私はあんたの世話を焼く。 (ルコ)
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私はあんたの世話を焼く。
物語


 

 

偶然や奇跡、私はそういった類いの言葉が嫌いだ。

 

偶然、街中で元カレに会って寄りを戻した。

奇跡的に、新しく入ったバイトがイケメンだった。

 

だったら、私はいつまでも偶然を待ち続けなくてはならないのか。

それとも、奇跡が起こるように手を合わせておかなければならないのか。

 

そんなのは嫌だ。

 

好きになったら絶対に私のモノにしたいし、恋がしたければ合コンに行く。

出会いを偶然に任せるのは怠慢だ。

 

……。

 

高校の卒業式、彼に告った場面を思い出す。

 

まるで手応えを感じなかったアピールも、今では良い思い出……、とまではいかないが、少なくともワインを飲みながら愚痴る肴にはなる。

 

どうして告白したんだっけ……。

 

絶対に振られると確信していた。

彼は私に見向きもしなかったから。

表面上で取り繕った優しさに苛立つこともあった。

 

彼は……、葉山 隼人は私のことを考えてくれたことがあったのだろうか。

真摯に告白を受ける覚悟があったのだろうか。

 

あのとき、私の告白を受けた彼は普段と変わらない困ったときに浮かべる笑顔を私に向けた。

 

 

ごめん。気持ちは嬉しいんだけど

優美子とは友達でいたいんだ。

 

 

流れるように出てきた言葉が彼の虚像を写しているようで。

ただあらかじめ用意されていた文章を読み上げられているような拒絶に、私の気分は最悪に気持ちの悪いものだった。

 

どうして告白をしてしまったのだろう。

 

再度思い返してみてもどこかで何かが引っかかる。

卒業式の雰囲気にあてられた?

それとも周りの告白ムードに染められたか?

 

「……」

 

大学に入学して3年目が始まろうとする春に、私は1人で思い出を探る。

 

合コン帰りに入った行きつけのバーで、BGMに流れる洋楽も聞こえないくらいに考え込んだ。

 

「……。っち、思い出せねーし」

 

「ん?どうかした?」

 

私の舌打ちが耳に入った女性のバーテンは不安そうな顔で私を覗く。

 

「ちょっと高校の頃思い出してた。あんまりいい思い出じゃないけど」

 

「へぇ。優美子ちゃんって高校の頃はどんな感じだったの?」

 

「あー?んー、あんまり今と変わんないし。今のあーしから酒とタバコをなくした感じ?」

 

「あははー。彼氏とかはいたの?」

 

「それがさー、あーしって一途だから3年間同じ相手が好きでさー。……まぁ、その、……ね?」

 

察したかのように女性のバーテンは苦笑いを浮かべた。

私はタバコを咥えながら思い出を遡る。

浮かぶのは隼人の苦笑いと……。

 

”私ね、フラれちゃった。

でも、本気で向き合ってくれて

嬉しかったの。

心からーーーを好きになってよかったって

思えるもん ”

 

……、結衣の泣き顔。

 

 

「あ、優美子さんタバコ吸ってる。さては合コンが不作でしたね?」

 

バーテンがワインクーラーを私の手元に置きながら話し掛けてくる。

このコは気が効く上に聞き上手なんだ。

 

「なんか気持ち悪いんだよね。ああゆうナルシストタイプって」

 

「合コンに行く男の人なんてナルシストさんが多い気がするけど」

 

「それ!そうなの!でも出会いがなければ始まらないし!」

 

「出会いかぁ……」

 

 

出会いは唐突。

そんなの当たり前だ。

だからこそ、出会いに運命を求める奴に限ってドラマや映画の作られた物語に理想を抱く。

そんなのはフィクションだと言うのに……。

 

 

 

私はワインクーラーを飲み干し支払いを済ませた。

1人暮らしをしているマンションまでは二駅ほどあるが酔いを醒ますがてら歩いて帰路に着く。

 

ーー♩

 

リズリカルな音と同時にLINEがメッセージを表示した。

 

『先に帰っちゃったみたいだけど大丈夫?』

 

トーク記録のない画面に写る一通のメッセージ。

先の合コンでIDを交換した男だろう。

 

「はぁ、……。きも。誰だし、こいつ」

 

返信も打たずにスマホをバックに仕舞う。

冷めた気持ちに追い打ちを掛けるように、春特有の強い風が辺りをざわつかせた。

木にしがみついていた葉は宙を舞い、どこかで看板が倒れたかのような大きな音が鳴る。

 

 

「……、寒。帰ろ」

 

 

春とは言え夜は寒い。

私はバックからマフラーを取り出し首に巻く。

……巻こうとした。

 

 

「…っうぇ!?」

 

 

強い風が吹き荒れ、マフラーが風に飛ばされる。

数メートルは飛んだであろうマフラーはガードレールの足元に引っかかり止まった。

 

 

街灯がスポットライトのように照らすガードレールの一部分。

小さな人影がスポットライトに近づいた。

次第に大きくなる影はガードレールの足元に引っかかったマフラーを手に取る。

 

 

ライトはそいつを照らすように。

 

風が騒ぐのやめる。

 

舞っていた葉は地面を這う。

 

顔は良く見えないが華奢な身体をしているそいつは、静かにゆっくりと私に近づいてきた。

 

 

「……それ、あーしのなんだけど」

 

「あ?知ってるけど…」

 

「だったら早く返せし」

 

「そのつもりだよ。…つぅかおまえ……」

 

 

街灯がそいつを照らす。

春に吹く風は寒さを感じさせるが、オレンジ色に光るライトはどこか暖かい。

 

 

そいつの顔を見て思い出すのは結衣の泣き顔だ。

 

 

”心から、ーーーを好きになってよかった”

 

 

静けさに付きまとう懐かしさ。

思い出を美しいと感じることができるのは、結衣の涙があまりに輝いていて幸せそうだったから。

 

そして私は思い出す。

 

 

私は結衣の幸せそうな涙を見て焚きつけられたんだ。

 

 

 

「……。あんた、ヒキオ?」

 

 

 

あのとき、結衣をフッた男。

そして、結衣をあれだけ幸せそうに泣かした男。

 

結衣を泣かせる男は誰であろうとぶっ飛ばしてやろうと思った。

だけど、悲愴感を微塵も感じさせない結衣の涙に、私は握った手の平から力が抜け落ちた。

 

どうしてフラれたのに笑顔で居られるの?

 

どうして好きになってよかったなんて言えるの?

 

どうして……。

 

 

「……やっぱり三浦か。これ、おまえのだろ」

 

 

差し出されたマフラーを受け取る。

 

高校生だった頃、結衣はこいつとよく喋っていた。

彼女は心底楽しそうに、こいつは億劫そうに話す光景を何度も目にした。

放課後になれば部活と称した奉仕部とやらに顔をだし、あの雪ノ下雪乃を合わせた3人で集まってた。

 

卒業式のとき、結衣に頼まれて写真を撮ったことがある。

こいつと結衣と雪ノ下さん。

性格も似つかない3人は、揃って満足そうな笑顔でフィルムに収まった。

結衣は泣いて腫らした目で笑い、雪ノ下さんは涙を我慢しながら笑う。

 

そしてこいつは、涙を隠すように手で目を覆いながら笑った。

 

 

「……へぇ。あんた、少し背が伸びたんじゃない?」

 

「あ?変わらねぇけど……」

 

「あっそ」

 

「適当かよ。じゃぁな」

 

 

適当なのはお互い様だ。

3年振りにあった級友にその態度はなんなわけ?

私はだまって私を置いて歩き去ろうとするヒキオの首根っこを引っ張る。

 

 

「……っぬ!?な、なんだよ?」

 

「分からないことがあんだけど」

 

「あぁ、俺も分からんことだらけだ。それが人生だとも思ってる。じゃあな」

 

「待てし!」

 

「っう!!……ちょっと離して貰えませんかねぇ」

 

 

掴んだ首根っこを離し、私はヒキオの腕を掴み直す。

 

 

「私の話を聞けしー!」

 

「ランカちゃんみたい……」

 

「今暇っしょ?ちょっと面貸しなよ」

 

「もう寝る時間なんですけど……」

 

「あんたのせいで酔いが覚めた。飲み直しするから付き合えし」

 

「断る。もうノイタミナの……」

 

「ちゃっちゃと歩く!トロイ男は嫌われるよ!?」

 

「きみ、俺の声聞こえてる?」

 

 

私はヒキオの腕を引っ張った。

こいつには聞きたいことが沢山あったし、ちょうど思い出に浸りたいと思っていた。

 

アルコールの抜けた頭にはあの日の光景が蘇る。

 

カメラの前で涙を隠すこいつの表情。

 

少なくとも、そこら辺に貪る貧相な男達よりは綺麗に泣く奴だ。

 

 

………

 

 

「いつまで不貞腐れてんだし」

 

「生まれつきこうゆう顔なんだが…」

 

「ぶっ飛ばすよ!?」

 

「何でだよ!」

 

 

居酒屋の個室に通された私達は向かい合いながら座る。

上着も脱がずに座ったヒキオにハンガーを渡すと、意外と素直に受け取った。

 

 

「……はぁ。明日早いから少しだけな」

 

「うっせ。朝まで飲み放題コースにしたし」

 

「……炎の女王は健在か…」

 

「あ?何か言った?」

 

「……何も」

 

 

少し睨んだだけで、ヒキオは黙って目をそらす。

結衣はこんな男のどこに惚れたのだろう。

優柔不断そうになよなよとし、何を考えているか分からないような振る舞い。

どこか達観しているかのように人を見下す言動。

男として最悪だ。

 

 

「ふん。結衣もこいつのどこが良いんだか…」

 

「あ?」

 

「あんた、結衣や雪ノ下さんとは連絡取ってるの?」

 

「……、取ってない」

 

「うそつくなし!結衣から聞いてるよ!」

 

「……なら聞くなよ」

 

 

間も無くして注文したお酒が届けられた。

ビールとジントニックが私達の前に置かれる。

私がビールでヒキオがジントニック。

 

 

「女かよ。ん、乾杯」

 

「どこからでも人を罵倒できるな。おまえは。…乾杯」

 

 

ジョッキの半分程を一口で飲み干した私に対し、ヒキオは唇を湿らす程度でグラスを置く。

私はヒキオの女々しさに苛立ち、バックから取り出したタバコに火を付けた。

 

 

「……」

 

「……なに?」

 

「いや、煙草吸ってるんだな、って」

 

「悪い?」

 

「悪かねぇよ。……、由比ヶ浜から煙草の臭いがすると思ってたけど、原因はおまえだったんだな」

 

「え、まじ?…結衣に悪いことしたし。……つか、あんた結衣と会ってるの?」

 

「……たまにな。おまえらこそどうなんだよ?葉山達とは会ってるのか?」

 

「……、結衣に聞いてないの?」

 

 

嫌な話題を持ち出すなと心の中で悪態をつく。

気分が下がるのと同時に、私はビールを飲み干しもう一度ビールを注文した。

ヒキオのグラスを見ると、先ほどまで少ししか減っていなかったジントニックが空になっている。

 

 

「ヒキオも生にする?」

 

「いや……、うん、俺も生を」

 

「生2つね。……ねぇ、本当に結衣に聞いてない?」

 

「……何も聞いてないが、…まぁ察したよ。悪いこと聞いたな」

 

「……別に。ただ、あんたと隼人って、少し仲良かったじゃん? だからさ、私がフられたこともどこからか聞いてると思っただけ」

 

 

教室で、戸部達がヒキオの悪口を言っていることをよく耳にした。

そんなとき、決まって隼人は困ったようにヒキオの否を認めなかった。

本心から困っているように、隼人はヒキオを間接的に庇う言葉を選んでいた。

 

 

「……葉山は、……。まぁ、良くも悪くも周りに優しいやつだからな。お前たちのグループが壊れないように配慮したんだろう」

 

「優しい……。でも、結局私達の関係は壊れたし」

 

「高校で出来上がる関係なんてそんなもんだろ。それが嫌ならおまえから連絡すればいい」

 

「……」

 

私はヒキオの言葉を返すことが出来ない。

壊れた関係を直したいと思わない。

それはフられたことが尾を引いているわけじゃなく、あのときの隼人の言葉が完全に私の中の何かを壊したから。

 

 

「あんた達は……。どうしてまだ繋がってるの?」

 

「……。繋がりを保つことは大変だと思う」

 

「……どうゆうこと」

 

「周りに合わせて笑い、泣き、怒る。誇示を隠し配慮する。そうやって繋がりを必死に結んでいく」

 

「……」

 

「それが嫌で、俺は1人で居ることを選んだけど。……由比ヶ浜や雪ノ下との繋がりは……、まぁ、なんだ、そんな嫌いじゃないから……」

 

 

ヒキオのジョッキが空になる。

同時に店員を引き止めて生を注文した。

心なしか顔が赤いのはアルコールにやられたのか、それとも2人の顔を思い出しているからか。

 

 

「ぷっ、あはははー。ヒキオにしてはまともなこと言ってんじゃん」

 

「……あれ?なんで俺のシリアスな雰囲気笑われてるの?」

 

「酔ってるの?ヒキオ、めっちゃ語ってたし!」

 

「……、言うんじゃなかった」

 

「怒るなし。でも、ちょっとだけ見直したよ。あんたも色々考えてんのね」

 

「おまえが考えなし過ぎるだけだろ」

 

「張っ倒すよ!!?」

 

「喜怒のラリーが激し過ぎる……」

 

 

ヒキオは新しく運ばれてきたビールを一口でほとんど飲み干した。

顔の赤さはあれどさほど酔っていない。

 

小さな個室で私はヒキオの顔に手を伸ばし、口元に着いた泡を拭った。

肌触りのよい頬がピクっと動くのを感じる。

 

 

「……何してんすか?」

 

「泡、着いてたから」

 

「……間違えて惚れちゃうだろ」

 

「ガキかよ。……ほら、スマホ出しな」

 

「あ?ほれ」

 

「んー。……ふふ、LINEの友達少なすぎ。…はい返す」

 

「バカにすんな。これでも9人は登録してるんだからな」

 

「はいはい。じゃぁあーしで10人目ね」

 

「は?」

 

 

私はLINEでヒキオにメッセージを打つ。

スマホのバイブに気付いたヒキオはLINEを確認した。

 

 

【あーしのLINE、シカトしたらぶっ殺す】

 

 

「新手の脅迫?」

 

「本気だから」

 

「タチが悪い!?」

 

 

暖かな空気に飲まれるように、私はヒキオの驚く顔を見て思わず笑ってしまう。

気分が良い。

こいつはバカで根暗でぼっちだけど、私に本音で話しかけてくれるから。

浅はかな貞操に身を包む奴らとは違う安心感が、硬く結ばれたチェーンを溶かすように私の心を温めた。

 

 

「ビールうまっ!つか、ヒキオって実は酒に強い?」

 

「まぁ、酒は好きだな」

 

「へぇ。じゃぁなんで最初はジントニックを飲んでたん?」

 

「……」

 

「……?」

 

 

 

「おまえが俺を酔わせて、金銭を奪い取ろうとしてると思ってたから」

 

 

「……ぶちのめす」

 

 

 



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付け合わせ

 

 

 

優美子

【早く来いし】

 

 

一通のLINEを送り、少し冷えた手をポケットに突っ込む。

ニュースで来週から暖かくなると言っていたのは先週のことだった。

ビルの外装に備えられた大きな気温計には15℃と表示されている。

駅前を歩く人達の格好はどこか薄着で寒そうだ。

春を待ち焦がれているのか、それとも冬服に飽きてしまったのか、春物の服を着た待ち人の姿は見ているこちらまで寒くなってくる。

 

比企谷

【早過ぎだ。あと5分くらい】

 

 

駅前のロータリーに立つ時計の針は11:40を指していた。

待ち合わせの時間より20分も早い。

 

優美子

【遅刻したらぶっ飛ばす】

 

 

LINEのメッセージには直ぐに既読が付いた。

メッセージの返信を睨むように待つが、一向に返信の兆しはない。

 

優美子

【既読無視すんなし!】

 

 

これは制裁を加えなくちゃと思っていた矢先に、私は後ろから頭を優しく叩かれて振り向いた。

 

 

「おまえ、早過ぎんだよ」

 

「はぁ?あんたが遅いだけだし」

 

「集合は12時と聞いたがな」

 

「あーしが来たときが集合時間だから!」

 

「とんでもない君主様ですね。…んで、何の用だよ」

 

 

あの日、ヒキオとLINEのIDを交換した日から、私は頻繁にヒキオとLINEをしている。

返信の内容は、おう。とか、そうか。と、素っ気ないものの、どうでも良い長文のメッセージを送られるよりは気が晴れた。

 

 

「久しぶりじゃん。元気してた?」

 

「1週間前に会っただろ」

 

「だから久しぶりっしょ」

 

「うん、おまえと俺は生きてる時間軸がズレてんだな」

 

「うだうだうっせぇし。じゃー行くよ」

 

「は?……行くってなんだよ。少し話したいことがあるんじゃなかったのか?」

 

「うん。買い物に行きたいって話したかったん。だから行くよ」

 

「……帰る」

 

「帰らせねーし!ほら!寒い中待っててやったんだから早く行くよ!」

 

 

私はヒキオの曲がった腰を蹴り飛ばす。

雑踏に混じり、私はヒキオの腕を引っ張った。

寒さの中で冷えた手に温もりを感じる。

体温が手を伝わり私の心も温まるようだった。

 

 

「……わかった。わかったから引っ張るな。…買い物って、つまりは荷物持ちだろ?自慢じゃないがあまり役にたたんぞ、俺は」

 

 

ヒキオの腕から離れた自分の手を見つめる。

あっという間に冷えた手には何も握られていない。

小指に着けたピンキーリングがひどく冷たく感じた。

そういえば、このリングは高校の頃に買ったものだったな。

 

 

”優美子にとても似合ってるよ”

 

 

その言葉に舞い上がり、安くない買い物を衝動的にしてしまった。

隼人の真意はわからないまま。

本当に似合ってると思ってくれていたのか。

それとも、その場の空気に沿った言葉を発しただけか。

 

 

「……。ねぇヒキオ」

 

「あ?」

 

「男が女を褒めるときってどんな理由?」

 

「……。考えたこともないが」

 

「それって下心なしで素直に褒めたことしかないってこと?」

 

「む。そうなるのかもしれん」

 

「ぶっ!あはははー!何だしそれ!」

 

 

下らないことに真剣に悩むヒキオが面白すぎて、私は思わず笑ってしまう。

ヒキオは不貞腐れ気味に私を睨んだが、私の気持ちは妙にすっきりとしていた。

 

 

私は小指からリングを外し、春の木漏れ日に照らすと薄いピンクで彩られたリングの淵が鈍く光る。

 

 

「ヒキオ、どうよこれ。似合う?」

 

「いい感じー」

 

「まじめに答えろし!」

 

「……シンプルで可愛らしい指輪じゃね?まぁ、三浦にピンクは似合わんが、由比ヶ浜とかには合うかもな」

 

 

私には似合わない。

ハッキリ言われると無性にむかつくが、確かにピンクは好みじゃないし、結衣の方が似合うだろう。

 

 

「うざ。あんたに何が分かんだし」

 

「……おまえが聞いてきたんだろ」

 

「まぁいいけどさ。だったらコレ、もう要らない。ヒキオにやるよ」

 

「いらんいらん」

 

「結衣にあげれば?」

 

「は?おまえから渡してやれよ」

 

 

鈍い男は腹が立つ。

ヒキオの鈍さは呆れるほどだ。

私はヒキオの腹を殴り、無理矢理にリングを手渡した。

 

 

「うぐっ!?……、お、おまえなぁ」

 

「やるっつてんでしょ。あんたから結衣に渡してやりな。あのコもその方が喜ぶし。絶対に」

 

 

ヒキオは不思議そうにリングと私を眺める。

ため息を一つ付き、それをポケットにしまった。

 

 

「まぁ、渡すだけなら渡しといてやる。ただ、おまえから渡してもあいつは喜ぶと思うがな」

 

「……。ふ、ふん!そんなのわかってるし!」

 

 

 

………

 

 

「で、ショッピングモールに来たわいいけど、何を買うつもりなんだ?」

 

「来週から講義も始まるし、春物の服が欲しいわけ」

 

「講義の開始に春物の服がどう関係するのかは分からんが」

 

「とりあえずここの店から全部回るから」

 

「……聞き間違いか?いま全部って…」

 

「ほら、早く着いてきな!」

 

 

ざっと200店舗はあるモール内で、私は気に入った服を試着しては買い、試着しては買いを繰り返した。

ヒキオは文句を垂れながらも私が買った品を持ち、私から数歩離れた後ろを歩く。

 

 

「あんた、みっともないからその歩き方辞めろし。腰が曲がってるよ。じじぃ」

 

「……これだけ持たされりゃ腰も曲がるっつの」

 

「情けなー。仕方ないからあそこの喫茶店に入ってやる」

 

「……どうも」

 

「ほら、席に荷物置いてきな。荷物持ちの礼に奢ってあげるから」

 

「なんで上からなの?……まぁ、ありがたく奢られるけど」

 

 

カウンターで注文と受け取りを済まし、店内でヒキオを探す。

大量の荷物を横に置いたテーブル席にヒキオは項垂れて座っていた。

ご丁寧に灰皿も置いてある。

 

 

「ほら、コーヒー。あーしに感謝しながら飲みな!」

 

「え、荷物持ちのお礼だったんじゃないの?」

 

「甘ったれんな。てゆうか、あんたガムシロ入れ過ぎじゃない!?」

 

 

目の前のアイスコーヒーには並々とガムシロップが注がれていく。

透明な液体がコーヒーグラスの中でゆるりと揺れた。

 

 

「あ?ブラックだと苦いだろうが」

 

「そんなに入れたら甘すぎるでしょ!あーあー、もう。ほら、もう入れるなって。糖尿病になるし」

 

「甘いな、三浦。さらに倍プッシュだ」

 

「甘いのはあんたのコーヒーだから。なによ、あんたコーヒー飲めなかったん?だったら変えてきてもらう?」

 

「バッカおまえ。鼻腔を擽る香りと口の中に広がる苦味が最高に美味しいコーヒーを嫌いなわけないだろ」

 

「それ飲んで苦味を感じるならあんた病院行きな。帰ったらちゃんと歯磨きするんだよ」

 

 

頭がおかしいやつだ。

ただ、そんなに甘そうなコーヒーを飲む顔はどこか大人びいている。

素直と言うか、純粋と言うか、こいつは格好を付けるということをしない。

普通、女の前でこれだけのガムシロップを注ぐ男が居るだろうか。

 

だからこそか、こいつと居ると肩肘張らずに済む。

居心地が良いとまでは言わないが、下手に気を遣わなくて良い。

 

 

「うん、おいしい。良い豆を使ってるな」

 

「あんたに言われても嬉しくないだろうね。てゆうか、それ本当に全部飲む気?」

 

「あ?残したらお店に失礼だろ」

 

「それだけガムシロ入れるのも失礼だし」

 

「俺にはこれくらい甘いのが合ってる。出来れば世界も俺に甘くなることを希望するまである」

 

「何言ってんだか。ちょっと飲ましてよ」

 

「あ、……」

 

 

私はヒキオの甘甘コーヒーを一口もらう。

案の定と言うか、予想通りと言うか、コーヒーはほぼガムシロップを飲んでいるぐらいに甘く、口のなかには飴を食べた後のような甘みが広がった。

 

 

「うぇ。くっそ甘いじゃん。絶対身体に悪いし」

 

「……」

 

「はい、返す。半分飲んだら辞めときな」

 

「ま、まぁ、うん。そうだな、半分で辞めとく」

 

 

ヒキオは私が返したコーヒーを躊躇いがちに手に持ったが、それに口を付けずにテーブルに置き直す。

落ち着かないようにソワソワしだしたと思ったら、私と目が合うと下を向いた。

 

 

「……あんた。童貞でしょ」

 

「っ!?と、突然なにを……」

 

「ぷっ!間接キスでそこまで狼狽える奴なんて珍し過ぎだし!」

 

「あ、あ!? 別に気にしてないんですけど!?」

 

「じゃあ早く飲めば?」

 

「ま、まぁ、あれだな、ちょっとガムシロ入れ過ぎちまった気がするからさ。あれだわ、……な?」

 

 

思わずニヤニヤしてしまう。

まさか間接キスを恥ずかしがる程に初心だったとは思わなかった。

 

 

「ふふ。まぁゆっくり飲みなよ。この後どうする?買い物はもう充分だし」

 

「……帰るか」

 

「だめ。映画も別に見たいのないし、飲むには少し早いし」

 

「……帰る?」

 

「どんだけ帰りたいんだし!……、そういえば、あんたって一人暮らし?」

 

「あ?そうだが……」

 

「……ふーん。よし、今日はもう疲れたし帰るよ」

 

「ん?帰るか?よし帰ろう。直ぐに帰ろう」

 

「うん。帰ろ。……ふふふ」

 

 

 

…………

 

 

 

「へぇ、ここがヒキオの家かー。なんでこんなに広いん?」

 

「……」

 

「ちゃんと掃除してんじゃん。もっと散らかってると思った」

 

「……」

 

「ん?何よこの箱……。げっ、MAXコーヒー。くそ不味いやつじゃん」

 

「……おい」

 

「あんた、こんなのばっか飲んでるからヒョロヒョロなんじゃない?」

 

「……なんでおまえが居るんだよ」

 

「あ?なんで?」

 

「いやいや、なんでって……」

 

「帰ろうってあんたが言ったんじゃん」

 

「うん。帰ろうって言ったよ?」

 

「だから帰ったじゃん。ヒキオん家に」

 

「そこがおかしい」

 

 

2DKの間取りに角部屋、見るからに新築のアパート。

一人暮らしにしては広すぎる部屋に、これまた小洒落た家具が点々とする。

 

私はショピングモールからの帰りにヒキオの後を付けた。

インターホンを鳴らすとヒキオはご丁寧に扉を開けてくれたので、私は遠慮なくお邪魔することにしたのだ。

 

 

「あーしん家から近いじゃん。あんたもこっちの方の大学だったんだね」

 

「……普通に会話を継続するんですね」

 

「2DKって贅沢すぎじゃない?」

 

「……はぁ。……2人暮らししてたんだよ」

 

「は!?あんた童貞のくせに同棲してんの!?」

 

「一言余計だからね。ちなみに妹と2人暮らしな」

 

「んだよ。先に言えし。今日は妹いないの?」

 

「1年前に出てったよ。……小町…」

 

「ふーん。どうでもいいけど」

 

 

天井まで伸びる背の高い棚には大学の教科書であったり文庫本であったりが並ぶ。

隣には飾られるようにパンさんのぬいぐるみと花柄のティーカップが置かれていた。

随分と可愛らしいセンスだ。

ヒキオらしくない。

 

 

「あんまり詮索はするなよ?それと家探しもなしだ」

 

「ふん。別にするつもりないし。それよりお腹減ったんだけど」

 

「夕飯時だからな。そりゃ腹も減るさ」

 

「魚の気分だから」

 

「……うん。帰れば?」

 

「あんた自炊してる?」

 

「専業主婦志望を舐めんな。……って、おまえここで食うつもりか?」

 

「当たり前っしょ」

 

「だが断る」

 

「は?コーヒー奢ってやったじゃん」

 

「きみ、コーヒー1杯にどれだけ恩を着せるの?冬でも汗かいちゃうくらい厚着になってるよ?」

 

「わかったわかった。付け合わせくらいならあーしが作るし」

 

「そうゆうことじゃねぇよ!」

 

 

私はソファに座りテレビを付けた。

バラエティー番組から聞こえる笑い声に合わせてヒキオの声もトーンダウンしていく。

ヒキオは不満気に冷蔵庫を漁り出した。

キッチンを見ると、まな板や包丁が台所に置かれ、その上には鮮魚が寝かされている。

 

慣れた手つきで魚を捌く姿は少し頼もしく、安心感さえも覚えさせる。

 

 

 

「あーしの出番はなさそうだね。コーヒー奢った分はしっかり働きなよ」

 

 

「おまえはコーヒー1杯にもっと感謝しろ!」

 

 

 

 



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卵焼き

 

 

キャンパスのメインストリートには大小構わずサークルの勧誘に熱心な学生達がうずめく。

期待か不安か、様々な感情が入り混じった新入生達がサークルの勧誘チラシをいくつも貰いながら肩身狭しと私たちの前を横切った。

 

 

「ん。これウチのサークル。暇だったらオリエンテーションくらい来いし」

 

「あ、は、はい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

人の顔を見るなり怖がったように逃げやがって。

もしウチに入ったらイジメてやる。

 

4月に入った途端に暖かくなった気温に眠さを誘われつつ、私は所属しているサークルの勧誘チラシを配り続けた。

無駄に人数の多いウチのサークルにこれ以上人数を増やしてどうするんだか。

 

 

「ゆ、優美子ー。そんなに怖い顔で配っちゃだめだよ!」

 

「あ?普通の顔なんだけど」

 

「……絶対機嫌悪いよ。何かあったの?」

 

 

私はポケットに入れておいたスマホを取り出しLINEのトーク画面を見せる。

昨夜のトーク履歴だ。

 

 

優美子

【明日のサークル勧誘まじめんどい】

 

比企谷

【うん】

 

優美子

【身体冷えるわ。厚着して行こ】

 

比企谷

【明日暖かいよ】

 

優美子

【まじで?つか、明日オリエンテーション飲み会あるわ】

 

比企谷

【うん】

 

優美子

【あんたも来い】

 

比企谷

【行かん。寝る】

 

優美子

【ちょっと待て。寝たらぶっ飛ばすから】

 

ーーー既読無視

 

 

 

 

昨夜のトーク履歴を新ためて見直し、また腹が立ってきた。

 

 

「あいつまじでぶっ飛ばす」

 

「……。いやいや、ひ、比企谷さん?くん? 全然悪くないよね」

 

「ちっ!……恩を仇で返されたし」

 

「てゆうか、サークルの飲み会に友達誘っちゃだめでしょ」

 

「あ?1人くらいバレないっしょ」

 

「……まぁ、新入生も居るしバレないだろうけど」

 

 

私は近くを通った新入生にチラシを全て押し付けその場を後にした。

今日は講義もないし、新入生歓迎オリエンテーション飲み会までは空いている。

時間を潰すため、キャンパス内のカフェテラスに入りコーヒーを飲む。

スマホをいくら睨んでもLINEに返信は入らない。

 

 

「よ。優美子」

 

「……丸岡」

 

 

苛立ちがピークに達した頃、私が参加するサークルで今年から幹事長に任命された4年生の丸岡が、コーヒーカップを持ちながら私の座ったテーブル席に相席した。

 

 

「サークルの勧誘はどう?」

 

「あ?そんなのあーしに聞かないで実際に見てくれば?」

 

「はは。優美子も勧誘チームじゃなかった?」

 

「……てゆうか、馴れ馴れしく優美子って言わないでくれる?」

 

「ん。俺は幹事長だよ?皆んなと親しくなりたいと思ってね。だから優美子って呼ばせてもらう」

 

 

いけ好かない奴。

サークル内でイケメンだと囃し立てられてはいるが、こいつの何処がカッコいいと言うのか。

言動はウザいし、行動はナルシスト。

飲むと酔ったフリをして女性にベタベタと触りまくるような奴だ。

 

 

「……あんた、あんまり調子に……」

 

 

ーーー♩

 

 

と、少し空気が重くなろうとした時に、私のスマホがLINEのメッセージ受信を知らせた。

タイミングが良いのか悪いのか。

私は丸岡を無視しLINEのメッセージを確認する。

 

 

比企谷

【ぶっ飛ばされたくないから起きた】

 

 

「……、ぷっ!あは。何だしあいつ」

 

 

直ぐにLINEの返信を行う。

丸岡が目の前で不思議そうな顔をしていた。

スマホを見て急に笑い出す奴が目の前に居たら私も不思議に思うかもしれない。

 

 

優美子

【だったら来いし。今すぐ】

 

比企谷

【行かん】

 

優美子

【あんたん家の前で犯されたって叫ぶ】

 

比企谷

【待て】

 

優美子

【待たん。10、9、8……】

 

比企谷

【わなった】

 

 

わなった……。

ヒキオの慌てた顔が浮かび、私はまたニヤニヤとしてしまう。

 

 

「優美子?どうしたの?」

 

「んー、別に。てゆうか、待ち合わせしてるから帰ってくんない?」

 

「サークルのコ?」

 

「違う。あんたに関係ない」

 

「……もしかして、彼氏?」

 

 

……彼氏ねぇ。

ヒキオが彼氏とか絶対にありえない。

そもそも彼氏だったとしても丸岡に何の関係があると言うのか。

 

 

「優美子に彼氏が出来たのだったら教えてほしい」

 

「それこそあんたに関係ないし」

 

「あるよ。……優美子、俺は君が好きなんだ。本気だよ」

 

「……あっそ。じゃぁ残念だけど、あんたは好みじゃないから」

 

「諦められないんだ。もっと真剣に俺を見てほしい」

 

 

こいつを真剣に見てどうなるというのか。

底の浅いあんたの本質を見れば見る程呆れてしまう。

所詮、何を言っても表面でしか人の価値を計れない男だ。

 

むかつく。

 

コーヒーをブラックで飲むところも。

 

トゲのない言葉しか言わないところも。

 

全てが嫌いだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

本当に、こいつは私の神経を逆撫でする。

同じサークルに参加しているということもあり大目に見てきたが、そろそろ我慢の限界だ。

これ以上付きまとうってんなら張り倒してでも諦めさせてやる。

 

 

ーーー♩

 

 

……ぬ?

 

 

比企谷

【どこ?】

 

 

ぬ!

やっと来たか……。

私はカフェテラスの入り口でキョロキョロとしているヒキオを見つけた。

 

 

「おい!ヒキオ!こっち!」

 

「……許すまじ、三浦」

 

 

少し怒っているのか、ヒキオがこちらに大股で近づいてくる。

珍しくメガネ姿のヒキオは淡い水色のカーディガンとチノパンで春らしいファッションをしていた。

手には教科書を入れているのか大きめなトートバッグをぶら下げている。

 

 

「遅いし!何やってたの!?」

 

「……寝てたんだよ」

 

「ぶっ飛ばす」

 

「何でだよ!」

 

 

ヒキオは私に文句を垂れた後に丸岡と目を合わした。

丸岡も最初こそキョトンとしていたが、今では余裕の笑みを再度貼り直している。

 

 

「悪いけど彼氏が来たから帰ってくれる?」

 

「彼氏じゃないですけど」

 

「あんた!空気読めし!」

 

「それが出来たらぼっちじゃねぇだろうな」

 

 

トートバッグをテーブルの上に置いたと思いきや、中からMAXコーヒーの缶を取り出した。

 

 

「出た。くそ不味いコーヒージュース」

 

「……おまえ、悲しい人間だな」

 

「うっせぇ。……丸岡、悪いけど本当に帰ってくんない?あーしら、ちょっとこれから出掛けるから」

 

 

心なしか硬い笑みになった丸岡の前に置かれたコーヒーカップには、あまり減っていないブラックコーヒーが残されていた。

飲めなければガムシロップを入れればいいのに。

小さな見栄を張る男は器も小さい。

 

私はヒキオの腕を引いてカフェテラスを後にした。

 

 

………

 

 

行くあてもないが、日差しがあるこの時間ならどこに居ても気持ちが良い。

いっその事、そこら辺の広場で日向ぼっこをするのも良いかもしれない。

 

 

「ヒキオ、飲み会まで暇だし。どうする?」

 

「……知らん。俺は帰るぞ」

 

「待て待て。また丸岡に付きまとわれたら面倒だから一緒に居ろし」

 

「それこそ知らん」

 

「そのトートバッグ可愛いくね?何入ってんの?」

 

「……」

 

 

ヒキオのトートバッグの中を覗き込むと、予想通り教科書とノートが数冊、そして、長方形の箱が……。

 

 

「ん?何これ……、あ!お弁当だし!!」

 

「……昼に図書館で食おうと思って」

 

「ピクニック行くよ!」

 

「自由過ぎない?」

 

 

 

 

キャンパスの近くに大きな広場がある。

平日の昼過ぎには家族層の来客も見られず、犬の散歩をしている婦人やランニングコースを走るランナーが数人居るのみだ。

 

広い草原に点々と生えた木が作る木陰に買ってきたシートを広げて座る。

毛布に包まるように、暖かい風が身体を透き通った。

 

 

「んー!気持ち良い……」

 

「……へぇ、こんな所あったんだな」

 

「ほら!ヒキオも座れし!」

 

「…ん」

 

 

私はトートバッグからお弁当を取り出し、買ってきたお茶と一緒に並べた。

2段重ねになったお弁当を開けると、1段目にはおにぎりが、2段目にはおかずが入ってる。

 

 

「おっ、なかなか美味しそうだし!……じゃぁ、いただきまーす!」

 

「はいはい。どうぞー」

 

「うまっ!これ美味いからヒキオも食ってみ!」

 

「俺が作ったんですけどね」

 

「やばっ!卵焼きが甘いし!どこまで甘党なんだよ!」

 

「え?卵焼きって甘いもんだろ?」

 

 

時間の流れを感じることが出来るくらい、ゆっくりとした濃密な時間。

天気は良いし、ご飯も美味しい。

頭で理解するんじゃなくて、心が楽しいと叫んでいるような。

 

少しだけ、贅沢な妄想をしてみた。

 

隣に居るのが隼人で、私達は付き合っている。

隼人はもちろん笑顔を絶やさない。

お弁当は美味しいし、木漏れ日は気持ち良い。

そんな幸せを妄想する。

 

その時、私は隼人の前でどんな顔をしていたのだろう。

 

幸せに顔を緩ませていた?

 

隼人の前でそんな顔は見せられない。

 

美味い!と、食べながら笑えてた?

 

隼人の前で下品な姿は見せられない。

 

気を張り詰めさせる。

 

隼人の前では……。

 

 

 

それって、今みたいに胡座で座り、素直に感想を述べて笑っている事よりも幸せなの?

 

 

 

「……。はぁ、何考えてんだろ。あーし」

 

「あ?何も考えてなさそうだけど…」

 

「ぶっ飛ばすよ!?……、てゆうか、あんた何で食べないの?」

 

「1膳しかない箸をおまえが使ってるからだろ」

 

「あ、そっか。……ん、口開けな」

 

「……いや、大丈夫。お腹減ってないし」

 

「照れんなし。いいから口開けな。誰も見てないから」

 

「……ん」

 

 

相変わらず照れながら、ヒキオは遠慮気味に口を開けた。

ウィンナーを1つ口に入れてあげると、直ぐに私から目を反らす。

どこか可愛げのある素振りだ。

 

 

「……美味しい?」

 

「うん。流石は俺の弁当だわ」

 

「ほら、これも。あーん」

 

「……」

 

「なによ。口開けろし」

 

「……照れんだよ。あーん、とか言うな」

 

「あははは!わかったわかった。言わないから口開けな」

 

 

頬を赤く染められると、こっちも恥ずかしくなるじゃん。

再度口にウィンナーを入れてやると、ヒキオはまた目を反らす。

 

 

「……ふふ。本当に……。照れ過ぎだし」

 

「……ふん」

 

「ねぇ、あーしにもさ、あーんしてよ」

 

「や、やらん!」

 

「不公平だし!」

 

「なにがだよ……」

 

 

私は無理矢理に箸を手渡した。

ヒキオも最初こそ抵抗したが、観念したのか箸を受け取る。

 

 

「はぁ。何がしたいんだよ。おまえは」

 

「いいから。あーん」

 

「……ん」

 

「ん。……ふふ。美味いじゃん。やっぱり、料理上手だね、あんた」

 

「……そうっすか」

 

 

 

口に残る卵焼きの甘さが程よく美味しい。

心なしか、顔が熱いのは甘さのせいか。

どうやら辛味だけじゃなく、甘みにも身体を火照らす効果があるたいだ。

 

 

私は無意識にヒキオから目を反らす。

 

 

なんだ、私も結局は照れ屋だったのか。

 

 

 



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繋がり

 

 

4月の下旬。

 

桜が散り、緑の葉が主役になりつつある木々に囲まれた夜道を歩く。

 

友人との飲み会を一次会にて退場し、私はストールで口まで覆い、冬の面影もない暖かな星空の下を歩いた。

 

今頃、私以外はカラオケにでも行っているはず。

 

女子会の名の下に集まった5人の飲み会は、どこぞの誰かも知らぬ男共の合流で9人に増えた。

適当に話して、飲んで、ふざけて、笑って……、そんな普通を享受してくれれば誰が参加しようが構わない。

男達は会話を盛り上げようと手振り身振りで笑わせようとしていた。

 

私は酔いに任せて、さらには空気に合わせて笑う。

 

手を叩きながら笑っても。

 

好きなお酒を飲んでも。

 

私は無意識にその場から離れたいと思ってしまう。

 

 

……男と遊ぶのって、こんなにつまらなかったっけ。

 

 

 

小さく息を吐きながら夜空を見上げる。

 

ポケットに手を入れると冷たい鉄のようなものが指に触れ、それが我が家の鍵だと気づくのに1秒と掛からなかった。

 

左腕につけた時計はまだ22時前を指している。

 

 

「……」

 

 

理由を探している。

 

鍵を失くしたと言おうか。

 

終電を逃したと言おうか。

 

どちらも信憑性に欠けるかな……。

 

 

「……まぁいいか!行っちゃえばヒキオも入れてくれるっしょ!」

 

 

自分のことほど自分じゃ分からない。

だからこそ理由を探す。

会うことに理由は要らないと思ってた。

 

……理由も無く会うのは照れくさいし。

 

 

暇だから。

 

飲み会を途中で抜けてしまって退屈になったから。

 

……そうだ。

 

ただの暇潰しに訪れよう。

 

ヒキオで暇を潰すだけ。

 

それだけの理由で充分だ。

 

 

 

………

 

 

 

優美子

【今あんたん家の前に居るんだけど。鍵開けろし】

 

比企谷

【アホか】

 

優美子

【開けろし】

 

比企谷

【留守だ】

 

 

私はヒキオが居るであろう部屋の扉をヒールで蹴る。

扉から、ガンっ!と大きな音が鳴る響き辺りの静けさがやけに際立つ。

 

 

「なんだし!あーしが来てやったんだから早く開けろし!」

 

 

業を煮やした私はヒキオに電話を掛けた。

コール音が4度程繰り返し、ようやく電話は受け取られる。

 

 

『……はい』

 

「1コールで出ろし!」

 

『……な、何だよ』

 

「早く鍵開けろ!!居留守すんなし!」

 

『居留守じゃないんだが……』

 

「はぁ?あんたこんな時間にどこほっつき歩いてんの?」

 

『おまえもな。…飲んでるだけだよ』

 

「1人で飲んでて楽しい?」

 

『ナチュラルに罵倒してるよね』

 

 

通話しているところが騒がしいのか、時折雑音が聞こえてきた。

 

……、誰かと飲んでる?

 

あのヒキオが?

 

 

「あんた……、誰と飲んでるの?」

 

『あ?……ぁ、おい、やめろ。電話中だから…。……三浦、悪いけど切るな』

 

「は!?ちょ、待てし!ヒキオ!!」

 

 

私のスマホからは通話の終了音しか聞こえてこない。

スマホを睨みながら、ヒキオをどう殴り飛ばしてやろうかと考えてみる。

苛立ち、スマホを握る力が強くなり震えだす。

 

 

電源の落ちたスマホのブラック画面に映り込む自分の顔がおかしい。

 

 

怒りに満ちた顔。

目が吊りあがり眉間が寄っている。

そんな顔になっていると思ってた……。

 

なのに、どうして。

 

 

 

私の顔はこんなに弱々しく俯いているのだろうか。

 

 

 

………

 

 

30分は経っただろうか。

 

立ったままの足が疲れてきた。

私はその場に座り込みスマホを睨む。

いつものようにLINEを送ることも出来ない。

 

なんで出来ないんだろ。

 

手持ち無沙汰になった指で前髪を弄ってみる。

金色に染まった髪を、あいつはどう思っているのだろうか。

派手な格好は嫌いだと言っていた。

……。

染まった髪色を眺めつつ、なぜか心が締め付けられる。

 

別に、あいつに嫌われたからと言ってどうなるのか。

 

どう……、なるのか。

 

 

「……、おまえ、何してんの?」

 

「……暇潰し」

 

 

嫌われたら……。

 

 

「暇は……、潰せたか?」

 

「…む。あんた、飲み会は?」

 

 

少しだけ……。

 

 

「……つまらんから帰ってきた。結局、俺はぼっちみたいだ」

 

「…ぼっちじゃねーし。ほら、早く鍵開けろし!」

 

 

悲しいかもしれない。

 

 

「なんなんだよ……」

 

 

ヒキオは溜息を一つ吐き鞄から鍵を取り出した。

重そうに鍵を回すと扉を開ける。

 

 

「よっしゃ!飯だ!飯を作れし!!」

 

「いやいや。もうお腹いっぱいだから。……おまえ食ってないの?」

 

「んー。食った。でもあんた待ってたら腹減ったし」

 

「そもそもなんで居るんだよ……。 簡単なモンなら作れるけど、ちょっと時間掛かるぞ」

 

「おっけー。じゃぁあーしは風呂でも入ってるわー」

 

「あいよ。……っ!?って、おい!?!?」

 

「あ?」

 

「……、おまえ、何考えてんの?」

 

「口より手を動かしな。あーし、今日ここに泊まっから」

 

「はぁ?」

 

「……もう決めたから。あー、タオルとか勝手に借りるー」

 

 

 

私はリビングを出て脱衣所の戸を開ける。

ヒキオの顔が引き攣っていたな。

あんたなんてもっと困ればいいんだ。

私を待たせた罰……。

あと、少しだけ不安にさせた罰だから。

 

 

 

シャワーの蛇口を捻ると少し時間を置いてお湯が出た。

身体が温まり、浴場には湯気が立ち込めた。

鏡に映る自分の顔はどこか綻んでいる。

 

うん、やっぱりこっちの方が可愛らしいな。

 

私は小さくない胸を張った。

 

 

 

シャワーを止め、浴場を出た。

身体は温まったがお腹は減ったままである。

私はバスタオルで身体を拭き、脱衣所に脱ぎ散らかした自分の服を見つめた。

目の前には洗濯機と乾燥機がある。

………。

 

 

「……。洗っちゃおう」

 

 

ぴっ、ぴっ。……スタートと。

 

 

「よし。……おーい、ヒキオー」

 

 

私は脱衣所からヒキオを呼ぶために叫ぶ。

もちろん身体はバスタオルで巻いているが。

 

 

「……あー?」

 

 

少し離れた所から声が届く。

 

 

「スウェット貸してー」

 

「は?」

 

「服洗っちゃったし」

 

「バカなの?」

 

「いいから貸せし。裸で飯食わせる気かよ」

 

「自業自得なのに強気だよね。……新しいスウェットなんてねぇよ。買ってくるから待ってろ」

 

「勿体ないし。ヒキオのやつでいいよ」

 

「……」

 

「ぅぅ。寒いし。風邪引くしぃ」

 

「バカだから大丈夫だ」

 

「ぶっ飛ばす!」

 

「……もう少しシャワー浴びてろ。脱衣所の扉の前に置いておくから」

 

「早くしろし!」

 

 

しばらくすると廊下を歩く音と、脱衣所の前でスウェットが置かれる音がした。

ヒキオがリビングに戻ったことを確認し、私はスウェットを取り脱衣所で着替える。

 

 

「お待たー。ご飯できてる?」

 

「……うん」

 

「お!パスタだし!」

 

「……食ったら帰れよ」

 

「帰らん。いただきます」

 

「……はぁ」

 

「そういえばさ、あんた今日誰と飲んでたの?」

 

「あ?」

 

「女だったらぶっ飛ばすから」

 

「何でだよ……」

 

「ヒキオのくせに生意気だから」

 

「何でだよ!?……研究室の奴らだよ。ゼミの飲み会だったんだ」

 

「で?そこに女は?」

 

「……居ねぇよ」

 

 

パスタをクルクルと巻きながら、私はヒキオを睨み続ける。

ヒキオの目は左に行ったり、右に行ったり。

 

嘘を隠すのが下手すぎる。

 

苛立ちがフォークを回すスピードに力を与えているのか、私は大きく固まったパスタを目一杯に頬張った。

むかつく。イラつく。

 

 

「ちっ……。後で張り倒すから」

 

「…横暴だ」

 

「食べ終わった皿くらい洗っておくから、あんたもちゃっちゃと風呂に入ってきな」

 

「つぅか、本当に泊まる気なの?」

 

「しつこい男は嫌われるよ」

 

「……はいはい」

 

 

ヒキオが気だるそうにリビングから出て行く。

廊下の奥からは脱衣所の扉が閉まる音も聞こえた。

 

 

 

食べ終えたお皿を洗い終えると、ソファに転がるクッションを抱きながらテレビを見る。

 

なんだかテレビの内容が入ってこないな。

なんで脱衣所の方が気になるのだろう。

テレビのボリュームの方が大きいのに、耳に入る音はシャワーから滴る水の音ばかりだ。

 

 

「んーーーー!!」

 

 

クッションに顔を埋め、音を遮断してみる。

……。

ほのかに香るのは何の匂いだろう。

太陽の日に干したお布団みたいな甘い香り。

……。

 

 

「……くそがっーー!!」

 

 

クッションもだめだ。

私がクッションを投げようとしたと同時に、ハンガーに掛かったヒキオのアウターから物音が聞こえた。

 

おそらくスマホのバイブ音だろう。

 

とりあえず確認の意も込めてアウターのポケットを調べると、そこには案の定、ヒキオのスマホがあった。

 

 

「……」

 

 

ロック画面に映されたLINEのメッセージが目に入ってしまう。

だめだと自分に言い聞かせても、視線は言うことを聞かない。

 

 

 

恵理

【なんで飲み会、先に帰っちゃったの!?】

 

 

メッセージの内容を見てしまった。

罪悪感と同時にメッセージ上部に記された女性らしき名前に嫌悪感が溢れ出す。

 

やっぱり女も居たんだ……。

 

……、先に帰った?

 

 

「……?」

 

「それ、俺のスマホ」

 

「ひ、ヒキオ!?な、は、早くない!?」

 

「そうか?」

 

「カラスかよ!?」

 

「……始めて言われた。ほら、スマホ返せ」

 

「……、返してほしければ答えろし」

 

「あ?」

 

 

私はヒキオにスマホを見せつける。

ロック画面に表示されるLINEのメッセージを読ませるためだ。

 

 

「これ、女じゃん」

 

「……うん。ゼミのね」

 

「ヒキオのくせに……」

 

「おまえなぁ……」

 

「まぁ、それは後で追求するとして。……先に帰ったって、あんた飲み会の途中で帰ってきたの?」

 

 

ヒキオがLINEのメッセージを再度読み直し、少し戸惑うように目を反らした。

濡れた前髪から水が垂れている。

 

 

「……ん、まぁな。もともと飲み会なんて、ぼっちの俺には水が合わんし」

 

「……へぇ。あんた、あーしが電話してから30分くらいで帰ってきたよね」

 

「……。そうか?」

 

「……、うん」

 

「……」

 

「……」

 

 

嫌に動悸が早い。

静かになると心臓の音が聞こえてしまいそうなくらいに強く鼓動している。

 

 

「……まぁ、悪くねぇよ。おまえと居るのも。下手に気を使う奴らと飲むくらいならさ」

 

「……。ふふ。あんたにしては素直じゃん」

 

「うっせぇよ」

 

 

ヒキオは冷蔵庫から水を取り出し2つのコップに注ぐ。

片方を私に渡すと、私から少し離れた場所でコップを傾けた。

 

 

「へへ。ヒキオ、こっち来な」

 

「あ?」

 

 

私の前にヒキオを呼び、座らせる。

 

華奢で細い背中。

 

何となく守りたくなる。

 

 

私は後ろからギュッと抱き締めた。

 

 

「んぁ!?な、な、な!?」

 

「暴れんなし!てゆうか、あんた髪ビショビショじゃん!乾かしてあげる」

 

「いらん!つぅか離せ!あ、当たって……、っ!?」

 

「だめだし。逃げるから離さない」

 

「に、逃げないから」

 

「……うん」

 

 

ゆっくりと両手を離す。

約束通り、ヒキオは黙って座ったままだ。

 

 

「………」

 

 

「ふふ。……結構大きいっしょ?」

 

 

「うるせぇよ!」

 

 

 



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つまらなくて長い講義が延々と続く。

教鞭を振るう教授は自己満足を得るかのごとく長い数式を黒板に並べていた。

ノートには訳の分からない数字が乱雑に列記されていくが、私が欲しいのはこんな作業的な数式の解答なんかではない。

 

 

「じゃぁ出席票配るぞー」

 

 

これが欲しかったのだ。

配られた出席票に学生番号と名前を記し、私は講義も終わらぬ教室から逃げ出した。

 

あの教授、嫌味なことに出席票を講義時間の半分が経った時に配るんだ。

それを知ってか、私以外にも出席票を書いた者はそそくさと教室から退出していった。

 

 

行き交う学生から感じる高揚感。

キャンパス内にはどこか浮かれているような雰囲気が充満している。

 

それも当然か、来週からは勤勉な日本人なら誰もが喜ぶ大型連休が待ち構えているからだ。

 

図書室やカフェテラス、学食にはレジャー雑誌を見て雑談する学生の姿が多く見受けられた。

 

夏休みや春休みなんかはあまりに休暇が長過ぎて、休日の喜びが薄まってしまう。

1週間の連休が程よく幸福感を満たしてくれるのだ。

 

かく言う私も浮かれた1人。

 

キャンパス内にある自動販売機を眺めて思わず顔が緩んでしまう。

 

今日は気分が良い。

 

たまにはこの甘ったるいコーヒーを買ってみようじゃないか。

 

 

 

………

 

 

 

連休を前日にした居酒屋は普段の盛り上がり以上の大盛況となっていた。

あらかじめ予約をしておいた私は店員に導かれるままに店内の個室へと踏み入れる。

 

 

「あ、優美子!やっはろー!」

 

「その挨拶やめろし」

 

 

結衣に会うのは1ヶ月ぶりくらいだろうか。

高校を卒業した後も、私と結衣はこうして偶に飲みに行っている。

近況報告と題した愚痴の言い合いをするだけで、決して色気のある話はしない。

それは結衣が私に気を使っているのか、それとも自分の中で整理が出来ていないからか、少なくとも2人の間で彼氏の話が出たことは一度もなかった。

 

 

「やっとゴールデンウィークだね!優美子は予定とか決めた?」

 

「んー、一応サークル合宿があるけど、他の予定は適当って感じ?」

 

「じゃぁみんなでどっか行こうよ!!山とか!」

 

「なんで山……?あ、だったら結衣もあーしんトコのサークル合宿行く?」

 

 

私はサークルのグループLINEを開き結衣に見せる。

合宿の概要が記されたメッセージには、確かに山合宿と書かれており、ラフティングやらバーベキューやらと、スケジュールの詳細まで送られていた。

 

 

「ラフティング!?なにそれ!?……って、サークル合宿に部外者が参加しちゃだめでしょ」

 

「関係ないっしょ。つか、男どもなんて結衣が来たら絶対喜ぶし」

 

「べ、別にそうゆうのは……。でも、山合宿かぁ……行きたいなぁ」

 

「じゃぁ決まりね。明後日の8時にウチの大学集合だから」

 

「え!?そんな勝手に!?」

 

「あ、ヒキオも呼ぼ。結衣もあいつ居たら心強いっしょ」

 

「ぅえ!?!?ヒッキーも!?」

 

「電話するし。ちょっと待ちな」

 

「電話!?なんで優美子がヒッキーの番号知ってるの!?それとラフティングって何さ!?」

 

 

私はスマホのアドレス帳からヒキオの電話番号を呼び出す。

コール音が鳴ると直ぐにヒキオと繋がった。

 

 

「出るの遅いし!」

 

『1コールで出たんですけど…』

 

「うっせぇ。明後日から合宿だかんね。予定空けときな」

 

『は?何言ってんの?合宿……?』

 

「明後日迎え行くから準備しとけし。詳細は帰ったら伝えるから」

 

『いやいや、行かないから。あと、自然にウチに来るの辞めてもらえません?』

 

「じゃぁね」

 

『ちょ、おま……』

 

 

通話の終了と同時にスマホの画面が暗くなった。

 

 

「大丈夫だってさ」

 

「ど、どうゆうこと…」

 

 

結衣は不思議そうに首を傾げる。

 

あまり乗り気じゃなかったサークル合宿も少しは楽しめそうだ。

 

 

 

………

 

 

 

合宿当日、集合場所のキャンパス正門には30人程の参加者と数台のレンタカーが停まっていた。

私は待ち合わせした結衣と、家から連れ出したヒキオを率いて集まりを遠巻きから見ている。

 

 

「わぁー、みんなサークルの人なの?」

 

「そうなんじゃね?知らねぇ奴ばっかだけど」

 

「と、友達じゃないの?」

 

「うん。ほとんど名前も知らねぇし」

 

「あ、あははー」

 

 

サークルの幹事が出発式とやらを執り行っている最中、ヒキオは項垂れながらスマホを弄っていた。

 

 

「ちょっとヒキオ。あんな荷物少な過ぎじゃない?」

 

「……」

 

「山舐めんなし」

 

「……ヒールのおまえに言われたくねぇよ」

 

「てゆうか、さっきからスマホで何やってるの?友達居ないくせに」

 

「友達が居なくてもスマホは弄れる。小町にテレビの録画を頼んでんだよ」

 

「録画くらい自分でしろし」

 

「おまえに突然引っ張り出されたからだろ!」

 

 

ヒキオの声にサークル参加者の数名がこちらに振り返る。

なにこっち見てんだし。あ?

