聖なる扉とムシのウタ (蒼ヰ海介)
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聖なる入り口

ディバインゲートとムシウタがコラボしてほしいと言う切なる願いを込めて書きました。可能性はゼロじゃない。
ムシウタに登場した人物が十人くらいディバインゲートの世界へと入ってきて、そのまま本編のストーリーを変えていく話になると思います。
キャラ崩壊はお許しください。あと、ディバゲストーリーの解釈については、個人的な見解に基づいてやらせていただきます。


 Divine Gate

 その世界では『聖なる扉』と呼ばれる、『テラスティア』『セレスティア』『ヘリスティア』の三界を統合した一つの扉。

 それは時として、悪戯に、誰かを招き入れることがある。動物を、無機物を、別の世界から。世界と世界を繋げることで。

 あらゆる世界線を統合する、その聖なる入り口にまた誰かが入り込んだ。

 

 

 薬屋大助は目の前に広がる光景にただ困惑した。

 自分はただ教室の扉を開き、欠伸を噛み殺しながらも教室内に足を踏み入れ、普段どおりに声をかけてくるであろう立花利菜をあしらおうととりとめのない思考を巡らせていただけだったはずだ。教室の扉の向こう側に待っているのは変わらない現実で、平和な現実だったはずだ。

 だが、大助の目の前にあるのは教室で友人や女子が騒いでいる風景ではなく、無論、別の教室に入ってしまったなどと言うオチでもなく、美しい自然の広がる世界。今時田舎でも見られないほどに森の広がった風景。妖精の世界に迷い込んでしまったかのようだ、と大助はメルヘンチックに評価した。

 柔らかな陽光が木漏れ日として差し込む、そんな森の中に大助は一人、学生服に上履きで、鼻の頭には絆創膏という格好で立っていた。はっきり言って、場違いというにも程がある姿だった。ビルの森の中では目立たなくとも、本物の森の中では目立つのである。

「……な、なんだ? これ? 俺は学校に……」

 背後を振り返る、が、教室の扉は何処にも見受けられない。空を見ても、何者かが彼を連れてきたような痕跡はない。夢かと思いたくて頬を強く抓ったが、予想通り全くこの場所から教室に意識が戻る様子はない。夢、というのは否定されるしかないだろう。

「……虫憑きの攻撃か……? 精神攻撃……? こんな場所、実際に転移させるとすれば何キロメートル移動すればいいのかも分からないし、桜架市の傍には間違ってもこんなメルヘンチックな場所はないしな……」

 大助の目つきが険しさを増す。その肩口に、森には似合う緑色のかっこう虫が飛来し、とまった。宿主は焦っていると言うのに暢気に長い触角を揺らし、頭を左右に回すその虫を睨み付け、だが僅かな安堵を込めて嘆息する。

「……夢を見るわけねぇか。お前はこんな場所でも、俺の夢を喰おうとしてやがるんだな」

 なんのことだ、と答える虫がいるわけもない。大助の独り言にも全く反応せず、かっこう虫は羽を広げて大助の周囲を飛び始めた。ただ、それがどこか自分を急かしているようにも感じられ、大助は歩き出した。当て所もなく、ただ教室の扉を探して。

 此処は常界『テラスティア』であった場所であり、

 統合世界『ユナイティリア』であるということなど、今の大助には知る由もなく、また自分がどのような経緯をたどってこの世界へ来る羽目になったかなどどうやったところで分かるはずもなかった。

 

 

 凡そ二十分ほど歩いたころ、ふと大助は足を止めた。同時に彼の耳に威勢の良い叫びが飛び込んだ。

「えぇい!!」

(……人の声、って、何だ!?)

 急に周囲の木の葉が舞い、大助をぐらつかせるほどの強風が真っ向から吹きつけた。木々を丸裸にするような風に、反射的に大助は戦闘員である『かっこう』として臨戦態勢へと突入する。傍を飛ぶかっこう虫がその躯から幾本もの触手を出し、大助の体へと絡み付かせた。それが溶けるように大助の体へと飲み込まれた直後、彼の体に緑と黒の鮮やかな縞模様が浮かび上がった。

 彼のような人間は『虫憑き』と呼ばれる。人間にして、虫に寄生され常に夢を喰われ続ける無常の存在。彼らは夢を与える代わり、虫より超常の力を与えられる。大助のかっこう虫と呼ばれる緑と黒の縞模様が鮮やかな虫もその一匹である。

 ただ、大助は顔をしかめて懐で空を掴んだ手をにらんだ。

(……ちっ、装備全部、置いてきちまった……!!)

 大助が使うのは拳銃である。だが、学校に行く際に拳銃をもって行くのは余りやるべきではないと考えていたため、特別環境保全機関指定の黒い防弾コートも支給されるゴーグルも、ましてや拳銃など持っているはずもなかった。

 とはいえ、ないものをほしがっても仕方ない。さっさと切り替え、大助は声の聞こえた方向へと走り出そうとした。

 と、再び風が舞う。轟、と一つどころに集まっていく風が木の葉を散らす。先刻こそ身構えて耐えるだけで精一杯だった、が、かっこう虫と同化し身体能力が劇的に向上した大助は怯むことなくその風が集まるほうへと高速で地を蹴り急いだ。

 再び声が通る。

「そぉい! ……これで全部かな、シルフ」

「いや、まだアル! 一人、とんでもなく強そうな奴が一人、来るアルよ! ミドリ!」

 奇妙な語尾の声が終わるか終わらないかの内に大助は茂みから獣のように体を屈めて飛び出し、常人を遥かに超える速度で声の主へと手を伸ばす。

 迷いなどない。状況から見て風を操ると言う能力がある人間は間違いなく虫憑きであり、大助が対処するには十分な相手である。

 だが、伸ばした手から返ってきたのは少女の体の感触などではなく、冷たい金属の感覚。硬く重く、冷徹な冷たさを放つそれに触れて始めて攻撃が防御されたと気づき、すばやく大助は離脱した。一瞬で十メートル、対象から離れコンマ一秒の間合いを作り出す。

(……一筋縄では行かないか)

 不意打ち、かつ殺意がなかったとは言え高速の一撃を受けられたことはそれだけで驚嘆に値する。

「ッつぅ! 重い、なぁ!!」

 少女は凄まじい衝撃に痺れる手に喝を入れ、暴風に等しい風を背に受けて弾丸のように飛び出した。手に持った銀色の棍『アル:フォンシェン』の先端が緑色の輝きを宿し、そこから風が逆巻いた。

「誰だか知らないけど襲ってきたのはそっちなんだからね! 後悔しないでよ!」

「はっ、後悔なんざ知らないな」 

 しかし、まっすぐに大助へと振り下ろした棍は虚しく地に叩きつけられる。一瞬前にそこにいたはずの大助は既にダン! と虫と同化したことによって強化された脚力で地を蹴り、ミドリの死角へと潜り込んだ。ミドリの風に真っ向からぶつかりあい、それでも止まることはない。

(しかし、風ということは、恐らくあいつの虫は特殊型……。くっ、『C』がいれば……)

「余所見するなアル。挨拶なしでいきなり攻撃なんて、礼儀を弁えてないアルよ!」

「ぐっ!?」

 再び暴風が、ミドリと呼ばれた少女が巻き起こした風以上に強く大助を巻き上げた。まるで竜巻のように荒れ狂う暴風に抗えず、遥か上空へと飛ばされる大助の顔面に、先刻までミドリの隣に立っていた少女の回し蹴りが炸裂した。

