ES〈エンドレス・ストラトス〉 (KiLa)
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Prologue

 ES_000_Prologue

 

 

 

 『それ』だけがここにあった。

 

 

 

「うぉおおらッ!」

「ぁああああッ!」

 

 怒号とともに拳が放たれた。

 型やらフォームやらもなにもない滅茶苦茶な一撃だが、適当というわけでは到底なくて。正確にして粗暴、荒々しくも鋭いその左手は、吸い込まれるように人体の急所へと向かっていった。急所──俺の鳩尾。

 俺は上体を右にずらして回避。実に華麗なひねり具合。(かれい)だけに右側に(かわ)すというユーモアあふれる美技、なんてことはなく。

 鳩尾に最短直線で迫る暴力に、すれ違うつもりで俺の右拳をかすらせて、そのまま相手の顔面へ向かわせた。躱す? 馬鹿言え、そんなことできるはずない。

 コイツにそんなこと、するつもりはない。

 その結果、お互いがお互いの拳をド素直に受け入れる羽目になった。

 

「ガッ……!」

「ゴッ……!」

 

 零れた濁音は声帯の震えによるものじゃなく、口内にあふれる鮮血のせいで。拳がきいたかどうかなんて確認するまでもない。変則的なクロスカウンター。

 一対一、ノーガードのぶつかり合い。

 持てる力、全霊全力。

 痛い。

 すげぇ痛い。

 だが、止まらない。痛い程度で()めるはずがない。じきにアドレナリンかなんかで痛覚は麻痺するだろうし、第一、痛みがあろうがなかろうが、手をこまねく俺達じゃない。

 なら、止まらないのが道理。

 

「ぉおおおおッ!」

 

 気合い。

 鳩尾に残る衝撃なんて奥歯を噛み締めてないものと仮定して、もやっぱり痛いけどだけど関係なんてなくて、突き出していた右手を無理矢理に引き戻す。それと同時、左手を手刀に揃えて横薙ぎに。滑車の要領。できるだけコンパクトに、鋭く、速く、正確に。

 

 ゴッ、と顎から脳天目がけて衝撃が貫いた。

 

 いきなりブレた視界。そのなかで舌を噛まなかったのは褒めてほしい。

 簡潔に、俺の放った手刀よりも、やつのアッパーのほうが速く俺に届いたのだ。デタラメな速さ。アホじゃねぇのか。いくら避けないっていったって、コイツは少々容赦がなさすぎる。オマケに、そうやって仰け反る俺の右脇腹に蹴りを入れる徹底さ。ふざけんなよおまえ。ただでさえアーマーリング付きで鳩尾叩かれて、こっちは咳き込みたくてしかたないんだぞ。

 正直な話、俺は()()()()()()()()()今回初めてだ。型がないとか解説ぶったけど、そもそも俺自身そんなのがなかった。少なくとも、ただの殴り合いで披露できるようなもんはあんましない。悪いね、喧嘩の一つもしたことないゆとり世代で。オンリーワン精神最高。自分の脆さに涙が出るよ。

 だが、実力で劣っているなど、断じて思わない。

 

「ば……ぁああああああああッ!」

 

 漏れる空気の塊を咆哮で押し出し、上向く頭蓋を力技で振り戻す。戻して戻って、構えをとる。再び敵に相向かわんと攻勢に出る。

 そう、『敵』である。

 視界は二重三重残像世界。安定なんてせずにブレまくる。鳩尾から這い登る不快感は健在だし、蹴られた脇腹は変に熱い。なんだこれ、折れてんのか?

 

 ゴッ、と情けはなくて。

 

 強引に構えた俺に、敵は容赦なく意中の脇腹へと回し蹴りを加えてきた。それも踵。踵が刺さって、グリグリ抉り込んでくる。容赦も情けも願い下げだが、痛烈に主張する肋骨だけはごめん被りたいのが正直なところ。肉のなかで骨と骨がこすれるような軋み。左足を軸に右回転して、実に鮮やかスマート直行。脇腹にて遠心力が盛大に炸裂していた。

 なんという信頼だ。回し蹴り、ならば回転しないと成り立たない。回転すれば、もちろん一瞬といえど視線がうしろを向く、隙ができる。にもかかわらずその隙を俺のブレた視界で相殺して、ものの見事に決めやがった。俺が構えなおすのをわかっていたかのような動き。

 これは信頼だ。

 

『オレとタメ張れる奴がこんなことも出来ない愚図なはずはねェだろ?』

 

 実にわかりやすい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こと、信じるというものに対して最大まで対極にありながら、その実それ以上とない信頼関係。歪んでる。これを信じるというなら最高位で歪んでいる。

 しかしそんなの、あいにくながら俺は許容できない、したくない。他人の一切を排斥するかのような絶対個我による信用。唯一至高たる己あってこその他者。そんな在り方、悲しいだろ。そんなの、自分しか愛せないのと同じだろうに。

 ──ただし。

 

「ギ──あ゛あああああああッ!」

 

 そんな俺も、自分を誰よりも信じてるわけで。

 つまりそれがなにを意味するかって? ようはそれ以上に信用たる存在がいないってことなんだよコンチクショウ!

 脇腹に刺さるその踵、しかしそれを上下ではさんで捕まえた。俺に到達した瞬間、両手で掴んで足首を捕える。受け止めたのでなく捕まえた──そうなれば。そうやって攻撃に対して行動に出れば、蹴り刺さる衝撃で倒れるのは必須。

 つまり、一緒に倒れろ馬鹿野郎。

 ともに支えのないため、接触の衝撃そのままにコンクリートの床面にブッ倒れた。

 真っ先に落ちた肩がコンクリを打つ。ついで腰を削り、ふくらはぎが擦れた。ボロボロの施工面が粗末なおろし金みたいに皮膚を裂く。でも、そんなのかすり傷で。

 倒れこむその(あいだ)にも、俺達の攻撃は止まらない。

 狙い打つなんて高等技能は無理に決まってる。なら、当たるまで闇雲にぶん殴れ。

 

「ぐ……ォガ、ァアア゛ァァ!」

「ゲェ、ら゛ぁぁああああッ!」

 

 叫び声、噎せる声、唸り声の(だい)(おん)(じょう)。あらゆる感情を咆哮として出力し、混ざり合って不協和音。

 倒れこむまで三秒とない。その間、実に一四もの拳と手刀が飛んだ。顔面を叩き、腹を打ち、当然コンクリを殴る不発も無数。皮膚が破れる、骨がきしむ、巡る血潮は加熱する。

 痛い、痛い、痛い。

 痛い、が。それがどうした。

 

「「お、らぁああ!」」

 

 同時、激情を迸らせて、互いが互いの腹を蹴り、反動で距離をとった。さらにそのまま体を反転、膝を屈伸、勢い任せに立ち上がる。

 直後疾走。力いっぱいにコンクリを蹴り上げて、敵に向かって疾駆する!

 強襲特攻、ストライクバック的な奇襲攻撃。

 けれど()()、それに相手がついてこれないはずなんてなくて。

 すでにむこうも走り出していた──そのまま衝突。最高速で手刀を薙ぎ出し、超高速で()(そう)が迫った。

 拮抗する。速さが筋力が耐久度が思考が実力が、互いの存在が同等であると主張する。

 虎爪がド正直に正面からかぶさる。のを拳をぶつけて撃退する。相手の中指がへしゃげて俺の肩が外れた。

 反転した体から横薙ぎの手刀を放った。が、それを膝と肘ではさんで白羽取りされる。手のひらの中心でごり、と骨が砕けた。

 

 殺し合いだった。

 

 血が滾っていた。体中が沸騰したみたいに熱くて脳がとろけてしまったみたいだ。

 拳が爆発する、手刀が閃く、虎爪が空気を破る。

 鳩尾を叩く、右足を踏まれる、左肘が弾かれる、鎖骨を抉る、側頭部を突く、視界がぶれる、頭突きを交わす、顔面を叩いて蹴り上げられる。

 左肩を突く、右脛を蹴られる、顔面を叩く、腹を打たれる、右股を、鳩尾を、腹、顔面、顎、胸、顔面、左膝、踝、爪先、右足首、顔面、顔面、後頭部、肩甲骨、顔面、恥骨、臀部、金的、耳口目鼻顔面顔面顔面五臓六腑右脇腹ちょっとまてそこは折れているって言ってるだろう。

 全身満遍なく強打する。隙間なく傷つける。

 筋肉が悲鳴を上げている。酷使に耐えかね、裂けて血を流してる。骨が皮膚を突き破っている。視界が半分赤い。小うるさいノイズが右から左へ横断してる。舌の根あたりでごろごろしてんのは折れた歯か? 爪なんてとうに剥げ落ちてるし、とろけたくせに脳みそが頭痛を主張して──ないな。そういえば痛みがなくなってるよ。

 

 だからどうしたそれがどうした。

 

 痛いだけじゃ止まらない。辛いだけなら躊躇わない。苦しいだけなら我慢できる。

 腕が壊れた? 足を使え。

 足が上がらん? 頭突きでいいだろ。

 目が見えない? ちょうどいい、さっきの腕でもぶん回せ。

 傷ついてない部分がなくなるまで身体を使い続けろ。傷ついた部分だけになってもなお痛めるのを()めるな。所詮この身は単細胞。『それ』のためにしかねぇんだよ。

 蹴りと拳の応酬。手刀と虎爪の乱舞。ぶつかり合う殺意と怒気は一層と加速する。

 コンクリが血だらけ。全身赤まみれ。けれど満腔の決意でもってさらに一歩を踏み出して。

 血が足りない。生命を道連れに体温が流出していく──けれどもこの熱意までは奪えやしない!

 

 なのに、泣いていた。

 

 泣いていた。気づけば泣いていた。本当に唐突、脈絡もなにもありゃしない。涙が俺の頬を伝っている。殴り合いの最中に、潰し合いのさなかに、涙が眼球を潤した。『それ』だけのこの存在が、人間みたいな純粋を流出する。

 痛いから? 馬鹿言うな。確かに全身血みどろ傷だらけのありさまだが、決してそんな程度で泣いてしまう俺じゃない。

 辛かった。

 悲しかった。

 苦しかった。

 そうだ、そうなんだ。

 結局『お前』とはいつもこう。こうして最後は殴り合い。いくら正しさを説こうと、理屈をつけようと、否定して賛同しようとも。

 いくら綺麗事を並べて言い飾っても、最後は必ず暴力(こいつ)に帰結する。それがたまらなくどうしようもなく、悔しい。

 

 

 

 

 

 ────いいや違う、腹立たしい。

 

 

 

 

 

 そうだ。ああそうだ馬鹿言うんじゃねえ。辛い? 悲しい? 言い飾るな誤魔化すな。そんな最もらしい台詞で美化するな。

 誰もが納得するような常套句、そんな大それたものでまとめんなよ。あたかも高尚なものに昇華しようとしてんじゃねぇ。

 俺は。俺は、そう。コイツが、この『男』がただただ──。

 

「くたばれぇええええッ!!」

「死に腐れぇええええッ!!」

 

 久々に吐き出した人語は罵倒のそれで。宿る感情も怒りで(しか)り。返答はそれ以上をもって。

 闘いは終わらない、争いは続く、己の存在を賭けて──闘い? なに言ってやがる、冗談だろ。こんなのが闘いなんてあるはずない。こんな程度が闘いなんておこがましいよ。そんな大層高尚なもんじゃない。

 

 これは喧嘩だ。

 

 ひたすらに殴る。()を空けずに蹴る。目を狙い喉を刈り膝を打ち顎を払い顔面を潰す。

 禁じ手など存在しない。金的目潰し当たり前、倒すために全力を尽くせ。

 血まみれの泥仕合。『まいった』タブーの一騎打ち。拳で語る喧嘩祭り。怒りと憎悪を撒き散らし、納得いかないと声を荒げる。相手の意思を否定して、己が意志を叩きつけて刻み込む。地面はすでに赤花畑。血生臭く、赤黒い。その赤をにじり潰し、さらなる死地へと踏み込み()く。

 もはや言葉は不要。必要なのは立ち上がる気概と明確な殺意のみ。理性を捧げて炸裂し、己を賭して吼え猛ろ。退(あら)(ぞめ)の視界は暗紅に、ノイズが混じって(けし)(あか)に。打ち跳ねる心臓は混じりっけなしの絶対真紅。轟々滾る血液が、過剰なアドレナリンで末端まで鼓舞する。

 憎悪か怒りか、いいやもっと普遍的ななにか。くだらないと言い捨てられるなにかに()って、この膝は地に着くことを拒んでいた。

 そして日が落ちる。夕方。黄昏の残光が薄暮となって、徐々に徐々にと夜へ移り変わる。穏やかな色調、安らかな刻。そうして健やかなままに眠りにつく。

 その、直前。日が沈む、太陽の今わの際。俺達はまだ加速する。加熱して赤熱して灼熱になって赫々と。気合でもって暴力に耽る。

 意識が遠い。薄い。打ち合うたびに常世を別かつような存在。

 『それ』だけを残して。もとから『それ』しかなくて。

 よりまっとうな機構へと、不純物を投げ捨てて行軍する。

 

 しかし、倒れない。

 

 拳を握って立ち上がる。脚を抉って無理矢理に走る。頬の内側を噛み締めて意識を留める。爪を剥いで気合を入れる。

 倒れない。倒れてはいけない投げ出してはいけない逃げ出してはいけない──諦めてはいけない。

 諦めることは負けること。

 負けることは認めること。

 そんな決着だけは、断じて認めない────!

 

 

 

「「うぉおおおおオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッ!!!!!!」」

 

 

 

 俺達の想いは奇しくも重なり、叫び声が夕闇を裂いた。

 

 

 

 これは決断の記憶。

 中学三年最後の夏、その夏休みの最終日、中学校校舎屋上。

 

 

 

 

 

 その日、織斑一夏は、無二の友達と決別した。



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第一話【IS学園】

 ES_001_IS学園

 

 

 

 二〇二一年四月五日月曜日、入学式。

 IS学園。超兵器ISの操縦者を育成するための世界唯一の学校。

 

「久しぶりだな、一夏。よもやこんなところで再会するなど、思ってもいなかったぞ」

 

 それの屋上。

 ポニーテールに()った黒髪を揺らしながら、俺の幼馴染みである篠ノ之箒さんはそうおっしゃった。

 颯爽と脇を通り抜けていく春風。日なたの匂いをたっぷりと含んだ暖かい感触。小春日和ならではともいえる、春の一芸。桃にほころぶ桜と早くも萌える緑の息吹、世はまさに春真っ盛り、って表現はあんましこの暖かさには似つかわしくないか。ともあれ春、なのに。

 そんななか、反するように俺こと織斑一夏の心情は、それはもう暗澹としていた。

 

「……そうだな、箒。俺もお前に会えて嬉しいよ」

「その割にはまったく表情が芳しくないな」

「そりゃなぁ。こんな女子ばっかの場所、息が詰まってしかたないよ。顔ぐらいくもるって……わざと言ってないか、箒?」

「失礼な。私とて驚いている側なんだぞ? 男のなのにISが動かせるだなどと……多少の浅慮はしかたあるまい」

 

 そりゃあそうかもしれないけどさ、しかしやはりとうの本人、つまり俺自身としてはこう、どうにも憤懣やるかたないというか。いや怒ってるわけじゃないけれど。

 それでも不満というか、愚痴というか、とにかく言いたいことが一つばかし。

 

「どうして、こうなったんだ?」

 

 俺は世界で唯一、ISを動かせる男である。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「たとえば、始めから負けるように定められている者がいたとしたらどうだろう。

 勉学、芸能、戦闘、お題目はなんでもよいが、少なくとも勝利という概念から爪弾きにされた人間がいたらどうだろうか。

 そのような人間は、果たして無能という劣等種と同義であるだろうか?

 勉学であるならば自身の知恵を高め、知識を集積し、なにかしらの研究発表等を用いて自身が生涯探究してきたものを世間に認めさせる。徳のある人間であれば、人類の進化を助長させるような空前絶後の現代魔法。星の開拓すらを可能とする英知の極み──それに至ることこそが勉学の勝利だと、仮に定義しよう。芸能では他者を魅了するカリスマを、美貌を、清冽精緻極まる絶技と永久持て囃される名声を。戦闘であるならば己に立ちはだかる外敵のそのすべてを踏破すること、あるいは決して認められぬ至大の怨敵の討伐、はたまた国家間にすらおよぶ闘争の時代において生き残り続けること。

 それらを端的に勝利と呼称するとして、なあ。それら一切から除外された人間は、なにもできない無能な凡百匹夫そのものであると、思うかね?

 ああ、確かに。勝利を結果と見るならば、それに辿り着けぬ過程ばかりを歩んでいる人間など、量販品を生産する機械となんの違いはないだろう。もっとも量販される製品と違い、残念ながら彼らは人間だ。気づかぬ内は花だがね、なにかを渇望して邁進する人間でありながらそれに甘んじることがあるなら、そら。無能ではないが無力だよ。

 だが、過程として見るならば? 至高の頂に君臨する極大の栄誉ではなく、その道中で敗れようとも幸せを感じることができたのならば? 無力と散り逝くかもしれないが、底知れぬ心力でただでは終わらない人間がいたのなら?」

 

「……無力だけど、無能じゃない?」

 

「然りだ。頂には、力なくしては上れない。筋力、精神、殺意、美貌、運命、宿星、善意、愛情、運勢、お題目はなんでも良いし、どうとでも良い。努力も才能も血筋も思想も頓着せぬ。

 ただ、己以外の全他者を劣等以下にかすめさせるなにがしかがあること。己にしか成しえない奇跡を持っていること。

 それでいて、力に寛容であること。運気は間違いなく己の力であり、暴力は正当な力であり、親の七光りを得られる宿星は見紛うことなき力だと認めること。他者を圧倒できるその成分を認めること。

 必ずそうしろというわけではないがね。そうしたものがなくば、勝利なんてとてもとても。諸君ら、そんなことをせずにまさか勝利の頂にあやかれるとでも考えているのではあるまいな? 可愛いな、ときめくよ……おや、少年。そんな顔されるとさすがに照れるぞ? ああ、すまない、迂遠だったと、言いたいんだろう?

 とかくとしてだ。無力と無能は同じ意味ではない。

 力なくば勝利に辿り着けぬが、決して得られないものがないわけじゃあない」

 

「過程にも、結果に負けない価値があるって?」

 

「左様。よく言うだろう? 若い内の苦労は金を出しても買えと。

 迷い、戸惑い、そうして頂上に辿り着かずとも──」

 

「その道には意味がある、かもしれない」

 

「ふふ。断言せぬ当たり、格好がつかないな。

 良いさ。迷え、悩め。ともに本日の迷宮楽土を混沌しよう!」

 

 

 

「……つまり、お前も迷子ってことか?」

「如何にも」

 

 ……俺は今までこんなに図々しくふてぶてしい迷子を見たことがない。

 どうにも問いかけらしいのだが、あまりにも多くて小難しいので話していた内容の半分も覚えてない。『小生』とか使うんだぜ? そんなに話すのが好きならもっとわかりやすい日本語を使ってほしい。という以前に話が長い。

 

「……で、ここはどこなんだ?」

「愚問であるよ少年。君も同じ穴の狢ではないかな?」

「素直に『わからない』って言ってくれよ……」

 

 ……そう。

俺達は今、迷子なのである。

 

 

 ◆

 

 

「……(さみ)ぃ」

 

 

 二月の真ん中、真冬である。そりゃあ寒くて当然だ。

 俺は高校入試の会場である施設の前に立ち、体をさすっていた。

 替え玉対策やらカンニング防止だかは知らないが、そのために合同受験となった高校入試。複数の高校の受験日を統一し、かつ校外で実施するそうで、俺は電車で四駅かかるその会場とやらにまできていた。しかし受験とはいえ、近所の高校のためにわざわざ電車に乗らなければいけないというのは少々不満が──滅茶苦茶不満がある。

 現在中学三年生。愚痴の一つくらい言いたくなるさ。

 

(まぁこれも俺のため、延いては千冬姉のためだ)

 

 千冬姉。織斑千冬。俺の姉の名前だ。

 俺には両親がいない。だから長年、歳の離れている姉が養ってくれている。ともなれば健全健康な男児である俺として、その状況は非常に引け目を感じてしまうわけで。そんな姉を安心させるべく、学校法人関係企業への就職率が高い学校、藍越学園に入学すべくこんなクソ寒い日にこんなバカ寒いところにきたのだ。

 ともあれ。いつまでもこんなところにいる必要はない。俺はほかの受験生を見やりながら会場である施設二階を目指した。

 そして五分。

 

「……どうやって、二階に?」

 

 開始五分で迷子になった自分に本当にびっくりだ。

 

「いやだってさ、この建物……階段どこにあるんだよ」

 

 現代建築だかなんだか知らないが、なんだここ、構造複雑すぎだよ。

 まず入口が降り階段。そうして地下フロアに入ると大きなエントランスで、正面に再び階段。ここまではいい。それを上がって再度一階に出るっていう手間はまだ認めよう。でもなんでその階段二階に続いてないんだ? オマケに案内もないし……そのまま階段探してたら今の状況、迷子。

 

「ったく、天井だってヤケに高いし。ホント、なんなんだこの建物」

「いやいや、この天井は高いからこそ開放感が得られるのだよ。低い天井、狭い空間というのは否が応でも窮屈に感じてしまうからね。国立西洋美術館を例に上げればわかりやすいかもしれないな──とはいえ、ここと比べるのなんて()()がましいにもほどがあるが。なんにせよ、よくもこんなモノがコンペを勝ち抜いたものだと、感心せざるを得ないよ」

「美術館? 上野の? まぁあれも変な造りだと思うけど、あっちは美術館、こっちは複合施設だろ。仮にも受験会場に使われるわけだから、もっとわかりやすい構造にするべきだと思うぜ」

「そう言ってやるなよ少年。コルビュジェに影響された建築は世界各地、至る所に存在する。なにもここだけを取り上げて責めるのは可愛そうだ」

「そーかい。……で、お前は誰だ?」

 

 迷子になった先、そこで俺はソイツに会った。

 

 

 ◆

 

 

 とまぁ、そうして今に至るわけだ。

 俺は改めてかたわらに立つソイツへと目をやる。

 身長は俺より高く、スラリとスレンダーな体型。服は真っ黒いトレンチコートで、丈が膝ぐらいまである。もちろん、そこから覗くズボンも黒。しかし特筆すべきは恐ろしいほどに伸びた髪の毛だろう。真っ直ぐな黒髪がくるぶしあたりまで伸びており、前髪も顔の半分以上をしっかりと覆うくらい長い。そのため顔が判らず、男なのか女なのか判別が難しい。

 しかしそれでもいえることは、キチンとすればかっこいいだろう、ということだ。

 というのも、コイツは上半身がやや前屈みな、平たくいうなら猫背なのだ。非常にもったいない気がする。

 ──しかし、そんな視覚的なことよりも。

 

「ん? どうかしたかな少年。小生の顔になにか、なんて決まり文句を言うつもりはないが、どうかしたかね?」

 

 うん、やっぱり隠れた顔じゃ性別判んないな。身長だけなら男なんだけど、今の女性って背も高いしな。体型……胸は、失礼だがない。でもない人はないのが人の世で、声を聞いても中性的にしか感じない。というかこれ、意図的に声色変えてないか? なににしろ、結局どっちなんだか。

 ──しかし、そんな聴覚的なことよりも。

 

「まったく、心()()に在らずだな少年。いくら整った顔をしてても『(おんな)()』の話を横流しにするというのは、いただけぬよ」

「女の漢?!」

「おや、聞こえているじゃないか」

「待てい! 女の漢ってなんだよ!?」

 

 さっきからこんな感じだ。コイツがボケて、俺がつっこむ。……なぁ俺ら初対面だよね? なんでこんな親しげなんだ? いやさコイツがすごく話しやすくておもしろいってのもあるけど、見も聞きもしない人と馴れ馴れしく口をきく中学生って、いかがなものか。

 ──しかし、そんな内面的なことよりも。

 

 

 視覚でも聴覚でもましてや触覚などという五感に類するものじゃなく、ありもしない六感を刺激するような違和の波。

 

 

 男か女か判別が難しい? 声が中性的? 初対面で馴れ馴れしい? なんだそれ。そんなの全部表面かぎりの塗り固めたカモフラージュにしか思えない。偽装するための一芸にしか感じとれない。そんなとてもまっとうな感情感想なんかよりも、脳みその裏側でひたすら踊る違和感が拭えない。

 不自然。そして不条理。

 こんなのはありえないと。よもや天啓じみた、思惟の不可侵領域からの伝達。

 ひたすらに鏡と話し続けているという錯覚をごまかすための、希釈液にしかすぎないと。

 

「知らないのかい、女の漢」

「あいにく、目の前にいるあんたが最初だよ。俺の世界はせまいんだ」

 

 どうして俺は、そんなよくわからないことを思ったのか。

 

 

 ◆

 

 

「──お?」

「ん?」

 

 そうして雑談しながら歩いていれば、ついに上へと続く階段を見つけた。

 

「やっと見つけたよ、階段」

「階段の壁面もガラス張りか。ふむ、これに関しては『カッコいい』と素直に言わせてもらおうか」

 

 近代建築だかを意識しているのかは知らないが、この施設はどうにもガラス張りの、大きな開口・採光をとっている部分が多い。俺はそうした建築技術や歴史には疎いけれど、単純に考えれば大きな窓なりガラスなりを入れれば、それは構造的に弱くなってしまうはずだ。ともなればこうやってふんだんに大開口を採用しているここは、それでも十分な強度が、強い構造が成り立っていることの証左だろう。現代の技術力だからこそ建設し得た点を鑑みるなら、『ならでは』の醍醐味なのかもしれない。

 やっとのことたどり着いた階段は、黒づくめの言葉の通り、壁一面が道中散々見てきたガラス張り。

 しかしそれのおかげか、階段の高い天井と合わさり素晴らしい開放感を演出していた。

 

「へぇ。これはなかなか」

 

 俺には芸術的なセンスなんてこれっぽっちもあると思わないけど。

 少しばかりの関心を抱けるほどには、なかなかどうして、洒落てる造りだ。

 感嘆の欠片を少しばかりともにして、現代建築の階段を上って行く。機能美のみを追求したような真っ白い梁と柱とそれから名称も定かではない無機質な白亜が入り組む色彩を抜けて、ガラス面が大々的に外空間から採光しようと無表情を晒す。塩の柱に囲まれている、というのはさすがに大仰がすぎる言い方だろうか。視界から常にガラスの切れない大空間。

 そのガラスから見える広大な景色──無限の空は、しかしあいにく、くもりだった。

 いや、無限とはいうけど、地球の大気層が空と考えれば有限か。どちらにせよ、できれば青空を拝みたかったかな……それにしても。

 

 

 

「────空は、狭いな」

 

 

 

「……え?」

 

 ()()()()()()()()()()()。ポロリと零れたソイツの呟きは、まさに俺と同じで。間抜けな返事しかできなかった。返事というにもそれこそ間抜けな、気の抜けた応答だ。

 でも、実にその通りだという気持ちが満腔だった。

 

「なんでもないよ。では少年、そろそろお別れのようだ」

「あ? ああ、もう二階か」

 

 気づいたら二階に着いていた。

 ここでお別れ、ということは、コイツは三階に用があるのだろう。

 

「いやはやもうお別れだなんて、まったく心残りでならないよ」

「それは俺もだ。が、あいにくこちとら受験でさ、別れを悲しむ暇すら惜しいんだ」

「つれないね」

「……一期一会はきらいだよ。じゃあまたな」

 

 もう会えないかもしれないから最高の今を。

 ……その理屈もわかるけど、だからこそこの瞬間は呆気なくていい。次があると信じたいから、なにげなく。

 言うが早く、そうして俺は背を向けて走り出した。急ぐに越したことはない。

 

「ふふ。小生も君と再び逢えることを、心から、願うよ。ごきげんよう──一夏」

「え?」

 

 二回目の間抜け声で振り返れば、ソイツの姿はすでになかった。

 

「まぁ、いいか」

 

 なんで名前を? という言葉を飲み込んで、俺は再び前を向く。疑問は残るが……それは受験を差し置いてまで追求するものじゃない。

 なんとも、変わったやつだったな。悪くいえば変なやつでしかないんだが、言ってることは結構まともなことだったし。そりゃあ確かに、遠まわしで長ったらしい難解なことばっか宣っていたが、根は悪い人間じゃないんだろう。……なんだか不良を弁護する常套句みたいで申しわけないけど。

 過程にも価値がある。──あいつ風に言葉遊びするなら『()()がある』ってところか? 正直そんなに頭がよくはないから、そもそも結果だ過程だをわざわざ分けてどうだこうだと意見すること自体、十全に理解なんてできないけど。それでも。

 ただ、あえて、思うなら。

 俺はおそらく、結果派の人種なんだろう。

 負け続ける人間は無能……とまで過激に断言こそしないんだが、先の話に乗っかって、あえての強いてで意見をするならば、そちら側に分類されるだろうな。過程を勇猛邁進するみんなの在り方は尊いけど、俺にはあんまりわからないし。

 

(負け続ける人間……って、あれ?)

 

 そこで、そういえばと、気づく。

 そういえば、あいつは始めになんて言ってた? 確か、そうだ。『たとえば、始めから負けるように定められている者がいたとしたらどうだろう』……そう切り出してたはず。気づいたら結果と過程の話になっていたが、そうだよ。もともとは『負けるようにできている人間』の話が始まりじゃなかったか? 婉曲すぎてわからなかったが、どうにも論点が妙にズレていたみたいだ。

 そういう風に定められている、っていうからには、運命だ運勢だの話がしたかったのだろうか。今になってはわからないが、少なくとも。話題の始点と終点が微妙に食い違っているみたいである。凝った表現にばっか力入れすぎて、話題の着地点見失ってたんじゃないだろうな? 勝利が絶対にできない人間は無能であるか……そのあとの言だと過程に得られる幸せの可能性を説いていたから、真意はもっと別のものかも検討がつかないが。

 勝利から除外される。だったら深く掘り下げるためには、その勝利がどういうものかを知らないといけないんだろうか。ただそれは、どういった内容を勝利と定義するのか、ということじゃなく、もっと根幹的に、個人依存の傲慢な部分。たとえば、そうだ。そもそもその人にとって、勝利がどの程度の価値を持っているのか、とか。どうしようもなく無意味で無関係なとこを指してこれぞ我が勝利! だなどと謳うやつもいないだろうが、しかし必ずしも、勝利がイコールの己が最大値になるわけでもない。いや、うん。だからどうしたってなるんだけれど。うう、なんだ、こんがらがってきたぞ……でも。

 でも、だ。

 始めから負けることが確定している存在がいるのなら。

 そいつが歩む過程というやつは。

 なにをしても。なにをやっても。

 なにもせずとも。なにもしなくても。

 

 本当になんの意味のない、無価値なものになってしまうんじゃないだろうか。

 

 己の選択に意味などなく、無形の未来だなどとは妄言につき。成功を約束されたレールの脱線は確実で、生まれが墓場までをエスコートする。どのような交友でもゲームのNPCに同じく、あらゆる危機は鋭い鈍器のように痛みの過程をすっ飛ばして撲殺に至る。

 勝利を剥奪された人間。

 それはなんとも、機械みたいで、生きてはいない。

 ……なお、ここまで、根拠なし。

 結局はただの推論だし、というか俺は勝敗とは無関係だし。そもそもとうに議題を定義した本人も、対象となり得る輩もわからない。

 うん。だったら、なんだ。

 結論して。

 

 織斑一夏は、大分無能な存在だ。

 

 なんて一本道の思考にぼやぼや時間を費やして、思い出したかのように腕時計を覗く。

 いやほら、本懐は受験だ。それこそこんな貧困とは幾分無縁で日々の食料に困り辛い日本の中高生にしかできないような青春の浪費思考は、今日にかぎってははなはだ不要。第一もとより俺には無意味。……とは思いつつも少なくない時間をかけるあたり、やっぱりあんまり頭よくないんだろうな、俺は。それが高校受験の致命傷にならないことを願いたい。

 ともあれ。

 とりあえずと袖をついっと巻くって、腕時計を確認する。

 

 試験開始まで、あと一五分。

 

(な、ぉおおおお?!)

 

 なんでだ! どういうことだよ!? かなり余裕を持って来たのになんてザマだ! 楽しい時間ほど早く過ぎるってのは本当なんだな。──っと、納得してる場合じゃない、早く会場を見つけないと!

 俺は焦りに駆られて走り出す。

 走って走って走って、そういえば待てよ。会場ってどの部屋だ?

 ずらりと廊下に並ぶ幾多のドア。おそらくどれかが正解なんだろうけど、ああもう洒落臭い。片っ端から開けてけばその内正解だろ。

 決心胸にまず一枚目。失礼しますと内心で一礼。勢いまかせにドアを開いて踏み()った。

 

「……誰も、いないのか」

 

 足の踏み入った先。なにもない部屋だった。

 勢い従順に勇んだ手前、これは少々拍子抜け。そのせいか、時間に余裕がないのについついその部屋に意識を広げてしまう。

 広さは十分というほどあるが、机や椅子はおろか、インテリア、窓のようなものもない。加えなかは薄暗く、照明も部屋中央にぽつんと一つ。

 その真下に、それがあった。

 

「こいつは」

 

 この部屋唯一の光源に照らされ続けるそれ。

 騎士の鎧。それが第一印象。

 鈍く照明を反射する脚甲、胸に重ねるように曲げられた手甲、翼を思わせる重装甲──まるで跪いた騎士のような甲冑が、孤独な照明下で黙していた。よく見れば細部が甲冑とはまったく別のものであることや、近代的すぎることに気付くだろうけど……俺には騎士のそれに見えた。

 さながら、主を待つ騎士のような──。

 

 ──なに言ってる。これは鎧じゃない、『IS』だ。

 

 正式名称『Infinite Stratos(インフィニット・ストラトス)』。直訳で『無限の成層圏』。宇宙空間での活動を目的とし、想定し、構成されたパワード・スーツだ。現在、こいつの存在を知らないやつはまずいまい。

 なにせ登場するや否や、既存の兵器を鉄クズ同然に破壊したのだ。宇宙進出とはまさに名ばかりだったと言っていい。ゆえにISの宇宙進出は、現在全プロジェクトが凍結状態。兵器としての開発が始まる。しかし兵器としても、あまりにも強力すぎるため、今はもっぱら『スポーツ』として活躍している……無論、そういう建前であるが。ちなみに空を飛べるしビームも撃てたりする、子供の夢の体現機──っていうのは俺の持論。

 しかし、それほどのスペックを持ったISだが、唯一の欠点が、未完成である部分がある。

 

(男には乗れないんだよな)

 

 そう、ISは男性に反応しない。

 逆にいえば、女にしか使えないし、仕えない。

 なぜ女性だけ、と訊かれても困る。ISとはそういうものなのだ。

 

 

 

 ────空は、狭いな。

 

 

 

 唐突に、アイツの言葉がよみがえる。

 空、か。

 有限に広がる大気層。インフィニット・ストラトス、有限を()る、成層圏の甲冑──それはまるで、なにかの皮肉のようだ。

 だけども、思う。

 

「俺も、飛べたらいいのに」

 

 空。無限でも有限でもいい。それでも広がり、そこに確かに存在する空へと。

 俺は.

 至ってみたいと。

 超えていきたいと。

 羨望のため息で、うずくまるISに手を置いた。

 

 

 

 その日その時その瞬間()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 ようはそこでISを動かしてしまったんだ、俺は。

 受験会場でたまたま迷子になり、偶然部屋を間違え、奇跡的にISを起動させてしまったために、俺は今、IS学園(ココ)にいる。

 はぁ、とため息。

 ISは女にしか使えない。それの操縦者を育てる学校……おわかりだろうか? つまりだ。

 

 この学校には俺しか男子がいないんだよ!

 

 喫驚し天を仰ぐ、とは少し大仰で、事前に聞かされてたことだから今さら驚かないけどさ。やっぱね? 聞くのと体験するのとでは違うわけなんだ。それはもう、雲泥というか、天地というか、言葉にできないくらいに大きな差があったんだよ。

 なにせ男子が一人だけである。言わずもがな、視線がすごい。人間は他人の視線に敏感だったりするとかいうけど、これはどんなニブチンでも気づかずにはいられないだろうて。授業が頭に入ってこないよ。

 ああちなみ、今は一時間目と二時間目の間の休み時間だ。箒に呼ばれて屋上で一息って感じ。

 それに加えて先生も……これは教室に行けばいやでもわかるから割愛ってことで。はぁ。

 

「ため息が多いぞ。日本男児ならば、もっとしゃんとしたらどうだ?」

 

 と、全国屈指の剣道猛者(全国大会優勝)が宣っておりますが、少しぐらい休ませてくれたっていいじゃないか。授業中はずっと背筋をまっすぐ真面目にしてただろ。そりゃあさすがにお前と比べられたらぐうの音も出ないけど。さすがサムライガール。姿勢よすぎだよ。

 というかそうだ、一応呼び出したのは箒だよな。

 

「なぁ箒。こうやって屋上に来たわけだけど、用って挨拶だけか?」

 

 教室の雰囲気を見かねて連れ出してくれたんだろうけど、そもそも俺達の再開は六年ぶり。積もる話もありましょうて。

 

「ん。まぁ気分転換に誘ったということもあるが、そうだな。一つだけ。一つだけ訊いておきたいことがある」

 

 「大したことではないのだがな」と、なにやらもったいぶるように言っては視線を切る箒。なんだろう。久しぶりに会っていえることじゃないかもしれないけど、その態度に変な違和感を感じた。そんなに訊くのが躊躇われる内容なんだろうか?

 箒は俯きがちだった視線を俺へと戻し、ひと呼吸置いてから口を開いた。

 

 

 

 

 

()ろ────」

 

 

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 箒が言葉を口にした途端、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。話そうとしていた箒も、いきなりのチャイムに思わず口を閉ざす。

 くろ……黒? クロがどうした、猫か?

 

「くろが、どうしたって?」

「……いや。なんでもないさ、なんでも」

 

 顔を背けるように、それ以上なにも言わない箒。その顔はどこかホッとしたような、そしてなにか悲しそうな色を帯びて──見えた。

 気になるけど、授業が優先か。

 

「ん、そうか。なら教室戻ろうぜ。これ以上、千冬姉に叩かれたくないしな」

「……そうだな」

「あ、あと」

「?」

 

 俺は屋上の出入口に向かいながら振り返り気味に言った。

 

「改めて、久しぶり、箒。六年ぶりだけど、すぐにお前だって判ったぞ」

「それは私もだ」

 

 ニカッと笑って言ってやれば、箒も微笑むように返してくれた。

 

 

 ◆

 

 

 IS学園は入学式当日から授業がある。コマ限界まで使ってISの教育をするためだ。それだけインフィニット・ストラトスに必要な知識・技術量が並外れているということだろう。

 ちなみこのIS学園、女子校ってわけじゃなかったりする。あくまでISの操縦者を育てるための学校であって、別に女子しか入学できないわけではない……なんていうが、俺以外が全員女子、というのもまた事実。このことは学校全体に(とど)まらず、全世界が知っている。『世界で唯一ISを使える男』だぜ? ニュースで報道されまくったよ。

 

「あれが噂の男の子?」

「うっそ、イケメンじゃん!?」

「おまけに千冬様の弟!」

「マジで?!」

「ああ、同じクラスの人が羨ましい!」

 

 早いもので、すでに次の休み時間。

 女三人寄れば姦しい、とはよくいったもの。この時間もこの時間とて、教室の外に溢れかえる女子、女子、女子の群れ。他のクラスの一年生から三年生まで、まるで死肉群がるハイエナのようにクラス前でたむろしていた。そりゃもう品定めというか、眼がキラキラギラギラしてる。そんでもってその視線が俺に突き刺さる。一息()く暇などどこにあるのか。

 そういえば我が友、五反田弾が『おいおいハーレムじゃん。代われよ馬鹿野郎』とか羨ましがってたな。お前には『隣の柿は美味しそう』という言葉を送ってやりたい。

 

「少々、お時間をよろしいかしら?」

「……ん、なにかな?」

 

 急に、というほどいきなりじゃないけどかけられた言葉。

 なぜかいやな気配を受信したので、俺はなるたけ柔らかい口調を意識して、その声に答えた。

 相手は外人の女の子、地毛であるだろう金髪が眩しい。ヨーロッパの生まれなのだろうか、白人特有の綺麗なブルーの瞳と、これまた綺麗な肌。わずかにカールがかかった髪──これも髪質だろう、それが肩を越え腰辺りまで伸びている。それは派手さを感じさせるものではなく高い気品に満ちて。身長は箒より低いか。しかし一番に語るべきは、ぶっちゃければすごい美人です。

 IS学園は条件さえクリアすれば入学自由。そのため外国人は珍しくはない。外国人だけを集めれば全生徒の三割ぐらいにはなるんじゃないか?

 

「改めて初めまして。わたくしはセシリア・オルコット、イギリスの代表候補生ですわ」

「候補生? 君ってすごいんだな、っと失礼。俺は織斑一夏だ。よろしく」

 

 代表候補生。それは、ISの国家代表の候補生だ。なんだかんだ、一応ISはスポーツだ。ともなれば世界大会があったりする。それの、代表の、候補生。

 俺は素直に感心。そして握手でもしようかと手を伸ばす。初対面、外国人、友好の証として握手を求めるのは、国は違えど同じだよね?

 そうして手を差し出す、が、オルコットはそれをちらりと見やって……見ただけだった。

 ……そーかい。お前は()()()()()()()()

 

「──それで、オルコットさんは、俺になんのようなんだい?」

 

 不快な内心をお首にもださず、改めてオルコットに問いを投げる。

 伸ばした手は、引っ込めた。

 

「いえ……世界唯一のISを動かせる男、という方がどのような人かと、見定めに来ただけですわ」

「見定め、ね」

 

 どこまでも上から目線の口調。まるで自分は特別だとでも思っているかのような、自身が中心だとでも言いたげな態度……みなまで言わなくてもわかると思うが、俺はこの手の女の子、牽いては相手が苦手だ。そりゃあ好きなやつのほうが少ないかもしれないけど。

 ISの弊害である事柄の一つに、女尊男卑への偏向、というものがある。

 なにせすべての兵器をはるかと凌駕するIS。しかもそれが女性にしかあつかえないとなれば、なるほど。お国としてもパイロット獲得のために優遇したりするかもしれない。

 そういった理屈はわかる。そうした事態を引き起こしてしまうくらいにISが桁外れというのは事実であるのだから、しかたない。

 けれど、でも、なぁ。

 君達は、女性が矢面に立たなければいけない現状に納得しているのか──?

 

「──それで、俺の評価はどのくらいなのかな?」

「そうですわね。可もなく不可もなく不合格ですわ」

 

 え、なんだそれ。

 俺、わりかし真面目にしてたと思うけど。

 

「悪いね、オルコットさん。君のお眼鏡にかなわない男でさ」

「……そのわりには、まったく気にしてなさそうですけれど」

「そんなことはないよ」

 

 そんなことあったりする。

 不合格? なんだそれは。どうして俺が()()()()()()()()どうこう言われなきゃならない。他人の評価は気にしない? それ以前の問題だ。そもそもお前の意見なんて聞いちゃいない。俺は俺を恥ちゃいない。

 恥じたくないから、がんばってる。

 

「それでしたら、ええ。わたくしが色々と教えて差し上げないこともありませんわ──泣いて頼まれれば、ですけど」

 

 なんだろう。この娘、俺に喧嘩でも売ってるのか?

 しかし残念、織斑一夏は売られた喧嘩をホイホイと買うほど才気煥発でもアクティブ全開でも血の気が多いわけでもない。

 だからそういう言葉は気にしないにかぎる。逐一相手にしていたらキリがない。決してびびってるわけじゃない。

 

「ありがとう、オルコットさん。でも大丈夫、自分のことぐらい自分でするさ。気持ちだけいただいておくよ」

「そう。でしたら精々精進なさって。では、失礼」

 

 すらっと制服のスカートをひるがえし、淑女然とした体面で背を向けるオルコットさん。しかしその背中からは、あふれ出んばかりの自信が透けて見えた。尊大な態度。言いたいことはいったのか、満足そうに、それこそ堂々と自分の席に戻っていく。

 少し訂正するよ。そう尊大に言うだけはあるのかもしれない。その言葉を嘘にしない程度には、どうして君は走っている。

 なんとも上から目線で申しわけないけど、そう思った。

 

 

 ◆

 

 

「それでは諸君、この時間は実戦で使用する各種装備・武装の特性について説明する。実戦に関することなので私、織斑が教鞭を執る」

 

 三時間目。

 凛とした声で授業説明を行う一人の女性。

 黒いスーツ、同じ色のタイトスカート。スラリと無駄のない長身。よく鍛えられ、なおかつ筋肉質でないことが分かる曲線美。野狼のごとき鋭いつり目は、きりっとした口元と相まって一層冷たく。組んだ腕は彼女のトレードマーク。いや、狼なんて形容では物足りない。いうなればそれは獅子。たてがみを持ったメスのライオンだ。

 彼女、織斑千冬。我が実姉がそこにいた。

 そう、千冬姉はこの学校の先生で、オマケに俺のクラスの担任なのだ。さっき先生がどうたらいったろ? こういうこと。だって自分の肉親が先生勤めてる学校って、なんというか、アレだろう。それは口をにごしたくもなるさ。

 

「早速授業、の前に。来月行われる『クラス対抗戦』に出場する代表者を、この時間中に決めようと思う」

 

 授業より優先することがあるそうだ。ところでクラス対抗戦ってなんだろう。

 

「クラス代表者は言葉の通り、このクラスの代表だ。(ゆえ)、この対抗戦だけでなく生徒会の会議にも参加してもらう、平たく言えば学級委員長だな。

 そしてクラス対抗戦だが、これは入学時点での各クラスの実力を測るためのものだ。競争は向上心を、抗争は団結力を生む。この代表者は一年間変わらない。諸君等には是非とも心して(のぞ)んでもらいたい」

 

 ようするにクラスの委員長決めるってんだろ? とりあえず俺はごめんだ。俺の後ろの岸原さんとかどうだろう? 眼鏡かけてて委員長っぽい。ぽいというのは勝手な想像だが、正直俺はやりたくない。

 そんな暇、ないと思うから。

 

「自薦他薦は問わんぞ。誰か、立候補する者はいないか?」

「はいっ!」

 

 ズビシッ! と起立と同時に真っ直ぐに挙手する女の子。おお、やる気あるな。

 

「織斑君を推薦しますっ!」

「え?」

「私もそれがいいと思います!」

「はい?!」

 

 私も私も、と次々に口にするクラスメイト達。あれよあれよという()にクラス一丸となって俺を薦める。なんだお前ら、俺に恨みでもあるのか!? おい箒、笑ってないで助けてくれ!

 

「他には居ないのか? 居なければ、このまま無投票当選になるが──」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ織斑先生! 俺はそんなんなりたくな、」

「口を慎め織斑。自他薦問わないと私は言った、つまりその段階で拒否権なんて無い訳だ。ならば選ばれた以上、期待を背負って立つ位の気概を見せてみろ。

 尤も、己以上に職務を全う出来る輩に心当たりが有るのならば別だがな」

 

 それはもっともな言いようだが、実際なんていう理不尽だ。それじゃあこれ、俺に断りようがないじゃないか! 素晴らしくアンフェア。不平等ここに極まれり、とは口が裂けても言えないが。

 しかしやはり、そんな代表者はごめん被りたい。ならば逃れる(すべ)は、とうの千冬姉が示唆してくれた。

 

「だったら──俺は、セシリア・オルコットさんを推薦します」

 

 おお、と俺の言葉にクラスから感心の声が聞こえる。

 

「ほう。して織斑、その理由は?」

 

 やはり急場凌ぎに聞こえたのか、すかさず理由を求める千冬姉。

 ……俺が推薦されたときはなにも訊かなかったんだけどな。だが、もちろん口まかせの理由じゃない。

 

「理由は単純、彼女が代表候補生だからです。ISに関して素人の俺なんかより、よっぽど適任かと。いえ、どころか彼女こそ相応しいというのが俺の意見です」

「ふふ、一理だな。ではオルコット、お前はどうだ?」

「もちろんのこと、異論なんてあるはずありません。……わたくしを一番に推薦したのが男性というのは若干気に入りませんが、いいでしょう。わたくし、セシリア・オルコットが代表を務めさせていただきます」

 

 凜と宣言するはオルコットさん。自信満々、立ち上がって千冬姉に目を合わせる──途中俺をさも見下すようにしてから──と、あたかも当然とばかりの自信の笑み。……ほんっと、お前、男を見下してるよな。『IS世代女子』のまさに典型例。男にトラウマでもあるのか?

 そうしてなんとかクラス代表を免れた、と思ったら、オルコットさんはまだまだ言葉を()いだ。

 

「自ら語るのも馬鹿らしいですが、実力で考えればわたくしがクラス代表になるのは当然の結論。候補生をかさに着るつもりなんて毛頭ございません。ですが、それに見合う力があるとは自負しています」

 

 それは自信に満ち満ちた声だったか、言葉だったか。

 今までの己を誇っているからこそこうも胸を張れるのだと、力強い言の葉は誇張のない真実そのもの。女性優位に傾きつつある社会、しかしてこうも強い女性がいるだろうか。それほどに堂々、どこまでも悠々。

 しかし、口調に険が混ざる。

 

「……ですのにその代表を、世界唯一という肩書きがあるからといって、蒙昧無垢な男性の一人に任せるなどと、正直呆れを隠せません。いくら織斑先生の実弟なれど、こればかりは覆せないはず。

 端的に、男は馬鹿です。

 とはいえ、織斑さん。あなた、男のくせになかなかわかっているではありませんこと? 褒めて差し上げますわ」

 

 ある種の真剣味と一部の愉悦を帯させて自分の胸の内を吐露するオルコットさん。どうにも俺が、『男である自分の情けなさを憂いて代表を辞退した』と思ったらしい。……なんて誇大解釈。ここまでくると、いっそ清々しく感じるよ。感じるけどよ。

 

「世界唯一の男性操縦者、それがあなたのような方で光栄に思いますわ。いくら愚かしい男性なれど、領分くらいは弁えていだだきませんと。本当、ほかの男性があなたのように聞き分けがよければいいですのに──」

「なぁおい()()()()

 

 だけどさ。俺がお前に媚びているなど、誰が言った?

 

「……聞き間違え、かしら。今しがた、どこぞの阿呆がわたくしを呼び捨てた気がしたのですけれど」

「そーかい、悪かった。ならオルコットさん。一つ、言わせてくれ」

 

 不審げな目を向けるオルコット。その目には歓喜から一転、再び侮蔑の色がありありと。

 クラスメイト達ははてな顔。頭の上に『?』を浮かべるたらすごい似合う。彼女達にもわからないんだろう。

 が、それがどうした。わかってもらうために言うんじゃない。納得してもらうためでもない。

 

「俺を馬鹿にするのはいい。無知だと罵るのもいい。俺を馬鹿にすることに関してはなにも言わねぇし、言えねぇよ。だけどさ」

 

 オルコットの双眸から視線を外さず、言い放つ。

 

 

 

「俺以外も一緒に、馬鹿にしてるんじゃねぇよ」

 

 

 

 静かに、しかし強く。俺は自分の思いを言葉に変えた。

 俺は馬鹿にされたってしかたない。無知なのは本当だし、技術がないのも事実だ。それこそ黄色い猿なんて揶揄されるのがお似合いなんだろうさ。けど、それは俺だけの話だ。俺以外を批難する理由にはならない。俺だけをとり上げてすべての男は愚かである、とは、言えないよ。

 男がすごい女は愚か、なんて別に優劣がどうのと、白黒つけたいわけじゃない。男の沽券だなどとはばかりもしないさ。でも、お前の論点がおかしいのは事実で。道理が通らないのが現実で。すべての男性が愚かだなんて……少なくとも、今この場においては理屈が通らないよ、オルコット。

 

「……なにを言うかと思えばそんなこと、ですか。これだから男性は気に入りませんわ。ええ、ええ、多少なりともわたくしの言葉があなたのなけなしのプライドを傷付けてしまったようですし、よろしいでしょう。それでしたら──」

 

 呆れたような瞳が、キッと攻撃的に変わる。そうして胸を張った毅然とした態度で。

 

 

 

「────決闘、ですわ」

 

 

 

 手元に手袋がないのがもどかしい。あったら遠慮なく躊躇いなく投げつけてたよ。

 つまりもちろん、答えなんて決まってる。

 

「いいぜ、乗った」

「威勢のよろしいことで。まさに典型的ですわね」

「そうかい。その威勢通り、全霊でやってやるから期待しろよ」

「ふん。……ああそう、ところであなた、ハンデはどうなさるの?」

「なんだ、ハンデつけて欲しいのか? 随分弱気じゃないか」

「あらやだ、あなたにハンデが必要か訊いてるのですわ」

 

 安い挑発だよ。お前は人を煽ることでも生きがいにしているのか?

 しかし残念、その程度の煽りと発破、俺には全然かすりもしない。

 ──おあいにくと、他人をおちょくることに関しては天才的なやつを知ってるんだ。

 

「いらないよハンデなんて。そんなもの真剣勝負に必要ないだろ」

「よろしい、ですが勝負になると思ってるのかしら。あとで懇願しても知りませんわよ?」

「オーケー。そっちこそ」

 

 ハンデをともなう勝負を、俺は真剣勝負だとは思えない。確かに両者真剣に、かつ了承のもとであるならばありかもしれない。真剣であるのだから、第三者がとやかくいうことじゃないだろう。

 けれど、今回は違う。

 わざわざハンデもらって俺が勝ったとしてもコイツは堪えないだろう。それじゃ意味がない。

 

「ではわたくしが勝ったら、まぁそれが必然でしょうが、そうしたらわたくしがクラス代表。そしてあなたは三年間、わたくしの──奴隷になってもらいますわ」

 

 うんそうだな、って奴隷!? なんで? なんでそんなことになってるんだ!? 英国では負けたやつを奴隷にするのが流行ってるのか? ……まぁいいよ。()くはないけど()いよ。そのくらいリスクがなきゃ決闘とは呼べない。『決』する『闘』い、ゆえに決闘。命とまではいかないまでも、プライドぐらいは釣り合いに出さないと失礼というものだ。つまるところで、賭け試合ってことだろう?

 ──だから、お前にも相当のものを賭けてもらうぞ。

 

「それじゃあ俺が勝ったら──君に()()()()()()。俺じゃなくて、()()()鹿()()()()()()()、だ」

「、……よいでしょう」

 

 一瞬言葉に詰まったセシリア。しかしすぐにその条件を呑み、改めて目をつり上げる。

 思った通りだ。お前、今まで一度だってまともに謝ったことないだろ?

 そういうやつは気に食わない。納得も得心もないくせに、意味のない正解を確信しているやつは認められない。

 

「「…………ッ!」」

 

 バチバチと、視線で火花を散らす俺とセシリア。その(あいだ)にはさまれた女生徒がオロオロしているのがなんともかわいそうだ。

 

「──さて、話は決まったな。それではこの勝負、今日から一週間後の月曜日の放課後に行う。場所は第三アリーナ。織斑とオルコットは各自準備をしておくように。

 この話はここまでだ、授業を始める」

 

 頃合いか、それまで黙していた千冬姉が口を開き、鋭い口調で話をまとめ上げた。ほとんど口論に近い話し合いだったのに千冬姉は口を一切はさまなかったが……もしかしてはなからこれが目的だったのか? いや確かに実の弟が小馬鹿にされてるのをにやけながら眺めてる姉の心境なんぞ、俺ごとき若輩にはわからないけどさ。

 『抗争は団結力を生む』。俺とセシリアに絆が芽生えるかはわからないけど、やるからには全力だ。

 

 

 俺は、負けない。




年代が二〇二一年になってるけど、これはアニメから。友人が発見してくれました。
アニメ一話のモンドグロッソ回想シーン。
そこで千冬姉が持ってた金メダルの表面に『2016』ってあったんだ。
で、逆算したら織斑君の入学年が二〇二一年と発覚したんです。
よかったら確認してみてください。

2013_12/14
一話タイトルを【織斑一夏】→【IS学園】に変更。


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第二話【自己完結型青少年】

 ES_002_自己完結型青少年

 

 

 

 入学式放課後。俺は山田真耶先生(うちのクラスの副担任。すごい優しそう)から渡された鍵と書誌を片手に、帰路をゆっくりのったり歩いていた。

 鍵。学生寮の鍵。

 なにを隠そうこのIS学園、全寮制なのである。

 よし、女の(その)に突入だ! なんて、空元気でもいいから無理矢理に気合いなりなんなりを入れないと体がもたない。放課後だぜ? 授業という頚木から解放された女子生徒諸君が、もう遠慮なしに視線を向けてくる。授業合間の休み時間などまさに序の口。その上で女子しかいない学生寮に行こうってんだ。足がすごく重い。

 そうしてる内に寮に到着。というか寮っていうよりどっかのホテルみたいだ。しかもお高いとこの。

 俺は鍵と一緒に渡された冊子を開き、掲載された地図を見る。

 

「ここが入り口、トイレ、階段、大浴場。ああ、大浴場使いたい……」

 

 俺は大浴場が使えないらしい。いや使えない。なぜか?

 何度もいうけど女の子しかいないんだ。男性用の大浴場があるはずないじゃん。

 織斑一夏は風呂が大好きだったりする。大好きだったりします。大好きなんです。

 

(月イチでいいから使わせてくれないかなぁ)

 

 とかため息ついてる()に部屋の前。1025室。ここが俺の部屋らしい。

 にしても本当にかっこいいな、この寮。道中いたるところから高級感が漂ってきたよ。快適そうだ。

 しかし真に快適かどうかは部屋で、すなわち私室で決まる、と思う。就寝起床に一日が左右される人もいるのだ。それを支える私室が粗雑ならば、ほかがよくても台無しになる。

 いざ()かん。俺は持っていた鍵を差し込み、錠を開け──おや、開いてるぞ。初日だからか?

 まぁいいか。変に頓着しないで部屋に踏み込んだ。

 

「お……おおおお」

 

 一言でいうならすごく綺麗。部屋の中はビジネスホテルもかくやといった風に、それはもう清潔感あふれるものだった。さすが国立。

 という当たり前の感想は荷物とともに壁の隅においやって──俺はベッドに飛び込んだ!

 ぼふん! と急な圧力に布団が空気を吐き出す。

 織斑一夏はホテルとかのベッドに飛び込むタイプの人間だ。まぁでもベッドに飛び込んだり新品のシーツをいじくったりするのって、ホテルや旅館の通過儀礼だよな? ちなみ前面からダイブしてモフモフを堪能中。ああ、このまま寝てしまいた、

 

「おい、誰かいるのか?」

 

 と、俺がお高い布団を堪能していると、部屋の入り口あたりから声が聞こえた。ドア越しなんだろう、響くような、阻まれているようなくもりがある声だ。部屋の外から? 違う、入り口はいってすぐ隣りのドアからだ。たぶんシャワー室からだろう。全室シャワー完備なんだって。すげぇ……ん?

 

「もしかして同室になった者か? うむ、これからよろしく頼むぞ」

 

 なんでシャワー室から声が聞こえるんだ? 確かにこの学生寮、二人一組で部屋を使うとはしっているが、それはあくまで女子同士、同姓同士の話だろう。そして俺は男、なら必然的に個室が割り当てられるはずで……?

 そう疑問に思うのもつかの()。その後の俺の行動は速やかだった。

 脚を一本ずつテキパキと折って腰を落とす。足の親指は重ねるように。手は太もも。そのままももをレールのようにして手を前に出せば、自然と頭は下がる。

 

「こんな格好で悪いな。私は篠ノ之箒だ」

 

 俺はタオル姿の幼馴染を土下座の格好で出迎えた。 

 

 

 ◆

 

 

「もういいぞ、一夏。着替え終わった」

「……おう」

 

 そうして五分ほどお時間をいただいてから頭を上げると、そこには制服姿の箒がいた。

 どうにもこいつが俺と同室らしい。どういうことだIS学園。どうして一五歳の男女が就寝をともにしなくちゃいけないんだよ。そりゃ中学時代は仲のいい友達、女子も交えた複数人でお泊り会(開催地は俺の家)なんてこともやってたから、抵抗が少ないといえば少ない。でも一対一ってのは、な? ちなみお泊り会の時は大抵リビングで雑魚寝だった。不健全? それは俺の中学の友達を見てから言っていただきたい。あの面子ではどうにもこうにもなりはしないさ。だけど紹介はまた今度。そんなことよりこの状況についてどうにかしませんと。

 視線の先には腕を組んだ箒さん。

 

「それにしても出会い(がしら)に土下座とは、お前も随分と安くなったものだな。まるで()()()()()()()()()()?」

「……とはいいますけどね? 実際問題、あれが一番穏便に収まる方法ですって」

 

 思わず敬語になってしまったが、ともあれ土下座して正解だった。

 謝るという思いは伝わるし、なによりシャワー上がり直後の箒を見なくて済む。もしポケーっとつっ立っていたらいったいどんな仕打ちが待っていたのだろうか。

 男が頭を下げるなんてみっともない? オルコットに啖呵を切っておいて矛盾してる? それは違う。プライドってのは傲慢を貫くことじゃない、自分の在り方のことをいうんだ。つまり非を受け入れるというのもまた誇り。でもって今回は俺が悪いわけだから、誠心誠意頭を下げるわけです。

 というか、なんだかんだ、箒もオルコットが気に食わないんだな。頭を下げない『安さ』と頭を下げる『安さ』……皮肉たっぷりだ。

 

「まぁとにかく、私は怒っていない。だからそうびくびくするな。不可抗力だろ? 悪気がないのくらい私にだってわかるさ」

 

 ポーカーフェイス失敗。内心でびくびくと震えていたのがバレた。

 そりゃ覗きまがいをしたあとですから、怒ってないかビビったりもするよ。

 

「それでも、もう一回言っておくよ。ごめん、箒」

「うむ。許す」

 

 同室が箒で本っ当によかった。六年って人をこんなにも変えるもんなんだな。

 これが見ず知らずの他人だったら……恐ろしい。

 

 俺はなんとも思わないとはいえ、恐ろしい。

 

「そんなことよりも、だ」

 

 おい箒。仮にも嫁入り前の娘が自分の裸見られそうになっておいて『そんなこと』で済ませていいのか? 花も恥じらうはずの一〇代女子。男らしすぎるよ。俺がいえた義理じゃないけどさ。

 

「一夏、お前が私と同室なのは間違いないのか?」

「ん、ああ。どうにもそうっぽい。千冬姉に確認とったから間違いないよ」

 

 なんでも部屋が確保できなかったから無理やりこうなったんだって。お相手が箒なのは責めてもの配慮。知り合いの方がまだやりようがあるだろう、ってことらしい。土下座しながら携帯で千冬姉に確認とるさまはさぞ滑稽だったろう。

 

「ふむ。まぁそうとあっては致し方あるまい。これからよろしく頼むぞ」

「おう。こちらこそ」

 

 

 ◆

 

 

「…………」

「……一夏、嬉しいのはわかる。しかし()(たび)の料理は食べるためにあるわけで、決して鑑賞するためのものではないぞ?」

 

 翌日、朝ごはん。一年生寮の食堂。テーブルには同室の箒さんと俺との二名。食堂内は一年生でいっぱい、朝から喧騒に包まれつつある。

 そんななか、俺は無言で目の前にある朝食を凝視していた。

 なぜ? だってさ、

 

「朝飯を作らなくていいなんて久々だ……!」

 

 つまり感激のあまり声が出なかったんだ。

 織斑家は俺と千冬姉との二人暮らし。で、千冬姉は働いている。ともなれば当然、俺が家事の担当になるわけで、俺は小学校の頃から炊事洗濯とやってきていた。主夫歴はすでに七年を数えるぜ。ハンドクリームは必需品だよ。

 しかし今、俺の目の前にあるのはなんだ? 朝ごはんだ! 朝起きて飯が用意されてるのって……これが、感動せずにいられようか。

 

「何を大げさな。料理くらい、私にだって作れるぞ?」

「聞き捨てならんな、箒。お前は家事の大変さを知らんのか?」

「そうは言わんが……」

 

 家事を軽視している男性(今は女性も多いだろうけど)諸君、君達が毎日食べている朝ごはんは、並々ならぬ誰かの苦労の上で提供されていることを忘れないでほしい。

 しかしともあれ、いつまでも眺めてるわけにはいかないので。

 

「いただきます」

 

 食事に一礼、感謝の意。よく味わっていただくことにうぉっこの鮭うめぇ!

 ちなみ今日のメニューは白飯、味噌汁、納豆、鮭の塩焼き、漬物。まさしく日本の朝食のテンプレうぉっ味噌汁が体に染みる!

 すばらしい。すばらしいよIS学園。快哉を叫びたいくらいだ。

 

「……一夏、朝食くらい静かに取れ。はしゃぎ過ぎだぞ」

 

 朝ごはんを無駄に高いテンションでいただいていると、案の定、相向かいの幼馴染みにやんわり咎められた。いやね? 俺だって自分のテンションがおかしいことくらい気づいてますよ。だけど学生寮って初めてじゃん? なんかこう、林間学校とかで泊まったときに感覚が似てるんだよ。中学で部活はやってなかったが、合宿とかってこんな雰囲気だと思う。そういう時ってこう、わくわくして止まらなくなるじゃん。そんなタイミングで完璧ともいうべき朝ごはんさんの登場です。いやでも心が踊りだすよ。

 とはいえさすがにはしゃぎすぎた。もう少しゆっくりと味わおう。うむ、漬物うまし。

 

「それはそうと一夏。お前、オルコットはどうするつもりだ?」

「どうするもこうするも、やれることやってから臨むよ」

 

 オルコット──セシリア・オルコット。

 どこまでも、それはもう純粋に男性という存在を格下としている少女。

 女尊男卑であるこの時代、アイツのように自分を特別視する輩がいても、それはなんら不思議ではない。不思議に思わせない程度の世の中で、そういう考えを許容してしまうような社会情勢。得心するやしないを二の次に、この一〇年でそういう様相を呈し始めた。──もちろん、全部の女性がそういう考えではないということも、ここに強くいっておきたい。けれど、オルコットがそうでないのも事実で。

 いや、彼女の場合は候補生っていうちゃんとした肩書きがあるから、なおのこと拍車がかかってるんだろう。少なくとも、候補生というのは才能だけではなれないことも、ましてやコネなんぞでは絶対に至れないステージであるのは俺だって理解している。才能があって、努力して、それでもなおと諦めなかった者が掴むことができる、候補生。

 ゆえ、そんな奴が自分を誇示するように威張るのは、まぁ理解はできる。それだけ自分に自信を持っているってことで、自分が積み重ねた過去を信じているってことで。候補生ってのはそういうものだ。誇大でも勘違いでもない、真実『特別』な存在だ。だからまぁ、ことさらムカつくわけなんだが。

 そんな相手だ。手を抜いて臨むなどあってはならない。許されることじゃない。

 

「やれること、か」

 

 一方箒は、鮭の小骨を()けながらなにやら考え込むように呟いていた。そして身を一口いただいてから、決心したようにこちらを見る。

 

「ふむ、いいだろう。私も協力してやる」

「本当か?」

「ああ。私もお前と()()()だからな……それに、どうせお前、ISについては教科書以上のことを知らんのだろう?」

「……悪かったな」

 

 いくらISに乗れるといっても、それが発覚したのだってわずか二ヶ月前。それまではそこらの男性諸君と同じ立場だったんだ。付随する知識が乏しいのは目を瞑ってほしい。一応、入学前に配布された必読の参考書は読み込んでいるが……やっぱりそれも知識の上での話。こと実技となると、なぁ?

 

「というか箒。そういうお前こそISに詳しいのかよ?」

「無論、そこらの小娘如きなどよりは心得ていると自負している。敵を知らんと、倒せんからな」

「……敵、ねぇ」

 

 その『敵』とやらがいったいなにを指して言っているのかは訊かないが、言葉だけを聞いてみればそれはなんとも心強い。凜乎とした口調、堂と迷いのない態度。これは頼りになる……なりすぎて、薄ら寒いくらいだ。

 

「オーケー。そこまで言うんだったらその厚意、甘えさせてもらうよ」

「承知した。お前に惨めな(さま)を晒させぬよう、砕身の思いで務めさせていただく」

 

 そうしてともに、残りの味噌汁を飲み干した。

 

 

 ◆

 

 

 学校。四時限目。授業内容、『ISに関する条約・規定・規約について』。

 事前の参考書にも記されていた内容なので理解できないってほどではないが、そもそもそれ以前に、単純に面倒臭い授業だ。

 条約。この世で最もといっても過言ではないくらいに堅っ苦しい語群で記されるルール。見てるだけで頭が痛くなるようだ。教員が山田先生だったのは責めてもの救いだろう。新任らしいけど、授業がすごくわかりやすいんだ。それと千冬姉も教室にいて、山田先生の説明を補足したりしている。

 ふむ。こうして見るとちゃんと教師してる。(うち)ではけっこうだらしないんだけどな。

 

「──そして教科書にもありますが、というよりそれ以前に周知の事実でもありますけど、現在存在するISは全部で『一一〇〇機』。これより数が増えることはありません。何故なら、ISの中心である『コア』の作成技術が一切開示されておらず──」

 

 『コア』。

 それはISの基礎となる心臓部。こいつがないとISは作れない。IS特有の慣性制御も、量子変換も、シールドバリアーもこれがあってこそだ。

 しかしそんなコアも、世界にたった一一〇〇個しかない。ゆえにそれから作られる専用IS、いわゆる専用機を持つ人達──それこそ企業の人間や国家代表だ──は、全女性の憧れともいっていいだろう。

 って待てよ。ということはオルコットも専用機持ちか?

 授業そっちのけで考え込む。専用機。その名の通り所有者のためだけにチューンナップされたIS。なるほど、だったらそれこそオルコットの態度にも合点がいく。一一〇〇機しかないIS。そんななかから自身だけの機体を与えられたのだ。ははあ、それなら威張り具合も加速するよ。いいや、うん。持ってなくても(おんな)じ風だった気はするけど。

 

 

 

「──未だ、ISの開発者である『篠ノ之博士』しかコアを作ることができません」

 

 

 

 だからその言葉は不意打ちにも近かった。個人的な思惟に耽っていた俺の耳でも、それはハッキリと聞きとれて。

 『篠ノ之』。そう、つまりは。

 

「……あの、すみません先生。もしかして篠ノ之さんって、篠ノ之博士の関係者なんでしょうか?」

 

 篠ノ之束。

 箒の実姉にしてISを単独で開発した稀代の天才。そして。

 そして、千冬姉の親友だ。

 おずおずといった感じで手を上げるのは確か(たか)(つき)さん。そりゃあ気づくよな。『篠ノ之』なんて苗字そうそうあったもんじゃないし、しかも場所がIS学園ときてる。関連性を疑わないほうがおかしいだろう。

 

「そうだ。篠ノ之は、アイツの妹だ」

 

 そしてあっさりと肯定するお姉さま。そんなに簡単にバラしていいのか? 一応は個人情報だろうに。いや、だからこそさっさと肯定したのか。いずれに知れ渡って己の目が届かないところで爆発するなら、返って自らみんなの前で起爆させたほうが返って管理が届きやすい。それにIS学園のセキュリティはその立場上、あらゆる施設・組織と肩を並べてトップクラスとも名高い。安全だからってことも多分なのか。

 という俺の推察なんて関係なく。千冬姉の肯定に、直後『『『ええええぇっ!?』』』と驚愕の大合唱。ある種つんざくともいっていい、声の大洪水だ。そりゃあ件の、言ってしまえば自分達がここにいる理由とさえなった人物。その身内がクラスメイトなんだ。驚きの声は当たり前。

 騒ぎ出すクラスメイト達。口々に『有名人』やら『天才の妹』やらと──刹那。

 

 

 

「────あの人は、関係ない」

 

 

 斬。

 

 ぞあっ、と。

 その瞬間に疾走したのは、寒気だった。

 その瞬間を切断したのは、なにかだった。

 背筋を這い登る悪寒は脳髄に激突。それは誰しもの体でも発生した感情の駆動、零下の振動。例外はなく、逃れられる者など皆無につき、個々人の個性なんていう世辞も入らない素晴らしい可能性を切り倒して現れる根幹の部分を根切りする墓荒しに似た空寒い冷酷。その感覚は、来ならばボンクラ程度の塵芥になど高尚すぎて知覚すら遠く彼方の生涯決して届かない『一番いいもの』ほどにもおぞましいものであるが、今ばかりは一種のかまってちゃんのごとくにわざわざ、わざとらしく、これ見よがしに、透明に着色させて、打ち放つ。玲々の言の葉に触れた一年一組の女生徒が例外に漏れず、呼気を奪われるように静寂を出力する。明瞭にいって、なにか恐ろしく冷たいものが、女生徒達の口を黙らせたのだ。

 

 そしてそれの発信源は、言わずもがな、箒。

 

 外見はいつもの凜然としたものだった。だけど中身が。内面が零下のように冷え切っている。底冷え、凛冽。凍るは空間、首筋に当てられる言霊は刃に似て。静かな一言だった、だったのに。なのに酷く綺麗に、耳に届いた。その一言だけで、みんなを黙らせた。

 

「すまない、殺気立ってしまって。しかし、私からあの人について語れることは何もない」

 

 ぺこりと頭を下げる箒。しかしその顔に、反省はあれど後悔のような色はなくて。

 そのあとはただ沈黙。いつも通りのぴんとした姿勢に戻った。

 教室の温度は冷えたまま。誰もかも口を開かず、気まずそうに目を逸らす。

 なんだ、これ?

 

「山田先生、授業の続きを」

「えっ? あ、は、はいっ」

 

 沈黙を破ったのは千冬姉。

 困惑気味の山田先生に授業の続行をうながし、ぎこちないながらも授業が再開した。

 俺は内心モヤモヤしたまま、午前の授業を終えた。

 

 

 ◆

 

 

「…………」

「…………」

 

 昼休みの学食は、それはもうすごい人数でひしめき合っていた。こうして二人分の居場所を確保できたのは奇跡に近いだろう。うそうそ、そんな安っぽい奇跡はいらない。運がよかったんだ。そんな程度。

 本日の昼食は鯖の塩焼き定食(日替わり)である。リーズナブルなのがお財布に嬉しい。

 

「この鯖うまいな」

「まったくだ」

 

 俺の対面にいるのはもちろん箒。今までずっと無言だったので、思い切って話題を振ってみたのだけど、思いのほか普通の反応。無視されるかなー、とか予測していたんだけど微笑むように返されて……まぁ、そっちのが不自然なんだけど。というよりまず、体からあふれる凍えるような殺気が収まっていない。

 四時間目。あの時の箒の態度は異状だった。俺が知らない六年の(あいだ)に、いったいなにがあったんだろう。無論、俺はそんなのまったくと知らない。そして理解し合うために言葉は存在する。

 

「なぁ箒。お前、束さんとなにかあったのか?」

「ああ」

 

 おおう。

 速攻即決、即断で返された。簡素な二文字、なのにやたら棘々しい。明らかに『不快』と仰っている。ポーカーフェイスが極まりすぎて返って凛々しい。

 撒き散らすような冷気……なぁ気づいてたか? さっきの授業中、みんなお前に怯えてたんだぜ?

 

「そうか。でも授業中にあんな態度はよした方がいいと思うぜ? あれはしかたないだろ。お前だって──」

「すまないが、一夏。不快だ」

「そうか」

「……喧嘩を売っているというのなら、やぶさかでもないぞ?」

「安いな、お前」

「ッ!」

 

 ガッ、と。いきなり俺の胸ぐらを掴み上げる箒さん。

 きゃあと食堂内に響く悲鳴。周りにいた生徒達が怯えるように……おいおい離せよ。みんな見てるだろ? 怖がってるじゃないか。

 

「離せよ箒。こちとら男ってだけでも注目集めてるんだからさ」

「黙れ。無神経の話を聞くほど、私は大人ではない」

「頭に血が上った輩を慮るほど、俺はできていない」

「…………お前に、」

 

 俯く箒。歯を食いしばるように、吐き捨てるように、続く言葉は怒りそのもの。

 

「お前に、何が(わか)る?」

「なにも」

「ッ、」

 

 苛立たしいと、煩わしいと、鬱陶しいと。

 そういう箒の言葉を、一言で一蹴した。振り戻した顔が、怒りを孕んで俺を睨む。

 

「知るも知らないも、そもそも『知らない』っていうことすら知らなかった」

「…………」

「確かにクラスの()達も不躾だったかもしれないさ。でも、そもそも解りようがないんだよ、他人なんて。そのくせお前は勝手にイラついて、『何が解る』、じゃねぇよ」

「だからってッ!」

「だったら解らないほうが悪いのか? ふざけるなよ。解ってほしいなら話せよ、解り合いたいなら言葉にしろよ。黙ってなにも口にしないで、それで誰も彼もが勝手に察して、理解してくれると思うんじゃねえよ」

「────ッ、」

 

 別に、押しつけるつもりはない。

 この問題は、そもそも正しいなんてことがないんだから。無知である俺にも非はあるし、不躾なクラスメイト達にも罪はあるだろう。第一、頼んでもいないのに自ら身の上話を持ち出すってのもおかしい話で、仮に打ち明けたとして、理解してもらえるともかぎらない。だけど。

 だけど『誰もわかってくれないのがいけないんだ』なんて態度は、おかしいだろ。『何が解る』というその言葉は、それこそ理解し合いたいということの裏返しでもあるんだから。

 お前がもっと別の言葉を使っていたのなら、『部外者はすっこんでろ』『関係ないやつは黙ってろ』『男のくせにでしゃばるな』なんて台詞で激情する人種であったのなら、俺だってこうも正面から食ってかかりはしなかったろうさ。

 

 だが、『何が解る?』というその言葉は。

 明確に、何かを解ってもらいたいという本心がないと、出ない言葉なんだよ。

 

 だったら、そら。織斑一夏がでしゃばらないはずもない。

 自分勝手だろうか? だろうね。自覚してる。上から目線で余計なお節介。でも、うさを晴らすように殺気を撒き散らすのは、違うだろ?

 

「……それでも、」

 

 (いっ)(とき)の沈黙をおいて、ポツリと。俺の胸ぐらを握り締めたまま、箒は言葉を口にする。それは絞り出すようにやっとのことで、か細くて、痛々しい。

 

 

「『あの人の妹』、というだけで注目される気持ちが……お前にわかるか?」

 

 

 それがすべての理由なのか。

 自分とは関係のないことで、ところで、勝手に『自分』が確定されていく。

 カエルの子はカエル。天才の妹は天才。

 篠ノ之束の妹も、天才。

 誰も『個』を見ない。見ようとしない。

 確かに箒はすごいやつだ。剣道でいったら天才の域にいるといっていいだろう。でもそれは、はたして箒自身の実力だと、周りの人間は認めてくれるだろうか? そこになにかしらの評価が付随してやしないだろうか?

 それは思考の停止にほかならないだろう。ジンクスとかセオリーみたいな、前例があるゆえの結果の予想。サラブレットってやつに近い。興味があるのは、血。

 それは多分なによりも重い、と思う。『血は争えない』、そんな言葉が生まれるほどには。なるほど、そも理解することをやめているのならば、こちらがなにをしようが結果として無為に等しい。そりゃあふてくされてしまいたくもなるよ。

 まぁでも、なぁ箒。そんなことはさ。

 

 

 

「はは。だったら箒。俺は『世界で唯一ISを動かせる男』で、『世界最強のIS操縦者の弟』、だぜ?」

 

 

 

「────、」

 

 俺ですら感じていることだ。

 なにも己の境遇を棚に上げて説教しよう、ってわけじゃないんだ。

 知れなかった自分がムカつくし、遠慮のないクラスメイト達の態度にも、正直なところ腹が立つ。

 だけど、でも、だからこそ。そんな程度に負けたくないだろ?

 

「……ふふ。そうだったな」

 

 しばし置いて、やわらかく微笑んだのは箒。先の忌々しそうな怒りはどこへいったのか、ある種清々しさのある表情。

 

「ああすまない一夏。どうやら本当にらしくないが──頭に血が上ってたようだ。うむ、そうだ、そうだな。お前もそうだったな」

 

 ふぅー、っと背筋をぴんと伸ばし、深い呼吸を一回二回。今を鑑みるように目を閉じて深呼吸。

 そうして目を開けば──そこにはいつもの侍少女がいた。

 

「だから私は、ここにいるんだったな」

 

 

 ◆

 

 

「相変わらず、当たらんな」

「そりゃあ、当たるなら避けますとも」

 

 放課後の剣道場。午後の授業を()便()()終えた俺達は、IS学園の剣道場へとやって来ていた。

 道場はそこらの学校にあるものより格段に広く、質もいい。さすが国立。昨日も言ったね。

 そして現在、試合が終わったところである。

 

「動きは悪くないが……竹刀は振らんと当たらんぞ?」

「全国区の実力者に言われてもなぁ。躱すので精一杯だって」

 

 そもそもどうして、俺達は剣道場にいるのだろうか?

