やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 片足のヒーロー (kue)
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第1話  物語の始まりはこれじゃない

 青春とは嘘であり、悪である。青春とは建前という名のコンクリート製の家のようなものであり、その周囲には青春フィールドと言える不可思議のフィールドを張っており、たとえ自分にとって悪であるものでもそれに触れた瞬間、自分にとっていい経験だったと変換してしまうのだ……そう。まさに二次元実数空間の写像に負の数を入れたら何故か正の数になってしまったように……合ってるのか?

「ねえねえ、ここどうやるの?」

「あ、ここはね」

 良い例が俺の目の前で勉強会という名のイチャイチャタイムを楽しんでいるカップルの様にたとえ、男の体臭がくさかったとしても彼女は臭いと微塵も思わないだろう。何故か……青春フィールドが張ってあるからだ。

 図書室全体を見渡してみても同じようなことをしている奴らが大勢いる。

 ……やはりここは俺の勉強場所じゃない。

 そう結論付け、参考書をカバンの中に押し込み、机に立てかけてあった杖を持ち、動かない右足代わりにして図書室を出た。

 今から1年と数カ月ほど前、俺は事故に遭い、右足に障害を抱えてしまった。ちょうどそれが中学の卒業式の日だった。事故に遭ってから2か月、意識不明だったらしく起きた時はもう5月末だったんだがこれまた最悪なことに後遺症が判明し、日常生活を送れるようになるためのリハビリを3カ月行ったので結局、高校に初登校したのは2学期が始まってからだった。

 結局、俺はボッチであることが確定し、今に至る……ま、小学校も中学校もボッチだったから設定が引き継がれたようなものだけど。

「あ、久しぶり~!」

 後ろからかけられる声……普通ならば振り向くだろうが俺は振り向かない。

「ねえ、髪切った?」

「あ、分かる?」

「振られたの~?」

「生活点検に引っかかったの!」

 そう、こんな具合に俺ではなく、俺の前にいる友達に声をかけている確率が100%だからだ。

 俺はそれで中学生の時、反応してしまい、変な空気に見舞われた。

 講釈を垂れるのは止め、結論を言おう……青春とはなれ合いであり、麻薬である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで私、比企谷八幡は多額の慰謝料で年金が貰える年齢まで生きることができるので高校生活を振り返るも何もただ茫然とカビの様に生きていきます……ハァ」

 国語の時間に出された課題を読み上げた国語担当教師である平塚静先生は机の上に課題の用紙を置き、呆れたように大きくため息をついた。

 課題は高校生活を振り返って、および今後の未来について……という作文だった。

「比企谷。こんな作文を提出できると思っているのか? 私の評価が下がるわ」

「そんなこと知りませんよ。第一、本音を書くようにと言ったのは先生でしょ。俺は本音を書いたまでです」

「ふむ……初めて会ったあの日からずっと腐った魚のような目をしているな、君は」

「そんなにDHA豊富なら今後安定っすね」

「誰がbokeろと言った」

 なんだ。先生もこのネタ知ってたんすか……案外、最近の若者よりですね……生徒からの信頼も厚い。スタイルも良い。黒髪で美人。頭もそれなりにいい……それなのにアラサーで結婚できないなんて……やはり世界のラブコメはまちがっている。

「おい、今失礼なこと言わなかったか?」

「さあ? んじゃ、こっちを提出します」

「……2つ書いたのか……どれ」

 もう1枚をカバンから取り出して先生に渡した。

 1枚は全力の本音。もう1枚は作文に相応しい脚色塗れの100点間違いなしの作文……人はそれを建前文というが作文を書くにあたって建前を書かない奴はいない。

「……1枚目と比べれば遥かにいい。数学や物理のテストなら間違いなく100点だな……ただ完璧すぎる。その一言に尽きるな」

 先生はそう言い、俺が渡した2名目の用紙を机の上に置いた。

 完璧……人によっては抱く感情が二通りになる。1つは肯定的にとらえる、もう1つは否定的にとらえる。完璧とは人によって善悪を変えるペテン師である。

「完璧に至るまでの知識量は凄いでしょ」

「違うな。完璧としか表現できないことに寂しさを感じるのだよ。ゲームだってそうだろ? 完璧に全ての要素をこなしてしまうとどれだけ熱中していても飽きてしまう」

「結末を見るか、間を見るかの違いです。それに至るまでのプロセスでそいつが完璧にふさわしい状態であれば結果はどうであれ、チャンスはあると思いますが」

「社会は結果論者が多いのだよ」

「できればいいという考え方ならたとえ非人道的なことをプロセスに挟んでいればいいと?」

 俺がそう言うと平塚先生は大きくため息をついてその大きな胸を見せつけるかのように椅子の背もたれにもたれ掛り、足を組んで天井を見上げた。

「比企谷。君、ひねくれていると言われないか?」

「それが俺のアイデンティティーですので」

「……少しついてきたまえ」

「……あの」

「何かね?」

「……手、貸してもらえませんかね。椅子が深すぎて立てないんすよ」

 そう言い、先生の差しのべられた手を引っ張ってようやく立ち上がった。

 教室などにある普通の椅子ならばちょうどいい具合の深さなので1人でも立てるんだがソファの様に深い椅子に座ってしまうと自分ではたてなくなってしまう。

 先生についていき、どこへ行くかと思いきや学校にある空き教室に到着した。

 ……ここって確か……なんかの部活が入っていたような。

「失礼するぞ~」

「……先生。入る時はノックしてください」

「ノックをしても君は返事をせんだろう」 

 教室の半分から後ろには無造作に片づけられたイスと机のセットが大量に置かれており、半分から前には椅子に座って静かに本を読んでいたであろう1人の女子生徒がいた。

 物静かで黒髪で吊り上がり気味の目……俺はこいつを知っている。学校でも秀才が集まると言われている女子比率ほぼ9割を誇るクラス――国際教養科でトップに君臨し続けている秀才の中の秀才……雪ノ下雪乃。

「で、そこのゾンビはなんですか」

「俺はラノベの主人公か」

「あら、私の目に狂いはないはずよ。腐った魚のような目に醸し出すオーラ、顔色……全てを合算して貴方をゾンビだと算出したの。何か問題でも?」

「大有りだ。確かに俺は腐った魚のような目をしている」

「認めるのかね」

「だが……ゾンビではない! 妖怪と言え!」

「……ほぼ同じだと私は思うけど」

「とにかく! 雪ノ下。君に依頼を頼みたい。彼の性格を奉仕部の活動を通して改善してやってほしい」

 俺は先生が言ったことに疑問を感じざるを得なかった。

 奉仕部の活動を通して……つまり、俺もその奉仕部というクラブに入らなきゃいけないと言う事なのか……勘弁してくれ。俺はクラブが大嫌いなんだよ。あのTHE・なれ合いワールドみたいな空間は嫌なんだ。

「先生。俺、変わる気はサラサラないんですが」

「これはさっきのレポートの罰だ。異論反論は認めんよ」

 ……2枚目を提出しておけばよかった。だが逃げ道がないわけじゃない。

「先生~。確か校則で新入部員はまず一週間の仮部員を通さなきゃいけないんですよね?」

「……確かに」

「だったら俺は一週間、奉仕部の仮部員として所属します」

 ふっふっふ……一週間の仮部員中は止めるも続けるもその生徒次第。正式部員になってしまえば止めるのには書類提出が必要だが仮部員中ならばそんな書類提出は必要ない……所属するだけしてあとは勝手にドロンと幽霊部員になってしまえばそれでいい。

「先生」

「何かね、雪ノ下」

「彼を見る限り、変わる気はないように思えますが」

 流石は秀才。人を雰囲気だけで判断する。

「奉仕部は変わろうとする人に手を差し伸べ、それを助ける……彼に合わないと思いますが」

「変わろうとしない奴を悪とするような言い方だな。変わるか否かはそいつの選択だろ」

「それは甘えよ。変わろうとも思わず、今の状況に依存する……甘えでしかないわ」

「お前、現状維持っていう言葉知らないのかよ」

「その現状が良いのであれば構わないと思うわ……でも、現状が悪いまま維持するのはどうかと思うけど」

「お前、同じことをホームレスやいじめで不登校になった奴に言って来いよ。間違いなく襲われるぞ」

「それは屁理屈よ」

「屁理屈も立派な意見だろ」

「屁理屈は重箱の隅をつつくようなものよ」

「それだけ粗があるってことだろ」

 互いに弾を出し尽くしたのかそこで俺たちの言い合いは突然終了し、教室に静寂が戻ってきた。

 ……今ので理解した。俺と雪ノ下雪乃は決して相容れない存在なのだと。あいつをルートとするならばあいつの中は正しか受け入れられず、負である俺は虚数という形に変化しない限り相容れない。が、俺は虚数に代わる気は全くない……故に俺たちは相いれない存在である。証明終了。

「とにかく。頼むぞ、雪ノ下」

「ふぅ……先生の依頼ですのでやれるだけはやってみます」

「じゃあな」

 先生が部屋から出ていったことで再び部屋に静寂が訪れ、やけに時計の針が進む音が大きく聞こえる。

 俺は教室の後ろに片付けられている椅子を取り、椅子に座るが相手からもこちらからも会話の種を投げることはなくただ、俺達の間には気まずい感じが流れ始めた。

『3・2・1!』

 ……おい、嘘だろ!

 静かな教室にそんな音声が流れ、慌ててスマホを取り出そうとした瞬間。

『お兄ちゃん! 世界で一番キュートでビューティホーな妹からの電話だよ!』

「もしもし」

『あ、お兄ちゃん? 今日の晩御飯何が良い?』

「……なんでもいい……土曜日の勉強会、覚えておけよ」

『え!? ちょ、まっ』

 相手が言い切る前に俺は通話を切った。

 あの野郎……いつの間に俺の着信音をオリジナルのものに変えやがった……機械にばっかり強くなりやがって。子の復讐は勉強会で果たしてやろうぞ……その前にあいつ、聞いたよな。

 チラッと雪ノ下の方を見てみるが向こうは本に集中しているのかずっと本を見ている。

 ……良かった。

「ねえ、そこの世界で一番キュートでビューティホーな妹を持つゾンビ君」

「わざわざ復唱するなよ……で、何?」

「仮にも貴方は一週間奉仕部の人間……名前くらい把握しておかないと」

「別にいいじゃん」

「……どういう意味かしら」

「どうせ1週間限定の関係なんだし、名前聞く必要はないだろ」

「……それもそうね。ゾンビ君」

 そして再び、教室に静寂が戻った。

「……ようやく分かったわ」

「何が」

「貴方には致命的なものが欠けている……それは」

「「協調性」」

 同じタイミングで同じことを言うと雪乃下は驚いた表情を一瞬浮かべ、文庫本に栞を挟んでこちらを見る。

「てっきりあなたは自覚していないものだと思っていたわ」

「自覚はしてる……直す気はないという最悪な性格ですよ、俺は」

「……そう。直す気がないなら出て行ってもらえる?」

 そう言う雪ノ下の言葉の節々に怒りのようなものを感じた。まるで自分を侮辱された時のような激しくはないが静かに怒っているような感じだ。

「なんというかお困りのようだな、雪ノ下」

「ノックをしてください」

 先生降臨……扉の窓に影があると思えば先生が覗き魔だったとは。

「優秀すぎる者と卑屈すぎる者の戦いか……バトルマンガで言う佳境だな。例えるなら敵の魔力を欲するがゆえに護衛対象を放置するものと護衛対象を優先して護るものの戦いだな!」

「どこのフレイムなドラゴンの魔法使いですか」

「ほぅ、知っていたとは……ま、そんなことは置いておくとして。二人の信条がぶつかった時、どちらが正しいかを決めるのはいつも戦い……よって君たちには戦ってもらいます」

「どこのバトルロワイヤルですか」

「君も負けず劣らずのオタクっぷりだな、雪ノ下」

 先生にそう言われ、不服なのか目で先生に訴えかけるが先生はそんなものどこ吹く風。彼女から目を逸らし、教壇の前に立った。

「君たちには奉仕活動をしてもらう。その結果をもとに私の独断と偏見をもってしてどちらが優秀かを決めよう。勝者は敗者に何でも言う事を聞かせるという報酬もやろう。まあ、あまり気張らずに頑張りたまえ。そろそろ完全下校時間だ。ではな」

 先生が教室を出たと同時に完全下校を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 俺は椅子の傍に置いていたカバンを持ち、雪ノ下の方を見向きもせずに奉仕部部室を出た。



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第2話  由比ヶ浜のクッキーはすごい

「…………」

 奉仕部仮部員生活2日目の今日、俺達の間にはもちろん会話などなく向こうさんは文庫本を読み漁り、俺は机といすを用意してもらい、参考書を片手に勉強していた。

 俺は中学の卒業前に事故に巻き込まれ、長期間入院した。結果、勉強が遅れることになったわけだが幸いにも意識は取り戻したのでベッドの上にいる間はずっと勉強をした。そうしたらあら不思議、勉強の面白さというものに気づいてしまい、リハビリの合間に単語帳を読み、週刊少年誌ではなく参考書を読むようになり、ラノベではなく一般文芸と言われているような本を大量に読み漁るようになった。

 結局、遅れを取り戻すどころか3年間の勉強が終了してしまい、今は常に参考書を読むという元武闘派ボッチだった俺とは思えないくらいの知的派ボッチに変身したのだ。

 だがそんな知的派ボッチの俺が解けない問題がある……ここの部活の趣旨が全く分からん。

 昨日も今日も誰かが来る様子はない。マジであの戦いの義みたいなのはなんだったんだ。

「どうぞ」

 そんなことを思っていると弱弱しく扉を叩く音が響き、扉が小さく開かれるとその隙間から体をよじらせていまどきの女子高生な女子生徒が入ってきた。

 膝丈よりも短いスカート、3つは開けているであろうブラウス、そして脱色かは知らないが明るめの茶髪にネックレス……校則オール反逆者め。

「え、えっと平塚先生からここに行けって言わ……ひ、ヒッキーじゃん!」

「…………」

 俺は後ろを振り返るが俺の背後には誰もいない。つまり彼女は俺を指していることになる。

「……どちら様?」

「えー! 始業式の時にいっぱい話したし! ほら、覚えてない!?」

 悪いがこんなハイテンションな女子とは交友関係はない……というかすべての奴らと交友関係はない。

 必死に2年生の始業式の日を思い出すが目の前の女子の顔が全く思い浮かぶどころか声すら思い出せず、もう一度彼女の顔を見てみるが全く覚えがない。

「覚えてない」

「ひ、ひっどー! かなり喋ったのに」

「由比ヶ浜さん……だったかしら」

「あ、私の名前、知ってるんだ」

 どうやら女子の間で彼女に知られていることが1つのステータスらしく、由比ヶ浜と言われた女子は少し頬を赤くしながら笑みを浮かべた。

「平塚先生に言われてきたんだけどここって生徒の御願いを叶えてくれるんでしょ?」

「正確に言えば違うわ。ここは願いを叶えるまでのプロセスで困ったことがあればそれを手助けする場所。飢えた魚にそのまま手渡しで餌を与えるほど甘くないわ」

「な、なるほど」

 今のどう考えても甘えるなボケ! としか聞こえないのは俺だけだろうか。それともただ単に俺が深く考えすぎているのだろうか。

「で、貴方の依頼は何かしら」

「あ! えっとね、実は……友達にクッキーを作りたいなって」

「出た。なれ合いイベント」

「ヒッキー、ひっど。そんなんだから友達いないんだよ!」

「友達オールフリーだ」

「彼は放っておいて続けましょう。要するに私たちはクッキーの手伝いをすればいいのかしら」

「う、うん。ちょっと私、お菓子とか作った経験ないから。良いかな?」

「承ったわ。貴方は後で家庭科室に来てちょうだい。その間に私たちで準備をしておくわ。じゃ、行きましょう」

 ここ千葉市立総武高校は少し歪な形をしている。上空から見下ろすと漢字の口と同じ形をしている。

 校舎に囲まれた中心部分がリア充のためのリア充によるリア充の聖地である中庭があり、道路側に教室がありそれに向かい合うように特別棟がある。奉仕部部室があるのも特別棟。

 両足がある連中からすれば少し遠い場所だが杖が生活必需品の片足の俺にとって特別棟はとても遠い。

 さらに言えば部室は3階、家庭科室は1階だ。これもまたしんどい。ケンケンで行けよと言われるがそれは無理な話だ。俺の右足にはほとんど力が入らない。ケンケンができるのは足に力が入ってこその芸当だ。

 よって俺は階段昇降が大っ嫌いだ……だが、そうしないと日常生活を送れないため、若干諦めている。

 部室を出て階段の手すりを持ち、ゆっくりと降りていく。

「今度、雪ノ下に階段降りる際は手伝ってくれって言っておこう」

 結局、10分ほどかけて3階から1階へと降り、家庭科室へ入ると既に2人はクッキー制作に取り掛かっていた。

「遅かったわね。ゾンビ君」

「悪いが今度から階段を使う際は手伝ってくれ。そうしないと毎回こうだぞ」

「……失念していたわ。今度から気を付けるわ」

 丸椅子を近くに寄せ、底へ座って由比ヶ浜の手際を見ていく。

 着慣れていないであろうエプロンの結び目周辺は何度もやり直したような皺が残っており、肩の部分は大きくずれていた。

 ま、最近はエプロンつけない人も多いし仕方ないか。

 まずは生地の大本と言っても良い小麦粉の袋を手に取り、ボウルを傍に寄せ、近くに置かれていた計量器には目もくれずにそのままドバっと小麦をぶち込み、雪ノ下が止めに入ろうとするがそれよりも早くに卵を力強く小麦粉が入っているボウルにぶつけ、殻ごと卵を割った。

 

 

 

 

――――――5分後。

「…………問題です。物体Xを答えなさい」

「クッキーだっし! 馬鹿にしないでよ」

「……この世に解けない問題はないと思っていたけれど……解けないわ」

「2人して~」

 出来上がったのは歪な形をしている真黒な物体X。それから発せられる強い苦みのある臭いはブラックコーヒーの臭いがほのかにするし、バニラエッセンスの臭いもする。まさに甘さと苦みの融合……いや、シンクロか? いやはたまた最近新しく出たというエクシーズ! まさに複数で1つのモンスターだ!

「毒味担当。お願いするわ」

 そう言って雪ノ下に手渡されたのは10個作られたうちの8個。残り2つは女子一人づつだ。

「ちょっと待て。何、この男女格差。今格差が問題になっているのにこんなの良いの?」

「問題になっているのは経済格差よ。貴方それでも現代を生きる人間……失礼、ゾンビ?」

 こいつ、わざわざ言い直しやがったぞ。

「…………水を用意してくれ。あと後ろ向いててくれ」

 女子2人にそう言い、2リットルのペットボトルを片手にまずは1つクッキーを手に取り、口の中へ入れて舌にクッキーが触れた瞬間、一瞬で脳髄まで苦みが達し、思わず吹き出しかけるが慌てて口を押え、水をがぶ飲みして流し込んだ。

 ……劇薬だ。これほど劇薬と言っていいクッキーはない!

 俺はそう思いながらひたすら水と精神を消費し、何とかクッキーという名の物体Xを食べきった。

「……ヒッキー、なんだか痩せた?」

「あぁ……痩せたよ」

「由比ヶ浜さん。貴方料理の経験は?」

「ん~。カップラーメンならあるよ!」

 それは料理とは言わん。準備というのだ……仕方がない。

「由比ヶ浜……さん」

「由比ヶ浜でいいよ。ていうかさん付けって今時ないよ」

「……由比ヶ浜。俺が本物のクッキーて奴を見せてやる」

 立ち上がり、丸椅子を調理器具が置かれているテーブルの近くへ持っていき、動かない足を壁にもたれながら両手で何とか関節を曲げ、膝を椅子の上に置き、机の前に立った。

 それからは会話もすることなく、ただひたすらクッキーづくりに集中し、必要な工程をこなしていく。

 そして誰もしゃべらない事10分、オーブンから設定した時間を超えたことを知らせる音が鳴り響き、クッキーを取り出すと横で由比ヶ浜が小さく驚嘆の声を上げた。

「俺スペシャルクッキーだ。召し上がれ」

「い、いただきます!」

 由比ヶ浜は表情を明るくしながら、雪ノ下は何故か不安げな表情のままクッキー1つを手に取り、口の中に入れて咀嚼を繰り返すと同時に互いの顔が変化した……というか絶望しきった表情になった。

「……お、女として負けてはいけないところで負けた気がするわ」

「ヒッキー女子力高すぎ!」

「俺には妹がいてな。妹がクッキー好きすぎるんだよ。で、終いには高いクッキーに手を出そうとしたから俺が作ってやるって言って勉強すること1年……長かった」

「……素直に認めるしかないわね……ゾンビに負けたなんて恥ずかしくて言えないけど」

 こいつはツンデレという名の負けず嫌いと言う事にしておけば精神的ダメージも減る。

 そう思っていると突然、由比ヶ浜が俺の両手を握り、顔を近づけてきた。

「な、なんでしょうか」

「ヒッキー! いや、師匠! 私にクッキー造りを伝授してください!」

「……ふん。貴様ごときにこの俺の弟子が務まるとでも?」

「やってみせます!」

「……俺は厳しいぜ、由比ヶ浜」

 

 

 

 

 

 

 

――――10分後。

 マンガでよくあるコントを繰り返したことを後悔していた。

 俺は手とり足とり、クッキーの作り方を伝授し、さらには隣から雪ノ下が補助していたというのにもかかわらず、由比ヶ浜お手製のクッキーはさっきと同じように物体Xと化していた。

 ……おかしい。2人で補助したのに何故、物体Xが作られるのだ。

「お前は銀髪天然パーマが主人公のマンガの眼鏡少年のお姉さんか」

「? 何話してるの? なんかヒッキー怖い」

「いや、知らないならいい」

「でも、味は悪くないわ」

 そう言いながらポリポリと音を立てながら雪ノ下が物体Xを食べていたので俺も1枚手に取り、勇気を振り絞って食べてみると確かに先程の脳髄直撃するような苦みはなく、整った味をしていたし、色は相変わらず真黒だが全然粉っぽくないし、むしろ食べやすい。

「ハァ……やっぱり私って才能ないのかな……やっぱやめようかな」

「……そうやって言うの辞めてくれないかしら、ひどく不愉快だわ」

「え?」

「全てを才能がないことを所為にして自分が出来ないことを正当化する……それは愚行よ。誰がゾンビ君と全く同じのクッキーを作りなさいって言ったのかしら。彼も言っていたでしょ。1年間勉強したと。今日、初めて作り始めた貴方が彼と同じものを作れるはずがないでしょう」

 彼女の言う事に由比ヶ浜は顔を俯かせ、エプロンの裾をギュッと握りしめていた。

 雪ノ下が言ったことは正しい。自分の才能がないと言う事で正当化する……由比ヶ浜はそんなつもりではなかったかもしれないが彼女にしてみれば愚行そのものに見えたんだろう。

「……か、かっこいい!」

「「は?」」

 顔を上げた由比ヶ浜の表情は今までに見たことがないくらいに非常にキラキラしていた。

「い、今結構キツイことを言ったのだけれど」

「ううん! 確かにきつかったけどなんか本音って感じがした! 本当に言いたいことが頭の中にボカーン! って入ってきてかっこよかった!」

 予想だにしていなかった反撃に雪ノ下はたじろいでいた。

 そりゃ、キツイことを言った後に尊敬のまなざしを向けられることなんて今までになかっただろうしな。

「ありがとうゆきのん!」

「な、何かしらそれは」

「雪乃だからゆきのん! ありがと! おかげでなんかわかった気がした!」

 ……何もわかってねえな。爆死するのは見えてるから少しそのフラグを折りますか。

「2人とも10分ほど席をはずしてくれ。俺が本物の手作りを見せてやる」

 2人は顔を合わせ、不思議そうな表情を浮かべるがとりあえず家庭科室から出ていった。

 ……さて。この間に帰るのもありだがそうするとあいつが爆死して同情せざるを得ない高校生活を送るかもしれないのでとりあえずはいるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――10分後

「お待たせ。これが本物のお手製のクッキーです。ほい」

 俺は2人に黒く焦げたクッキーを1枚ずつ渡した。

 2人は先程の俺のクッキーとは違う色をしていることに疑問を抱きながらもそのクッキーを齧るとどこか顔を歪ませながら食べていく。

「なんか……さっきと比べてまずい」

「そうね。でも普通においしいわ。食べられないわけじゃないわね」

「良かったな、由比ヶ浜」

「ほぇ? これヒッキーのじゃん」

「別に俺は自分が作ったとは言ってねえぞ。これはさっき由比ヶ浜が作ったあまりだ」

「……これが本物のお手製と関係あるのかしら」

「……これは聞いた話なんだがな。中学生のある時、女子にチョコをもらったそうな。そのチョコは非常に歪な形をしていて美味しそうには見えなかったがその男はお礼を言いながら食べたそうだ……そしてこういわれた。それ、妹さん宛の友チョコなんですけど……ってな」

 聞いた話を喋り終わると何故か二人とも憐みの表情で俺の方をジーッと見てきた。

 ……雪ノ下にはばれると思ったががまさか由比ガ浜にもばれてしまうとは。

「かわいそうな話ね」

「ヒッキー、ガンバ!」

「とりあえず、人の味覚はそいつの気持ち次第でいくらでも変わるってことだよ」

「そっかー! そう言えば大切な人から貰った少し不味そうなお菓子でも頑張って食べることあるし」

「……ま、これには前提条件としてあげる奴が渡す奴を友達として認識していればの話だけどな」

 友達だと認識しているからこそ送られたものがたとえ歪なもので美味しく見えなくても我慢し、それを食べることがあるが友達だと認識していない赤の他人から不味そうなものを貰ってもごみ箱に捨てるだけ。

 まあ、クラスのリア充共とつるんでいる由比ヶ浜には関係ない話だろうけど。

「……そっか。ありがとう、ゆきのん、ヒッキー。私、もっかい自分で作ってみるね! ばいばい!」

 そう言って由比ヶ浜は鞄を持って家庭科室から出ていった。

「……これでよかったのかしら」

「相手が納得すれば良いでしょ。相談に来た奴らを片っ端から変える義務なんて俺らにはないし」

「確かにそう……だけど限界までやることで彼女のスキルが上がれば依頼は解決するんじゃないかしら」

「……ま、たまには依頼者自身が解決することだってあるってことだよ。先生に聞こうとした直前に問題が解けたってこともあるんだからさ」

 



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第3話  人の恥ずかしさは時に理性を壊す。

 由比ヶ浜の依頼が自己完結した翌日の放課後、俺は奉仕部の部室へと向かってチンタラ歩いていた。

 やはり普段使っている教室から特別棟にある奉仕部の部室へ行くのには骨が折れる。

 結局、由比ヶ浜は自分でもう一度1からクッキーを創り直したらしく、今日の朝一番に金髪でお前は花魁かと突っ込みたくなるくらいに肩を出すくらいに着崩している女子生徒に渡していた。

 チラッと見た感じでは相手も受取ってはいたが……ま、俺みたいなボッチには関係ない話だ。

「……今日、病院だから休みますって言ったらダメかな……流石にダメか」

 平塚先生に俺の状態で言ったらリアルに信じられそうで心が痛むから無し……げっ。

 俺は向こうから歩いてくるオサレ系イケメン男子を中心とした集団が歩いてくるのが見え、反射的に壁際に酔ってしまった。

 葉山隼人……次期サッカー部部長と言われている今総武高で話題のイケメン男子だ。

 そいつが発するオーラに触れたものは皆、例外なく笑顔になる……The・ゾーンの使い手だ。

「隼人、部活休みっしょ? サーティワン行かない? 今日ダブルが安いんだって」

 本来なら禁止されている校内でのスマホを使用して大きな声で喋っているのが由比ヶ浜がクッキーを渡した相手である三浦優美子。いまどきの着崩しスタイルの女子高生。他多数。

「でもな~。アイスばっかり食ってると」

「隼人君サッカーしてるから大丈夫っしょ!」

 同じく金髪で声を荒げて葉山に話しかけているのが他多数のうちの一人。

「あ、だったら結衣も誘おうよ」

「でも、あの子最近付き合い悪いし……ま、とりあえず誘うけどさ~。あ、先行ってて」

 三浦は片手であり得ない速度で指を動かしながらスマホを操作しつつも片手でカバンを漁り、綺麗にデコレーションされた袋を一瞬、悩んだ様子を見せながらもゴミ箱に捨ててそのまま去っていった。

「…………ま、こんなもんか」

 ゴミ箱の中を見てみると中にはクッキーが入ったままの袋が無造作に捨てられていた。

 何故かは知らないがその光景を見ても俺はかわいそうとも思わず、当たり前だと感じ、手を突っ込んで袋を取り出して中身をよく見てみるがどこからどう見ても由比ヶ浜の作った物だった。

「…………あーん!」

 袋の口を開け、口を大きく開けて袋に入っているすべてのクッキーを口の中へ突っ込み、ムシャムシャと辺りに聞こえるんじゃないかと思うくらいに大きく音を立てながら咀嚼するがあいつが1人で作ったわりには脳天直下の不味さは感じられず、どちらかといえば美味い……が。

「しょっぱ……あいつ、塩と砂糖間違えたな」

 心のメモに書き、俺はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……結構、優しいんだ……ヒッキーって」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふあぁぁ~」

「ゾンビ君。ウイルスをばら撒かないでくれないかしら。空気感染するわ」

「お前地味にひどいこと言うよね。俺一体いくつ傷がついたんだろうか」

 まさか欠伸をしただけでナイフのように鋭い言葉で切り付けられるとは……恐るべし。

「どうぞ」

「やっはろ~」

 そんな軽快な声を上げながら由比ヶ浜が笑みを浮かべて部屋の中へ入ってくるが何故か、その笑みは無理やり貼り付けたような型のあっていないものに見えて仕方がなかった。

 ……見たんだ。

「どうかしたのかしら? 由比ヶ浜さん」

「いんやね~。お礼を言いに来たの。ありがと、ゆきのん。おかげで大成功だよ!」

「そう。それは良かったわね」

 ……分からん。なんであんなひどい仕打ちを受けておきながら由比ヶ浜はあんなに笑顔でいられるんだ……少なくとも俺だったらあんな光景を見たその日にお礼なんて言いに行けない。

 由比ヶ浜の行動に混乱していると彼女はこちらの方を見て近づいてきた。

「ヒッキーもありがとね。また今度作ってくるから!」

「……ちょっと話がある」

「え? 何?」

 由比ヶ浜の耳元でそう小さく呟き、奉仕部の教室から出るとその後を追いかけるように由比ヶ浜が教室から出てきて俺の目の前に立った。

「お前、なんで嘘言ったんだよ」

「……もしかして気づいてた?」

「……お前の雰囲気で分かった。なんでわざわざあいつらに合わせる必要があるんだよ。あいつがお前を捨てたらお前だってあいつを捨てればいいだろ。わざわざお前だけ持っておく必要はないと思うが」

「……ヒッキーって意外と優しいんだね」

 由比ヶ浜は笑みを浮かべながらそう言うが彼女の瞳はどこかいつもよりも潤んでいるように見えた。

「これは私の問題だから……ヒッキーたちには頼らないことに決めたから」

 相手が自分のことを嫌だと思っていても自分は相手のことを友人と思っているから離したくない。これまで通りに友達として接していく……どうせ大学に進学したらそんな連中とは縁がバッサリ斬れる。そんなのは……ただのなれ合いだ。

 バスに乗る寸前に友達の姿を見つけてわざわざ降りて友達に話しかけに行く……そんな感じだ。

「私さ……入学した時は1人だったんだよね。知り合いも全然いなかったし……そんな時に会話の輪に入れてくれたのが優美子でさ。おかげで友達も増えたし……ま、まああれだよ。私がいけなかったんだと思う。最近、クッキーなんて渡さないって言うし」

「…………お前が良いなら別にいいけど」

「うん……ありがと。心配してくれて。じゃあね、ヒッキー」

 そう言って由比ヶ浜は走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。いつも通り遅刻スレスレに登校した俺が教室へ向かっているとものすごくおかしな光景が目の前に広がっていた。

「あ、あれ? 無い……ここなのに」

 特別棟へ向かう際の渡り廊下にうちのクラスの女王様と言えるべき地位を築いている三浦が設置されているゴミ箱に髪をかき上げながら何度も両手を突っ込んで中を探し回っていた。

 後悔するなら最初からしなかったらいいのに。

「…………」

 そんな光景をボーっと見ていると始業のチャイムが鳴り響き、俺はその場を後にして居室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼休み、俺は今お気に入りの音楽を聴きながらボケーっと外の様子を眺めている。

 普段ならばボッチオンリーゾーンと呼んでいるボッチに最適な場所にお昼ご飯を持っていくんだが今はあいにくのザザぶりの雨なので食事場所を考えているのだ。

 が、あそこ以上にいい場所はないという結論に至り、音楽を止めてイヤホンを外すと後ろから騒がしい声が響いてきた。

「隼人君休みっしょ? ゲーセン行かね?」

「そろそろ定期試験の勉強やりださないとな」

「大丈夫っしょ! 隼人君なら余裕だって! な、優美子!」

「え、あ、あーしもちょっと今日無理。探さないといけないし」

「何か落とし物でもしたのか?」

「え、あ……うん」

 後方から聞こえてくるなれ合いの会話の中に違和感を感じ、ばれない様に後ろを見てみると何か思い詰めた様子の三浦がさっきからチラチラ由比ヶ浜の方を見ている。

 ……真正のクズじゃないのは分かった。あらかた気恥ずかしかったとか何とかだろ。んで、由比ヶ浜にばれていないかが不安……でも、そんな感じだけじゃないような気がする。それに由比ヶ浜も由比ヶ浜でどこか思い詰めたような面持ちで三浦を見ている。

「……ねえ、優美子」

「な、何? 結衣」

「……私たち友達……だよね?」

「な、何言ってんの急に~。結衣と優美子は友達っしょ!」

 空気をいち早く読めていた葉山に腕を引っ張られることで2人に流れている気まずい空気にようやく気が付いたのかそれ以上は喋らなかった。

「そ、そうじゃん。あーしら友達じゃん

「友達だったらさ……クッキーとか捨てたりするの?」

 核心をついた質問に三浦は携帯を落としかけるほど肩をびくつかせた。

 周りの奴らも2人の間に流れている気まずい雰囲気に気づいたのかさっきまで大音量でゲームをしていた奴らは音を消し、大きな声で喋っていた奴らは声のトーンを小さく落とし、会話を続行しながらもチラチラ由比ヶ浜達の方を見ていた。

「な、何言ってんの結衣。捨てたりするわけないじゃん! 美味しかったよ!」

「……どんな味だった?」

「ん、ん~。ちょっと甘すぎたかな? って感じだったけど全然美味しかった!」

「……ウソ。だって、家に帰ってから食べたけど……塩と砂糖間違ってたもん」

 最大の矛盾を突かれた三浦は辺りをキョロキョロ見渡しながら必死に打開策を考えている様子だったけどそんなものがすぐに出るはずもなく、ただただ虚しい感じにしか見えない。

「ね、ねえ結衣。今日ゲーセン行かない? 久しぶりに2人でさ。あーしら友達」

「調子のいい時だけ友達なんて言わないでよ!」

 手を強く弾いた音が教室に響いた直後に由比ヶ浜の叫びが木霊し、扉を強く叩き開けた音が聞こえたかと思えば叩き閉められた音が直後に響いた。

 それとは対照的に教室にはイヤな感じの静けさが漂い、誰も口を開けようとはしなかった。

 リア充共のグループも気まずそうな表情のまま互いに喋ろうとはしなかった。

 ……今まで他人の喧嘩なんか山ほど見てきたのに何故か、胸糞悪い感じしかしないな。今回のは。

 昼飯である焼きそばパンと杖を取り、俺は嫌な静けさが漂っている教室から静かに抜け、いつもの俺専用ボッチフィールドへ向かうと顔を腕にうずめ、肩を小さく振るわせている由比ヶ浜が先客として座っていた。

「……慰めに来てくれたの?」

「バーカ。いつもの俺の昼飯を食う場所にたまたまお前がいて、たまたま俺が隣に座っただけだよ」

「……ウソつき……」

「いただき」

 焼きそばパンを袋を開け、食べようと口を大きく開いた瞬間、横から由比ヶ浜の細い腕が伸びてきて焼きそばパンをかっさらうとそのまま勢いよく頬張っていく。

「あ、あのそれ俺の」

「んぐうぅぅぅ!」

 変な叫びをあげながら涙目の由比ヶ浜は焼きそばパンを平らげていく。

 ……もしかして変なスイッチでも入ったのか?

「ひっく! ヒッキー!」

 慌てて詰め込んだ所為か吃逆をしながら由比ヶ浜は勢いよく立ち上がり、俺を見下ろしてくる。

 その眼はどこか気合……というか怒りの炎で燃えているように見える。

「は、はい」

「ちょっと付き合って!」

「……よ、喜んで」

 そうとしか言いようがないほどの眼圧だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい!」

 そんな店員の元気のいい声が響くここはファミレス。

 そんな感じで由比ヶ浜は食べ放題を注文し、俺は一品だけを注文したが由比ヶ浜はもうそれは店員が引くくらいの量の料理を注文していく。

 店員が戸惑いながら『君、大丈夫なの?』という気持ちも含めたメニューの復唱をすると由比ヶ浜は首を縦に振った。

「ヒッキー。今日いっぱい食べるからね!」

「ま、まあ付き合うだけだし……ついでに妹呼んでいいか」

「もちろん! 食事はいっぱいいた方がいいし」

 妹に電話をかけ、用件を話すとすぐに行くと言ってわずか5秒で通話が切れた。

「お、お待たせしました。え、えっとチャーハンとラーメン、それぞれ大盛りになります」

「はい! はーい!」

 由比ヶ浜は店員から大きな皿を受け取るや否や箸を使って熱々のラーメンを口に流し込んでいき、あっという間にラーメンを食いつぶすと今度はチャーハンへと手をかけていく。

 恋愛小説の中であったが女性は何か精神的に大きなショックを受けるとやけ食いというものをするらしく、それでショックを緩和してまた翌日からの仕事などを頑張るらしい。

 由比ヶ浜はすでにチャーハンを空けているのに俺は未だにさっき運ばれてきたパスタの半分すら食べてない。

「あ、おにいちゃーん!」

「遅かったな、小町」

「ひほうほは! ほーい!」

「言っていることは分かるがとりあえず飲み込め」

 三皿目に運ばれてきたたらこパスタを口一杯に放り込みながら喋る由比ヶ浜に注意すると彼女は何度か租借した後に水で一気に流し込んだ。

 水で流し込むのはいけないんだぞ。

「妹の……おい、どうした」

 小町は由比ヶ浜の顔を見ながらうーんと唸りつつ、腕組をして何やら考えている様子だった。

 とりあえず小町を隣に座らせ、メニューを渡すと偶然か否か、俺と同じものを注文した。

「どうも~。妹の小町です! いつも兄がお世話になってます」

「やっぱり可愛いな~。うちのサブレもこんなに可愛かったらいいのに」

 喋りつつも由比ヶ浜は次々に運ばれてくるメニューを腹の中へ流し込んでいき、綺麗に完食していく。

 ……ほんと女体の神秘だよな。あんな小さな腹の中にどんだけ大きな胃袋が詰め込まれてるんだって話だよ。

 自分の注文したパスタを少しずつ啜りながら由比ヶ浜の神秘を眺めるがどう考えても答えが思い浮かばず、結論としては女体の神秘と言わざるを得ないくらいに不思議な光景だ。

「ねえ、何かあったの?」

「まあ、友達関係でいざこざがあったというか」

「な~んだ。失恋じゃないんだ」

 小町はあからさまにガッカリした様子で由比ヶ浜に聞こえない程度の小さなため息をつき、運ばれてきたパスタを食し始めた。

 ……普通、女の子が食事するときってゆっくりだよな……今の由比ヶ浜が特殊と言う事か。

 結局、1時間もの間、由比ヶ浜は運ばれてくるメニューを食い散らしていき、全てを食い終わったと同時に便所へと駆け込んでいった。

 ちなみにもう、インスタントコーヒーを飲んで三杯目のことだった。

「ふぅ~。スッキリした。じゃあ、かえろっか」

 会計を済ませ、先に小町を家に帰らせ、俺は由比ヶ浜を家の近くまで送っていくことにした。

「今日はありがと……その、付き合わせちゃって」

「良いよ別に」

 おかげで女体の神秘を直に見ることが出来た。

 だけどその後からも会話が続くことはなく、ただ俺の杖が地面をつく音だけが辺りに響き、どこか寂しい感じが俺たちの間には流れていた。

 俺は他人との上手い会話の仕方を知らない。他人と会話をした回数が少なすぎると言う事もあるだろうが一番の原因は家族である妹と話しすぎていたからだと思っている。

 小中学校の頃は妹だけが唯一の話し相手と言ってもいいくらいの関係だったから自然と赤の他人と話す機会が減っていき、最終的に卒業式の日、俺がいなくても集合写真は全員が集まったと考えられたくらいだ。

「あ、ここまでで良いよ。もう家見えてるし」

「そうか……じゃあな」

「うん……ねえ、ヒッキー」

 由比ヶ浜が歩き去っていくのを見ていると突然、立ち止まった。

「なんだよ」

「……本当の友達ってなんなのかな」

 ……これまた哲学的なことを悩むんだな……まあ、それが青春してるっていう評価をするんだろうな。この社会全体を形成している大人たちは……。

「あくまでこれは俺の考えだけど……本当の友達って困った時に頼れる奴のことを言うんじゃねえの? まあ、万年ボッチの俺が言うなって話だけど」

「……そっか……じゃあさ」

 由比ヶ浜がこちらへ振り返るとその顔に合ったのは今までに見たことがない満面の笑みだった。

「今度、何か困ったことがあったらヒッキーのこと頼るね!」

「っっ!」

「んじゃ、また明日!」

 そう言い、由比ヶ浜は自宅へと帰っていった。

「…………あぶね。危うく由比ヶ浜ルートに入るところだった」



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第4話  やはり俺はゲスであった

 職員室には応接間が用意されている。

 そこは今話題の分煙がなされているスペースで職員室の一角に設置されているがそこは分煙されているというだけあってほとんど教員たちの喫煙スペースになっている。

 そんな煙草臭い場所に俺はソファに座り込み、向かいに座って機嫌悪そうに足を組んでいる平塚先生が俺が提出した職場見学調査票を読み終わるのを今か今かと待っている。

 ……気のせいか先生の長くてきれいな髪の毛が逆立ち始めているような気が。

「比企谷。奉仕部で過ごす日々は君にとっては普段の生活と変わらないのかね」

 そう言いながら先生は俺が提出した紙を机に叩き付けた。

「何かね、この職業見学調査票は! 何がyoutuberを希望するので自宅見学を希望しますだ! もっとこうなんかあるだろ! 幼稚園とか研究所とか裁判所とか!」

「この足で?」

 そう言いながら動かない足を先生に見えるように両手で持ち上げる動作をすると先生はもう良いと言わんばかりに額に手を当て、大きくため息をついた。

 社会に散らばっている就職口……それはすべて五体満足な奴らに与えられた選択権だ。俺の様に片足がないも同然の体である俺が選べる職業はほぼないと言っても過言ではない。

「本当に君は卑屈だな」

「嬉しいな~。褒められちったぜ。てへっ★」

「平塚スペシャル!」

「おふぅ」

 先生の凸ピンが俺のお凸を刺激する。

 あ、案外指の力も強いんすね。

「こ、この俺を凸ピンだけで倒すとは。中々やるな……だがこの俺は四天王最弱の男。上には上がいるぞ」

「ならばその全てを倒すのみ!」

 こうやって変なノリに合わせてくれるのが先生が生徒たちから信頼されている理由なんだろうな。

「とにかく、これは書き直しだ。こんなもの提出すれば私の評価がダダ下がりだ」

 先生の評価なんか知ったことか……と言いたいが流石にYoutuberは舐めすぎてるか……じゃあ、専業主夫にでも書き換えて後で再提出するか。

「私を傷つけた罰として開票作業を手伝いたまえ」

「な~ぜ~に~」

「お前はクールポコか」

 やはり先生は若い……体はともかく精神年齢は。

 仕方なく、それぞれの職業ごとに紙を分けていくが多いのはどこかの企業だったり鉄道会社、次に多くみられるのはスーパーだったり書店だったり。ごく少数ながら研究所や裁判所などといった偏差値高めの奴らが行くような場所も見えた。

「何でこんな面倒くさいことをするんですかね。中間テストも近いこの時期に」

「ただ漠然とこなすのを防ぐためさ。将来をキチンと見据えて試験を受ける。そうすれば自ずと自分の学力も上がるさ……まあ、中にはYoutuberなどというふざけたことを書いておきながら国際教養科の連中を差し置いて学年1位を独占している奴もいるがな」

 俺がこの学校に初めてきたのは夏休みが終わった2学期からだ。本来なら留年という措置が取られるんだろうが校長に直談判し、国際教養科のテストを受けて学年1位の成績だったら単位認定すると言う事を約束したわけだが見事に俺は学年1位の成績を取った。あの時の校長の間抜け面は未だに覚えている。

「理系か文系。どちらを選ぶのかね」

「さあ? 適当に選びますよ」

 恐らく雪ノ下は理系を選ぶだろう。由比ヶ浜は文系だとして……何で俺はあの2人を引き合いに出してんだ。

 頭を左右に振って雑念を吹き飛ばし、開票作業に集中する。

「適当じゃ君の将来に何の役にも立たんぞ」

「将来お先真っ暗~先生のウェディングロードも真っ暗~はい、終わ」

「衝撃のぉ! ファーストブリットぉぉぉ!」

「おっふん」

 先生の一段階目の凸ピンををまともに食らい、俺は背もたれにもたれ掛った。

「今のは君が悪い。よって正当な凸ピンだ」

 そう言う先生の目が若干、潤っているのは言わないでおこう。俺の命のためにも。

「んじゃ、残り3日の奉仕部行ってきます」

「ん」

 先生の差しのべられた手を取り、立ち上がって杖を突きながら職員室を出ると同時に俺の視界の端に見知った顔が一瞬映ったがあえて無視し、教室へと向かう。

「何で無視したし!」

「こっちに教室があるから」

「ぐっ! 何も言えない私が悔しいし。どっち道一緒に行くんだからいいじゃん!」

「仲好さげで良いな……良いな」

 最後の先生の声がひどく低いものになったのは気にしないでおこう。あの人にだって言われたくないことだってあるんだよ……あるんだよ。

「あ、そうだ。ヒッキー携番教えてよ」

 由比ヶ浜は携帯を取り出しながらそう言うが俺は理解できず、スペック以上のものをぶち込まれたパソコンの様に機能を停止してしまった。

 ……け、携番? なんなんだそれは……掲載番号? いや、違うな……落ち着くのだ、知的派ボッチである俺の知識をフル動員して考えるのだ! 携帯を取り出していると言う事は……そうかっ!

「電話番号のことかっ!」

「ヒッキー、答えだすの遅い。ていうかそれくらい知ってないと友達できないよ……あ、ごめん。そう言えばヒッキーってボッチだから友達いないんだったね」

「そんな憐れみ印の憐み眼球みたいな目をするな。俺は敢えてボッチでいるのだよ」

「何言ってるかよく分かんないけど教えてよ……そ、その部活とかの連絡とかでいるし」

「……俺、あと3日で消えるぞ」

「え!? なんで!?」

「仮部員だし」

「そんなのちゃちゃっと正式部員になっちゃいなよ!」

 まるで携帯を銃を持つような持ち方でもってアンテナを俺の方に勢いよく向けてきた。

 お前はどこ社製のヒーローだこら。ちなみに俺はその作品が平成1期シリーズでは好きだ。特にあの主題歌と挿入歌が良いんだよな、これがまた。

「次体育だろ。お前、こんなとこでゆっくりしてていいのか?」

「下に体操服着てるから良いし。それはそうと番号! メアド!」

「はい。体育終了時に返してくれ」

 俺は由比ヶ浜にスマホを渡し、体育が行われるグラウンドへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ二人一組になってラリーしてくれ」

 体育の時間、俺は1人ベンチに座ってボーっとクラスの連中が体育をするのを眺めていた。

 片足しかない俺は必然的に体育は不可能。よって体育の単位は自動的に所得出来るように特別措置が取られ、自然と体育の時間は暇なのである。

 基本的に俺は教室で1人、ボーっと音楽を聴きながら外を眺めているのだが教室にいると平塚先生が乱入してくるので今日はベンチにいるわけだ。

 この体育が終わったら放課後か……あと少しで部活動もやらなくていいし、あと少しの辛抱だな。

 その時、ふと俺は見知った顔を見つけた。

「……俺と同じクラスだったのか」

 その子は俺に両足があったころ、唯一救う事が出来た子で初めて赤の他人に良いことをしたという自覚を持つことができるあの事件で出会った子。

 …………神様。あんた、無能じゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、俺は奉仕部の部室で参考書を片手にシャーペンをルーズリーフに走らせていた。

 雪ノ下も俺と同じようにノートにシャーペンを走らせているが俺たちの間に座っている由比ヶ浜だけはここに来てから携帯をずっと触り続けている。

 何故かいる由比ヶ浜。いつの間にか部員になっていたのだ。

「…………ね、ねえゆきのん」

「何かしら、由比ヶ浜さん。端的にお願い」

「な、なんだか気合入ってるね」

「そうね。今回こそは1位を取りたいもの」

「ゆきのんよりも上がいるの!?」

「えぇ。その人はいつも満点よ。全教科ね。私のプライドが許さないの」

 ……ここでその1位は俺で~すなんて告白したらシャーペンが額に突き刺さる未来が簡単に予測できる。ここは何も言わず、ステルスモードに入るとしよう。

 ステルスモードとはKING Of ボッチにのみ与えられるスキルであり、喋らなければ誰にも相手にされないという素晴らしいスキルなのだ。

「あ、メールだ……ぁぁ」

 俺は由比ヶ浜が一瞬、嫌そうな顔、嫌そうな声の2つを顔に表したのを見逃すどころかその瞬間に彼女の方を見てしまい、不運なことに彼女と目がばっちり合ってしまった。

 ボッチの特性の1つ。ため息や笑い声を後ろや隣などで聞くとチラッと見てしまう。

「な、何?」

「別に。お前がなんか嫌そうな顔したから」

「う、うん。まあね」

「ゾンビ君。裁判沙汰になった場合、ちゃんと証言してあげるわ。いつも私の体を見ていたと」

「おい、それ護るどころか地獄に突き落としちゃってるよね? 情状酌量の余地を与える気なしっすか? ていうか由比ヶ浜にメール送った相手俺じゃねえし。証拠でもあんのかよ」

「性犯罪者には去勢が一番よ。それと犯人はいつもそう言うわ。何か証拠でもあるのか……これが逆に証拠よ」

 証拠能力に乏しすぎる……こいつは冤罪という言葉を知らずに育ってきたのか。

「あ~一応言っておくけどヒッキーは違うと思うな。うちのクラスのことだし」

「同じクラスなんですが」

「そう。ならないわね、疑ってごめんなさい」

 認めちゃったよ! こいつ証拠能力不十分だってこと認めちゃったよ! ていうかなんで由比ヶ浜と同じクラスだったら俺が犯人じゃないっていう証拠になるんだよ……いや、まあボッチだからって言われたら反論のしようがなくなるんだけどさ。

「まあ、こういうの時々あるし気にしないことにする」

 そう言い、由比ヶ浜は携帯をカバンにしまい、背もたれにもたれ掛って大きく背伸びをした。

 大きく突き出た2つのものから必死に視線を逸らしながら俺はひたすら参考書の問題を見ながらシャーペンを走らせ、速攻で解いていく。

 煩悩退散煩悩退散!

