妖怪の賢者と龍の子と【完結】 (マイマイ)
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序章 ~始まり~
第1話 ~出会い~


新作品です。
シリアス多めの東方作品になります。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。


――命の灯火が、消えようとしていた。

 

「は、はぁ、は……!」

 

 人が寄り付かぬ山奥の森の中、そこを必死の形相で走る1人の少女が居た。

 まだあどけない顔立ちでありながら、将来数多くの男を魅了するであろうと断言できる程の美しい容姿。

 その容姿に相応しい金糸の長い髪を靡かせ、(ろく)(じゅう)()()の「(すい)」(占いの1つで六十四卦は基本図象、萃は六十四卦の45番目の卦)が描かれた導師風の服を身に纏った彼女は、不思議な雰囲気と絶大な美貌を持って生まれた美女になると断言できるだろう。

 しかしそれは――すぐに閉ざされてしまう未来かもしれない。

 

「は、は……ぁ、はぁ……は……!」

 

 走る走る走る……!

 茂みを掻き分け、草木で露出した肌が切り傷を作ろうとも構わず、少女はただ走り続けた。

 それは紛れもない“逃走”、少女は閉ざされようとしている自分の未来を回避するために、死に物狂いで逃げ回っている。

 

「――何処へ行く? 女」

「――――っ!!?」

 

 重苦しい声が、少女の耳に入る。

 瞬間、少女はその声によって動きを止めてしまい、身体を強張らせ震え始めた。

 

「貴様のような下等妖怪が、生きようと無様に逃げる姿はお笑いだが……あまり俺様の手を煩わせるな」

 

 重く低い声が、再び場に響き……木々の間から、複数の生物が現れた。

 四足歩行の獣のような出で立ちで現れたその生物は、皆血走った目と鋭利な刃のような牙を少女に見せながら出現する。

 その数、およそ二十。

 ゆっくりと、けれど確実に少女の逃げ場を無くすように展開し――僅か数秒で少女は取り囲まれてしまった。

 

「はー……はー……はー……」

 

 取り囲まれた少女ではあるが、彼女は周りの獣達に対しての恐怖心は微塵もない。

 所詮獣は獣、たとえ手負いであっても少女にとってはとるに足らぬ相手であり。

 ――けれど、取り囲まれた時点で少女の人生は終わりを告げていた。

 

「は、ぁ、あ……あ……」

「どうした? もう少し抵抗しないのか?」

 

 嘲りと余裕、そして見下しの感情を前面に押し出しながら、獣達とは別の存在が現れる。

 それは青白い肌の大男、少女の倍はある巨体はまるで地獄から現れた悪鬼の如し。

 男は獲物である少女の弱りきったその姿を満足そうに見つめながら、鋭利に生えた爪を下品に舐る。

 

「たかだか十五年程度しか生きていない下等妖怪に、まさか部下まで使う羽目になるとはな」

「はぁ、は……そ、それだけ…あなた達が弱いって事じゃないかしら?」

「…………」

 

 少女の口から放たれる、精一杯の強がり。

 息も絶え絶え、単なる虚勢にすらなっていない愚行そのもの。

 

――それが、大男には我慢できないほどに腹立たしい。

 

「ガキが……早死にしたいか?」

「は、は、はぁ……」

「――くだらない時間を過ごした、消えろ」

 

 右手に力を込める大男。

 それで少女は今度こそ自分の命が、大男の右爪によって消えると自覚した。

 無惨に切り刻まれ、その後は周りの獣達によって肉の一片も残らず食われ蹂躙される。

 なんという屈辱か、それでも少女はその未来を回避する術はない。

 

――そして、大男は遂に右手を大きく振り上げる。

 

――少女は怯まず、一秒後の死に対しても懸命に立ち向かおうと大男を睨み続け。

 

「――お前ら、何してんだ?」

 

 場に似つかわしくない能天気な少年の声が、少女の死を先延ばしにした。

 

「――――」

「…………ああ?」

 

 少女も大男も、そして獣達の視線も、声の聞こえた方へと向けられる。

 その先に居たのは、声に似つかわしい少年であった。

 まだ十代前半に見える小柄であどけない顔立ち。

 ただの人間、見た目と少年の短く切り揃えられた黒髪を見れば誰もがそう思うだろう。

 

 しかし、少女も大男も目の前の少年が人間ではないと瞬時に悟った。

 何故なら――少年の瞳は、普通の人間ではありえない黄金の瞳だったからだ。

 それで理解する、この少年は人間ではなく……少女と大男と同じ“妖怪”と呼ばれる種族であると。

 

――妖怪。

 

 闇の中で生き、人間にとって恐れられる怪物達の総称。

 人間を遙かに上回る寿命と頑強な肉体を持ち、その多くが人喰であるというのが大きな特徴だ。

 ……それにしてもと、少女は少年の黒髪に視線を向ける。

 

 妖怪は人の形を持つ者ではあるものの、人間と違い髪や瞳の色、肌といった見た目は大きく異なっている。

 自分とて金糸の髪と瞳を持っているし、この大男の肌とて人間とは違い青白く不気味だ。

 しかし黒髪の妖怪とは珍しい、少なくとも少女も大男も初めて見る。

 尤も――大男にとっては、どうでもいい事ではあるが。

 

「――小僧、お前……今何をしたかわかるか?」

「? お前、怪我してる!!」

「えっ……」

 

 大男に睨まれているというのに、少年はまったく異を介さずに少女の元へと駆け寄った。

 少女が負っている怪我を辛そうに見つめるその姿は、まるで肉親を傷つけられた人間のようだ。

 

「大丈夫か? けどごめんな、俺……治療する力がないから、とりあえず俺んちに行こう!」

「えっ……えっ?」

 

 少女の返事も反応も待たないまま、少年は少女の手を掴みその場を後にしようとするが。

 

「――随分と、舐め腐った真似をするじゃねえか」

 

 額に青筋を浮かべ、憤怒の表情のまま大男が少年と少女の前に立ち塞がった。

 

「どけよ、この子怪我してんだぞ?」

「…………」

 

 何の力も感じられない、見た目通りの小僧に生意気な口を聞かれる。

 それは大男にとって信じられぬ光景であり、同時に決して許す事など出来ない愚行であった。

 

「ガキ風情が……この俺様を誰だと思っている!?」

「…………誰?」

 

 少年が、隣に立つ少女へと問いかける。

 それが再び大男の怒りを買い、もはや我慢の限界であった。

 後から現れた少年ごと少女を殺せばいい、大男にとって造作も無い事だ。

 

「もういい、消えろガキ共!!」

「っ、逃げて!!」

「ああ……そうだ、な!!」

「きゃっ!?」

「っ、なっ!?」

 

 大男が2人を殺そうと行動する前に――少年は動きを見せていた。

 素早く少女を抱きかかえ、両足に充分な力を込めて跳躍する少年。

 六メートルという常人を遙かに超える跳躍力を用いて、少年は包囲網を空から突破する。

 地面に着地、同時に逃走するために走り出した。

 

「…………」

「ちょっと我慢しててくれな?」

 

 前を見ながら、少年は抱きかかえた少女へと告げる。

 しかし少女は少年の声に返事を返すことは無く、まるで疾風のように走る少年の速さにただ驚いていた。

 子供の足だというのに、少年はろくに整備もされておらず走るには向いていない山の地面をものともせず、走っているのだ。

 それだけではない、その速さはただ速く流れる景色がぼやけて見える程。

 

「…………ダメだな」

「えっ?」

「俺、今全力で走ってるんだけど……いずれ追いつかれる」

「何を……っ!!?」

 

 少年の言葉に当初は理解できなかった少女だが、後ろから確実に迫っている複数の気配を感じ取り理解する。

 この少年は確かに速い、いくら妖怪とはいえこれだけの速さで走れる存在はそうはいまい。

 だが――敵はそれ以上の速さで自分達を追っており、このままでは少年の言う通り追いつかれそれで終わりだ。

 

「うーん……どうすっかなあ、俺1人じゃ多分勝てねえし……」

「……私を、置いていって」

「それは無理、だって見捨てるなんてできないし」

「な、なんで……? 私と貴方は何の関係も無いでしょ!?」

 

 こうやって自分を抱えて逃げている事自体、少女には理解できなかった。

 妖怪の世界は人間以上に弱肉強食の理で出来ている、一部を除いて皆身勝手で……力こそ全てだ。

 だから少女には何故少年が自分を助けるのかが理解できない、それも何の関係も無いのにだ。

 その疑問を解き明かすために、少女は少年へと問いかけたのだが――

 

「――とうちゃんが、女には優しくしろって言ってたし、たとえ女じゃないとしても怪我してるお前を放ってなんかおけないって」

 

 あっけらかんと、それが世界の常識だと言わんばかりに、理解不能な答えを少年は返してきた。

 

「――――」

 

 おもわず、少女は言葉を失ってしまう。

 まだ十五年という妖怪という種族の中では若すぎる少女だとしても、少年の答えは妖怪として理解できないものだった。

 少なくともこの十五年間、少女はずっと……誰かに助けれる事など無かったのだから。

 

――けれど、現実はただ非情でしかない。

 

 少しずつとはいえ、相手との距離は狭まっている、追いつかれるのは時間の問題だ。

 少女には力は殆ど残されていないし、少年もまた自分の力では相手を倒す事など不可能だと悟っている。

 

「や、やっぱり私を置いていって! そうしないと貴方まで……!」

「嫌だね」

「どうして!? 関係ない私のせいで死んでもいいの!?」

「関係が無くちゃ、助けちゃいけないのか?」

「えっ……」

 

 ぽつりと、呟くように放たれた少年の言葉に、少女は再び言葉を失う。

 

「俺は誰かが死ぬのは嫌だ、だったらあのまま放っておいたら殺されるお前を助けないわけにはいかない」

「こ、答えになってないわ。そのせいで命を落としたら……!」

「――殺されそうになってる命を見捨てて後悔するくらいなら、死んだ方がいいさ」

「――――」

「まあでも……そんな偉そうな事を言っているけど、弱い俺にはまだその道は早過ぎるかもな」

 

 走りながら器用に苦笑する少年だが、少女は同じように笑う事はできなかった。

 彼は自分とは違い目標を持って生きている、自分のような……ただ他の妖怪や人間から逃げているだけの自分とは違う。

 ……あどけない顔が、少女には何だか眩しく映った気がした。

 

「……すぐそこまで迫ってるな、あのでっかいの」

「っ、ええ……そうみたいね」

「しょうがねえな……一か八か戦うか?」

「無理よ。私はもう妖力が殆ど残っていないの、そもそも力があるならとっくに逃げ出しているわ」

「…………」

「ひゃっ……!?」

 

 突如として立ち止まる少年、その際の衝撃によって少女は短く悲鳴を上げてしまう。

 何故止まるのか、問いかけようとして……少女は少年の瞳を見た。

 そこに映るのは何かを“決意”した感情、胸騒ぎがした少女が口を開く前に。

 

「――俺が時間稼ぎをするから、お前はここから走って逃げろ」

 

 少年は少女を地面に降ろし、こちらに向かってくる者達へと視線を向けた。

 

「そ、そんな……そんな事できるわけないじゃない!!」

「このまま逃げたって捕まって殺されるだけだ、だったら俺が囮になればお前は助かるだろ?」

「だ、だったら私が黙って殺されればいいだけじゃない! 貴方が私なんかのせいで命を落とすなんて間違っているわ!!」

「しょうがねえじゃん。見捨てるぐらいなら死んだ方がマシだって、さっき言っただろ?」

「だからって……!」

「この道をひたすら真っ直ぐ行けば俺んちがある、そこにとうちゃんが居るから事情を話して助けてもらえ。

 とうちゃんはありえないぐらい強いから、あんな奴等一秒も掛からずに倒せるんだ」

「でも……でも……!」

「いいって、俺が勝手にやってんだからさ。それより……生きろよ?」

 

 ニカッと、死地に行く者とは思えない無邪気な笑みを見せる少年に、少女は金の瞳から涙を零す。

 こんな自分に、会ったばかりの自分のためなんかに命を懸けてくれているというのに、何故自分には何も出来ないのか。

 己の力不足と情けなさで、少女は涙を流すのを止められずにいた。

 

「お、おい泣くなよ……泣かれると、困る……」

「ご、ごめんなさい……でも、やっぱり……」

 

 私も残る、たとえ役に立てないとしても残りたかった。

 このまま逃げたら少女は一生自分自身を許せなくなる、見ず知らずの自分の助けてくれた者に対する恩を返せないなど……許されない業だ。

 だから、少女は少年を守るように前へと出ようとして――森の変化に気がついた。

 