と、思っていたら、その数名は慌てて私達から目を反らした。

 

 

「ま、まぁまぁ。ヒッキーも優美子も落ち着いて。ヒッキーもさ、この合宿で友達作ってみたら?」

 

「ふん。徒党は組まん」

 

「と、ととう…?ちょっと何言ってるか分からないけど…。それにさ、なんかイベントもいっぱいあるみたいだよ?えぇっと、り、リフティングだっけ?」

 

「……大勢で居るのに1人でリフティングしてろと?俺にはリフティングがお似合いだって言ってるの?」

 

「ヒッキー意味わかんないよ。……まったく」

 

「なんでおまえが呆れてんだよ!」

 

 

……うん。

やっぱりこの光景は懐かしいな。

なんだかんだ悪態付いてるようで、ヒキオの言葉も普段より柔和な気がする。

声色に温かみがあると言うか、結衣や雪ノ下さんと話す時のヒキオに冷たいイメージはない。

結衣も楽しそうだ。

 

 

……、ん。きっと結衣はまだヒキオが、…。

 

 

少しぼーっとしてしまった私は幹事グループの1人が大きな声を出していることで出発式が終わったことに気がついた。

 

どうやら移動時の車内班を発表しているらしい。

5人乗りのファミリーカーに4人づつ乗り込んでいくようだ。

 

 

「班?おいおい、俺が最も敬遠してる文化じゃねぇか」

 

「えぇ!?みんな一緒じゃないの!?」

 

 

ヒキオは発表を聞きながら冷や汗をかき、結衣は不満そうに頬を膨らましている。

 

 

「いやいや、あんたらは非公認参加だから呼ばれないし。あーしの乗る車に一緒に乗ればいいっしょ」

 

 

着々と班が発表されていき、呼ばれた者から車に乗り込んでいった。

まだ呼ばれていないのは……。

 

 

「優美子は俺と同じ班だよ」

 

 

私と丸岡だけだ。

 

 

「悪いけど、幹事長の特権を使わせてもらったんだ。優美子と思い出を作りたくってね。人数の関係で班は俺と優美子の2人だけ」

 

 

私は丸岡に促されるままに車に乗り込む。

丸岡は普段よりも従順な私に気を良くしたのか、運転席に座るとオーディオの選曲を洋楽にし音量を上げた。

 

 

「じゃぁ、行こうか」

 

「ん、ちょっと待って」

 

「?」

 

「おーい、こっちこっちー。早く乗れしー」

 

「は?」

 

 

 

…………

 

 

 

高速道路の料金所を通り、少しすると道路の周りから高いビル群が消えていた。

渋滞もなく、概ね順調に目的地へ近づいているようだ。

 

 

「あーしとしては、山より海なわけ」

 

「えー?私は山の方が好きだけどなー。ヒッキーは?」

 

「……俺は家が好きかな」

 

「じゃぁヒキオん家行くわ」

 

「うそうそ。やっぱり、海がいい」

 

「じゃぁ今度は海行くし!」

 

「逃げ場なしかよ!」

 

 

車内には笑い声が響き合う。

結衣が持ってきたポッキーを加えながら、私は窓の外に広がる山々を眺めた。

目的地がどこだか知らないが、山ならそこら辺にも沢山あるというのになぜ遠距離な場所を選ぶのだろうか……。

 

 

「あ、えっと、丸岡さんでしたっけ?すみません、私たちまで便乗しちゃって」

 

「……あ、あはは。全然平気だよ。由比ヶ浜さん……、結衣ちゃんって呼んでいい?」

 

「えへへ、なんか”結衣ちゃん”って新鮮かも。ねぇねぇ、ヒッキー。ちょっと結衣ちゃんって呼んでみてよ」

 

「……きも」

 

「ヒッキーに言われたくないよ!!」

 

 

丸岡は苦笑い浮かべながら運転に集中しなおした。

結衣はナチュラルに男を遠ざけるところがある。

それも無意識にだ。

もしかしたら、今日はヒキオに夢中なだけかもしれないけど。

 

 

助手席に座る私は後ろで戯れ会う2人を笑いながら見ている。

ただ、少しだけ遠くに感じてしまうのは席の問題か。

2人に流れる陽だまりの時間がすごく眩しく、羨ましい。

 

……私は何を考えているんだ。

 

結衣と席を変わりたいなんて…。

 

 

私は折れたポッキーを口に運ぶ。

結衣が可愛らしく食べる姿に嫉妬しながら、私は新しいポッキーを口に咥えた。

 

 

「ほら、ヒキオ!」

 

「あ?」

 

「ポッキーゲームだし!私に勝ったら海に連れてってやる!」

 

「……、ちなみに負けたら?」

 

 

 

「ヒキオん家に行ってやる」

 

 

「俺にメリットがない!?」

 

 

 

 




今回短め。

次回は合宿の後編ね。


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ささやき

 

 

 

山の中で木々に囲まれたログハウス。

水道や電気も最小限の設備だけが整えられている。

涼しい風を迎え入れるかのように、葉がさざ波を立てながら音を出した。

 

各班の全員が山の麓に集合してすぐに、ハイキングと題した探索のイベントと、自然の中に設置された調理場でのカレー作りが始まる予定となっている。

 

 

「カレー作りかー!楽しみだね!」

 

「俺はパス。複数人で料理を作る意味がわからん」

 

「あーしもパス。出来上がったら呼んで」

 

「……少しは協調性を持とうよ」

 

 

結衣は協調性に長け過ぎなんだ。

その証拠に、出会って数時間しか経っていないにも関わらず、私が名前も覚えていないようなサークルメンバーと仲良く話しているのだから。

ヒキオもどこか居心地が悪いように時折スマホを弄っては暇を潰している。

 

 

「ここ、電波ないっしょ」

 

「ああ。さっきからピクリともしない」

 

「じゃぁ何やってんだし」

 

「……写真の整理」

 

 

結衣を含めたサークルメンバーは調理場へと移動していく。

大群の中から抜け出した結衣がこちらに向かって大きく手を振った。

 

 

「カレー出来たら呼びに行くね!」

 

 

そう言うと、サークルメンバーの下に笑顔で戻っていく。

歩きやすそうなスニーカーが軽快に音を鳴らし、カレー作りにどれだけの楽しみを求めているのか、結衣はスキップでもしそうなくらいな勢いで山道を登っていった。

 

 

「じゃぁ、俺はネカフェでシャワーでも浴びてくるわ」

 

「ねーよ。てゆうか、どうやって時間潰す?」

 

「ごろごろしてれば?」

 

「ふざけんなし」

 

 

私は設置されている周辺マップが表記された看板を見つけた。

そこには私達が居る現在地や結衣達の向かった調理場等も記されている。

 

 

「あ、これ。この近くに休憩所みたいなんある」

 

「む?近いのなら行ってやらんこともない」

 

「なんで上からなんだし」

 

 

私は現在地とその休憩所の位置の距離を概算するために親指と人差し指

を看板上にかざす。

 

……5センチか。

 

 

「5センチくらいだし」

 

「縮尺が分からないから意味ないよね」

 

「5分くらいっしょ」

 

「……君は天才だね」

 

 

なぜか行くのを嫌がるヒキオを引っ張り、目的地へ続くであろう小道を進む。

 

道はしっかりと整備されており、木々の枝や地面に伸びる雑草等に足を取られることもなく、5分程歩くと大きな平地へと抜け出ることができた。

 

 

「ほら5分。な?」

 

「む。……正確には6分30秒だがな」

 

「うざ。……てゆうか、想像してた休憩所と違うし。普通に喫茶店じゃん」

 

「……確かに。もっとボロい小屋を想像してたが」

 

 

川沿いに面したその喫茶店は、山の中では少し違和感を感じるような綺麗な造りをしている。

入り口に飾られた看板には店名が書いてあるのだろうか、知らない英単語が書かれていた。

 

 

「ん?ウィルコムメン?……なんだしコレ」

 

「ヴィルコンメンだろ。ドイツ語」

 

「へぇ……。なんて意味?」

 

「歓迎。……洒落た名前だな。山の中で歓迎されるとは。しかもドイツ語で」

 

 

入り口の戸を開けると鈴の音が私達を出迎えた。

遠慮気味に鳴り響いた鈴に気付いた女性の店員さんが笑顔で私達を席に誘導してくれる。

 

 

「なんか変な感じ。客も居ないし、店員さんもあの人だけみたい」

 

「……。まぁ、座れるならなんだって構わんが」

 

「ん。何飲む?」

 

「コーヒー」

 

「はいはい。ガムシロは2つまでだかんね」

 

「少なくともその倍は必要だ」

 

「だーめ。あ、店員さーん、注文お願いします」

 

「むー」

 

 

………

 

 

程なくして運ばれたコーヒーと紅茶を飲みながら、私は窓の外に流れる川を見つめながら高校生の頃を思い出した。

 

 

「……高校の頃にさ、千葉村行ったの覚えてる?」

 

「あ?……あー、ああ。そんなこともあったかもな」

 

「あんたの悪巧みで小学生を泣かしたっけ」

 

「その言い方には遺憾を唱えたいが…。まぁ事実だわな」

 

「あん時さー、なんでそんなことすんだし、って思ったけど、結衣と隼人と雪ノ下さんがあんたに協力するって言い出したから仕方なくノッたんだけどさ。……、あれって……」

 

「……昔のことだろ」

 

 

「あれってあんたの性癖?」

 

 

「なんでだよ!?」

 

 

川の流れが下流に向かうように、私とヒキオがこうして2人で居ることがまるで自然の摂理のように。

こいつの暖かさがコーヒーに溶けるガムシロップのように私の中で充満していく。

 

 

 

気づくと、私達の会話を聞いていたのか、店員さんは口に手を当てて笑っていた。

 

 

「ほら、あんたのせいで笑われたじゃん。あんまり大きな声出すなし」

 

「……はい」

 

「ふふ。ごめんなさいね。お2人がとても微笑ましくて」

 

「微笑ましい?あーしらが?」

 

「ほかにお客様は居ないもの。あなた達のような仲の良いカップルが来てくれると嬉しいわ」

 

「か、カップルじゃないし!」

 

 

店員さんの言葉を遮るように否定の言葉が口から出てしまった。

何をこんなに慌てて否定してしまったのか、少し恥ずかしくなりチラっとヒキオを見てみるが、こいつは無関心にもコーヒーを啜っている。

 

 

「な、生意気だし!」

 

「え?なんで怒られてるの?俺」

 

 

店員さんは笑う。

そんなに可笑しいのか、私は落ち着きを取り戻そうと話を変える。

 

 

「てゆうか、ここのお店って店員さん独りでやってんの?」

 

「……。うん、今はね」

 

「ふーん?こんな山中じゃ儲からないっしょ?」

 

「失礼極まりないことを聞くな」

 

「ふふふ、いいのよ。本当のことだもの。でも……、あの人が帰ってくるまで……」

 

「「?」」

 

「……、ごめんなさいね。今のは忘れて。こんな所だけどゆっくりしていってね」

 

 

そう言い残し、店員さんは離れていく。

どこか憂いのある横顔が印象的だった。

 

 

「訳ありなのかな」

 

「……、詮索すんな。彼女には彼女の生き方がある」

 

「生き方ね……。ヒキオのくせに生意気。なんかさっきからやけに落ち着いてるし」

 

「……人と行動するのが苦手なんだよ。人数が多ければ多い程な」

 

「息がしづらいみたいな?」

 

「そんな感じ。だから今は休憩中」

 

「……へぇ。あーしとは息が詰まらないんだ」

 

「ストレスは溜まるがな」

 

「出た。照れ隠し」

 

「……」

 

 

 

………

 

 

 

その後、少し長居してしまった喫茶店を後にし調理場へと向かった。

出来上がっていたカレーをよそってもらい遅い昼食をとる。

 

結衣が作ったであろうドロドロ黒カレーは丸岡に食べさせたが。

 

 

昼食後、自由時間を挟み辺りは暗くなってきた。

山の中では日が落ちるのが早い。

すでに周りは暗闇が覆い、ログハウスの電気や心ともない懐中電灯では数メートル前を照らすのがやっとだ。

 

 

暗闇の中に集められたサークルメンバーを前に、顔色の悪い丸岡がメモ帳を片手に話し出す。

 

 

「……、う。…はぁ。…えっと、今から、……くっ、はぁはぁ。肝試し大会を…行います」

 

 

体調が悪いなら無理をすることないのに、どうしてあいつはこうも目立ちたがり屋なのだろう。

 

 

「なんか丸岡さん、顔色悪いねー」

 

「……由比ヶ浜病だな」

 

「なにそれ!?」

 

「……結衣、グッジョブ」

 

「なんでー!?」

 

 

尚も前で説明を続ける丸岡は、少し落ち着いたのか肝試しの概要を説明しだした。

 

 

「ふぅ、….…。それじゃぁ、今から配る紙に目を通してくれ。ここから歩いて数分の所にちょっとした平地がある。そこには廃小屋があるんだけど、そこに予め用意しておいたお札を取ってきてもらうのがクリア条件だ」

 

 

私は紙に記された地図を見る。

ほぼ一本道で続く道のりは、暗い森の中を歩かされる分恐怖が増しそうだ。

 

 

「へぇ、結構面白そうじゃん。ね、ヒキオ」

 

「……いや。この廃小屋の場所って…」

 

「あ?」

 

「……」

 

 

なぜか疑い深く地図を目にするヒキオを他所に、丸岡の説明は続く。

 

 

「廃小屋のお札を取るときに、小屋内にある看板を見てほしい。そこに書かれた文章は……。まぁ、行ってからのお楽しみだ」

 

 

所々から怖いだの楽しみだのの、三者三様な声が聞こえる中、ヒキオの様子はどこか浮かない。

 

 

「ヒキオ、大丈夫?……結衣のカレー食ったの?」

 

「どうゆうこと!?……、でも、本当にヒッキー大丈夫?顔色悪くない」

 

「……。大丈夫だ。体調も悪くない。ただ……」

 

 

ヒキオが何かを私に言おうとした瞬間、誰かが私の肩を強めに叩いた。

恐らく怖がらせようとしたのだろう。

 

 

「よ、優美子。驚いた?」

 

「うざい。触んな」

 

「まぁまぁ。お札を取りに行くのは男女ペアだよ。相方には優しくしておかないと、暗闇の夜道に置いていかれてしまうかも……」

 

 

丸岡は怖さを演出しようとしているのか、低めの声でゆっくりと話した。

 

 

「……、丸岡さん、ちょっと聞きたいことがあるだが」

 

「……あぁ、何?」

 

 

珍しいことに、ヒキオが丸岡に話かけた。

丸岡は誰が見ても機嫌が悪そうに受け答える。

 

 

「この廃小屋って、本当に廃小屋か?」

 

「そうだけど?」

 

「あんたが行って確かめたのか?」

 

「しつこいな。実際にさっき行ってお札も置いてる。鍵は掛かってなかったし、窓ガラスも割れていた。ネットで評判通りの廃小屋だったよ」

 

「ネット?有名なのか?」

 

「まぁ、地元の人にはそこそこね。そんなことより優美子、俺たちは1番目のスタートだよ。行こうか」

 

 

珍しいものを見た。

ヒキオがこれだけ他人に話しかけるのは本当に珍しい。

 

何かに引っかかっていたようなしかめた顔が上がり、ヒキオは丸岡の肩を掴む。

 

 

「……なに?」

 

「三浦とは俺が行く」

 

「は?」

 

「ひ、ヒキオ!?」

 

「ヒッキー!?」

 

 

普段よりも少し頼もしい声色が、なぜか優しく私の中に響く。

本当に驚いたのは、結衣の前で私を名指しで指名したことだ。

 

 

「きみさぁ、部外者のクセに自己中な行動は辞めてくれない?」

 

「……。由比ヶ浜、おまえのカレーってまだ余ってたよな」

 

「ふぇ?い、一応まだ余ってるけど」

 

「他の人が作ったカレーは全部無くなったのにな。なんでだろうな」

 

「うぅ、私のカレー、不味かったのかなぁ」

 

「丸岡さん、由比ヶ浜のカレーはどうでした?美味しかったですか?」

 

「へ?あ、あぁ、まぁ、お、美味しかった……かな」

 

「由比ヶ浜、良かったな。丸岡さんがおまえのカレーを食べたいんだと。温めてきてくれるか?」

 

「ちょ、俺はそんなこと!!」

 

「ほ、本当に?私のカレー美味しかったですか?」

 

「ぅぅ。……お、美味しかったよ」

 

「私!今すぐ温めてきますね!!」

 

「ちょ、ま、待って」

 

 

丸岡の制止も聞かず、結衣はカレーを温めに調理場へと走っていった。

 

ヒキオは何を考えているのか。

肝試し、どうせなら結衣と2人で行けばよかったのに……。

 

 

「お、おまえ…。許さないからな」

 

「……逆に感謝してほしいですね。美味しい、美味しい、由比ヶ浜のカレーが食べれるんだから」

 

 

丸岡は苦虫を潰したかのような顔でヒキオを睨み、結衣の後を追いかけに向かった。

 

 

「……ヒキオ、あ、あんた…」

 

「三浦。地図をよく見ろ」

 

「へ?な、なんで?」

 

「その廃小屋の場所、覚えてないか?」

 

「は?……。え……」

 

 

地図に書かれた廃小屋のイラスト。

そこへと向かう道のりには覚えがある。

私たちは一度、この道を歩いているのだから。

 

 

「喫茶店の……場所」

 

 

 

………

 

 

 

 

どこか早歩きなヒキオの後ろを追い、暗い山道を進む。

一度歩いている道にも関わらず、時間帯が違うと言うだけでどこまでも続くお化け屋敷のように様変わりしてしまう。

 

木の奥から闇が飲み込んで来るかのような辺りの静けさ。

 

私はヒールを落ちた枝に引っ掛け転びそうになってしまった。

 

 

「……っ!?」

 

 

と、転びそうになった私の身体はヒキオの腕によって支えられる。

 

 

「あ、ありがと」

 

「いや、悪かった。少し歩くのが早かったな」

 

「……。前、見えないから。手ぇ、繋いで」

 

「……」

 

 

渋々なのな、嬉々としてなのか、暗闇で見えないヒキオの顔を確認することはできない。

 

だけど、私の左手には確かに暖かさを感じる。

 

 

「ん、あそこだな」

 

「……」

 

 

平地に佇む一軒の小屋。

ガムシロップを入れたコーヒーを飲むヒキオ、優しそうに微笑む店員さん、私には確かに記憶がある。

 

だから断言できた。

 

 

「そんなわけないし……」

 

「……。とりあえず、入り口に向かおう」

 

 

窓ガラスは割れ、屋根には所々腐敗したツルが伸びている。

絶対に違う。

昼間の喫茶店に外見の形は似てるが年季の入り方が段違いだ。

 

だから、看板に書かれたこの文字もドイツ語なんかじゃない。

 

 

「……ねぇ、ヒキオ」

 

「……ん」

 

「ここってやっぱり….」

 

「みたいだな。随分と古びちまったけど」

 

 

思わず身体から力が抜けてしまう。

それを察してか、ヒキオは私の手を強く握った。

 

 

「な、なんで、そんなに落ち着いてるんだし」

 

「昼間に言ったろ。ここで」

 

「……」

 

「中もぐちゃぐちゃだな。あれお札か……」

 

 

脚が折れたテーブに数枚のお札が、そして、それの上には紙が雑に貼り付けられている。

 

ネットで拾った噂話が書かれているのか、紙の節々には血のりのようなもので雰囲気を醸し出させている。

 

内容は簡単なものだった。

 

夫婦で営むお店で、ある日夫婦喧嘩を機に妻がお店を飛び出してしまう。

 

山道で妻は足を滑らせて……。

 

夫も途方に暮れ、後を追うように……。

 

 

しかし、妻は強い怨念を、夫への復讐心からこの世に住み続けている。

 

そして、この店で待ちながら、来る人を夫と勘違いし襲い続けているそうだ。

 

 

「……ヒキオ、どう思う?」

 

「さぁな。所詮噂話だろ。ただ、ここが本当に幽霊屋敷で、あの店員さんが奥さんだったんなら……」

 

「……だったら…?」

 

「怨念なんかじゃないと思う……。あんな優しい人が、そんなことで夫を恨むわけないと……思う」

 

 

ヒキオが向いている視線の先には私達が昼間に座ったテーブル席が、そして、なぜかその席だけは埃や汚れもなく残されている。

 

 

「あの人の生き方がある……」

 

「……旦那さんのこと待ってたのかもな」

 

「……」

 

「まぁ、危険もなさそうだし。このまま札持って帰ろうぜ」

 

「ん。……ちょっと…」

 

「あ?」

 

「手、繋ぐの忘れてるし」

 

「は?」

 

「早くしろし!」

 

 

暗い店内で、誰かが私たちを見て笑っているような気がした。

店を出るときに、コソっと私の耳に誰かが囁く。

 

 

”素直にね”

 

 

……うるせぇし。

 

 

 

 



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飲み薬

 

 

 

 

「暑い……」

 

 

7月も中旬を過ぎ、もはや地球を溶かす勢いで日差しがコンクリートに照り付ける。

太陽の照り返しはまるで電子レンジの中に居るかのように私の身体を熱した。

 

よもや昼間から国道沿いの歩道を歩く私には、車から排出されるガスが不快指数をぐんぐんと上げる。

 

ようやくたどり着いた目的地の入り口を開けると涼しい風が身体に吹き付けた。

 

 

「暑さがヤバいし…」

 

「……だったら外に出なければいい」

 

「だってアイス食べたかったんだもん。はい、ヒキオには抹茶をやるし」

 

「抹茶いらん。チョコ貰う」

 

「チョコはあーしのだから」

 

 

私はソファに身体を投げ出しながらテレビを見ているヒキオをたたき起こした。

夏になった途端にヒキオはだらしなくなっていく。

ソファから手が届く範囲に生活に必要な物を全て置き、半袖半ズボンに身を包み、一日中クーラーの下で生活をする毎日だ。

 

 

「クーラーの設定温度、また22℃になってるし」

 

「……」

 

「26℃にしろって言ったの覚えてる?」

 

「……、間違えちゃった」

 

「……あんた、夏風邪引いても知らないからね」

 

「む。その言葉は夏風邪になってから聞こうか」

 

 

私はヒキオの頭を叩き、クーラーのリモコンを操作する。

設定温度を26℃に変更し、私もソファに腰掛けた。

 

 

「ん。チョコ、一口だけやる」

 

「……いらん」

 

「相変わらずかよ。ほれ、あーしまだ食べてないから照れんな」

 

「ちっ……。寄越せ」

 

 

一口だけ食べる気になったのか、ヒキオがチョコアイスを受け取ろうと手を伸ばしてきたが、私はそれを遮る。

 

 

「ほれ、口開けろし」

 

「……」

 

「あーん」

 

「……それやめろって」

 

 

悪態を付きながらも、しっかりと口を開けてアイスを頬張った。

ここ最近は少しだけ気を許してくれているのか、意外と素直にこうゆう事を受け入れてくれる。

 

 

「この前海行ったし」

 

「へぇ」

 

「今度行く?」

 

「行かん」

 

「そうゆうと思った」

 

「だったら聞くな」

 

「花火は?」

 

「あ?」

 

「花火はするのと見るのどっちが好き?」

 

「見るの」

 

「あーしはやる方が好きだけどね」

 

「知らねぇよ」

 

 

テレビの音をBGMに、居心地の良いヒキオの隣でアイスを食べる。

逆らうことなく溶けていくアイスを急いで食べながら、私はスマホを使い近くで行われる花火大会の日時を調べてみた。

 

 

「お、来週近くで花火大会あるし!行くでしょ!?」

 

「なんでだよ……」

 

「偶には外に出な。ちゃんと太陽の光浴びないと身体が弱るよ」

 

「甘いな。俺からしたら逆に太陽の光は天敵なんだ」

 

「なんでだし」

 

「……へっくしっ!…」

 

「……」

 

「……。風邪じゃないよ」

 

 

頑なに外に出ようとしないヒキオをどうにか連れ出したいものだが、当の本人があまりに乗り気じゃなさすぎる。

暑さに弱いのか、外の熱気が窓から入るのでさえ嫌がるのだから、外に出すには相当に骨を折りそうだ。

 

 

「じゃぁ、また来るから。ちゃんとお腹暖めて寝なよ」

 

「……おかん」

 

 

…………

 

 

そんなことがあったのが3日前だ。

 

 

「……」

 

「だから言ったじゃん。クーラーの風は身体に悪いんだから」

 

「……」

 

「どうせソファで寝てたんでしょ」

 

「……」

 

「……大丈夫?」

 

「……頭痛い」

 

 

寝室に寝るヒキオからいつものキレがある返しはない。

少し紅葉した顔と荒い息遣いが、まるで自分は夏風邪ですと主張しているかのようだ。

 

 

「……」

 

「……何見てんだよ」

 

「あ、いや、苦しそうだなーって」

 

「……趣味が悪いぞ」

 

「ふふ、お粥作ってあげる」

 

「……食欲ない」

 

「食べないと治らないでしょ。薬も持ってくるから少し待ってな」

 

 

私は寝室の扉を静かに締めた。

 

台所に向かう時に、1枚の写真が入れられた写真立てを見つける。

見覚えがある写真、というか、私が撮った写真だ。

奉仕部の3人が揃って笑う、卒業式のときに撮った写真。

 

 

「……へぇ、こうやって笑うんだヒキオ」

 

 

ヒキオと出会った数ヶ月前から今まで、いろんなことがあった。

思い返すと楽しかったことばかりで、どこか安心してヒキオの隣に居ることができたけど…。

 

……ヒキオにも笑ってほしい。

 

 

ただその役目は私じゃない。

 

きっと結衣や雪ノ下さんが……。

 

 

「……ふん。とりあえずお粥作ろ」

 

 

キッチンの棚には充実した料理道具と食器が並べられている。

男の一人暮らしになんで圧力鍋があるんだか…。

 

 

調理を開始してから15分ほど。

食欲をそそる香りがしてきた頃、私はお粥を小鍋に移して部屋へと運んだ。

 

 

「ほい。お粥作ったよ」

 

「….…ん。へぇ、普通に作れるんだな」

 

「舐めんなし」

 

 

ヒキオに小鍋を渡し、私はベッドの隣に置かれた椅子に腰を下ろす。

 

 

「……」

 

「……食わないの?」

 

「あ、いや……。普段みたいにあーんとかしてくると思ってたから」

 

「……す、するわけないし!」

 

「……そうか」

 

「………貸して」

 

「あ?」

 

「貸せし!あーしが食わせてやるから!!」

 

 

ヒキオの抵抗も少なく、私はお粥を奪い返した。

 

普段みたいに

 

なんで、普段みたいにできないんだろう。

いつもの私、いつもの私。

 

……そうだ、お粥をふーふーして食べさせてやろう。

そしたらヒキオは照れて、私はいつもみたいに言ってやればいい。

 

照れんなし

 

って。

 

 

「ぅ、ほ、ほら。ひ、ヒキオ。ふっふ、ふふーふーして、……やる!!」

 

「……?」

 

「ほ、ほら!!あーん!!」

 

「…ん」

 

「……」

 

「うん。美味しい。見直したよ。ありがとう」

 

「………え?」

 

 

一言のお礼。

それがお粥を作ったことに対してなのか、それとも私が食べさせてあげたことに対してなのかは分からない。

ただ、そのたった一言の小さなお礼に、私はまるで身体を覆う氷を溶かしたかのように汗をかいてしまう。

ほんのりと蒸気した私の顔は、ヒキオにどう映っているのだろう。

 

ヒキオの瞳に私が映る。

 

熱を持った唇が近づいてきた。

 

……いや、私が近づいているのか。

 

吐息が聞こえるくらい。

 

熱が伝わってくるくらい。

 

もう数ミリで……。

 

 

「……近い。おまえ、何やってんの?」

 

「ぬぁああ!?あ!?何だし!?」

 

「……。汗かいてる」

 

「へ?」

 

「風邪、移る前に帰れよ」

 

「……。ふん、移らないし。あーしバカだから」

 

「……はは。そうだったな。でも、もう本当に心配いらねぇから」

 

「うるせぇし!……風邪ひいたときくらい、少しは……あーしに甘えな!」

 

「でも…」

 

「黙れっての……。だったら貸しにしておく」

 

「貸し?」

 

「うん。だからこれでおあいこでしょ?」

 

 

ヒキオは不思議そうに私の顔を眺めている。

なんでだろうか、私はお粥を混ぜるフリをして、その目から避けてしまう。

これじゃぁどっちが照れ屋なんだか……。

 

 

その後、規則正しい寝息が聞こえるまで、私はベッドの横に居座った。

 

迷惑だったかな…。

 

少しだけ不安な気持ちを抑え、その場を後にする。

 

出る間際に、布団からはみ出たヒキオの手を元に戻して、よく寝ていることを確認。

 

 

今なら大丈夫。

 

 

すっと、風邪で熱くなったヒキオの頬に唇を当てる。

 

ヒキオは起きない。

私の顔はヒキオよりも赤くなっているかもしれない。

 

今はこれが精一杯だ。

 

 

それに

 

 

寝ている男の唇を奪うのは私の趣味じゃない。

 

 

 



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花火

 

 

 

比企谷

【ついたぞ。どこだ】

 

優美子

【もうちょい】

 

 

夏の終わり。

8月も下旬にさしかかった頃に、私は人が行き交う駅前のロータリーに向かって歩いていた。

約束の時間を5分ほど過ぎ、目的の場所が目に届く所までたどり着く。

辺りを探すと直ぐに目当ての人物は見つかった。

 

 

「よ!お待たせ!」

 

「うん。待たされた」

 

「なんだしそれ。で?どうよ?」

 

 

私は自らの格好を強調させるように両手を軽く横に広げた。

普段より少し歩き辛く、腕周りもスースーと風が擽る。

 

 

紫の生地に一羽の蝶をあしらえたシンプルな柄。

 

 

 

「……」

 

「……どう?」

 

「似合ってるんじゃないか?金髪に浴衣は映える」

 

「ふふん!そうっしょ!あーしもそう思ってた!」

 

「歩き辛くないか?帰るか?」

 

「なんでだし!ほら、ちゃっちゃと行くよ!」

 

 

いつものような大股では歩けない足元に注意しながら歩く。

ヒキオの歩くペースも少しゆっくりだ。

 

私は前を歩くヒキオの手を握る。

抵抗もなく握られたヒキオの手は少し汗ばんでいた。

緊張しているのか、それともただ暑いだけなのか、私はその理由も尋ねずにただただ歩き続ける。

 

 

「……花火、見るの好きっしょ?」

 

「嫌いじゃねぇよ」

 

「今日、少しは楽しみだった?」

 

「……まぁ、ちょっとだけな」

 

「ふふ。看病してやったんだから、その貸しはしっかり返しな」

 

「へいへい、しっかりとお役目を全うしますよ」

 

「嬉しそうにしろし!」

 

「……、いやぁ、花火見るの楽しみだなぁ。花火は好きだからなぁ。花火を見ながら焼きそば食うのも、マッ缶飲むのも大好きだなぁ」

 

「………」

 

「……なんだよ」

 

「あーしと一緒に居れて嬉しい。でしょ?」

 

「……あーしさんと一緒に居れて嬉しいなぁ」

 

「ぶっ飛ばすよ!?」

 

「……はぁ。三浦と花火大会に来れて……、まぁまぁ嬉しいよ」

 

 

ヒキオの手が少し熱くなったような気がした。

私はそれが面白くて手をニギニギとしてみる。

斜め前を歩くヒキオの顔が見れないのは残念だけど今はこれで良い。

 

 

 

だって私の顔も今は見られたくないから。

 

 

 

………

 

 

 

「人が多い……。暑い……。疲れた…」

 

花火が打ち上げられる川沿いの土手には、それを見ようと待ち構える人と、屋台に並ぶ人とでゴッタ返していた。

数メートル歩くのにも時間がかかり、人混みの中に紛れた夏の気温はぐんぐんと上昇していく。

 

「あんたねぇ、もう少し男らしくしな。花火大会なんだからこれくらいの人混み普通でしょ」

 

「……、俺は人の密集度に比例して体力を奪われちゃうんだよ」

 

「普段からインドア生活してるせいだし」

 

「む。……まぁ間違ってはいないが」

 

 

ヒキオの言うことも分からなくもないのは確かだ。

さすがにこの人混みには私も堪える。

さらには浴衣の歩き辛さも相まって、少しばかり身体が重くなってきた。

 

 

「……。」

 

「……、三浦。こっち」

 

「は?」

 

 

人混みから外れるように、ヒキオは私の手を引いた。

ヒキオの行き先は来賓閲覧席。

そこはスポンサーや、この市の偉い人達しか座れない場所じゃ……。

 

 

「ちょ、ここ勝手に入っていいの?」

 

「うん」

 

「は?なんで?」

 

「俺だから」

 

「答えになってねーし!」

 

 

入り口の所にスタッフのような人影が見える。

ヒキオはその人に何やら紙切れのようなものを見せると、スタッフは笑顔で私達を最前列の座席に案内してくれた。

 

 

「わ、賄賂?」

 

「アホか。……知り合いに頼んだんだよ」

 

「知り合い?あんた友達居ないくせに知り合いは居るの?」

 

「ナチュラルな罵詈雑言だな」

 

 

座席に座ると身体から力が抜けるように疲れが取れていく。

ヒキオの短パンのポケットから先ほどの紙切れがチラついた。

私はこっそりとそれを取る。

 

 

”私の彼氏だよ!1番前の席に案内してあげてね!!”

 

”陽乃”

 

 

「あんた!!これどうゆうこと!?」

 

「は?え、あ……」

 

「こ、この陽乃って誰だし!?」

 

「雪ノ下の姉」

 

「あ、姉!?姉妹の両方に手を出してるってこと!?」

 

「ちょっと待て。両方ってなに?」

 

「信じらんないし!」

 

「君は喜怒哀楽が激しいね」

 

「理由があるなら言ってみな。場合によっちゃ……」

 

 

私は右手をグウにして見せてみる。

ヒキオは呆れたようにそれを制止し口を開いた。

 

 

「理由も何も、雪ノ下の姉にはからかわれてるだけだよ」

 

「……本当に?」

 

「それに、雪ノ下のことはおまえも知ってるだろうがただの部活が同じだっただけの関係。……、おまえが思ってるような甘い関係なんかじゃねぇよ」

 

「……私の目を見て言ってみな」

 

「……、お、俺と雪ノ下は…」

 

「……」

 

「……」

 

 

言いかけた途中で、ヒキオはプイっと目を反らす。

 

 

「反らしたし!!」

 

「……そ、反らしたんじゃねぇよ!首が痛くなっちゃっただけだろうが」

 

「こっち向け!」

 

 

私はヒキオの顔を抑え、強引にこちらを向かせる。

目がキョロキョロと動き、眉が下がった。

 

 

「……目、閉じるな」

 

「……」

 

「本当に、……何もないの?」

 

「……そう言ってんだろ」

 

「……嘘じゃない?」

 

「……。うん。嘘じゃない」

 

 

虚ろな瞳が少し潤んでいる。

頬の紅葉や引き攣り、ヒキオは照れを隠しながらもしっかりと言葉を紡いだ。

 

 

「……信じる」

 

「あぁ、信じろ。そしてその手を離せ」

 

「まったく。変な勘違いさせんなし!」

 

「勝手に勘違いしたんだろうが」

 

「言っておくけど、あーし浮気は許さないかんね」

 

「はいはい、しないよ……。へ?」

 

「……へ?」

 

「……」

 

「……」

 

 

何か言ってはいけない言葉を言ってしまった気がする。

常に心にある不確かな物を隠すためにしっかりと結ばれていたはずのチェーンが外れてしまったのか、壊れたチェーンはだらだらと外れ、感情と心情の思うがままに言葉が口から出てしまう。

 

 

「い、今のは……」

 

 

ヒキオは黙ったまま何も言わない。

 

 

「あ、あーし。あーしって……、あんたのこと…」

 

 

好き、なの?

 

 

その言葉はヒキオの耳には届かない。

打ち上げられた花火の音にかき消され、明るい大きな光の輪っかに飲み込まれる。

パチパチと鳴り始めた拍手は、まるで今の出来事を無かったことにするかのように響き渡った。

 

 

「は、花火、始まったし」

 

「……あ?聞こえねぇよ」

 

「花火!!始まった!!」

 

「あぁ、見りゃわかるけどな」

 

「……綺麗」

 

「あぁ」

 

「もっと何か言えし!」

 

 

私の声を再度かき消すように、大きな花火が夜空にあがる。

 

 

 

「綺麗だな。蝶が飛んでるみたいだ。金色の月が浮かぶ空に紫の花火……、俺も、……好きだよ」

 

 

 

小さな声が隣から聞こえる。

空を見上げたヒキオの横顔は花火に照らされ赤く染まっていた。

 

 

何を言ったのかは分からない。

けれどお互い様だ。

 

そっとヒキオの手を握る。

 

握った手から熱さを感じた。

 

 

 

心なしか先ほど繋いだ時よりも熱く、力が強かったのは気のせいか。

 

 

 







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本音

 

 

 

 

緑に染まった葉が赤く色染まる。

哀愁の漂う季節は、まるで早足で駆け抜けるように姿をくらまそうとした。

 

秋は突然に訪れ、感傷に浸る間もなく過ぎ去っていった。

 

そんな一瞬のひととき。

 

 

暑いから涼しいに移りゆく10月。

私は講義の終わりに暇を持て余す。

やることもなくぼーっとアイスコーヒーを眺めていると、ガムシロップを3つも入れている自分に気がついた。

 

あ、今日はヒキオの分のアイスコーヒーを作ってやる必要はないんだ……。

 

その甘過ぎるコーヒーを一口飲んでみるが、口の中に充分過ぎる甘さが広がりどうにも口に合わない。

 

 

「……甘い」

 

 

けど、おいしい。

 

今日は最良な1日だ。

朝から珍しいことが起きたから。

 

私はスマホを鞄から取り出し、何度も何度もLINEのメッセージを眺めてはにやけてしまう。

これで朝から何回目だろうか。

 

スマホに映し出された画面には幸せなメッセージが書かれている。

 

 

 

比企谷

【今夜会えるか?】

 

 

 

…………

 

 

 

焦る気持ちが抑えられない。

足は自然と早足になり、電車の中ではもっとスピードは出ないのかと運転席を睨み続けた。

改札で電子マネーを慌てて押し当てたせいで、赤いランプと高音の停止音に私は膝を砕かれる。

改めて電子マネーを押し当て、駅の階段を2段飛ばしで駆け降りた。

 

 

「はぁはぁ……」

 

 

数メートル先に見つけた華奢な男。

何を考えているのか、そいつはスマホを片手に持ちながら、ロータリーに設置された時計を見上げている。

 

私は後ろから近づき、そいつの背中に飛びついた。

 

 

「とーーっ!!待った!?」

 

「ぅっ……。…とりあえず背中から離れろ」

 

「へへ、ドキっとしたっしょ?」

 

「うん。腰が折れたんじゃねぇかとヒヤヒヤした」

 

「照れんな照れんな!で?どこ行く!?」

 

「……なんかテンション高くないか?」

 

「とりあえずディズニーランド行く!?」

 

「話聞けよ!……もう夕方だろ。行くのは居酒屋だよ」

 

「普通かよ!……、ヒキオが飲みに誘うなんて珍しくね?」

 

「……そうか?…そうかもな。まぁ、ここで立ち話もあれだし早く行こうぜ」

 

 

夕暮れの道に影が長く伸びた。

私はヒキオの影を踏みながら後ろを歩く。

 

ここ最近はヒキオが私を先導することが増えた気がする。

 

少し不思議な出来事だと思った。

 

ほんの数ヶ月前まではバラバラの道を異なるペースで歩いていた私達が、今や同じ道を同じペースで歩いているのだから。

 

こうやって影を重ねながら、私はずっと彼と一緒に居たいと素直に願ってしまう。

 

そんな気持ち。

 

 

 

…………

 

 

 

少しこじんまりとした居酒屋で、迎えてくれた店員さんに個室へと通される。

 

 

「あ、せんぱーい、遅刻ですよー?……って、げ!?三浦先輩!?」

 

「……あ!?バカ後輩!?」

 

「ひどい!!」

 

「なんであんたが居るし……」

 

「逆に聞きたいくらいです。なんで三浦先輩が……」

 

 

一色いろは……。

目障りだ。

消そう。

 

と、思ったのも束の間、この場をセッティングしたであろうヒキオに文句を言うのが先決だ。

 

私はヒキオの襟元を掴み睨み上げる。

 

 

「どうゆうことだし!!」

 

「ち、近い。近いから……。どうもこうも、こいつが飲もうって言ってきたからおまえも誘っただけだろ」

 

「っーー!?紛らわしいんだよ!!バカ!!」

 

「ちょっと先輩!2人で飲みましょうって言ったはずですよ!?」

 

「は?ヒキオ、どうゆうこと?」

 

「三浦先輩には関係ありません!」

 

「あんた……、覚悟しな」

 

「先輩、心配しないでください。私はこの女王を必ず倒してみせますから」

 

「ヒキオ、黙ってあーしの後ろに隠れてろし」

 

「あ、店員さん。生3つで」

 

 

しばらくたち、険悪かつ緊張に支配された場に、そそくさと現れた店員がビール3つ置いていく。

 

店内に流れる喧騒とは対照的に、私達が座る個室には沈黙が流れ続けた。

 

 

「……季節が変わってもビールの上手さは変わらんな」

 

「ヒキオ、説明しろし」

 

「私も説明を求めます」

 

「……え。何を?」

 

 

私はヒキオの足を蹴り飛ばす。

見事にヒールが拗ねに突き刺さった。

 

 

「痛っ!?」

 

「あーし、帰る」

 

「は?ちょ、待てよ」

 

「先輩!三浦先輩が帰るって言ってるんですから帰らせてあげましょうよ!!」

 

「……やっぱり帰らないし。てゆうかあんたが帰れ」

 

「ぶー!私の方が先約なんですからね!」

 

 

深々と椅子に座り直し、私はヒキオから事の経緯を聞き出した。

 

 

一色いろはとヒキオは同じ大学だったらしい。

これまでも何度か接点はあったのだが、ヒキオがのらりくらりと交流を避けていたとか。

 

 

「やっと捕まえたのに……。目の上のたんこぶが付いてきました」

 

「ぶっ飛ばす」

 

 

うざい後輩。

生意気で男好き。

 

……同族嫌悪。

 

 

私はこいつのことが嫌いだが、本質は似ていると理解していた。

 

隼人のことも同じ。

 

こいつとは相違点こそ沢山あれど、似ているところはとことん似ている。

 

 

……だからこそ危惧してしまう。

 

 

今もまた、こいつは私と同じ様に誰かさんの暖かさに居心地の良さを感じているのではないかと。

 

 

「……先輩、今度は三浦先輩を抱き込んでるんですか?」

 

「誤解を招く言い方をするな」

 

「そうだし。あーしは別にヒキオに抱き込まれてないし」

 

「へぇ……。なんだか珍しい組み合わせです。三浦先輩はイケメン好きだと思ってたから」

 

「別に……」

 

「……、卒業式の時、まさか三浦先輩が告白するとは思いませんでした。もっと感情より頭で動く人だと思ってたんで」

 

「あんたよりは後先考えて動けるし。でも、あの時は……」

 

 

私はヒキオの顔を見る。

我関せずを決め込んだのか、ヒキオはビールを次々と飲んでいった。

 

気づくと一色いろはもヒキオを眺めている。

何か思う所があったのか、一色いろはの表情は、彼女が隼人に振られた”あの時”を思い出させる。

 

 

互いに”あの時”を持つ。

奇しくも結果は同じ。

 

 

「……逆に、先輩は考え過ぎです。結衣先輩を振るとは思いませんでした」

 

「……そうか?」

 

「そうです。あんな素敵な人、先輩なんかの前には二度と現れませんよ」

 

 

こいつ、偶には良いことを言うじゃないか。

確かに結衣ほど良い女はなかなか居ないし、ましてやヒキオが相手じゃ……、皆無か。

 

 

「だから、私が先輩の彼女になってあげます!」

 

「なんでだし!!」

 

「ちょっと!三浦先輩は黙っててくださいよ!」

 

「おまえが黙れし!ヒキオ、こんな女はあーしが許さないかんね!」

 

「なんで三浦先輩にそんなこと言われなきゃいけないんですか!」

 

「な、なんでって!?なんでだし!?」

 

「……、いや知らねぇよ。とりあえず2人共静かに。他の客も居るんだぞ」

 

 

枝豆を食べながらメニューを見ていたヒキオは普段と変わらぬトーンで私たちを注意する。

 

突然、テーブルの上に置いてあったスマホが震えだした。

ヒキオはそれを確認すると席を立つ。

 

 

「ん。悪い、電話。ちょっと席外す」

 

 

「……」

 

「……」

 

 

再度、沈黙が流れる。

 

 

「……あんた、何考えてんの?」

 

「……、次は何を飲もうかなぁって考えてます。三浦先輩こそ何を考えてるんですか?」

 

「あんたをどうぶっ潰そうか、って考えてるし」

 

「怖い!……、本当は先輩のこと考えてます」

 

「……へぇ」

 

 

正直に答えるとは思わなかった。

もちろん、今の言葉が本音がどうかなんて分からないが、どうにも冗談や粋狂で言ってるようには思えない。

 

 

「……笑いますか?私が先輩を大好きだって言ったら」

 

 

笑えるはずがない。

 

そんな真剣な目で見られたら、私は顔を逸らしたくなってしまうじゃないか。

 

 

「もう引きません。誰にも譲りません。本当の本物が私も欲しいから…」

 

「本当の……、本物」

 

「追い掛けて、追い詰めて。卑怯でも姑息でも良いんです。あの2人には悪いけど、絶対に負けません」

 

 

本当の素顔を見た気がする。

こんなに綺麗な笑い方をする女だったか?

外見や装飾ばかりを気にしていた高校生の頃とは違う。

 

 

「な、なんかすみません。こんな話は忘れてください!酔ってるのかなぁ〜、あははー」

 

「……。あーしも」

 

「へ?」

 

 

 

「あーしも、ヒキオのことが好き……」

 

 



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背伸び

 

 

素直になろうとすればするほど罪悪感が湧いてくる。

そんな気持ちとは裏腹に、抑えられない感情はあいつに向かって伸び続けた。

 

いつからだろう。

 

会ったとき?

 

飲んだとき?

 

出かけたとき?

 

……。

 

いつから好きになったのかなんて分からない。

でも、一つだけ分かることがある。

 

 

結衣や雪ノ下さんの方がヒキオに近い場所に居るということ。

 

 

きっと、ヒキオは私の前では笑ってくれない。

 

 

 

………

 

 

 

この数週間、私はヒキオに会っていない。

 

晴れない気持ちで大学に向かい講義を受ける。

こんなに1日って長かったっけ?

 

なんで会えないんだろう……。

 

って考えながら、その答えはすぐに見つかる。

 

私は会っちゃいけない。

もう傷付きたくない。

失いたくない。

 

 

今頃何をやっているのだろうか。

 

しっかりご飯は食べてるの?

 

またコーヒーにガムシロップを沢山入れてない?

 

面と向かって口に出せたあの頃が懐かしい。

 

大切な人を失う。

 

それってこんなに怖いことだったのか。

 

 

………

 

講義終わりの帰り道。

少し肌寒くなった風を感じつつ、私は小さな喫茶店を見つけた。

時間は沢山ある。

やることもなく暇を潰すためにその喫茶店へ入った。

 

 

狭い店内には分煙の様子はなく、私はカウンター席に座りアイスティを頼む。

おもむろに、最近ではめっきり吸っていなかった煙草を取り出し火を付けた。

 

ジリジリと、煙草から出る煙が店内に蔓延する。

 

 

「少し煙たいのだけど、あなたは人の迷惑を考えられないのかしら?」

 

「あーしがどこで煙草を吸おうと勝手っしょ」

 

「まったく、少しも変わらないはね。悪い意味で」

 

「あ?」

 

 

長い黒髪。

綺麗な顔立ち。

座り方はどこかのお嬢様のように。

彼女は不敵に微笑んだ。

 

 

「…雪ノ下、雪乃…」

 

「久しぶり。三浦優美子さん」

 

 

最悪だ。

もっとも会いたくない人物との遭遇に、私は落ち着かせた胸の鼓動が強く動き出す。

 

 

「はぁ、最悪」

 

「あら、それはこちらのセリフだわ」

 

「……」

 

「……昔の威勢の良さはどうしたの?」

 

「…つっかかんなし」

 

「ふふ、傷心中の乙女のようね。もしかして誰かさんに振られたのかしら?」

 

「っ!?……。誰かさんって誰だし。あーしを振る男なんて……」

 

「……。この前、由比ヶ浜さんと遊んだの」

 

「……それがなんだし」

 

「いえ。そのときに、あなたと彼が仲良くしてると聞いて、少し不思議だったわ」

 

「……悪いかよ」

 

 

雪ノ下さんと目が合わせられない。

とても悪いことをしてしまったような気がして。

ふつふつと湧く背徳感に私は居ずらさを感じる。

 

 

「……少しだけ、悔しいわ」

 

「……は?」

 

「失言ね。忘れてちょうだい」

 

「……」

 

「彼の歪んだ優しさが、私にとってはとても眩しくて、羨ましくて……。そんな彼が好きだった」

 

「は、はぁ?なんの話だし……」

 

「こちらの話よ。あなたは違うの?彼と、比企谷くんとずっと一緒に居たいと思わないのかしら?」

 

 

逃がさないと言わんばかりに見つめられた雪ノ下さんの瞳はどこか優しく微笑んでいるかのように、私の心は彼女の言葉から離れられない。

 

思わない。

 

思わないわけがない。

 

ずっと一緒に居たい。

 

私が、誰よりもあいつの横に居たいと思ってる。

 

 

でも……。

 

 

「……、あいつが望むのはあんたらでしょ。あーしは別に、あいつと……、居たいなんて……」

 

 

あいつを否定したときに、涙が込み上げてきてしまう。

止められないから止めようとしない。

壊れたように溢れ出した涙はカウンターに一粒、二粒と落ちていき、私は声を我慢することも出来ずにその場に俯いてしまった。

 

 

「……ほら。あなたも彼と同じで天邪鬼じゃない」

 

「ぅ、うるせぇし……。ぅぅ。…別にあーしは!!」

 

 

「私たちに遠慮をすることはないわ」

 

 

「……っ!」

 

 

確信を突かれたかのように。

私は何も言えなくなってしまう。

 

 

「あなた、優しいのね。比企谷くんにも見習わせたいわ」

 

「……は、は?さっきあんた、あいつのこと優しいって……」

 

「あら、私は客観的な意見を言ったまでよ?こんなに美人で頭も良い私を振るなんて、彼はきっと鬼か悪魔の生まれ変わりなのよ」

 

「……あんたも、ふ、振られたの?」

 

「……さぁね。昔のことは忘れたわ」

 

「……」

 

「顔を上げなさい。涙を拭きなさい。……あなたの本心を彼に届けなさい。それで私達と対等よ」

 

「ふ、ふん!別に泣いてねーし!てゆうか、あんたこそあーしとヒキオが結婚してから泣いても遅いんだからね!」

 

「……け、結婚する気なの?」

 

 

「それくらい好きなんだし!!」

 

 

私は涙を拭いて立ち上がる。

震える脚を強引に動かした。

店内に背を向けて歩み出す。

 

 

あいつに伝えなきゃならないことがあるんだ。

 

 

 

「……お金、私が払うのかしら」

 

 

………

 

 

見慣れた玄関。

ドアノブに手を掛けてみると気がつく手汗。

緊張しているのだろうか、私はいつもよりも重たい扉を強気に開ける。

 

 

「よ、よ!久しぶり」

 

「んー?あぁ、よう」

 

「普通かよ!!」

 

 

ヒキオはリビングのソファーに寝転がり小説を読んでいた。

だらしない姿にほっとする。

 

 

「またあんたはそんな格好で…。風邪引いてもしらないからね」

 

「む。前にも言ったが、それは風邪を引いてから聞こうか」

 

「……あっそ」

 

 

眠たそうな瞼に隠れた瞳が私を捉えた。

小説を机に置き、ヒキオはゆっくりと起き上がる。

 

 

「……。なにか、あったのか?」

 

「なんで、……。あんたはなんでもお見通しなんだし」

 

「なんでもじゃない」

 

 

そうやって呟くような小さな声も好き。

 

 

「手、繋いで」

 

「……ん」

 

 

暖かい手も好き。

 

 

「髪、跳ねてるし」

 

「寝転がってたから」

 

 

柔らかそうな髪も。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

居心地の良い空気も。

 

 

「ギュって……、して」

 

「……。はぁ、今日だけだからな」

 

 

暖かい優しさも。

 

全部、好き。

 

 

以外と男らしい腕に包まれながら、私は止まらない涙と本心を呟いた。

 

 

「あんたのこと、好き」

 

「……」

 

「誰のところにも行かないで」

 

「……」

 

「ずっと、……。一緒に居て」

 

「……」

 

 

長い長い沈黙。

時計の針は進み続けるのに、どうして私は止まっているのだろう。

 

答えは返ってこない。

 

ヒキオの腕に落ちる涙がシミになり、そして乾く。

今まで通りに戻ったように。

 

私達の関係も、あの出会った頃の前に戻ってしまうかもしれない。

そう考えるだけで、私は堪え用のない胸の痛みに襲われる。

 

 

 

「……。俺はだらしないし、身勝手だし、あんまり行動的な人間じゃねえ」

 

「……知ってる」

 

「あんまり人と関わるのも得意じゃない」

 

「……」

 

「……だけど…」

 

 

抱き締める力が強くなる。

ヒキオの胸から音が聞こえた。

 

 

「おまえと居るのは嫌いじゃない。……だから、一緒に居てくれよ。俺の側に、ずっと」

 

 

甘い甘い、とろけるようなコーヒー。

ほんの少しの苦味も感じない甘さ。

体中に充満し、私は力が抜けてヒキオに保たれ掛かった。

 

 

「……もっと強く抱けし」

 

「……か、顔が近いっての」

 

「もう…、いいでしょ?」

 

 

私はゆっくりと顔を近づかせる。

唇に感じる暖かな柔らかさ。

 

目を開けると真っ赤になったヒキオの顔が。

そんな姿が可愛らしくって、悪戯にもう一度唇を奪う。

 

 

「ぅっ!?……お、おまえなぁ」

 

「へへ、もう一度しよ?今度はヒキオからして」

 

「ぇへ!?ちょ、…む、無理…」

 

「……ん」

 

 

軽く目を閉じて待ってみる。

数秒後に、熱の持った唇がゆっくりと重なった。

 

 

「えへへ、まぁ合格じゃね?明日っから1日1回はキスすること!」

 

「ふ、ふざけんな!そんなバカップルみたいな……」

 

「バカップルっしょ?あーし、あんたのこと超好きだもん。あんたは?」

 

「ぬ……。まぁ、嫌いじゃないってことで」

 

「ちゃんと言えし!あーしのこと好き?」

 

「……はぁ。好きだよ。超が付くくらいな」

 

 

ヒキオはわざとらしく顔を背けて頬をかく。

照れてる証拠だ。

 

ヒキオのことならなんだって分かる。

好きだから、愛してるから。

隣で笑いながら、私はヒキオの手を握った。

頼りなく細い身体も、今ではこんなに愛おしい。

 

私が守ってやらなくちゃ。

 

そんなことを思ってみたり。

 

 

 

「はぁ、せいぜい俺の堕落生活に愛想を尽かさないことだな」

 

「あり得ないし!」

 

「どうだか」

 

 

 

「ずっとあーしがあんたの世話をしてやるんだから!」

 

 

 

 

 

 

 





最終話です。
どうもでした。
後日談もそのうち書きます。
更新ペースは遅くなりますけど、今後ともよろしくです。


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私はあんたの世話を焼く。+
after -1-


 

 

 

 

 

二度目の人生があるならば、それは愛すべき相手を見つけたとき。

 

そいつが隣に居るだけで、つまらなかった風景はカラフルに彩られ、冷たかった風は優しく温かい風になる。

 

晩秋の空下に、私は薄く光る星を見上げながら夜道を歩いた。

 

思い出せば、ここは何時ぞやの場所じゃないか。

私のマフラーが風に攫われ、それをあいつに拾われた。

 

そして始まったのだ。

 

 

「……よう」

 

「遅い。……ん」

 

 

私は黙って手を差し出す。

彼は目を逸らしながらその手を握った。

 

 

「ヒキオ、迎えに来てくれたの?」

 

「違う。コンビニ」

 

「うそつけ」

 

 

飲み会終わりの帰り道、私の帰りが遅くなると、決まってヒキオは迎えにきてくれる。

 

 

「帰ったら何する?」

 

「寝る」

 

「一緒に?」

 

「……」

 

 

ヒキオは嫌がるけど、ヒキオの足に自分の足を絡ませると暖かくて気持ち良く眠れるんだ。

布団の中には甘い匂いが漂い、その香りの元を辿るとヒキオのパジャマに行き着く。

 

 

「直ぐに照れる。変わんないね、あんた」

 

「……変わってるよ」

 

「うそだ」

 

「本当だよ」

 

「どこが?」

 

 

「誰かと一緒に居ることが好きになった」

 

 

こいつは偶に私をドキっとさせる。

無意識なのか、素直なことを素直に口に出すとき、私はヒキオを顔を見れなくなる。

 

 

「へ、へぇ!そうなん!?あ、あーしと居れてそんなに嬉しいんだ!!」

 

「……おまえとは言ってないだろ」

 

「はぁ!?じゃぁ誰だし!?」

 

「はは、小町に決まってるだろ」

 

「クソが!シスコン!!」

 

 

ヒキオは肩で笑いながら前を歩く。

見慣れた背中に引っ張られるように、私もこいつの後を追う。

 

 

「ん、悪い。歩くの早かったか?」

 

「んーん。ちょっとゆっくり歩きたいだけ」

 

「……そうか」

 

 

こんな時間がずっと続けと切に思い、私はヒキオの手を握りながら空を見上げてこう呟いた。

 

 

「……ずっと好きだかんね」

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

【2人の距離】

 

 

 

ヒキオと付き合い始めて1ヶ月が過ぎた。

ほとんど毎日のようにヒキオの家に入り浸り、意味があるようでないような無駄話をしては時間が過ぎていく。

 

 

講義が休講になった午後。

私は考えることもなくヒキオの通う大学へと向かった。

やることがあってもなくても、ヒキオは大学の研究室か図書室に居ることが多いのだ。

 

 

「よ。今日はこっちに居たん?」

 

「ん。ちょっと調べ物があってな」

 

 

大学にある図書室には誰でも入館が出来る。

だからと言って、学生が好き好んで居るようなところじゃないけれど。

何を調べるにもスマホ一つで済んでしまうこのご時世に、誰がペーパーメディアで調べるのだろう。

 

 

「どっか行く?」

 

「聞いてなかった?調べ物があるんだよ」

 

「ググれば?」

 

「電子情報は量が多すぎる」

 

「じじぃかよ」

 

 

ヒキオは何冊かの資料を持ち、図書室内に設置された個室の勉強部屋に入っていった。

もちろん私も後を追う。

 

 

「おい。狭いから付いてくるな」

 

「あーしの勝手じゃん」

 

 

ヒキオは溜息を一つ付き椅子に座った。

鞄から取り出した眼鏡とノートを取り出しボールペンをクルクルと回す。

 

 

「……。近いんだけど」

 

「仕方ないし。狭いんだから」

 

「うん。だから外に出れば?」

 

「ねぇねぇ、今日の晩御飯なに?」

 

「……。決めてない」

 

「じゃぁ帰りにスーパー寄るし」

 

 

何かを思い出したかのような素振りをし、ヒキオはスマホのアプリを開き何かを調べだした。

 

 

「ここ。ここのパスタが美味しいって。星も5だし」

 

「だーめ。外食ばっかりだと身体に良くない」

 

「いやいや。栄養も高いってレビューで言ってるし」

 

「そんなん信用できないし」

 

「むむ」

 

「じゃぁ今日はパスタにする?作るのも簡単だし」

 

「……そうだな」

 

 

ヒキオは残念そうにスマホを仕舞い、ノートに何かを書き始める。

 

ベーコン

生卵

粉チーズ

生クリーム

 

……。

 

 

「カルボナーラがいいの?」

 

「おまえがそう言うならカルボナーラで構わん」

 

「構わんって……。まぁヒキオが食べたいならそれでいいけど」

 

「ふむ。ならカルボナーラにしよう」

 

 

分かりやすいやつ。

と言うか、素直じゃない。

 

夕飯の献立に満足したのか、ヒキオは生き生きと分厚い資料を捲っては課題であろう調べ物をノートに書いていく。

 

 

狭い個室で聞こえてくるのはノートを走るボールペンの音と資料のページが捲れる音だけ。

 

 

眼鏡で少し隠れた横顔を見ながら、私はヒキオの頬に唇を付ける。

 

 

「へへ。ちょっとドキドキするし」

 

「……場所を考えろ」

 

「家ならもっとチュウしていいの?」

 

「……。少しなら」

 

 

「じゃぁ早く帰るし!!」

 

 

「なんでだよ!」

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

【夕飯】

 

 

 

「はい。ベーコン切ったし」

 

「ん。生卵解いといて」

 

「フライパン、油飛ぶから気をつけてね」

 

「子供かよ。……熱っ!」

 

「子供かよ!」

 

 

………

……

.

 

 

カルボナーラを一緒に作り、同じテーブルで一緒に食べる。

一緒に頂きますを言い、一緒にご馳走座を言う。

 

全部一緒だ。

 

 

「美味かったー!」

 

「あぁ。カルボナーラは正解だったな」

 

「洗うから水に漬けといて」

 

「いいよ。俺が洗う」

 

「ん。じゃぁ一緒に洗うし」

 

 

お皿を泡まみれにし水で洗い流していく。

カチャカチャと音を立てながら、隣に立つヒキオは素早くお皿を洗っていった。

 

 

「ちゃんと洗えし」

 

「洗ってるよ」

 

「水も拭き取って」

 

「男は黙って自然乾燥だ」

 

「あ。そうだ。チュウするの忘れてた」

 

「は?」

 

「んー」

 

「バカ。皿持ってるっつの」

 

「関係ないし。…ヒキオからして」

 

 

目を閉じて顔を少し上げる。

先ほどまで水を使っていた手は冷たくなっているのに、私の頬は熱を持って赤く染まっていることだろう。

 

数秒して、小さく唾を飲む音がすると、暖かい唇が私の唇と重なった。

 

私はヒキオの胸元を掴みながら、離れないように引き寄せる。

 

 

「……ん。…、お、おまえなぁ、急にベロ入れてくんなって前にも言っただろ」

 

「ふふ。カルボナーラの味がしたし」

 

「そらそうだろうよ」

 

「ヒキオの味もした」

 

「……何味だよ。ほら、さっさと皿洗っちまおうぜ」

 

 

「うん。寒いし早く洗ってお風呂入るし。……一緒に」

 

 

 

「入らんからな」

 

 

 

 



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after -2-

 

 

【お出掛け】

 

 

「どっか行くし」

 

「行ってらっしゃい」

 

「あんたも行くの!」

 

 

秋が終わりに近づく休日。

雲一つ無い晴天に恵まれた今日、決まって早起きなヒキオの隣で朝のアニメを見ながらくつろいでいた。

最近ではヒキオに影響されたのか、一日中ごろごろとしてしまう日が増えた気がする。

 

 

「天気も良いいからどっか遊びに行くし!」

 

「まぁ、待てよ。仮に俺が暇だとしよう」

 

「予定なんてないでしょ」

 

「アウトレットに行くとして」

 

「お、いいじゃんアウトレット」

 

「歩き疲れてしまうだろ?」

 

「そりゃいろんなお店に回るからね」

 

「それを人は労働と呼ぶ」

 

「……」

 

 

私は黙ってテレビを消し、外出の準備に取り掛かる。

嫌がるヒキオのパジャマを無理矢理脱がし、普段からよく愛用している青いカーディガンと薄手のコートを持たした。

それでも尚、外出を拒もうとするヒキオの腹をぶん殴り、涙目で順従になったヒキオと家を出る。

 

 

少し肌寒いが、日が照っていて暖かい。

やっぱり外出して正解だ。

 

最寄りの駅から大型アウトレットモールを目指し電車に乗り込むと、少し混雑した車内で座ることなく目的地に向かう。

 

 

「ちょっと混んでるけど2駅出し我慢しな」

 

「はぁ…、足痛いし少し寒いし頭痛いしお腹痛いし」

 

「運動不足。自業自得だし」

 

「……お腹はおまえのせいだろ」

 

 

数分で到着した目的の駅に、私とヒキオは人の流れに従って電車を降りた。

流石に休日ともあり、アウトレットモールは混雑してる。

 

 

「うわぁ、すごい混んでる。ほらヒキオ、手ぇ繋ぐよ」

 

「だが断る」

 

「は?」

 

「人が一杯居るだろ。恥ずかしいじゃねぇか」

 

「迷子になっても知らないからね」

 

「迷子になったら先に帰るんだからね」

 

「……先に帰ったら腕を折るから」

 

「……。メンヘラかよ」

 

「ほら、折られたくなかったら手ぇ繋ぐ!」

 

「ぐぬぬ」

 

 

………

 

 

 

人混みの中、ゆっくりとだが歩きつつも色々なお店に入りは試着を繰り返す。

どれも可愛らしく、そして私に似合っていた。

 

 

「ふふ、どう?似合う?」

 

「うん、いいんじゃないか」

 

「これは?」

 

「いいね」

 

「こっちも?」

 

「最高」

 

「ぶっ殺すよ!?」

 

「!?……はぁ、俺に意見を求めんなよ。女性物の流行りなんて知らん」

 

 

私は試着したままヒキオを睨みつけるが、その光景を見ていたらしい店員さんはニコニコと笑っている。

 

 

「……流行りなんてどうでもいいし。あんたはどれが良いと思ったの?」

 

「……ん。じゃぁ、そっちの服が俺は良いと思う」

 

「えぇー、こっちの方が絶対可愛いし」

 

「じゃぁ聞くなよ」

 

「なんかカップルっぽくね?」

 

「アホな2人組にしか見えんだろ」

 

 

先ほどからニコニコと笑っていた店員さんが近寄ってくると、試着していた私に向かって話し掛けてきた。

 

 

「ふふ。彼氏さんのおすすめするお洋服もお似合いだと思いますよ?」

 

「えぇー、そう?」

 

「はい。露出も控えめで、彼氏さんからしたら安心できるのかと」

 

「へ?…ヒキオ、あんた…」

 

「ちょっと、あんまり適当なことを言わないでくれますかねぇ。あっちの鏡でニッコニッコニーの練習でもしててください」

 

 

早口で喋りだしたヒキオの顔が少し赤く染まっていた。

相変わらずの店員さんはニコニコと私とヒキオを見比べては微笑むだけで、このアンバランスな光景に私も少し笑えてしまう。

 

 

「へへ、じゃ、じゃぁ、そっちの服にしようかな。ヒキオもこれで安心でしょ?」

 

「……別に」

 

 

照れながらそっぽを向き、ヒキオは店の外に出て行ってしまう。

 

 

ヒキオの選んでくれた服を店員さんに渡すとき、チラッと見えた指輪に目が行った。

店員さんの薬指に嵌められたシルバーの指輪は強く主張することなく飾られている。

 

 

「その指輪可愛いね」

 

「あ、申し訳ありません。仕事中は外すべきなのですが……」

 

「良いと思うよ。似合ってる」

 

「ふふ、ありがとうございます。モール内に指輪売り場もございますので、時間がありましたら彼氏さんと行かれてみては?」

 

「……指輪…」

 

 

私はふと、自分の指を眺める。

以前、小指に嵌っていたピンキーリングの影はもうない。

 

 

「時間があったら行ってみる」

 

 

その後、昼食と休憩を挟みながらモール内を転々と回り、時間を見てみると既に外は暗くなり始めるであろう頃合いになっていた。

 

 

指輪売り場には行けていないまま。

 

 

「……。そろそろ帰るし。ね、ヒキオ、帰りにご飯食べようか」

 

「……ん。飯の前にちょっと行きたい店があるから付き合ってくれ」

 

「行きたい店?」

 

 

ヒキオが前を歩き出す。

いつから繋がれていたのかも覚えていない手を引っ張られながら、私はヒキオの後を着いていった。

 

どこに行くのか検討も付かぬまま、私は歩き続ける。

 

ヒキオの手が少し暑くなっていることに気がつくと同時に、目的地に着いたのか、ヒキオはその店の前で立ち止まった。

 

 

「……アクセサリーショップ…」

 

「ん。前に貰ったから…、まぁ、その、お返しに…」

 

「貰った?あーし、何かあげたっけ…」

 

 

ヒキオの目線が私の小指に移る。

 

それは付き合う前のこと。

 

そして、私の勝手な理由でヒキオに渡したもの。

 

鈍く光っていた小指の指輪はあの日以来、私の物では無くなっていたから。

 

 

「だからお返し」

 

「……ヒキオってさ、そうゆう所あるよね」

 

「こう見えても律儀な男なんだ」

 

「はは。なんだし、それ。いいよ、お返しなんて。でもさ、その……」

 

「……」

 

 

「あんたが、私に似合う指輪をプレゼントして?」

 

 

「……。センスは保証しないからな」

 

 

鈍く光っていた指輪と思い出。

 

急に明るく光出すから、私はまぶしてく目を覆いたくなる。

 

覆った目には涙が溢れているみたい。

 

なんでだろう…。

 

嬉しいと涙が出るなんて、そんなの嘘だと思ってたのに。

 

 

 

薄い紫のラインが入ったシルバーの指輪。

 

ヒキオが私の手にそれを乗せる。

 

照れながら、それでも目を逸らさずに、ヒキオは私を見つめ続けた。

 

 

綺麗に輝く指輪に指を通し、強く残る思い出に上書きするように幸せが重なり合う。

 

 

似合っているだろうか。

 

 

左手の薬指に嵌めた指輪をヒキオに見せつける。

 

 

「……へへ。可愛い!似合ってる?」

 

「……に、似合ってるけど、それ…」

 

「ありがとう!一生大事にするし!」

 

「……あ、そう。だけど、それ」

 

「?」

 

 

「……それ。ピンキーリングだから」

 

 

顔が熱くなる。

 

それどころか目眩に近い視界の揺らぎを感じる。

 

恥ずかしさを通り越すと、人間はどうやら壊れてしまうらしい。

 

 

「…は、あ、いや。ちょ、こ、これは……」

 

「……。三浦、落ち着けよ」

 

 

ヒキオが私の頭に手を置いた。

 

小さく笑いながら、彼はそっと囁いた。

 

それは耳から頭に伝わって、身体の中に駆け巡るように幸せが広がった。

 

いつまでも一緒に。

 

誰よりも近くで。

 

 

私はその言葉を信じる。

 

 

 

「また、今度な」

 

 



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after -3-

 

 

【プール】

 

 

冬の寒さが近づく今日。

 

いつものようにヒキオの家でまったりとしている私だが、家主であるヒキオ本人はそこに居ない。

ここ最近はゼミの論文発表が近いとのことで、研究室に籠り切りになる時がある。

1人で居るには大きすぎる部屋でソファーに腰掛け、私はヒキオの帰りを待っていた。

 

テレビから流れる芸人のリズミカルな芸を聞き流しながらスマホの画面と睨めっこを繰り返すばかりで時間が過ぎていく。

せっかくの休日なのにあいつは何をやっているんだ…。

 