「やることがないのなら勉強でもしたらどうかしら。もうすぐ中間テストもあることだし」

 と言ってもまだ3週間近くあるけどな。

「そ、そうなんだけどさ~……なんかいけるって感じがするんだよね」

 由比ヶ浜。それはすでに絶望した奴が1周回って何故か俺、いけるんじゃね! と何故か思ってしまう絶望の赤信号だ……と言う事は言わないでおこう。あとでこいつがどうなるのかは予想できるがな。

「でもさ。ゆきのんくらい頭良かったら勉強しなくても点数取れるんじゃないの?」

「そうね。でも私は1位を目指しているの。1位を目指すには並大抵の努力じゃなし得ない事よ」

「その1位の人って誰なんだろ。国際教養科の人?」

「いいえ。知らない名前だったわ」

「どんな人だろ……やっぱりイケメンなのかな」

「イケメンの基準が分からないけれど少なくともゾンビ君よりかはそうだと思うわ」

 由比ヶ浜と雪ノ下は顔が分からない学年1位の生徒の顔を予想することに花を咲かせ、会話を盛り上げていくが俺は心の中で非常にネタばらしをしたい気持ちに苛まれていた。

 ばらしたい……非常にばらしたい! ばらしてこいつらの絶望しきった顔が見てみたい!

 やはり俺はゲスだと改めて思った。



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第5話  やはり材木座は中二病だ

本来なら3話と4話の間に投稿する予定でした。
時系列が原作とは違いますがご了承ください。


由比ヶ浜ルートに危うく入りかけた日の2日後の放課後、特別棟にある奉仕部部室へ杖をコツコツ突きながら向かっていると由比ヶ浜と雪ノ下の2人が部室の扉の前で何やら固まって中を見ていた。

 ……雪ノ下はともかくなんで由比ヶ浜までいるんだよ。

「おい」

「うひゃぅ!」

 かわいらしい悲鳴かつおかしな悲鳴を上げながら由比ヶ浜がこちらを向き、雪ノ下は声までは出さなかったが肩を大きくビクつかせながら振り向いた。

「い、いきなり声をかけないでくれるかしら」

「杖を突く音で気づけよ……で、部室入んねえの?」

「部室に不審者がいるの! ヒッキー! やっちゃって!」

「片足の俺に任せるかよ普通……」

 押してくる2人に呆れながら突っ込みつつも部室の扉を勢いよく開けると不審者らしき人物が腕を組みながら窓の外に見える太陽で顔を焦がしていた。

 もうじき初夏だというのにコートを着て、指ぬきグローブをはめ、ちょっと小太りのその人物はゆっくりとこちらへ振り向くと口角を上げた。

「クックックック……待っておったぞ。比企谷八幡」

 俺はその人物の顔を見た瞬間、部室から出て思いっきり扉を閉め、雪ノ下と由比ヶ浜と共にこの場から離れようとするが扉が開き、俺の服を掴まれた。

「何故、逃げるのだ」

「貴方の知り合いのようだけど」

「知らん……こんなやつ知らん」

 学校で会いたくない奴、暫定ナンバー1である材木座義輝など俺は絶対に知らん!

 心の中で悲痛な叫びをあげながら奴の手を必死に話そうとするがいかんせんこちらは片足だけでバランスが悪いため、小太りでがたいも大きめの奴の手を払いのけることはできなかった。

「相棒の顔を忘れるとは見下げ果てたぞ、八幡」

「相棒って」

「あのドラマ良いよな。でも探偵ものでは俺は古畑さんが好きだけどな」

「え、何それ」

 ……グスン。良いもん! 1人だったから再放送をずっと見てただけだもん!

「とりあえず中に入ってくれないかしら、2人とも」

 雪ノ下にウザったそうに言われ、仕方なく部室の中へ入り、椅子に座ると何故か材木座は腕を組んだ状態で汗をかきながら窓際に立った。

「ここは奉仕部とやらでいいのか、八幡」

「ええそうよ」

「そ、そうか……平塚教諭によればお主は我の願いを叶えなければならない義務があると聞いたが本当か?」

「語弊があるわ。私たちは補助をするだけ。叶えるのはあなた自身よ」

「は、はいぃ」

 おい、素に戻ってるぞ……相変わらずこいつは俺以外の人間とろくにしゃべることはできないらしい。

 材木座輝義。ある日の体育で先生にこいつだけペアが汲めていないからボールを上げるだけでいいからペアを組んでほしいと言われたのが運の月。何故かこいつに付きまとわれてしまったわけだ。

「ところで2人の関係って何なの? さっき相棒とか言っていたけど」

「ふっ。よくぞ聞いてくれた。我らが出会ったのは今から三千万年前にさかのぼる。光と闇、その二つが争っていた時代、我らは敵同士だった。しかし共通の敵が現れた時、我らは協力し、見事打ち勝った……その子孫が今、この現代で再び邂逅したのだ!」

「体育でペアを組まされました」

 俺が超簡単に言ってやると2人は首を上下に振り、納得した様子を見せ、材木座は何故か軽く悲壮感を漂わせながら俺を見てくる。

 こいつは中二病を引きずったまま高校生になってしまったのだ。ラノベに中二病がヒロインの子がいるが現実はあんな生易しい物じゃない。中二病は異物と判断され、排除される。

「時に八幡。我の願いを叶えてくれるのか」

「さっき雪ノ下も言ってたろ。補助するだけだって」

「構わぬ。我が頼みたいのはこれだ!」

 そう言いながら材木座はコートの中から分厚い原稿用紙のコピーを複数セット取り出し、俺達に見せつける様にひらひらさせるが誰からも反応が返ってこず、キョロキョロと周囲を見渡しながら汗をかいている。

 分かるぞ、材木座……ボッチが急にしゃべりだしたら静かになるあの現象……俺も嫌いだ。だから喋らない。

「それは何かしら」

「ラノベの原稿だ。我はとある新人賞に応募しようと思っておるのだが……友人がおらず、第三者の意見が聞けなくてな。第三者の意見無しに作品は完成せぬ」

「じゃあ、投稿サイトとか投稿スレに晒してみてもらえよ」

「……彼奴らはブレーキを知らぬ」

 あぁ、こいつぼろ糞に叩かれるのが嫌なのか……まあ、誰だって自分が一生懸命書いた作品をぼろ糞に叩かれるのは見ていて気分が良い物じゃない。誰だって褒めてほしい……それがたとえ家族贔屓なものであったとしてもだ。

「要するに私たちが貴方の書いた作品を読んで評価すればいいのね」

「左様。感想、待っておるぞ」

 結局、俺たち三人は材木座から250ページほどの原稿のコピーを受け取り、一晩かけて読むことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、俺たち3人は原稿用紙のコピーをもって材木座を中心に座り、奉仕部の部室に集まっていた。

 物語を端的に言えばどこにでもいる普通の男子高校生が秘められた力に目覚め、前世の記憶、そして秘密結社と戦いながらヒロインたちと愛を育てていく……そんな感じのどこかで見たことがある内容だった。

 俺と雪ノ下の原稿には付箋が大量に貼り付けられているが由比ヶ浜のは付箋どころか折皺すら見当たらないまっすぐとした綺麗な状態だ。

 あいつ、絶対読んでないな。

「では、頼む」

「まず……想像を絶するくらいに面白くなかったわ」

「げっふぅ!」

 一閃のもと切り捨てやがった……まあ、あんまりこういうのを読んだことないみたいだし、こういうラノベ作品のノリとか空気とか知らない奴が見ればそう思うわな。

「何でいつも倒置法なの? 『てにをは』の使い方知ってるの? そもそもルビの振り方がおかしいわ。能力にちからという読みはないのだけれど」

「そ、それは今流行の」

「流行に乗ればいいとでも思っているのかしら」

「げふん!」

「そもそも終盤、何故似ていることを何度も言っているのかしら。文章をダラダラ書いてページ稼ぎ?」

「ぴぎゃぁぁ!」

 材木座は絶望ラインを突破したのか床に倒れこみ、白目をむいたまま天井を見ており、時折両肩が微くん微くんと痙攣しているように細かく動く。

 そろそろオーバーリアクションもうざくなってきたし、止めの一撃を刺そう。

「八幡……」

 俺は材木座の近くまで歩き、顔を覗き込みながらこう言った。

「あれ、なんのパクリ?」

 材木座の口の中から魂のようなものが抜け出たのか完全に動きを停止した。

「貴方、私以上に酷薄じゃない」

「……フォローとして言っておくがラノベは内容じゃない……挿絵だ!」

「ごっぱぁぁ!」

 材木座の変態っぷりに由比ヶ浜は俺の後ろに隠れて見る始末だし、雪ノ下に至っては最大限の侮蔑を込めた視線で材木座を見ている。

「ぐぅ……な、なかなか辛辣な評価であった……これを参考にまた書き直す!」

「お前、ドM?」

「確かに酷評はされた……だが酷評されたと言う事は伸びしろがあると言う事! 我はこれからもずっと新作を書き続けるぞ! 新作が書けたらまた持ってくる。読んでくれるか?」

 ……確かに俺は材木座とは会いたくない……だが会いたくないだけであって嫌いじゃない。むしろすげえって思っているくらいだ……俺にはないものをあいつは持ってるんだから。

「ま、気分による」

「構わぬ。さらばだ!」

 こうして嵐のように来て嵐の様に材木座は去っていった。



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第6話  やはり戸塚は乙女である

 翌日のお昼休み、俺はいつもの俺専用とかしている人気が少ない場所で妹手作りの焼きそばパンを食べながらただ流れ続ける雲を眺めていた。

 特別棟の1階、保健室横、購買の斜め後ろが俺の定位置。俺にとって特別棟は遠いがその労力に見合うボッチ空間をプレゼントしてくれる。だから俺はここが好きなのだ。

 奉仕部からいるのもあとわずかか……ここまで頑張ろうと思うのは久しぶりだ。

「あれ? ヒッキー、こんなところで何してんの?」

「げっ。焼きそばパン泥棒」

「うっ! そ、それについてはごめん……で、なんで1人なの?」

 ボッチに対して言ってはいけないことが3つある。1つは『教室にいる時よりもよく話すね。』

 これは教室に友達がおらず、他のクラスの友達がいる場合のボッチに対してだ。

 2つ目は『今、暇?』

 ボッチはいつだって暇なんだよ! オールフリーじゃ!

 さて、3つ目だが……何で1人なの? これが一番ボッチに言ってはいけない言葉だ! ボッチは1人だからボッチなのだ! 必要十分条件がそろってしまっている以上、離せないんじゃボケ!

「見てわかれよ。昼めし食ってんの」

「え? 教室で食べれば良いじゃん」

 その相手がいないからここで食ってるんでしょうが……なんかもう疲れた。

 そんなことを話していると何故か由比ヶ浜は俺の隣に開いていたスペースにチョコンと座った。

「実は今さ、ジャン負けしてゆきのんにパシらされてるわけよ。最初は自分の糧は自分で手に入れるわ、って言っていたのに負けるのが怖いんだって言ったら途端にやる気出してさ……負けたんだけどね」

「知らん。お前が悪い」

「ジャンケンの必勝法ないかな~」

「あるぞ」

「え、ほんと!? 教えてよ!」

「じゃあお前、グーだせよ」

「うん!」

「じゃんけん。ほい」

 俺の指示通り、由比ヶ浜はグーを出し、俺はチョキを出してやると由比ヶ浜は一瞬、驚いた様子だったが自分がバカにされているのに気付いたのか顔を赤くしながら怒り出し、俺をポカポカ殴り始めた。

「ひどいひどい! 私だって受験してここに来たんだからね!」

「え、そうなの」

「うぅぅぅ! ヒッキーのバカァァァア!」

「うげぇ! げほっ!」

 由比ヶ浜の手刀が上手い具合に俺の首の後ろに入り、大きく咽こんでいるとふと、俺の前に誰かが立ったような影があるのが地面に見え、顔を上げてみるとテニスラケットを持った女子生徒が立っていた。

「あ、才ちゃん! よっす! 練習?」

「うん。うちの部すっごい弱いからいっぱい練習しないとね。今度の大会で3年生が引退しちゃうと必然的に僕がレギュラーになっちゃうから」

 人数の少ない部活ではレギュラー争いというものは無いに等しい。監督の中には必然的にレギュラーになるのだからその方が練習にも身が入るという人もいるが大体はやらなきゃいけないからやっているだけに等しい。

「にしてもさいちゃんお昼休みにも練習ってすごいね!」

「ううん。僕が強くならないとダメだし、1年生の皆に示しがつかないから」

 そう言いながらさいちゃんとやら女子生徒は流れ落ちてくる汗をタオルで拭う。

 何故かそれだけなのに異様に艶めかしく見えてしまう。

 そこらの女子よりも女子らしい……出来れば顔合わせてお話は遠慮したいんだけど。

「えっと、比企谷君だよね?」

「知ってんだ。俺の名前」

「平塚先生がよく呼んでるからね」

 なるほど。この子は良く先生の言う事を聞いている真面目な女子か……あれ? なんでだろ。目から液体が漏れてくるよ……あ、そうか。女の子に名前を憶えられていたからか……ありがとう!

「ヒッキーって比企谷って言うんだ……ね、ねえ」

「あ?」

「……本当に私のこと覚えてない? 初めて会う前に」

 由比ヶ浜は下を向きながらトーンを低くし、俺に尋ねてくる。 

 ……こいつと初めて会う前? 全く覚えてないな。

「覚えてない」

「そっか……」

「ところでさ……誰?」

「はぁぁぁぁぁ!? 同じクラスじゃん! ヒッキー最低! 最低卑屈野郎!」

「仕方がないよ。いつも音楽聞いてるんだし……初めまして同じクラスの戸塚彩加です。よろしくね」

「え、あ、はい」

 自分でもキモイと思うくらいにキョドリながらさしのばされた手を軽く握るとフニャッと柔らかい感触が脳髄に直撃すると同時に何故か温かい気持ちが胸から全身に広がっていくのを感じる。

 あぁ……小学校一年生の遠足で女の子に手をつなぐことを拒否されて以来だ……ラブコメの神様。あんたたまには良いことするじゃん。あとでお賽銭投げとくわ。

「ヒッキー、顔キモイ」

「うっせぇ。こっちは女のこと握手するのは10年ぶりなんだい!」

「ぼ、僕男の子だよ」

 俺はその言葉を聞いた瞬間、フリーズしてしまった。

 なん……だと……こんなにもかわいい子が男の子だと……俺と同じ男性だというのか! ラブコメの神様ちょっと降りて来いや。じっくり俺と話ししましょうよ。

 足のつま先から頭のてっぺんまで見てみるがどこからどう見ても女の子にしか見えん。

 白い肌に細くて綺麗な足……だが運動しているだけあって綺麗さの中に力強さも感じる……腕も細いがラケットを振り回していることもあって頼りない細さではない。

「あ、そうなんだ。悪い、イヤな思いさせて」

「ううん。いいよ……そろそろお昼休み終わっちゃうよ」

「戻ろっか」

 由比ヶ浜の一言の後にお昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の最後の6時間目は体育だった。片足しかない俺はベンチで一人寂しくみんながテニスをしているのをボケーっと眺めている。

 教室にいたら暇な平塚先生が話に付き合えとかで愚痴を言ってくるし、国際教養科の前を通ったら何故か教室の窓からすんごい冷たい視線が飛んでくるし。

「比企谷君」

「ん?」

 戸塚に呼ばれ、振り返ってみると俺の頬にぷすりと綺麗な指が優しく刺さった。

「あはは。引っかかった」

 ……なにこれ。超可愛い。スマホの待ち受けにしたいくらい可愛い。

「どした?」

「うん、今日ペア組んでる子がお休みなんだ。壁打ちしながら比企谷君とお喋りしようかなって」

 そう言いながら笑みを浮かべる戸塚の周りからは何故か眩しい輝きが放たれているような気がして、思わず目を細めてしまった。

 な、なんだ……このシャイニングスマイルは!? まるで優しさと強さが融合した光の巨人……いや、光の男の娘! この笑顔があれば戦争なんて終わるだろう……。

「そ、そうか……」

「ねえ、比企谷君ってどんな食べ物が好きなの?」

「君の作った味噌汁」

「へ?」

 壁打ちをしている戸塚にそう尋ねられ、思わず本音の中の本音を言ってしまい、慌てて否定しようとするが何故か戸塚は顔を赤くしながら体操ズボンをギュッと握っていた。

 な、何このシャイニングエンジェル……。

「え、えっと……ほ、他には?」

 その後も壁打ちを続ける戸塚の質問に卒なく答えていくが時々、本音の中の本音が目を出しそうになるがその時は太ももを思いっきり抓って現実へと引き戻し、恙ない回答を出していく。

 戸塚と話しているとどこか心の中にしまってある本音を引っ張り出されているような感じがしてたまらないし、誰かと喋っていて久しぶりに会話が尽きることがなかった。

「確か比企谷君って奉仕部なんだよね?」

「ん? まあ、仮部員であと数日でやめるけど」

 俺がそう言った瞬間、戸塚はラケットを構えるのを止めて帰ってきたボールを手でキャッチすると俺の隣へチョコンと座った。

 え? 何この展開……戸塚の綺麗な生足が俺の目を焦がす!

「あ、あのね……相談なんだけど」

「お、おう」

「比企谷君が良かったらなんだけどね……僕のパートナーになってくれないかな」

 …………エンダァァァァァァァ! イヤァァァァァァ! うん! 俺買う! ゼクシー買う!

「そ、その比企谷君って間違い探し得意そうだから」

「うん、俺大得意」

「だよね! 比企谷君ならどこがいけないのかとか分かってくれると思うんだ。あ、もちろんテニスの勉強は必要だけど僕も教えるから……そ、そのだからテニス部の技術監督とかどうかな? 僕専属の」

 いやっほおぉぉぉぉぉう! 俺戸塚八幡に改名します!

「……嬉しいのは山々だけど本当は違うんじゃねえの?」

「え?」

「確かテニス部弱いって言ってたよな? 戸塚としては自分だけが上手くなるんじゃなくて皆にうまくなってほしいんじゃねえの? 俺、部活入ったことないからわからないけど」

 俺がそう言うと戸塚はいたずらがばれた幼い子供の様に舌をチョロッと出して笑みを浮かべた。

「理想を言えばそうなんだけどね……まずは僕が上手くならないとみんなに波及しないかなって」

 なるほど。要するに戸塚自身が広告塔になってテニス部のカンフル剤になり、部員の練習に対する気分にも喝を入れて活性化。それが部内に波及し、テニス部が強くなると言う事か。

「なるほど……難しいんだな」

「まあね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで俺、奉仕部辞めます」

「今すぐ平塚先生に会いに行きましょうか」

「忘れてください」

 放課後、雪ノ下に戸塚からの相談を告白し、辞める旨を言ったが一瞬にしてジョーカーを出されてしまい、俺のエンダァァァな夢物語は潰されてしまった。

 平塚先生なんかに行ったら間違いなく俺、撃滅のラストブリット食らって死ぬわ。

「珍しいわね。貴方が誰かのために私に持ちかけてくるなんて」

「…………」

 俺が何も言わないでいるとそれ以上、彼女は俺に突っ込まなかった。

 ……あいつは気づいてないかもしれないけど俺にとっては唯一、胸を張れるようなことをした相手なんだ……そんな相手が困っていたら見て見ぬ振りできるほど腐ってない。

 まあ、片足だけの俺に何ができるんだって話に落ち着くんだけどさ。

「たとえあなたが技術顧問として入部したとしても部員は一致団結して貴方を排除するか、無視するでしょうね。ソースは私よ」

「……そんなことを経験したのか?」

「ええ。私帰国子女なの。中学になって海外から帰ってくると私、可愛かったから女子生徒から排除というなの妨害行為を何度も受けたわ。でも誰一人として私を打ち負かそうと自分磨きをする人はいなかったわ」

「女子は自分よりも可愛い奴がいたら陰湿に結合するからな」

「……っ。え、ええそうね」

 珍しく雪ノ下がそれ以上、何も言ってこなかった。いつもなら俺を卑下し尽すまで弾丸を装填し続けて打ちまくるくせに今回は途中で弾詰まりを起こしたらしい。

「お前的に実力を上げるにはどうする」

「死ぬまで努力。死ぬまで素ぶり、死ぬまで壁打ち、死ぬまで走り込み……努力なくして進化はあり得ないわ。貴方だってそうでしょ。妹さんのために美味しいクッキーを作るために1年間努力したんでしょうし」

「努力ねえ……それは否定しないけどさ、戸塚はともかく他の奴らはするかね。俺の中学のバスケ部は創設以来、万年1回戦負けのチームだったらしくてさ。俺がいた時は練習じゃなくてTCGの練習してたぜ? 俺のターン! とか言ってふざけまくってたし」

「……TCG? 何の略かしら」

「いや、俺が悪かった。ごめん」

 ちなみにトレーディングカードゲームの略。俺も一時期、ギネスに載るくらいに売れているTCGにハマりかけたことがあったけど相手がいなかったからその日で辞めたわ。TCGは欠陥品だな。あれはもっとボッチでも楽しく遊べるように改善しなきゃいけない。

 その時、ガラッと勢いよく部室のドアが開かれた。

「やっはろー!」

 部室内に悩みなど抱えていないような底抜けに明るい声が響き渡った。

「由比ヶ浜さん。大きな声は出さないでちょうだい。驚くから」

「あ、ごめんごめん。あ、そうそう! 依頼人連れてきたんだ! 入って!」

 由比ヶ浜に言われて深刻そうな表情をした戸塚が制服姿で部室内に入ってくるが俺の顔を見るや否やぱぁっと効果音が聞こえるくらいの勢いで表情が明るくなった。

 あぁ。俺、この為に生まれてきたんだろうな。

「由比ヶ浜さん」

「あ~いいよいいよ。部員として当たり前のことだし」

「貴方は部員じゃないのだけれど。入部届も貰ってないし」

「えー!? そうなの!? 入部届くらい書くよ!」

 由比ヶ浜は鞄を無造作に机の上に置き、鉛筆とルーズリーフを1枚取り出すと一番上に大きく入部届とひらがなで書き、出席番号、クラスを書いていく。

 入部届くらい漢字で書けよ。

「戸塚彩加君だったわね。どういった用かしら」

 雪ノ下の冷たい視線に怯えているのか戸塚は俺の背中に隠れた。

 え、何この可愛い生き物。即売会とかしてないかな。

「え、えっとテニスを……強くなるための補助をお願いしたいというか……先生もやる気ないみたいだったし、僕だけだと限界なんてすぐそこだから」

「なるほど。彼の言う通りテニスに関する情熱は本物みたいね」

「だろ? だから俺達で何とかできねえか?」

「……実践あるのみよ」

「え? お前マジで?」

 俺の一言に由比ヶ浜と戸塚は不思議そうな顔をし、雪ノ下は当たり前でしょ? と言わんばかりの表情で俺を見てくる。

 どうやら本気で彼女はあれを実践するらしい。



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第7話  やはり友情は立て直されるものである

 翌日、俺の仮部員生活最終日である今日のお昼休み、俺達奉仕部はテニスコートに集まっていた。

 俺以外のメンツは総武校全生徒から大不評を買っているほどのダサさの体操ジャージを着ており、準備運動がてら由比ヶ浜と戸塚が軽くラリーをやっている真っ最中だ。

 本来なら俺は教室にいるべきだったんだが何故か雪ノ下に貴方も来なさい、と言われ、今に至る。

「体は温まったかしら」

「もうポッカポカだよ!」

 由比ヶ浜と戸塚が並んでいると戸塚がやけに知識豊富そうな人に見える。

「ではまず25回。各種筋トレを」

「え? なんで?」

「筋肉っていうのは筋トレなんかをしたりして破れると以前よりも強くなって回復するんだよ。ちなみにこれを超回復という。筋肉が強くなれば基礎代謝が上がり、生きているだけで消費するエネルギー量も増加する」

「つまり痩せるってこと?」

 由比ヶ浜の質問に首を縦に振って肯定すると何故かやけに気合を入れ、腕立て伏せから始めた。

 戸塚もそれに遅れないように腕立て伏せを始める。

「貴方なら分かっていると思うけどこれからループさせるわ」

「筋トレした後、素ぶり、その後に壁打ちって感じか?」

「ええ。言ったでしょう? 死ぬまで努力と」

 うわぁ。こいつ鬼教官だわ。自分にも他人にも優しくなく、妥協を許さない。

 各種25回の筋トレを終わった2人は次に雪ノ下教官の指導の下、素振りを行っていくが少しでもおかしなところがあれば教官からの指導が入る。

 ……任されたことは絶対に遂行する……か。

 恐らくそれが彼女の奉仕部活動における根本にあるのだろう。たとえ今まで自分がしてこなかったことを依頼に持ってこられれば自分が学ぶ……俺とは違うタイプのボッチだよな。

「ひぃ……ひぃ」

「戸塚君。休んでいる暇はないわよ」

「ヒ、ヒッキ~」

 由比ヶ浜が俺に目で助けを求めてくるが俺はそれを華麗にスルーした。

 痩せるという単語に反応しただけで参加したこいつが悪いのだ。

「う、うん。まだ大丈夫」

 と口では言っているが体は正直だ。息は切れ切れだし、足だってガタガタしてる。

「あ、テニスしてんじゃんテニス」

 声がした方を見ると女王様である三浦とお調子者の戸部、そしてオサレ系イケメンの葉山隼人たち以下ゆかいな仲間たちがフェンスの外に集まっていた。

「あ、結衣たちだったんだ」

 ……あのメガネ女子は三浦たちとは違うタイプの女子っぽい。

 由比ヶ浜と三浦の2人は先日の一件以来、顔も合わせていなかったのか気まずそうに敢えて顔を合わせず、別の方向を向いていた。

「あーしらもテニスさせてよ」

「い、今練習中で」

「え? 聞こえないんだけど」

「い、今練習中だから今はダメだって言ったの!」

 珍しく由比ヶ浜が声を荒げて三浦たちに言い放った。

「でも部外者混じってるじゃん」

「だったら平塚先生にでも聞いて来いよ。男子テニス部として使ってんだよ。それくらい考えろよ」

「はぁ? あんた何もしてないくせに威張ってるとかおかしいんじゃないの?」

「お前こそおかしいんじゃねえの? 俺片足無いから何もしないんじゃなくて何もできないんですけど」

「だったら口出さないでくれる?」

 三浦と戸塚の喧嘩だったはずがいつの間にか俺と三浦の喧嘩になってしまった。その様子に気づいた野次馬たちがぞろぞろと集まってくる。

「つまり障碍者は黙ってろと。障碍者差別はいけないって習ってないのかよ」

「はぁ!? あーしそんなこと」

「まあまあ二人とも! えっと見たら戸塚君も練習してるみたいだし、皆でやったら実戦経験も積めるんじゃないかな?」

「はぁ? 聞いてなかったのかよ。今ここは男子テニス部の名目で使ってるんですけど。それに皆でってその中にテニス経験者でもいんのかよ」

 そう言い、葉山グループを見渡してみるが全員やったことがないのか俺から目を逸らしていく。

 葉山自身はサッカー部所属だからあり得ないとして三浦が部活に入っているのは絶対にない。部活に入っていれば少なくとも化粧は禁止されるはずだからな。

 ……いや、待てよ。この状況……うまく使えば由比ヶ浜の問題も解決できるんじゃないのか。

「雪ノ下。ちょっと」

 思いついたことを雪ノ下に報告すると面白いわね、それと言いたそうな顔をし、それを由比ヶ浜へ伝えると最初は戸惑いを隠せない様子だったが雪ノ下に何か言われたのか急にやる気を見せた。

「なあ、葉山」

「何かな」

「ここは1つ提案なんだけどさ。由比ヶ浜と三浦でどちらがテニスコートを使うかを賭けて勝負しないか?」

「え、いやでも俺たちは」

 葉山を呼びつけ、雪ノ下に提案したことと同じことを提案するがその表情はあまり芳しくなかった。

「お前にとっても三浦と由比ヶ浜が仲たがいした状態はいやだろ?」

「ま、まあ確かに」

「仲違いも解消できて盛り上がりもする……お前たちと俺たちの利害関係は一致していると思うが」

 他の奴らは知らんが少なくとも葉山にとってメンバーが仲違いしている状態というのは嫌なことであり、由比ヶ浜自身にとっても仲違いしている状態は嫌なはずだ。このまま引きずるよりもここで決着をつけさせた方が両者にとっていいはずだ。

「……分かった。とりあえずそれで」

「交渉成立」

 葉山がグループに戻り、三浦へ伝えた。

 こうして由比ヶ浜と三浦の仲違いを解消する作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いに女子テニス部から借りたテニスウェアに着替え、審判を戸塚に持ってきて試合が始まった。

 ラケットでボールを打つ音が響くが2人の間には未だに気まずそうな空気が漂っており、ただ単にテニスの試合を黙々とこなしている感じだった。

 ……カンフル剤投入開始。

「三浦~」

「何!?」

「クッキーどうだった?」

 そう言った瞬間、三浦は一瞬動きが止まり、その隙を狙って由比ヶ浜のスマッシュが決まった。

 三浦は恨めしそうな表情で俺のことをにらんでくるがそんなもの俺が今まで培ってきたスルースキルで華麗に、それはもう鮮やかにスルーしてやった。

 さて、次は。

 何度か2人がラリーを繰り返すのを見てからひと言。

「由比ヶ浜~」

「なに!? 今話しかけないでよバカヒッキー!」

「あれからクッキー誰かにあげたか?」

 直後、それはもう綺麗に由比ヶ浜が動きを止め、その隙を狙った三浦のスマッシュが華麗に決まり、野次馬からの声援が沸き上がった。

 それからも色々と俺が彼女たちに吹き込むたびに点数が入ったり、入れられたりした結果、2人の点数が同じ状態が長く続いた。

 ……2人の様子を見るにあとは何もしなくても良さそうな気が。

「ねえ! 何であの時、クッキー捨てたの!?」

「色が黒かったし!」

「食べてもないくせに言わないでよ! 最低!」

「ていうかあーしらでもクッキーなんて作らないし!」

「優美子にお世話になってるからそのお礼だったの! 優美子が喋りかけてくれたから1人だった私に友達だってたくさんできたんだよ!?」

「っ!」

 由比ヶ浜の一言に三浦は一瞬、動きを止めかけたがすぐに動き出し、返されてきたボールを由比ヶ浜へと撃ち返す。

 ……いい感じで効果が出始めてるな。

「そ、そんなの知らないし!」

「学校のごみ箱に捨てなくてもいいじゃん! このバカ優美子!」

「バ、バカっていうなバカ結衣!」

 その後も2人の言い合いというなのラリーは延々と続いていき、さっきまで勢いがあったボールも今や初心者同士が卓球をしているかのようなラリーの遅さにまで勢いがなくなっていた。

「優美子は良いよね! あんなクッキー捨ててもなんとも言われないんだから!」

 由比ヶ浜が放った渾身のスマッシュが三浦のコートに叩き付けられた。

 言われたことが相当、響いたのか三浦は由比ヶ浜のスマッシュに反応しなかった。

「ハァ。ハァ……優美子。私が何も言わないと思わないでよ! 私だって捨てられるところ見たら傷つくよ!」

「…………ごめん……結衣……本当は家に帰ってから食べるつもりだったんだけど……なんかその……は、恥ずかったというか……あ、あの後ゴミ箱探しに行ったんだけどもう無くて……そ、そのほんっっっとうにごめん!」

 ……さて。由比ヶ浜が三浦の謝罪を受け入れるか否かによって色々と変わってくるんだよな……ちなみに俺だったらメアドから何からすべて削除してそいつと縁を切る。

 事情を把握している奴らはその先の展開を固唾をのんで見守り、事情を知らないただの野次馬どもは気まずい雰囲気に怖気着いたのか何も話さずに去っていく。

 いつもの取り繕ったような三浦の言葉ではなく、本音の言葉……それが由比ヶ浜に届いているか否か。

 由比ヶ浜は何も言わずに三浦の近くへと歩いていく。

 一歩、また一歩近づくたびに三浦はテニスウェアをギュッと握りしめ、目を硬く瞑る。

「…………クッキー捨てたことは絶対に許さない」

 由比ヶ浜の一言に周りはざわつき、三浦は今にも泣きそうな表情を浮かべる。

「だから……またクッキー作って渡すから……感想……欲しい……かも」

「……ごめん……結衣。本当にごめんっっ!」

 三浦は両目から大粒の涙を流しながら由比ヶ浜の胸に顔をうずめた。

 その感動的な光景に葉山、戸部、戸塚は涙を流し、2人の仲直りを言葉に表さずに褒め称えた。

 俺は何も言わず、ベンチから立ち上がって音をなるべく立てない様にテニスコートから抜け出し、すでに授業が始まっている教室へと向かおうとすると隣に雪ノ下が並んだ。

「……何か言いたそうな感じだけど」

「別に何もないわ……これが貴方が言っていた自己完結型の依頼かしら」

「……なあ、雪ノ下」

「何?」

「変わろうとしないことは確かに甘えかもしれない。現実を見ていないってことだからな……でも、中にはいるんだよ。何回裏切られて傷つけられても現状が良いって言うやつが」

「…………私にはわからないわ」

「俺たちボッチにとっては縁遠い話だしな……俺の仕事もこれで終わり。疲れた」

 そう言いながら肩を回していると隣の雪ノ下が見当たらず、振り返ると雪ノ下が軽く驚いた表情で立ち止まって俺のことを見ていた。

「……本当に辞めるのかしら」

「言ったろ。仮部員だって……俺は変わる気はない最悪な性格なんだよ。これからは由比ヶ浜と一緒に頑張ってくれよ。じゃ、1週間お疲れ様」

 そう言い、俺は教室へと向かった。



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第8話  こうして物語は始まったのである。

 1年と数か月前……これはまだ、奉仕部という名のグループに3人が集まっていない時の話。

 1人の少年は体に大きなハンデを受け、1人の少女は大切なものの命を救われ、もう1人の少女は少年から大切なものを間接的に奪ってしまった。そして1人の少年が救われた……そんなお話。

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん! 今日何時位に帰ってくるの!?」

「は? なんで」

 朝飯を作りながらソファに寝転がっている妹の小町にそう聞き返すと小町は良いから答えろと言わんばかりにジト目をして俺を睨み付け、口を軽く膨らませた。

「いいから! 何時位?」

「って言われてもな……お前、何時が良いんだよ」

「5時半くらい!」

 やけに遅い時間に帰ってこいと命令するんだなと思い、ふと冷蔵庫に貼り付けられているカレンダーへ目を移すと今日の日付の部分の赤色のペンで大きく丸が付けられており、その日付を見てようやく理解した。

 今日は俺の卒業記念パーティーの日か……そう言えばやけに俺の卒業式の日にちを聞いてくるかと思いきやそう言う事か。こいつ、俺に隠してパーティーの準備をする気だな。可愛い奴め。

「ん。分かった。5時半くらいに帰ってくるわ」

「オッケー! んじゃ、お兄ちゃん。いってらっしゃい!」

「いや、まだ朝飯食ってるし」

 そんな感じで楽しい我が家の長時間は過ぎていく。

 比企谷家の両親は俺たちが寝ている時間帯に仕事に行き、俺達が熟睡している時間帯に仕事から帰ってくるので平日は滅多に顔を合わさない。休みの日もたまに残業があるので一家全員が揃うのは日曜日位だ。

 小町と楽しく朝飯を食い終わった俺は準備を済ませ、カバンを持って3年間ボッチのまま過ごした中学校の校舎にお別れを告げるべく家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………5時15分。あと10分は時間潰すのか」

 卒業式を終え、俺はホームレスのおっちゃんよろしくの様に公園のベンチに座って時間を潰していた。

 ボッチであったために下の学年の奴らからはお祝いなどしてくれるはずもなく、部活にも入っていないので先生のと関係も希薄だった俺は写真など取ることもなく、ちゃちゃっと帰ってきたのだ。

 誰かに告白されるという淡い期待も見事ブレイクされたし……本屋行くか。

 カバンを持ち、公園の近くにある本屋に入り、文庫本コーナーへ行って何か面白そうなものは無いかと探している時にふと、隣に視線を向けた瞬間、俺は思わず2度見してしまった。

 ……すげっ。超可愛い。

 横に学生服を着た女の子が立っていたんだがそれがとてもかわいい。本を読んでいる様は非常に似合っており、纏っているオーラはどこか冷たいものを感じるがそれもまたいい。

 ま、ボッチの俺には関係ないですけどね~。

 そう思いながらパラパラと本を手に取り、軽く読んでいると一瞬、店員の声が強張ったのを感じ、入り口付近へ視線を向けると金髪ピアスのいわゆるヤンキー3人と気弱そうな子が1人、入ってきた。

 その子はガタガタ震えながら顔を伏せ、辺りをチラチラ見ながら俺の後ろを通り、一冊の本を手に取った。

 …………まさかとは思うけど。

 後ろを振り返るとヤンキーどもがニヤニヤしながら気弱そうな子を見ていた。

「…………止めとけ」

「っっ!」

 気弱そうな子が本を手に取り、カバンの中へ入れようとしたところで手を掴み、店員からは見えない様に体でその子を隠した。

「今ならまだ間に合うからさ……その本、棚に直そうぜ」

「……で、でも」

「大丈夫だって……あいつらと同じ高校行くのか?」

 俺の質問に首を左右に振った。

 同じ高校じゃないと言う事は入学さえしてしまえばあいつらとはもう会わないってことだよな……ふっ。こんなところでボッチの知識が役に立つとわn。

 入り口付近にはヤンキーたちが塞ぐようにたむろっているし、店員はそれを退かす気はないだろうから……ここはなりすまし作戦で行くか。

 作戦としては俺がスタッフオンリーと書かれた扉の前に連れて行く。捕まったと勘違いした奴らは店内から出ていく……我ながら良い作戦だ。

「よし……こっち」

 その子の手を取り、店の奥の方へ行きつつもガラスに映るヤンキーたちの姿を見ながら歩いていく。

 ……早く行ってくれよ……早く。

 何故か俺までもが冷や汗をかきながらそう願い、扉のノブに手をかけようとした瞬間、ヤンキー達は満足したのかでかい声で喋りながら店内から出ていった。

 ……ふぅ。

 チラッと店の外を確認すると既にヤンキー達はどこかに向かって歩いていた。

「……はぁ。あ~緊張した」

「そ、その……えっと」

「まぁ、そのなんだ……色々とあるだろうけど高校生活は楽しくなるって」

「そ、そうかな」

 小学校から中学校に上がった時、母さんに同じこと言われたけど全然だったからな。

「……そう言われると困る」

 そう言うとその子は俺が行ったことがおかしかったのかぷっと小さく笑った。

 男子の制服なのに髪はショートカットの女子並に長い……果て。女の子か、男の子か……まぁ、もう俺には関係ないことか。

「んじゃ。高校で逢えたらよろしく」

 心の中でそんなことはないだろうけど、とつぶやきながらその子を優しくナデナデし、店から出て家に向かって歩き出した直後にポケットから着信音が響き、スマホを見てみると画面にはでかでかと小町★と書かれていた。

 ……あいついつの間に変えたんだ。

「もしもし」

『あ、お兄ちゃん? やっぱり6時に帰ってきて。んじゃーね!』

「あ、おい……6時ってあと30分も潰さなきゃいけないのかよ……仕方ない。高校の下見でもするか」

 入学する予定の高校を下見することを決め、青信号を渡り、高校がある場所へとゆっくり歩いていると前から犬の散歩をしている女の子と後方から高そうなリムジンっぽい車が来ているのが見えた。

 ……ある意味金持ちもリア充だよな……あぁ、あんな金持ちの女性のヒモになれたらどれだけ勝ち組か。

「あっ!」

「っっ!」

 リードが緩かったのか女の子が散歩させていた犬が勝手に道路に出てしまい、さらにそれに気づいていないであろう車が青信号に間に合おうとしているのか猛スピードで向かってくる。

「くっそ!」

 俺は鞄を投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ~ん★完成!」

 ふふん。やっぱり小町はデコレーションの才能がある……でも、お兄ちゃん遅いな~。もう6時30分回っちゃうよ~。せっかく6時に合わせていろいろ作ったのに。

「ふぅ……早く帰ってこないかな~。あ、お兄ちゃんかな!?」

 着信音が聞こえ、ウキウキ気分を抑えられずに笑みを浮かべながら画面を見てみるけどアドレスには設定されていない知らない番号からだった。

 ……誰だろ。

「もしもし?」

『もしもし、比企谷小町さんでしょうか』

「は、はいそうですが」

『実はお兄様の八幡さんが――――――――――』

 そこからは聞きたくない事実が淡々と伝えられ、慌てて場所を聞いて制服のまま家を飛び出て自転車に乗り、今までに出したことがないくらいの速度で自転車をこいで伝えられた場所に向かった。

 私のせいだ私のせいだ! 私がもっと遅くに帰ってきてって言ったせいで!

 目から出てくる涙を拭わずに風の勢いで飛ばされるのを気にも留めないまま伝えられた場所の病院に到着し、駐輪場に自転車を留めて受付に駆け込んだ。

「あ、あのっ! ひっぐっっぅ!」

「お、落ち着いて? ね?」

 嗚咽を漏らしながらどうにかして受付の人に兄が事故に遭ってここに運ばれたことを伝えて受付のお姉さんに案内してもらい、手術中っていう字が赤く光っている扉の近くにあるベンチに座った。

 お兄ちゃん……お兄ちゃん!

「小町!」

「お母さん!」

 祈るように手を握り合わせているとお母さんの声が聞こえ、顔を上げると向こうから慌ててお母さんが走ってきて私の隣に座ると我慢できずにお母さんに抱き付いた。

「私がっ! 私のせいなの! お兄ちゃんに遅く帰ってきてって言ったから!」

「何言ってんのよっ! 小町のせいじゃない! きっと八幡は生きて帰ってくるから!」

 涙声のお母さんにそう言われ、お母さんの手を握りしめながら扉の前でずっと待った。

 お兄ちゃんの卒業パーティーやるはずだったのに……何でお兄ちゃんはこんな目ばかり合わなきゃいけないの?

 神様にお兄ちゃんを救ってとお願いするのと同時にお兄ちゃんに何でこんな目ばかり合わせるのと文句を言う矛盾していることをしながらもずっと待ち続けた。

 1時間か2時間か、それ以上の長い時間を待ち続けているとドアが開いた音が聞こえ、そっちの方を見てみると眠っているお兄ちゃんが扉の中から運ばれてきた。

「お兄ちゃん!」

 慌てて駆け寄るけどお兄ちゃんが返事をすることはなくて、一定間隔で呼吸を続けているだけだった。

「あの先生。八幡は」

「一命は取り留めましたが頭を強く打っていますのでこのまま眠り続けるか、もしくは目覚めても障害が残る可能性があります」

 私の後ろでなされている会話を聞き流しながらお兄ちゃんの手を握るけど握り返されることはなかった。

「小町。今日はもう大丈夫みたいだからいったん帰りましょ」

「……うん」

 お母さんに言われ、握っていたお兄ちゃんの手を放すとお兄ちゃんは運ばれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お兄ちゃんが事故に遭って3週間。お兄ちゃんが目を覚ますことはなくて新学年が始まった4月になってもお兄ちゃんはずっとベッドの上で眠ったままだった。

 この3週間、学校が終わったらすぐにお兄ちゃんがいる病院に行ってお兄ちゃんの手を握りながらその日あったことなんかを報告し続けていた。

「でね、お兄ちゃん。小町はなんと生徒会に入ったのです! お兄ちゃんの評価最悪だったから私の評価超甘々でさ! みんなの支持を貰って生徒会に入っちゃいました! いや~こんなに評価甘々だったら私もお兄ちゃんと同じ総武高に入学しちゃおうかな~なんて思ってるのです。で、高校に入っても評価甘々で支持率100%で生徒会長になったり…………」

 学校の皆や先生はどこか空元気な私を気にかけてくれているけどなるべく心配かけない様にいつも以上に笑って元気に過ごしていた……と思う。

「…………元気だよ……私、元気だよね」

 お兄ちゃんの手を握りながら自問するように何度も言うけどそのうち、目からポロポロ涙が流れてきてお兄ちゃんの手を私の涙で濡らしていく。

「……ごめん……やっぱダメみたい……小町……お兄ちゃんがいないと元気になれないや…………世界で一番キュートでビューティホーな小町が泣いてるんだよ? 早く……早くいつもみたいに撫でてよ。慰めてよ。またクッキー作ってよ……また一緒に旅行行こうよ。ねえ……お兄ちゃん……お兄ちゃん!」

 ギュッと力強くお兄ちゃんの手を握って叫んだ瞬間、一瞬だけ……ほんの一瞬だけ握り返された気がした。

「お兄ちゃん?」

 涙を垂れ流しにしながらお兄ちゃんに声をかける。

「お兄ちゃん……お兄ちゃ」

 最後まで言おうとした時、今度は一瞬じゃなくて強く小町の手が握られるとともに閉じたままだったお兄ちゃんの目が少し動き始めたかと思いきや、ゆっくりと開き始めた。

 ウソ……お兄ちゃんが……お兄ちゃんが!

 握っていたお兄ちゃんの手が私の手から離れてゆっくりと上げられると私の頭に乗せられ、ぎこちない動きで優しく慰めてくれる時の様に撫でてくれた。

「こ…………ま………ち」

 ――――聞こえた。

 周りの騒音に今にも消えそうだったけど確かに私の耳に待ちわびたお兄ちゃんの声が聞こえた。

「お兄ちゃぁぁぁぁぁん! ああぁぁぁぁぁん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ以来、足に障害を抱えてしまったお兄ちゃんだけど今もこうして小町の後ろに乗っています。

 ちょっと卑屈すぎるお兄ちゃんだけどそれもまたお兄ちゃんです。

「お兄ちゃん!」

「ん? なに?」

「大好きだよ!」

「……ちょ、おまっ! こんなとこで叫ぶなよ」



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第9話  こうして俺の物語は始まるのである。

テスト2週間前となったこの日、俺は1人ファミレスに寄ってドリンクバーを頼み、イヤホンを耳に刺しながら参考書の問題を片手間に解きながら単語帳を手に持っていた。

 入院期間が長かったために武闘派ボッチからメタモルフォーゼしたわけだが……まさか自分がここまで頭のいいボッチだとは思わなかった。

「……4時か……」

 奉仕部を退部し、今まで消費していた時間が長いようで短い……勉強に長いこと集中していたって感じても実際の時間が進んでいるのは少しなのか……。

「…………勉強しよ」

「そっか。いろいろ大変なんだね」

 何故か奉仕部の2人の姿が脳裏をよぎったがどうにかして削除し、再び勉強に集中しようとしたその時、非常に聞き覚えのある……というか毎日聞いている声が聞こえてきた。

 ちょうど植物が置かれているので俺の顔は見えないがとりあえず葉の隙間から入口の方を見てみるとなんとマイリトルシスターが知らない男と一緒にファミレスに入っていた。

 ……誰だあのどこの馬の骨とも知らん奴は……彼氏……ではなさそうだな。雰囲気的に。

「あっれぇ~? おっかし~な~。お兄ちゃん今日勉強して帰るって言ってたからここにきてると思ったんだけどな~。見当違いかな?」

「比企谷さん。別に大丈夫っすよ」

「大丈夫! お兄ちゃんならズババッと解決してくれるから!」

 ……嫌な予感がする。

 すると小町はポケットに手を突っ込むとゴソゴソと何か探しているのか手を動かしっ!?

