴだけに『視えた』ものではなかったらしい。イデアと宙継も、危機迫った表情を浮かべている。

 

 

「今の……」

 

「メギドの火? ……いいや、威力はアレの足元には及ばないけど、でも……」

 

 

 宙継がぞくりと身を震わせる。沢山の命が尽きたのを感じ取ったためであろう。先程の光景から『ミュウ』の遺伝子に刻まれた恐怖を連想したのか、イデアは顎に手を当てて不安そうに目線を彷徨わせる。

 嘗て、ナスカを滅ぼす際に使用された衛星破壊兵器――それが、メギドシステムと呼ばれるものであった。先程の光景はメギド照射よりも被害は少ないけれど、『ミュウ』の悲しみと恐怖を抉るには充分すぎた。

 

 丁度そのタイミングを待っていたと言わんばかりに、フェルトからの通信が入る。彼女の焦った様子に、何とも言えぬ予感が鎌首をもたげた。

 

 

「観測システムが、地球圏で異常な熱源反応を捕らえた模様。至急ブリッジに集合してください!」

 

 

 彼女の言葉から連想したのは、先程の光景だった。砂漠の都に落ちた光が、街1つを――ひいては国1つを消し飛ばす。

 フェルトの言う熱源反応は、十中八九、先程の光/兵器が出どころだ。クーゴの予感は、悪い方向に動き始めている。

 

 

(……ねえさん。貴女は一体、何を考えているんだ)

 

 

 袂を分かった姉の姿を思い浮かべる。記憶の中の姉は、どこまでも歪んだ笑みを浮かべていた。クーゴに――あるいは世界に対する憎しみを、惜しみなくぶつけてくる。

 『気に食わない相手は容赦なく潰す』のが姉のやり方だった。あの光はまさしく、姉のやり方を具現化したようなものだ。また、誰かが姉によって傷つけられたのだ。

 クーゴは確かに蒼海の弟で、蒼海の家族だ。母亡き後、蒼海の肉親と言えるのはクーゴだけである。しかし、いくら家族といえど、自分は彼女のやり方を肯定することはできない。

 

 

(常に血縁者の味方でいることが家族だというなら、俺はねえさんとは家族になれなかったってことか。……そうして、それこそが、俺が一生背負って行かなくてはならない業なんだろう)

 

 

 クーゴはひっそりと自嘲する。

 

 自分は彼女の一番近くにいながら、そこから遠ざかった人間だ。蒼海の暴走を眺めるだけだった臆病者だ。彼女が周囲の人間たちから否定されても、クーゴだけは彼女の味方でいなければならなかったのに。

 蒼海の歪みを知りながら、その歪みを正そうとせず、歪みの根底にある思いから目を逸らし、彼女の想うがままに振る舞わせた――だから、クーゴは蒼海の家族になり得なかったのだろう。

 

 

(俺にできることは、あの人を止めることだけだ。――家族になれなかった他人として)

 

 

 意を決して顔を上げる。イデアと宙継が、クーゴを見つめてきた。互いに頷き合い、ブリッジへと向かう。

 いつもと同じルート、同じ距離。なのに、どうしてブリッジまでの距離が遠く感じるのだろうか。

 もどかしさを抱えて走る。ブリッジはすぐ見えてきた。扉を開ければ、クルーたちが険しい面持ちで集っている。

 

 目の前に提示された画像には、大きなクレーターが出来上がっていた。画面に表示された地図には、中東のスイール王国が指示されている。

 

 

「なあ、これって……」

 

「太陽光エレベーターの技術を応用した衛星兵器です」

 

「国1つを消し飛ばす威力だなんて」

 

 

 クーゴの問いに、アニューが険しい表情で答える。クリスティナが握り拳を振るわせた。彼女の隣にいたリヒテンダールの表情も硬い。

 

 

「太陽光発電に関する紛争が起きたときは、こんな兵器ができるなんて思わなかったッスよ」

 

 

 よりにもよって、と、リヒテンダールは肩をすくめる。その言葉を聞いたクリスティナが、心配そうにリヒテンダールを見上げた。

 リヒテンダールはぎこちなく微笑むと、無言のままクリスティナを制した。気にしなくていい、と、彼の眼差しは告げていた。

 

 あの衛星兵器を、このままにしてはおけない――。

 

 クルーたちの意見は一致したようで、みなが顔を見合わせて頷き合う。

 仲間たちの言葉を代弁するかのように、スメラギが口を開いた。

 

 

「補修が終わり次第、トレミー出向。連邦の衛星兵器破壊ミッションを行います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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28.守るべきもの

 星の命が終わる瞬間を、『視た』。

 

 ベルフトゥーロの目の前に広がるのは、衛星破壊兵器メギドシステムによって崩壊していく自分の故郷だった。大地はバキバキとひび割れていく。惑星そのものが自壊していくのだ。

 幾何かして、ベルフトゥーロの故郷――惑星ナスカは、悲鳴にも似た轟音を残して爆散した。宇宙(そら)にキラキラと輝く光は、嘗てナスカを構成していた塵たちである。いずれ、その塵も消えてなくなるだろう。

 

 

(どうして)

 

 

 消えてしまった故郷。

 踏みにじられた命の数々を想う。

 未来を切り開くために散った命を想う。

 

 

(どうして人間は、こんなことができるの)

 

 

 親友の両親が眠る大地も、ナスカの崩壊に殉じた両親の『存在した証』も、ソルジャー・ブルーの存在も、何1つすら残っていない。何1つとして、人類は残してくれなかった。すべてを滅ぼした断罪の光を、ベルフトゥーロは魂に刻みつける。

 あんなもの、この世界に存在させてはいけない。『ミュウ』たちがつかみ取る勝利の先に――『ミュウ』たちが生き残るという願いのために、メギドシステムは存在してはならないのだ。すべての命が、脅かされることなく生きる未来のためにも。

 

 安息の地を、仲間を奪われた『同胞』たちがすすり泣く声が聞こえてくる。ベルフトゥーロもまた、悲しみに涙をこぼす者の1人に過ぎなかった。ナスカを命からがら脱出したシャングリラもまた、長い流浪生活に旅立つのであろう。嘗ての旅がそうであったときのように。

 

 

「俯くな、仲間たち!」

 

 

 不意に響いた声に、ブリッジがざわめきはじめた。あちこちから『同胞』たちが驚きの声を上げる。彼らはみな、口々にブルーの名を呼んだ。

 先代指導者(ソルジャー)のブルーは命を落としたはずだ。何故、『同胞』たちは死んだ人間が生きているのを目の当たりにしたかのような声を上げたのか。

 恐る恐る顔を上げてみると、ベルフトゥーロの予想に反して、そこにブルーはいなかった。立っていたのは、ベルフトゥーロが敬愛する相手――ジョミー・マーキス・シン。

 

 彼の耳には、嘗てブルーが身につけていた補聴器がつけられていた。

 そこから、ブルーの想いが伝わってくる。嗚呼、と、ベルフトゥーロは息を吐いた。

 

 

(想いは、受け継がれたんだ。そうして、いつか私も、同じように受け継いでいく)

 

 

 魂はここに。生きた証も、ここに。ベルフトゥーロは、無意識に手を組んだ。魅せられるような心地で、ジョミーの演説に耳を傾ける。

 

 

「本船はこれより、アルテメシアへ向かう」

 

「っ!?」

 

「なんですと!?」

 

 

 威風堂々としたジョミーの言葉に、ハーレイとゼルが驚愕した。眉間の皺が普段より深くなったように思う。

 普段はジョミーの意見に反対するゼルも、ジョミーを見守りつつも時折嗜めるハーレイも、圧倒されたかのように二の句が継げない。

 どこまでも荘厳な響きを持って、ジョミーは言葉を紡ぐ。揺るぎなき意志の強さが、ベルフトゥーロの心に伝わってきた。

 

 

「我々は、決して人間たちを憎むものではない」

 

 

 彼ははっきりとそう言いきった。何故、と、ベルフトゥーロは問いかけようとして止まる。

 ベルフトゥーロもまた、ジョミーの立ち振る舞いに圧倒されていたためだ。

 

 ぴりぴりとした何かが肌に突き刺さってくる。思わず、ベルフトゥーロは生唾を飲んだ。どこまでも透き通った翡翠色の瞳が、『同胞』たちを射抜いていく。

 

 

「ナスカに降りて、別種の生き物として生きようともした。だが、人間はそれを赦さない。……いや、彼らの『システム』がそれを赦さないのだ」

 

 

 ジョミーの言うシステムは、S.D.体制そのものを指しているのだろう。『ミュウ』の生存権を認めようとしない、グランドマザー/機械たちによって構成された社会体制だ。

 『ミュウ』がこうして宇宙を流浪しなければならない原因を――故郷を奪われるという悲劇を推奨する体制そのものを、ジョミーは敵だと認定しているのだ。

 

