ソードアート・オンライン -宵闇の大剣士- (炎狼)
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SAO編
第一話


SAOでは初めてとなります。
いたらないこともあるかもしれませんがどうぞ。


 オレにとって剣術や戦うことは生きる意味でもあり居場所と言っても良かっただろう。

 

 周囲からも将来を有望視されていて、全国大会で優勝したこともあった。大人を相手取ったことだってしょっちゅうだ。全てが順風満帆、絶好調な人生だった。

 

 けれどそれは長くは続くことはなかった。

 

 十歳の頃にある事故が起きたのだ。

 

 どんな事故だったのかは今でもあまり思い出したくはない。

 

 でも事故の影響でオレが剣術を続けられなくなったのは事実だ。

 

 剣術が出来なくなってからのオレはあまりにもからっぽだった。

 

 何をしても『生きている』という実感が持てなくて、世界が灰色に見えていた。中学では剣道場で部活動をする同級生や先輩達をただ眺め、自分の居場所はここにはもうないのだと痛感した。

 

 だからだったかもしれない。オレは自分の居場所を求めるように、兼ねてから気になっていたオンラインゲームにのめり込んで行ったのだ。ゲームの中のアバターなら戦える。剣術は出来なくとも、剣術に似たようなことは出来る。

 

 それでもオレの心は空っぽのままだった。廃人クラスのトップゲーマーになっても、他のプレイヤーから羨ましがられるような言葉を掛けられても、オレの心は空虚だった。

 

 空っぽなオレにも家族はいつも優しい言葉をかけてくれていた。だけど次第にその言葉さえオレの心を押し潰しそうになった。そうしてオレは家族から逃げるように東京都内の高校に進学。一人暮らしを始めた。

 

 精神的にも子供の頃より成長したからなのだろう。表面上明るく振舞って友達を作るのは簡単だった。でも世界は相変わらず灰色で、心はいつもと変わらず空虚でがらんどうだった。それはゲームをプレイしている時だって同じだ。

 

 そんな生活が続いた高校最後の年、二〇二二年五月。あるゲームハードが世間を賑わせた。そのゲームハードの名前は《ナーヴギア》。従来の据え置き型のハードとは違い、頭部に装着することでナーヴギアはユーザーの脳と直接接続し、ナーヴギアは五感の全てとアクセスできる。

 

 ナーヴギアはVRへの接続を可能にしたのだ。大手メーカーはこの接続システムを《完全ダイヴ》と呼称し、世間はまるでお祭り騒ぎのようになった。何せ、夢にまで見たゲーム世界へ入ることが出来るのだ。当たり前といえば当たり前だろう。

 

 もちろんオレもゲーマーとして嬉しくはあった。でも更にオレを明るい気持ちにさせてくれたのは、ナーヴギアが肉体に送る命令を遮断、回収することが出来ることだ。

 

 延髄からの命令を生身の身体に伝えるのではなく回収し、デジタル信号に変換することで仮想世界の中で自由に走ったり、腕を振れる。そこでオレはある考えに思い至った。

 

『延髄からの命令をデジタル信号に変換するということは、オレの上がらなくなった肩を動かせるのでは?』と。

 

 だからこそオレはすぐさまナーヴギアを購入した。でも最初に発売されたものはしょうもないゲームばかり。オレを含めナーヴギアを購入したものは拍子抜けもいいところだっただろう。

 

 しかし、やっとそのときが来たのだ。

 

 待ちに待ったゲームの名前、その名は――――《ソードアート・オンライン》。

 

 初のVRMMORPGとされたそのゲームはSAOの略称で親しまれた。広大なフィールドを駆け、モンスターを相手取り、大多数のプレイヤー達が同時に楽しむことが出来るMMORPGのナーヴギア版と言ってしまえば簡単だろう。

 

 発売にあたり、千枠限りのベータテストも行われることとなったが、その応募者はなんと十万人。普通であれば当選など難しすぎるが、何の因果かオレはそのベータテストに当選してしまった。

 

 そして始まったベータテスト。初めて飛び込んだゲームの中は圧巻の一言だった。さらにオレを歓喜させたのは、八年間もずっと上がらなかった肩が動いてくれたことだ。

 

 オレは喜びの涙というものを産まれて初めて流した。同時に灰色だった世界に一気に色がついた。

 

 二ヶ月間という短い期間のプレイであったが、オレは学校の勉強などほっぽってプレイした。二ヶ月の間だったので成績がガタ落ちすると言うことはなかったが、教師からは注意され、友人達からも心配された。しかしそんなことは些細なことだった。別段騒ぎ立てるようなことでもない。

 

 やがてベータテストが終了した時は悲しくもあったが、十一月に正式サービスが開始されることに胸を躍らせてもいた。

 

 だけれどオレは確信した。SAOはオレに生きる場所を与え、居場所をくれた。だから現実の世界でも以前より世界が鮮やかに見えた。家族に会うことがあったので行ってみた時には、身内だからか変わったことが顕著に現れていたようで、両親や二人の姉と弟は口々に「明るくなった」と言ってきた。

 

 それから数ヶ月の後、ついにSAOは正式にサービスが開始された。オレは胸を高鳴らせながらあの世界へとダイヴ。これからの生活が楽しみでしょうがなかった。それはきっと他のゲーマーやそうでない者達も同じことだっただろう。

 

 しかしサービスが開始された二〇二二年十一月六日日曜日の午後五時半。SAOはただのゲームではなくなった。

 

『これは、ゲームであっても遊びではない』。この言葉はソードアート・オンラインのプログラマーである茅場晶彦が告げた言葉だ。まさかこれが本当になるとは誰も思いもよらなかった。

 

 茅場晶彦は一万人のSAOプレイヤーの精神をゲーム内に隔離。同時に、ゲームオーバーになるとナーヴギアの信号素子が発する高出力のマイクロウェーブが脳を破壊し、本当の死が訪れるということを告げた。その瞬間からSAOはただのゲームではなく、ゲーム内の死が本当の死を意味する《デスゲーム》へと変化を遂げた。

 

 多くのプレイヤーが強制的に転移させられたはじまりの街の中央広場で困惑する中、オレは驚くほどに冷静であった。人ごみを抜けて街の裏路地に入ったところで、オレは茅場から支給された手鏡を改めて覗き、自身の表情を確認した。

 

 ややツリ目がちの瞳とその上にはシュッと伸びた標準的な眉。赤銅色の髪は夕日に照らされより赤く見える。自分で言うもなんだが、普通に整った顔立ちをしているオレの顔がそこにはあった。アバターではないリアルのオレの顔だった。

 

 しかしそんなことはわかっている。先ほどプレイヤー全員が現実の顔や体型に書き換えられたのだから当たり前だ。オレが確認したかったのはそうではなく、自身の表情だった。

 

 手鏡に写った自身の表情を見て、オレは「やっぱり」と思った。

 

 ゲーム世界に閉じ込められ、あまつさえここで死ねば現実でも死に、この世界から脱出するためには舞台となる百層からなる浮遊城《アインクラッド》を完全制覇しなければならない。

 

 気が狂いそうなほどの恐怖と不安が多くのプレイヤーの中に渦巻き、皆表情を暗鬱とさせているというのに、オレは薄い笑みを浮かべていた。まるでこの状況を楽しむかのように。いいや、実際オレはこのときの状況を楽しんでいたのだ。

 

 大好きな剣を振って戦えるこの状況に。現実世界ではもう二度と無理だと思ったこの状況が、オレは何よりも嬉しかった。

 

 ここでの死は現実での死……。だからよりいっそう現実味が持てた。オレが今いるこの世界はプログラムやポリゴンの塊で出来た仮想世界であっても、現実に近い……いや、現実の世界なのだとオレは確信した。

 

 そして、この時からオレはキャラクターネーム、《アウスト》としてこの世界で生きて行こうと決めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから二年が経過した現在、オレはアインクラッドの七十四層の迷宮区にいた。

 

 カーゴパンツ風のパンツにブーツ。腰には腰マントとそれを固定する長めのベルトが伸び、上半身は首元に余裕のあるタートルネックのタンクトップインナー。左肩には皮製と思われるアーマーを装備し、そこからはダボダボの袖が伸びている。それら全ては濃紺色で彩られており、所々に真っ白なラインが入っている。また、手にも同じデザインのグローブが嵌められている。頭髪もカスタマイズしているため、始めた当初赤銅色だった髪色はいまは服と同じ濃い藍色をしている。

 

 背中にはオレの背丈と同じくらいの大きさがある片刃の大剣。こちらも服装と同じく鈍い藍色だ。柄尻にもアクセントのように紺色の鎖がダラりと下がっており、歩くたびにカチャカチャという音を立てている。

 

 これがSAOでのオレの基本装備だ。元々ガキの頃からかなり重い剣を振っていたせいか、SAOでも必然的にこの大きさに落ち着いてしまった。

 

「ふむ……とりあえず今日はこんなところでいいか。適当な素材も集まったし、マシューのとこで買い取ってもらうか」

 

 軽く溜息をつきながら踵を返したオレは迷宮区を出るために歩き始めた。SAOでの戦闘は疲労感はないが、流石に五時間近く迷宮にいると気持ちが落ち込み、疲労感に似たようなものも感じてくる。

 

 できればモンスターに会わずに帰りたいものだが、そうは問屋が許してくれないらしい。

 

 踵を返したところからすこし歩いたところで、視線の先に骸骨の剣士が立ちはだかった。名前は確か《デモニッシュ・サーバント》。両手にはそれぞれ長い直剣と、バックルと呼ばれる金属盾を装備している。

 

「あー……疲れてるときに面倒くさそうなのとエンカウントしちまった……」

 

 愚痴りながらも背中の片刃大剣《ナイトメアレイヴン》に手をかけて一度地面に突き刺した後肩に担ぐ。確かな重量が肩に加わり、強制的に腰を落とさせるがそれでいい。そしてオレは地面を強く踏み、デモニッシュ・サーバントに急接近する。

 

 あちらも気が付いたのか、奇怪な音を立ててぐるんとこちらを見たが、その時には既に遅い。一気に肉薄し、相手が攻撃を放つ前に懐にもぐりこむと、肩に担いだ大剣を重さのままに下段に下ろすと、その瞬間刀身が空色のライトエフェクトを帯び、そのままデモニッシュ・サーバントの腰から右肩にかけて振りぬかれた。

 

 青き燐光が弾け、斬られたデモニッシュ・サーバントは大きく後退させられ、斬った場所は赤く線が入るようにエフェクトが働いている。

 

 今の《ソードスキル》はオレが扱っている大剣の下段攻撃、《アオスヴルフ》。連撃技ではないが、単発の攻撃としては相手を後退させる効果もあるので重宝するスキルだ。

 

「さぁてそんじゃまぁ、さっさと狩って街に帰るとしますかね!!」

 

 硬直時間が解けたところでオレは口角を吊り上げてデモニッシュ・サーバントに向かって行った。

 

 

 

 

 

 迷宮区の出口を抜けたところで、眩い光に照らされた。

 

 デモニッシュ・サーバントとの戦闘を終えて迷宮区から出たオレを迎えたのは橙色の夕日だ。外周の隙間から差し込み、煌々と照り続ける太陽はここがデスゲームの中だということを忘れさせるように美しかった。

 

 だがそこでオレは思い出す。このゲームがデスゲームへと変貌した二年前に見た鮮やかな夕日を。

 

「そういやあの時もこんな感じの夕日だったっけな……」

 

 ニヒルな笑みを浮かべつつ、オレは夕日に照らされながら転移門がある街を目指した。

 

 夕日の影響で出来た酷く長い影を揺らめかせながら、迷宮区で手に入れた素材を売るために行き着けの商人がいる街、五十層の主街区《アルゲード》を目指した。

 

 

 

 ソードアート・オンラインが開始されてから二年。現在まで攻略されたフロアは七十四層。残るはあと二十六。それに対し、当初約一万人いたプレイヤーは約四千人が死に、残るはあと六千人となっていた。




はい、いかがでしたでしょうか?

のっけから過去バレしてますが、こんな感じでいきたいと思います。
アウストの深い過去はもっと後になったら明かします。

また、オリジナルのソードスキルも発生しているのでもしそれらがお嫌いな方がいらっしゃったら遠慮なくUターンしていただいて構いません。
とりあえず今回はこんな感じでしたが、次回から本格的に動き始めます。

ではこれからよろしくお願いいたします。


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第二話

 七十四層の主街区、《カームデット》から五十層のアルゲードに転移したオレは真っ直ぐに目当ての店に向かった。

 

 街は多くのプレイヤーで賑わいを見せてはいるが、周囲の店や鍛冶の音が響く工房はなにやら怪しげな雰囲気を醸し出している。

 

 これがアルゲードの空気だ。簡単に言い表してしまえば中華系の街に若干ヨーロッパ風の建物を入れてみた感じだろうか。

 

 とまぁそんなことはどうでもいい。オレは大通りをある程度進んだところで裏路地に足を運ぶ。

 

 本来この行動は余り褒められたものではない。アルゲードは広大であるため少しでも道を違えると、すぐに迷って数日間出てこられなくなるらしい。中には追剥ぎめいたものに身包みはがされたプレイヤーもいるとか何とか。

 

 しかしオレからすればいつも通ってる道なので大したことはない。たまにガラの悪い連中に絡まれたりもするが、その時はそのときで力づくで通してもらう。一番いいのは話し合いなのだろうが、ネットゲーマーにマナーを求めるほうが面倒だ。

 

 そして表通りから路地に入り何度目かの角を曲がったところで目当ての店の前にやってきた。曇りガラスがはめ込まれた扉には『OPEN』の文字が刻まれたプレートが下げられている。

 

「こんな様子じゃ開いてるなんて思えねぇけどな」

 

 肩を竦めてドアノブに手をかけて回すと、ガチャリという小気味良い音と共にドアが開いた。同時にカランカランというドアベルの音が聞こえた。

 

 店内は薄暗く、壁際の照明は極僅かな光りしかない。天井の照明も何のためにあるのやらだ。しかし壁際の商品棚には所狭しとアイテムやら武器やらが並んでいる。

 

 しかしオレはそれらには目もくれずに誰もいないカウンターに声をかける。

 

「マシュー。いるんだろ」

 

 店内に声が響きしばらくすると、カウンターの奥から人のよさげな笑みを浮かべた男、マシューがやってきた。しかしその身長は百九十はくだらない。同じようにアルゲードに商店を構えている禿頭で浅黒い肌をしている知り合いにエギルという男がいるが、彼とどっこいだろう。

 

「一週間ぶりやなぁアウスト。ほんで、今日はどないなもん持って来たん?」

 

 笑みを浮かべながら本物の関西弁なのか、エセなのかわからない関西弁をしゃべるマシューは椅子にどっかりと座った。

 

 それに対しオレも適当な椅子を借りてトレードウィンドウを開いた。マシューはウィンドウに表示された素材やらを眺めて一息つく。

 

「お前さん今日も迷宮区に入り浸ってたみたいやな」

 

「まぁな」

 

 そう答えるとマシューは肩を竦めて苦笑した。

 

「気ぃつけーや。いくらお前さんがトッププレイヤー言うても、そろそろモンスターも強くなっとるやろ?」

 

「わーってるよ。だからそれなりに気をつけてる。つーかそんなこと言うならお前がオレに付き合えよ」

 

「ソイツはパスやな。エギルはんとちごうて俺ッちはソードスキルとか上げてへんし」

 

 ヒラヒラと手を振りながらいうマシューだが、オレはそれに「冗談だろ」と返した。

 

「アルゲードまで上がって、さらにはそれなりに信頼置かれてる商人であるお前が戦えないわけねぇだろ。槍使いのマシューさんよ」

 

「もう一年以上前の話やろ。っと、鑑定終了。ざっと六〇〇〇コルって感じやな」

 

「上等だ。大して集めなかったんだからそんなもんだろ。エギルのとこでうったらもっとボラれてた可能性あるしな」

 

「その言い方やと俺ッちがボっとるみたいやないか」

 

「事実ボッってるだろ。端数とか完全に切りおとしてんだろーが」

 

 ジト目で睨むとマシューは「はて?」とおどけた様子でトレード欄に金額を入力していった。オレはそれにやや呆れつつもOKボタンを押す。

 

「まいどどーも。あぁそうや、その剣もう大分長く使っとるけど変えへんの?」

 

「変えるったってなぁ……」

 

 マシューの質問に対しオレは苦い顔をする。

 

 元来オレが扱うこの片刃大剣は両手剣の派生で発動した《エクストラスキル》なのだ。エクストラスキルはただパラメータを上げただけでは発生しない、ランダムなものだ。

 

 しかしこの《片刃大剣》。両手剣よりもはるかに重量がある上に、筋力パラメータをかなり上げなければ満足に扱えないという勝手の悪さから、多くのプレイヤーから敬遠されがちなスキルだ。

 

 実際オレ以外に使っているやつなど一人や二人ぐらいしか見たことがない。またそのほかの理由としては大剣を作る際、高難度のクエストをクリアして素材をそろえなければならないのだ。

 

 けれども一度この片刃大剣を装備して使いこなすことが出来れば両手剣や大斧など以上の力を発揮することが出来る。

 

「最近クエストの話もきかねぇしな」

 

 ため息をつきながら言ってみるとマシューはニヤリと笑みを浮かべてオレに告げた。

 

「ほんならおもろそうな噂はいっとるんやけど、聞いてかへん?」

 

「噂?」

 

「うん、六十八層に『宵の冥窟(よいのめいくつ)』っていう洞窟があるのは知ってる?」

 

「まぁ知ってる」

 

 宵の冥窟。その名のとおり一切の光りが通らない常闇の洞窟だ。でもあの洞窟にはモンスターが出現することはなく、ただの観光地のようなものだったはずだが……。

 

「最近になってあの近くの小さな村でとあるクエストが出たらしいんや。クエスト名は『冥界からの来訪者』」

 

「冥界って……地下があるわけでもねぇのに随分と物々しい名前だな」

 

「せやな。まぁそれはどーでもええのよ。問題なのはクエストの内容、どうやら洞窟にはボスモンスターがおるらしくて、ソイツからは超希少な武具素材がドロップするんやそうや」

 

「へぇ。でもよそんなレア素材が出るやつなんてとっくにパーティでクリアされてるだろ」

 

 肩を竦めて言ってみるが、マシューは「チッチッチ」といいながら立てた人差し指を左右に振った。

 

「残念ながらこのクエストはパーティで挑むことはできひんらしくてなぁ。ソロクエストなんや。しかも武器は両手剣かお前みたいな大剣縛り」

 

「なるほどな、危険が大きすぎるってわけだ。ただでさえ両手剣は隙がでかいしな」

 

「そういうこっちゃ。でも俺ッちはお前さんならクリアできると思うとるんや、アウスト」

 

 口元に手を当てて不適な笑みを浮かべるマシューだが、決して脅していたり、試しているわけではない。目を見ればオレを信頼しての言葉だと理解できた。

 

 オレはそれに対し答えるように小さく笑みを浮かべると、マシューに告げた。

 

「じゃあ久々にやってみますかね。でも確か宵の冥窟って照明結晶が必要だった気がすんだけど、オレ持ってねぇぞ」

 

 そう、宵の冥窟は一寸先が闇であり、普通の状態では進むことさえ困難だ。なので一定時間プレイヤーの周囲を照らし出す《照明結晶》というアイテムが必要なのだ。

 

「それなら心配いらへん」

 

 マシューはそういうとトレードウインドウからこちらにアイテムを一方的に送ってきた。

 

 もらったアイテムを確認すると、それは案の定というべきか件の《照明結晶》だ。しかも個数は十個もある。

 

「いいのか?」

 

「もちのろん。せやけどタダってわけにはいかへん。そのクエストが終わってからでええから、後で指定するアイテム取って来てくれるか?」

 

「どーせそんなこったろうと思ったぜ。まぁ了解だ、今日はもう帰るから後でメッセでも送ってくれ」

 

「はいなー」

 

 マシューが答えたのを確認したオレは椅子から立ち上がって店を出るためにドアノブに手をかける。だが、そこである人物のことを思い出す。

 

「そういやヨミは最近来たか?」

 

「ん? あぁ昨日の昼頃顔出したで。お前のこと愚痴ってたでー。『いっつも一人で行ってあの馬鹿男!!』って」

 

「馬鹿男って……別に死んじゃいねぇんだからいいだろうに」

 

「そないなこというなやー。ヨミはお前さんのこと心配しとるんやで? ええなー、かわいい女の子に心配されて」

 

 ケタケタと笑うマシューだが、オレはそれに対して鼻で笑う。

 

「ハン、別にあの女に心配されてもうれしくないっつの」

 

「ほうほう……ヨミをあないな風に成長させたんはお前やのによく言うわ」

 

「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇ! オレはただアイツが危なっかしかったから戦闘の手ほどきをしてやっただけだ!」

 

 若干ムキになりながら答えると、マシューはさらに面白げに笑った。オレは結局大きなため息をついた後に頭をガリガリと掻いて店を後にした。

 

 そのまま表通りに戻ったオレはメニューウインドウを展開し、とある鍛冶屋の少女にメッセージを送った。

 

 返信が帰ってくるまでの間、小腹を満たすために適当な軽食を買って転移門がある中央広場のベンチに座って食事をしていると、先ほどの返信が帰ってきた。どうやら今から行っても平気なようだ。

 

「さてとそんじゃリンダースに行きますか」

 

 

 

 

 

 リンダースはどこかのどかな風景が広がる田舎風の街だ。街のそこかしこには水車が回っており、昼間は風景を楽しむのも一興だろう。

 

 現在は夜だから街灯が幾つかついている状態だが、それでも水車の回る音と水のせせらぎは耳に心地よいものである。

 

 オレは転移門からしばらく道なりに歩き、目当ての家というか店の前に立った。店の名前は『リズベット武具店』。ある女性プレイヤーに紹介してもらった鍛冶屋だ。扉には『CLOSE』のプレートが下げられているが、実際オレが入るのは店のほうではなく、店の裏手にある工房だ。

 

「ばんはー、リズーいるかー?」

 

 軽くノックをしながら店主に声をかけると、中から声が聞こえた。その声に答えるようにドアノブを回して中に入る。

 

 工房内には鍛冶をするための設備が置かれており、壁には幾つか武器がかけられている。まさに鍛冶屋と言った感じだ。

 

 すると店主に声をかけられた。

 

「なにそこで固まってんのよ。話があるんならさっさと降りてきなさいって」

 

 視線をそちらに向けると、椅子に座ったこの武具店の店主、リズベットがいた。赤いワンピースに白のドレスエプロン、髪色はベビーピンク色という中々のカスタマイズ具合だ。顔にはそばかすもあるが、アクセント程度で普通に美少女系統に入るだろう。

 

 まぁそんなことは今はいい。

 

「それで今日は武器の整備? それとも武器の新調?」

 

 腰に手を当てながら聞いてくるリズに対し、オレは首を横に振った。

 

「武器の新調であることは変わりはねぇが、今日は予約だけ入れに来た」

 

「予約ってことはまだ素材は手に入ってないんだ。それにしてもアンタの剣っていつ見てもバカでっかいわね」

 

 嘆息気味にオレの背中に下がっている大剣を見るリズに対し、オレは小さく「ほっとけ」と告げた。同時にオレは鍛冶設備の裏に隠れているであろう人物に声をかけた。

 

「そこに隠れてるKoBの副団長様、そろそろ出て来いよ」

 

 KoBというのはSAOで最強の《ギルド》とされている『血盟騎士団』の略称のようなものだ。そして設備の影から若干バツが悪そうな表情をした少女が現れた。

 

 長い栗色の髪にしばみ色の瞳は輝いて見える。スッと通った鼻筋は凛とした雰囲気を持たせ、小さな卵型の顔は若干幼さを感じる。リズも美少女であることには代わりはないが、目の前の少女は彼女の上を行く。彼女の装備は白と赤を基調とした騎士風の装備で、剣帯からは細剣が下がっている。

 

 彼女こそKoBの副団長にしてSAOで『閃光』と呼ばれている女流剣士、アスナ嬢だ。

 

 アスナは若干申し訳なさそうにやや前傾姿勢でこちらにやってきた。

 

「えっと、いつから気付いてました?」

 

「入ったときにアンタのでかいケツが見えおわたぁ!?」

 

 オレが言い切るよりも早くオレの頬すれすれを細剣が駆け抜けていった。細剣の基本技であるリニアーだろう。まったく敏捷度の強化が半端なくて軌道すら見えなかったぞ。

 

 だがオレはすぐに両手を挙げて降参ポーズをとりながら彼女に告げる。

 

「嘘です、すんません。偶々アスナさんの腰マントの端が見えたんですはい」

 

「……本当に?」

 

「こんなことで嘘言ってどうするよ……」

 

 その言葉に納得が言ったのかアスナは細剣を引いてくれたが、彼女の隣ではリズが腹をおさえながら笑っていた。そんなに面白かっただろうか。オレからするとおっかなくてしょうがなかったが。

 

 すると、アスナが細剣を完全に鞘に収めてオレに告げてきた。

 

「とりあえずお久しぶりです、アウストさん」

 

「ああ、そっちも元気そうだな。真っ黒黒助は元気か?」

 

「真っ黒……あぁ彼ですか。私も最近会ってないんでわからないんですけど、多分元気でしょう」

 

「まぁちょっとやそっとじゃ死にそうにないタマだもんな」

 

 肩を竦めてアスナの意見に同意する。そこで、なにやらごそごそと準備をしていたリズがオレ達を呼んだ。

 

「とりあえず二人とも座って話さない? どうせ今日はもう何もないんでしょ?」

 

 見ると丸テーブルやら椅子を準備してくれたようだ。テーブルの上にはティーカップとポットまである。

 

「あ、ごめんねリズ。私も手伝うべきだったよね」

 

「いやそんな気にしなくて良いって。攻略組み同士話すこともあるんでしょうし。それにアウストとは新調する武器のことで話さないとだし」

 

「そうだな。そんじゃあお言葉に甘えるとしますかね」

 

 オレはメニュー画面を開き、武装を解除してラフな格好に戻る。椅子に座ると既にリズがお茶を入れてくれていたため、軽く会釈をしたのちそれを頂く。

 

「それでアンタが挑もうとしているクエストってどんなクエストなわけ?」

 

「六十八層の宵の冥窟である『冥界からの来訪者』っていう厨二病全開のクエスト。これだけ聞くと茅場ってネーミングセンスなさそうだよな」

 

「その辺は別の人がつけたんじゃない?」

 

 リズは言ってくるがその辺は実際のところどうでもいい。

 

「でも宵の冥窟って肝試し的な感じで使うスポットじゃなかったでしたっけ?」

 

「まぁな。でも情報源の話じゃ最深部にボスモンスターがいるんだってよ。しかもクエストの条件が両手剣か大剣じゃないとかいけないらしい」

 

「大分縛ったクエストですね。一人で行くんですか?」

 

「ああ、ソロクエストだしな。殺しにかかってるんじゃないかって思うぜ」

 

 小さく笑みを浮かべてみるもののアスナとリズの顔はどこか浮かない。まぁフレンドが死ぬかもしれないという状況で明るく振舞えというのが無理な話だが。

 

「浮かない顔しないでくれよ。女の子にそんな顔をされると寝覚めが悪い」

 

 若干おどけながら言ってみると二人も少しだけ気持ちが楽になったのか、笑みを見せてくれた。うん、やはり女の子は笑っているほうがいい。

 

 その後は適当にアスナから七十四層のボス攻略が何時ごろになるのかを聞いたり、リズに対して剣の注文をつけたりなどをしてからお開きとなった。

 

 

 

 

「それじゃあ明日頼むぞリズー」

 

 リズの店を出てアスナと並びながら転移門へ続く道を歩きながらオレはリズに向かって告げた。

 

「はいはい。わかってるわよー、アンタも死ぬんじゃないわよ」

 

「へいへい」

 

 軽く手を挙げた後オレはアスナと並んで転移門へと歩みを進める。因みに、なぜオレとアスナが並んで歩いているかというと、オレの家とアスナの家は同じ街にあるからだ。

 

 街の場所は六十一層のセルムブルク。湖の上に浮かぶ城塞都市で白亜の花崗岩で作られた家が並び、それなりに金持ちのプレイヤーが住む街だ。

 

「前から気になってましたけど、アウストさんって結構綺麗好きだったりします?」

 

「オレみたいなのがセルムブルクにいるのが不思議か?」

 

 アスナの問いに対してこちらも疑問系で返すと、彼女は小さく頷いた。

 

「そう思われちまうのも無理はねぇかもな。でもこう見えてオレはお前が言ったみたいに綺麗なところとか好きだぞ。セルムブルクは特にそれがどんぴしゃだったわけだ。湖の城塞都市なんて最高だ。

 まぁそのほかを上げるとするなら、二十二層の南西エリアにあるログハウスとか好きだな。けど流石に独り身でログハウスを買う勇気はない」

 

 呆れ気味の笑みを作りながら言うと、アスナもまた「確かに」とクスクス笑っている。

 

 そのままオレ達は他愛のない話をしながら転移門へ到着し、セルムブルクへと転移を行った。

 

 既に日はとっぷりと暮れているため、街には街灯がちらほらとついていた。また、湖面は街灯やそのほかの光りが反射し、キラキラと光っている。

 

「それじゃあ私はこっちなんで」

 

「おう、今度は攻略の時にでも会おうぜ」

 

 オレ達は転移門の前で別れるためそれぞれ手を挙げたが、そこでアスナが思い出したように手をパンとたたいた。

 

「そうだ! ヨミさんが探してましたよー」

 

「あの女……オレの交友関係全体に網張ってんじゃねぇよな?」

 

「さぁそれはどうですかねぇ。でも結構な剣幕でしたから連絡してあげたほうが良いですよ」

 

「心配ならあっちから来ればいいものを。何やってんだかアイツは」

 

 呆れ気味にため息をつきながらオレは頭を抱えた。そして軽く頭を掻いた後呟きを漏らす。

 

「……明日辺り連絡してみっか」

 

 だが聞こえないと思っていた言葉はアスナに見事に聞こえてしまったようだ。

 

「ふふふ、やっぱりヨミさんとアウストさんってお似合いのカップルですよね」

 

「うっせー。それを言うならアスナ、お前だってキリトといい感じだろうが」

 

「なっ!? わ、わたしとキリトくんはそんな関係じゃないです!」

 

 アスナは顔を真っ赤に染めながら反論してくるが、オレはまくし立てるように言葉を続けた。

 

「いいや、オレはちゃんと見てたぜ。五十六層の攻略の時、キリトが昼寝してるとこに突っかかって逆にアイツに窘められた上に、さらには添い寝までしちまったって言うところをな」

 

「な、なんでそのことを――ッ!?」

 

「フフン、それは簡単。偶々見てしまったからさ! いやぁそれにしても副団長様もなかなか大胆なことをしてらっしゃる」

 

 多分オレは中々に下種な笑みを浮かべていることだろう。しかし、からかわれたのだからからかい返さないと気がすまない。

 

 アスナはワナワナと震えたあと、悔しげな顔をしながらオレに対して中々に酷なことを言ってきた。

 

「も、もう知りません! そんなこと言うともうアメ作ってあげませんよ!」

 

「えっ!? マジでそれだけは勘弁! 謝るから許してくれよアスナ様!」

 

 流石にアメがなくなるのは大問題だ。あれがないと結構辛い。

 

「それじゃあちゃーんとヨミさんに連絡を入れるんですよ? そしたらまた作ってあげます」

 

 フンスと胸を張る彼女に対しオレはプライドなどをかなぐり捨てて頭を下げた。恐らく年下の女の子に頭を下げるのは中々にどうかと思うが、アメのためなら安いものだ。

 

 アスナも満足がいったのか、笑みを見せて手を振ってきた。

 

「それじゃあ今日はこの辺で」

 

「ああ。それじゃあな」

 

 オレもそれに答えながら踵を返して自宅への道を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の早朝。

 

 朝靄が蔓延る六十八層の小さな村のNPCから『冥界からの来訪者』のクエストを受けたオレは、件の《宵の冥窟》の目の前にやってきていた。

 

 《宵の冥窟》とは本当によく言ったもので、そこにはまるでぽっかりと穴が開いたような洞窟があった。どれだけ目を凝らしても真っ暗で明りも無しにあの穴へ飛び込んだら精神が発狂してしまうのではないだろうか。

 

 しかしこちらにはマシューからもらった照明結晶がある。時間内に戻ってくれば普通に帰還は出来る。それに聞いた話ではボス部屋までは一本道らしいので、もし照明結晶がなくなっても帰ってくることは出来るだろう。

 

「まぁ広さも奥行きも迷宮ほど長くはねぇだろうから、そこまで長く滞在することもないだろ」

 

 オレは照明結晶アイテムウインドウから取り出し、それに続いてアスナに作ってもらったアメを口に咥えた。

 

 リンゴのような甘酸っぱい味が口に広がり、思わず頬が緩みそうになる。しかし、甘味によって脳がすっきりとし、オレは目の前で口を開けている洞窟を見据えた後、《宵の冥窟》に足を踏み入れた。




はい、今回は原作キャラとオリキャラと絡ませました。

主人公は一応攻略組みですので、そのうちクラインやキリトとも出会うでしょう。
そしてたびたび出てきたヨミさんは次の話で登場します。

また、六十八層の《宵の冥窟》は完全に私の妄想ですのであまりお気になさらなくてもよろしいです。
因みに主人公は甘党というかアメとか咥えてるのがすきなのです。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第三話

 宵の冥窟に入って既に三十分、二個目の照明結晶を使ったところでオレは振り向いてみた。しかし、振り向いても出口の光りは見えることはなく、照明結晶によって照らされた範囲以外は全て闇に包まれている。

 

 それに小さくため息をつきつつ前に向き直り、再び歩みを進めるが、目の前に広がる代わり映えのしない暗闇にまたしても溜息が出てしまう。

 

「なんつーか昔を思い出しちまうなぁ」

 

 肩を竦めつつ言ってみるもののその呟きは空しく反響するだけだった。

 

 SAOに閉じ込められた年をあわせて十年前――――。

 

 オレは自身の弟を守るために肩を怪我した。今でもあの痛みを思い出すことがある。潰されるような鈍痛に加え、突き刺されるような激痛。十歳のオレには耐えられないほどの痛みだった。

 

 でも痛みはすぐになくなった。その代わりと言う様にオレから全てを奪っていったが。

 

 肩をあげることが出来ず、大好きだった剣術から強制的に引き離され、生きる意味を見失ったオレの世界はまさにこんな感じだった。

 

 特にたまに見る夢は現状と似ていた。暗闇の中をオレの身体だけが照らされていて、行けども行けども出口が見えない暗闇を進んでいるような雰囲気はまさに今の状態と同じだろう。

 

 ふとオレは我に返り軽く頭を振った。まったくクエスト中だというのに随分とナイーブになってしまった。一応頭をしっかりと覚醒させるために頭を殴っておく。

 

 だがオレはちょっとした疑問にかられていた。

 

「宵の冥窟ってこんなに長かったっけか?」

 

 そう、今現在入り口から入って既に四十五分程度が経過している。以前情報屋に聞いた話では、この洞窟は三十分も行けば大きなドーム状の突き当たりにたどり着くはずだ。

 

 なので普通ならもう到着しているはずなのだが……。

 

「クエストのせいで拡張でもされたかね」

 

 まぁどんなに長くとも所詮はクエストだ。迷宮区ほど長くはないだろう。

 

 などと考えてそのまま十数分歩き、三個目の照明結晶を使った時、これまでとは打って変った開けた場所に出た。

 

 見上げてみると天井もやたら高く、僅かな光量でもここがドーム状になっているのが理解できた。どうやらここが最深部のようだ。「やっと着いたか」と思いながらそのまま少し進んだ時だ。オレは自身の目の前に何かが現れるのを感じた。

 

 弾かれるようにその場所から飛びのいて先ほどまで自分がいた場所に目を凝らす。

 

 そこには青色のオーラらしきものを纏った巨躯の狼がいた。しかしただの狼ではない。その狼には目が六つ付いていたのだ。真紅の光を放つ瞳はそれぞれが真っ直ぐこちらを見据えており凄まじい威圧感だ。

 

 やがて狼型のモンスターのカーソルが表示され、オレはソイツの名前を読む。《The Solitude Wolf》。HPバーを確認すると二本と半分。その多さとこの名前からしてこいつがボスモンスターで間違いないだろう。

 

「ザ・ソリテュードウルフ……孤独な狼か。ハッ! ソロ狩りにはちょうどいい名前じゃねぇか!!」

 

 言いつつ背中の大剣に手をかけると、あちらも地を這うような咆哮をあげた。瞬間、オレは駆け出してソリテュードウルフに斬撃を放つ。

 

「先手は頂くぜ!」

 

 言いながら大剣を振りぬくが、ありえないことが起きた。剣がソリテュードウルフの体を通過したのだ。まったく相手のポリゴンを削らず、ダメージを意味する赤いライトエフェクトも発生しない。まるで幽霊を斬ったかのようだ。

 

 それに驚いているのも束の間、ソリテュードウルフはその強靭な前足を振るってオレに攻撃を仕掛けてきた。オレはすぐさまそれに反応して大剣のガード体勢をとる。

 

 刹那、襲ってきたのは凄まじい衝撃と金属と金属がこすれあうような甲高い音だ。

 

 そのまま大きく後ずさったオレは自分のHPバーを確認する。どうやらガードが間に合ったおかげでそこまでHPを減少させずに済んだ様だ。でも今はそれよりもソリテュードウルフに攻撃が入らなかったことの方が問題だ。

 

「レイス系のモンスターってことはねぇよな。だとすると――」

 

 そこまで言ったところでソリテュードウルフが首をもたげた。口の端からは青色の炎のようなエフェクトが発生しているため、ブレス攻撃だろう。流石にブレスの場合、ガードしても多大なダメージを受けるのでソリテュードウルフに近づき、スライディングするようにヤツの腹下に潜り込む。

 

 それと同時に溜めていたブレスが吐かれるがこの場所なら余波もこない。だからこそオレの取った行動はただ一つ。

 

「――普通のときに攻撃がきかねぇってことは、テメェが攻撃時にくらわせる事が出来るフラグなんだよォ!!!!」

 

 叫びながら大剣を構えると空色のライトエフェクトが光りを撒き散らす。そしてすぐさまシステムサポートが入り、その構えのソードスキル、《ヴィントシュトス》が放たれる。

 

 上に対して放つ四連撃は的確にヤツの腹部を捉えたようで、「グルゥオアアアアア!!」という苦しげなうめき声を上げた。

 

 HPバーを確認するとクリーンヒットの影響なのか、半分のHPバーをギリギリ残した状態で削り取っている。

 

「テメェみたいな特性持ったヤツなんざ山ほど相手にしてきてんだよ!!」

 

 ニッと笑みを浮かべたオレは硬直状態から解けたので次の攻撃を待つ。だが、ヤツのAIも学習したのか早々大きな隙を作らない。

 

 それでもちまちまと攻撃を積み重ねていくことにより、二十分ほどかけて二本と半分あったHPの半分を削り取ることが出来た。

 

「よし、このまま一気に――ッ!」

 

 そう余裕の笑みを浮かべたときだ。ソリテュードウルフの六つ目がそれぞれギラリと光り、先ほどまでとはまったく別の雰囲気が辺りにはびこる。

 

 また、先ほどまで出ていた青色のオーラが変化し、ドス黒い、オレが装備している剣よりも遥かに青黒いオーラが出始めた。それを確認したのも束の間、ソリテュードウルフは音もなくその場から掻き消えた。

 

 否、掻き消えたのではない崩れるようにいなくなったのだ。

 

 オレは反射的に大剣を真正面に構えるが、ヤツはいつまでたっても現れない。一瞬逃げたのかとも考えたが、こんな閉鎖された空間からどうやって逃げるというのか。第一、カーソルはいまだ残っておりライフも半分残っている。

 

 考えを振り払い索敵スキルをフルに活用してみるが未だにヤツが現れる様子はない。

 

 何分が経過しただろうか。いや、実際は何秒だろう。周囲が暗いことでかなり時間感覚がおかしくなっているようだ。

 

 そんなことを気にしつつもオレは照明結晶の残りの効力時間を計算する。照明結晶の持続時間は一個につき三十分。戦闘が始まって二十分が経過していることから考えて後十分以内には決着をつけたいものだ。ただでさえ照明結晶を使う時は隙が出来る、そこを狙われるとHPを大幅に削られてしまうだろう。

 

「ったく、面倒なところだ」

 

 舌打ちをして悪態をつくと、まるでそれに答えるように背後にソリテュードウルフの気配が現れた。弾かれるようにそちらを見るが、オレの目に入ってきたのは驚くべき光景だった。

 

 なんとヤツは影の中から飛び出してきたのだ。正確には、照明結晶によって出来た光りの範囲の外の暗闇の部分から飛び出してきたというほうが正確だろうか。流石にこの攻撃には面食らったが、オレは冷静に判断を下し、ヤツの攻撃線状にナイトメアレイヴンをかかげ通り抜けざまに真横に振るった。

 

 手応えがあったのでダメージは与えただろうが、それはこちらも同じことだ。腹部を見るとまるで意趣返しのようにダメージを示す赤いエフェクトが発生していた。ヤツの爪が当ったのだ。

 

 HPを確認するとグリーンゾーンにあったものがイエローゾーンまで削られている。中々の攻撃だ。次喰らえばレッドゾーンでギリギリ残る程度だろう。

 

 普通のプレイヤーならば恐怖や不安を表情に表すかもしれない……。だが、オレはどうしてこんな性格をしているのだろうか。手鏡があればすぐにわかる。

 

 オレは今笑っている。この状況を楽しんでいる。しかもイエローゾーンだけでは物足りないと思っているようだ。

 

「……我ながらなんてドMな性格してんだか……」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべたオレは一度目を閉じて大剣を真正面に向けて構える。そして大きく深呼吸。

 

 別にSAOで呼吸は要らないが、リアルでやっていた精神集中の真似事だ。何度かそれを続けると高揚していた気分が落ち着き、心がクリアになる。

 

「今度ははずさねぇ……」

 

 言うと同時にオレはナイトメアレイヴンを担いだ。同時にライトエフェクトがじわじわと刀身を侵食し始める。

 

 そのままの状態で十数秒が経過した。今度は正確に判断が出来ているのでそれだけ感覚が鋭敏になっているのだろう。昔からこの戦いが長引くほど感覚が鋭くなっていくのは気持ちがよい。

 

 冥窟の中に凄まじいほどの静寂が包んでいる。

 

 しかし次の瞬間その静寂は次の瞬間、空気を激震させるような咆哮で破られた。

 

「ゴァアアアアアッ!!!!」

 

 ソリテュードウルフが現れたのはオレの右側だ。大きく開かれた口の中には鋭利で強靭な牙が光っている。恐らくこの攻撃を喰らえば死ぬだろう。

 

 しかしこの命をかけたギリギリの攻防は本当に面白い。自分が生きているという感じがよりいっそう強くなる。

 

 オレは口角を吊り上げて軸足に体重を乗せて身体を回転させることで、ソリテュードウルフと真正面から向き合う。

 

 既にヤツの大口は目の前にまで迫っていたが、こちらもソードスキルの準備は完了している。

 

 そしてソリテュードウルフの頭が眼前まで迫った瞬間、担いでいたナイトメアレイヴンがソードスキルのシステムアシストによって、蒼き軌跡を描きながら振りぬかれた。

 

 真一文字に振りぬかれた大剣はソリテュードウルフの頭にクリーンヒット。かつてないほどの手応えが腕に伝わるが、攻撃の手は緩めない。続けて斜め右上に斬り上げ、さらに振り下ろすことで三角形を描くように三連撃。

 

 しかしまだこれだけでは終わらない。今度は逆に三角形を描くことによりライトエフェクトの軌跡が六芒星を描いた。

 

 隠し技というわけではないが、モンスターの残りHPを考えた結果発動させたこの技の名前は《ツェアシュテールングス・ヘクサグラム》。六芒星を描くように剣閃が奔る片刃大剣の上位ソードスキルだ。でもこの技は最後の一撃が残っている。

 

「うぉらあああああああッ!!!!」

 

 オレは大剣を引き両手でソリテュードウルフに突きつけるようにして構えた。瞬間、システムアシストが入ったことで恐るべき速さで大剣が突き放たれた。

 

 凄まじい突きはソリテュードウルフの額のど真ん中を直撃し、刀身の三分の二が埋まってしまっている。同時にソリテュードウルフは身体を硬直させている。見るとHP残量は一ミリすらも残っておらず、次の瞬間、ソリテュードウルフはその巨体を無数の光り輝くポリゴンに変えた。

 

 ガラスが割れるような破砕音が宵の冥窟に反響し、光り輝く欠片がドーム状の壁を照らし出す。

 

 それらに少しだけ目を奪われていると、目の前に『Quest Clear!!』の文字が表示され、その下に換算された経験値とコルが表示され、一番下には手に入れたインゴットの名称が表示されている。

 

「《アウインライト・インゴット》か……。つーかあの狼、インゴットをドロップするとはな。五十五層の白竜は水晶を齧ってたって言うけど、こいつはこの洞窟の壁でも齧ってたか?」

 

 などと別段どうでもいいことを呟きつつ、オレは入手したインゴットを受け取って切れかかっていた照明結晶を使った。

 

「さてっと、そんじゃあリンダースに戻ってリズに作ってもらうか」

 

 オレは踵を返して宵の冥窟の入り口を目指して歩き始めた。

 

 

 

 

 

 リンダースのリズベット武具店に到着したのは午前十時ごろだった。転移結晶で移動してもよかったのだが、別に大した距離でもないし、急ぎの用事でもないので歩いてくることにしたのだ。

 

「へぇ~、影に潜む狼かぁ。随分と特殊なモンスターもいたもんねー」

 

「まぁ確かにな。SAOだと初めての敵だったから中々焦ったぜ」

 

 出された椅子に逆向きに座ったオレは肩を竦めてリズに返答した。すでに彼女には入手した濃い藍色のインゴットを渡しており、今はふいごで風を送られた真っ赤な火の中にぶち込まれている。

 

「《アウインライト・インゴット》ねぇ。初めての素材だから結構緊張するわね」

 

「マスターメイサーでも緊張することがあるんだな」

 

「あったりまえでしょ。っと、そろそろいい感じね」

 

 リズは言うと炉の中で赤々と熱せられたインゴットをヤットコで取り出して金床の上に乗せ、壁の鍛冶ハンマーを取り出してこちらを見て聞いてきた。

 

「片刃大剣でいいんでしょ?」

 

「もち。つーか聞かなくてもわかるだろ」

 

「形式よ、形式」

 

 リズは小さく笑みを浮かべるとインゴットに向き直って小さく息をついた後、赤く光る金属を力強く叩いた。甲高い音が工房に響き、鮮やかな火花が花を咲かせる。

 

 その様子を見ながらオレは改めて目の前のマスターメイサーの少女の腕前に感服する。両手剣使いの頃にも何度か鍛冶屋に鍛えてもらったが、リズほど手際がいいヤツには会ったことがなかった。

 

 ただ無心でハンマーを振り下ろす姿はそれだけで様になっている。実際彼女がいなければ大剣の整備だって余り出来なかったかもしれない。

 

「……ホントにいい鍛冶屋紹介してくれたよ、アスナは」

 

 肩を竦めながら呟いてみるものの、オレの声はすぐに鍛冶の音にかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

 そのまま鍛冶を眺めていることしばらく。オレがあくびをしたときだった。

 

 リズがひたすらに叩いていた長方形のインゴットが青黒い光りを放ち始めた。そして見る見るうちに形が変化し、金床全体を覆うのではないかというほどの広さまで広がった。それに続き鍔と柄の部分が変化していく。

 

 オレは思わず立ち上がってその様子を間近で眺める。この新しい武器が作られるという瞬間はなんともわくわくするものだ。

 

 やがてオブジェクトのジェネレートが完了したのか、金床を覆うぐらい大きくなった大剣が姿を現した。

 

 一言で言えば目の前の大剣はなんとも禍々しい剣だった。剣の刃はいままで使っていた《ナイトメアレイヴン》と同じ片刃。色は全体的に深い藍色だが、鍔の部分には赤い瞳のようなものが取り付けられており、それを封印するかのように鎖が巻き付いていた。柄尻の先からは獣の毛のような装飾品が取り付けられている。

 

「名前は《ズィーゲルゲシュペンスト》。名前は聞いたことないから普通に新しい武器でしょうね。まぁ大剣自体あんまり数が出回ってないから当たり前だけど」

 

「だろうな。にしてもなんだこの外見。呪われそうだな」

 

「ゲシュペンストって響きからしてドイツ語?」

 

「ああ。確か意味は幽霊だったか亡霊だったかな。直訳すれば「封印されし亡霊」ってかんじか?」

 

「うーわー……ますます呪われそう」

 

 リズは呆れたように肩を竦めたが、ゲームなのだから呪われることはないだろうとオレは大剣の柄に手をかける。

 

 ズシッとくる重みが腕に伝わり、オレは思わず頬を緩ませる。そのまま肩に担いで適当な広さのあるところでソードスキルを発動してみる。空色のエフェクトと共に鍔の赤い瞳のようなものが発光して孤を描く様は中々に綺麗だ。

 

 オレは大剣を背中に背負ってからリズに向き直る。

 

「いい剣だ。重さもちょうどいい」

 

「そう、ならよかった。それじゃあオーダーメイド料、よろしく」

 

「ああ」

 

 オレは答えるとリズに対してコルを送った。彼女はそれを確認すると一度「うん」と頷いた。

 

「はい確かに受け取りましたっと。これからもよろしくね」

 

「おう。今日はサンキューな、リズ」

 

 オレはそれだけ言い残すと軽く手を振って工房を出た。

 

 工房を出て空を見上げて大きく深呼吸をした後時間を見てみると時刻は午後零時。ちょうど昼時だ。マシューから依頼のあった素材集めはあとで行えばいいとして、昼飯を食おうにも余り腹は減っていない。

 

「どうすっかねぇ――あ」

 

 リンダースの街を歩きながら考えていると、オレは一つのことを思い出す。

 

「そういやそろそろ行く日だったか」

 

 オレは呟いた後少し急ぎ気味に転移門まで走り、なれた感じで告げた。

 

「転移。はじまりの街」

 

 

 

 

 

 はじまりの街に到着したオレは東七区の教会へと向かった。

 

 ここはじまりの街はSAOで最大の都市だ。まぁゲーム開始当初一万人も収容してたんだから当たり前だ。現在も二千人ほどのプレイヤーがここを拠点としているが、トッププレイヤーや攻略組みはこの街へは滅多に足を踏み入れない。

 

 別段露店やNPCの店の品揃えがわるいとか、街がだだっ広くて迷いやすいとかそういうわけではない。

 

 ここは《軍》――。《アインクラッド解放軍》のテリトリーなのだ。しかし、実際のところ解放軍などとは銘打っているが、彼等が前線で戦っているところなど二十五層までの話だ。それ以来は前線に出てくることもなく、下層の治安維持などという腰抜けなことぐらいしかしなくなった。

 

 そればかりか最近は徴税部隊などという、ていのいいカツアゲ部隊を組織してはじまりの街を訪れるプレイヤーやここに住むプレイヤーから金を巻き上げているらしい。

 

 だがそれをするようになったのは、ギルドマスターのシンカーではなく、彼の下にいるキバオウという男らしい。まぁオレと《軍》はそれなりに因縁があるのでそんな情報も入ってくるのだが、ハッキリ言ってキバオウは無能なヤツだ。それに引き換えシンカーは有能なのだが、どうやら権力争い的なものが起こっているらしい。

 

 そんなことを考えながら小走りに東七区へ向かっているとあっという間に教会の前についてしまった。アスナほどではないにしろ敏捷度を上げているからだろう。

 

 オレは教会の中には入らず、教会の少し手前でフレンドリストを開いてからこの教会を管理しているプレイヤーにメッセージを送った。

 

 索敵によって教会内に人がいることは把握できているので、いることは確かだろう。熟練度九七〇は伊達ではない。

 

 数分の間建物の壁に背を預けていると、教会から一人の女性プレイヤーが出てきた。

 

 暗青色の髪はショートヘアにされ、顔には黒縁の大きな眼鏡をかけ、その奥の瞳は鮮やかな深緑色だ。しかし、その奥には若干の怯えも見られる。装備も簡素なもので、シンプルなプレーンドレスに武器は小さな短剣というものだ。

 

 すると彼女はオレに気が付き少しだけ顔を明るくさせてこちらにやってきた。

 

「お待たせしました、アウストさん」

 

「いいや。急に呼び出して悪かったな、サーシャ」

 

 オレの言葉にサーシャは被りを振って否定した。彼女、サーシャはここでSAOに閉じ込められた子供たちを養っているのだ。簡単に言ってしまえばこの教会は彼女の経営する孤児院だ。知り合ったのはつい三ヶ月ほど前だが、あることがあってからオレはこうしてよく顔を出すようになった。

 

 まぁオレが顔を出すのは別にサーシャに会いに来ているわけではない。オレはメニューウィンドウを展開して自分の所持金からコルを取り出してサーシャに送った。

 

「ほらよ、こんだけあればしばらく困らねぇだろ」

 

「こんな大金……。ありがとうございます、アウストさん。でもいいんですか? 私たちにこんなに……」

 

「気にすんな。オレが好きでやってることだ。そんじゃあ今日は帰るから、ガキ共にはよろしく言っといてくれや」

 

 申し訳なさそうなサーシャの額に軽くデコピンを当ててから、アイテムウィンドウから転移結晶を取り出して告げようとしたが、そこでサーシャが声をかけてきた。

 

「アウストさん。攻略がんばってください」

 

「おう、またな……転移、アルゲード」

 

 そう告げると青い光がオレを包み、次の瞬間にはサーシャの姿は見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 アルゲードに着いたオレを急な空腹が襲ってきた。時刻は午後零時半。三十分経って腹の虫が反応し始めたようだ。

 

 オレは適当な店に入ろうと歩き始めようとしたが、不意に大音響の声が後ろから投げかけられた。

 

「見つけた!! アウストッ!!!!」

 

 その声にオレは若干の嫌な予感を感じながらも振り向いた。先ほどの大声のせいで他のプレイヤーからやや注目を受けているが、声の主はそんなことどこ吹く風のようだ。

 

 オレの視線の先には一人の女性プレイヤーがいた。青銀色の髪は肩にかかる程度まで伸ばされており、所謂シャギーになっている。ツリ目がちの瞳は気が強そうな雰囲気を現していて、口からは八重歯が覗いている。

 

 装備は赤と黒で纏められており、オレと同じノースリーブのインナーに胸当て。下半身は内側がミニスカートになっており、腰マントがついている。背中にかけられている片手直剣も赤と黒のものだ。

 

 背丈は平均的な女性のもので、胸も特に突出してなにかあるわけではないが、かなりの美人である。アスナと同格といえるだろう。

 

 普通ならこんな美人に声をかけられて嬉しいものだが、オレはあんまり嬉しくなかった。

 

「ハァ……何の用だよ、ヨミ」

 

 そう、この女性プレイヤーこそオレを散々探していたヨミだ。そしてオレのフレンド第一号でもある。




はい、今回はやや長めでしたね。
おつかれさまでした。

戦闘描写がへったくそで申し訳ないです。
ま、まぁとりあえず新武器が手に入りましたw
ネーミングは言わないでください。わかってます、厨二病丸出しです。

アウストと軍の因縁はそのうち明らかになります。多分ユイが出てくるあたりですかね。
また、ユイとも若干色々あります。その他ヒースクリフともあるかもしれませんが、それは追々ですね。

やっとでましたヨミさん。
この後は結構行動を共にします。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第四話

 オレがダルそうにヨミの名を呼ぶと、彼女は凄まじい速さでオレの眼前に現れ、人差し指をビシッと突きつけてきた。

 

「なんか用かよじゃないでしょうが。まったくしばらく連絡も要れずに何やってたの」

 

「うっせ、んなもんオレの勝手だろうが。第一オレのやる事成す事逐一お前に報告する義務はねぇだろ」

 

 嘆息気味に言ってみるがヨミは睨みをきかせながら忠告するように告げて来る。

 

「あのねぇ別にアタシに逐一報告しろなんていってないでしょ。アタシが言いたいのは少しは生き残ってるって連絡しなさいっていってんの」

 

「同じことじゃねぇか! ったく、お前はオレの母さんかってぇの」

 

「アンタが連絡しないのが悪いんでしょーが! フレンドなんだからいつでも確認できるけど、少しはコミュとりなさいよね」

 

「ヘーヘー、わかりましたよー」

 

 唇をとがらせ気味に言うとヨミは「なによまったく」と言いながら腰に手を当ててプンプンと怒っていた。

 

 しかしそこでオレの耳にヒソヒソと囁く声が聞こえたので聞き耳を立ててみる。

 

「おい、あそこにいんのって《宵闇(アーヴェント)》と《紅玉(ルヴィア)》だよな」

 

「なんかすげー言い合いしてるけど攻略でもめてんのか?」

 

「いいや。なんか痴話喧嘩っぽいぜ。やっぱあの噂って本当だったんだな。宵闇と紅玉がデキてるって」

 

「マジかよ!? 俺、ヨミさん好みだったんだけどな……」

 

 どうやら集まってきたギャラリーの声だったようだ。周囲を見回してみるとオレ達を中心にドーナツ状の人の壁が出来ていた。まぁ広場のど真ん中であれだけ派手に言い合いをしていれば注目されるのは当たり前だ。

 

 仕方ないのでオレは大きなため息の後、ヨミの首根っこを引っ掴んでそのままずるずると人気のない場所まで引っ張っていった。途中ギャラリーの連中に冷やかされたが、そんなもん知るか。

 

 やがて適当な裏路地まで来たオレはヨミを解放して今一度ため息をついた。

 

「ヨミ、あんな目立つところでデッケー声だすな」

 

「それはアンタもでしょーが」

 

「いいや、お前が先に「見つけた!」とか言わなければ良かったんだよ」

 

「あ、あの時はしょうがないじゃん。つい大きな声が出ちゃったんだってば」

 

「……今度からは気ィつけろよ。お互いもう目立っちまうんだからな」

 

 伏し目がちに言うと彼女もそれを理解したのかちいさく頷いた。

 

 さっきも呼ばれてはいたが、オレとヨミにはそれぞれ二つ名がついてしまっている。いつから付き始めたのか、これはオレもヨミも記憶があいまいだ。一年ぐらい前だったかも知れないし、半年ぐらい前だったかもしれない。

 

 オレは服装と使っている片刃大剣の色からとって宵闇。夜は黒というより深い藍色だからだそうだ。ヨミは使っている片手用直剣の鍔の部分にルビーのような宝石が輝いているからそのまま紅玉とのことだ。

 

 まぁトッププレイヤーの宿命とでも言うのだろうか。昨日会ったアスナも《閃光》などと呼ばれているし、彼女が在籍するギルド、《血盟騎士団》の団長の二つ名は《聖騎士》だ。

 

「それでオレを探しまくってたみたいだけど、何のようだったわけだ?」

 

「別に深い理由はないんだけどさ、ただ久々に一緒に迷宮区攻略しに行かないかなーって思って」

 

 やや頬を赤らめながら言うヨミだが、なぜそんなに頬を染める必要があるのだろう。さっき人に見られた恥ずかしさが今更こみ上げてきたのか。

 

「迷宮区ねぇ……あ、そうだ。だったらマシューに取ってきてくれって言われたアイテムとか素材があるからそれでも一緒に取りに行くか?」

 

「それって七十四層?」

 

「ああ。リザードマンの皮、爪、牙、鱗をそれぞれ十個。あとはデモニッシュ・サーバントからドロップするガイコツの粉に頭骨、あとは剣とかを十五個。その他迷宮区で取れたものは全部くれって」

 

「ふぅん、まぁいいわ。というかマシューのやつ本当に商人プレイヤーになってきたわね。一年前までは攻略組みだったのに」

 

 若干呆れも孕んだ嘆息を漏らすヨミに対し、オレも小さく頷いた。

 

「そんじゃ適当にアイテム揃えて軽くなんか食ったら出発するか。今は零時四十五分だから……一時半には迷宮区に着くだろ」

 

 時間を確認しながら言うとヨミは「はりきっていこー!」と一人で盛り上がっていた。

 

 

 

 

「せぇぇぇいッ!!」

 

 凛とした気合の声と共に振りぬかれた黒と赤の片手剣がガイコツの闘士の身体を抉り、赤い光りが花を咲かせる。

 

 オレ達二人は今七十五層の迷宮区にいる。時刻は午後三時半。

 

 目の前ではヨミが奮闘を続けているが、オレは《スイッチ》要因らしく、ここぞという時にしか声はかけられない。

 

 アルゲードで適当な買い物を済ませ、七十四層の迷宮に到着したのは予定していた時刻よりもやや遅い一時四十分であった。理由とすればヨミがアルゲードの商人プレイヤーに対して値切りの交渉をしていたのが主な原因である。

 

 その際「金にがめつい女は嫌われるぞ……」と聞こえないぐらいの小声で言ったのだが、どうやら聞こえたらしく盛大に尻を蹴られた。続けて「暴力女はもっと――」と言おうとしたら今度は顔面に拳がめり込み壁に叩きつけられた。

 

 結果それにビビッた店主が値段を下げてくれたので、値切りは成功といえば成功なのだろうが、どうにも腑に落ちない。

 

「あれリアルで喰らったら相当痛いんだろうなぁ……マジキツイわ」

 

 オレは前方でデモニッシュ・サーバントと戦闘を行っているヨミの背を見ながら言うが、彼女は戦闘に集中していて聞いちゃいない。

 

「なぁにボサッとしてんのアウスト! 《スイッチ》行くよ!」

 

「あいあい」

 

 声高々に宣言してくる彼女に対しオレは肩を竦めながら今日新調したばかりの片刃大剣、《ズィーゲルゲシュペンスト》を肩に乗せる。鍔に巻きつけられた鎖がガシャン! と音を立てた。

 

 真新しい武器での戦闘はなかなか気分が高揚するもので、オレの胸は少しだけ高鳴っていた。

 

 などと考えていると、ヨミがデモニッシュ・サーバントに大きな隙を作り、オレにチラリと視線を送ってきた。彼女の意図を理解したオレはすぐさま中断に大剣を構える。同時にソードスキルが発動し、刀身を青黒い光りが包んだ。

 

 オレは足に力を込め、地面が抉れるのではというほど踏み込んだ。そしてソードスキルが発動された。両手剣用の上段ダッシュ技の高レベル剣技《アバランシュ》だ。

 

 《片刃大剣》は両手剣からの派生のスキルなので、普通に両手剣スキルも扱えるのだ。だがこの技はこのようにモンスターを相手取り、パーティがいるときにスイッチを決める際はいいのだが、対人戦の《デュエル》時には大きな隙が出来るので大して使えない技だ。

 

 クリーンヒットした攻撃によってデモニッシュ・サーバントの身体は輝くポリゴンの欠片となって宙を舞い、オレとヨミの前にそれぞれ経験値とコル、そしてドロップしたアイテムが表示されたウィンドウが展開された。

 

 それを処理して大剣を背中に背負い込んだところで、同じく片手剣を鞘に収めたヨミが労いの言葉をかけてきた。

 

「おつかれー。今のドロップで全部集まった?」

 

「ああ、いまので頭骨が出たから揃ったぜ。というか、お疲れなのはオレじゃなくてお前だろ。殆ど前線で戦いやがって」

 

「アハハー、まぁ結果オーライってことでいいんじゃない? じゃあアイテムも集まったことだしアルゲードに戻ってマシューに届けに行こうよ」

 

 頬に冷や汗というかばつの悪そうな汗を浮かべながら言う彼女に対し、オレは小さく笑みを零す。まったく、こういうところは初めて会ったころから変わっていない。だが、それが彼女のいいところであるのかもしれない。

 

「いいや、マシューのヤツは別のところに品を集めにいってるらしいから、今日はやめておこうぜ。明日オレがとどけっから……今日はエギルのとこでも寄っていくか」

 

「お、いいねー。まぁた阿漕な商売してんだろうケド」

 

 カラカラと笑うヨミにオレもクッと笑う。すると、それを見ていたヨミが満足したように「うん」と頷いた。

 

「やぱりアウストは何にも変わってないね。ちょっと安心した」

 

「なんだよ安心したって」

 

「ホラ、もう三ヶ月くらい会ってなくってメッセ送っても素っ気ない返事しか返してくれないからさ……。私嫌われちゃったのかと思って」

 

「ハッ、別に嫌っちゃいねぇよ。ただ一緒に行動する機会がなかったってだけだ。それにそんなに言うんだったらメッセで言えばよかったじゃねぇか」

 

「それはホラ、ちょっと気恥ずかしいじゃん」

 

 そういう彼女は本当に恥ずかしげに指を絡めてモジモジとしている。いつもこれぐらいおとなしければかわいげがあるのだが、まぁそれを望むのは無粋という者だろう。

 

「そういうもんかねぇ。女の子の精神ってのはわからんわ」

 

「アウストには一生理解できなさそうだもんねぇ。デリカシーもないし」

 

 などと他愛ない話をしながらオレ達は七十四層の迷宮区を後にした。

 

 迷宮区を出てそのまま主街区のカームデットまで戻って転移門からアルゲードに戻ろうとしたのだが、ヨミが殆ど最前で戦っていたことを思い出し、オレはヨミに向かって転移結晶を放った。

 

「これ、転移結晶だけど、いいの?」

 

「ああ。ストックは十分あるし、特に問題はねぇ。それにお前結構疲れてるだろ」

 

「……」

 

 オレに声にヨミは一瞬キョトンとしたが、すぐに吹き出して笑みを浮かべた。

 

「あんだよ」

 

「んー、なんでもないよ」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべている彼女に対し、オレは肩を竦めた後転移結晶を使い、アルゲードへと転移した。

 

 オレがアルゲードに到着してすぐにヨミが隣に転移してきた。それを確認した後、オレ達はエギルの経営する店へと歩みを進めた。

 

 エギルの店はアルゲードの中央広場から西に伸びた目抜き通りを数分歩いたところにある。マシューの店よりは奥まったところにはないが、周囲の店の怪しさもあり混沌とした雰囲気は否めない。

 

 中を覗くと、マシューの店と同じように棚や壁に所狭しと武器や防具、アイテム類が詰め込まれているが、店の明るさはこちらのほうが上だ。

 

 そしてそんな店の店主はというと、現在カウンター越しに黒衣の剣士の少年と商談をしているようだ。横にいたヨミも黒衣の少年に気が付いたようで声を上げた。

 

「あれ? キリトじゃん」

 

「みたいだな。なんかレアアイテムでもドロップして売りに来たかね」

 

 予想を立てつつオレは店の中に入って店主のエギルと黒衣の少年に声をかける。

 

「よう、なんの商談してんだお二人さん」

 

「おぉ、アウストじゃねぇか。それにヨミも」

 

 浅黒い肌の禿頭の大男、エギルは人の良さそうな笑みをオレ達に向け、彼と商談していた黒衣の剣士も軽く手を挙げてきた。

 

「元気そうだなキリト。相変わらず真っ黒だけど」

 

「それはお互い様だろ。お前だっていつも藍色じゃないか」

 

 黒衣の剣士ことキリトは呆れ気味に言ってくる。

 

 彼もまたオレやアスナ、ヨミのように攻略組のトッププレイヤーだ。知り合ったのはこのゲームが始まって一ヶ月と少し経ったくらいだったか。ヨミやマシューも確かそのあたりだった気がする。

 

 キリトは呆れ気味に言ってくるが、全身真っ黒黒助よりは多少は青いオレのほうがマシだ。これは絶対。

 

「それで二人は何の話をしてたわけ?」

 

 いつの間にかカウンターに腰掛けたヨミがエギルとキリトに問うと、二人は視線を交わした後告げてきた。

 

「実はさ、さっきまで七十四層の迷宮区に潜ってたんだ。それで帰りに森の中をあるってたら、《ラグーラビットの肉》を手に入れたんだよ」

 

 後頭部をポリポリと掻いているキリトだが、カウンターに座っていたヨミは目を丸くしていた。

 

「ラグーラビットの肉って確かS級のレアアイテムじゃん!? しかも超極上食材!」

 

「ああ、そうなんだけどオレやエギルじゃあ料理スキルを上げてないから焦がしちゃいそうでさ、換金しようとしてたところなんだ。アウストやヨミは料理スキルは?」

 

 掌をこちらに投げかけるようにしていってくるキリトに対し、ヨミとオレはそれぞれ首を横に振る。

 

「アタシも少しは上げてるけど、S級を扱えるまでじゃないわねー」

 

「そもそもオレが料理スキルを上げているとでも思ったか?」

 

「……だよなぁ」

 

 キリトはがっくりと項垂れながら呟くが、オレは小さく笑みを浮かべて彼に告げた。

 

「けどよ、オレらのごく身近に一人いるだろ。S級食材を調理できそうなヤツが」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 オレの言葉にキリトも思い出したのかポンと手を打ち鳴らした。そしてその瞬間、エギルの店に件のシェフが顔を出した。

 

「こんにちわ……ってすごく揃ってるわね」

 

 入ってきたのは赤と白の剣士、アスナだった。彼女の後ろには痩せた長髪の男がいる。年齢は二十代後半と言ったところだろうか。装備品の配色からいってKoBのメンバーで間違いない。アスナはKoBの副団長も務めているので彼女の護衛というのが妥当か。

 

 しかしその視線は何処となく怪しい。

 

 ……考えすぎか。

 

 オレは男から視線を逸らしてアスナに向き直る。アスナはヨミとハイタッチをしてからキリトに向き直った。

 

「それで四人で何を話してたの? 食材がどうこうって聞こえたけど」

 

「ああ。実はラグーラビットの肉をゲットしてさ」

 

「ラグーラビット!?」

 

 キリトの言葉にアスナは身を乗り出して彼に問うた。キリトもそれに頷くとアイテムウィンドウをアスナに見せて証拠を見せる。

 

「それでこれを調理できる人を探してたんだけど、アスナの料理スキルは今どの辺だ?」

 

「ふふん、聞いて驚きなさい。先週、《完全習得(コンプリート)》したわ」

 

 得意げに言う彼女にその場にいた殆どが驚きをあらわにしたが、オレは冷静に突っ込みを入れてしまった。

 

「……バカじゃねぇの?」

 

 言った瞬間、アスナの足が呻りをあげて鳩尾に叩き込まれそうだったのでそれを回避。

 

「いきなり蹴りとははしたないぜアスナ嬢」

 

「バカって言う方が悪いです。というかそんな私にお世話になってる人がよく言えますね」

 

「そいつは勘弁。率直な意見が出ちまっただけだ。悪気はねぇよ」

 

 肩を竦めるとアスナは若干不服そうながらもキリトの話に耳を傾けた。

 

 その間、オレはエギルに対してトレードウィンドウを開いて話をつける。

 

「エギル。コイツら総額でいくらになる?」

 

「んーそうだなぁ……四〇〇〇……いや、四二〇〇コルってとこだな」

 

「そうか、じゃあそれで買い取ってくれ」

 

「おう。というか、お前もよくアイテムを換金してるけどよぉ、なんか必要なものでもあるのか?」

 

 トレード完了のボタンをタップしながら聞いてきたエギルに対し、オレは短く「まぁな」と答えておいた。キリトとアスナの方も交渉が終わったようで、どうやら二人でラグーラビットを半分に分けるという形になったようだ。

 

 そのとき、オレはそんな二人を見ていたヨミが物欲しそうな目をしているのに気が付いた。大方ラグーラビットを食って見たいと思っているのかもしれない。

 

 けれど実際にそう思っていたとしても変ではない。なぜならSAO内での極上食材であるラグーラビットが食えるのだ、いつもの簡素なスープやパンなんて足元にも及ばない。それに今回は料理をするのがスキル熟練度を限界まで引き上げたアスナなのだからなおさらだ。

 

 彼女のものほしそうな瞳にやや溜息をつきながらオレはキリトとアスナに話を持ちかける。

 

「なぁお二人さん。もう一ついい情報があるんだが聞いてかねぇかい?」

 

「いい情報?」

 

 小首をかしげたアスナがこちらを向いてきたので、オレはアイテムウィンドウを展開してアスナにそれを見せる。

 

 必然的に皆ウィンドウを覗き込むが、次の瞬間全員が息を詰まらせた。

 

「こ、これってラグーラビットと同等の《ローストバイソンの肉》じゃないですか!? しかも二つ!?」

 

「ああ。四日くらい前に七十層の平原を歩いてたら偶々あったんでぶった切ったらドロップしたんだ。あぁ腐ってはいないから安心しろよ。保持期間はあと一日あるし」

 

 その証拠にアイテムウィンドウの《ローストバイソンの肉》のステータスには『保持期間残り一日』と表示されている。

 

「そんで提案だ。そちらさんのラグーラビットとオレのローストバイソン、どっちもアスナに料理してもらってここにいるヨミも入れて四人で食おうじゃないか。もちろん嫌なら構わない」

 

 オレが二人に向かって言うと、アスナはキリトに対して視線を向け、キリトも観念したように小さく頷いた。

 

「わかりました。それじゃあそんな流れで行きましょう。皆でシェアする感じで」

 

「そうか、ありがとよアスナ」

 

 アスナに軽く礼を良いアイテムウィンドウを閉じると、ヨミがチョイチョイと腰マントを引っ張ってきた。

 

「あんだよ」

 

「えっと……ありがと」

 

「なんのことやら」

 

 口角を僅かに上げたオレは小さく息をついた。ヨミはその後何も言わなかったが、口元は嬉しそうに緩んでいた。

 

 しかしそこで耳障りな男の声が聞こえた。

 

「あ、アスナ様! こんなスラムに足を運んだのも危険だというのにそのような者達をご自宅に招くなど!」

 

 声発したのはアスナの護衛と思しくKoBの男だった。言動からして随分とアスナに執心のようだ。

 

 どうやらアスナがオレ達をセルムブルクの自宅に招いて料理を振舞うのが許せないらしい。

 

「この人たちは信用に足る人物です。それに全員貴方よりもレベルが十以上は上よ、クラディール」

 

 クラディールと呼ばれた男はその痩せた顔に汗を浮かばせながら食い下がる。

 

「し、しかし! 同じ女性プレイヤーである《紅玉》ならまだしも。そのような素性の知れない真っ黒野郎と、よりにもよってビーターの《宵闇》も連れて行くことはないでしょう!」

 

 酷い言われようだ。別にビーターといわれて不快な気分にはなりはしないが、言われて気持ちが良いものかといわれるとそうではない。

 

 クラディールはオレの事をその窪んだ目で睨んでくるが、すぐにキリトのほうに向き直って思い出したような顔をした。

 

「そうか、手前もビーターだな! アスナ様! いいですか、コイツやそこの宵闇は自分さえ良ければいいような連中です。貴方がかかわるような相手じゃない!」

 

 ヒステリックな声を上げながら言うクラディールがアスナの名前を連呼するせいで店の前に人垣が出来始めていた。こうなると店主のエギルも大変だろう。

 

 店の外を確認したアスナはクラディールに対して大きなため息をついてからはっきりとした声で告げた。

 

「ともかくこれはもう決めたことです。貴方はもう帰りなさい」

 

 流石に副団長にはっきりといわれてたじろいだのか、クラディールはくぐもった声を上げた。

 

 アスナは一度こちらに目配せをした後、キリトのコートの腰ベルトを引っ掴んでそのままずるずると引き摺っていった。それに続いてオレ達も外へ出て行こうとするが、そこでエギルに呼び止められた。

 

「な、なぁアウスト。俺たちも長い付き合いだろ? 少しはおごってくれたり……」

 

「あとで取れたらそん時はアスナに頼んでもらうさ。じゃあなエギル、店がんばれよー」

 

 それだけ言い残すとオレとヨミは店を出て行ったアスナとキリトを追いかけた。

 

 しかし、オレは店から出て二人の後を付いていく時、背後のクラディールの視線に不吉なものを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 セルムブルクのアスナの私邸にて振舞われた料理は『美味』の一言だった。現にオレ達の目の前には空になった皿や器がいくつも並んでいる。

 

「いやー……食った食った……」

 

「今までがんばって生き残っててよかったー」

 

「確かに……」

 

「同感だ」

 

 口々に感想を言うオレ達は皆腹部を摩っていた。確かにS級食材といわれるだけのことはあり、ラグーラビットのシチューは肉がホロホロと解け、ローストバイソンのローストビーフは肉汁が凄まじかった。

 

 そのまましばらく余韻に浸っていると、お茶が準備され始め食後のティータイムが始まり、しばらく談笑していたが段々と七十四層のボス攻略の話になってきた。

 

「それで後数日のうちにはボス部屋までがマッピングされると思うんだけど、アウストさんやヨミさんは明日何かあったりします? あとキリトくんも」

 

「明日はマシューのとこに今日集めたアイテムを届けに行こうと思ってるけど、そこまで急ぎじゃないぜ」

 

「アタシも暇だよー」

 

「俺も特に予定は立ててないな」

 

 三人の答えにアスナは思い至ったように「うん」と頷くと笑みを浮かべながら告げてきた。

 

「それじゃあ明日皆でパーティーを組んで七十四層の迷宮区に行きましょう。一応私にはボス攻略の時のパーティー編成の責任者としての義務がありますから、皆の力がどれほどのものなのか把握しておかなければならないので」

 

「大変だねぇKoBの副団長は」

 

 アスナの言葉を冷やかすようにオレは言ってしまうが、別段悪気があって言っているわけではない。

 

 だがそこでキリトが難しい表情をしながら告げた。

 

「でもさ、そんなこと今更確認しなくてもいいんじゃないか? それに俺の場合、パーティメンバーが助けというよりも邪魔にな――」

 

 彼がそこまで言いかけたところで、オレとアスナ、ヨミの手がそれぞれ動いた。

 

 アスナは細剣のソードスキル《リニアー》。ヨミは片手剣を首筋へ。オレは片刃大剣をキリトの腹部に押し当てた。

 

 三者三様の強烈な対応に、キリトは表情を強張らせ頬を汗が伝った。

 

「――わ、わかったってば。あんた達は別だ」

 

 その言葉にそれぞれの得物を収めた。

 

「あれ、でもアスナ。あのクラディールとか言う護衛はどうすんの? あの様子じゃあ食い下がらないでしょ」

 

「そこは何とか言っておいてきます」

 

 腰に手を当てて言うアスナにオレたちはそれぞれ頷き、キリトが意を決したようにオレたちに言ってきた。

 

「じゃあ明日の朝九時。七十四層の転移門の前に集合でいいか?」

 

 キリトの提案にオレは「ああ」と短く答え、ヨミとアスナも納得したように頷いた。

 

 

 

 

 

 それから明日の予定を再確認した後、アスナの家から出たオレは自宅へ戻るための家路についていた。だが、オレの家はアスナの家の逆方向にあるので、今はキリトとヨミと共に歩いている。

 

「にしても、まさか四人でパーティーを組むことになるとはねぇ」

 

 しみじみと言った態度で呟くと、キリトが小さく息をついた。

 

「俺的にはアウストがセルムブルクに家を持ってたって方が驚きなんだけどなあとは、S級の食材を二つも手に入れてるところとか」

 

「昔からラックは高いんだよなぁ。あとセルムブルクに住んでるって言ってなかったっけか?」

 

「言われてないよ」

 

 呆れ気味な声を漏らされたがオレは特に気にすることはなかった。

 

「まぁそんなことよりも、さっきいたアスナの護衛。クラディールって言ったっけ? 二人はアイツのことどう思う?」

 

「どう思うったってなぁ……。嫌な感じとしか言いようがねぇだろ」

 

「ああ。俺もあんまりいい気はしなかった」

 

 ヨミの問いにオレとキリトはそれぞれ思ったことを口にする。というかあの男の絡みつくような視線と、悪意を孕んだ言葉、険悪なムードから言って危険な感じがしない方がおかしいだろう。

 

 だがオレはああいうヤツの目を過去に見たことがある。オレが七歳の頃、三歳上の姉が剣道の国際大会でも上位に食い込む実力を持った選手を打ち負かした時に、対戦相手の男があんな目をしていたことを覚えている。

 

 そこにあったのは嫉妬と憤怒。簡単に言ってしまえば嫌な感情だ。幼心でもそれは十分にわかった。姉に負けた男は、その後姉の不意を打とうとして逆にコテンパンに伸され、結局病院送りになったが。我が姉ながらとんでもない女だと思う。

 

 ……まぁ姉貴の場合存在がチートだからな。

 

 内心で笑いつつリアルで最後に見た姉の姿を思い浮かべた。女とは思えないほどの鋭い目つきに、膝裏まで伸びた長すぎる黒髪はシルクの様な滑らかさを持ち、陽光や月光の光を受ければキラキラと輝くのはもはや芸術品と言っていいだろう。身体も出るところはしっかり出て、しまるところはキュッとしまっている。表情は滅多に崩さないものの超が付くほどの美女だ。恐らく誰も彼女のことを美人ではないと言わないだろう。それだけ彼女は完成されていて、美しくて、誰もが目を奪われてしまうのだ。

 

 リアルでは二十三歳だが、その美しさは健在だろう。厳しいことを言う姉だったが、とても優しくて頼りになる人だった。

 

 帰ったら多分竹刀で一発頭をぶったたかれると思う。文句を言ったとしても「真剣でなかっただけありがたいと思え、愚弟が」とでも言われそうだ。

 

 そんなことを思い出しながら歩いていると、いつの間にか転移門にきてしまった。

 

「じゃあ明日の朝九時にカームデットの転移門で」

 

「アウスト、遅れるんじゃないわよー」

 

「あいあい。お前もな」

 

 それだけ答えるとオレは片手を上げて転移門から自分達の拠点へ戻る二人を見送った。

 

「……さて、オレも帰って寝るとしますかね」

 

 肩を竦めた後、オレは私邸へと戻った。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 眠りについたオレは夢を見たような気がした。SAOの中で夢が見れるのかどうかはわからない。でも、たとえアレが本当の夢だったとしても、オレの帰るという目的が具現化した存在だったとしても嬉しかった。

 

 見たのは一番上の姉の夢だった。多分、アスナの家から帰ったときに思い出したのが原因だったのだろう。まぁ夢と言っても過去に言われたことの復習のようなものだったが。

 

 かけられた言葉は厳しくて、とても慰めの言葉なんてもんじゃなかった。だが、それが実に姉らしくてただ単に『がんばれ』と言われるよりは、とても力になった気がした。

 

 別に弱気になっていたわけではない。ただ、なんとなく最近になって家族のことを思い出すことが多くなったのだ。それが果たしてゲームクリアが近づいていることを知らせているのか、それともオレの心がオレの気が付かないうちに磨り減っていたのかはわからない。

 

 でもこれだけは確かだ。

 

 どんなにオレが思ったとしても、思うだけではリアルには帰れない。だからこそ、このデスゲームをクリアしなければならないのだ。




はい、お待たせいたしました。
そして長文お疲れ様でした。

今回でようやく原作組みのクラインとヒースクリフを除く殆どと絡みました。
次回はいよいよキリトさんの二刀流ですが、グリームアイズ戦でアウストがどのような健闘を見せるのかですね。
あとはヒースクリフとの絡みがあったり、オリ主らしくユイとの絡みがあったりしますが、出来ればアインクラッド編は十話前後で終わりにしたいと思います。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第五話

 翌日。

 

 七十四層の主街区《カームデット》にはオレとヨミ、キリトの姿があった。ヨミはあいも変わらず朝から元気そうだが、キリトは時折大あくびをしたり目を瞬いている。様子を見るに昨夜帰ってからも夜更かしをしていたのだろう。

 

 とは言うもののそれはオレもなのだが、あくびをするかしないのかは生活の違いというヤツだろうか。

 

 だがオレ達全員はそれぞれ眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。

 

「……アスナ来ないねぇ」

 

 そう、今日四人で七十四層の迷宮区に行こうと言った言いだしっぺのアスナが来ないのだ。時刻を見ると午前九時十分。勤勉な彼女が待ち合わせに遅れるとはなかなか珍しい。オレも何度かコンビを組んだことがあるが、いつもオレよりも早く来ていた。

 

「ねぇアウストー、同じセルムブルグに住んでるんだから転移門で待ち合わせてから二人でこっちに来ればよかったじゃん」

 

「めんどい。というか、アスナの場合そんなことしなくても来るだろ。なぁキリト」

 

「そうだな、確かにアウストの言うとおりアスナが遅れることなんてまったくと言っていいほどな――」

 

 キリトが口元に手を当てて言った時、転移門が青いテレポート光を発した。もう何度も見ているので「また別の人物だろう」と思っていると……。

 

「きゃああああ! よ、避けて――!」

 

「うわああああ!」

 

 転移門からいつものおめでたい配色の装備をした栗毛の少女、アスナがすごい勢いで飛び出してきた。勢いを殺しきれなかった彼女はそのまま真正面にいたキリトに激突し、二人はそのまま大きな砂煙を上げながら素っ転んだ。

 

 その様子を他人事にように眺めながらオレとヨミはちょっとした分析をしてみた。

 

「あのスピードで出てきたって事は、ジャンプして出てきたのかな?」

 

「だろうな。それだけ急いでいたか、何か嫌なものに追いかけられたか……」

 

 などと肩を竦めてみると視線の先でキリトがアスナに引っ叩かれ、またしても地面を転がっていた。トッププレイヤーであるアスナのビンタは凄まじいだろう。

 

 アスナは胸の辺りを両手で覆って赤面し、なおかつ目尻には涙が見えたので大方キリトが揉んじまったのだろう。〝何を〟とは言わないが。

 

 大きく吹っ飛ばされたキリトはアスナの顔と自身の掌に残った感触を確かめ、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた後アスナを呼んだ。けれど彼女はそのまま何も言わずキリトの元まで行って彼の腕を引っ掴むと、こちらまでやって来てオレとヨミの後ろに隠れた。

 

「どした?」

 

「……」

 

 聞いてみるもののアスナは答えず転移門を睨みつけている。すると、転移門が先ほどと同じように青い光を放ちそこから一人の人物が現れた。

 

 その人物を見た瞬間、オレとヨミは思わず「うへぇ」という顔を浮かべる。

 

 転移門から出てきたのは昨日アスナの護衛をしていたKoBの男、クラディールだった。前々からKoBのユニフォームの白マントはダサイと思っていたが、彼がつけるとよりいっそうダサく見えるのはなぜだろう。

 

 しかも彼の場合やや装飾が過多気味なので、余計に似合っていない気がする。

 

 クラディールはテレポート光がなくなると同時に、その窪んだ双眸で周囲を見回し、オレ達を発見すると眉間に深く皺を寄せた。やれやれ随分と嫌われたものだ。

 

 けれど彼はすぐに怒声を浴びせてくるのではなく、オレの後ろにいたアスナに告げた。

 

「アスナ様、勝手なことをされては困ります……!」

 