『お兄ちゃん! 世界で一番キュートでビューティホーで欲情しちゃう妹からの電話だよぉ!』

「あ、お兄ちゃん見っけ」

 嗚呼。今日も今日とて我が名誉に傷はつく……グスン。

 心の中で号泣していると俺が座っているテーブルにやってくると隣に小町が座り、向かいに小町と一緒にやってきた男子が座った。

 短髪……爽やか系ってやつか。まあ、小町を上の名前で呼んでいる限り恋人ではないみたいだ。

「小町。夏休みの勉強会覚えておけよ」

「うげぇ。そ、それはそうと大志君、今悩んでるから聞いてあげてよ」

「初めまして。川崎大志っす」

「で? そのお悩みとは」

「……実は最近、姉ちゃんの帰りが遅いんすよ。朝帰りというか」

 ……繋がった。脳細胞がトップギアだぜ。

「男だな。うん。そのお姉ちゃんに男が出来たのだよ。良いことではないか」

「そ、それはないっす。うち兄弟が多くてギリギリなんすけど姉ちゃんはそんな家族をほっぽり出して男とつるむことなんてありえないっす」

 そこまで強く否定されればこちらとしてもふざけた内容のアドバイスはできない。

 ……ダメだ。奉仕部にいた頃の癖が未だに直っていないとは……俺はもう誰かの補助をするクラブの一員じゃないんだ。なんで考えるんだ、俺が。

「姉ちゃんに問いただしても関係ないって切れられるし」

「お兄ちゃん。なんとかしてあげて?」

「……名前」

「へ?」

「お前の姉ちゃんの名前だよ。あといつくらいからそうなり始めたのか、そうなり始めてからの変化した点とかをわかりやすく端的に言ってくれ。あと写真とかも」

 ルーズリーフの端っこにシャーペンで専用の枠を書き、その中に大志から聞きだした情報を走り書きで書き込みながら頭の中で整理していく。

 変わり始めたのが総武高の2年になってからでそれ以来、ちょくちょくエンジェルなんとかという変な店の店長から電話がかかってくることが多くなったこと。

 ……ん~。これ完全に分かった奴じゃん。

「バイトじゃね?」

「そ、それはないっす! 姉ちゃんまだ未成年だから遅くまでは働けないし」

 それもそうか……未成年である俺たちが12時を超えて外をぶらついていれば確実に補導されるしな。でも深夜バイトをやるなんてことは案外余裕だ。高校生にもなれば、特に女子ならば化粧1つで2,3年は年齢の鯖を読むことだって可能なはずだ。

「お前の姉ちゃん、総武高校だっけ」

「あ、はい。川崎沙希って名前なんすけど」

 ……うん、知らない。ボッチにとってクラスメイトの名前など無価値なのだよ……寂しいなんて思ってないし。

「クラスとかは?」

「確か……F組だったはずっす!」

「……お兄ちゃん」

「言うな、妹よ」

 俺は涙が溢れないよう、天を見上げた。

「ま、とりあえずできることはやっておく……限られてると思うけど」

「それでも良いっす! 俺、姉ちゃんが心配で仕方がないんっす」

 弟をここまで心配させるお姉ちゃん……いったいどんな奴なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷」

「おざ~す」

「あぁ、おはよう」

 小町の自転車の後ろに乗せてもらい、校門の近くで降ろしてもらって学校の敷地内に入った瞬間、横から声をかけられ、そちらを見てみると白衣姿の平塚先生が立っていた。

「少し話がある。お昼休みに私の所に来い」

「……うっす」

 言わなくても先生の用事は分かる……奉仕部のことに関してだろう。仮部員期間を終え、奉仕部から消えたという報告をあの2人のどちらかから聞いたんだろう。

 俺は何を言われようが奉仕部に戻る気はない……絶対に戻らない。

「ヒッキー!」

 後ろを振り向かずとも声の主が誰だかわかったがとりあえず振り向くと後ろから由比ヶ浜が全力のダッシュで俺のもとに走ってきていた。

 ま、どのみちクラス一緒だし会う事は決定なんだけどさ。

「どうして奉仕部辞めちゃったの!?」

「声がでかい。俺は仮部員なんだよ。校則じゃ正式部員は辞める際には退部届がいるんだけど仮部員の場合はそんな書類はいらないんだよ。そもそも俺は平塚先生に言われて一週間限定で入ったんだ……それ以上、奉仕部にいる意味はないだろ」

「ヒッキー楽しそうだったじゃん! ゆきのんといつも言い合いしてるけど楽しそうだったじゃん!」

「……お前にはそう見えたかもしれないけど…………じゃあな」

 由比ヶ浜を放置して教室へと向かう階段に上がろうとした時、ふと上の方に誰かが立っているのが見え、顔を上げてみると階段の一番上に雪ノ下が立っていた。

 その眼はいつもの通り、冷たい。誰も寄せ付けようとしない雰囲気。

「手伝うわ。階段昇降」

「……どうも」

 雪ノ下の肩を借り、一段一段ゆっくりと上がっていく。

 ……この前、階段を使うときは手伝ってくれって言ったこと覚えてたのか……でもまさか、奉仕部を辞めた後でも手伝ってくれるとは思ってなかったけどな。

「これは私の独り言なのだけれど……奉仕部に戸塚君が来て依頼をしに来たわ。内容は昔、自分を助けてくれた人を探してくれないかという内容」

「……人探しかよ」

「あら、独り言だったのだけれど」

「聞こえる独り言は独り言じゃない」

「で、貴方はどうするべきだと思う?」

 戸塚が探している人物は十中八九、俺のことだろう。中学を卒業したあの日、ヤンキーたちから戸塚を救った日……そして俺が今の状態になった日。まさか同じ高校になるとは思ってもなかった。材木座は一番合いたくない人物1位だったが2位は戸塚だった。理由は今の俺はあの時の俺じゃないから。

「店員に言って監視カメラでも見せてもらえよ。パパッと解決じゃねえか」

「……そうね」

「ここでいい。助かった」

「……もう一度聞くわ。貴方はもう」

「戻らない。言っただろ。俺たちの関係は1週間限定だって」

「……戸塚君も由比ヶ浜さんも貴方がいなくなったってことを聴いたら悲しそうにしてたわよ」

 俺は雪ノ下のその言葉に一瞬反応しながらも何も言わずに教室に向かって歩き始めた。

「放課後、部室に来てくれないかしら。渡すものがあるから」

 周りの奴らの雑音にかき消されるはずの声は何故か俺の耳にまっすぐに入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、俺は特別棟にある奉仕部の部屋の前にいた。

 特別棟につながる渡り廊下までは無意識のうちに来ていたがそれ以降は何故か足が止まらず、結局奉仕部の前まで来てしまったというわけだ。

 優柔不断な自分に呆れ気味にため息をつきながら扉を開けるといつもの通り、雪ノ下が椅子に座って文庫本を読んでいたが栞を挟み、文庫本を閉じて近くの机に置いた。

「で、渡すものって何だよ」

「そうね……ま、座ってちょうだい」

 そう言われ、あらかじめ用意されていたであろう椅子に座る。

「戸塚君の依頼のことなのだけれどその人物が分かったわ」

「……随分と早い解決だな」

「ええ……戸塚君を救った人物……それは貴方じゃないかしら」

「…………証拠は?」

「朝、貴方に依頼の内容を簡単に話したでしょう? その答えとして貴方は店員に監視カメラを見せてもらえと言ったわ…………私は貴方に本屋さんの店内で助けられたとは言ってないわ」

 雪ノ下の言葉に逃げ道を次々とぶち壊されていき、俺にはもう自白するという逃げ道しか残されていない。

 雪ノ下は嘘をつかない……故に彼女が喋ることはすべて真実であり、絶対に命中する弾丸と同じなのだ。

「……そうだよ。中学の卒業式の日に戸塚を助けたのは俺……だけど今の俺じゃない」

「ここまできて」

「違うんだよ……戸塚を助けたのは両足があったころの俺なんだよ。だから感謝されるべきなのは過去の俺であって今現在の俺なんかじゃない」

「……コンプレックス……とでも言うのかしら」

「別に日常生活に対してはこの足にコンプレックスはない……でも、他人に対してはある」

 その時、教卓が揺れたような音がし、そちらの方を見てみると教壇に1つの影が伸びているのに気付いた。

 ……渡すものってこれかよ。

「少し席を外すわ」

 そう言い、雪ノ下が部室から出ていくとともに教卓の下から戸塚が出てきた。

「比企谷君」

 いつもならうるんだ目で見られたら色々とボケたりするんだが今の部室に流れている気まずさMaxの空気の中、とてもじゃないがボケる気にはなれないし、戸塚と目を合わせることすらできない。

 ……何で俺、奉仕部に来たんだろ。

「戸塚。俺は」

 その時、戸塚の両手が俺の両手を優しく包み込むとポタポタと滴が手に滴り落ちてきた。

 視線を上げると両目から大粒の涙を流している戸塚の顔が見えた。

「比企谷君だったんだね……助けてくれたの」

「…………お、俺は」

「関係ないよ!」

 雪ノ下に言ったことと全く同じことを言おうとした瞬間、今までに聞いたことがない戸塚の大きな声が部室内に響き渡り、思わず口を瞑んだ。

「片足しかないとか両足がある時の俺が救ったとかそんなの関係ないよ! 比企谷君は僕を助けてくれたヒーロなんだよ! 今も昔も変わらないヒーロなんだよ……だから、ずっと言いたかった」

 その言葉を聴いたら俺はもう戻れなくなる。

 そう思い、離れようとするが戸塚が俺の手を掴む力が思った以上に強く、この場から離れることはできない。

「比企谷君……僕を助けてくれてありがとう」

「っっ」

 涙をいっぱい流しながら言われた一言……それは他の奴らからしたらただのお礼の言葉かもしれない……でも、俺にとっては……自分の考えなんか一発で吹き飛ばされるくらいに強い……言葉だ。

 戸塚は制服の袖で涙をぬぐい、笑みを一度浮かべると部室から去っていった。

「…………バカじゃねえの。あれはただの言葉だろ……ただの言葉なのに……なんで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 --------こんなにもうれしいって思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、俺は1枚の紙を手に持って奉仕部の部室に向かっていた。

 ……変わる気はない最悪の性格の俺だけど……ほんの少しは

 そんなことを考えながら奉仕部の扉を開けると部室にいた雪ノ下、由比ヶ浜、平塚先生の3人が同時に俺の方を向いた。

 俺は座っている平塚先生の前まで歩き、1枚の紙を手渡した。

「2年F組比企谷君八幡。奉仕部に入部します」

「……よかろう。入部を許可する」

 笑みを浮かべながら平塚先生がそう言った瞬間、横から強い衝撃が走り、俺の視界に由比ヶ浜の顔が映った。

「これでヒッキーも正式な部員になったことだし! 写真撮ろうよ写真! ほらゆきのんも!」

「いや、私は」

「まあ、そう言うな雪ノ下。奉仕部のスタートの日だ。今日くらいは良かろう」

 渋り気味の雪ノ下を平塚先生が引っ張ってくると俺を中心にして左側に雪ノ下、右側に由比ヶ浜が立ち、俺たち3人の後ろに平塚先生が立った。

「んじゃあ撮るよ!」

 由比ヶ浜が自分の携帯カメラレンズを向け、俺たち全員が入るように微調整し、ボタンを押すと部室内にシャッター音が複数回、鳴り響いた。



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第10話  最強の風使いは滅びろ

 俺が奉仕部の正式部員になった翌日の休み時間 俺は川崎大志から貰った情報を整理しつつ、その姉である川崎沙希という女子生徒をボケーっと眺めている。

 ちなみにただ眺めていてはただの変態だ……俺の視界は広い。だから黒板の方を向いてますよ~とアピールしながらも川崎沙希の姿を視界にとらえているのだ。これがまだ女の子との甘い青春を期待していた中学生時代に生み出した名付けて……なんだっけ? え~っと……ワイドアイ! いや、どこの太陽チャージで復活する光の戦士だ。ちなみによく勘違いしている奴が多いがあれは歴代の中で唯一、マンがつかない。そのヒーロの名を言わせてマンをつけた奴はにわかということになる。ソースは俺。

「比企谷君。おはよ」

「おはよ、戸塚」

「どこ行くか決めた?」

 職業見学なるものがうちの高校にはある。そこでは3人1組になっていくらしいが……面倒くさい。非常に面倒くさい。結局専業主夫に変えたものも返却されたし。

「いんや。戸塚は」

「僕もまだなんだ……でね、提案なんだけど……僕と一緒に行かない?」

 ……おい、今月のゼクシィはまだなのか! できればブライダルプランとか教会とかの特集を組んだ奴を出してくれ! 2000円までなら出す!

 戸塚にお礼を言われた日以来、俺達は少し話すようになった。まあ、今は戸塚主導で会いに来たり来なかったりだけど俺としてはこのくらいの関係がちょうどいい。

 休憩時間の度に机の傍に集まってベタベタ喋るようなのは友達じゃない。ただのなれ合い関係だ……そう、例えばあんな感じだ。

「隼人君どこ行くことにしたん?」

「俺はマスコミ関係か外資系関係に行きたいと思ってる」

「隼人君将来見据えてるわ~! パないわ~。俺なんて近くのスーパーとか考えてるべ?」

「あーしなんかサーティワンだし……結衣は?」

「あ、あたしもまだなんだ」

 ……三浦と由比ヶ浜の関係も修正され、少しぎこちないがそれでも普通にはなっただろう。

 相も変わらずスクールカースト上位連中はスクールカースト1位のイケメン・葉山隼人を中心にして集まっており、他の連中とは一線を画している。

 にしても何故リア充ほど下の名前で呼び合うのだろうか。俺なんかたまたま苗字が真里菜、名前が満里奈の女子を呼んだら次の日から座席を数センチ下げられたんだぞ。

 ……だが戸塚ならばそれもなかろう。

「彩加」

「……は、八幡」

 ……戸塚の指で何号の指輪が合うんだろ。俺の給料3か月分で何とか同じものは買えるかな? とりあえず帰り道にジュエリーショップの広告を貰ってこよう。

「あ、今の忘れてくれ」

「は、八幡は忘れても僕は……忘れないよ、八幡」

 さて。ハネムーンはどこへ行こうか? オーストレイリア? ユナイテッドキングダム?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、奉仕部の部室にはいつもの3人。勉強している俺と雪ノ下、そしてテストはもう諦めた様子でいつもの通り携帯をポチポチ触っている由比ヶ浜。ちなみにさっきまで材木座がいたが締切がどうのこうのと言って凄まじい勢いで帰っていった。

 締切が近いなら部室に来るなよ。

「そう言えばヒッキーさ、職場体験どこ行くの?」

「組んだ奴らが行きたいところに行く」

「うわぁ。他力本願だね」

「驚いた。お前がそんな難しい言葉を知っていたとは」

「なっ! わ、私だってその位知ってるし! なんだったら私、小学生のころ四字熟語クイーンって呼ばれたくらいなんだからね!」

 なんだ、その可愛いからいいや、みたいな2つ名は。見てみろ、雪ノ下なんかあきれてものも言えない様子で頭を抱えているぞ。

「人と人の気が合うのも合わないのも全て不思議な縁によるものだという意味の四字熟語を述べよ」

「一期一会!」

 由比ヶ浜が答えると同時に俺は参考書に集中し、雪ノ下も我関せずの態度をとると誰も反応しないことに恥ずかしくなってきたのか顔を赤くしながら由比ヶ浜は座った。

 ちなみに答えは合縁奇縁。一期一会は一生に一度の出会いのことを言う。多分、人つながりでぱっと出てきたのがそれだったんだろう……ていうか国語の試験範囲に四字熟語について書かせる問題なかったか?

「ヒ、ヒッキ~」

「な、なんだよ」

「数学教えて~」

 雪ノ下に頼めよと言いかけたがすさまじい集中力を発揮している雪ノ下を見て気の優しい由比ヶ浜では話しかけられないなと結論付け、仕方なく由比ヶ浜から分からない問題を聞いた。

「……由比ヶ浜。まさか因数分解を教えてとか言うなよ」

「そ、それくらいわかるし! 分かんないのは平方完成!」

 ……数学の先生があれだけ優しく、分かりやすく教えてくれてなお分からないと申すのか、この女子は。

 由比ヶ浜の数学のノートを見てみると平方完成の部分だけ、やたろ字がふにゃふにゃだったり、直線がミミズの様にグニャグニャになっていた。

 それを見て一発で確信した。こいつは寝ていたと。

「とりあえず教科書通りにやってみろよ」

「……うん」

 教科書を開き、例題問題を由比ヶ浜に解かせている間、俺は大志からの依頼を頭の中で考え始めた。

 恐らく大志の姉ちゃんはバイトをしていることは間違いない……ただそんなことは大きな問題ではない。隠れてバイトをやっている奴等他にもいるからな……問題は朝帰りだという点だ。俺たち高校生は条例で夜の10時以降はバイトを入れられないようになっている……ま、年齢詐称したんだろうけど。

 が、そんなことは大志だって薄々気づいているはずだ。あいつが知りたいのは何故、家族に黙ってまで働いているのかだ。

「ヒッキー出来た!」

「じゃあ、次は教科書の問題やってみろよ。例題を見ずにな」

「オッケー!」

 ……本人に聞くのが一番手っ取り早いんだけどな。

 その時、扉が軽快にノックされた。

「どうぞ」

 雪ノ下の許可の後、扉が開かれた瞬間、何故か部室内に爽やかな空気が入るとともに雪ノ下がいる方向から重い空気が流れ込んできた。

 ……この爽やかな風を操るものは学校の1人しかおらん……最強の風使い・葉山隼人!

「時間、良いかな? 中々部活抜け出せなくてさ」

「能書きは良いわ。用件は何かしら」

 どこか雪ノ下の言葉にある棘がいつもよりも鋭く、そして種類が違うように思えた。

 俺に対する棘は鋭いことは鋭いけど人を殺傷するようなものじゃない。だが葉山に対しての棘はどこか人を殺傷しかねない……どちらかというと押しのけたいような感じがする。

「あ、あぁそうだな」

 対して葉山もどこか雪ノ下に対して様子がおかしい。

「実は最近、ちょっと困ったメールが届くんだ。これなんだけど」

 差し出された画面をのぞき込むと、そこには実名を出した誹謗中傷が書かれていた。

『戸部はカラーギャングの仲間で他校の生徒から金を巻き上げている』

『大和は三股かけているクズ野郎』などなど。

「これ、お前が前に言ってたやつじゃねえの」

「う、うん。最近よく来るんだ、こういうの。名前も分からない人から」

 チェーンメール。携帯がない時代は手紙を使ってこれを送らないと不幸になりますとか呪われるだとか書かれていたけど携帯が普及しきった今の時代はそんな生易しい物じゃない。効率的に複数人に送れるようになっただけではなく、名前を書かずとも相手のアドレスさえ書いていれば顔を見せずに届く。今でも進化をし続けていると言われているものだ。

 ちなみに俺はこんなもの来たことがない……い、いや違うよ? 携帯電話の癖に携帯していなかっただけだもんね! 断じて誰からも聞かれなかったからとかじゃないもん!

「俺、こういうの嫌いでさ。誰かを誹謗中傷してるくせに自分は顔を出さない。このメールのせいでクラスの空気が今悪くなってるんだ」

 チェーンメールを潰す方法はいくつかある。1つは送られてきたメールを複製せず、そのまま削除してしまう事。2つ目はメアドを変える。3つめは非効率的だが大本を叩き潰す。

「あ、でも犯人探しがしたいわけじゃないんだ。丸く収められたらそれでいいんだ」

「つまり事態の収拾を図ればいいのね」

「あぁ、頼めるかな」

「犯人を捜せばいいのよ」

 その一言に葉山も由比ヶ浜も思考を停止した。

「そういう人間の尊厳を踏みにじる最低の行為を止めるには大本を潰すに限るわ。ソースは私」

 ちょくちょく、こいつえげつないことしてるよな。

「……分かった。それでいい」

 意外と受け入れるのが早かったな。葉山のことだからもっと雪ノ下に別な方法を模索させるのかと思ったけど……なんか観念したというか。

「送られ始めたのはいつごろからかしら?」

「先週末位からだよな、結衣」

「うん」

「何かクラスで起きたことは」

 雪ノ下の質問に考える2人だったが特に思い当たる節がなかったのか何も答えずにいた。

「貴方は?」

 ……なんか聞いてくれたことが嬉しいのやら、ボッチであることを忘れているのが悲しいのやらわからん。

「つってもな……俺、休み時間は寝てるし昼休みは外で食ってるし」

「そう。私の頭が及ばずにごめんなさい。学年1位の比企谷八幡君」

 あの日以来、俺が学年1位だと言う事を知った雪ノ下はちょくちょく、厭味ったらしく言ってくるようになり、由比ヶ浜も雪ノ下ではなく、俺に勉強を聞くようになった。

 ……やっぱ、隠してた方がよかったかも。

「……そういえばグループ分けがあったな」

 ボソッと呟くように言うと由比ヶ浜と葉山の2人は顔を見合わせた。

「そっか。ハブられた人が始めたんだよきっと! 仲の良い子と同じペアになれなかったときって意外と傷つくし、むかつくもん!」

「なるほど。では葉山君。さっき書かれていたメンバーの特徴を教えてくれないかしら」

「あ、あぁ。戸部は明るくてみんなのムードメーカーって感じだ。文化祭とか体育祭とかで先陣を切ってみんなを盛り上げてくれる良い奴だよ」

「騒ぐだけしか能がないお調子者……次は?」

 なかなか辛辣でござるなぁ。

「大和はラグビー部。寡黙だけどその分、人の話をよく聞いていてくれる。鈍重だけどそのペースが逆に接する人たちに安らぎを与えてくれる。良い奴だよ」

「反応が鈍いうえにノロマ……と」

 葉山も葉山でよくそこまで褒め称えることができるなって思うけど雪ノ下もよくあそこまで卑下した言い方でまとめ上げられるよな。逆に2人とも凄いわ。

「どの人も犯人のように見えてしまうわね」

「お前が犯人に見えるのは俺がおかしいのか」

「私なら真正面から潰すわ」

 ご立腹の様子で腰に手を当て、そう言う。

 確かにこいつはそう言うやつだ。隠れながら射撃するのではなく真正面から敵に突っ込んでいって相手が参りましたというまで武装で叩き尽す。

「葉山君じゃ分からないわ。由比ヶ浜さん、学年1位の比企谷君。明日、情報を集めてくれないかしら」

「……ん、うん」

 情報を集めると言う事はそいつの悪評を集めろと言う事。由比ヶ浜にとってそれを集めることはいばらの道を素っ裸で通っているようなものだろう。

「ごめんなさい。あまり気持ちのいいことではなかったわね。忘れてちょうだい」

「い、いや良いよ。私も奉仕部だし」

「……由比ヶ浜。俺がやるわ」

「え? でもヒッキー独立国家じゃん」

 わぉ。いつの間に2年八幡組が出来たんだ? それはそれで嬉しい……数日で滅びる可能性がほぼ100パーセントだと思うけどな。

「独立国家にしかできないこともあるんだよ。ま、見ておけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、葉山、由比ヶ浜、雪ノ下、そして俺の4人が奉仕部の教室に集まった。

「で、どうだったのかしら? 犯人につながる有益な情報は見つかった?」

「いんや。犯人は依然として不明だ……でも、分かったことがある」

「何かしら」

「1日観察して分かったが誹謗中傷されていた奴らは葉山専用のグループだった」

「……え、えっとそれはどういうことかな?」

「葉山。お前、自分がいないグループを見たことあるか?」

 俺の質問に少し考えた後、首を左右に振った。

「葉山がいる時は楽しそうに話しているが葉山が抜けた途端、まるで他人同士の様に静かになったぞ」

「あ、それなんとなくわかる。盛り上げ役がいなくなると途端に静かになっちゃう奴だよね」

 由比ヶ浜の補足説明に葉山は唇をかみしめていた。

 こればっかりはいくらこいつでもどうしようもないことだ。自分がいない間のことなどどんな術を使ったとしても解決することは不可能だ。人の見えない部分は触れないものなんだよ。

「でも、それだけでは何の解決にもならないわ」

「解決する必要はないんだよ。問題を収束させればいい。一応、方法はあるが……聞きたいか?」

 恐らく今の俺の顔は満面の笑みだろう……腐りきったな。

 その証拠に由比ヶ浜は小さく「うわぁ」とつぶやき、雪ノ下は完全に侮蔑の色に染めた視線を俺にぶつけてくるし、葉山は苦笑いをする。

 だが、一刻も早く解決したい哀れな子羊・葉山隼人は首を縦に振らざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の休み時間、誹謗中傷されていたグループが葉山無しでも楽しそうにしゃべっていた。

 俺がやったことは至極簡単。あの3人を1つのグループに収めただけ。そうするだけであら不思議、仲良く話すまで仲良くなりました。

「ここ、いい?」

「嫌つっても座るんだろ」

 そう言うと苦笑いをしながら葉山は俺の前の席に座った。

「俺が3人とは組まないって言ったら驚いていたけど……助かったよ、ヒキタニ君」

 ……こいつ、雪ノ下が俺の名前呼ぶの聞いてたよな?

「良かったら組まないか? 俺、まだなんだ」

「適当に書いててくれ」

 葉山に任せ、俺は机に突っ伏した。



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第11話  ボッチに言ってはいけない3NG

 翌日の放課後、奉仕部の活動を終えた俺は大志と会うべく近くのファミレスで待っていた。

 結論としては大志の姉、川崎沙希はアルバイトをしていると言う事になったが果たしてそれだけで大志が納得するか。否、納得しないだろう。あいつが聞きたいのは何故、アルバイトをしているか、なのだから。

「あ、お兄さん!」

「てめえにお兄さんと呼ばれる筋合いはねえぞ、おら」

「じゃ、じゃあ何と呼んだら」

「そりゃお前……お兄さんでいいや」

 良い名前が思いつかず、お兄さんと呼ぶことを了承すると大志は軽くズッコケながら俺の向かい側に座った。

「それで姉ちゃんは」

「俺の結論としてはアルバイトをしていると言う事になった。朝帰り、2年生になってから、エンジェルなんとかいうところから店長と名乗る男からの電話。恐らく河崎沙希は家族にも話したくない理由でしてるんだろ」

「……やっぱりそうすか……姉ちゃんあんなに真面目だったのに」

 学校で川崎沙希を見てみたが雰囲気から言えばヤンキーっぽい。眠たいのか知らんが眉間に初音に皺が寄っているから遠くから見たら睨んでいるようにしか見えない。

「あ、あの実は姉ちゃんに黙ってこれ、持ってきたんす」

 そう言い、テーブルの上に出したのはエンジェル・ラダー天使の階と書かれた名刺だった。

「で、こっちがその店のHPのコピーっす」

 ……何この劣等感。明らかにこいつの方が優秀じゃん。ていうかここまでできるなら最初から自分でやっておけよ……なんか中学生に負けた気分じゃないか。

「ふ~ん。バーなんだ~」

「……お兄さん、拗ねてます?」

「別に……朝方まで営業してるバーカ。決まりじゃねえの」

「今、”バー”と”か”をかけませんでした?」

「深読みしすぎ……で、なんで俺にこんなの見せるの」

「お兄さん……潜入捜査お願いします!」

 世界で一番頼まれたくないことを押し付けられてしまった気がする。

 ボッチの俺にこんな派手なお店に1人で潜入捜査しろというのか……あぁ、あのボッチを憐れむ嫌な視線が俺に注がれるのかと思うと冷や汗かいてきた。

「ヤダ」

「そこをなんとか! 俺、今日塾があっていけないんす!」

 ……とはいってもそもそもこの依頼を承ったのは俺の意思だしな……ここで断ったらなんか評価されちゃいけないことを評価される気がする。

 ……仕方がない。

「わ~ったよ」

「ほ、本当っすか!?」

「とりあえず話だけ聞いてくる……その代わり俺が傷ついたらお前が慰めろよ。お金で」

「うっ。で、出来れば安めに」

 そんなわけで大志とは店の前で分かれ、一旦家に帰って父親のクローゼットから結婚式などによく着ていく服をあれやこれやと探し、見つけたスーツを小町に補助してもらいながら着替え、一応なけなしのお金を財布にぶち込み、小町に店の前まで送ってもらった。

 ……ホテル・ロイヤルオークラって初めて来たけど……ボッチには合わん。

 建物の中へ入り、エレベーターで最上階まで行くと既にそこは俺には合わない景色が広がっていた。

 光々と光っているような明るさではない穏やかで優しい明かり、スポットライトで照らされたステージ上にはピアノが置かれており、それを白人女性が静かに引いている。

 ギャルソンに案内された場所へ座るとコースターとナッツが置かれた。

 ……俺、そんなに荒ぶる社会で生きる大人に見えるのかな。

「川崎沙希……さんだよな」

「申し訳ありませんがどちら様でしょうか」

「同じ高校の比企谷八幡って言うんだけど」

 少々大きめの声で高校という部分を強調して言うと一瞬慌てた様子で肩をびくつかせ、俺の方をじっと睨んできた。

 は、早く帰りたい……大志め。あとで覚えておけよ。

「何の用」

「うちの妹経由でお宅の弟さんから相談されたんだよ。最近、姉の帰りが遅いって」

 そう言うと聞こえはしなかったが河崎沙希は小さく小言を言った。

「で、あんたは何をしに来たの。告発でもしに来た?」

「年齢詐称してるのか……別にそんなことしに来たわけじゃねえよ。年齢詐称してでも働かなきゃいけない理由を俺は聞きに来ただけだよ。他人がバイトしてるなんてどうでも良いし」

「言うと思うの?」

「思わない……だからお前と話しに来たんじゃん」

 ……傍から見たら俺、口説いてる変態じゃね? それになんか後ろから変な視線を感じる。

「……」

「お前がバイトを始めたのが2年に上がってから。大志の元々はまじめだったっていう発言から考えるにぐれた様ではない。むしろ河崎さんの家庭環境でぐれれば最悪なことになる。本人はそのことを知っている……んで、うちの学校は一応進学校って言う括りだから……これ以上、話す意味ねえよな」

 うんって言ってください。でないと俺のピュアな心が壊れます!

「…………」

「別にバイトしてることなんてどうでも良いんだよ……問題は家族にまで見えないバリア張ってるってこと。家族に心配かけたくないからつって何も言わないのは逆に心配かけてるってことだ。他人は誤魔化せても家族は見えないバリアに気づくのは早いぞ」

「随分、喋るんだね。普段は静かなくせに」

 ……あ、あれ? 視界が……視界が濡れてくるよ。

 俺は溢れ出てくる涙を裾で拭う。

 ボッチとしては言われたくない言葉だ。

「別に家族に心配かけたくないから言ってないんじゃないし。もうあたしだって17。大志が塾に行き始めて必要経費が増えて家計は火の車一歩手前。そう言う状況見て頼ろうと思う? あたしは頼ろうとは思わない。自分の塾の費用位は自分で出す……どの道、経験しなきゃいけない事なんだから早いか遅いかの違いじゃん」

「別にそれに付いては否定しねえって……自分が良くても家族が心配することだってあるんだよ。自分の姉が秘密を抱えたまま朝帰りなんかしたら心配するだろ」

「……上から目線過ぎない?」

「…………経験があるから……大志にあんな思いはしてほしくないんだよ」

 過去に俺は河崎と同じように誰にも言わない秘密を抱えて生きていた。両親はもちろん妹の小町は特に敏感にそれに反応して俺にしつこく聞いてきた。

 その度に川崎の様に俺は突っぱねてきた。

 その結果…………小町は泣いた。俺の秘密を知った時に。

「大志にあんな思いはしてほしくない……だから俺はお前とこうやって話をしてるんだ。川崎……家族にだけは見えないバリアは張らない方がいい……最悪の結末を迎えたくないだろ。お前も、大志も家族も」

「…………あたしにどうしろっていうんだよ。塾行くのも金は要るし」

「……スカラシップって知ってる?」

 そう尋ねると河崎は何も言わずにじっと俺の方を見てくる。

「最近の塾は成績優秀者の授業料を免除してんだよ。もちろん教材費とかもろもろはいるだろうけどそれでも夜中にバイトなんてしなくてもいいくらいに出費は抑えられる。大学に行きたいっていうくらいだから勉強の熱意はあるんだし、スカラシップ狙えると思うけど。他にも夏期講習や冬期講習しか行かないって言う手もあるし、進学校を謡ってるくらいだから学校だって放課後講習とかしてくれるだろ」

「…………」

 俺が言い終えると何か考えているような表情を少しした後、慣れた手つきでグラスに飲み物を注ぎ、俺の前に置かれているコースターに置いてくれた。

「え、いや俺」

「ジンジャエールだから。あと奢り」

 ……話をしたらすぐに帰るつもりだったんだけどな……ま、まぁ入れられたものを残すなんてことは……ねぇ。

「勘違いしてた」

「え?」

「言っちゃ悪いけど……てっきりあんたは片足だから適当にしてるかと思ったけどナチュラルな状態で適当にしてるんだな。見くびって悪かった」

「……どこからどう聞いても俺には自堕落人間って言ってるようにしか聞こえないんだが」

「違うの?」

 川崎にそう言われ、少し考えてみるがあの事故以前から俺は色々と自堕落な生活を送っていることに気づくがうんともいえないのでとりあえずチビチビ、出されたジンジャエールを飲んだ。

「…………もう1つ頼みがあるんだけど」

「ん?」

「……そ、そのお薦めの塾とかある?」

「んごほっ! げほっ!」

「な、何急き込んでんだよ!」

 突然、言われたことに呆気にとられている隙に喉の奥にジンジャエールが流れ込み、反射的に飲み込むと入っちゃいけないところに入ったのかむせてしまった。

 は、鼻から炭酸って痛いんだな。

「なんでんなこと聞くんだよ」

「いや、うちあんまりテレビ見ないし塾とかの広告も捨ててるし」

「学校のパソコンで調べろよ」

「ま、まあそうなんだけどさ……あんた知ってんじゃないの?」

「習い事はおろか塾には一切行っておりません。入院期間長かったからその間に勉強終わらせたし」

「あっそ……ま、ありがと」

「どうも」

 出された飲み物を飲み干し、店を出ようと立ち上がって後ろを振り返った瞬間、ドレスのようなパーティー衣装を着た少女がこちらを見ているのに気付き、ふと顔を上げるとそこには見知った顔があった。

 いつもの長い髪は邪魔だと判断したのか上の方に結ぶことで短くし、薄暗く分からないけど化粧も少しはしているであろうその顔は奉仕部でいつも見かけている雪ノ下雪乃そのものだった。

 ……何で雪ノ下がこんなところに。

 互いに数秒ほど見合っていると彼女の下の名前を呼ぶ男性の声が聞こえ、雪ノ下はそのまま俺に背を向け、男性の集団へ向かうと丁寧にお辞儀をした。

 …………雪ノ下雪乃の俺達とは一線を画している空気の正体はこれか…………。

「何してんの? そこまで送るけど」

「あ、あぁ。頼むわ」

 男性たちと談笑している雪ノ下の姿を視界から外し、俺は店を出た。



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第12話  こうして俺は選択をする

「んん…………」

 アラームのけたましい音が鳴り響いたことで眠っていた頭が覚醒し、枕元に置いていた時計兼暇つぶし機能付きスマートホンを手を左右に動かしながら探しているとさっきから何やらチクチクしたものが手に当たっている。

 時計……どこだよ。

 仕方なく目を開け、ふと右側を見てみるとマイシスター小町がくか~と大きな口を開けて熟睡されておった。

 その瞬間、俺の意識はフリーズし、アラームの音も止まった。

 ……ちょっと待て。なんで小町が俺の隣で寝ているんだ……確か昨日は夜の遅くに帰ってきて母さんから小一時間説教を受けた後、1人で寝たはず……。

「おい、起きろ」

「アベック……あ、お兄ちゃんおはよ~」

 軽く頭を叩くと目を細め、髪の毛をあっちこっちに爆発させた状態で小町が起き上がった。

 ちなみにあっちこっちっていうアニメ、俺は好きだ。

「なんでお前がここで寝ている」

「だって朝起きたらお兄ちゃんの御着替え手伝わないとダメだし~移動するの面倒くさいからお兄ちゃんが帰ってきてからフラフラ~と入ったの」

 片足が動かないと言う事は日常における動作が上手くできない。よって小町に介助してもらっている。

 主に下の服を履く際に手伝ってもらっている。ほんと、小町には頭が上がらない。

 小町に靴下、制服のズボンを履かせてもらい、カッターシャツを着て居間へ向かうと既に俺のカバンを持った小町がエプロンをつけ、朝食の準備をしていた。

「卵焼きグチュグチュ?」

「それで頼むわ」

 なんかグチュグチュってエロい響きだよな……我が家……と言っても俺だけだがスクランブルエッグだっけ? それをグチュグチュと言っている。

 MAXコーヒーの粉をカップに入れ、T-falで沸き上がったお湯を注ぎ、飲む。

 これが俺の毎朝の恒例行事だ。

「はい。お待ちどう様」

「おう。ありがと。いただきます」

「いただきま~す」

 我が家の朝は早い。毎朝7時に起きる。

 理由は俺が小町に学校近くまで送ってもらうためである。別に頑張れば歩いていけることもないんだが以前、リハビリを頑張りすぎて左足関節を痛めてしまい、それ以来学校の送り迎えをしてもらっている。

 むろん、小町の予定が最優先だがな。

「そう言えば今日、お兄ちゃん中間テスト返却と職業体験でしょ」

「そうだな。ちゃちゃっと終わらせて帰ってくる」

「小町は心配なのです。このままお兄ちゃんが友達がいないヒキニートヒモになってしまうのではないかと」

「安心しろ。お前のヒモにはならん。お金持ちの女の人のヒモになる」

 自信満々に高々と宣言するが小町には受けなかったらしく、ため息のもと一蹴された。

「あ、そう言えばお兄ちゃん」

「ん?」

「お菓子の人とちゃんと話してたんだね。小町安心したよ」

 お菓子の人……あぁ。俺が助けた犬の飼い主のことか。そう言えば病室でお菓子貰ったとか言ってはしゃいで看護士さんに怒られてたな。

「お菓子の人? 誰だよ」

「またまた~。結衣さんじゃん。結構、仲良くなってたの小町は見逃してませんよ~」

 その直後、俺の時間が全て止まった。

 ……由比ヶ浜が助けた犬の飼い主……だと……。

 小町は俺に対しては絶対に嘘はつかない。

 だから言っていることは真実で間違いないんだろうけど……由比ヶ浜が……。

「どったの?」

「……いや、何もない。今日もよろしく頼むぜ、小町バス」

「任せなさい!」

 楽しい朝食を終え、全ての準備を終えた俺は一足先に家の前で小町の準備が終わるのを待っていた。

 ……由比ヶ浜が犬の飼い主……由比ヶ浜は悪くない。俺が自分自身の判断と意思で走ってくる車に突っ込んだんだ……。

「……やっぱ俺、最低だわ」

「おまたー!」

「小町。そんな言葉言わないでくれ」

「てへっ★さあさあ、行くよ!」

 小町に急かされ、自転車の後ろに跨ぎスタイルではなく体を横にして座るスタイルで乗り、杖を籠にひっかけると小町バスは勢いよく発車した。

 小町バスは徐々に速度を上げていき、一気に高校へと向かっていく。

 その道中、一瞬だけだが俺たちを……いや、俺を見て笑っている女子生徒の姿が見えた。

 ……小町の学校での評価は甘々だって言っていたけどあれは先生たちからのだよな……同性代の奴らからの評価は一体どうなってんだろうか……。

 由比ヶ浜があの犬の飼い主だと言う事を聞いてからずっと嫌なことしか頭に思い浮かばない。

 …………。

「どうしたの? お兄ちゃん」

 小町の背中に顔をうずめると心配そうに聞いてきたが俺は何も答えなかった。

 …………。

「なあ、小町」

「小町バスは止めないよ」

 …………気づかれてたか。

 信号で止まると同時に小町にそう言われた。

「小町もさっき見えたよ。笑われてるの……でもそんなの関係ないよ。私は自分の意思でお兄ちゃんを手伝ってるもん。誰かに笑われても何言われても小町は揺るがないよ。先生からの評価が上がるもん」

「……そうか……ありがと、小町」

 冗談っぽくそう言う小町の頭を俺は優しく撫でた。

「ここでいいぞ」

「え、良いの?」

 校門が視界に入ったところでそう言い、小町バスを止めて杖を受け取って降りると小町は何か言いたそうな表情をしていたが頭を軽く撫で、学校へ向かって歩き始めた。

 …………ボッチ街道を突き進んできた俺も人並みに女の子に対しての欲望はある。女の子とキスしたいし、手繋ぐたいし、デートしたいし……でも、それらは全て俺を裏切ってきた。

 俺に優しくしてくる女子を見れば気にはなるし、好きになる……でも、そこまでだ。それを期に一念発起してかっこよくなろうとかイケメンになろうとかそんなものは思わない。それができるのは生まれにしてリア充因子を50%以上親から受け継いだ奴らだけだ。優しくしてくれる女の子は……。

「おっはよー! ヒッキー!」

「……おはよ」

「あれ? なんかいつも以上に目が腐ってるように見えるけど」

「気のせいだ。俺はオールウェイズで腐り目だ」

「胸張って言えることじゃないと思うけど」

 ……こんな感じに優しくされると俺だって勘違いする……だがすぐに現実に叩き起こされる。

「結衣、おはよ~」

「あ、優美子! おはよー!」

 …………ああやって赤の他人とあいさつができる奴を見るとどこか羨ましく思う。あれは中学に入って少し経った頃の話だ……後ろからおはよう、と言われ振り返りながら俺もおはよう、というと俺の横を通り過ぎていく女子。

 そして2人して俺を変な目で見てくる女子……それ以来、後ろからあいさつされた時は振り向かないことにしている。後ろからの挨拶は十中八九、前にいる奴に対してだ。ソースは俺。

「うぉ!?」

 校門を通った瞬間、カバンの持ち手が引っ掛かったのか体が後ろに引っ張られた。

 思わぬ後ろからの引っ張る力に耐え切れず、そのまま多くの生徒・教師がいる前で盛大に尻餅をついてしまった。

 クスクス笑う声が聞こえるが俺はそんなもの気にしない。俺からすれば小鳥のさえずりだ。ヘルバードという名の鳥だがな。

「ヒッキー大丈夫!? ほら、引っ張るよ」

「……あ、あぁ。悪い」

 由比ヶ浜の手を借り、どうにかして立ち、ズボンについた砂を払っていく。

「先生ももっとちゃんと門を開ければいいのに」

「……大多数の生徒に合わせてるんだろ」

「へ?」

 俺のような生徒はこの学園には俺1人だけだ。一応、情報としては伝わって入るんだろうがたった1人のせいとの情報など毎日でも合わない限りすぐに忘れるだけだ。少数派は決まって大多数派によって押しつぶされてしまう運命にある。だからこうやって門も中途半端なところで開いていることだってあるのだ。

 校舎の中へ入り、階段の前で止まり、息を吐いた。

 …………リアルに校舎内だけでいいから全ての床がエスカレーターみたいにならねえかな……でも、電気代がバカみたいにかかって授業料諸々が上がるか……自分1人で行けることはいけるが……ハァ。

「ヒッキー」

「……由比ヶ浜」

「手伝うよ。ゆきのんから聞いてるよ。手伝ってあげてって。えっと肩でいいのかな?」

「……あぁ」

 由比ヶ浜に肩を持ってもらい、右足の時に彼女に体ごと持ち上げてもらい、左足では自分で階段を上っていき、5分ほどかけてようやく階段を上り切った。

「悪いな、手間かけさせて」

「こんなの手間じゃないよ。また困ったときは頼ってね、ヒッキー」

 そう言い、由比ヶ浜は教室へと一足先に向かっていった。

「おはよう、八幡」

「あ、あぁおはよ。戸塚」

「どうしたの? なんだかいつもよりも暗いけど」

「……いいや、大丈夫だ」

 そう言い、俺も教室へと向かって歩き始めた。

「今日のテスト、点数楽しみだね。あと職業体験も」

「そうだな」

「八幡はテストどうだった? 僕、数学の最後の問題が時間が足りなくって」

 戸塚とそんな他愛ない会話をしながら教室へ入ると後ろ後方をリア充チームが占拠し、自らの会話スペースとして使用していた。

 マジで磁石みたいな特性でないかな。ボッチとリア充が近づくとリア充が吹き飛ぶ、みたいな。

 お喋りに夢中なリア充共の合間を縫うように通っていき、自分の座席へ座り、机に突っ伏そうとするが前の開いている席に戸塚が座った。

「八幡。今日の職業体験だけど一緒に回る?」

「いや、個人の好きなように回ろうぜ。どうせ班員腐るくらいにいるし」

 葉山の依頼が一旦の解決を見せた後、俺と葉山と戸塚で3人グループを作ったんだがその噂をどこかで耳にしたらしい女王・三浦が葉山の班に緊急参戦したかと思えば次々に女子が参戦し、クラスの4分の1ほどの大所帯なグループになってしまった。

 思ったね。葉山は大名で三浦が大奥だって。

 そんなことを考えているとチャイムが鳴り響き、分厚い封筒をいくつも持った担任が入ってきた。

 何故か盛り上がる席替えと同じようにテスト返却も何故か盛り上がる。それはうちのクラスも例外ではない。

 先生が答案を返却していくたびに叫びや歓声が上がる。

 ちなみに俺はひとまとまりにされて一番最初に返された。

 ……流石に全教科満点は難しいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てのテストが返却された後、俺達は海浜幕張駅へと向かう。

 この辺りは結構なオフィス街でもあるので多種多様な企業が集まっている。なのでここへ来る奴らも多いが俺たちが向う電子機器メーカーは俺達だけ……といってもここに来るやつらが全員、葉山の班員となってしまったので結局は葉山を中心としたプチ遠足になっている。

 ちなみに俺は列の最後尾につけている。何故かって? HAHA★。実に面白い! 解説しよう。これは良く4人組で起こることだが最初は横一列で並んでいたのに歩いていくと1人だけ後ろに行くことがあるだろう。

 あれを俺は悲しみのワンスポットと呼んでいる。それを拡大したVerがこれだ。

 そんなことを思っていると電子機器メーカーに到着し、係りの人ごとに班が分けられ、順番に係りの人に先導され、職場内を見学していく。

 俺は集団とは距離を空けながら見学する。

 ……由比ヶ浜結衣は優しい。故に目の前で困っていれば何もできなくても見て見ぬふりはできないだろう……もしもそれが俺に適用されているとしたら? もしも彼女が自分の責任だと思い、ボッチである俺を悲しんで仲良くしているのであったとすれば? 恐らくそれはNOだろう……だが偏屈で卑屈な俺はそう思ってしまう。

「お、比企谷。ここに来ていたのか」

「平塚先生……見回りご苦労様です」

「うむ。にしても日本の技術は凄いな」

「何で法律さえなければ全自動の車も作れるらしいですし、スマホの次は腕時計、次は眼鏡といった感じで今、技術が進化しているらしいですよ」

「詳しいな」

「妹が機械オタクで」

 毎度毎度、新発売された機械を熱く語られるのは少し困るがな。

「そうか……いつかガンダム出来ないかな」

「少年よ。大志を抱け」

「クラーク先生! って私をからかっているのか」

「すんません」

「ふぅ。とりあえず私は戻る。あ、思い出したが前に言った勝負のことだが一部仕様を変更しようと思う。変更は負って連絡する。ではな」

 そう言い、先生はコツコツと足音を立てながら去っていった。

 ……まだその設定合ったんだ。てっきり無くなってるかと。

「…………帰るか」

 平塚先生と長いこと話していたせいかすでに集団は消えており、俺だけになっていた。

 杖を鳴らしながら入り口まで戻ると入り口付近で由比ヶ浜が壁にもたれ掛って携帯をポチポチ触っていた。

「あ、ヒッキー遅い! 皆行っちゃったよ?」

「……由比ヶ浜。話がある」

「へ? は、話し?」

「…………小町から聞いたんだけどお前……あの犬の飼い主だったんだな」

「……うん」

 由比ヶ浜は遠慮気味にそう言った。

「……お前は優しいな」

「へ!? な、何言ってんの!? そ、そんなこと急に言われたら恥ずかしいよ」

 由比ヶ浜は顔をほんのりと赤くさせ、恥ずかしさを隠そうと手をブンブン振る。

「だから……俺のことは気にしなくていいぞ」

「え?」

「お前のせいで俺は足を無くしたんじゃない。俺の意思で車に突っ込んだんだ。加害者意識があるんだったらそれはもう良い。どの道、お互いの責任はどっちもどっちだ。車に突っ込んだ方も犬を放した方も」

「…………」

「……わざわざ被害者の俺にお前が優しくしないで良いぞ」

「…………」

 由比ヶ浜は何も言わず、去っていった。

 ……人のやさしさに裏がある。評価のため、名声のため……たとえそうでないと頭で考えても心の中ではどうしても相手を勘ぐってしまう。小町は良いんだ……家族だから。でも……他人に対しては俺のこの足はコンプレックスの塊でしかないんだ。この足は……俺にとっての…………癌だ。

 これまでもこれからも……ずっと俺はこのコンプレックス故に……いや、この性格ゆえに人を信じれず、勘ぐる毎日を送るのだろう……例えそれで誰かが傷ついているのを見て胸が痛んだとしてもだ。



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第13話  こうして俺は選択を間違える

 数日後の放課後、奉仕部の部室には俺と雪ノ下の二人しかいなかった。

 あれ以来、由比ヶ浜は三浦たちリア充グループとも遊んでいないらしく、ただただ1人で学校に来て授業を受けて家に帰っているらしい。

 これでいい……これでいいはずなんだが俺の中にはモヤモヤが残っている。

 確かに由比ヶ浜が手綱を離したせいで犬が車道に出てしまった。

 でも、そこからの行動は俺の意思でやったことだ。

 だから由比ヶ浜の責任じゃない……だから俺は由比ヶ浜を突き放した……これで由比ヶ浜は加害者意識から解き放たれて元のリア充グループに戻れる……はずだったんだ。

「……なあ、雪ノ下」

「何かしら」

「……今日は帰るわ」

 そう言うと雪ノ下は一瞬、口元をピクッと動かしたが何も行動に移すことはなかった。

「……分かったわ」

 雪ノ下のその言葉を聞き、俺は鞄を持って部室から出た。

 特別棟をゆっくり歩きながら俺は考えていた。

 何が正解で、何が間違っているのか…………俺がしたことは本当に由比ヶ浜にとって、そして俺にとって最良の選択であったと言えるのか。

「お兄ちゃん」

「っっ。小町」

 校門を通り過ぎようとした時、声をかけられ、横を向くと自転車に乗った小町がいた。

「なんでお前」

「ん~。今日は早く行った方がいいかなって思って」

「……今日は歩いて帰ろう」

 そう言うと小町は自転車から降りて俺の隣につけ、ゆっくりと歩き始めた。

 俺たちの間に会話はなく、車が通り過ぎる音だけが大きく聞こえる。

「……何かあった?」

「…………まあ……な」

「……ちょっと公園寄って帰ろ」

 そう言われ、進路を公園に変更し、歩くこと5分ほどで近くの公園に到着し、俺が近くのベンチに座ると小町は自転車を留め、俺の隣に腰を下ろした。

 座ってもさっきと同じで2人の間に会話はない。

「……結衣さんと何かあった?」

 兄妹とは不思議なもので時々、悩んでいる核心のことを言い当てる時がある。

「……なあ、小町」

 俺は話し始めた。

 由比ヶ浜に加害者意識を持っているならそれは必要ないと言ったこと……俺がやったことは本当に最良の選択だったのかということ……それを話し終えた時、何故か1時間も2時間も喋っていたような気がした。