 目の前に火花が散る。だが、その痛みも噛み締めて自分を蹴りつけた足を強引に掴む。少女が慌てたのがはっきりと分かった。

「……捕まえたぜ、虫憑き」

「虫憑き!? 私はシルフっていう名前アル! ってか離すアル!」

「『しるふ』か、『むしばね』の一員じゃあないだろうが、お前ら二人は同系統の虫憑きみたいだな……。来いよ、おとなしく特環に保護されるんだな」

 特環というのは正式名称『特別環境保全事務局』という、虫憑きを名目上は保護する――飾らずに言えば捕縛し、管轄することが業務の組織である。属さない虫憑きからすればこの上なく忌むべき単語であり、どんな虫憑きであろうとも必ず一度は聞く名前。『むしばね』であれば間違いなく大助へと殺意を向けるだろう。

 だが、

「だから……虫憑きって何アルかー!!」

 シルフが絶叫すると同時、周囲の空気がダウンバーストとなって大助を勢い良く地面へと叩きつけようと吹きつける。それでも手は離さない。いや、離せば間違いなく逃げられる。離してはいけない。

「離すアル! この、精霊王の足を鷲掴みにしくさって……!!」

「離されたいなら今すぐ風を止めろ!! ちっ、答えるつもりもないってか……!!」

 大助は強情さに辟易しつつも地面へと着地するために脚力を強化する、が。

「ちゃんと説明してよ魔物さん!!」

 落ちる大助の顔面を狙って、金属製の棍が強く振りぬかれた。同時にシルフも空いている右足を強く振り上げて、脳天へと踵落しを叩きこむ。

 ここで言っておこう。薬屋大助は虫憑きであり、その耐久力と頑強性は虫憑きの中でもかなり強大である。だがしかし、超人というわけではない。常人ではありえない速度で走り、跳ぶと言えど、一トントラックに勢いよく跳ね飛ばされれば死ぬし、虫の攻撃は『耐える』のではなく『避ける』ほうが遥かに多い。

 だからこそ、何も守るもののない顔面に、前からも後ろからも打撃を加えられ、薬屋大助の意識はあっけなく途切れた。

 シルフとミドリは同時に顔を見合わせ、瞬間的に『ヤバイ』と思考を同調させた。

 後に大助はこのときのことをこう振り返る。

 ――死ななかっただけ幸運だった。

 こうして、薬屋大助は特環最強の虫憑きとは思えないほどあっさりと二人の少女に敗北したのであった。

 

続く

 




気まぐれに更新して行こうと思います。無理のないペースを守りたいです。
感想出来ればお願いしたいです


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棍士ミドリ

大助のイメージは緑色なので風です


 僅かな話し声で薬屋大助はうっすらと目を開けた。視界の先には吹きぬけるように真っ青で美しい空が広がる。

「あの人、魔物……? 気絶した途端に模様も消えたし、血が妙な色になってる訳でもないし……」

「でもあいつの力は人間のそれじゃなかったアル。ドライバ『アル:フォンシェン』に罅を入れるような人間、見たこともないアルよ」

「……だよねえ」

 ミドリと呼ばれた、薄手のシャツとホットパンツの上に一枚、迷彩柄のパーカーを羽織っただけというラフな格好の少女は緑の目を伏せて手の中にある長大な棍を労わるように摩った。傍らで風に乗るシルフは心配そうにその様子を眺めていた。

(……そうだ、俺は気絶したんだ……くそっ、虫憑きにやられるなんてな……)

 身を起こそうとして、鈍い痛みが後頭部に走った。手でそっと摩ると大きなこぶが一つ出来ている。また、先刻から呼吸が少し苦しいと思い鼻を触ると、鼻からはぼたぼたと鼻血が零れた。シルフに蹴られたのが後頭部でミドリに叩かれたのは顔面。両者全く同時だったため衝撃を逃がすことも出来なかったのだ。

 とにかく上体だけを起こそうとしたが、その瞬間に視界がぐらつき、また柔らかな草の上に倒れた。

 ミドリがその姿を認め、シルフに伝える。

「ねぇ、シルフ。あの人目が覚めたよ。とりあえず色々聞こう」

「そうアルね。こいつが私に散々言ってきた『虫憑き』とやらも聞きたいところアル」

 草を踏みしめて二人が大助へと近づいてくる。ただ、大助は今更抵抗しようとも思わなかった。彼女らが虫憑きであれば全力で抵抗するだろうが、今のシルフの言葉で大助の心には妙な疑念が浮かんだ。

 大助が機先を制し、口を開く。

「……お前ら、虫は知ってるか?」

「……」

「頭おかしいアルか?」

 二人は顔を見合わせ、変なものを見るような目を彼へ向けた。大助はむっとした表情になるも、その先の答えを待った。

 シルフが風を巻き起こし木の葉を巻き上げ、その中から一匹の毛虫を手元へと引き寄せる。ミドリがそれを人差し指で指し示す。

「これでしょ?」

「……なら、お前らは夢を食われたことはないか?」

 二人は今度は即座に首を振って否定した。

「あるわけないよ」

「ないアル。というか、さっきから意味が分からないアル。もしかして、お前異世界人アルか?」

 はっとしたようにシルフが言った。大助は噛み付くように聞き返す。

「異世界人!? どういうことだ?」

「なるほど、そういうことアルか……」

「シルフ、どゆこと?」

 ミドリも首を傾げた。意味が分からない、と言いたげに。

 溜息をついたシルフは人差し指を立て、珍妙な語調で話し出した。茶色のツインテールがゆらゆらと揺れる。

「此処、ユナイティリアは扉で別の世界と統合されて生まれた一つの、元は三つだった世界アル。だからこそ、他の世界とも繋がりやすいアル。……で、そういう世界から偶に人が入ってくるアル。それが!」

 ビシィ! と唐突にシルフが大助を指差した。少しだけ心臓が高鳴る。

「今のお前みたいな奴アル! まぁ、珍しいアルね。分かったアルか? ミドリ」

「う、うん分かった。つまりこの人は異世界人なのかぁ……言われてみればそんな気もするけどさぁ」

「ちょ、ちょっと待て!!」

 二人で勝手に納得するシルフとミドリに流されてはいけない。なぁなぁで終わりにしようとしかけたシルフを寝転がったままの大助は強引に引きとめた。

「ユナイティリアって何なんだよ! 扉? 異世界? 訳が分からない……」

「……ま、その話をするより先に、私も貴方に聞きたいことがあるの。いい?」

 ミドリの問いに大助は怪訝な顔ながらも首を縦に振った。彼女らが敵ではないと決まったわけではないが、すっかり毒気を抜かれていた。

 元気な声で彼女が言う。

「貴方のドライバって何? 他のドライバを見るの、好きなんだ、私!」

「ど、ドライバ……? な、何それ……?」

「ミドリ、異世界人にそんなこと言っても通じないアル。早い話、『アル:フォンシェン』を持ってきてみせたほうが早いアル」

 シルフが遠くに転がっている棍へと掌を向け手招きするように動かすと、一陣の風がそれを巻き上げミドリの手の中へと収めた。

 銀の金属で出来た棒で、両端がやや膨らんだ形状をしている。その両端には蛍光色の緑色の光がうっすらと灯った状態だった。ただし、その中央には目立つ罅が入っていた。

 ミドリは見せ付けるように片手でそれをくるくると回した後、両手で構えた。

「ドライバって言うのは、そうだねえ、不思議な力を使えるようにしてくれる機械のこと、かな。どういう理論かは分からないけど、昔の遺品として出土した物が多いかなあ。今ドライバを一から作れる人なんて、ほとんどいないと思うよ」