 昨日と同じヒステリック調な声を発する彼だが、その瞳はやはり気持ちの良い光を持ってはいなかった。むしろ昨日よりギラギラしていて気味が悪い。ヨミもそれを感じ取ったのかげんなりとした表情を浮かべていた。

 

「さぁギルド本部に戻りましょう。そんな奴等とはいないほうがいい!」

 

「い、嫌よ! 今日は活動日じゃないし、それにアンタなんで私の家の前に朝から張り込んでるのよ!」

 

 普段は落ち着いているアスナが珍しくキレ気味の声を上げた。というか女の家の前を朝っぱらから張ってるって……。

 

「マジないわー……」

 

 小声で言ってみるものの、どうやらクラディールには聞こえなかったようだ。それが幸いなのかそうでないのかはわからないが、彼はどこか得意げに言葉を言い募った。

 

「こんなこともあろうかと、私一ヶ月前からアスナ様の私邸の前で早朝の監視の任務についておりました」

 

「キモ」

 

「なっ!?」

 

 彼が言い終わった瞬間にヨミがこらえきれなかったようで本音を漏らしてしまった。まぁ彼女の気持ちも十分わかる。流石にキモ過ぎる。

 

「き、貴様! 今私のことをキモイと言ったな!」

 

「いやキモイでしょうよ。逆にキモくないって方がおかしいもん」

 

「ああ、確かにな。団長さんの命令で仕方なくってならまだしも、アイツがそんなことさせるとは思えねぇし、完全に独断だろ」

 

 気付けばオレも話しに加わってしまった。でもこれはしょうがないと思う。なぜなら目の前にいるヤツがキモ過ぎるから。

 

「き、貴様等ぁッ!」

 

 クラディールは怒髪天を突く勢いで怒りを振りかざそうとしたが、なんとかそこで自分を抑えて大きく深呼吸をするとつかつかとこちらにやって来てオレとヨミを乱暴に押しのけてからアスナの手首をつかんだ。

 

「さぁ本部に戻りましょう」

 

 なかなかに乱暴なヤツである。いやまぁアスナが聞き分けがなければ実力行使に出るとは予測はしていたが、随分と早かった。大分短気なようだ。リアルでも友人は少ないのではないと思う。

 

 そんな彼の手首を今度は逆にキリトが掴んで力を込めた。込め方からして犯罪防止コードがかかるギリギリのラインだろう。同時に、彼の口から少し低めの脅すような声が出た。

 

「悪いが、お前さんとこの副団長さんは今日は俺たちの貸切なんだ」

 

 キリトは言うとオレとヨミに視線を送ってきた。彼の意図を理解し、オレ達は互いに頷き合ってからクラディールに告げる。

 

「コイツの言ったとおりだ。今日はあきらめて帰りな、おっさん」

 

「そーそー、男の嫉妬は醜いよー」

 

 二人して捲くし立てると、クラディールはヨミではなくオレの方を睨みながら怒号を飛ばしてきた。

 

「お、おっさんだと!? 私はまだ二十三だ!」

 

「マジかよ。どう考えても二十代後半、一昔前に流行ったって言うアラサーってヤツかと思ったぜ」

 

 オレが驚きを露にしてみると、キリトやアスナ、ヨミも驚いたようで目を丸くしていた。

 

「お前さんもうちょっと何か食ったほうがいいぜー? そんなんだから実年齢以上に見られちまうんだよ」

 

 特に悪びれた様子もなく言ってみると、クラディールは「うるさいッ!」と怒鳴った。

 

 ……いやどう考えてもうるさいのはお前だろう。

 

 その場にいた誰もがこう思ったはずだ。

 

「第一、貴様等のような雑魚プレイヤーにアスナ様の護衛が務まるものか! 私は栄光ある血盟騎士団の――」

 

「――アンタ以上に俺たちはアスナを守れるよ」

 

 クラディールの言葉が終わる前にキリトが低めの声で告げた。だが、クラディールはその言葉が一番頭に来たらしく、キリトのことをかつてないほど睨みつけた。

 

「ガキィ……そこまでデカイ口を叩くからにはそれだけの力を見せ付ける覚悟があるということだな……」

 

 彼はウィンドウを操作してボタンを押す。するとキリトの眼前で動きがあったようだ。これまでの言動から言ってデュエルの申し込みでもされたのだろう。

 

 そのままキリトはボタンを押すような仕草をし、二人はそのまま五メートルほど離れた。オレたちも巻き添えを食らわないように離れる。

 

 クラディールは腰から高価そうな両手剣を抜き、キリトは背中から黒剣を抜き放つ。

 

 同時に周囲にいたプレイヤー達が騒ぎを聞きつけて人垣を形成し始め、ちょっとしたお祭り状態になっている。それもそうだろう。キリトは名が通ったソロプレイヤーだし、クラディールにおいては血盟騎士団の団員なのだから。

 

 ギャラリーのいるところまでオレ達が下がると、ヨミが小さく笑みを浮かべながら呟く。

 

「どっちが勝つかな」

 

「そらキリトだろ。あんな雑魚相手になんねぇよ」

 

 ハッキリと答えると彼女も「だよねー」とからから笑っていた。アスナを見てみると心配そうにはしていたが、キリトが負けるとは思っていないようだ。

 

「それで同じ両手剣使いとしてアイツの実力はどんなもん?」

 

「中の中から中の上って感じだな。デュエルであの構えは自殺行為だとオレは思うねぇ」

 

 クックッ、と引き笑いをしながらオレはクラディールの構えをもう一度確認する。

 

 クラディールは両手剣を中段やや担ぎ気味に構え、少し前傾姿勢でいるので、繰り出してくるとすれば上段のダッシュ技である《アバランシュ》が濃厚だ。無論それがフェイントということもあるが……残念ながらあの男にそこまでの技量があるとは思えない。

 

 そしてオレたちが見守ってから数十秒後、二人はほぼ同時に地面を蹴った。

 

 視線をクラディールに持っていくと、やはりというべきか、繰り出そうとしているのは《アバランシュ》だ。橙色寄りの黄色いライトエフェクトを帯びた両手剣はキリトを的確に捉え、端から見れば確実に入るコースだ。いいや、クラディールからしても確実に直撃コースと思っているだろう。その証拠にかれの顔には隠しきれない狂笑が浮かんでいる。

 

 けれどオレはそれに被りを振った。確かにアバランシュは強力なダッシュ攻撃だ。オレもモンスター相手なら良く使うし、硬直時間もそう長くはない。けれどそれは相手がモンスターであった時のみだ。今対戦しているのはモンスターではなく、一人のプレイヤーであるキリトだ。

 

「それじゃあアイツは倒せない……」

 

 小さく呟いた声はすぐに巻き起こった剣戟音で掻き消える。

 

 見るとキリトの黒剣がクラディールの両手剣のどてっぱらにぶち当たり、甲高い音と派手なライトエフェクトを撒き散らしている。

 

 そして二人の影が交差し終わった後、クラディールの剣は鍔近くから見事に折られていた。少しするとクラディールが持っていた柄部分も無数のポリゴンの欠片となって空中へ消えた。あれほど壊されれば修復は不可能だろう。

 

 これはキリトが狙った《武器破壊》だ。早々起きるものではないが、対象の武器の構造上最も弱い部分を弱い方向から攻撃することで、ごく稀に引き起こるものだ。けれどキリトはそんな偶然に賭けたわけではなく、恐らく折れるという自信があったはずだ。

 

「武器を代えて仕切りなおすならそれでもいいけど……もういいんじゃないかな?」

 

 鞘に剣を収めながらいうキリトだが、クラディールは身体を小刻みに震わせ、手をわななかせていた。

 

 それでもすぐに「アイ・リザイン」と短く告げる。ようは降参というわけだ。だが何故英語、しかもチェスで言うところの「降参」なのだろう。普通に日本語で言えばよかろうに。

 

 そんなことを気にしつつも二人に目をやると、クラディールは未だにキリトに対して怨嗟の言葉を吐いているようだ。自分が挑んで負けたくせに恨むとはその精神には恐れ入る。

 

 けれど二人の間にアスナがわって入り、凛とした声音で告げた。

 

「クラディール、血盟騎士団副団長として命じます。本日を持って私の護衛役を解任。別名があるまでギルド本部で待機、以上」

 

 ハッキリと告げられた解任の命令にクラディールはギチリと音がしそうなほど歯を噛み締めたが、今一度キリト、そしてアスナを睨んだ後転移門まで行き、力ない声で「……転移、グランザム」とつげ消えていった。

 

 だがオレはクラディールが消えた瞬間、とても嫌な視線を感じだ。向けられた視線はオレにではないが、とても嫌な感覚だ。前に一度これと同じようなものを感じたことがある。そう、これは、この粘つくような、絡みつくような悪意のある視線は……。

 

「まさか、構成員がまだ……」

 

「どしたの?」

 

 そこまで口にしたところでヨミが声をかけてきた。どうやらオレの様子がおかしかったのを見抜かれてしまったようだ。けれどオレはそれに対していつもの態度を保ちながら言う。

 

「……なんでもねぇよ、ホラさっさと迷宮区行こうぜ」

 

 ヨミの頭にポンポンと手を置いてからキリトとアスナの元に向かったが、その胸中は先ほどの嫌な感覚を思い出したままだった。

 

 

 

 

 

 カームデットを出て迷宮区へ通じる森の小路をオレ達四人はサクサクと音を立てながら迷宮区を目指していた。街を出てから皆無言でいたが、後ろを歩くアスナとヨミがオレとキリトをからかいがちに言った。

 

「それにしても二人っていっつも同じ格好だねぇ」

 

「確かに。キリトは真っ黒でアウストは濃紺だし、代わり映えしないよね」

 

「二人のその格好って何か合理的な狙いでもあるの? それともただのキャラ作り?」

 

 アスナの質問に対し、オレとキリトは顔を見合わせて首をひねる。確かに彼女たちの言うとおり、特に大きな理由があるわけでもない。

 

「うーんそうだな……オレはただ単に紺色とか藍色が好きだから、だな。多分キャラ作りになるんじゃね?」

 

「俺は……」

 

「厨二病なんだろ」

 

「ちがうわ!」

 

 オレの言葉にキリトが凄まじい勢いで反論してきた。その瞬間、キリトの索敵スキャンが発動したようで彼の目の色が変わった。同時にキリトがオレに対して緊張の色を孕んだ瞳で見上げてきた。

 

 彼の意図を理解したオレはキリトと同じように索敵スキャンを発動し、周囲を見回した。すると索敵可能域ギリギリに緑色のカーソルがいくつも並んでいた。

 

 オレとキリトは互いに頷き合うと二人を誘って円になるように指示した。その隙にキリトがマップを展開し、先ほどのカーソルが二人にも可視できるように設定する。キリトの索敵スキルとマップの連動によってマップ上にプレイヤーを表す緑の光点が現れる。その数は十二、随分と多い。

 

「これって隊列組んでない?」

 

 光点を見ながらヨミが言った。確かにプレイヤーのカーソルは見事に整然と並んでおり、まったく同じペースで進んでいるため、某国の軍隊のようだ。

 

 けれどオレはこの進み方に見覚えがあった。

 

「多分だけどこの並び方と進み方からして《軍》の奴等だろうな」

 

「《軍》って《ALF》か?」

 

「ああ。ここまで統率するのならあいつ等ぐらいだ。とりあえず様子見でその辺にでも隠れようぜ」

 

 提案すると三人はそれぞれ頷き、近場の潅木の茂みに飛び込んだ。

 

「あ」

 

 そこでアスナが声を上げる。そして彼女は自身の姿を見下ろした。確かに彼女の赤と白の装備はこの森の中では目立つ。それはアスナだけではなくヨミも同じだ。黒が混じっているとは言っても、緑の森の中で赤は目立つ。

 

 見るとプレイヤーのカーソルはもうすぐ可視範囲まで入る。今からでは着替えも間に合わない。キリトもそれに気が付き、自身のコートの中に入れた。黒のコートは確か隠蔽ボーナスが高かったはずなので妥当な判断と言えるだろう。

 

 ヨミを見るとあたふたとしているので、オレはアイテムウィンドウを瞬時に展開、そこから藍色のコートを取り出してヨミに被せた。彼女は乱暴に着せられたことにムッとしたが、オレは視線だけ送って静かにするように告げた。

 

 やがて曲がりくねった小路の奥からザッザッザッという統率された足音が聞こえ始めた。四人がそちらに目をやると全員同じ黒鉄色の鎧と、濃緑の戦闘服に身を包んだ重剣士たちが姿を現した。全員が剣士タイプであり、前衛としては片手剣が六人、後衛が戦斧を装備している。間違いなく《軍》のメンバーだ。全員が全員メットのバイザーを降ろしているので目元は確認できないが、口元を見る限り軽い気持ちで来ているものはいないようだ。

 

 《軍》の一行はそのままオレ達に気が付くことなく迷宮区へ進んで行き、最後までこちらに気が付くことはなかった。

 

「ふむ……やっぱり動き始めたか……」

 

「やっぱりって……アウストなんか知ってんの?」

 

 オレの呟きに疑問を思ったヨミが首をかしげ、キリトとアスナも怪訝な表情で見てくる。

 

「ああ、ちょいとある人から情報を教えてもらってな。最近、軍が方針を変更してこういう上層に出張ってくるって噂が流れ始めたんだと」

 

「あ、それウチでも議題に上がってました。なんか内部で不満が上がっていて、二十五層の攻略の時みたいに大勢で行くんじゃなくて、今みたいな少数精鋭を連れて行くって方針に切り替わったって……」

 

「まぁ問題なのは今の《軍》は何をするかわからないってことだ。《聖龍連合》のようにクリアのためにPKを厭わなかったり、《ラフィンコフィン》のように殺人を楽しむわけじゃないけど、それでも最近の《軍》の動向はあんまり褒められたもんじゃねぇ。今回だってもしかしたら無理してボス攻略まで挑むかもしれねぇな」

 

 オレの言葉に三人は驚きの顔をした。さすがに行き過ぎな発言かとは思ったが、ありえそうなことではあるのだ。

 

「でもそれは無茶でしょ。ボス攻略って何度も何度も偵察を重ねて攻撃パターンや防御パターンを分析してやっとこさできるもんでしょ。七十四層のボスエリアだって開放されてないし、ぶっつけ本番ではさすがに……」

 

「やらない、とは言い切れないけどな」

 

 キリトも口元に手を当てて難しい顔をする。多分彼も《軍》が強行に及ぶかもしれないと一抹の不安があるのだろう。

 

「まぁいいや、とりあえずさっさと行こうぜ。鉢合わせないことだけ願って行こうぜ」

 

 オレは肩を竦めてからキリト達よりも先に歩き始め、迷宮区へ足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「せやああああッ!」

 

「はあああああッ!」

 

 七十四層の迷宮区に来てからしばらく経ったが、オレとキリトの前では二人の女性剣士が無双していた。

 

 一人は赤と白の装備を身にまとった血盟騎士団副団長、《閃光》の二つ名を持つアスナ。もう一人は赤と黒の装備をその身に纏ったソロプレイヤーの少女、《紅玉》のヨミ。

 

 今、二人が相手にしているのはガイコツの戦士、《デモニッシュ・サーバント》だ。剣と盾を持った敵は手ごわい相手だが、彼女たちの前には余りにも無力だった。

 

 剣を振りかぶろうとすればアスナの細剣が突き刺さり、盾で防ごうとすればヨミの片手剣がそれの間を縫って攻撃し隙を作る。

 

 青緑色の燐光と真紅の燐光が弾ける様はある種の芸術品と言っていいだろう。

 

「……暇だな」

 

「いいんじゃね? オレらが楽できるし」

 

 キリトは二人の戦闘を見ながら物欲しそうに呟いた。けど、オレは時折あくびを浮かべながら目の前で行われる戦闘をながめていた。

 

 事実、オレたちが迷宮区に入ってからというもの、オレたちは一回ぐらいしかモンスターと戦っていなかった。まるで何かの憂さ晴らしをするように戦う二人は凄まじく怖い。

 

 しばらくすると二人の戦闘が終了し、デモニッシュ・サーバントがポリゴンの欠片となって消えた。二人は「イエーイ!」とハイタッチを交わして喜びを露にしていた。

 

 戦闘を終えた二人が戻ってきたのを確認してからオレ達は石柱の並ぶ荘厳な回廊を歩いていく。この迷宮は下の方は赤茶けた岩で出来ているが、上に進むにつれて青みがかった岩と白っぽい無機質な地面で構成されている。

 

「なぁアウスト、気が付いてるよな」

 

「ああ。周りの状態からしてそろそろだろ」

 

 キリトの言葉に頷いたオレは今一度周囲の石柱を見回した。石柱はただ整然と並んでいるのではなく、そこには華麗でありながら不気味さも醸し出す彫刻が施されている。

 

 過去、このようなデザインが施された迷宮区は確実にボス部屋を迎える構造になっている。しかもマップの空白部分も残りが少ないと来た。これはもう一つしかないだろう。

 

 そして回廊の突き当りには巨大な扉が待ち受けていた。扉には怪物のレリーフというヤツがビッシリと彫られ、凄まじい威圧感を放っている。でもそれはレリーフだけの威圧感ではないだろう。この扉の向こうにはいるのだ。SAOクリアに際して絶対に倒すべき存在、《フロアボス》が。

 

「これってあれだよね、ボス部屋の……」

 

「ああ、だと思う」

 

「えっと、どうします? 一応覗くだけ覗きますか?」

 

 アスナは頬に汗を浮かべながらもオレに聞いてきた。オレはキリトにも目配せをしてから頷くと、アイテムウィンドウから転移結晶を取り出した。

 

「転移結晶の準備はしておこう」

 

 オレに続いて言うキリトに対し、二人はうなずくと同じように手に転移結晶を持った。皆が転移結晶を持ったのを確認すると、キリトが扉に手をかけて告げた。

 

「それじゃあ……行くぞ……」

 

 緊張感たっぷりな声で言うキリトだが、オレは大きめの溜息をついてから扉に手をかけてグッと押した。

 

「ちょ、アウスト!」

 

「別にいいだろ、どんだけ力入れてあけたって一定のスピードで開くんだからよ」

 

 文句を言ってくるキリトに対してオレは肩を竦めながら息をついた。女性陣を見ても「もう少しゆっくり……」とか「緊張感を持って……」とか言っていた。別に何でも言いだろうに。

 

 そして扉が完全に開ききると同時にオレ達四人はボス部屋に足を踏み入れた。でも部屋の中は真っ暗闇であり、この前の宵の冥窟を髣髴とさせた。まぁあそこまで暗くはないが。

 

 すると少し足を進めた瞬間、扉に一番近い二つ燭台から青白い炎が燃え上がり、そのまま連続してボボボボボボボッという音を立てながら長方形のように火が灯り、中心に一際大きな火柱が上がった、それによりボス部屋が炎と同じ青白い光に照らされた。

 

 天井も高く、部屋の大きさも今までと比べるとかなりの広さだ。しかし、そんなことに感心するような時間もなく、大きな炎の後ろから黒い巨躯が姿を現した。

 

 見上げるような巨体。その体毛は黒く、全身が筋肉の塊のようだ。骨格的には巨人のように人間のような形を取ってはいるが、頭部は人間のそれではなく、山羊を思わせる形だ。確か山羊は悪魔の化身とも捉えられているので、恐らくこの巨大なボスは悪魔をモチーフとしているのだろう。

 

 さらにその手には巨大な岩からそのままから削りだしたような無骨な巨剣が握られている。アレで攻撃されればひとたまりもないだろう。

 

 しかし、その悪魔の巨体が姿を完全に現して瞳が赤く染まった時、カーソルと共にHPバーが連続して表示された。カーソルの名前にはこうあった《The Gleameyes》、直訳にすれば《輝く目》。悪魔にしては粋な名前だ。

 

「さぁて、そんじゃあボス攻略じゃねぇや、偵察でもしますかね!!」

 

 オレは背中の片刃大剣を抜き放ってグリームアイズを睨みつける。同時にヤツはオレ達を威嚇するように空気を激震させる轟咆を上げた。現実にこんな雄たけびを聞けば鼓膜が破れるのではないかというほどの咆哮だ。

 

 でもオレは内心でわくわくしていた。こんなに強いやつと戦えるなんてなんて面白いことだろうと。だが、そんなオレの思惑を吹っ飛ばすかのように隣にいた三人が悲鳴を上げた。

 

「きゃあああああッ!!」

 

「うわあああああッ!!」

 

「いやあああああッ!!」

 

 それぞれ三者三様の悲鳴を上げたアスナ、キリト、ヨミは踵を返して一目散に逃げてしまった。

 

「お、おい! お前等!」

 

 若干焦りながらも彼等に呼びかけてみたが、もはや耳に入っていない。というかもう軽く百メートル以上は走ってる。オリンピックだったら世界新記録も夢じゃないだろう。

 

 などとバカみたいな考えを持っているのも束の間、オレは背後のグリームアイズが「グルルルル……」と低い呻り声を上げるのを感じとり、弾かれるようにその場から脱した。

 

 同時に先ほどまでオレが居た場所を凄まじい勢いで大剣が通り過ぎていった。突き攻撃だろうか。

 

「ちょいと流石に一人でお前さんの相手はできないんで……!」

 

 体勢を立て直したオレは足にグッと力を込めてダッシュを敢行。最初は体勢を崩しかけたが、とりあえずボス部屋から出られればそれで良い。なんとかボス部屋から脱したオレはもつれそうになる足をなんとか引き戻して迷宮の回廊を駆けた。

 

「逃げるんじゃねぇからなッ!!」

 

 ちょっとした捨て台詞をグリームアイズに吐きながらオレは三人が言った方向に向かって走った。




今回は二連投です。

久々に大分書いてしまいました。
流れ的には同じですが、キリトの視点からではないのでそれなりに楽しめていただければ幸いです。

では六話も続けてどうぞ。


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第六話

 合流したのは迷宮区に設けられている安全エリアだった。

 

 オレが到着した頃には三人は壁際に座り込んでいた。どうやら本当に一心不乱に駆けていたらしく、途中遭遇したモンスターにも気が付かなかったようだ。

 

「にしても、攻略組トップがアレぐらいで逃げんなよ……」

 

「いやー……でもアレは逃げたくなるって」

 

「そうそう。あんなん本能が拒否するもん」

 

「私もまさかあそこまですごいものだとは……というかアウストさんはよく平気でしたね」

 

 アスナが少しばかり感心した様子で言ってくるが、別に怖くなかったわけではない。確かに本能が怖いと感じたし、コイツはヤバイとも思った。しかし、オレにはあいつ以上に怖いものがあるのだ。

 

「まぁあれだ……あいつもやばいけど、オレの姉がキレた時を想像するともう怨霊とか、亡霊とか出てきても平気な気がするからな」

 

 遠い目をしながら虚空を仰ぐと、キリトは「どんなお姉さんだよ」と笑いながら突っ込みを入れてきた。けれどオレにとっては笑い事ではないのだ。もし姉の大好物のプリンを食べようものなら、真剣を取り出して本気で斬りにかかるような姉なのだから。

 

 以前それをやって殺されかけたことは良く覚えている。あの時の姉はもう人間ではなく、鬼とかそういうレベルだ。さっきのグリームアイズもあの状態の姉貴に睨まれれば怯むんじゃないだろうか。

 

 などとくだらないことを思っていると、いつの間にか話は進み、グリームアイズの攻略の話が終わってしまっていた。

 

 けれどある程度方針は決まったようで、盾の前衛を置いてそこからスイッチをつなげていくという方式になったようだ。まぁそれが一番妥当だろう。

 

「でも盾かぁ……そうだ、前から気になってたんだけどキリトくん。君、何か隠してるでしょ」

 

「な、何を?」

 

 アスナのジト目と何かを見抜いたような問いにキリトは若干たじろぐ。

 

「君、なんで盾を装備しないのよ。普通、片手剣の最大のメリットって盾を装備できることでしょう? 私の細剣だとスピードが落ちちゃうから装備しないのはわかるけど、君はなんで盾を持たないの?」

 

 彼女の疑問も最もだ。片手剣の戦い方は盾を持って相手の攻撃を防いぎ、その隙に攻撃していくというのがセオリーだ。けれどキリトはその盾を装備していない、生存率を重視しているアスナからすれば疑問に思うのも無理はないだろう。

 

 キリトは頬を掻きつつ目を泳がせるが、そこでヨミが目に入ったようで彼女を見やりながらアスナに告げた。

 

「それを言ったらヨミだってそうじゃないか」

 

「それはそうだけど……ヨミさんはなんで盾を装備しないんですか?」

 

 小首をかしげながら問うアスナに対し、ヨミは腕を組みながら難しい顔のまま答える。

 

「うーん、簡単に言うと盾って邪魔なんだよね。視界も悪くなるし、あぁでもアスナの言うことも一理あると思うよ。生存率を上げるならそれが一番だと思う。でもねぇ……」

 

 ヨミもまた特にこれと言った理由はないようだが、オレはなんとなくだがキリトが盾を装備しないのは邪魔だからとかいう理由ではないと考えた。

 

 彼はかなりのネットゲーマーだ。どんな状態でも冷静な判断が出来ているし、戦況の見極め方も上手い。そんな彼が盾を装備しないということは、それなりのポリシーがあるのか、また別の何かを隠しているかだろう。

 

「ふぅん……まぁいいわ、人のスキル詮索はマナー違反だし」

 

 アスナは言うとチラリと視線を動かして時計を確認した。オレもそれにつられて時計を確認すると、時刻は午後三時。随分と長いこと迷宮区に潜っていたようだ。

 

 同時にオレは空腹感が一気に襲ってくるのを感じた。グリームアイズから全力疾走で逃げてきたせいで体が若干の緊張状態にあったようで、今まで空腹感を感じなかったのか。

 

 その後、オレ達はアスナが用意した大きめのサンドイッチを遅めの昼食として摂ったが、なんというかすごかった。NPCの露店で売っているようなものとはわけが違うものだったのだ。

 

 しかも料理スキルをコンプリートしている彼女は、なんと自分で現実世界の「しょうゆ」や「マヨネーズ」の味がするソースを調合してしまったのだ。これはもはやシェフとかではなく、調合師でよいのではないだろうか。

 

 オレはすぐさまもらったサンドイッチをガツガツと食べ、あっという間にたいらげてしまった。その際横にいたヨミに「落ち着いてたべなよー」などと言われたが、それは無理な相談だ。

 

 全員が食べ終わり談笑していると、安全エリアの下層側の入り口から六人のプレイヤーがやってきた。瞬間的に身構えるが、やってきたパーティーの面子を見てオレ達は体の緊張を解く。

 

 六人の方もこちらに気が付いたようで、一番前にいた武者っぽい姿をした野武士面の男が表情を明るくしてこちらのパーティーの一人の名を呼ぶ。

 

「おお、キリト! しばらくだな」

 

「まだ生きてたか、クライン」

 

「相変わらず愛想のねぇ野郎だ。けど今日は珍しいな、連れがいるの……か……って、アウストにヨミじゃねぇか!?」

 

「よう、久しぶりだなクライン」

 

「相変わらずカタナ使ってんだねぇ」

 

 二人で茶化すように言うが、クラインは「あったりまえよう!」と胸を叩いた。だが彼の隣にいるキリトは不思議そうにしていた。

 

「クライン、アウストやヨミと知り合いだったのか?」

 

「ん、ああ。ゲームが始まって四ヶ月ぐらいした時にクエストで詰まっちまってなぁ。そん時に助けてくれたのがアウストとヨミ、あとマシューってヤツなんだがいやぁあん時は助かったぜ」

 

 感慨深げに頷くクラインとその仲間達。そう、オレとヨミ、マシューの三人は一時期ずっと組んでいた。その中で出会ったのがこのクライン率いる《風林火山》のメンバーというわけだ。

 

 クラインも当初は無名のプレイヤーだったが、今では彼の友人達で構成されたこのギルドを攻略組の一角をになうまでに成長させた男だ。彼自身の技量もそれだけ高いし、メンバーを纏める統率力もある。まぁそれが出来ているのは彼の明るい人柄もあるのだろう。

 

 だがオレがふとキリトの方を見やると、彼はどこか寂しそうな表情をしていた。どうした……と聞こうとしたものの、キリトはすぐに表情を戻し、クラインをアスナのほうに向かせた。

 

「えっと、もう知ってると思うけどアスナ、コイツが《風林火山》のリーダーのクライン。でクライン、お前も知ってると思うから今更だと思うけど《血盟騎士団》のアスナだ」

 

 一通りキリトが説明したものの、クラインはアスナの方を向いたままカチーン! と音がしそうなほど固まってしまっている。なんとなくだが彼が固まって理由は分かるが、キリトはまだ気が付いていないようだ。

 

 そして彼がクラインの脇腹を小突くと、クラインはハッとしてブリキ人形のようなかくかくとした動きでアスナに頭を下げ、ひっくりかえったような声で自己紹介を始めた。

 

「こ、こんにちは! くくクラインという者です、二十四歳独身で」

 

「見合いか」

 

 これ以上しゃべると何を言い出すか分かったもんじゃないので、オレは彼の背中を軽く叩いた。だが、それと同時にクラインの後ろにいたほかのメンバーたちがワラワラと「俺も俺も」といいながらアスナに詰め寄った。

 

 まぁアスナはかなりの美少女であり、普段女っけがない男だけの面子のギルドならこのように美少女と係わり合いを持ちたいのも分かる。

 

「いてて……おいアウスト! 殴ることはねぇんじゃねぇか!?」

 

「殴ったんじゃねぇ叩いたんだ」

 

「俺、同じことだと思うぞそれ!」

 

 文句を言ってくるがオレはそれを軽くスルー。だが実際のところ叩くと殴るはどう違うのだろう。拳を作る方が殴るで平手のほうが叩くか?

 

 などと本当にどうでもいいことを考えていると、ヨミが肩を竦めながらクラインに問うた。

 

「でもさクライン。アタシのときはアスナみたいな反応しなかったけどなんで?」

 

「ヨミはなんつーか女って感じがしかなったんだよなぁ」

 

「フンッ!!」

 

「ごっふぁ!」

 

 あまりに後先を考えずに発言したせいでクラインはヨミに太ももを蹴られた。敏捷度と筋力を上げた蹴りは多分現実世界で喰らったしばらく立てないのではないだろうか。

 

「ちょ、ちょっと待て! 今のは言葉が悪かった! えっと……そう! アスナさんは清楚で可憐って感じがしたんだけど、お前さんの場合は悪友っていうかそういうほうが強かったんだってば!」

 

「それ本質的には変わってなくね?」

 

 何とか弁解しようとしたクラインだが、逆にそれが裏目に出たようでヨミは指をポキポキと鳴らす動きをしながらクラインににじり寄っていった。南無。

 

 オレはクラインに手を合わせてからキリトの手伝いに行こうとしたが、そこで先ほど風林火山の一行が入ってきた入り口から整然と並んで行軍をしてきた一団、《軍》が見えた。

 

「おい、お前等。おしゃべりはその辺にしておいた方がいいと思うぜ」

 

 低い声音で言うとその場にいた全員が《軍》に向き直った。一行はそのままオレ達とは反対方向の壁際に停止したが、彼等が疲弊していることは明らかだった。SAOで疲労感は感じないが、何時間も閉塞された迷宮に潜っていれば身体的な疲労がなくとも、心労が溜まる。それは確実に士気にも影響してくるため、本来ならば十分な休息をとらせるはずなのだが、あの様子からして大した休息も与えられていないだろう。

 

 その証拠にリーダーと思しき男が「休め」と命じると、彼を除いた十一人はその場に力なく座り込んだ。ガシャガシャという金属音が響くがリーダーの男はそんなこと気にも留めずにオレ達に歩み寄ってきた。

 

 しかし、男がオレ達の目の前までやって来てこちらを睥睨した時、彼の鋭い瞳がオレの姿を捉え、彼は後方で休んでいた者達に「戦闘準備!」と告げた。

 

 男の声にキリト達が身構えるのを感じたが、オレは右手を上げてそれを制するとそのまま全員を壁まで下がらせた。

 

 その間にも軍の一行はオレを中心として円になるように囲むが、彼等の肩は荒い息のせいで大きく上下している。呆れながらそれを見つつ、オレは兵士達の間からわって入ってきた男を睨みつける。

 

「《宵闇》のアウストだな」

 

 低く脅すような声で男はオレの名を言った。得に隠すことでもないのでオレがそれに頷くと、彼は仰々しいセリフをはいた。

 

「私は《アインクラッド解放軍》のコーバッツ中佐だ。《宵闇》、貴様には上から拘束命令が出ている。おとなしく武装を解除し、黒鉄宮の牢獄に入れ。そうすれば危害は加えん」

 

「な、なんだそりゃあ!?」

 

 驚きの声を上げたのはクラインだった。また、風林火山のメンバー、ヨミ、キリト、アスナもそれぞれ驚愕の表情を浮かべている。

 

「ちょっと、貴方達! アウストさんが何をしたって言うの!? その人は《オレンジプレイヤー》じゃないわ」

 

「そんなものは見れば分かる。だが、我々にとってコイツは害悪でしかないのだ!」

 

 アスナの声にコーバッツは強い口調で答えると、腰に吊ってあった剣を抜き放って切先をこちらに向ける。それに応じるように部下の男達が次々に抜剣したり戦槍を構える。

 

「さぁおとなしく投降しろ。《宵闇》!!」

 

「……嫌だと言ったら?」

 

「その時はちからづくで排除するのみだ!」

 

 片手剣の切先をオレの顔面に向かうように構えるコーバッツだが、オレは小さく笑みを浮かべて背中の大剣の柄を握り、一気に抜き放った。

 

 ブンッ!! という空気を切り裂く鈍い音が聞こえ、背後や左右で兵士達が臆するのが感じられた。

 

「それは投降する気はないということだな?」

 

「そうとってくれて構わないぜ。けどさぁオッサン、オレを本当にちからづくで拘束できると思ってんのか?」

 

「フン、貴様のようなビーターなど我々の敵ではない」

 

「ふぅん……じゃあやるか。テメェらもこのオッサンと同意見ってことでいいんだな?」

 

 オレはわざと大きなジェスチャーも交えながら周囲の兵士達に問う。彼等はそれに最初こそ余り臆した様子は無かったが、よく見るとガチガチと歯を鳴らしているもの、メットの隙間から汗を流しているものがいる。まったく分かりやすい連中だ。けれどオレはそれに気付かぬフリをしてからさらに口角を吊り上げてその場にいる全員に聞こえる声で告げた。

 

「それじゃあ……テメェらも前の奴等と同じ目に合わしちまっていいんだよなぁ! アァ!?」

 

 若干演技がかった脅しに対し、コーバッツの口元も歪んだ。同時にオレを囲んでいた兵士達も一歩後ずさった。

 

 オレの脅しにキリト達はわけが分からないと言った風な顔をしているが、オレは更に言い募った。

 

「オラオラどーした! オレを捕まえんだろ? やってみろよさっさとよぉ!!」

 

 言い終えると同時に握っていた大剣を白の地面に突き刺し、地面を抉る。赤いライトエフェクトが発光し、ポリゴンが虚空に消える。

 

 そのまま彼等は何もしてこず、しばしの沈黙が流れた。するとコーバッツはギリッと音がしそうなほど歯を噛み締めてから剣を鞘に収める。それを見ていたほかの兵士達も剣をおさめるが、彼等の顔にはどこか安どの表情が見える。

 

 するとコーバッツはオレに歩み寄って告げてきた。

 

「今回は見逃すが、次は容赦せん。首を洗って待っているんだな」

 

「ハッ! 腰抜けが。巣穴に戻って縮こまってりゃあいいものを」

 

 オレは煽るような口調で答えながら背中に大剣を吊った。コーバッツは悔しげな表情をしたが、オレはそれに肩を竦めると「まぁ」と言いつつトレードウィンドウを呼び出す。

 

「ここまで来て手ぶらってのもなんだろうから、やるよ。最初からこれが目当てだったんだろうがな」

 

 言いながらオレはコーバッツに迷宮区のマップデータを送信した。彼は苛立ったような顔をしてからそれを受け取ると、礼も言わずに兵士達に最初に止まった壁際に行くように命じた。

 

 彼等が完全にいなくなったのを見計らってクラインがこちらにかけてくる。

 

「お、おいアウスト。いいのかよ」

 

「別に隠すようなもんでもない。それに街にもどりゃあ公開しようと思っていたデータだ。お前もそうだろ、キリト」

 

 オレの言葉にキリトは静かに頷いた。そしてヨミやアスナが先ほどのオレの応対について聞こうとしたときだった。

 

 視界の端にいたコーバッツ率いる軍の兵士達が再び行軍を開始したのだ。

 

「おい、ボスにちょっかい出すならやめておいたほうがいいと思うぜ」

 

「それは私が判断することだ。君の意見はいらん」

 

 キリトが忠告の言葉をかけるものの、コーバッツには取り付く島もなかった。彼はそのまま部下達と共に歩き始めるが、その姿を見かねたオレも忠告する。

 

「オレにビビッてる兵士じゃあのボスは倒せねぇぞ。それに、二十五層の時みたく被害を大きくしたくないなら、しっかりと休息を――」

 

「――貴様のような男に忠告される筋合いなどない!! 行くぞ貴様等!!」

 

 オレの言葉を最後まで聞かず、コーバッツは結局仲間を引き連れて先に行ってしまった。

 

 重々しい行軍の音と共に上層へ通じる道へ消えていった軍の連中を見やったオレ達だが、そこでアスナが「それよりも……」と真剣な表情でオレに向き直った。

 

「アウストさん、「さっき」の。一体どういうことですか?」

 

「あ、あぁそうだ! お、オメェ軍に指名手配されてるって何でだ!?」

 

 アスナの問いの後にクラインが焦った様子で聞いてくる。キリトを見ても同じような視線を送っているし、ヨミにいたっては嘘は許さないといった感じだ。彼等の顔色を見終わったオレは小さく息をついてから皆に向かって告げた。

 

「あぁ、わかった。皆にはいずれ話そうと思っていたことだからな、けど歩きながら出いいか? さっきの奴等、放っておくとマジでボスに挑みそうだからな」

 

 その提案にアスナはすぐに頷き、キリト達も了承してくれたので、オレ達はコーバッツたちの後を追った。

 

 

 

 

 

「徴税部隊?」

 

 安全エリアを出て十数分、オレはキリト達に最近の軍の動向を話していた。

 

「なんだそりゃあ?」

 

「簡単に言えばカツアゲだ。対象ははじまりの街を拠点とするプレイヤーだけどな。奴等の言い分は『オレ達が守ってやってんだから税金を払うのは当然だ』。まったく勝手な話だよな。誰もテメェらに守ってくれってなんて言ってねぇってぇのに」

 

 舌打ち交じりに言い切ると、話を聞いていた全員が訝しげな表情をする。皆、軍の横暴なやり方が気に入らないのだろう。

 

「だけどさ、それがなんでアウストの指名手配につながるの?」

 

 ヨミが小首をかしげながら聞いてきたのでオレはため息をつきながら言う。

 

「はじまりの街には孤児院があるのは……しらねぇよな。まぁその孤児院はサーシャって女がやっててさ、SAOに閉じ込められたガキ共を保護してんだ。軍は徴税部隊をその孤児院にまで差し向けてな。しかも徴税部隊はお世辞にもガラがいいとは言えない連中でさ、オレは偶々はじまりの街に用があったときにそいつ等に会ったんだ」

 

「徴税部隊のやつらか」

 

「ああ。奴等は四、五人のガキ共を大人十人で囲んで有り金と装備を全部置いていけと言っていた」

 

 当時の状景を説明するとアスナが眉間に皺を寄せた。優しい彼女だからこそそのような行動が許せないのだろう。それはキリトも同じようであり、拳をきつく握り締めている。

 

「それを見てオレ……キレちまってさ。十人全員を圏外に引っ張り出して、そいつ等全員のHPが1ドットくらい残るところまで痛めつけたんだ。そしたら全員、精神崩壊起しちまってな。再起不能になっちまった。結果、オレは軍に追われることになってんの」

 

 説明を終えたオレは軽く肩を竦めてみるが、皆の顔は晴れない。まぁ当然といえば当然だろう。こんな話を聞けば距離を置きたくなるのもわかる。別にオレはそれで彼等との距離が疎遠になろうとも恨みはしないし、怒りもしない。

 

「えっと、アウストさんは子供たちを守っただけなんですよね?」

 

「まぁ結果的に言えばそうだが、やったことは犯罪だけどな。そのおかげでオレンジにもなったし」

 

「けどさ、アウストはラフコフの連中みたいにそういう状況を楽しんだりはしなかったんだよね? さっきのだって演技でしょ?」

 

 アスナに続いて聞いてきたヨミの声には「そうであってほしい」という願いが込められているようだった。一時はずっと組んでいたオレの心の状態を心配してくれているのだろう。

 

 オレはそんな彼女に対して笑みを浮かべると、肩に手を置いて答えた。

 

「ああ。ラフコフみたいに楽しんじゃいねぇさ。それに咎は受けるさ」

 

 言い切るとヨミは安堵したように息を吐いた。前方を歩くアスナ、キリト、クラインも同じなようでほっと胸を撫で下ろしていた。

 

「それじゃあこの話はおしまいにしましょう。でも、アウストさん。さっきの応対は相手を煽るだけだからやめたほうがいいですよ」

 

「あいよ、今度から気をつけるさ副団長様」

 

「よろしい」

 

 素直にアスナの言葉を受け止めて若干お茶らけながらも答えると、彼女は満足したようだった。

 

 そのまましばらく各々で談笑しつつ、モンスターをなぎ倒しながら進んだものの、いっこうにコーバッツ率いる軍の一団が見えないのだ。

 

 アレだけ疲弊していればすぐに追いつきそうなものだが……。

 

「やっぱあのオッサンも無理だと思って帰ったんじゃねぇの?」

 

 あきらめがちにクラインがいうものの、オレ達は全員そうではないことのほうが大きいだろうと思っていた。あの男ならやりかねないと皆思っているのだ。

 

 そのまま歩きボス部屋まであと少しと言った地点まで来た時、その予感はやはりというべきか的中することとなった。

 

「うあああぁぁぁぁ……」

 

 消え入りそうな悲鳴が回廊に反響してオレ達にまで届いたのだ。その悲鳴は場にいた全員に聞こえたようで、皆が顔を見合わせた。すると最初にアスナが駆け出し、彼女を追うようにキリト、ヨミ、オレの順番で走った。クラインたちもついて来ているだろうが敏捷力の上げ方が違いすぎるため、かなり遅れる形となってしまった。

 

 しかしこの際それは気にしてはいられない。やがて、視線の先にさっきも見た大扉が口を開けていた。

 

「チッ、バカが!」

 

 走りながらオレは毒づくが、先を行くアスナは更にスピードを上げてキリトとヨミもそれを追った。オレも本来ならばキリトと同じぐらい敏捷力は上げてはいるが、やはり背中の剣が重すぎるので若干離されてしまった。それでもあの大口を開けた大扉の中で何が起きているかは想像がついた。

 

 先を行く三人扉の前で止まると、オレもそれにならって減速する。止まる直前靴底で火花が散ったがそんなことを気にしている余裕はない。オレから遅れること数秒、クラインたちもやってきた。

 

 けれどオレが到着すると同時にオレ達の目の前に一つの影が投げ出されてきた。

 

 その影はコーバッツだった。

 

 しかし、彼の姿は次の瞬間光り輝くポリゴンとなってこの世界から消滅した。

 

 死んだのだ。先ほどまで睨みあっていた軍の男があっけなく、この世界から跡形もなく。だが彼の最後の表情だけはわかった。

 

 彼の顔は絶望の色に染まっていた。それだけ自身の死が信じられなかったのだろう。

 

 視線を前に向けると、ボス部屋の中では蒼炎の悪魔、ザ・グリームアイズが巨剣を振りかざして残った兵士達を殺しにかかっている。

 

 リーダーを失い統率が取れなくなった兵士達はいとも簡単になぎ払われ、皆の顔にはコーバッツと同じ絶望の色があった。

 

 すると、その光景を見ていたアスナの手がカタカタと震え、剣に手をかけようとしていた。彼女の意図を理解したオレは同じように理解したキリトとほぼ同じタイミングで手を伸ばそうとしたが、コンマ一秒遅かった。

 

「だめーーーーッ!!」

 

 悲痛な声と共にアスナが細剣に手をかけながらグリームアイズに向かっていってしまった。確かに彼女の剣技であればグリームアイズの注意を軍から引き離すことが出来るかもしれないが、それは同時に彼女自身が狙われることとなる。

 

「待て、アスナッ!!」

 

 キリトも彼女の後を追いボス部屋に駆け込み、オレとヨミもそれに続いて駆け、背後ではクライン達もやぶれかぶれで入ってきたが、彼らも恐怖はあるだろう。しかし、それ以上に目の前の地獄絵図をただ傍観することはその場にいる誰にも出来なかった。

 

 再び視線をグリームアイズに戻すと、アスナの細剣が不意打ちの形で決まっていた。しかし、HPは殆ど減っていない。グリームアイズはその光り輝く双眸でアスナを睨みつけると彼女に向かって巨剣を振り下ろす。

 

 弾かれるようにそれを避けるアスナだが、余波が凄まじく地面に転がってしまう。その隙を突くようにグリームアイズが第二撃を叩き込もうとしたが、間に入ったキリトがその攻撃を受け止める。

 

 でも片手剣一本であの巨剣の一撃を耐えるのはきつすぎる。

 

「ヨミ、クラインッ! 軍の奴等の保護を頼む!」

 

「りょーかい!」

 

「おうよ!」

 

 オレは二人に指示を出し、方向転換しながら背中の片刃大剣《ズィーゲルゲシュペンスト》を抜き放つ。そしてグリームアイズの足元にもぐりこんでからキリトに告げる。

 

「キリトッ! そのままあと一撃耐えてくれ!」

 

「わかった!!」

 

 キリトもきついだろうがここは我慢してもらうしかない。

 

 オレは抜き放った片刃大剣を中段に構えると、そのままテニスのフォアハンドのように構える。同時にソードスキルが認識され、大剣の刀身が青黒く発光し、次の瞬間凄まじい速さで振りぬかれた。

 

 片刃大剣の中段中位剣技《フリューゲル》だ。振りぬかれた大剣は光の孤を描きその様はまさに《翼》だ。

 

 輝く剣閃は的確にグリームアイズの足首を捉えたようで、ヤツはそのまま肩膝を付いた。それでもHPバーはまだまだ残っている。

 

 オレはこの気を逃すまいと、硬直が解けた隙にソードスキルではない普通の攻撃を何度も叩き込む。ソードスキルのように一撃で大ダメージは負わせられないが、大剣の重さを利用した一撃一撃は相当効く筈だ。

 

 だがすぐにグリームアイズは立ち上がり、威嚇の咆哮を上げた。それと同時にオレはキリトとアスナを守るように立ち、彼等に告げた。

 

「キリト! アスナと下がってろ! コイツの剣はオレが全部受けてやる!!」

 

「わかった!! 死ぬなよ!」

 

 言われた言葉にニッと笑みを浮かべて返すと、オレは大剣を構えてグリームアイズを睨みつける。

 

「さぁて、仕切りなおしと行こうじゃねぇかッ!!」

 

 瞬間、その言葉に答えるようにグリームアイズの巨剣がオレに迫ってきた。だがオレにはその攻撃が手にとるように分かる。

 

 なぜならばヤツが放つ攻撃はブレスを除いて殆どが両手剣用のソードスキルだからだ。多少カスタマイズはされているものの、動き自体はそこまで変わっていないので、対処は簡単だ。

 

「両手剣をしつこいぐらい修行したオレに、勝てると思うなぁッ!!」

 

 声高々に告げ、オレは巨剣を受け止める。凄まじい重量がのしかかるが、それでもやつの攻撃は見える。

 

 攻撃を受け止めたり流したりしつつ周囲に視線を走らせる。軍の生き残りはクライン達風林火山のメンバーとヨミが守ってくれている。背後のキリトとアスナもそれなりの位置まで後退している。

 

 すぐさまここから皆で転移したいが、あそこまでやられた軍の様子を見ると、どうやらこのボス部屋は結晶無効空間のようだ。なのでこの部屋から脱出するにはコイツを倒しきるか、誰かが囮となって皆を逃がすかだ。

 

 けれど囮になったところでグリームアイズがオレだけに狙いを定めているとは限らない。もし少しでもヤツがほかの連中に気が付けば、確実にそちらを狙いに行くだろう。HPが三割をきっている軍の兵士達が攻撃を受ければひとたまりもない。

 

 なので導き出される答えは一つしかない。

 

「キリト、アスナ、クライン、ヨミ! もう四の五の言ってる暇はねぇ、コイツはここで倒すぞ! ヤツの攻撃はオレが全部受け止めるから、その隙にソードスキルをぶち込め!!」

 

 切羽詰ったオレの声に四人は返事はしなかったがそれぞれ頷くと、ヨミとクラインはグリームアイズの両足へ、キリトとアスナは胴体へ向かってソードスキルを放つ。

 

 連続して放たれるソードスキルにグリームアイズのHPバーは先ほどまで以上に早く減少していくがそれでもまだ足りない。

 

 その光景を攻撃を受け止めつつ見やるオレは自身の残りのライフを確認した。攻撃は全てガードできているといっても、ガードは万能というわけではなく、少しずつだがHPは減少するのだ。オレのライフは三割がた減っていてまだグリーンゾーンではあるものの、このままのペースだと最悪の場合オレのライフが尽きる。

 

 ……どうする……このまま行くと全員が死ぬ可能性も出てくる。

 

 どうする、どうする……と頭の中で何度も反復してみても、この状況を打破する案が思い浮かばない。

 

「アウストッ!!」

 

 思考を破壊するようにキリトの声が聞こえた。そちらに視線を送ると彼は続けていった。

 

「頼む、あと十秒耐えてくれ!!」

 

「ハッ! 十秒と言わず二十秒ぐらい耐えてやるよ。ついでに、隙も作ってやらぁ!」

 

 言いつつ振り下ろされた巨剣を弾く。オレンジ色の火花が散が散り、オレの頬を掠めた。

 

 だがグリームアイズは止まらない。大木のような豪腕でオレを殴りつけた後、再び鈍い光を放つ剣を振り下ろしてきた。

 

 ゴウッという音を立てながら振り下ろされた巨剣を、藍色の大剣を下段に構えて発動したソードスキル、《アオスヴルフ》でタイミングよく再び弾く。

 

 今回はただ弾いたのではなくソードスキルを使ったものなので、巨剣を弾くだけではなく、グリームアイズの巨躯を半歩下がらせることに成功した。

 

「キリト! スイッチ!!」

 

 掛け声と共にキリトがオレの真横を疾走する。

 

 その瞬間オレは目撃した。彼が握っている剣が一つではないことに。

 

 右手にはいつもの漆黒の剣《エリュシデータ》。そしてさらに左手には緑青色とでも言うべき鮮やかな色の剣が握られていた。

 

 二本の剣による同時攻撃でグリームアイズはその場で大きくのけぞり、胸にはクロスするようなダメージエフェクトが刻まれている。

 

「二刀流……?」

 

 思わず声がこぼれ出た。しかし、驚愕しているのはオレだけではない。クラインやアスナ、ヨミも含めたその場にいた全員が信じられないといった風な顔をしていた。

 

 それもそうだ。SAOでは基本装備する剣は一本となっている。短剣辺りならば二本装備することも可能だが、この場合二本装備した状態のソードスキルは存在しない。なので、普通ならば短剣一本のみの装備となる。片手剣でもそれは一緒のはずだ。

 

 けれど今目の前で二本の剣を振るうキリトは明らかにソードスキルを使用している。しかもアレは明らかにオレの《片刃大剣》と同じまったく新しいスキルだ。

 

「《ユニークスキル》……」

 

 ふとオレの口からそんな言葉が漏れた。

 

 ユニークスキルは、オレのが出現させた《エクストラスキル》、片刃大剣のように誰でも発動できるものではない、出現条件がまったくわからないスキルだ。もしキリトのあれがそのユニークスキルだった場合、オレが知っている中では二人目のユニークスキル保持者といえる。

 

 そんなスキルを駆使してグリームアイズに攻撃を放つキリトの連撃を見ると、合計で十六もの斬撃が放たれる。

 

 ポリゴンを斬り裂く甲高い音と、弾ける白光が星屑のように煌めき、蒼炎が照らすボス部屋を切り裂く。

 

「うおおおあああああッ!!」

 

 咆哮を上げながら打ち出される斬撃はどんどんと速度を増し、限界までアクセラレートされている。システムを凌駕するのではないかというほどの斬撃の嵐の最後の一閃がグリームアイズの胸に突き刺さった。

 

 しかし、キリトの渾身の攻撃を殆どくらったはずのグリームアイズは、その口元をゆがめてキリトに向き直った。

 

 見ると、最後のHPバーのほんの1ドット、ヤツのHPが残っている。キリトもそれは分かっているのだろうが、十六連撃という途方もない連続攻撃のせいで硬直時間が発生して動けずにいる。

 

「キリトくん!!」

 

 アスナが悲痛な声を上げようとするが、彼女の場所からでは走っても間に合わない。

 

「アウスト!!」

 

「わかってらぁッ!!」

 

 ヨミの声に頷いたオレは瞬時に背中の大剣を抜き放って片手で振りかぶる。

 

「とどけぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

 

 絶叫と共に投げられた大剣は青黒い燐光を放ち、真っ直ぐにグリームアイズの顔面に飛び、次の瞬間、大剣が額に深く突き刺さった。

 

 同時にグリームアイズは天を仰ぐように頭を上に持ち上げた後、その体にノイズが奔り、無数のポリゴンとなって砕け散った。

 

 グリームアイズが砕けたことにより顔に刺さっていたオレの大剣がボス部屋の床に突き刺さり、その近くでキリトが仰向けに倒れこんだ。

 

 室内で燃え上がっていた蒼炎はいつの間にか掻き消え、オレ達の前にボス攻略によって設定された『Congratulation!!』の文字と大音響のファンファーレが響き渡った。

 

 そこでオレは足に力が入らなくなり、その場に座り込んでしまった。かなり消耗したようだ。それと同時にオレの前に取得経験値とコルが表示され、更にその下にはドロップしたアイテムも現れた。

 

 アイコンを見ると大剣のようだ。名前は《ディアボロスアルマ》。

 

「悪魔の魂って……まんまじゃねぇか」

 

 苦笑しながらもそれを受け取ると、キリトの方に視線を向ける。

 

 消えていないことから死んではいないはずだ。恐らく極度の緊張と精神的疲労が出てきたのだろう。

 

「おつかれ、アウスト」

 

「ああ、だけど結局決められたのはアイツのおかげだ。コイツも本来ならアイツが受け取るはずだったもんだ」

 

 表示された剣を指差しながら言うと、ヨミも「そうだね」と短く答えた後、オレの横に座ってしなだれかかって来た。彼女自身もかなりがんばっていたため、相当疲れたのだろう。

 

「……やれやれ。最近で一番疲れたな」

 

 ドロップしたアイテムを受け取りつつ、オレも天井を仰いで大きなため息を漏らした。

 

 オレ達はそのまましばらく動くことが出来なかった。




はい、キリトの二刀流まで出せました。
まぁ多少原作との違いを見せるために留めはアウストにさせましたが……いいとこどりとか言ってはダメです。

またドロップしたアイテムもオリジナルのものなので深くは考えないても大丈夫です。とくにこれから重要なところで使うかといわれればそうではないので。

次回は、キリトがヒースクリフと対決するところですがそれはサクッと終わらせて、アウストとヒースクリフを絡ませられればと思います。
いければキリアスが結婚報告するところまでは行きたいですね。

となると十二話から十三話でアインクラッド編を終わりにするのが妥当ですかねぇ。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第七話

 七十四層のボス攻略が成された翌日。

 

 オレは昨日行き忘れたマシューの店に顔を出して頼まれていたアイテムやら素材を渡していた。同時にグリームアイズからドロップした片刃大剣、《ディアボロスアニマ》もトレードに出している。

 

「にしてもキリの字はえらい有名になってもうたなぁ」

 

「まぁアレだけ人の目があるところで、《ユニークスキル》なんざ発動すればしょうがねぇだろ」

 

「クラインとか《風林火山》のメンバーやアスナはんは言わないにしても、軍は言ってしまうやろねぇ。アルゲードも朝っからその騒ぎで持ちきりやでー」

 

 言いながら彼はアインクラッドの様々な情報が載せられているウィンドウをこちらに見せてきた。それを覗き込むと、《軍の大部隊を全滅させた悪魔》やら、《それを単独で撃破した二刀流使いの五十連撃》などなど、そのほかかなり尾ひれが付いたようだ。

 

「これじゃあキリトがエギルのところにシケ込むのもあたり前か」

 

「実際は単独やのうて、とどめ刺したんはお前なんやろ?」

 

「まぁ殆どキリトがライフを削ってたからな。オレは最後の一押しをしてただけ。だから単独撃破で間違いはないだろうさ。五十連撃ってのはやりすぎだけどな」

 

 肩を竦めて言ってみるとマシューは「ほぉー」と感心した様な声を上げた。

 

「ほんでコイツ、《ディアボロスアニマ》本当に売っちまってええのん?」

 

「ああ。キリトに渡そうかと思ったんだが、あいつも要らないって言うし。パラメータを《ズィーゲルゲシュペンスト》と見比べてみたら、ディアボロスの方が若干低いんだ。だからいらん」

 

「ふぅん、本人が言うなら俺ッちもそれに答えるだけやな。まぁボスドロップやからそれなりに高う買い取れると思うで……っと、二万コルかぁ。さすがボスドロップ」

 

 若干驚きがちに言うマシューに対し、オレは「それでいい」とだけ答え、トレード完了のボタンをタップした。それと同時にステータスの中に二万コルが追加され、それなりに財布が潤った。

 

 トレードを終え、さて帰るかと立ち上がろうとしたところで、店の扉が勢いよく開けられ、ドアベルが騒がしく響いた。

 

 オレ達がそちらに視線を向けるとそこには神妙な面持ちのヨミがいた。

 

「どうしたん、ヨミ?」

 

 マシューが問うが彼女は答えず、カウンター近くのテーブルにどっかりと腰を下ろすと、オレ達を見据えて告げてきた。

 

「……キリトとヒースクリフさんが対決することになった」

 

「ハァ? なんで血盟騎士団の団長様とキリトが……あぁいや、なんとなく分かった」

 

 一時は疑問を持ったオレだが、あの後……グリームアイズとの戦闘の後、アスナがKoBを一時脱退するといっていたことを思い出した。恐らくだがそれが問題になってきているのだろう。

 

 しかし、珍しいこともあるものだと思った。KoBの団長、ヒースクリフは基本的にはギルドメンバーの私情に関しては口を出さないと思っていたからだ。それがキリトと対決をするとは、よほどのことがあったのだろうか。

 

「あの人がデュエルなんて珍しいなぁ」

 

 オレの思ったことを代弁するかのようにマシューが告げると、ヨミも肩を竦めた。

 

「アタシだってアスナからちょっとしたことしか聞いてないからわかんないよ。でも、これだけは確かだって。ヒースクリフさんの方からキリトと立会いたいって言ったらしいよ」

 

「あの男がねぇ……それほどまでにキリトが気がかりなのか、それともアスナの脱退がギルドの士気を下げるとでも思ってるのか……」

 

 腕を組みつつオレは考え込むが、あの男の考えていることはいまいち分からないので、いちいち深く詮索する必要もないと思い、これ以上考えるのをやめた。

 

 その後オレはヨミと共にマシューの店を出てキリトとアスナがいるというエギルの店へ向かった。

 

「ねぇ、アウスト」

 

 道中、ヨミが心配そうに声をかけてきた。

 

「あん?」

 

「えっとさ、もし昨日あったことがキリトとアスナがいないときに起きて、同じように軍の人たちが教われてたらアウストは助けた?」

 

「……まぁ助けたんだろうな。オレは軍は嫌いだ。でも、目の前で人が襲われてるなら助けちまうさ。もしオレがそれを出来なかったら、オレはオレをゆるさねぇ」

 

「そっか、うん。そうだよね。やっぱりアウストは変わってないよ。初めて会ったときも私を助けてくれて、色々教えてくれたもんね」

 

 懐かしそうに笑みを浮かべながら言う彼女だが、オレはそれを鼻で笑いお茶らけたように言ってみた。

 

「アレはお前がMMO初心者丸出しで危なっかしかったから仕方なくだ」

 

「あ、なにそれ酷くない!?」

 

「本当のことだろーが。バカみたいに敵に突っ込んでって逃げて……その繰り返しだっただろ。危なっかしくて見てらんなかったぜ」

 

 肩を竦めてヤレヤレというそぶりを見せると、ヨミはそれが気に入らなかったらしく、凄まじい強さでオレのふくらはぎを蹴ってきた。その衝撃で数メートル吹き飛ばされたオレは地面と熱いキスを交わしてしまった。

 

「な、なにしやがる!」

 

「フンだ!! アウストのデリカシーのなさは相変わらずだと思っただけだよ! 先に行くかんね!」

 

 顔を真っ赤に染めたヨミはそのままズンズンとエギルの店に行ってしまったが、オレは顔を摩りながら立ち上がって小さく息をつく。

 

「ったく、現実世界だったら顔の皮ズル剥けだっつの……。けど――」

 

 オレは前を行き小さくなるヨミの背中を見ながら言葉をつないだ。

 

「――オレを変えてくれたのは、お前だぜ。ヨミ」

 

 オレの声は届いてはいないだろうが、今はそれでいいのだ。来るべき日が来たら、今一度彼女にこの言葉を伝えよう。オレを変えてくれた彼女に『ありがとう』と。

 

 

 

 

 

 

 それから数日後、オレはまたしてもヨミと共に行動を共にしていた。

 

 オレ達がいるのは先日解放されたばかりの、七十五層の転移門の前にある巨大なコロシアムの観客席だ。既に客席は超満員であり、外では商人プレイヤーが露店を開いていた。どうやらKoBの経理担当が今回の決闘をお祭り騒ぎにしたらしい。

 

 マシューの店に行った後、エギルの店で二人でイチャコラしていたキリトとアスナに話を聞いたところ、アスナはヒースクリフを説得しようとしたらしいのだが、キリトは売り言葉に買い言葉で彼の申し出を承諾。結果このようにデュエルをすることになってしまったらしい。

 

 まぁキリトの気持ちも分からなくはない。オレもその立場だったら彼のように答える。

 

 けれど今回の相手はこのアインクラッドの中で最強の異名をとる男、ヒースクリフだ。彼を語る言葉は最強のみではなく、生きる伝説やら聖騎士などがある。

 

 彼もまたキリトと同じユニークスキル保持者だ。キリトよりも早く発言した彼のスキルの名は《神聖剣》。十字をかたどった盾と剣を装備した攻防一体の力。何度かボス攻略戦で見たことはあるが、彼の盾を抜ききった攻撃は今まで見たことがない。

 

 それだけ彼の防御力は鉄壁なのだ。オレでさえアレを突破できるかどうかは分からない。キリトも彼の防御力は分かっていると思うので、攻撃をするとすれば二刀流による手数勝負となるだろう。

 

「あの男の場合全部防ぎそうでおっかねぇわなぁ」

 

「でもキリトの二刀流だってかなりの速さがあるから、ヒースクリフさんの盾だって抜けるんじゃない?」

 

「確証はないな。どうなるかはキリトの技量次第だ」

 

 と、オレがそこまで言った所でコロシアム全体が湧いた。闘技場中央に目を向けるといつもの黒衣のいでたちのキリトが現れた。背中には二本の剣が吊られている。

 

 そして彼から少し遅れて赤い鎧と白のマントを装備したKoBの団長、ヒースクリフが現れた。

 

 二人が現れたことで会場のボルテージは最高潮だ。確かにユニークスキル保持者が戦うともなれば皆興味を引かれるのも無理はない。

 

 闘技場中央でメニューウィンドウを操作しているようで、それが完了した後、互いに距離をとって得物を構えた。

 

 恐らく彼等の視点にはカウントが始まっているだろうが、オレ達の視点からはそれが見えない。けれど、彼等から伝わってくる気迫は相当のものだ。

 

 ……さて、どっちが勝つか。

 

 思ったと同時にキリトが地を蹴り、黒剣をヒースクリフに向かって突いた。だがその剣は十字盾に防がれる。それでもキリトは攻撃の手を休めず、次々に攻撃を放っていく。

 

 ヒースクリフはそれらを一切表情を変えることなく盾で見事に防いでいく。そればかりか時に盾を突きつけることでキリトの視界を狭め、細身の長剣でカウンターを放っている。動きに一切の無駄がなく、キリトに付け入る隙を与えていない攻防は凄まじいの一言だ。

 

 盾と剣の攻撃によって大きく弾かれたキリトは体勢を整えるが、その隙にヒースクリフが一気に距離を積める。キリトが応戦しようとしたが、彼は剣で攻撃すると見せかけ、盾でキリトの腹部を穿った。

 

「うわっ」

 

 隣でヨミが口元を押さえてキリトの心配をしているが、あの程度でやられる男ではない。キリトは右手の黒剣エリュシデータを構え、その剣を黄色いエフェクトが包み込み、次の瞬間にはキリトの剣がヒースクリフの盾に直撃していた。

 

 金属と金属がぶつかり合うけたたましい音が響くが、ヒースクリフも無事ではなかったようで、その場から弾き出されている。けれども悠然としたステップで着地すると、キリトに向き直って何か言っているようだ。

 

「まったくなんて堅ぇ盾だよ」

 

「うん。それに反応も早すぎる……」

 

 オレが漏らした言葉にヨミが返してくる。ヨミ自身の剣速もキリトに負けず劣らずだが、その彼が圧倒されていることに驚いているのだろう。

 

 再びの剣戟音に視線を戻すと、キリトとヒースクリフが交差するように剣戟をほとばしらせていた。火花が散り、砂塵が舞うその光景は互いに持てる力を出し切っていることが分かった。

 

 だがその剣戟の中でオレはキリトの反応速度と攻撃速度が段々と上がってきたように見えてきた。そしてついにヒースクリフの鉄壁の防御をキリトの剣が突破し、彼の頬に傷を与えた。

 

 その一瞬、ヒースクリフの動きが今までと違い遅れをみせた。彼が見せた隙をキリトが見逃すわけはなく、彼はグリームアイズ戦で見せた十六連撃を放つ。確か名前は《スターバースト・ストリーム》だったか。

 

 弾ける燐光が星屑のように煌めき、走る剣閃は剣戟というよりも剣の奔流に等しかった。

 

 右へ左へ上へ下へ……凄まじい剣閃によってついにヒースクリフの防御にほころびができ、振り上げた剣がヒースクリフへ振り下ろされ、彼の身体に食い込みそうになった瞬間。

 

 それは突然訪れた。

 

「ッ!?」

 

 一瞬、ほんの一瞬。コンマ数秒。刹那の瞬間。

 

 それだけ短い時間、僅かに時間がなくなったような気がした。いや、よくよく考えれば時間がなくなったのではない。ヒースクリフが速過ぎたのだ。だがその一瞬にヒースクリフの盾が移動し、キリトの剣を受け流したのだ。それと同時にキリトにできた隙を今度はヒースクリフが突き、勝負が決まった。

 

 勝負はヒースクリフの勝利で終わった。でもオレにはどうしても納得が出来なかった。キリトのあの最後の一振り。アレが直撃していれば負けていたのはヒースクリフだ。なのにあの一瞬の時間のブレのようなもののせいでそれが逆になった。

 

「いやぁ……さすがヒースクリフさん。キリトでも勝てなかったかぁってアウスト!?」

 

 ヨミが隣で何か言っていたが、オレはそれを振り切ってヒースクリフが消えて言ったコロシアムの通路へと駆けた。

 

 いまだ戦闘の熱が冷めない人ごみを抜け、ヒースクリフが入っていった通路へ来たオレはヤツの背中を見つけた。

 

「ヒースクリフ」

 

 自分でも驚くような低い声が出た。

 

 だが目の前にいる赤と白の聖騎士は臆した様子もなく振り向いた。

 

「やぁアウスト君。久しいね」

 

 アレだけの戦闘の後だというのに随分と軽々しい声を吐いてくれるものだ。いや、それだけ強い精神があるからこそ最強ギルド《血盟騎士団》を設立することが出来たのだろう。

 

「……ヒースクリフ、アンタあの一瞬なにをした」

 

「なにをとは?」

 

「キリトの剣がアンタに直撃する瞬間だ。あの一瞬のアンタの動きは速過ぎだった」

 

「ほう……」

 

 オレの言葉に彼は感心した様な声を漏らした。オレも一瞬たりとも彼から視線を逸らさず彼を睨みつける。

 

「そう怖い顔をしないでくれ。残念だがアウスト君、先ほどの戦闘はなんらおかしなことはないよ。私は普通にキリト君の攻撃を防ぎ、彼に勝利した……それだけのことさ」

 

「……そうかよ。じゃあ、そういうことにしてやる。でも覚えておけよ、アレは明らかにおかしかった。特にアンタと戦ったキリトはそう思ってるだろうぜ」

 

「なるほど。あぁそうだ、こんな時になんだがアウスト君。君も血盟騎士団に入らないか?」

 

「は?」

 

 予想だにしなかった言葉にオレは思わずマヌケな声を出してしまった。けれど、オレは思い出した。オレがこの男のことを恐ろしいと思う理由を。

 

 この男は考えがまるで読めないのだ。物事をどのように見据えているのかは分かる。けれど、真に分からないのは彼の根底にある真意だ。

 

「なに、単純なことさ。君が入ってくれれば血盟騎士団はもっと強くなる思ってね。キリト君も参入することだし、君もどうだろう。ヨミ君も一緒にしても構わないよ」

 

「ハッ! 冗談だろ。オレみたいな攻略組の不良を血盟騎士団が入れていいのかよ。ギルドの名が落ちるだけだぜ」

 

「私が伊達や酔狂でギルドに勧誘するとでも?」

 

 ヒースクリフの声音からして嘘は言っていない。むしろオレを本気で勧誘しに来ているだろう。けど、オレは決めているのだ。

 

「魅力的な申し出だが、断らせてもらう」

 

「ほう、一応理由を聞いても……いや、これはマナー違反だな。では気が変わったらグランザムに来たまえ。いつでも参入を許可しよう」

 

「……どーも」

 

 オレは煙に巻かれたような気分になりながら彼に返すと、彼も満足したように頷くと踵を返してコロシアムを出て行った。そんな彼の後姿を見送りつつもオレの心中は靄がかかったようだった。

 

 

 

 

 

 それから二日が経過し、オレはエギルの店の二階にいた。

 

 理由はキリトが血盟騎士団に正式加入となり、ギルドのユニフォームを着るという情報を得たからだ。

 

 そしてオレの前には血盟騎士団のユニフォームに身を包んだキリトとそれを満足げに見ているアスナの姿があった。しかし、オレは腹を抱えて笑った。

 

「ぶ、ハハハハハハッ!! に、似合わねー! キリト、お前やっぱり血盟騎士団のユニフォームおかしいって!」

 

 今まで黒の服ばかり着ていたためか、白と赤の配色のユニフォームは彼のイメージと違いすぎたのだ。そのため笑いを我慢できずに盛大に爆笑してしまった。

 

「そ、そんなに笑わなくなっていいだろ! アスナ、俺地味なヤツっていったんだけど……」

 

「これでも十分地味な方よ。それにアウストさんは笑ってるけど、私は似合うと思うよ」

 

「ひーひー……あー笑った笑った……これフィールドで見せられたらアレじゃね? ライフ数ドットくらい減ったぐらい笑ったかな」

 

「どんだけだよ!」

 

 キリトに突っ込みを入れられ、オレは投げつけられたグラスを避ける。グラスはすぐにポリゴンとなって消えた。

 

 オレはもう一度キリトを見てから肩を竦め、彼に告げた。

 

「まぁ血盟騎士団でもがんばれや。お前ならヒラで入ってもいい位置に行くんじゃね?」

 

「別にそこまでは求めてないよ。オレは……」

 

 彼はそこまで言った所でアスナの方を一瞥したので、オレは大きなため息を漏らした。

 

「あーはいはい、のろけはたくさんです。オレはもう帰るんで二人してご存分にイチャコラしてください」

 

 オレはそう残して帰ろうとしたが、ふと思い出したのでキリトだけを呼んだ。彼は若干訝しげな表情をしつつもオレの元まで来ると耳を傾けた。

 

「キリト、これから任務とか行くのか?」

 

「いや、今日は何もないけど……」

 

「そうか。でも一応小耳に入れとけ。お前と勝負したクラディールってヤツいただろ。もしアイツと行動を一緒にすることがあったら十分注意しろ」

 

「え、なんでだ?」

 

 キリトが小首を傾げてきたのでオレは言葉を募る。

 

「お前がアイツに勝った時、嫌な視線を感じたんだ」

 

「視線?」

 

「ああ。あの視線はラフコフの奴等と同じやつだった」

 

「ラフコフだと!?」

 

 声は小さいもののキリトの声には驚きがあった。だが、オレはそれには反応せず続ける。

 

「まぁオレの勘違いもあるかもしれないが、クラディールと一緒に居るときは気をつけろ。ああいう目をするヤツってのは大概良からぬことを起すからな」

 

「ああ、わかった。教えてくれてサンキューな」

 

「おう。あとコイツはまったく関係ないが、アスナとくっつくならさっさとくっつけ。見てるこっちがこっ恥ずかしくなるわ」

 

「なっ!?」

 

 オレの言ったことにキリトは驚いていたようだが、そのまま固まってしまったようで何も言い返してこなかった。それに呆れつつ、オレはセルムブルグに戻るために家路についた。

 

 

 

 

 

 

 セルムブルグに到着したオレは今日は家でゆっくりしようと家の方向に足を向けた。しかし、そのとき腰マントを誰かに引っ掴まれた。

 

 それを不審に思いそちらをい見ると。

 

 したり顔のヨミがいた。

 

「……なにやってんだヨミ」

 

「見れば分かるでしょ? アンタが帰ってくるまでここで張ってたの」

 

「……なぜにそんなことを?」

 

「聞きたいことがあったから」

 

 その声は至って真面目な声であり、ふざけてここで待っていたわけではないことをあらわしていた。それを見たオレは小さく溜息をつくと一旦腕を離させてヨミを家に招いた。

 

 自室に戻り装備を解除したオレはヨミに適当なところに座るようにつげ、お茶を用意することにした。ヨミは周囲を見回して一言。

 

「結構綺麗にしてるんだね。家具も揃ってるし」

 

「まぁ一人暮らしはリアルでもしてたからな。ホレ、味は保障しねぇけどお茶」

 

 オレは紅茶っぽいお茶を入れたティーカップをヨミに出した。料理スキルなんて殆ど上げてないので、恐らく凄まじく渋いと思うが話をする上では水分は大切だ。

 

「そんで? 話ってなんだよ」

 

「えっと、アウストこの前言ってたじゃん。軍の子供たちにいじめられてる子供たちを助けたって。アウストがお人よしだってことは分かってるけどさ、なんで軍の人たちを半殺しにするような真似をしたの?」

 

「あぁそれか……」

 

 オレは紅茶っぽいお茶を啜るが、やはり不味い。かなり渋い。ヨミも同じように啜ったが、顔から察するに渋かったのだろう。

 

「まぁこの辺はオレのリアルの話も入って来るんだけどな」

 

「え、あ、ならいいよ別に無理して話さなくても。ここではリアルのことはタブーだし」

 

「別にかまわねぇさ。お互いもう知らない仲でもないしな」

 

 オレはティーカップを置いて虚空を見上げた後、ヨミを見据えて口を開いた。

 

「オレには弟がいるんだ。リアルでは十歳だっけな。だから被っちまったんだろうなぁ、ガキ共がいびられてるのを見てまるでオレの弟が傷つけられちまってるように見えちまったんだ。だからあんな非人道的なことも出来たんだろ」

 

「……アウストは弟思いなんだね」

 

 そういわれたとき、オレは言葉が出なかった。

 

 なぜなら、オレはオレの生きる意味を奪った怪我につながる事故を起した弟を一度だけ恨んだことがあるからだ。

 

 コイツさいなければ。コイツが生まれてこなければ……そんな黒い感情がこみ上げてきて、弟から離れていた時期があった。そしてこれ以上皆といたら誰かを傷つけてしまうという念からもあり、家を飛び出し東京の高校に入学したのだ。簡単に言えば逃げたのだ。無論それ以外にも感情はあったが、それらの感情が強かった。

 

 だから多分オレが子供たちを助けたのは弟と被ってしまったのではなく、弟に対する罪滅ぼしであったのかもしれない。

 

 お前は何も悪くないのに恨んでごめんな、ということに対する罪滅ぼし。自分でもなんて自分勝手な考えなんだと思う。

 

「アウスト?」

 

 ヨミの声にオレはハッとした。現実でのことを思い出してぼーっとしてしまったようだ。

 

「わり、ちょっと現実世界のこと思い出してた」

 

「弟さんのこと?」

 

「ああ。さっきお前はオレのことを弟思いって言ったけど、実際はそんなことねぇ。オレは兄貴失格なんだよ。テメェの弟を恨んだ兄貴なんざ兄貴じゃねぇだろ」

 

「……」

 

 オレの言葉にヨミは声を発しなかった。

 

 しかし、彼女は一度大きく深呼吸をすると意を決したように告げてきた。

 

「アウスト。アタシはもったアンタのことが知りたい。現実世界のアンタがどんな人間で、どんな人生を送ってきたのか。どんな内容でもアタシはアンタを絶対に軽蔑しない。だから教えてよ、アンタのこと」

 

 ヨミは薄く笑った。だがその笑顔は信用に足る笑顔だった。彼女の言葉は本気であり、それだけの覚悟を持ってオレに告げてきているのが分かった。

 

 だからこそオレはそれに答えようと思った。

 

「……ああ。話してやるよ、オレの全てを……な」

 

 今日の予定にはまったくなかったことだが、オレはヨミに対して全てを話した。オレが現実世界で剣術をやっていて、十歳のころの事件でそれが出来なくなったこと。それによって世界が灰色に見えて、オンラインゲームに居場所を求めたこと。そしてこのSAOが自分に生きる意味を与え、ヨミの生き方がオレに変化を齎してくれたことも。

 

「ヨミ、オレはお前に感謝してるんだ。お前の一心不乱に生きる生き方がオレにはとてもかっこよく見えた。この世界から出られなくてもいいと思っていたオレの考え方を変えてくれたんだ。だからこの仮想世界から出たあともオレは生きていけると思う」

 

「アタシ、そんなにご大層なことしたっけ」

 

「お前はそう思っていなくても。お前の真っ直ぐなところにオレは引かれたんだよ。だから言わせてくれ、ありがとうな。ヨミ」

 

「え、あ! うぁ、えっと……どどど、どういたしまして?」

 

「何で疑問系なんだよ」

 

 オレが呆れるとヨミは恥ずかしそうに俯きながら頭を掻いていた。ふと、彼女は思い出したように咳払いをするとオレに向き直った。

 

「そうだ、ここまで話してくれたんだからアタシも話すよ」

 

「いや別にお前まで言わなくても……」

 

「ううん、言わせてよ。仲間なんだからさ」

 

「……そうか」

 

 オレは短く答えてヨミの話をきいた。

 

 それからオレ達は互いの現実世界でのことを話し合い、気付けば外は夜になっていた。

 

 オレは不味いお茶を啜りながら外を見やった。

 

「こんだけお前と話し合ったのは助けた時以来だな」

 

「そうだねぇ……いつの間にか夜になってるし。あの時はどうしたんだっけ?」

 

「昨日も言っただろ。無鉄砲にモンスターに突っ込んでったから死にそうになってて、放っておくと死にそうだったから戦い方をレクチャーしてやったんだよ」

 

「あーあったねぇそんなこと」

 

 思い出に浸りつつヨミはティーカップの中のお茶を啜ったが、やはり不味いのか渋い顔をした。

 

 けれどそこで何かを思い至ったのか、ポンと手を叩いた。

 

「そうだ! こんだけ色々話したのにアタシ達本当の名前も分かってないじゃん!」

 

「そういえばそうだな。でもいいんじゃね?」

 

「ダメ! 現実世界であった時不自由じゃん。それにお互いの名前を知ってた方が親近感湧くし」

 

 こぶしを握り締め、若干興奮気味に言うヨミに若干気圧されつつも、オレは「そ、そうだな」と頷いた。すると彼女は自分の胸に手を置いて彼女の名を言った。

 

「アタシの本当の名前は星峯詠美(ほしみねえいみ)。現実世界の年齢だと22歳かな。キャラネームは詠の字からとって『ヨミ』」

 

「年上かよ。性格がガキっぽかったから年下だと思ったぜ」

 

「なにそれ酷くない?」

 

 ちょっとだけ怒った彼女は頬を膨らませた。そのような仕草がこどもっぽいというのだ。だが、あまり距離感が遠く感じないのはオレの双子の姉もそんな感じだからだろう。

 

「そんじゃオレの番か。オレの名前は萩月葵(はぎつきあおい)。リアルだと二十歳だ。キャラネームの由来は『萩月』は八月って意味だから、それのドイツ語読みの『アウグスト』から“グ”をとって『アウスト』な」

 

「なんか凝った名前ねぇ。普通にアオイでいいんじゃない? 男で葵って名前珍しいし」

 

「最初は本名をちょっともじって『アヲイ』でも良かったんだけどな。今までアウストでやってたからクセでな」

 

 嘘ではない。実際以前からやっていたゲームでもアウストで通していたし、なんやかんやで気に入っていた。だからこの世界でこの名前になったも必然だろう。

 

 ヨミは「ふーん……」と何度か頷いていたが、時間を確認して立ち上がった。

 

「それじゃあ今日はそろそろ帰るね。色々一遍に聞いちゃってごめんね、あとありがとう」

 

「いや、オレも楽しかったぜ。じゃあ、またな」

 

「うん」

 

 ヨミはそれだけ答えるとオレの家から出て行った。

 

 彼女が出て行ったことで多少静かになった気がしたが、オレの心はどこかすっきりとしていた。いつか言おうとしたことを言えたことで、心にぶら下がっていた重荷が降りたような気分だ。

 

 無論全てを克服できたわけではいかもしれないが、それでも気持ちが楽になったのは確かだった。

 

 

 

 

 

 オレがヨミと話をしてから二日後。

 

 装備を整えて七十五層の迷宮区に行こうと思っていたところで、自宅の扉がノックされた。時刻は朝九時だ。この時間に来客とは珍しい。

 

「へいへい、どちらさんですかっと」

 

 大剣を背中に吊りながらドアノブを回すとそこには装備を整えた状態のキリトとアスナがいた。しかし先日とは違い、キリトは血盟騎士団のユニフォームではなく、いつもの黒の装備だった。

 

 また、二人はかなり神妙な面持ちをしているし、手までつないでいる。何かあったことは明白だ。

 

「どした? お二人揃ってイチャコラをオレに見せ付けに来たか?」

 

「いやそうじゃなくてさ……アウストは知らない仲じゃないし知らせとこうと思ってさ」

 

「ふぅん……まぁ大体予想はつくけど」

 

「え」

 

 短い声を上げたのはアスナだった。このリアクションも大方予想通りだ。オレはそのまま言葉を続ける。

 

「どうせ結婚でもするんだろ、お前等」

 

「な、何で分かったんだよ!?」

 

「だってそんな真剣な顔して手までつないでしかもその握り方所謂恋人握りだし。しかもこの前言ったしなぁ、くっつくなら早くくっつけよって。それを含めなくたってお前等だったらくっつくって予想はあったし」

 

「確かに早くくっつけって言ってたな……」

 

「まぁ流石のお兄さんもビックリだけど、いいんじゃね? ホラ、大切なものができた方が人は強くなるって言うだろ」

 

 お茶らけたように言ってみるが、二人の表情は妙に晴れない。

 

 ……なんだこれ、地雷でも踏んだのか?

