東方狡兎録 (真紀奈)
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因幡国にて
転生、そして出会い


 かつて人間であった「彼」は、特段長いとも短いともつかぬ生を終え、輪廻の理に(のっと)り新たな生へと旅立とうとしていた。

 しかし如何なる運命の悪戯か、「彼」は魂の洗浄が完全でない状態で生まれ落ちてしまった。

 前世の記憶を持ち越して新たな生を受けたのだ。まあ、まれによくある現象である。

 

 此度の生に()ける種族が人間でなかったのは、幸であろうか、不幸であろうか。何れにせよ最早受け容れるしかない事でもあるが。

 まあ、生まれ落ちた時から知性を宿しているのを不審に思われる事が無い点では……新たな姿が「兎」であるのは幸運と言えるだろう。

 野生の草食動物は概して、幼い頃から危険に対処する為に或る程度の行動を取る事が出来る。

「彼」が乳離れしてすぐに行動を起こしても、何も不思議な事ではなかったのだ。

 

 最初に取り掛かったのは、危険な植物の判別であった。

 兎の主食は野草であるから、食べられない草を知らない事は命に関わる。

「彼」は熱心に親兎の教えを受けた。覚えの悪い兄弟姉妹が誤って毒草を食べそうになるのを見る都度注意し、また万一の為に薬草も覚えて行った。

 親兎の庇護(ひご)を離れる頃には、既に周囲に知らない草は無いと自信を持って言えた。

 

 立派な兎として独り立ちした「彼」を待っていたのは、「繁殖」という名の巨大な壁だった。

 此処まで触れなかったが、今世の「彼」は雌兎である。前世の経験を記憶し確かな知性を宿す「彼」とて、雌兎として雄兎と交尾するなど完全に未体験領域であった。

 思い至ってから雄兎を見る度に思い切り構えていたのだが、全くの杞憂(きゆう)であった。

 動物の交尾は淡白なのだ。曰く女性が感じる快楽は男性の其れの何十倍……とか関係無かった。まるで事務作業だとは、後日の「彼」の談である。

 

 子を産み、育て、死んで行く……そう思っていた「彼」だが、どうも様子がおかしいことに気付いたのは齢三十を過ぎた頃からであった。兎はこんなに長生きしただろうか?

 現に他所の兎は殆どが十年程で死んでいる。

 実は原因は「彼」が徹底して毒草を避け、簡易ながら薬草の栽培までしていた事にあるのだが、この時は未だ知る由も無かった。兄弟姉妹や子孫も同様に長生きしていた事も、問題発覚を遅らせるのに一役買っていた。

 長生きで知識の豊富な彼らは自然と周囲の兎達を主導する立場になり、伝えられた知識は兎達の寿命をどんどん伸ばして行った。

「彼」が齢百を数えた頃には言語のような物も生まれ、兎の社会が形成されて来た。

 

 兎達は繁栄し、じわじわと勢力を広げ、やがて海に辿り着いた。

 海を越える事は出来ないので別方向に進んで行ったが、やはり海に行き当たってしまった。

 此処は意外と小さな島だったのだ。

 小さな島では今以上に増える兎を養いきれない事に「彼」は気付き、多少の無茶をしてでも海の向こうへ行かねばならぬと決意した。

 手段として思い付いたのは、島の周囲をうろつく鮫であった。「彼」の記憶にある古説話に、兎が鮫の背を踏んで海を渡ったという話がある。

 巧く行くかは判らないが、やらねばならぬのだ。

 

 目論見(もくろみ)通りに鮫を騙して一列に並べ、兎の群れが一斉に海を渡って行く。

「鮫は兎より二匹多かった」と最後に渡り終えた「彼」が告げ、挑発しなかった事で丸く収まるかと思ったその時、要らぬ横槍が入った。

 浜を通りがかって様子を見ていた人間達が、鮫達は騙されて利用されたのだと教え、鮫達と一緒になって兎達に制裁を加えたのだ。

 全身に傷を負わされ海水を浴びせられ、痛みに悶えながら、「彼」はこの状況が正に古説話「因幡の素兎(しろうさぎ)」だと考えていた。兎が一匹ではなく大群ではあるが、もし今が伝説の渦中であるのなら……

 

「君達、そんなに苦しんでどうしたんだい?」

 

 そう、後にオオクニヌシとなる青年、オオナムチが助けに来てくれるのだ。



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オオクニヌシ

 声を掛けられた「彼」はもう状況からして相手がオオナムチであると半ば確信していたが、一応誰何(すいか)の声を上げた。

 海水を浴びせられて痛む傷口に、更に追い討ちを掛けられる可能性も無いとは言えない。

 しかし青年は過たずオオナムチその人であった。

 大勢の傷付いた兎達に驚きながらも手早く薬を練り、癒して行く。

 兎達が備蓄していた薬草を島から持って来ていたのも功を奏し、順次立ち直った兎と協力しながら、全ての兎を癒すのに然程(さほど)の時間は要さなかった。

 

 兎の頭領である「彼」は告げる。

「御助力ありがとうございます。慈愛の心を持つ貴方様は、必ずや成功するでしょう」と。

 

 その時不思議な事が起こった。

「彼」の体から白い靄が立ち上り、オオナムチを包んだかと思うと消える。

 同時に「彼」は己の「人間を幸運にする程度の能力」を理解した。とすると、今のオオナムチは未だ神ではなく人間であるらしい。

 オオナムチにはこの後様々な困難が降り掛かるだろう。この幸運を以て乗り越えて貰えれば重畳である。

 

「それでは、幸運を祈ります」

 

 重ねて能力を行使し、兎達を引き連れた「彼」は海岸を後にした。

 

 ー*ー*ー

 

 あれから幾年月が過ぎ、「彼」と眷属の兎達は新たな地で再びの繁栄を享受(きょうじゅ)していた。

「彼」は未だに健在である。兎として生を受けてから二百年程経つが、死ぬどころか体力気力の衰えすら見られない。他の兎達は遅くはあるが老い始めているので、恐らくは能力に目覚めた事が関係していると思われた。

 

 此処は因幡の国であると、周辺に住む人間から聞いていた。人間達は高度な文明を発達させており、「彼」の知る古代人とはかなり違っているのだが、神代ならそういう事もあるのだろうと無理矢理納得する事にした。

 人間達が既に農耕や牧畜を行っているのは奇妙ではあるが、兎達が狩りの対象にならず都合が良い。

 都合が良い事なら多少おかしな事であっても気にしない方が良いのだ。

 兎の集団は、栽培した薬草を人間達に譲る対価に野菜を貰い、文化度を向上させた。

 

 人間達からの噂で出雲で新たな王が即位したと聞いた「彼」は、出雲へ行ってみる事にした。

 因幡にある兎の村は眷属に任せ、旅支度をする。旅支度と言っても小さな兎一匹であるから、怪我に備え効果の高い薬草を幾らか持ち出す程度だ。食料は其の辺に生えている草で事足りるだろう。

 数十年ぶりの遠出に少し高揚しながら、「彼」は村を後にした。

 

 ー*ー*ー

 

 因幡から出雲までの旅路は思いの外短く、特に急がずとも3日で着いてしまった。

 久しぶりの遠出の心算(つもり)があっさり終わってしまい拍子抜けではあるが、「彼」は目的を忘れず新たな王に会いに向かった。

 巨大な鳥居の向こうに見える、これまた巨大な階段に些か気後れするが、密かに気合を入れて鳥居をくぐる。

 階段の手前で衛兵に止められたので、因幡で昔会った兎であると告げると、暫し確認を取った上で本殿に通された。

 

 其処で待っていた王は、年を取って風貌が変わっているが、オオナムチであった。

 やはり今はオオクニヌシと名を変えているらしいが、随分前に一度会ったきりの兎の事をちゃんと覚えていてくれたようだった。

 聞けば幾多の試練の間にも何度か望外の幸運を得られて切り抜けた事があり、兎の祝福の御蔭だと感謝していると言う。

「彼」からすると其処まで大した事をした訳ではなく面映ゆい心地を覚えたが、恩返しをしたいと言われて尚固辞する程に無欲でもない。

 とは言え兎の身で金銀財宝を頂いても意味は無く、何を要求しようかと考え込んだ「彼」は、数分後に考えが纏まったのか声を上げた。

 

「私は因幡で眷属達と共に暮らしているのですが、村がオオクニヌシ様の庇護下にあると宣言して頂けますか」と。

 

 王は提案を快諾し、当日より兎の村は「ダイコク村」と称され、オオクニヌシの直轄地となった。

 兎達は皆感謝し、祭では必ずオオクニヌシを讃える唄を歌った。



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妖怪

 ダイコク村がオオクニヌシの庇護下に入り約千年。

「彼」は相変わらず壮健であった。最早兎の寿命などどうでも良くなって来る頃合である。

 眷属達は数十回も世代交代を重ねているにも関わらず、長は変わらず「彼」のまま。

 