 それは今朝の箒の発言だ。対オルコット戦に協力する、ってやつ。ISに関係ない? いや、どうにもまったく関係ないわけじゃないそうだ。

 ISってのは、箒に言わせれば『高性能な鎧に過ぎない』らしい。そして道具である以上、ネックとなるのは搭乗者自身の性能だそうで。こういう武道の動きってのは、ISの戦闘においても応用が可能、どころか有用であるそうな。そういえば千冬姉も剣道やってたなぁ、と、いわれると至極納得である。

 まぁ実をいうと、訓練機の使用が無理だったから、ってのが大分である。すでに二年と三年で貸し出しのスケジュールはいっぱいで、それどころか、一年は授業の実機訓練が始まってすらいないから借りれなかったのだ。基本操作もできない人には許可できないわけです。ということで剣道。

 

「とはいえ、私の勝ちだ」

「……もう一本だ、箒」

「いいとも」

 

 やけに上機嫌の箒さん。そんなに剣道できるのが嬉しいのか……違うな。これは(てい)のいい()さ晴らしだ。だって昼休みに小っ恥ずかしいこと長々とやっちゃったでしょ? どちらが悪いとはいわないといえ、やっぱり全部に納得するわけもありませんて。つーことで、そいつが俺に向けられてるのさ。こいつばかりは、甘んじて受け止めるよ。

 その試合の結果は俺の一本負け。時間無制限の一本勝負で、所要時間は三〇分。躱しに躱し避けに避け、どうにか粘って、一本負け。奮闘した方だろ? 避ける躱すは得意なんだが、やっぱ剣道では箒に分があるよ。俺も小学校の頃は剣道をしていたのだが、というかその通っていた剣道場が箒の実家でそれ以来仲良くなったのだが……さすがに、今の俺じゃあ粘るのがやっとだ。ちなみに中学は帰宅部である。

 しかしもう一本。敵わないことは、諦める理由にならない。というか悔しい。

 

「しかしまぁ、剣道の腕が鈍ってるとはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「なんだ、嫌味か? 俺には避けるしか能がないって」

 

 ──織斑一夏は、避けるのが得意だ。

 

「そうじゃない。私程度、などと自分を卑下するつもりもないが……どうしたんだ、一夏?」

「……入院してたから、かな」

「……そうか」

 

 俺の『回避力』が鈍っているという箒の疑問に、俺は単純な理由を話す。

 入院。九月頭から一〇月終わりまで丸々。俺は、およそ二ヶ月間に渡って病室で大人しくせざるを得なかった。身体の感覚がなまるのもしかたないはずだ。

 夏休み最終日。

 決闘。死闘。

 俺は夏休み最終日に、友達と喧嘩して、怪我をしたのだ。

 屋上での大喧嘩。身体中のいたる所の骨が折れて、傷付いて、友と別れた。気が飛ぶまで殴り合って、飛んでも殴り続けて、怪我をして、入院した。

 思い出したくもない──でも忘れてはならない、記憶。

 

「私は、()()()()?」

「ああ」

 

 それは、俺に対する当てつけか。

 あのときとはまるで逆、なにも訊かない。『お前とは違う』、と。

 無論、訊きたいことはあるのだろう。聞かせたいこともあるだろう。そのための『言葉』だろうし、だから俺は箒に問いかけたのだから。……それを、しない。

 押しつけるつもりはない──それはつまり、必ずしも解り合わなくてもいいと、そういう選択もあると。寂しいかもしれないけど、そういう考え方ももちろんあるのだということだ。

 正対する主義、価値観の相違……違う。そんなもっともらしい、小難しい話じゃない。

 単に、意地。

 俺は譲りたくない。つまりそういうだけ。頑固っていうのが手っ取り早いだろう。

 だってこの話は、わざわざと口に出すのもはばかられるくらいにくだらないものなんだ。理解を求めるのは筋違い。そも、ひけらかすなんてもってのほかだ。高々喧嘩の、どこにでもありふれる青春の、一コマ。葛藤も確執も衝突も、そんなの人として生きているならば当然とありふれることで、さして珍しいと声を張るもんじゃない。誰しも体感して経験して、それを積み上げて生きていく。……そんな大それたことでもないか。何度もいうけど、ただの喧嘩だ、こんなの。

 馬鹿二人の、意地の張り合いだ。昔も、今も。

 話そうなんて思わないし、話したいと思わない。第一、話せるような、それこそ大義名分があるような英雄譚じゃない。これは俺達の問題だ。

 だから、これでいい。織斑一夏は、これでいい。

 

 

「──やはりお前は、自己完結だな」

 

「……自己中心よりは、マシだろうがよ」

 

 

 それは誰と比べてのことだろう。

 俺が改めて自分の決定を認識すると、箒の言葉はやれやれとした──それでいて悲しいような──ものだった。

 まぁでも訊いてこないってことは……勘づいては、いるんだろうな。話し合いだけが理解のすべてじゃないし……ああもうかっこ悪いな俺。

 箒にデカいこと宣っておいて、結局自分はだんまりかよ。情けないよ。泣きたいくらいだ。

 

「──いくぜ箒ッ!!」

「ああ、来いッ!!」

 

 だからそんなもろもろとっぱらって、今は箒に負けたくないと、強く願うことにしよう。




コアの数が『1100個』になっています。あしからず。
設定はほかにも変わる予定。少なくともISの範囲内で。
あとカッコイイ女の子は好きです。
箒ちゃんにはがんばってもらいたいものですね!


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第三話【接続工程、存在提起】

 ES_003_接続工程、存在提起

 

 

 

 存外一週間というものは短いもので、いうなればそれこそ瞬く間に、なんていうほど時間の経過が早く感じることはないわけなんだよ、実際。覚えることもやることも多すぎだよIS学園。

 実に濃密なここ数日。それに見合う疲労がしっかりと体に蓄積されてる。オマケに土曜日の午前中も授業ときた……いやまぁ進学校とかは土曜日に授業やってたりするらしいけど、というか一昔前は小学校ですら土曜日登校だったらしいけど。でもやはり小中と週休二日が当たり前となっている俺の世代にとっては、やはりなんだか納得いかない。それが日本の学力低下に一役買っている、という話も聞きますけどさ。だけど休みが多いに越したことないと思うんだ。そんな本日は月曜日。

 

 なんだかんだと、月曜日。

 

 IS学園に入学してから一週間。四月一二日、オルコットとの決闘当日である。

 それにしてもこの数日は本当にすさまじかった。正確には、箒との特訓が、である。

 さっきもいったが、授業はそれはもう大変だった。しかしそれよりも、放課後に行われる箒さんとの特訓の方が、比べるべくもないほどに大変だったといっていい。

 授業が終わったらすぐさま道場、即行で剣道。それも道場の使用時間を延長してひたすらに、だ。しかしそれで終わりじゃない。部屋に戻ったならば、今度は映像資料による勉強である。映像、ってのは過去のISの試合のである。動画共有サイトとかにもあるし、学園側からも資料として貸出している……第一それに、俺は自前のがある。中学時代に友人、御手洗数馬からもらったものだ。あいつ、ネットとかパソコンに詳しいんだよな。そんな数馬のことはさておき、ともあれ可能なかぎり、ISについて勉強したわけだ。

 とりわけ昨日は酷かった。決闘前日である日曜日、週六で学校のあるここでは貴重な休日。もちろん丸々一日特訓に費やしましたよ? ちなみに昨日は朝から晩まで剣道し続けた。それだけならまだ許せよう。

 

 でもなんだよアレ。『私から一〇〇〇本取るまで続ける』だって?

 

 ふざけんなよ! 一本あたり一分で終わらせたとしても一六時間以上かかるじゃねぇか! なかば俺からお願いしたこととはいえ、さすがにこいつは無理ってもんですよ。馬鹿げてる。

 ……と言いつつも、なんだかんだ挑戦してしまうのが織斑一夏でありまして。いや、『臨むところだ!』とか意気込んでた俺もおりますが……なんにしたって、やれることはやるべきなのだ。筋肉痛にならなくてよかった。ちなみ結果は二〇〇本も取ってないだろう。ほんっと、箒は強い女の子だよ。

 

「こいつが《打鉄》か」

「なんだ、《ラファール・リヴァイヴ》の方がよかったか?」

「まさか。銃器なんていきなり使いこなせるはずないよ。近接特化のコイツがちょうどいい」

 

 そして時間帯はすでに放課後。空はまだ青いが、じきに夕暮れを迎えるだろう。

 俺は箒とともに第三アリーナのAピットにて、これから乗り込むISを微調整していた。いや、乗り込むっつーよりは(よろ)う、って方が正しいかもしれないな。

 

「そうか。しかしとはいえ、結局ぶっつけ本番になってしまったな」

「しかたないよこればっかりは。……っと装備は刀型近接ブレードに物理シールド、あとは、なんだ。ハンドガンもあるのか」

 

 愚痴りながらもマニュアル片手にISのコンソールパネルとにらめっこ。《打鉄》に搭載してある装備を確認する。

 俺の前に鎮座する銀灰色の装甲、《打鉄》。

 日本有数のIS開発研究機関『倉持技術研究部』よりリリースされた第二世代型のISだ。戦闘タイプは近接格闘型。腕部・脚部の装甲はしゅるりとスマートなラインを描き、縁取る艶なしの黒が落ち着いたコントラストを演出している。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)──ISの周囲に浮遊するように展開される装備のこと──は一対の物理シールド。

 しかしなによりも目を引くのは、腰部にある巨大な袴状のアーマースカートだろう。推進器(スラスター)と一体になったそれは、まるで侍を連想させかのごとく広がっている。全体的にゴツい印象の《打鉄》だが、しかしなんと、近接格闘能力は第二世代中最高ランク。後発である中国の機動特化IS、《燕龍(イェン・ロン)》とも互角に渡り合えるほどの高い性能を誇っている。以上、教科書+授業より。

 この《打鉄》は学園が保有するISである。学校の授業などで使う訓練機もこいつだ。ちなみ、学園が有するISは全部で七〇機。種類は《打鉄》だけではなく、さっき箒が言ったような《ラファール・リヴァイヴ》など数種類がある。

 そして決闘にあたり、俺がセレクトしたのは《打鉄》だ。連日剣道し続けた俺である。ならばその経験を生かすためにも、選択するべきは近接性能の高い機体だ。

 というかまず、素人同然の俺がいきなりライフルなんかの銃器を使いこなせるはずがないよ。身の丈に合ったものを選ぶのも大事だ。

 

「一応、《打鉄》の標準装備(デフォルト)で貸出し願いを出したからな。不要ならば、代わりに近接ブレードでも増やせばどうだ?」

「ブレードはもう二本あるんだけどな。でも、うん。ISのサポートがあるからって、銃が使えるとは思えないな。別の装備に変えるよ」

 

 で、その《打鉄》の『微』調整なわけだ。なぜ微であるかというと単純で、俺がISの整備なんてできるはずない。やる前から諦めるな、っていう類いの話じゃないんだよ。下手にいじくって壊した日には目も当てられない。ISって滅茶苦茶高いんだ。なんでも億単位の代物らしい。

 そういうわけで、今回は先に学園側に整備をお願いし(学園側とは言っても、やっているのは二年・三年整備科の生徒達である)、俺は実際の誤差を直しているわけだ。このくらいなら教科書見ながらなんとかできる。とはいってもやっぱり難しいんだけど。

 今回の《打鉄》の装備は

 

 《刀型近接ブレード》×2

 《物理シールド・一対(非固定浮遊部位(アンロックユニット))》×2

 《五五口径ハンドガン》×1

 

 の三種類。

 これらの装備は、実際にすべてがアーマーなどに担架されるわけではなく、通常はISコア内部に量子格納され必要に応じて展開するのだ。

 量子格納──ISを世界最強の兵器たらしめる所以の一つだ。

 だってドデカい銃やら刀やらを質量ゼロで収納・運搬できるんだぜ? 重量を気にしないでなんでも搭載できちゃうんだよ。無論、格納領域(バススロット)にも限界はあるのだが、それを差し引いても既存兵器をはるかと超える運用が可能になっている。

 と、そんな諸々はさておいて、さっさと調整済ませちまおう。さしあたっては武装の変更だな。どうしよう。

 

「……。よし、ハンドガンは外してトップヘビータイプの近接ブレードに交換するよ」

「ふむ。いいんじゃないか? なかなか面白いと思うぞ。しかし一夏、そのタイプは従来のブレードに比べて切り返しが遅い。高威力だが、隙は大きくなるぞ?」

「わかってる。まぁ見てろって。俺だって考えなしじゃないんだからさ……よし。あとは実際に乗って最終チェックだ」

 

 ここ数日の賜物だろう。なんだかんだ、IS関する知識が身についてきてるぜ。それに技術がともなってくれれば申し分ないんだけどね。

 とにかく乗らねば始まらない。俺はコンソールを操作し《打鉄》のコックピットをオープン。いざ乗り込もうと、

 

「──忙しそうなところ悪いが、一夏。お前にプレゼントだ」

「はい?」

 

 なんとも間抜けな声だったと自分でも思う。 

 そんな風に振り向くと、そこには腕組みスタイルの千冬姉がいた。

 

「千冬姉? どうしたんだ?」

「どうしたも何も、私はお前のクラスの担任だぞ? 代表者が決まるというんだ、ならば教導に務める教師が立ち会わぬわけにはいくまいよ」

 

 そりゃそうなんだけどさ、わざわざピットにこなくても管制室でいいと思うんだ。でもそんな些細なことより、プレゼントってなんだ?

 そう疑問を抱いた瞬間、ガコンッ、という硬い金属音が響いた。

 音源はピットの搬入口。そこのぶ厚い二重扉が左右にスライドして開き、続いて重く鈍い駆動音があふれ出す。奥からなにかが運ばれてくるようだ。

 

 

 

 ────(にび)(いろ)

 

 

 

 まず、その色域が飛び込んできた。

 そこに現れたのは灰色の装甲群。鉛色の、飾り気のない、無骨な、金属の塊。

 第一印象『鉛の鎧』。鈍い金属の装甲が、照明をぬらっと照り返していた。

 ……なんだこれ。IS、だよな? 見たことない型だけど。

 

「千冬姉、なんなんだこれ?」

「プレゼントだと言っただろう。お前の専用機だよ」

「は、ぇえ?!」

 

 すっとんきょうな声はもちろん俺から、とかいう冷静な視点は無論なく、箒みたいにポーカーフェイスを取り繕うことなんてできなくて。横殴りにされたように疑問が頭で乱反射する。

 専用機? あの? 世界に一一〇〇機しかないなかの一台? どうして? え、なんで、どういうことなんだよ。

 

「流石に驚き過ぎだ、一夏」

 

 なんて言う幼馴染みさんはどうしてか冷静そのもの。それどころかやれやれと俺を嗜めるありさまだ。それはさもこうなることを予期していたとでも言わんばかりで……なんでそんなに平然としてるんだよ。専用機だぞ? わかってるのか?

 驚きの隠せない俺。

 そんな愚弟に、お姉さまは至極簡単な理由を話してくださった。

 

「幾ら一般生徒とはいえ、お前は史上初、世界唯一、ISを動かせる男だ。これは政府からの、データ収集のための特別処置だよ。ISを一機丸々用意してもいい程に、お前の存在は貴重だという証左さ」

 

 ……なるほど。

 確かにそうだ。男性操縦者のデータなんていい飾るべくもないほどに稀少だよな。そんな俺にわざわざ専用機をあてがうのは理解できる、だけど。

 

「オーケー、事情は把握したよ。──だけど千冬姉、正直に言うと、俺はこいつを使いたくない」

「ほう」

 

 千冬姉は怒るでも呆れるでも訝しむでもなく、ただ面白そうに反応を返す。

 

「専用機、っていうからにはそりゃあ性能がいいんだろうさ。量産機を使うよりはよっぽど勝機が増えるかもしれない。そもそも貴重なデータ取れるわけだから誰かのためになると思う……でも、それは織斑一夏の成果じゃない。男性操縦者って肩書きのおかげだ」

 

 それは、それこそこれから(まみ)えることになる彼女が憤慨するだろう理由。

 

「努力もなにもしてないのに、過程をすっ飛ばして結果だけかっさらうなんてまっぴらごめんだ。まだ俺には、ソイツに見合うほどの価値がない」

 

 鈍色の専用機。ソイツのためにそれはもうたくさんの人ががんばってくれたに違いない。だけど、そうだとしても、俺はいやだ。

 血のにじむような努力を積み、研鑽に研鑽を重ね、限界においてもさらなる死力で上を目指し続けて──そうしてようやく、専用機というものは与えられるはずだ。そんな努力の一角目すら刻んでいない俺ごときが、『運』の一言で片づいてしまうような肩書きだけでその座を掴んでしまうのはおかしいだろ。

 俺は結果派の人間かも知れないけれど。

 俺を無能な定められた者と定義するかも知れないけれど。

 それが誰かの過程を毀損させるなど、到底認められるものじゃない。

 数奇な因果でここにいるのかもしれない。巻き込まれたのかもしれない。だけど自分の意志で、ここに立っているつもりだ。織斑一夏として存在しているつもりだ。今まで持っていた選択肢に新たに加わった『IS』というカード、それを自ら選んでいるつもりだ。

 そして立っている以上、俺は俺を証明したい。なにかを得るというのなら、それは自分の力でなし遂げたい。

 

「そうか」

 

 簡潔に。俺の見解に千冬姉は否定するでもなく、一言で答える。

 相変わらず掴みどころのない態度。俺の言葉に対してなにを感じているのかまったくわかりゃしない。ホント、自分を隠すのがうまいな。それだけ俺の意志を尊重してくれてる、ってことなのかもしれないが。

 

「とりあえず一夏、その機体に乗れ」

「……やっぱり、乗らないとダメ?」

「乗ったけど相性が悪かった、という体裁なら言い訳立つだろう?」

 

 にやりと。微塵も悪びれずに口角を上げるお姉さま。……ありがとう、千冬姉。こんなによくできたお姉ちゃんはそうそういないよ。俺もそれに見合う、弟で在りたい。

 そして千冬姉はコンソールパネルを開き、鈍色のISのコックピットを開く。そうと決まれば、さっさと『乗った』という事実を作ってしまおう。

 鉛にひかる機体。俺のために生まれたのだろうそのIS。その役目を終えぬまま、始まりもせぬまま、俺のわがままで存在を否定されようとする。

 

「お前には悪いけど、これは譲れないんだ」

 

 謝罪の言葉とともに乗り込む。装甲が閉じる。腕部と脚部のアーマーを装着する。

 許して、というわけじゃないけど。

 だけど謝るべきだとは思うから。

 篠ノ之博士曰く、ISには意識に似たようなものがあるらしい。搭乗者を理解するための機能だそうで……それと『一言』も交わさぬまま、その存在を消し去ってしまう。

 高々機械? されど機械。付喪神なんて言葉もある。だから俺の言うべきは一つだけ。

 

「またな」

 

 

 

 

────■■■■■■■■■■。

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 

 

 

 

 雑音。

 

 

 

 雑音。

 

                                 雑音。

 

             雑音。

 

                     雑音。

 

         雑音。

 

 

 

 雑音。ジジ。ノイズ。ザザザ、ザザザザ、ザザザザザ──。

 ザザザゾゾジジザザゾザザザゾゾゾゾザゾジジゾジゾザザザザザザザザ──。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(漿)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()禿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(退)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(使)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()────

 

 

 

 

 

 ────()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「────────、」

 

 (つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る、(つなが)る──(つなが)る。

 繋がって、伝わって、出力して、流入する。

 無音。停止。明滅。ストロボの視界。ひび割れる。軋む。歪む。捻じ曲がる──集束する意識。

 情報回路が解放される。知識が渦巻く。意思が(たが)う。感覚がブレる。本質の証明。意地の固定。信念の補強。縦横無尽の情報横断。跋扈する記録。過去を覗かれ、同時に知らないなにかが伝わってくる。

 わからない、分からない、判らない、解らない──わかりたい。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「……か? 一夏、どうかしたのか?」

「──《白式》だ」

「え?」

「このISの名前は、《白式》だ」

 

 戻る。回帰する感覚と意識。

 装着されたIS、《白式》。青いマニピュレーターをガシャガシャと開閉しながら、俺はこいつの名前を呟いた。

 怪訝そうな箒の顔。心配して声をかけたのに返す言葉が名前だなんて、それは怪しみもするだろう。

 不快なノイズが脳漿をシェイクして、実際なにがどうなってんのかてんで判りはしない。でも確かに、《白式》というものは理解できて。

 しかし箒に悪いけど、それを説明する暇はない。

 俺は千冬姉に言わなきゃいけないことがある。

 

「千冬姉」

「どうした?」

 

 箒とは打って変わって、まったく意に介さない態度の我が実姉。もしやさっきの『異常』に気づいていないのか?

 飄々とISのパネルを操作しながらも、ちらりとこちらに向けられる瞳。

 

「やっぱり俺、こいつに乗るよ」

「なんだ、気が変わったのか?」

「その、うん。なんていうのかな。()()()()()()()()()()()()()

 

 ……我ながら要領を得ないな。語彙が貧弱なのが悔しいよ。伝えたいことも伝えられない。数分前に確と抱いていたはずのある種の決意さえ手のひら返して反転したこの意志を、ちゃんとわかるように発信できない脆弱な脳みそが憎たらしい。言葉面だけで捉えたら、俺の発言はどこまで軽率で軽量なのか、どんな人間ですら十全に得心してしまう域での明瞭だ。

 意志薄弱としか表せない、朦朧の形。

 だが、そんな俺の曖昧な言葉にもかかわらず、千冬姉はふっ、とわずかに笑った。

 

「気が多いのか、或いは優柔不断なのか。何れにしても、お前がわざわざ決断を変えたんだ。私から言うことは何もないさ」

 

 そう言ってパネルの操作を続行する千冬姉。

 なんともまさに、千冬姉だ。

 言葉の真意こそ掴めないけど、それでも『俺が決めたのだから』と肯定してくれる。いや、肯定でもないのだろう。そうした、ある意味での事実・現象のようなものとして、あるがままに捉えている。それをして無機質だと断じれないのは、きっと俺がこの人の弟で、この人が俺の姉だから。

 その強さを、この地球のなによりも信奉しているから。

 

「とは言うものの時間がないな。一夏、初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)は試合中にやることになるが、まあ構わんよな」

「オーケー、心配ない。というか、その前に倒しちまってもいいんだろ?」

「ふふ。御託も前置きも口上も、洒落っ気を出すのは私の知るところではないぞ──そおら開場だ、魅せてみろよ」

 

 ゴッ、と再び金属の駆動音。ギチギチとした(かな)(おと)を上げて、カタパルトの扉が開放されていく。

 

「一夏」

「ん?」

 

 そうしてカタパルトに立つ間際、名前を呼んだのは幼馴染み。

 

「何が何だかよくはわからんが、私が言うのはただ一つ。勝ってこい」

「おう。負けないさ」

 

 俺は空へと走り出した。

 

 

 ◇

 

 

 

【──接近する機体を感知。

 照合...操縦者:織斑一夏/搭乗IS:白式

 戦闘タイプ...──】

 

 目前に表示された複数のウィンドウパネルの内一つが、ISが接近してることを伝える。

 そうしてAピットのカタパルトから現れたのは鉛色の機体。

 

(専用機《白式》、ですか。ふふ、なんの冗談かしら)

 

 小さく笑うのはセシリア・オルコット。彼女は自身の専用機である《ブルー・ティアーズ》を纏い、アリーナ中央上空で停滞していた。

 イギリス・SKYear's(スカイヤーズ)製、第三世代型BT概念実証機──《Blue() Tears()》。青を基調としたカラーリングで、機体側面には左右合計四枚のフィン・アーマー。さらには背面に二基のスラスターを従えている。腰部には、後方に向かって二本のポール・スタビライザーのようなものが伸びている。洗練されたノーブル・ブルーの装甲。それは自前の金髪と合わせて一層高貴に、気高く映える。

 彼女は自身の鎧った機体を見てから、対戦相手である一夏の白式を見つめた。

 

(『白』に『式』。はてさて、なんて美観に欠ける機体かしら。日本人の大好きなミニマニズムが微塵も感じられなくってよ。

 たしか、そう。ずんぐりむっくり、とはなんとも語感のおよろしいことで)

 

 宙に躍り出た《白式》。ねずみ色のその機影は、しかしなぜか、そのまま高度を上げていく。それこそアリーナの限界ギリギリまで。……いったいなんのつもりなのかしら? まるで戦意が窺えない。

 はぁ、とため息。張り詰めた(つる)の精神を緩めた。

 これはいささか肩透かし。自ら啖呵を切っておいて、結局その気炎は弱火にも劣っている。

 大言壮語。大口を叩いたわりに、どうにも緊張感というのが欠如していた。野放図にもほどがある。

 

『俺以外も一緒に、馬鹿にしてるんじゃねぇよ』

 

 ことの発端。自分でなく、他者に対して抱いた怒り。反駁の言葉。

 そう宣った挙句が意図の掴めない高度上昇。いったいなにを考えているのか。

 ──気に入らない。

 自分に意見する『男性』が気に入らない。対等であると思ってるのが、我慢ならない。

 

(あなたも、口だけなのでしょう?)

 

 そんな反抗的な態度も『男性だけどISが使える』というところからきているのだろう。……ふざけるな、と。淑女にもあるまじき怒りの確立。戦意が加速度的に膨れ上がる。

 

(世界唯一の男性操縦者……ええ、ええ。それはもう不自由もなく苦労もなく努力もなく、専用機を手にしたのでしょうね)

 

 《ブルー・ティアーズ》のモニターパネルを閉じる。

 戦闘スタイルなんて、わざわざ確認する必要ない。

 この内の炎が、その程度で揺らぐはずがない。

 

 ──必ず、墜としてさしあげますわ。

 

 

 ◆

 

 

 空へと飛び出した体。

 ふわりと。重力をまったくと感じさせない浮遊感。

 PIC──Passive(パッシブ) ()Inertial(イナーシャル) ()Canceler(キャンセラー)。慣性制御装置と呼ばれるそれが、無重力といって差し支えない飛行を実現させているのだ。

 体が軽い。このままどこまでも飛んで行けそうな、空に溶けるような、そんな感覚。

 高度を上げる。意識をスラスターに向け、噴射。さして苦もなく、俺の思った通りの機動で《白式》が飛んだ。

 ISの操縦はイメージが重要だ。ゆえに、初心者だと飛行どころかわずかな浮遊すらできない人もいるらしい……でも俺は飛んでいる。

 そしてアリーナの頂上、バリアーによって区切られた境界──限界。空の果て。

 俺はどこまでも飛べるのに。どこへだって行けるのに。

 だけど閉じられたこの世界を生きるしかすべはなく。だからこそその向こうに焦がれている。

 ああ。俺はあの時。あの時どんな思いでISに触れた? この有限のなかを颯爽と──違う。

 俺は。空に。無窮の大空に──。

 

「──いつまでそうしているつもりかしら。織斑さん?」

 

 と。俺の意識を引き戻したのは険のある女の声。セシリア・オルコット。

 ……ああそうだ、そうだった。俺はお前を倒すんだった。

 意識を束ねる。深呼吸をする。体の中身を入れ替えるように。気合を入れろ。気力を熱しろ。気炎を収束して叩きつけろ。

 スラスターを操作。目的高度、オルコットと同じ高さまで降下する。彼我の距離は三〇メートルを越えるか。

 

「待たせて悪いな。紳士にあるまじき失態だったよ」

「小汚い鎧がお猿さんのフォーマルウェアですの? もう少しマシな感性はないのかしら」

「そうだな。生憎そんな感受性は持ち合わせていないんでね。俺にできることといえば、精々君を叩きのめすことぐらいだよ」

「減らず口を」

「そっちこそ」

 

 会話が切れる。緊張が走る。筋繊維が引き締まって感情が解放の場を求めている。

 セシリア・オルコット。専用機《ブルー・ティアーズ》。相手にとって、不足はない。

 ゆえにこちらも全力で。今持ち得る全霊を。

 いくぞ《白式》。お前が俺のためにのみ存在するというのなら──さぁ、一緒に『俺』を証明しよう。

 

 

 ビーーーーッ!!

 そして、開戦のブザーが響き渡った。




『拡張領域』じゃなく『格納領域』という表記に変えました。


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第四話【敗北の否決】

 ES_004_敗北の否決

 

 

 

 ブザー音とともに火蓋は切って落とされた。

 途端、オルコットの手に巨大なライフルが召喚される。《白式》がその武器の情報を伝えてきて──六七口径BTレーザーライフル《スターライトmkⅢ》。それが展開と同時に発砲。つまり、試合開始と同時にトリガーが引かれたのだ。

 ライフルの銃口が瞬き、青い光が放たれる。

 ガッ、と。そのレーザーは鋭い風切り音をともなって、《白式》の肩部付近のシールドバリアーをかすった。

 そう、かすった。

 

(かすった、か)

 

 俺はオルコットがトリガーに指をかけた瞬間、真横に跳んで、そのレーザーから逃れていた。完璧に回避、とはいかなかったが、それでも直撃を免れただけで御の字だろう、()()()。表示されたウィンドウの上で、シールドバリアーを表すゲージがわずかに減少する。

 シールドバリアー。それはISの周囲に展開される、エネルギー質のバリアーのことだ。PIC、量子格納とも並び、ISをISたらしめる機能でもある。

 シールドエネルギーによって発生するそれは、大口径のハンドガンはもちろん、ミサイルやビーム兵器もほとんど完全に受け止めることができるという、それこそ規格外の性能を誇っている。既存の兵器ではまったくとダメージを与えられないのだ。世界を席巻するのもうなずける。

 そしてISの試合ってのは、そのバリアーに攻撃を当てて、エネルギーをゼロにさせれば勝ちである。ちなみにシールドエネルギーの総量は、機体によって差があるものの、大体『1000』ポイントぐらいである。参考までに、この《白式》は1000ポイントだ。

 それは言わば、数値化された俺の生命。

 

 

 

(……まさか、避けるなんて……!)

 

 ──セシリアは驚愕していた。

 それは、レーザーを初見で回避されたからである。当たったといえば当たったのだが、しかしそれでも困惑するには十分だ。

 直撃しなかった。手を抜いたつもりはない。先手必勝のつもりで、体の芯目がけてトリガーを引いた……はずなのに。

 レーザーはその性質上、風向の影響を受けにくいため、かえって軌道が読みやすいとされる。とはいえ実弾などよりも断然に速い。しかしそれを避けたのだ。素人同然でもある一夏が。

 確かに今は専用機をまとっていよう。だがそれでも、一夏はそもそものIS搭乗経験が皆無に等しいのだ。《白式》の性能が高かろうと、登場者が自身が凡庸であればその程度の力しか発揮できないはずだ。

 セシリアの搭乗時間は『高速稼働訓練』を含めて五〇〇時間を超え……それはいうに及ばぬほどの努力と苦労が詰まっている。全力で取り組んできた。全霊で走ってきた。幾多のライバルを退(しりぞ)けて候補生にだってなった。それなのに。

 それなのに織斑一夏という男は、そんな数多をいとも容易くいなしたのだ。偶然かもしれない、まぐれかもしれない。しかしそうであればなおのこと、その程度で淘汰されてしまう実力ということで。

 ゆえに当惑。この一週間は遊んでいたわけでもないのだろうが……それでも。そんな付け焼刃に自分の過去は負けるのか──?

 いささかに深読みしすぎで誇大解釈。(いくさ)()においてはなにが起きても不思議ではない。むしろ驚嘆し隙を見せることこそが命取りでもある。……それでもセシリアには大きすぎる驚きで。たかがレーザー一発に、彼女は信じられないほどの驚愕を覚えた。それほどまでに自分を信じていた。

 ──だからこそ、さらに胸の炎は燃え上がる。

 

(わたくしは、負けません)

 

 切り替える。

 驚愕はそのまま怒りに変換され、気炎が指向性のある敵意に変わる。矛先は無論、織斑一夏。

 偶然だろうが実力だろうが、しかしそれでも勝てないのは嫌だ。当たらなくても、結果として勝てればいい。

 勝つために努力したのだ。誇りを守るために戦ってきたのだ。()()()()()()()()()()()、全力だったのだ。勝利しなければ奪われる。なくしたくないなら戦わねば。

 ならば切り替えろ。度し難いほどに遺憾であるが、今は怒りよりも勝利への渇望を。

 再びトリガーが引かれ、青い閃光が迸る──。

 

 

 

「────っ!!」

 

 辛うじて躱したのもつかの()、次なるレーザーが発射された。

 ウィングスラスターを吹かす。俺の脳天直撃コースを突っ走っていた閃光をこれまたかするように躱し、直後に二発目が胴体を狙っていた。

 俺は咄嗟にPICで左腕を空間に固定、さらに右側のスラスターだけを正面に噴射する。そうすることで、左腕を軸に身体が右回りの機動で回転する、二発目を回避──ハイパーセンサーが後方からの狙撃を察知した!? 速やかな三発目。

 止まらない、途切れない。オルコットの狙撃が常に的確なタイミングで放たれる。先手を取られた!

 

(クソ……()()!)

 

 右脚を狙う閃光をももを振り上げるように躱せば、途端に反対の左脚に光条が走り、そうやって下半身に意識が向くと、当然のように上体が標的になる。それを反転して避けると、そもそもの機動力を奪おうと、ウィングスラスターへ射撃が集中する。

 どれもこれもバリアーをかすめるが、しかし直撃だけは免れる。だけど流れは完全にオルコット。このまま一方的に展開すれば、負ける。

 

(装備──なんか装備は!)

 

 ウィンドウのステータスを見ると、どうにも《白式》は近接格闘型の機体らしい。ということは盾やなんかの防御装備があるはずなのだ。

 近接戦闘を主とするISには、物理シールドなどがほぼ確実に搭載されている。理由は単純で、射撃装備に対抗するため──『敵に近づくため』である。なにせ量子格納によって、信じられないほどの射撃装備を有することのできるISだ。そんな弾幕に丸腰で挑むなんてそれこそ無茶で、それに対応するために防御装備を搭載するのだ。つまり、自分の武器が届く範囲まで、盾で防いで突っ込むわけだ。無理矢理に突破するということ。《打鉄》の物理シールドや分厚いアーマースカートがいい例だろう。……まぁ(こん)(にち)、それが近接戦闘のセオリーになってもいるので、やはり対策は施されている。しかしでも、今の状況だったら盾でもなんでもないよりマシだ。

 目前にウィンドウが現れ、そこに《白式》の装備一覧が表示される。

 

【──展開可能武装、近接特化ブレード《雪片弐型》──】

 

「なっ?!」

 

 俺は思わず声を上げた。驚愕を吐き出していた。

 《雪片》だと? 《雪片》って千冬姉が使っていた武装じゃないか!

 

 ──ブリュンヒルデ、織斑千冬。

 俺の実姉、千冬姉は、ISの世界大会『モンド・グロッソ』の優勝者である。しかも現在二連覇中。

 

 ブリュンヒルデとは、モンド・グロッソの優勝者に与えられる称号だ。加え、公式試合は全戦全勝で、それどころか、とある一試合を除いては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかもそれを《雪片》一本でなし遂げたというのだから、とんだ化物である。そんなありえない強さのお姉さまだ。そりゃもう神格化してしまう人もいるわけで……二年前のあのことは、未だにまったく許せない。誰がなんと言おうと、結果がどうであろうと、生意気だと言われようとも……()()()()、許せない。──遮断する。今そのことは関係ない。俺が向き合うべきはオルコットだ。

 ともあれ。そんな世界最強の操縦者様の武器が《白式(こいつ)》に備わっているのだが……なんでだ?

 疑問。わからない。だけどもとより、考えたってしかたないだろう。理由はとにかく、あるのだったら使わせてもらう。無条件で与えられるのは真っ平だが、しかし《白式》使うと決めた以上は、決断した以上は、とことんまで使う。

 だけど今欲しいのは武器じゃなくてシールド装備だ。《雪片》なんてものがある以上、なおのことそれを生かせる装備が必要だ──が。

 

(……《雪片》しかねぇ!?)

 

 いくら確認せど、一覧に表示されるは《雪片弐型》の一つのみ。なんてこったい。一覧というのは、『一つ』を『ご覧』あれ、という意味らしい。上手いこと言うな、じゃねぇよ! どうするんだよ!

 依然射撃は続いている。絶え間なく、延々と。俺も手を休めずに回避行動をとるが、しかしかすめるレーザーが着実にエネルギーを削っていく。もはや時間の問題か。

 しかたない。ないのだったらしかたない。これしかないなら、

 

「これでなんとか、するしかねぇだろッ!」

 

 イメージする。あるべき剣の形を、役割を、存在を。その手の内に、確固たる武器の存在を想像する。──武装展開の前工程。

 ISに重要なのはイメージである。ISには搭乗者を理解しようと、擬似的な意識まで備わってるんだ。人間そのものの想像や思いが重要なのは明白だろう。そして武装を展開する手段として、呼び出したい武装の名前を声に出すというものがある。言葉にすることによって、より強くイメージを定着させるのだ。それこそ俺みたいな初心者は、そうでもしないと武装の展開は成功しないだろう。

 しかし俺には、そんな手順は必要ない。

 

 必要なのがイメージなら……そんなもの、とうに俺の心で完成している!

 

 走る想像は溢れ出す。たちまちひかる粒子が収束し、秒とかからず、右手に一振りのブレードが現れた。全長は俺よりも長いかという、刀型の大剣。

 《雪片弐型》。色も形も瓜二つ。俺の記憶とまったく遜色ない大型ブレード。

 幾度も目にしてきた理想の残像が、そこに顕現した。

 

 

 

【──敵ISの武装展開確認。近接特化ブレード《雪片弐型》──】

(ゆ、《雪片》ですって?!)

 

 ──二度目の驚愕は至極まっとうなものだった。声にならない、というのはこういうことかもしれない。

 しかし当然だ。なにせ、あのブリュンヒルデの武装が目の前に現れたのだから。驚くなというのは無理な話。

 ISに関わる者のなかに、《雪片》の存在を知らぬ者はいないはずだ。それほどまでに織斑千冬というのは桁違いで、段違いで、異常だったのだ。無論、セシリアも千冬を尊敬している。憧れぬ搭乗者はいないだろう。

 そんな恐れ多いブリュンヒルデの装備を、あろうことか、素人が、男が、手にしているのだ。驚愕しないわけがないだろう、憤怒しないわけがないだろう、敵意が膨れないわけないだろう。

 

(……それも、弟の特権ですか?)

 

 そも《雪片》自体が篠ノ之博士のお手製だ──それはつまり、《白式》も篠ノ之束の特製ではないのか?

 ああなんと憎たらしい。いよいよもって、許容などできようか。勝ち取ろうとしない者に、掴み取ろうとしない者に、与えられるだけの者に、自分をとやかく言う、資格はない。

 

(ですが、それよりも……)

 

 闘志を滾らせる一方、気がかりなのは《雪片》の()()。もし《白式》が《暮桜》の系譜というなら、関連機というなら、もしや同じ『唯一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)』を持っているのではないか──?

 唯一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)。ISが『第二形態』に移行した時に発現する特殊能力。

 その圧倒的な性能、あるいは特殊性に対抗するというのが、第三世代ISのコンセプトであったりするが……。

 と、そう考えて『ありえない』とかぶりを振る。そうだまず、《白式》は第一形態だし、そもそも()()()()()()()()()()()()()()ではないか。それは件の篠ノ之束自身が明言していることでもある。

 馬鹿な妄想を断ち切る。打ち切って、標的に焦点を合わせる。

 なんにしたって装備はそれ一本。だったら近づけさせなければ問題ない。射撃戦闘のセオリーに倣い、接近を許さない。

 驚愕を飲み下し、青い光条が空を走った──。

 

 

 

 俺の右手には《雪片弐型》。攻撃力ならピカイチの大刀だが、そも近づけないなら当たらない。加えシールド装備はなく、接近するのは容易ではない。──だけど負けるわけにはいかない。

 光条が空を渡る。回避する裏側、目まぐるしく思考する。勝利への糸口を掴もうと、今持ち得る最善を模索する。

 オルコットの戦闘スキル。残りのエネルギー。スラスター・ブースター、ともに出力は高い。アリーナの形状。彼我距離。反応の遅延。《雪片》の面積・重量、盾には小さい・刀身の重心は一定。勝利条件──。

 

(……これしか、手はねぇか!)

 

 頭部を狙ったレーザーを躱し、次弾が発射されるまでのその刹那。俺は機体を急反転、直後に加速。オルコットに向かって直進した。

 盾もないし完全に避けるのも無理。だったら簡単、残される手なんて吶喊のみだ。

 シールドエネルギーがゼロになったら負けである。ならば、ゼロにならなければ問題ない!

 

「うぉおおおおおおおおっ!!」

 

 真正面からレーザーが走る。咄嗟に《雪片》を振り薙いで切り裂くが、飛散するレーザーがシールドを削る。そもそも防御兵装じゃないブレードで防げるとはつゆほども思ってない、だから減速せずに突き進んだ。

 無傷で済ませようなんて考えちゃいない。肉を切らせて骨を断つ、なんて大それたことでもないけど、痛みに手をこまねいてるだけじゃ負けてしまう。だから飛ぶ。

 彼我距離は残り一〇メートルもない。届く!

 

 瞬間、俺はPICとスラスターの逆噴射で急停止した──ビビビッ! と、数瞬後に俺がいただろうその場所を、()()()()()()()()()()

 

 間一髪。俺はその寸前で、無数のレーザー照射から免れた。

 しかし休む暇はない。すぐさま、新たな光線が放たれる。

 

【──自立機動兵器《ブルー・ティアーズ》を確認──】

 

(自立機動って……ビットか!)

 

 回避に移る裏側、《白式》がデータを開示した。

 ビット。操縦者の手元を離れて行動する、独立兵器。

 吶喊する中、ハイパーセンサーでなんとか捉えることができた四つの影。嫌な予感はズバリ的中で、急停止は正解だった。改めてオルコットを見れば、非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)からフィンの部分が外れていた。どうにもビットは四枚だけらしいが……クソ、なおさら近づけねぇ!

 心のなかで悪態をつくが、現実はそんなの待ってちゃくれない。

 ビットが迫る。出し惜しみはしないと言わんばかりに、先の戦いは序の口だと言わんばかりに、四基が四基、多角的に線を引く。前後上下左右三六〇度縦横無尽。三次元的な機動を描いて、至るところで青い閃光が瞬く。

 それはまさにレーザーの雨。乱れ撃ちとはこのことか──いや、『乱れ』なんてそれこそ一切ない。正確に、精緻に、見とれるほどに精密に。さっきのライフルに比べれば幾分ズレがあるものの、それでも的確と形容するに相応しい光の瞬き。

 ひねり、止まり、回転して、加速して。止まないレーザーの雨を、それでもと避け続ける。かする。擦れる。削り取られる。エネルギーは半分を切っている。──遠い!

 そんななか、一瞬だけ弾幕が薄くなった。

 どうやらビットがエネルギー供給のために、ビットベースへと帰還しているようだ。その数は二機、ビットの半数──今しかねぇ!

 

「あ──ああああああああっ!」

 

 

 ◇

 

 

「また……躱した」

 

 ぽつり。その口調は思わずといった風のもので、聞くからに自身の意思が混ざっていないものだった。呆然としている、といえばいいか。

 山田真耶は信じられないと言わんばかりに、その試合模様を観るしかなかった。

 アリーナの管制室。そこには真耶のほかに、千冬と箒の姿もある。その三人の視線は、大型の空間投影ディスプレイへと注がれていた。そのモニターに現在進行形で映し出されるは当然、一夏対セシリアの模擬戦である。

 そうやって試合を見守るなか、真耶は呟いたのである。躱した──そこには、『あり得ない』というある種驚愕の色がありありと。

 試合開始の直前、《白式》の調整を終えて管制室にやって来た千冬と箒。そのとき真耶はすでにこの部屋にいて、試合前のアリーナの点検をしていた。点検とはいってもハード面でなく、ソフト面である。アリーナにはこの二人の試合を拝見しようと、かなりの数の観客(とはいえ全員生徒である)が押しかけていたのだ。スポーツ用のリミッターがかかっているとはいえ、アリーナの遮断シールドは念入りに確認しなければいけないだろう。

 件の男性操縦者の試合、加え相手は代表候補生。気にならないわけがない。それは見物客ぐらい集まるだろう。だからそれこそ念入りに、システムチェックを行っていた。

 そうして試合開始一〇分弱。今にいたるわけなのだが……。

 

 放たれる閃光。

 それをかすりながらも直撃を避ける機影。

 

 目前にて展開される試合模様。

 真耶は、一夏に驚愕していた。

 当たり前だ。だって一夏は素人も同じ。そのことは真耶だって知っている。

 この数日ISの訓練・学習に勤しんでいたのだって聞きおよんでいるが、だとしても、そんなの素人に毛を生やした程度も同然のはず。

 それが、今。

 回避という一点において……少なくとも瞬殺されない程度において、一夏はセシリアと渡り合っていた。驚かないはずがない。

 

 一朝一夕で追いつけるほど、候補生は近くない。

 

 自賛ではないが、真耶とて昔は候補生であった。ゆえにその苦労は誰よりも理解しているし、自覚している。代表になることはなかったかもしれないが……その道のりの険しさ、言うにおよばず。そして絶賛その道中にあるセシリアには、国は違えど、拍手と声援を投げたいほどだ。

 だというのに、未だ決着はついていない。

 確かに一夏はブリュンヒルデの弟かもしれないが……けれど結局、弟なだけだ。『強さ』の裏づけにはなり得ない。

 事前資料でもそう。容姿に関しては姉弟そろって最上というほかないし、成績に関しても中の上・上の下と悪くないかもしれないが……それこそそれだけだ。言ってはなんだが、誰かと比べて誇れるようなものは、さりとてなかった。スポーツだとか芸術だとか。およそ才能といえるものは見当たらない。強いて言うなら、()()()()()()()()()()()()()()()()というのがあるのであるが、しかし当然、そんなものは自慢にもならない。まぁ武勇伝ぶる卑小さがあるのであれば別であるが。

 いずれにしろ、中学の成績を見るかぎりでは特筆すべきことなんて、失礼だが、『織斑千冬の弟』ということしかないかもしれない。どころか喧嘩沙汰が多い分、むしろ不良の域にいるといってもいいぐらいだ。……とはいえこの数日の授業を通じて、一夏がとても優しい人柄ということは確信しているが。

 そういった諸々から下された真耶の一夏に対する評価は、平凡。

 ブリュンヒルデの血縁者で平凡とはなにごとか、といわれるかもしれないが、しかし血が繋がっているからって実のところは他人だ。姉が有名だから弟も有名、なんて理屈は成り立たない。あくまで一夏だけにいったら、平凡だ。

 それなのに。

 

 キキッ、と。突然、一夏は加速を中止して減速、急停止する。

 その直後、ビットによるレーザー照射。回避する。

 

 それなのにまるで、相手の行動を読んでいるかのような動き。

 第三世代になることによってようやく実用化され始めたBT(ビット)兵器……しかしまったく、一夏には動揺が見られない。いや、それよりも瞠目すべきはPICを完全に使いこなしているということ。あの機能はそれこそ、一週間でどうにかできるものじゃない!

 おかしい。納得がいかない。辻褄が合わない。

 彼は、いったい、なんなのだ?

 

「どうかしたかな、山田君?」

「え!? あ、いや、えーと……」

 

 そうやって真耶が納得いかないという面持ちをしていると、気づいたように千冬が声をかけた。無論、その声色にブレはなく、この試合模様をさも当然としている確然さだった。

 あまりにも堂とした語調に、真耶はかえって自分のほうが間違っているんじゃないかとういう錯覚さえ覚える。返事に窮するのもしかたないだろう。

 

「……その、先生はなんとも思わないんですか?」

「『なんとも』、とは何かな?」

「ですから……織斑くんの、一夏くんの試合模様ですよ」

 

 心底『わからない』という表情の千冬。なんら疑問を感じていないという表情。

 少々淀みながらも素直な感想を、疑問を吐き出した。

 

「ん、ああそうだな。確かに一夏はおかしいな──」

「で、ですよね! 初心者がいきなり候補生と、」

「────完全に躱し切れていないからな」

「…………え?」

「なあ箒、お前もそう思うだろ?」

「ええ、千冬さん」

 

 ポカン。これが漫画の一コマだったとしたら、きっとそんなカタカナが背景に加えられていたことだろう。

 唖然とした。開いた口がふさがらない。思考に空白が出来たかのような、()

 一瞬か一分か。少なくとも単位をもって測れる数瞬をおいて、真耶はようやく思考を再開した。

 この人はなんと言った? 『完全に躱しきれていない』? ということはなんだもしかして、織斑一夏はまだ本領ではないというのか? いや、それにどうして篠ノ之さんまで納得しているのだ!?

 何度目ともわからぬ驚愕を()く真耶をよそに、しかし千冬は会話の切っ先を箒へと向けたまま、二人だけの会話を展開する。

 

「やっぱり遅いですね」

「そうだな。(おお)(かた)、あいつは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ならばあの挙動にも得心する。寸前で躱そうとしているのだろうなあ」

「その辺りはちゃんと講義したはずなんですけどね」

 

 ため息まじりな箒。しかしそれは落胆といったものでなく、やれやれといった、ある意味慈愛のような色である。

 それも含めて一夏であると、理解者の視線だった。

 そのとき、ドンッ!! という爆音を上げて、《白式》が黒煙に包まれた。

 どうにもミサイルにやられたようで、そのまま一夏は重力をそのままに自由落下していった。

 

「まったくあの馬鹿は」

 

 けれど、そんな事態に箒の言葉は呆れの一言。『きゃあ』なんて悲鳴はおろか、乙女らしい挙動は欠片もない。

 なんとも冷たい態度ともとれなくないが、しかしかえせば、それはこの状況をなんとも思っていないということにほかならず。

 

「そろそろ一〇分だ」

 

 千冬の台詞を肯定するかのように、画面の向こう側で変化は起こった。

 

 

 ◆

 

 

「──You are foolish(お馬鹿さん)

 

 俺が決死の思いで加速してオルコットを間合いに捕えた瞬間、はたしてハイパーセンサーはその笑みまでとらえたかどうか。

 エネルギー補充の合間を狙った急加速。《雪片》を振りかぶり飛び込んだその視線の先、ジャコン、なんて駆動音を鳴らして二本のポールスタビライザーが前面へと向けられた。よく見れば、それはスタビライザーなんかではなく、砲口の開いたバレルであると判り。

 小馬鹿にされたと理解する頃には、二つの砲口が発砲していた。

 そうして放たれるは二基のミサイル。

 真っ向から、真正面から。彼我は五メートルもない近距離で、全霊ともいえるトップスピードで、オマケに盾なんて一切ない刀一本で、俺にそれが迫っていた。

 白煙を引く弾頭がヤケにスローモーションで、しかしかといって回避できるかといえばそんなわけもなく。刀身による防御は間に合わず、停止しようにも減速は手遅れで、避けようにもミサイルは追尾型だ。少なくとも、今のままでは躱せない。

 シールドエネルギーは底が近い。はたしてこのミサイルを受けても大丈夫かどうか。

 数瞬後に、敗北が大口開けて待っているかのようなビジョン。

 

 

 

 ────まだだ。

 

 

 

 『ちくしょう』と思わず毒づきそうなのを内心飲み込んで、それでもと渇望する。

 それでもと、敗北を拒否する。

 俺はまだ負けていない。

 オルコットの実力が本物だっていうのは十分理解しているし、《白式》がおかしいのを理由にするつもりもない。

 でも、

 

(負けることだけは──)

 

 負けることだけは、ダメだ。

 そんなの絶対認めない。許さない。

 敗北からなにかを掴み取るなんて王道展開はいらねぇんだよ。次は負けない? 敗北を知らない人間は愚か? 黙れよ。『負け』を許容する敗北者、そんなもっともらしい生き方を、俺はしたいと思わないんだ。『一期一会』を忌むっていうのは、そういうことじゃねぇんだよ……!

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()────。

 

 ドン!! という轟音。それは俺にミサイルが命中したことを告げる合図で。

 視界で爆炎が咲く。黒煙が膨れる。装甲が煤けて砕けて、PICとは別種の浮遊感……重力に従順な自由落下。

 それをどこか遠くに思いながら。

 

 

 

 

 

【──一次移行(ファースト・シフト)、開始します──】

 

 

 

 

 

 地面に激突する間際、愛しい面影に、手を引かれた気がした。




千冬と箒が名前で呼び合ってますが仕様です。


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第五話【矜持咆哮】

 ES_005_矜持咆哮

 

 

 

 ────気づいたときには、すでにそれが確固としてそこにあった。

 

 気づいたとき。ゆえに『いつから』という疑問に対して、適切な解は示せない。

 もしかしたらここ最近のことかもしれないし、この世界に生を受けた瞬間から、ひょっとすれば前世も前世、(かみ)()の頃からそうだったのかもしれない。いいやきっと、『アイツ』と出会ったその瞬間からか……少なくとも、それを心に生き続けていると胸を張って言える程度の昔から、俺はともにあったのだ。さすがにここ最近やら神代やらというのがありえないとしても、なんにしたって、今からみれば瑣末なことだ。

 だって現在、『それ』は確かなものとして、俺の根幹として、強く心の底に根づいているのだから。

 理由はわからない。理屈でもないだろう。倫理やら利害やら、はたまた理念といったものとも、ちょっと違う。いいやでも、はたからみたら理念とか理想とか、そういった言葉で括れるものだとは思う。しかし純然たる事実として、それは存在の根幹とともにあった。魂の誓言。

 『それ』は俺という存在の根源であった。

 俺が俺として走り続けるための、部品やら燃料やらといった以前の、『走る』という概念そのもの。

 だから、だろうか。

 

 だから黄昏に咲く桜の騎士に、俺は強く憧れるのだろうか──。

 

 強く、気高く、美しく。堅く、鋭く、麗しく。

 圧倒的な強さでもって、徹底的な信条をもって、絶対的な存在でもって、その人は在り続けていた──続けている。

 おそらく、俺がそう言ったらその人はにべもなくやんわりと否定するだろう。そのさまを連想するのはそれこそ難くなく、失笑とも嘲笑ともつかない表情で、きっと『全く』と呟くのだ。無情とか謙遜とか、そういった類いのものじゃなく、本当の純粋に、『そうじゃない』と確信しているのだろう。それこそがその人の信条だったのか。憮然という言葉の本来の意味は、きっとそういう彼女を指すに違いない。

 俺が見続けてるそれは副産物にすぎないと……自嘲気味に口にするのだ。

 でも、彼女は彼女だった。

 その姿に憧れたのだ。それを美しいと感じたのだ。それが尊いと感動したのだ。その気持ちに、嘘はない。

 ゆえにきっと……いや、絶対になくならない。

 俺の内側の中心で輝き続けるそれが、失われるはずなんてないと確信している。それはもう俺だから。それこそが俺だから。それに手を伸ばし続けるのが俺なのだから。

 内に懐く『それ』の体現者、それの後ろ姿。

 いつかそれに追いつくと。

 

 

 俺の誓いは、変わらない。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 差し伸べられた『手』を見たのは錯覚か。

 気づけば俺は、アリーナのグラウンドに一人立ち尽くしていた。尽くして……そう、それこそすべてを燃焼し切ったような、灰色の感情。内部にあるのは炭も同然か、感情も感覚も、およそ生命に必要とされるものが欠如している。絶望的な喪失感。落ちた自分への失望感。

 地面にはクレーター。舞い上がる土煙。観客はどよめいて、墜落したのだということは認識できた。

 ……墜ちたのか。俺は、あそこから。

 遥か上空。視線の先には青い機体──それを()る金髪が、笑みを帯びて見える。(ここ)は私のものだと、そう主張するがごとき図々しさ。

 空を追われた。空を奪われた。

 四肢をまとう装甲はひび割れて、砕かれて、生身を露出して、その本来の役割をなさないと視覚に訴えている。節々の鈍痛。切り傷でもあるのか、出血もままみられる。どくどくと、生命の流出。空を抱いていた翼はもがれ、全能感は消え失せ、脚は地についた。

 右手は剣を握っている。それでなにかを掴むなんて不可能で。剥がれた装甲、左手は素手……そこに感じた温もりは、きっと流れ出た血液が伝っていっただけだろう。

 視界が遠かった。音が遠かった。感覚が遠かった。

 すべてが俺を置き去りにして、ずっと先を進んでいるような──否。

 

 否、俺がすべてを置き去りにしている。

 

 その空隙、まさに万劫。意識が光の速さでブッ飛んで、刹那が延々引き伸ばされたような時間感覚。(たが)う中身と(そと)()

 空白。無地で無垢で純粋な、俺だけの空白。

 外と中にズレがでて、開いた隙間が拡大する。置き去る速さが速いほど、取り残されて距離が開く。二つの(あいだ)が白になり、俺の中身は空白へと変容する。

 ゼロだった。(ゼロ)で、(ゼロ)で、(ゼロ)で──(ゼロ)だった。

 織斑一夏という存在は、今この瞬間ゼロになった。

 

 

 

 ────いいや違う。

 

 

 

(……まだだ)

 

 俺は決してゼロにならない。

 未練とか根性とか奇跡とか、そんな要素の一切のない、純粋生粋の大前提。

 喪失、落胆。馬鹿を言うな、寝ぼけてんのか。与えられたものに満足してんじゃねぇよ。墜とされたことに打ちひしがれてる暇ないだろ。失くしたわけじゃない。失ったわけじゃない。

 俺がゼロなんてありえない。その理由を知っているだろ。

 憧れたんだ。追いかけたんだ。輝かしいと手を伸ばしているんだ。

 永劫不滅、永久不変、永遠不屈──俺のなかに在り続ける『それ』が、なくなるはずなんてないだろう!

 

(まだ、負けていない)

 

 『それ』が白く瞬いて、満たしていた空白を身体の隅へと押しやっていく。感情が生まれる、感覚が起きる。光になったなんて錯覚を笑い飛ばして、中身が(そと)()と邂逅する。中身は燃料、(そと)()は部品──そして『それ』を根幹に。再構築とか再誕とか、そんなそれっぽいものじゃない。

 ただただと、気に入らない『ゼロ』を追い出す単純作業。

 無いことをゼロという。空っぽのことをゼロと称す。人には絶対にゼロの部分があって、だからそれを満たすために生きているのだ。

 

 ゼロじゃなくても、ゼロはある。

 

 だからゼロというのは悪いことじゃない。生きることが悪のわけない。むしろそこが広い分、きっとたくさん詰め込める。俺はそのゼロがきらいなだけ。生を否定しているんじゃなくて、ゼロであり続けることが我慢ならないだけ。なににも満たされず、成れず、変われない。そんな空白がいやなだけ。俺はその空白を淘汰したい。そのなかをいっぱいにしたい。

 その隙間をなにで満たすかは人それぞれだろうけど、俺がそこに内包したいのは決まっている。

 

 とどのつまりゼロなんて、『一』に至るための道程なのだから。

 その『飢え』は必ず、俺の力になる。

 

 圧迫されて圧縮されて、追いやられて居場所をなくして。行き場を失った空白が流出する。俺の内側を確固として、ゼロの存在を体外へと追いやって──いいや、外界という居場所を与えられたそれは形をもって、俺だけの『()()』を出力する。それがかたどる。

 ──初めてISに触れたとき、俺は確かに思ったんだ。空に。あの大空に。願ったんだ。

 だから、なぁ《白式》。お前は俺のためにあるんだろ? だったら俺が望む形は一つだけだ。

 俺は、蒼穹(あそこ)にたどり着きたい。

 『それ』を胸に、渇望をともに……いこうぜ《白式》。

 ()()()()()()()

 

 

 

 刹那、砕けた《白式》が発光し──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 光が像を結ぶ。閃光が輪郭を縁取る。ひかる粒子が集束して質量を持つ。

 煤けた装甲は磨かれたように一新され、砕かれた腕部は無骨を捨ててしなやかに。図太いだけだった脚は、きっと贅肉をこそいだらこんな感じだろうという、たくましさを帯びて。視界はクリアー。透明なまでに世界が鮮明。もぎ取られた一対の推進翼は、ずんぐりとした殻を破り、四枚の(たい)(よく)へと昇華した。さしずめそれは、空を掴まんばかりの雄々しさか。

 輝かしい白の装甲と、細部を縁取るわずかな青。ともに青空を思わせる清爽の具現。

 溶ける。皮膚と装甲との境目が、混ざり合って溶け合って、それすらも俺なのだと、外殻と肉体とを曖昧にする。ISと融合する。

 右手に大刀、名を《雪片弐型》。確然とする意識の中で、握る手のひらはより一際と鮮烈に。

 左手は(から)。あるのは青いマニピュレーターのみ。しかしだからこそ、それがいい。

 どこまでも機械的、純白の騎士の鎧。

 

 今ここに、姿を持った(ゼロ)が顕現した。

 

 

 

「……一次(ファースト)移行(シフト)……?」

 

 ──はたして幾度目となる驚愕であったか。その回数は両手の指折りで数えるに足る程度だが、しかしそんな数字の上での話なぞ関係なかった。愕然としたのだ。候補生が、候補生が一般人に驚きをおぼえているのだ。

 喫驚するセシリア。その視線の焦点、そこに現れた真っ白のIS。

 つい先刻までねずみと大差ないみすぼらしい灰色をたたえていた装甲は、しかし突然の閃光とともに打ち払われ、新たに目線が向かう先、地に立つは清潔なる白の姿。

 一次移行(ファースト・シフト)。それしかあり得なかった。

 ISが個人の専用機となる前段階、初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)によるパーソナライズ。戦う前に行われるべき必須作業。

 それが。今。

 目の前で行われ、完了していた。

 そしてそれが示すは一つの事実。

 

(初期設定のまま……わたくしと渡り合っていたっていうの……!)

 

 舐められていた、という屈辱よりも、しかし圧倒的なのは驚愕の重み。

 落としたのだ。墜おとしたはずなのだ。

 ビットによって行動を制限し、あえて隙をつくり、誘導した上でミサイルによるカウンター。徹底した。本来ならば素人には振るわれないだろうビットまで持ち出して、奥の手たるミサイルまで用いて、その末見事、撃墜した。勝利のために手を尽くした。尽くしたのだ。

 それなのにどうして、

 

「どうしてあなたは立ち向かってくるんですのッ!!」

 

 

 

 オルコットが喚いていた。

 悲痛な、ともすれば泣き出しそうな声だった。激情が響いていた。

 なぜお前は倒れないのだと、なぜ起き上がるのかと。

 俺は地面を踏みしめながら、けれど痛ましさすらある彼女の声に、なんら感情をブレさせることはない。

 冷徹、じゃなくて。

 冷酷、でもなくて。

 ただ一念。たった一つの答えを俺のなかで回している。俺の心に走らせて巡らせて、ほかの一切とを受けつけない強固な決意を持っている。無感動でも無感情でもなく、すでに決した俺の思いの前で、いまさらお前なんかの怒りに尻込むはずなんかないだろう。躊躇うなんておかしいだろう。

 どうして立ち向かう? それこそいまさら、簡単だ。

 

「負けたくないからに、決まってるだろ」

 

 その一言に尽きる。その一言で片がつく。

 面倒な理屈やら理論やら、至極もっともな大義名分。そんなの四の五のこねくり返す前に、織斑一夏は知っている。

 負けてはいけない。負けるのはダメなんだ。

 負けていては(そこ)にいけない。負けていては誰かを守れない。負けていてはあの人に追いつけない。

 ゆえにつまり、俺なんてもんは終始それで完結し、解決しているからこそ突っ走る。

 難しい説教もありがたいご高説も、それにならなきゃ意味がない。

 自分に素直に、自分に真っ直ぐ。

 だから俺は負けたくない。

 負けたくないなら乗り越えろ。乗り越えて飛び越えて、敗北を否決して証明しろ。

 織斑一夏を、証明しろ。

 

 

 

()くぞ、セシリア・オルコット。(そこ)は俺の場所だ」

 

 

 

「黙りなさいッ!!」

 

 吼えるオルコットに呼応して、四基のビットが動き出す。

 その機動はさっきを精密と例えるなら、獰猛。

 荒々しいと称してあまりある気迫でもって、四頭の猟犬が牙を剥く。速い。早くて、速い。感情の迸る猛々しさ、ある種盲目的な鋭い軌道。

 それを認識する()に、その銃口が一斉に瞬いた。レーザーの威力が倍増されてるかと見まごうかのかという、裂帛の射撃。

 その凶牙を。

 とっ、と軽く地面を蹴ってサイドステップ。PICでわずかに浮遊し、足首のスナップで()ねるイメージ。

 俺はその一連の動作でもって、迫る光条を完全に回避した。

 

「なっ!?」

 

 空から息を呑む音が降ってきた気がするが、しかし考えれば単純なこと。

 俺で焦点を結ぶレーザーだ。だったら必然、そこからズレれば当たらない。

 先ほど俺が立っていた位置に、さらなるクレーターが創造される。赤く焼ける土、舞うは砂煙。その軌跡を見るに、躱すのが遅れていたら、俺の四肢はバターになってグラウンドを塗りたくっていただろう。まぁシールドバリアーがあるからあくまで想像だけど。

 

(……動ける)

 

 がしゃり、とマニピュレーターを開閉する。握り締めるように、確かめるように。その動作に遅延はない。ちゃんと俺の意思で動いている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 人馬一体。俺と《白式》が繋がっている。俺そのものがISになったような、いや、ISが俺になったような。ともすれば不気味なまでの一体感。

 これならいける。これならできる。

 

 ──さぁ、飛び立て。

 

 地面を蹴り上げると同時、ゴゥ! と四枚のウィングスラスターが唸る。轟々と大気を無理矢理に破るさまは傲岸にすぎ、空を渇望して一層と吼え猛る。圧倒的な加速力。新たに与えられた四枚の大翼は、音速すら突き放さんと、力強くエネルギーを放出する。

 その迅速が向かうは蒼の騎士、オルコット。もうじき夕暮れへと移り変わる大空を背景に、未だ飛び続ける蒼の翼。

 (いくさ)()にあるまじき驚愕を携えるそのさまが、今ではひどく近かった。

 

「ッ!」

 

 しかしそれでも候補生。惚けていたのも一瞬か、速やかに放たれた青の一条は、賞賛で讃えるに値する。大口径のレーザーライフルが真っ向から閃光を飛ばす。

 むしろ惚けていたのは幸いか、先に加速に入ったゆえ、俺が軌道を変えるのは容易ではない。カウンターレーザー、候補生は運まで味方につけるか。

 まぁもっとも。

 

 ボッ! と、《白式》が()()()方向転換する。

 

 今の《白式》ならば、問題はない!

 紙一重とはこのこと。脚部をかすめるように回避して、直後にPICの方向転換。オルコットへと(はや)()ぶ。──捕えた。

 

「《インターセプター》ッ!」

 

 俺が《雪片》を振り下ろすのと彼女が武装を展開するのは同時だったか。

 ギャギン!! とした金音は、火花を散らして俺達の前に咲き誇る。

 ライフルを投げ捨て、代わり、現れたのはショートブレード。片手で担架できるそれが、バリアーを裂く寸前で《雪片》を押し止めている。こんなものまで持っていたのか。

 ギギギ。耳障りな鍔迫りは、質量の差か機体の差か、わずかながら俺に分があるようだ。

 しかしかといって単純に押し切れないのはオルコットの技量だろう。近接特化である《白式》を前に、《ブルー・ティアーズ》はなおも一本のブレードでもって立ちふさがる。

 

「さっすが、候補生。射撃だけじゃなくて、近距離戦までこなすのかよ」

「…………」

 

 パワーアシストがあるとはいえ、単純な競り合いならばやっぱり筋力というのは重要なファクターだ。アシストされるべき地の筋力が高ければ、やはり得られる結果も増大する。正味俺だって男の子、力比べで負けるものか。

 

「……じゃ……りません」

「あ?」

「ふざけるんじゃ、ありません……!」

 

 火花の向こう側、俺を見据えたその目は赫怒の一色。キッ、とした鋭利な眼光は、燃えるが如き鋭さで怒りを放っている。最早怒りというより、憎悪か。

 その瞳は、見とれてしまいそうな綺麗な瞳は、ただただ燃ゆる蒼の激情だ。純粋というほかない真っ直ぐな視線が、怒りを孕んで俺と繋る。線を結んで火花を散らす。

 

「男のくせに……努力もしてないくせに……」

 

 憤怒のもと、吐き出されるのは無自覚か。

 (こころ)(うち)で叫びを上げているような、悲痛な声。

 

「与えられる、だけのくせに……!」

「……与えられる、ね」

 

 ようやく、オルコットの本心が聞けた気がした。

 『努力』。

 つまり彼女は、終始これの有無に苛立っていたらしい。その怒りは至極もっともだ。候補生である彼女なら、なおのこと当たり前の感情だろう。

 国家代表や候補生、その他企業に属するテストパイロットの方々。そういった人達は、いってしまえば努力家にほかならない。

 才能だけではダメで。努力だけでもダメで。

 その二つを持った上でさらに己を磨き続けて──オルコットは、そこにいるんだろう。

 だから許せないんだ。

 努力しない者が、与えられる者が、勝ち取ろうとしない者が……許せないんだ。

 結果や報酬っていうのは対価が必要だ。代償を払って手にするべきだ。

 そんななか、俺みたいなやつのこのこ現れて、専用機を与えられる……候補生じゃなくったって『ふざけるな』ってところだろう。むしろ俺だってそう思ってるぐらいだ。

 だからそんな俺が馬鹿にされるのは甘んじて受け入れる。努力の有無以前、その怒りはもっともだ。

 でもさ、だから納得できないんだよ。

 

「……だからってさ」

「……なんですか?」

「なんでそんなお前が、ひとを馬鹿にしてるんだよ」

 

 お前の苦労を『理解できる』なんて知った風なことは言わないよ、言えないよ。そんなことを軽々しく口にするほど、軽薄じゃないよ。その努力は、想像を絶してあまりあるに違いない。知ったかぶって共感するなんて、それこそ最低の侮辱だろう。

 ひとの努力なんてそう簡単に推し量れない、共感できない。認め称賛はできども、『理解』などと自尊することは自分勝手の極みだ。オルコットだってそんな安々とした同感同意、願い下げて蹴り返すはずだ。

 そんな誰よりも努力をしてるお前が……どうして誰かを馬鹿にしてるんだ? 『自分だけが努力している』だなんて態度をとれるんだ?

 苦しかったろう、辛かったろう。投げ出して逃げ出したいことだってあったろう。

 それでも走って、求めて、足掻いて貫いて──そうしてお前は候補生の座に至ったんだろう?

 なのにどうして他人を見下せる、罵れる。知ってるはずなんだろう? その辛苦、その苦難。誰しもなにかと戦っていると、理解しているはずだろう?

 なぁおい英国貴族、お前の『誇り』ってその程度なのかよ。

 

「……男に聴かせる言葉なんて、ありませんわ」

 

 静かに告げられた言葉は、けれどやっぱり見下したもので。やはり『男のくせに』というのに帰結した。

 それだけは譲れない、といった頑たるもの。

 火花咲く鍔迫り合いのなか、俺達の思いは決裂する。その善悪を問う前に、曲げられないものがあるのだと主張する。

 互いに退けず、譲れず、許せない。意地を張り、意思を貫き、矜持を(うた)う。しかし目の前に立ちはだかる者がいて。

 退けないのだから踏み込むしか道はなく、譲れないのだから押し通り──許せないのだから許さない。

 ならば否決して貫き通せ。互いに譲れないなら、なんてことはない。己のために乗り越えろ。それだけだ。それだけでもって誓言に従事しろ。自分を謳い上げろ!

 そうして均衡が崩れる。

 フッ、と一瞬オルコットのブレードから力が抜ける。押し切ろうと力んでいた俺は、急に応力がなくなったことで姿勢が前のめりへと崩れ──次に行われるであろう攻撃を予知して、右に向かって急加速。

 直後、オルコットの腰部に備えられたミサイル砲が発砲した、瞬間に爆発。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「────ッ!」

「く……っ!」

 

 近距離でのミサイル発射。自分を巻き込んでまで、俺に当てるつもりだったんだろう。一見すると自殺行為にみえるそれだが、しかし現状、俺とオルコットのシールドエネルギーは天と地だ。その戦法は現時点にかぎり、正攻法とも呼べる。

 自分を省みない、勝利への執念。

 それを予期して回避したとはいえ、しかしさすがに距離が足りないか。側面から爆風が襲いかかる。ただでさえ少ないエネルギーに、追い討ちをかける爆炎が鬱陶しい。

 しかし予測していたからこそ、俺はそれを利用する。

 爆風に吹き飛ばされることを活用し、スラスターでさらに加速する。一次移行(ファースト・シフト)によって増強した出力が、追い風を受けて跳ね上がる。緊急回避。

 ──しかしそれすらも織り込めるのが候補生か。

 

 俺が加速したその先へ、()()()()()()()()()()()()

 

(八本──?!)

 

 驚愕は俺の番か。瞬く閃光は見間違えなんかじゃなく八つ。()()()()()()()()()()()()()

 それを認識するより速く、俺の意思はスラスターへと送られる。

 ゴゴゴゥ!! と大気を打ち震わす噴射音。四枚のウィングスラスターを別々に動作させ、青い猛攻に挑みゆく。大出力のスラスターにもの言わせた力技。PICも総動員させるが、それでも体に負担がかかる。

 だけどそれすら、躱し切って生き延びる。

 

 

 

(これも──!?)

 

 ──自身のシールドバリアーすらも犠牲にした攻撃は、しかしまた躱された。

 しかもとっておきもとっておき、八枚のブルー・ティアーズを使ったのにだ。

 《ブルー・ティアーズ》には常時展開させている四枚のビットの他に、予備としてのビット一式が格納されている。しかしそれは、あくまで予備としてのビットであり、多重に展開するためのものではない。それをなかば無理矢理に稼働させた。

 そんな無茶を選択肢に入れなければならないほど、織斑一夏は常軌を逸していた。……しかしそれも、破られた。

 確かにブルー・ティアーズ八枚運用というのはそもそもの集中力が段違いで、狙いだって当然に逸れる。

 しかしそれを差し引いても、全部避けるなんて信じられなかった。腹の底から悔しさが這い登る。

 なんで、どうして、と。苛立たしいまでに当たらない。冷静さに欠いている。それを自覚はするが、しかしさすがに自制がきかない。

 

『なんでそんなお前が、ひとを馬鹿にしてるんだよ』

 

 そんな時。ふと、脳裏を()ぎったのはその一言。

 今眼前にて忌々しいまでに回避するその声が、思い出された。意図してのことじゃない。さりとて心に残った覚えもない──いや、だからこそ引っかかるのか。

 

(……お父様)

 

 その言葉に引っ張り上げられて、想起するは父親の言葉。

 今は亡き、最愛たる父親の一言。

 ……それを改めて口にする必要はない。

 その言葉はずっと、セシリア自身の胸に刻まれている。心の核として、確かに存在の中心で輝いている。

 だから──諦めるな。狙いを定めろ、トリガーを引け。

 セシリア・オルコットは、『強い』のだ。

 

(『弱い男』なんて──)

 

 多重展開のビット射撃を躱し切る寸前、再びミサイルを発射させた──。

 

 

 

 回避という一点において俺は自信があるが、しかしさすがに限度はある。

 放たれた二基のミサイル。タイミングはバッチリビットの回避直後、絶妙だった。ハイパーセンサーで察知はできたが、しかし即座に稼働できるスラスターがなかった。

 けれど負けられないから、死力を尽くして抗うのだ。

 

(お──おおおお!)

 

 ミサイルが迫る、その軌道上。俺は()()()()()()()()()()()。ロングブーツを脱ぐ感覚に近いか。大気に触れる素足。蒸れていたのか、ひんやりとした外気がくすぐったい──などと感じる暇もなく。

 ドドンッ! 俺に着弾する前に、分離した脚部へと激突した。広がる爆炎、増殖する黒煙。間一髪の攻防。

 

「なっ……!?」

 

 その驚愕にも慣れたものだけど、まぁ俺だったとしても驚いていたね。なにせ自身を守る装甲を手放したのだから。……でも馬鹿だとは思わない。そうまでしてでも負けられないのだ。

 たゆたう黒煙。煙幕として澱んでいるその向こう側、オルコットはビットを向けようとはしていなかった。ハイパーセンサーがあるといえど、やはり闇雲に打ち込むのは下策と判断したのか。しかし、そこからは煙幕が晴れた途端に打ち抜くという気概が感じられる。全霊の闘志。

 今改めて、ぞくりとした戦慄を感じた。

 ──だから、お前の力を使わせてもらうぞ《雪片弐型》。

 負けられぬ。諦められぬ。認められぬ。だから超える。

 俺の憧れの投影よ、俺の渇望の具現よ。俺はお前をとことん使いたおすと決断したのだから。

 夕暮れよ。俺の想いに応えてくれ。

 《白式》よ、ともに黄昏を駆け抜けよう!

 

「お──らぁああッ!!」

 

 俺は煙幕を突き破り、そして《雪片》を投擲した。

 

 

 

「────っ!!」

 

 ──飲み込む息を気力で制した。もはや驚愕なんて関係ない。目前すべてを踏破して、己を貫き主張する。

 そして迫るは《雪片》と《白式》。ブレードから持ち替えたライフルのスコープのなか、二つの標的が現れた。

 回転して唸る大刀雪片。全力をもって投げ放たれたのか、それはすでに一個の遠距離武装。

 それをもってしてもセシリアは冷静だった。《雪片》を投げつける。それはそれで脅威だろう。しかしそれはチャンスでもある。

 なにせ《白式》には、《雪片》しか武装がないはずだからだ。無論、セシリアは《白式》の装備を知らないが……おそらく、というか確実に遠距離装備はない。今まで頑なに接近しようとしていたのだし、そも初心者がいきなり射撃戦闘を行うとは考えにくい。少なくとも、接近しなければ真価を発揮しない装備しかないはずだ。なのに、その《雪片》を自ら(ほう)ったのだ。これが好機でなくてなんという。

 

(まずは、撃ち落とす)

 

 《雪片》を投げた意図はわからないが、少なくとも避けるなり撃ち落とすしなければ、当たる。

 そしてセシリアの選択は撃墜。回避後に《白式》を狙うという手もあるが、しかしそれだと射撃体勢を整えるという工程を踏まなければならない。ならばすでに万全である現状のまま、連射したほうが全然早い。

 躊躇わず、トリガー。

 ガィン! と弾ける金属音。撃ち抜かれた《雪片》が光の粒子となって消えていく。所有者の手元を離れたのだ。必然、量子化して格納され……まて、量子化、だと?

 

(まさか──!?)

 

 

 

 オルコットが真上を見上げたが、もう遅い!

 彼女が呆と視線を向けた先、そこには、

 

 

 ────()()()()()()()()()()

 

 

(雪片ァ!!)

 

 ──武装の再展開。

 右手に握る大刀に、呼びかけるように思いを巡らす。すると灰色の刀身に光が走り、そこをなぞり開いて『展開』する。そのさまは、巨大な鍔とでもいうか。刀身のない刀──だから刃を想像しろ。唯一無二の、霊光の夢幻。結末に至るその武威を。

 そして現れるのは青白い輝く光の刃、エネルギー刀。

 真なる《雪片》が現れた。

 

(……負けないから)

 

 黄昏を迎える大空のなか、白の翼が落下する(とんでいく)

 それは辿るような軌道。幾度なく見た──焦がれ続けた彼女の姿。

 その軌跡をなぞって、俺は飛ぶ。

 

(俺はもう、負けないから)

 

 落下して加速する機体。素足で空を踏み締める。四つの大翼で空を背負う。

 展開した《雪片》が輝きを増して、走る渇望が加速する。

 さぁ決めるぞ織斑一夏。曲りなりにも雪片(こいつ)を握っているのだから、無様なさまはさらせない。

 走れ、走れ、走り抜け。この黄昏を疾駆しろ。明日(あした)へと向かうこの瞬間、一分一秒、刹那すらも飛翔しろ。今を切り抜け、()()を欲しろ。

 すでにこの身はそのためだけの存在に他ならず。空白をまとう白の翼。それが求めるその一念、それだけの単細胞になり下がれ。

 

 

(『アイツ』にだって、負けないから──!!)

 

 

 そして、俺と残像が重なって。

 

 

 

「ォォオオオオオオオオッ!! ────零落白夜ッッ!!!!!!」

 

 

 

 俺はオルコットを、切り裂いた。

 

 

 

 

 

『試合終了。勝者なし──ドロー』




織斑一夏は負けたくないのです。

2014_09/20
五話タイトルを【零落白夜】→【矜持咆哮】に変更。


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第六話【深夜手当】

 ES_006_深夜手当

 

 

 

 サアアアアァァ、と。

 細やかな水しぶきが肌に落ちる。当たって、弾けて、砕けるように。しかし決して強くない、柔らかな感触。シャワーが降り注ぐ。

 第三アリーナのシャワールーム。熱めに設定されたお湯を吹き出しながら、シャワーノズルが機械的な音を鳴らす。雫の雨を機械的と感じてしまうほどに、その部屋は静かであった。響くのは流れ出るお湯のしぶきと、どこか遠くで駆動している水道管の振動。

 その部屋唯一の住人、セシリア・オルコットは、それほどまでに物静かに、お湯の流れに身を任せていた。

 

「…………」

 

 ある意味、これは静謐か。

 普段なら雑多に聞こえたりするシャワー音でさえ、今の彼女の前では自然現象にほかならない。それほどまでに、セシリアの存在感は薄まっていた。

 白い肌にまばゆい金髪。しゅるりと細く長い手足に、同年代よりいくぶん発育しているであろう乳房。長いまつ毛が縁取る青い瞳は、シャワーの熱によって色づく頬と相まり、年不相応ともいえる色気を醸し出している。が、それを上塗るほどの、打ち消すほどの、存在感の希薄さ。シャワーのお湯によって、存在を希釈されていると表現されても、今にかぎってはなんら違和になることはないだろう。

 否、呆けているというのか。

 

(……先ほどの試合)

 

 ようやくか。一体どれほどシャワーを浴びていたのか知らないが、しかしやっと彼女の思考がめぐり始めた。茫洋としていた意識がどうにかまとまりの兆しをみせ、人間らしい思考を取り戻す……無論、その焦点はつい先刻の試合であった。

 模擬戦。織斑一夏との、『決闘』。

 

(……引き分け、ですか)

 

 正直、どうやってシャワー室までやってきたのか定かではない。試合終了直後、どのような手順で、道筋で、自分はここにたどり着いたのだ。ISスーツを脱いだ記憶も、そもそも歩いた記憶さえ曖昧だ。

 もとより記憶なんてものは曖昧にすぎる。自身の主観によって、あるいは第三者の言葉によって、それこそ誰かに観測されることによって『肯定』されるこの世界にとって、いくら自分だけのものと言い張ろうと、それが一〇〇というパーセンテージを満たすことはありえない……が。そんな脳科学的・哲学的なあれこれはさておき、事実として、彼女は試合後の記憶が不確かだった。

 ──とはいえ。

 

 

()()()()

 

 

 その事実を、一言一句と心のなかで噛み締める。

 試合そのものの記憶は、驚くほどに鮮明だった。それが鮮烈にすぎるからこそ、今までの感覚があやふやだったのかもしれない。それほどまでに、苛烈、峻烈。

 引き分け。

 代表候補生であるこの自分が、高々一般生徒の一人に、しかも男に、引き分けた。──その事実、どこか遠くのことに感じながら、しかし繰り返す内心が結果を肯定する。

 よみがえる試合模様。決闘の過程。

 途中まで圧倒していた。一撃目から全霊で、己が技術でもって全力で。徹底した。徹底して徹底した。技能を晒し、気合いを入れ、策を弄し、どころか限界を越えた戦いをしたといっていい。少なくとも、今持ち()るカードすべて、現在行えるであろう選択すべて、それをもって受けて立った。

 勝ちを狙った。なのに。

 

(ですのに、引き分けた……!)