 

 などと考えていると、アスナが口を開き、昨日起きたことを話してくれた。

 

 話によると昨日キリトは件のクラディールと共に行動をしたらしく、ヤツはそこで仲間二人を殺し、さらにキリトを殺しかけるという凶行に及んだらしい。キリトは十分気をつけていたらしいのだが、食事に麻痺系のトラップが仕掛けられており応戦が出来なかったとのことだ。

 

 そこへアスナが駆けつけ、クラディールを追い込み彼を殺さず見逃そうとしたのだが、クラディールは引き下がらずアスナまで手にかけようとしたらしく、結果キリトが彼に止めを刺して殺した。これが昨日起こったことらしい。

 

「ふーん、んでなんでそれをオレに?」

 

「いえ、まぁアウストさんには話しておいたほうがいいかなって思って……」

 

「ふむ……まぁそういうこともあるんじゃねぇの。オレだってキリトの立場でその状況だったらそうしたし、別になんとも思いやしねぇよ。そんでお前等どうすんだ。ギルドの方は」

 

「団長には休暇をとらせてもらいました。だからしばらくは前線に出ないで二十二層にあるログハウスで過ごそうかと思ってます」

 

 恥ずかしげに俯き、申し訳なさそうな顔をする二人にオレは肩を竦めた。大方攻略を任せきりになってしまうとでも思っているのだろう。

 

 ……ったく、気ぃ使ってんじゃねぇよ。

 

 呆れ気味にため息をついたオレはトレードウィンドウを開いて適当な金額のコルをキリトに送った。

 

「お、おい二万コルもいいのかよ」

 

「気にすんな。それこの前のグリームアイズ戦でドロップした武器を換金した分だから。祝儀と新婚生活の足しにでもしてくれ。そんじゃあな、オレはこれから七十五層の攻略行って来る」

 

 オレは自宅の鍵を閉めて二人に向けて軽く手を上げてからセルムブルグの転移門へと向かった。しかしその道中、ふとオレは思い出した。

 

「そういやアスナの話じゃ昨日は一緒に居たみたいなこと言ってたな……てぇことは、コイツ使ったんかねぇ」

 

 オレはオプションメニューを一番下までスクロールして表示されたものとにらめっこした。

 

「《倫理コード解除設定》。もしもこれを使ったのだとすれば……そういうことだよなぁ」

 

 しみじみと呟くもののこれ以上詮索するのは人としてどうかと思ったのでやめることにした。




はい、今回は予定通り行きましたね。

アウストトヨミがくっつきそうな感じですが……それはどうでしょうね。
ヒースクリフとアウストが接触しましたが、実際はかなり前に接触はしていました。キリトよりは話していた感じですね。

最後にアウストが下世話なこといってますが、それは男の子ということで……。

次回はユイと絡めることが出来ればと思います。
ではでは、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第八話

 キリトとアスナが近しい人物に結婚を報告したのと、KoBから休息を得て、二十二層の森林地帯のログハウスで生活を始めてから一週間が経過した。けれどオレは今日も七十五層の迷宮区のマッピングをすすめるために七十五層の主街区へ赴いていた。

 

 別にキリト達がいないから代わりにがんばろうとかそういうわけじゃない。これはいたって普通のことだ。ヨミと組むことも増えてきてはいるが、彼女もソロプレイヤーなので毎回一緒になることはない。

 

 オレ達以外の勤勉な攻略組やKoBのメンバーも迷宮区のマッピングを行っているので、ボス部屋に到達するとすればあと一週間程度だろうか。出来れば休暇中の彼等には出張らないでほしいが、七十五層ということを考えるとそうはできないかもしれない。

 

 アインクラッドにおいてボスは二十五層ごとにかなり強いボスが設定されているらしく、二十五層の双頭の巨人のボスでは《軍》が攻略組として再起不能となるダメージをもらい、五十層では仏像めいた多腕型のボスによってかなり危険な位置にまで追い込まれた。あの時ヒースクリフ達の援軍が一歩でも遅れたらと思うと今でもゾッとする。

 

 だから今回も七十五層という数字を考えればそれらのように、凄まじく強いフロアボスがいると考えられる。さらにグリームアイズ戦のような《結晶無効化空間》という場合も十分考えられる。

 

 そうなるとトッププレイヤーであるキリトとアスナをヒースクリフが呼び出すこともあるはずだ。

 

 ……短い新婚生活にならなけりゃいいが。

 

 オレは嘆息しつつも迷宮区に足を向ける。瞬間、鈴の音のような音と共にオレの元にメッセージが届いた。差出人を見るとキリトのようだ。

 

「急にメッセとは、新婚生活満喫してりゃあいいのにな」

 

 ひとりごちながらもメッセージウィンドウを開く。だがオレは送られてきたメッセージの文面を見て眉をひそめた。

 

 オレはメッセージウィンドウを閉じて迷宮区に向かおうとしていた足を転移門へと向け、二人の邸宅がある二十二層へと向かった。

 

 

 

 

 

 二十二層に到着したオレはそのままキリトに指定されたログハウスへと向かう。そこに向かう途中周囲を見回すと改めてこの二十二層が平和な層だということが分かった。

 

 殆どが常緑樹の森林と多くの湖によって構成されているこの層にはモンスターも存在せず、主街区も小さな村と言ったものだ。そのためここを拠点にするプレイヤーは少なく、あの二人が静かに過ごすにはうってつけの場所と言える。

 

「ここにずっといられればゆっくりは出来るかもしれねぇけど、逆に戦いから離れすぎてつまらなくなりそうだな」

 

 のどかな風景に小さく息をつきつつ歩いているとやがて視線の先にそれなりの大きさのログハウスが見えた。外周に程近いためかハウスの奥には蒼い空がよく見える。

 

 硬いブーツの底が木道にあたるゴツゴツという重々しい音をたてつつ、オレはキリト、アスナ邸のドアの前に立つと軽くノックする。

 

 すぐにドアが開けられユニフォーム姿ではないシンプルな格好をしたアスナが顔を出した。彼女はオレの顔を見るやいなや頭を下げてきた。

 

「急に呼び出してしまってすみません、アウストさん」

 

「気にすんな。そんでオレに会わせたい女の子ってのは?」

 

 小首をかしげながら聞くとアスナに中に入るよう促され、オレは一歩踏み出すが人の家に入るときにフル装備はどうかと思ったので、ラフな格好に着替える。

 

 着替え終え中に入るとログハウスの中はそれなりの広さがあり、木の温かみが感じられる内装だ。家具も一通り揃えられており木目のテーブルの両サイドに向かい合うようにして抹茶っぽい色のソファが置かれている。

 

 そしてそのソファに先ほどのメッセージでキリトが言っていた女の子がキリトの隣に座っていた。

 

 先ほどオレに届いたメッセージの文面を簡単に省略するとこうだ。『会ってもらいたい女の子がいるからこっちに来てくれ』という内容だった。

 

「あの子が?」

 

「はい。ユイちゃん、ちょっとこっちに来てくれる?」

 

「はーい」

 

 アスナの声にユイと呼ばれた少女はトタトタとこちらにやってきた。年齢的には十歳にみたないかどうかと言ったところだろうか。しかし、それにしては口調が舌足らずなような気もする。

 

 けれどそれ以上に妙だったのは彼女にカーソルが表示されないことだ。アインクラッドにおいては全ての動的対象にはカーソルが働くはずなのだが、一体どういうことだろう。

 

 するとユイはオレの方をくりくりとした不思議そうな瞳で見上げてきた。少々み続けてしまったから変な風に思われてしまっただろうか。

 

「ユイちゃん、この人はねママとパパのお友達なの。名前は――」

 

「――アウスト」

 

 アスナがオレのことを紹介しようとしたところでユイが先ほどまでの舌足らずな口調ではなく、凛とした張りのある声音で言ってきた。彼女の口調の変化に驚いてしまったが、一番驚いていたのはアスナとキリトだった。

 

 しかし驚くのも束の間。ユイが頭を押さえて苦しげな声を上げた。

 

「うくぅ……! あぁああ!」

 

「ユイちゃん!?」

 

 アスナがすぐさま彼女の肩に触れようとしたが、それよりも早くユイは意識を失いオレの方に倒れこんできた。オレはユイをしゃがみ込みながら抱きとめると、彼女をそのまま抱き上げてアスナに渡してからキリトに問うた。

 

「どういうことだ、あの子……一体なんなんだ?」

 

 その問いに対し、キリトはアスナを視線を交わすと一度頷き、オレを外へと連れ出した。

 

 外に出されたオレはあの少女、ユイとキリト達がどうやってであったのかを聞かされた。だが、分かっていることはあまりにもなさすぎた。それでも彼女がなにかのクエストの鍵であったり、幽霊の類ではないことは確かではあるようだ。

 

 そこで以前第一層のはじまりの街では孤児院をやっている女性プレイヤーがいるという話をしたオレに白羽の矢がたったらしい。

 

「それでどうだ? ユイはその孤児院の中にいたか?」

 

 神妙な面持ちで聞いてくるキリトだがオレは被りを振った。

 

「いや、見た事ねぇ。けどさっきの……なんでユイはオレのことを普通に呼べたんだ」

 

 首をかしげてみるもののキリトもそれはわからないとのことだ。彼女が森でキリト達に保護されたのが昨日。そして目を覚ましたのが今日の朝。その間キリトとアスナはオレの名を彼女の前では出していなかったらしい。だから彼女がオレ自身の名を最初から分かっていたというのは無理だ。

 

 ではオレの名前を瞬時に読み取れたのでは? とも考えたが、キリトは「それはない」と答えてきた。彼女はキリトやアスナの名前でさえ簡単に読めなかったというのだ。確かにそんな少女がオレの名前をあそこまではっきりとは言えないだろう。

 

「今日はずっとあんなふうに舌足らずって感じだったか?」

 

「ああ。アレぐらいの歳の子にしては妙だよな」

 

「そうだな。あの程度まで成長してれば普通にしゃべれるはずだが、あの子はなんか生まれたばっかりって感じがする」

 

「やっぱりゲームに親と一緒にダイブして親が亡くなって、そのショックから上手く話せないって言うのが妥当なのか……」

 

「それはわからねぇ。まぁそういうこともあるかもしれねぇが、いくらゲーム好きの親でもあんな小さい子にいきなりVRMMOをやらせるとは思えないぜ」

 

 手を広げて言うとキリトもその考えに至っているのか静かに頷いた。

 

 しかしいつまでもウジウジと考えていてもしょうがないので、オレは「よしッ」と多少力を込めた声を漏らすとメッセージウィンドウを呼び出し、件の孤児院経営者であるサーシャに連絡を取る。

 

「とりあえず先方にはオレが言っておくから、ユイが目覚めたらはじまりの街に行ってみようぜ。もしかしたらオレが知らないうちに入った子かもしれないしな」

 

「そっか、世話かけるな。アウスト」

 

「いいさ。あんな小さい子、放ってはおけないしな。それにお前とアスナのことを『パパ』、『ママ』って呼んでるみたいだし」

 

「それは……ユイが呼びたそうにしてたからさ」

 

 キリトは難しい表情をするがオレはそれに肩を竦めた。

 

「別に冷やかしを言ってるわけじゃねぇよ。あの子にとって、今の『パパ』と『ママ』はお前とアスナってことだ。お前等をそういうふうに呼ぶってことはそれだけ信頼されてるってわけだ。だからしっかり守ってやんな」

 

 言いつつメッセージを書き終えたオレはサーシャにそれを送った。キリトもオレの言葉に頷き、オレ達はアスナとユイのいるログハウスへと戻った。

 

 ログハウスへと戻るとユイも目を覚ましたようで、眠そうに目を擦りながらソファに腰掛けていた。キリトはアスナを手で招いてはじまりの街へ行くことを教えていたが、ユイはいつの間にかオレの元までやって来てズボンを引っ張ってきた。

 

 オレはしゃがみ込んでユイの視線の高さに自分の視線をあわせると笑みを浮かべながら彼女に問う。

 

「どうした?」

 

「あうすとはおともだちいる?」

 

「友達? もちろんいるぜ、ユイのパパとママもオレの友達だ。でもそれがどうした」

 

 首を傾げてみるとユイは俯きながら悲しげな表情をした。

 

「……わたし、おともだちのことわからないの。パパとママはわたしのことをたすけてくれるひとっていってたんだけど、よくわからない……」

 

「助けてくれる人か……ふむ、ならオレがお前の友達になってやんよ」

 

 オレが言うとユイはキョトンとしていたが、やがて嬉しそうな笑みを見せてくれた。どうやら気に入ってもらえたようだ。

 

 そこでアスナがユイを呼んだ。そちらに視線をやると彼女の手には暖かそうなセーターがあった。確かにユイのよ装いをみると冬に入りたてのこの季節には寒げな白のワンピースだ。外に行くのだから暖かくしてということだろう。

 

「ちょと待てアスナ。服は独立オブジェクトじゃないから感覚は変わらないんじゃないか?」

 

「あ、そっか……」

 

 アスナは口元に手を当てて考え込むが、そこでキリトがユイに告げた。

 

「ユイ。ウインドウ開けるか? こうやって右手の指を振ってみるんだ」

 

 キリトがそれをやると紫色のウインドウが呼び出されて彼の前に展開された。ユイもそれにならって指を振ってみたがウインドウは呼び出されない。

 

「やっぱりシステムがバグってるみたいだな。でも、アイテムウインドウが開けないのは致命的だな」

 

「というかそもそもこれってバグなんかねぇ……」

 

 オレは眉をひそめて指を振っているユイを見る。すると彼女は右手を振るのをやめ、こんどは左手で振ってみた。

 

 それと同時に今まで出なかったアイテムウインドウが展開された。ユイはそれに嬉しそうに声をあげ、アスナは彼女の了解を得て彼女の手と取るとアスナの目からは見えないであろう可視モードボタンをクリックさせる。

 

 しかしアイテム欄を開こうとしたアスナが驚きの声を上げた。

 

「な、なにこれ!?」

 

 驚きの声にオレとキリトも二人の元に行くとウインドウを覗き込む。

 

 メニューウインドウのトップ画面というのは、プレイヤーの名前やら、HPバーやEXPバー、装備フィギュア、コマンドボタンと言った具合のものが表示されているはずだ。しかし、ユイのメニューウインドウには《Yui-MHCP001》という奇妙な名前だけしかなく、EXPバーはおろかHPバーすらない。装備フィギュアは設定されているようだが、一般のプレイヤーよりもコマンド欄はかなり少ない。

 

「これもバグ……?」

 

「どーだろうな。つか、さっきも言ったがこれってそもそものところバグなのか?」

 

「確かに、ちょっと変だけど今はそれよりもはじまりの街へ行ってみよう。アスナ、ユイにアイテムは送れるよな」

 

 オレの言葉にキリトも頷いたが、まずはユイのことを知っている人がいないかを確かめるため、アスナに指示を出す。アスナも頷くと装備アイテムをユイのウインドウに送り、ドラッグ&ドロップでユイにピンク色のセーターと同系色のスカート。黒のタイツに赤い靴を装備させた。

 

 装いも新たになったユイは自身の身体を見下ろして嬉しげに頬を綻ばせた。

 

「そんじゃ、御令嬢の準備も整ったようなのでお出かけいたしますか」

 

「御令嬢って……」

 

「まぁまぁ、それじゃあユイちゃん行こうか」

 

 アスナに言われるとユイは頷きキリトに抱っこを求めた。キリトはそれにちょっと照れたようだが、彼女の元までいくとお姫様抱っこの要領で抱き上げた。

 

 ユイは嬉しそうに笑い、アスナも笑みを浮かべているのをみてオレは素直な感想を口にする。

 

「にしてもお前等そうしてると本当の親子みたいだな」

 

 肩を竦めてみるとアスナとキリトは互いに顔を赤く染めたが、ユイは彼等を不思議そうに見ていた。

 

「まったく、アウスト」

 

「へいへい、冷やかしもここまでにしときますよ。そうだ、オレがいればはじまりの街で軍の徴税部隊が何かしてくることはないかもしれねぇけど、もしもの時のためにいつでも装備できる状態にしとけ」

 

 アスナとキリトが頷き、オレの元にも先ほどサーシャに向けて送ったメッセージの返事が返ってきた。どうやら了承してくれたようだ。二人のほうも準備が完了したようだ。

 

「よし、そんじゃあ行きますかね」

 

 

 

 

 

 はじまりの街に降り立ったオレ達はそのままサーシャが経営している東七区の孤児院へ向けて歩き出す。二人は特に剣などは装備していないが、オレはフル装備で街を歩いていた。

 

 しかし相変わらずこの時間のはじまりの街は閑散としていて、NPC達の声が寂しく響くのみだ。ユイに見たことがある景色がないか聞いていたアスナとキリトもそれを疑問に思っているようだ。

 

「アウストさん、はじまりの街っていまどれくらいの人がいるんですか?」

 

「軍を合わせて二千人。まぁ殆どはここから出てモンスターとも戦おうとしない腰抜け共だ。ホラ、あそこに座り込んでるヤツみえるか?」

 

 オレが顎をしゃくって差すとキリト達はそちらを見て木の近くでしゃがみ込んでいる男を見る。

 

「アイツはああやって一日中あの木から落ちる黄色い実が落ちるのを眺めてるんだ。そんで腐る前に拾ってNPCに売るなり食ったりしてんだけど……。あの身は売ったって五コルにしかなんねぇ。モンスターを買ったほうが合理的だろうが、ああいう連中は死ぬのが嫌で安全な圏内に引きこもってるのさ。まぁそれが悪いとは言わないが、オレは嫌だね」

 

 一通りの説明を終えたオレは男から視線を外してアスナたちと共に孤児院へと向かう。

 

 その途中で疲れてしまったユイはキリトの背中で眠ってしまった。まぁユイに街の様子を見せるために止まったり、迂回したりしていたから疲れてしまったのだろう。SAOに疲労感はないが。

 

「そういえば前にアウストが言ってた軍の徴税部隊ってのがいないな」

 

「そこまで大仰にやってるわけじゃねぇしな。まぁ現実世界の不良みたいな連中さ。あらわすならラフコフの連中が殺人鬼で、軍の奴等は口ばかりのチンピラだな」

 

「あぁーなるほど」

 

 キリトはなんとなく理解できたのか深く頷いた。

 

 そんなことを話しているうちに孤児院である教会が見えてきた。オレは門の辺りで止まり、すこし大き目の声を張り上げた。

 

「サーシャ! いるかー!」

 

 その声が反響し、木霊すると教会の扉が開けられ眼鏡をかけた女性、サーシャが現れた。彼女はこちらに気が付き軽く頭を下げたが、なにか扉の向こうでごそごそとやっているようだ。

 

 それに「どうかしたか?」と声をかけようと近づいたところで、扉が勢いよく開け放たれ、大勢の子供たちがオレに向かって突撃してきた。彼等はそのまま容赦なくオレを押し倒し、上にのしかかって来た。

 

「アウストにいちゃんひさしぶりー!」

 

「最近全然こなかったじゃんか!」

 

「ねぇねぇ新しく手に入った剣みせてー!」

 

 口々にオレに言ってくるものの、オレはそれどころではない。

 

「わかった! わかったから! いででで、髪ぃひっぱんな!! ぐぉえ!? 剣を引くな首が絞まる首が絞まる!!」

 

 そう、彼等がやたらめったら引っ張ってくるもんだから剣帯が首に絡まるわ、髪を引っ張られるわ、頬をつかまれるわ散々だ。圏外でやられたら1ドットくらい減ってるんじゃないだろうか。

 

 子供たちを一旦落ち着かせ、何とか立ち上がったオレは軽く体をポンポンと叩くと、申し訳なさそうにやってきたサーシャにジト目を送る。

 

「ごめんなさい、アウストさん。中で待っててっていって置いたんですけど、みんなアウストさんが来るって知ったら歯止めが利かなくなっちゃったみたいで……」

 

「オレそんなに人気だったっけか?」

 

「まぁ子供たちからすると憧れの対象ですし。それで、私に御用がある人たちというのは?」

 

 サーシャが問うて来たので背後にいるキリトとアスナを紹介しようと振り向いたのだが、そこには子供たちに囲まれてあたふたしている二人がいた。

 

「おぉう……」

 

 思わず変な声が出てしまったが、オレは子供たちを捌けさせるために適当な剣やらメイスやら斧やらをオブジェクト化して教会の庭に放り投げた。

 

「ガキ共ーその剣とか好きにしていいぞー」

 

 それを言うと子供たちは我先にと剣のほうに駆けて行った。するとサーシャがまたしても「ごめんなさい」と小さく謝った。

 

 解放された二人は苦笑いを浮かべ、眠っていたユイも目を覚ましてしまったようだ。この場で紹介しようかとも思ったが、それよりもサーシャが先にオレ達を中へ入れてくれた。子供たちも一緒に入りそれぞれ別の部屋に入った。

 

 通された部屋で椅子に座ったオレ達にサーシャは熱いお茶を出してくれた。

 

「それでお話というのは?」

 

「あぁそうだった。この二人はオレの友人のキリトとアスナだ。二人とも、この人がサーシャな」

 

 それぞれを紹介すると三人は互いに頭を下げた。そしてオレはそのままキリトにユイのことを話すように促した。

 

 

 

 結果的に言うとサーシャはユイのことを知らなかった。

 

 まぁなんとなく予想はついていたのでそこまで気にすることもなかったが、キリトとアスナは残念そうに俯いていた。当のユイは特になにか残念がるとか悲しそうにするというのはなかったが。

 

「すみません、お力になれなくて」

 

「いえいえ。あ、そうだ。アウストさんっていつからここに来るようになったんですか? 少し話は聞いたんですけどいろいろ気になっちゃって」

 

 暗くなった空気をアスナが解消しようとサーシャに問うた。彼女の問いにサーシャはオレの顔色をうかがうような視線を送ってきたので、オレは肩を竦めて返した。彼女もその意図を理解したのかアスナとキリトに話を始めた。

 

「アレは大体三ヶ月くらい前でした。うちはアレだけの子供たちがいるので生活費を圏外のモンスターを狩って稼いでいるんです」

 

「それはサーシャさんが?」

 

「いいえ、私は小さい子達の面倒を見なくてはいけないので、ここの教会の中でも年長者の子達が稼いでくれているんです。なのでここで生活しているプレイヤーの皆さんよりもそれなりに生活には余裕があるんです。ただ……そのせいで目をつけられたんです」

 

「それって……軍の徴税部隊?」

 

 アスナの声にサーシャは静かに頷いた。

 

「そうです。最初は教会の外で騒ぐ程度だったんですけど、段々と過激になってきて子供たちが外から帰ってきたときに、彼等は子供たちを十人近くで囲って脅していたんです。私も駆けつけたんですけど……なにも出来なくて。でも、そんな時にアウストさんが助けてくれたんです」

 

「へえええ~……」

 

 キリトとアスナがなんともいえない笑みを浮かべながらこっちを見てくる。オレはそれから視線を逸らして窓の外を見やるがサーシャの話はまだ続く。

 

「アウストさんは徴税部隊の隊員に圏外での戦闘を申し出ました。しかも十人同時攻撃で構わないというハンデまでつけて。隊員達はその申し出を受けて圏外へと行きました。私も心配だったので子供たちとそっと様子を見に行ったんですけど……私の心配は杞憂でした。彼は軍の隊員達からの攻撃を一切受けずに圧倒していたんです。強さはもう異次元で、あっという間に彼等のライフは削られて行って、あと一撃で死んでしまうという所で彼は言ったんです。『次にガキ共に手ェだしたら命はないと思え』って。言葉は怖かったですけど、なんというかそのときの私達にはアウストさんが正義の味方みたいに見えました。子供たちはアウストさんみたいになりたいって言って両手剣を鍛える子も出てきました。それ以来軍から過激なことをされることはなくなったんですけど、それと引き換えるようにアウストさんは指名手配みたいな形になっちゃって……」

 

「オレが自己責任でやったことだ。今更アンタが気にすることでもねぇよ」

 

 椅子に行儀悪く座りながら言うオレにサーシャは苦笑し、アスナとキリトは相変わらずニヨニヨとしている。まったく、人が子供を助けたことがそんなにおもしろいか。確かにあの時いった言葉はくさいセリフだったが、そんな顔をされるほどじゃないぞ。

 

「それにアウストさんは子供たちを守ってくれただけじゃなくて、私達に生活費の足しということで何度もお金をくれたんです。本当にもう感謝をしてもしきれないくらいですよ」

 

「なるほど~。アウストさん、そんなことやってたんですねぇ」

 

「人は見かけによらないってのはまさにこういうことだな」

 

「うっせ。つーかお前等今の絶対にヨミやマシューに言うなよ。あいつらが知ったらなんて言われるか……」

 

 念を押すようにジト目で睨むと二人は苦笑いを浮かべながら頷いた。実際のところヨミには凡そのことは知れているが、先ほどのくさいセリフまで言われるのはオレの精神に来るものがある。 

 

 などと思っていると部屋の扉が何の前触れもなく大きな音を立てて開け放たれた。

 

「サーシャ先生! 大変だ!」

 

 声と共に入ってきたのは数人の子供達だった。

 

「こら、お客様に失礼でしょ!」

 

「それどこじゃないって!」

 

 さっきオレに武器をせがんだ赤毛の少年が目に涙を浮かべながら訴える。

 

 そして彼から出た次の言葉にオレ達全員の顔が引きつることになる。

 

「ギン兄ィ達が、軍の奴等につかまっちゃったよ!」

 

「場所は!?」

 

 表情を強張らせ毅然とした態度で立ち上がったサーシャがたずねると、少年は涙を溜めたまま言う。

 

「東五区の道具屋裏の空き地。軍が十人ぐらいで道をブロックしてる。コッタだけが逃げられたんだけど……」

 

 少年はサーシャをもう一度見た後、オレの方を見てきた。それは彼だけではなく、その他の子供たちも頼みこむような表情をしていた。

 

 オレは彼等に見られながら小さく笑みを浮かべるとアイテムウインドウを展開。椅子肩立ち上がってフィギュアを操作し大剣を背負った。

 

「そんじゃ軍の奴等を懲らしめるために、ひとっ走り行って来ますかね。お前等はどうする?」

 

 キリトとアスナに問うと二人は互いに頷きあった。子供たちの救出にはオレ、サーシャ、キリト、アスナが向かうことになった。ユイは置いていこうと思ったのだが、どうしてもついていくというのでキリトが背負う形になった。

 

 ほかの子供たちは危険だということでサーシャが止め、オレ達四人は子供たちがいるという空き地に向かう。

 

 その途中、サーシャはオレに告げてきた。

 

「アウストさん。貴方をこれ以上軍に狙わせるわけには行きません。なので最初は私が交渉します」

 

「……了解」

 

 彼女の言葉にオレは少し迷いつつも頷いた。だが、交渉などが通じる相手であればいいのものだ。

 

 そのままかなりの速さで走り、尚且つショートカットを繰り返していたのであっという間に目的の東五区にたどり着いた。やがて前方の路地に見覚えのある装備をした者達が見えた。数にして十人。徴税部隊で間違いないだろう。

 

 サーシャが最初に路地に足を踏み入れたことで軍の連中か彼女に気が付き数人が振り向いた。

 

「おっと、保母さんの登場だぜ」

 

 バイザーをしていても口元の下卑た笑みはよく見える。ああいった笑みほど胸糞悪くなるものはない。自分よりも弱いものを虐げ、優越感に浸る最悪な人種だ。

 

「……子供たちを返してください」

 

 こぶしを握り締めて言うサーシャだが、軍の連中は相変わらず笑みを浮かべたままだ。

 

「そう睨むなって。ちょっとジョーシキってもんを教えてただけだよ」

 

「そうそう。市民には納税の義務があるからなぁ。俺達、軍の活動のために」

 

 甲高い声を上げて笑う男達の理不尽な言い分にサーシャの腕が震える。同時にオレの中でも黒い感情があふれ出す。

 

 なぜコイツらは学習をしないのだろうか。「馬鹿に付ける薬はない」と言うが、まさにこのことだろう。

 

 前方ではサーシャが子供たちに呼びかけ、軍の連中と交渉しているが、結局軍はそこを動くことをせず、あまつさえサーシャたちにここで滞納している税金を払えというのだ。しかも金だけでなく、装備品や衣服、アイテムも全て。

 

 それを聞いた瞬間、オレは大きなため息をついた。背後ではアスナが一歩を踏み出そうとしていたが、それを片腕を上げて制する。

 

「お前等は下がってろ。あいつ等はオレがやる」

 

 そういっているオレは酷い顔をしているだろう。まぁそんなことは別にどうでもいい。目の前にいる最悪な人間達を排除できればそれで構わない。

 

 サーシャを退かせ俯きがちに前に出る。軍の男達のざわめきが聞こえたが、背中の大剣の柄を握ると、オレは一気に彼等に肉薄し、目の前にいた二人の男目掛けて大剣を振り抜いた。

 

「……え?」

 

 マヌケな疑問符が聞こえたが、そんなことおかまい無しに振りぬかれた大剣は、男達に直撃。そのまま中空に舞った奴等は子供たちがいる空き地にまで吹き飛び、壁に激突した。

 

「ごあッ!?」

 

「ぐえッ!」

 

 壁に叩きつけられ、短い悲鳴を上げた男達は砂煙を上げて空き地へ落下。二人を吹き飛ばしたことで軍の連中は皆ポカンと大口を開けていたが、すぐに我に返るとオレに怒鳴りつけてきた。

 

「な、なんだテメェ! 軍の任務を邪魔するのか!!」

 

 瞬間、男顔面目掛けて大剣をつきこむ。圏内であるため死にはしないが剣が己の顔に迫ってくるのは相当の恐怖だろう。

 

「この野郎ォ! こっちは出るとこ出たっていいんだぞ! 圏外出るか圏外!!」

 

 そういった男とその周りの連中は頬に僅かながら汗を浮かばせていたものの、笑みを浮かべていた。大方圏外に出ればオレが逃げ出すと思っているのだろう。その考えが甘いのだ。

 

「圏外? いいねェ、出てやろうじゃねぇか」

 

「え?」

 

 オレの言葉に驚いた男が呆けた顔をするが、その男の胸倉を容赦なく掴み上げるとそのまま片腕で石畳に投げ飛ばし、首根っこをつかんでズルズルと引き摺る。

 

「は、離せ!!」

 

「おいおいそっちが誘ったんだ、今更離せはねぇだろ」

 

「ヒッ!?」

 

 振り向きながら言うと男の顔が一気に引き攣った。

 

「お、おいお前ら、見てないでさっさと助けろよ!!」

 

 わめき散らす男に仲間達が駆け寄ろうとしたが、そこでついにオレのことを口にする者が出た。

 

「濃紺の片刃の大剣に、藍色の装備……ま、まさかアイツ『宵闇』!?」

 

 瞬間軍の連中の顔が一気に強張り、口々に言い始めた。

 

「『宵闇』って軍で指名手配されてるアイツか!? で、でもなんでそんなヤツがここにいんだよ!!」

 

「しらねぇよ!! で、でも確かほかのギルメンの話だとアイツに会ったら精神が破壊されるって……! だから絶対に近づくなって言われてるんだ!」

 

 どよめく声が聞こえ、オレにつかまれている男もそれに気が付いたのか謝罪をしてきた。

 

「ま、待ってくれ! あのガキ共に手を出そうとしたことは謝るから! 圏外は、圏外だけは勘弁してくれ」

 

「嫌だね。お前はあのガキ共を傷つけた。相応の報いは受けてもらう」

 

 冷淡な口調で告げ、一切振り向かないオレに男は本当の恐怖を覚えたのかもがきながら泣き叫んだ。

 

「い、嫌だあああああッ!! 死にたくない、死にたくないいいいいい!!」

 

「殺しゃしねぇよ。ちょっとばかし精神に異常を来たすだけだ」

 

「本当に、本当にもう二度とあの孤児院には絶対になにがあっても近づかないから許してくれ! いや……許してください!!」

 

 男がそこまでわめいたところで首根っこを離してやった。しかし、逃げようとした男の顔の横に大剣を突きつけ、オレは低い声音で言い放つ。

 

「逃げんな。今回は見逃してやるが、逃げる前にあそこのガキ共とサーシャに謝れや。お前等全員でだ」

 

「は、はい……」

 

 オレの命令に男は身を竦め、子供たちの前で身体を曲げて謝罪し、続いてサーシャにも謝った。

 

「そのままとっとと本部に戻れ。オレの気の変わらないうちにな」

 

「し、しし失礼しましたあああああ!!」

 

 軍の連中はそのままドタドタと騒がしく帰っていった。後に残されたオレは大剣を背中に戻し、サーシャは子供たちに駆け寄った。どうやら全員無事のようだ。

 

「お疲れさん」

 

 サーシャたちを見ているとユイを背負ったキリトが現れ、オレの肩に手を置いた。

 

「そんな疲れてもいねぇさ」

 

「でもアレはちょっとやりすぎというか演技掛かり過ぎでしたよ?」

 

「そーかい。けどアスナよぉ、お前さんだって、あのままほっといたら細剣で脅してたろ」

 

「うっ」

 

 痛いところを疲れたのかアスナは声を詰まらせた。するとサーシャたちがやって来て子供たち共々頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アウストさん。また助けていただいて」

 

「気にすんな。流石にさっきのは腹が立ったからな。お前等も大丈夫か?」

 

 子供たちに問うと彼等は大きく頷いた。

 

「うん。でもアウスト兄ちゃんかっこよかったぜ!」

 

「俺もあんな風にでっかい剣を振り回してみたい!」

 

 子供たちの素直な感想にオレは笑みを見せ、アスナとキリトも同じように笑っていた。しかし、その時小さな声が聞こえた。

 

「みんなの……みんなのこころが」

 

 声のする方を見やるとキリトの背におぶさっていたユイが虚空を見上げて右手をかかげていた。皆がそちらに目をやってもそこには何もない中空が広がるだけだ。

 

 けれど彼女は同じような言葉を繰り返している。その異常さにキリトが彼女に呼びかける。

 

「ユイ! どうしたんだ、ユイ!!」

 

 キリトが呼びかけることでユイはキョトンとした表情を浮かべ、アスナも心配そうに彼女の手を握る。

 

 アスナが入ったことで元々かなり小さい声が確認できなかったが、表情は苦しげだった。

 

 オレとサーシャは顔を見合わせてそれを見守るものの、次の瞬間ユイの体が大きくのけぞって悲鳴が聞こえた。

 

 それと同時にオレの耳にノイズ染みた音が聞こえた。しかもユイを見ると体が透けているようにノイズが走っている。

 

 驚いているのも束の間、アスナが彼女を抱きしめて数秒の後にその現象は止まり、強張りを見せていたユイの体からも力が抜けていったのが分かる。

 

「みんなの、こころ?」

 

 オレはユイが右手を空に掲げていた時彼女が言っていた言葉を思い出し、頭をひねったが結局最後までそれがなんなのかわからなかった。




今回はユイと絡ませました。
まぁ次回でユイとのあれこれは完結して、その後はいよいよスカルリーパー戦ですかね。

ユイがアウストの名前を呼んだのはしっかりと理由があります。次回で明らかになりますが……。

最後の方は原作だとアスナだったところをアウストに変えただけでしたね、違いが余り出せなくて申し訳ないです。

では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第九話

 はじまりの街の東七区の教会近くの安宿の一室で起床アラームに叩き起こされたオレはもぞもぞと布団から這い出た。

 

 時刻は午前八時半。

 

 SAO内での《強制起床アラーム》には恐れ入る。どんなに安眠していようと音楽一つで目が覚めてしまうのだ。これが現実世界に導入されれば遅刻するものなどいないだろう。

 

 二度寝をすると言う手もあるが、オレは子供の頃から父親に「二度寝はあまりするな」と言い聞かせられているので、余りにも疲れているとき以外は一発で起きるようにしている。

 

「まぁ毎朝五時に起きて朝の修練してたからなぁ。ほぼ習慣だわ」

 

 肩を竦めたオレは部屋の中にポツンとある洗面台まで行って顔を洗った。この行為自体に対して意味はないが、やはり目を覚ましたら顔を洗うだろう。その後適当なパンを齧って朝食を済ませた後、再度洗面台に赴き歯を磨く。これも顔を洗うのと同じで特に理由があるわけではない。

 

 SAOでは風呂に入ったりなどのことは出来るが、アバターが汚れて異臭を放つこともないので殆どのプレイヤーは風呂に入らない。口も同じで歯垢がたまったりはしないので歯を磨いたりする者はいない。ただ、どうにも気になってしまうのだ。

 

 歯磨きを終え歯ブラシ的なものをアイテムウインドウに格納し、続けてフィギュアを操作して装備を整える。

 

「うし、行くか」

 

 部屋のドアノブを回し階段を下りたオレはそのまま宿屋を後にした。

 

 オレは教会へ続く道を歩きながらオレは昨日のユイのことを思い出す。あの後ユイは物の数分で目を覚ました。特に異常も見られずキリトは帰ろうといったのだがアスナがそれに反対した。あのような怪現象の後に転移するという移動法をとりたくなかったのだろう。

 

 そのため彼等は昨晩は教会の空き部屋に宿泊した。サーシャはオレも誘ってくれたのだが、部屋の数も限界であったし何より考えたいこともあったので近場の安宿をとることにした。

 

 そして宿に着いたオレが考えたことはユイが発作を起す前の言葉だった。あの時彼女は確かに「みんなのこころ」と言っていた。「みんな」と言うのがどの「みんな」であるのか、オレが脅した軍の連中か、はたまた軍に脅されていて解放された子供たちとサーシャであるのか、それともあの場にいた全員か、更に言えばアインクラッドにいるプレイヤー全員か……。

 

 どちらにせよ彼女は心を感じることが出来たのかもしれない。だとするのならば彼女は一体何者であるのか。そのようなことばかり悶々と考えていたが、結局答えは見つからず昨晩は眠りについたのだ。

 

 ……だけど、もしオレの予想が正しかったらあの子は――。

 

 思ったところでオレは顔を上げて前方を確認した。深く考え込むうちに教会の前についてしまったようだ。けれどそこで教会の入り口のところに誰かがいる。

 

 索敵スキルを使ってみるとその奥に更に二人いる。考えられるとすればサーシャとキリト辺りだろう。

 

 近づいていってみると入り口にいたのは《軍》の女性用制服に身を包んだ女性だった。銀色の髪をポニーテールに後ろで纏めている姿は後ろから見ても美人であることが分かる。

 

「お、アウスト」

 

 近くに来るとオレに気が付いたキリトが声をかけてきた。それと同時にサーシャも視線を向け、銀髪の髪の女性も振り向いてきた。

 

 振り向いた女性はやはりというべきか美人であった。瞳は鋭く、怜悧という様が良く似合う女性だ。それでいて彼女からは怖さは感じられない。

 

 すると彼女はオレを見て軽く頭を下げてきた。彼女からは敵意は感じられず、むしろ友好的な雰囲気が伝わってくる。その様子から昨日の一件での抗議というわけではないことは分かった。

 

「はじめまして、アウストさん。私は《ALF》のユリエールです」

 

 アルト調の声に一番上の姉がこんな感じだったなぁと思い出しつつ、オレは彼女のといに返答した。

 

「アウストだ。そんで今日は軍が何のようだ?」

 

 やや挑発気味に聞いてみると彼女は少し目を泳がせる。

 

「ここじゃ言い辛いか?」

 

 その言葉にユリエールは静かに頷いた。オレもそれに軽く頷き返すとサーシャに告げる。

 

「サーシャ。今使ってない部屋使わせてもらっていいか?」

 

「はい、大丈夫です。どうぞ」

 

 サーシャが中に入るように促すとユリエールは深く頭をさげて「ありがとうございます」と礼をした。

 

 オレも彼女達についていくがその途中でキリトに声をかけた。

 

「キリト、アスナとユイもつれて来い」

 

「え、なんでだ?」

 

「何でもいいからさっさとつれて来い。ちょっと気になることがあってな。場合によっちゃお前等の力を借りるかもしれねぇ」

 

 キリトは怪訝な表情を浮かべていたが一応納得したのか食堂にいると思しきアスナとユイを呼びに行った。

 

 その様子を見送ったオレは一足先にユリエールが通された部屋に入り、彼女に後数人増えることを伝えた。彼女も特に何か言うこともなく了承してくれた。やはりこの女性は話がわかる人である。

 

 やがてキリトとアスナ、ユイが部屋に入りサーシャによってお茶が入れられたところで軽く自己紹介を終えたユリエールは話し始めた。

 

「ではまず昨日の件なのですが……誠に申し訳ありませんでした。派閥は違うとはいえギルドの連中が多大なる迷惑をかけたようで」

 

 彼女はオレ達を前に深く頭を下げた。その姿勢に一番驚いていたのはアスナだ。彼女だけはユリエールの最初の姿勢を見ていないからだろう。

 

「それとアウストさん。連中に痛い目を見せてくれたこと感謝します」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、ユリエールさんは軍の人なんですよね? 軍は確かアウストさんを指名手配しているはずですけど……」

 

「あぁ……。それは一部の派閥の者達だけなんです。私は個人としては彼の行動は感謝をする限りです。やり方はかなり危なっかしいですが、それでも感謝しています」

 

「はぁ」

 

 ユリエールの言葉にアスナは意味が分からないという風な表情をしている。その様子を見たオレは手早く説明を開始した。

 

「アスナ、前に言ったと思うけど軍では今権力争いが起こってるんだ。そのうちオレのことを狙ってるのはキバオウ派って連中なんだよ」

 

「キバオウって確か……」

 

 アスナはハッとして口元に手を当てた。その様子から彼女はキバオウのことを知っているようだ。キリトも同様であるらしく眉間に皺を寄せていた。

 

「けどこのユリエールはもう一方の方、ギルドマスターであるシンカー派ってわけ。そうだろ?」

 

「はい。今アウストさんが言った通りです。ギルドマスターであるシンカーはアウストさんを指名手配などはしていません。自分達が勝手に手を出して逆ギレしているのがキバオウ一派なんです。それに元々はALFという名ではなく、MTDという名でした。聞いたことはありませんか?」

 

 ユリエールの問いかけにアスナは首を傾げたがキリトがすぐに答えた。

 

「《MMOトゥデイ》の略だろう。SAO開始当時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトだ。そのサイトの管理者ギルドを結成したんだ」

 

 キリトが解説するとユリエールは小さく頷きオレの方に向き直った。

 

「アウストさん。貴方とシンカーは旧知の仲だと聞いています。不躾だとは思うのですが、どうか力を貸していただけないでしょうか」

 

 懇願するような表情を浮かべて言う彼女の瞳は僅かに涙で潤んでいる。その様子とシンカーの名前を出してきたことから彼に何かあったことは明白だろう。

 

「なにがあった?」

 

 そう問うとユリエールは感謝するように軽く会釈をしたのち、ぽつぽつと話し始めた。

 

「七十四層で軍の部隊が多大なダメージを負った事は知っていますか?」

 

「まぁあの場にいたからな」

 

「そうですか。では話が早いです。あの日、部隊を送り込んだのはキバオウです。彼は自身の一派の中で不満がたまっているのを察知し、それを解消するために配下の中でも特にハイレベルなコーバッツ達を派遣したんです。ですが、結果は知ってのとおりです。

 このことでキバオウは激しく糾弾され、後一歩でギルドから追放することができるところまで行ったのですが……彼はシンカーを迷宮区の最奥に通じる回廊結晶を使って罠に嵌めたのです。シンカーはキバオウの『丸腰で話し合おう』という言葉に騙され、装備の類はおろか転移結晶も置いて行ってしまったようなんです。これが、三日前の出来事です」

 

「み、三日前!? それじゃあシンカーさんは……」

 

 焦った様子のアスナが言うと、ユリエールは静かに答える。

 

「黒鉄宮の《生命の碑》を確認したところ生存は確認できました。私が助けに行こうにも迷宮区のレベルが高すぎて私ではとても。でもそんな時にアウストさんが現れたと聞き、ここに来た次第です。本当に不躾で身勝手だとは思うのですが、どうか私と一緒にシンカーを助けていただけないでしょうか」

 

 ここに来て何度目かの頭を深く下げて懇願するユリエールにオレは小さく息をつく。キリト達はオレの方を見て訝しむような、疑念を抱いているような視線を送ってきた。

 

 彼等の視線は十二分に理解できる。SAO内で人の話を簡単に信じることは出来ないからだ。もしかしたら今の話が全て嘘で、逆にオレ自身が迷宮区に閉じ込められてしまう可能性もあるからだ。それに今回は軍の問題というのもあるからなおさらだろう。

 

 オレもそのことは分かっている。けれどオレは口角を僅かに上げてから、頭を下げているユリエールに告げた。

 

「いいぜ。シンカーを助けに行ってやるよ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「嘘は言わない主義なんでな。それにお前さんの話も嘘じゃなさそうだし」

 

 肩を竦めて言うが、そこでキリトに肘で小突かれた。もっと警戒しろということなのだろう。だが、こちらはキリト達よりは軍の内情には詳しいつもりだ。

 

「……アウスト、一体なにを根拠に了承したんだよ……」

 

「……ユリエールの目を見れば大体分かる。目は口ほどにものを言うってことわざあるだろ? それと同じだ……」

 

 小声で言ってくるキリトに返すと彼は未だに眉間に皺を寄せていた。アスナも同じであるようで、ユリエールの言うことが本当ならばシンカーを助けたいと思っているようだが、裏づけが取れない限りは……と言う感じなのだろう。

 

 すると、今までアスナの隣でつまらなそうにしていたユイがユリエールを見やって二人に告げた。

 

「だいじょぶだよ。パパ、ママ、その人うそついてないもん」

 

 その言葉は昨日までの舌足らずなたどたどしい幼児のような声音ではなく、しっかりとした声だった。オレ以外の全員が驚いた様子だったが、オレは昨日の彼女の言動からなんとなく予想はついていたので特に驚かなかった。

 

 ……やっぱりユイは人の心を読めるっていうのが妥当か。

 

 ふむ、と小さく息をついて頷くとオレはキリトとアスナに向き直る。

 

「ほらな? ユイもこう言ってる事だし大丈夫だって。子供は結構的を射た言葉を言うからなぁ」

 

「……そうだな。でも気をつけろよ」

 

「おうさ。つーわけだ、ユリエール。もうちっとしてから行こうぜ」

 

 オレが言うとユリエールは立ち上がってもう一度だけ深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます……!」

 

「そんなに頭を下げるな。女に頭を下げられるとこっちがきつい」

 

 冗談交じりに行ってみるとユリエールはすぐに頭をあげた。その後、サーシャの計らいで適当に食事を頂く事になった。朝飯代わりのパンは一個食ってきたと言ったのだが、「迷宮に行くなら力をつけていかないと!」とサーシャに押し切られてしまった。

 

 

 

 

 

「ぬおおおおおお」

 

 気合の声を上げながら右手の剣を振るい。

 

「りゃあああああ」

 

 今度は左手の剣で続いて突撃してきたモンスターを切り裂く。

 

 オレは久々に二刀流を使用してストレス発散をするように戦うキリトを眺めていた。戦いぶりからして相当体を動かしたかったのだろう。

 

 そんな彼から下がること十メートルと少し。オレは大きなあくびをしていた。

 

「キリト来るならオレいらなかったジャン」

 

「そうは行かないですよ。ユリエールさんから依頼をされたのはアウストさんでしょ?」

 

 そういうアスナの手ははしゃいでいるユイをとどめていた。それを眺めつつオレは小さく息をつく。

 

 話は少し前に遡るが、オレとユリエールが食事を終えて、さぁシンカーを助けに行こうと教会を出ようとしたところでユイがこういってきたのだ。

 

「わたしもいっしょに行く」と。

 

 無論キリトとアスナ、サーシャは彼女を止めたもののユイは頑なだった。二人がどんなに言いくるめようとしても、彼女は「アウストについていく!」の一点張り。理由を聞いたところ「アウストはともだちだから、ともだちのわたしがたすけるの」とのことだった。

 

 その結果ついに二人が折れ、ユイ共々オレ達について来ることになった。ユリエールの情報によると迷宮に出現するモンスターのレベルは、六十層くらいのモンスターらしい。この情報によってレベルが87であるアスナと、90を越えているキリトにアウストがいるのだから問題はないだろうという結論に至り、ユイをつれていくことになったのだ。

 

 また、迷宮区は意外や意外。はじまりの街の地下に展開しているのだ。βテストのときになかったのでここは上層の進み具合で解放されるのだろう。

 

 因みに、迷宮に入って最初はキリト達は戦闘に参加せず、オレが戦うのみに留めておこうということだったのだが、迷宮に入ってオレの戦いを見ていたキリトが触発されたようで現在はキリトが戦っている。

 

「ユリエール。シンカーの様子は?」

 

「はい。場所は探知できているので安全地帯にいると思われます。そこまで行けば転移結晶が使えるでしょう」

 

 彼女が言いながらウインドウを開くとアスナ共々覗き込む。確かに紫色に発光するウインドウの中にはシンカーの名前と、彼のカーソルが赤く表示されていた。

 

「でもいいんでしょうか。キリトさんに任せきりで……」

 

「鬱憤がたまってたみたいだしいいんじゃね? 鬼嫁にでも色々制限されたんだろ」

 

 瞬間、喉笛に細剣が突きつけられた。首にはあと数ミリで届くだろう。

 

「すこし痛い目を見てみますか?」

 

 絶対零度の声音が聞こえた。目だけをそちらに向けるとイイ笑顔のアスナがいた。

 

「心の底からごめんなさい」

 

「わかればよろしい」

 

 アスナは言いながら細剣をおさめた。それを見ていたユイはさぞかし怖がったことだろうと彼女を見てみたものの、ユイは楽しげに笑っていた。まったく肝っ玉の据わった少女である。

 

「いやー戦った戦った」

 

 言いながら巨大ガエルの大群を蹴散らしたキリトが戻ってきた。表情は実にすっきりとしている。

 

「お疲れさん。で、どうだ? 久々の戦いは」

 

「大分おもしろかったよ。なまってた体も動かせたし」

 

「そいつぁよかったな。アイテムとかもドロップしたのか?」

 

 オレが問い返すとキリトは「ああ」と短く答え、誇らしげにアイテムウインドウから赤々としたグロテスクなものを一つ取り出した。それを見た瞬間、アスナが「ひっ」と短い悲鳴を上げる。

 

「これは……さっきのカエルの肉か」

 

「おう。《スカベンジトードの肉》ってアイテムだ。アスナこれ後で料理して――」

 

 言うが早いかキリトの手の中の肉は姿を消した。見るとアスナが遥か後方に放り投げた後だった。後方ではスカベンジトードの肉が煌めくポリゴンとなって中に消えたのが見える。生の肉だから耐久値が低いものなのだろう。

 

 アスナは続けて結婚によって共通となったアイテム欄を開き、残った《スカベンジトードの肉》を全てゴミ箱にぶち込んだ。

 

「あーあ、もったいねー」

 

「もったいねー」

 

 オレが言うのに続くようにユイが言うとアスナがユイに向き直った。

 

「ユイちゃん。女の子がそんな言葉遣いしちゃいけません。それとアウストさん、もったいないことないです」

 

 きっぱりと言い切るアスナだが、キリトはそれに食い下がった。

 

「いくらなんでも捨てることはないだろアスナ! ゲテモノほど旨いって言うじゃないか! 一回ぐらい料理してくれても」

 

「絶対嫌ッ!!」

 

「そう言うなよアスナ。オレの曾祖父さんから聞いた話じゃ、ペルーには生きたカエルをそのままミキサーにぶち込んで、ドロドロにしたカエルジュースってもんがあるらしいぜ。しかしこれが栄養満点で精力増強の効果もあるらしい。だから、ホラ……旦那の、息子がホラ」

 

 そこまで言った所で今度はオレの顔面のすぐそばを細剣のソードスキルであるリニアーが通過していった。

 

「本当に死にたいですか?」

 

「ゴメンナサイ、不謹慎でした。……いやでもさぁ、カエルにだって食用ガエルはいるし、オレなんか蛇食ったことあんだぜ?」

 

「マジか!? 蛇ってどんな味がするんだ!?」

 

 食いついてきたのはキリトだ。先ほどのカエル然り、彼はゲテモノ系を食したい傾向にあるようだ。

 

「蛇はまぁ鶏肉みたいな感じだな。タンパクで結構旨いぜ。塩で食べるのがオレは好きだ」

 

「なるほどなぁ。ホラ、アスナやっぱりゲテモノほどうまいんだって!」

 

「どんな理由があろうともカエルは絶対に料理しません!! 蛇もね!」

 

「えー……!!」

 

 キリトは心底残念そうにへこたれたが、このやり取りを見ていたユリエールがくっくと笑った。同時にユイが嬉しそうに声を上げる。

 

「お姉ちゃん、はじめて笑った!」

 

 その声はユイ自身本当に嬉しそうな声だった。そしてオレはふと思い出す。そういえば昨日ユイが発作を起したのは、子供たちが笑顔を浮かべたときではなかっただろうか。となると彼女は人の正の感情にいち早く反応することになる。だがそこまでわかったとしても彼女が何者であるのかは検討がつかない。

 

 ユイの笑顔にアスナたちも笑みを浮かべて、オレ達はさらに奥へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 時間にして二時間ほど迷宮を進み、水生生物系からゴースト系やゾンビ系のモンスターを相手にし、キリトが黒いガイコツ剣士を吹き飛ばしたところでその奥に光のもれる通路が見えた。

 

 間違いなく安全エリアだろう。また、先ほど確認したシンカーの位置情報と照らし合わせてもあそこでほぼ間違いないだろう。

 

 索敵スキルを使用して通路を観察すると、案の定グリーンのプレイヤーがいた。ほぼ確定でシンカーだ。

 

「いるな、あそこ」

 

「ああ」

 

 同じく索敵スキルを使用したキリトも頷いたところで、ユリエールが駆け出した。

 

「シンカー!!」

 

 安堵と嬉しさの色を孕んだ声でシンカーの名を呼びながら駆ける彼女の後をオレ達も追った。

 

 安全地帯までの距離はさほどなかったようであっという間にもう少しと言う所の十字路の手前までやってきた。その先には安全地帯である光の漏れる小部屋が見える。するとその中から人影が見えた。逆光で顔はわからないものの、次に漏らされた声にオレは聞き覚えがあった。

 

「ユリエーーール!!」

 

 その声は間違いなくシンカーのものだ。彼の声にユリエールも答える。

 

「シンカーー!!」

 

 感動の再会というヤツにオレ達は笑みを浮かべるものの、シンカーが漏らした次の言葉でそのムードは一気に破壊されることになる。

 

「来ちゃダメだッ!! その通路には……!!」

 

 一瞬彼の言葉に走る速度を緩めそうになったが、オレは強く地面を踏み込んで速度を上げた。前方を行くユリエールはシンカーの声が届いていないようで走る速度を緩めていない。

 

 オレは彼女に「止まれ!」と声をかけようとしたが、それよりも早く十字路の右側の死角となっている通路に黄色いカーソルが現れ、その下には見覚えのある定冠詞の固有名が表示された。

 

《The Fatal-scythe》。直訳すれば運命の鎌。間違いなくボスモンスターだ。

 

 ボスはゆっくりと交差点に接近するユリエールのほうに近づいていく。

 

「待って! 止まってユリエールさん!!」

 

 後ろからアスナの悲痛な声が聞こえる。それと同時にオレは更に早く駆け、前を行くユリエールに接近すると彼女を抱きこむようにして自分の胸に引き寄せると、そのまま背中の大剣を地面に突き刺し強制的にブレーキをかける。

 

 ガリガリという耳障りな音と火花が散るがそんなことを気にはしていられない。そしてオレ達の体が交差点に少しだけ出た瞬間、黒い影が僅か数センチ前を通り過ぎていった。

 

 影はそのまま左の通路へと移動したが、オレはユリエールを即座に立たせると突き刺した大剣を引き抜き、彼女をシンカーのいる安全地帯の方へ放り込む。キリトとアスナも合流し、ユイをユリエールにあずけると、二人はシンカーのいる安全地帯へと退避した。

 

 オレは大剣を構えながら先にボスと対峙しているキリトの隣に立つ。しかし、オレはボスを見上げた瞬間息が詰まるのを感じた。

 

 ボスの姿は一言で言い表してしまえば死神だ。髑髏の頭には人間と同じように目二つだが、その上には更に二つの穴が開いている。ボロボロの外套からは足が出ておらず換わりに質量のある闇が見える。所持している大鎌からは鮮血が滴り落ちている。

 

 人間の幻視的な恐怖を具現化したような存在に思わず溜息をつくが、問題なのは恐怖感とかそういうのではない。

 

 隣のキリトもこのボスの異常さを察知したようでオレに視線を送ってくる。

 

「キリト、コイツデータが見えねぇぞ」

 

「ああ。たぶん九十層クラスだ」

 

 その言葉を聞いていたのかアスナが背後で声を詰まらせる。キリトの頬にも汗が浮かんでおり、かなり焦っているのがわかる。そして彼が口を開こうとしたところで、先にオレが告げる。

 

「キリト、アスナ。お前等は安全地帯まで退避して転移結晶使って転移しろ」

 

「……」

 

「アウストさんはッ!?」

 

「後から行くさ。なぁに安心しろ。シンカーは装備なしでここを切り抜けられたんだフル装備なら何とかなるさ」

 

 言いながら徐々に迫ってくる死神に大剣を向ける。そして死神が大鎌を振り上げた所でオレは告げる。

 

「行けッ!!」

 

 弾かれるようにしてキリトがアスナを抱えて安全地帯に退避した。それと同時にオレに向かって凶悪な光を宿した鎌が振り下ろされた。

 

 それに答えるように大剣を、頭の上で地面と平行になるように構える。次の瞬間、恐るべき衝撃と圧力が上から加わった。鎌と大剣が激突したのだ。

 

 頭上では大剣の刀身と鎌が凄まじい火花を散らせ、床に降りかかっている。

 

 ……重い……ッ!!

 

 今まで体感したことのない程の攻撃に思わず膝をつきそうになるが、ここで態勢を崩せば間違いなく殺されると思ったオレは足に力を込める。

 

 幸い防御のタイミングが良かったからかHPはまだグリーンゾーンだ。けれど次の攻撃を喰らえばイエローは確実。直撃を受ければレッドか死が待っている。

 

 それだけはなんとしても避けなくてはなるまいと後退し、追撃に備える。

 

 その際安全地帯に残っているキリト達が見えたが、オレは怒声をとばした。

 

「早く行け!! そこなら脱出できるだろ!!」

 

 と言った瞬間だった。オレの眼前に大鎌が振り下ろされ、地面を抉った。その衝撃に耐え切れず、オレは床に叩きつけられ、壁に激突し、再度床に叩きつけられた。

 

「ぐッ!!」

 

 なんとか持ち直して大剣を杖代わりに立ってみるものの、今の攻撃でHPはイエローの後半まで削られていた。アレが直撃ならば死んでいただろう。周りを見ると正面に安全地帯が見えることから最初の位置に戻されたようだ。

 

 態勢を立て直す間にも死神は大鎌を掲げてオレを殺そうと近づいてくる。

 

「……ハッ。ここまでってことかよ……。最期が死神ってのはどんな皮肉が込められてんだ?」

 

 冗談交じりに言ってみるものの、内心ではあきらめていない。オレは次の攻撃に《アオスヴルフ》を当てて死神を大きく後退させようと考えていた。たとえ九十層クラスのボスであってもソードスキルが通用しないことはないだろう。

 

 だからこそ精神を集中させ大剣を構えるが、そこでアスナの声が耳に届いた。

 

「ダメ! 戻ってユイちゃん!!」

 

 その声に反応し声のしたほうを見ると、キリトとアスナの制止を振り切ったユイがしっかりとした足取りでボスに向かってきているではないか。

 

「なにしてる! 戻って転移しろ、ユイ!!」

 

 怒声交じりのオレの声に動じた様子もなくボスに向かって行くユイ。彼女の瞳には一切の恐怖は見えなかった。そして彼女は凛とした声音でアスナとキリト、そしてオレに向かって告げてきた。

 

「だいじょうぶだよ。パパ、ママ、アウスト」

 

 言うが早いか死神はユイに気が付き彼女のほうに向き直る。そして大鎌をオレではなく彼女に向けて振り下ろした。

 

 空気を切り裂きながら放たれた大鎌はユイの身体に吸い込まれるように落ちていく。

 

 が――。

 

 次の瞬間襲ってきたのは剣と剣がぶつかり合った時のような大音響。そしてオレは見た。ユイの頭上に【Immortal Object】の文字が表示されているのを。

 

 それは決してプレイヤーが持つことのない文字。システムによって保護された絶対的な不死の表示だった。

 

「どうなってる……?」

 

 驚愕の声を漏らしたのも束の間、ユイが右腕を上げたかと思うと、轟ッ!! っという音ともにその手から紅蓮の火焔が巻き起こり、辺りを炎色に染め上げた。

 

 一度周囲に散った炎は再びユイの手に凝縮し、形をかえる。そして現れたのは炎と同じ色をした剣だった。しかしその大きさは桁違いでオレの持つ大剣の数倍以上はある。

 

 その剣が纏う火焔によってユイの服は焼け落ちるが、彼女が元々着ていた白のワンピースだけは残っている。彼女はそのまま空中にふわりを浮き上がると、長大すぎる剣の重さを感じていないかのように振るう。

 

 それだけで炎熱が巻き起こり、周囲を赤く照らし出す。死神は奇怪な声を上げながら防御の姿勢をとろうとするが、ユイはそれに一切の容赦なく紅蓮の巨剣を振り下ろした。

 

 鎌の柄で一度は防御されたものの、剣はあっさりと柄を切り裂き次の瞬間には死神の脳天に剣が食い込んでいた。死神は断末魔のようなものを上げているが、剣はそのままズブズブと頭に食い込み、あっという間に死神を真っ二つに切り裂いてしまった。

 

 同時に眩い光で目がくらむ。やがて炎の熱さも消え、静寂が蔓延ったところでオレは目を開ける。

 

 そこには死神の姿はなく、ユイが持っていた炎剣によって発生された残り火が煌めいているだけだ。その奥には白いワンピース姿のユイがいる。

 

 更に奥にはあっけに取られた表情をしているシンカーとユリエール。そして驚きを露にしているキリトとアスナがいた。彼等を見つつ大剣を背中におさめたところでいつの間にかここまでやってきたユイに声をかけられた。

 

「大丈夫ですか? アウストさん」

 

「あ、ああ。大丈夫だけど、ユイ……お前は一体……?」

 

 怪訝な表情で問うてみるとユイはつい先ほどまでは見せたこともなかった、苦笑を浮かべると静かに言った。

 

「全部、お話します。わたしがどのような存在であるのかを、すべて」

 

 

 

 

 

 安全地帯にはオレとキリト、アスナ、そしてユイの姿があった。シンカーとユリエールには先に戻ってもらっている。

 

 オレ達はここでユイの話を聞いたものの、それはオレの想像を遥かに超えたものだった。

 

 彼女の話したことはこの《ソードアート・オンライン》というゲームの根幹の話だ。彼女の話では、この世界は巨大なシステムである《カーディナル》によって制御されているという。カーディナルは人間の手を必要としないシステムで、二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、その下の無数のプログラム群によってこの世界は調整されているらしく、それはNPCやモンスターのAI。その他アイテムの出現率や通貨など、全てがカーディナルによって調整されているということだ。

 

 けれどもほぼ完璧ともいえるカーディナルにもほころびがあったらしい。それは人間の精神性に由来するトラブルだ。そればかりはシステムであるカーディナルも対処が出来ず、人間のスタッフである所謂GMが必要とされるはずだったという。

 

「だった」ということから分かることだが、GMは実際は用意されなかったのだ。

 

 そしてここからがユイがどんな存在であるのかの話だった。彼女の正体はカーディナルの開発者達が試作した《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》、MHCP試作一号、コードネーム《Yui》。それが彼女の正体だった。彼女は人工的に開発されたAIだったのだ。

 

 自らのことを告白した彼女の双眸からは止め処なく涙が溢れ出していた。同時に彼女はキリトとアスナに謝っていた。「感情模倣機能によってもたらされたもので、この涙も偽者だ」という彼女だが、オレにはその言葉が彼女の真意から来るものとは思えなかった。

 

 アスナがユイを抱きしめようと一歩歩みだしたものの、ユイは被りを振ってそれを拒否した。

 

 だがそこで疑問が残る。AIである彼女が記憶喪失などに陥るのだろうか? オレはユイに聞いてみようと思ったが、俺よりも早くアスナが問う。

 

 ユイは一度顔を伏せるとぽつぽつと語り始めた。

 

《ソードアート・オンライン》が正式サービスを開始した日。カーディナルはユイにプレイヤーとの一切の干渉禁止命令を下したらしい。それによってユイはプレイヤーたちをただモニタリングすることに徹したらしいが、状況は最悪だったという。

 

 プレイヤー達は恐怖、絶望、怒りといった負の感情に心を支配され、時として狂気に陥ったものもいたらしい。本来ならばユイがその場に赴いてプレイヤーをケアするのだが、カーディナルによって身動きの取れなくなったユイはただただモニタリングをするほかなかったのだ。そうしたことが続きエラーを蓄積させたユイは、やがて崩壊して行ったのだという。

 

 オレは彼女が崩壊するのも無理はないと痛感した。本来ならばシステムによってプレイヤーの元へ行かなければならないのに、行けないという矛盾。そして目の前のモニタで恐怖や狂気に囚われるプレイヤー。しかもゲーム開始当初は、外周から落ちればログアウトできるという根拠もない情報のせいで、多くのプレイヤーが身を投げた。中にはこの世界で生き残ることを選ばずに、自ら命を捨てた者もいる。

 

 それら全てをモニタリングしていたユイが壊れてしまうのは、仕方ないのかもしれない。普通の人間がその状態であったら心神喪失してしまうだろう。

 

 だがその状態であってもユイはモニターを続けていたらしい。そして今までとはまったく別の感情、喜びや安らぎ……けれどそれ以外にもある不思議な感情を持つプレイヤーが現れたのだという。それがキリトとアスナだったのだ。

 

 ユイは二人に興味を抱き二人のモニタリングを続け、いつしか二人に会って話してみたいという感情を抱くようになったらしく、二人が結婚した後、一番近いコンソールから実体化してやってきたらしい。

 

「なるほど……でも、引っかかることがある。ユイ、どうしてオレの名を知っていた?」

 

「それは貴方のことをゲーム開始当初からモニタリングしていたからです」

 

「オレを?」

 

 問い返すとユイは静かに頷きオレを見てきた。

 

「貴方の感情はゲーム開始当初からまったく変わることはありませんでした。キリトさんやアスナさんのような喜びや安らぎ、嬉しさというような感情ではなく、貴方の感情はこのゲームを純粋に楽しむという幸福感に満たされていました。無論多少の不安はありました。でも貴方はこのゲームを心の底から楽しんでいる。今もそうでしょう?」

 

「……参ったな、全部お見通しか」

 

「はい。最初からどこか変わった人だなぁって思ってました」

 

「そうだな。オレは変わってたかもしれない。まぁそれを聞けた納得したよ。でもさ、ユイ。自分の感情が偽物だなんて言うなよ」

 

 小さな笑みを浮かべて言うと、ユイは伏せていた顔を上げた。

 

「お前はさっき言ったじゃないか。キリトとアスナに興味を抱いて、自分の意思でコンソールを操作して、二人に会いに行った。これはお前の言うような偽物の感情なのか?」

 

「それは……」

 

「オレは違うと思っている。お前はお前の意思で二人の元に行った。これは絶対にカーディナルやプログラムによって調整されたものじゃない。だからお前の感情は偽物なんかじゃないよ」

 

 オレは言い切った後にキリトとアスナに目を向けた。彼等も頷くとキリトがユイの前まで進み、彼女に問うた。

 

「ユイの望むことはなんだい?」

 

「わたし……わたしは……」

 

 ユイは両手をいっぱいに広げ、涙ながらに告げる。

 

「ずっと一緒にいたいです……パパ……ママ……!」

 

 その声に我慢しきれなくなったアスナが涙を流しながらユイを抱きしめた。キリトもそれに続いて二人を抱きしめる。

 

 そこにはシステムとかプログラムとか、そういったものはなく、三人は本当の家族のように見えた。

 

 けれど二人の胸の中でユイは首を横に振る。

 

「でも、もう遅いんです」

 

 彼女の言葉にオレも含め全員が疑問を抱いた。ユイは自分の座っている立方体に触れる。

 

「この石はただの装飾的オブジェクトではなく、GMが緊急アクセスする際のコンソールなんです」

 

 彼女が言うと光の柱が立ち、続いて電子音の後に淡く発光するホロキーボードが展開された。

 

「先ほどのボスモンスターはプレイヤーがこれに触れないようにするために、カーディナルが配置したものだと思われます。わたしはアレを倒すためにコンソールからアクセスし、《オブジェクトレイサー》を使用してボスモンスターを削除しました。それと同時に言語機能も復元できたのですが……。カーディナルは今まで放置していたわたしに気が付き、注目してしまっています。今はコアシステムがわたしを走査していますから、すぐにでも異物として削除されるでしょう」

 

「そ、そんな……!」

 

「どうにかならないのか、ここから離れたりすれば!」

 

 二人は焦った様子で言うもののユイはいたって冷静に微笑を浮かべた。

 

「パパ、ママありがとう。これでお別れです。アウストさん、パパとママとよろしくお願いします」

 

「……」

 

 健気で消えてしまいそうな細い声に、オレは答えなかった。いいや、答えられなかった。答えたらオレ自身も泣き出してしまいそうだったからだ。

 

 するとユイの体が僅かに発光しはじめた。ついにカーディナルによる削除が実行され始めたのだ。

 

「ダメだ! ユイ、行くな!!」

 

 キリトの悲痛な声が木霊するが削除は止まらない。

 

「パパとママがいればみんな笑顔になった。わたしはそれが嬉しかったです。だから、これからはわたしの代わりに……みんなを、助けてあげてください。二人の喜びを……みんなに分けてあげて……」

 

 絶え絶えに言う彼女の姿はどんどんと透け、光の粒子が宙を舞う。

 

「やだ! やだよ、ユイちゃん! ユイちゃんがいなかったら私笑えないよ!!」

 

 消えてしまいそうな手を握りながらアスナは大粒の涙を流す。ユイは彼女に答えるようににこりと笑みを浮かべて、彼女の頬を撫でるが――。

 

 次の瞬間、一際眩い光が視界を支配した。再びオレが目を開けるとそこにユイの姿はなく、ただただ泣き崩れるアスナと悔しげに膝をつくキリトの姿があった。

 

 その二人を見て、オレは目頭が熱くなるのを感じた。そしてついにオレの瞳からも涙が溢れ始める。同時に、オレの中に二人を悲しませ、ユイと言う少女を奪ったカーディナルに対する怒りが芽生える。

 

「……ざけんな」

 

 小さく呟きながらオレは背中の大剣に手をかけ、石畳を踏んで黒い立方体に迫り、大剣を振り下ろした。

 

 的確に振り下ろされた大剣は立方体を捉えたはいたものの、発生したのは立方体の破壊ではなく、【Immortal Object】と表示される紫色の無機質で機械的な冷たい表示。

 

 しかしオレは何度も何度も大剣を振り下ろす。そしてそれと共に怒りの声を発した。

 

「ふざけんじゃねぇぞカーディナル!! テメェに……テメェにユイの生き方を奪う資格があるのかよ!! ソイツはまだコイツ等と一緒にいたいと言ったんだ!! ユイがAIだろうがなんだろうが関係ねぇ! アイツにはアイツの意思があった、それをエラーコード一つで奪うんじゃねぇ!!」 

 

 オレのこの行動に意味があるとは思えない。しかし、オレは自分を抑えることが出来なかった。

 

「ユイの居場所を奪うなああああああッ!!!!」

 

 絶叫し、一際強く大剣を振るったところで剣が吹き飛ばされ、背後の石畳に突き刺さった。でも相変わらず表示されるのは【Immortal Object】の文字唯一つ。

 

 オレは下唇を噛み、悔しさをあらわにするが不意にキリトが前に出てホロキーボードを展開した。

 

「キリト、お前なにして……」

 

「今ならまだGMアカウントでアクセスしてシステムに割り込めるかも知れない。お前の言うとおりだアウスト。これ以上カーディナルに好き勝手はさせない!! 俺とアスナの娘を返してもらう!!」

 

 言いながら彼は凄まじい速さでキーボードを叩き、いくつものコマンドを入力する。そして小さなプログレスバー窓が出現し、横線が右端に到達したかいなかの瞬間。

 

 突如として黒い立方体が発光し、キリトの体を弾いた。彼はそのまま床に叩きつけられたものの、駆け寄ったオレとアスナに笑みを見せ、掌にあったものをアスナに渡した。

 

 彼の掌には大きな涙滴型のクリスタルがあった。

 

「これは?」

 

 アスナの問いにキリトは起き上がりながらオレ達に説明した。

 

「ユイの心だよ。さっきGMアカウントでアクセスしてシステムに割り込みをかけて、ユイのプログラムだけを取り出してオブジェクト化したんだ」

 

「それじゃあユイは……」

 

「ああ、そこにいる」

 

 彼の言葉にオレは驚きを通り越して感動を覚えた。自分よりも年下かもしれない少年が、あの一瞬でシステムに割り込みをかけて自分の娘を救ったのだ。

 

「まったく、大したヤツだよ。お前は」

 

 オレが言うとキリトは苦笑いを浮かべ、安堵の涙を流すアスナの肩に手をかけた。

 

 その光景を見たオレは彼等の間に幸せそうに微笑むユイの姿が見えたような気がした。

 

 

 

 

 

 はじまりの街の孤児院ではガーデンパーティーが催されていた。

 

 子供たちは料理が出てくるたびに歓声をあげる。庭にはシンカーとユリエールの姿もあり、シンカーに至ってはアスナが作ったバーベキューに幸せそうな表情でかぶりついている。

 

 オレも教会の壁に背を預けながら彼等を見ながらサーシャや子供たちが持ってきてくれた料理を食っていた。

 

「うま」

 

 相変わらずプロ級の腕前である。さすが料理スキルをコンプしたアスナ嬢と言ったところか。

 

「アウスト」

 

 不意に声をかけられたのでそちらを見るとシンカーとユリエールがいた。

 

「よう、シンカー。元気そうだな」

 

「ああ。いやそれよりも、昨日は本当に助かった。ありがとう」

 

「アレぐらいいいさ。そんで? キバオウは除名したのか?」

 

 オレの問いにシンカーは頷くとあの後のことを話し始めた。

 

「キバオウと彼の配下は全員除名した。軍も解散しようと思ってるんだ。軍は余りにも大きくなりすぎてしまったからな」

 

「だから言っただろうが、テメェは甘すぎたんだよ。ギルドマスターするんだったらもっと厳しく行くべきだったな」

 

「本当にそのとおりだな。解散後はもっと平和的な互助組織でも作ろうと思ってるんだ」

 

「そうした方がテメェの性に合ってそうだもんな。つーか、ユリエールとは結婚しねぇの?」

 

 特に気にした風もなく聞いてみると、ユリエールは顔を赤く染め、シンカーは飲んでいた飲み物を噴出した。

 

「なに驚いてんだか。ユリエールの様子を見ればそういう仲だってことなんざわかるっつーの」

 

「そ、そうか?」

 

「そうだよこのリア充が、爆発しろ」

 

 ジト目を二人に送るとシンカーは頭を掻き、ユリエールは軽く咳払いをした。すると彼女は話題を変えるように問うてきた。

 

「そ、それよりもアウストさん。ユイちゃんはどうしたんですか?」

 

「……アイツは家に帰っただけさ」

 

 オレは微笑を浮かべるとアスナの首から下がっているネックレスを見やった。

 

 銀鎖で作られたネックレスの先には涙滴型のクリスタルが下がっていた。ここから見ても僅かに発光しているそれは、ユイがそこにいるということをあらわしているようだった。




はい、今回も予告どおり出来ました。

まぁ原作どおりって感じですが、最後のほうでアウストを活躍させることも出来ましたし良かったと思われます。
最初のほうアウストが気が付いている節がありますがあくまで仮定ですw

次はスカルリーパー戦をやる感じで……終わるとすれば十一話か、急かもしれませんが十話でSAO編は終わりやもしれません。
まぁ本音を言うとALO編がはよう書きたいんですwww

では感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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第十話

 ユイの一件から一週間近くが経過した時、七十五層のマッピングが終了し、ボス部屋が発見された。

 

 今回はクォーター・ポイントでもあるので、血盟騎士団を含む五ギルド合同で結成された二十人のパーティーを組んだ偵察隊を行かせたらしい。

 

 しかし、偵察隊は十人を残して全滅してしまったというのをオレは今日マシューから聞いた。

 

「全滅、ねぇ。つーかお前なんでそんなこと知ってんだよ」

 

「そらぁこないな商いしとったら情報なんて嫌でも入ってくるっちゅーねん」

 

「そういうもんか。二十人で行って十人残ったって事は、最初十人で入って様子見をするって感じだったのか」

 

「せやろな。でもなんらかの理由で中に入った連中が後退できなくなって、次に開いた時にはもぬけの空……っていうのが流れっぽいなぁ」

 

 マシューは茶を啜りながら言ったが、オレは内心で七十四層で戦った『グリームアイズ』のことを思い出していた。

 

 あの部屋結晶無効化空間に設定されており、結晶の類が一切無効となる空間だった。だから今回の部屋もそうなのだろう。しかし、たとえそんな空間だったとしても今までならボス部屋の扉から後退することが出来た。

 

 今回のボス部屋は結晶無効化空間であることはもちろんのこと、それにプラスして扉からの退路も断つと言う鬼畜仕様のようだ。

 

 ……さて、団長さんはどう出るか……。

 

 淹れられた茶を飲みながら考えていると、メッセージが送信されてきた。差出人を見るとアスナからだった。

 

 それを開いて本文を確認すると、そこにはこう書かれていた。

 

『団長が呼んでいます。今すぐ来て頂けませんか?』

 

 オレはそのメッセージに小さく息をついた後、カップに入っていたお茶を飲み干して席を立った。

 

「ちょいと用事ができた。またな、マシュー」

 

「はいなー」

 

 マシューに対して軽く手を挙げながらオレは店を出て、転移門へと向かった。目指すのは血盟騎士団の本部があるグランザムだ。

 

 

 

 

 

 血盟騎士団の本拠地がある五十五層の主街区グランザムは、別称として《鉄の都》と呼ばれている。それは街中に立つ尖塔が鋼鉄で作られているというのもあるのだろうが、鍛冶や彫金が盛んでもあるからともいえる。

 

 転移門のある広場を抜けて一番高い尖塔を目指して歩くと、目の前に巨大な扉が現れ、その上に装飾されている槍からは血盟騎士団の旗が風を受けてはためいている。

 

「あいかわらずでっけぇな」

 

 尖塔の頂上を仰ぎながら溜息を漏らしつつもオレは歩き出して階段を上る。だがそこで門番的役割をしているであろう二人の団員に道をふさがれた。

 

「用件は何だ?」

 

「お前らんとこの副団長様からメッセもらってな。団長さんがオレのこと呼んでるんだとさ」

 

「団長が?」

 

 団員は怪訝な声を漏らしたが、それを真実とするように彼等の背後から凛とした声が聞こえた。

 

「その人は団長が呼んだ人で間違いないわ」

 

 そちらを見るとやはりというべきか、血盟騎士団の制服に身を包んだアスナがいた。アスナの登場に門番二人はビシッと背筋を整えて敬礼をすると、槍をおさめた。

 

「どーも」

 

 門番に適当な挨拶を終えてアスナの元に行くと、彼女は軽く頭を下げてきた。

 

「すみません、急にお呼び立てして」

 

「気にすんなよ。けど、お前さんがここにいるってことはキリトもいるわけか」

 

「はい。今は別のところにいますけどね。まずはこっちへきてください」

 

 アスナに言われ彼女の後を付いていくとロビーを抜け、巨大な螺旋階段を上がった。尖塔自体かなりの高さがあったので、螺旋階段も長い。リアルでこれを全部上がるとなるとかなりの体力を消耗するだろう。

 

 筋力上げてて助かった、などと考えているとアスナが止まった。隣を見ると冷たい金属質の大扉があった。

 

 そちらに視線だけを向けてアスナに確認すると、彼女は静かに頷いた。オレは大きなため息を漏らしながら鉄の扉をノックし、返事を待たずに勢いよくあけた。

 

 室内は円形の部屋で壁はガラス張りだった。そして中央には半円の卓が置かれており、中央には団長であるヒースクリフが座っている。その周りにいるのは幹部クラスの人間だろうか。

 

「やぁアウストくん。二週間ぶりだね」

 

「挨拶はいい。オレを呼び出して何のようだ。まぁ大体想像はつくけどな……」

 

 肩を竦めながら言うと彼は手を組みながら口を開く。

 

「恐らく君の聞いているとおりだ」

 

「てことは七十五層のボス攻略の話ってわけか」

 

 オレの言葉にヒースクリフは頷く。

 

「分かっているなら話が早い。今回の攻略は可能な限りの大部隊を組んで当たる。もちろん外にいたアスナくんにキリトくんも参加してもらう」

 

「ハッ、新婚のガキ共も借り出すとはえげつないねぇ」

 

「まぁそう思われても致し方ないと思うが、今回は状況が状況だ。それに彼等の力は攻略になくてはならないものだからね。特に私と同じくユニークスキルを発現しているキリトくんは必要だ」

 

「ふぅん、まぁいいけど。でもオレを呼び出した理由は何だ? パーティーの呼び出しなら他にいくらだって方法はあっただろ」

 

 肩を竦めながら聞いてみると、彼は僅かに口角をあげる。

 

「確かに君ならこんなことをしなくとも参加してくれただろうが、こちらの方がいいと思ってね。それに私は君のことをキリトくんよりも強いと思っている」

 

「買いかぶりすぎだろ。でもまぁ参加はしてやる。どうせヨミも出るだろうからな。んで? 何処に集合すればいいんだよ」

 

「七十五層のコリニア市ゲートに午後一時に集合だ。そこからは《回廊結晶》を使用して部隊全員でボス部屋の前に行くことになっている」

 

「さっすが団長さん、稀少アイテムを使っちまうとは気前がいいね。うん、一時にコリニアね。んじゃ、そのときに」

 

 オレは軽く茶化した後、ヒラヒラと手を振りながら部屋を出て行こうとしたが、扉に手をかけようとしたとき、声をかけられた。

 

「君の剣捌きに期待しているよ。《宵闇》のアウストくん」

 

 ヒースクリフの言葉に反応し、僅かに振り向いた時に見えた彼の瞳の奥には、なにを考えているのか読み切れない光が見えたような気がした。

 

 

 

 

 

「へぇ~、なんか意味深だね。あの人がそんな感じに言うと」

 

 そう言ったのは真紅と黒の装備に身を包んだ片手剣の女流剣士、ヨミだった。彼女は個々に来る前にアルゲードで買ったパンを次々に口に放り込んでいた。

 

 オレ達がいるのはコリニアのゲート近くにあるベンチだ。オレはヒースクリフの目を思い出して眉間に皺を寄せる。

 

「あのヤロー妙に引っかかる。この前のキリトとのデュエルの時だってそうだ」

 

「アウストが言ってた時間がぶれたってヤツ? それ気のせい何じゃないのー?」

 

 五個目のパンと食べ終え、アイテム欄から六個目のパンをオブジェクト化させたヨミは嘆息気味に言ってきた。

 

 確かに彼女の言うことも一理ある。もしかするとオレの見間違いかもしれない。しかし、ゲームのバグと言われてもあのような絶妙なタイミングで起こるものだろうか。しかも圧倒的にヒースクリフの優位な時に。

 

 考えすぎかもしれないが、あの現象はまるで――。

 

「――まるでシステムがアイツを保護してるみたいに……」

 

 そう呟いたところで転移門が発光し、ヒースクリフ率いる血盟騎士団の団員達がやってきた。ヒースクリフは周囲を見回すと一度軽く頷いた。

 

「欠員はないようだな。皆、よく集まってくれた。状況は既に察していると思うが、これより始まる戦いは今まで以上に厳しく、熾烈なものとなるだろう。だが私は、君達の力ならば突破できると信じている。――解放の日のために!」

 

 彼の叫びに周囲のプレイヤーたちは皆声を上げたが、オレは彼のことを疑わしく見据えていた。

 

「てい」

 

 ふと脳天を軽く小突かれた。まぁ犯人は分かっているのだがそちらを見ると、何個目かわからないパンにかじりついていたヨミが呆れたような表情をしていた。

 

「あんだよ」

 

「だってずっと怖い顔してんだもん。こんなんだったよ?」

 

 彼女は言いながらオレの前できつく眉間に皺を寄せてみる。彼女がやっているからまだ幾分か可愛らしく見えているのだろうが、オレがやっているのを想像すると余り人相がいいとは言えない顔だった。

 

「ちょっと考え込みすぎてたな。つーか、お前はそれ何個目のパンだよ」

 

「うん? 十個目」

 

「食いすぎだボケ。いつからそんな大食いキャラになったんだ」

 

「んー、ボス戦前ってお腹へるんだよねぇ」

 

 あっけらかんとした様子でいう彼女は十個目となるパンをそのままパクパクと食べつくしてしまった。それを見て苦笑していると、正面からキリトにアスナ、クラインに更にはエギルがやってきた。

 

「よう、やっぱり来てたかお二人さん」

 

「そっちもか。でもクラインはまだしも、お前が来るとは思わなかったぜエギル」

 

「えらい苦戦するって話だったからな。マシューは来てないみたいだな」

 

「誘ってみたんだけどな。時間になっても来ねぇってことは来ないんだろ」

 

「最近は迷宮にも潜ってなかったからねぇ。レベルも上がってないだろうし」

 

 パンを食べ終えて満足げな表情をしていたヨミも言い、クラインとエギルも肩を落とした。その様子を見ていたアスナが小首をかしげた。

 

「マシューさんてそんなに強いプレイヤーだったんですか?」

 

 その問いに答えようとしたが、オレよりも早くにキリトが彼女に説明した。

 

「槍使いのプレイヤーの中だったら一、二を争う実力者だったからな。アスナが知らないのはマシューの性格に難があったんだろうな」

 

「アイツは基本的に頭が商売人の頭だからな。攻略自体あんまり興味がないから前線に出てくることもなかったんだよ。だからアスナと接触することもなかったってわけ。んなことよりもホラ、そろそろだぜ」

 

 説明を終えてヒースクリフのほうを顎で指すと、彼が《回廊結晶》を使用したところだった。「コリドー・オープン」の掛け声と共に砕け散ったクリスタルと引き換えというようにヒースクリフの前に光の渦が出現した。

 

「では皆、ついてきてくれたまえ」

 

 彼は一度部隊全体を見回した後渦の中に足を踏み入れる。それと同時に彼の姿は消滅し転送された。そして彼に続くように血盟騎士団の幹部クラスが続き、その後に部隊のメンバーが続々と光の渦に飲まれていった。

 

 そして最後、オレとヨミの番になった時、背後から声をかけられた。そちらを見るとアルゲードにいるはずのマシューがいた。

 

「マシュー、アンタなんでこんなところに」

 

「いやなぁ、二人が戦うっちゅうのに引っ込んでるのはどうかと思うて見送りに来たんよ。それとこれ、持ってき」

 

 彼はトレード画面と出すとかなりの数のハイ・ポーションを渡してきた。

 

「こんなにたくさん……いいの?」

 

「少しでも足しになればええと思うてな。絶対死ぬんやないで、二人とも」

 

「……おう。死なねぇよ」

 

「終わったら店に行くから、そのときは三人でおいしー物でも食べようね」

 

「せやな。ホラ、コリドーの効力が消える前に行き」

 

 マシューに言われ、オレ達は互いに頷き合うと光の渦の中に飛び込んだ。

 

 

 

 皆に遅れること数秒後にオレ達が降り立つと、そこはもうボス部屋の真正面だった。黒曜石のように鈍く輝く黒い扉と同様に周囲のゴツゴツとした壁、いくつもそびえる石柱も黒いものだった。

 

 地面には白いもやがかかっており、より一層不気味さを際立たせている。ヨミを見ると、彼女は既にキリトやアスナを含む他のプレイヤーにハイ・ポーションを配っている。するとそれを見ていたエギルとクラインが問うてきた。

 

「あのポーションってマシューがよこしたのか?」

 

「ああ。ついさっきな。アイツもアイツで心配してくれてんだろ。まぁ飲む暇があればいいけどな」

 

「けどあるに越したことはねぇさ。っと、そろそろだな」

 

 二人が前を見たのでオレもそれにならうとヒースクリフが装備を整えているところだった。鉄壁ともいえる十字盾が彼の手に出現し彼は皆に告げた。

 

「皆、分かっていることだと思うが今回の討伐に際してボスのパターンは分かっていない。基本的には前衛を我々KoBが務め君達にはそれぞれ柔軟に戦ってもらいたい」

 

 全員が頷くとヒースクリフは扉に向き直った。

 

「では、行こうか」

 

 彼が扉に歩み寄って扉に手をかける様子を他のプレイヤー達は緊張した面持ちで見ていたが、オレは胸が高ぶるのを感じた。

 

 悪い癖だ。強い相手がいると聞くとついつい戦いたくなってしまう。子供の頃もそういって何度一番上の姉に打ち負かされたことか。

 

 ふとその時、扉に手をかけたヒースクリフがこちらを見たような気がした。しかし一度目を瞬くと彼はこちらなど見てすらいない。見間違いだろうか。

 

 よく分からない状況に首を傾げていると、ポーションを配り終えたヨミに軽く腹を小突かれた。

 

「なにぼーっとしてんの。ホラ、アンタも剣抜きなって」

 

 そういわれて周囲を確認すると既に殆どのプレイヤーが抜刀していた。そして真正面を見ると巨大な扉は人一人が通れるくらいまで開いている。

 

 軽く頭を振って雑念を振り払った後、背中の大剣を抜き放ち、それを肩に背負う。

 