「え――――」

 

――森が、震えている。

 

 否、周囲の森だけでなくこの山全体が震え上がるような、緊迫した空気が周囲に漂い始めていた。

 それと同時に感じ取れたのは……圧倒的なまでの力の奔流。

 まるで台風、いや、火山の噴火か。

 そう思えるような力を感じ取る事ができ、少女は知らず身体を震わせその場に座り込んでしまう。

 

「――助かったあ、とうちゃんが俺を心配して捜しに来てくれたみたいだ」

「えっ……じ、じゃあこの力って……!」

「ああ、俺のとうちゃんの力だよ。あっ、あいつら尻尾撒いて逃げちまったみたいだぞ?」

 

 よかったなあ、嬉しそうに少女へと告げる少年であったが、一方の少女は反応を返す事が出来なかった。

 ……冗談ではない、何なのだこの出鱈目な力は。

 先程の大男などまるで問題にならず、たとえ大妖怪と呼ばれる力ある存在であったとしても、届かない。

 力の奔流は収まったというのに、いまだに空気はビリビリと震え一歩も動く事ができないでいた。

 

――そして、森の奥からその力の正体が姿を現す。

 

「――んん? おお(りゅう)()、無事だったか!」

「当たり前だろとうちゃん! って言いたいけど……とうちゃんのおかげで助かったよ、ありがとう!!」

「なーに、出来の悪い息子を助けるのは当然だ!! ――っと、おお?」

 

 現れたのは、人懐っこい笑みを浮かべた中年の男性であった。

 ボサボサの整えていない銀の髪に無精髭を生やし、お世辞にも上品という風には見えない風貌。

 身につけているものも簡素な衣服であり、見た目も相まってみすぼらしさすら覚える。

 

 しかし少女は決して目の前の男をそういった風には見る事ができない、先程感じ取った力を知れば当然だ。

 一方の男性は、少年の傍に居る少女を見て、驚きながらも――ニヤリとした笑みを浮かべていた。

 

「なんだよ龍人ー、お前こんな可愛い子と逢引してたのかー? これなら俺が助けなくてもよかったな」

「なっ……!?」

「? なあ、逢引ってなんだ?」

「っ、貴方は知らなくていいの!!」

「そ、そんな怒鳴らなくたっていいだろ……?」

「はっはっは、いや悪いな譲ちゃん。ちょっとからかいたくなっただけさ」

「…………」

 

 少女の険しい視線を受け、男はやや引き攣った笑みを浮かべつつ、少女に自らの名を告げた。

 

「俺は(りゅう)()、この山でコイツと一緒に暮らしてるモンだ。まあ自己紹介は追々という事にして……まずは家に来い、手当てしてやる」

「…………」

「とうちゃんはなんでもできるから、お前の怪我だってあっという間に治してくれるぞ?」

「……私、下品な男は嫌いですの」

「こりゃ手厳しい……さっきのは本当にすまなかった。だがお前さん……その怪我と消耗しきった身体じゃ、さっきの奴等から逃げられないぞ?」

「ええ、悔しいですけど……でも、おかしな事をしたら許しませんから」

「誰が譲ちゃんみたいに乳臭いガキに手を出すかよ。じゃあ龍人、その譲ちゃんはお前が連れて来い」

 

 そう言って、さっさと歩き出してしまう龍哉。

 またも下品な物言いに少女の表情が険しくなるが……すぐに元に戻った。

 とにかく今は余計な体力を使える余裕はない、おとなしくついていこう。

 

「――ところでさ、お前の名前ってなんていうんだ?」

「ぁ……そういえばまだ名乗ってもいませんでしたね」

 

――物語が、幕を開いた。

 

「私の名前は――紫。()(くも)(ゆかり)よ」

 

 少女『八雲紫』と少年『龍人』の出会いが、全ての始まり。

 

「紫かあ……よろしくな、紫!! 俺は龍人だ!!」

 

 この出会いが、大きな意味を成す事になるのだが。

 

「ええ、宜しく――龍人」

 

 それを知るのは、まだまだ先の話である。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第2話 ~紫の力~

命の危機を龍人と龍哉に救われた紫。
治療を受けるために、彼女はこの親子の暮らしている家へと赴いた……。


「――着いたぞ」

「………ここが?」

 

 秘境とも呼べる程の山奥の中で出会った龍哉と龍人という親子についていく紫。

 暫し歩き続け……一際大きい大樹の前で、紫は龍人達が暮らす家へと辿り着いた。

 しかしそれは家というよりは小屋であり、大樹の太い枝の上に建てられたそれはお世辞にも安全性が確立されているようには見えない。

 ほら来いよ、そう言いながら縄梯子をさっさと登っていく龍哉。

 

「紫、登れるか? もし無理そうならおぶろうか?」

「大丈夫よ。それくらいならできるから」

 

 妖力の殆どを消耗している今では、空を飛ぶ事も出来ない。

 しかしかといってそこまで体力が無いわけではない、龍人の提案を断り紫は縄梯子を登っていこうとして――動きを止めた。

 

「紫?」

「……龍人、貴方が先に登って頂戴」

「? 何で?」

「いいから」

「………?」

 

 紫に強い口調で言われ、首を傾げながらも龍人は先に登っていく。

 詮索しない彼に感謝しつつ、改めて紫は縄梯子を登り始め――小屋の中へと赴いた。

 中はこれまた殺風景で、生活に必要な最低限の物しか置かれてはいなかった。

 2人分の布団に弓、釣竿といった借りの道具。

 起きて寝るだけのための小屋、それが紫のこの家に対する率直な感想だった。

 

「適当な所に座れ、すぐに治療してやる」

「ええ……お願いするわ」

「あ、でもその前に服を脱げ」

「―――――」

 

 空気が凍りつく。

 龍哉の言葉を理解できない紫は、おもわず思考を停止させてしまった。

 ちょっと待て、目の前の男は服を脱げと言ったのか?

 だんだんと鮮明になっていく思考と共に、紫の表情が僅かな羞恥と怒りの色で染まっていく。

 

「や、やはり最初からそのような目的があったのね………!」

「何言ってんだお前、身体中傷だらけなんだから服を脱いで治療するのは当然だろうが」

「……本当に、それだけかしら?」

「おい、俺は別にお前みたいなガキを治療しなくても一向に構わないんだぞ? 人様の厚意を素直に受け取らん可愛げの無いガキはさっさと出てってもらおうか?」

 

 睨み合う紫と龍哉。

 

「とうちゃん、でも女の裸を無闇に見たらダメだって前に俺に言わなかったか?」

「ああ確かにそうだ。けどな龍人、父ちゃんは純粋に治療をしてやろうとしているだけだ。だっていうのにこの嬢ちゃんが変に色気づいてるだけなんだよ」

「世の中には、特殊な性癖を持つ者もいらっしゃいますから、警戒するのは当然ではなくて?」

「っ、本当に可愛くないガキだなお前さんは、冷静に考えて後で困るのはお前じゃねえのか?」

「……………」

 

 それを言われてしまうと、紫としては何も言えなくなる。

 だが見ず知らずの男に自分の身体を見られるというのは、やはり抵抗感があった。

 ましてや今まで自分はずっと狙われ続けていたのだ、そう易々と油断した姿を見せれるわけがない。

 

「おい龍人、この女はやめとけ。お前の性格が歪むから」

「失礼な物言いね。こんな子供妖怪に大人気ないと思わないの?」

「野郎……もういい、お前さんみたいな可愛げの無くて弱い下級妖怪を助けようとしたのが間違いだった」

「えー、そう言わずに治療してあげてよとうちゃん」

「父ちゃんもそうしてやりたいが、そっちの嬢ちゃんが頑固なのが悪い」

「……………」

 

 よく言うと、紫は心の中でそう毒吐いた。

 確かに自分の言動も理由の1つだろう、だが龍哉にとってそんなものは些細な事だ。

 ……彼は紫を警戒している、否、警戒というよりは“警告”を送っている。

 紫を助け、今も心配してくれている少年――龍人に少しでも不穏な事をすれば、容赦なく殺す。

 そんな警告を、龍哉は紫にだけわかるように目で訴えている。

 息が詰まる、先程から重圧を込めた警告を向けられ続ければ、物言いだって乱暴になるのは当然だ。

 

「……じゃあさ、せめて腕や足だけは治療してよ?」

「…………しょうがねえな」

 

 本当に仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべ、龍哉は何か用意し始めた。

 用意したものは複数の葉や花、そして擂鉢……どうやら薬草を調合するようだ。

 

「龍人、悪いが近くの川から水を汲んできてくれ。ゆっくりでいいぞ?」

「わかった!」

 

 桶を持ち、小屋を後にする龍人。

 

「――さて、と」

「……………」

 

 小屋の空気が、龍人が居なくなった事で変化する。

 龍哉の目つきが僅かに鋭くなり、紫もまた上手く動かせない身体で身構え始めた。

 

「そう身構えんな、それにお前さん程度の下級妖怪が何をしようと俺には痛くも痒くもないからな」

「では、彼を遠ざけてまで私と2人だけになった理由は、一体何なのかしら?」

「たいした用事じゃない。少し訊きたい事があるだけだ」

 

 どかっと地面に座り込む龍哉。

 紫に向ける視線は鋭いまま、おもわず紫は身体を強張らせてしまう。

 そして龍哉は、その視線を紫に向けたまま問いかけた。

 

「――お前さん、何故あんな妖怪の群れに狙われてた? お前さんみたいな下級妖怪を中級妖怪が追い掛け回すなんて、普通は無い筈だ」

「…………」

「喧嘩を売った……というのならわかるが、どうもそうは思えなくてな。

 一応こっちはお前さんを助けた身だ、狙われた理由を訊ねる権利はある筈だぞ?」

 

 そう告げる龍哉だが、彼の瞳は話さねば許さぬと告げていた。

 

「龍人はお前がどこの誰だろうとも関係ないと思うだろうが、あいつの父親である俺はそうもいかん。

 あいつに危害が及ぶ可能性は……少しでも消しておきたいんでな」

「……随分と、あの子を可愛がっているのね。それだけの力を持っているあなたが、人間のような子育てをするなんて意外だわ」

「質問に答えろ小娘。龍人はじき戻ってくる、わざわざ水汲みに行かせた意味が無くなる」

 

「……察しの通り、私はあの妖怪達に一方的な危害を加えたわけでも縄張りを侵したわけでもないわ。――私はまだ生まれて十五年足らずの妖怪だけど、生まれた時から既にこの姿だったわ」

「……なんだと?」

 

 妖怪の誕生には、2つのパターンが存在する。

 人間と同じように子を成すものと……紫のように、無から生み出されるものの2つだ。

 しかし紫のようなパターンの場合、強い力を持って生まれる傾向が強いのだが、少なくとも龍哉には紫が見た目通りの下級妖怪にしか見えない。

 ……その場合は、妖力とは違う力が宿っている場合があるのだが。

 

「お前さん、何か……特別な力を持って生まれたな?」

「……ええ、そして“これ”が下級妖怪である私が狙われる理由よ」

 

 妖力は少しは回復した、()()()だけならできるだろう。

 パチンと紫は右手の指を鳴らす。

 

「っ、こいつは………!」

 刹那、空間の一部が裂け……中に多数の目玉が見える不気味な穴が空中に開いた。

 

「私はこれを“スキマ”と呼んでいるわ。そして……これが私の持って生まれた能力」

「……コイツは驚いた、お前さん――()()を操る力を持ってやがるのか」

「境界?」

「なんだ? お前もしかして、自分の力の正体すらわかっていないのか?」

「仕方ないじゃない。この力の事を教えてくれる人なんか今まで会った事は無かったんだから……」

 

 今まで妖怪に追われる日々を過ごす中で、紫は自分が持っている能力の考察などできる余裕など無かった。

 これはこことは違う次元の亜空間であり、離れた場所に一瞬で移動できる程度の認識でしかない。

 紫がそう告げると、龍哉は何故か苦笑を浮かべていた。

 

「参ったなこりゃ……龍人のヤツ、とんでもない拾い物をしたもんだ」

「……あなたは私の力の事を知っているようだけど」

「知っているというのは語弊があるな。ただ俺はちょっと特殊でね……お前さんのような異端中の異端を認識できるんだ」

「異端、ね……。どうやらこれは、相当恐ろしい能力のようね」

「恐ろしい、なんて言葉で片付けていいものじゃない。いいか? お前さんの能力は……それこそ天を左右するほどの力だって認識を持っていろ。

 全ての事象を根底から覆す能力だ、何せお前さんはありとあらゆる境界を操る事ができるんだからな」

 