「……そっか……お兄ちゃん的にはそれで結衣さんが元に戻るって思ったんだよね」

「……あぁ」

「……多分……なんだけど。由比ヶ浜さんはそんな気持ちでお兄ちゃんと接してたんじゃないと思うな」

「…………」

「お兄ちゃんが車に轢かれたのは由比ヶ浜さんの犬が始まりだったかもしれない……もし、由比ヶ浜さんが本当に自分のせいだって思ってたら……多分、お兄ちゃんの隣にはいないよ。あ、でも責任がないって言ってるわけじゃないよ? 責任は抱いてると思う……けど、自分が加害者だから被害者のお兄ちゃんに話しかけなきゃいけないって思って接してたんじゃないと思うよ……本当に由比ヶ浜さんはお兄ちゃんと友達になりたいから接してたんだと小町は思うよ」

「……帰ろうか。小町」

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、いつものように奉仕部に集まるが由比ヶ浜の姿はない。

 いつも以上に静かな奉仕部の部室には外のクラブの叫び声が入ってくるほど静かだ。

「……少し聞いてもいいかしら」

「どうぞ」

「……由比ヶ浜さんと何かあったの?」

「…………」

 雪ノ下の質問に何も答えないでいると雪ノ下は文庫本に栞を挟み、そっと近くの机に置くと椅子を俺の方向に向けて座り直し、俺の方を見てきた。

「……私は由比ヶ浜さんが、貴方がいたこの2ケ月は悪くない……どちらかといえば楽しかったと思っているわ……だからこそ貴方たちの間に起きたことを私は心配している」

「……珍しいな。お前から話を持ち掛けるなんて」

 ついこの前はこの状況とは全く逆の状況だったのにな。

 雪ノ下は嘘はつかない……楽しいという言葉に嘘はないだろう。

「でも、お前には分からないさ……俺たちの間にあるものは」

 雪ノ下雪乃はあの事故の現場にはいない。だから俺たちの間にある黒いものを理解することは不可能だろう。

 事故の被害者の気持ちを第三者に予想しろと言っているようなものだ。

「失礼する」

「先生、ノックをとあれほど」

 いつまでたってもノックをしない平塚先生に雪ノ下は不満を漏らすが先生はどこ吹く風、椅子を俺たちの間に置き、そこに座って足を組んだ。

「雪ノ下。今日は帰っていいぞ」

「……分かりました」

 平塚先生の一言に雪ノ下は何かを感じたのかそそくさと帰る支度をし、チラッと俺の方を見てから奉仕部の部室から去っていった。

「……由比ヶ浜と君は加害者と被害者に近い関係にあったのだな」

「……」

「由比ヶ浜と話をしたのだよ。ここのところ様子がおかしかったのでね」

 無言の抗議をしていると先生はそう言った。

「……少しの間、君たち2人を部活参加停止にしようと思う」

 それが賢明な判断だろう。ただでさえ拗れてしまっている関係のまま部活をしてしまえば最終的に奉仕部そのものが壊れてしまう可能性だってある。

「私たちはお前たちの関係に手を出すことはできない……ただ……1つだけ言っておきたい」

「なんすか」

「君のことを大切に思っている人もいるという事を忘れないでくれ」

 そう言うと先生は椅子から立ち上がり、部室から去っていった。

 1人、残された奉仕部の部室は外の部活が終わったことにより、無音の世界となり、時計の針が進む音すらも今の俺には聞こえない。

 俺は頭を抱え、その場で蹲った。

「…………どうすればいいんだ」

『自分が加害者だから被害者のお兄ちゃんに話しかけなきゃいけないって思って接してたんじゃないと思うよ』

 その時、昨日、公園で小町に言われたことが不意に脳裏をよぎった。

 …………。

 俺はスマホの連絡帳を開き、目的の人物に数行程度のメールを送り、奉仕部の部室から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土曜日、俺は学校がないにもかかわらず制服を着て奉仕部の部室にいつもの位置に座っていた。

 別に学校が好きすぎるんじゃない……目的があるから来ているだけだ。

 その時、控えめ気味に部室の扉が開かれ、そっちの方を見ると気まずそうな表情をして俺を見ている由比ヶ浜がいた。

「…………悪いな。土曜日に呼び出したりして」

「ううん……何もないから」

 由比ヶ浜が座り、ようやく話が始まるかと思えばそうでもなかった。

 今までに感じたことがないくらいの気まずさとこの前から継続されている俺たちの間の蟠りが俺たちの喋るという機能を封じているような気さえする。

「………ゆ、由比ヶ浜」

 沈黙を破るために俺が彼女の名前を呼ぶと彼女は両肩を大きくビクつかせた。

「な、なに?」

「…………な、なんでお前は俺に……その……接してくれるんだ……加害者だからってことで被害者の俺に」

「違うよ」

 俺の意見は由比ヶ浜に一瞬にして切り捨てられた。

「事故に合わせてしまったって責任は感じてる……けど私が加害者だからってことでヒッ……比企谷君に接してたわけじゃないよ。私、上の名前は知っていたけど下の名前と顔は知らなかったんだ……同じ学校にいるってことは知ってたけど2年生になった時に比企谷君と始業式で話したときは知らなかったの」

「……いつ俺だって」

「優美子とギクシャクしてた時に小町ちゃんに会ったときに」

 俺の家に謝罪に来た時はまだ眠っていたし、対応したのは小町だったからな……小町と兄妹の関係の俺っていう事を知れば自然と事故の相手だってわかるか。

「……あの時、比企谷君に言われた時、やっと怒られたんだって思った。人に障害負わせたくせに誰からも怒られなかった分が今やっと来たんだって……障害負わせた私が誰かと仲良くする資格なんかないんだってやっと気づいた……本当だったら私が慰謝料払って何から何までしなきゃいけなかったのに」

 由比ヶ浜は溢れ出てくる涙を抑えることをせずにそのまま垂れ流しながら心に収めていた気持ちを言葉として吐き出していく。

「相手の車を運転していた人にだけ擦り付けておいて直接の原因の私がヘラヘラ笑って生きてちゃダメだよね……私は誰かと仲良くする資格なんかないもんね」

「……由比ヶ浜。俺は」

「大丈夫だよ。私、もう比企谷君に迷惑をかけるようなことしないから」

「ち、違」

「ごめんなさい……今まで比企谷君を苦しめるようなことして……」

 そう言い、由比ヶ浜は部室の扉を開けて走り去っていく。

「由比ヶ」

 思わず杖も持たずに立ち上がって彼女の手を掴もうとした時、右足に力が入らず、そのまま右半身から床に倒れこむようにしてこけ、それと同時に部室の扉が閉まった。

 違う……俺は由比ヶ浜に言わなきゃいけないことが。

 慌てて杖を握り、なんとか立ち上がって部室から飛び出し、校舎の外に出て由比ヶ浜の姿を探すがもうどこにも彼女の姿は見当たらない。

「……なんで……なんでこうなるんだよ」

 俺の声に反応してくれる人は誰も……いない。



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第14話  こうして俺は関係を整理する

すみません。この話だけは短いですし自信がありません


 土曜日、それは学生達にとって最強の休みである。

 なんせ次の日も休みという安心感あるがゆえに何も気にせずに遊ぶことができ、夜遅くまで起きてゲームやネットをすることだって可能なのだ。

 起き抜けの頭で朝刊を読んでいく。どうせ両親はお昼ごろまでまるで死人のように静かに眠るだろうし、小町も土曜日の今日は友達とどこかへ遊びに行くだろう。

 ゆえに俺は1人……と言えるような精神状況じゃなかった。

 あれから1週間、由比ヶ浜は学校には来ているんだが終わればまるで逃げるかのように教室から出ていくために話しかけることなんてできない。

 読んでいる新聞の内容など全く入ってこない。

「…………最悪だ」

 拗れすぎている……もう、俺一人ではどうしようもないくらいに。

 ……どうすればいいんだ。

「お兄ちゃん! 平塚先生って人から電話!」

「え、あ、あぁ。はい八幡です」

『比企谷か。私だ』

「どうも……どうかしたんですか?」

『まあ、その……由比ヶ浜についてのことでお前に話しておこうと思ってな』

 その名前が出された瞬間、俺は子機を落としかけた。

「……それで」

『さっき、由比ヶ浜のお母さんから電話があってな。酷い目の風邪を引いたらしくてな。今はだいぶ収まったようだが様子を見ると言う事で今週は学校にはいけないかもしれないと言う事らしい』

 その風邪を引いた理由は確実に俺だろう。

 由比ヶ浜が何を考えているのかは知らないがこの前のことが彼女に精神的なダメージを与えているのは確実なことであり、疑いようのないことだ。

「そう……ですか」

『……今、学校に来れるか』

「ええ。まあ」

『よし。じゃあ1時間後に学校の校門に来てくれ』

 そう言い、通話は切れた。

 それから約束の時間の30分ほど前まで時間を潰し、約束の時間の20分前に自宅を出てトボトボと学校に向かってゆっくりと歩き始めた。

 何でいつも俺は選択を誤って最悪の結末のゴールテープを切ってしまうんだろうな……生まれた瞬間からそう言う人間と設定されたのかもな。

「お、来たな」

 20分ほどかけてようやく学校の校門前に到着した。

「で、どんな用で」

「うむ。実は今週だそうと思っていた宿題を由比ヶ浜に渡してほしいのだ」

「…………」

「勿論、家までは私が送り届ける……やってくれるか?」

 ……おそらくこれが最後のチャンスだ……由比ヶ浜との関係を修復、もしくは一区切りさせることのできるタイミングはもう今しかない。

 俺は何も言わずに先生から封筒1枚を受け取り、あらかじめ用意されていた自転車に近づいた。

 荷台に体を横にして座ると先生がペダルを漕ぎ、ゆっくりと自転車が進み始めた。

 由比ヶ浜の家に向かうまでの間、俺達の間に会話は一切なく、ただ静かに由比ヶ浜の家に向かって一定の速度で向かっていく。

 …………やはり俺の人生そのものが間違っている……人に迷惑かけるだけかけておいて自分だけが不幸な奴と思い込んでいる節がある……俺はそんな俺が嫌いだ。

 だからこうやって……傷つけてはいけないものを傷つけてしまう。最悪なレベルにまでこじらせてしまう。

「着いたぞ」

 そう言われ、顔を上げた。

 …………これが最後のチャンス。

 俺は生唾を飲み、インターホンをゆっくりと押す。

 誰かが出ることはなかったがその代わり、ドアが開かれた。

「は~い。げほっ! どちら……」

 一番最初の一番大事なところでマスクをした件の人物、由比ヶ浜結衣と出会った。

 2人して言葉を失い、見合う事数秒、一番最初に目を逸らしたのは俺ではなく、由比ヶ浜だった。

 ……違うんだ。由比ヶ浜……お前が目を逸らす必要はないんだ。

「…………ゆ、由比ヶ浜……こ、これ」

「あ、うん……ありがと」

 傍から見れば後ろ指を指されるほどにおかしな会話。

 そして自分でも嫌になるくらいの臆病さ。

「え、えっとその……えっと…………か、体……だ、大丈夫か?」

「う、うん……昨日に比べれば……よ、よかったら入る?」

 思わず後ろにいる平塚先生の方をチラッと見たがその姿はどこにもなかった。

 ……あ、あれぇ?

「…………お、お邪魔します」

 こうして予想外のお宅訪問が始まってしまった。

 由比ヶ浜に居間に案内され、テーブルの椅子に座るが誰もいないらしく、とても静かだった。

 …………何で俺ここにいるんだっけ……いかんいかん。意識をしっかり保て!

 向かい側に座っている由比ヶ浜もまるで他人の家に遊びに来たかのように顔を俯かせ、妙に肩肘張った緊張感をにじませている。

「「…………」」

 普段なら何とも思わない静寂が今はまるで遅効性の毒のように俺の精神を蝕んでいく。

「ゆ、由比ヶ浜」

「な、なに?」

 言うんだ……言わなければ俺はただのボッチからくそボッチになってしまう。

 友達がいないから……言葉を知らない。言葉を知らないから関係構築が出来ない。

 今までそう思っていた……今こそ、それを否定しよう。たとえ友達がいなくても、言葉を知らなくても、関係構築が出来ないとしても……誰かと仲直りをすることは可能だと。

「あの事故で俺は足を失った……でも、それは自分の意思でやった結果だ……例えそうだとしても由比ヶ浜。お前は優しいから責任を感じてるんだろうけど…………もう、そういうのはいったん消さないか」

「…………」

「俺の姿を見るたびに心が痛む……それは長い時間をかけたとしても消せないかもしれないけど……俺たちの間にある責任とか加害者とか被害者とかそう言うの全部ひっくるめて……消さないか」

「……でも私のせいで」

「…………今まで足を失ってから1年とちょっと。正直言って奉仕部に入る以前は自分でも最悪だと思う……でも、奉仕部に入ってお前と出会ってからの2ケ月ちょっと……。由比ヶ浜と一緒にクッキー作ったり、テニスの練習したり、チェーンメールのこと一緒に考えたりしてた時間は…………」

 最後の言葉が出ない。頭の中ではその文字が浮かび上がっているのに口に出せない。

 …………俺はもうくそボッチじゃない。

「楽しかった」

「っっ!」

「由比ヶ浜……いったん全部消して……また俺と……な、仲良くしてくれないか」

 そう言いながら俺は手をさしのばした。

「いいの? 私、比企谷君と……仲良くして」

「俺が言うんだ……いいんだよ」

 そう言うと由比ヶ浜は涙をポロポロ流しながら俺がさしのばした手を軽く握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ」

「うん……また奉仕部で」

 由比ヶ浜が扉を閉め、鍵をかけたのを確認してから振り返るといつの間にか自転車と平塚先生の姿がそこにあった。

「どうやら出来たようだな」

 ……完全修復とは言えない……でも、少なくとももうあんなことにはならないくらいには関係に整理をつけることが出来たはずだ。

「迷惑かけてすみませんした」

「気にするな……生徒は教師に迷惑をかけて成長するんだ。さ、帰るぞ」

「うっす」




もし、おかしなところがあれば教えてください


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第15話  こうして妹は動物と戯れる

 由比ヶ浜との関係に整理をつけられた俺だったがまだ先生から部活参加不可能の状態は解除されておらず、この一週間は非常に時間が経つのが遅く感じる一週間だった。

 そして土曜日。

 俺は居間で今朝の朝刊を読んでいると1つの小さな広告が目に入った。

 ……言った方がいいか。

「小町」

「ん~?」

「東京ワン」

「東京ワンニャンショーが今年もやってくるの!? やったー! 早速お兄ちゃん行こう!」

 俺が言葉を言い切る前に小町ははしゃぎまくり、自分の部屋に戻っていった。

 ……あいつ、まさか俺が起きる前に朝刊を読んでこれがあることを事前にサーチしていたな……そして俺が言いだしたところへ敢えて知らないふりをして俺と一緒に行く……腹黒い奴め。

 そんなことを思っているとドタドタという騒がしい音が聞こえ、今に完全武装した小町が現れた。

「さ、行きましょう!」

「……うるさい。くたばれ、兄弟ども」

「「すみません」」

 母親がまるでゾンビの様に這いつくばって寝室から顔を覗かせ、騒いでいる俺たちに低い声で注意してきた。

 いや、騒いでいたのは小町さんだけなんですがね……父親も母親も小町にだけは超甘い。俺だけ昼飯のお金は500円が上限なのに小町はその倍の1000円渡される。これは格差だろう。

「2人でどこ行くか知らないけど車には気を付けるんだよ。信号は守る。斜め横断はしない。蒸し暑いせいで車の方もイライラしてるからね」

 俺が事故に遭って以来、両親は俺たちにやけに交通ルールを守るように強く言うようになった。

 まあ、息子が事故に遭って障害を抱えたって言ったら小町を心配するのも分かるし、交通ルールを強く言いつけるようになるのも分かる。

「あ、電車乗るから交通費ちょうだい」

「いくら」

「え~っと」

「往復300円。ちなみに昼飯は1000円な」

「あいあい。600円と1500円ね。じゃ、お休み」

 母親は小町にお金を渡すとふたたび寝室という名のエデンへと帰っていくが俺として小町に渡された金額がどうしても納得いかない。

 交通費に関しては良い……何故、俺だけ要望した費用の半額しかないのだ。500円ってあの餃子が有名な中華料理店でもラーメン一つくらいしか食えねえじゃん!

「じゃ、お兄ちゃん行こうか。今日、杖どうする?」

「人だらけだしな……今日は携帯用を持って行って小町杖を使うか」

 普段使っている杖とは別にもう1つ、折り畳みが可能な携帯用の杖を俺は持っている。主に人でかなり混む場所などで使うんだが1つ弱点があり、強度が弱いと言う事だ。

 折り畳みとなるとどうしても関節部分ができ、そこに力が加わると折れてしまう。

 だが込み入った場所で杖を持ったままにしておくとそれもまた周りの迷惑になる。そこで編み出したのが小町杖だ。小町の肩をずっと持つことで杖代わりにする。

 小町なら俺の歩くスピードも理解しているからコケることもない。

「じゃ、出発!」

「おぉ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京わんにゃんショーの会場である幕張メッセまではバスで15分ほど。

 目的の停留所で降りると既に会場近くには大勢の人で込み入っており、ペットを連れた人やカップル、中には親子の姿もちらほら見える。

 うちの飼い猫・カマクラもこのわんにゃんショーで小町が一目見て気に入り、お金の為だけに親父を携帯で召喚して買ったのだ。

 あの時の父さんの金を運ぶためだけに存在する人型ロボット感は見ていた哀しかった。

 ま、小町にメロメロな人だからうれしそうにしてたけど。

 このわんにゃんショーは犬や猫の展示即売会であり、それと同時にめずらしい動物たちの展示、および触れ合いができると言う事を前面に出した行事であり、結構有名だ。

 ペンギン、ハムスター、犬、猫、リス。それはもう女子が喜びそうな可愛い動物が大集合なのだ。

「ペンギンさんだ! 可愛い!」

 よちよち歩くさまは確かに可愛い……だ、駄目だ! ペンギンを見た瞬間、あのgif画像を思い出して笑ってしまう!

「次はあっちいこ!」

「鳥か」

 オウムやインコなどの鳥類が集められたゾーンに入ると近くを鷹が凄い勢いで通り過ぎていったかと思えば餌をもって厚手の手袋のようなものをしている係りの人の腕に止まった。

 鷹がが飛ぶさまって優雅だよな。あの鋭い眼光にとらえられたら逃げるのは至難の業……俺、鷹の餌になりえる動物に生まれなくてよかった。一発で食われる自信がある。ん? 逆にボッチの性質を生かしてステルスモードを駆使して生き残るかもしれん……俺って動物になってもボッチなのか。

「小町。杖使うから触って来いよ」

「え、でも」

「気にするな。俺はステルスボッチだから人にも当たられらない」

「それはそれで……良いの?」

 そう言う小町の頭を優しく撫でると笑みを浮かべ、動物たちの中へと走っていく。

 俺のせいで小町の楽しみを潰すわけにもいかんし……さて、じゃあ俺は壁際……ん?

 近くの壁際へ寄ろうとした時、ふと異彩を放っている黒髪の少女が目に留まり、なんとなく目を凝らしてみるといつもとは違い、紙を二つに結っているがあの冷たく、誰も寄せ付けようとしない空気……間違いない。

「雪ノ下」

 我らが奉仕部の頂点に立つ雪ノ下様がおられた。

 見かけに見合わず女の子らしさは健在か……これって失言じゃね? ていうかあいつが進んでる方向ってもう壁しかないよな。

 雪ノ下はホール番号を確認し、地図へ視線を落とすがどうやら見当違いだったのかすぐにパンフレットを閉じ、短く息を吐くとそのまま壁へと直進していく。

「そっちにゃ壁しかねえぞ」

「……あら、てっきりナンパ男だと思ったわ」

「俺にそんなことが出来たら今頃春だ」

「万年氷河期じゃないの?」

 うっ。痛いところを突かれてしまいましたな……あぁ、そうとも! 俺の草原は万年氷河期さ!

「で、壁に向かってなんであるいてんの」

「迷ったのよ」

 迷うってここブースごとに区切られているから場内一周したら目的の場所には着くだろ。それに目印も動物たちでできるから……あぁ、猫に会いたいのか。

 チラッとパンフレットを見てみると猫の所に大きく丸が書かれている。

「ところであなたは1人?」

「まさか。妹と一緒に来てんだよ。あいつこの行事が好きでさ。足をやった年以外は全部来てる」

「…………」

「おい、どうした?」

 雪ノ下は何故か申し訳なさそうな表情を浮かべながらスカートの裾をギュッと握っている。

「猫、会いたいんじゃねえの」

「え、ええ。会いたいけど……本来の目的は違うから」

「本来の目的?」

「ええ。ちょうどよかったわ。貴方にも付き合ってほしいの」

 とりあえず俺は小町に連絡し、数時間後に出口で集合とだけ言っておき、雪ノ下が進む方向へついていくが何故か途中で立ち止まった。

「お~い、雪ノ下?」

 後ろから覗いてみると彼女の周りには大量の子犬が集まっていた。

 あぁ、ここ犬ゾーンか……こいつの表情から察するに犬が嫌いだな? いつもの涼しい顔が今に限っては絶体絶命みたいな顔をしている……ぐふふふ。良い情報を手に入れた。これを使えば……って言っても犬飼ってないからどうしようもないんだけど。

「お前、犬嫌いなの」

「……ダメかしら?」

「別に。可愛げのある弱点だろ」

 そう言いながらなるべく傷をつけないように杖で犬を誘導させ、雪ノ下から子犬を離し、歩き出すが肝心の雪ノ下が隣に見えず、振り返ると何故か頬をほんのり赤くして狼狽えていた。

「……お~い。雪ノ下さん?」

「っっ。さあ、行きましょうか」

 俺の声に我に返った雪ノ下はいつものごとく涼しい顔をしつつ、犬たちを牽制しながら歩いていくが彼女のしいとは裏腹に子犬たちは寄っていく。

 ……何で犬に好かれるんだろうか。

 試しに俺もやってみよう。

「わん」

「ガルルルルルルル!」

 ……きゃんきゃん……きゃーん! (悲しいな……あぁ悲しいな!)

 




中々二次創作も難しいですね……お気に入り登録数は増えているんですがやはり14話前後の話は不評ぽかったです。それでは


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第16話  雪ノ下雪乃は俺に何か抱いている。

 東京わんにゃんショーの会場である幕張メッセから少し歩いたところに施設複合型のショッピングモールが存在する。そこは以前まではレジャー施設だったんだが売り上げが悪いと言う事で施設複合型のショッピングモールに改造してみればあら不思議。千葉で一番売上が良いショッピングモールへと変貌した。

 そのショッピングモール内に入り、俺達は案内板の前で唸っていた。

「どこへ行けばいいのかしら」

「調べてなかったのかよ。ていうか何を買いに来たんだ」

「由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントよ」

「……なんでまた」

「……彼女がいた2ヶ月間。私は悪くないと思っているの……だから今までのお礼を兼ねて由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを渡そうと思ってきたの」

 こいつが他人と一緒にいて楽しいと思う事はそうそうないことだろう。雪ノ下雪乃は国際教養科の中でも異色を放つ孤高の存在だ。決して誰かと群れず、1人で歩いていく強さがある。

 だから本当に悪くないと言えば悪くないのだろう……対して俺は? 答えは……Yesだ。

 あいつといた時間は正直、楽しかった。

「…………とりあえず見て回るか」

「そうね」

 歩きはじめ、周りにある店を見ながら由比ヶ浜のプレゼントに合うものを探していくがやはりそこは一般人とは価値観が離れている女子高生とボッチの俺。そうそう見つからない。

「で、何を買うんだよ。プレゼントつってもいろいろあるだろ」

「そうね……服は一度考えたけれど彼女の好みが分からない以上、迂闊に服は渡せないわ」

「となるとアクセサリーとかか?」

「……私が分かるとでも?」

「これは失敬……」

 由比ヶ浜に合うプレゼントはない物かと考えながら歩いていると不意に由比ヶ浜が最近、お菓子作りを始めたと言う事を思い出した。

 ……エプロンとかでいいかもな。

「なあ、雪ノ下……ってあれ?」

 横を向くが彼女の姿が見当たらず、周囲を見渡してみるとゲームコーナーに置かれているUFOキャッチャーの方をジーッと見ていた。

 ばれない様に近づき、彼女が見ている方向を見てみると凶悪な目と鋭い爪、そして口から鋭い牙をはやした物々しいぬいぐるみ・パンダのパンさんが置かれていた。

 東京ディスティニーランドの人気マスコットキャラがパンダのパンさん。その凶悪な姿は最初、酷評を買っていたのだが何故か人気が爆発し、千葉県民ならおなじみという地位まで上り詰めた。

「お前、欲しいの?」

「っっ。な、何を言っているのかしら。行きましょう」

 雪ノ下が先に歩きはじめ、少し距離が離れた所で俺はすばやく100円玉を入れ、アームを操作してパンダのパンさんをガシッと掴ませるとアームが自動的に商品出口に落とされた。

 小さい頃、小町に散々お願いされた結果、今では商品の位置さえわかればとれるくらいにまでなってしまった……ま、この地位に至るまでに一体いくつもの百円玉が飛んだか。それと同時に妹の策略に気づいたときは流石に殺意が湧いたな。

「遅かった……」

 商品を持ち、雪ノ下に合流すると不満げな言葉を漏らしながらこちらを振り向いた瞬間、言葉が詰まり、凄まじいくらいの欲しい欲しいオーラを発しながら俺の手を見てくる。

「そ、そう……とりあえず一旦、休みましょうか」

 近くに設置されているベンチに座るがさっきから隣の人の視線が凄い。

「……欲しいの?」

「っっ。いいえ」

 そう言い、プイッと他の方向を向くがチラチラっとこちらを見てくる。

 ……そろそろ苛めるのは止めるか……にしても……不覚にも可愛いと思ってしまった。

「やるよ」

「……じ、自分の糧は自分で」

「あっそ」

「あ」

「……素直じゃねえな。やるよ、俺あまり好きじゃないし」

 そう言い、彼女に無理やり君に渡すとフニフニと触り心地を確かめた後、思いっきりギュッと抱きしめた。

 っっっ! い、今俺の隣にいるのは本当にあの雪ノ下雪乃なのか!? 別人じゃないのか!? あのピンク色のスライムが変身したんじゃないのか!? ちなみに18禁二次創作で超エロい作品がある。俺は好きだ。

「……」

 ようやく自分の世界から帰ってきた雪ノ下はいつもの通り、涼しい顔をするがぬいぐるみを抱きかかえている様を見るとそのギャップが凄まじい(良い意味で)。

「なあ、由比ヶ浜のプレゼントエプロンでいいんじゃないのか?」

「どうして?」

「あいつ、お菓子作り始めたって言ってたろ……だからエプロンでいいんじゃないのか? 後は適当に安い小物とかを付ければ十分だと思うけど」

「そうね……それ以外に思いつかないからそれで行きましょうか。立てる?」

「お、おう」

 ……なんか今日の雪ノ下、いつもよりも優しく感じるのは気のせいか? 階段とかじゃなくて立ち上がる時に言われたのは初めてな気がする。

 雪ノ下に少し違和感を抱きながらも近くの店に入り、彼女の後ろをついていきながら店内を散策するがどうもさっきからチラチラ見られている感じがし、チラッと後ろを振り返るといつの間にか店員が1人、俺の後ろをごく自然を装いながらついてくる。

「比企谷君。これ、どうかしら」

 そう言われ、前を向くと黒いエプロンを着た雪ノ下が立っていた。

「良いんじゃねえの? 似合ってると思う」

「私に対してじゃなくて由比ヶ浜さんに対してなのだけれど」

 そう言えばそうでした。

「……由比ヶ浜って黒とかじゃなくてもっとホワホワ系じゃないか? フリフリとかある奴。あいつの雰囲気的にもそんな感じだろ」

「的確過ぎて何も言えないわね」

 逆を言えばどっちつかずって事だからな。だが少なくとも由比ヶ浜が落ち着いた色の服を着ている様子は俺は思い浮かべることができない。

 どちらかというとさっき言ったみたいにふわふわした奴を着ている気がする。

「じゃあ、これかしら」

 雪ノ下が手に持って見せてきたのはピンク色を基調としてポケットが両サイドに1つずつ、前に四次元ポケットのような大きなポケットが一つ付いたもの。

「それでいいんじゃねえの? 俺、あそこで待ってるから」

 杖を突きながら店を出て外にある大きな円形のふわふわソファに座り、杖をソファに立てかけた。

 今日はかなり歩いたな……明日・明後日は右ひざを休めるためにも余分な外出は控えるか……ここのところは関節痛も出ないし、良好だな……足以外は微妙だが。

「すっごーい!」

 後ろから甲高い声が聞こえ、振り返ると3、4歳程度の男の子が円形のソファを駆け巡っており、近くにいる母親らしき女性は注意もせずに眺めている。

 いや、子供は興奮するものだろうから声に関しては言わねえけど公園と同じように走らせちゃいかんでしょ。そのうち足踏み外して怪我するぞ。

「とぅ!」

「……あっ!」

 男の子が特撮ヒーローの様にソファからジャンプした直後、何かが折れたような嫌な音が聞こえ、慌てて杖を置いてあった傍へ視線を向けると折り曲げる関節の部分が綺麗に折れていた。

 ……さ、最悪だ。この杖高いんだぞ!

「か、勘弁してくれよ」

「う、うぅ」

「ん?」

「あぁぁぁぁん!」

 子供の苦悶に満ちた声が聞こえ、子供の方を向くと目から涙をあふれさせ、辺りに響くような甲高い声を上げて泣き叫び始めた。

「ちょっと! うちの子に何するのよ!」

 えぇぇ~。俺むしろ被害者の方なんですが。

「何もしてないんっすけど」

「何もしてなかったら泣かないでしょ!」

 子供泣き叫ぶ声と女性の怒鳴り声が周囲の人間を野次馬へと変身させ、周囲に集めてくる。

「大丈夫? ちょっと! 謝罪くらいしたらどうなの!?」

「別に俺、悪くないんですが」

 うぅ。やっぱり周囲の人間に見られながら誰かに怒鳴り散らされるのは嫌いだ……さっさと消えてくれよ。

「あんたがそんなとこに杖置いてるから悪いんでしょ!」

「い、いやだから」

「早く謝りなさいよ!」

 女性が叫んだ瞬間、過去の記憶がフラッシュバックし、手が震え、嫌な汗がドンドン出てくる。

「い、いやだから」

 女性の方をチラッと見てみるが怒り心頭と言った様子でどこかへ行くどころか俺が謝るまでこの場から動かない様子だ。

「……す、すみ」

「何か彼がしましたか?」

 謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、肩に手が乗せられると同時に後ろから声が聞こえ、振り返ると会計を済ませたのか両手に袋を持った雪ノ下がいた。

「こいつがうちの子を泣かせたのよ!」

「と、言ってるけど」

「い、いや俺は何も」

「嘘つかないで!」

 女性が叫ぶたびに体が反応し、ビクつく。

「でしたらお店の人に言って監視カメラを見せてもらいましょう」

「か、監視カメラ?」

「そこにちょうどあります。あの角度だとやり取りが収められているはずですので行きましょう」

 雪ノ下がカメラを指さしながらそう言うとさっきまでの勢いはどこへ消えたのか周りの雑音に負けるくらいの小さな声でブツブツ何かを言っている。

「どうかしましたか? あなたのお子さんに彼が何かをしたのであれば良い証拠になると思いますが」

「も、もういいわよ。いこ、怖い人たちだね」

 そう言いながら俺たちを睨み付け、女性が子供の手を引いて去っていくと周りの野次馬たちも徐々に消えていく。

「……悪い、雪ノ下」

「珍しいわね。いつもの貴方なら言い返すと思っていたのだけれど」

 雪ノ下は関節から折れた杖を回収し、俺に渡した。

 確かにいつもなら文句の1つだっていうさ……でもあれは一対一で、しかも同世代と話す時だけだ。さっきの状況みたいに大勢から見られている中で誰かに怒鳴り散らされた時にはもう文句の1つも言えない。

「予備の杖はもうないの?」

「あぁ。今日は小町がいたからな……悪いな、せっかく買い物に来たのに迷惑かけて」

「いいえ。もう買い物は終わっているのだし、迷惑なんて掛かっていないわ」

 そう言いながら雪ノ下は俺の横に荷物を置き、ソファに座った。

 俺はその間に小町にメールを送るがどうも今日の雪ノ下には違和感しか感じ得ない。

 どう表現したらいいのか今1つわからないが確かに言えることはいつもとは何かが違う。そんな抽象的なことしか言えない何かを雪ノ下に感じる。

 いや、まあパンダのパンさんのぬいぐるみを抱きかかえてなでなでしている様子もいつもとは違うんだけどそんな事じゃない何かなんだ。

「そんなに好きなのか、そのぬいぐるみ」

「パンダのパンさん……原作はハロー、ミスターパンダ。アメリカの生物学者―――――」

 そこから長い長い、世界的パンダのパンさん研究の権威・雪ノ下博士によるパンダのパンさんの説明が始まり、ぬいぐるみについて質問したことを激しく後悔した。

 掻い摘んで説明すればパンダのパンさんの原作を貰い、辞書を使って一つ一つの単語をパズルのようにあわせて読んでいくのがかなり楽しかったらしく、それ以来、大ファンになってしまったらしいとのこと。

「誕生日プレゼントだったのよ。だからいっそう愛着があるのかもしれないわ」

「なるほど……俺で言う特撮ヒーロー好きと同じと言う事か」

「それと一緒にしないでほしいわ」

「な、何を言う! お前、見たことがあるのか!?」

「ないわ」

「無いならぜひ見ろ。あれは素晴らしいぞ。最近はドンドン、ブルーレイ化されているから画質も綺麗になっているし、なおかつ話も良い。平成シリーズは大きなお友達も楽しめるような創意工夫が」

「あれ!? 雪乃ちゃん!?」

 俺の特撮ヒーロー講座を邪魔する声が聞こえ、慌てて振り返るが俺はそれをすぐさま後悔した。

 その女性は集団から抜けるとまっすぐこちらへと向かい、満面の笑みで俺たちに話しかけてくる。

「ね、姉さん」

 そう。話しかけてきた相手とは雪ノ下雪乃の実の姉である雪ノ下陽乃である。

 雪ノ下をソリッドな美しさとするならば姉である雪ノ下陽乃はリキッドな美しさである。

 その人懐っこい笑みを浮かべながらグイグイ他人のパーソナルエリアに入ってきては他人の見えないバリを破壊し、その美貌と会話術で相手の恐怖心や警戒心を根こそぎ奪う。

 何故、そんな人を知っているのかというと入院中に1度だけ俺のお見舞いという名の謝罪をしに来たときに1度見かけたのだ。

 その時はさすがにこんな状態ではなかったがあんな状態でも俺は嫌いだ。

「…………彼氏~? このこの! いつの間に作ったの~?」

「姉さん……彼は同級生よ」

「またまた~! 隅に置けないんだから~!」

 グリグリと肘で雪ノ下を攻撃していくが当の雪ノ下は鬱陶しそうな表情で見ている。

 ……チラッと見てくるくせに今日は妹がいるから話しかけてこない……そっちの方が俺的には良い。

「あ! パンダのパンさんじゃーん! 彼氏に取ってもらったの!?」

「だから彼は同級生だとさっき」

「そろそろ怒っちゃうかな~? だって雪乃ちゃんが誰かとお買い物なんて珍しいも~ん。でも羽目を外しすぎたらダメだよ? お母さんだってまだ1人暮らしのこと怒ってるんだから」

 その瞬間、雪ノ下の全てが凍り付いた……いや、強張ったと言っても良い。

 ……雪ノ下だって女の子だ。怖いものの1つや2つあるだろうが……これは異常じゃないか?

「……姉さんには関係ないことよ」

「そうだね~。雪乃ちゃんは頭が良いから考えてるってわかってるよ。んじゃ、またね。比企谷君!」

 そう言い、雪ノ下陽乃は嵐のように来て場をかき乱すだけかき乱し、元居た集団の中へと帰っていった。

「……私、姉さんに貴方の名前言ったかしら」

「……さあな」

 俺は嫌いだ……男子の理想という強化型パワースーツを身に纏い、こちらの心には平気でズカズカ入ってくるくせにこちらがあっちの心の中に入ろうとすればモビルスーツに乗り込み、圧倒的な火力で侵入者を追い払う……あんな強化外骨格を身に纏った人と交友を深めたら確実に傷を負う……理想は理を想と書いて理想だ。現実と比べれば一目瞭然、その違いが分かる。

「お前の姉さん、The・褒められ人だろ」

「……ええ。姉さんにあった人は例外なく褒め称えるわ」

「お前とは違うタイプで他人を寄せ付けない。女の人って怖いよな。男が気付かないレベルの仮面を自由に着脱できるんだから」

「……なるほど。卑屈で偏屈だからこそ腐った部分を見抜けるというわけね」

「まあ、腐っているから光の違いが分かるんだよ……そう言えばさ」

「何かしら」

「お前、天使のラダー? なんか忘れたけどバーにいたじゃん。なんでいたんだ?」

「…………父に呼ばれてあいさつ回りに行っただけよ。あの時は姉さんが所要で外せなかったから」

 なるほど。あの時雪ノ下の名前を呼んだのは親父さんか……誰かは分からなかったけど。

「……今日はありがとう。楽しかったわ……このお礼はいつか必ず」

 ――――今分かった。

 -----雪ノ下雪乃は俺に対して何かを抱いている。



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第17話  こうして俺は踏み出すのである

翌日の放課後、ようやく平塚先生から部活解禁の令が出され。奉仕部の部室へ向かうと入り口の前で由比ヶ浜が複雑な顔をして立っていた。

1週間も来なければ入るのに戸惑いが生じるのもまあ無理はない。部活だってバイトだって1週間以上休んでしまえば自分がいた場所とは違う雰囲気を感じるものだ。

「あ、ヒッ……比企谷君」

 杖を突く音で気づいたのか由比ヶ浜がこちらを向いた。

 ……当分はこの距離感だな。

「入れよ。中で雪ノ下が待ってんだろ」

「え、あ……うん」

 そう言うと由比ヶ浜は戸惑いながら扉を開け、部室へと入った。

 中には相変わらず雪ノ下が椅子に座り、文庫本を読んでいた。

 チラッと雪ノ下から離れた場所に水滴だらけのウォータークーラーが設置されているが俺たちはそれを無視し、いつも通りの位置に椅子を置き、座る。

「はちえもーん!」

「おい、いつから日本は喋るウォータークーラーを開発したんだ?」

「忍者ハチトリ君でもいいから話だけでも!」

 2人の顔を見てみると面倒くさそうな顔をしているがとりあえず聞いてやれよという顔をしていた。

「で、何? 新作がけちょんけちょんだったのか?」

「否! いや、間違ってはないんだけど……」

 おぉ、一瞬素に戻ったぞ。

「とりあえず聞けい! 我は今、ゲームのシナリオライターを目指していてな」

「おい、ラノベ作家はどうした」

「収入が安定しないのであきらめたのだ」

 すんげぇ、現実的な話。まあラノベ作家の中でも兼業で書いてる人は結構多いらしいしな。

「それでだ! 時に八幡は遊戯部をしっておるか?」

「遊戯……王?」

「遊戯部。今年から新設されたゲーム全般を研究する部活らしいわ」

「左様。我は先日、ゲーセンで遊んでいたんだが仲間の1人にシナリオライターの話をしたのだ」

 夢を話される他人からしたら勘弁願いたい話だけどな。

「みな、一様に盛り上げてくれたのだ……だが1人だけ! む、むむ無理だとかゆ、ゆゆ夢だとか言い出す輩がいたのだ! 火が付いた我はコミュで煽りに煽ったらどうやらここの生徒らしく、ゲームで決着をつけようと言う事になってしまったのだ」

「ふむ。四字熟語クイーンの由比ヶ浜。こういう状況を何という」

「え、えっと自業自得!」

「ぼっがはぁぁ!」

 由比ヶ浜の純粋無垢なる叫びを聞かされた材木座は大ダメージを受け、床に付してしまった。

 そう、まさに自業自得。他人から夢をバカにされることなど往々にしてあることなんだが材木座はそう言うことについて体勢がなかったのが今回の原因だ。

「で?」

「は、八幡! 我を勝たせてくれ!」

 ……これまたすんごいドストレートな依頼だな、おい。

「どうする?」

「断る以外にないわね」

「……かっかっか。奉仕部とは片腹痛いわ! この程度の依頼さえもこなせぬのか!」

 材木座が高笑いをあげながら言った瞬間、突然窓が閉まっているにもかかわらず真冬の風が教室内に吹き込んだんじゃないかと錯覚を起こすくらいに冷たい、そして粗ぶった風が吹き荒れた。

 チラッとその方向を見てみるといつもの雪ノ下がそこにはいたが明らかにその眼には炎が灯っているように見える。

 あまりの雰囲気に材木座と俺は一様に冷や汗を流しながら互いに見合い、頷いた。

 ―――――我々はパンドラの箱を開けたのだと。

「…………良いわ。その依頼、承りましょう」

 彼女の新たな性格を見たと同時にもう二度と見たくないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで同じ特別棟の2階にある遊戯部に決闘を申し込むために移動することとなった。

「ここね」

 扉の窓にマジックで遊戯部と書かれていた。

 ガラガラっと戸惑いなく扉が開かれると教室のあちこちに大量のゲームが山積みにされていた。

 ゲームと言っても現代ゲーム機などではない。オセロから始まり、トランプ、ウノ、チェスなどのゲームが大量に置かれており、それに囲まれるように教室の中央で遊戯部部員らしき男子2人がこちらを見ている。

「あ、あれって2年の雪ノ下先輩じゃ」

 おぉ。雪ノ下、まさかの下の学年にも知れ渡っている……ん? こいつら後輩か。

 事情を説明すると2人は材木座を見て、嘲笑の笑みを浮かべた。

「良いっすよ。約束ですし……まぁ、見返りがないとねぇ」

 チラッとそいつらは雪ノ下を見た。

「それにさ。俺達ってにわかとか嫌いなんだよね」

「そうそう。現実も知らないで夢ばかり見てるやつらって見ててかわいそうっつうか憐れっつうか」

 2人の言葉に材木座は言い返そうにも言い返せないでいた。

「ていうかさ、あんたみたいな人に来られても困るんだよね。この世界、そんな甘くないし」

 …………こいつら。

「じゃあ、ゲームは」

「こっちに決めさせてくれないか」

 そう言うと2人は驚きつつも不満げな表情でこちらを見てくる。

「お前らが選んだらこっちは不利だろ? 挑戦者に不利なゲームを選ばれるかもしれないし」

「……良いっすよ。どうせ俺達勝つし。自由に選んでくださいよ」

「そうだな……勝負は1回。俺たちが負けたら材木座の土下座」

「あと雪ノ下先輩を下さいよ」

「ちょ、ちょっと! それはいくらなんでも」

 奴らの提示に由比ヶ浜は怒りを露わにして詰め寄ろうとするが雪ノ下が彼女を腕で止めた。

「ゆきのん……」

 後ろを振り返るとジーッと雪ノ下がこちらを見ており、言葉に出さなくてもあいつが俺に何を言おうとしているのかは一瞬で理解できた。

「っっ……。分かったわ」

「ちょ! ゆきのん!」

「決まりっすね。で、何でやるんすか?」

 自分たちが勝つと自信満々なのか2人の顔には余裕の笑みと共に材木座に対して、心底見下したような表情を含ませている。

 山積みにされているゲームの山を見渡しているとふと、トランプのケースが見えた。

 ……これで行くか。

「大富豪で行かないか? 単純明快だろ」

「良いっすよ……ただし、遊戯部ルールで行きますが」

 確認のために全員の顔を見ると全員、文句がなさそうだったので了承し、その遊戯部ルールを聴く。

 要するに2人1組になり、互いに順番にカードを出していく以外は特に他の大富豪のルールと差異はなかった……が、問題は雪ノ下にあった。

 大富豪のルールを知らず、5分かけてルールを説明し、ようやくカードが配られる。

「ローカルルールはどうするのだ」

「そ~っすね。5飛ばし、7渡し、10捨て、革命・階段あり。イレブンバックあり。スペサン、ジョーカー上がりなしくらいでいいんじゃないっすか」

 舐められてる舐められてる……材木座。まあ、見てろ。

「じゃ、始めますか。先行はそっちからで良いっすよ。あ、あと一回だけ宣言無しで捨て場のカードと手札のカードを交換できるんで。あと誰かグループから1人でも上がればそこで終了。俺たちのどちらかが上がれば俺たちが、そっちのどちらかが1人でも上がれば勝者です」

 ……ほぅ。1回……奴らはそう言ったな。よし。

 先行は材木座から始まり、雪ノ下グループ、遊戯部グループという順番で回っていく。

「んじゃ。8で流して3で革命!」

 遊戯部グループに回った瞬間、まだ1周目にも拘らず革命、しかも革命によってカードの強さが変わったことで一番強い3を出したことに少し違和感を感じたがとりあえず、今は頭の片隅に置いておくことにし、目の前のゲームに集中していく。

 着々と順番は回っていき、こちらグループは俺たちが5枚と3枚、雪ノ下グループは3枚と2枚だが慣れているあちらのグループは1人は3枚、もう1人は5枚。

 流石に毎日ゲームに囲まれてるわけじゃない。

「煽ったくせによわ」

「ぐっ」

「煽ってくるから何かできるかと思ったけど全然じゃん。あんたさ、何か自慢できることなんもないでしょ」

 遊戯部の連中からの言葉に材木座は何も言えずにいた。

「エンターテインメント性とか何にも知らない引きこもりのくせにその上中二病引きずるとか最悪じゃん。中二病の人が書いた作品ほど爆死するって知らないの?」

「……ヌグググ」

「そっちの人もどうせ友達いないんでしょ? こんなやつとつるんでるくらいだし」

 俺は特にダメージは感じない……が、今のは少しイラッとくる。

「うわっと!」

 材木座が椅子に座る直そうとした瞬間、手に汗がいっぱいあったのか手を滑らせ、支えを失った材木座の大き目の体が滑り台を滑るように椅子から滑っていき、まるで「死んでくれないかなぁ?」がネタになっている913のヒーローのキックの様に両足が机を強く蹴飛ばし、捨て場の多数のカードが落ちた。

「イタタ」

「ちっ! 何してんだよ」

 遊戯部の連中は盛大に舌打ちをしながら床に落ちたカードを拾っていく。

 俺はその隙に持ち札のカード4枚と捨て場のカード4枚を交換した。

「ほんとあんた何にもできねえじゃん。現実見た方がいいって。イレブンバックの革命!」

「えっと革命で元に戻ってイレブンバックってことは……出せないじゃん!」

 遊戯部の連中は俺たちが出せないのを確信しているのかさっきからイラつく笑みを浮かべながら、雪ノ下の方をジーッと見ている。

「出せないっすよね? さっき俺達3で革命しましたし。じゃあ流して」

「はい。3の革命返し」

 俺が4枚のカードを出した瞬間、遊戯部の2人はおろか俺の味方であるはずの他のメンバーさえもあり得ないと言った感情を込めた視線を俺にぶつけてくる。

 ……痛い。心が痛い。アトム君だって言っていたじゃないか。心が痛むと涙になるって。

「はぁぁ!? い、いや! だ、だってさっき俺達最初に」

「流して6出して上がり。いえぇ~い、俺達の勝ち」

「……はちまぁぁぁぁん!」

 涙を流している材木座とハイタッチを交わし、互いに勝利を喜ぶが俺たち以外……特に遊戯部の連中はこの結果に納得いかない様子だ。

「いやさ……最初から3の革命したからこいつらなんかやるな~って思って材木座がカード落とした時に4枚一気に交換しただけ。別にルール上はなんも問題ないだろ」

「おかしいだろ! 普通1回っていったら1枚だろ!」

「お前ら1回1枚って言ってねえじゃん」

 俺がそう言うと遊戯部の連中は完全に逃げ場を塞がれ、何も言えなくなった。

 これが1枚1回の交換制度だったら負けてた。ふふん……小学生のころ、仲良しだった森本君がトランプを持ってきてみんなでやっていたのに俺だけなんだかんだで仲間に入ることができずに一人哀しく仮想大富豪をしたものだ……あの時ほど妹からの奇異な視線はなかった。なんせ誰もいないのに大富豪やってたんだからな……その週の日曜日、珍しく母親が外食に連れてて行ってくれたときのあの優しさは心にしみたわ。

「卑屈で偏屈でボッチの俺にその程度の策略は通用せんぞ」

「それを胸張って言えるって比企谷君ある意味凄い」

 言うな由比ヶ浜。心に刺さっちまうだろうが。

「んじゃ、約束通り材木座に謝ってもらおうか」

「え、あ、いや……も、もう1回! 大富豪は複数回のプレイを想定されたルールが」

 奴らがそう言った瞬間、偶然か否か机の立てかけてあった杖が山積みにされているボードゲームに直撃し、派手な音を立てながら床に落ちていく。

「……その……あれだ。現実は何回見ても現実だぞ」

「…………す、すいませんでした」

「……バカにしたようなこと言ってすみませんでした」

「……今まで馬鹿にされてきたこともあったからいい……そ、その我も煽りコメントを書いたのは良くなかった……も、申し訳ない」

「……そ、その……ゲーム。楽しみにしてるっす」

「ふ、ふん! 待っているがいい! この材木座輝義の名をとどろかせて見せよう!」

 ……羨ましい。正直、俺は材木座を見ながらそう感じていた。

 たとえ夢をバカにされようとも自分の好きなものの為なら周りなど気にもせずに突き進む力……それが材木座の根底にあるし、同じ夢を持つ者とも熱く夢を語り合え、時にはぶつかってもまた関係を修復できる……俺はお前が羨ましいよ。材木座。俺は途中で曲道に入ったからな。

 楽しそうに談笑している材木座たちを置いて遊戯部の部室から出ると俺の後を追うように由比ヶ浜と雪ノ下が出てきた。

「その……悪かったな、雪ノ下。お前を景品みたいにすることして」

「本当ね……ただ……信じていたわ」

「え?」

「……別に何も……それと由比ヶ浜さん」

「ほ、ほぇ?」

「お誕生日おめでとう」

 そう言い、雪ノ下は持っていた袋から先日買ったエプロンとその他諸々のプレゼントを渡した。

「え、あ、ありがと!」

「貴方といた2ヶ月間は悪くないものだったわ。それはそのお礼」

「ゆきのーん! ありがと!」

 由比ヶ浜は雪ノ下に抱き付き、喜びを全身で表現し、雪ノ下は暑苦しそうな顔をするが由比ヶ浜を退けることはせず、彼女も彼女で満更でもない顔をしていた。

 …………俺は……。

「そろそろ私は帰るわ」

「あ、私も」

「ゆ、由比ヶ浜」

 雪ノ下と一緒に帰ろうとする由比ヶ浜を引き留めると雪ノ下は空気を読んだのか否か、何も言わずに静かに俺たちのもとから去っていった。

「ん? どったの?」

 廊下で2人っきり。気まずい空気を感じつつもポケットから犬用の首輪と小町にチョイスしてもらったネックレスの2つを取り出し、彼女に手渡した。

「え? これって」

「……これからもよろしく頼む。色々とギクシャクはするだろうけど……奉仕部として……」

 由比ヶ浜は俺からネックレスと首輪の二つを受け取ると俺に隠すように後ろを向き、手を首の所へ持って行って何かをつけるとこちらを向いた。

「ね、どう?」

 由比ヶ浜に言われ、首元を見てみると黒のレザーを数本に分けて編み込み、中央にはシルバーのタグ……ん? んんんんん?