 そして全員が抜刀し終えると、一番最後にヒースクリフが長剣を抜き、正面に掲げた。

 

「――戦闘、開始!」

 

 力強い声と共に彼がボス部屋に足を踏み入れ、それに部隊全員が続く。

 

 中に入ると部屋がドーム状であることが分かった。広さはかなりある。グリームアイズ戦の比ではないだろう。

 

 そして皆が室内に入り中央辺りまで来た直後、背後で轟音と共に扉が閉められた。やはりボスが死ぬかプレイヤーが全滅するか出られない仕様の様だ。

 

 けれどそれから少しずつ時間が経過しても一向にボスが出現しない。

 

「おい――」

 

 沈黙に耐えられなくなった誰かがそう漏らしたが、それと同時にオレは部屋の丈夫で何かが軋むような、こすれあうような音がするのを感じた、瞬間。

 

「上よ!!」

 

 アスナが鋭い叫びを上げた。それにつられて全員が天頂部を見上げるとそこには巨大な百足のようなモンスターがいた。

 

 人間の脊椎のようなものの節からは細い骨で出来た足が生え、頭頂部は人間の頭のような頭蓋骨が乗っかっている。けれどその頭骨は人間のものとはかけ離れており、窪んだ眼窩が四つある。その奥には敵意をむき出しにした蒼い炎が宿っている。顎には凶悪さをあらわすような牙が整然と並び、頭骨の両脇からは大鎌を思わせる鋭利な刃が覗いている。

 

 表示されたカーソルにはHPバーと同時に名前が表示された。《The Skullreaper》直訳すれば骸骨の刈り手とでも言うのだろうが、《Skull》は髑髏という意味なので髑髏の刈り手というのが正しいのかもしれない。ゲーム風に言うなら髑髏の死神の方がしっくり来るだろう。

 

 全員がボスだと確信した瞬間、気持ち悪く天井を這い回っていたボスは自身の身体をささえていた足を一気に広げて部隊の上に落下してきた。

 

「固まるな! 全員距離をとれ!!」

 

 ヒースクリフの鋭い声に呆然としていたプレイヤー達が一気に距離をとり始める。オレとヨミも同じように動く。反応が早かったためか離脱は簡単に出来たが、オレ達のほかに三人が逃げ遅れている。

 

 キリトが三人に逃げるように言うと彼等は我に返ったようにこちらに走ってくる。しかし、走り出すと同時に髑髏百足が降り立ちフロア全体が大きく揺れた。逃げ遅れた三人はそれに足を取られて縺れさせた瞬間、大鎌にも似た刃が彼等の身体を横薙ぎに薙いだ。

 

 容赦ない横一閃の攻撃をまともに喰らった彼等の身体は宙を舞い、その間にもHPは凄まじい速度で減少する。その勢いは留まることをしらず、一気にイエローになったかと思うと、それに続いてレッドへ移行。

 

 そして彼等のHPはゼロになった。

 

 HPが底をついたことで三人の身体にノイズが走り、ガラスが割れるような音と共に空中で砕け散った。

 

 その光景にアスナ、そしてヨミが息を詰まらせキリト達が愕然としていた。今回の攻略組のパーティーのプレイヤーは皆上位プレイヤーだ。レベルも殆どのものが八十五を越えているだろう。

 

 先ほどの三人であってもそれは同様だ。しかしそんな彼等でさえもたった一撃での死亡とは――。

 

「いくらクォーター・ポイントって言ったって鬼畜過ぎやしませんかねぇ」

 

 軽く肩を竦めつつも骸骨百足を見据えると、ヤツは別のプレイヤーの一団に狙いを済まして向かって行く。プレイヤー達は恐怖で逃げ惑うが、容赦など一切ない大鎌が振り下ろされた。

 

 が、それを防ぐようにヒースクリフが十字盾で立ちふさがった。しかし、骸骨百足はもう一方の鎌を振り上げてプレイヤー達を薙ごうとした。

 

「ヨミ! 合わせろよッ!!」

 

 彼女に言うと同時にオレは全力で地を蹴り、突き立てられようとしていた鎌の真下まで行くと大剣を下段に構える。同時に藍色の光が刀身を包み、次の瞬間には大鎌と大剣が激突した。

 

「オラアアアアァァァァァッ!!!!」

 

 雄たけびと共に大剣は振りぬかれ、火花と共に藍色の燐光が弾ける。オレの愛用しているソードスキル、《アオスヴルフ》。この攻撃は無意味ではなかったようで、骸骨百足を見ると大きく身を仰け反らせている。

 

 そしてオレの肩に軽い感覚が乗った。ヨミがオレの肩を踏み台替わりにして飛び上がったのだ。一瞬彼女の持つ片手直剣の柄に嵌め込まれている紅玉が光り、赤黒い刀身を真紅の光が包み込む。

 

 同時にジェットエンジンのような効果音と共に、彼女の剣が骸骨百足の額に突き刺さった。いつかキリトがヒースクリフに向けて放った片手剣の重単発ソードスキル、《ヴォーパル・ストライク》だ。

 

 骸骨百足は悲鳴にも似た声を上げたが、所詮は一人、二人の攻撃だ。HPはそこまで削れていない。それでもヤツを大きく後退させることはでき、固まっていたプレイヤーを守ることには成功した。

 

「ナイスだヨミ」

 

「そっちもね。でもどうする? アイツ、ここにいる全員で間髪要れずに攻撃しないと無理っぽいよ。しかも鎌も防がないとだし」

 

「それなら心配ねぇだろ。鎌はオレと団長さんが引き受ける。いいだろう? ヒースクリフ」

 

 大剣をフロアに突き刺しながら問うと彼は頷いて答えた。それを確認し、大剣をフロアから引き抜くと、後ろからやってきたキリト達に告げる。

 

「つぅわけで、あの鎌はオレと団長さんが担当する。お前等は隙が出来たらバンバン攻撃してけ」

 

「一人で大丈夫か?」

 

「なめんな、キリト。部隊の中で一番でかい武器担いでんのはオレだ。だったら防御を引き受けるのはオレだろ。お前等は安心してアイツを倒しな。暇があればさっきみたいな隙も作ってやるからよ」

 

 いいつつ引き抜いた大剣を振り回すと、こちらに向かってきたスカルリーパーを見据える。その光景に多くのプレイヤーが臆するのを感じたオレは声を張り上げる。

 

「いいかテメェら、テメェらがおっかながってる鎌は全部オレとヒースクリフが受け止める! 腰抜かしてる暇があったら剣を持って闘え!!」

 

 言うと同時にオレは駆け出し、鎌の一撃を防ぐ。もう一方の鎌が迫ってくるがそれはヒースクリフが立ちふさがって防御。

 

 受け止めてみて分かることだが確かに重い一撃だ。しかし、この程度大剣を使っているオレからすれば、苦しいことなど何もない。

 

 瞬間、スカルリーパーが悲鳴を上げた。キリト達が次々に攻撃を当てて行っているのだ。すると、それに触発されたのかその他のプレイヤー達も声を張り上げながらソードスキルや斬撃を叩き込んでいった。

 

 オレとヒースクリフも攻撃を防ぎながらも隙を見つけては攻撃をしていたが、それでも途中で聞こえる絶望の悲鳴と、ガラスの割れるような破砕音は聞いていて心地がよいものではなかった。

 

 

 

 

 

 スカルリーパーとの戦闘は凡そ五十分ほど続いた。恐らく今までで一番長いボス戦だったのではないだろうか。けれどボスのHPは着々と減り続け、最後にはその巨体をフロアに下ろし、大音響の破砕音を響かせながら光りの欠片となって四散した。

 

 けれどボスが消えたからと言って歓声を上げたものはいなかった。それだけ皆、精神、体力ともに疲弊していたのだ。それはオレやヨミも例外ではない。

 

「あー、疲れた……」

 

「だな。で、何人死んだ?」

 

 背中を合わせながら彼女に問うと彼女は短く「十四」と答えた。その数字に改めてオレは大きくため息をついた。ふとHPバーに視線を向けると、赤の危険域になるか否かのところで止まっていた。改めて大剣一本でよくもまぁアレを防ぎきったものだと思う。

 

 苦笑いを浮かべながらもう一本の鎌を防ぎ続けたヒースクリフを見やる。さすが鉄壁の防御力といわれるだけあり、彼のHPバーはイエローになってはいなかったがかなり減っている。

 

 しかし、オレは妙な違和感を覚えた。確かに彼のユニークスキルは凄まじいと思う。防御のタイミングも完璧だった。けれど、アレだけの猛攻を受けてなおイエローゾーンに食い込まないというのは、いささか不自然ではないだろうか。

 

 そればかりか疲労困憊としているプレイヤー達を見る彼のあの様子も変だ。彼とて一プレイヤーであるのならば、多少なり疲労はあるはずだ。でも目の前にいる彼はそんな様子を一切見せていない。

 

 「じゃあやっぱり、アイツは――」と思考を走らせていると視界の端から黒い影が飛び出すのが見えた。キリトだ。彼はそのまま右手の剣を捻り上げるようにしてヒースクリフに攻撃を放った。片手剣の基本突進技である《レイジスパイク》だ。

 

 ヒースクリフもそれに気が付いたようだが、キリトは以前のデュエルで動きを見抜いていたのか、掲げた盾を回避して彼の胸に剣を突き立てた――。

 

 寸前で、キリトの剣が止まりプレイヤーに刺さった時ではありえない音が響いた。聞こえてきたのは耳をつんざく様な金属質な音。だが、オレはこの音に聞き覚えがあった。

 

 思い起こされたのは無機質で冷たい紫の表示――《Immortal Object》。

 

 そしてオレの目にははっきりとその表示がヒースクリフとキリトの中間に表示されたのが見て取れた。キリトに駆け寄ったアスナやオレの背後にいるヨミ、その他のプレイヤーにも見えたようで、彼等もまた驚きの表情を見せている。

 

「やっぱりか……」

 

 オレは言葉を零し、マシューから受け取ったハイ・ポーションを飲み込むとヒースクリフに大剣の切先を向ける。

 

「誰かが行かなかったらオレが試してみようとも思ったが……。システム的不死。まさか伝説がシステムに保護されたもんだとはな」

 

 オレが言い、キリトに視線を向けると、彼も言葉を続けた。

 

「それに誰だって思うことさ。《他人のやってるRPGを端から眺めていることほど詰まらないものはない》。……そうだろう、茅場晶彦」

 

 キリトの出した名前に誰もがどよめき、目を白黒させていた。誰もが信じたくはないだろう。しかし、目の前で表示されたあの紫色の表示が全てを物語っている。

 

 するとヒースクリフは僅かに口角を上げて首を傾げてきた。

 

「……なぜ気付いたのかを参考までに教えてもらえるかな……?」

 

「最初に気が付いたのはデュエルの時だ。アンタ、あの時明らかに速過ぎたよ」

 

「同じくオレもそうだ。たとえバグだったとしてもあんなものはねぇ。アンタに有利すぎるんだよ、あの動きは」

 

「やはりそうか。ふむ、確かにアレは私にとっても痛恨事だった。キリト君の動きに圧倒されて思わずシステムのオーバーアシストを使ってしまった。しかし、私とデュエルをしている彼しか気付かないものだと思ったが、デュエルの後に君に呼び止められて、あのことを指摘された時は流石に肝を冷やしたよ」

 

 オレに目を向けながら言ってくるヒースクリフに肩を竦めて返答すると、彼は言葉を続けた。

 

「本当は九十五層の地点で明かそうと思っていたのだけどね。……確かに私は茅場晶彦だ。付け加えればこのゲームの最終ボスでもある」

 

「ハッ、最強が一転してラスボスとは……中々オレ好みのシナリオじゃねぇのよ」

 

「喜んでくれたようで何よりだ。しかし中々盛り上がっただろう? まぁこんなに早く看破されてしまうとは思わなかったがね。やはり君達はこの世界において不確定因子だったね」

 

 ヒースクリフは目を閉じて笑みを浮かべたが、彼の横で血盟騎士団の団員がゆっくりと立ち上がり、戦斧を構えた。男の瞳には耐え難いほどの苦悩の色が広がっており、表情は憎悪に満ちていた。

 

「俺達の忠誠――希望を……よくも……よくも!!」

 

 彼はそのまま地面を蹴って戦斧を掲げて斬りかかったが、ヒースクリフに届く瞬間、彼の身体は力が入らなくなったかのように倒れこんだ。

 

 ヒースクリフは戦斧が振り下ろされる瞬間、メニューウインドウを展開して何かを操作したのだ。そして倒れこんだ男を皮切りにフロアにいたプレイヤー全員が力なく倒れこんだり、座り込んでしまった。

 

 オレとキリトだけを除いて。

 

 ヨミのHPバーを見ると端のほうにグリーンのアイコンが表示されており、彼女を含め全員がどのような状態にあるのかがすぐに分かった。

 

「麻痺か……」

 

「この場で全員殺して隠蔽する気か……?」

 

 キリトの言葉に茅場は首を横に振った。

 

「そんな理不尽なことはしないさ。ただ、こうなってしまった以上私は最上階の『紅玉宮』にて君達の到着を待つことにしよう。その前に、君達二人には私の正体を看破した報奨を与えねばね。実質的にはキリト君が見破ったものだが、システムのオーバーアシストに感づいたアウスト君にも与えよう。

 報奨はチャンス。この場で君達二人のどちらかが私とデュエルできるチャンスだ。デュエルに勝ちさえすればその時点でこのゲームの中にいる全員をログアウトさせる。無論、デュエル中は私の不死属性は解除する」

 

 その申し出にオレとキリトは視線を交わすが、アスナとヨミがそれを止めた。

 

「ダメだよ、キリトくん……あの男はあなたと……アウストさんをここで排除するつもりよ……!」

 

「そうだよ。だから……今は、一旦退こう……!」

 

 確かに彼女達の言うことも理解できる。茅場にとって不確定因子であるオレ達のどちらかを排除することは、彼にとってメリットにもなりうる。しかし、オレの答えは決まっていた。

 

 だからこそオレは自分の決意を茅場に向かってデュエルの承諾をしようと顔を上げるが、それよりも早くキリトが彼に告げた。

 

「俺がお前と決着を着ける」

 

「ほう。アウスト君と相談しなくていいのかい?」

 

 茅場の言い分にキリトはオレの方を見ると静かに頷いた。

 

「お前の《神聖剣》に対抗できるのは、同じユニークスキルである《二刀流》を発現している俺だと思ったから判断を下したんだ」

 

「テメェ、待てよキリト!! 勝手に決めるんじゃねぇ!」

 

 オレはヨミをフロアに寝かせてキリトに詰め寄るが、彼は真剣な表情を向けてきた。

 

「頼む。アイツと決着を着けさせてほしい」

 

「でもお前にはアスナがいるだろうが」

 

「大丈夫だ。俺は絶対に死なない。でも、俺がもし――」

 

「やめろ。それ以上言うな」

 

 言葉を遮るとキリトは苦笑した。オレは一度大きく息をつくと彼の胸を小突いた。

 

「忠告しておくぞ。アイツには絶対ソードスキルは使うな」

 

「わかってる」

 

「どんなピンチになっても絶対に使うなよ。通用するのは己の技量唯一つだ。一瞬も気を抜くな」

 

 それだけ言い切るとオレはキリトから離れてヨミの元に戻る。茅場もそれを見てどのような流れになったのか理解できたようだ。

 

「決まったようだね。では始めるとしようか」

 

 茅場が言うと同時にオレの体に痺れるような感覚が走り、その場に片膝をつく。

 

 頭を動かして二人を見るとキリトは茅場を睨みつけ、茅場の双眸は冷ややかに彼を見据えていた。

 

 そして二人が同時に駆けると、次の瞬間にキリトの剣と茅場の十字盾が激突した。金属質の甲高い音が耳に届き、彼等の間で火花が咲く。

 

 戦闘は休まることを知らず、茅場は十字盾で的確にキリトの攻撃を防いでいく。キリトも負けてはおらず攻め立てていく。しかしオレは彼の攻撃がどこか危なっかしく見えた。

 

 確かにソードスキルを使えないこの状況では、手数で勝る方が攻め立てていけば、茅場の防御は崩れる。だからキリトがあのように攻め立てていくのは分かるが、彼の攻撃はどこか焦っているように見える。

 

「ちょっと、キリト……やばくない?」

 

「ああ。かなり焦ってるな……」

 

 ヨミに答えたとき、キリトの両剣にライトエフェクトがかかったのが見えた。ソードスキルだ。しかしその瞬間、オレは叫んでいた。

 

「馬鹿野郎! 使うんじゃねぇキリト!!」

 

 放たれたのは数えられるだけで二十七回の連続攻撃。だからこそその後の硬直時間は計り知れない。そして茅場は、冷ややかな視線をキリトに向けたまま全ての攻撃を防ぎきった。

 

 そう。茅場はあの瞬間を狙っていたのだ。キリトが痺れを切らしてソードスキルを使用する瞬間を。

 

 最後の一撃が十字盾に激突した瞬間、左手の剣の刃が折れ、次の瞬間には耐久値が0になったのか、ポリゴンの欠片となって砕け散った。

 

 茅場はそのまま長剣を掲げる。同時に真紅のライトエフェクトがかかり、彼に振り下ろされた――。

 

 誰もがキリトの敗北と死を確信したその瞬間。彼等の間に白い影が割って入った。

 

 影の正体はアスナだった。オレとヨミは目を見開く。なぜ自分達と同じようにシステムによって麻痺状態にされた彼女が動くことが出来たのか。けれどその驚きを吹き飛ばすように、茅場の振り上げた剣が彼女の胸をきりつけた。

 

 赤い線がアスナの身体に刻まれ、彼女のHPが0になる。キリトは斬られたアスナの身体を抱きとめるが、彼女の身体が金色の光りに包まれた時、ノイズが奔った。そして光りが輝きが最高潮に達した時、アスナの身体がポリゴンの欠片となって砕けた。

 

 今までそこにあった重さと、彼女のぬくもりをかき集めるようにキリトが腕を動かすが、既にアスナの姿はそこにはない。

 

「こんなのって……!」

 

「……」

 

 ヨミが嗚咽交じりの声を上げ、オレは息が詰まるのを感じた。目の前で親しかった者が殺され、いなくなる。この喪失感はあの時とよく似ていた。一生消えない傷ができたあの時と。

 

 オレは無意識に動かなかった手を握り締める。気が付くと腕はブルブルと震えていた。

 

 キリトを見ると彼もアスナを失った喪失感からか、アスナの持っていた細剣と自身の黒剣を力なく茅場に向けて振っている。その攻撃に意思はなく、ただ無造作に振られているだけだった。

 

 ふと、オレはそんな彼の行動に怒りを覚えた。確かにアスナを失ったことは辛いだろう。彼の心には空虚な穴が開いてしまったことだろう。けれどたとえそうだったとしても、今の彼の行動は看過できるものではない。

 

 その感情がオレの背中を後押ししたのか、身体の中で何かが接続されるような、今まで入らなかったものが入ったような感覚が迸る。それが身体全体に回った瞬間、オレは顔を上げた。既に身体にあった麻痺の感覚は解けていた。

 

 黒曜石のように黒い石で出来たフロアに突き立てていた大剣を引き抜き、高く掲げた。そして一呼吸の後に振り下ろすと黒いフロアが大きく抉れる。同時にオレは怒声を飛ばす。

 

「ふざけんじゃねぇぞ、キリト!! お前もうあきらめたのか! 目の前でアスナが消えたのはショックだろうよ! けどな、アスナはお前に生きて欲しいから! 死んでほしくねぇからお前の盾になったんだ!! それをお前は侮辱するのか!? そいつに勝つことをあきらめ、生きることもあきらめるのか! あいつはそんなことは望んじゃいない!! だから勝てキリト! 勝って生き残れッ!!」

 

 オレの起こしたフロアの破壊と、怒声に茅場が一瞬こちらを見た。恐らく麻痺状態にあったはずの動けたことに驚いているのだろう。キリトを見ると彼は俯いていた顔を上げている。

 

 その双眸には力強い覚悟の火がともっており、キリトが覚悟を持ったことが見て取れた。ヒースクリフもそれに気が付いたのか彼に向かって剣を突き立てようとするが、キリトは雄たけびを上げて細剣をヒースクリフの身体に突き刺した。

 

 二人の剣が互いの身体に突き刺さるのはほぼ同時だった。同時に彼等のHPバーは消え、身体にノイズが奔っているのが見えた。

 

 アスナと同じように金色の光に包まれた二人の身体はやがて飛散したが、オレはその時、茅場が穏やかな笑みを浮かべ、キリトがこちらに向かって何かを言っているような気がした。

 

 彼等の体が完全になくなったとき、無機質なシステム音声が耳に入ってきた。

 

『アインクラッド標準時 十一月 七日 十四時 五十五分 ゲームは クリアされました。 プレイヤーの皆様は 順次 ゲームから ログアウトされます。 その場で お待ちください。 繰り返します……』

 

『ゲームは クリアされました』。この言葉はいつまでも耳の中に響いていた。そして目の前で散っていった三人を思い浮かべていると、麻痺状態から回復したエギルとクラインがやってきた。ヨミも回復したようだ。

 

「大丈夫か、三人とも」

 

「まぁ、オレ達は平気だけどよ……」

 

「キリトとアスナは……チクショウ! あの馬鹿たれが!」

 

「やっぱり死んじゃったんだよね……二人とも……」

 

 ゲームはクリアされても声を大にしては喜べない。現にクラインとヨミの目尻には涙が浮かんでいる。けれどオレは小さな笑みを浮かべた。

 

「確証はねぇんだけどさ。あの二人、たぶん生きてるんじゃねぇかな」

 

「どうしてそんなこと言える? わかんねぇだろ」

 

「ああ、確かにわからねぇ。でも、信じてみるのはいいんじゃねぇの?」

 

 ニッと笑みを浮かべながら言うと三人は呆れたような表情をしていたが、先程よりも表情は柔らかくなった。すると、オレ達の身体が発光し始める。淡い蒼の光りは死亡エフェクトではなく、転移される時のエフェクトとよく似ていた。

 

「そろそろだな。そんじゃお前等、次に会うときはリアルでな」

 

「おう。またな、アイツ等はきっと生きてるよな」

 

「ああ。そう信じて待とう。またな」

 

「それじゃあね、アウスト」

 

 三人の声を聞くと同時にオレの視界は真っ白になり、システムのアナウンスも遠くなっていった。

 

 

 

 

 

 全方位何処を見回してもそこは漆黒の闇が広がっていた。

 

 何処を見回しても光りはない漆黒の世界だが、オレの身体だけは淡く発光していた。

 

「リアルじゃ、ねぇよなぁ……。装備つけてるし」

 

 肩を竦めて自分の身体を見下ろすと、いつもの装備を纏っていた。どうしたものかと首をひねっていると、背後から声をかけられた。

 

「急に呼び出してすまないね、アウスト君」

 

 テノールの声だった。振り向くと、白衣を着た男性がいた。その顔は何度となく見たことがある。

 

 背後にいたのは茅場晶彦その人だった。ヒースクリフというアバターではなく、リアルでの彼の姿がそこにはあった。

 

「まさかご本人と対面できるとはね。そんで、なんか用か? 茅場さんよ」

 

「少し君に質問がしたくてね。この場を設けさせてもらった」

 

「ふぅん。まぁいいけど、それで質問ってのは?」

 

「君は、このゲームを楽しめたかい?」

 

 どんな質問が来るのだろうと身構えたが、素朴な質問だった。オレはそれに小さく笑みを浮かべる。

 

「オレは楽しかったぜあのゲーム。それにあのゲームがあったからオレは現実世界でも生きていけると思えた。ソードアート・オンラインはオレに生きる気力を与えてくれた。何をしてもがらんどうだったオレを救ってくれた。だから感謝してるんだぜ、アンタには。まぁ、さっきのは流石にキレかけたけどな」

 

 ニヒルに笑みを浮かべてみると、茅場は納得したように頷く。

 

「そうか……。君はやはり純粋にあのゲームを楽しんでくれたようだね。初めて会ったときも誰よりも生き生きとした目をしていたことを覚えている。これでやっと納得が行ったよ。では、最後にこれだけ言わせてくれ。ゲームクリア、おめでとう」

 

「クリアしたのはキリトだろ」

 

「いいや、彼を後押ししたのは君の言葉だ。君も胸を張っていいと私は思う」

 

「そうかい。あぁそうだ、あの二人生きてるのか?」

 

 聞いてみると茅場は一瞬悩んだような表情を見せる。けれど、少しすると静かに頷き、踵を返した。

 

「さて、私はそろそろ行くよ」

 

 彼はそのまま闇の中へと解けて行き、オレの視界の端に一筋の光りが見えた。そちらに向かっていくとやがて視界が真っ白になり、意識も遠くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体に感覚があるのを感じたオレは指先を動かしてみた。

 

 指に当たるのは布のような肌触りのものだ。恐らく布団だろう。次に入ってきた情報は匂いだった。花の匂いに混じり僅かに消毒液の匂いがする。そして耳に聞こえるのは機械の音と小鳥のさえずる声。もっと行ってしまえば遠くからは人が歩く音がする。

 

 ゆっくりと目を開けると天井は自分の部屋の天井ではなかった。やたら高級感のある天井は一瞬ホテルかとも思ったが、消毒液の匂いからしてそれはないだろう。ここは病院だ。

 

 仮想空間ではしきりに身体を動かしていたが、こちら側では二年間も動かしていなかったツケなのか身体が重い。けれど軽く力を入れてみると割りとすぐに起き上がることが出来た。

 

 改めて周囲を見回してみるとベッドサイドには大量の花。それに埋もれるようにして点滴やら心電図などが置いてある。改めて息を吸うと自分が戻ってきたのだと実感できた。

 

 そこで頭が重いことに気が付く。そうだ、ナーヴギアを着けっぱなしだったのだ。頭から鉛色をしたヘルメットを引っぺがし、周囲を見渡すと視野が広くなった。

 

 色々気が付いたことだが随分とお見舞いに来てもらったようだ。ベッドサイドのテーブルには果物があったし、クラスの寄せ書きも見えた。

 

「……随分と、心配されてんだな……」

 

 かなり掠れた声が出た。まぁ二年、口から水分を摂取してないのだから当たり前か。唾液では足りないこともある。オレはテーブルにあった水を身体に馴染ませるようにゆっくりと飲むと、点滴スタンドを掴んでベッドから出ると、ゆっくりと立ち上がった。

 

 剣道は出来なくとも鍛えていたためか、倒れこむということはなかった。オレはそのまま病室の外を写す窓まで行って外を眺めた。

 

 そこには今まで空虚で灰色だった世界はなく、色鮮やかで未来に満ちた世界が広がっていた。

 

「綺麗だな……」

 

 言葉は自然と出てきた。同時に瞳からは涙が零れ落ちる。ゲーム世界から抜け出せた喜びからではない。世界の美しさとそれを感じることが出来たことに涙が出たのだ。

 

 この日、「アウスト」こと、萩月葵は現実世界への帰還を果たしたのだった。




はい、待たせ致しました。
これにてSAO編終了です。
短いとも思いましたが、十話か十二話程度で完結させたかったものですからね、ハイ。

次回からはALOに入りますが、新キャラがドッと増えます。
チョイチョイ出てきた葵のお姉さんもしっかり出ます。また、ALOでは姉さん大活躍です。あとは葵の家がどんな家なのかも明らかに出来ればと思います。
待っていろ須郷さん!

では、感想などありましたらよろしくお願いいたします。


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ALO編
第十一話


 携帯の無機質なアラームを止めようと、オレは包まっていた布団からヌッと手を出して鳴動する携帯を探す。ベッドサイドに置いてあった携帯を操作してアラームを止めると、そのまま起き上がる。

 

 一気に一月の冷えた空気が身体に纏わりついてきて、もう一度布団に潜り込みたくなったが、それを振り切って寝ぼけ眼を擦りつつ、携帯の置いてあったベッドサイドテーブルに配備されているタッチパネル式のスイッチをタップする。

 

 途端に空調が動き出し、自動でカーテンが開けられる。窓の外は時間が朝の五時ということもあってまだ暗い。ある程度部屋が暖まったところでクローゼットの扉をタップして開かせ、中から着慣れたスポーツウェアを取り出して着る。

 

 そして充電しておいた音楽プレイヤーをポケットに突っ込み部屋を出て洗面所に向かい、そこで顔を軽く洗った後、やたらと長い廊下を歩いて庭へ出た。

 

 まだ暗いものの、街灯が点いているので走るには問題はないだろう。小さく息をつくと白くなった息が虚空に消え、冬の寒さをあらわした。

 

 庭の飛び石を歩きながら巨大な門のくぐり戸を抜けて軽く準備体操を終えた後、オレは日課となっていた朝のランニングを開始した。

 

 ソードアート・オンラインから帰還してから二ヶ月。季節は真冬の一月となっていた。あの後、病院で目覚めたオレの元に家族全員が押しかけてきた。まぁ二年間もゲームの中で囚われていたのだから心配されるのも当たり前だ。

 

 けれど心配されるだけではなく、姉である萩月椿(はぎつきつばき)の強烈な拳骨も同時に襲ってきた。竹刀や木刀でなかっただけまだ良かったと思う。

 

 その後家族と談笑している最中やって来たのは、《総務省SAO事件対策本部》の職員である、鹿嶋陽子(かしまようこ)という女性だった。彼女から聞いた話ではどうやらオレやキリトなどの上位プレイヤーはモニターされていたらしく、オレの担当をしていたのが彼女だという。キリトのことも聞いたが、彼の方に行ったのは菊岡という男らしい。

 

 オレは一通り彼女にSAOで起きたことを話した後、交換条件として可能な限りのフレンドの情報を寄越させた。PCを開いて様々なところに連絡を取っていた彼女は、物の数分でヨミやマシュー達の入院先や連絡先を突き止めてくれた。

 

 殆どのフレンドとは連絡がつき、ヨミやマシューも無事にログアウトできたようだった。けれど、そのうちの一人、アスナこと結城明日奈は現実に戻ってこなかったのだ。それだけではない、その後鹿嶋から聞いた話では彼女を含めたSAOプレイヤーのうち三百人近くが目覚めたなかったのだ。

 

 世間では茅場の陰謀説が騒がれたが、そんなことはないとオレは思った。彼は確かに日本のサイバー犯罪史上最悪なことした。けれど、ゲームに負けたからと言ってそんな理不尽なことする人間には見えなかったからだ。

 

 まぁオレに何が出来るわけもなく、一応アスナが入院している病院を聞き出したオレはリハビリに励んだ。

 

 最初は筋肉の衰えに絶句したものだが、肩が上がらなくなっても続けた鍛錬の成果なのだろうか。予想に反して三週間近くでオレは退院することができた。以後は一人暮らしをしていた東京都の文京区にあるアパートではなく、同じく東京都の八王子市にある実家へ強制送還という形で帰された。

 

 オレの実家は古くから続く剣術道場を営んでいる。門下生もそれなりに多く、自分で言うのはアレだが、所謂金持ちの部類に入る家だ。だが、家を継げるのは一人のみであるので、四兄妹である我が家を継ぐのは長女である椿だ。

 

 そのほかのオレ達は普通の企業に就職するので、何もしないで金が入ってくるというボンボンみたいな生活はしていない。小遣いも出してくれるのは中学生までで、高校からは小遣いはない。全て自分で稼ぐのだ。

 

「花の高校生に小遣いナシってどうなのよ」と愚痴を垂れていたのは双子の姉である(あざみ)だったか。確かにそうだが、オレは一人暮らしだったので家賃は家が出してくれる代わりに生活費は全部自分で稼いでいたのでそれほど苦ではない。

 

 家に帰ってからは今までどおりに身体を動かせるまでに回復はしたが、やはり剣は振れなかった。それでもオレは前よりは気にしなかった。家族もそれを察知したのか変わったとも言っていたので前から比べれば変わったのだろう。

 

「まぁ理由自体はもう一つぐらいあるんだけどな」

 

 

 

 

 

 およそ一時間のランニングを終えて家の門に戻り、くぐり戸を通るとその隣に着物の上に道中着を羽織った女性が立っていた。

 

「お帰りなさいませ、葵様」

 

 女性は言うと同時にタオルを渡してきた。それを受け取りつつ、オレは彼女に軽く頭を下げる。

 

「いつもありがとな。(はな)さん」

 

「いいえ。これも萩月家に使える従者としての務めですから。入浴の準備は出来ていますのでお使いください」

 

 彼女は深く頭を下げた後、下駄を鳴らしながら家の中に戻っていった。彼女の名前は楠木華(くすのきはな)と言い、うちのお手伝いさんである。オレが子供の頃からいるのだがその時から外見にまったく変化がないという、なんというかすごい人だ。

 

 感情を表に出すことが一切ないが、冷たい人というわけではない。現にオレがゲームに閉じ込められた時は姉貴曰く「しばらく呆然としていた」という。

 

 華さんが持ってきたタオルで汗を拭きつつ庭を歩いていると、道場の照明が点いているのが見えた。同時になにかを振る音が聞こえる。

 

 オレは歩く方向を変えて道場の入り口から中を覗いた。

 

 剣道場には一人の女性がいた。流れるような黒髪をポニーテールに纏め上げ、純白の道衣と漆黒の袴を着込み、手には鈍い光を放つ日本刀が握られている。彼女の外見を一言で表すなら容姿端麗が一番しっくり来るだろう。

 

 彼女こそ萩月家次期当主にしてオレの姉であり、萩月家始まって以来の天才、剣道や格闘技系の世界では知らぬものはいない、《剣帝》の異名をとる女性、萩月椿だ。

 

 挙動の一つ一つは一切の無駄がなく、流れるようであり、それについて回る麗しい黒髪はシャラシャラと音がするのではと見紛うほどの美しさを持つ。今現在、剣道や格闘技系で彼女に勝てるものは現実世界にいないらしい。

 

 オレが眠っていた二年間もそれは健在らしく、絶対王者の座を譲る気はしばらくないようだ。すると、彼女は持っていた日本刀を鞘に納めると「葵」と呼んできた。

 

「盗み見とは趣味がいいとは言えないぞ」

 

「道場に明りがついてたから気になったんだよ。それに型の鍛錬してたみたいだし邪魔するわけにもいかねぇだろ」

 

「そうか。走ってきたようだが、体調は大丈夫か?」

 

「二ヶ月も経ってるからな。これといって問題はねぇよ」

 

「ならばいい。私はもうしばらく鍛錬を続けるが、お前はどうする」

 

「華さんが風呂いれてくれたみたいだから入るよ。姉貴もほどほどにな」

 

 オレが言うと姉貴は小さく頷いて鍛錬に戻り、オレが風呂に入った後に続いて姉貴が入った。

 

 

 

 それから一時間後、午前七時に朝食が始まり、食卓にはオレを含めて七人の人物がいた。

 

 一番端に座った体格の良い強面の男性はオレの親父である萩月(さかき)。その向かい側に座っているのは母親である萩月(かえで)。そして親父の隣には一番下の弟である(しゅう)。母さんの隣には薊が座り、その斜め向かいに椿、その前にオレ、そして最後は華さんが座っている。

 

「それにしてもこうして皆で朝御飯を食べられることはやっぱりいいわねぇ」

 

 そう声を漏らしたのは母さんだった。因みにうちの食事は華さんと母さんが分担している。

 

「母さん、その話何回言うのよ」

 

 呆れた様子で言うのは隣に座っている薊だった。

 

「だって嬉しいじゃない。葵が高校に行ってから寂しくなっちゃったし、御爺様や御婆様だって群馬に行ってしまったし」

 

「まぁそうだけどさ、もう葵が戻ってきて二ヶ月なんだしさぁ。少しは収まろうよ」

 

「そうかしらねぇ」

 

 母さんはおっとりとした声で息をつくと目の前の親父に視線を向けた。すると親父はバツが悪そうな顔を浮かべ、新聞で視線を遮って隣の柊に問うた。

 

「そういえば柊、小学校でなにかあったりしてないか?」

 

 完全に母さんから逃げている言動だ。親父曰く母さんには頭が上がらないらしい。まぁ剣術しか頭にない親父も親父だとは思うが。

 

「お父さん、僕もう五年生なんだからそんなことないってば。というか、お母さんから話を振られてこっちにもってくるのやめてよ」

 

「その言動、小学生とは思えねぇなぁ、柊」

 

「だって本当のことじゃん葵(にい)

 

 オレの言葉に柊はヤレヤレと言った様子で溜息をついているが、言われた親父はがっくりとと肩を落としている。

 

 ふとそこで思い出したように薊が手を叩いた。

 

「そういえば葵、今日アンタ所沢の病院に行くんだっけ?」

 

「ああ。知り合いの見舞いにな」

 

「まだあのゲームから抜け出せていないという結城家のご息女だったか? 確か名前は明日奈さんだったか」

 

 以外にも話に入ってきたのは親父だった。というかそれ以上に驚いたのは親父がアスナの苗字を知っていたことだ。

 

「親父なんで知ってんだ?」

 

「言っていなかったか。結城彰三氏と俺は旧知の仲なんだ。以前お前が目を覚ました時にあちらから連絡を貰ったんだ。見舞いに行くのは構わんが、あまり粗相のないようにな。今日辺り彰三氏も見舞いに行くと言っていたから、一応連絡しておこう」

 

「ありがと。んじゃ、ごちそーさん」

 

 親父に礼を言い朝食を終えたオレは開いた食器を片して流し台へ持っていったが、そこで今まで黙っていた椿が口を開いた。

 

「葵。その見舞い、私もついて行こう」

 

「……はぁ? 何で姉貴が?」

 

「その結城明日奈という少女は、恐らくお前がゲーム内で世話になっていた人物なのだろう? だったら、姉である私も行く価値はあると思うが?」

 

「なんかすげー理論だけど……。まぁいいや、行くのは十時くらいだからそれまでに準備しといてくれ。電車で行くか?」

 

「いいや、私が車を出そう。では十時にな」

 

 姉貴の言葉を聞いてオレは自室がある二階へ上がると、ラフな格好から外着に着替えてパソコンに向かう。オレの部屋の中には一人暮らしの時に持っていったものが大体入っている。しかし、その中で一番存在感を放つのは鉛色をしたヘルメット型のゲームハード、《ナーヴギア》だ。

 

 世間では悪魔の機械などと称されてはいるが、実はオレはこの《ナーヴギア》を今でも利用していたりする。それは現在進行形で《アルヴヘイム・オンライン》というVRMMOを続けているからである。

 

 SAO事件の半年後に、この《ナーヴギア》の後継機である《アミュスフィア》という円冠状のゲームハードが「絶対安全」という銘を打って発売された。システム的には《ナーヴギア》と大した差はなく、セキュリティを強化しただけらしい。

 

 しかも色々と調べたら《アルヴヘイム・オンライン》――通称、ALOは《ナーヴギア》で動くという。だったら金がかからない方を取ろうということで、オレは今でもこのヘルメットを被って仮想世界へダイブしている。

 

 ALOはレベル制だったSAOとは違い、超がつくほどのスキル制のゲームだ。プレイヤーは最初に九種属いる《妖精》を選択し、妖精としてゲームを進めていくのだ。まぁタイトルである「アルヴヘイム」が北欧神話から取っているのだから当たり前だが。

 

 妖精などと言っているものの、その実ゲーム環境は中々にシビアであり、運営がPKを推奨しているのだ。しかもレベルを上げれば何とかなるSAOとは違い、プレイヤーの運動能力に依存するため、かなりハードなゲームなのだ。

 

 最初は肩のことを心配したが、実際に動かすわけではないので、ゲーム内で普通に動かせたことにはホッとした。

 

 また、このゲームにはSAOになかった魔法という戦闘方法ともう一つ人気を誇る点がある。それは《フライト・エンジン》を搭載したことでゲーム内を自在に飛べるということだ。もちろん永久に飛べるわけではなく、飛行時間というものが存在する。それでも「飛ぶ」という現実世界では味わえない感覚を味わうために、今でもプレイヤー人口は増えているらしい。

 

 このゲームを始めたのは、約一ヶ月前だ。別に以前のように生きることに無気力になっているわけではない。ただ、一度味わったあの世界をどうしても忘れられなかったのだ。だからその中で自分が気になったゲームであるALOをプレイし始めたというわけだ。

 

「どうすっかなぁ。今七時半だから少しくらいだったらインできるけど……」

 

《ナーヴギア》とにらめっこしながら悩んでみるが、今はやめることにした。下手にやって時間を忘れるのはよくない。昔からRPGというのはは、「次のセーブポイントでやめる」と言っている割にどんどんと進んでしまうものだ。オンラインゲームでは自動セーブなのでそういうことはないが、時間内に街でログアウトできなかったら大変である。

 

「昨日は確か《アルン》でぶらついてたんだよな。特に誰とも約束はしてないし、ヨミやマシュ……じゃなかった、詠美と瞬はしばらく暇じゃないって言ってたしな」

 

 ヨミこと星峯詠美とマシューこと風島瞬も実を言うと既にALOを始めている。始めたのはつい最近だが、二人とも特に怖がることもなく始めているらしい。ただ、二人はオレと違って《アミュスフィア》で始めているらしいが。

 

「仕方ない。時間までは適当にネットでもぶらついてるか」

 

 オレは《ナーヴギア》をベッドの上に放り出してパソコンへと向かった。

 

 

 

 

 

 そして約束の午前十時、華さんの用意してくれた見舞い用の花束を持って姉貴の待つ車庫へと出向くと、ボンネットに腰をかけて待っていた姉貴がいた。

 

「来たな、では行くぞ」

 

「ああ。よろしく頼む」

 

 オレは小走りに車の助手席に乗り込む。姉貴もまた運転席に乗り込み、ミラーなどの確認をした後エンジンをかけて車を発進させた。

 

 一般道を走り続けて十数分、特に話もないままいると車は高速道路に乗った。そしてインターチェンジを抜けてしばらくしたとき、お茶を飲んでいたオレに姉貴が声をかけてきた。

 

「葵。お前またVRMMOとやらをやっているようだな」

 

「ぶっは!?」

 

 突然の言葉に飲んでいたお茶が気管に入ってしまった。しかし、それ以上にまさかばれているとは……。

 

「えっと、いつからお気付きに?」

 

「つい最近だな。安心しろ、別にやめろとは言わないさ。ただ、私も幾分か興味が湧いてきてな。お前が熱中するVRMMOというシロモノに」

 

「姉貴がか!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、それはしょうがないといえる。なぜなら姉貴はゲームとかにはあまり興味を示さず、兄妹間で遊ぶ程度にしかやらなかったからだ。

 

「そんなに驚かなくてもいいだろう。私とてお前と同じ人間だ。興味ぐらい持つさ、それでどうだ? 今やっているゲームは私でも出来そうか?」

 

「私でも出来そうって言うか、むしろ姉貴向きというか……。そんなに興味あるなら明日辺りハード買ってきてやってみるか?」

 

「ああ、そうしてみたいな。家だと迂闊にこういった話はできないからな」

 

「まぁそうだよなぁ」

 

 彼女の言うとおり、現在我が家ではVRMMO系の話はできないのが現状だ。理由としては親父がよく思っていないというのが強い。母さんは色々と説明したら分かってくれたので特に問題はないのだが、親父の場合、柊に変な影響が出るとのことでダメだとのことだ。

 

 問題はそれなりにあるが、とりあえずオレは明日秋葉原にでも行ってアミュスフィアを購入することを決めたのだった。

 

 

 

 

 

 高速を走ることしばし、オレ達はアスナが入院している埼玉県所沢市にある民間企業が運営する高度医療機関の病院へ到着した。

 

 パッと見は高級そうな建物なのでホテルのようだが、れっきとした病院である。何度か訪れたこともあるが、駐車場の広さもなかなかのものである。

 

 姉貴も同じことを思ったのか、車を降りた後感心したように息をついた。 

 

「随分と大きな病院だな。お前が入院していた所と同じくらいはあるか?」

 

「どうだろうな。つーか、そんなことはどうでもいいだろ。さっさと行こうぜ」

 

 オレは姉貴の言葉に肩を竦めたのち、ロビーへ行くと通行用のパスを発行してもらい、そのままアスナの病室へと向かった。

 

 エレベーターに乗り込むと病室がある十八階に到着した。エレベーターの重厚な扉が開くと、オレ達と入れ違いになるようにして恰幅の良い男性がエレベーターに入った。

 

 そのまま特に気に留めずにアスナの病室へと足をすすめようとしたのだが、そこで背後から声をかけられた。二人して振り返ると、先ほどの恰幅の良い男性がこちらに手を向けているところだった。

 

「人違いだったらすまないが、君達は、萩月葵君と萩月椿さんかね?」

 

「ええ。そうですが、貴方は?」

 

 声に答えたのは姉貴だ。

 

「失礼。私は結城彰三という。お父様から聞いていないかね?」

 

「あぁ、明日奈さんのお父様でしたか。改めまして、私は萩月椿。こっちは弟の葵です。父がお世話になっているようで」

 

「どもっす」

 

 オレは姉貴に続いて軽く会釈したが、凄まじい勢いで拳骨をされた。

 

「すみません、結城さん。うちの愚弟がとんだ粗相を」

 

「いやいや、構わんよ。それにお世話になっているのはこちらも同じだよ。今日は明日奈のお見舞いに来てくれた様だね。お父様から聞いているよ。ぜひ会って行ってくれたまえ、あの子もきっと喜ぶ」

 

「ありがとうございます。では」

 

 姉貴がそう告げて頭を下げたのでオレも頭を下げたが、そこで彰三氏は思い出したように「おぉそうだ」と続けた。

 

「ちょうどいま桐ヶ谷君も顔を出しているところだ。もう一人うちの研究所の者もいるが、彼のことは本人から聞いてくれ」

 

 彰三氏はそれだけ言うとエレベーターに乗って行ってしまった。残されたオレ達は互いに軽く息をつく。

 

「キリト……じゃなかった、和人も来てるのか」

 

「確かゲームクリアと成し遂げて英雄と称された少年だったか?」

 

「ああ。ゲームの中じゃ何度かパーティーを組んだこともある。あぁパーティーってのは相棒って言うか、グループって言うかそんなもんだ」

 

「なるほど。だが引っかかるのは研究所の人間がいるということだな」

 

「確かに。なんで自分お抱えの研究者をアスナの病室に入れる必要があるんだろうな」

 

 オレは首をかしげながらも病室の前まで行くと、発行してもらったパスをスリットに通した。

 

「失礼しますっと」

 

 入った瞬間、オレは室内が妙な雰囲気に満ちているのがわかった。視線を前に向けると、そこには二人の人物がいた。

 

 一人はアスナが眠るベッドの扉側にいる少年、桐ヶ谷和人。けれど、彼の顔は青ざめている様に見えた。もう一人はスーツ姿で長身、やや面長の顔にフレームレスの眼鏡をかけた男性だった。

 

「ア……葵……」

 

 一瞬アウストと呼びかけた和人だが、それに被せるようにしてスーツの男性が言ってきた。

 

「あぁ。君達が社長が言っていた萩月家の葵君と椿さんか」

 

 人のよさげな笑みを浮かべながら男性はこちらにやってくると、オレと姉貴の手を握ってきた。握手を終えると、彼は自分の胸に手を置いた。

 

「こちらの紹介がまだだったね。僕は須郷伸之です。君達の事はここに来る途中で社長から聞いているよ」

 

「さっき結城さんが言っていたのはアンタか。で、アンタもアイツの見舞いか?」

 

 オレがいつものように敬語も使わずに問うてみるものの、姉貴は反応しなかった。しかし、須郷は反応した。僅かに眉の辺りが訝しげに動いたのだ。

 

「いいや、今日は彼女に結婚報告をしに来たんだ。そうだ、式には君達も呼んであげよう。友人は多い方が彼女も喜ぶ。もちろん君もだよ、桐ヶ谷君」

 

 瞬間、須郷の顔が僅かに醜悪に歪んだ。オレはアスナが意識不明だというのに結婚など出来るわけがないと言おうとしたのだが、それを遮ように姉貴が前に出た。

 

「それはありがとうございます。式にはぜひ出席させていただきます」

 

「ああ、そうしてくれると嬉しいよ。っと、僕はそろそろ時間なのでね。これで失礼させてもらうよ」

 

 須郷は最後に人の良さげな笑みを見せて去って行ったが、オレはやつがどうにも気に入らなかった。

 

「姉貴」

 

「分かっている。あの男、非常に不愉快だった。よからぬことを企んでいるのは明白だな」

 

 それに頷いて答えた後和人を見るが、彼は悔しげに歯噛みしていた。それも無理はないと思うが、このまま引き下がれはしないだろう。

 

「和人。お前アレでいいのか?」

 

「いいわけないだろ。でも、アスナが目を覚まさなかったら……クソッ!」

 

「確かに桐ヶ谷の気持ちも分からんでもない。しかし、明日奈嬢の居場所が分からん今、どうしたものだろうな」

 

 口元に手を当てて姉貴が考えているが、和人は彼女を見て首をかしげている。

 

「紹介がまだだったな、オレの姉貴だ」

 

「萩月椿だ。よろしくな、桐ヶ谷和人」

 

「こちらこそ。それじゃあ、葵。俺そろそろ帰るよ……」

 

 和人は力なく告げて病室を出て行ったが、無理もないか。

 

「今はそっとしておくのが良いかもしれんな。立ち直れるかどうかは彼自身にかかっているだろう」

 

「姉貴は厳しいねぇ」

 

「お前の時もそうだった。心配はしてやったが、立ち直るかどうかはおまえ自身の問題だったからな。さて、我々も花を置いたら退散するとしよう。昼食でも食べていくか?」

 

「ああ」

 

 オレは答えてベッドサイドテーブルに花束を置いて踵を返し、姉貴と共に病院を後にした。

 

 

 

 

 

 翌日、姉貴用の《アミュスフィア》とALOのソフトをを買いに行くため秋葉原にあるゲームショップに繰り出そうとした時だった。パソコンのメールを報せる音が響いた。

 

 小首を傾げつつ送信されてきたメールを見ると、差出人はエギルだった。キリトが二十日ほど前に会ったらしく、それの流れでアドレスを交換しておいたのだ。確かエギルの本名はアンドリュー・ギルバート・ミルズだったか。けれどなんか面倒くさいというのもあって無難にエギルと呼ぶことにしている。本人も気にしていないようだったし。

 

「タイトルは……『Look at this』? これを見ろってなんだこら?」

 

 小首をかしげながら添付されていた画像を開くと、よく分からない画像だった。しかしそれでも色合いからして移っているものが現実世界のものではないことはすぐに分かった。

 

 画像は非常に粗いもののなんとか誰かいるというのは理解できた。その人物は鉄格子のようなものに閉じ込められているようだ。

 

「これは……アスナか……?」

 

 視界に移る画像をもう一度凝視してみる。何度見ても見紛うはずはない、画像の中に少女はアスナだ。

 

「でもなんだってアスナが鉄格子みてぇなところに……ん?」

 

 口元に手を当てて考え、一度画像から離れた時だった。彼女の背中から半透明の羽が伸びているのが見えたのだ。オレはこの羽に見覚えがあった、鳥の翼のような羽ではなく、むしろ昆虫類の翅に近いこの形状は……。

 

「ALOでのプレイヤーの羽か?」

 

 そこでオレは弾かれるようにしてALOのパッケージを裏返す。開発メーカーは《レクト・プログレス》。確かアスナの親父さんがCEOを務めている《レクト》の子会社だったか。確かそこではVR関連の研究も進められているらしい。

 

 そして昨日会った須郷伸之といういけ好かない男。ヤツは確かレクトの研究所の人間だった。ここまでくれば偶然という二文字では片付けられないだろう。

 

「ってことはアスナがいるのはALOの中ってことか? いいや、アスナだけじゃないな。ログアウトできてない三百人はここに捕らえられているのか……」

 

 殆ど予想と勘であったが、空振りではないだろう。すると携帯が鳴動した。画面を見るとエギルからだ。

 

「もしもし、エギルか?」

 

「ああ。メールは見たか、アウスト」

 

「今見た。これってALOの中の画像だろ」

 

「よく分かったな。って、まさかお前やってるのか?」

 

「一ヶ月くらい前から始めてる」

 

 オレが答えるとエギルは「お前ってやつぁ……」と呆れたような声を出したが、すぐに話しをもどしてきた。

 

「始めてるなら話が早いな。頼みがあるんだが、アウスト。キリトを手伝ってやってくれねぇか? 一ヶ月前に始めてるって事は知識はあるんだろ?」

 

「まぁそれなりにはな。その様子だと、キリトのヤツ今からお前の店にでも行くみたいだな」

 

「画像を送ったらえらい剣幕で電話してきてな。まぁ無理もないと思うけどな。じゃあ、お前のことはキリトに伝えておくぜ」

 

「おう。アイツには後で連絡するように行っておいてくれ。オレは今からアキバに行かないといけないんでな」

 

「買い物か?」

 

「ちょっとばかしな。そんじゃ」

 

 オレはそれだけ告げて通話を終了すると、昨日姉貴から預かった金が入った財布をポケットに突っ込み、コートを羽織った後家を出た。

 

 

 

 

 

《アミュスフィア》とALOのソフトを買ったオレはすぐさま帰宅し、姉貴の部屋に入って準備を始めた。まぁ準備と言ってもソフトをアミュスフィアに差し込むだけなのだが。

 

「それじゃあこれを頭にセットして……目を閉じてから《リンク・スタート》って言えばログインできるから。その後はシステムの案内に従ってくれ」

 

「わかった」

 

「種族は昨日行ってたとおり《スプリガン》でいいんだよな? で、名前は《ツバキ》で。まんま本名だけど平気か?」

 

「問題ない。現に明日奈嬢も本名だったのだろう? お前は確か《インプ》で《アウスト》だったな。そういえば他の種族が、別の種族の街の圏内いると攻撃されるらしいが大丈夫か?」

 

「インプとスプリガンはさほど中が悪いわけじゃないからな。こっちから仕掛けなけりゃなにもしてこないさ」

 

 オレが説明を終えると姉貴は一度頷き、そのままベッドに横になった。

 

「それじゃあ次は向こうでな。出来るだけ目立つところにいてくれ」

 

「了解した。では向こうで」

 

 姉貴はそういうと目を瞑ったので、オレは急いで彼女の部屋から脱して自室に戻った。その時、オレの携帯が鳴った。キリトからだ。

 

「もしもし」

 

「俺だアウスト」

 

「ようキリト。昨日と比べたら随分と声のトーンが上がったな」

 

 少しお茶らけ気味に言って見ると、電話の向こうで和人は笑った。その様子からして昨日のことは吹っ切れ、今はアスナ救出に専念できているようだ。

 

「まぁな。それでALOのことなんだけど、ありがとな。でもどうやって落ち合う?」

 

「とりあえず今日はログインだけして。ログアウトしたら何処にいるのか教えてくれ、最短で向かうから。キャラネームはどうせキリトだろ」

 

「たぶんな。それじゃあ、また向こうで」

 

「おう」

 

 オレは答えてから携帯を放り、塗装がはげかけの《ナーヴギア》を被ってベッドに仰向けになり、目を閉じてから何度目かになるあの言葉を口にした。

 

「リンク・スタート」




はい、今回一気にキャラが増えましたが主要メンバーとなるのは数人です。
お気付きの通り椿は主要メンバーです。そして尚且つリアルでそれだけ強いということは、そういうことです。

次回はいよいよALO内部の話ですが、がんばっていきたいと思います。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十二話

今回の話で出てくる街の名前とか回廊の名前は私が適当につけたものですのでご了承ください。


 光の渦をくぐったオレは仰向けの状態で目を覚ました。

 

 視界の端にはHPとMPが表示されており、その上には『アウスト』という名前がある。

 

 上半身を起して周囲に目を向けると、壁際には簡素な机と椅子。そして今自分が寝ていたベッドがある。ここはスプリガン領のホームタウンだ。言ってしまえばスプリガンの種族としてのSAOの《はじまりの街》とでも言うべきだろうか。

 

 オレはベッドから腰を上げて扉を開け、階段を下りて宿屋を出た。

 

 宿屋を出ると古代遺跡を思わせる街並みが広がっていた。視線を泳がせれば現実世界にあるマヤ文明のピラミッドのような建造物がそびえており、確かあの裏手にはスプリガン領を取り仕切る領主の住まいとでも言うべき《領主館》があったはずだ。

 

「こうしてみると、やっぱりSAOとは建物の感じもちがうよなぁ」

 

 呟きつつ街中を歩くと、段々と黒を基調とした装備を纏うプレイヤーの姿が見えてきた。

 

 スプリガンとは漢字で書くと《影妖精》と書く。その名の通り、彼等の初期装備は黒で染められており、容姿も黒みがかっている。

 

 それに対してオレの種族は《インプ》。《闇妖精》だ。こちらは全体的に藍色がかった容姿で装備も紫っぽかったり、紺色っぽい色が多い。無論オレの容姿も例外はなく、藍色の頭髪に蒼銀の瞳。体つきは多少筋肉質であるものの、現実とさほど変わらない。顔つきもランダム設定にしては整っている。

 

 装備はSAO時代と殆ど変わっていない。それは背負っている身の丈ほどの大剣もまた然りだ。だが流石に《片刃大剣》というカテゴリーはないようだったので、背負っているのはプレイしていた中で最も重く、最も大きな大剣だ。確か名前は《アイゼントシルヴァー》だったか。

 

「つーか黒なら普通にインプの方が合ってると思うんだけどなぁ。漢字的に」

 

 肩を竦めつつインプとスプリガンの容姿に悩んでいると、前方に人だかりが出来ているのが見えた。確かあの奥は初心者プレイヤーが最初に転移する場所だ。

 

「まさかな……」

 

 なんとなくその奥に広がっている光景に嫌な予感を感じつつ、人垣の隙間からその先を見た。

 

 そこには美女がいた。

 

 いやまぁオンラインゲームなのだから美女ぐらい居るのだが、その美女は圧倒的にオーラが違っていた。流れるようで絹のような漆黒の頭髪はポニーテールに結われ、体つきも非常に女性的で美しい。それでいて表情はとても怜悧な雰囲気だ。睨まれたら心まで凍りつきそうだ。それに加えてまるっきり初期装備のくせに凄まじい威圧感も感じる。

 

 周囲の人だかりは彼女の美しさに目を引かれているものが半分、おっかなびっくり見守っているのが半分と言ったところだろうか。いずれも彼女に声をかけようとは思っていないようだ。

 

 すると、周囲を見回した彼女はオレを見てきた。そしてゆっくりとこちらにやってきた。その行動からしてオレの予感は的中していたようだ。

 

「まぁわかってたけどさ……」

 

 小さく溜息をつき、目の前にやって来た彼女に声をかける。

 

「待たせたみたいだな。あね……じゃなかった、『ツバキ』」

 

「いや、そこまで待っていないさ。あお……ではないのだな、アウスト」

 

 目の前の美女――もとい、オレの実姉、萩月椿は口元を僅かに緩めた。

 

 そこで周囲のプレイヤー達がざわついているのに気が付く。それはそうだ、なにせ目の前に居る姉、ツバキは超がつくほどの美女だ。その女性が同じスプリガンではなくてインプに声をかけたのに驚いたのだろう。

 

 姉貴もそれに気が付いたのか周囲を見回した。オレは周囲の反応に嘆息しつつ彼女の手首を掴み、そのまま場を離脱した。

 

 先ほどの場所からやや離れた武器屋などがある路地に来たところで、オレは姉貴の手を離した。

 

「とりあえずあの場所から離れてみたけど、結局ここに来ても同じような気がしてきた」

 

 頭を抱えるようにして項垂れる。その理由としては姉貴が目立ちすぎるのだ。アバター設定はランダムのはずだと言うのに、姉貴の場合全てが完璧に整いすぎている。

 

「さっきの者達はどうして私を遠巻きに見ていたんだろうな」

 

「……本人は本人で気付いてねぇし。だから性質が悪い……」

 

 やれやれと首を振りながら呆れてみるものの、姉貴は首をかしげているだけだ。その様子に溜息をついてから頭をあげ、オレは彼女に告げる。

 

「まぁいいや。そんじゃあ姉貴の装備を整えるか。キリトもいなさそうだったし、装備を整えたら戦闘方法と飛び方を教えるよ」

 

「よろしく頼む。そういえば先ほどはアウストと呼んだが、この世界にいるときはその名で呼んだ方がいいのだろう」

 

「まぁな。でも二人しかいないときは本名でいい。オレも姉貴って呼ぶしな」

 

「わかった。ではそうしよう」

 

 姉貴が答えたのに頷いた後、オレ達は装備を整えるために店を巡った。

 

 

 

 そして小一時間した後、オレと姉貴は街の正面にやってきていた。

 

「一通り装備も回復アイテムも揃えたことだし、さっき言ったように戦闘方法と飛行方法を教えようと思うけど、姉貴は問題ないか?」

 

「ああ。この世界の見え方も大分慣れて来た」

 

 頷いて答える彼女の装備は初期装備から大分変わったものに変化している。

 

 上半身はなんと言うか軍服の士官服を思わせるデザインの半袖の内着と上着を着込み、腰から下には深めのスリットが入ったスカートを着用している。少し動けば下着が見えてしまいそうだが、本人は「動きやすいからこれがいい」と言っていた。靴はふくらはぎの中間までを覆う漆黒のヒールブーツを履いている。

 

 そして肝心の武器だが、これは姉貴が気に入った武器が店で見つからなかったため、オレが先日ドロップした日本刀『シラヌイ』を渡しておいた。

 

 渡した武器は腰に下がっており、漆塗りを思わせる鞘に収まっている。

 

「装備を工面してもらってすまんな、葵。使ったユルドは後で返そう」

 

「ああ。まぁ余裕が出てからで良いよ。武器は上げたから気にしないでくれ。そんじゃ、いよいよフィールドに出ますかね」

 

 そう言ってオレが一歩を踏み出そうとしたときだった。

 

「待ちたまえ」

 

 背後から声をかけられた。

 

 そちらに目を向けると、スプリガンの美丈夫がこちらを見据えている。彼の両脇には取り巻きと思しき男性プレイヤーと女性プレイヤーが見える。

 

「なんか用か?」

 

「用があるのは君ではなくてそちらの女性だよ」

 

 オレの問に美丈夫は冷ややかに答えた。いくらスプリガンとインプが仲が悪くないとは言えど、やはり自分達のホームタウンを他種族のプレイヤーが歩くのは気に入らないらしい。

 

「私に何か用なのか? 青年」

 

「自己紹介が遅れたね。僕はキルディスと言うんだ。よろしく」

 

 キルディスと名乗った青年は静かに腰を折る。それに答えるようにして姉貴が続ける。

 

「ツバキだ。それで、私に何のようだ?」

 

「うむ。単刀直入に言おう、君を僕のパーティーにスカウトしたい」

 

「私はALO初心者だが?」

 

「構わないさ。初心者だろうと最初から教えてあげよう。そこにいるインプのような『脱領者(レネゲイド)』になるよりも賢明な判断だと思うよ」

 

「レネゲイド?」

 

 姉貴は怪訝な表情を浮かべてオレに視線を向けてきた。説明しろと言う目をしている。

 

「レネゲイドってのは領地を捨てて個人でプレイするヤツのことだ。ALOだとプレイヤーは大きく分けて二つ。一つは領地で同種族間でパーティーを組んで攻略して、領地の執政部にユルドを上納するヤツ。そしてもう一つがさっきアイツが言ったレネゲイド。領地を捨てて他種族同士で攻略する奴等。まぁオレもその部類に入るけど、残念なことにこのゲームだと嫌われぎみなんだよ。領地を捨てたとか、追放されたとかの理由でな」

 

「ふむ……」

 

 説明を聞いたあと姉貴は口元に手を当てて目を細める。そして今一度オレを見やる。その瞳には「手出しをするな」という色があった。オレは彼女に頷き半歩後ろに下がった。

 

「キルディス、だったか?」

 

「ああ。それで説明を受けて決心は固まったかな。ツバキ」

 

 キルディスがそういった時、ヤツの瞳が不適に光ったをオレは感じた。あの目は今まで何度となく見たことがある。姉貴はその美貌から数多くの男性から求婚されたり、付き合って欲しいといわれている。

 

 中には姉貴の身体目当てで擦り寄ってくる男も多く、そんな男達はことごとく下卑た光りを瞳の奥に宿していた。そう、今のキルディスもその一人なのだろう。表面は紳士ぶっていても、内面はさぞ穢れた感情があるに違いない。

 

 ……ある意味あのメガネと似てるかもな。

 

 内心で昨日で出会った須郷を思い浮かべる。あの男もまた同じ目をしていた。

 

 姉貴もそれを感じ取ったのか眉をひそめて小さくため息をついた。そして彼女はキルディスに向かって告げる。

 

「貴様とここにいるアウストの話を聞いてよく分かった。私は貴様の申し出を断る」

 

「なっ!?」

 

 凛とした声できっぱりと言い切った彼女に対しキルディスはおろか、取り巻きと見られるプレイヤー、そして周囲でことの動向を見ていた野次馬もざわついた。

 

「な、なぜだ!? 領地を捨てれば君は蔑視されるんだぞ! 君はそんな道を自ら歩むというのか!?」

 

「私の進む道は私だけのものだ。貴様如きに邪魔立てされたくはない。それに、こんな鳥かごのような街にいるだけではこのゲームを最大限楽しめそうもないのでな」

 

 ホームタウンを見回しながら言う彼女は冷徹な視線をキルディスに送っていた。

 

「私にとってはこのような場所にとどまっている貴様等が理解できん。なぜ空を飛べる翅を持つくせに大空へ羽ばたこうとしない。このような閉鎖された空間で過ごすことの何処に楽しさがある?」

 

「それは自分達の努力で領地を反映させ、最終的に世界樹を攻略することだ!」

 

「世界樹? あぁ、あの中央にある馬鹿でかい木か。確かあの木を攻略して妖精王オベイロンに謁見することで、飛行時間が無限になる《アルフ》になることがこのゲームの最終目標だったな。まぁそれを目指すことも一つの楽しみ方ではあるが、せっかく翅があるんだ。もっといろいろな所を見た方が面白いと思うがね」

 

 肩を竦めて言う姉貴は本当にうんざりしたようだった。すると、そんな彼女の様子にイラだったのか、キルディスは眉間に皺を寄せて言った。

 

「わかった……。君がそういうのなら構わない。しかし、ただで行かせはしない! 勝負だ。君と僕で勝負をして君が負ければ君は僕のパーティー入ってもらう。君が勝てば好きにしてくれていい」

 

「おい。そりゃあいくらなんでも横暴だし、お前ばっかり得するように――」

 

 なんとも割に合っていない決闘話に声を上げると、姉貴がそれを制した。

 

「いいだろう。その条件で構わない」

 

 そう言う姉貴の口元は僅かに笑みがたくわえられ、オレはそれにため息をついた。キルディスは姉貴が提案を呑んだことに下卑た笑みを浮かべた。

 

 オレ達はその後案内されるがままに広場らしき場所に行った。

 

 

 

 

 広場に到着したツバキはキルディスと向き合って気分が高揚するのを感じていた。

 

 別に初めてプレイするVRMMOが楽しくてたまらないというわけでない。この感情は剣術の試合の前によく感じたものだ。

 

 そう、彼女が感じているのは純粋な闘争心。

 

 ツバキの中には幼き頃から燻っていた気持ちがある。それは強い者と闘いたいという気持ちだ。子供の頃はさほど強くなかったこの気持ちだが、今となっては日に日に強くなる一方だ。

 

 それは現実世界で彼女に勝てる者がいなくなったことに理由がある。いまや剣帝という二つ名を持つ彼女の心は渇いていた。別に挑戦者達を見下しているわけではない。ただ、ツバキに挑戦してくる者では彼女の渇きを満たせないのだ。

 

 生まれながらのバトルジャンキー。それが萩月椿という女性だ。

 

 そしてこのALOではゲームとは言え、実際に戦うことが出来る。このゲームを始めようとしたきっかけは確かにVRMMOがどのような世界なのか知りたかったというのもあるが、恐らく心根では現実世界では味わえない戦いに身を投じたかったのだろう。

 

 だから今のこの現状は願ってもないことだった。まさかこんなに早く対人戦闘が出来るとは。

 

 無性に気分が高揚するこの感覚は本当にたまらない。

 

 ツバキは顔に出そうになる笑みを押し殺し、先ほどアウストから貰った日本刀、シラヌイを抜き放つ。

 

 しゃらんという綺麗な音と共に抜かれた刀の刃は白金だ。そして目の前にいるキルディスもまた片手剣を抜いた。しかし、彼が構えを取った瞬間、ツバキはなんともいえない喪失感に襲われた。

 

 ……なんとまぁお粗末な構え方だ。

 

 キルディスの構えはツバキに言わせれば隙だらけだった。本人は隙はないと思っているかも知れないが、それは自己満足と言うヤツだ。恐らくアウストも同じことを思っているだろうと視線を彼に送ると、彼も肩をすくめていた。

 

 すると視界の端でキルディスがこちらに向かって駆けて来るのが見えた。彼は彼でツバキの隙を突いたつもりなのだろうが、それ自体が誤りだ。

 

 戦闘態勢に入った彼女には一切の隙などない。研ぎ澄まされた刀のように鋭利な感覚はあっという間にキルディスの行動を察知してしまう。

 

 そして彼がツバキの右肩から片手剣を振り下ろそうとした時、逆に彼の身体に切れ込みが入った。「え?」と言う短い疑問符を吐いた彼の姿は次の瞬間には黒いエンドフレイムに変わっていた。

 

 ツバキはシラヌイを鞘に収め、小さく息をつく。

 

 ALO内でのプレイヤーの強さはレベルで決まるわけではない。もちろんステータスも関係してくるが、殆どは《累積ダメージ》によって方がつく。これは攻撃のスピードやヒットした位置、スキルなどでダメージの量が決まる。そして特にそれが顕著に現れるのが使用武器の攻撃力、そして攻撃スピードだ。

 

 今のはただギルティスの防具の隙間目掛けて三連撃を叩き込んでやっただけの話だ。そんな難しいことではない。

 

 最初からツバキはキルディスには期待していなかった。ああいう目をする連中は大抵弱い。人間ならば最低限の礼儀を示せと小一時間説教をくれてやりたい気分だ。

 

 決闘を見ていた野次馬達は、今日ALOを始めたばかりのツバキにキルディスが負かされたことに驚きを隠せないのか、言葉を失ったように静まりかえっていた。

 

 そんな彼等を素通りしながらツバキは弟の下へ向かう。

 

「すまんな、アウスト。待たせてしまった」

 

「まぁツバキならアレぐらい余裕だとは思ったよ。でも、不完全燃焼って感じだな」

 

「……そうだな」

 

 短く答えると彼女は街の入り口へアウストと共に向かい、スプリガンのホームタウンを出た。

 

 ホームタウンを出た後はアウストの後に続いて《中立都市》に向かいながら、飛行の練習やモンスターとの立ち回りをレクチャーしてもらった。因みに中立都市と言うのはどの領にも属さない、本当に中立の都市らしい。世界樹の真下の街、《アルン》もその一つだそうだ。

 

 中立都市《レクイエス》に到着する頃にはツバキは飛行も難なくこなし、戦闘もより卓越したものとなっていた。因みにこのレクイエスという街はかなり小さい街で、街の名前も《休息》という意味らしい。

 

 そして宿屋の一階にある酒場の席に座りながら彼等は話をしていた。

 

「さっすが、姉貴は飲み込みが早いな。いや、早すぎるって言った方が妥当かな」

 

「いや、これでも飛行には中々手間取った。初めての感覚だったものでな」

 

「誰だってそうさ。そういや、結局キリトのやつ見かけなかったけど、スプリガン以外の種族にしたんかな……」

 

「それは本人に確認してみるのが良いだろう。リアルに戻ったら連絡を入れてみてはどうだ?」

 

「そうする。そんじゃあ時間も時間だし、今日はこれで解散にしようぜ。ここは宿屋も兼ねてるから、カウンターで部屋を取って部屋でログアウトしろよ。初めてで立ったままログアウトすると戻った時結構酔うからな」

 

 アウストが言っているのは所謂《寝落ち》と言うヤツだろう。VRMMOは五感に働きかけるため、立ったままの状態からリアルでの寝た状態に戻るとちょっとした酩酊状態に陥ってしまうことがあるという。

 

 それも慣れると特に気にならないらしいが、今日は一応それを試してみることにした。

 

「そうするか。明日はどうする? いつでも入れるが?」

 

「とりあえずキリトと連絡とってから決める。あとで姉貴にも今後の方針を言うよ」

 

「わかった。では私は部屋を取ってくる。お前はどうする?」

 

「オレはこのまま落ちるよ。もう立ったままのログアウトは慣れたし」

 

 小さく笑みを浮かべた彼にツバキは頷き、そのままカウンターで取った部屋へ向かった。

 

 部屋は簡素なつくりだったが、まぁ別に豪華が良いとかそういうのは望んでない。シラヌイをメニューウインドウを操作し、自分のフィギュアから外すとそのままベッドに仰向けに寝転んだ。

 

 初めてのVRMMO体験は中々に面白いものだったが、彼女の渇きを埋めるには至らなかった。しかし、彼女は渇き以外にかすかな高揚感もその胸中に抱いていた。

 

 ……いずれ、もっと強い者と手合わせできれば良いのだがな。

 

 思いながらツバキは瞳を閉じた。

 

 そしてそのまましばらくいると、徐々に身体が浮くような感覚を味わった後、瞼を上げた。

 

 目を開けると目の前にバイザーのようなものが見える。アミュスフィアだ。どうやら現実に戻ってきたらしい。

 

 アミュスフィアを頭から引っぺがし、ベッドに座った彼女は大きく息をついた。相変わらず胸中にある高揚感は継続していて、自分が楽しんでいることがすぐに分かった。

 

「なるほど。あれならば葵が熱中するのもわからんことはない」

 

 

 

 

「相変わらず姉貴はバケモンじみてるな……」

 

 オレは天井を仰ぎながら声を漏らした。そして思い出していた、先ほどの実姉の戦いぶりと順応の高さを。

 

 幼い頃から彼女に出来ないことはなかった。勉強もスポーツも、剣術も……彼女はなんでも簡単にできてしまう。初めてやったことでも数回繰り返せばすぐに覚えてしまう。

 

 今日の飛行練習だって常人なら補助スティックで飛ぶところをいきなり飛んで、そのまま十五分ほど練習しただけでアクロバット飛行までするほどになっていた。

 

「けど、やっぱり足りないみたいだな」

 

 起き上がりつつ姉貴の瞳を思い浮かべた。キルディスとの戦いを終えた後の彼女の瞳は残念さに満ちていた。無論相手が弱すぎたというのもあるが、そろそろ強いヤツと闘いたいと言う欲求がたまり始めてしまっているのだろう。

 

 その証拠にレクイエスに到着する前に「このゲームで最強といわれるのは誰だ」と聞いてきた。一応「サラマンダーのユージーン将軍が強い」と教えておいたが、放っておくと絶対に戦いを挑んでしまうだろう。

 

「やっぱり一回オレと勝負して多少なり改善させとくかな……。このままだとキリトも標的にされかねん」

 

 苦笑交じりに呟くが、そこでオレはキリトに連絡をつけていないことに気が付いた。彼がどの種族になったのかを聞き出さなければ。

 

 携帯の電話帳から『桐ヶ谷和人』を呼び出して画面をタップすると、コール音が聞こえ始めた。

 

 三回ほどのコールでキリトの声が聞こえた。

 

『もしもし』

 

「よう、キリト。お前もうALOプレイしてるのか?」

 

『ああ。プレイしてるけど……ちょっと妙なことになっててさ』

 

「妙なこと?」

 

 オレが問い返すと彼は語り始めた。

 

 彼はどうやらオレ達と同じぐらいの時刻にスプリガンのアバターでALOを始めたという。しかし、システムにバグが生じたのか、スプリガン領の街に転移するはずが、途中でどこかの森の中に飛ばされてしまったらしい。

 

 そして彼が飛ばされたのがスプリガン領から真逆の位置にある、シルフ領とサラマンダ領の中間地点。そこで彼は自分のデータがSAOの時のものと同じになっていることを発見し、ユイとも再会できたとのことだ。

 

 その後彼はサラマンダーに襲われていたシルフの少女、リーファを助け、今はシルフのホームタウンである《スイルベーン》にいるとのことだ。そして色々話し合った結果、キリトはリーファと共にアルンへ向かうことになった。

 

 というのがことのいきさつである。

 

「SAOのデータ引継ぎってお前……チートかよ。そんなんチーターや!」

 

『キバオウみたいなこと言うなよ。俺だってビックリしたよ。それで、そっちはどうだ? 確か椿さんと一緒なんだよな』

 

「ああ。オレ達は今中立都市のレクイエスにいる。姉貴の飲み込みが早すぎて、明日からはレクチャーなんていらないまでに成長したよ。だから明日はアルンへ向かおうと思ってる」

 

『なるほど、わかった。それじゃあそっちはそっちでアルンへ向かってくれ。俺は明日の午後三時にリーファと待ち合わせることになってるから』

 

「了解だ。だとするとオレ達の方が先に着くな。ユーザーID送っておくからフレンド登録しておいてくれ」

 

『わかった。それじゃあ、お互いにがんばろうぜ』

 

「おう」

 

 キリトの言葉に短く答えて通話を切ると、オレは携帯のメール画面を開いてALOでのユーザーIDを彼に送った。するとそれにすぐさまキリトから彼のIDが送られてきた。

 

 とりあえずはこれでゲーム内で連絡することが可能になった。いちいちリアルに戻って連絡をしなくてもいい様になったので、予定を立てるのが大分楽になったはずだ。

 

「しっかし、SAOのデータ引継ぎとか。オレだって同じナーヴギアでやってんのに差別か?」

 

 溜息をつきながら天井を仰ぐ。キリトだけかなり優遇されているのは、明らかに差別だと思う。退院してからほぼ毎日のようにプレイしてステータスを上げていったオレの労力を返せと言いたいくらいだ。

 

「ウジウジ言っててもしょうがないか。とりあえず飯食ったら姉貴と相談して……深夜までやってれば《ヴェイル回廊》の手前までは行けるかな」

 

 とりあえずこれからの予定をざっと立てると、一階から柊の声が聞こえた。どうやら夕食の準備が整ったようだ。

 

 オレは小さく息をついてから、夕食をとるために食卓へ足を運んだ。

 

 

 

 

 

 夕食を終えた椿は葵の持ちかけた今後の方針を聞いた。

 

「オレ達はこの《ヴェイル回廊》を通ってアルンへ向かうことになった」

 

 ALOの地図に記されている、スプリガン領の近くの山脈にある洞窟を指しながら葵は説明を続ける。

 

「世界樹を目指すうえで、一番の近道はこのヴェイル回廊を通ることなんだ。そこを抜ければアルン高原が見えてくる。アルン高原まで出ればモンスターは出ない」

 

「モンスターが出ない?」

 

「ああ。プレイヤーの間だとアルン高原でモンスターを見たって情報はないんだよ。オレも見たことないし、たぶん間違ってはいないと思う」

 

「なるほど。して、キリトが居るのがここだったか」

 

 シルフ領、スイルベーンを指しながら言うと葵が頷いた。

 

「そうだ。どういうわけかゲームのバグでその近くに飛ばされたらしい。んで、明日キリトはリーファっていうシルフ族のプレイヤーとアルンへ行く事になっているらしい。多分アイツ等が通るルートはここ、《ルグルー回廊》だと思う。ここを通るのが一番の近道になるからな。因みにこのルグルーってのは洞窟の中にある中立都市の名前で、アルンに次いで二番目に大きな中立都市なんだ」

 

「ということはさっきのヴェイル回廊も中に街があるのか?」

 

「ある。三番目に大きな中立都市だ。それで姉貴は明日何か予定はあるか?」

 

「明日は特にこれといってないな。最近は挑戦者も来ないし」

 

「確か明日から四日間親父はどっか行くって話だったから邪魔は入らないな……よし、だったら、今からもう一回ログインしてヴェイル回廊の前まで行こう。キャンプ用のアイテムも持ってるからログアウトも心配ない」

 

「了解した。では明日は何時から始める?」

 

 その問いに葵は口元に手を当てて考え込む。やがて答えが出たのか一度頷いて決定する。

 

「明日は昼飯を食ってからにしよう。たぶんそっからはログインしっぱなしになるから、簡単には出られないって事だけ了解しておいてくれ。うまくいけばALOでの時間で昼の十二時にはアルンへ到着できると思う」

 

「ではそうした方が言いだろう。キリトからすれば明日奈嬢を助け出したいのだろうからな」

 

 椿の言葉に葵は怪訝な表情を浮かべた。

 

「姉貴、なんでアスナがALOにいることを知ってる?」

 

「そんなことか。お前の素振りと口振りを見ていればわかるさ。世界樹に明日奈嬢がいて、彼女を閉じ込めているのが、あの須郷という男なのだろう」

 

 自分が思い至った推測を羅列すると、葵は呆れたような感服したような息を漏らした。そして彼はこちらを真剣な眼差しで見てきた。

 

「ああ。姉貴の想像通りだと思う。そしてオレは姉貴の協力なくして世界樹の攻略は出来ないとも思ってる」

 

「そうだ、それがわからなかった。世界樹の攻略とはなんだ? あの中にはダンジョンとやらがあるのか?」

 

「いいや、世界樹の根元は大きなドーム状の空間があるんだ。そしてそこに足を踏み入れると、馬鹿みたいに強いNPCのガーディアンの軍団にメッタメタにされる。オレも二週間近く前に挑んだけど、あと少しって所で負けた」

 

「では世界樹の上に行くにはそのガーディアンとやらを殲滅すればいいわけだな。どれほどの強さなんだ?」

 

「個体の力は姉貴にとっては雑魚だと思う。けど問題は数だ。弓兵部隊もいるから、そいつらの攻撃を避けつつ、近距離も殲滅しないといけないんだよ」

 

「ふむ……」

 

 説明を聞いて椿は小さく息を漏らす。実際にガーディアンと相対してみないことには分からないが、葵を追い詰めたということは、相当難しいのだろう。しかし、それすらも彼女にとっては戦いを楽しむスパイスでしかない。

 

「ガーディアンか。面白そうだ。キリトがアルンにやってきたらその時は私がお前達の道を作ろう」

 

「ありがとな、姉貴」

 

「気にするな。弟のわがままに付き合うのも案外悪くない」

 

 クールな笑みを浮かべた彼女はベッドサイドに放置していたアミュスフィアを被った。

 

「では行くとするか。まずはヴェイル回廊入り口へ」

 

「ああ。先にログインしてて待っててくれ」

 

 葵はそう言うと地図をたたんで部屋へと戻って行った。その後姿を見送りつつ、扉が完全に閉まりきったところでベッドに仰向けに転がって瞳を閉じる。

 

「リンク・スタート」

 

 リアルからバーチャルの世界へ椿は飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 虹色の光の渦を潜り抜け、一度ブラックアウトした世界で瞼を上げると、そこには宿屋の天井が見えた。

 

 ツバキは己の手を握って感覚を確かめた後、メニューウインドウを呼び出してシラヌイを装備する。部屋を出て下にある酒場に下りると、ちょうど淡い光りを放ちながらアウストが現れた。

 

 そのまま彼の元まで足を運ぶが、その途中で他のプレイヤー達のざわついた声が聞こえた。

 

「あの姉ちゃんだいぶいかしてんなぁ」

 

「パーティーに誘いたいけど、あのインプと組んでるみたいだぜ」

 

「かー、マジで羨ましいぜ。一度でもいいからあんな美人と組んでみてぇ」

 

 会話は丸聞こえだが別に気にする話でもない。自分をナンパしてきたり口説き落とそうとした輩は現実世界でも数知れない。しかし、そんな輩は例外なくぶちのめしている。キルディスもその一人だ。

 

「いいタイミングだったな。ではヴェイル回廊へ行こうか」

 

「ああ。行く途中でエンカウントしたモンスターは全部倒していくけど、問題はないよな」

 

「私を誰だと思っている。お前の姉だぞ、アウスト」

 

「はいはい、そうでした。ツバキさん」

 

 アウストは肩を竦めながら答えたがその顔は不服そうではない。

 

 宿屋を出てレクイエスの目抜き通りを出てフィールドに出ると、アウストは視界の右端にある山脈を指差した。

 

「ヴェイル回廊まではこの草原を二時間ぐらい歩く。その間モンスターとも出会うけど、姉貴は飛ぶのと歩くのどっちがいい?」

 

「モンスターと闘いたいから歩いていこう。その方がスキルもステータスも上がるだろう」

 

「わかった。それじゃあ行こう」

 

 アウストは歩き出そうとしたが、そこでツバキは彼に声をかける。

 

「葵。モンスターが出たらお前は手を出さないでくれ。私が全て狩る」

 

「……りょーかい。好きにしてくれ、姉貴」

 

 アウストは言葉を返してそのまま山脈へ向けて歩き始めた。

 

 それに続くようにしてツバキも歩みを進める。

 

 

 

 

 

 レクイエスの街を出発して二時間半。

 

 草原地帯で巨大な槌を持った鎧姿のモンスター、《コボルド》をポリゴンの欠片に爆散させたツバキは小さく息をついた。

 

 遠くに見えていた山脈はすぐそこまで迫っており、なんとも言えない威圧感を放っていた。

 

 するとコボルドとの戦闘を見ていたアウストが声をかけてきた。

 

「いままでの戦闘で攻撃を喰らったのは一回って……しかも、かすり傷……やっぱり姉貴ってバケモンじみてるわー」

 

「自分の姉に向かってバケモンとは随分な言い草だな」

 

「本当のことだろ。そんなニュービーなんて世界広しと言えどアンタだけだよ」

 

「どうだろうな。もしかするといるかもしれんぞ、私のほかにも。それに私を脅かすものもいるかもしれん」

 

「もしそんなのがいたら姉貴が好きなスイーツバイキングに連れてってやるよ」

 

「本当か!?」

 

 スイーツバイキングという単語に反応したツバキは鼻息荒くアウストに詰め寄った。

 

「今の言葉嘘偽りはないな! もし破ったら木刀で殴り倒すぞ!」

 

「表現が生々しくてこえーよ! 本当だからそんなに顔を近づけんなっての!!」

 

「いいや。これはしっかりとしなければならないことだ。リアルに戻ったら念書を書いてもらうから逃げるなよ!」

 

「はいはい」

 

 二人はそんな風に騒ぎながらヴェイル回廊の入り口を目指す。

 

 草原地帯を抜けた後は静かなものだった。特にモンスターとエンカウントすることもなかった。

 

 そしてヴェイル回廊の入り口にたどり着くまでツバキはアウストから魔法のレクチャーを受けていた。

 

「思ったのだが魔法は斬れんのか?」

 

「斬ることはできると思うけど、実際やったことないな。やりたいの?」

 

「回避するのもいいが、お前の言う誘導魔法とやらは避けるのが難しいのだろう? だったら斬りおとした方が早いと思ってな」

 