「その境界というのは、一体何なのかしら?」

「説明するのはなかなか難しい、何故ならそれは本来見えるものじゃないからだ。

 全ての物事には“境界”が存在している、生き物だけじゃなくこの世に在るもの全てに存在しているんだ。そしてその境界がそれぞれのモノに存在していなければそれは1つの大きなものってわけだ。

 物凄く簡単に言うとな、お前さんに出来ない事はそれこそ何にも無い。数多の神々すら超える力―――それが境界を操る能力だ」

「――――――」

 

 全てを理解できたわけではない。

 しかし、自分の持つ力が自分の想像を遥かに超えた能力だと言う事は、理解できた。

 

「例えば、俺という存在とそれ以外を分ける境界を消せば……俺はこの場で消える。それこそ一瞬でな。

 それだけじゃない、この力は破壊だけじゃなく創造だって可能だ。それこそ世界を作る事だって…な」

「――――――」

 

「自分が作り出した世界とそれ以外の境界を操作すれば、こことは違う世界が生まれる。現にお前さんがスキマと呼んでいるそれも世界の境界を操作した事によって生まれた世界の1つだ。

 ――狙われるのは当然だな。なんせ自分の境界を操作される事に対しての対処法は存在しない、つまりお前はその気になれば誰にだって負けないし、神々だって消し去れる」

「……私の力は、そこまでの」

「もちろん何でも出来るからって安易に能力を用いればそれ相応の対価を支払う必要がある、そのスキマ程度なら対価は必要ないが……自分より上位の存在を消し去ったりする事なんかできないし、できたとしても命を削る行為だ。

 お前さんは神々ではなくあくまで妖怪だからな、尤も――そうだとしてもお前さんの力は本来あってはならないものだ」

「……………」

 

 言葉を発する事ができない。

 自分の力が何処か普通ではないと紫も分かっていた、けれど……ここまでのものだとは思わなかった。

 龍哉は嘘偽りを話しているわけではないだろう、そもそもそんな事をする意味も理由もない以上……彼の言葉は全て事実と認めざるおえない。

 ……こんな能力があるから自分はこの十五年間妖怪や人間に追われ、そしてこれからもそういった生き方を強いられるのか。

 笑えてくる、自分は一体何のために生まれてきたというのだろう……。

 

「今後お前が成長を続け妖力と知識を身につける度に、境界を操作できるものが増えていくだろう。

 お前を狙う連中はそれを危惧しているんだろうな、だからまだガキの内に始末しようと―――」

「………………」

「……悪かったな。俺はどうも口が悪いんだ」

 

 ポロポロと紫の瞳から零れる涙を見て、龍哉はすぐさま口を噤んだ。

 しかし当の紫は龍哉の謝罪の言葉も耳に入れず、声を押し殺して泣き続ける。

 

――生まれて間もなく、妖怪に命を狙われ始めて。

 

――人間の里に隠れ住んだ時も、霊力を持つ退魔師に見つかり殺されかけた。

 

 必死に逃げ続けた十五年間、これがいつまで続くのかと思わない日はなかった。

 自分が一体何をしたというのか、当然ながら答えを得る事などできるわけもなく……ただ生に執着する毎日。

 いつかこんな日が終わるとどこか懇願するようになっていたというのに――自分の力の正体を知って、その儚い願望は決して叶わないと思い知らされた。

 磨耗していた精神にはその事実を耐えれる力は残されておらず、溜まっていた感情が静かに涙となって流れ始める。

 

「―――ただいまー!!」

「お、おぅ……は、早かったな」

「あれ……お前、なんで泣いてんだ!?」

 

 家に戻ってきた龍人は、涙を流す紫を見て驚愕し、乱暴に桶を地面に置いてから慌てた様子で彼女に駆け寄る。

 

「……とうちゃん、まさか紫になんかしたのか!?」

「そうじゃねえって、落ち着けよ……」

「じゃあ何で泣いてんだ! 女を泣かせる男はダメだってとうちゃん言ってたじゃねえか!!」

「あー……まあ、それはだな……」

 

「――龍人、大丈夫。貴方の父が悪いわけじゃないの、そうじゃないのよ……」

「だったら、なんで泣いてんだ……?」

「……………」

 

 言えない、というより言いたくもなかった。

 自分にとって呪いに等しいこの力など、話したくもない。

 だが、自分を真っ直ぐに見つめる龍人を前に、沈黙を貫く事など紫にはできなかった。

 

「――龍人、私ね……呪われた力を持って生まれた妖怪なの」

「呪われた力……?」

 

 その後、ぽつりぽつりと紫は龍人に自分の力がどういったものか話した。

 途中何度か龍哉によってくだいた説明も入ったからか、龍人は紫の能力を完全ではないが理解する。

 そんな彼が浮かべた表情は―――驚愕。

 

(――当たり前、か)

 

 その気になればお前達などいつでも殺せる、そう言っているようなものなのだ。

 そして境界を操作する力がどれだけ凶悪であってはならないものなのかを理解したのだから、驚くのは当然と言える。

 ……胸の内側が、チリチリと痛んだ。

 

「……じゃあさ、紫はこれからもさっきみたいなやつ等に狙われるって事か?」

「そう、ね……私が死なない限りは」

「……………」

 

 もう、どうすればいいのか、自分がどうしたらいいのかわからない。

 これからの自分の未来を知ってしまった今、紫の生への執着は薄れていた。

 命を狙われ続ける生き方をするくらいなら……そこまで考え、悲観する紫に。

 

「――だったらさ、これから俺らと一緒に暮らせばいいじゃん!!」

 

 龍人の、無駄に明るい声と提案が聞こえてきた。

 

「……………は?」

「そうだよそうすればいい! とうちゃんもそう思うだろ!?」

「………あー」

「そうしろよ。どうせ行く場所とか無いんだろ?」

「ちょ、ちょっと待って!!」

 

 勝手に話を進めようとする龍人を、慌てて制する紫。

 

「なんだよ?」

「……貴方、本気?」

「ああ。紫だってここで暮らせば狙われなくて済むぞ? とうちゃん凄く強いから」

「だ、だけどそんな………」

 

 ちらりと、紫は龍哉へと視線を向ける。

 だが、龍哉の答えは予想とは違ったものであった。

 

「……俺は一向に構わん、お前さんの好きにしろ」

「……………」

「決まり! じゃあこれから宜しくな?」

「で、でも私の力は――」

 

「――関係ねえよ、そんなの」

 

「…………えっ?」

「お前の力が凄く危険なものだろうと何だろうと、俺……一回お前を助けようとしたんだ。だったら途中でそれを諦めるなんて、男らしくねえ。そんなの……俺は御免だ」

「―――――」

 

 真っ直ぐな瞳。

 子供の瞳とは思えない、力強く……強い覚悟を秘めた瞳。

 

「それに助けられるのがそんなに嫌なら、誰にも負けないぐらい強くなればいいだけじゃねえか」

「ちげえねえ、お前さんも悲観してる暇があるなら自分を鍛えればいいじゃねえか。……ここに居りゃ、俺が強くしてやる」

「……………」

 

 馬鹿げている、どうかしている。

 自分の力の本質を知っているというのに、それでも歩み寄ろうとするこの親子こそ異端だと、紫は思った。

 

――だけど、それでも。

 

――たった一時だとしても、安らぎを得る事ができるのなら。

 

「――そうね。向かってくる輩はみんな倒せばいいだけ、それだけよね」

「でも無闇に力を振るうのは悪い事だぞ?」

「わかっているわ。――本当に、いいの?」

「龍人が言った事は基本叶えてやりたいんでな、それにお前さんが自分の力の制御ができないと困る」

「………それじゃあ、これから厄介になるわ」

「ああ!!」

 

 無邪気な笑みを見せる龍人に、紫も笑みを浮かべる。

 その笑みは子供っぽく、そして彼女が初めて見せた純粋な笑みであった―――

 

 

 

 

「―――逃がした?」

「す、すみません……あと少しだったんですが、見知らぬガキと男が邪魔を」

 

 龍人達が暮らす山奥から、遠く離れた場所にある洞穴内、そこに――紫の命を奪おうとした大男が居た。

 しかし今の大男からは紫達と対峙したような傲慢な様子は微塵も感じられず、顔には恐怖の感情が張り付き身体も震えている。

 そんな大男の前で座るのは、大男よりも小柄ながらも引き締まった肉体を持つ男が1人。

 銀の髪を無造作に長くし、血のように赤い瞳は自分以外の存在は全て餌だと認識している獣の瞳。

 

「……まあいいさ。オレがあんな下等妖怪に直接出向くのも癪だ、それに()()()()の動きも観察してねえといけねえからな」

「じ、じゃあ……放っておくんですかい?」

「あの妖怪が持つ力はそう簡単に制御できるもんじゃない。早めに始末するのが手っ取り早いが……こうなってしまった以上、今は放っておく」

 

 近い内に殺すがな、口には出さず……けれど男の瞳はそう物語っている。

 その瞳を見て大男の身体は再び大きく震えるが……すぐに、そんな事など気にならなくなった。

 

「さて―――じゃあ、仕上げだ」

「えっ、仕上げって―――」

 

 瞬間、大男の首が胴から離れた。

 一瞬すら霞む速度で男が右腕を振るい、容易く大男の首を吹き飛ばし粉砕したのだ。

 

「あんな下等妖怪一匹始末できねえヤツなんざ必要ねえんだ。消えてろ雑魚が」

 

 大男の亡骸を冷たく言い放ち、男は洞穴を出る。

 

「にしても、八雲紫を助けた男二匹か……何者だ?

 まあいいか……会った時に殺せばいい、それだけだからな」

 

 呟きを零した後、男の姿がこの場から消えた。

 後に残るのは大男の首のない亡骸と、据えた血の臭いだけだった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




境界の力の設定は原作とは微妙に違います。
原作自体曖昧な部分が多いので、ここでは「基本なんでもできるけどそれに比例して代償を払わなければならない」という設定にしました。

だってそうしないと物語終わってしまいますからね……。


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第3話 ~鍛練~

龍人と龍哉、2人のある親子と共に暮らす事になった紫。
己の境界を操る能力を制御するため、そして誰にも負けない力を得るために、彼女は龍人と共に強くなる道を選んだ。

しかし……彼女は、己の心の弱さを鍛練の中で思い知る事になる。


――待ちやがれ!!

 

――逃がすな、追い込め!!

 

――死ね、ガキィィィィィッ!!

 

 無数の手が、私に迫る。

 捕まれば終わり、だからは私は必死に逃げる。

 

――死にたくない

 

――死にたくない

 

――死にたくない!!!

