シンデレラ殺しの魔法使い (ウィルソン・フィリップス)
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ツジアヤ 登場するの巻
魔法使い不在の物語


 昔、お姫様よりも魔法使いになりたいという女がいた。

 確かに魔法は使えたし、王子様に出会えた女の子はいたが、魔法使いはかわいそうに殺人鬼に殺されてしまった。

 これは別にお伽噺でもなんでもない。

 どこにでもある、そう、たとえば地方都市の片隅で起こりそうな、そういうありがちな話だった。

 

 

 

 

 そこだけを覚えていた。

 

 

 

 

 

 私はふと吊革につかまる自身の指をみて、それがいつもよりも骨ばり、まるでテレビか何かで見たような均整がとれた指であることに気づいた。

爪は美しくつやをおびて並び、指先から根元まで太さの変わらない、とても美しい指が異様に不気味に感じだのだ。そのまま腕をたどれば、まるで無駄なところなどない、かよわさを演出するような二の腕があった。それこそ女であるはずのなら求めていたには違いないが、そんなことは問題ではない。

 気持ちが悪いのだ。

 吊革から手を離してじっくりと観察すれば指紋もちがうような気がするし、透けて見えるミミズのように這い回る血管には身に覚えがない。まるで死体の腕をそのままくっつけたかのようだ。

 この気色の悪さはどこまで続くのかと二の腕をさすってみて、それから鎖骨と首と、そして顔に触る。肌触りさえいつもとは違う。肌の下の骨の位置も違う気がする。

 言いようのない気色の悪さが、いよいよ吐き気と恐怖にかわる。どうしようもない嫌な予感が肺まで満たし、急に人目が気になった。私は今どうみえている? 突然背後に聞こえる女子生徒の笑い声や後ろのサラリーマンの呼吸が大きく聞こえる。

 目だけをギョロギョロと動かせば、電車の窓はいつの間にか人のまばらなホームに入ろうとしていた。ホームの端にお手洗いのマークを見つければ、顔を上げないようにして電車から抜け出す。

 

 

 一心不乱にはいった駅の洗面所が、誰もいないことにホッとして、ようやく視線をあげる。

 それから血の気がひいていく。

 

 

 

 

 腰まで届く長い髪を奇妙に結い上げた女が、そこにはいた。

 奇妙なその女はペタペタと馬鹿みたいに体中を触る。無論、私がする動作と全く同じにだ。掻きむしったところで腕は痛いし、鏡に映る腕も赤い筋ができるだけだ。

 鏡から視線をそらし、抱えていたバッグをあたりにぶちまける。数学IIの教科書に、手垢のついた英単語帳。ハンカチ、リップ、手鏡に、櫛、ポーチ、手帳、財布。そしてやっと内ポケットに学生証をみつけて動きを止める。それがディスプレイなどではなく鏡であり、つまりはそれが私だった。

 

「私なのか?」

 

 これが見知らぬ、ただの女なら大混乱だったが、生憎とこころあたりが、正確に言えばその髪型と名前にはにはあった。そしてその結末も知っている。

 

 

 名前は「辻彩」。

 

 

 魔法使いで、低血圧で、信念があり、そして殺される女だった。

 

 

 シンデレラに出てくる魔法使いになりたい。そう言った彼女に対する感動をしっかりと覚えていた。ついでに、あの露骨なブスの書き方と言いようには男性作者特有の偏見かとも思ったことも。

 

「辻彩、シンデレラ、  」

 

 その女は今、鏡の中にいる。

 私と同じ動きをするばかりで、一体何がしたかったのか、それとも死んでしまったのかもわからない。不幸にもその女はいまだ高校生で、そして何より、学生証には見覚えのある町名があった。

 

 物語が始まる前に、魔法使いを殺してしまった愚かな元読者は、どうしたいかもわからず流されるままにもう一度電車に乗ることにする。行先は杜王町。

 

 

 殺人鬼と悪霊の棲む街だ。

 

 

 



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岸辺露伴(天国への扉)の巻
ザ・スタンド


「アヤ、なんでそんなところにいるのよ」

 

 そんなことは私が聞きたい。

 慌てているのか、物忘れなのか、それとも思い出せないだけなのか。とにかく、どうしても今後の"殺される流れ"を思い出せずもやもやとしていた。わかっていることから順々につぶそうとは思うのだが、なにぶん駅までの場所までもわからない今のお粗末な状態では、日常生活に慣れることで精一杯だった。

 

「……ちょっと考え事」

「物憂げに窓の外なんて……って、おっと年下狙い?」

「いや、彼独特な髪形をしているよねっと思って。そういう意味じゃないよ」

「ま、そうだよね」

 

 

 無論そういう意味ではない、進捗確認だ。

 

 どういうわけか未だアンジェロ岩のない街で「ツジアヤ」は女子高生をしていた。それは自身が死なない、苦しい死に方をしなくていい兆候だとも思えたが、同時に嫌な前兆だとも感じていた。

 「辻彩」という女は死ぬ、そうでなければ話は進まないのだ。

 だが、それでも話は進んでしまったら?

 殺人鬼はそこで死ぬのか?

 それとも、やはり死ぬのか? 考えても終わりのない考えが頭を占め、一日に何度となく行われる現状確認と、町中の散策へと駆り立てていた。

 

 

「ほんと、そういう意味じゃないんだから」

 

 

 

 

/////////////////////////////////

 

 

 

 

 週に一回、都合の合うときなら週に3回以上はサンジェルマンのテラスでコーヒーを飲んでいた。確かあの殺人鬼はランチにサンドウィッチかクロワッサンか、会社の昼休みに食べていたはずだ。そこがサンジェルマンか否かも思い出せない。それでもこのカフェは「名所」で人通りも多い。駅前で毎朝顔もわからない殺人鬼を探すよりはましなように思えたのだ。

 

 すぐそこの雑貨屋で買ったやたらとざらざらとした感触のノートに、通りがかる住人達を書き留めていく。特徴的な耳殻、その体には不恰好すぎるストライプの入ったスーツ、不必要に整えられたひげ、高い鷲のような鼻。デジカメも、使い捨てカメラも高校生の財政事情では使えず、すらすらと書き留めるだけだ。

 

 まだ寒い春から苦行のように続けていた作業だが、すでに自身を痛めつけるロードワークから何かのライフワークになっていた。眼と手を動かしながら、宛てもないことを考えていた。

 

 

 

「君はひょっとして画家何かを志望しているのか?」

 

 

 

 顔をあげればすでに3回ノートに登場している男、緑色のぎざぎざとしたヘアバンドに、細い体、節ばった長い指を持つ男がそこにはいた。

 

 

 

「だとしたら考え直したほうがいい。これでは売れないだろう」

 

 

 

 腕を組み、顎に手を当てたさも批評家のようなその態度にイラつくが、そんな様子を知ってかしらずか男の尋問は続く。

 

「私は画家じゃないです、そのうちエステティシャンになるんじゃないですかね?」

「なるほど、だから人の姿かたちが気になったと?」

 あなたのお姉ちゃんを殺した奴に、殺されなければなるかもねと強烈な皮肉を心のうちに続ける。

 