 ミドリがそれを握る力が強まるのと比例して、両端の光が今までより一層輝いた。同時、ミドリの緑色の髪が風に靡く。

 直後、木々がざわめいた。ミドリを、いやドライバ『アル:フォンシェン』を中心として大気の鳴動が、暴風が渦巻き始めたのだ。大助はそれを目を丸くしてただ見つめる。

「私のドライバはこうやって風を操るんだよ。……でも」

 『アル:フォンシェン』がふと軋んだ音を立てる。同時に彼女がまとう風が全て霧散し、大気の攪拌が一瞬で停止した。両端の蛍光色の輝きが弱弱しく明滅した。

 ミドリは悲しげに項垂れる。大助の頭がシルフに叩かれた。

「お前がドライバを壊したアル。今の『アル:フォンシェン』は風の操作が五秒くらいで止まっちゃうアルよ」

「えっ……ご、ごめん」

「ごめんで済む問題じゃないアル!」

 シルフが声を荒げ、大助の頬を横に抓りあげた。いだだだ、という悲鳴が上げられても止める様子は一向に見えない。傍から見てもはっきりと分かるほどシルフは怒りをあらわにしていた。

「あれはミドリの家に代々伝わってるものアル! 勝手に襲いかかってきて家宝を壊して「ごめん」で済ませようなんて甘い、甘すぎるアル! 純愛よりも甘いアル!」

「ほ、ほは言っれも……ふいあへん(すいません)」

 言い訳を言おうとしたものの、今回の件で非があるのは明らかに大助のほうだった。幾ら知らなかったとはいえ、幾ら神経過敏になっていたとはいえ、それを知らないミドリからすれば『唐突に襲いかかってきて武器を壊した最低な人間』というのが大助への印象に違いない。

 何せミドリは大助に何も手を出していないのだから。勝手に彼が相手は敵だと勘違いして襲いかかっただけである。

「……もうやっちゃったものは仕方がないよ。……うっ……」

 気丈な言葉とは裏腹にミドリの目がじわりと潤む。女の涙を見ることが得意ではない大助は反射的に後頭部の痛みも忘れて立ち上がり、ミドリへと駆け寄った。シルフの「お前なんで立ち上がれるアルか!?」という叫びは華麗に無視される結果となった。

 大助は無心に頭を下げた。

「ごめん、って謝ってすむ問題じゃないのかもしれないけど、ごめん……その、修理できる場所とかはあるのか? その、ドライバって奴」

「……分からない。だって、ドライバは凄い丈夫だから滅多に壊れるなんて話も聞かないし……」

 ただの棒であればそもそも大助の一撃を防ぐにもいたらず砕け散っていただろう。受け止めて尚皹で済んでいるというのが即ち硬度の証明でもあった。逆に、生身の人間がドライバへ皹を入れたという事実がシルフにとっては驚愕するべきことだった。

 何も言えずにいればまたミドリが泣いてしまう。自分のせいで。

 無意識に吉沢は叫んでいた、ミドリを見据えて。

「罪滅ぼしと言ったら何だけど、その、俺を使ってくれないか?」

「え!?」

 唐突な申し出にミドリは驚愕する。返す言葉が見つからない、とばかりに口をパクパクと開閉する。

「え、いや、それは……流石にわる」

「別にかまわないと思うアル、ミドリ」

 ミドリの言葉を食ってシルフは言った。もちろん相手はミドリへ。

「今回は相手のほうが全面的に悪いアル。遠慮しないでこいつを下僕にしちゃうといいアルよ」

「下僕というか、俺が元の世界に帰るまでならだけど、自由に俺をこき使ってくれ。そのくらいしか俺にはできることがない。幸い、人に使われることには慣れてるんでね」

 上司である眼鏡のいけすかない男を思い出し、大助は苦笑した。あの男がしてくるような命令をされないのならミドリに従うことなど造作もないだろう、というなんとも甘い考えだが、それ以外に大助ができそうなこともなかった。

 ミドリは大助の姿を眺め、納得したらしい。大助はいまや何も持っていなかった。ポケットに入っている財布にはこの世界では使えるかも分からない紙幣が二枚だけ。学生服はぼろぼろになり、カバンは下半分が風によって切られて中身の教科書ごと消滅していた。

 弁償できそうなものもなく、かといってミドリの優しさに甘えることも罪悪感が許さない。よって、大助ができることといえばそれしかなかったのだった。

「……とはいっても、誰かも分からないような人に言われても……」

「そういえばそうアルね」

 ミドリの指摘の通り、大助は彼女らに一言も自分の情報を開示していなかった。思い出したように彼は言った。

「そ、そうだったな。俺は薬屋大助。……虫憑きなんて呼ばれる化け物だよ」

 その後頭部をシルフが叩いた。こぶを刺激され、大助が悲鳴を上げる。

「何すんだよ! いたっ! 叩くのをやめてくれ!」

「化け物とか格好つけるな、ってことアル。ま、精霊王相手じゃ仕方ないけれど、人間相手に負ける化け物がどこにいるアルか」

「精霊王とか痛いこと言う奴に言われたくないぜ」

「痛い? ま、一応自己紹介しておくアル。私はシルフ。風の精霊王アル」

 シルフが指を鳴らすと、大助の体の傍に風が吹き、彼の体を軽く宙に持ち上げる。足場のないのに滞空しているというのが不安定的で、更にどこまでも高く上っていくので慌てて四肢をばたつかせることで風の拘束から逃れようとする。

「や、止めろ! 分かった、分かったから!」

 ミドリの力はドライバが作っていたものだが、シルフのそれは完璧にシルフ自身を起点として起きた現象だ。精霊王というに相応しく、風を自由に操る力がシルフには備わっている。

 分かればいいアル、と言ってシルフは心臓がバクバクと高鳴って止まない大助をそっと地面に降ろした。心なしかやや得意げに鼻を鳴らす。

 そして、罅割れたドライバ『アル:フォンシェン』を両手で握り締めたミドリが最後に軽くお辞儀する。

「私はミドリ! ま、まあこきつかってくれって言うなら存分にこき使ってあげるから、宜しく! ダイスケ!」

「お、おう、望むところだぜ」

 大助は僅かに不安を煽られつつも、敢えて自信満々に胸を叩いた。常人にしか見えないミドリが土師並の無茶なお願いをしてくるとは思えない、というのもある。

 ふと、ミドリから右手が差し出される。目を上げるとミドリが明るく笑顔を見せた。

「握手でもしようよ、仲間として」

 差し出された細い手を、大助は強く握り返す。その上にシルフが手を重ねた。

「短い間かもしれないけれど宜しく、ミドリ」

「私もまぁ一応、宜しくアル。ミドリに何かしないようにちゃんと見張っておくアルよ」

 僅かに向けられる殺気に大助は苦笑するしかなかった。

 そうして大助はミドリと出会ったのだった。

 

続く




個人的にパネルを使っての戦闘はどうやって書けばいいのか分からないんですが。
素直にドライバの力で戦う、ということにしました。


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虫とドライバ

時間軸は大体、大助が詩歌と出会ってから利奈と敵対するまでの間です


 大助とミドリ、シルフが向かったのは森を抜けたところにあった小さな町だった。活気はないが人気がないわけではなく、ただ静かで霊妙な感覚を覚える。町の中心にたどり着くまでに人とすれ違った回数はただの一回だけであった。