 ー*ー*ー

 

 千歳に至るか至らぬか程の頃に、「彼」は己の内に何やら「力」があるのを感じた。

 随分と昔に「人間を幸運にする程度の能力」を使った時の感触に似ているので、恐らくは能力に関係した力だと考えられる。

 集中すれば体内で力を動かせそうだったので、村の運営を眷属達に丸投げした「彼」は力を思い通りに使えるよう練習する事にした。

 

 呼吸を整え、体内に散逸する力を体の中心に集める。言葉で言えば簡単な事だが、其れだけでも一月を要した。達成感に刹那身を任せた後、次のステップを考える。

 前世で人間であった「彼」は、気功と呼ばれる技術を知っていた。本で読んだだけだし眉唾ものだと思っていたが、何せ本人が今は異常に長生きな兎である。気功が実在しているとしても不思議は無い。

 この力が気功だとすれば、体の中心に集めて「練気」してから再び体内の隅々まで行き渡らせれば、「内気功」により身体能力を高められる、かもしれない。

 何も判らない現状、定かでない事でも試してみる価値はある。

 そして力の扱いを練習し始めて数か月経った頃、身体能力の上昇が安定したので、続いて「外気功」の模索に入ろうと力が体外に向かうよう念じた「彼」は、己の行為の結果に目を(みは)った。

 

「何この……何?」

 

「彼」の眼前には小さな桃色の球体がふよふよと浮かんでいる。暫し呆然と見ていた「彼」だが、ふと思い付いて「右に行け」と念じると、球体は右にゆっくりと漂って行く。

 どうやら体外に出た「力」でも自分の意思で動かせるようだ。当面の目標はこの球体を自由自在に動かせる事に定めた。

 

 操作を練習し始めて数年後には、桃色の球体を10個ほど別々に動かせるようになった。

 途中で操作を誤りぶつけてしまって気付いた事だが、球体を地面や木にぶつけると軽く爆発して焦げ跡が残った。

 自分で触っても何とも無いので、兎には無害なのかと他の兎を呼んで触らせてみたら、爆発して吹き飛ばしてしまった。幸い大きな怪我ではないが、治療した後、危険なので今後は練習中には近付かないよう周知させることにした。

 

 ー*ー*ー

 

 今日も今日とて謎の力(暫定気功)の修練をしていると、急に辺りが薄暗くなり、遠くから大きな漆黒の球体が近付いて来た。

 警戒して最大限度まで桃色の球体を作り出す「彼」に、漆黒の球体から声が投げ掛けられた。

 

「あら、妖力を感じて来てみたら人型も取れない兎さんだったの?」

 

 声の途中で漆黒の球体は薄れ、中から金髪の女性が現れた。

 すらりとした長身で、物腰は柔らかだが「力」に満ち溢れている事が見て取れる。

 依然警戒したまま「彼」は妖力とは何か尋ねた。

 

「これだけ制御出来るのに妖力について知らないって……完全な独力で此処まで練り上げたなら大したものね。努力に免じて先人として教えてあげる」

 

 そこで言葉を切り、空から降りて来て「彼」の傍らに座った。

 

「妖力は私達妖怪の体内から生み出される力で、妖怪の妖怪たる所以。妖力で攻撃し、妖力で防御し、妖力で変化する。私は闇の妖怪だから、妖力を闇に変化させて苦手な日射しを遮ったりする事も出来る。兎さんは恐らく妖獣ね。年経た獣が妖力を纏い変化するモノ。特に身体強化と変化が得意らしいから、それだけの力があれば人化は容易いでしょう」

 

 話を聞いた「彼」は、早速変化出来るか試してみようとした。

 変化が可能なのだと認識した途端、脳裏になんとなく(・・・・・)どうすれば変化出来るのか浮かんで来る。

 それに逆らわず力を動かす事で、即座に「彼」の兎の体が変化を始めた。

 むず痒いような感覚の後、体から白い靄が立ち上り、人の輪郭を作った。少しして靄が晴れた其処には、白いワンピースを着た黒髪の童女が立っていた。変化に成功した「彼」の姿である。

 

「あら、言ってすぐ出来るとは思わなかった。人型の姿も兎型に劣らず可愛いじゃない。私はルーミア。貴女は?」

 

 ルーミアに名を問われるが、「彼」に名は無い。今世の親兎は言語を解さなかったからだ。

 その旨を告げると、じゃあ私が付けてあげようかと言われるが、折角名を頂くならオオクニヌシ様に頂きたいので断った。

 別れ際にルーミアの行く先に幸運を、と願ったが、ルーミアが人間ではない所為か効きが弱そうだった。




と言う訳で、古代編おなじみEXルーミアさんでした。
妖怪である事を教えるのは妖怪。


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因幡てゐ

 人化可能になった「彼」はルーミアと別れた後、兎の姿で眷属達に会いに行って眼の前で人型になって見せた。

 人型になれるようになった事、どうやらいつの間にか妖怪になっていたらしい事、そしてこれから名を貰いに出雲に行く事を告げると、「彼」は人型のまま村の外に駆け出した。

 名を頂きたいのもあるが、ルーミア曰く可愛らしい人型の姿をオオクニヌシに見せたかったのだ。

 別に恋愛感情がある訳ではない。確かにオオクニヌシは大変な美形だが、「彼」の前世は人間の男性である。兎として生まれ育って自身も幾度か子を産んで来た為、雄兎の格好良さは魂で理解してしまったが、人間の男性に対して恋愛感情を抱くなど考えられなかった。

 オオクニヌシに対する「彼」の感情は、昔お世話になった近所のお兄さんが大出世したので凄く尊敬している、というようなものだ。

 もう千年程も会っていない事もあり、気が(はや)った「彼」は全速力で出雲へ向かった。

 

 一日も掛からずに着いた出雲は、何やら物々しい雰囲気で「彼」を出迎えた。

「彼」は不思議そうにしているが、童女が人には出せないとんでもない速度で走って来たら警戒するのが当然である。

 遠巻きに囲みながら誰かと問うて来る兵に、「彼」はダイコク村の長であると告げ、兎の姿に変わって見せた。近隣に兎の怪異が現れそうな場所などダイコク村しか無いのだから、もう身許は証明されたようなものである。

 一応オオクニヌシ本人に伺いを立てた後、問題無く目通りが叶う事になった。

 

 久々に会ったオオクニヌシは、王の威厳を増すばかりか、以前には感じられなかった神々しい力が備わっているようだった。

 以前は「彼」に妖力が無かった所為で感じられなかったのかもしれない。

 人々の信仰によって生み出されるこの「神力」の御蔭でオオクニヌシは千年経っても壮健なのだろう。

 さて神々しさに呆けてばかりはいられない。

 御前に進み出た「彼」は、早速人型に変化し拝謁の口上を述べた。

 オオクニヌシは少し驚いた様子だが、妖獣と化した事にすぐ思い当たったようで、一つ確認したい事があると言った。

 

「妖獣となったのなら、人間を襲ったか?」

「否、此の身は草食の兎であり、()して能力は『人間を幸運にする程度の能力』。何故人間を襲いましょうや」

 

 返答に満足した様子のオオクニヌシは、続けて今日は何をしに来たのかと問うた。

 打てば響くとばかりに「彼」は名を頂戴したいと答え、オオクニヌシは暫し考え込んだ。

 

「ふむ、(ぬし)の村は因幡国にあるから、姓は因幡。因幡てゐと名付ける」

 

 その瞬間、「彼」の、否、てゐの体にオオクニヌシの神々しい力の一端が入り込んだ。名付けによって強い縁を結ばれた神の眷属に幾許かの神力が与えられたのだ。

 今は慣れない力が増えて少し体が動かしにくくなったが、じきに馴染むだろう。

 てゐは感謝の意を告げ御前を辞そうとしたが、まあ待てと呼び止められた。

 なんでも子を紹介したいと言う。

 直々の眷属となったのだから子と同じようなものだという論が正しいかどうかはさて措き、紹介したいと言うなら当然受けるべきだろう。

 呼ばれたのは注連縄を背負い、宙に浮いた何本もの柱を従えた女性だった。名は八坂神奈子、軍神であると言う。特別気が合いそうではないが、向こうに隔意は無いようなので、悪い関係にもならないと思えた。