「姉貴らしいな。じゃあ明日アルンに着いたら適当なメイジに魔法攻撃してもらってみるか。それで切れるかどうか試してみなよ」

 

「そうしよう。モンスターではいまいちよく分からん。っと、葵、ヴェイル回廊の入り口とやらはアレではないか?」

 

 ツバキがそういって指をさした方向には、山脈に巨大な穴が開いている。さながらその様子は巨人の口とでも言うべきだろうか。洞窟からは「ヒュオオオオオ」という不気味な風の抜ける音が聞こえる。

 

 よく目を凝らしてみると入り口の周りには怪物のレリーフが刻まれ、その真上には悪魔の首が見え、こちらを威圧するように見下している。

 

「ああ。ここがヴェイル回廊で間違いないな。そんじゃあ今日はここまでにするか。いい時間だろ」

 

 アウストが大きく伸びをしたので時計を確認すると、リアルでは深夜零時を過ぎたところのようだ。

 

「そのようだな。ではこの続きはまた明日だな」

 

「ああ。ちょっと待っててくれ、キャンプアイテムを使うからっと」

 

 言いながらメニュー画面を操作した彼は、近くの林の中に簡易的なテントをオブジェクト化させた。

 

「あの中でならすぐにログアウトできるようになってるから」

 

「ああ。色々とアイテムを使わせてしまってすまないな」

 

「気にしないでいいって。こっちも付き合ってもらってる身だし。それじゃあ、また明日」

 

「うむ。今日は中々に楽しめたぞ」

 

 そういってツバキはテントに潜る。テントの中は外から見たよりも広かった。彼女は仰向けになると、そのままメニューウインドウを呼び出し、本日二度目の寝落ちを敢行した。

 

 ……アルヴヘイム・オンライン。ふむ、最初こそただのゲームだと思っていたが、これはこれでなかなか面白い。ここでなら私の渇きを潤してくれるものにめぐり合えるかもしれんな。

 

 まどろむ意識の中で彼女は小さく笑みを浮かべながら意識を手放した。




はい。ツバキ姉さん本格参戦です。

え、初心者が勝てるわけない? 
大丈夫です。彼女チートですからw(錯乱)
それくらいチートかって言うと、某武神さんぐらいです。
まぁALOって最終的には攻撃速度とヒット位置、武器の攻撃力の高さでダメージ決まるみたいですし、それにプレイヤーの身体能力に依存するとも言ってますから、アレぐらいは出来るんじゃないですかね。
現実世界で勝てる者がいないぐらい強くなっちゃったバケモン姉はどうなるのか。渇きを潤してくれる人はいるのか……。
本音を漏らすと早くユウキと絡ませたかったりするんですよね。

ではでは、感想などありましたらよろしくお願いいたします。
展開が速いような気も否めませんが、SAOよりは長く仕上げたいと思っております。

次回は直葉視点で始めようかとも思います。アウストたちは回廊で一悶着ある感じにしますかね。


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第十三話

 桐ヶ谷直葉は寝ぼけ眼を擦りながら寝間着姿のまま階段を下りて、一階の居間にあるソファに身を沈め、欠伸をしながらテレビをつけた。

 

 食卓を見ると朝食が並べられていたので母の翠が準備して行ってくれたのだろう。

 

 テレビでは朝のニュース番組を放送しており、女性のニュースキャスターがニュース原稿を読み上げているところだった。

 

 けれどいまの彼女にはニュースはあまり耳に入ってきていなかった。その理由としては寝起きだからと言うのもあるが、もう一つ理由がある。

 

 直葉はVRMMORPG、《アルヴヘイム・オンライン》のプレイヤーだ。けれど彼女は元々ゲーマーと言うわけではない。元々彼女はあのようなゲームをする人間ではなかった。VRMMOを始めたきっかけは彼女の兄、桐ヶ谷和人があのゲーム――《ソードアート・オンライン》に閉じ込められたことにある。

 

 始めるまで彼女にとってVRMMOとは最愛の兄を奪った憎悪の対象でしかなかった。けれど、病院へ足を運ぶうちに兄が好んでやまなかったあのゲームがどのようなものなのだろうという興味へと憎悪が変換されてしまったのだ。

 

 そして直葉は翠にアミュスフィアを買ってもらった。その時彼女は反対することはなく、笑って了承してくれた。

 

 アミュスフィアを手に入れたあとはクラスメイトの長田慎一にVRMMOについて教えてもらった結果、今彼女はALOでシルフ族のリーファとしてプレイしている。長田もゲームの進め方をレクチャーするという名目でレコンという名前で始めたが、今では直葉の方が圧倒的に上手くなってしまっている。

 

 ALOを始めてからはどうして和人があのようなゲームに夢中になるのか、なんとなく分かった気がした。

 

 一年が経過した現在、彼女はシルフ五傑といわれるまでに成長した。数値ステータスは上位プレイヤーに劣っていても、彼女には剣道で鍛えた反射神経と身体能力がある。だからこそALOでやっていけているのだ。

 

 そして昨日、直葉はなんとも変わったニュービーのスプリガンの少年、キリトと出会った。サラマンダーに襲われていたところを助けてもらった少年が言った言葉は「道に迷った」。

 

 彼の言葉に直葉は思わず笑ってしまった。何せキリトの種族であるスプリガン領はシルフ領の反対側だ。もし彼の言ったことが本当ならば、彼は方向音痴どころの騒ぎではない。

 

 けれど話してみると悪い人ではなかった。直葉は命を救ってもらった恩も込めて彼と共にスイルベーンの《すずらん亭》という酒場兼宿屋で祝杯を挙げた。

 

 そこで彼女はキリトが一刻も早く世界樹の上へ行きたがっていることを知った。深い事情までは話してくれなかったが、なんでも探している人がいるらしい。そんな彼の熱意におされてなのか、直葉は出会って間もない少年に「あたしが連れて行ってあげる」と言ってしまった。

 

 自分でも随分と大胆なことを言ってしまったものだと、ログアウトした後で顔が熱くなったのを感じた。長田はリーファの時の直葉を大胆さが五割増しなどと言っていたが、あながち間違っていないかもしれない。

 

 兎にも角にも今日の午後三時に直葉はすずらん亭でキリトと落ち合い、そのままアルンへ行くことになっている。領地を出ることにもなるが、なるようにはなるだろう。そのまま永遠に帰ってこないわけでもない。

 

「キリト君の探してる人ってどんな人なのかな?」

 

 小さく呟きながら天井を仰ぐ。同時になぜか頭の中に和人とキリトがダブって見えた。

 

「まさかね」

 

 変な想像を振り払うようにして頭を振ると、そろそろ意識がしっかり覚醒してきた。剣道の鍛錬で早朝に鍛えているものの、朝というのは眠い。

 

 ソファから立ち上がり、朝食を食べようと思ったところで、テレビに目が行った。テレビでは相変わらず朝のニュース番組が流れていたが、今はスポーツの話題になっているようだ。

 

 画面には女性キャスターが原稿を読み上げる様が見られるが、その隣に剣道着をきた美しい女性の写真が表示されている。

 

 流れるような黒髪をポニーテールに結わい、怜悧な雰囲気を漂わせるその女性の名は萩月椿。現代の剣豪、生ける伝説、流麗の女剣士、幻惑の女、などなど様々な謳い文句はあれど、最終的に人々は彼女のことをこう呼ぶ。

 

『剣帝』と。

 

 その強さはまさしく剣の帝。直葉も彼女の試合を以前見たことがあるが、観客席にいても彼女の威圧感と殺気はヒシヒシと伝わってきた。それでいて彼女の太刀筋は一切の迷いがなく、真っ直ぐとしたものだった。優美、優雅、優婉……上げていけばきりがないほど彼女は美しかった。

 

 確か彼女の実家は剣術道場で、今も彼女に挑戦してくるチャレンジャーはいるらしい。聞いた話しではチャレンジャーは何も剣術家だけではなく、様々な武術を体得したものもやってくるという。

 

 直葉も剣道をやっている身として彼女に憧れている。いいや、彼女だけではないはずだ。剣道をやっている人間からすれば彼女に憧れないものなどいないだろう。出来ることなら一度稽古か手合わせをしてもらいたい。

 

 ならばチャレンジャーとして勝負を挑めば良いと思うのだが、どうにもその勇気がでないのが現状だ。

 

「あたしもあの人ぐらい強くなれるかな……」

 

 ポツリと呟いたあと、彼女は朝食を取るために食卓についた。

 

 

 

 

 

 午後十二時半、椿は昼食を終えたあと華と話していた。

 

「では御夕食は作りおき出来るものが良いでしょうか」

 

「ええ。そうしてもらえると助かります。父は四日間の出張ですし、母さんも今日は友人のホームパーティーに行っているのとのことだったので、夕食は柊と薊と取ってください」

 

「承知しました。では夕食は柊様がお好きなカレーライスにいたします。それならば後で温めて食べられるでしょう」

 

「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」

 

 華に向けて軽く頭を下げ、椿は二階へ通じる階段を駆け上がり、そのままベッドに寝転ぶとALOへダイブした。

 

 再び目を開けると、目の前に巨大な洞窟が見えた。そして洞窟の隣の壁には大剣を背負ったインプの青年の姿が見える。

 

「待たせたな、葵」

 

「華さんに夕飯のこと話してたのか?」

 

「ああ。ゲームの中で満腹感が得られると言っても、やはりリアルで腹にものを入れなければならんだろう」

 

「そらそうだ。さて、そんじゃ行きますか。まずは中立都市ヴェイルまで」

 

 岩肌から背を離した彼はヴェイル回廊の入り口にある悪魔像を睨みつけた。

 

 二人は一度視線を交わすと巨人の口のような洞窟へ足を踏み入れる。

 

 洞窟内は暗いものの何も見えないというわけではない。ただ、二人の種族、インプとスプリガンはそれなりに暗視特性があるらしく、躓いたりすることはなかった。

 

 アウストから聞いた話だが、スプリガンはあまり人気がない種族らしい。その理由としては能力的にパッとしないからだという。得意な魔法は幻惑や幻影、そのほかはトレジャーハント。パーティーにいれば便利だけどいなくても平気といった不遇っぷり。

 

 まぁツバキからすればそんなのはどうでもいい。黒い外見が気に入ったから選んだまでだし、そもそも魔法だってあまり使う気はない。

 

「そういえばインプは暗中飛行ができるんだったか?」

 

「ああ。こういう洞窟でも飛べるし、結構便利だぜ。シルフとかは飛行能力は高いけど日光か月光がないと回復しないしな。というかそんなことよりもこういう洞窟歩いてるとアレを思い出すんだけど」

 

「アレ? あぁ、あれかだがあちらは回廊ではなく坑道だろう?」

 

「そうだけどなんか似てないか? ホラ、こういう色々ごたごたしてる所でオークがめっちゃせめて来るシーンあったじゃん。それにこの回廊だってオーク出てくるし」

 

「確かあの作品は原作者が北欧神話やケルト神話に興味を持って作り出したのだったか。だとすれば北欧神話を題材にしているであろうこのゲームに似たところがあるのは仕方ないのかもしれないな。このアルヴヘイムの下にはヨツンヘイムという世界があると言うことだし」

 

「そしてそこには邪神級モンスターが大量にいますと」

 

 そう。ALOは一つの世界ではない。今アウストやツバキたちがいる世界はアルヴヘイム。そしてこの下にはヨツンヘイムという氷と雪に覆われた邪神級モンスターが跋扈する世界が広がっている。

 

 そこにいる邪神モンスターはこのフィールドにいるモンスターと比べ物にならないほど強いらしく、部隊を組んでいかなければならないという。

 

「その邪神級モンスター、どれくらい強いのか興味があるな。葵、こんど二人でダンジョンを突破して行ってみないか?」

 

「別にいいけど暇が出来たらな。まぁ姉貴がもっと成長したらシステムも凌駕しそうでおっかねぇけど」

 

 葵は肩をすくめがちに言ったが、そこで彼の足元からカチリと言うこんなところでは聞きそうにない音が聞こえた。

 

「なんだ?」

 

 彼は怪訝な表情をしながら足を上げる。

 

 二人してそこを見ると、そこにはなにやらスイッチのようなものがあった。地面と同じ材質で出来ているようだが、そこだけなにかおかしい。すると、なにやら地鳴りのような音が背後から聞こえてきた。

 

「おいおい、まさか洞窟が崩れるとかはないよな」

 

「どうだろうな。もしかすると例の坑道のように炎を纏った悪魔が出てくるかもしれんぞ」

 

 二人して小さく笑いながら自分達の獲物を抜き放つ。そして一度地鳴りがやんだかと思うと、今度は大きな衝撃が伝わってきた。それに続いて何かが転がるような、そし石を削るような音が聞こえ始める。

 

 二人はその音にもしやと顔を見合わせる。そして二人して闇の中に目を凝らすと、今まで自分達が通ってきた回廊を転がる巨大な影が見えた。

 

 もう間違いようがない。これは某有名考古学者が大冒険をする映画で出る神殿の中にあるトラップ。『坂道を巨大な石が転がるヤツ』だ。

 

「まずいな。これは逃げた方が吉か」

 

「吉っつーかその判断しかねぇだろ! 逃げるぞ姉貴!」

 

「アレは斬れんのか?」

 

「斬れるかどうかはわからねぇ。でも不確かな情報に頼るよりは今は早く逃げた方が良いと思うぜ! ホラ、早くしろって!」

 

「うむ」

 

 アウストに急かされたのでツバキはシラヌイを収めてダッシュを始めた。その間にも石球は迫ってきており、音が直ぐそこまで迫ってきていた。

 

「葵! この回廊は後どれくらい続く?」

 

「この速度で走ってればあと五十秒近くで抜けられるはずだ!」

 

 その時、今度はツバキの足元でスイッチのような音が聞こえた。非常に嫌な予感を覚えつつも走っていると、背後の石球が妙の音を立てる。それに視線を向けると、石球から鋭利な棘が生えたではないか。

 

「殺傷能力が上がりやがった!」

 

「どのような構造なのだろうな。なるほど、あの棘がスパイクのような役割をはたしているのか。さっきよりもスピードが上がったな」

 

「冷静に分析してる場合じゃねぇだろ! もしここで死んだらセーブポイントまで飛ばされるぞ!」

 

「それは拙いな。では急ぐとしよう」

 

 ツバキは冷静に状況を分析した後、腰を低くして走る速度をあげる。

 

 そして走ること三十秒。ついにヴェイルに通じる出口が見えた。棘付きの石球は相変わらずけたたましい音を立てながら迫ってきているが、このままなら逃げ切ることは可能だろう。

 

 それに安堵し二人が顔を見合わせたときだった。僅かに出口の光りが狭まった。ツバキがそれに目を凝らしてみると、なんと出口が上からシャッターを下ろすようにしまりかけているではないか。

 

「最後の最後にベタなもん仕掛けやがって! 姉貴! 分かってると思うが、スライディングで駆け抜けるぞ!」

 

「それはヘッドスライディングか? それともサッカーでやるスライディングか?」

 

「どっちだっていい! やりやすいほうでやれ!」

 

「了解した」

 

 短く答えると再び視線を正面に戻す。距離はあと百メートル弱。出口は三分の一ほど閉まりかけている。あの下がる速度からして完全に閉まりきるのと二人が駆け抜けるのはギリギリになるだろう。

 

 二人はもう後ろを振り向くことはせず、とにかく走り続けた。生涯でこれほど全力で走るのは余りない経験ではないだろうか。

 

 そして出口がいよいよ人一人がようやく滑り込めそうになると同時に二人の妖精はほぼ同時のタイミングでスライディングする。その際しまる壁に頬を擦りかけたが、なんとか完全に閉まりきる前に脱出できたようだ。

 

 二人が駆け抜けた直後、完全に閉まりきった出口から鼓膜を揺らす轟音が響き渡る。あの石球が扉に激突した音だろう。というか、あの速度で転がる石球をものともしない扉が中々に恐ろしい。

 

「生きてるか、姉貴」

 

「ああ。そっちも無事なようだな、弟よ」

 

「まぁなっと」

 

 彼は言いながら身体をばねの様にしならせて飛び上がると通路を封鎖している扉を見やる。扉には入り口と同じような悪魔のレリーフが刻まれていた。

 

「ったく、ひでぇ目にあった」

 

「確かに。今度からはもう少し足元に注意を払ったほうが良いな。まぁ現実世界で味わえない体験が出来て面白かったが」

 

「姉貴はホント怖いもの知らずだな」

 

 呆れるような声を上げてアウストは踵を返した。それにならって背後を向くとそこには湖面に浮かぶ大きな都市があった。昨日のレクイエスの比ではないほどの大きさだ。

 

「アレがヴェイルか。なるほど、随分と大きな都市だ」

 

「ルグルーと比べてもあんまり大差はないからな。じゃあ、あそこで一休みしたらアルンに向かうとしますかね。リアルだと二時半か。トイレ休憩も挟んで多少観光でもしてみようぜ」

 

「平気なのか?」

 

「キリトがインするのは三時になったらって言ってたし、多少遊んだってオレ達の方がアルンへ早く到着するのは明白だしな」

 

「そうか。ではそうしよう」

 

 アウストの提案にツバキは素直に頷く。そして彼等がヴェイルへ歩き始めた時、背後の扉がガラスが割れるような破砕音を立てて消え去った。その奥にあるはずの石球も同じようにノイズ交じりに破砕された。

 

 

 

 

 レクトの研究室で須郷伸之は下卑た笑みを浮かべていた。

 

「まったくティターニアは頑なだ。けれどまぁそこがまたお楽しみでもあるんだがね」

 

 その笑みはもはや狂笑といっても良いほどだった。

 

 彼の前には人間の脳を表示したディスプレイがあり、時折その脳が緑や赤など様々な色に変わっている。

 

 これはSAOから未だに帰還していないとされる人間の脳内を出したものだ。そう、彼はいまだ帰還できていないプレイヤー三百人を使って人体実験をしているのだ。

 

 普通に考えればこんなことが許されるはずがない。しかし、彼はSAOからログアウトする回線に網を張り、三百人の人間の精神を別のサーバーの中に取り込んだのだ。

 

 そのサーバーこそ『アルヴヘイム・オンライン』のサーバーだ。彼はALOを隠れ蓑にすることでこのような人体実験をしている。そしてその過程でアスナを捕らえることに成功していた。

 

 そして須郷の正体こそあのゲームのゲームマスターであり、妖精たちをアルフへと転生させる存在、妖精王オベイロンなのだ。

 

「今のところ全てうまく行っている。このまま計画が進行すれば明日奈を好きなようにも出来るし、研究の成功によって莫大な報酬も得られる……。あのガキにはどうせ何も出来やしない、ククク」

 

 引くような笑いをしながら思い出したのは先日病院で出会った少年、桐ヶ谷和人だ。

 

「あの時のアイツの顔は本当に惨めだった。所詮はガキと言ったところか」

 

 優越感に浸る須郷だが、彼の脳裏には一人の女と男の姿が焼きついていた。

 

 それは明日奈の父、結城彰三が病室を出たあとに入ってきた萩月椿と萩月葵だ。彼等の登場は予見していなかったが、自分としては普通の対応が出来たと思っている。

 

 しかし、彼等の瞳はこちらの本質を見抜くような目をしていた。特に萩月椿。あの女は世間では剣帝などと騒がれている。こちらの挨拶に笑顔で答えていた彼女だが、須郷はその笑みが一瞬恐ろしく見えた。

 

 だがそこまで思い出したところで彼は肩を竦めた。

 

「何を思っているんだ僕は。あいつらはこちらのことを知らないから、手出ししてくることもない。なにも心配することはない」

 

 彼は一度芽吹いた警戒心を記憶の彼方に追い遣り、そのまま研究室をあとにした。

 

 

 

 

 

 ヴェイルの街の外には人だかりが出来ていた。

 

 円を描くように広がった人々の中心にはポニーテールの麗人、ツバキが悠然と佇み、彼女の前にはウンディーネ、サラマンダー、ノームのメイジの姿と、呆れ顔のアウストの姿がある。

 

 今、彼女が行おうとしているのは昨日言った魔法を斬ることだ。街で見かけた数人のメイジに事情を話したら訝しい表情を浮かべながらも了承してくれたので、現在に至る。

 

 しかしどうやらその話は街中に広まってしまったようで、一件無謀とも取れる挑戦に多くの見物人ができてしまったというわけだ。

 

「それじゃあ一番弱い魔法を撃ちますけど、準備は平気かー?」

 

「ああ。いつでもやってくれ」

 

 サラマンダーのメイジが言ってきたのでそれに答えつつシラヌイを抜き放つ。サラマンダーのメイジは杖を前に出してスペルワードを唱え始めた。そして彼が唱え終わった瞬間、彼の前で小さな火球が出現し、それが勢いよくこちらに放たれた。

 

 火球は曲がることなく迫ってくるが、ツバキに恐怖はない。その目にあるのは斬るという自信のみだ。そして火球が自身の間合いに入った瞬間、彼女は上段から刀を振り下ろした。

 

 けれど帰ってきたのはものを斬る感覚ではなく、刀が空中を空しく薙いだ感覚だけだ。それに続いて彼女の胸の辺りに火球がヒットし、HPが少し減る。

 

 失敗だ。彼女に火球は斬れなかった。

 

 その様子に周囲のギャラリーも残念そうな声や野次を飛ばしてきたが、ツバキは気にせずに分析してみる。

 

「ふむ、やはり実体がない炎系は無理か、となると風属性や水属性とやらも無理だろうな。となると残るは……」

 

 彼女は顎の辺りに手を当てて考え込むと、ウンディーネの少女に声をかけた。

 

「すまんが次の魔法は氷系の魔法で頼めるだろうか。ウンディーネのメイジよ」

 

「あ、はい。わかりましたー」

 

 若干緊張気味の少女は一度深呼吸をした後でサラマンダーと同じようにスペルを唱える。詠唱直後、彼女の前には氷柱のようなものが出現し、次の瞬間それが火球と同じように射出された。

 

 先ほどの火球よりも勢いがあり、大きさもなかなかだ。するとツバキはシラヌイを一度鞘に収めて抜刀術の体勢をとる。

 

「ALOがプレイヤーに身体能力に依存するのならば出来なくはないはず」

 

 小さく息を吐き一度脱力し瞳を閉じる。その間にも氷柱は接近を続け、先ほどの火球と同じように間合いに入った。瞬間、ツバキの瞳が開けられ、目にも止まらぬ速さで抜刀。氷柱を斜めに斬った。

 

 同時に一本の氷柱に亀裂が入り、彼女の脇を駆け抜けるようにして地面に落下した。

 

 しばし沈黙が続いたが、やがて状況を飲み込めたギャラリーが歓声を上げた。

 

「すげぇなあのスプリガン! 本当に魔法を斬っちまったぜ!」

 

「でも炎は無理だったみたいだったけどどうしてなんだろう」

 

「実態があるかないかの違いじゃないのか? でも、魔法を斬るやつなんて始めてみたぜ」

 

「だな。おい姉ちゃん! 俺達にもそれのやり方教えてくれよ!」

 

 口々に言ってくるギャラリーに手を挙げながら答えつつ、シラヌイを収めた。

 

「まさか本当にぶった斬るとは、つーか今のうちの抜刀術の二番だったろ。それで、満足したか? 姉貴」

 

「それなりにはな。個人的には炎系の魔法も斬ってみたかったが、恐らくそれはシステム的に無理なのだろう。今回は実体がある魔法だけでも斬れたからよしとしよう」

 

「それじゃあそろそろアルンに行こうぜ。時間も五時半だし、いい頃合だろ」

 

「だめだ。まだあのノームのメイジとやっていない。それに一度成功しただけでは意味がない。あと少し続けるぞ。ここから出口までは入ってくるよりは長くないのだろう?」

 

「そりゃあそうだけどさ。まぁいいか、キリトからはルグルー回廊までは行ってないって連絡来てるし」

 

 アウストは若干呆れがちに息をつき、好きにしろと言う様に洞窟の壁際まで下がっていった。

 

「さて、では続けるとしようか。次!」

 

 そして彼女が満足するまで続いた魔法斬りの練習はリアルでの六時半まで続いた。




はい、昨日のフラグ回収しました。
感想でも頂きましたがこの流れは元々あった流れです。

魔法は実体であれば切れるだろうというのは私の独自解釈です。
ALO編は基本的にツバキ視点で行こうとも思ってますが、読みにくいところはございますでしょうか?

あと、私は誤字が多いので間違っているところもあるかもしれません。読者様には大変なご迷惑をかけていること、深くお詫び申し上げます。

次回は会談の当たりまで話をもって行きたいですね。
ユージーン将軍との戦闘は原作とは別の流れに致します。


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第十四話

 一時間の間魔法斬りに費やしたツバキは、呆れ顔のアウストと共にヴェイル回廊の出口へ向けて歩いていた。

 

「まさか一時間の練習で魔法斬りをほぼ百パーセントの確立で会得するとは……。まぁ出来るんじゃないかとは思ってたけどさ」

 

「私はアレではまだ満足していないがな。非実体の魔法が斬れなかった」

 

 納得がいかない様子で呟いた彼女にアウストは溜息で答えてきた。

 

「それをやる頃にはALOでアンタに勝てるプレイヤーはいなくなると思うぞ」

 

「そんなことはないだろう。キリトととも闘ってみたいし、もっと欲を言えば先日お前が言っていたサラマンダーの将、ユージーンとやらとも闘ってみたい。現時点ではALOで最強なのだろう?」

 

「ああ。サラマンダーはALOでも一番の勢力だ。そこで一番強いから、全プレイヤー中最強って言われている」

 

「ではお前と戦った場合はどうなのだ? この世界では肩の傷も関係ないだろう」

 

 その問いにアウストは口元に手を当てて考え込んだ。彼は歩きつつしばらく考えた後に頷いた。

 

「闘ってもないのにこういうのはなんか、うぬぼれてるみたいでアレだけど……多分オレの方が強い。ただアイツの場合持ってる武器が厄介なんだよ」

 

「武器?」

 

「ALOにはレジェンダリーウェポンってのがあって、それにはエクストラ効果が付与されてるんだ。ユージーンが持ってる両手剣の《魔剣グラム》はエセリアルシフトっていう剣とか盾で防いでもそれをすり抜ける効果があるんだ」

 

「なるほど、では他には?」

 

「他のレジェンダリーウェポンってことか?」

 

 アウストの問いにツバキはかぶりを振った。

 

「違う。そのグラムとやらにはまだ効果があるのかと聞いている」

 

「いや、それはないけど……。結構厄介だぜあの効果」

 

 彼は溜息交じりに言っているものの、ツバキはそれに両肩を上げる。顔には小さな笑みすら見える。

 

「そうでもないさ。防御を貫通してくるということは、防御しなければ良いだけだ。即ち一瞬で勝負をつけるか、ユージーンの攻撃を全て見切り、じわじわと削っていい。ホラ、お前と私がまだ子供だった時に御爺様の家で見たアニメのキャラが言っていたじゃないか。『当たらなければどうということはない』。それと同じだ」

 

「……軽く言ってるけどそれはアンタだけだよ。まぁ本当にやりそうでこえーけど」

 

「できればそのユージーンとは早く闘ってみたいものだ。ALO最強……闘争心が昂ぶってくるじゃあないか」

 

「はいはい、バトルジャンキーは考えることが違いますね」

 

 アウストは両肩をがっくりと落とし、頭を押さえていた。ツバキはそれに笑いながらも彼と並んで歩こうとするが、そこで目の前に十数体はいるであろう《オーク》の集団が現れた。

 

 オークの集団は低い呻り声を上げ、敵意むき出しの瞳で二人を睨む。しかし彼等は特に気にもかけていない様子だ。

 

「結構いるからオレも手伝おうか?」

 

「いや、私一人で十分だ。お前はそのあたりで見物していろ」

 

「見物する時間があったらな」

 

 アウストはそう言って壁に背を預けようとしたが、通路の背後に同じようにオークの集団が出現したではないか。

 

「あちゃー。姉貴ー、こっちはオレが担当するわ」

 

「別に私一人でも構わんのだがな」

 

「オレだってここ二日、禄に闘ってないんだ。そろそろ身体を動かさせてもらいたいんだよ」

 

「そうか。ではそちらは頼む」

 

「うーい」

 

 二人はそれだけ会話を交わすとそれぞれの得物を抜き放つ。そして二人は同時に駆け出し、目の前のオークを駆逐して行く。

 

 

 

 三十体近くいたオークの集団はものの五、六分で処理された。開けた道を見やりながらシラヌイを収めたツバキは呟いた。

 

「人型のモンスターの動きは読みやすいな。急所に的確に叩き込める」

 

「そういや姉貴、ステータスも結構上がってきただろ」

 

「最初に比べればな。まぁ最初の数値でも現実と変わらなく動きは再現できていたからそれでもいいが」

 

 笑みを見せつつ時間を確認すると今は午後六時五十五分。そろそろ家ではそろそろ夕食時だ。

 

 けれど、そこで彼女の脳裏にあることがよぎる。冷蔵庫の中に入れっぱなしにしているものがあったはずだ。

 

「葵。この場所からアルンまではあとどれくらいだ?」

 

「四、五十分以内にはつけると思うぜ。アルン高原に出れば殆ど飛ぶし、モンスターも出ないしな。夕飯は華さんが作ってくれてるんだから大丈夫だろ」

 

「あぁそれは良いのだが……実は冷蔵庫の中にプリンとケーキと、シュークリームが残っているんだ」

 

「は?」

 

 アウストは何を言っている? と言ったような顔をしているが、ツバキはそれどころではない。彼女にとってスイーツは貴重なエネルギー源であり、大好物なのだ。

 

 しかも冷蔵庫に入っているこの三つは楽しみに取っておいた極上のものだ。もしそれを食べられでもしたら最悪重傷人が出るかもしれない。

 

「できれば直にでもログアウトして食べて来たい……よし、葵、アルンまで急ぐぞ!!」

 

「ちょ! 姉貴!」

 

 アウストの言葉も聞かずにツバキは走り出す。そして彼女は心の中で妹と弟に願った。

 

 ……頼む、食ってくれるなよ薊、柊! もし食べたら……。

 

「……私は見境がなくなるかもしれない」

 

 深刻な様子で呟く彼女だが、その背後ではアウストはやれやれと額をおさえていた。

 

 

 

 

 

 リアルに戻って華さんが作ってくれたカレーを食べ終えた後、オレは緑茶を啜りながら目の前でスイーツにがっつく姉貴を見やる。

 

 ヴェイル回廊を恐ろしい速さで駆け抜けてアルン高原に出たはいいが、姉貴はアルン高原とその先に見える世界樹の大きさになんの声も漏らさず、そのまま崖を飛び降りて翅を広げてアルンヘ飛翔した。

 

 飛べなくなれば高原を駆け、翅が回復すれば再び飛ぶ……。この繰り返しをやること数回、オレ達は当初予定していた時刻よりも圧倒的に早くアルンヘ到達した。

 

 姉貴はアルンに到着するやいなや宿を取ってログアウトし、オレはそれに呆れながらもキリトにアルンヘ到着した旨を伝えるメッセージを送り、姉貴に続いてログアウトした。

 

「もう少し街並みとか景色を見て何か言うかとも思ったが、結局デザート系には勝てないか……」

 

「何か言ったか?」

 

 ケーキを食べながら聞いてくる彼女に首を振って答えると、彼女は食事を再開した。

 

「食いながら出いいから聞いてくれ、姉貴。この後はキリトから返信が来るまでアルンを適当にぶらつこうと思ってるけど、なにかしたいことはあるか?」

 

「ひはいこほほいはへほは(したいことといわれてもな)」

 

「口に入ってるもんを飲み込んでから答えてくれ」

 

 オレが言うと姉貴は何度か咀嚼をした後、なんだか妙に含みのある笑みを向けてきた。

 

「な、なんだよ」

 

「いや、したいことと言われたからな。葵、アルンも街中で戦えるのだろう?」

 

「そりゃあまぁ闘えるけど、流石に大通りとか広場は目立つから浮島になるぜ」

 

「十分だ。では葵、向こうに行ったら私と闘おうじゃないか。向こうでなら本気で闘えるだろう」

 

 そう言う姉貴の瞳は爛々と輝いていた。歯止めが効かなくなった訳ではないのだろうが、こういう目をするときの彼女は非常に好戦的だ。

 

 けれどオレは良い機会だと思った。ここで姉貴と闘っておけば幾分か渇きを抑えられるのではないかと。だからオレは彼女の申し出に首を縦に振った。

 

「いいぜ。でも殺してくれるなよ。殺されるとインプ領からやり直しだからな」

 

「分かっている。お前も気をつけろよ。勢いあまって私を殺しては元も子もないだろう」

 

「へいへい」

 

 互いに忠告し合った後食器を洗ったオレと姉貴はそれぞれ部屋に戻ってALOへと再びダイブした。

 

 ダイブして宿屋から出ると姉貴が既に待っていた。彼女は世界樹を見上げており、口元に手を当てていた。

 

 身内褒めも大概にしろと言われそうだが、なぜ彼女は挙動一つ一つでこう美しいのだろうか。今だって彼女を見ながら男連中はもちろんのこと女性プレイヤーも目を奪われているではないか。

 

「ん、来たな」

 

「ああ。じゃあ何処の浮島でやりますかね」

 

「あそこが最適だろう」

 

 彼女が指したのはオレ達がいる場所からやや右よりで、世界樹に一番近く、ちょうど家の道場と同じぐらいの広さの浮島だった。

 

「いいぜ。じゃあ行くか」

 

 オレが答えると姉貴は黒い翅を展開し、それに続いて藍色の翅を展開するとほぼ同時に飛び上がった。

 

 浮島にはものの数秒で到達した。浮島の構造は平地と言った感じで遺跡のようなものは見えず、乳白色の石畳が広がっているだけだった。

 

 二人して島に降り立ち剣道の試合をするときの間合いで広がると姉貴が問うてきた。

 

「ルールはどうする」

 

「どっちかのHPがレッドゾーンに入ったら終わりにしようぜ。あぁそうだ、一応これ渡しとく」

 

 アイテムウインドウを操作して目当てのアイテムを選択し、それを彼女に送る。

 

「これは?」

 

「蘇生アイテムだ。もし姉貴がオレを殺したときはリメインライトがあるうちにソイツを使ってくれ。オレがこの場で復活できる」

 

「了解した。では始めるとするか……。久々の手加減なしの闘争を」

 

 メニューウインドウを操作し終えたであろう姉貴は抜刀術の姿勢をとる。それに続いてオレも背中の大剣に手をかけて腰を低くする。

 

 こうして姉貴と真正面から向き合うのは十年ぶりだ。こちらを見据える視線は冷徹を通り越して絶対零度。構えには一切の隙がなく、前方向どの攻撃も対処するだろう。

 

 だがオレは不思議と気分が高揚するのを感じた。

 

 SAOに囚われていた時も彼女を破ったものはいない。剣帝と称され、剣の道をひたすらに突き進む彼女の実力は未知数だ。

 

 だからこそ挑戦し甲斐があり、倒し甲斐がある。

 

 ……相手にとって不足はない。

 

 呼吸を静かに深くして昂ぶる拍動を落ち着かせる。

 

 そして二人の間を一際強い風が駆け抜ける。風は段々と緩まり、やがて動きを止める。瞬間、オレ達は寸分違わず同じタイミングで駆け出した。

 

 ステータス上はオレが上だ。しかし、目の前の女性はそんなもの物もとせずにいとも簡単に凌駕してくる。

 

 信じられるのは己の剣技唯一つ。

 

 姉貴はシラヌイを左手の親指で僅かに押し上げる、オレは大剣を勢いよく抜き放つ。

 

 ……最初っから一気に押し切る!

 

 強引なやり方であろうが、これぐらいがちょうど良いのだ。いや、それだけの覚悟を持って突っ込まなければ彼女には勝てはしない。

 

 大剣を振り上げると同時にあちらもシラヌイを抜いてオレの首筋目掛けて振りぬいてきた。最初から頭を落とす気満々らしい。けれどそう来るのは凡そ理解はしていた。

 

 だからこそ大剣を重力に任せて振り降ろす。

 

 元々ある大剣の重量と重力によって凄まじい速度で振りぬかれた、アイゼントシルヴァーの刀身はシラヌイの刀身とぶつかり合い、大きな火花を咲かせる。

 

 そのまま鍔迫り合いに入ると姉貴は最近で一番輝いた笑顔を向けてきた。

 

「そうだ。この感覚だ! やはり闘いはこうでないとおもしろくない! お互いの信念と信念がぶつかりあうこのときこそ濡れるというものッ!!」

 

 どうやらこの様子からして最近は初撃で決着がついたことが多かったらしい。確かにスプリガン領でのキルディスとの戦闘も初撃で終わっていた。

 

「やはり私と対等に闘えるのはお前だけだよ、葵。あぁ本当に嬉しい限りだ。再びお前とこうして闘えるなんて……」

 

 どうやら気分が高揚しすぎているようで、顔が色っぽく上気している。戦闘の最中なのにこれはどうかと思うが、非常にエロイ。

 

 でも楽しいのは彼女だけではない。オレ自身も相当楽しい。だからオレも自然と頬が緩むのだが、そんな二人に割って入るようにしてオレの眼前にメッセージウインドウが展開された。

 

 差出人を見るとそこには『Kirito』の文字がある。

 

「ちょい待ち姉貴!」

 

 オレは鍔迫り合いをしていた腕から力を抜いて手を挙げる。

 

「なんだ! これからと言うときに!」

 

「キリトから連絡が来た。そろそろアルンに着くころかもしれない。だから少し待っててくれ」

 

「むぅ、仕方ないな。それでメッセージにはなんと書かれているんだ?」

 

 大きなため息をついてシラヌイを収めた彼女に言われ、オレはメッセージを開く。

 

「えーっとなになに……【すまん。蝶の谷で行われるシルフとケットシーの同盟を壊そうとしてるサラマンダーと一悶着ありそうだからすこし遅れる】……あー、なるほどなるほど、放っておけない病が発症したんですねわかります。つーわけで姉貴、勝負の続きはまた今度……って、ありゃ?」

 

 メッセージウインドウを閉じて姉貴の方を見ようとしたが既にそこには誰もいない。同時に視界の端で黒い影が猛烈な勢いで飛び去る様子が見えた。

 

「おいおいマジかよ……!」

 

 呟くと同時にオレは浮島から勢いよく飛び降りて翅を展開。そのまま蝶の谷へと向かった。

 

 

 

 

 アウストと分かれたツバキは眉間に皺を寄せつつメニューウインドウを展開して、アルン高原周辺のマップを展開した。

 

 地図を広域に設定すると蝶の谷は自分から見て西の方角にあることが分かった。

 

「さて、勝負の邪魔をしたことにキッチリと落とし前をつけてもらおうか。サラマンダーよ」

 

 彼女は言うと同時にさらに飛ぶ速度を速めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐ヶ谷直葉ことリーファは視線の先で向かい合っているスプリガンの少年キリトと、サラマンダーの指揮官を見ていた。

 

 彼女が今いるのはアルン高原の蝶の谷の出口付近。シルフとケットシーの同盟会談が行われようとしていた場所だ。その証拠に彼女の隣には整った顔立ちと抜群のプロポーションを持つ女性、サクヤがいる。

 

 彼女こそシルフ族の現領主その人だ。そして彼女の向こう側にはとうもろこし色の髪に同じ色の猫耳に尻尾を生やし、褐色の肌が特徴的なケットシーの領主、アリシャ・ルーがいる。

 

 リーファたちがここに到着したのはつい先ほどのことだ。レコンからメッセージを貰い、つい先日までパーティを組んでいたシグルドと言うプレイヤーが今日この場所でシルフとケットシーが会談を行うとサラマンダーに漏らしたのが四十分前。

 

 そしてルグルー回廊の残りの半分をキリトに腕を引かれ、猛烈な勢いで駆け抜け、アルン高原を飛ばしに飛ばしてここまでやってきたのだ。

 

 その頃にはサラマンダーが会談場所に迫ってきており、もうだめかとも思われたが、一触即発の所でキリトが臨戦態勢をとる三種族に対して「剣を退け」とはっぱをかけ、サラマンダーの指揮官と話をしたいと申し出たのだ。

 

 サラマンダーの指揮官は赤銅色のアーマーに身を包み、背中にはキリトと同じような巨剣を背負っている強面の男性だ。

 

「――――スプリガン風情がこんなところで何をしている。どちらにせよ殺すことには変わりはないが、その度胸に免じて話ぐらいは聞いてやろう」

 

 低いテノール調の声だった。それだけで波のプレイヤーなら萎縮してしまいそうだが、キリトは臆さずに答えた。

 

「俺の名はキリト。スプリガン=ウンディーネ同盟の大使だ。この場を襲うからには我等四種族と全面戦争を望むと解釈して相違ないな?」

 

 ――うわぁ。なんというハッタリ。

 

 とリーファは驚きながらも背中から冷や汗が出るのを感じた。賭けに出るとはまさにこのことだろう。しかしハッタリもここまで来ると気持ちがよく感じてしまう。

 

 サクヤとアリシャが驚いた表情でこちらを見てくるのでそれに必死にウインクしながら答えておいた。恐らくこれで話をあわせろ的な流れは汲み取ってもらえたはずだ。というかそう信じたい。

 

 この話には流石のサラマンダーの指揮官も驚いたようだ。

 

「スプリガンとウンディーネが同盟だと……?」

 

 キリトはその質問には答えなかったが、指揮官は更に疑問を投げかけた。

 

「護衛を一人もつけない貴様が大使だというのか?」

 

「ああ、そうだ。この場には貿易交渉に来ただけだからな。だが会談が襲われたとなれば話は別だ。四種族でサラマンダーと対抗することになるが、それでもいいのか?」

 

 一歩も引かぬ彼の姿勢は感服するが流石に無茶が多すぎではないだろうか。

 

「たった一人、大した装備も身に着けていない貴様の言葉を、にわかに信じるわけにはいかんな」

 

 指揮官は背中に背負っていた装飾が施された暗赤色の両手直剣を音もなく抜くと、切先をキリトに向けた。

 

「オレと闘って三十秒立っていられたらその話、信じてやろう」

 

「ずいぶんと気前が良いね」

 

 キリトもいたって冷静に答え背中の黒い大剣に手を抜いた。しかしこちらは指揮官のそれと比べて装飾など皆無だ。

 

 彼はそのまま指揮官と同じ高さまで上がってホバリングしていたが、にらみ合う二人の様子を見ていたサクヤが苦々しげな声を上げた。

 

「まずいな……」

 

「え?」

 

「あのサラマンダーが持つ両手剣、レジェンダリーウェポンの紹介サイトで見たことがあると思ったが、やはりだ。あれは魔剣グラムだ。そしてあの剣を装備しているということは、彼はサラマンダーの猛将ユージーンだ。知ってるか?」

 

「名前くらいなら聞いたことあるけど……」

 

 リーファが答えるとサクヤはそのまま説明に入る。

 

「サラマンダーの領主、《モーティマー》の弟――リアルでも兄弟らしいが、知の兄に対して武の弟である彼はサラマンダーの中で最強の戦士と言われているそうだ」

 

「ってことは全プレイヤー中最強……?」

 

「ああ。まったくとんでもない者が出てきたもんだ」

 

 サクヤが苦しげに言った時、彼女の視界の端でなにやら黒い影が上空を飛んでいるのが見えた。鳥だろうか? しかし、今はそんなことに気を向けている場合ではない。

 

 視線の先でにらみ合う二戦士は先ほどから微動だにしない。その間にも空に浮かぶ雲は移り変わり、雲の隙間からは光芒が光りの柱となって二人に差し込もうとしていた。

 

 そして魔剣グラムの切先に光りが到達するか否かの瞬間、シンと静まり返った空間に凛とした張りのある声が響き渡った。

 

「待たれよ」

 

 声がしたのは二人の上空だった。皆がそちらに視線を向けると、光芒に照らされながらゆっくりと降りてくる人影が見えた。

 

 翅の色からしてキリトと同じスプリガンだ。けれど性別は女性。スプリガンにしては白い肌をしている。漆黒の頭髪は濡れたような輝きを持ち、シャラシャラと音がしそうだ。

 

 サクヤ以上に整った顔立ちに長身。そして全てを凍りつかせることも可能なのではないかと言うほどの冷徹な瞳。

 

 装備もキリトに比べればかなり良いものを装備している。深くスリットが入ったチャイナ風のスカートにブーツ、上半身は軍隊の士官服を思わせるデザインだ。腰に差してある刀も中々のレア武装だとわかった。

 

「きれいだ……」

 

 誰かがそんな言葉を漏らした。声質からして男性だろうが、それはこの場にいた全員が思ったことではないだろうか。現にリーファも彼女に美貌に目を奪われていた。

 

 女性はそのままキリトとユージーンの間に入ると、キリトに背を向けてユージーンに向き直った。

 

「この場はこの私に預けてはもらえぬか?」

 

 再び場に美しい声が木霊した。




はい、今回はこの辺までと言うことで。

途中で姉貴がやばい事口走ってますが、そのへんは気にしてはいけない。気にする者じゃない。

最後はこんな感じで引いてみました。次回は生贄がががが……。
もう姉さんのこと美化しすぎてしつけぇ!! と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦ください。申し訳ないです。

では感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十五話

 突然の第三者の、スプリガンの女性の介入に静まり返っていた場だが、グラムを構えていたユージーンが彼女に問う。

 

「この場を預けろ、と言ったが……貴様は何者だ? スプリガンの女よ」

 

 キリトを攻撃し損ねたことに若干苛立ちを持っているのか、彼の声は低いものだった。けれど女性はそれに小さく笑みを浮かべる。

 

「そう苛立つな、サラマンダーの将よ。同胞が随分と無礼を働いたようだが、大目に見てやってくれ」

 

「ほう。では貴様はその男の仲間と見受けて良いのだな?」

 

「もちろん。種族が同じなのだから当たり前だろう?」

 

「確かにそうだが、と言うことはスプリガンとウンディーネの同盟と言うのを聞いているか?」

 

 ユージーンの頬が僅かに吊りあがったのをリーファは確認した。

 

 ――まずい。

 

 思わず苦虫を噛み潰したような表情になってしまう。先のハッタリはキリト一人がいたから成立したことだ。ここでまったく無関係の彼女が話しに入ってきてしまえば、ばれる可能性は高い。

 

 サクヤとアリシャ、そしてキリトも口出しを出来ずに顔を固めたままだが、そこで女性がフッとクールな笑みを浮かべて答える。

 

「ああ、知っているとも。だから今日はこやつとシルフとケットシーの会談に参加させてもらい、貿易交渉をしに来たのだが……。護衛対象に先に行かれてしまうとは、私も甘いものだな」

 

 ふぅ、と息をつきながら言う彼女のあっけらかんとした様子に、ハッタリだと知っている全員がきょとんとしてしまった。

 

 目の前の女性は先ほどまでここにいなかった。なおかつ、アレだけキリト達と離れた場所から降りてくれば、声すらも聞こえなかったことだろう。けれど彼女は見事に口裏を合わせた。まるでそれが当たり前だとでも言うように。

 

「なるほど。では貴様はその男の護衛か?」

 

「そうだとも。大使が殺されたとなればこちらも面目が立たない。だから、サラマンダーの将、ユージーンよ。どうしてもこの話が信じられぬならば、私と勝負しようではないか。どうやらキリトとも闘おうとしていたようだしな」

 

「ほう。その男の代わりに貴様がオレと闘うということか」

 

「そうだとも。どうする? やるか、やらないか?」

 

 ユージーンはごつい顎に手を添えて考え込むと、彼女の装備を見回す。そこでキリトが彼女に声をかけたようだったが、なにやら耳打ちされたようで、彼は難しい表情でこちらにやって来た。

 

「キリトくん!」

 

 リーファは会談場所に降り立った彼に声をかける。

 

「あぁ、リーファ。ごめん、ちょっと心配させたな」

 

「ちょっとどころの話じゃないよ。あんな嘘丸出しのハッタリきかせて……」

 

「あの場はしょうがなかったんだってば。けど、今はそれよりも」

 

 彼は言うと上空で相対している女性よユージーンを見上げる。

 

「ねぇキリトくん。あの人って知らない人……だよね?」

 

「いや、俺はリアルで一度会った事がある」

 

「あ、それじゃあちょっと前話してた助っ人ってあの人のことなんだ」

 

 リーファは納得がいったように手と手を合わせる。

 

 ここに来る前、ルグルー回廊に入る直前だっただろうか。彼から自分のほかにも協力者がいることを聞かされていたのだ。だからそれが彼女なのだろうと聞いてみたのだが……。

 

「違うよ。あの人は助っ人の助っ人みたいな人」

 

 キリトは被りを振って否定した。

 

「助っ人の助っ人って……なんだかどっちが助っ人なんだかわからないんだけど……」

 

「確かに」

 

「でも、あの人って強いのかな? ユージーン将軍に一歩も引かない姿勢はすごいと思ったけど……」

 

「どうだろう。でも、さっき耳打ちされた時は勝てるみたいなこと言ってたよ」

 

 キリトは随分と楽観的に言うものの、リーファは不安で仕方がなかった。確かに上空の女性は装備自体はキリトよりもいいものを揃えている。しかし、問題なのは彼女の実力だ。

 

 プレイヤーの身体能力に依存するALOは、リアルでの強さがそのまま反映されるといっても言いだろう。キリトの身体能力というか、戦闘技術が高いのはここまでの旅で理解しているが、彼女は未だに未知数だ。

 

 ――あれだけ派手に登場してきたんだから勝てる見込みはあるんだろうけど。

 

 思いながら上を見ると、ユージーンが女性に名前を問うところだった。

 

「いいだろう。相手を変更して貴様と戦うことにする。それで、貴様の名は?」

 

「ツバキだ。以後お見知りおきを、将軍」

 

 ツバキと言う名を聞いた瞬間、リーファは憧れの人物である女流剣士『萩月椿』を思い浮かべてしまった。すぐにそれを振り払う。

 

 VRMMOに彼女がいるはずもないからだ。

 

 ツバキは軽く腰を折ったが、ユージーンはそれに鼻で笑い、グラムを構える。

 

 それに答えるようにツバキも腰に差している刀を抜き放つ。純白に輝く刀身は陽光を照らしてキラキラと輝いて見える。グラムを闇とするなら、彼女の持つ刀は光とでも言うべきだろうか。

 

 刀を構えるツバキだが、リーファはその構えにどこか見覚えがあった。いいや、見覚えがあるどころの話ではない。あの洗練された構えに、研ぎ澄まされた刃のような闘気と殺気。

 

 あれはまさしく萩月椿その人のものだった。

 

「まさか、本当にあの人が……?」

 

 そう呟いた瞬間、ユージーンが予備動作一つせずにツバキに肉薄した。そのまま暗赤色の大剣が頬に向かって振りぬかれる。ツバキはそれに防御体制もとらずに構えている。

 

 誰もが初撃があたったことを確信しだろう。いや、たとえツバキが反応したとしてもグラムにはエセリアルシフトがある。初撃は必ず当たっていた事だろう。

 

 次に視界に飛び込んでくるであろう惨状を、思わずみないように目をそらそうとしたが、次の瞬間リーファはとんでもない光景を目の当たりにした。

 

 なんとツバキがグラムの攻撃を回避したのだ。それも頬に直撃する本当にギリギリでだ。

 

 そしてこちらに襲ってくる上からかけられる重圧と肌がひり付くような殺気。それを感じた時にはツバキの姿はユージーンの前から消失し、彼の背後に彼女はいた。

 

 ユージーンの赤銅色のアーマーを見ると、真一文字に剣閃が奔ったのか、赤いダメージエフェクトが発生している。

 

「な、に……!?」

 

 驚愕の声を上げる猛将。けれど、そんな彼に背後から冷ややかな声がかけられた。

 

「どうした、ユージーン。最強プレイヤーの実力はその程度か?」

 

 その声は決してユージーンを侮蔑しているわけではないだろうが、やはり『その程度』と言われた方はカチンと来るのが当たり前なので、

 

「スプリガン風情が……どんな小細工かは知らぬが、余りいい気にッ!?」

 

 振り返ろうとした瞬間、今度はツバキの方が動いた。しかし、確認できたのは動いたことだけだ。その場にいた誰もがツバキがどのような動きをしたのかを目で追えず、ただ、ユージーンのアーマーにまたしてもダメージエフェクトが発生していることのみが見て取れた。

 

「あまり強い言葉を使うな、猛将よ。幾分か……弱く見えるぞ」

 

 空中でクルリと反転した彼女は冷酷無比な言葉を吐いた。しかし、その言葉がユージーンの怒りの導火線に火をつけたようで、彼の瞳には今までにないほどの憤怒が見えた。

 

「いいだろう。本来ならば貴様が耐えただけで終わりにするつもりだったが、やめだ。貴様を斬る!」

 

「いい目だ。やはり剣士はそうでないといけない。さぁ、お前は私の渇きを満たしてくれる実力の持ち主かな?」

 

「ぬかせぇ!!」

 

 怒声を張り上げながら、冷笑を浮かべるツバキに接近し、剣閃を走らせるユージーンの動きは先程よりも更に速度が上がって見える。感情が高まっているからそれが動きに出ているのだろうか。

 

 一方で相変わらず冷静なままのツバキは彼の攻撃を全て紙一重でかわしてく。どうやら彼女はエセリアルシフトのことを理解しているようだ。

 

「将軍。当てられなければ自慢の魔剣も形無しだぞ」

 

「ならばちょこまかと動くな!」

 

 なんとまぁ彼女は何処までユージーンを煽れば気が済むのだろうか。さっきから彼女は彼の精神を逆撫でするような言葉ばかりを吐いている。

 

 けれどなぜだろうか。その言葉は別に本気で言っているようには感じられない。寧ろ相手を怒らせることで実力を引き出させるような感じだ。

 

 そしてツバキが攻撃を避け続けること十数回。ユージーンも彼女の動きに目が慣れてきたのか、僅かに攻撃があたるようになってきていた。

 

「いい反応と攻撃を繰り出すようになった。やはり、人間は戦いの中で成長していく……それこそが面白いのだ」

 

「貴様、何を……」

 

「さぁユージーンよ。貴様の信念を私に見せてみろ。ちょうどグラムの受け方も分かった」

 

「ではやって見せろ!!」

 

 言いながらユージーンは肉薄し、グラムを振りかぶり、そのまま今まで以上の力で振り下ろした。

 

 ツバキは振り下ろされたグラムを刀で受け止めようとしたが、それはエセリアルシフトの影響ですり抜けてしまった。そして彼女の脳天に刀身が当たる瞬間、それは起こった。

 

 金属と金属がこすれあう甲高い音が響いたのだ。視線を向けるとグラムを受け止めている純白の刀身が見えた。

 

「え、どういうこと?」

 

 リーファはわけが分からなかった。確かに最初彼女は刀でグラムを防ぎ、グラムはエセリアルシフトによってそれを貫通したはずだ。なのに今グラムは純白の刀身に受け止められている。

 

 ツバキは最初から刀を二振りもっていたのだろうか? 否、それは断じてない。最初から彼女はそんなものは持っていなかった。ではあの一瞬でアイテムメニューを操作した? それも否。どんなに彼女の動きが早くとも、アイテムや武装がオブジェクト化されるにはシステム上で数秒かかる。

 

 グラムが振り下ろされる前にオブジェクト化し、直ちに防御に回すなど不可能だ。

 

 頭の中で考えていると、キリトが「なるほどな……」と呟いた。

 

「キリトくん、わかったの? ツバキさんがどうやって防いだのか」

 

「ああ。見てみろよ、あの人の手を」

 

 キリトが差す方向に眼を向けると、彼女の手に刀の形状を取る二つのものが見えた。一方はグラムを受け止めている白銀の刀。そしてもう一方はと言うと、刀にしては妙に分厚く、刀と対比するような黒漆のような物体。

 

「まさか、初撃を鞘でやったの?」

 

「ああ。多分ツバキさんが持ってる刀はあの鞘も武器として扱われるようになってるんだろう。だから最初にグラムのエセリアルシフトで貫通させて、次に刀で受け止めた。流石の魔剣も立て続けに防がれちゃ効果が発動できないんだろう」

 

「でも、一歩間違えれば斬られてたよね」

 

「だろうな。でもあの人には出来る自信があったんだろう」

 

 呟く彼の瞳はグラムを受け止めているツバキに注がれていた。

 

「まさかそのような奇策でオレのグラムを防ぐとは……」

 

「なに、私も半分賭けだったさ。だが、如何せん私も急いでいる身なのでな。今回はこれで終わりにさせてもらう」

 

 ツバキは凛とした声で言うとグラムを弾く。ユージーンはそれによって大きく後退させられ、隙が出来た。

 

 瞬間、ツバキの姿がその場から消失。刹那、彼女はユージーンの背後に現れた。

 

 そのまま彼女は純白の刀を納刀。キンッ! という鍔と鯉口があたる音がした瞬間、ユージーンが声もなく爆散し、派手な赤い色のエンドフレイムを上げた。

 

 爆発のエフェクトと爆音がやんだものの、誰一人として言葉を吐くものはいなかった。

 

 それはキリトも同じなようで、彼もツバキの姿を驚愕の表情で見やっていた。しばらく沈黙が続いていたものの、ツバキはなにやらメニューウインドウを操作し、ユージーンのリメインライトに向かってアイテムを使用した。

 

 すると、赤い炎は徐々に人の形を成し始め、最終的にはユージーンが現れた。どうやら蘇生アイテムだったようだ。

 

「凄まじい実力だな。強者とは貴様のことを言うのだろうな」

 

「いや、お前も良い腕をしていた。もっと鍛えればさらに高みへいけると思うぞ」

 

「フッ言ってくれるな」

 

「本当のことだ。それで、勝負に勝ったのだから私達の言うことを信じてくれるのが、条件だったはずだが?」

 

 小首をかしげながらいう彼女の問いにより、再び周囲に緊張感が張り詰める。

 

「……いいだろう。貴様の強さに免じてその話、信用することにしよう。それに今ここでスプリガン、ウンディーネと事を構えるつもりもない。今日は戻るとしよう」

 

 ユージーンは身を翻してツバキに背を向けるが、彼は背を向けたまま告げた。

 

「ツバキと言ったな。貴様はいつか必ずや斬ってみせる」

 

「いつでも来るがいい猛将よ。私は挑戦者は拒まん、いつでも受け付けよう」

 

 最後までクールに言い放った彼女にユージーンは僅かに肩を竦め、翅を鳴らして部隊に戻ると、そのまま部隊を引き連れて蝶の谷から去っていった。

 

 赤き大部隊が去っていくのを声なく見ていると、ツバキがこちらに降り立った。相変わらず怜悧な表情を保っている彼女に、空気がピリ付くような感じがしたが、彼女はそれを尻目にキリトに近寄る。

 

「すまんな、キリト。余計なことをしてしまったか?」

 

「いや、ありがとう。ツバキさん。でも、アウストはどうしたんだ?」

 

「置いてきた。まぁ恐らく到着する頃だとは思うが……」

 

「とっくの前から着いてるっての」

 

 ふと若干苛立たしげな声が聞こえてきた。声のした方にリーファが視線を向けると、そこには大剣を背負ったインプの青年がいた。

 

 またしても他種族が出現したことで、サクヤとアリシャの背後に控えていた十二人がどよめいた。けれど、彼はそれを気にした風もなくキリトの元までやって来た。

 

「よう。ツバキが迷惑かけたな、キリの字」

 

「いや、迷惑はかかってないよ。ビックリしたけど、助かったよ」

 

「そんなでもないだろ。お前でもユージーンには勝てたって」

 

 二人は談笑するものの、リーファはどう声をかけたら良いものかと悩んでいた。すると、そんな彼女の代わりと言うように、サクヤが口を開いた。

 

「すまんが、状況がいまいち飲み込めないので説明を頼めるか?」

 

 

 

 

 

 疑問を投げかけてきたシルフの領主、サクヤとケットシーの領主、アリシャにリーファと言うキリトと行動を共にしていた少女の話を聞きたツバキはふむ、と頷いた。

 

「ということは今回の一件はそのシグルドなる男が招いたということか?」

 

「はい。たぶん、ですけど」

 

 ツバキの質問にリーファはぎこちなく頷いたが、サクヤはその話に何処となく心当たりがあったようだ。

 

「いや。その話は間違っていないかもしれない。ここ数ヶ月、シグルドが妙に苛立っているのは分かっていた。が、私はシルフ領の領主、独裁者と見られたくはなかったのと、合議制にこだわっていたのもあり、彼を要職においてしまった……」

 

「まぁ普通はそういう判断をくだすわなぁ」

 

「サクヤちゃんは人気だし、その辺は辛いところだヨねー」

 

「でも、シグルドはなんでイラついてるのかな?」

 

 リーファはイラつく理由が分からなかったようだが、ツバキはなんとなくだがそれに予想がついていた。先ほどの話の中で、シグルドという男がどういう人物なのか、予想が出来ていたからだ。

 

「サクヤ、これは私の勘だが、そのシグルドという男は上昇志向の高い男ではないか? または、力にこだわる節がある」

 

「……ああ、その通りだよ。ツバキ。彼は非常にパワー志向の高い男だからな。サラマンダーに先を越されているこの現状が我慢ならなかったのだろう。グランド・クエストをサラマンダーが攻略して制空権を取り、それを自分が地上からただ眺めると言うビジョンが見えてしまったんだろうさ」

 

「でもどうしてサラマンダーのスパイを……」

 

「そりゃあれだろリーファ。もうすぐ実装されるバージョン五.〇で実装されるって噂の、転生システムがあるからじゃねぇの?」

 

「あっ……なるほど……」

 

「彼の言うとおりだろうな。大方モーティマーにでも誘われたのだろう。スパイをすればサラマンダーに転生させてやるとな」

 

「でも、実装されたところで、モーティマーはシグルドを転生させる気なんてなかったと思うけどな」

 

 アウストは簡単に言ってのけるものの、リーファはなんとも言えない表情をしていた。けれどツバキにとって彼女がそのような顔をするのは無理もないことだと思っていた。

 

 ……このゲームはなかなかに人間の人間らしい部分が出るゲームなのだな。

 

「このゲーム、プレイヤーの欲望を試す陰険なゲームだな」

 

 そう言ったのはキリトだ。彼は呆れ混じりの声でそのまま続ける。

 

「デザイナーはさぞかし嫌な性格してると思うぜ」

 

「ふふ、そうだな」

 

 サクヤもそれに同意したのか静かに肩を震わせた。そしてそれにアウストも続く。

 

「でもオレそういうの結構好きだけどな。人間の裏の面出るようなやつ」

 

「だったら、お前も嫌な性格してるよ」

 

「その原理でいったらツバキの方が嫌な性格だと思うぜ?」

 

 アウストが親指を差しながら言うと、全員の視線がこちらに向いてきた。そしてサクヤが考え込むように口元に手を当てる。

 

「うむ……確かにユージーンと闘っている時は煽りに煽っていたからな……」

 

「ツバキちゃん、結構ドSな性格してるかモねー」

 

「そうか? アレぐらい普通だとは思うが?」

 

「「「「いやいやいやいや……」」」」

 

 なにやら全員から否定されてしまった。とりあえず、横でカラカラ笑っているアウストは後で捻ることにしよう。

 

「それで、どうするの? サクヤ」

 

 リーファがキリトにもたれかかりながら聞くと、サクヤは顔から笑みを消して瞳を閉じた。再び彼女が瞼を上げた瞬間、彼女の瞳には冷徹な光りが見えた。

 

 その瞳を見た瞬間、ツバキは彼女の腹が決まったのだと確信する。同時に、そんな目をする彼女と戦ってみたいという感情も芽生えてきた。

 

「ルー、確か闇魔法スキル上げてたな」

 

 その問いにサクヤは大きめの猫耳をパタパタ動かした。どうやらアレが肯定の意味らしい。

 

「ならばシグルドに《月光鏡》を頼めるか」

 

「できるけど、夜じゃないから長く持たないヨ?」

 

「構わん、どうせすぐに終わる用事だ」

 

 アリシャはもう一度耳を動かした後、一歩下がって詠唱を開始した。その姿を見つつ、ツバキはアウストに問うた。

 

「月光鏡とはなんだ?」

 

「魔法生成した鏡で遠くにいるやつと話しができる闇魔法だよ。さっきアリシャが言ってたけど、夜のほうが持続時間が長くて、昼間だと少ないんだ」

 

「なるほど。となると、彼女が話す人物はただ一人か」

 

「ああ。シグルドってヤツだろうな」

 

 言いながらアリシャの詠唱を眺めていると、やがて彼女を中心に小さな闇夜が出来上がり、彼女の手に楕円形の鏡が生成された。

 

 その鏡を覗き込んでみると、鏡にはなにやら執務室のような部屋が表示されており、窓際には、翡翠色の大きな机があった。

 

 恐らくアレがスイルベーンにあるサクヤの執務室なのだろう。しかし、本来ならば誰もいないはずの部屋に一人の男がおり、どっかりと足を机に乗せていた。顔には余裕綽々と言ったような笑みが見える。

 

 けれど、彼の表情は次の瞬間に蒼白に歪むこととなる。

 

「シグルド」

 

 張りのある声に反応したシグルドはバネ仕掛けのように飛び起きると、声のしたほう、即ち、月光鏡に映し出されたサクヤを見た。

 

「さ、サクヤ!?」

 

「ああ、そうだ。残念だがまだ生きている。悦に浸っているところ悪いがな」

 

「な、なぜ……いや、それよりも会談は」

 

「今から滞りなく行うところさ。あぁそうそう、会談に客人が来てな」

 

「客人……?」

 

「ユージーン将軍がお前によろしくだとさ」

 

 その言葉を皮切りにシグルドが仕切りに目を動かし始めた。その光景は嘘をついた子供が親に問いただされているような雰囲気だ。

 

 しかし、彼はやがてリーファの姿を見て全てを悟ったようで、眉間に深く皺を寄せた。

 

「……無能なトカゲどもめ……! それで、どうするサクヤ? 懲罰金か? それとも執政部から追い出すか? だがよく考えても見ろ。シルフの軍務を預かる俺がいなくてはお前の政権とて……」

 

「いや、お前はどうしても今のシルフに不満があるようなのでな。だから、こういう決断を下したよ。お前が望んでいたことだ」

 

「なに?」

 

 サクヤはシグルドから僅かに視線をそらして巨大なウインドウを展開し、そのウインドウの一つのタブを呼び出すと、彼女はそのまま手早く指を走らせる。

 

 やがてシグルドの元に青いウインドウが表示されるのが見えた。

 

「な!? お、お前正気か!? 俺を追放するというのか!」

 

「ああ。レネゲイドとして中立域を彷徨うがいい。安心しろ、きっとそこでは新たな楽しみも発見できるさ」

 

「こ、この……!」

 

「さらばだ、シグルド」

 

 何か言いかけたシグルドに対し、サクヤは冷たく言い放った後、ウインドウをタップした。同時にシグルドの身体を淡い光りが包み込み、彼の姿はその場から消失した。アルン以外の中立都市のどこかに強制転移されたのだろう。

 

 誰もいなくなった執務室を映し出す月光鏡には、やがて小さなひびが入り、そのままかすかな破砕音を立てて消滅した。

 

 サクヤは小さく息をついて眉をひそめていたが、そんな彼女にリーファが声をかける。

 

「……サクヤ……」

 

「私の判断が間違っていたかどうかは次の領主投票で決まることだろう。だが、リーファ、礼を言うよ。執政部の参加を頑なに拒み続けた君が助けにきてくれたことはとても嬉しい。それと、アリシャ。すまなかったな、シルフの詰まらんいざこざで危険に晒してしまって」

 

「そんなこと気にしないで良いよー! 生きてれば結果オーライだヨー!」

 

 随分と楽観的に答えるケットシーの領主に続き、リーファが首をぶんぶん振った。

 

「私もそんなに大したことしてないし、お礼を言うならキリト君やツバキさんに言って」

 

「そうだ、そういえばまだ君達のことを深く教えてもらえなかったな。名前は聞いたが……」

 

 サクヤとアリシャはまじまじとこちらの顔を見てきた。

 

「二人とも。さっき言ってたスプリガンとウンディーネの同盟の大使と護衛って、本当なノ?」

 

 アリシャの問いにツバキとキリトは軽く視線を交わすと、互いに笑みを見せて言った。

 

「もちろん大嘘だ。ブラフ、ハッタリ、ネゴシエーション」

 

「私も話は途中からしか聞こえていなかったからな。急ごしらえにしてはうまくいった」

 

「な――――……」

 

 サクヤとアリシャは互いに口をあんぐりと開けていたが、そこに解説を入れるようにアウストが口を開いた。

 

「まぁキリトは前からあんな調子だし、ツバキにしたって大胆な性格してるしな」

 

「それは分かるが……なんという大法螺だ。それで、君は二人とはどういった関係なのだ?」

 

「キリトとは友達だ。ツバキとは……リアルで姉弟だ。オレが弟でツバキが姉貴」

 

「なるほどな。と言うことは君達はキリト君を待っていたのか」

 

「そゆことー。でも、姉貴がこっちの戦いに興味持って飛び出してきたってわけ」

 

 軽く説明するとサクヤも納得がいったのか深く頷いた。

 

「キリト君の度胸も凄まじいが、それ以上にツバキの強さは圧倒的だったな。ユージーンをあそこまで一方的に屠るとは……」

 

「早すぎて見えなかったよー。お二人はスプリガンの秘密兵器って感じなのかナ?」

 

「まさか、俺はしがない流しの用心棒さ」

 

「私も似たようなものだ。姉弟で旅をしていたら、弟の友人のピンチに駆けつけたただのバトルジャンキーだ」

 

 自分のことをバトルジャンキーと紹介するのもどうかと思うが、アリシャとサクヤは互いに笑みを浮かべた。

 

「キリト君、ツバキ、君達がよければシルフの用心棒にでもなってくれるか? 君達の力は欲しい」

 

「あ、サクヤちゃんずるーい! 二人が欲しいのは私も同じだヨー!」

 

 二人は声を上げるものの、その様子を見ていたツバキが凛とした声を発した。

 

「誘いは嬉しいが、なにぶん私達は先を急ぐ身でな。その話はことが終わってからにしてもらえるか?」

 

 ツバキは言うと同時にメニューウインドウを操作してツバキとアリシャにフレンド申請を出した。二人はそれに了承すると、仕方ないかと言う風に引き下がった。

 

「しかし、アルンへ行くのか。リーファ、物見遊山か? それとも……」

 

「最初は領地を出る……つもりだったんだけど、いつか帰るわ。スイルベーンに」

 

「そうか。それを聞いて安心したよ。そのときは四人で来てくれ」

 

「ケットシー領にもきてねー。歓迎すルよー」

 

 二領主は改めて二人に頭を下げる。サクヤは胸に手をあてて腰を折り、アリシャはふかぶかと頭をさげて耳をペタンと降ろした。先に顔を上げたサクヤが言う。

 

「今回は本当に助けてくれてありがとう。私達がここで撃たれていればサラマンダーとの格差は決定的だった。何かお礼を出来れ良いのだが……」

 

「気にするな。私とてユージーンと闘いたくて勝手にやったことだ。寧ろ話をこじらせてしまって迷惑をかけてしまった」

 

「俺もお礼なんていいですよ。俺の好きでやったことですし」

 

 二人が答えると、後ろにいたリーファが思い出したように声を上げた。

 

「ねぇ、サクヤ、アリシャさん。この同盟の最終的な目標って世界樹攻略なんだよね」

 

「究極的にはそうだな。二種族で世界樹を攻略し、双方ともアルフになればそれでよし。片方だけならば次の攻略の折に協力する。と言った感じだな」

 

「それじゃあその攻略にあたし達も同行させてもらえないかな。それも、出来るだけ早く」

 

「それは構わない。というか、こちらから頼みたいくらいだよ。しかし、なぜ早く?」

 

 サクヤが首をかしげながら聞くと、リーファはキリトに視線を向ける。キリトは一瞬迷ったような表情をしたが、静かに説明を始めた。

 

「俺がこの世界に来た理由は世界樹の上に行きたいからなんだ。そこにいるある人に合うためにね」

 

「人? それは妖精王オベイロンのことか?」

 

「いや、違う。その人とはリアルで連絡が取れなくて、だからどうしてもここで会わなくちゃいけないんだ。だからそのために、ここにいるアウストの助けを借りるってわけなんだ。今はリーファに頼りっきりだけど」

 

「なるほど。随分と込み入った事情があるようだな。深く追求するのは無粋だな」

 

 サクヤは頷いて答えたものの、その隣のアリシャは難しい表情をして、尻尾と耳を力なく垂らした。

 

「でもね……キリト君。攻略メンバー全員の装備を揃えるにはしばらくかかりそうなんだヨ。とてもじゃないけど、一日二日じゃあ……」

 

「そっか。そうだよな。でも、俺達もとりあえずは世界樹の根元まで行くのが目的だし」

 

 そこまで言ったキリトだが、ふと思い出したようにメニューウインドウを操作してなにやら大きな皮袋をオブジェクト化させた。

 

「これ、軍資金の足しにしてくれ」

 

 キリトが差し出した袋にアリシャが手をかけるが、彼女がつかんだ瞬間、彼女はその場でふら付いた。アリシャは一度体勢を整えて袋をしっかりと持つと、チラリと袋の中身に目を落とした。

 

「さ、サクヤちゃん、見てこれ……!」

 

「うん?」

 

 アリシャに言われてサクヤも中身を覗きこむと、アリシャと同じように驚愕に顔をゆがめた。そして彼女が取り出したのは青い輝きを放つ大きなコインだった。

 

「十万ユルドミスリル貨……まさかこれ全部か!?」

 

 さすがのサクヤもそれに驚いていたようだが、そこでアウストが口を開いた。

 

「キリトと姉貴ばっかがイイカッコすんのもつまんねぇから。オレもこれやるわ」

 

 そういって彼もメニューウインドウを操作すると同じように大きな皮袋を取りだした。大きさ的にはキリトのものより一回り大きいだろうか。

 

 彼はそのまま皮袋をサクヤに渡す。サクヤとアリシャ、そしてリーファは恐る恐る袋の中を覗き込んだ。

 

「こっちも十万ユルドミスリル貨……! 君達これだけの大金を何処で……?」

 

「自然と貯まった。まぁそれだけありゃ装備品整えるのはすぐじゃねぇの?」

 

「うん。これだけあれば目標金額にたどり着くどころか、もっと行ったかもしれないヨー!」

 

「至急装備を整えて、準備が出来たら連絡をしよう」

 

「そうしてくれると助かる」

 

 キリトが答えると、アリシャとサクヤは皮袋をウインドウに格納した。

 

「さて、これだけの金をぶら下げて歩くのはゾッとしないな。今日はケットシー領に引っ込むとしよう」

 

「そうだネー。会談の続きは帰ってからだネ」

 

 二人は互いに頷き合うと、部下達に命じる。その命を境にテントと十四脚の椅子がテキパキと片付けられていった。

 

「なにからなにまで世話になってしまったな。君達の希望にこたえられるように努力するよ。キリト君、リーファ、ツバキ、アウスト」

 

 サクヤの言葉に頷いた後、四人はそれぞれの領主と固く握手を交わした。

 

「また会おうネ!」

 

 アリシャは快活な笑みを浮かべて浮かび上がると、サクヤと共に垂直に浮かび上がった。そのまま彼女達は西の空へと部下達を引き連れて飛び去っていった。

 

 彼女達の姿が見えなくなるまで見送っていた四人だが、やがて周囲には沈黙が訪れた。

 

「やれやれ、まさか最後の最後でこんなことに巻き込まれるとはな」

 

「実際はお前はなにもやっていなかったがな」

 

「だってよー。あの場所にインプのオレが乗り込んでったら余計ややこしいだろー」

 

「それは確かにそうだ」

 

 アウストにキリトが突っ込みを入れると、そこで改めてキリトがリーファに視線を向けた。

 

「リーファには話しただけだったよな。もう大体分かってると思うけど、アウストとツバキさんだ」

 

「あ、初めまして。……といっても遅すぎる感じはありますけど」

 

「まぁ色々ごたついてたしな。とりあえずよろしく、リーファ」

 

「こちらもよろしく頼む」

 

 二人が言うとリーファは軽く頭を下げた。けれど頭を上げた彼女はどこか落ち込んだような表情を浮かべる。

 

「でも、ツバキさんみたいな強い人がいるなら、私なんか要らなかったかもしれないね」

 

「何言ってるんだよ、リーファ。ツバキさんはああ見えて俺と同じ初心者だぞ?」

 

「え?」

 

「因みに言っとくと、オレもまだ初めて一ヶ月だから、こんな中で一番やりこんでるのはリーファだぜ」

 

 キリトに続いて言うアウストにリーファは一瞬呆けた表情になったが、すぐに笑みを浮かべた。

 

「なんていうか、キリト君の知り合いの人ってみんなめちゃくちゃな感じがするよ」

 

「ハハハ……」

 

「安心しろリーファ。オレなんてかわいい方だって。あっちはまだまだ本気出してないから」

 

「……もうなんでもいいや……」

 

 アウストがツバキを差しながら言うと、リーファはハァと大きなため息をついた。

 

 その後、四人はアルンヘ向けて飛び立って行った。

 

 因みに、その途中でツバキがアウストを捻り、彼の悲鳴がアルン高原に木霊したのは言うまでもない。




無双なのか蹂躙なのかよく分かりませんでしたね。

途中で愛染さまが乗り移ってる気がしますが、その辺はノープロブレム。

そして思ったこと、明日奈サイドに全然変化がないからどうにもこうにも出せませんな……。何とかしなければ。
次回はヨツンヘイムのトンキーのところをやって十六話って感じですかね。
その次はあると色々やって、まぁ結局ALO編も十話前後で終わりますかね。大急ぎな気がしてならない。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十六話

 見渡すは一面の銀世界。ゴウゴウと音を立てながら抜けていくのは、雪混じりの強風。

 

 踏みしめる大地には、雪が厚く降り積もり、城や砦の残骸と思しき構造物や、湖や小川に至るまで、全てが凍り付いている。

 

 そんな中を厚手の毛皮のマントを羽織って行軍するのは、身の丈ほどの大刀を携えたインプの青年、アウストと、サラサラとした黒髪を棚引かせるスプリガンの女性、ツバキであった。

 

「さみー。偵察になんて出るんじゃなかったぜ……」

 

 唇を尖らせ、愚痴をもらしたアウストは、天井を見上げる。

 

 本来であればこの表現は間違っているだろうが、この場所ではこの表現が正しいといえる。

 

 今彼等の頭上に広がっているのは、本物の空ではなく、大空洞の天井なのだ。そして天井で輝いているのは星ではなく、この寒さで凍てついた氷柱である。

 

 この巨大な空間は、所謂《地下世界》だ。

 

 実際のところそれはそれで正解なのだ。この世界の通称は《ヨツンヘイム》。アルヴヘイムの地下に広がり、邪神級モンスターが跋扈する闇と氷の世界である。

 

「それにしても、まさかあの村全てがモンスターの擬態だとは思わなかったな。弟よ」

 

「アルン高原にはモンスターが出ないって掲示板に書いたアホは誰だよ……。いや、まぁ確かに俺の知った限りでも出てこなかったけどさぁ」

 

「リーファも言っていたしな。まぁあれだけ広いのだ、調査が行き届かないのも無理はあるまい。とにかく我々が今目指すべきなのは、このヨツンヘイムから脱することだろう?」

 

「あぁ、まぁそうなんだけどさ……」

 

 大きなため息は白い息となって風の中に溶けていく。

 

 領主会談の場でユージーンを退けた後、キリト、リーファそしてキリトのプライベートピクシーとして活動しているユイと合流したアウストとツバキは、アルンへ向けて飛び立った。

 

 しかし、時間も時間であり、今日中には到着不可能だと感じた一行は、最寄の宿屋で切り上げようとした。

 

 そしてちょうどその時眼下に小さな村があり、これ幸いとその村に降立って宿屋でログアウトしようとしたのだ。

 

 が、その村こそ、巨大なモンスターの擬態した姿であったのだ。

 

 思い返してみれば、確かに不可解な点は多かった。どんな小さな村であっても、NPCの一人や二人いるはずだ。なのに、あの村にはそのNPCがいなかった。

 

 少なくともあの場で異常性に気付きべきだったのだが、それに気付くよりも早く、村の建物が崩れ、ヌラヌラとした肉質のコブになったのだ。

 

 そして五人がいる地面がぱっくりと割れ、強烈な吸引力によって飲み込まれた。

 

 飲み込まれた当初はツバキも、モンスターの腹を切り裂いて出ようと思っていたが、ぬるぬるとした粘液のせいで刀が抜けず、斬ることはできなかった。

 

 そのまま胃酸で溶かされてそれぞれのホームタウンに戻されるのかと覚悟していたのだが、どうやらモンスターの口には合わなかったようで、腹の中を運ばれること三分弱、最終的にペッと吐き出されたのが、ここヨツンヘイムであったのだ。

 

「しかし難儀なのはここではお前以外が飛べないことだな。移動に時間がかかってしょうがない」

 

「まぁ飛べる飛べない以前に、脱出方法が――って、姉貴。ちょいこっち」

 

「む?」

 

 アウストがツバキの手を引いて近場にあった岩陰に身を隠した。

 

 すると、地面が揺れ始め、先ほどまで二人が歩いていた場所を邪神級モンスターが通過していった。

 

「さすがに二人じゃ闘うのは面倒だからな」

 

「むぅ……。私は闘ってみたいのだが」

 

「それは後で好きなだけできるさ。とりあえず、キリト達がいるほこらまで戻ろう。収穫はなしだけどな」

 

「仕方ないな……」

 

 アウストとツバキは邪神級モンスターの目を盗み、さっさと来た道を引き返していった。

 

 けれど、その最中も何度か邪神とエンカウントしそうになったので、戻るのも困難であった。ツバキは避ける度に残念そうな顔をしていたが。

 

 

 

 そうして邪神をやり過ごしながら祠をめざすこと二十分近く、ようやくキリト達が待機しているほこら近くにたどり着いた。

 

 視線の先にほこらの入り口を捉え、アウストは「やれやれ」と溜息をつきながら一歩を踏み出すが、そこで地面を這うような唸り声のような音と、木枯らしのような小さな音がツバキの耳に入った。

 

「待て、葵。何か聞こえるぞ」

 

「え?」

 

 アウストは耳に手を当てて風に紛れて聞こえてくる音を聞き取ろうとした。

 

 やがてあの二つの音はアウストの耳にも入ったのか、彼はツバキを見やった。

 

「あの音はなんだ?」

 

「多分だけど、邪神の声だと思う」

 

 アウストは言いながら周囲を見回す。すると、キリト達が隠れているほこらの東側から、不規則に動く二体の巨大な影が見えた。よく目を凝らすと、二体が闘っているのが見える。

 

 二体の内一体は先ほど偵察に行ったときによく見かけた二本足で顔が三つ連なったような邪神。もう一体はクラゲのような触手が生え、本来であれば外皮にあたる部分に象の頭がくっ付いたような邪神だ。

 

 どちらかと言うと二本足の邪神の方が大きく、戦いもあちらが優勢なようだが、ゾウクラゲ邪神は闘っているというよりも、逃げているような雰囲気だ。

 

「どうなってんだあれ……?」

 

「さてな。しかし、このまま行くとほこらにぶつかるな。流石にあんなものがぶつかればほこらが崩れかねん。二人の下へ急ぐぞ」

 

「おう」

 

 ツバキの言葉に頷いたアウストは、足をほこらに向ける。

 

 駆け出して数秒後、キリト達も音に気が付いたのかほこらから出てきた。そのまま二人と合流し、今一度こちらに接近しながら争っている邪神を見やる。

 

「なぁ、キリの字。あれ、どう見る?」

 

「どうって……まぁどっちもこっちには気付いてないみたいだから、逃げるなら今だろ」

 

「確かにそうだわな。んで、リーファの意見は? なんか言いたそうだけど?」

 

 アウストがリーファに視線を向けると、彼女は一瞬体を震わせ、徐々に接近してくる邪神を見やる。

 

 争いは、三面邪神が明らかに優勢で、ゾウクラゲ邪神は三面邪神の攻撃を受けて、どす黒い血を当たりに吹き散らしている。

 

 リーファはその姿が痛ましく、弱いものいじめを目の前で見ている気がしてならなかった。だから、彼女は一度頷いた後、告げた。

 

「……助けよう。みんな」

 

「ど、どっちを?」

 

「決まってるでしょ。苛められてる方をだよ」

 

 キリトの問いに即答したはいいものの、その後すぐに至極当然の質問が帰って来た。

 

「ど、どうやって?」

 

「えーっと……」

 

 助けるといったはいいものの、彼女自身なにも思いついていなかったようだ。すると、話しを聞いていたツバキが提案した。

 

「三面邪神の注意をこちらに向ければよいのではないか? その後はそうだな……ヤツを水の中に沈めるとか。運がよければクラゲ邪神が倒すかもしれんだろう」

 

「……なるほど。確かにあのフォルムなら。ユイ、この周囲に水面はあるか? 川でも湖でもいい」

 

 キリトがユイに問うと、ユイは瞼を閉じて周囲のフィールドに検索をかける。

 

「あります、パパ! 北に約二百メートル移動した地点に氷結した湖があります!」

 

「よし。いいか、三人とも。そこまで全力で、いや、死ぬ気で走るぞ」

 

「え……え?」

 

「なぁるほどねぇ」

 

「心得た」

 

 三者三様の返答。リーファは疑問符であったが。

 

 キリトはそれを確認すると、腰のベルトから投擲用のピックを取り出して、構える。

 

 その行動に対し、未だによくわかっていないリーファが首を傾げていると、アウストが声をかけた。

 

「リーファ。走る準備したほうがいいぞ。気ぃ抜くと本当に死ぬぜ」

 

「ま、まさか、キリト君がしようとしてることって……!?」

 

「ご明察。さっきツバキが言ってたことをやろうとしてんだよ。ようは、三面邪神の注意を俺等にひきつけるわけだっと、こっち見たぞ」

 

「え?」

 

 リーファが声を漏らした直後――。

 

「ぼぼぼるるるるるううう!!!!」

 

 工事現場の重機を思わせる重低音の怒りの声が響き、全身を振るわせる。どうやら先ほどキリトが取り出した投擲用のピックが見事に命中し、邪神の怒りを買った様だ。

 

「逃げるぞ!」

 

 絶叫と共にキリトが駆け出す。それに続き、ツバキ、アウスト、リーファが続く。けれど、リーファは少々駆け出すのが遅かったため、三人から引き離されてしまう。

 

「ちょ、ひぃぃどぉぉいいいいい!!」

 

 悲鳴を上げながらも足を回し、逃げるものの、三人には追いつける気がしない。というか、ツバキに至っては最近始めたばかりと聞いたはずなのだが……。

 

 けれどそんなことを考えている暇はない。背後からは大地を揺らしながら三面邪神が迫ってきているのだから。

 