 

スマホを睨むこと30回、玄関の先から靴で廊下を叩く音が聞こえてくる。

ゆっくりとなる足音。

踵から地面に着くような歩き方をするヒキオの靴はすべて踵がすり減っているんだ。

 

 

「……。ん、来てたのか」

 

「来てたし!朝から!!」

 

「…朝から来てたのか」

 

 

ヒキオは脱いだアウターを椅子の背もたれに掛けた。

 

 

「ちゃんとハンガーに掛けろし。型崩れするよ」

 

「型崩れファッションってやつ」

 

「ださ」

 

 

夕日が隠れ始めた頃。

外からは子供の声と5時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。

 

 

「ヒキオ、おなか減った?」

 

「ん。飯作るか。何がいい?」

 

「んー。牡蠣とほうれん草のチーズリゾット食べたい」

 

「………もっと簡単なのにしてくれません?」

 

「じゃぁラーメンと餃子」

 

「君の胃袋は縦横無尽だね」

 

 

先ほどまで疲れ切っていた姿が嘘だったかのように、ヒキオはいつものエプロンを身に付けてキリキリと料理を始めた。

餃子の下準備を始めたヒキオの隣で私はキャベツを包丁で切り刻む。

 

 

「ラーメンつけめんぼくいけめん~」

 

「古くね?」

 

「ん~。……ちょっちょっちょっちょっと待って、お兄さん」

 

「それさっきテレビで見たし!」

 

「流行ってるらしいな。ゼミの奴が言ってた」

 

「………女?」

 

「……違う。本当に」

 

 

私は持っていた包丁をヒキオに向ける。

 

 

「ならいいし。はい、キャベツ切り終わった」

 

「……はい」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「ふぁ~、お腹いっぱい」

 

「ん。うまかった」

 

 

食べ終わりの食卓に、バラエティ番組から流れるナレーターの声が広がる。

南国リゾートのロケのようだ。

テレビの中では青い空の下に半袖のアロハシャツを着た芸人が大はしゃぎで現地の様子を伝えていた。

 

 

「……、次の連休に…」

 

「行かんぞ」

 

「まだ何も言ってないし!!」

 

「どうせハワイ行こうとか言い出すんだろ」

 

「ぶー。バリ島だし」

 

「同じだ」

 

「あーし達付き合ってからどこも行ってないじゃん!」

 

「行ったろ。アウトレットとか、スーパーとか、コンビニとか」

 

「どこも近場過ぎだし!!」

 

 

私はテレビの電源を消し、テーブルに残してあった食器類を片付けた。

 

 

「緊急会議を始めます」

 

「……なんなんだ、急に」

 

「まず、付き合うとはどうゆことでしょう」

 

「……一緒に居ること」

 

「ふ、深いこと言うなし。正解は幸せを共有することです!」

 

「…なんか陳腐だな」

 

 

私はググールで調べたとあるページをヒキオに見せつける。

ヒキオの視線が数秒左右に移動していき画面の下までたどり着くと、呆れたように溜息をつきながら私を睨みつけた。

 

 

「……ここに行きたいってことか?」

 

「そうゆうことになるね」

 

「夏に行くもんだろ」

 

「待ちきれないからここに行くんだし」

 

「……行きたくない」

 

「そうゆうと思った。だけどあんたは断れない!!」

 

「は?」

 

 

私は勢い良く立ち上がりヒキオを見下ろす。

そして高々と宣言した。

その声はヒキオの耳を通り脳に突き刺さること間違いなしだ。

 

 

「もう水着を買っちゃったから!!」

 

 

目の前でスカートとパーカーを脱ぎ始めた私を見て、ヒキオは目を大きくして驚いた。

 

 

「……ずっと着てたのか?」

 

「うん!」

 

「……」

 

 

 

「ふふん!来週は温水プールに行くぞー!!」

 

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

一週間後

大型レジャー施設の前にあるチケット売り場で入場券を購入し、異様なまでに暖かく室温が設定されている施設内に入っていく。

 

 

「へぇ~。想像よりも広いし」

 

「……結構人居るし」

 

「こんなん海に比べたら少ない方でしょ」

 

 

集合場所だけ決めて、それぞれの更衣室に分かれて入る。

ロッカーに荷物を詰めて、駆け足気味に更衣室を出た。

 

 

「っと、早いな」

 

「中に着てきた!」

 

「またか」

 

「で?どう?」

 

 

私はホルタ―ネックのビキニで強調された胸を少し前に付きだした。

先週買った淡い紫のビキニはお淑やかに身体を包む。

初心なヒキオの慌てる顔を想像しながら買った物だ。

 

 

「ん。似合ってんじゃないか?」

 

「ふ?え?」

 

「…ん?」

 

「あ、ありがとう!?」

 

「なんだそれ」

 

「な、なんでもない!!ほら行くよ!!」

 

 

なんだか急に恥ずかしくなり、腕で出来るだけ胸を隠しながらヒキオの前を歩く。

照れさせようとしたのに、逆に照れてしまったら元も子もない。

室内の温度以上に熱くなった身体がヒキオにばれないように、そう願いながら早足でプールに向かうことが今できる精いっぱいの抵抗だ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ふわーー!!疲れたー!!」

 

「そりゃ流れるプールを逆走すりゃ疲れるだろ」

 

 

定番の流れるプールから波の出るプールまで、多くの種類を要する施設で数時間を満喫した私とヒキオは、昼食のために屋台が並ぶエリアに向かいテーブルに座る。

 

 

「焼きそば上手い?」

 

「ん。まずくはない」

 

「私のカレー超まずいし…」

 

「…、今日の夕飯はカレーにしようか」

 

「…うん!」

 

 

私は、まずいカレーをスプーンで混ぜながら、施設内にそびえたつ大きな高台を見上げた。

 

 

「ごはん食べ終わったらアレ行くし!」

 

「アレは行かない」

 

「なんでだし!」

 

「…穏やかじゃないからだ」

 

 

ヒキオは焼きそばを啜りながら高台から目を逸らした。

どうやらスライダーが嫌いらしく、午前中も高台の近くにすら寄り付こうとしなかった。

 

 

「大丈夫大丈夫。あんなん子供騙しだし」

 

「大人なら騙されるな。アレは危険だ」

 

「は?どこが?」

 

「ブレーキが効かない」

 

 

高台から延びる青いホースはクネクネと曲がりくねっており、浮き輪に乗った人達が高台のてっ辺から滑り出しては数秒後に下のプールに大きな水しぶきを出し現れる。

 

 

「な?」

 

「な?じゃねぇし。ほら食べ終わったなら行くよ」

 

「ちょっと消化中だから先行っててー」

 

「消化終了。はい行くよ」

 

「ぬぅ」

 

 

高台が近づくにつれて高さの全長が見えてくる。

後ろを歩くヒキオが言うには「リアルな高さ」らしい。

浮き輪を持って高台の階段を上ると、さほど待つこともなく順番を迎えた。

 

 

「ヒキオ後ろと前どっちがいい?」

 

「一人がいい」

 

「なんでだし。じゃああーしが前ね」

 

「ちょっと待てこの浮き輪に一緒に乗るのか?」

 

 

ヒキオは浮き輪を持ちあげて私に見せつける。

浮き輪は至って普通の丸型浮き輪。

二人で座るには少し小さいかもしれない。

 

 

「まぁくっつけば乗れるっしょ」

 

「……俺、見てるよ」

 

「今更わがまま言うな!」

 

「わがままじゃない。倫理的な判断だ」

 

「は?」

 

「これ結構小さいし」

 

「…あんた、そうゆうところ変わんないんだね」

 

 

私はあまりにごねるヒキオを浮き輪に無理やり座らせ、後ろから抱きつくように私も浮き輪に座る。

 

 

 

「ちょっ!おま!?」

 

「だ、黙れし!!……あーしも結構恥ずかしいんだから」

 

 

 

浮き輪がスライダーを走り始めると、意識せずとも密着度は増してしまう。

流れる水に逆らうことなく走る浮き輪の上で、聞こえるはずのない胸の鼓動が高鳴る。

肌と肌が重なるところから直に感じる熱と息遣い。

 

 

ヒキオの背中を抱きしめるように、右に左に揺れる浮き輪の上で、私はそろそろ次のステップに踏み出さなくちゃと決意を固めるのだった。

 

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「疲れた…。明日は筋肉痛になってるな」

 

「………」

 

「?」

 

 

夕暮れの帰り道。

長い長い影が二人の後ろをついてくる。

 

 

 

私よりも背が高い唇に届くよう、私は背伸びする。

 

 

 

届いた先に居る幸せを感じながら。

 

 

 

突然のキスに驚く彼に私は呟く。

 

 

 

 

「今夜……、抱いて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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after -4-

 

 

【変化】

 

 

プールで遊んだ疲労が歩く度に増していくようだ。

まるで今も水中に居るように身体は重い。

 

星が浮かぶ夜空とはまた違う、色気のあるピンクのネオンが辺りを照らす。

 

右も左もホテルばかりだ。

 

私は腕に掛かるヒキオの体重を引きずりながら歩き続ける。

 

 

「ま、待て!こっちは帰り道じゃない!」

 

「こっちで合ってるから!」

 

「合ってねーよ!え、えろい建物ばっかりじゃねーか!」

 

「え、エロくないから…。た、た、ただのホテルだし!?」

 

 

ただのホテルはピンクのネオンで入り口を照らされている。

ご丁寧に、建物前の看板には宿泊の値段が記されていた。

 

 

「ほ、ほら。脚も痛いしここで休むし!」

 

「ここじゃ休めないだろ!いろんな意味で!!」

 

「…あ、あーしはべつに!!…ただ、休みたいだけだし…」

 

「や、休むなら家に帰ろうぜ?な?」

 

「……」

 

 

今まで握られていた手が離れる。

 

私は何にやきもきしているのか、離された手を強く握り締めていた。

 

 

暗く

 

静かに

 

 

その場には側面からの力が加わらない限り動けないような息苦しい空気がまとわりついていた。

 

 

「……」

 

「……おい、三浦?」

 

 

なんでこんなに不安なんだろう。

 

ヒキオはこんなにも優しくて、私のことを考えてくれてる。

 

誰よりも私を好きで居てくれる。

 

……。

 

 

そうに決まってるのに…。

 

 

「……あんたは、あーしと…」

 

「……」

 

「エッチしたいと思わないの?」

 

「……」

 

 

暗闇に紛れてヒキオの顔が良く見えない。

 

ヒキオは何を考えているのだろう。

 

私に呆れてる?

 

 

「……ごめん。聞かなかったことにして」

 

「…謝んなよ」

 

「……、ほしいの」

 

「…?」

 

 

「あんたが本当に、あーしを好きで居てくれる確証がほしいの」

 

 

確証なんてあるわけがない。

 

いくら一緒に居ても。

 

手を繋いでも。

 

キスをしても。

 

 

ふとした時に、私は不安で不安でしょうがなくなる。

 

 

「……はぁ、偶におかしくなるよな。おまえって」

 

「…な、なってないし!」

 

「そんな確証……、あったら俺が欲しいくらいだ」

 

「…え?」

 

 

ヒキオが優しく頭を撫でてくれる。

柔らかくて暖かいヒキオの顔がとても綺麗で、瞼の中で光る瞳がキラキラと。

 

空に浮かぶ星なんかよりも凄く私を惹きつける。

 

 

唇と唇が触れるだけのキス。

 

 

「……俺には……、おまえしか居ないみたいだ。一緒に居たいと思えて、触れ合っていたいと思えて、好きでいたいと思えて……」

 

 

背中に回った手に引き寄せられて、私はヒキオの胸に顔が埋まる。

 

太陽の日を浴びたお布団のような匂い。

 

私の大好きな匂いだ。

 

 

「……はぁ。恥ずかしいこと言わせんな」

 

「…、もっと。好きって言って?」

 

「……言わん」

 

「へへ、好き。大好き」

 

「おまえが言うのかよ」

 

「もっと好き。不安な気持ちよりももっともっと大好き」

 

 

光がゆっくりと輝く。

 

そんなに明るくないのにそれは確かに光っていて、ときどき顔を覗かせるように私を導く。

 

 

再び繋がれた手に引かれ、私はその場を後にした。

 

 

 

「なんか安心したし!ラブホじゃなくてもヤレるんだから早く帰ろ!!」

 

「ちょっと君、黙ってなさい」

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

【酔っ払い】

 

 

冬に入ると同時に出したコタツは、1日を過ごすにはとても居心地がよく、偶に当たるヒキオの足がくすっと笑えるような幸せを感じる。

 

 

夕食を終えると、テレビを見ながらウトウトとするヒキオの顔を指で突きながら、私は大学で貰ったとある物を思い出した。

 

 

「……あ、そういえば良いもの貰ったんだった」

 

「んー……。ツンツンすんな」

 

「だったら寝るなし。風邪ひくよ」

 

「はは、そんな馬鹿な…」

 

 

そう言いながらも瞼が落ちかけている。

 

私は少しの寒さを我慢してコタツから出ると、貰ってきた紙袋を持ち、コタツに入り直した。

 

 

「うぅ、寒っ」

 

「…zzz」

 

「寝んな!!」

 

「っ!?つ、冷たっ!?」

 

 

私は冷え切った手でヒキオの頬を挟む。

ぬ、暖かいぞ?

ヒキオって身体のどこを触っても暖かいのかしら?

 

 

「は、離せ!風邪引く!」

 

「はは。そんな馬鹿な」

 

「……。ん?それ何?」

 

「大学で貰ってきた!」

 

 

コタツの上で紙袋の中から箱を取り出すと、さらにその箱の中にも緩衝材が巻かれている。

 

 

「勝駒特吟….…、誰だよ、こんな高い日本酒をくれたのは。ちゃんとお礼は言ったのか?」

 

「丸岡が持ってたから貰ってきた」

 

「ならお礼はいらないな」

 

「うん」

 

 

私は瓶を眺めながらどうやって飲むのかを考える。

 

寒いしやっぱり熱燗かな?

そう考えていると、先ほどまでコタツから出ようともしなかったヒキオがきびきびと動き、数分もしない内に徳利と二つのおちょこが用意された。

 

 

「どこでスイッチ入ったし」

 

「日本酒は好きだからな」

 

「へぇ。あーしはそんなに飲んだことないかも」

 

「だったらさっそく飲もう」

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

日本酒の瓶が半分程空いた頃、どうもこの家は傾いているらしく、私の世界は斜め右へとズレていった。

 

ぽーっとしてて気持ちいい。

 

深い味が身体に染み渡るように、おちょこに注がれた日本酒は度々無くなる。

 

 

「ふぅぁ〜。気持ち良いしぃ」

 

「……ちょっと飲み過ぎじゃないか?」

 

「美味しいんだもん。ね、もっとちょーだい」

 

「……止めとけ。明日が辛いぞ?」

 

「明日は明日でしょ!!今は!?今でしょ!?」

 

「酔っ払いかよ……」

 

 

取り上げられた瓶を奪い返そうと、私はヒキオに抱きついた。

 

抱き心地の良い身体だ。

 

パジャマが捲れて露わになったお腹を見つけて舐めてみる。

 

 

「んっ!?お、おま!?なに舐めてやがる!!」

 

「お腹……、ヒキオの味がする!!」

 

「しねぇよ!!」

 

「なら酒返せ!!」

 

「あ、……」

 

 

奪い返した瓶を抱きかかえ、私は幸せな気分でヒキオの隣に寝転がった。

 

 

「ひきおー、あんまり飲んでないの?」

 

「あ?ガブガブ飲むもんじゃねぇだろ」

 

「……飲ましてあげる」

 

「は?……っ!?」

 

 

口に含んだお酒は生暖かい。

 

それはキスと呼ぶにはとてもお行儀が悪過ぎる。

 

私はヒキオの口に無理やりお酒を流し込んだ。

 

口から口へ、私の成分を含んだ日本酒は、ヒキオの身体に吸い込まれていく。

 

 

「んーー。ぷはっ!…へへ、おいし?」

 

「っ!!お、おまえ!よ、酔い過ぎ!!」

 

「酔ってないしー。ほら、まだまだあるし……。んーー」

 

「止めっ!バカ!」

 

「ぁぅ…。….…ふぁ〜、眠くなってきた」

 

「はぁ。だったら寝ろ。もう遅いしな」

 

「うん。……ベッドまで抱っこして」

 

「……はぁ。ほら、今日だけ特別」

 

 

ヒキオに起き上がらさせられ、そのままの勢いで抱き着く。

特別なんて言いながら、最近ではほとんど毎日抱っこしてくれるんだ。

 

幸せに包まれながら、今日も1日が終わっていくのが少し寂しい。

 

 

早く明日になって。

 

 

もしくは夢の中でもヒキオと一緒に居させて。

 

 

そう考えながら、私はヒキオのパジャマから手を離さずに眠りにつくのだった。

 

 

 

 



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if-1-

 

 

 

 

師走を迎えようとする11月の下旬。

 

部屋の模様替えも兼ねた掃除の最中にそれは見つけた。

 

 

総武高校 卒業アルバム

 

 

ヒキオのことだ、卒アルなんて一度も見ずに実家の物置にでも封印しているものかと思っていたのだが。

 

過去の遺産は現代の資産。

 

よし、少し見てやろう。

 

そう思い、私は卒アルをめくるめくる進める。

 

知り合いを見つけては少しページを進める手を止め、数分もしないうちち最後のページにたどり着いてしまった。

 

 

寄書き用なのか、最後のページは何も書かれていない白紙の1枚。

 

私の卒アルには友人からの寄書きで真っ黒になっていたが、ヒキオの卒アルは違う。

 

 

数名の人物が書いたであろう寄書き。

 

 

それはあまりに少なく、彼の高校生活を象徴しているようだった。

 

 

 

”ヒッキーありがとう! これからもずっとよろしく!まじめに答えてくれたありがとう!本当に好きだよ!!”

 

 

”苦心惨憺 貴方にぴったりの言葉を送ります。これからも、宜しくお願いします”

 

結衣と雪ノ下さんが書いた物か……。

ふむ、読んではいけない気がしてきた。

 

 

”これからもよろしくね!八幡と友達になれて本当に嬉しかったよ!これからもいっぱい遊ぼうね!”

 

”結局、私の想いは届かなかったね。ヒキタニくん、実は……、ハヤ×ハチじゃなくてハチ×ハヤこそが至高だと思うの!”

 

 

戸塚に……、姫菜!?

……なんか、姫菜とヒキオって変な組み合わせだな……。

 

 

”おめでとうございます。先輩が考えてくれた送辞の言葉、けっこう好評でしたね。また来年会いましょう。必ず受かってみせます!”

 

 

……ほぅ。

あのバカ後輩、この時から付け狙っていたわけか…。

 

 

”大学生とは大人になる一歩です。あなたのように達観した少年が変わるには良きターニングポイントになるでしょう。遊びなさい、楽しみなさい、あなたの思うように過ごしなさい。奉仕部での活動はあなたの財産です。苦難困難に直面したとき必ず役に立ちます。そして、あなたは思うのです。 奉仕部に入部させてくれてありがとうございます。 と。いえ、別にリターンを求めているわけではありませんが、ただ、大学生とは合コンたるもの行うそうですね?合唱コンクールじゃありませんよ?合同婚活パーティーのことですよ?あ、別に私を誘えって言っているわけではなく、あなたの成長を見るに当たって私も参加した方が良いものかと。よろしくお願いいたします。”

 

 

……せんせぇ。

 

以外と埋まっている白紙ページを眺めながら、私は右下の隅に一言書かれた言葉を見つける。

 

 

”比企谷、俺も負けないから”

 

 

誰の言葉だろう。

 

と、少し悩むフリをしてみる。

 

筆跡でわかってしまうことが心苦しい、この字は間違いなく……。

 

 

「おい、掃除するんじゃなかったのか?」

 

「ふぅわっ!?な、なんだし!?」

 

「いやいや、こっちのセリフだから。掃除しろって言ったおまえがサボってんじゃねーよ」

 

 

背中越しに聞こえた声に心臓が跳ね上がる。

掃除機を持って立っているヒキオは、床に座って卒アルを眺めている私を見下ろしていた。

 

 

「サボりじゃないし!休憩!!」

 

「無職の常套文句みたいなことを言うな。……ん?卒アルか?」

 

「うん。懐かしいね」

 

「引っ越しのときに小町が持ってきたのか。……っと、そんなん見てないでちゃっちゃと掃除しちまおうぜ」

 

 

ヒキオは少し無理矢理に話を切り替えた。

卒アルを見たくないのか、それとも恥ずかしいのか。

 

 

「……あーしの知らないあんたが沢山」

 

「そりゃそうだろ」

 

「ねぇ、もし高校の頃に出逢ってたらさ…」

 

「一応出会ってるからね?俺、君と同じクラスだったからね?」

 

「違うし。高校の頃からあんたのことをちゃんと見てたらって意味」

 

「あぁ、そう。びっくりしたわ。居ないものだと思われてるのかと思った」

 

 

「……あーし、もう一回高校生活をやり直したいなぁ」

 

 

 

 

 

 

ーーifーー

 

 

【文化祭】

 

 

「おい!ヒキオ!!」

 

「……なんだよ」

 

「だらだらすんな!全部のクラス回るんだかんね!!」

 

「いってら。俺、部室で休んでるわ」

 

「む。…ほうほう。堂々と浮気を宣言するなんて大した男じゃん」

 

「待て。浮気?なんのことやら。部室にはバカなコと酷いコしか居ないよ?」

 

 

心地の良い喧騒の中、私とヒキオは他クラスの出し物を回っていた。

 

ダルそうに後ろを付いてくるヒキオを叱咤しながら、私は彼の手を握る。

 

 

「つーかよ。視線が痛えから手ぇ離せよ」

 

「だめ。あんた逃げるし」

 

「逃げん。だから離せ」

 

「だめ!……気にしすぎだよ。あーしの彼氏なんだからドンと胸張ってな」

 

「尾田先生に頼んでおいて」

 

 

付き合い始めて3ヶ月。

 

教室でのヒキオは付き合う前と変わることなく、休み時間には寝ているか何処かに行っているかで、私が話し掛けても大して取り合ってくれない。

 

 

以前、私と一緒に居る姿を相模に見られたことがある。

 

 

その時の相模の表情を思い出す度に怒りが込み上げてきてしまう。

 

 

あの、見下した目を。

 

 

「……なんか腹立ってきた。もう一回相模のことぶっ飛ばしてくる」

 

「止めて。お願いだから」

 

「だったらちゃんと手ぇ繋いでおけし。……あ、あと、ちゃんと明日の有志ステージは絶対に見に来い」

 

「あいよ。何度も言わんでよろしい」

 

 

そっと、強く手が握られる。

 

ヒキオの顔は呆れたように、それでも優しく。

 

廊下に響く喧騒の中でもしっかりと聞こえるヒキオの声が私にはとても特別で、誰にも渡したくない大切な宝物みたいにキラキラと輝いていた。

 

 

「おーい!せんぱーい!!」

 

「げ」

 

「ふふん。その反応もツンデレならではですね!わかります!」

 

「逞しいな。おまえ」

 

 

 

と、浸っていたの束の間。

 

うるさい声が耳を劈く。

 

うざったい後輩のお出ましに、私の機嫌は急降下した。

 

 

 

「おや?今日も三浦先輩に捕まっているんですか?」

 

「あ?てめぇ、二度とそんなこと言えないように指へし折るし」

 

「怖いっ!!ちょ、ガチじゃないですか!その目!」

 

「待て待て。ここで騒がれても迷惑だ。他でやってくれ」

 

「ここじゃなかったら指折られるんですか!?」

 

 

騒がしい後輩だ。

 

嫌い、大嫌い。

 

同族嫌悪なのは分かっている。

 

だけど、こいつのヒキオへの接し方は私の逆鱗をヤスリで擦り付けるように腹が立つ。

 

 

「はぁ、……で?何の用だ?」

 

「話しが早くて助かります!ちょっと困り事がありまして…」

 

「困り事?」

 

「ちょっとヒキオ。あんたこいつに甘くない?」

 

「え?そ、そんなことねぇだろ」

 

「へへん!妹キャラですから!」

 

「小町以外は認めん」

 

 

 

そんなやり取りをしばし傍観し、ようやくにして一色いろははその場を立ち去ろうとする。

 

どうやら、文化祭終わりに相談に乗ることでヒキオが妥協したらしい。

 

私は小悪魔な笑みを浮かべて走りさる後輩を眺めながら手を振るヒキオの脇をこつく。

 

 

「……」

 

「……なんでしょうか」

 

「全部あんたの奢りだから」

 

「….…よしわかった。MAXコーヒーで手を打とう」

 

「打たん」

 

 

その後も校内を回り続けると、何かとヒキオの知り合いに出くわした。

 

 

やれ、お姉さん怒っちゃうだの。

 

やれ、るみるみ言うなだの。

 

やれ、ポイント高いだの。

 

 

……なんなんだ、こいつの交友関係の偏りは。

しかも、小学生から大学生まで全員女とは…。

 

 

そして、またもや出会ったのは女。

 

少し意外そうに私とヒキオを眺め、それでも納得したかのようにヒキオに声を掛けてきた。

 

 

「久しぶり。覚えてる?」

 

「……、まぁな」

 

「ふふ。ありがと」

 

「なんで礼を言うんだ?」

 

「え?…んー、なんでだろうね」

 

「わけがわからん」

 

「…変わったね…。今度、同窓会やるから来てよ」

 

「変わらねぇよ。俺は。…だから同窓会にも行かない」

 

「そっか…。じゃぁ、またね」

 

「ん」

 

 

同年代の女性は少し残念そうにしてその場から立ち去った。

口振りから察するに、どうやら中学時代の同級生のようだ。

 

 

「あれ誰よ?」

 

「ちょ、浮気現場を発見した新妻みたいな言い方するなよ」

 

「ふん。……案外、元カノだったりして?」

 

「そんなわけなかろう」

 

「狼狽えてんじゃん」

 

「……。中学のときに告ってフラれた。それだけ」

 

「……あっそ。それだけならいいし」

 

 

告ってフラれた。

 

なんとなく、ヒキオにもそうゆう過去があったのかと驚いてしまった。

 

変わらない。

 

こいつは変わらないと自分で言ったが、私はそうは思わない。

 

少なくとも、今のこいつは充分に魅力的で、悔しいけどその魅力に気付いている人も少なくないから。

 

 

「……はぁ。俺みたいな奴と付き合えるのは後にも先にもおまえだけだと思うぞ」

 

「ふふ。それならこれからもずっと一緒に居られるね」

 

「……そうゆう捉え方ね。ちょっと胸キュンだわ」

 

 

そんな小さなやり取りを交わしながら、私はヒキオの手を強く握る。

 

 

混じりない本物の気持ち。

 

 

私はこいつが好き過ぎて。

 

 

周りの女が敵に見える。

 

 

だから、誰にも負けたくない。

 

 

好きと言う気持ちだけは。

 

 

誰にも負けるはずがない。

 

 

 

 

 



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if -2-

 

 

 

 

 

 

総武高校文化祭最終日は本日も晴天なり。

 

クラスで出店した喫茶店のシフト日であるヒキオは、午前中からそそくさと教室内に設けられた簡易的なキッチンスペースで働いている。

 

黒のエプロンを着けたヒキオは本物のマスターのように威風堂々と構えていた。

 

 

「よっす。お疲れ様」

 

「ん。そう思うなら代わってくれ」

 

「嫌だし。つーかそのエプロン似合ってんね」

 

「うん。俺ってそうゆう所あるから」

 

「自分で言うな」

 

 

ヒキオと同じキッチンを希望したにも関わらず、結衣と姫奈の強い要望もあり私はホールでメイドの真似事をさせられている。

 

大袈裟に着けられたフリフリ。

 

短いスカートにニーソックス。

 

……恥ずい。

 

つーか寒い。いろんな意味で。

 

 

「……」

 

「見んな。あーしも分かってるから」

 

「ぷっ。驚く程似合ってないな」

 

「……ひねり潰す」

 

「怖っ。……ほら、客来てるぞ。戻れ戻れ」

 

 

手をヒラヒラと私に向けるヒキオを弱めに蹴り飛ばし、私はホールに出向く。

 

……そ、そんなに似合ってないか?

 

 

「あ、優美子ー!手伝ってよー!!」

 

「結衣、あんたテンパり過ぎ」

 

「だ、だってお客さんがいっぱいで」

 

「いちいち相手にしてっからっしょ。んな色物見に来た客共なんて水でも飲ませとけし」

 

「ちょ、あんまり失礼なこと言っちゃだめだよ」

 

 

テーブル席はほぼ満席。

 

100円のコーヒーとクッキーのために集まった客……、ではなく、給仕する高校生メイドを目当てに来た客共が占領している。

 

 

「つーかさー、なんでメイド喫茶なん?誰の発案だし」

 

「え!?優美子が喫茶店がいいって言ったんじゃん!!」

 

「そうだし!悪い!?」

 

「えー……」

 

 

裏でサボれると思ったから….…。

 

結衣は顔を引きつらせながらも、収まらない客の流れをさばくためにホールを走り回る。

 

大変そうだな、なんて思ってたら、テーブル席に座るとある男性客がスマホを私に向けていた。

 

そいつは私と目が合うとそのスマホを隠し、何事もなかったかのようにコーヒー飲み始める。

 

 

「おい、あんた。誰が撮影していいって言ったし」

 

「え、あ、えっと……」

 

「盗撮したってんならあーしも黙ってないから」

 

「……、だ、だって!そこの人も撮ってたし!!」

 

 

その盗撮魔が慌てて指を挙げると、指の先に立っていた人物はしまった、と言う顔を浮かべながら手に持っていたスマホを仕舞う。

 

 

バツの悪そうに、彼は黙ってキッチンスペースへ消えていった。

 

 

黒のエプロンがひらりとひるがえる。

 

 

「ヒキオ!!」

 

「……。どうした?」

 

「撮ってたし!あんた写メ撮ってたし!!」

 

「ば、ばか。おまえ、俺の人相と人柄を知らないの?とても盗撮するような人間じゃないよ?」

 

「疑いようがないくらい盗撮魔だし!!」

 

「疑うことしか出来ない人間。痩せた発想だな」

 

 

普段通りを装うヒキオの顔からは滝のように汗が滴っていた。

 

 

「スマホ貸しな!!」

 

「……ふん。貸すのは構わんがロック番号は…」

 

「8.0.0.0.0っと。はいロック解除」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 

私はヒキオに背中を向けながらスマホを操作する。

 

珍しく慌てるヒキオが後ろでわーわー叫んでいるが、私は構わずに写真フォルダを開いた。

 

……。

 

 

「……あ、あんた」

 

「……」

 

 

今日撮ったであろう数枚の写真。

 

全て同一人物の被写体はどれもメイド服をひるがえし、面倒くさそうな顔で映し出されていた。

 

 

「ほー、へー、ふーん。….…ねぇ、ヒキオ、あーしの格好似合ってる?」

 

「….…」

 

「うわ、これ目ぇ半開きじゃん。消去」

 

「……」

 

「これは可愛いから残しておいてあげる」

 

「……」

 

「……なんとか言えし。ねぇ、メイド服のあーしって可愛い?」

 

「……はぁ」

 

 

写真フォルダを見終わった私はスマホをヒキオに返す。

 

意地っ張りなヒキオは腕を組みながら私に向き合う。

 

なんで偉そうなんだし。

 

 

「……まぁ、アレじゃないか?うん。….…な?」

 

「ふふ。……ちゃんと言って」

 

「……可愛いんじゃないか?」

 

「なんだしその言い方」

 

「俺の精一杯だ」

 

「なら許す。……じゃぁさ」

 

 

私はヒキオの腕を掴み顔を近づける。

 

キスをしようとしているわけじゃない。

 

こうしないと写真に2人が収まらないからだ。

 

 

「ほら、可愛いの撮れたし。後であーしにも送っておいて」

 

「……はいよ」

 

「あと、盗撮した罰」

 

「あ?」

 

 

私はヒキオの頬を唇をくっつけた。

あんまり学校ではしないけど、今日は特別。

 

盗撮した罰と

 

盗撮してくれたお礼に。

 

 

 

 

 

「優美子もヒッキーも全然手伝ってくれないよー!!」

 

 

 

 

 

【有志】

 

 

 

 

 

「あぅ〜。緊張してきたぁ」

 

「あー、優美子ー。ハロハロー」

 

 

有志ステージの舞台裏には既にギターとキーボードを持った2人が控えていた。

 

 

ケースに入れたベースを背中に担いだ私も、結衣の緊張が移ってきたのか足がすくんでしまう。

 

 

「やぁ、揃ったようだな。さて、海老名はキーボードをステージに運ぶ準備をしてきたまえ」

 

 

平塚先生の指示通り、姫奈はキーボードの搬入を文化祭実行委員に頼みながら舞台袖に向かっていった。

 

 

「てゆうか、先生ほんとにギター弾けんの?」

 

「ふむ。ブランクがあるから弱冠不安だが、この曲程度なら問題ないだろう」

 

「ふぇ〜、珍しく先生が頼もしい…」

 

「由比ヶ浜、君には色々教えねばならないな」

 

 

先生が由比ヶ浜の首根っこを掴み消えていく。

 

舞台の裏は文化祭実行委員のドタバタとする喧騒に包まれているにも関わらず、私は爪の先から底冷えするような寒さと、耳に音が響かない静けさを感じてしまう。

 

緊張しているのは当然だ。

 

私はプロでも何でもないのだから。

 

大勢を前に歌うなんて。

 

 

ましてや……。

 

 

「……はぁ。頑張れ、あーし」

 

 

小さな声は自分に言い聞かせるように。

 

 

固まった身体を驚かせたのはスマホの着信音だった。

 

LINEのメッセージ受信音に、私はスマホを確認する。

 

 

比企谷

【見に来た。頑張れよ】

 

 

明日は雪かな?

 

珍しいこともあるもんだ。

 

短い言葉には魔法に掛けられている。

 

心地の良い静かな魔法は、私を包むように自然と顔を綻ばせてくれた。

 

 

優美子

【黙って見とけし!】

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

ダァーンと、重低音を鳴らす。

 

チューニングもバッチしだ。

 

肩から掛かるベースは冷たく私を反射させている。

 

4本しかない弦は細く震え、次第に収まり音が消えた。

 

 

「あー、あー。……どーも、あーしらは文化祭限定で組んだガールズバンドです」

 

 

マイクに乗った私の声は体育館内に響き渡る。

 

不思議なことに、これだけ大勢の人の中でもあいつのことは直ぐに見つけることができた。

 

 

「……緊張してるから、少しだけお話しさせてください」

 

 

体育館には少々の笑いが溢れる。

 

 

「あーし、こんなナリだし、ぶっちゃけ性格も見たまんまだし、飽きっぽいし、……全部てきとーにやってきた」

 

 

上がる体温は止まらない。

 

火照った身体の原因はあいつのせい。

 

あいつは私が送る視線に気づいているのかな。

 

 

「でも、本当に好きな物を見つけたから……。本気でそいつの全部が欲しいから」

 

 

私はあいつの全てが、本物の全てが欲しいんだ。

 

だから、届いて。

 

私の本気と本物の繋がり。

 

 

「……。いっぱい練習したんだから、ちゃんと聴けし」

 

 

 

ビューティフル・ストーリー

 

 

 

 

………

……

.

.

 

 

 

 

先程までの喧騒が嘘だったかのように、文化祭の終わった体育館はただただ広く、暗く。

 

閉会式とともに終わった文化祭は、興奮と思い出だけを残して姿を消した。

 

あれだけ掛かった準備も、終わってしまえばゴミ箱行きだ。

 

 

高い天井と、赤い夕日が反射する床。

 

 

舞台上から眺める光景は、演奏中とは打って変わってもの寂しい。

 

 

でも、嫌いじゃない。

 

 

誰も居ない体育館は、まるで世界から一つの空間を切り取ったかのように静かに私を……、”私たち”を包み込んだ。

 

 

「……よう。クラスの連中、打ち上げに行っちまったぞ」

 

「ヒキオは行かないの?」

 

「行かん」

 

「じゃぁ、あーしも行かん」

 

 

20メートルは離れた場所からでも声が聞こえる。

 

あいつの声はどんなに小さくても私に届くんだ。

 

 

「……はぁ。……行く。顔だけ出すことにする。だからお前もちゃんと行けよ」

 

「へへ、ならそうするし」

 

「……つぅか、何やってんの?」

 

「思い出に浸ってた」

 

「らしくないな」

 

「……どうだった?あーしの歌」

 

「……ん。悪くなかったよ」

 

「そうっしょ。いっぱい練習したし」

 

「ほぅ。そんなにバンドが好きだったのか」

 

 

舞台から飛び降りると、小さな衝撃が脚に伝わりじんじんとする。

 

結構高いんだな、ここって。

 

 

「違うし、好きなのはバンドじゃなくて……、あんた」

 

「はぁ?」

 

「ヒキオに褒めてもらいたかったから頑張ったんだし!」

 

 

誰も居ない体育館で、私はゆっくりと歩いてヒキオのそばに行く。

 

ヒキオからは来てくれないから。

 

でも、必ず私を待っていてくれる。

 

 

「……そうか。綺麗な声だったし、ベースも上手だった。…これでいいか?」

 

「ふふ、照れてるの?目、反らしてる」

 

「違う違う。夕日の光が俺の目をね、……こう、…アレしてる」

 

「アレー?アレって何だし?」

 

「むー。……ほ、ほら、打ち上げ行くんだろ。さっさと行こうぜ」

 

「ぷっ。照れ隠しだ。……じゃ、行こっか」

 

 

腕に抱きつくと、ヒキオはため息を吐きながらも抵抗しないでいてくれる。

 

ふと、ヒキオが脚を止める。

 

どうしたのだろう、と思った瞬間に、暖くて柔らかい感触が唇に触れた。

 

普段なら絶対にしてくれない。

 

 

ヒキオからのキス。

 

 

あまりに突然で、何が起きたか分からなくなりそうだ。

 

 

 

 

「…ふ、…ぅぇ?」

 

 

 

「……。あ、アレだ。……夕日が眩しかったから……」

 

 

 

 

 

 

-if- END

 

 

 

 

 

………

……

.

.

 

 

 

 

「って感じな妄想してみた」

 

 

「……いいからお掃除を手伝ってもらえますかねぇ」

 

 

 

 



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私はあんたの世話を焼く。after
last -1-


 

 

 

繰り返される問答に辟易とする。

 

まるで、あなたを試していますと言わんばかりの威圧的な質問の応酬に、私は溜息を吐くばかりで気の利いた答えを返せない。

 

目の前に座る眼鏡を掛けた中年は私を見下すように赤ペンをクルクルと回す。

 

 

「……三浦さん。あなたが我が社を選んだ理由は?」

 

「あ、え、えっと、御社の企業理念と社会活動に感銘を受けました。私の思い描く理想の働きをするには御社しかないと思ったからです」

 

「……ふー。はい。わかりました。最後に何か質問等はありますか?」

 

「……ない、です」

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

 

嫌な汗で背中に吸い付くワイシャツが気持ち悪い。

 

履き慣れていないヒールのせいで脚も痛い。

 

思い通りにならない面接で心が凹む。

 

 

今日で何社目だろう。

二次面接にすら進めずに突き落とされる。

そんなことにも慣れてきた。

 

 

だからと言って、私はこれ以上何をすればいい?

 

 

ESを何度も書き直した。

 

髪色も黒く染めた。

 

面接の練習だって重ねてきた。

 

 

これ以上何を…。

 

 

 

重い足取りのまま、私はヒキオの待つ家にたどり着く。

 

玄関を開けようとノブに手を伸ばすが鍵が掛かっていた。

 

どうやらヒキオは帰ってきていないようだ。

 

 

「……」

 

 

何もかもが上手くいかない。

 

私は苛立ちを隠すこともなく乱暴に合鍵を取り出して開ける。

 

すぐさまリクルートスーツを脱ぎ捨て、ホットパンツとシャツに着替えるとソファーにダイブした。

 

 

「…なんで居ないんだし!慰めろし!!」

 

 

……。

 

虚しい。

 

手足を盛大に暴れさせてみるも、面接官の顔は忘れられないし、ヒキオも帰ってこない。

 

 

……そうだ。

 

 

今日はいっぱい甘えよう。

 

 

力いっぱい抱きついて、好きなご飯を一緒に食べて、髪を乾かしてもらって、腕枕をしてもらおう。

 

 

ヒキオの顔を思い出しながら、少しだけ気の晴れた私はスーツをハンガーに掛ける。

 

 

直ぐに帰ってくるであろうヒキオを待ちながら。

 

 

私は静かに目を閉じた。

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

……。

 

あれ、いつの間にか寝てしまっていたのか…。

 

 

目を擦りながら窓の外を見ると、そこには先程までの青空はなく、赤と黒の間くらい、……少しだけ不安にさせるような空色になっていた。

 

 

「18:30……。やば、3時間くらい寝ちゃってたし…」

 

 

って、ヒキオはまだ帰ってきていないのか?

 

遅くなると言う連絡は来ていない。

 

今日は研究室に行っているはずだが……。

 

私は不安な気持ちをぶつけるように、スマホでヒキオにメッセージを送る。

 

 

優美子

【早く帰って来い!!】

 

 

そのメッセージに既読は付かない。

 

数分経っても音沙汰なく、そのメッセージはただただ一人ぼっちでそこに居座る。

 

 

優美子

【何時くらいに帰ってくるの?】

 

 

2人ぼっち。

 

それでも既読は付かない。

 

 

 

スマホを両手で持ちながら、私は再度時計を確認する。

 

19:00

 

いつもなら夕御飯を食べている時間だ。

 

……。

 

 

そうだ、偶には作っておいてやろう。

 

きっとヒキオも疲れて帰ってくるから。

 

 

 

……。

 

 

 

広くて静かなキッチン。

 

包丁とまな板がぶつかる音と、鍋から聞こえる煮えたぎる音だけがその場に響く。

 

私って、いつからこんなに寂しがり屋になったんだろう。

 

 

……つまらん。

 

 

そして、お皿に彩られたテーブルには数種類の料理が並ぶ。

 

時計の短針はもう8を過ぎて去ってしまっている。

 

……先に食べてしまおうか。

 

 

と、思っていると、玄関先から聞きなれた足音が。

 

 

来たか!!

 

 

「……ただい、…っおぅ!?」

 

「遅いし!!」

 

 

リビングの扉が開かれると同時にヒキオに突撃をかます。

 

お腹付近を狙って飛び込むと、ヒキオは少しだけ腰を曲げながらもそれを耐えた。

 

 

「遅い遅い遅い!何やってたんだし!?」

 

「お、おまえなぁ…。研究発表会だって言ったろ」

 

「こんなに遅くまで?」

 

 

「……まぁな」

 

 

何か含みのある言い方だ。

 

ヒキオに抱きついたとき、少しだけ嫌な臭い。

 

煙臭さの中にニコチンが含まれる。

 

 

「……タバコの臭い…」

 

「ん、飲み屋居たから」

 

「ご飯、……食べちゃったの?」

 

 

ヒキオはテーブルの現状を確認し、いつものように優しく、暖かく口を開いた。

 

 

「….…飲んだだけ。飯は食ってなかったら腹が減ってたんだ」

 

 

きっと、そんな優しさも、この時の私には痛くて辛い。

 

言い表し用のないもやもやが胸に突っ掛かり、感情が口から溢れるようにこぼれ出す。

 

 

「……食べなくていい」

 

「あ?」

 

「本当は外で食べてきてるんでしょ。だから無理しなくていい。あーしも食う気失せたから」

 

 

電気は点いているはずなのに、ヒキオの顔を見ようとすると、まるで明かりが消えたように黒く霞んでしまう。

 

 

こんなことを言いたかったわけじゃない。

 

 

「……もう疲れたから帰る」

 

「おい、三浦……」

 

 

だめだ。

 

もう何も言っちゃだめだ。

 

お願いだから止まって、私。

 

 

「…きも。手ぇ離してよ」

 

「……。何があった?」

 

「何もない」

 

「嘘をつくなよ」

 

 

止めて。

 

私を壊さないで。

 

踏み止まって。

 

 

 

「…っ!何もないって言ってんでしょ!!」

 

 

 

悲しそうに、驚いたように、痛々しいくらいに、ヒキオは私の手をそっと離した。

 

守りたい。

 

でも、傷付けているのは私なんだ。

 

 

 

彼は誰よりも優しく、強いから。

 

私の中で、彼の存在はあまりに大きかったから。

 

そんな彼を、私は拒絶してしまったから。

 

 

 

離された手は空中をぶらりと落下した。

 

 

私はヒキオに背を向ける。

 

 

何も聞きたくない。

 

 

だから私は家から飛び出すように逃げ出したんだ。

 

 

 

玄関には小さな金属音が鳴り響いている。

 

決別するように、私の小指からするりとピンキーリングが抜け落ちた。

 

 

 

 

 

 

 



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last -2-

 

 

 

グラスの中で氷がカランと音を立てながら崩れ落ちた。

 

液体の浮力が無くなり自由落下した氷はグラスの中で小さな塊となって2つに別れる。

 

どうやら、気付かなぬうちにコーヒーを飲み干してしまっていたようだ。

 

どれだけガムシロップを入れても苦い。

 

やっぱりだめだな。

 

俺の身体はMAXコーヒーしか受け付けないらしい。

 

 

小さく溜息を吐きながら、いつかの日、”あいつ”に奢ってもらった喫茶店で時間を潰す。

 

あの時と違うのは……

 

 

恩着せがましいやつが目の前に居ないだけ。

 

 

それだけだ。

 

 

「……」

 

 

 

三浦が家を飛び出して3週間。

 

 

音沙汰のない俺の身の回りには、あいつと出会う前に逆戻りした空間が広がっている。

 

 

ぼっち最高。

 

 

ぼっちこそ至高。

 

 

ぼっち……。

 

 

 

なんて、少しばかり高校生の頃のように反発してみる。

 

俺は今も昔も変わらない。

 

変られない。

 

 

………。

 

 

 

喫茶店に1人の男性が入店してきた。

それと同時に、俺は腕時計を確認する。

 

 

「……遅いぞ」

 

「ははは。急に呼び出しておいてそれはないだろう」

 

「む……。ついに集合時間も守れなくなったの?あなたの存在価値は二酸化炭素以下ね」

 

「雪ノ下さんの真似かい?」

 

「お茶目だろ?」

 

「腹が立つよ。それで、急に呼び出した理由は?」

 

 

彼はコーヒーをブラックのまま飲み込んだ。

 

地獄の所業だ。

 

しかし、こいつがガムシロップを沢山入れる姿は想像出来ない。

 

 

 

「……。単刀直入に言う。俺を助けろ、葉山」

 

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

 

 

アルコールが身体に充満するような感覚。

重力が無くなり、ふわりと宙に浮いているみたいな……。

 

でも、あの時のことを思い出すと、血液を巡るアルコールは姿を消して、私は現実に引き戻される。

 

 

 

私は電源の切れかかったスマホをポケットにしまい、待ち合わせしているバーでカクテルを傾けた。

 

 

バーの扉がゆっくりと開かれ、1人の女性が現れる。

 

 

「……遅いし」

 

「あら、急に呼び出しておいてその言い草はないんじゃないかしら」

 

「む。……集合時間も守れないなんて、ついに時計の見方も忘れてしまったの?」

 

「……誰の真似をしているのか分からないのだけど、すごく腹が立つことは確かね」

 

「ふん」

 

「それで、急に呼び出した理由をそろそろ聞かせてもらえないかしら」

 

 

私は空になったカクテルを注文し直すと、彼女も同じものを注文した。

 

綺麗な黒髪が耳に掛けるように、手で髪をかきあげる。

 

 

 

「……奉仕部に依頼があるんだけど…。雪ノ下さん」

 

 

 

少しだけ驚いたように、雪ノ下雪乃は私を見つめる。

姿勢正しい彼女の驚いた顔は少し笑えてしまう。

 

そんなところが浮世離れしてると言うか。

 

結衣が構いたくなる理由も分かってしまう。

 

 

「……懐かしい名前を出すのね。…それで、依頼の内容は?」

 

「……。わかんない」

 

「は?」

 

「わかんないんだし。……どうしたらいいか」

 

「….…。類は友を呼ぶとは本当らしいわね。とても似ているわ。由比ヶ浜さんと」

 

「……」

 

「感覚と感情で動く。後先は考えない。その癖、後悔は人一倍するのだから」

 

「うっせ。で?どうすればいいの?」

 

「も、もう少し具体的に教えてもらえないかしら」

 

「え、ちょっと恥ずいから言えなんだけど」

 

「相談をする気があるのかしら……」

 

 

そう言って、雪ノ下さんは呆れながらもカクテルを傾ける。

 

その姿がどことなくヒキオに似ていて、私はこいつこそ類は友を呼ぶと言えるじゃないかと思ってしまうが、なんとなく悔しいから言わない。

 

 

「……ヒキオの優しさに甘えて、酷いことしちゃった」

 

「……そう」

 

「…悪いのは、全部あーしなのに」

 

「……なら、謝れば良いじゃない」

 

 

謝れば許してくれる。

ヒキオのことだから、なにも無かったかのように接してくれるだろう。

 

でも、万が一にも。

 

いや、億が一にも。

 

 

ヒキオに拒絶されたら、私は立ち直れなくなる。

 

 

全部を否定される、そんな想像が頭を駆け巡ってしまう。

 

 

 

「……怖い。あいつと離れ離れになるのが、……すごく怖い」

 

「……」

 

 

 

この数ヶ月の思い出が黒く塗り潰されてしまう。

私はあいつとの記憶に一生懸命 色を塗り続けてきた。

 

 

 

「比企谷くんは……、必ず助けてくれるわ」

 

「……」

 

「私も、由比ヶ浜さんも、一色さんも、川崎さんも、海老名さんも、葉山くんも、姉さんも、….…みんな彼に救われてきた」

 

「…」

 

 

鋭く睨むような視線はどこか怒っているようだ。

まるで恋敵を睨むように。

 

いや、彼女にしてみては、私は恋敵になるのか。

 

 

「あなたも必ず救われる。彼に選ばれた特別なあなたは、必ず救われるわ」

 

「そ、そんなの…」

 

「彼が信用できない?」

 

「ち、違う….…、けど」

 

 

「だったら私が貰うわ。……彼を私に頂戴。少なくとも、今のあなたよりは彼を信用してあげられるし、あなたに負けないくらい彼を愛してみせる」

 

 

 

店内に流れていたBGMが途端に鳴り止む。

まるで、静かな嵐から逃げるように、空気も音も、全てが固まった。

 

 

「……なんてね。ごめんなさい、これから用事があるから失礼するわね」

 

「あ、ちょっ……」

 

「…忘れないで頂戴。……私や由比ヶ浜さんが彼をまだ好きでいることを」

 

「っ!…」

 

 

 

「………彼を悲しませたら……、あなたの一族を全て抹殺してあげる」

 

 

 

そう言い残し、雪ノ下雪乃は店を後にする。

私は背中を見つめることしか出来なかった。

 

 

彼女の言葉は深裂で、とても慰めるような優しい言葉ではなかった。

 

 

私は相談相手を間違えてしまったのだろうか……。

 

 

彼女を本気にさせたらどれだけ怖いか、今日 初めて分かった気がする。

 

 

それでも、彼女の言葉が私を動かしたのは事実だ。

 

 

負けない。

 

 

絶対に負けれない。

 

 

 

 

そう思わせてくれただけで、彼女に、……奉仕部に相談した価値はあったのかもしれない。

 

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

 

 

バーで雪ノ下雪乃と会合をして数時間後、私は既に暗くなり始めた空を見上げながらゆっくりと歩く。

 

気づくと息は白く染まっていた。

 

冬が来たんだ。

 

寒さとは裏腹に、どこか胸の中で熱くなる感情が私の身体を縛り付ける。

 

 

会いたい。

 

 

また、優しくギュってしてもらいたい。

 

 

不貞腐れながら隣を歩いて居てもらいたい。

 

 

暖かい手で、頭を撫でてもらいたい。

 

 

 

 

「……許してくれるかな…」

 

 

 

「虫が良すぎるんじゃないかい?」

 

 

 

帰ってくる筈のない独り言が会話を始める。

 

思わず私はその声の主を睨みつけるが、まるで幽霊を見たときのように全身から力が抜けてしまう。

 

血が冷めるように、私はそいつと目を合わせる時間に比例して体温が下がっていく。

 

 

 

「…っ。…隼人」

 

 

「やぁ、久しぶりだね」

 

 

 

神様は残酷だ。

 

会いたいと願うと、会いたくない人物を私に寄越すのだから。

 

 

 

「……、久しぶり」

 

「比企谷と付き合ってたんだってね。彼から聞いたよ」

 

 

 

付き合っていた。

 

その発言の真意を問いただす時間も無く、彼は話し続ける。

 

 

 

「学生の頃から、君は表面でしか人を見ることができなかった」

 

「……何が言いたいんだし」

 

「俺が君をフった理由だよ。優美子」

 

「っ……」

 

「比企谷と付き合ってると聞いて、少しは君も人間の内面を見ることが出来るようになったと思ったけど……。どうやらあの頃と変わらなかったようだね」

 

「…あんたに何が分かるのよ」

 

「彼に依存して、甘えて、頼って…。結果、彼を傷つけた」

 

 

 

私の知らない隼人だ。

 

こんなに感情を剥き出しに話す奴ではなかった。

 

そして、隼人の言葉が確信を突いているのも事実。

 

私は何も言い返せない。

 

 

 

「優しい彼ならきっと許してくれる。だけど、そうやって作られた関係は”本物”かい?」

 

 

 

許してくれる。

 

あいつは優しいから。

 

でも、それって……。

 

 

本物なの?

 

 

 

ぐるぐると回る思考に考えが追いつかない。

 

 

 

「君には彼の側に居るべき人間じゃない」

 

 

 

そして、葉山隼人は私の前から居なくなる。

 

重い重い言葉を残して。

 

 

 

 

 

1通のメッセージがスマホに受信される。

 

 

それは終わりを告げるメッセージ。

 

 

最後のメッセージ。

 

 

 

 

比企谷

【ごめん。】

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

「はぁはぁはぁ……っ!」

 

 

 

息が切れようとも構わず、私は頼りないお頭をあてに走り回る。

 

 

一緒にご飯を食べた家。

 

課題に取り組んだ図書館。

 

甘いコーヒーを飲んだ喫茶店。

 

青く広がる空の下でピクニックをした高原。

 

 

思いつく場所へ片っ端から向かってみたものの、彼の姿どころか人の影すら見えない。

 

もう日にちが変わる。

 

LINEのメッセージは帰ってこない。

 

 

気づけば足から血が出ている。

 

それでも走り続けるのは、最後に顔を見たかったから。

 

涙は止まらないのに、私とヒキオの時間は止まってしまう。

 

 

どうしても伝えたい。

 

 

ありがとう。

 

 

好きになってくれて。

 

 

私も大好き。

 

 

って。

 

 

 

冬の空は容赦なく体力を奪い続ける。

 

もう、思い当たる場所はない。

 

 

 

……いや、一つだけある。

 

 

 

ほんの小さな可能性に縋るように、私は大通りに出てタクシーを止める。

 

 

 

「す、すみません!千葉の総武高校まで!!」

 

 

 

.

……

………

…………

……………

 

 

 

薄暗い校舎が堂々と構える。

何年振りだろう。

総武高校の裏門を抜け、講師専用の入口のドアノブを握る。

 

軽く捻ると鍵が掛かっていないことに気付いた。

 

 

廊下を走り、懐かしむ間も無く一つの教室の前にたどり着く。

 

 

奉仕部の部室は、今尚奉仕部の部員によって使われているのだろうか。

 

 

そんなことを考えながら、私はドアを開ける。

 

 

予感がしていた。

 

 

椅子に座って、文庫本を読む彼の存在を。

 

 

だからこそ、私は慌てることなくこう言える。

 

 

 

「……。こんなところで何やってんだし」

 

「ノックぐらいしろよ」

 

 

彼は文庫を机に置く。

 

月光で照らされている部室には、私とヒキオしか居ない。

 

 

「……」

 

「で?依頼は?」

 

「…は?」

 

「依頼があるから来たんじゃないのか?」

 

「……。依頼は……」

 

 

ヒキオが椅子から立ち上がると、月明かりで反射した埃が舞い上がる。

 

どうやら普段、この部室は使われていないようだ。

 

 

 

「…好きな奴に謝りたい」

 

 

「……」

 

 

「いっぱいいっぱいごめんねって伝えたい」

 

 

「……そうか」

 

 

「ヒキオ、許してくれなくていいよ。でも、ごめん。……あんたは優しいから…」

 

 

 

冷たい雫が目から零れ落ちる。

 

優しいから、私と居たらあんたが傷つく。

 

本物はきっと生まれないから。

 

私はヒキオから離れなくちゃいけない。

 

 

 

「……俺は優しくなんてない」

 

「……」

 

 

 

ゆっくりと、彼は私に近づいてくる。

 

何かをポケットから取り出すと、私の前に差し出した。

 

 

「これ、落としてたぞ」

 

 

宝石のように光るピンキーリングがヒキオの手のひらに乗せられている。

 

あの日に落とした物だ。

 

 

「でも、もう要らないよな?」

 

「っ…!!」

 

 

彼はそれを握りしめ、力強く窓の外に投げ捨てた。

 

リングは放物線を描き、綺麗な流れ星のように夜空を横切る。

 

どこかに落ちていってしまったリングは行方を消した。

 

終わったのだ。

 

これで。

 

 

 

「……お終いだ」

 

「……」

 

 

 

儚く壊れる思い出が、涙となって床に落ち続ける。

 

心って、こんなに簡単に壊れるんだ。

 

不甲斐なく泣き続ける私は床に付けられる涙のシミを見ることしかできない。

 

出会いも唐突なら、別れも唐突。

 

 

優しく、暖かい、夢のような時間は、もう取り返し効かないくらいに脆く崩れ去ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、彼は私の左手を自分の胸辺りまで持ち上げる。

 

 

 

 

そして、なぜか赤く染まった彼は私を見つめ続けた。

 

 

 

 

冷たく光る小さなリングが、気づけば左手の薬指にはめられている。

 

 

 

 

シンプルなシルバーリングは冷たくも暖かく、静かにそこに存在している。

 

 

 

 

「これから、また始めよう

 

 

ーーー結婚してください」

 

 

 

 

 

彼の言葉を理解出来ぬまま、私は薬指の指輪を凝視する。

 

 

 

「……怖かったんだ。…、三浦があの日、家を飛び出したとき。…もう戻って来ないんじゃないかと思って…」

 

 

「…っぅ」

 

 

「……厳密に言うと、関係が失われるんじゃないかと思った」

 

 

「……な、なんで…」

 

 

「だから、誰かれ構わず助けを求めた。雪ノ下や由比ヶ浜に相談して、葉山に悪役を演じてもらって、平塚先生に学校の鍵を開けてもらって……」

 

 

 

涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、ヒキオはゆっくりと私の頭を撫でてくれる。

 

 

「嫌われるんじゃないかと不安だった。ここに来てくれるのかも定かじゃなかった。……でも、信じてた」

 

 

夢のような現実が、まるで手を伸ばせばそこにあるような……。

 

 

確かに伝わるヒキオの暖かさ。

 

 

薬指にはめられたリング。

 

 

誓いの言葉。

 

 

夢だと勘違いしても仕方がない程の出来事が次から次へと湧き起こる。

 

 

 

「…き、嫌いになるわけないし!!…ずっと居たいよ…、ヒキオの側に…」

 

 

 

教室に響き渡る声。

 

 

 

「……大好きだから…」

 

 

「ん、俺もだ」

 

 

 

じんわりと伝わる実感が、寒さを吹き飛ばしてしまったのかと思うくらい身体を熱くした。

 

 

 

「……この前の研究発表会で、教授から大学専属の研究者として推薦してもらえたんだ」

 

「え!?ヒキオ働くの!?」

 

「ん。……だから、まぁ、その…」

 

「……?」

 

 

 

 

ヒキオは頬を掻きながら目を反らす。

 

いつもの癖だ。

 

 

 

 

 

 

「改めて言うが、……結婚してください。三浦優美子さん」

 

 

「ふふ。……うん、お願いします。比企谷八幡さん」

 

 

 

 

 

 

安心したのか、彼の肩から力が抜ける。

 

いつもの冷静さはどこへやら。

 

 

でも、そんな彼が愛おしい。

 

救ってくれた彼が愛おしい。

 

誰よりも近くに居る彼が愛おしい。

 

 

 

チャペルは無いが、私はヒキオに誓いのキスをする。

 

 

 

「キスするとき、いつも身体がビクってなるし」

 

「おまえも、キスした後に顔赤くするだろ」

 

「へへ、じゃぁお互い様だね」

 

「そうっすか。……じゃ、帰るぞ」

 

「おっと、帰るならあーしを背負ってもらおうか」

 

「は?」

 

「足痛い…」

 

「はぁ?……って!?血だらけじゃねぇか!?…アホなの?」

 

「もっと心配しろし!」

 

「してるよ。ほら、乗れよアホ」

 

「アホじゃないし!!」

 

「ん。……はぁ、後で葉山に謝んねぇとな」

 

「えー、謝んなくてもいいっしょ。あーし、ガチで傷つけられたし」

 

「君ねぇ……」

 

「あーしも早く就職先見つけないと」

 

「……いいんじゃないか?働かなくても」

 

 

「そんなわけにはいかないし。それに、前にも言ったでしょ」

 

 

 

「あ?」

 

 

 

 

「あーしがあんたの世話をしてやるって!!」

 

 

 

 

 

〜end〜

 

 

 

 

 




これでラストです。

だいぶ前から最終話は書き終わってたんですが、少し内容を明るくしようと思って修正してました。

本当はもっと短編で終わらせようとしてたんですが、結構評判良かったんで長々と書かせて頂きました笑


本当はいろはすか陽乃のラブコメ書きたかったのに!!笑


ありがとうございました。


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私はあんたの世話を焼く。evo
Extra -1-


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の名残を残した今日この頃。

 

まだまだコートを手放すことが出来ない寒さに包まれた玄関先で、私は新聞を取って部屋に戻る。

 

新聞を捲ると、小難しそうな政治の話や、怪我に悩まされるスポーツ選手でページを占めていた。

 

 

「……ふむ。字が多くて読めないし。コボちゃん読も」

 

 

時計の針は9時を指しているにも関わらず、あいつは自室のベッドから起き上がってくる様子を見せない。

 

まったく。

就活が終わった途端にダラけて。

 

私はあいつが寝ている部屋の扉を力強く打ち開ける。

 

 

「おらー!起きろし!お天道様が呆れてるよ!!」

 

「……んぅ」

 

 

起きない……。

 

疲れてるのかな…。

 

いや、だめだだめだ。

 

甘やかし過ぎるとこいつは調子に乗るかんね!

 

 

私はベッドの横まで近づき彼が埋もれる布団に手を掛ける。

 

手を掛けるが……。

 

 

「幸せそう……。も、もうちょっと寝かせてやるかな」

 

 

少し長い睫毛とヨダレの垂れた口が定期的に動いている。

 

寒いのか、自分の腕を精一杯に身体にくっ付けたその姿は、どこか小さな子供を彷彿とさせて可愛らしい。

 

 

「へへ、黙ってると可愛いし」

 

 

アホ毛がぴょんと伸びた髪を撫でてあげると、ヒキオは鬱陶しそうに私の手を払いのけた。

 

 

「……む」

 

 

負けじと再度撫でる。

 

しかしまた払いのけられる。

 

なんだこいつ。

 

猫か?