 現代社会の常識からすればありえないような建築の為された木製の建物を物珍しげに眺めながら大助は訊く。

「此処はミドリの故郷か?」

「違うよ。私は故郷を飛び出してきたんだから故郷になんて戻らないよ。此処は最近着いた町。荷物も置いたままだし戻らないと」

「そうなんだ……ミドリも大概、数奇なことをしてきたんだね」

 数奇、という言葉をミドリは笑い飛ばした。

「ドライバを持ってる人は皆こんな風な人生になるんだよ。何も私に限ったことじゃないって。数奇って言うにも値しないと思うなあ、普通だよこのくらいは」

「そうアルそうアル。このくらいなら普通アルよ。そっちでは違うアルか?」

 少なくとも大助のいた日本は年頃の少女が武器を片手に一人旅をするような世界ではなかった。だが、異世界であり更に地球上でも特に平和な日本を例に挙げても理解はされないと思い、苦笑をするにとどめた。代わりにと言っては何だが、大助は虫の在る、慣れ親しんだ最高で最悪の夢のない世界の話をしだした。

「こっちでは大半の人は普通に生きてるよ。遊んで、馬鹿騒ぎして、勉強して、将来に夢を持つ。何もしなくてもとりあえず生きていける、っていうのが俺の世界だから」

「平和アルねー」

「ちょっと退屈そう、かな?」

「まぁ、普通の人には退屈だろうけどね。俺や『むしばね』……まぁ、レジスタンスみたいに『虫』の存在を知ってる人間からしたら生きていくことも辛いような世界だよ。必死すぎて夢まで見失いそうなくらいに」

 笑えはしなかった。冗談めかして言ったつもりでも無意識に真剣な口調になっていた。

 虫を良く知らないミドリは首を傾げる。

「そっちの世界には虫は少ないの? あの黒いのとかもいなかったりするのかな……」

「そういう虫じゃないんだ。寄生虫、みたいなもんさ。宿主の夢を食う代わりに力を与える。それを誰もが『虫』と呼んで恐れてる」

 化け物。虫憑きである大助自身まで自嘲的に自称するほどにはその印象は広く普及している。それは事実だ。誰であろうと、どんな力であろうとも人以上の能力を持ってしまった存在は怪物と呼ばれる運命にある。畏怖と言うものだ。少なくとも大助は虫憑きを『好き』と言い切った人間をただ一人しか知らない。その人間でさえ悩み、悩みぬいた結果として出した結論なのだから。

 大助は誰にも聞こえないように小さく「かっこう」とあれの名を呼んだ。間もなくして呼びかけに応え、緑と黒の縞模様を持つかっこう虫が大助の肩に留まった。ミドリが小さく呻き身を引く。

「大助、肩に毒でもありそうな虫が留まってるよ……初めて見る奴だけど」

「ミドリ、これが俺の虫だ。さっきの力はこれを自分の体に同化させることで使う……まあ、他に依存しているって意味ではドライバに似てるかもしれないな」

 かっこう虫は無表情のまま前腕で顔を擦ったり、長い触角をぴくぴくと動かすだけで、大助の言葉に反応しようともしない。

 それが夢を食う、という事実を大助は説明しないことにした。説明しがたい上に、ミドリがそれによって自分を必要以上に気遣うかもしれない。そうすれば、此処は少なくとも居心地の良い場所ではなくなってしまうだろう。人に必要以上に尊重されるのは大助にとって余り好ましいことではなかった。

 出来るだけ自然に、話の矛先を虫からドライバへと逸らすことにした。

「それより俺はドライバについての話をもう少し聞いてみたいな。そのドライバ……ええと、『アル:フォンシェン』の横に着いてる変なマークみたいなの、何だ?」

 大助が指差した物を見てミドリが得心したような声を上げた。

「これはドライバがもつ属性を示してるんだよー。これは『風属性』っていうこと」

 そこについていたのは緑色に輝く、地に生えた草とつむじ風を表したようなイラストのアイコンだった。小さいワンポイントだったので今まで見逃していたものだ。

 現代人的思考回路を持つ大助としては「やっぱりRPGじみてきたな……」という感想を抱いてしまう。

「ドライバには六つの属性があるアルよ。『火』『水』『風』『光』『闇』『無』アル。ドライバは必ずこの六つに大別されるアル」

「『無』? それだけ想像できないな……」

「まぁ、不干渉とか無欲とか、あまり何かとかかわらない孤高の属性だからね。ドライバの属性は持ち主の心に左右されるけど、無属性は何かが無い人が多いかなぁ」

 ミドリは誰かを思い出したように虚空へ視線を走らせながら言った。

「まぁ、それ以外にも妙な能力を持っていたりする人は一杯いるんだよ。私は、そういう人を見たくて旅をしてる節もあるかも知れないし」

「ミドリの旅は漠然としすぎてるアル」

 相変わらずつむじ風で宙に浮くシルフに突っ込まれたミドリは乾いた笑いを浮かべた。シルフの指摘はもっともだったらしい。

 目的が無い。それは少なくとも虫憑きにはありえないことだ。虫憑きは必ず、何を賭してでも叶えたい願いを持っているはずなのだから。当座の目的以上の、生きること、人生そのものを懸けても惜しくない、そんな願いを心に抱いたからこそ虫憑きは虫憑きであるのだ。

 ただ、それがミドリなのかもしれない。風はいつでも気ままに、目的も無く吹くだけだ。漠然、漫然。無、とも形容できるそれが風の本質なのかもしれない、と大助は思った。

 と、ふと大助は疑問に思った。

「ドライバって遺品だったりするんじゃないのか? それが心に左右される?」

「うん。例えるなら……水と容器みたいなものかな。ドライバはあくまでも『入れ物』であって、中に何を入れるかは使う人によるみたいな感じ。使う人が変わればドライバの属性も変わるよ」

「へぇ、意外と自由なんだな。……だったら、俺もどこかでその、ドライバを手に入れれば使えるのかな」

 もし手に入れば、と夢想せずにはいられない。夢を食われることなく虫を殺せるなら大助にとっては願ったり適ったりだ。大助の虫は強力だが、使うたびに大量に夢を食う。こんな使い方をしていれば早々長くないことだけははっきりと予感として彼の内に存在した。

 ミドリもシルフもあっさりとうなずいた。

「そうアルね。大助に素質があれば使えるアル。素質がなければ使えないアルよ?」

「大助なら大丈夫だと思うけどね。ドライバに拒絶されたことがある人なんて逆にいたっけ?」

「私アル」

「シルフは存在自体がドライバみたいなものじゃん! そもそも人じゃないし!」

 二人の会話を聞きながら、大助は内心で拳を握り締めた。固い決意を表して。

「……そのドライバって奴、さ」

 出来ることならそれは、相棒の形であってほしい。

「銃、できれば拳銃の形の奴もあるかな?」

 

 宿へ辿り着き、ミドリらは木製の薄いドアを勢い良く開け放ち、中へ入ろうと足を一歩踏み出した。

 瞬間、

「その子にさわんなつってんだろ! 嫌がってんだろうが!」

「ぐげっ!」

 苦悶の声と同時に、大柄な男が扉の中から跳ね飛んで、ちょうどその方向にいた大助へと直撃した。余りにも唐突かつ本人にもそのつもりがないであろう襲撃に驚愕しつつ、男と大助は路上へ転がった。

 中からはまだ威勢の良いがまだ若さを感じさせる声が跳ね飛ぶ。ただ、その声の主が分かったミドリは反射的に叫んだ。

「アカネ!?」

「あっミドリ危ないアルよ! 全く……危なっかしいアル……」

「俺の心配はなしか!?」

「大助よりもミドリを心配するのは常識アル」

 いっそ殴りたい衝動に駆られたが、そこは奥歯を噛み締めて耐える。確かにミドリを心配するのは当然なのだが、それにしても扱いが雑すぎる気がした。

 既にシルフも宿屋に入った後らしい。その時点で大助は宿に入ることを諦め、可及的速やかに大柄の男を上からどかして入り口から離れた。この先に起きることは最早ほとんど分かりきっていると言っても過言ではない。