「だとしたら、美容を扱う人間として雑すぎだ。人の特徴ばかりで何も描いていない。ただのメモだ」

 鋭い。

 この失礼な態度をとる登場人物にいら立ちを隠せない。この男の言うとおりだったからだ。この街に来たばかりの私は登場人物を目の前にしてきちんとその人だと判別できるのか不安だった。なにぶん、過去の記憶はデフォルメ化された絵柄で、目の前にいるその人はただの人間だ。殺人鬼を目の前にしてその男が殺人鬼である事を判断できるか、助力を求めるにしろ肝心の相手が登場人物であることを見逃す可能性があったのだ。

 だがこの男に関してはその心配が無用に終わりそうだ。何しろその鼻も背格好も歩き方も、まさに、そうそのままに想像していたものと一緒だったのだ。

 

「人の夢にケチつけないでくれません?」

「そうだな。だが、あまりに君に似合っていない感じでね」

 

 初対面の、そして登場人物がいう悪びれないセリフが琴線に触れ、言い返してみる。

 

「だったら何が似合いそうなんです?」

「……どこにでもいる、平凡な女性」

 回答になっていない回答なのに、まるで心底真面目に答えているその姿に飽きれる。

 失礼だ。この男、20歳の社会人という立場でありながら初対面の女に、黙っていればいいものを失礼な言葉を吐いている。これが漫画家というものなのか。いや、違うか。

 

「喧嘩なら買いますよ。岸辺さん」

 そういって向かいの席を勧める。

「おや、読者か?」

「ええ、ただの読者です」

 

 ただし、ジョジョの奇妙な冒険の。

 

 

 こうして、空条承太郎が噴水で亀と戯れる叔父に出会う一方で、私は漫画家に出会っていた。

 物語は幕を開ける。

 



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天才漫画家に勝つ方法

「何の目的があってそんなスケッチをしているんだい?」

 

「暇つぶしです」

 

 

 にべもなく言い切る。

 案の定漫画家はその答えに満足しないらしく、ノートをつつきながらさらに続ける。

 

「暇つぶしを数か月も? 最初は曲を聴きながらだったのに、今じゃペンばかり走らせている」

 テラスでのスケッチは想定以上に目立っていたようだ。

 随分と前から気づいていたのだろう。CDプレイヤーを使っていた頃などだいぶ初期の方だ。それに緑のヘアバンドを見かけた途端目をつけられないよう、視線を外したり、席を立ったりして目を合わせないよう努めていたが、それもどうやら無意味ということだろう。

 だがしょうがないとも思う。テラスにずっといたが、この岸辺露伴という男は毎日通学で通る東方や広瀬並みに目撃頻度が高いのだ。フットワークが軽すぎだろう。

 

 

 そうこう考えているうちに、今度は勝手にノートを取り上げぱらぱらとめくり始めていた。

 

「もし絵の上達のためだと言うのなら尚更おかしい。ノートの最初のページから君の絵は全く上達していない。スピードは速くなれど、絵に工夫をするという意図が全く見受けられない」

 

 岸辺は勝手にノートをめくりながら指摘する。

 彼の指摘は最もだった。例え小学生でも、これほど書けば少しは上達するだろう。

 

「貴方に関係ないでしょう」

「関係あるね、僕が、気になるんだ」

 

 ああ、本当にこの人はなんというか、漫画家だなあ、と思う。

 こういうのを天才というのか、いや違うか。

 

「わざわざ君のような若い女が友人と遊ぶ時間まで削って行う、非創造的な暇つぶし。それを行う君のメンタリティー、色々と推測はできてもやはり確信まではいけない。僕はそこに、非常に興味がそそられる」

 そういって男は目を少し細める。

 

 まずい。まずいな、これはまずい。

 このまま「答え」を出し渋り、反抗的な態度をとれば、その時には「天国への扉」がくるだろう。いまこの時点で彼の「漫画」がどの程度の成長段階にあるかはわからない。

 だが、もし、万が一だが。

 彼と私の波長があい、さらには彼の能力が既に一瞬で拘束力をもつようになっていたのなら、私の様子見という目的にはかなわないし、何より恐らくこの街で最凶の能力者たるこの男に最悪の印象を与えてしまう。

 特に最悪なのが、よりにもよって岸辺露伴だということだ。

 もし運悪く、この男の興味を、いや正確に言うなら取材対象足りうる面白さを私に見出したなら、私はただの本となり毟り取られて死ぬか、操り人形になり下がる。

 この男と接触するのはもっと後の予定なのに、まさかこんなつまらない女に向こうから接触してくるなんて大誤算である。

 

 

「貴方はそれを知ってどうするんです? 」

 

 無論その答えを読者たる私は知っていた。

 

「僕の漫画の材料にする」

 

 岸辺露伴の目的は、恐らくいつもテラスで絵ばかり描いている謎の女の行動の心情を理解し、取材することだ。だったら逆にこの不可思議な女を凡庸に貶め、尚且つそれを上回る別の価値のあるネタが彼の前にぶら下げればよい。より緊急性があり、より人間性に踏み入る内容の話だ。

 

 わざと一旦視線を左上に向け、それから一度唾を飲み込み、ためを作る。

「……人を、探してるんです」

 他人の情景を盗用するなんて、なんとも最低だとは思っている。しかしこの男を切り抜けるにはこれしか思いつかなかった。

「誰を?」

「その、男の人を」

「名前は?」

「知らないです」

「背格好は職業は?趣味、職歴、年齢は?」

 

 しつこい、しつこい、しつこい。

 瞬きをしないよう、防御姿勢をとらないようにするので精一杯だ。

 よほど興味があるのか。だが、この男から私に対する興味を失わさせなければならない。

 

「知らないです」

 チープでしょうもない、ありがちな女の思考回路をこの男に提供しなければならない。細心の注意を払って、自然な微笑みを浮かべる。

 

「前にここで私が風邪で朦朧としていた時に缶珈琲とハンカチをくれたんです」

「で?」

「それだけです」

 急に岸辺は失望した顔をする。

「それだけか? それで恋したとでも?」

「まさか、ただお礼が言いたいだけですよ。それに風邪で朦朧としていて何話したかも覚えてません」

「何とも乙女チックな話だな。今時そんな話が流行るのか?」

「知らないですよ。だからこれは私の暇つぶしなんです。覚えてもいない顔を探してるんです。私の綺麗な思い出に細やかな感傷をつけようとする作業にくちださないでください」

「ありがちな話だな」

「でしょう? それに、もう少ししたら止めますよ」

「なんだ、飽きたのか?」

「惰性で続けてたようなものです。貴方に会えてようやく踏ん切りもつきました」

 極め付けに余裕そうな顔で微笑んでやる。

 岸辺露伴の追求は止まった。

 

 完璧、正に完璧な感傷に浸る脳みそがお花畑のクソ女を出せたと思う。

 無論先程の缶コーヒー云々など口から出まかせである。そもそも、風邪の時に助けてもらったエピソードは東方の話だ。東方はその思い出を指針に、信念を持って生きてきた。だからこそ彼の行動は輝く。……だが、私の演じるクソ女はどうだろうか。

 切り貼りした黄金の景色は、なんの信念もない下らない感傷によって完全に褪せている。まさに彼の言う、グッとくる。そういう人間からはほど遠いだろう。だが、それこそが私の今振る舞うべき人間像だ。

 

「残念だ」

「ええ、私もお役に立てず残念です」

 こんなくだらないミスで、頭の中をみられてたまるか。岸辺露伴という難敵をやり過ごした喜びに口角が上がりそうになるのを堪える。

 

「それではこのあたりで失礼します。夕飯の支度をしなくてはならないので」

 

 つとめて慌てないように立ち上がり、岸辺の手にあるノートを取り返そうとした。

 その時だった。

 

 

『待て』

 

 

 謎の言葉によって、伸ばした手は止まっていた。

 いや、そうではない。

 わかってはいた。これは岸辺が私に向けて発した言葉だと。しかしそうじゃない、問題なのはそうではない。

 

 

 

 動かせなかったのだ。

 

 

 

 動かせない状況とか、そんな意味じゃない。腕を動かそうと、首を振ろうと、足をあけようとも、体は動かなかった。頭では動かしているつもりなのに、実際は微動だにしていない。それはまるで身体が勝手に別の命令で動いているように。

 そう、まるで『天国への扉』を発動させたかのようだった。

 

 

「座りたまえよ」

 

 

 私の身体は再び椅子の背に重心を預ける。リラックスした体勢とは裏腹に、冷や汗がダラダラとでていた。

 

 なぜ? どうして?