 

 誰か、助けて。

 誰か、私を――

 

 

 

 

「――いやああああっ!!!」

 

 目を見開き、紫は飛び上がるように上体を起こした。

 

「はー……はー……はー……」

 

 額から滝のような汗が流れ、息は乱れに乱れている。

 胸を押さえながら、必死に息を整えていく紫。

 数分後、ようやく息が整ってきて……紫は見慣れない部屋にいる事に気がついた。

 

「は、ぁ……ここ、は」

 

 最低限の荷物しかない、木造の部屋。

 ここはどこだろうか、未だ混乱しながらも……紫は昨日の事を思い出した。

 

「ああ……そうか」

「――おお、起きたか?」

 

 紫に声を掛けたのは、この家の主である龍哉。

 朝だからか、その表情は気だるそうであり、ボサボサの髪を乱雑に掻くその姿は少々下品だ。

 彼を見て僅かに顔をしかめる紫、しかし龍哉はまったく気にした様子もなく大きく口を開き欠伸をした。

 

「……龍人は?」

「あいつは朝飯の調達だ、もうすぐ帰ってくるだろ」

 

 龍哉がそう返した瞬間――僅かに地面が揺れ動く。

 

「えっ、何……?」

「心配すんな、龍人だよ」

「龍人……?」

 

 小屋の外へ出て、太い枝の上から遠くを見つめる紫。

 すると……小さな地響きがこっちに近づいてくると同時に、巨大な魚が引き摺られてくる光景が映った。

 

「ん? おーい、紫ー!!」

「龍人……!?」

 

 巨大魚を引っ張っている人物が、紫に向かって元気よく手を振っている。

 その人物は龍人、龍哉の息子であり……紫にとって、初めての友人だ。

 四メートルはあろう巨大魚を背負いながら、器用に木を登っていき……小屋の前に到着する龍人。

 

「……これ、妖怪魚?」

「ああ、俺もとうちゃんも凄い食うからさ」

「…………」

「紫も遠慮せずに食えよ?」

「え、ええ……」

 

 なんともいえない表情を浮かべてしまう紫。

 遠慮するなと言ってくれるのは嬉しいが、こんな巨大魚を食べるのは少々抵抗感がある。

 その後、焼いた巨大魚を3人で食べ尽くした。

 尤も、その殆どは龍人と龍哉が食べ、紫は抵抗感のせいか申し訳程度しか食べていないが。

 

「ぷはーっ、ごちそうさん!!」

「ごちそうさま……」

「紫、あんまり食ってなかったけど……食欲ないのか?」

「いいえ、ただこういった食事は初めてだったから……」

「ふーん……じゃあ普段何食って生きてたんだ?」

「ゆっくり食べれる余裕なんてなかったから、草木や木の実……人間の死体だったわ」

 

 のんびりと食事をしていれば襲われてしまう、今まで紫はそういった生き方を強いられていた。

 だからこうやってのんびりと食事をしたのは……殆ど無いのだ。

 睡眠だってそうだ、今日のようにゆっくり睡眠ができたのは一体いつ振りだっただろうか。

 ……見たくもない()()を、見てしまったが。

 

「そっかー……じゃあ、これからはずっとゆっくり食べれるな!」

「…………」

 

 無邪気な笑みを浮かべる龍人。

 その笑顔を見て……悪夢の内容が少しだけ薄れてくれたような気がした。

 

「? 紫、どうかしたか?」

「……ふふっ、いいえ。なんでもないわ」

 

 穏やかな笑みを返す紫を当初は訝しげに見つめていた龍人であったが、すぐさま再び笑顔になった。

 ニコニコと笑みを見せ合う2人、子供らしいその姿を傍目で見ていた龍哉は密かに和んでいたが、和んでばかりもいられない。

 

「おい龍人、紫、食休みが終わったら……修行の時間だぞ?」

「うん、わかってるよとうちゃん!」

「……修行?」

 

 修行と聞いて龍人の顔にやる気が満ちるが、一方の紫の表情は訝しげだ。

 当たり前だ、いきなり修行の時間だと言われても何の事だかさっぱりわからないのだから。

 

「俺が強くしてやるって言ったろ? それにお前さんがさっさと強くならんとこっちに飛び火がやってくるんでな」

「……成る程」

 

 乱暴な物言いの龍哉の言葉を聞いて、紫は納得した。

 ……いずれ、自分の命を奪いに現れる妖怪が必ず居る。

 そうなれば龍人にも龍哉にも迷惑が掛かるだろう、だからこそ……力を蓄えなければならない。

 本来ならばさっさと2人の前から姿を消さなくてはならない、けれどそれは自分を受け入れてくれた2人に対する裏切りだ。

 だから紫はその選択は選ばない、少なくとも2人が自分を受け入れてくれている間は……。

 

「それでとうちゃん、紫もいつも俺達がやってるのと同じ修行をさせるの?」

「ああ、そうだ」

「一体どんな内容なのかしら?」

「この山全体を使ってとうちゃんと戦うんだ。とうちゃんに一撃でも入れられればそれでおしまい」

「……単純ね」

「実戦形式の修行だからな。今回はお前と紫2人がかりでかかってこい、2人のどちらかが俺に一撃でも入れる事ができたらそれで終わりにしてやる」

「よーし、やるぞーーーーーっ!!」

 

 立ち上がり、素早く身構え右手で拳を作る龍人。

 そして、未だにだらしない格好で座っている龍哉へと、間合いを詰め――

 

――ドンッという大砲じみた音と家の壁を破壊する音がほぼ同時に響き渡り、龍人の姿が紫の視界から消えた。

 

 

「…………」

「――今回は2人がかりだからな。いつもよりは力を出させてもらうぞ龍人、ってか馬鹿正直に向かってくんなって言ってるじゃねえか……こうやってぶっ飛ばされて修行が始まるの何回目だよ」

 

 いつも通りの気だるげな口調で話す龍哉の右手が、握り拳になっていた。

 ……殴り飛ばしたのだ、腕の力だけで。

 妖力も使わず、ただ腕力だけで龍人の身体をまるで矢のように殴り飛ばした龍哉を見て、紫はその場で立ち尽くしてしまう。

 とてつもない力を持っている事はわかっていた、しかし今の一撃で自分の目論見が如何に甘かったか思い知らされた。

 

――彼は強いなんてものじゃない、ただただ異常な力を有している!!

 

「――たったの一撃、それで終わりだから楽勝だろう?」

「っ――――」

 

 龍哉の視線が、紫へと向けられる。

 たったそれだけで紫の身体は凍りついたかのように動けなくなりそうになったが、恐怖心を猛りで蓋をして能力を発動させた。

 紫の真横に現れる亀裂、スキマと呼ばれる亜空間の中に飛び込むように入り込む紫。

 少なくともこれですぐに追撃される事はない、だが安心もできない紫はスキマを閉じると同時に別の場所にスキマを開いた。

 開いた先は家から遠く離れた山の中、地面に降り立った紫は……傍で大の字のまま倒れこんでいる龍人の元へと駆け寄る。

 

「龍人!!」

「――いってえぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 紫が駆け寄ると同時に、右手で右頬を押さえながら龍人が起き上がった。

 瞳にはうっすらと涙が滲んでおり、よほど痛いのか「うーうー」と唸っている。

 

(……痛い、なんてもので済むとは思えないけど)

 

 ここは家から既に数キロ近く離れている、あれだけの速度でここまで吹き飛ばされ勢いよく地面に叩きつけられたのだ、普通の人間なら当然即死であり妖怪であっても決して軽傷では済まされない。

 どうやら龍人の身体は相当頑丈に出来ているようだ、大きな怪我を負っていないようで紫はほっと安堵の溜め息を零すが、すぐさま表情を引き締め龍人を立ち上がらせた。

 

「龍人、真っ向勝負じゃ歯が立たないわ。ここは2人で協力して行きましょう!」

「おーいてー……それはいいけどさ、俺そういうの苦手なんだよなあ……」

「苦手なんて言っていたら修行にならないじゃない。とにかく私達はあんな怪物相手に一撃入れないといけないんだから」

 

 紫は賢い、逃亡を続けてきた十五年間の間に普通の妖怪の数倍以上の知識を身につけている。

 そうでもしないと生き延びれないからだ、故に紫は自分達がどう足掻いても龍哉には勝てないと既に悟っていた。

 しかしこれは殺し殺される戦いではない、一撃与えればこちらの勝利なのだ。

 ならば手が無いわけではない、勝率は限りなく零に近いが……。

 

「――相談は終わりかー?」

「っ!!?」

 

 音もなく自分達の前に現れる龍哉。

 まったく気配を感じ取ることができなかったが、紫が驚いたのはそれだけではない。

 自分はスキマを用いたからこそ家から遠く離れた龍人の元へとすぐに駆け寄れた、しかし龍哉は違う。

 だというのにこの速さ、これで驚愕しないわけがなかった。

 

「あれ? とうちゃん、“()(でん)”使ってんのか?」

「ああ、今回は二対一だからな。ちょっとだけ力を解放したんだ」

「………紫電?」

 

 それは一体何なのか、聞き慣れない単語を耳に入れ首を傾げる紫。

 だが龍哉の身体に這うように発生している目で見える程の膨大な電気エネルギーを見て、紫は紫電というものが何なのか理解する。

 

「――強い電気信号を筋肉に送って、通常以上の動きを可能にしている」

「御名答。普通の人間なら筋肉にこれほどの電気信号を送れば萎縮するだけに留まらず崩壊するが、人間より頑丈な肉体を持つ者ならこんな芸当もできるってわけだ。

 その名も紫電、まあ尤も負担が無い訳じゃないんだけどな。ところで……かかってこないのか?」

「…………」

 

 自分達と龍哉との間には、およそ五メートルの距離がある。

 しかし龍哉にとってそんな距離など初めから存在しないようなものだ。

 一方の紫達は、この状況を好転させる手段も考えも思いつかない。

 龍哉は手加減しているようだが、そうだとしても彼と自分達とでは力の差が大き過ぎる。

 

――抵抗した所で、何かが変わるわけがない。

 

 既に紫からは戦闘意欲は消え去り、諦めの表情を作っていた。

 彼女は賢い、冷静に自分達と相手の戦力を理解して負けを認めている。

 ……しかし、彼女の隣にいる少年は、それをまったく理解していないようだ。

 

「紫、遠距離と近距離、どっちが得意?」

「えっ?」

「俺近距離だから、遠距離から援護してくれないか?」

「…………」

 

 彼は一体何を言っているのだろう、紫はおもわず龍哉に向かって身構えている龍人を凝視してしまう。

 相手の力量が理解できないのか、自分達がどう立ち向かおうとも一撃を入れる事すらできないというのに……。

 だというのに、龍人の瞳には一片の諦めの色も見られず、本気で龍哉に勝つ気概で居る。

 ……それが紫には信じられず、また同時に理解できない。

 

「……貴方、戦って勝てると思っているの?」

「思ってねえよ。俺は今までとうちゃんに一度も勝った事はないし、実を言うと……一撃も入れた事もねえんだ」

「だったら分かる筈よ、明確なまでの実力差が。彼がいくら手加減しているといっても私達では勝てないばかりか一撃だって当てられない」

 

 無意味だと、立ち向かうだけ無駄だと紫は現実を告げる。

 それは事実だ、格上の相手と対峙した事がある紫の観察眼は確かだ。

 ……それでも、龍人は退くという選択肢を選ばない。

 

「でも今度は当てられるかもしれないだろ? 一撃当てれば俺達の勝ちなんだからさ」

「当てられる訳がないわ、それがわからないの?」

 

 あまりに愚行だ、彼のやろうとしている事は。

 勝てないものは勝てない、それが理解できない者は愚か者でしかないのだ。

 そう訴える紫に、けれど龍人は真っ直ぐな瞳で。

 

「――紫と2人で戦えば、きっと大丈夫だ!!」

 

 そんな根拠のない言葉を、自信満々に口にした。

 

「――――」

 

 呆れよりも、驚きの方が強く紫は呆然としてしまった。

 どうしてそんな事が言えるのか、何故こんなにも……自分を信じる事ができるのか。

 実力差がわかっているのに、どうして立ち向かう事ができるのか……紫にはわからない。

 

「いくぞおおおっ、とうちゃん!!」

「おお、来い来い、諦めずにかかってきな」

「…………」

 

 龍人が、迷う事無く龍哉に立ち向かっていく。

 それをどこか嬉しそうに眺めながらも、決して容赦などせずに龍哉は龍人を軽々と殴り飛ばし大木に叩きつけた。

 何度も何度も、逃げも諦めもせずに龍人は龍哉に向かっては返り討ちにあっている。

 額から血を流し、圧倒的な力の差を思い知らせれても尚――彼は、立ち向かう以外の選択肢は選ばなかった。

 

「…………」

 

 何もできず、紫はその光景を眺め続ける。

 泥臭くて子供そのものと呼べる龍人の愚行。

 だというのに――どうして、こんなにも目が離せないのか。

 

 

 

 

「――ふむ、今日は終わりみたいだな」

 

 倒れたまま動かなくなった龍人を見て、龍哉は構えを解いた。

 既に日は沈み、半日近く立ち向かっては返り討ちにされた龍人の身体にはおびただしい程の傷が刻まれている。

 息は大きく荒げながらも意識は失っており、如何に激しい鍛練だったのかを物語っていた。

 

「……結局、戦えなかったな」

「…………」

 

 紫にそう放つ龍哉の言葉に、特別な感情は込められていない。

 鍛練もせずただ龍人と龍哉の光景を見続けていただけの紫を、彼は決して責めたりはしなかった。

 

 十五年間、生まれて間もなく逃げ続ける生き方を強いられた少女は、賢くなり過ぎた。

 だから実力差のある相手に対してはまず逃げの一手を考え、それができなければ……ただ黙って己の敗北を受け入れようとする。

 そんな考えが定着してしまっているのだろう、妖怪は人間以上に精神に依存する傾向があるのも拍車を掛けているのかもしれない。

 

――しかしそれでは、いつか紫の命は奪われる。

 

 それは予言ではなく決定された未来の姿。

 紫という将来強大すぎる力を持つ危険性がある存在は、人間からも妖怪からも畏怖され狙われる。

 故に力を付けなければならないのだ、たとえ誰であっても対等以上に立ち向かう事ができる程の力を。

 

「――あまり、己の過去に縛られるな」

「っ―――」

「お前さん、うなされてたが……自分の命を狙う妖怪達から追いかけられる夢でも見てたんじゃないか?」

「…………」

 

 紫は答えない。

 しかしその無言で身体を震わせている姿を見て、龍哉は自分の考えが肯定されていると理解しつつ言葉を続けた。

 

「いつか再び、その悪夢の中に自らの意志で入っていかなきゃいけない時が来る。

 それはお前さんの宿命だ、境界を操る力を持って生まれたお前さんのな」

「…………」

「だが悲観することはない、俺がお前を立派に育ててやる。

 それによ……お前さんの傍には、損得勘定抜きでお前さんを信じてくれる馬鹿が居るだろう?」

「――――、あ」

 

 龍哉が倒れたままの龍人へと視線を向け、それに続くように紫も視線を彼に向けた。

 ……気を失っているというのに、何故だろうか。

 彼の表情が、安らいだ子供の顔になっているように、紫は思えた。

 

「コイツの傍に居れば、お前さんは自分の力や世界を呪う事無く生きる事ができる筈だ」

「……どうして、そう断言できるの?」

「コイツが俺の息子だから……というのは冗談で、コイツは――この世の全てを平等に見る目を持っているからだ」

「…………」

「偏見も差別意識も無く、他者を他者そのままに見る事ができる。

 貴重だぞ? コイツみたいな考え方を持つヤツは世界中捜したっていないかもしれないからな」

 

 紫にそう言いながら、龍哉は龍人の体を軽々と持ち上げた。

 

「負けるなよ紫、お前さんがこれからも生き続けたいのなら……己に負けず、強くなれ」

「…………わかっているわ」

「そうかい。それじゃあ……次回は龍人と一緒にもう少し楽しませてくれよ?」

「…………」

 

――紫と2人で戦えば、きっと大丈夫だ!!