 

「我々の目標は、青い星(テラ)に行きつくことだけではない。テラのシステムを1つ1つ破壊し、人間たちに生き方を問う」

 

 

 機械によって支配された人類は、自分で考えることを放棄している。考えて、選択して、行動することを是としない。提示された選択肢がすべてだ。

 今回、ナスカを崩壊させた連中だって、『グランドマザーが『ミュウ』抹殺の命令を出したから』、衛星兵器メギドシステムを投入したに過ぎないのだから。

 人類には、機械が指示した選択肢にはっきりと「No」を突きつけることができない。突きつけることは死を意味しているし、それは悪しきことであると彫り込まれているためだ。

 

 その認識を壊さなければ、青い星(テラ)にたどり着いたとしても、迫害は続くだろう――。

 ジョミーの憂いは最もである。S.D.体勢がある限り、『ミュウ』に安息は訪れない。

 

 

「……そこで、我々を生み出し、S.D.体制を支える教育の要、育英惑星アルテメシアを制圧する」

 

 

 いきなりの言葉に、仲間たちが困惑の声を上げる。

 

 以前のジョミーならば、何かを始めるときは仲間たちに相談を持ち掛けたものだ。

 その姿を、ベルフトゥーロはいつも目にしていた。

 

 

「これは相談ではない。命令だ!」

 

 

 ざわめく仲間たちの不安や動揺を押し込めるが如く、ジョミーが声を張り上げる。思えば、ジョミーが誰かに命令するのは、これが初めてだったのではないだろうか。

 反論しようとした人もいたのかも知れないが、ジョミーから発せられる気迫がそれを赦さなかった。すべての反論は、二代目ソルジャーの意志の前に屈したのだ。

 誰もが、ジョミーに釘付けであった。心優しい青年から雄々しき指導者となった青年の姿を、目に焼き付けているかのように。そうして、ソルジャー・シンが号令を出す。

 

 

「戻ろう。アルテメシアへ! ――そして、青い星(テラ)へ」

 

 

 その言葉を皮切りに、シャングリラが進路を変更する。

 目的地は、指導者の故郷である惑星――アルテメシアだった。

 

 

 

***

 

 

 

 

「倒すべき敵を見誤ってはいけない。倒すべきは、敵対する人間ではなく、人間を争いへと駆り立てる『システム』そのものだ」

 

 

 誰に言って聞かせるわけでもなく、ベルフトゥーロはぽつりと零した。眼下には、衛星兵器によって滅ぼされたスイール王国の跡地が映し出されている。

 いくら、嘗てこの映像よりも惨たらしい光景を見たとはいえ、平気のへいざでいられるはずがない。スイールを焼いた光は、ナスカを滅ぼしたメギドの火とよく似ていた。

 

 誰かの答えを期待したわけではないけれど、ベルフトゥーロの言葉はしっかり届いたらしかった。

 

 

「そして、そのシステムを存続――あるいは完成させようと画策する者たちこそ、僕たちが倒すべき歪みだ」

 

「存じています。そのために、私たちは戦うことを選んだのですから」

 

 

 振り返ると、状況を確認していたスメラギとティエリアが立っていた。2人とも、その横顔は決意に満ちている。まるで、いつか目にしたソルジャー・シンを彷彿とさせた。

 思わず、ベルフトゥーロは息を飲んだ。イオリアが望んだ子どもたちが、敬愛するジョミーと同じような眼差しを持っていたのだから。受け継がれていたのは、イオリアの想いだけではないらしい。

 

 

(世代を、時代を、種族を超えて、グラン・パの想いも受け継がれていくんだ)

 

 

 ああ、胸がいっぱいになる。

 ちょっと泣きそうになったけれど、堪えた。

 若いものにばかり、カッコイイ真似をさせられない。

 

 S.D.体制が存続していたとき、ベルフトゥーロにとっての世界の歪みはグランドマザーだった。機械仕掛けの神こそが、歪みを生み出す原因そのものだった。

 しかし、この地球には、『システム』を形成する要となるモノの後ろに、『システム』を形成するニンゲンが控えている。言い換えるならば、「グランドマザーを使って世界を支配しようとする黒幕がいる」図だ。

 

 

「おそらく、貴女の尊敬する人物が打ち倒した敵より厄介なものを、僕たちは相手取ることになるだろう」

 

 

 覚悟はしている、と、ティエリアは言った。紫苑の瞳には一切の揺らぎがない。

 

 

(若者の成長は、こういうときに実感するんだろうなぁ)

 

 

 ベルフトゥーロの涙腺が少々緩んだが、500年生きてきた意地で堪えた。

 

 

「うん、ありがとう。……長生きって、してみるものね」

 

 

 感慨深く呟けば、ティエリアは何かを察したように目を伏せる。察したのは、スメラギも同じだったらしい。もう戻らないものを想うように、彼女も静かに目を閉じた。

 前者は行方不明となってしまった初代ロックオンを、後者は自分の采配ミスによって失ってしまった恋人を思い浮かべているようだ。500年生きると、取りこぼしたものは数知れなくなる。

 両親、故郷、親友、敬愛すべき指導者たち、最愛の伴侶――今なら守れるのに、と、嘆きを叫ばずにはいられない。けれど、今のベルフトゥーロには、未来へ向かって歩き続けることしかできない。

 

 

『何が正しくて、何が間違いなのかなんて、終わってみなければわからないさ』

 

 

 遠い昔、ソルジャー・ブルーが零していた言葉を思い出す。ソレスタルビーイングも、『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』も、戦争根絶と恒久平和のために暗中模索の日々を送っている。

 世界の裏側で暗躍し、表舞台で華麗なる敗者となって去るまでに、たくさんの命が犠牲になった。勿論、こちら側だって多くの犠牲を祓っている。結果を突きつけられるたび、いつも後悔がやって来るのだ。

 

 

(それでも、進み出してしまった以上、止まることはできない。たとえ、取り残され、置いて行かれ、置いて行くことになっても)

 

 

 取り残され、置いて行くのが人生だとばかり思っていた。長生きはするものではないとぼやく『同胞』の意見も、間違いではない。

 

 でも。自分たちの想いが受け継がれていく姿を見る度に、この光景を見れたことを幸いだと思う。

 その場に居合わせたことが幸いだと思うのだ。その度に、長生きも悪くはないと実感する。

 

 

『グラン・マ。アロウズの艦隊が補給を終えて出発したようです』

 

 

 スメラギとティエリアに背を向けたのと同じタイミングで、ラ・ミラ・ルナからの思念波が届いた。予測到達時間は3日程度らしい。

 

 

『この基地に、今の情報を送って頂戴。信頼するしないに関わらず、時間との勝負だと』

 

『了解です』

 

『……ところで、初代くんの様子はどうなの?』

 

『作戦可能時間は、最大で4時間程度が限界ってとこです。それ以上戦うとなると、フォローが必要になりますね』

 

 

 ベルフトゥーロの思念波に応えたのはエイミーであった。思念増幅師(タイプ・レッド)の力に振り回され気味だったスナイパーは、ようやく己の能力を調節できるようになってきたらしい。

 

 

『こっちは問題なさそうね。それじゃあ、ノーヴルたちの方は?』

 

『こちらも問題ありません。プトレマイオスがラグランジュ3から発艦後、すぐ合流およびフォローも可能です』

 

『わかった。何かあったらよろしくね』

 

 

 思念波を使い、ベルフトゥーロはノーヴルと会話した。ノーヴルたちの部隊はあくまでも保険だが、準備は入念にするくらいが丁度いい。思念波を駆使して各方々へ連絡と通達を行った後、ベルフトゥーロは車椅子を漕ぎだした。それと入れ替わりに、ラグランジュ3を取り巻く空気に変化が生じる。

 『悪の組織』からの情報が届いたため、急遽補給を速めることにしたらしい。と言っても、ソレスタルビーイングの面々は、ラグランジュ3の偽装は完璧だと思っている。あくまでも、「アロウズ艦隊が近隣をうろうろしているらしいから、万が一に備えて補給を速める」という認識だろう。それでも、取り合ってもらえないよりはいい。

 

 ラグランジュ3にいた非戦闘員および技術者たちが走り回るのを横目に、ベルフトゥーロは車椅子を漕いだ。

 刹那、黒髪黒目の年若そうな青年がベルフトゥーロの目の前を横切った。

 どこか物珍しそうにしている気配に、車椅子を止めて振り返る。反射的に、青年へ声をかけていた。

 

 

「ねえ」

 

「? なんでしょうか」

 

 

 呼び止められるとは思っていなかった青年が、酷く驚いた様子で振り返った。ベルフトゥーロはじっと彼の表情を見つめる。

 

 

(……この外見、塩基配列XXXXのイノベイターだ。しかも、彼の心理状態からして、ソレスタルビーイングの秘密基地に足を踏み入れたのは初めてらしい。――ってことは、部外者?)