 その直後、轟という風の吹き荒れる音が舞った。そして、中にいた大量の人間と外壁の一部が吹き飛んだのであった。

 吹き飛んだのは全てチンピラにしか見えない若い男達だった。全員風に中てられ、泡を吹いてノビている。

 宿屋の中から激が飛ぶ。

「なにしてくれとんじゃあああああああああああああああああ!!」

 どうも、数時間は店主から開放されないであろうと言う絶望。溜息一つを吐いて大助はその先にあるであろう未来を考え、酷く憂鬱な気分へ陥った。

 

続く

 

 




次は大助以外の虫憑きが出る予定です


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レイディー・バード

この小説での大助はきっと控えめに違いない(何がとは言わない)


 憂鬱なままに一階部分が半壊した宿屋へとそっとお邪魔した大助。どうやら既に実行犯のシルフとミドリは店主に奥に連れて行かれ、説教を受けているようだ。

 だが、その瞬間宿屋の中から驚愕に満ちた声が大助に飛んだ。

「薬屋!? え、な、なんでアンタが此処に!?」

 その声の主を一瞬で悟り、大助は恐る恐る目をそちらへと向ける。そして、カウンターに見知った顔があることをはっきりと認識し絶望とも希望とも言えない微妙な表情を浮かべた。

 彼女は勢い良く立ち上がると美しい髪を靡かせて大助へと一直線に近づいてくる。その辺りでノビているチンピラらしき男らや一人だけ様相の違う赤い髪の少年などには目もくれない。

「アンタがいるような場所じゃないでしょ!!」

 きつい表情で大助を睨むのは、立花利菜。大助のクラスメートでもあり『かっこう』としての大助の監視対象。美術部員ではないが、趣味で絵を書くのを大助も目撃している。はっきりとした顔立ちで、間違いなく可愛い、いや、綺麗というべき容姿である。

 だが、その裏の顔は特別環境保全事務局――特環に対抗する組織『むしばね』の唯一無二のリーダー『レイディー・バード』。大助と同じく火種一号指定の『敵』だ。

 だが、相手は大助を敵と認識していない。監視対象の前で軽々しく素の自分を出すようなヘマはしないのが大助だ。

 彼は言い返した。

「そっちこそ何でこんな異世界にいるんだよ……大丈夫だったのか?」

「生憎と薬屋に心配されるまでもなく無事よ。寧ろアンタのほうが怪我してるじゃない! 鼻とか」

 利菜の視線が大助の鼻に張られた絆創膏に注がれる。実際は近日の虫憑きとの戦いで怪我しただけなのだが、まぁ鼻を怪我しているには違いない。ただ、心配してくれていることは素直に嬉しかった。敵とは言え、彼女のことを悪しく思っている訳ではない。

 つい頬を染める大助を横合いからからかう者がいた。

「ひゅうぅ。中々熱そうで何よりじゃ、仲睦まじき相手がおるのう」

 古風な言葉。声の感じからして間違いなく女性、かつ大助よりも年下のような感じを覚える声である。

 カウンターへと目を向けると、そこには頭に暗い赤色のターバンを巻いた女性が傲岸不遜に腰掛けていた。まるでアラビアンナイトの登場人物のような服装で、所々に絢爛な宝石が散りばめられた腕輪などを幾つも身につけていた。ただ、ブラウンの髪は漉いていないようで、手入れを怠った竹箒のように毛先が飛び跳ねている。

「……誰だよ、利菜、知り合いなのか?」

「ええ、今まで一緒に来た人……ううん、精霊王だって」

「如何にも。妾は精霊王。炎精王イフリート也」

「イフリート……あいつはシルフ……成程ね」

 きっと水の精霊王がいるならウンディーネなのだろう、という予想が的中するのはそう遠くない未来である。

 イフリートは燃える炎のように豪快に笑ってみせる。

「ま、妾が利菜と会ったのはほんの一時間前じゃ。だが、確かに心配せんでも良いじゃろうなあ。何せそいつは虫――」

 その瞬間、大助の視認できる限界速度以上の速さで利菜がカウンターを飛び越えた。飛び越え様に何かを言おうとしたイフリートの口を掴み、カウンターの向こう側へと引きずり込む。人間超えてるな、ととりとめもなく思う大助である。

 何かをしゃべっているようだが、大助にはよく聞こえなかった。

 

 ――虫とか言うの禁止。あいつには知られたくないの。あいつの前で虫の話は一切なし。良いわね?

 ――ちょっ、苦し――

 ――もしも口を滑らせたら、二度と夢を見られないような体にするわよ。相打ちだとしても精霊王とか関係なく、心の奥までトラウマ刻んであげるわ。言っておくけど本気よ。

 ――わ、わ、分かったぞい……。

 

 非常に物騒な会話によってイフリートに何か変えがたい決定的で絶対的な序列というものを叩きこんだ利菜は何食わぬ顔でカウンターを飛び越えて大助のところへと戻る。幸い、大助は利菜の端々に見える夜叉に気づいていない。

 イフリートのほうはただ何食わぬ顔でカウンターの椅子へと座り直し、何事もなかったかのように大助と利菜から顔を背けた。ただし、良く見れば膝がガクガクと震えているはずだ。

 精霊王と言えど死ぬときは死ぬ。流石に利菜を怒らせて今死ぬほどイフリートは生き急いでもいないようだ。

「とにかく、あたしも妙な扉に吸い込まれて、気づいたら此処にいたって訳。ま、まあか弱いあたしだけど幸い直ぐにあの人達に見つけてもらったから問題はなかったけどね!!」

 イフリートと大助は内心で突っ込みを入れる。

(……妙な虫で纏わりつく妖精を虐殺していた奴が言う言葉じゃないわい……か弱い訳がなかろう)

(こいつ、多分虫を使ったな……)

「薬屋はどうなのよ。アンタも扉に吸い込まれたクチ?」

「そうだね……。まぁ、教室の扉を開けたら此処に繋がっていたんだけどさ」

「あら、あたしもそうよ。……まさか、教室の扉が此処に繋がってるのかしら。だったら皆が危ないじゃない!」

 まだ全員が登校し終わったわけではなかった教室。まだ少なくとも十五名程度は来るであろう事実を思い出し、大助の背筋に寒気が走る。あの人数が、更には自衛手段もなくこの世界に来たら何がおきるかも分からない。下手をすると全員が魔物とやらに襲われて殺害されるかもしれないのだ。

「薬屋、いくわよ! 見回りでも何でも、誰かがこっちに来てないか探すのよ!」

「あ、ああ!」

 二人は慌てて森へ向かおうと駆け出す。が、それはあっさりと止められた。

「待て待て待て! おい、行く必要はないぜ!」

 床から声がした。いや、床に倒れた一人の少年から。

 真紅の燃えるような髪をショートカットにし、両手に機械らしき手甲をつけた年若い少年だ。恐らく大助よりも若いに違いない。どうやら利菜の顔見知りのようで、彼女はと言えば「あ、起きた?」と極めて雑な扱いだったが。

 だが口調は勇ましく、若干奇妙な物を見るような目の大助にも構わず言った。

「俺はアカネ! よろしく! アンタは?」

「薬屋大助。……割とアクティブな自己紹介だな……ちょっと面白いと思ったよ」

「褒めなくても良いぜ」

「褒めてはいないからな、皮肉だ」

 実際、今さっきまでアカネと名乗った少年は気絶していた。宿屋内でシルフが巻き起こした風に煽られ、テーブルの角に頭をぶつけてそのまま沈むというなんとも情けない原因で。ただ、それを敢えて告げようとも思わなかったが。