 その日は出雲に泊まり、人化して初めての宴会に参加した。

 酔ったてゐはありったけの力で参加者全員の幸運を祈り、能力を発動させた。

 その御蔭かは定かでないが、この先十年以上も出雲には災害が寄り付かなかったと言う。



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国譲り

「彼」が「因幡てゐ」となってからも、随分と長い事ダイコク村に異変は無かった。

 今まで通り薬草園を世話し、野菜と交換しながら健康に気を使って兎一同平穏な日々を何百年も過ごしていた。

 (そもそ)も兎は人間や河童と違って技術革新に情熱を燃やす種族ではない。

 差し迫った必要性が無ければ、多少不便でも何事も無い生活を変革しようとは思わないのだ。

 その点では、かつて薬草園を創始したり海を渡ったりしたてゐの行動は、兎としては異端であったと言える。

 

 しかし人間達はそうではない。

 遥か以前から古代にしては高度な技術を発展させていたが、近頃は人間の都市には高層ビルが林立し、都市を結ぶ舗装道路も出来ている。実験段階ではあるが、飛行機やロケットの構想もあると言う。

 どう考えても時代が合わないのだが、てゐの中でこの件については「きっと私が知っている過去の日本とは違う別の日本なのだ」という風にとっくに整理が付いている。

 因幡の素兎が沢山仲間を連れて渡海したり、妖怪化したり等という話も聞いた事が無かったし、数ある差異の一つでしか無いのだろう。

 兎も角(ともかく)、この時代の大都市である出雲は、数年から数十年越しに訪ねる度に違う様相を見せた。

 オオクニヌシの住まう神殿こそ変わり無い姿だが、それを取り巻く都市は最早てゐの前世の記憶にある西暦2000年頃の東京と比べても遜色無い程だ。

 

 そんな出雲に、今日は遠方よりの使者が来ていると言う。

 たまたま出雲の別宅に滞在していたてゐは、オオクニヌシに呼び出され直々にその話を聞いた。

 兎達を束ねる長だとは言っても、日々何も変わらない生活を送るダイコク村にそんなに仕事がある訳も無い。更にこの数百年の間に妖力を帯び人化出来るようになった兎も増えて来た為、てゐが常に村に居る必要は無いのだ。

 

 遠方よりの使者というのは、最近高千穂から大和に大勢で移り住んだ集団からであるらしい。

 近隣を制圧し安定した基盤を固めた彼らは、オオクニヌシの治める出雲にも服属を求めて来た。

 使者たるタケミカヅチは兵を引き連れており、武装を見る限り徹底抗戦すれば暫くは持ち堪えるものの被害は大きく、いずれは押し切られそうだとの見立てだ。

 同席している神奈子は恫喝するような態度に憤懣遣(ふんまんや)る方無い様子で、敵わぬまでも一矢報いたいと言っているが、オオクニヌシとしては向こうの要求が己の引退及び蟄居(ちっきょ)と行政権等の移譲であり、受け容れれば武力行使には至らないと言って来たので、要求を呑もうと考えていた。

 てゐにも異論は無い。オオクニヌシの身に害が及ぶのであれば心配するが、引退すれば害さないのならおとなしく従うのも良いだろう。前世で知っていた展開でもあり、諦めが早かった。

 結局オオクニヌシは神奈子の反対を押し切り服属を決めた。

 

 ー*ー*ー

 

 翌日、オオクニヌシの(したた)めた国書を受け取り神殿を辞したタケミカヅチは、境内で八坂神奈子に呼び止められた。

 一応服属に納得はしたものの、無礼な態度に対する憤りが収まらず、こうして一人で文句を言いに来たのである。

 一方でタケミカヅチも簡単に折れる訳には行かない。

 別に彼本人の性格が悪い故の態度ではなく、本国から常に上位者として振舞えと命じられていたからこその不遜な態度だった。

 勿論それを包み隠さず言う訳も無く、言い合いは平行線を辿り、遂に激発した神奈子は一対一の決闘を申し込んだ。主君にして父親でもあるオオクニヌシを(ないがし)ろにされた憤りは理解出来るし、タケミカヅチも武神であるから、使者としての体面を考え条件を付けつつ決闘を受けた。

 

 条件は以下の通りである。

 タケミカヅチが負けた場合、オオクニヌシへの今までの態度を謝罪し、以後改める。

 神奈子が負けた場合、出雲を退去した上で大和に従い、大和の軍神として働く。

 

 その後近くの平野で始まった決闘は、十日に渡って続く激戦となった。

 神奈子が膨大な弾幕を放ち、御柱(おんばしら)を篠突く雨の如く撃ち落とせば、タケミカヅチは(ことごと)く神剣フツノミタマで斬り伏せた。

 お互い決定打が無く同じ展開を続けつつも、情勢はやがて段々とタケミカヅチに傾いて行った。

 神奈子の攻撃には多大な神力を消費し、タケミカヅチの迎撃には然程の神力を要さない。

 傍から見れば神奈子が一方的に攻撃し続けているようであっても、タケミカヅチの勝利が刻々と近付いていた。

 当然、それは神奈子も判っていた。神力が尽きて接近を許す前に、大勝負に出る。

 弾幕による牽制を維持したまま、御柱による攻撃を一時停止し、上空に並べた神奈子は、残った神力を振り絞り御柱に込めた。

 時を置かず全ての御柱から発射された極大の砲撃が、或いは回避され、或いは神剣で切り裂かれ、幾らかは負傷を増やせたものの見事に耐え切られた所で、神奈子は負けを認めた。

 

 少しすっきりしたような顔で戦場を後にする神奈子に、タケミカヅチは思わず声を掛けていた。

 

「良い闘いだった。大和に行っても軍神として活躍出来るだろう。御父上への態度については、職務とは言え俺も済まなかったと思っている」

 

 神奈子は少しの間立ち止まったが、振り返る事も無く小さく「ありがとう」と一言残し立ち去った。



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大脱出

 オオクニヌシが神殿に蟄居(ちっきょ)させられてからも、ダイコク村は概ね今まで通りだった。

 出雲一帯の支配権こそ差し出したものの、てゐはオオクニヌシ個人の眷属のままであるし、仮にそうでなくとも支配者が変わっても被支配層の生活に顕著な影響は出ないものだ。

 オオクニヌシは神殿改め出雲大社から出る事が出来なくなったが、元より外出する事は少なかった上に、一つの建物にずっと閉じ込められる訳ではなく、断りを入れれば神域内なら出歩ける。

 併合された王国の元王にしては寛大な処置と言えるだろうか。

 

 出雲を出て行った神奈子は、遠く諏訪まで遠征し現地の強大な祟り神を苦戦の末下して諏訪大社の支配者に収まった。服属した祟り神の監視の為に諏訪を離れられず、軍神としての戦働きは出来なくなったとの事だ。神奈子も滅ぼされた王国の遺民であり侵略は気が向かなかった所に、丁度良い口実だったのかもしれない。

 

 ダイコク村には余り変化が無かったが、てゐには変化があった。

 永き時に渡り兎達を支配する幼い姿の神「白兎大明神」に対する信仰が近隣の人間から発生し、俄かに神力が増しているのだ。

 オオクニヌシに神力を分け与えられて以来、僅かな力である為殆ど意識もしなかった神力だが、最近では妖力に匹敵する程の大きさになっている。

 と言うのも元々てゐの妖力は、数千年と極めて長生きな割には全く大した事が無い。

 年を経る毎に多少増えてはいるのだが、精々が中小妖怪程度にしかなっていない。

 兎の妖獣という種族的な問題なのか、どうにも荒事には向かないようなのだ。

 

 大きくなって来た神力の扱いを練習し始めたてゐであったが、これも荒事には向かないらしい。妖力で桃色の球体を作るのと同じように白色の球体を作る事は出来たが、土や木で試した所、攻撃力は同量の妖力の時よりも下がっている。

 一方で長年の手慰みに覚えて来た妖術の要領で結界術や治癒術を試してみれば、妖力よりも効率良く行使出来そうだった。

 薄々気付いてはいたことだが、此の身は前衛型ではなく後衛向きらしい。

 自分が妖力を持つと知った頃、もう遥か遠く忘れかけた前世ではあるが男の子だった事もあるてゐは、人並みに戦士的なものに対する憧れがあった。諦めざるを得ない現実に、少し神奈子が羨ましくなった。

 

 ー*ー*ー

 

 また随分と時が経ち、妖力をとっくに越えて増える神力の扱いにも習熟して来た頃。

 神々と人間を月に移住させると大和からのお達しがあった。

 何故そんな事をするのかと言えば、近頃凶悪な妖怪が増え、都市すらも危険に晒されているからだそうだ。

 (そもそ)も妖怪というモノは、怖れや恨み等の人間の負の感情が世界に満ちる妖力、又の名を「穢れ」とも呼ばれる力と結び付いて生まれる存在である。長生きした獣が妖力を取り込んで変化する妖獣と違い、生まれた時から人間に対する害意を持つ。