 すると不意に前を行くアウストがスピードを落とし、リーファと並走を始めた。リーファは彼に対し「どうしたの?」と聞こうとしたが、不意に体がふわりと浮かぶ感覚を覚えた。

 

 見ると、確かに足が地面から浮いている。

 

「こういうときインプって便利だよなぁ」

 

 アウストの声に、リーファは彼の種族を思い出した。

 

 そうだ。インプはその特性上、洞窟内での飛行が可能なのだ。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

「う、うん!」

 

 言われるがままアウストの腕にしがみ付く。胸が当たったかもしれないが、命には代えられない。

 

 そして前を行くキリトとツバキがそれぞれ雪煙を散らしながら足を止める。リーファは驚いたが、アウストは彼等の行動を理解したようで、キリト達よりもやや後ろ側に降立つ。

 

「と、とまって大丈夫なの?」

 

「心配ねぇって。ホラ、そろそろ始まるぞ」

 

 アウストが指差す方向をリーファが見た瞬間、バキバキバキという何かが割れるような音が響き、三面邪神の姿が一瞬消えて、巨大な水柱が上がった。

 

「そっか……あそこは湖の上だったんだ。だからキリト君は」

 

「そゆこと。まぁ出来ればこれで沈んでくれた方が万々歳なんだが……そう上手くは行かないみてぇだな」

 

 彼の言葉通りだった。みると、三面邪神は一度沈んだものの、再び浮き上がってこちらに向かってきている。どうやら泳ぎも得意なようだ。

 

「ど、どうするの?」

 

「まぁそう焦るな。キリトならこれくらい考えてる。それに、まだ望みはあるしな」

 

 彼の言ったとおり、キリトはジッとこちらに向かってくる邪神を見据えている。ツバキも目を瞑って整然とした雰囲気でいる。

 

 ふと、そこで聞いたことのある甲高い声が聞こえた。そちらを見やると、先ほどのゾウクラゲ邪神が湖に飛び込み、三面邪神の体を二十本ある触手で拘束し、そのまま水中に引きずり込み、ゾウクラゲ邪神が三面邪神の上に覆いかぶさる形となった。

 

 そのまま二体の戦いを見ていると、やがてゾウクラゲ邪神が一際大きく啼き、その体が青白く発光した。

 

 瞬間、ゾウクラゲの体がスパークし、三面邪神のHPゲージが凄まじい勢いで減少した。

 

「あの邪神は水の中が得意だったんだ」

 

「フォルム的にもクラゲだからね。いくらあの二足歩行の邪神が強くても、地の利があるのはゾウクラゲの方だ」

 

 キリトが言い終えるころには、三面巨人はスパーク攻撃を受けて最終的に輝くポリゴンとなって、エフェクトと共に爆散してしまった。

 

 三面邪神を見事に倒したゾウクラゲ邪神は、そのまま水中をぷかぷかと泳いだ後、リーファたちがいる岸辺に水を滴らせながら上がってきた。

 

 ズン、ズン、と一歩ずつ大地を揺らしながらやってくる邪神に対し、キリトが思っていたことを口にした。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 その呟きにアウストを含めた全員の視線がリーファに注がれた。まぁ言いだしっぺが彼女であるので仕方なくはあるのだが。

 

 しかし、目の前にいるのはかわいそうになっていたとはいえ、邪神級のモンスターに変わりはない。現に彼等の視線の先に表示されている鋭い鉤爪には、敵対を意味する黄色いカーソルが表示されている。

 

 ……このまま何もしなかったら見逃してくれたりなんかしちゃったり……。

 

 などと淡い希望を持っている時だった。邪神は一度、ひゅるるるっと啼くと、その長い鼻を四人に対して伸ばしてきたのだ。

 

 それぞれが攻撃かと思い、得物に手をかけようとしたり、その場から飛びのこうとすると、その行動をユイがとめた。

 

「皆さん、待ってください! この子、怒っていませんよ」

 

 ユイの声に全員が行動をやめると、ゾウクラゲ邪神の鼻が器用に曲がり、四人を一気に掴んだ。

 

「敵意はないけどこのまま口にポイだったりしてな」

 

 ケラケラと面白げに笑みを浮かべるアウストの言葉はゾッしないものの、やはり先ほどのユイの言葉には間違いはなかったようで、口にポイされることはなく、そのまま背中の丸い部分に放り投げられた。

 

 背中は思ったよりも柔らかく、放り投げられた四人は軽くバウンドした。そればかりか、ふさふさした短毛が妙に心地よくもある。

 

 すると、ゾウクラゲ邪神は四人を乗せたことに満足したのか、一度小さく吼えると、どこかへ移動を開始した。

 

 ゾウクラゲの不可解な行動に四人はそれぞれ顔を見合わせるものの、「とりあえず敵意はないみたいだし」と、しばらく無言でゾウクラゲに揺られながらヨツンヘイムの風景を眺める。

 

 闇と氷の世界と言っても、全てが暗黒に包まれているわけではないヨツンヘイムも、よくよく見てみると、所々綺麗なところも見える。先ほどアウストとツバキも歩いてみたが、このように移動する高台からでないと見えないところもあるようだ。

 

 しばらく邪神の背中で揺られていると、キリトが呟く。

 

「えっと……これって結局、なにかのクエストの始まりなのか?」

 

「いや、お前の言うとおり普通のクエストの開始ならこのあたりにスタートログが出るはずなんだが……。なぁ、リーファ」

 

「うん。もしくは普通のクエストみたいな開始点と終着点がない……。所謂イベント的なものかもしれないんだけど、そっちだと少し厄介かも」

 

「厄介とは?」

 

 胡坐をかいて座っていたツバキの問いに、リーファは解説を始める。

 

「もしもこれがクエストなら終着点には必ず何かしらの報酬があるわけよ。ユルドとかアイテムとか。でも、イベントの場合はプレイヤー参加型のドラマみたいなものだから、必ずしもハッピーエンドってわけにはいかないんだよね」

 

「となると……このままこの邪神の棲家に連れて行かれ、その場で美味しく頂かれるか、コイツが親だったとして、その子供たちに無残に食い殺される場合もあるということか」

 

「い、いや、ツバキさん。流石にそれはないんじゃあ……なぁ、アウスト?」

 

「しらね。俺イベントに参加したことないし、リーファよりも始めたのは遅いからな」

 

「そっか……。じゃあリーファ、今のツバキさんの予想は?」

 

 小首をかしげながら半笑いのキリトが問う。

 

「充分ありうるよ。私だってホラー系のイベントで、選択肢ミスって最終的に鍋で煮られたし」

 

「す、すごいゲームだな」

 

 キリトは顔を引き攣らせるようにして笑みを浮かべると、ふさふさした短毛を撫でる。

 

「まっ、こうなったら乗りかかった船、じゃない、クラゲだな。ここで降りてもこの高さ的に大ダメージは免れないだろうし。っで、えーっと――」

 

 キリトは落ち着きがなく頬を掻きながら、リーファを見やる。そんな彼の行動に、リーファは「なによ」と少しだけ緊張した声を漏らす。

 

 そんな二人の仕草に勘付いたのは、ツバキであった。

 

「葵、少し席を外すぞ。こっちに来い」

 

「うぃーす」

 

 ゾウクラゲの背中を少しだけスライドする形でキリト達から距離を取る二人。

 

 やがて二人の声が届かないあたりまで移動すると、ツバキが息をついた。

 

「どうやら私達が偵察に出ている間、一悶着あったようだな」

 

「姉貴はそういうの感じ取るの上手いわなぁ。そんで、仲は改善できそうかね?」

 

「心配あるまい。そこまで後を引く問題でもないだろうしな。それよりも、私は早く闘いたいのだが……」

 

 ツバキの指は落ち着きがなくトントンと自身の膝頭を打っている。ユージーン将軍との戦闘でも満足が行かなかったと見える。

 

「はぁ……わーったよ。このままヨツンヘイムを抜け出して、アルンについたら好きなだけ俺が相手するよ。それでいいだろ?」

 

「ほう、言ったな。弟よ。後から嫌と言ってもその時には遅いぞ?」

 

「男に二言はねぇさ」

 

「フッ、楽しみにしておこう」

 

 ツバキは満足げな笑みを浮かべ、ヨツンヘイムの風景を楽しみ始めた。

 

 アウストはと言うと、ツバキから視線を外し、背後にいるキリトとリーファを見る。まだ二人は話している最中のようで、割ってはいる雰囲気ではない。

 

「さてどうしたものか」と暇をもてあまし、ゴロンと邪神の背中に寝転がる。すると、そんな彼の眼前に小さな妖精、ユイが現れた。

 

「お暇ですか? アウストさん」

 

「まぁな。お前はいいのか? パパのところにいなくてもよ」

 

「はい。パパとリーファさんはちゃんと仲直りできると思うので。それよりもアウストさん。私は貴方に話があるのです」

 

「俺に?」

 

 アウストが上体を起こしながら問うと、ユイはアウストの右肩の上にチョコンと降立つ。

 

「SAOで私がカーディナルに削除されそうになったとき、薄れていく意識の中で貴方の声が聞こえました。ユイの居場所を奪うなっていう貴方の声が」

 

「あぁ、その話か。あん時は必死だったからなぁ。ガキのころに自分の居場所がなくなったから、お前がカーディナルに削除されることがダブって見えたんだよ。だから、あんなことを叫んだ。自分の目の前で、自分と同じ目にあるヤツを放っておくことができなかったんだ」

 

「……やっぱり、アウストさんは優しい人ですね。あの時は時間がなくて言えませんでしたけど、SAOで貴方のことをずっと見ていたのは、ただ貴方が他の人と別の感情を持っていたからではないんです。貴方の気持ちの根底にあったのは、誰よりも深い優しさです。どんなに粗暴な態度であっても、仲間や友人は決して裏切らず、困っていれば全力で助ける……そんな優しさが貴方の根底にはありました」

 

 にっこりとした笑顔を見せるユイに対し、アウストは少しだけ頬が熱くなるのを感じた。

 

「まったく。マセガキめ。人の心見透かしてんじゃねぇっつの」

 

「あぅ」

 

 指で押すように小突くと、ユイは「えへへ」と小さな舌を出した。

 

「まぁ俺が優しいかどうかは置いておくとして、アスナのことは全力で助けるさ。仲間だからな」

 

「ありがとうございます。アウストさん。あ、そうだ。もう一度私と約束してもらってもいいですか?」

 

「約束?」

 

 アウストが怪訝な表情をすると、ユイは微笑を浮かべて小さな手を差し出してきた。

 

「アウストさん。私と友達になってくれますか?」

 

 その言葉に、アウストは一瞬ハッとした。以前、SAOで彼女と初めて会った時、ユイは度重なるプレイヤーの悲惨な末路と、システム的エラーを蓄積していき、崩壊してしまい、幼児のようになってしまっていた。

 

 そんな時の彼女は『友達』という言葉をわかっておらず、アウストに問うてきた。アウストはそんな彼女に対して、「俺が友達になってやる」と言った。あの時、ユイは笑顔で答えてくれたが、まだ彼女から本当の返事はもらえていなかった。

 

 だからこそアウストは彼女の手に自分の手を合わせた。

 

「……ああ。なるさ。俺はお前の友達だ。ユイ」

 

 答えに対しユイは嬉しげな満面の笑みを浮かべた。

 

 ユイと再び友人の契りを交わし、彼女がキリトの下にアウストはゴロンと寝転がって、天蓋を見上げた。

 

「うん?」

 

 ある程度天蓋を見回したアウストは、このゾウクラゲ邪神の進行方向の先に、天蓋から垂れ下がっている逆円錐状の構造物があることに気が付いた。

 

 ……あれって確か……。

 

「ねぇ、アウスト君!」

 

 記憶を探っていると、リーファに呼ばれたので、アウストは二人の下に行く。

 

「あれって世界樹の根っこだよね?」

 

「ああ。そんで、確かあの逆ピラミッドみてぇなヤツの先端にエクスキャリバーがあるって話だ」

 

「ふーん……って、え、エクスキャリバー!?」

 

 声を上ずらせながらアウストを見たリーファに対し、彼は落ち着き払った様子で静かに頷いた。

 

「エクスキャリバーって?」

 

「レジェンダリーウェポン。サラマンダーのユージーンが持ってたろ? 《魔剣グラム》、あれを越える唯一の剣なんだとさ。正式名称は《聖剣エクスキャリバー》。最強の剣なんだと」

 

「さ、最強の剣……」

 

 キリトがゴクリを生唾を飲みんだ。アウストはツバキを見やって彼女に問う。

 

「ツバキはどうだ? 最強の剣なんて、いい響きじゃねぇの?」

 

「くだらんな。剣の力で得た最強など、真の最強ではない。《魔剣グラム》も相対してみれば、大したシロモノではなかったしな」

 

 返ってきたのは冷徹とも取れる即答だった。まぁ、リアルでは最強の剣士の名をほしいままにしている彼女だからこそ言えることだろう。

 

「まぁどうやって行くのかは知らんけどな。もしかしたらアルンから行けるのかもな。世界樹の根っこが絡み付いてるし」

 

「なるほどぉ、確かにそれはあるかもね」

 

「でも、流石に今は無理だな。今はこのカメだがダイオウグソクムシだかに任せるしかないな。竜宮城で歓迎されるか、今日の朝飯になるかは知らんけど」

 

「ちょ、ちょっと待ってよキリト君。なに、そのダイオウなんとかって。例えるならゾウがクラゲかでしょ?」

 

 リーファの抗議に、キリトはやや心外そうに眉をしかめた。

 

「えー、知らない? 別名ジャイアント・アイソポッド。深海の底にいるこれくらいのでかいダンゴムシなんだけど。アウストは?」

 

「知ってる。見たこともあるし、触ったこともある。めちゃくちゃ臭かった」

 

「え゛ッ」

 

 女子らしからぬ濁った声を上げたリーファはその場から少しだけ身を引いて、ツバキの服の裾をつかんだ。

 

 しかし、そんな彼女の行動を知ってかしらずか、男子二人はダイオウグソクムシの話に花を咲かせる。

 

「臭いって、どんな匂いなんだ?」

 

「簡単に言うとアンモニア臭。んで、こっから面白いんだ。ダイオウグソクムシの主食は基本的に海底に沈んだヘドロ混じりの屍骸の肉なわけよ。しかもダイオウグソクムシは、外的から攻撃を受けるとアンモニア臭よりも臭い液体を口から出すんだとさ」

 

「うわ、マジかそれ! アウストはその臭いはかいだことあんのか!?」

 

「残念ながらその臭いまではなかったな。ただ、言えることは、ダイオウグソクムシはめちゃくちゃ臭いってこ――」

 

「ストーップ!!」

 

 男子連中二人の話はリーファの絶叫で遮られ、彼女は先ほどまでの話を払拭するように言葉をつないだ。

 

「もうダイオウ何とかはどうでもいいの! それよりも、この子に名前付けよ。かわいいやつ!」

 

 有無を言わさず提案した彼女の様子に、二人は「はいはい」と言った風に頷くと、彼女と同じようにゾウクラゲ邪神の名前を考え始めた。

 

 しばらくそれぞれが名前を考えていると、「あっ」とアウストが声を漏らす。

 

「じゃあ、ダ○ボ」

 

「それは色々と駄目な気がする……。あれってガチなゾウじゃん」

 

「アレをゾウと呼んでいいのかは俺も謎だとは思うけど……空飛んでたし」

 

「じゃあキリト、お前なんか思いついたのかよー」

 

「え、うーん……。トンキーとか?」

 

「ドンキー?」

 

「それは猿の方だよ!! トンキーだよトンキー!」

 

 随分前のゲーム作品のキャラの名前をアウストが持ち出したことで、キリトは若干声を荒げて突っ込みを入れた。

 

 けれど、トンキーと言う名前を聞いたリーファはその名前に聞き覚えがあった。

 

 ……確かあの絵本に出てきたゾウの名前だったっけ。

 

 リーファが思い浮かべたのは、小さな頃に母親に読んでもらった絵本に登場したゾウだ。戦争中の末期、猛獣達を処分するという命令の下、ゾウのトンキーを処分するために、毒餌をやっていた。しかし、トンキーはそれらを全てよけ、決して毒餌を口にしなかったという。トンキーは芸をして餌を要求したが、結局飢えで死んでしまうというお話だ。

 

「なんかすごく不幸な匂いがする名前だけど……」

 

「そういわれるとそうだな。どうする? やめてダ○ボにする?」

 

「……ううん、トンキーにしよ! そんなに気にすることでもないし」

 

「ちぇー、ダ○ボはナシかよー」

 

 トンキーという名前の決定に、アウストは唇を尖らせるが、そこへツバキが小さな笑みを浮かべる。

 

「フフ、やはりお前にネーミングセンスはないな」

 

「じゃあツバキはなんか思いついたのかよー」

 

「無論だ。私の考えた名はげんごろうまる!」

 

「ダサイ! あと、前提忘れてる! かわいいのって話だったよな。なのになんだ、げんごろうまるって!」

 

「そう熱くなるな。いまのはただの冗談だ。本命はちゃんとあるさ」

 

 ツバキは不適な笑みを見せながらいうものの、アウストは嫌な気がしてならなかった。

 

「では改めて、私の考えた本当の名は、にゅるにゅる丸!」

 

「……うん、わかった。じゃあキリト、リーファ、トンキーで行こう」

 

 邪神の名はトンキーで決定となった。




はい、今回はこんな感じで
変化が欲しい……いや、すみません。ここは変化させるとあとあと面倒になりそうでしたので……。
いや、言い訳などお恥ずかしい……すべては力量のなさですねw。

次回はヨツンヘイム脱出の話しなので、少々変わることもあります。
そのあとは、アスナがナメクジ野郎に色々やられるとかありますが、ちょっとばかし須郷さんと絡ませますか。その後はキリの字とリーの字がトラブってもちゃもちゃして、なんやかんや合って世界樹攻略ですが。
その時になってようやく全力のツバキさんが出せますw
いい加減ツバキの本気が書きたくてしょうがないので。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十七話

 ゾウクラゲ邪神ことトンキーの背に揺られること十数分。トンキーは凍った川に沿って北上し続けた。

 

 キリトやアウストはこっくりこっくりと舟をこいでいて、リーファは彼等の緊張感のない行動に呆れ、時折二人の頭や肩に積もった雪を払いつつ、起している。

 

 そんな彼等とは別に、ツバキは胡坐をかいたまま視線だけを周囲に向ける。

 

 視線の先には、人間型とはいえない異形型の邪神が木々の間からこちらをジッと見ていた。しかし、邪神はトンキーから視線を外し、また別の方向へ歩いていった。

 

 ……またか。

 

 トンキーに運ばれてからと言うもの、このように何度か邪神達とニアミスしている。けれどもどの邪神も、トンキーを襲っていた三面邪神のように襲ってくることはなかった。

 

 考えられることは、トンキーのような異形型の邪神と、三面邪神のようなわりかし人に近い形をしている邪神とで、争っているのではないか、ということだ。

 

 だとすればこの状況にも充分納得がいく。

 

「ツバキさん」

 

 ふとリーファが声をかけてきた。

 

「なんだ、リーファ」

 

「えっと、さっきから邪神達が襲ってこないのって、気付いてます?」

 

「ああ。ちょうど私もそのことを考えていた」

 

「答えって出ました? 私は人型じゃない邪神がトンキーを襲ってこないので、トンキーの仲間なのかなって思ったんですけど……」

 

 少々緊張した様子で彼女は言った。思い起こしてみれば、彼女は初めて会ったときからツバキに対してどこか緊張している様子があった。

 

「私もそう思ったよ。こちらの姿を確認しているにも関わらず、襲ってこないということはそうなんだろうさ。ようは、人型邪神と異形型邪神との間では領地争いにも似たことが起きているのだろう」

 

「領地争い、ですか」

 

「ああ。例えば、トンキーのような邪神が元々このヨツンヘイムに住んでいて、人型邪神の方が侵略してきた、とかな」

 

「それはさすがにないんじゃ……」

 

「まぁ最後のつけたしだ。推測の域を出ない戯言だよ。というかそんなことよりも、私はお前の方が気になるがね」

 

「え?」

 

 リーファは気になると言われ、ツバキを見た。そしてツバキは彼女に対して問いを投げかける。

 

「なに、お前が妙に緊張しているようだったからなぁ。そこが気になっているんだよ」

 

「あー……わかっちゃいました?」

 

「わかるさ。アウストやキリトと話すときの声のトーンが違ったからな。それに気付いているか知らないが、私と話すとき、目が合わないようにしているだろう」

 

「あうぅ、そこまで見抜かれてるなんて」

 

 リーファは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。様子からして図星であったのは間違いなさそうである。

 

「年上は苦手か?」

 

「いや、えっと、年上の人が苦手ってわけじゃないんです。アウスト君とも話せますし。その、ツバキさんと話すときに緊張しちゃうのは、なんていうか……似てるんです。あたしが憧れてる人に」

 

「ほう。それは中々光栄だな。それで、リーファが憧れているのは誰なんだ? 世間的に知られている人か?」

 

「はい。ツバキさんとは名前も同じ、ニュースのスポーツ特集とかで取り上げられてる、萩月椿さんに憧れてるんです」

 

 リーファが若干照れくさそうに言ったのに対し、ツバキはほんの一瞬だけ頬が強張った。それはそうだ。なぜならリーファが憧れている萩月椿は彼女なのだから。すぐ強張った頬を直したツバキはリーファに対し静かに頷く。

 

 ……こういった場合は、やはり黙っていた方が良いのだろうな。というか、ここで私が萩月椿だと言っても、信じてもらえるかどうか危ういものだし。

 

 とりあえず事が終わるまでは黙っていようと、ツバキは自己完結する。

 

「なるほどな。萩月椿か。彼女は確か剣術の達人だったな。現実では『剣帝』と呼ばれていたな」

 

「本当にすごいですよね。ネットだと最強剣士とか、勝てる人がいないとか言われてますし、最近だと剣術以外の挑戦者の相手もしてるらしいですよ」

 

「それはなかなかだな。だが、彼女に憧れているということは、リーファも剣術を?」

 

「ええ。剣術じゃなくて、剣道ですけどね。あの人ぐらい強くなりたいってわけじゃないんですけど、あの人に挑戦して笑われないぐらいには強くなりたいです」

 

「……そうか。だが、リーファならきっと強くなれるさ。っと、そろそろ丘の終わりが見えてきたな」

 

 確かに彼女の言うとおり、トンキーはいよいよ上ってきた丘を越えようとしていた。

 

 ツバキはトンキーの背中で立ち上がり、丘の先に何が見えるのかを見やる。

 

 そしてトンキーは丘を登りきったところで、ついに前進とやめた。

 

 同時に、ツバキとリーファの口からそれぞれ嘆声が漏らされた。

 

「ほぅ…………」

 

「うわぁ…………」

 

 立ち上がった彼女達の先に広がっていたのは、穴だった。

 

 それも単なる穴ではない。まさしく尋常ではないという言葉が当てはまる巨大すぎる垂直孔だ。対岸もギリギリ見える程度で、穴がいかに巨大なのかを表している。

 

 ぽっかりと口を開けた大穴のそこは見えず、切り立った絶壁は上から白、青そして黒と見事なグラデーションを描いている。

 

 その様子からまるで冥府へ誘う地獄の門のようだ。

 

「……ヨツンヘイム自体、八寒地獄のように見えるしな……」

 

「ツバキさん?」

 

「いや、なんでもない。それよりも、そこの居眠り中の男子二人を起せ。雪を背中にでの流し込めば一発で起きるだろう」

 

「あ、はーい」

 

 リーファは特にためらった様子もなく、アウストとキリトの背中に大量の雪を流し込んだ。二人はそれぞれ「つぁッ!?」やら「ふぎッ!?」と言った短い悲鳴を上げた。冷感エフェクトの直撃をモロに喰らった影響であろう。

 

「つめてー、何すんだよリーファ」

 

「勝手に寝ちゃう二人が悪いんですー。わひゃっ!?」

 

 二人に対して注意をしたリーファが声を上げた。

 

 トンキーがグラリと今までの態勢を変えたのだ。見ると、職種のような足を、器用に折りたたみながら座り始めている。

 

 いや、座るという表現が正しいのかはわからないが、とにかく態勢を変えている。

 

 そのままトンキーは足を全て丸め頭もしまい、最終的に残ったのはツバキ達が座っていた甲羅のような背中だけになってしまった。

 

 四人は顔を見合わせた後、とりあえずトンキーの背中から降りることにした。

 

 結局トンキーは四人全員が降りても、特に大きなアクションを起さず、饅頭のように丸まったまま微動だにしなかった。

 

「これは……どうすりゃいいんだ?」

 

「うーん。クエストが達成されたってことなのかな……」

 

「しかし、なんの報酬もなしか?」

 

 ツバキが首を傾ける傍らで、リーファが数歩進み、トンキーの毛を叩いてみる。

 

「おーい、トンキー。あたし達どうすればいいのよう!」

 

 が、残念なことに返答はない。リーファに続き、ツバキがトンキーを軽く叩く。その時、彼女はトンキーの体の変化に気が付いた。

 

「トンキーが少々硬くなったな。気付いたか、リーファ」

 

「はい。心臓の鼓動みたいなのも聞こえるんで、死んじゃったわけではないみたいですけど……」

 

「HPも見事に全回復してるしなぁ。ただ休眠してるだけなのか、なんかのアイテムが必要なのか」

 

「どっちにしろヒントもなにもナシじゃわからないな。……ん?」

 

 キリトは少々悩んだ後に、ヨツンヘイムの天井を見上げた。

 

「どした?」

 

「いや、上見たらなんか凄くてさ」

 

 彼の言葉に三人も天井を見上げる。

 

 彼等の視線を追うと、世界樹の根が張り巡らされた天蓋に、氷柱が垂れ下がっており、その中にはダンジョンの構造のようなものが見えた。

 

「確かアウストの話だと、あの氷柱のさきっぽに《エクスキャリバー》があるんだっけ?」

 

「ああ。だからあのダンジョンみてぇなのは、《エクスキャリバー》を手に入れるためのダンジョンなんだろうよ」

 

「仮にそうだとしたら凄い広さだよ。ALO中で最長だと思う」

 

 リーファも驚嘆の声をもらす。それだけ彼等の視界にあるダンジョンらしき構造物は広大なのだ。

 

「だがどう考えても行ける距離ではないだろう。いや、インプであれば可能かもしれんな。よし、ものは試しだ、アウスト飛んでみろ」

 

「アホか。飛んだとしても途中で飛べなくなって穴にまっさかさまだっつの」

 

 二人は適当なやりとりをしてみたが、不意にキリトの肩に乗っていたユイが声を張り上げた。

 

「皆さん、東から他のプレイヤーが接近中です! 数は一人……いえ、その後ろから二十三人!」

 

「……!!」

 

 ユイの情報に、リーファが息を呑む音が聞こえた。

 

 二十四人という人数から考えて、邪神討伐を目的とした連結パーティであることには間違いないだろう。彼等に事情を話せば、パーティに加入して階段ダンジョンを抜けてアルンヘ上れるかもしれない。

 

 だが、彼等がここに降りてきているということはつまり……。

 

 リーファだけでなく、ツバキたちもそれを理解しているようで、少々顔が険しくなっている。

 

 シルフ族であるリーファの耳には、既にこちらに接近してくるパーティの足音が聞こえている。

 

 リーファはプレイヤー達がやってくる方向に手をかざし、看破魔法を詠唱しようとした。しかし、それよりも早く十メートルほど離れた空間が水面のように歪みはじけた後に、一人のプレイヤーを出現させた。

 

 姿を現したのは、青白い肌をした男性だった。装備品や外見からしてウンディーネ族であろう。

 

 装備品の状態からして、斥候(スカウト)タイプのようだ。後ろから続く二十三人のために偵察係を請け負っているようだ。身のこなしから言っても、ハイランクプレイヤーであることは間違いない。

 

 鋭い眼光を見せたスカウトは、こちらに一歩進んで声を発した。

 

「あんたら、その邪神、狩るのか狩らないのか」

 

 彼の質問は四人が思っていたとおりだった。というか、二十四人の連結パーティでヨツンヘイムに降りてくる時点で、彼等の目的などわかりきっている。

 

 すぐに答えられない状態に、男は眉間に皺を寄せて言葉をつないだ。

 

「狩るのであれば攻撃してくれ。狩らないのなら離れてくれ。我々の範囲攻撃に巻き込んでしまう」

 

 彼が言っている最中にも段々と彼の背後からザッザッという雪を踏む音が聞こえてくる。しかし、まだリーファは答えない。彼のパーティが種族混成パーティであれば望みはある。

 

 しかし、彼女の期待はあっけなく裏切られる。男の背後から現れたのは、全員が青系統の装備品で固めたウンディーネ単一の部隊だった。どうやら彼等はわざわざはるか遠い三日月湾からやって来たウンディーネの精鋭部隊のようだ。

 

 もしも彼等がレネゲイドで構成された混成部隊であったならば、まだレネゲイド同士で見逃してくれたかもしれないが、ウンディーネ単一で構成された彼等はウンディーネを代表してきているのだ。

 

 四人はそれぞれ他種族なので、キルすれば彼等には名誉ポイントが加算される。それに、四人という少数では恰好の獲物であることには間違いない。なので彼の警告は充分良識があると言えるだろう。

 

 だとしても、今のこちらにとっては、どうしてもここをどくわけにはいかない。ここで退けば、確実にトンキーは殺される。だからリーファは笑われたり、嘲笑されることを承知で口を開く。

 

「……マナー違反だということは承知でこの邪神は――」

 

「――この邪神は俺達に譲ってくれや」

 

 リーファが言い終えるよりも早く、アウストが彼女の前に出て告げた。それに驚いていると、男の背後に展開している中から苦笑する声が聞こえた。

 

「まさかヨツンヘイムでそんなセリフを聞くことになるなんてな。いいか、アンタ。『この狩場は俺の』とか『このモンスターは俺の』なんてのは、通じないってことぐらいわかるだろう」

 

「まぁ分かっちゃいるさ。こっちがどれだけ無粋なことを頼んでるかなんてな。けど、頼む。コイツだけは俺達に譲ってくれや」

 

 アウストは実に軽い口調でいうが、声音は真剣なものであった。キリトも前に出て彼に続こうとしたが、アウストは右手を上げてそれを制した。

 

「……ここは俺に預けろ」

 

 彼の声に、キリトは若干顔をしかめて小声で返した。

 

「あまり無茶すんなよ。お前は色々過激なんだから……」

 

「わーってるよ。まぁでも、やる時はヤルけどな」

 

 瞬間、リーファは彼の頬が吊りあがったのが見えた。その笑みは一瞬であったものの、かなり凶悪であったのはわかる。そしてツバキがユージーンと闘った時と同じ殺気も感じた。

 

 アウストの考えがやや不安になったリーファは、ツバキに声をかけようとした。しかし……。

 

「あれ、ツバキさん?」

 

 ツバキはいなくなっていた。ログアウトしたのであっても、まだアバターが残っているはずだ。トンキーの後ろを見ても彼女の姿はない。

 

 一体何処に行ったのだろうと周囲を見回していると、アウストが話を進める。

 

「そちらさんがウンディーネの精鋭だってのは充分わかってる。種族のために奉仕するのも、しっかり理解はしてる。でも、コイツは譲れないんだ」

 

「……解せないな。君はその装備から見ても中級、いや、上級プレイヤーであることはわかる。なのに、そこまでその邪神にこだわるということは、なにか重大な理由があるのか?」

 

「まぁな。別に構いやしないだろ? ここには邪神が馬鹿みてぇにいるんだからよ。ほかのところ探して闘えばいいじゃねぇのよ」

 

「そうはいかないんだよ。俺達はさっき大きめの邪神に壊滅されかけてね。狩れる対象は狩っておきたいんだ。見たところその邪心、動かないようだしね」

 

「そっか……」

 

 男の返答は一貫してトンキーを狩るという物だった。アウストも少々押され気味で、声も低くなってきた。

 

 やはり無理なのか、とリーファの中で諦めが顔を出し始める。すると、アウストは大きく溜息をついた後、背負っている身の丈ほどの大剣を抜いた。

 

 その行動に、男性も含め、背後のパーティのメンバーも武器を抜いた。

 

「じゃ、あんた等全員殺せばいっか。幸いこのゲームはPK推奨だしな」

 

 彼の物言いに、リーファは「はぁ?」と言った表情を浮かべ、キリトは「やっぱり……」と言うように額に手を当てる。

 

 そして目の前のウンディーネ部隊は、スカウトの男を皮切りに遠慮のない笑いを飛ばした。

 

「正気かアンタ? この人数を相手にあんた等三人で勝てるとでも?」

 

「誰が三人で闘うなんて言ったよ。俺一人であんた等全員を殺すんだ」

 

 言いながらアウストは大剣を振るう。雪原に向かって剣を振り下ろすと、その場にあった雪が風圧で少しだけ吹き飛んだ。

 

 その様子にウンディーネ部隊は笑いをおさめて、メンバー全員が戦闘態勢を取った。そして彼等を代表するように、スカウトの男が弓を抜いた。

 

「そこまで言うならいいさ。まぁアンタ一人でこっちを崩せるとは思わないが、こちらはアンタを倒したらそこの邪神を倒さなければならないんでね。支援魔法はかけさせてもらう。メイジ隊、支援魔法(バフ)開始」

 

 彼が手を上げて告げ、最後部に控えているあろうメイジが支援魔法をかける――はずであった。

 

「う、うわああああああッ!?」

 

 支援魔法の代わりに飛んできたのは、メイジ隊と思われる人物の絶叫であった。

 

「どうした!? 邪神か!」

 

「ち、違います! スプリガンの女が急に出てきて、メイジ隊が半数やられました! 既にメイジ隊は壊滅状態です!」

 

 唐突の悲鳴によってただでさえ動揺していたウンディーネ部隊は、さらにどよめき始めた。

 

 そして、そんな彼等に対してアウストは大剣を構えて、走りながら先頭に立っていたスカウトの体を袈裟斬りに斬りつけた。

 

 パーティに指示を出していたところだった男は、それに反応することが出来ず、彼の身体には赤いダメージエフェクトが奔った。

 

「悪いねぇ。さっき俺一人であんた等と戦う、つったけど……ありゃ嘘だ。本当はあんた等のメイジ隊を殺したスプリガンの女と二人で、殺す。だった」

 

「くっ! 残ったメイジは回復に努めろ! 相手はたかが二人だ、数で押せば簡単に倒せる!」

 

 スカウトが後退しながら言うが、そんな彼に絶望の一言が告げられる。

 

「た、隊長! メイジ隊は……いま、全滅しました。その他にも数人やられています!」

 

「相手はたかが一人だぞ! 何をやっている!!」

 

「あ、もう一つ言い忘れてたわ。今後ろで戦ってる女は、サラマンダーのユージーンを倒したこともあるから、気ぃつけな」

 

 アウストは笑みを浮かべながらスカウトの男の首下目掛けて大剣を突き出す。アーマーがまったくない首下は、絶好のウィークポイントであり、男のHPは一気に半分以上削られた。

 

 しかし、男もハイランクプレイヤーであることに変わりはない。すぐさま攻撃から離脱して、弓を構え、アウストに向かって三本の矢を射る。

 

 勿論アウストも反撃が来ることはわかっていたようで、三本の内二本は大剣を盾にすることで防ぐ。残った一本は太ももの辺りに突き刺さったようだが、彼はそんなことたいした風に思っていないのか、男をさらに追い詰めていく。

 

 弓使いにとって、距離を詰められるということはそれだけで脅威だ。そもそも弓使いは中、遠距離からの狙撃が役割だ。相手に肉薄して戦う剣士や戦士などの役割は向いていいない。

 

 だからアウストの行動は、弓使いにとって最悪な状態なのだ。そして男がアウストの大剣を弓で防御した時、後ろの部隊から恐怖の絶叫が上がった。

 

「ダメです、この女強すぎます! 止められない!」

 

 リーファとキリトはウンディーネ部隊の背後に目を凝らす。

 

 そこには白銀の刀を流れるように振るうツバキの姿があった。彼女の周りには青いリメインライトが揺らめいていて、彼女がそのリメインライトの数だけプレイヤーをキルしたことを物語っている。

 

 ツバキの周囲には、重武装の槍使いプレイヤーと、剣士プレイヤーが円を描くように展開し、次々に彼女に向かって攻撃を仕掛けてる。が、彼等の攻撃はことごとく防がれ、回避され、ツバキによってダメージを蓄積されていく。

 

「早く撤退した方がいいんじゃねぇか。ウンディーネの隊長さんよ。ヨツンヘイムまでわざわざ来て、邪神にやられましたならまだ説明もつくけど、PKされたなんて知られたら恥だろう?」

 

「……クソッ! 総員撤退、撤退だ!」

 

 最後にアウストに警告され、スカウトはツバキを囲んでいるメンバーに撤退を指示した。それに従い、ウンディーネの部隊はわらわらとその場から撤退していった。

 

 残ったツバキとアウストはそれぞれの得物を納め、リーファたちの下へと戻った。

 

「よし、これで解決!」

 

「どこがだよ!? あの感じどう見たってお前悪役じゃん!」

 

「しゃーないだろー。あの状況だったら、ああするのがベストだったんだって。ツバキにだって本気出すなって言ったから、あっち側の被害も最小限だろ。なぁ、ツバキ」

 

「そうだな。メイジ隊は残すと面倒だったので、全滅させたが、そのほかほんの六人ほどだよ」

 

「充分戦力削ってますよそれー! というか、ツバキさんはいつの間に相手の後ろに移動したんですか?」

 

 リーファの問いは最もである。スカウトは最初からこちらのことを三人だと思いこんでいたようだったので、少なくともその前に移動したことになる。

 

「あれはユイが知らせてくれた時に、アウストに言われてな。隠密魔法で気配を遮断していたんだよ」

 

「いつの間に……」

 

「かなり小声で言ったからな。それでやつ等の背後にまで移動し、メイジ隊が動いた瞬間に行動を開始したというわけだ」

 

「ナイス連携だったな」

 

「そうは言うけど、少し過激すぎだよ。二人とも。先にマナー違反をしちゃったのは私達だし……」

 

「そうは言ったって、あのまま放っておいたら確実にトンキーは狩られてた。お前等はそれを黙って見ていられるか?」

 

 アウストが肩を竦めながら言うと、リーファとキリトはそれぞれ顔を見合わせて顔をしかめる。

 

 確かに彼の言うとおり、あの場でトンキーが攻撃を受ければ、確実にウンディーネに攻撃を仕掛けていたかもしれない。どちらにせよ戦いになっていたと思えば、トンキーが傷つかなかった分、まだマシと考えた方が良いのだろうか。

 

 リーファはキリトに視線を送ると、彼は苦笑した。どうやら彼もリーファと同じ考えに至ったようだ。

 

 が、そこでトンキーの方からパキリ、という何かがひび割れるような音が聞こえた。

 

 四人がそちらに目を向けると、トンキーの背中の部分がひび割れ、中から光が漏れていた。リーファが心配して駆け寄ろうとしたが、彼女の目の前でトンキーを眩い光が包み込み、その光は中天に舞い上がる。

 

 そして光が晴れたときに現れたのは、四対八枚の翼を携えたトンキーの姿だった。トンキーは一度ひゅるるる、と鳴いてから地上にいるリーファ達の下へ戻ってきた。

 

「なるほどな。トンキーがああいう状態になったのは、脱皮、いや、自身を進化させるためだったのだな」

 

「所謂、蛹になってたってわけだ。まぁでも、これでなんとなくわかったな。おぅい、トンキー。ちょっくら乗せてくれや」

 

 アウストの声が通じたのか、トンキーは長い鼻で彼をつかむと、ひょいっと背中に乗せた。彼に続き、ツバキ、キリト、リーファもトンキーの背中に導かれる。

 

 トンキーは全員が乗ったことを確認したのか、一度大きく鳴いてから、翼をはためかせてゆっくりと上昇を開始した。

 

 上昇していく先を見ると、そこには世界樹の根からぶら下がった巨大な氷柱が見える。

 

 そのままグングンと氷柱に近づいったところで、アウストが氷柱の先端を指差す。

 

「見てみろよ。あそこ」

 

 彼に言われ、リーファが短い魔法のスペルを唱えて掌に扁平の氷を召喚した。遠くのものを見る望遠鏡の役割を果たす《遠見氷晶》の魔法だ。

 

 彼女が召喚した氷晶を、キリトとツバキも覗き込んだ。

 

「うばっ!?」

 

 リーファが妙な声を上げた。それに続き、ツバキとキリトが氷晶から視線を外した。そしてリーファが驚嘆の声を漏らす。

 

「本当にあった……《聖剣エクスキャリバー》」

 

「マシューの情報は当たってたってわけだ。まっ、ここまで来れば。もうわかるよな、トンキーの役割が」

 

「トンキーは自分を助けたプレイヤーを、エクスキャリバーが置いてあるダンジョンまで導く案内人だったってことか?」

 

「多分な。でなけりゃあんなところを目指さねぇだろ」

 

 アウストが顎をしゃくって指した方向には、氷柱の中ほどから突き出したバルコニーのようなものがあった。トンキーの進路からして飛び移ればダンジョンに入れるのだろう。

 

 そしてそこから更に上にを見ると、世界樹の根元のあたりに、階段が伸びているのが見えた。ルートからして間違いなくアルヴヘイムへ戻るための階段だ。

 

「アレが脱出ルート……」

 

「だろうな。アレなら階段ダンジョンを越えなくても、多分地上に出られるはずだ」

 

「ではこのルートは所謂、裏ルートと言うことか」

 

「ああ。トンキーを助けることによって、唯一開かれるルートだな。それで、どうする? エクスキャリバー取って来るか?」

 

 氷柱から突き出したバルコニーを指すアウストに対し、ツバキは特に興味なさそうに瞳を閉じ、リーファとキリトは互いに視線を交わすと、一度頷いて首を横に振った。

 

「また来よ。今度は仲間をもっと連れて」

 

「ああ。今はアルンヘ行くことが先決だからな」

 

「よし。んじゃ、エクスキャリバーはまた今度って感じで。じゃ、地上へ戻りますか」

 

 四人はそのままトンキーの上から動かず、バルコニーを見送る。その時、彼等の視界の中には、エクスキャリバーを守護しているであろう、おどろおどろしい姿の邪神が写った。外見はトンキーのように異形ではなく、人間のそれに近い。

 

 恐らくはヨツンヘイムの中で最強の部類に入る邪神だろう。

 

 トンキーはそのまま上昇を続け、ようやく天蓋近くの階段の入り口へ到着した。背中から四人が階段へ降り立つと、トンキーは少しだけ寂しげな声を発した。

 

 長い鼻を伸ばしたトンキーに対し、それぞれ握手を交わす。

 

「またね、トンキー。また来るから、それまで他の邪神に苛められちゃダメだよ」

 

 リーファの言葉に答えるようにひゅるる、と短く鳴いたトンキーは、次にキリトに鼻をむけ、その後、アウスト、ツバキともふれあい、最後にユイもトンキーの鼻に生えた毛の一房を触って別れの言葉を告げた。

 

「またいっぱいお話しましょうね。トンキーさん」

 

 彼女の言葉に答えるようにトンキーは喉声を発すると、翼を折りたたんでそのままヨツンヘイムへと消えていった。そして姿が完全に見えなくなったところで『ひゅるるるるる!』という声が聞こえた。

 

「また来てねって言ってるのかな」

 

「かもな」

 

 リーファは目尻に涙が浮かんだが、それを拭うと、三人に向き直って階段を指差した。

 

「よし! それじゃあ階段を上ろう! 世界樹の根を通るってことは、間違いなくこの上はアルンだよ!」

 

「じゃあ競争でもするか。ビリは今日の宿代よろしくなー!」

 

 アウストは言いながら先に駆け出し、ツバキとキリトもそれに続いた。

 

「あ、ずるーい! まてー!!」

 

 リーファも三人に置いていかれない様に階段を全力で駆け上がっていく。

 

 リーファが追いついたところで、キリトが皆に告げた。

 

「なぁ! エクスキャリバーのことはここだけの内緒ってことにしとこうぜ!」

 

「あー、なんかその発言で一気にいろんなものが崩れた気がしたー」

 

「まぁネットゲーマーなんてそんなもんさ。けど、今回の思い出だけは、内緒にしといた方がいいかもな」

 

「ああ。ゲームとはいえ、なかなか面白い体験が出来た」

 

 四人は急な階段を駆け上がりながら笑い合う。

 

 階段を駆け上がること十分以上。ついに視線の先に一筋の光が見え始めた。その光が見えた瞬間、ほぼ並走した状態からツバキが前に出た。

 

「先に行くぞ」

 

「あ、ずっけぇ!」

 

「アウスト君がそれを言うー?」

 

「ハハ、確かにリーファの言うとおりだ」

 

「うっせ。けど、宿代のおごりはご勘弁なんで、ラストスパートだ!!」

 

 アウストは先に出たツバキを追いかけ、足の回転を早める。リーファも今度は置いていかれないために全力で階段を駆け上がる。

 

 スパートをかけた四人はほぼ同時に光が差し込む木の壁の開いたうろへ突っ込んだ。

 

 そして四人が目を開けると、そこに広がっていたのは古代遺跡を思わせる建造物が縦横に何処までも広がっている様子だった。

 

 夜と言うこともあり、街を照らす街灯や街明りはまるで星屑をちりばめたようだ。が、それから少し目を別方向に向けると、一見壁ではないかと思うほど巨大な樹木、世界樹が聳え立っていた。

 

「やっと着いたな。アルンに」

 

 アウストが溜息とともにもらした。確かに彼の言うとおり、やっとという感じだ。特にキリトとリーファは特にそれが強いだろう。

 

 すると、キリトの胸ポケットからユイが出てアウストの頭に乗った。

 

「わあ……! わたし、こんなにたくさんの人がいる場所に来たの初めてです!」

 

 彼女の素直な感想に、リーファも内心で頷いた。

 

 彼等はしばらく高台からアルンの街並みを眺めていたが、そこでパイプオルガンのような音と共に、柔らかい女性の声でアナウンスが入った。どうやら定期メンテナンスが時刻が迫っているようだ。

 

「メンテか。そんじゃあ今日はここまでだな。適当な宿屋探してログアウトしようぜ」

 

「確かメンテナンスって今日の午後三時だっけ?」

 

「ああ。まぁそれまでは休憩ってことで。それでいいだろう、キリト」

 

「ん、ああ。大丈夫だ」

 

 キリトは説明を聞く反面、世界樹の枝葉を眺めていた。事情を知るアウストとツバキは、特に勘繰らないようにした。リーファも彼のテンションが少し下がったことに気が付いたのか、心配そうな視線を送ったが、特に勘繰ることはしなかった。

 

「それじゃ宿を探そう。って、さっきの最後尾って結局誰だったんだ?」

 

「そういえばそうだな……」

 

「私は四人ほぼ同時だったようにも見えたが」

 

「うーん、どうなんだろう。ユイちゃんわかる?」

 

「はい。わかりますよ。えっと、最初にゴールしたのはツバキさん、次はリーファさん、その次はアウストさん。そして最後はパパです。なので、宿代はパパ持ちですね」

 

「だってよ。パパ」

 

「お、俺かぁ!?」

 

 キリトは素っ頓狂な声を上げたが、既に三人はキリトにおごられる気まんまんのようだ。

 

「では、頼むぞキリト」

 

「よろしくねー、キリト君」

 

「お前も乗り気で走ってたもんな。拒否はなしで」

 

「……はぁ、わかったよ。でも、俺、今素寒貧だから。安宿だぞ?」

 

「サクヤ達にあんなにお金あげるからだよ。それでユイちゃん、パパはああ言ってるけど。近くに安い宿はある?」

 

 ユイはリーファの問いに頷くと、周囲の宿屋を検索し、すぐに目当ての宿を発見した。

 

「ええ、ありましたよ。あっちに降りたところに激安のところがあります!」

 

「げ、激安かぁ……」

 

 激安という言葉にリーファは思わず頬を引き攣らせるが、キリトを含めた三人は特に気にした様子もなく、ユイが指示した方向へ向かう。

 

 仕方なくリーファも彼等について行くが、たどり着いたのはまぁいかにも激安感漂う宿屋であった。

 

 リーファは内心で「うへぇ」と思ったが、キリトは振り返って問うてきた。

 

「ここでいいだろ?」

 

「どうせログアウトするだけだしな。じゃあキリト、部屋取って来て――」

 

「待て、アウスト。私達はやることがある。まだメンテナンスとやらには一時間以上あるだろう?」

 

 アウストの声を途中で遮るようにしてツバキが言った。それに対し、アウストは「あー……」と言う風な顔を浮かべる。

 

「わりぃけどキリト。四人分部屋取ったら先にログアウトしててくれ。俺達はちょっとやることがあった」

 

「大変なら手伝うぞ?」

 

「いんや、俺等だけでいいさ。もう時間も時間だし、戻って寝な」

 

 アウストは、ツバキと共にどこかへ行ってしまった。

 

 残されたキリトとリーファは怪訝な表情をしていたが、勘繰るのもよくないと思ったのか、宿屋に入っていった。

 

 

 

 

 

 キリト、リーファと分かれたアウストとツバキはアルンの街の上に浮かんでいる浮島にやって来ていた。因みにここまでは暗所飛行が可能なインプであるアウストが運んだのだ。

 

 二人はある程度間隔をあけて向かい合うと、アウストは大剣を抜き放ち、ツバキは抜刀態勢に入る。

 

「まぁ呼び出された時からなんとなくわかったけどさ。そんなに我慢が効かなかった姉貴」

 

 大剣を構えたアウストが問うと、抜刀姿勢に入っていたツバキは静かに頷く。

 

「ああ。なにせ今日はお前との試合を邪魔されたからな。それに、ヨツンヘイムで闘った連中もいまいちだったからな。フラストレーションが溜まって仕方がなかった。だから、メンテナンスの二十分前までは付き合ってもらうぞ」

 

 ツバキの瞳は爛々と輝き、このときを待ちわびていたというのを表現していた。元々満たされない日々が続いていたこともあったのだろう。ここに来てフラストレーションが限界に達したと見える。

 

「別に闘うのはいいけど。殺してくれるなよ?」

 

「安心しろ。寸止めは慣れている。だが、お前も手を抜くなよ。私を殺すつもりで来い」

 

「わーってるよ。んじゃ、始めるか!」

 

「来い! 葵!!」

 

 そうして萩月姉弟の全力の試合が始まったのであった。

 

 因みに、この試合は本当にメンテナンスのギリギリまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アウストとツバキが闘っている時、世界樹の枝葉の中に設けられた大きな鳥かごの中には一人の少女がいた。

 

 長い栗色の髪に、しばみ色の瞳。綺麗に整った顔は、一目で彼女が美少女だということを物語っている。

 

 アスナ/結城明日奈がこの鳥かごに幽閉されてから、既に六十日近くが経過している。けれど彼女はひたすら待っている。自身が愛した一人の少年を。

 

「キリトくん……」

 

 想い人の名を呟くが、その声は未だに彼に届かない。

 

 しかし、彼女はまだ知らない。彼女の想い人と、彼の仲間が彼女を救うためにすぐ近くにまで来ているということを。




はい、とりあえずヨツンヘイム脱出しました。
トンキーが進化したのは脱皮だと思うので、けっして攻撃は関係ないはず。

とりあえず次回の頭はアスナとオールバック野郎との絡みをやって、アスナが出そうする辺りまではやりますかね。なので、次回はアスナ回です。
その次はキリトが無茶して世界樹攻略に挑んで、妹ちゃんと一悶着ある感じで。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第十八話

 アスナこと結城明日奈は、現在、《アルヴヘイム・オンライン》。略称をALOという、仮想世界に存在する、天を突くように巨大な《世界樹》の枝の上に作られた黄金の格子で囲われた鳥かごの中に囚われている。

 

 言ってしまえば彼女は、この鳥かごとALO。二つの檻に閉じ込められているのだ。

 

 既に彼女がこの世界で覚醒してから、六十日が経過しようとしていた。

 

 日本中を震撼させたSAO事件は、解決され、そこに囚われていた人々は解放されるはずであったのだ。無論、アスナもその中の一人であったことに変わりはない。

 

 が、アスナを含め解放されるはずだった三百人の人間の意識は、ある男の手によって拉致されたのだ。

 

 男の名は、須郷伸之。アスナとは現実世界でも面識があった男性で、パッと見で、外見だけで言えばある程度好青年のようにも見えるが、それは表面上だ。彼の本性は利己的で野心が強く、冷酷非道な男であり、アスナを含め、彼女の兄である浩一郎からも嫌われている。

 

 須郷は拉致した三百人の人間の脳を実験台に、フルダイブ技術による記憶及び感情操作の研究を行っているのだ。ALOというVRMMORPGを隠れ蓑にして。

 

 そして彼は現実世界でアスナが昏睡していることをいいことに、彼女の両親に付け入り、事実上の夫となることで、アスナの父であり、大手電子機器メーカー《レクト》の最高経営責任者である結城彰三の後継者の座を得ようとしているのだ。

 

 彼はこうも言っていた。「いずれはレクトごとアメリカの企業に売り払う」と。つまり、須郷は人間の脳を実験材料にし、その研究成果とレクトを手土産にして自身を売り込むことを企んでいるのだ。

 

 勿論、こんなことをアスナの父が許すはずがない。が、両親の前では完全に猫を被っているであろう須郷は、決してばれる事のないように完全に秘匿していることだろう。

 

 人格に問題があっても、悪知恵や能力だけは高い男だ。

 

 とは言っても、茅場晶彦には到底及ばない男だが。その理由の一つとしてこのALOがある。なぜならばこのALOという世界は、SAOの劣化コピー版とも言うべき世界だからだ。まぁ多少仕様は変えているようだが。

 

 これらのことは全てこの鳥かごをしきりに訪れる、須郷伸之本人がペラペラとしゃべったのだ。勿論、彼本人ではなく、彼のALO内でのアバターである《妖精王オベイロン》としてだが。

 

 彼自身気が付いているかはわからないが、彼は自分の能力をひけらかしたい感情もあるようで、聞いてもいないのにベラベラと話すのだ。まぁだからこそ色々と情報が仕入れられるのだが。また、彼が考えなしにしゃべってくれたおかげで、キリトが無事にリアルに戻れたこともわかった。

 

 とは言っても、彼がそれだけ能天気でいられるのはアスナがここから抜け出せないと思っているからだろう。

 

 けれどアスナもただ捕まっていたわけではない。須郷の目を盗み、この鳥かごをロックしている暗証番号を暗記してこの鳥かごから脱走した。

 

 そしてリアルに戻るための手がかりを探すために、世界樹の中に入った。

 

 世界樹の中はその外見とは裏腹に、非常に未来的――いや、簡素でポリゴンのままと言った感じだった。未来的と感じたのは、外と中との質感の違いだろう。オフホワイトで統一された内部は、研究所そのものだった。

 

 緩やかな円を描くような構造だった施設を黙々と進んで行くと、何もなかった白い壁にポスターのようなものが見え、アスナはそこに表示されているものを見た。

 

 壁にあったのはポスターではなく、この研究所の見取り図だった。その見取り図には、アスナがいる場所が三階層ある研究所の最上部、フロアCであるということが記されていた。残念ながらフロアCにはなにもないようだったが、その下、フロアB、フロアAの円環状の通路の内側には《データ閲覧室》やら《主モニター室》という部屋が割り当てられており、中には《仮眠室》まであった。また各フロアにはエレベータで移動するようであった。

 

 そのままアスナは見取り図をしばらく見てエレベータの直線を辿ったところで、とある部屋に目が留まり、ゾクリとした悪寒にも似た感覚を味わった。

 

 アスナの指先にはこうあった。

 

《実験体格納室》。

 

 実験体。即ちアスナのほかにこの世界に捕らえられた三百人の人々の意識だろう。それを見てアスナは、すぐに確認すべきだと考え、その部屋へ向かった。

 

 幸い部屋にたどり着くまでには須郷の部下とは鉢合わせなかったが、件の《実験体格納室》に入った時、アスナは思わず息を呑んだ。

 

 室内は異常なまでに広大だった。が、ただ広いだけではない。室内には柱型のオブジェクトがアスナの側から見て十八本の列を成して配置されていた。そしてアスナは考えた。この空間が正方形なのだとすれば、それらは二乗すなわち、三百近い数並んでいるということを。

 

 ゆえに、たどり着いた答えは唯一つだった。恐怖心を押し殺し、速く脈打つ鼓動を必死に抑え、柱型のオブジェクトの前に立つ。柱はアスナの胸ほどの高さがあった。そして、その上に僅かな隙間を空けるようにして何かが浮かんでいた。だが、それはどう見ても――人間の脳髄だった。

 

 勿論本物ではない。デジタルによって再現されたものだろう。大きさはほぼ実寸大と言ったところだろうか。

 

 よく観察していると、その脳髄型オブジェクトには時折光の線が走ったり、脳の一部が黄色く明滅したり、時には赤く激しく明滅していた。その様子を見ていると、脳髄の下部にグラフがピークを繰り返し、さらにその横にはログが並んでいた。そのログに視線を送った瞬間、またしてもアスナは息を呑み、同時に恐怖と義憤を強めた。

 

 ログにはこのような文字が並んでいた。

 

 一つは《Pain》。もう一つは《Terror》。

 

 どちらも日本語に直せば、《痛み》、《恐怖》となる。即ち、この脳は今現在、痛みと恐怖のどちらか、もしくはその両方に苦しめられている。しきりに起こっている赤色のスパークは悲鳴なのだ。声は聞こえないが、彼女の目の前には確かに苦しんでいる人物がいたのだ。

 

 おぞましい光景に後退ったアスナだが、それ以上に、こんな人の魂という人類の最大の尊厳を踏みにじる悪魔の研究を平気で行う、あの男に対する怒りが耐えなかった。

 

 他のオブジェクトを見ても、それは同様で、しきりにスパークしていた。アスナは、彼等の届くことのない悲鳴が幻聴となって聞こえてくるような錯覚に陥りそうになったが、なんとかパニックになりそうなのを堪える。あの男の悪事を一刻も早く暴き、この電子の牢獄に閉じ込められた人々を解放するために速く現実世界に帰還しなくてはと、アスナはこの世界から脱するための行動を起した。

 

 SAOのようにメニュー画面などと言うものは開かないので、ログアウトボタンもない。しかし、この世界は須郷や彼の部下もやってくる。少なくとも、ログアウトできるコンソールは仕掛けている筈だと、彼女は柱型オブジェクトの合間を駆け抜けた。

 

 その途中、須郷の部下らしき人間の声が聞こえ、そちらを見たが、そこにいたのは人間の姿をしたアバターではなく、巨大ナメクジという悪寒が走るアバターだった。

 

 巨大ナメクジはウネウネと触手を動かしながら、脳髄のオブジェクトと観察しており、アスナには気付いていなかったようだったので、彼女は再び足音を立てないように室内を駆けた。そして巨大ナメクジを見た地点から十メートルほど先に、壁に取り付けられたコンソールを見つけた。

 

 そのコンソールを操作していると左下に【Transport】というタグがあったのでそれをタップ。が、これはラボラトリーエリアを移動するための画面だったようで違った。すぐさま画面全体に視線を走らせると、画面の右隅に【Exit virtual labo】というボタンを見つけ、それをタップする。すると、画面の上に新たなモニターが表示され、【Execute log-off sequense?】と言う文章が並び、その下に【OK】、【CANSEL】のボタンがあった。

 

 アスナはすぐさまそのボタンをタップしようとしたが、その手を先ほどの巨大ナメクジの触手がそれを止めた。

 

 あとは脱走しようとした努力虚しく、再びこの黄金の格子に囲まれた鳥かごに逆戻りというわけだ。けれども、なにも収獲がなかったわけではない。あのラボラトリーからナメクジに拘束されて出る直前、コンソールに刺しっぱなしになっていたカードキーを取ってくることができたのだ。

 

 鳥かご自体のロックのパスワードを変えられてしまったので、このカードキーは役に立たないかもしれないが、それでも何かの突破口にはなるかもしれない。

 

 巨大ナメクジの話では、須郷は出張中らしかったので、まだ帰っては来ないだろう。

 

 アスナは枕の下に隠したカードキーを取り出し、それを見る。

 

 コンソールなしでは機能しないだろうが、ないよりはマシだろう。それに、もしかするとこのカードキーが自身をこの牢獄から解き放ってくれる勇者をここにつれてきてくれるかもしれない。

 

「キリトくん……。私、絶対に負けないから」

 

 アスナは小さく呟き、決意を新たにした。その瞳には力強い光が灯り、かつてSAOで《閃光》の異名を取った彼女がいるようだった。

 

 

 

 

 

 

「クソがッ! あの役立たず共!」

 

 出張先のホテルの一室で、須郷は苛立ちを隠しもせずに枕を殴りつけていた。その顔にはいつもの人がよさげな表情は何処へやら、目は血走り歯をきつく食い縛り、狂気に染まった表情があった。

 

「僕の留守も満足に守れんとは、後でそれなりの罰を与えてやる……!」

 

 部下の失態に怒りを露にして、拳を握り締める。しかし、その拳には余り力が入っていないようにも見える。まぁ普段禄に鍛えてもいない彼が精一杯拳を握ってもこの程度なのだろう。

 

 あらかた怒りをぶつけ終わると、落ち着いてきたのか、須郷は髪を整え、窓の外に広がる夜景を見やる。

 

「……しかし、彼女のそういったところもまたいい。僕に反抗的なあの態度を今に僕の思うがままに動かせると思うと……。ひひ、想像しただけで興奮してくるなぁ」

 

 下品な笑みを浮かべる彼は一度舌なめずりをすると、「おっといけない」と表情を直す。

 

「僕としたことが危うく達してしまうところだった。だが、この不満を解消する日も遠くはない。ひひひ」

 

 甲高い笑い声を漏らしながら、須郷は部屋を出て夕食をとりに向かった。

 

 部屋を出た彼の顔には先ほどの狂気はなかったが、その腹の中にはどす黒い感情が渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「くぁ……ねむ……」

 

「なぁに? まーたオンラインゲームでもしてたの?」

 

 いつもより遅めの時間に自室から降りてくると、リビングにはタブレットでゲームをしている薊がいた。

 

「まぁそんなとこだ。なんとなくわかってたけど、普通に姉弟間にはバレてんのな」

 

「そりゃあね。気付いてないのなんてお母さんとお父さんぐらいでしょ。あ、そうだ。朝御飯は華さんが作って冷蔵庫に入れておいてくれたから、それ食べてね」

 

「おう。てか薊。お前大学は?」

 

「今日は休みー。けど、レポートとか試験勉強とかあってねぇ。医学生は大変なのだー」

 

 タブレットをいじりながら大変だなどと言っているが、実際のところ勉強面において彼女が大変なことはないはずだ。

 

 なにせ、彼女は我が家において椿の次に天才といえる才能を持っている。とはいっても、椿のように武道面において天才ではない。薊は文の天才なのだ。しかし、それは持って生まれた才能ではなく、彼女の努力によって実った結果だ。

 

 薊は俺や姉貴とは違い武の才は一般人程度だ。しかし、彼女はそれを自ら払拭するため、幼少の頃から勉学に精を出し、努力で才能を開花させたのだ。

 

「そういえばさー。葵ー」

 

「あん?」

 

 冷蔵庫から華さんが作ってくれた朝食を取り出し、食卓の上に置かれていたパンを齧ったところで彼女に問われた。

 

「アンタ、大学はどうすんの? 行くの?」

 

「それがまだわからねぇんだよなぁ。俺がSAO事件に巻き込まれたのが高校三年の十一月で、大学はセンターで受けようと思ってたから、推薦で取れたりはしてなかったから……。やっぱり、また高三からやり直しかねぇ」

 

「確かSAO事件に巻きこまれた中学生、高校生が通う学校が作られてる最中なんだっけ?」

 

「ああ。だから、一年間はそこに通いつつ、大学受験の準備って感じになるかもな。二十歳にもなって高校に通うってのもどうかと思ったが」

 

「それはしょーがないでしょ。アンタと同じ境遇の人だっていっぱいいるよ。まっ、受験とかテスト期間になったら勉強見てあげるから、安心していいよー」

 

 にひひと小悪魔っぽい笑みを浮かべる薊に対し、俺は肩を竦めた。

 

「そりゃどうも。じゃ、パパッと朝飯食っちまうかね。そういや姉貴は? まだ寝てるのか?」

 

「そんなわけないでしょー。朝早くから起きて、今は道場にいると思うよ。因みに柊は普通に学校」

 

「殆ど同じ時間に寝たはずなのに、なんであんなに早くに起きられるんだ……。まぁいいや、今更気にしてもしょうがない。俺も朝飯食ったら軽く運動するか」

 

 この後の予定を決めて、俺は朝飯を食べ始めた。

 

 

 

 

 

 朝食後、日課のランニングを終えた俺は、汗を拭き取りながらシャワーを浴びるために家の中に入る。

 

 が、そこで縁側のほうからシャッ、シャッという金属を磨くような音が聞こえた。

 

 なんとなく音の正体がわかりつつも、縁側の方に足を向けると、そこには椿がいた。しかし、ただいるだけではない。彼女の前には幾つかの砥石がならび、水の入った桶もある。そして一番目をひくのが椿の傍らに置かれた二本の刀だ。刀はそれぞれ分解されており、柄に収納されている中子が見えている。

 

 あのどちらも本物の日本刀。即ち、真剣である。椿はその剣の実力が認められ、国から超特例で帯刀の許可が下りている。とは言っても、この帯刀の許可は椿が自ら欲しいといったものではない。国が彼女の功績を讃えて与えたものだ。

 

 まぁ剣の才能だけでなく、彼女の人格も評価された結果だろうが。

 

 そして、彼女はその帯刀が許された真剣を研いでいたのだ。

 

 二本ある刀の内、一本は特に名前のない無銘の日本刀。だが、もう一本の方は無銘の刀とは明らかに違う存在かんと威圧感を放っている。

 

「姉貴」

 

 声をかけると、彼女はこちらをみて小さく笑みをこぼした。

 

「昨日は世話になったな葵。いや、今日と言うべきか」

 

「別にいいさ。で、多少なり不満は解消できたかい?」

 

「うむ。幾分か落ち着いた。だが、まだやれそうだ。世界樹の攻略、実に楽しみだ」

 

 薄く笑みを浮かべたまま言う彼女は、分解してある刀をテキパキと元に戻し始めた。どうやらちょうど研ぎ終わったところのようだった。

 

「なんで刀研いでたんだ?」

 

「なに、気分が乗っただけさ。それにしばらく手入れもしていなかったからな。頃合だったのさ」

 

「ふぅん。てか、《安綱》も久々に見たな」

 

 椿が研ぎ終え、元の形に戻した日本刀を持ち、鞘から少しだけ抜く。

 

 独特の刃紋は見ているだけでなにか不思議な力によって魅了されていくようだ。

 

「葵。あまり見すぎるな」

 

 忠告され、俺はすぐさま安綱を鞘に戻した。

 

「相変わらず、なんなんだその刀。意識が持っていかれた気分だぜ」

 

「当たり前だ。なにせ妖刀の部類に入る刀だからな」

 

「確か本物の《童子切安綱》を模して作られたんだっけかこの《艶呪安綱》は」

 

「少し違う。これは国宝である安綱を模したのではなく、安綱を作った刀工である大原安綱の子孫が、《童子切》を越えるために自らの生涯をかけて作った刀だ。しかし、結局《童子切》には勝てず、失敗作のレッテルを貼られた。しかし、《艶呪安綱》は人を虜にし、魅了する力があったとされていてな。だからこの名が付いた」

 

「刀ってのは恐ろしい逸話もあるもんだな」

 

 安綱を床に置いて溜息をつくと、椿は「ああ」と答えて銘のない刀を鞘に納める。

 

「刀は刀工の魂が具現化されたものだと私は思っている。だから、きっとこれを作った刀工の怨念にも似た感情が混じったんだろうさ、《艶呪》にはな」

 

「そんな妖刀を普通に扱える姉貴もどうかと思うけどな。っと、そうだ。今日なんだけど、三時にはダイブできなくなった。多分四時少し手前くらいになると思う」

 

「なにか用事でもできたのか?」

 

「ちょっとSAO関連でな。対策室の鹿嶋さんと話さないといけなくなった」

 

「わかった。では私も待っていよう。桐ヶ谷には伝えたのか?」

 

「ああ。先に世界樹の前にまで行ってるとさ。姉貴も先に行ってていいんだぜ」

 

 言ってみたものの、姉貴はそれに大して首を横に振る。

 

「いいさ。それに、四人揃わねば攻略は難しいだろう。だったら先に行っていようと一緒に行こうと同じことだ」

 

「そっか。んじゃ、鹿嶋さんとの話が終わったら部屋に顔出すよ」

 

「ああ。了解した」

 

 姉貴は静かに頷き、研ぎ道具と刀をそれぞれ自分の部屋に持っていった。

 

「さてと、そんじゃあ俺もシャワー浴びとくか……。あ、そうだ。一応ダメもとであの二人にも連絡してみるか」

 

 

 

 

 

 

 

 午後三時四十分。

 

 俺は某有名ジャンクフード店で、総務省SAO事件対策本部の人間である鹿嶋陽子さんと話をしていた。因みに、なぜSAO関連を話をするのにこんなジャンクフード店なのかと言うと、鹿嶋さんが好きだかららしい。

 

「うん。それじゃあ今日のところはこれぐらいでいいかな。ごめんね、葵くん。急に呼び出しちゃって」

 

「あぁいえ。気にしなくていいッス」

 

「そういってもらえると助かるわ。君達が目覚めた頃ほどではないにしろ、まだ私達も忙しくてね。あ、なにか聞きたいこととかある? 答えられる範疇でなら答えるわよ」

 

 陽子さんはコーラを飲みながら問うてきた。

 

 しかし、なにか聞きたいことといわれても、特にこちらにはなにもない。と、思ったときだった。俺はあることを聞いてみたくなった。

 

「陽子さん。《レクト・プログレス》ってわかりますか?」

 

「もちろん。SAOの運営会社だったアーガスから、SAOのサーバー管理を次いだのが電子機器メーカーであるレクト。そして、そのレクトの子会社がレクト・プログレス。今は『アルヴヘイム・オンライン』、略称ALOの運営をしているわね。で、それがどうかしたの?」

 

「どうかしたって言うか、このまえ明日奈の見舞いに行った時、レクトのフルダイブ技術の主任研究員の須郷伸之って人と会ったんですけど、どういう人なのかなって思って」

 

「ふむ……須郷伸之ね」

 

 陽子さんはポテトの油で汚れた指先を、ウェットティッシュで拭った後、持っていたタブレットを操作した。やがて彼女は「あったあった」と声をあげ、タブレットの画面を俺のほうに見せてきた。

 

 画面には履歴書のようなものが表示されていた。一番上には、あのいけ好かない男、須郷伸之の顔写真があった。

 

「須郷伸之。総合電子機器メーカーレクトの社員。父は社長である結城彰三の腹心で、結城家とも太いパイプを持っており、彰三氏からの信頼も篤い。アーガス解散後、SAOのサーバー管理は全て彼の部署に委託。子会社『レクト・プログレス』にも携わっている。……まぁ大まかに言っちゃえばこんな感じね。殆どそこに書いてあると思うけど」

 

 彼女の説明に俺は頷き、渡されたタブレットの画面を下にフリックする。どうやら、対策室でも彼には目をつけていたらしく、かなり細かなことまで調べてあるようだった。

 

 そして、彼の出身大学の項目に来た瞬間、俺は口元に手を当てる。

 

「陽子さん。この須郷伸之の出身大学って……」

 

「うん。茅場晶彦が在籍していた大学だよ。そして、須郷伸之は茅場と同じ研究室の先輩と後輩の関係。対策室のほうでもマークはしていたんだけど……。で、彼がどうかした?」

 

「いや、どうかしたってわけではないんスけど。ちょっと気になるなぁって思ったんで。聞いてみただけです。じゃあそろそろ……」

 

「家まで送っていくわ。こっちから呼び出してしまったわけだしね」

 

「ありがとうございます」

 

 彼女にタブレットを返すと、陽子さんは残っていたハンバーガーなどを店員から貰った紙袋に詰め、俺達はジャンクフード店を出て、俺はそのまま陽子さん所有のスポーツカータイプの車で家まで送ってもらった。

 

 

 

 

 

 葵を彼の自宅まで送った後、総務省に戻る途中に陽子は同僚のある男に連絡を取った。

 

 ワイヤレスのマイクを耳に差し込み、スマートフォンの通話ボタンをタップする。何回かのコール音の後、聞きなれた声が返ってきた。

 

『やぁ、鹿嶋さん。萩月くんとの密会はどうだったかな?』

 

「貴方がわかっている時点でこれはもう密会ではないと思うのだけど? 菊岡くん」

 

 陽子が連絡を取っているのは、総務省SAO事件対策本部の同僚である菊岡誠二郎だ。

 

 陽子が葵の担当であると同じく、彼は桐ヶ谷和人の担当だ。

 

『ハハハ、そりゃあそうだね。失敬、それで話を聞いてみてなにか収穫はあったのかな』

 

「SAO関連のことは後でまとめて提出するわ。ただ、少し気になったのは、彼が須郷伸之について聞いてきたこと」

 

『ほほう』

 

 菊岡の声はやや興味深げになった。

 

『須郷伸之と言うと、こちらもマークしていた男だね。確かレクトのフルダイブ技術研究主任で、茅場先生の後輩だったね』

 

「ええ。その須郷伸之が、結城明日奈さんのお見舞いに行った葵くんの前に現れたんだって」

 

『なるほどねぇ。ふむ、SAOサーバーの管理は全て彼の部署が行っていたから、いまだ帰還しない三百人のSAOプレイヤーのことにも関与していると思ってはいたが……』

 

「しかも彼の話だと須郷は明日奈さんと結婚するらしいわよ。勿論、明日奈さんに意識はないから、実際のところは彼女の父と養子縁組をするらしいけれど」

 

『それは益々きな臭い話だね。こちらとしても監視を強化すべきだね』

 

「したほうがいいかもしれないわね。本当にまずいことが起きる前に」

 

『よしわかった。それじゃあ君が帰ったら改めて資料を見直してみよう。それじゃあね』

 

 菊岡はそういい残し、通話を切った。陽子は葵の話を思い返しながら息をつく。

 

「くれぐれも、無茶はしないようにね。葵くん」

 

 

 

 

 

 

 リアルでの用事を終えた俺は、姉貴とともにALOへダイブし、先に世界樹のドーム近くに行っているであろうキリトとリーファを追った。

 

「悪いな姉貴。予想以上に長引いちまった」

 

「気にするな。それよりも、一時間も待たせてせてしまったからな。埋め合わせはしっかりしなくては」

 

「そんなこと気にするヤツではないけどな。っと、見えてきたぞ」

 

 俺の視界の先には世界樹の幹の前に作られた階段が見えた。あの先には二体の巨大な彫像が並んでおり、その前にはグランド・クエストへの入り口があるのだ。

 

 俺達はそれを見てから更に足を速め、街中を一気に駆け抜けていく。が、ドームへ通じる階段を上ろうとした時、俺の耳にふと気になる声が入ってきた。

 

「いやーにしてもあのスプリガン、さすがに無茶しすぎだろ。一人でグランド・クエストに挑むとか正気じゃないぜ」

 

「なぁ。今まで何十人も挑んでダメだったってのに、一人って……」

 

「まぁ腕試し程度なんじゃねぇの? 危なくなったら出てくるだろ」

 

「そりゃそうだ」

 

 ハハハと笑い合いながら話していたのは、それぞれ別の種族で構成された四人のパーティだった。

 

 彼等の声に俺は脚を止める。

 

 ……スプリガンが一人で? おいおい、まさか。

 

 内心で嫌な予感を覚えつつ、彼等に話しかける。

 

「なぁ、あんた等にちょっくら聞きたいんだけどいいか?」

 

「うん? なんだい?」

 

 不意に声をかけられたにも関わらず、振り返ったインプの男は、柔らかな笑みを浮かべ、小首をかしげながら振り返った。

 

「あんた等が見たっていうスプリガン。髪がツンツンしてて俺みたいにでかい剣を持ってなかったか?」

 

「ああ。そうだよ。とめようかとも思ったんだけど、すぐに入っていってさ。止められなかったんだ。知り合いかい?」

 

 どうやら入っていったのはキリトで間違いないようだ。内心で舌打ちをしつつも、俺は四人に頭を下げた。

 

「まぁそんなトコだ。教えてくれてありがとな。あぁそうだ。他に誰か見なかったか? 金髪のシルフの女の子とか、結構胸が大きい」

 

「あ、その子も入って行ったよ。本当についさっきだ。十秒前くらいかな。あ、ちょっとアンタ!?」

 

 俺は男の声を最後まで聞かずに駆け出していた。先で待っていた姉貴がこちらに問うて来る。

 

「どうだった?」

 

「案の定っつーかなんつーか。キリトのヤツ勝手に先走りやがった。あの馬鹿!! アスナのことになるとすぐ頭に血が上りやがる!」

 

「それはそれとして、リーファはどうした?」

 

「キリトの後を追ってドームに入って行ったとさ! 流石にやばいかもしれないぞこれは」

 

 焦る気持ちを抑えつつ、俺は姉貴とともに階段を駆け上がり、グランド・クエストへの入り口の前に立った。入り口の前には誰もいないが、目の前の扉はぽっかりと口をあけている。どうやらリーファが開いた扉がまだ閉じきっていないらしい。

 

「二人はあの中か。どうする?」

 

「どうするもこうするもないだろ。行くぞ、姉貴!! 気ぃ引き締めろよ!!」

 

「心得た」

 

 俺は大剣を抜き放ち、姉貴は刀を抜いて二人同時にドームの入り口へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 リーファは世界樹のドームの中で絶望の淵に立たされている気分だった。いや、実際のところ絶望の淵に立っているのだ。

 

 今彼女の手の中には、キリトのものである黒いリメインライトが弱弱しく燃えている。そしてそれを抱える彼女の周りには、のっぺらぼうの守護騎士がこれでもかと言うほど並んでいる。しかもその背後には弓を携えた守護騎士までいる。

 

 そう、キリトはこの守護騎士たちの猛攻に合い、負けたのだ。そして今、彼の残滓をリーファが握っている。どうにかしてここを抜け出せれば、蘇生させることが出来るのだが、この数の暴力をどうやって切り抜ければいいのか……。

 

 現実世界からこのALOに入り、アウストとツバキが来るまでぶらぶらしていようとしていた時、不意にいつも冷静なキリトが取り乱して、アルンの上空へ向かって飛んだのだ。

 

 そしてキリトの後を追って行くと、彼の手にカードキーのようなものが落ちてきたのだ。ユイが言うにはそのカードキーはシステム管理用のアクセスコードだと言う。

 

 二人が何を言っているのか、リーファにはよくわからなかったが、ユイはこう言っていた《ママ》と。しかしわからなかった。ユイのママがキリトにどのような関係があるのか、あそこまで取り乱した様子で彼が探す女性とは一体? と。

 

 キリトはカードキーをしまった後、リーファに対してグランド・クエストの場所は何処だと聞いてきた。リーファはそれに答えたが、一人では無理だと首を振った。せめて二人が来るまで待とうとも言った。

 

 けれどキリトは止まらなかった。彼は一方的に礼を言った後、「あとは俺一人でやるから」と言い残して、そのままドームへ入って行ってしまった。

 

 残されたリーファは、しばらく呆然としてしまったが、すぐにぼーっとしていた思考を振り払い、ドームの中へ飛び込んでいったキリトのことを思い出した。

 

 あの時明らかに彼はいつものキリトではなかった。このままではきっと負けてしまうと思ったリーファは、アウストとツバキの到着を待たずして、開いたままだった世界樹への入り口に飛び込んだのだ。

 

 結果として、彼女が見た光景はドームの中腹あたりに浮かぶ黒いリメインライトだった。それを見てリーファはすぐさま飛び上がってリメインライトをキャッチ。守護騎士の攻撃に晒されつつも、彼の残り火の奪取に成功したのだ。

 

 が、状況は最悪だ。こちらは一人だというのに、あちらは圧倒的な数がいる。しきりに襲ってくる矢の雨と、それに紛れながら襲ってくる剣の猛襲を紙一重で避け続ける。それでも、矢の雨は彼女の体のいたるところを貫いていく。

 

「ぐ……!」

 

 顔をしかめながらも飛び続けると、彼女の前に剣を振り上げた守護騎士が現れた。すぐさまそれを避けようと、回避運動を取るが、彼女が回避したその先に再び騎士が現れ、巨大な剣をリーファの体目掛けて振り下ろしてきた。

 

 ……やばい!

 

 思ったが、剣は確実にこちらを捉えている。もう回避することも防御することも不可能だ。訪れるであろうゲーム内での死を覚悟したリーファは目を瞑る。

 

 守護騎士の剣がリーファの身体にくいこむ――はずであった。

 

 リーファは体を切り裂かれる悪寒に身構えていたのだが、その代わりに聞こえてきたのは、ガィン! という金属と金属がぶつかり合ったような音だった。

 

 何事かとそちらに目を向けると、守護騎士の首元に藍色の大剣がふかぶかと突き刺さっている。リーファはその大剣に見覚えがあった。そして、彼女の耳に救世主とも言える声が響いた。

 

「リーファ! そのまま出口に向かって全力で飛べ! 俺達が援護する!」

 

 声のした方向をみると、アウストと、ツバキが飛んできたところであった。

 

「アウストくん! ツバキさん!」

 

 思わず返事でなく彼らの名前を叫んでしまった。そして彼はこちらに飛び上がり、守護騎士に刺さっている大剣を引き抜く。

 

「速く行け!」

 

「うん、お願い!」

 

 リーファはアウストに任せ、その場から離脱する。しかし、守護騎士たちは執拗に彼女を追いかける。無論そのうちの数体はアウストが倒したが、それでも何体かは残ったやつ等がいる。

 

 再び剣が振り下ろされそうにもなるが、その途中で守護騎士の体がバラバラに切り裂かれて爆散した。

 

 見ると、ツバキが一気に三体の守護騎士を切り裂いたようだ。

 

「出口までは私が守る。安心して飛べ」

 

「はい!」

 

 それに答え、リーファは飛び続ける。途中再び守護騎士から攻撃を受けそうになったが、それらは全てツバキによって撃ち落され、リーファは彼女に感謝しながらも、命辛々ドームから脱した。

 

 

 

 

 リーファがドームから脱したことを確認したツバキは、アウストを呼ぶ。

 

「葵! リーファとキリトは脱出した。我々も一旦引くぞ!」

 

「おう!」

 

 アウストは向かってきた守護騎士を唐竹割りをするように叩き切った後、矢の雨を避けながらツバキの元に合流し、二人はそのままドームから脱出した。

 

 

 

 二人がドームから脱出すると、扉の前には蘇生されたキリトと、彼の前でへたり込むリーファがいた。

 

「ごめん、三人とも。迷惑かけた」

 

 キリトは三人に対して頭を下げて、へたり込むリーファの右手をそっと握る。

 

「ありがとう、リーファ。君が来てくれなかったら俺はホームに逆戻りだった。でも、俺なんかのためにあんな無茶はもうしないでくれ」

 

「そんな、私は無茶だなんて……!」

 

 リーファが途中まで言いかけるが、キリトは彼女の言葉を最後まで聞かずに、再びドームへ足を向ける。

 

 が、彼の肩をアウストが握ってそれをとめる。

 

「待て、キリト。確かに世界樹を攻略したい気持ちもわかるが、少しは落ち着けよ。今のお前、正常じゃないぜ」

 

「……ああ、わかってるさ。でも、でも! 俺は速くあの上に行かなくちゃならないんだ!! それに、本来これは俺が一人で解決しなくちゃ行けないんだ!」

 

 キリトの悲痛とも取れる声にアウストは彼の肩を離す。キリトも彼の行動に「ありがとう」と礼を言うが、そんな彼に対し、アウストは大きく右腕を振り上げ、彼の顔面を殴りつける。

 

「アウストくん!? なにをやって!」

 

「待て」

 

 大きく吹き飛ばされたキリトにリーファが駆け寄ろうとするが、ツバキが彼女を止めた。

 

 殴られたキリトはと言うと、石畳から体を起そうとするが、彼の胸倉をアウストが掴み上げた。

 

「落ち着けって言ってんだろうがキリト」

 

「落ち着いてるよ……」

 

「いいや、落ち着いてないね。お前はあの上にいるアイツのことで頭がいっぱいになって正常な判断ができていない。さっきの行動はなんだ? また中に入って守護騎士共と闘おうってのか? 行ったって犬死がいいとこだ。またリーファに迷惑かけるんだぞ、お前は」

 

「だから、これから先は俺が一人でやるっていってるだろ!」

 

「テメェ一人で一体何が出来る!!」

 

「ッ!!」

 

 アウストの今までにないほどの怒号に、リーファは一瞬体を強張らせた。その恫喝にはキリトの胸にも来るものがあったのか、息を詰まらせた。

 

「思い上がるなよ、キリト。お前はあそこで実感したはずだ。テメェ一人の力がどれだけ非力で、弱いものなのかを。なのにまた一人で挑戦するだ? 寝言は寝て言えバカヤロウ」

 

「じゃあ、どうすればいいって言うんだよ。あそこを越えなくちゃ、アスナに、アスナにたどり着けないじゃないか」

 

「え……?」

 

 不意に聞こえた疑問符は、アウストのものでも、ツバキのものでもなかった。

 

 疑問の声を上げたのはリーファだった。アウストとキリトも彼女の声が聞こえたのか、振り向く。

 

 振り向いた先にあったのは、呆然としつつも、驚愕の色に瞳を染めたリーファの姿だった。

 

「キリトくん……いま、なんて……いったの?」

 

 いつもの快活さは何処へ行ってしまったのか、たどたどしく、やっとこさ搾り出したような声で彼女は問う。

 

 キリトとアウストは言い合いのテンションをおさめ、疑問を浮かべながらも彼女に向き直った。

 

「ああ、アスナって言ったんだ。俺が探している人の名前だよ」

 

「……ッ!?」

 

 キリトがその名を口にした瞬間、リーファは口元に両手を当てて半歩後ずさった。

 

 やがて、彼女は掠れるような声を搾り出した。

 

「……お兄ちゃん……なの……?」

 

「え………………?」

 

 リーファの声にキリトは訝しげに眉を動かしたが、すぐに彼女の言ったことと、彼の前にいるシルフの少女の瞳を見て声をもらす。

 

「スグ……直葉……?」

 

 彼の返答に、リーファは再び表情を驚愕に染める。そして今度は彼女の双眸から陽光に照らされて光る涙が零れた。

 

 二人のやり取りに、アウストとツバキは完全に蚊帳の外ではあったが、二人の反応と言葉からしてすぐに合点は言った。

 

「兄妹か……」

 

 アウストは少し前にキリトから聞いたことがあった。彼には妹がいるのだと。だが、聞いた話では彼の妹はオンラインゲームなどは毛嫌いしていた節があると言うが――。

 

 やがてリーファ/直葉は、口元を押さえ、嗚咽交じりに呟いた。

 

「……酷いよ……。あんまりだよ、こんなの……」

 

 涙を流しながらリーファはメニューウィンドウを開き、ログアウトボタンを大して確認もせずにタップした。やがて彼女の姿は光に包まれて消えてしまった。

 

 残されたキリトとアウストは互いの顔を見比べ、ツバキはただただ沈黙を貫いていた。

 

「なぁ、今のってまさか……」

 

「ああ。俺の妹の直葉だ。でも何でだ? 何で直葉がALOに……しかも泣いちゃうなんて……」

 

 先ほどまでの言い合いの空気など何処かに消え去ってしまったかのように二人は互いの顔を見合わせる。

 

「俺がまたナーヴギアを使ったことを怒って泣いたのかな」

 

「いや、あの感じからしてそれは薄いだろ。寧ろ、キリトが和人だったことに対しての哀しみ……いや、悔しさか? どっちにしろ驚いてたのには変わりはなさそうだけど……」

 

「どちらでもいいが、キリト。リアルに戻って話をつけてきた方がいいのではないか? さすがに、妹に泣かれたままというのもきついだろう?」

 

 ツバキの言葉に、キリトは一瞬迷ったようだったが、すぐに頷くと二人に告げた。

 

「それじゃあ、俺ちょっとスグと話してくるよ。ユイ、少しの間アウストと一緒にいてくれるか?」

 

「はい。わかりました。パパ」

 

 キリトは胸ポケットに収まっているユイに声をかけると、そこから飛び出したユイがチョコンとアウストの頭に乗った。

 

「それじゃあ、行って来る」

 

 キリトはそう言ってログアウトしたが、残されたアウストはツバキを見やる。

 

「さてはて、どうしたもんかね。姉貴」

 

「わからん。第一、あれはあの二人の問題だろう。私達が介入すべきではない」

 

「だよなぁ。あ、ユイ。さっきはパパのこと殴って悪かった。お前は大丈夫だったか?」

 

「はい。少しビックリしましたけど大丈夫です。けど、アウストさんの止め方は間違っていなかったようにも感じます。あのままだとパパはまた無茶しちゃうかもしれませんし」

 

 ユイは少しだけ落ち込んだ様子で項垂れた。恐らく彼の暴走にも似た行動をとめられなかった自分に責任を感じているのだろう。

 

「まぁキリトに対する説教は後にして……。なぁんで、リーファはあんなにないたんかねぇ」

 

「なんだ、わからんのか? 葵」

 

「は?」

 

 ツバキの問いにアウストは首をかしげた。弟の察しの悪さにツバキはやれやれと頭を振ると、彼女が思っていることを口にした。

 

「恐らくだが、リーファ……いいや、ここでは直葉と言った方が良いか。ともかく彼女は兄である和人に惚れていたのだろう。しかし、和人には明日奈嬢がいる。だから現実世界では身を引いた、彼が幸せになるためにな。だから直葉は、ゲームの中で出会った兄、和人に似ているキリトに淡い恋心を抱いた。が、キリトの正体は、自分が好きだと言う感情を押し殺した和人本人だった……。どうだ? こんな真実を突きつけられたら誰だって涙を流したくなるだろう?」

 

「確かにそうですね……。ツバキさんの言うとおりかもしれないです」

 

 ツバキの推理にユイも思い当たる節があったのか、何度か頭を縦に振った。

 

「すげぇ推理だけど、アイツ等は実の兄妹だって話だぜ? そんなことあんのかよ?」

 

「ないとは言い切れないだろう。人の恋愛対象など人それぞれだ。リーファ(直葉)の場合、それが兄、キリト(和人)であったというだけだ」

 

「なんつーか……複雑だな」

 

「ああ。複雑だ。だから葵、あの問題は二人に解決させろ。他人である我々が介入するべきではない」

 

「……わーったよ」

 

 ツバキの忠告を素直に受け取ったアウストは、ドームへ通じる大階段の最上段に座り、眼下に広がるアルンの街を見渡した。

 

「兄貴が好き……ねぇ」




アスナ回かと思ったらなんかすげぇ進んじゃったぜ!(白目)

いや、まぁしょうがないんですよ。キリトさんと違ってアウストは姉弟間で問題ないですし、あるとしたら姉貴が最強すぎるくらいですよ!
まぁ萩月さんちは天才がたくさんですと。もうやだこの家族。国から特例で帯刀許可ってなんなん? 某ゲームの某ヒロインの親父さんかよ!(わからない人は黛大成で検索してみてね!)