 後頭部を摩りつつアカネは言った。

「ま、そういうのは心配要らないと思うぜ。少なくとも扉は入れる奴を選別しているって話を聞いたことがある」

「選別? ちょっと、それは初めて聞いたわよ。第一、あたしみたいなか弱い女子まで入れるなら誰でも入れそうだけど。

 利菜の言葉に笑いをこらえきれず、アカネが噴出す。

「お前がか弱いとかありえないだろ! ははは、あの天道虫――」

 刹那、また利菜が高速で床を蹴りアカネの懐へ潜り込む。余りの速度に反応すら出来ず固まるアカネの首にアッパーカットの要領で右腕を絡ませ、体勢を崩した瞬間にすかさず足を払う。かなり型崩れしているが元は柔道の技のはずだが――それをコンマ一秒で終わらせると言う利菜の力量にただただ大助は呆然とし、瞠目するしかない。宿屋の床全体を揺らす勢いでアカネが床に倒されたことも、どこか遠い世界の出来事のように思われた。

 無論、手加減はしている利菜。音が大きいと言うのは即ち衝撃を音として逃がしているに他ならない。アカネにも思うほど痛みもないはずだ。

 だが大助は勿論、意識が薄らいだアカネも思う。

 ――この女、ヤバイ。

(こいつ……徹底的に自分が虫憑きだって事実を隠すつもりだ……)

 大助の背筋が薄ら寒くなる。立花利菜、という少女についての新たな見解を得ると同時、僅かに憮然とした心境だった。原因は大助自身も分からなかった。

 

 閑話休題

 

 宿の主人に命じられて店内の掃除を(チンピラはさっさと逃げた)全員でさせられている最中、利菜と大助はお互いの状況についてある程度情報交換を終えた。流石は才媛であり、利菜の説明は簡便かつ要所を的確に捉えており、且つ不必要なことは一切もらさない。大助のほうもシルフとミドリに緘口令を敷いてから、此処に来てやったことを利菜へ伝えた。誤魔化しの上でのみ成り立つ、歪んだ真実の応酬にお互い内心で自嘲的に笑った。

 暴風で吹き飛んだ椅子には足が折れているものも多い。それを積み重ねるたび、渋面の主人の額に青筋が浮かび、視線が更に鋭さを増す。

 彼は言った。

「あのさぁ……困るんだよねえこういうの。やっぱり、お客様にこういうのも何だけど、俺は決して善意で商売してるわけでもないんだからさぁ、こうもぶっ壊されると怒りも湧きすぎて逆に湧かなくなってくるよ」

「ごめんなさいアル。反省してるアル。もうしないアル」

「そ、その、済みません……」

 壁に空いた大穴を木の板で補修するミドリとシルフが正反対の態度で謝罪の言葉を述べる。シルフの明らかに口先だけと分かる謝罪の分も含め、ミドリが深く謝罪しているのだろう。

「ま、チンピラと揉め事になったのは俺達だ。ミドリがいたってのは予想外だったけど、主人さんもミドリも、すいませんっした」

 アカネはというと、フランクだが怒りを上手く鎮める程度には真摯に頭を下げた。主人も、余りにも率直に謝られては言葉を失う。

 最後の一つの椅子を片付けたとき、宿の食堂らしきスペースに置かれた机と椅子は半分程度まで減っていた。

「……ともかく。俺としては弁償してくれればいい。過ぎたことを悔やんでも仕方ない」

「物分りが良い人でよかったアルな、ミドリ」

「うん、良かったよねえ。でもね、一つだけ悪い知らせがあるんだよシルフ。大助も」

 そっとミドリは財布を取り出した。その時点で大助はミドリの言わんとせんことが何となく読めてしまった。

「おいミドリまさか……」

 にこり、と苦笑とも微笑とも冷笑とも取れない微妙な笑みを浮かべ、ミドリは言った。さらりと、この場に於いて一番マズイ真実を。

「流石にお金ないよ」

 その瞬間に取った行動は三者三様であった。

 カウンターに座っていたイフリートは誰よりも早く動き、叫ぶ。

「アカネ行くぞ! 妾らは急用を思い出したが故、これにて退散じゃ!」

 だが、それを見越していたシルフが風の力でイフリートを押しとどめる。その隙にミドリが素早く状況を飲み込めずにいるアカネを羽交い絞めにした。イフリートが苦々しげに舌を打つ。

「逃すかアル! 此処で会ったが一蓮托生! 助け合いとはすばらしいアル」

「いけしゃあしゃあと抜かすな! 妾は関係ないわい!」

「ごめんアカネ! きっと六人いれば早く終わるよ!」

「は――? お、おいミドリどういうことだよ! いや、俺金はないぜ!?」

 死なばもろとも。そんな言葉を大助が連想するような光景であった。数秒遅れ、大助も利菜も『逃げなかったこと』を後悔した。呆然としているうちにいつの間にか背後に忍び寄っていた主人に腕を掴まれていたのだ。

 渋面のまま笑むと言う器用な真似をしながら、彼は視線で言った。

 ――強制労働だ手前ら。

 俺は違う! と叫びかけた大助だが、それよりも早くミドリが機先を制した。

「大助、命令だよ。一緒に働こう! 残念だけど、私にはもう弁償できるほどのお金がないから!」

「んぐっ!?」

 ミドリとかわした取り決め。

 彼女には大助を存分にこき使う権利がある。そして、大助はそれに従う義務がある。

 大助は悟った。諦めるべきだと。

 一方の利菜も、

「離してよ! あたしは関係ないわよ!」

 と往生際悪く叫んでいるが、イフリートはそんな彼女へ暗い笑みを向ける。

「利菜よ……お前は逃げても良いぞ?」

「ほら、ああ言ってるじゃない! 離しなさい――」

「だが、もし逃げたらお前のツレに、お前が秘密にしておきたいらしいことを言わせて貰うぞよ」

「ッ!?」

 唐突な脅迫。既に自棄になったイフリートの心中に渦巻くのは唯、どうせなら巻き込んでやれ、という死なばもろともの精神。完全な足の引っ張り合いであり、自己犠牲の精神などと言う美しいものはこの六人の間には存在しないようだ。この様な場において人間の本質が露になると大助は本で読んだ覚えがあるが、この現状を鑑みるに絶望的になるほどに酷い本質の人間ばかりであるらしい。いや、正確に言えばそれはシルフとイフリートの二人に限定される気もするが。

「アンタ、さっき言った通りにするわよ!?」

「別にいいぞよ? 何せお前は逃げるんじゃから幾ら妾が何をそやつに吹き込んだところでお前が手出しできはせぬ。……利菜。妾らは一緒に旅をした仲間じゃ」

「一時間だけよ!?」

 利菜の言葉には耳を貸さないスタイルのイフリートは続ける。

「……仲間なら、ともに堕ちようぞ」

「……くっ! 仕方ないわね……」

 ついに利菜が折れた。中々どうして、利菜も苦労するらしい。同じような立場だからこそ大助は利菜へ同情した。似たもの同士だな、と。

 だが、大助と決定的に違うのは。

 利菜はイフリートに逆らうということであった。まるで、燃え盛る炎のような気性の激しさとともに。

 彼女が猫なで声で、無駄に勝ち誇るイフリートへと囁く。傍で聞く大助の肌が無意識に粟だった。

「ねぇ、イフリート? あたし、仲間だから余計な手心を加えないことが一番だと思うの」

「ん? 何のことじゃ? ……ちょっと待つのじゃ。何故壊れかけの椅子を手に取る? 何故近づいてくる? 何故振り上げる……?」

「地獄には一人で堕ちろ」

「えっ、あっ、やめっ……!!」

 ゴッ、ガッ、ゴッゴッゴッ。ガンガンゴン。

 その後に起きたことを誰もイフリートに語ろうとはせず、またイフリート自身もその日にあった出来事を綺麗さっぱり忘れていると言う。ただ、大助に床に飛び散った大量の赤い液体を拭く作業が命じられたことだけは確かだった。