 もちろん私は彼の漫画など読んじゃいない。

 

 いったいどのタイミングで?

 そんな隙はなかったはずだ。

 

「やはり奇妙だ。ツジアヤ」

 

 もう記憶を読まれている。

「ツジアヤ、年齢は26歳、職業は高校生。未だ処女で、お腹に盲腸の手術痕があり、自慢は一度も病気になっていないこと。一人っ子で、年の離れた弟にコンプレックスを持つ。ますます、興味深い……まるでバラバラだ」

 

 まさか自分が「そういうこと」になっていたなんて初めて知ったが、驚いている暇はなかった。

 こうしているうちにも進行は進みすでに握力はない。ノートを掴もうとした手はイラストのあるページの上に、パラバラとロール紙のように崩れていった。

 岸辺は構わず本になってしまった私を読んでいる。屈辱だ。この男は確か見知らぬ少女の初潮まで読むようなクソ野郎ではなかったか? まるで知らない相手に自身のケツの穴を晒すような情のない状況に、怒りと羞恥心で顔が真っ赤になっているのを感じる。

 

「君の記憶は奇妙に途切れ、更には明らかに矛盾している箇所がある。まるで『別人の』記憶と混ざっているみたいだ」

 

 ご名答、正解者には賞品を、ってか? ふざけるな、これ以上見られてたまるか。

 

 

「どうして身体が動かないの? 貴方私に何かしたの?!」

 興味を本からズラさなければならない

 

「演技する必要はないぜ? 君が『岸辺露伴』を知っているとここに書いてある。おやおや……何回カフェの前を通ったのか、僕の家の位置まで……熱狂的なファンなのか?」

「そうよ、貴方のファンよ!」

「……いいや違うな。この僕の『天国への扉』を知っている。ナント、効果や射程距離。今後の成長まで書いてあるじゃないか? ははーん、だから本にされてから注意を逸らすべくペラペラ話し出しているのか」

 

 ダメだ、作戦を立てたところでたちどころに読まれてしまう。

 承太郎も言ったが、 思考をよまれたらどうしようもない。突破口を探すべきなのに、頭の中はどうしてとか、まるで役に立たない思考でいっぱいだった。

「焦っているな? なぜ『天国への扉』の攻撃を受けたのか疑問に思っている。なるほど、効果は知っていても使い所が分かるわけじゃないようだ。……お礼代わりに教えてあげよう」

 

 岸辺はわざとらしく、テーブルの上に開かれたままのノートをトントンとつついて見せた。

 そこには、ノートには拙いスケッチの合間に、明らかに違うタッチの『コートを着た少年のイラスト』があった。

 

 ……ああ、そうだ。思い出した。

 広瀬康一も言っていたじゃないか?

 岸辺露伴というスタンド使いの倫理観、そして服従させるという能力も充分に脅威だが、最も気をつけるべきは、その『スピード』だと。

 

 この男は話の内容に私の意識を集中させる一方で、ノートに漫画を描き、なおかつパラパラ漫画にすることで、私に漫画が見えていることを気づかせなかったのだ。

 なんと巧妙。

 なんと卑劣。

 この漫画家には紳士さの欠片もない。

 

「今までこんな奇妙なことはなかった。いや、不自然な知識と記述にもそうだが、『天国への扉』という脅威と、『僕』という人間性を知って尚、数ヶ月に渡り人通りの多いカフェに姿を晒すなんて行動をし続けた思考回路! 全くもって興味深いッ!」

 

 彼は視線を紙面からずらさないまま、 狂人じみた笑みを漏らしていう。

 

 

 

「こいつは僕の家で資料の読み込みが必要だなぁ?」

 

 

 

 指先に見える『岸辺露伴に従う』との言葉通り、私はうなづいて立ち上がった。



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漫画家の地雷を踏みに行こう

「読んでいてきづいたのだが、なんとも興味深い記述があるなあ。……そう、どうやらこの街のことが書いてあるらしい『漫画』だ」

 

 岸辺邸の書室で、私のページをめくりながら呟いた。

 きた。

 一番最悪の展開、ネタバレだ。

 

 

「記憶を読むと、『あの漫画』とか『あの記述』とか『あのキャラクター』という単語とともに状況を比較して書いてあるが、キミの手の記憶を読んでもそんな漫画を手にとった記録はない」

 もちろん、辻彩はそんなものは読んでいないからだ。

「どうやってかは知らないが、固有名詞をわざと使わないように記憶している。筋書きは覚えていても、場面を覚えてはいないというようだ。だが、物事をそんな風に覚えられるのか? それとも君の頭がちょいと特殊な構造をしているとでもいうのか?」

 

 ご丁寧に考察してくれている。

「更に興味深いのは、『その漫画』の記述には、この僕の能力も記載があるらしいということだ。……だが少し認識が甘いんじゃないかな?」

 

「ご存知の通り、僕のスタンド『天国への扉』は相手を本にする能力。この能力の前では、君がどんな武器を隠していようとも、秘密も、記憶も、思考さえも、等しく資料として提供される。

 君が工夫したらしいその記憶の仕方も、少し手をかければ簡単に君は僕に教えてくれるだろうさ」

 

 

 例えば私に「正直にすべてを話せ」と書き込むとか?

 だがしかし、漫画家は未だそれを実行していなかった。意外にも冷静にこの情報に穴のある本を冷静に分析しているのだ。一心不乱に漫画を書き始めるのかと思ったがそんな様子はない。読み込んでいる間にスキをつくはずが、それも許されない。

 

「まあ、未来の書いてある漫画なんて、いやはやますます興味深いな。調べる価値がある」

寧ろより冷静に注意深く私を観察しているのだ。

 四肢を封じられた今、この絶望的状況から脱出する方法はもはや交渉しかない。この頭脳プレイヤーに、口八丁で切り抜けるしかないのだ。

 だって私は、スタンド使いではないのだから。

突然謎の力に目覚めて、スタンドが使えるようになるなんてご都合主義は起こらない。私は、しっかりと前を見据えて、息を整えた。

 

 

「……もし私の記憶をネタに漫画を書くっていうのなら、先生。だったら私は一読者として、あんたに岸辺露伴という漫画家を心底軽蔑しなければならないな」

 

「……なんだと?」

 

 その言葉は琴線にふれたのか、記録をめくっていた岸辺の動きがとまる。

 食いつきはいい、興味を持たせることは出来た。次は論理展開だ。ここからはノンストップで、結論までいかなくてはならない。相手を口でねじ伏せなければならない。弱気を見せたら、そこで終了。失敗したら死ぬまで記録を剥ぎ取られ続け、殺人鬼を出し抜く未来とはさよならだ。