途中で須郷さんがなんかほざいてますが、気にしてはいけない。所詮は断罪される定めよ……。そして姉貴が刀を研いでる時点でもう……お察しください。(殺人はしないヨ!)
艶呪安綱はてっきとーな話なんで気にしないでください。なんか童子切りを越えられなかった安綱があったらこんなんだろーと思って作っただけなんでw

さて、次回はキリトとリーファが闘って、世界樹攻略を仕切るところまでは書きたいですね。その後はいよいよ最終決戦ですが……さてはてどうなることやら……w
まぁ須郷さんには痛い目を見てもらうので……フフーフ♪

では、次回もよろしくお願いいたします。


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第十九話

 キリトとリーファがログアウトした後、俺はユイを頭に乗せて眼下に広がるアルンの街並みを俯瞰していた。

 

 姉貴の方を見ても、彼女はドームの前で胡坐をかき、目を閉じているだけで微動だにしない。

 

 二人がログアウトしてから十分弱が経過したが、二人は未だに現れない。

 

「アウストさん。一つ、質問してもいいですか?」

 

「俺が答えられる範疇であれば答えるぜ。お嬢様」

 

 ユイから投げかけられた問いに対し、ちょっとだけおちゃらけてみると、彼女は薄く笑みを浮かべた。彼女は俺の頭からふわりと浮き上がると、ちょうど俺の鼻の前あたりに滞空した。

 

「えっと、パパとリーファさんは現実世界で兄妹という間柄、なんですよね?」

 

「らしいな。俺はリアルの方のリーファに会ったことはないけど、キリトからは実の兄妹だって聞いてるぜ。それがどうした?」

 

「はい。リーファさんのように、実のお兄さんを好きになってしまって恋愛対象として見てしまうのは、やっぱり不思議なことなのでしょうか? 相手のことを好きならばそんなに悩むことでもないと思うのですが……」

 

 心底不思議そうな表情で首をかしげるユイ。そんな彼女の行動や表情を見て、俺はハッとした。目の前にいる小妖精は、感情こそあれど根本的にはシステムによって生み出された人工知能の結晶体だ。

 

 が、ユイはSAOのプレイヤーの精神的ケアを司るカウンセリングをするための存在だ。だからこそ、感情があり、笑ったり、泣いたりできるのだろう。しかし、そんな彼女であっても、生身の人間の恋愛にはまだわからないことがあるのだと知り、俺は少々驚いてしまった。

 

「まぁ確かにお前の言うとおりだわな。相手のことが好きなら好きでいい。うん、実に単純でわかりやすい。けどな、ユイ。人間ってのは面倒くさい生き物なんだ。悩んで、解決して、また悩んで、こんなことばっか繰り返している。だからユイのように考えられれば、相当楽なのは確かだ。けど、人間はそういう悩むことも含めて人間なんだ。今回のはその問題で一番面倒くさい事例だろうな。例え当人達がよくても、周りがそれを許さないこともある」

 

「難しいんですね。人間の恋愛感というのは」

 

「ああ、難しい。まっ、俺は別に気にしないけどな。たとえ友達の中で実の兄妹同士で付き合ったり結婚したりしても。あ、そういえば俺も気になったんだけど、ユイの愛情表現っていうか、そういうのはどういうもんなんだ?」

 

「それは簡単です」

 

 ユイは一度胸を張ると、俺の鼻頭にその小さすぎる両手を添える。

 

 不思議に思っていると、次の瞬間に「チュッ」というかなり控えめなキスが鼻頭に当てられた。

 

「わたしだったらこうします。実に単純で合理的だと思いますよ」

 

 ユイはえへへ、と小さく零すと両手を離し、俺に対して微笑みを向ける。

 

「……マセガキ」

 

「あ、酷いです! 今のはアウストさんがどういうのするんだって聞いてきたから実際にやってみただけですよ!」

 

「それにしたっていきなりチューはねぇ……。パパとママが泣くぞ」

 

「わたしだって誰彼構わずそんなことはしませんよ! もう、あんまり意地悪するとママに言いつけちゃいますよ。さっきパパを殴った件も含めて!」

 

「げっ、それだけは勘弁してくれ。なぁユイ、悪かったって。ごめん。わりぃ、すまねぇ、許せ」

 

「……なんとなく誠意を感じられない気もしますけど、いいです。アウストさんはわたしのお友達ですからね」

 

 プンプンと怒ったユイは、俺に背中を向けてきたが、すぐに振り返っていつものような微笑を浮かべた。

 

 その様子に胸をなでろす。まったく、アスナに報告されてはあとでどんなしっぺ返しがくるかわかったものではない。死にはしないだろうが、半殺しぐらいは行きそうである。

 

 俺とユイはしばらくそんな調子で話していた。そして二人がログアウトしてから十五分が過ぎようとした頃、ドームの入り口前に黒衣の少年剣士、キリトが現れた。

 

「パパ」

 

 ユイも彼に気が付き、微かな羽音を立てて彼の元へ飛んでいく。俺も彼女に続くと、彼に問いを投げかける。

 

「で、どうだった。妹ちゃんの様子は」

 

「泣いてたよ。でも、あのままじゃいけないと思ってさ、アルンの北側のテラスで待つことにした。ここだと人目につきやすいからな」

 

「そうかい……。あー、そうださっきはあれだ、殴って悪かったな。おれもちっとばっか熱くなってたわ」

 

 後頭部を掻きつつ謝罪すると、キリトは被りを振ってその謝罪を否定した。

 

「いや、いいんだ。俺もアスナが近くにいるって分かって周りに目が行かなくなってた。お前に言われて気が付いたよ、アウスト。俺は一人で闘ってたわけじゃないんだよな。お前も含めて、みんなと闘ってたんだ」

 

「……おう。そうだ、わかってくれてよかったぜ。っと、引き止めて悪かったな。んじゃ、リーファとしっかり話し合えよ。アイツが来たら先に行ったって伝えとく」

 

「ああ。よろしくな」

 

 キリトはそう言うとユイを胸ポケットの中に入れて、アルンの北側に浮遊しているテラスへと飛び立っていった。

 

 その姿が見えなくなるまで見送って、俺が姉貴の元へ行こうとしたときだった。ドームの入り口付近に青白い光が現れ、光の中から錦糸のような黄金色の髪をしたシルフ族の少女剣士、リーファが現れた。

 

 彼女は一度周囲を見回すと、俺に気が付き駆け寄ってきた。

 

「アウストくん。キリトく――お兄ちゃんはもう行った?」

 

「ああ。ついさっきな」

 

「そっか……」

 

 リーファは俯きながら返事をした。やはりまだ心の整理ができていないようだ。まだ先ほどの一件から二十分も経っていない。この時間だけで整理しろと言うのが無理と言うものだ。

 

 さすがに目の前でこのような悲しい顔をされると、男としては何かしないわけにはいかない。

 

「恐いか? リーファ」

 

「ちょっとだけね。何を言えばいいのかわかんないし、お兄ちゃんから何を言われるのかもわからないし」

 

「まぁそうだわな。うーん、なんて言えばいいものか……」

 

 かっこつけて「恐いか?」などと聞いてみたはいいものの、次の言葉が繋がらない。だから俺は、自分の気持ちに素直に従った。

 

「あー、こまけぇこと考えるのはやっぱナシだ! いいか、リーファ。本名は直葉って言うみてぇだけど、聞け」

 

 俺の声にリーファ/直葉は俯かせていた顔を上げた。

 

「いつまでもウダウダ引き摺ってる時間も、なんて言えばいいとか、なんて答えればいいなんて迷ってる時間も無駄だ。だったらどうする?」

 

「……」

 

「やれることをしないで迷ってたり、立ち止まってるだけじゃ何も解決しねぇんだよ。だから、今お前がやるべきことを迷わずに、それを兄貴にぶつけて来い」

 

 俺は言い切り、リーファの前に拳を突き出す。俺の言ったことと、突き出された拳の意図が理解できたのか、リーファは先ほどまでの陰鬱とさせていた表情から、いつもの明るい笑顔を見せた。

 

「うん、そうだね。アウストくんのいうとおりかも。やれることをしないで後悔するよりも、やってスッキリした方が楽だもんね!」

 

「おう。その意気だ。ついでにあの野郎の顔面にぶち込む位の勢いでやってやれ」

 

 答えながら俺とリーファは拳を打ち鳴らす。そして彼女がキリトの待つテラスに飛び立とうとした時だった。

 

「やっと見つけたー! 捜したよー、リーファちゃん!」

 

 なにやら若干間の抜けた声が響いた。声がしたのは上だったが、すぐにその声の主と思われる影は俺と、リーファの前に降立った。

 

 現れたのは黄緑色の髪色をしたシルフの少年だった。髪型はなんとなくキノコっぽい。

 

「れ、レコン!?」

 

「知り合いか?」

 

 リーファの素っ頓狂な声に俺が問うと、彼女は頷いて説明を始めた。

 

「私がALOを始めたときにやり方とか少しだけ教わったんだ。リアルだとクラスメートなんだよ。あと、シグルドの裏切りを教えてくれた子」

 

「レコンです。よろしくってアレ? リーファちゃん、あのスプリガンは? 解散して今度はインプと組んでるの?」

 

 レコンが言っているスプリガンと言うのはキリトのことだろう。しかし、このレコン少年が俺を見たときに感じた恨めしそうな瞳は……。

 

 ……あー、なーるほろ。

 

 なんとなく予想が付いたが、口には出さずに俺は頷いておくと、リーファが声をかけてきた。

 

「ごめん、アウストくん。レコンと一緒に待っててくれるかな。ツバキさんにも言っておいて。終わったら合流するから」

 

「あいよ。んじゃ、また後でな」

 

「うん。それじゃあレコン! あたしが戻ってくるまでその人たちと一緒にいなさいよね!」

 

「うぇぇ!? リーファちゃんは何処行くのさ!」

 

「あたしはやることがあるって言ったでしょ! じゃあ、またね」

 

 リーファはそれだけ言い残し、北のテラスに向かって飛び立った。残されたレコンは「あー……」とまだ何か言いたげだったが、ついて来るなと念を押されたようで、その場でがっくりと肩を落とした。

 

 が、彼はすぐにその状態から回復すると、ツカツカと俺の元にやって来て問いを投げかけてきた。

 

「つかぬ事をお伺いしますが、貴方とリーファちゃんの関係は?」

 

 彼はしっかりと声を発しているつもりなのだろうが、緊張しているのか微妙に声が震えている。

 

「安心しな。別に俺はアイツとお前が思っているような仲じゃねぇよ。友達だ、トモダチ」

 

「ほ、本当に!?」

 

「ああ。ホントーだよ。まぁ、お前さんが自分の気持ちを伝えるかどうか走らんが、玉砕覚悟でがんばれや」

 

「え、僕、試合しないウチから負けてる感じなの!?」

 

「さぁな。けど、可能性が0ってわけじゃないだろう?」

 

 最後に付け加えると、「だよね! そうだよね!」とレコンは騒がしく声を発した。どうやら、彼は本当にリーファに惚れているらしい。

 

「あぁそうだ、自己紹介が遅れたな。アウストだ。よろしくな、レコン」

 

「うん。よろしくね、えっとアウストさんの方がいいのかな?」

 

「あー、さんづけはしなくてもいいぜ。好きに呼んでくれ」

 

 とりあえず握手をするために手を差し出すと、彼も握手に答えてきた。姉貴はと言うと、まだ端のほうで胡坐をかいて座っていたので、邪魔をせぬようにレコンに紹介しておく。

 

「あっちはツバキな。今は静かにしといてやったほうがいい」

 

「わかった。で、リーファちゃんは何をしにいったの? 結構慌ててるみたいだったけど」

 

「気にすることでもないさ。まぁ、俺たちはリーファが帰ってくるまで待ってようぜ」

 

 俺は言いつつドームの前の広場にあるベンチの一つに寝転がって、澄み渡った空とそれを覆い隠すように生い茂る世界樹の枝葉を見やる。

 

 けれど、俺は寝転がったところで、姉貴に対して話しておくことがあったのを思い出して、彼女の下に駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 キリトとリーファが連れ立って返ってきたのはそれから三十分もしない頃だった。

 

 二人が帰ってきたことに最初に気が付いたのはレコンであり、我先にとリーファの元に駆け寄っていった。

 

 彼に続き、俺も姉貴の肩を叩いて二人の下へ歩き始める。

 

 そして俺たちが全員揃ったところで、タイミングよくレコンが百面相の後に疑問の声を発した。

 

「えっと、つまりどういうこと?」

 

「世界樹を攻略するのよ。ここにいる全員で。勿論あんたも含めてね」

 

「そ、そう……って、ええ!?」

 

 笑顔のリーファの声にレコンは顔面蒼白になって半歩後ずさった。

 

 しかし、俺はそんな彼よりも迷いが吹っ切れたようなリーファの姿が見れてよかった。どうやらキリトを話をつけられたようだ。

 

 が、リーファはドームを見上げ、眉間に皺を寄せる。恐ら先ほどキリトが無残にやられた時のことを思い出しているのだろう。

 

 キリトもそれは同じな用で、唇をかんでいるのが見て取れる。すると、いやな空気になりそうなところで、ツバキが俺の背後から声を上げた。

 

「聞きたいのだが、いいか?」

 

「なんですか?」

 

「あの守護騎士――ガーディアンだったか。あれは秒間でどれほどポップされる?」

 

 その問いにキリトは、思い出したように胸ポケットを叩く。

 

「ユイ、いるか?」

 

 すると、彼の言葉が終わらないうちに光の塊が現れ、毎度おなじみのピクシーが現れる。ただ、今回はやや機嫌が悪そうだ。

 

「もー、遅いです! パパが呼んでくれないと出て来れないんですからね!」

 

「悪い悪い。すっかり忘れてた」

 

 苦笑しながら謝るキリトが差し出した掌の上にチョコンと乗るユイ。が、そんな彼女に対して、レコンが首を伸ばした。

 

「うわ、こ、これプライベートピクシーってヤツ!? 初めて見たよ! うおお、スゲェかわいいなぁ!」

 

 唐突にレコンが近づいたことにより、ユイは目を丸くし、その身を少しだけ引いた。

 

「な、なんなんですかこの人は!?」

 

「こら、恐がってるでしょ」

 

 リーファがレコンの耳を引っ張って、彼女から遠ざける。二人が離れた所で、姉貴が一歩前に出てユイに問うた。

 

「ユイ。それであのガーディアンは秒間でどれくらいポップするかわかるか? 私の見立てでは、再接近した際には十体ほどだと思ったのだが」

 

「はい。凡そツバキさんの見立てで間違いありません。個々の力はたいしたことはありませんが、再接近時の最大ポップス数は秒間十二体です。あのポップではもう攻略不可能の域に達しているとしか……」

 

「なるほどな。毎秒十二体か……」

 

 ユイの情報に姉貴は口元に指を当てて考え込む。

 

 秒間、即ち一秒間に十二体の敵が同時に出現するということだ。想像しただけでも絶望的な数字だが、やるしかない。

 

「個々の力は闘ってみてわかったが、実際のところは対して高くない。そうだったなキリト」

 

「ああ。でも、それを総体とした見た時には絶対無敵の巨大ボスと同じってことだな。プレイヤーの心を煽るだけ煽って、興味を引くギリギリのところまでフラグ解除を引っ張るつもりなんだろう。しかしそうなると厄介だな……」

 

 キリトは考え込むが、そこで不意小さな笑い声がもらされた。俺を含めて全員がそちらを見ると、姉貴がこめかみのあたりを押さえて、肩を震わせて笑っていた。

 

「どした? ツバキ」

 

「いや、少し可笑しくてな。先ほどキリトはあれが絶対無敵と言ったが、断言しよう。この世に絶対無敵は存在しない。どんなに圧倒的な力や数の差があっても、それを覆す手段は誰もが持っている。肝心なのは、絶望しないことだ。自分が選んだ道だ、決して迷うな。一瞬でも迷い、臆せばそれが他者に伝染する。私達はもう決めたのだろう? グランド・クエスト、即ち世界樹を攻略すると。ならば、進もう。ただひたすらに進み続けるんだ」

 

「ツバキさん……」

 

 呟いたのはリーファだった。楽観的過ぎる考えかとも思えたが、今のツバキの声によって、俺を含め、キリトリーファの覚悟は決まったようだ。

 

「そうだな。確かにツバキさんの言うとおりだ。迷ったら負けだ。確かにもっと人数を集めて攻略するのはわかってる。けど、もう時間が残されていない気がするんだ。だから、力を貸して欲しい」

 

「元からそのつもりだっての」

 

「私は闘えればそれで満足だ。弱くともアレだけの数ならば渇きも多少は潤ってくれるだろう」

 

「うん、わかった。もう一度がんばってみよ。あたしに出来ることならなんでもするよ。もちろん、コイツもね」

 

「うえぇ~……」

 

 今度はリーファに肘で小突かれ、情けない声を漏らすレコン。が、なにやらブツブツと呟いた後、大きなため息交じりにその頭をかくんと降ろした。

 

 

 

 地の底から響くような重低音のを轟かせつつその大口を開けた石扉の中からは形容し難いエネルギーのようなものが溢れているようで、俺は肌がピリ付くような錯覚を覚えた。

 

 そしてキリトが剣を抜いたところで、俺は大剣を抜き放ちながら彼に告げる。

 

「なぁ、キリト。アスナを助けるために一人じゃ心細いだろう? だから、俺も行くぜ。世界樹の上にな」

 

「いいのか? そこまで巻き込むつもりは……」

 

「一度乗りかかった船だ。最後まで付き合うさ。じゃ、気ぃ引き締めていこうぜ」

 

 ブォン! と音がするほど大剣をすばやく抜き放ち、それを担ぐように構える。既に全員の抜刀が済み、全員がいつでも闘える姿勢になっている。

 

 キリトが全員を視線を交わし、最後に俺と視線を交わすと、全員が翅を広げる。

 

「…………行くぞッ!!!!」

 

 俺たちはキリトの号令と共に地を蹴ってドームの中へ突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 ドームの中に突入したツバキはキリト、アウストと共に天蓋へ向けて急上昇を開始した。が、彼等の行く手を阻むように、天蓋の発光部分から守護騎士がボトボトと音を立てるように生み出された。

 

 守護騎士たちは雄たけびとも取れる咆哮をあげながら殺到してくる。並行して飛ぶキリトとアウストがそれぞれ大剣を構え、臨戦態勢に入るが、ツバキが前に出ることでそれを制する。

 

「すまんが、先に私が行かせてもらうぞ」

 

 薄く笑みを浮かべる彼女は、二人の返答も聞かずに殺到する十数体の守護騎士に単身で向かって行く。

 

 相対するは彼女の身長のほどもありそうな巨大な剣を持った、のっぺらぼうの守護騎士。普通の人間であれば恐怖するであろうその容貌に、ツバキは一切の恐怖を覚えなかった。

 

 振り下ろされる巨剣はツバキの肩口を狙う。ツバキは守護騎士の動きを理解し、抜いていた白刃を巨剣が振り下ろされる前に、守護騎士の首へ向けて薙いだ。

 

 首を落とされた守護騎士は力なくその場で消滅しそうになるが、その体が完全に爆散する前に、ツバキはその体を引っ掴み、後続の守護騎士達の合間を駆け抜ける。

 

 その速度たるやまさしく一瞬。ほぼ瞬間移動とも取れる速度で敵陣を駆け抜けた彼女の後ろでは、合計十三体いた守護騎士が一体も残らずに爆散していた。

 

 爆煙の先では、ツバキが斬りぬけた姿勢で止まっていた。その瞳には研ぎ澄まされた殺意がはっきりとあり、冷酷な光が灯っていた。

 

 けれどこの程度の攻撃で、ほぼ無限に生み出される守護騎士が止まるわけがなく、彼女の両脇から再び守護騎士が現れた。が、守護騎士の剣は彼女に届かず、キリトとアウストそれぞれの大剣に防がれ、そのまま守護騎士は大剣によって両断された。

 

「いいタイミングだ」

 

「そりゃどーも。つか、姉貴。全力でやっていいぜ」

 

「ほう……。いいのか? 全力でやっても。どうなっても知らんぞ」

 

 ツバキは近寄ってきた二体の守護騎士を一気に両断してアウストに忠告した。

 

「こんなクエスト自体どうかしてんだ。リミッター外したって誰も文句は言わないさ」

 

「確かにそうか。いいだろう、全力を見せてやる。いままでは瞬間的な全力だけだったのでな」

 

 ツバキはニヤリと笑みを浮かべると、天蓋から続々と生み出され続ける守護騎士を見据えてシラヌイを構える。

 

「では、システムによって制御された傀儡どもよ。貴様等がどこまでやれるのか……」

 

 彼女が言っているうちに守護騎士が再び五体の小隊を組んで突っ込んできた。が、彼等の剣はツバキには届かず、あっけなく空を斬り、五体の守護騎士はまたしても一瞬にして切り裂かれた。

 

「……せいぜい足掻いて見せろ」

 

 瞬間、嵐が巻き起こった。

 

 凄まじい速度で飛んだ彼女は、ほぼ壁のようになった守護騎士の軍勢の中に単身で飛び込んでいった。普通ならば、あんな軍勢の中に突っ込めば一瞬にしてHPが0になるだろう。しかし、彼女は違う。

 

 ツバキ、いいや、萩月椿は普通ではない。剣術という天賦の才を持ち、剣の道をひたすら進む剣帝。それが彼女だ。

 

 剣帝が進んだ後には何も残らない。全て彼女がことごとくを凌駕し、突き進む。それが今、具現されている。

 

 守護騎士の軍勢は彼女をとめることが出来ない。挟み討とうとしても、多数で囲んでも、どんな戦法を持ってしても、彼女は止まらない。否、止められない。

 

 

 

 

 

 

 

 荒れ狂う暴風のように守護騎士の軍勢を叩き潰していくツバキと、彼女ほどではないにしろ、圧倒的な強さを見せるキリトとアウストの姿を見て、ドームの下方にいたリーファとレコンは回復魔法をかけながらも呆然としていた。

 

「あ、あの三人、スゲェ……」

 

「うん。次元が違う」

 

 リーファはレコンの言葉に頷き、視線の先で暴れまわる三人を見やった。

 

 キリトは大剣をふるいながら軽やかに守護騎士の攻撃を避けて戦っていく。アウストはと言うと、キリトとは正反対で細かな動きはあれど、その戦いはキリトのものよりも大きな大剣を使った豪快な戦い方だ。二人は時折背中合わせで戦いながら、息を合わせたコンビネーションを見せている。

 

 そんな二人を足してみてもいくらかお釣りが来る様な動きで闘っているのがツバキだ。彼女が飛んだ背後では切り裂かれて四散した守護騎士の爆煙が列を成すように並んでいる。

 

 圧倒的ともいえる彼女の強さと、肌をピリつかせる殺気を味わったリーファは、やはり彼女の姿を憧れの人と照らし合わせてしまう。

 

 ……やっぱりツバキさんはあの人なのかな。

 

 思い、再び視線をツバキに戻そうとした時だった。ちょうど回復魔法をキリトとアウストにかけ終わった時、守護騎士の数体がリーファとレコンに対して視線を向けたのだ。

 

 彼等にターゲットされないためにリーファとレコンは回復に徹するという予定だった。本来モンスターは反応圏内にプレイヤーが侵入するか、遠距離から攻撃スペルや弓などで攻撃されない限り襲っては来ない。

 

 このドーム内にいる守護騎士はそうではないようだ。より悪意のあるアルゴリズムを植えつけられた彼等は、回復や補助スペルにまで反応するようで。前衛にアタッカー。後衛にヒーラーというオーソドックスな陣営すらも使えないようだ。

 

 リーファは唇を噛んで、レコンに対し「自分が囮になって奴らをひきつける」と言おうとした。けれど、その声が発される前に、こちらに向かってきていた守護騎士の一体に碧色の長槍が突き刺さった。

 

「え?」

 

 疑問の声を上げたのはレコンだった。

 

 碧の長槍が飛んできた方向はリーファ達の背後、即ちドームの入り口からだ。すると、背後から聞きなれない声が聞こえてきた。

 

「ほらやっぱり! アンタがちんたらしてるから、アウスト達、先に入っちゃてたじゃん!」

 

「しゃーないやろー。わいかて色々準備とかあるんやからそれにホラ、まだ生き残っとるやん」

 

 見ると、入り口近くには二人の人物がいた。一人は身長190cm以上はあるかと言うぐらい長身のシルフの青年。もう一人はリーファと同じぐらいの身長で、深紅の頭髪のサラマンダーの少女だ。

 

 が、彼等が攻撃したことにより、リーファに向かっていた守護騎士が方向を変えて二人に迫った。サラマンダーの少女はそれに反応すると、深紅の剣を抜き放って一気に二体の守護騎士を切り裂いた。

 

「ひゅう。さすが」

 

「ふざけてないで加勢しに行くよ! ほら、さっさと槍回収して!」

 

「あいあい」

 

 シルフの青年は碧の長槍を回収すると、少女と共にアウスト達の下へ飛んで行こうとした。

 

「ちょ、ちょっと待って! 貴方たちはアウストくんの友達なの?」

 

 思わずリーファは彼女らを呼びとめてしまった。すると、サラマンダーの少女は振り返り、こくんと頷く。

 

「うん。私とこっちのノッポはアウストの友達だよ。世界樹を攻略するって言われたから手伝いに来たんだ」

 

「まったく、話が急すぎわなー。急に言うんやもん」

 

 二人はヤレヤレと言った風に肩を竦めたが、そこへアウストの声が飛んできた。

 

「ヨミ! さっさとこっち来て手伝え!! それとマシュー、お前は下でリーファ達を守ってろ!」

 

 守護騎士を三体ほど同時に叩き潰しながら言う彼に対し、ヨミと呼ばれた少女は「はいはい」と従い、マシューという青年は「しゃーないなー」などと言いながらレコンに向かってきていた守護騎士を叩き潰した。

 

 マシューはリーファとレコンの前に浮かぶと、巧みな槍捌きで連続してやってくる守護騎士の装甲の弱いところを突き刺し、撃破していく。

 

「リーファ言うたな。とりあえず、わいがお二人さんのことは守るんで、もうちょいがんばってくれや。そのうちまた手助けが来るやろうし」

 

 向かってきていた最後の一体の頭に槍を叩き込んだマシューの言葉に、リーファは小首をかしげる。手助けが来るというのは、まだアウストの友人が来てくれるのだろうか。

 

「それってどういう……」

 

 リーファは問おうとしたが、レコンが上を見上げて「うぁ……」と恐怖にも似た声を上げたことに反応し、天蓋を見上げた。

 

 瞬間、彼女は自分の足から力が抜けそうになってしまいそうになった。

 

 天蓋近くには壁があった。いや、正確に言うならば守護騎士達で構成された肉の壁か。とにかくとんでもない数の守護騎士達がひしめき合っていたのだ。ツバキやアウスト、キリト、ヨミがどれだけ必死で戦っても、凹んだ肉の壁は再び騎士達が寄り集まって修復される。

 

「こりゃあ、さすがにキツイな」

 

 こちらを守るために立ちはだかっているマシューも、上空の様子を見て苦笑いを浮かべている。

 

「……無理だよ、お兄ちゃん。こんな……こんなの……」

 

 リーファの苦しげな声が漏らされる先では、戦線に加わったヨミや、アウスト、ツバキ、キリトが闘い続けていた。




はい、お疲れ様です。

今回は世界樹に突入したところで終わりですね。
まぁ、前回と比べれば短かったですねw
マシューとヨミ参戦!

ツバキさん、あんたやっぱりこの世界に生まれてくるべきじゃなかったね……
ヒースクリフさんだって涙目だよ。

次回は攻略していよいよ来るか!?ゲ須郷さん!!

殺ってやるぜえええええええええ!!!!

では、感想などあればよろしくお願いします。


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第二十話

今回は二話続きです。
一気に投稿する長くなりすぎるので分けました。


「あーッ、クソ!! キリがねぇ!!」

 

「数の暴力ってのはこういうのを言うんだろうね。さすがにSAOでもこんなに理不尽なことはなかったけど!」

 

 アウストとヨミはそれぞれ向かってきた騎士を切断していくが、圧倒的な数の差の前には微々たる物だった。それはキリトも感じ取っているようで、三人は展開する騎士達を前に歯噛みする。

 

 ツバキはと言うと、未だに騎士達の壁を抉りながら進んでいるが、抉ったそばから修復していくのでキリがない。

 

 彼女もそれはわかっているようで、一旦壁から離れ、アウスト達の下へ戻ってきた。あれだけ前線で戦っていたというのに、彼女のHPには少しの減少も見られず、開始時のままとなっている。

 

 四人は並んで目の前で犇めき合っている騎士の壁を見る。時折突っ込んでくる騎士は簡単に落とせるのでさほど問題ではないが、問題なのはこの壁だ。

 

「姉貴。騎士と戦ってどう思った?」

 

「一体一体の力は確かに貧弱で取るに足らないが……とにかく数が多いな。しかし、突破できないかといわれればそうでもない。これだけいたとしても、全てを倒す必要はない。言ってしまえばお前達二人を天蓋にまで届かせればそれでいい。だから狙うとすれば、中心を抉り続ける一点突破だ」

 

「だそうだ。どうする、キリト」

 

「……究極的に言えばツバキさんの言うとおりだ。だから一点突破は最善の策だと思う」

 

「だよなぁ。俺もそうしたいのは山々だが、ぶっちゃけ姉貴。この面子で一点突破できるか?」

 

 アウストの問いに対し、ツバキは迫ってきた十体の騎士を一気に両断してから答える。

 

「可能性で言えば0ではない。全員でやれば、キリト一人ぐらいの穴ならばあけられる。しかし、二人となると、確実性に欠ける。私があと四人いれば殲滅することも出来るがな」

 

 ハッハッハと笑うツバキは再び襲ってきた十数体の騎士を細切れにした。それに対し、ヨミがなんともいえない表情を浮かべる。

 

「アンタのお姉さんって一体……」

 

「まぁ一応人間。時々バケモン」

 

「弟よ。死にたいか?」

 

「さーせん」

 

 ギロリと鋭い眼光が飛んできたため、アウストは素直に謝っておく。が、今はふざけている時ではない。

 

「より確実性を増すためには、俺がここに残ってキリトを全力でサポートするか、あと数人のプレイヤーが必要――ッ!」

 

 不意にドーム全体に呪詛のような声が反響した。反射的に全員がそちらを見ると、四人を囲むように展開した騎士たちがスペルを唱えていた。

 

 あの攻撃スペルは、光の矢を放ち、一定時間相手をスタンさせるもので、最初ここに挑んだキリトが喰らったものだ。

 

「ちょっとこれはヤバげな雰囲気なんだけど」

 

「ああ、わかってる」

 

 あの矢を喰らえば、ツバキと言えどシステム的に強制的にスタンさせられてしまう。場合によっては、四人がくらって一気に壊滅もありうる。

 

 避けるべきか、詠唱を途中で終わらせるべきか、二つに一つだ。

 

「届くかわからんが、行ってみる価値はある。私が止めてやる」

 

「待て姉貴。ここでアンタを失うわけには行かない。ここは全員で避けることに徹するしか――」

 

 そこまで言った時だった。

 

 眼下から大勢の人間の咆哮が聞こえた。

 

 四人が弾かれるようにそちらを確認すると、密集隊形を形成した大隊がリーファ達の横を駆け抜けていた。新緑色の装備からしてシルフ族の戦士隊であることには間違いなさそうだ。数にして五十はくだらないだろう。

 

 さらに彼等の装備は一見してどれもエンシェントウエポン級の煌びやかなものだ。ようは、シルフ族の最高戦力なのだろう。

 

 彼等の大気を振るわせる雄叫びに、スペルの詠唱をしていた騎士たちはそれを中断し、再移動を開始した。

 

「シルフの戦士隊か。ってことは、サクヤ達が来てくれたってわけだ」

 

「ああ。しかもそれだけじゃなさそうだぞ」

 

 キリトが言うと、再び大きな咆哮がドーム内に響き渡った。それに混じり、人間のものではない、巨獣の咆哮もだ。

 

 突入してきたのはシルフと比べると、数は少なかった。数にすれば十と言ったところだろう。しかし、彼等はその一騎一騎がただただ巨大だった。

 

「あれってケットシーの竜騎士隊!? うっそ、初めて見た!」

 

 ヨミが驚嘆するのも無理はない。彼等はケットシー族の最終戦力とされ、切り札として秘匿され、スクリーンショットすらも流出していない、それこそ幻の戦士たちなのだ。

 

 飛竜の外皮は強固なアーマープレートで保護され、尻尾の先にまでそれが至っている。

 

 竜騎士隊が入ってきた後、最後にドームへと入ってきたのは、シルフ族の領主サクヤと、ケットシー族の領主アリシャだった。彼女等はリーファとなにやら話しているようだ。

 

 やがてシルフ族の戦士大隊と、ケットシー族の竜騎士十騎はリーファ達と共にドームの中腹付近にやって来た。

 

 そして、アリシャのよく通る声がドームに響く。

 

「ドラグーン隊! ブレス攻撃用ーー意!!」

 

 十騎の竜騎士はリーファ達を囲むように円形に展開してホバリングする。飛竜は長い首をS字に曲げると、口から炎を僅かに零れさせる。

 

 続き、サクヤの凛とした仕草で朱色の扇子を掲げる。

 

「シルフ隊、エクストラアタック用意!!」

 

 サクヤの声にシルフの戦士達が剣を真っ直ぐに掲げる。すると、彼等の剣が翠の光を放ち始めた。

 

 彼等の行動を見た騎士達はアウスト達四人の脇から軍勢を垂れさせ、向かって行く。

 

 不気味な咆哮を上げる白の騎士達を最大限ひきつけたアリシャは、右手を前に突き出した。

 

「ファイアブレス、撃てーーーーーッ!!」

 

 直後、十騎の飛竜の口から溜めに溜めた紅蓮の劫火が迸り、火焔は奔り、シルフ隊と四人を囲むように守護騎士の群れに突き立つ。眩いオレンジの閃光が弾け、膨れ上がった火球が着弾と同時に炸裂。割れんばかりの轟音が空気を震わす。

 

 が、ブレスで焼き消された騎士達は再び補充され、今度はアウスト達四人と、シルフ隊目掛けて殺到してきた。どうやら最前線にいる四人を潰す気らしい。

 

「早速きやがったな!」

 

「待って、アウスト! まだシルフの攻撃が残ってる!」

 

 大剣を構えるアウストにヨミが告げると、サクヤが下方で叫んだ。

 

「フェンリルストームッ、放て!!」

 

 声に続いて新緑色の光を放っていたシルフの剣が一際強く発光し、次の瞬間には剣から雷光が迸った。爆音こそせずとも、グリーンの雷光はジグザグに空中を駆け、そのアギトを持って守護騎士達を屠っていく。

 

 立て続けに大隊を消滅させられた守護騎士達の壁ははっきりと窪んでいた。しかし、液体が元に戻るようにその凹みを修復していく。

 

 が、アウスト達もその好機を逃すほど馬鹿ではない。

 

「行くぞッ!!!」

 

 叫んだのはアウストだった。彼に続き、キリト、ツバキ、ヨミが突き進む。

 

 彼等に呼応するように、サクヤの声が再びドーム全体を揺らす。

 

「総員、突撃!!」

 

 

 

 それは恐らくこの世界で行われた戦闘のなによりも激しかった。

 

 後方からは断続的に飛竜の火球が放たれ、生み出される守護騎士達を次々に撃ち落していく。続き、シルフ隊は一つの巨大な弾頭のように密集し、迫ってくる騎士達を長剣で次々に屠っていく。

 

 彼等の先頭で激戦を繰り広げるのは、一人のインプと二人のスプリガン、そして一人のサラマンダーだった。インプの青年は豪快な一撃で多数の騎士達を一気になぎ倒し、スプリガンの女性と少年は、神速とも取れる速さで剣を振るう。サラマンダーの少女は烈火の如き荒々しさを持たせつつも、繊細な動きを組み合わせながら迫る守護騎士をなぎ倒す。

 

 彼等の背後からは、長槍を携えたマシューとリーファが合流するためにシルフの間隙を縫って飛んでいた。そしてキリト達の背中を捉えると、彼らの背後から迫っていた守護騎士を二人が同時に倒した。

 

 その様子にチラリと振り返ったキリトが告げる。

 

「スグ――後ろを頼む!」

 

「うん!!」

 

 視線で答えたリーファはキリトとピタリと背中をくっ付け、迫り来る守護騎士達を叩き落していく。

 

 それを見たアウストも、ヨミとマシューに告げる。

 

「ヨミ、マシュー。久々に三人でやるぞ!」

 

「おっけい!」

 

「おうさ!」

 

 二人は答え、アウスト達は三人で見事な連携を見せる。マシューが突き、ヨミが薙ぎ、アウストが叩き斬る。息のあった一切の無駄がないコンビネーションを前に、守護騎士達はなすすべなく散っていく。

 

 彼等の様子を見たツバキは、弟が仲間達と戦う姿を見て満足げな笑みを浮かべる。

 

「……良い仲間を持ったな。葵」

 

 ツバキ/椿は、アウスト/葵がまだ幼いときに腕を負傷したのを知っている。アレはまだ赤ん坊だった一番下の弟、柊が倒れてきた箪笥の下敷きになりそうなのを彼が助けたときだった。

 

 運よく柊は難を逃れたものの、葵が身代わりとなり、圧迫によって利き腕である右肩を負傷し、神経を傷つけた。その結果、彼は大好きだった剣術から離れてしまった。

 

 それからの彼は見るに耐えなかった。表面上は明るく取り繕っていたが、椿にはわかっていた。本当は誰よりも孤独で、誰よりも苦しんでいたことを。

 

 が、今の彼はあの時の彼ではない。大切な仲間を得、救いたいと思う仲間もいる。かつてとは比べものにならないほど明るい顔をしている弟がそこにはいた。

 

「ならば……」

 

 ツバキは向かってきた守護騎士を打ち倒し、刀を納刀して抜刀術の姿勢を取る。

 

 そして彼女は目にも止まらぬ速さで剣を抜いて、そのまま振り抜いた。

 

 その速さたるや人間を越え、神をも越える。まさしく奇跡の速さだった。一刀にしてなぎ倒した数は二十はくだらない。

 

「……その弟の道を阻むものを倒すのは、姉である私の役目だ」

 

 必然的に最前列に立ったツバキは、今までの人生で最大級の咆哮を轟かせた。雷鳴すらも凌駕するような雄叫びは、その場にいた全員の肌を震わせ、不思議と守護騎士達の動きすらも鈍らせているようだった。

 

「キリト、アウストッ!! ここから先の戦闘は私が受け持つ。お前達は私の後ろに控え、突撃の瞬間を待て!!」

 

「任せていいんだな!」

 

「当然だ。私を誰だと思っている」

 

「上等ッ!! いいな、キリト!!」

 

「ああ!」

 

 二人がツバキの声に返答すると、彼女はさらに続ける。

 

「シルフとケットシーの戦士達よ。貴殿たちの協力に感謝する。そして今一度貴殿らの力を借りたい。全ての攻撃を私の前に集中してくれッ! 必ずや道を切り開く!!」

 

 鼓舞するような声に、シルフの戦士隊とケットシーの竜騎士隊からはそれぞれ返答と取れる咆哮が上がった。続き、両種族の領主から指令が飛ぶ。

 

「竜騎士隊、ツバキちゃんの先に向けてファイアブレス用意!!」

 

「シルフ隊、今一度エクストラアタック用意! 今度は一点に集中させろ!!」

 

 領主の声に従い、飛竜は再び口内にブレスを溜め、シルフ隊の長剣には再び新緑色の光が灯る。

 

 守護騎士達は壁の一部を垂れ下がらせ、最前線にいるツバキ達に殺到する。が、彼等の前にサラマンダーの少女とシルフの青年が立ちはだかる。

 

「ここから先は――」

 

「行かせないッ!!」

 

 マシューとヨミはそれぞれ守護騎士を引き受け、圧巻の戦闘を繰り広げる。そしてツバキ、アウスト、キリトの背後にいたリーファは、自身が持っていた新緑色の鞘に納まっていた刀をツバキに向かって投げる。

 

「ツバキさん!!」

 

 投げられた刀をツバキは受け取ると、一度頷き、鞘から抜き放つ。彼女の手には二振りの刀が煌めいた。

 

 その瞬間、ずるりと音を立てるように守護騎士の壁の中心が盛り上った。

 

「今だ、撃てぇッ!!」

 

「ファイアブレス、撃てーー!!」

 

 ツバキの声に答え、アリシャが指令を出すと、飛竜たちの口から炎熱が迸り、業火に燃える火球が撃ち放たれた。火球は盛り上がりかけた騎士の壁に直撃し、爆炎を撒き散らす。

 

「続けてフェンリルストーム、放てッ!!!!」

 

 今だ爆炎が止まない中、碧の雷光が空中を駆け抜ける。ほぼ同時にツバキは、アウストとキリトをつれて飛んだ。

 

 雷光が着弾し、葬り去った守護騎士達が光の雨となって降り注ぐ中を、二刀を持ったツバキが駆け抜ける。

 

「ハアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 気合いの声を上げながら窪んだ壁の中を、剣を振りながらただひたすら突き進む。一撃一撃が必殺。剣帝と称されたツバキの剣は目の前に立ちふさがる圧倒的な数の騎士の壁を切り裂いていく。

 

 やがてツバキの剣は何重にも折り重なり、その剣閃は益々速さを増していく。まるで彼女自身が一本の剣になるような圧倒的な剣技。

 

 そしてついに守護騎士の間隙の隙間に、天蓋が見えた。

 

「そこを、どけえええええええええええッ!!!!」

 

 絶叫と共に彼女は二振りの刀をクロスするように振り抜いた。瞬間、天蓋の姿が露になる。

 

「行け、アウスト、キリトッ!!」

 

 ツバキの声に、二人は視線だけで意思疎通すると、大剣を前に突き出し、吼える。

 

「「ウオオオオオオオオオオオッ!!!!」」

 

 咆哮と共に突き進む二人の前には、空いた穴を修復するために守護騎士が集まり始めるが、遅い。

 

 集まりかけた守護騎士達を散らしながら二人は天蓋へとたどり着いた。

 

 ……言って来い。葵。

 

 心の中で弟の無事を祈りながら、彼女は撤退を始めるシルフ隊とケットシーの竜騎士隊、リーファ、レコン、ヨミマシューと共にドームの中から脱した。

 

 

 

 

 

 

 姉貴によって文字通り斬り開かれた道を駆け抜け、俺とキリトはついにドームの天蓋へとたどり着いた。背後では、防衛網を突破されたことで怨嗟の声をあげる守護騎士達が、未だに追いすがろうとしている。

 

 しかし、こちらの方が圧倒的に速くたどり着く。が、

 

「開かない……!?」

 

 キリトが愕然とした声を上げた。が、それは純然たる事実だった。目の前で四分割されて十字を描くように閉ざされた天蓋は、決してその口を開こうとしなかった。

 

 普通ならばこの距離まで来たら開いてもおかしくない筈だ。けれども、天蓋は開かない。仕方なく俺とキリトは減速せずに天蓋に剣を突き立てるように突貫した。

 

 けれど、返ってきたのは固い衝撃と火花だけだった。

 

「まさか、ここまで来てこんなのありかよッ!」

 

 俺はガンガンと天蓋に大剣を突き立てるが、天蓋はびくともしない。

 

「ユイ、どういうことだッ!?」

 

 キリトが問うと、胸ポケットから飛び出したユイが天蓋を塞ぐ石版に触れる。

 

「パパ、アウストさん」

 

 パッと振り向いた彼女は俺たちに対して早口で告げた。

 

「この扉はクエストフラグによって閉じられているのではありません。これは管理者権限によって閉ざされています!」

 

「ど、どういうことだッ!?」

 

「管理者権限……つまりはGMか!」

 

「はい。つまり、この扉はプレイヤーでは絶対に開けられないということです!」

 

「なっ……」

 

 キリトは絶句した。それも無理はないだろう。ここまでアレだけの人数の協力でたどり着いたのだ。いいや、そればかりではない。このグランド・クエスト自体が嘘だったということだ。ALOというゲームをプレイしている全員に対してのブラフ。

 

 なんという仕打ちだろうか。これだけ難易度を上げておいて、最後にこんな予期しないことが起きるなど誰が想像できるだろう。

 

 ……これも全部あの野郎の仕業ってわけかよ。

 

 俺の脳裏には、病院で出会った須郷伸之のいけすかない顔があった。彼がもしこの世界を取り仕切っているのだとすれば、この扉が開かないというのも頷ける。

 

「ふざけやがって……」

 

 再び剣を突き立てようとするが、そこでキリトが「待て、アウスト!」と俺を呼び止めた。

 

 大剣をしまい、彼を見ると、彼の手には何かにアクセスするための、カードキーのようなものが見えた。

 

「それってたしか、リーファが言ってたやつか」

 

「ああ。アスナが落としてくれたカードキーだ。ユイ、確かこれはアクセスコードだって言ってたよな。これを使え!」

 

 ユイは一瞬目を丸くしたが、すぐに頷きカードに触れる。カードから発せられた光がユイの中に流れ込んでいく。

 

「コード、転写します!」

 

 一声叫んだ彼女は両手でカードキーを叩いた。続き、青い光のラインが奔ったかと思うと、今度は天蓋を閉じていた石版全体が眩い光を放ち始めた。

 

「転送されます! 二人とも、掴まってください!」

 

 差し出されたユイの手に振れると、ユイの体を包んでいた白い光が今度は俺たちの体も包み込んだ。背後からは守護騎士の不気味な声が聞こえ、やがてその声が寄り一層近くに感じた時、俺の体が透け始めた。

 

 そして突き刺されるかと思った守護騎士の剣は俺の体を透過し、意味なく空をつついた。やがてスクリーン全体が白く染まり、俺は前方に引っ張られる感覚を味わった。俺たちはデータの奔流となってゲートの中に突入したのだ。

 

 

 

 

 視界のホワイトアウトは一瞬のことだった。

 

 何度か瞬きをしてから頭を振る。見ると、隣にはキリトがおり、俺たちの前には心配そうにこちらを覗き込むユイの姿もある。が、先ほどまでの小妖精の姿ではなく、本来の十歳くらいの少女の姿だ。

 

「大丈夫ですか、二人とも?」

 

「なんとかな」

 

「こっちもだ。つか、ここどこだ? えらくALOとは雰囲気の違う場所だけど」

 

 見回すと、そこはオフホワイトで統一された空間だった。しかし、ALOのようにテクスチャが張られているわけでもなく、ディテールもさほどない。のっぺりとした感じ場所だった。

 

 また、大きく円を描いているようで、通路全体が湾曲していることも見て取れた。

 

 最初は別のALOではない別の何処かに転移させられたのかと思ったが、身に着けている装備品から見るにそうではなさそうだ。と言うことは、ここが世界樹の上なのだろうか。

 

「ここで突っ立っててもしゃーない。さっさとアスナを捜そうぜ」

 

「そうだな。ユイ、アスナの居場所はわかるか?」

 

 キリトの問いにユイは一度目を閉じると、上を指差した。

 

「すごく近いです。この上のほうに反応があります。こっちです」

 

 ユイに導かれるままに俺とキリトは走り出す。十秒ほど行くと、ユイが止まり、壁のほうを指差していた。

 

「これで上の階へ行けるようです」

 

 彼女が指差す方には上下に二つ並んだ三角形のボタンだった。

 

「なぁ、キリトよ。これってあれだよな?」

 

「ああ。エレベータだろうな。けどなんでこんなところに……」

 

 キリトは考えこみながらも、ボタンを押す。すぐに聞きなれたようなポーンという音が聞こえ、扉が開く。俺たちは中に入ると、ドア横を確認した。案の定、そこには二つのボタンが存在していた。

 

 この階を含めて三つあるボタンの一つに光が灯っているので、残り二つだが、とりあえず俺は最上階を押してみた。

 

 再びの効果音。そして扉が閉まり、現実世界でも味わう上昇感覚が襲ってきた。やはりこれはエレベータのようだ。

 

 エレベータはすぐに止まり、再び扉が開かれた。扉の外は先ほどの階と同じようなつくりだった。

 

「階はここでいいか?」

 

「はい。こっちの方にママの反応があります」

 

 ユイはキリトの手を引いてエレベータから出る。

 

「こっちです。すごく、すごく近いです」

 

 彼女は少しだけ声を高くすると、キリトの手を引いて走り出した。それに俺も付いて行く。アスナの存在を近くに感じているからなのか、彼女の表情は期待と嬉しさの色が見えた。

 

 扉らしき物を無視してしばらく走ると、唐突にユイが止まり、何もない壁に手を当てた。

 

「この向こう側に通路があります……」

 

 彼女はオフホワイトの壁を撫でる。すると、手が止まり、先ほどの同じような青いライン奔った。やがて壁は太いラインで区切られ、小さな音と共に壁が消失した。

 

 その先にはこの通路と似たような無簡素な造りの通路が延びている。瞬間、ユイはもう我慢できないと言った様子で、キリトの手を引きながら大またで走りはじめた。

 

 俺も二人を追うと、やがて行く手に四角いドアが現れた。ユイは止まることもせずに、ドアを開け放つ。

 

 途端、俺の目に入ってきたのは、オレンジ色に染まり、傾きつつある太陽だった。

 

 太陽の位置がややおかしく感じるのは、この場所がかなり高度な場所にあるからだろう。足元を見ると、そこには世界樹の物と思われる太い枝があった。

 

 今一度太陽を見ると、そこにあったのは太陽だけではなく、多くの枝葉も伸びていた。生い茂る枝とそれらについている葉は深い翠色だったり、新緑色であったり様々だ。

 

 が、俺はそれに対し溜息をついた。

 

「空中都市はなし、か。まぁ薄々感じてはいたけどな」

 

 ALOのゲームストーリーの中には、世界樹の上にはオベイロンとアルフが住まう空中都市があるとされていた。しかし、今自分達の目の前に広がっているのは、世界樹の枝葉ばかり。

 

 ようはアルフも空中都市も全てブラフだったというわけだ。まぁあのような攻略不可能のグランド・クエストを準備する辺りからしても、大体察しは付いていた。

 

「全プレイヤーを騙してくれちゃってまぁ……」

 

「許されることじゃないな」

 

「ああ。ふざけたシナリオ書きやがる。なぁにが上位妖精だ」

 

 肩を竦め鼻で笑う。帰ったら帰ったで、皆にどういう風に説明したものだろうか。

 

 そんなことを考えていると、キリトの手をユイが引っ張るのが見えた。どうやら、今すぐにでもアスナに会いたいらしい。

 

 まぁ無理もないだろう。

 

 俺は彼等について行き、世界樹の枝に設けられた階段を上ったり下がったりして前に進んだ。しばらく行くと、前方になにか光輝くものが見えた。が、宝石の類の光ではない。もっと、金属質な何かだ。

 

 キリトとユイの後を追いながら進んで行くと、ようやくその光の正体が明らかになった。

 

 太陽の光を反射して輝いていたのは、黄金の格子で囲われた巨大な鳥かごだった。明らかに鳥類や猛禽類を入れておくものではない。格子の狭さからして、あれは人間を閉じ込めておくのに相当するもののようだ。

 

 確かエギルに見せてもらった、五人のプレイヤーが肩車をして撮ったスクリーンショットの中にもあのような鳥かごが写っており、そこにアスナも写っていたのだ。と言うことは、アレは……。

 

「あの中にアスナが……」

 

「だろうな。ホレ、もうユイが待ちきれなさそうだぞ」

 

 言ってやると、キリトは再び枝の上を歩き始めた。

 

 そのまま進むと、太かった枝は徐々に短くなっていき、鳥かごのあたりで途切れていた。

 

 もうここまで来ると、鳥かごの中がはっきりと見えた。

 

 鳥かごの中には、人間が扱えるサイズの調度品が見えた。天蓋つきのベッドに、大理石を思わせる小テーブル。そしてその脇には彫刻が施された椅子がある。

 

 その椅子に彼女は座っていた。長い栗色の髪は忘れようもない。顔は確認できないが、アレは確実にアスナだ。

 

 すると、アスナは立ち上がり、こちらを見た。いいや、正確にはキリトを見たの方が正しいか。今の彼女には恐らくキリトとユイしか目に入っていないことだろう。

 

 彼女は口元を両手で押さえて洩れ出そうになる嗚咽を抑えているようだった。が、はしばみ色の瞳からあふれ出る涙は、抑え切れないようであった。

 

「ホラ、行ってやんな」

 

 未だに立ち尽くしているキリトに対し、俺は軽く背中を小突いた。彼はそれに頷いてから、ユイと共に鳥かごを閉ざしている格子が密になった扉の前に立った。

 

 ユイはが扉の前で右手を上げると、その手に青い光があつまる。そして彼女が手を右に振ると、扉が吹き飛んだ。すぐに扉は光の粒子となって消え去る。

 

 瞬間、ユイはキリトの手を離して両手をいっぱいに広げて叫ぶ。

 

「ママ……!!」

 

 そして彼女はそのまま鳥かごの中に飛び込む。

 

 アスナも椅子を倒す勢いで立ち上がると、自身に飛び込んでくるユイを見て声を震わせながらも答えた。

 

「――ユイちゃん!!」

 

 二人は抱き合い、互いの感触を確かめるように頬をすり合わせた。

 

 その様子は現実世界でもよくドラマや映画で見る感動の親子の再会というやつそのものだった。

 

 キリトもゆっくりではあるがアスナに近づくと、アスナもユイと抱擁したまま彼の姿を見た。一見して今のキリトはSAO時代の彼とはまったく違う容貌をしている。逆立った黒髪も、浅黒い肌も、あの時の彼のものではない。

 

 しかし、アスナにはキリトだとわかるはずだ。愛した男の声を、彼女が忘れるはずがない。

 

「キリトくん……」

 

「……アスナ」

 

 二人が互いの名を呼ぶと、キリトは残っていた距離を詰めて、ユイと共にアスナの体を包み込んだ。

 

 ようやく、二人は再会できたのだ。SAOで結婚し、幸せな生活をしていた少年少女は今、再び互いの存在を確かめることができたのだ。

 

「おめでとさん」

 

 俺は壊された鳥かごの扉があった格子に寄りかかりながら、抱き合う二人を見守った。




はい、お疲れ様です
このまま二十一話に進みますのでどうぞ。

いよいよALO編完結です。


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第二十一話

 やがて三人は抱擁を終えて、アスナは俺を見てきた。

 

「えっと、アウストさん。ですよね?」

 

「お、よくわかったな。外見はSAOの時とそれなりに変わってると思ってたんだが」

 

「そうでもないですよ。色はSAOの時と同じですし、それになんていうか、雰囲気がそのまんまなので」

 

「さすが、元KoBの副団長はよく見てんな」

 

 肩を竦めた後、手をつないだままの三人に歩み寄る。

 

「で、アスナをログアウトさせる方法はわかったのか?」

 

「いや、ユイが言うにはアスナのステータスは拘束されてて、ここから直のログアウトは無理らしいんだ。システムにアクセスできるコンソールがあればいいらしんだけど。それがあるのは……」

 

「あの真っ白な場所ってわけか。じゃあさっさと行こうぜ。鬼のいぬまになんとやらだ。速くしねぇと、あの陰険そうな研究員が来るぞ」

 

 陰険そうな研究員という言葉に、キリトは怪訝そうな顔を浮かべ、アスナは驚いた風な表情をしていた。

 

「アウストさん、まさか私をここに閉じ込めているのが須郷だってわかって?」

 

「え、須郷!?」

 

「まぁ、大体予想は付くだろう。キリトからあの野郎がアスナと結婚するって聞いた時点でなんとなく予想は付いたし、ALOをレクト・プログレスが運営しているってのがさらに可能性を引き上げた。それに三百人のSAO未帰還者もアイツのせいなんじゃないかなーって思ってる」

 

「……正解です。アウストさん。須郷はここで恐ろしい実験をしています。でも、詳しいことは現実世界に戻ったら話します」

 

 アスナに言われ、俺たちは鳥かごから出ようとした。が、吹き飛ばされた扉をくぐろうとした時。

 

 俺は首元にひり付くような感覚を覚えた。同時に、ねっとりとした絡みつくような視線も感じた。

 

 反射的に俺は振り向く。キリトも俺と同じ感覚を味わったようで、ほぼ同時に振り返った。

 

 が、その瞬間。鳥かごが水没した。まるで粘液のような何かに包み込まれるような感じだ。

 

 けれども呼吸は出来る。先ほどの感覚は空気全体が重くなったのだ。しかし、粘液に纏わり疲れているような感覚は同じで、身体を動かそうにも上手く動けない。

 

 さらに先ほどまで輝いていた夕日も遠ざかっていき、深い闇が押し寄せた。

 

「な、なに――!?」

 

 アスナの声が不可思議に反響する。これもこの感覚の影響なのだろうか。

 

 やがて世界は完全に闇に包まる。だが、俺やアスナ、キリト、ユイの体だけははっきりと視覚化されている。

 

 明らかに異常な光景に、眉間に皺を寄せて周囲を見ると、夕日の姿は何処にもなく、バックグラウンドは全て黒で塗りつぶされている。

 

「きゃあ!?」

 

 短い悲鳴が聞こえ、そちらを見るとアスナの腕に抱かれていたユイが身体を仰け反らせていた。

 

「パパ、ママ、アウストさん! ……気をつけて……なにか、よくないモノが……!」

 

 彼女がそう言った時、ユイの体を這い回るように紫電が奔り、一瞬強く光ったかと思うと、既にユイの体はアスナの腕の中から消失していた。

 

「ユイ!?」

 

「ユイちゃん――!?」

 

 二人が驚愕の声をあげたが、俺は重い体を動かし、大剣を引き抜いた。そして未だにこちらを見ている視線の主に対して告げる。

 

「感じるぞ、さっきからこっち見てほくそ笑んでやがるヤツ! ささと出てきやがれッ!!」

 

 怒声にも似た声を張りあげると、それに対して返ってきたのは、甲高い嘲笑であった。

 

「いやいや、ばれていたか。まぁそんなことはどうでもいいがね。ところでこの魔法はどうだい? 次のアップデートで導入される予定なんだがねぇ。ちょっと効果が強すぎるかな?」

 

 声だけしか聞こえなかったが、この声には聞き覚えがある。アスナの病室で出会ったあの男の声だ。

 

「須郷ッ!!」

 

 片膝を着いたキリトが叫んだ。やはり彼も気が付いたようだ。

 

「チッチッ、この世界でその名はやめてくれよ。君等の王に向かって呼び捨てもいけない。ここでは妖精王オベイロン陛下と――そう呼べッ!!」

 

 最後のほうで声が跳ね上がり、視界の中で片膝を着いていたキリトがその場に倒れた。見ると、彼の頭に足を乗せている男がいる。

 

 緑交じりの金の頭髪。その下には作り物の端整な顔。緑の長衣を纏い、キリトを踏みつける足にはゴテゴテの刺繍が施された悪趣味なブーツ。そして頭には王を思わせる王冠もつけている。

 

 姿は違えど、わかっていた。今目の前でキリトを踏みつけているこの男は、あの須郷伸之だ。今すぐにも大剣で斬りかかりたいが、異常なまでに体が重い。

 

「オベイロン、いえ須郷! 貴方のやっていることは全て私が見たわ! 許されないわよ、あんな酷いこと……!!」

 

 体が重いだろうに頭を上げたアスナは気丈に言い放った。

 

「へぇ、誰が許さないのかな? 君かい、この彼かい、はたまたそこの彼かい? それとも神様だとでも言うのかな? 残念ながらこの世界に神はいないよ。この僕以外にはね」

 

 須郷は甲高い声で言うと、より一層強くキリトの頭を踏みつける。

 

「やめなさい、卑怯者!」

 

 が、ヤツはアスナの声に耳も貸さず、キリトの頭をグリグリと踏むと、キリトの背中の大剣を鞘から抜き取って軽々とまわし始めた。

 

「それにしても桐ヶ谷君、いいや、この場合はキリト君と言ったほうがいいかな。本当にこんなところまで来るとはね。勇敢と言うのか、愚鈍と言うのか、まぁ今僕の下でそんなことになってるんだから後者だろうけどね。ヒヒ。しかも、まさか君までこんなところに来ているとはねぇ、萩月葵君。いや、アウスト君」

 

 大仰に手を広げつつ、須郷は俺を見た。ぎょろりと動いた眼球に、俺はギリッと歯を噛み締める。

 

「いやいや驚いたよ。まさか君があの《クローバーガードナー》の御曹司だったとはねぇ。名前を聞いてまさかと思って調べてみたら、案の定だったよ。まぁどちらかと言うと君のお姉さんの方でピンと来たんだけどね」

 

「クローバーガードナーって……お父さんの会社の警備も担当してる……」

 

「そう、彼のお父上が経営している警備会社はレクトやレクト・プログレスの警備をしている会社さ」

 

 アスナの声に須郷は答え、俺は短く舌打ちをする。

 

 ヤツの言うとおり、俺の実家はただの剣術道場ではない。父親は一代で警備会社を設立してのし上り、いまや全国シェアを誇る警備会社を運営しているのだ。その中にはアスナの父親である結城彰三が社長を務めるレクトもある。

 

 因みに、親父はパーティなどに俺たちを出席させることはしたくないらしく、現実世界でアスナに会ったことはない。会ったことがあるのは病室でだけだ。

 

「まったく、そんな御曹司である君がこんな馬鹿なことをするとはねぇ。哀れで見ていられないよ。普通に生きていれば君も幸せだっただろうに」

 

「ハッ、見下してんじゃねぇぞクズ野郎。テメェ如き三下が俺のことを幸せとか不幸せとか言うんじゃねぇよ!」

 

 吼えると、須郷の額にピキリと血管が走ったのが見えた。瞬間、頭に衝撃がのしかかり、俺はその場に倒れた。

 

「やれやれ、少しは見込みもあるかと思ったが、所詮はガキか。あと、僕のことを三下だと? 君は状況が見えていないようだね。この世界では僕が神だ! 三下はお前の方なんだよ!!」

 

 グリッとヤツは俺の頭を踏んできた。しかし、俺は苦しいと思わせるような表情は見せない。ただヤツの顔面を睨みつけた。

 

「フン、その強気な眼光も何処まで続くかね。そういえば、君達以外にもう一つみょうなプログラムが動いていたが、アレはなんだい?」

 

「さてな。テメェのない頭で考えなボケナス」

 

「……まぁいい、あとでじっくり君達の頭を調べさせるさ」

 

「頭……?」

 

 キリトがはいつくばった姿勢で問うと、須郷は俺の頭においていた足を退けて、今度は先ほどのような瞬間移動ではなく、ゆっくりとした歩幅で歩き始める。

 

「まさか君は僕がこんなことを酔狂でやってると思っていないよねぇ?」

 

 大剣を指先だけでひょいひょいと扱いながら、須郷はニタリと笑って俺たちの中心に立つ。

 

「元SAOプレイヤーの皆さんの献身的な協力によって、思考・記憶操作技術の基礎研究は既に八割がた終了している。今まで誰もなしえなかった、人の魂の直接制御と言う神の業を僕はあと少しで我が物に出来るんだ! その上本日めでたく新たな実験体を二人も手に入れた! いやぁ楽しいだろうねぇ。君達の記憶を覗き感情を制御するのは!! 想像しただけでも身体が震える!!」

 

「そんなこと……できるわけが……!」

 

「出来るんだよ。この僕にはね! どうせ君達二人は性懲りもなくナーヴギアで接続しているんだろう? だったら今の君達は実験体さん達と同じ状況なんだよ!」

 

 嘲るような表情を浮かべ、俺とキリトの顔両方を見比べた須郷は本当に下品な顔をしていた。ポリゴンで形どられたあの端整な顔があそこまで醜く歪むものなのだろうか。

 

「やめなさい、須郷! その二人に手を出したら許さないわよ!!」

 

 須郷の発言に青い顔をしたアスナが叫ぶ。

 

「小鳥ちゃん、君のその憎悪が僕に対する服従に変わる日も近いよ」

 

 陶酔したような、恍惚としたような表情で笑った須郷は、大剣を撫でて仰々しく言い放つ。

 

「さぁ! 君達の魂を改ざんする前に、楽しいパーティーを開くとしよう! ああ、とうとう待ちに待った瞬間だ。最高のお客様に、思わぬゲストも入ったことだし限界まで我慢した甲斐があったというものだ!」

 

 高らかに宣言する須郷だが、そんな彼の姿を見て、俺は心の奥底から沸々と笑いがこみ上げてくるのを感じ、ついに高らかに爆笑してしまった。

 

 暗闇の中に響く俺の笑い声に、アスナ、キリトは不思議そうな表情を浮かべ、須郷はせっかくの宣言を台無しにされたことに不満げな顔をした。

 

「……なにがそんなに可笑しいのかな? アウスト君」

 

「ハハハハ! いやなにがって、ギャハハハハ!! もうお前の全部がおめでたくておめでたくて、これが笑わずにいられるか。須郷さんよぉ。アーッハッハッハッハ!!」

 

 腹がよじれるのではないかと言うほど爆笑し、体が重いにも関わらずその場を転げまわる。

 

「……」

 

「ひー、ひー……いやぁ笑った笑った。久々にこんなに笑わせてもらったわ。アンタお笑い芸人にでもなれるんじゃねぇの?」

 

 やっとおさまった笑いを抑えながら、目の前でこちらを睨みつけている須郷を見やる。その表情は自分が丹精込めて作った作品を小馬鹿にされているような表情であった。

 

「散々笑ってくれて、満足したかい?」

 

「いやいや、まだ満足なんてしないさ。けどまぁアンタ本当におめでたいよなぁ。その研究だって大方自分が一人で出来たとでも思ってんだろ?」

 

「だったらなんだ!! あの研究は僕がいなければ実現できなかった! 僕の成果だ。僕は神にも等しい男なんだ!!」

 

「だからそれがおめでたいってんだよクソボケが。僕一人で出来ただぁ? 寝言は寝て言えチンカス野郎。てめぇの言う研究なんざ、茅場晶彦がいなけりゃ机上の空論だろうがよぉ」

 

「なにぃ……!?」

 

 図星なのかは知らないが、須郷は顔を醜く歪める。そこへ俺は立て続けに言葉を浴びせていく。

 

「お前は茅場晶彦が実現した仮想世界を盗み、仮初の王になった。いいや、寧ろ泥棒の王って所か? まぁそんなことはどうでもいいや。でも結局のところお前は紛い物だ。人の技術を盗んで、さも自分が成し遂げたとでも言いたいんだろう? それに、聞いた話じゃ、アンタあの茅場晶彦と同じ大学出身らしいなぁ。しかも研究室まで同じと来た……。アンタ天才思考だもんなぁ。さぞかし悔しかったろう、自分よりも天才の茅場と比べられて」

 

「黙れ、ガキがぁ!!」

 

 どうやらトラウマを突いたらしい。須郷は背後にいるキリトやアスナに見向きもせずに黒い天を仰ぐ。

 

「システムコマンド! ペイン・アブソーバ、レベル8に設定」

 

 ヤツは告げた瞬間、俺の背中目掛けてふかぶかとキリトの大剣を突き刺した。

 

「ぐッ!?」

 

 途端、背中に鋭い痛みが走る。どうやら先ほどのペイン・アブソーバとやらは実際に痛みを具現させる設定のようだ。

 

「クハハ! 痛いだろう、アウスト君! けれどまだツマミ二つだよ。まぁこれからじわじわとレベルを下げて行ってやるよ。レベル3以下にすると現実に戻っても影響が出るかもしれないけどねぇ」

 

 須郷は甲高く叫びながら俺の脇腹の辺りを二、三度蹴りつける。

 

「ホラホラ、僕がなんだってぇ!? もう一度言ってみろよ!! 何の力もないガキがぁ!!」

 

「やめなさい、須郷!! 

 

 アスナがヤツの行いをとめるように叫ぶが、興奮状態のこの男はやめる様子はない。

 

「ハッ、所詮はそんなところだろう。どれだけでかく吼えても、所詮お前は神の前には抗えないんだよ。この馬鹿が!!」

 

 最後に一際強く俺の頭を踏みつけた後、ヤツはキリトとアスナの元へ歩み寄る。しかし、俺は突き刺された剣の痛みもおかまい無しに、上体をゆっくりと上げていく。

 

 ゲームだというのに体全体が軋むような音が聞こえる。

 

「待てよ三下ァ! まだ終わっちゃいねぇぞ」

 

 キリト達に歩み寄っている須郷をとめる頃には上体の半分近くが上がっていた。とは言っても、不可視の床に突き刺さっている剣のせいで完全に立ち上がることは出来ない。

 

「やれやれ、まだ痛い目を見たいのかい? まったく、僕はこれからお楽しみなんだから静かにしていろよッ!!」

 

 大剣を背中から引き抜いた後、再びヤツは吼える。

 

「システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベル5に!」

 

 また一気に下げてくれたものだと、内心で思っていると、背中に再び鋭い痛みが走りる。しかし、今度は先ほどの倍以上の痛みが、一気に三度も襲ってきた。

 

 しかし、俺は決して声は上げない。うめきもしない。

 

「そらそら、いい声で鳴いてみろよガキがぁ! さっきまでの威勢は何処にいったんだよ、えぇ!?」

 

 ザクザクと背中を指し続ける須郷は、耳障りな声を上げる。やがて剣による串刺しは終わったが、ヤツは足を大きく振りかぶった。

 

「フン、叫び声の一つも上げないなんて、つまらないな。もういい。君はそこで死にかけているのがお似合いさ!」

 

 そのまま須郷の足が俺の顔面に直撃し、痛みと共に俺は暗闇の壁に叩きつけられた。

 

「アウスト!」

 

「アウストさん!!」

 

 二人の悲痛な声が聞こえるが、答えることが出来ない。予想以上にさっきの痛みが強いようだ。

 

 ……クソが。好き勝手ブッ刺しやがって。さすがに、全身いてぇな。

 

 なんとか息をつき、霞む視界でアスナとキリトを見やる。

 

 アスナは須郷が使用したであろう魔法か、システム補助的な何かで鎖で磔にされており、キリトは先ほどの俺と同じように背中に大剣を突き刺されていた。

 

「ああ、甘い、甘い! ほら、もっと僕のためにないておくれよ!」

 

 須郷はアスナの薄いワンピースを引き裂き、その下の肌をあらわにした。

 

「須郷、貴様。貴様ァァァァァァァ!!」

 

 かつてないほどの怒りの声を発したキリト。

 

 しかし、彼の声は須郷に届かず、須郷は相変わらず汚い手でアスナの肌を撫でる。痛みで霞む視界でも、彼女が泣いているのはわかった。

 

「貴様……殺す!! 絶対に、絶対に殺す!!」

 

 吼えるキリトだが、ふかぶかと刺された剣が抜けるはずもなく、その場で必死にもがくだけだ。

 

 ……あぁそうだよなぁ。憎いよなぁキリト。俺だってそうだ。俺だってあのクズ野郎には激しくイラつかされてる。

 

 今すぐにでも動き出してあのいけ好かない男の顔面をタコ殴りにしたい気分だが、システム上ヤツの方が権限が上だ。例え動けたとしても、アスナのように磔にされるか、再び剣で刺されるだろう。

 

 ……クソが。やっぱりプレイヤーやシステム管理者には勝てないってことかよ。ふざけやがって。

 

 システム管理者、即ちはGMはオンラインゲームにおいて最高権力者だ。システム上、彼等を傷つけることは不可能。だから、自分達プレイヤーはGMの前には無様に負けるしかないのだ。

 

 ……いや、違う。そんなことはねぇ。あの時は、違っただろうが。

 

 脳裏によぎるのは、SAOでの最終決戦。ヒースクリフ、即ち茅場晶彦とキリトの一騎打ちだ。あの時、キリトとアスナはシステムを人の心で凌駕した。

 

 ……だったら、出来るだろう。俺にだって。

 

 ピクリと指が動く。

 

 ……俺は絶対に屈服しねぇ。どんなシステムの壁にだって抗って、抗って、凌駕してやる。

 

「……そうだよなぁ。茅場晶彦……」

 

 微かな声で呟いた時だった。脳内にかつて聞いたテノール調の声が響いた。

 

『ああ。そうだとも、アウスト君』

 

 ……人の心はシステムを凌駕する。あんたが教えてくれたことだ。

 

『そう。人の心には奇跡を起す力がある。君にもその力はある。だから、立つんだ』

 

『立ってその剣を取って、あの男に見せてやれ。君の力を』

 

 

 

 靄がかかっていた視界がその言葉で一気に晴れた。

 

 重く纏わりついていた空気を引き千切るように立ち上がり、視線の先で下劣な行動をとる男に歩み寄る。

 

「システムログイン。ID《ヒースクリフ》。パスワード……」

 

 ヤツに聞こえない声で呟きヤツのすぐ背後に立つ。

 

「ホラ、もっと泣いてくれよ! 僕のために――あッ?」

 

 再び須郷がアスナに触れようとしたところで、その手を掴む。

 

 マヌケな声を上げて俺を見やる須郷に、低く、脅すような声で告げる。

 

「そいつはテメェが触れていい女じゃねぇ」

 

 腕を引っ張り、須郷の体を反転させると、その下劣に歪んだ顔面に拳を叩き込む。

 

「ぶべッ!?」

 

 奇怪な悲鳴を上げて須郷は吹っ飛び、不可視の床を転げまわった。

 

 キリトとアスナは殴り飛ばされた須郷と、再び立ち上がった俺に対し、目を白黒させていた。が、俺は彼等には答えずに、青いシステムウインドウを呼び出している須郷は驚愕の声をあげる。

 

「な、なんだ貴様。なぜ動ける! アレだけの傷を負ってなぜ……。それにそのIDは一体!?」

 

「さてな。テメェで考えな三下。システムコマンド、スーパーバイザ権限変更。《オベイロン》のレベルを1に変更」

 

 言葉を発すると、須郷の手元に表示されていた青いシステムウインドウは消滅。驚愕し、再びウインドウを開こうと空中で力なく手を振る須郷だが、何度やってもウインドウは呼び出されない。

 

「そ、そんな。僕より高位のIDだと……? 僕は支配者……創造者だぞ……? この世界の帝王であり……神だ!」

 

「さっきも言っただろう。三下。お前は神じゃない、ましてや支配者でもない。お前はただの盗人だ。人の技術を盗んで優越感に浸っていた、愚者だ」

 

「こ、この野郎。言わせておけばベラベラと僕を侮辱しやがって!! その首を刎ねてやる!!」

 

 ふら付く足で立ち上がった須郷は暗闇の天井に向けて叫ぶ。

 

「システムコマンド!! オブジェクトID、《エクスキャリバー》をジェネレート!!」

 

 が、システムは答えない。妖精王オベイロンとして使っていた、システムという魔法の力はヤツの中にはもうないのだ。

 

「システムコマンド!! 言うことを聞け、このポンコツが! 神の命令を聞けないのか!」

 

 苛立ち、地団太を踏む様子に、俺は大きなため息をつく。

 

 一度アスナに目を向けると、彼女に向かって左腕を振る。パキンという金属が砕け散る音と共にアスナの体を縛っていた鎖が消えた。アスナの姿は、強引に引き千切られたワンピースだった布が微かに残っているだけで殆ど全裸に近かった。

 

 俺はシステムウインドウをではなく、自身のアイテムウインドウを呼び出し、長めのコートをオブジェクト化させて彼女に被せる。

 

 続いて、キリトを縛っている重力を解き、ペイン・アブソーバをレベル10に戻してから突き刺さっている剣を引き抜いた。

 

「お前等はそこで待ってろ。すぐに終わらせる。キリト、アイツは俺がやっていいか?」

 

「……ああ、構わない。頼んだ」

 

「おう」

 

 返答し、俺は未だに子供のように地団太を踏んでいる須郷に歩み寄ると、ヤツの眼前で宣言する。

 

「システムコマンド。オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート」

 

 告げると、俺の手の中に黄金に輝く剣が現れた。ヨツンヘイムを脱出する際、トンキーの背中で見たこの世界最強の剣だ。

 

 その最強の剣でさえも、管理者権限があればこのように何の苦労もなく呼び出せる。

 

「ほらよ。お前が欲しがってたエクスキャリバーだ。それで俺の首を刎ねるんだろ?」

 

 須郷に対して放った後、俺は自分が背負っている大剣の柄に手をかけ、いつもの調子で抜き放つ。

 

 放られたエクスキャリバーをたどたどしく受け取った様子を確認してから俺は続ける。

 

「システムコマンド、ペイン・アブソーバのレベルを0に」

 

 ペイン・アブソーバのレベルを0。それは痛みを無尽蔵に引き上げるということだ。つまり、ここで受けた痛みは現実のそれになる。

 

「ホラ、来いよ王様。決戦と行こうぜ。まぁ、茅場とそこのキリトとの決戦ほど白熱はしねぇだろうがな」

 

「また、茅場か……! なんなんだアンタは! あんたはもう死んだくせに、なんで僕の邪魔ばかりする!! アンタはいつもそうだ。僕からなにもかも攫って行く!」

 

 顔を押さえ、のた打ち回る須郷の顔は悔しさと怨嗟が入り混じっていた。

 

「クソ、クソクソクソクソクソォ!! 邪魔ばかりしやがって、アイツも、お前も!」

 

 黄金の剣の切先を俺に向ける須郷の顔には、冷や汗にも似た汗が浮かんでいた。

 

「お前みたいな、なんの力もない男にわかるっていうのか!? あの男と比べられる僕の苦しみが!!」

 

「テメェの苦しみなんざ知ったこっちゃねぇよ。テメェの問題を他人に押し付けやがって、それでも大人かお前」

 

 鼻で笑い、煽るように言ってやると、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、「貴様ぁぁぁぁぁ!!」と甲高い声を上げながら突っ込んできた。

 

 剣など持ったことがないであろう須郷の構えは姉貴が見たら「雑魚だ」と一蹴するだろう。無論、俺から見てもそんなことは一目瞭然だ。けれど、目の前にいるこいつは俺の大切な仲間を傷つけた。その行いは、決して許されるものではない。

 

 エクスキャリバーの剣筋は、俺の肩口を狙ったものだった。速さはない。余裕で避けられる速さだ。落ち着き払った状態で剣を避け、持っていた右手を斬りとばす。

 

 肩口から飛ばされた腕は、エクスキャリバーを持ったまま不可視の床に落下し、腕はガラスの破砕音を上げて消滅。エクスキャリバーは金属質な音を立てて転がった。

 

「アアアァァァァ!? 僕の腕があああああッ!」

 

 痛みと恐怖、二つの感情が入り混じった絶叫が暗闇に響く。しかし、どんなに恐怖や痛みの声を上げても、俺はこの男の所業を許しはしない。

 

 続けて左腕を斬り飛ばし、三撃目にはヤツの両足を同時に斬りおとした。

 

「アギアアアアアアアアア!?」

 

 絶叫しながら仰向けに倒れた須郷の首元に大剣の切先を突きつける。鈍く光る藍色の刀身は死神の鎌のようであった。

 

「痛いか? その痛みを忘れるな。だがな、三百人のSAOプレイヤーと、アスナが受けた痛みはこんなものじゃねぇ!!」

 

 語気を強めた俺は、須郷の髪の毛を引っ張り、持ち上げてからアイテムウインドウを開き、四本の剣を適当にオブジェクト化させる。途中でエクスキャリバーも拾うと、須郷の体を空中に放り投げる。

 

「これから与える痛みを、一生忘れるなッ!!」

 

 言うと同時に、大剣を振りかぶって空中を舞う須郷の腹部に突き刺す。大剣は勢いをそのままに、壁に突き刺さった。ちょうど先ほどの俺やキリトと同じような形になった。

 

「や、やめて……」

 

 微かな声が聞こえたが、そんなものは聞こえない。今俺の中にあるのは、ヤツに対する怒りのみだ。

 

 立て続けに二本の剣を同時に投げ、骨盤の辺りに突き立て、もう二本を鎖骨の辺りに叩き込む。そして最後の一本。

 

「ホラ、お前のお気に入りのエクスキャリバーだ。取っておきな」

 

 黄金の剣を振りかぶり、須郷の頭目掛けて投擲。回転しながら飛んでいった伝説の剣は、須郷の頭に深々と突き刺さる。

 

「ウギャアアアアアアアアアアッ!!」

 

 断末魔の叫び声を上げ、白い炎の中に飲み込まれていく須郷。

 

 やがてその声は遠ざかり、やつの姿は完全に消え去った。俺はエクスキャリバーを除く全ての剣を自分のアイテムウインドウの中に収納した。

 

 大剣は須郷が消え去ってからすぐに俺の背中に戻る。

 

 アレほど騒がしかった暗闇の空間にはオレと、キリト、アスナの微かな息遣いしか聞こえない。

 

 キリトとアスナは互いに体を寄せ合って、いとおしそうに抱き合っている。その様子に安堵しながらも、目の前で抱き合うアベックに咳払いをした。

 

「とりあえずお二人さん。もうそろそろログアウトしないか?」

 

「あ、あぁそうだな。じゃあ、アウスト。頼んだ」

 

「おうさ」

 

 キリトに言われ、俺はシステムインドウを呼び出し、アスナをログアウトさせるために、ログアウトボタンを押した。

 

 途端、彼女の体が光に包まれていく。

 

「アウストさん。助けてくれて、本当にありがとうございました。現実世界で会ったら、色々お話しましょうね」

 

「ああ。お前も勝手に歩き出さずに待ってろよ。お前の勇者の到着を」

 

「……はい」

 

 キリトのことを小突いて言った後、アスナの姿はこの世界から完全に消えた。これで彼女は現実世界に戻っただろう。キリトもウインドウを開いてログアウトしようとしていたが、そこで俺は彼を呼び止める。

 

「ちょい待ちキリト。お前はもう少し残ってくれ」

 

「? わかった」

 

 呼び止められたことに、キリトは怪訝な表情を浮かべたがすぐに頷いた。

 

「さて、いるんだろう。ヒースクリフ。いや、茅場晶彦」

 

 俺の声にキリトは驚いていたようだったが、すぐに彼も理解することになった。

 

『やぁ、久しいな。アウスト君、そしてキリト君。とはいっても、君達と最後に会った時は、私にとっては昨日のことのようだが』

 