 また、その日以来、イフリートは何故か利菜だけは絶対にからかえなくなり、またその場にいる全員が、利菜だけは激昂させまいと心に決めることとなった。

 

続く

 




「わらわは『えんせーおー』イフリートです」
「わらわはなぜか『せーれーおー』なのにやどやのキッチンではたらいています」
「だれにきいてもりゆうをおしえてくれません」
「みんなわらわからめをそらします」
「りなさまはみんなにやさしいいいひとです」
「でもわらわはりなさまをみるとすごくあたまがいたくなります」
「ふるえがとまらなくなります」
「なみだがでます」
「りなさまがこわいわけないのに」
「あれ?」
「なんでわらわはりなさまのことをりなさまとおよびしているのでしょうか」
「わらわはばかだからよくわかりません」
「たぶん、りっぱなひとだからです」
「やさしいりなさま」
「こわいわけない」
「です」


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宿屋での強制労働

イフリートの精神は本編では壊れていません。無事です。悪戯神に誓って。
割と原作キャラの性格が崩壊する可能性がありますが、頑張ります。


 宿屋での仕事。それはというと、

「つまり、弁償しなくて良いから新しく作って来い、か。……流石田舎。考え方が柔軟だなー」

「さりげなくミドリ達を傍においておく辺り、あの店主の性格が窺い知れるわね」

「利菜、もうちょっと切れるか?」

「お安い御用よ。ほいほいっと……」

 二人は今、宿屋から少し離れた森の中にいた。鈍い音が木霊する。

 重い斧を振り上げ、一気に振り下ろす。先刻はそもそも一本の木だったところから、大助と利菜で切り倒し、ようやく一つの椅子が出来上がろうとしていた。

 つい利菜は大助へつっけんどんというかぶっきらぼうに振舞ってしまうことが多いのだが、今はそんな風に振舞うことはない。ただでさえ体力を使う作業だというのに、無駄な口論で体力を消費しても本当に無駄なだけだ。まぁ、見ていると無性に心が疼くだけで、大助は利菜へ何かちょっかいをかけてくることもない。

 牧歌的だ。二人の間に流れる、非常に珍しい一時休戦とも言うべきちょっとした安寧の時間である。

 ただ、流石に両者とも限界に近づいていた。既に二時間ほど、小休止を挟みつつ延々と斧を振るい続けてきた。明日は筋肉痛だな、と大助はぼやく。

「しかし、凄いんだな利菜は。俺より体力あるって」

 大助はあくまでも利菜の前では一般人のふりをし続けなくてはならない。ただ、訓練を積んでいる大助に、一般人である彼女が負けじとくらいついてきたことは意外だった。

 一方の利菜は応える気力もないようで、光が差し込む乾いた場所に身を投げ出し、ぐったりと寝そべった。髪や服が汚れることもまるで構わない、そんな様子だ。ただ、殆ど意地のように憎まれ口を叩く。

「あはは、薬屋もだらしないわねえ。ま、よわっちい体してるしね。アカネがこっちに来るには扉が選別するとか言ってたけど、アンタが入れるようなら皆入ってこられそうねー」

「今の利菜に言われたくない。……そうだ、利菜、ミドリが水筒と弁当持たせてくれたから一緒に食べようぜ」

「はぁ!?」

 ほんの少し高鳴ってしまった胸を抑え、利菜は勢いよく身を起こした。一瞬で、体に染み渡っていた疲労感が吹き飛ぶ。

 心を様々な矛盾した感情が錯綜する。何を言えばいいか分からず、つい利菜は慣れてしまった調子で荒々しく言葉を紡ぐ。

「だ、誰がアンタと一緒に食べるのよ! あたしの分、寄越しなさいよ!」

 ほんの少し、心を後悔が満たす。また言ってしまった、と。まだ言うべきことが分からなくて悩んでいる間だと言うのに。

 だが、大助も呆れたようにナプキンに包まれた大きい一つの弁当箱を利菜へと見せ付けた。そこに挟めてあった手紙と一緒に。

「ミドリから。手間だから弁当箱一つに纏めちゃったってさ。幸い、フォークは二本あるし回して食べるか……。纏めないでほしいなあ」

「そ、そうなの……。ま、面倒くさいって気持ちも分からないではないわね。詰めるのもそうだし、洗い物の手間も二倍だし、こうして一つに纏めちゃったほうが効率的なのは間違いないのよ。作るほうからすると」

「ああ、そうか。確かに、ミドリたちはミドリたちで忙しそうだし、仕方ないのか。……あ、良かった。カップは二つある」

 籐のバスケットの中身を探る大助。どうやら弁当箱以外は二つずつ入っているらしい。これで、何もかも一つずつしか入っていなかったら酷く気まずいことこの上ない。常識的なミドリに大助は感謝し、内心で手を合わせた。

 水筒の中身をカップに注ぐ。赤茶けた紅茶のような色合いの飲み物であった。アイスティーである。

 大助はそれを利菜へと渡した。

「疲れたなら水分をとったほうがいいぜ。涼しいけど、脱水症状にはいつでもなりえるんだから」

「別に、大丈夫よ。一応貰っておくけどね。薬屋も飲みなさいよ? 倒れられたらこっちが困るわ!」

「そっちこそそうだろ。疲れて倒れられても大変なんだから」

「……何で意地張り合ってんのよあたし達」

 自分らの行為が如何に無為かに気づき、脱力して利菜はまた草の上に寝転がった。大助も木の幹に体を預け、弁当箱を開く。優しい香りが漂う。

 中身は色々なものが入っている。大半は朝食としてシルフが作った料理の残り物を入れただけの簡素な物だが、それぞれのクオリティが高く纏まっているため残り物だとしても非常に見栄えが良い。空腹感で満たされた大助の心をジャストミートである。

 鶏肉のバジルソテーを口に運ぶ。バジルソテーと言っても現代のそれとは少々味が違う。恐らくは野菜の種類が少々違うのだろう。ただ、胡椒のアクセントが利いていてやはり見た目に違わず美味だ。辛目の味が好きな大助はつい顔を綻ばせる。

「利菜、利菜も食べろよ。かなり美味い――」

 と、その瞬間通り風が強く吹きつけた。よろめきつつも、手に持っている弁当を落とさないようにと慌ててしっかりと抱え込んだ大助。

 だが、利菜のほうを向いていた彼は見てしまった。風に吹かれた利菜のスカートの端が持ち上がり、ふわりと風に舞うのを。

「あー、いい風ねー」

 などと暢気なことをのたまう利菜は間違いなく気づいていない。そのいい風で、彼女のスカートがふわりと捲れ上がってしまっていることに、

 そのスカートの中、下着が僅かに覗いた直後に大助は爆発的に顔を紅潮させて目を逸らした。回らない呂律で夢中で叫ぶ。

「り、利菜! 押さえてくれ! その……見えてる!」

「はぁ? 何が――ってきゃああああああああ!?」

 ようやく気づきスカートを押さえて慌てて立ち上がった利菜。だが、ほんの一瞬だけ見えてしまった。ほんの一瞬、コンマ一秒にも満たない時間だと言うのにその光景が写真のように脳裏に焼きついてしまう。自分でもはっきり分かるほどに顔が熱く火照っている。今は利菜の顔を直視することなど出来そうになかった。

 知らぬ間に口元がにやついている大助を利菜は睨む。だが、脳内では混線した様々な感情が好き勝手に電気信号を飛ばしていた。

(く、薬屋に見られ……ッ!! う、ううっ、油断した……。なんであたしこういうときに野暮ったいのを……ってそうじゃなくてそうじゃない! 見られたことを怒るべきで! で、でも……今のは薬屋のせいじゃないから怒る必要もなくていやでも見られたんだから責任問題なの!? もう、もうこういうときどうするのが一番いいのよ!)