「お、お前それ犬用のだぞ」

 そう言うと由比ヶ浜の顔が凄まじい勢いで赤くなっていく。

「……なっ!? ち、ちが! も、もうばか!」

「お、俺のせいなのか?」

「ぬぐぐぐぐ! バーカ!」

 そう叫ぶ由比ヶ浜の表情はあの夜、俺に見せてくれたものと同じ明るい満面の笑みだった。



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第18話  今日は八幡の日。

「お、おにい」

「黙らっしゃい」

 学校も夏休みに入った今、俺は鬼を背後に召喚しながら妹との夏休み勉強講座を開いている。

 毎年、夏休みになると学校から出された夏休みの宿題を一緒にやったり、分からないところがあれば辞書で調べたりなどをして時には2人でゲームをして休憩しながら楽しくやっていた。

 だが、今は違う。小町はもう受験生となり、夏休みの宿題は俺の指令で夏休みに入る前に自由研究以外は全て終わらせ、今は受験勉強をしている。

 そう……俺はようやく小町に復讐をしているのだ。

 こっぱずかしい着メロを公衆の面前で鳴らされること2回、俺のベッドに無断で入ること数え切れず。

「さ、流石に偏差値58の高校の過去問は難しいよ~」

 総武高校を受験する小町を国際教養科も視野に入れた勉強でしごいている。

「小町。偏差値58だろうが60だろうが中学生に解けない問題は出ない。さ、やったやった」

「うえぇぇん」

「あたっ! カマクラ、てめえ」

 足に衝撃が軽く走り、テーブルの下をのぞき込むと不機嫌顔をしたうちの飼い猫、カマクラが俺の左足に向けて猫パンチを連続で繰り出していた。

 なんだその108マシンガンは。そのうちキングダムセイバー! とか言うなよ。

 ちなみにあの時は足技じゃねえのかよ! って突っ込んだけどな。いや、それ以前にソウルバスター! とか言って足からエネルギーは出してる時点でぶっ飛んでたが。

 ちなみにカマクラは俺には懐いていない。妹にはよく懐いているんだがな。

「ねえ、カマクラフニフニしていい?」

「……仕方ない。5分だけな」

「わーい! カー君!」

 さっきまでの不機嫌顔はどこへ行ったのか、まるで戦争に行って帰ってきたご主人を派手に迎える犬の様に互いに顔を合わせ、肉球をフニフニしたりキスの雨を降らしながら疲れを癒していく。

 ちなみに犬のあの話は思わず泣いてしまった。ずっと離れていたのに盲導犬を引退し、パピーウォーカーの家の近くに帰った瞬間、歩く速度を速めた時はもう泣いたね。

 俺は無派閥だが犬のあの主人に対する忠誠心は感心する。

 偉い人は言ったそうな。自分の頬を舐めてくれる子犬以上に効く精神治療はないと。

 石鹸の味を知らない奴は犬を洗ったことがない奴だ……あぁ、泣けるぜ。

「とりあえず俺が本屋行っている間に終わらせておけよ」

「はぁ~い」

 杖を持ち、左足はいつもの靴を履き、動かない右足には母親が改造してくれた俺専用のスリッパを履き、外へと出るとアブラゼミの鳴き声と共に蒸し暑さが俺に覆い被さってくる。

「あっつ……」

 用もなくこんな蒸し暑い日に出かけたりなどしない。俺は本屋に参考書を買いに行くのだ。

 俺ももう1年したら受験生。

 不安がないとは言い切れないのでその不安を解消するべく、こうやっていつも参考書の問題を解く。

「……いつからなれ合いを嫌うようになったんだっけ」

 ふと思い出した。

 俺でもボッチー! と叫んでこの世に生まれたわけじゃない。元々は俺とて普通の少年だったのだ。

 だが小学校・中学校において様々なことと直面し、今に至る。

「なれ合いは麻薬……良い言葉だよな」

 世界は人間1人消えたところでその動きを止めない。

 たった1人の命などさほど問題ではないのだ。毎日、ニュースで人が死んだ、と伝えられるがそれでいったい何人が悲しむ。日本人口からすれば1パーセント以下だ。

 どこかの団長も言っていたじゃないか。自分1人はなんてちっぽけなんだと。

「あれ、比企谷君じゃん」

「ん?」

 後ろから声をかけられ、振り返るとThe・サマースタイルと言ってもおかしくない格好の由比ヶ浜と三浦が立っていた。

 由比ヶ浜はサンダルを履き、薄手の服にホットパンツ、三浦は踵のかなり高いミュールを履き、背中が大きく開かれた黒のミニスカワンピをあでやかに履いている。

「んだ、ヒキオじゃん」

「2文字しか合ってねえ」

「あ、結衣。海老名に電話してきてよ」

「オッケー!」

 三浦からのお願いという名の命令を嫌な顔一つせず、由比ヶ浜は遂行するために俺達から離れた所で電話をポチポチと触る。

 話し相手もいないので俺は行くとしましょう。

「ちょ、まった」

「なに?」

「……そ、そのありがと」

 ……俺はいつの間にスクールカースト上位の奴にお礼を言われるくらいに偉くなったんだ?

「結衣と仲良くなれたのはあんたのおかげだし、隼人から聞いたけどチェーンメールもあんたがやってくれたんしょ?」

 葉山の奴……あいつは良かれと思っていったんだろうが俺からすれば最悪の一言だ。

「それだけ」

 そう言い、三浦は由比ヶ浜の元へと戻っていった。

 ……俺も本屋に行くとしよう。

 蒸し暑いのを我慢しながら歩くこと5分、ようやく本屋に辿り着き、中に入ると冷気が一気に全身に吹きかけられ、熱くなっている体が一気に冷やされていく。

 あぁ、エアコン最高。

 参考書コーナーへ行き、良いものは無いかと品定めしていると後ろからぶつかられた。

「あ、すみま……あ」

「……川なんとかさん」

「川崎だ」

 後ろにいたのはあのマイシスターといい感じに仲が良い川崎大志の姉の川崎……下の名前は忘れた。

「あんたも参考書買いにきたの?」

「ん。で、大志は元気か」

「まあ、元気っちゃ元気」

 そうか……あ、今思い出したけど俺が傷ついた分の奢り、まだ貰ってねえ……でも、ジンジャエール奢ってもらったからな……仕方ない。無しにしてやろう。

「あ、あんたのおかげで助かった……あ、ありがと」

 ……なんだなんだ? 今日は八幡の日なのか? お礼を言われまくる日なのか?

「スカラシップ、取れたのか」

「まあ、一応」

 勉強の熱意があると集中の質も変わるって聞くしな……。

「あんた夏期講習とか取らないの? 国公立理数系で雪ノ下は見かけたけど」

「とらない。俺はあんなもやしみたいにギュウギュウの所にいるのは嫌いなんだ」

「もやしってあんた」

「実際問題、家で勉強していても変わらないし、分からない問題があれば参考書で調べれば良いし。とにかく俺はお鍋の具みたいに一色たんに入れられてぐつぐつ煮込まれるのはご免だ」

「なんか変わってるし」

 もやしだってお鍋に入れたら美味しいんだぞ。確かに煮込みすぎるとうわぁ、ってなるけどサッと湯通し位なら普通においしいんだぞ……あれ? これって鍋に入れる必要なくね?

「それに俺、一般入試で奨学生になって授業料タダ狙うし」

「……なんか本当に取りそうで逆に怖いな」

 どの道、親は納得しないだろうけどこの状態の俺は家を出て1人暮らしって言うのも難しいから必然的に徒歩、もしくは電車で行ける距離になる。そして授業料タダを狙えるところと言えば私立だろ。私立は国立よりも授業料は高いけど設備は良いところが多いし、授業料タダで入れば猶更いい。一粒で2度おいしい。

「授業料タダ+アルバイトもしない……これこそ理想のヒモ」

「いや、そこで力強く言われても……じゃ、また」

 そう言い、川崎……なんとかさんは1冊の参考書をもってレジへと向かった。

 ……なんかいいもの無いかな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ああぁぁぁぁ!』

 ……うん。やはり最終回のこの武器を叩き付け、叫びをあげながらラスボスにキックを食らわせるシーンは何度見ても心に響きますな……何故、今時の少年少女たちは妖怪に集中するのだろうか。

 やはり子供心は分からないな……これも妖怪の仕業か。

「終わったぁぁぁぁぁ!」

「お疲れさん」

「あぁ~過去問難しかった」

「でも解けたろ」

 夏休みが始まって2週間余り。小町は勉強を黙々とこなし、俺は朝のテレビ劇場で再放送のアニメを見るという天国のような生活をしている。

 1日パジャマのままテレビの前でボケーっとする……これを毎日年単位で繰り返すことが出来ればもう俺は何も言うまい。

「ん? メール?」

 またどっかのレーベルからの新刊案内だろうか……ところで女性にしか動かせないものを動かしたあのラノベはもう出ないのだろうか。案外、主人公の出生が気になるんだけどな。

「平塚静……」

 俺は送り主を確認し、スマホをテーブルに置き、テレビに視線を戻した。

 これでいい。メールなんてものはいくらでも相手を騙すことができる。

 俺は中学時代、とある行事の実行委員に何故か選ばれてしまい、その時の相方の女の子と人生で初めてメールアドレスを交換した。 

 そして勇気を振り絞り、その子に「これからよろしく」とメールを送り、ウキウキ・ワクワクと待っていたのだが気づいたときは朝だった。

 そして返信を確認すると来ており、寝落ちしたことを後悔しながらメールを開いた瞬間、俺は絶望したね。

『ごっめ~ん★寝てた』

 それ以降、俺はメールを誰にも送らないことにしている。

 こうすれば相手を怒らせず、かつ穏便に人との関係を終わらせることができる。

「あ? また?」

 再びスマホが震え、画面をチラッと見てみると今度は先生から電話が来ていたが聞こえないふりをし、放置しているとスマホの震えは止まった……が、その直後に凄まじい勢いでメールが送られ、さっきからスマホがユーガ、ユーガ、ユーガと連呼している。

「……な、なんなんだよ」

 恐怖を抱きながら起動するとなんとメール件数98件、通話件数22件。合計で120回も俺に連絡が送られているぞという表示がされていた。

 お、おいおい。メールボンバーでも贈られたか? あ、でもあれは1万通来るんだっけ。流行ったよな~。嫌いな奴に送って携帯をフリーズさせる奴……おかげで俺が疑われたけどな。けっ!

「平塚静です。メール見たら返してください……奉仕部の夏休み中のことに関してなのですぐに、出来れば今すぐにメールを返してくれると助かります……もしかしてまだ寝てますか(笑)……電話に出て……電話でろ……お、俺はいつの間に平塚先生に死ぬほど愛されてるんだ? 怖いよ、つか……怖い」

 恐怖で手を震わせながら俺はスマホの電源を落とした。



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第19話  こうして俺は合宿へ行く

「お兄ちゃ~ん」

 スマホの電源を落としてからすぐに上から声が聞こえ、ソファの背もたれにもたれ掛って後ろを見てみると上の服だけを着て下はパンツ以外には何も履いていない妹の姿が映った。

 ……お兄ちゃん、なんか悲しいぞ。

「ん~?」

「小町は非常に勉強を頑張りました」

「そうだな」

「でしょ? だから~小町にはご褒美が必要なわけです」

「ふむ」

「お兄ちゃんは小町と一緒に千葉に行かなければならないのです」

 うわぁ。俺の予想の斜め上を超えるすんごい跳躍っぷりだな~。まだ何か買ってとか言うなら話は分かるがまさか具体的な場所を指定されるとは。恐るべし。

「断る。友達と行けよ」

「……お兄ちゃんと旅行したいの」

 小町は悲しそうな雰囲気を醸し出しながら顔を伏せる。

 俺が片足になる前、毎年夏休みになると自由研究のためによく2人で電車を乗り継ぎ、交通科学博物館へ遊びに行ったもんだ。

 寝過ごして駅を通り過ぎた時は泣きかけたけどな。

「お兄ちゃん最近、余計な外出はしてないでしょ? だからお兄ちゃんと旅行がしたいなって」

「…………」

「たとえ千葉じゃなくても……少し離れた場所でも良いの。小町、またお兄ちゃんと旅行に行きたいな」

「…………わ~ったよ。付いていくよ」

「ヤッホー! じゃ、着替え持ってくるね!」

 さっきまでの悲しそうな空気は一瞬で消え、いつもの丁明るい小町にメタモルフォーゼした。

 ……なんか乗せられた感があるが……ま、良いか。

 少し待っていると小町が俺の着替えを持ってきてくれ、靴下とズボンを履かせてもらい、自分で上の服を着ているとドサッという音が聞こえ、後ろを見てみると超大きなカバンが置かれていた。

 ……泊まりか。まあ、民宿に泊まるわけじゃないだろうし小町に迷惑をかけずに楽しむことくらいはできるか……だが千葉っていっても場所は広いぞ。

「では出発!」

「おぉ~」

 ……なんか嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「消滅八幡……良いアプリ名だろ?」

 小町と一緒に歩き、何故か駅のバスロータリー周辺まで連れてこられるとそこに見知った女性が立っており、しきりに指を動かし、凸ピンの体制を取っていた。

 ハ、ハハハハ……確かにあのアプリは面白い。最近インフレ気味だがな。ちなみに俺は1日で辞めた。

「さて、電話に出なかった言い訳を聞こうか」

「とりあえずエア凸ピンするのは止めてください。怖いっす」

「まったく。過去のことがあったからあらゆる手を尽くして君の妹に連絡を取ったのだよ。だがまあ、無事でいるのであれば何より」

 過去……それは俺が事故に遭ったときのことだろう。恐らく総武高の全教師が知っていることだろうがいったい何人の教師が事故に遭った生徒の名前、顔を覚えていることやら。

 だけど……あの120件のメールや電話はないだろ。トラウマ植えつけられるぞ。

「で、なんで先生はここにいるんすか?」

 そう尋ねると平塚先生はパチパチと瞬きしながら素っ頓狂な表情で俺を見てきた。

「なんだメール見てないのか。奉仕部の活動として千葉に行くのだよ」

「……あの俺、いります? 奉仕部の活動と言う事は野外ですよね」

「そうだな。主にだが」

「片足の俺が行っても迷惑をかけるだけじゃ」

「いいや。お前にしかできないことを用意している。比企谷。奉仕部に邪魔をする奴はいない」

 ……平塚静は教師の鏡と言っても過言ではない。生徒と合わせる時は合わせ、アドバイスするときは大人になり、怒りをぶつける時は人生の先輩となる。

 そこに惹かれ、多くの生徒は平塚先生が大好きだろう。

 俺もその一人だ……でも、時々そのやさしさが眩しく感じる。

 教師だから、奉仕部の顧問だから……それは由比ヶ浜の件で自己完結したはず。なのにその考えはまるで植えつけられているかのように浮かび上がってきては俺を苦しめる。

 信じたいのに信じることができない。好きなのに好きになれない。

「比企谷。君は自分を卑下しすぎている節がある」

「……そうっすね」

「お兄ちゃんは好かれてるよ。み~んなに。昔のことはもう……関係ないんだよ」

「あ、比企谷君!」

 後ろから由比ヶ浜の声が聞こえ、振り返ると偶然か否かどこかから反射した太陽の光が上手い具合に由比ヶ浜、雪ノ下、戸塚たちの顔を隠すように俺の視界を潰す。

 …………今は……今くらいはこの関係に寄り添うのは許されるよな。

「やっはろー! 小町ちゃん」

「やっはろー! 結衣さん! 雪乃さん!」

「やっ……おはよう。小町さん」

 つられて言いかけた雪ノ下の顔が凄まじい勢いで赤くなっていく。

「八幡。やっはろー」

「何それ可愛い、流行らせようぜ」

「お、お兄ちゃん。流石にそれは……ていうかいつの間に女の子から下の名前で!?」

「あ、八幡の妹さん? 僕は戸塚彩加。よろしくね」

「……お、男の子……お兄ちゃん」

「言うな、小町」

「「神はいない」」

 我ながら俺たち兄妹はどこからどう見ても、誰がどう見ても兄妹だ。

「よし全員集まったな。乗りたまえ、あ。比企谷は助手席だ」

「うぃ~す」

 平塚先生に介助してもらい、ワンボックスカーの助手席に乗り込み、全員が乗り込んだのを確認したのか先生はシートベルトを締め、イグニッションを回し、アクセルを踏んだ。

 車は徐々に動き出し、やがては外の景色が凄い速度で遠ざかっていくほどの速度に達した。

「先生。千葉に行くのに何で高速なんすか」

「いったいいつから千葉に行くと錯覚していた?」

「どいつもこいつもぶっ壊れちまえ」

「……中々やるな」

「そちらこそ」

 何故か俺と平塚先生の間には妙な連帯感が生まれ、後ろの方に座っている人たちを弾く。

「英雄になろうとした瞬間」

「英雄失格なんだよ」

「人は自分の意思で」

「光になれるんだ……人は正義の為なら」

「どこまでも悪になる」

 こんな妙な掛け合いがずっと続いたのは夏休み史上、最悪の黒歴史になったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ」

「あ、降りる際は大丈夫っすよ」

 手伝おうとしてくれた先生にそう言い、ドアを開けようとした瞬間、ドアが勝手に開いたので窓の外を見てみるといつの間にか雪ノ下がスタンバっていた。

 ……由比ヶ浜のプレゼントを買いに行ったとき以来、妙に優しい。

「お、おう。悪い」

 雪ノ下のやさしさにドギマギしながら車から降りると濃密の草の香り、そして普段は感じない風の冷たさ、自然の木の臭いが俺を山に来たのだと感じさせる。

 マジで本格的に外出したのは事故以来だな……大体は近くで済ませていたし。

「荷物を降ろしたまえ。しかし都会の騒音がないのはいいことだ」

 確かに。先生の言う通り、都会独特のあのうるささは山にはなく、時折吹く風によって葉が揺れる音はどこか心地のいいオルゴールのような感じがする。

 それなりに整地もされているらしく、駐車場付近は砂利が多いが宿泊施設周辺はコンクリになっていた。

 流石に山の中に入ってレクリエーションはできないが……でも先生は何で俺を連れてきたのかね。

 そう考えていると新たに一台のワンボックスカーが駐車場に止まり若者男女4人組が車から降りてきたがその集団を見て俺は絶句した。

「あ、ヒキオじゃん」

「やぁ、ヒキタニ君」

 恐らく雪ノ下も俺と同じ表情だろう。

 なんで甘酸っぱい果実を毎日貪っているスクールカースト上位の奴らがここにいるんだ……くぅぅ! まさか俺と戸塚の仲を邪魔しに来たな!? そうはさせん! 戸塚は俺が……なわけないか。

 どうせ平塚先生の差し金なんだろうけど。

「平塚先生。何故、葉山君たちも」

「内申点を餌に釣ったのだよ。人員が足りないのでね」

「そう言えば奉仕部の活動つってましたけど何するんすか?」

「今、千葉村には小学校が林間学校に来ていてな。そのボランティアスタッフだ。教師陣、千葉村職員、児童のサポート。いわば奴隷だ」

 うわぁ、嫌な言い方……なるほどね。だから駐車場に見覚えのある会社名が書かれている大型バスが何台も止まっているわけか……今、思い出したけど千葉村って林間学校できたじゃん……うぅ。あのトラウマがよみがえる。

 あれは中学生の時だ……今度こそみんなと仲良くなろうと最後の力を振り絞ってメンバーを組み、トランプやウノなどを持ってきてスタンバっていた。その時間を今か今かと……だが予想以上につかれたのか俺以外のメンバーは部屋に帰るや否や全員、爆睡した。

 泣いたね……泣きながら俺はウノとトランプのカードでタワーを作ったさ。

 そのあと見回りの先生にやけに優しくされたのはいい思い出だ。

「何故か校長から地域の奉仕活動に監督を任されてな」

「そりゃ、先生が力のある新米教師だからっすよ」

「し、新米……そ、そうだよな! 決して勤続年数で決めたわけじゃないよな!」

「そうっすよ! ニュー平塚静っすよ!」

「うぅ……比企谷の優しさが逆に染みる」

 ……今度から自重しよう。

「とりあえず! 本館まで荷物を置き次第仕事開始だ」

 駐車場から本館までの道を平塚先生が先導し、その後ろを俺、雪ノ下、その後ろに小町や由比ヶ浜、戸塚たちが歩き、その後ろにリア充軍団が歩いているという普段なら逆だろと突っ込みたいほどの構図になっている。

 くっくっく! 悲しみのワンスポット・集団Verをとくと味わうがいい!

「君たちは1度、別のコミュニティーとうまくやる術を身につけるべきだ。社会に出れば嫌な奴と一緒にいなきゃいけないことなど腐るほどあるからな。だから今回の募集で奴らが来てくれたのは幸運だった」

 平塚先生が言っていることは正しい。

 この世の中、どんなに嫌いな奴であってもどうしても一緒に行動を共にしなければいけない時がある。

 マンガの様に敵対している奴と手を組んで戦う……そんな甘いものじゃない。出張などで一緒になれば下手すれば泊まるホテルまで同じと言う事もあり得る。

 こいつが嫌だから一緒にいたくない……それが通用するのは少なくとも高校生までだろう。

 先生は敢えて仲良くと言わなかった。

 先生だってわかっているのだろう。

 俺たちがあいつらと仲良くすることなど不可能に近いと言う事は。

 本館に到着し、各々の荷物を置いた後集いの広場とかいう場所へ行くらしいのだが俺は平塚先生に呼び止められ、皆とは別行動となるらしい。

「君にやってもらいたいのは主に調理だ」

「……何故に?」

「小町君曰く、君は料理ができると聞いている。今日の夕飯は飯盒炊爨でカレーを作る。小学生に包丁はまだ早いと言う事でここで下準備をするのだよ」

「それは分かりますが……いくらなんでも早すぎませんか?」

 まだ時間帯はお昼ちょっと前。恐らく晩飯は5時位からだろうけどこんな早い時間から食材を切って保存していたら素材本来の味は確実に落ちる。

「今からではないよ。今から小学生はレクリエーションだ。その間に私たちは近くの山の頂上にあるキャンプ施設に向かう。そこで諸々の準備を手伝ってほしい。車を持ってくるからここで待っていてくれ」

 平塚先生が本館からいなくなったので俺は壁にもたれ掛りながら外にいる連中の姿を見る。

 ……雪ノ下は葉山が嫌いなのは確実だ。あいつに対して距離をいつも以上に開けているし、言葉の棘も殺傷能力がいつもよりも数段回上だ。

「待たせたな。行くか」

「うっす」

 先生の介助で車に乗り込むとゆっくりとキャンプ施設がある頂上に向かって動き出した。



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第20話  俺の調理スキルは世界一!

 小学生は100人程度と聞いていたが食べ盛りと言う事で用意されていた食材の量は結構な量だった。

 女性教員はもちろん、手の空いている男性教員を動員してもまだ切り終わっておらず、この後には昼食の配膳作業もある。

「にんじん終了。次ジャガイモください」

「ん。ほれ」

「うっす」

 その中でも作業が早いのは俺と平塚先生。

 俺はいつも料理の下準備は手伝っているので慣れているが平塚先生は(諸々の諸事情でカットします)だから慣れているので作業が早い。

 どうやら切った食材は氷を使って冷やしておくらしく、クーラーボックスがかなり準備されている。

「目、目が! 目がぁぁぁぁ!」

「そりゃ玉ねぎ触った手で目に触れば染みますよ」

 時折、平塚先生のおっちょこちょいなミスに突っ込みを入れながらも食材を切っていき、小学生たちが頂上に到着する寸前に食材の下準備が終了し、どうにか配膳作業は間に合った。

 こ、こんなに腕が疲れるくらいに食材切ったのは久しぶりだ。

「比企谷~。悪いが冷やしてあったこの梨を雪ノ下たちのために切ってくれ。私は川で目を洗ってくる」

 先生はフラフラと覚束ない足取りで近くにあるらしい川へと向かった。

 どうやら近くにある川に浸してあったのか梨は冷蔵庫で冷やし続けていた時と何ら変わらない冷たさで梨に触れるとまるで氷に触れているかのように冷たい。

 手の熱で温かくなってしまう前に手早く梨の皮をむき、一口サイズに切った後に皿に並べて爪楊枝を刺していく……そう言えばたこ焼きマントマンっていたよな。もう名前しか覚えてないけど小町と一緒によく見たっけ……たこたこたぁこ……忘れた。

「お兄ちゃーん!」

 声がした方を向くと大きく手を振った小町の姿が見え、その後ろには雪ノ下たちの姿も見える。

「あ、梨!」

「お疲れさん。みんなで食って来いよ」

「やっほー!」

 小町は変な叫びで喜びを表しながら皿を持っていき、雪ノ下達に梨を配っていく。

 そんなこんなしているとゾロゾロと登山で疲れ切った小学生たちが頂上に集合し始め、教員たちが弁当とドリンクの配膳を始めた。

「…………ふぅ」

 やることを終え、一息ついて用意してもらった椅子を引っ張って木陰に入ろうとした時、ふと1人で弁当を食べている女の子の姿が目に入った。

 別に1人飯が珍しいんじゃない……あの子の周りに悪意があるからだ。

 その子の周りには同じように弁当を食べている女子のグループがあるがさっきからチラチラと見て、嘲笑を浮かべている。

「……マジでボッチを探せ! なんていうゲームがあったら俺、日本代表だ」

「金メダル最有力候補ね。比企谷君」

「ん? あ、わざわざ持ってきてくれたのか」

 雪ノ下に後ろから声をかけられ、振り返るとドリンクと軽食を渡された。

「わざわざ移動することはないでしょう。それに今まで私達とは違う仕事をしていたようだし」

 そう言うと雪ノ下は軽食のおにぎりを一口齧り、俺の隣に立った。

「……貴方のことだから気づいていると思うけど」

「ん? あぁ、あの子のことか」

 雪ノ下が小学生には見えないように指を刺している方向を見るとさっきの女の子がいた。

「レクリエーション中に会ったのだけれど今と変わらなかったわ」

「ハブりか……小学生にはよくあること……で、片付けていい物じゃないみたいだな」

 ハブりにも二通りある。

 遊びの範疇でハブられているのと悪意をもってしてハブられているの二つだ。

 前者であるならば自然に解消し、また以前と同じような関係に戻ることはあるが後者の場合は自然に解消することなど絶対にありはしない。

 根本の原因を解消しない限り、永遠に続く。

「……奉仕部の出番ということなのか?」

「……平塚先生は奉仕部の活動の一環としている以上、彼女が助けを求めれば奉仕部の出番になるわね」

「……なんか高校生になろうが小学生になろうがやることは変わらないな」

「当たり前よ……同じ人間であるもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに太陽は下がり始め、小学生たちは人生で初めてであろう飯盒炊爨に取り掛かっていた。

 切り分けられている食材をフライパンで炒めていく担当、鍋を用意する担当、お米担当、団扇で仰ぐ担当などで分けられているであろうグループでカレーを作っていく。

 俺達もカレーの準備に取り掛かっているが俺は椅子に座りながら団扇でパタパタする係だ。

 これが案外難しい。上から強く風を当ててしまうと煙がこちらへ飛んでくるし、弱すぎると炎が大きくならずに鍋が暖まらない。

 よって最善の方法は下からちょうど良い風を送るのが良いのだ。

「お兄ちゃ~ん。炒めるのって肉からだっけ?」

「お前は焦がす気か。野菜からだろ」

「あれ? そうだっけ?」

 おいおい、しっかりしてくれよ我が家の調理担当。

「あれ? にんじんってどこから実?」

「由比ヶ浜さん。ピーラーで1回皮を剥くだけでいいのよ」

 なんか怖い発言がチラホラと聞こえてくるがとりあえず俺は団扇に集中する。

「ヒキタニ君。飲み物」

「……どうも」

 葉山が隣に立ち、キンキンに冷えた缶ジュースを手渡してくれた。

 俺はその缶ジュースで火照った顔を少し冷やすと口を開け、グビッと一口飲むと冷たいジュースが喉を取っていき、全身が冷やされていく感じがする。

 あぁぁぁ~……冷えたジュースは良いな。

「ぶっほぉぉ! 八幡×隼人君。八隼だ~」

「擬態しろい。黙ってればかわいいのに」

 後ろで何やらひともんちゃくあったようだが俺は華麗にスルーする。

 野菜も炒め終り、鍋の中にぶち込んでコトコト煮込みだしたところで周囲を見渡してみれば初めての飯盒で苦戦しているチームも結構見受けられる。

 分かる分かる。初めての飯盒炊爨って難しいよな……人と人との距離が。

「終わったのなら小学生のチームを見てくるといい。中々ない経験になるぞ」

 平塚先生に言われ、葉山以下数名は一瞬顔を見合わせると何も言わずに持ち場から離れ、小学生のチームの中に入っていく。

 やはり小学生にとってみれば高校生のお兄さん・お姉さんは眩しい物らしくまるで特撮ヒーローに握手を求めて群がる子供たちのように見える。

 ちなみにあそこで現実と創作の境目を学ぶか学ばないかによって人生変わるよな。

 あれ……なんだか僕と同じ温かさがあるよ……そう思った日とは一皮剥けるのだ……ちなみに俺もその口だったりする。だが何故か飽きない。

「カレー好き?」

 葉山の優しい声が聞こえ、座った状態でチラッと見てみるとハブられていた女の子に話しかけていた。

 それと同時に雪ノ下の聞こえるか聞こえないか程度の小さな呆れの意をふんだんに込めたため息が聞こえた。

 彼女の言う通り、葉山の行った行動は悪手だ。

 ただのボッチに話しかけるのであれば今の様に少し離れたくらいのところで話しかけるのもまずまずな選択だっただろうが悪意を持って1人にさせられている場合はダメだ。

 嘲笑の的となり、より一層、悪意を増幅させてしまう。

「別に。カレー興味ないし」

 少女は葉山を軽くあしらい、スッと離れると悪意が届かない場所まで歩いていく。

 俺は平塚先生にうちわ係を少しの間代わってもらい、杖を突きながらその少女の隣へ向かった。

「…………今、休めばよかったって思ってるだろ」

「何、いきなり……まあね。だって面白くないんだもん。カレーごときで騒いじゃってさ」

 そう言いながら少女は首からかけているカメラをギュッと握りしめた。

「……名前」

 それで真意は理解したがちょっとカチンと来てしまった。

「お前、年上にそれはねえだろ」

「……鶴見留美」

「比企谷八幡だ。で、こっちが雪ノ下雪乃」

 遅れてやってきた彼女を指さしながらそう言うと鶴見留美はどこか同類を見るような目をした。

「なんか二人はあっちの人達とは違う気がする。私も2人と同じなの。ずっと1人……でも別にいいし。あと少ししたら中学に上がるし」

「まさか中学に上がったら無くなると思っているのかしら……それはあり得ないわ」

 雪ノ下は子供相手でも……いや、子供相手だからこそいつもよりも切れ味を数段挙げて辛辣な言葉を投げかけていく。

 雪ノ下の言葉に最初は驚生き気味だった鶴見留美だったが自分も薄々気づいていたのか徐々にその表情を暗くして顔を俯かせた。

「本当は林間学校なんて休む気だった……でも、そんなのできなくて友達と一杯写真撮ってきなさいってカメラまで渡されるし」

 今の一言で若干理解したがこの子は俺達とは違う混血のボッチだ。はじめはみんなと仲良くしていたがあるきっかけでボッチへと変貌してしまい、その変貌した環境でどうしたらいいのかわからない。

 だからさっきみたいに泣きそうな顔をする。

 以前の心地よさを知っているから。

「何回かハブるのはあって私も何回かやってて……それで仲が良い子がその対象になってちょっと距離置いたら……いつの間にかターゲットが私になってた」

「……小学生なんてそんなもんだ。見えない悪意で1人を襲う……つい昨日まで仲良く話していたのに次の日になったらそいつがいじめっ子のグループになってるなんて良くある話だ」

「経験あるの?」

「…………」

 鶴見留美の質問に俺は何も答えない……その無言が答えなのだから。

「中学生になっても……こうなのかな」

 留美の嗚咽が入り混じった声からすれば10メートルそこらしか離れていないはずの歓声がどこか遠い国から聞こえてくる声に聞こえる。



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第21話  人間とは面倒くさい生き物である。

 カレーが完成し、留美が自分の場所へ戻るのを確認してから俺達もベースキャンプに戻り、そこに設置されている木製のテーブルと椅子に座り、カレーを食べ、食後のティータイムに入っているがその空気は暗い。

 どうやら鶴見留美の一件はすでにオリエンテーリングの時に全員が知っていたらしい。

「大丈夫かな……留美ちゃん」

「ふむ。何か心配事かね」

「ちょっと孤立しちゃってる子がいて」

「だよね~。超可哀想」

 葉山の一言に三浦も乗っかる。

「問題の本質はそこじゃない。悪意を持って孤立させられていることだ」

「はぁ? 何か違うわけ?」

 ……そう真正面から来られると怖い。

「自分の意思で1人になる、孤立しているのであれば問題はない……でも悪意をもってして孤立させられているのだとしたらそれはいじめだ」

 俺の一言に納得したのか三浦は黙り、葉山も何も言わない。

 孤立という状態を受け入れる姿勢が能動であれば問題はない。だが受動であるのならばそれは問題だ。

「君たちは何をしたいのかね」

「……なんとかしてあげたいです。みんなが仲良くできるように」

「無理よ」

 全員が納得するであろう意見を雪ノ下がバッサリと切り落とす。

「貴方では無理よ。そうだったでしょ」

「たしかにな……でも、今は違う」

「今も昔も同じだ」

 2人だけの過去に水を差されたのが心底嫌だったのか葉山はいつも以上に睨みを利かせながら俺を睨んでくる。

「どういうことかな」

「昔出来なかったことが今できると思うか? 昔、出来ないことが時間が経ったら出来るようになってるならどうして戦争を止めることができないんだ? あれだけ戦争で人間が死んだのに未だに無くならないだろ」

「拡大しすぎだよ」

「縮小しても同じことだろ。お前の持てる力を全てぶつけて出来なかったことが時間が経った今ならできるなんてことはまずない。スポーツや勉強は抜きにして人間のことを変えられない人間はずっと変えられないんだ」

 俺の言う事に心当たりがあるのか葉山は何か言いたそうな表情をするが悔しそうな顔をした。

「ふむ。要するに君たちの意見をまとめれば無視はしないでおこう。でも方法が分からない、といった感じだな。よし。これも良い経験だ。君たちで話し合って意見を出したまえ。私はふぁぁ~。寝る」

 先生は大きなあくびをしながら煙草を灰皿の押し付けて火を消し、席を立った。

 

 

 

 

 

 

 議題を鶴見留美を助ける方法というものに設定し、話し合いを始めるが根本的に考え方が真っ向から違うグループである以上、すぐにまとまるはずもなかった。

「つーかさー。あの子結構可愛いんだし、他の可愛いことつるめばいいじゃん。試しに話しかけんじゃん? 仲良くなるじゃん? 周りに男寄ってくるじゃん? 楽勝じゃん」

「まじそれだわー! 優美子冴えてるわ!」

「だしょー?」

 それは女王の三浦にしかできない事だろとツッコミたい。

 ……なんとなくだが2人を覗いた全員がこの意見は無視しようということを思った気がする。

「はいはい!」

「姫菜。言ってみて」

 葉山に言われれ席を立ったのは眼鏡をかけた女子―――海老名姫菜。

「趣味に生きればいいんだよ。ほらよく言うじゃん。現実では一人ぼっちでいじめられっ子だけど趣味の世界じゃ神とあがめられてる人みたいなんいるでしょ? 留美ちゃんもそうやって生きればいいんだよ」

 人はそれを時に現実逃避というが……まあ、この際何でもいい。あの2人よりましな意見だし。

「私の場合はBLで友達ができました! ホモが嫌いな女子なんていません!」

「……優美子。姫菜と一緒にお茶入れてきてくれるか」

「ん。ほら、行くよ」

 鼻血を三浦に拭いてもらいながら海老名さんは退場処分となった。

「でも、姫菜の言う通り別の方法で交友関係を作るっていうのは良いかもしれない。例えば習い事だったり他の学年の人達と一緒に遊ぶとか」

「前者はともかく後者は微妙だろ」

「というと?」

「……うっわ~。あいつ年上と遊んでるし。何調子のってんの? 苛めちゃおうよ……って感じ」

 俺の意見に由比ヶ浜も小町も心当たりがあるのか腕を組んでうんうんと首を縦に振った。

 小学生は何かにつけて調子乗ってるだのといってそいつを排除しようとしてくる。

 そこからは誰からも意見が出ず、三浦と海老名さんが戻ってきたとしてもそれは変わらない事実であり、ただただ時間が過ぎていく。

「じゃあ、何かみんなが驚くようなことをするってのはどうかな」

「たとえば?」

「何かの行事の実行委員長とか」

「無理ね。今まで下に見ていた子が上に上がれば余計に悪意が広がるだけよ」

「……そうだな」

「さっきから雪ノ下さんさー。意見聞いてないじゃん」

 水を持って帰ってきた三浦さんが雪ノ下に突っかかる。

「聞いているわ。聞いたうえで否定しているのよ」

「否定ばっかりで前に進まないじゃん。そんなんだから置いてかれるんじゃないの?」

「貴方とは違ってちゃんと私は熟考してから進むの」

「っっ! そんなんだから」

「優美子。ストップだ」

 葉山に言われ、まだ言い足りない様子の三浦はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべ、頬杖をつく。

 やはり葉山と雪ノ下の間には過去に何かあったようだ。

 結局、この日の会議で決まるはずもなく翌日に持ち越しと言う事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議を切り上げ、俺が風呂に最後に入ってバンガローへ戻ると既に布団が敷かれ、葉山は壁にもたれ掛ってタブレットで何かを見ており、戸部はその様子をはつらつと見ている。

「葉山君何見てんの? エロ動画?」

「参考書だよ。PDFだけど」

「なんか頭いい単語聞こえたわー」

 今の会話の中で頭良さそうと思われる単語があったのならば俺は今頃、世界で一番頭が良い少年と謡われているだろう。毎日、難しい単語考えてるぞ。

「葉山君って頭いいんだね」

「そんなことないさ」

 戸塚の発言に優しさの権化たる葉山は戸塚の方を見て笑みを浮かべながら答える。

「待った。隼人君、超成績良いじゃん。文系何位だったよ」

「そりゃ成績は良い方だけど雪ノ下さんと……上にもう1人いるからね」

「うっそー! 隼人君より頭いい人なんてもう化け物じゃん!」

 葉山は俺の方をチラッと見ながらそう言うとバンガロー内に戸部のハイテンションな声が響く。

「なんか修学旅行思い出すし好きな人の話しようぜ!」

 どういうぶっ飛び理論だ。

「じゃあ、戸部から言えよ」

「お、俺かぁ~! 俺は……その海老名さんとかいいと思ってる」

 意外だ……三浦によく乗ってるから三浦のことが好きなんだと思っていた。

「俺言ったから次、隼人君ね」

「俺は良いよ。もう寝よう。明日も早いんだし」

「それはないわ~。俺も言ったんだから」

「……Y……もう寝ろ」

「誰か気になるわ~。これで不眠症になったら隼人君のせいだ~」

 明らかにイライラの感情を含ませた低い声に戸部はそれ以上、追及しようとせず、布団の中に潜りこんだ。

 Y……パッと思い浮かぶだけで数人はいるがそんな事よりも俺は葉山のあの言葉に驚きを隠せないでいた。

 葉山は良い奴……どこかそんな思い込みにも似たようなことを思っていた俺は葉山が発した他人を潰す勢いのある言葉を聞き、驚いた。

 そんな驚きを抱きながらも俺も眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 全員寝静まった時間、俺ふと目を覚ましてしまい、何とか1人で立ち上がって外の空気を吸うべく、バンガローから起こさないように静かに抜けだし、真っ暗な中を月明りを頼りに歩いていく。

 バンガローから少し離れた所で人影を見つけ、目を凝らしてその人影を見てみると雪ノ下雪乃が夜空を眺めながら小さく歌っていた。

 ……静かな高原のせいなのか、いつもよりも雪ノ下の姿が神秘的に見える。

 人に見えないバリアを張り、必要以上には近づこうとしない……。

「比企谷君?」

「よく分かったな」

「歩き方で分かるわ」

 そりゃそうか。本来普通の人間が歩いている姿はまっすぐだが恐らく俺の歩く姿はどちらかに偏っているのだろう。

「星……見てたのか」

 少し視線を上げて見れば上空には満天の星空が広がっており、天然のプラネタリウムとも言えそうなくらいに星々が輝きを発している。

 千葉村の夜はほぼすべての電気を消える。だから都会と比べて星が多く見える。

「いいえ。そう言うわけではないわ……あの後三浦さんが突っかかってきたから論破し続けたら泣いてしまったのよ。だから外で時間を潰しているの」

 うわぁ……普段から論破され慣れていない三浦の耐性がなさ過ぎたのか、それとも雪ノ下の言葉もマシンガンの威力が強すぎたのか……だがさしずめ、雪ノ下でも涙には弱いらしい……俺もなんかあったら泣こう。

「葉山とは知り合い……なのか?」

「鋭いわね……ええ。小学校が同じで親が仲が良く、彼の父親がうちの会社の顧問弁護士なのよ。彼のお母さんは医者をやっているわ」

 生まれながらにして人の上に立つ才能を持っている人間か……それはもう両親からは期待をされて育ち、その期待を裏切ることなくしてきたんだろうな。

 雪ノ下雪乃と同じような境遇でありながらベクトルが全く違う……。

「親同士が仲いいと面倒だな」

「そうなのでしょうね」

「他人事みたいな言い方だな」

「昔から人の前に出るのは姉さんだったから……私はずっとその後ろに隠されていたもの……だから」

 そう言いながら雪ノ下は俺を……どちらかといえば俺の足に視線を向け、暗がりの中見えない表情を浮かべながら少し、見てくるがまたすぐに目を離した。

 ……やはり雪ノ下雪乃は俺に対して何かを抱いている……恐らく何か申し訳なさそうなものに感じる。

「自分で出ようとは思わなかったのか」

「……そうね。それはなかったわ」

「…………」

「そろそろ戻るわ」

「あぁ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 雪ノ下雪乃は静かに帰っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、俺達は小学生のいないガラガラのビジターハウスで朝食をとっていた。

「お兄ちゃん、お代わりは?」

「いや、いらね」

 口数は少なめに各々、10分ほどで準備された朝食を食べ終わり、温かいお茶を啜っていた。

 今頃小学生たちは屈託のない笑顔を浮かべてこの大自然の中を縦横無尽に走り回り、自然に好奇心を炊きあがらせ、虫取りや自然観察に没頭しているのだろう。

「朝食は食べ終わったみたいだな。今日の予定について話しておこう。小学生は今日一日は自由行動、夜にはキャンプファイヤーと肝試し大会があるらしい」

「俺らが脅かす役か」

「あぁ。衣装は準備してくれているらしいからそれを使ってくれ」

 キャンプファイヤーつったらあんまり良い思い出ねえな……炎を囲って全校生徒で手をつなぎましょうと言われ、隣の女子と手をつなごうとした時、「別に手、つながなくていいよね?」と言われ、一か所だけ先生が入るという公開処刑を受けた記憶しかない。

 説明を受けた後、キャンプファイヤーの準備をするべく、連中は外へ出向くが俺はいても居なくてもいいのでボーっと1人、ビジターハウスで座っていると扉が開かれ、目の前に鶴見留美が座った。

「……部屋戻ったら誰もいなかったからこっちに来ればあんたがいるかもって」

 えげつねえ……小学生はブレーキが弱いからな。

「……写真。どうすんだよ」

「適当に嘘ついて誤魔化す……自然の写真はいっぱいとったし」

「……なら俺と写真撮るか?」

「いらない」

 けっ! 最近の小学生は可愛げがないねえ。お兄さん・お姉さんに写真、一緒に取ろうかって言われたら俺が小学生だった頃は喜んでとってもらったぜ……ま、写真を後の日に見た母親は複雑そうな顔してたけどな。

「ねえ、思ったんだけど中学受験したら」

「やめとけ。金をドブに捨てるようなもんだ」

「……なんで」

「一度ボッチになった奴は人との関わり方を忘れるんだよ……いわゆる普通の接し方ってやつだな。その普通の接し方を忘れてるんだから外部に行こうが結果は同じだろ」

 人というものは面白いところがあり、少しやっていないだけですぐに頭の中から消えてしまうのだ。

 いじめ被害者が社会復帰できないことが多いのは他人との関わり方を忘れたからであり、ボッチが高校デビューするも失敗することが多いのは他人との距離を測ることができない故にだ。

「そっか……」

 鶴見留美の表情は芳しくない。むしろ今にも泣きそうなものだ。

 本当は元の関係に戻りたいのだろう……だが、その方法が分からない。

 …………人間って面倒くさい生き物だな。



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第22話  こうして友情は壊されるのである。

「……なんじゃこりゃ」

 キャンプファイヤーの準備をしている連中が帰ってくるまでに一度、小学校の教員たちが準備したという肝試しで使う衣装を見ているとまず第一声にそんな言葉が出た。

 なりきり猫セット、陰陽師セット、魔法使いセット(指輪付)、雪女セット……小学生だから遠慮したんだろうがこれは威力下げすぎだろ。

「あれ? お兄ちゃん何してんの?」

 キャンプファイヤーの準備をしていた連中に肝試しで使う衣装のセットを見せると全員一様にそのレベルの低さというか威力の低さに戸惑いを隠せないでいた。

 ま、そう言う反応だよな。もうこれ仮装セットだし。

「……留美ちゃん。大丈夫かな」

 由比ヶ浜の一言に連中の空気は冷える。

 結局、妙案も出せないままこんな時間にまで来てしまった。もしこのまま放置しておけば確実に留美は中学に上がればバージョンアップしたハブリという名のいじめにあうだろう。

 その前に何とかしたい……この場にいる全員が願っていることだろう。

「お兄ちゃん。何かいい方法ない?」

「……無いことは無いんだが……」

「またその顔……ろくでもない案だとは思うけど話は聞きましょうか」

「人間、極限の恐怖に見舞われるとどんな奴でも本性をさらけ出す。ずっと一緒だとか永遠に友達とか言っている奴ほどあっさりと切り捨てる……それを留美のグループの奴らに適用させる」

「でもさー。こんな衣装でそれできんの?」

 三浦の言う通り、こんな格好ではむしろ演出の一部と思われてしまい、奴らの青春の一ページあのお兄さんたちの格好、全然怖くなかったねというページを増やしてしまうだけだ。

 それは百も承知……だから。

「衣装は使わねえよ。俺があいつらを恐怖のどん底に叩き落す」

「主にどのような方法で」

「簡単な話だ。暗がりの中、怖いお兄さんに襲われ、置き去りを食らう……良い案だろ?」

 そう言うが由比ヶ浜も雪ノ下もなんかうわぁ、とでも言いたそうな顔をして俺を見てくる。

「ヒキタニ君だけやるっていうのは」

「葉山。心配する気持ちは分かるがお前たちは小学生たちに良いお姉さん・お兄さんっていう感情を持たれてるだろ? そんなんじゃあいつらは本性を現さない」

「そこで小学生たちと交流していないあなたが出番というわけね」

 雪ノ下が補足説明を加えることでようやく全員が理解するが葉山は納得いかない表情のままだ。

「それだとヒキタニ君が犠牲になる。やるなら俺も」

「だからそれは無理だ。特にお前はな。小学生と……特に留美たちのグループと接しているお前じゃ演出の一部と捉えられかねない」

「……1人の犠牲で平和は成り立たないだろ」

 葉山の言う事も理解できないわけではない。

 葉山はみんな1つ、みんな仲良くを目標としているわけで1人が犠牲になることでその目標が達成されたとしても喜ぶどころか悲しみ、泣き叫ぶだろうな。

「それにこれは他のグループの肝試しも円滑にやらなきゃならない。割く人員は少ないに限る」

「……言っていることは合っているわね。でもあの子のグループをどうやって恐怖に落とすの? 少なくともそのグループを孤立させないといけないわよ」

「あっ! 小町に良い考えがあります! 肝試しの順番をこっちで決めるのはどうですか? それだと盛り上がるし、準備もしやすいですよ」

「あ、でも留美ちゃんの班を最後にしても行き違いにならないかな」

「そこは案内役を配置したらどうかな?」

 いつの間にか俺の提案したので行くのが決まったのか俺と葉山をほっぽって連中はあ~だ、こ~だと言いながらいかに穏便に、そしていかに成功確率を上げるかを話し合いだした。