 

 努めて、嘲笑で顔を歪ませる。

 

「全く、ピンクダークの少年を読んで、これこそ天才の漫画だ、漫画の神様の再来だ、とか思ったのに、なんだ大した漫画家じゃなかったなぁ?」

 岸辺の眉がますますつりあがる。

 

「いいや、漫画家どころかそれ以下。同人作家レベルだね」

「……言ってくれるじゃないか? 記憶を見られたくないがゆえの煽りか? とっさに思いついた割にはいい出来だ。 僕はその台詞を無視できない。……いいだろう、僕はファンには優しいんだ。そこまで理由を言ってみるといい」

「ーーいいのか? だったら宣言しよう!」

 ここからが逆転劇。 言葉でこいつの鳩尾に一発キツイのをいれてやるのだ。

「あんたが読者が知る最高に素晴らしい漫画家なら、私の記憶はこれ以上読まないッ!」

 

 絶望的状況での勝利宣言。勿論、男の前で人差し指を突きつけてやるのも忘れない。

 岸辺露伴の地雷の上を歩き始めた自覚はあるが、そこで止まりはしない。

 

「私が『その漫画』を読んだかって? この街の未来が描いてある『あの漫画』を?」

 

 私がここで岸辺露伴の追求に、嘘をついて逃げようとするとでも?

 それとも、これが口からでまかせだとでも?

 『天国への扉』に怖気づいて、大人しくない参考資料になるとでも?

 

「そいつはYESだ。私はもちろんその『冒険漫画』を読んだことがある」

 

 まさかの工程に男は未だ余裕を崩さないが、困惑げだ。

 

「私は一部とはいえ、その漫画を通してあんたの過去も、未来も知っているぞ。これからケガをして休載になることも知っている。昔近所の年上の女の子に『露伴ちゃん』と呼ばれていたのも知っている。大体のことは分かるのだ」

 怒涛の勢いで話しまくる。

「だからこの街にいるスタンド使いがどいうかもわかるし、いつどこにいれば、スタンド使い同士の戦いに遭遇するかもわかる。そいつがどんな過去を持っていて、どれほど素晴らしい経験を持っているかもね。あんたには垂涎ものだろう」

 

「それもその漫画に描いてあったからか?」

「そうだ」

 

「だったら、なおさら僕は……」

「いいや、読まないね。問題なのは、未来が書いてあることや、スタンド使いの情報があることなんかじゃあない!」

 

 ピシリと、指を突き付けていってやる。

 

 

 

「あんたにとっちゃご近所の情報でもな、私のなかにあるその知識は、『他の漫画に書いてあったこと』だからだよ!」

 

 

 漫画家はとうとう得意げな顔をやめた。

 

 

「ようやくわかったようだな。貴様がいまやろうとしていることは、他人の漫画に描いてあることをネタにして、自分の漫画に取り入れる盗作行為なんだよ」

「馬鹿な。君の妄想の漫画だろッ!」

「いいや、違うね。妄想なんかじゃない。あの感動は、あの笑いは、あの悲しみは、怒りは、妄想なんかじゃない。この『ツジアヤ』にとって、紛れも無くそれは、未来の知識ではなく、漫画のあらすじで、そしてあんたは尊敬するべき『漫画の作者だ』!!」

 

 滅茶苦茶な論理だ。

 だが、問題は筋が通っているかじゃない。この男のプライドに関わる問題か、否かという事なのだ。

 プライドの高いこの漫画家は、そのプロ意識故に絶対にこの主張を看過できない。

 

「仮にだ、本当に私の妄想だとして、それは私の頭のなかにある話のネタ、ということになる。あんたは、スタンドなんてセコい手を使ってパクって、最高に面白いと思える漫画が作れると思っているのか?!」

 

 私の記憶を読む目的が、最高の漫画を書くことなら、その目的にたる手段であるという前提を崩してやればいい。

 これでこの男は折れるはずだ。

 

 そのままじっと男を見つめる。

 どういう反応をするのか。冷や汗が顎にしたるのを感じる。永遠にも思えた数秒後、漫画家はぼそりと呟いた。

 

 

「……やられたよ」

 

 

「参ったね……話したこともない赤の他人が、明らかに僕という人間を理解している。それは明らかに異常で、その原因はその記憶の中にあるというのに僕は手を出すことが出来ない。完敗だ」

 気づけば、紙になっていた手はいつの間にか元に戻っていた。

 これ以上の害意を見出すことができない。よほどさっきの言葉がきいているのだろう、少し落ち込んだ表情だ。ちょっと可哀想になってフォローの言葉を続ける。

 

「……それに、別に私の記憶がなくても貴方はいい漫画をかくし、少し待っていれば私が読んだ出来事も貴方も自分で経験するさ」

「それは事実か?」

「私にとっては事実だよ。これから貴方は素晴らしい経験をすることになる。ファイルや記憶越しじゃない、その眼で直にね。だが、いまここでこんなズルをしたら、実際に経験した時のリアリティや、臨場感はきっとなくなってしまう。……そんなことをしたら『ピンクダークの少年』にとって大きな損失だよ」

 

 まっすぐと、その青緑の瞳を見据える。

 私より少し高い位置にある綺麗な瞳だ。信念のある人間の瞳だった。

 ああ、想像していた通りの人間なのだと、思う。

 

「はぁ、そこまでファンに言われたんじゃ、やめるしかないじゃないか」

 しばらくだまりこむと、男は格好をくずした。つられて私も臨戦態勢をとく。

「OK、僕は君の記憶をみない。何なら、僕自身に今日あったことを忘れると書き足してもいい」

「ありがとう、岸辺さん。でもそうしてくれるとありがたい。……だけど、どうせ書き込むなら本に描いてあったことを忘れる、っていうのにしてくれるといいなぁ」

「なぜ?」

 想定外の提案までしてくれるとは驚きだった。だが、そこまでやってくれとは思わない。

 私の回答が意外だったのが、素直に聞いてくる。

「だって、好きな漫画の作者と知り合えたんだもん、忘れられたら嫌じゃない?」

 

 

 

 

「……サインはいるかい?」



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IT

 結局、岸辺露伴は天国への扉を使って、私の記憶のなかにあった漫画の知識を忘れるという文言を書き加える事となった。

 

「意外にも緩い制約だな。二度と本にしないとか、そういう文言でなくていいのか?」

「それ以上は逆に私にとって不利になる可能性がある」

時速70キロで吹き飛ぶ、なんて書き込む事態にならないとも限らない。

「ふーん、君がいいならいいさ」

 瞬間、岸辺露伴は右手を自分の左腕にかざした。

 いや、そうではない。よく見ると「本にして読んだ、この世に存在しない漫画の知識を忘れる」と書いてある。思い切りが良いというか、本当に目にも留まらぬスピードで書いて見せた。

 

「……それで結局、あのテラスに座っていた目的は何なんだい? まさか、僕に会うためというわけでもないだろう?」

「あー」

 都合良くそこに関しても忘れてはしないらしい。確かにそれは『あの漫画』に関する知識ではない。

 

「目的は2つある」

 だが別にそこに関して隠そうとは考えない。寧ろ今目的を告げることは、チャンスだと考えていた。

 

「1つは私を殺す殺人鬼を探すこと」

「この先の未来で君は死ぬのか。しかしそれこそ、その漫画にヒント位なんていくらでもあるだろう?」

「何でも詳細に覚えてるわけじゃない。だが問題は、その殺人鬼に会えるか否かではないんだ。これは目的の2つ目にも密接に関わっている」

 