 有体に言って、絶賛混乱状態。

 頭の中がぐらぐらと揺れて、まともに話せそうにない。何を言えばいいかが分からない。というのに、長年の経験から培った脊髄反射は見事に年頃の少女らしい羞恥心と乖離して、彼女の口を動かした。

「く、薬屋の、……変態! 痴漢! 変態!」

「ち、痴漢じゃないわざとじゃない! み、み、見てないから!」

「見てないならなんで『見えてる』とか言えるのよ!」

「しまっ……それは言葉の綾だから気にしないほうがいいと思う」

 失言を取り繕ったときにはもう遅く、バシンという快音とともに頬に凄まじい衝撃を感じた大助は唯一弁当だけはがっしりと守ったまま二回転して止まった。頬に紅葉がくっきりと刻まれているのが非常に痛々しい。

 利菜の顔も真っ赤だった。

「いってええええええ!!」

「記憶から消しなさい! 今すぐ! そうすれば殺しはしないわ!」

「わ、分かった、消す、消します! で、でも今のは不可抗力だっ!」

 反論した瞬間にまた張り手が飛ぶ。ぎゃああああ! とのた打ち回る大助。演技などではなく本当に痛い。多少なりとも痛みに耐える訓練を積み、痛みへの耐性はあると思っていた大助の自身を粉々に打ち砕くビンタだ。

 バシンバシンという音と、それに続く悲鳴が森へ木霊する。そんな中、小鳥は暢気に涼やかな声で鳴いていた。

 

 散った大助の亡骸(誇張)を見下ろし、ようやく興奮状態が収まった利菜は心中で「ごめん」と謝ってから大助を揺さぶった。

「薬屋、起きなさいよ」

 大助は唸り声を上げて目を開く。

「う、うう……悪い、利菜。ちょっとくらい手加減してくれ……」

「手加減とか、上手くできないのよアンタには。それより、ちょっと来て」

 大助を引き起こし、利菜は森の奥へと彼の手を引いて歩き出した。

 起き抜け(気絶し抜け)で訳も分からないままに手を引かれる大助だったが、凡そ三分も歩いた頃に利菜へと問いかけた。

「利菜、待てよ、どこへ行くつもりなんだ? ……まさか、誰にも見つからない場所で俺を処分するなんて言う変な冗談は止めてくれよ?」

 利菜は足を止めない。口だけを動かす。その様子はどこか切羽詰っているようにも、楽しげにも感じられた。まるで、冒険の始まりを予感するかのように。

「さっき、アンタが転がったときに水筒の中身が全部出ちゃったのよ。それで、水場がないか探してたら、妙な場所を見つけたの。見てもらいたくて、ね」

「……そういや蓋閉め忘れてたっけ」

 利菜のために紅茶を注いだきりだったような気がする。

 ざくざくと野放図に草の生えた場所をまっすぐに歩き続ける利菜。そのまま数分歩き続けたとき不意に木々で閉ざされていた視界が突然開け、ギャップと思しき空間に出た。その場所だけ光が差し込み、色とりどりの野草が花を咲かせている。だが、大助と利菜が見つめるのはそんな美しい光景ではなかった。その奥にあった、奇妙な扉だ。

 苔むして、間違いなく人の出入りもなくなったであろう扉。だというのに、直感する。それはまだ使える。中には何かが息づいている、と。気配のようなものを。

 戦闘員としての勘が黄色信号を灯す。中に何がいるか、何があるかは全く分からない。ただ少なくとも、一般人が戦って勝てるような相手でないことだけは確かだった。少なくとも虫を使った状態の大助で互角といったところだろう。利菜も大助と同じように感じているはずだ。

 だが、と二人はお互いを横目でちらと見る。

(……俺は、監視役としてこいつに虫憑きだってことを知られてはいけない)

(一般人の薬屋にはあたしが虫憑きだってことを知られちゃ駄目……)

 小鳥が囀る。

「これ、どう思う? 中に入るべきかしら」

「……俺は、ミドリとアカネを呼んでくるべきだと思う。一般人くらいの力しかない俺達だけじゃ危ないと思うし。ただ、様子を見るくらいだったら少し、入ってみてもいいかもしれないけど……」

「奇遇ね。薬屋も同じこと考えたんだ。意気地無しだと思ってたけど」

 利菜と大助はお互い顔を見合わせ、扉の前へと進み出る。赤い扉で、苔を取り払うと僅かに文字が読めるようになった。

「……第一××、カーマイン……連絡通路?」

「掠れてて一部読めないわね。……薬屋、とりあえず一旦、斧だけでも取ってきましょう。こういう冒険なら先ずは武器が必要なのよ」

 利菜の意見には大助も賛成だった。少なくとも徒手空拳よりは若干錆びた斧でもあったほうが良い。そう思い、二人は一度元の場所へと戻り斧を手にとって扉の前へと再び参った。

 利菜が楽しそうに笑う。

「こういうの憧れてたのよ……。なんていうか、こう、主人公になった気分じゃない? 薬屋を率いて冒険に向かう戦士、みたいで格好いいわ!」

「お供が俺かよ。普通逆じゃないか?」

「いいのよ。女戦士よ」

「まあいいけどさ……。ともかく、危険になったら直ぐ逃げよう。あくまでもこれは偵察だからな? 利菜」

 自分でもしつこいと思うほど念を押す大助。利菜も少々はしゃぎながらもそこは弁えているようで、こくりとうなずいた。

「ま、確かに主人公じゃないわねーこういうの。でもこういうところって、最後は御宝があるって相場が決まってるじゃない?」

「利菜はちょっと冒険活劇の読みすぎじゃないか」

「夢があるっていうのよ」

 自分に言い聞かせるようにそう呟き、利菜は扉へ手をかける。金属の独特の冷えた感覚が掌に伝わる。さほど重くは無い。押せば簡単に開きそうだ。

 大助も手を副える。

「……確かに、夢が無いよりは断然いいね」

「じゃ、行くわよ」

「了解」

 二人は力を込め、扉を押す。長年使われていないにも拘らず、驚くほどスムーズに音も無く扉は開き、ぽつりぽつりと燐光の灯った通路に光が差し込んだ。

 二人は一瞬だけ視線をかわし、高鳴る鼓動を抑えて中へと一歩足を踏み出す。

 だが、このときまだ二人は知らなかった。この場所の、ルールと言うものを。

 多分知っていれば、多分分かっていれば、二人は偵察などせず迷わず二人を呼びに戻っていたに違いない。だが、所詮はそれは仮定法であり、現実には起こり得ないのだが。

 何処かで炎が小さく揺らめいた。

 

続く

 

 




次はダンジョン攻略編です。因みに、連絡通路なんて言うステージはディバゲには存在しませんが、ご容赦ください


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