 

「ドクター、こっちです」

 

 

 ベルフトゥーロが眉間に皺を寄せたとき、遠くから声が聞こえてきた。その声に反応して前を向いた瞬間、「ひっ!?」と引きつった声が上がる。それよりも先に、ベルフトゥーロは車椅子を全力で加速させた。

 男が「うわあああ!?」と悲鳴を上げて床を転がったように思うが、些細なことだ。ベルフトゥーロは車椅子を止めると、流れるような動作でその人物の手を取り(こうべ)を垂れる。

 

 

「お久しぶりです、シャル・アクスティカ女史。ご機嫌麗しゅう」

 

「は、はあ。こちらこそ、お久しぶりです……」

 

 

 ベルフトゥーロに口説き落されかかった挙句、変な扉を開いてしまいかけた――そんな体験を思い出しているためなのか、シャル・アクスティカはぎこちない笑みを浮かべた。口の端が不自然にひくついている。

 「なんでこの人がここにいるの」と、彼女の瞳ははっきりと訴えていた。シャルの視線の先にいたシェリリンも、危機迫る表情を浮かべてぶんぶん首を振る。暫く見ないうちに、彼女も麗しき淑女の階段を上っているようだ。

 ベルフトゥーロにとって、女性を褒め殺すことは息をするくらいに自然で簡単なことである。「相変わらず理知的で聡明だ」とシャルを誉め、女性としての開花を迎えつつあるシェリリンには「顔を合わせるたびに綺麗になっていくね」と笑いかけた。

 

 勿論、笑い方は女性を魅了するためだけに鍛え抜いたものだ。爽やかな微笑の奥底から、隠しようもない色気を漂わせる笑い方。

 幼い頃から研究し、磨き続けた技である。大抵の女性はイチコロだと、ベルフトゥーロは自負していた。

 

 

「どうでしょう? もし時間が宜しければ、一緒にティータイムでもいかがですか?」

 

「………………すみません。私もシェリリンも、忙しいものですから」

 

「それは残念。では、またの機会に」

 

 

 名残惜しく微笑みながら、ベルフトゥーロはシャルたちを見送ろうとし――ふと、シャルの制服に目を留めた

 

 

「おや、制服の襟が乱れている」

 

「え? ああ、これくらいなら自分で――」

 

「いいから」

 

 

 ベルフトゥーロから距離を取ろうとするシャルを引き留める。密やかな雰囲気を漂わせた微笑と、惜しみのない艶を乗せた吐息に面食らったのだろう。シャルは動きを止めて、ベルフトゥーロの為すがままにされていた。

 羞恥なのか、困惑なのか、色気に充てられてしまったのかはわからない。だが、シャルの顔はほんのりと色づいていた。揺れる瞳の奥底に、自覚できていない悦びがちらついている。ベルフトゥーロはくつりと微笑んだ。

 

 

「終わったよ」

 

 

 告げれば、シャルは安心したように息を吐いて、即座にベルフトゥーロから距離を取った。

 あと一押しで、イケナイ扉を開けることができたのに。残念だ。ベルフトゥーロはひっそりと苦笑する。

 アブナイ色気に気圧されていたのか、先程の青年と残念そうな男があんぐりと口を開けていた。

 

 

「行きましょう、ドクター! エコ、シェリリンも!」

 

 

 文字通り「脱兎の如く」、フェレシュテの可愛い子ちゃんと野郎2人はこの場から立ち去った。面々の背中はあっという間に見えなくなる。

 

 

(フォン・スパークがいないから、イケると思ったんだけどなぁ)

 

 

 あーあ、と、ベルフトゥーロは落胆した。まあ、しょうがないものはしょうがない。

 今度の機会を待つとしよう。ベルフトゥーロは車椅子の向きを変えて漕ぎだした。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 Dトレーダー。Z-Blueの協力者として同行するAGが営業する、アイテム販売所のことである。

 

 普段は結構な賑わいを見せているのだが、今日は珍しいことに、人っ子1人いやしない。静かだ。

 商売人にとって、閑古鳥が鳴いている状況程嫌なことはない。AGはしょげているように見える。

 

 

「こんにちわ」

 

「! おや、クーゴ様ですか!」

 

 

 声をかけられたAGは、ぱっと表情を輝かせた。今日1番最初の客だ、と、AGの顔に書いて/インターフェイスに表示されている。クーゴは苦笑した後、端末に表示された商品に目を剥けた。

 ……どう考えても手を出せるような額ではない。0の個数が1~3つづつ多いのだ。だから大抵、クーゴは見る専である。眉間の皺を一目見て、AGはクーゴの気持ちを察したのであろう。

 

 

「……なーんだ。ただの見る専(ひやかし)だったんですね。じゃあもういいです」

 

「お客に『その気がない』となると、すぐに掌返すよな」

 

「ああ、閑古鳥が鳴いている……。Dトレーダー開設から、こんなことは前代未聞です……」

 

 

 AGはどんよりとした空気を漂わせた。閑古鳥の店にやって来た客が冷やかしだった、と、どこか恨みがましい感情が流れてくる。

 Dトレーダーの外から、誰かの話声が聞こえてきた。AGはちらちらと扉に視線を向ける。しかし、足音も話し声も素通りしてしまった。

 喧騒はあっという間に遠くなる。AGは肩を戦慄かせた。この場にクーゴがいなければ、思い切り泣き出してしまったかもしれない。

 

 幾何の沈黙の後、AGは深々と息を吐いた。そのまま、Dトレーダーの店終いを始める。

 

 

「あれ? 粘らないのか?」

 

「商売人たるもの、引き際も心得ていますよ。利益獲得のためには、損失を減らすことも重要です」

 

 

 ふふん、とAGは胸を張った。実際、彼の発言は、クーゴの親戚でデイトレーダーを生業にしている人物もよく口に出している。株価の変動によっては、利益ではなく損失がでることもあった。

 親戚曰く「損失が出た時点で、『意地でも利益を取り戻そう』と考えてしまうと、損失が増えてしまう」という。店じまいをするAGの後ろ姿をぼんやりと見つめながら、クーゴはふと問いかけた。

 

 

「ジェミオンって、AGが開発した機体なんだよな?」

 

「ええ」

 

「前々から思ってたんだけど、あの機体のコクピット、ちょっと無理のある設計じゃないか?」

 

 

 クーゴの問いに、AGは目を瞬かせた。そんな質問が飛んでくるとは思わなかったのだろう。開発当時のことを思い出したのか、AGの眼差しは遠い所へ向けられた。

 

 

「わかりますか?」

 

「まあ、大体は」

 

「そうなんですよねぇ。突貫工事だったんですよ」

 

 

 AGは天を仰いだ後、言葉を続けた。

 

 

「元々、ジェミオンは1人乗りだったんですよ。本来のパイロット候補の人数が1人だったためなんですけど」

 

「でも、実際、ジェミオンはヒビキとスズネ先生が搭乗してるんだろう?」

 

「ええ。パイロットを決める際に、ちょっとしたトラブルとイレギュラーが発生してしまったんです。その結果、メインパイロットにヒビキさんが選ばれ、サブパイロットとしてスズネさんが搭乗することになったんですよ」

 

 

 成程。1人乗りだった機体を、突貫工事で2人乗りに改造したのか。

 

 格納庫でジェミオンの前を通りかかる度にアンバランスなコックピットが目についたが、そういう謂れがあったとは。

 成り行きで戦うことになったヒビキであるが、今ではZ-Blueのリーダー格として部隊を率いている。相当努力してきたのだろう。

 クーゴはAGの話を聞きながら、手に持っていた緑茶を啜る。少しだけ苦い。AGは深々と息を吐く。だが、彼の目は爛々と輝いていた。

 

 輝いていたと言っても、AGの表情はインターフェースに表示されているだけである。妙に人間臭い。

 AGの目は、そのイレギュラーを歓迎しているように見えた。クーゴは目を瞬かせた。

 

 

「……その様子だと、ジェミオンとヒビキに起こった想定外の事態も、お前にとっては利益に転じると思ってるのか?」

 

「うーん、どうでしょう。フィフティフィフティってところですかねぇ。現状の結果だけでは、良い方にも悪い方にも転がりかねません」

 

 

 「難しい案件です」と、AGは苦笑した。

 何でも知っていそうなAGであるが、見通せないものもあるらしい。

 

 

「貴方方『ミュウ』に関することだって、私には想定外ですけどねぇ」

 

「?」

 

「いいえ、なんでもありませんよ。ドリンクのおかわりいかがですか?」

 

「ああ、貰う」

 

 

 AGは通常インターフェイスになって、お茶のおかわりを差し出された。クーゴはそれを受け取り、啜る。丁度いい温度のため、うっかり舌を火傷するなんてこともない。

 AGの通常インターフェイスは、正直何を考えているのか察知できない。人のいい笑みを浮かべているようにしか見えないためだ。腹に一物抱えているか否かを判断することはできなかった。