 

「2つ目の目的は、スタンド使いになる事だ」

 

「はあ?」

 

 

 完全に予想外だったのだろう。驚愕で岸辺露伴は目を見開いた。

 

「君は、スタンドが見えない一般人、なのか?」

「そうだよ」

 

 

 そんな事を言ったつもりはない。さも、使えるかのごとく岸辺さんと渡り合ってはいたが、正真正銘このツジアヤちゃんはスタンドは使いではない。恐らくは使えないどころか見えもしないのだろう。こんな状況でレッド・ホット・チリペッパーに遭遇してみろ。軽く死ねる。

 殺人鬼のスタンドに襲われて避けることも出来ない今の状況で、殺人鬼に会いたいと思うか? 答えはNOだ。

 スタンドが使えないという事はスタンド使いに引き寄せられる事はないというメリットもあるが、だからと言って身の安全を信じられるほどお気楽ではない。

 

 きっと私は殺人鬼に出会う。

 何も根拠はないが、確信があった。

 

 そのタイミングはもしかしたら、殺人鬼が顔を変えて逃亡する目的に殺すのではなく、本当に殺人目的かも知れない。そうでなくても、殺される直前になってその能力に目覚めるかもしれない。

 だがいずれにしてもその時が訪れたなら、養豚場の豚みたいにただ殺されるのに怯え、泣き喚きたくはない。死の恐怖に哀れに逃げ惑うなど、二度とするつもりはないのだ。

 

 故に私はスタンド使いになる。

 いな、なるしかない。

 

「という事は、スタンド使いになる手段があるという事なんだな?」

「先日手に傷のある男に不思議なエピソードを聞いてね、……彼は街を歩いていたら何故か矢に射られたと言うんだ」

「……おい、それは僕の射られた、あの矢の事を言っているのか?! あの矢の持ち主を知っているというのか?!」

「持ち主は知っている。だが奴は街を歩く人間をスタンド使いにするために所構わず矢を刺して回っているような男だぜ。そんなやつに『ちょいと貸して下さいね』と言って素直に貸してくれると思うか?」

「どういう人間なのかも調べがついているのか」

「まあね。中々危険なやつだ、そのためには適切なタイミングと、適切なキャスティングが必要だった」

「そのタイミングを、あの場所で探っていたと?」

「然り」

 

 『辻彩』たる私には、「シンデレラ」のスタンド能力が芽生えているはずだった。

 しかし今まで、うんともすんとも言っいない。定期的にイタリア料理店に赴いては見ているが、動くトマトは視界のかけらにチラリとも映ったことはなかった。このままでは丸腰の状態で殺人鬼とご対面というハードな未来を迎えてしまう。

 こうも時期が迫っているのに、矢に射られる気配がないということは、つまりは本当の『辻彩』は矢に射られたことがなかったと結論付けるしかなかった。

 スタンド「シンデレラ」は『辻彩』の技術の研鑽によって発現したものであり、つまりこのままでは、私はスタンドが芽生える可能性は一生ないということになる。

 

 自然に生み出す才覚がないとしても、スタンド使いになる素養がないとは限らない。

 残ったのは『矢』に射られて発現するという可能性だが、私が覚えている矢の持ち主『虹村形兆』は、ちょっと刺すなんて面倒なことはせず全力で喉笛を射抜いてくるサイコ野郎なのである。なんのリスクヘッジも無しに矢を貸してくれなんて交渉はしない。下手したら、出血多量でお陀仏なのだ。

 だからこそ私はあのカフェテラスで、『虹村形兆』と相対しても生存しうる人物、例えば『東方仗助』、『空条承太郎』、そして『岸辺露伴』とのコネクションを求めたのである。

 漫画家の協力が、私には必要だった。

 

「岸辺さん、あなたの持つそのスタンド、『天国への扉』は明らかに自分の心象風景、もしくは心理の底に深く根付いているのがわかるか?」

「まあ、このスタンドは僕の願望の体現だしね」

「私には、願望というより、他人を自分の作品への材料としてとらえている貴方の無関心さを感じるがな」

 

 人の体験を得るのは、本でなくてもいい。例えば催眠術とか、それこそ写真にする、というのでも良かったはずなのだ。

 それなのに岸辺露伴という漫画家は、人間を『本』にするという力を発現した。

 リアルという意味では、文字情報という情報形式は、映像などに比べたら圧倒的に量が少なく臨場感からは程遠い。だが岸辺露伴は絵をかくうえで一番必要そうな「視覚情報」ではなく、「文字情報」を必要とした。それはつまり他人の声も時間も彼には不要な存在ということではないのだろうか。

 だからこそ『天国への扉』という器は、物を言わぬ、自分にとって不必要な情報は読み飛ばすことで短縮可能な『本』という形態をとったのだろう。

 

「……」

 岸辺露伴は話さない。

「……話が逸れたな。まあ、問題はそんなことじゃない。この「スタンド」というものは、普段は頭蓋の中に隠された、ケツの穴を見せるより恥ずかしい、人間の中身を外に露出させるということだ。しかもそいつは発現した者同士、社会の少数の人間にしか見れないという愉快な法則も持つ」

 

 背中を絶対に見せない、なんていう登場人物がいただろう。たしかチープ・トリックだったか。あれなんて戸締まりが気になって何度も戻る確認強迫に似ている。背後を確認したくなる、他人にどう見られているか怖くなるそういう心理に非常に近い。

 

 すこし翡翠の目が細まった。

「下手な心理テストより、より人間の本質にせまっている。そしてそんな愉快な人間解体ショーを、本を通してでなく、最前列で見せることができる」

「……まだいるのか? スタンド使いが、あの矢の男以外にも」

「いるね。この街にはたくさんいるよ。いい奴も悪い奴も、赤ん坊から老人まで」

「漫画の材料と引き換えに、僕の能力を当てにするつもりか? だったら……」

「そんな厚かましくはないさ。貴方がするのはたったひとつ、一筆ペンを走らせることだけ。たったそれだけで素晴らしい資料を貴方は手に入れる」

「……言ってみろ」



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虹村億泰・形兆の巻
悪霊の棲む屋敷


 学校の帰り道、道の角でスケッチブックを持ってうずくまる姿があった。

 きっと解けば長くすだれるのだろう、奇妙に結った髪を垂らし、いそいそと手元のパステルをその白い手が動かしている。きっとまた、人のパーツばかり早描きしているのだろうと考え、なんとなく素通りするのもそっけないとも考え、僕は声をかけた。

 

 

 

 

「お疲れ様っす、ツジ先輩」

 

 

 

 

 ぶどうヶ丘高校のセーラー服に身を包む彼女は、色素の薄い肌を少しだけ紅潮させて応える。

 

「……やあ、康一君。帰りかい?」

 

 ちょっとみない形だけど綺麗に結った髪とか、多分だけどほんのり化粧をした感じの綺麗な見た目の割に、ハスキーで、芝居じみたしゃべり方をする。ちょっと変わった、でもやっぱり可愛いというか、美しいという言葉が似合う美人だ。

 ギャップがあるけど、それがなんだかツジ先輩らしくて似合っている。妙に間の開けた話し方といい、なんというか、浮いているのではなくて少しあか抜けているような、まるで一般人ではないのような人なのである。

 