 

 思い出すのは、先程の言葉。

 信じる根拠のない、子供じみた言葉だけど。

 何故だが、紫の心の奥底まで入り込み、消える事は無かった。

 

 

 

 

「――いててて」

「これでいいと思うけど……大丈夫? きつくない?」

「ああ、ありがと紫」

 

 家に戻り、紫は怪我をした龍人の治療を施す。

 包帯(当時は(さらし)で代用していた)でぐるぐる巻きになったその姿は痛々しく見えるが、当の龍人はいつもと変わらず笑顔を浮かべていた。

 

「あー……それにしてもいつもより痛かったなあ」

「…………」

「けど次は負けないようにしないと、今度は一緒に頑張ろうな?」

「…………」

 

 どうして、貴方は私を責めないの?

 そんな言葉が喉元まで出てきたが、紫は口には出さず無理矢理呑み込んだ。

 そのような問いなどまるで意味を成さない、問いかけた所で無意味な質問でしかないのだから。

 

「……紫、どうかしたか?」

「えっ……」

「なーんか元気ないなー、ちゃんとメシを食わないからじゃないか?」

「そういうわけじゃないわ。ただ……私は、自分で思っている以上に弱いって、思い知らされたの」

 

 実力差を理解して、龍哉に立ち向かうのを諦めた。

 間違いだとは思わない、だが己の磨けない者に……未来などは待っていない。

 強くならなければ殺される、自分はそういった道の上に立たされているのだから。

 それなのに諦めた、負けても殺されるわけではない鍛練だからといって、簡単に諦めてしまった。

 

 ……そんな事をしている者に、力など宿らない。

 紫は賢い、だからこそ自分でそれに気づき……同時に、自らの情けなさを思い知った。

 

「紫は強いじゃん。あの境界って力があれば誰にも負けないって」

「でも、今の私ではその力を満足に使う事なんて……」

「だったら、今より強くなって使えるようになればいいだけだろ?」

「それは、そうかもしれないけど……」

「大丈夫大丈夫、俺と一緒にとうちゃんに鍛えられたら凄く強くなるって!!」

「…………」

 

 まただ。

 根拠のない、けれど妙に自信溢れた龍人の言葉。

 信頼できる要素など微塵も無いのに、それなのに――信じたいと紫は思った。

 ここで彼等と一緒に居れば、自分はきっと強くなれると。

 

「ふふっ……そうね、それじゃあこれから宜しく、龍人」

「ああ、こっちこそ!!」

 

 ニカッと笑う龍人に、紫も笑みを返す。

 その笑みはとても穏やかで、彼女は気づいていないが……初めて浮かべる心からの笑みであった。

 

(……よしよし、ちょっとは吹っ切れたみたいだな。

 紫の潜在能力は大妖怪級だ、これから力を引き出せば“()(たい)(よう)”に匹敵する妖怪になる筈だ)

 

 少し離れた場所で紫達を見守りつつ、龍哉はある考えを巡らす。

 

(明日は、もっと厳しくしてみるか……)

 

 愉しそうに、本当に愉しそうに龍哉は笑う。

 だがその笑みは第三者から見れば邪悪に映っており。

 

 

――龍人と紫は、その笑みに気づかないながらも無意識の内にぶるりと身体を震わせたのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




紫電の原理は現実世界で考えればおそらく成立しないものだと思います。(まず身体が保たないし崩壊しますから)
まあそこは「人間じゃないから」という事で納得していただければ幸いです。


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第4話 ~人間達の街へ~

龍人と共に、己の力を磨いていく紫。
それから暫しの時が経ち、季節が冬に近づいた頃……紫と龍人は、龍哉と共にある場所へと赴く事になった。


「寒くなってきたなー……」

「そうね。もうすぐ冬が訪れる季節になってきたもの」

 

 はぁーっと息を吐くと白い煙が出てくるほどに、外は寒くなっている。

 緑は無くなり、地面は落ち葉で満ち、確実に冬の到来を示していた。

 小屋の中は外の空気を遮断する結界が張られている為に寒くはないが、外に出るのは躊躇われるくらいにはなった。

 

(……もう半年が経つのね、龍人達に出会って)

 

 時の流れは早いものだと、外を見てはしゃぐ龍人を見ながら紫は思う。

 思えばこの半年は本当に安らいだ時間だった、同時に龍哉による凄まじい鍛練で何度か死に掛けたが忘れたい過去なので精一杯思い出さないようにした。

 だがそれに見合う力も付いてきた、この半年で紫の妖力は増えそこらの妖怪に囲まれたとしても十二分に勝てる力は身についていた。

 尤も、たとえいくら力が増しても龍哉に一撃も与えられなかったのは、妖怪としてショックではあるが。

 

「雪、降るかな?」

「さあ……でも降ったとしても微々たるものだと思うけど」

「ちぇーそっかあ……見てみたんだけどなあ、雪」

「? 龍人、貴方雪を見た事がないの?」

「うん、だって俺この山から一歩も出た事ないし」

「えっ……」

 

 何気ない口調で言い放った龍人の言葉を聞き、紫は驚いた。

 思い返せばこの半年、確かに彼はこの山を出た事はなかった。

 しかし一度もないとは……それはすなわち、彼はおよそ十三年間この山周辺だけで生活していたという事か。

 

「どうして、出ようとは思わなかったの?」

「とうちゃんがさ、「俺の許可なしに山を下りる事は許さん」って言うからさ。しょうがないよ」

「……………」

 

 龍哉曰く、外は危険だから育つまではここで暮らせと強く言われたらしい。

 確かに龍哉の言葉は正しいだろう、この山の外は確かに危険だと紫とてそう思う。

 しかしそれだけでこの山から出さないとは、紫には思えなかった。

 

「あー……でも外の世界を見てみたいなあ、紫に会ってますますそう思うようになったよ」

「……ここで静かに暮らす方が、きっと幸せよ?」

 

 妖怪としてそれはどうなんだという考えもあるが、紫は本心からそう思っていた。

 平穏程貴重なものはないと、逃げるばかりだった生活を抜け出してしみじみと感じるようになったのだ。

 しかし、好奇心旺盛な龍人は外の世界の未知の魅力に対する耐性は弱い、寧ろよく彼が我慢できると思えるほどだ。

 それだけ、龍人の中で龍哉の存在が大きいという事なのだろう。

 

「――それだけ見たいなら、行ってみるか?」

「えっ?」

 

 家の入口へと視線を向ける2人。

 そこには大きな徳利を肩に担いだ龍哉の姿が。

 

「とうちゃん、いいの!?」

「ああ。だが……俺の“仕事”を手伝ってもらうぞ?」

「仕事……?」

 

 ああ、と返しながら家に入り床に座り込む龍人。

 そして徳利の中にある酒を一口飲んでから、話の続きを口にした。

 

「俺は時々山を下りて人間相手に万屋の真似事をやってんだ。まあ万屋と言っても商店じゃないがな。

 それでな……つい最近、ここから十里程離れた所にある街の長から、ある依頼を受けたんだ」

「……人間に対して、妖怪であるあなたが交流をしているの?」

(? 紫……?)

 

 どこか棘のある物言いの紫に、どうしたのかと龍人は首を傾げる。

 

「なんでも最近盗賊の集団がやってきては食料や金品やらを奪っていくらしい、一度で全てじゃなく少しずつ摂取して長い間利用しようって魂胆なんだろうな」

「それをとうちゃんに倒してくれって?」

「ああそうだ。まあ俺にかかればそんなもん寝ながらでも倒せるが……お前達2人の修行の成果を試すにはちょうどいいだろ。

 というわけだ、龍人だけならともかく紫も居るしな。すぐ出発するから準備しろ」

「わかった!!」

「ちょ、龍人―――」

 

 呼び止めようとする紫だったが、その時には既に龍人は立ち上がり奥の部屋へと引っ込んでしまった。

 続いて聞こえてきたのはゴソゴソと何かを漁る音、どうやら彼の中では既に龍哉が請けた仕事を引き受ける事が決まっているらしい。

 そんな彼に額に手を置きながら大きな溜め息を吐き出す紫、それを見て龍哉はからからと笑っている。

 まるで龍人の行動の全てが自分の予想通りだと言わんばかりだ、それが紫には少し気に入らない。

 

「……龍人はまだ子供よ? それなのにそんな輩の相手をさせるの?」

「お前だってガキだろうが」

「私は少なくともこの世の闇の部分に触れて生きてきた、でも彼は……」

 

 龍人はただの十三の子供だ、力はともかく……その心は本当に澄んだものなのだ。

 そんな彼が汚いものを見て穢れるのは我慢ならない、だから紫は今回の事は反対だった。

 

「――いずれアイツは世界を見るためにこの山を出る、それが運命であり……何よりアイツ自身の為だ」

「運命……?」

「汚いものを見ないで成長はできねえよ、いずれは……否が応でも見なけりゃいけない時が来る」

「……でも、だからってまだ」

 

 早すぎる、そう言いかけた紫だったが……その前に準備を終えた龍人が戻ってきたので、口を噤んだ。

 

「お待たせとうちゃん、準備できた!!」

 

 そう言って現れた龍人の服装は、いつもの簡素な和服ではなくなっていた。

 動きやすさを重視した麻服、その下には黒のアンダーシャツを身につけており、下半身もズボンに変わっている。

 ……戦うための衣服だと、紫はすぐさま理解した。

 

「よーし、そんじゃ行くか。わかってはいると思うが龍人、1人で突っ走るなよ?」

「わかってるって、それじゃあ紫、とうちゃん、いっくぞー!!!」

 

 言うやいなや、飛び出すように家を出ていく龍人。

 

「……アイツ、本当に人の話を聞かないな」

 

 とはいえ龍人の行動は予想通りだったので、気にした様子もなく龍哉も家を後にする。

 残された紫もその後に続くが……その表情は納得できないと言葉に出さずに訴えていた。

 

 

 

 

「ゆーーーーきーーーーーーだーーーーーー!!!」

「はしゃぐな、煩い」

「だってさ、雪なんて初めて見たから……うおーーーーーーっ!!!」

「あー煩いガキだな、まったく」

 

 ちらりはらりと降る雪を見て、空を見上げながらはしゃぐ龍人。

 それを鬱陶しそうにしながらも、楽しげな様子の息子に龍哉は口元に笑みを浮かべていた。

 

 山を降りた3人は、急ぐ事無く目的の街へと向かってゆっくりと歩を進めている。

 途中で雪が降り始め、初めて見る雪に龍人は興奮を抑え切れず先程から踊るように歩いていた。

 なんとも子供らしい姿だ、一方――彼と同じ子供である筈の紫の表情は、先程から曇っていた。

 

「……まだ怒ってるのか?」

「呆れているだけよ。あなた龍人の父親でしょう? それなのにわざわざ危険な場所に彼を連れて行くなんて……」

「俺は提案しただけだ。行く事を決めたのはあくまでアイツ自身の意志、それをわざわざ止めるなんざできるわけがねえ」

「……あの子はあの自然溢れる山で一生を過ごした方がいい、せっかく約束された平和があるのに、わざわざこんな汚い世界に足を踏み入れる必要なんか」

「汚い、ねえ……。紫、この世界も結構捨てたものじゃないと俺は思うけどな」

 

「――汚いわ、この世界は」

 

 呪詛のような冷たさを孕んだ声で、紫は吐き捨てる。

 

「あの山はまるで別世界よ、それだけ綺麗な場所なの。

 あそこで生きていれば幸せに暮らせる、だけど外の世界で生きていく事になれば……辛い事や苦しい事が、龍人を襲うわ」

 

 だからこそ紫には理解できない、わざわざ龍人を外の世界に連れていく龍哉の真意が。

 平穏がどれだけ貴重かは龍哉とて分かっている筈、だというのに何故龍人をその平穏から遠ざけるような真似をするのか……。

 

「なんだ紫、お前……龍人に惚れたか?」

「茶化さないで。子を守るのが親の役目でしょう? なのにあなたは―――」

「言った筈だぞ。あの山を出て世界を見るのは……アイツの運命だ」

「っ」

 

 キッと、龍哉を睨む紫。

 だがそんな視線など無意味だと言わんばかりに受け流しながら、龍哉は言葉を続けた。

 

「アイツはいずれ多くの人間だけじゃなく妖怪も救ってくれる筈だ、そういう星の元に生まれてきたのだと俺は信じている」

「……どうして、そう思うのかしら?」

「それは――アイツが()()()()()()()()()()()()()

「…………えっ?」

 

 人間でも、妖怪でもない?