 

 

ふと、左手の薬指に嵌められた指輪がキラリと光った。

 

 

「……。結婚…か。比企谷優美子…、三浦八幡……。ぷっ、三浦八幡とか数字ばっかだし」

 

「……、おまえ、何言ってんの?」

 

「ほぅ!?お、起きてたの!?」

 

「今起きた。なんかうるせぇんだもん」

 

 

ぐしぐしと目を擦りながら、ヒキオは眠気まなこのままベッドから起き上がった。

 

むー。

 

寝てる隙にチューしようと思ってたのに。

 

 

「…おはよ、三浦。……なんで不満顔なの?」

 

「おはよ!ヒキオがキスしてくれないから不満なんだし!」

 

「起きて早々に難題突き付けんなよ。もう9時半か、おまえ飯食った?」

 

 

寝癖を生やしながら、ヒキオはリビングへ向かう。

 

ふわふわな髪は、毎日寝癖が四方八方に広がるのだ。

 

 

「食べてないし。でも作ってあるから一緒に食べよ?」

 

「ん。ありがと」

 

 

私はサラダやご飯を用意するためにキッチンへと向かう。

その間にヒキオは定位置に座り新聞を取ると、それを読むためにメガネを掛けた。

 

 

「今日のコボちゃんは最高だったし」

 

「……オチの意味がわからん」

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

ヒキオは目玉焼きに醤油を掛けながら、器用に黄身の部分だけを残して食べていく。

 

好きな物は後に食べると言いながら、最後にはお腹がいっぱいになって食べられないのだ。

 

最初に食べちゃえばいいのに。

 

 

「黄身頂き!」

 

「あ!俺の黄身が!おま、目玉焼きの醍醐味を軽々と……」

 

「どうせ食べないでしょ」

 

「君ねぇ……。黄身だけに」

 

「そうだ。あーし午後から出掛けるから。ヒキオはどーする?」

 

「……。あ?どこ行くの?買い物?」

 

 

ヒキオはチマチマとご飯を口に運ぶと、空になったコップに麦茶を注いだ。

 

飲みたい分だけ注ぐ派らしく、コップは半分にも満たされない。

 

 

「美容室行ってくるし」

 

「ふーん。切るのか?」

 

「ちょっとだけね。あと黒染め」

 

「……。染めんの?」

 

「まぁね。来年には社会人だし。そろそろブリーチも痛いかなって」

 

「おまえ、アパレル系だから金髪でも大丈夫って、受かったときに喜んでたろ」

 

 

じと目で私を睨むヒキオはやはり鋭く、どうやら何もかもがお見通しのようだ。

 

 

「……ウチの両親のことなら気にすんな。髪色ごときを気にする奴らじゃないしな」

 

「……。ご挨拶の時くらい、真っ当な人間にみられたいし」

 

 

ヒキオはコップを傾けると、やはりじと目のまま私を睨んだ。

 

 

「親からすりゃ、俺みたいな愚息の面倒を見てくれるってだけで涙を流すくらいに喜ぶレベル」

 

「まぁね。あんたにはあーししか居ないしね。でもさ、やっぱり社会人としてと言うか、ヒキオの体裁と言うか……。やっぱり、いろいろ考えなくちゃかなって」

 

 

少しだけ、私もヒキオのために出来ることをやろう。

 

甘えっぱなしはもう御免だし。

 

それが私の薬指にはまる誓いの結晶なんだから。

 

 

「……バカな奴」

 

 

小さく、暖かな声が私の心を擽る。

同時に、どこか照れたように顔を赤く染めるヒキオが私の頭を撫でた。

 

 

「……。俺のことを思ってくれるなら、その髪色は変えないでくれ。……その、さ。まぁ、似合ってるし。俺も、……そのままの三浦が好きなんだよ」

 

 

……そのままの私が、好き…。

 

言葉は耳よりも先に心に届く物なんだ。

 

ヒキオの時折見せるその笑顔は、私にとって心臓の鼓動を5オクターブ程は跳ね上げる危険な笑顔。

 

あんまりに私をドキドキさせるから、私はどうしようもないくらい好きになってしまう。

 

もう、緩急の差があり過ぎるって。

 

 

「そ、そっか……。あーしも、ヒキオのこと大好きだし。あ、あんたがそう言うなら、変えなくてもいいかな」

 

 

顔が熱い……っ。

 

……も、もー!

 

好き過ぎるし!

 

どうにかなっちゃいそう……。

 

 

「ん。……ご馳走様。片付けは俺がやるわ」

 

 

ヒキオは食べ終わった自分の食器と私の食器を一つにまとめてキッチンへと運ぶ。

 

なんとなく、私はその後ろをとてとてと着いて行った。

 

 

「……?どうした?」

 

「え、あ、いや。何でもないし!……、な、何でもなくはないし!?」

 

「ん?……皿なら洗っとくからくつろいどけよ」

 

「そ、そうじゃなくって!……、あの……、ちょっとキスしてよ…」

 

「……は?」

 

「チューして?」

 

「……っ。き、急にどうしたんだよ?キスならこの前したろ?」

 

 

ヒキオは照れながら洗い場に目を落とす。

 

キスよりも恥ずかしいことは沢山言っている癖に、未だにキスするときには目を背けようとするんだから。

 

 

……でも、そんなヒキオを好きになったんだ。

 

 

きゅっと、ヒキオの背中に抱きつくと、ピクッと驚いた身体が可愛らしく固まった。

 

 

「……ん」

 

「っ…い、一回だけだからな」

 

「わかったから。……ん」

 

「……ん」

 

 

すっとくっ付いた唇が直ぐに離れる。

 

一瞬過ぎる口付けに少しだけ名残惜しさを残しながら、私は離れた唇を指で撫でた。

 

官能的なキスが欲しかったわけじゃない。

 

今は少しでも近くで、誰よりも幸せに、ヒキオの側に寄り添いたかっただけ。

 

 

「……へへ。もう一回して?」

 

「一回だけっつったろ…」

 

「あーし、回数って概念に縛られてないかんね」

 

「そうか。残念だが俺はがんじがらめだ」

 

「ならあーしからすればいい?」

 

「〜〜っ!……あ、後でな」

 

「今!んーーー!」

 

「んーー!?……っぷはぁ、な、何なんだよ……」

 

「幸せ?」

 

「は?」

 

 

幸せなんて曖昧で不確かな物に振り回されるのは子供の頃までで十分だ。

 

今は幸せを感じることが出来る。

 

感じるだけじゃない。こうやって触れ合って、形を確かめることだって出来るんだ。

 

 

「あーしは超幸せだし!へへ、だからおすそ分け」

 

「……そんなアクロバティックな幸せのおすそ分けは初めてだわ」

 

「逆に初めてじゃなかったらぶっ飛ばしてるけどね!?」

 

「横暴も極めると清々しいな」

 

 

頬を赤く染めたまま、お皿を洗い終えたヒキオは手をタオルで拭いてリビングに戻る。

 

自らのスマホを確認すると、何かを考えるように暫くカレンダーを見つめた。

 

 

「……俺も午後から少し出掛けるわ」

 

「ん?図書館?」

 

「……そんなとこ」

 

「ん?……あ!もう予約した時間だし。もうあーしは行くよ!?」

 

「おう。気を付けてな」

 

 

どこか空を泳ぐように目を逸らしたヒキオの視線に違和感を感じながらも、私は忙しなく家を出る。

 

 

 

このちょっとした違和感が、これから巻き起こるトラブルの根幹になろうとは……

 

 

 

今の私には分かりようがなかった。

 



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Extra -2-

 

 

 

 

 

 

美容室を出ると、冷たい風が身体の芯を凍らせるのと同時にトリートメントの香りが、金色に光る整った髪の毛から漂った。

 

んへへ。

 

帰ったらヒキオに頭を撫でてもらおうかな……。

 

あ、そういえば出掛けるとか言ってたっけ。

 

 

「……暇だし」

 

 

図書館に行くとか言ってたかな?

 

ふと、私はスマホを鞄から取り出し、とあるアプリを開いた。

 

 

「えーっと、ヒキオの居場所は……」

 

 

画面に表示された地図上に、私の位置を示すピンと、ハートのピンで表示されるヒキオの位置。

 

内緒だが、知人に頼んでヒキオのスマホに少し細工をさせてもらったのだ。

 

 

「ん?……この位置って」

 

 

ヒキオの居場所を知らせるピンは、駅近くのアミューズメント施設を示している。

 

前に私が行きたいと言った時に渋い顔をした場所だ。

 

 

「……。解せぬ」

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

✳︎ 花香る、一色いろはの恋心 ✳︎

 

 

 

 

待ち合わせ時間にはまだ早い11:30。

 

先ほどから何度見たか分からない腕時計の長針は、やはり世界と同じ時を進んでいるようで、長い針が早く動くことも、短い針が瞬間移動することもない。

 

ここ数日の私はと言うものの、講義中や飲み会中ですら、どこか上の空でぼーっとしてしまう。

 

 

それもこれも、全部……。

 

 

偶然に出会った葉山先輩から聞いた話のせい。

 

 

先輩が、三浦先輩とお付き合いをしているだなんて言うんだもん。

 

 

はは、そんな馬鹿な話がありますかっての……。

 

あの先輩が三浦先輩と?

 

ないないないないないないないない!!

 

 

……ない。

 

 

 

”あーしも、ヒキオのことが好き…”

 

 

 

ふと思い出すのは、三浦先輩の恥じらう顔。

 

女の子らしく顔を赤らめ、経験豊富そうな身形とは裏腹に、純粋な乙女。

 

 

 

……ずるい。

 

 

 

ずるいです。

 

ずるすぎます。

 

 

先輩に憧れて、猛勉強の末に合格した一緒の大学。

 

在学中に何度も先輩にかまってもらって。

 

偶に夜も飲みに連れて行ってもらって。

 

 

……こんなに好きなのに。

 

 

先輩はいつも私をはぐらかすから。

 

 

「……最近2人には会ってないから安心してたのに……。思わぬ伏兵だったなぁ」

 

 

駅前の集合場所で呟いた私の独り言は、誰に届くこともなく、虚しさと寂しさを纏わせ落ちていく。

 

 

「あれぇ、独り言?あ、ごめんねぇ、急に声掛けちゃってさ!なんか寂しそうにしてたから、ついね」

 

 

……言葉が落ちる寸前に、茶髪とピアスで武装した部族がファインプレーさながらにキャッチした。

 

キャッチアンドリリース。

 

はぁ……。

 

うざいです。

 

戸部と名付けましょう。

 

 

「……」

 

「てゆうか!君1人?俺もさぁ、ダチと逸れちゃって……。なんなら一緒にお茶しない?」

 

 

ダチ……か。

 

そういえば、私の待ち人はぼっちのスペシャリストだったっけ。

 

そんなことばっかり言ってるくせに、なんだかんだ周りには暖かい人に囲まれてるんだら。

 

とんだ詐欺師です。

 

 

「……待ち合わせしてんの。邪魔だから消えて」

 

「ちょっとちょっとー!待ち合わせって誰としてんの?こっちも人数合わせるよ?」

 

 

誰が女友達との待ち合わせだと?

 

そんなに私は寂しい女に見えるのか?

 

まったく、この男は許せませんね。

 

 

と、私がその男を睨みつけようと思ったとき、そいつの背中越しにぴょんぴょんと跳ねるアホ毛が踊っていた。

 

アホ毛はこちらに気が付いているくせに、ベンチにしっかりと腰掛け黙認している。

 

右手には黄色と黒のストライプが特徴的な甘いコーヒー。

 

 

「……」

 

「ん?どしたの?」

 

「ちょっと待ってて」

 

 

私は憎たらしく缶コーヒーを傾けるアホ毛に歩み寄る。

 

クロのボトムスに白いシャツを羽織るその姿はまるで高校生の頃に着ていた制服のようだ。

 

 

「…こんにわ、先輩」

 

「ん。もう用は済んだのか?」

 

「用?用って言うのはあの見ず知らずの男にナンパされている事ですか?」

 

「友達じゃなかったのか」

 

「ええ。私、ナンパされているんです」

 

「そうか」

 

「それもこれも、先輩が私を待たせるからですよね?」

 

「まだ集合時間の5分前だからね?」

 

「私が到着した瞬間が集合時間です」

 

「……それは知らなかった。遅れて悪かったな」

 

 

先輩は苦笑い気味に私へ謝るものの、その重たそうな腰をベンチから上げる素振りを見せない。

 

 

「はぁ……。まったく、やれやれです。やれやれ過ぎて呆れてしまいそうです」

 

「やれやれ過ぎてって……」

 

「さて、あそこに居るナンパ野郎をどう撃退しましょう。先輩の腕の見せ所ですね」

 

「いやいや、厄介ごとを俺に押し付けんなよ……」

 

 

先輩が生暖かい目でナンパ野郎に目を向けると、野郎は少し威圧するようにこちらを睨んできた。

 

 

「ほらね?睨まれちゃったよ。防御力下がったわ。もうHP0だから」

 

「出来ないって決めつけるのはダメです!出来ないなら出来るように努力する!それでもまた出来ないようなことが起きる!それをまた出来るように努力する!それを繰り返すことってつまり……、伸びしろですねぇ!?」

 

「……はぁ。わかったよ。わかったから少し離れろ。ツバめっちゃ飛んでんだよ」

 

 

先輩はポケットから取り出したハンカチで顔を拭きつつ、ベンチからようやくその重たい腰を上げる。

 

ゆらりとナンパ野郎に向かって歩き出すと、こそこそと身振り手振りで話し始めると、数秒もしないうちにナンパ野郎を追い払い、その場から戻ってきた。

 

 

「ふふ。やれば出来るじゃないですか。なんて言ったんです?俺の女に手を出すなって言ったんでしょ?」

 

「……これから妹と墓参りなんで、すんません。って言ったんだよ」

 

「もぅ、変な所で頭が回るんですから。お兄ちゃん、いろはポイント低いですよ?」

 

 

私は指を口元に当てて腰を少し捻る。

 

へへ、これぞ可愛いさとグラマーさを兼ね揃えたポーズなのだ!

 

サークルの先輩も合コン相手も、このポーズを見せてイチコロなんですから!

 

 

「小町の方が5倍かわいいな」

 

「5倍!?」

 

「ほら、もう行こうぜ。おまえが行きたいって言ったんだろ」

 

「ぬ、ぬぬぬ。……あ……、ふふ。そうですね!行きましょうお兄ちゃん!!」

 

 

私はスタスタと歩き出そうとした先輩の腕にしがみつく。

 

 

「……何をやっているのかな?」

 

「だって私は妹ですし」

 

「いや違うよね?」

 

 

密着した先輩の身体から、冬には似つかわしくない、甘く暖かいお花の香りが漂った。

 

それに誘き寄せられる蝶のごとく、私は先輩の腕にしっかりとしがみつく。

 

無理に私を引き剥がそうとしないあたり、先輩はやっぱり優しいなぁ。

 

 

その優しさに惹かれて、私は先輩を好きになった。

 

 

憧れや尊敬に近かった感情も、先輩が高校を卒業する頃には好意に昇華してたのは良い思い出。

 

 

卒業式で涙を流す先輩も。

 

 

大学の入学式で再会した時の先輩も。

 

 

優しく頭を撫でてくれた先輩も。

 

 

私にとって、唯一の本物。

 

 

だから……。

 

 

今だけは、私に先輩を貸してください。

 

 

 

 

 

 

 





少しだけいろはすのお話を書かせてください!!

いろはすへの未練が断ち切れないんだよぉ…。


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Extra -3-

 

 

 

 

 

 

 

「そいっ!!」

 

 

ぶん!と、音を切りながら振り抜かれたバットは、白球の遥か下を通過した。

 

背後のネットに当たった球は、ティンティンと跳ねながら私の足元へと転がる。

 

 

「むむむ。当たりません!!」

 

「……うん。当たってないな」

 

「アウトローいっぱいに投げられたら手も足も出ませんよー」

 

「……」

 

「意表を突いたフォークがまるで私の打ち気を逸らすかのようです」

 

「……全部真ん中のスローボールだけどね」

 

 

機械音を鳴らしながら球を投げ出していたピッチングマシーンが動きを止めた。

 

私はヘルメットとバットを棚に戻し、安全策の裏に隠れていた先輩の元へ戻る。

 

 

「はい、次は先輩ですよ?」

 

「え?俺もやるの?」

 

「逆にやらない理由がありますか?」

 

「やる理由もないだろ……。はぁ、危ないからネットの裏に居ろよ」

 

 

嫌々そうな顔をしつつも、先輩はしっかりと腕の袖をめくり上げてヘルメットを被った。

 

む、左打席……だと?

 

 

「……勘違いするなよ一色。俺は状況に応じて左右の打席を変える」

 

「す、スイッチヒッター……!」

 

「おまえはグリップの位置が高いんだ。だからバットをコントロールし切れない」

 

 

短く持ったバットが鈍く光る。

 

 

まるで俺のスイングをしっかり見ていろと言わんばかりに。

 

 

先輩がクイっとバットを肩に乗せると、機械は鈍い音を立てながら球を投げ出した。

 

 

ひゅん!!

 

 

「へゃ!!」

 

 

ぶん!!

 

 

「……」

 

「……」

 

 

空を切るバットが虚しく私と先輩を映し出す。

 

 

「……ふぅー。チェンジアップかよ……」

 

 

「せ、先輩……」

 

 

「ん…」

 

 

「……ど真ん中のスローボールです」

 

 

「あらら」

 

 

 

.

……

…………

………………

 

 

 

「で?どうして急にこんな所へ連れ出されたの?俺は」

 

「偶にはいいじゃないですかぁ。可愛い後輩と遊べるんですよ?」

 

 

バッティングセンターを後にした私達は、昼食も兼ねて喫茶店に入っていた。

 

もう腰は上げんとばかりに深く座っている先輩の前には、ホットコーヒーと3つのお砂糖が置かれている。

 

 

「あれ?先輩、お砂糖は3つだけでいいんですか?」

 

「あ?あー、まぁな」

 

「へー。3つでも多いですけどねー」

 

 

コーヒーカップを丁寧に傾けながらゆらりと飲む姿はどこか大人びえて見えてしまう。

 

一つしか違わないはずの年齢がまるで大きな大きな壁のように、近くに居るはずの先輩を遠くに感じさせた。

 

 

ふわりと香るのはコーヒーの芳ばしい臭いではなく、お花のように甘く暖かい香り。

 

それが先輩から香る物だと気がつくのに確認はいらなかった。

 

 

……柔軟剤、変えたのかなぁ…。

 

 

って、これじゃぁただのストーカーじゃない!

 

 

ぶんぶんと危ない思想を捨てるように頭を振っていると、先輩は不思議そうな顔をして私を見ていた。

 

 

「…ど、どうした?」

 

「え?あ、あははー、邪気を振り払っていまして」

 

 

疑わし気に眉を吊り上げながら、先輩はそれでもコーヒーを傾け続ける。

 

口に含んだコーヒーが、喉を通るとカップは受け皿に戻された。

 

 

……結構長い間飲んでたのに全然減ってないじゃん。

 

 

「……もう1つ、いや2つ…、砂糖を入れようと思う」

 

「あ、やっぱり苦いんですね…。はい、私のあげますよ。私はブラック派なんで」

 

「わかった。貰っておこう」

 

「貰っておこうって……。ふふ、変わりませんね、先輩は」

 

 

お砂糖が足されたコーヒーをスプーンでクルクルと混ぜると、渦を巻いたコーヒーはゆっくりとお砂糖を溶かしていく。

 

 

「そうか?」

 

「そうですよ」

 

 

居心地の良さも、その優しさも。

 

昔から変わらない先輩の魅力に、私は年齢を数個重ねても魅了され続けてしまう。

 

 

好きであり続けてしまう。

 

 

「……ん。混んできたし、そろそろ出るか。…で?次はどこに行くんだ?」

 

「ふふ、ここで『帰るか』と言わなくなったのは成長ですね」

 

「……アホか」

 

「さて、行きますか」

 

 

ガタっ、と椅子から立ち上がると、ベタにも脚をテーブルに引っ掛けて倒れそうになる。

 

 

あ!これは先輩が抱きかかえて助けてくれるパターンだ!!

 

 

と、思うこと0.1秒。

 

 

無情にも私の身体は重力に逆らうことなく床へと落ちていった。

 

 

ガタン!!

 

 

「……痛た。……先輩、ここは倒れる前に私の身体を抱き支えてくれなきゃだめじゃないですか」

 

「……いやだって、コーヒーカップで両手が塞がってるし」

 

「私の身体を合法的に触れられたって言うのに……、勿体無い」

 

「分かったから起きろよ。周りの人に見られてるぞ」

 

「あーあ、セカンドチャンスも逃しましたね。そこは一言『大丈夫か?』って言って手を差し伸べてくれなきゃじゃないですか?」

 

「……大丈夫か?頭を打ったのか?」

 

「安心してください。打ってませんよ?」

 

「…うん、なら早く立ち上がれ」

 

「まったく。……よいせっと」

 

 

私はその場から立ち上がり、ポンポンと埃を払う。

 

 

「成長しても先輩は先輩ですね」

 

「……そらそうだろうよ」

 

「ほら、行きますよ?はぁ、時間は有限なんですからね?」

 

「……。」

 

 

 

 

.

……

………

……………

 

 

 

 

 

喫茶店から出ると、日はまだ落ちてはいないが少し切ない赤色夕日となって道路を照らしていた。

 

 

冬は1日が短くて嫌い。

 

 

「もうすぐ卒業ですね」

 

「ん、まぁな」

 

「就職、決まって良かったです」

 

「嫌なこと思い出させんなよ。はぁ、来月から社畜の仲間入りか」

 

「あははー。社会人になるんだから少しはコミュ力を身に付けないとですね」

 

「むー。それが悩みの種な訳だ」

 

「ふふ。…それで、卒業後は……」

 

 

 

卒業後はどうするんですか?

 

 

その言葉は喉の奥に引っかかり、寸前で踏みとどまった。

 

 

聞いてしまったら……。

 

 

私にとって良くない答えが返ってくる気がしたから。

 

 

日が沈みかけた街は寒さが増したようだ。

 

まだまだ先輩と回りたかった場所が沢山あったのに、どうして私の邪魔をするように夕日は沈んでいくんだろう。

 

 

隣を歩く先輩は、寒そうに手をポケットに入れながらマフラーに顔を埋めている。

 

喋ると憎たらしいくせに、そんな姿は少し可愛いいんだから。

 

 

「んで?どこ向かってんの?」

 

「……どこ行きましょうか」

 

「は?行きたいところがあったんじゃねぇのかよ?」

 

「ありましたよー?でも、もう日が暮れそうなので予定を変更しなくちゃです……」

 

 

もっといっぱい、先輩と色んな所へ行きたかったなぁ……、なんて。

 

カレンダーには30日もの予定を書き入れることができるのに、その予定のうちに先輩と一緒にいれる時間は限られてしまう。

 

 

どこかもどかしく、切ない気持ちが私の顔を歪ませた。

 

 

我慢しないと涙が溢れそうになる。

 

 

きっと本心では気が付いているんだ。

 

 

先輩はもう、三浦先輩と……。

 

 

 

「……っ。さ、寒いですねぇ…!やっぱりもう帰りましょう!」

 

 

気持ちを理性で包み隠す。

 

笑顔は得意だ。

 

このまま、先輩と居たら…、私は自分を隠しきれなくなってしまうから。

 

また惨めな思いをしてしまうから。

 

 

そうなるくらいなら。

 

 

私は先輩の前から消えてしまおう。

 

 

「……?」

 

「わ、私、ちょっと用事がありますので先に帰っててください。それじゃぁさよならです!」

 

「お、おい…」

 

「……。さよならです」

 

 

衝動に駆られるままに、私はそこから走り出そうした。

 

甘く切ない香りが私の胸を縛り付ける。

 

突然に走り出そうとした私の腕は、少し強い力に引っ張られた。

それが先輩によるものだと、確認するまでもなく分かる。

 

暖かな先輩の手に掴まれた私の腕は、振り払うでもなく力が抜けていくみたい。

 

 

 

すると、涙腺が壊れたように、私の頬を一粒の涙が滴った。

 

 

 

「……」

 

「あ、あの、これは……っ!」

 

 

涙を隠そうと手で目を覆ってみせる。

 

だめだ、先輩の前で泣いちゃ。

 

 

また、先輩を心配させてしまう。

 

 

「……一色」

 

 

ふわりと、冷たい風が一瞬にして音を消す。

 

 

突然に、少し背伸びをすればキスができるくらいに先輩が近づいた。

 

真っ赤に頬を染める私とは対照的に、表情一つ変えない先輩は私の首元に自らのマフラーを巻きつける。

 

 

「……貸してやる」

 

「そ、そんな……、悪いですよ…」

 

「ん……。行きたいところ、ないんだろ?だったら少し付き合えよ」

 

「……え」

 

 

巻かれたマフラーは私の口元を隠す。

 

 

丁寧な手つきでマフラーを巻き終えた先輩の手は、そのまま私の頭に乗せられた。

 

 

 

 

「良いもの見せてやる」

 

 

 

 



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Extra -4-

 

 

 

 

 

 

 

火照る顔と赤く染まる頬を精一杯に隠しながら、私は先輩に手を引かれるままに夜空の下を歩く。

 

気付かなぬうちに身を隠した夕日は、静けさと寒さだけをそこに残した。

 

 

……。

 

 

引かれた手から伝わる先輩の体温で、私の心は溶けてなくなっちゃったみたい。

 

 

大好きな人はいつも私の隣に居てくれる。

 

 

それだけで、空っぽになって大きな穴となった心の抜け殻は、たくさんの幸せでいっぱいになるんだ。

 

 

 

.

.

.

.

.

.

.

.

.

 

 

 

「……あ、あの、ここって…」

 

「…ほら、入るぞ」

 

 

沿線が複雑に絡み合う都内の一角に、お星様にも届きそうな程に高いビル群が覗く。

 

その中でも一際目立つのは、今私たちが目の前にしているこの高層ビルだろうか、群の中でもその高さは他の屋上を見下ろせる程だ。

 

 

「入るって…。ば、場違いじゃないですか?」

 

「そんなことねぇよ。中階までは商業施設で一般公開もされてるしな」

 

 

手の甲に感じる暖かな感触が少し強くなる。

 

私は借りたマフラーに顔を埋めながら、その優しさに導かれるままにビルへと入った。

 

 

大きなエントランスに迎えられながら、建物の中とは思えない程に高い天井に目を向ける。

 

四方に光を放つシャンデリアとそれを反射するフロアは、まるでお姫様のために用意されたお城みたい。

 

 

「…ふわぁ」

 

「はは、アホ面になってんぞ?」

 

「む、むぅ。だって。とっても綺麗なんですもん」

 

「ん。綺麗だよな」

 

 

優しく微笑む先輩は、一言ポツリと囁きながら私の手を強く握り直した。

 

 

「……あ、ありがとうございます。とっても綺麗で素敵です」

 

「そっか。それじゃ、行こうぜ」

 

「え?ま、まだどこかに行くんですか?」

 

「ん、上」

 

 

先輩の人差し指は、随分と空高くから私たちを見下ろすシャンデリアよりももっと上を指している。

 

 

上は商業施設だと言っていたけど……。

 

 

先輩は私の手を引いたまま、エントランスから見えるエレベーターホールに歩き、上へ向かうためにそのボタンを押した。

 

幾秒も待たずに、空へと続く機械的な箱は私たちを迎え入れるように扉を開ける。

 

 

「…?」

 

 

エレベーター内に足を踏み入れると、不思議な事に階数を表示するボタンには数字が一つも書かれていない。

 

少し無機質なボタンが数個あるのみで、内装も簡易的だった。

 

 

「……関係者専用のエレベーターなんだよ」

 

「そ、そうなんですか…。勝手に乗っちゃって良いんですかね?」

 

「勝手じゃないから大丈夫だ」

 

 

と、言いながら、先輩は自らの携帯を私に向ける。

 

 

比企谷

【登らせてもらいます】

 

雪ノ下(母)

【管理人には伝えておきます(._.)】

 

比企谷

【ありがとうございます】

 

雪ノ下(母)

【(・ω・)ノ】

 

 

 

雪ノ下……(母)?

なんか淡白な内容なのにシュールな顔文字がちゃっかり溶け込んでるけど…。

 

疑惑は解けぬまま、エレベーターは小粋な電子音と同時にゆっくりと止まる。

 

どうやら目的の階に着いたようだが、先輩が押したボタンにも例のごとく階数は書いていない。

 

結構長いこと動いてたけど、ここは何階なのだろう。

 

 

 

……。

 

 

 

ふと、冷たい風が頬をかすめる。

 

開いた扉から吹き込む冷風に目を細めつつ、そこが星空に照らされた屋上だと気づくのに確認はいらなかった。

 

 

ゆっくりと導かれるままに、私は冷たい気温とは真逆な先輩の体温だけを頼りに歩く。

 

 

目の前に散らばるダイヤの数々が、空から降り注ぐ煌びやかなイルミネーションが。

 

 

すべてが幻想のように、夢のように、私の前に現れた。

 

 

 

「っ!」

 

 

 

200mは下らない高さから望む絶景に、思わず息をすることさえ忘れてしまう。

 

 

 

「……ゆ、夢…?それとも錯覚ですか!?!?」

 

「いつから錯覚していたんだ?」

 

「先輩!これは現実ですか!?」

 

「現実に決まってんだろ。ほれ、人が蟻のようだ」

 

「高過ぎて人の影すら見えませんよ!高い!綺麗!寒い!」

 

「ん、高いな。やっぱり」

 

「……素敵…」

 

 

誰もいない屋上から眺める光景が目に焼きつく。

 

白い息はゆらりと夜空に溶けていき、星に掛かるうっすらとした雲へと変わっていくのだろう。

 

心に掛かるモヤでさえ、今の私にはきっと素敵なアクセントと変わる。

 

 

 

優しく、切なく。

 

 

 

 

「……一色」

 

「はい…」

 

「知ってるとは思うが…」

 

「先輩!」

 

「っ!」

 

 

冷たい風にさらわれるように、私の声は静かに響き渡る。

 

 

「三浦先輩と……、どうか幸せになってください」

 

 

「……」

 

 

繋がれた手を、私は自らの意思でゆっくりと離した。

 

 

「いつも助けてくれてありがとうございました」

 

「…ん」

 

「幸せを与えてくれてありがとうございました」

 

「あぁ」

 

「好きで居させてくれて…、ありがとう、…ございましたっ」

 

「……」

 

 

幸せの涙が零れ落ちる。

 

光輝く街並みは、それさえもすくって星空に変えてくれることだろう。

 

一つ、また一つと、私の幸せは星へと変わる。

 

 

好きになった人が先輩で……。

 

 

私を見てくれる人が先輩で。

 

 

本物を与えてくれた人が先輩で。

 

 

 

 

私は幸せでした。

 

 

 

 

「沢山……、ありがとうございました…。…っ。」

 

 

 

 

「おう。……先輩冥利に尽きる言葉だ」

 

 

「……っ。…はい!後輩として、これからもよろしくお願いしますね!」

 

 

 

選ばれる人は1人でも、救われる人は1人じゃない。

 

きっと、先輩に関わった人は全員救われてしまうから。

 

他人のためにしか頑張れない人は、今日もまた1人、その手で救ってみせた。

 

それでも、いつまでも手の掛かる後輩だった私を救うのに、少し先輩の手を焼かせてしまったようだ。

 

 

「…へ、へへ。もう平気です」

 

「そっか。それじゃぁ帰ろうぜ」

 

 

先輩は自らの袖で私の涙を拭いてくれる。

 

 

甘い香りを漂わせ。

 

 

ふわりと私の頭を1度撫でると、小さく笑いながら星に囁く。

 

 

 

 

 

「ありがと。好きになってくれて」

 

 

 

 

 

.

……

………

……………

 

 

 

 

 

「って事があったんですよー!」

 

「お、おい…」

 

「ほう、いい度胸だし。もういっぺん空高くに登らせてやる」

 

「あれー?ヤキモチですかぁ?」

 

「……ブチ飛ばす。……つーか、周辺に張ってても見当たらないと思ったら、屋上に居たのかよ。GPSも高度はアテになんないし」

 

「ん?GPSってなんだ?」

 

「おっと…、失言だった」

 

 

 

「「……」」

 

 

 

 

 

✳︎ 花香る、一色いろはの恋心 ✳︎

 

 

ーーーーーーendー



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Devil -1-


三浦と花火大会に行く前からの話。

陽乃めいん。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そう。彼は大学の研究所に進むのね。面白い人材だったのに残念だわ」

 

「へぇ、お母さんがそこまで言うなんて珍しいねー。そんなに彼を気に入ってたんだ」

 

 

浴衣が似合う40過ぎの母と対面する私は、一杯1000円もの紅茶を飲みながら庭園を眺めた。

 

背筋の伸びた姿勢や言動の上品さ、しなやかに動く指使いまで、どこか洗練された美術品かの如く雰囲気を醸し出す。

 

 

こうやって母娘で紅茶の席を設けるのは雪ノ下家にとって珍しくもないのだが、やっぱりそこに、雪乃ちゃんの姿はない。

 

 

確執を決定付けたのは恐らくあの時だろう。

 

 

 

………

……

.

.

 

 

 

 

それは高校卒業時。

 

1度だけ本家に顔を出した雪乃ちゃんは、母の何気ない言葉に声を荒げて反感した。

 

 

 

『雪乃、卒業おめでとう』

 

『……ありがとう、ございます』

 

『突然なのだけど、雪乃に会って欲しい人が居るの』

 

『っ!?……やめてちょうだい。そういう事は大学を卒業してからと決めた筈よ』

 

『ええ。でも、会うだけならその約束の範疇ではないわ』

 

『あなたは……っ。帰るわ』

 

『雪乃、あなたはまだ逃げ続けるの?ましてや、御学友に助けを求めるつもりじゃないでしょうね?』

 

『……っ』

 

 

雪乃ちゃんはあからさまに狼狽えていた。

きっと、母の言葉に2人の顔を思い浮かべたからだろう。

 

 

激情、とまではいかずとも、少なからず母も感情的になっていた。

 

 

『彼らに助けを求めても無駄よ。貴方の為に言っているの。

 

彼らは貴女の…

 

 

足枷にしかならない』

 

 

役立たずだと言い切った母の言葉に私も苛立ちを感じてしまう。

 

 

そこからは、私でも手に負えないほどに雪乃ちゃんが声を荒げた。

 

目に涙を浮かべながら、始めて聞いたであろう程の大声で。

 

 

それには流石に動揺した母も、家から出て行ってしまう雪乃ちゃんに声を掛けることも出来ず、私は仕方なしに後を追いかける。

 

 

『ゆ、雪乃ちゃん待ってってば。お母さんもさ、雪乃ちゃんの為を思って言ってるんだよ。分かってあげて?』

 

 

優しく、私は雪乃ちゃんの手を掴む。

 

それを拒絶するように、雪乃ちゃんは私に目も合わさずに口を開いた。

 

 

 

『姉さんが……、羨ましいわ」

 

 

『…え?』

 

 

『……大切な人に出会えなかった、姉さんが羨ましい』

 

 

 

 

私はその言葉に身体から力が抜け落ちる。

雪乃ちゃんの腕を掴んでいた手も、緩やかにそれを離す。

 

 

大切な人。

 

 

私は思い出せる限りの記憶を遡るも、大切な人と呼べる人の顔は出てこない。

 

 

あぁ、そっか。

 

 

本当のぼっちは……

 

 

 

私か。

 

 

 

.

……

…………

 

 

 

 

✳︎ 陽気な心は転機を迎え ✳︎

 

 

 

それは1通のLINEから始まった。

 

私の中で止まっていた時間を動かすように、そのLINEは唐突に私の心に報せを送る。

 

驚きはしたものの、そこに特別な感情はない。

 

 

LINEの送り主は私にとって妹の友達。

 

 

ただの知り合いに過ぎない関係なのだから。

 

 

 

比企谷

【今度の花火大会、雪ノ下さんのお家はスポンサーをやっていましたよね?】

 

 

 

……。

 

数年振りに送られてきたLINEにも関わらず、お久しぶですの一言も添えないとは。

 

やはり彼は彼のままだな。

 

 

陽乃

【久しぶりだね!やってるよー^ ^ それがどうかした!?】

 

 

比企谷

【関係者閲覧席の券を譲ってください】

 

 

ほう!?

なんとも図々しい子なのかしら!

 

まったく、何かを得るになそれなりの対価が必要なのよ!!

その事を教えてやらなくちゃだめみたいだね!

 

 

陽乃

【う〜ん。ただで譲るとは言えないなぁ……。^_−☆】

 

 

ふふ。

根掘り葉掘り聞いちゃうもんね。

 

雪乃ちゃんと行くのかしら、それともガハマちゃん?

 

雪乃ちゃんとじゃなかったら譲ってあげないんだから!

 

 

比企谷

【金なら払います】

 

 

もう!

察しが良いくせに捻じ曲がってるのよねぇ、この子は。

 

こうなったら何がなんでも聞き出してやるわ。

 

 

陽乃

【払えるの〜? 5万円だよ?】

 

比企谷

【わかりました。ありがとうございます。今度取りに行かせてもらいます】

 

 

なに!?

大学生のクセに5万をホイそれと出す気!?

 

私は慌てながらもLINEを送り直す。

 

 

陽乃

【ちなみに1人5万だよ?】

 

比企谷

【そのつもりですけど】

 

 

侮れない…。

高校生の頃から変わってる子だとは思っていたけど、それでも私の手のひらで転がせていた。

 

ちょっと見ない間に成長したようね。

 

と、どうこの展開を打破しようかとLINEの返信内容を考えていると、折り返す前に比企谷くんからもう1通のLINEが送られてきた。

 

 

 

 

比企谷

【貰い受けるついでに会って話しませんか? 久しぶりに雪ノ下さんと話すのも悪くない気がしてきました】

 

 

 

 

………。

 

 

 

………っ!?

 

 

 

 

な、な、な?

 

 

 

あ、あれ?比企谷くんだよね!?

あのぼっちで捻くれてて可愛くない比企谷くんだよね?

 

私の思い違いか、彼は自ら誰かとコミュニケーションを図ろうとする人間ではなかったはず。

 

 

なぜか顔が熱くなる自分を落ち着かせながら、私はLINEを再度読み直す。

 

 

あ、既読になっちゃってる!

 

は、早く返さなくっちゃ…。

 

でも、なんて……。

 

 

……もーーー!

なんで私がこんなに慌てなくちゃならないのよ!

 

……乗ってやろうじゃない。

 

どうせ、何かの企みに私を利用しようとしているだけだ。

 

それなら自分から飛び込んで、私が主導権を握ってやるわ!

 

 

 

陽乃

【いいよ】

 

 

 

……これでオッケーね。

 

 

 

私は握り潰しそうになっていたスマホをベッドに投げつける。

ふと、部屋の鏡に映った自分が目に入った。

 

 

 

 

「髪、切りに行こうかな…」

 

 

 

 

 



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Devil -2-

 

 

 

 

 

 

夏の日差しを感じながら、運転手を使わずに自らの足で待ち合わせの場所へと脚を動かす。

 

大胆に出した腕にはしっかりと日焼け止めを塗っているから安心だ。

 

 

派手過ぎない装飾品と薄い化粧。

 

先日に慌てて切った髪。

 

……って、なんでこんなに気合入れてるのよ。

 

なんて思いながらも、アパレルショップの窓ガラスに映った自分に不備は無いかとさり気なく確認する。

 

 

「……さて、比企谷くんが言ってた喫茶店ってあそこよね?」

 

 

もう目と鼻の先にある待ち合わせ場所に、ほんの一瞬、私の心臓は強く脈打つ。

 

楽しみにしてるんだ。

 

彼と会うのを。

 

 

……っ、違う違う!

 

彼で遊ぶのが楽しみなのよ!!

 

 

冷静を保ちつつ、私は喫茶店のドアに手を掛ける。

 

都内では良く見かけるチェーン店の喫茶店は、休日の昼間だと言うのに店内はガラガラだ。

そのためか、私は直ぐに彼を見つけるとが出来た。

 

 

「……。比企谷くん!久しぶりー!」

 

「…ども」

 

 

……こいつ、スマホを弄りながら私に目も向けないとは…。

 

彼の座る対面に腰を落とし、メニューを見ることなくアイスコーヒーを注文すると、既に注文していたであろう彼の前にはコーヒーと大量のガムシロップが置かれていた。

 

 

「…ふふ。うん、変わらないね。君は」

 

「え、突然に何ですか?」

 

 

ようやく顔をスマホから上げた彼は、あの頃よりも大人びいて見える。

 

それもそうか。

 

彼も立派な成人なんだもんね。

 

 

「あ、早速だけどコレ。はい」

 

「どうも。はい、コレ」

 

 

彼は私から紙切れを受け取ると、用意していたであろうお金を直ぐさま私に差し出した。

 

 

「……本当に用意したんだ」

 

「は?」

 

「…なんでもないよ。このお金はさ、やっぱりいらないや」

 

 

と、私は10枚の一万円札を比企谷くんに返してあげる。

それでもやはり、彼は懐疑的な視線で私を見ながら、それを受け取ろうとしない。

 

そのやり取りを見て、アイスコーヒーを運んできてくれた店員さんは驚いていたけど…。

 

 

 

「…なんです?苦学生を哀れんでるんですか?」

 

「ふふ、違うよー。10万なんて冗談に決まってるじゃない。そもそも私、花火なんて見る気なかったし、誰かに譲るつもりだったの」

 

 

理由を言っても尚受け取らないのは、彼なりの意地か、それとも見栄か。

 

 

「……ふむ。不慣れな日雇いバイトで稼いだ金なんですがね。汗水涙血を流して働いたんですけど、要らないって言うのなら受け取りましょう」

 

「……なんで上から目線なのよ」

 

 

私は呆れながら、その10万を大事に彼へと渡す。

 

 

「せっかく頑張って稼いだんだから、自分のために使いなさい」

 

「…それもそうですね。じゃぁ…」

 

 

 

甘そうなアイスコーヒーをゆっくり傾けると、彼は表情一つ変えずに口を開いた。

 

 

 

「買い物に行きましょう。付き合ってください」

 

 

 

「……へ?」

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

 

都内でも大型のショッピンモールはうるさいくらいに賑わっている。

 

普段ならぷらっと1人で来ることが多い私だが、今日は隣に肩を並べる人物が。

 

あれ?背も高くなったかしら…。

 

それでも猫背は変わらないのね。

 

 

「雪ノ下さん?歩くの早かったですか?」

 

「え?あ、ごめんごめん。ちょっと考え事をね…。それにしても比企谷くーん、ちゃっかりお姉さんをデートに誘うなんてどういう風の吹き回し?」

 

「…たまには旧知の知り合いと歩くのも悪くないでしょ?」

 

「へぇ…。じゃぁさ…、えいっ!」

 

 

余裕たっぷりな返答に若干苛立ちを覚えた私は、悪戯心をそのままに、彼の腕へと抱き着いた。

 

 

「…っ!ちょ、何するんスか」

 

「たまには旧知の知り合いと腕を組むのも悪くないでしょ?」

 

「天邪鬼か!」

 

「君に言われたくないよ!」

 

 

と、ジャレ合いながら、比企谷くんは顔を私から背けつつそれを受け入れる。

 

ふふ、まだまだ青いなぁ〜。

 

 

「…むー。あ、この店、雪ノ下さんの趣味とは真逆でしょうけどどう思います?」

 

「ん?この店?……ちょっと、ファンシーショップが私と真逆ってどうゆう意味!?」

 

「……んー。あいつはこんなんでも喜ぶのか…?」

 

 

あいつ…?

 

あいつってやっぱり、花火大会に一緒に行く娘かしら。

 

そういえば、未だに聞けてないのよね、誰と行くのか。

 

まぁ、雪乃ちゃんかガハマちゃんでしょうけど…。

 

 

ウィンドウガラスを睨みながら考える彼は、どこか無防備で、私にはその姿が可愛らしく見える。

 

そして、こんな彼がこれだけ大切に思える人を羨ましく思える。

 

 

「……」

 

「…ふむ。…ん?どうかしましたか、雪ノ下さん」

 

「……っ。んーん。どうせなら中に入ってみようよ。私達には無縁な世界だけどさ、経験してみるのも悪くないでしょ?」

 

 

と、彼を促すと、少し嫌そうな顔しつつも店内へと入っていった。

 

 

店内の商品はゆるキャラとかキラキラ系アクセサリーとか、なんとも受け入れ難い物ばかりだ。

 

ほぇ〜、こんなキーホールダーが売れるのかしら。

 

 

「…ねぇ、比企谷くん。コレなんて君にお似合いじゃない?」

 

「なんすかそれ?カバ?トンボ?」

 

「羽が生えた猫ぬいぐるみって書いてあるよ」

 

「……世紀末ですら売れなかったでしょうね」

 

 

私はそのぬいぐるみと睨めっこするも、どこが可愛いいのか分からない。

 

猫か……。

 

 

「雪ノ下さんにはこっちの方が似合ってますよ」

 

「え?どれどれ!?」

 

「はい」

 

 

ぽん、と私の手に置かれたのは小さなキーホールダーだった。

 

毛むくじゃらの黒い球体のそれは、触るとふかふかしている。

 

 

「……なにこれ」

 

「黒まりも人形です」

 

「…。なんで私にお似合いなのよ」

 

「雪ノ下さんの腹黒さと形を表しています」

 

「…良い度胸じゃない」

 

 

掴んでいた手の力を強めながら、少し歪んだ彼の顔を見つつ、私はトドメを刺す。

 

 

「はちま〜ん。このカワイイやつ買ってぇ〜」

 

「へ?ちょ、雪ノ下さん?」

 

「お揃いのやつ買おうよぉ〜」

 

「こ、声が大き…っ。わ、分かりましたよ、謝りますから」

 

 

私と比企谷くんのバカップル振りを見て、周囲に居たお客さんと店員さんは笑っていた。

 

彼のもっとも嫌う状況だ。

 

 

「ちっ、…そ、それを買えばいいんですね?ちょ、店員さん、コレください」

 

「2つちょうだい!」

 

「俺はいらねぇよ!」

 

 

苦笑い気味に黒いまりも人形を2つ受け取った店員さんは、それを包装して渡してくれる。

 

流石の私も恥ずかしかったな…。

 

 

耳まで真っ赤にした比企谷くんはその店をそそくさと退散し、私もそれを追いかけるように店を出た。

 

 

 

「……コレ、どうします?」

 

「上げるよ。2つとも」

 

「…使用用途を教えてください」

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

その後、気の向くままにショッピンモール内を歩き、それでも何も買わずに時間は過ぎていく。

 

…結局何を買いにきたのかしら。

 

すると、比企谷くんは突然アクセサリーショップの前で足を止めた。

 

 

「……ん?ジュエリー?君にはまだ早いでしょ。どっちかと言うとランジェリーの方が好みじゃない?」

 

「口を慎みましょう。…別に、買おうと思ったんじゃなくて、ただ綺麗だなと、思いまして」

 

「ふーん」

 

 

比企谷くんにもそう言う感性があるのか、と思いつつ、好きな物を好きに買える私にとって、それらのアクセサリーは特段素敵な物だと思えない。

 

 

どっちかと言うと、雪ノ下と言う名家を体現するための道具。

 

 

それを着けるとき、私は別の顔を貼り付けお偉いさん方の相手をしなくちゃいけなくなる。

 

 

そう考えると、いくら華麗な装飾品だろうと、私にとっては重しにしかならない。

 

 

それは母の言う通りに振る舞うだけの偽物の私には重すぎて。

 

 

雪乃ちゃんが言う、大切な人に出会えなかった私には眩しすぎる。

 

 

 

その場で足を止めながら、比企谷くんは私の変化に気付いたかのように優しい声を掛けてくる。

 

 

 

 

 

 

 

「…聞きましたよ。……結婚するんですってね」

 

 

 

 

 

 

 





ちょっと足早です。
すみません。


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Devil -3-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、彼の言葉に私は声を出せなくなる。

 

どうしてその事を知っているの?

 

久しぶりに会った君が…。

 

 

家族にしか知れ渡っていない事なのに……、家族?

 

 

 

「……雪乃ちゃんに、聞いたんだ」

 

「…はい。聞いたというか…」

 

 

そのまま無言になる彼に、私は苛立ちを覚えてしまう。

 

甘いコーヒーを飲む君も、幸せそうにキーホールダーを選ぶ君も、全部私にとっては妹の友達に過ぎない。

 

そんな君が……。

 

どうして私の心に踏み込むの?

 

 

 

「…まぁね。私も良い年齢だし。そろそろ結婚してもいいかなって…」

 

 

 

心が嘘をついている。

 

嘘を吐き出す悪い口は、雪乃ちゃんの専売特許なのに。

 

 

 

「……変わりませんね…」

 

「っ。……君に。君に何が分かるのよ…」

 

「俺達、同類じゃないですか」

 

「!?」

 

 

 

ふと、彼の顔が静かに微笑む。

 

その顔を見たのは初めてだ。

 

いや、正式に言うなら、その顔を正面から見たのは初めてだ。

 

だって、それは雪乃ちゃんやガハマちゃんにしか向けない顔だったから。

 

 

 

「この前、雪ノ下が俺に依頼してきたんですよ」

 

「……依頼?」

 

「雪ノ下さんを……、姉を助けて上げてって」

 

 

何を……。

 

私を助ける?

 

雪乃ちゃんが?君が?

 

 

「雪ノ下は自分の我儘であなたが、結婚させられると言っていました」

 

「……、それが分かってるなら、あんまり私の手を焼かせないでよ」

 

「でも、手を焼かせられる方が妹ってのは可愛いんですよね?」

 

「……」

 

 

静かに、彼はポケットからピンクの箱を取り出した。

 

それをゆっくりと、私の手に乗せる。

 

 

「…?」

 

「……俺からじゃありませんよ?雪ノ下からです」

 

 

それの包装をそっと開けると、中から長細い箱が出てくる。

 

中身を確認するまでもない。

 

 

「…ネックレス?」

 

 

ハートの飾りを付けたシルバーのネックレスは、銀の冷たさを手に感じさせながら私を見つめ続ける。

 

 

そして、空になったと思っていた箱の中には1通の手紙が添えられていた。

 

私はそれを出来るだけ丁寧に開く。

 

焦る心を落ち着かせながら、私はそれに目を通す。

 

 

 

 

お誕生日おめでとう。

 

 

今まで謝れなくてごめんなさい。

 

 

我儘でごめんなさい。

 

 

結婚なんてしないで。

 

 

これからも、私の我儘を聞いてちょうだい。

 

 

 

 

ーーーーー雪乃

 

 

 

 

一粒の雫が手紙に落ちる。

 

だめ、汚れちゃう。

 

私は慌ててハンカチを取り出そうとするも、あいにく今日は持ち合わせいなかった。

 

 

 

ふわりと、甘い香りの優しさが、私の目の前に差し出される。

 

 

 

「……目にゴミでも入りました?」

 

「ふ、ふふっ。本当に君は……。ありがと」

 

 

 

受け取ったハンカチで涙を拭き、それでも溢れそうになるから上を向いた。

 

あーあ、こんなの私じゃないなぁ…。

 

格好悪い…。

 

 

私の意にそぐわない結婚相手だろうと、母が言うのならその人と婚約する。

 

それが長女であり、妹を守るお姉さんとしての役目だから。

 

それに、私には大切な人が居ない。

 

これからも現れることはないだろう…。

 

雪乃ちゃんを悲しませるわけにはいかないから……。

 

 

「……大切な人…、居るじゃない。ずっと側に…」

 

「…近過ぎて気付かないこともありますからね」

 

「もう…。からかわないでよ。……全部、君の思い通りになった?」

 

「…別に。俺はこれを渡してと言われただけなんで」

 

「ありがと。……それで、ここに連れてきたってことは…」

 

 

私は先ほどまで陳腐に見えていたジュエリーショップを見つめ直す。

 

改めて、綺麗だと思えるようになったのは、きっと彼のおかげ。

 

 

「……。まぁ、雪ノ下にも何かプレゼントしてやればどうです?…って、余計なお世話っすけど」

 

 

「ふふ。君はすごいね…」

 

 

 

全然余計なんかじゃないよ。

 

あなたと早くに会えていたなら、私はどれだけ幸せになれただろう。

 

今みたいに、本物の笑顔で向き合える関係になれたのかな…。

 

君たちみたいな関係を作れたのかな…。

 

 

なんて……。

 

 

 

今更、私が君に想いを伝えようなどムシが良すぎる。

 

 

だから、この気持ちだけはこれからも隠し続けなくちゃ。

 

 

私は、雪乃ちゃんのお姉ちゃんだからね。

 

 

 

 

 

「……。じゃぁ、雪乃ちゃんへのプレゼントを選びましょうか!全部綺麗で迷っちゃうね!」

 

 

 

 

 

 

 

.

……

…………

 

 

 

 

「あ、姉さん。遅いわよ」

 

「ごめんごめーん。あ、ガハマちゃんも久しぶり!」

 

「陽乃さん!お久しぶりです!」

 

 

私は2人をとある喫茶店に呼び出した。

 

 

 

ーー。

 

 

彼との再会から日を改めて、私はお母さんと向き合った。

 

それは本心を隠さない会合で、私らしくもない訴えに、お母さんは圧倒されていたみたい。

 

結婚の話も、もう少し私の気持ちが落ち着いたらと、期限のない延期に。

 

残ったのはちょっとした罪悪感と……、どこかスッキリとした気持ち。

 

大切な人に貰ったネックレスを着け、私は彼にLINEを送った。

 

 

陽乃

【結婚の話はなくなったよ!比企谷くん大好き!\(^o^)/】

 

 

これくらいは許してよ。

 

 

きっと彼も、本気にそれを受け止めたりはしないのだから。

 

 

今、目の前に居る2人のどちらかを選ぶであろう彼なのだから。

 

 

 

 

「そういえばさ!花火大会はどうだった!?あの席はお姉ちゃんが用意してあげたんだからね!」

 

「花火大会…?何のことかしら」

 

「おっとー!ってことはガハマちゃんかな!?」

 

「え?私、花火大会なんて行ってないですよ?」

 

「もー、2人とも隠すのが上手だねー!!私知ってるんだからね!なんせ比企谷くんに関係者閲覧席の券を渡したのは私だから!!」

 

 

「「……?」」

 

 

あ、あれれ?

 

この感じは本当に知らない?

 

揃って首を傾げる2人を見て、私はどうやら思い違いをしていたことに気がつく。

 

 

「……なんてね!」

 

「姉さん、その話を詳しく教えてちょうだい」

 

「陽乃さん!ヒッキーは誰と花火大会に行ったんですか!?」

 

「あ、あははー。こ、今度みんなで一緒に観に行こうかー」

 

 

 

 

 

「「姉(陽乃)さん!!」」

 

 

 

 

 

陽気な心は転機を迎え

 

 

 

 

ーーーーend

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Chocolate Trouble -1-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖房の効いた部屋とは反対に、窓の外に静かにゆるりと白い雪が降り落ちる。

 

昔、学生の頃に見た雪はどこか埃のような灰色で、湿った足元と乾燥する空気が私を不快にしたことを思い出した。

 

 

こんなに真っ白で綺麗な結晶を、私は今まで見たことがない。

 

 

いや、見ようとしなかっただけか。

 

 

 

「……キレイ」

 

 

ふわりと、窓の外を眺めていた私の肩にベージュのブランケットが被せられる。

 

 

「ありがと」

 

「ん。雪なんて珍しくもないだろ?寒いからカーテン閉めようぜ」

 

「ふふ。あーしは初めて見たんだし」

 

「は?そんなわけ……」

 

「あんたと見た初雪」

 

「…あぁ、そうっすか」

 

 

降り続ける雪は冷たく地面を染めるだろう。

 

 

そっと握った彼の手は、そんな雪さえも溶かすことが出来るのだろうか。

 

 

目を逸らした彼の頬が赤くなっている。

 

照れてる姿は可愛らしいくせに、握った手はゴツゴツと男らしい。

 

 

「ねぇ、ヒキオ。雪合戦しようか」

 

 

「……遠慮させていただきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chocolate Troubleーー

 

 

 

 

 

 

春休みとは名ばかりの、連日10℃を下回る天気が続く冬空の今日この頃。

 

ふと、窓の外を見ては雪ばかりが見えるだけで代わり映えのしない風景に飽き飽きとしてきた。

 

 

「あー、雪ばっかりでうぜぇー」

 

「君、この前ステキだとかキレイだとか言ってたよね」

 

「もう飽きたし。はぁ、でもコタツだけは飽きませんな」

 

「ん。俺の骨はコタツの中に埋葬してくれ」

 

「おっけー」

 

 

大学もなく、就活も終えた現在。

 

やることと言えばヒキオと下らない話をダベるか、山の如し動こうとしないヒキオを外に無理やりに連れ出すかだ。

 

 

今もこうして、ヒキオはコタツ布団を肩まで掛け、私の剥いたミカンを食べるだけ。

 

 

「ん」

 

 

口を開けたヒキオにミカンを一つ投げ入れる。

 

 

ほい、パク。

 

 

「…酸っぱい。ハズレだな」

 

 

そうな言いつつも幸せそうにミカンを頬張るヒキオ。

 

 

……可愛い。

 

 

「……さて、昼寝の時間だな」

 

 

ヒキオはクッションを二つに下り、自らの頭とカーペットの間に滑り込ませる。

 

時刻は昼前の11時……。

 

 

アホ毛をぴょんぴょんと跳ねさせ、ヒキオは暖かそうに身をコタツに任せて目を閉じた。

 

 

……。

 

 

「……ダメな気がする」

 

「……zzz」

 

「人としてダメな気がするし!!」

 

「っ!?!?」

 

 

バンっ!!

と、机を両手で叩くと、ヒキオはその音に驚いたのか、目を見開いて私を見つめた。

 

 

「ど、とうした?気でも狂ったか?」

 

「狂ってんのはアンタだし!毎日毎日ゴロゴロして!これじゃぁ先が思いやられるわ!!」

 

「おいおい、先は先。今は今だろ」

 

「ふざけんな!!」

 

「ぬわ!?」

 

 

ミカンを一玉投げつける。

 

ヒキオのおでこに当たったミカンはそのままフローリングにティンティンと弾み転がった。

 

 

「どこか行くよ!!」

 

「は?おま、外を見てみろよ。雪で交通機関は全部麻痺ってるっての」

 

「歩けし!!どこまでも私の隣を歩き続けろし!!」

 

「あ、歩くったって……。この雪だぞ?」

 

 

尚もグダグダとわめくヒキオをコタツから引っ張り出し、私はそのまま彼をクローゼットのある部屋まで引きずる。

 

 

「ぅえ!!さ、寒い!床も冷たい!!」

 

「着替えんの!ほら!さっさとスウェット脱げ!」

 

「やめろー!わかった!着替えるから!……はぁ、着替えるからとりあえず出て行け」

 

「ふん!スウェットの上からジンーズ履くのはだめだかんね」

 

「……なんでだよ」

 

 

 

……………

……

.

.

 

 

 

玄関を開ければ雪。

 

雪と行っても吹雪ではなく粉雪だ。

 

もちろん交通機関に多少の麻痺は出ているけれど、電車が全線止まっているなんてことはない。

 

都内の雪なんて数センチ積もれば降った方だ。

 

 

「さっむぅ……。こりゃ大変なことになったぜ」

 

「そんだけ着込んでるのに寒いの?」

 

「……繊維ってのは隙間がありやがゆからな」

 

「あっそ。ほら、行くよ」

 

「んー」

 

 

玄関から出ただけなのに、よくもまぁここまで文句が言えるものだ。

 

呆れながらヒキオの手を握ると、雪空の影響は皆無だと言わんばかりに暖かい。

 

 

手袋なんて必要がないね。

 

 

あ、そうだ、この前考えていたことを実証してみるし。

 

 

 

「……えい」

 

 

「あ?…冷た!な、何を!?」

 

 

「ヒキオの手なら雪も溶けるかなって」

 

 

「」

 

 

 

 

 

ーーーー☆

 

 

 

 

「……スケートとはまたベタな」

 

「そう?あーしあんまりやったことないけど」

 

「俺も実はない」

 

「なんだし」

 

 

電車とバスを乗り継ぐこと30分。

 

私達は家からさほど離れていない場所のスケートリンクに訪れた。

 

もっと混み合っているかと思っていたが、平日の昼間、それも雪の日に訪れる客は多くなく、チラホラと若い男女が居るのみだ。

 

 

「ねぇねぇ、これどうやって履くの?」

 

「ん?その椅子に座って履けばいいんじゃね?」

 

「あ、そっか。……うわ、これ立つのもキツそう」

 

「おまえが普段履いてるヒールの方がキツそうだがな」

 

「それもそうか」

 

 

先に履き終えた私はカツカツと音を鳴らしながらスケートリンクに足を踏み入れる。

 

 

うぉ、摩擦が0だ……。

 

 

リンク上の壁から手を離すことなく、私はゆっくりと歩いてみた。

 

 

「ぬ!?ふ、ふわ!ぅ!?……よ!!」

 

 

手を離してはまた手を付き、離しては付きの繰り返し。

 

 

「む、難しいし!ヒキオ!」

 

「ん?」

 

 

ヒキオは大丈夫かと思い彼の方を見てみると、そいつはポケットに手を入れながら悠々とその場に立っていた。

 

 

「え!?なんでだし!!」

 

「……いや、立つくらい出来るだろ」

 

「出来ん!どうやってんの?」

 

「こう、足を、こう、な?」

 

「わけわからん。ヒキオこっち来て。手、握って」

 

「はいはい。ほら、ゆっくりな」

 

 

そっと出されたヒキオの手に、私は添えるように手を置いた。

 

しっかりと掴んでくれたのは私が転ばないようにか。

 

いつもこれくらい頼り甲斐のある奴なら……。

 

 

いや。

 

 

ヒキオはこれくらいが丁度いいのかもしれない。

 

 

たまに見せる優しさが、本当に私を大切にしてくれている証拠のようで。

 

 

「……へへ」

 

「あ?急にニヤついてどうしたんだ?」

 

「に、ニヤついてねーし!」

 

 

なんでと見透かしてくれる。

だからこそ、こいつは私の心に入ってこれるんだ。

 

 

 

その後、大して上達することもなく私はヒキオに手を引かれ続けた。

 

疲労の溜まってきた足を休めるために、私とヒキオはスケートリンクを後にし、隣接する喫茶店に身を移すと、どこか浮ついた飾り付けをされた店内に疑問を抱きつつ、コーヒー2つを持って席に座る。

 

 

「お砂糖は2つまでだかんね」

 

「言われるまでもないがな」

 

「あんたこの前、3つ入れてたらしいじゃん」

 

「おいおい。言われのない虚実だ」

 

「バカ後輩に聞いたんだかんね」

 

「一色め、どこまでも俺を陥し入れやがる……」

 

 

そう言いながらも、ヒキオはお砂糖を2つ入れ、しっかりと甘くさせたコーヒーをゆっくりと啜った。

 

 

「……苦い」

 

「……ふん。はい、あーしの半分だけあげるから使いな」

 

「まったく。最初から素直に渡せばいいものを」

 

「やっぱりあげない」

 

「うそですごめんなさい」

 

 

ヒキオは店内に入っても外していなかったマフラーをようやく外し、それを丁寧に畳んで自分の膝に置く。

 

 

「そこじゃ邪魔になるでしょ?あーしのバックに入れておいてあげる」

 

「ん、悪いな」

 

 

私はマフラーを受け取り、それの香りを少し嗅いだ後にバックに閉まった。

 

 

「……臭いを嗅ぐな」

 

「いや、ヒキオの残り香好きだから仕方ないし」

 

「あっそ」

 

「つーかさ、なんか店内の装飾が派手じゃね?」

 

「あ?……あぁ、アレだろ、バレンタインデーの…」

 

「……!?」

 

 

ば、バレンタインデー……だと?

 

私は手帳のカレンダーを確認し、今日の日付と2月14日までの残り日数を照らし合わせる。

 

ひぃふぅみぃ……。

 

あと2日……。

 

 

……。

 

 

忘れてた…、バレンタイン。

 

 

いや待て。

 

ヒキオはバレンタインとかクリスマスみたいな恋愛イベントには否定的な奴だ。

 

あえてここは、ヒキオのスタンスに乗っかてやろう!

 

戦略的に、ヒキオのスタンスに乗っかてやろう!!

 

 

 

「……どうかしたか?」

 

「い、いや、なんでもないし!?つ、つーかさ、バレンタインデーとか寒くね?今時好きな奴にチョコあげるとか、せ、生産性がないし!!」

 

「きゅ、急にどうしたんだよ……。まぁ、確かにバレンタインデーにチョコを渡す意味はわからんな」

 

「でしょ!!?」

 

「……で、でもさ…」

 

 

そっと、ヒキオが私から目を逸らそうとするも、それをぐっと我慢し私の目を見つめた。

 

頬が赤くなっているのは、コーヒーの熱か、それとも照れか。

 

それでも、ヒキオがあまり見せない素直な照れ方に、私は思わず胸をときめかせてしまう。

 

照れながらはにかむ笑顔が愛らしい。

 

 

 

「……す、好きな奴に貰うもんは……、その、…嬉しいのかもしれん……」

 

 

 

 

「ぁぅ……。き、期待しておけし……!!」

 

 

 

 

こうして、私のチョコレートトラブルが始まるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





響け!ユーフォニアム!!