 Z-Blueの面々は、AGという人物(?)の性格をよく知っている。いい笑顔をしていても、その笑顔の裏には、底の見えない“何か”が揺らめき、蠢いているような男(?)であった。

 

 似たようなタイプとしては、イオリア・シュヘンベルクやその妻であるベルフトゥーロが挙げられる。

 2人の盟友だったエルガンもそれに含まれていた。……なんだろう、得体の知れない親近感を感じてしまう。

 

 

(……まさか、なぁ)

 

 

 あまり当たってほしくない予感に、クーゴは眉をひそめる。そんなクーゴを見たAGは、何が楽しいのか、くつくつと喉を振るわせたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

(なんだか、騒がしいな)

 

 

 人々の思念がざわめきはじめたのを感じ取り、クーゴは思わず周囲に視線を向けた。ソレスタルビーイングの非戦闘員たちが、ぱたぱたと施設内を駆けまわっている。

 

 

「近くでアロウズのものと思しき機体の反応を補足しました。このままだと、最短では0035でこの基地に到達します……」

 

 

 ざわめきの正体はすぐにわかった。施設内にアナウンスが響き渡る。声の主はスメラギだった。どうやら、敵が近隣をうろついているため、この秘密基地を廃棄することにしたらしい。

 そう簡単に自分の拠点を廃棄していいのだろうか――クーゴは一瞬そう考えかけたが、ソレスタルビーイングは秘密組織だ。自分たちの情報を守るためには、当然なのかもしれない。

 

 軍にも、民間にも、彼らは情報を隠し通している。機密保持のために、並々ならぬ努力をしていたのだろう。今までも、これからも、ソレスタルビーイングは情報を隠し通していくのだ。クーゴは目を伏せた。

 

 

「気を付けてね、ミレイナ」

 

「はいです!」

 

「貴方も」

 

「わかっているさ」

 

 

 少し離れた場所で、ヴァスティ一家が別れを惜しむように会話をしていた。3人の眼差しは、互いのことを想っている。

 

 

「それにしても、今回は急な決定ですね」

 

 

 クーゴの隣にいたイデアが、眉間に皺を寄せながら顎に手をあてた。

 彼女の表情は、不穏な気配を察知したと語っている。クーゴも頷いた。

 

 

「基地を廃棄するって、そんなに頻繁にやるものなのか?」

 

「廃棄計画はきちんと立ててますよ。ここまで急だと、想定外の事態が予想されるときくらいだと思います」

 

 

 嫌な予感を感じているためか、イデアの表情は晴れない。それを肯定するが如く、構成員たちが慌ただしく駆け出し始める。データと物資の輸送計画についての話が、四方八方から聞こえてきた。

 プトレマイオスの発艦後、なるべく早いうちに物資と人員の移動を行わなければならないようだ。『一刻も早く準備をしなければ』と、人々の思念がざわめいていた。

 誰もがせかせかと走り回っている。まるでタイムアタックに挑戦しているかのようだ。実際、(目標とはいえ)0035までに荷物を纏めて脱出しなければならないのだから。

 

 駆け回る構成員たちをかき分けながら、クーゴとイデアはプトレマイオスに乗り込んだ。自分たちが来たことを察知したのか、宙継がひょっこり顔を出す。どこか不安げだった彼の表情は、クーゴを目にした途端拡散した。宙継は安堵したように微笑む。

 

 

「プトレマイオスの補給と補修、終わったようです」

 

「そうか」

 

「……となると、基地にいる面々の脱出が問題ですよね。どう考えても、時間内に全員が脱出する準備なんて整いませんし」

 

 

 イデアはそう呟いて、秘密基地の内部で駆けまわる構成員たちに視線を向けた。

 そうなると、ガンダムマイスターたちは、衛星兵器破壊のミッション以前にすべきことがあるらしい。

 

 

「トレミーのマイスター、およびMSパイロットたちへ通達。構成員脱出のために時間稼ぎを行います」

 

「みんな、準備して!」

 

 

 フェルトとクリスティナのアナウンスが響き渡る。それに呼応するかのように、マイスターたちが走り始める気配を『感じた』。

 クーゴとイデア、宙継もそれに続く。格納庫に雪崩れ込んだ面々は、何の躊躇いもなくコックピットに乗り込んだ。

 機体の整備は万全。いつでも出れる。クーゴが操縦桿を握り締めたとき、爆発音と振動が襲い掛かってきた。

 

 

『うわあああああああああああ!?』

『やっぱり、0035程度の猶予時間で、脱出準備が整うはずないじゃないか!』

『ムリゲーとクソゲーの合わせ技じゃあないんだから……!』

 

『どうしよう! 開発中の武装がぁ!!』

『諦めなさい、シェリリン! データのバックアップさえあれば開発は続けられるでしょう?』

『えー!!』

 

『何だ!? 一体何が……』

『あわわわ……』

 

 

 職員たちはてんやわんやである。あちらこちらから悲鳴が響いてきた。

 

 

「あまり当たってほしくなかったんだけど……」

 

「いや、そんなことはない。ミス・スメラギの予想が当たってくれてよかったと思う。間に合わなかったら、もっと大変なことになっていただろう」

 

「それは光栄ね。最も、それに関する功労者は私ではないのだけど」

 

 

 ティエリアに肯定されたスメラギは、苦笑しながらため息をついた。スメラギの視線の先には、満面の笑みを浮かべるベルフトゥーロの姿が『視える』。

 どうやら、アロウズが近隣にうろついているという情報を察知していたのはベルフトゥーロたちだったらしい。彼女たちの助言がなければ、補給は間に合わなかったそうだ。

 

 

「私の情報が役に立ったでしょう?」

 

「ええ。感謝します、ベルフトゥーロ女史」

 

「なら、この一件が片付いたら、約束通り私とデートして頂けますね?」

 

「…………そうね。この一件が片付いたら、ね」

 

 

 スメラギを口説き落そうとしていたのか、ベルフトゥーロの表情は活き活きしている。対して、スメラギは物凄く渋い笑みを浮かべて視線を逸らした。

 

 彼女の眼差しは、「私には女同士でむつみ合う趣味はないのだけど」と訴えている。それはフェルトやクリスティナも同じようで、何とも言えない表情を浮かべていた。

 クリスティナの彼氏であるリヒテンダールは、危機迫る様子でベルフトゥーロを睨んでいた。「クリスは渡さない」と、彼の瞳は必死になって訴えている。

 幸運だったのは、ベルフトゥーロには「カップルを引き裂く趣味がない」という点だろう。不信の眼差しを向けるリヒテンダールに対し、彼女は「恋人を引き裂く趣味はない」と堂々宣言していた。

 

 

(なんて会話だ)

 

 

 この会話が相手指揮官に聞こえていたら、その人物はどんな顔をしているだろうか。

 おそらく、口元が引きつっていることは確実である。

 

 不意に、アロウズの服を着た女性が眉間に深い皺を刻みながら虚空を見上げている姿が『視えた』。知的な眼鏡の女性は、戦慄いた様子で言葉を紡ぐ。

 

 

『そんなバカな……! 今私は何を考えた!? コーラサワーの方が見ていて安心するだなんて、そんな……!』

 

 

 彼女のぼやきを皮切りに、他にも何かを受信してしまった方々がいたらしい。

 『俺、この戦いが終わったら性転換するんだ……』だの『私もう百合でいい』だのとぼやきが『聞こえて』くる。

 クーゴが思わずベルフトゥーロを『視れ』ば、彼女は得意げに微笑んでいた。成程、原因は彼女らしい。

 

 

「それじゃあ、出撃シークエンスに移ります」

 

 

 これ以上不毛な会話を続ける気はないと言わんばかりに、フェルトが宣言した。それを皮切りに、ガンダムたちが次々と出撃していく。

 イデアのスターゲイザー-アルマロスに引き続き、クーゴのはやぶさが宇宙(そら)へと飛び出した。最後に宙継のちょうげんぼうが飛び出す。

 

 守るための戦いが、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イアンさん、大丈夫ですか!?」

 

 

 若者2人の声に、イアンの意識は引っ張られるようにして帰還した。途端に体中が軋んだ痛みを訴える。つい先程、己を襲った衝撃と爆発は、アロウズの攻撃によるものだろう。

 部屋をぐるりを見回せば、辺り一面残骸が漂っている。オーライザーは無事だろうか。調整は既に終わっていたとはいえ、破壊されてしまっていては元も子もない。

 

 イアンの心配は杞憂だった。

 部屋は悲惨なくらい破壊しつくされているのに、オーライザーには傷1つついていない。

 爆発に巻き込まれたような形跡もなかった。

 

 

(よかった。あとはこいつを、刹那の元に――)

 

「ひどい怪我……!」

 

 