 それは一体どういう意味なのか、睨む事を忘れ龍哉を見つめる紫。

 そして龍哉は――龍人の驚くべき出生を紫に話した。

 

「――アイツはな、俺の本当の息子じゃないんだ。アイツは……妖怪の父親と、龍人の母親の間に生まれた特別な“半妖”……いや、この場合は“妖龍人”とでも呼ぶべきか」

「―――――」

 

 龍哉の言葉に、紫は目を見開いて進んでいた歩を止めた。

 龍哉が龍人の本当の父親では無い事も驚きだが、何より彼が“妖怪”と“龍人”のハーフだという事実の方が驚きだ。

 

――(りゅう)(じん)

 

 名の示す通り、あらゆる生物の頂点に立つ存在である“龍”の力を宿した人間の事だ。

 今では殆ど姿を見せなくなった龍、しかしその血と力は人間達の中に宿っている。

 かつて龍達は人間の脆弱さに同情し、自らの力の一部を宿した血を分け与えたらしい。

 今ではその血も薄れてしまい殆ど意味を成さないものになってしまったが……稀に、隔世遺伝によってその力を宿した人間が生まれる。

 それが(りゅう)(じん)と呼ばれる存在であり、生まれながらにして人間でありながら人とは比べものにならない力を持っているという。

 

「十三年前、俺はあの山で赤子の龍人と――既に事切れた妖怪の男と人間の女を見つけた。

 最初は龍人をただの半妖だと思ったんだがな……五年前に、アイツの身体から龍の力を感じ取れるようになった」

 

 目を凝らさなければ見えないほどに小さな力であったが、確かに龍人は龍の力を宿していた。

 妖怪でも人間でも半妖でもない、龍人は特別な存在としてこの世に生を受けた。

 

「紫、この世界は確かに醜いだろう。妖怪は人間を見下し自分達の腹を満たす餌としか見ず、人間はそんな妖怪を恐れ、恨んでいる。

 いずれ両者はぶつかり合い殺し合い……取り返しのつかない事態を引き起こすかもしれねえ。

 だがそんな妖怪と人間でも……愛し合い支え合う事ができる、龍人の存在がそれを照明しているだろ?」

 

 それ故に龍哉は龍人にこの広い世界を見てほしいと思っている。

 彼の存在が、いずれ殺伐とした人間と妖怪の関係を変えてくれるかもしれない……そう信じて。

 

「……そんな簡単に世界は変わらないわ」

「ああそうだ。あくまでこれは俺の願望であり実現しない可能性の方が高いだろうさ。

 けどな、たとえ夢物語だとしても、それが遥か遠き道だとしても……実現してほしいと願うのは、タダだろう?」

「――龍人を巻き込んでいる時点で、それは身勝手に過ぎないわ」

 

 結局、紫にとって龍哉の行動は身勝手以外の何物でもないとしか思えなかった。

 

「紫、とうちゃん、何やってんだよー、早く行こうぜー?」

「………ええ、今行くわ」

 

 龍人に呼ばれ、紫は再び歩を進め始める。

 だがその前にこれだけは言っておこうと、再び歩を止め龍哉へと振り返る紫。

 

「龍人の意思を尊重している事は認めるわ。でも……余計な期待や使命感を彼に押し付けないで」

 

 冷たくはっきりとそう言い放ち、今度こそ紫は龍人の元へと歩いていき。

 

「―――そのくらい、わかってるっての」

 

 龍哉はぽつりと紫に対して反論を返してから、2人の後を追ったのだった―――

 

 

 

 

「…………なんだ、これ」

「……………」

「おーおー……こいつはまた」

 

 ゆっくりと歩を進め、夕刻になった頃、龍人達は問題の街へと到着した。

 だがその中へと入った瞬間、彼等の視界に入ったのは……残骸となった家屋と荒れ果てた大地であった。

 

「調子に乗って暴れまわったんだなこれは」

「……血の臭いがする、それもそこら中から」

 

 人間とは比べものにならない発達した嗅覚が周囲の血の臭いを察知し、龍人の顔が曇る。

 つまり、この街の到る所で人や動物が傷つき、或いは死に至ったと―――

 

「…………っ」

「龍人……」

 

 拳を握り締め、僅かに身体を奮わせる龍人に気づき、紫も表情を曇らせた。

 だが彼女のそれはこの街に起きた惨状に対するものではなく……。

 

「――誰だ、お前達は!!」

「………?」

 

 後ろへと振り向く3人。

 するとそこには、自分達に簡素な槍を突き付けている数人の男の姿があった。

 それを皮切りに、家屋の影から人が現れ始め……龍人達は囲まれてしまう。

 この街の住人達だろう、しかし彼等が龍人達に向けている目には明らかな敵意の色が見られた。

 

「おいおい何だよこれは、俺達はあんたらの長の依頼で来てやったんだぞ?」

「黙れ! その証拠が何処にある!?」

「………はぁ」

 

 まったくもって呆れ返ると、侮蔑すら込めた溜め息を吐き出す龍哉。

 とはいえこの街の住人達は幾度となく賊に襲われているのだ、疑心暗鬼に陥っても致し方ない面もある。 

 尤も――かといってこの態度を許容するつもりなど毛頭ないが。

 

「――何をしておる?」

「っ、長………!?」

 

 男達の間を縫うように現れる一人の老人。

 皺が目立ち腰も曲がっている弱々しい外見だが、その眼力は周りの男達よりも強い。

 

「……おお、お主か」

 

 龍哉を見て僅かに微笑みを見せる老人。

 

「騒ぎにしちまって悪かったな」

「構わん構わん。寧ろ謝るのはこっちの方じゃ、お前さんの事は話しておったというのに……」

 

 ギロリと老人――長に睨まれ、気まずそうに視線を逸らす男達。

 と、長の視線が龍人と紫へと向けられる。

 

「この子達は……?」

「コイツは俺の息子の龍人だ、こっちは居候の八雲紫。まだガキだがそれなりに強い力は持ってるぞ?」

「ほう……ではこの子達も、妖怪かの?」

「まあ、な……」

 

『……………』

(……予想通り過ぎて、笑えてくるわね)

 

 妖怪と聞いた瞬間、周りの者達の視線が畏怖と憎しみの色を宿し始めた事に気づき、紫は内心周りの人間達に嘲笑を送った。

 この反応もまた今の世には当たり前の反応、そして人間と妖怪の間に深い確執がある証でもあった。

 

「じゃあ次に賊達が現れたら……な?」

「うむ、宜しく頼む」

「そっちも報酬、頼むぜ?」

「あいわかった。おいお主等、この者達を宿に案内せんか。失礼のないようにな?」

「は、はい………」

「よし龍人、紫、いくぞー?」

「うん、わかった」

「……………」

 

 まだ、人間達は自分達を睨むような視線を向けている。

 知らず紫は拳を握り締め、人間に対する不快感を深めていった……。

 

 

――その夜。

 

 

「――龍哉、どうしてあなたは人間を助けているのかしら?」

 

 宿に案内された3人は、賊の襲来を待ちつつ思い思いに過ごしていた。

 その中で紫は、先程から酒を飲んでいる龍哉に上記の問いかけを投げかける。

 

「んー? なんだよいきなり」

「妖怪であるあなたが人間を助ける……そんな事をして一体何になるの?」

「おいおい、確かにごく一部だが人間と良好な関係の妖怪だって居るんだぜ?」

「人間と良好な関係を築いて、それが一体何になるというのかしら?」

「……………」

 

 どこか怒りすら含んだ口調で、紫は言い放つ。

 その言葉の中に、人間に対する確かな怒りと憎しみを龍哉は感じ取っていた。

 

「無意味なものよ。たとえ良好に見えても一時的なだけ、どうせすぐに手の平を返してくるに決まっているわ」

「……お前、ガキのくせに嫌な事言うよな」

「事実を言っているだけよ。人間のような弱く情けない生き物に媚を売った所で、得どころか余計な問題が発生するだけ。

 現にこの街の人間達は妖怪である私達に対して確かな恐れと憎しみの感情をぶつけているじゃない、そんな相手を助けるなんて……無意味だわ」

 

 できる事なら、今すぐにもこの街を出て行ってやりたいくらいだ。

 ……紫は人間が嫌いだ、脆弱で群れてなければ何もできない情けない生物だと思っている。

 自分が妖怪だとわかった瞬間に、人間達は自分の命を奪おうと容赦なく襲い掛かってきた。

 その時の怒りは今でも鮮明に思い出せる、こちらは相手に対して何もしていないというのに…向こうは妖怪というだけで迫害する。

 そんな人間を、どうして嫌いになるなというのか。

 

「――龍人が居るからな、妖怪と人間が愛し合った結果が居るからこそ……俺は人間を嫌いにはなれねえ」

「たったそれだけ? ただそれだけの理由で―――」

「互いに憎しみをぶつけ、恐怖し、迫害すれば……待っているのは破滅だけだ。

 今の世は負の感情で溢れ返っている、このまま時代が進めばどちらの種族にも未来はないさ」

 

 だから、互いに手を取り合えるような未来が来てほしいと、龍哉は願っている。

 今ではなく未来を見据えているからこそ、彼は人間にも妖怪にも変わらぬ態度を見せているのだ。

 

「人間を好きになれと言うつもりはない、だがな紫……お前が憎しみを捨てない限り、いつかそれが他ならぬお前自身を蝕むぞ?」

「……………」

 

 龍哉の言葉に何も答えず、紫は部屋を後にする。

 その後ろ姿を見つめながら、龍哉は苦笑しながら肩を竦め、再び酒を口にしたのだった。

 苛立ちを隠そうともせず、乱暴な足取りで街を歩く紫。

 

「――紫、お前も散歩か?」

「…………龍人」

 

 そんな彼女の前に、散歩に出ていた龍人が現れる。

 

「当たり前だけど人間しか居ないんだなー、妖怪とか動物とかは何度か山の中で見た事があるけど、人間って意外と俺達と見た目が変わらないんだな」

「…………」

「けど俺を見るなりみんな逃げ出すのは失礼だよなー、俺なんにもしてないのに」

「……仕方がないわ。人間は弱い生き物だから妖怪である私達を恐れているのよ」

「ふーん……でも、どうせなら仲良くなりたいけどなあ」

「…………」

 

 なんて甘い戯言を言うのか。

 ある意味で子供らしい、けれど紫には理解できない願望だ。

 人間の大人よりも優れた力を持つというのに、何故自分より劣る相手を助け手を差し伸べようとするのか。

 何故歩み寄ろうとするのか、紫にはわからなかった。

 

「――おい、妖怪!!」

「? いてっ」

「っ、龍人!!」

 