 …………どういうネタで脅そうか。

 脅すネタを考えていると諦め顔の葉山が俺の隣に立った。

「まだ不満そうな顔だな」

「あぁ……でも、これしかないみたいだし……でも、俺は君だけが犠牲になるのは納得がいかない。俺も脅す役に参加する」

 ……何を言ってももう変わらないんだろうな。

「……わ~ったよ。とりあえず」

 俺と葉山は肝試しの時間が来るまで入念に話し合いを重ね、どういうタイミングでどういうネタで留美たちのグループを脅すのかを決めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が完全に沈み、真っ暗になった時間帯、肝試しが開始され、すでに何組かのグループが出発し、阿鼻叫喚の叫び声が聞こえてきたり、笑い声が聞こえてくる。

 作戦としては指名役の小町が留美たちのグループを指名した瞬間、カラーコーンで封鎖していた行き止まりへの道へグループを誘導させ、俺が前を、葉山が後ろを塞いで逃げられないようにし、脅すというのが作戦。

 一応、決まりとして互いの本性を見せた後、奴らが逃げた後は何も脅かしはしない、逃げる時に転んでけがをしない様に事前にチェックまでしている。

「……ヒキタニ君の考えは斬新だな」

「そりゃ、お前がこういう考え方の奴に出会わなかったからだろ」

「そうかもな……彼女が気にかけるのも分かる」

「なんか言ったか?」

「いいや」

 時折、葉山は沈痛な面持ちになることがある。大体それは雪ノ下関係の話になった時が多い。

 その時、ポケットに入れていたスマホが震え、チラッと画面を見るとメッセージアプリが表示され、留美たちのグループを指名したことを知らせる内容が表示されていた。

 それを葉山にも見せ、配置についてグループが来るのを待つ。

 やがてゆっくりとこちらへ歩いてくる音が聞こえ、コソコソと小さな声も聞こえると同時にライトの明かりが見えてきた。

 ……さてと、始めますか。

「っっ! だ、誰」

 小学生たちは目の前にいる俺にライトを当てると知らない男がいることに気づき、恐怖の表情を浮かべる。

「……ゾ、ゾンビの仮装?」

「な、な~んだ。全然怖くないじゃん。片足のゾンビなんて今更」

「おい」

 後ろから葉山が現れ、声をかけると小学生たちは肩を大きくビクつかせて後ろを振り返るが葉山だと言う事に気づくや否や安心したのか大きく息を吐いた。

「びっくりした~。お兄さん」

「お前ら今、あいつのことバカにしたろ」

「え?」

 優しい口調で語りかけてくれていた人が突然、低い声音で話しかけてきたことに小学生たちが対応できるはずもなく驚きと同時に黙りこくった。

 ……演技というには迫真過ぎるな。

「小学生だからって言っちゃいけない事くらいは分かるだろ……それに高校生相手なのにタメ口きいてどうするんだよ。敬語使うようにって先生から習わなかったか?」

 小学生たちは何も言えずに只々、静かには山の言う事を聞いている。

「どうする? ヒキタニ君」

「そうだな~。馬鹿にされて傷ついたから……ちょっとお仕置きするか。1人選べよ。1人残したら後の奴らは見逃してやってもいいかもな」

 声を低くしながらそう言うと1人が押し出された。

 グループが鮮やかな連係プレーで留美を押し出す様子はまるでこいつを生贄にあげるから私たちは助けてとでも言っているかのようだった。

「る、留美残りなよ」

「そ、そうだよ」

「葉山さ~ん。こいつらろくに話し合いもせずに1人に押し付けましたよ。どうします?」」

 俺が恍けながらそう言うと留美以外のメンバーは一斉に後ろにいる葉山の方を見てもう今にも涙を流しそうな表情をした。

 挙げておいて落とす作戦か……これはこれで効果あり。

「いけないな~。誰かに押し付けるのはよくないことだ……罰としてもう1人残れ」

 葉山の宣告にメンバーは互いに顔を見合わせながら手で小突いたり、目でお前が残れよと言い合い始め、やがてそれは砂の掛け合いへと変化する。

 やがてその戦いに決着がついたのか見放された1人が押し出され、留美の近くによろけた。

「ゆ、由香が残ればいいじゃん」

「そ、そうだよ。由香が最初に留美を押し出したし」

「そ、そんなことしてない! 森ちゃんだって押し出したじゃん!」

「はぁ? 私? 私何もしてないし第一、由香が」

「ちっ! 鬱陶しいんだよ……さっきからベラベラ喋りやがって……俺さ~。さっさと自分の意見を決めない奴ら、大っ嫌いなんだよな……もういっそのこと全員、お仕置きするか」

「「きゃぁぁぁ!」」

「ま、待ってきゃぁ!」

 そう言いながら顔をライトで照らし、一歩、小学生たちに大きく近づいた瞬間、小学生たちは恐怖のあまり泣き叫びながら逃げ出し、逃げ遅れた1人が葉山の隣を抜けようとした瞬間、足でもひっかけられたのか盛大に地面にこけ、必死に逃げ出そうとするが杖を目の前にカツン、と敢えて音を立てながら置くと俺を恐怖に満ちた眼差しで見上げてくる。

 ……さて仕上げと行くか。

 俺は中腰の姿勢で地面に這いつくばっている女子に手を近づけるとそのこは頭を抱えて蹲るが小町の頭を撫でるように優しくその子の頭に手を置いた。

「え?」

「……分かったか。これが誰かに無視されるってことだよ」

 留美には聞こえない小さな声で女の子に語り掛ける。

「無視されるっていうのは自分の存在を否定されるってことと同じなんだよ」

 俺の話すことに少女は呆然としながらも首を縦に振る。

「これで分かったろ。誰かに無視されるっていう事のっっ!?」

「わっ!」

「こっち! 走って!」

 最後を締めようとした瞬間、奥の方から眩しい光と共にシャッター音が鳴り響き、留美と少女が手をつないでスタート地点へと戻っていく。

「か、カメラのフラッシュ」

「あ、あいつ容赦ねえな。全開じゃねえか。目が痛ぇ」

「ハプニングが入っちゃったな」

「ハプニングはハプニングでも最高のハプニングだろ」

「……これで留美が孤立することはなくなるのか」

「さあ? でも、その後はあいつら自身がやることだろ。俺たちが手を出せるのはここまで……かぁ~。目が」

 ずっと暗い所にいたせいでカメラの全力フラッシュが非常に堪える。

「立てる?」

「手、貸してくれ」

 葉山の手を借り、立ち上がって時間を確認すると既に時間は肝試しが終了する予定の時間の5分前を表示しており、次々に小町や由比ヶ浜から終了したことを伝えるメールが送られてくる。

 とりあえず肝試しは終わりだな。

「こっちも全員、戻ったって来た。そっちは?」

「……雪ノ下から来ないな。お前、何本立ってる?」

「全開だけど」

 電波の問題じゃなさそうだし……あいつが終了連絡を忘れるとは思えないしな。

「先に戻ってていいぞ」

「大丈夫か?」

 葉山は俺の足を見ながらそう言うが肝試しのルートとなった部分は小学生のことも考えられた平坦な道が多いルートだからな。

「平坦な道ばかりだし、大丈夫だ」

「分かった。じゃ、また後で……後、自分からやったとはいえあんな役はもうごめんだ」

 葉山はそう言い、先にスタート地点へと戻った。

 ……自分から参加したとはいえ、葉山にとっては見たくない光景だったろうしな。

 葉山を先に返し、由比ヶ浜へ電話を掛けると何回かの呼び出し音がなったあと、通話が入った。

『あ、比企谷君!?』

「雪ノ下から連絡来ないんだけどそっち来てるか」

『こっちもそれで大慌てなの! 多分、山で迷ったのかも』

 明るいうちに迷うならまだしもこんな夜更けの時間帯に迷子になったらライトの明かりくらいじゃ全く前が見えなくなるぞ……そう言えば雪ノ下の着ていたのって白い着物だったよな。

「……由比ヶ浜。雪ノ下と担当位置が近かったのは誰か分かるか」

『え、えっと優美子だと思う。ゴール付近だって』

「……分かった」

 そう言い、由比ヶ浜がまだ何か言いかけているがそれを無視して通話を切り、ライトで足元を照らしながらゴール地点目指して山を上がっていく。

 着物を着ているからポケットがないだろうし、何かの拍子で携帯を落としたままかもしれないしな……ゴール地点まで向かえばあいつに会えるだろ。

 そう気楽に思いながらゴール地点へ目指して歩いていく。

「肝試しルートがマジの山道だったら俺死んでるな……あそこか」

 ゴール地点と思わしき机が置かれている祠が見え、近くへ行き、周囲を見渡してみるが雪ノ下の姿はどこにも見当たらず、地面を照らすが携帯も見当たらない。

「雪ノ下~……肝試し終わったぞ~……雪ノ下~」

 いつもよりも大きめの声で周囲に呼びかけるが足跡1つ聞こえない。

「……マジで迷子なのか」

 山の夜は冷える。虫対策として薄い長そでに長ズボンを履いているがそれでも少し寒さを感じるくらいだ。

 着物を着ていると言っても長時間、あの服でいたら確実に体は冷える。

「…………ふぅ」

 一息つき、考えていく。

 雪ノ下が仮に迷子になったとすればどうするか……恐らく自分の位置を知らせるためにライトを振り回すだろう……が、その明りも見えないのでその線は消える。携帯はもう落としたと断定した方がいいだろう。

 明かりも何もなくなったらどうする……恐らくあまりうろうろ動かないだろう……壁伝いに歩くものだがここに壁はない。木はいっぱいあるけど……木か。

 祠の周囲をライトで照らし、人1人がもたれ掛ることができるくらいに太い幹のものを探していくがどの木も細い幹のものばかり。

「……困ったな」

 もう雪ノ下を探す手掛かりが見つからない。

「GPS……は無理か。あいつのメアド知らねえし………いや、待てよ」

 俺はあることをふと思いつき、由比ヶ浜に電話を掛けるとすぐに出た。

『今どこいるの!?』

「由比ヶ浜。雪ノ下の携帯鳴らし続けてくれ。次に俺が電話するまでな」

『え、うん』

 一旦、通話を切り、耳を澄ます。

 今は幸運なことに風もない……もうこれしかない。

 そう思いながら耳を澄ましていると落ち葉が震える音が聞こえ、そっちの方へ向かうと暗い景色の中に明かりを放っているものが見え、その近くへ行くと案の定、携帯が落ちていた。

「やっぱり落としてたか……」

 ライトで前方を照らしながらゆっくり歩いていくとさっきまで細い木が並んでいたのがだんだん、太い木が見えるようになってきた。

 ……これで見つからなかったらもう警察沙汰だな。

 雪ノ下が気付くようにライトを大きく振り回しながら歩いていくと一瞬、カサっ! という音が聞こえ、そっちの方向をライトで照らすと

「…………よ」

 太い幹に寄りかかり、両膝を折りたたんで座っている雪ノ下雪乃がいた。

 そのすぐ近くにはライトが転がっていた。

 多分、ライトをつけようとした拍子に落としてしまい、真っ暗の中に消えて見えなくなってこの太い幹に寄りかかって待っていたってところか。

「比企……谷……君」

「ふぅ。見つかってよかった。とりあえず」

 それ以上言葉が出なかった……いや、言葉が出せなかった。

 不意に立ち上がったと思いきや、雪ノ下が俺の胸に飛び込んできたからだ。

 ギュッと俺の服を掴んだ手はわずかながらに震えているのが分かり、俺は何も言わずに雪ノ下の頭をポンポンと優しく数回撫でた。

 …………こんな暗いところに1人になったら俺だって泣くわ。

 少ししたところで気持ちに整理がついたのか雪ノ下は俺の傍から少し離れた。

「ごめんなさい……迷惑をかけてしまったわね」

「気にするなよ……帰ろうぜ、皆待ってる」

 そう言い、歩き出そうとした時、軽く後ろから引っ張られたような感覚を感じ、振り返ると下を俯いたままの雪ノ下が俺の袖をつまんでいた。

 …………よく、小町も暗いところでこうやってたっけ。

「ん」

「え、ちょ」

 雪ノ下の手を離し、ライトを持たせて反対側の手を握り、歩き始めた。

「袖を掴んでいるだけだったらまた迷うぞ。こっちの方が迷わわない」

「……そうね」

 雪ノ下に足元を照らしてもらいながらゆっくりと歩きはじめ、来た道を戻っていくとスタート地点周辺に人だかりが見え、よく見てみると戸部や葉山、由比ヶ浜達が集まっていた。

「ゆきのん!」

 由比ヶ浜が大きな声を上げながらこちらに向かって全力ダッシュしたと同時に握っていた彼女の手を離し、由比ヶ浜と問通過する形で俺は歩き始めた。

「よがっだよー! ゆぎのんが無事で!」

「ごめんなさい、由比ヶ浜さん。心配かけて」

 後ろから涙声の由比ヶ浜の声と申し訳なさそうな雪ノ下の声が聞こえ、2人のもとへ戸塚と小町、そして海老名さんが向っていき、葉山も歩きはじめていた。

「ありがとう」

 そう小さな呟きが葉山が通り過ぎると同時に聞こえた気がした。

 それはただ単なるありがとうなのか……それとも別の意味を含んだありがとうなのか……真意は俺には計り知れない。

「比企谷。よくやった」

「……そうっすかね」

「ありがとう。雪ノ下を見つけてくれて」

 何度もかけられるその言葉は最近、よく聞く。

「…………」

 俺は恥ずかしさを隠すために頭をガシガシとかきむしった。



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第23話  こうして雪ノ下雪乃に失望する。

 5分後、キャンプファイヤーが始められ、燃え盛る炎を中心に手と手をつなぎ合っている小学生たちがグルグルとゆっくり動きながら大きな声で歌を歌う。

 俺にとってはトラウマソングだが……彼らにとっては一生の思い出に残る希望の歌なのだろう。

 ここからは見えないが恐らく留美もあの輪の中に入り、久しぶりに感じる友の輪とやらを感じて複雑そうな表情を浮かべているか、それとも笑顔なのか……。

 他の連中も小学生の輪に混ざっている者もいればその様子を見て何故か鼻血を出している奴もいる。

「無事に解決……とはいかなかったみたいだな」

「先生は入らないんすか?」

「あそこは子供の輪だよ……大人が入るべきでない……結果だけは聞いたよ」

「そうすか……先生的にはどうなんすか? この結果は」

「そうだな……マンガで言う中々やるな、お前もな……と言って拳を軽く合わせるシーンだな」

 要するに微妙ってことか……ま、内容だけ見れば信じていたものに裏切られるのを経験させ、友好関係をグッチャグチャにした後、講釈垂れただけだからな。

 世の大人たちが見れば怒鳴りつけるだろうよ。

「やはり君を連れてきて正解だったよ」

「調理の面すか?」

「それもあるが……全体的にだ」

 全体的に見れば俺という存在は何もしていないと言う事になる。

 食材を切ることなんて俺以外の人間でもできるし、鶴見留美の話を聞いてやるのも葉山隼人で代役が務まるほどの仕事だ。俺はこの林間学校中、何もしていない。

「何もしてないっすよ。ただ単にみんなが働いている中、話を聞いただけっすよ」

「そうかもしれない……だがな、比企谷。話を聞いて実行に移し、それを成功させるというのもまたその人間の才能というものなのだよ。聞き上手な人間はいるだろうがそれを実行に移す人間は少ないだろう。君はもう少し、自分のことを持ち上げてもいいと思うがな」

 そう言い、先生は俺の頭を数回撫でるとタバコに火をつけ、教員たちが集まっている場所へと向かった。

 ……下の者は下にいるのが良いんですよ。

「ヒキタニ君」

 振り返るとご機嫌な様子の葉山がいた。

 葉山は何も言わずに俺の隣に座るとキャンプファイヤーで楽しんでいる小学生たちを見てまるで親が子を見るかのような優しい笑みをフッと浮かべた。

「雪ノ下さんを見つけてくれてありがとう」

「別に。迷子を見つけただけならお前だって」

「だからだよ……君は凄いな」

「何が」

「さっきのことだよ……俺だったらそんな考えは思いつかなかった」

 褒めているのか貶しているのかさっぱり分からんがポジティブに褒めていると考えよう。

「もし、君が俺と同じ小学校なら……彼女も」

「ボッチが一人増えるだけだよ……お前の学校にな」

「そう……かもな。でも、君は動いたはずだ……いじめを見たら」

 そう言うと葉山は悔しそうな表情を一瞬だけ浮かべ、小学生たちの中へと向かっていく。

 ……いじめか…………雪ノ下も俺も……どこか似てるようで似てないよな。

「比企谷君」

「よぅ」

 呼ばれ、振り返ると雪ノ下がおり、俺の隣にチョコンと座った。

「今日はありがとう……助けてくれて」

 だから今日はマジで俺、お礼を言われる日なの?

「そんな大層なことしてねえよ。迷子を見つけて届けただけだ」

「そう……彼女は救われたのかしら」

「……あいつ自身、変わりたいって思ってたみたいだしこれからに期待するしかないな」

 正直、留美があそこで仲間を救うとは思っていなかった。

 てっきり自分を苦しめた相手の苦しむさまを写真で取り巻くってばら撒くとかするか……いや、それは俺か。

 ま、まあとにかく。あいつ自身が変わりたいと思ったゆえの一歩ならばその一歩は全てのものに影響を与え、変革を与えるだろう。

「今回は珍しく相手依存型の幕引きね」

「そうだな……あ、これ」

 ポケットから回収した雪ノ下の携帯を手渡した。

「ありがとう……このお礼は必ず」

「なあ、雪ノ下」

 選択を間違えれば由比ヶ浜の時以上に拗れる……だが俺はその先に期待していたのかもしれない。

「お前……俺に対して何が抱いてるだろ」

 彼女の表情は俺の視界の外にあるので見えない……だが驚きに満ちた表情をしているだろう。

「由比ヶ浜のプレゼントを買いに行った以来、妙に俺に優しくないか」

「…………」

 雪ノ下は俺の問いに何も言わない。

 こいつが抱いているそれは何かに対しての申し訳なさに似たそれだ……もしも……もしも仮に俺が考えていることが当たっているのだとすれば……俺は……。

「……あの日の事故……お前も……あの場に……いたんじゃないのか」

 そう言った瞬間、雪ノ下は今までにないくらいに申し訳なさそうな表情を浮かべると俺から視線を逸らした。

 …………俺はいったい彼女に何を望んでいるのだろうか……謝罪? いや、形式的にはもう貰った……慰謝料? それも貰った…………告白……。

 その二文字を思い浮かべた瞬間、詰まっていたものがなくなった感覚がするとともに雪ノ下を見る目がドンドン冷たくなっていくようなものを感じる。

「……何で言ってくれなかったんだ」

「…………」

「……由比ヶ浜ともまだ関係を完全には修復できてない……由比ヶ浜にも言ったことなんだが一回、俺達の間にあるもの消さないか。責任とか全て……このハンデに見合うものはもう貰ったんだ……俺達に……少なくとも俺たちがもう悩むことは無いんじゃないのか……そう言って……お前とも普通に接するつもりだった…………いや、接したかった」

 そう言うと雪ノ下は驚きを隠せないのか目を見開き、俺を見てくる。

「……それがお前の選択なら……何も言わねえけど」

 そう言い、俺は立ち上がり、バンガローへと向かって歩き始めた。

 これが俺の選択。

 この選択が後々及ぼす影響を俺はまだ知ることはできない。

 だから俺は期待することにする。

 俺が……欲した物になることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りの車内は全滅していた。

 準備などで体を動かし続けた後部座席に座っている連中は全滅し、はっきりと意識があるのは俺と運転手の平塚先生位だ。

「……今回、君たちがやったことは問題にはなっていないようだ」

「そうっすか……方法は最低っすけどね」

 一歩間違えれば暗所恐怖症・対人恐怖症、諸々の恐怖症という名のトラウマを抱えて学校に行くのすらできなくなってしまうかもしれなかったからな。

 でも断言できるのは……こかされた奴はこれから留美に対する考え方がガラッと変わっただろう。

 怖いところから助けてくれたヒーロー……むろん、根は良い子なのかもしれないが少なくとももうハブリと言う事をしないとは思う。

「帰りはどうする。全員を送るのは骨が折れるが君だけなら」

「いや、良いっすよ……小町と一緒に歩いて帰りますよ」

「……そうか」

 全員だけが歩いて帰るのに俺だけ車で送ってもらうのはどこか気分が悪い。

 むろん、あいつらなら理解してくれるのだろうが……嫌なものは嫌なものだよ。

「君はいい方向へ変わっていると思うよ」

「そうっすか? 逆に退化してるんじゃないっすかね」

「相変わらず考え方は変わっていないようだがな」

 それは変わっていないんじゃないかと思いながらも先生の心のどこかで俺が変化した点を見つけているのだと結論付け、それ以上は聞かず微睡んできた意識にそのまま身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がたがたと体を大きくゆすられる感覚を抱き、目を開け、窓の外を見ると総武高校の校舎が見えた。

 平塚先生にドアを開けてもらい、車から降りるとムワッとした空気が襲い掛かり、寝起きと言う事も合って気分は最悪だ。

 各々、体を伸ばしたりしながらこれまでの疲れを取っている。

「みんなお疲れ。事故に遭わないよう気を付けてな」

 ”事故”というフレーズに3人ほどピクッと反応した奴がいるがとりあえずそれらは無視して小町に荷物を持ってもらい、歩き出そうとした時、俺達の目の前に黒塗りのハイヤーが横付けされた。

 ……忘れるわけがない。

 グレーの髪の男性が車から降り、1度俺達に頭を下げた後慣れた手つきで車のドアを開けると真夏日和だというのに何故か小春日和のように心地いい風が吹いた気がした。

「は~い、雪乃ちゃん」

「姉さん」

「え? お、お姉さん? ゆきのんの?」

 雪ノ下陽乃……俺が世界で一番嫌っている人物だ。

 真っ白なサマードレスに身を包み、顔にはいつもの満面の笑みがまるで額縁に入れられた絵のように隙間なくきれいに飾られている。

「雪乃ちゃん、夏休みになったら実家に帰ってくるって言っていたのに帰ってこないから心配して迎えに来ちゃった。お母さんカンカンだよ?」

 その一言に雪ノ下雪乃の体はビクつく。

「……由比ヶ浜さん。合宿、楽しかったわ……比企谷君、助けてくれてありがとう。学校でまた」

「う、うん! また学校で!」

 雪ノ下雪乃は俺達にお礼を言うとハイヤーに乗り、俺達から離れていく。

「……ね、ねえ」

「だろうな……気にすることはねえよ……俺達はもう悩む必要なんてない……俺とお前はな」

 由比ヶ浜の一言に俺はそう言った。

 そう……もう悩む必要はないんだ。俺たちの間にあるものは全て消した……少なくとも由比ヶ浜と俺の間にはもう無い……雪ノ下と俺の間には……越えられない壁がある。



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第24話  うちの女子はすんごいんです。

 夏休みの朝、俺はテーブルにノートパソコンを置き、カタカタとキーボードをたたいていく。

 俺の脚には不機嫌そうな我が飼い猫・カマクラがふて寝していた。

 こいつはいつも不機嫌そうな顔をしている。

 何故か妹の小町には俺が見たことがない満面の笑みを見せ、いちゃつくのだがおれには不機嫌そうな顔しか見せないし、普段は俺の足に乗ることなどない。

 普段は小町の足元にいるのだが今は事情合ってここにいる。

「きゃぁー! もうサブレ可愛い!」

 そう、我が家に犬がいるからだ。

 事の発端は奉仕部の合宿が終了してから一週間後のある日、突然由比ヶ浜が俺の家をドッグハウスを片手に来宅したのだ。

 彼女曰く、家族旅行に行くことになったのだがどうしてもサブレを連れて行けないらしく数々の友人に頼んではみたものの皆予定があったり、ペット禁止だったり。ペットホテルも考えたらしいのだが夏休みとあってどこも満室。雪ノ下は連絡は取れるがそんなことを頼める雰囲気じゃないので俺の家に来たらしい。

 最初はひどく遠慮気味だった。

 そりゃそうだ……俺たちの間にある物の発生原因と言ってもいいのだから。

 だがもう俺たちの間にある者は消したんだ。

 俺はサブレを預かることを了承し、今に至る。

「カマクラ。お前はお兄ちゃんだからちょっとは我慢してやってくれ」

 昔、よく親に言われたことを頭を撫でながらカマクラに言うがカマクラは不機嫌そうな顔を変えない。

 一応、今日の夕方にサブレを引き取りに来るらしいのでそれまでの辛抱だ……それよりも今、俺の問題で大きいのは……雪ノ下との間のものだろう。

 俺たちの間には越えられない壁がある……それよりも俺は彼女が秘密にしていたことに……正直、失望にも近いものを抱いていた。

 何故言ってくれなかったのか……卑屈で偏屈な俺はあいつが優しくしてきたのは事故の責任を取るために優しくしてきたと思ってしまう……はぁ。

「自由研究……人はなぜ馴れ合うのか。本物の友情とは何か……傑作だ」

 俺の宿題に自由研究はない……これは小町の宿題だ。本来なら自分でやれというのだが小町も小町で受験生なので俺がやってやると言ったのだ。

 まあ、選択提出なので出さなくてもいいんだがここで出して何か賞でももらえれば高校受験する際に受験校側にも情報が行くだろう。

 俺の意見および実例をふんだんに出しながら作った作品だ……うむ。

 本当だったら平成特撮ヒーローについてまとめてやっても良かったのだが小町の評価を下げる一因になりかねないのでそれはやめておいた。

 そんなことを考えているとノーパソの傍に置いていた携帯が震えているのに気付き、手にとって画面を見てみると一通のメールが届いていると書かれているのでメール画面を開くと知らないアドレスからだった。

「誰だよ……あ? 大志?」

 思わずそのメールを開いてしまった。

 これがいけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうも~。妹の小町です。いつも兄がお世話になってます~」

 よくCMなどで見かける名前の大学受験対策を行っている塾の近くにあるサイゼに俺達は集まっていた。

 失敗した……何故、あの時大志のメールを鵜呑みにしてしまったのだ!

 大志から送られてきたメールにはこの前のお礼をしたいと言った旨のことが書かれており、ホイホイと着いていくと何故か小町もついてきたし、何故か川崎姉弟が座っていたのだ。

「すみません、お兄さん。こんな暑い中」

「あぁ~本当だな~。暑かったな~」

「なんだよその言い方」

 川崎の睨みを受け、俺は反射的にお口チャックしてしまった。

「今回お呼びしたのは総武高校のことを聞きたいんす」

「隣の奴に聞けよ」

「そうなんすけどやっぱり同じ男子の目から見た評価を見たいんす!」

「止めとけって言ったんだけどこいつ聞かないんだよ」

 川崎沙希の判断は正しい。

 俺が総武高校の評定を出したとしたら恐らく大志はその日に受験志望校を変えるだろう。

 その位の自信はある。

「といわれてもな……まあ、悪いところじゃない。良い先生だっているし」

「なるほど……行事とかはどうなんすか?」

 大志がそう言った瞬間、川崎沙希の素早い叩きが大志の頭にクリーンヒットし、良い音が響いた。

 どうやら大志も俺の脚のことを思い出したらしくすぐに申し訳なさそうな顔をするがジェスチャーで気にすんなとだけ言っておいた。

「す、すみません。俺」

「気にすんな……まあ、行事は他の学校とさほど変わらねえんじゃねえの? 体育祭・文化祭……文化祭は地域との繋がりを重視しているらしいからすこし違うところもあるだろうけど」

「なるほど……と、ところでお兄さん」

「ん?」

「そ、その……女子は」

 その瞬間、川崎沙希の目が暗黒色の輝きを放った気がした。

 な、なんだこいつ……まさかジャ〇ーノー〇・ド〇〇ブを使えるのか!? そうか……だからこいつの睨みを見た瞬間、俺の気持ちが半減されたのか。

「ま、まぁあれだ……すんげえぞ」

「す、すんごいんすか!?」

 大志は目を輝かせながら身を乗り出してくる。

「あぁ、すんごい。もうそれはすんごい。俺が言うんだ……もうすんごい……ちなみに女教諭もすんごい」

「せ、先生もすんごいんすか!?」

 直後、店内に良い叩き音がふたつ鳴り響いたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

「お、お兄様。学力に関してはどうなのでしょう」

「そ、そうですね。国際教養科という選抜クラスがありましてそこはすんごい頭いいざんす」

「そ、そうざんすか」

 大志は姉からの見えない重圧を受け、俺は妹から見える重圧をビンビンに受けながら変な口調で総武高校についての話を進めていく。

 けっ! 男子高校生の日常はエロ話8割・日常の話2割って決まってるんだよ!

「……ま、少ない学費で国立校を狙えるっていう点ではすごくいい学校だと思うぞ」

「なっ! お、おま! ばかっ!」

 川崎が顔を赤くしながら大慌てで俺を睨み付けてくるが今の川崎の睨みなど痛くもかゆくもない。

 目的があって学校へ来るやつは自然と毎日が充実し、その周りには友人と呼べる存在が多数集まってくるだろう。

 他の連中もそうかはしらないが……少なくとも大志は俺の様にはなるまい。

「そろそろ俺ら、帰るわ」

「あ、ありがとうございました! 俺、やっぱ総武高校に行きます!」

「……そ。ま、頑張れよ」

「はい、その時はよろしくっす! お兄さん!」

「高校に入ったら先輩と呼ぶがいい」

「うっす!」

 ……何故か気分は良いな……フハハハハハ! 愉快愉快!

「でも、お兄ちゃんと沙希さんが結婚したらお兄ちゃんのことお兄さんでもいいよね」

「な、はぁ!? バ、バカじゃないの!? そ、そんなことあるわけないし!」

 出ていく俺たちの背中に川崎の叫びが聞こえてくる。

 小町=爆弾投下魔……証明終了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 サイゼから帰ってくるとまず最初にカマクラにタックルを受け、次にサブレに遊んで遊んで光線を撃たれ、それに撃沈した俺はサブレの遊び道具となっていた。

 どうやら出かけている間にサブレはカマクラに同じことをしたらしい。

 というか何故、サブレはここまで俺に懐いている?

「お手」

「ひゃん!」

 サブレは尻尾をゆさゆさ振りながら俺の手に自分の手を合わせた。

「お座り」

「ひゃん!」

 ……由比ヶ浜のしつけが行き届いているのか、それともまた別の要因があるのか。

「……そういやイヌリンガルとかアプリあったな」

 アプリストアでそのアプリ名を検索するとヒットし、無料だったのでダウンロードして起動してみると画面中央にマイクが表示された。

「サブレ」

「ひゃん!」

『遊んで!』

 だろうな……もう一度。

「ほれ」

「ひゃんひゃん!」

『遊んで遊んで!』

 まあ、犬の欲求としては当たり外れの無いことだろうな……犬の言葉を人間が理解できる日など来ないと俺は思っている。

 だが言葉は分からなくとも思いは通わせることができる……それだけは信じている。

 ……試しにやってみるか。

「BOWBOW!」

『誰か養えや、こら』

 ……これ絶対に不良品だわ。俺、こんな命令形なことは思ってないもん。

 そう思い、すぐにホーム画面に戻ってアプリを長押しし、ブルブル震えたところでアプリの左端にバツ印が出てきてそれを押すと画面から犬リンガルが消滅した。

 時間的にも由比ヶ浜が迎えに来る時間帯に差し掛かっているのでサブレを足から降ろし、杖を取ろうとした時に丁度インターホンが鳴った。

「今トイレ!」

「ゆっくりどうぞ~」

 あらかじめ用意しておいたサブレお世話セットが入ったカバンを床に置き、左足にひっかけて引きずろうとするが何故かサブレが手持ちの所を口でくわえ、玄関まで引きずっていく。

 ……ほらな? 犬と人間の気持ちは通じるだろ?

「うっす」

「あ」

 扉を開けた瞬間、いそいそと髪型を気にしている由比ヶ浜の姿が目に入った。

「え、えっとサブレ預かってくれてありがとう」

「気にすんな。楽しく遊べたし……主に小町が」

「そ、そっか……サブレ~。久しぶり! 元気してた?」

 由比ヶ浜の胸に飛び込んだサブレはしきりに彼女の顔をなめまわす。

 …………なんというか……ほんと、俺達の関係手拗れる要素あり過ぎだろ……誘うべきか、誘わないべきか。

 さっきたまたま近くで花火大会が開かれることが書かれている記事を見つけ、サブレを可愛がりながら由比ヶ浜を誘うか否かで悩んでいた。

「ゆ、由比ヶ浜」

「ん? どったの?」

「……今日、花火大会行くか?」

 そう聞くと由比ヶ浜はしゃがんだまま一瞬動きを止めるがすぐに顔を赤くしてあわあわと慌てだした。

「え、えっと……わ、私も誘おうかなって思ってて」

「そうか……じゃ、じゃあいつもの駅で」

「オ、オッケー……サブレを預かってくれてありがとう。じゃあね、比企谷君」

 ヒッキーというあだ名を彼女が使わなくなってから早二か月。

 初めてそのあだ名を聞いたときは微妙な感じだったが使わなくなってから君付けで呼ばれることにどこか俺は戸惑いに似たものを感じていた。

 由比ヶ浜との関係を修復したいのは修復したい……でも、何故俺は修復したいと思うんだ。

 他人との関係が何回潰れようが拗れようが何とも思わずに自然消滅するまで放置していた俺がなんでこんなことを思うのだろうか……それは雪ノ下との関係も同じことが言える。俺が彼女に対して失望に似た感情を抱いたのは彼女と普通に接したいと思ったから……何で俺はそう思ったのか。

 それはどんな自由研究や問題よりも難しい問題だった。

「…………はぁ」

 1つ、小さなため息をついて俺は家の中へ戻った。 



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第25話  雪ノ下雪乃は苦しんでいる。

 待ち合わせ時間が迫ってきたので電車に乗り、待ち合わせ場所として指定した駅へ向かう電車の中は花火大会へ向かうであろう浴衣姿の女性やシートを持った家族連れなどで混み合っていた。

 俺が乗った時には既に混み合っており、席を譲ってもらうどころではなかったので扉にもたれ掛り、約束の駅に到着するまで待ち続けた。

『こちら側のドアが開きます』

 約束場所の駅に到着し、改札を出てコンコースの柱にもたれ掛り、由比ヶ浜の到着を待つ。

 …………そう言えば俺、結構夏休みの間に外に出かけてるよな……にもかかわらず左足の膝に何の異常が見られないのはある意味凄いよな……人間の体の傷など気持ちの持ちようでいくらでも変わるっていうのを聞いたことがある。

 プラシーボ効果に代表されるような現象は全て人の思い込みによって発生する。

 人の思いは時空を超えるとか言ってたけど……人の思いは時空どころか全てを超越するな。

「あ、いた! お待たせ」

「いや、待ってない……浴衣……なんだな」

「う、うん……ど、どうかな」

 薄桃色の浴衣には所々小さな花が咲いており、薄桃色に似た茶髪の髪はいつものお団子スタイルではなくくいっと一か所に纏め上げられている。

「……似合うんじゃねえの。明るい色」

「そ、そっか……行こうか」

 ……あれ? 俺なんで色で褒めた? 浴衣のこと聞いてたよな……まあいいか。

 会場となる公園は駅に隣接していると言ってもよく、普段は閑散としているだだっ広い公園が遠目でも人で埋め尽くされているのが分かるくらいに混んでいる。

 時折、歩いている人の足に杖が当たり、舌打ちを受けるくらいには。

「やっぱすごいね~」

「何回か来たことあるのか」

「うん。友達と」

 俺は人混みが嫌いだし、花火を見ても何も思わないので来た記憶はあんまりない。

 そもそも両親が家にいないことが多いからあまり外出も少ないんだけどさ。

「……何か食べる?」

「いや、俺は良いや」

 杖に片腕を取られている以上、もう片方の腕は体のバランスを取る際に使うことが多いので両手を塞がれてしまうと正直、対応が出来なくなってしまう。

 一口サイズならいいんだが露店で一口サイズなものはあまりないしな。

「俺に気にせず、食べたい物食べろよ」

「……あ、ちょっと待ってて!」

 そう言うと由比ヶ浜は俺の隣から離れ、綿あめを売っている露店へ向かい、1つおっちゃんから貰うと下駄になれてないのか地面を見ながら戻ってきた。

「は、はい、比企谷君……あ、あ~ん」

 由比ヶ浜は顔真っ赤……俺も顔真っ赤だろう。

 予想外だ……まさかこんな手を使ってくるとは。

「ほ、ほら……これなら比企谷君も食べれれるでしょ?」

「……あ、あ~ん」

 戸惑いながらも差し出してくる綿あめを一口食べるといつも以上に綿あめが甘い気がした。

「花火までまだ時間あるし、何か食べようよ」

 ……ま、まさか今のあーんをまたするというのか……うぅ。ボッチには眩しすぎる!

「あ、あぁ。そうだな」

 あれから少し歩いている間に由比ヶ浜が全て綿あめを食べてしまった。

 というか俺が綿あめを食べなかっただけなんだけどな……綿あめを食べようと口を近づけると由比ヶ浜から香水の軽い臭いがしてくるから妙に恥ずかしくなり、食べられなかった。

「あ、リンゴ飴だ! 1つください!」

 ……ちょっと待て……り、リンゴ飴もあーんしてくれるのか!? いやいやいや! リンゴ飴はかじった後がはっきりと分かってしまう……か、か、か、間接キ、キ、ッキッス……。

「ん~。美味しい~」

 そんな淡い幻想は由比ヶ浜がすべて1人で食べたことでぶち壊された。

 そ、そうだよな……さっき俺に気にせずに食べろって言ったのは俺だしな……さっきまでの自分がもしぐるぐる巻きで目の前に吊るされたら俺は目覚ましのストライクベントをぶつけたはずだ。

 ちなみにあれは殴れる武器としても使えるからな。決してお飾りじゃないからな!

 その時、ふと視界に浴衣を着た女子が目に入り、その女子がこちらを向いた。

「あ、ゆいちゃんだー」

「あ! さがみ~ん」

 どうやら2人は友達だったらしく2人同じような動きで速足で近づき、手を絡ませた。

 貴様らはフルシンクロ中の光さんとこのお宅か……ちなみに俺的には3、しかもブラックVerが好きだけどな。あれはクリア後が本編って言われてるくらいだからな……まあ、ボッチだったからランプ型のあいつと通信対戦で稀に出てくるあれは手に入れられなかったけどな。

「あ、こっちは同じクラスの比企谷君。この子は相模南ちゃん」

「……ふぅ~ん……あたしなんか女だらけのお祭りなのに~。あたしも青春したいな~」

 俺はその一瞬、奴が浮かべた顔を見逃すことは無かった。

 嘲笑……奴は友達であるはずの由比ヶ浜が連れている男である俺を見て確実に由比ヶ浜を下に見た。

 こんな男しかいないのかよ、こんな障碍者と付き合ってんのかよ……後者は俺の偏屈で卑屈な主観が入っているから除くとしても前者は確実だろう。

 やはり友達なんてのは慣れ合い関係の奴らが大多数だ……友達などただ自分の欲望を満たすだけの道具と同じなのだ。自分よりも下であればあるほど傍から見れば親友に見える。

 相模とやらは由比ヶ浜と喋りながらも俺の姿を逐一視界に入れ、値踏みしていく。

 …………ま、俺とあいつの間には何もないし、すぐ忘れるけど。

「さき、行ってるわ」

「あ、うん。私もすぐ行くよ」

 由比ヶ浜も気づいているのか申し訳なさそうにそう言う。

 由比ヶ浜は優しい……優しいだけでなく汚い部分も知っている。だから相手との関係を測れるし、壊れそうになればその優しさで修復に入る。

 俺の場合は逆だ。汚い部分を知っているだけで壊れそうになっても放置、そして崩壊だ。

 これまでにいくつ関係が壊れたかなんて覚えていない……でも由比ヶ浜と雪ノ下の2人だけは別だ……何故、そう考え、実行したのか俺にも分からない。

「ごめん……」

 隣に由比ヶ浜が戻ってきたかと思えば第一声にそれをかけられた。

「気にするなよ。慣れてる」

「…………」

「そんな事よりもう始まるんじゃねえの?」

「あ、うん。行こっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花火大会が始まる30分前、メイン会場となる広場は人で埋め尽くされて地面など見えなかった。

 シートを引き、今か今かと待っていたり、もう出来上がっている酔っ払いがいたり、子供が泣き叫ぶ声が聞こえたりとメイン会場は阿鼻叫喚だ。

「シート持ってくればよかったね」

「情報収集不足だったな……ベンチもないし、立ち見するか」

「え、でも比企谷君」

「何かにもたれかかるなら別に俺はいけるぞ」

「そっか……じゃあ、あそこの」

「あれー? 比企谷君じゃん」

 後ろから声をかけられ、振り返ると大百合と浅草模様が涼しげな浴衣姿の雪ノ下雪乃の姉にして俺の大嫌いな人物ランキング万年第一位の雪ノ下陽乃がそこに立っていた。

 よく見てみると彼女がいるスペースは規制線で囲われており、どこからどうみても貴賓席にしか見えない。

 まあ、雪ノ下がなんか父親が会社やってるっぽいこと言ってたから協賛会社の1つなんだろう。

「もしかして席無かったりする? 良かったらこっち来なよ!」

 できれば断りたかったが由比ヶ浜がいる手前、断ることができないのでなるべく顔に出さない程度にうげぇ~っと言いながら案内され、貴賓席に入り、彼女が座っている椅子に座らせてもらう。

 どこもかしこももうすぐ始まるであろう花火に今か今かとウキウキしながら待っている。

「セレブ~。ゆきのんのお家ってすごいんだね~」

「そりゃ県議会議員で会社の社長がお父さんだもん!」

 ここまでドストレートにお金持ち自慢をされたら嫌味を言うどころかほぇ~と納得してしまいそうだ。

 そりゃ金持ちだわ……となると雪ノ下は1人暮らしなのか。合宿解散のあの日に実家に帰ってくるとかどうのこうの言っていたからそうだろうな。

「結構、お父さんの会社って地元に強くてさ。ここの協賛してるんだよ」

「へ~。ってことはゆきのんはブルジョージーなんだ」

「由比ヶ浜。ブルジョワジーな」

「し、知ってるもん!」

「アハハ! 可愛いね~。でも感心しないな~。比企谷君、浮気かい? 雪乃ちゃんという存在がありながら~。このこの!」

 一瞬、その出された名前を聞き、胸が痛んだがそれを掻き消すかのように肘で突いてくるのを間に杖を入れることで強制的に封じた。

「そもそも……雪乃下とはそんな関係じゃないです」

「またまた~! 雪乃ちゃんにパンダのパンさんあげたり……合宿で助けてくれたじゃん」

 何故、そんなことを知っているのか……そんなことよりもいつもとは違う声音に俺は反応せざるを得ず、彼女の方を向くがその表情にはいつもの額縁に入った絵だけしかない。

 雪ノ下が自分からこの人に話しかけることは無いだろう……雪ノ下も大変なんだな。

「もうすぐ始まるよ」

 彼女がそう言った瞬間、夜空に満天の星が刻まれた。

 それを期に次々に花火が打ち上げられていき、周りの歓声もヒートアップしていく。

「あ、あの!」

「ん? 何かな?」

「今日、ゆきのんは一緒じゃないんですか?」

「ん~。今日は遊びに来たわけじゃないんだ。父の名代ってやつ? こういう人前に出る仕事は私の仕事だからさ。今、雪乃ちゃんは家にいるんじゃないかな」

 ……そこが問題なんだ。俺からすれば雪ノ下も雪ノ下陽乃の負けず劣らずの美貌と完璧さを兼ね備えている。

 であるにもかかわらず、人前に出る仕事には出ない……俺が親だったら2人で行って来い! つって周りの奴らに良い顔するけどな。俺の娘は優秀だろ? どうよどうよ! ってな感じで……それだけ俺達とは全く異質な問題があると言う事なのだろうか。

「昔からそうなんだ。母の方針。あのね、うちって母が最強でね一番強いんだよ!」

「それはもうモビルスーツか何かっすか」

「ふふ、どうだろ。母はなんでも決めて従わせる人だったから……それにまた雪乃ちゃんは選ばれないんだね」

 ドーン! と一番大きな音が聞こえたが俺にははっきりと聞こえた。

 …………その言葉の真意は俺には分からない……ただ、俺達が知っている雪ノ下雪乃は家の中ではいないと言う事なのだろう。

「あ、あの雪ノ下さんって」

「陽乃で良いよ。あ、もしくははるのんでもいいよ」

「は、陽乃さん。ゆきのんのこと嫌いなんですか?」

「ん? どうして?」

「い、いや。なんとなく」

「まっさか~。私は雪乃ちゃんのこと大好きだよ。ずっと後ろをついてくる妹を嫌いなお姉ちゃんはいないよ」

 そう笑みを浮かべて言うが俺はどこか背筋が凍るような感覚を覚えた。

 絶対的勝者の余裕の笑み……負け続けるものを見下ろしながら浮かべる笑み……。

「貴方は雪乃ちゃんのこと好き?」

「だ、大好きです! ゆきのんのこと私は大好きです! えっと理由は分からないですけどゆきのんは格好良くて大好きです!」

「……そっか」

 慈愛の笑みを浮かべるその表情は額縁に収まりきらない何かをはらみ、その正体を突き止めようと手を伸ばすとまるで逃げるかのように額縁の中に納まる。

 ……やはり俺は嫌いだ。

「混むの嫌だから私は帰るけどどうする? 送ろうか?」

「……そうしよっか」

「そうだな」

 由比ヶ浜と顔を見合わせ、少し考えた後その結論を出し、彼女についていきながら貴賓席を抜けて貴賓席の脇から駐車場へ繋がる小道へと入り、歩いていく。

 メイン会場から抜け、人の姿が少なくなってきたところで連絡を受けていたらしい、黒塗りのハイヤーが俺たちの横に横付けされた。

 見間違えることのない車……。

「あ、少し私トイレ行ってきます」

 そう言い、由比ヶ浜はそそくさとトイレへと向かった。

「……雪ノ下には話してないんですか」

「詳細はね。あの子、その時車に乗ってたの」

 …………拗れるな……由比ヶ浜以上に。

「でも母が貴方は知る必要がないって言って雪乃ちゃんじゃなくて私に話してきたんだ。君の名前、君の顔、そして君が障害を負ってしまったことも」

「……どうして言ってやらないんですか」

「それが方針だもん……私が人前に出ると言う事がね」

 ある意味で雪ノ下は苦しめられているのだろう。

 相手の名前も顔も知らされず、たまたま同じ部活にいる奴があの時の相手だと言う事に気づいたのが。

「……雪ノ下は苦しんでますよ……苦しまなくていいことで」

 もし……もし、雪ノ下が事故の相手である俺のことを全て聞いていたのならば彼女は悩むことなく、なおかつ由比ヶ浜と同じルートをたどって俺と普通に接することが出来たはずなんだ。

「…………」

 俺の言ったことに彼女は初めて無言を貫いた。

 まるで分っているとでも言いたげに。

「……やっぱり俺は貴方が嫌いです」

「フフ。私は好きだよ。比企谷君」

「ごめん! 遅くなっちゃって」

「送っていこうか?」

「……いや、良いっす」

「そっか……またね、バイバイ!」

 無邪気に大きく振るわれるその手に背を向け、俺達は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから少し経ち、由比ヶ浜の家に向かって俺は歩いていた。

 降りる場所は違うのだがどの道、歩いて帰れる距離だと言う事で俺も同じ駅で降りた。

「「…………」」

 関係に1つ、整理がついたとはいえ、俺達の間には今なお気まずい空気が流れている。

「……ヒ、ヒッキー」

「……久しぶりに聞いたな、それ」

「…………」

「……前にも言ったけど仲良くしてくれって言ったんだし、前と同じでいいんじゃねえの?」

「………うん……ヒッキー。今日は誘ってくれてありがと……今度はゆきのんと一緒に行こうね」

 その時にはもう雪ノ下と俺との間にある奴は解消されているのだろうか。

「あぁ……いつかな」

 



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第26話 推薦とは数の暴力である

 長い長い夏休みが終わり、学校が始まる日。俺は……寝坊しました。

 疲れていたのかいつも以上に深い眠りに入ってしまい、起きて時計を見た瞬間に凄まじい衝撃が走ったがとりあえず、落ち着いて準備し、事故に遭わない様に気を付けて学校へ向かったところ、なんと1限目を大きく超えて3限目の始まりに到着ししてしまった。

 まぁ、良いだろう……そう考えていた時期が俺にもありました。

「なん……だと」

 教室に入った瞬間、黒板に驚愕のことが書かれていた。

『文化祭実行委員・比企谷八幡』

「あぁ~それなんだが授業が始まるというのにグダグダ決めていたのでな。私の独断で君を推薦した結果、満場一致の支持を受けて見事当選したのだよ」

 恐らく先生も俺が通るはずはないと思っていたのだろう。

 いったいどこのどいつが手を挙げたんだ……満場一致だから全員か。

 平塚先生は申し訳なさそうな顔をしながら俺の耳に口を近づけてくる。

「すまないな。だが君も何らかの仕事につかねばクラスの反感を買うだろう」

「……はぁ。分かりました。やります」

 確かに全員が文化祭の準備をしているさなか、俺だけ何もやっていないのであれば反感を買うのは間違いない。

「残りは放課後に決めたまえ。では授業を始める」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後の教室の空気は混濁していた。

 文化祭実行委員の女子が決まらず、早く帰りたいという気持ちがイライラに変わり始めているのだ。

「このまま決まらないとじゃんけん」

「はぁ?」

 ルーム長の言葉に三浦がいち早く反応するとルーム長はおろか周囲の奴らが女王の機嫌を損なってはいけないと判断したのか全員が三浦の方向から目を逸らした。

「……その委員って大変なの?」

「普通にやったら大変じゃないと思うけど……由比ヶ浜さんやってくれないかな?」

 嘘をつくな。超大変だぞ。人と話さなきゃいけないし、グループ作ってメール連絡だってしなきゃいけないんだぞってこれは俺の大変さでした。てへっ★

「え~? 結衣ちゃんやるの~?」

「え?」

 突然上がった声の方向には相模の姿があり、チラッと俺の方を見ると嘲笑の笑みを隠さない。

「仲良し同士でいい感じじゃん。きっと2人ならうまくいくよ~」

 傍から見ればそれは文化祭実行委員の仕事についていっているのか、それともまた別のことについていっているのか、判断に困る言い方だ。

 その証拠に相模の周りの女子たちはニヤニヤ、男子たちは俺に冷たい視線を送ってくる。

「うけるわ~。まじでうける」

 ざわつく雰囲気を一閃する声。

「結衣はあーしと客呼び込みに行くっていうのにまじうけるわ~……どちらかといえば誰とは言わないけどそいつがやった方があーし的には良いわ~」

 三浦はそんなことを言いながらチラッと相模を睨み付けて牽制し、相模はその牽制がクリーンヒットしたのか顔を俯かせている。

「ということはリーダーシップを発揮できる人がいるってことか?」

 葉山の一言に三浦は頷き、ルーム長はもう何でも良くなったのか目をキラキラさせて葉山の言ったことにうんうんと強く頷いている。

 中間管理職の人が精神的にやむことが多いって聞くけどなんとなく分かった気がする。

「相模とかいうやつがいいんじゃね? いつも周りにはべらしてるじゃん」

 それを三浦が言ってはお終いなのだがその一言で一気に空気は相模が実行委員をやると言う事に染まり、ほとんどの視線が相模に集中する。

「えーうち? ぜっったいに無理だってぇぇぇ~」

 表情や身振り手振りで否定はするが心の底からは否定していないことは誰の目から見ても明らかだ。

 本当に女子が否定するときは雪ノ下の様に冷たく、そして冷静に”いや”という一言だけを言い、それからはその人物に近づかないのだ。

 ソースは俺。体育のペアであまり者同士で組もうとしたら思いっきりそう言われた。

「そこを何とか頼めないかな?」

 葉山のダメ押しの一言に相模は腕を組んで考え出した。

「……まあ、他に人がいないなら良いよ」

 葉山に頼まれたリーダーシップがある私、どう!? って言いたげな空気だな……でも、どことな~く嫌な予感がバンバンするのは俺だけか?