 穏やかなテノール調の声が暗闇の中に響く。姿こそ見えないが、確かに彼は今この空間にいるのだ。

 

「生きていたのか?」

 

 キリトが問うた。沈黙は一瞬、すぐに返答がきた。

 

『そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。私は、茅場晶彦という存在のエコー。いわば残像だ』

 

「あいも変わらず難しい性格をしてやがる。つか、俺らのこと見てたんならもっと速く助けてくれよ。結構危なかったぜ」

 

『それは失礼した。が、やはり君はそういう男だな』

 

「ハッ、わかってることだろ? つか、聞きたんだけど、なんでキリトじゃなくて俺に管理者権限をのパスワードを教えたんだ?」

 

 茅場の性格ならば、最後は戦った相手であるキリトに力を与えると思っていたので、疑問であった。なぜ俺だったのかと。

 

『それは割りと単純なことだよ。システムに分散保存されたこのプログラムが結合・覚醒したのがついさっきでね。ちょうどその時、キリト君ではなく君の声が聞こえたというだけさ』

 

「なるほどね。ってか、アンタの性格からしてタダでこの力を使わせてくれたわけじゃないんだろ? 俺たちになにかさせたいんじゃないか?」

 

『相変わらず君は飲み込みが早いね。そう、我々の間には無償の善意はない。代償がある。だからこれを君達、いや、これはキリト君に預けるとしよう』

 

 声が途切れると、暗闇の中から銀色の何かが落下してきて、キリトの手の中におさまった。見ると、それは小さな卵型の結晶だった。中では光が瞬いている。

 

「これは?」

 

『それは世界の種子だ」

 

「世界の?」

 

『ああ。芽吹けばそれがなんであるかがわかる。その後は好きにしたまえ。全てを忘れて消去するもよし……しかし、もし君達があの世界に……いや、これは不要な言葉だな』

 

 微妙に笑いが混じったような言葉の後にそっけない言葉が降って来た。

 

『では私は行くよ。いつかまた会おう、二人とも』

 

 そう言った後、今まで感じていた彼の気配は完全に消えうせてしまった。本当にどこかに行ってしまったらしい。

 

 俺とキリトは同時に首をひねり、世界の種子と言われた結晶を見やる。

 

「まぁとりあえずそれはお前が持っててくれ。あ、そうだ! ユイは大丈夫なのか!?」

 

「そうだ! ユイ、いるか!?」

 

 ハッとしたキリトは渡された結晶を胸ポケットに落とし込んだ後、彼女の名を呼んだ。

 

 瞬間、暗闇が支配していた世界にオレンジの光が差し込み、風と共に闇を吹き飛ばしていく。やがて完全に闇がなくなったとき、俺たちが立っていたのは例の鳥かごだった。

 

 が、まだユイの姿は見えない。

 

「ユイ?」

 

 一度キリトが彼女の名を呼ぶと、彼の眼前の空間に光が集束し、ポンとユイが現れた。

 

「パパ!!」

 

 どうやら彼女は無事なようだった。キリトの胸に飛び込んだ様子を見て、俺はホッと安堵する。

 

 彼女の話では、あの時アドレスをロックされそうになったため、キリトのナーヴギアのローカルメモリーに避難していたらしい。

 

「それで、もう一度入ってみたらパパとママもアウストさんもいなくなっていて……。あ、ママは!?」

 

「アスナなら平気だ。さっきアウストが現実世界に帰してくれた」

 

「そうですか。よかった……。アウストさん、ありがとうございます」

 

「礼はいいさ。それよりもキリト、早く行ってやれよ。お姫様が待ちわびてるぜ?」

 

「ああ。……ユイ、またすぐに戻ってくるからな。でも、この世界はどうなるんだ……?」

 

 キリトが不安げに呟くと、ユイはニコリと笑った。

 

「私のコアプログラムはパパのナーヴギアにあるので、いつでも会えますよ。あれ、でもへんですね……」

 

「どうした?」

 

「いえ、パパのナーヴギアのストレージに何か大きなファイルが転送されています。アクティブなものではなさそうですが……」

 

「ふぅん……」

 

「んなことよりもさっさと行けよ。アスナが待ちくたびれちまうぞ」

 

 二回目となる忠告に、キリトは慌てながらもユイと別れを済ませ、ログアウトした。彼のログアウト同時にユイもいなくなり、残された俺は大きなため息をついて夕焼けに染まる空を見る。

 

「さて、あっちはあっちで姉貴が何とかしてくれるかな」

 

 言いつつ、ウインドウを呼び出してログアウトボタンを押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 桐ヶ谷和人は目覚めたあと、妹の直葉と対面してからすぐに、自転車に跨ってアスナが眠る病院に向かった。

 

 外に出ると雪が降っており、冷気が襲ってきたが、そんなことは些細なことで、彼は雪が薄く積もる中を自転車で全力疾走した。打ち付ける冷たい空気に顔をしかめつつも、ただただ進んでいく。

 

 やがて目の前に出てきた巨大な建物に気が付き、より一層ペダルを踏む。正門を抜け、駐車場の隅に自転車を止める。鍵をかけることさえも忘れ、彼は病院に向かって走る。

 

 が、背の高い濃い色のバンと白のセダンの間を通り過ぎようとしたとき、不意に人影が現れた。衝突しそうになり、「すみません」と言おうとしたとき、彼の視界にギラリと光る金属の光が入った。

 

 その光が届くと思ったとき、今度は別の何かが和人とその金属の合間に入った。

 

 キィン! という金属質な音が響いたかと思うと、和人は体が浮くのを感じた。次に、自分が誰かに抱えられているの感じ、頭を上げる。

 

 そこには全身黒の剣道着姿の女性が立っていた。和人はその女性に見覚えがあった。彼女は萩月椿。ALOでは和人以上に鬼神の如き強さを見せつけ、グランド・クエストの攻略に尽力してきれた女性だ。

 

「椿さん!?」

 

「少しぶりだな。キリト、いやここは桐ヶ谷か。とにかく無事にお前がここに来たということは、終わったようだな。が、ここにコイツがいるということは、素直には喜べんか」

 

 和人は降ろされ、目の前にいる人物を見た。そこにいたのは髪を乱した、眼鏡をかけた男性だ。が、あの目は覚えている。

 

「須郷……」

 

 和人が呟くと、男。現実世界の須郷はぼんやりと言い放った。

 

「遅いじゃないか、キリト君。僕が風邪引いたらどうするんだよ」

 

 どうやら最初、彼には和人しか見えていないらしかったが、やがて和人の前にいる椿に気が付いたらしく、再びぼんやりと呟く。

 

「君は萩月椿さんか……どいてくれよ。そこのガキを殺せないじゃないか」

 

「随分と物騒なことを言うな。須郷伸之よ。ここに桐ヶ谷がいるということは貴様はあの世界で負けたのだろう? だったら素直に手を引け。男がいつまでも根に持つのは女々しいぞ」

 

「は? 僕は負けてないよ。アレはズルだ。だから僕はまだ負けてない」

 

 ふらふらとふら付きながらよってくる須郷の顔が駐車場のナトリウム灯のオレンジの光で照らされた。

 

 彼の顔には痙攣があり、瞳の近くは特にそれが酷い。

 

「酷い顔だ。弟にやられたか」

 

「弟……あぁそうだ! あの男にも礼をしなくちゃね。君たちとアスナを殺したら今度はあの男も殺してやる……!」

 

「それは聞き捨てならんな。家族を殺すなどと言われては、温厚な私も黙ってはいないぞ」

 

 和人の横で椿は腰に携えた日本刀の柄に手をかける。

 

「桐ヶ谷。ここは私に任せてさきに行け。病室には明日奈嬢が待っているのだろう?」

 

「あ、ああ。でも、大丈夫なのか、椿さん?」

 

「舐めるな。ろくに剣も握ったことのないあの男になど、負けるはずもない」

 

 冷静に言い放つ椿の顔には確固たる自信と、強さが見えた。和人は彼女に一度頭を下げて正面入り口まで走った。途中、須郷が追いすがるような素振りを見せたが、割って入るように椿がそれを防いだ。

 

 和人は背後を見やりながら椿の背中を見やる。彼女は振り向きもしなかったが、その背中は「行け」と語っているようだった。

 

 ……ありがとうございます。椿さん。

 

 

 

 

 

「桐ヶ谷は行ったか。さて、須郷伸之、決着と行くか」

 

 椿は腰に携えた刀とは別に、彼に向かって持っていたもう一本の刀を放り投げた。

 

 カシャン! という音を立てながら落下した刀は、須郷の足元で止まる。彼はそれを不思議そうに見ていたが、椿は淡々と告げる。

 

「使え。貴様がサバイバルナイフでこちらが刀では勝負にならん。勿論真剣だ。普通に切れるぞ」

 

「なんなんだ、なんなんだ貴様等、姉弟は!」

 

「私たちは桐ヶ谷の仲間さ。ただのな」

 

 さも当然と言った風に言ってのけた椿は、腰に下がっている刀を抜き放つ。シャンッという甲高い音と共に抜かれた白刃は光を反射して煌めく。

 

 須郷も椿から渡された刀を抜いて切先を彼女に向ける。しかし、その姿に椿は大きな溜息をつく。

 

 ……取るに足らん雑魚か。つまらん。

 

「まぁ、最初から期待もしていないが」

 

 溜息をついてから椿は構えもせずに刀をだらりと垂らす。

 

「好きに攻めて来い。その分、どうなっても知らんがな」

 

「ふざけるなよ、女ぁ!! この僕が、この僕が貴様ごときの女に負けるかッ!!」

 

 刀を振りかぶり、アスファルトを蹴って突貫してくる須郷。

 

「死ねぇぇぇぇぇ! 女ぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫しながら突っ込んでくる須郷の剣は、身体に残る麻痺の影響なのか、グラついていた。

 

 椿は当たり前のように一閃を避け、刀の峰を使い、須郷の腰を打つ。重い音が響く。続き、椿は刀を持っていない肩を打つ。

 

「あぎっ!?」

 

「無様な悲鳴だな。ほら、どうした? まだ私を殺せていないぞ?」

 

「い……ぎぃ……!」

 

 悲鳴のような嗚咽のようなものを漏らしながら、須郷は何とか振り向いて麻痺する顔面で椿を睨みつけた。

 

「邪魔しやがって……! 僕の、神の業を邪魔しやがってぇ……!! 絶対に許さない、許しはしないぞ。女」

 

「許さなくて結構だ。が……なんというか飽きたな。貴様の相手をするのも」

 

 雪の降る空を仰いだ椿は大きく息をつく。白い吐息が空中に消えて行く。

 

「少し早いが、終わりにするか。いい加減警備員が来るだろうしな」

 

 言いながら椿は構える。その構えは一切の隙がなく、どんな攻撃にも対処できるようになっていた。その様子は誰が見てもわかることだったが、須郷は気付かずに再び特攻してきた。

 

「その執念だけは褒めてやる。だが……ッ!!」

 

 次の瞬間、バキン! という音が響き、椿の背後でカランと言う金属が地面に落ちる音がした。

 

 見ると、須郷が持つ刀は中ほどから折れ、その切先は椿の背後のアスファルトに落ちていた。

 

「え……?」

 

 須郷がマヌケな声を漏らす。しかし、声を漏らしたのも束の間、須郷を襲ったのは、神速の斬撃だった。

 

 凄まじい速度で繰り出される斬撃は、須郷の体の薄皮だけを切り刻んでいく。

 

「ひ、ひいいいい!」

 

 悲鳴を上げて後ずさる須郷は態勢を崩してその場に尻餅をついた。が、まだ彼の対する斬撃は終わらない。そして最後、椿は持っていた日本刀を須郷の鼻先に刃を向けてつきたてた。

 

「あ……ッ!? ひ……ッ」

 

 眼前に突き立てられた凶器に、須郷は震えあがり、その場から仰向けに倒れこんだ。股を見ると、じんわりと濡れ始めている。どうやら余りの恐怖に小便を垂れ流したようだ。

 

 彼の衣服には切り刻まれた後があり、その下や顔面には細かな切り傷が無数にある。

 

「やれやれ無様だな。こんな男のために安綱を持ち出すハメになるとは……」

 

 三度目の溜息をつき、、安綱を納刀すると、つぶれたカエルのような姿勢で固まっている須郷の頭に変化が起きた。

 

 彼の頭の毛が全てなくなったのだ。まるでかみそりで剃られたように丸刈りになった須郷は泡を噴いて倒れている。

 

 なんとも惨めで、あほらしい恰好だ。

 

「さてと、私の任務も完了したことだし。帰るか。このままではあらぬ疑いをかけられそうだ」

 

 彼女は折れた刀を回収し、自身が乗ってきた車に乗り込んだ。

 

 途中、正門前で明日奈の病室を見上げると、そこには明日奈と和人が外を見ている姿が見えた。

 

「葵、お前の仲間。確かに守ったぞ」

 

 椿はそのまま車を走らせて自宅へと帰っていった。




お疲れさまです。

とりあえずこれでALO編な主な話は終わりですね。
次回は後日談をしたりなんだりです。

いやー、なんかすごく長く感じましたねぇ。
ところで須郷さんはゲスくかけたでしょうか? ゲス分が足りなかったらすみません。私の技量不足です。

次回は先に言ったとおり、後日談をして、それなりにオリジナルを挟んでGGO編ですかね。GGO編はちょっと変更点があるかもしれません。
その後はキャリバー編がありますが、キャリバーは……アウストとか出なくてもいいんじゃないかと思ってます。その辺は萩月家のお話になるかもですね。またはレジェンダリーウエポンを取りに行くとか。萩月家で皆で合宿とか。とにかくお祭り騒ぎができればそれでいいです。
その後はいよいよ感動の話、マザーズロザリオですが、ここではツバキが主になります。原作でもアスナがメインみたいですからね。

では、感想などありましたらよろしくお願いします。


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第二十二話

「……で、あるからしてここの公式はここに……」

 

 黒板を模して作られた大型モニターには、数学教師が数式に公式を当てはめて解説をしている。

 

 時刻は十二時二十二分。授業が終わるまではあと三分だ。が、今の俺の頭の中には、教師の解説など入っていなかった。

 

 頭の中にあるのは、一日限定十個しか作られない購買の激レアパンのことだけである。噂によるとそのパンは、コロッケパンであるらしい。一口食べれば、SAO内のS級食材の極上料理にも匹敵すると言われたそれは、ゲーマーとしてはなんとしてもゲットしたいところだ。

 

 というか、今日は寝坊しかけたので朝飯を食べていない。なので非常に腹が減っている。もはや三時限の終わりあたりで、腹の中は空腹の奈落(アビス)と化していた。

 

 なので今日はそれを狙う。限定十個……聞いただけで心が躍る。

 

 再び時計を見ると、時刻は午後十二時二十三分。そろそろアップを始めなければ。

 

 ペンをそっと置き、首を回し、走るときに傷めないように足首と手首も念入りに回しておく。時計の長針が二十四分を指し示す。

 

 さぁ、そろそろだ。

 

『大人気の購買のパンをゲットするには、チャイムダッシュは基本である』。

 

 二年前、高校三年だった俺の友人がよく言っていた言葉だ。彼は小太りだったが、何故か昼飯時は異常なまでに動きが俊敏で、加速装置でもついているのではないかと思った。

 

 だが、彼の言葉によって俺はいま助けられている。

 

「……と、こうなることでこの数式の解はこうなる。っと、もうこんな時間か。そろそろチャイムが鳴るな」

 

 教師も時計が指し示す時刻に気が付いたのか、大型モニタの電源を落とす。そして彼が再び立ち上がり、日直に声をかけ、日直の女子が「起立」と言ったときだった。

 

 ――時が来た。

 

 授業の終了を報せるチャイムが鳴ったのだ。瞬間、俺はすぐさま席から飛び退き、身体を反転させて教室の後ろの扉から廊下に飛び出した。

 

 俺の席が廊下側の一番後ろの席だったことが幸をそうし、廊下に出た時にはまだ誰もいなかった。この好機を逃すわけには行かない。

 

 教室では俺が飛び出したことに気が付いたものも数人いるだろうが、そんなものは放っておく。

 

 ……行けッ!

 

 グッと足に力を込め、力が溜まったところで一気に足を伸ばす。グンッ! という加速の感覚に襲われながらも、俺は廊下を走り始める。リノリウムの床を上履きでしっかりと踏みしめ、見る見るうちに加速。周囲の景色が後方に流れていく。

 

 SAOの時はこれよりもはるかに速度が出ていたが、現実世界ではこんなものだろう。

 

 購買があるのは二階にある食堂の手前だ。俺が今いるのは三階だ。最短ルートに通じる階段を見つけ、俺はクイックターンで階段に差し掛かる。背後からは俺と同じように購買か、昼飯のために食堂へ急ぐ生徒達が迫る音が聞こえる。

 

 だが、遅い。

 

 勢いをそのままに階段の最上段から、一気に踊り場へジャンプ。着地した踊り場でしゃがみながらも体を反転させ、今度は二回に分けて階段から飛び降りる。

 

 そのまま再び体を回転させると、視線の先には購買部が見えた。教室が近い生徒が数人見えるが、余裕で抜ける距離だ。

 

 再び俺は駆け出す。一迅の風になって俺は廊下を駆け抜ける。途中女子達が短い悲鳴を上げていたが、彼女達には心の中で謝っておく。

 

 前にいた数人を抜き、俺が先頭になった。そして購買部の入り口が迫った瞬間、回していた脚の動きを止め、廊下を滑るように移動する。ブレーキをかけているので、キュキュ! という甲高い音が聞こえ、廊下をみると、車のブレーキ痕のように筋が残っていた。摩擦によって溶けたのだろう。

 

 購買の目の前で止まった俺の前には、『限定十個! コロッケパン!!』と書かれたチラシの前に置かれた、神々しいまでの光を放っているかのように見えるコロッケパンがあった。

 

 購買のおばちゃんたちは、俺の登場の仕方に驚いていたようだったが、俺は財布を取り出しながら告げる。

 

「おばちゃん。限定コロッケパン二つと、焼きそばパン、メロンパン、チョココロネ、あとカレーパンにロースカツパン、チキンカツパンを一つずつ頼むわ」

 

 こうして俺は限定昼飯をゲットするという高度なミッションを完了させたのであった。

 

 

 

 

「むぐむぐ……」

 

 食堂の一角。中庭のベンチが梢の隙間から見られる窓際の席で、俺は昼飯の戦利品を食していた。目の前にはそれなりの数の惣菜パンやら菓子パンが並んでいる。普段からよく食べる方なのでこれぐらいは余裕である。

 

「おー……さすが限定。他のパンとは明らかに食感が違うな」

 

 焼きそばパンを平らげ、いよいよ限定コロッケパンを喰らう。ひき肉とじゃがいも、にんじん、タマネギがちょうどよく混ぜ合わされた極上のあんを、サクサクの衣が包み込み、その衣には、濃厚でいて、しつこくないソースがかけられている。パンとコロッケの間には千切りのキャベツもあり、食感も飽きさせない。完璧なものだった。

 

「うまうま」

 

 満足しながらコロッケパンを食べ終えてから、お茶を口に運んで、外を見る。

 

 季節はすでに五月と言うこともあり、窓の外には新緑が広がっている。

 

 ALO内での須郷伸之の悪事が世間や警察に露見してから、四ヶ月近くが経った。

 

 明日奈が入院していた病院で逮捕されたあの男は、何者かに相当痛めつけらたらしく、頭髪は全て剃り落とされ、小便を漏らし、身体には細かい切り傷が無数にあったという話だ。

 

 勿論、それをやったのは俺の姉である椿だ。彼女の曰く「殺されなかっただけましだろう?」とのことだ。

 

 後から詳しく話を聞くと、あの後、すなわちALOでの一件の後、須郷は和人を殺そうと、明日奈がいる病院に先回りしていたらしい。まぁそのまま和人を殺せれば、あわよくば明日奈の貞操でも奪おうとしたのだろう。どこまでも見下げ果てたヤツだ。

 

 逮捕されたヤツは、素直に自白するはずもなく。足掻きに足掻きまくったという。黙秘を貫き、否定に否定を重ね、最終的には茅場晶彦に全てを背負わせようとした。

 

 が、彼の部下が重要参考人として引っ張られた瞬間、状況は一変。部下はすんなりと全てを告白し、須郷の逃げ道は完全になくなった。そのまま公判に持っていかれた現在では、精神鑑定を申請しているらしい。まぁ確かにあの男には精神鑑定が必要だろう。いろんな意味で。

 

 主な罪状は和人に対する傷害になるが、略取監禁罪も適応されるかもしれないと、マスコミは取り上げている。

 

 因みに、ヤツが散々『神の業』云々とほざいていた魂の操作、人間の記憶の操作や感情の操作は、ナーヴギアでしか出来ないということも判明した。結局のところ、ヤツは最後まで茅場晶彦という天才に勝てなかったのだ。

 

 不幸中の幸いだったのはSAO未帰還者たちに人体実験の際の記憶はなく、全員SAOにいたの時の記憶しかなかったことだ。

 

 が、ヤツが引き起こした猟奇的な犯罪により、レクトプログレスとALO、果てはVRMMOというコンテンツそのものが、回復不可能な打撃を受けた。

 

 まぁVRMMOそのもの社会的不安は、SAO事件の時からあったので、今回の事件で完全に引き金が引かれたということだろう。須郷は全世界のVRMMOファンを敵に回したといっても過言ではない。

 

 須郷の非人道的で猟奇的な実験の影響で、最終的にはレクトプログレスは解散。レクト本社も痛烈な打撃を受けたが、社長以下経営陣を刷新することで、なんとか乗り切ろうとしている。

 

 親父もレクトプログレスがなくなったことについては「それなりに痛手だ」と溜息をついていた。とは言っても、うちの警備会社が警備するビルは多いので、大した打撃にはなっていないらしいが。

 

 無論、レクトプログレスが解散したことで、ALOの運営は中止。その他のVRMMOもユーザーの減少は微々たるものの、未だ世間からの風当たりは強いので、中止になるだろう。

 

 が、これらのことを力技で捻じ曲げてしまったものが、あの決戦の後、俺と和人が茅場晶彦から渡された『世界の種子』である。

 

 因みに、茅場晶彦は現実世界で死亡していたことが確認されている。これは二ヶ月前に明らかになったことだ。人里離れた山荘で発見されたらしい。

 

 彼のナーヴギアには所謂《死の枷》は付いておらず、いつでもログアウトできるようであったらしい。けれど、血盟騎士団の団長としてのログイン時間は最長で一週間ぶっ通しだったと言う。

 

 また、その間彼の介助をしていたのは、茅場と同じ工業系大学に在籍し、彼とおなじ研究室に入っていた、神代凛子という女性だった。須郷も同じ研究室に在籍していたことは、陽子さんから聞いていたので、あの時須郷が『あんたは何でも攫って行く』と吼えていたのは、須郷は神代という女性が好きだったのだろう。あとあと陽子さんから教えてもらったら、再三にわたって求愛していたという。

 

 因みに俺は神代凛子という女性に対して興味がなかったので、これらのことは全て彼女と実際に会った和人から教えてもらったことだ。

 

 そこで、和人は旧SAOサーバー内で彼と話したこと、そしてALO内で彼に救われ、世界の種子というものを託されたことを話したらしい。

 

『――私は、彼の潜伏していた山荘を、彼を殺すために訪れたのです。でも、殺せなかった。そのせいで多くの若者が命を奪われました。彼と私のしたことは到底許されるはずがない。彼を憎んでいるのなら、託されたものを消去してください。でも、もしも……もしも憎しみ以外のものが貴方と、萩月さんの中にあるのなら…………』

 

 その言葉はALOを去っていく茅場が残した言葉と似ていた。というか、殆ど同じだった。

 

「……まぁ、俺は別段恨んじゃいねぇし」

 

 ロースカツパンに手を伸ばして封を切った。すると、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「あ、いたいた! アウ――じゃなかった、葵!」

 

 カツパンに齧り付きながら声のしたほうを見ると、昼食がのったトレイを持った茶色い髪の少女が見えた。顔にはそばかすが見えるが、充分美少女で通る範疇だろう。

 

 彼女は篠崎里香。SAOでのキャラネームは、リズベットだ。二月あたりに和人共に会ってからは、このようにSAOの時と同じような感じで接している。

 

 里香の隣には、背の小さい少女がいる。こちらも美少女である。

 

 少女の名は綾野珪子と言い、キャラネームはシリカと言う。SAO内では直接話したことこそないが、彼女は中層で何度か俺を見かけたことがあるらしく、初めて会ったときはキャラネームがわからなかったのか、通り名の『宵闇さん』と呼ばれた。

 

 彼女も和人の紹介で出会い、友人関係である。

 

 二人に対し、軽く手を上げると、彼女等はササッと動いて、それぞれ俺の正面の席に落ち着いた。

 

「いやー、混む前にアンタ見つけられてよかったわー」

 

「ホントですね。というか、葵さん。パンの量が……」

 

 珪子は苦笑い気味に目の前に並んでいるパンの数々を見ていた。

 

「俺にとっては普通なんだよ。まぁ男子と女子じゃ食う量だって違うだろ」

 

「そりゃあ、そうよねぇ――ってぇ!? アンタ、これって購買の一日限定十個のコロッケパンじゃない!!」

 

「おう。さっき全力疾走して買ってきた」

 

「よくやったわ! あたしのBLTサンドと交換しない!?」

 

 身を乗り出して言ってくる里香だが、俺はそれに対しカツパンの残りを口に放り込んで「却下」と返す。

 

「なんでよー!」

 

「俺の限定コロッケパンと、お前のBLTじゃつりあわん。物々交換の基本は等価交換だろう?」

 

「むー、ケチー!」

 

「ケチで結構。つか、そんなに欲しいなら自分で走って買えよ」

 

「男子はズボンだからいーわよ。けどね、こちとら女の子なんですからね。スカートで走ったらそれこそパンチラものだって」

 

 不服そうにBLTサンドを食べる里香。まぁ、彼女の言うことも最もではあるが、残念なことにこの世は弱肉強食である。スカート如きを気にしていては、美味いものは手に入らない。

 

「あ、それじゃあ、こうするのはどうですか?」

 

 不意に珪子が人差し指を立てて提案した。

 

「うん?」

 

「里香さんが食べる分の限定パンを葵さんに買ってもらうって言うのは……」

 

「それだ! 葵!!」

 

「オレパシリニサレンノイチバンキライ」

 

 カタコトで返しておいた。というか、珪子も可愛い顔をしておきながらもなかなかえげつないことをいいやがる。今度頭をグリグリしておかねば。

 

「ちぇー、結局自分で買うしかないかぁ。はーぁ……」

 

 里香は頬杖を付いてイチゴヨーグルトドリンクを飲む。俺はそれに肩を竦めてみたが、視界の端の中庭のベンチに見慣れた後姿があるのが見えた。

 

 そこにいたのは和人と明日奈だ。現実世界に明日奈が戻ってきたことにより、彼等は付き合い始めている。今日も王子様とお姫様が密会しているのだ。

 

 とりあえず、俺は目の前でドリンクを啜っている里香と、エビピラフを食べている珪子に聞こえるように言ってみる。

 

「あー、あそこにいるのは和人くんに明日奈さんじゃないかー。今日も仲睦まじいなー」

 

 俺の言葉に、里香と珪子は揃って中庭のベンチで肩を並べて昼食をとっているであろう二人を見た。

 

 珪子は複雑というか、羨ましそうな顔をしていたが、里香はというと呆れ混じりな顔をしていた。が、ずっと吸い続けていたドリンクが終わったのか、ズゴゴゴゴという女子が出してはいけなさそうな音を出した。

 

「もう、里香さん。はしたないですよ」

 

「だってさぁ、あーぁ、キリトのヤツあんなにくっついちゃって……」

 

「あの二人リアルに帰って来てもべったりだからなぁ。まぁ無理もねぇが」

 

「それにしたってよ!? もうちょっと距離置いて座るんじゃないの、普通は!」

 

「まぁ確かに里香さんの言うとおり、密着しすぎな気もします」

 

 二人が大きく溜息をついた。気持ちはわからないでもない。俺から見ても二人は密着している。殆ど肩をあわせているし、明日奈にいたっては時折キリトの肩に頭を乗せている。ずっと見ていると胸焼けしそうだ。

 

「というか、ダメですよ覗き見なんて!」

 

「ちがうちがう、これ覗き見じゃない。偶々俺がここに座ったら、偶々中庭が見えて、偶々明日奈と和人があそこに座ってて、偶々イチャついてるだけだから。偶発的だって」

 

「ホントそうよねー。偶々よ偶々」

 

「……そこまで偶々が続くとそれはもはや故意というのでは……」

 

 エビピラフのご飯粒を頬につけたまま珪子は溜息をついた。

 

「つか、アイツ等があんなにイチャついてんのは、お前等が一ヶ月休戦協定とやらを結んだからだろ? 身から出た錆ってヤツだわな」

 

 ケラケラと笑いつつ、カレーパンの封を開けてそれを喰らう。うむ、サクサクのパンと少し辛口のカレーが上手くマッチしている。美味だ。

 

「今考えれば、なかなかに愚かな協定だったわね……」

 

「先に言い出したのはリズさんですからね。というか、色々甘いですよリズさん! 一ヶ月間あの二人にらぶらぶさせてあげようなんて」

 

「あー、はいはい。あとシリカ、ご飯粒付いてるよ」

 

 里香が指摘すると、珪子は慌てた様子でご飯粒を頬から取り、口に含んだ。

 

 まぁ里香の気配りもわからないでもない。明日奈にとっては、和人といられる時間が何よりも大切だろう。愛する人といるというのは、それだけで安心できるらしい。これは、薊が言っていた。

 

「そういえば、あんた達は今日のオフ会行くの?」

 

「もちろんですよ。リーファ……直葉ちゃんも来るそうです。リアルで会うのは初めてなので、楽しみだなぁ」

 

「そういや、珪子は直葉と仲が良かったか」

 

「はい。……というか、葵さん。みんながいるときはアレですけど、私達ぐらいしかいないときは、普通にキャラネームで呼んでいいですよ」

 

「あ、それ私も気になってた! アンタ、よくキャラネームで呼んじゃわないわよね。あたしなんていまだに呼んじゃうんだけど」

 

「そう難しいことでもないだろ。多少気をつければいいだけさ。まぁ確かにいつものメンツでいる時くらいはキャラネームで呼ぶことにするよ、シリカ、リズ」

 

「あー、やっぱそっちの方がしっくり来るわー」

 

 リズはBLTサンドの残りを口に放り込んで大きく息をついた。が、そこで何かを思い出したのか、おもむろに俺に問いを投げかけてきた。

 

「そうだ。今日のオフ会って、ツバキも来るの?」

 

「ああ。行くって言ってたよ」

 

「ツバキさんとも会うの初めてなので楽しみです。アウストさんのお姉さんなんですよね?」

 

「おう。まぁ雰囲気としちゃあゲームでもリアルでも大してかわんねぇよ」

 

「うん? そういえば、アウストの苗字って萩月だったわよね。ツバキが本名だとしたら、萩月ツバキってなるわね。もしかして、アンタのお姉さんって割りとミーハー?」

 

 少しだけ意地が悪い笑みを浮かべるリズ。俺の苗字とツバキのキャラネームを繋げれば萩月ツバキとなり、剣帝と称される萩月椿と同名になるように設定したと思っているのだろう。

 

 ……まぁ本人なんだけど。

 

 姉貴のリアルでの正体を知っているのは今のところ明日奈と和人だけだ。リズやシリカ、リーファには伏せてある。理由としては、現実世界で姉貴が暇な時と、他のメンツが暇な時がかみ合わなかったことと、姉貴が海外へ試合に行くために日本を離れていたことなど、主にこの二つが上げられる。結果、ズルズルと現在に至るまで紹介することが出来なかったのだ。

 

 萩月という苗字は珍しいといえば珍しいかもしれないが、同じ苗字の人間はそれなりにいるらしい。なので、二人は俺があの萩月椿と無関係だと思っているのだろう。

 

 とりあえず、言いたい、バラしたいという欲求を押しとどめて、俺は肩を竦めた。

 

「さてね。その辺は今日会ったら聞いてみな」

 

 最後のパン、チョココロネを食べてお茶を飲む。時刻を見ると、まだ昼休み終了にはそれなりの時間がある。

 

「……もう一つくらいパン買ってくるか」

 

「よく入るわね。アンタ……」

 

 

 

 

 

 

 本日の授業が全て終了し、放課後になった。荷物をパパッと纏め、登校用バッグを肩に担ぐと、背後から声をかけられた。

 

「おぅい、葵ー。帰りゲーセンよってかねー?」

 

 振り返ると、そこには休み時間や体育の授業で、よくつるんでいる友人達がいた。

 

「悪いな、今日はこれからデートなんだ」

 

「デートォ!? おま、いつの間に……!」

 

「下級生か、同級生か!?」

 

「どんな子だ!? かわいい? 胸おっきい!?」

 

 デートと言う言葉に反応し、矢継ぎ早に聞いてくる友人達。だが、男にここまで近寄られるとさすがに暑苦しい。

 

「あー今の冗談だよ。本当はオフ会なんだ。だから今日は付き合えん。すまん」

 

「なーんだ。ビックリさせんなよー」

 

「まぁオフ会の会場までは、女の人と二人きりだけどな」

 

「爆ぜろ! リア充!!」

 

 血涙を流しそうな剣幕で言われた。というか、制服を着てはいるが、俺たち自身今年で二十一になるので、そんなことは言っていられないと思うのだが……。まぁ少しの間だけの高校生活だ。楽しんで損はないだろう。

 

 なんとなく背後から殺意に似たなにかを覚えつつも、俺は下駄箱から靴を取り出して乱雑に上履きを押し込んでから外に出た。まだ、オフ会には早いが、来るまで移動する分もあるので、開始時刻の五分くらい前には到着できるだろう。

 

 校門を抜け、通りに出てしばらく進んだ路肩で、サングラスをかけた美女が白のスポーツタイプの車の車体に体を預けているのが見えた。

 

 恰好としては、下半身はスカートではなくタイトジーンズにハイヒール。七部袖のシャツに薄手の上着を羽織っている。殆ど白と黒のモノクロで調整されており、彼女らしさがうかがえる。

 

「姉貴」

 

 俺が声をかけると、彼女はこちらを見て言葉を発さずに乗るように指示してきた。

 

 素直に乗り込むと、姉貴は自販機で買ったと思われるお茶を放り投げてきた。

 

「サンキュ。てか待ったか?」

 

「いや、五分前に着いたところだ。では、行くとするか。シートベルトを忘れるなよ」

 

 姉貴の指示に返答してからシートベルトを締めると、彼女は車のエンジンをかけて都内にあるオフ会会場へ向かった。

 

 しばらく走ったところで、不意に姉貴が問うてきた。

 

「なぁ、葵。今日のオフ会とやらは《アインクラッド攻略記念パーティー》なのだろう? なのに私が行っていいのか?」

 

「行って良いも何も、今日行かなけりゃあんたを紹介できねぇだろうが。つか、それ以前に明日奈と和人……あぁ、いちいち呼び方かえるのめんどくさくなってきた。ようは、アスナとキリトが『ツバキさんも誘え』って言ってきたんだよ。だから姉貴が来ても問題なし」

 

「ならいいが。そういえば、リーファは来るのか?」

 

「ああ。多分俺たちよりも少し遅くな。キリト達に伝えた時間は少し遅めなんだよ。なにせ、SAOクリア最大の功労者はアイツだからな」

 

「なるほど。主役は最後、というわけか。だが、リーファが来るのか、そうかそうか」

 

「……まぁ姉貴がいたら驚くだろうな。まぁ他の奴らもかなり驚くだろうけど」

 

 内心で椿が現れた時の皆の反応を楽しみにしながら、姉貴の運転する車に揺られる。

 

 

 

 

 車に揺られること二十分。都内にある、エギルの店《ダイシー・カフェ》に到着した。車は近くの有料駐車場に停めてある。

 

「ここか」

 

「ああ。姉貴はエギルともあったことがあったよな」

 

「うむ。中々に背の高い男だったな」

 

 椿はうんうんと頷きながら満足げにしていた。その様子からして仲良くはやれているようだ。

 

 黒い扉をカランとドアベルを鳴らしながら入ると、中にはかなりの人数が集まっていた。この店の店主であるエギルは言わずもがな、昼休みに学校で一緒だったシリカとリズベットは勿論のこと、クラインや彼がギルド長を務めていた風林火山のメンバー。さらには、はじまりの街で孤児院をやっていたサーシャ、元《軍》のマスターであるシンカーにユリエールの姿もあった。

 

 もちろん、誘っておいたのでマシューとヨミの姿もある。

 

「ウィーッス」

 

 言いながら入ろうとすると、一番近くにいたリズに思い切り手を引かれた。

 

「ちょちょちょッ!」

 

「アウスト、アンタねぇ。もうちょっと時間考えて来なさいってば! 早くしないとキリト達来ちゃう……で……」

 

 だが、彼女の言葉は最後のほうで尻すぼみになって行った。やがて、ざわついていた店内が段々と静かになり、店内にはアルゲードでNPCたちが奏でていたBGMだけが響く。

 

 皆の視線を追うと、全員俺の後ろにいる椿に注がれている。

 

「は……」

 

 誰かが声を漏らした。が、次の瞬間、店内にいた全員の声がハモる。

 

「萩月椿!!?」

 

 驚愕と疑問のが混じったような声が店内に木霊する。とりあえず俺はリズに握られていた手を離し、小さく咳払いしながら姉貴に掌を向けた。

 

「えーっと、知ってる人が大半だと思うけど紹介しておくぞ。俺の姉貴の萩月椿だ。ALOでのキャラネームはツバキな」

 

 紹介してみたはいいものの、先ほどの声が響いていこう、店内には沈黙しかない。どうしたものかと頭を悩ませていると、今度はカウンター近くにいたヨミに腕をつかまれた。

 

「ちょっと、アウスト!? 聞いてないんだけど、アンタのお姉さんがあの萩月椿だなんて!」

 

「お、おう。説明してないからな。というか、もしかしたら俺の苗字で察してくれるかもと思ってたし」

 

「苗字なんて被ることくらいあんでしょーが! あぁもう、なんでアンタはいっつもいっつも肝心な説明がないのよ」

 

「わかった、わかったからヨミ! アウストさんの腕はそっちの方向に曲がりませんのことよ!?」

 

 何故か興奮状態のヨミに腕を捻り上げられてしまった。危うく腕がとんでもない方向に曲がるところだった。

 

 俺たちがこんなやり取りをしていると、姉貴が小さく咳払いをして沈黙が続く店内にいる皆に告げた。

 

「皆、愚弟の説明不足を許して欲しい。そして、今愚弟が説明したことは真実だ。ALOでのツバキはこの私、萩月椿だ。このように遅い説明になってしまい、本当にすまない。願わくば、皆の仲間に今一度入れてほしい」

 

 背筋をピンと伸ばし、凛とした張りのある声で彼女が言うと、一番前にいたリズが一瞬慌てた様子を見せながらも返答した。

 

「え、えっとそんな謝らなくてもいいですよ! あたし達もホラ、急にテレビで見る有名人が出てきて驚いちゃっただけなんで。ねぇ、クライン!?」

 

「お、おうよ! それに俺たちはとっくの当に仲間でしょう、ツバキさん! そんなかしこまんなくて良いですって!」

 

 二人の言葉に、店内にいた全員が動揺しながらも頷いた。どうやら、姉貴の人柄でなんとか乗り切れたようだ。

 

「そうか、ならばよかった。が、リズ、クライン、敬語は使わなくても構わない。いつもの調子で話してくれ。他の皆もそれで頼む」

 

 薄く笑みを浮かべて彼女が言うと、緊張していた店内の空気全体が再び緩んだ。どうやら、これで驚きによる硬直は終わったようだ。

 

「なんとか乗り越えたな」

 

「アンタのせいでしょーが!」

 

「すみません」

 

 ヨミに軽く叩かれた。まぁ、確かに空気を硬直させてしまったのは俺のせいであるのでそこは素直に謝っておく。

 

 その後、姉貴はリアルでも皆と簡単に打ち解け、リズやシリカも普通に話せるようになっていた。それに、ユリエールやサーシャとは歳が近いこともあるのか、すぐに仲良くなれたようだ。

 

 俺はと言うと、ヨミやマシュー、クラインたちと主に話し、サーシャには子供たちの件で再び感謝の言葉を送られた。

 

 ある程度皆が姉貴の存在になれたところで、不意に店のドアベルがカランと鳴った。視線を向けると、そこには結構な人数がいることに驚いているキリトと、割かし楽観的なアスナ、ポカンとしている直葉がいた。

 

 そんな彼等にリズがいつもの笑みを浮かべながら近づくと、キリトは小さく漏らす。

 

「おいおい、俺たち遅刻はしてないぞ」

 

「へっへ、主役は最後に到着するもんだからねぇ。アンタには最初からすこし遅めの時間を教えてたのでした。それよりもホラ、入った入った」

 

 リズに腕を引っ張られながら三人は店内に引き込まれてきた。が、そこで直葉が椿を見て素っ頓狂な声を上げた。

 

「うええぇぇぇぇぇぇぇ!? な、なんで萩月椿さんがここにいるの!?」

 

 最高の反応であった。これこそ隠していた甲斐があったというもの。先ほどのあの反応とは違う、純粋な驚きである。

 

 椿も直葉の声に反応し、そちらを見やると、彼女に近づく。が、しかし、そんな二人に大してリズが「ちょい待ち!」と声を上げる。

 

「直葉ちゃん。驚くのも無理はないけど、今は抑えて! ホラ、キリト、さっさとここに上がって! エギル、照明」

 

 リズの指示に従い、エギルが照明とBGMを絞り、簡素な壇上に上がったキリトにスポットライトが向けられる。

 

「それでは皆様、ご唱和ください。せーのぉ……」

 

「キリト、SAOクリアおめでとー!」

 

 リズの音頭に続いて全員が唱和した。当のキリトはいまだに状況がいまいち飲み込めていないらしく、ポカンと口をあけていた。が、ポカンと口をあけているのは、赤れだけでなく、彼の妹も同じであった。

 

 とりあえずその後、椿から直葉へ自己紹介と、今まで黙っていたことの謝罪が送られた。直葉はしばらく放心状態だったが、しばらくしてようやく理解し、椿と握手を交わした。かなりぎこちなく、ブリキの人形のようであったが。

 

 

 

 

 

 

 主役の登場により、いよいよオフ会が始まった。和人には報せていなかったスピーチをさせ、エギルが用意したピザやらジュースやらを飲みながら、パーティーはこういった大人数でありがちなカオス状態に突入した。

 

 和人は俺を含めた男連中から荒い祝福を受け、女性陣からは打って変って手厚い親密な祝福が送られていた。まぁ、姉貴はそれに加わらず壁際で直葉と共にオレンジジュースを飲んでいた。

 

「エギル、ハイボール。あとレモン」

 

 あいさつ回りを終えて、カウンターに座り、店主のエギルに注文する。

 

「そういやお前さんはもう二十歳だったか。ホラよ」

 

 カウンターの上を淡い琥珀色の液体と、ロックアイスが入ったタンブラーがスライドしてきた。タンブラーの中を見てみると、ソーダがパチパチと気泡を弾けさせている。

 

 貰ったタンブラーを軽く持ち、そのまま煽って口に含む。最初に来たのはシュワっとしたソーダの爽快感。次に味覚、というよりは嗅覚に反応したのは、トウモロコシと、焦がした樽の匂いだった。

 

「これってバーボンか?」

 

「ああ。つっても、アルコール濃度はかなり抑えてある。この後仕事があるやつもいるからな」

 

「俺とかな」

 

 言いながら背中にのしかかってきたのは、風林火山のギルド長、クラインであった。本名は確か壷井遼太郎という名前だ。

 

 彼の腕には和人がいたので、どうやら女性陣と話しているところを引き摺られてきたらしい。

 

 和人はクラインの腕から脱した後、なにやら変な雰囲気を出しながらエギルに告げた。

 

「マスター、バーボンを」

 

「なにかっこつけてんだガキんちょ」

 

 スパァン! と俺が放った平手が和人の頭を捉えて快音を響かせる。

 

「いったぁ!? 急になんだよ!」

 

「いや。なんか雰囲気がイラついた」

 

「そんだけ!?」

 

「ああ。そんだけ。つか、お前みたいなお子様がバーボンなんて飲めんのかよ」

 

 ハイボールを煽りながら聞くと、エギルが和人の前に俺のタンブラーに入っているものよりも、濃い目の琥珀色の液体が入ったタンブラーを出した。

 

 まさか本当に出されるとは思っていなかったようで、和人は一瞬たじろいだ様子だったが、恐る恐るタンブラーに口をつけて僅かに液体を啜る。

 

「な、なんだ烏龍茶か……」

 

「自分で注文しといてビビんなよ」

 

「いやだって、まさか出てくるとは思ってなかったしさ。というか、バーボンってどんな味なんだ?」

 

「味ねぇ……。なぁクライン、ウィスキーとかの酒って味と言うか匂いで楽しむのが強くね?」

 

 俺の右隣に座り、本物の酒を煽るクラインに問うと、彼もやはり少々悩んだ。

 

「まぁ結局はウィスキーの一種だからなぁ。俺の聞いた話じゃ色と香りと味の三つを楽しむって話だったぜ」

 

「ふぅん。薊は香りを楽しむとか言ってけど、なんかそっちが正しそうだな。で、本職のエギルさんはどういう見解なわけ?」

 

 ちびりとハイボールを飲み、口に含んで香りと味を楽しんでみる。

 

「その辺は個人の自由でいいんじゃねぇかな。細かく考えすぎてもアレだしな」

 

「だそうだぜ、キリト。あ、なんか和人って呼ぶのややこしいからもうこっちでいいよな」

 

「ああ、それは別にいいけど」

 

 

 

 

 

 

 

 カウンターで話すアウスト、キリト、エギル、クライン、そしてあとから加わったシンカーを見やりながら椿はオレンジジュースを飲む。本当は酒を飲みたい気分であるのだが、今日は車で移動しているので、酒は飲めない。

 

 視線を外し、女性陣に目を向ける。皆一様にピザやらジュースやらを飲んだり食べたりしながら、笑顔を零れさせて話している。因みに、ユリエールと話しているサーシャはアウストに何かしらの恩義があるらしく、礼を言っていた。

 

 ……まぁSAO関連のことは深くは聞くまい。

 

 SAOのこと自体がトラウマになっている者もいると聞く。不用意に問いを投げかけるのは無粋と言うヤツだろう。とは言ってもここにいる皆は気にしなさそうな気がするが。

 

「あの、椿さん」

 

 不意に声をかけられた。

 

 見ると、若干緊張した様子のリーファもとい、直葉がいた。その様子はなんとなく、ヨツンヘイムでトンキーの頭に乗ったときに話していた雰囲気と似ている。

 

「どうした、直葉」

 

「え、えっと、さっきは驚いたまま固まっちゃって挨拶できなかったんで」

 

「そういえばそうだったな。では、改めて……」

 

 背を預けていた壁から離れ、直葉を正面にする形で相対する。正面から見てみると、なおのこと直葉が緊張しているのがわかった。

 

 ガチゴチになっている彼女を見て、椿はついつい口元に笑みが浮かんでしまうのを感じた。

 

「大丈夫か?」

 

「は、はい。なんとか、アハハ……」

 

「ふむ……」

 

 なんとか答えてくる直葉に対し、椿は少しだけ声音を緩める。

 

「直葉、そう緊張しなくていい。確かに私は萩月椿だが、基本はALOにいるときと変わりはない。ツバキだと思って話してくれればいい」

 

「それでも、ツバキさんはわたしにとっての憧れの人なんで……。緊張しちゃいますよ」

 

「憧れの人か……。やはり、面と向かって言われるのは、気恥ずかしいものがあるな」

 

 椿は自分でも頬が僅かに熱くなったのを感じた。キリトから聞いた話では、直葉は椿の試合を観戦した時から、ファンになったらしい。

 

 椿のファンはそんじょそこらのアイドル以上にいる。とは言っても、おっかけなどは椿自身がやめて欲しいと言ってあるので、押しかけられたりすることはない。

 

 だから、このように自分に憧れている少女と面と向かって話すこと自体が初めてなのだ。ファンサービスとしてサイン程度は書くこともあるが、このように密接に関わることは皆無と言っていい。だから、椿も知らず知らずのうちに気分が昂ぶっているのだ。

 

 すると、頬を赤くさせ顔をポリポリと書く仕草に直葉が僅かに噴き出した。

 

「うん?」

 

「あぁ、すみません。椿さんでもそういう反応するんだなって思って」

 

「おいおい。私は感情のないロボットではないぞ? それとも、試合で見た私と雰囲気が違ったか?」

 

「はい。リアルの方の椿さんは、常に冷静沈着で表情をあまり崩さない人ってイメージが強かったんで、そういった表情を見れて少しだけ可笑しくて」

 

「まぁ、葵の話ではテレビに出るときとこのような場所では性格が違うらしいからな。その差異だろうさ。が、そのおかげでお前の緊張も少しは解れたようだな」

 

 言いながら椿は右手を差し出す。直葉はすぐにそれに反応し、椿の手を握ってきた。

 

「改めて自己紹介と行こう。萩月椿だ。よろしく」

 

「桐ヶ谷直葉です。こちらこそ改めてよろしくお願いします。ツバキさん」

 

 握手を交わした二人の顔にはそれぞれ微笑があった。

 

 二人は手を離し、椿は壁に背を預け直葉は近くにあった樽に腰掛ける。

 

「椿さん、聞いても良いですか?」

 

「答えられる範疇であれば答えよう」

 

「えっと、じゃあ椿さんがALOを始めたきっかけは? お兄ちゃんを助けてくれるため、ですか?」

 

「三十パーセント正解と言ったところだな。残りの七十パーセントは、まぁなんというか、葵があそこまで熱中しているオンラインゲームがどんなものなのか、気になってな。だからいい機会だと思って始めてみたんだ。最初、私にとってオンラインゲームと言うのは、大切な弟の自由を奪った憎悪の対象だった。が、次第に憎悪は興味へと変貌した。結果、やってみたいと思ったのさ。直葉、お前は?」

 

「わたしも椿さんと同じ理由です。SAOにお兄ちゃんが閉じ込められて、いつ死んじゃうかもわからない状況を作り出したオンラインゲームのことは本当に嫌ってました。でも、椿さんと一緒で怒りとか恨みが興味に変わって、結果的にALOを始めたんです」

 

「なるほど。本当に似ているな。もしかすると私達は似たもの同士なのかもしれないな。リアルでは剣道、剣術をやっていて、ALOを始めた理由も肉親からの影響……ふむ、やはり似ている」

 

 椿は満足げに頷くと、直葉の顔を覗き込む。

 

「直葉。剣道、私が鍛錬しようか?」

 

「ぶッ!?」

 

 女の子らしからぬ音と共に口に含みかけていたオレンジジュースの飛まつが中を舞った。幸い店内に流れるBGMと皆の声で椿以外は気付かなかった。

 

 しばらく直葉は口を半開きにしていたが、口元に付着したオレンジジュースをハンカチで拭き取る。

 

「い、いいんですか!?」

 

「ああ、勿論だ。幸運なことに向こうしばらくは大きな大会もないし、言ってしまえば暇なんだ。道場の方も私以外の師範代に任せられるしな」

 

「もし椿さんが家を離れられないんだったら私が行きますよ?」

 

「いや、私の家だと私に対するチャレンジャーが来る場合もあるからな……。それでもいいなら、構わないが」

 

「それは全然大丈夫です!」

 

 直葉の表情は本当に嬉しそうであった。それもそうだ、憧れの人物である椿が直々に鍛錬してくれるのだから、嬉しくないはずがない。

 

「では、私から連絡しよう。直葉の都合が悪ければ、私が行き、直葉が私の家に来られれば来る。ということにしよう。それならば問題あるまい」

 

「はい。じゃあ、アドレス交換しましょう! ALOではメッセージ送れますけど携帯のアドレスはまだ知らないんで」

 

 直葉に言われ、椿は携帯を取り出して赤外線通信でアドレスを交換する。

 

 その後、椿はアスナやリズベット達ともアドレスを交換し、オフ会はカオスな状態を保ちつつも、大いに皆を楽しませた。

 

 

 

 

 オフ会からの帰り、実家に戻る車内で葵が問うてきた。

 

「そういや姉貴、直葉とは随分仲良くなったみてぇだな」

 

「まぁな。最初は黙っていたことに対して嫌われてしまうかとも思ったが、そんなことはなくてよかったよ。それに、他の皆も私に壁を作らずに受け入れてくれた。本当にいい仲間達を持ったな、葵」

 

 フッと小さな笑みを浮かべながらいうと、葵は気恥ずかしそうに頬を掻いた。が、彼はすぐに話題を変えてきた。

 

「今日、二次会には行くよな?」

 

「無論だ。午後十一時にイグドラシル・シティに集合だったな。リズが言うには内緒にしていることがあるらしいが?」

 

「それは見てのお楽しみってヤツだわな。けどまぁ、姉貴はあきないと思うぜ。アレを見たらな」

 

「言ったな? 私を満足させるなら相応のものが用意されていると思って良いわけか」

 

 ニヤリと不敵とも取れる笑みを浮かべる椿。葵はそんな彼女を見て少々表情を固めていたが、「ま、まぁ大丈夫だろ」と頷いていた。

 

 しばらく無言のままでいると、椿が声を漏らした。

 

「時に、お前達がカウンターで話していた《ザ・シード》とやら。随分と世界に広まったようだな」

 

「聞こえてたのかよ」

 

「いいや、唇の動きで大体わかった」

 

「……アンタ本当に現実でもチートスペック存分に発揮するな。まぁいいや、エギルから聞いた話じゃミラーサーバだけで約五十、ダウンロード数は十万。稼働中の大規模サーバが三百ってトコらしい。まったく、茅場先生はとんでもねぇモンを残してくれたもんだぜ」

 

 肩を竦めて笑う葵に対し、椿は静かに頷き、以前葵や和人から離してもらったことを思い出す。

 

 須郷との決戦の時、葵は死んだはずの茅場晶彦の残留思念のようなものに助けられたらしい。そして彼から《世界の種子》と呼ばれるものを託されたという。

 

 その後、和人のナーヴギアに送られた種子は、エギルの元で発芽するに至った。

 

 つまるところ、《世界の種子》というのは、フルダイブ・システムによる全感覚VR環境を動かすための、《ザ・シード》という名が冠せられたプログラム・パッケージだったのだ。

 

 が、ALOをやっていても、そういったプログラム面には疎い椿にはよくわからなかった。しかし、葵によってかなり噛み砕かれた説明をされてようやく理解できた。

 

 ようは《ザ・シード》はVR世界を作りたいと望む者が、誰でも気兼ねなく作れてしまうプログラムなのだ。必要なのは回線が太いサーバを用意することだけらしい。

 

 葵達は話し合った結果、この《ザ・シード》を世界中の全ての人間がダウンロードできるように、世界のあちこちのサーバにアップロードしたという。結果として、先ほど葵が言っていたような状態になったのだ。

 

 また、《ザ・シード》の影響はゲームだけに限った話ではない。それは教育や、コミュニケーション、観光などに至るまで、日々新たな世界を生み出している。

 

 そして、ALO自体がなぜ今生き残っているかと言うと、ALOは現在解散したレクト・プログレスからほぼ無料でゲームデータを引き継いだベンチャー企業の関係者達が、新たに設立した企業で運営されている。

 

 表向きは《ザ・シード》規格になっているが、中身は以前と同様、SAOサーバのコピーであり、カーディナルシステムとやらもフルスペック版となっているとのことだ。

 

 無論、生み出された世界はALOだけに留まらず、VRMMOは拡大し続けているらしい。

 

 日々新たな世界が生まれ続ける状態を思い浮かべ、椿は大きく息をついた。

 

「茅場は大量殺人者ではあるかもしれんが、私は嫌いではない。寧ろ、彼のことを尊敬する」

 

「へぇ」

 

「彼は己の志を貫いた。たとえそれが世界中の人間から疎まれ、軽蔑され、恨みを持たれようともだ。その姿勢は充分すぎるほどの評価に値する。強靭な精神がなければ出来なかったはずだ」

 

「姉貴は身体的に強い者も好きだけど、そういった精神が強いヤツも好きだよなぁ。あり? でもそうなると須郷も当てはまんじゃね?」

 

「アレはダメだ。確かに私に向かってくるところは評価するが、外道の道へ足を踏み入れた時点で、評価対象外だ」

 

「ハハッ、そりゃあちがいねぇわ」

 

 葵は可笑しそうに笑った。

 

 椿にとって、勝負事の勝敗自体は問題ではない。肝心なのは自分に挑んでくる相手の志だ。志を貫く者の心は、素晴しい光を宿していると、椿は思っている。

 

 とは言っても、このように思えるのは、彼女が絶対的な強者であるからだ。強者であるがゆえに、彼女はいつか自分を倒せる相手を望んでいる。

 

 ……強者を打ち倒すのは、いつだって志を貫く弱者だ。だから、戦いは面白い。

 

「ALOが残ってくれて本当によかった。あそこでなら、現実世界で味わえない戦いに身を投じることが出来る」

 

「……俺の姉がこんなに戦闘狂のわけがない」

 

 最後、葵がそんな言葉を漏らしたが、家に帰った後、彼の頭に手刀のような何かが叩き込まれたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 午後十時四十五分。

 

 ALOのイグドラシル・シティにはオフ会に参加していたメンバー含め、多くのプレイヤーが広場に集まっていた。

 

 シルフ領、ケットシー領、の領主であるサクヤ、アリシャもその中におり、サラマンダーのユージーンとその部下達の姿も見える。

 

 俺の周りには今日オフ会に参加していたメンバーが殆ど集まっていた。殆どと言うのは、キリトとリーファがどこかへ飛んで行ったのだ。まぁ彼等はお楽しみにはしっかり戻ってくることだろう。

 

 いや、アイツ等はいい。俺をイライラさせていたのは姉貴である。

 

「……遅いな」

 

「ログイン状態ではあるみたいですけどね、ツバキさん」

 

「どこ行ったかなーあの戦闘狂は。どっかでモンスター狩りでもしてるんだろうか」

 

「けど二次会のことは伝えといたんだろ? だったら平気じゃねぇの。ツバキさんはしっかりしてそうだしよぉ」

 

 クラインはああいうものの、いざ面白い相手を見つけた姉貴は周りが見えないことがある。できればその様なことがないことを祈るばかりである。

 

 が、十一時五分前になっても来なかったので、「仕方ない」ということでメッセージだけ送って、俺たちはいっせいに空へと飛び立った。

 

 しばらく飛び続けると、雲の切れ間に月光に照らされる二人の人物が見えた。先に上がったキリトとリーファだ。しかし、彼等の姿よりも更に目立つものが、月食さながらに月の前に現れた。

 

 一見すると不恰好な円錐のような巨大な浮遊物は、ゆっくりと青い光を放つ月の前に出る。

 

 瞬間、浮遊物が眩い光を四方に放った。一瞬目がくらむが、そんなことは些細なことで、俺は並行して飛ぶヨミやマシューと競争するように飛ぶ速度を速めた。

 

 いくつもの薄い層を重ねて作られた巨大な浮遊物の隙間からは光が漏れ出し、底から垂れ下がった三本の柱の先端からも光が放たれている。

 

「戻ってきたね」

 

「ああ。今度こそ完全攻略してやるぜ」

 

 ヨミに言われ、俺は答えると、寄り添うキリトとリーファのすぐ横を駆け抜ける。

 

「先行くぜ、お二人さん。ヨミ、マシュー! さっさと行って一層クリアしちまおうぜ!!」

 

「あ、ちょいまてーや、アウスト!」

 

「もう。本当にこういうときだけは子供っぽいんだから!」

 

 なにやら二人が行っているが、俺はおかまい無しに視線の先にある浮遊物――アインクラッドを目指す。

 

 浮遊城アインクラッド。かつてデスゲームの舞台となった、全百層からなる鋼鉄の城だ。

 

 かつては途中で俺とキリトがヒースクリフの正体を看破したことで、七十五層で終わったが、今度は百層までクリアしてやる。

 

 すると、俺の後ろを飛んでいたはずのヨミやマシュー、リズ、シリカ、エギル、クラインたちも追いついてきた。

 

「あんま速度出しすぎてバテんなよ。アウスト」

 

「わーってるよ。つか、それはお前もじゃねぇの? クライン」

 

「あー、それは当たってるかもねぇ」

 

「あんだとぉ!?」

 

「やれやれ……おまえらなぁ、こういうのはもうちょっと静かに飛ぶもんだぜ」

 

 和気藹々を言い合いながら浮遊城を目指す俺たちであるが、キリト達に声をかけようと俺が振り返ったときだった。

 

 彼等の背後から何かが超高速で近づいてくるのがわかる。その速度たるや、先週行われた《アルヴヘイム横断レース》のキリトとリーファを凌駕する勢いだ。

 

 余りの速度のためか、雲海には空気の振動による飛沫が立っている。時折、空気の層を突き破るようにして動くため、衝撃波に似たようなものも見える。

 

 やがて影はこちらに近づき、どんどんとその姿が鮮明に鳴ってくる。あまりに速く飛んでいるためか、空気を切り裂く音も聞こえてきた。

 

 なんとなく、嫌な予感を覚えつつ、俺は頬をひく付かせる。

 

 そして影が凄まじい速度で俺たちを追い抜いていった。

 

「うわっぷ!?」

 

「わひゃ!?」

 

「な、なんだぁ!?」

 

 シリカとヨミが変な悲鳴をあげ、クラインが驚きの声を上げる。そして通り過ぎていった影を追うと、そこには漆黒の衣に身を包み、漆黒の髪を靡かせた女性が悠然と滞空していた。

 

「あーやっぱりかよ……ツバキ」

 

 俺が漏らすと、眼前にいるスプリガンの麗人、ツバキは腰に手を当てて言ってきた。

 

「いやはやすまなかったな、皆。三時間ほど速くログインしていたからな、すこし遊んできたんだ」

 

「どこで遊んできたんですか?」

 

 いつの間にか追いついてきたリーファが問う。キリトやアスナ、ユイを含め、その場にいた全員がツバキに対して疑問符を浮かべる。

 

 すると、彼女は不敵な笑みを見せて告げてきた。

 

「なに、すこしばかりヨツンヘイムに行って来てな。邪神を三体程狩ってきた」

 

「……はぁッ!!??」

 

 全員の声が重なった。ヨツンヘイムといえば、あのヨツンヘイムだ。一撃でも喰らえば即死確実なあの邪神達が跋扈する世界だ。

 

「えっと、まさかヨツンヘイムに入るためのダンジョンを抜けたんじゃないよな?」

 

「無論、トンキーを使わせてもらった。下まで送ってもらって、その後再び上に送ってもらった。いやぁ、久方ぶりに心躍る戦いだったぞ! 特に最後、二体同時に相手取った時など最高に楽しかった!!」

 

 まるでおもちゃを手にした童女のように喜び跳ねるツバキに対し、俺たちはなんとも言えない表情を浮かべてしまったことだろう。

 

「あんたのお姉さんって……」

 

「言うなッ。言ったら負けだ!」

 

 ヨミの言葉を受け流していると、ツバキはくるりと俺たちに背を向け、アインクラッドを見やった。

 

「なるほど。アレがお前たちが闘っていたアインクラッドか……ふむ、実に面白そうだ」

 

 その瞬間、俺は姉貴の瞳にギラリとした凶暴な光が灯るのを見逃さなかった。

 

「ヤベェッ!? お前等、急ぐぞ!! 姉貴よりも速くつかねぇとあっという間に第一層のボス倒される!」

 

「もう遅いッ!!」

 

 言うが早いか、姉貴は凄まじい加速でアインクラッドに向けて飛んでいった。

 

 ぽかーん、とした様子でいたものの、俺たちはすぐに正気に戻り、告げた。

 

「い、急げぇ!!」

 

 あわただしく加速し、アインクラッドへ向かって行く。

 

 が、俺たち全員の誰にも、悲しげな表情はなく、皆それぞれ楽しそうに笑顔を浮かべていた。

 

 それは俺も例外ではなく、先を越されそうであっても、この状態を楽しんでいた。だから俺は言った。高らかに。

 

 

「さぁ、存分に楽しむか!!」

 

 

 

 

 

《フェアリィ・ダンス編 完》




はい、お疲れ様でした。
今回は二万字にあと八十〇文字足りませんでしたね。
長くて済みませんでした。
恐らくいつものように誤字もあるでしょう。見直しはしたんですが……

これにてALO編もとい、フェアリィ・ダンス編完結です。
次回はオリジナル編をちょっと挟んで、その後GGO編に入りたいと思います。

もうツバキさんについては突っ込んではいけません。突っ込んだら負けです。あの人は感情でシステムを凌駕するんじゃなくて、強靭な強さで凌駕するのです(錯乱)
茅場先生もビックリ。
ヨツンヘイムがあるかどうかは若干心配なところではありましたが、多分あるでしょう。だってそのまま持ってきたわけですし。

あ、葵がどれくらいまで学校に通うかは都合上入れられなかったんですが、次回でちゃんと補足するので大丈夫です。

では、感想ありましたらよろしくお願いします。


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SAO追憶編
追憶編 一話


 七月も後半に差し掛かり、茹だるような暑さは連日のように続いている。朝起きてからしばらくすれば、セミの鳴き声が聞こえてくる。

 

「あぢー」

 

 そんな中、俺は家の縁側でソーダ味のアイスを咥えながら項垂れていた。なぜこんなところにいるかと言うと、自室のエアコンが見事に天寿を全うなされたようで、うんともすんとも言わなくなってしまったのだ。

 

 窓を開けても入ってくるのは生暖かい風のみなので、仕方なく一階で一番涼しい縁側に降りてきたのだが、ここも二階ほどではないにしろ、暑い。

 

 不意に風が駆け抜けた。風自体は生暖かいものの、一気に吹き抜けたからなのか、心地よい風だ。それに加えて、縁側には風鈴が飾ってあるため、涼やかな音と風の相乗効果でよりいっそう涼しく感じた。

 

「あー、こういうのはいいなー。風流だ……」

 

 夏の暑さの合間に見えるほんの一時の涼しさに、しみじみと呟くと、背後から「葵」と呼ばれた。

 

 見ると、そこには薄青色の浴衣に身を包んだ姉貴が悠然と立っていた。彼女はゆっくりとこちらに歩み寄ると、俺の隣に腰を下ろした。

 

「なんだよ」

 

「いや、特に理由はない。ただ、こうやって縁側で話すのも懐かしいと思ってな」

 

「あー……そういえばそうだな」

 

 姉貴に言われ、前にもこんなことがあったことを思い出す。

 

 確かアレはまだ俺たちが子供の頃、小学生になりたての頃だったか。両親が出かけていて、俺たちは華さんと一緒にこうやってベランダで涼んでいたのだ。あの時はまだ柊は生まれていなかったので、俺に椿、薊の三人だったが。

 

「あん時は確か、近くで花火大会やってて、こっからもチラホラ見えたよな」

 

「ああ。そういえば花火大会もそろそろだな。今度久々に行ってみるか。アスナ達も誘って」

 

「そりゃまた面白そうだ。今日辺り誘ってみるか」

 

「そうしよう。だが、とりあえずその話は置いておくとして、葵。懐かしついでだ、SAOのことを話してくれないか?」

 

「SAOの?」

 

「うむ。お前がどんな経験をして、どうやって変わることが出来たのか……。もっと知ってみたいんだよ。私は」

 

 表情がどこか得意げというか、にやけ気味なのはなぜだろうか。話終わった後に「ではそれを踏まえたうえで私と戦おう!」とか言ってくる気満々の気がする。

 

 ……けどまぁ、別に断る理由もないか。

 

「んじゃ、始めますかね。ちょっとした昔話を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 SAOがデスゲームと化してから一ヶ月が経った。ゲーム当初一万人いたSAOプレイヤーは、約八千人と数を減らしていた。最初の一ヶ月だけでおよそ二千人が死亡したのだ。中には自殺したものも含まれるという。

 

 が、このゲームを純粋に楽しんでしまっている俺にとっては、そんなことは大した問題でもなかった。無論、死の恐怖はある。だが、それよりも今は「楽しい」という感情が勝ってしまっているのだ。

 

 現に今も片手剣でモンスターと戦いながら薄い笑みを浮かべてしまっている。相手はレベル6の《ルイン・コボルド・トルーパー》だ。よくあるRPGで言うならばゴブリンのような相手である。

 

 攻撃を避けつつ、的確にコボルドの肉を裂いていく。赤いダメージエフェクトが入り、相手のHPバーが全てなくなったとき、コボルドは破砕音と共に崩壊していった。

 

「こいつで最後か。そっちはどうだ、マシュー」

 

「こっちも終わったでー。つか、アウスト。お前さん、戦うときに笑うのやめーや」

 

「やっぱりそうか?」

 

「そらそやろー。俺ッちは平気やけども、ハッキリ言って不気味やし、あんまり快く思わへん輩もおるやろ。面倒ごと避けたいなら、自重すべきやで」

 

 剣をしまいながら忠告されてしまった。まぁ確かにそういわれてみればそうかもしれない。

 

「ああ、そだな。そうしてみるよ」

 

「うむ」

 

 満足げに頷くマシュー。

 

 彼と出会ったのは、俺が《はじまりの街》から出て最初の村に到着した時だった。不意に話しかけられて、SAOのレクチャーをして欲しいと頼まれた。後々になって聞いてみると、俺がベータテスターだと見抜いたらしい。

 

 それから俺たちはつるむ様になり、今もこうしてパーティを組んで第一層の迷宮区へ向けて進んでいる。

 

「にしてもすまんなぁ、アウスト。俺ッちのせいで他のプレイヤーに遅れてしもうて」

 

「別に良いさ。急いで攻略したって良いことはない。のんびりしすぎるのもどうかとは思うけどな」

 

 談笑しながら森に入る。昼過ぎの森の中には木漏れ日が差し込み、暗さはあるが視界が悪いということもない。モンスターの影もないので、非常にのどかな雰囲気だ。

 

 けれど、不意に耳に甲高い金属音が入った。音の方角は俺たちから見て右手の方角だ。誰かがモンスターと闘っているのだろうと、最初は気にせずに素通りするはずだった。

 

 が、金属音と共に聞こえてきた声は、「うわっ!?」とか「うぐッ!!」とか、悲鳴にも似た声だった。

 

「ちょっとやばそうやない?」

 

 マシューもその声に気が付いたようで、なんともいえない表情をしている。俺もそれはなんとなく分かっていた。SAO内において、モンスターもまた攻撃を受ければ悲鳴を上げる。

 

 だが、先ほどから聞こえてくるのは、プレイヤーのものと思われる悲鳴が殆どを占めていて、モンスターの悲鳴は余り聞こえてこない。ということは苦戦しているということだろう。ここは第一層であるので、そこまで強いモンスターは出ないはずなのだが……。

 

「声からして女の子ってとこか? ……仕方ねぇ、加勢するぞ」

 

「お、アウストは女に弱いタイプかいな」

 

「ちげぇよ。ここまで気がついてんのに加勢しなくて死なれたら寝覚めが悪いだろうが」

 

「そらそやな」

 

 マシューもそれには同意したようで、俺たちは片手剣を抜いて声のする方へ向けて走る。

 

 茂みを掻き分けながら森の中を進むと、先ほど俺たちが闘ったコボルドと同系統のモンスターが、女性プレイヤーへ向けて鉈を思わせる剣を振りかぶっていた。女性と言っても、年齢は十四、五歳と言ったところだろうか。

 

 少女は尻餅をついていて避けられる様子がない。さすがにあの角度から剣が入ると、大きなダメージとなる。それと、先ほど聞こえていた少女の悲鳴から察するに、HPはイエロー一歩手前か、既にイエローに突入しているかもしれない。

 

 さすがに目の前でプレイヤーが殺されるのは、非常によろしくない。これが普通のゲームだったなら、見捨てていたかもしれないが、今のこのゲームはデスゲーム。ここでの死が現実の死に直結する。

 

 ……さすがに女を見捨てたとあっちゃ、男が廃るってな!

 

 速度を上げた俺は隣のマシューを振り切って、少女の前に躍り出る。そのままコボルドの剣を弾く。

 

 甲高い金属音と共に火花が散った。コボルドはいきなりの乱入者に動揺したような素振りを見せた。それを見逃さずに、コボルドの肩から胸にかけてを斬り付け、仰け反ったところに追撃を仕掛ける。

 

 それを二回ほど繰り返すと、コボルドの体にノイズが走り、その体はポリゴンの欠片となって砕け散った。

 

 毎度毎度思うことだが、この光景だけは妙に綺麗に感じる。

 

 モンスターを倒したことで得られる報酬を受け取ると、マシューと少女の方へ足を向ける。

 

「マシュー、そっちは問題ないか?」

 

「俺ッちは大丈夫やでー。まぁこの子は危ないトコみたいやったけど」

 

 彼の隣にいる少女は、呆けた表情をしており、俺やマシューのことを何度か見やっていた。

 

「アンタ、大丈夫か?」

 

 声をかけてから少女に手をさし伸ばすと、彼女は「う、うん」と返答に詰まりつつも手を握り返した。少しだけ力を入れて彼女を立たせると、少女は尻の辺りを軽く叩いた。

 

「あ、助けてくれてありがと!」

 

「礼はいいさ。ただの気まぐれだ」

 

「そんなこと言うてー。ホントは恥ずかしいだけやないのー? いででッ!?」

 

 マシューがなにやら言っていたので耳を抓っておいた。

 

「にしても、危ないトコだったな。あと少し俺たちが来るのが遅れてたら……」

 

「うん、間違いなく死んでたね」

 

 意外なことに彼女は冷静であった。生死を分けたかもしれないあの状況の後なのだから、もっと取り乱したり恐怖で震えるものかとも思ったのだが、存外タフなのかもしれない。

 

「あらためて、助けてくれてありがとう。何かお礼をしたほうがいいよね」

 

「いや、礼なんていいさ。なぁマシュー」

 

「そないなことよりいい加減抓るのやめてくれへんかなぁ!?」

 

 そうだった。何かを握っていると思ったら彼の耳だった。

 

 すぐに解放してやると、マシューは耳を摩ったあと俺を睨んできた。とりあえずそれを無視して俺は続ける。

 

「本当に礼はいいんだ。アンタを助けたのだって結構気まぐれだしな。偶々通りかかった時に苦戦してる声が聞こえたから加勢に入っただけさ。だから、ホラ」

 

 俺は先ほどのコボルドからドロップした小額のコルと、素材をオブジェクト化させて彼女に差し出す。

 

「これ返す。元はといえばアンタが相手にしてたモンスターだからな。横取りみたいなことして悪かった」

 

「い、いいよ別に! それに闘ってはいたけど、アイテムとかのドロップを狙ってたわけじゃないし」

 

 彼女は俺の手を押し返してアイテムの受け取りを拒否した。まぁ、本人がいらないというならばこれ以上余計なことはすまい、と俺はオブジェクト化させたアイテムを戻してアイテムウィンドウを閉じた。

 

「にしても、お前さん女一人でここまで来たんか?」

 

「そうだけど……何か変だったりする?」

 

 マシューの問いに彼女は怪訝な表情をしながら首をかしげた。

 

「いんや、別に変とは言わへんけども。ただ、アンタみたいなんはパーティ組んどるもんかと思うてな。アウストもそう思うやろ?」

 

「まぁ、な。アンタの戦い方、明らかに戦いなれてないって感じだったし」

 

 実際この言葉は変なところがある。俺のようなベータテスターでもない限り、VRMMOで闘うのは殆どの連中が始めてだろう。

 

 だから、彼女が闘い馴れていないのは当たり前なのだ。現実世界でスポーツをやっていたとしても、瞬発力と反射神経だけでは戦えない。

 

 彼女の戦い方をただ一言で言い表すとすれば……。

 

「ただ闇雲に闘ってきたのか、アンタ」

 

 言うと、彼女は一瞬だけ肩を震わせて苦笑いを浮かべる。

 

「あー……わかっちゃう?」

 

 どうやら図星だったようだ。彼女は頬を掻いたあと、少し悩んだ様子であったが、静かに語り始めた。

 

「えっと、初めて会った君達にこんなこと話すのも変かと思うんだけど……。私ね、はじまりの街から出てきたの最近なんだ。最初は怖くて、他の皆と同じように外から助けがくるのを待ってた。でも、塞ぎこんでる時に、なんか違うなって思ったの」

 

「違うってなにが?」

 

「現実世界の私と、ここにいる私。どっちも同じ私のはずなのに、こっちの私は怖さでガタガタ震えてるだけ。でも、現実世界にいたときの私は、怖いことがあっても、不安なことがあっても立ち向かってた。そのギャップに嫌気がさしたんだよ。いつまでもウジウジ腐ってるのも馬鹿らしくなってきたから、もうこうなったら『ゲーム攻略してやろうじゃない!』って思ったわけ。で、街から出てきたはいいけど、なにせVRMMOなんて初めてだから、色々難しくてさ。教えてもらおうにも、皆街から出て来ようとしないから、今まで一人でやってきたってわけ。さっきだってこれからどうしようかなーって思ってたし」

 

 苦笑交じりに彼女は自身がここまで来た経緯を話してくれた。マシューは肩を竦めていたが、俺は内心でかなり芯の強い少女だと思った。同時に、無謀すぎるとも思った。

 

 だからなのだろうか。俺が思いがけずこんな言葉を漏らしてしまったのは。

 

「……だったら、俺らと一緒に来るか?」

 

「え?」

 

「あぁいや、変な意味はないぞ。ただ、戦い方が危なっかしくて見てらんないんだ。このまま放っておいたら必ず死ぬだろうしな。そうなったらここで助けなかった俺の寝覚めが悪くなる。だから、しばらく俺らにくっ付いて来れば、一人前には戦えるようになると思っただけさ」

 

 言い出してしまったら止まらなかった。なぜこの少女にここまで肩入れするのかは、自分でも分からない。けれど、気に入ったのだと思う。彼女の真っ直ぐというか、自分に正直な生き方に。

 

 ……俺とは、まったく違う感じだしな。

 

 現実世界での自分と照らし合わせてみると、本当に彼女は自分とは真逆の存在と思える。そんな彼女だからこそ興味を惹かれたのだろう。

 

「アウストはこう言っとるけど、どないする? 俺ッちはいっこうにかまわへんけど」

 

 マシューも彼女に問う。別にここで彼女が断っても構わない。選択するのは彼女自身だ。俺たちが下手に口を出すことではない。

 

 彼女は口元に手を当てて考える素振りを見せると、俺たちの顔を交互に眺めてから頷いた。

 

「うん。それじゃあ、二人について行くよ。二人とも、下心と全然なさそうだし」

 

「下心って……その気はないって言ってんだろ。第一、ハナッからその気なら、アイテムをアンタに返そうなんてしないっつの」

 

「わかんないよー? 優しい顔して近づいてくるゲス男はいっぱいいるからね。まぁでも、二人はそんなこと微塵も考えてなさそうな顔だから安心したよ。良い人なんだね、アウスト君とマシュー君は」

 

「わかってもらえたようで何よりだ。あと、アウスト君ってのはやめてくれ。君付けさん付けは性にあわねぇ。呼び捨てでいい」

 

「俺ッちも呼び捨てで構わへんでー」

 

 俺たちが言うと、彼女は頷いた後に自身の胸に手を当てる。

 

「それじゃあ、私も自己紹介ね。ヨミっていうの。改めてよろしくね、アウスト、マシュー」

 

 そうしてヨミは握手を求めてきた。俺とマシューはそれに答えてから彼女とフレンド登録して、パーティ申請を行った。これでお互いの生存やHP、アバターネームが見えるようになった。

 

「んじゃ、ぼちぼち行くか。初心者のレクチャーも兼ねてな」

 

「お願いしまーす」

 

 とりあえず目指すべきは、第一層のボスが潜む迷宮区に一番近い町《トールバーナ》だ。俺はマシューをゆったり進んできたので、早いヤツらならもうそろそろ到着している頃だろう。

 

 トールバーナがある北を目指して、俺たちは話をしながら森を進む。話と言っても、リアルでの話ではなく、ゲーム内での話だ。まぁその大半はヨミに対するレクチャーが占めていたが。

 

 無論ただ話しているだけではなく、何度か戦闘を行った。主に、俺とマシューがヨミに対して、立ち回りを解説しながらだったので、非常に長い時間を使った。そして、森を抜ける直前の戦闘の後、ふとヨミが問う。

 

「ねぇねぇ、アウスト。ちょっと聞きたいんだけど、いい?」

 

「俺の知ってる範疇であれば答えるぜ」

 

「うん。この辺りのモンスターってはじまりの街近くのモンスターと違って、二足歩行するヤツが多いけどなんで? あと、第一層のボスってどんなヤツ?」

 

「順に説明していくと、この辺は周りを見て分かるとおり、チラホラ人工物っぽいもんが転がってるだろ。だからここら辺は自然に侵食された遺跡って感じのフィールドなんだ。ただのRPGなんかでも、遺跡にいるのは骸骨の兵士だとか、オークだとかゴブリンだとかが多いだろ? それがこのゲームだとコボルドだって話だ。因みに言っとくと、はじまりの街の周りの草原フィールドから、北西に行くとここよりももっと深い森があって、北東には湖とか沼が広がってる。んで、そこを抜けると、この辺と似通った遺跡があったりする。それぞれフィールドにあったモンスターが出るように設定してある。湖沼地帯なら魚みたいな鱗のあるヤツとか、トカゲみたいなヤツとかな」

 

「あー、そういう感じなわけねー。じゃあ、他の遺跡にもコボルドが出るの?」

 

 首をかしげて聞いてくるので、一度頷いてから答える。

 

「ああ。一層はコボルドが多い印象がある。特に迷宮区にはコボルドしか出ない。まぁそれはフロアボスが関係してるんだけどな」

 

「フロアボスが?」

 

「第一層のフロアボスの名前は《イルファング・ザ・コボルドロード》。言っちまえばコボルド達の首領だな。確か、イルファングの周りには《ルインコボルド・センチネル》っていう鎧着込んだちょっと上級のコボルドが出てくる。だからコボルドの首領なわけだ。因みに、イルファングは結構でかい」

 

「なるほどねー。攻略するなら何人くらい必要なの?」

 

「三十人から四十人いれば充分かもな。でもこれは、充分な装備と、充分な戦闘経験がある奴らを集めた場合な」

 

「ようするに、ベータテスター三十人から四十人で挑んだ方が危険がないっちゅうわけやな」

 

 マシューの言うとおりである。俺が言ったのは、ベータテスターがそれだけ揃った状態なら、無理なくクリアできるだろうという希望的観測だ。

 

 つまり、もし先ほどの数がベータテスター十人、そうでないプレイヤー三十人だった場合は、非常に危険である。

 

「もしもだけど、ベータテスターが誰もいない状態で挑んだら……?」

 

 やや顔が引き攣ったヨミが不安げに聞いてきたが、俺はそれに容赦なくきっぱりと言った。

 

「最悪の場合は全滅。よくて五人から十人が生き残るくらいだろうな。運がよければそれ以上が生き残るかもしれねぇけど。まぁ俺たちはまだまだ相手にすることはないから、その辺は安心していいぜ」

 

「せやなー。ヨミのこともあるし、俺ッちかてまだまだやし。けど、このゲームに閉じ込められてるうちは、いつかはフロアボスとも戦うわな」

 

「ああ。絶対に戦うことになる。ヨミ、もしもそれが嫌なら……」

 

「はじまりの街に引きこもってろって言うんでしょ? 嫌だよ、あそこで縮こまってるのは。だから、覚悟はあるよ」

 

 ヨミの瞳には、若干の不安の色があったものの、完全に恐怖しているわけではなさそうだ。寧ろ、「やってやる」という強さがあった。

 

 ……強い女だ。

 

 その姿はどこか俺の姉を髣髴とさせる。あの人の場合は強すぎるのだが……。

 

「じゃあここで強敵を相手にするときの心構えを教えといてやろう。フロアボスにも通じることがあるから、よく聞いとけよ」

 

 俺の声にヨミは首をかしげ、マシューは怪訝な表情をした。

 

「絶対に相手に雰囲気に呑まれるな。フロアボスなり、他の中ボスなりは、体がでかくて、顔も凶悪だ。いくら怖くても、自分の魂を鼓舞し続けろ。そうすれば、怖くなんてなくなるさ。って、これはある人からの受け売りなんだけどな」

 

 ややくさめの言葉を言ってしまったので、二人には笑われるかと思ったが、返ってきたのは意外にも失笑などではなかった。

 

「……魂を鼓舞し続けろ、か。良いこと言うねその人」

 

「確かになぁ。アウスト、それって憧れの人だったりするん?」

 

「憧れ……まぁそうかもな。あの人は、いつも俺の先を歩いてて、いつもかっこよかった」

 

「それ詳しく聞かせてみー?」

 

 ニヨニヨと下品に笑うマシュー。なんとなくその顔がムカついたので、とりあえず裏拳を叩き込んだ。

 

「バッ!?」

 

「オンラインゲームでリアルの話をするのはマナー違反だ」

 

「けちー」

 

「ケチで結構。ほれ、日が暮れる前に適当な村に行くぞ。夜は夜で面倒くさいからな」

 

 俺は肩を竦めたあと森を抜けるために歩き出す。ここをもうしばらく進めば、小さな村にたどり着く。村に着けば、ある程度の休憩は出来るはずだ。そこから更に進めば、いよいよフロアボスの待つ迷宮区だが、ヨミもいることだし見送ることになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「ほい。これで第一層の目立った話は終了」

 

「もうか?」

 

 アイスを食べきったので、棒を近くのゴミ箱に投げ入れながら言うと、姉貴は怪訝な表情をした。

 

「フロアボスの攻略はどうした?」

 

「だから、話しただろ。ヨミはまだ初心者の域を出なかったし、準備が不充分だった。しばらくはレベル上げだったよ。そんなことばっかりしてたら、いつの間にかキリト達が第一層のフロアボスを攻略してたってわけ」

 

 肩を竦めながら言うと、姉貴は詰まらなそうに小さな溜息をついた。が、すぐに頷くと、続き話せというように掌をこちらに向けた。

 

「まぁまだ七十四層分残っている。さぁ話せ」

 

「やっぱりかよ。けど、流石に今日一日で全部は無理だぞ。最低三日はかかるかも」

 

「構わんさ。あと、お前が必要ないと感じた話は端折ってくれていい」

 

「りょーかい。あーぁ、長くなりそうだまったく……」

 

 溜息をつきながらも、俺は再びSAOの追憶を始めた。




お待たせしました。
とは言っても追憶編です。これはそこまで連続で投稿するわけではありません。ちょいちょい小出しにしていく感じです。
なので、次回からはGGOの前日談をするかもしれません。

また、今は忙しい時が多いので、投稿が行き詰るかもしれませんが、それでも続くけては行くので、がんばりたいと思います。



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