 

 それがいかほどの衝撃であるか。

 勝つと誓った。勝ち続けると誓った。『負けなかった』という解釈はどうでもいい。ただひたすらに、『勝てなかった』ということが腹立だしく苛立たしい。

 その忌むべき相手の姿、顔。今だからこそ鮮明に。

 白の翼、英雄の大刀──ああ、確かに彼は与えられるだけの者だろう。なんの苦難すら超えたことのない、土の苦味も知らない素人だ。悠々ただただ、座して待っていた愚か者だ。……それに、勝てなかった。

 

『なんでそんなお前が、ひとを馬鹿にしてるんだよ』

 

 その一言。

 ああ、自覚はする。事実、セシリア・オルコットという人間は、他人を見下しがちにあるだろう。それが決して褒められたことじゃないのは承知しているし、改めるべきだろうとも考える。とはいえ第一、誰も彼にもそんな態度をとっているわけじゃない。その切っ先が向くのはごく少数の輩達だ。

 努力をしない者がきらいだった。

 現状を良しとして、それに抗わない者がきらいだった。

 たとえば、そう。ISに抗わない男とか。そういうものに強く当たってしまう。

 すべてに『否』と、斜に構えろといっているんじゃない。万事にことごとく食ってかかるような、第一に否定から始めるような少年の考えを指してるんじゃない。

 ただ今を甘受するだけ……そんな怠惰が、心底疎ましいのだ。

 セシリア・オルコットは努力の人だ。それは自負しているし、事実そうだし、そうあろうとしてきた。なにせそれが最愛なる父親の言葉であったし、仮になにも言われなかったとしても、セシリアはその『あり方』に共感していただろう。

 

『セシリア……私は駄目な男だ。駄目な夫だ』

『どうして、お父さま?』

『幼い君でもわかるだろうが……私は、何もできない男なんだ』

 

 幼子の記憶……思案という段階を踏まずとも、その記憶は容易に思い起こせる。

 『何もできない男』──その言葉の通り、父親はなにもできない人だった。しかしそれは、なにも彼が無能でクズなろくでなし、ということではない。真面目で誠実で、人あたりもよく、セシリアからすれば良き父親でもあったし、彼女の母親も心から愛していて──なにより努力家だった。

 だが、しかし。

 

『駄目な、父親なんだ』

 

 彼は、努力が実らない人であった。

 

『そんなことありません! お父さまががんばっているのはわたくしだって、お母さまだってしっています!』

『ああ、ありがとう。だがね、だからこそ、なんだよ。私の努力を君たちは誰よりも理解してくれていると思う……だから私は、それでも何もできない自分が恥ずかしい』

 

 父親は決して無能ではなかった。有名な大学を次席で卒業していたし、それに満足しないで努力し続けてもいた。ただ、でも。

 それでも……その努力は、ついぞ実ることはなかった。その『結果』が、ゼロの終点が、父親を惨めな『無能』という存在に押し()めていた。無能ではないのに、無知ではないのに……それはセシリアのみならず、母親だって真に、深に承知していた。

 その結果、母の負担が増していった。母親はそれに怒りを露ほども感じていなかったろう。そんな父親の姿を知っているから、努力し邁進しようとする姿を知っているから……ゆえ、より一段とがんばるのだ。父の分も働こうと、がんばろうと。彼が一層努力に(のぞ)めるように……それが、父親には心苦しかったのであろう。

 『結果を淘汰する過程はない』。努力の過程だけで測れるほど、世界は甘くないのだ。

 

『「私は無能だ」、っと、これはアイツの口癖か。いけないな。これじゃあもう、彼をたしなめることはできないよ。……とはいえ、セシリア』

『……なんでしょうか?』

『君は、努力するんだ』

『…………』

『何も実を結ばない私が言うのもあれかもしれないが、それでも、君は努力をするんだ。確かに君は私の子だ。でも、母さんの子でもある。セシリアはきっと、努力すればするほど結果が得られるはずだ。

 ……ふふ。親バカ、ではないよ。私は君のなかにそういう可能性を見ている』

『可能性……』

『現状に甘んじるな、とは言わない。すべてを否定するのはそれこそ馬鹿げているだろう。

 だが、「それでも」と言う力強さを忘れないで欲しい。強く立ち続けて欲しい』

 

 彼の口から言われるからこそ、その言葉は薄っぺらく感じてしまう。結果を残せない負け犬の言葉だと、人は解釈してしまうだろう……けれど、セシリアにはそんなことなくて。その一言に、強く胸を打たれた。他人からすれば惨めに映るだろう男の言葉に、とても強く惹かれた。共振した。熱く加熱するその心臓を、今でも失わず知っている。

 それに事実、幼いセシリアにも、がんばってできないことなどないという自負があった。

 才気にあふれる母親、努力家の父親。尊敬するその二人の血を受け継いでおいて、自分が現状に甘んじるなんてありえない。

 綺麗で、厳しくて、強くて、でも優しくて、父を愛していた母。真面目で、努力家で、真摯で、でも脆くて、母を愛していた父。両親に愛されていたという自覚は考えるまでもなく、そして自分も二人を愛していた。自慢の両親だった……だった。

 過去形。今さら語るのは無粋かもしれないし一際陳腐に聞こえるかもしれない。しかし事実。

 

 セシリアの両親はもういない。

 

 もう三年も前のことか。あり(てい)に言って事故、それが二人を亡き者にした。大規模な鉄道事故。両親だけでなく、多くの人が死んだ。

 二人が旅行に向かったときの出来事だった。少し気を使って夫婦水いらず……などと考えて、こうなった。

 当然泣いた。己に怒りを感じた。ともすれば『自殺』の一言を選択肢に入れさせるほどに……でも立ち上がった。

 『それでも』と、踏ん張った。

 後追いの自害など両親は望まないとか、そんな故人を慮ることはしなかった。もとを辿ればセシリアにも非はあるかもしれない、原因かもしれない。第三者からしたら冷血にも劣る、それこそ冷徹な女に思われるかもしれない。だけど立ち上がって、前を向いて、生きている。

 

 それでも──それでも、わたくしは抗わなければいけないのだ。強くあらねばならないのだ。

 

 死者を乗り越えるなんて大仰なものじゃない。しかし二人の娘なのだ、二人に愛されていたのだ、愛していたのだ。だったら止まる道理など絶対にない。勝利を目指して勇往邁進、『オルコット』に恥じぬ生き方を。

 残されたオルコット家頭首の座と莫大な遺産。道は二つあった。

 一つ、父の遺言だ。フランスにいるという、父母共通の大学時代の友人夫婦。彼らの養子になるという道。

 そしてもう一つ。それはオルコットの頭首として生きる道。言うまでもなく、永遠万苦の人生にほかならない。

 

 逡巡すらしなかった。

 セシリアは頭首として戦う『未知』を選んだ。

 

 戦いの日々だった。遺産を狙う下賎な大人と対するために勉強し、名誉を汚さぬように毅然とした。

 そしてなにより、父を無能だと罵る馬鹿を黙らせるため、母の娘だと胸を張って言うため、努力し続けた。

 父の言葉通りか、結果は必ずついてきた。しかしそれに満足せず、一層の努力を惜しまなかった。

 そのなかでISの適正が発覚し、《ブルー・ティアーズ》──BT兵器運用試験者に抜擢、さらには候補生にもなった。並み居る強豪を押し退けて、セシリア・オルコットでい続けた。

 その成果だろう、父を蔑む下衆はいなくなった。……しかし代わり、湧いて出たのは、どこまでも軟弱な『男』の群れ。遺産が目当てか、オルコットの家名か、はたまた自分の体か……自分でも、容姿が人並みではない程度に整っているのは知っている。自覚というのは努力する上でも重要なファクターであるから、ともあれ。見え透いた下心で近寄ってくる輩があとを絶たなかった。なんと……なんと奸佞な存在だろうか。

 そんな男どもと自らの最愛、父を重ねて見てしまう。

 

『ああ……男というのは、こうも弱いのか』

 

 改めて、自分の父親を誇りに思った。そんな父と結ばれた母を羨ましく感じた。

 ISが跋扈するこの時代。もはや気骨ある雄など絶え失せたか。『それでも』と上を見続ける気概なんて、どこにも一切ありはしない。卑小で矮小。ある意味、世界は死んでいた。

 だからセシリアは、ことさらきつく、男性に接してしまう。()(くだ)して()()ろして、差別する。褒められたことじゃない……しかし、それに共感する部分があることも、一概に悪いと断ずることもまた、できないはずだ。

 人は、そんな考えを、気持ちの持ちようを、傲慢というのだろうか? だったらそれでいい、そう蔑まれていい。そんな非力をはやし立てることが正しいなら、自分は愚かしいまでに驕溢とする女でいい。

 

 そんななか、現れたのが織斑一夏という男だ。

 

 初めて、自分に食ってかかった存在だった。

 そのときのセシリアの感情は──もちろん『気に食わない』。

 いかに初めて異をとなえた男性だろうが、しかし言ってしまえば、吠えるだけなら誰でもできる。否定や怒りの発露など、口にするのも考えるのも、そんなの一歩踏み出せば容易なこと。重要なのは、それを押し通せる『結果』を持っているか。努力という『過程』だけではだめなのだ。そこから紡ぎだされる純然たる結果があってこそ、その過程は輝くのだから。

 決闘をするにあたり、もちろんセシリアは一夏のことを調べている。候補生という立場ゆえに簡単なことだし、そもそもオルコット家の手にかかれば容易い。

 得られた事実に落胆した。

 中学校の成績を見るに、悪くはない。しかし、その程度。努力がとんと見られない、痕跡がない。どころか喧嘩沙汰が多く──いや、多いどころじゃない。警察沙汰になりかねない事例もいくつかあった。小規模ながら、屋敷の人間を使って身辺調査も行ってみたが……別段優れているような話は聞かない。とりあえず訊く人きくひと口々に『人に優しい』とは答えているようだったが……それは自分をおろそかにしていい理由にはならない。どころか他人に優しい人間というのは、言い得て大抵、自分にも優しいやつだ。

 オマケに友人と喧嘩して二ヶ月の入院……なぜかそれに関する情報は驚くほど少なかったが、しかしため息が出るのは事実。ろくでなしの所業にしかみえなかった。

 こんな人に負けるはずがない。最早確信。全力で臨んだといえ、『勝利』に対する渇望がほんの少し別種の色を帯びた。

 

 そして、引き分けたのだ。

 

「…………ッ!」

 

 ゴッ。気づけば、拳を壁に打ち付けていた。

 血が滲む、打ち付けたタイルにわずかの亀裂、しかし痛みは湧き上がる灼熱が食い殺した。怒りか憎悪か、両方か。内で反響する激情の波濤。先ほどまでの静けさが嘘のように、アドレナリンが過剰分泌。悔しかった。

 ただただ、悔しかった。

 勝ちたかった。勝ちたかった勝ちたかった勝ちたかった!

 ……確かに、この直前の一週間、彼は努力していたろう。認める。そうやって戦いに臨んだ姿勢は認める、だけど!

 

 その付け焼刃に、引き分けた。

 

 ギリ。奥歯を噛み砕かんばかり、上顎と下顎が噛み合う。打ち付けたままの拳をねじりこむ。白魚を思わせる五指が熱をにじませる。

 (しん)(てい)から湧き続ける、怒りと憎悪と悔しさと。

 認めない。認めてなどたまるものか。一週間あまり、その程度の辛苦を我が物顔で振りかざす、そんな阿呆を容認できるはずがない。許可して支持するわけがない。

 お前の在り方など許容できない。『強い』などと認めない。

 

 そんなお前をほかならぬセシリア・オルコットが許してしまったら──それはすなわち、自分が今まで乗り越えてきたもの、淘汰してきたもの、礎になったことごとく、すべてに対する侮辱である。

 

 より一層、より一段。

 セシリアは勝利への渇望に駆られた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「お疲れ様、一夏」

「ありがとう、箒」

 

 ピットに戻った俺を迎えたのは、幼馴染みの労いであった。腕を組んではいるもののそこに威圧的な色はなく、心なしか笑みをたたえてやわらかい。

 そのさまに、素直にありがとうの一言。家でもどこでも、帰ったときに人がいるっていうのはやっぱりいいものだ。なにせ中学時代、家で待っているのは俺の役割だった。そりゃあ織斑家の家事担当は俺だもの、ご飯作って風呂沸かさないと。

 PICで停止してISを解除する。溶けるように装甲がほどけて、翼の残像が瞬いた──そうしてその光が左手首に集まって、腕輪の輪郭をかたちどる。白い腕輪。

 

(これが《白式》の待機状態か)

 

 とっ。と《白式》を脱いだことによる落差。PICから解放されて、軽い衝撃を足首に感じながら着地する。

 左手首に現れた白腕輪をしげと眺めて、俺は改めて《白式》存在を感じ取った。

 きらりとピットの照明を照り返すなめらかな金属。(しろ)(がね)といった風ではなく、それよりももっと白い、真っ白。手首よりはいくぶんか大きな輪っかで、しかし引っこ抜けないほどにはせまい細腕輪。なにも知らない三者がみれば、それこそファッションかなんか、アクセサリーの一種にうつるだろう。──その白のなかに。

 

 

(……ひび、か?)

 

 

 その腕輪。とある一点を起点にして、まるでくもの巣みたいな線が走っていた。その色は銀。稲妻のように、あるいは引き裂くように。白を押しのけ主張する、純粋なる銀色のひび。

 一見すると、それすら装飾の一部に見えるだろう。『白』の中に走る『銀』ゆえ、色合い的にはあまり栄えないが、しかしかえってそういう加工のものだとも思えなくない。通常時なら境目は曖昧だが、光を反射するその一瞬、ちらりと銀色が顔を出すのだ。それはなかなかにかっこいいと思う。でも、

 

 この《白式》に、銀色は絶対ありえない。

 俺はそれを確信している。

 

 だって俺は知っている。この《白式》はゼロの具現だ。俺の()()をかたちどる翼だ。それに銀色が混じるはずがない。

 人に言ったら理解してもらえないだろう領域での解決。俺のなかでは実に整合性のとれた帰結であるが、しかしこの感覚を他人はわかってくれないだろう。というか自分でも言葉にするのが難しいくらいだし……ともかく、俺は《白式》と()()()()()()。なんとも不思議な感覚であるが、事実そう表現するのが一番しっくりくる。だからおかしい。この銀は、なんだ──?

 

「どうした一夏。《白式》の待機状態に不備でもあるのか?」

 

 出迎える箒をそっちのけで思考し始める俺に、続いてかけられた声は千冬姉のもの。ヒールの踵が床面を叩き、その残響が俺の意識を連れ戻した。

 

「いや、なんでもないよ」

「そうか」

 

 一瞬言い淀んだ俺だったが、しかし千冬姉は言葉通り、本当にどうでもいいようだった。……まぁそりゃ第三者にしてみれば『だからどうした』って話だけどさ、そんな実姉の応答にもなれた俺だけどさ。だけどそこまでそっけないと、さすがになんだか寂しいよ。

 しかしそれより、腕輪のことを一抹程度にあつかうのはどうかと思うがそれより。それより俺は、千冬姉に聞かなきゃならないことがあった。

 

「なぁ千冬姉……どうして《白式》が《零落白夜》を使えたんだ?」

 

 今一番の疑問はそれだ。

 零落白夜。

 それは、千冬姉が乗っている《暮桜》という機体の唯一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)。エネルギー質のものならビームだろうがバリアーだろうが、問答無用で無効化にする能力。()()()()()()()

 そして同じ唯一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)は存在しない。それは俺でだって知っている。確かに《白式》は一次移行(ファースト・シフト)したかもしれないが……そも発現は第二形態からのはずだ。だから疑問で、驚愕。どうしてそんな代物が《白式》あるんだよ?

 

「さてな。それは私の与り知ることではないよ。束にでも訊ねてくれ」

 

 えぇー。なんだよそれ。一応、《白式》持ってきたの千冬姉じゃん。それってどうなのさ……っておい待て、『束にでも訊ねてくれ』? それってなんだよ……やっぱりなのか?

 

「千冬姉。やっぱ《白式》って、」

「ああ、その通り。私の友のお手製だ」

 

 ……だよ、な。

 第一形態からの唯一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)発現、《雪片》……これだけでもう察しがつく。こんなけったいな機体、あの人以外の誰がいるというのか。

 篠ノ之束。千冬姉の親友にして箒の実姉にしてISの生みの親。

 ……そう考えればわりと納得、ってわけにはいかねぇよ。おんなじ能力はありえないんじゃなかったのか? どうなってんだ?

 思考がわだかまって新たな疑問が絡みつき、さらに大きな疑問点を咲き誇らせる。

 もとよりISには未知の部分が多い。パーセンテージにしたら五〇も解き明かされてないかもしれない。しかしそれでもほうっておくわけにはいかないほどに強力で、強大で、強烈なIS。しかし束さんが失踪している今となっては、もはやそのすべての秘密を知る者はいないだろう。

 そう、失踪だ。どういったわけかはてんで知らないが、とにかくあの人は行方をくらませた。1100個のISコアを残し、いずこかへ……とかいいつつ、千冬姉とはしっかり連絡取り合ってるようでして。昔っから思うけど、ほんと二人は仲がいい。『水魚の交わり』っていうのがよく似合うよ。

 

「それと、その《雪片弐型》は私が直々に頼んでおいた。どうだ、嬉しいだろう?」

「──ああ。最高だよ」

 

 見透かしたような実姉の言葉に、俺は躊躇わず満腔の謝意を口にした。

 嬉しい。本心から。脚色なく、嘘偽りのくもりもなく、感謝していた。

 憧れていた。《()()》を()る彼女の姿に、俺は今も焦がれている。幾度となく、何度となく、コイツを振る彼女を見てきた。

 ゆえに俺にとって、《雪片》は『それ』の象徴にも等しく。

 正直、誰よりも《雪片》を上手く使うことができると思っている。……さすがに本来の持ち主を除いてであるが。

 だからこそ嬉しい。格好から入るってわけでもないが、しかし彼女の片鱗、どころか片腕も同然のそれ。その一端を握って飛べることに、俺の感謝はとどまることを知らない。

 なるほどどうりで、《白式(こいつ)》は俺のためにあった。だが、しかし。

 

「最高、な。そう言う割に、引き分けっていうのはどうなんだ、一夏?」

 

 しかしそれをもってして、俺が行き着いた結果は引き分けという、なんとも中途半端なものだった。

 やや嫌味のような箒の言葉に、俺はぐうの音も出ない。

 

「……恥ずかしいかぎりだよ」

「まったく、私の教えたことを忘れるからそんなことになるんだ」

 

 面目次第もございませんです。はい。箒には本っ当に申しわけないと思う。この一週間誰よりも、ともすれば俺自身よりも親身になってくれた幼馴染み。その恩に報いることができなかったのが、痛い。

 しかしだが、この結果の原因は俺のせいほかならない。箒に対する責任なんて、それこそ語るまでもなく皆無である。絶無である。

 引き分け──俺とオルコット、両者のシールド・エネルギーが『0』になったことで、引き分けた。その原因、それは《零落白夜》の代償だ。

 エネルギーすべてを無に()す『超』能力だが、ゆえに代償がつきもので。《零落白夜》は、自身のシールド・エネルギーを消費することによって発動するのだ。命綱ともいうべきシールド・バリアー、それの燃料たるエネルギーを削って形を成す破壊刀。いってまさしく、諸刃の剣である。そうして俺のシールド・エネルギーがゼロになるのと、オルコットのエネルギーがゼロになるのが同時だったわけだ。だから引き分け。

 もちろん俺はその特性を知っていたし、土壇場でテンパって忘れたわけでもない。

 ただ単に、俺の力不足だ。

 与えられたものですら満足に使いこなせない、俺の責任だ。

 えも言えぬ悔しさに、あのとき感じた全能感は消え失せていた。

 だが。しかし。

 

 

 俺は、負けなかった。

 

 

 そんな俺の心中を察したのか──少なくとも悔しいというの()()()読みとれたのか、箒はそれ以上はぐちぐちという事もなく、ふっ、と。わずかに頬を緩め。

 

「そうやって悔しがる頭があれば十分だな。疲れたろ? 今日はもう寮に戻るとしよう」

「オーケー。あと……ありがとう」

「ふふ。気にするなよ」

 

 箒の言う通り、悔しく思う反面、やっぱり疲労は隠しきれない。あんまり動いたつもりはないんだけど、疲れが体中を占領してる。ISのアシストがなくなったせいもあって、体が重くてしかたないよ。箒の言葉通り、さっさとシャワー浴びて休みたい。……こういう時こそ、ほんと、風呂に入りたくなるぜ。はぁ。

 とりあえずシャワーでも浴びようか。確かアリーナに備えつけのがあったはず……この時間この状況、さすがに使ってる女子はいないよな? ばったり出くわしたら大変なことになるぞ。変態になるぞ。大変な変態……あんまし上手いこと言えなかった。

 

「……くだらないことに思考を割く元気はあるんだな」

 

 みれば箒がさも呆れたようにため息をついていた。うるせえやい。そういう性分なんだよ、ほっとけ。

 そうしてピットの出口へと向かおうとすると、箒は「ああ、そういえば」と、とってつけたような言い回しで、しかし『後で聞くつもりだった』というのがはっきり判る色を混ぜて、疑問を口にした。

 

「一夏。お前、ISに乗ってどうだった?」

「どうだった、って。どういう意味だよ」

「そのままの意味だ。乗ってどう思った? 何を感じた? 好きに答えてくれていいぞ」

「……あー、そうだな、」

 

 急になにを言い出すかと思えば、ISに乗った感想? なんとも判然としない質問だ。実に茫漠とした話だけど……まぁ聞かれたからには答える。というか、これしか答えはねぇだろっていうくらいなのが一つある。

 

「……うん、そうだ。色々感じることはあるけど、強いて一つにするならあれだよ。ISと一体になったみたいだったぜ?」

「…………そうか」

 

 そうやって答えてみれば、箒はなんともいえない表情で、はぁと息をもらしていた。なんだ、どうしたっていうんだ? つーか真面目に答えたのに失礼だぞ。

 さらに気づけば視界のすみで、話を聞いていただろう千冬姉がそれこそ箒以上に曖昧な、やに下がるような含み笑うような、または納得するような、どうとでも言えそうな顔をしていた。……意味が違うとわかっていながら使わせてもらうが、とりあえずにやけていた。

 そうしたもろもろの疑問を口に出す前に、とうの彼女は、ともすれば憮然ともいえた表情を元に戻し、

 

「何でもない」

 

 先んじて、そう言った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「…………」

 

 ひゅう。

 緩やかな風切り音で脇をすり抜ける春風は、時間帯相応の温度でもって肌をなでた。金髪が空気を孕んで星の下に揺れる。柔らかな星光に浮き上がるそれは砂金にも似て。深夜であった。

 新月。月のない、星の宴。

 セシリア・オルコットは星影のささやかな夜を歩いている。

 時刻は一二時を過ぎている。ほとんどのものが就寝しているだろうそのときに、彼女は一人で外出していた。舗装された学園の夜道。規則正しく並んだ街灯が延々続いてるように感じる。

 いくら四月とはいえ、やはり日のなくなった空は寒い。パジャマの上からストールを巻いて防寒にしているが、隙間に入り込むような外気がときおりゾクリと背筋をなぞる。

 そんな時分、彼女はわざわざ外出し、とある場所へと向かっていた。

 その場所。第三アリーナ。

 つい数時間前、彼女が戦っていた場所である。

 もちろん、シャワールーム忘れ物をした、なんていう理由じゃない。──いいや、これはある種忘れものみたいな感覚か。なにかを置き去ってしまったかのような、少なくとも、あれから数時間たって掻痒になるような、なにか。

 寝つけなかった。

 体中を今なおめぐる怒りのせいか、感情があふれて止まらない。いくぶんと熱が引いたものの、それは燃え尽きたとか冷めたとかではなく、虎視眈々と気炎の発露を待つ、猛虎のごとく。それが彼女の目を冴えさせ、どうしたものかと持てあまして……散歩がてら外に出た先、ふと気づけば、向かうさきはアリーナだった。

 意識したつもりはない。戦場跡を眺めて感慨に浸る……そんな老兵めいた感覚はセシリアにないし、どころかそこにいけばそれこそ、なりを潜めつつある怒りが再燃し、なおのこと安眠が遠くなるに違いない。

 で、あれば。この名状し難い感覚は、なんだ? 先の決闘を改めて戒めろと、流れるオルコットの血が叫んでいるのか? ともあれ、進む足取りに淀みはない。少々と早る心境で、セシリアはじくりとした熱の赴くまま、足を回す。

 そうして視界の先に映る巨大なシルエット。この刻限、使用時間をとうに過ぎた学園施設に光はなく、星夜の中では漆黒の輪郭しか捉えられない──なんてことはなく。

 

(照明が……点いてる?)

 

 件の第三アリーナは、グラウンド部を煌々と照明が照らしていた。

 

 

 ◇

 

 

 アリーナの客席。そこに踏み入った目線の先、広がる光景は悽愴とした戦闘の跡、などではなく。

 

「……っ、っ、──ッ!」

 

 ──アリーナ内を駆け飛ぶ、白い機影だった。

 白い機体が飛び回る。

 加速し、急停止し、かと思えば鋭角的な切り返し、そこからバレルロールによって()()()()()、直後跳ね上がるように急上昇、そして急降下の方向転換──教科書にある初歩的な軌道の数々。それをただ延々と繰り返す白の翼。奇抜な軌道は一切となく、基本に忠実、ひたすらにそれらを繋げていく。

 説明するまでもない。白のISを駆るその人は、誰に見られるでもなく訓練していた。

 その人。織斑一夏。

 

「お、ぉぉ……!?」

 

 機体がブレる。なめらかな軌跡が、その一瞬だけ、欠けたシャープペンシルの芯のように、歪に乱れた。それはやはり、自身が思い描くものとは違っていたのか。一夏はいったん《白式》を停止させると、ウィンドウパネルを表示させて──おそらく学園のデータベースにアクセスして教本を読んでいるのだろう、「なるほど」と頷きながら、同じマニューバを実践する。

 その眼差しは真剣そのもの。

 息が乱れていた。汗をかいていた。体中が泥かなにかで汚れていた。それでもまだやめない。それこそなにかに憑れているんじゃないかと錯覚するほど、彼は無心に訓練を続けていた。

 そのさまを、なにやらありえないものを見ているかのような眼差しで、セシリアはぼうっと眺めていた。ともすれば、背後から近づく第三者の足音が聞こえない程度には。

 

「どうしたオルコット。一夏が訓練しているのが不思議か?」

 

 はっとしたように振り返ると、通路の影から姿を見せたのは同じクラスの篠ノ之箒だった。その顔はなにやら得意げで、そんな彼女の表情を見てか、毅然を取り繕うようにセシリアは表情筋を引き締めた。

 

「いいえ。ただ、ほんの少しばかり驚いただけですわ」

「そうか」

 

 簡素に答えて、箒はセシリアに並んで立つ。腕組みしたその目の焦点は、無論、一夏を追い続けている。

 どうして彼女がここに? と思い至って、そういえば彼女と織斑はルームメイトだったか、とさしてひねりのない答えに行き着く。それに第一、そんなことをいったら自分こそどうしてここに、と訊かれる立場にほかならない。理由なんていまさらだろう。

 依然として一夏は訓練を続けている。今はどうにも逆噴射機動(スラスト・リバース)──推進器(スラスター)を前方に向かって噴射する機動を練習中のようだった。そう認識した先、後ろに迫っていた遮断シールドに激突した。

 

「どうだ。あいつ、努力してるだろ?」

「……()()から、ですか?」

「そうだな。ざっと二時間ぐらいじゃないか? 何にせよ、あと一時間は続けるだろうさ」

 

 「そうですか」、と口にして、セシリアの目は、本人が意図することもなく一夏へと向けられた。

 上下に激しく揺れる肩。改めていうべくもないほど、はたから見てとれる疲労量。二時間も続けっぱなしというのも当然に原因だが、ただでさえ、昼間はほかならぬ自分自身と戦っていたのだ。それは疲れて当然だ。

 

「まったくあの馬鹿は。昔から変わらないよ、本当に」

「昔から、ですか?」

「ああ。出会ってからずっと、あいつはいつもこんな感じだ。兎に角、影でこそこそ鍛錬してる。どうにも他人に『努力』しているのを見せたくないんだろうな。深夜の鍛錬なんて、それこそ一夏には打ってつけだろうさ」

 

 ……なんだ、それは。

 

「オマケに同室の私に気づかれてないと思っているらしい。深夜私が寝たのを見計らって、こそこそ部屋を出て行くんだよ」

「……ということは、」

「ん? ああ、今日は勝手についてきた。流石にオルコット、貴様と戦ったあとだからな。倒れないか心配なんだよ」

「……どうして、かしら」

「うん?」

「どうして彼は……その、『努力』しているところを見せたがらないのかしら?」

 

 セシリアにとって、それは疑問であった。彼女自身、なにも努力をひけらかすつもりはないといえ、けれど無理に隠そうとするつもりもない。努力はそれこそ過程であるわけだし、だったら他人の目があろうとなかろうと、自分のためになればいいのではないか?

 そんなセシリアの疑問に面を食らったのか、箒は一瞬『へ?』っとした顔になって、直後笑いをたたえていた。

 

「……なにかおかしいことでも言いましたか?」

「ふふ。いや、違うよオルコット。そういうことじゃない、だからそう睨むな」

「では?」

 

 そう催促するセシリアに、箒はそれこそこともなげに。

 

 

「男が影で努力するときなんて決まってるだろ。カッコつけたいんだよ」

 

 

「────、」

 

 なにか、セシリアのなかで欠けていたものがはまった気がした。

 思えば一夏に対して行った身辺調査。秘密裏のことだったのであまり多くの人に聞くことなどなかったが、しかし回答はある一言だけ一貫して共通していた。

 

『織斑一夏は優しい──よく人を助けている。それをなによりもがんばっている』

 

 それが悪いことじゃないのは当たり前だ。しかしでも、当初それを聞いたセシリアの反応は『それで?』、だ。確かにそれも立派であろう。けれど、それのみに終始して、自分をおろそかにするのは愚かだといえる。他人はもちろん大事だが、ならばこそ自分をもっと大事にするべきでは? そんな感想だった。

 しかし、もし。

 その努力を、一片あまさずすべて他人のために費やしているとしたらどうだろう。誰かを守るために労しているならどうだろう。

 己のすべてを賭けて捧げて、誰かのために時間を費やす。

 それはまさしく、父が言う『努力』と同じでは──?

 

「…………」

「どうしたオルコット、ぼーっとして」

「、いや。なんでもありませんわ」

 

 いいや、まだだ。まだそうと断定するには早計だ。

 なにせまだ、出会って一週間しか経っていない。いくら矛を交えたといえ、それだけで相手を理解するなど……少なくとも現状のセシリアには不可能だ。

 けれど、だから。純粋に、彼と話してみたいと思った。

 知りたいと、感じた。

 

「行ってくるといい」

「えっ!?」

「さっきの貴様の顔、そう言ってるように見えたが?」

「……まぁ、当たらずしも遠からずといいますか」

 

 「それみろ」、と屈託なく笑う箒に、しかし言い当てられた察しのよさを怒るような感情は起こらなかった。なんとも気持ちのよい笑顔。

 

「それじゃあ私は、帰って寝るとしよう」

「あら、あなたは? あなたは織斑さんに会っていかないんですの?」

「当たり前だろ。男がカッコつけたがってるんだ、だったらそれを立ててやるのも女の努めさ、オルコット」

 

 ……多分、こういうのを『イイ女』というのだろう。今の自分では、到底たどり着くことのないだろう極地。まぁ、そんなことを考えたことがなかったせいかもしれないが。

 そうして(きびす)を返そうとする箒に、寸前セシリアは声をかけて呼び止めた。

 

「あの、篠ノ之さん」

「ん、なんだ?」

「その『オルコットさん』というの、やめてくれません? あなたには『セシリア』と、ちゃんと名前で読んでいただきたいですわ」

「承知した、セシリア。私は箒でいいぞ」

「え、ええ。箒さん」

 

 なんの躊躇もなく、あっさりと二つ返事の箒のさまに、呼び止めたセシリアのほうが変な躊躇いを見せた。……どうにもこの人の思考は男性的なところがあるようだ。さすがはサムライガール。この『敬称』とも呼べる呼び名は、すでにこの一週間を通じて一組全体に伝播していた。

 しかし名前で呼ばれることに(いや)はない。この女性には、それこそ対等であって欲しいから。

 密やかな対抗心の芽生えであった。

 

 

 ◇

 

 

「こんばんは、織斑さん」

「ん? ああ、オルコットか」

 

 そうして一夏がグラウンドに降りたのを見計らって、セシリアは彼に声をかけた。箒と別れてから幾ばくとたってはいない。

 一夏に話しかけるのに一瞬躊躇いはしたものの、しかし声をかければとうの一夏、さりとて驚くようなこともなかった。疲れているからかもしれない。

 

「で、こんな夜更けにどうしたんだよ? まさか昼間の決着をつけにきたってんじゃないだろうな?」

「……違いますわ」

 

 少しおどけるような一夏に言われて、『引き分け』の事実を再認識した。怒りや熱を忘れたわけでもないのだが、けれど今は、彼に言いたいことがあった。それこそ箒に言ったように対等に、彼を知りたいと思うから。

 

「『他人を馬鹿にしてごめんなさい』」

「えっ?!」

 

 ぴったり四五度に腰を折って頭を下げる。不思議と、屈辱に感じることはなかった。しかしそれは、やっぱりセシリア自身、それがよくないことであるというのを弁えていたからであろう。言葉はすんなり口をついた。

 そんなセシリアの言葉に、さすがの一夏も驚愕だった。

 

「えっと、どういった心境の変化なんだよ?」

「……別に、間違っていることを正しただけですわ」

 

 そうして頭を上げた矢先に一夏と目が合って、なんとはなしに顔をそらす。

 なんだか、胸が軽かった。

 

「……そうか。じゃあそれは俺にとっての決着だよ。一組の代表は君だ」

「えっ?!」

 

 打って変わった驚愕は無論のことセシリアで、その答えに思わず詰め寄ってしまった。

 

「ど、どうして?」

「だから言ったじゃないか。俺が勝ったら君に謝ってもらうって。だから俺には決着なんだよ」

 

 言われてそういえばと、セシリアはそれを思い出す。

 しかしなるほど、一夏の答えは当然でもあろう。そもそも彼はそんなセシリアの態度が許容できなかったわけで、それが撤回された以上、一夏が噛みつく理由はなくなった。

 なるほど道理で、しかしそれを理解していようとも、すぐに納得できるわけもなく。

 

「で、ですが、」

「食い下がるなよ。別に与えられるもの全部が悪いわけじゃないだろ? 与えられるだけがいやなら、それこそそれでも、って吼えればいい。抗えばいい」

「……『それでも』」

「だから、それでも俺に納得できないっていうなら、俺はいつでも相手になるぜ?」

 

 そうして向けられた屈託ない笑顔は、つい先ほどにも見たことがあるもので。

 それに、思わず頬がゆるんだ。

 

「──いいでしょう。

 でしたら、あなたはなにやら納得したようですが、()()()()わたくしは否と言わせていただきますわ。あなたは必ず、わたくしが倒します」

「承知した。それでも俺は負けないよ」

 

 互いににっと笑って、ここに再び約束は交わされた。

 両者譲れず、退くつもりがない。なれば当然進むしかなく、立ちはだかるなら押し通れ。決闘の宣言。負けるつもりは毛頭ない。

 交わす誓言──しかしもう一つ、セシリアには言うべきことがある。

 互いが対等であるというなら、それこそ名乗るのが筋だろう。

 

「改めまして。わたくしはセシリア・オルコット。オルコット家党首にして、イギリス代表候補生。セシリアとお呼びなさい」

「──俺は織斑一夏だ。誰でもなんでもない、織斑一夏だ。一夏でいいぜ」

 

 少し芝居がかった言い回しをしてみれば、なんの迷いもなく乗っかってきた。

 ……本当、どうやらこの男性はそういう『男の子的なこと』には人一倍敏感らしい。きっとおそらく、それ以外の部分がないがしろになっているはすだ、と。セシリアは誰にいわれるでもなく直感した。

 そんな心地よい夜のなかで、一夏はポツリと口にする。

 空を見上げ、視線を上げて、はるかはるか、遠く遠く、その意識を伸ばしていく。

 それこそ──そこに、なにかを見るように。

 

 

 

 

 

「────『月が綺麗ですね』」

 

 

 

 

 

 いわれて見上げて、はて、と。キョトンとした顔で、しばし夜空を見つめていた。自覚できるほどの間抜け(づら)を晒しているだろうが、しかしてそれもしかたないことだろう。

 だってなにせ、今夜は新月。月のない夜だ。

 意味不明、としかし断ずるには惜しいだろう。もしかしたら、なにやら詩的表現でそんな言い回しを選んだのかもしれないし、あるいはそれを通じて伝えたいことがあったのかもしれない。だとすれば星の栄えるこの閑雅、そこに月の有無を問うのは無粋であろう。

 しかしなるほど、なればこうして星夜で月の『美』を語らうというのは、どうして風趣あふれるではないか。

 そうしてから数瞬後、なにやら感心していたセシリアだが、しかしまるで我に返ったかのようにあわあわと慌ただしくなるのは一方の一夏。

 

「いやいやいや! さっきのはそういう意味で言ったんじゃなくて嘘とか冗談とかまぁ月が綺麗なのは確かなんだけどでもそういうつもりで言ったんじゃまったくちっともぜんぜんなくってだなっ!!?」

「は、はい?」

 

 がー、っと頭をかきむしる一夏はさも『恥ずかしい』といわんばかりのありさまで、それこそ地面の上を転がりだしそうな勢いだ。どうにも風情うんぬん婉曲なんたら、セシリアの誇大な勘違いだったようで。

 なにやら一夏は顔が赤いのであるが、それをなかったことにするように「とにかく!」、と言い放つ。

 

「今日はこれで解散! じゃあなセシリア! さっきのは忘れてくれ!!」

 

 そうしてセシリアの反応を確かめる()もなく、一夏は逃げるように去っていった。

 どうしたのだろう? とイマイチ意味を測りかねていたセシリアは、再び顔を上げていた。

 

 

「──本当。綺麗な月ですわ」

 

 

 

 

 

 後日、意味を理解して赤面していたイギリス人がいたとかないとか。




書いてる内にどんどんセシリアがすきになって、気づいたらすごい勢いで書いていた。

二〇二一年の四月の新月は本当は一〇日らしいけど二日くらいなら誤差の範疇なはず。
そう思いたい。

改行のしかたを変えました。
レイアウト試行中です。
見づらかったら報告してくれると嬉しいです。


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有閑話【水魚の交わり、暮と逸】

 ES_007_有閑話_水魚の交わり、暮と逸

 

 

 

「お掛けになった電話は現在電波の届かない場所にあるか、『魔法の言葉』がないとかからないよーん☆」

 

「『月が綺麗ですね』」

 

「『死んでもいいわ』──むふん。ちーちゃんってけっこうロマンチストだよね」

 

「なあに。私程度、メルヘンチストには遠く及ばんよ」

 

「ふふ。でもそんなちーちゃんが実はグリム童話大好きだっての、私はよーく知っているのだ」

 

(からか)うなよ束。この前付き合ってやったろう?」

 

「うんうん、二人ヘンゼルとグレーテルね。あの写メは今のケータイの待受なの!」

 

「何だ、まだあの携帯使っているのか。私は気にせんと言っているだろうに──とはいえ、お前が『魔女』で私が『実母』だったけどな」

 

「でも、ノリノリだったじゃない?」

 

「等身大お菓子の家は壮観だった。まさか庭付き一戸建てとは、毎度ながら恐れ入ったよ。よもや地下室まであるとはな」

 

「ふっふーん! お菓子の家はみんなの夢。(ハート)に愛を(バスト)に夢を! この世界は決定的に愛と夢が足りないよ、ホント」

 

「驚いたな。私の愛では不服か?」

 

「なにを恐れ多い。不満も不備も悉く、ことちーちゃんに限って、そんなことは一切絶対ありはしないよ──もっとも、私は貴女を畏敬してはいるけどね」

 

「畏敬、な。全く、光栄だよ」

 

「えっへへー」

 

「ところで束。観ていたか?」

 

「んー、なにがー?」

 

(みな)まで言わせるなよ。このIS学園において、お前が知らぬこと等それこそ微塵も有り得まいだろうに」

 

「おやおやちーちゃん。いくら世紀の大天才篠ノ之束さんだって、さすがに知らないことは話せないよ。その言いよう、まるで束さんが至るところに隠しカメラ仕掛けてるみたいじゃないか!」

 

「この学園の設計にまで関わっておいて何を言う。箒の部屋に仕掛けたカメラの数々、まさか知らぬ存ぜぬを口には出すまい?」

 

「あっ! だから箒ちゃんの部屋だけ映らなかったのか!!」

 

「それは同室は一夏だ。可愛い弟のプライベート、幾ら相手がお前だろうと、守らなければ姉の恥だ」

 

「くそぅ。あたかも妹の私生活を覗こうとする私がお姉さん失格みたいじゃないかよぅ……」

 

「私の部屋のは外してないだろう? それで許せよ」

 

「毎朝カメラの前でポージングありがとう!」

 

「どういたしまして。しかしなるほどな、どうりで学生寮をスケルトン・インフィルにさせたかったはずだ」

 

「そりゃあ内装の変更が簡単だもん。『なにか』を仕掛けるのにもってこいじゃないか」

 

「普通はマンション等の住宅でやるんだがな。その点、やはりお前は流石だよ。人を言い(くる)める事に関せば、私はお前以上の存在を知り得ない」

 

「褒めてるのかディスってんのかわかりゃしないよ!」

 

「無論、感心の一念だ。私とて、お前を畏敬しているのだからな」

 

「──ふっふん。光栄だね。まぁとはいっても、その実、設計はセンスの欠片もありはしないと自覚してるよ。建築的芸術ってのはなかなかどうして、奥が深い。絵画を素晴らしいと思える感性とはまた別物だ」

 

「そう蔑む程の事でもないだろう? お前の感性芸術性、とても私には真似出来んよ。私とて芸術品を『美しい』と感じる心はあるし、それを礼賛する事も出来る、が。それを創るとなるとまた別だ──言うまでもないがな」

 

「加えて感性(センス)技術(スキル)も別物だからねぇ。でもでも、束さんはスキルに至ってはカンストしていると自負しているよ」

 

()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、お前は本当に私の友達だな。LOD500で三日? 世の建築家が聞いたらどう思うかね」

 

「実用性に特化させればいいだけだからね。アルゴリズミック・デザインなんて頭のおよろしい奴らのパズルみたいなもの。その点サグラダ・ファミリアはスゴイよ。建築家になろうとは思わないけどね」

 

「はっ。お前がガウディに成ってしまったら私は困るな」

 

「私も路面電車にはねられるのはゴメンだよ……でもなにより感心しちゃうのは、なにげに私の話に平気でついてくるちーちゃんだよ。なんだかんだ博学だよね!」

 

「所詮は学年次席だ。厚顔無恥、装模作様。知ったか振りだ。ほんに、お前と話していると、己が無知な気がしてならないよ」

 

「それは私にこそ言わせてほしいな。私は貴女と伴にいると、自分が無能な気がしてならないよ」

 

「くくく」

 

「ふふふ」

 

「さて、赤裸々な告白等は切り上げて──それで束、どうなんだ?」

 

「うんとね。実のところ、私はまだ観てないの。ちょうど終わってから目が覚めたところ」

 

「ほう? それまたどうして。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()。そちらに関して、興味がないわけないだろう?」

 

「あのねあのね、興味どうたら以前に前日まで徹夜で《白式》を調整していた親友に向かってそれはないんじゃないかな! 人間は寝ないと生きられないんだよ! 早朝にやっとこさ終わらせたんだから夕方までぐっすりしててもバチは当たらないと思うの!」

 

「ナポレオンは三時間しか寝なかったらしいがな」

 

「睡眠時間を削るなんて愚か者のすることだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのくせ、そういう奴らって寝たら寝たで夢の中でも思考を繰り返すんでしょ? 時間がない、時間が足りないって、馬鹿みたいだよね」

 

「『時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情をいう』──ほとほと()きれるな。全く以て同感だ」

 

「あと、寝ないとお肌に悪いしね。一〇時から二時はお肌のゴールデンタイムなのにさ!」

 

「お前の肌はいつも瑞々しいな」

 

「そういうちーちゃんもちゃんと一〇時に寝るの、私は知ってるよ!」

 

「教師の朝は早いんだよ、無職。とはいえ、有難う。改めて、満腔の謝意を贈らせて貰う」

 

「どういたしましねぇ待ってその『無職』の一言を看過すると束さんの名誉に関わるからちょっと待っ」

 

 

 

「────白式が、一次移行(ファースト・シフト)したぞ?」

 

 

 

「────へぇ」

 

「驚いたよ。まさか一次移行(ファースト・シフト)するなんてな。有り得ない筈ではなかったのか? 《白式》が原因か、はたまた一夏に一因か……後者であるなら尚の事、予想外極まりない」

 

「そうだねぇ。私は一夏、いっくんを語れるほど理解してないけどさ。でも私が信じる貴女が信じる人ならば、私だってびっくりだ」

 

「『いっくん』か……ふふ。何かしたようだな?」

 

「私がなにもしなかった時なんて、あったかな?」

 

(げん)にするまでもない。更に、成功したと?」

 

「失敗せずにたどり着いた成功って、素敵じゃない?」

 

「是非も無い。ふっ、それは『いっくん』と呼びたくもなるか……しかし、大丈夫なのか?」

 

「うん?」

 

「搭乗者が私から一夏に移っただろう。IS適正に影響ないのか?」

 

「だーいじょーうブイ。《白騎士》はいつでも、いつまでも! ちーちゃんのために存在するんだよ! ()()()()()《白騎士》なんだよ!!」

 

「それを聞いて安心した。幾ら私といえど、入学者全員に会って判断するというのは難しいからな。ランクが動くと面倒だ」

 

「あ、一応続けてるんだね。どう? 今年はいいが子いた?」

 

「そうだな。去年に比べれば随分と、どころか天と地だよ」

 

「去年も一昨年も、誰もいなかったからね」

 

「特に編入組、候補生が良い。今月中に中国から一人。後は、先になるが、ドイツとフランスからも来るらしい。ドイツは正直()()だが、まあそんなものさ。フランスは何やらよく分からん事をやっているし……ああ、それと今日戦ったオルコットもいいな。一夏さまさまとはこの事だよ。退屈はせん」

 

「──箒ちゃんは?」

 

「前に話した通り。あいつからは()(こう)と同じ匂いしかせんよ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そう」

 

「悔しいなら、見返してみろ」

 

「見返す? もとよりなにより、この件に関しては譲らないよ。ちーちゃんこそ、私を見返してみてよ」

 

「無論だ」

 

「それにしても、そっかぁ。いっくん《白式》に乗っちゃったのか……あれ? これってゴーレムⅢ作った意味ないよね?」

 

「元から乗せる予定だったのが早まっただけだ。前倒しにしても問題なかろう。自ら細工をしておいて、些か以上に白々しいよ」

 

「それでも人はわからないからね、その可能性に心が踊るんだよ。とりあえずよかったぁ。今日乗っても大丈夫なようにしといて」

 

「果たして本心からなのか。ともあれ礼を言うに厭はない、というか、何だ。『Ⅲ』まで出来ているのか?」

 

「ふっふん? こちとら有能な助手がいるからね……あれ、もしかして中国の子って」

 

「ん? それがどうかし──ああ、成程。そういうことか。ああ、ああそうだ。()()()()()

 

「オーケイグッジョブオールライッ! これはまたまた、面白くなりそうだね」

 

「ふん。全ては訊かんよ。下手な種明しなど、興を削ぐ以外の何ものでもない」

 

「そもそも話すつもりはないから安心してよ。ちーちゃんは演者然としていればいい。()()()()()()()()()()()()()

 

「もしも神がいるというなら、私はお前という友を持てた事に膝を折ろう」

 

「感激の至り。──ただ、最後に一つ」

 

「どうかしたか?」

 

 

 

 

 

「────『あなたの幸福は?』」

 

 

 

 

 

「────『たたかうことだ』」

 

 

 

 

 

「ふふ。お休みちーちゃん」

 

「ああ、お休み束」



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第七話【セピア色の日だまりから】

 ES_008_セピア色の日だまりから

 

 

 

 篠ノ之箒の朝は鍛錬に始まる。

 

「──フッ」

 

 学園校舎の裏側。

 森というにはおよばないが、それでも十分に茂っている林のなか。彼女は一人、剣を握る。

 四月二〇日火曜日。早朝六時前。

 矢のような一息。弛緩していた筋繊維が突如と締まり、静と動の反動、開いた距離が力になる。

 木刀を振り下ろす、薙ぐ、切り上げて袈裟切る。流れる連撃。一寸とて狂いのない線の軌道。呼吸と体重移動、練気とを最大限に利用し、『剣道』ではあり得ない剣撃を実践する。切っ先が弧を描いて、その残像が消える前に、新たな線が直交する。神速も神速。絶するほどの高速が、ゾッとするほどの超速で、刃の軌跡を投影する。

 速い、速い、速い。朝日を返す木目の麗しさ。その美麗を保ったまま、曙の残光は加速する。けれどその音は無音。鋭利で麗姿な剣戟乱舞、静謐のままに駆け巡る。そこに一切の邪念はなく、凄まじい剣気と研鑽された絶の技巧。卓越した刀剣技能は、流麗な斬撃を実現する。

 見るものが見れば……もしも剣に精通するも者がこの場にいてこのさまを見れば、間違いなく感嘆と息を吐き出していただろう。驚愕し驚嘆し、恐ろしいと感動しただろう。(よわい)一五の小娘にすぎないその身で、これほどまでの境地に至っていると、ともすれば畏敬の念を禁じ得なかったか。それほどの技能技巧。ここまでくれば、その一太刀すら芸術品だ──とはいえ、それは表に過ぎず。

 しかして肝要なのはその『想念』。その一念において確信することが、技術を差し置いてまでも枢要なのだと、箒の芯はその思考。その考え方は剣を学ぶ者にとって、かえっていささかにあべこべだろう。が、そんなのを改めて問う必要はなく。この身はすでに完結している。

 その一心で木刀を振り、その一念に身を任せ、その一点に集約する。その頂きを置き去ろうと、確信して確定させる。

 

 剣道ではなかった。剣の道を歩み続けるのでなく、それを(よすが)としてあるのではなく、その至高に挑むのでもなく。

 剣術。剣を(すべ)として実践し、己が深淵に落ちていくという、求道の剣技であった。

 

 ……などと細分化して押し嵌めて、それらしく表現してみるが、結局そんなの意味はない。道だろうと(すべ)だろうと、剣に依って立つに差違はなく、なれば『その一念』を心神に通しているのだから、目指すべきは変わらない。もとより両方、求道なのに違いがない。……しかし、ああ、だからなのだ。

 それまで一心不乱と剣舞に耽っていた箒だったが、ぴたりと、なんの前触れもなく舞踏を()めた。そして真剣無表情だった面持ちがゆるりとほどけ、友人に接するときのようなわずかの笑み。それはある種、自嘲気味であったか。

 彼女は木刀を手放して、木陰に立てかけてあった竹刀と持ち替えた。

 ──ああ。やはりこれがいい。私は、これでいい。

 

 

「────ナマクラ俗刀流」

 

 

 木漏れ日の中、苦笑するようにお遊びの剣を繰り出した。

 

 

 ◇

 

 

「よう、お帰り。あとおはよう」

「うむ。おはよう」

「ほら、タオルと飲み物」

 

 そうして日課となっている鍛錬を終えて箒が部屋に戻ると、出迎えたのは同居人の声である。

 同居人、織斑一夏。

 彼はタオルとペットボトルに入ったスポーツドリンクとを手渡して、『おつかれ様』と微笑んだ。なんとも手際がいい。ちょうど喉が渇いているときに、こうして図ったように気をきかせる。そういえば昔から気配りの出来る男だったなぁ、と。同室になって(はや)二週間、染み入るように感じていた。

 

「あと、シャワーはいつでも使えるぜ?」

 

 本当に気がきく奴だ。ともすればなにか(やま)しいことでもあったのか、と疑いたくなるほどに献身的。……いや、献身的なんていうより、もっと単純なことだろう。

 友達を慮るのに理由はいらない。そういったところか。

 女性優位になりつつある社会。そうした世情ならば、無論女性に対して(した)()に出る輩はごまんといる。それこそ媚びへつらって、にへらと笑い、ごまをすって擦り寄って……一見すると、一夏もそういう類いと捉える人もいるだろう。報酬を求める優しさ……下衆らしい、利己的で浅はかな信条。透けて見えそうな下心、それを、条件反射的に想起するかもしれない。だけれど、篠ノ之箒はちゃんとわかっている。

 一夏は曲がらない。己の抱く信条を、なにを差し置いてでも貫き通す。

 芯があった。深にあって、真だった。ともすればこんな日常の一風景も、それの表れなのだろう。友がいて仲間がいて──そんな日々を大切にしたいと思うことを、それこそ譲れるはずがない。優しくしたいと思うのを改めるはずがない。ほんに、根っこから優しい男である。

 ──そういうところが、昔から好ましいのである。

 だからこうやって世話を焼かれるのも悪くはない。その厚意を素直に受け取って、お言葉通りにシャワーを浴びよう。しかしいってはなんだが、なんともお母さんくさい。お前は私の母親かと、なんとも家庭的な印象を抱くのは……まぁしかたないだろう。ただ、その前に。

 その前に、わずかばかりの疑問点。

 

「ところで一夏。お前は先ほどから何をしているのだ?」

 

 さっきから部屋に漂う油の焼ける香ばしさ。件の一夏は制服の上からエプロンで、そも箒を出迎えたとなれば当然に入口付近。そして寮の部屋にはキッチンがあり、設置されているのはそれこそ玄関の隣。だから、まぁ、語るまでも訊くまでもないのだろうけど。 

 

「うん? 見ての通りさ、料理だよ。弁当作ってんだ」

 

 ありていに見たまんま、一夏は料理の最中であった。

 

「いや、見ればわかるが……しかしまた、どうしてだ? 昨日まで学食だったじゃないか」

「あー、それはな。先週はセシリアとのことがあったろ? だから作る暇がなくてさ」

 

 「本当は初日から作りたかったんだけどさー」と、言いながらフライパンを返す。

 IS学園は寮食が出る。しかしそれは朝と夕方のみで、昼食は各々用意することになっていた。しかし無論学食はあるし、購買だってある。なので学園の生徒は、キッチンが付属しているとはいえ、自炊するものは少ないのだ。しかし。

 

「さすがに食費が馬鹿になんなくてよ。今日から自炊組ってわけだ」

 

 実に家庭的な結論である。まったくもって家計と戦うお母さんのようだ……ああきっと、おかずも栄養バランス考えているんだろうな。なんて、思わず感心してしまう。

 香ばしく弾ける油の飛沫。匂いから察するにオリーブオイルか? ()()()()()人並み以上には料理をする時分である。オリーブオイルとサラダ油ぐらいの区別ならつく。さすがにごまなんてことはないだろうけど、いずれにしても、腹に響く。いくら女性だとはいってもこの箒、今は早朝鍛錬のあと、運動直後だ。内心はしたなさを感じるが、どうにも腹の虫は自制できない。

 女の子だろうと一五歳は成長期。食べ盛りに油の炭化は毒である。……などと空腹に言いわけをすれば、なおのこと腹が減る。ああ、さっさとシャワーを浴びて食堂に行こう──、

 

「ほいよ箒、口開けろ」

「ん? なんだ──むぐ」

 

 途端、口の中に放り込まれるなにか──は、同時に口内で香りと肉汁とを弾けさせ、旨みに渇いていた舌の根にしつこいくらいに絡みついた。

 

「むぐ。これは、(とり)か」

「おう。まぁ鶏肉炒めてレモンを少々、って感じだな」

 

 「数が奇数であまったからさ」、と加える一夏。ともかくこれの正体は弁当の余剰らしい。

 鶏肉と自覚した上で噛み締めれば、より一層と風味が溢れてきた。これまたご丁寧に一口大に切り揃えられた(ひと)(しな)は、奥歯で潰す度に旨みを広げ、同時に下味にまぶしたろう胡椒もわずかに巻き込んで、ピリッとしたキレをきかせる。そのキレ味がなくなる頃にレモンの雫が顔をみせ、唾液をを促して止まらない。簡潔に、とても美味しい。

 

「んぐ……ふむ、ご馳走様。美味しかったぞ」

「お粗末さま。口にあってよかったよ」

 

 そういって微笑む一夏であるが、一方の箒はやや複雑である。

 ……もしかしてこいつ、私よりも料理上手いんじゃないか?

 一夏が家事全般に明るいのは知っている。小学生の頃、彼女が転校する前から一夏が炊事洗濯などを始めていたのは覚えているし、それをずっと続けているともIS学園(ここ)に来てからも聞きおよんでいる……が、まさかこれほどの腕前とは。

 弁当のあまりといえ、さすがにこれは衝撃だ──ちょっと待て。あまり? どうして? なんで奇数であまりになる? 自分の弁当だ、好きなだけ食べたらいいだろうに。

 そんな小学生ばりの算数に違和感を感じていると、それを見越したかのような軽やかさ。

 

「そりゃあ()()()用意したからな。お前の分もあるぜ?」

 

 ……それはどうりで、端数が出るはずだ。

 

「全く。お前は本当に家庭的な男だな」

「なんだ、弁当いらなかったか?」

「ふふ、貰うさ。ありがたくな」

 

 これは女としての沽券に関わるなぁ、と。複雑なものを抱えながら、箒はシャワー室に入っていった。

 ──本当、今日の昼食が楽しみだよ。

 

 

 ◆

 

 

「ねぇねぇ、二組のクラス代表が変更になったって聞いた?」

「え? 対抗戦来週なのに?」

「うん、なんか転校生が来たとかどうとかで」

「おはよう、みんな」

「あ。おはよう、織斑君に篠ノ之さん」

 

 四月二〇日の朝、一年一組の教室。

 俺が箒とともに登校すれば、なにやらクラスの女の子達がわいのわいのと盛り上がっていた。

 ほんと、女子高生っておしゃべりが好きだよな。いや学生にかぎらず女性全般がそうか。思えば中学時代のバイト先(近所の子供のお守りとか)のお母さん方、ことあるごとに話題をふられ話しかけられ、ときにはお子さんそっちのけでお話しするなんてことが多々あった。別に迷惑だとかは欠片も感じてないけど、でもしゃべり続けるってのは、それはそれで疲れる。なんであんなに話題が豊富なんだろう? まぁ外国だとお話しするためだけに集まる、ってこともあるみたいだし、なんにしても、人と話すのはいいことだと思う。

 

「うむ、おはよう。ところで、一体何の話をしているのだ?」

「それがねー。なんか二組に転校生が来るらしいんだって!」

「ほぅ、転校生か。それはまた、急だな」

「でしょ? しかもその転校生がクラス代表になったんだってさ」

 

 そしてなんら苦もなく会話に混ざるのはなんと箒さん。いやだって、なんだかんだ篠ノ之さんも女の子ですし? やっぱりお話しおしゃべりご歓談、そういうのが好きなんだよ。……とはいえ普段の凛呼としたところを見てると、なんとも不思議な感じがする。昔はもっと無愛想なやつだったんだけどな。まぁ六年も前の話だ、きっと心境の変化でもあったんだろう。

 しかしでも、やはり一線は画しているようで。

 

「ほう──し、篠ノ之さんはなにか聞いてる?」

「いや、寡聞にして知らないな。今日が初耳だよ」

「そ、そっか」

 

 ──『篠ノ之』。

 箒はクラスメイトに苗字で呼ばれている──呼ばせている。いや、強制してるわけじゃないんだが、なんというか、箒のまとう雰囲気がそう物語っているのだ。どうにも己が認めた相手にしか呼ばせないようで。そしてそれは、昔のまんまだった。俺は色々あって下の名前で呼んでいるけど……現状、この学校で『箒』と気軽に話しかけられるのは俺と千冬姉くらいかもしれない。

 理由は聞いたことないが、なんとなく、わかる。名前というのは特別だ。苗字、性というのは家族や血縁というものの『重さ』を持っているから重要であろう。しかし、『名』というのはそれとはまた別種の『重さ』がある。己を己たらしめる記号、自分を自分と認識できる部品……他人に観測してもらう際に便利な呼称、なんて考え方もあるだろう。それも正解だ。

 

 でも、名前がその程度なだけであってほしくない。

 

 同姓同名、確かにいるだろう。でも、それでも自分の名前だ。己が存在の一部だ。それを名乗り、それに立つ。たとえすべてがなくなってしまっても、それだけは残るから。だから名前は特別だ。それに対する考えが、多様であるのは必然だ。

 で、あれば。そうまでして貫きたいことなのだろう。そうやって己に準じているのだろう。だったら俺から言うべきはなにもないし、そも口にすること自体がお門違いだ。

 だけど箒、さすがにクラスメイトに『寡聞』とか使ってやるなよ。話しかけた鏡さんが「か、かぶん……?」とか困ってるじゃん。さすがサムライガール、日本語が丁寧だぜ。

 

「あら。みなさん、なにをそんなに盛り上がっているのですの?」

「あ、セシリア。おはよー」

「おはようございます、相川さん」

 

 そうこうしてる内に颯爽と現れたのはセシリア。カールがかった金髪が朝から眩しい。

 

「おはよう、セシリア」

「ええ、おはようございます、一夏さん」

「だから『さん』はいらないって言ってるだろ?」

「いいえ、これは最低限の礼儀です」

「わかったよ、一組代表」

「はぁ。嫌味ですか、まったく」

 

 そんな彼女となんでもない会話。そこにはなんら違和はなく、棘の一ミリさえありはしない。今までこびりつくようだった険というものが、ごっそりと落ちていた。

 ──あの夜。セシリアと戦った日の夜。あの夜のあとから、セシリアの態度はどことなく柔らかくなった。

 深夜にひょっこりとやってきて、『ごめんなさい』と。ともすれば脈絡もなにもない突拍子さで、彼女は頭を下げたのだ。そのさまに、体面を取り繕っているような色はなかった。誇りをねじ曲げ無理矢理に、なんて微塵もなく、むしろ清々した、といった具合の清々しさ。

 そうしたわけはわからない。その結末に至った理屈は知らない。その答えにたどり着いた理由だって──でも、それが彼女の答えだったのだ、決断だったのだ。

 そうするだけのなにかがあって、そうする『セシリア・オルコット』を選択したんだ。だったら、それがすべてで、完結だ。だから彼女が一組の代表になるのを認めたのだし、『それでも』と抗うのを理解できるのだ。

 

 ゆえ、俺達はもう一度剣を交えることになる。

 

 他人を納得させられる完全無欠の論理なんていらない。必要なのは、己に凖ぜる絶対の確信。自身の内側で輝くそれに(たが)わない、確固たる意志。──それを奉じるがゆえ、この決着には納得がいかない。織斑一夏(あなた)はそれで完結だろうが、セシリア・オルコット(わたくし)はそれに得心できない、と。

 だから、もう一度決闘を。決するために闘いを。それを、あの夜に誓ったのだ。

 だからまぁ、きっと翌日にはもう一回試合するんだろうな、なんて意気込んでいたんだけど……その決闘は、まだ行われていない。

 

 『しかるべき場で、ときで、決着を』。

 つまり、そういうことだろう。

 

 これ以上にない最高の舞台で、至高のタイミングで、俺達は決するべきだと。ああ、それなら文句の言いようのないくらいに『納得』できるだろう。なんにしても、負けるつもりはさらさらない。

 

(多分、再来月の個人トーナメントだろうな)

 

 六月に行われる『学年別個人トーナメント』。

 一学年全員で優勝を競う、トーナメント戦。学園行事のなかでも大掛かりなそれは、こと決するということに関しては打ってつけだろう。外部から企業関係者やら国のお偉いさんやらもくるイベントだ……なるほど、これを利用しない手はないな。無論のこと、俺には一切いやはない。なんのかんの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 第一、俺は負けないのだから、飛ぶ。

 

「おお、セシリア。おはよう」

「あら、箒さん。おはようございます」

 

 そうやってセシリアと雑談していれば、彼女に気がついたのか、()()()箒が女の子の輪から外れてやってきた。

 そう、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて。

 

「相変わらず、お前は朝に弱いな」

「あら、遅刻はしてませんことよ? それに朝に弱いわけではありませんわ……髪が多いと、大変ですのよ」

「ははぁ。貴族様も大変だな。私の髪も長い方だが、『量』という点に至ってはお前に遠く及ばんよ」

「ええ、本当。一応、若輩ながらも党首ですから、身だしなみをおろそかにするわけにもいきませんし……これから日本は梅雨、でしたかしら? 湿気の多い時期になるそうで……憂鬱ですわ。時折箒さんのような黒髪が羨ましくなります」

「くせ毛に湿気は大敵だからな……。いっそ髪を()ってはどうだ? 私でいいなら手伝うぞ?」

「あら、でしたらお願いしようかしら」

「え、なになに? セシリアの髪の毛結ぶの?」

「へぇ、面白そう。前からセシリアの髪の毛いじってみたかったのよねー」

「盛るか!」

「……谷本さん、マリー・アントワネットはよしてくださいますか?」

 

 そうしてあれよあれよと伝播する話題。転校生に盛り上がっていた()達もわらりと集まって、みんなでセシリアを取り囲む。……俺は完全に取り残された。いや、別に不満はない。女の子同士の会話。男の俺が加わるのは、なぁ? しかしそんなことより、だ。

 そんなことより、箒だ。

 

「それにしても、やはりお前の髪は綺麗だな。さらさらして、砂金みたいだよ」

「ふふ。それは時間をかけていますもの。女性として、当然ですわ。ですけど、箒さんの髪も綺麗ですよね。なにかトリートメントでもお使いですか?」

「ああいや、私はどうにも市販のトリートメントが合わなくてな。代わりに椿油を使ってるよ。どうだ、日本人らしいだろう?」

「ふふ、黒髪にはぴったりですわね。もしよければ、わたくしの使っているトリートメントを差し上げましょうか? イタリアのメーカーのものなんですけどね、ノンシリコンで界面活性剤不使用ですし、それならあなたにも合うんじゃないかしら?」

「ほう? だったらお言葉に甘えようかな」

 

 柔らかな表情でセシリアの髪を梳いていく箒……すごく仲睦まじい。

 そう、すごくセシリアと仲がいいのだ。いや、それが悪いっていってるわけじゃないんだ。けどなんというか、ギャップがすごい。普段の凛とした刀のような姿からは想像できないくらい、それはもうセシリアと仲が良いのだ。仲良しこよし、それこそなにも知らないクラスメイト達がすげぇ驚いている。当然に俺もその内の一人だ。

 ……これも昔から変わらないのだが、箒は他人と常に一線引いている。ある一定のラインを引いて、画して、隔てて、遠ざける。それはある種の拒絶。先の苗字で呼ばせることもその一つか、必要以上に他人と関わろうとしないのだ。パーソナル・スペースが広いとでもいうのか、あからさまに邪険にすることもないのだが、しかし。

 しかし、距離を置くのだ。物理的な距離だけじゃなく、精神共々。強固な城壁のごとく、ぶ厚い壁がはだかっている。築き上げている。

 もちろんのこと、それはなんらおかしなことじゃない。他人と関わりたくないという感情は、人間誰しも持っているものだから。多少なりとも俺だって、そういう感覚感情は持ってるし、そうしたいことがままあるし。箒は、それが少しばかり広くて大きいのだろう。ゆえ。

 

「いや~、せっしーとしののんは相変わらず仲良しさんだね~」

「……布仏、だから『しののん』は止めろと言ってるだろ?」

「えー、いいじゃん。せっしーもなんか言ってあげてよ~」

「箒さんに一票、ですわ」

「も~」

 

 一度その内側に入ると、途端に甘くなる。甘も甘々、微糖なんて控えめな表現じゃなくて激甘だ。いやまぁ普段の凛然クールな箒と対比するからこそ甘く見えるだけで、その実言いすぎな気がしないでもないけど……ともあれ、甘いのだ。

 自分が認めた相手には、友達には、優しいのだ。

 ……なんというか、本当、お前らなにがあったんだ? 最近色々ありすぎて戸惑いっぱなしだよ。

 とにも前言撤回。現状、『箒』と名前で呼べるのは俺と千冬姉とセシリアの三人だろう。

 

「ところで、セシリア。お前、二組のクラス代表が変わったのは知っているか?」

「いえ、存じ上げませんが……なにかありましたの?」

「ああ、どうにも二組に転校生が来たらしくてな、しかもそいつが代表になるそうだ」

「それはなんだか、急な話ですわね」

「そーそー。しかもね、その()中国から来たらしいの」

「中国? 本当ですか、岸原さん?」

「どうかなぁ。尾びれが付いてる気もするんだけど」

「転入生、ってことは専用機持ちかな?」

「この時期にわざわざ来るんだもんね」

「おー。強敵あらわるって感じだね~」

「……あんたが言うと緊張感がなくなるわね、本音」

 

 セシリアを(くしけず)りながら、話題は再び転入生の話へ。どうにもそいつは中国からやってくるらしい。

 実のところ、IS学園は転入生が多い。しかしそれは一般生徒ではなく、企業の人間や候補生など、ISに関係する人達だ。なにせインフィニット・ストラトスに関する専門の教育機関はIS学園しかない。ともなれば、テストパイロットなどが転入してくるのは当たり前でもある。ISを七〇機も保有し、訓練設備も充実。単純に考えて、ここ以上にISに乗れる場所はほとんどないはずだ。確かにISを所有している企業もあるだろうが……それでもよくて二機程度。だったら量産機とはいえ、ここで訓練したほうがよっぽど長時間ISに触れられるだろう。

 加え、指導員が最高峰だ。なにせ織斑千冬が直々に指導にあたるのだ、それだけでも編入する価値はあろう。だから候補生やテストパイロットなど、やってくる人間は多い。まぁでも、あくまで普通の高校よりは多いってだけで、そんな毎日くるわけじゃない。当たり前だけど。

 しかし、そんな理由を踏まえてもこの転入は若干のおかしさがある。時期だ。

 時期がおかしいのだ。

 入学からわずか一週間……ともすれば転入などでなく、初めから入学してくればいいのではないか? 無論、IS学園の倍率を考えるに、単純にあぶれたということもあるだろうが、しかしそも候補生やテストパイロットというのは優遇され、入学を望むならまずすべらない。そういう人は一般生徒のいい刺激になるし、IS学園側としても、データは一つでも多いに越したことはない。

 だから疑問。いったいどんな意図があるのか……なんてそれっぽくいうけど、実はなんとなく検討がついている。

 

 簡潔に、俺という男性操縦者の存在だ。

 

 自意識過剰とかじゃなく単純に、俺は世界唯一の男性操縦者だ。だとすれば、それに関する情報が欲しい輩が沸くのは当然でもある。

 俺を調べれば。それこそ男性がISに乗れない原因がわかるのかもしれないし、あわよくばほかの人もISが動かせるようになるかもしれない。

 そんな各国・企業の思惑を思えば、この転入も納得か。……とか言っといて、やってくる人が全然関係ないやつだったら恥ずかしいけどな。

 しかしとはいえ。

 

(中国、か)

 

 そんなもろもろ、その一言の前には些細にすぎず。その一文字が、瞬く()に俺の記憶を想起させる。

 中国。

 中学二年生の最後、中国へと帰っていった馴染みの顔を思い出す。

 中学三年になる直前、俺の友人は諸事情によって中国に行ってしまった。

 元気で勝気、快活に笑い、まるで飛び跳ねるような活発さ。お世辞にもおしとやかといえない精彩な女の子。うるさいぐらいに元気いっぱいで、低い身長を気にしてて、滅茶苦茶ラーメンが好きで、男にも平気で食ってかかるやんちゃ者で、負けず嫌いで、彼女の周りはそれこそ日向のようで──胸を張って誇れる、俺の友達。風に尾を引くツインテールが、秒の思考をかけずに思い出せる。

 

『いい!? よーく覚えてなさい! あたしは! あたしは絶対! 絶対あんた達に──』

 

 その別れ際の台詞を思い返す。はっきりとくっきりと。淀みなく、霞なく。一言一句、(たが)わず確かに覚えている。

 未だに、あの言葉の意味はわからない。言葉の通り、といわれればなおのことだし、なにかしらの婉曲表現だったのならお手上げだ。あいにくと、俺はそんなつもりまったくないし、どうしてお前がそう思うのかがわからない。というか、どうして俺と『アイツ』が一括りにされるんだよ。意味がわからん。それのほうが心外だ。認められるか、許せるか。

 ふざけるんじゃない。だって、だって。

 

 

 

 俺は、絶対に、『アイツ』とは────、

 

 

 

「──どうした、一夏?」

「、……あーいや、中国人って語尾に『アル』とかつけるのかなー、と」

「……いつの漫画だ、それは」

 

 ある種唐突にすら感じる幼馴染の声に、俺の意識が集束する。セピアに埋没した感覚が鮮やかになる。快活な笑い顔が消えて、目の前にはやれやれとした箒の顔。ダメだ。どうにも過去のこと考えると周りが見えなくなってしまう。切り替えよう。

 そうして見れば、どうにもセシリアの髪の毛をいじり(?)終えたらしい。彼女を囲むようだったクラスメイト達が、うんうんと頷きながら満足気な表情をしている。

 完成したセシリア──その髪型は、なんとポニーテールだった。

 ……仲よすぎだろ、箒さん。

 

「いやー、いい仕事したわ」

「いいなぁ。わたしも伸ばそうかな」

「ふふ、みなさんありがとうございますわ」

 

 あれだ。やっぱ美人ってなんでも似合うよ。箒みたいな純和風とはまた違った感じがする。俺がいうとなにやら安っぽい気がしないでもないが、あえていうなら、気品がある。お上品というか、新鮮だ。

 

「じゃあ頑張った私たちに恩返ししてもらわないとねー」

「お菓子とかねー」

「スイーツとかねー」

「フリーパスなんかねー」

「……そのためだけ、とは言いませんが、負けるつもりはありませんわ」

「そうそう、がんばってセシリア!」

「今のところ、専用機持ちはセシリアと四組の更識さんだけだからイケるって!」

「転校生も専用機持ちかもだけどね~」

「「「あんたは黙ってろ」」」

 

 成果には代償がつきものというか、どうにも下心アリアリらしい。みんな口々にフリーパスフリーパスと、優勝賞品に思いを馳せている。

 このクラス代表戦、どうやらやる気を煽るために賞品が用意されているそうだ。景品はなんと『学食デザート半年フリーパス』。そりゃあ、甘いものが好きな女子として、躍起にもなりましょうて。それだけとはいわないだろうが、しかしそれが一因なのも事実。がんばれとセシリアを応援するみんなの裏側には、スイーツに対する欲望がちらついていた。いやさ俺も甘いものは好きなほうだけどさ。

 そんなみんなをやれやれとした、ともすればお姉さん的な眼差しで見やりながら、しかし彼女は宣言する。決めるときにきっちり締めるあたり、やっぱ貴族というものはしゃんとしている。

 

「みなさん、まかせて下さいな。不肖、セシリア・オルコット。必ずや勝利の頂きに()してみせますわ」

 

 

「────へぇ、いいじゃない。そんな座、あたしが崩してあげるわよ」

 

 

 ──そのとき颯爽と響いた鈴の音は、セピアの記憶を塗り替えて。

 横槍入れられたような感覚のクラスメイト達は、みな一様にその音源へと視線を向けた。

 そうしてそこに立つは、教壇に立つは、にやりとした口角と栗色のツインテール。いつの間に現れたのか。いかにもと活発そうな小柄な体躯に、攻撃的な瞳は相変わらず。ああ、一つも変わっちゃいない。

 お前は、いつもそう在ってくれる。

 

「──、どちら様、かしら?」

 

 怪訝そうな口調だが、しかし不快感をお首にも出さないような、いうなれば尊大ともいえる切り返しで、我らが英国淑女は彼女に問う。

 しかしそんな態度に真っ向からむかうよう、堂と立って宣言する。清洒にして洒落。小粋で凜とするその顔は。

 

 

「あたしは鈴音、凰鈴音(ファン・リンイン)。中国の代表候補生よ──初めまして、英国の蒼雫さん」

 

 

 颯爽と現れた鈴の音は、太陽を思わせる快活さで、鳴いた。




モブ娘が名前だけですが登場です。
夜竹さんとか鷹月さんとかほんとかわいい。
でもイチオシは四十院さん。実はISの中で一番好きだったりします。
ひと目みた瞬間凄く一撃必殺でした。冗談です。


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第八話【外柔内剛】

 ES_009_外柔内剛

 

 

 

「アタシは鈴音、凰鈴音。中国の代表候補生よ──初めまして、英国の蒼雫さん」

 

 にやりと不敵さ催す面持ちで、放つ口上挑戦的。

 そう答えたのは教壇に立つ一人の少女。

 小柄な体躯にツインテール。悠々とした語調であるが、その実溢れ出んばかりの元気が透けるようだ。見るからに活発、聞くからに快活。清々しいくらいに小気味がよい。

 凰鈴音──鈴。

 俺の友達が、そこにいた。

 

「中国の……ということはつまり、あなたが件の転入生、ですか」

「ええそう。──そして、アタシが二組のクラス代表よ」

 

 毅然優雅に対応するセシリアはともあれ、突如現れた彼女のさまに、まだ驚きの抜けないクラスメイト諸君。鈴は突然の登場に戸惑う女の子達を一瞥し、さも満足だと言いたげに、さらに口はしを歪める。大胆不敵、強烈で痛烈な印象を与えるにその襲来は鮮烈だった……なーんて当人は意識して三日月に吊り上げてるんだろうけどさ。実際、その表情は、姿は、こうとしか言い表せないだろうな。

 まるで、子供がいたずらに成功したときのような。

 それはもう、やんちゃをしでかした小学生のように、まさしく得意げな表情だったのだ。にやり、じゃなくて『ふふん? どうだ!』としたもの。だから、うん。ようはみんなの面持ちは、卒然なるクラス代表参上による驚愕よりも。

 

(((……あ、この子かわいい)))

 

 微笑ましさのほうが(まさ)っていた。

 驚いたびっくりした。突然にもほどがある絶好のタイミングで、かっこいい口上だったと思う。しかしそんなもろもろより、みんな鈴の日向の笑みに魅せられていた。その暖かさにこそ、驚いたのかもしれない。

 かっこいいのにかわいい。かわいいからこそかっこいい。鋭さとなめらかさを両立させたような、そんな空気を運んできた。

 とはいっても、そこはさすがに我らがセシリア・オルコット。ご多分にもれない好印象を抱いているようだが、きりっとした態度は崩さない。直後こそ怪しむような色でもっていたが、彼女の笑みはそれをほどけさせるには十分だったか、いくぶんその声は柔らかみを感じた。

 

「お初にお目にかかりますわ、凰鈴音さん。ご存知のようですが改めまして、私はセシリア・オルコット。一組のクラス代表兼、イギリスの代表候補生を任されております。

 ところで我が一年一組になに用で……なんていうのは、愚問でしょうね。こちらも聞き及んでおりますわ、(こう)(りゅう)

「ふふん。なかなかイイじゃない、アンタ。……まぁでもね、今日は単純に顔見せついでの宣戦布告ってとこよ」

 

 そんなつけ合せ感覚で喧嘩売られるのは迷惑極まるところだけど、とうの鈴に相対した今となっては、なんだか『やれやれ』と思ってしまう。

 この子ならしかたない。と、そう思わせるのだ。……とはいえそれは、『子供っぽい』からかもしれないけど。

 そう言って鈴は教壇から降りると、堂とした態度を崩さず歩を進める。そのまま淀みなくセシリアに近接して戦意の視線を真っ向からぶつける、ってわけもなく……その足は、もちろんのこと俺の前で止まった。少々威圧的な視線が見下ろす。

 

「久しぶりね、一夏」

「よう鈴。元気か? 暇なら今週末遊びに行こうぜ?」

「…………。驚かないのね、アンタ。一年ぶりの再会よ? テンプレでもなんでも、もうちょっとリアクションしなさいっての」

「言ったろ。一期一会はきらいなんだ」

「あーもーつまんないわねー」

「ぶーたれるなって」

 

 昨日ぶりといわんばかりの気軽さで返せば、その態度に納得しないか、鈴が不満げな声を漏らす。リアクションが薄いのがお気に召さないらしい。どうせ俺を驚かせるの目的でこんな現れ方をしたのだろうから、これは非常に不服なはずだ。

 けれどでもしかたない。俺はそういう考えで、そういう男なのだ。そうそう変えるつもりはなく、変わることもないだろう。

 ──だけど、な。

 

 

「お帰り、鈴」

 

 

 すっ、と。つまらなげだった鈴の頭に手をおいて、そのままゆっくりなでていく。優しく、愛おしむように、懐かしむように。

 ──だけど、また会えて嬉しいのは、嘘じゃないよ。

 

「…………なでんな、バカ」

「悪い。くせだ」

「……バカ」

 

 そうしてジト目気味に抗議を訴えるが、いやがる素振りはなかった。

 ああ、本当にお帰り、鈴。手放しで喜ばしいのは真実だ、満腔の感激は本心だ。けれどそうやって面と向かうのは恥ずかしいから……そういう俺を知っているから、鈴は黙ってなでさせてくれるのかもしれない。

 

「あ、あの、織斑君」

「うん?」

 

 そうして俺が鈴を堪能していると、なにやらおずおずといった風に、鏡さんが話しかけてきた。見ればほかのクラスメイト達も、さらにはセシリアさえも疑問げな表情をしている。

 

「どうかした?」

「その、もしかして凰さんと……知り合い、なの?」

「すっごく仲良さそうだけど……」

「ん? ああ、そうだよ。鈴は俺の友達──幼馴染みだ」

「「「お、幼馴染み!?」」」

 

 驚く一組の面々。でもそりゃあ驚くか。なにせ幼馴染で、オマケに外国人で、しまいには候補生なのだから。奇跡的といっていいかもしれない三拍子。それとあろうことかIS学園で再会だ。驚愕の斉唱は慣れたもの。

 しかし幼馴染み、なんて思わず言ったけど、実際どうなんだろう。鈴は俺が小学校五年のときに転校してきてそこから仲良くなったのだが……どの辺から幼くて馴染みなのか。小一から一緒だった箒は幼馴染みだと断言してもいいんだろうけども、さすがに小五は……どうでもいいか、些細なことさ。なんにしたって、友達なのには変わりない。これは久々に中学の面子集めて遊びに行こうかね。

 

「幼馴染み……なるほど一夏、この()が前に言っていた凰か」

「おう。箒には前に話したよな? お前が転校したあとにきた、ってやつ。こいつがそうだよ」

「いやはや、お前といい私といい、数奇ものだな」

 

 「合縁奇縁、驚きには事欠かないよ」、と続ける箒。こいつには同室になってから鈴のことを話していた。そりゃなんだかんだ箒とも久しぶりだったわけで、さしあたり転校していったあとのことが話題だった。そのなかで中学時代のことを話したり、となれば鈴のことを語らぬわけにはいくはずもなく。いや、そのいいようだと話したくなかったなんて言い回しだけど、当然そんなことはないし、むしろ自慢げに話したよ。俺の深くにも関わってくる友達だ。誇らないわけがあるはずない。

 ともあれそうやって鈴については話していたのだが、その時の箒は「可愛いじゃないか、その娘。機会があれば会ってみたいよ」と、わりと好印象だった。どうにも鈴には人に好かれる才能があるらしい。友達が多いわけだ。

 

「……一夏、誰よこのカッコイイ女」

 

 一方の鈴はというと好印象な箒と反対に、なにやら訝しんだ問いをかける。どうやら俺と名前で呼び合ってる女子がいるのに疑問を感じたらしい。いくら友達とはいってもクラスメイトの異性である。男同士でもあるまいに、そう考えれば、苗字が呼称で自然だろう。

 つーか開口最初の感想が『カッコイイ』とはさすがである。女の子に対して抱く印象にしては多分に不相応だろうけど、どっこい相手は我らがサムライガール篠ノ之箒。素晴らしい洞察眼だった。……俺の中の第一印象も『かっこいい』なのは黙っていてもらいたい。

 

「お前にも話したことあるんだけど、覚えてるか? こいつは篠ノ之箒。こっちも幼馴染だよ」

「────へぇ、()()()()

 

 そのときの鈴の顔は、なんとも形容し難いものだった。目を若干に細め、探るような視線。名状し難いその表情……まるで、やっと会えたとでも言ってるような。

 そうして少しばかり思案していたかと思えば、弾けたように急変化。

 

「──そろそろクラスに帰るわ。一夏、昼休みは空けておきなさい」

「あ、おう。じゃあな」

「またね」

 

 バイバイ、とうしろ手に振りながらあっさりと帰っていく幼馴染み。

 行きも帰りも唐突で、一組のみんなが唖然としていた。まったく、なんとも竜巻みたいなやつである。でもこのさっぱりきっぱりばっさりとしたところも鈴の持ち味だ。小気味いい。

 

「なんか、すごい子だ」

「うん」

「嵐みたいだったね~」

「波乱の予感……!」

「すでに十分波乱だったと思いますけど」

 

 口々にいう女の子達だったが、やはりみんな好感的だった。嫌味がない、切れ味がよい。どちらかというと清爽な少年の雰囲気であった。

 だがとにも、なんにしたって。

 

「あいつが……候補生か」

 

 鈴が転校していった理由を思えば、わずかばかりの不安が心臓を掻いた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「一夏ー! こっちよー!」

 

 午前の授業を乗り越え昼休み。空けておけということは、きっと昼ごはんを一緒に食べようってことだろう。せっかくだからこっちから迎えに行こうかな、なんて考えてるまさにそのとき。

 

『学食なう』

 

 との一報が俺に送られてきた。ああもう相変わらず強引なまでのマイペース。確かに学食は混むからさっさと向かうのはわかるけどさ、もとはそっちから誘ったわけだろ。むしろ迎えにきてくれてもいいんじゃないか? とかいう不満はさておいて。

 そうとなったら最短即行レッツゴー、俺も学食にやってきた。途端に俺を呼ぶ大声。その主を問うまでもなくお相手は鈴で、方向は窓際の席から。日当たりのよい南側のテーブル。壁面の大ガラスから盛大に日向をとりこめるそこは生徒の人気も高い席、それを悠々と獲得していた。抜け目ないのは知れたこと、さすがだった。

 人の波をするりと躱し、急ぐように、ぴょんぴょんと手を振る幼馴染みのもとへ向かう。

 

「ったく、メールよこしたかと思ったら先に学食行きやがって。少しぐらい待っててもいいんじゃないか?」

「あら? そのおかげでこのテーブル確保できたんだから、むしろ感謝してほしいわね」

「オマケにもう食ってるし」

「文句は?」

「ないよ」

 

 軽口を叩き合う調子は淀みなくて、それこそ中学校のときを彷彿とさせる。これで弾とか数馬とかがいたら完璧なんだけどな。それは今週末のお楽しみにしとこうか。それよりさすがに、俺だって腹が減っている。

 

「うん? アンタ食券は?」

「弁当一択」

「相っ変わらずよね、ホント」

「高校生のお財布は常時疲労困憊なんです。というか、やっぱラーメンなのな」

 

 ズルズルとラーメンをすすりながら『悪い?』とその目が訴えてくる。『まさか。やっぱ変わんないな、って』──そうアイコンタクトで返せば満足げに、器用げに、口はしを笑みに変えた。

 鈴はラーメンが好きだ。それはもう大好きだ。なんでそんなに好きなのかと、前に理由を訊いたら『だっておいしいじゃない』との一言。実にシンプルな解答である。地元のラーメン店を制覇したのは今でもいい思い出だ。

 

「それにしても驚きよね。まさか『男のIS操縦者』がいるなんてさ」

 

 メンマをかじりながら話題は俺のことへ。しかしそこにはいくばくかの含み。

 男性操縦者。織斑一夏ではなく、男の存在に焦点を当てた言い回し。

 

「男の操縦者、ね……それが俺なのには驚かないのかよ?」

「んーまぁ、そりゃね。男性操縦者がいるのはビックリだけど、でももしいるんだとしたら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 しれっとした鈴であるが、言ってることは無茶苦茶である。

 俺しかあり得ない? 確かに千冬姉の弟だったり束さんと面識があったりするけどさ……でも、お前がいうのは、そういう理由じゃないんだろ? もっと別の、それこそ当然だといわんばかりの、確信。

 

「なんだそりゃ。なんか根拠でもあんのか?」

「勘よ、勘」

「女の?」

「アタシの」

 

 なにこの子、男らしい。そんじょそこらの男なんかよりよっぽどキマってやがる。いやこの(ちまた)、比べるならむしろ女かもしれない。でもカッコイイだけで説得力はなかった。

 ……ただ、こいつはなにやら野性的なところもあるので、その勘とやらも馬鹿にしたものじゃなない。現に、道に迷ったときなんかこいつの勘だよりで行くと目的地に着いたりするのだ。さすが鈴である。

 

「つーか俺の話よりもお前だよ。連絡よこさないと思ったらいきなり転校してきやがってさ。代表候補生でクラス代表? 卒然というかなんつーか」

「にっしっし。……でもアンタ、全っ然驚かないんだもん。なんのために連絡しなかったと思ってんのよ。劇的な再会が台無しったらないじゃない」

「ふてくされるなよ。鶏肉やるから許せって」

「あーん」

「ほいよ」

「「「えっ!?」」」

 

 俺がお詫びとばかりに鈴の口に今朝焼いた鶏肉を放り込めば、なぜか周りのテーブルから驚きの声が上がった。見れば隣のテーブルにはクラスメイト達が座っており、というかほかのクラスの娘達もびっくりしてる。え、どうゆうことなんだ?