を、最近見ました。


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Chocolate Trouble -2-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぺらりぺらりと、私は先ほど書店で購入してきた女性誌を熟読する。

 

やはりと言うかなんと言うか、雑誌にはバレンタイン特集が組まれており、中にはチョコの作り方から最高の渡し方、シュチュエーションの作り方まで説明されていた。

 

ハートマークに囲われたチョコのデザインペイントが腹立たしい。

 

改めて思い起こすと、幼い頃からこういったイベント事には乗り気な方ではあったが、毎年のイベントともあり特段に力を入れたことがない。

 

 

「板チョコを刻む、湯煎……」

 

 

台所には大量の板チョコが。

 

それを溶かして固め直すための型も用意してある….…。

 

 

「……。市販のチョコを溶かして固め直すだけって…」

 

 

……愛がない。

 

 

湯煎してドロドロとなった生チョコを見つめながら、私は何の気無しにそれに指を付けてペロッと舐める。

 

うん、甘い……。

 

甘い?

 

そうだ、とりあえず甘さを倍増してやろう。

 

 

「お砂糖をドバーっと…」

 

 

うん、これで愛が入ったし。

 

 

……なんか足りない気がする。

 

 

チョコを渡すだけじゃ物足りない。

 

いっぱいの大好きが伝わるような、私の出来る精一杯をあいつに渡したいのに…。

 

 

ふと、雑誌に目を落とすと、バレンタイン特集のテーマである”愛を深める2人の思い出”という文字が目に入る。

 

 

「……愛を深める…」

 

 

……。

 

 

付き合ってもうすぐ1年が経とうというこの頃。

 

 

思い返せば色々とあったが、やっぱり印象深いのはプロポーズをしてくれた深夜の学校か…。

 

花火大会で見たヒキオの横顔も。

 

私の告白を優しく受け入れてくれたのも。

 

特別を与えてくれるのはいつもあいつで、私からヒキオに渡せたものと言ったら……。

 

 

「……何もないし」

 

 

……。

 

 

特別な物を

 

私もヒキオに渡したい。

 

 

 

 

 

…………

……

.

.

.

 

 

 

2月14日ーー☆

 

 

どんよりとした分厚い雲に覆われた今日の天気。

 

ふと空を見上げれば、今年に入って何回目かの雪がチラホラと降り始めていた。

 

 

バレンタイデー日和、なんて事はないのだろうけど、ホワイトクリスマスがあるのだからホワイトバレンタイデーがあっても不思議ではない。

 

 

「……早く帰ってこいしぃ」

 

 

時計の針を睨みつけると、単身はゆっくりと3と4の間を歩き続けた。

 

 

あいつ、恋人にとって特別なこの日に他用があるとは……。

 

 

「うぅ〜。あーしはないがしろかよ!!」

 

 

ソファーに寝そべりながらクッションに八つ当たりをしても、やはり単身の進む速度は変わらない。

 

 

4時には帰るって行ってたよね…。

 

 

あと18分と52秒、51、50、49……。

 

……ふむ。

 

時計を睨むのは不毛だな。

 

 

「……」

 

 

ふと、机の上に置かれたプレゼントに目を向ける。

 

それはピンクの包装紙に赤のリボンを添えたシンプルな装いをしているものの、私の気持ちを込めた世界で唯一のチョコレートであることは間違いない。

 

 

甘い甘いチョコレートと、ちょっとした私の気持ちを添えたそのラッピング。

 

 

サプライズと言うには大袈裟かもしれないが、チョコと一緒に入っているソレを、ヒキオは喜んでくれるだろうか……。

 

 

ふ、不安になってきたし……。

 

 

ちょ、やっぱチョコレートだけにしとくか?

 

ガラじゃないって言うか、私っぽくない……。

 

 

それに、少しだけ恥ずかしい。

 

 

慌てて時計を見るや、4時になるまでまだ10分もある。

 

 

今なら間に合う……。

 

 

ラッピングを外し、ソレだけ抜き取ってしまおうかと手を伸ばした瞬間に

 

 

「ただいま」

 

「ぬぉ!!お、おかえり!!早くね!?4時にはだいぶ早くね!?」

 

「は?どうしたのおまえ」

 

「な、何でもないし!!あ、あの…こ、これをあんたに……ん?」

 

 

心の準備が整わぬままに、私はラッピングされた物をヒキオに手渡そうとする。

 

手渡そうとするも、私はヒキオの持っていたバッグからはみ出した、ハートマーク模様のリボンに気が付いた。

 

……ん?

 

 

「……あんた、それ何よ?」

 

「……。」

 

「バッグから可愛いリボンがはみ出してるし。なに?頭隠して尻隠さず的な?」

 

「……これは貰ったやつだな。ほら、俺って甘党だから」

 

「へぇ、じゃぁ中身は甘い物なんだ。……チョコレートかしら?」

 

 

私がヒキオに滲み寄ると、それに伴いヒキオは後ずさる。

 

すると、ヒキオは呆れたようにバッグの中からリボンの正体を取り出した。

 

 

「……まぁ待てよ。コレはほら、小町から貰った奴だよ」

 

「……妹?」

 

「…うん」

 

「妹かー!なんだしビックリさせんなしー。てっきり他の女からチョコレートを貰ってきたのかと思って心配しちゃったじゃん!あれだかんね?あんた、私以外からもしチョコレートを貰ってるなんて言ったらあんたの脳みそを湯煎しちゃうだかんね!」

 

 

「……お、おう。心配させちまったな。悪い悪い。あはははー」

 

 

「あははー……、隙ありっ!!」

 

 

「なに!?」

 

 

戦場で油断は禁物だ。

 

私はヒキオの隙を突いてバッグを奪い取り、その中身を全て確認するべくチャックを開けた。

 

中には可愛らしくラッピングされた手乗りサイズの箱、箱、箱。

 

 

「……へぇ。可愛いラッピング。沢山あるじゃん。へぇ。へぇ」

 

「と、トリビアかな…」

 

「……一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……。あらら、片手じゃ数え切れないし。……これ、何?」

 

「……わからんな。時限爆弾の可能性もなきにしもあらずだ」

 

「なら確認しなくちゃだし」

 

「待て待て。確認するのにハンマーは要らんだろ」

 

 

バッグの中から飛び出した大量のチョコレートは、それぞれ綺麗に可愛らしく、どこか特別を感じさせるような形でそこに転がる。

 

 

女の勘が訴えるのだ。

 

 

これは義理じゃない。

 

 

「……雪ノ下さん、結衣、バカ後輩、雪ノ下(姉)、るみるみ、ゼミ女……。あらすごい、バラエティ豊かな事で」

 

「……なんだ、ほら、最近のバレンタイデーは異性とか関係なく知り合いで交換し合うと聞いたぞ?これらもその類いだろ」

 

「……」

 

「あ、あのな、三浦……」

 

 

悔しいとか悲しいとか、そうゆう感情が私のお腹の中で渦巻いている。

 

ヒキオの慌てた顔をぶっ飛ばそうと、このチョコ達を全てゴミ箱に捨てようと、この感情は晴れそうにない。

 

 

……この気持ちを私は知っている。

 

 

これは……。

 

 

 

「……嫉妬だ」

 

「…あ?」

 

「あーしはただ嫉妬してるだけ」

 

「……そっか」

 

 

ほんの少しだけ目尻に溜まった涙を、ヒキオがゆっくりとさらってくれた。

 

ふわりと近寄った彼を見つめると、暖かな手を私の頭に乗せてくれる。

 

 

「……嫉妬してくれんだな」

 

「当たり前でしょ…。あんたはあーしの彼氏なんだかんね」

 

「……知ってるよ」

 

「ずっと一緒に居てくれるんでしょ?」

 

「ん。」

 

 

優しく撫でてくれるヒキオの手があまりに気持ち良いすぎて。

 

私はあんたが好きだから、いっぱい嫉妬しちゃうから、すごく不安になっちゃうから……。

 

 

「もっと…」

 

「?」

 

「もっと撫でて」

 

「はいよ」

 

「……あーしのこと好き?」

 

「……あぁ」

 

「ちゃんと言って…」

 

「……。好きだよ、バカ」

 

「……へへ、バカは余計だし」

 

 

嵐の後の静けさか、妙な沈黙に包まれながらも居心地はまったく悪くない。

 

 

 

好きな奴が側に居てくれる。

 

 

 

「……はい。あーしからのチョコだし。しっかり噛みしめて食いな」

 

「虫歯になっちゃうだろ。ありがと」

 

「うるせ。……あ、あと、これも…」

 

 

恥ずかしがりながら渡した1枚の紙。

 

紫の蝶々の絵が小さく添えられた便箋には、私の本物の気持ちが言葉少なくに綴られている。

 

それを受け取り読み始めるヒキオに、私は真っ赤になった顔を見られないよう精一杯に抱き着いた。

 

ヒキオのお腹から臭う甘い香りに酔いながら、私は昨夜や綴ったヒキオへの気持ちを思い出す。

 

 

 

 

 

 

『大好きです。

 

ずっとずっと大好き。

 

わがままだけど、これからもいっぱい幸せにしてくれたら嬉しいです。

 

 

ーー優美子』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ちょっと情緒不安定な三浦になってしまった。


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Time traveler -1-

 

 

 

 

 

 

 

夢を見た。

 

 

中学生のヒキオが周囲から見えないモノと扱われている。

 

 

凍った世界で彼は口を閉ざし、自らを隔離した世界で”何か”を諦めた。

 

 

下を向くわけでもなく、目を閉じるわけでもない。

 

 

彼は世界を白と黒の2色だけに分けていた。

 

 

自分に利益があるのならば白。

 

 

不利益があるのならば黒。

 

 

 

教室の喧騒がまるで聞こえていないように、ヒキオは感情に起伏を示さない。

 

 

手を伸ばしてあげたい。

 

 

頭を撫でてあげたい。

 

 

ぎゅっと抱きしめてあげたい。

 

 

 

それでも私の身体は言うことを聞かずに、遠ざかる小さな彼をただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

ずっと、遠くに……。

 

 

 

 

……………

……

.

.

 

 

 

 

「ーーっ!」

 

 

目が醒めると部屋の気温は震えそうな程に寒いのに、心地の悪い汗が一粒額から零れ落ちた。

 

なぜだろう、目に力を入れていないと涙が溢れてしまいそうになる。

 

 

「…ひ、ヒキオ…?」

 

 

目覚まし時計はまだ8時を示している。

 

私は不安な気持ちに煽られながら、キッチンから聞こえているであろう音を目指して寝室を飛び出した。

 

 

「ヒキオ!!」

 

「っ!?…な、何だよ…?あんまり朝早くから大きな声を出すなって」

 

「あんたは…っ、1人じゃないよ!!」

 

「……は?」

 

 

既にパジャマを着替えていたヒキオは、フライパンを片手に持ちながら私を呆れたように見つめる。

 

 

あ、卵焼きだ。

 

 

良いにおい……。

 

 

 

「……お腹減ったし」

 

「え!?…そ、そうか。もう出来るから顔洗ってこいよ」

 

「はーい」

 

 

 

 

ーーーーーー。

 

 

 

 

「「いただきまーす」」

 

 

暖かい卵焼きを一口頬張りながら、私はヒキオに今朝見た夢を話す。

 

 

「なんかさー、変な夢見たし」

 

「あ?夢?」

 

「ん。あんたが教室で1人っきりになっちゃうの」

 

「正夢じゃねぇかよ」

 

 

牛乳を飲んだ後にできた白い髭をぺろりと舐めながら、ヒキオは私の話に食いつくこともなくテレビに目を向けた。

 

テレビから流れる政治やら外交やらの難しい内容に、私は無意識にチャンネルを変える。

 

 

「…中学生くらいのあんたが世界の全てを諦める夢」

 

「え、なにそれ。カッコイイな俺」

 

「ヒキオ。中学生の時ってどんな感じだったの?」

 

「んー。高校の頃と大して変わらんと思うが……」

 

 

 

ヒキオは卵焼きの最後の一口を口に放り込むと、カチャカチャと食べ終えたお皿を重ね、キッチンに向かった。

 

アホ毛をゆらゆらと揺らしながら、あまり関心のないように私の話を聞き流す。

 

 

高校の頃と変わらない……。

 

 

あんまり可愛げのない中学生だったようだ。

 

 

「おーい。食い終わったら持って来てくれー」

 

「んー。あーしも一緒に洗う」

 

 

もしも。

 

もしも私がヒキオと同じ中学校に通っていたら……。

 

あのモノクロの世界からヒキオを救い出すことができたのだろうか。

 

 

ふと気がつけば、お皿を洗うスポンジを泡泡にしたヒキオがぼーっとしていた私を不思議そうに見つめていた。

 

 

「寝てんのか?」

 

「ね、寝てないし!」

 

「はは。寝癖、付いてるぞ」

 

 

そう言いながら、ヒキオは小さく笑い、私の頭を撫でてくれる。

 

 

柔らかい手つきがサラサラと。

 

 

私が好きになったヒキオの手。

 

 

「むー。あんたもアホ毛が立ってるよ」

 

「これは俺のチャームポイントだ」

 

「ポイント…。そろそろお手伝いポイントが100点になるし」

 

「は?何その可愛いポイント」

 

「あーしがヒキオのお手伝いをしたときに溜まるポイント」

 

「そんなポイント制があったのか……」

 

「うん。これ洗い終わったらちょうど100点ね」

 

「なんか取って付けたような加算点だな。……100点になるとどうなるんだ?」

 

「願いが何でも叶う」

 

「え、まじで?俺もそのポイント貯めようかな」

 

 

ふわりと浮かぶ柔らかな会話にうつつを抜かしながらも、私はヒキオが洗い終えた食器をタオルで拭いていく。

 

裾をめくって覗いた手首は女のようにか細い。

 

そのくせ、強く強く私を抱きしめてくれるときには何も考えられなくなるくらいに心地が良い。

 

 

分担された作業をせっせと終わらせ、最後の1枚を拭き終えると私はヒキオに向かって飛びかかった。

 

 

「とうっ!!」

 

「あ?おぅ!?……お、おまえ、急に何を…」

 

「あーしの大好きなにおい……。ねぇ、ぎゅっとして?」

 

「……はいはい。ぎゅ…」

 

「んふふ。あったかい…。頭も撫でてぇ」

 

「…これが100ポイントの願い事か?」

 

「違うし!」

 

「違うのかよ」

 

 

猫をあしらうように、ヒキオは私の頭を雑に撫でながらリビングのソファーまで移動していく。

 

その間も必死にしがみ付いて離れなかった私。

 

これは必死ポイントに加点だな。

 

 

「……いつまでくっ付いてるの?」

 

「とろけるまで」

 

「怖い……。んで?願い事ってのは?今夜の夕飯をハンバーグにしろってか?」

 

「ハンバーグはまた今度でいいし!願い事はねぇ……、その….」

 

「?」

 

 

 

中学生の頃のヒキオを教えて

 

 

と言おうとした。

 

 

……言おうとした時だった。

 

 

コトン、と。

 

 

部屋の片隅に置かれたヘッドホンが床に落ちる。

 

 

……ヘッドホン。

 

 

そういえば、ヒキオと見たアニメで、ヘッドホンを付けて過去に飛ぶ話があったな。

 

 

「こ、これだし!」

 

「あ?」

 

 

私は慌ててヘッドホンを頭に付ける。

 

 

「……時間は、ヒキオが中学生だった頃……!!」

 

「え、なに?どうしたの?」

 

 

身体に電気が走る。

 

 

それは電子的な光か、それとも身体を巡るインパルスか。

 

 

淡く光ったその輝きに、リビングは大きな音を立てながら包み込まれていった。

 

 

 

ーービリビリっ!!

 

 

 

 

「飛べしーーー!!」

 

 

 

 

 

 

ーーーーー☆

 

 

 

 

 

 

【運命の時間軸】

 

 

 

 

 

一瞬の気怠さと重たい瞼。

 

真っ暗だった世界がゆっくりと明かりを取りもどすように、私が目を開けるとそこはどこか見知らぬ学校の屋上に立っていた。

 

 

太陽の光から目を背ける。

 

 

履き古した上履きはカカトが完全に潰れていた。

 

 

「……学校…?」

 

 

学校ならでは特徴をふんだんに備えた周りの風景だが、そこは少なくとも総武高校ではない。

 

 

「優美子ちゃん!ほら、あいつが来たよ。隠れて隠れて」

 

「は?」

 

 

突然に後ろから掛けられた声には幼さが残っている。

 

後ろを振り向き声の正体を確認すると、それは本当に幼い…おそらく中学生くらいの女の子だった。

 

 

「ぷぷ。あいつ、優美子ちゃんに告白されると思って本当に来ちゃったんだ」

 

「…?」

 

 

イタズラが好きそうな……、なんて言うのは可愛すぎる表現か。

 

それは罪を知らない無邪気が故の悪意。

 

その悪意に満ち足りた彼女達は、理解が追いついていない私を屋上の隅に置かれた排水ポンプの裏に引っ張りながらこそこそと笑い合っていた。

 

 

……。

 

 

……私はこの悪意を知っている。

 

 

そして、その悪意を向けられた人の苦しみも聞いている。

 

 

 

「「「偽ラブレター作戦大成功〜」」」

 

 

 

私が今の状況に戸惑っていると、彼女達の声が屋上中に轟いた。

 

それはとても楽し気でなんの悪気も無い。

 

彼女達にとって悪意を向けることは快感であり快楽であるのだろう。

 

 

そんな彼女達の道楽に利用された哀れな男子生徒を気の毒に思いつつも、私はその場を後にしようとした。

 

 

 

そこに佇む彼は表情一つ変えやしない。

 

 

痩せ気味で猫背なその男の子の姿に、私は思わず目を奪われてしまう。

 

 

ポケットに両手を入れながら、少し俯き気味に彼女達の笑いものにされている彼。

 

 

ワンサイズ大き目の制服に身を包む姿と幼さを残した瞳は可愛いらしい。

 

 

「……っ!?」

 

 

アホ毛をゆらゆらと。

 

 

それは関心の無さを表すパロメーターのように左右に揺れ続ける。

 

 

 

「満足か?それならもう帰っていいよな?」

 

 

 

絶句する私は彼と目があった。

 

 

途端に、何かが胸を熱く締め付ける。

 

 

 

 

「……ひ、ヒキオ?」

 

 

 

 

お空に近い場所で、強い太陽光の暑さを春風が紛らした時に。

 

 

 

中学生のヒキオが私の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 





飛べしーーーーー!

がお気に入り。



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Time traveler -2-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の教室に1人、私は席に着いたまま状況を整理してみる。

 

さきほど、屋上で目が覚めたような感覚を味わってからの状況。

 

 

まず一つ、ここが総武高校の近くにある総武中学校であること。

 

二つ、私を取り巻く環境、そして身体的にも中学生の頃に巻き戻っていること。

 

三つ、この世界では私とヒキオが同級生であること。

 

 

以上3点の事が私の周りで起きた出来事なわけで。

 

 

……なんなんだし。

 

もしかしてあのヘッドホンって本当にタイムリープマシンだったの?

 

 

ヒキオが作ったのかなぁ……。

 

変なもん作んなし!!

 

天才かよ!!

 

 

戸惑いながらも頭を整理させていると、私しか居なかった教室に入室者が現れた。

 

 

「あれー?優美子ちゃんまだ居たのー?部活とかやってたっけ?」

 

「…ちょっと野暮用でね。あんたこそこんな時間にどうしたの?かおり」

 

 

 

折本かおり。

 

 

 

今日1日で粗方のクラスメイトの顔と名前は覚えた。

 

特にこいつは席が近く、授業中にコソッとメールを打っていた姿が印象的だったから。

 

 

郷に入れば郷に従え。

 

 

ヒキオの嫁になるならヒキオを愛せ……、これと同意だ。

 

 

ぶっちゃけ成人の記憶を持つ私としてはこんなクソガキ共と絡むのは御免被りたいものだが。

 

 

「あー、あれだよ。最近クラスで流行ってる告白ドッキリ。それに誘われちゃってさ……」

 

 

折本かおりはどこか疲れた表情で机の中から教科書を取り出し鞄に入れ始めた。

 

 

「……あの胸糞悪い遊びね」

 

 

とりあえず、今日の昼休みにヒキオを嵌めたクソ共はブチのめすとして……。

 

 

私は夕日に照らされたかおりの表情を注意深く見つめてみた。

 

最初の印象こそ屋上のガキ共と同じような人物だろうと勝手付けていたが、2人だけで話せばこいつは違うと直ぐに分かる。

 

 

こいつも多分、あのコと同じなんだ。

 

 

空気ばかりを気にする。

 

 

どこか天然な私の親友。

 

 

「私、ああゆう遊びは嫌いだな……」

 

「……そう」

 

「あははー…。おかしいよね。嫌いなくせに自分もやってるんだから」

 

 

うん。

 

素直で気持ちの良い少女じゃないか。

 

こういう可愛らしい娘には少しだけイタズラ心が湧いてしまう。

 

 

「…かおりー、そう言えば授業中にめっちゃ携帯いじってなかった?」

 

「え!?見てたの!?」

 

「席隣じゃん、バレバレだし。あんためっちゃイイ顔してたよ。男?」

 

「そ、そんなんじゃないってー!」

 

「ガキが嘘つくなっての。誰よ?同クラ?」

 

「が、ガキって優美子ちゃんも同い年じゃん。……そ、その、誰にも言わないって約束できる?」

 

「あーし、口の硬さと人情の義理堅さには定評があるかんね」

 

「え、えっとー…、ひ、比企谷と…」

 

「あんた…、すり潰すよ?」

 

「え!?」

 

 

かおりの口から出た名前に不意を突かれ、私は思わずかおりの胸元を掴み上げてしまった。

 

おっと、これは失敬。

 

……さて、どう煮てやるか。

 

 

「……で?ヒキ…、比企谷とどんなメールしてたの?」

 

「こ、怖いよ優美子ちゃん。…別に大した事は…」

 

「は?ヒキオとのメールが大した事ないってこと?」

 

「ひ、ヒキオ?…あ、比企谷のことか……」

 

「……で?どんなメールしてたん?」

 

「…えっと、授業難しいね、とか。宿題やった?とか…」

 

 

……青春かよ…。

 

なんなんだしそれ。

 

あーしの思ってたヒキオ(中学生Ver)と違うし。

 

 

「…でも、ちょっと意外かも」

 

「あ?」

 

「優美子ちゃんって比企谷のこと嫌いだと思ってたから」

 

「そ、そんなわけ……っ!!」

 

「……だって、今日の昼休みに比企谷のこと屋上に呼び出してたよね?あれってあの遊びでしょ?」

 

「…っ。」

 

 

そうだ。

 

失念していた……、訳ではない。

 

ただ、その事について考えないようにしていたんだ。

 

 

今日の昼休み、屋上にヒキオを呼び出したのは紛れもなく私だ。

 

私じゃない私。

 

なんてタイミングの悪い時に飛んでしまったのかと運命を恨んでみてもらちがあかない。

 

 

「…比企谷ってさ、結構面白い奴だよ。メールしてて思ったんだけどさ、クラスの誰よりも大人びいた考え方してるし。ちょっとだけ物静かだけど……」

 

「……うん」

 

 

あんたに言われなくても分かってる。

 

あいつに抱きしめられた暖かさはまだ胸に残っているから。

 

でも、今のあいつに私と過ごした時間は1秒足りとも残っていない。

 

 

「……優美子ちゃん?」

 

「…。明日、あいつに謝る」

 

「そっか。それがいいかもね。比企谷なら絶対に許してくれるよ」

 

「……ぐぬぬ。ヒキオは渡さん…」

 

「え?何か言った?」

 

「うっせぇバカって言ったんだし!」

 

「い、言われのない罵倒すぎるよ…。あ、そういえば、比企谷に謝るなら今行けば?」

 

「は?」

 

「比企谷、図書室で本読んでるよ?読書部とか言う変な部活に入ってるはずだから」

 

「ど、読書部?…何それ、本を読む部活なの?」

 

「んー。よくは知らないけど…。部員は比企谷だけみたい」

 

 

あいつ、奉仕部といい読書部といい、変わり種の部活に入部しすぎでしょ。

 

……でも、ヒキオらしい。

 

 

「……図書室なんて行ったことないし」

 

「それある!私も比企谷が読書部だって知らなかったら行かなかったもん!」

 

「本なんて読まないし」

 

「空気が耐えられないよね」

 

「「あはははー」」

 

 

比企谷が読書部だって知らなかったら行かなかったもん……。

 

比企谷が読書部だから図書室に行ったもん……。

 

ヒキオに会いに図書室に行ったもん……。

 

 

……なんだと…っ!?

 

 

 

 

「……ぶっ殺す」

 

「え!?」

 

 

 

 

 

.

……

………

……………

 

 

 

 

折本かおりの下校を下駄箱で見送り、私はそのまま図書室のある特別教室棟の1階に足を向ける。

 

辺りには上履きと廊下の擦れる音が響き渡った。

 

 

図書室が近づく。

 

 

それと同時に、胸の高鳴りも強くなる。

 

 

緊張と不安が混じり合ったなんて平凡染みた感傷に浸りたいわけではない。

 

 

ただ会いたいだけ。

 

 

自然と早まる足。

 

 

たどり着けば目の前に閉ざされる扉を開けるだけなのに、その扉に手を掛けると酷く重たく感じてしまう。

 

 

「…っ。…お、お邪魔します!!」

 

 

「っ!……?」

 

 

ガラガラと、思ったよりも勢いよく開けられた扉が大きな音を立てて開かれた。

 

迷路のように並ぶ本棚は、まるで音を吸収してくれるように静寂を演出させる。

 

 

私の入室に、目を丸くして固まる男の子。

 

 

本棚から本を取り出そうとしていた時だったのか、男の子は踏み台に足を掛けてこちらを見つめていた。

 

 

「……何の用?」

 

「え、あ、えっと…。本を、借りに来た…し」

 

「あぁ、そう」

 

 

それだけ言うと、彼は私への興味を失ったように本棚に目を戻した。

 

どうやら棚の最上段にある本を取ろうとしているらしく、彼は踏み台の上で一生懸命に背伸びをする。

 

 

「っ…、あ、危ないし。ほら、あーしが取ってあげるから降りな」

 

「は?おまえも俺と身長変わらんだろ」

 

 

不安定な踏み台はガタガタと震えていた。

 

それでも背伸びをし続ける彼は、右手を精一杯に伸ばしてようやく目的の本に手が掛かる。

 

 

 

ーーー同時に。

 

 

 

「……。…っ!!?」

 

 

 

ガタンっ!と……。

 

 

 

「ひ、ヒキオ!!」

 

 

 

踏み台が倒れ、その上に乗っていたヒキオももちろん体勢を崩しながら落下しようとした。

 

 

スローモーションに変わる世界で、私は咄嗟に彼の落下を受け止めるべく走り出す。

 

 

神経を研ぎ澄ませ!!

 

 

頭よりも反射で動け!!

 

 

助けたいと言う気持ちを力に変えろ!!!

 

 

 

「ヒキオーーーー!!」

 

 

 

落下するヒキオの下にスライディングで滑り込み、全身を使って受け止めようとする。

 

 

 

「…、おっと、よっ。…危ね」

 

 

「!?」

 

 

 

ヒキオは猫の如く空中で体勢を戻し、軽やかな身のこなしで着地した。

 

 

ズサーーーっ!

 

 

と、私のスライディングは止まることなく。

 

 

無事に着地したヒキオの足下をすくい上げてしまう。

 

 

 

「あ?…ぅおっ!?」

 

 

 

どてんっ!と、ヒキオの身体は床に転がった。

 

 

 

「「……」」

 

 

揃って床に大の字になる2人。

 

まるでカップルみたいだし。

 

 

「…何の恨みが?」

 

「いやいや。助けたいって気持ちを表現した故の事故だし」

 

「結果的に怪我をさせられてるんですがね」

 

「結果ばかりを求めんなし。まずあーしの助けようとした行動を褒めろ」

 

「……。それはどうも」

 

 

ゆっくりと腰を上げ、先に立ち上がったヒキオが不服そうな顔で私を睨みつけながらも手を指し伸ばしてくれる。

 

……そうゆう所は変わんないんだね。

 

 

「…ありがと」

 

 

暖かな手に引っ張られた私もようやく立ち上がった。

 

 

ふわりと、ヒキオのアホ毛が揺れる。

 

 

どこか懐かしく愛おしいその姿を、私は黙って見つめてしまう。

 

 

「……なに?」

 

「……んーん、何でもない」

 

「あっそ。…ほれ」

 

「?」

 

「膝、擦りむいてる。それ貼っとけよ」

 

 

渡されたのは無機質でデザインの無い絆創膏。

 

それはヒキオがいつも常備している物と同じで。

 

人の心配をする際に目を背ける癖までも変わらない。

 

 

 

 

 

 

「…ふふ、優しいじゃん。ヒキオ」

 

 

 

「…ヒキオっておれのこと?」

 

 

 

 

 



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Time traveler -3-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図書室には受付を担当する先生の姿すら見えず、そこの空間にヒキオがただ1人で独占していた。

 

奉仕部が集まっていたような陽だまりの空間には程遠く、どこか語り手の居ない物語のようなもの静けさが少し悲しい。

 

 

擦りむいた膝に絆創膏を貼り終えて顔を上げると、懐疑的な目を向けるヒキオと目が合った。

 

 

「…本、借りに来たんだろ?」

 

「そ、そうだけど…」

 

 

ヒキオの座るテーブル席に対面して座った私に彼は話し掛けてくる。

 

どこか棘のあるような言い方が悲しかったりするわけで……。

 

 

「…」

 

「お、おすすめの本とかある?」

 

「ない」

 

「あんたが好きな本とか…」

 

「ない」

 

「……、お、面白い本とか…」

 

「……」

 

 

何度目の静寂だろう。

 

ヒキオの側にいて居心地が悪いと感じるのは初めてかもしれない。

 

すると、ヒキオは読んでいた本を閉じ、溜息を一つ吐くと私に向かって口を開けた。

 

 

「…はぁ。また罰ゲームか何かか?」

 

「ちがっ…!」

 

「何でもいいけど早く済ましてくれ。俺は何をすればいい?またお前に振られればいいのか?」

 

「……っ!…そ、そのことなんだけど…」

 

「?」

 

 

私は思わずその場から立ち上がってしまう。

 

机に手を置き、思い切り頭を下げる。

 

ゴンっ!

 

と、小さな音を鳴らしながら、私は頭を机に擦り付けた。

 

 

「!?」

 

「さっきはごめん!許せし!!」

 

「……は?」

 

「…あまり詳しくは言えないけど、あーしにも深い事情があったの。だから許して!!」

 

「……。別に、謝ってほしいわけじゃねーよ」

 

「!…ゆ、許してくれるの?」

 

 

私が頭を上げると、ヒキオは既に本を開いてそれに目を落としていた。

 

まるで興味はありませんと言わんばかりに。

 

 

「許すとか、許さないとか…。それ以前に何とも思ってない」

 

「……っ」

 

「クラスでの地位を守るために下を蹴落とすのは社会でもあることだ。その生存競争に負けた俺が悪い。…だからおまえに謝られる筋合いはない」

 

 

ツーンとした態度。

 

プイッとそっぽを向きながら、彼は私から目を逸らす。

 

 

じょ、饒舌だ……。

 

小さいヒキオは……、饒舌だ!!

 

 

「……耳が少し赤い。本を読む振りをして目を逸らす。理論で身を守ろうとする。あーしの知ってるあんたと瓜二つだね」

 

「は?」

 

「……あーしはあんたの全てを知ってるんだかんね」

 

「……怖ぇよ」

 

 

私はヒキオから本を取り上げた。

 

幼い彼はまだまだ小さく、頭のアホ毛も猫背の姿もやっぱり子供で。

 

そのくせ口だけは達者になっている生意気な奴。

 

 

普段と同じように。

 

 

私が彼にされているように。

 

 

私は優しくヒキオの頭を撫でてやる。

 

 

 

「1人で居ようとするなし。直ぐにあんたの周りには暖かい本物で囲まれるんだから」

 

「な、何を…」

 

 

読書部はヒキオが作った唯一の居場所だ。

 

本物の関係を作るための居場所。

 

 

 

 

「あーし、読書部に入るわ」

 

 

 

 

.

……

………

……………

 

 

 

 

 

翌日、私は入部届けを職員室へ出しに行った。

 

顧問の教員は居なかったため、そいつのデスクにそれを置いておく。

 

ごちゃごちゃとしたデスクの上で、それがゴミだと間違われないようにメモを貼り付けておくと、私の姿を見つけた担任の先生が声を掛けてきた。

 

 

「三浦さん?どうしたの?何か用?」

 

「んー、ちょっとコレを出しに来た」

 

「入部届け?…へぇ、どこに入部するの?」

 

「読書部」

 

「読書部……。あぁ、陽乃ちゃんが作った部よね。彼女が卒業して廃部になったと思ってたけど…、まだあったのね」

 

「うん。そこにあーし入るから。せんせー、部費ちょうだい」

 

「そ、そんな簡単にあげれるものじゃないのよ?」

 

 

そう言うと、先生は私の入部届けを顧問の代わりに受理してくれると言い、部活動関連の書類が保管されている棚にそれを持っていく。

 

しかし、棚の前で何かを探す素振りを見せると、先生は苦笑いを浮かべながら戻ってきた。

 

 

「三浦さん、残念なお知らせがあります」

 

「ん?」

 

「読書部は……」

 

「?」

 

 

「来月、廃部になります」

 

 

「!?」

 

 

 

 

ーーーーー。

 

 

 

 

たったったったと。

 

職員室を飛び出した私は昼休み中の校内を激走する。

 

教室に戻り、彼の姿を探すも見つからない。

 

図書室へ向かうも、扉には鍵が掛けられており開いてはいなかった。

 

 

ど、どこだし!?

 

 

当てもなくあいつを探して走るのはあの日以来か。

 

ヒキオに謝りたくて、脚が腫れるほど走り回ったあの日。

 

見つけた時には思わず涙溢れてしまった事を昨日のことのように思い出す。

 

 

「あのバカはどこ行ったしー!!」

 

 

廊下に響き渡る私の怒号。

 

 

「ゆ、優美子ちゃん?どうしたの?」

 

「か、かおり…。ヒキオはどこだし!?」

 

「え、えぇ。…あ、そういえば前に、体育館裏の駐輪場で昼は食べてるって言ってたような…」

 

「!?さんきゅ!愛してるし!!」

 

「……ぇぇ〜」

 

 

 

ーーーー。

 

 

 

 

「はぁはぁはぁ……」

 

「…。なに、どうしたのおまえ」

 

 

木陰の光が程よく当たるその場所で、食べ終えたお弁当を横に置き、本を枕に横になる彼の姿。

 

 

「はぁはぁ…、く、食い終わって、直ぐに…はぁはぁ、寝たら……、ダメだし…」

 

「へ?あ、あぁ、牛になっちゃうな」

 

「って、そんなことを言いに来たんじゃない!!」

 

「!?」

 

「廃部!廃部だし!廃部廃部!廃部ーー!!」

 

「は、廃部?…どこの部がだよ?」

 

「読書部に決まってんでしょ!」

 

「そんなわけあるか」

 

「そんなわけあるし!」

 

 

呆気カランと私の話を聞き流そうとするヒキオの頭を一度叩き、私は先ほど先生に言われた事を伝える。

 

 

「読書部は部員の定員割れにより来月をもって廃部!……最低でも3人の部員を擁さなければ廃部は決定って言われたし!」

 

「…まじか…。まぁ、潮時かもな」

 

「し、潮時って…。あんた、それでいいの?」

 

「良いも何も、廃部になっちまうなら仕方なかろう」

 

「仕方なかろくないし!……あそこは、あんたがこれから1人じゃなくなるために必要な場所なの!」

 

「……なんだよそれ」

 

 

ヒキオは必死になる私を不思議そうに見つめた。

 

ようやく私の話に取り合う気になったのか、横にしていた身体を起こす。

 

 

これ、必死ポイントに加点だかんね!!

 

 

「まぁ、静かに本を読む場所が無くなるのは困るな」

 

「!」

 

「…最低3人。あと2人か……。まぁ、名前だけでも借りれれば部は存続できるだろ」

 

「あと1人だし」

 

「あ?」

 

「あんたとあーし。部員は2名だからあと1人でしょ」

 

 

木漏れ日に戯れるヒキオの前髪が暖かな風にさらわれた。

 

大きく見開かれた目と、可愛らしいおデコ。

 

柔らかそうなほっぺはもちもちで、今度機会があればつねらせてもらおう。

 

 

「……本当に入ったのか」

 

 

小さく呟かれた言葉を私はあえて聞こえない振りをした。

 

 

 

 

 

 

「ほら、探しに行くよ。…あと1人、読書部にちゃんと顔を出してくれる物好きな奴を」

 

 

 

 

 

 

 



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Time traveler -4-

 

 

 

 

 

 

 

学校の廊下で隣を歩く彼は、普段よりも幾分か身長が小さい。

 

少しだけ背伸びをしないと届かない唇も、今は楽々と届きそうだ。

 

ただ、並び歩く2人の間に出来た距離が少しだけ物悲しく、歩く歩幅もバラバラである。

 

それが今の私とヒキオの距離感。

 

 

 

ーーーーー。

 

 

 

 

読書部の廃部宣告を受けた翌日。

 

それまでと変わることのない日常は平等に過ぎていき、まるで私が廃部に悩んでいることを嘲笑うかのごとくに時間は過ぎていった。

 

廃部を免れるために必要な部員数は残り1人だと言うのに、声を掛けたガキ共に感触のある反応を示した奴は居ない。

 

 

放課後になれば、ほとんどの生徒が所属している部活動へと去って行き、いつのまにか、教室には頭を抱えて没頭する私と、文庫本に目を落とすヒキオだけが残されていた。

 

 

「こ、このままじゃ廃部になっちゃうし!」

 

「…そうだな」

 

「クソガキ共が!マネージャーなんかやって男の尻を追いかけてるくらいなら活字でも読んで知性を養えし!!」

 

「……。」

 

「ちっ!…こうなりゃ気弱そうな奴を脅して…」

 

「やめとけ。……つぅかよ…」

 

「あ?」

 

「…なんでそんなに必死なんだよ?」

 

 

ヒキオはどうでも良さそうに、それでも少しだけ真剣に、文庫を机に置きながら私に問いかける。

 

 

「…っ。あそこはあんたにとって大切な場所になるの…」

 

「…?」

 

 

そう言いながら、私はあの頃の奉仕部を思い出していた。

 

大切な時間を過ごしていたヒキオ達を思い浮かべながら。

 

 

「……」

 

「……まぁ、胡座をかいて勧誘活動をしてこなかった俺にも責任はあるが、今は時代が時代だからな」

 

「どうゆうことだし…」

 

「今やスマホ1つで小説だって読めちまう。わざわざ図書室で本を読もうなんて奴は居ないってことだ」

 

「……」

 

「時代遅れ……。廃部になるべくして廃部になる部活なんだよ。読書部ってのは」

 

「……違うよ。…違うんだし」

 

 

身体は小さいくせに口だけは変わらない。

 

太々しく博識で。

 

諦めの良さまで変わってはいなかった。

 

 

「……あんたが部活をすることが大切なの。あんたの居場所に誰かが踏み込んでくることが、…大切なの」

 

「…俺は1人で居たいんだがな」

 

 

自分をぼっちだと呼称する物言いが懐かしい。

 

出会った頃のヒキオもこんな風に捻くれた奴だったかもしれない。

 

それでも、いつしかヒキオの世界は色んな人に荒らされて、そんな台風みたいな周囲の環境を嫌々そうにしながらも満喫していたんだ。

 

 

ここには居ない、結衣や雪ノ下さんのおかげで。

 

 

「あーしが…、そんなこと思えないようにしてやるし」

 

「な、なんだよ。それ…」

 

 

 

ふと、ヒキオが私の言葉に戸惑いを見せながら目を逸らそうとした時、教室の扉が誰かによって開かれた。

 

 

 

「あれ?優美子ちゃん?よっす!最近放課後に良く会うねー」

 

「かおり…」

 

「ん?比企谷も居るじゃん!ウケる!」

 

「…おう」

 

 

ウケるー!

と言いながら私達に近寄ってくるかおりは左手にノートと筆箱を抱えていた。

 

どうやら中間テストの勉強会を友達としていたようだ。

 

 

「比企谷も勉強してる?」

 

 

なんて、軽口を叩きながらヒキオの隣に歩み寄るのは、どこか私達の間に漂っていた雰囲気を変に勘違いしたからなのかもしれない。

 

 

「…まぁな」

 

「頭が良い奴は余裕があっていいなぁー」

 

「…ふん。じゃぁ、俺はもう行くから」

 

 

ふわりと揺れるアホ毛に同調するように、ヒキオの顔が少しだけほころんだ。

 

 

ズキ。と。

 

 

私の胸を襲うのは謎の痛み。

 

 

「……っ。ま、待てし!廃部の件、どーするつもり?」

 

 

私は胸の痛みを誤魔化すために、立ち去ろうとするヒキオの腕を掴んだ。

 

ほんのりと温かさが伝わるのはヒキオの体温。

 

それでも彼の視線は私に向かない。

 

 

「廃部になるならなっても構わん。特に思入れがある部活でもないしな」

 

「だ、だから……っ!」

 

「……廃部?なんの話?」

 

 

 

流れに逆行するように、かおりは場にそぐわない声でその場を静まらせた。

 

 

.

……

 

 

ポカンとするかおりに、廃部の件をざっくりと伝えると、彼女は少しだけ悩みながらノートの1ページを切り取り何かを書き出す。

 

 

 

 

「ちょっと待っててねー」

 

 

「「?」」

 

 

スラスラと、ノートから破かれた1枚の髪にボールペンを走られせると、書き終えたそれを私とヒキオに見せつけた。

 

 

「ほい!これで廃部しないんでしょ?」

 

「?……入部、届け」

 

 

それには丸い文字で大きく書かれた”入部届け”の文字と、折本かおりのフルネーム。

 

ご丁寧にふりがなまで付けられている。

 

 

 

「私、部活とか入ってないし。読書部に入部してあげる!」

 

 

 

 

.

……

…………

………….……

 

 

 

 

教室の静けさとはまた違う図書室の静けさ。

 

以前に図書室は何でこんなに静かなのかとヒキオ(大人)に尋ねたことがある。

 

なんだか小難しいことを言っていたが、とりあえず本が音を吸収するからだったと覚えている。

 

 

なんでそんなこと知ってんだし。

 

 

と、呆れながらもそんな雑学を披露するヒキオの横顔を嬉しそうに見ていたのは紛れもなくこの私だったな……。

 

 

 

 

「相変わらず静かだね、図書室は」

 

「本が音を吸収してんだし」

 

「……詳しくは本が空気の振動を止めているんだがな」

 

「あんたがこうやって教えてくれたんでしょ!」

 

「……教えた記憶がない」

 

 

教室から図書室に場所を移した私達は、四角いテーブルを囲むように座る。

 

鍵を開けたヒキオが最初に座り、私はその隣に座ろうとするとかおりが先にそこへ腰掛けた。

 

 

この女……。

 

 

「それでさ、読書部って何をやる部活なの?」

 

「…まぁ、名前の通りだが、本を読んで読んで読みまくる。それだけ」

 

「なにそれウケるんだけど!」

 

「……ウケるのか」

 

「あ、そういえば申請書に活動内容とかも書いてあったし」

 

 

私は昨日に頂いてきた読書部の申請書を鞄から取り出す。

 

 

「どれどれ」

 

 

申請者の欄と部員名の欄には10名程の名前が書かれていた。

 

どうやら創部当時はそこそこの規模を誇っていたらしい。

 

その申請書には、読書部を作る理由と活動内容を書くために設けられた欄があるのだが……。

 

 

「……読書部は暇な時間を持て余す生徒が、学校の問題を解決、手助けをする部活です。……。比企谷って学校の問題を解決したり手助けしたりしてたの?」

 

「…してない。てゆうか、俺も活動内容を初めて知った」

 

「ウケる」

 

「ウケないだろ」

 

 

読書部……。

 

私の知っている”とある部”も、生徒間や学校でのトラブルを意欲的に解決していた。

 

依頼だなんだといって、普段は暇そうにしている3人がせっせと働く姿が印象に強く残る。

 

 

 

 

この活動内容って…。

 

 

 

 

「……奉仕部?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Time traveler -5-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総武中の制服は学ランだ。

 

 

ブレザーを着た総武高生のネクタイを巻く制服がなんだか大人に感じる。

 

 

それは、ブレザー姿のヒキオを知っている私には強く印象深く、ただいま目の前に居る、少しだけ大きな学ランに手を通すヒキオが幼く見えてしまってしょうがない。

 

思わずアホ毛を寝かせようと頭を撫でてしまいたくなるほどに。

 

ふと、私は衝動に勝てずに彼の頭を撫でてみる。

 

小さなヒキオは嫌そうに私を睨み、優しくその手を弾くのだ。

 

 

「それって寝癖?いつも立ってるし」

 

「寝癖じゃねぇよ。ナチュラルヘアーだ」

 

「へぇ…。抜く?」

 

「痛い痛い!……え?きみバカなの?」

 

 

そんな図書室の日常。

 

机を挟んだこの距離が、今の私とヒキオの距離なのだ。

 

 

すると、先生に呼び出されていたかおりが絶やさぬ笑顔で遅れて図書室にやってくる。

 

 

「やっほー!遅れてごめん!」

 

「……別に。時間に縛られる部活でもねぇし」

 

「そうだねー。よいしょっと」

 

 

鞄をどさっと床に置き、かおりは自然にヒキオの隣の椅子に腰掛けた。

 

むむ?

 

 

「あ、比企谷寝癖ついてる。ウケるんだけど」

 

「ウケないだろ。あと、これは寝癖じゃない」

 

「ちょっと待っててみ。ほら、頭動かさないで」

 

 

まるで面倒見の良い姉のように、かおりはヒキオの頭を手で撫でる。

 

寝癖はそのたびにひょこひょこと起き上がるのだが。

 

 

ふん、それはさっき私がやったっての。

 

振り払えヒキオ。

 

腕がもげる程に強く振り払え。

 

 

「……」

 

「ん〜、中々直らないなぁ」

 

「……」

 

「あはは。水で濡らさないとダメっぽいね」

 

「……」

 

「てゆうか髪柔らかっ。羨ましいんだけど」

 

「……」

 

 

 

……。

 

 

 

「なんでだし!!」

 

 

「「!?」」

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

奉仕部の活動内容に酷似したこの読書部。

 

 

かおりを含めて3人になったため、廃部の危機は乗り切ったものの、部活動と名乗るからには活動を行わなくてはならないらしく、やはりその活動内容は申請書に沿ったことをしなくてはならないとか。

 

 

放課後に図書室へ集まったは良いものの、ヒキオ、かおりはそれぞれ本を読むかスマホを睨むかで、それをどう活動報告とすれば良いのかは分からない。

 

 

「……さて、人助けでもしますか」

 

「……は?何を突然口走ってんだ?三浦」

 

「口走ってません。口歩いてます。…読書部の活動内容は人助けだし」

 

「求められれば助けるのがこの部活動のモットーだ」

 

「違います。私達は奉仕部じゃないし。読書部は自ら進んで人助けを行います」

 

「…奉仕部ってなんだよ」

 

 

窓を開け、私はヒキオとかおりに向かって喋り出す。

 

吹き抜ける風は暖かく、図書室にこもった小さな停滞の空気を吹き飛ばしてくれる気がした。

 

 

「学校には沢山の困った生徒が居るし!それを片っ端から助けるの!」

 

「……アホか。そんな恩着せがましいことができるかよ」

 

 

ヒキオはぷいっと顔を文庫本に落とし直すも、私は口を開き続ける。

 

 

「この年齢のガキは所謂思春期。多感な時期には悩めることが多いはず!」

 

「あー、ソレあるかも。特に恋愛と勉強はガチで多感だしねー」

 

「恋愛、勉強、部活!!これこそ青春っしょ!!」

 

 

私はヒキオの文庫本を取り上げ窓の外に放り投げてやった。

 

 

「あ!?お、おまえ!」

 

「だけど、一人一人に困ってる事はないかって聞き回るのも違う気がする。だからこう言うのを用意したし」

 

「…窓から投げちゃ危ないだろうが。……ったく、で、ソレはなんだよ?」

 

「ウケる!貯金箱?」

 

 

私は縦長の立方体を机の上に置く。

 

その立方体の上蓋には手紙サイズの紙を投入できる穴が開いてある。

 

 

「これに悩み事を書いた紙を入れてもらうし!プロデュースはあーし!!」

 

「……プロデュースは北条氏康だろ。まんま目安箱じゃねぇか」

 

「誰だしそいつ。んで、これを生徒が良く通る場所に置いておくわけ」

 

「んー。連絡橋とか?」

 

「そこで決定!!」

 

「待て待て、決定じゃねぇよ。そんなん教師の許可無く配置できるわけ…」

 

「もう許可は得たし!!」

 

「……」

 

 

はい論破。

 

私は目安箱に注意書きを施し、それが完成すると両手で持ち上げ空高くに掲げた。

 

 

 

「あんたらも祈れ!簡単でお手頃な悩み事が程々に集まることを!!」

 

 

 

 

.

……

………

……………

…………………

 

 

 

 

「で、1週間経ったけど」

 

「…この重みは結構入ってるね」

 

 

 

私は目安箱をお腹に抱え、ヒキオと共に図書室へと向かう。

 

1週間でどれだけの投稿があったのか、今日はそれを確かめる日なのだ。

 

 

「開けるのが楽しみだし」

 

「…お年玉じゃねぇんだよ」

 

 

図書室へ到着し、ガラガラと鳴るスライドドアを開けて中に入ると、すでに待機していたかおりが大きく私達に手を振る。

 

 

「どう?いっぱい入ってた?」

 

「これから開けるし。ただ、この重み……、100は超えてるね」

 

「え!まじ!?早く開けよ!」

 

「まぁ待てし。……あ」

 

 

1週間ぶりに帰還した目安箱を机に置き、興奮の冷め止まぬかおりとヒキオを手で静止しそれを開けようとする……、開けようとしたのだが。

 

 

「……やばいし。取り出し口作るの忘れた」

 

「「…」」

 

 

どうにか取り出せぬものかと、私は投入口を逆さまにして振ってみるも手紙が出る気配はない。

 

 

「……ふぅ。壊すか」

 

「…つぅかよ、今振ったときに音が全然鳴って無かったけど…」

 

「かおりー、そこの分厚い本取ってー」

 

「ほーい」

 

「これでぶち壊す」

 

「本の使い方、間違ってるからね」

 

 

私は目安箱を目標に、分厚い本を自由落下させる。

 

重たい本は目安箱に見事ぶつかり、物の見事にそれを破壊してみせた。

 

本を使った部活動、読書部っぽいね。

 

 

「破壊したし。さて、中身を確認しますか」

 

「するまでもねぇだろ。1枚しか入ってないんだから」

 

「100枚分の価値を持った1枚だし」

 

「……そうか」

 

 

破壊された目安箱から飛び出した1枚の手紙を、私は丁寧に捲り中を確認する。

 

それは女の子らしい文字で書かれており、ノートか何かの切り端が使われていた。

 

 

「雑な手紙だな」

 

「手紙は手紙だし」

 

「まぁまぁ。ほら、2人ともさ、早く内容を見ようよ」

 

 

 

散在した目安箱をどかし、私達はその手紙に顔を寄せる。

 

 

 

 

 

『好きな人が居ます。その人に告白がしたいのですが出来ません。どうすれば良いでしょうか。』

 

 

 

 

 

 

 

 



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Time traveler -6-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前のことだが、図書室には数え切れないほどの本がズラリと並んでいる。

 

それはSFから純文学まで様々なわけで。

 

背の高い本棚が織りなす図書室内の迷路を縫って歩くように、小さなヒキオはせっせと返却された本を棚に戻していた。

 

 

……図書室には私とヒキオ以外誰も居ない。

 

 

誰にも見られることがない本棚の密室。

 

 

……ゴクリ。

 

 

 

「ヒーキオっ。手伝ってあげるし」

 

「いらん」

 

「!?」

 

「ウチの図書室は少し特殊なんだよ。著者順でも作品名順でもなく、沢山借りられてる順に並べられてるんだ」

 

「そ、それがなんだし」

 

「……。おまえ、小説とか興味ないだろ。どれが沢山借りられてるとか分かるか?」

 

「分かるし!」

 

「ぬ?」

 

 

私はヒキオが大量に運んでいた返却本を二つ取り、それを自分の鼻に近寄せた。

 

 

「……変な匂い、コレは沢山借りられてる。……コレは木の匂いがするからあまり借りられてない」

 

「!?」

 

「ふふん。あーし、嗅覚には定評があるから」

 

「まじかよ…」

 

「ヒキオ、ちょっとこっち来てみ」

 

「あ?」

 

 

とろとろとこちらに来たヒキオをガシっと捕まえ、私は学ランに顔を寄せる。

 

 

「な!?」

 

「……。あんた、昨日カレー食った?」

 

「…なぜわかる」

 

「今朝もカレー。…寝かせたね」

 

「むむ」

 

「今日の昼はカレーパンか。家カレーからの外カレー。無敵だね」

 

「おう、無敵だ。……それにしてもすげぇ嗅覚だな」

 

「へへ。毎朝あんたのパジャマを嗅いでたからね」

 

「怖いっ!!」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

数学の先生による授業が滞りなく進む中、私はノートと教科書でブラインドを作りながら昨日目安箱に届いた手紙を読み直す。

 

 

乱雑に引き裂かれたノートの切れ端には似つかわしくない丸い字体がなんとなく不思議な印象を抱かせた。

 

 

コロコロと文字が転がってる。

 

 

その文面には恋を匂わせる内容。

 

 

心なしか、昔の自分を思い出す。

 

 

私には目も向けてくれない人に対する告白は、たぶん生きていく内の何よりも怖いものなのだ。

 

 

「……」

 

 

葉山隼人め……。

 

高校生の私を弄びやがって…。

 

 

なんて、余計なことを思い出していると、授業の終了を告げるチャイムが教室内に鳴り響いた。

 

 

「ふぅ、やっと放課後か」

 

 

小さく伸びをしながら、私はヒキオの元へと歩み寄る。

 

かおりは担任に呼ばれたとかでそそくさと教室を出て行ってしまった。

 

 

「ヒキオー。部室行くよー」

 

「…ヒキオって呼ぶな」

 

 

そう言いながら、ヒキオは数学のノートに未だ数式を書き込んでいく。

 

書くのが遅いのか、それとも計算が遅いのか、せっせとシャーペンを動かしながら数字を書き込む姿は私の母性本能をくすぐった。

 

 

「…数学、やっぱり苦手なん?」

 

「やっぱりって何だよ。…まぁ、理解は遅いかもな」

 

「数学なんて将来役に立たないし、別に気にすんな」

 

「…慰めてんじゃねぇよ」

 

 

 

.

……

………

 

 

 

私は図書室に着くなり机を陣取り、昨日の依頼書を広げる。

 

依頼書とはもちろん恋文のことだが、今日一日中ソレと睨めっこをしていたが何の解決策も浮かばなかった。

 

 

「…まだ持ってたのかよ。そんなん誰かのイタズラだろ」

 

「あんたは恋心が分かってない」

 

「む」

 

「…もしこれがイタズラなら、好きな相手を匿名にするなんてしない。あーしらを悩ませるだけのイタズラなんて誰が得するんだし」

 

「理に適ってるが、中学生が何も考えずに突発的な行動を起こすなんてよくあることだろ?」

 

「その突発的な行動こそ、深層心理にあるそいつの本心なんだし」

 

「むむ」

 

 

反論を失ったヒキオがようやく自らも椅子に腰を落とし、その手紙を眺め始める。

 

ただ、情報が少なすぎるその手紙からは何の意図も読み取ることは出来ない。

 

 

「……おまえ、その手紙の持ち主を探してどうするわけ?」

 

「は?決まってんじゃん。その好きな人と付き合えるようにフォローすんだし」

 

「…意図を履き違えるなよ。その手紙の内容は”付き合いたい”じゃなくて、”告白がしたい”だ」

 

「む。そんなの言葉の綾みたいなもんでしょ」

 

「……」

 

 

 

ヒキオは読んでいた文庫本から視線を上げ、私の目を少しだけ睨むと再度文庫本に視線を移した。

 

何かを訴えようとしたのだろうか、ただ、この世界の私とヒキオはまだ深く繋がっていない。

 

だから本心を無闇にさらけ出してくれたりはしないんだ。

 

 

ふと、胸の奥で小さなくぼみが出来上がる。

 

思い出の欠落。

 

前にも似たようなことがあったような……。

 

 

 

”本気で向き合ってくれて嬉しかったのーーー”

 

 

 

……。

 

そうだ、結衣の告白は答えを貰うための告白ではなかったんだ。

 

心と心で向き合うための告白。

 

伝える事の意味を改めて考えさせられた、そんな告白。

 

 

……もし、この手紙の出し主もそう思っているのなら…。

 

 

「……。告白しても、フラれるって分かってる…」

 

 

「……」

 

 

フラれる、それでも告白をするのには意味がある。

 

……。

 

 

「…ヒキオ、フラれるって分かってるのに告白する理由ってなんだと思う?」

 

 

目の前にいる小さなヒキオよりも長く生きていながら、未だにその理由が分からない。

 

いや、分かっているのに分かろうとしていなかった。

 

それは、高校生の頃に隼人に告白したときも。

 

隼人が別の誰かに好意を抱いていると分かっていながら、分からないフリをして好きで居続けた。

 

あえて鈍感で居ることに甘えていたんだ。

 

 

「…分からん。想いを吐き出したいとか、決別の機会だとか、そんなんじゃねぇの?」

 

 

静かに揺れるカーテンが大きく膨れ上がり、止まっていた図書室の時間は頬を撫でる優しい風に寄って動き出す。

 

 

 

ふと、カーテンの揺れる窓の下に配置された背の低い本棚に、1冊だけ、真新しく分厚い本が詰め込まれていた。

 

あれ、あの本をどこかで見た覚えが…。

 

……あぁ、初めてココでヒキオと会ったときに、最上段に埋まっていた本。

 

ヒキオが一生懸命に取ろうとしていた本だ。

 

 

……位置が変わってるってことは、誰かがあの後借りたってこと?

 

 

ふと、私はその分厚い本を棚から引き抜きペラペラとページを捲ってみる。

 

 

「…ね、ねぇヒキオ!この本ってどんな内容なの?

 

「あ?……確か、古い恋愛小説だったな…、あまり面白くなかったから途中で読むのを止めた」

 

「むむ…」

 

「内容が知りたいならあらすじとあとがきを読んでみろよ」

 

「あ!そっか!読書感想文の基本を忘れてたし!」

 

 

私はなぜか変な衝動に駆られ、その本のあらすじとあとがきをじっくりと読み解く。

 

 

恋愛、浮気、失恋、手紙、告白。

 

 

書かれているワードが一つ一つ、私の心を覗かれていたかのように捉えた。

 

 

 

……。

 

 

 

「……」

 

「…?どんな内容だったんだ?」

 

「え、いや…。まぁ在り来たり恋愛小説だったし」

 

「へぇ」

 

 

ヒキオはさほど興味が無いように自らが読んでいた文庫本に目を落とし直す。

 

 

 

内容は至って簡単だった。

 

 

 

主人公の女の子には好きなクラスメイトが居た。

 

でも、そのクラスメイトは他の女の子に惹かれている。

 

想いだけでも伝えたい主人公はそのクラスメイトに近づいてはちょっかいを掛けた。

 

 

気付いて貰うために。

 

 

次第に、クラスメイトと主人公の距離は縮まっていくが、それは友人としての距離であり、クラスメイトとその想い人の相談仲介役になってしまう。

 

 

クラスメイトのことが好きだった。

 

 

ただ、クラスメイトのことを想うなら、主人公は身を引いて、彼の幸せを願うべきだと考えた。

 

 

それでも、この気持ちだけは伝えたいと。

 

 

主人公は想いを手紙に綴り、それをポケットに忍ばせて渡す機会を伺っていたが、結局は渡せず仕舞いに卒業を迎えた。

 

 

勇気の無かった自分を戒めるように、彼女はその手紙を破り、屋上に吹く強い風に乗せて捨てるのであった。

 

 

 

ーー好きでした、ありがとう。

 

 

 

……。

 

 

 

 

とくん、と。

 

私は心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 

あとがきを読み終え、本の最終ページを捲ると、そこには貸し出しカードが挟まっていた。

 

 

私は、その貸し出しカードに思わずため息を吐いてしまう。

 

 

貸し出し記録はまだ2名の生徒にしか借りられていない。

 

 

そのカードに記された2つの名前。

 

 

……そっか、あんたはコレを読んであの手紙を出したんだね。

 

 

同じ本を読んでいるハズのあいつになら気付いて貰えると思って。

 

 

 

 

 

 

ーー貸し出し記録

 

 

 

比企谷 八幡

 

折本かおり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Time traveler -7-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒキオと出会い、付き合い、すれ違い、惹かれ合った。

 

義務的な恋愛を繰り返していた私にとって、アイツの存在は何よりも重たい。

 

甘い甘いコーヒーのように、優しく頭を撫でてくれるヒキオの手が好きだ。

 

私の手を握るときに見せる困った顔も好き。

 

座った時に膝を抱く座り方も、テレビから聞こえる大ボリュームに驚く姿も、料理をするときだけ伸びる背筋も。

 

みんなみんな大好き。

 

大好きって気持ちが痛い程に分かるから。

 

 

「……」

 

 

かおりの気持ちを無下にすることは出来ない。

 

無下にしちゃいけない。

 

 

好きって言葉に魔法を掛けて、伝えるために勇気を振り絞る。

 

 

拒絶される怖さにビビるな。

 

 

思いは吐き出してこそ、初めて想いになるんだから。

 

 

 

 

「……優美子ちゃん。どうしたの?」

 

 

 

屋上の風に髪を押さえる。

 

放課後になり、グラウンドから轟く野球部の声や、教室から聞こえる吹奏楽部の音合わせ。

 

きっと、その中にはヒキオが本を捲る音も混ざっているのだろう。

 

 

「…急に呼び出してごめん。忙しかった?」

 

「んーん。この後、図書室に行こうと思ってただけ」

 

「あーしと一緒だ」

 

「ふふ。読書部の仲間だもんね」

 

「あーしとあんたと……、ヒキオ」

 

「……うん」

 

 

空と屋上を遮る緑のフェンスにもたれかかる私の隣に、かおりはゆっくりと歩み寄ってフェンスを握る。

 

そのとき、まるで時間の流れが止まったように世界から音が無くなった。

 

 

「…ここで優美子ちゃん、比企谷に嘘の告白をしたんだよね」

 

「……」

 

「比企谷に告白ドッキリしようって……。あれ、最初に言ったの誰か覚えてる?」

 

 

覚えてるはずがない。

 

私の記憶が始まったのはこの屋上でヒキオの前に立っていたときからだからだ。

 

すると、かおりはフェンスを強く握り直し、私に向かって淡い笑顔を浮かべながら呟いた。

 

 

「私、なんだ…。私が比企谷に告白しなよって…、言ったんだ」

 

「…ワケを言いな。あんたは理由も無く人を…、ヒキオを悲しませるような奴じゃないし」

 

「…っ。…優美子ちゃんが居ない時に、比企谷に告白すれば面白いんじゃない?って、あのコ達に伝えた」

 

 

あのコ達とはあの時に陰で隠れていた3人、告白ドッキリの首謀者だろう。

 

 

「そうすれば、告白役はきっと優美子ちゃんになるって予想ができたから」

 

「…あーしは…」

 

 

 

「…。優美子ちゃんが、比企谷に嫌われればいいのにって思ったの」

 

 

 

ざわつく風が吹き荒れる。

 

かおりの容赦のない敵意がこもった言葉に、私は一瞬背筋を凍らせた。

 

 

 

「…比企谷は、優美子ちゃんが好きだよ」

 

「そ、そんなわけ…、ヒキオが好きなのは…」

 

「優美子ちゃんだよ!!….わかるもん。比企谷のことをいっぱい見てたから」

 

「…っ」

 

「比企谷のことが好きだから…」

 

 

かおりはスカートの裾を強く握りしめ、下を向きながら大きな声を振り絞った。

 

口から漏れた本音は、次第に涙となって頬を滴る。

 

彼女は純粋な女の子なんだ。

 

 

「それなのに、急に優美子ちゃんが読書部に入ったり、比企谷に絡んだり、周りの目を気にもしないで比企谷と仲良くなった。…ほんとに、わけがわからないよ」

 

「…ワケなら分かるでしょ。だからあんたは手紙を出したんだから」

 

「っ!!……なんで優美子ちゃんが気づいちゃうのよ…。比企谷にしか分からないメッセージだったはずなのに…」

 

「あいつ、あの本読んでないよ」

 

「…もぉ〜っ!何も上手くいかない!!」

 

 

フェンスを握っていた手で髪をかきあげなから、項垂れるように地面に腰を落とし膝を抱く。

 

しばらく、鼻を啜る音や引きつる呼吸が聞こえると、かおりは震えた声でぶつぶつを話し出した。

 

 

「…ぅ。比企谷のことを分かってるのは私だけだったのに…。諦めたはずだったのに…。読書部なんか入らなければよかった……」

 

「……」

 

「比企谷も楽しそうだったし。優美子ちゃんにデレデレでさ。…ほんと、バカみたい」

 

「…かおり」

 

「慰めないでよ。ミジメになるじゃん」

 

「甘ったれんな」

 

「え?」

 

 

私は俯くかおりを見下ろすように仁王立つ。

相手が男なら拳を振り下ろしていたところだ。

 

 

情けない声で呟かれた言葉に辟易としながら、私は”彼女”の顔を思い出していた。

 

 

冷徹で毒舌な美しい雪の姫。

 

 

雪ノ下雪乃は弱った私に遠慮無く叱咤した。

 

想いを伝えなさい。

 

好きと言う気持ちを大切にしてあげなさい。

 

それで私達は対等よ。

 

 

 

「…あーしはヒキオが好き。何度でも抱き締めてもらいたいし、何時までも隣に居て欲しい」

 

「…っ」

 

「手紙に込めた想いだけで、あんたはヒキオを諦められるの?」

 

「…わ、私は…っ。私は…」

 

 

手紙に込められた想いはヒキオに届かない。

 

あいつは鈍感を装おっているつもりで本当に鈍感だから。

 

大きな本を一生懸命に捲る小さなヒキオは生意気で博識でどこか抜けてて。

 

それなのに、甘いコーヒーを傾ける姿なんかは大きなヒキオと変わらない。

 

 

……タイムトラベル?パラレルワールド?