「そうですよ、今日は日直だったんでちょっと遅めなんです。ツジ先輩は美術部ですか?」

「……やだなあ、康一君。君と私の仲じゃあないか私が帰宅部であることは伝えたと思ったが」

「あれ、そうでしたっけ? というか仲って僕、普通に後輩なんですけど」

「私のことは親しみを込めて『ツジアヤ』さん、もしくはアヤヤと呼ぶといいよ」

「何で逆にフルネームになっているんですか?! それにアヤヤって意味わからないですよ!」

「そういえって囁いてるんだよ。……ああ、単なるキャラ付けだ、そういうお約束なんだ」

「……わかりましたよ、ツジ先輩」

 本気かどうかはわからない態度に、やっぱりちょっと踏ん切りがつかなくていつも通りの呼び方をしてしまう。というか、すでにこのやり取りは会うたびにやっているのだから確実に二桁は回数を超えていて、もはや恒例といってもよかった。挨拶みたいなものである。

 こうはいっているものの、彼女は本当は下の名前で呼ばれるのは嫌らしいのだ。前に一度アヤさん、と呼んだ時もの凄い渋い顔をされた。

 とにかくツジ先輩はその回答に不満はないらしかったので良しとしよう。

 

「まあいいじゃあないか? 私はキャラが弱いからね。念押しのキャラ付けのためにスケッチブックなんぞを持っているけれども」

 そういうといそいそとスケッチをバッグにしまい、立ち上がる。

「僕、先輩ほど印象の強い女の人みたことないですよ」

「そうかな? 平々凡々である自覚はあるんだがね。少なくともそちらの素敵なヘアスタイルの御仁ほどじゃないさ」

 

 先輩はそう言うと興味深そうに、僕の隣を見やった。

 やっぱり初見の人は、彼のヘアスタイルが気になってしまうらしい。女子としては高身長な方なんだろうけど、やっぱり彼のほうが大きく、見上げる感じになる。

 

「ああ、紹介します。こちらは同じクラスの東方仗助君」

「……ちーっす」

 紹介されて仗助君はいつもよりちょっとおとなしめだ。

「こちらこそちーっす、かな? 私は聞いての通り二年のツジアヤだよ。親しみを込めてあーやんと呼んでもいいよ」

「さっきと愛称が違うんですけどッ?!」

「ははは……」

 明らかにいつもと違う様子の仗助君に視線を送ると、すかさず耳打ちしてきた。

 

(なんだよ康一、おまえも隅におけねぇな!)

(ち、違うよ仗助君! ツジ先輩はそういう人じゃないんだ!)

(だったらなんだっていうだよ、期待に満ちた目で、心なしか上気した顔でまっすぐお前をみているぜ?!)

(そんなわけ……って、本当だ!!)

 

「康一君!!」

「はい、なんでしょう!」

 突然名前を呼ばれて、大声を出してしまう。

 

「フフ、いいところに来たね。……フフフ、私も遂に手に入れてしまったんだよ!」

「……な、なんですか?」

 突然雰囲気が変わり、ちょっととなりで仗助君が身構えている。

 もしかしたらスタンドの話かと思っているのかもしれないが、たぶんもっとくだらない話だ。

 

「ついに………… 買ってしまったんだ! 岸辺露伴原画集豪華特装版、サイン入りを!」

「えええ、なんだってーッ!」

 どんと、学生鞄から出されたのは、煌びやかな、表紙にはピンクダークの少年が描かれた画集だった。

 以前欲しいと話していた、版数限定の超激レア画集である。

 

「すごいじゃないですか! どうやって手に入れたんですか?!」

「知り合いがいてね。ツテをたよってサインまでもらったんだ。みてみるかい?」

「すごい、本誌にしか登場しなかった初期の中表紙もある!」

「だろだろ?」

 

(なんだよ、オタク仲間かよ。なんていうか、外見だけだとちょっと美人の女子だというのに意外だな)

(もう、勝手に仗助君期待しないでよ。先輩は岸辺露伴のファン仲間なんだよ)

 

「すげーっ!」

「ふふん、見るがいいよ。私も興奮して昨日は一日中読んでしまったんだ。貸してあげてもいいさ」

「本当ですか?!」

「君と私は同じファン。分かち合うものだろう? 流石に汚したり、失くしたりしたら君をぶっ殺しにいくけどね。そんなことしないだろう?」

「勿論ですよ! うわあ、ありがとうございます!」

「ほめたたえたまえーって、まあ、その御礼じゃないけど一緒に帰っていいかい?」

「ええ! いいですよ! 仗助君もいいよね? いいですよ!」

 仗助君の許可は得ていないが、画集にくらべたらそのくらいお安い御用なのである。

 偶然にも方向は一緒のようで、三人並んで一緒に歩く。

 

「ああ、ごめんね東方君。勝手に許可もらっちゃったけど……ほら、君にはつらいはなしだろうけど、凶悪犯罪者がこの町に彷徨っていてまだ捕まっていないというし、何かと物騒だろ? うっかり遅くまで居座ってしまったし、ちょっと怖くてね」

 先輩は沈痛な面持ちになるので、慌てて仗助君がフォローし始める。

「いやいや、いーっすよ! そのぐらい全然平気っす。まあ、悪い事は出来ねぇつーっか、アンジェロの奴ももしかしたら警察に怯えてもう一生社会にはでてこれねえのかも知れねえし」

「……そう、だといいんだけど」

 小さく呟くと少しほっとしたような表情をみせる。

 もちろん、仗助君が言っているのは気休めでも何でもない。仗助君が言うには、この前あった承太郎さんとそのアンジェロをもう二度と悪さができないようにしたらしい。したというだけで、具体的なことは何も言わなかったけれども正義感の強い仗助君のことである、きっとそれ相応の報いを受けたことだろう。

 対する、当の本人、仗助君は、

 

(おい、どうしたらいいんだよ康一! アンジェロのやつはぶっ飛ばして石やってますよ、なーんて言えるわけねぇだろ? なんか余分にシリアスになっているしよぉ)

(えぇ?! そこで僕に振るの? ていうか、石をやってるってなに?! )

 

 なんというか、すっかり元の調子に戻ってしまっている。彼の中ではすでに決着がついている、ということなんだろう。僕にこんな話振るくらいだ。

「だ、大丈夫ですよ!ほら、ここら辺だって見回りありますからね?」

「そうなの? ここ、民家のど真ん中だけど」

「ああっと、そう! ここらへんにも空き家とかってあるじゃないですか! 居座りとかの防止のために定期的に見回ったりするんですよ。特に逃亡犯とか隠れそうですしね」

「へーそうなんだ……ああいう空き家とか?」

 そういって先輩は僕の後ろを指差す。

 

 みると、大きな建物があった。

 七~八人住めそうな大きな家だ、ちょっと古い感じの洋館。どちらかというと、屋敷という表現のほうが正しいのかもしれない。きっとお金持ちが住んでいたのだろう。しかし今はその高級感はどこにもなかった。

 雑草も生えていて荒れ放題、窓は打ち付けられ、外壁がところどころ剥がれおち、屋根の瓦もすこしかけている。入り口の門にも、どこかの不動産屋がかけたのだろう立ち入り禁止とある。

 まず昨日から人がいなくなったという様子ではなく、少なくとも一年以上は人が住んでいない、そういう建物があった。

 

 

 

「あ」

 

 

 