 その力は大抵が一対一なら完全武装の兵士を上回り、何時か出会ったルーミアのような大妖怪ともなれば一軍にも匹敵するだろう。

 力が増すに連れて好戦性が無くなる理由は知られていないが、大妖怪が頻繁に人間を襲撃する事が無いというその事実によって均衡が保たれている現状だ。

 

 いずれにせよ、人間は妖怪による襲撃に耐えかねて、月への脱出を決定した。

 月には生命が無い為か妖力、或いは穢れが全く無い。これにオモイカネが開発した穢れの発生を抑える術式を組み合わせる事で、理論上は永久に妖怪の発生を止められると言う。

 また副次的な作用として、穢れの無い状態では人間が不老になる可能性があるとも言われており、この副次的な作用に多くの人間が飛び付いた。

 結果として、大和の勢力圏つまり西日本ほぼ全域の人間が月への移住を希望した。

 そうなっては神々も黙ってはいられない。人間からの信仰が神力の源だからだ。強大な神力を持たない神々は(こぞ)って移住を希望し、計画の主導的立場だったオモイカネとツクヨミとの想定を遥かに越えて大規模な移住計画が進んでいる。

 蟄居しているオオクニヌシや祟り神の監視任務がある神奈子は移住を許されない。

 出雲系の神以外との交流が無いてゐも、勿論残留を決めた。

 

 ー*ー*ー

 

 やがて時が至り、月への移住計画が実行された。

 諏訪等の土着神の影響が強い地域を除き、大和の人間殆どが都に集まりロケットに乗り込んだ。

 有史以来初めてと言える程の数の人間が集まった為、妖怪の襲撃も熾烈を極めた。

 ルーミアを含め3体もの大妖怪が参戦し、護衛任務に就いた多くの兵士が犠牲になったと言う。

 

 斯くして西日本から人間の姿が消え、後に越の国や武蔵の国から人間が移動して来るまでの間に、高度な文明の遺産は破壊し尽くされた。人間が居なくなっても人間に対する破壊衝動が消えない妖怪達が無人となった都市を破壊して回ったのだ。

 そして西日本各地に東国から来た人間が居着いた頃、地上に残った人間達の文明はてゐの記憶していた「古墳時代」の程度まで後退していた。

 てゐはそれに気付いた時、前世の歴史の真実もこうだったのかもしれないと一晩悩んだとか。



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土蜘蛛

 神々と人間達が月へと去ってから、東国に居た人間達がやって来るまでの間。

 因幡の国から人間の姿は消え、都市も破壊し尽くされ、広がる山と森と荒野とに兎等の獣達が暮らしていた。

 妖獣を含め殆どの獣には良い影響しか無かったが、人間の信仰が無くなった為、てゐの神力は刻々と少なくなって行った。

 とは言えそれまでも大した力がある訳ではなかったし、神力が減って困った事は無い。

 妖怪もまた人間の負の感情が無くなった所為で弱体化し、力の弱い者は耐え切れず消滅しているので、外敵の危険はむしろ減っている。

 無人となった出雲では、依然強い神力に覆われている出雲大社をぽつんと残すように一帯が破壊されていた。オオクニヌシ程の有名神(ゆうめいじん)になると、今更信仰が止まった所でちょっとやそっとでは存在が揺らぐ事は無い。(そもそ)もオオクニヌシの名は今回月に脱出した者達以外にも轟いているので、完全に信仰が無くなった訳でもなかった。

 

 ー*ー*ー

 

 強い行動力を持つ人間達が居なくなって今まで以上に日々変わらない生活を送るダイコク村に、久しく訪れなかった来客が訪れた。

 其れはまだ姿も見えない頃から妖力を感じる程の強大な存在である。

 てゐは妖獣となっている兎を辺りに潜ませ警戒態勢を敷いたが、先方は意に介した様子も無く変わらぬ速度で接近して来る。

 近くに寄れば息苦しくなる濃密な妖力に顔を(しか)めつつ、小山のような巨体の蜘蛛を見て、てゐは来客の正体を察した。

 

『土蜘蛛』

 それは巨大な蜘蛛の姿をした怪異であり、反抗や疫病の概念を根幹とした強大な妖怪(・・)である。

 姿こそ実在する蟲の蜘蛛にそっくりだが、蜘蛛が変異した妖獣ではない。

 てゐは知らないことだが、ロケット打ち上げを妨害した3体の大妖怪のうちの1体でもある。

 その大妖怪が何の用で此の地に、否それ以前に何故力が減衰するのを承知で西に留まっているのか。人間の負の感情に依存する純粋な妖怪連中は既に東に去っている筈だ。

 まずは目的から質した。

 

「白兎大明神殿、警戒せずとも何もしないよ。力を大きく失う前に地底に退く心算(つもり)でな。地底には亡者の怨念やら怨霊そのものやらが未だ漂って妖怪には住み良い。しかし暫くは地下に籠る前に、地上の行った事が無い辺りも見てみようという訳だ」

 

 そういう事情ならば邪魔をしようとも思わぬが、やはりその巨体と膨大な妖力は物騒である。

 せめて騒ぎを起こさず旅をしてくれないかと頼めば、人型は窮屈だから嫌なんだよなと渋りながらも人化してくれた。茶色の装束を纏った少女の姿である。

 余談ではあるが力のある存在が人の姿を取る際は寿命に対しての現在の年齢が反映される。最初から神として生まれた類の神は寿命自体が無い為この限りでは無いが、神に「なった」者や妖怪は概ねその法則に従う。

 てゐの寿命は極めて長く、また普段から健康に気を遣って生きている事でまだまだ伸びており、何時まで経っても幼い姿である事がこの時点でほぼ確定している。本人は知らないが。

 

「目的は違うかもしれないが、『闇の』や『境界の』も西でうろついているらしいから、この辺にも来るかもな」

 

 最後に厄介な懸案を残して、二度と会う事も無いだろう大妖怪・土蜘蛛は去って行った。

 

ー*ー*ー

 

 その後、「闇の妖怪」ことルーミアは漆黒の巨大な球体の目撃証言という形で周辺に来ていた事が確認されたが、接触して来る事は無かった。

 一方の「境界の妖怪」については土蜘蛛から聞いた以外は一切の情報が無かった。余程秘匿性が高い能力を持っているのか、土蜘蛛が話に出す程の強大な妖怪である筈なのに、噂ですら出回っていない。後に幻想郷で出会うまで、てゐが「境界の妖怪」と遭遇する事は無かった。



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盟約

御蔭様で日間ランキングに入っていました。お気に入り・評価等ありがとうございます。


 再び元のように西日本にも人間が根付き、古墳時代に戻った文明をもう一度発展させ始めたが、てゐへの信仰がすぐに戻る事は無かった。

 元より何か加護を与えたり災害を起こしたりして得た信仰ではなく非常に長く同じ姿で此の地に居る事が生んだ信仰であるから、最近やって来た人間が同様の信仰をする訳も無い。

 オオクニヌシの眷属として神格を持っている事に変わりは無いのだが、信仰を失った神は弱い。純粋な神であればとっくに消滅するか「鬼」に変異している所だが、神に「なった」モノは信仰を失っても存在が揺らぐ事は無いので、力は失ったものの無事であった。

 

 幾ら時が過ぎても変わらない暮らしを続けるダイコク村はまるで時が止まったようであったが、或る時薬草の採集経路の途中に、兎達がどうやっても入れない空間が現れた。

 一見すると何も無いのだが、一歩踏み込んだ次の瞬間には先程まで居た場所とは全く別の場所に飛ばされているのだと言う。現地に案内させ、てゐが入ろうとしても同じ事が起こった。

 兎達に突入させて何度か試した所、入り込めない空間は円状に広がっており、飛ばされる場所もその円の上にある事が解った。更に不思議な事に、消えた兎は瞬時に移動するのではなく、距離に応じてそれなりの時間が経ってから忽然と現れた。どうやら不可視の空間を無意識で歩かされているのではないか、とてゐは仮説を立てた。

 

 紛う方無き異常事態であるが、てゐはこれを放置する事に決めた。

 てゐの眼にも何も無いように見える以上、何者か(・・・)の仕業であるとしても独力で対処できる事態ではないと容易に想像が付く。

 触らぬ神に祟り無し、との言葉が冗談ではないかもしれない。円の中心に格上の神が居る可能性も十分にあるのだ。神でないとしても格上である事に違いはあるまい。

 事によると「境界の妖怪」の仕業かもしれない、と以前聞いた名が思い出された。

 

ー*ー*ー

 

 事態が動いたのは暫く経って、近隣の妖怪達がざわざわと落ち着かない動きをしていたと思えばどこかに消えて行くという、別の謎の事件が起こった後だった。

 この頃になると打ち捨てられていた「白兎大明神」の社が再建され、幾許(いくばく)かの信仰が戻り、神力が増えた為か例の場所にある結界を目視出来るようになっていた。神力が関係しているのなら中に神が居るのはほぼ確定であり、藪を突いて蛇を出しては困るので放って置いたのだが、その日は結界の様子がおかしかった。