 

そんなの関係ない。

 

 

私は全ての世界で全てのヒキオを愛している。

 

 

例え、私が居るべき世界で無かろうと、ヒキオは誰にも渡さない。

 

渡したくない。

 

 

「私だって、比企谷のことが好き。…諦めたくなんかないよ」

 

 

だからって、ヒキオの周りで悲しむ誰かを見て見ぬ振りは出来ないから。

 

結衣みたいに綺麗な涙を流して欲しいから。

 

雪ノ下さんみたいに姿勢良くフられたことを誇ってもらいたいから。

 

 

私は涙を流して俯く彼女の背中を押してやる。

 

 

 

 

 

「本当に好きなら後先考えずに突っ走りな。

好きって気持ちも、嬉しいって気持ちも…、もっと大切にしてやれし」

 

 

穏やかに流れていた時間が終わる。

 

涙を流す彼女の瞳はとても綺麗で。

 

何かを決意したかのようなその顔は、私が見てきたかおりの表情で1番美しかった。

 

 

敵に塩を送る?

 

 

違うし。

 

 

みんな、ヒキオにフられちゃえばいいんだ。

 

 

どうせフられたって、ヒキオなら幸せにしてくれるから。

 

 

 

 

「私、比企谷に全部伝えてくる」

 

「…うん、ダメ元で行ってきな」

 

「ふん!優美子ちゃんこそ後で泣いたって知らないんだからね」

 

 

ふわりと立ち上がる彼女の瞳に涙はもう無い。

 

 

一歩を踏み出す彼女の背中を見つめながら、私は目を閉じる。

 

 

……ほんと、変な過去に飛ばすなし。

 

 

ヒキオ、帰ったら私が満足するまで頭を撫でてよね……。

 

 

 

 

 

ふわりと。

 

 

 

 

身体から重さが消えていく。

 

 

 

 

一瞬の目眩と同時に、私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー☆

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーぃ」

 

 

ん、眠い…。

 

瞼がいつもより重く感じる。

 

 

「ーーい」

 

 

遠くから、優しい声が聞こえてくる。

 

まだ、寝かせろし…。

 

 

「ーーおい」

 

 

優しく暖かい。

 

あーしの好きな……。

 

 

「おい!」

 

「!?」

 

 

声が耳から伝わり脳を揺らした。

 

思わず身体を跳ね起こした私は、何が何だか分からずに周囲をキョロキョロとしてしまう。

 

 

「……おまえ、大丈夫か?」

 

「へ?ひ、ヒキオ?」

 

「あ?」

 

「大きいヒキオ!?」

 

「…まじで頭大丈夫か?」

 

 

まごう事なき大きいヒキオが私の目前で呆れている。

 

どうやらソファーに寝転がってる私を上から覗いている形のようだ。

 

 

「あ、あーし、どうして…」

 

「どうしてって、飛べしーーって言いながら、滑ってズッコケて床に頭をぶつけて…、おまえそのまま寝ちまうからよ」

 

「ね、寝てた!?あーしが!?」

 

「お前以外に誰が居るんだよ…。はぁ、あんまり心配させんな…」

 

「むー。じゃあ、あれは夢……?」

 

 

ヒキオは不思議そうに私を見つめながら、いつものように優しい手つき頭を撫でてくれた。

 

気持ちの良いその手に、私は思わずまた眠ってしまいそうになる。

 

 

「おまえ、うなされてたぞ?」

 

「うなされてた?」

 

「あぁ。アホ毛がぁ〜、とか。本がぁ〜、とか」

 

「むむ。解せぬ…」

 

 

私は頭を撫でてもらいながら考える。

 

あの後、かおりはヒキオに告白したのだろうか。

 

結果はどうだったのか?

 

読書部はどうなったのか…。

 

なんて、今更その結末を知る由もない。

 

だってあれは、すべて夢だったのだから。

 

 

「ん〜〜!ヒキオー!もっと頭撫でろし!」

 

「もう終わり。夕飯の買い物行かなきゃ」

 

「え!もうそんな時間!?」

 

 

この幸せな世界はいつまでも。

 

私とヒキオを出会わせてくれた世界はずっと光り続ける。

 

 

 

 

ふと、テーブルの上に置いてあったヒキオのスマホが短く震えた。

 

 

おそらくLINEを受信したのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー折本ーー

 

あの本読んだ?

ちょーウケるっしょ!

またオススメ貸してあげるね!

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーend

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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私はあんたの世話を焼く。☆
Snow slow -1-


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

pipipipiーーー

 

 

小気味好い電子音によって始まる朝は、眩しい日差しと共に俺の脳を優しく覚醒させた。

 

今日は平日だが、講義も無ければゼミも無い。

 

どれ、もう少し惰眠を貪るか。と、寝返りを打ちながら腕をベッドの上に広げる。

 

 

むに。

 

 

む?

 

柔らかい…。

 

程よい暖かさと弾力ある感触…。

 

 

……ふん、ここで慌てること無かれ。

 

どうせ三浦が昨夜に寝ぼけて俺のベットに入り込んできたんだろ?

 

もう慣れっこだっての。

 

 

ほんの少しだけ湧き上がる欲情を抑えつつ、俺は三浦を叩き起こすために目を開ける。

 

俺の惰眠を邪魔しやがって。

 

おまえが戯れてきたせいで心が幸せになっちまったじゃねえか。

 

 

「…ちっ、おい、みう……ら?」

 

 

規則正しい寝息と小さく丸めた手。

 

甘い香りを漂わせながら、彼女は毛布に包まり夢を見る。

 

何かに抱きつかないと寝れないのは三浦の悪い癖だ。

 

 

……。

 

 

だから分かる。

 

俺には分かる。

 

 

 

隣で丸まるこいつ。

 

 

 

小学生程の小さな身体と幼い顔の金髪幼女。

 

 

 

 

こいつが小さな三浦だと、俺には直ぐに分かった。

 

 

 

 

「……っ、み、三浦?」

 

 

「…むぅ。…はぁぅ、おはよ、ヒキオ。…ん?あーちのパジャマってこんな大きかったけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

★ あーち is pretty ★

 

 

 

 

 

 

 

 

どうゆうこった?

 

眠気が吹き飛ぶ出来事に、俺は慌ててベッドから飛び起きた。

 

小さな三浦が不思議そうな顔をして俺を見つめるが、おそらくまだ現状を理解していないのだろう。

 

夢か?

 

夢を見てるのか?

 

俺は三浦の頬を優しく抓る。

 

 

「んー!いひゃいいひゃい!な、なにすんだし!」

 

「ゆ、夢じゃないのか?」

 

 

ほんのりと暖かな、弾力ある感触を指から離す。

 

なるほど、寝起きに触れたのはこいつの頬だったのか。

 

 

「…とりあえず落ち着こう。おまえ、身体に違和感とか感じないか?」

 

「へへ、あーち、身体の丈夫さには定評があるかんね」

 

「いやね、丈夫だとかそういうんじゃなくて…」

 

 

起き抜けから相変わらずな三浦に呆れつつ、俺は彼女の脇腹を両手で持ち、ベッドから持ち上げる。

 

 

「ぬわっ!?ひ、ヒキオ!何するし!」

 

「…軽い。おまえ、これでも気付かないか?」

 

「はっ!…あ、あーち……」

 

「ん」

 

「……髪伸びてる」

 

「身体が縮んでんだよ!」

 

 

 

 

 

……………

……

.

.

.

 

 

 

 

一通りの理解を終え、三浦は自らの身体が写る鏡を不思議そうに眺める。

 

その間に着替えた俺は、とりあえずスマホで【身体 縮む】と調べてみるも、身体は子供で頭脳は大人な眼鏡の彼しか検索には引っかからなかった。

 

 

「あーち、流石に小学生の頃は黒髪だったし」

 

「…俺のことも覚えてるみたいだし、脳まで幼児化したってわけじゃなさそうだな」

 

「へっ。あーちがどんなに姿になろうとヒキオのことを忘れるわけないでしょ」

 

「あっそ。…それよりも、いつまでもそんなぶかぶかな服で居るのもな…」

 

 

大きな三浦が着ていたパジャマは小さな三浦には大き過ぎて、三つ折り四つ折りと裾を捲ってはいるがどうも動き辛そうだ。

 

 

「ヒキオ、子供用の服持ってないの?」

 

「持ってたら怖いだろ」

 

「じゃあ飯でも食いながら考えるし」

 

「ん、そうだな」

 

 

身体が縮んだ割には落ち着いている小さな三浦の提案に乗っかり、俺は朝食を作るためにリビング移動する。

 

 

「ちょっと待てし!」

 

「あ?」

 

「あーちのこと抱っこしな。こんなズルズルしてたら転んじゃうかもしれないでしょ?」

 

「…んな高圧的に抱っこをせがむガキが居るかよ」

 

「むふー」

 

 

両手をバンザイさせているのは脇から持ち上げろと言うサインだろうか、俺は仕方なく三浦の脇を持ち上げ抱きかかえる。

 

小さくなっても甘い香りは変わらないんだな、なんて思いながら、俺は三浦を抱っこしてリビングへと向かった。

 

 

「…よいしょっと」

 

「おっさんかよ」

 

「そんな気分だよ」

 

 

三浦を椅子に座らせ、俺は軽く腰を叩く。

 

軽いとはいえ、小学生程の女の子を抱っこして歩くのは少々疲れるな。

 

ていうか、こんな距離くらいズルズルさせて歩けっての。

 

 

「座っとけよ。そんな身体でキッチンに立たれても怖いし」

 

「あいよ。あ、今日はコーヒーじゃなくてミルクな気分だから」

 

「はいはい」

 

 

いつもの椅子は、ちょこんと座る三浦には少し高いようで、足が床に届かずにブランブランとなっていた。

 

小町が小さかったときもこんなだったなぁ、なんて思い出しながら、俺は卵をフライパンに落とす。

 

……。

 

…落ち着きすぎじゃないか?

 

俺はともかく、当人である三浦がなぜ慌てずにいられる。

 

……なんか腑に落ちん。

 

 

出してやった牛乳を幸せそうに飲む姿はやはり幼い。

 

 

「……おまえさ、小さくなった原因とか分かんないの?」

 

「あー?んー。…偶にはそんな日もあるでしょ」

 

「いやねえだろ」

 

 

焼きあがった目玉焼きと軽いサラダをテーブルに置き、俺は自分の分と三浦の分の箸を取りに行く。

 

……。

 

 

「…フォークの方がいいのか?」

 

「子供扱いすんなし」

 

「お、おう」

 

 

幼い姿の癖に威圧感だけは変わらない。

 

ただ、使いにくそうに箸を持つ姿は大人ぶった子供のようで可愛らしく、必死にミニトマトを追い掛ける箸使いには母性すら生まれてくる。

 

中々掴めないよミニトマトを、俺は代わりに掴んで三浦の口元に差し出してやった。

 

 

「ほら。あーんしろ」

 

「む。ヒキオからあーんしてくれるなんて珍しいじゃん」

 

「おまえが素直にフォークを使えば面倒事が減るんだがな」

 

 

チビ三浦は身体をテーブルに乗り出しながら素直に口を開く。

 

無垢な子は嫌いじゃない。

 

なかなか可愛いじゃないか。

 

パクリと咥えたミニトマトをむにむにと噛む姿なんてただの子供にしか見えん。

 

 

「…ロリコンは健在か」

 

「ロリコンと違うだろ。…はぁ、とりあえず食い終わった服を買いに行くか」

 

「この格好で服買いに行くの?」

 

「さっき小町に連絡しといた。1着だけ子供の頃に着てた服があるんだとよ」

 

「へぇ」

 

 

特に興味も無さそうに三浦は頷くと、食べ終わった食器をカチャカチャと積み上げていった。

 

俺はそれを危なかっしく見守りつつも、無事にキッチンまで運べたことに安堵する。

 

食器を置いて戻ってきたチビ三浦の頭を撫でてやると、カマクラとは違って気持ち良さそうに喜んだ。

 

 

 

「えらいえらい。……あ、プリキュアのプリントTシャツだけどいいよな?」

 

 

「それあんたの私物じゃん!!」

 

 

「違げーよ!!」

 






満を持してゆきのん。


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Snow slow -2-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モコモコとした大き目なファーダウンを頭から被せ、マフラーと手袋をしっかりと身に付けた三浦と玄関を出る。

 

グレーの分厚い雲に覆われていた昨日の空が嘘だったかのように、今日の天候は雲ひとつない晴天だ。

 

よちよちと、小さな歩幅で歩く小さな彼女の手をしっかりと握ってやると、それに応えるように、その手を力強く握り返してくる。

 

 

可愛い…。

 

……あれ?俺ってガチでロリコンなのか?

 

 

などと考えていると、隣を歩くチビ三浦が不思議そうに俺を見つめていることに気が付いた。

 

 

「…ん?どうした?もう疲れちゃったか?」

 

「違うし。…なんか、懐かしいなぁって…」

 

「あ?」

 

「あーちが小さかった頃、パパにこうして手を握ってもらってたから」

 

「へぇ。三浦にもそういう時期があったんだな」

 

 

ふっくらとしたホッペを突いてやると、それを嫌がり指を払われる。

 

それでもからかいたくなるのはこいつが可愛すぎるのがいけないわけで。

 

俺は再度ホッペに指を近づけてみた。

 

 

「…次やったら噛みちぎるかんね」

 

「怖っ。…反抗期かな」

 

「あ、もうバス来てるし。ほら、急ぐよ」

 

 

三浦はバスの到着を見つけ、ぐいぐいと俺の手を引っ張りながら足を速めた。

 

普段よりも幾分非力なその腕力に、俺はできるだけ負担を掛けさせないようにと歩幅を合わせる。

 

 

こんなのも悪くない。

 

休日くらいダラダラしたいと思ってたけど、小町の我儘に付き合う親父の気持ちが少し理解できてしまうというか…。

 

 

 

「…娘ってのは可愛いもんなんだな」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

目的地のショッピングモールに到着すると、午前中の比較的早い時間だというのに、既にモール内は人で混雑し始めていた。

 

家族やら学生やらでごった返す魔の境地で、俺はこの小さな天使を守らなくてはならないわけだ…。

 

 

「…俺は、このダンジョンでおまえを守りきる自信が無い」

 

「は?あんた何言ってんの?」

 

 

懐疑的な視線を向けるチビっこの頭を撫でながら、俺はこの魔境に飛び込む覚悟を決める。

 

 

「……っ」

 

 

だ、だめだ。

 

最近の堕落生活に身体が順応してしまっているためか、人混みを見るだけでも吐き気がしてくるぜ…。

 

 

「ひ、ヒキオ、あんたまじで大丈夫?顔色悪いけど…」

 

「……普段から、如何に俺が三浦に頼りっぱなしだったか身に染みるよ」

 

 

こんなとき、いつもの三浦だったら先頭切って道をこじ開けてくれるものだが、この小さな三浦にそれを期待するのは酷だろう。

 

 

破滅。

 

 

全損。

 

 

迷子。

 

 

嫌な言葉が頭をよぎったその時に。

 

ふわりと流れる懐かしい空気。

 

それは綺麗な黒髪をなびかせて。

 

紅茶の香りを漂わせる。

 

あの部室で見ていた彼女の横顔は、この雑踏の中でも美しく目立っていた。

 

 

 

「…あら、比企谷くん。こんな所で会うなんて奇遇ね」

 

 

「…。雪ノ下…」

 

 

 

 

 

 

.

……

………☆

 

 

 

 

 

 

 

「げっ!雪ノ下雪乃…」

 

「…?」

 

 

突如現れた彼女を見て、三浦は分かりやすいくらいに悪態をつく。

 

そういえば、三浦と雪ノ下は犬猿の…、火と氷のような仲だったな。

 

 

しかし、険悪な雰囲気になるかと思っていたが、雪ノ下の態度がどこか柔和で、困ったように眉を下げて俺を見つめた。

 

 

「…あの、比企谷くん。この子は……」

 

「あ、あぁ、そうか。…いや、まぁな、こいつは…」

 

 

こいつは小さくなった三浦だ。

 

バカなの?

妄想もそこまでいったら病気ね、ロリ谷くん。

 

はい、ここまで予想が出来ました。

 

 

「あー、俺の親戚だ」

 

「へぇ、小学生くらいかしら。…、誰かに似てるような…」

 

「あー、あれだわ。小町に似てるのかもな」

 

 

俺は不思議そうに三浦を観察する雪ノ下の前に立ち視線を遮ると、雪ノ下は納得しない表情のまま観察を止めてくれる。

 

なんとなく、こいつとセットで由比ヶ浜も居るんじゃないかとキョロキョロしていると、それに気が付いたのか、雪ノ下が小さく微笑みながら腕を組む。

 

 

「今日は私1人よ」

 

「そうか。…珍しい…、のか?」

 

「ふふ。本当は姉さんと買い物に来る予定だったのだけれど、土壇場になって予定が出来てしまったみたいで」

 

「…そうか」

 

「…お陰様で、仲良くやっているわ」

 

「…お陰様ね。何のことだかわからんが、良かったんじゃないか?」

 

「ええ。ありがとう」

 

 

自然に出てくる雪ノ下さんの話題に、姉妹に合ったわだかまりが消えつつあるのだと安心する。

 

……別に俺が安心する理由もないが。

 

ふと、雪ノ下との会話に気を取られていると、右脚のアキレス腱付近に軽い衝撃と痛みを感じた。

 

 

「おいコラ、あーちのことはシカトか?」

 

 

げしげしと、右脚のアキレス腱を集中的に狙った三浦の連打。

 

このクソガキ…。

 

 

「…ふふ。お兄ちゃんが構ってくれなくて拗ねているのかしら」

 

「あ!?誰が拗ねてんだし!言っとくけどヒキオはあーちのっ…むぐ!?」

 

「あー、はいはい!…早く買い物行こうな?」

 

「むぐっーーー!!」

 

 

三浦は口を抑えるとジタバタと暴れ出した。

それを制するだけの圧倒的な力の差が今はある。

 

 

「仲が良いのね…。お名前はなんと言うのかしら?」

 

「あ、あぁ、えっと、ゆ、ゆみだ。ゆみゆみ、ほら自己紹介しろ」

 

「むぐっ!ーーっぷは!な、なんであーちが自己紹介しなきゃなんないし!」

 

「ゆ、雪ノ下、ゆみゆみは少し照れ屋なんだ」

 

「ゆみゆみ言うなー!」

 

 

尚も暴れる三浦の頭を鷲掴み、無理やりに頭を下げさせる。

 

 

「ぐぬぬぬーっ」

 

「どうどう」

 

 

はぁ、元に戻ったら大変だな。

 

いつまでも小さな三浦でいてください。

 

 

「私は雪ノ下雪乃よ。…あなたのお兄さんとは……、お友達かしらね」

 

「…ん。まぁ、そうだな…」

 

 

何か意味有り気な視線を向けられつつも、俺は雪ノ下の言う”お友達”に同意した。

 

何を今更、と言われるかもしれないが、何年経ってもコイツにそう言われるのは少しばかり照れ臭い。

 

なんて言うの?

 

親に対してママから母さんに変える時みたいな?

 

……違うか。

 

 

 

「あの、比企谷くん…。良ければ私もご一緒して良いかしら?」

 

 

「…へ?」

 

 

「あ!?」

 

 

ベシッ、と反射的に三浦の頭を叩きつつ、俺は雪ノ下らしからぬ申し出に驚く。

 

 

 

 

 

「わ、私も一緒に行きたいって言ったのよ…。だめ…、かしら?」

 

 

 

 

 

不安そうな上目遣いを使う雪ノ下。

 

あれ?こいつレベル上がった?

 

なんて冗談を口に出すことなく、俺はゆっくりと首を動かす。

 

 

 

 

 

「…ダメじゃねえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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Snow slow -3-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼に繋がれた小さな手を彼女は、幸せそうに頬を膨らませる。

 

彼の身内だと言う彼女の瞳はツンとトンガリ、彼にも小町さんにも似ていない。

 

 

……やっぱり誰かに似ている気がする。

 

 

引っ掛かりを取り除こうにも、どこか頭がその存在を拒否しているような…。

 

 

むぅ…、解せないわね。

 

 

私は小さな悩みを抱きつつ、仲良く前を歩く2人の姿を見つめた。

 

 

「あーちとしてはチョコフォンデュよりもチーズフォンデュなわけよ」

 

「あ?チーズフォンデュなんてチーズを溶かしただけだろ。チョコフォンデュに決まってる」

 

「チョコフォンデュもチョコを溶かしただけだし!」

 

 

……何を話しているのかしら。

 

 

「あの…、何を喧嘩しているの?」

 

「む…、コイツがな、昼飯はチーズフォンデュが食べられるビュッフェが良いってんだよ」

 

 

ビュッフェ…、悪くないと思うけど…。

 

 

「ケーキバイキングなんてあーちは絶対嫌だかんね!」

 

 

プックリと頬を膨らませて怒るユミちゃんは手をバタつかせていた。

 

…なんとも仲睦まじいものだ。

 

微笑ましいその光景に、私はため息と共に懐かしさを感じる。

 

 

「…はぁ、少しは大人になったと思っていたけど、貴方は本当に変わらないのね」

 

「おまえにだけは言われたくないがな…」

 

「…小さな子のお願いくらい、男らしく聞いてあげたらどう?」

 

 

私は彼を諭しながらゆみちゃんの頭を優しく撫でてみる。

 

 

「あー!?子供扱いすんなし!!」

 

「ふふ。そういうお年頃かしら?」

 

「てめぇと同い年だボケ!!」

 

 

ぺしっと手を払われるも、子供の行為に苛立ちを見せるほど私の器は小さくない。

まだ懐かれていないだけ。

猫と一緒よ。

肝心なことは優しく接することなのだから。

 

 

「ほら、あそこならチーズフォンデュもチョコフォンデュもあるんじゃない?」

 

 

私はオーガニックを専門としたお店を見つけ、そこを指差す。

 

 

「うえ、敷居の高い店だな。お、でもお子様料金は大人の半額か…。みう…、ん、ゆみゆみ、あそこでいいか?」

 

「べっつにー、どこでもいいしー」

 

「腹立つわー、このクソガキ」

 

 

ふわりと繋がれた2人の手を見ながら、私はため息を一つ吐き後を追った。

 

まるで2人の小学生を面倒見ているみたい。

 

そういえばあの頃も、彼へ犬のように戯れる彼女を見て和んだものだ。

 

犬はあまり好きじゃないけど…。

 

 

「…?おい、雪ノ下。置いてくぞ」

 

 

好きじゃないけど、嫌いじゃないのよ。

 

 

彼女の事も、あなたの事も…。

 

 

 

「…ええ、今行くわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…。食い過ぎたし」

 

「おまえ、食い放題だからって食い過ぎだろ」

 

「なんかこの身体、食べ物がめちゃくちゃ美味いんだよね…」

 

「ふむ。不思議なもんだな」

 

「不思議なもんだし…」

 

 

食後にお腹を膨らませたゆみゆみちゃんと、ほっぺにチョコを付けた比企谷くんは訝しげな表情で首を傾ける。

 

…何の話をしているのかしら。

 

ふと、彼が膝を折ってゆみゆみちゃんに視線の高さを合わせた。

 

 

「…おまえ、なんか目がしょぼしょぼしてないか?」

 

「え、そう?…んー、確かにまぶたに重力魔法が掛けられてる気分かも…」

 

「まじかよ。ディオガグラビドンか?」

 

「…いや、バベルガグラビドン」

 

「それはキツイな…」

 

 

いやだから、さっきから何を話しているのよ…。

 

私は呆れながらに、膝を折る彼を見下す。

 

 

「お腹が一杯になって眠くなっちゃったんじゃないかしら」

 

「おいおい、ガキじゃあるまいし」

 

「小学生なのだから仕方がないでしょ」

 

「…ん、まぁ、そうか…」

 

 

彼は何かを考えるように、目を細めるゆみゆみちゃんの頭を軽く撫でてあげると、そのまま彼女を優しく抱き上げる。

 

ゆみゆみちゃんも、最初こそ抵抗を見せていたが、しばらくすると、腕をダラりと降ろし、静かに寝息を立て始めた。

 

 

「食べて直ぐに寝ると牛になってしまうわね」

 

「おまえ、それ迷信だからな?」

 

「知ってるわよ。…はぁ、ゆみゆみちゃんも寝てしまったし、これで帰りましょうか」

 

 

少しだけ。

ほんの少しだけ残念だけど、ゆみゆみちゃんが寝てしまった以上、私と彼が一緒に居る理由もない。

 

私は小さな笑みを浮かべてショッピングモールの出口へと進もうとする。

 

 

「は?この重いのを抱きかかえて帰れと?」

 

「あなた、子供を何だと思っているの?」

 

「何にせよ、俺の腕が保たねぇよ。喫茶店でも入ろうぜ。しばらくすりゃ起きるだろ」

 

 

そう言うと、彼は彼女を抱えたままに喫茶店がある方向へと歩き出した。

 

 

「……。ええ、そうね。そうしましょう」

 

 

…別に、まだ一緒に居れるから嬉しいなんて思ってないから。

 

いや本当に。

 

私はスキップしかねない足取りを抑えながら、彼の隣へと歩み寄る。

 

懐かしい私の居場所。

 

心地よく、甘い香りを漂わせる彼の隣。

 

 

 

 

 

 

 

☆ 雪解けの思い出 ☆

 

 

 

 

 

 

 

奥行きのある喫茶店の店内で、彼は寝息を立てるゆみゆみちゃんをソファーに転がすと、疲れたとばかりに席へと腰を深く掛ける。

 

注文を取りに来た店員さんにコーヒーを2つ頼むと、チェーン店さながらの素早さでそれは提供された。

 

 

「ガムシロには無限の可能性を感じるな」

 

「感じないわよ。相変わらず、舌は苦味を受け付けないの?」

 

 

彼はコーヒーにガムシロップを数個淹れ、ストローで2度3度かき混ぜると幸せそうにそれを飲み始める。

 

 

「それにしても、…随分と綺麗になったな」

 

「……え!?と、突然に何を言いだすのかしら!?」

 

「は?」

 

「わ、私が綺麗なのは昔からじゃない。…ま、まぁ、貴方が人を褒めるなんて珍しいことだし、私も素直に受け取ってあげてもいいのだけれど」

 

「……。店内のことだぞ?」

 

「へ?」

 

 

彼が苦笑い浮かべながら私を見ている。

 

店内のこと…?

 

確かに、以前に此処へ来た時から様変わりしているようだが…。

 

あぁ、店内…。店内のことね。

 

 

「……笑いなさいよ。笑えばいいじゃない」

 

「あ、あはは」

 

「覚えておきなさい!」

 

「…こ、子供が寝てるんだから静かにしろよ」

 

 

顔が熱い。

冷静に考えれば、彼が私に向かってそのようなセリフを口走るわけがないのに。

やっぱり、彼と居ると、私はいつもの私ではいられないようだ。

 

 

「はぁ、忘れてちょうだい」

 

「はいよ」

 

「……三浦さんとは順調?」

 

「まぁな」

 

「そう」

 

「ん」

 

 

ゆるりと流れる店内のBGMから英詞が流れる。

洋楽にはそこそこ精通している私が知らない音楽。

暫く聞いていると、それが邦楽を洋楽風にアレンジしたものだと気が付いた。

 

知らないようで、知っている。

 

あの頃のように、私は彼の事を知っているようで何も知らない。

 

知っていることはただ一つ。

 

もう、私の想いが彼に伝わることない、それだけ。

 

 

「どうして、貴方は三浦さんを選んだの?」

 

「……」

 

「こんな事を聞く私を、未練がましい女だと思ってくれても構わないわ」

 

「…別に思わんが」

 

「私や由比ヶ浜さん、一色さんですらなく、貴方は三浦さんを選んだ。私はね、私達を振った貴方は、もう誰とも付き合う気が無いとばかり思ってたのよ」

 

「あぁ、俺もそう考えてた」

 

「なら、どうして…、どうして貴方は三浦さんを選べたの?」

 

 

彼は静かにグラスを傾ける。

あの部室で黄色い缶を傾けていた姿と同じ。

 

語る前に一間を開ける、彼の悪い癖。

 

その一間が、どれだけ私達をやきもきさせることか。

 

 

「…あんまり格好の良い話じゃないぞ?」

 

「ええ、貴方はいつも格好悪いもの」

 

「うるせ、貧乳」

 

 

 

 

 

そうして彼は、物静かにも自分の事をゆっくり語り出した。

 

 

 

ん?コイツ今なんつったのかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Snow slow -4-

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして雪ノ下と向き合って会話をするなんて随分と久しぶりだ。

 

相変わらずの綺麗な顔立ちに、俺は思わず綺麗だと呟いてしまったらしい。

 

咄嗟に出た言い訳を、雪ノ下は赤面しながらも信じたようで、どうにも居た堪れない気持ちと気恥ずかしい気持ちがぶつかり合ってしまう。

 

 

「ーーーどうして、貴方は三浦さんを選んだの?」

 

 

おいおい…。

途端に俺の心を慌てさせるなよ。

 

洋楽に詳しくない俺は店内の英詞のBGMを聞き流していたものの、それがアニソンを洋楽風にアレンジしたものだと気がつき我に帰る。

 

一口、コーヒーを口に含みながら、俺は雪ノ下の瞳を見つめた。

 

 

「…あんまり格好の良い話じゃないぞ?」

 

「ええ、貴方はいつも格好悪いもの」

 

 

ふと、BGMに流れる洋楽のアニソン歌詞を思い出す。

 

…曖昧3センチ…、そりゃプニってことかい?

 

変な歌詞…。

 

そういえば、こなたが言ってたな。

 

貧乳はステータスだと。

 

はは…、良かったな雪ノ下。

 

おまえのソレもステータスなんだとよ。

 

 

「うるせ、貧乳」

 

 

 

 

 

………………

………

……

.

.

.

 

 

 

 

泣きそうになった。

 

いや、実際には泣いていたと思う。

 

総武高校の卒業式が閉会し、寄書きやら記念品やらと盛り上がるクラスの雑踏に囲まれる彼女と目が合った。

 

やんわりと、クラスメイト達を掻き分けこちらへと走り寄ってくる彼女の腕には、これでもかと言うくらいに黒くなった寄書きが抱かれ、クラスでの人気度合いが伺える。

 

 

「えへへ、ヒッキー見つけた」

 

「…ん。卒業おめでとさん」

 

「ヒッキーもおめでと」

 

 

そんな彼女の純粋な笑みに、俺は幼くも視線を逸らす。

 

 

「…大切な事、ヒッキーに言わなくちゃ…」

 

「…保証人になれとかは無理だからな?」

 

「へへ、違うよ。…今日は、逃げないから。ヒッキーも逃げないでね」

 

 

そう言った彼女の瞳に、いつものアホな由比ヶ浜は居ない。

どこか大人びたその表情に、心臓の鼓動が早くなった。

 

由比ヶ浜が人混みを避けるように歩き出す後ろ姿を追う。

 

 

「……。由比ヶ浜、昨日も言ったが、俺は誰とも…」

 

「わかってるよ。…でも、この気持ちは嘘じゃないから。…ヒッキーが言ったんじゃん。本物がほしいって」

 

 

思わず頬が熱くなる。

止めてくれません?そのクサイセリフを思い出させるのは。

なんでおまえらって、いつも的確に俺の恥ずかしい所をまさぐるの?

 

そんな風に身を悶えさせていると、由比ヶ浜は人気の少ない校舎裏で足を止める。

 

振り向いた彼女の瞳は既に潤んでいた。

 

答えは決まっているから。

 

それを由比ヶ浜も知っている。

 

 

「ヒッキー、言うね…」

 

「…ん。噛まないようにな」

 

 

ふわりと流れる風が、由比ヶ浜の前髪を優しく揺らした。

 

潤んだ瞳がキラキラと光り、まるで夢の中で彼女を見つめているような感覚。

 

 

「へへ、ありがと。…私はヒッキーが好き。ずっとずっと好き。これまでも、これからも、ずっと好き。……付き合ってください」

 

 

ペコっと下げられ頭。

 

いつものまん丸なお下げが転がり落ちそうだ。

 

 

「…ありがと、由比ヶ浜。…でもごめん。俺は誰とも付き合えないから」

 

「…うん、知ってる」

 

「…。でも、まぁ、アレだわ。良かったよ…」

 

「…っ、えへへ、なに?それ」

 

「…良かった。おまえと出会えて。おまえのおかげで楽しかった。アホすぎて偶に本気で呆れ掛けてたけど、そういう由比ヶ浜を…、俺は嫌いじゃない…」

 

「…ぷっ!あはははー!…もう、最後までヒッキーはヒッキーだね」

 

「…そうだよ、俺は俺だから。これからも、俺のまま。…だから、卒業してもアホな事を言いに来てくれ」

 

「うん。…いっぱい会いに行くよ。…だから、これからもよろしくね!」

 

 

そう言って彼女は涙を流しながら笑っていた。

 

その笑顔に見惚れる暇も与えてもらえずに、彼女はその場から立ち去っていく。

 

残された俺は、ただただ寒さの残る青空の下で彼女の涙を思い出すことしか出来ない。

 

 

「…はぁ、緊張した」

 

 

俺の独り言は誰にも届かない。

 

どこかドラマのワンシーンみたいな一言に恥ずかしさを覚えた俺は、ようやくにその場から歩き出した。

 

どんな顔して戻ればいいんだよ…。

 

ふと、戻ることに躊躇う俺の足は、卒業の悲しみを分かち合う場所とは逆へと向かう。

 

 

誰も居ない部室棟。

 

 

静かな廊下を静かに歩き。

 

 

いつものドアの前に辿り着く。

 

 

もう感覚で分かるんだよな…。

 

このドアを開ければ()()()が居て、悠々と済ました顔で文庫本を読みながらーーー。

 

 

「……よう」

 

「あら、そのヘドロのように腐った瞳…、もしかして比企谷くんかしら」

 

 

ーーー毒舌を吐くのだ。

 

 

 

俺は部室に入ると開けたドアを閉める。

何度も聞いた。

いくつものバリエーションに飾られた彼女の毒舌を。

 

ふわりと懐かしむ間も無く、彼女による罵詈雑言が傷心気味な俺の心を優しく覆い尽くすのだ。

 

 

「…うっせ。貧乳」

 

「おまえ今なんつったのかしら」

 

「はは。最後くらい言い返させろよ」

 

「言って良い事と悪い事があるわね」

 

 

ぷるぷると震えて怒りを抑える雪ノ下に笑いかけながら、俺はいつもの席に腰を下ろす。

 

 

「こんな日でも、おまえはここで本を読んでるんだな」

 

「どんな日でも、私はここに居るの。…奉仕部なのだから」

 

「それも今日で終わりだろ」

 

「……。意地悪な事を言うのね」

 

 

絶対に見せることの無い、雪ノ下の悲しそうな表情が俺の胸を痛める。

 

誰よりも明晰で冷静だと思っていた彼女も、実はほんのちょっぴり大人振ろうとする我儘な女の子なのだ。

 

1人で出来ると言い張る姿も、姉に負けじと頑張る姿も、実はただの我儘な女の子。

 

……。

 

 

「終わるんだよ。終わりたくなくても、どれだけ楽しくてもな」

 

「…っ。…そう、ね。…今日で卒業だものね」

 

 

我儘な女の子は本を閉じてそっと俯く。

泣きそうな顔を見せたくないのか、それとも既に泣いているのか。

 

俺は意地悪にも、そんな彼女に近づき頭を数度撫でてみる。

 

さらさらとした黒く美しい髪。

 

撫で心地は悪くない。

 

 

「…ぅぅ。…そうやって、優しくしないでちょうだい」

 

「…別に、優しくしてるつもりなんてないけどな」

 

「そ、それなら…、今日くらい…優しくすることを許可するわ」

 

「……止めた」

 

「!?」

 

 

なんだろう。

今日の雪ノ下は本当に可愛い…。

なんか悪い部分が抜けて、素直で純粋な女の子のような…。

 

撫でるのを止めると、雪ノ下は寂しそうに俺を睨む。

 

これ以上は、俺もなんかヤバいから。

 

 

「ぁ、あの…、比企谷くん。部長の最後のお願いを聞いて…」

 

「…あ?」

 

「…あ、貴方の、…っ。貴方の体温を確認させなさい!」

 

「は?た、体温?」

 

「そうなのだけれど!?」

 

「え、別にいいけど。…おまえ、体温計とか持ってんの?」

 

「うぅーー!!」

 

 

ジタバタと足を何度も床に叩きつけると、椅子からガタンと立ち上がり、ドタドタと雪ノ下らしからぬ大股でこちらへと近寄ってくる。

 

な、何事?

 

と、思った時には、俺の胸元に彼女の小さな頭がそっと当たった。

 

ふわりと、雪ノ下から漂う香りが普段よりも数倍近くから感じる。

 

まるで小さな女の子のように我儘に、自分勝手に行動を起こす彼女に翻弄されながら、俺は訳も分からずそんな雪ノ下を腕で包み込んでみる。

 

 

「…っ。あ、暖かいわね。…37℃くらいかしら」

 

「そ、そうか…。ちょ、ちょっと熱があるのかもな。はは」

 

 

ぴっとりとくっつく雪ノ下から漏れる吐息が胸に当たった。

 

 

「…貴方をずっと感じていたいわ。私は、貴方が居ないと…」

 

「…っ。雪ノ下、俺は誰とも…」

 

「ええ、知っているわ。知っているのよ。…それでも、私は…」

 

「……」

 

「貴方を好きだと言う気持ちを隠せないの。…隠す事は得意だったのに。この気持ちだけは…、隠せないの…」

 

 

ぽつりぽつりと囁く言葉の節々から気持ちが漏れる。

 

泣いているのか、彼女の足元には小さな雫が何個も出来ていた。

 

 

「…どうして、卒業なんかしなくちゃいけないの。貴方と、由比ヶ浜さんと、ずっとずっと此処で…」

 

「…あぁ、ずっと、一緒にいれたら良いのにな。…でも、そんなことはあり得ない」

 

「…っ!」

 

「あり得ないけど。…由比ヶ浜も、俺も…、雪ノ下と同じ気持ちなんだよ」

 

「…そ、それって」

 

「俺もずっと一緒にいたいと願ってる。きっと、この気持ちは変わらないと思うからさ」

 

「…うん」

 

 

そっと優しく、小さく涙でふにゃけた雪ノ下を見つめる。

 

 

真っ赤にさせた目元を袖で拭いてやりながら、彼女にも本物の気持ちを伝えた。

 

 

「その気持ちが変わってないか、互いに確認し合おうぜ。…偶に会ってさ、この部室で過ごした日みたいに」

 

 

我儘な女の子はふわりと笑いながら。

 

握りしめていた俺の制服をゆっくりと離す。

 

今更ながら、真っ赤に腫れた目を隠すように、ぷいっと俺に背中を向けると、いつものような毅然な言葉でしっかりとそれに答えた。

 

 

「…ええ、そうね。偶に会って…、確かめましょう。貴方も、由比ヶ浜さんも…、ば、馬鹿だから忘れてしまうかもしれないし…」

 

「はは。そっか。それなら忘れないようにしなくちゃな」

 

「な、何を笑っているの!?言っておくけど、私は泣いてなんかないし、貴方を好きでもなんでもないのだから」

 

「デレのんがツンのんに戻った」

 

 

彼女は顔を真っ赤に染めながら細めた目で俺を睨むと、読んでいた文庫本を鞄にしまった。

 

 

名残おしい部室に別れを告げるように。

 

帰る身支度を整えた雪ノ下と部室を出ると、カチャっと回されたドアの鍵をそっと胸に抱いて、雪ノ下と俺は並んで廊下を歩き出す。

 

 

いつもより、幾分か距離の近付いた肩を並べて、俺たちは歩き出した。

 

 

 

 

「…私みたいな完璧な女性、二度と現れないんだから」

 

「はいはい。そうかもな」

 

「そ、そもそも!貴方はどんな人となら付き合うと言うの?」

 

「…んー。そうだなぁーーーー

 

 

 

それはそっと、頬を撫でる風のように暖かく。

 

冷たいと思っていた彼女の照れた顔を見つめながら。

 

 

 

ーーー俺がだらし無いからな。()()()引っ張ってくれるような人じゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

.

.

.

……

………

……………

 

 

 

 

 

 

ーー。

 

 

「…それが三浦さん、だったのね」

 

「そうなのかもな」

 

 

darlin' darlin' A M U S E 〜!

 

 

と、口ずさみながら、俺は思い出を語り終える。

 

懐かしむように、雪ノ下はあの頃と同じように目を細めた。

 

飲み終えたコーヒーグラスを持て余しながら、俺は寝静まった三浦の頭を撫でてやる。

 

 

「…強引過ぎるときもあるけどな」

 

「ふふ。そうね。三浦さんは強引過ぎるわ」

 

 

ふわりと笑い、雪ノ下は優しく俺と視線を交えた。

 

 

そういえば、卒業後に何度も会っているにも関わらず、確認だとかなんだとかをした覚えがないな。

 

 

そう思っていると、雪ノ下は意地悪な笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

「それじゃあ、確認をしましょうか」

 

 

いつものように、済ました顔に我儘な彼女を隠して。

 

 

 

「…貴方の気持ちは変わっていないのかしら?もちろん、私達とずっと一緒に居たいと思っているわよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーend

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ゆきのんも偶には良きかな。

これで終わりかもなー。

もうネタないし。

三浦が小さくなった理由は不明。

小さくなった三浦を書きたかっただけです。





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私はあんたの世話を焼く。♡
parallel -1-


 

 

 

 

 

夢を見ていた。

 

それはとても暖かくて、甘い香りの漂う夢。

 

俺は青い空と柔らかい太陽の光に照らされたお花畑に1人ぼっち。

 

見渡す限りに広がる花々は、色彩豊かな顔を覗かせ風に揺られる。

 

気付けば、俺の格好は白いタキシード。

 

おいおい、馬子にも衣装って奴か?

 

我ながら、意外と似合ってるじゃないか。

 

そして、その花々に見送られるように。

 

俺は()()のもとへと歩み寄る。

 

純白なドレスと、キリッとした吊り目。

そして、見惚れるほどの金糸をなびかせる彼女。

 

強く、可愛らしく、弱々しく、そんな多くの表情をころころと見せる彼女の左手を、俺はそっと掴み、細い薬指にーーーーー

 

 

…………

……

.

.

 

 

 

「……っ」

 

ゆ、夢…?

なんだってあんな生々しい夢を…。

結婚式を来週に控えて、俺も少しばかり意識してるってのか?

 

はぁ…、俺が浮き足立ってどうする…。

 

嫁は嫁で、アホみたいに浮かれてるのに、俺まで浮かれちまったら収拾がつかんぞ。

 

そう腐しながら、俺は()()()()ベットから起き上がり、掛け布団もぐしゃぐしゃのまま、部屋から出た。

 

リビングへ向かうために階段を降り、椅子に座ると、中学校の制服に身を包む小町が()()()()ように朝食を用意してくれる。

 

決まって小町は俺よりも早く起きていて

 

「もう!遅刻しちゃうよ!いつまでパジャマで居るの!?」

 

と言う。

 

制服?

 

あぁ、総武高校のね。

 

そうだそうだ、早く着替えて登校しなくちゃ…。

 

 

「……?」

 

 

あれ?

 

俺っていつの間に実家へ帰ってたんだっけ?

それに、どうして小町は中学校の制服を着ているんだ?

 

心なしか、俺の声も少し高いような…。

 

…いや、そんなことよりも、あいつに…、三浦に連絡をする方が先決だ。

 

ぼーっとした俺が2人で同棲をしている家に戻らず、実家へと帰ってしまったのだから、きっと心配しているに違いない。

 

俺はそう思うと、ポケットから取り出したスマホを……、あれ?

 

ガラケーだ…。

 

 

「なぁ、小町。俺のスマホ知らないか?」

 

「はあ?スマホ?お兄ちゃん、スマホみたいな軟弱な携帯を使う気にはなれないって言ってたじゃん」

 

……何それ?

 

いやまぁ、確かに高校生のころに、そんな事を言った覚えはあるけどさ…。

 

「…む?」

 

「変なお兄ちゃん…」

 

カレンダーがおかしい。

 

テレビ番組もおかしい。

 

新聞もおかしい。

 

どうして揃いも揃って5()()()の日時を指し示しているんだ?

奇しくも俺が総武高校の2年生に進級した日じゃないか。

 

ふふん。

 

だが、なんの冗談?などとは言わまいさ。

 

夢オチだろ?

 

分かってんだよなぁ、それくらい。

 

シュタインズゲートの導きだかなんだか知らんけどさ、()()()()()()()()()を控えて、少しばかり頭がハイになっちまってるみたいだ。

 

…そう、夢…。

 

俺が高校生に戻っているこの現実は、きっと夢に決まってるんだ。

 

 

「お兄ちゃん、すごい汗かいてるけど大丈夫?」

 

 

「……うん。大丈夫。だって夢だもん」

 

 

「何言ってんの?」

 

 

 

 

ーーーーー★

 

 

 

 

で、なんだかんだと自転車にて総武高校へ登校中。

未だ覚めぬ夢に辟易としながらも、俺は4月の陽気に当てられながら、懐かしい通学路をひた走る。

制服に腕を通すのは少しコスプレをしているみたいで恥ずかしかったが、どうやら浮いている事はなさそうだ。

 

さて、総武高校2年生の4月。

 

俺が一度経験した世界線なら、今日はクラス発表と、その新クラスで行われる軽いホームルームで終わるはずだ。

 

…いや、違う。

 

そうだ、進路希望の提出があるんだ。

 

俺はそこで『専業主夫』と書き、平塚の姉御に焼きを入れられるんだ。

 

はは、懐かしいぜ。

 

そのイベントが奉仕部へと辿り着くルートだったなんて、あの頃の俺には分かりようもない。

 

俺は過去の自分に呆れながらも、到着した総武高校の駐輪場に自転車を置き、クラス発表を見ずとも分かる2年F組へと向かった。

 

 

ガラガラ〜。

 

 

建てつけの悪いスライド扉を開け、まだ生徒がチラホラとしか居ない教室へ入る。

周りを見るも、知ってる顔は居ない。

 

由比ヶ浜は…、まだ親しくないんだよな。

 

葉山とも話した事は無いはず。

 

もちろん国際の雪ノ下とも。

 

ふと、そんな事を考えながら自席へと鞄を置くと、先ほどの建てつけが悪い扉を激しく開ける1人の少女。

 

彼女は吊り目をキリッと睨ませ教室内を一目見渡すと、その金色の髪で威嚇するように、大股で机と机の間を練り歩く。

 

 

「……わ、若い…」

 

 

たった5年前の姿なのに、そいつは少しだけ若々しい。

そんな俺の独り言が聞こえたしまったのか、彼女はその吊り目で俺を睨みつけた。

 

 

「なに?」

 

 

……怖っ。

 

例えば、この状況が漫画やアニメであるならば『み、三浦…、俺だよ!八幡だよ!』と、狼狽えていることだろう。

 

だが俺は違う。

 

冷製に対処するだけの落ち着きを持っているから。

 

 

「…いや。なんでも。悪かったな」

 

「ふん」

 

 

…ちょっと寂しい…。

なんだよ、少しくらい構ってくれても良かったんじゃないか?

別にさ、いいけどさ。

 

でも、まぁ、なんだ…。

 

……ぅぅ。

 

 

「…?…!?ちゃ、あ、あんた、何で泣いてるのよ!?」

 

「…え?あ、本当だ…」

 

 

三浦が途端に慌ててこちらへ歩み寄るのを手で制止し、俺は自然と零れ落ちた涙を指で弾いた。

 

涙って、こんな綺麗に落ちるんだな…。

 

自分が1番ビックリだよ。

 

心配そうに、そして少しだけ不安げにオロオロとする三浦は、ポケットから取り出したハンカチを俺に渡すか渡すまいかとあたふたあたふた…。

 

オカンかよ…、変わらねえな、コイツは。

 

 

「…欠伸だよ。少し眠気が荒ぶっただけ」

 

「そ、そう。…ふ、ふん!男が欠伸とかすんなし!」

 

 

なんでだよ…。

男だって欠伸くらいするわ。

 

三浦はそれだけ言うと、何事も無かったかのように自席へと戻った行った。

 

ああ、周りの目が痛い。

 

女に泣かされた女々しい男だとか思われてんだろうな…。

 

 

 

はぁ、結局、夢の中でも俺はぼっちになっちまうんだな…。

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

教室にF組の面々が集まると、喧騒もひとしずく、直ぐにやってきた平塚先生の号令に静まった。

 

予想通り、先生によって配られた進路希望票。

 

見覚えのあるそれに、俺は何と書くべきか。

歴史の改変だとかを考えるならば、ここは専業主夫と書いて提出するべきなのだろう。

 

 

「……」

 

 

ここは夢だ。

ならルートを変えても問題あるまい。

 

いっそのこと、三浦の旦那とでも書いてやろうか…。

 

いや待て、それは流石に精神的な病を疑われる。

 

ここは無難に公務員か?

 

ふむ…。

 

でも俺、大学で専門色の強い研究室に入っちまうからなぁ…。

 

現実的、と言うか既定事実として研究員か?

 

むむむ。

 

と、頭を悩ますこと数分。

 

 

「おい比企谷。後はキミだけなのだが…」

 

「は?」

 

「10分で書けと言ったろ」

 

 

…進路舐めんなよ。

10分で今後の人生設計を建てろってか?

ふざけんな独身。

だからおまえは独身なんだ。

独身貴族め…。

 

 

「…なんだねその目は。まるで私が独身であることを馬鹿にしているような目だな」

 

 

っ!?

さ、察しが良すぎるだと?

 

 

「あ、いや…。放課後に出します…」

 

「ふむ。まぁ、よかろう」

 

 

納得してくれたのか、先生は俺の進路希望以外をトントンと教壇でまとめ、それを持って教室を出て行った。

 

それがホームルームの終わりだとばかりに、教室は先ほどの喧騒を取り戻す。

 

…ふぅ。

 

俺は一度ボールペンを置き、進路希望から目を逸らした。

 

それにしても、注意して周囲を見てみれば、由比ヶ浜なんかはチラチラと俺を見てる。

 

そりゃそうか、あいつは()()()()の件で、俺に謝る機会を伺っていたのだから。

 

 

「…バカなヤツ」

 

 

大きな溜息を一つ吐き、俺は同じルートを辿ってしまうであろう進路希望を書きなぐった。

 

これを提出して、反省文を書いて…、俺は奉仕部員になる。

そのうち由比ヶ浜も部員になって、一色も顔を出すようになって。

 

…はは、本当に、なんだって5年後の俺は三浦とあんなことになってんだろうな。

 

今からはまったく想像の出来ないはずの未来を思い浮かべて笑い飛ばす。

 

変わらねえよ、俺はさ。

 

そう思いながら、俺は進路希望票を持って職員室へと向かった。

 

 

「……」

 

 

 

仕切りに覗く、金色の視線に気付く事は無い。

 

 

 

 

 

 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 

 

 

 

 

 

2学年に進級し、クラス発表の用紙に()()()()()を見つけた。

 

彼と同じクラス。

 

あの時…、1年前のあの時、車に轢かれそうになった私を助けてくれた男の子。

 

勇気が無いためか、プライドが邪魔してか、あれから1年、私は未だ彼にお礼が言えていない。

 

言わなきゃ。

 

言わなきゃ…。

 

そう思えば思うほど、教室に一人きりで静かに佇む彼に近寄る事が出来なかった。

 

 

「…っ」

 

 

ただ、今年は逃げる事なんて出来ない。

 

同じ教室に彼が居るから。

 

善は急げと言わんばかり、私は急いで教室へ向かった。

 

建てつけの悪いスライド扉を少し乱暴に開け、まだチラホラとしか生徒の居ない教室へと入る。

 

…居た。

 

いつもみたいにアホ毛を揺らして。

 

謝る機会は今しかない。

謝れ、今直ぐ謝れ…、あーしっ!!

 

と、気付けば彼の近くを自慢の吊り目で通り過ぎていた…。

 

ぁぅ…、な、なんで謝れないんだし…。

 

あーしのバカ…。

 

 

「……わ、若い…」

 

 

…え?

 

今、なんて…。

 

 

「…なに?」

 

「…いや。なんでも。悪い…」

 

 

歯切れ悪く言葉を濁した彼を睨みつつ、捻くれたあーしは彼から目を反らすーー。

 

いや、反らそうとしたーー。

 

 

反らせなかった理由は彼の涙だ。

 

 

頬を伝う一筋の涙がすごく儚く、寂しげで、なぜだか直ぐに、彼を慰めてあげなきゃと思った。

 

あーしはポケットから取り出したハンカチをオロオロと手に持ち、自らの涙を不思議そうに見る彼の前で佇む。

 

 

「…欠伸だよ。少し眠気が荒ぶっただけ」

 

 

ね、眠気が荒ぶるってなんだし…。

 

変なヤツ…。

 

アホ毛をゆらゆらと揺らしながら、少しだけ大人びいた彼の横顔を見つめる。

 

なんだか少しだけ可愛い…。

 

 

 

彼との邂逅を終え、自席に戻る足取りはふわふわとしていた。

 

 

 

まるで。

 

 

 

「…夢の中みたい…」

 

 

 

 

 



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parallel -2-

 

 

 

 

 

 

「これはなんだね?」

 

「進路希望っす」

 

新学年が開始して間もない職員室は、慌ただしく資料を持った新任の先生が右往左往と走り回る。

そんな中でもこの人は、足を組んで余裕綽々に俺の進路希望を睨みあげた。

 

なんかアレだ…。

 

平塚先生はあんまり変わらないな。

 

「…でも、衰えって突然来るらしいっすよ?」

 

「おう。殴り潰してやるからそこに座りたまえ」

 

「あはは。懐かしいですね」

 

「?」

 

「あ、すんません。独り言です」

 

「ふむ。相変わらずおかしな生徒だな。キミは」

 

平塚先生は呆れながら、俺と進路希望を交互に睨み付ける。

ただ、前のように意を問わせない罵倒が俺に降りかかる事はなかった。

 

「…第一希望はともかく、この第二希望は…」

 

「古典文学研究者です」

 

「う、うむ。むむ?うむぅ…」

 

「ゼミの研究論文で良作を作って教授に研究職の推薦をもらう予定です」

 

「…みょ、妙にリアルな進路希望だな…。ふむ、まぁ、良い…、のか?」

 

これは俺の未来設計ではない。

既定路線図だ。

 

すると、平塚先生は頭を悩ませつつも、平然と佇む俺を睨み付けながら溜息を吐いた。

 

 

「はぁ。…キミは前々から変わった生徒だと思っていたが、今日は一段とイかれているな」

 

「おい。言っていい事と悪い事があるぞ」

 

「まぁ良い。…この学校に、キミのように捻くれ…ご、ごほん…、ちょっと面倒な生徒が居てな?」

 

「言い直した意味ありましたかね?」

 

 

俺以外の面倒な生徒。

答えは聞かずとも分かるが、俺は黙って先生の言葉に耳を傾ける。

 

 

やっぱり、小さい抵抗くらいじゃこのルートは外れないみたいだな。

 

 

ほんの少しだけ、懐かしいあの風景を思い出しながら。

 

 

 

「奉仕部を知っているかね?」

 

 

 

 

.

……

….……

 

 

 

 

奉仕部を知ってるかね?

 

平塚先生の言葉に、俺はもちろん知ってますよとは答えずに、なんですか?そのエロそうな部は、と答えてみせた。

 

そんな大人ジョークに拳骨をもらいつつ、俺は平塚先生が促すままに部室棟の廊下を歩く。

 

その最中に、お料理クラブたるスイーツな部室から出てきた一色に一瞥をくれてやると、なんという事か、あいつは俺に向かって「きも…」と聞こえるように呟きやがった。

 

くそが!

もう面倒見てやんねえぞ!

 

変な部活に体験入部してないで、早くサッカー部のマネージャーになりやがれ!

 

そして葉山に振られやがれ!

 

 

「…キミから凄まじい怨念を感じるのは気のせいだろうか」

 

「気のせいでしょう。それで?俺を奉仕部に入れてどうする気です?」

 

「なに、簡単なことさ。キミも、これから紹介する奴も変に捻くれているからね。マイナスとマイナスを掛ければプラスになる。理系が苦手なキミにでも分かる常識だろ?」

 

この人、平気で生徒をマイナスって言いやがった…。

PTAさん、お仕事ですよ〜。

この人のことを学級裁判に掛けてくださーい。

 

 

「さて、ここだ」

 

「…」

 

 

…まったく。懐かしいよ。

なんだか夢とは言え、こうして高校生活を繰り返せるってのは幸せな事かもな。

人は懐かしむだけで、忘れていく生き物だから。

いつしか、俺もこの暖かい場所を忘れてしまうのかも…。

 

そうやって、俺が珍しく懐かしんでいると、平塚先生は構わずと部室の扉を開ける。

 

ダメですよ、先生。

 

ノックをしないと、部室で本を読んでいる氷の女王に怒られてしまいます。

 

「失礼するよ」

 

「先生、ノックをしてください」

 

ほらね。

そこにはやはり、腰まで掛かる素直な黒い髪を美しく携える一人の女子生徒が。

 

 

ーーーそれと

 

 

「ちょっと!まだあーしの話は終わってないんだけど!!」

 

……あれ?

氷の女王と炎の女王が共存してる…。

 

……なんでっ!?

 

 

「な、なんで…、なんでおまえが此処に居る…」

 

 

思わず溢れた俺の本音に、平塚先生と雪ノ下、そして、ようやく来客の存在に気が付いた三浦の視線が集まった。

 

 

「…っ!」

 

 

途端に慌てる三浦は、俺と平塚先生を交互に見つめるや、口をパクパクと開けながら目を見開く。

 

 

「む?なんだね比企谷」

 

「え、あ、いや…」

 

 

どうして三浦が此処に居るんですか?と聞けば、先生は何と答えてくれるのだろう。

どこでルートが変わった?

此処にはまだ、雪ノ下しか居ないはずだ。

 

三浦が居るなんて過去は無い…。

 

いや、一度バレンタインの件で依頼に来た事があったが、それは今ではない。

 

 

「おや?三浦が居るとは珍しい。何か奉仕部に用事かね?」

 

「ち、違うし!たまたま…っ!たまたま道に迷って!」

 

「…キミは学校の中で道に迷うのか…」

 

 

平塚先生と三浦の口振りから察する限り、どうやら三浦は奉仕部の部員と言うわけではないらしい。

 

ならやはり依頼か?

 

この時期に三浦が…?

 

すると、今まで黙って静観していた雪ノ下が

 

「…先生。とりあえずそこに居る不審者の説明を」

 

と、場を納めた。

 

相変わらず、初対面の俺に対して不審者と呼称する所は変わりない。

雪ノ下は夢の中であろうと雪ノ下なのだろう。

そんな事実にすこしホッとしてみたり。

 

「む、ああ。すまんな。さぁ、入りたまえ比企谷」

 

「…うす」

 

俺は雪ノ下と平塚先生、そして三浦の居る部室に足を踏み入れる。

もはやルートだの改変だのと言ってられない状況だ。

 

俺の記憶が確かなら、この場で平塚先生が勝負だなんだと言い出して、うだうだとしている内に奉仕部へと入部するはず。

 

 

「さて、雪ノ下。かくかくしかじかであって、比企谷は奉仕部の仲間になる。仲良くするように。以上」

 

「ちょっと待てぇぇい!!」

 

 

……え?

 

 

「な、なんだね」

 

「あーしも入る!奉仕部に入るし!」

 

 

そう言って勢い良く手を挙げる三浦に、俺だけでなく雪ノ下や平塚先生も困惑してみせた。

 

当然ながら、俺の知ってる過去に三浦が奉仕部に入部する事実はない。

ましてや、三浦自ら立候補するなんてのは有ってはならない。

 

 

「あーしも2年生にして部活に入っていない不届き者だから!奉仕部に入る条件は満たしてるはずだし!」

 

「ちょっと待ちなさい。その言い方だと此処が不届き者の溜まり場のように聞こえるのだけれど」

 

 

雪ノ下は却下しますと言わんばかりに三浦を睨み付けた。

そらそうだろうよ。

こいつらは犬猿の仲で有名なお二人様なのだから。

 

 

ふと、俺はそんな三浦を横目でちらりと盗み見る。

 

いや、正確には三浦の右手小指に嵌められた()()()()()()()()をだ。

 

そのピンキーリングを俺は知っている。

 

おまえが大切にしていた葉山との思い出。

 

吹っ切るように俺へ渡したソレを、俺はしっかりと覚えている。

 

 

「部活なんて入ったら、クラスの奴らと遊べなくなるぞ」

 

 

案に意味しているのは、おまえの大好きな葉山と遊べなくなるぞ、という事。

 

悔しいが、高校生の頃の三浦は葉山に想いを寄せていて、俺なんかが介入できる隙もない程に惚れていた。

 

…少し嫌だけどさ。

 

俺以外の男とイチャイチャしている姿なんて見たくないけど…。

 

と、少しだけ悲しんでいると、当の三浦は呆気からんとした顔で

 

「は?別に良いんだけど」

 

「……へ?」

 

「だって部活の方が大事っしょ」

 

「……っ、ほ、奉仕部の活動を舐めるなよ?言っておくが、奉仕部員に休日の文字は無い。月月火水木金金の7連勤だ!これは奉仕部に伝わる鉄の十戒とまで呼ばれている!」

 

「なんで貴方が奉仕部を語っているのかしら…」

 

呆れた様子の雪ノ下による突っ込みを受けつつも、俺は尚も三浦を睨み続けた。

 

「はぁ、ひきがや…、ヒキオさぁ」

 

「む…」

 

「あーし、モラルとか道徳が欠如してるって良く言われるんだけどさ」

 

「…ひ、酷いことを言われてるんだな…」

 

「でも、スジが通らない事って嫌いなんだよね」

 

「スジ…?」

 

三浦は俺の睨みに返すどころか、10倍の鋭さを持って対抗する。

ていうか誰だよ。俺の嫁にモラルと道徳が欠如してるって言ったのは…。

ぶっ殺してやる。

 

 

「部活動の入部は強制じゃない。それでも自分で決めて入部したのなら、あーしは責任を自分で抱えて活動に励むべきだと思ってるし」

 

 

「「「…」」」

 

……。

 

こ、こいつ…、俺だけじゃなく、雪ノ下や平塚先生までをも論破しやがった…。

 

三浦の言っている事が正し過ぎて何も言い返せない。

 

ただ、俺にはどうしても三浦が奉仕部に居る未来を想像が出来ないんだ。

 

おまえは、葉山に惚れてるおまえは、葉山の一挙手一投足に喜んで悲しんで不安がるべきなんだよ…。

 

 

そんな黙りこくった面々に、三浦は笑って勝ち誇ると、カバンから取り出したメモ帳にサラサラと何かを書き始める。

 

 

「あーしが決めたんだから。決めた以上は迷わないし」

 

 

そして、その紙を乱暴にメモ帳から破ると、俺と雪ノ下へ見せるよう大袈裟に掲げた。

 

 

ーーーーーーーーー

 

にゅーぶとどけ。

 

三浦 優美子 17歳。

 

ーーーーーーーーー

 

……年齢とか要らねえよ。

 

せめて書くなら学年とクラスだろ…。

 

 

 

「へへへ。よっしゃ!これであーしも奉仕部だし!どんな奴でも奉仕してやるんだかんね!胸の大きさには定評があるから人気が出るのは間違いない!!」

 

 

はは。

 

その奉仕じゃねえっての…。

 

雪ノ下の胸を見て、おまえは同じ事が言えるのか?