「じゃ、じゃあ今日は解散で……はぁ」

 ぐったりした様子のルーム長の一声で一気にクラスの連中が立ち上がり、帰っていく。

 相模ははべらしているお仲間たちに激励を貰っているのか嬉しそうに笑みを浮かべ、三浦はその様子を鬱陶しそうに見ながら由比ヶ浜と帰っていく。

 そして俺は今日から始まる実行委員会が行われる教室へと向かう。

 にしても実行委員か……そう言う仕事につくのは比企谷家料理委員会の委員を務めた以来だな。

 委員会に宛がわれた会議室に入ると何故かさっきまで教室にいた相模が早速3人を新たにはべらして雑談していた。

 …………まあ、最近俺の歩幅に合わせてくれる奴らと歩いていたからな。仕方がないか。

「F組っていったら葉山君のクラスだよね?」

「そうなのー。私、葉山君から委員も頼まれちゃってさ」

「すっごいじゃん! みなみちゃん美人で敏腕なんだね!」

「遥の方が美人だよ~」

 甘ったるすぎて吐きそうだ……はぁ。平塚先生……もっと別の役職に押し付けて欲しかったっす。

 俺はできるだけ相模の方を見ずに教室に入り、出来るだけ遠くの席に座る。

 会議室は教室2つ分の広さがあるので別に詰めずに座らなくとも実行委員全員が座れるほどの座席があるので俺にとってはありがたい。

 徐々に人が集まっていき、緩やかな雑音はやがて激しい雑音へと変化する。

「………はぁ」

 その時、全ての雑音が教室から消えた。

 全員が視線を傾けている場所へ俺も視線を向けると入り口には雪ノ下雪乃の姿が見え、音もなく静かに教室に入ると静かに座席に座った。

 その後にプリントを抱えた数人の生徒たちと体育教師の厚木と何故か平塚先生が入ってくる。

 ……また新米がどうのこうのとかで任されたのか?

 いい加減誰か貰ってやってくれ……そうすればあの人も新米という言葉に一喜一憂する必要はない。

 プリントを抱えた数人の生徒が各人に配り始め、それを終えると1人の女生徒の方を見た。

「はい。じゃあ文化祭実行委員会を始めたいと思います」

 肩まであるミディアムヘアーは前髪がピンでとめられており、見えているお凸は綺麗だ。

「生徒会長の城廻めぐりです。今年もみんなのおかげで文化祭が開けること、嬉しく思ってます。今年も楽しい文化祭にしましょー」

 ほんわかしたあいさつの後、すかさずプリントを配っていた生徒たちが拍手し、それにつられて教室に拍手が沸き起こる。

「それではさっそくなんだけど文化祭実行委員長の選出に移りましょうか。誰かやってくれる人はいないかな~?」

 誰も手を挙げない。

 そりゃそうだ。あんな責任の塊みたいな役職を誰が好き好んでやるか。好き好んでやる奴は大体、スクールカースト上位者っていう相場があるんだ。パッと見、この教室に葉山や三浦のようなスクールカースト上位者っぽい奴は見受けられない。

「あ、あれ? 委員長をやると後々役に立つよ? 指定校推薦だったり、評定とかに書かれるからお得だと思うんだけどな~」

 評価を餌にして釣れるのは中学生までだ。高校生になると変なプライドや羞恥心が出来上がってしまい、たとえ評価に繋がることだとしても自分から行くやつは少ない。

 というよりも自分から行くやつは大体、クラスの催しの準備リーダーしてるからな。

 ちなみにうちのクラスは演劇をするらしい。俺は出ないけど。

「えっと……ど、どうかな?」

 チラッと城廻会長は雪ノ下を見た。

 雪ノ下の優秀ぶりは上の人達にも通っているらしい。

 とはいっても彼女も前に出るのはあまり得意じゃないらしく、その表情は芳しくない。

「あ、あの」

 漂っていた静寂を切り裂くのは自信無さげな声。

「みんなやりたがらないなら私、やっても良いです」

 声の主は俺とは少し離れた場所に座っている相模南。

「おぉ! じゃあさっそく自己紹介をどうぞ」

「え、えっと2年F組の相模南です。あたしこういう人前に立つことはあんまり得意じゃなくてみんなに迷惑をかけるかもですけどスキルアップというか自分を変えたいのでよろしくお願いします」

「いいよいいよ。自分磨きは必要だもんね」

 自分を変えたければまずはクラスのルーム長をするべきだ。相模のようなことを言うやつは大体、今まで他人に押し付けてきたものは自分ではしたことがない奴が多い。

 いきなりこんな責任が大きいことをすれば自滅する可能性が高い。ソースは俺。相模と全く同じ理由でとある行事の委員長に就任した……が、失敗に失敗を重ね、遂には解雇となった。

「委員長も決まったし、次は役職を決めようか。5分ほど時間をあげるから議事録の方に目を通しておいてね」

 配られた議事録を開くと宣伝広報、有志統制、会計監査、記録雑務……などなど目を覆いたくなるほどの多くの役職の名前が書かれており、その頂点に実行委員長がある。

 一番簡単そうなのは記録雑務だろう。宣伝広報はコミュニケーションスキルがないとだめだからバツ。

 有志統制は指揮統制能力がないとだめだからバツ、会計監査は予算などの計算だろう。計算は得意だが問題が起きれば即、俺に責任の目を向けられるのでバツ。お金の恨みは怖い物さ。特にこういう行事でお金が足りない、不足したなどの問題が起これば運営にも影響する。

 やはりここは無難な記録雑務だろう。

「じゃあ、ここからは委員長・相模さんに任せます」

「ええぇ~。もうですか?」

「うん。頑張ってね」

 会長に言われ、渋り顔の相模が教卓に立つ。

「……え、えっとじゃあ役職を決めたいんですけど希望はありますか」

 ……こんな大人数の前で希望を募っていたら夜の6時までかかるぞ。

「相模さん。まずは役職ごとで決めようか」

「あ、はい。え、えっとじゃあ宣伝広報したい人」

 ドンドン穴が開いた風船のようにしぼんでいく声に最後は聞き取れなかったんか誰一人として手を挙げない。

「宣伝だよ? いろんなところに行けちゃうよ? ラジオだったりテレビだったり」

 めぐり先輩の助け舟もあってかチラホラと手が上がりだし、人数を確認して次の役職へと行く。

「つ、次は有志統制が良い人」

 その瞬間、今まで猫を被っていたのかと言わざるを得ない程連中が勢い良く手を挙げる。

 そのあまりの多さに相模は慌てふためく。

「多いな~。じゃんけんしようか、じゃんけん!」

 めぐり先輩の指示の下、教室の後ろの方に集められた希望者がジャンケンを行い、その間に次の役職へと進んでいく。



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第27話  雪ノ下雪乃は何かおかしい

 翌日の放課後、俺は特別棟の奉仕部部室に向かって歩いていた。

 結局、昨日の委員会はほとんどをめぐり先輩が仕切り、相模はてんやわんやと1人で狼狽えながら黒板に文字を書いたり、部分的に司会進行をしていただけだった。

 無事、俺は記録雑務に入ることが出来た。これで会計監査とかだったら泣くわ。

「ちぃ~す」

「あ、ヒッキー。やっはろ~」

 奉仕部の部室の扉を開けると由比ヶ浜も今来たのかちょうど椅子に座るところだった。

 俺も椅子に座るが俺と雪ノ下の視線が合うことは無いどころか言葉が発せられることもなく、俺達の間には静寂が流れている。

 その静寂に充てられて由比ヶ浜は居心地悪そうな表情をしている。

「あ、あのさ。2人とも委員会であたしも教室の話し合いに出ないといけないからさ。当分部活には出られないかもしれないんだ」

「俺も同じ」

 そう言うと雪ノ下はようやく文庫本を閉じ、俺達の方を始めてみた。

「……ちょうどよかったわ。私もそれを言おうと思っていたから。文化祭が終わるまではいったん、奉仕部の活動は中止にしましょう」

「……そうだね」

 由比ヶ浜はこの部室に来れないのが少し寂しいのか悲しそうな表情をしていたが文化祭というやらなければいかないことを思い出し、すぐにその顔を収める。

 こいつにとってこの奉仕部の活動は楽しかったんだろう。

「じゃあ、そろそろ行くわ」

「あ、ヒッキー。時間が余ったらでいいからさ、教室にも顔出してね」

「……まあ、時間が余れば」

 裏を返せば絶対に行かない。というか時間など余らせるはずがないのだよ。

 そんなことを思いながら部室を出ようとした瞬間、扉が開かれ、見知った顔が入ってきた。

 俺と同じF組の文化祭実行委員にしてその委員長、相模南とその取り巻きSが薄ら笑いを浮かべながら奉仕部の部室に入っては俺と由比ヶ浜を交互に見て笑みを浮かべた。

 ……嫌いだ。こういう人の姿しか見ずに笑うやつらが一番嫌いだ。

「あれ? 結衣ちゃんってここの部員なの?」

「うん、まあね。それでどうかしたの?」

「あ、実はお願いがあってきたんだよね……雪ノ下さん」

「何かしら」

「委員長の仕事手伝ってくれないかな」

 そのお願いに雪ノ下のまゆがピクッと動いた。

 ……はい、雪ノ下雪乃さまのお怒りちょうだいいたしました!

「……貴方のスキルアップという観点から外れると思うのだけれど」

「そうなんだけどさ。自分のスキルアップを優先してみんなに迷惑をかけるのってよくないでしょ? それにうちのクラスにも顔出さないといけないからさ。ダメ……かな」

 雪ノ下の出す答えはNOだろう。本当に困っているのならばいざ知らず、相手が望んで今の状況を受け入れたのだからそんな状況を手助けするようなやつじゃない。

 俺の予想的に「貴方は自らの意思で今の状況を受け入れたのでしょう? 私たちは困っている人たちに平等に手を指しのばす部活じゃないの」っていうと思う。

 それに相模達が奉仕部に持ち込んだのはただ単に調子に乗ってしまった結果、自分では持ちきれないくらいのものを持ってしまったのでその半分を持てと言う事だ。

 例えるなら調子に乗った奴が誕生日ケーキを2つ持った結果、足元が見えずにこけてしまい、2つのケーキを水戸のど真ん中にぶちまけたのを片付けるから手伝えと言われているようなもんだ。

「ようは貴方の補佐……ということかしら」

「そうそう。ダメかな?」

 そうそう、ダメダメ。ダメよ~ダメダメ

「分かったわ。私も実行委員だから手伝える範囲であれば」

「よかった~。断られたらどうしようかと思ったよ。じゃあ、よろしくね」

 そう言い、相模は調子のいい笑顔を浮かべながら部室から出ていった。

「おい、雪ノ下」

「何かしら、比企谷君」

 語気を強めながら彼女の名を呼ぶと一瞬、肩をびくつかせ、こちらを見てくる。

「お前らしくないんじゃないのか? 何であんな依頼受けたんだよ。どうみてもお前をアテにしてるだけじゃねえか」

「そうだよゆきのん! いつもならあんな依頼、突っぱねるじゃん」

「これは私個人でやることよ。奉仕部とは関係ないわ」

「別にゆきのんだけでやる必要ないよ。みんなでやれば」

「大丈夫よ。私で出来る範囲だけしかしないから」

 由比ヶ浜もいつもの雪ノ下とは違う反応に戸惑いを隠せないでいた。

 確かにいつもの雪ノ下ならあんな自業自得な依頼を承るはずがない。

「……あたし、教室戻るね」

 珍しく由比ヶ浜は怒った様子で鞄を手に持ち、強く扉を開けて部室から出ていき、俺もその後を追うがチラッと雪ノ下の姿を捉えた時、彼女もどこか不機嫌そうな表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううぅぅぅぅ! もう!」

 廊下に上履きで床を踏みつける音が響くのと同時に由比ヶ浜の心の雄叫びが木霊する。

「珍しくご立腹だな」

「ヒッキー……なんというか今日のゆきのんちょっと変」

 それは同意見。どこかあいつは不機嫌だ。

「いつもならあんな依頼受けないのに」

「だろうな……」

「……ねえ、ちょっと嫌な話していい?」

「……まあ」

「実はさ……あたし、さがみんのことあまり好きじゃないんだ」

 由比ヶ浜の告白に俺は一瞬、戸惑いを隠せず鞄を落としかけた。

 こいつの口から特定の人物に対しての評価が出るとは思わなかった。

「1年の頃、さがみんと同じクラスで結構仲良かったんだ。その時は結構、クラスの中では派手だったの。なんかそのことに自信持ってたのかな、さがみん。2年生になってから変わった」

 うちのクラスにはあの派手クイーンと呼んでも遜色ない三浦がいるからな。三浦の派手さに比べたら相模の派手さなどは可愛い物だろう。

 去年まではカースト上位だった自分が2位に甘んじている今の環境に耐え切れなかったんだろう。

 カースト上位だった頃の慢心、甘え、態度が抜けきらず、今のF組はあいつにとっては屈辱この上ないクラスってところか。実行委員を決める場でのあの三浦の態度からするに三浦は相模のことをあまりよく思っていないどころか嫌いな部類だろう。口に出していないだけであって。

 だから相模はカースト最下位の属する俺と一緒にいる由比ヶ浜を嘲笑の的にすることでかつての栄光に縋り、自分の欲望を満たしているのであるとすれば彼女の一連の行動にはつじつまが合う。

「ねえ、ヒッキー」

「なんだ?」

「……あたしを救ってくれたヒッキーだからお願いするね……ゆきのんに何かあったらヒッキーが助けてあげて」

 これまた難易度高めのミッションを与えてくれたもんだ……それに時期が悪い。

「ゆきのんって他人を頼らずにしてること多いからさ……だかたゆきのんが二進も三進もいかなくなったその時はヒッキーが助けてあげて」

「…………まあ、善処はする」

「うん。ありがとう……じゃ、委員会頑張ってね」

 そう言って由比ヶ浜は俺に笑みを見せながら教室へと戻っていく。

「……俺も行くか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下雪乃の手腕が発揮され始めたのは数日後の委員会からだった。

 もともと評価は高い彼女が就任したとあって特に反対など起こらず、むしろ周りの評価はやっと出てきたかという感じのものが多く、妙に教師陣の期待は大きい。

 その期待に応えるためなのか雪ノ下は次々に作業を進めていく。

 宣伝広報のポスターの掲示場所で困っていれば知識をフル動員させてアドバイスを与え、監査会計で停滞している部分があればそこへ入り、一発で解決する。

 彼女に対する期待は日に日に増していくばかりだった。

 そんなこんなで何度目かの定例会議が開かれた。

「では定例ミーティングを行います。宣伝広報」

「はい。作業は7割がた終了し、ポスター作製も半分は終わっています」

「順調ですね」

「いいえ、遅いわ。HPの更新は」

「い、いえまだ」

「受験生や外部の方はHPを参考にします。内部に関する宣伝広報をやりつつHPの更新速度を上げてください。そうでないと外部の方たちへ情報が届くのが遅くなります」

「は、はい」

 ズバズバと言って行く雪ノ下に対し、委員長の相模は口をポカンと開けて自分の知らないところでどんどん進んでいく会議においてけぼりになっていた。

 すんげぇ速度差。なんかもう雪ノ下が委員長みたいな感じだな。

 委員長の影はドンドン薄まっていき、いつのまにか司会進行までもが雪ノ下に掌握され、彼女を中心にして委員会が進んでいく。

「以上です。委員長」

「え、あ、はい。みんなお疲れ様」

 委員長の号令により、メンバーが教室から出ていく。

 ある者は雪ノ下の手腕をほめたたえ、ある者は委員長の交代の必要性を述べ、また生徒会の役員たちは次期生徒会長候補とまで褒め称えた。

 一方の相模は居たたまれない雰囲気に嫌気がさしたのかとりまきの連中とそそくさと教室を後にする。

 雪ノ下が未だに作業をしているにもかかわらず。

 彼女にとってこれは自分のできる範囲なのだろう……だがそれは何の解決にもなっていないのを彼女自身は気づいているのだろうか。

 否、気づいていない。何かに取りつかれたようにキーボードをたたく彼女にとって相模など視界に映る人間の1人にしかすぎず、気にも留める必要もない。

 何かに取りつかれた彼女は俺の方など一切見ず、キーボードをたたいていく。

「比企谷君」

「ん?」

 帰ろうとした時に呼ばれ、振り返り、彼女と目が合うが少しの間、俺達の間に静寂が生まれる。

「…………貴方を補佐の補佐にしてもいいかしら」

 ……今市言ってる意味が分からないけど。

「あぁ、良いぞ。適当に」

「そう。ありがとう」

 教室の扉を開け、外へ出ようとすると壁に平塚先生が寄りかかっていた。

「どうかしたんすか?」

「ん? あぁ……雪ノ下はよく働くな」

「そうっすね。作業効率MAXじゃないっすか?」

「そうだな……雪ノ下に姉がいるのは知っているか?」

「ええ、まあ。それが」

「その姉もここの卒業生でな。お前たちとは入れ替わりで卒業したんだがあいつが担当した文化祭はこれまでにないくらいに大盛況でな。私もベースを持たされたよ」

 ……なんとなくわかる気がする。男性の理想を張り付けたあの人にかかれば文化祭という一つの大きなギミックを利用するだけで全校生徒の人心掌握など容易いだろう。

「それがなにか」

「いやな……もしかしたら雪ノ下はそれに対抗しているのではないかと思ってな」

 ……あぁ、そういうことか。だから周りの教師の期待が異常に高いわけだ。周りの教師の期待に応えるべく働いているのかと思っていたがあいつは自分の姉に打ち勝つために……まぁ、それだけじゃないんだろうけど。

「だから少し不安なのだよ。彼女が働き過ぎないか」

 その不安は恐らく当たるだろう。



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第28話  働きアリとサボりアリ

 雪ノ下雪乃が大暴れした定例会議の翌日の放課後、今日は授業が早めに終了したので俺も教室に残ってみんなの邪魔にならない場所で待機していたんだが教室では海老名さんがもうすんごい暴れていた。

「はぁ!? あんたそれでも男子かー! ネクタイを緩める時はもっと悩ましく! 艶やかに!」

 海老名超プロデューサーのしごきともいえる演技指導に男子たちは涙目になり、遠くで見ている葉山隼人は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 演劇の原作は星の王子様らしいが……スーツでいいのだろうか。

「き、綺麗」

「負けた気がする!」

 絶望の声が聞こえ、そちらの方を見てみるとメイクセットを持った女子たちに囲まれた戸塚が戸惑いの表情を露わにしていた。

 そこらの女子よりも女子っぽい戸塚……もう戸塚にだけ化粧認めろよ。

「そう言えば衣装はどうする? 借りちゃう?」

「でも予算カッツカツだから借衣装はちょっと厳しいかも」

 ボールペンで頭をかいている由比ヶ浜の一言を聞き、周りの女子たちが良い案を考えようとするがやはり仮衣装で行くという案しか思い浮かばないのか半ばあきらめた様子で戸塚のメイクに戻った。

「じゃあ作ればいいんじゃね?」

 流石は女王・三浦。どんな一言も人を振り向かせる。まるで王の重圧だな……ひれ伏せ問われたらなんかマジでひれ伏しそうだわ。あぁ、俺のボッチという能力も奪ってくんねえかな。

 その時、視界の端で青みがかったポニーテールが揺れ動いているのが見え、そちらの方を見るとやけにそわそわしている川崎の姿が目に入った。

 ……そう言えば川崎の家って兄弟が多いって言ってたよな……。

「なあ、川崎」

「っっ! な、なんだよ」

「……お前、」

「い、いや私はできないぞ! ま、まだ服とかは作ってないし」

 ……何も言ってないんだけどな。

「由比ヶ浜」

「ん~?」

「川崎がやってみたいって」

「な、何言ってんのあんた!?」

 川崎の慌てふためく姿に少しドキッとしたのは秘密だ。ギャップ萌えはやはり最高。

「ほほぅ……ねえ、そのシュシュッて手作り?」

「ま、まあ」

 その問いに川崎が頷くや否や鮮やかな手さばきで川崎のインターセプトを華麗に避け、その手にシュシュを掴んで手作りというシュシュの出来栄えを見ていく。

 時々、由比ヶ浜を凄いと思うときがある。

「姫菜~。ちょいちょい」

「何かな……ほほぅ。手作りですか」

 何故、言っていないのにわかるんだ。

「そっちは手縫い。んで……こっちはミシン」

 川崎の取り出したシュシュを手に取り、由比ヶ浜と海老名さんは感嘆の声を上げた。

「色良し、技術よし、見利きよし……裁縫係・川崎さんに決定!」

「あ、あたしはまだなにも!」

「大丈夫大丈夫! 川崎さんの技術は本物だよ! 責任はこの私がとる!」

 あんたはどこの神上司だ。

「うぅぅ……そこまで言うなら」

 てんやわんやとしている最中、ふと時計を見ると既に会議が始まる15分前になっているのに気付き、立ち上がろうとした時、視界に相模ととりまき連中が映った。

「さがみん、委員いいの?」

「……あ~、大丈夫だよ。雪ノ下さん超頼りになるし~あたしがいっても邪魔なだけだよ」

 由比ヶ浜と相模の会話を聞いて一瞬、動きを止めたが時間が差し迫っていることもあり、気にせずに扉を開けると目の前に人影が見え、顔を上げるとメイク落としのペーパーで顔をごしごししている葉山の姿が見え、ちょっとびっくりした。

 あぁ、そう言えば演劇の主役が葉山だったっけ。

「あ、これから委員会?」

「ん、まあ」

「だったら俺も行くよ。有志団体申し込みの書類がいるんだ」

 できればお断りしたかったがそれよりも前に葉山が歩き出したためにそれは叶わず、結局葉山と一緒に会議室へと向かう。

 その間、俺に話かけるなオーラを出力最大限にして放っていると相手もそのオーラを感じ取ったのかこっちも見ずに一言も話さないまま会議室へと向かっていく。

 根本的に俺と葉山の考え方は全く逆を向いている。

 俺たちが戦略的に協力することはあり得るかもしれないが1つの考えの下、手を合わせると言う事は確実にないはずだ。

 その証拠に夏合宿での肝試しの時も俺は奴らを絶望の淵に叩き落すという信念のもとやっていたが恐らく葉山はあの状況でもみんな仲良くなれたら、というのが基盤にあっただろう。

 結果的にはあいつの考え方に近い結末だったわけだが。

 俺達は終始無言のまま廊下の曲がり角を曲がると会議室の入り口付近に生徒たちが集まっている。

「何かあったの?」

 葉山はそう尋ねるが自分で見た方がよほど早い。

 隙間から会議室の中を覗くと3人の人物が……というか2人の人物がにらみを利かせ合い、1人がその状況にオロオロしていた。

 1人は雪ノ下雪乃、1人は城廻めぐり……そして最後は雪ノ下陽乃だ。

「姉さん、何しに来たの」

「文化祭の団体募集を見てね、私も応募しようかな~って。管弦楽部のOGとしてさ」

 雪ノ下は悔しそうに食いしばり、視線を外すと俺と目があった。

「あ! 比企谷君じゃん! ひゃっはろ~」

 会議室内の緊張感とはあわない声を出しながら彼女は無邪気な笑みを浮かべ、俺に近づいてくる。

 あぁ、マジで磁石の性質欲しいわ……ボッチにリア充が触れると遠くまで吹き飛ばすほどの。

「陽乃さん……」

「や、隼人」

「どうしたの」

「有志で参加しようと思ってね」

「また思い付きで」

 2人が知り合いなのはどうでも良い。

 違和感を抱いたのは葉山が彼女に対してため口を聴いていることだった。

 まあ、昔から付き合いがあるのであればおかしくはないか……。

「雪乃ちゃん。参加していい?」

「勝手にすればいいじゃない。私に決定権はないわ」

「あり? 雪乃ちゃんが委員長じゃないんだ。めぐりは3年生だし……あ、まさか」

「その3文字を言うのであればすぐに訂正してくださいね。俺、泣いちゃいます」

 俺の方を向いた瞬間に釘を打っておいた。

 ていうか俺がこんな人の上に立つ仕事なんてやるか……俺は視線の届かない地味な仕事に向いているんだよ。

 その時、会議室の扉が無遠慮に開かれる。

「すみませーん。教室の方に顔出していたら遅れちゃって」

「こいつがそうっすよ」

 悪びれた様子がない相模を指さして陽乃さんに密告してやると先程とは種類の違う底冷えた目をしながら相模に視線をぶつけていく。

 その視線に相模は少し引いた様子だ。

「……相模南です」

「ふぅん……委員長が遅刻、それも教室に顔を出していたから?」

 その威圧的な声はたとえ表情が明るい物であったとしても聞いたものの心に恐怖を抱かせ、凝視できないほどのダメージを与える。

 雪ノ下雪乃と違うのはそこだ。彼女は全ての存在を1つとみなし、全てにほぼ同じスタイルで話しかける。

 でも雪ノ下陽乃は違う。全てのものに同じスタイルで話しかけることは一切なく、自分の興味があるものであれば額縁の絵を張り付けた顔で接し、興味がないのであれば普通に突っぱねる。

 彼女にとって他人など自身の興味があるか否かなのだ。

「そうだよね~! 文化祭を最大限に楽しめる一言が委員長の資質があるよね~! ま、頑張ってね! あ、ねえ私も有志で参加していい?」

「え、あ……OGの方が参加してくれるなら地域との繋がりとかもクリアできますし」

「やっほ~! じゃあ、お友達も呼んでも?」

「はい。どうぞどうぞ」

 果たしてこの場にいる何人が気付いているだろうか。

 相模南は雪ノ下陽乃の誘導によって動かされていることに。

 葉山も気づいているうちの1人だがどうしようもないことだと理解しているのか提出書類を受け取り、静かに教室へと帰っていき、陽乃さんも書類一式を手に取り、相模とその取り巻きS、そしてめぐり先輩を巻き込んでワイワイガヤガヤと会話をしながら書類をかいていく。

 ……何を目的とした一連の行動なのかさっぱりわからん……ただ分かったことは雪ノ下雪乃は今回の実行委員長の補佐を受け入れたのは彼女の存在があったことは間違いないだろう。

「あの~ちょっといいかな」

 相模の声に全員がそちらを向く。

「文化祭を最大限楽しむには自分も楽しまなきゃいけないと思うんだ。クラスの方の準備とかもさ。最近は仕事も順調だし、ペース落としたらいいんじゃないかなって」

「相模さん。それは考え違いだわ。楽しむこととペースを落とすことは違うわ。文化祭という大きな行事をする以上は全てに余裕をもって行わないと」

「いや~良いこと言うね~。私の時もクラスの方頑張ってたな~」

 彼女によってさらに相模は調子づく。

「前例もあることだし別にいいじゃん」

 果たして気づいているのだろうか……全てが雪ノ下陽乃の操る糸で動かされている演劇だと言う事に……否、気づくものは誰もいまい。それこそが彼女のやり方であり、才能なのだから。

 こうして相模の案は可決され、メンバーはぞろぞろと会議室から出ていく。

 クラスの方に参加しない俺にとってはこの仕事しかやることがないので会議室に残り、途中で投げ出された雑務を終わらせていく。

 相模の姿もどこに無く、残っているのは会長率いる生徒会メンバーと元凶の陽乃さん、そして俺と雪ノ下くらいなものだ。

「ねえねえ、比企谷君」

「なんすか。出来れば後にしてくれませんか? 俺も仕事してるんで」

「プー、シッシッシ! これは失敬……なんかすごいことになっちゃったね」

 おい、この人のスルースキルは俺以上なのか? 今俺仕事してるから後にしてくれって言ったよね?

「よく言いますよ」

「え? 何が?」

「……なんでもないっす」

 彼女の真意を知る者はいないだろう。

 たとえ妹の雪ノ下雪乃であってもそれは分からない……だからこそ怖いんだ。姉がいったいこの状況にどんな影響を与えてしまうのか。

「比企谷君」

「あ?」

「……収支計算やってくれないかしら」

 ……おっふ。

 何も言わず、彼女から書類と計算機を受け取り、彼女の隣に座って計算機を叩いていく。

 ……何で俺、無言のまま計算機叩いてんだろ……いや、別にこんな状況だから文句は言わないけどさ……なんというか雪ノ下が俺にお願いをするとは思わなかった。

「それが終わったら議事録作成、それが終わったら有志書類の整理を」

 ……記録雑務の範疇を超えている気が……まぁ、いいや。



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第29話  雪ノ下陽乃の演劇

 相模の提案が可決された数日後、目に見えて出席するメンバーの数は激減した。

 2日前は半数が休み、さらに昨日でもう半数が休み、今日にいたっては生徒会メンバー、俺、雪ノ下しかいないというすんごいことになっている。

 そうなると遅れてくる仕事も発生し、てんやわんやの状態だ。

「ちょ、ちょっと休憩しよっか」

 めぐり先輩の一言で会議室にいる全員がぐったりと机に突っ伏したり、椅子の背もたれに項垂れるようにもたれ掛り、中には寝はじめた奴もいる。

 あれ以来、雪ノ下の労働時間はさらに増えている。

 メンバーが消えて行っていると言う事もあるだろうが一番の理由は陽乃さんだろう。

 彼女が表に出され続け、雪ノ下が後ろに隠されると言う事は姉が優秀で妹が不出来という評価をしているが故のことだろう。

 雪ノ下を優秀と位置付けるならばあの人はモンスターだ。

「ごめんね~。記録雑務の仕事以外に任せちゃって……えっと」

「あ、あぁ大丈夫っすよ。俺、クラスでやることないんで」

 海老名さんプロデュースの星の王子様の準備は着々と進んでいるらしく、すでに場所を借りてのリハーサルもちょこちょこ行ってきているらしい。

 それに比べ実行委員会の仕事の遅延率は過去最高。

 記録雑務のはずがいまや雪ノ下の補佐……補佐の補佐というポストについてしまっている。

 この前言っていたのはこれのことか……にしては仕事を回され過ぎているような気もするが文句を言ってられる状況でもない。

「紅茶飲む?」

「私は結構です」

「あ、え、えっと俺も良いです」

 休憩を終え、再び仕事へと集中するがさっきから数字ばかり見ているせいか掛け算これであってたっけ? みたいなゲシュタルト崩壊をちょくちょく起こしている。

「収支計算報告書、終了。ぎ、議事録作成に移る」

「よろしく」

 雪ノ下に報告書を手渡し、議事録の作成に移るが会議らしい会議をしていないので書くことは専ら、作業がどこまでいったのかの確認、出席率の計算などしかない。

 チラッと雪ノ下の顔を見るがいつもと比べてどこか顔色が優れないように見える。

 彼女に声をかけようとした瞬間、ドアがノックされ、久方ぶりにドアの開く音が聞こえた。

「有志の書類、提出しに来たんだけど」

「比企谷君。お願い」

 葉山から書類を受け取り、上から下へと視線を動かして記入漏れがないかどうか、しっかりと確認した後、雪ノ下へと手渡す。

「人、減ってるな」

「どこかの誰かさんがサボっていいよって公言したからな」

 俺の一言に葉山は苦笑いを浮かべながら近くに無造作に置かれている書類をトントンと合わせて綺麗にしていく。

 こういうところで女子は惚れるのだろう……正直、葉山を苦手としている俺でも一瞬有難いと思ったくらいだ。

 流石はカーストトップの葉山。風を操るだけでなく風から情報収集までやるとは……もう今度から葉山隼人じゃなくて風山風人に改名しろよ。

 異名はフータくんな。

「比企谷君も大変そうで」

「……中にはアホみたいに遅れてた書類をがバッと提出してくる委員長さんもいるからな……ブラックすぎる」

「良かったら手伝おうか?」

「いい。お前はクラスの演劇があるだろうが。お前がいなきゃ誰が海老名さんの暴走、戸塚の保護、戸塚に対する気配り、どこの馬ともしれん輩の戸塚に対する悪影響を断ち切るんだ」

「やけに戸塚君にご心酔ね」

……久しぶりに事務的な会話以外の会話をした気がする。

 そのきっかけを作ったのは今隣にいる雪ノ下さんのなのですがね……そう言えば、俺ってまだあの事に対してお礼言ってなかったような。

「雪ノ下」

「何かしら」

「……あの時はありがとう。おかげで助かった」

 そう言った瞬間、キーボードをたたいている雪ノ下の指が止まるがまたすぐに動き出す。

「……貴方も随分と変わったわね。表面上は」

「根本は変わる気のない最悪な性格だからな」

 互いにそんな会話をしながら手元に残っている雑務を淡々とこなしていく。

 ふと葉山の方へ視線を送ると葉山と目があい、少し互いに見合うがすぐに目を逸らし、葉山は教室へと帰っていき、俺は書類へと視線を戻す。

 そうこうしているうちに生徒会メンバーのリフレッシュも完了したのか次々に残っている書類へと手を出していく。

 

「やっぱりあの時、相模ちゃんの案ははっきりダメって言っておくべきだったかな」

「……今更、悔いても遅いっすよ。遅かれ早かれこんな状況になるのは確実でしたし」

 相模という新人を委員長にした時点である程度、文化祭の運営の遅れは出てくることは3年生のめぐり先輩ならば分かっていたはずだ……まあ、ここまで遅れるとは思ってなかっただろうけど。

「2年F組担当者。企画申請書がまだなのだけれど」

「…………あぁ、悪い。俺書くわ」

 雪ノ下から書類を貰い、いざ書こうとするが俺が知らない企画の詳細なことまで書かなければいけないことに気づき、とっさに葉山を探すがすでにその姿はない。

 やってしまった……葉山に雑務流せばよかったー!

「ちょっと席外す」

「分かったわ」

 そう言い、杖をもって自分の教室へと向かう。

 うちのクラスの企画申請書類の提出の任を承っているのは相模だ。その書類がないと言う事は相模が出し忘れているのか、はたまた頭の中からスポーンと抜けているのか。

 まあ、委員会に数日出席してなかったら忘れるわな。

 教室の扉を開け、由比ヶ浜を呼ぼうとしたその瞬間、俺は目の前の光景に言葉をのんだ。

 星の王子様の衣装を纏った戸塚がダブダブの衣装のせいで指先はおろか、足の先まで隠れている。

「あ、八幡。お帰り」

 ……なんだろ。この気持ち……LOVE……そう。LOVE・LOVE・LOVEー!

「た、ただいま……由比ヶ浜いるか」

「呼んだ~?」

 後ろから声が聞こえ、振り返ると耳に赤ペンをひっかけている彼女の姿があった。

 お前は競馬場帰りにおっさんか。

「悪いんだけどこれ書いてくんね? 今日までなんだ」

「申請書? まっかせなさい!」

 胸をドンと叩き、近くの机で申請書にペンを走らせていく。

 その間に相模の姿を探していると取り巻きSと一緒にちょこちょこと小さな作業をしながら喋っている彼女たちの姿が見えた。

 ……来るように言うか……いや、でも接点が同じ文化祭委員しかない俺に喋りかけられたら……やめとこ。

 その後に広がる暗黒の光景を想像し、俺は由比ヶ浜の方へ顔を戻した。

「ゆきのん、どう?」

「平常運転だよ。ひとっ走り付き合うどころかバーサーカーソウルでずっと私のターンだよ」

「……何言ってるのヒッキー」

 おっと。ついいつもの癖でオタクボッチだった頃のツッコミが出てしまったぜ。

「とにかくエンジンフルスロットルだよ」

「そっか……ゆきのん、大丈夫かな」

「お前、雪ノ下のこと好きだな」

「うん、好きだよ」

 ……これは新たな扉を開いてしまったのかもしれない。

「なんというか……なんていえばいいんだろ」

「口を動かすのは良いけど手も動かしてくれ」

「分かってるよ……ヒッキーも頑張ってるんだよね」

「ま、まあ」

 補佐の補佐として毎日激務に追われてるでござる。

「クラスのことは心配しないでね。私たちで頑張るから」

「頼もしい……これが葉山ならばな」

「それどういうこと?」

「冗談だ」

「ぶぅー。はい、これ」

 申請書を渡され、サラッと読み流すが特に記入漏れもなかったのでお礼を言い、そのまま教室を抜け出て会議室へと向かう。

 母親の家に帰って残業という破壊力をようやく知った気がする……。

 会議室へ入ると何故かそこには相模の姿が。

 いや、お前マジで何トラマン?

「雪ノ下。これ申請書」

「……受理したわ。相模さん。決裁印を」

「オッケ~」

 気楽な声を上げながら相模は適当に決裁印を押し、取り巻きSとの会話に戻る。

 マジでお前は何トラマンだ……テレポートは使うし、カプセル怪獣は使うし……あ、それは太陽チャージで復活する歴代で唯一、マンがつかないヒーロでした。

 座席に座り、残っている雑務に手をかけようとするが突然、手をパンパンと叩いた音が響いた。

「もう遅い時間帯だし、今日はもう終わりにしよっか。風邪ひいたらダメ出し」

 めぐり先輩の一言に生徒会メンバーは待ってましたと言わんばかりに片づけをはじめ、俺は雪ノ下の方を見ると彼女と目があい、少し見合うがすぐに彼女も片づけを始めた。

 ……これ全部持って帰るのか……今日は小町バスを呼びつけるか。

 最近は委員会のために遅いので小町バスはキャンセルしていた。

「じゃ、お疲れ」

「……比企谷君」

「ん?」

「これ」

 そう言われ、彼女の手の中にはUSBが握られている。

「ん?」

「私がやってきた仕事のコピーよ。一応、貴方が持っておいて」

「…………了解した」

 一瞬、後ろから鋭い視線を感じたが振り向くことなく彼女からUSBを受け取り、一緒に教室を出て下駄箱まで一緒に歩くが玄関を出ると既に彼女の姿はなかった。

 ……でもなんでまた俺にデータのコピーなんか。

「あ、小町? バス頼むわ」

 そんなことを思いながら小町に連絡をつけた。



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第30話  俺のボッチは不変である

 ここで突然ですが問題です。この世界には貯まれば貯まるほど人生が楽になるものはいっぱいありますが貯まれば貯まるほどうげぇ~と言いたくなるものはなんでしょう。

 …………正解は仕事だ、この野郎。

 翌日の放課後もいつものメンバーで仕事をこなしている。

 状況を察してか葉山もボランティアという形で委員会の運営をヘルプしてくれていることもあり、状況はさほど変わってはいないが気持ち的には楽だった。

 が、いつものメンバーに今日は雪ノ下がいない。

「雪ノ下さんいないね。ねえ、比企谷君」

「知りません……ていうか俺があいつと連絡とると思います?」

 そう言うとめぐり先輩は意外そうな顔をして俺の方を見てくる。

「2人って結構、親密そうに見えたんだけどな」

 あいつと親密になる=この世の終わりだ。

 それくらい、俺とあいつが親密な関係になることは無いと言う事だ。

「さっさと働けー!」

「それはお前のことじゃー」

 ノックもないドアの開閉と同時にそんな叫びが聞聞こえたのでノリよく傍にあった消しゴムを投げてやるがどこの最強キャラだと言いたくなるくらいに平塚先生は華麗に2本指だけで消しゴムをキャッチした。

「ふん!」

「おっふぅ」

 2本指でキャッチした消しゴムを凸ピンで飛ばすと何故か俺の凸にクリーンヒットした。

 あの人が凸ピンで飛ばすものは全て俺に当たるのか……いったいどこの悪魔の実の能力者だ。

「と、おふざけはここまでにして調子はどうだ」

「全身がピキピキひび割れてます」

「うむ。絶望一歩手前と言う事か」

 いや、だからなんで分かるんだよ。葉山なんかもう反応すらしてないんだぞ!

「で、どうかしたんすか?」

「あぁ、雪ノ下が休んでいる運営を少し手伝おうと思ってな」

「あいつ休んでるんすか?」

「あぁ。風邪をひいたらしい。本人から連絡を貰ったんだが……比企谷に後は任せろと言われたんだが」

 それを聞いて俺は昨日、あいつからコピーデータが入っているUSBを受け取ったことを思い出し、慌ててポケットから取り出して備品であるノートPCに差し込み、データを開けると彼女が打った全てのデータがそこには収められていた。

 ……補佐の補佐ってそう言う事か。

「一応、あいつが打ったデータはありますが」

「……よし。比企谷君!」

「は、はい」

 めぐり先輩から大きな声で名前を呼ばれ、思わずキョドりながら反応する。

「当分の間、君を運営雑務最高責任者(仮)に任命します!」

 ズビシィ! と音が出るんじゃないかと思うくらいに勢いよく指を刺された。

 ……ゲーム制作部(仮)が出てくるあのマンガ、俺結構好きだぜ……チャックボーンは1度、遭遇してみたいものだと思っているが……。

「はぁ? いやいやいや……おかしいでしょ」

「運営に必要なデータは君が持っているから君に動いてもらわないと困るんだよぉ~」

 ウルウルと涙目のめぐり先輩のスターライトシャワーをもろに食らい、俺のボッチ力は大幅に削られるだけでなく生徒会メンバーからの連続スターライトシャワー、さらには葉山からの「ま、頑張れよ。応援してるぜ!」的な感じのウインドブラスターソニックを食らい、俺の体力は尽きた。

 比企谷八幡の手持ちには戦える奴がいない! 目の前が真っ暗になった! お小遣いが半分になった!