 

 所々揺らめいて不安定になっている結界に、てゐは意を決して干渉を始めた。恐ろしい目に遭うかもしれないが、結界が不安定になっている今こそ接触を図るべきだろう。

 結界は戦闘より特異な分野とは言え、干渉は困難を極めた。長く近くに居て手は出さずとも観察を続けたてゐですら困難なのだから、何も知らない者が侵入するのは事実上不可能だ。ところがその日の内にてゐは侵入に成功した。好条件を加味しても、知恵と思考を司るオモイカネの張った結界を一日足らずで破ったのは称賛に値するだろう。

 

 とは言え流石に結界を破った上でその事実を隠蔽することまでは出来なかったので、押っ取り刀で駆け付けたオモイカネの前に立ち尽くす事となった。

 てゐはオモイカネの顔を知らないが、眼の前の神が最上級神の一柱である事は察せられる。

 

――藪を突いたら八岐大蛇(やまたのおろち)が出てしまった。

 

 てゐは絶賛混乱中であるが、一方でオモイカネも状況が解らず少し混乱していた。

 現在結界が揺らいでいるのは、地上の妖怪が如何(いか)にしてか月へと襲撃を掛けた件の情報収集が必要だったからである。結界の外に情報端末を出す為に一時的に故意に揺らがせたのだ。月への侵攻方法によっては、月の連中に此処が見付かってしまうかもしれないのだ。

 今結界に侵入して来たのは兎である。月で開発された玉兎とは風貌が違うが、或いは地上での活動の為に作られた新型か、と考えた辺りで、オモイカネはその兎に神力がある事に気付いた。

 あの時地上に残った神か、その後に生まれた新しい神。

 ならば月の意向を受けてはいない筈だ。

 

 一足先に落ち着いたオモイカネは兎に、此の地の土地神なのかと問う。

 問われたてゐとしては自身が土地神という意識は無かったが、考えてみればオオクニヌシに保護され此の地を長年守っている神に相違無い。その通りであると答えた。

 

「今まで勝手に住んでいた事を謝罪するわ。その上で不躾な御願いだけど、今後も私達を此処に置いて欲しい。今までの分も含めて対価は支払わせて貰う。詳しい事情までは話せないけれど、私達は追われていて、結界を張り続ける必要があるの」

 

 上位の神に譲歩されては無下(むげ)には出来ないし、もし断った所で力尽くで土地を奪われるだけであろう。滞在を許す事は確定事項として、考えるべきは対価として何を要求するかだ。

 物品は要らない。知識は欲しい。権力は要らない。防衛力は欲しい。

 考えた末、てゐが要求したのは「薬草の知識」と「ダイコク村の防衛」である。

 図らずもそれはオモイカネにとっては簡単なことであった。「あらゆる薬を作る程度の能力」と高度な結界術を以てすればどちらも容易い。

 

 こうして盟約は為され、ダイコク村は結界の内側に入る事になった。

 目眩ましに周辺に竹を植えて、迷ったのか結界に弾かれたのか区別が付かなくさせれば、此処には決して辿り着けない。何処を見ても同じような竹が方向感覚を狂わせ、陽射しを遮り時間感覚も失わせる為、迷わされた人妖は結界の存在に気付く事すら出来ないだろう。

 そして最後になってお互い自己紹介すらしていない事に気付いた。

 

「私は出雲のオオクニヌシ様の眷属の因幡てゐ。妖獣上がりの土地神です」

 

「私は元の名を伏せて八意永琳(やごころえいりん)と名乗っているわ。失礼だけど逃亡中の身なので本名を名乗る訳には行かなくて。この永遠亭にはもう一人住んでいるのだけれど、其方もいずれ機を見て紹介させて貰いましょう」

 

 まだ完全に信用された訳ではないな、当たり前かと内心で考えながらも変に拘らず引き下がり、新たな隣人との第一次遭遇は平和裏に終わった。



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加護

 新たな隣人が増えてから一年の間は、先日までの平穏が嘘のような慌しさだった。

 結界の拡大や竹の植林に、互いの腹の探り合いもあり、例年の十倍は忙しかったかもしれない。何せ例年はその辺に生えている健康に良さそうな草を選んで食べ、気が向いたら薬草を集め貯めておき、時には妖力や神力の修練をして、襲撃を受けたら追い払う程度しかしていない。

 (ちな)みに食べ残した健康に良くなさそうな草は兎以外の連中が食べる。

 てゐは兎以外の健康には興味が無かった。

 

 作業の間に隠されていた屋敷「永遠亭」に通う事もあり、「姫」を見る機会も幾度かあった。

 これぞ日本の姫といった風情で、黒く美しい髪を長く伸ばし、何枚もの煌びやかな着物を儚げな身に(まと)っている。容貌も知らず溜め息が(こぼ)れる程美しく、絶世の美女という評がこれほど相応(ふさわ)しい者は他に居るまいと思えた。

 尚、てゐの兎に対する美的感覚は雄兎に捧げられているが、人間の姿をした者に対しては今でも女性的な風貌に魅力を感じる。もう随分と長く生きて今更、それも他種族相手の恋に身を焦がす事も考えにくい身の上であるから、今後宗旨替えする事もなさそうだ。

 

 さてそのような絶世の美女である「姫」だが、姿を見掛けただけでまだ一度も会話を交わした事は無い。永琳が結界で隠し、同盟相手にも名を伏せる徹底した秘匿。「追われている」のが永琳ではなく「姫」である事は言わずと知れた。

 それにしては屋敷の中を立ち歩き、てゐに姿を見せた辺り本人は然程(さほど)危機感を覚えていないのかもしれない。或いは二人きりで隠れ潜む事に飽いていたのか。退屈は人を殺すと言うが、長命の者は只の人間よりも退屈に弱い。退屈は人外を特に念入りに殺す。

 

ー*ー*ー

 

 慌しい作業が一段落すれば、多少の刺激は増えたが概ね平穏な暮らしが戻って来た。

 てゐと妖獣の兎達は、盟約に従って永琳から薬の知識を授かる事になった。これまでは収集した薬草を症状に応じて食べたり傷に押し当てたりと薬草のまま使っていたが、てゐは調合して薬を作ればもっと大きな効果があると知っていた。前世の知識である。

 初回の講義の冒頭で、永琳は自らが「あらゆる薬を作る程度の能力」を持つ事を明かした。

 作業を通じて兎達と交流し、自分に関する情報は或る程度公開して良いと考えるに至ったのだ。てゐは未だ読み切れないものの、他の兎達は純粋で勤勉な良い兎である。まるで月面に居る玉兎のように思えたのが最後の一押しだっただろうか。

 まずは蓄えられた薬草で作れる初歩の薬から習って、次は目に付く薬草を何も考えず育てていた薬草園に手を入れる事になった。

 

 村の周辺は既に背の高い竹に覆われている。竹は元々成長が早いが、此処の竹は永琳の品種改良によって一日で風景を変える程に伸びる。一度通った道の判別が付かず、結界に踏み込めば無意識に彷徨って何処か別の場所に放り出されるのだから、自力で竹林を出る事は非常に困難だ。

 これでは結界は効かないとは言え兎も迷って帰れなくなってしまうので、てゐが全ての兎に帰り道に迷ったら偶然(・・)村に辿り着ける加護を与えた。神力は大きくないが神の端くれであるから、直接の眷属に永続的な加護を与えるくらいの事は出来るのだ。

 

ー*ー*ー

 

 新しい生活にも慣れて来て、てゐが一応薬師を名乗れる腕前を身に付けた頃、近くの人里で流行り病があった。知識だけでなく実地研修も必要だと考えていたので、てゐは永琳と相談して兎達を連れて病を治しに行く事にした。勿論対価は取らない。食糧は筍も取れるようになって間に合っているし、金銭を貰っても仕方がない。

 以後も辺りの人里で流行り病がある度に貴重な経験の機会だと出て行って対価無しに治すので、感謝した人々の信仰によって白兎大明神の加護に新たに「疾病快癒」が加わったのだが、てゐは永琳の講義の結果と勘違いした。

 てゐは兎以外の健康には興味が無いのだ。



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天狗

 竹林に烏天狗が降りて来たと兎からの報告があった。見掛けない天狗だと言うので、何か面倒事かと見たてゐは用件を確認しに行く事にした。永遠亭と結界は永琳が守護しているが、結界の外の竹林は兎の領分である。