 

 

 

「わ、私も胸の大きさには定評があるわ…」

 

 

 

ウソをつけ。

 

 

俺は小さく呟きながら、哀れ胸を張る雪ノ下から目を逸らした。

 

 

それが今の俺に出来る精一杯だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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parallel -3-

 

 

 

 

 

 

 

「それでね、ココをピンクにして、文字を大きくするわけよ…」

 

「いや、おまえ…。これが奉仕部のホームページってこと忘れてないか?」

 

「忘れてないし。ほら、いっぱいご奉仕しちゃうよ♡って書いてあるっしょ?」

 

「だからそれが違うんだっての…」

 

 

相変わらずの木漏れ日が擽ぐる放課後。

覚めない夢に翻弄されつつ、俺は過去と違うre.ゼロから始まる学園生活を送っている。

 

 

「おし!これでホームページは完成だし!」

 

「…これじゃあ風俗のホームページになっちまうだろうが」

 

 

そんな中で、奉仕部では明らかにおかしい風景が流れていた。

文庫本を捲る雪ノ下は黙認主義を貫き、三浦は三浦で黙々とホームページの作成に勤しむ。

 

ただ、三浦がピンクだの顔写真だのと言う度に雪ノ下が眉間に皺を寄せて俺を睨みつけるものだから、俺は仕方なくホームページの監修をするべく、三浦の後ろからノートパソコンを覗き込んでいるわけで。

 

 

「文句言うな!」

 

「文句じゃねえよ。はぁ、貸せよ。俺が作り直して…、って、なんでおまえ、自分の顔写真載せてんだよ!?」

 

「うぇ?部員紹介とか良くやるっしょ?」

 

 

だからと言ってなぜピースで目を隠す?

もう何回も言っているが、あえてもう一度言わせてくれ。

 

 

「風俗かよ!!」

 

「!?」

 

 

これじゃあ部員紹介じゃなくて、本日の出勤嬢リストだろ…。

俺はホームページのサイトから削除依頼を送り、それは直ぐ様に実行された。

 

本当に削除しますか?

 

当たり前だ…。

マウスを動かし『はい』をクリック。

 

 

「ああ!あーしの作ったホームページが!!」

 

「…はぁ。おまえさ、もう少し頭使えないの?ネットに顔写真をばら撒くなんて狂気の沙汰だぞ?」

 

「ぐっ…、べ、べつに手で顔の半分は隠してるし…」

 

「制服も金髪も写ってんだよ。…何かに悪用されてからじゃ遅いだろ」

 

「ぅぅ…。も、もしかしてヒキオ、心配してくれてるの?」

 

 

いつものように…。

いや、俺が良く知る三浦のように、俺の目の前にいる高校生の三浦は不安気に上目遣いで尋ねる。

 

俺はこの顔を知っている。

 

料理で失敗したときや、間違えて俺のゲームのセーブデータを消した時に見せる三浦の顔だ。

 

 

「……心配だよ。おまえの頭がな」

 

「な!?」

 

 

素直に言ったところで、この三浦は俺を好きにはなるまい。

葉山と言う防護フィルターが居る以上、三浦の小指に嵌められたピンキーリングは外れないのだから。

 

 

そっと、俺は溜息を吐くついでに雪ノ下へ声を掛ける。

 

 

「なぁ、雪ノ下」

 

「なにかしら?」

 

「ホームページはともかく、流石に依頼が無さすぎじゃないか?」

 

「良いことじゃない。悩める生徒が少ないのだから」

 

 

青臭い事を言うなよ。

思春期の高校生に悩みが無いわけがない。

それは恐らく、雪ノ下にも分かっているのだろう。

ただ、自ら赴き、悩む生徒に手を指し延ばすのは奉仕部の活動信念ではないのだ。

 

だが、俺は知っている。

 

ひどく冷たい一人ぼっちの雪ノ下も、実は誰かと戯れる事を望んでいる。

 

ほんの少しだけコミュニティーケーションの能力が低いだけ。

 

それを除けば、彼女もただの高校生なのだ。

 

 

「…はぁ。思春期と言うか、もはや高二病だよな」

 

 

「「?」」

 

 

俺の小さな呟きは2人に聞かれることなく風にさらわれた。

 

そういえば、こっちの世界では平塚先生に競走だのと言われなかったな…。

 

だったら、こうやってまったり部活動と言う名の青春に浸るのも悪くないのかも。

 

 

と、俺らしくない事を考えていたときにーーー

 

 

「あの、此処が奉仕部であってる?」

 

 

小さな羽を背中に生やした麗しの天使が現れた。

 

あれ?

 

天使?

 

いやいや…。

 

ん?やっぱり天使だ…。

 

 

「あ、比企谷くんって奉仕部だったんだね。良かった、知り合いが居て。ほっとしたよ」

 

「…っ、ご、ごほん。戸塚…。どうしたんだ?こんな捻くれ者の吹き溜まりに来て」

 

「「む」」

 

 

三浦と雪ノ下が揃って俺を睨みつけるが、もはや天使の前で覚醒した俺に、その程度の嫌悪を込めた視線は届かない。

俺は2人を無視して、戸塚のために席を用意し座るよう促した。

 

 

「あ、あの…、平塚先生に聞いたんだけどね…。ここって生徒の悩みを解決してくれるんだよね?」

 

 

あぁ、その通りだよ。

やっぱりどこの世界線であろうと、天使は奉仕部にやってくるんだな…。

 

俺は頬を緩ませつつ、居づらさからか背筋をピンと伸ばす戸塚の肩に優しく触れた。

 

 

「その通りだ。北は北校舎から南は南校舎まで、東奔西走に迷える高校生を救うのが俺たち奉仕部の信念だからな」

 

「ひ、比企谷くん…」

 

 

戸塚は頬をほんの少しだけ赤く染め、潤んだ瞳で俺を見つめる

いやん、トッティーめちゃくちゃ可愛いんだけど…。

本当に()()()()()()()()戸塚ルートに邁進していたところだぜ。

 

ふと、そんな俺と戸塚の空間を邪魔するように、冷酷なお姫様と獄炎の女王が揃って口を挟んだ。

 

 

「「セクハラ」」

 

「な、何を言ってやがる。これのどこがセクハラか。むしろお前たちの名誉毀損を疑うレベルだろ」

 

 

同性の身体を触ってセクハラになるわけないだろうに。

そう言い返しながら、俺は戸塚の頭を撫でてやる。

 

 

「ぁ、ぁぅ…、ひ、比企谷くんって、結構、大胆なんだね…」

 

「と、戸塚?何を…」

 

 

甘い香りと優しい体温。

変わらぬ天使力を発揮する戸塚は、男同士の戯れ合いでは見せない()()()を俺に向けた…。

 

あれ?

 

なんか何時もより身体が柔らかいような…。

 

それに、ジャージ姿だったから分からなかったけど、お胸に微かな膨らみがあるような…。

 

あ、あれれ?

 

 

「…と、戸塚。おまえ…、もしかして…」

 

 

本物の女になっちゃったの?

 

などとは聞けない。

 

俺は咄嗟に戸塚に触れていた手を離して考える。

その際に見せた、戸塚の残念そうな顔が俺の胸を酷く苦しめるも、この別世界における常識の違いに再度熟考を広げた。

 

 

コレは俺の夢の世界だ。

 

あり得ないことが起きてもおかしくない。

 

現に、三浦は奉仕部にいるわけだし。

 

……。

 

ってことは…。

 

 

「あ、あの、付かぬ事をお聞きしますが、戸塚は女性専用車両についてどう思う?」

 

「ふぇ?ぼ、僕はすごく助かってるよ?やっぱり満員電車だと男の人とすごく密着して怖いし…」

 

「ほ…。そ、そうだよな。戸塚は可愛いしな…」

 

「っ、も、もう!急に何を言い出すのさ!」

 

 

男って…、怖いもんね…。

 

うねうねと恥ずかしそうに身体を縮こませる戸塚から距離を取り、俺は改めて戸塚の身体をマジマジと見つめた。

 

……ある。

 

お胸さまが…。

 

微かだけど確かにそこにはお胸が付いていらっしゃる。

 

推定でB。

つまりは雪ノ下よりも大きい立派な胸が…。

 

 

「…は、ははは…、こんな、映画みたいな事って…」

 

 

確信した。

 

勘違いしていたのは俺だ。

 

セクハラだなんて言われてもしょうがないじゃないか。

 

なんせ。

 

 

戸塚の性別が……

 

 

 

「夢の中で、入れ替わってる…」

 

 

 

…これ、どこの君の名は?

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

 

で。

 

戸塚(女)の依頼は女子テニス部の復権だ。

つまりは俺の知ってる戸塚の依頼とほぼほぼ変わらない。

 

 

僕は、皆んなを引っ張れるような強いテニスプレイヤーになりたい…っ!

 

 

そう呟いた戸塚に、俺は少しだけ緊張感を覚えながらも依頼を受けたのだが…。

 

この依頼はぶっちゃけ直ぐに解決できる。

 

なんせ、鬼軍曹雪ノ下に、体力おばけの三浦がこちらに揃っているんだから。

 

あの時に障害となった葉山グループだって、この世界じゃこちらに三浦が居る以上、手を出してはきまい。

 

そう思い、俺は早速その日の放課後から戸塚の練習を手伝う旨を伝えたのだが。

 

 

「じゃ、雪ノ下は練習メニューの考案な。三浦は戸塚の練習相手」

 

「…貴方の指図を受けるのは癪だけど、まぁそれが妥当案かしらね」

 

「あーしもテニスはスーパー得意だから異論はないし」

 

「…物分かりがよろしいことで」

 

 

谷も山も無い…。

 

なんだこの奉仕部。

パーティーのバランスが良すぎて、難なく依頼をこなせそうなんだけど…。

 

 

 

「じゃ、じゃあ、テニスコート行くか…」

 

 

.

……

 

 

 

「あ、おーい!比企谷くーん!」

 

「待たせたな」

 

「ぜんぜん待ってないよ!僕も今来たところだから!」

 

「っ…」

 

 

短いスカートのテニスウェアに着替えた戸塚が、可愛らしい笑顔を満面に貼り付け俺たちを迎えてくれる。

 

ジャージ姿で良かったのになぜ着替えて来たの?

 

そんなに俺の心を揺さぶって、この子はどうするつもりかしら…。

 

それに、さらっと俺が生きてる内に言われたいセリフの第3位である『今来た所だよ!はーちまん!』も言ってくれたし…。

 

 

ふと、俺は三浦を見つめる。

 

 

「な、なんだし」

 

「いや、なんでも…」

 

 

いつだったか、俺はアイツと待ち合わせした時に言われた言葉『遅いし!あーしが来た時が集合時間だかんね!!』を思い出していた。

 

本当にさ、同じ生き物なの?ってくらい戸塚は天使だよな。

 

何かとぷんぷん怒鳴り散らす金髪とは違うぜ。

 

 

「…まぁ、そんな所に惚れたってのもあるけどさ」

 

「さ、さっきから何だし!あーしの顔に何かついてる!?」

 

「うん、付いてるよ。怒り狂った表情がね」

 

「な!?あんたぶっ潰すよ!?」

 

 

やはり激おこな三浦は間違っていない。

俺はそんな三浦を放っておき、雪ノ下に声を掛けた。

 

 

「雪ノ下、練習メニューはもう出来てるのか?」

 

「もちろんよ。私が幼稚園の頃から受けていた帝王学を含ませた完璧な練習メニューを作ってきたわ」

 

「…あぁ、そう」

 

「戸塚さん。この練習メニューをこなせれば、貴方は間違いなくインターハイに出場できるわ」

 

 

ふふん!と、雪ノ下は無い胸を張ってA4の紙を掲げる。

 

 

短距離ダッシュ100本

 

ランニング100キロ

 

素振り1000回

 

腕立て腹筋スクワット、体力が尽きるまで

 

エアKさんと練習試合

 

……etc

 

 

「悪・即・斬!!」

 

「あ!私がせっかく作った練習メニューが!」

 

「期待しちゃいけなかったか?おまえはもう少し出来る子だったろ?」

 

「な、なんて事をするのよ!」

 

 

俺が破り捨てた練習メニューを涙目になりながら拾う雪ノ下が、キッと目付きを鋭くさせて睨みつけてきた。

 

……おかしい。

 

主に雪ノ下の頭が…。

 

性格はそのままに、知力だけが由比ヶ浜に成り果てているじゃないか。

 

 

 

 

「と、戸塚、まずは準備運動から始めようか。バカ2人は球拾いな」

 

 

 

 

 



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parallel -4-

 

 

 

 

 

 

とある日の昼休み。

 

 

 

「ねぇ、比企谷くん…」

 

 

トントンと、俺の肩を優しく叩く雪ノ下。

彼女は何か困ったように唇を尖らせ、不服ながらと露わにしながら俺の元を訪ねて来た。

 

そう、訪ねて来たのだ。

 

わざわざ2年F組の教室まで。

 

 

「……」

 

「…?」

 

 

なぜ教室に来た?と言う、俺の無言の圧力に、雪ノ下は察するどころか首を傾げて俺を見つめ返す。

 

この世界の雪ノ下は少しだけ頭が弱い。

それは数日前に戸塚の依頼を受けた際にも感じたことだ。

あの聡明さは影を潜め、ほんのりと無邪気さを見に纏う彼女。

恐らく、雪ノ下が来たことにより騒然となった教室内の空気すらこいつは感じ取っていないのだろう。

 

 

「…何だよ。用事があるなら部活の時に聞くぞ?」

 

「今じゃなきゃダメなの」

 

 

ムスッとした顔で、雪ノ下は片腕に抱えた巾着袋を俺の机に置いた。

その袋にお弁当が入っていることは容易に想像が付く。

 

 

「お弁当を作りすぎてしまったの。だから一緒に食べましょう」

 

 

その言葉に、教室内の喧騒は一層酷くなった。

三浦達と机を囲んでいた葉山は愕然と口を開け、まるで幽霊でも見るかのように雪ノ下を見つめる。

 

あの葉山といえ、やはり思春期の男子高校生なのだろう。

少しばかり長く生きる俺には、そんな葉山の狼狽振りすら可愛く思える。

 

 

…さて、何と答えれば正解なんだろうか。

 

 

幼かった頃の俺ならば直ぐに断り屁理屈を捏ねて教室を出て行った事だろう。

だが、なんとなく高校生の雪ノ下を無碍に扱うのは心が傷む。

 

 

「…お弁当、一緒に食べるか。手は洗ったか?飲み物くらいなら奢ってやるぞ?」

 

「手は既に除菌済みよ。あと飲み物も紅茶を持参しているわ」

 

「準備が良いな」

 

「ふふん」

 

 

鼻息荒く、俺と対面するように椅子を配置して座ると、雪ノ下は自慢気にお弁当の蓋を開けた。

 

 

「はい。紅茶。熱くないけど冷たくもないわ。つまり常温」

 

「お腹に優しいね」

 

「あ。お箸が一膳しかないわね…」

 

「いいよいいよ。行儀が少し悪いが俺は手掴みで食えるし」

 

「……」

 

 

色とりどりのおかずに、小さく丸められたおにぎり。

料理は相変わらず上手ずなんだな。と、俺は思わず微笑んでしまう。

 

 

「…あーん」

 

「…」

 

 

突然のあーん。

俺の微笑みは一気に凍結した。

 

…あ、あーん、だと…っ!?

 

あの雪ノ下が!?

た、確かに箸は一膳しかないし、手掴みは行儀悪いが…。

ゆ、ゆ、雪ノ下よ、あーんっておま…っ、ちょ、こ、高校生に照れてんなよ俺!

見かけは同じ高校生とはいえ、中身は立派な大人だぞ!?

童貞かよ!!

 

 

「…ゆ、雪ノ下…、それは何の真似だ?」

 

「あーんよ。貴方はあーんも知らないの?」

 

 

あーんよって…。

この行為の正式名称って『あーん』なの?

それって辞書にも載ってるのか?

 

…。

 

あぁ、でも何かコレ、懐かしいな…。

 

そういえば、付き合う以前の三浦とピクニックへ行った時に、木陰の下でこうして同じように照れたことがあったな…。

 

…なんだって、今時の若い娘はあーんをやりたがるのだろう。

 

こんなのただ恥ずかしくて、心がぴょんぴょんするだけじゃん。

 

 

「…あの、腕が痛いから早く食べて欲しいのだけれど」

 

「…あ、ああ。悪いな」

 

「はい。あーん」

 

 

と、雪ノ下のあーんに、俺があーんしようとした時。

その甘くて切ない空気に介入する1人の女生徒が声を荒げてこちらへ突撃してきた。

 

ドタバタドタと机を薙ぎ払い、彼女はチャームポイントの吊り目をこれでもかと言うくらいに吊り上げさせ、俺と雪ノ下の間に手を伸ばす。

 

 

ガシっ。

 

 

「な、何やってるし!!は、は、破廉恥だしーー!!!」

 

 

こ、古手川さん…!?ではなく三浦が、俺の口元に届きそうだった雪ノ下の手を止める。

 

 

「む?何をするの三浦さん」

 

「な、何をするのじゃないし!神聖な学び舎で、あんたは何を破廉恥な…っ。そ、そう言うのは大人になってからじゃないとダメなんだかんね!」

 

 

…あーんって大人じゃないとやっちゃダメなのか。

それは初めて知ったよ…。

 

そう関心を寄せつつ、俺は少しだけ安堵のため息を吐いて三浦に問いかける。

 

 

「落ち着けよ。それなら三浦、おまえ箸とか持ってないか?あいにく雪ノ下は一膳しか持ってきてないみたいでな」

 

「よし分かった待ってなバカ共!あーしはフォーク派だからスプーンを貸してやる!」

 

「スプーンかよ…。まぁいいけど」

 

「ま、まだ食うなよ!?あーしも一緒に食べるから!!」

 

 

そして、三浦はまたもやドタバタドタバタ自分の席へ戻っていった。

 

不服そうに頬を膨らませる雪ノ下から視線を逸らしながら、俺は何の意味もなく窓の外を見つめる。

 

 

 

どこか違う過去を繰り返すこの夢。

 

 

コレはいつになったら覚めるんだ?

 

 

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

 

で。

 

その日の放課後。

 

授業を終え、俺はいつものように奉仕部へ向かおうとしたのだが、学校本棟と部活棟を結ぶ渡り廊下の物陰に、()()()()()の影を見つける。

 

その影は明らかに俺を待ち伏せていて、いざ俺が表れよう物ならカバンに隠したナイフでぐさっ!…とはならず、頭に乗っけたお団子をヒョコリと覗かせ、その柔和な笑みで廊下を歩く俺の前に立ちはだかった。

 

 

「…あ、あの…」

 

「…由比ヶ浜」

 

「あ、良かった。…私の名前、覚えててくれたんだね」

 

 

当たり前だろ。

おまえの名前を忘れるはずがない。

それだけの時間を共に過ごし、俺の心に優しく入り込んでくれたのだから。

 

そんな彼女が、こちらの世界では奉仕部に居ない。

 

 

「…何か用か?」

 

「…う、うん…。あのさ、比企谷くんは…、優美子とどういう関係なの?」

 

 

この由比ヶ浜は、俺の事をヒッキーとは呼んでくれないみたいだ。

それが少し残念でもあり、切なくもあり。

 

そんな心情がバレぬよう、俺は自然を装い無難な返答をした。

 

 

「関係?…部活仲間だが?」

 

「…うそ。…だってあんな優美子、見たことないもん。雪ノ下さんだって…」

 

「俺がボッチだから気を使ってくれただけだろ。それよか、おまえはこんな所で何をしてたんだ?」

 

「ふえ!?あ、あははー、ちょっとお散歩?」

 

「散歩なら帰って犬と行ってやれよ」

 

「うん、そうだよね…」

 

 

そう言いながら、由比ヶ浜は小さく下を向く。

 

 

…サブレの話題を出しても事故の件に触れてこない。

隠してる様子も無いし…。

 

まさか、こっちの世界で俺が事故から助けた相手は由比ヶ浜じゃないのか?

 

それなら由比ヶ浜が部室に現れないつじつまも合うが…。

 

…1年前の事故について、小町に聞いても良く覚えてないとしか言わないし。

うろ覚えながら、総武高校の制服を着ていたことだけは確からしいのだが…。

 

 

「…部室、来るか?雪ノ下が美味しい紅茶を淹れてくれるぞ?」

 

「……」

 

 

下を向く彼女はモジモジと身体を揺らし、俺を数回見つめるや、またも恥ずかしそうに下を向く。

 

 

「…三浦とは、仲良くやれてるのか?」

 

 

と、口から溢れた過去の呟き。

あの頃みたいに、こいつは遠慮深く、他人から一歩を引いた関係で、硬い笑顔を貼り付けているのだろうか。なんて言うほんの少しの親心。

 

彼女は俺の言葉に一瞬、驚いたように目を見開くと、ふにゃっと頬を緩ませて、いつものような笑顔で口を開いた。

 

 

「うん、大切な友達だよ。……()()()()()()()()()()

 

「…?」

 

 

最後の方が聞き取れなかったが、どうやらこちらでも仲良くやれているらしい。

 

一度話せば積年の思いが蘇る。

あの部室で過ごした3人の記憶は、今もなお俺の胸に仕舞われていた。

それを無理やりにこじ開けようものだから、俺は少しばかりセンチメンタルになってしまう。

 

そっと、俺と由比ヶ浜の間に優しい風が吹き通った。

 

懐かしい青色の風。

 

俺はあの頃と同じように、今もただアホ毛を揺らしながら、由比ヶ浜が笑って話しかけてくれる事を待っている。

 

 

もう一度だけ、部室に来るかと由比ヶ浜に聞くも、彼女はゆっくり首を横に振り、下駄箱の方へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

「またね、比企谷くん」

 

 

「…おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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parallel -5-

 

 

 

 

「「勉強?」」

 

 

と、奉仕部の部室で声を揃えて首を傾げる三浦と雪ノ下。

依頼なんてのは勿論なく、ただただ各々が暇を潰すだけの部活動の最中に、俺はカバンを机に置きながら彼女らに尋ねた。

 

 

「ああ。もうすぐ中間考査だろ?」

 

「ぷーくすくす!中間考査よりも先にゴールデンウィークがあるし!そっちの準備のが先っしょ!」

 

「ふふふ。今年は夢の7連休と聞くわ。胸が踊るわね」

 

 

…このバカチンがぁ。

連休明けたら直ぐにテストでしょうが。

進学校の生徒なら、2年のこの時期から受験を視野に入れて勉強しろよな。

 

 

「あっそ。それじゃあ俺は勉強したいから図書室行くわ。何か依頼が来たら伝えてくれ」

 

「え!?ちょ、勉強ならココでもできるし!なんでわざわざ図書室に行くの!?」

 

「…おまえらがうるさいから」

 

「わかったわかった。静かにするから」

 

「もうさ、その金髪が目障りなくらいにうるさいんだわ」

 

「あんたぶっ潰す」

 

 

などと言い合いながらも、俺はカバンを持ち直し、部室を後にするーーー

 

ーーー後にしようとしたのだが。

 

 

ピコン。と、ノートPCから聞こえる電子音が、俺の足を止める。

 

それがメールの受信音だと気付くと、雪ノ下はゆるりとノートPCを操作しメールを確認した。

 

 

「い、依頼だわ…っ!」

 

「なぜそんなに狼狽える…」

 

「…ご、ごほん。久しぶりの依頼に少し気が動転してしまったわ」

 

 

雪ノ下は慌てた様子でメール画面を読み上げる。

 

曰くーーー

 

 

 

中間考査で良い点を取りたいのに勉強ができません。

 

どうしたら良いでしょうか。

 

事前にテスト問題が分かれば幸いです。

 

 

 

ーーーあざと可愛い後輩より

 

 

 

なんだこのバカっぽい依頼メールは。

事前にテスト問題が分かれば皆んな幸いだわ。

 

はいはいイタズラ乙。

 

あざと可愛いとか笑止!って感じですわ。

 

俺の知り合いの方があざといし可愛いっての……。って、こいつ一色じゃね?

 

 

「これは無視だな。それじゃあ俺は図書室行くわ」

 

「待てし!依頼は依頼でしょ!奉仕部の信念を忘れたの!?」

 

「そうよ。どんな難問にでも挑む。それが私たち奉仕部じゃない」

 

 

…くそくだらねぇ時ばかり意気投合しやがって。

なんだってこいつらはいちいち依頼に乗り気なの?

もっとさ、選ぼうよ…。依頼。

 

 

「バカからの依頼だし、バカ2人の方が解決出来るかもしれん。頼むぞ、バカ2人」

 

 

「「!?」」

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

そして、バカ2人との一悶着後に俺は図書室へ向かったわけなのだが、廊下を鳴らすゴム音に懐かしみを覚えつつ、部室で紅茶を飲み逃したために乾いた喉を潤すべく、自動販売機へと立ち寄ることにした。

 

内臓がさ、訴えてんだよ…。

 

五臓六腑にマッ缶の液体を巡らせてくれってな。

 

 

「…マッ缶マッ缶と…。うお、120円じゃねえか…。増税前のマッ缶か…、貴重だな」

 

 

ピ、がこん。

 

俺は取り出し口からマッ缶を救い出し、すぐさまにそのプルタブを開けた。

 

図書室は飲食が禁止だからな、ココで飲んでしまわねば…。

 

木陰が掛かるベンチに座り、俺はマッ缶を傾ける。

 

んく、んく…。

 

 

「…ふぅ。うまい。120円のマッ缶」

 

 

と、俺が飲み終えた缶をゴミ箱へ放り投げた時、すれ違うように自動販売機への来客者が現れた。

 

その来客者はこちらに気付いている様子はなく、先ほどの俺と同様に自動販売機の前に立ち尽くす。

 

 

「…ぁ、120円だ。…安いなぁ」

 

 

そう呟くと、特徴的なお団子頭を左右に動かし品を選ぶ。

 

悩んだ末に彼女が押したのはマッ缶。

 

良いチョイスじゃないか。

 

 

「ん…。うぇ…、やっぱり甘過ぎ…」

 

「神聖なるマッ缶信者には堪らん甘さだろ?」

 

「っ!?」

 

「よう。由比ヶ浜」

 

 

ビクッと肩を震わせて、由比ヶ浜は俺の呼びかけに振り返る。

片手に持ったマッ缶の縁が太陽に反射し鈍く光った。

 

 

「ひ、比企谷くん。…どうしてここに?」

 

 

ふむ。どうしても何も、自動販売機の前にいる理由はおまえと同じなのだが…。

 

 

「マッ缶を買いにな。それにしても、由比ヶ浜もマッ缶が好きだったなんてな」

 

「あ、うん…。好きって言うか、ちょっと試しにね…」

 

 

長い付き合いだが、由比ヶ浜がマッ缶を好んで飲んでいる姿は思い出せない。

まさか、こちらの世界ではマッ缶信者だったとは…。

 

 

「そうなのか…。ていうか、由比ヶ浜は放課後に校舎で何をやってたんだ?」

 

「ふぇ?私は、ちょっと中間考査の勉強をしようと思って」

 

 

それは意外。

バカな子の口から勉強だなんて言葉が出てくるなんて。

 

ちょっと感動…。

 

だが要領の悪い由比ヶ浜のことだ。

1人で勉強をしたところで、分からない問題に行き詰まり、頭を悩ませながら時間が過ぎていくだけ。

 

そして、人よりも少しだけ優しく、他人の事を考え過ぎてしまうから、分からなくても聞くことができない。

 

そんな由比ヶ浜を俺は散々見てきたから。

 

なんとなく、俺はそんな不器用な彼女に向けて言葉をかける。

 

 

「よし。それなら俺が教えてやるよ」

 

「えぇ!?」

 

「由比ヶ浜が1人で勉強したところで意味なんてないだろ?」

 

「なんでだし!」

 

「高2の勉強くらいなら幾らでも教えてやる」

 

「で、でも、本当にいいの?私、少しだけ覚えが悪いっていうか…」

 

 

知ってるよ。

おまえの物覚えの悪さには面倒を沢山かけられたし、それと同じくらいに助けられたから。

 

たくさんたくさん、俺は由比ヶ浜の事も知ってる。

 

クッキーが上手ずに作れなかった事も、文化祭で一緒に食べたパンケーキの味も、修学旅行で怒ってくれたことも、全部全部、俺は覚えている。

 

だからこういう時にこいつは、ほんの少しだけ遠慮をしながらもちらりちらりと俺を見て、もう一声、背中を押す言葉を待っているんだ。

 

 

 

 

「だから教えてやるんだよ。ほら、さっさと図書室に行こうぜ」

 

 

「…え、えへへ。うん!」

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

で。

 

由比ヶ浜を連れて図書室へやってきたのだが、オープンスペースに配置される4人がけの机は先客に占領されていたため、俺たちは仕方なく、1人用の勉強スペースに2人で座る事にした。

 

ていうか、スマップが解散だの、次はセクゾだの、サッカー部の先輩にめっちゃカッコいい人が居るだの、その会話は図書室でじゃなきゃ出来ないの?

 

出来ればその机を俺たちに譲ってくれ…。

 

1人用のスペースに2人で座るのは流石に狭いのだ。

 

 

「た、たはは。狭いね…」

 

「本当にな。まぁ、俺は横で教えるだけだから。教科書が机からはみ出る事はあるまい」

 

「ぁぅ…、う、腕とか当たったらごめんね?」

 

「腕よりも胸を気を付けてくれ。俺は冤罪で捕まりたくない」

 

「あ、うん…」

 

 

と、こんな事を高校生に言ったらセクハラで捕まっちまうか?

などと気にするも、今は俺も高校生だ。

ある程度の冗談くらい、由比ヶ浜ならスルーしてくれるだろう。

 

 

「さて、それじゃあどれからやるか…。現文?古文?政経?」

 

「あ、やっぱり文系縛りなんだ…」

 

「数学も平均点を取れるくらいなら教えてやれるかもな。それじゃぁ、由比ヶ浜が1番苦手そうなモラルから始めるか?」

 

「なんで私の苦手科目がモラルなのさ!?ていうか!モラルなんて科目は無いからね!?」

 

「ははは。はいはい、それじゃあ英語から始めような」

 

「うぅ〜。比企谷くん意地悪!嫌い!」

 

 

…うん。ようやく由比ヶ浜らしくなってきた。

明るい彼女はやっぱり可愛い。

頬を膨らませて怒る姿なんてあの頃となんら変わらない。

 

俺は英語の教科書を開く由比ヶ浜の隣で、ただただ思い出を懐かしむ。

 

由比ヶ浜はノートにさらさらとボールペンで文字を書き込みながら、俺の教える英単語を繰り返し覚えていった。

 

 

「ポタト。ポタト。ポタト。へへへ、こうやって発音もしながら覚えるのが1番良いんだよね」

 

「ポテトね、それ。あと、ポテトなんて覚えなくていいから」

 

 

バカ可愛い。

どれ、単語を必死に覚えている由比ヶ浜のために英和辞典でも持って来てやるか。

 

そう考え、俺は由比ヶ浜に一言伝え、曖昧な記憶を頼りに図書室内で英和辞典を探す。

その際にチラリと4人がけの机を見るも、そこには変わらず下らないスイーツな話で盛り上がる生徒が占領していた。

 

 

「私ぃ、サッカー部のマネになろうかなぁ」

 

 

…あれ?あいつ一色じゃん…。

 

あのバカ、奉仕部にあんな依頼メールを送ってきやがったくせに、自分は図書室でガールズトーク(笑)に興じてんのか。

 

教えてやりたいよ。

 

そこにいる友達は、半年後におまえを生徒会長にするべく悪行を働くんだぜ。

 

 

「…南無…」

 

 

俺はそんなスイーツ女子に背を向け英和辞典を探し始めた。

多くの本棚に並ぶ多くの本に囲まれ、どこか空気が静かに流れる空間を歩き回る。

 

辞書、辞書、辞書…っと。

 

お、この列か?

 

 

「…あった。この紙の香りと分厚さ…、最強だな」

 

 

と、俺が大きな辞書を本棚から取り出すと、背後から掛けられる1人の声。

 

 

「あのぉ、さっき私のこと見てましたよねぇ?」

 

「……」

 

 

一色いろははあざとく首を傾げ、辞書を片手に佇む俺に声を掛けてきた。

 

茶色い髪は、俺の知ってる一色よりも少しだけ短い。

 

ただ、やはりそのあざとさに変化はないようだ。

 

 

「…見てねえよ。てか、おまえの初出は半年先のはずだが…」

 

「は、初出?なんのことです?」

 

「….あざとい」

 

「!?」

 

 

いちいち首を傾げるな。

他人の目を気にして可愛いくあろうとする悲しきピエロめ。

おまえの本性なんて既にバレバレなんだよ。

これから先、結構面倒見てやるんだから敬えバカ後輩。

 

 

「…じゃあ、俺はこれで」

 

「ま、待ってください!…は、ははぁ〜ん、もしかして先輩、私の事が気になってる感じですか〜?でもごめんなさい。なんだ目がイヤラシイくて気持ち悪いので無理ですごめんなさい」

 

「はは。懐かしいな」

 

「むう!懐かしいってなんなんですか!」

 

 

懐かしいもんは懐かしいんだよ。

 

俺はわざとらしくため息を大きく吐き出し、一色の横をすり抜けて由比ヶ浜の元へと戻る。

 

おまえと知り合う半年後。

あの生徒会選挙の日まで、俺はこんな夢に振り回されてるわけにはいかないんだよ。

つまり、一色の出番は無いわけだ。

だからこんな所でどんな会合を経ようと関係がない。

 

 

 

「…おまえも、勉強しておけよ」

 

 

「……。変な人…」

 

 

 

 

 



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parallel -6-

 

 

 

 

 

 

 

「マークシート式のテストなら全部答えられる自信あったし」

 

「そりゃマークを塗り潰すだけだからな」

 

 

俺はカルピスの入ったグラスへ刺したストローから口を離し、参考書とノートをテーブルいっぱいに広げた三浦へ答える。

俺の答えが不服だったのか、三浦はほんの少しだけ頬を膨らまして唇をとがらせた。

 

 

「あーし、塗り絵とかめっちゃ得意だかんね」

 

「知らねえよ」

 

 

中間考査明け休み真っ只中。

 

昼過ぎのサイゼには、学生と主婦が談笑に励むべく席を囲う。

見渡せば、ちらほらと見覚えのある総武高校の姿が。

彼ら彼女らは揃って緊張感の無い会話に場を盛り上げていた。

 

無駄にテンションが高い…。

 

そりゃテストが終わればテンションも上がるか。

 

 

ーーーそれなのに、どうして三浦は参考書とノートを広げているかと言うと

 

 

「…おまえ、このままじゃまた追試だぞ」

 

「ぐっ…。だ、だから勉強してんじゃん」

 

 

中間考査で赤点を取ったがために行われる追試に備えているわけで…。

三浦は目に涙を浮かべながら、周りがテストから解放された休日を満喫する中、こうしてひたすらにボールペンを握っているのだ。

 

 

「つうかよ、勉強教わるなら雪ノ下に頼めよ」

 

「バカにされるし。それだけはあーしのプライドが許さない」

 

「はぁ」

 

「ちょっと!ため息禁止って言ったでしょ!?」

 

「おまえと居るとため息しか出ねえよ」

 

「ぐぬぬぬ」

 

 

進まぬ勉強。

 

交わらぬ会話。

 

先ほどから1ページも捲られる事のないノートには、無駄にクオリティーの高い落書きが増えていくだけ。

 

…こいつ、パンさん描くのめっちゃ上手いな。

 

 

「もういい!勉強なんてしたくない!」

 

 

ガタンっと、三浦はテーブルを叩いて立ち上がる。

 

周りの客も居るんだよ…。

 

本当にこのバカは唐突におかしくなるんだから。

 

 

「…追試に落ちたら放課後に補習だぞ?」

 

「知らん!あーしにもカルピス持って来て!!うんと甘い原液のカルピスを待って来て!!!」

 

「カルピス持って来たら勉強するか?」

 

「ふん!」

 

 

…殴りたい。

 

この目の前に居る可愛い奴を優しく殴って抱き締めたい。

 

俺の良く知る三浦も、偶にこうして癇癪を起こしてはワガママになったものだ。

そんなときは優しくかまってやると少しづつ心を開いてくれる。

そっと頭を撫でてやると、途端に笑顔になって『へへ、やっぱヒキオにはあーししか居ないし!』なんて。

 

……。

 

可愛いすぎる。

 

 

「補習になったら遊べなくなっちゃうぞ?」

 

「へん!補習なんて逃げ出してやるし!」

 

「逃げたら平塚先生におヘソを取られるらしい…」

 

「っ!?」

 

「頑張って勉強したら、今夜の夜ご飯は三浦の好きなハンバーグにしてやる」

 

「え!?マジで!?……って、なんでヒキオに夕飯の献立を決められなくちゃいけないんだし!」

 

 

…あ、そっか。

こっちの三浦とは一緒に暮らしてないんだった。

 

なんかこうして話してると、この三浦は本当に葉山が好きなのかと疑ってしまうな。

その小指に光るピンクのピンキーリングが確かな証拠であろうが…。

 

 

さて、冗談はさておき、そろそろこのバカに本気で勉強をさせないとな…。

 

三浦にはしっかりと大学に行き、俺と出会ってくれる運命線を辿ってもらわないといけないから。

 

頼むから、変な男に引っかからずに俺の所へやって来てくれよーーー、と切に願いながら、俺は席から立ち上がり、自分の分と三浦の分のグラスを持つ。

 

 

 

「カルピス。原液でいいんだよな?」

 

 

「ん。…へへ、ありがと」

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

「ばいばーい!」

 

「ん。気をつけて帰れよ」

 

 

大きく手を振る三浦に、俺は手を小さく振り返す。

追試対策を終えて別れるや、三浦の背中を見送ることに若干の切なさを感じつつも、夕日が照らす俺の長い影が三浦に届く事はない。

 

手を繋いで歩いた時間よ…、早く戻って来てくれ。

 

早くこの夢を覚まして、あの暖かい彼女との時間を…。

 

 

「嘆いても始まらん…」

 

 

始まらないけど終わりもしない。

そう、この覚めぬ夢は特に終わらないのだ。

 

赤い夕日が照らすカーペットのようなアスファルト。

俺はどうしてこの道を1人で歩いているんだ。

影を重ねて歩いたあの日は戻ってくるのだろうか。

 

 

ふと、彼女の明るく柔らかい声が胸に疼く。

 

 

ーーヒキオ!いつまで寝てんだし!

 

 

……っ。

 

 

振り返るも、そこには誰の影も無い。

気付けば頬を落ちる一粒の涙が地面に染みを作っていた。

 

会えないだけでこんな悲しいなんて思いもしなかった。

 

こっちの三浦も可愛いけど、やっぱり俺は()()()に会いたいよ。

 

会って抱き締めたい。

 

ギュッてしてやると細める目も、柔らかい身体も、甘い香りも、すべてが愛おしい。

 

 

「…くそ。なんだってんだよ。恥ずかしいポエムが頭に浮かびやがる。今ならJKに流行る歌詞が書けそうだ」

 

 

そんな独り言。

 

俺の独り言は誰にも聞かれる事なく静かに消えていくーーー。

 

消えていくはずだった…。

 

 

「…比企谷くん?ポエム?JK?…って、なんで泣いてるの!?」

 

 

そして彼女はーーー

 

ーーー由比ヶ浜 結衣は現れる。

 

 

まるで俺の心の隙を縫うように、その懐かしい姿のまま、俺をゆるりと擽った。

 

そうだ。

こいつはいつも、俺が弱ったときに現れて、柔らかい所をそっと突いてくるんだ。

 

決まって彼女は不安げな顔で俺を心配してくれる。

 

甘く。

 

誰よりも甘く。

 

 

彼女は俺を想い続けて。

 

 

「あ、あの、これハンカチっ…。本当に、何かあったの?」

 

「…いや、目にゴミがな」

 

「…?」

 

 

ピンク色のハンカチを受け取るも汚す事なく、俺はそれを畳んで彼女へ返す。

ハンカチを返す際にほんの少しだけ触れた由比ヶ浜の手はすごく暖かかった。

 

 

「悪い、助かったよ。…それよか、由比ヶ浜こそこんな所で何をしてるんだ?」

 

「へ?あー、私は夕飯を食べに来たの。ほら、向こうにサイゼがあるでしょ?今晩はママが町内会の温泉旅行で出掛けてるからさ」

 

「おまえの料理スキルは壊滅的だし、サブレのドックフードを食う訳にもいかんからな」

 

「りょ、料理出来るもん!何を言ってるのかな比企谷くんは!」

 

 

嘘をつけ。

おまえが調理室で黒焦げのダークマターを錬成させたのは忘れないからな。

そして味見とばかりに食わされたこともこの舌が怨念として覚えてる。

 

 

「夕飯にサイゼか…。悪くない選択だが、若い子が1人で行くには少しばかり治安が悪い」

 

「な、なんか歳上の人みたいな言い方だね」

 

 

決して大袈裟な言い方ではなく、由比ヶ浜くらいに可愛い女子高生が1人で出歩こうものならば、世の肉食系男子が放っておかないであろう。

 

実際、コイツと出掛けると、俺が一緒に居ると言うのに声を掛けられる事が多々あった。

 

それこそナンパからカットモデルまで異種様々…。

 

無自覚に無防備で、どこかヌけている女の子は、いつもこうして俺に心配をかけるんだ。

 

一つ、俺は小さな溜息を吐きながら、由比ヶ浜の頭に手を置いて、その柔らかい髪を撫で上げる。

 

 

「ふぇ!?」

 

 

撫で心地の良い頭から手を離すと、由比ヶ浜は少しだけ残念そうな表情を浮かべて、名残惜しそうに俺の手を見つめた。

 

 

「きゅ、急に女の子の頭を触っちゃだめだよ!」

 

「あぁ、それはすまんな。なんか撫でたくなってな…」

 

「ぁぅ…」

 

「怒るなよ。…お詫びと言っちゃあれだが…」

 

 

頬をほんのりと染める由比ヶ浜に、あの頃の面影と思い出を重ね合わせていた。

 

純粋で優しい彼女をーーー

 

ーーー俺は。

 

 

 

「ウチに来いよ。飯くらい食わしてやる」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

でーーー。

 

 

「お、お邪魔します」

 

「おう。お構いなく」

 

 

落ち着き無く当たりを見渡す由比ヶ浜を連れ、俺は玄関の戸を潜る。

 

玄関口には父さんと母さんの靴がない。

 

どうやら今夜と仕事で会社に泊まるらしい。

 

社会人ってのはやはり大変で、どこかゆとりの少ない人種なのである。

 

 

「緊張しなくてもいいぞ?両親は居ないしな」

 

「えぇ!?そ、それってつまり!?」

 

「…。つまりって何だよ。…心配すんな。おまえみたいな青臭いガキに手は出さん」

 

 

身体だけは一丁前に成長している彼女をリビングへ通し、俺はソファーへ座るよう促した。

 

小町が居ない…。

 

ん?出掛けてんのか?

 

と、思っていると、食卓に置かれたメモ用紙が視界に入る。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

サイゼが小町を呼んでいる!

 

ーーーーーーーーーー小町

 

 

……なんで?

 

なんかサイゼの人気がヤケに高い気がする。

 

 

「え、えっと…、あははぁ、やっぱり少し緊張するね…」

 

「ふむ。…ほら、うちのバカ猫を貸してやるからコイツで落ち着け」

 

 

バカ猫ことカマクラが俺の足回りを彷徨った。

俺はソイツを持ち上げて、由比ヶ浜の膝へと移動させる。

 

少し重いのは小町が今夜のエサを沢山あげたためだろう。

 

 

「うわぁ。カーくん柔らかくて気持ち…」

 

「……」

 

 

カーくんは柔らかいのか…。

 

普段から引っ付きまとい邪魔臭いデブ猫も、由比ヶ浜から言わせりゃ柔らかくて気持ちが良いらしい。

 

 

ふと、頭に()()が引っかかる。

 

 

小さな小さな違和感。

 

…いや、その違和感前にもほんの少しだけ感じた気が…。

 

ただ、それを確かめようにもその違和感は曖昧に正体を隠し、詮索させまいと雲と化す。

 

 

「…ん?どったの?」

 

「…。いや、何でも。由比ヶ浜、カレーで良いか?小町が作り置きした2日目のカレーだぞ」

 

「いいともー!2日目のカレーは世界で一番美味しいからね!」

 

 

やったー!と、大きく手を挙げて喜ぶ由比ヶ浜の顔が、俺の頭に掛かった引っかかりを忘れさせた。

 

その幸せそうな顔と暖かい声に、思わず俺も頬を緩ませる。

 

 

 

「それじゃあ準備しますか」

 

 

「私も手伝う!」

 

 

「だめ。絶対…」

 

 

 

 

 



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parallel -7-

 

 

 

 

 

休日の駅前。

 

行き交う人達の喧騒に辟易としながら、俺は約束の時間の5分前を目安に目的地へと向かった。

 

駅前ロータリーに立つ大きな時計台の下には、昨日の夜にLINEにてやりとりをしていた相手が既に待機して居る。

 

俺はそれを見つけるや、少し小走りで近づいて

 

 

「よ。早いな」

 

「あんたが遅いの!どんだけ待たせる気!?」

 

「はいはい」

 

「女を待たせるなんて最低だし!」

 

 

彼女は相変わらず、ぷんぷんと膨らませた頬でまくし立てるように怒った。

 

待たせるも何も、俺は約束の5分前にはちゃんと来たんだけどね。

 

でももう、こんなやりとりも慣れっこだわ。

 

 

「おまえが来た時が集合時間だもんな」

 

「は?急になんだし…」

 

 

お前が言っていた事じゃないか。と笑い飛ばしつつ、俺は三浦に呼び出した理由を問い掛ける。

 

 

「で?なんだって貴重な休日に俺は呼び出されたの?買い物か?それともピクニック?ハイキングとかは行かないからな?」

 

「遅れて来たくせに生意気!今日はあんたにご奉仕するために呼び出したんだし!!」

 

「む!?お、おまえ、変なことを大声で言うなよ…。なんだよ、ご奉仕って…」

 

 

沢山の人を面前に、このバカはご奉仕だのなんだのと大声を上げた。

周囲の人達に恐ろしい程の疑惑な視線を向けられて、俺は思わず三浦の頭を叩く。

 

 

「痛っ!ちょ、なんであーし叩かれたの!?」

 

「おまえがバカだからだ」

 

「ぐぬぬ」

 

「はぁ。まぁいいわ。ご奉仕ってのは、つまり追試の勉強を教えてやったお礼がしたいってことだろ?」

 

「そうです」

 

 

別世界とはいえ長い付き合いだ。

言葉足らずでチョイスをいちいち間違える彼女の意思を読み解くのだって慣れたものだ。

 

俺は小さくため息を吐きながら、そんな彼女のお礼とやらを素直に受け取る。

 

 

「別に礼なんて要らんがな。何?飯を奢ってくれるとか?」

 

「は?普通奢るのは男の役目っしょ」

 

「…。じゃあ何か買ってくれるとかか?」

 

「バカなの?プレゼントは男が女にするものだし」

 

「………。え、じゃあお礼って何をしてくれるの?」

 

 

疑問。

 

完全なる疑問である。

 

三浦はふふん♩と鼻息を鳴らし、その大きな胸を張って俺をほんのりと見下した。

 

なんだコイツ…。

 

 

 

「寂しいヒキオのデート相手になってやるし!」

 

 

「…」

 

 

「泣いて喜べ!あんたみたいな根暗な男にデートのイロハを教えてやるんだから!!」

 

 

「チェンジ…」

 

 

「!?」

 

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

 

で。

お礼と言う名のデートが始まった。

俺はわがまま金髪お嬢様を喜ばすべく、なぜだかエスコートをしなくてはならなくなったのだが、どうにもお嬢様のご機嫌がよろしくない。

 

なんだ?

 

昼飯は三浦が好きなチーズフォンデュを食べられる店を選んだし、高い所からの景色に興奮することを知っていたから高層ビルから街を望める展望台へも連れて行った。

そろそろ疲れてぷんぷん言い出す頃だろうと思い、今は喫茶店へ行き、ショートケーキのクリーム多めを頼んでやったというのに…。

 

なぜだか頬を膨らませてジト目で俺を睨みながら、三浦はグラスに刺さるストローを噛みちぎらんばかりに咥えているのだ。

 

 

「わかったわかった。ヒールが痛いんだろ?靴買いに行くか?」

 

「む!違っ…、違くないけど何か違うし!!ヒキオはもっとデートに不慣れなハズでしょ!!」

 

「…は?」

 

「なんで的確にあーしの行きたいところに連れてってくれるわけ!?ありがと!!」

 

 

そう言って、三浦は怒りながら唾を飛ばして怒鳴り散らす。

 

なんだよコイツ…。

 

行く先々で喜んでたじゃん…。

 

 

「…それじゃあ俺はどうすりゃいいんだ?」

 

「もっと狼狽えろ!」

 

 

…狼狽えろって…。

 

お嬢様のご機嫌を取るのはやはり難しい。

 

俺はそんな三浦の口元に着いたクリームをハンカチで拭いてやりながら、頬杖を着いてスマホを眺める。

 

 

「金髪、我儘、うざい…。あれ、グーグル先生も答えを提示してくれないぞ?」

 

「あんた何をググってんだし!」

 

 

怒りながらもケーキをお口にいっぱい放り込む彼女は、やはりどこか幼くて我儘だ。

 

出会った頃の三浦はこんな感じだったかも…、なんて思いつつ、俺はガムシロップで甘くしたアイスコーヒーを傾ける。

 

…そうだ、こんな甘いコーヒーを飲んでいると、三浦は決まって

 

 

「それ身体に悪くないの?半分にしておきな?」

 

 

と、心配してくれるのだ。

 

本質は変わらない。

オカンな彼女に、思わず俺は笑ってしまう。

 

 

「なに笑ってんだし!」

 

「え…、あ、あぁ、悪い。どうにもおかしくてな…」

 

「あーしの顔のどこがおかしいんだボケ!」

 

「おかしくない。…うん、おまえの顔は全然おかしくないよ。むしろ可愛いくらい」

 

「ほぇ!?」

 

「あ、その顔は面白い」

 

「むきぃぃー!!」

 

 

ほんわかとした雰囲気に、俺の口も知らず内に軽くなっていた。

彼女と過ごした時間は確かに俺の中で深く充満していて、そっと懐かしい香りを漂わせつつ、誰よりも明るく気持ちの良い灯りを灯している。

 

それでも。

 

彼女の小指に光るピンキーリングは俺の目尻を滲ませるから。

 

そっと、この空気に便乗して、俺は三浦に問い掛けたーーーー

 

 

「なぁ、おまえのそのピンキーリ……」

 

「あれ!?優美子じゃね!?こんな所で会うなんてガチで奇遇じゃね?」

 

 

ーーー問い掛けようとした時に、そいつは肩まで掛かる茶色い髪を小汚くカチューシャで束ね上げ、どうにも生理的に受け付けない顔と声と共に現れた。

 

 

「戸部?あんたこそこんな所で何やってんの?」

 

「俺は荷物持ちってやつ!ほんとこき使われてヤバイわ…。ん?あり?ヒキタニくんじゃん」

 

「うんそうだよヒキタニくんだよよろしくねはいさようなら」

 

「ちょっ!ひ、ヒキタニくん冷たすぎねっ!?」

 

 

おまえよー、今はよー、重要な事をよー、聞こうと思ってんだよー。

まじで空気読めよ戸部って感じですわ。

 

はぁ、と、ため息を一つ。

 

そのため息は戸部だけに吐かれたものじゃない。

 

こいつを荷物持ちにする人物を、俺は確認もせずとも分かってしまうから。

 

この場でもっとも現れて欲しくない人物。

 

空気を壊すためだけに生まれたアホの顕現。

 

 

「ちょっと戸部せんぱーい。この荷物も持ってくださいよー。…ってあれ?三浦先輩。それと……」

 

「さあ三浦。場所を移そうか。じゃあな戸部。この店のモンブランとチーズケーキは絶品だからオススメだぞ」

 

 

と。

 

場を荒らされる前に退散しようとしたものの、ふにゃりと柔らかい感触が俺の腕をしっかりと掴み、俺が席から立ち上がる事を揺らさない。

 

そいつは満面に偽物の笑顔を貼り付けて、いつもの撫で声を発する。

 

 

「あれー?あなたはいつぞやのセクハラ先輩じゃないですかぁ。そうだ、これも何かの縁ですしぃ、一緒にお茶でもしましょうよぉ」

 

「…離せ、悲しきピエロ」

 

「かっ、悲しきっ…!そ、それって私のことですか!?」

 

 

俺の皮肉に怒ったのか、一色の掴む手の力が強くなる。

気のせいだろうか、その手はわなわなと震え、もはや俺の腕を握り潰さんばかりだ。

 

あ、痛いっ!

 

痛いよ!

 

 

「ぐっ!おまえのどこにそんな力が…っ!」

 

「さぁさぁさぁ!降参するなら今の内ですよ!?言っておきますが、私はまだ30%の力しか出していません!」

 

「な、なん…、だと…?」

 

 

こ、これでまだ30%だと!?

ぐっ、こいつ…、やりやがる!

ギリギリと俺の骨が悲鳴を上げるも、俺とてただヤられるわけにはいかない。

 

 

「っ、てめぇこらぁぁ!雌ガキがぁ!」

 

「ぬぁっ!うにゅにゅっ!」

 

「はっはっは!抓ってやる!おまえのもちもちのほっぺを抓ってやる!」

 

「にゅーーーっ!!」

 

 

 

わーわーーー

 

やーやーーー。

 

 

 

.

……

 

 

 

「あの、すみませんでした」

 

「あ、いや俺の方こそ大人気なかったよ」

 

 

茶番劇を終え、俺は結局、出ようとした喫茶店に留まることになった。

 

さすがにあのまま喧嘩をしてたら周りの目も痛かったし、止めてくれた三浦には感謝しないと。

 

ちなみに、戸部はそろそろ部活に戻らないとヤバイと言って帰っていった。

サッカー部は休日にも活動するんだね。

奉仕部とは大違い。

 

ふと、俺は赤くなったほっぺを摩る一色と目があった。

 

 

「おまえのほっぺ柔らかいな。ほら、抓ったお詫びにチーズケーキを一口やるよ」

 

「え、いいんですか。それじゃあ遠慮なく…、あーん」

 

「あーん」

 

「ん。んー!おいひーでふー!」

 

 

うんうん。

一色はチーズケーキが大好きだもんな。

その笑顔も何度見たことか。

 

自然と笑みを零していた俺は、素直に美味しいと一色が喜ぶ事に気を良くし、もう一口チーズケーキをカットしてあーんをしてやる。

 

そんな俺の行為に自然と口を開ける一色と、ギロリと俺を睨みつける三浦。

 

この目は嫉妬か…?

 

いや、そんなはずが…。

 

 

「ほら、あーん」

 

「あーん。んぐ、…そういえば、三浦先輩と先輩は2人で何をしていたんですか?デートですか?」

 

 

そんな一色の疑問に、俺はとりあえず「うん」と答えようとしたのだが、それを遮るように、三浦のピリピリとした声音が場を凍らせた。

 

 

「違うし。あーし帰るから」

 

「え、おい。三浦?」

 

 

俺の制止を聞くこともなく、彼女はその金糸をふわりとなびかせ席を立つ。

 

表情が良く見えない。

 

ただ、こんなにも冷たく、あまりにも突然な否定を聞いたのは初めてだ。

 

彼女はほんの少しの怒りと、曖昧な感情だけを残してその場を後にしていった。

 

 

「あらら。帰っちゃいました」

 

「…」

 

「そもそも、お二人ってどんな関係なんですか?美女と野獣…、いや、美女と根暗って感じでしたけど」

 

 

おい。

言っていいことと悪いことがあるんだぞ。

さすがの俺でも心が傷付くんだからな。

そんな無垢な表情で酷いことを言うなよ。

 

 

「…まぁ、釣り合っちゃいねえよな」

 

「ですです」

 

「ちょっとは言葉を濁そうね?」

 

 

なんだか変な感じ。

 

確かに三浦と俺は釣り合っていないと自覚していたが、それを高校生にまで遡り、改めて言われるとは…。

 

三浦はまぁ…、誰が見ても美人な類いで性格も悪くない。

 

だからこそ、彼女は自身のステータスに見合った好きな相手を…、葉山を好きになったんだ。

 

その事実に裏付けられるあのピンキーリング。

 

似合いもしない、あのピンク色のピンキーリングを、彼女は肌身離さず身に着けている。

 

 

三浦の小指に嵌められたあのピンキーリングを見るたびに、俺の心がどれだけ締め付けられた事か…。

 

 

「…俺も悲しきピエロの仲間入りかな」

 

「ちょっと。私をピエロ呼ばわりするのはやめてください」

 

「はぁ。俺も帰るわ。金は置いておくから」

 

「ええ!どこか連れて行ってくださいよ!」

 

「なんでだよ…。そもそも…」

 

「…?」

 

 

そもそも、()()()()()とはまだ仲良くないだろ。

 

ましてや2人で出掛けるなんて関係でもない。

 

下手したら、俺と一緒にいる姿を同級生に見られて変な噂を流されちゃうぞ。

 

と、呆れ気味なため息を大きく吐き出し、俺は財布から1000円札を取り出し、テーブルに置いた。

 

 

「連れて行くのはまた今度だ。それじゃあな」

 

「待ってください」

 

「何だよ」

 

「…全然足りませんよ?」

 

 

…は?

チーズケーキにアイスコーヒー、それとアイスティーだけの注文だぞ?

むしろお釣りが来るくらいだろ…。

 

 

「足りてんだろ。ぼったくる気か?出るとこ出るぞ?」

 

「いいえ、全然足りていません…」

 

「だから…」

 

 

まさか後輩にぼったくられようとは…。

俺は立ち上がり、ほんの幾ばくかの怒りを込めて一色を見下す。

 

ただ、一色は謗らなぬ顔してアイスティーを傾けながら、あの頃と変わらない柔らかい笑みを溢すだけ。

 

 

 

「変な感じです。こうやってまた、()()()()姿()()()()()()と、お話が出来るんですから…」

 

「…は?」

 

「何もかもが足りてません…。()()()は、悩み続ける私の手を、優しく握ってくれたじゃないですか」

 

「…おまえ、何を…っ」

 

 

そっと、一色が大人びいた表情で俺を見つめる。

 

その表情に一瞬ドキっとしながらも、おれは一色から目を逸らさない。

 

いや、逸らせなかった。

 

 

 

 

あの日とはーーーー

 

 

 

 

 

「先輩。また、あの日みたいに、素敵な夜景を私に見せてくださいよ」

 

 

 

 

 

 

 



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parallel -8-

 

 

 

 

…………

………

……

.

.

 

 

 

 

 

暖かな太陽の陽気に包まれたかのような錯覚を覚えた()の雰囲気。

 

総武高校に入学して、私が目星を付けたイケメン先輩リストの中に彼は居ない。

 

それなのに、チラリと彼を初めて見たときに、どこか胸の奥を突っつくような懐かしさが…。

 

誰なんだろ…、あの人…。

 

でも、どこかで…。

 

ただ、その記憶は蘇る事はなく。

私はひとまず彼の事を頭の隅っこに起き、学生生活を彩り始めた。

 

高校生と言っても中学時代となんら変わらない。

 

男の子を騙して、女の子に良い顔を向け、適度な距離感と親しみを抱かせるだけの作業。

 

いずれ、こんな偽物の私を貼り付けずとも、()()の私を見つけてくれる人が現れるはずだ。

 

それが誰なのか。

 

サッカー部で見つけた葉山先輩か。

 

それとも他のカッコイイ誰かか。

 

もしくは…、先輩か…。

 

…先輩?

 

先輩って誰?

 

あぁ、私の頭の隅っこに居る彼の事か…。

 

と、悩めば悩むほど、彼の事が分からなくなる。

彼は誰で、私はなぜ彼が気になるのか。

 

そうだ、お話したら思い出すかも…。

 

 

 

そして、訪れた彼との会合。

 

 

 

図書室の辞書コーナーで、誰にも知られずに並び続けた分厚い英和辞書を持った男の子。

 

私は彼を図書室で見つけ、思わずその背中を追い掛けていた。

 

アホ毛がヒョロリと揺れる彼の後ろ姿は華奢なくせになぜだか頼もしいような、そんな感じ。

 

 

ーーあのぉ、さっき私のこと見てましたよねぇ。

 

 

ーーあざとい

 

 

あざとい。その言葉を私に言う男の子を知っている。

 

少しだけ意地悪で、どこか達観した彼は、いつも私の事を子供扱い…、と言うか、妹扱いしてくれて。

 

私が頼めばゆるりと重い腰を上げて助けてくれる素敵なお兄ちゃん。

 

 

いや…、私が始めて本心から好きになった人。

 

 

彼は分厚い辞書を片手に「…おまえも勉強しておけよ」とだけ言い残してその場を後にしてしまった。

 

待って…。

 

待ってください…。

 

先輩。

 

どうして…っ、どうして私は先輩の事を忘れていたの?

 

あんなに大切で大好きな人の事を…。

 

 

いや、そもそもーーーー

 

 

 

ーーーどうして私は、

 

 

高校生の姿に戻ってるんだ?

 

 

 

 

.

……

………

………………

 

 

 

 

 

「で、どうしたものかと悩んでいた所に、どうやら私と()()()()である先輩と出くわしたわけです」

 

「…それなら最初から声掛けろよ」

 

「いえいえ、先輩が未来の先輩だと確信を持てたのは先程ですので」

 

「先程?」

 

 

頑なに帰ろうとした先輩に事情を話すと、どうやら私の予想が的中したらしく、彼もまた、未来の記憶を持つ彼だった。

 

ガムシロが散乱したテーブルで、彼は相変わらず甘そうなコーヒーをゆっくりと傾ける。

 

やはり舌ばかりはお子ちゃまのままのようだ。

 

 

「先輩、三浦先輩が怒って帰っちゃった時に、凄く寂しそうな顔をしていましたよ?」

 

「そ、そんなわけあるか!!」

 

「そんな全力で否定しなくても…。でも、そのおかげで先輩も未来の記憶を持っているんだと確信が持てたんですけどね」

 

 

難儀な話だ。

恋敵の背中を寂しげに見送る好きな人の顔を見て、彼の正体を看破してしまうのだから。

 

でもやっぱり、先輩は三浦先輩が大好きなんですね…。

 

ちょっと残念です。

 

 

私はその後、記憶が戻った時まで遡り、先輩に私の現状を説明していった。

 

ずっと頭の片隅に先輩の影がモヤモヤしていたこと。

 

図書室での会合を機に記憶が蘇ったこと。

 

そして、()()()()()()()も残っている事。

 

 

私の脚色無い説明を淡々と聞いていた先輩は、何かに引っかかったように顎へ手を置いた。

その行動は彼が良く取る物で、あぁ、やっぱり先輩は先輩なんだなぁ、なんて思ったり。

 

 

「記憶が蘇る前の記憶がある…。なぁ、一色。おまえのその記憶と、もう一方の記憶で違う点は無かったか?」

 

「違う点?」

 

「ああ。例えば、こっちの世界では奉仕部に由比ヶ浜が居ない。その代わりといっちゃなんだが、三浦が部員になっている」

 

「ぷぷ、何ですかその奉仕部。部員のキャラが豊か過ぎますね」

 

「…そうだね。ぼっち、才色兼備、ギャル、そんで来年には量産型女子系キャラが入り浸るんだもんな」

 

「ちょっ、私は量産型じゃありませんよ!?唯一無二の甘えっコ後輩系キャラじゃないですか!」

 

 

相変わらず酷いことを言うな、この人は…。

誰が量産型女子ですっての。

私といえば、あざと可愛いキャラの代表格ですよ?