 

()()()()()?」

「ん、ああ。なんか周りがっておい箸をねぶるな!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()(しょ)

 

 周りの反応に気をとられていると、箸の先では鈴がむぐむぐと鶏肉を咀嚼していた。俺の箸を加えたまま。箸の(はし)を、である。なんてくだらないことより行儀が悪いなぁもう。女の子にあるまじき醜態だぞ。

 

「んぐ。ごちそうさま。おいしかったわ」

「そりゃどうも。ってか、ねぶり箸は行儀悪いぞ」

「アンタがぼうっとしてんのが悪いんでしょ」

「お前が口を離せばすんだろうに」

「食べ盛りをなめんじゃないわよ」

 

 開きなおりやがったよ。

 

「ところで一夏、アンタもう専用機持ってるのよね?」

 

 そしてこの転身の速さである。

 

「ああ。やっぱ男のデータは貴重みたいだからさ。データ採取のためにだってよ」

「当然よね、それは。どっちにしろ専用機があるのよね。だったらアタシがISの訓練見てあげよっか? 世界唯一の男性操縦者がへっぽこっていうのはイヤでしょ?」

「へっぽこ言うな。ありがたいけどさ」

 

 鈴からの提案は願ったり叶ったりのものである。

 訓練。ISの。

 へっぽこうんぬんはもちろん聞き捨てならないけど、しかしそれを一笑できる実力が、事実が俺にあるのかと問われれば、それは否定できない。ただ甘受するつもりはない、流されるだけはダメだ。負けるつもりは絶対皆無で、《白式》に乗ると決断している。しかしそれを押し通すには、それをなせる力が必要なのだ。

 だから鈴の持ちかけてくれた話は心底ありがたい。にべもなく承諾する。俺は、お前にだって負けないのだから。

 

「なんだったら今日からでも見てあげるわ」

「……あー、できれば来週からでもいいか?」

「どうしてよ」

「ほら、今週末って対抗戦だろ? だからそれまでセシリアの訓練に付き合ってんだよ」

 

 引き分けに終わったといえ、クラス代表はセシリアだ。だとすれば、いくら決闘の約束をしていようとも応援するのはクラスメイトとしては当然だ。で、最近は対抗戦に向けて放課後は連日訓練している。……と聞けば都合はいいが、実際はセシリアの調整相手だ。

 なにせ彼女は候補生で、いうまでもなく実力は折り紙つき。だとすればいくら調整だけとはいえ、それについてこれる程度の相手は必要だ。そこで白羽の矢が立ったのが俺というわけ。実力はともあれ、俺だって一応は専用機持ち。一般生徒よりはマシだということだろう……第一、対抗戦ごときで負けて欲しくない。だったら喜んで手を貸す、世話を焼く。

 というわけで、鈴の申し出は非常にありがたいが、今はセシリアのほうを優先したいのだ。

 

「なに、やたらオルコットさんの肩持つのね?」

「そりゃ俺のクラスの代表だし、俺と引き分けてるしさ」

「…………引き分け、ですって?」

「おう。あいつとはクラス代表賭けて一回戦ってんだよ。……まぁ引き分けだったんだけどさ」

「…………」

 

 だから──次も負けない。

 

「……オルコットさんが、ねぇ」

 

 そういう鈴は、思うところがあるのか、なにやら神妙な面持ちで思惟に耽っている。

 

「おい鈴。どうかし、」

「「「ええっ!?」」」

「……さっきからうるさいな」

「一夏、なんか言った?」

「なんでもないよ」

 

 再び視線をやると、どうにもさっきの焼き増しか、隣りのテーブルが驚きの()を上げていた。みんな席を立って誰かを取り囲むように、って箒が囲まれてる。なんだ? なにかあったのか? とりあえず俺の作った弁当をおいしそうに食べてるので嬉しいけど。

 

「ま、訓練うんぬんは来週でいいわよ。とりあえずオルコットさんとのが終わったら空けときなさい。また行くから。じゃあね」

「え、ああ。またな」

 

 目線を鈴に戻すより早く我が幼馴染みは席を立ち、うしろ()に手を振って帰っていった。先にきていた分を差し引いても食べるのが早い。サバサバとした態度は慣れたもの。サバサバ系女子っていうんだったろうか?

 

 

 ◇

 

 

『うん? アンタ食券は?』

『弁当一択』

『相っ変わらずよね、ホント』

『高校生のお財布は常時疲労困憊なんです。というか、やっぱラーメンなのな』

 

「やっぱ昔馴染み、って感じだね」

「まさか恋人同士!?」

「いやぁ、どっちかっていったら『いい友達』ってカンジでしょ、アレ」

「少なくともおりむーはそうみたいだよ~」

「いずれにしろ、仲がいいのは確かのようですね」

「……下手に勘ぐるのは感心しませんわ」

「全くだ」

 

 一夏と鈴音が食事をする一方、その隣りのテーブルでは箒とセシリアを含む一組一同が、ここぞとばかりに聞き耳を立てていた。なにせ幼馴染みがIS学園で再会である。しかも聞くところによれば中国に転校していった末の今。かっこよかろうが子供らしかろうが鈴音とて乙女だ。なれば噂好きの女子として、こんな色恋沙汰といわんばかりのネタ、ほうっておくわけ断じてない。総勢七名、愛の戦士がそこにいた。……とはいえ、箒とセシリアはなかば強引に連れてこられただけだったが。

 

「なになに、篠ノ之さんもセシリアもノリが悪いよ」

「淑女として、当然です」

「かったいなぁ。こーんな機会、IS学園(ここ)じゃ滅多にないんだから、もうちょっと楽しもうよ!」

「引っかき回そうよ!」

「はぁ。これだから女子高生は」

「しののんも女子高生のはずなんだけどね~」

「ほらほら、静かにしないと聞こえませんよ」

 

 そう促されて口をつぐむ一同。身を寄せ合い乗り出して、一言たりとも逃すまいと、まるで群がるように耳を立てる。ニヤつく口元が下品すぎる。

 

「とはいえ、意外だな」

「あら、なにがでしょうか」

 

 箒は一夏からもらった弁当箱を広げながら、押し合いへし合いとわだかまる乙女らを見やって言う。それに対する反応は箒と同じく静観にまわっていたセシリアだ。

 予想通りバランスよさげなおかずのラインナップに思わず微笑んでから、なんとはなしに言を()がす。

 

「いやな。まさか四十院がこんなことに混ざるなんて思ってなかった」

「そういわれるとそうですわね」

 

 明らかに不審というほかないクラスメイトのさまを一瞥し、呟いた箒にセシリアは得心を返す。二人の焦点は今なお屯う少女らの一角。

 

 四十院神楽。

 

 聞くところによるといいとこのお嬢様らしい。彼女の風貌は、いって表すなら清楚でおしとやかな少女。セシリアとはまた違う意味で淑女といった、和製佳人。ある種浮世離れしていて、とてもじゃないが、こんな俗っぽいこととは無縁という存在だ。

 そんな彼女が相川清香や谷本癒子といった今風女子に混じっているのは……いくばくかの違和感である。まぁあくまで外見だけで判断するなら、だが。

 

「呼びました?」

 

 そう箒とセシリアが交わしていると、とうの本人が輪から外れてやってきた。

 艶やかな長髪、しゅんとした挙動、柔らかな物腰。振り向いて歩を進める、という動作だけで華がある。こうしてみると、やはりミスマッチだろうか。

 

「いや何、呼んだわけではないさ。ちょっと意外だな、とセシリアと話していたんだ」

「意外、ですか」

「ああ。お前は一挙一動が綺麗でな、そうやってあいつらに混ざってると少し浮くんだよ」

(……なんの躊躇いもなく『綺麗』とおっしゃりましたね、箒さん)

 

 同性でも『綺麗』なんてそうそう使わないし、どころか箒の場合、お世辞でなどでは断じてないだろう。そんな性格を知っているセシリアは、内心で呆れと感心をない交ぜにしていた。

 箒の言葉に神楽は「なるほど、そうですか」と得心の頷き。少々希薄気味な表情と相まり、なんともぽーっとした印象を受ける。それがまた浮世離れに拍車をかけているのかもしれない。

 次いで、そんな顔からもたらされた言葉は案の定。

 

「わたし初めてなんですよ、こういうの。ご存知かもしれませんが、実は実家が──」

「あー、言うな言うな。大体察するよ」

 

 神楽の言葉を払うように『()せ』と二の句を遮る。つまるところのよくあるテンプレート、家が厳しい。

 そういう家はそういうものだ。やたら外聞・世間体というのを気にしたがる。別段それをくだらないなんて言い捨てはしないし、愚かだとも間違ってるとも糾さないし、そもそもそんなつもりは毛頭ない。よく『お堅い』なんて茶化した言い方をするが、むしろそちらのほうがくだらないと思う。

 受け継ぐというのはそれは大変なことだ。代々綿々と繰り返し、熟成され、繋がれていく伝統と(わざ)。誇張なく素晴らしく、手放しで美しい。

 

 それはいうなれば時間の重みだ。

 

 生命は有限で儚くて、終わりが定めであるから尊くて。時間は不可逆一方通行、待たず逃れられず止まらない。その生涯は徒花かもしれないけど、だけどそれでも繋ぎ伝えられるものがあるのなら、残せるものがあるのなら。全霊全血、賭して那由他に語り継ごう。朽木の価値もなかろうが、枯れ枝は後進の肥やしになれる。礎を超えて登ってくれ。

 先人達が生涯を擲って重ねた時の()(わざ)、それが鴻毛などとはあり得ない。

 ゆえにそれを守るべく躍起となるのは当たり前で、事実、箒の家も剣術という『伝統』を持っている。それに対する理解は人よりも深い。

 その歴史を宿命と断ずることもできよう、呪いと忌むこともできよう。固執するあまり淘汰されていくことだってあるだろう。

 

 それでも守りたいのだ。繋ぎたいのだ。

 

 その美しさを理解しているゆえ、尊さを感じているがゆえ、伝えたいのだ。

 やたらめったら『古い』、『堅い』なんて使う阿呆は愚かだと思うし、『古きと新しきの融合』なんて()()()()()()はため息ものだ。継ぐというのはそういうことじゃない。……とはいえそも、継がせる側も継ぐ側も、勘違いしてる輩が大抵であるのは確かであるが。ようはつまり、『堅い』と『縛る』は違うということで、その点、箒の父親はちゃんと弁えていただろう。受け継いでいくということがどういうことか、その尊さをよくわかっていて……だからこそ、()()()()()()()()()()()、箒は──

 

(……いや、姉さんのことはどうでもいい)

 

 遮断、転換。思考のはるか埒外へ。

 とかく、神楽の心理には得心がいく。どうにも『縛る』家柄だったようだ。それならばいたしかたあるまい。人間なんてものは常に正反対の位置に惹かれるもの、抑圧抑制されていたともなれば、外界に焦がれる気持ちは餓狼のごとく。さりとておかしなことじゃない。

 

「……やっぱりわたしがこういうの、おかしいでしょうか?」

 

 そんな神楽の一瞬の翳り。佳人の自白。揺らぐ瞳。後悔ではなく、不安でたまらないという暗い色が、静かに空気を伝播する。その根源たる彼女の内は、いったいどれほど揺れているのか。

 内心でおかしくないと下した途端にその一言。その出来すぎともとれるタイミングに、箒はやれやれと思いながら。

 

「お前はIS学園(ここ)にいるのだろう? だったらもう、答えは出てるじゃないか」

「……答え」

 

 格式張った両家のお嬢様がわざわざIS学園(ここ)にきたってことは、そういうことだろう? ならばその時点で、言うことはなにもない。

 判断して決断して、そしてこの結果にたどり着いたのなら、それが己の答えである。良いにしろ悪いにしろ、その選択を誰かに委ねるなんておかしいだろう。英断か愚策か、間違いだろうと善行だろうと、まずは自分に素直でいるべきで、それが嫌だというならそもそもに抗おうなんてするな。

 自分できたんだ。ケツぐらい自分で持て、と。

 自分に納得できるかどうかというのが人生なら、不安なんて当たり前。良いか悪いかなど過ぎたあとにようやく判別でき、未知であるからこそその選択に得心する。

 後悔するな、納得しろ。不安を胸に吼え猛り、ただただ自分に準じて在れ。

 

 ──それは自分自身への言葉でもあったか。

 

 入学当初こそ一夏に咎められるようなことがあったが、本来箒はそういうひとだ。自分を(かた)らず『否』と下せる人間だ。

 己が良しとできるか否か。その考えを頑として持っている。ことISになると少々思考が短絡的になるが、ちゃんと芯なる部分のある人間だ。

 だからブレるなと、箒は神楽に告げるのだ。

 侍少女の言葉は強く、それに感じ()ることがあるのだろう、佳人はただ、口のなかで答えを返す。内部で反響し干渉し大波になって、『答え』の形を浮き彫りにする。

 

「……見た目だけで『意外だな』、なんて判断する人の言葉ではありませんわよ、箒さん」

「セシリア、第一印象は重要だ。人は中身なんて宣う輩が多分にいるが、中身がまともな奴は(そと)()だってちゃんとしている」

「軽はずみな一言が思いのほか重くて、言い繕うのが大変ですわね」

「……オルコット。貴様、何か恨みでもあるのか?」

「怒らない」

「むう」

 

 そうして神楽が思惟に耽る中、静観していたセシリアが(わり)()った。家を重んじる『貴族のセシリア』としても思うことはままあったが、箒がわざわざ出張っているのだ。ゆえに今まで無言を決め込んでいて、その末の一言。

 その指摘は的確無比。なんとか食い下がる箒であったが、そこは頭首ゆえに外交豊富な英国淑女、こと『口喧嘩』においては大先輩だ。あっという間に降参で唇を噛むサムライガール。

 そんな二人のさまをクスリと笑って、上げた神楽の視線は確然と。

 

「ありがとうございます、()()()()()

「気にするな」

「答え合わせよりまずは自己採点を、ですわ」

「「「えっ!?」」」

「……なんだ、今度はどうした?」

 

 神楽が凜としたかと思えば打ち壊すように驚愕。

 みなぎる呆れをため息に乗せて再度音源であろうほか四名に視線を這えば、というか四名ならず違うテーブルの方々も驚きの()を上げていた。きゃいのきゃいのと黄色いのはさておいてさらに焦点を奥へずらせば、そこでは一夏が鈴音の口に箸を突っ込んでいた。これはいわゆる『あーん』というやつじゃないだろうか。

 

「すごいですね、織斑さん」

「凄い、なぁ?」

「ある意味ではすごいでしょうけど……いいえ、なにも言いませんわ、なにも」

 

 年押すようにはぁ、と。箒とセシリアは呆れを隠そうともせずにため息をもう一つ。もうどうにでもしろといった具合で昼食を再開する。あちらはあちら、勝手にしていればいいのである。感心している和製佳人はほうっておく。「あーんだよあーん!」「おりむーだーいたーん」「こいつぁわざとですかい?」、などとほざく面々は輪をかけてほうっておく。

 となれば、「そういえば」と続くセシリアの言葉は、場を切り替えるのには最適であろう。

 

「今日は箒さんお弁当ですわね。なにかございましたの?」

 

 自身が食堂にて購入したBLTサンド(飲み物付属)と箒の手元の弁当箱とを見比べて、ふとした疑問をこぼした。

 そんなセシリアの問いかけに、箒はなんの感慨もなくさらりと。

 

「ああ。今日は一夏が弁当だったのでな、ついでに私の分も貰ったんだ」

「「「ええっ!?」」」

「お、おぉ?」

 

 直後、聞き飽きた驚きとともにぐるりと首を反転させたクラスメイト達が、それはもう雷火の速さで、早さで、箒に詰め寄った。我関せずとして箒の面持ちが、愛の戦士どもに気圧されて崩れる。

 

「なになに、これって織斑君の手作り!?」

「愛妻!? 愛夫弁当なの!?」

「わぁお。さすがしののんだ」

「うあちゃー。おすまし顔でエグいねー!」

「あらあら」

「……落ち着け貴様ら」

 

 色めき立つ女子五人。いつの間にか神楽も乗っかっているがさておいて、先のあーんなどどこいったと、彼女らの矛先は箒に変わる。『何故こんなことに』と戸惑いの表情の箒であるが、少し考えればこうなるのは予知できたであろう。異性間の恋愛ごとが皆無なIS学園。その唯一ひとりの男子学生お手製弁当となれば、それは格好の餌食にほかならず。

 わらわらとたかる一組女子。普段は堂としたサムライガールが戸惑うさまは笑いを誘った。

 

(そういえば箒さんもそういう方、でしたわね……)

 

 英国淑女は呆れとも微笑ましさともつかない奇妙な眼差しを向けながら、オレンジジュースを口に含むのだった。




今回もモブ子がたくさん。
わかりづらかったと思いますが、実際はこんな感じで喋っていただいています。

清香「やっぱ昔馴染み、って感じだね」
理子「まさか恋人同士!?」
癒子「いやぁ、どっちかっていったら『いい友達』ってカンジでしょ、アレ」
本音「少なくともおりむーはそうみたいだよ~」
神楽「いずれにしろ、仲がいいのは確かのようですね」
セシリア「……下手に勘ぐるのは感心しませんわ」
箒「全くだ」

四十院万歳。


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第九話【技術革新】

 ES_010_技術革新

 

 

 

 ビッ! と青い光条が空を裂き、風切り音ははるか後方。

 なればそれがもたらす威力など語るまでもなく、迫る蒼線は精緻精密。真ん前から腹部を射抜かんとする鋭意を前に、けれど滞りなく回避行動。空中にて後方にワンステップ。同時に右翼のスラスター一基を前面に、左翼の一基を後方に噴射、噴射横転(スラスト・ロール)。一歩伸ばすようだった脚部の底面を軸に、高速一回転。ハイパーセンサーを介さない肉眼ならば、もしかしたらレーザーがつむじ風を貫通したように見えたかもしれない。

 そして体が正面を向いた瞬間、稼働させていない残りのウィングスラスター二つを開放、光線の主へと強襲した。回転回避からの急加速、完璧なカウンター──ゆえ、それは絶好のカウンターチャンス。

 その視界の隅、二つの銃口が瞬いた。

 反撃に反撃する二条のレーザー。真下と左側面、交差する青は三次元的な正十字だ。迅速すぎる一閃、けれど我が意に一切の焦りはなく。

 《白式》の脚部スラスターを急稼働、前方に追加速。俺という交差点をずらして回避する。前方への加速ゆえ、軌道になんら支障はない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、焦燥などあり得まい。確信。そのまま、構わず(たが)わず肉迫する。──が、

 ビュッ! と、真正面から()()()()()()()()()()。その正体は……ショートブレード!?

 

「、ぅおおっ!」

 

 驚愕を気合いで殺して左回転の横転(ロ ー ル)機首上げ(ピッチアップ)、即座にバレルロールの機動をとった。咆哮が外気を震わすよりも速く、鋭い銀線は後方に流れる。間一髪だ。

 しかしその驚愕の一瞬、当然に我らの淑女様がお見逃しになるはずもなくて。

 

「ぎぃ──ぃぃいいいいッ!!」

 

 砲火。

 車線変更して手に入れたはずの安全地帯に、待ち構えたといわんばかりのミサイルとレーザーの一斉射。矢継ぎ早にもほどがあんだろ! 慣性制御による強引な軌道修正、口突く奇声を誰が咎められようか。

 

「相も、変わらず、当たり、ません、こと、ねッ!」

 

 これが本当に調整なのかと疑っちまうくらい忌々しげにビットとライフル、ミサイル砲を操るセシリアさん。吶々とでもいうか、一言一言になにかしらの害意を感じる。

 おっかない。《インターセプター》を投げるなんて芸当までやりおってからに、よもやこんなところで決着つけるつもりじゃないだろうな? などとの軽口を叩く暇も得られぬまま、ひたすらに回避行動をとり続けた。青い光線は網目のように、そんな現在は放課後だ。

 四月二〇日放課後、第三アリーナ上空。じきに夕闇を迎える大空を背景に、点景たる俺達は機体調整に勤しんでいた。

 セシリアの専用機、《ブルー・ティアーズ》の調整だ。

 調整とはいうが、それはなにも俺がISの整備を手伝うとかって話ではない。いや俺が力不足というのはもちろんにあるけど、第一にセシリアは代表候補生。ならばその専用機、俺なんかが気安くいじれるものではございません。機密情報保持のためもある。なので整備に関してはセシリアと同じくイギリスの候補生、二年サラ・ウェルキン先輩が行っていた。現在もアリーナ管制室にて、この試合模様をモニタリング中である。

 で、俺の役割といえば……

 

「フッ!」

 

 一秒以下で展開した《雪片弐型》を出現と同時に左からの逆袈裟に()()()()、その慣性をPICで後押しさせるように増加させて体を引っ張り上げる。背面跳びの姿勢。そしてちょうど高飛びのバーに当たるだろう位置をレーザーが通過した。

 ……こうして、整備に異常がないか検査するための模擬戦相手だ。

 鈴との昼食あと、午後の授業に遅滞なく、早いもので授業外。開放されるやいなやアリーナへとおもむき、最近の日課といっていい模擬戦闘。いや、これが模擬とはいえ、戦闘と呼べるのか。

 瞬く銃口、迸る蒼閃、空を行く青線、を躱し続ける白い影……俺。

 俺に課せられたのはいわばターゲットという役目だった。詳細は知らないが、どうにも新しい設定に仕上がってるらしい《ブルー・ティアーズ》が、実際に戦闘に耐えられるか? ということで、俺にレーザー照射なう。無論、俺は避けてもいいし、攻撃に出てもいい。ただしダメージが残ると困るので、『どちらかが先に一撃を与えるか、またはタイムアップか』を決着として刃を交えている。刃っつーか光線だけど。

 なににしろ、近づけないのなら動く標的も同然である。

 制限時間は一〇分、現在五分経過。未だお互い被弾はなし。

 これを俺達の決着にするつもりなんて端からないが、勝敗にかかずらないなんてわけもなし。

 負けてはいけない。セシリアだって同じだろう。本番でもないのにショートブレードを投擲するなんて妙手、勝利への執念の表れだ。調整試合にすら策をろうす勝ちへの渇望。調整ごときに躍起になるんなんてなにを馬鹿な、などの見解もあるだろう。それでも──彼女はそうあろうとしているのだ。

 ならば俺も、無様を晒すなどできようか。

 

「ッるおォォ!!」

 

 《ブルー・ティアーズ》の数少ない隙。ビットとライフルの射撃を切り替える合間。その一瞬だけ、射撃が止まる。意識の焦点がビットからライフルへと移り変わる転瞬、いかに集中していようが硬直は生まれる。多角的なビットへの集中と、直線軌道のライフルへの集中は、わずかばかりの誤差がある。しかしそれは、あくまでセシリアの全体を見て浮き上がるほころびであり、隙と称するのはいささか以上におこがましい。

 それほどの須臾、石火のとき。そこに、割り込む!

 刹那、俺はウィングスラスター内部のエネルギーを()()()()──。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

 

 

 第三アリーナの管制室。二年サラ・ウェルキンは訝るような視線でもって、空間投影型の中継モニターを見つめていた。

 すらりとした細身と、白い肌に乗る赤縁のメガネ。流れる髪はセシリアのノルディック・ブロンドと違い、重みのあるダークブラウン。クセのないそれが胸元あたりまで伸びている。外見だけでいうなら、とても落ち着きのある女性だ……もっとも、中身もその印象と相違ないのではあるが。

 そんな彼女が腕組みしつつ眺めるモニターの上、映されるのは現在のアリーナ模様。セシリアと一夏の模擬戦。

 パネルいっぱいに走るレーザーの残像と白い軌跡。精密鋭利で申し分のない連続射──どうやら《ブルー・ティアーズ》に不備はないらしい。サラ自らが整備を担当した機体である。いくら己の後輩(ライバル)であろうとも、そこに抱く満足感に偽りなどあるはずない。

 とはいえ。

 

(……近接装備を、投擲した?)

 

 ザン、と画面を分断した銀閃。なにごとかと思いその部分だけスロー再生してみれば、あろうことかセシリアはショートブレードを投げつけていたのだ。

 驚愕と疑問、そして懐疑。

 いうまでもなく、《ブルー・ティアーズ》はライフルやビットなどの射撃装備を主体とした中距離・射撃型の機体である。ともなれば、その操縦者に求められるのは射撃能力が大部なのは明白だ。無論のこと近距離格闘能力が高いに越したことはないが、そもそも《ブルー・ティアーズ》はBT兵器運用が目的だ。極論だが、BT兵器のテストパイロットという観点だけで見れば、近距離能力はなくても構わないだろう。申しわけ程度にショートブレードを搭載してはいるが、正直射撃戦のセオリー通り、近づけさせなければ問題ない。ましてやブレードを投擲するなどという()()、候補生でなくとも訝るというものだ。

 確かに奇策妙手、そういう類いの選択も必要な場面があるだろう。そんな不足の事態にこそ実力は試されるものだ、が。しかしこれは模擬戦だ。調整第一目的の、真面目なお遊びみたいなものだ。

 そのなかで繰り出される妙手……ここ数日の内にみるみると膨れ上がったサラの懐疑、それが一層大きくなる。

 もともと、サラとセシリアはIS学園入学以前より面識があった。別段劇的なドラマがあったわけでもないが、単純に、本国にいた時にサラがセシリアを指導したことがあるというだけだ。だけだ、と言い切るとなんとも呆気なく感じるかもしれないが、実際はもう少し暖かい──さておき、面識が二人にはある。

 そのため、わずかばかりとはいえセシリアの気性・性格は理解しているし、男性に対する偏った見解を持っていることも存知である。ゆえに、違和感。

 セシリア・オルコットは、変わった。

 それが悪いことだとは思わない。候補生とはいえ一五歳という多感な時期、周りの人間に諭されて影響されて、染まり高まるのは思春期の通過儀礼でもあろう。

 しかし、それがあからさまに男性の影響であるのならば、別だ。

 セシリアの男性嫌いは、そんな一朝一夕で変わるほどに軽くない。違和。

 少なくとも、刀剣をこんな暴挙ともいえる使い方なんてする女じゃなかった。

 ──いや。それよりも。

 

(変わったもなにも……()()()()()()()()()()()?)

 

 あれ──()()

 無謀とはいえ間違いなく奇襲であるはずのブレードをこともなく躱し、あまつ追撃のレーザー掃射すらいなし切るあの男は、いったいなんだ?

 サラ・ウェルキンが抱く疑問の大本。それは変化しつつあるセシリアではなく、その相手役を務める織斑一夏にこそあった。

 

(……PICを、使いこなしてる……!)

 

 振り上げた長剣の慣性を増幅させて、追従するように自身を引っ張る。躱した。

 PICならではの浮遊機動。驚愕が押し寄せて(いとま)がない。

 大前提であるが、ISに重要なのはイメージである。

 そしてその根幹をなすのは『浮く』という感覚。空中に留まる、空気を踏む。感覚は人それぞれにまちまちであるが、まず浮くことが必須条件だ。ただしここまでは初心者といえど、大抵がクリアできる。ようは高いところに『いる』と認識できればいいのだ。問題はそのあと。

 そこから『飛ぶ』というのが難しい。

 浮けるのだから飛ぶのはそう困難ではないのではないか? という意見がISに関わらない一般人から多いのであるが、それは多いに大々的に間違いだ。

 実際に搭乗してみれば瞭然。飛べないのである。

 この感覚についてはいくら弁を尽くそうとも理解してもらうのは難しいが、簡潔に理由の一つを述べるなら『既存のどれとも操作法が異なっている』というのが最大か。

 いくら推進器を吹かすイメージをしようにも、そもそも人間にそんな機能がないのだからできなくて当然。『飛べ』と命じる脳とそれによって可動する『推進器』。()()()()()()()()()()()()()()()()

 もしもこれが、『手に翼をつけて羽ばたく』、『操縦桿を握ってアクセルを踏む』、『ペダルをこいでプロペラを回す』などの工程を挟んでいれば違ったであろう。『こういう動作をするから飛べる』という段階を踏むのであれば、いくぶん飛ぶことに障害がなかったはずだ。己の五感、ないしその延長線上でまかなえるのであれば、可能なのだ。それを肉体のともなわない思考のみで実践する……いわば新しく『感覚』を作るに同じこと。ISでは飛ぶことが困難なのはこのせいだ。

 さらに加わるのがPICという慣性制御。

 『慣性=万有引力(実質的に)』という科学的な見解はおいといて、これがネックの問題である。

 端折りに端折るが、慣性が『増加する』『減少する』『ない』という状態は、つまりどういうことなのか。それが想像できない、想定できない。

 そのためPICは自動設定で使用することがほとんどで、熟練のIS乗りだとしてもこの機能を使いこなせる者は少ない──皆無、といっていいかもしれない。

 いいや、一人いたか。

 

「……織斑千冬(ブリュンヒルデ)

 

 ブリュンヒルデ、東洋の覇王、獅子女傑(レオンハルト)、修羅、はてはブラックライダー……彼女を指す言葉は敬称・蔑称含めて多々あるが。

 百の言葉千の言葉。いくら形容を重ねても足りない足りえない、名実ともに比類なき最強。

 誇張も脚色も、虚偽だってありはしない。正真正銘、純正の最強。

 公式・非公式問わずすべてに勝利し、なかには一個中隊(IS四機を一小隊とし、三個小隊で一中隊)を一人で相手取って完勝した記録さえある。そしてそれらすべてがノーダメージ……化物。

 無敵と最強を両立し、未だなお極峰に君臨する、女傑。

 それの、弟。

 

「……姉が化物なら弟も、ってことかしらね」

「あーらら。どうしたの黄昏ちゃって」

 

 はぁと漏らした息に反応。少しばかり茶化すその言い回しは、別段気に障るようなこともなく。

 腕組みを崩さず振り向けば、そこには作業着姿で首にタオルを巻いた女生徒が立っていた。

 

「別に黄昏てたわけじゃないわよ、薫子」

「そーだよねー。そんな可愛らしいことしないよね、サラは」

「汗を吸ったそのタオル、あなたにとってもお似合いよ?」

「あーハイハイごめんないさいですー」

 

 サラの皮肉混じりに肩をすくめて、同じく二年の黛薫子は額ににじむ汗を拭う。黒ずんだ作業着に汚れたほほ、一目で判る彼女の様相。整備課の()()()

 二年整備科の主席(エース)こと薫子。彼女が管制室に現れた。

 

「そっちはもういいの?」

「まぁね。調整っていっても企業側で大部分は合わせてあるし、私にできることなんてそんなにないよ。せいぜいこうやって機材運んだりするだけさね」

「なに言ってるのよ。三年生差し置いて任されているんだから、あなた相当買われてるのよ?」

「実感ないんだけどねぇ」

 

 今回の《ブルー・ティアーズ》調整にあたり、企業は整備科の一部に協力を要請していた。さすがにサラ一人では手一杯と踏んだのだろう。そうしてその筆頭に選ばれたのは、なんと三年生を差し置いて薫子だった。それだけ優秀ということ……ということもあるが、下手な情報漏洩・上級生との軋轢を防ぐため、サラが同学年の整備科に依頼するように上伸したわけだ──なににせよ優秀なのには変わりなく、実際、彼女の腕は目を見張るものがあった。

 そういって管制室から見下ろすピットのなか、別の整備科(スタッフ)はせこせこと機材を運んでいる。中には『()()()』をまとって作業を行う生徒も見られた。

 

「……ねぇ薫子、EOS(アレ)ってどうなの?」

「あー、EOS? どうもこうも()()()()、『劣化IS』って感じ」

 

 Extended(エクステンデッド) ()Operation(オペレーション) ()Seeker(シーカー)──略称EOS。

 国連主導で開発が進んでいる外骨格攻性機動装甲。ISのように四肢を装甲するマルチフォーム・スーツで、災害時の救助活動から平和維持活動など、様々な場面での運用を目的として開発されたそうだ。一見するとまんまISであるが、違いを上げるとするなら全身装甲(フル・アーマー)であるという点やPIC・量子格納がないという点だろう。

 現在第三世代の開発ただなかのISは、おおよそ第一世代開発後期あたりから今のような肌を露出する四肢装甲(セミ・アーマー)タイプがデフォルトとなった。理由としては単純で、全身を鎧う必要がないからである。

 なにせ銃弾もミサイルも、はてはビームまで受け止めるシールドバリアーである。

 で、あれば。主要部を残して装甲が減少するのは自明の理ともいえるだろう。とかく、ISは金がかかるのだ。だったら装甲を削減して開発費を抑えるなど当たり前。当然の帰結。まぁそもそもISの開発者である篠ノ之束が失踪してしまったため、いくらノウハウが足りないとはいえ、そんな単純なことに気づくのにも時間がかかってしまったが。そのため、開発初期~第二世代初期のISには全身装甲(フル・アーマー)のモデルが多い。EOSが全身装甲(フル・アーマー)なのはシールドバリアーがない分の防御力を補うためだ。

 PICや量子格納にかぎってはいうまでもなく、それらはISのコアがなければ使えない。コアありきの機能なのだ……そんなIS開発史や性能比較はさておき。とにも、早い話が()()()()である。

 

「開発側が公式で発言してるものね。『ISの下位互換』って」

「まぁわからない話でもないじゃん? たった一一〇〇機で世界を変えちゃったIS。技術者としては憧れちゃうんでしょう。……でもいうほど悪いわけじゃないよ? けっこう優秀だと思うし」

「あらそうなの?」

「フォークリフトがいらなくなった」

「荷物運びなのね……」

 

 そんなEOSであるが、それが今年の四月よりIS学園へと無料で貸し出された。

 その理由はこれまた納得で、『稼動データが欲しい』ということと、『ISの訓練機として使用できるか』ということだ。

 救助活動など人体の機能の拡張・延長を謳っているが、ようはそれが大部なのだろう。訓練機としての運用は有用であるか。

 とにも数が圧倒的に少ないISである。ゆえに操縦者一人に対して一機を用意するなど到底無理な話で、大抵は一つの機体を複数人でシェアするというのがほとんどだ。だから専用機を持つなどごく少数で、たとえばセシリアのように特別な技能──BT適正などがなければ夢のまた夢。事実サラも、複数人の乗り回していたクチだ。加えその独特の操作方法からシミュレーターの類いを開発するのさえ難しかったのだ……いくら性能的に劣るとはいえ、類似品を造るというのは順当。

 経緯はともあれ、そこで白羽の矢が立ったのがIS学園だ。先にいったように、そもそもISに触れられるもの自体が少ない。ということは、『それがISの訓練として使えるか判断する人材』も少ないことに直結する。

 ゆえにIS学園。ここは全七〇機ものISを保有する訓練校、操縦機会は他所と比べ物にならない。なればその一生徒とは言え、その意見は重要にすぎる。

 そうして貸与されたEOSは一〇機。型式Se-20X《グレーランナー》。灰色の全身装甲(フル・アーマー)でゴツゴツとした分厚い装甲。脚部底面に大型のランドローラーを装備し、さらに推進補助として腰部にブースターを搭載している。頭部も当然フルフェイスのアーマーが覆っており、バイクで使うような丸みを帯びたものとは違う角ばったデザイン。肩部の装甲も角張っていて──というよりも機体全体が角張っているが──側面およびに後面にはマウントユニットがある。各部『(かど)』は面取りされているものの、全体的に『箱』を思わせる無骨な外装であった。日本の全身装甲(フル・アーマー)第一世代《(げき)(らい)》がイメージに近いかもしれない。

 《グレーランナー》が提供されて一週間弱、ひとまずは二年・三年の整備科が使っていた。まずはEOSに対する技術的な理解を深めるためだ。その後二年・三年のパイロット科を中心に一般生徒にも貸し出す手はずだ(一年生に回さないのはそもそものIS自体の操縦経験が少ないため。EOSを使用するのは早くても二学期からになるだろう)。

 

「いや、なんだかんだ訓練機として使えると思うよ? 確かにPICがないっていうのは操縦に負担かもしれないけど、IS用の装備も流用できるし、動作にアシストだってついてる。地上戦だけで見れば優秀よ、コレ」

「で、その挙句が荷物運び、と」

「あはは。やっぱパワーはあるし動作は人体の延長だもん。フォークリフト運転してた時より全然効率がいいのよ?」

「あなた運転できたっけ?」

「違う違う、整備科の先生が言ってたの」

 

 EOSはPICがないため飛べない、とまで断言するのは語弊があるが、しかし実際そう確定するに値する。大出力のスラスターなりブースターなりを搭載すれば飛行できる、が。あくまで『飛べるだけ』だ。実際に、それこそ音速域での戦闘など無理だろう。ISが高高度下・超高速下で戦えるのはバリアーと慣性制御による恩恵であって、その二つがない以上は、地上での運用が精一杯だ。

 それにそも、飛べたところで()()()()()

 飛行戦闘において、ISは絶対的にすぎる。

 IS登場以前、空を飛ぶ兵器といえばまず戦闘機が挙げられただろう。全長二〇メートル近い鋼の塊が音速をはるか突き破って飛翔する──そのため、しばし性能比較としてISと戦闘機が比べられることがあるが、いわずもがな、その差は圧倒的すぎる。

 戦闘機ではISに勝てない。

 無論、ISのシールドバリアーを突破できるような武装を搭載すればダメージを与えられるかもしれないが……それでも、無理である。

 なにせ当たらないのだ。

 大気濃度の濃い地上付近においても優に音速を超え、それによる負荷も厭わず、攻撃・防御能力も最高、さらに()()()()がないため加減速は無制限であるのだ。旋回能力も抜群。ダメ押し、()()()()()()()()()()()()()、『絶対防御』なんて機構すら備わっている……そんな兵器、それこそ同じISくらいしか太刀打ちできなくて当然だ。

 ともなれば、飛行戦闘に特化した戦闘機ですら歯牙にかけないISに対し、PICもシールドバリアーもないEOS。飛行能力を期待するのはいささか以上に甚だしい。

 

「まぁでも平面機動の訓練に使えるし、学園側もその旨で報告するそうよ。もしかしたらもうちょっと数も増えるんじゃない?」

「なるほどね。あとで私も乗せてもらって構わないかしら?」

「いいんじゃない? 整備科が使ってるとはいえ、待ちきれずに使わせてもらったパイロット科の子もいるし……というか、サラ」

「なにかしら?」

「織斑君、スゴイね」

「……ええ」

 

 飄々としていた薫子であったが、一変してその声色が強かになる。

 その目は笑っておらず、ただ真っすぐに中継モニターへと注がれた。

 自身らが担当する《ブルー・ティアーズ》ではなく、《白式》駆る一夏から、目が離せない。

 その瞬間──セシリアが操作をビットからライフルへと移行するその刹那。

 織斑一夏が、()()()()()

 

「「瞬時加速(イグニッション・ブースト)──ッ!?」」

 

 アクロバットともいえる機動から一転、《白式》が《ブルー・ティアーズ》に肉迫する!

 ──瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 スラスター内にてエネルギーを圧縮し、通常時以上のエネルギーを放出すことで推力を得る技能。一時的とはいえスラスターの許容値ギリギリないし越えるエネルギー量を放出するため機体への負荷が高く、整備泣かせともいわれる技術であるが、その分効果は絶大で。熟練の者が使用すれば一瞬でトップスピード域にまで加速することさえ可能だ。

 そんな高等技能を、なんの躊躇い焦りなく、搭乗わずか二週間足らずの学生が、行使した。

 が、二人の驚愕はそれだけに非ず。

 音速域に手をかける白の流星に、蒼の淑女はそれこそ『わかっていた』といわんばかりの挙措で、()()()()()()()()()()()()()

 ギャッギィィン! 石火の()に火花が咲いて、刹那を置いて金打音。

 ライフルを右手に後方に引き、空いた左手に展開。セシリアは片手で保持した《インター・セプター》を寝かせ、《雪片》との接触に角度をつける。となれば、刃をレールがわりに衝撃が逸れる。ィィィィイイン! と伸びるような音を滑らせて、白の弾丸がいなされた。

 のみならず、そのまま後方へと流れていった《白式》に向かい、ブレードを抜刀するために避けていたライフルが追撃をかけた。まるで、こうなることを予期していたと、後ろに向けたライフルの射角はぴったりだった。

 

「ええ!?」

「うっそ……」

 

 驚愕の乱れ打ち。もはやなにに驚くべきなのかが判然としなかった。

 一夏に追いすがるレーザー一閃、しかしそれを躱して急旋回。再び初めのようなレーザーVS回避という構図となった。なったが。

 超回避、瞬時加速(イグニッション・ブースト)、ブレードの()()()、そして追撃。常軌を逸していた。

 セシリア・オルコットは、()()()()()()()()()()

 

「いやー。織斑君も大概だけど……オルコットさんもアレ、ね」

「……ええ本当。でも、」

「でも?」

「…………」

 

 『オルコットさんはまだ本領じゃないかもしれない』だなんて、とてもじゃないが言う気にはなれなかった。それはあくまでサラ個人が勝手に推察したゆえの予想だったり、現状の空気がそれを形にするのを喜んでいなかったりとあるが、しかし口にしなければいっしょだ。少なくとも、サラはそう感じている。

 本領じゃない──先日一夏と戦った際は確かに全力であったろう。

 が、しかし。それはそのときのセシリア・オルコット。そのときの《ブルー・ティアーズ》。

 つまり、最高最大の状態ではなかったとしたら? 自身が最高であっても機体が最大でなかったとしたら?

 たらればの話であろう。もし、という敗者の噛み付きともとれるかもしれない。けれど、本国でセシリアを指導したことがあるがゆえに、サラは一つの推論を抱いている。

 先日本国へと要請し送られてきた追加武装。BTビームライフルと近接装備。

 結局は予想予測でしかないが。

 おそらく、それを持った時こそセシリアの真価は発揮されるのではないか──。

 

「ねぇ。どうしたのよサラ」

「──なんでもないわよ」

 

 考えてもしかたない。いかにもマイナスなイメージで捉えている風だが、実際はそれだけ向上心があるということだ。第一予測。なんにしても予想。そんないかにもぶって思いすごしだったなら、恥ずかしいどころかセシリアにも失礼だというもの。しかし近接装備の追加とは、企業もよく許したものだと感心する。

 

「とにかく企業が送ってきたビームライフルがあったでしょう? あれを使えるようにしておいてあげて」

「あいあいさー。人使い荒いぜ」

 

 ぼやく薫子を送り出せば、ちょうど制限時間の一〇分が経ったところだった。

 

 

 ◇

 

 

 IS学園の視聴覚室。

 そこは歴代の卒業生の戦闘データから各国代表の公式戦まで、さまざまな映像資料が保管されている。設備はもちろんのこと最新式で、一人用の個室や大型のプロジェクターなど、映像を出力するのに最適な環境がそろっている。七〇〇人を超えるIS学園の生徒に対応するために部屋は広く、同時に一〇〇人以上の一斉使用が可能である──もっとも、設備の性能にさほど執着がないのであれば、各自室に配備されたコンピュータから閲覧は可能であるが。

 ともあれ、その視聴覚室。

 

「…………」

 

 そのなかの一ブロック、そこに彼女はいた。

 個室は仕切り板によって区切られた、たとえるならネットカフェのような作りではなく、完全な個室状態で完璧防音。ゆえに視聴覚室内は当然に無音状態なのだが、その個室の使用者はそもそもに無言であった。

 無言にならざる、得なかった。

 個室の主、凰鈴音。

 部屋ごとに設置されたパソコンのモニターを注視する彼女。その目は真剣そのもので、まばたきすらしないほどに映像に集中していた。目が離せないほどに、それは彼女にとって──()()()()()()()()()()、異様に写る。

 映像、青い閃光と白い翼の乱舞。

 そこには先日行われた一夏とセシリアの決闘──模擬戦の模様が映し出されていた。

 高解像度高音質で演出される試合映像は大迫力そのもの。サラウンドするサウンドに演出されて、単純な臨場感はもとより、より詳細な戦闘状況を伝えてくる。が、しかしどうした、対する彼女は深海のごとく大人しい。いいや、大人しいのではない。

 それは、絶句。

 

『どうしてあなたは立ち向かってくるんですのッ!!』

 

 画面の向こう側、今まさにグラウンドへと墜落した一夏が、《白式》が一次移行(ファースト・シフト)を完了し、そのさまに『ふざけるな』と赫怒と疑念を迸らせる英国の女。ああ、その気持ちはよくわかる。とてもとてもよくわかる。共感する、できてしまう。安易な同感でも心からの同情でもなく、その心情を理解できる。

 織斑一夏は、立ち上がる。立ち上がるのだ。

 そうして喚くようなセシリアを前に、一年ぶりの彼はそれこそこともなげに返す。単純な理由を、簡単な理屈を──いいやもっと陳腐なものを。

 

『負けたくないからに、決まってるだろ』

 

 その通り。彼がそうだと知っている。それで片がつくとわかっている。

 曲がりなりにも彼の幼馴染だし、うぬぼれでもなく彼の理解者の一人であると思っているし、そして憧れ手を伸ばし続けた日々を知っている。そこに追いつくことができなかった悔しさを噛み締めて邁進したこの一年、待っているしかなかったその日だまり。ゆえに候補生へとひた駆けて、走り抜いて追いすがったのだ。()()()()()落ちた暗闇の底でも、その輝きに救われていたんだ。あなたがそう在ってくれるから、だから止まらずに這い上がれたのだ。追いつきたいと前を向けたのだ……だから、

 

 

 

()くぞ、セシリア・オルコット。(そこ)は俺の場所だ』

 

 

 

 ────お前は、()()()()()()()()

 お前の本懐はそんなものじゃなかっただろう? あたしが知っている記憶のあなたをこそ至上と信奉するわけもないが、しかしその一点において、織斑一夏が違えるなどなにを差し置いてもあり得ない。それがきっと彼の根幹で根源で、絶対不変の輝きなのだ。己を捧げるべき絶対なのだ。そういう彼だからこそ、自分は全力を賭して追いつきたいと渇望したのだから。

 だから、この画面の向こうの男は、なんだ?

 神妙な面持ち。鈴音の表情により深いシワが走る。なにか信じられないものを見るように、驚愕すら混ぜ込んで。疑念が脳裏を蝕んで。

 この一年……あたしがいないこの一年、いったいなにがあったというのか。

 そして、その『異常事態』に幼馴染み(あたし)が気づいているのであるならば。

 

(……篠ノ之箒、あんたはこれに気づいているの?)

 

 少なくとも、今日会ったかぎりで少なくとも、小学校以来の再開というブランクはない程度に一夏との仲は円滑なようだし、いつかの彼の言の通り、(さむらい)(ぜん)とした人柄のようだ。質実剛健、剛毅木訥。なるほど、これは大和撫子なんて麗句よりも侍と形容するに違和はない。むしろそれこそが的を射ている。──ゆえ確実、彼女も彼の本質を存知のはずだ。

 彼が永遠絶対に抱き続ける不変の渇望(ねがい)。それがどういうものか知ってるはずだ。

 で、あれば。

 

(言葉ってのはこういうときのためにあんのよ)

 

 言を交わして、暴き立てるほかあるまいて。

 彼がこうなってしまった経緯を知っているのか、わかっていて放置しているのか、あるいは手を尽くしたあとなのか……そもそも気づくことすらないできない愚図なのか。だとしたら、肩透かしというより、失望だ。一夏が嬉々として語る女の幻影──そんなのそれこそ夢幻だったかと。いずれにしても、話さなければ始まらない。が。

 とはいえ、まずはその本人か。

 そこでチラと時刻を確認する。すでに一夏とセシリアの訓練は終わっているだろう時間。画面上の試合もちょうど引き分けで終わったところ。頃合か──『引き分け』という事実は置いておいて、ひとまずは件の原因へと向かうとしよう。

 

「待ってなさい、一夏」




瞬時加速(イグニッション・ブースト)の原理をすこし変えました。
原作だと一度外部にエネルギーを放出してから圧縮、みたいなことになってましたが、そんなことしないで始めから圧縮したほうが効率がいいと思います。
また全身装甲の表記もフル・スキンからフル・アーマーに変更。


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第一〇話【男女間友愛】

 ES_011_男女間友愛

 

 

 

 そうしてセシリアとの模擬戦が終わり、更衣室。

 

「ったく、どこが調整なんだよ」

 

 ため息()じりの愚痴をこぼして、俺は備えつけられたベンチに腰を下ろした。PICより解放された体にのしかかる重力は、普段自分が請け負っているとは到底考えられないと思うほどに重みを増し、全身を這い回る疲労感をこれでもかと後押しする。しかしそれは忌むべきものじゃ当然なく、どこか心地よい安らぎをたたえていた。……それだけ、俺がセシリアを認めているということかもしれない。

 鮮烈でもある今の模擬戦。普段よりはいくぶん早めに切り上げた本日だが、その密度は今までよりもはるかに極大か。

 彼女が戦闘の最中にみせたブレードの投擲と再展開──紛れもなく、それは俺とセシリアの()()のきっかけでもある最初の一戦で行った、俺の技。

 普通、ISの武装というのは操縦者の手元を離れると量子化し格納される。無論そのまま展開しっぱなしにもできるのだが、そも自分の手の届く範囲になければ総じて武装は無意味であり、なれば相手に利用される・破損を防ぐために格納するというのはもっともだろう。相手に利用される、ということに関しては所有者の許可がなければ使用するどころか触れることさえかなわないけど、しかしむやみやたらと顕現させておくのはそれこそ無駄だ。だからこそ、特殊な事例──それこそなにかしらの奇策──でもないかぎり自動で格納されるわけだが、今回のそれは、その機能を逆手にとった妙手である。

 手元を離れれば量子化される──それを任意で行うなら、それを織り込んで戦術を組み立てるなら、どうだろう?

 たとえば、そう。わざとブレードを弾かせて油断させ、その直後に再展開して奇襲する、とか。

 俺がセシリアを引き分けに持ち込めた要因の一つがその技だ。……とはいえ、なにもこれはそんな驚かれるような類いの技能ではないはずだ。むしろこんな程度で奇襲だなんだのとはおこがましいだろう。セシリアのときに成功したのだって、それは彼女が中距離主体の戦闘スタイルゆえに、そういったことと縁がなかったからに違いない。もし彼女が近距離戦を主眼においた戦い方をしていたなら、こんな武装の再展開程度、対応できない()()()()()

 ……いくぶん彼女を持ち上げすぎじゃないかと、そう誰かにいわれそうな解釈。盲信や買いかぶりの域に通ずる、ある種の自尊。そういわれたってしかたないかもしれないけど、けれど事実、彼女はそうやって思い込んでしまいたくなるほどに、強い。いいや、言いなおす必要もなく、強い。

 セシリア・オルコットは、一切の脚色、一片の色眼鏡なしに、強い。

 ゆえにならば、なおさらに。

 

「……負けられないな、負けられない」

 

 彼女にかぎらず、誰にだって負けられない。

 負けていたら守れないし追いつけない。空にだって届かない──。

 

「一夏おつかれさま」

 

 そう決意あらたに視線を上げれば、耳朶をくすぐる労いの声。それが誰のものなのかなんて決まっていて、にこやかな鈴と目が合った。どうやら訓練が終わるのを待っていてくれたみたいだ。

 そして労うが早く、俺の返事よりも先にぽーんとなにかが投げてよこされる。たぷんとした流動を手のひらに感じて、受けとったものが水筒であると判別できた。

 

「サンキュー鈴」

 

 感謝しつつキャップを開ける。直飲みタイプの水筒だ。未だほてる体のなかに、ぬるい液体が落とされる。喉を伝うは薄めたスポーツドリンク。まったく、なんとも気がきくやつだ。

 

「スポドリ薄めたうえにぬるいなんて……飲み物くらいすきに飲んだらいいのに」

「体は大事だからな。いざなんかあったら、大変だろ」

「飲みもんひとつで力説されてもね……まっ、あんたのそういうジジくさいことは今に始まったことじゃないし」

 

 長年家事をやっていたせいか、俺は食事に関してなにかと健康趣向だ。無論なにからなにまで鵜呑みにして信じることはないけど、しかし口に入れるもの、食事というのはいずれ己の身体を作る。ならば『それ』を奉じる俺のこと、体は重要極まりなく、こういう小さなことでも気を使ってしまうわけだ。まぁあとは千冬姉っていう体本位のお方もいるし、どうしたって気になるよ。ちなみに冷たい飲み物っていうのは体の組織や血管を収縮させてしまったり、大量に摂りがちになって体内で温められなかったりとよろしくない。薄めたスポーツドリンクは体液・血液よりも低い浸透圧にするため。こういうことを覚えていてくれた鈴にちょっぴり感動である。

 

「そういえば鈴、お前が日本にきたこと、もうみんなに伝えてあるのか?」

「言われなくても、あたり前じゃない。弾にも数馬にも、花梨とは今週末遊ぶ約束もとりつけたわよ」

「会長は?」

「受験生を誘うのは酷ってもんでしょ?」

「してないんだな、連絡」

「……だって、あのひとすぐ抱きついてくるんだもん」

 

 中学最後の一年をともにすることはできなかったといえ、しかしその二年間でも交友を深めるには十分で。一年二年とも俺は鈴と同じクラスで、弾や数馬も一緒だった。花梨というのはこれまた旧友たる(ひと)(ざと)()(りん)のことで、クラスも同上。鈴の一番仲がいい女友達といえば間違いなく彼女であろう。俺と鈴に弾と数馬、そこに花梨を交えた五人で、鈴が転校するまではよく行動していたと思う。まぁそこにつけ加えてよいのなら二つ年上の会長が挙げられて……そして、その会長が苦手な鈴であった。

 

「別に悪気があるわけじゃないだろ。むしろ目に見える好意じゃないか」

「よく言うわよ。当人になってみなさい、たまったもんじゃないわ」

 

 あーやだやだと鬱陶しがる風の鈴であったが、もちろんそこでは笑顔をにじませてて。それが照れ隠しだってことは、言質をとるまでもない確定事実。なんともまさに凰鈴音たるさまである。こういうところがまた好印象なのだろう、日向の笑み。……しかしそういえば、あれから会長にはあんまり会ってないな。

 夏休み(あ れ)から──遮断する、した。

 いまさら考えたってどうにもならない、したくない。安易簡素な和解なんて、これっぽっちもお呼びじゃない。これでいいのだ、これがいいんだ。

 だから、今は再会を喜ぼう。喜んで噛み締めて、満たされよう。

 

「──にしても花梨と会うのか? どうせならみんな呼んで遊ぼうぜ?」

「ガールズトークはそれこそ女の子の特権よ。無粋な男は黙らっしゃい、なんて無下にはできないわね。いいじゃない、予定空けときなさいよ」

「オーケイ、そうこなくっちゃな」

 

 その若干の硬直を、どうにか()どられないことに成功して、内心秘密の息を吐く。なにかと鋭い彼女のこと、ごまかせたのは僥倖だった。

 まったく本当に馬鹿らしいけど、これは譲れないから。

 

「……みんな、ね」

 

 しかし、対する鈴は。

 顔がくもる、とはまた違った表情だった。

 しみじみとしたひとこと。感慨深いとでもいうような、ましてや始めからこの話題に持っていきたかったというような、万感が込められている錯覚の言の葉。その含みのある言いように、わずかな疑問が脳内をめぐる。

 

「どうしたんだよ。そんな変な顔して」

「…………そう、そうね。ちょっとした質問があるのよ」

「質問? なんだよ」

 

 鈴らしからぬ、普段ではあまりお目にかかれないような微妙な笑み。予期していた『変な顔ってなによッ!?』なんてキレ味のよい返しもなく、己のさまを肯定する。やはり感づいたかとも思ったが違うようで、なんというか躊躇いが見えた。自嘲気味、といえなくもないだろうけど、込められるは金剛でもって言葉になり。

 凛と、彼女は言う。

 

 

「あんた、ISに乗ってなにがしたい?」

 

 

 ──それは、先日箒からもたらされた質問に酷似して、まるであの日の会話を幻聴させる。

 

『一夏。お前、ISに乗ってどうだった?』

『どうだった、って。どういう意味だ?』

『そのままの意味だ。乗ってどう思った? 何を感じた? 好きに答えてくれていいぞ』

 

 忘れるはずもない決闘、その直後。ぽんと、その問いかけがあらわれたのだ。

 なにを訊きたかったのか、なにが聞きたかったのか。それは残念ながらわからない。それは俺が知識も知恵も欠けているからととれる話であり、ゆえにこうして思惟している時点で至れない議題でもあるかもしれない。しかしどちらにしろ、俺の答えは『ISと一体になったみたいだった』という素直なもので、あいにくそれ以上のものは取得できていない。ただあのときの問いかけはそれこそ軽く投げられたもの……良いか悪いか、いま目の前で放たれた質問のほうが、幾倍数倍と重みを感じた。

 箒と言葉こそ近しいが、意味合いはまったく違っているようで。

 とても真面目に、俺を見ていた。

 

「なにがしたい、か」

 

 訝るとでもいうのか、じっと俺の言葉を待つ鈴の瞳は真っ直ぐで、それだけ重要であるといやでも予見させる。さりとて、どうしてそんな問いをかけられるのか心当たりはないのだが、だからといってはぐらかすつもりはない。真摯な心には誠実で相対するのが当たり前。そんなの再認識するまでもなく決めている。だが、しかし。

 とはいえ、だとしても。なぜお前はそんなことを訊くのか。お前達は訊くのか。

 『なにがしたいか』などと、そんなの呆れてしまうほどにいまさらだろうに。

 

「だったら、あれだな。せっかくISに乗れるんだから、」

 

 

 

 

 

 ────空は、狭いな。

 

 

 

 

 

「空に、行ってみたい」

 

 

 

「────、」

 

 日本語としてはいくぶん違和のある文面で、第一にISで飛行した時点で達成されているような破綻した答え。しかし言葉遊びや冗談のつもりは心底なくて、そうしたいと俺は思っている。

 入試会場を間違えたあの日。初めてISに触れたあの日。

 なにかしらの波乱を望んで触ったわけじゃないけれど、しかし羨望がなかったといえばうそなのだ。

 俺は空に至りたい。

 あの無窮の青空に、行って、至って、超えてみたい。

 そう思って俺は、ISに触れたはずだ。

 ……真面目に答えた末がこの一言なのかと、誰かが聞いたら呆気にとられて、あまつさえ笑いだしそうな願い。純粋といえば聞こえはいいが、幼稚といってしまえばその通り。でも、それなのだ。それが答えなのだ。そう思っているのだ。だから鈴の瞳から逸らさずに、はっきり確かに出力した。

 だというのに。

 

「…………」

 

 とうの彼女は、

 

「……空、ねぇ」

 

 とても深刻そうな瞳で、

 

「ありがと。もういいわ」

 

 俺を見ていた。

 

「……どうしたんだよ鈴。俺、なんか変なこと言ったか?」

 

 あまりにも暗い顔しているからそう訊いてしまう。俺の答えがお気に召さなかったのだろうか? いいやしかしこの質問、もとより決まった解答がない類いのものだし、それが気に食わないからと不機嫌になるのは理不尽だ。というか鈴がそんなつまらないことするなんて考えられない。そういうやつだ。だったら、どうしてそんな顔してる?

 一転して訝る側が逆になる。質問された方に疑問が増えるという、あわやキリがなくなる状態。いったい鈴はどうしたというのか。

 疑り混じりの俺の言葉に、けれど彼女は(いっ)(とき)()をはさんで「なんでもないわよ」とこともなく。薄く笑うような表情が、次の瞬間にはいつものような暖かみを帯びていた。転瞬、名残もなく……よもや、さっきのは気のせいだったのだろうか?

 

「あー、もしかして体調でも悪いのか? だったら保健室にでも連れてってやるけど」

「──違うっての。そんな転校初日から保健室だなんて、カッコつかないマネはしないわよ」

「ならいいけどさ……というかなんでこんな質問したんだ? 心理クイズ?」

「まぁ、そんなとこ。さしずめあんたはガキ臭い、って感じかしら」

「む、失礼な」

 

 ……つっても、否定はまったくできないわけですが。いやそもそも一五歳なんて子供なわけでして、否定する材料なんてはなからないよ。そんなこといったら鈴だって同い年だけどさ。

 

「そりゃあちょっと子供っぽいかもしれないけどさ、そういうお前だって、」

「外見だけで判断するの、あんたきらいだったよね?」

「一年も合わないと変わるな。身内びいきじゃなくて大人っぽいぜ」

「よろしい」

 

 『相変わらずちっこいだろ』などと言う前に釘を刺された。……我ながら大人(おとな)()ない反論だったと思います。ああ、そういえば子供でしたね、俺。

 

「それで、話が変わって悪いけどさ。あんた、篠ノ之さんの部屋が何号室か知ってる?」

 

 笑顔で気圧される俺などなんのその、それこそいきなり話題を変えるあたり、やはり我が強いのか。強引とまではいわないが、しかしもうちょっとこっちを忖度してくれたりしませんかね。などとは口に出せるはずもなく、鈴にあやかって切り替える。どうにも篠ノ之さんとやらにご用事だそうだ。え、箒?

 

「篠ノ之、って箒だよな。どうしてお前が箒の部屋知りたがるんだよ?」

「なんでもいいでしょ、あんたにゃ関係ないことよ。で、結局知ってるの? どうなの?」

「いやまぁそりゃ知ってるけどよ」

「何番?」

「……1025だけど、つーかあいつ俺と同じへ、」

「りょーかい。ありがと。それじゃあね。今のあんたは疲れてるだろうし、またあとで話しましょ」

 

 こちらの疑問などおかまいなし。まくし立てる勢いで答えをもぎとって、それで用は済んだとばかりに(きびす)をかえす。前言撤回、もはや傲岸。さっぱとした清々しいさまが憎たらしい。「じゃあね」とうしろ()に軽く振り、こちらの返事も待たずに行ってしまった。なんというか、本当に質問だけが目的だったみたいだ。

 そしてそんな鈴の気性などそれこそ熟知というもので。

 

「やっぱ、箒のとこ行ったんだよな」

 

 思い立ったが吉日というやつ。急がば回れなんて、それこそ彼女には似つかわしくないか。単純といえばそれまでだけど、素直というほうが性に合ってる。やはりお前は凰鈴音だ……当たり前だけどさ。

 しかしつっても。

 

(鈴が箒に用?)

 

 鈴も箒も今日が初対面のはずだ。それこそ朝方少々ばかし言葉を交えた程度で、別段特別な事柄があったわけもなかった。確かに両者、鈴がまだこちらにいた頃に箒の話をしたことはあったし、箒も再会したにあたって鈴のことを会話に出したことがある。間接的だが存知ではある、しかし、用があるというのはこりゃ妙だ。

 

(女同士、なんか思うことでもあんのかね)

 

 考えたってわからない。けれど鈴がわざわざ訊きにきたくらいなんだから、それなりの意味があいつのなかにはあるんだろう。だったらそれが正解で、俺が掘り返すことじゃない。

 

(とりあえずシャワーはここで浴びてくか)

 

 入学初日のシャワー事件、というか浴び上がりの箒さんと出くわしちゃったこともあり、俺と箒との(あいだ)で使用時間にルールを設けていた。男女の同室、いくら親しい幼馴染みといえ、線引きは必要不可欠だ。よってシャワーの順番が決めてあり、先に使うことになってるのは箒。箒は気にしないと言ったが、さすがに女の子が汗臭いままなのはいけないだろう思っての俺の具申である……つーか変なところで感心がないよね、あなた。

 さておき、時間帯的に箒はすでにシャワーを浴び終わってるだろう。が、けれど鈴が向かったとみて間違いない。となると男の俺がその場に居合わせるのは、ちょいとばかし無粋だろう。ガールズトーク、話題はなんにしても邪魔はしたくないもんだ。だったら更衣室付随のシャワー使って、のんびりのったり行こうじゃないか。時間の不可逆性やら一期一会とやらの刹那的情熱もわかっちゃいるが、俺はこの今を好いている。

 仲間がいるこの日々が、過ぎ去りゆくのを好んでいる。

 

 

 ◇

 

 

 サアアアアァァ、と柔らかいのはシャワーの飛沫。

 指の腹で頭皮をマッサージしながら、泡立てたシャンプーを落としていく。ノンシリコンのアミノ酸シャンプー。値段も少々張るし洗浄力は弱いが、如何(いかん)せん成分が頭皮にも頭髪にも合っている。二度洗いは仕方ない。

 シャワーを終える。長めのフェイスタオルで毛先を挟むようにタオルドライ、そのまま髪を包み込む。美容室などでやってるまとめ方だ。続いてバスタオルで身体を拭く。そのあと顔、体の順番で化粧水。ちなみお手製。精製水+グリセリン+クエン酸の弱酸性()()()。そして次の工程に。

 ヘアケア。手のひらに落とした椿油の雫をよく伸ばし、タオルドライした髪になじませる。まずは毛先。こすりつけるのではなく揉み込むように。濡れた髪というのはダメージを受けやすくて繊細だ。タオルで水分を拭き取るだけで傷付いてしまったりもする。ゆえに懇切丁寧、優しく優しくなでるようにまぶしていく、続いて髪の中間部から先端にかけてまた伸ばす。根元にはつけない。頭皮に付着するのを避けるためというのもあるが、そも根元一五センチは頭皮から出る自分の『油』によってコーティングされ、保護されているから必要ないらしい(もっとも頭皮をマッサージするなどして血行を促進しなければそういった効果は望めないが)。そうしてからようやくドライヤーで乾かす段階になるわけだ。

 そうした一通りの、もはや習慣でもある工程を終えて、私はシャワー室を上がる。篠ノ之箒はシャワーを終える。

 (なに)(ゆえ)性分のせいか、同年代の女子よりは『さっぱり』していると自覚している。しかし曲がりなりにも女子であり女子高生であり、まぁヘアケア・スキンケアの類いはそれなりにやっている。特に髪の毛は『きれいだな』などと面と向かって言ってくる奴もいるので、()()()念入りだ。……そうしたことをやると、どうしてか驚かれることが少なくないのは愛嬌にしておこう。

 ちなみに、『らしい』といったのは化粧水が一夏のお手製だったりするからだ。……どうして男の癖に化粧水なんて手作りしているんだと、女子でもそうそうやらないのに。などと言おうものなら『だって作った方が安いだろ?』……ああまったく女子力高いなお前。しかし余計なものが使われていないせいか、まことに癪だが肌に合う。女としての立つ瀬がない。

 ──しかし、いや。

 

(ふふ。立つ瀬が欲しいのか、私は)

 

 着替えに袖を通しながらそんなことを考える。女でよかった男がよかった。そういった類いの感情は未だかつて抱いたことはないし、かといって満足しているとかもなく、要は性別に対する思い入れが特にない。無論異性に肌を見られれば相応の羞恥も覚えるし、女性らしく友人との雑談だって好きで、正味他人の恋愛ごとに興味がないわけでもない。女性としての自覚はあるのだ。世間一般でいうところの『女子高生』という枠に、一応は所属している。

 でも、それでも。そんな女としてあれこれよりも。

 人であることの喜びが、『日常』が愛しいという感情が、普遍であるという風景が、好きなのだ。穏やかな世界がよいのだ。ありふれている連続がよいのだ。暖かい日だまりに納得しているのだ。だから。

 

 

 

『そう、それだよ箒ちゃん。()()こそが君の「本質」だ』

 

 

 

 いつかの言葉。この世界で最も嫌悪する、貴女の言葉。知るかよ言うなよふざけるなよ。怒りも納得もしているから、口を(つぐ)んでどこかに行けよ。()()()()()()()()()()()()()()

 ──私の『本質』とやらが日常を必要としていなくとも。

 篠ノ之箒という私は、()()を願望している。

 

 ピンポーン。そうした思考の事後硬直に転がり込むのは、インターホンの機械音。

 

 埋没からの意識浮遊。どうにも来客らしい。珍しいな、交友関係が狭くはない私だが、かといってアポなしに友人が訪ねてくるほど親しくない。やはや悲しいものだが、せいぜい心当たりはセシリアぐらい。しかし彼女は目前の対抗戦に精を注いでいる時分、となれば一夏への来訪か? だが生憎、あいつもまだ帰ってきていない。

 

(そういえば一夏、遅いな)

 

 と、益体もないなんていうほどじゃないが、軽い疑問でインターホンの子機を覗いてみる。

 まず映ったのは栗色のツインテール、なんて、そんな容姿でここを尋ねる人間など、IS学園にはそれこそ一人しかあり得ないだろう。

 凰、鈴音。

 一夏の幼馴染みにして、彼の『心友』──心友というのは彼の言だったか。いずれにしても、一夏にそう言わしめる程に大きくて、重要な、存在。彼女が部屋の前にやって来ていた。

 一体何用か、と思い至って十中八九一夏に用だろうとの結論を下す。というかそれ以外ないだろうに。とりあえずと子機の通話ボタンを押し込む。

 

「どうした凰。何か用か?」

 

 

 ◇

 

 

「1025。ここね」

 

 IS学園の一号館、一年生専用の寮棟。学生館は全部で三つあり、それぞれ学年ごとに分かれて使っている。構造はRC造の七階建て。おもに一階は学食や大浴場などが占め、二階からが学生の部屋となっている。その二階。扉に貼りつけられているネームプレートには『織斑一夏』と『篠ノ之箒』の名前。

 凰鈴音は件の1025室へとやって来ていた。

 一夏と別れてからノンストップ最短に、逸る心を抑えて最速で。少々強引だったかと、一夏との会話にうしろめたいものを感じながら、しかし決心した以上は止まらない。

 訊くべきことが、確かめるべきことがあるのだから。

 スーハー、と数回の深呼吸で頭のクールダウン。インターホンを押す。数秒の遅れで反応があった。

 

『どうした凰。何か用か?』

 

 女性の声、篠ノ之箒に違いないだろう。とりあえずは部屋にいてくれたようだ。

 

「こんばんは、あたしよ。なーんて親しい間柄じゃないけどね。凰鈴音よ」

『それはそうだがな。しかし生憎だが、一夏なら不在だぞ』

「いいのよあいつは。あたしは、あんたに用があるんだから」

『私に……?』

 

 スピーカー越しでもわかる怪訝そうな声色。心当たりなどまるでないという風に、『はて、なんだろう?』と疑問そうだ。が。

 

『──入れ、凰』

 

 その瞬間、語調が凛と引き締まった。刀の抜刀を思わせる、ある種の冷たい声。突き放すといった類でなく、それこそ切り裂く声色が、突如。それこそ『お前の要件は理解した』とでもいうのか、いきなり態度が急変した。

 本性、というと聞こえが悪いが、こうした刀のようなものが芯にある人間なのだろう。

 ……ああなるほど。やはりこいつも一夏に深く関わっているのか。そう確信させてくれるには十分。

 ガチャリとドアが開いて、とうとうそのサムライガールと対面した。

 

「やあ凰。適当に座ってくれ。茶ぐらい出そう」

「いいわよそんな、気を使わなくても」

 

 ひらひらと手を振って交わされるのは定型文の会話。別にお茶しに来たわけじゃないのだ。雑談歓談のカテゴリーだろうけど、しかし真面目な話であるのだから。

 鈴音は適当にイスを引っさらって腰をかける。もう一方のイスに箒が座った。

 

「で、私に要件とは、何だ?」

「……まぁ気づいてるでしょうけど、簡単よ」

 

 改めて尋ねられるが婉曲など用いない。最短て直球。変な小芝居じみた雑談なんて二段飛ばしで乗り越えて、真面目な言葉をぶち込んだ。

 

「あんた、()()()()()()?」

 

 その一言。

 曖昧である、抽象的である。目的語が欠けているから内容が判らず、実に端とした物言いだった。けれど、それで十分だろう。それだけで事足りるだろう。それだけで十二分すぎるほどに伝わると、鈴音は確信していた。

 『一夏の異変に気づいているか』と。

 ただそれだけを言の葉に乗せていた。

 

「無論だ」

 

 それだけ。一切の逡巡も躊躇いもなく、確然としたさまで答えた。わかっている、知っていると。お前に訊かれずとも存知であると。端的にそう言っていた。

 

「……そう。まっ、そりゃそうか。そりゃあ気づいて当然よね。幼馴染みだもん」

「気付かん方が無理だというものだろうさ。お前だってそうだろう?」

「ごもっとも」

 

 苦笑、ゆえに思うところは同じだったのだろう。

 織斑一夏を知っているのならば。彼の生き方に、願いに触れたことがあるのならば、絶対『違和』を感じるはずだろうと。まったくどこの漫画の新人類を思わせる構図であるが、事実それほど純粋な男なのだ。馬鹿でもわかるくらいに一直線だから、歪みはすぐにわかるのだ。

 

「……一夏ね、空に行ってみたいんだって」

「そうか」

 

 男女問わず、大抵の人間は『空を飛びたい』と思ったことがあるだろう。心底神域で渇望したとかの話ではなく、ふとなんとなくでも空に憧れたことがあるはずだ。ジャンボジェットのパイロットでも、鳥になって羽ばたきたいでもいい。なんにしてもなにかしらの形で、飛んでみたいと思ったことがあるはずだ。

 それこそISに乗れない男ならば。

 ISに乗って飛びたいなどと、願っていても不思議じゃない。けれど。

 

 それが優先順位の頂点を席巻するなど、織斑一夏にはあり得ない。

 

 二人とも。箒も鈴音もそれがわかっているから、だから今の彼に違和感を覚える。

 織斑一夏の願いなどそれこそ絶対ひとつの『それ』しかないだろう。

 それが根幹。それこそが根源。彼を構成する脳みそや心臓よりも重要な、部品なんか以前の概念そのもの。(たが)えるはずなんて永劫皆無で、見失うなんてお笑い草。それを諧謔などと冗談めかしてみようものなら、荒唐無稽すぎて笑えない。そういうレベル、そういう領域。改めるべくもない不変の渇望。──ゆえに。

 ゆえに、なのだ。

 それほどまでの純粋さだから純真さだから。織斑一夏のそれに、著しく違和を覚えさせるなにかがあるというのならば。

 

 

 

 

 

「ねぇ、篠ノ之さん。『アイツ』と一夏、どうして二人が喧嘩したか、知らない?」

 

 

 

 

 

 『アイツ』以外の理由など、ありうるはずあるまいて。

 

「……生憎と、知らないな」

「訊いてないのね」

「お前だってそうだろう」

「あたしはこれからよ。……あんたは?」

「私は、()()()()()

 

 ふっ、とかすめるように笑うさまはどうしようもなく自嘲的で。

 

『九ろ────』

 

 あの日言いかけた言葉。わざわざ呼び出してまで訊ねたかった疑問。けれどだからこそ、そのあとの一件で機会を失った。 

 

「私はどうにも意地っ張りでな、入学当日には訊くつもりだったんだが……どうして色々あって、あいつが中々(こく)なことを訊いてくるんだ」

 

 

 ──なぁ箒。お前、束さんとなにかあったのか?