 ルイスは心配そうにイアンを支える。沙慈も同じように、イアンの背を支えた。イアンは弱々しく呼吸をしながら、言葉を紡ぐ。

 

 

「オーライザーの調整は終わった。こいつを……ダブルオーに……」

 

「そんなことより、早く医務室へ!」

 

「行きましょ!」

 

 

 沙慈とルイスが医務室へと向かおうと踵を返しかける。

 イアンは2人の手を掴んで引き留めた。

 

 

「ワシのことはいい。オーライザーを、届けるんだ。……そうでないと、ワシらは全員やられる……」

 

「イアンさん……」

 

「……守るんだ。みんなを、仲間を……」

 

 

 イアンはじっと2人を見つめる。ルイスと沙慈は暫く黙っていたが、顔を見合わせて頷いた。

 

 

「任せてください! 僕とルイスが、必ずやり遂げて見せます!」

 

「大丈夫! 私と沙慈がいれば、アロウズなんて怖くないんだから!」

 

 

 力強く微笑むクロスロード夫妻の様子を目にして、イアンは思わず微笑んだ。『悪の組織』に所属しているとはいえ、この2人は非戦闘員である。

 カタロンの軍事基地で色々派手にやらかしていた現場を目撃してはいるけれど、結局のところ、クロスロード夫妻は戦闘に向いていない人員であった。

 本来は後方支援に勤しむはずの人間を、イアンは戦場のど真ん中に送りだそうとしている。申し訳ないと思いながらも、オーライザーを託せる技術者はこの夫婦しかいないのだ。

 

 

「……ああ。頼む」

 

「はい!」

 

 

 沙慈とルイスが威勢よく返事をしたときだった。遠くから扉が開く音がする。部屋に飛び込んできたのはマリーだった。

 

 

「私がイアンさんを医務室へ運びます!」

 

「お願いします、マリーさん!」

 

 

 頼りなさげに漂うイアンの体は、沙慈とルイスからマリーへと引き渡された。

 マリーに背中を支えられ、イアンは部屋の外へと連れて行かれる。

 

 クロスロード夫妻に託せたという安堵感に、イアンの意識は急激に落ちていく。あの夫婦なら大丈夫――そこまで考えて、ふと、イアンは気づいた。

 沙慈とルイスは、当たり前のように“2人で”オーライザーを運転しようとしている。動かない首をどうにか動かした先では、夫婦は躊躇うことなくコックピットに乗り込んでいた。

 

 おかしい。朦朧とする頭で、イアンは考えた。

 何かがおかしい。その答えが頭に浮かぶ。

 絶対におかしい。イアンは思わず、声に出す。

 

 

「……ちょっと待て。オーライザーは、1()()()()……――!!」

 

 

 残念ながら、イアンの言葉は最後まで紡がれることはなく。

 違和感の正体を最後まで確認することなく。

 

 イアンの意識は、真っ暗闇に沈んでしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。



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お知らせ
2ndシーズン編リメイク作品開始のお知らせ


2023/10/10 9時から、『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版作品、『問題だらけで草ァ!!』2ndシーズン編の連載を開始しました。作品はこちら

リメイク作品である『問題だらけで草ァ!』シリーズは『大丈夫だ、問題しかないから』同様、<1st Season>⇒<2nd Season>⇒<劇場版>の三部作構成の予定です。

Re:vision要素は拾いますが、新作として展開された場合は様子見する予定。場合によっては「Re:visionとは繋がらない」体で話を続けていく可能性があります。ご了承ください。

 

今回は作品のあらすじ、プロローグに当たる文章の冒頭~一区切り部分までを掲載しておきます。

相変わらず拙いモノカキで良ければ、この作品を見守って頂けたら幸いです。

 

 


 

 

【あらすじ】

 

 

人類に革新者(イノベイター)が現れる、ほんの少し前のこと。

世界には、自分の記憶や経験を共有させる力を持つ、共有者(コーヴァレンター)と呼ばれる人々がいた。

世界には、自身がまったく見たこと経験したことのない記憶および経験や知識――虚憶(きょおく)と呼ばれるものを持ってしまった人々がいた。

世界には、共有者(コーヴァレンター)の能力と虚憶(きょおく)の両方を持つ存在がいた。

 

これは、元・ユニオン軍所属のフラッグファイター/現・悪の組織及びスターダスト・トラベラー居候のMSパイロット――刃金(はがね) 空護(くうご)/クーゴ・ハガネを中心とした群像劇。

 

果たして、世界の明日はどこにあるのか。

『パンジャンドラムがどの方向に転がるか』を予測できたら、多分見つかりそうである。

 

 

Q.問題だらけなんですけど!?

A.仰る通りです。具体的な問題点は以下の通り。

 1.この作品は『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版です。

 2.『ガンダム00』を原作に、アニメ版『地球へ...』、及び『スーパーロボット大戦』や『Gジェネレーション』シリーズ等の要素とクロスオーバーしています。

 3.主人公含め、オリキャラが多数登場します。

 4.キャラ改変や原作崩壊、原作死亡キャラの生存要素があります。

 5.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 6.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 7.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 8.基本はギャグとラブコメ色強めですが、時々シリアスになります。

 9.このお話は1st本編開始前から始まります。

 10.現時点ではPixivとのマルチ投稿を予定していますが、更新優先度はハーメルンの方が高いです。向こうで2期篇の投稿が始まり次第、リンクを張りますのでお待ちください。

 

 上記が「大丈夫」という方は、このお話をお楽しみください。

 感想頂けると嬉しいです。

 

 


 

 

 

「あっ、第1幹部! ブライティクスに関する大河ドラマ、撮影全部終わったらしいです!」

 

「本当!? よかったぁ! 『キャストとスタッフのいがみ合いで撮影延期になった』って聞いたときは、本当(ホント)にどうなるかと思ったんだ!」

 

 

 構成員(しゃいん)からの報告を聞いた第1幹部――リジェネ・レジェッタは、安堵と喜びから大きく息を吐いた。悪の組織もスポンサーとして、資金援助や各スタッフの斡旋等で駆け回ったのだ。上手くいってくれなかったら非常に困る。重要案件が無事に片付いたので、口元が緩んでしまったのは当然だろう。

 

 他にも、映画やドラマに舞台の映像化やその原作小説の売り出しに関する事業展開は幾らでもある。新たな総帥(そうすい)として就任してから頑張っている長男の姿を思い浮かべつつ、リジェネも端末を操作しながら案件の確認を行う。

 つい最近に“新解釈を加えて再構成した”と銘打った――実際は、“程々にプロパガンダを施しつつ、なるべく史実に寄せた”――新説『ソレスタルビーイング』が長編ドラマとして放映されることになった。こちらの方にも、悪の組織――特に総帥(しゃちょう)も映画監修に関わっている。

 特に、作品の主役となる刹那・F・セイエイ、彼女が愛した男であるグラハム・エーカー、2人の相棒をやっていたクーゴ・ハガネやイデア・クピディターズ役のキャスティングには非常に煩い。彼女や彼と瓜二つの役者を見つけ出しては、役者のキャリアガン無視で主役に抜擢し、かなり厳しめの演技指導を行うという悪癖があった。

 

 “『ソレスタルビーイング』の主役に抜擢された俳優たちは、この映画をきっかけに大成する”というジンクスがなかったら、一体どんなことになっていたことやら。

 『今回も4人にそっくりな役者を引っ張って来た』と自慢げに語っていた凝り性の長男を思い出し、リジェネは思わず笑みを浮かべた。

 

 

「第1幹部、ガンダム記念館の記念式典に関する案件の進捗です」

 

「ありがとう! 後でテオと総帥(しゃちょう)にも回しておくね」

 

 

 構成員(しゃいん)から受け取った資料を、記念式典で歌う予定となっている歌手――テオ・マイヤーと、記念式典のスポンサーとしてあちこち駆け回っている総帥(しゃちょう)へ転送する。

 程なくして、彼らから返信がきた。どちらもメッセージも『資料の確認完了、進捗具合の把握、こちらの準備も万端』とあった。……どちらも激務なので、正直ちょっとばかし心配だったりする。

 

 

(……みんなが旅立って、結構な年月が過ぎたな)

 

 

 忙しい日常の中、リジェネはふと立ち止まって空を見上げる。蒼穹の片隅に咲く花は、今日も綺麗だ。

 

 刹那たちが旅に出たのは、1年戦争の記念館が出来たばかりの頃だった。今では計画中だったガンダム記念館建設も既に終わっており、AGE-1を始めとしたガンダムが展示されている。勿論、ソレスタルビーイング製のガンダムはレプリカだ。歴史的な価値だけではなく、“唯一現存するMSを見に行ける”観光施設という側面もあり、人で賑わっている。