 烏天狗は伯耆の御山に住む射命丸と名乗った。天狗は元来閉鎖的であり、今回のように遠方まで出て来るのは相当に珍しい事だ。

 用件はと言うと、御山を治めていた伯耆坊なる大天狗が、訳あって四国に移った相模の大天狗の領地へ移る為、当面の間は烏天狗達が後釜を狙い相争う見込みだと言う。

 大天狗とは種族の名ではなく地位であり、一帯の天狗を支配する権力者である。天狗自体が強力な種族なので、それを束ねる権力は同時に強大な武力を意味する。

 多くの大天狗は天狗の術を修め人間から天狗に変じた者だが、信濃飯綱山の三郎天狗のように烏天狗である事もある。また、突出した実力者が居ない場合は複数の天狗による合議が一体の大天狗と見做される事もある。その座を残された烏天狗達が狙っているのだ。

 

 天狗の争い自体の被害は受けなくとも、縄張りを追い出された妖怪が他所へ行き暴れる可能性もあるから気を付けてくれとの事だったが、実際には追い出される程度の者がこの竹林を襲うのは不可能なので要らぬ心配であった。

 無駄足を踏ませた詫び代わりに、てゐは射命丸を少しだけ幸運にしてやる事にした。昔は人間にしか効かなかった「人間を幸運にする能力」だが、時を経て力が増した事で、人間の姿をしている人外の存在にもほんのり幸運を(もたら)せるようになっている。気休め程度の祝福だが、案外これで射命丸が大天狗の座を掴む事もあるかもしれない。

 

「御礼に微力ではあるが貴女の前途を祝福させて貰った。もし良ければ今後も此処に来てくれれば(ささ)やかな幸運を授けるよ」

 

 烏天狗の最大の武器である高速飛行は、荒事だけでなく情報収集にも役立つ。強い烏天狗程多くの情報を持っているものだ。射命丸が定期的に来訪すれば、竹林を出ずして遠方の情勢を知る事が出来る。一見一方的に与えるようだが、双方に益のある提案である。

 

「あやややや、これは神力ではありませんか。たかが妖獣だと思えば神様だったとは。大変失礼を致しました。喜んでこれからも寄らせて頂きますよ」

 

 射命丸は即座に言葉を丁寧にした。天狗は種族特性として上位の者に弱いのである。

 

 ー*ー*ー

 

 その後も約束通り射命丸は何度か来て、その度に祝福を与えていたのだが、結局射命丸が大天狗になる事は無かった。力が足りなかったからという訳では無い。射命丸自身に権力への野望が更々無かったのだ。権力に付随する厄介事に煩わされるよりも高速飛行を極めたいらしい。既に近隣に並ぶ者は居ないのだが、本邦最速の座を虎視眈々と狙っているとか。

 そんな謎の情熱を見せる射命丸だが、狙い通り様々な情報を教えてくれた。最速を標榜するだけあって彼女の情報収集範囲は途轍もなく広かった。狙った以上の見返りである。

 

 曰く、元はと言えば大天狗の伯耆坊が去ったのは四国でかつての役行者に匹敵する程の強大な大天狗が現れた所為だとか。

 大天狗を顎で使うような御方に匹敵するとなれば仕方無いだろう。

 

 曰く、随分前に「結界の妖怪」が東の方に作った隠れ里の妖怪が大挙して月に攻め込んだとか、其処には鬼神と配下の鬼がわらわら居て吐くまで酒を飲まされたとか。

 酒に強い天狗が吐くとは余程の事だ。

 

 曰く、オオクニヌシ様は何人も妻が居るにも関わらず出雲大社の巫女に手を出しているとか。

 オオクニヌシ様も御元気そうで何よりである。



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幻想入り

 射命丸から得た情報は永琳とも共有されている。

 その中で永琳が一際興味を示したのは「境界の妖怪」が率いる隠れ里の件だった。

 永琳と輝夜が隠れ潜んでいるのは月からの追手に見付からない為だし、てゐに結界を破られた際に結界が揺らいでいたのは、永琳も知らない事だが「境界の妖怪」が仕掛けた月面侵攻が原因だ。当時永琳は月の裏と地上とを結ぶ道が開かれた事を察知し、月から何者かが降りて来る為と考え、半径百里の月人に反応する広域探査を掛けていた。流石に今は出力を下げているが同様の探査自体は常時続けている。

 それが、月から開いたのではなく地上の妖怪の仕業だと言う。月の裏には永琳が今張っている物よりも数段強力な結界がある。その話が本当だとすれば、桁外れの距離を越え、結界を物ともせず突破する極めて強力な妖怪である。容易に信じられる話ではない。

 しかし何年経っても月人の追手が来る気配は無いのだから、「道」を開いた方法如何については()くとしても、地上から開いたのは事実かもしれない。どうやら地上の妖怪が月に戦争を仕掛けたという件については引き続きの調査が必要である。

 永琳はてゐに「境界の妖怪」の情報を重点的に集めるよう依頼した。

 

 ー*ー*ー

 

 さて、情報を集めるとなれば射命丸だけでなく他の妖怪にも聞いてみるべきだろう。

 幸い竹林には時々外の妖怪が入って来て、迷って出られなくなっている。少し噂話を聞かせてくれたら外に案内してやるとでも言えば面白いように乗って来た。最近では他所と違う風景に惹かれたのか妖精達も集まって来て、悪戯で人妖を迷わせ防衛に一役買っているのだが、妖精は殆ど例外無く頭が弱いので、情報源としては期待できない。

 

 妖怪達が言うには、東国に妖怪の楽園があるという話はかなり前から聞くそうだ。月との戦争の件についても、当時参加しないかと勧誘を受けた者が居た。なんでも「境界の妖怪」が、秘密裏に月へ侵入できる方法があるから血気盛んな妖怪を集めろと号令を掛けたらしい。ところが一般に大妖怪は落ち着きがあるので、血気盛んな妖怪と言うと往々にして力が大して強くなく、月人に散々に打ち破られて逃げ帰って来たのではないかと言う。自分は参加しなくて良かったと。

 根拠の薄い推測ではあるが、頷ける推測だ。月には古の神々も居るのだから、忍び込めたとしても簡単に打ち破れる相手ではあるまい。

 しかし、伝聞や推測だけでは確かな事は解らない。

 実際に月へ行った者に聞かなければ断言は出来ないと付け加えて、てゐは情報を永琳に伝えた。

 

 ー*ー*ー

 

 はっきりした事は解らないという事でこの件は終わるかと思われたのだが、数十年後に調査依頼があった事も忘れかけた頃、或る妖怪が竹林を訪れた事で事態は急変した。実際に月へ行って敗走して来たルーミアである。昔妖力の事を聞いて以来だから、気の長い人外基準で言っても恐ろしく久しぶりに見る顔だ。

 ルーミアの言う事には、

 

「月との戦争? そう言えば八雲の誘いで行った事があったね。だけどアレは戦争なんて上等な物では無かったよ。最初は月の兎と殴り合いをしていたけど、剣を持った女が出て来たと思ったら、神の力で稲穂でも刈り取るように薙ぎ倒して行った。一撃(ごと)に別の神の力を感じたよ。私は勝ち筋が見えなかったから即逃げに徹したけど、無事に帰れたのは一割にも満たなかったね」

 

 持つべき物は縁だなと思いつつ、事の次第を永琳に報告した所、剣を持った女の正体に心当たりがあるので行った先は間違い無く月だろうという判断になった。

 となると、名を八雲と言うらしい「境界の妖怪」は、実際に月へ行く能力と月への敵対意志とを持つという事だ。月人の追手から逃げるには、八雲の隠れ里に密かに侵入するのが最善手だと永琳の並外れて明晰な頭脳が告げている。そうすれば仮に居場所が月に漏れても、迫った追手に八雲が勝手に(・・・)応戦してくれるだろう。八雲が退けるようなら問題無いし、負けてもその間に別の場所に逃げられる程度の時間は稼げる。

 

 永琳は侵入計画をてゐに打ち明けた。取れる選択肢が二つあるからだ。

 

  ・永遠亭だけを転移させる。

  ・竹林を丸ごと転移させる。

 

 後者の選択肢を取った場合、てゐや兎達も八雲の隠れ里に行く事になる。八雲がどれ程の能力を持つか未知数の為、永琳はてゐの同意さえあれば竹林ごと行きたいと考えている。

 竹林が突如現れれば目立つが、兎達が姿を見せれば「此処は兎達が支配する地だ」という認識で決着を付け、永遠亭を隠す目眩ましになるだろう。誰しも一度疑問を抱いて決着した後に再び同じ疑問は持ち難い。「誰が住んでいるのだろう?」に「兎達が住んでいる」と解答を与えれば、次に変事が起こるまでは目を逸らせるという事だ。

 