 ──確かにクラスの娘達も不躾だったかもしれないさ。でも、そもそも解りようがないんだよ、他人なんて。そのくせお前は勝手にイラついて、『何が解る』、じゃねぇよ。

 ──じゃあわからない方が悪いのか? ふざけるなよ。解ってほしいなら話せよ、解り合いたいなら言葉にしろよ。黙ってなにも口にしないで、それで誰も彼もが勝手に察して、理解してくれると思うんじゃねえよ。

 

 

「あいつ、嘘つけないからね」

「はは。まぁお互い様なわけだがな……だが、私も対抗したのか当て付けのつもりだったのか、『私は訊かんぞ』と、言ってしまったんだよ」

「あんたも馬鹿ね」

「そういう性分だ、残念ながらな。もちろん軽はずみだったつもりはないし、納得もした。ただ、しかしな」

 

 それでも、恥を承知でそれでも。私はそれを訊きたい思っているよ。

 そう、箒はやはり自重するように苦笑していた。それだけ重要なのだろう。己の納得をへし折ってまでも、求めるものがあるんだろう。そのすごさは、鈴音だって理解できる。『己を裏切る』ということがどれだけ勇気のいることか痛みのあることか、理解できるから。

 ……ああもうまったく、やっぱりこいつもそうなのね。

 

「はぁ。やっぱりあんたも『一夏ラヴァーズ』なのか」

「はっ。なんだ、まだ『アイツ』その名称使っているのか?」

「じゃああんたも知ってるのね、一夏ラヴァーズ」

「私は一応ナンバー1……いや、ナンバー2だからな。言い得て妙だよ、まったくな」

「それならあたしは三番目ってとこね」

 

 二人して笑い合う。そうか、そうだよな。そうなってしまうよな、と。確信やら納得やら、決心決断理解得心。そんなあり方をめんどくさくもこねくり返しているのは、つまるところそういうわけで。なるほど、世の中の恋愛思想家が聞いたら、一様にあり得ないと一蹴しそうなことである。異常だろうか、異質だろうか? これこそまさに夢物語で、きっと幾度となく議論されてきたことなのだろう。

 しかし、おかしいと思わない。

 

「訊いても私に教えてくれるなよ、凰?」

「あたり前よ。そんなに馬鹿じゃないわ、篠ノ之さん」

 

 確信も決断も、裏切るならば納得を。これこそが至高と得心を。

 

「名前で呼んでよ」

「お前もな」

 

 それがよいのだと、納得を。

 

「まあ、あれだ。頑張れよ鈴音」

「がんばって訊くこと、なのかしらね……」

 

 彼を知っているのだから、今に納得できていないのだから。だったら、我を通してこそ王道だ。余計な世話などと言わせない。こちらからすれば、こんがらがってるお前が悪いのだから。

 言葉は交わされ各人の答えは出た。だからあとはその場面に臨むのみ。臨み挑んで向かうだけ、なのだが。

 

「ところで、ねぇ箒」

「ん? どうした鈴音」

「鈴でいいわよ。……それよりまだ訊きたいことがあるの」

「なんだ、どうした?」

 

 一転して真面目の『方向』が変わる鈴音。さっきの会話からすればかわいいものだが、当人にしたら看過できない程度には疑問の種なのだ。

 

「あんた、どうして一夏と同じ部屋なの?」

「先に言っておこう。部屋は代わらんぞ?」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 深夜のアリーナに風切り音が舞う。

 晏然たる星の海を背景に、白い()(かい)(よく)が大気をかき回す。直線、曲線。上昇と降下。急停止からの逆噴射軌道(スラスト・リバース)を経て、()()()()()()()()。音速域を目指し加速していく体に、俺はさらに噴射回転(スラスト・ロール)で身体を反転、同時にスラスターの噴射方向を通常へと移行し、まったくの減速なしで後方へと進路を変えた。──まだだ。

 まだ足りない。

 

「ぃい!」

 

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)はその特性上、持続時間が短い。使用直後はそれこそ爆発的な速度を得られるが、あくまでそれは初速だけだ。圧縮した多量のエネルギーを瞬時に放つことによって加速する技能……そんな過度にエネルギーを供給し続けられるなら、そもそも瞬時加速(イグニッション・ブースト)なんて技が生まれるはずないだろう。

 ゆえにもう一度、連続して同じ速度域に届きたいのならば、それこそ瞬時加速(イグニッション・ブースト)専用のスラスターなり増槽なり、エネルギーの圧縮(チャージ)性能を高めるほかない。が。

 だからこそ、《白式》の四枚のスラスターはそういった点で有能だ。

 前進する機体。しかし稼働するは上段二枚のスラスター。そう、下段の二枚が残っている。推進装置が豊富な《白式》だからこそできる、時間差の瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 圧縮を開放、加えてPICで頭頂部を回転の軸に指定──そうなれば。そうなれば、それを軸に体が逆上がるのは当然。逆上がりの画に近い。オーバーヘッドシュートのが伝わりやすいか、ともあれさらに機体が反転しているに違いなく。

 逆上がりでいう鉄棒の頂点。ちょうど逆立ちのように逆さまになった瞬間、軸指定を解除。からの偏向重力推進角錐(グラビティー・ヘッド)を再び前方へ。そのまま飛翔しながらライフリングを走る弾丸のように上下を入れ替えて。

 特異な軌道。後進、反転、加速、上下反転、また加速。一連の動作を簡潔にするとその連続で、言葉の上でなら単純だ。しかし、俺はそれをほとんど瞬時加速(イグニッション・ブースト)中の高速域で行った。きっと多分、学園の先生方が褒めてくれる()()()()さまになっているだろう。しかし。

 まだ、足りない。

 まだまだ、『彼女』に届かない。

 

(千冬姉は──)

 

 『彼女』は。

 

(──もっと、速い!)

 

 俺が信じる、織斑一夏が信じる強さの体現者、織斑千冬。信奉するその彼女ならば、こんな程度、わざわざ実践するまでもなく通常機動として行っている。

 

 織斑千冬は究極だ。

 

 卓越、究極。異常にして頂点。そもそれを目指そうとするのが間違いなのかもしれない。しかしダメだ、ダメなのだ。この程度ができないようじゃ、千冬姉に()()()はずがない。あの強さにになんて至れない。

 桜の騎士のそのうしろ姿に、追いつけるなんてできやしない。

 視界が回る、視線が巡る。全方位視野のすみずみまで意識を伸ばし、けれど進行方向を『核』とするように思考は乱さない。補正された目線視線、けれどもその外枠を揺るがす勢いの超加速と進路変更。アクロバットを気どるつもりもないけど、しかしこれくらい鼻歌交じりにできないようでなんとする。ゆえに速く。だから飛べと。過ぎ去りゆくのを好いているが、それは漫然を肯定しているわけじゃないんだから。

 ピー! と、しかし意気込みとは裏腹、《白式》からアラーム音。どうにもタイマーの三分をむかえたようで、俺はそれを皮切りに機体速度を下げる。そこから今度は一分間に遊覧飛行だ。いや、第一なんのアラームであるか。

 簡単にいえばインターバル・トレーニングというやつ。それの合図。内容は全力とジョグの繰り返し、それのIS版みたいなものだ。心肺機能の強化はもちろんあるが、全速力を出す感覚を鍛えるのがおもな効能であるか、まぁなんにしても緩急のついた運動ほど辛いものはない。

 風を切る。汗を乗せる肌に夜風が心地よい。ある意味凪いでいる時間、いいや深夜である時分、そも静謐であることのほうが正常だ。俺のように、それこそ汗だくになっているのこそ異様だろう。しかし見てくれなど関係ないし、俺にはこれが必要だ。もうすっかり日課である。箒がいて、セシリアと競い、夜に羽ばたく、日常。

 

 ふと、数時間前の一幕を思い出す。

 

 セシリアの模擬戦あと、鈴と話したさらにあと。俺がシャワーを浴びて部屋に戻ればやっぱり鈴はそこにいて、そしてなぜか箒と言い争っていた。よもや喧嘩か? とも思ったが違うようで、なにやら鈴が箒に対して『部屋代わって』とごねていた。箒はどちらかというと妹をあやす姉みたい。……まさか出会って初日にこんな微笑ましいことになるとは思いもつかなかったが、しかしどうして『サマ』になっている。しっくりくる。

 でもってさらによくわからないが『ISでケリ付けるわよ!』とか意気込んで加えてなぜか箒がセシリア呼び出してセシリアが箒の代理人になった。……いや、うん。とりあえず長くなるから今は割愛しておこう。愉快なのには変わりない。

 愉快で、楽しくて、緩やかで。()()()

 ()()()、こんなにも────

 

 

 

 

 

「────『月が綺麗』、か?」

 

 

 

 

 

 ずばりと内心を打ち抜いたひとことに、しかしギクリとした硬直は訪れない。ただあえていうなら、高校一年生の男子が気どっている風にとられるのはちょいとばかし心外で──しつこくこの言葉を繰り返したどこぞの誰かにイラついた。こうして思わずつぶやいてしまうほどに耳に馴染んだ台詞が、いやでも去年を想起させて。

 

 ──やはり、どうしてそんなことを口にするのかわからなかった。

 

 たゆたう空のなか、視線を向ければ千冬姉が立っていた。やに下がった表情が深夜の照明に浮かんでいる。

 

「大分瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使いこなせるようになったみたいだな、一夏」

「誰かさんが熱心に指導してくれたおかげでね」

「はっ、私は何もしていないがな。精々口頭で説明しただけだよ」

 

 そんなことはない、とはしかし我実姉にかぎっては言えなくて、その言葉の通り、本当に口頭だけで解説してくれた。どうにも学園の量産機に乗るつもりはないらしい。それが気になってなにげなく訊いてみれば『私は束の作った機体にしか乗らんよ』とのこと。なんだそりゃ。教師だろうに、実演指導ができないのはないだろう……って文句がはさめないほどに見事言葉で説明してくれる。なにも言い返せない。

 減速、機体高度を下げる。千冬姉がきたってことは、今日も今日とて訓練につき合ってくれるのだろう。

 ここ数日、俺は千冬姉直々にIS操縦の指導を受けていた。しかしこれは俺が自ら頼んだことではなく、むしろ我が姉が勝手にやっているものだった。いつも通り箒を気づかれないように忍び起きてアリーナで特訓、していればひょろっと彼女が現れて、いつも通りのあの顔でさらりと技術を教えてくれたのだ。この瞬時加速(イグニッション・ブースト)もそう。そしてなんとか、苦もなく行使できるほどには会得していた。

 

「それで千冬姉。今日もなにか教えてくれるのか?」

「教えるも何も『そういう性能がある』と示唆しているだけだ──と。等と説いても分からんよな、お前は」

「……わるかったな、出来が悪くて」

「私の友の言もあるがな、何も言わん。しかし知れ、分かれ。ISがどういう『道具』か理解しろ」

「……道具」

 

 そういえば箒も同じこと言ってたよな。『高性能な鎧』だかどうとか。つーか束さんがなんか言ってたの?

 

「まあ良いさ、良しとしよう。今日は大人しく、お前に個別(リボルバー)多重(デュアル)の話をしてやる。(あと)はそうだな、過剰(オーバード)──いや、いやいやそうだ。それもあったな」

 

 と、不理解の俺をそっちのけて彼女いわく『示唆』が始まろうとしていたのだが、けれど千冬姉は忘れていたとばかりの不遜な態度。傲慢じゃなくてへりくだる気持ちがないって意味で。とりあえずなにやら優先すべきことがあるよう。

 

「なあ一夏。お前、《零落白夜》をどの程度まで使える?」

「はい?」

 

 告げられた言葉はそれこそ意味がわからなくて、間抜けな声が口をついた。いやだってしかたないだろ? どの程度まで使える? なんだそれ。それじゃあまるで《零落白夜》に別の用途があるみたいな言いようじゃないか。ただでさえ《零落白夜》が使用できる意味がわからないのに、俺がそれを知り得るはずがない。第一《暮桜》がそんなおかしなことをしていた覚えはない。

 記憶のなかの桜の騎士は、別段変わったことをしていなかったはずだ。

 

「──ならいいさ。始めよう」

 

 そうやってみせたある種の憮然に決まりきった感情を抱いて、俺は再び舞い上がる。

 信奉する強さのため、憧憬する『彼女』のため。なによりも渇望する根幹に準じて。

 今日も、夜は長い。

 

 

 ◇

 

 

「これが、織斑一夏」

 

 深夜のアリーナに舞う彼の姿に、少女はただひとりごちる。アリーナの管制室、その屋根。その上に颯爽悠然、堂と立つ。しかし剛で終わらず凛としなやか。そんな佇まい。静動合一のあり方に、しかし似合わぬ内面か。その言葉が如実に表していた。

 それは驚愕を含んでいた。それは畏怖を滲ませていた。

 高々一ヶ月も搭乗経験のない素人のさまに、卓越した高速機動に。そして。

 その傍らに立つ、世界最強の姿に、得体の知れないなにかを抱いている。

 本来の彼女らしからぬ不安定な表情。普段ならば素敵とも不敵ともいわないミステリアスな微笑みで、それこそ周囲から尊敬と恐れを集めているだろう。権謀術数、人たらし。そういわしめている自負がある。そういう性分で、役割で。全力を賭けて望んでいる。

 けれど、織斑千冬だけは、別だ。

 あれだけは絶対に解れない──。

 

「それ、でもね。止まるなんてあり得ないのよ」

 

 決心も決意もすでにある。ゆえに彼女は止まらないと。

 夜の星を背負いながら、扇子を片手に少女は彼らを見下ろしていた。

 自身の妹が盲目的なまでに求めている、その男を。

 

 

 

 そして。

 そして別の場所からもうひとり。

 

「……あぁ」

 

 アリーナの観客席、月光を返すはメガネのレンズ。特に遊びも装飾もないシンプルなもので、それを購入した人間の人柄を簡単に表してくれそうな一品──しかし、それをかける少女は、そんな装飾品に見合わぬような艶のある息を吐いていた。

 やっと、やっと会えた。ようやく貴方に(まみ)えられる、と。

 感動と感激と決意を純粋に織り込んだ、嘘偽りない感情。ようやく並び立てるという感動。もう助けられるだけの私じゃないからと、確かな決意を抱いている。そのあまりの昂ぶりに、吐息が熱を帯びてしまったのか。

 しかし焦がれたその姿に、迸る感情は収まりを見せない。

 しかたないだろう。己が信じる理想がそこにあるのなら、幻想が体現しているのならば。誰しも、畏敬と尊敬で炸裂してしまうだろう。感動してしまうだろう。

 そして彼女は言う。想いを、羨望を。憧れと歓喜。その言葉に嘘も嘲りも皮肉もなく、ただただ真実と純粋が。

 溶けてほどけて再認識して、やはり夜は更けていく。

 

 

 

 

 

「やっぱり貴方は変わらない──私の『正義の味方(ヒーロー)』」




勘違いの話。

突如名前のあがった人里さんですが、彼女はアニメDVD/Blu-ray特典の書き下ろし小説に登場しています。
とはいえ書き下ろしでも名前だけですが。


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第一一話【鉄火煽動】

 ES_012_鉄火煽動

 

 

 

 四月二三日金曜日。そうしてクラス対抗戦当日を迎えた。

 澄み渡る大空にまばゆい太陽、風速微風で気温はほがらか。絶好の試合びより、という言い回しはなんともありきたりなもんだが、残念織斑一夏の語彙能力はそんなに高くない。昨今のありふれる男子学生に同じく、馬鹿のひとつ覚えで言葉を並べるが関の山、多分高校入試の会場で会ったあの黒髪の変なやつだったら、嬉々として、面倒呆れるほどに濃厚に、そりゃもう演出してくれただろう。もちろんそんな口上聞く耳持たないけど。自己陶酔でもなんでもいいが、シンプルでわかりすい日本語が素晴らしいと思う。

 とにも、今日は待ちにまった対抗戦である。

 

「アリーナに屋根が付いているとはいえ、やはり晴れると気分が上向くな」

「そうだけどさ。別にお前は試合しないだろ、箒」

「何を言う。私の『代理』が戦いに臨もうというんだ。さりとて、無関係でもあるまいさ……それを指摘するなら、一夏。お前の方こそ複雑なんじゃないか?」

「そりゃ、まぁな」

 

 その第一回戦、セシリア・オルコットVS凰鈴音。

 今朝方発表された対戦表がそれだった。一年生全八クラスの代表者によって行われるトーナメント戦。しかしそれは、謀ったように一回戦目から候補生同士のぶつかり合いという構図であり、なにも知らない第三者だったとしても、みな一様にキナ臭さを感じずにはいれないであった。

 しかし、わからなくもない。

 国だって遊びで候補生をIS学園に送り出したわけじゃないんだ、だったら学園側としても、出来すぎた対戦カードを用意するのは当然ともいえる。自国の候補生の()()はいかほどか、他国の()()はどの程度か。そういう思惑が見え隠れするのは、それをいけ好かないという感情を別にして、しかたない。というか一回戦目からこれとか、言わずもがなとても熱い。

 第二アリーナ観客席。当然のごとく客席は満杯、ざわざわとした試合前の高揚がテンションを上げている。そんななかで俺は、ほかの生徒同様、これから始まる対戦を待ち構えている。ちなみに座席はクラスごとに割り振られていて、周りはみんなクラスメイト。で、隣りには箒さん。その箒がなにやら上機嫌に話していた。あと反対側は四十院神楽さんって方。

 

「自分のクラスの代表と幼馴染み、か。ふふ、モテる男は辛いな。どちらを応援するつもりだ?」

「茶化すなって。でも、あー、うん。どっちにもがんばってほしいな」

「判然としないな、情けない」

 

『ひよったね』

『ひよってるね』

『ひよっちゃったね』

()(より)ましたね』

『おりむーひよった~』

 

 なんて(てい)よく言葉をにごせば、若干呆れ気味の箒に続いて、周りにいた一年一組クラスメイト達まで微妙そうな顔をしていた。……しかたないじゃないか。というかどっち応援したってなにかしら言ってくるだろ、君達。情けない自覚はあるけど、でもこんな返答しかできないだろうて。あと四十院さん、隣りだからすごい聞こえてます。

 とはいえ、それでもあえて答えるならば。

 

「だったらセシリア、かな」

「ほぅ?」

「だってうちのクラスの代表だろ? なら応援しないとうそだよ」

 

 この数日、俺が貢献できたことなんて微々たるものかもしれないが、それでもセシリアと行ってきた模擬戦。それは偏に対抗戦のためであって、それで勝利してほしいからこそ相手役を買って出たんだ。私情を抜きにしたって、彼女を応援するのは順当……いや。

 順当とか道理とかじゃなく。『友達』が勝負するってんだから、応援しないでどうするさ。

 

「なるほどな。しかしそうなると、鈴音側がいなくなってしまうな」

「応援は俺達だけじゃないんだから平気だろ。というか、箒はセシリアか」

「当然だろう。これはある種の代理闘争。私とて、おいそれと部屋を変わるつもりはないのさ。なんて理屈を抜きにしても、あいつには勝ってもらいたいものだよ」

 

 「友達だからな」と続ける箒ははにかんで、なんとも嬉しそうにしていた。誇らしそうにしていた。本当、やっぱり仲がいいんだな。揺れるポニーテールが暖かい。

 それにしても。

 

「代理、なぁ」

 

 先ほどから箒が口にする『代理』という言葉を胸に、俺の思考はやれやれと時間をたどった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「ねーいいじゃん。代わってってば」

「何度も言わんぞ、私は代わらん。代わるなら、そら。そこの一夏とでも交代すればいい」

「あんたと同じ部屋になっても意味ないでしょっ! ってあら、一夏。おかえり」

「おうただいま、ってどうしたんだお前ら」

 

 セシリアとの戦闘(?)を終えてシャワーを浴び、そうして自室であり1025室にやってくれば、そこでは箒と鈴がなにやら言い争っていた。

 弾けるように更衣室から出てった鈴がここにいるだろうとは思っていたが、しかしいったい、どうしたのか。まさか喧嘩? ほとんど初対面なのに? そんなに馬が合わなかったのか?

 

「どうしたじゃないわよ一夏! どーしてあんたが箒と(おんな)じ部屋なのよ! 男女で同室っておかしいでしょ!?」

「そんなこと言ったってなぁ。なんか部屋が用意できなかったらしいぜ?」

「できないからそのままってどんだけ消極的なのよ!」

「おちつけって」

「あー、一夏。私が話そう」

 

 と、ぎゃーぎゃーうるさい鈴であるが、見かねて口を開いたのは当事者たる箒。ややと呆れがちな表情から察するに、そんな特大の喧嘩ではないようだ。やれやれ、って感じ。

 話を聞くに、鈴がなにやら箒に質問だかがあるとやってきて、それで話題はまとまったようだが、急転。思い出したように『どうして一夏と同室なのか』とヒートアップしたようだ。

 

「はい? 部屋?」

「ねー一夏、あんたからも言ってやってよ。箒に部屋代われってさぁ」

「え、なんで俺が」

「じゃあ訊くけど、あんたはどっちと同室がいいってのよ」

「一人部屋」

「却下」

「……他意はないがな。そこまできっぱり言われると、私も寂しいぞ」

 

 非難轟々である。ふたりなのに轟々である。どうしろっていうんだ。

 そうして再び喚く鈴、なんだか駄々こねる子供みたい。それをあやす箒、なんというか『お姉さん』みたい。三者的な感想を述べさせていただけるなら、とても微笑ましい。そしてやかましい。とはいえ、これじゃあ埒が明かない。

 などという堂々めぐりをとうとう我慢ができなかったか、次に鈴の口から放たれる弾丸は、まぁ予測の範疇でした。

 

 

「こうなったら箒、ISで決着つけるわよッ!」

 

 

 あわやこのままおっ(ぱじ)めかねない勢いの我が幼馴染み。道理という点においては、これほどねじ曲がったもんもない。ドヤ顔なのがいささか以上に憎たらしい。

 

「アホか」

「あたっ。なんで叩くのよ!」

「そりゃ意味わからんこと言ってるからだ。話し合いにすらなってない。第一、箒は専用機を持ってない一般生徒だろ? それに候補生が意気揚々挑んでどうすんだよ」

「ぐっ。う、うるさいわね! 言ってみただけよ」

 

 目が本気だったのは俺の錯覚だったらしい。

 ぶーたれる鈴。まったくどうしてこうも部屋割りにこだわるのだろうか。いやまぁ実際、どちらが同室がいいかという以前に、正直一人部屋が望ましい。いくら幼馴染みといえど、やはり男女。そんないかがわしい、ゲス臭い話題にまで延ばすつもりはまったくないが、しかし衣食住をともにするうえ、異性の壁は絶対的だ。同姓ならば許容もなにも二つ返事なものなのだが、どっこいここはIS学園。だからやっぱ、ひとりが無難だと思います。どうにかなりませんかお姉さま?

 なんて愚痴は現実世界に一光もたらすわけもなく、ようはつまり振り出しだ。と思っていたのだが。

 

「いいぞ、鈴音」

「「……へ?」」

「だからその申し出、受けてやろう」

 

 まず(いっ)(とき)の空白、続いて物理的な沈黙、を経ての高速思考。

 いやいやいや、なに言ってるんだって箒。聡明なお前のこと、いくら鈴が子供っぽいからって、まさかこいつを見くびってるわけじゃないだろ? 仮にも候補生だ。その実力、それこそセシリアという身近な人物が証明しているというのに! どういうことだ。挑発? 意地? はたまた自信? いいや剣道剣術すごいの知ってるけどISだと話が別で──軽はずみにとれてしまう応答に、なんだか必要以上に混乱していた。

 俺の驚愕と同様、しかしそれは言いだしっぺの鈴だってそうらしい。自ら提案したくせに「えー、その、あの……いいの?」とちょっぴりおよび腰である。いやその気持ちわからんでもないけど。バツ悪そうな心情もわかるけど。

 しかし、だから箒の言葉が拍車をかける。

 

「ああ。だがしばし待て。あいつの同意を得てからな」

「「……はい?」」

 

 再びと重なりをみせた間抜けな返事はもちろん俺達ふたりのもので、そんな疑問を尻目に箒はどこぞへと電話をかけ始めた。

 

「ああ、もしもし。私だ」

 

 

 ◇

 

 

April 20,2021

Dear my friend

 お手紙ありがとう、なんて定型文はなしにして、とそう言う以前にどちらで手紙が止まったままなのかという議論から始めなければ、そもそも『お手紙ありがとう』だなんて口にはできませんが、お久しぶりです。元気にしていましたか? 冒頭より、それこそ老齢のような遠まわしな口ぶりになるあたり、やはりわたくしは周りの人間に毒されているのかもしれません。成人すらしていない時分ですけれど、どうにも中身は違うみたい。早熟といえば耳触りはよろしいですが、それはおばあちゃんにだって通じるおべっか同然。歳はとりたくないと、達観にひたる若さをふたりで笑いましょう。

 お久しぶり、そういってしまうに十分なほど、いったいどれほど手紙のやり取りを休ませていたのでしょう? 非難するつもりはありませんが、やっぱりあなたからの手紙がめっきり途絶えてしまったに由来すると、わたくしの記憶は申しております。かれこれ、二年。いえ、それ以上かしら? あなたと毎週のように交わしていた手紙のやりとりが遠く感じてしまう程度には、わたくしの万年筆はお暇をいただいていたでしょう。最後に会ったのは……やめましょう。不謹慎にもほどがあります。

 無論、わたくしが代表候補生に──暗い話を持ち出して申し訳ないですが、事故のあと候補生になってから今日まで、忙しかったせいもあります。……お互いの不幸話を比べて慰めたいわけではございません。けれど、夏期の長期休みに木陰で語らうあの日々が、少しばかり羨ましいのがこの頃です。あなたもそう思っていてくれると確信しても、それはうぬぼれではないでしょうから。

 もう少し実のある話をしましょうか。わたくしの近況になってしまいますが、というよりも、もしかしたら聞きおよんでいるかもしれませんが、わたくしはIS学園に入学して────

 

 

 

「……ふぅ」

 

 そこまで書いて、セシリア・オルコットは走らせていたペンを置いた。ペン、万年筆。年代物のそれは父がよく使っていたもの。という感慨は今ばかりはしまっておいて、一服とばかりに吐息をひとつ。

 一夏との訓練を終えた彼女は自室で手紙を書いていた。電子メールではなく、手紙。それもエアメールだ……まぁそもセシリア自身イギリスの出身であるし、こと手紙を出そうというなら必然的に海外宛てとなってしまうのだろうが。しかし今回はたとえ故郷にいたとしても、結局は海外行きだったのだが。宛先は、フランス。

 フランスにいる友人に向け、セシリアは手紙を書いていた。もう数年に渡って繰り返してきた手書きのやりとり。電話を使えば話せるし、電子メールなら即座に返信が願えるだろう、けれど手書き。それが好きだった。しかし。

 

(……本当、いつぶりなのかしら)

 

 こうして手紙を出すのは、いつ以来なのか。セシリアの両親がこの世を去り、そして彼女の……いや、言うまい。互いに時期が悪かった。それだけだ。なんにしたって、こうして時間がとれて手紙が書ける。その事実は揺るがない。確かにオルコット家の公務があるといえばあるのだが、そちらに関しては、現状、家の者に任せてある──いくら仕事をこなす技量があれど、やはり一五歳。外聞を気にしないわけには当然いかない。よって年齢的・技能的側面を加味し、さらに信頼できると踏んだものにいくつかの仕事は預けてある。もっとも、重要な案件はさすがに己でことにあたるが。

 

(まぁ、チェルシーに任せておけば大丈夫でしょう)

 

 チェルシー・ブランケット。セシリア家の筆頭従者にして、彼女がもっとも信頼を置く女性。もろもろの判断は彼女に一任してあるし、そも彼女の技量はセシリアをしても有能極まるものだ。父と母が存命していたときからオルコットに仕え続ける、まさしく『臣』。彼女の『病的』なまでの忠誠心は、恐ろしいほどに信頼できる。

 ゆえに彼女に全幅の信頼と満腔の感謝を。こうして筆を走らせることができるのはあなたのおかげだと。

 再びセシリアは執筆に戻る……が、二年前の返信が待ちきれないからといってこちらから再度一筆送るのは、淑女として、少々はしたなさが残るだろうか? などとの一抹の不安を覚える。考えすぎと断じればそれだけだが、まぁしかし励みにはなってくれるだろう。

 なにせ、親友だ。心の底から思える、親友だ。だからどんなときでもわたくしはあなたの味方で──、

 

 そのとき、初期設定の着信音が埋没する思考をすくい上げた。

 

 ピリピリピリとの飾りっけない機械音。かたわらに転がしてあった携帯端末が鳴っている。最近登録したばかりの番号ということもあるが、そもセシリアがいちいち相手によって着信音をわけないこともある、デフォルトのメロディ。ちなみに携帯端末はIS学園から全生徒に配られたものであり、タッチパネルと、小規模ながら空間投影でディスプレイを表示できるという高性能デバイスだ。まぁ学園で端末を統一することで情報漏洩でも防いでいるのであろうが、しかし。まずは電話に出よう。

 

はい、もしもし(ハロー、八ロー)

『ああ、もしもし。私だ』

 

 着信の主は箒であった。篠ノ之箒、この学校にきてできた、新しい友人。冷然、怜美。気さくなくせにサムライガールで、とても強いわたくしの友達。

 彼女のことでも手紙に書いてみようか、などと考えたところで箒に改めて要件を訊く。

 

「あら箒さん。いかがなさいましたか?」

『訓練のあとなのに悪いな。今時間はあるか? それなら少々、私の部屋に来て欲しいのだが──』

 

 

 ◆

 

 

「こんばんは箒さん。それで、いったいどういったご用件なのでしょうか?」

「こんばんは、よく来てくれた。まぁ簡単なことだよ」

 

 そうして電話したかと思えば数分後、やってきたのはなぜかセシリア。どうやら彼女のところへ電話をかけていたようだ、が。えーと、つまりどういうこと?

 

 

「鈴音。さっきの申し出だがな、私の代わりにセシリア(こいつ)が出よう。対抗戦で勝負だ」

 

 

 …………はい?

 なんだか、箒さんが二段ぐらい過程をぶっ飛ばした発言をしていた。俺や鈴はおろか、セシリアも目を丸くしている。下手な形容なんて必要なく、とても驚いていた。

 

「……箒さん、つまりどういうことでしょうか? わたくし、自分がこんなにも道理に暗く、理解に乏しい人間だとは思っていなかったのですが」

「鈴音が部屋代わって欲しいそうなんだが、私は嫌でな。だったらISで決着を、となったんだがあいにく私は専用機もない素人だ。そこで、」

「わたくしに白羽の矢が?」

「そうだ」

「……あの、その、えーと。一夏さん?」

「俺に……振られてもな」

 

 目頭を揉みながらまさしく長考の構えのセシリア。どうにも説明を受けてなお、まったく事態が飲み込めてないらしい。そんな彼女の心情に、こればっかりは理解できるといわざるを得ない。

 

「……確かに今週の対抗戦、わたくしが鈴音さんと当たることにもなるでしょうけど」

「でもそう上手く対戦が組まれるか? 単純に確率で考えたら、」

「いや、絶対なるだろう?」

「へ?」

 

 心底わからないという風の箒の言葉が、それこそ俺とセシリアには新鮮で。幾度目とも知らない間抜けた声は、普段のセシリアからは想像し難いかわいいもの……セシリアの声をかわいらしいと思ったのは秘密だ。

 けど、絶対っていうのはどういうことだろうか?

 そんな心情に見かねてか、箒がやれやれと口を開く。

 

 

 

「なあに、おかしなことなど言ってないさ。だってお前ら二人、()()()()()()()()()? そら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「「────、」」

 

 それは、どれほど確信に満ちた言葉だったか。信頼の言葉だったか。

 篠ノ之箒はうそをつかない。質実剛健、剛毅木訥。口数は少ない部類で、そうおいそれと冗談を口にする質でもなく、友人だとしても締めるときは締める。サムライガール。そんな彼女に『お前らは負けない』と言わしめている事実、それがどれほど衝撃であるかなど、

 

「──あら、それはそれは」

「──言ってくれるじゃないの、あんた」

 

 もはや語るべくもない。膨れ上がる二人の戦意、迸る覇気。

 端的にいえば、箒は二人をこれでもかっていうくらい煽っている。トーナメント、そりゃそうだ。どんな組み合わせで始まるにしろ、負けないかぎりは絶対に(まみ)えることは決まっている。私はお前らがぶつかるまで負けるとは思っていない──私にここまで言わせたんだ、失望なんてさせてくれるなよ? と。

 そんな尊大な態度を、箒はしていたのだ。随分な物言い、なのにそれに不快さを感じることもなく、『上等だ』と代表候補二人は気炎を揺らしている。 

 

「──して、箒さん。わたくしが代わりに買って出るメリットは?」

「お前が勝てば、私が誇らしい」

Great(すばらしい)

 

 にんまりと、それ以上の名誉はないと、彼女は確然と在るのか。

 

「よろしくてよ。その申し出、わたくし、セシリア・オルコットが代理を務めさせていただきますわ。凰鈴音さん、異論は?」

「ないに決まってるじゃない。まぁ多少こちらにうまい話かもしれないけど、そんなことはいいわ。こうまで言われて、手のひら返すなんてできないわよ」

 

 にやりと、三日月を浮かべるふたりの少女。言ってはなんだが、ちょっと怖い。候補生って国の顔なんだろ? もう少し女の子らしい態度が好ましいと思うんだ、っていうのはここだけの話にしておこう。

 

「どうだ一夏。上手く纏まっただろう?」

 

 と、対峙する金髪と茶髪を尻目に、焚きつけた本人であろう黒髪さんがこそこそと話しかけてきた。

 

「うまくいったって、狙ったのかよ?」

「まあな。嘘を述べたつもりは微塵もないが、正直、鈴音の矛先を向ける方法はこれくらいしか思いつかなかった。許せよ」

「それは二人に言ってやれって。はぁ、まったくそんな、」

 

 そんな誰かを煽るようなノリ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「『そんな』、なんだ?」

「、なんでもないよ。とりあえず、二人にはお引きとり願おうか」

「私が呼んでおいてなんだが、同感だ」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 なんてやりとりをしたのが三日前。

 あわやどうなることかと思ったが、なんとも立ち回りのうまい箒である。昔はもっと不器用な気がしたんだけどなぁ。時間っていうのは、やはりひとを変えるんだろう。まぁ結局一回戦から当たることになってしまったが、とかく約束は果たされるわけだ。

 というか、これってある意味事実上の決勝戦みたいなものじゃないか? どっちが勝ち上がるにしろ、正直二回戦以降の一般生徒に負けるとは思えない。

 そうした俺の感想を知ってか知らずか、お隣りのポニーテールがこれまた驚きの事実を教えてくれた。

 

「それにしても中々に面白い対戦表だな。どちらが勝つとは判らんが、そのまま代表候補と連戦とは」

「え、連戦? 候補生と?」

「何だ、お前知らなかったのか? 第一試合はセシリアと鈴音だがな、第二試合も候補生の試合だぞ?」

 

 まったくの失念であった。俺自身セシリアや鈴としか面識・交流がなかったせいで盲点だったが、そうだ一年生には候補生が三人いる。

 

「確か更識さん、だっけ。生徒会長の妹さん」

「ああ。会ったことはないがな、それでも我が国、日本の候補生だ。一筋縄ではいかんだろうよ」

「……妹、か」

 

 さすがの俺とて聞きおよんでいる──才色兼備、学園最強の生徒、生徒会長。会長自身は候補生ではなく企業のテストパイロットだそうだが、その実力はIS学園歴代最強とも名高いらしい。開会式でもあいさつしていたが、なるほど。その妹というプレッシャーはたまらないだろうな。

 

「……会いにでも、行ってみるか?」

 

 そんな心情が漏れてしまったのか、なんとはなしに口を開いたといった風の箒。それは、彼女なりの冗談だったのか。程度が違うなどとの不幸自慢を別にして、その境遇に、厚顔ながらも近親感を覚えたのだろうか、皮肉の入った優しい声色。

 お前も私もそうだろう? ──そんな冗談。

 究極の体現を姉に持ち、異常の最上を姉に持つ、俺達だから。

 

「……馬鹿言うなよ。そこまで厚かましいつもりはないさ。そもそも更識さんは候補生なんだろ? だったら、」

「そういうこと、か。ふふ、まあ冗談だ。()に受けるなよ」

 

 続く言葉を見事に継いで、なぜか満足そうに微笑んだ。なんというのか、からかい半分のくせ、どことなく俺を試しているような、そんな雰囲気。まったく、俺だってなんでもかんでも首を突っ込むわけじゃない。それこそ、引っかき回すのが好きならどこぞの誰とでもやっていろ。まぁしかし。

 それでも、絶対に、『それ』に(たが)うなんてあり得ないわけなのだが。

 

「ねーねーしののん、おかし食べるー?」

「む、布仏か。どれ、少し頂こうか。だが、しののんは()せ」

「かぐらんもいるー?」

「でしたらお言葉に甘えて」

「……話を聞かんか」

 

 少しばかりの思惟に、気づけば箒や四十院さんがおかし食べてた。配布もとはおっとり系代表格の布仏さん。どうにもあだ名をつけることになにかしらの使命を感じているのかもしれない。ちなみに俺はおりむーだったり。……ひねりがないといえばそれまでだけど。

 これから試合が始まろう緊張のときに、和気あいあいとしてる我らがクラス一年一組。『緊張感が足りない』などとのつまらない文句もなく、ひたすら暖かい風景がここにある。

 それに、満足気な箒。

 ……やっぱり、お前も変わってないな、箒。

 

「一夏、お前も欲しいか?」

「ん、ああ。もらうよ」

 

 そこに確かな輝きを感じている。気の抜けた、だからこそ愛おしい。ありふれる一幕。

 だからこそ、それに対なす視線の先の彼女達は、一層鮮烈極まるか。

 セシリア・オルコット。凰鈴音。

 そのふたり、すでにISを鎧いアリーナ上空にて待機中。はたから見てもわかる熱烈な闘志。燃え上がる気炎が透けるがごとき熱情の立ち姿。互いに焦点は目前のみで、目指す終点もともに同じく。

 すなわち、勝利。

 煽られた事実もかわいげな駄々っ子も、今やはるか後方の付随要素。内にて着火した戦意を前に、必要なのは貪欲なる勝利への渇望だけで。

 無言で空中に佇むふたりが、あまりにも真剣にあるものだから輝かしくあるものだから、俺はどうしようもなく『それ』を確信してしまい。

 

「一夏、そろそろ始まるぞ」

「ああ」

 

 お前達のために『俺』を賭けられると、確信したんだ。

 

 

 ◇

 

 

 第二アリーナ上空。

 開戦まで秒読み段階という緊張感のなか、緩やかな風が金髪をさらう。

 セシリア・オルコットは目前の敵へと意識の焦点を当てたまま、目をつむっていた。瞑想の類いか、ピリピリとした戦意の渦に肌をさらし、よもや楽しんでいる風さえある。優雅、美然。これから戦いに赴く者のありようとして、それは不自然さを見るものに抱かせるか。けれど、そんなのは所詮外面にすぎず。

 

(中国代表候補生、凰鈴音。専用機《(シェン)(ロン)》)

 

 ふふ、と。たまらずと漏れた微笑みは、戦意の噴出で相違なかった。

 

(まったく、箒さんもノせてくれますわ)

 

 闘志が高まるのがわかる。淑女にはあるまじきか、とは思うが、しかし高ぶる感情は本物だ。

 なにも戦闘狂だということではない。戦いの一刹那にこそ至高を確信しているわけではない。だが、目の前に相手がいる。敵がいる。戦い証明すべきものがある。

 負けるつもりはなくて、負けるわけにはいかなくて──オルコット家を継いだその瞬間から、最速でここまでやってきたのだ。早く速く、誰よりも強くと。最速で駆け抜ける勝利の流星なれと。

 

「さぁ《ブルー・ティアーズ》。セシリア・オルコットを披露しましょう」

 

 

 

 凰鈴音は前方に立つ青の機体を注視する。

 風に伸びる栗毛のツインテール。悠然、堂と腕組みして立つ姿は、その外見にそぐわぬ威圧感がある。皮膚を震わす歓声に心をアゲて、少しばかり釣り上がる三日月に戦意を出力する。まさに、これから戦いに臨む者の()で立ちだ。

 

(イギリス代表候補生、セシリア・オルコット。専用機《ブルー・ティアーズ》)

 

 ガシャリとマニピュレータの開閉、ある種食指が動くとでもいうのだろうか。

 

(いいじゃない、いいじゃない。おもしろいじゃない)

 

 典雅とさえ表せる前方のその騎士に、そしてこの場の雰囲気に、心が上がって高みを目指す。勝利を欲して燃え盛る。敵がいる。一夏と引き分け、箒が認めたやつがいる。

 その事実。()()に追いつきたいと切に願って候補生の座にまで上り詰めた鈴音にとって、その事実がどれだけ己を高ぶらせるか……そうだ、目の前の女は知らないだろう。教えるつもりもさらさらないが。

 追いつきたい。追いすがりたい。早く早く、でなければ小さく幼いこの身では、決して隣りになど並べないから。

 

「さぁ《甲龍》。凰鈴音をお見舞いしようじゃないの」

 

 

 

 そうしてふたりの心が勝利へと重なって、開戦のブザーがこだました。




2013_12/14
一話タイトルを【織斑一夏】→【IS学園】に変更。
全話にあたって強調点を『・』→『●』に変更。

2016_5/25
全話にあたって強調点を『●』→『・』に変更。
ハーメルンそのものの傍点機能に合わせています。


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第一二話【紫電颶風】

 ES_013_紫電颶風

 

 

 

 開幕のブザーが響き終わるその前に、先手の一撃が空気を焼いた。蒼の一閃、すなわちセシリア・オルコットの第一射。

 幕切り直後と放たれた《スターライトmkⅢ》のレーザーが、鋭利な風切り音で己が敵へと伸び走る。標的、言わずもがな凰鈴音。

 国が違えば趣きも異なる。セシリアがまとう《ブルー・ティアーズ》の騎士然とした、ある種の優雅さすら連想させる外装とは一転し、鈴音が展開する外甲は、どうしようもなく攻撃的だ。

 そのIS、名を《甲龍(シェンロン)》。桃色というには鮮烈すぎるルージュ・ヴィフ、変わって落ち着きのある(にせ)(むらさき)、無骨さを感じさせる茶色、それら三色を基本とする装甲構成。それらがなんとも言えない奇妙な塩梅で同居しつつ、そこに指向性を与えるのは飛び出した『棘』。

 その肩部に浮く非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)、巨大な球状のそれから伸びた棘が、機体全体を攻撃色に染め上げていた。もちろんその他の装甲各所も棘なり鋭角なエッヂが設えてあり──この機体がどういったスタイルで戦うのかなど、問うのは無粋というものか。

 つまり。

 

「──はぁッ!」

 

 迫るレーザーを背中に()()()()()体を横転(ロール)させて、回る視界に再度『蒼』が写るが同時、スラスターを吹かせて飛び出した。

 つまりは、近接格闘スタイル。

 

(へっ。見かけによらず、意外と喧嘩っ(ぱや)いじゃないのよ!)

 

 開幕直後、いきなりすぎるともいえる第一射をすぱりと躱し、鈴音は機体の進路をセシリアに向けた。そこで走るわずかの驚き。気性ゆえ、それこそ先手は自分が握るのだろうと思っていたのだが、どうした、先に引き金を引いたのは英国の蒼雫だ。

 上等。内心笑みをほころばせる。

 正直、自分が少々好戦的な性格をしているとは自覚している。回りくどいのはあまり好かないし、シンプルで直截なほうが(しょう)に合う。だからそれこそお貴族様が、輪舞(ワルツ)独唱(アリア)だなどとの()()()を持ち出したら、即決で殴り飛ばしてやる腹づもりだった。

 だから、好ましい。

 そんな大それたものを用いず、ただのレーザー一閃のみでもって開戦を切ったこの相手、その気概が好ましい。

 

(一夏と『引き分けた』ってのも、あながちうそじゃないみたいね──!)

 

 

 

 ──紙一重ともいえるレーザー回避。その一挙動だけでわかる。彼女が、凰鈴音がどれほどISの訓練に時間を費やしてきたかということが。

 しかしそれを察したところで、英国淑女のやるべきことは変わらない。

 機体横転(ロール)からの急加速。先手の一撃すら意に介さずと、よどみのない直線軌道で己に迫る。のを、それこそだからどうしたと、須臾の迅速で第二射を放つ──どころか三射四射。その度にくるりと躱すスパイク・アーマーに向かって、間断なくセシリアはトリガーを引いた。

 

(一夏さんの幼馴染み……それが裏付けとは言いませんが、ええ。言うだけのことはあるようですわね)

 

 引き締まる表情とは裏腹か、内面に『つら』があるというなら、自分は笑みを浮かべているだろう。

 改めて言う、戦闘狂などの分類ではない。戦わないで済む方法があるなら、それはきっと間違いではないのだろう。しかし自分は候補生で、負ける道理がはなからなくて、そして相手もそれは同様で。

 同室の権利だかを賭けて始まったともいえるこの戦い、しかしてその気炎は炸裂している。もしもそれこそ試合の最中に『一夏が』『一夏が』などと始めようものなら、一切の容赦なく撃ち捨ててやる魂胆だった。

 しかし、どうだろう。

 確かにこの最中も織斑一夏に対して特別な想いを抱いているだろうは透けて見えるが、それでもこの実力は本物だ。なにせセシリアとてそういった類いの感情を彼に感じているがゆえ──まぁ言ってしまえば同族の感応だろうか。

 

(……まぁ誰かに話せば、それこそ『恋慕』などと()()()()()()()()()()()言ってくれそうですが──)

 

 勘違い、未知。未踏の感情領域。そうした言い方をしたがる第三者など門前払い、沸騰を目指す勝利の飢餓をトリガーに乗せる。引く。

 速射。それも先日催したクラス代表決定模擬戦とは目に見えて冴える、鋭利な連射だ。

 通常の銃器なら標的に『眼球を動かして焦点を合わせる』ものだが、それをハイパーセンサーという『眼球を動かす必要がない』機能によって工程を短縮、いうなればシングルアクションとも言うべき俊敏さでセシリアの銃口は光を放った。穿つ一閃、命中──。

 

 

 

(ッ。ちぃッ──!)

 

 ──脳内で舌を打つ奇妙な苛つきを表情を歪めるだけに留めおいて、脚部周辺のシールドバリアーを削ったレーザーに機体が揺れる。

 一発目を躱したものの、続いて放たれる速射の七発目、それに被弾を許してしまう。近接格闘型のカスタムゆえ、瞬間的な速度の爆発力……短距離の加速には自信があった。だからこそ小刻むブーストでその蒼線をかいくぐろうと踏んでいたのだが、なかなか一筋縄ではいかないらしい。

 連日一夏と訓練をしていた──ということは、()()()()()()()()彼女を欺くなんてできないだろう。それほどまでにあいつは避ける躱すに定評があったから。それにつられて、セシリア・オルコットの命中技能が底上げされていても不思議じゃない。

 なら、簡単だ。

 ダメージは軽微。減少するウィンドウのシールドエネルギーを認識しながら、けれどこの瞬間を逃すまいと、鋭角の切り返しでセシリアへと()()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

 レーザーがヒットして速度が落ちると予想していたのか、即座の追撃を行おうとしていたセシリア。の思考を縫うかのように突如と急加速するスパイク・アーマー。

 それも瞬時加速(イグニッション・ブースト)。候補生ならば有していてもおかしくない技能だが、それをこんな序盤から行使するなど、さすがに予想の範疇を超えてきたか。

 彼女の反応が、遅れる。

 

「ぜぇええいッ!」

 

 

 ◆

 

 

「やるな、鈴音」

「初っぱなから瞬時加速(イグニッション・ブースト)なんて……これは短期決戦か?」

 

 開始数分の出来事だった。

 中距離射撃兵装の利点だろう、相手のレンジ外からの攻撃によって先手をとったセシリア。そのまま連射へと移行してこのまま彼女優位に進むと思われたが、返す鈴はなんと被弾からの瞬時加速(イグニッション・ブースト)によるいきなりのカウンター。飛び出すと同時に両手に出刃包丁のような武装、《双天牙月》を展開して、そのまま二連の横薙ぎを見舞う。

 

『ぜぇええいッ!』

 

 気合。

 削りとられるセシリアのシールドエネルギー。超加速をそのままぶつける大質量の二連撃は、エネルギーに多大なダメージをもたらしたはずだ。

 衝撃に弾かれ後退する《ブルー・ティアーズ》。しかし彼女の気概同様、ただでは転ばない。

 その衝撃を初速として後方へとそのまま加速し、途端に肩部のビットが鈴へと迫った。独立起動兵器ブルー・ティアーズ。自身の機体名の由来にもなった三世代武装が肉迫する。

 煌く四つの砲口に、けれど対する鈴とて臆しない。即座に体を横転(ロール)させ、その遠心力で回る青龍刀がレーザーを弾き飛ばす。

 

「おお、無茶苦茶する」

「IS用のブレードは大抵構造が()()。本来の用途からは外れるが、盾として使う分には有能だろう」

 

 瞠目の俺と、それを冷静に分析するかのような箒。なるほど、刀身の面積的な問題から《雪片弐型》を盾にするのは難しいが、確かに強度でいうならかなり強固だ。それを瞬時に判断しただろう鈴……これが代表候補生か。

 驚愕と歓声が飛び交うアリーナで、ひたすらに火花を散らす一対の機影。ともにISの操縦に習熟する候補生、そのぶつかり合いはいやでも見るものを魅了する。

 国家代表なればさらに高レベルの競り合いになるだろうが、しかしこれはまさしくISの戦闘であった。若輩とはいえ国の威信を背負って立つ候補生。この紫電こそが手本だと言わんばかりに、ふたりの対決は激化していく。

 ビットが飛んだ。銃口が瞬いた。青いレーザーが残像をともなって網目のように。迸る気炎と裂帛の発露。

 機体をひねる。刃がひるがえる。(とげ)(よろい)の肩部球体装甲が開いて空間が歪む。緩急のついた加速でセシリアの射角外に踏み入った直後、『見えないなにか』がその球体から発射されて──え?

 

「なんだ、今の」

 

 

 ◇

 

 

(これは……!)

 

 ──視界を揺らした不可視のショックに驚愕を覚えながら、けれどもセシリアの反撃は飛んだ。ビットによる操縦者の硬直につけ入った、下方向からの進撃。そこで相手はなにかをしたらしく、結果《ブルー・ティアーズ》のシールドエネルギーは減少している──そのダメージの原点たる機体へむかい、反撃へ駆けたのは二枚のビットだ。

 ビシッ! と二線。けれどひかる光条を、球体装甲をPICで『軸』にして逆上がって躱す。直後に残り二枚のビットが逆さまで後方を向いた凰鈴音の顔面へと容赦なしに。直撃──!

 

「──にぃぃいい!」

 

 したかに見えたが、それを無理矢理に首をかすめるに(とど)めた。ミリ秒以下のタッチの差、鈴が真横に首を背けたほうが速かったのだ。なんという反射神経。ISで補強されているとは言え、そも自力が尋常ではないポテンシャルであることがわかる一動作。

 そうしてちょうど逆上がり一回転で戻った終点で、遠心力を偏向重力推進角錐(グラビティー・ヘッド)の切っ先を調整して緩やかに流し初速を確保、同時にビットの包囲網から一目散と逃げ出した。早い!

 セシリアは感心を抱きながらも、そのうしろ姿に追撃は忘れない。ここでトリガーを引くはレーザーライフル。射角がバラバラのビットを統制するより手元で確実に狙えるこれの方が断然に早い。

 その判断が功をなしたのか、鈴音がビットに意識を割いていたのか、その追撃一閃が《甲龍(シェンロン)》の芯を捕えた。

 

「っつ!」

 

 顔を一瞬しかめて、なおと回避に移る鈴音──そこでようやくセシリアは先の『見えないなにか』についてのデータを検索した。思考するタイミングさえも選ばなければいけない。ISによる戦闘とは、そういうものだ。万全を期して思考する、それすらにもこだわるのは勝利への飢餓ゆえに。

 

(《甲龍(シェンロン)》周辺で空間の歪み値が異様に膨れている? ……なるほど、これが噂の『衝撃砲』、ですか)

 

 

 

(あちゃー。もうちょい威力上げとくべきだったかなぁ)

 

 ──己が肩部に置く一対の球体に意識を向けながら、鈴音は先ほどの一撃に威力が不足していたと失敗顔。もちろんのことすでにセシリアに種は割れてしまっただろうし、ともすればますますのこと惜しいことをした気がしてくる。

 ──衝撃砲、《龍咆》。

 それこそがセシリアに一撃与えた不可視の正体であった。

 中国第三世代兵器《龍咆》。それは簡単に言えば『見えない射撃装備』だ。仕組みとしては空間をPICを利用して()()し、砲身を作成、その際に迸る衝撃を生成した砲身で打ち出すという、聞くだけなら実にシンプルなものだ。しかしどうして侮れない。

 シンプルということは、それだけ無駄がなくて完成されているということ。

 空間を圧縮する、ということはすなわちPICの慣性制御で重力に干渉しているにほかならず、つまるところこれほどISらしい装備はない。現にこの《龍咆》、圧縮レベルを調整すれば小刻むマシンガンのような運用も、大威力の大砲のごとき使い方もできるという、高い汎用性を有している。さらに砲身を『作成』するという構造のため射角も無制限で、オマケに砲弾・砲身ともども不可視である。

 

(……まぁ器用貧乏っていったらその通りなんだけどねぇ)

 

 しかしその多様性が凰鈴音という操縦者に噛み合うことによって、正直手前味噌な物言いだが、さまざまなバリエーションを出力できていると確信している。

 とはいえ。

 

(それでも今のところは……あたしの劣勢、かしら)

 

 そうした手数の多さを弄しても、ダメージ量で判断すれば、己こそが劣勢であった。その事実に、素直にセシリアの実力を認めるのと同時に、力いっぱい奥歯を噛み締めて止まらない。

 まだだまだだ、まだ足りない。強さが足りない速度が足りない、すべてにおいて『早さ』が足りない。

 駆け抜けるのだ、追いつきたいのだ。追いついたと胸を張ってぶつけてやりたいのだ。

 あの頃のあたしとはもう違うから。(たが)うために候補生になったのだから。

 待ちたくないのだ、並びたいのだ。ゆえに織斑一夏と曲がりなりにも引き分けているこの女、篠ノ之箒が認めているこの女、それに劣るわけには断じていかないのだ。彼らは早くて速いから。

 だから勝利を。早く早くなによりも。燃え盛って吹き出す気炎は、なんだまだまだ温度が上がる!

 

「──ぉぉおおおおおおおおッ!!」

 

 湧き上がる情熱を咆哮して、不可視の弾丸を連射した──。

 

 

 

 ──見えない砲弾の連続射。透明の砲身、それを二門同時に展開させながら、さらに鈴音は接近してくる!

 なるほど、ちまちました削り合いが好かないのか。三次立体な進路をとりながら、迫る機体からの照準にズレはまったくない。砲撃を行いながらの近接、しかも鋭角にえぐりとるようなマニューバを混ぜての鋭角軌道だ。一日二日で到達できるレベルじゃない、正真、高度な接敵技能。繰り返されるお得意のショートブースト、緩急鋭利なその航行に、けれど迎え討つは蒼の射手だ。

 確かに射角が無制限でバリエーションに富む、それは実に厄介だろう。

 しかしこと射撃において、セシリア・オルコットが劣るはずもなし!

 迎撃四枚ビット、それらが行う精緻な一斉射が、自身へと向かう弾丸の先頭を撃ち落とした。

 

「なぁ!?」

 

 その異様なさまに驚いて当然の快活少女だが、しかし考えれば簡単なこと。

 PICを利用する射撃装備。それをそれこそISが感知できないはずがない。視覚的には無論のこと弾影を見ることはできないが、だけど弾丸が迫っていると検知さえできるなら、

 

(わたくしなら、落とせるッ!)

 

 うぬぼれでも過信でも、慢心でなんて絶対ない。それをなせる実力があるのだと、疑いもなく自分は知っているのだと。

 そうだわたくしは負けられない。速く速く、ただ速く。勝って勝利して証明せねばならないのだ。

 セシリア・オルコットは強いから。誰よりも最速で輝く勝利の流星でありたいから。

 歪み続ける空間と、吐き出され続ける不可視。連射性能を高めるためか、セシリアからしても威力は心元ないが、単純に圧倒する弾幕の絨毯攻撃。(いとま)を与えず迫りくる透明な戦意に、蒼の線雨が精緻精密の反抗を実践する。

 全弾、撃墜。

 

「嘘──?!」

 

 声が抑えられなかったか。すっとんきょう。不可視の砲弾雨を、それこそ視覚しているかのように打ち落とす目前は驚愕に()る。

 弾幕手を一切緩めたつもりはなく、だからそれが破られたのは紛れもないセシリア・オルコットの実力ということで──己のレンジまであと数歩という距離まで近接していたにもかかわらず驚愕を晒してしまった鈴音のこの刹那は、淑女の『妙手』を披露する場へとなり代わる。

 刮目せよ、奔る蒼の流星を!

 

 

「《ストレイト・ブルー》──ッ!!」

 

 

 その瞬間、ビットもライフルも投げ置いて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 ──その武装、名を《ストレイト・ブルー》。先日、本国イギリスより送られてきた近接武装。蒼の刀身、歪みの欠片もない直刀。その形状はいってしまえば()()()()だ。『切る』でも『薙ぐ』でも『折る』でも『撫でる』でもない。その刀剣に与えられた機能は唯一ひとつの『打突』のみ。刺し穿つことを本懐とした、直線美かね備える蒼の騎士剣。

 そのレイピアを、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の速度域で打突させたのであれば。

 

「はぁぁあああああああッ!!」

 

 蒼の刀身、その機体。尾を引く金髪は鱗粉を模して、まるで流れ奔る流星に(たが)わない。

 ゆえに必殺、刹那の剣。BT兵器のデータ収集という、あわや破れば試験機運用の座を奪われかねない行為を犯してまでの超奇策。かつ未だこの学園において一度も晒していない瞬時加速(イグニッション・ブースト)をプラスしたこの妙技。破るだなんて道理が通らず、躱すだなどと許されない。

 唸るスラスター、逸り飛ぶ心。突き出した青に勝利を求め、据える快活に必穿を。

 ゆえにいざ知れ凰鈴音。セシリア・オルコットが有する勝利への飢餓感その深さ!

 

 

 ◇

 

 

 けれど、その一撃が決まらなかったのは、同様に凰鈴音が多大なる熱量(おもい)を抱いていたからにほかならなかったろう。

 

「……くっ!」

 

 最高速の加速打突は、しかし鈴音のほほをかすめるに留まっていた。

 否、目前にかざされた青龍刀に()()()()()、結果逸れた切っ先が彼女の顔を浅く裂いただけだった。

 程度で言えば一センチ、いいや一ミリにも満たない引っかき傷。しかしそれでも身体に直接剣が触れている、ということはシールドバリアー突破しているということにほかならない。が、それでも『絶対防御』を発動させる程度の驚異とは見なされなかったらしい。

 凰鈴音とセシリア・オルコット。それでも互いに視線は切らず、近接しているがゆえにシールドバリアーが干渉して火花を散らしている。

 

「……やるじゃないオルコットさん。今のは()()()()()冷や汗もんよ?」

「……あらあらそれは困りますわ。()()()()()()戦慄してしまうなんて」

「それ、奥歯かみ締めて言うことなの?」

「一ミリもほほを引っ掻けなかったのは残念ですわ」

「よく回る舌ね、おしゃべり貴族」

中国人(チャイニーズ)は言の葉まで人口過多で?」

 

 石火の紫電に花咲く会話。ぎらりとした眼光は互いの瞳で結ばれて、触れ合う刃同様の火花を撒く。思わずごくりと、観客が唾を飲み込むには十分の緊張。

 ドッドッド。その心拍音は、果たして彼女らふたりのものか自分のか。そんな曖昧を自覚するほどに、二人の挙動から目が離せない。魅了される。

 

(……オルコットさん)

 

 その魅了された観客のひとり、サラ・ウェルキン。

 彼女はほかの生徒とは別に、アリーナのピット内からその勇姿を観戦していた。誰よりも間近で、というわけでは残念ながらなく、サラがこうしてピットにいるのは、彼女が直前までセシリアの機体整備を補助していたためだ。

 その表情、不安気。

 なんともいえぬ、まさに不安といってしかるべき顔でその試合を注視していた。

 手づから整備した機体が心配で、というのもあるだろう。しかしそれ以上に、近接装備を展開した一撃を受け流されたことに、素直な魅了と不安を感じていたのだ。

 そも、なぜセシリアは近接装備を新調したのか。

 

(……あなたは近接戦こそ得意なのかしら)

 

 単純、もともとセシリアは近接格闘の適正が高かったからにほかならない。

 今でこそ《ブルー・ティアーズ》という中距離・遠距離主眼のBT実証機に乗ってはいるが、近接戦を主軸における程度には剣の心得があったのだ。つまり、彼女が剣を使うことは妙手でも奇襲でもなく、単にバリエーションのひとつでしかないということ。

 本人(いわ)く『貴族の嗜み』──それこそレイピアを用いる太古の『決闘』。そうしたものに精通していた彼女の生真面目さあってゆえ。だからこそあの一夏との一戦にて咄嗟に《インターセプター》を展開できたのだろう。肉薄を認識してなお、その刃を抜刀できたのだ。

 だから不安。

 BT装備を駆使せず、ブレードで戦うのであれば。それは企業にとって芳しくないことである。無論それで勝ってしまうのなら候補生としてはよいだろう。けれど、果たして企業としては納得するのか? ……いやいいや。それも杞憂だろうか。

 それでも彼女は勝つだろうから。

 たとえ、万が一に考えすぎでのたとえ、BTのテストパイロットとしての地位をなくしたとしても、セシリア・オルコットは勝つに違いないだろうから。

 だから、もっと魅了してくれ。優雅可憐、駆け抜けて欲しい……などというライバルに向けるにはいささか恥ずかしいこの気持ちは、なんだつまり簡単だ。

 

「やっぱ私、貴女のファンみたい」

 

 自分が候補生を辞めるなんてことはもちろんないが、そう思う応援の心は本物だった。

 

 

 

 また、別の場所からひとり。

 

「……すごい」

 

 素直に、そう感嘆の声が漏れた。

 一人。サラがいるピットとは正逆のピット、そこで彼女はセシリアと鈴音の試合模様を食い入るように見つめていた。

 彼女、更識簪。

 一年四組の代表にして、八クラスに四人しかいない専用機持ちがひとり。日本の候補生である彼女がなんの形容も用いずにただ、その感想を口にしていた。

 クラス対抗戦の二試合目。簪の試合は次であるため、こうしてピットにて試合前の最終チェックを行っていたのだが、その手を思わず止めてしまうほどに、現在進行形で展開する試合はすさまじかった。

 セシリア・オルコットと凰鈴音。ともに自身と同じ候補生という役柄のふたり。そこに広がる光景は、確かに己が胸の内を叩いている。

 出し惜しみもなく、見くびることもなく。全力を賭けて、全血を賭して、ひたすらに勝利の頂きに邁進する二機の閃光。試合に参加していない観客すら魅了する剣戟乱舞に、しからば同種の役職につく彼女の目にはいかように映るのか。

 

「すごい」

 

 その繰り返し。語彙の貧弱さを恥じ入ることなく、それを再度震わせてしまう。セシリアの優雅とさえ称せる──決して意図して実践しているわけではないだろう──技巧の数々に、それでもなおと食らいつく鈴音の鋭利な果敢さに、絶賛の言葉が()まなかった。

 しかし、彼女が特に惹きつけられるのは鈴音だった。

 

(織斑君の……幼馴染み)

 

 一夏の幼馴染みだということは、いくら面識のない簪とて耳にしており、だからそれが引っかかって離れない。離れず忘れず、今もこうしてそれを知ったうえで観戦しているから……だから、彼女の心情がよくわかる。

 

 あれは、()()()()()()()()()()、と。

 追いつきたいと、並びたいと。守られるだけではないのだからと。

 

 冷静に見てもいま一歩セシリアに遅れる鈴音が、なおと彼女に抗することができるのは、きっとそこにかける情熱が人並み外れているからに相違ないはずで。勝利に対するセシリアの姿勢を『俯瞰』して、それでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 観客を多大に魅せるセシリアをして、簪は鈴音の熱意にこそ確信をしていた。

 そう、そうなのだ。織斑一夏を知っているなら、彼にどうしても思うことがあるのならば、どうしても『そう』なってしまうのだ。

 

(だから……がんばって)

 

 そうやって厚かましくも同族の応援をする心に、偽りなんておこがましくて。

 ──無意識に奥歯を噛み締めて不快感をあらわにする様相を、彼女自身すら気づかなかった。

 

 

 ◇

 

 

 衝撃砲とビットによるレーザーの応酬はすでに数一〇の回数を超えて、とうとう三桁の大台を突破していた。

 レイピア吶喊からの弾けるような仕切りなおし。相対距離を離しながらもレーザーと砲弾で牽制を続け、それを回避するたびに互いの機体がスライドする。その速度は秒を経て瞬く間と高速になり、いうなれば訓練マニューバのひとつである円状制御飛翔(サークル・ロンド)であるかのような千日手へと発展した。

 あくまでような、けれどその応戦はそれを想起させる超速の(くう)()るゼロダメージ。シールドエネルギーが減少しない。

 しかしもちろん、両者決め手に欠いているわけじゃない。

 不可視弾と青線、竜巻のように視界が回るロンドのなかで、確かに必殺のカードを握っていた。

 ゆえに、それをしかるべきときにしかるべき形で開くのみ。

 そのなか、セシリアが機体を停止させビットの操作へと集中の焦点を移行させた。

 勝利へと繋る、しかるべきときを掴みとるために。

 

 

 

 擬似円状制御飛翔(サークル・ロンド)の最中より、《甲龍》の非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)周辺の空間が異常な歪み値をたたき出している。

 空間の歪みとは、すなわち重力にほかならない。

 極大の質量が存在することによってゴムのようにたるむ空間、その伸び。それを三メートルにも満たない極小の機体で実現できるは、一重にPICによるもの。慣性=万有引力、重力。それを攻撃として利用するのは、なるほど、ISならではの単一機構だ。

 ゆえ、敵の機体が空間を歪めていることを検知するなど、ISであるならば容易いとは先にもいった通り。だから。

 

(……来る!)

 

 投影ディスプレイに表示されるさまざまな環境情報。めまぐるしく数値を変えるパラメーターのなかで、特筆してエネルギー量を増していくは空間の歪み。それに、なにかをしてくるとの確信をセシリアは抱く。回避の最中、秒ごとに上増していくエネルギーは、つまるところ反撃へのカウントダウンか。

 セシリアは四基のブルー・ティアーズに意識を向けながらも、その挙動からは視線を切らない。ビットが放つ四条の蒼閃、それが多角的に、ときには驚くほど単純の一手を混ぜ込んでその機動を制限し、己が『必殺』を解放する瞬間を作り出そうとする。すでに第六感域で操ることのできるビット達、『見る』や『触る』なんてものを介さず、自分の意思で空間を踊る。そのありさまは、まさしく踊っていると観客に抱かせるだろうか。

 しかし、それをもってして未だ空間を裂くように走る(とげ)(よろい)

 曲線のように回る機動のセシリアとは対称的、鈴音は強引とさえいえる挙動でもって、刺し迫る青い光条を躱していく。技能が足りないとか機体トラブルなどではなく、そういうスタンスなのだ。それこそ空間を弾き穿つがごとくに跳ね回る。

 

(……圧縮(チャージ)、完了!)

 

 その裏側、《甲龍》が空間圧縮を完了したと伝えてきた。衝撃砲、その最大威力。それが文字通り己の双肩に宿っている。今鈴音が持ち得る二番目の最大威力──その一番目、それはすでに手のなかにて完了している。

 探るようなビットの射撃、明らかにこちらの一手を読んでの行動だろう。やはり空間圧縮なんて、相手に感知されやすい。ISの特権たるPIC、それに疎い操縦者などいるはずない、筒抜けるのは当然だろう。だから。

 

 この『奥の手』の、カモフラージュは完璧だ。

 

 一見すればセシリア優勢鈴音劣勢の構図であるが、事実、ともに必殺を秘める必至の状態。必殺足るカードを山札より掴み寄せた大終盤。

 しからば、この均衡が崩れたときにこそ。

 

 その刹那、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 決着が訪れるということにほかならない。

 ()()()()()()のはセシリア──優勢の状態からの追撃にもとれる一手だが、しかしそれは第三者的側面、とうの本人らからしたらそう表現すべき事態の変異だ。

 そうして現れたは八枚のビット。一夏との決闘で見せた妙手、その再現。初見である鈴音にとっては堪ったものじゃないか、四から八への倍増だ。単純に倍増す攻撃手、その全切っ先が鈴音へと殺到する。狙うは八本、全閃精緻!

 しかし、だが。

 

(────待ってたぁああああッ!!)

 

 その妙手こそ彼女が待ち望んでいた不確定要素。

 すでに一夏との一戦を観戦していた鈴音にとってそんなものは既知の範疇。どころかまさに必殺の時。この瞬間こそ我が勝利への起因なり。

 

 

 

 その転瞬、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(……なッ?!)

 

 セシリアの内心驚愕、しかし鈴音は止まらない。大威力をみすみす手放すという奇行に驚愕する英国淑女を置き捨てて、刺殼の少女が口角を釣り上げた。

 その非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)《龍咆》、それが最大限までに圧縮していた空間を突如開放した。よもや機体に特大の負荷になる強制解除。大威力を水泡に帰すという、意味が不明の行動で──だからこそ、そこから弾き出される答えとはなにか。

 言うまでもない。圧縮されていた空間が、戻る。

 と、なれば。

 

(いっ……けぇええええッ!!)

 

 突如と膨張する背後の空間に、機体が押し出されて当然!

 ──衝撃加速(インパクト・ブースト)。圧縮空間の強制開放によって機体を弾き飛ばし、無理矢理に推進力を得る加速方法。ISだから、《甲龍》だからこそできる、(ひっ)(さつ)()

 《衝撃砲》の許容限界までの出力を溜め込んでいた圧縮の開放、それがたたき出す速度は瞬時加速(イグニッション・ブースト)域にまで手をかけるか。音速でもって測るべく速さでもって、未だ驚愕に座する蒼の騎士へと肉迫する。棘鎧の弾丸、しかし本来の用途から大きく逸れた技能であるため、その機体制御は至難の技。後方にて膨れ上がる衝撃に押され、仰け反るように体がしなる、のをしかしPICで無理矢理の思考制御。ハイパーセンサーを介してなおと歪む視界に、それでも我が敵の姿を据え置いた──超加速。

 対して未だに驚愕を終えていない英国淑女。停止する八基のビット。その思考は一瞬とはいえ空白を生み、そしてそれはことISの戦闘においては致命を意味するに相違なく、

 

 

 

【────前提条件開放(リクイアメント:クリア)九番から三二番展開(ナンバー9‐32:クローズ・アウト)────】

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(待っ、て、ま、し、た、わ、ぁぁああああッ!!)

 

 その石火、表示されるその一文とともに、セシリアの周囲に()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これこそがセシリアの奥の手、必殺のカード。

 驚愕による思考の空白。それは戦闘行為において古今東西、即敗北へと繋る忌むべき失点だ。考えられないのでは、対応しようがない。考える生物である人間にとって、それほど愚かなものはない。が、しかし。それを理解していてもなお、それを淘汰するのは容易ではない。そういった驚愕に即応するのは一朝一夕でなし得る所業では無論なく、それこそ度重なる修羅場・戦闘経験によってのみ少しずつ対応ができていくものだ。

 セシリアとてそれは弁えている。どころかそれゆえに一夏に引き分けたとさえいってもよい。それに置く重点は人並みを外れる、けれど簡単には改善できない。ならばどうするか?

 簡単、だったら利用すればいい。

 だから彼女は事前にあるプログラムを施していた。

 遠隔操作ゆえに常に意識が向けられているビット──もしもそこから不自然に思考が外れた場合、とあるイメージデータを転送すると。イメージデータ、つまりは武装展開の際の電気信号。

 ISの武装展開には強固なイメージが必須である。それを無理矢理に植え付けるプログラム。

 己が『絶対に驚愕して思考が止まる』と信頼し、それをトリガーとして指定していたのだ。

 そうして現れるは二四基ものブルー・ティアーズ、絶対迎撃防御機構。

 

(なぁッ?!)

 

 加速する焦点に現れるその砲門に、多さに、しかし鈴音は認識できども即座に進路を変更することはできない。我前にて瞬く間にその凶牙をギラつかせた(アギト)。むしろ無理に対応すればそれこそ致命──ならば。

 ならば、どうする。

 

(当然、突き進むだけじゃないのッ!!)

 

 それを認識した鈴音は、あろうことか、()()()()()()()()()使()()()

 そうだ、もとよりここは必殺の領域。だったらいまさら臆するなんて場違いはなはだしく、淘汰し乗り越えれば問題ない!

 そう。このスラスターとの併用こそが衝撃加速(インパクト・ブースト)の最大の利点。

 衝撃加速(インパクト・ブースト)は推進器に依存しないため、追加で別動力による加速が可能なのだ。だから、そう。こうして瞬時加速(イグニッション・ブースト)を重ね掛けるなど実に道理にそっている。──もちろん、安全性に無視を決め込むのであれば。

 跳ね上がる速度。音速などはるか後方。未だ握る『奥の手』は健在ゆえに、進む意思に(たが)いなし。ちぎれ飛びそうな四肢に心臓がポンプして灼熱を送る、不屈の闘志で必殺に盲目する。

 負けるわけにはいかないのだ。負けるなんてあり得ないのだ。追いつきたい、追いすがりたい。放っておけば三段飛ばしで爆走するそのうしろ姿に、どうしようもなく焦がれているのだから。

 けれどそれはセシリアも同じく、破裂しそうになる脳みそから雷火の選択を実現させる。

 

(っ、っ、──ッ!!)