「…………今度、ラーメン奢ってやろう」

 最後の平塚先生による静かの尾を使用され、俺のライフは復活した。

「…………な、何とか頑張ります」

「よーし! 頑張るぞー!」

『おー!』

 生徒会メンバー、および葉山達が声を上げながら拳を突き上げる中、俺だけ突き上げていないのでめぐり先輩のチラチラ見てくる視線が痛い。

「お、おぉ~」

 こうして実行委員会は類を見ない程活性化していくことになる。

「会計監査未処理事項です!」

「そんなもん数学の教師連れてきてやらすんだ! 宣伝広報の未処理事項は!?」

「たった今、連絡がつき、今すぐ来させます!」

「有志団体のまとめは!?」

「ヒキタニ君が今」

「(仮)!」

「今打ち終わりました」

 お前たちはどこの修造だと突っ込みたくなるほど、生徒会メンバーに火が付き、葉山もそれにつられてか腕まくりをし、右往左往忙しそうに動き回っている。

 俺は積み上げられていく雑務を淡々とこなし、入力が必要なものはキーボードをたたいて入力し、次々に終わらせられていない仕事を終わらせていく。

 それといつの間にか俺の名前が(仮)になっている……今、人生で一番酷いあだ名をつけられている気がする。

「遅れてすみませ~」

「次!」

「宣伝広報の責任者現着!」

「よし! やれ!」

 のほほんとやってきた責任者は見たことがないほどの熱気にあふれている委員会メンバーを見て一瞬硬直するがすぐに椅子に座らされ、未処理の仕事を渡された。

「収支報告ミスアリ!」

「ひきがやぁぁぁぁぁ!」

「や、やり直しますからダブル凸ピンだけは」

 平塚先生の叫びに肩をびくつかせながら新しい収支報告書を受け取り、最初から計算して修正し、メンバーに手渡すと同時に新たな仕事を受け取り、終わらせていく。

 …………あぁ。悲しきかな……悲しきかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……終わりました」

 エンターキーを叩き、保存を完了してUSBに移した瞬間、そう言うと会議室内はそれぞれの息切れによって変質者の会議かと突っ込みたくなるほど「ハァ、ハァ」という音に満たされた。

 結局、何故か全ての担当部署の責任者が集合したどころか数学の教師までもが引っ張ってこられ、初期の頃の会議室にいた人数の半分程度の人数が集まった。

 ふと時計を見てみると時間はまだ最終下校時刻の1時間前。

「終わった……いつも君たちはこんなことをやっていたんだね」

「こんなもん毎日やってたら全員倒れてるわ。今日がおかしかったんだ」

 グタァ~と背もたれにもたれ掛かり、葉山に突っ込んでいると急にガタッ! という音が聞こえ、そちらの方を向くとめぐり先輩がムンクの叫びみたいな顔をしていた。

「どうしたんすか」

「……文化祭のスローガン忘れてた」

―――――タララタラララ~ン。

 どっかの赤帽子を被った冒険者のゲームオーバーの効果音が教室内に響き渡った気がした。

「それって必須事項なんすか?」

「うん。毎年大々的に掲げてるからスローガンがないと……」

「葉山。相模呼んできてくれるか」

「あぁ、分かった」

 葉山に委員長を呼んできてもらうまでの間、ここにいる全部署の責任者にメンバー全員を呼んでもらうようにめぐり先輩に言ってもらい、俺達は全員が集まるまでの間、しばし休憩。

 こんな状態で頭働かねえぞ……ぐへぇ~。

 5分後、全員集合とはいかなかったがとりあえず委員長とその他部署のメンバーは大体集まった。

「じゃ、相模さん。よろしく」

「は、はい……じゃ、じゃあ委員会を始めます。今日の議題は文化祭のスローガンについてなんですが……何か意見のある人」

「相模さん。紙を回してくれるかな」

 さっきまでの暴走の影響か、ぐったりとしている会長にいつもの勢いがなく、雪ノ下という頼れる補佐がいない相模は少し戸惑いながらも委員会を進めていく。

 ちなみに俺は議事録作成をしなくてはいけないんだがそんなことできる余力など残されていないのでスマホで録音している。

 5分後、全ての紙を回収し、よさげなスローガンをホワイトボードに書いていく。

『ONE FOR ALL』

 1人はみんなのために、皆は1人のために……言い換えれば1人の責任はみんなの責任。皆は1人のために働きましょう……そんな感じだ。よく入学式初日などでこの言葉が出てくるがそれは良い面しか出していないものであり、卑屈で偏屈な奴からしたら厄介この上ないのである。

 何か失敗したら皆が責任を取らされる。するとみんなからバッシングを受ける……ふぅ。

「ん~。良さそうなのはこれくらいかな」

 相模を連れてきてくれた葉山も良さそうな表情をしている。

「じゃあ、うちの方からも一つ」

『絆~ともに助け合う文化祭~』

「うわぁ~」

 思わず声に出してしまい、慌てて口を瞑んで周りを見てみるが全ての視線がこちらへ向けられている。

「何? 何かおかしな場所でもある?」

 自分が出された案にそんな批判が出るとは思っていなかったみたいで相模は頬をヒクヒクさせながらこちらをジーッと睨みつけてくる。

「文句があるなら言ってよ」

 チラッと平塚先生の方を見ると目でさっさと言えと訴えかけられた。

「いやさ……どの口が言ってんだよって」

「どういう意味」

 相模はあからさまに怒りを露わにし、俺にぶつかってくる。

「お前、実行委員長の癖に委員会に来てないこと多かったし」

「それはクラスの方に顔を出していたからで」

「じゃあお前はクラスで先頭に立って準備してたのかよ」

「それは……あ、あんただって」

「俺はこの足だから委員会でしか頑張れない。別にクラスに顔出すなって言ってるんじゃなくて委員会に全く顔を出さないのはどうかって言ってんだよ」

「いや、お前がいうなよ」

 そんな声がポツリと小さく聞こえたかと思えばそれは徐々に教室中に広まっていき、全員の視線が俺に一気に集中しだす。

「委員長の仕事しながらクラスのことも手伝ってるんだから別にいいだろ。委員会のことしかしてないお前が言えるしかくないと思うけど」

「そうだよね。片足しかなくてもやれることいくらでもあるよね」

 全員のそんな冷たい視線と言葉が俺に突き刺さり、過去のトラウマがフラッシュバックし、心臓の鼓動が早くなるのが自分でもわかり、額から嫌な汗がドンドン出てきて手も震えてくる。

 ……落ち着け……落ち着くんだ。

「委員長気にしなくて良いぞ~」

「そうだよ。さがみんは頑張ってるよ~」

 そんな応援がかけられていき、相模の体力が回復していくのに比べて俺の体力はまるで毒に犯されているかのように少しずつなくなっていくと同時に手の震え、汗、動悸がどんどん上がっていく。

 大多数からの批判、冷たい目線がある中で攻撃…………あれはもう過去だって割り切ったはずだろ。

「こらこら。みんなそんなこと言わないの! 彼だって何もしてないわけじゃないんだから」

「謝った方がいいんじゃね~の」

 めぐり先輩が止めに入る中、その言葉が俺の胸に深く突き刺さり、由比ヶ浜のプレゼントを買いに行ったあの時の出来事と過去の出来事が同時に頭の中で再生されていく。

「謝れよ~」

 男子の面白そうに煽る声の跡からクスクスと小さな笑みが俺に覆い被さってくる。

 落ち着いていた呼吸が嘘の様に乱れに乱れ、呼吸が小刻みになるのが自分でもわかる。

 なんとかしようにも余計に過去のことがフラッシュバックする。

「おい、いい加減にしろ! お前たちはここに」

「ごめ……んなさい」

 平塚先生の怒鳴り声が発せられた直後、俺のか細い声が教室に響き、クスクスと俺を卑下する汚い笑いがそこらから噴出する。

 会議室の空気はドロドロとした嫌なものへと変わり、時計の針が動く音が大きく教室に響くほどの静けさに変化している。

「はいはい! スローガンについては各自考えてきて明日、また話し合おう。今日は解散」

 そんな空気を打ち破るめぐり先輩の声により、ようやく椅子が動く音が聞こえ。次々に会議室から出ていくがその間に誰も喋る人はいない……数人を除いて。

「ねえ、さっきの聞いた?」

「聞いた聞いた。謝るくらいなら調子乗るなって話だよね」

「さがみん、気にしなくていいよ」

「う、うん」

 わざと聞こえるように喋っているのかはたまた違うのか、それは分からないがあいつらの声だけが異様に会議室に反響する。

 教室から人が減っていく度に俺の体調は元に戻っていき、先生が心配して近づいてきてくれるころには既に本調子に近いものに戻った。

「比企谷、大丈夫か。顔色が悪いぞ」

「……大丈夫です」

 袖で額の汗を拭きながら平塚先生にそう言う。

「雪ノ下は風邪っすよね?」

「あ、あぁそうだが」

「……見舞いでも行ってきます。由比ヶ浜と一緒に」

「あ、おい比企谷!」

 先生の静止を聞かずに教室を出て少し離れた所で壁に寄りかかる。

 ………何俺は調子乗ってんだか……優秀な雪ノ下とリア充な由比ヶ浜の近くにいすぎたせいで俺がボッチであることを忘れたのか……ボッチ失格だな。人と関わらない、人と付き合わない、人に毒されない……俺が掲げたボッチ三原則を忘れるなんてな。

 そんなことを思いながら由比ヶ浜に連絡をする。1コール、2コール……もう切ろうかとした時。

『も、もしもし』

「あぁ、由比ヶ浜か。俺だ」

『ど、どうしたの? そっちから連絡くれるなんて』

「今日、雪ノ下が風邪で休んでるって知ってるか」

『……知らなかった』

「お見舞い……行くか」

『オッケー! 校門前で待ってて! すぐそっち行くから!』

 そう言うと通話は切れ、プー・プーという無機質な音だけが向こうから聞こえてくる。

 ……そう言えばあいつ、雪ノ下の家知ってんのかな……まぁ、俺の知らないところで交流してるみたいだし知ってるだろう。

 そう結論付け、俺は校門へと歩いていく。



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第31話  こうして俺は雪ノ下との関係を整理する

 俺の予想通り、由比ヶ浜は一度雪ノ下のお家にお邪魔していたらしく、しっかりと道を記憶していたので彼女の案内通りに進んでいくと付近でも高級と知られているタワーマンションに辿り着いた。

 まあ、親が県議会議員かつ社長なら高級マンションに住んでてもおかしくないわな……。

 高級マンションとだけあってセキュリティーも厳重なもので簡単には中に入れない。

 エントランスに入り、雪ノ下の部屋番号を入力して呼びかけるが反応はない。

「ゆきのん、大丈夫かな」

「……もしかしたら出るの面倒で出ないかもな」

「あ、そうだよね……風邪ひいてるときって何もしたくないし……後1回だけ」

 由比ヶ浜がもう一度呼び出し、数秒が経過したとき、ノイズが入った。

『……はい』

「あ、ゆきのん!? あたし、由比ヶ浜だよ。お見舞いに来たんだ」

『……そう。開けるわ』

 するとドアが開き、由比ヶ浜は慣れた様子でソファが置かれている高級感満載のエントランスホールを抜け、エレベータに乗り込んで15階を押す。

 予想よりも早い速度でエレベーターは進んでいき、あっという間についてしまった。

 そのまままっすぐ廊下を歩いていき、表札に何も書かれていない部屋の前で立ち止まった。

 ……あ、そう言えば。

「由比ヶ浜」

「ん?」

「悪いけど杖の先、これで拭いてくんね?」

「……あ、うん!」

 壁にもたれ掛って由比ヶ浜に杖を渡し、カバンから常に携帯している雑巾を渡して地面を付いたことで汚れた杖の先端を拭いてもらう。

 いつもならそのまま気にせずに入ってたけど流石に他人の家だからな。

「はい!」

「あぁ、ありがと」

 由比ヶ浜から杖を貸してもらうと呼び鈴を鳴らす。

 よく聞く無機質な音声ではなく、どこか上品そうな感じを覚える音声が鳴り響くが防音がしっかりなされているのか中から音は全く聞こえない。

 数秒待つとガチャガチャと複数の鍵が開錠される音が聞こえ、遠慮気味に開かれたドアからヒョコッと雪ノ下が顔を出すが俺と目があった瞬間、速攻でドアが閉められた。

「……なんか泣けてくるんすけど」

「え、えっとあ、あれだよ! きっとゆきのん忘れ物に気づいたんだって!」

「客を迎えるだけなのに忘れ物もくそもあるか……どうせ着替えだろ」

「ま、まぁ私だってよくあるよ。同性の子がお客さんなら下履かずに……な、何言ってんだろ」

 顔を赤くする由比ヶ浜に対して俺は呆れ気味に小さくため息をついた。

 由比ヶ浜はたまに自爆する……と。

 待つこと数分、ようやくドアが開けられ、雪ノ下の姿が完全に俺の視界に入る。

 かなり大きめのサイズの服を着ているのか手の先っぽまですっぽりとセーターに埋もれ、スカートも膝はおろか足首まで届きそうな長さだ。

「……どうぞ」

 雪ノ下の許可のもと玄関へ入るがふと床を見た瞬間、杖を突くのをためらった。

 ……なに、この綺麗な床。杖を突くのに憚られるくらいに綺麗だぞ。

「……構わないわよ。遠慮せずについてもらって」

「あ、あぁ……じゃ、じゃあ」

 ふと思ったがこの会話は傍から見ればちょっとおかしな会話だ。

 住人から許可をもらったことで自宅と同じようについて歩いていくが壁にはあてない様に細心の注意を払いながら居間に通され、ソファに座るようにジェスチャーされ、遠慮なく座った。

 ……なんか必要最低限の家具しか置いてないな……まあ、雪乃下が趣味全快の部屋だったらそれはそれで……まあ、俺も人のこと言えた義理じゃないが。

 ふと大きなテレビが見え、その下のデッキにパンダのパンさん他ディスティニー作品のDVDが数多くみられた。

 あいつまさかあれを見るためだけにテレビかったんじゃ……いや、まさかな。

「ゆきのん、大丈夫?」

「ええ。少し疲れがたまっただけよ」

「風邪ひくくらいにつかれてて少しっていうレベルじゃないだろ」

 雪ノ下の言葉を遮るようにそう言い、彼女に視線を送るが逸らされる。

「ゆきのん、ちょっとしょい込みすぎだよ。私たちのこともっと頼ってよ」

「ええ。だから彼にデータのコピーを渡したわ」

「由比ヶ浜が言ってんのはもっと日常的に頼れってことだよ。何に対抗心燃やしてんのか知らねえけど文化祭はお前主催お前専用の祭りじゃねえんだ」

 今の雪ノ下の態度に軽く怒りを覚え、いつもよりも棘をふんだんに混ぜて喋りかけるが雪ノ下は俺に目を合わせず、スカートの裾を由比ヶ浜に見えない角度でクシャリと握りしめた。

「雪ノ下。お前の姉さんとお前の関係は今、関係ないだろ。……相模の依頼を奉仕部としてではなく個人として受けたのは陽乃さん以上の仕事をするためとかじゃないだろ」

「……姉さんは関係ないわ」

「いいや、お前は私情を挟んでる。お前は姉さんを見返すために働いてんだ」

「ヒ、ヒッキー」

 由比ヶ浜に止められても俺は攻撃を止めない。

「雪ノ下……お前のやっていることは自分の為だけにやってることだ」

「…………そうね」

「っっ」

 いつもの雪ノ下ならば自分の姉まで引き合いに出されて悪口を言えば相手を完膚なきまでに叩き潰そうとするはずだ……今のこいつは……いつもの雪ノ下じゃない。

 イライラを隠すために頭を掻き毟るがそれでもイライラは収まらない。

「……言い返さないのかよ」

「貴方の言っていることは適格よ……私は見えない亡霊に囚われていたのよ」

「…………なんでお前はいつまでもあの人の尻を追いかけようとするんだよ」

 そう言うと初めて雪ノ下は顔を上げて俺の顔を見た。

「お前が今までどんな扱いされてきたのかしらねえよ……あの人に何百回挑戦して何百回連続で負けたかなんて知らねえよ…………時には諦めも重要っていうだろ……1回くらいあの人に勝つことを諦めても別に誰も責めやしねえんじゃねえのか」

「…………」

「……俺だったらあの人に挑む前にもう諦めてあの人の七光りで威張るけどな」

「……かっこよかったのに今の一言で全部台無しだよ、ヒッキー」

 由比ヶ浜のツッコミにより、さっきまでの重苦しい雰囲気は消え去ったとは言えないが少なくとも半減はしただろう。

 雪ノ下雪乃は諦めを知らない……諦めないことは凄いことだ。諦めず、挑戦するたびに一段階強くなる。それ故に今の彼女がある……だがそれで雪ノ下は満たされているだろうか。否、雪ノ下は満たされていない。

 彼女が得てきたものは全て陽乃さんに挑み、敗戦した時の戦利品のようなものだ……それは全て彼女自身の意思で手に入れようと切磋琢磨したものではないかもしれない。

「……その……あれだ……自分で手に入れたものは何よりの宝っていうだろ」

「あ、それ分かる! 誰かに買ってもらうよりも自分でお金をためて買ったときの方が嬉しいし、ずっと大切にするもんね! あたしも小学生の時に作った物とかまだ残ってるよ!」

「俺は捨てたけどな」

「言ってることとやってることが矛盾してるじゃん! 説得力ないよね」

「ふっ。それが比企谷クオリティー。過去に縛られん男よ」

「貴方の場合、過去は振り向かない主義じゃないかしら」

 ようやくいつもの雪ノ下の声が響いた。

 その表情に先程の暗さはなく、いつもの凛とした雰囲気に満ちた表情だ。

「……まぁなんだ……先に体、治せよ。またぶっ倒れられても困る」

「そうね……少しの間、貴方に任せてもいいかしら。私も少しは手伝うわ」

「あ、あたしも手伝うよ! ヒッキーが倒れても小町ちゃんに心配かけるし!」

「安心しろ。俺は倒れそうになったら何もかも投げ出して休む」

「むしろそちらの方が困るのだけれど」

 これだ……いつもの奉仕部らしい会話、空気…………ふぅ。

「じゃ、帰るわ。明日から会場設置とかの準備が始まるし」

「そうだね! あたしも頑張らなくちゃ! あ、そうだ! 円陣組もうよ」

「どこの体育会系だ」

「まあまあ! ほらゆきのんも!」

 由比ヶ浜に手を引っ張れるがまま腕を伸ばすと俺の手の上に雪ノ下の手が乗せられ、その上に由比ヶ浜の手が乗せられた。

「文化祭の準備、大変だけど頑張ろうね! おー!」

「お~」

「…………お~」

 珍しく雪ノ下が由比ヶ浜のテンションに乗っかった。

 …………なんというのだろうか……複雑な気分だ。

「……あっ!」

「どうした」

「今日、話し合いあるの忘れてた! ごめん、先に帰る!」

 そう言うと由比ヶ浜は大慌ててカバンを持って玄関から出ていった。

 彼女が出ていき、残された俺と雪ノ下は一言も喋ろうとせず、流れている空気のせいか立ち上がろうともせずに只々沈黙を貫き続ける。

 ……気まずい……出ようにも出れない。

「……比企谷君」

 最初にこの沈黙を壊したのは雪ノ下の言葉だった。

「ん?」

「……事故のことなのだけれど」

「……」

「……本当に」

「謝るんだったら俺は今すぐここから出ていく」

 雪ノ下が言葉を発しきる前に俺はそう言った。

 謝罪なんてものはもう耳に胼胝ができるくらいに聞いたし、あの事故において誰が一番悪いだのと言い合いを続ける必要もないし、あの事故はもう完結したんだ。

 後は俺たちの考え方次第。

「その……謝罪なんてのはもう耳に胼胝ができるくらいに聞いたし、償いだって十分貰った……もう俺たちがあの事故で悩む必要性はないだろ……俺達はもう普通に接してもいいはずだ」

「……私は貴方に言わなかった……私の優しさは加害者意識のもとから来るものに見えていたのね……私がした選択は……間違っていたのね」

 雪ノ下雪乃は自分のしたことに絶対的な自信を持っている。

 だから相手に何を言われようがそれをはじき返すだけの力がある……この問題は除くが。

「俺だって選択を間違えて由比ヶ浜と拗れたんだ。俺が間違えたんだ……お前だって間違えるだろ……まあ、なんだ……秘密にしすぎるのも帰って仇になるってことだよ」

「そうね……」

 その一言の後、再び部屋に静寂が流れる。

 …………どうして俺は雪ノ下との関係を戻そうとするのか……由比ヶ浜の時と同様、俺はどうして……彼女との関係を元に戻したいのか。

 俺の頭の中ではすでに次に言う事が思い浮かんでいる。

 それは俺たちの間にある物を壊すものであり、この関係をリセットするもの。

「……このことについてはもう終わりにしないか……俺達はもう……十分、悩んだだろ」

「……貴方はそれでいいの?」

 雪ノ下は俺に問う。

「言うなら私は貴方に」

「いいんだよ」

 しかし、俺は彼女の言葉を遮り、その言葉を発する。

「俺が言うんだ……」

「……終わることは無いわ。ずっと私たちの中に残る…………この繋がりは残しておくべきだと思うのだけれど」

「お前の言う通り終わらないかもしれない……でも、この繋がりだけで俺たちが繋がってるわけじゃないだろ」

 そう言うと雪ノ下は一瞬驚いたような表情を浮かべるがフッと小さく笑みをこぼした。

 確かにあの事故のことは俺たちの中に永遠に残り続ける問題だ……でも、俺達はもう悩み続ける必要はないんだ……これからは……ずっと。

 ふと思う事がある。青春は麻薬だ、なんてことを言っていたが二通りあるんじゃないかって。

 1つは依存関係にあるそれこそ麻薬みたいななれあい……もう1つは適度に頼り合う……関係。

 だったら俺はどちらを欲しているんだ。

 前者はあり得ないとハッキリ断定できる。なら後者は?

 俺は……はっきりとは断定できない。

「そうね…………私たちはもう別のことで繋がっているわ」

「……そろそろ帰るわ」

「送るわ」

「あぁ、悪っっ」

「っっっ」

 雪ノ下の手を借り、立ち上がろうとした時、思いのほかフローリングで滑ってしまい、体勢が前のめりになってしまい、雪ノ下と目と鼻の先の距離にまで詰めてしまった。

 白い雪の様に綺麗な肌、透き通っている眼、そして一定のリズムで動く赤い唇……いつも見ているそれらがどこか今に限っては艶めかしいものに見えた。

 互いが吐き出す息が肌に当たるたびに心臓が大きく飛び跳ねる。

「……悪い」

「え、えぇ」

 そんな空気に浸かっていたいとも思ったがすぐに顔を離し、玄関へと歩いていき、左の靴だけを履き、雪ノ下に扉を開けてもらい、廊下に出るとすでに空は暗かった。

 エレベーターで一階へと降り、エントランスホールに入る。

「ここで良い。風邪がぶり返されたらこっちが困る」

「そう……貴方も気を付けて」

「……じゃ、また明日」

「ええ。学校で」

 俺は雪ノ下との関係を整理できたのだろうか……俺は何故今になってあの2人との関係を正常なものにしようとやっけになっているのか。

 その真意を理解するにはおれはまだ幼すぎた。

 

 

 

 

 

数日後の委員会。雪ノ下も出席し、文化祭のスローガンがホワイトボードに書かれた。

『千葉の名物、踊りと祭り! 同じあほなら踊らにゃsing a song!』

 ……いったい昨日の委員会と今日の委員会の間に何があったのだろうか。

「……あのスローガンは何」

 雪ノ下は呆れ気味なまなざしで俺の裾を引っ張り、耳元で呟いてくる。

 俺はジェスチャーで「そんなもん知るか」と伝えると雪ノ下は小さくため息をつく。

 が、スローガン自体は決まったので作業効率はこの前と比べればグッと上がり、会議室の空気は以前にも増して熱気を含んでいる。

 が、非情にも俺の目の前に次々に無言で仕事が置かれていく。

 昨日のプチ喧嘩で俺の評判はガタ落ち……まあ、元々地に伏しているようなものだから落ちるも何もないんだけどハブリはもちろん、無視は上等。中には俺が座っている椅子を通りざまに蹴ってくる奴だっている。

 が、俺は気にしない。気にしたところでそれ以上に規模が大きくなるだけだ。

「やあやあ、仕事してるかな? お2人さん」

 陽気な声と共に背中に柔らかいものと肩に手が置かれるが俺と雪ノ下は華麗にスルーし、仕事を次々に終わらせていく。

「むぅ。2人して無反応」

「姉さん。邪魔だからかえって」

「雪乃ちゃんなんだか辛辣~。心配してきたのに~」

 プニプニ彼女の頬を突く陽乃さんだが雪ノ下の表情は鬱陶しさ全開を露わにしている。

 今のうちに仕事進めよ。

「お、議事録に間違い発見!」

「ないですよ。録音した奴をそのまんま書いてるんすから」

「……君の功績がないじゃない」

 先程の明るい、陽気な声とは打って変わって冷たい、底冷えするような声がやけに耳の中で反響し、その冷たさは俺がキーボードをたたくのをためらわせる。

「……俺昨日何もしてないっすよ」

「またまた~。では、比企谷君。ここで問題です。集団を最も結束させるには何が必要でしょう」

 そんなもの簡単だ……集団に共通する敵を置けばいい。バラバラだった個は共通の敵を見据えることで驚くほど簡単に結束する。結束し、協力して敵を潰す……それが人間だ。

「冷酷な指導者……じゃないっすかね。ほら、独裁者は大体、革命・市民運動で降ろされるじゃないっすか」

「分かってるくせに……共通の敵を作ることだよ」

 集団の中で一度敵として認識されたとしても全員からすぐに来るわけじゃない。

 2人、3人と徐々に増えていく。

 集団心理……自分1人では怖くてやれない事でもみんなとやれば怖くない……誰かをハブることでも苛めることでも1人でやってもそいつがまっとうな人間であれば罪悪感を感じ、すぐに辞めるだろう。

 だが2人、3人でやればどうだろうか……罪悪感は感じるだろうが1人の時と比べると明らかに減少しているだろう。

「ま、敵が小さいと効果も薄れるけどね」

「……それは要するに」

 俺が大きくなればいいのかと言おうとするが唇に指を充てられた。

「私、勘の良いガキは嫌いよ」

 何故かは知らない……何故かは知らないがこの人は俺に共通の敵になりえるように大きくなれと言っている風に解釈してしまった…………。

「雪乃ちゃんの働きぶりを聞いてるとまるで私の時みたい」

「雪ノ下さんがいてくれて本当に助かったよ」

「別にそんなことは」

 確かにここまで持ち上げたのは彼女の功績が大きい。初期から一緒にやってきためぐり先輩であればその感情はことさら大きいだろう。

 それは生徒会メンバーも同じ……同じ執行部の相模を除いて。

「明日から楽しみだな~……ね?」

 俺を見てくる瞳は暗い……その暗い瞳であの人はいったいどのような未来を見据えているのだろうか。

 やはり……俺はあの人が嫌いだ。

 



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第32話  肩身が狭い文化祭

 翌日、遂に文化祭というボッチにとっては最悪の何物でもない行事が始まってしまった。

 この日をどれだけ休みたいと思ったか……はぁ。

 雑務記録としての仕事は文化祭本番中にはあまり出てこないのでブラブラと歩こうかとも思ったが人で混雑しているので歩く気にもなれない。

「あれ? もしかして暇?」

 出入り口付近でボーっとしていると入り口から出てきた海老名さんに声をかけられた。

 マジでクラスのボスと化してるからな……海老名プロデューサー。

「ま、まあ暇っちゃ暇だし暇じゃないと言えば暇じゃない」

「要するに暇だね。受付やってくれないかな? 公演時間とか言うだけでいいから」

 そう言い、指をさしている方を向くと入り口付近の壁に公演時間が書かれているであろう紙と長机、椅子が2,3脚並べられていた。

 え? 座っているだけで良いなんてなんて夢ジョブ?

 了承し、パイプ椅子に座るが貼られている紙がかなりデカいのでわざわざ俺に公演時間を聞いてくる奴はいないだろう。

「円陣組もうぜ!」

 そんな声が教室から聞こえ、扉を少し開けて中の様子を見ると海老名さんを中心として円陣が組まれ、その中には気まずそうな表情をしている川崎の姿もあった。

 そんな中、由比ヶ浜がこちらに気づき、笑みを浮かべてこっちを見てくるが首を左右に振って否定するとぶぅ~っとふて腐れた顔を浮かべた。

 何もやっていない奴が円陣の中に入るってのは何よりも窮屈なもんだ。見ろよ。相模なんかいずらそうじゃねえか。

 先程のオープニングセレモニーでも相模は噛みまくり、どうにかして実行委員長として全員の前に立って言うべきことを言っていたがそのことも引きずっているらしい。

 海老名さんの一声で全員が気合の入った叫びをあげ、遂に2年F組の文化祭がスタートした。

 オサレ系イケメンの葉山が主役と言う事もあってか一発目にも拘らず教室がすし詰め状態になり、満員御礼の札を上げるようにと指令を受け、ドアにひっかける。

「…………眠い」

 演劇が始まってから少し経ち、そんなことを呟くと教室から拍手喝さいが聞こえ、出口からゾロゾロと観客たちが満足そうな顔をして出ていく。

 記録雑務の仕事は2日目に入ってくるし、こんな座ってるだけの夢ジョブに就かせてもらってるだけありがたいと思うべきか。

「んんっくぁぁ~」

 背筋を伸ばすと自然と欠伸が出てしまった。

 チラッと喚起も兼ねてほんの少し開けられている扉の隙間から中を覗くとたった今から劇が始まったのか衣装を身に纏った葉山にスポットライトが集中しており、少し教室はざわついている。

 まあ、葉山が主役をやりますって大々的に全面的に打ち出せばあいつのファンなんかが食いつくか。

 葉山の台詞が終わり、舞台袖へとスポットライトがあてられた時、またもや観客がざわめき、俺の心も大いに、それはもう大嵐の様にざわめいた。

 ……あぁ、親が子の演劇を見に来る理由が分かったかもしれない……戸塚……お前が王子様だっ!

 どこかの星の王子様よろしく、そんなことを言っていると演劇は進んでいき、クライマックスへと差し掛かり、緊張していたメンバーの顔には真剣さが垣間見え、その真剣さに充てられた観客たちはざわめくことを忘れ、演劇を見入るように見ている。

 そしてもう一度葉山にスポットライトがあてられ、ラストを締めくくる台詞が発された瞬間、観客席から万雷の拍手が鳴り響いた。

 …………マジで海老名さんのプロデュース力半端ねえっす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休園中は教室の扉を閉め、俺が座ることでやっていないことを察したのか文化祭に来ている客たちはそのまま教室の前を通り過ぎていく。

 どうやらこの仕事は留守番の役目もあるらしく、メンバーはほぼ全員、休憩に入っており、教室には誰一人として残っていない。

「お疲れ、ヒッキー」

 机にどさっと袋が置かれた。

「何もしてねえけどな……ところでこの袋何?」

「お昼ご飯。ヒッキーの分も買ってきたんだ。ところで劇どうだった?」

「凄かった……戸塚が」

「そこ!?」

「嘘。いろいろ凄かった」

 事実、それを証明するかのように毎回毎回の公演は満員御礼状態であり、やる度に満員御礼の札をかけているしリピーターの姿もちらほら見える。

 海老名プロデューサーはどこかふざけているようで劇を真剣に考え、それに見合う役者を配置し、それに必要なものを作り出していく。

 まぁ、たまに腐った想いが反映されている部分も見えるけど……戸塚と葉山が顔を近づけた時には一瞬どうなるかと冷や冷やした。

 いつものメンバーをフルに使いながら普段はあまり接点がない奴もふんだんに活用し、演劇を進めていく姿はまさに本職のプロデューサーそのもの。

「実はさ……姫菜、ヒッキーの役も用意してたんだよ」

「俺? 片足の俺が出ても邪魔になるだけだろ」

「確かにヒッキーに充てられていた役は椅子に座ってる役だったけど……それでも姫菜はちゃんとヒッキーのこともメンバーに入れてあの演劇のお話を考えてたよ。だからさ…………自分が邪魔だなんて言わないで」

 そう言ってくる彼女の目はどこか悲しそうな色をしており、思わず目をそらしてしまう。

「ヒッキーもこのクラスの一員なんだよ?」

「……そうだな」

「うん、そうだよ。奉仕部だけがヒッキーの居場所じゃないよ」

 奉仕部だけが……俺の居場所じゃない……。

「お腹減ったー! 何食べたい? 納豆巻き? 焼きおにぎり? チャーハン結び?」

「納豆巻きとチャーハンで」

 由比ヶ浜からそれぞれ2つずつ受け取り、袋を破って食べていく。

 奉仕部だけが俺の居場所じゃないか……一緒に合宿言った奴らはともかくとしてそれ以外の奴らはどう考えているかね……まぁ、いいか。卒業するまで交流することないだろうし。

「そう言えばゆきのんの家に行った時、何か話したの?」

「ぐふっ! げっほっ! な、なんだよ急に」

「いや、さっきゆきのんの姿見かけたんだけどなんだか機嫌がいいというか」

 ……関係に一区切りついたと言えるのかあれは……。

 自分で気にするなと言っておきながら自分で気にするとは……ブーメランにもほどがある。

「さ、さぁ? 何かいいことでもあったんじゃねえの」

「ふ~ん……どこかゆきのんとヒッキーって似てるよね」

「俺が雪ノ下と? どう見ても性格から何まで全部反対だろ」

「まあ、性格のことはあれとして」

 そこは認めるのか……いやまあ、認めざるを得ないんだけど。

「なんというか……2人とも何かに集中したら集中しっぱなしというか」

「そうか? 俺は集中しているように見えて実は結構、手抜いてるぞ」

「胸張って言えることじゃないと思うんだけど」

「このご時世頑張った分だけ保障されることなんてないんだ。良い具合に手を抜けばちょっと多めに保障されるんだよ。ソースは俺。中学の時、体育祭で綱引きの時、俺は引っ張っていなかった」

「それとこれとは別じゃん」

 まあ、それもそうだんだが……ま、似ているだけであいつと俺が結合することは無いんだろう……あいつがルートで俺が負の数字だ。一生、虚数単位に代わることがないから一生、外に出たまま……お、案外負の整数と俺って似てるとこあるな。初めて数字にシンパシー感じた。

「だからさ……ゆきのんが頼ってくるまで待ってみようと思うの。押してダメなら引いてみろってやつ?」

「雪ノ下の場合、押しても引いても動かない気がするけどな」

「それでも……いつかは必ず来てくれるって信じてる」

「……どこで信じてるんだよ」

「だってゆきのん。私と過ごした時間は楽しかったって言ってくれたもん。だから少なくとも私たちのことは奉仕部の一員って認めてくれてるってことでしょ?」

 由比ヶ浜はそう言うと自分が買ってきたおにぎりにかぶりつく。

「ヒッキーと過ごした時間も楽しかったよ!」

「え……あ、おう」

 突然、満面の笑みを浮かべて言われた言葉に思わず顔が熱くなるのを感じ、それを隠すようにそっぽを向く。

 こんな至近距離でそれを言われたら恥ずかしいわ。

 今日も今日とて時間は流れていく。

 それは去年も経験した時間の流れ……だが違うのは……心のどこかで楽しんでるってことだ。



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第33話  ここからはボッチの領域

 文化祭も2日目に入り、総武高を受験しようとする受験生や雰囲気にのまれてはいってきた親子、はたまたほかの学校の制服を着た奴らが大量に入ってきたことで校舎内はパンパンだ。

 そんな人ばかりの中でも雪ノ下雪乃の姿を捉えることができるのは彼女の放つオーラが異質なものだからだろう。だが今回はその理由に当てはまらない。

「何やってんだお前」

「っっ。あら、サボり?」

「お前に言われたくない」

 記録雑務である俺は文化祭の様子を写真に収めている。クラスの様子だったり文化祭の込み具合など。

 で、体育館に近い3-Eの教室の近くを通った瞬間、見知った後姿を捉え、よく見てみると『ペットどろこ。うーニャン、うーワン』と書かれた看板の前に立っていた。

 雪ノ下雪乃と関係を整理できた……かもしれないあの日以来、雪ノ下との会話の中で以前よりもチクッとするものが多くなってきた。本来の性格はこれなんだろうが……まぁ、いいや。整理できたし。

「お前、動物好きなの」

「猫が好きなの。あの肉球、あのふわふわのお腹周り、そして時折見せる笑み……至高の宝ね」

 そう言われ、うちにいるカマクラを思い浮かべるが先の2つは合っているだろう……最後の一つだけは人によって見せる見せないの差があるとだけ言っておく。

 マジであいつ小町には母親に甘えるようにするのに俺の腹に乗ったらバカ息子を見るような目で見てくるからな……ま、雪ノ下に対してなら甘えると思うけどな。けっ!

「入ればいいだろ」

「……そんなことできないわ」

 ……まあ、猫に関してあれほど熱く語るほどだからな……。

「犬がいるもの」

「いぬ嫌いかよ」

「比企谷君……写真を」

「はいはい」

 教室に入り、中の様子をあらかた撮影し、外にいる雪ノ下に見せるが猫が足りないと言われ、猫多めにとるがまだ足りないと言われ、それはもう店番の奴らに止められるくらいにとってようやく満足したらしく、猫を写した写真ばかり、見て頬を少し緩ませている。

 その顔にドキッとしたのは内緒だ。

「それじゃ、行きましょうか」

「どこに」

「体育館よ」

 そう言われ、雪ノ下へついていき、体育館へ入ると今までにないくらいの人数が入っており、少し体育館の中は蒸し暑かった。

「何が始まるんだよ」

「そうね……演奏かしら」

 雪ノ下のその言葉の直後、盛大な拍手とともに壇上にスポットライトがあてられ、そちらの方を見ると体のラインを強調するような細身のロングドレスを着た雪ノ下陽乃が檀上中央でスカートの両端を少し持ち、淑やかに一礼する。

 彼女の後ろにはオーケストラと言っても差支えない集団がいる。

 タクトを軽く上げ、レイピアを振るうように鋭く振りぬいた瞬間、旋律が走った。

 演奏……というよりかはまるでプロのオーケストラコンサートを聴きに来ていると錯覚してしまうほどの壮大で優雅な音楽が会場に満ち、観客たちを虜にする。

 雪ノ下雪乃の方をチラッと見ると彼女が雪ノ下陽乃を見る目はまさに尊敬の念が込められていた。

 ……何百回連続負けたとしても彼女に対する思いは変わらない……か。

「…………わ」

「あ?」

「流石だわと言ったのよ……私もああなりたいと思っていたから」

 過去形であると言う事はすでに諦めたと言う事……だが彼女の顔からはそんな感じは見受けられない。

「……なる必要はないだろ。尊敬とは理解から最も遠い感情なんだから」

 俺の言葉は演奏にかき消されたのか彼女から返答は帰ってこない。

 ……英雄になろうとした瞬間に英雄失格……この言葉を借りるのであるとすれば……尊敬した瞬間、その人には絶対に勝てないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞台裏で俺達記録雑務は記録媒体のメモリースティックの容量を確認し、足りないのであれば予備のメモリーと交換し、有志団体最後の演奏を取れるようにセッティングする。

 有志団体最後の大トリを務めるのは葉山達だ。

「う~……緊張してきた」

 三浦はもちろん葉山、大岡、大和、戸部の顔には同じように緊張の色が見え、各々の方法で緊張をほぐそうとするが一度、刻まれた緊張はなかなか消えない。

 そんな中、雪ノ下雪乃は右往左往している。

「そんなに右往左往されれば気になるんだけど」

「ええ、ごめんなさい」

 その声からはいつもとは違う焦りを感じた。

「何かあったのか?」

「相模さんが見当たらないのよ。エンディングセレモニーの打ち合わせをしたかったのだけれど」

「さっきから電話してるんだけど繋がらないのよ」

 電話を持ち、困り顔のめぐり先輩も後ろからやってきて合流する。

「あいついないと止まるのか? 別に雪ノ下でも代役はできるだろ」

「いいえ。挨拶と総評は代役は聞くけど地域賞と優秀賞は相模さんしか結果を知らないのよ」

 地域とのつながりを前面に出している総武高校の文化祭にとって参加してくれた地域の有志の方々へのお礼をその場でしないと言う事は今後の運営にも差し支える。

「放送は?」

「何回もしているわ。先生たちにも探してもらっているのだけれど」

 大トリの出番はもうすぐだ。最終手段としては……。

「どうかしたか?」

 俺たちのただならぬ雰囲気を感じ取ったのか余裕の表情の葉山がやってきた。

「相模さんがいないのよ」

「……副委員長。プログラム変更を認めてくれるのなら10分は稼げると思うけど」

「……お願いするわ」

 そう言うと葉山はメンバーに向かってそのことを言うとともに携帯を片手で操作する。

 恐らく知り合い全員を登録したメーリングリストを使って全員に相模を探してもらうように頼んでいるんだろう。相変わらず交友関係が広い奴だ……あ、俺が狭すぎるのか。

「比企谷君」

「10分か……出来ればあと5分は欲しい」

「……任せて」

 そう言うと雪ノ下はおもむろに携帯を取り出してどこかへと連絡をする。

 相模はどこへ消えたのか……オープニングセレモニーで見せたカンペは見る、噛み噛みで何を言っているのかわからないというあの醜態を晒した以上、胸を張っているとは考えられない……といってもあいつにだって少なからず委員長としての責任はあるはずだから来ないという選択肢はないと思う。というかあのとりまきSがいる限り、あいつがぶっ潰れることは無い。

「ひゃっほ~。雪乃ちゃんから連絡くれるなんて珍しいね~」

 雪ノ下が連絡をしたのは陽乃さんか……何をする気だ。

「姉さん……手伝って」

「……へぇ」

 その顔に浮かべられているのは冷たい笑み……まるで失望したと言わんばかりの。

「珍しいね。私を頼ってくるなんて」

「…………今は貴方に勝つのを諦めただけよ」

 その言葉を聞き、一瞬ドキッとした。

 なぜなら陽乃さんがその言葉と同時に顔だけは雪ノ下に向けたまま、眼だけでこちらを睨んできたからだ。

 方向的にはそう見えたが本当は睨んでいないかもしれない……。

「で、何をするのかな?」

「時間を稼ぐわ」

「ふぅ~ん。でも人数的にはどうするの?」

 そう言うと雪ノ下は由比ヶ浜を呼び寄せ、彼女に見せるように由比ヶ浜を隣に立たせた。

「でも、その子を入れたとしても足りない……あ、足りるか」

 陽乃さんがそう言った瞬間、壁際から盛大なため息が聞こえた。

「静ちゃん。教え子の私からのお願い……聞いて?」

「……仕方がない。ベースは私がやろう。去年やった曲ならばまだ弾ける」

「めぐり。サポートでキーボードいける?」

「はい! 任せてください!」

「由比ヶ浜さん……貴方を頼らせてもらうわ。貴方にボーカルを任せたいのだけれど」

「……その言葉待ってたよ。ゆきのん」

 雪ノ下から手渡されたマイクを由比ヶ浜は笑みを浮かべながら手に取る。

「で、でもあたし歌詞とかうろ覚えだかんね!? 期待しないでね!?」

「……危なくなったら私も歌うわ……だからいつでも頼って」

「もうすぐ演奏終ります!」

 葉山達の演奏が終盤に近づいていることが記録雑務から伝えられるとメンバーは舞台袖へと向かい、俺はそのメンバーとは逆の方向へと歩いていく。

「ヒッキー」

「比企谷君」

 2人に呼ばれ、俺は振り返ることなく外へ繋がる扉を強く開くと外の太陽が差し込むと同時に風が吹きぬく。

 スポットライトが当たる仕事はあいつら2人に任せればいい……俺はスポットライトが当たらないドロドロの部隊の上に立って面白おかしく踊ればいい。

 さあ、ここからは偏屈で卑屈でボッチな俺の戦争だ。



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最終話 やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

 文化祭最後の有志団体演奏のラスト演奏者は最も客を集められる可能性があるチームにすることで客を集めると同時にそのままエンディングセレモニーへとスライドするのでやや変則的なプログラムになっていると同時にこの時間帯に校舎にはあまり人がいない。

 つまり最高に人を探しやすいと言う事だ。

 相模が出席していることはさっき会った教師から確認はとれている。あとはいったいどこに相模が隠れ、どこで自分の傷を癒しているかだ。

 だが選択肢が多すぎる……だから最強の助っ人でその選択肢を潰す

『我だ』

 電話の相手は材木座。こういう状況は同類の考え、意見が非常に役に立つ。

「1つ聞きたい。お前の新作がぼろ糞に評価された時、お前ならどうする」

『か、考えたくない未来だ』

「早くしてくれ。時間がない」

『そうだな。まずは人気のないところに移動し、そこから人を見下ろせるところに行き、この愚民どもめ! 我が最終兵器を食らうがいい! という感じで我は傷を癒している』

 ……なんか的確過ぎて涙が出てくるぜ。

「あぁ、ありがと。愛してるぜ、材木座!」

『我もだ!』

「きめえよ!」

 材木座の言っていることは適格だ。ならばその人を見下ろせるところはどこか……この学校の中では一つしかない……でも確か屋上へ繋がるドアは施錠されているから入れないって聞いたことがある。

 そんなことを考えながらもとりあえず屋上へ向かうために廊下を歩いていると前から川崎が歩いてくるのが見え、あちらも俺に気づいたのか目を合わせてきた。

「あんた、なんでここいんの」

「まあ、ちょっと……なあ、川崎って屋上の行き方知ってたりするか?」

「屋上? なんでまた」

「いいから」

 切羽詰っている状況での質問攻めにイラッとしてしまい、つい語気を強めて言うと川崎は驚いたのか目を見開いた。

「そんなに怒るなよ」

「あ、悪い……で、知ってるか」

「まぁ。屋上の扉、あれ施錠されてるように見えるけど鍵壊れてるから引っ張ったらすぐに鍵が外れて普通に扉が開くんだよ。結構、女子の間じゃ有名な話だけど」

「そうか……ありがと。愛してるぜ!」

 材木座の時と同じノリでサムズアップしながらそう言い、自分が出せる全速力で歩いていると後ろからすさまじい絶叫が聞こえてくるがそれを無視して屋上に向かって歩いていく。

 人がいない分、周りを気にすることもないので階段に引っかかって盛大にこけようが埃が付こうが気にも留めずに階段を上がっていくが屋上は物置にされているのか上に上がっていくたびに荷物は増えていき、歩けるスペースが狭まっていく。

「まぁ、狭いだけで壁代わりになるからいいんだけど。けほっ!」

 置かれている荷物を壁代わりにし、ゆっくりと歩いていくとようやく荷物の壁から抜け出することができ、少し開けた踊り場に出るとその壊れているという南京錠がかかっているドアが見えた。

 あれか…………前に行こうが地獄、後ろに戻ろうが地獄……さあ、かくれんぼはお終わだ。

 南京錠を強く引っ張ると結構、呆気なく外れ、屋上の扉を開けるとそこに目的の人物がいた。

 相模南はフェンスに寄りかかり、俺の顔を期待混じりに見るがすぐに落胆の表情へと戻る。

「悪いな。葉山じゃなくて……エンディングセレモニーが近い。早く戻ってくれ」

 簡潔に用件だけを言うと相模は不満げに眉をひそめた。

「別にうちが行かなくてもいいじゃん。雑務最高責任者のあんたと副委員長がいればできるでしょ」

「地域賞と優秀賞の結果知ってんのはお前だけだ」

「そんなの……でっち上げればいいじゃない」

「その時間もないから俺がお前を呼びに来たんだよ」

「だったらこれもっていけばいいじゃん!」

 相模は叫びながら俺に向かって集計結果が記されている紙を叩き付けた。

 投げられた用紙を中腰になって拾い、時計を見てみると既に時間稼ぎの限界数分前。

 ……奉仕部に寄せられた依頼はこいつの補佐……でも、それはあくまで文化祭実行委員長としての働きを補佐しろ問う事であって、今のこいつを補佐しろという依頼ではない。

 とりあえず時間もないのでこのまま行くが……一言だけ。

「相模。お前が怒るのは筋違いだろ」

「……」

「委員長としての職務を全うしていないお前が……怒る資格なんてないだろ」

「だって……みんな雪ノ下さんばかりに」

「自業自得だろ。雪ノ下に補佐を頼んだのはお前だ……もう文化祭に顔を出さないんだったらその腕章、お前が付ける必要も資格もないだろ」

 そう言うと相模は目に涙を浮かべてつけていた腕章をはぎ取り、俺の足元に投げすててその場に座り込み、顔を隠して泣き始めた。

 今の一言は言うならばあいつを否定したのと同じ……。

 俺は投げられた腕章と集計結果が書かれている用紙を持ち、体育館へ戻ろうとした時にドアが開いて相模の取巻Sと葉山達が息を切らして屋上へと来たが何も話さず、まっすぐ体育館へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、エンディングセレモニーの時間までに相模は帰ってくることなく補佐をしていた雪ノ下が代役を務め、地域賞及び優秀賞の発表と今回の文化祭の総評を行い、無事に文化祭は幕を下ろした。

 すでにすし詰め状態だった体育館からは人が出ており、残っているのは実行委員と文化祭担当に当たっていた体育教師の厚木と平塚先生だけだった。

「この後に事後処理もあるけど良い文化祭だったわ。この後の打ち上げで羽目を外しすぎんように。じゃあの」

 全ての片づけと先生からの総評が終わり、ゾロゾロとメンバーたちが体育館から出ていくがその中に相模の姿はなかった。

 俺も体育館から出ようと後ろを振り返った時、由比ヶ浜と雪ノ下が立っていた。

「お疲れ、ヒッキー!」

「それ、俺の台詞だろ。俺は別に何もしてねえよ。ただ単に腕章と集計結果とりに行っただけだ」

「そうかしら。貴方しかできなかったことだと思うのだけれど」

「まさか。葉山も遅れて来てたから俺だけにしかできない事じゃねえよ」

 事実、葉山は自分が知っている連絡網を使用して相模の目撃情報を片っ端から集め、取り巻きSと一緒に屋上へやってきた。相模を探すことなど俺以外の人間にもできることだし。

「……葉山君を卑下するつもりはないけれど……少なくとも時間通りには結果は来なかったと思うわ」

「そうか? あの葉山にお願いされて委員長になった奴が葉山に連れられて遅れてくるとは思わないけど」

「……どうして貴方はいつも否定から入るのかしら」

 そう言われ、次に話そうとしたものが止まる。

「……そう言う性格なんだよ。これ、腕章」

 雪ノ下に相模から返してもらった腕章を手渡し、体育館から出ようとするが雪ノ下に腕を軽くつかまれ、何かを腕に付けられた感じがし、腕を見てみるとさっき渡したはずの腕章が俺の腕に付けられている。

 ……なにこれ。このスペシャルな感じな腕章は何なのでしょうか……なんか腕章2つつけている人を見たらこいつ、出来る! って思うよな。

「おい、雪ノ下。これは」

「この腕章を貴方がつけていても今は誰も言わないわ」

「そうだよ。ゆきのんが風邪を引いて休んだときだっていっぱい頑張ってたって平塚先生言ってたよ、だからさ……少しは自分がしたことを自信もっていいと思うよ」

 自分のしたことに自信……か……。

「……由比ヶ浜、雪ノ下」

「ん? どったの?」

「…………お、お疲れ」

 そう言い、俺は頭をガシガシ掻き毟りながら出口に向かって歩きはじめると後ろから小さく笑う声が聞こえ、二人が俺の両隣にやってきた。

 後ろからクスクス笑われて嫌な感じにならないのは……初めてかもな。

 途中で雪ノ下と分かれ、俺と由比ヶ浜がクラスへ戻ってくると既に全員が教室に戻ってきており、興奮冷めやらない様子で喋っていた……が、俺が教室に入った瞬間に一気に静かになった。

 由比ヶ浜は突然の静寂に戸惑いを隠せないまま自分の座席に戻る。

 俺に向けられる冷たい視線を無視しながら椅子に座ったと同時に先生が教室に入ってきてクラスの催しについての総評が行われる。

 今日は疲れているから、という言葉で締め、終わりのHRは終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は残っている雑務最高責任者(仮)の残務処理を終わらせるために静かな場所である奉仕部へと向かって歩いていた。

 明日は日曜日で休みだし、月曜日は代休だから家でやっても終わるが俺としては何もやることなく休みに突入したいので結局、学校に残ることに決めた。

 ガラッといつも通りに奉仕部の扉を開けるとそこにはいつも通りに雪ノ下雪乃が座っていた。

 ただいつもと違うのは机に向かって座り、1枚の用紙にペンを走らせていることくらいだ。

「ごめんなさい。貴方は眼中にないの」

「おい、なんで俺がお前を告白するために呼び出した前提なんだ」

「あら。じゃあ、何をしに来たのかしら」

「本気で小首を傾げて考えるな」

 そんなやり取りを済ませ、いつもの位置の椅子に座ってカバンから書類を取り出して手を付けていく。

「打ち上げは良いのかしら」

「喧嘩売ってんのか」

 そう言いながら顔を上げるとさっきまでの冗談めいた表情ではなく、本気で俺が打ち上げに行くと思っていたらしく、ハトが鉄砲豆を食らったような驚いた表情を浮かべて俺を見ていた。

 ……え、何この感じ……。

「今回の貴方の働きぶりを見る限り、呼ばれてもおかしくないわ」

「つってもこっちはクラスの方には全然顔出してなかったからな。いつもの様にMemories of Nobodyなんだろ」

 ちなみに俺はあの映画はまあまあ好きだ。一番好きなのは地獄編なんだがどうも俺の評価とネット上での評価がシンクロしない。

「悲しい性ね……呼ばれるのすら忘れるなんて」

「ボッチなんてそんなもんだろ。俺なんか中学の卒業写真、入ってないからな」

「……それはないわね」

「ないのかよ」

 つまり俺は雪ノ下以上のボッチだったってことか……雪ノ下に勝る部分を見つけたと喜んでいいのかそれ以上のボッチであることの証明に悲しんだ方がいいのか……う~ん。分からん。

 そう言い、雪ノ下は再び用紙に集中する。

 今まで雪ノ下とこんな会話をしたことなんてなかった……これも…………これも普通に接しているからなのか……もし、そうであるとするならば……俺は……もしかしたら雪ノ下と。

「なあ、雪ノ下。俺と」

「あり得ないわ。絶対にね」

「だぁ! まだなんも言ってねえじゃん!」

「私と貴方が友達になることは無いわ。そもそも全く逆のものなのだから」

 俺と雪ノ下は似ているようで全く違う。

 逆を向いているベクトルはどちらかが向きを変えない限り永遠に合わさることは無い。

 そのことをよく理解しているはずなのになぜ、俺はあんなことを思ったのだろうか。

「そりゃ、そうか」

「でも」

 雪ノ下は一拍置き、ふっと小さく笑みを浮かべて俺を見てくる。

「私と貴方が普通に接することはできるわ……もう、悩むことは無いと貴方が言ってくれたから」

 俺と雪ノ下にある物……それは事故における被害者と加害者の感情。雪ノ下は俺に障害を与えたという加害者意識を持ち、俺は障害を与えられたという感情を持った。

 複雑に絡み合ったその感情を切ることはできない。ただ絡み合ったものを解くことはできるはずだ。

「……そうだな」

 俺と雪ノ下が友達になることは無い……でも、普通に接することはできる。

 それを人は…………。

 ――――――友と呼ぶんじゃないのかね。

「やっはろ~! 文化祭お疲れ!」

「由比ヶ浜さん。静かに」

「あれ? ゆきのん何書いてるの? それよりも打ち上げ行こうよ打ち上げ!」

「進路調査票。それと打ち上げは行かないわ」

「えーいいじゃん! あたし、ゆきのんが書き終わるまで待ってるからさ!」

「……行くとは一言も言っていないのだけれど」

「あ、写真撮ろうよ!」

「忙しいやっちゃな」

 そう言いながらも俺は立ち上がろうとするが由比ヶ浜に手で止められ、2人が俺を挟むようにして両脇に回ってきた。

「はい、じゃあ行くよー! はいチーズ!」

 部室にシャッター音が響いた。

 人生は後戻りできない……だからその時その時を楽しむ……俺は出来ているのかね。



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