そこんとこ詳しく話したいものです。

 

 

「だが、今のおまえは未来のパラレルワールドからやってきた、未来人系キャラになったわけだ」

 

「何ですか。その厨二設定…」

 

「それでいて、リーディングシュタイナーまで持ち合わせてる…」

 

「え、私はおかりんじゃなくて、まゆしぃ的な立ち位置を希望したいんですけど」

 

 

どこぞのマッドサイエンティストですか。と突っ込みつつ、私は先輩の話に耳を傾け続ける。

 

曰くーー

 

先輩と私が元々居た世界をα世界線とするならば、このタイムリープした上に、記憶と違う出来事が起こる世界をβ世界線とする。

 

そのβ世界に飛んだ私達は、何の因果か過去を遡り、記憶だけを身体に灯した。

 

さらに私に至っては、α世界線から飛んできた以前の記憶も残っている。

 

 

「夢だの何だのと逃げ回るのはもう辞めだ。俺たちは明らかにβ世界線に飛ばされている」

 

「はい」

 

「この世界線も悪くはないが、やっぱり俺たちの居るべき世界はα世界線だと思わないか?いろりん」

 

「いろりん…」

 

 

それならば、と。

よく喋る先輩は、ほんの少しだけ今の状況をたのしみつつ、シュタインズゲートの導きへ抗うべく解決策を興じた。

 

 

「思い出せ一色。おまえはなぜ、()()()()()()()()奉仕部へ依頼のメールを送った?余程の暇人でもなければ、わざわざ学校のホームページから奉仕部宛のアドレスを見つけ、依頼のメールを送ろうとはしまい」

 

 

…送ろうとはしまいって。

 

なんかノリノリだな、この人。

 

でも楽しそうで何よりです。

 

 

「…えっと、α世界線の私がリープする前の私…、つまりはβ世界線の私が奉仕部へメールを送ったと」

 

「そうなのだ!」

 

「…」

 

 

そうなのだ!って、オカリンと言うよりバカボンのパパなんじゃ…。

 

テンションが上がっているのか、先輩のアホ毛は残像を残すほどに左右へ揺れている。

 

いやちょっとあの…、あんまり大声で厨二臭いこと言われると、周りの目が…。

 

 

「えっと、私がメールを送ったのは…、えぇ〜っと……。あれ?なんでだっけ?」

 

「おいおいしっかりしてくれよ。おまえのリーディングシュタイナーはポンコツだな」

 

「…お、思い出そうとはしてるんですけど、そのあたりの記憶が何か曖昧で…」

 

「アホめ。それならLINEの履歴でも確認してみろ。おまえみたいな奴がわざわざアドレスを手打ちしたとも思えん。誰かから奉仕部のアドレスが添付されてるんじゃないか?」

 

 

くっ…。

 

アホっぽくテンションを上げているくせに勘が良い…。

 

私はそんな先輩にムカつきながらも、言われた通りにLINEのアプリを開く。

 

数々のお友達(偽)とのトーク履歴をスクロールしていき、1人だけ、明らかに違和感を発する人物が。

 

 

「結衣先輩…?あれ、私って結衣先輩とLINEする程、仲良かったっけ…」

 

「え、おまえら仲良かったろ。なに?あの部室でのじゃれ合いは嘘だったのか?…女って怖っ…」

 

「ち、違いますよっ!()()()()ってことです!α世界線の私は今でも結衣先輩と毎日LINEしてますし!」

 

「あ、良かったわ。なんかホッとした。…で?その明らかに違和感のある由比ヶ浜からのトーク履歴はどうなんだ?」

 

 

早く確認しろよ。と急かす先輩が私の背後に回ってスマホの画面を覗く。

 

そもそも話が逸れるのは先輩のせいなんですけど、とは思いつつも、私は先輩にも見えるようスマホを傾け、そのトーク履歴を開いた。

 

 

 

結衣先輩ーーーーーーーーー

 

テスト勉強で悩んでるなら、奉仕部を頼るとイイよ。

 

↓奉仕部のアドレスだよ。

 

×××××@.××××.jp

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 




次回、parallelラストです。


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parallel -9-

 

 

 

 

 

 

「犯人はおまえだ。由比ヶ浜 結衣」

 

 

朝の教室で、俺は生徒の織り成す喧騒を余所に由比ヶ浜へ向かって声を掛けた。

 

突然の言葉に、由比ヶ浜と話していた三浦と海老名さん、そして葉山が動揺する。

 

そんな動揺を意にも介さず、俺は由比ヶ浜から視線を逸らさない。

 

 

「…。何のこと?比企谷くん…」

 

 

ほら。

そうやって目を細めながら、困ったように口角を上げる。

 

おまえが()()()()時の悪い癖だ。

 

俺はその癖を見るや、小さく溜息を吐いて由比ヶ浜の頭を優しく叩く。

 

 

「おまえが思ってる以上に、俺はおまえを知ってるんだよ」

 

「っ…。そっか…、そうだよね…」

 

 

そんな光景を、何が何やらと外野が眺める。

 

見せもんじゃねえんだよガキども。

 

 

「ちょ、ヒキオっ!あんた何やってるし!」

 

「…この世界の三浦も可愛いけど、俺はやっぱり、向こうの三浦と一緒に居たい」

 

「!!?な、な、なっ!?」

 

 

そんな風に顔を染めて慌てふためく高校生の三浦は、やはり俺の知ってる三浦と同じ顔をしていた。

 

柔和に照れる彼女の笑みと、コロコロ変わる喜怒哀楽。

喧嘩をしても後を引くことなく笑いかけてくれる三浦の優しさに、俺は何度も助けられ、何度も好きになって、何度も何度も一緒に居たいと思わされた。

 

だからこそ、この世界に飛んできて、ピンク色のピンキーリングを嵌める彼女に胸を締め付けられる程の痛みを覚えたんだ。

 

 

 

「由比ヶ浜、夢オチだなんて言い訳は出来んぞ?洗いざらい吐け」

 

 

 

 

 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 

 

 

 

 

突然の宣告。

 

犯人はおまえだ、由比ヶ浜。と、彼が気だるげな瞳のままに私を指差した。

 

周囲の喧騒は気にならない。

 

あぁ、やっぱりバレちゃった。

 

このどうしようもない世界で犯した私の過ちを、私が恋した彼は見逃してはくれないんだね。

 

 

「…うん。全部話すよ。()()()()…」

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

大学を卒業して数ヶ月。

ようやく社会人生活にも慣れてきた日々に届いたとあるLINE。

 

その内容は、大切な友人と、大好きな彼が婚約を決めたとの連絡。

 

おめでとう!なんて、心にも無い言葉を返しながらも、途端に溢れた黒い何かがお腹の中でグルグルと溢れ出す。

 

この黒い何かの正体を知っている。

 

()()だ。

 

ほんの少しだけの自己嫌悪と、大きく膨らむ嫉妬が、気づけば私の瞳から涙を流していた。

 

思い出すのは高校生の頃。

 

彼の言葉が一つ、また一つと私の心に割り込んで、そっと笑いかけてくれる表情は、今も私の瞼に張り付いている。

 

彼が大好きだった。

 

彼とずっと一緒に居たかった。

 

だけど私の告白は、彼の誠心誠意な断りによって叶うことはなく。

 

……断られたけど嬉しかった。彼が本音で私と向き合ってくれたことが。

 

その後も交友は続き、月に数回は集まって、どうでも良い事を話し、遊び、触れ合い。

やっぱりまだ大好きだなぁ、なんて思って居た頃に、何の冗談か、とんでもない伏兵に彼を奪われてしまった。

 

 

ゆきのんでも、いろはちゃんでもない。

 

 

優美子にーーーー。

 

 

頑張って頑張って、私は彼らを祝福し、おめでとうと口にし続けた。

 

少し奥手なヒッキーには、強引なのに優しい優美子がお似合いだった。

 

2人を見てると、なんだか私も……。

 

 

私も……。

 

 

やっぱりヒッキーと恋人になりたかった。

 

 

 

そんな時に。

 

 

 

ーーー私は若くして悩める人間を導く女神です。

 

と、青髪で青眼の女神様が現れた。

 

あぁ私、ついに頭がおかしくなっちゃったのかなぁ…。と思いつつ、どうせ夢なら、もしくは妄想の世界ならと、その青い女神に悩みを打ち明けた。

 

『好きな人が取られちゃいました。

 

本当に本当に好きな人。

 

時間を巻き戻して、あの頃の彼ともう一度やり直したいです。

 

できるなら、もっとイージーモードな世界で』

 

その打ち明けに、女神様は満足気な表情を浮かべながら両手を広げる。

 

 

ーー悩める子羊よ。ようやく私にも女神らしい事が出来ることに感謝します。貴方の願い聞き入れましょう。

 

 

その瞬間に、私を囲うように当る円状の光。

光は次第に強くなり、暖かな眠気を誘う。

 

 

ーー貴方をイージーモードな世界へ転移させます。素晴らしい世界に祝福をーー。

 

 

 

.

……

 

 

 

で。

 

目を開けるや、そこには鏡に映った高校入学前の私。

 

入学前と言うか、入学式の日の朝だ。

 

これは夢?それとも妄想?

 

いや違う…。

 

夢にしては鮮明で、妄想にしては現実感がある。

 

私はバカだから、こういう非日常な出来事にはすぐさま対応することが出来るんだ。

 

そう、此処はあの女神様が飛ばしてくれた私の過去の世界。

 

それならば、今から私がやるべきことは一つだけ。

 

 

「さ、サブレ〜、お散歩行こっか〜」

 

 

私とヒッキーにとって、無くてはならない1日。

 

この日から全てが始まったから。

 

あの日と同じ行動を取り、あの日と同じ出来事を繰り返すべく、私はサブレを連れて散歩に繰り出した。

 

 

「ほっほっほっ」

 

 

息を上げる程ではない坂道を軽快に登り、歩行者用の押し信号が青くなるのを待つ。

 

白い線だけを踏みながら、10分もしない内にたどり着いた例の通りは、まだヒッキーの姿も黒い車も見当たらない。

 

……。

 

あれ?

 

そういえば、あの出来事を再現するにはサブレをまた危険な目に合わせなくてはならない。

 

それも、今度は無意識ではなく故意的にだ。

 

ふと、突然に足を止めた私を、サブレが不思議そうに見上げていた。

 

はうはうと舌を出すサブレに、私は…。

 

 

「…っ、そ、それなら、サブレじゃなくて私が飛び出して…」

 

 

などと考えている矢先に、見覚えのある黒いセダンが遠くから静かな排気音と共にやってくる。

 

早すぎる…。

それは車の速度ではなくて登場がだ。

運命の繰り返しは間も無く訪れると言うのに、走行車に飛び出す勇気が私には無い。

ただただ脚を震わせるだけで、その運命の交差を見逃してしまうーーー。

 

ーーそう思っていると。

 

 

「おりゃーっ!私の辞典にブレーキの文字はないしーーーっ!!」

 

「…っ!?ば、あいつ…」

 

 

2人の影が私の目前を走り抜ける。

車のブレーキ音と共に鳴り響いた自転車の破壊音。

 

カタカタカタと無残な姿になった自転車のタイヤは虚しく回り続け、その横には腕に擦り傷を負った優美子と、骨折した脚を抑えるヒッキーの姿が。

 

慌てた様子で運転席から現れたドライバーが、何やら電話を掛けながらヒッキーに近づいていく。

 

助けられた優美子の姿は物悲しい程にあの時の私と同じで、その事実こそが、私が辿るべき運命線を物語っていた。

 

 

 

そして、この世界は別世界へと姿を変える。

 

 

 

呆然としている内に、この世界で私が居るべきポジションに、優美子がすっぽりと収まってしまったのだ。

 

 

 

 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 

 

 

 

そして、俺と由比ヶ浜は奉仕部の部室へと移動する。

朝のホームルームは既に始まっているだろう。

ただ、この際無断欠席だのは考えまい。

この世界はここで終わるのだから。

いや、終わらせるのだから。

 

あの頃と同じ席に着き、これまであらすじを語り終えた由比ヶ浜は、やはりあの頃と同じように、悲しげな瞳を俺から逸らす。

 

あぁ、そう言うことなのね。

 

だから三浦が奉仕部に入ってるんだ。

 

俺に助けられた恩を返すために…。

 

……なるほど、あいつは恩を仇で返すタイプか。

 

 

「青髪の女神ね…。きな臭いなそいつ」

 

「あはは…、でも、結局こっちの世界では優美子にポジションを取られちゃった」

 

 

つまり、由比ヶ浜はこちらの世界へ来て、約2年間を過ごしているというわけか。

 

まぁ、社会人になりゃあ、一度は学生に戻りたいと思うよな。

 

面白い夢を見させてもらったよ。

 

 

「…それで、俺をこっちに呼んだのも、おまえがその青髪女神に頼んだのか?」

 

「うん…。ごめんなさい…」

 

 

曰く、2学年に進級したと同時に、由比ヶ浜は状況を打破するべく手を打とうとしたらしい。

 

クッキー大作戦。

 

彼女は手作りクッキーを俺にプレゼントし、三浦に奪われかねない奉仕部の立ち位置を得ようとしたらしい。

 

 

「…おまえ、そんな食物テロを仕掛けようとしてたのかよ」

 

「テロってなんだし!…ぅぅ、でも、なんか味見したら急に目眩がして…」

 

「自爆しやがった」

 

「それで、気付いたらまた女神様が居たの」

 

「女神様、結構ころころ出てくるね」

 

 

どうやらその時に、彼女は俺を…、α世界線の俺をβ世界線へ転移させるよう女神に頼んだらしい。

 

 

ーーー任せなさい!天然記念物級な根暗ボッチを転移させるくらいわけないわ!

 

 

だと。

 

おい、その女神に合わせろよ。

 

1発ぶん殴ってやるから。

 

 

「…一色に、奉仕部へメールするよう差し向けたのは何でだ?」

 

「ぁぅ…。いろはちゃんを利用して、奉仕部の事を探ろうとしました…」

 

「由比ヶ浜にしちゃ利口な手だな」

 

 

まぁ確かに、三浦に直接聞くわけにもいかないだろうしな。

 

ましてや、2学年になり奉仕部へ入部するまで雪ノ下との交流もなかったのだから。

 

そんな時に誰を利用するかと聞かれれば、性格も良く知れた一色が適任だろう。

 

 

「謎は全て解けたよ。…はぁ、バカのくせに踊らせてくれるじゃないか」

 

「ぐぬぬぬ…。ぅ〜〜〜っ!もう!本当ならこっちの世界で私はヒッキーとラブラブになるはずだったのに!!」

 

「ははは。せめて奉仕部には入部してもらわないとな。それに、たぶんどこの世界へ行こうと……」

 

 

 

ーーー俺は三浦を好きになる

 

 

 

そこは揺るぎない事実で、この世界に飛ばされて尚、俺は三浦を想い続けたから。

 

ピンク色に輝くピンキーリングを何度恨めしく思ったことか。

 

願わくば無理やり外して葉山の顔面に投げつけてやりたいくらいだ。

 

 

「…うん、分かってるよ。ヒッキーの事、私も知ってるもん」

 

「そうか。それならそろそろ終いにしようぜ。高校生を演じるのもそろそろ疲れてきたし」

 

 

つらい社会人生活に戻りたいってわけじゃない。

 

あの日に戻ってあいつの温もりを感じたいだけ。

 

帰ったら頭を撫でてもらおう。

 

寂しい想いをし続けたんだ。

 

これくらいの我儘は聞いてくれるだろう。

 

 

「名残惜しいなぁ。高校生…。やり直しても、結局ヒッキーはヒッキーのままだし」

 

「あぁ、俺は俺のままだ。だからまた、あっちの世界でもよろしく頼むわ」

 

「うん……」

 

 

由比ヶ浜はそう言うと、小さく俯きながら深呼吸をする。

 

そして、この世界に終わりを告げるように、ポツリ、ポツリと言葉を紡いだ。

 

その言葉を、その表情を、その潤んだ瞳を、由比ヶ浜は()()()と同様に俺へ見せつけるものだから、ほんの少しだけ小さな罪悪感と懐かしさを抱いてしまう。

 

 

 

「…私はヒッキーが好き。ずっとずっと好き。これまでも、これからも、ずっと好き。……付き合ってください」

 

 

「…ありがと、由比ヶ浜。…でも悪い。俺はおまえと付き合えない。…三浦の事が大好きだからな」

 

 

「…っ、へ、へへ、ちょっとセリフが違ってるし。…はぁ、でも……。スッキリした」

 

 

 

世界が終わりを告げた。

 

そんな子供染みたやり取りが世界を変える鍵なのだと、薄れ行く景色の中で理解する。

 

由比ヶ浜じゃないが、ほんの少しだけこの世界が名残惜しいぜ。

 

 

ーーーと。

 

 

終わりを感じ始めていた最中に、俺と由比ヶ浜しか居なかった奉仕部の扉が開けられる。

 

ガラガラと音を鳴らす、建て付けの悪いスライドドア。

 

その音の聞こえた方向に顔を向けるや、そこには相変わらずに、俺の目を奪う金糸の髪と、釣り上がって可愛らしい瞳を持つ少女の姿が。

 

 

「ヒキオ?」

 

「…っ。…よう。もう1限始まってるだろ。サボりか?」

 

「あんたが言うなし!」

 

 

気づけば由比ヶ浜は姿を眩まし、そこには俺と三浦だけ。

 

あいつ、先に行きやがったのか?

 

 

「…1人で、何やってんの?」

 

「別に…。少しだけそういう気分だっただけ」

 

「ふーん。てっきり結衣を連れ込んでゴニョゴニョしてんのかと思ったし」

 

「するわけないだろ」

 

 

ゴニョゴニョって…。

 

拗ねているのか、三浦は唇を尖らせながら、ほんの少しだけ怒った表情で部室へと足を踏み入れる。

 

 

「断言してやる。俺はどの世界線に居ようとおまえを好きになる」

 

「ふぇ!?あ、あんた、急に何を…っ」

 

 

好きで堪らない。

誰にも取られたくない。

俺の側でずっと…。

 

やっぱり俺にはおまえしか居ないみたいだ。

 

なんて、いつしか三浦に伝えた言葉が頭を過る。

 

俺の言葉に動揺したのか、キョロキョロとしながら頬を染める三浦を俺はギュッと抱きしめてーーー

 

 

()()でも、俺を選んでくれよ?」

 

「むぉぉ!?え、えっち!?なに!?」

 

 

ジタバタと暴れる三浦を解放し、俺は手の中でピンク色のピンキーリングを転がす。

 

抱き締めた時にそっと奪ってやったソレを、俺は太陽に当てながら鈍く光らせた。

 

 

「ぅぅ…、な、何なんだし…、って、ソレあーしの!!」

 

「おまえにピンクは似合わないだろ」

 

「っ、わ、わかってるし…!」

 

「はは、ならば俺が頂こう」

 

「泥棒!返せし!」

 

「だが断る」

 

 

リングを奪い返そうとする三浦からスルリと逃げ出し、俺はそのリングをポケットにしまった。

 

恨めしそうに、だがどこか楽しそうに、彼女は俺を睨みつけながら地団駄を踏む。

 

こらこら、下着が見えちゃうだろうが。

 

そういう油断が変な男を引っ掛ける原因なんじゃないか?

 

 

「命の恩人なんだろ?俺って」

 

「!!」

 

「その礼ってことで、このリングを俺にくれよ」

 

「…べ、別に、そんなんでお礼か出来るなんて思ってないし…」

 

「ほう。殊勝な心掛けだな」

 

 

可愛らしい彼女をいじめたくなってしまう。

 

甘い香りを漂わせて、いつも俺の側をうろちょろしてくれる彼女。

 

 

うっすらと、どこか世界が俺の意識から離れるような感覚を覚える。

 

 

「時間が無いみたいだ…。三浦、最後のチャンスをやろう。…俺に、何か言いたい事はないか?」

 

 

助けてくれてありがとう。

 

この言葉に何の意味があるのかなんて分からない。

 

それでも、きっと彼女の胸には素直にお礼が言えない事による遺恨がある。

 

だったら、少しだけ大人に俺は、少しだけ幼い彼女を手助けてしてやろうと思ってーーー

 

 

「っ……、あ、あの、ヒキオ。…あの時、助けてくれて、ありがと…」

 

「うん」

 

 

良く言えました。

 

と、俺が頭を撫でてやろうとしたときに、彼女の言葉は終わる事なく紡がれてーーーー

 

 

 

「あ、あの日から、……あんたの事が好き!!」

 

 

 

……へ?

 

こ、こいつ今なんつった!?

 

す、す、す、好き……っ!?

 

なんで!?

 

だっておまえ、()()()()()()()()()は……っ。

 

 

聞きたいことを聞き出そうにも、俺の身体は既に言う事を聞くことなく。

 

頬を赤く染める三浦とそれに驚く俺の姿が遠巻きになっていくと、俺は重たい瞼に耐えられず目を閉じてしまった。

 

 

こ、これが幽体離脱ってやつか…っ!

 

 

 

 

  .

    .

     .

    .

    .

  .

 .

  .

   .

     .

      ☆

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

目を開けるや、そこは見覚えのある部屋の天井。

 

大学に入学してから社会人になった今なお暮らし続けるマンションの一室であることに確認はいらなかった。

 

時計を見るや時刻は土曜日の7時。

 

日付は8月2日。

 

え、また夢オチ?だなんて思おうにも、パジャマのポケットにある冷たい異物の感覚が、やはりあの世界の実像を改めさせる。

 

由比ヶ浜も戻ってるのか?

 

そう思い、俺は自らのスマホに手を伸ばそうとした時にーーー

 

 

「おらーー!起きろヒキオー!!ってあれ?起きてるし…」

 

「…っ!み、三浦…。あれ、なんだか少し老けた?」

 

「ぶっ潰す…」

 

「いや悪い。本当に。今のは失言だったな」

 

 

扉を蹴飛ばし現れたのは大人になった可愛い彼女。

 

いや、先日に籍を入れたのだから今はもう…。

 

 

「俺の嫁。本当に俺の嫁か?嫁なら俺の頭を優しく撫でてくれ」

 

「う、よ、嫁って連呼すんなし!恥ずかしい!」

 

 

そう言いながらも、三浦は俺の側へと歩み寄って、優しい手つきで照れ臭そうに俺の頭に手を置いてくれる。

 

やはり目を逸らして、それでも頬を赤く染めながらーー

 

ーーその薬指に嵌められた指輪をちらつかせた。

 

 

「…うん。やっぱり俺は、どこの世界線でもお前の事を好きになるよ」

 

「な、なに?急に…」

 

「事実を述べただけ。現にβ世界線でも俺はおまえを愛したし」

 

「?」

 

 

それだけ伝えて俺はベッドから立ち上がる。

 

ちらりと見えたカレンダーには8月3日に大きな赤丸が付けられていた。

 

あぁ、そうか…。

 

今日は挙式前日で、だから三浦も少し早起きなんだな。

 

まったく、籍を入れたってのに式まで挙げなきゃならんとはどういうシステムなんだ?

 

なんて、軽口を叩こうにも、ウェディングプランを幸せそうに考えていた三浦の前では口が裂けても言えない。

 

 

「明日、楽しみだな」

 

「…ぅぅ、あーし、上手くできる超不安だし…。き、緊張してきた!これがマリッジブルーか…」

 

「おま、マリッジブルーとか言うなって。こっちが悲しくなるわ」

 

「ひ、ヒキオは緊張しないの?」

 

 

不安げな瞳で俺を見上げる三浦の手を、俺はそっと握ってやる。

 

寝起きでボサボサな髪とだるだるなパジャマが俺っぽい。

 

 

「…あんまり緊張はしないかな」

 

「ぅぅ、なんでだし〜」

 

 

静かに蘇る彼女との出会い。

 

風に飛ばされた三浦のマフラーと、それを拾った俺。

 

春風に迷わされる一筋の光が出会いの始まりだった。

 

だが、運命だとかにしがみつく気はさらさらない。

 

これは必然だ。

 

俺は三浦を好きになる。

 

愛情よりも深い、彼女に抱く俺の恋心が生み出した、世界線を飛び越えた必然。

 

 

だから何度だって、俺は三浦を探し出して抱き締めてやるのだ。

 

 

抱き締めて、ずっと一緒にーーー。

 

 

 

 

「おまえが隣に居てくれるから。だから、ずっと一緒に居てください」

 

 

 

「っ!…へ、へへ。あたぼうよ!!何度だって言ってやるし!あんたの世話を焼けんのはあーしだけなんだかんね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーend

 

 

 

 

 

 

 

 

 

.

……

 

 

 

後日談。

 

 

「おっす」

 

「やっはろー!」

 

「やっはろーです」

 

 

何の因果か、偶々街中で出くわした由比ヶ浜と一色と俺は、ちょうど時間もあるとの事で、近場の喫茶店に入り話すことになった。

 

互いに世界線を行き来した仲だ。

 

俺はこのメンバーを未来ガジェット研究所と呼んでいる。

 

 

「いや〜、ヒッキー。その節は面倒掛けてごめんね?」

 

「おまえね、あれはそんな軽いノリで済ませる話じゃないよ?」

 

「えへへ」

 

「それに、謝るなら一色にも謝ってやれよ」

 

「え?いろはちゃんに?」

 

「……ぎ、ギク…」

 

 

由比ヶ浜は俺の言葉を聞き、不思議そうな顔で首を傾けた。

 

一色はと言うと、肩をビクつかせながら、飲んでいたアイスティーを勢い良く傾ける。

 

 

「ん?…そういえば、なんでおまえは俺だけじゃなく、一色までβ世界線に呼んだんだ?」

 

「ほえ?何のこと?」

 

「え、だからさ、あっちの世界に、俺だけじゃなく一色も呼んだろ?」

 

「…?私、女神様にはヒッキーしか頼んでないよ?ていうか、いろはちゃんもあの世界線に居たの?」

 

 

そう言うと、由比ヶ浜は一色の顔を見つめる。

 

…確かに、あの状況下で俺だけでなく一色を呼ぶ事に何のメリットもない。

 

むしろ、こいつに場を掻き回されると考える方が自然だろう…。

 

そして、明らかに顔を青くして視線を逸らす一色。

 

……。

 

 

「…おい一色。おまえ何か隠してないか?」

 

「あ、わ、私、今日はちょっとアレがアレなんで…。これにてドロンです」

 

 

と、席を立とうとする一色の肩を掴みながら、俺は再度問いただす。

 

 

「吐け。今更怒ろうってわけじゃないんだ」

 

「ぜ、絶対に怒りませんか?」

 

「あぁ」

 

「結衣先輩も?」

 

「う、うん…」

 

 

すると、一色はいつもの憎たらしい笑みを顔に貼り付け、安心したように口を開き始めた。

 

 

「えへへ、実は私も女神様に出会いまして。結衣先輩と同じ願い事をしたんです」

 

「「!?」」

 

「いやはや、やはり乙女の恋心とは底がありませんね。世界線を変えてでも先輩を手に入れようとするなんて。あ、今のセリフはいろは的にポイント高いです」

 

 

驚愕の事実である。

 

一色は由比ヶ浜云々を介さず、自発的にあの世界線へ来ていたようで。

 

……あぁ、だからこいつはリーディングシュタイナーを持ち合わせていたわけか。

 

 

「ま、まぁ、別に驚かされたが怒ることじゃねえよ。むしろ、解決に手を貸してくれたわけだしな」

 

「ですです。あ、ちなみに、女神様に頼んで三浦先輩の小指にピンクのピンキーリングを嵌めさせたのも私です」

 

「……は?」

 

「三浦先輩は葉山先輩を好きだと、先輩に誤認させるためです」

 

「な、な、な…、おまえ…」

 

「だってぇ、あの世界線の三浦先輩は既に先輩を意識してたしー、先輩も三浦先輩の事が大好きだから直ぐにくっついちゃうじゃないですかぁ?」

 

 

このクソ後輩…。

 

悪びれもなくなんたる事実を言いやがる。

 

つまりはアレか?

 

俺は由比ヶ浜だけでなく、こいつにまで踊らされていたわけか?

 

 

「…一色、覚悟は出来てるな?」

 

「おっとそうは問屋が卸しませんよ?さっき約束しましたもんね!怒らないって!」

 

「いろはちゃん、それはちょっと…」

 

「ゆ、結衣先輩!恋は戦争ですよ!ルールなんて無いんです!!」

 

 

「「……」」

 

 

 

 

「あ、あははー。…ぁぅ、これが悲しきピエロの末路ってわけですか…」

 

 

 

 

 

 

ーーーーend

 

 

 

 

 

 

 

 





割と長めになってしまった…。

コメ欄で鋭い人が多くて。
何度か内容を改変しながら進めたら、最後はもう自分でも訳が分からずに…。

いろはちゃんにはいつも、報われない役目を背負わせてしまって申し訳ないと思ってます。

青髪女神はもちろんアクア。
もはや収集付かないと思って頼りました。

あと挙式日の8月3日は言わずもがなってことで。

ヒッキーに三浦を優美子呼びさせなかったのはポリシーです。

後日談含め、今回が本当の最終話です。

長い間ありかとうございました。

(°▽°)

さて、このすば×ダンまち、SAO×俺ガイルの続きを書こうかな…。




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私はあんたの世話を焼く。♪
1day


 

 

私はあんたの世話を焼く。♪

 

 

 

 

ーーーパパ、あしたは来てくれるんだよね?

 

小さな目をくりくりとさせながら、ぴょこんと伸びたアホ毛を左右に揺らす幼女が、俺の腰にくっつく。

そんな彼女の丸い頭を優しく撫でつつ、俺は曖昧な笑みを浮かべて口を開いた。

 

ーーー……ん、休みは取ってるよ。おまえのピアノを聞くのは初めてだから楽しみだ。

 

デスクに並ぶ書類の束が恨めしい。

休日すらをも出勤せねば終わらぬ束は、笑みを作らせるための表情筋が固まる。

そんな俺とは正反対に、無邪気な笑みで喜ぶ幼女はもふもふと腰を叩いた。

 

いつまで、この子は素直に俺の言う事を聞いてくれるのだろう。

 

いつまで、この子は暖かい笑みを向けてくれるのだろう。

 

いつまで、この子は俺のどうしようもない嘘に気付かず喜んでくれるのだろう。

 

そして俺は、今を凌ぐためだけに付いた嘘を後悔するのだ。

 

ーーーー…明日、頑張れよ?

 

 

ーーーー……。

 

 

ーーーーどうした?…痛っ!?

 

ゲシっ!と、俺の腰に衝撃が走る。

先ほどまで無邪気に微笑んでくれていた幼女は、冷めた瞳で俺に蹴りを見舞わせた。

 

ーーーーホントに来いよ?パパ、嘘ついたらマジでもういっしょにお風呂入らないから。

 

ーーーーちょ、おま、そういう…痛っ!

 

ーーーーうるせ!ごちゃごちゃ言ってないでちゃんと来い!

 

ーーーーわ、わかってるよ。痛、ちょ、もう蹴るなって。

 

 

返して。さっきまで可愛かった俺の娘を返して!

こんなローキックを的確に外腿へ当ててくる娘なんてキライ!!

 

 

 

 

「分かってんの!?あたしの発表会なんだからちゃんと来いし!!」

 

「……はい」

 

 

あぁ、おまえはママに似ちゃったのね。

あらら。もう……。

 

 

「コラ!パパのこと蹴るなし!」

 

「だってパパが!!」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー☆

 

 

 

 

 

 

 

「パパはヒーローになりたかった」

 

「は?バカなの?」

 

千葉にある日本有数の巨大ショッピングモール内で、俺の2.3歩前を歩く娘に声をかけるも、手厳しくも切ない返事に成長を感じる。

最近産まれたと思っていた娘も、気付けば反抗期やら成長期やらで可愛げを失いつつある。

ほんの120センチしかない身体のくせして態度だけは某二刀流メジャーリーガー並みの大きさだ。

 

「…ほら、おまえあのキャラクター好きだろ?あの店で暇つぶしてこいよ」

 

「あたしもう7歳なんですけど。キャラ物は卒業したわけ」

 

「まだ7歳だろ。…ならどこに向かえばいいんだ?」

 

「服見に行くから」

 

「なら西松屋に行くか?」

 

「なめんなよクソ親父」

 

こら。お口が悪いよバカ娘。

俺の子ならもっと素直な根暗に育てってんだ。DNAよ、役目を果たせ。

 

溜息をひとつ吐きながら、俺は尚も娘の後をゆらりと歩く。

仕事疲れなのか娘疲れなのか、肩も足取りも重たい。

せっかくの休日にどうして出掛けなくちゃいけないの?

もう八幡疲れた。帰りたい。マッ缶飲みたい。

 

「ていうかよ、服を買いに行くならママと行けよ。明日には帰ってくるんだし」

 

「今日欲しかったのっ!ママも同窓会なんて行かなくていいじゃん!雪乃さんとか結衣さんとかといっぱい会ってんだからさ!」

 

そうは言っても、なかなか会えない同郷の友人も居るだろう。

それに、同窓会ってのは過去の黒歴史を大人になった自分が搔き消せる絶好の場だ。

あー、そんな時もあったよなー、あははー。ってね。

アイツも昔は明るい髪色に短いスカートを履き、あーしがあーしがー、って言ってた過去がある。そんな過去を払拭するために……。

って、今も変わらんな。

 

「パパお金持ってきた?」

 

「パパにたかる気?おまえ、この前お年玉貰ったろ」

 

「お年玉は全部ママに預けてしまった」

 

「ああ、そう。…金はないがカードはある。いくらでも買ってやるから明日からパパに優しくしなさい」

 

「おっけおっけ。てかパパもママと同じ高校だったんでしょ?なんで同窓会行ってないの?」

 

「……。パパに優しくしなさい」

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

両手に娘が買ったばかりの洋服を詰め込んだ袋を抱え、やはり娘の後ろをゆらりと歩く俺。

 

足痛い。もう座りたい。

 

「むふふ。買った買ったー!パパ!来週もいっしょに買い物しようね!」

 

「そうだね。次はママも一緒にね」

 

「ママが来たら買ってくれないじゃん」

 

「おまえを甘やかすとママに怒られるんだよ」

 

そう言いながら、俺は喫茶店を見つけてそちらへと足を向ける。

 

「えー、スタバがいいー」

 

「おまえはどこ行ったってオレンジジュースだろ」

 

モール内にある全国チェーンの喫茶店に不満を打つける娘を論破したった。なう。

 

 

 

カウンターでブレンドとオレンジジュースを注文し、先に席を探しに行った娘の元へ向かう。

慌ただしい店内だが座れるならどこでもいい。と思いながら、娘の姿を探すと

 

「パパこっち〜!」

 

「あいよー」

 

大きく手を振りながら、店内に響き渡るほどの声で俺を呼ぶ。

 

「あたしが席を取っておいたから」

 

「はいはいどうも」

 

「あ、お砂糖は1本までだからね」

 

「パパは疲れてるの。だから3本はマストなわけよ」

 

そんな俺の言い訳を一掃するかのように、娘は俺のもとからスティックシュガーを奪い取るや、オレンジジュースの刺さるストローをくわえた。

 

「…ママに似てる……」

 

「え?」

 

「…いや、なんでもない…」

 

「?」

 

人の世話焼きばかりする娘に彼女の面影を見る。

心配性のくせして強がるから、それにも関わらず他人の事をよく見てて、誰よりも世話焼きなアイツ。

 

好きになって付き合って、泣かせてしまった事もあって。

でも、アイツはずっと俺の側にいてくれて。

 

そういえば、娘が生まれてからは2人で出掛けることなんて無かったか…。

 

たまには昔みたいに、どこかほんのりと暖かくなれる場所に連れて行ってやろうかな。

 

なんてーーー。

 

 

「そういえば、この前ママが男の人と出掛けてたよ」

 

 

 

「ぶっ!?!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

.

……

………

………………

 

 

 

 

 

 

同日PM10:00ーー

 

買い物に疲れたからか、娘はすでに布団にくるまり眠ってしまった。

小さな寝息を立てている事を確認し、そっと襖を閉じる。

 

静まり返った部屋には時計の秒針が歩む音だけが残った。

俺はソファーに浅く座り、両手を震わせながら考え込む。

 

男の人と出掛けてたよーー

 

男の人とーー

 

男ーーー

 

 

ーーー浮気!?

 

 

いや待て。そんなはずがない。

こんなに愛している俺を裏切るわけがない。

あり得ないあり得ない。

なんせ愛し合ってからね?

知ってるか?あいつの身体はめちゃくちゃ暖かいんだよ!?

それを知ってるのは俺だけだ!

そのくせ手足は冷え性だから俺の手を握ったりしてくるわけよ!?

てか結婚してるから!?

結婚ってマジで愛し合ってないと出来ないからね!?!?

 

はい、論破完了。浮気なんてあり得ない。

この幸せ家族にそんな亀裂が走るわけがないし。

絶対ないし。

 

 

 

 

否。

 

 

 

 

確かに最近、不機嫌になる事が多かった気がする……。

ちょっと呼んだだけなのに「…なに?」と不機嫌そうに振り向かれたり。

休日にテレビを見ていると冷たい目で睨まれたり。

 

……アレは浮気の予兆だったのか?

 

いや、浮気と決めつけるのも…。

 

そもそも浮気って何?

 

……むぅ。

 

俺はスマホを取り出しグーグル先生に問いかける。

OK Google 浮気ってなにー?

 

曰くーー

浮気のボーダーラインは個人差があります。

 

なん……、だと…?

 

Google先生が答えをはぐらかす程の問題だと言うのか…っ!

 

 

と、頭を抱える俺の耳元に、玄関の扉を開ける音がーーー。

 

 

「ただいまー。ん?ソファーに座って何してるし?」

 

 

 

 

「お、おう、おかえり〜…。お、お、お、遅かったなぁ?どこで誰と何をしてたんだぁ?」

 

 

 

 

「は?同窓会って言ったじゃん」

 

 

 

 

「あー、そ、そうな。同窓会なぁ。う、うん。まぁ、ええやんええやん、同窓会。こ、今度は俺も行こうかなぁ、なんて。あはははは…」

 

 

 

「?」

 

 

 

 

 

 



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2 day

 

 

 

缶ビールを開けると、小気味の良い気泡の抜ける音と同時に泡が少しだけ飛び出した。

この金色のアルコールは疲れ切った身体を癒し潤す効果があるらしい。

口元に缶を近づけて、軽く一飲み。

ただ、今日のコイツは少しだけ苦味が強かった。

夕食も食べていないにも関わらず、腹はどこか重たく膨れ、煽り気味に開けたビールすら受け付けない。

 

仕事から帰った我が家はいつもより冷たく、明かりを点けても暗く思えた。

 

ーーー結衣たちとご飯行ってくるから。

 

このメッセージが送られてきたのは、俺が仕事を終え、帰り支度を始めた頃である。

 

ふと、先日の件が頭をよぎった。

 

 

ーー。

 

「……男…、か。…、いや、そう決まったわけじゃ…」

 

浮気だなんて信じたくないし認めたくもない。ただ、一度その仮定が頭に浮かぶと離れないのだ。

今日だって、本当に由比ヶ浜達と一緒に居るのか?本当は俺の知らない男と2人で。なんて考えてしまう。

だがしかし、ママと娘が2人で男に会いに行くわけがない。娘を連れて行ったってことは確かに由比ヶ浜や雪ノ下と会っているのだろう。

 

………。

 

いや待て。まさかもう、浮気相手が子持ちを容認していたりしたらーーー。

 

 

「…っ。な、何にせよ、こんな想像は無駄なだけだ。今は2人の帰りを待とう。そ、そ、そうだ、小町に電話だ」

 

 

えと、小町の電話番号電話番号っと…。

 

 

トゥルルルるる

トゥルルルるる

がちゃ。

 

 

『はいはーい。小町ですけど何かー?』

 

「お、おう。どうした?」

 

『えぇ!?お兄ちゃんがかけてきたんだよ!?』

 

「あー、そうか。うん、いやな…。どうよ?ん?」

 

『……何かあった?』

 

鋭い妹だ。

さすが小町。

俺のクールさを見破ってくるんだから褒めてあげちゃう。

 

「…おまえ、彼氏とはどうなの?」

 

『はぁ?なにそれ、お父さんみたいなこと聞かないでよねー』

 

「まぁ、俺は認めちゃいないし会わせてももらってねえけどさ。で、どうんなんだよ。彼氏とは」

 

『別に普通だよ普通ー。一緒に出かけるし、予定が無くても一緒にお茶するし。お兄ちゃんと優美子さんだってそうでしょ?』

 

確かに、小町の言う通りに俺たちも一緒に出掛けていたし、なんの用もなく会ってはつまらない話をしていた。

ほんの少し前の事だと思っていたが、あれも娘が生まれる前の事だと思うと月日の流れに焦りを感じる。

 

『てか、お兄ちゃんこそどうなのよ?』

 

「あ?」

 

『親子3人で仲良くしてるの?』

 

「まぁな。そこそこにはやってるよ」

 

『優美子さんとも仲良くしてる?』

 

「…?」

 

おかしな事を聞く。

親子3人で仲良くしていると答えたろうに。

俺の答えた3人に、もちろんアイツだって含まれてるんだから。

 

『……お兄ちゃんさ、親子も大切だけど、奥さんの事も大切しなくちゃだめだよ?』

 

「…おまえ何言ってんの?仲良くやってるって言ってるだろ?」

 

『わかってないなー』

 

「だから何を…」

 

 

『奉仕部の時と同じじゃん。3人でいることを大切にしすぎて、1人1人を良く見てない』

 

 

ーーーー。

 

あぁ、そういうことか。

 

それならば大丈夫。

俺は娘の事を誰よりも大切にしてるし愛している。

甘やかすなとは怒られるが、多少の事なら何だって許してしまえるくらいに大好きだ。

 

とーーー。

 

言い切れるにも関わらず。小町からの返事はどこかそっけなく冷たい一言だった。

 

 

 

 

 

『…やっぱりわかってないじゃん』

 

 

 

 

 

ーーーーーーー☆

 

 

 

 

 

ーーーけっこう話し込んじゃったから実家に泊まって明日帰る。

 

そのメッセージを受信したのは時計の短針が9を過ぎた頃だった。

 

「っ。……。むむむぅむむむぅぅぅ!!!」

 

帰ってこないのなら早めに教えておいてくれ!と一言伝えたい。

不安や不満が相まって、俺は思わず電話を掛けてしまう。

 

「……。あ、おい、今日はっ…!……今日は帰ってこないのか?」

 

電話が繋がったと同時に、少しばかり声音が強くなってしまったことに気がつく。

俺は一度、スマホから顔を離し息を吸い直してから再度喋り掛けた。

 

『んー。メッセージ送ったけど見てないの?』

 

「あ、いや…、見たけどさ…」

 

『この子が寝ちゃったから。ここからならそっちよりも実家の方が近いし』

 

電話の向こうで娘を抱いている姿が想像に容易い。

明確で納得のいく答えが返って来たというのに、俺の心に掛かった靄は晴れなかった。

だが、そんな靄すらも気にしない振りをして

 

「…そうか。お義父さん達によろしく言っといてくれ。…明日、車で迎えに行くよ」

 

『え、来てくれんの?』

 

迎えにくらい行くさ。

娘を連れて電車に乗るのも大変だろうし。

むしろお前のことが心配だし…。

 

「あぁ。行く。……10時くらいでいいよな?()()

 

『……ん。それくらいで。それじゃ、おやすみ』

 

 

なんとなく最後の会話に棘を感じた。

心配もした。電話もした。迎えに行くとも伝えた。

機嫌を損ねる要素がない。

つまり、俺が感じた棘は気のせい?

少し気にし過ぎてるだけだろう…。

 

そして俺は、自らを偽るように安心材料を並べた事にすら気が付かない。

 

気にしない振りなのか、本当に気が付いていなかったのか。

 

ビールの苦味が薄れたことで、なんの保証もない安心に身を委ねてしまうのだ。

 

 

 

 

.

……

………

………………

 

 

 

 

 

「ママー?パパに電話してたの?」

 

背中に担いだ娘が、寝ぼけた声で問いかけてくる。

配慮はしていたが、電話の声で起こしてしまったのだろう。

私は、少しばかり悪くなった機嫌を表に出さないよう、ゆっくりと問い掛けに答える。

 

「んー?誰だろうねー」

 

「む…。男…?」

 

「え?あ、いや…、男には違いないけど…。てか、あんた起きたなら降りろし。もう重いんですけど」

 

「構わんよ」

 

「…その話し方、パパに似てきたね」

 

「へへ」

 

嬉しいんだ…。

ほんのちょっと羨ましい。

娘に好かれるヒキオに。

それと、ヒキオが可愛がる娘に。

 

この年齢の女の子なら、パパに対して少なからず抵抗を覚えるものだと思っていた。

実際に私がそうであったように。

パパの隣をあるいたり、パパとメールをしたり、パパの話をしたり、私はそういうことを意味もなく毛嫌いしていたと思う。

だが、この子は違う。

なんだかんだとパパに引っ付き笑っているのだ。

さきほど聞いた話だと、どうやら先日も一緒に出掛けていたらしい。

 

……なんだし。

 

娘のことばっかり可愛がって…。

 

少しは……。

 

少しくらいは…

 

 

「……あーしのことも構えし…」

 

「…わかるわかる。それってジェラシーってやつでしょ?」

 

「ぅぇ!?」

 

「あたしも感じるわー。ジェラって唐突だよね?」

 

「あ、あんた、最近生まれたクセに分かったようなことを……」

 

「でもねママ」

 

「…?」

 

 

 

「ジェラシーは隠してても伝わらないんだよ?気付いてもらいたい事を隠すのは、ただ怠慢なのよ」

 

 

 

こ、コイツ……っ!?

 

 

なんか理屈っぽい所がホントにヒキオに似ていやがるしぃぃ!!!

 

 

 

 



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3day

 

 

 

 

 

 

日曜日の朝。

仕事があるわけでもないのに目覚ましよりも早く起きてしまった。

広いベッドからもそもそと起き上がり、リビングへ向かうも朝食は愚か、テレビや電気すら付いていない部屋に寂しさを覚える。

 

時間的に急ぐ必要もないが、なんとなく忙しなく身支度を始めた。

 

あんまり早過ぎても変に思われるか…?

 

と、思いつつも、朝食を取るほどお腹が減っているわけでもなく、男の身支度が1時間2時間と掛かるわけもない。

 

気付けば、起きて30分程で出掛けられる準備が出来てしまった。

 

 

「…まぁいい。行くか」

 

 

駐車場へ向かい、朝露でキラキラと輝く愛車の鍵を開ける。

プッシュスタートを押し、エンジンに火を入れると静かなエンジン音と共にナビが声を出す。

 

ーーおはようございます。本日の天候は晴れ。

 

お、おう…。

なんだ、急に喋られるのは慣れないな…。

…って、何をナビごときに緊張してるんだか…。

 

ナビに行き先を入力すると、そこまでの推奨ルートと到着予想時間が明示される。

 

やはり30分も掛からない予想時間。

迎えに行く途中でコンビニでも寄って時間を潰そうにも10分程度が限界だろう。

 

と、考えている時に、スマホへ一通のメッセージが。

 

 

ーーー早めに来れる? 優美子

 

 

ふむ、仕方ない。

超特急で迎えに行ってやろう。

 

 

ーーーおけ。八幡

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

「え、早すぎない?びっくりしたんだけど」

 

「そ、そうか?道が空いてたからかな…」

 

義父母の住む家の前に車を止め、チャイムを鳴らすと直ぐにママが現れた。

一応挨拶をと、玄関口まで顔を出してみたものの

 

「ウチのパパとママならあの子連れて出掛けたよ」

 

「え?買い物?」

 

「たぶん浅草。落語聞きたいって言ってたし」

 

「渋っ。え、あいつも付いていったのか?」

 

「うん」

 

なにウチの娘って落語とか聞きに行くの?

最近の子供はイマイチ良くわからんな…。

孫とお出掛けできるじいちゃんばぁちゃんは嬉しいんだろうけどさ。

 

「だから、あーしらもどっかで暇つぶしに行くよ」

 

「はいはい。そいじゃ適当に行きますか」

 

「おっけー」

 

そう言いながら、ママは当たり前のように運転席へ。

 

「おい。おまえが運転するのか?」

 

「ん。そんかわり、帰りは運転してよね」

 

「はいよ」

 

俺も助手席に乗り込むと、ママは不思議そうに運転席の足元を眺めていた。

どうやら座席の位置が合わないらしい。

 

「む?あんた、こんなに脚長かったっけ?ちょっと見栄張ってない?」

 

「張ってねえよ」

 

俺の反論はエンジン音にかき消されるも、割と運転が好きだと豪語する彼女はゆっくりとその場から車を発進させる。

ゆるりとした発進は、おそらく省エネ運転を気にしてのことか。

子供が生まれる前だったか、遠出のために借りたレンタカーが省エネ運転の点数を表示させる車だった。

俺の運転時に表示された点数が85点。彼女が運転した時に表示された点数が70点であった。

 

「おっしゃ。このまま省エネをキープだし」

 

「…この車、点数とか出ないからね?」

 

「気持ちの問題。あーしはいつも100点だと思ってるから」

 

「俺の運転は?」

 

「85点」

 

「あの時から成長無しかよ」

 

「へへへ」

 

どこに行くのかも知らぬまま、俺は流れる景色を眺めながら頬杖をつく。

 

そういえば、婚約する前はどこに行くにしても俺は彼女の後ろを付いていく一方だった。

 

あの頃の後ろ姿は今でも覚えている。

 

たかだか数年前の事なのに、なぜだかすごく昔の様に思えてくるのは気のせいか。

 

 

「どこか行きたい所ある?」

 

 

ふと、前方から目を逸らさずに質問が投げられる。

 

 

「ああ…。ん〜、ららぽでも行くか?」

 

「ぷぷっ。娘も居ないのに?」

 

「…それもそうか。ん、それならおまえの行きたい所でいいぞ」

 

「珍しいじゃん。昔なら家に帰りたいって言ってたのに」

 

「……。子供が生まれりゃ多少は変わるってことだろ」

 

 

少しばかり照れ臭い。

変わる事を嫌っていた高校生の頃の俺が聞いたら鼻で笑うレベル。

 

だがな、八幡(高校生)よ。

 

変わる事だって悪い事ばかりじゃないんだ。

 

娘ができればおまえも分かる。

 

 

「…あんたと出掛けたって、あの子が楽しそうに話してたよ」

 

「あぁ、そう」

 

「嬉しくないの?」

 

「嬉しいよ。…あいつ、おまえに似てきた」

 

「あーしに?どっちかって言うとあんたに似てる気がするけど」

 

「俺に似てたらあんなに可愛くならんだろ」

 

「親バカ。てか、それってあーしの事も可愛いって言ってるようなもんだし」

 

 

これまた恥ずかしい一言を。

俺はまたもや照れ臭くなり、なんとなく窓を開けて風を浴びる。

 

ふと、運転席からの声が途絶える。

 

俺に気を使ってくれたのか、それともクスクスと笑っているのか、俺は交差点で車が止まったと同時に窓を閉めて前を向き直した。

 

すると、ハンドルを握っている彼女が小さく言葉を発する。

 

 

「…今のあーしも可愛い?好き?」

 

「……。なんだよ、急に」

 

「聞いてんだけど」

 

 

そんな事をハッキリと聞いてくるな。

子供が生まれて変わったとは言え、好きだよハニー、と瞳を見つめながら口に出せるほどに変わったわけじゃない。

 

もちらん可愛いと思ってるし、今だって死ぬほど好きだ。

 

だが、やはりそれは言葉に出来ない。

 

だって恥ずかしいじゃん。

 

 

「…ん、信号変わったぞ」

 

「…ふん」

 

 

不貞腐れた。とは違うような表情で、彼女はアクセルを踏む。

 

先程までと違った急な発進に、俺は小さな嫌悪感を覚えながらも背もたれに深く背を預けた。

 

車内の雰囲気が悪くなったのは言うまでもない。

 

気の利いた言葉も浮かばず、俺はただただ荒くなった運転に身をまかせることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

.

……

………

 

 

 

 

 

『ただいま』

 

『おかえり〜。ごめ、夕飯もう少しかかる』

 

『…手伝う。てか、おまえ座ってろよ』

 

『気ぃ使い過ぎ。まだ5ヶ月だし』

 

『気を使い始めたのは今に始まったことじゃないですけど』

 

『ぶっとばす』

 

『ばかばか。おまえ、そう言う事を聞かせるとダメだって本に書いてあったぞ』

 

『キスとかすると良い子が生まれるって書いてあったし!』

 

『お腹に?』

 

『あーしに!』

 

『はいはい。後でな』

 

『むぅー!じゃあ後でするし』

 

『ほら、もう座ってろって』

 

『ん。ありがと。…ねえ、ヒキオ』

 

『あ?』

 

 

 

『子供が生まれても、あーしの事をちゃんと好きでいてくれる?』

 

 

 

 

 

………

……

.

.

 

 

 

 

 

 



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4day

 

 

 

週始めの月曜日。

不快指数高めの満員電車に揺られながら、なんとなく窓に映る自身の顔を眺める。

活気は元からある方ではないが、今朝の俺はいつもより瞳に生気を感じない。

もちろん、月曜と呼ばれる魔の日に辟易としている事も原因の1つであるが、やはりこの瞳に宿る憂鬱感は先日の件が関係しているのだろう。

 

車内での小さな亀裂。

 

あの日、車内で冷静さを少し欠いた2人の大人は、どこか吐き出すように本心を吐露していた。

 

 

 

 

『…ホントに鈍感。なにも分かってないし、約束も守らないし』

 

冷たく、重く。その言葉は彼女の口から嫌悪感を隠すことなく伝えられる。

 

『…。鈍感であることに反論はないが、俺は充分に分かってるつもりだ。それに約束は破らん』

 

同様に、なにも心当たりのない俺の返事も冷たかったことだろう。

 

『あっそ。そう思ってんならそれでイイんじゃない』

 

分かってもらいたいならちゃんと言葉にしてくれ。と口に出そうになるがそれを収める。

 

『……はぁ。俺、なにか悪いことしたか?』

 

『…っ。…それを…、それを分かれって言ってんの!!』

 

車内に響く、少しだけ張り詰めた大きな声。

それ?それってなんだよ…!

 

そんな曖昧な事を言うなら、俺にだっておまえに聞きたいことがある…。

 

それを聞いてしまえば…。

 

それを疑ってしまえば。

 

俺は冷静で居られる自信がない。

 

 

『…おまえこそ、俺に何か言う事はないのか?』

 

『…は?』

 

 

先週の休みに同窓会と嘘をついて、俺じゃない他の男と出掛けていたんじゃないのか?

 

昨日だって、本当に由比ヶ浜たちと飲んでいたのか?

 

ここ最近、おまえがこんな風に不機嫌になるのは……。

 

何か俺に隠し事があるからじゃないのかよ?

 

 

言ってはいけない言葉の羅列が頭を支配する。

 

言わまいと決めていても表情筋が頬の重さに耐えられなくなる。

 

 

浮気…、してんじゃないのか?

 

 

その一言を。

 

俺は心の深くにしまうように息をゆっくりと飲み込んだ。

 

飲み込むと同時に、頭に並んだ言葉を隅に追いやる。

 

気付けば潤んだ彼女の瞳を横目で見ながら、俺はまたもや自分を騙すように本心を隠した。

 

 

『…悪い何でもない』

 

 

 

.

……

 

 

 

 

ガタンと、電車の連結部から金属音が聞こえる。

ふと、車内の伝言掲示板を見ると、次駅に会社の最寄駅を表示していた。

 

今週から始まるプロジェクトの打ち合わせは確か今日の午後からだ。

 

タスクが詰まりそうなると嫌な気分になるが、今は多量の仕事に身を置いて、考える事を辞めたい気分である。

 

 

…あぁ、呆れちまうよ。

妻から逃げて仕事に没頭しようとは。

 

 

 

 

 

 

で、なんて事ないプロジェクトの打ち合わせがあっさりと終わる。

 

計画書に納期までのタスクスケジュール、それに契約関係書類の準備と、今夜は帰れないなぁ…、なんて思ってたのに、気付けば17時の定時を迎える前に全てが完成。

 

あらま、俺ってば要領が良すぎ〜。

 

飲み会の出席率とかは悪いのに、仕事が出来ちゃうって、俺、どこのなろう系?って感じだわ。

 

はぁ…。

 

何回目のため息だろうか。

 

タバコも吸わないために不満を吐き出す手段を持たないわけで、俺は今の今まで家庭内の不満ってやつを貯め続けてきた。

 

いや、不満なんてものを今まで持ってきたことは一度もないか…。

 

可愛くて優しい妻に、幼くもしっかりとした娘。

 

俺には勿体ないくらいに素敵な家族だ。

 

……。

 

…そう。勿体ないくらいに。

 

 

「……俺みたいな根暗で捻くれたヤツより、浮気相手の方が…」

 

 

と、小さな呟きがデスクに落ち掛けたとき

 

ブルル、と。

 

スマホがメッセージの受信を知らせるように震えた。

 

 

ーーーーー葉山

 

今夜、飲みに行かないか?

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

ーーーー☆

 

 

 

 

 

「乾杯」

 

「…ん」

 

 

小気味な音を立てて打つかるジョッキを片手に、俺は職場から二駅離れた安酒屋のカウンター席に腰を下ろしていた。

 

 

「で?急に呼び出してきた理由はなんだよ?根暗で捻くれた俺を嘲笑いに来たの?そうだったらまじで喧嘩するよ?もしくは明るく振る舞えるような秘技を教えろよ」

 

「な、なんだよ。一口で酔ったわけじゃないだろ?急に辛辣だな」

 

 

てめぇの性格と顔が俺の想像する浮気相手と丸被りしてるからだろうが。察しろよ。

 

 

「…察したか?そういう事だ」

 

「え!?す、少しは分かるように教えてくれないか?」

 

 

だよな。

ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらないよな。

おまえ、ウチに来て同じこと言ってくれ。

 

 

「…まぁ、なんでもいいけどさ」

 

「なんなんだ…。まったく…」

 

 

呆れるように、葉山はジョッキを持ち上げる。

俺のジョッキに残るビールが少ないことをチラリと見るや、店員を呼び止め生ビールの注文を爽やかにやってのけた。

 

 

「…おまえは、そうやって女を落としてきたのか?」

 

「ぶっっ!?な、ど、どうしたんだよ!?変なことを…っ、あ、すみません」

 

 

珍しく慌てた様子を見せる葉山は、思わず飲んでいたビールを少し吹き出すと、カウンター席の隣に座っていた若い女性の2人組みにおしぼりを差し出される。

 

葉山に気があるのであろう2人組みに、やんわりとした笑みを浮かべる葉山の表情は昔より感情的……、いや、嫌悪感とかじゃなく、人間味があるみたいな?そんな感じであった。

 

 

「…そういえば、おまえってウチの嫁を女避けに利用してたよな」

 

「ぐ…。だ、だから、その件は前にも話し合ったろ?優美子だって、ただ俺の容姿が好みだっただけで、結局はキミを…」

 

「…中身の良さ。性格の相性。…アイツは俺のどこを好きになったんだろうな」

 

「……」

 

 

あいつの隣に居るのは俺だ。

ただ、俺があいつの隣に釣り合っているのかは別の話。

身内びいきではないが、ウチの嫁は可愛いし優しい。

そんな彼女を好きになる男なんてごまんと居るわけで。

そんな人気者と将来を誓った俺は、ほんの少しだが劣等感を覚える。

 

もちろん、劣等感なんてものは俺の勝手な感情で、あいつに限って俺を卑下した目で見てくるような事はない。

 

そんな事はないのだが…。

 

 

「なぁ、比企谷」

 

「あ?」

 

「バカは治るって聞くけど、捻くれは治らないものなのか?」

 

「…。それは、個人の努力次第だろ」

 

 

途端に真面目な表情で変な事を聞いてくる。

結構前に注文した焼き鳥がようやく届くも、葉山がそれに手を付ける様子はない。

 

 

「それなら、キミも努力するべきだ」

 

「…」

 

「はは、やっぱり羨ましいよ。比企谷は欠点が分かりやすい。直すべき所が沢山ある」

 

「なに?やっぱり喧嘩売ってんの?」

 

「それなのに、雪ノ下さんも、結衣も、いろはも…、そして優美子も。皆んながキミに惹かれていくんだ」

 

「…妻子持ちに変な事を言うな」

 

「少し、意地悪な事を言っていいかい?」

 

「…?」

 

 

やはり人間味のある表情をする。

高校生の頃には見せなかった表情だ。

 

数秒、気持ちの悪い空白が流れた後に、葉山はイタズラに悪い表情を浮かべながら、さらりと爆弾を投下した。

 

 

 

「この前、優美子から誘われて2人で会ったんだ」

 

 

「……は?」

 

 

「今日はその報告をしようと思ってね」

 

 

「……」

 

 

再度流れる空白の時間。

葉山は言葉をしっかりと伝えるなり、俺から顔を逸らしてジョッキに手を掛ける。

無論、俺にはその空白を埋める術はない。

気付けば、隣に座っていた女性の2人組みも、剣呑な雰囲気を察してこちらから目を逸らしていた。

 

察するのは苦手だ。

 

伝えてくれなきゃ分からない。

 

でも、それが傲慢であり、俺の身勝手な考えであることも理解している。

 

ついでに言えば、葉山の真意も理解しているつもりだ。

 

 

「…ウチの嫁が、おまえなんかに落とされるわけないだろ」

 

「ははは。そうかい?顔は良い方だと思っているけど」

 

「顔だけだ。中身は何の味もしないもやしみたいな人間」

 

「そ、それは言い過ぎだよ…」

 

「……相談されたんだろ?」

 

「…もう少し、慌ててくれると思ったけどね。うん、その通りだよ」

 

 

葉山は嬉しそうにジョッキを傾ける。

ようやく焼き鳥に手を伸ばしたと思えば、それを食べやすく丁寧に串から取り分けていた。

一つ一つの行動がムカつく奴だ。

 

嫌な想像を浮かべる。

 

アイツが、俺の知らない誰かに取られて遠くへ行ってしまう想像。

 

背中越しに伝わるのは、俺への未練を一つも感じさせない素直な笑み。

 

哀れにも、その背中を眺めるしかできない俺に、アイツは一度だけ申し訳なさそうに振り向いた。

 

その表情を確認するのが怖くて、俺は俯きながら地面の凹凸の数を数える。

 

どんな顔をしてるんだ?

 

嬉々とした清々しい表情?

 

嫌悪感に満ちた笑み?

 

それともーーーー。

 

 

「…もし、アイツが浮気してて、その相手がおまえだってんなら対処は簡単だ」

 

「…どうする気だい?」

 

「おまえを殺して幕張の砂浜に埋める」

 

「あ、あはは。それは少し冗談が過ぎるな…」

 

 

本気だよ。と、小さく呟きながら、俺は葉山が取り分けた焼き鳥を一つ口に放り込む。

少しばかり俺から身を遠ざける葉山は呆れたように溜息を吐いた。

 

 

「はぁ。それだけ愛情を表現できるのに、どうして彼女は悩んでいるんだろうね」

 

「…知らねえよ。教えてくれねえもん」

 

「お互い様だ。キミも伝える努力を怠っている」

 

「………。は?めっちゃ伝えてるし。毎晩毎晩、アイツが寝た後に少し小さい声で大好きっていつも言ってるんですけど?」

 

「…起きてる時に言ってやれよ」

 

 

恥ずかしいだろうが!言わせんなバカ!

娘も居るんだよ!?両親が好きだの愛してるだの言い合ってる姿を見たいと思うか!?

ちょっとは考えろよな!?

 

俺は乱暴にジョッキを傾け、ビールを胃に流し込む。

 

まだ3杯目だと言うのに、少しだけ頭がボヤボヤとしてきてしまった。

 

慣れないボーイズトークに当てられたか?

 

 

「バカバカバカバカ!おまえは恥じらいを知らないバカだから…。俺みたいな日陰もんは好きだとか口に出すと背中が痒くなるんだよ。バカめ!」

 

「ははは。バカでも、俺はいつも正しいんだ。正しいことしか言えないからね」

 

 

 

葉山は腹を抱えながら笑い声をあげた。

 

居酒屋の雑踏に混じって、酔いに任せて吐露した俺の暴言はゆるりと消え去る。

 

隣で聞き耳を立てていたであろう女性の2人組みは、ひそひそと笑いながら俺達の姿を見つめていた。

 

キミらくらい若いとね、妻子を持つ男の純情な悩みは理解できないだろう。

 

なんならガキの頃より、大人になった方がコーヒーを甘口で飲みたくなるもんなの。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、あの人たちってどっちが受けなのかな?」

 

「イケメンの方が受けに決まってんじゃん!」

 

 

 

 

 

……そんな難題に頭を悩ますのはやめなさい。

 

 

 



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