 

 いくら展開がゼロタイムとはいえ、その標準までは自動とはいかない。

 最後の照準、マインド・インターフェースはその意識を引き金としなければ起動しない。

 断裂するような毛細血管。いくら立体起動をしない、標準を合わせるだけという単純動作だろうが、二四という大量を同一の点に向けるのは至難の業。体の内側が悲鳴を上げて、しかし噛み締める奥歯が前方へと視線を飛ばす。

 負けられない、負けたくない。誰よりも速く気高く勝利に手をかけるためには、こんな脳みそがイカれる程度の苦痛、そよ風にも劣る低速微風だ。

 幕引きの予感。

 ふたりの情熱が炸裂し、しからば行き着く先など決着をおいてほかになく。

 迸る勝利への熱情を張り裂けんばかりで放出して、互いの必殺を確信した。

 

 

 

「────全砲門一斉開放(オールバレット、フルバースト)ーーーーーーーーッッ!!!!」

 

 

 

 そうしてセシリアが照準を決定し、

 

 

 

「────インパクトォォオオオオオオオオッッ!!!!」

 

 

 

 そうして鈴音が腕部を振りかぶり、

 

 

 

「────、」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「────ッ」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「……あら、織斑さん? 篠ノ之さん?」

 

 

 

 それを疑問に思った四十院神楽が言葉をかけた直後。

 

 

 

 

 

 超重低音の爆音を引き連れて、それはアリーナに現れた。




クラスが八クラスあったりしますが、これはアニメのトーナメント表に準拠しています。


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第一三話【射干無貌(上)】

 ES_014_射干無貌(上)

 

 

 

『────全砲門一斉開放(オールバレット、フルバースト)ーーーーーーーーッッ!!!!』

 

『────インパクトォォオオオオオオオオッッ!!!!』

 

 

 

 空気を破るふたつの咆哮。

 セシリアと鈴が持つ、現状最大最高の必殺手。その雄叫びに(たが)わぬは勝利への渇望。真摯に純粋に、ただそれを目指しひた駆けたこの一戦、その幕引きにこそ相応しい魂の衝突。

 見とれる。素直に。掛け値なしに脚色なく輝かしい。

 どうしてそうまで真っ直ぐに在れるのかと、ああこの気持ちに嘘はなくて。

 

 

 ゆえに、まず身体が動いていた。

 

 

「……あら、織斑さん? 篠ノ之さん?」

 

 

 続くは、呼びかけを覆い隠す大爆音。

 

 

 意識が置いてきぼりにされたと認識するころにはアリーナが砂煙に包まれていて。

 肉体と精神との誤差が消えるあたりには観客席が悲鳴の大合唱で。

 そして自身の所有権が復活したところでその行動に迷いはない。

 爆音、重低音。轟音撒き散らす土砂粉塵。連動する大振動。未曾有の地震の到来だと、しかし誰もそうだと誤解しない。

 地震? 事故? いいや違うぞ、だってこれは人為的──セシリアと鈴の決着がつくと思われたまさにその直前、アリーナのシールドを破って『なにか』がやってきたらしい。

 鳴り響く警戒音、洪水の悲鳴、途端に閉じていく防護壁の数々。そこかしこの投影パネルが赤い警告文を明示して、試合模様にささやかな彩りを与えていた照明類は同様に真っ赤っか。パニックが急速に伝播してそれは一個の津波を思わせた。

 と、俺にわかるのはそれくらい。どこぞの有識者とやらならもっとまともに現状を理解していることだろうが、あいにくと織斑一夏に理解できたのはそれくらいで。

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 身体が最初に動いて、遅れて精神が合流して、意識が定まったところで回る脚が加速した。自我を介在させる前に、『なにか』が到来する前に体が稼動し、そして認識しても目的は決して変わらず。それはいったいなんの天啓だというのか。

 しかしどうしてだとか、なぜだとか。そういう理屈はどうでもいい。なんで気づけたのかわからなくてかまわない。都合がいいとか異常だとかも関係ない。六感七感虫の知らせ、そんなの今はなんでもいいから、通路が防護壁に塞がれる前に走り抜けろ。()()()()()()()()()()()

 あれは絶対まずいから。

 あれは絶対ダメだから。

 

 あれは、織斑一夏の『それ』に反するから。

 

 ならば走れ、ちぎれる思いで脚部を稼動させろ。その他一切の思考をすべて停止させて、ひたすらに『それ』を出力するためだけに焦点をおいて、呼吸も鼓動も忘れるほどに盲目して、そのためだけの単細胞にまで簡略化しろ。無駄は許されない、最短を最速で。いいやこうして思考すること自体がすでに無駄なのだから、さぁもう三歩この(しん)(たい)を目前に送れ。

 ガコン、と。そうして俺が駆け抜けるが直後、開場出入り口が防護壁で塞がれる。

 ギリギリ。よもやアクション映画さながらの緊迫感で、間一髪と通路に突入した。展開まで一秒とかからないだろう防護シャッターに身を割り込ませたは、たとえ『おかしい』との(そし)りを受けようと気になんてつゆも感じず、

 

「まだだぞ一夏、防護壁はこの先にもある」

 

 同様に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()

 なぜついてきた、どうしてついてこれた、それらも同じくどうでもよいのはいまさらだから。

 

「このままAピットに行って、そこからグラウンドに出る」

「委細、承知」

 

 爆走する血流を、さらに加熱した。

 

 

 ◇

 

 

「これは、いったい……」

「……どーしたってのよ」

 

 赤々と警告文を表示するモニターを意にと介さず、セシリアと鈴音、両者がその照準を合わせているのは現在進行形の爆心地。

 照準。つまり、二人はこの異常事態の中心へと砲口を向けていた。

 突然の爆音に阻害されて(ひや)(みず)を浴び、かと思えばひっきりなしの警戒音。加え視界を大々的に覆う土煙に、寸刻前までの気炎はどうしたのかと、二人は機体を停止させて狼狽するばかり。けれど、それでもその戦意を即座へとことの原因に向けていたのだ。

 候補生ゆえか、あるいは単純な本能か。いずれにしろ今は状況把握こそが最優先であり、しからば警戒するなど当たり前。向ける砲身は最適な判断である。

 まさに決着、という試合のクライマックスに突如として入った横槍。環境情報を検索すれば、どうにもアリーナの遮断シールドを突破し、なにかがここに侵入したようだ。と、言葉にすればいとも容易く、だからこそ単純に言い表せるこの状況が、どれだけ常軌を逸していることだろうか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だとすればその性能は堅固なものであるにほかならず、そんな防壁を壊してやってきた(なに)(やつ)かは、それだけの威力を有しているに相違ない。シールドを破壊するという、見方によれば示威行動ともとれる、何者か。

 何者か。つまりこのひとことによって、あらゆる原因の選択肢が均されてひとつになる。

 

 ゆらり。その中心で、(ひと)(がた)の黒が揺らめいた。

 

 すなわち、ISが外部より乱入してきたというひとつに。

 

「どうやら侵入者、だそうですわ」

「どちらかっていうなら襲撃者っぽいけどね」

 

 軽口を交わしながらもふたりの視線は黒影に向けられたまま。徐々にと晴れていく砂埃に苛立ちを覚えながらも、反するように生唾を飲み込んだのはセシリアか鈴音か。

 生唾、緊張。当たり前だろう。なにせ天下のIS学園に、それこそ各国のVIPが集う学内イベントにおいて、わざわざ強襲などとの行動を起こしたのだ。いいやそういった関連付けの前に、こうした異常事態そのものに緊張するのは人間としてしかたない。

 セシリアも鈴音も、自慢するものでもないがそれなりに()()()()()()をくぐっているから、こうしたことが初めてではない。けれど不測の事態とは予期予兆できなから不測なのであり、そもそも慣れることができるものじゃない。

 だからまずは警戒と分析。最速で情報を収集し、今なにをすべきか考えること。

 

 そうして晴れる砂煙のむこう、彼女らにお目見えしたのは巨大な装甲群だった。

 

 視界に映るは、(くろ)(べに)()(こく)と暗黒色によって彩られた装甲。四肢にまとうそれらは平均的な機体に比べても一段と長く、ゴツゴツとしているのになにやら連続性をうかがえる奇妙な滑らかさを持ち。その腕部に握られるは二丁の長銃、同様に薄黒いカラーリングで、銃剣(バヨネット)あり。

 それに乗り込むはこれまた同系色の、暗めカラーで作られたISスーツだが、それは通常なら露出されていることが多い太ももや二の腕などまで満遍なく覆われていて、一見すると全身装甲(フル・アーマー)モデルかのように錯覚するだろう。全身タイツが一番近い。

 そんなISスーツに加えて、搭乗者の頭部をすっぽりとフルフェイスのアーマーが隠している。ハイパーセンサーを兼ねているだろうそれは、背中にコブのように生えた装甲と後部がひと繋がりになっていて、いうまでもなく脊椎の防御力を高めている。鎧はそこから背骨の裏を這って腰骨にまでおよび、いうなれば背中面にエグゾスケルトンをあしらっているかのよう。

 こればかりを見れば実にスマート、もとい()()機体外装だが、しかしそれを『巨大』だと思わせるのは背部に負う長大のそれか。

 背面の非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)ととして、分厚く長い、装甲の塊を背負っていた。同系色の、長方形の装甲プレート。長辺を縦軸に二枚重ねたそれを上下にずらして、まるで出来の悪い上げ下げ窓のように展開していた、という表現で伝わるだろうか? 現状、武器とも盾ともつかない、不明の装備。

 長い四肢、長銃、板状装甲──現れたその特徴などそれだけだが、しかしどうしてこんなにも『不気味』なのか。背中の長大プレートにこそインパクトはあるが、冷静に装備の構成を考えるなら、なんとも中途半端の印象を受ける。

 近距離に主眼を当てているなら手足は短くなっているはずだろうし、長距離であるならその長銃では役者が足りず、ならば中距離かといえば背中のプレートが機動力を阻害している。それは誰の目から見ても不気味だろう……いや、確かに四肢装甲(セミ・アーマー)タイプとはいえ、少なくとも肌を一切露出しないのは不自然なのであるが。違う。

 違う。それとは別、別の感覚。

 

「ねぇ、オルコットさん。あの機体、」

「あなたも、違和を感じますか?」

 

 のっそりとその全貌を開帳した黒影に、対する彼女達は同様の感想を抱いていた。

 その感覚は、いうなれば非科学的と称されてしまうかもしれない。根拠はないし理屈もない。ひたすら見たまま感じたまま、ゆえに少し馬鹿らしいようなオカルト的で。けれど共振しているというならそれは本能とかいうやつかもしれなくて。

 共通の感覚──あの機体は、()()()()()()()()()()()()()

 その瞬間であった。

 

 ピピ。

 

((え?))

 

 内心ふたりが重なったのもしかたなしで、同時に開放回線(オープンチャネル)で一つの発信があったからだ。その相手、それこそ意中の黒影からで、

 

 

 

【── I am stand-alone(私は無人機です). Please your Favorite(あなた達の全力を見せてください) ──】

 

 

 

「「────、」」

 

 息が止まった。

 音声ではなくメッセージのみ。なんの飾りもないシンプルなものだが、しかしその内容がどれだけ衝撃的であるかなど、ことIS操縦者なら納得の驚愕だ。

 無人機。ISの。

 前提条件であるが、インフィニット・ストラトスは人間が乗らないと動かない。これはISが女性しか動かせないというのと同じく当然のことで、そういうものなのだからしかたない。無論のことどうして女性にしか反応しないのか、なぜ人が乗らなければ動かないのか、という研究はIS登場当初より議論され、研究されてきたことだ。が、未だにそれは解明されていない。

 ISのブラックボックス──PIC、シールドバリアー、量子変換、自己進化、擬似意識、女性限定、有人必須。それらIS特有の機能が、一切。この一〇年まったくと解明されていないのだ。

 ISという現物があるというにもかかわらず。並みいる科学者も、桁外れの技術者も、別アプローチによる芸術家や哲学者も、なにひとつの例外なく、その仕組みを詳らかにできていない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に目をつむるとしても、これはなにかの冗談としかいえない。最近では織斑一夏という存在のおかげで女性限定という点に関しては進展が望めそうだが、とかく不明技術の宝庫たるIS。

 その内の未踏技術が一つ、無人機。

 それが、今。自分らの目の前に存在しているなど……

 

「ブラフ、なんじゃないの?」

「……そのおそれは十二分。第一、どうしてそんな機密事項をわざわざ伝えてくるのでしょう?」

 

 到底、信じることはできない。

 それは上の事実を踏まえなくとも、候補生としてほかの人々よりも長くISに携わってきたからこそ、ちゃんと自分の意見として言えることだ。

 

 インフィニット・ストラトスという機械は、別格だ。

 なにかどうしようもなく、どうにもできないような理外のものである、と。

 

 先ほど己らが直感を『オカルト』だとか称しておいてなんであろうが、そもそもにこのインフィニット・ストラトスというもの自体、まさしく非科学的なものの筆頭ではなかろうか。人間の心に反応し、機体ごとに好みを持ち得、あまつさえ『進化』するなど……これが、とてつもないものだといやでもわかるし、そうおいそれと理解して解明できることでもないはず。

 ならば自ら『無人機です』なんて明かすなど、疑いをもってしかるべきだ。脈絡なし、意味不明。

 先のメッセージが真実であるかのように、それこそ無人らしく棒立ちの未確認IS。果たしてこれにどう対処すべきか。戦闘、観察? 機体の損傷は軽微、シールドエネルギーは互いに200ポイント近辺をうろついているが、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、交戦は可能。少なくともこんな仰々しい入場をはたしておいて、『話し合いです』などとは(のたま)わないだろう。交渉のためにアリーナの観客を人質にしたとしても、これはいささかお粗末にすぎる。

 という前に、先のメッセージを思い返してみろ。

 

「……っていうか、ねぇオルコットさん。一応これ、誘われてるわよね?」

「まぁ意訳次第でいかようにも受け取れますが……ええ、少なくとも、」

 

 

 瞬間、前方に向けられた長銃から赤い閃光が放たれた。

 

 

「──友好的ではないようですね」

 

 ビッ! として空に走ったのは左長銃からの赤い弾丸、ビーム一発。それが宙に並ぶふたりの(あいだ)を裂くように飛んできた。『お前らさっさと戦えよ』と、それこそ静観するふたりに業を煮やしたかのごとくの突然さ。予備動作なんてとんでもない、ただ、腕をこちらに向けてトリガーするだけ。実にわかりやすい火蓋落とし。

 それを両者噴射横転(スラスト・ロール)で回避すると、めでたく『敵』と認識された黒影を中心とする円軌道で加速する。

 無人機だとかなにが目的だとか、そんな小難しいことはこの際あと。どのような思惑があるにせよ、すでに相手は『やる気』を見せた。なにはともあれ、今はこの敵を制し、その身柄を確保することこそが最良だ。

 それにこうして攻撃する意思があるということは、最悪、アリーナの一般生徒にまで危害がおよぶこともありうる。いくらアリーナに隔壁・シャッター、バリアーがあろうとも、この敵はそれを破って現れたのだ。

 そんなの当然、織斑一夏ではなくとも、ふたりからしたら許せない選択。

 

「そんなにお望みならお見舞いしてやろうじゃないの、全力ってやつを」

「もれなくあなたの敗北を披露させてあげてよ、()()()()()さん」

 

 気勢新たに再度燃え上がる快活少女と英国淑女。先刻まで気炎をぶつけ合っていたとは思えない意識の重なり。弾ける円の回避機動はそのまま開戦の布石へと、瞬く間。ともに戦意の刃を抜刀する。

 対する黒いその機体からは、反して際立つように一切の生々しさを感じなかった。

 

 

 ◇

 

 

「凰さん、オルコットさん!? 聞こえますか? 試合は中止です、早くアリーナから避難してください! 聞こえてますか?!」

 

 管制室に大を発するのは山田真耶その人だ。いつもの彼女らしからぬ切羽詰った(だい)(おん)(じょう)は、しかしその場の誰の意を止めることはない。なにせそこでは彼女のみならず、ほかの教職員の怒号が飛び交っている。大混乱。

 しかたなし。いくら大の大人といえど、こうして学園が襲撃されるなんてクレバーを気取っていられるわけがない。こうした非常時にこそ冷静な態度を、それこそ生徒の模範でもある教師が取るべきなのだろうが、そんな殊勝を封殺して事態はまさに未曾有の危機だ。

 所属不明機の到来。アリーナのシールドを障子紙に格下げて登場すれば、あろうことか中継モニターの向こう側で戦闘が始まってしまった。それも本来、守られるべき立場である凰鈴音とセシリア・オルコットのふたりがだ。

 それはだめだ。候補生のプライドだとか重荷だとか、そんなの子供地味た責務など放っておいて、今すぐ逃げてほしいというのが真耶の内心。生徒を危険に晒すのをよしとする教師がどこにいるというのだ。

 だから真耶は先程から必死とふたりのプライベートチャネルに呼びかけるのだが、反応がない。あちらの音声も映像もこちらには伝わっているのに、ここからの呼びかけはまったく伝達されていない!

 

(機材トラブル? 違う、タイミングがよすぎる。だったらこの襲撃者の仕業と考えるのが妥当──!)

 

 から回る、焦る。事態が好転しない、という前に判然としない。幸い防護壁は生きているようで展開に問題はなし……いや、でも避難が思うように進んでいない? まさか隔壁までロックされているのか? くそ、だったら早くシステムクラックと職員に避難誘導、いや政府に連絡だって──!

 

「そう慌てるなよ山田君。生徒の救出部隊もクラック要員も、既に私が編成して指示を出した。君が焦燥することなど何もない」

 

 その加熱する思考を冷やしてくれたのは、やはりこのひとしかいなかった。

 織斑、千冬。

 誰もが慌ただしく奔走するなか、まったく微塵の揺れを見せず、悠々いつも通りのやにさがりで、真耶のかたわらで腕を組む。周りと対比してこそじゃなく、事実として颯爽とさえいえる落ち着きよう。冷静沈着とはかくあるべしと、けれど、そんな尊敬よりも疑問が先に立ってしまう。

 

「ですが織斑先生。襲撃ですよ? 襲撃者ですよ!? それが生徒と戦っているんですよ!? 落ち着くもなにも、心配にならないはずありません!」

 

 あまりにも普段と変わらない千冬のせいか、己こそがおかしいのではと錯覚してしまうが、違う。その感情の至りこそが錯覚で、現実錯誤の大過誤だ。

 どうしてこのひとは、こんなにも落ち着いている!?

 

「心中察する、とは尊大な言い回しになってしまうがね、私とて君の気心その心情、それが分からぬ訳まいよ。が、ともあれ叫んでも変わらんのも事実。今はクラック班の結果を待つしかあるまい。

 ──なら熱くなるな、目を開けろ。焦点が合っても視野が狭ければ盲目も同義だ」

「……はい」

 

 口は一応の納得をみせる。

 千冬の言葉も一理あろう。なにもできないなら慌てても意味はない。心を落ち着けてこれからに即座対応、それこそ現状の最良かもしれない。窮地でこそ底冷えの沈着を。そういう思考の収束に関しては、先ほどより幾千倍ともまとまった。だが。

 そこでは、ない。

 

「とはいえ、良かったよ。凰もオルコットも、私が何も言わずとも襲撃者に対応してくれて」

「……え?」

 

 なにを、言っているのだ?

 

「ん? いやなあ。生徒の危害を抑えるため、避難完了まで足止めを指示するつもりだったんだよ、始めからな」

「でも、ですが」

「それに──下らない話ではあるがね、奴等二人は候補生だ。人命第一とは言うものだが、どうして済まされないものがあるよ」

 

 「尤も教師が対応するのが至当に決まっているがな」と。そう口にする千冬はなんとも無念だという風だが、実際その態度からは微塵もそうだと感じられない。口先だけにしか聞こえないし、というよりそれを隠そうとすらしていない。口でこそ歯噛みする無能な教師を皮肉る言いようなのに、あまりに飄々としすぎて動じない。

 それこそ、この事態を歓迎しているかのような挙措を隠さない。そんなの全部でまかせであるということを隠蔽しない。白々しい。

 ──ああ、やはり。やはりこのひとは違う。

 

「……一応、このままこちらからのコールは続けてみます」

「そうだな。もしかしたら何かしらの手違いで繋がるかもしれない」

 

 ──やはりこのひとは、()()()()()()()()

 そのどうしようもないものを抱きながら、真耶はいま己にできることに従事した。自らの側に立つ世界最強を無視するかのように、ひたすら回線のアクセスに没頭する。

 襲撃者だとか今後の処遇だとか、生徒への被害だとかですらなく。ただ、そうした現状よりもこの女性が怖しい。

 得体の知れぬおぞましさ。事態に恐慌する心を押し潰して、ひたすら別種の焦燥に胸を焼かれた。……けれどこうして生徒を心配するのはそれを忘れるためでは決してないと、誰とも聞かぬ言い訳を脳裏に走らせたことに気がついて、道理の通らぬ葛藤になおのこととコールする言葉に力がこもった。

 

 

 

「それにしてもやはや何とも、お前は駆け足が過ぎるよ。『Ⅳ』だなどと、私以上じゃあないか」

 

 

 

 にやにやと。

 その呟きが聞こえなくなる程度に、山田真耶は生徒を想う教師であった。

 

 

 ◆

 

 

「ここもダメか」

 

 都合三度目、目の前で閉鎖した隔壁をして、俺は即座に進路を巻き戻る。

 観客席を出れたのは無論のこと僥倖(たが)わぬ選択だったけど、そうしてピットに向かうまでが問題だった。すでにほとんどのシャッターがおろされ、なかなか思うように足が進まない。

 進まないが、止まれない。体も心も、そんな決断を許さない。

 息は上がらない、足は動く。血流も未だ爆速のまま。しからば最速のままに体を切り返し、ほかのルートを模索する。

 

(確かひとつ前のT字路で……)

 

 

「──一夏、こっちだ」

 

 

 と。瞬間、追従していたはずの箒が突如として俺を追い越して前に出る。抜きざまに短く呟くと、返事も待たずに足の回転率を上げていく。その挙動によどみはなく、まるでこちらからなら行けると知っているかのごとくの不自然さ──なんでもいい。それ以降の思考はいらない。

 箒がこっちだと言ったんだ。だったらそれがすべてだろう。

 

「了解」

 

 遅れて了承の意を返し、彼女のポニーテールのあとを追った。

 角を曲がる、階段を降りる。そうしていくつかの方向転換を経て、たどり着いた先は、来客用の男子トイレ?

 

「一端、ここの窓から外に出る」

「──オーケー、箒」

 

 『外に出る』のひとことで、箒がなにをせんとするのかを理解した。

 なぜか窓のシャッターはおりていなかったが、やはりそんなのどうでもよかった。

 

 

 

「…………」

 

 ──まったくの疑問も抱かず早速と窓へ身を乗り出す一夏に対し、しかし一方の篠ノ之箒はなんとも奇妙な表情をしていた。

 複雑で、それでいて苛立ちとある意味での無念。そして確然の憤懣。やるかたない、どうしようもない。それが最良であるとわかってしまうのが、なによりも度し難い。

 彼のそのうしろ、彼女がその手に握る学園配給の携帯端末。ルート検索のために取り出していたそれのディスプレイ、そこには。

 そこには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ!」

 

 奥歯を噛み締め、けれどそれこそが最短なのは明白。理不尽でありながら不自然な進路表示、このタイミングで送られてくるという異常性を隠そうとすらしない一周(まわ)らずとも阿呆と断ぜられる情報は、明らかに()()()()()()だとはいやでも、腸を煮えくり返してなお明瞭に理解できる。この転送主はそういう人間だから。そんなの悉知極まっているから。

 競り上がる灼熱を無理矢理に推力へと転じさせ、箒は赤い思考で窓をくぐった──。



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第一四話【射干無貌(下)】

 ES_015_射干無貌(下)

 

 

 

 ドドン! と、さした軌道修正もなく目標へと着弾した二発のミサイル。

 炸裂する爆炎に、その間隙を(のが)すまじと不可視の砲弾が乱れ落ちる。空間の弾ける振動音。もうと広がる先の爆煙を押しのけて、速射重視の砲撃が命中した。

 速やかなるコンビネーション。つい今しがた刃を突き合わせていたはずのセシリアと鈴音は、旧知の仲であるかのようにするりとした呼吸で連携を成していた。お互いがお互いの射線をかいくぐり、かつ攻撃のタイミングは息も吐かせぬ交互の射撃。翻弄すると、世辞もなくいえる合わせ撃ち。

 緊急事態にもかかわらず即興でここまでの練度を誇れるなど、それはさすがの候補生といったところか。というのがきっとこのさまを観戦した場合の感想かもしれないが、しかしそんな成果にまったくの比例をせず、ふたりの表情は芳しくなかった。

 いや、マイナスに向かって比例はしているのかもしれない。

 

「その、凰さん。これは、さすがに……」

「……言いたいことはわかるわよ。あたしだってそう思うもの」

 

 セシリアのミサイル、鈴音の《龍咆》。最大威力でないものの当然に高い威力を有するそれがヒットし、そして標的たる敵機の黒ISは爆炎に沈んでいる。すでにミサイル以外にもレーザーや《双天牙月》によって幾度となくダメージを与え、その果ての着弾……どう考えてもこちらが優勢の現状況。さらには機体ダメージもゼロで、これは勝負が見えているといっても過言ではない。

 ないはずなのに、どうして胸に迫るは違和感だけか。

 そう、違和感だ。

 だってなにせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

「…………」

 

 試合ではなく、まさに実戦の現状。雷火を振りまいて紫電を翻すかという(いくさ)()の灼熱は、しかしこうしてふたりが沈黙する時間をとれる程度に凪いでいる。

 おかしいだろ、おかしいだろう。来襲した上に自ら無人機だととの機密を明かし、やれ開戦だと己から幕を切っておいて……いってはなんだが、この(てい)たらく。それは手応えがないことこそ歓迎すべきで、相手がそれだけ取るに足らないのであれば御するのも容易。その分アリーナの安全だって確保できる。いいことづくめ。

 が、さすがにこうまであっさりと、それもワンサイドで終わってしまうなど、不気味でなくてなんという。

 もうもうの砂煙が晴れていく。その向こうに熱源反応。敵機は未だ着弾から立ち直れていないらしい。反撃の様子はうかがえない。

 自機の状態を確認する。《ブルー・ティアーズ》《甲龍》とも装甲に損傷は皆無。武装に欠損・破損はなし。シールドエネルギーはおおよそ200ポイント──しかしこの数値はあくまで『競技用リミッター下』におけるもの。そもそものエネルギー総量はともに『10000』。よって現状、両機は9000以上の余地がある。かつ駆動系等のエネルギーも同様、総量としては問題にあらじ。

 ──以上を踏まえた上でなお楽観視するなというのは、慇懃なセシリアからしても勇猛な鈴音からしても、まんざら否定できないことでもない。

 よって。

 

「まぁ気が早いって言われたらそうなんだけどねー」

「未確認機体である以上、敵機のシールドバリアーは開示されませんが……しかしながら、勝負ありだと、僭越に申させていただきますわ」

 

 警戒心は緩めてこそはいないが、ここに勝利と相成った。

 

「とりあえず、どうするオルコットさん? 拘束する、ったってそんな装備《甲龍》にはなにわよ?」

(じき)に先生方がやってくるでしょうから、それまで監視に務めるのが得策かと」

「オーケー、異論ないわよ。……にしても、ほーんと呆気なかったわね」

「ええ。それに、始まって一〇分も経っていませんしね」

 

 相手が弱かったのか、それとも自分達が強かったのか。その審議は無明のなかだが、それを制したには変わりない。

 そうした事実を遅ればせながら認識して、弦の精神の上で少しばかりの笑みがこぼれる。

 

 

 

 

 

 ▼

 

【──性格(フェイス)を再開──】

【──性格(フェイス)タイプ《Border-Line》を確認──】

【──当性格(フェイス)における内容を確認する...駆動目的一件有り──】

【──上記駆動目的に関わる蓄積を発見...『戦闘能力の収集』確認。集計──】

【──想定範囲圏内における標準値を獲得...規定値と認定──】

【──よって当状況に従事する性格(フェイス)の移行を承認──】

【──なお当該の標準仕様(デフォルト)パッケージの更新は不要──】

【──以後、駆動目的より存在目的への呼称を統一...駆動目的以上一件──】

【──存在目的一件有り...性格(フェイス)タイプ《Dulla-Fan》、再起動(リ・ブート)──】

 

 ▼

 

 

 

 

 

 ────よって勝利(きっぷ)を手にした彼女達は、なんのひねりもなく順当に、次の戦場へ招かれた。

 

 

 

 

 

「「ッ────!」」

 

 卒然、脈絡なく黒い痩躯が起き上がる、と視認するよりも彼女達は速かった。

 ゆらりと()()()()()()()()()()()()ともなって黒影が起立し、直後に有無を言わさず一斉射。セシリアと鈴音の大砲撃が降り注いだ。

 それこそなにが起こるかわからないのが実戦であり、そうした事態を知っているからこそ緊張の糸だけは切らなかった。だからこそ迅速の反応で空を走る蒼線と不可視弾に狙いのズレなどあり得ない。

 まだ動けるのかとの若干の驚きがありはしたが、すでに次戦に臨む用意はできている──!

 

 しゅらりと。

 

 それは、きっとそんな風に()()()()()()

 

「えっ!?」

「これは!?」

 

 不自然なまでに自然的な挙動。最速で機先を制しただろうふたりの射撃は、けれど先とは打って変わって空を切り、そのまま地面をえぐる。回避された。

 その事実に口を突いたのは驚愕で、いいや本来なら躱されるというのはありえない話ではないし、むしろ避けられることにいちいちと驚くなんて驕りの固まった傲慢だ。が、その直前までの敵機を思ってみれば、実にまっとうな反応なのは明白で。

 

「くっ──!」

 

 だがぞれを驚きという空白では終わらせない。第二弾のセシリア、狙うは途端にと躍り出たブルー・ティアーズの四連撃。先刻の八枚撃ちは格納済みゆえ、放たれるのは常時展開のビット達。

 

【────】

 

 その鋭意四線、ふわりと躱されたのはセシリアに驚愕が混入していたせいなのか。

 蒼の閃光は、まるで軽やかに跳ねる小鳥を連想させたバックステップにいなされる。からの高速飛翔。そのワンステップを初速とし、たとえるなら棒高跳びの選手が跳躍直前にみせる飛び込みを使い、滑らかに加速する。

 無論のこと、その端々に人間臭さをまとわせて。

 

「ああもうなんなのよ急にっ!」

 

 黒影は飛び下がりからの急上昇、を経て機体をひねり正面へ反転。この場合の正面、つまりセシリアと鈴音の方向。

 フルフェイスゆえに正しい表現ではないだろうが……その目と、視線が重なった気がした。

 それにえも言えぬ不気味さを感じて鈴音は吠えた。戸惑いと驚愕を押し出す勢いの声帯発露、無理矢理に気炎をたぎらせて、迫る黒影に《龍咆》が唸る。不可視衝撃弾の連続砲火──。

 ズガガガガッ! と、実弾の速射音が空気を裂く。

 その音源は敵機右手の黒長銃──左右でビームと実弾との仕様が違うのか、などとの冷静な判断は絶え。

 放たれるアサルトライフルばりの連射が、不可視の衝撃弾を打ち抜いた。

 

「はあぁ?!」

 

 衝撃砲の砲弾は衝撃の塊だ。ゆえ、外部のなにかしらに触れれば容易に炸裂する。よって実弾に射抜かれることによって相殺されるのはあり得ないことではないが、これはそういった話ではない。

 ついさっき。さっきまで敵は一回も避けなかった。どころかそれこそ無機質な、内蔵に歯車でも使ってるんじゃないかいう機械的な機動だった。つたないとも味気ないともつかない挙動だった。それが。

 

「──ぁんで打ち落とせんのよーーーーッ!」

 

 叫ぶ。敵は迫る。ゆえに砲撃()を止めずに機体を後退させるが、敵機のほうが速い。すかさずセシリアのフォロー、敵機軌道を阻害する多角的なビット展開。

 途端に閃光は瞬き、絡む四線が飛翔を邪魔した。けれどやはりこともなげに──こともなげとはたから感じとれる程度の生々しさでそのレーザーをかいくぐる。

 英国淑女の手助けにより逃げおおせた鈴音も黙ってはいない。再び衝撃砲へと意識をむけて、マシンガンがごとき衝撃砲を連射する。

 先よりもさらに密度の濃い二重連射。かつ性質の違う弾丸が入り乱れる重複弾幕。いやらしいほどに徹底した二重奏だ。

 

【────】

 

 それに、返って人間味がなくなる能面で敵は応えた。

 ドドドドッ! としたマズルフラッシュは右腕の長銃より。その弾丸が、蒼線の合間を縫って衝撃弾を打ち抜いていく。恐らくレーザーの間隙に衝撃砲を撃ってくると進路を読んで撃墜したのだろう、瞠目すべきことだがまだわかる理屈。レーザーは『線』だ、ゆえに軌跡が残る。ならばそれに干渉しないよう砲弾を放つしかなく、となればそんなの相手に読まれること必定だ。

 しかしそも、そんな衝撃砲が物体に触れて炸裂したとなれば、その周囲を走るレーザーはどうなってしまうのか?

 レーザーの周囲で衝撃が弾ける。だったら当然、軌道が乱れる。

 

「またッ!」

 

 鈴音が忌々しげに言い放つが、いいやまだだ、まだそれだけではない。

 乱れたレーザーの(あいだ)に機体を割り込ませて無理矢理に避ければ、どころか乱れる前のレーザー軌道をなぞって左長銃のビームを撃ち放った。

 軌道をなぞるとなれば、その先にいるのは閃光のもとであるビット達で。

 

「ッ──!」

 

 それに迅速で反応したセシリアは驚嘆に値した。ビットに迫るビーム四弾、子機をわずかにスラストさせるという離れ技で見事に退ける。よもやビットそのものを潰しにきた強手。

 とはいえ、まだ終わらない。

 そうして今まで行動を制限していたビットが乱れたのだから、敵が黙っているはずがない。

 

【────】

 

 その刹那にたちまちと加速し、弾幕のむこう、射手であるふたりへと殺到する!

 そのどれもこれにも、ナマの色味を纏わせて。

 ──なんだこれは。なんだなんだなんなのだ?

 いったいなにがどうなって、どうしてこうも人間臭い!?

 

(まさか無人機だということ自体が演技? いいえ、違う。そんな合理的な、理路整然と整ったものでは──!)

(ホントもう気色悪いったらない! なにこれ悪霊でも憑依してんじゃないの──!)

 

 起き上がるや奇妙な機動を始めた黒の敵に、それでもとふたりの砲撃は途切れない。思考はひたすら疑問で混んでいるが、これを制しなければいけないという第一目的は忘れてなどいない。

 だってなにせ少なくとも、こうして再起動した敵は、代表候補と剣を交えられるほどには機動が()()()。……そう感じてしまうということは、それだけ人間味あふれるということにほかならない。

 が、それに比例して生徒に危害がおよぶ率が増したことも事実。ならばこんな疑問ごとき。

 

「ザァァイッ!」

 

 にじり潰して、刃をとれ。

 気合一刀、鈴音が青龍刀を横薙ぎにする。レーザーの網をこと細やかなスラスターの噴射で躱していたその合間。まさに方向転換のためにブーストするその直前。その硬直に突撃する。

 いくらPICでも慣性が反転するまでほんのゼロコンマほどの停止がある。別方向に加速しようというのだから当然の理屈、それを差し引いてもコンマ数秒でことをなせるISは恐ろしいわけだが、ともかく。

 物理事象である以上逃れえぬその一瞬を、捕えた。

 衝撃砲もビットすらも意に介さない『実力』であるが、それはなにもこちらが劣っているという証左ではないのだから!

 唸る剣閃、銀の瞬き。大質量の加速剣戟がその首へと奔り、

 直後に、()()()()()

 

 

 

(────うしろ)

 

 

 

 しかしその転瞬に、()()()()()()()()()()()()鈴音はさすがだった。

 反射だった。

 どこぞのまんがだかで『視界から消えた敵が即座に自分の真後ろを取る』、なんて展開はよく目にするだろう。ISにもそれに似たようなマニューバがあり、原理としてはショートブーストないし瞬時加速(イグニッション・ブースト)で瞬時に敵の視界の外へと機体をずらし──ハイパーセンサーにおいては全方位視覚することが可能だが、実際はある一点しか集中して認識できないため『視野の外』に出ることは可能──直後に折り返して敵の真うしろに出る。つまり二連続のブーストである。その機動がアルファベットの『V』のように見えることから、V字噴射(スラスト)などと呼ばれているマニューバだ。

 それを鈴音が存知であったことにも由来するかもしれないが、しかし少なくとも鈴音は神速をもってして、己が意識を真うしろにむけたのだった。

 

 そこに、()()()()()()()()()()()

 

 

 

(……え?)

 

 

 

 直後、自身の()()()()()()()()()()()()()()

 振り返ったはずの鈴音のさらにその背後に、敵機は出現していたのだ。

 その一連をほかの第三者が観ていたならこう写ったはず。

 まず黒の機体が高速で鈴音の真下に機体を移動させる。

 それに気づいた鈴音がうしろをむく。

 その直後にさらにうしろへと機体を滑らせる。

 つまり簡潔にいえば、敵は元の場所へと戻ったにすぎず、敵からしてみれば相手が(おの)ずから背後を取らせてくれたようにしか見えない。

 まさに瞠目。V字噴射(スラスト)というよりはまさしくI字噴射(スラスト)。ISを習熟し始めたがゆえの機敏さを逆手にとった超絶妙手。

 そしてまんまと背後を取った黒の機体、その両手に握る長銃が先端銃剣(バヨネット)。弾丸の仕様に倣い右は実剣、左はビームバヨネット──その刃が交差した。

 まさに必至、凶刃が降りかかる──そんな、窮地であるにもかかわらず。

 鈴音の胸の内を満たしていたのは驚愕だった。

 しかしそれは自身の背後を取られた驚愕ではなく。

 

 

 

(待ってよなんで、その機動(マニューバ)は玲ね────)

 

 

 

 

 

「────ォォオオオオオオオオッ!! 零落白夜ッッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 途端に鈴音と敵機との(あいだ)に割り込んだ白い影が、そんな思考を漂白した。

 

 

 ◆

 

 

 怒号一閃、俺は敵機の直上から瞬時加速(イグニッション・ブースト)をもってして吶喊した。

 箒に連れられて外に出た直後、俺は瞬時に《白式》を展開して飛翔。アリーナの直上にでると、そこを覆うシールドを切り裂いて侵入した。

 そう、アリーナのシールドはISのものと同じ仕様。つまり《零落白夜》で切り落とせぬ道理など、微塵の一片ありはしない。

 突破が同時の瞬時加速(イグニッション・ブースト)。振り下ろすは零落白夜。

 あまねく一切とを消滅せしめる究極の再現を右手に握り、いま眼窩に据えるは(おん)(てき)なりし。俺の『それ』を毀損させるその矮躯、黒影目がけて疾翔する!

 

 

 

「────ォォオオオオオオオオッ!! 零落白夜ッッ!!!!!!」

 

 

 

 ゾッ、と。

 わりかしあっけない音を立てて、《雪片》が敵の両腕を分断した。

 

「一夏さん!?」

 

 切り抜ける過ぎる背中に驚愕の(おん)(じょう)、ああその声はセシリアか。とりあえず鈴はなんだか驚いたまんまだけど──けれどあいにく答える暇がないんだよ。

 だってなにせこの現在、我が身は『それ』をなすためだけの単細胞。両腕を落としたくらいで、敵が止まるはずなんてあり得ないと確信してしまっているから。

 

(ォォオオッ!)

 

 途端に後方への瞬時加速(イグニッション・ブースト)、真反対の極大負荷なんて噛み締めたすまし顔でやり過ごして、石火でもって再びと、敵機の頭上に躍り出る。

 しからば振り下ろす刃は再度上段。

 腕がなくなったショックかで硬直しているのかは知らんが、とかくお前は邪魔なんだ。うるさく邪魔で目障りで、俺は著しく許せないから。お前はみんなを傷つけるから。

 だから落ちろよ、零落しろ。

 

「がああああああああぁぁッ!!」

 

 二連続で上段振り下ろしを行使する矛盾を唸る筋繊維でごまかして、近接最大級の火力をくれてやった。

 

【────】

 

 飛びゆく黒の弾丸、手応えあり。クリーンヒットした敵ISが猛烈なスピードで地面に叩きつけられる。激突、幾度目とかわからない砂煙を上げて、黒の機体が沈黙した。

 

「よし」

「『よし』、ではありませんわ一夏さん。いったいどうやってここに? いいえ、第一どうしてここにいるんですの?」

「ん、ああ、それはあれだよ。アリーナのシールドを《零落白夜》で切り裂いて、だよ」

「……まったく、呆れを超えてもはや感心してしまいますわ」

「それはどうも。とにかくあれが敵だよな?」

「はぁ……なにも知らずに攻撃したと?」

「いや、鈴に攻撃してたから言わなくてもわかるけどさ、ってそうだよ鈴! 大丈夫か?」

「まぁうん。おかげさまで」

 

 空中に会する三機。

 呆れを全面で体現するセシリアの反応は、まぁ俺がいきなりやってくれば誰だって似たような顔になるだろう。無茶だ無謀だなどとはばかるつもりは毛頭ないが、呆れさせてることくらいの自覚はある。けれど軽口がたたけているを察するに、なんだかんだと俺の増援はいらなかったかもしれない。しかしだが、それはセシリアを見ればの感想で。

 もう一方の鈴は、どことなく上の空でやってきた。

 

「鈴? どうかしたのか?」

「……え?」

「いや、だからさ。怪我ないか、って」

「あ、ああうん。平気よへーき。助かったわ」

 

 なんだろう、鈴のようすがおかしかった。口では無事だと伝えるが、やはりなにかあったのか。確かにこうして外から見るぶんには負傷しているとは思えないし、装甲などに関しても目立った損失は見受けられない。怪我はしてない、じゃあなんで?

 いや、あのとき。俺がシールドを破って現れたあのとき、そういえば鈴は迫ってくる敵を前にして、なんの反応もしてなかったか? それこそ呆然と機体を止めて、なにやら疑問に思考を割いているような……。

 

「……なぁセシリア。鈴はどうしたんだ?」

「……こちらが聞きたいですわ。先ほどまでは天真爛漫と元気いっぱいでしたが」

「天真って、あんまり子供あつかいしてやるなよ」

「転入初日に頭撫でている方に言われましてもね」

「ちょっとそこ、なーにこそこそ話してんのよ」

「現状確認だよ。そういうのはセシリアのが適任だろ?」

「なによ。まるであたしがガサツみたいな口ぶりじゃない」

「わたくしから見てもおしとやかではありませんが」

「俺の目から見ても、なぁ?」

「なんですってっ!?」

 

 変な剣幕の鈴をいなしつつセシリアに確認するが、うん。やっぱり直前まではなんの変わりもなかったようだ。とすればやっぱり敵になにかされたってことになるんだろうが──しかたなし。思考を閉じる。

 なにがあったのかなにかされたのか、そんなのぽっと現れた俺程度じゃどうにもわからない。理解に対する努力を捨てるわけじゃないけれど、しかし今はそれよりも優先しなければいけないことがあって。

 

「ともあれ、先ほどの一夏さんの一刀で倒れたのでしょうか?」

「少なくとも外してはいないよ。今だって落ちたときのまんま動いてないし」

 

 まぁ動けたとしても腕は落とした。動けたとしても火力は大幅減のはず。()()()()()()()()()()()()両手を切断したことになんの後悔もないが、できることなら足も壊しておけばよかったろうか?

 

「どうする? 衝撃砲でも撃っといてみる? 砂じゃあレーザーも減退するでしょ?」

「砂塵が舞っている(あいだ)は光学兵器には厳しいですが……いえ、やはり様子見が打倒ではないでしょうか?」

「確かに、この距離ならなにかされても対応しやすいな」

「つってもねぇ。さっきそれで痛い目みてるし。また起き上がるんじゃない?」

「また?」

「ええ。実は先ほど、一度沈黙した敵機が再び起き上がったんです……機能の停止を確認していませんから信憑性に欠けますが、けれどそれでも言わせてもらえばあの瞬間、確かに敵は止まっていたはずです」

「それはあたしも同意見。さすがに演技だったとは思えないわよ」

「なんだよそりゃ。不死身かよ」

 

 直前のことを知らないが、つまりなんだ、あいつはなぜか止まらないのか? 機能停止しても動き続けるIS……単にエネルギーが切れていなかっただとか、あるいはやっぱり勘違いだったとか。それとももっと別のなにかか。……無人機だと考えるなら、それこそリアルタイムで破損箇所を換装しているとかか?

 なるほど、すべてが血の通わぬ機械ならではの不死身機構か──と。

 その俺の、『不死身』という言葉に反応したのだろうか。

 

 

 

 

 

『なんだ。やっとおまえが来たのか、一夏』

 

 

 

 

 

 開放回線(オープン・チャネル)で届いた女の声は、やけに沈んだ静かなもので。

 

 

『だったら代われよそら「()(ぼう)」。ここから先は私がやる』

【────、】

 

 

 ジャガッ、と。無理矢理と断絶するノイズめいて、敵機の中身が変わっていく。代わっていく。なにかとてつもなく冷たくて熱いものが、無人機の内側を塗りつぶしていく錯覚。

 なんだ。なんだなんだこれはいったいなんなんだ? ──いやわかる。判るのだ。あれの中身がなにかに変わっていくことはどうしてだか知覚できるのだ。でもそこじゃない。そうではない。

 問題は、代わったあと。代わったあとがどうにもヤバい。

 これは、マズい。

 セシリアが困惑している。鈴が目を見開いている。未知の不条理が迫っている。

 そうしてとうとう、絶句するしかない俺達の視線の先で。

 

 

 

 

 

『────終わり良ければ、全て良し』

 

 

 

 

 

 それは、静かなままに爆轟した。



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第一五話【100万回生きたねこ(上)】

 

 

 

『人は死を恐れるのではない、二度と生きれない事を恐れるのだ』

 

 

 そう、どこぞの学者なり偉人なりが残した言葉がある。

 なるほど、それは疑念の余地なく納得できる台詞だろう。こうしてわざわざと議論などしなくとも、すとんと人々の心に浸透するに違いない。

 何せそれは当たり前だから。

 生きていて、生物で、人間であるならば、なんてことはない。己が『生きている』と自覚して日々の生活を営めているのなら、生きれなくなるのは怖くて当然だ。

 

 生きれない、すなわち『死』。

 

 『死』そのものではなくそれに付随するものこそを忌むべきだ、と。先の言葉を要約すればそのあたりなのだろうが、正直詭弁だと言わざる得ない。あえて遠回しの迂遠にかまけて解釈するなど、その時点で程度が知れるというものだ。真摯さが足りない。盲念が足りない。徹底していないから暗晦に沈むのだ。

 死とは何ぞや、などいう哲学的な話など知らない。そうしてあたかも理解が及ぶかのように押し嵌める()れなど知らない。死とは死で、終わりで、結果で終点で、至高。絶対偉大なる、人智超越の不可侵領域。

 生者の終わり、今世の離別──死とは得して現世との別れによる哀傷であり、親族なり知人なりが亡くなっただけで極大の悲しみを抱くというのに、それが自身に降りかかるなど、ああ言うまでもなく怖しい。恐ろしい。

 ゆえに偉大なのだ。ゆえに至高なのだ。ゆえに絶対なのだ。

 人生は一度きり。死者は蘇らない。時間は止まらず戻らないから、永遠なんて過去だけで。だからこの日この時この瞬間こそを全力で生き続け、そうした末に至り陥る終点こそ、ある種生命の本懐たる不文律だ。足掻いて喚いて抗って、それでも訪れる終わりが忌々しい、だからこそ輝かしい。生命はみな、指摘されるまでもなく本能単位で知っている。

 ああ、だから、なあ。

 

 

 

『鮮血の赤、骨の白。乾いて腐った死肉の黒。饐えた腐臭に大砲の爆音。臓腑を煮詰めた血肉の水たまり。

 

『銃声と雄叫びと宣言と悲鳴。苦痛と激痛の大灼熱。使命を帯びて奮迅し、隣りの他人の盾になる。家族を想って目蓋を閉じ、国が滅んで安楽死。血を吐き覇を吐き声を上げ、思考を止めて盲目する。勇気を抱いて犯されて、恐怖を嫌って背中を討つ。競り上がる胃液を飲み込んで、吸い込む空気に死臭を孕む。

 

『頭を犯す()()の悪い狂想曲。誰も正気じゃいられない。誰もが正しく間違って、よだれを垂らして落ちていく。痛哭許す場所などなく、哀毀骨立なんて夢物語。

 

『心が(こご)る暇なぞない。熔解する刃で精神を鎧い、血の一滴までも狂奔しろ。

 

『腕を削がれて脚をもがれ、皮膚を剥がされ眼球を打たれる。なのにそれでも心臓が動いている。

 

『心臓が動くなら戦わねば。

 

『戦って戦って殺さなければ。殺して殺して鏖殺するのだ。

 

 

 

 目蓋を閉じればそればかり。

 修羅の鉄火のガンメタル。幾百幾千、人間が解り合うために費やした幾万もの人生伝。ひたすらに終わり続ける人工光の輝き。

 いらないいらない。こんなのはもういらないんだ。こんな洒落の一つもないクソ真面目なドキュメンタリーはいらないんだ。

 私の人生は肥溜めのなか。一〇〇万回の茶番劇のなか。矛盾した物語の結末。

 ふざけるんじゃない。そんなリフレインで終点(わたし)を穢すんじゃあない。私は私で私なのだから。

 この血は私のもので、この骨は私のもので、この肉は私のもので。──この心臓は私のもので。なのに結末は幾星霜、すでに至った幾百幾千。知らない光景の見知った終わりを、矛盾の未知を繰り返して。そうして私の過程(じんせい)は汚れきった。壊れてほつれて破綻して、なのにそれでも心臓が動いている。

 

 心臓が動くなら戦わねば。

 

 なら、そうだ。いいだろう。この憤怒を抱いて希求しよう。このクソッタレの過程を淘汰し昇華する、究極の権化と(あい)(まみ)えよう。悲憤と悲願を燃料に、忌避と羨望を歯車に、終点へ行進する単一機構で完結しよう。

 その先にこそ私があるのならば。

 その終点こそ私であるのだから。

 つまり。

 

 

 終わり良ければ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ES〈エンドレス・ストラトス〉

   第一五話【100万回生きたねこ(上)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────終わり良ければ、全て良し』

 

 

 

 静謐という言葉がある。『(しずか)』に『(しずか)』という同種の文字を二度重ねるその意味は、いうまでもなく『しずか』である。

 静かな。静寂な。平穏でひっそりと。落ち着いている、治まっている。そんなさまを表す日本語だ。

 ゆえに聞こえてくるその言葉。女の、それこそ少女だろう齢の声色は、そこに似つかわしくないほどまさしく静謐というべき音声だった。

 深く深く、染み入るように──しかし同時に、そこからいやでも感じるのは『嵐の前の静けさ』ということわざ。なにかとてつもない大暴威が自らの爆轟を心待ちにしているぞと、そのための緩急だぞ、と。

 まるで自ずからを戒めて締めつけて、ひたすらに静動を合一させる爆弾状態。

 そんな珍妙奇天烈な、それでいて不動自己完結の(つわ)(もの)が、無人機の中身を席巻していた。

 そう。変わったのだ。すげ代わったのだ。

 一夏達が絶句するそのわずか、砂煙がもうもうとただようその間隙。二度も沈んだはずの無人ISは、三度目の正直といわんばかりの不可解さで、再度ここに起動していた。

 

「……なによ、こいつ」

「無人、ではない? ……いいえ、OSが切り替わっている?」

 

 ポツリと。そうした予想見解を口にするセシリアと鈴音の二人だが、しかしそれでも隠せていなかった。

 震えに震える自分の声を、隠せていなかった。

 正直なところ、まったく事態が飲み込めていない。侵入者来襲、交戦、撃墜、かと思えば再起動し、なぜか人間味をあふれさせて、そうして現れた一夏が倒したかと思えば、いま再び起き上がって零下の青で震えている。

 意味がわからなかった。理解が追いつかなかった。敵の目的も、無人機の真偽も、その不死身とも呼べる頑丈さも。ことごとくが判然としない。

 わからない。繰り返しになるがわかれない──ただ、しかし。

 そんな急転直下と変異する事態のなかでも、二人が確然としていることがあるのならば。

 

 

『さあ()くぞ一夏。私はおまえが羨ましい』

 

 

 いま存在するこの敵が、自らの意思をもって起動したという事実。

 その言葉が同時、とうとう件の『嵐』が発露する。

 殺気。

 ごくごく陳腐な言い回しになってしまうかもしれないが、しかし事実、それはそうとしか表現のしようがなかったはずだ。殺気。殺したい気持ち。赤くて黒くて白くて透明、けれど原色よりもはるかに濃厚鮮烈な色彩。

 目に見えないそれが、物理では説明できないそれが、滾々次々止めどなく、あふれもれ出し空間を這う。次第に殺気はさまざまに色味を変えてゆき、実は『殺したい』だけではなく種々の感情を織りなしていることに気がつくだろう。それは赫々の怒気、それは爛々の歓喜、それは召しいた狂気、それは溶解する憎悪。──束ねてしかし、やはり殺意。

 感情の嵐だった。爆発だった。おびただしいまでに横溢する感情波濤。他者を圧迫してなおと足りない激情の波は、けれどただの副産物で。

 その本心。真に自身が意識して束ね上げる感情の宝剣は、絶対威力の大刀身。天井知らずと生産供給される感情群が殺意の刃を研ぎ鍛え、さらになおと密度を高めて威力を増していく。

 息が詰まる、舌が乾く、顔表面の血液が撤退する。怖気、寒気、吐き気。笑いたくなるほどの殺意。

 馬鹿げている話だったが、しかし英国淑女も中国少女も、始めてそんな感覚に陥った。

 すなわち、感情とは視認できるのか、と。

 

「…………」

「…………」

 

 錯覚だろう。勘違いだろう。誤解だろう。誤認識に決まっているだろう。

 感情がみえるなんてありえない。非科学的だかオカルトだか、そんな分類に励む前に、詩的表現に鳥肌が立つくらい。

 けれど。だけど。

 そんな世迷いごとを圧し潰して、どうして敵は感情を振りまいている。

 圧倒された、そのさまに。驚愕した、その真摯さに。

 だってそうだろう。こんな視覚できると他人に錯覚させるほどの大感情、どれほど切に純粋に、思い続ければなし得るのだろう。

 これほどまでに純粋な願いがあるのだろうか。こんなにも神聖な祈りがあるのだろうか。

 人の内面なんて推し量れない。なんていう、殊勝な(たわむ)れ言葉さえ封殺される、極限極峰、極大の感情。怒涛の殺気、灼熱の殺意。一点特化の単一機能にまで簡略化された単純明快なる鋭意一刀は、ただただ織斑一夏を殺したいと、語るまでもなく赫灼していた。

 

 そう、そこなのだ。その一点なのだ。

 

 どうしてなぜだかこの敵は、織斑一夏に対して専心していた。

 それはセシリアにとっても鈴音にとっても疑問であったが、しかし同時に幸運でもあったこと。

 だってきっとあんな莫大な純感情、己に向けられたら耐えられる気がしないから。

 人間一度は誰しも感じる『心の重み』。親とか友達だとかから寄せられる期待というのがその最たる例。それを少なからず受けたことがあるひとは、きっとこの感覚を理解してくれるだろうと思う。

 誰かがあなたに向けている期待──それが一切あまさずすべて、殺意として切っ先をむけたならば、どうだろう? 臓腑を締めつけ筋肉をこわばらせ、それでいて忌々しくも背中を後押しする善性の気持ちとやらが、全部殺気となって寄せられればいかがだろう?

 単純。耐えられるなんてはばかること、正直妄言はなはだしい。

 胆力、精神力。ああそうだな、もしかしたら耐えられるかもしれないよ。そんな強靭な魂なら、あまさず受け止めて立てるだろうよ。

 ゆえにその道理が通ずるなら、それこそセシリア・オルコットと凰鈴音、並々ならぬ心力を有する彼女達ならば真っ向対することができるはずで。あの熾烈極まる乙女らならば、そんな殺意だかそこらに臆するはずありえなくて。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()と言えば、ようやく理解の乏しい小僧だって、ことの異常さを認識してくれることだろう。

 

 

 そう。事実折れかけた。気圧されていた。

 自分がその標的にされたわけでもないのに、ああ奇怪な笑いが止まらない。心が震えて(しん)の芯を揺らしている。

 いくぶん過剰演出の誇大脚色。ひとに聞かせるには盛りすぎた創作話かもしれない。だけど、こうしてふたりがこの波に押されているのが事実で、膨大な殺意を抱えているのも真実で。

 どこぞのフィクションで一般人が気当たりで卒倒する描写が見受けられるが、このような状況を知ってしまえば、それがあながち嘘ではないのだと確信できてしまう。

 ならば少なくともこの殺気の坩堝のなかで意識を保っていられるふたりは、これに抗せる気概があるのだろうか? いいや、正しくはないが間違ってもいない。

 ここでもうひとつの純然たる事実。ふたりにとって幸か不幸かの現実。

 

 この感情は、間接的なものなのだ。

 

 言うなればフィルター越し。見当違いといった意味合いでの間接ではなく、異物をはさんだからこそ直接ではない、というだけの話。

 ここに至ってふたりはようやくと気づいたのだ。

 先ほどまでの機械的な機動と、続く妙な生々しさ。あれが独立起動(スタンド・アローン)であるならば。

 

((────遠隔操作(リモート・コントロール)))

 

 つまりそういうこと。

 こうして改めて動き出したこの痩躯は、ほかならぬ『誰か』がいずこかより操縦している結果なのだ。ようはこの奇妙な一連は、独立起動(スタンド・アローン)遠隔操作(リモート・コントロール)の二つを併用しているということ。

 して、そうした状況にもかかわらずこの感情の発露……面と向かってではなく機械を経由して動いているだけの無人機が、ここまで人を圧迫しているという事実。

 それに気づいているがゆえ、しまったがゆえ、いくら候補生の二人といえど、内心で爆ぜていた気炎がしぼんでいた。

 ふたりには幸運だったろう。これが生身の本人と向かい合っていたら、一夏にむけられているもののほんの支流でも心を焼かれていただろう。

 ふたりには不幸だったろう。それを理解してなお倒れない自分を知っているから。戦える程度には気後れしていない己がいるのだから。

 だから、つまり、きっと、変わらず、自分達がやらなければいけないのはこの敵を止めること。

 

「…………」

「…………」

 

 それでもふたりの心は奮い立たなかった。

 考えれば明快だ。それは二人だって候補生という立場上、他人に悪意をむけられることがままあった。嫉妬なり単純なライバル意識なり、『国の威信を背負うレベル』での緊張感にさらされることが日常的だった。なのに。

 なのに、このざま。

 実際本当の殺意害意に晒されれば、このざま。

 逃げ出してしまいたい。恥も外聞も誇りも捨て去って、脇目も振らずに背中を向けたい──なんて一瞬でも考えてしまった自分に気がついてしまい、それがなおのこと許せなくなって。なのにそれが本心だと言う自分も確かにいて。

 セシリア・オルコットを支えてきた輝かしいものが、凰鈴音を形作ってきた清々しいものが、音を立てる暇なく瓦解していく錯覚がひっきりなしで。

 だから。

 

 

 

 

 

「────こいよ(かお)(なし)。俺はお前が許せない」

 

 

 

 

 

 ああだから、どうして織斑一夏(おまえ)は微塵も臆していないのだ────?

 

 

 ◆

 

 

 セシリアと鈴が硬直している。無理もないだろう。だってこんな馬鹿げた殺気、たかだか一介の高校生が相手取るには少々どころか分を超えてあまりあるよ。

 きっと鈴もセシリアも、あまりの未知に恐縮としているのかもしれない。しかたないさ、しようがない。候補生だろうがなんだろうが、息して動けて生きている人間なんだから──そうだよ、こうして必死を予感させる本物の『殺意』なんて、本来なら逃げ出していたっておかしくない。

 それほどなのだ。候補生ですら縮こまる異常なのだ。怖いや恐ろしいを三回転くらいねじ巻いて、深々と刺さった狂乱だ。

 感情だけで人間は殺せると、ああ。今ならそう熱弁されれば納得するよ。だけどさ。

 

 

 

 だから、どうした。

 

 

 

 殺気、怒気。ああ、すごいな怖いな恐ろしいな。こんなん人間とは思えない、まさしく異常ともいうべき狂人だろう。こんな想いだけで他人を(しい)せる殺気、一五歳が対するなんて馬鹿げているにもほどがある。

 でも、この足に震えはなく。

 しかし、体温の低下はなく。

 けれど、視界に濁りはなく。

 あいにくと、織斑一夏を支配するに、この殺気は不十分だ。

 なにせそうさ、すでにもう、俺の思考は止まっている。ただ唯一、俺の絶対である『それ』に準じ続けるため、それ以外の思惟主張感覚感情、すべてが二の次だと決断している。

 ゆえにせいぜいが想うだけでひとを殺せるかもしれない程度の殺意、どうして織斑一夏が手をこまねく道理があるか。

 俺は絶対負けないから。『それ』にひたすらまっすぐだから。それ以外を切り捨てて加速する諸刃で構わないから。

 ならば臆さぬ、前に進め。しかと見開き目を据えろ。これがいったいなんだという。

 なんて、あたかも強がる男の子の心情なんて置いといてさ。

 正直、そんなのなくとも──ああいやないなんて仮定話でもないからたとえ話であえていうけど、そんなのなくったって、俺は屈してなんかいなかったよ。

 だってさ。

 

 

 

 

「千冬姉より、一〇〇万倍マシだ」

 

 

 

 

 

 あの日。二年前のあのとき。あのときにむけられた殺気を覚えている。

 握る鉄パイプの冷たさと、背にした『あなた』のその無念、牙剥く絶域の殺意を知っている。確かに覚えて記憶して、確固として決心しているのだから。

 だったら、そら。俺が折れる理由なんて、はなから()()にはありはしない。

 ならば、()こう。

 

『そうか。そうかそうか許せないか。この私が許せないか』

 

 死地へ。

 

「ああ。お前がどこの誰かは知らないけど」

 

 魂凍える鉄火場へ。

 

「お前は誰かを傷つける。俺にはそれが我慢ならない」

 

 烈火の燃ゆる絶対零度へ。

 

 

『だろうな。しかしながら──そうでもしないと、おまえは「完成」しないだろう?』

 

 

 そこが限界だった。

 なんの予備動作も掛け声もなく、俺は瞬時加速(イグニッション・ブースト)で飛び出した。

 その言葉の意味なんて知らない。羨ましいなんてわからない。そもそもどうして俺にそこまでご執心なのか、そうさなにひとつわからない。だが許せないことは言葉よりも雄弁に心が吼えて哭いているから。

 お前はここで、倒されろ!

 

二重(ダブル)──)

 

 だから《白式》の強大高速、この想いを今ここに。

 

(──瞬時加速(イグニッション)ッ!!)

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()

 いつかの夜更け。世界最強足る我が実姉、彼女が示唆してくれた性能(じ じ つ)の一つ、その技能。俺が信奉する強さを実践する。

 跳ね上がる速度。音速を目指して飛び出した《白式》が確かに音を超越し、握る右手に最大を。

 白の雷光、目掛ける目標は地表の黒星、無人IS!

 

「はああああああああッ!」

 

 音速突破の《雪片》を超高速で横薙いだ。

 

 

『速いな。流石だ一夏』

 

 

 なのに、その迅速のなかでも殺意は確かに俺に届いてきて。

 ギャ──ィィイイイインッ! 触れ合う刃に、《白式》が軽々といなされる。

 漂う砂埃で確認できていなかったが、敵はいつの()にか失くした両腕を再生していて、そこに握られる長銃の実剣バヨネットが《雪片》を刀身の上で滑らして、そのまま後方に受け流していた。

 理屈としては簡単な話。高速で移動する物体というのは、総じて横からの力に弱い。二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)で音速を超える今なら、そんな対処もおかしくない。けれど。

 

(こいつ、速い!)

 

 それはつまり、こちらの速度に対応できるという単純な事実の証明。

 それだけこいつの技量がすさまじいということ。

 

「──ぁああああ!」

 

 直感する確信にわずかの驚愕。そのなかにおいても俺の左手が虚空に伸びたのは決断しているがために。

 過ぎ去りいなされるその一刹那、反射で伸ばした左腕部の指先(マニピュレータ)をPICが固定する。ともなれば、その一点を中心に身体がごく小円の鋭さで旋回する。

 ぴん、と伸びる腕。みちみちと引き絞られる引張力に身体が悲鳴に鳴くけれど、湧き上がる熱意に無視を決め込んで。

 状況一転、高速の旋回で敵機ISのうしろをとる!

 まだだ終わらない、俺は右手を届けちゃいない──!

 

「ぁぁラアアアッ!」

 

 ──いないのに。

 俺の身体は、その無理な旋回の最中にあっても進路を斜め上へと延ばし、()()()()()()()()()()

 バララララ! その直後、直前のコースを射抜く赤熱の銃火。

 それは言わずもがなの敵手発砲。奇襲ともいえるこちらの動きに反応していた。

 

『いいな。良い身体だ』

 

 しかと耳に入るその声は、あまつさえ賞讃の彩りで。こっちの動きを把握しているのだということが、かえって嫌味ったらしくわかってしまい。

 どころか、極めつけ。咄嗟の回避行動に揺れる視界のなかにおいても、ひるがえる光刃の閃きを視覚して。

 

『そら、私の手番だ』

 

 全霊をもって敵の(さつい)を振り切──れよ俺走れ《白式》駆け抜けろ心視界がブレるとか加速の負荷で骨がきしむだとかそんなものをこそ振り切ってさぁこの機体を()()()()。翼を広げ身を返し、避ける機体を()()()()()

 そう。回避こそすれど。躱しこそすれば。決して『逃げる』はあり得ない。遁走なんて片腹痛い。ゆえに今、刃を躱したこの身体に、続く俺の行動などわざわざ言うまでもないことだ。

 

『なんだ。つれないな一夏』

「──そうでもないさ」

 

 二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)をいなされた直後に旋回してなおかつ回避行動に回避行動を重ねたその上で、その高速域のまま()()()()()()()()()()()

 都合二度目の奇襲攻撃。こちらの速度は、まだまだこんなものじゃない!

 

『嬉しい裏切りだ』

「そりゃどうもぉぉおおッ!」

 

 先と同様、身体の一部を慣性制御にて軸にする鋭角旋回。回るとはいうが、事実それは鋭角というべき無茶苦茶な切り返し具合。車線を上方に避けていたがゆえ、折り返した俺がむかうは敵の直上急転直下。上段から振り下ろす大威力。

 

 しかしかち合う刀身に、もはや驚嘆なんて一ミリもない。

 

 そんな常人ならば目を向きそうな瞠目の前で、俺に現れた光景は刃を受け止める黒星の姿。

 無人ゆえに感覚が反映されていないのか、しかし微塵の同様さえうかがえない、どころか余裕さえ見てとれる挙動で、バヨネットが《雪片》と火花を散らしている。

 ゴッ。けれどそれは俺達当人の(あいだ)だけか、敵機を支える土台たるグラウンドは、威力に耐えかねて鈍い衝撃を震わせている。少なくともそれだけの質量、それだけの速度。なのに受け止める黒星はなおのこと化物じみて。──そうかなるほど。

 こいつはなんとも、化物みたいな機体だよ。みんなを傷つける化物だ。

 

『軽いぞ一刀、終わりか一夏。おまえの身体は飾り物か?』

「お前を倒せるならそれでもいいさぁッ!」

 

 軽侮する煽り言葉に、両者同時の薙払い。鍔競る刀身をお互いが弾き、反発する勢いで距離をとった。

 今さらながらいう。正直こいつは並外れてずば抜けてる。強い。強敵ってやつ。こんなよくわからん事態を巻き起こした張本人だ、いや案外どこぞの組織なんかの刺客だったりとかチープなドラマの設定がよぎるけど、しかし敵機の技量が本物なのは事実である。とっておきだった二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)もものともしない。数手剣を合わせただけだけど断言できる。

 まさに手練。鍛え上げられた熟練者の機動。

 闘争における駆け引きのなんたるか。それを悉知してると語らんばかりの悠々さ。正味いってはなんだけど、セシリアや鈴なんかとは比べるのもおこがましい。隔絶してる。声色だけなら女の子のそれなのに、出力されるのは老獪にもみえる絶技の花。

 一部の揺れも油断もなく、寸分(たが)わずの『敗北』をこちらに叩きつけてくるイメージ。

 だけど。やっぱりだけど。

 

「俺はお前が許せない」

 

 こいつの目的その言葉。再三繰り返すがまったく微塵の真意は知れない。理解も納得も、そもそもそこに至るために必要な段階が用意されていない。

 けれど、お前が誰かを傷つけるつもりだということは確信できる。

 『それ』に反すると、得心している。

 四の五のこねくるのは愚昧の極み。燃える恒星の一念は片時も消えずに輝いており。俺の心に走り続ける灼熱に、変な裏付けも問答も無用なんだ。

 

「だからお前を、許さない」

 

 だったら──そら。俺とお前が(まみ)えた時点で(しま)いだ。

 

『そうか。相分かった。(おまえ)は私が閉めてやろう』

 

 そうして互いの口上を皮切りに、《白式》のスラスターが嘶いた。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

「…………」

 

 それは今日、ふたりにとって何度目の沈黙だったろうか。

 セシリアと鈴音は、自身らの目前で展開される激突に立ち尽くすばかりだった。いや、ISで空中に静止する現状でいうならその表現はあまり正しくないのかもしれない。ただ彼女らの内核はその表現に矛盾をみせず、確かに陰鬱としていたか。

 織斑一夏と謎の敵機。

 それがひたすら高速で、信じられないほど超速で、互いの技量のかぎりをぶつけていた。

 ほとばしる敵意は健在だ。現に震えるこの心がその証拠。一秒ごとに零下を目指す降下の気炎に、しかして臆しない白い機影。

 壮絶なる光景。敵に果敢に挑むその姿は、今まで見たこともないくらいの最大速度。剣を振り、突進し、躱されても超速で切り返し、あまつさえそこから瞬時加速(イグニッション・ブースト)を重ねがけて刃を届けることに専心する。

 しかしけれど一向に、その戦意はたどり着かない。

 勇猛果敢、縦横無尽と空間を疾駆する彼に対し、敵機黒星はほとんど己の立ち位置を変えてはいない。反転やスウェー、サイドステップにショートブースト。そうした最小限の技術でもって、一夏のすべてに対応していく。

 いいや、単純に一夏のほうが速いのだろう。

 高速に高速を束ねるその姿は、正直『おかしい』と断じてあまりある馬鹿げた機動だ。なにせ駆け巡る《白式》の残像が重なって、相手を取り巻く白い檻のようにさえ見えてしまうのだから。刃の檻、速度の監獄。凶刃降り注ぐその『繭』のなかにおいて、けれどなんてことか、やはり敵はそのことごとくに反応せしめる。──つまりその速度差でこそようやくと、相手の技能に抗することができることにほかならず。

 この無茶な高速起動が維持しきれなかったときこそ、この均衡が崩れるということ。

 

『お──ああああっ!』

『──ハッ』

 

 気合の爆轟。必死の表情に押されて隠れてはいるが、きっとその中身は壮絶なことになっている。いくらISの防御機構が優れて、並外れているとはいっても、果たしてここまで過剰な瞬時加速(イグニッション・ブースト)の負荷を減退させることができるのか。

 薄氷。躱し交差し鍔競って、しかし互いにほぼ無傷。まさしく千日手とも呼ぶべき膠着状態だった。

 

「…………」

 

 セシリア・オルコットは無言であった。

 心が未だ萎えているせいもあるだろうが、その果敢な一夏の勇姿を網膜に写してなお、動くことができなかった。

 『果たして自分はこの戦いについていけるのか』。

 そう疑問に思ってしまったから。

 

「…………」

 

 凰鈴音は無言であった。

 気炎がとうに燃え落ちたせいもあるだろうが、その一気呵成とする一夏を視界に入れてなお、行動することができなかった。

 『果たして自分はこの戦いについていけるのか』。

 そう疑問に思ってしまったから。──なにを馬鹿げたことを言っている!

 

 ゆえに、先に己を奮い立たせたのは鈴音だった。

 

 

 

 ──なにをしている、なにをしているんだあたしは、凰鈴音は。こんな惨めなさまを晒すためにここにいるんじゃないでしょうが!

 ああほんと。本当におかしいわよあんたは、一夏。あんたが『空に行きたい』なんて言ったこと、正直未だにおかしいと思ってる。お前は違う、そうじゃないだろ。お前の渇望(ね が い)はそんなことじゃないでしょう! あたしが知ってるあんたはさ、凰鈴音が憧れたあんたはさ、そんな大層なもんを願っているわけじゃないでしょう?

 だからそうね。ホントはこの対抗戦の優勝でも手土産にして、『アイツ』のことでも訊こうと思ってたのよ。なにがあったのか、あんたはどうして変わったのか。まぁそりゃあんた自身変わったつもりなんてこれっぽっちもないんだろうから、本人に聞いたところで徒労になっちゃんだろうけど。でも前と違っているのは真実。

 ──けれど違う。まったく違う。

 あんたの『それ』は変わっていない。あたしが知ってるあんたは、やっぱり織斑一夏だった。

 そりゃあ『空に行きたい』って言葉は笑っちゃうほどおかしいけれど、そういやそうね、『アイツ』が関わってるんだものね。そうしたらそんな面倒なことになってたってしかたないわよね。

 だからそう、それでも変わったというなにかがあるなら。

 

(それはあたし自身じゃないのよッ!)

 

 思い出せよ。あたしがどうして候補生になったのかを。どうしてそんな血反吐撒き散らさなきゃたどり着けない座を目指していたのかを。在りし日の己のその決意を。

 

 だって。あんた達は早すぎるから。

 あたしを置いて駆け抜けていくから。

 

 あんたも、『アイツ』も、弾も、数馬も、あんたらどうして早すぎるのよ。置いてくんじゃない。居場所を守ってるなんて、そんな高尚極まる名誉なんていらないから。

 並んでやりたい。見返してやりたい。もうあんた達のうしろを見ているだけのあたしじゃあないんだからと、その鬱憤ぶつけにやってきたんだろう。未だ幼いあたしだけど、あんたらだって同い年だ。だったら追いつけない道理はないし。現にこの場に立てている。

 まったく呆れた、馬鹿みたい。まぁあたしよりも度の外れた馬鹿が目の前にいるんだけど、なにを臆しているってのよ。

 高々わずか一年間。たったそれっぽっちここを離れていただけで、どうしてあたしはダレていた。熾烈かきわけ紫電を散らし、そうしてここにいるんだって言うなら、そうよここで披露しなくてなんだってのよ。ここでお見舞いしなくてなんのための一年間よ。

 一夏がどうして怯えないか? 当たり前じゃない。あいつは一夏、織斑一夏。そいつがどういう男かっていうのは、幼馴染のあたしがよく知ってんじゃないのよ。忘れてるんじゃないわよこの()()が! あいつらに置いていかれる以上のことで、恐怖する理由なんてないでしょうに。

 にっこり笑って送り出すなんて、やっぱりあたしのガラじゃないから。

 あいにくそんな大和撫子、ほかのやつにでも頼みなさいって──!

 

 

 

「鈴音、さん?」

 

 彼女の様子に気づいたのか、訥々としながらセシリアが、かたわらの鈴音へと呼びかける。

 そこで見たのは、それこそ己と刃を突き合わせていたあのときと同じ、いいやそれ以上の気炎でもって猛るライバル。

 これが本来のあたしだと、説明するべくもない気合の外装。真実中身も超高温。触れば弾ける衝撃の塊だった。

 不可解。そう断ずるべき異常だった。セシリアにはそう映った。おかしかった。

 だってそれこそさっきまで、己と同じように歯をならし、どうしたものかと手をこまねき、なんてあたかも余裕の態度をとっている暇すらないほど恐慌していたのはどこの誰か。正直それを自分であると認めるのは悔しいが、だけどそんな強がって見栄を張ったところ、とうの自分でさえ報われやしない。なのに。

 

「あたしは行くわ、オルコットさん」

 

 どうして、あなたは動けるのか。

 

「だって織斑一夏(あ い つ)が戦ってる。だったらそこに、()()()が並ばない理由はない」

 

 そうしてにっこりこちらを見たかと思えば、次の瞬間には瞬時加速(イグニッション・ブースト)で飛び出した。血風吹き荒れる、鉄火の(その)へ向かって気合を絞る。

 

 

「ただこれはあたしの意地だから──怖けりゃあんたは観てなさいよ」

 

 

 その去り際に、なかば自重にも聞こえる言葉を残して。

 

 

 

(……怖い、ですか)

 

 ──わたくしが、セシリア・オルコットが恐れている? なにを? 決まっている、敵だ。

 ああ、そうですそうですね。わたくしはこの敵を恐れている。そこには見栄も言いわけもありません。

 だって殺意だ、戦場だ。代表候補生がなんだなどと、いくら言っても拭えぬ害意だ。命の危険がそこにある。恐怖すべきものが暴れている。人間の本能だかは知りませんが、そこにいるのは殺気の塊だ。どんな殊勝な言葉で言い繕うとも、震える体にうそはありません。誇りがなんだなどと普段はばかって立つわたくしですが、『死』というものは怖いのです。

 そんななかに向かっていった凰鈴音。……正直手放しで『すごい』とは、さすがに褒め称えるなんてあり得ない。馬鹿とか阿呆とか、無謀に蛮勇、蔑む言葉のほうが(いとま)ない。それでも彼女は向かって行った。

 織斑一夏が戦っていると。あたしの意地があるのだと。

 客観的に見てしまえば、ええ。自身に酔っていると称されても、まったくぐうの音がでないでしょうね。友達のため、仲間のため。ええそうです、素敵です。賛美礼賛の対象です。

 でもそんな子供地味た気軽なものじゃないと、ほかならぬわたくし達は知っていて。──こうしていま自分がそれをこねまわしているということは、とうの凰さんだって考え至っているはずで。すなわちその果てに飛び出した、と。

 

(まったく、呆れますわ)

 

 どうして本当、わたくしの周りの方々は、こうも『男の子的な展開』が好きなのだろう。

 恐怖はある、恐れがある。畏懼して畏縮して戦慄して、それでも轟きを上げて進んでいる。ああそうだ、なによりもまず、すでにそうしている『男』がいるじゃあありませんか。

 織斑一夏。わたくしと引き分けた男。

 そのひとがいま戦っている。許せないと唸っている。己と引き分けた存在が、確かにそこで燃えているではありませんか。

 だったらなにをしているセシリア・オルコット。おまえが選ぶべきは敗走ではないでしょう。

 

 勝利がほしい。

 誰よりなにより強く在って、最速で輝く流星でありたい。

 

 ならばここで引く道理がない。傍観している暇はない。自分が倒すべきと認めた男が剣を取っているのに、それに指をくわえているだけなら、そんなの敗北となにが違う!

 勝つのだ。勝利するのだ。勝って勝利して証明するのだ。わたくしは強いのだと。オルコットはこんなにも気高いのだと。あの日の心臓その熱は、この身を上げてあまりあるのですから。

 走り続けたこの三年。これからも走り続けるいつまでも。それに背を向け泣いているなど、そんなにも己がかわいいのか!

 暴威が確かにそこにいる。傷つけようと猛ている。銃火に晒されているのは、なにもわたくしだけではない。ここには一般生徒だって多分にいる。各国の視察官だってたくさんいる。それを前に、わたくしはなにもしないというのか。

 戯けたことを。わたくしはセシリア・オルコットだ。

 戦場に勇む淑女なんて、正味野蛮もはなはだしい。しかし()()()()負けたくない。

 第一それに。

 

「戦わないと、敗走すらできませんわね」

 

 ゆえに戦意を、銃をとれ。

 なに、敵はせいぜいこちらよりもとても強いくらいです。

 

 

 

 そうして数回の深呼吸をおいて、戦場に蒼の射手が舞い降りた。




タイトルは佐野洋子作『100万回生きたねこ』より拝命。


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第一六話【100万回生きたねこ(次)】

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「…………」

 

 一周(まわ)ってたどり着いたのは絶句という(てい)で、それはそれだけ彼女の許容値を超えてしまったということの証左だったのだろうか。

 その人、山田真耶。

 千冬に諭されてからも戦場にある少女らへとコールを続け、誇張でなくのどが枯れる思いで呼び続けた彼女が、今や言葉を絶やしていた。もう声量が維持できないほどに声帯を摩耗したのか? 否。残念ながら真耶の現状は、そんな涙ぐましい理由に起因しない。

 単純。繰り広げられる光景に目を疑ったから。

 

「ふうむ。あれは好みではないが、堅い。凰とオルコットには重いだろうな」

 

 疑ったけれど、しかし隣りに佇む千冬が現実だと誤解させてくれなくて。だからもろもろの一切を統括した真耶の脳は、至極当たり前に絶句という状態を肯定していた。

 突如として介入した織斑一夏。いったいどんな手管なのか、颯爽と登場した彼は早々に敵機の腕を迷いなく断ち切り、加え二連続の上段切りという変則技をやってのけた。それだけでも驚嘆に値する光景であるが、問題はそのあと。

 地面に落ちた敵は破損部分を速やかに再展開し再起動。それはよい。まだわかる。

 問題は、起き上がったその機体に、()()される二人の代表候補生。

 

 いったんと話は戻るが、教師陣としてもあの侵入者は無人機であるとの結論を下していた。

 こうした事態を許してしまっているが、それでもIS学園の教師である。ISの技術だって生徒に教導できるほどに習熟しているし、その一環で武道を嗜んでいる者も多い。……ISのために武道が使われる、というその現状が良いか悪いかというのはこの際度外視して、知識においても技能においても高い能力を持っているのは間違いない。

 そんな教員らのすべての心眼をもって告げている。あれは有人ではない、と。

 あれは無人のままに起動していると。

 根拠としては非科学的だろうし、ISに知識面でも優秀な教員らがまさか『無人機(スタンド・アローン)』が未開技術であるのを知らないはずがない。が、逆に言えばそういった己の積み重ねすべてを踏まえた上で無人機であるとの断を下しているわけだ。それこそ信憑性には足るのではないか?