 現在ではMSは存在せず、全てワークローダーと呼ばれる非武装人型機動ロボットが闊歩していた。機体の殆どが“ELSを始めとする外宇宙生命体と共同で動かす”ことを前提に設計開発されており、外宇宙航行時のサポーターとして活躍している。MSとしてのガンダムは残らなかったが、その系譜はワークローダーへと引き継がれていた。

 

 ブライティクスも、当時前線で戦っていた大人たちの多くがパイロットや指揮官から退役していたり、重鎮として今も現役で頑張っていたり、寿命で亡くなっていたりする。

 あの頃子どもだった面々――地球防衛組やキオたち――も大人を通り越して初老となり、そろそろ後進育成に取り組もうとしていた。

 外見変化が緩やかなリジェネたちとは違って、周りはあっという間に成長し、老衰し、次世代に後を託していく。

 

 リジェネたちにもそういう文化が無いわけではないが、新人類としての特性上、人間よりも圧倒的な“周回遅れ”になりがちであった。

 

 

『あれから50年近く経過したのに、まだ仕事に慣れてないのか?』

 

『もうちょっと落ち着いて仕事してるイメージがあったから、未だにあの調子なのは驚いたよ』

 

 

(『元・第1幹部がグラン・マから指導者(ソルジャー)総帥(しゃちょう)の地位を継いで、僕が第1幹部に配属された』ことは、体感時間的に()()()()のことなんだけどなぁ……)

 

 

 つい先日顔を合わせた仁とキオからかけられた言葉を思い出し、リジェネは内心苦笑した。イベント関連の仕事でてんやわんやしている姿を見た2人は、懐かしそうにこちらを見つめていたっけ。

 

 

『……僕たちって、宙継くんと同年代だったよね?』

 

『外見年齢が若いままの人たち見てると、なんかバグるよな』

 

 

 尚、その隣で悠宇とディーンが割と真面目な顔をして悩んでいたか。特に前者は、久しぶりにマノンやゴーグ等と再会して話をしていたらしく、色々思うところがあったらしい。

 他にも、クレセント銀河や高度文明連合からの使者が地球を訪れたこともあったか。ブライティクスが結んだ縁は、後の外宇宙探索や異種族との対話に活かされていた。

 

 勿論、ブライティクスの戦いが終わった後も、地球は何度も危機を迎えた。その度に、仲間たちは立ち上がった。

 

 ブラック企業を体現したような政治体系の惑星及び異星人(外見は人間と瓜二つ)から「奴隷になって、社畜の如く365日戦い続けろ」と命令されたこともあるし、神にも等しき生物による身勝手極まりない暴挙によって地球人が拉致されていたなんてこともあったし、いつぞや自分たちが打ち倒した“時代遅れのシステム”を凶悪にしたような存在の暗躍に地球全土が巻き込まれたりもしたか。

 仲間の多くが故郷たる惑星へ帰還したり、ショウたちのように機体を破壊や封印していたり、刹那たちのように外宇宙探索へ旅立って不在だったりして、ブライティクス全盛期と比較すれば戦力不足もいいところである。それでも何とかやってこれたのは、平和を目指して武力を手放し、故郷へ帰り、外宇宙探索へと飛び立った仲間たちの想いを無駄にしたくないと思ったから。

 

 

(あれから色々あったけど、僕らは元気でやっているよ)

 

 

 リジェネは()()()()()人々に思いを馳せる。脳裏に思い浮かべたのは、新緑のマントを翻す女性――敬愛する『母』の背中だった。

 彼女は“楽園”とよく似た白鯨に飛び乗って、どこか遠い場所へと飛び立ってしまった。()()()()()人々たちが乗る白い船は、今頃どこを飛んでいるのか。

 ……答えなんて、『1つ』しかないと《理解し(わかっ)ている》。彼女が乗った白鯨の行き先が何を意味しているかなんて、とっくの昔に気づいている。それでも――。

 

 

(いつか、貴女が僕たちを迎えに来てくれたら。……貴女にたくさん、話したいことがあるんだ)

 

 

 “白鯨が迎えに来る”ことが何を意味しているのか、リジェネたちは知っている。『迎えを望むのはいけないものだ』ということも、知っている。

 同時に、知っているのだ。それが『いつか、誰にでも、分け隔てなく、等しく訪れる()()()なのだ』ということも。

 

 

「地球連邦のキース・アニアン大統領が、火星のゼラ・ギンス大統領や木星連合の大統領と会談を行い――」

 

「外宇宙探査から帰還した“楽園”の艦長ジョミー・マーキス・シンさんが、『新たな銀河系と異種族とのコンタクトに成功した』と――」

 

「民間企業の外宇宙探索部隊に所属している刃金宙継さんが、長年のパートナーである“金属生命体の特殊個体”と婚約を発表――」

 

 

 リジェネが物思いに耽っている間にも、世界は絶えず動き続けている。新たな世代が台頭し、世界を次のステージへと推し進めていくのだ。

 

 まだまだ当分、白鯨はリジェネたちを迎えに来ることは無いだろう。勿論、リジェネたちにだってやるべきことは沢山ある。地球と他の惑星に住まう命たちを繋げ、相互理解と平和を築くために。次世代を担う人々に心構えを教えるために。そうして――白鯨が迎えに来るよりも早く、この地球に帰って来る旅人を迎えるために。

 新人類の勘が叫んでいるのだ。“外宇宙へ旅立っていったソレスタルビーイング号が、もうすぐ地球に帰って来る”と。特に総帥(しゃちょう)の力は正確な日時を察知していたようで、正式な発表(こたえあわせ)が行われる瞬間を今か今かと待ち構えている。ブライダル雑誌の準備をしていたので、旅立った面々の誰かが()()()()()()になっているのだろう。

 ブライティクス時代の僚友たちの結婚式――その一部は、悪の組織が経営しているブライダル事業・部門が担当していたことを思い出す。式を挙げた当事者たちからすれば遠い昔に思うだろうが、リジェネたちにとってはつい最近の出来事であった。瞼を閉じれば、僚友たちの結婚式の光景がありありと思い浮かぶ。

 

 

(……一番ヤバかったの、アキトとユリカの新婚旅行だったなぁ。“2人が新婚旅行中にテロに合う”虚憶(きょおく)を《視て》対策立てたのが上手くいったっけ)

 

 

 地球に残留することを選んだソレスタルビーイングのセカンドチームと、軍を辞した後は紆余曲折の末に悪の組織へ就職したジラート――否、レイナ・スプリガンらを巻き込んで、アキトとユリカ夫婦を襲撃しようとしたテロリストをぶちのめしたのは今でも覚えている。

 奴らの目的――ユリカを生体CPU擬きにするのと、アキトを人体実験の被検体として使い潰そうと画策していた――を、総帥の思念波経由で把握したレイナ・スプリガンの大暴れによって、テロリストどもは壊滅。テンカワ夫妻は何の問題もなく新婚旅行を満喫することが出来た。

 

 尚、テンカワ夫婦は、“ソレスタルビーイングの地球残留組とレイナによる共同戦線によって、自分たちを狙ったテロリストどもが一網打尽にされた”ことを把握していたらしい。

 料理修行中の夫の元に遊びに行った際、夫婦から感謝されたことは今でも覚えている。照れ臭いのを誤魔化すようにアキトの作った料理をダメ出ししていたレイナが、顔を赤らめていた姿も。

 リジェネたちにとってはつい最近の光景だけでど、アキトたちにとっては遠い昔の話だろう。“アキトが独立して自分の店を持ち、レイナがそちらを贔屓店に変えた”のは、今から数十年前だったから。

 

 

「生まれる命があれば、去り行く命がある。先を行く人々は、生まれ落ちたばかりの命を――“未知なる可能性(もの)”を秘める存在の未来を照らす役目を担う」

 

 

 ブライティクスの由来は“未知なるものを照らす光”。未知なるものの中には、勿論『未来』も含まれている。

 戦乱を駆け抜け、平和のために戦い抜いた彼らの軌跡は、今もこうして、人々の未来を照らし出しているのだ。

 

 

「“僕らの頑張りが、未来を照らす”……。その輝きを胸に抱いて、ヒトは未来を切り開いていくんだ。――そういうこと、だよね?」

 

<――――>

 

 

 リジェネの呟きに応えるように、懐かしい女性(ヒト)の《聲》が響く。何を言っているかは《聴き取れなかった》けれど、それに込められた想いを《理解する》ことはできた。

 残響でしかないのかもしれない。リジェネの脳が、彼女と過ごした日々をエミュレートしただけの産物でしかないのかもしれない。だとしても、それを忘れることはできなかった。

 だって、きっと、同じ気持ちで前を向いている長兄の姿を、リジェネはずっと見てきたから。母と同じ瞳の色の外套を翻して、先頭に立つ彼の背中を知っているから。

 

 紡がれてきた命を、託されてきた命を、これからも続いていく営みを照らすための光として、自分たちは歩き続けるのだ。

 

 



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リメイク前の連載地点に到達したお知らせ

2023/11/26 0時で、『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版作品、『問題だらけで草ァ!!』2ndシーズン編のリメイク進捗が完了しました。以後は新規書下ろし&執筆となります。作品はこちら

 

今回は作品のあらすじ、最新話の冒頭~一区切り部分までを掲載しておきます。

相変わらず拙いモノカキで良ければ、この作品を見守って頂けたら幸いです。

 

 


 

 

【あらすじ】

 

 

人類に革新者(イノベイター)が現れる、ほんの少し前のこと。

世界には、自分の記憶や経験を共有させる力を持つ、共有者(コーヴァレンター)と呼ばれる人々がいた。

世界には、自身がまったく見たこと経験したことのない記憶および経験や知識――虚憶(きょおく)と呼ばれるものを持ってしまった人々がいた。

世界には、共有者(コーヴァレンター)の能力と虚憶(きょおく)の両方を持つ存在がいた。

 

これは、元・ユニオン軍所属のフラッグファイター/現・悪の組織及びスターダスト・トラベラー居候のMSパイロット――刃金(はがね) 空護(くうご)/クーゴ・ハガネを中心とした群像劇。

 

果たして、世界の明日はどこにあるのか。

『パンジャンドラムがどの方向に転がるか』を予測できたら、多分見つかりそうである。

 

 

Q.問題だらけなんですけど!?