 子供の声が聞こえ、龍人がそちらへと身体を向けると……彼の額に小さな石がぶつかり地面に落ちる。

 数人の子供が手に石を持ち、龍人達を睨んでいる光景が2人の視界に入った。

 

「おい、いきなり石なんか投げたら痛いだろ?」

「うるさい! 妖怪のくせに!!」

「妖怪は悪いヤツなんだ、この街から出て行け!!」

 

 口々にそう言い放ち、2人に向かって石を投げつけてくる子供達。

 

「――――っ」

 

 なんて醜悪な姿なのだろう、瞳に憤怒の色を宿しながら、紫は懲らしめてやろうと右手に妖力を込め。

 

「紫、攻撃したら死んじゃうぞ?」

 

 右手を子供達に向けて翳そうとして、隣に立つ龍人に止められてしまった。

 

「龍人、どうして止めるの!?」

「俺達がここに来たのはこの街で暴れてる賊の退治だろ? それなのに街の人間と争ってどうすんだ」

「仕掛けてきたのは向こうよ、手を出す事がどういう事なのか教えてあげるわ!!」

「ひぃっ……!?」

 

 紫に睨まれ、子供達は涙目になりながらその場に座り込んでしまう。

 見た目は十五程度の少女だが、その身に宿す力は人間の大人を遥かに超えているのだ、子供達が紫の眼力に驚き竦むのは当然と言えた。

 

「駄目だって、そんな事したら余計に仲悪くなるだろ?」

「だからといって許せと言うの? 下手に出た所で愚かな人間は調子に乗るだけよ!!」

 

 現に今とて、大人達は子供達を止めるばかりか、物陰から眺めているだけだ。

 その態度も本当に腹立たしく、紫の我慢も限界に達して―――

 

「っ」

「……………」

 

 しかし、突然2人は動きを止め……明後日の方向へと視線を向けた。

 もはや2人の意識は子供達には向けられておらず、その表情はどんどん険しいものへと変わっていく。

 

――大きな音が、こちらに向かってくる。

 

 これはおそらく馬の走る音、それも一頭や二頭ではない。

 

「……来たみたいだな」

「…………」

「いこう、紫!!」

「行くって……まだ人間達を助けようっていうの!?」

 

 理解できない、本当に理解できない。

 あの悪意を向けられて尚、どうして彼は人間達のために動くというのか……。

 

「俺は、この世の全ての人間を見たわけじゃないからな」

「えっ……」

「だから人間全てが嫌なヤツだって決め付けはしたくねえし……何より最初にこの街を襲ってる賊を倒すって約束をしてんだ、約束は守らないと駄目だろ?」

「―――――」

「嫌なら無理に助けなくてもいいさ、これはあくまでも俺の勝手な考えだから」

 

 そう言い残し、走り出す龍人。

 それを暫し呆然と見つめていた紫であったが……。

 

「―――ああ、もう!!!」

 

 舌打ちをしながら、すぐさま彼の後を追いかけた。

 人間がどうなろうと知った事ではない、だが……龍人は放ってはおけないからだ。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




少しでも楽しんでいただければ何よりです。
こういった嫌な感じのモブ人間は今後も出てくる可能性大なので、無理な方はこれ以上の閲覧を控える事をお勧めします。


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第5話 ~龍気~

龍哉と共に、人間の街へと赴いた紫と龍人。
そこで2人は人間が妖怪に向ける憎しみの感情を向けられ。

そして彼女達は、人の脆さを思い知る事になる………。


「――おいてめえら、隠れてないで出てきやがれ!!」

 

 粗野で乱暴な怒声が、街に響く。

 現在、街の中には住人ではない男達が集団で馬を走らせていた。

 彼等こそこの街を荒らしている賊達であり、全員がみすぼらしい格好ではあるものの、その数はおよそ三十と下賤な賊にしては数が多くまた統率した動きで馬を動かしている。

 今回も前と同じように暴力で自らの欲望を果たそうとしているようだが……いつもと違う街の様子に、賊達も表情を訝しげなものに変えていた。

 

「妙だな……なんで誰も出てこねえんだ?」

 

 いつもならばちょっと脅かせばおどおどとした様子で現れるというのに、一向に姿を見せない。

 その事実に違和感を覚えつつも、所詮は賊なのか深くは考えずに先程と変わらぬ怒声を放ち続ける。

 

「ん………?」

 

 そんな中、先頭を歩いていた男達が馬を止める。

 一体どうしたのか、苛立った表情を見せながら後続の男達が前方に視線を向けると……自分達に立ち塞がるように立っている、2人の子供の姿があった。

 

「……紫、あれが賊かな?」

「そうみたいね。あの欲にまみれた下賎な目に醜悪な姿……普通の人間以上に醜いわ」

 

 賊達の前に立ち塞がったのは、龍人と紫。

 紫は汚物を見るかのような視線を賊達に向け、龍人は一歩前に進んでから……賊達へと声を掛けた。

 

「お前達が、この街を襲っている盗賊達か?」

「……なんだ、このガキは?」

「おかしな格好しやがって……街の人間じゃねえな」

「へへ、でも見ろよ……どっちも高値で売れそうな外見じゃねえか」

「……っ」

 

 ニタニタと笑みを浮かべる賊達に、紫は瞳に憤怒の感情を宿らせる。

 平気で他者を売り物にしようとするその醜い考え、本当に人間は下らない存在だと紫は再認識した。

 一方、龍人は表情を変えずに更に賊達に問いかける。

 否、問いかけではなく……彼は賊達にある提案を投げ掛けるのだが。

 

「――もう、この街を襲うのは止めてくれないか? みんな迷惑してるんだ」

 

 その提案は、到底受け入れられるものではない愚かなものであった。

 

「龍人………」

 

 彼の言葉を聞き、紫は驚きすぐさま呆れた表情を彼に向ける。

 己の欲を満たすために他者を蹂躙するような獣に、彼は一体何を言っているのか。

 賊達から返ってくるであろう反応を予期し、紫が両手で自らの耳を塞ぐと。

 

「――ぎゃはははははははははっ!!!!」

「ひゃはははははははっ!!!」

 

 予想通り、賊達は下品な笑い声を一斉に放ち始めた。

 キョトンとする龍人、どうして笑い出したのか本気で理解できていないのだろう。

 賊達は暫し笑い続け……やがて龍人に視線を向け、返答を返す。

 

「おい小僧……お前、本気で言ってんのか?」

「? ああ、俺達はこの街の人にお前達を追い出してほしいって頼まれてるんだ。だから……」

「そうかいそうかい………おかしらー、どうしますかー?」

(お頭……?)

 

 賊の1人が、後方に向かって声を掛ける。

 すると……他の賊とは違い毛並みが整った馬に乗った、1人の男が現れる。

 黒髪を後ろで束ね、立派な鎧に身を包み右手に槍を持つその姿はどこかの大名に仕える武士を思わせる風貌だ。

 しかしその瞳には他の賊達と同じく己の欲を満たす事を優先している獣の色を宿しており。

 同時に、男の内側から滲み出る力の奔流が――男が人間ではないと語っていた。

 

「…………妖怪」

「えっ……紫、今何て言った?」

「あのお頭と呼ばれている男、人間じゃなく妖怪よ」

「ほう……? よく見破ったと思ったが……てめえも妖怪みたいだな、小娘」

 

 紫を睨むように見つめる男。

 だが紫は動じない、龍哉との鍛練によって鍛えられた彼女に男の眼力は通用しなかった。

 

(弱くはない……けど、中級妖怪には届かないわね)

 

 相手から感じられる妖力により、紫は瞬時に相手と自分の戦力差を見破る。

 油断しなければ苦労せずに勝てる相手だ、すぐに始末してやろうと思った紫だが……その前に、男にある問いかけをした。

 

「妖怪が人間と共に賊なんて、落ちぶれるとここまで憐れになるのね」

「なんだとてめえ………!」

「言ってくれるじゃねえか小娘。誰が落ちぶれてるって? この(てん)()(まる)様に向かって随分と生意気な口を叩くんだな」

「大層な名前の割にたいした事の無い妖怪ね。まあそんなだから下賤な人間と一緒に居るのでしょうけど」

「下賤、ねえ……。確かにこいつらは群れてなきゃ何もできねえ奴等かもしれねえが、そんな奴等を引き連れて好き勝手するのは、楽しいもんだぜ?」

「………下衆が」

 

 吐き捨てるように紫は呟き、一気に戦闘態勢になろうと妖力を解放しようとするが……。

 

「なあ、お前がこの賊で一番偉いのか?」

 

 龍人の声が聞こえ、出鼻を挫かれてしまう。

 

「そうだが、お前は何だ小僧? 見た所妖力を感じられねえから妖怪じゃなさそうだが……」

「俺は妖怪だ、今は弱いけどいずれは大妖怪って呼ばれる程の妖怪になる男だ!!」

「……それで? お前は一体何が言いてえんだ?」

「このままこの街を出てってくれないか?」

「龍人、貴方まだそんな事を言っているの……!?」

 

 あまりにも愚かな言葉を並べる龍人に、さすがの紫も口を出さざるおえなかった。

 無意味な提案である事が理解できないのか、いやだからこそこのような提案を賊に対して言っているのだから理解していないのだろう。

 だがこの状況では彼の行為は無駄、無意味に過ぎず。

 

「……成る程、こいつらが笑ってやがったのはそういうわけか」

 

 口元に歪んだ笑みを浮かべ、天牙丸は一気に妖力を解放させた。

 

「小僧、俺達はテメエのくだらない話を聞いている程暇じゃねえんだ。わかるな?」

「……出て行くつもりは、ないのか?」

「テメエみたいな半端者が放つ奇麗事は虫唾が走りやがる、それにお前等みたいのを雇った街の連中も気に入らねえ……。

 ――おいお前等、今日は遠慮しなくていいぞ。好きに暴れ回れ」

「お頭、いいんですかい?」

「オレ達を嘗め切った見せしめだ。邪魔なヤツは殺し女は犯せ、お前等だってその方が楽しめるだろ?」

 

 無常にも、悪魔の提案を投げ掛ける天牙丸。

 だが賊達にとってその提案は拒否する理由などあるわけがなく、嬉々として聞き入れる。

 

「っ、おい! やめろお前等!!」

「やめてほしいなら止めてみろ、まあ……テメエみたいなクソガキにできるとは思えねえがな」

「……なら、惨たらしい死を与えてあげましょうか?」

 

 もはや一片の慈悲すら与えない、いや元々与えるつもりなどないが。

 今度こそ紫は妖力を解放し賊達を根絶やしにしようとして……第三者の登場により、再び不発に終わってしまう。

 

「――ったく、もしやと思ったが……何甘い事ぬかしてんだ、龍人」

 

 そんな声が場に響き――龍人達の前に、空から棒状の物体が二本落ちてきて、地面に突き刺さる。

 棒状の物体、その正体は……二本の刀であった。

 三尺四寸(約100cm強)の刀身を持つ“大太刀”に分類される刀、それぞれ白と黒の鞘に収められたそれは声の主である龍哉から投げられたものだった。

 

「とうちゃん……」

「さっさとそれ使って片付けちまえ。こんな程度の妖怪と賊なら一撃で仕留められるだろ?」

「……………」

 

 だが、すぐに龍人は刀を拾うとはせず、その表情に僅かに躊躇いの色を見せる。

 ……やはり予想通りだ、そう思った龍哉は溜め息をつきつつ。

 

「――よく聞け龍人。そいつらを野放しにしていたら……この街の連中はみんな殺される。それだけじゃねえ、女は犯され男は切り刻まれ無惨な殺され方をされるんだ。そして……紫も同じ目に遭うんだぞ?」

 

 この先の未来を、無機質な声ではっきりと口にした。

 

「―――――」

 

 目を見開き、身体を奮わせる龍人。

 そして、彼は地面に刺さっている刀をそれぞれの手で抜き取り――構えた。

 白い鞘に入っていた刀の刀身は濡れているかのような霞仕上げの美しい白銀の光沢を見せ、黒い鞘に入っていた刀は対照的に闇のように黒い刀身と鈍い光沢を放っていた。

 

「龍人、“アレ”使ってもいいぞ?」

「…………わかった」

「龍人……?」

 

「――チッ、鬱陶しいガキだ」

 

 自分と戦う気になっている龍人を見て、天牙丸は忌々しげに表情を歪ませる。

 突然現れた男に対しても腹が立ったが、自分と戦おうとしている龍人は心底気に入らない。

 

「紫、お前は手を出すなよ?」

「は……?」

「思ってた以上に相手が弱い、これなら龍人の練習相手にはちょうどいいからな。手は出すな」

「何を……」

 

 何を言っているのだろう、この男はという視線を龍哉に向ける紫。

 確かに天牙丸は妖怪としては中の下くらいの力しかない。

 しかしかといって決して弱い妖怪というわけではなく、自分よりも劣る龍人では苦戦する可能性だってある。

 下手をすれば大怪我を負うかもしれないというのに、彼の父親である龍哉はたった1人で息子を戦わせようとしていた。

 当然ながら紫は抗議しようとするが、龍哉の視線は既に龍人と天牙丸に向けられており、紫の言葉など聞くつもりはないと訴えていた。

 

(冗談じゃないわ。龍人1人にやらせるわけにはいかない………!)