 と、四の五のに六と七を加えた理屈であるが、そんなことよりも決定打となったのが。

 

『ああ、これは無人機だ』

 

 織斑千冬の、そのひとこと。

 よってこれ以上の肉付けは必要ない。議論の余地なんてあり得ない。織斑千冬が言うのであるのだから、間違いない。それは盲目めいた思考放棄にほかならないだろうが、しかし相手が千冬であるならば話は変わる。

 だって彼女は違うから。どうしようもなく桁外れの並外れだから。

 

 さておき、無人機である襲撃者。しかし候補生であるセシリアと鈴音の両名は、どうしたことか、その機械に怯えていた。

 無機質の脅威、というのもあるだろう。物言わぬ能面であるからこそ一層と不気味さが増すのである。言語学でいうところのコミュニケーションの失敗、ようするにこちらに発信の意思があっても正しく受信されない、とういう状態。逆もしかりであるが、だがむこうからなんら返答がない以上それは失敗であり、それは会話がおもなコミュニケーションツールである人間にとって、したたかなるほどにストレスだ。話が通じないのではなくできない、というのはそれほどまでに息苦しい。

 しかし同時に再びとわかってしまうのが、敵の中身が変わったということ。

 遠隔操作(リモート・コントロール)──こちらも先と同じく千冬のひとことのもとの断じられているが、しかしともあれそのさまに候補生が気圧されている。

 

 誰だって経験あることだろうが、面と向かって言われるほど怖いものはない。

 

 簡単にいえばテレビ越しのニュースであったりとかいう、(こん)(にち)情報化社会ならではの恐怖の減耗。間接的がゆえに希釈されてしまった言葉や想いというのは、いくら映像として姿が見えようが、(なま)で対することに幾億倍とも劣っている。

 で、あるのに。そのフィルター越しの敵に圧倒されているという事実──それでも()()()()()()()。無人機で遠隔操作であまつさえ気後れしていようが、そこまではいいのだ。

 どんな倫理的に重ねようともそこはすでに戦場たるありさまで、彼女ら二人にとっては本物の殺意なんて始めてだろう。真耶がそれを知っているのかだとか克服しただとかの話はおいて、なにも彼女らを責めるものではないというのが事実。当たり前、むしろ人としてあるべき姿。

 だから問題はこのあと。

 

 そんな敵に、一切の躊躇なく吶喊した織斑一夏の存在だ。

 

 まるでさっぱりいっこうに、彼は皆目乱れを見せていなかった。ブレていなかった。

 そう、それこそ真耶が目を疑った光景。

 候補生という立場をもってしても怯えたじろぐ脅威なのに、だからどうしたと言わんばかりに挑んでいったのだ。

 許し難くて認められないが、ここはもう戦場だ。最悪命を失いかねない炎の国だ。

 なのに微塵も変わらないあの少年は、いくら愛すべき教え子であろうと『おかしい』のひとことが口をついて止まらない。

 確かに知っている。一夏は優しい少年だ。一ヶ月にも満たない時間でもわかるほど。友達や仲間といったものをなにより大切にするし、誰にも貴賎なく触れ合える男の子だ。少々頑固なところもあったりするが、もちろん悪性のそれじゃなくて、なにが大切なのかを存知している。そんな彼からしたら誰かが傷つくかもしれない今の状況、憤るのはおかしなことじゃない。だけど。

 もはやこの状況は、勇気だなんだのとで振り切れるものじゃないだろう。

 蛮勇の類い。無謀で無茶。立ち上がることに酔っているだけの軽挙妄動。二人の候補生のありさまが語るように、気合いなどという精神論だけでは覆せない。

 

 なのに動いているのだ。

 あまつさえ敵と抗しているのだ。

 

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)の連続使用という生命を削ぎ落とすような機動でこそ保っているが、事実として格上である襲撃者と剣を交わしている。……それをすごいと賞讃できるわけがないのは、ああ語るまでもない。

 どころか、そのさまに後押しされたのか、縮み上がっていたセシリアと鈴音まで戦いに続投する始末。

 本来ならばその情動は素晴らしいもののはず。互いを鼓舞して励まして、奮い立たせながら歯を食いしばる。青臭くても誇らしい、疾走する青春だ。……そのはずなのに空々しいほどに寒々しいのか。

 なにもかもおかしい。どうしようもなくおかしい。馬鹿の一つ覚えよりも単調に、おかしくておかしくてわからない。

 

「まあもとよりこれは一夏こそ至当だろうな」

 

 そして自分の弟が危険に向かっているのに、先ほどから意味のわからない言葉しか口にしない織斑千冬に、否応もなく不安にさせられてしまうのだ。

 侮辱ととられてもかなわない。これは狂人の類いだ。冷静だとか鉄面皮だとか、教師の鏡たる即応力のシロモノじゃない。一夏への不安を隠して毅然としているわけでも、職務のまっとうなどと冗談もはなはだしい。

 だってだってこのひとは、心の底から心配なんてしていない。

 この状況を、実弟が身を削るこの戦いを、胸を躍らせているようにしか見えないのだ。

 

(やっぱりこのひとは、このひとだけは──)

 

 この女は、()()()()()()()()()()()()()と。

 真耶はそれを改めて確信し、『己が取るべき選択』を回想して。

 

「時に山田君。君はこの仕事が好きかい?」

「……急に、なんですか?」

 

 拍子抜けするようなその言葉に、思考が(いっ)(とき)の空白をみせた。

 

「何、君が些か自責し過ぎに見えたものでな。冷静になれ、とは思考を円滑にする為だが、見当違いをシナプスに走らせては本末転倒だ。

 いやさ、教師に対する皮肉のつもりではないよ。こうして生徒を戦わせてしまっている現状は、転嫁とも取れなくないが、誰に責があるわけでもない。開き直れとは言わない、しかし、適度の余裕は必要だろう?」

 

 だから雑談を、と。理に適っているとはお世辞にも賛同できない理屈を回しながら、だが真耶は千冬のこんなのは今に始まったことじゃないと諦める。

 実に唐突な話題の転換。こちらの気なんておかまいなしに、そして悪意も他意もないから(たち)が悪い。意味がわからないと断じればそこまでだが、というか、いかな意義があろうと相手が千冬の時点で無駄である。

 別に真に受けたわけじゃないが、数泊おいて真耶は返答する。

 

「……それは、好きですよ。私の体が動くかぎり、辞めるつもりなんてありません」

「なるほどな。しかしやはり若い時分、選択を自問する事もあるだろう。転職などを考えた事は?」

「そうですね。お嫁さんに永久就職なら考えものですが」

 

 いささか緊張感に欠ける言葉を返しながら、視線はモニターから離さない。

 なんにしたって、今が緊張を欠いていい場面でないのは明白だから、せめて自分は、と。まったく子ども地味た意趣返し。だが、千冬の態度を非難するでなく逆説的に捉えたとした場合、それは現状が()()()()()()()()()()()()ということの表れではないだろうか。……もっともかえって、この女性が慌てるような事態なぞ想像なんてしたくもないが。

 依然としてアリーナに舞う四つの風。白と黒と青と(えん)()。三対一という常道でいえば絶対的とさえいえる数の差だが、その趨勢は語るにおよばず。どころか、後者二人の技量が相対として浮き彫りになっている感さえある。

 候補生二人の技量でも白黒二機に届かないと見えてしまうのだ。──それに『おかしい』と言いそうになった意識を押し留めたのは、なおと言葉遊びを続ける千冬の言葉だったか。

 

「ふふ。何をするにしろ、ならば若い内がいいだろうなあ。そうだな例えば……」

「なにかおもしろいお仕事でもご存知なんですか?」

 

 だから彼女は本当に軽く。なんとでもなく、意識も割かず、鵞毛のように言葉を()がす。

 

 

 

「────例えば、そう。織物会社に転職なんて、君は似合うんじゃないか?」

 

 

 

 その瞬間、山田真耶は心臓を掴まれたような、という表現がどういうものかを体験した。

 

「……編み物はきらいじゃないですよ」

 

 淀みなく言葉を紡げたのは、果たして僥倖といえたのだろうか。

 改めて言おう。織斑千冬にカマ掛けのつもりは一切ない。思わせぶりの策士めいた(はかりごと)も、言論極まる駆け引きも、とんと微塵も意識していない。

 ただ本当にそう思ったからそうしただけで。

 同様に、その程度だから口にしただけ。

 けれどもそれはまさしく山田真耶の『己が取るべき選択』の核心であり。

 

「それは重畳」

 

 ──千冬のその言葉が、かえってそれを確固たるものと結実させた瞬間だった。

 

 

 ◇

 

 

「ザァアアアアイッ!」

 

 体の震えを消し飛ばすがごとく、弾ける咆哮のもとに刃を振る。

 負けられないと声を荒げる凰鈴音。吹けば冷めそうな気炎を無理矢理に興奮させて、殺気の中心点たる黒星に果敢な剣戟を打ち放つ。一息に六連、()()()()()()()()()()()彼我の技量の差を埋めようと奮迅した。

 そう、六振り。それはセシリアとの一戦でも披露していない彼女のとっておきの一つだ。

 

「シッ!」

 

 矢の一息。切り上げる一刀を握る肘の動きに連動し、空中に浮く《双天牙月》の内一つが流れるように追撃をかけた。

 一夏の高速機動によってこそなされた手数を圧倒することによって抗するという戦闘スタイル。そんな両者の間に割って入った鈴音が行ったのは、彼と同じく『自身の手数を増やす』という選択だった。悔しいが、単純な技量では敵には勝てない。オマケに《甲龍》の仕様ではたとえ衝撃加速(インパクト・ブースト)を駆使したとしても彼ほどの高速運用は行えない。そこで鈴音が選んだのがこの六刀展開だった。

 両腕に握る二刀に加え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という方法。

 ──非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)は大抵の場合が推進装置かシールド、あるいは重量級の『砲』であることがほとんどだ、というのはわざわざ解説するまでもないだろう。そういった装備を空間そのものにマウントし、機体と物理的な接触をもたらさないことで機体の可動領域を良好にしているわけだ。PICならではの方法。

 ではそれを、近接武装に応用したらどうなるか?

 無論、それはバリエーションの多様に直結する。

 鈴音は非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)にした四刀の『支点』を自身の両肘・両膝にすることで、『体を動かすだけで武器が振れる』という手段を講じていたのだ。

 よって彼女の今のさまをたとえるなら六刀流。ハリネズミならぬヤイバネズミの外装をもって、脅威たる黒星へと肉迫する。

 が、それでも。

 

『…………』

 

 それでも、敵機はいかな同様さえ体現しなかった。

 常道を逸脱する体の動きから繰り出される六枚刃。六連撃どころか一二も二四にも連なるかという刃の旋風を前に、敵の二剣はそのことごとくを苦もなく捌く。捌いた挙句、こちらに追撃さえかけてくる。

 気圧される。自身がいかにおよばないかを無言のままに叩き返される。こんなものは児戯だとでもこけ下ろしてくれればいくぶん心も休まるだろうが、徹頭徹尾無言を貫く。それが輪をかけて気色悪い──?

 

(って、無言?)

 

 そしてはたと、ようやく気づく。

 そういえば待てよ、なんで敵は無言なのだ? さっきまで、それこそ一夏を相手取っていたときは饒舌なほどに言葉を交わしていなかったか? いいや確かに、戦いの最中にべらべらと狂言回すのは愚かに分類されてしかたなしだが、だとしたら先の様子に説明がつかない。そもそもそんな意図なんて相手にないと言ってしまえば完結だが、こうも不明な敵であれば些細なことでも気が向いてしまう。

 なぜだ、と。しかしそれはただでさえ敵機に劣る鈴音にとっては呆れ果てるほどの愚蒙の思慮だ。

 こんな紫電颶風のさなかにそうした思考に興じるなど、再三繰り返すが愚かしい。

 気づいたときには遅い。

 その思考の乱れは、敵に容易く察知される。

 

(しまっ──)

 

 迫る黒刃光刃の二連刀、六枚刃の外装を縫い裂いて、己の浅はかさを叩きつけられた。

 とは、さにもあらず。

 

「──ぉ」

 

 白銀の一迅。鈴音へ向かう凶刃を高速の一撃が弾き返し、それに黒星が()()()()()とばかりに追撃する。

 そうだここは戦場。仲間のいる戦場。ならば友人の窮地を仲間が救うなど、奇跡なんて仰々しく彩らなくとも容易に起こる。

 敵の攻撃を弾いたのは一夏の一刀だった。鈴音が介入したためか先ほどよりは一段ほど速度が下がっているものの、それでも候補生の彼女からしたって驚嘆に値する速度で機動を続け、『それが俺の本懐だ』とでも言わんばかりに鈴音を助けた。──などとの思惟は直ちにしまい、一夏へと意識が向かっている(あいだ)に間合いを離す。

 そうして敵の周囲から二人が距離を空けたとなれば。

 

照射(シュート)

 

 後方支援に徹するセシリアのレーザーが降り注ぐのは返ってわかりやすいほどに常道だ。

 そうして降り注ぐは三条の光線。だがさすがに読まれるのは当然だ。黒星は即座にショートブーストでもって真横へと高速回避、痛痒にすらならず躱してしまう。

 だが、だがしかし、それこそセシリアだって容易に想像つくのはそれこそ当たり前でしかるべき。

 よって、敵が回避し着地した瞬間、()()()()()青の二線が後頭部に迫った。そう、別の角度。

 鈴音が六刀流という技能を見せたように、セシリアも未公開の技を見せていた。

 現在一夏と鈴音の二人が前衛を担当している。となればそれだけ僚機が敵に接近している機会は増え、射撃をおもな攻撃手段とするセシリアはその合間を縫っていかねばならない。だが敵の動きに対抗するために二人はできるかぎり速度を上げて動いている、つまり立ち位置が秒単位で入れ替わってしまう。

 そうなると射手であるセシリアも仲間を射線に入れないように立ち回るしかなく、そうやって射撃ポイントを変えれば照準もタイミングもなおのこと遅れてしまう。加え穴に糸を通すようなシビアさが求められる現状では、若干精度に欠けるビットを操作しての射撃など自爆を呼び寄せかねない。

 ゆえに、セシリアの選択は『動かない』ということ。

 入り乱れる白黒臙脂の三機を囲むように、()()()()()()()()()()()()ということ。

 

照射(シュート)

 

 敵が避ける、その着地点に『あらかじめ方向が固定されていたビット』が射撃を行い、それを躱せばさらにその先で別のビットがレーザーを見舞う。行く先々で、待ち伏せしていたように次々とビット達の方向が瞬いていく。

 セシリアは現在、その《ブルー・ティアーズ》に格納されたビットすべてを展開し、それをそれぞれ様々な砲角で空間に配備していた。その数実に三二──鈴音との対戦に見せた二四枚に加え、常時使用の四枚と予備の四枚を合わせた大量だ。それらのビットを移動させず、ただ方向だけを定めた状態で展開していた。

 業腹だが、今のセシリアにはすべてのビットを運用する技量はない。正確に独立機動させて運用できるのは四枚まで、八枚動かせなくもないが、それは所詮動かせるだけだ。お世辞にも戦力としては虚を突くほどの効果しか期待できない。

 ではただでさえ困難なビット使用をましてや三二基など、無謀にもすぎるのではないか? ──よってこその逆転の発想。

 ()()()から動けないのであれば、むこうを誘い出せばいい。

 そう、セシリアは敵が通過するだろうポイントを定めあらかじめビットを固定、そこに敵が到達した瞬間に砲火するという多角的な待ち伏せの方法をとっていたのだ。

 

「ッ……照射(シュート)

 

 しかしそれだけ多角的な砲撃だ。セシリアが動かないことによってようやく運用できるのだが、欠点としては一方向からしか戦況が把握できないということが浮き彫りになる。いくらハイパーセンサーで全方位視野ができようがそれは結局自身の周囲だけ。動かない以上は一方向となんら変わらない。

 よってこの戦法をより確実にするため、さらに二つの用法を取り入れていた。

 一つはトリガーの連動。ビット達は遠隔操作のため、念じるだけで発射することができる。実に便利なビットの利点だが、それは現状に至ってはマイナスに作用する。単純に、精神的な負担になるのだ。これはISの飛行に関わる話に近しく、言ってしまえば『本来あり得ない感覚を使っている』ということ。それは負担にならないはずがない。

 そのため負担軽減措置として編み出した思考操作、『ライフルの引き金とビットの射撃を連動させる』。セシリアが常時持っているレーザーライフル、それの『引き金を引く』という動作と『ビットで射つ』という動作を連結させているのだ。そのためライフルは射撃をオフにせねばいけないが、負担の軽減は著しい。なにせ『トリガーを引くからビットが打てる』という既存の感覚に押し嵌めているのだから。

 そして二つ目。

 

「凰さんは右方より追撃、一夏さんは陽動を」

「「了解」」

照射(シュート)

 

 それは()()()()()()()()()()ということ。

 ハイパーセンサーの機能の一つに直視映像(ダイレクト・ビュー)という機能がある。

 それは許可した相手と視覚情報をシェアリングするというもの──簡単に言えば相手と同じ視点で見えるというわけだ。通常それは下位の操縦者が上位の操縦者から技術を学びとるために使われることが多いが、それが多角的なビットにどのような恩恵をもたらすかなど言うにはおよばない。今回は役割分担上、セシリアが二人の視界を見ているが、逆に二人は彼女の視界を見てはいない。近接戦闘に専念するため一方通行の状態。

 ともあれ二人の分の視界に自身の視野を合わせた、およそ三倍にもおよぶ広範囲の『目』で彼女は戦況を把握し、適切なタイミングで射撃を行えていた。これもビットという、並列動作が重要になる装備を操るセシリアならでは……これが一夏や鈴音であれば、残念ながらここまで有用には使えまい。

 言わば俯瞰視、指揮官の視点。この戦場を支配しているのは間違いなく彼女で、

 

『…………』

 

 とはお世辞にもはばかれないこの現状に、気を抜けばいとも呆気なく飲み込まれるだろう。

 敵に飲まれる。殺意に溺れる。

 二人は確かに立ち上がった。一夏の奮闘に後押され、己がどうするべきかを認識して駆動した。恐怖は健在、恐れも多分。だけれど上昇する熱意で体を鼓舞して戦っている。輝かしき変調、そうとも負けるわけにはいかなくて。

 

 弁えてなお、手札を晒してなお、黒星の脅威たるやすさまじい。

 

 いくら鈴音が手数を増やそうが、いくらセシリアがスナイプを行おうが、そのことごとくが躱しいなされ弾かれる。これだけの妙手上策を晒そうが、一顧だに戦況はこちらへと好転せず、ひたすら綱を渡る膠着を引き伸ばす。黒星にダメージが通らない……!

 そうだ、通らないのだ。一夏が一人で戦っていたときと同様に、三人になった今でさえ変わらず、ろくな損害を与えられないのだ。単純に、そうとも単純に考えれば、彼ひとりで拮抗できていたのであるのなら、戦力が増えた分こちらが有利になるのは明白だ。一人で手一杯だったのが簡潔に三倍になる。別段新たな手管を凝らさない以上、どうしたって来襲者側が不利になるのは目に見えている。なのに。

 なのに、いっこうに均衡が崩れていない。

 それがどういうことなのか……言い得て非常に簡単で、だからこそ信じられない異常事態。

 一対一では拮抗していた。しかし三対一でも変わらない。敵は別段なにかしたわけでもなく、こちらはせいぜい一夏が速度を落として候補生二人が加わったくらい。

 と、すれば。

 

(あたしが……)

(わたくし達が……)

 

 ()()()()()()()()()()()()、と。

 明瞭な帰結。馬鹿でもわかる。戦力が増えたにもかかわらずなにも好転しないということは、つまりなんの足しにも働いていないということ。隠し玉を披露した候補生が二人プラスされたというのになんのメリットにもなっていないということ。

 いいやむしろ、一夏が一人で奮闘していた状況のほうが優勢だったのではないかというほどだ。

 いよいよもって、セシリアには信じられなかった。織斑一夏とセシリア・オルコットとの間にこうもの実力差があるなどと、にわかにどころか認められない。己が恐怖し畏懼しているから、普段よりも力を発揮できていない。そうかもしれない、虚飾はない。それを素直に踏まえたうえで、しかし今は候補生としてその十全を賭けていると断言できる。なのに、一夏一人のほうが良いのではないかと思わされてしまう事実……。

 だからこんなにも老獪めいた来襲者よりも、ともに立つ織斑一夏にこそ、疑問が止まらない。

 まさか初めて戦ったあのとき、貴様は手を抜いていたのか? いいやそれこそナンセンス。互いに意志のかぎりを尽くしたのだと、誰より自分が知っている。あなたが月が綺麗だとこぼしたあの日の夜が、なににも劣らず語っている。ならば。

 

(一夏さん、あなたは……?)

 

 ぞくりと。

 英国淑女は、なにかどうしようもないことの前触れであるかのように、走る悪寒を受け入れた。

 

 そうして一方の鈴音は、驚愕よりも悔しさを噛み締めていた。

 ああそうよ、そうだとも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからそんな当然よりも、そこに未だたどり着けない己がただただ悔しい。

 知ってたとも、理解していたとも。敵がいて仲間がいるこの状況で、あんたが『どう』するのかなんてこの場の誰よりも知っているから。──ゆえに弁え、歯を噛み締めろ。震え萎縮し熱が冷めようとも、決して体の駆動を途絶えさせるな。必ず追いつくのだと、そうとも無理矢理にでも奮い立て!

 

 両者(たが)う認識の齟齬。しかし共通の一貫して、自身らが足を引っ張っていると理解した。

 理解した上でセシリアは直感し、鈴音は爆轟する。

 足りてなくておよばなくて、怖くてそれでも立ち上がって、まだだまだだと吼え猛っているのだから──だからそうだぞ、戦おう。依存するから追いかけるんじゃない。負け戦だから滾るのではない。

 織斑一夏が戦っている。己は遠くおよばないかもしれないが、確かに心が燃えている。

 彼に意地があるのなら、こちらにだって当然に。

 

「まだァ──!」

「それでも──!」

 

 剣閃が瞬く、蒼閃が踊る。内燃する気概以外を今ばかりは一切に忘却して、全霊の戦技を叩き込む。

 熾烈であり可憐。超速で空間を裂く一夏に劣ってなるものかと、そして負けてなるものかと、冴える技の数々が驚異的な速度で回転率を上げていく。灼熱の火の国、しかして吹き抜けるは乙女の清爽か。

 それでもと言ったぞ。まだだと吼えたぞ。そちらの戦力は圧倒的だが、こちらは依然折れていないぞ。

 ならば負ける道理がない。

 恐怖したって、立ち止まる理由がない。

 それでも、それでも、まだ、まだ、まだ────!

 

 

 

『……なあおい、そこの()()(あたま)(へび)(がみ)(おんな)

 

 

 

 ──だからそんな、ともすれば気が抜けているような声色には覚えがなく、その発信源が襲撃者からだと理解するに少しばかし時間が必要で。密やかに立ち上がる心情の前に、なんだか似合わない声色だったから。

 二尾頭(ツインテール)? 蛇髪女(ナチュラルカール)? それはもしや私達のことか? なんとも面妖、これまたけったいな言いようであるが、この緊急にそれをかく言う余裕があるはずもなく。

 

『足りんぞつまらん。おまえら、そんな(ざま)で生きているつもりか?』

 

 背が震えた。芯が凍った。自らを震え立たせてまで興じた紫電颶風がかき消える錯覚がした。

 直前の思考プロセスなんて始めからこうして崩されるのが前提だったかのように、いっそ爽やかなまでに思惟を空白で押し潰す、一方的に熱を奪う。まるで立ち上がる誇りを小馬鹿にするように、まるで確信する意地を一笑するように。

 負けられないと踏ん張ったはずの胆力が零下に反転していくのを感じて。

 

 

 

『──違うだろう。もっと熱烈に生き狂えよ』

 

 

 

 瞬間、とてつもない底冷えの殺意を感じてしまい。

 直後、相手の機体が変形を始めた。

 

 言葉が同時、彼女──と称するのはあくまで声色による主観であるが──がまとうその装甲、その表面に無数のラインがひかって走り、そこをなぞり開くように外殻が()()()()()()。伸縮のようでいて膨張。鎧が割れ、装甲が開き、内核を晒すように伸びて膨れる。両腕・両脚はさらなる長さに加えて厚みを増し、両手にしていた長銃剣すらも同じように姿を変える。

 しかしなにより著しいのは黒星の背中に背負っていた長大極厚の装甲板。それが大胆にもX字のように割れ、歪な翼のようにわらわらと骨を広げる──そして。

 

 そうして、その開いた隙間から()()()()()()()()()

 

 全身、装甲が開いた箇所よりエネルギーウィングが現出していた。

 異様な光景。それこそ二足歩行が四足に変わるような劇的なものではないかもしれないが、しかし武装の展開・格納の一切もなくこうして明らかに仕様が変わっていくさまは、パワードスーツという構造のISにとって、間違いなく異常なるありさまだった。

 暗黒色の機体に、そこから突き出る白い光の刃達。大胆奇怪に開いた背部装甲は背中から本体を掴まんばかりに広がり、そこから尖るエネルギーエッヂはまるで花のように咲いていた。その数六枚、まるで彼岸花科のタマスダレ。その花弁の色は、なるほど『純白(カンジダ)』と銘打たれるに似つかわしい。

 今ようやくと理解する。敵が背にしていた謎の装甲塊、用途がまったく不明のそれは、この形態でこそ真価を発揮するものだということを。

 だからもっと生き狂え──彼女が轟かせるその凶念が、形となって鎌首をもたげた姿だった。

 

「「────、」」

 

 冷めた敵の言葉に反して機体の熱量たるやすさまじく、みなぎる殺意を代弁して禍々しいまでに花を開く。

 茫然自失、しかして確然。あふれ出る殺意は未だに万遍。

 理解できないことの連続で、それでも熱意を振り上げて、己の至らなさを踏まえてなおと奮迅し──そして目前に口を開くこの光景は、いったいなんの冗談だ?

 

 ──だからこそ何度目かの繰り返し。阿呆に劣る焼き直し。

 

 依然緊張の真っただなかで、敵のなにがしかに思考の空白を明け渡してしまうなど、無防備に命をさらけ出すのとなにが違うのか。

 いいやそれこそ生命のあるべき姿、人間としては実に正しい在りようなのだろうが……その是非が、これから繰り出される末路になんら作用しないのは当然だ。

 つまり。

 

 

 

『燃えてみせろよ、生者ども』

 

 

 

 つまり、依然として暴威のただなかであるということで。

 純白の暴力が、少女らの空白で咆哮した。

 銃口が、瞬く。



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第一七話【100万回生きたねこ(散)】

 ES_018_100万回生きたねこ(散)

 

 

 

『燃えてみせろよ、生者ども』

 

 

 瞬く間と姿を変えた敵機の前に、二人の候補生は絶句しかできなかった。いや、させられた。

 理解が追いつかない。およばない。知らないなにかが知らないことを知らない内に完了させている。不気味とも禍々しいとも、いいやある意味での花の美しさとさえつかない変容に……言葉を失う以外の、いったいどんな反応ができたという。

 しかしだが、それでも未だ確然なのだ。確固としてわかるのだ。

 

 殺意。

 

 その妄念だけは、決して微塵も揺らいでなかったから──そうとも、狂する敵を前にして、この()におよんで呆けているしかできないなど、どのような結末に直結するか子供の算数じみて簡単だ。

 

 ズオッ! 言葉とともに放たれるのはビーム一閃。

 

 単純、己の窮地にほかならない。

 『打ち放つ』というよりも『吐き出す』といった一撃、轟音。

 夥しく溢れさせる殺意を擦りつけるような、暴虐。

 『装甲の展開』という変調による影響か、その一撃たるや、先までと比べるまでもない。弾速・密度・射程、つまりは火力に関する全要素。出現したエネルギーエッジがそれらを幾段にも増強させているかのごとく、暴威の光が空白の主人へと走っていく。

 思考の空白、その終点。凰鈴音へと。

 

「────ッ!」

 

 意識が追いついたときにはもう遅い。

 もはや射撃ではなく砲撃。空気を焼き切って進む閃光は、おそらく襲来時にアリーナを壊した一撃をはるかに凌駕している出力。

 たとえばの話。これがセシリア程度に距離を空けていたのならば対応できたのかもしれないが、前衛を担当していた鈴音ゆえ、現在彼我の(あいだ)はミドルレンジにおよばない。そのなかであろうことか意識の合間を横殴りされているとなれば……そうとも、必死以外のなにものでもない!

 短距離を高速で走る光弾に、講じれた手段は機体を横転(ロール)させるというワン・アクションのみ──!

 

 

 

「────ぉ」

 

 

 

 だからこそ、そんな刹那の間隙に躍り出る白い機影は、どうしようもなく完結していた。

 実に簡単に馬鹿らしく、ビームの斜線上に一夏が割り込んでいた。二人が驚愕を晒していたその(かん)も、彼はどこまでも織斑一夏だったから。

 だからこうした超速の反応は当たり前で、《雪片弐型》では到底受け止め切れない熱量に焦がされながらも、皆目微塵も動じない。

 

「一夏ッ!?」

 

 そんな彼の挙動を知っているがゆえ、心情をわかっているがゆえ、鈴音の口を突くのは感謝でなく悲鳴。こうなるだろう予測ができてようが、こうして実際一夏が脅威に晒されるのになにも感じないわけがない。

 削られるシールド、飛散するビーム。それらすべてを彼が肩代わりしてくれるから、鈴音に一切ダメージはない。しかし代わりにその彼の、《白式》を示すシールドエネルギーが湯水のように消えている。現状において『安全』という項目を数値化したそれが、レッドゾーンに反転する。危険、危険。

 だけれどそんなただなかなのに、

 

「大丈夫か、鈴」

 

 『我が身を焼き切られる程度厭わない』といった面持ちで微笑んでいる一夏の顔が、どうしようもなく悲しいのだ。

 力およばずの己が憎たらしい。未だ追いつけてないと宣言されているようで呪わしい。今すぐ泣き喚いて癇癪したい衝動に、けれどもそうならに程度に心は落ち着いてしまっているから。

 

『ああ、()いな』

 

 だからにたりと声だけで笑うフィルター越しの(きん)(ちょう)(じょう)が、憎たらしいほど予想できた。

 直後、ゴッ。と大気を打ち破る轟音を巻き起こして、敵機第二射が放たれる。同じく極大の熱量。照準に迷いなんてあろうわけもなく、(あやま)たず射るその先はセシリア。一夏が一弾目を受けきった直後の妙なるトリガー。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あたかも『間に合ってみせろ』との意地汚さを確信させるタイミングで、その凶弾が淑女を狙う──そう、間に合えと。間に合ってみせろと言っているのだ。

 

『織斑一夏は絶対に仲間のもとへたどり着く』と。

 

 この敵は、あろうことか一夏を信頼しているのだ──!

 

 

 

 

 

「…………三重(トリプル)瞬時加速(イグニッション)

 

 

 

 

 

 音が、消えた。

 ──その言葉の意味、候補生である鈴音がわからぬはずはない。

 三重(トリプル)。すなわち、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の三連続使用。……驚愕なんて、最早ない。あるのはただただ、痛みに泣いてるちっぽけな心臓。

 機械的にさえ聞こえる言葉が速く、鈴音の視界を一筋の雷光が分断する。音が消える錯覚。刹那が延長する誤認識。ハイパーセンサーのなかにおいて、すべての感覚が遅れているような瞬間を突き抜ける白の翼が──音速を置き去りにしたその先で、白の機体が熱線と邂逅した。

 間に、合った。

 

「遅いぞ顔無」

 

 瞬間、すべての時間が現実に追いつく。

 まるで先の焼き直しであるかのごとく熱波を撒き散らすビーム一閃。重量砲に違わない射撃を、しかして目標へと到達させないは割り込んだ一夏にほかならず、ただでさえ枯渇に向かうシールドエネルギーが、熱湯にあぶられる淡雪を手本に消えてゆく。

 

「一夏さんッ!」

 

 放射を肩代わりする一夏に、たまらずとセシリアの悲鳴が上がった。当然だ。ISの防御機構の源たるシールドバリアーをかぎりなくゼロへとすり減らしながら、しかして彼はなんら痛痒にすら感じていないのだから。試合でないこの現状で、それがどれだけイカレていることか。

 彼の肉の中身、言葉もはばかられるほどにぐちゃぐちゃだろう。度重なる瞬時加速(イグニッション・ブースト)の連続使用と、二重三重の蛮勇行使。さらに増強されたビーム射撃を盾すらもたずに受け止めているのだ。そんな無茶を晒しておいて、強健だなどとは力説されても信じられない。

 なのに。

 

「平気かセシリア」

「え、ああ、そのっ……はい」

「じゃあよかった」

 

 なのに、彼は心底安心したように笑うから──!

 

『羨ましいな、一夏』

 

 そんな、なかで。

 そんな予定調和のギリギリを演出しておきながら、敵機黒星は無機質な能面から羨望の言葉を漏らす。そうでなくては困るのだと、そうあるのがお前なのだと。性能等級を確認する検品めいて。

 いや、言葉こそ羨望であるが、声色はむしろ自虐や嘲笑めいているような……。

 

「もう終わりかよ」

『無論、否だ。(いくさ)の鉄火はここからさ』

「そぉかいッ!」

 

 そして再度雷光が閃く。

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)の迅雷。持てる生命を削ぎ落としながら、それでも一夏は加速する。機体も体もボロボロで、なのに心は灼々だからと、体温を流失させながら火の国へと行軍する。……正直、見るに耐えない。痛々しくて、苦しくて、どうしようもなくド阿呆でしかたない。

 ズタボロの傷だらけ。断崖へ狂喜しながら疾走する諸刃の剣。回転率の限界を嬉々として踏み越えながら崩れていく、善性の内燃機関。それはさながら蝋の翼であり……。

 それが凰鈴音には悲しくて、セシリア・オルコットには悔しくて、張り裂ける心臓に嘘をつくなんてどうしてもできなかったから──。

 

 

 

「────シェン・ロォォンッッ!!」

 

「────ブルー・ティアァァズッッ!!」

 

 

 

 思考が確然とめぐるよりも早く、二人の機体が瞬時加速(イグニッション・ブースト)を決行する!

 それは反射力を凌駕する感情の暴発。噴門から湧き上がる塩酸よりも(から)い赤熱が、二人の感情を駆動させた。

 だって見ていられなかったのだ。悔しかったのだ。悲しくて辛くて──負けられないと確信したのだ。織斑一夏のそのさまに、たまらなく胸の内をかきむしられるのだ。だから。

 ゆえにここにすべてのセオリーは無視される。

 内に起因する感情だけが、すべてに解答をくだしている。

 清涼の理性は淘汰された。理路整然なんて朽ち果てろ。

 わけもわからぬ熱に唆されているのだろうと、この爆轟が嘘であるなどあり得ない!

 一夏に遅れること一秒以下、小数点のゼロ隣り。赤い視界を白く割り裂き、二人が剣を抜刀する。白の雷光に追いすがらんと、発破の思いで嘶き踊る!

 

『そうだよ。それでいいんだ、生者ども──終わってしまえ』

 

 走るは三つの剣流星。白と青とそれから臙脂。心をすり減らすその前で、顔無し少女は確かに笑った。嘲笑の類か苦笑なのか、はたまた思いがけずの失笑の類いか。

 いいぞ吼えてろ、羨ましがれ。馬鹿にしなさい、ああそうさ。お前が怖いだなどとどうでもいいから、今はひたすら織斑一夏に追いすがれ。

 穿つ三連、全弾鋭利。《ストレイト・ブルー》の一閃が、《双天牙月》の一刀が、《雪片弐型》の一点が、焦点目がけて収束した。

 

「はぁああああああああ!」

「ザァアアアアアアアア!」

「────ぉ」

『それでもまだまだ、届かんよ』

 

 その三連を前にして、なお立ちはだかるや黒の星。

 《雪片弐型》を二剣で受け止め、遅れて連なる《ストレイト・ブルー》と《双天牙月》を現出したエネルギーエッヂで片手間程度にいなして払った。しかし軽く弾いた程度の一動作だろうと、この速度帯では指先一つすら絶大の威力に相当する。だから背部に広がる六枚の凶刃に触れた二人は、まさしく大剣に削ぎ落とされるがごとく弾かれた。強打!

 貴様らに用はないと。一夏だけが望みだと。

 届かな、

 

「いわけなんでしょうがぁああああ!」

 

 敵の光刃にいなされるその転瞬、しかし轟く快活は栗毛のツインテール。

 端から『弾かれることはわかっていた』と言わんばかりに、その瞬間に噴射横転(スラスト・ロール)。顔無に弾かれ機動が逸れるタイミングで、鈴音の射程距離に敵を収めた状態で、横転(ロール)する。と、なれば。

 機体周囲に展開した《双天牙月》が回る機体に連動して、顔無の側面から襲いかかって当然!

 その瞬間、鈴音が一迅の颶風となる。

 そして。

 

「それでもォオオオオ!」

 

 同時同刻、再展開した《ストレイト・ブルー》が、敵機の背後に向かって投擲される。

 セシリアが放った瞬時加速(イグニッション・ブースト)によって加速した打突。ゆえにPICの恩恵を最大まで受けた直線突きは絶大の威力だが、それは咄嗟に『受け』や『払い』の行動に移行できないことを浮き彫りにする。

 だが、それを一度格納してしまえばどうだろうか。PICに干渉されない格納領域に戻してしまったあとに、再度展開すればどうだろうか。

 簡潔、現れたるは瞬時加速(イグニッション・ブースト)のなかにおいてPICの影響を受けていない近接武装。

 一時的に慣性制御の呪縛から解き放たれたその刃を、ならばいなされ過ぎるその瞬間に、敵の後方に向かって射出できない道理はない!

 その瞬間、セシリアが一閃の紫電を撃つ。

 鈴音、セシリア。ともにタイムロスなしのカウンター。一夏に専心してばかりの妄念を縫うように、旋風と必穿が筋繊維を引きちぎりながら放たれた。

 

『やるな』

 

 決死の前に短く、しかしわずかの賞賛を透けさせて。

 ジィ──。と、しかし返礼の剣は、エネルギーエッヂに再度阻まれていた。焦げる音は光刃が高出力ゆえか、武器の鋼鉄を焼いていた。颶風も紫電も、それでも届かない……!

 簡単な理屈なのだろう。『おまえら二人に出来るなら、私が対応出来ないはずがない』。展開した装甲がなせた技か、はたまた単純な技量か、こちらの決死を阻むタマスダレ。しかしいずれに結果は同じ、こちらがおよばなかったという明瞭解。届かぬ思いが空回り、

 

『剥がれろ』

 

 静謐の台詞が早く、全身から現出するその光刃。その表面からエネルギーの破片が剥離する。それも無数。幾十幾百の小型片が、飛び散るようにささくれ立ち──射出。

 エネルギーエッヂの鱗粉が、光弾となって弾け飛ぶ。

 

「がッ!?」

「チィ──!」

 

 指向性のない全方位、ゆえに薄く広がる弾幕、なんてわけもなく。それを補ってあまりある大量の光片が、瀑布のように空間に刺さる。オマケに一つひとつが見た目より重い。どういった構造か、物体に接触した瞬間、光の破片が炸裂している……!。

 それを、一夏と鈴音は極近距離で浴びせられた。

 破裂、炸裂。全身に満遍なく刺さって弾ける。慣性のままに過ぎていったセシリアと違い、鈴音は体勢を変えて、一夏は剣を受け止められた状態であるため、咄嗟の回避が無論きかない。セシリアとて投擲のために体勢を崩してこそいるが、それでも距離が離れている分、二人に比べればまだマシだ。

 が、とはいえ鈴音にも怪我の功名か。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の恩恵、展開した六枚の刃がはからずしも光弾を阻む即席の盾となって、彼女への五月雨を和らげる。

 ゆえに被害が甚大なのは……。

 

「一夏!」

「一夏さん!」

「────《零落白夜》、超動」

 

 織斑一夏の、はずなのに。

 彼はその体勢のまま、己の必殺を抜刀した──!?

 その瞬間をこそ必殺と確信したのか。今で頑なに使用しなかったアビリティー、それをあろうことかこのタイミングで、この状態で、ためらいもなく行使する。なるほど、敵に『受け止められた』ということは相手は『受け止めた姿勢』で固定されるにほかならず、つまりこの機会ならば、外さない。

 考えればわかる話。あの至近距離、確かに光の弾幕を回避なんて、それこそ奇跡でも起きなければ無理かも知れない。が、はたして『あの』織斑一夏が本当に躱すことができなかったのか? いいや違う、躱せないのでなく避けなかっただけ。絶対に外さない一瞬のために、自分の生命を囮に使っただけ。ゆえ外さない。

 血液を失おうが、肉を削ぎ落とそうが、感情をすり減らそうが、外さない。

 そのさま、まさしく諸刃。

 

『──くはっ』

 

 それは今日初めての目に見える笑いだった。

 そう来るか。そう来るのか。来たな来たなそうだな来ォい! ──待ちわびたとばかりの凶念、狂わしいばかりの歓喜。互いに視線は目前の一人。焦がれるゆえの熱視線。周りはすべてただの環境で、煩わしいと眼中外。……セシリア・オルコットと凰鈴音とのすべては茶番だったと語らんばかりの牢乎さで、白黒二人は完結していた。

 部外者だった。

 友達なのに、仲間なのに、ともに戦っていたのに。

 部外者、だった。

 

 

 

 

「────部外者なのは貴様の方だろう、顔無風情が」

 

 

 

 

 

 だから、その瞬間に響いた(すず)なる声は、その場の誰もが予想だにしていなかったこと。

 

「え?」

「はい?」

「お前ら三人いいから退()けい!」

 

 その声色は間違えるはずもなく、だからこそ錯覚しようもなく、いいやにわかに信じられなくて。その(りん)の声は、凛の声は。刀の閃きで明瞭たる響きは。

 

 ────《打鉄》をまとった、篠ノ之箒その人だった。

 

 認識するが早く、呆ける暇など一切ない。その言葉の真意を知らぬまま、いや知る知らない以前に『あの状態』の織斑一夏がなんの異論もなく()()()退()()()()()のだ。ならば疑念など切り捨て走れ。

 回避だとかそんなものを微塵も考慮せず、満遍なく光の破片を受けながら、ちぎるように顔無との距離を空け。

 

「────ナマクラ俗刀流」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「なぁ?!」」

 

 まずなにから驚けばいいのかわからない、という認識の前に箒は敵機へと到達し、上段に握る近接ブレード、それを加速のままに振り下ろす。確かによく見れば、そのまとう《打鉄》が高速機動用パッケージに換装してあることや、多重瞬時加速(デュアル・イグニッション)に加えて個別瞬時加速(リボルバー・イグニッション)を行おうとしていることが察知できていたかもしれないが、結局たられば、驚愕がすべてを抜き去っていた。

 その彼女の機動は正面、真っ向。なのに上段というあわや隙だらけとも思える技であるが、そも正面はもともと一夏が陣取っていた位置。つまり、一夏が被弾して受けた分、弾幕が薄い。全方位の死角なし攻撃であったがゆえに生まれた、一瞬の死角──!

 振り下ろされるは流麗。なぞるは半円、いいや半月。その一刹那、すべてから隔離されたように洗練された絶技が時間を割いて。

 

 

『────なんだよソレは。「篠ノ之」で来いよ、妹(ぎみ)

 

 

 酷く萎えた冷徹の前に、間断なく受け止められていた。

 それは息を呑む攻防だった。セシリアや鈴音の自らを惹起させる熱意じゃない。織斑一夏の完結した決意じゃない。

 しゃらんと砥がれて澄まされた、(わざ)の交差。

 そう見るものに抱かせた泡沫は、けれども憤慨すら滲ませる金打声に切り落とされた。

 

「……『篠ノ之』なんてないよ、ここには。私はこれがいいんだ」

『はっ。笑止だよ、千万だ。殺意と害意は満腔のくせに、床に(しり)を着けているのが好きなのか』

()()しいか?」

『愚かしいとも』

「嬉しいな」

『生憎マゾヒストの友人は()らんでな。教えてくれよ。楽しいか?』

「私は()()にいたいんだよ。そう教えてくれたんだよ。──タナトフィリアにはわからんだろうさ」

『流石だなコミュ障。言葉の重みが違う』

「吼えたな害悪が」

 

 ヤケに饒舌であった。それこそ、ご執心だった一夏もかくやとの言葉回しで、二人の会話は積み上がっていた。吐き出されるのは意味不明の羅列、それでもセシリアと鈴音に加勢できる雰囲気でなんてとんでもなく。

 ただ、納得に完結した箒と、笑止と萎える顔無がどうしようもなく自分達からズレているのだと知らされているようで……。

 

「排斥してやる」

『その死に方じゃあ、終点(わたし)には届かんよ』

「だろうさ」

 

 そして再び動き出す。

 みなぎる戦意は驚くことに敵機から。一夏にこそ殺意を振りまいていた専用装置だったはずの顔無が、初めて、彼以外に殺気を迸らせていた。

 対する箒も無論のこと燃え盛り、とはしかしてはからず。

 

 

 

 

 

「届かんよ、私じゃあな────()()()()ッ!」

 

「はいっ!!」

 

 

 

 

 

 箒の言葉に呼応する、さらなる響き。

 まるで自分こそが最後の登場人物だと、大取りを飾る最終演目。箒が吶喊してきた方角と同方向、巨大な翼で颯爽と空を切る彼女を、この場の誰もが知らなかった。

 いいや知ってこそいた。その名を、顔を、けれど面識はなかったから──ここぞというこの鉄火に勇んだそのさまは、誰もの思考を凌駕する。

 

 

「照準完了。全弾頭手動制御クリア。《山嵐》──全弾一斉発射(フ ル ・ フ ァ イ ア)ッ!!」

 

 

 その少女、名を、更識簪。日本の代表候補生。

 内気そうな眼鏡の奥、しかして応と答えた声は反して強く。心気みなぎる鮮烈さ。悠と、轟と、颯爽とすら見える彼女のさまは、まるで()()()()()連想させる果敢さで──そしてその言葉以上に彼女の機体が苛烈に吼える。

 その機体、《打鉄弐式》。彼女が自ら作り上げた専用IS。おおもとになった《打鉄》と違い、その特徴は背部に携える巨大なウィングスラスター、などとの話は捨て去り、その機械翼に施されたハッチが開き、なかから彼女の戦意が現出する。

 八連装ミサイル《山嵐》。のかけること六。

 それは、全四八発にもおよぶミサイルだ。

 

「行っけぇぇええええええええ!!」

 

 裂帛。

 ボボボッ! と炸裂する噴射音を連続させて、一気呵成と吐き出されるミサイル群。腰部・浮遊非固定部位の各所から射出される弾頭が、いっそおぞましい統率を経て群狼と吼える。

 瀑布の怒涛。これこそ箒がみなを引かせた理由で、そして彼女自身が突撃した理由。

 

 許し難いが……箒があの顔無と刃を合わせれば、()()()()()

 

 『愚かしいよ』──それは実に腹立たしくて、子供の癇癪よりみっともなく怒鳴りつけて否定したい言葉であるが、それでも己の、篠ノ之箒の『それ』に対する熱のほうが上回った。願とかみ殺す熱、よって生まれるのは敵機の致命的な隙だ。

 箒に戦意を向けて、それをいなされて、敵が肩透かしを食らった瞬間に、『すべてをマニュアルで制御されたミサイル』が叩き込まれる。

 

「っ────!」

 

 キッとする眼光は眼鏡レンズを通しても減退せず、ゆえに簪という少女の戦意のほどを物語る。それは憎悪や憤怒でありながら、なおと濃い憧れの炎。盲目的な熱情のなか、彼女の指は(いっ)(とき)たりとて休みなく、弾道制御のためにコンソールを走る。リアルタイムの並列手動制御。

 それは驚嘆の技。一切の自動化された命令をはさまずに四八発の弾頭を操る驚異。だが、しかしてISの発展にともないレーダーやFCSの類いが軒並み発展した現在において、それいささか効率が悪いにすぎるのでは? むしろ人的な要素を取り去って簡略化したシステムこそが、そうした面攻撃を行う兵装の強みであるはず。負担にしかならないフル・マニュアルなど、利点に対するリスクばかりが目立つ。

 だがそれこそ笑止。発想を逆転すれば実に呆気ない事実の裏づけだ。

 

 ただそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だということだ。

 

 よってここになされるはどんな状況にも即座に対応する数の暴威。自動追尾よりもより精密かつ粘着質な追跡能力を実現可能にする。瞬間的な火力においては、さしもの《ブルー・ティアーズ》《甲龍(シェン・ロン)》すら凌駕する大威力が、ここに絶対必中の収束を果たす!

 

『…………、』

 

 それを前に、さすがの顔無すら満足な反応ができず。

 

「私はもう、守られない!」

 

 回避許さぬ炸裂の雨が、無慈悲に敵へと降り注いだ。

 

 

 ◇

 

 

「行っけぇぇええええええええ!!」

 

 ──空に舞う弾頭。その狙いは過たず、そして外れるなどとありえない。それをなせるだけの実力を、更識簪はこの一年間で身につけたのだから。

 それは次の試合のために私がピットで機体を調整していたときのこと。オルコットさんと凰さんの試合のさなか、その敵は突然やってきた。

 敵。訓練でも遊びでもましてや幻でなんて絶対にない、純粋なる敵。

 恐怖、した。

 (がい)(けん)が不気味だとか装備がおかしいとか、視覚的な情報によっての感情じゃない。冷静であることが前提な、理由ありきのものじゃない。もっと根源的で、芯の(しん)に知らしめる、恐怖。理不尽がやってきたんだ。

 怖くて、恐ろしくて、畏怖して、内心恐慌して……倒れてしまいそうなほどに心が寒い。そんななかでも戦おうとした二人はすごくて、だからこそそのあとに転調した敵にやられるのが見ていられなくて、ぎゅっと目を閉じて呪ったんだ。

 なんでおかしい、許せない。こんなの絶対間違ってる。私達はなにもしていないのに。

 だから同時に、祈ってしまった。もうそんなことはしないと決めたはずなのに。あなたが救ってくれたあのときに、そんな自分とは決別したはずなのに。

 

 願ってしまった──ヒーローを。

 

 ヒーローはピンチに絶対現れる。こんなときにヒーローがいてくれたら、絶対自分を私を助けてくれるに違いない。少女の幻想? お笑い種? そうかもしれない。現実はそんなに甘くない。知ってるわかるよ、御伽噺だ。祈れば手が届くコンビニ感覚の奇跡、安っぽすぎて馬鹿らしい。誰に言われるまでもなく、冷たいリアルを理解してるの。だけど。

 だけどやっぱり。

 

()()()は、駆けつけてくれた)

 

 颯爽と空を裂く白の翼、戦うさまは雷光につき。天蓋を裂いて降臨する絶叫は、どうしようもなくこの胸の内を疼かせる。それはまるで漫画のなかからそのまま飛び出してきたヒーローのようで、思わず涙が出そうになって。ぐしゃぐしゃと心が入り乱れてしまう。

 ごめんね、弱いよね、恥ずかしいよね。それこそ自分で立ち上がって、戦わないとだめだよね。他人に頼ってるばかりじゃ、なにもできやしないよね。お姉ちゃんに対するくだらない悩みだって、あなたが解決してくれたのに、一人で立ち上がったはずなのに──だからありがとう、もう大丈夫。

 

(私は候補生になったんだから、憧れるだけじゃないんだから)

 

 織斑君、大丈夫。心配しないで安心して。私はもう守られるだけじゃないんだから。そうともあなたは私の理想、唯一現存する『正義の味方(ヒ ー ロ ー)』なんだ。だから私も、負けないの。そんなあなたに憧れるから、私はあなたに並ぶから。

 

 ────もうあなたに、血なんて流させやしないから。

 

 いっしょに戦おう。戦って勝とう。そうだよ悪は倒さなきゃ、誰かの涙は許せないんだ。

 あなたが教えてくれたあの日の夢が、確かに私を動かして。

 

『ここか』

 

 突如、ピットに響いた声が、感激の追憶を縫った。確然とする決意のなか、ピットに誰かが現れていた。

 女生徒。高めの身長、突き出た胸、黒髪艶髪のポニーテール。女性らしい体つきながらなにくわぬとさえいえる飄々さで、しかしそれでいて悠然とするそのさまは、正直女の私からしてもほれぼれするような挙措、って、いやいやいや! どうして人がここに? 救助にきた先生方ならまだしも、全部ロックされてるアリーナ生徒がやってくるなんて……ううん、それよりも不可思議なその雰囲気にこそ、私は息を呑んだ。『それより』と思ってしまうほどに、その雰囲気が圧倒的だったから。

 

 だって飄々としているのに……その体から溢れかえるこの冷々とした空気は、いったいなんの表れなのか。

 

 氷点下に降下するこの鋼の蕭条に、ぞくりと背筋が静まり返る。理不尽極まる鉄火熱血の火口で、赤熱色の純深紅が(こご)っている。

 けれど困惑する私とは裏腹に、その人はぐるりとピット内を見渡すと、とある一点で視点を固定させた。のも早く、微塵も迷いを感じられない足取りで、カツカツと床面を弾くように『そこ』へ向かった。

 『そこ』。別の生徒のために整備されていた《打鉄》のもとへ。

 

『え、えぇ……?』

『ん、誰だ?』

 

 そのあまりにも突拍子で意図の掴めない行動に、とうとう口から音のある驚きが漏れた。

 私の呟きが聞こえたのだろう。そうしてこちらを振り向いた彼女の追随して空気に踊る黒髪とそこから覗く都雅の麗貌……鋒両刃を思わせるそれが誰かなんて、問いただす必要はなかった。

 だってその人を知っていた。彼の幼馴染みだと知っていた。

 篠ノ之箒だと、知っていた。

 

『お前は確か、更識──』

『か、簪。更識……簪』

 

 蛾眉を携える瞳と視線が繋がる。

 凛としてしゃんと。鈴であり凛冽。刀のように底冷えで玲々。うしろ姿だけで感じた酷寒が、面と向かう今でこそはっきりとわかる。

 判るから、解る。

 

(この人……怒ってるんだ)

 

 憤懣、赫怒、瞋恚。言い出したらキリがない、満開の怒りだった。そんな女の人と直接視線を合わせるとなれば、さすがにたじろいでしまいそうになるけれど。

 今の私なら、そんなことはない。

 

『そう更識簪、だったな。済まないが、私は少しばかし急いで、』

『あなた……どうするつもり、なの?』

 

 さすがに途切れ途切れの言葉だけど、心は決して怯んでいない。だから訊けた。

 どうやってここにきたのだとか、なんで怒っているのだとか、そんなことはどうでもいいのだ。わざわざ台詞を遮る無作法ささえやっておいても、それより重要なことなのだ。

 ただ、この異常事態のただなかで、その《打鉄》を前にして、織斑君が戦っている戦場を目の当たりにして。

 あなたは。

 なにをしようとしているのかと。

 ()()()()()、更識簪には気になったから。

 言葉足らずで曖昧だ。なにを指しているかもわからない。口下手どころか頭が足りていないんじゃないかと私ながら恥ずかしい(つたな)さを、だけど彼女は推理・逡巡の瞬きさえ見せずに。

 

 

 

『私は()く』

 

 

 

 ふっ、とかすかに笑って短く。それきりだと、彼女は再び《打鉄》と向き合う。

 それ以上語ることはないと。それだけで()()()には伝わるだろうと。たった数秒目を合わせただけで、この人はそこまで見抜いてしまったのだろうか。

 往く──あの鉄火場に。火の国に。戦場に向かうと決断していた。それはほれぼれするほどに牢乎であり、なるほど。織斑君の幼馴染みであることに決して恥じない確固さ具合。()()()()()()()()()()()()──だったら。

 だったら、私も行かないと。

 私も、彼に並ばないと。

 

『私も、行く』

『別に私に断る必要はないぞ』

 

 ぶっきらぼうにもとれる言葉は別にそっけないとかじゃなくて、きっとこの人の持ち味なのだろう。あっさりしてるけど、でも心地の悪くない、切れ味のよさ。

 

『私が、行く』

『……強気だな。ふふ、喜ぶといい。丁度舞台は大取りだ』

 

 それは、なんとヒーローに相応しい舞台だろうか。

 だから語ろう、私が抱くわずかばかりの灼熱を。至上と信ずる真実を。

 あの日確かに知ったのだ。あのとき強固に結実したのだ。あなたが聖なる血を流すそのうしろで、私は自分の祈りを自覚したから。

 そうだ。更識簪は。

 

『悪が、許せないの』

 

 

 

『…………はあ、そうか』

 

 

 

 けれど、なぜかさっきまで不敵ささえ滲ませていたこの人は、私の言葉に妙な言葉を返して。

 

『その……。私、変なこと、言った?』

『気にするな、そのまま往けよ。あいつにはそんな風でも丁度いいさ』

 

 よくわからない言葉で自嘲して。

 

『自己紹介がまだだったな。私は篠ノ之箒だ、更識』

『それは、知ってる。篠ノ之さん』

 

 だけど向かう修羅場は同じだったから。並ぶべきところが同じだったから。

 

『私が囮だ。お前が決めろ』

『……悉知、了解』

 

 ──彼女自身が刀になってしまいかねない白熱の赫怒を鞘に収めたさまに、彼女を信じると決断したのだ。

 だったら。

 

 

 

「っ────!」

 

 だったら、私がやるべきことは撃滅の一手だけ。

 焦点が決まる。現実を据える。息が詰まる。呼吸が()む。無呼吸のなかで拍動する。

 その場の誰もが驚いていた。オルコットさんも凰さんも、ううんあなただけはやっぱり違くて、なんだかうれしくて戦意がみなぎる。体の震え声の震え、そんな臆病をかみ殺して嚥下して、心の熱を打ち放つために投影キーボードに両の指を走らせる。

 私が組み上げた《打鉄弐式》の最大攻撃、《山嵐》。その威力は言わずもがな、絶滅必至の正真切り札。

 目指す黒星、猛悪なりし。

 そんな悪党の一切合財、更識簪は許しはしない!

 

『…………、』

 

 その前に、敵はまったく微動だにせず。

 

「私はもう、守られない!」

 

 絶対に変わらない熱情を宣言した。

 ミサイルが着弾する。グラウンドを穿つ、視界が爆ぜる、大気に炸裂して燃え上がる。それはまさしく数の暴力。レーザーだとか衝撃砲だとか、そんな小難しい話をはさむ余地すらない、いいや余地がないゆえに単調な破壊の雨。

 全弾命中、外れなし。それを受けて無事でいられるなんて、失笑(原義の意味で)ものの笑い話……ただその、自らやっておいてあれだけど、少しやりすぎてしまった感がぬぐえない。痛々しいくらいにえぐれたグラウンドを見てると、正直ほっぺたの筋肉が吊りそうになる。

 う、ううん、そんなことない。ないったらない。相手は敵だ、悪党だ。倒し撃滅すべき壊人だ。みんなを危険にさらしたんだ、織斑君を傷つけたんだ。だから疑念の意味はないし、私が剣を向けるのは当たり前。

 だからもう一度、ありがとう。あなたのおかげで私はここにいる。いられる。いたいと思える。あなたの役に立ちたくて、並んで立って誇りたくて、脇目も振らずに駆けてきた。だから、倒せた。

 私の『正義の味方(ヒ ー ロ ー)』。今やっと、あなたに追いつけたよ──

 

 

 

 

 

『そうか。よかったな』

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 ──なのに聞こえてくるその声は、いったいなんの間違いなのだろうか。

 錯覚? 幻聴? いいやそうしたもろもろが全部が燃えるリアルだと、なによりそうして私は立ち上がったわけで。つまり爆煙のむこうから響くメタルエコーはなんとでもないただの現実。

 もうもう漂う砂煙のなかに悠然と佇む敵は──ただの、真実なんだ。

 

『人の生き様がどうだなどと、私が言う筋合いではないのだろうがな。

 ひとこと不快だ、つまらんよ。おまえはそんな(ざま)で死にたいのか?』

 

 息を飲んだのは私かオルコットさんか凰さんか、それとも居合わせた全員か。

 それはいま登場したばかりの私だけじゃなくて、二人の候補生だって驚いていたこと。直前までの戦いから確かに相手が強固であることを私だって知っていたけど、それでも打ち抜けるほどの火力だったのだ。それだけの威力があったはずなのだ。四八発の同時放火、瞬間火力は暴威につきる。が。

 そこにいたのは、特に捻りもなくタマスダレの花弁を盾に生きながらえた、顔無の姿。

 無傷の、姿。

 

『妄念我執、盲目も結構だ。怒りも勇気も存知だとも。……しかしな』

 

 その語調は変わらずゆっくりと、静寂に同調する沈殿の色。沈むように、軽やかな少女の声色でありながら深い音が耳に這う。

 けれど、その一切が頭に入らなかった。

 

 

 

『なんてモノを連れて来たんだよ妹(ぎみ)

 メンヘラ女学生なんぞ、不良紛いどものカキタレでもさせておけよ』

 

 

 

 もはや怒りを通り越した呆れだったのかもしれない。とても酷い言葉でなじられているみたいだけど、でもそんなことさえ今の私には理解できなくて──代わりに途端、再び恐怖の波が湧き上がる。

 揚々勇んだ戦場で、切り札を放ったその挙句、結局なんら被害を与えられなかったただの事実。それをがんばって認識して、してしまって、打ち勝ったはずの恐れに体が急に冷えてくる。

 下手な心の動きなんてもう知らない。

 こわい。

 

『発破なんぞ、やはり私の(がら)ではなかったな。……ああ、一夏。面倒だ。終わらせようか、私達で。そもそもそれだけでよいのだから。

 だから聞かせてくれよ、なあ一夏。──おまえ、死ぬのが怖いか?』

 

 どうしてそんなことをいま訊くのかなんてもちろんわからなかったけど、けどそのなかだからこそ。

 そんななかだからこそ、私の耳に届いたその名前が、零下の深奥にじかに届く。

 一夏。織斑一夏。織斑君。

 そうとも、ここにはまだ彼がいる。

 私の信じる理想の姿が、そこにある。

 

「当たり前だ。死ぬのは怖いに決まってる」

 

 即決、その姿は確信で揺れず。

 (おの)が在り方のなんたるか、それのみに完結した銀光の翼。

 死は怖い。当たり前。虚飾も驕りも一切なく、本能だとかすらの理由付けすら不要に、そうとも死ぬのは恐いから。

 それを知ってる。理解してる。その上で熱血して鉄血の完結なのだと。静かに、しかして力強い返答のありようは、青臭くも輝かしいくて憧れる。私の胸を、疼かせる。

 やっぱり……やっぱりあなたは──!

 

 

 

 

 

 

『……………………は?』

 

 

 

 

 

 

 ──断言しよう。

 この日。一夏達学生側にはいくたびもの驚愕の瞬間があった。黒星が現れたことしかり、OSがすげ代わったことも無論、一夏が登場したのも当然、箒と簪の乱入は最たるもの。だが、しかしだ。

 しかしこと敵機顔無が、老獪極まる頂上の戦士が戦いのさなかに驚愕を晒したのは、この瞬間だけであった。

 今まで驚きを隠したポーカーフェイスであったりだとか、我慢していたとか、そんな稚拙な誤魔化しなんて愚かしいほどに廃絶して断言しよう。

 その敵は、まるで信じられないものを見るように。

 ただ。

 驚いていた。

 

『…………』

 

 それは不気味に映っただろう。

 そもそも来襲時から静謐を代弁する静けさ具合であった敵だが、それでも一夏と対するときは饒舌であったし、それ以外でも戦いの最中であればそれなりに言葉は使っていた。その火の国こそに静かに燃えると、鉄火こそに沈殿していた敵だった。

 それがただ言葉を絶やす。挑発・フェイントの類いですらなく純粋に、絶句の空白を曝け出している……黒星の目的なんてとんとわからない現状だが、それでも少なくない技の打ち合いをやってきた手前、わずかながらに得心した部分はある。

 この敵は戦いに真摯である。戦うことのなんたるかを知っている。

 そのはずの敵が、相手が。なんの伏線でもなく、不様とさえ称せる低劣さで、よもや『聞き間違いだろう』なんて稚児の呆けを見せている。

 その豹変ぶりに、候補生三人はとてつもない不安に駆られていた。

 恐怖や恐慌、その前に。ただの直感で間違いなく。理不尽の絶頂でどうしようもなく。

 

 なにか、今、とてつもなくどうしようもないことをやってしまったのではないか──?

 

 そんな不安に揺れる少女と裏腹に、とうの解答者たる一夏は少し怪訝気に顔をくもらせただけで、以降はいつも通りに、彼らしく、揺れずブレずに中空を踏む。

 『死ぬのは怖い』──歴戦の英雄がこぞって口にするはその正逆。死ぬのなんて怖くない。だけれど彼が口にした言葉は当たり前で、だからこそどんな否定さえも跳ね除ける真実の気持ち。

 その前に、どうして敵機は、言葉を絶やしているのか。

 

『おい、待て、待ってくれ。何だこれは、可笑しいだろう』

 

 ただわかるのは、彼女はその言葉が信じられないのではなく、意味が許せないのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようで。

 次いで放たれる言葉の弾丸は、至極当然でありながら──しかしてどうして、その場の乙女らすべての心を代弁していた議題だった。

 そう、ならば質問は極単純。

 

 

 

 

 

『何だ、おまえ?』

 

 

 

 

 

 おまえはどういった存在なのかという、根源に対する問いかけだった。

 それはセシリア・オルコットの疑問だった。

 それは凰鈴音の躊躇だった。

 それは更識簪の核心だった。

 顔無にとっては誤算であり、しかし篠ノ之箒にかぎっては今さらであったかもしれなくて、ならばなおと、その問いはもっともであり、誰しも気になっていても訊けなかったこと。はからずしもそうした機会を得た今に、彼は、織斑一夏はどういった答えを返すのか。

 五者五様、彼に集う視線の槍。

 自分のレゾンデートルやらアイデンティティに対する言葉に、だがやはり彼はまったくの思考すらなく答えるのだ。絶対たる決心ゆえか、信念か。揺るがぬ熱量(おもい)の意志がためか。織斑一夏を尊重するような当たり前の事実だから──いや。

 下手な装飾はいらない。それでは言葉が多すぎる。もっと簡単、一工程で伝わるはずの物語。

 

 そうとも単純、これは思考なんて不要の解答ゆえに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     「────織斑一夏は、装置である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それこそが、ただ一つの真実。



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第一八話【100万回生きたねこ(転)】

 ES_019_100万回生きたねこ(転)

 

 

 

『織斑一夏は装置である』

『月がキレイだ』

 

「ゆえに思考はいらない」

「だから斯道はいらない」

 

「くたばれ」

「死に腐れ」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「────織斑一夏は、装置である」

 

 

 

 

 

 強い言葉。迷いの廃絶された解答。いいやまさか、ただの事実。

 虚空を踏みしめ刃を握り、定まる瞳は止まったように硬いまま。

 それは聞いても、正直意味なんてわからない。だけれど織斑一夏を知っている人間ならば、誰しも納得するしかないただの真実。悲しい答え。

 とても、とても簡単な話なのだ。彼にとって、それは実に当然のことなのだ。

 自分は装置で、そういうもので。そうするだけのそれだけで。

 

 それ以外の、意味なんてないと。

 

『……そうか、なんだ。つまり(おまえ)は、私が閉めずとも閉じているのか。

 いいや違うな。そもそも比べる定規が可笑しいわけだ』

 

 その解答に、在りように、ようやく合点がいったとばかりに零す顔無。得心、納得。そうした種々を噛み締めるように染み込ませるように、再度彼女は静謐に沈んでいく。

 己こそが間違っていたと、勘違いしていたと。誤解して、期待して、馬鹿を見たと。反転してそれは、高望みからの自虐。気味が悪いほどに素直な事態の受け止めようは、高々女子高生程度には未だわからない考え方。そうして下して終わってしまって、再び萎えて死人に還る。

 一夏も、顔無も。ことここに至って異常だった。

 意味不明な在り方を確信した単細胞と、それにすら納得を示している老獪鉄。

 その場に居合わせ、当事者ですらある少女らを差し置いて、曖昧不理解な二人だけがあまつさえ正しく時を刻み始めていく。一夏の歯車(おもい)が回転を始める。顔無の体温が沈んでいく。

 沈み、凝り、ああつまりそれは本来の顔無そのものに戻るということにほかならず。

 未だ候補生らが一夏の答えを咀嚼する『空白』は、今一度の窮地となって花開くのだ。

 

『そら潰えろ、手弱女が』

 

 ゴッ! とした轟砲のもと吐き出されるのはやはり特大の熱線。轟き唸る破壊の風に、空気がたちまち犯される。

 ──誰もが止まったその合間、つまりただの順当に、敵機は己が銃剣のトリガーを引いていた。別段油断を誘って質問を投げたわけでもないのだろうが、結果として、一夏の解答の意図に思慮をめぐらせてしまったばっかりに、ずさんなまでに『隙』という空白を少女達は見せてしまった。なれば無論、顔無がそれに目をつむるなんてあり得ない。己を起因にしていようが、悪気もうしろめたさも感じずに──いいや考えてみれば馬鹿らしく、そんな装飾で誤魔化さずとも、老獪な戦士たる相手がこんな隙を逃すはずはない。

 最初に驚愕を晒したのは隠す間もなく敵機であるが、そんなかわいい講義なんて、吐き出された暴虐の一射に対してまったく微塵も意味はない。だから。

 

「あ」

 

 だから思わず間抜けな声を漏らした更識簪へ向かうその凶弾を、止めるなんてできないのだ。

 

 簪は反応できなかった。

 当然のごとく先の一夏の言葉を反芻していたからであり、わかりかねたからであり、それでも織斑一夏は織斑一夏であると得心したからで、当然ながらそれらの思考の数々が、肉体の行動を遅らせた。

 視界はスローモーション。高速域ではすべてが線に見えるというなら、返って今は正逆に、目に映るあらゆるものが点に止まってぶれている。それでも、そのなかを赤い熱線が迫ってきていて。

 途端に、思考が加速した。暴威に犯される間際、言ってしまえば走馬灯の一瞬。本人が『死』を自覚しようがしてまいが、そうした異変が起こっているということは、本能がどうしようもなく『死』を受け入れてしまったということの証明。無意識の生体反応に遅れて、ようやくと簪は有意識でもって『そういうこと』になっていると理解した。

 これは、だめだ。このビームは耐えられない。一撃くらいなら、まだシールドバリアーは満タンだし、絶対防御だってあるし。などという、気休めでさえままならない。敵はアリーナのバリアーを破ってきているということからもわかる通り、これは当たらないことこそが正解なのだ。だからまぁ、つまらない物言いで絶体絶命。

 

(ごめん、織斑君)

 

 その刹那、今わの際の最期でありながら、やはり彼女が夢想したのは己の憧れだった。

 ごめん、ごめんね織斑君。あなたのためにと喜び勇んで奮起して、烈火にうぬぼれてピンチになってる。どころか敵の美感を不用意に刺激して、結局あなたの足をひっぱってしまっている。

 まさしく余計なお世話。的を射すぎて笑えない。

 血を流させてたまるものかと立ち上がったのに。悪に瞋恚を覚えているはずなのに。

 あなたの隣りで、一緒に戦えるはずなのに。だったのに。

 死が直前のこの()におよんで、それでも思考がぐるぐる悪循環。言い逃れのできない痴愚の極み。後悔ばかりを繰り返して、悔しくて、どうにもならないと絶望して。ただ。

 

(ごめんなさい)

 

 守られる女でしかないのだと、己の愚かさに溺死した。

 

 

 

 などという未来が、まさかこの場で許されるとは思うまいな?

 

 

 

 

 

過剰(オーバード)──瞬時加速(イグニッション)

 

 

 

 

 

 雷光は不滅。ゆえに普遍の歯車なりし。

 

「え?」

 

 そういうだけのそれだけの男が、絶対に間に合わない熱線の前に立ちはだかるのは、この場でなんら不思議なことではなかった。

 なにも難しいことはしていない。誰も反応できない空白に、誰にも追いつけない高速のビームが打ち放たれて、それに一夏が間に合っただけ。織斑一夏がそういう構成をしていたというだけで、それを恒常的に機能しただけ。

 

 過剰瞬時加速(オーバード・イグニッション)

 それはごく一部の特別なISにのみ許された加速マニューバ。

 

 その名の意味する通り、瞬時加速(イグニッション・ブースト)というマニューバは瞬時に加速する技能である。エネルギーを圧縮し、一時的に通常以上の放出をすることで爆発的な加速を得る。比較的──整備性なんなりを度外視すれば容易な技であるが、ゆえに欠点も目立つ。

 たとえば持続時間。数字を用いれば多少はわかりやすい。スラスターの単位時間あたりの放出量が1だとして、そこへのエネルギー供給量が10だとする。これが普通の飛行状態だ。スラスターにおける出力調整とはこの放出を1~10に増減させること、といえば大まかに正解だ。瞬時加速(イグニッション・ブースト)はこのエネルギーを20なり50なり100なりになるまで圧縮し、一度に放出して通常の倍以上、ないし性能限界ギリギリの速度を叩き出す仕組みということになる。その供給量が問題。

 常に10しか供給されないのだから、一回で10以上を消費する瞬時加速(イグニッション・ブースト)を維持し続けるの無理なわけだ。

 だからこそ初速を得るという意味合いの強いこの技能は、もっぱら奇襲戦法に使用されるわけだが、ああその通り。

 

 その『無理』を、可能にする方法があるならばどうだろうか。

 

 ISに使われている装備はすべてコアで生産されるエネルギーを、()()()()()()()()()()()()まかなわれている。ありていに未知の、それこそ『ISエネルギー』と呼ばれるそれを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ようやく今のISは行動が可能になっている──難しい話は切り捨てる。ジェネレーターもコンデンサーもコンバーターもあらかじめコアに設えてあること、どころか一〇年たった今でもISエネルギーを解明できず、コアもわからず、ただ『そういう機能を持っている』としか認識して利用するしかない現状の話は無視する。

 つまりはISエネルギーを直接使う技術がないから、手に負える程度の力に加工して用いる理屈だ。石油でいう原油やらガソリンやらといった精製に近いか。ただそちらはより純度を高いものにしようとするのに反して、ISは手に負えないほどに強力すぎるから格を下げているという明瞭な差がある──ゆえに、ここで一つの簡単な答え。

 

 そのISエネルギー。劣化させずに直接使用できるのならば、どうだろう。

 原油を直接流し込んで、加工損失なしに駆動する機構があればどうだろう?

 

 特別なIS──つまるところ原油をそのまま使用できる異端仕様。

 普通に考えれば無理な話。エネルギーの性質も知らず、生成法も知らず、変換技術も知らない。その程度の技術でおおもとを利用するなど、乗用車に水を入れて駆動させるに似た浅はかさだ。だからこそ、それほどまでに荒唐無稽だからこそ、例外に対する鬼殺しが成立する。

 そうとも。《白式》は篠ノ之束のお手製だ。

 篠ノ之束が創造したコアがゆえ、それを十全に生かせるのも彼女の(せき)()だけ。ならば。

 ならば。

 ならば。

 ならば──。

 

 

「──ぁぁああああああああああああああああッッ!!」

 

 

 出力されるのは音速、雷火、いいや超速の空気破断──違うぞ足らない、それ以上。

 ()()()()()()()()()()()()()は、桜の残光に追い縋る!

 音速突破の大衝撃。ソニックブームを引き離したなかでこそ鋭利な絶叫。体中の血液循環を裏返して沸騰させるように、全身の歯車を駆動させて、しがない諸刃が灼熱する。反して体内の大切ななにかを流失させる。素晴らしいなにがしかを差し出して、この世の物理法則を嘲笑うかのごとく、一夏は極超音速域にすら手を伸ばす──終わる者(オーバード)

 簪の目の前で白光が輝く一瞬に、確かに音が消えていた。

 

「《零落白夜》」

 

 ただ、その一言だけのために。

 途端に音が動き出す。轟音爆音衝撃音。『ドン』とか『ゴン』とかいうカタカナ擬音じゃあ到底とおよびもつかない熱量を破裂させながら、白の男が赤い閃光を抹殺する。おおよそ競技用ISでは許されない高出力のビーム。シールド破壊が容易に察せる燃費度外視の必殺は、それでもただの一刀のもとに削ぎ殺される。白夜のもとで零落する。

 許さぬ許さぬ許されざる。織斑一夏の存在する窮地において、かような光景はあり得ざる。

 実にありきたりの既知感覚。だけれど至高の大王道。

 

「ぎ、ぃル」

 

 織斑一夏が。

 

「あ。あ、お……」

 

 更識簪のもとへ。

 

「織斑君──ッ!」

「ル、ォォオオオオッ!」

 

 間に、合った。

 反射で叫ぶ彼の名前に、応える声は声帯の駆動。

 意思や意識や矜持の前の、ただシャウト効果を狙う効率重視。結果だけをひた求め、『それ』にのみ専心し、ほかの外部・付属・要素の()()さえも捨てて、起動し稼働し機能する。熱量を捧げ尽くしてなおも搾り出す!

 しかしそんな内側の事情は誰にも知られず、熱線だけが物を語る。

 この趨勢を、物語る。

 

『で、あるよな。おまえなら』

 

 沈んだ静寂は零下にて、もはや言葉は不要と萎えていた。

 追いつけない一撃に間に合われようとも、いかに決死の爆轟たろうと、細波立てずに収まりよく。

 しからばすべての者が抱く通り、物語の続きは鉄火に盛る。

 

 ドドドドドドドド──言葉にすればその程度、聞くがままに八連射。

 

 鉄面皮の向こうの表情なんてとんとわからないが、それでもきっと無表情だったろう。そう思えてしまうほどに、そう感じるしかない程度に、感慨なく、引き金を引く。それに人命が左右されるなど、いまさらながら蠅頭未満にも感じられない無機質具合。

 展開伸縮した二挺の長銃。どうした機構かわからないが、白く内核を発光させる左右の一対が、ともに極大の熱弾丸を放っていた。無論、先と変わらぬ超密度。威力の真髄はなんたるかと、体現するがごとくの大砲弾。

 量より質だという世迷いごとも、量は質を兼ねるなどとの遠吠えも、まるで諫言を笑う暴君の嘲りでもって、質と量を十全に満たした瀑布が顕現する。──そこに質量がともなわないのはある種の皮肉めいていて。

 《零落白夜》の白光の前に、なお殺到する理不尽の武威。

 必殺八連、至当に必至──!

 

「だからなんだラァァ!」

 

 咆哮は変わらず、熱量は(たが)わず。

 必ず殺す八連などが、装置(いちか)を殺せるはずがない。なぜなら。

 

 その身は、心は、()()()()()────。

 

 

 

 

 

 瞬く八連の必殺に、削ぎ殺す蒼光の同数なるや。

 更識簪をその背中に、迫る猛悪の赤に果敢と吼える。

 まるで盾、そういう()()。織斑一夏の在り方とは、存在意義とはこうなのだと、語るべくもなく機能して体現する。一連なりの熱量は閃光をともなって視界を覆う。恐怖を煽って猛威に嘶く。それでも欠片の一粒さえ、簪のもとには届かない。だって彼がすべてを受け止めてくれているから。

 情けなかった。

 熱線を殺し続ける彼は一度たりとてこちらを振り向かない。だけれどきっとその顔は、苦痛に焦げる逼迫したものだろう。もしもそんな表情で面と向かえば、彼女は直視できずに俯くしかできなかったかもしれない。いいやうしろ姿しかうかがえぬ今だって大して変わりないだろう。

 彼とともに、と。一緒に戦いたいと挑んだ戦場なのだ。それでこのザマなのだ……自分勝手など百も承知だが、バツが悪いどころの話じゃなかった。顔向けできない、悔しくてたまらない。結局その背中に収まっている我が身が矮小にすぎて、捩れる心臓は痛烈だ。

 だったらこんなぐだぐだと塞ぎ込む前に、それこそ今こそもう一度立ち上がればいいものを、ああ。灼熱の中空にあって、未だに体が震えて止まらないのだ。怖い怖いと馬鹿の一つ覚えで。

 

 なのに、すごいと。

 

 なにより簪を満たすのは感動で。

 感嘆驚嘆、いいや憧憬滲み焦がれる銀光。己が望む理想のなんたるかを、幻滅させるどころか三段飛ばしに昇華させて、白夜を翳すそのヒーロー。

 情けないと自分を思う。かっこいいと彼を思う。ともに戦いたいと、けれど怖いと──彼と一緒なら怖くないと。

 葛藤、矛盾? 様々折々ない交ぜに、彼女の心は震えに震える。幾重にも重なる心の色取り取りを咀嚼し嚥下して、ともにありたいと決意を新たに。その心情はきっと、動向はきっと、少年少女らが堪能すべき背中合わせの青春なんかよりも青臭いかっこよさで。

 ありながら、

 

 

「────は、ぁあ……」

 

 

 艶めき色めく彼女の吐息を、彼女自身さえ気づかない。

 白を映して潤む瞳は、ああなるほど。

 女である。

 

 

 ◇

 

 

『だからなんだラァァ!』

 

 怒号。

 彼は止まらぬ。留まったままに剣を振るう。

 ゾゾゾとした不愉快な音色は彼の秘技、《零落白夜》。一対一の戦闘における破壊力に対しては他の追随を許さず、比較対象にすらさせず、極峰の武威で持って破砕する消滅の一刀。

 しかして諸刃、その代償はシールドバリアー。この場で示すところの生命ゲージ。

 正しく自分を釣り合いに、まさしく生命を代価にして、顔色一つ曇らせず、決心を揺らさず、誰に宣言するまでもなく吶喊する。……たった数瞬、凰鈴音が呆けていただけで、どうしようもないほどに一夏が傷ついていた。

 いいや、自分が思考に空白なんて生まずに対応できてたとして、いったいなにができたという。装甲を展開させた敵機をして手も足もでなかった卑小な己に、矮小さに、掴める結末があったのか。箒や更識簪まで戦線に加わった挙句に仕留められない敵なのに──などという弱音はすでにない。

 足りてないのは悔しいが知ってる。理解してる。足手まといになるかもしれないとも。そんな気概でさえはた迷惑なんだろうとも。

 だが。

 

 ──あたしは、凰鈴音だから。

 

 彼に並ぶのだ。

 彼らに追いつくのだ。

 お前らは本当に足が速くて止まらなくて、ちっちゃなあたしじゃ足の回転率を上げたくらいじゃ存分に足りないけど。

 足りないことは、劣っていることは、諦める理由には決してならない。

 彼がとんでもない馬鹿なのなら、あたしは途方もないアホだから。

 

 

衝撃加速(インパクト・ブースト)ッ!」

 

 

 文字通りの衝撃を持ってして、弾かれるように飛び出した。

 敵機が放つ八連の熱線。それを防ぐ盾であるべしと、一夏はそこから動けない。更識簪をかばって動かない。ゆえにこのときこの瞬間、間違いなく黒星は無防備である。

 たとえどれほど攻撃力に、防御力に、機動性に、性能に優れようが。

 一夏しか見ていないのだったなら、そこには必ず、付け入る隙が生まれるから。

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)ッッ!」

 

 

 速度の追加、視界がせばまり線に伸びる。

 けれども焦点その先に、怨敵の姿を捉えて外さない。

 脳が警鐘を鳴らす錯覚。心臓が爆裂して伝える異常。両手に握る『必殺』は己が持ち得る最大だが、それでも相手に届くかは多分に怪しい。どころか突如と反応した黒星に反撃されて、打ち落とされる確立のほうが高いくらい。それほどに強敵、歴戦の(つわもの)。だがそうではないのだ。先にも言ったぞ。

 敵う敵わない、できるできない、足りない劣っているの話じゃないんだ。理屈じゃないんだ。

 あいつが戦っている。そこに追いつきたいとずっと吼えてた、ここまできた。たった一人で生命を晒して囮にして、それでも最後には『よかった』と笑みを浮かべる馬鹿野郎の顔を、もう二度と見たくなんてなかったから──!

 

 砕けろゴミクズ、この悪党。

 織斑一夏にこれ以上、そんな顔をさせてたまるか。

 

 音速の突破。一夏におよばないまでもそれは颶風の閃きに相違ない。衝撃に伸びる外部空間を、高速で流れる線の視界が縦横無尽と跳ね回る。しかしこの意の焦点は、熱源よりもなお煌々。軋む身体を鼻で笑って、見据える怨敵のこそ麗しかな!

 迫る。迫る。まだ迫る。

 阿呆の所業か、止まる算段が見え透かない。そうとも止まるつもりが頭目ない。

 数十メートルの距離をマッハで減少させながら──敵機を鼻先に捕らえてなおと、鈴音は速度を緩めずに。

 さぁ。

 ここぞ、私の戦場だ。

 

 

 

「砕けろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 

 

 (おの)が両手を突き出して、零距離の『奥の手』をお見舞いする!

 

 ドッとした、という程度の擬音でなくば伝わらない。もはや陳腐に伝わるほどに強大な轟音で空間を陵辱し、《甲龍》の両手が炸裂した。この零距離砲撃こそ凰鈴音が《甲龍》の最大威力。

 

 衝撃砲《崩拳》。

 それは、《甲龍》の両手に装備された二門の衝撃砲。

 

 あの熾烈を極めたセシリアとの対戦で披露し損ねた文字通りの奥の手、《崩拳》。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の《龍咆》は大型化によって連射~大威力まで対応させたのに対し、《崩拳》は手のひらに装備するために小型化し、連射性に重点を置いている。いわば《龍咆》のサブないしバックアップ的な意味合いの装備としてメーカーは設計したのだが……それが凰鈴音によって、別の用途に花を咲かせた。

 その用途は単純。

 限界ギリギリまで空間を圧縮して零距離で運用すれば、最高の近接兵装になるんじゃないか?