A.仰る通りです。具体的な問題点は以下の通り。

 1.この作品は『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版です。

 2.『ガンダム00』を原作に、アニメ版『地球へ...』、及び『スーパーロボット大戦』や『Gジェネレーション』シリーズ等の要素とクロスオーバーしています。

 3.主人公含め、オリキャラが多数登場します。

 4.キャラ改変や原作崩壊、原作死亡キャラの生存要素があります。

 5.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 6.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 7.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)

 8.基本はギャグとラブコメ色強めですが、時々シリアスになります。

 9.このお話は1st本編開始前から始まります。

 10.現時点ではPixivとのマルチ投稿を予定していますが、更新優先度はハーメルンの方が高いです。向こうで2期篇の投稿が始まり次第、リンクを張りますのでお待ちください。

 

 上記が「大丈夫」という方は、このお話をお楽しみください。

 感想頂けると嬉しいです。

 

 


 

 

 “6人の仲間集め”――第3者からのハッキングを受けているヴェーダのブラックボックス内で進行している謎の計画である。

 ソレスタルビーイングの活動再開を皮切りに発生したこのミッションは、リボンズたちの与り知らぬところで進行中だ。

 件の情報をリボンズが把握できている理由はただ1つ。“イノベイドの中でアクセス権が1番高いのがリボンズだから”に他ならない。

 

 “6人の仲間集め”の進行度は“4人目の追加”。『仲間を見つける力』を有する情報収集型イノベイドの学生/戦闘型の特性を有する訳アリの1人目――レイヴ・レチタティーヴォ、『仲間を目覚めさせる力』を有する情報収集型イノベイドの医者である2人目――テリシラ・ヘルフィ、『仲間を繋ぐ力』を有する情報収集型イノベイドの少年である3人目――ブリュン・ソンドハイム、『機械を操る力』を有する元情報収集型イノベイドである同類殺し(イノベイドハンター)の4人目――ラーズ・グリース。

 

 しかし、計画の進行中に()()()()()()()()()()らしく、『仲間を見つける力』を担当するレイヴと『仲間を目覚めさせる力』を担当しているテリシラが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 ヴェーダ内部に残っている行動記録(バックログ)を確認する限り、トラブルが発生する可能性が高い行動をしていたのはレイヴの方だった。3人目であるブリュンを“仲間”に加えた直後、彼は外出している。目的地はとある無人島――曰く付きのガンダムが封印されている、ソレスタルビーイングの秘密ラボ。

 

 

(イノベイド限定とはいえ、S.D.体制下における思考プログラムとほぼ同じ力を行使できるイノベイド――ビサイド・ペインと深い関りがある場所だ。何か起きたとするならば、十中八九ビサイドが関わっている)

 

 

 件のビサイドは“リボンズと同じE.A.レイの遺伝子配列で生み出されたイノベイド”であり、一時は“アレハンドロ派の協力者”として暗躍していた同類だ。リボンズから見た彼は“腹に一物抱えている問題児”だったが、彼から見たリボンズは“いつか蹴落とそうと思っている邪魔者”でしかないのだろう。

 そういう経緯もあって、自分たちの仲は『()()()()可もなく不可もない、イオリア計画に賛同する同類として協力関係を結んでいた』仲だった。――最も、その関係は“ビサイドの独断専行が「原因で『処分』された”一件で途切れてしまったのだけれど。

 

 

『“6人の仲間集め”について、ちょっと気になることがあるんだ』

 

『今回は、僕自身の力で向き合ってみたいんだよ』

 

『大丈夫だよ! ちゃんと成果を挙げて帰って来るから、安心して待っててね!』

 

 

(――リジェネ、大丈夫かな)

 

 

 アロウズのパーティ会場への潜入任務が終了して以降、行方の分からないリジェネに思いを馳せる。彼が上記の言葉を言い残して消息を絶ったのは、ソレスタルビーイングとの情報交換を行った後。

 以降の行動記録(バックログ)を辿ろうにも、正確な行動記録(バックログ)を辿ることが出来ない。挙句の果てには現在地点も開示されないのだ。『()()()()()』と考えるのが普通であろう。

 ただ、それは“悪の組織/スターダスト・トレイマーの第1幹部としてのリボンズ・アルマーク”の見解である。“長兄としてのリボンズ・アルマーク”は、全く別な見解を出していた。

 

 リジェネ・レジェッタは、リボンズが『兄弟』と定義した同類(イノベイド)の中でも“自発性が強く、柔軟性に富んだ思考をする個体”だった。但し、思い浮かんだものは片っ端から実行・検証しようとするきらいがあるため、道徳や人権等を投げ捨て独断専行で動くのが玉に瑕である。

 それでもリボンズや周囲の人々がリジェネの発想に耳を傾けるのは、『その発想で一定の成果を挙げてきた』という実績があるためだ。リジェネはリジェネなりに、リボンズやマザーの利になる――イオリアの理想実現に近づくための突破口を探し求めているのだろう。

 

 

(弟離れ、か……)

 

 

 弟妹達の成長は喜ばしいことだ。――ただ、少しばかり、寂しいだけで。

 

 

(最近は、マザーやアプロディアと何やら話し込んでたな。僕はてっきり、アニュー専用の支援機開発の話かと思ってたんだけど)

 

 

 尊敬する母と悪の組織/スターダスト・トラベラーのバックアップを勤める頭脳にして疑似人格AIの2人が、悪戯っぽく笑って沈黙していた姿を思い出す。リボンズは思わずため息をついた。

 

 リジェネ主導で行われている秘密の話し合いに関して、他の兄弟妹たちは何も知らないようだった。把握していた内容を要約すると、“アニュー専用の支援機開発”――最近、機体の名前が『ガッデス』に決まり、能力的に類似性が高いリジェネがテストパイロットをしていた――程度。

 彼が動かしているのはその試作機にあたる機体(もの)だ。リジェネのパイロット適性評価は“ガンダムマイスターとしての水準を満たす程度の適性はあれど、純粋な戦闘型と比較すると押し負けがち”である。思念増幅師(タイプ・レッド)の能力を使った支援や連携の他に、自立兵器の扱いに長けていた。

 リボンズ率いる第1幹部に所属する面々――リジェネ、ヒリング、リヴァイヴ、ブリング、デヴァイン、アニュー――の6人の中で、純粋な戦闘型はヒリング、リヴァイヴ、ブリング、デヴァインの4名だ。それ故、リジェネがMSで戦線に出る機会は非常に少なかったりする。

 

 “6人の仲間探し”の構成員の大半が情報収集型イノベイドであり、疑惑と訳アリのレイヴ以外の面々は非戦闘員だ。尚、ラーズは“元・情報収集型イノベイドが紆余曲折の末に、自力で戦闘技能(銃の扱いや狙撃能力)を獲得した”だけで、MSを用いた戦闘能力は皆無。故に非戦闘員として括られている。MSを用いた戦闘が必要になった場合、現時点で彼らは無力であると言えよう。

 仲間の候補に選ばれたイノベイドの中にはMSを用いた戦闘技能を有していた者がいたようだが、該当者はラーズによって殺害されていた。“仲間”にまで適応されているかは分からないが、仲間()()()()()()()らしい。数多のイノベイドの中からレイヴが該当者を見つけ、テリシラが覚醒させることで初めて“仲間”として認められるシステムだ。

 

 

(僕が採用担当(ヴェーダ)なら、そろそろ戦闘に適性を持つ人材を引き入れたいところだけど――)

 

<――リボンズ!>

 

 