 だが僕の眼が追いかけたのはそれとは別のところだ。

 もちろん、毎日帰宅する通学路の風景であり、入学から一ヶ月ほどたったいまではそれはすでに日常風景とかしている。問題なのは、

その屋敷の廃れ具合ではなく、いつもの日常風景に異物が紛れ込んでいたことだった。

 

「あれ、今なにか動きませんでした?」

 

 視界の端で、窓で誰かが動くのが見えた。カーテンかとも思ったけど、打ち捨てられた部屋にはすでにカーテンはかかっていない。

「え、そう? どこどこ?」

「ほんとかよー」

 僕の言葉に二人とも目を凝らすけど、人影を発見できないでいた。

「仗助君、そもそもここって空き家なの?」

「おー。康一、ここはずーっと空き家だぜ?」

「見間違いかなー、でも確かに今動いた気がしたんだけど」

 もう一度目を凝らして見るが、板の打ち付けられた窓に人影はみえなかった。

「本当? もしかして本当に凶悪犯かも?」

 アヤ先輩は不安そうにキョロキョロしてる。怖がっている割には彼女の足は空き家に向かっている。恐怖よりかは好奇心の方が優っているのか、だけど、僕を盾にするのはやめて欲しい。

 

「幽霊かなー」

「どうかな、まさかアンジェロってことはないよね?」

「それはねえとは思うが、幽霊は嫌だぜ。こえーもん」

 

 そういいつつ、仗助君も僕の見た人影に興味を持ったようだった。アンジェロについては自信があるようだけど、それよりも不審者がいるかもしれないというほうが気になるようである。たしかこの辺りは仗助君の家の近くだ。お母さんのことが心配なのかもしれない。

 

 立入禁止という看板が下がった門は少し空いている。小学生一人くらいならかんたんに通れそうなぐらいだ。もしかしたら、僕達より先にこの屋敷に興味を持った小学生が入り込んでいるのかもしれない。これから踏み込もうとしてる僕が言うのもあれだが、人が住まなくなった建物と言うのは本当に危ない。簡単にくちていくのだ。もし小学生とかだったら、軽くでも注意しておくべきだろう。

 

 

 

「さっき確かに見たんだけどなぁ」

 

 

 

 それに不審者だったらここで通報しないといけないし、幽霊だったら面白い。何もないならないで、ちょいとした肝試しになる。

 僕もちょっと乗り気になって、身を乗り出して扉から覗いた、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、

 

 

「—ーーーッゲグェッ?????!!!!!!!!!!!」

 

 痛みで世界がまわる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首が痛くて、息ができなくて、体が動かなくて、あまりの痛みに真っ白になった。

 早く逃れたくて、身体を動かそうとしても扉はびくともしない。

 一瞬して、首が挟まれていることを理解する。

 

 身体を捻ったり、それがだめならとめちゃくちゃに暴れるが、びくともない。喉が押さえられて、悲鳴をあげることすらできないのだ。顔が真っ赤になっているのを感じるのに、頭はだんだんと朦朧としてきて、血液の音のする耳の雑音が、遠くで誰かが話しているらしい声をかきけす。

 

 痛い、

 

 苦しい、

 

 

 

 痛い。

 

 息ができない。

 

 

 

 

 

 脳みそに血が流れなくなっているのか、まともなことを考えることすら出来ない。貧血によるだろう、吐き気とめまいもしてきて、上下すらわからなくなってくる。

 

 

 

 

 このままじゃ死んでしまう。

 

 しぬ。

 

 シぬ。

 

 

 

 

 

 隣の塀を飛び越えてきたらしい先輩の姿が、グルグルとみえて、それから僕は。

 

 

 

 

 

 

 

 アツ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 【暗転】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………………あ、あれ?  僕は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ、気がついたか?! 康一!!」

 

 真っ暗で未だ自分が眼を閉じているのかと思ったが、声のする方向をみてそこがうすくらい部屋の中であることに気づく。

 僕はいつのまにか、埃っぽい、年季の掛かった、部屋の中に横たわっていた。

 なんで僕はここで寝ていたのか。

 いや、違う下校中に空き家によって、それからヤンキーが出てきて、首を挟まれたんだ。

 

「ここはさっきの屋敷の中だよ。それよりまだこの状況を抜け切れていねえ」

 仗助君は、警戒してあたりに視線を送っている。

 そうだ、首を挟まれて、それから首に何かが刺さったんだ。

 仗助君が意識を失っていた話のことを簡単に説明してくれるのをきくと、僕がヤンキーに首を挟まれた後、ヤンキーの兄貴ってのが出てきて僕を矢で射抜いて、ここに連れ込んだらしい。意識がなかったのでわからないが、僕はかなり危ない状況だったようだ。仗助君がいなかったらきっと死んでいた。

 ん?

 

「あれ、ツジ先輩は?!」

 そうだ矢なんて危ないもの向けられた横に、ツジ先輩がいたはずなのだ。記憶が確かなら、僕のすぐ隣にまで来ていた気がする。

「無事なの?」

「……あのアマ、よくもやってくれたぜ」

 仗助君からドスのきいた低い声がこぼれる。

 

「え?」

 どうしたんだろうか。先にここから逃げちゃったとか。それならそれでいいんだけど。

「あいつはよぉ、間違ってもこの危険な状態でおまえが心配するような人間なんかじゃねーぜ」

「安全ってこと?」

 そこでようやく、周囲に向けていたし視線を僕に合わせる。

 彼は、怒っていた。

 

「あの女、お前をさした男とグルだ」




大変遅くなりました。転職先も、プロットも決まったのでまた更新します。
さて、今回の章は広瀬康一君からスタート。前回岸辺露伴相手に勝者としてドヤ顔で要求するという、ある意味死亡フラグ満点の行為をしたツジアヤはどうなったというのか?! 次回乞うご期待!


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私の家では何も起こらない

 気持ちのよい朝は、一杯のコーヒーからはじまる。

 

 

 寝ぼけ眼でベッドから起き上がると一階におりる。まずはやかんを火にかけてお湯をわかす間に身支度をする。準備が整ったら冷蔵庫から食パンやらジャムをだして、それからインスタントのコーヒーをつくる。砂糖もミルクも入っていないし、別に美味しくもないが部屋中に香るコーヒーの臭いが心地よい。そうしたらTVもつけて朝食の開始だ。

 

 まあ、高校生の一人暮らしとしてはマシだろう。

 金はあるとは言え、面倒臭さと一人暮らしが露骨にバレるのを避けて外食は控えてきたが、まあこれはこれでよいか。

 テレビから聞こえる、聞いたこともない名前の内閣の不祥事をBGMに珈琲をすするのも趣があって良い気がする。

 

 

「金があることは良き哉、ってか」

 

 

 あまり考えないようにしている『家のお金』がある押入れに視線を向けそうになるのを、意識的に抑えた。

 

 そう、幸いにも家には金があった。

 しかもそれは銀行から引き下ろしてきたようなピン札ではない。いわゆる汚いお金と言うやつだ。非合法な金をいれていたそれらしく、押し入れの中の『旅行鞄』はまるで何年も雨風に晒されたように劣化している。

 

 『旅行鞄』と『現金』という、やたらと覚えのある組み合わせにめまいが起こりそうになる。それは確かに『ビルの隙間』にあったはずのものではなかったのか。なぜそれがこの家の押入れにあるのだ。

 分からない。

 願わくば、ハサミで手首を掻っ切ったり、玄関でトラックにはねられるようなことがないことを祈るのみだ。私からこの現金を奪われたら、本当に生きる方法がなくなる。

 