 不意に重要な舵を渡されたてゐは悩んだ。

 長年暮らした地を離れるのなら抵抗があるが、竹林ごと移るのならそれ程問題は無い。

 積極的に同行しなければならない理由も無いので、結局てゐの気持ち次第という事になる。別の地に移り新たな刺激を得る事は精神面で健康に益する。更に東国ではこの辺りには無い薬草も見付かるだろうし、兎の健康第一という行動原理から考えて此処は乗るべきではないか。

 八雲の対応に些少の不安は残るが、てゐは竹林ごとの転移を望んだ。

 

 大規模な転移となれば術式の構築にも相応の時間が掛かる。

 てゐはその間に、出雲のオオクニヌシ様と、馴染みの射命丸くらいには遠方に引っ越す事を伝えておく事にした。

 久々に会ったオオクニヌシ様は、王として働いていた頃より肌艶が良くなっている気がした。少し思う所はあるが、御元気なら何よりである。東に行くのなら諏訪に行く機会があれば神奈子の嫁の顔を見て来いと言われたが、生憎(あいにく)直接転移なので諏訪に行く事は無いだろう。

 

「あそこに行くんですか。じゃあ私が行った時は竹林に顔を出しますよ」

 と射命丸が言うのを聞いて、この天狗は彼の地に行った事があるのだと思い出した。

 向こうでも会うのなら二度手間だったかもしれない。

 

 ー*ー*ー

 

 その後、転移の準備は予定よりも早く済んだ。向こう側からも此方を引き寄せる力が働いていたからである。永琳はそれに気付いた時、既に此方の所在も意図も割れているのかと思ったが、よく調べてみるとその引力には指向性が無く、あらゆる方向から幻想に属する存在を呼び込んでいた。それならば却って都合が良い。てゐが独力で転移を行ったと説明するよりも、この幻想を呼ぶ力も手伝ったとした方が説得力がある。

 憂いが一つ消えた永琳は、されど油断する事無く慎重に転移の術式を起動した。

 こうして、てゐと兎達と永遠亭の二人、更に竹林に住む妖精や動物、偶々(たまたま)迷い込んでいた妖怪も巻き込んで、「迷いの竹林」は八雲の隠れ里、又の名を「幻想郷」へと転移した。

 

 折しも人の世は戦国、日の本が乱れに乱れ弱き人々が神仏に縋る時代。太古より因幡国高草郡に住まい、人間を見守って来た土地神が忽然と姿を消した。

 鎮守の竹林から神の気配が消えた事に気付いた神社関係者は慌てたが、運気上昇や疾病快癒等の白兎大明神様の加護は途絶えていなかった。訳あって御隠れになられたが我らが見限られた訳では無いのだと、人々は感謝を新たにしたと言う。

 実際には人間を見守って来た心算(つもり)は無く、加護も信仰に対して自動的に与えられているのだが、神の心を人が知る由は無く、また知らない方が良い事実でもあった。



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幻想郷にて
状況確認


 八雲の隠れ里に着いたてゐが最初に取り掛かったのは周辺地理の確認であった。転移が無事成功したのなら、竹林の周辺には知らない風景が広がっているはずである。

 てゐは配下の妖獣を数匹ずつの班に分け、それぞれ違う方向に走らせた。各班はその方向がどうなっているのかを調べ、何かあれば一匹がすぐに村で待つてゐに知らせに戻ることになる。妖獣でない普通の兎達は、てゐと一緒に村で待機だ。

 初めに戻って来たのは東に向かった一団であった。報告によると、東側に竹林を抜けて程近くに人里らしき建物と炊煙を見たと言う。此処は八雲が妖怪を集めた隠れ里であり、兎達のダイコク村とて一見人里のような外見をしているのだから、それが人里とは限らないのだが、てゐはまずその人里らしきものへ接触してみる事にした。報告に来た兎を村に残し、他の班から危急の連絡があれば東に行ったてゐの元へ来るよう言い残す。

 人里であろうが無かろうが、それだけ近いのなら否応無く今後関わり合う事になる。

 先方は既に突如竹林が現れた事に気付いているだろう。その状況で後手を打てば、初対面の時には敵対関係という事にもなりかねない。疑念を抱かせる前に此方から接触する必要があった。

 何にせよ初手を間違わない事が肝腎だ。てゐは、一息気合を入れなおして東に向かった。

 

 ー*ー*ー

 

 報告によれば見張りが一人立っているだけの筈の門に農具などで武装した複数の人影が集まっているのを見て、てゐは思わず漏れそうになった溜息を我慢した。竹林の外で待っていた東班の兎達と合流した時点で見えた風景である。人間と妖獣との視力の差はあるが、向こうからも複数の人影が竹林から現れて立ち止まっている事くらいは見えるだろう。

 いきなり警戒されてしまったのは計算外だが、一度警戒させてそれを無事解けば無実の者に疑いを向けた負い目もあり疑われ難くなるのではないかと前向きに考える事にした。永琳の立てた永遠亭隠蔽策の応用である。

 てゐが眷属達を置いて一人で門に向かうと、向こうからも一人の大柄な男が向かって来た。

 剣呑(けんのん)な雰囲気の男が口を開く前に、てゐは第一声を発した。

 

「私は後ろに居る兎達の主、因幡てゐと申します。まず私達は争い事を起こす心算(つもり)はありません。住処(すみか)の竹林と共に此の地にやって来たばかりで右も左も解らず、事態把握の為に手下を方々に走らせておりました」

 

 丁寧な態度に毒気を抜かれた様子の男は、己の後ろにあるのが人間の里だと話し、兎達は人間を襲わないとしても、竹林に住む他の妖怪は大丈夫なのかと尋ねた。てゐが幼い少女のような風貌をしているのも警戒を緩めさせた一因だろう。

 懸念がそれだけならば、てゐとしては好都合であった。転移の際に巻き込まれた妖怪は居るかもしれないが、其奴等は竹林に迷ってそう簡単には出られない為、危険は少ない。説明の際に竹林に(みだ)りに入り込まぬよう釘を刺せるのも、併せて好都合である。

 

「あの竹林の竹は成長が早く、更に住み着いた妖精達が悪戯をして迷わせている為、竹を越える程高く空を飛ぶ事が出来なければ、容易には外に出られません。私が関知する限りではそれが出来るような妖怪は竹林に居ません。竹林を自由に出入り出来るのは住み慣れている私と兎達だけです。人間も迷ってしまうので、彷徨(さまよ)う妖怪の餌になりたくなければ入らない方が良いでしょう。兎が先に見付ければ外まで案内しますが、安全の保障は出来かねます」

 

 一息に言い切ると、てゐは先方の反応を待った。一言断り一度門に戻った男は、数分の話し合いの後戻って来て、概ね信用したいが、入ったら本当に出られなくなるのか自分が確かめてみたいと言った。裏切られるかもしれないのに豪胆な男である。

 

 男を連れたてゐは、竹林に入り外の光が届かなくなる程度に奥まで連れて行くと、半刻後に迎えに来ると言い残して更に奥に消えた。兎以外の妖怪の姿を見たら大声で呼ぶように言い付けるのも忘れてはいない。この男がうっかり殺されてしまったら人里との関係は最悪になるのだ。

 半刻後、男は竹林を出られていなかった。来た方向に向かって歩き出すと、突然眩暈(めまい)がして倒れ込み、立ち上がってみればどの方向を見ても通った記憶が無い。今通って来た筈の道さえ解らず、少しでも見覚えのある方へ歩き出したが、やはり出る事は叶わなかった。

 予告通りに現れたてゐに先程起こった事を話すと、あの眩暈が妖精による幻惑であり、その効果が切れる前に周りの竹が成長して風景を変えてしまっていると教えられた。依然見覚えの無い風景を歩きながら話しているうちにあっさり外に出たので、てゐが自由に出入り出来るというのも恐らく本当だと確認できた。

 

 男と共に人里の門で待つ人間達の所に戻ると、てゐは基本的に相互不干渉としようと提案した。永遠亭という隠したい物がある為、あまり深い関係になるのは宜しくない。人里側としても問題は無さそうだが、此処に居る者の一存では決められず、人里の長の裁可を仰ぐ為保留とした。回答は二日後てゐが人里に聞きに行くと決めて、この場は御開きとなった。

 

 ダイコク村に戻ったてゐは、既に戻って来ていた他の方向に向かった兎達からの報告を受けて、人里のある方向以外は暗く瘴気に覆われた森が広がっている事を知った。瘴気は健康に良くないので立ち入らないよう兎達全員に通達し、差し当たり周囲の把握は済んだものとした。

 

 ー*ー*ー

 

 そして二日後、人里に向かったてゐは人里の長と会談し、普段は相互不干渉とする事と、互いに助けを求められたら応じる事を決めた。人間の手に負える程度の事で助けを求めるとは思えないので後者の条項は片務的とも取れるが、目くじらを立てる程の事では無いので飲み込んだ。