 そんなことを思案していたときに割り込んできたのは、ノブレスの思念波であった。

 どこか切羽詰まった様子に身を竦ませながらも、リボンズは彼の《聲》に耳を傾ける。

 

 

<どうしたんだい? そんなすごい顔して>

 

<緊急事態なんですよ! 今、秘匿通信経由でデータ送ります!>

 

 

 ノブレスの鬼気迫った形相と勢いに気圧された直後、秘匿通信で何かのデータが送りつけられてきた。リボンズはそれに目を通す。

 

 

<……は? え? ちょ、何これ? ()()()()()()?>

 

<わあ奇遇ですね。僕も一目見たときは()()思いましたよ。――でも、違うんです!>

 

 

 送られてきたのは図面である。一目見たリボンズは、思わず感想を零した。

 期せずして、それはノブレスの第一印象及び感想と同じだったらしい。

 一時は同調する姿勢を見せたノブレスであるが、即座に本題へと戻って来た。

 

 

<アレハンドロの奴、刃金蒼海や(ワン)留美(リューミン)と結託して、僕らに内緒で衛星兵器(こんなもん)の開発や出資に手ェ出してやがったんです!!>

 

 

 ノブレスの言う衛星兵器(こんなもん)――メメントモリを一言で表すなら『自由電子レーザー砲』である。軌道エレベーターの低軌道リングに設置した衛星兵器で、国際条約で攻撃や破壊が許されないオービタルリング上に存在している関係上、諸外国――特に半地球連邦政府を掲げている国では手が出しにくい。

 国際条約という法律の守り――『条約違反の罰則』と言う名目を行使して、報復と見せしめが可能――が万全なら、勿論、武力による迎撃手段――地球連邦軍の軍勢を配備することによる堅牢の守り――が揃っているのは当然だろう。地球連邦軍、及びアロウズにとって、報復や粛清が正当化されるというわけだ。

 

 メメントモリへのエネルギー供給源は太陽光発電システム。まさしく、軌道エレベーターは最高の立地条件であると言えよう。

 

 リボンズとノブレスは“アレハンドロを騙し、諸々出し抜いて完全勝利した”と思っていたが、そういうわけではなかったらしい。

 こんな厄介な置き土産を残していくとは、本当に腹立たしい野郎だ。しかも、ネーミングセンスは最悪の極みである。

 

 

<ラテン語で“死を想え”、“死を忘れるな”か……。脅しの道具として、これ程までに似合う名前はないだろうね>

 

<本当にクソすぎませんかこれ? 更にクソなのが、『S.D.体制下の技術をガン積みすれば“コンパクト化したメギドシステム”、主要部品だけぶっこ抜いて.D.体制下の技術をガン積みすれば“戦艦に搭載可能なメギドシステム”として運用可能になる』ってところなんですよね>

 

<バカかな? バカなのかな??>

 

<バカなんでしょうねぇ! 『気持が分からんでもない』ってのが本当に悔しいんですけど!!>

 

 

 あんまりにもあんまりな分析結果を聞いてしまったせいか、リボンズとノブレスの口から暴言が飛び出す。この場に地球連邦の関係者がいた場合、2人は即刻ブラックリストに入れられて監視されることになるだろう。この場に誰もいなくて本当に良かった。

 

 “『可能か不可能か』を主軸にして物事を考えるタイプ”は研究者や技術者気質に多い傾向がある。存在意義や価値を追い求めて迷走していた頃のリボンズ本人やリジェネを筆頭に、“自身の周囲にいる身近な研究者”及び“自身の周囲にいる身近な技術者”――ベルフトゥーロやノブレス等が該当していた。

 こういう気質の持ち主が抱える大きな問題点は“『それを可能にしてしまった場合、どのような事象――特に悪用された場合に発生するであろう悪影響――が起きるのか』に目を向けない”という点だろうか。技術が生まれる理由は様々だが、その大半が善意や好奇心である。

 だが、邪な欲望を抱く者の行動力は計り知れない。ソレを満たすためならば、技術の在り方や使い方をおかしな方へと捻じ曲げてしまうこともある。善意と好奇心で産み落とされた画期的な技術が“数多の人々を不幸にし、命を奪いつくす”ものに変質――或いは魔改造されてしまい、本来の用途とは別物に成り果ててしまうことは日常茶飯事だ。勿論、その逆も然り。

 

 ひとたび戦争が起きれば、戦いに使うための技術が次々と産み落とされた。戦争が終結して平和な世の中になった後、兵器のための技術が日常生活を支える画期的なモノとして転用されることも在り得る。

 勿論その逆の事象――平和な時期に開発されたときは生活に役立つ画期的なモノとして迎え入れられたが、戦争が発生したことで軍事転用され、敵味方双方に死傷者を出す存在に化けたこともあった。

 

 ――要は、『どんな時代にもバカはいる』という話だ。

 

 

<っていうか、このデータ、どこから持ってきたんだい?>

 

<マザーネットワークの子機端末の1つからぶっこ抜いてきました。フェニックスのお手柄です>

 

<もうちょっと詳細なデータを引き出せたらよかったんだが、端末が破壊されたことを察知したグランドマザー『テラ』によってネットワークが切り離されちまってな……>

 

 

 ノブレスに名前を呼ばれたフェニックスが申し訳なさそうに肩を竦める。

 しかし、彼が子機端末から引き出した情報はそれだけではなかったらしい。

 

 

<実は、コイツに関しては“反連邦を掲げる国を標的にして使用する”プランがあるらしい。他にも、“思考プログラムが施されたイノベイドが、()()()()()()をもってスイール王国に送り込まれた”という情報もあったな>

 

<<バカだろ>>

 

<バカなんだよ>

 

 

 男3人、満場一致の意見である。閑話休題。

 

 

<僕たち、今、丁度スイール王国の郊外にいるんですよ。その間、現地の様子を調べてみますか?>

 

<いや、いいよ。キミたちは本命を落としに行くんだろう? そっちに集中してくれ>

 

 

 友人からの申し出はありがたいが、リボンズはそれを丁重に断った。

 

 ノブレス率いるチーム・トリニティ、及びその支援艦・カテドラルは“次の大仕事”の下準備をしている真っ最中だ。余計な気を遣わせるわけにはいかないだろう。メメントモリに関するデータが手に入っただけでも充分な成果なのだから。

 彼らの“次の目的地”――中東各地に点在させていた施設の親機になる形で建設されたばかりの、アザディスタン内で一番大きなネットワーク関連施設――は、中東のマザーネットワークの統括を担当している親機であり、マザーネットワークを形成する子機でもある。

 “廃棄された施設に点在する予備用の子機より重要度が高い”ということもあって、連邦軍の守りは勿論、統括役を担っている子機本体も堅牢であることは間違いない。予備用の子機を守っていた戦力を上回っているのは当然のことであろう。

 

 ノブレスはリボンズの気遣いを受け取ってくれたらしい。彼が苦笑しつつも礼を述べた姿を《視て》、リボンズは小さく笑った。

 世界は相変わらず混沌としていて不透明だけれど、希望を信じられる理由は確かに息づいている。それを絶やすことなく次に繋げるのが自分たちの役目だ。

 

 

(――え?)

 

 

 そんなことを考えた直後、リボンズの背中に悪寒が走った。

 脳裏にフラッシュバックしたのは、いつかの昔、ベルフトゥーロが見せてくれた地獄絵図。

 惑星破壊兵器メギドの砲撃()が、彼女の故郷・ナスカ目掛けて降り注いだときのもの。

 

 フラッシュバックした光景の意味を問いかけるよりも先に、ノブレスやフェニックスの思念波越しに何かが《視える》方が早かった。

 

 カテドラルのブリッジからはスイール王国の全景を臨むことができる。丁度その真上から、白い光が降り注いだのだ。それは凄まじい熱量と轟音を伴い炸裂する。光が晴れた先に――スイール王国の姿はない。焦土と化した街だけが一面に広がっていた。

 混乱、恐怖、困惑――数多の感情が思念波越しから飛び交うのを《感じた》リボンズは眦を吊り上げる。嘗てベルフトゥーロが《視せて》くれたメギドと比べれば威力も範囲も何もかもが劣るけれど、『連邦政府の体制を受け入れられない、或いは体制に合わない命を対象にした殺戮兵器』であることは揺るぎないからだ。

 

 

<あの熱源反応、出所は軌道エレベーターの低軌道ステーション・オービタルリング付近だ!>

 

<条件に合致する兵器なんて、ついさっき話してたメメントモリ以外あり得ませんね!>

 

<幾ら何でもタイムリー過ぎるだろう!!>

 

 

 “反連邦を掲げる国を標的にして、メメントモリのお披露目をする”――つい十数分前にフェニックスが教えてくれた情報が現実になってしまった。事実上の後手に回ったことを悟り、3人は頭を抱える。――世界は未だ、刃金蒼海の掌の上にあるらしい。

 

 

 



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