 ぶどうヶ丘高校の二年生この『ツジアヤ』は、現在正真正銘、M県S市杜王町のとある住宅街の一軒家で、真の意味で『一人で』暮らしていた。

 

 この私以外誰もいない家を眺める。

残っていた物、家の規模、家具の配置からして、三人家族。中流階級だ。サラリーマンと、近くのスーパーでパートもしている専業主婦、そして高校生の娘が一人いたようだった。

 そして突然どこからか湧き出た縁も所縁もない私には、勿論この家の記憶がない。というか、この『ツジアヤ』がこの家に住んでいたという証拠が、本物かどうかも怪しい学生証くらいしかなかった。

 

 初めてこの世界で意識を持った時にあった、所持品中には、学生証はあっても身分を保証できる健康保険証すらなかった。というよりも、まだこの時代健康保険証はカードになっていない。身分証がないせいで住民票を確認することすらできないが、ほぼ確実にこの『ツジアヤ』には戸籍もない。そして学生証に記されている、この家の住所も存在していないだろう。

 

 

 なんせここは、『少女の幽霊に会える小道』の区画にある家なのだから。

 

 

 最初に学生証に書かれた住所を頼りにここに来たときは怖気が走ったものである。

 まるで誰かが、急造の人間をこの街にいることに、無理やり辻褄をあわせたようなのだ。高校の月謝も調べたらどこぞの口座から振り込まれているし、調べようにも身分証がなくて銀行に問い合わせることすらできない。

 生き残れたら絶対にSPW財団に保護してもらおうと決意を新たにする。

 

 さて、朝食を片付けたらさっさと戸締まりをして家を出る。

 ちょこちょこと、以前漫画でよんだドアにメモを挟んだり、シャーペンの芯をおいてみたりすることも忘れてない。私が日中学校に行ってしまったら、誰もいなくなる区画である。戸締まりなどあってないようなものなので、こうして人がはいったか否かが分かる仕掛けなどを家中に施していた。

 こうして三人暮らしの家を、いや精確には三人と犬一匹が住んでいただろう、『杉本』家をでる。

 

 

 

 

 

 ※  ※  ※  ※  ※

 

 

 

 

 

 朝の教室に入ればここ仲良くなった女子生徒が挨拶をしてくれる。

 

「アヤおっはー」

「おっはー」

 

 ある意味時代を先取りした挨拶をしてくれる彼女にはいつも感謝している。

 

「ねえ、きいてよアヤー朝からとーっても怖かったんだからー」

「どうした、幽霊でもみた?」

「違う違う、もっと身近なく怖いやつ。わたし定禅寺のほうから通っているじゃない?」

「痴漢とか?」

「ちがうって、朝遅刻しそうになって走ってたらうっかり滅茶苦茶こわーいヤンキーにぶつかっちゃったんだよね。しかもヤンキー、飲んでた缶コーヒーこぼしちゃうし」

 東方家があるほうだ。多分東方仗助だろう。

 

「そうしてるってことは無事だったんでしょう。意外と優しかったりして」

「クリーニング代を請求しないという意味では優しいんでしょうね。金かかってそうな改造学ランだったし」

「馬鹿っぽいリーゼントだったんでしょ」

「馬鹿? そんなんじゃないわよ。あれはまじヤバイ系。冷酷ッ、て感じだったもん。しかも頭なんか金金なのよ?」

ん。

 

「………金髪? へえ、珍しいね。ピアスとかも空いてたり?」

「そうッ! でっかい矢印みたいな奴でさ。まあ、ちょっとかっこよかったけど」

「うちの学校にそんな奴いなかったよね」

「どうかな。慌てて必死に謝ったら、うるせえ洗えばいい、なんて言って帰っちゃったわ」

「そう」

 

 こう、彼女はスタンド使いかというくらいに引きがよいやつなのだ。感謝してもしきれない。

 今確実に矢を持っているだろう男は、この街にすでにいることがわかった。サバイバル中に情報がもらえるのは本当にありがたい。

 

「いい情報ありがとう。今度アイスおごるわ」

「はっ、なんで? あんたそういうのタイプなの?」

「そこまで趣味が悪くはないよ。 不由美も近づかないようにね」

 そいつは人殺しだ。

「今日はちょっとバッくれるわ」

 

 

 

 

 

 ※  ※  ※  ※  ※

 

 

 

 

 

「さてと」

 

 

 スケッチを抱えてまだ授業中の校舎をでる。カバンには幸いにも、広瀬康一との接触用に漫画家からもらっておいた画集がある。家に帰らず虹村の家に直行ができる。

 

 ボロい売り出し中の屋敷、東方家の近くということで探せば、虹村の家をみつけるのはすぐだった。興信所にも調べておいたのだが、あの形兆という男、厄介なことに学校に通っていないのである。たまに学校に登校する気配を見せては、定期的に不良のたまり場をうろつく億泰のほうがまだましだった。

 

 高校に行く必要がないと思っているのか、高校なんぞは大学入学資格検定で十分で、しかも大学を狙える頭があるということだろう。恐らくはどっちもだ。あの形兆という男が一時の感情で学校に行かないわけがない。そして父を殺す方法に血道をあげる、弟想いの男が二人を養う方法もなく生きるとは思えない。

 私が形兆だったら、将来長期的に父を殺す方法を探すことを考えて一定以上の合法的に金を稼げる方法を考えるはずだ。

 

 犯罪で一時的に金を稼ぐのはいいが、それが一生となったら話は別だ。金は足がつく。一定額以上を定期的にとれるとしたら、それは共犯者、もしくは組織が必要になり、不必要な関係性は弱みになりうる。それはスタンドを使っても同じだ。

 

 それにあの男は、自分の人生を始めることを渇望していた。

 スタンドを使って秘密裏に殺人を犯すこととは別に、犯罪歴が残り、自分の人生をそれこそ決定的に父親のせいで仕事すら選べなくなるということを許せるだろうか? 答えは否だ。

 

 話が脱線した。

 まあともかく、まるで形兆の行動パターンがつかめず、かと言って見張りを雇うにも、スタンドという見えない目は一般人には難易度が高すぎて困っていたのだ。

 虹村形兆と東方仗助が戦う場面に遭遇するようするしかないと思い、ここ数日広瀬康一と東方仗助が一緒に帰るのを待ち構えて尾行する、なんてストーカー地味たことをしていた。

 弓と矢の居場所が確実にわかり、しかもクレイジーダイヤモンドの治療という保険付き、という好条件は音石に奪われる前のあの場面しかない。それ以降は敵に回せば一番厄介な男、空条承太郎が出張ってくる。

 

 空条承太郎が素性の怪しい、未来が見えるらしい、スタンド使いになり女を矢に近づけるか? 時間を止められる男相手に、自信のない演技やら駆け引きなんぞしたくはない。

 

 しかし、あの形兆が確実に家にいるとわかり、そして尚且つ今が平日の日中というのなら話は別だ。

 虹村兄弟、東方仗助、広瀬康一との接触なんて、人為的に引き起こせばいいのだ。

 例えば予め虹村形兆に、「アンジェロを殺した東方仗助、DIOを殺した男の血縁者をつれていく」なんて伝えておけば楽勝だ。

 やっと運が向いてきた。




ビルの間にある、現金の詰まった旅行鞄については乙一さんが書かれたスピンオフ『The Book』をぜひ読んで頂きたいです。


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