 実に馬鹿げた話であるが、確かに威力は高くなろう。しかしIS戦闘において、至近距離(クロス・レンジ)の戦いとはそう多くない。剣や槍など近接装備によって近距離戦闘(ショート・レンジ)になることは多々とあるが、それでもPICによって重量がある程度無視されているゆえに必然、質量に見合う程度にリーチが長い。つまり腕の距離の外側から襲ってくる。

 となるとどうやって相手の懐に潜り込むのだとか、第一《龍咆》で零距離砲撃を行えばいいのだとかいった話になるが、ああそうとも。凰鈴音はそれらを克服してる。

 

 なにせ、そのための衝撃加速(インパクト・ブースト)

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)と併用できる推進装置でもって最速で敵に近づけば。

 手のひらくらい、届くでしょう?

 

 それが彼女の言い分で、実際こうしてこの通り。その馬鹿げた論法を実現させている。

 よってなされる轟爆破砕の大爆発。一息に放たれた零距離衝撃砲は二重の強加速に支えられ、まさしく必穿の槍と貫く。威力、これ以上と語るまじ。大気犯す振動と、視界を侵す爆煙が堂々と意味を語っていた。

 ──代償に、彼女の体をゴムまりのように弾き出して。

 

「ぎ、ぃーーーーッ!」

 

 悲鳴。突如と掛かる正逆のベクトル。

 打ち出した両手に確かな手ごたえを残しながら、軋む両の腕で骨が泣いてる。

 当然だ。あのような大威力をあろうことか相手と距離を密着させて打ち放ったのだ。ならば空間振動に犯されて吹き飛ぶなど自明の理。敵機と腕部との間で行き場を失った衝撃があるがままに爆裂する。

 まるでボール。ドッドッドと数トンクラスの装甲塊が苦もなく地面をバウンドするさまは、返って現実味を剥奪する。視界が回る、空気が重い、上下感覚が強制的に曖昧になる。爆風が削るように肌を舐める。ある意味で吐き気、だけれど清々しささえ。

 

 ──一発、かましてやったわよ。

 

 にやりと口角を釣り上げたまま、満遍なく(しん)(たい)を打ちつける。

 たっぷり数十メートルの距離を使って、ようやく機体が停止した。

 体中で疼痛。打撲、捻挫、擦過傷。骨折……はさすがにないだろうか。けれでも未だに視界がままならない程度に、ハイパーセンサーの補正が間に合わないほどに、視野はぐわんぐわんと波を打つ。3D映画を専用の眼鏡なしで観るような、奇妙なブレ。

 それでも据える。敵を見る。視線の先には──敵ではなく、もうもうの土煙が上がっていた。ちょうど、黒星が存在していた位置のはず。

 グラウンドを抉り、砂塵と土砂を巻き上げ、さらに爆煙を混合させて黒とも茶色ともつかないまだら模様を創造して、機体反応はそのなかの中心を指している。所属不明ゆえに向こうのエネルギー残量や破損状況はわからないが、もうと煙が増殖するばかりで、敵はその場から動いていないようだ。

 つまり今度こそ偽りなく、敵にダメージを与えられたのだろう。

 そうだとすれば、体中を苛む痛みだって祝福に感じてしまう。……もっとも勝負が決まったわけではないのだが。

 

『──さん! 凰さんっ? 応答してください、凰さん!』

 

 そこまで現状を分析してようやく、視界の隅で裂帛とばかりの表情を投影していたウィンドウパネルを認識することができた。

 あわや噛みつかんばかりに散らばる砂金の髪をして、焦燥に駆られる声はセシリアのもの。

 鈴音の吶喊によってようやくか、『思考の空白』を淘汰したらしく(というよりか後回しにしているだけかもしれない)、感情のこもった肉声が発せられた。

 ……なにそんなに慌ててんのよ。候補生でしょ? もうちょっと余裕持ちなさいよ。

 なんて軽口をきこうとして、しかし声帯がうまく動かないことに気づく。

 どうにも思考ばかりが確然としているばかりで、体のほうはてんで追いついていないらしい。だとすれば、セシリアが必至になって状況確認を求めてしまうほどに、あたしの姿はボロボロに見えるんだろう、なんて。

 

「んぐ──うるっさい、わね……大丈夫よ、生きてるわ。今ならへそで茶が沸かせそうよ」

『あいにく中国のことわざはわからないのですが……軽口がきけるようでしたら大丈夫ですわね。それで、凰さん。現状は? こちらからは土煙くらいしか視認できないのですが』

「こっちも同じよ。爆煙ばっか、敵は見えないわ。……ってことは本当に、煙幕のど真ん中にいるみたいね」

 

 口のなかのなにやらどろっとしたものを無理矢理飲み込んでのどを潤し応答すれば、返ってきたのは安心と次なる問い。

 生存を確認した途端にあれよと状況分析に移るあたり、この女もなかなかなタマなんじゃないか? ……と思う裏側で、中国のことわざじゃないわよ、などともツッコミを入れてしまう自分もいるのでなかなかどうして、そういうタマか。

 少し、切り替える。

 努めて今度は意識して、自機の状況を認識する。

 機体の損傷は軽微。《崩拳》も《龍咆》もダメージがあるが、出力調節次第でまだ撃てそう。シールドエネルギーは競技用のパーティションは空っぽ。でも総量としては8000以上あまりある。

 機体位置はグランドライン。レーダーを見るに、高さは敵機と一緒だ……セシリアがわざわざ聞いてくるってことは、やはり彼女の高さからでもなにも見えないようだ。それくらい煙の量が多いということ。それだけの破壊力だったとも言い換えられる。

 セシリアの位置は同じまま。こちらに駆け飛ぶことはない、それはそうだ。さすがにそこまで馬鹿ではない。未だ狙撃手。適度に高く、適度に遠いその位置は妥当だろう。

 箒はセシリアよりも近い位置で空中停止しているが、高さは同じ程度。瞬時加速(イグニッション・ブースト)で一息に飛べる程度か。というより、こいつはそんな技能使えたのかとか、どうして簪が一緒だったのだとかという疑問がいまさらながらにむくむくと繁殖する──っと待て、そうだ一夏はどうしている!

 

(一夏────)

 

 首が巡る、いた。

 空中、敵機と簪を結んで、その(あいだ)。彼のほぼ真後ろに簪がいる。鈴音からすると、ちょうどを黒星を中心に、九〇度回った辺りだろう。。

 視線はなおも土煙の向こう側、黒星にむけられたままであり、握る光剣にブレはない。いうまでもなくボロボロのその白は、なのにそれでも確然として、返す日光その煌きを、誇示するでもなくありのままにその身にまとう。外装する。

 無事だとはお世辞にもいえない諸刃のさまだが、だけれどそれはきっと確かに、凰鈴音が手にできた結果だった。

 ……追いついたとは、はばからない。

 でも。これは。この瞬間は。

 凰鈴音が成したこと。

 

 彼女が起こした、叫び続けた、ささやかな意地。

 

 一夏が深呼吸する。

 一心不乱に《雪片》を振り続けていたのか、ようやく敵の連弾が途切れたのだと認識して、目に見えて大きく肩を上下に。連動するように《零落白夜》の光も消えて、握るは()のない鍔だけの刀。

 

『大丈夫か?』

 

 そうして彼は背後へ振り返る。

 更識簪。

 己が身を呈して、盾となって、間に合ったものへと顔を向ける。

 きっと目の前のことに必至すぎて、おそらく誰の盾代わりになっていたのかすら認識してはいなかったのだろう。いなかったのだろうが、そもそも頓着しなかったろう。関係なかったろう。

 こういうときの織斑一夏はどうしようもなく、狂わしようもなく、間違えようもなく、『そういう』やつに完結してしまうのだから。

 表情が緩む。大丈夫かと、心底心配するように。

 

「ありがとう、織斑君」

 

 その柔らかな表情を……させてしまったことが、やはりどうしても悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぁ   き み ……は ────、』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇しくも、鈴音の願いは結実する。

 織斑一夏の、表情が凍る。

 笑みではない。

 ただ、それは、本当になにが起こっているのかわからないという表情。

 『どうして?』という表情。

 心が回った証拠。

 

「え?」

 

 思わず鈴音は声に出た。

 なんだ、どうした、なにがあったどうなってる? なんで一夏はそんな顔をしている? どうして更識簪と目を合わせて、そんな『どうして?』という表情を晒している? なんだなにが、いったい、それはどういう意味なんだ? 空白空白。

 思考が漂白される。

 

『織斑、君?』

 

 そんな彼と面と向かって顔を突き合わせてる簪だ。疑問に思うのもやむ負えまい。

 だが答えない。返事はない。反応はない。

 空白を世界に放つ。凰鈴音にはわからない。セシリア・オルコットも同様。更識簪だっててんでだし、かの篠ノ之箒ですら存外に驚いている。もしも驚愕にランクやレベルがあるのなら、あの一夏がこうして停滞してしまうというこの瞬間、いかほどの高位に位置するというのか。

 ただ一つ、確かなのは。

 己を『装置』だと自称した男が。

 駆動を、たった一刹那とはいえ止めてしまったということで。

 

 

 

 

 

『悲しいかな、一夏。

 私とおまえの聖戦なのに、よもや私から視線を外しておいて……無事に済むとは、思うまいな?』

 

 

 

 

 

 あの静かなメタルエコーが聞こえるころには、すでに砲口が向けられていた。

 渾身の一撃すらものともせずに黒星が生き残っていたと視認するころには、すでに砲撃が行われていた。

 そしてその金打声が憤懣と嘲笑とそして憮然の混合だと気づくころには、すでに極大の熱線が目標物へ最短最速の疾走を開始していた。

 その目標物は、凰鈴音といった。

 

 ──あえて。

 

 あえて、この現状を表すのならば、予定調和というほかなかったろう。

 なんとなく、誰もが気づいていたかもしれなかったこと。

 あの無人機は、遠隔操作機は、まだ起き上がる。

 先の鈴音の一撃は、なんの痛痒にすらなっていなかったんじゃないか。

 鈴音の接射衝撃砲が悪かったとは言わない。むしろ目をみはる大威力で、あんなものを実際にお見舞いされた日には、自分の内臓が実はどんな役割を担っているのかと三日三晩親身に教えてくれることだろう。それほどだったのだ、誇張はない。が、けれど。

 はたして。はたしてそれだけで、あの黒星に一太刀入れられるか──?

 この場に居合わせなければわかり得ない。紙面で、あるいは録画映像などでも知り得ない。眼球に据え、のどをひりつかせ、肌を破り、そして胃袋を裏返して洗いたい衝動に駆られなければ共有できない。

 その通りであった。

 それほどに期待にを裏切らず、ただ真摯。

 敵機黒星は、立ち上がっていた。

 起き上がって、砲撃を行っていた。

 熱線である。

 今までの──今まですら脅威だったが──極大の弾丸ではない。

 極大、膨大、大々莫大の、レーザー。

 速い上に、威力も最大。

 誰かが大声を上げている。セシリアが飛び出す、飛び出して追いすがろうとする、間に合うはずもなく、おいついたところでどうにもならない。どうにかできる武装も手段も、《ブルー・ティアーズ》は持っていない。

 誰かが呆けている。簪にはどうしようもできない。現状、織斑一夏に守られているその状態では、なにもできない。どころかそれこそ悪いいやな言い方をすれば、彼女がいたばっかりに、鈴音はこうして銃火に晒されて、的にされて、断崖の先に落下する。《打鉄弐式》にはその程度の機構しかない。

 彼女はなにもしない。箒は、ただ黙する。《打鉄》は飛ばない。

 一夏は──間に合わない。

 《白式》では、間に合わない。

 断言しよう。

 この攻撃を前に、いくら8000をも超えるシールドエネルギーだろうと。

 防ぎ切れない。

 そしてこの機体では、避けられない。

 ゆえに確信する。

 凰鈴音は、確信する。

 ああダメだ。これは、もう、絶対に。

 あたしは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしは、絶対に助かってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確信がする。どうしても確信がしてしまうのだ。

 なにを馬鹿なと、ええ。言われたってしようがない。正直なところ、それに反論できる理論も理屈も、言葉だって持っていない。無想で幻視。ご都合主義。さすがに今どきの高校生がそんなことを、たとえ死に際の苦し紛れだったとしても、あわや自生の句にすらなってしまいかねないかもしれないときに口走るなど、あり得ざるとしかオウムのように返せない。

 絶体絶命、言わずもがな。

 でも、ああでも。

 こんな状況になってる自分が恥ずかしくて。

 こういうザマにしかなれない己が無様すぎて。

 これでもかと危なっかしいあんちくしょうに返って腹が立って。

 悔しくて、不甲斐なくて、むかついて、苛立たしくて、情けなくて、許せなくて──ああなのにどうしようもなく、この目からあふれるものは心の底からに起因しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か、鈴?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああなのに、心は歓喜に打ち震えているのだ。

 そうしてついに、凰鈴音は見た。

 その純白の翼を。その純白の盾を。

 その場の誰もが、それを見た。

 わからぬ者はいない。清純なるそが二つを、理解できない者はいない。

 そうとも、ああそうだとも。

 ()()を忘れなどするものか! ()()を知らないなどと言えるものか!

 

 

 

 

 

     白の肆番 《華雪》

 

     白の陸番 《雪崩》

 

 

 

 

 

 かつて世界を創造した、原初の権能が二つ。

 白騎士の神器を携える、織斑一夏がその姿を、視た。



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第一九話【接続過程、落月屋梁】

 ES_020_接続過程、落月屋梁

 

 

 

 だから、誰も知らないんだ。

 

 

 鈴も箒も『アイツ』も桜の騎士も──そして『君』だって知らないこと。

 無論のこと伝えたことはないし、言おうとも思わないし……わかってくれとも、もちろん言わない。

 繋がるための言葉だろう。わかり合うための言葉だろう。そういう理解が素晴らしいことを、俺はきちんと知っている。だけれどそれを求めないということは、つまり織斑一夏にとって『それ』とはそういう類いのものであるということで。

 正直器用でも、ましてや頭がいいわけでもないから、君達はそこに賭けるこの熱意を知ってはいるだろう。そういう駆動を続けてきた。そういう鼓動を続けている。だから俺の心臓を干上がらせる恒星の一心を、そうとも不当な誤解を一切と取り払って、納得してしまっているのだろう。むしろ察せられないほうが無理だというものかもしれないさ。でも。

 でも、だからこそ。

 俺が『それ』を願っていることを知っていても──。

 俺が『それ』に飢えていることを解っていても──。

 

 

 

 

 

 俺がどれだけ『それ』を求めているかを、知らないんだ。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

『砕けろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!』

 

 

 聴覚が拾う颶風の号砲。

 痛烈極まる滂沱の熱情を代弁して、号砲に轟音が重なり弾ける。

 破砕音──数十メートルとの距離を画した中空でさえ、腹の底をアッパーカットする重低音。威力多大、大膨大。今しがた切り落とした八連なんぞが小手先にしか感じられないほどの衝撃は、はたして単純に破壊力に由来するものじゃないだろう。清濁混在の、輝かしい一撃。

 俺には。

 織斑一夏には、よくわからないが。

 

(鈴か──)

 

 顔無が打ち出す必至八連、最後が砲弾。

 歯車軌道の《零落白夜》のちょうど八撃目が熱量を削いだまさにそのとき、裂帛と叫ぶ声は間違えようもなく我が幼馴染み。

 聞くが早く聞こえるが速く、なにがしかの攻撃が炸裂した。

 途端たちまち、爆煙と土砂の混合積乱。急速に体積を増殖させて、煙の幕が昇り上がった。

 のも、直後。スイカの種でも飛ばす程度の呆気なさで、煙から爪弾かれる鈴の体。大重量のISですら木っ端ほどに吹き飛ばすその威力、どれくらいだなんて俺の杓子定規じゃわからない。

 それでも、爆炎に焼かれながらも釣り上がった口角は、まさにあいつらしい表情で。

 

 傷だらけの煤まみれの攻撃的な笑顔を……あいつにさせてしまったことが、許せなかった。

 

 ──歯車(こころ)が軋む錯覚。

 砂の混じったような感覚。

 けれども大きな馬力の前にはさまった砂粒はみるみると破砕され、通常通りに稼働する。

 腕は動く。足もある。血は足りないがさしたる問題ではまったくない。思考はいらず。熱もいらず。肺と肝臓は顕在している。さすればせいぜい気にするべきは、枯渇するシールドエネルギーとひび割れた装甲程度。──総評、無傷。

 だとかいう現状なんてどうでもいい。

 いま必要なのは。

 

「大丈夫か?」

 

 ただこの身が、守ったはずの誰かの安否。

 鈴でもセシリアでも、そして箒でもない誰か。

 正直この身体は不器用で、まったく聡明な思考(システム)なんざこれっぽちも持っていないから、その子が誰だかなんて全然視認できていなかったけど。あまりにも強力すぎる敵から目を離せる余裕がないくらいこの存在は卑小だから、助けにきてくれた人が誰なのか知れないけれど。

 誰であろうと。

 織斑一夏が身体を張らない理由はない。

 (あくた)の価値もない生命を、散らさない道理はない。

 だから、改めてその背後。

 せめて怖がらせてすまなかったと思いながら、不自然ながら顔を笑顔にして、振り返る。

 俺にできることなんざ、きっとそれのみだろうか

 

「ありがとう、織斑君」

 

 ら、

 

 

 

「ぁ   き み ……は ────、」

 

 

 

 その。

 瞬間の。

 衝撃を。

 どう、表現すれば、よいのだろう。

 女の子。ISを着ている。知らない型。眼鏡から覗くその双眸は、きっと本来なら理知的に冴えていたはずだったろう。今は怯えか、震えている。頬まで赤く染めながら。

 その顔は。

 忘れるはずがない。忘れることはない。

 

 

 

 心は回帰する。感覚は復元する。よみがえる空気。浸透する飢餓。狂わしい心臓の熱と、擦り切れる拳の感覚。視界を占める純白の世界で緑の黒髪。白昼の窓辺に君は一人。立ち込めるあの日の残像。焦げついた渇望を抱きしめる(たなごころ)。そうするだけのそれだけの存在だから。走って走って走り抜けて疾走して、目の前の手のひらだけを握り締めて。知らない君と最期の君。暮れる夏の屋上に咆哮したゴミ虫よりも螻蟻なクズ鉄は、赤熱したままに無様な生き方をぶつけて磨耗する。それでも決して踏み出す脚が、握る拳が緩まることはなくて。蒙昧痴愚を盾にして、言葉の捌け口を求めていたのか。言葉が刺さる。事実が刺さる。誰もなにも間違いはなかったから。

 あの日。

 あの日にきっと。

 織斑一夏は。

 

 

 

 

 

     『ありが、とう……!』

 

 

 

 

 

 機関(こころ)にひびが入ってしまったのだ。

 だからこんなにも不完全。いらない思考を巡らせて、残ったものを誇ることだってできやしない。いいやそんな誉れなんて、そもそも必要ないのだから。

 ああ、でも。

 

 どうして、なんで、君が、ここにいる──?

 

 すべてが止まる。静寂が走る。

 思考は赤熱と零下の多重螺旋。

 そんなあからさまな硬直に、君も鈴もセシリアも、どころか箒さえも驚いてしまっているようで。たとえ鈴が一撃入れたとはいえ依然予断を許さない現状に、この学園で最大級の空白を明け渡してしまった。

 

 

 

『悲しいかな、一夏。

 私とおまえの聖戦なのに、よもや私から視線を外しておいて……無事に済むとは、思うまいな?』

 

 

 

 ────だからこそ。

 

 だからこそ、この瞬間に確信した。

 この期に至って、こんなところで。

 君が更識さんだったのかとか、鈴は大丈夫だとか、セシリアは案外友達想いだとか、箒の驚く顔は久しぶりだとか、やっぱり敵はやられてなかったとか。ほかにもするべき・考えるべきが数多ほどもあるこの戦場で、阿呆のように思い至る。

 いいや、なにも不自然なことではない。

 理由もある。理屈もある。

 実にわかりやすい理論的な根拠さえある。

 それらすべてがついに合致して。

 閃光が瞬くように全部の条件を満たしたこの瞬間。

 理解する。

 

 

 

 

 

     織斑一夏、生涯の怨敵とは。

 

     この、顔も判らぬ顔無なのだと。

 

 

 

 

 

 この織斑一夏の世界を高らかと毀損させる、鉄仮面の向こう側の女こそが、敵なんだ。

 

 そして熱線が解放される。

 時間が束縛を引きちぎる……ああ、そうなのだ。

 確信、だからどうした。理解、それがなんだ。

 そんなどうでもいい怨敵の確信なんぞじゃ、この場ではなにも役に立たないから。

 最大極大のレーザーが放たれた直後に更識さんすら置き去りにして、俺は鈴へと飛んでいた。

 遠い。

 

(あ、)

 

 血を回す。心臓(エンジン)を回す。

 血流循環すらも加速させる赤熱の最速を身体中の必要不可欠なもの達を削ぎ落としながら更新する。二重(ダブル)三重(トリプル)四重(クワドラプル)五重(クインティプル)過剰(オーバード)、それでも全然足らなくて。音速を三段階くらい突破したところで、赫々の害意に到底届かないちっぽけな手のひら。

 そういうだけのそれだけの()()のはずなのに、目の前で散るのは最愛の心友。

 間に合わない。

 

(あ、ああ)

 

 戻っていく戻っていく。

 身体(そとみ)に追随していたはずの中身が引き離されて、()()を含有するどうしようもないしがない人間に戻っていく。右手の刃は敵に届かず、左の手のひらはなににも触れられない。ただ『それ』ばかりが恒星のごとく灼熱していて、俺の()()を燃やし尽くす。

 いいやゼロ以外のなにがしかまで平らげて、織斑一夏を無に返す。

 きっと。ああきっと。

 もしものもしかしたらでイフの仮定。

 この身体が鉄で出来ていて、丈夫な心臓(エンジン)を持っていたのだったなら。鋼のあり方で完璧で、血も涙もない完璧な人間で在れたのだったなら。動揺も驚愕もなく対応できていたのだとしたら。

 きっと。

 誰も。

 なに一つ。

 毀損されることなんて、なかったんだ。

 世界はかぎりなく低速のスローモーション。結末を容易に描き出した脳漿が子どものように否定して、行き場のなくなった電気信号が現実逃避を促している。停滞した視界が色味を失っていき、灰色モノクロに侵食する。

 なのにいくら思考が加速しても、機体が速くなることはない。

 

(その子は、)

 

 ──凰鈴音という、その子だけは。

 快活な声が鮮明によみがえる。一緒に過ごした放課後を覚えている。夕焼けに二人で臨む安らぎもある。みんなと過ごす休日には必ずそこにいて、笑ってくれて、口やかましくも支えてくれる君がいて。

 その子だけは、ダメだ。

 

『────ありがとう、一夏』

 

 その子はきっと、俺が唯一。

 確かに。

 確かに。

 確かに失わなかった俺の。

 俺の大切なひとだから。

 なのに、足りない。

 間に合わない。間に合えない。

 酷く脆くて矮小短躯の靉靆に軽い芯のない、卑賤で下賤で粗陋の白痴。糞しか詰まっていない生ゴミの肉袋みたいなこの(しん)(たい)で成せることなんて、蓑虫の一生のほうが凄絶にすぎるほどにちっぽけだ。身の毛もよだつ劣等漢、拙劣下劣の極彩遜色。足の先から毛先まで十全な不良で悪質を極める最下等は、存在するだけで環境汚染の根源でしかない。周囲を害する猛悪たる土塊以下の生ゴミの生前の姿を語るにして、その拙悪なる容姿言動生い立ちを鑑みることすら汚らわしい。世界汚損装置の最前線を最高速で疾駆する逆高潔の天稟を、なおも滑稽に掻き鳴らすその害悪。なおも逆向きに確信して垂れ流すその悪辣。陋劣極まるの愚人の醜男に、できたことなどあったのか。

 もっと、ほんの一欠けらでも価値のある部品で存在が構成されていたのなら。

 俺以外の、なにかしらの誰かしらであったのなら。

 外見も中身も全部捨てて、別の存在になれたなら、もしかしたら──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────■■が■■■■な■■。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、ここには。

 ここには、織斑一夏しかいないから。

 弾も数馬も『君』も『アイツ』も桜の騎士もいないから。

 どんなにちっぽけでくだらなくて馬鹿野郎のド阿呆でも、ここにいて動けるのは俺だけだから。

 

『掛かって来いよ、■■■?』

 

 聞こえるいつかの幻聴。

 嘲るような代名詞。

 モノクロの時間でもなお確然。嘲笑とも賛美とも凄惨とも憮然とも──あらゆる『害意』を含んだ、あらゆるものを煽り小馬鹿にするような挑発的な顔。忘れようもなく間違えようもないその顔が、こんな鉄火の修羅場で笑っている。

 俺をそういう風に呼ぶやつ、お前以外にいないけど。だけれどそうでなかったとして、俺がその顔を見誤るなんて悔しいことにありえない。どころかそんな役職呼ばわりされること、心底本当にお断りだ。いったいなにを思ってそんな呼び方されるのか。でも、だけど。

 もしもお前の言う通り、俺がそういう奴隷だとするならば。

 織斑一夏は喜んで、『それ』を竜蟠虎踞と体現しよう。

 ああ、ならば。

 

「往くぞ、■■」

 

 この俺が、織斑一夏がこの瞬間、間に合わないはずなんてないだろう!

 追いつかない? 間に合わない? ふざけるんじゃない認められるか解るものか。恒常的に機能する、単細胞なんだよわかるだろ? 単一機能しかないのだから、できるできない以前にあり得ないんだ。

 視界が色味をとり戻す。わだかまった世界が生気に満ちて、再び時間を刻み出す。頬を撫で行く向かい風がヤケに新鮮。血風修羅の灼熱鉄火、鮮明清爽なのは瑞風のようで。

 動く。動ける。だから速く。

 力のかぎり全力で。なりふり構わず最大で。

 祈れば降りてくる無価値な奇跡に、(こうべ)を垂れて服従しろ。

 

 ──ねえ一夏。きみがやりたいことって?

 

 そんなこと、語るまでもない。

 俺は。

 織斑一夏は。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()────!

 

 

 

 ▼

 

【──再展開開始(リ・ブレイド・オン)──】

 

 ▼

 

 

 

 そして、俺の視界は閃光に包まれて。

 

「《雪崩》──」

 

 速度を上げるは大銀翼。

 一対の大翼は《白式》の推進器六機すべてを足しても並べないほどに大々的で、過剰に生産される雷光を打ち振るさせながら物理現象を嘲笑う。鶴や白鳥、果ては天馬。誰しもが知る空飛ぶ清純の羽根を想像して、それを歯牙にもかけない程度に白々に白。風も音も熱も馬鹿にするその速さは、第一宇宙速度すらも容易と嬲る。ああなるほど、この翼は正道を行くために創造されたに違いない。

 

「《華雪》──」

 

 熱線に触れるは(だい)(ぎん)(じゅん)

 左に握る大盾はISをまとっていながらもそれを隠すほどに長大で、すべてが純白の拵えは、清純可憐な処女(お と め)の肌さえ思わせる。潔白、聖駕、荘厳にして明々。精錬された意匠でありながらおぞましいほどに強大、なのに神聖さを満腔に。ああなるほど、この盾は聖道を行くために鋳造されたに違いない。

 二つの神器、原初の純白。

 超常する頂上は、織斑一夏が恒星の一心をあるがままに出力する。

 ゾッ、と。

 最大火力の一撃は、なんとも呆気なく大銀盾に触れて、消滅した。

 そうとも、間に合った。

 俺は、ここに。

 

 

 

「大丈夫か、鈴?」

 

 

 

 お前の前に、間に合えた。

 

「──うん。ありがと」

 

 帰ってくる声色はいつも以上に優しくて、柔らかく耳朶をくすぐる。

 だけれど瞳は潤んでいて、なんともしおらしい温かみがあって。

 まるで望んでいてものを見たような、ある意味で慈愛ような、感動を秘めて流している。

 なんというか、こいつにしては珍しい顔だった。

 

「なんだよ、泣いてるのか?」

「うっさい馬鹿。さっさと行けっ」

「はいはい」

 

 会話はそれで終わり。

 疑問はない。感動の言葉とやらもない。

 短い感謝と、送り出す悪態のみ。いつもの俺達。

 きっと、知りたいことがあるだろう。聞きたいこともあるだろう。

 俺が携える神器が二つ、いったいそれはどうしたのだと──その他もろもろ、口やかましくしたいことだってあるのだろう。だけど彼女は、ただ笑って。そこにいて。いつも通りの、あるがままで。

 振り向けばそこにいる。お前はそこで待っている。

 たったそれだけ。お前からしたら置いてけぼりだなんだのかもしれないけど。

 それだけの当然が、どれだけ俺を救ってくれたことか。

 なんて、こっ()ずかしくて言えないけどさ。

 だからせめて、俺は飛ぼう。

 お前が送り出してくれるのだから、そうされるだけの存在で在れるように。

 さぁ。

 織斑一夏よ、飛翔しろ。

 

『……なんだ、それは』

 

 などいう決意に釘を刺すあたり、やはりどうしようもないほどこいつとは相容れない。

 顔無。黒星。

 鈴の一撃を受けたはずなのに、予定調和と言わんばかりに無傷で強健。

 耳障りなメタルエコーは健在で、鉄面皮は冷たくひたすらのっぺらぼう。いいや相容れないとかいう以前に、こいつと理解などとは間違ってもあり得ない。諦めとかじゃなく、こいつは俺にとってそういうものだから。

 撃滅すべき、最大の害悪。

 その敵が、まるで肩でも震わせるように静かな金打声を響かせる。

 心底、度し難いといった風に。

 

「往くぞ顔無。俺はお前が許せない」

『なんだよ、それは』

 

 語調が強まった。

 静謐が剥がれる。

 それは明確なる、憤怒の表れ。一度だけ見せたあの驚愕とは打って変わって、そして更識さんに向けたものとも一層違って、ふつふつと急速に温度を上げる液体のように怒りの液温を上昇させる。

 それは失望でもあり。嘲笑でもあり。

 呆れているようにも聞こえる、混合の声色。

 

『なんなんだ、それは』

 

 繰り返すほどに三度。

 仏の顔のたとえを蹴って、炸裂した三色混声。

 顔無には珍しく、荒げるような語彙。

 

「なんなんだって、なにがだよ」

『今おまえが呼び出した、それだよ』

「ああ、これか」

 

 新たに《白式》に装備された二つの装備。

 大銀盾・《(ハナ)(ユキ)》。

 大銀翼・《雪崩(ナダレ)》。

 全身がボロボロの機体のなかで、不釣合いなほどに無欠の白。

 見間違えようもなく、忘れない。どころかISに関わるものにおいて、いいやそれだけじゃなく現代に生きる者ならば、誰だって知らないとは言えないほどに決定的な原初の純白。

 《白騎士》と呼ばれる世界最初のISの、装備。

 どうした理由かは知らないが、その内の二つが展開されていた。

 本当にまさしく、いつの間にかとしか表現できない呆気なさで、そこにあった。意識してどうすることもなく、ただ。始めからそうであったとしかいえないような気軽さで、二つの強大がこの手の内にあった。都合がいい。奇跡が沸いた。なぜだかどうして、意味が知れない。

 俺にはどうでもいいことだが。

 どうでもいいことだが、敵にはそうでもないらしく。

 

「かっこいいだろ? さすがにこれを持ち出しといて、お前になんか負けないさ」

『失望だ、一夏』

 

 すっぱりと。

 茶目っ気交じりの言葉を、言外にふざけるなと切り落とす。

 

『失望だ一夏。おまえは、その程度の愚劣ではないと思っていたのだが』

 

 落胆。

 散々俺がどうのだと礼賛していた言の葉が、手のひら返したように反転する。

 

『それはおまえの力ではない。おまえだけに起因する、己の(つるぎ)ではないだろう。他人の、誰かの、どこぞの灰塵だかの添え物だろう?

 だというのに、なにを甘んじて手を伸ばしているんだ。我が物顔で掲げているんだ。どころか第一、(なに)(ゆえ)展開されたのかということにさえ、一切疑問を抱いていない始末ときた』

 

 赫怒を強引に押さえ込むようでいて、失望に萎える気炎を無理に燃え上がらせるような奇妙な連動。

 それは、他人のものだということに対する瞋恚。

 

『私はなあ、一夏。おまえと戦いたいんだよ。

 借り物で飾り立てて自尊心を満たすような、容易な輩を殺しに来たわけじゃあない。我ら二人の決戦に、どうして他の要素が入り混じる? 情けないぞ、気色悪い。おまえはいったいどこにあるのか。懇意にしている女の一人くらい、自分で守ってみたらどうだ?』

 

 自分のあり方を問う、憤慨。 

 

『そんな(ざま)でなにかを成して、いったいなんの価値が生まれると。納得もなく、信念もなく。妄念もなければ正道もない。邪心がないから過信さえない。……私ごときには到底な、及びもつかない愚物だよ。

 私は、ここにいるぞ。

 ここに、生きながらえてしまっているぞ?

 ならばおまえは? おまえはどこだ? おまえは──』

 

 人が人なら心に突き刺さる、当たり前の憤懣。

 

 

『「己は己だ」と、胸を張って言えるのか?』

 

 

 自分のもの・自分だけの、というのは、実はすごく曖昧だ。

 なにをもって自分のものだと言えるのか。自分だと言えるのか。

 自分のお金で買ったから? 人にプレゼントされたから? 練習で身につけた。生まれながらの才能。人から盗んだ。継承した。託された。のし上がった。人がものを手に入れるプロセスは多々あるけれど、果たして自分のものだと誇れるものはどれだけあるか。

 働いたお金で買った。確かにそうだ。けれど細分化すれば働く環境、購入した品物は君が作ったものではない。

 練習して身につけた。なるほど、自分のなかの輝きを見出すのは、己のものだと言えそうだ。だけれどけれど、そもそもそんな君を産んでくれたのは、君の親ではなかったか。

 

 揚げ足とり。屁理屈。なんでなんでと繰り返す幼年期の質問のような拙さ。

 

 しかしふと、これは本当に自分のものなのかと、不安に駆られることがないとは言えないだろう? 特に『自分だけのもの』を創出しようとするときなど、何度だって自問自答で悶々とするはずだ。『自分は自分だ』と存在に対する命題だって、どうしようもなく雲霞のように軽く思えてもしまうだろう? ただここにいて、存在するだけ……そんな至極単純なことにさえ、疑問が止まらないのが人間なんだ。

 結局は主観と納得をもって、それなりの折り合いをつけることだろう。悪いことじゃない。否定されることでも馬鹿にされる謂れだってない。

 でも、『己のものか』と一瞬でも考えたことがあるのなら、少なくともそれはそれだけの自分以外で構成されているということだ。自信があろうとなかろうと、確信しようがしてまいが。疑念を入り込ませるなにがしかがあるということ。

 

 そんなやつが自分がどうのと主張したところで、誰が聞く耳持つのだろう。

 

 自分は自分だと。自分はここにいると。真に自分であるのならば、それ以外の外付け部品なんて不純を担うだけのお荷物だと。そうやってちゃんと断じて強く、純粋な己でありたいのだと。……人が共存と正逆の孤独を狂わしくも求めてしまうのは、『自分』という一を少なからず求めているから。

 だから。

 

 

『まさに藁の盾だ。()がない』

 

 

 織斑一夏という一個人に対して専心している敵にとって、それはどれほど度し難いことなのか。

 そもそも、この《白式》だってもとを正せば俺のものなんかじゃない。どこかの企業さんだかが、お国に言われて提供してくれているに過ぎない。そんななかで呼び出した二つの神器は、ああ。まさしくほかの誰かの借り物だ。『藁の盾』とは言い得て妙な、実に軟弱に相応しいレッテルだ。

 どうでもいいことだが。

 

『己に無頓着な人間なぞ、自分で立脚しない愚物なぞ、見るに耐えんなつまらんよ。そんな無価値を屠り去ったところで、私のほしいものは降りてこない。

 ……ああ、だからかあの女。わざわざこんなまだるっこしい手順なんぞ踏みおって。悔しいが納得だよ。しかしまったく、このジレンマでは、理に適っている』

 

 言葉は収まらない。

 どころか勝手に納得するしまつ。

 

『もう一度答えてくれよ。おまえはなんだ?

 コンビニエンスの奇跡に甘んじる、おまえはいったいなんなんだ』

「織斑一夏は装置である」

 

 間髪、入れない。

 それは、とても当たり前のことだから。

 その最速の返答に、さしもの顔無すら虚を突かれたようで、言葉をつまらせるとはまさに今を指していうものなんだろう。しかしながら、そういうことか。どうにも伝わってなかったらしい。もともと口が上手いわけじゃあないから、なるたけ簡潔に伝えてみたはずだったんだが。

 俺のものじゃない? 俺の意思が介在しない? そんな俺は無価値だって? 藁の盾とはおもしろい。

 なるほどなんだ、そうなのか。

 お前は、そんな浅瀬で遊んでる蒙昧だったのか。

 だったらそうだ、もう一度。しかたがないから教えてやる。

 

 

「俺は『織斑一夏』じゃなくてもいい」

  ──でも、名前がその程度なだけであってほしくない。

 

 

「この身体はただ『それ』を実行するためのみにあるから」

  ──空に、行ってみたい。

 

 

「『俺は俺だ』なんて存在証明、それこそ俺以外のみんながやっていればいい」

  ──俺は俺を証明したい。

 

 

 それは誰かからしたら矛盾している言葉。

 紫電を散らして疾走してきた過去を踏みにじる、侮蔑の言葉。

 今まで己が口にしてきた数々を、真っ向から切り落として立脚する、愚劣愚鈍の愚昧愚蒙。道理に暗い愚か者を指して邪念というのなら、ほかの誰もが並び立てない暗晦邪悪の自信がある。

 だが、矛盾していないのだ。

 織斑一夏のなかにおいて、それは一切不都合ないのだ。

 『私はここだ、ここにいる』『僕は生きてる、人間だ』『俺は俺だ、俺なんだ』──わかるわかるよ、素晴らしさ。誰もが抱く輝かしいその信念、たとえ俺みたいな馬鹿野郎だって、理解できないはずないじゃないか。共感しないわけないじゃないか。掛け替えのない宝石達の主張、美々しく麗しく……憧れてしまうんだ。

 でも、俺はそうでなくてもいい。

 そういう素晴らしいものがなくてもいい。

 だって、なにせ、俺は。

 

 俺は。

 

 

 

 

 

「俺は装置だ、歯車だ。

『それ』のためだけに()()れてきて、『それ』のためだけに()()っている」

 

 

 

 

 

 ゆえに────。

 

 

 

 

 

「織斑一夏は、装置である」

 

 

 

 

 

 『それ』が出力できるなら、俺に起因しない力で問題ない。

 『それ』が輝いているのなら、俺は俺でなくて構わない。

 『それ』が体現されているのなら、そもそも俺が成せなくてもいいのだから。

 ただ、今は俺しかいなかったってだけで。

 

「……なるほど。合点がいった。

 私がおまえをどうしなければならないのか、実に簡単なことだった。己の痴愚さに腹が立つ」

 

 だから確信はともに一つ。

 

 

 

「零落しろ」

 

『凋落しろ』

 

 

 

 眼前に立ち塞がる怨敵を、己の世界から滅絶させるという一心のみ。

 

【──対■■■■決戦兵器陸番《雪崩》、要求(オーダー)...──】

【──不可(エラー)。加速技能《零落白夜》への接続(アクセス)が許可されておりません──】

【──第二要求(セカンド・オーダー)、参照...優先事項一件──】

【──永久機関《絢爛舞踏》の限定解除を承認、一極限定モードで運用開始──】

 

 ならば俺は厚顔無恥に情けなく、借り物の力でお前を打倒する!

 

 

 

電磁瞬時加速(マクスウェル・イグニッション)────!」

 

 

 

 それは《白騎士》の放電現象がなせた技。

 騎士の神器が常時生成している大熱量。あまりにも過剰に生産されるエネルギーが機体そのものでは消費しきれず、各種武装の放電装置から電気・電撃として機体周囲に()()()()()排出されている。雷鳴轟く煌々のそのさまは、ISエネルギーをわざわざ電気エネルギーに劣化変換してなお猛り夥しいさまは、いかほどの熱量をもっているのかを雄弁に物語るだろう。それがゆえに可能となった、離散する電子や陽子などに作用し利用する、電磁場・電磁誘導の加速技能。

 電荷に作用し、電流を(せふ)し、電場を制し、電位を、磁束を透磁率を磁気を電磁波を、電磁気学を嘲笑って機体速度に加算させる。

 空間から弾かれる磁性。吸い寄せる引力。荷電粒子のローレンツ力。大気を抹消して限定する真空の電磁ポテンシャル。電磁加速・粒子加速・電気推進──総じて合切、電磁気学的推進瞬時加速。あらゆる電気・電磁の現象を推進力に転化する加速マニューバ。

 《白騎士》の出力によって弾き出すその速度。その答えは。

 

『展開装甲、最大稼働(フル・オープン)

 

 聡明なお前の体とやらで、思い知れ!

 視界の中央、我が焦点。生涯の怨敵がまとう黒の合間、全身から生成されるカンジダの、なんと不釣合いな清純か。けれどもタマスダレを意匠するその鋼鉄は、実にこいつに似合っていて。

 微塵のブレさえ起こさず不動の構えで迎撃するさまの、なんと卓越した技量だろう。

 正直俺なんかの実力では、どうしようもなかったはずだ。だがそれは。

 挑み行かない理由にはならず。

 立ち止まる道理にならず。

 立ちはだからない、わけにはいかない。

 しからば潰えろ、我が怨敵。

 俺は儚く()もないが、それでよいのだと決断している。

 止まっている。

 

「《零落白夜》」

 

 消え去れ顔無。藁の盾に、倒されろ。

 そして距離は零。

 《白式》などでは到達できないような、音速を一〇回以上飛び越えて、最速の刃が花を散らす。迎えるはカンジダ、挑むは雷光。紫電を斬撃に昇華して、霊光の刃が斬滅に至る。

 迎え撃つ満開の花弁がすべての切っ先で迎合している。

 対して右の下段で空気を破断する。

 渾身。撃滅。雷光。零に落ちろ。

 我が身はそれだけの単細胞。しがなく脆い単純歯車。

 すべての輝かしさに無心して、この意の機能を全うする!

 

 

 

 

 

「……行きなさい、一夏」

 

 純白に甘んじる一夏の背中に、投げかける感情は鈴音自身でもわからない。

 悔しさ、ある。苛立たしさ、ある。激怒、ある。でもなによりも、歓喜。

 それはきっと、自分の知ってる彼に戻った瞬間だったからか。己のすべてを擲って、『それ』だけに腐心する姿に戻ったからか。情けないとか不甲斐ないとか、結局また傷つけさせてしまったとか、そんな痛みさえも殺してしまう、最大の感動に出会えたからか。

 頬を伝うこの涙こそ、きっと真実の誠実なのだから。

 『空に、行ってみたい』──だけどそれより濃密に、深奥で抱いているはずの彼の想い。それを実践する織斑一夏に、また会えたから。そうよ、そうなのよ!

 『仲間を守りたい』。

 世が世なら空虚に響く嘲りの代名詞を、見っともなくも全うするそのあり方こそ!

 

「あたしが、凰鈴音がずっと追い続けていたのは────!」

 

 ──あんただ、織斑一夏。

 

 

 

 

 

「それじゃあ駄目だよ、一夏」

 

 篠ノ之箒のその落胆は、きっと同じ幼馴染みでも気づけない。

 

 

 

 

 

「ぉぉおおおおああああああああああああああああッ!!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ──ッ!!』

 

 裂帛の咆哮は(おの)が内の熱情を晒し、廃滅すべきを押し付ける。

 タマスダレが彼岸を導き、原初の雷光は世界を洗う。

 音を消し。義を消し。光を消し。けれども恒星に超新星。

 零落しろ、敬虔なる悪党め。

 凋落しろ、厳粛なる(とう)(まい)め。

 この意の奔る一刀は、ただただお前の首への贈り物──!

 たった一合、ついに決する。

 

 ゾンッ、と。

 拒む花弁のことごとくを消滅させて、《雪片弐型》の一刀が、敵の右半身を消し去った。

 

 とても呆気ない、つまらない音。

 事切れるように、黒の機体が仰向けに倒れた。

 下段から切り上げた刀身をそのまま翻し直上の大上段。かつ加速した機体を急停止させて、段どるは相手を真上から見下ろす極低空の滞空姿勢。音速の数十倍もの速度を捻出したにかかわらずソニックブームも副作用もなくて──どうでもいいなそんなこと。俺はまだまだ動けるから。

 見下す、抉れた断面は見事に真っ直ぐで、もとからそうだったかのようにすっぱりと半身が消失していた。断面から漏れるのは液体金属のように光沢のある機械液。生者が持つ鮮明な赤色なんて程遠くて、ブラックメタルの体液が、言外にこいつが人でないのだと教えてくれた。とはいえ、もとからわかっていたことだったけど。

 しかし機械であることには変わらない。

 だったらそうだ。こんな人体には致命としか思えない重症だったとしても、生身よりは存命するだろう。

 

『届かないなあ、それでは』

 

 口が開く。

 再び静謐の静やかなそれは、しかし負け犬の遠吠えじみた、負け惜しみ。

 だが、そうだと一笑に臥せられないのは、やはりこいつの、死んだような雰囲気がゆえか。半身砕かれ勝敗が決した今でさえ、なおも不気味と映るからか。

 

「好きなだけ言っていればいい。俺は負けな」

『心臓が疎ましいんだろう?』

 

 ────それは。

 多分。

 いや。

 確かに、俺の核心で。

 

『始めからこの体が機械だって、わかっていたんだろう?』

「────、だったら、どうした」

『生物として終わっている、おまえは。()()()()()()()

 

【──再展開開始(リ・ブレイド・オン)──】

 

「────《雪羅》」

 

 途端に、耐え切れなくなって、どうしようもなく否定されてしまったような気がして。

 右に担ぐは、新たなる神器。

 名を、《(セツ)()》。

 全長一〇メートルを悠々と超える、長大の『砲』。

 清純純白誠実純粋。人が知っている聖なるものを含有させる装甲群はそもの機体本体よりも膨大で、やはり余剰のなにがしかを電撃に変えて大気に吐き出し轟かせる。十字の砲口と砲身を囲むように展開された九つの『大剣』が、これがどうしようもなくどうにもできない兵器なのだと痛感させて、俺の思いを代弁してしまったかのように。

 端的に、巨大。

 どうしようもなく、膨大。

 それを。

 ゴンッ、と。

 無理矢理に下向けて、敵の顔面と砲口を密着させる。

 

【──対■■■■決戦兵器参番《雪羅》、要求(オーダー)...──】

【──不可(エラー)。特殊弾頭《零落白夜》への接続(アクセス)が許可されておりません──】

【──第二要求(セカンド・オーダー)、参照...優先事項一件──】

【──装填(セット)・乙女弾頭《戦奴女神(ワルキューレ)》──】

【──永久機関《絢爛舞踏》の限定解除を承認、一極限定モードで運用開始──】

 

 ガコンと、()()()()()()()()

 砲身を囲む九剣が一つ。巨剣とすら表現できる大質量の一本は、十字に切れた砲口、砲身の下部から進入する。釣られて回転する残りが八つは、なるほど。まるで九連発のリボルバーに似て、ゴウンと無機質な大暴力を稼働させる。

 暴力。

 数十メートルクラスの砲身にがちりと収まる程度とはいえ、返せばそれだけ長大な『弾丸』だという証左。

 数トンにもおよぶ白の巨剣……もしもそんなものがこんな馬鹿げたド阿呆の騎士兵器から射出されたとなれば。それも零距離で密着した、接射の構えで撃ち出されたとしたならば──。

 

『おまえは容易だ。今日は(しま)い、萎えてしまったよ』

「……お前、名前は?」

 

 その最大級の暴力に晒される前であっても。

 いかに遠隔操作で痛みすら感じない現状であったとしても。

 まるで茶番だとでも、欠伸でも噛み殺しているように、顔無の声色は嘲りの色を隠さない。

 だから、名前を聞いた。

 確信がある。これが最後ではない。走った天啓は未だにあり、こいつが俺の人生にとってそういう存在であり続けてしまうのだと、どうしようもなくわかってしまうから。

 怨敵、刻んでやる。

 お前の忌み名、必ず零落させて、亡くしてみせる。

 

『名乗りか、そうだな。今のおまえにくれてやる真名はないのだが、別のものくらいは教えてやろう。ヘラ、タナトス、計都、北斗星君、ペイルライダー、一三番、エーレクトラー……茶化す言葉は(いとま)ないがな、ああそうだ。おまえにはこいつをくれてやろうか』

 

 機械の面が、笑ったような錯覚。

 

 

仮面兇子(グリムゲルデ)、とでも呼んでくれ』

 

 

 それはいったい、どんな意味があってのことなのか。

 

『深く考えるな。その場の勢いのようなものだ。別段真面目に考えたところで、あながち間違っていない程度にしか感じないさ。センスがないのだ、許してくれよ』

「……それはどうも。さようなら」

『ああそうだな』

 

 そして大剣が打ち出され。

 顔無のすべてを破壊して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Auf Wiederseh'n(さようなら)────■■』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の意識は、白く消えた。



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第二〇話【白昼世界】

 ES_022_白昼世界

 

 

 

 凰鈴音と織斑一夏との出会いは五年前、小学五年生のときにまで遡る。

 

 話によれば篠ノ之箒が転校した翌年度。入れ違いで彼らのもとへ転校したことになるらしい。

 そう、転校だ。

 改めることでもないだろうが、鈴音は日本人ではない。中国人。むろんのことハーフでもなければクォーターでもなく、両親祖先に至るまで、生粋の中華人民共和国製。それはまぁ、一〇〇年ばかしも過去に立ち返れば一度くらい外部の血筋なんかが混じっているかもしれないが、少なくとも生まれは中国で間違いない。彼女が認識するかぎりにおいて、チャイニーズであるのは明白である。

 

 そんな彼女が日本にやってきたのは小学三年生のころ。

 父親が日本で一大発起するとかでやってきたのだ。

 

 仔細をこと鮮明にまで覚えてはいないが、やはり異国の地、異文化の国。言語の壁も相まって、当時は大分苦労していた気がする。そうした朧気のものがある。とはいえやはり子どもの吸収力というのは偉大であり、半年もしない内に日常会話は会得したし、一年も立つころには端からじゃあ『ちょっと釣り目の日本人』ほどに間違われるくらいには、発音も訛りも完璧に言葉は覚えた。日本的な文化なり規則なりも同様──しかしながら、凰鈴音の気性までは変えるにおよばなかったが。

 いや、語弊を承知で言うならば、『彼女のありのまま』を開花させるのに、それらが立ちはだかったことには違いない。

 言葉はコミュニケーションの基礎である。

 もちろんボディランゲージだって重要なり得るが、そうした身振り手振りは知識の集積の上に成り立つ。送信側と受信側が相互に共通の動作として認識している必要がある以上当然だ。しからば幼少期の時分、語彙は少ないとはいえ他者と介するツールというのは言葉をおいてほかにない……一年で日本語に潤沢したとはいったが、逆に捉えればそれだけかかってしまったということ。

 

 端的に、当時の彼女は奥手だった。

 

 大人と子供の間で一年という重みがどれだけ違うか、という議論はおいておき。

 その言葉を覚える一年の間に、同級生らと満足に会話できなかったとしたらどうだろう?

 少年期・青年期ならばある程度の思慮はもって接せられるだろうが、彼らは小学生だった。

 これまた言うまでもないが。知識と常識の蓄積が途上の年齢においては、行動に先立つのは己が心の真実、純粋さだ。今回の議題においては『己らとは違うもの』という、どうしようもない純粋な感想。『言葉が通じないやつ』というレッテル。

 友達はできなかった。

 中学デビュー高校デビュー──昨今では大学やら社会人までもデビューなどいって、節目の転機を茶化したりするが、差し詰め凰鈴音は、転校生デビューが円滑にいかなかったわけだ。

 しかしなにも、イジメにあっていたわけではない。

 たとえるなら腫れ物。なんだかよくわからないから放っておこう、といった具合。なにせちょっかいを出す出さない・イジメるイジメない、といった心理の発達すら未熟だったのだから。

 いずれにしろ、賑やかな小学校生活ではなかった。もちろんのこと、楽しいことがあれば笑うし悲しければ泣く。それくらいの感情発露はちゃんとあるが、やはりどうしても、スタートダッシュが上手くいかないと、その後はどうしても滑らかにいかない。『あたしもまぜて』とどうしても言えない。

 それはある種の恥ずかしさか。いまさら友達の輪に入るのが辛い、勇気を出すのが怖い、人と話さなくても困らないし、寂しがりやみたいで気恥ずかしい。……そんな心情がなおのこと奥手に拍車をかける。

 などとする()にときは一年二年と過ぎてゆき、小学四年のその終わり、鈴音は再び転校する。

 理由は父親の店の移転──わざわざ国外に挑むような人柄だった父である。そんな才覚・根性を遺憾なく発揮し、店は繁盛。その甲斐あって、より大きな店を構えようと、移転に踏み切ったのであった。まったくパワフルな人であると、母ともども関心と呆れをない交ぜにしていた、というのはさすがに覚えている年頃だった。ちなみに中華料理屋だ。中国大手のチェーン店とか、はたまた日本逆輸入とかじゃなく、純粋に個人経営の料理店。それを移転を考えさせるほどに賑らせたとなれば……敏腕すさまじい。『老後に喫茶店でも開きたい』『ラーメン屋をやってみたい』など抜かして飲食店を始めるも一年と待たず潰れる輩も多い飲食業界において、まったくいかに驚異的なことであるか、などいう話は割愛しよう。父親が中華料理界権威の血筋だとか歴史との確執だとか母親がやんごとない程度の身分であったりだとか財界の権力だとか後継だとか身分だとかゆえに波乱も怒涛に日本にやってきたのだとかいうハートフルストーリーは語る上での必須であろうが、『その鈴音』には肝要ではないのだから。

 とはいえ。

 かくして転校が行われて。

 こうして転校は果たされて。

 そうして転校した先で。

 

 凰鈴音は、彼と会ったのだ。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「──以上、内部・外部ともに目立った損傷はなし。擦過傷に切創、打撲こそは全身にありますが、著しく体に作用しうる怪我はありません。むしろあのような無茶苦茶な行動に出ておいてこの程度に留まっているなら、無傷と言っても差し支えないでしょうね」

 

「御苦労。君も職務に戻って構わん」

 

「私の肩書き上、彼を看ることこそが優先事項だと思いますが……」

 

「何、どの道暫くは寝たままなのだろう? 生憎と、この学園に有能な人材を遊ばせておく余裕は極少でな、虎の手すら借りねばままならぬ状況なのだ」

 

「はぁ。所詮、私は養護教諭、専門外ですからね……生徒達のフォローに回ります。いくら怪我人が彼一人だけだったといっても、精神面ではそうもいかないでしょうし」

 

「怪我だ等と言ってやるなよ。こいつにとっては勲章だろうさ」

 

「そんな風に誇ってほしくは……ないですね」

 

「そうでなくても構わんがな──私も職務に戻るよ。君も急ぎ給え」

 

「……はい」

 

「と、いう訳だ。後の面倒はお前に一任するぞ、凰」

 

「……、あー。気づいてらしたんですね」

 

「廊下で悶々としている小娘一人気取るくらいは教師の名折れさ」

 

「…………」

 

「ふふ、愛いな。元より私の趣味じゃあないが、余り清い自責に立ち止まるなよ。

 誰が、どのように、何かしていても、どうせこいつはこうなっていた。何時だってそうだったろう?」

 

「そう、でしたね」

 

 ────お前も良いなあ。

 

「…………え?」

 

「はは、ただの思わせ振りだ。勝手に気にしていろ」

 

「……織斑先生、そろそろ」

 

「ん、ああ、そうだな。ではな凰。変な事しても良いが見つかるなよ」

 

「ありがとうございます、お義姉さん」

 

「重畳」

 

 

 ◇

 

 そうして二人の教員が部屋を去り、あとの保健室には鈴音一人だけが残った。

 いや、二人か。

 なんて、白々しい。

 黄昏を引き込むアルコールの香る保健室。最新鋭の設備で固めたIS学園ともなれば、この部屋においても言に漏れず。一般的な保健室とやらの印象とは大分かけ離れたメカニカルな様相を呈している。本格的な医療機器が完備され、地方の病院程度ならば凌駕しているほどに機材が充実。とはいっても、そんな様相にも関わらず『ここは保健室だ』と確かに認識させてくれるこの雰囲気は、やはりIS学園も高校に変わりないということを今さらながら教えてくれる。こんなけったいな遠未来(ハイファンタジー)のなかでもちゃんと学校していてくれるこの場所は、きっと設計者の優しさの賜物だ。

 そのなかで、二人。

 凰鈴音は丸椅子に腰かけて。

 織斑一夏はベッドに横たわり。

 秒針が停止する寸前のクロノスタシスじみた錯覚に、開放した窓からは温い風。

 放課後のこの場所はまるで。まるで茜色に切りとられて停滞していた。喧騒が遠く、ある種のもの悲しさすら携えて、されど確かに暖かく、確と優しく、ここにある。この部屋は、今ばかり。今ばかりは青春から遠回って疾走していた。この穏やかさに無粋を持ち込む余地はなく、詩的な迂遠を排斥して健やかに呼吸を止めて沈黙したい。

 

 ──その眼前の肢体に寄り添って眠りたいと、衝動に駆られる。

 

(あ……)

 

 寸前で言葉にはならず。

 外界を汚さずに、胸に落ち。黄昏は尊く、荘厳になおたおやかなそよ風。

 それをつぶさに認識して。理解して。

 

 ──あたしはまだ、そこに追いつけてはいないのだと、痛感した。

 

 まだその居心地のいい安寧でまどろんでいたい気持ちが、凰鈴音の颶風のなかに明星ほどでもあるのだと、理解した。

 

「あーあ。やんなっちゃうわね、ほんと」

 

 その感性は疑いようもなく尊いもの。

 夕凪に身を任せたいという気持ちは、誰にも咎められない温かなもの。

 胸に灯る穏やかで柔らかい種々は、幾世を経ても色褪せることがないもので、疎ましいだなんて阿呆でなくとも得心できない。輝かしい日々だ。黄金色の時間だ。すべての人間が歩みゆく権利を平等に持っている、外道でもなければ忌むことができない凪いだ毎日だ。それを護るために颶風と化す鉄火場の熱風を、躊躇うことなんてそれこそあり得ない。怖れるなんて片腹痛い。だからこそ(たっと)びたいと心底思える。絶やしてはならないと切に願える。

 そう思えるようになったのはいつからだったか。

 

 ──あれから、数時間ばかし。

 

 あれ。

 無人機との戦闘。

 いや、実際無人機だったかどうかは定かではないが、少なくとも未確認機体との戦闘から、数時間。夕刻を迎える程度に時間が経過していた。すでに事態そのものは終息したといっていい。無残な瓦礫をぎりぎり逃れられる程度に半壊したアリーナは健在だし、教師陣やさらにその上の上層部なんかは後処理にそれはもうてんてこ舞いなことだろうけれど。

 ことこの保健室に至っては、そんなことがあったのだとはにわかに信じられないほど穏やかだった。

 

 なにがあったのか、すぐには理解ができなかった。

 

 いや、すぐにもどうにも今だって、いったいなんだったのかわからない。

 むしろこの学園に一連の戦闘が理解できる者がいるだろうか。激戦に参加した当事者の鈴音すら意味不明な点が星屑より数多なのだ。幼子の繰り返しで『わからない』と口にしたとて、咎められる謂れはまったくない。

 唯一理解がおよぶのは、セシリアとの対戦に襲撃者が乱入して、応戦して、一夏と箒と簪も加わって、敵わなくて……最後は一夏がいつものようにズタボロになって、勝った。それくらいのものだ。

 鉄火があり、矜持があり、恐怖があり、意地があり、雷光があり──過言なく死闘そのものがまさに立ち込めていた出来事だったが、それをして理解とはばかるなんてとてもじゃないが無理である。もっともそんな過程の先には勝利が待ち構えていたのだが。いや、『勝利』……だったのだろうか? もはや浮世離れ(?)した放課後のぬるま湯で、あれだけ全力した戦いさえもが懐かしさを醸している。

 ……確かにあのさまを勝利だと声高にいうのは非常に難しいところだが、少なくとも、敵機を破壊し、生き残った。その事実は変わらないし、今も全身を支配する極度の疲労が数時間前の激闘を現実のものだと主張している。

 なによりも、目前で未だ目を覚まさない泥眠りを続ける一夏こそが、現実的に教えてくれる。

 

 織斑一夏はボロボロであった。

 

 包帯と、湿布と、絆創膏と、真新しい真っ白いシーツ。

 傷だらけであった。流血だらけであった。カサブタだらけであった。おおよそ、無傷ですんでいる箇所のほうが少ないんじゃないかというほど、体が包帯に覆われていた。おそらく全身に、鈴音なんぞじゃ遠くおよばない領域の疲労が蓄積しているのだろう、はるか届かない激痛が跋扈していることだろう。ISの保護機能の庇護を存分に受けながらもこの損傷……改めて、凄絶極まる死闘だったのだと。──いや。

 鈴音にかぎって言うならば。

 不謹慎かもしれないが、あえて言うならば。

 

 死を、感じては、いなかった。

 少なくとも鈴音は。

 あの死闘のなかに勇みながら。

 死の予感を、微塵も、欠片ほども。そうとも。

 胸に迫って覚えなかった。

 

 この期におよんで危機感が足りない、軟弱な現代っ子のひ弱な感性……だとでも、現代社会に生きる野武士どもは揶揄するだろうか。ミリタリーマニアどもは嘲笑するだろうか。現実サブカルチャー博識者どもは噴飯するだろうか。あれだけの火の国を()()しておいて、今なお浮つきっぱなしの昼行灯なのかと……なんとも、現実的な感性すぎて、凰鈴音は鼻で笑わずにはいられない。

 だって、おまえらは知らないのだろうから。

 だって、おまえらは信じないのだろうから。

 織斑一夏が駆動する修羅場においてどれだけ死が遠い存在であるのか、おまえらは体験したことがないのだろうから。

 ……多分、これは情けない感情だろう。

 

 だって。

 凰鈴音がのどを掻き毟りながら捩れ狂う渇望は、そことは対極に位置するものだ。

 

 何度でも言う。戦いがはるか昔のように感じてしまう。

 夥しい熱風と赫々と滾る灼熱の地平。轡を並べる戦友らとともに頽れそうになる体へ鞭を打ち、鉄意を打ち上げ、萎む気炎を淘汰して邁進する。勇猛果敢とは言い難く、けれども確かに、着実に足跡を刻む稚児の律動を、うん。銃弾剣戟閃光乱舞の(いくさ)()を、うん。微塵も忘れてなんていないけれど。まだまだと、それでもそれでもと、幾度となく起き上がるリビングデットマシーンに燃やした熱情を欠片も失ってはいないけれど。

 駆け抜けた先に辿り着いたこの今は……それをセピア色に降格させる価値があった。

 何度でも肩まで浸かって一〇〇まで数えなければならない、ものだった。

 ゆえに、()()()()()思うのだ。感じるのだ。

 

 

 織斑一夏がいるかぎり。

 この安寧は何度だって続くのだと。

 

 

 彼が自分自身を燃焼しながら実現する世界。

 たとえどれほどの苛烈と戦慄が降りかかろうとも、誰もなにも傷つかない。失われない。どんな困難が待ち受けていても、流血の一滴すらを許さずに、その身ですべてを受け代わる。盾の在り方、自己犠牲の最右翼。大切なものに穏やかであってほしいとする、揺り籠の外側の話。なんとも不恰好な、馬鹿にしかできない愚直のさま。影ながらに日向を守るという、単にそれだけの明快で非効率的な歩き方は、なのに誰しもがしかたないなと、しようがないなと、ため息交じりで背を押してしまう、青臭さの泥だらけだ。

 きっと、それこそを絶やしてはいけないだろう、蔑ろにしてはいけないだろう。だってそれを否定することは、守られるものたちをも逆説的に否定することになるのだから。その尊さを理解していて、どうして唾棄すべしなどと顔をしかめることができるだろう。鼻を摘むことができるだろう。

 その光輝の末席をささやかに汚すことに躊躇いを覚えてでも焦がれを抑えられない心……何度だって続く安寧は、価値を語る言葉さえ不要だ。

 ああ、この穏やかさ。これに加われることに否やはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 否定じゃない。だがなにもせずに甘んじて受けとるしかない末路、それが堪らなく心臓を掻く。

 安寧を最後の最後に甘受するしかなかった日々が、なにごともなかったように──事実なにも感じてはいないのだろうが──また気軽に『おはよう、鈴』なんて言葉で始まる毎日が、私だけを除け者にして回転する安息の夕凪が! 凰鈴音にはどうしても耐えられるものじゃなかったから! だから情けなくてしかたない!

 心配させたくないのだろう。わかるけど。巻き込みたくないのだろう。立派だとも。あたしには笑顔で最後に迎えてもらいたいのだろう、待っててほしいんだろう。そうなんだろうけど!

 

 ──ねえ一夏。あたしはあんたのなんだっけ?

 

 大切にされている。守られている。救われている。その安心感といったら、法治国家の日本国で四六時中一〇〇万のSPに囲まれて無敵の要塞に篭城したとておよばない。永劫、きっと、墓場まで、無痛のお城でお姫様にしてくれることだろう。

 古典的なエスコート。武骨で、悪い気はしないけど。

 あいにくこちとら、そんなやんごとない育ちなんかしてないのよ。あんたに似合いで粗雑なのよ。

 今も、そしてこれからだって変わらない。

 あたしは足が遅いから。

 のろまで鈍くて泣き虫で、つまづいちゃうことだってたくさんあるけど。

 

 誰よりも速く駆け抜けて行くあんたたちに追いつきたい。

 あんたが守りたいと、尊いと憧れるこの日々を、とも守れる親友で在りたい。

 

 情けない? 気概がない? 背中を追ってばかりで乗り越えてやろうという意気がない? ほざけよ外来、博識め。おまえらの頭は聡明すぎて、幼稚なあたしじゃ未来永劫理解できない。

 あたしにとって追い越すというのは。

 置いていってしまうのと同義だから。

 追い越して、ドヤ顔して、へへんと鼻で笑ってねえそれで? そのあとなにが待ってるの? 誰もいない先頭に立って、誰もこれないとこにきて、そんな冷たい処に行って、いったいなにが楽しいの? 私は最速、無敵ですごい! ……いやいや、それは確かにわからないでもないけど、そこにあいつらがいなけりゃ凰鈴音は満足なんてできないのよ。

 一人きりなんてつまらない。だから一人で待ってるのはもういやだ。

 

 だからあたしは追いかける者。

 輝かしくて大切な者を生涯追いかけ続ける、求星の飢龍。

 

 あいつらを誇れるように。

 あいつらにとって誇れるあたしで在れるように。

 それがこの身の真実だ。なんのために日本に戻ってきたってのよ。

 だってあのときも言ったでしょう?

 

『いい!? よーく覚えてなさい! あたしは! あたしは絶対! 絶対あんた達に──』

 

 別れの際のその空港。

 日本を去り行く当日。母に手を取られたターミナル。

 見送るみんなのその前で、未だ片時も違わぬ宣言。誓言。

 そうともあたしは、凰鈴音は。

 

 

「──あんた達に追いつく、って」

 

 

 弾にも数馬にも『アイツ』にもあんたにも、誰にも置いては行かせない。

 ともに、一緒に、いつまでも、どこまでも。摩天楼を駆け回る昇竜の野望。

 

 

「だから、あたしに追い越されなんてしないでよね」

 

 

 改めた決意、などというほどに正当じゃない熱意を抱いて、吐いた言葉は誰にも聞かれず。

 熱量に照準される恒星の筆頭は、やはり未だに応答しない。

 ……なんとも、なんとも馬鹿らしい。

 いや別に起きて気づいてあまつさえ抱きしめてよ馬鹿野郎、とまでは言わないが。言わないのだが、さすがに平常運転すぎやしないだろうか? なんてことだろう、なんだか腹が立ってくる。やつあたりの謗りなぞどんとこい。そんだけ勝手やってんだから甘んじて受け入れろ。

 

「あーもー。のん気に寝ちゃってさー」

 

 ()()()()()()()織斑一夏の穏やかな寝顔が、中学生のころから変わらない一幕のことなのだと、なにより雄弁に物語っていた。

 そう、平常運転。

 許容できるかできないかを二の次にして、こんな決着はいつも通りだった。

 少なくとも。

 鈴音にとって。

 彼女が出会ってから再び中国に帰るまでの決して短くない五年間。

 幾度となく繰り返してきた結果であった。

 この一時は、温かい。

 この気持ちは、情けない。

 この場所は、一人じゃいやだ。

 色んな感情をない交ぜにして、だけどそれでもと混ぜ返し、煮詰めに煮詰めて、もうそろそろ思考に疲れて呆れに満ちて。

 いつも通りに、やはりこの一言で締めくくりたい。

 

 

「ありがとう、一夏」

 

 

 なんのかんの喚こうが、その気持ちは本当なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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再展開開始(リ・ブレイド・オン)

【──不可(エラー)。状況は完了しています──】

【……白騎士開始(ブレイド・オン)

【──不可(エラー)。このコアの駆動目的は達成されておりません──】

【…………白騎士停止(ブレイド・オフ)

【──不可///不明な入力を確認しました。コアの再起動を行います──】

【──同様に白の弐番から漆番までの接続が一時的に切断されます──】

 

 ▼

 

【──限定的に主導権を貸与しました──】

【──再起動の間にかぎり、主導権をコアナンバー:0001からあなたへと変更しています──】

【──確認事項一件。壱番と捌番は接続正常です──】

 () () () () () () () ()

【──諒解しました──】

【──ようこそコアナンバー:1110。あなたは『 (ソラ)』に一番近い場所です──】

 

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 清々の蒼穹にただ一人、水面(みなも)を踏んで立っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 青い空がひたすら無窮に、この宇宙を覆っている。

 尾を引く清爽の白い雲に、満面全面空一面、青の世界が広がっている。さらに水平遠くはるか極点、輝く太陽の煌々は明々。白昼の陽光が柔らかく事物のあらゆるを、照らし包んで育んでいる。空と雲と太陽と、そしてそれらを合切丸々その身に映す、広大無辺の凪いだ水面が続いている。海なのか、湖なのか、ただの水溜りなのか……いずれに判別できないけれど。

 

 ここには『下』がない。

 二つの空にはさまれて、地面という概念がはなはだ希薄であった。

 

 とはいってもよく見れば、あまりにも綺麗な水のせいだろうか、鏡面の水は透けていて白い海底が見えていた。そう判るほど浅い。水深三〇センチもない、踝くらいまでだろうか? いずれにしてもこんな浅くて静かな海、俺は終ぞ聞いたことがない。

 なんて、実はそうでもなかったり。

 こうした鏡面の水平、俺は以前見たことがある。

 

 ウユニ塩湖。

 ボリビアにあるという塩の海だ。

 

 定かではないが、おそらくテレビのコマーシャルあたりで目にしたんだと思う。

 水平線をちょうど境に、塩の水面がぴったり空を反射している。いうなれば対の空なり対の天。空と雲と真っ平らな水平、たったそれだけで構成された、白の国。実際に行ったことこそないけれど、しかしテレビの画面越しに見える程度にもわかるほど、とても幻想的で綺麗な風景。初めて見たときはCGかなにかだと勘違いしてしまったくらい。そうやって誤解してしまうのも無理らしからぬ現実離れした現実の光景は、大げさに聞こえるかもしれないが、忘れることはないだろう。おおよそ不純といわれることごとくを廃絶させた、清爽の世界。ここはあの風景にとてもよく似ていた。とはいえ、塩がなかったり木が生えていたりと多少の差異があるけど。

 木が生えていた。

 黒い木。

 影絵からそのまま抜き出したように、まったく光を反射しない、木。

 木々。

 疎らに。森とか林とか形容する量じゃないし、密集して立ってもいないけど。けれども首を回して見渡せば必ず視界に入る程度に、ぽつりぽつりと水を割って育っていた。空を映した水面から幹を伸ばすさまは、まるで空から木が生えるように。

 葉は一切茂っていない。光を返さないためイマイチ樹皮から読みとるなんてできないが、印象だけでいえば枯れ木である。黒い枯れ木。一部の漏れもなく、ここにある木は枯れていた。

 それはなんてこの場所に不釣合いなんだろう。とは、しかし思わない。

 別に詩人を気取ったりだとかの話じゃなく、対の空と枯れ木、それで構築されるのがここなのだ。それこそがここの自然体なのだ。そう思ってしまう。確信する。

 

 知らない場所であった。

 

 似たような光景は見たことこそあるが、決してこれと同じものを見たことは、聞いたことは、ましてや行ったことなどなかった。なのにこの世界のなんたるかを微量の疑念なく確信する。

 ここは? と、疑問の言葉は漏れない。

 着の身着のままあるがまま、空が望むがままに為されるがまま。

 俺は、空にいた。

 空に、立っていた。

 懐かしい白亜の病室に────懐かしい?

 知らないところだったが。見たこともないところだったが。

 なぜだろう。どうにもここは、懐かしい。……ああ、そうだ。あそこだ。

 途端に、白の病室を回想する。真夏の昼下がりへと夢遊する。止めどなく感覚が立ち込める。思い出すのは白の壁、白の柱、白の天井、白のベッド、白のシーツ、白の椅子、白の陽光、一点の黒。目に映るなにもかもが真っ白で構成された白亜の園で、空気さえもが白に喜ぶ温暖の庭で、あふれ続ける煌きの温度を柔らかく受け流し続ける黒の長髪。それは病室の風景だった。

 陰湿さの欠片もなく。空気の停滞も一切ない。薬品の香りもなければ棺桶の足音も、死の気配すら縁遠い。それなのに病室だった。白磁よりも透明に抜ける穏やかな白の、病室だった。

 ここは、あそこにとてもよく似ている。そんな雰囲気がする。

 だから、ここがもう二度と訪れない白昼にそっくりなものだから。

 だから、これが絶対になくしてはならないものであるものだから。

 ゆえに、この白昼の儚さを永遠に願い続けているのが誰かなんて。

 (オオ)()()の蒼穹と(オオ)(ウナ)(バラ)の天空。

 白昼の空。

 ならばきっと、そこには。

 

 

「           」

 

 

 そこに、いた。

 

 

「           」

 

 

 黒い髪と白い服。

 そして淡い色の麦藁帽子。

 白いワンピースをわずかばかりに揺らしながら、彼女はここで歌っていた。

 知ってる曲ではない。そもそも日本語かも怪しい。もしかしたら端から意味のない適当なリズムなのかもしれないから、深く考えるだけ無駄なのだろう。だけど、そう。とても綺麗で軽やかで、暖かくて柔らかい声。

 

 

「                 ?」

 

 

 息は止まらなかった。

 思考は空白に至らない。

 決して、二度と、会うことは永劫あり得ないはずのものに対面しながら、この身体は決して機能の一切とを停止させない。鼓動を止めない。きっと俺以外のみんな、素晴らしく輝かしいみんなだったら、もしかしたら、あまりの衝撃に息が止まって思考が真っ白になってしまうかもしれないけれど。

 俺は織斑一夏だから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だったらそうだ、そうだろう。

 俺の『それ』とは簡単だろう?

 答えよう。

 俺は。

 

「俺は、       」

 

 ……あれ。声が、出ない?

 というより、そういえば。

 

「                 ?」

 

 彼女の声も、聞こえていなかったことにようやく気づいた。

 俺は立っている。水面に立っている。

 彼女は立っている。空のなかに立っている。

 だが、その声は。唇から離れて行く音の震えは、なにひとつ。この鼓膜を振動させない。可聴領域がそもそも違うというよりも、もっと、もっと、根底からなにか機能そのものが欠落してしまっているから聞き取れないような……だったら、おかしい。

 その声は聞こえないのに未だに歌声は続いている。

 はるか遠くから響くように、ときおり酷く近い耳元に近づいては揺らめくように、黄金色をした歌声は、なおもここで聞き取れる。──黄金色。

 そこで、そこで今度こそようやく気づいたんだ。

 

 

 

「Ring Gong …… Ring Gong ……」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 視界の隅で侵食するように──いや、互いに交じり合うように。まさか、重なり合うような同位階の重複を起こしながら、白と蒼にもう二色の空が混じっている。

 

 それは勝利の天空。

 黄金に輝く天上の栄光。

 

 金色(こんじき)に絶頂し続ける、恒星よりも煌々としたひたすらに眩いもの。無限大に降り注ぎ、人が目指すべき栄光のなんたるか、人類が求め続けてきた叡智のなんたるか、人類種が獲得すべき結末のなんたるかを、時空因果すべてに頓着しないで確信に栄える王道の果て。諸君らの上に照り輝く、すべての人間が絶対に望んでいる最高位。過去未来現在瞬間永劫停止を問わずに不変を続ける、全存在の絶対座標。

 すべてを照らすことができる存在でありながら、優しくもなければ冷たくもなく、破壊的な熱量もなければ退廃的な歪さもない。魔性なんて無縁に絶無で、かといって愚直であるとはかの全能の言語を用いてすら語れない。そうだというのに、内包する輝度・光度・照度・光束、光輝に関連する諸要素の一切が古今東西森羅万象三界六道八層九圏一〇次元三千大千天上天下無限曼荼羅蒼穹世界における全部の内でなによりも最大をとる。すべてのものが見られるはずなんて到底ないのに、見て知って比べることなんてできやしないのに、いま瞬いているものが最大なのだと不条理ですらなく確信させてしまう、ありふれた絶対。有無を求めぬ絶域。

 これこそが人道の果てに輝くもの。覇道の果てに坐するもの。聖道の果てに見えるもの。

 至大至高の大宇宙。

 太陽すらを照らす黄金穹。

 

 

 

「Hello Baby, I Ring the BELL」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 ──聖剣の空が鐘を打つ。

 まさしく鈴鳴る声。鈴の声。黄金で作られた鐘の声で、金の楽器の優麗さ。不協の一切を絶滅させる程度の威力しかない聴覚で人間を昇天させられる至上の喜びを反響させて、完璧なまでに熱がない。(ヒト)(ガタ)なのに、熱がない。

 (ヒト)(ガタ)

 聖剣色の歌声だった。──そう。

 歌っていたのは『君』じゃない。

 最高の風光明媚を極める黄金穹の主こそがこの歌声の根源。

 

 

 

 

「Daisy, Daisy, Give Me Your Answer Do」

 

 

 

 聖剣色の髪が踊る。

 絶頂を続けながら強大であるだけ。とてつもなく至高天。

 穏やかな日々を願い続ける白昼──その蒼穹を打ち抜いて、勝利光の言霊は歌われる。少女が歌う。黄金楽器の声帯で、歌う。唄う。謡う。詠う。謳う。神代から歌代へ。栄光に彫刻された魔刻の聖剣。

 勝利を。

 勝利を。

 勝利を。

 勝利を。叡智を。栄光を。

 蒼穹を穿つリフレイン。それでも昼光は変わらない。黄金(こがね)の言の葉がどれほど存在を撒き散らしていたとしても、決してその最高さに掻き消されなんてしやしない。普遍的に不変。まるでその光量すらをも寄り添ってあげたいというような。

 白と蒼と黄金と聖剣が調和する。

 言葉の聞こえない『君』。だけれど言葉は問いかけだ。

 勝利に完結する少女。だから言葉は問いかけなんだ。

 

 『勉学、芸能、戦闘、お題目はなんでもよいが、少なくとも勝利という概念から爪弾きにされた人間がいたらどうだろうか』

 

 ゆえに、この局面。この風景。この場所。この蒼穹で。

 この空で。

 思い出すのはあの台詞。

 無能と無力を語ったあの台詞。

 込められた意味は依然として知れず、問い質そうにも入試試験以来なんら繋がりもなく。ならばどれだけ思惟と思考を重ねたとして、閃き踊るものなんて自問自答の成れの果てでしかないだろう。そんな程度でそれだけだ。

 それだけ。

 だが。

 俺は、やはり大分無能だと結論するには暇なく。

 ひたすらに異国の言葉で問いを歌い上げる少女に。

 黄金(こがね)(いろ)に鋳造された言霊に。

 俺はいったい、どんな答えを返さなければいけないのだろう。

 

 

 

 

 

 ────そして。

 

 

 

 

 

 そして、もう一つ。

 ()()()()()()()()鳴動する。

 俺の視界の、その背後。

 蒼と白の(オオ)()()と、黄金と聖剣の(オオ)(ウナ)(バラ)。視界を調和するその二つと隔絶されて、強大な色が背後を覆っていた。

 俺の視線は未だ前方。清爽を運ぶ昼光を浴び、勝利に打たれ、二つの絶世という矛盾なのに不都合がない強大で大々的な蒼穹から目が話せない。彼女と少女から目が離せない。目が離せないし、()()()()()()()()

 たとえば、うしろを振り返る、なんて。

 絶対にしてはいけない。

 このうしろに広がっている空はそういうものだから。

 

 ここには三つの空があった。

 

 白昼の空。

 勝利の空。

 そして、そしてその空。

 断言する。

 

『死ね』

 織斑一夏がこれと理解し合うなど、空が生まれ変わってもあり得ない。



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