 その代価とばかりに此処はどういう場所なのか尋ねると、各地から妖怪が集まって来るこの一帯は妖怪達に「幻想郷」と呼ばれており、この里は妖怪退治を生業とする者達がそれを目当てに移住して来て出来たのだと言う。近くに他の人里は無い為、里の者は単に「里」や「人里」等と呼んでいるが、敢えて名を付けるなら「幻想郷の人里」だろう。

 

 こうして「迷いの竹林」の兎達は幻想郷の一員としての歩みを始めた。一連の経緯は既に八雲も把握しており、後日八雲の式である九尾が確認しに来たが、これは確認と言うより「お前達の動向は把握しているから何を企もうと無駄だ」という脅しの側面が強かった。

 ただ、迷いの竹林に住む「他の住民」についての詰問は無かった。これを八雲の眼から永遠亭を隠し通せていると素直に受け取って良いものかどうかはわからないが、当面は追及されないというだけで良しとする他無いだろう。



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龍神

「龍神が幻想郷の守護者にして支配者である」

 

 酒の肴に人間からこの話を聞いた時、てゐがまず考えたのは八雲が「龍神」を騙り人間を操っているという仮説だった。しかし続きの話を聞くに、「龍神」とやらは「結界の妖怪」と時に争って勝ったり負けたりしていると言う。先日竹林にやって来た九尾と役割分担して茶番劇を演じたとかでなければ、正体が何であれ八雲と伍する実力者が居るという事だ。

 てゐとしても酒の席の与太話と捨て置ける話ではない。自分達の平穏の為にも、永遠亭を隠す為にも、八雲と対等に戦える存在が本当に居るのか確認する必要があった。

 余談だが、少女と呼ぶにも幼すぎるような外見のてゐが酒を頼んだ時には一悶着あった。人外の存在は見た目で年齢が解らないものだと言い聞かせて納得して貰ったが、最初の何杯かは心配そうな目で見られていた。酒は百薬の長、薬を扱う神でもあるてゐの得意分野だと言うのに。

 

 龍神は年に一度の例大祭と、何年かに一度八雲と戦う時、森を越えた向こうに(そび)える山から飛来するらしい。普通に考えれば山に住処(すみか)があるのだろう。

 その山までは最短距離なら瘴気の満ちる森を突っ切って行く事になるが、人里の東側から出て北に向かい、年中霧に覆われている湖の東岸に沿って行けば森を避けて行けるようだ。

 湖までなら行った人間も幾らか居ると聞いたてゐは、一人で山に行ってみる事にした。弱そうに見えて実際弱いてゐだが、に襲い掛かって来て話が通じないような低位の妖怪に負ける程弱くはなく、逃げる事も許されない程の実力差がある相手が逃げる弱者をわざわざ殺しに来る事はそうそう無い。危険なのは実力が上なのに交渉が通じない馬鹿だが、幸運の兎である自分がそんな滅多に居ない奴に出会ってしまう事など無いだろう、とてゐは楽観していた。

 尚、眷属の兎を引き連れずに一人で行くのは最初から逃走を計算に入れているからである。格上から逃げる際に仲間の安全を確保するのは難しいのだ。

 

 ー*ー*ー

 

 翌日、湖に辿り着いたてゐは己の楽観を後悔していた。

 眼の前に居る奴は自分より戦闘力が高く、飛行速度も速い。しかも先程から対話を試みているが一向にまともな会話が成立しない。何故なら其奴は知能が低い事で有名な妖精だからだ。

 そう、紛れも無く危険視していた「実力が上なのに交渉が通じない馬鹿」である。

 幸い、要領を得ない主張を纏めれば「最強のあたいの子分になったらこの辺で遊んでも良い」との事なので、出合い頭に拳大の氷を散々ぶつけられた恨みを飲んで軍門に下る事にする。今子分になると誓っても次に会った時にはすっかり忘れて攻撃して来るかもしれないが、妖精とはそういう者だから文句を言っても仕方が無い。問題は典型的な妖精らしい性格の癖に強い事だ。

 帰りに此処を通る時までは子分になった事を覚えていてくれるよう祈り、てゐは先を急いだ。

 

 その後は何事も無く湖沿いを歩き、日が真上に昇った頃に山の麓に着いた。

 龍神の巣はやはり頂上だろうかと考え登り始めたてゐだが、そんなに進まない(うち)に足止めを食う事になった。今度邪魔をしに来たのは狼の妖獣、服装から察するに天狗の下っ端である白狼天狗と思われる。下っ端とは言え天狗は天狗、てゐの敵う相手ではない。

 だが先程の妖精とは違って天狗には話が通じる。寧ろ無数の妖怪の中でも一番話が通じる部類と言っても良いかもしれない。

 

「私は先般この幻想郷にやって来た兎の頭領にして出雲のオオクニヌシ様の眷属神、因幡てゐだ。山にいらっしゃる龍神様への挨拶を阻む理由があるなら聞かせて貰おうか」

 

 てゐは妖怪にも感知できる程度に神力を出しながら意識して居丈高に言い放った。天狗は上位の存在に弱いので、神である事を真っ先に明かせば間違い無く従う。例外は天狗の最上位に位置する天魔、例の役行者に匹敵するとか言う昔四国に現れた大天狗の事だが、その天魔くらいではないかと射命丸が言っていた。並の神より格の高い出自であるとか何とか。

 兎も角(ともかく)天狗は権威に弱いという例に漏れず、道を塞いでいた白狼天狗は恐縮しつつ道を開けた。慣れない言葉遣いをした甲斐があるというものだ。加えて道案内も買って出た白狼天狗は哨戒任務があると言うので途中で居なくなってしまったが、間を置かず別の白狼天狗がやって来て、代わりに案内をしてくれた。

 

 そうして山頂近くまで天狗の案内で登って来たてゐだが、進むに連れ疑問が湧いて来ていた。

 山頂に近付くほど騒がしくなっているのが一点。神域に近付けば普通は静かになるものだ。

 山頂に巨大な妖力を持つ存在が多数感じられるのがもう一点。ひょっとすると天狗に騙されているのではなかろうか。てゐは段々竹林に帰りたくなって来た。

 鬼が出るか蛇が出るか、と意を決して登り切ったてゐは、山頂に本当に鬼が居るのを見た瞬間に(きびす)を返そうとしたのだが、既に先方にも姿を見られており呼び止められてしまった。

 

 仕方なく鬼が集まっている方に向かい、そんな訳は無いだろうと思いつつも此処に龍神が居ると聞いて挨拶に来たと言ったのだが、果たしてそんな訳があった。鬼達の中心に座り豪快に樽を担ぎ上げ酒を飲んでいる鬼神様の、別名と言うか別側面が龍神だったのだ。

 神には荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)との二つの性質があり、特に力の強い神の中にはそれぞれに全く異なる姿を取り、極端な時には別の神として祀られる者も居る。

 眼の前で空の樽を誇らしげに掲げている美女もその類であり、和魂は幻想郷の水雨を司る龍神。荒魂は洪水を起こし数多の生贄を喰らった大悪神、かつては八岐大蛇(やまたのおろち)とも呼ばれ、一度スサノオに調伏された後にもヤマトタケルを返り討ちにした事で知られる伊吹大明神である。てゐが遥か昔に聞いた事のある噂話に登場した有名神(ゆうめいじん)であった。

 傍らでふらふらしながら間断無く酒を飲み続ける幼い外見の鬼は、鬼神の御子であり四天王筆頭の伊吹萃香、通り名は酒呑童子(しゅてんどうじ)だ。

 

 想定を遥かに超える大物の登場にてゐは一瞬意識が飛びかけたが、気を取り直して自分の身の上を明かし、八雲との対立は事実かと問うた。事実であれば強大な後ろ盾となり得る。

 しかし返答は無慈悲であった。

 鬼神と八雲は古くからの知り合いであり、(そもそ)も本来近江の伊吹山に居る筈の彼女が東国の幻想郷に居るのも旧知の八雲の招聘(しょうへい)に応じての事だ。

 時折意見が対立して喧嘩もするが、実際には人里の守護神等ではない。人里の例大祭には良い酒が貰えるから龍神様として顔を出すらしいが、一方で配下の鬼は人を(さら)っているのだから、とんだ詐欺ではないだろうか。

 

 てゐは協力の当てが外れた為気落ちしながらも鬼の宴会の御相伴に(あずか)り、少しは気分を上向けて帰路に就いた。今度は幸運にも例の妖精に遭遇しなかった。酒が回った状態でいきなり襲い掛かられたら危ない所であった。




龍神=鬼神という解釈にしてしまったので流石に付けないとまずいかなと思い、「独自解釈」タグを付けました。
前話まででも十分独自設定だった気もしますけれども。


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