 

 龍哉の言葉を無視し、一気に妖力を解放させる紫。

 

――瞬間、龍人も“力”を()()()()()

 

「――“(らい)龍気(りゅうき)”、昇華」

「えっ―――」

 

 力ある言葉を放つ龍人。

 すると――紫は不思議な感覚に陥った。

 

(なに、これ……? 龍人の周りに何かが集まり始めた……?)

 

 だが紫にはその正体が何なのかわからず、彼女の疑問が解けぬまま変化が訪れた。

 ――バチバチと爆ぜる音が、龍人の持つ刀から放たれ始める。

 

「………雷?」

 

 そう、紫の呟きは正しく……二本の刀の刀身に、雷が宿っていた。

 幻術の類でも幻でもない、()()()()が刀を這っている。

 この現象に、紫だけでなく天牙丸も驚き戸惑っていた。

 やがて雷は刀身だけでなく龍人の身体にも纏わり始め、その姿に紫はある事を思い出す。

 

(これ……龍哉が“紫電”を使っている時と、同じ状態……?)

 

「――なあ。このまま出てってくれないか?」

「……なんだと?」

「俺……お前を殺したくないよ。たとえ悪いヤツでも」

「龍人……」

「とことん嘗めてくれるな小僧……この天牙丸様が、テメエみたいなガキに負けると思ってんのかあああああっ!!!」

 

 馬から跳躍し、龍人に槍の切っ先を向けながら落下していく天牙丸。

 他の賊達はニヤついたままその場で待機し、安心しきっている。

 当たり前だ、妖怪である自分達の頭があんな小僧に負けるわけがない、そう思っているからこそ賊達は気にもしない。

 数秒後には槍の餌食になって終わり、商品が減るのは痛いがもう1人の少女を売れば充分だ。

 そんな下賤な考えを持つ賊達だが――彼等は大きな間違いを犯している事に、気づかない。

 

――そして、勝負は一瞬で着いた。

 

「―――ごめん」

 

 謝罪の言葉を放ちつつ――龍人の姿が場から消える。

 

(っ、速い―――!)

 

 普段の彼からは考えられないスピードだ、目で追えない訳ではないがその速さは驚愕に値するものだった。

 視線を上に上げる紫、落下してくる天牙丸に向かって龍人は両手に持つ刀を横薙ぎに振るい――たったの一太刀で勝負を決めた。

 先に地面に着地したのは龍人、剣を振るった格好のまま彼は動かない。

 遅れて着地する天牙丸、だったが……既に彼の命の灯火は尽きた後であった。

 

「っ、ご――が………ああああああああっっっ―――!!?」

 

 着地した瞬間、彼の身体に凄まじい電撃が駆け巡り、身体が黒い灰になりながら地面に倒れる。

 それで終わり、天牙丸という妖怪の生涯は呆気なく幕を閉じていた。

 

「………う、く」

「っ、龍人!?」

 

 膝を突き倒れそうになる龍人に、我に返った紫はすぐさま駆け寄った。

 

「……大丈夫。ちょっと疲れただけだから」

「……貴方、今一体何をしたの?」

 

 何かしらの術を発動させたのは間違いないだろう。

 しかし今まで龍人は特別な術など紫の前で使った事はなかった。

 

「ああ……ちょっと自然から力を分けて貰ったんだ」

「自然から?」

「自然界には様々な力が漂ってる。普通ならそれを扱う事はできないんだけど……俺はその自然界の力を自分のものにできる能力があるんだ。

 その力を俺は“(りゅう)()”って呼んでる。さっき使ったのは“雷龍気”、自然の力を借りて自分の中で雷の力に変換させるものだ。とうちゃんの“紫電”もこの“雷龍気”を使って発動させているんだ」

「……………」

 

 その説明に、紫は再び驚愕した。

 自然界に漂うエネルギー、それは個人の存在が生成できるものとは比べものにならないほどの密度と量を誇る。

 それを自分の力に変換できる能力、まさしく天地を分ける力と言っても過言ではない。

 

(そんな強大な能力を、龍人は持っているなんて……)

「――おいお前等、まだ仕事が終わってねえのに何安心してんだ?」

「えっ……?」

 

 龍哉の声を聞き、2人は視線を彼へと向け……驚愕する。

 ……周囲に散らばる、肉片に血。

 龍哉の周りに散っているそれは、紛れもない賊達の成れの果て。

 

「とうちゃん、なんで……」

「なんで殺したのか、か? 甘い事言ってんじゃねえぞ龍人、こいつら……頭がやられた瞬間、逃げようとしやがった。

 それだけじゃねえ、このまま放っておけばこの街と同じような犠牲が出る所だったんだ」

「で、でもだからって……」

「龍人、お前は人間に対してどうも幻想を抱いているようだが……人間っていうのは、お前が思っているような綺麗な存在じゃない。――現に見てみろ。周りの連中を」

「えっ………」

 

 言われて龍人は、周囲を見渡す。

 ……それで気づいた、自分達の戦いを街の住人達が覗き見ていた事に。

 それだけではない、そんな街の者達が向けてくる視線は……恐れと、穢れた存在を見るかのような淀んだ視線。

 どうしてそんな視線を自分達に向けるのか、龍人には分からず…龍哉がその疑問を答える。

 

「あいつらは俺達が恐ろしいんだろうよ。助けてもらったってのに薄情な連中だ」

「……………」

「龍人、人間は妖怪に比べれば肉体の頑強さも寿命の長さも違う。

 だからこそ奴等は自分達より強い存在を恐れ、遠ざけようとするんだ。

 無論それは正しい選択だ、誰だって自分の命を奪う事ができる力を持った奴を近づけようとはしないからな」

「俺達は、そんな事……」

「だが連中はそれが分からない。龍人、優しさだけで何かを成し遂げる事なんざ……できねえんだよ」

「………」

「……紫、俺は長から今回の依頼の報酬を受け取ってくる。それまで龍人を頼む」

「ええ……わかっているわ」

 

 言われなくても、紫は龍人の傍に居るつもりだ。

 ……こんなにもショックを受けている彼を、1人にするわけにはいかない。

 今にも泣きそうな彼を、放っておく事なんてできるわけがないのだから―――

 

 

 

 

「――貴方は、一体何がしたいの?」

 

 報酬を受け取り、自分達の住処へと戻ってきた紫達。

 行きと違い一言も話さなかった龍人を部屋で休ませてから、紫は龍哉へと詰め寄った。

 その表情は怒りの色を宿しており、事実彼女は龍哉の行動に怒りを感じていた。

 

「子供の龍人に命の奪い合いをさせて、挙句の果てに汚い現実を見せて……彼は今ひどく傷ついているわ!」

「だろうな」

「っ、それがわかっていながら………!」

「言った筈だぞ紫、いずれ遅かれ早かれアイツは外の世界に行き、そこで見たくもない現実を見ると」

「だからって、あんな言い方をしなくてもよかったじゃないの! まるで龍人の優しさを否定するようなあんな言い方……親のやる事じゃないわ」

 

 責め立てる紫の怒声にも、龍哉はまったく堪えない。

 それが紫には益々許せなくて、できる事なら今すぐにでも折檻して土下座させてやりたいとさえ思ってしまう。

 

「――アイツの力は、いずれ戦えない弱き者達の支えとなり守る盾となる。だからこそ今の内に力の使い方を覚えさせた方がいいんだよ」

「必要ないわ。彼はずっとこの山で暮らせばいい、弱い人間を守る必要なんてどこにあるっていうの!?」

「他ならぬアイツ自身がこの山で一生を過ごすという選択を選ばねえよ。そしてアイツは外の世界に旅立ち…蹂躙されるだけの存在を助けようと手を差し伸べる事になる。

 そして正しき事をしている筈だというのに恐れられる……いずれ、アイツが越えなければならない問題だ」

「………っ」

 

 再び龍哉を睨む紫だが、その言葉を否定する事はできなかった。

 確かに龍人の性格を考えると、彼はきっと戦えぬ者達の為に自分の力を使おうとするだろう。

 そして今回のように理不尽な恐怖心を向けられ……心を傷つける。

 ……そんな事、到底許容できるわけがない。

 

「龍哉、もう二度と龍人に今回のような依頼を受けさせないで」

「さーて……どうだかねえ? 龍人がやるって言うなら止められないぜ?」

「っ、もしもまた龍人を不必要に傷つけたら……たとえ父親でも、許さないわ」

 

 少女とは思えぬ凄まじい殺気を込めた視線を向けてから、紫は自室へと戻っていく。

 その眼力に少々驚きながら、龍哉はポリポリと頭を掻き……闇に支配された外へと歩いていった。

 星の美しい光はあるものの、木々が生い茂る山の中ではその温床は微々たるもの。

 とはいえ人外である龍哉には関係のない話であり、そもそも遠出をするつもりはない。

 

(……ちと優しすぎるな龍人は、予想以上だ)

 

 考えるのは、今回の依頼の事。

 龍人の反応はある程度予想できていたものだったが、彼の甘さともとれる優しさは想像以上であった。

 よもや敵である賊にすらその優しさを向けるとは……これではいつか、彼は自分自身の優しさに殺されるだろう。

 それだけは避けねばならない、その為には一刻も早く彼には経験を積んでもらわねば。

 

(それに、姿は現さなかったが……誰か見ていたな)

 

 気配の遮断は見事であったが、龍哉は確かに感じ取っていた。

 ――何者かが、街での出来事を覗いていた。

 正体は結局分からず向こうも仕掛けてこなかったので追う事はしなかったが、あれだけの気配遮断ができるという事は相当の実力者なのは明白。

 今の龍人や紫ではまったく歯が立たない、それだけの力は有しているだろう。

 

(………急がねえと、な……。もう、時間がねえ……)

 

 空を見上げながら、龍哉は僅かに身体を震わせる。

 しかしそれは寒さに震えているわけではなく………。

 

 

――身体に走る激痛に耐えている震えであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第6話 ~佐渡の二ッ岩~

人と出会い、人の脆さと醜さを見てしまった紫と龍人。
紫は改めて人という種族に嫌悪感を抱き、人に幻想を抱いていた龍人は強いショックを受けてしまう。

そんな中、2人の前にある大妖怪が姿を現す……。


「…………?」

 

 それは、ある日の事。

 龍人と龍哉が夕食の調達に行き、1人留守番を任された紫は……感じた事のない妖力を感知した。

 

(この妖力……強い……)

 

 妖力の大きさだけならば、上級妖怪以上の力がある。

 それがわかり、紫の身体に緊張が走る。

 明確な敵意は感じられないものの、真っ直ぐこちらに向かってくる強大な妖力をこのままにはしておけない。

 そう思った紫は家を飛び出して。

 

「――なんじゃ。感じた事のない妖力があると思ったら……小娘、そこの家で何をしておる」

 

 既に来訪者――見慣れぬ女性は、紫のすぐ傍まで迫っていた。

 

「………っ」

 

 身構える紫、いつでも戦闘に入れるように妖力を展開した。

 

「これこれ、わしはお前なんぞと喧嘩するつもりなどない。わしはただこの家の者に用事があってだな……」

「何者かわからない以上、はいそうですかと言って通すと思っているのかしら?」

 

 強気の口調でそう言い放ちながらも、今の紫に余裕の色は感じられなかった。

 ……目の前の女性は、自分よりも強い。

 右手に大きめの白い徳利を持ち、赤み掛かった茶色の髪を持つこの女性は……紛れもない大妖怪だ。

 内側から感じ取れる妖力もそうだが、何より女性の身体と同じくらいの大きさを誇る巨大な尻尾と雫型の獣耳が、女性の種族が“化け狸”だと示していた。

 

――妖怪の中でも、化け狸という種族はかなり高位に位置する妖怪だ。

 

 しかもこの女性はその化け狸の中でも頭1つ抜けた力を感じられる。

 単純な力ではもちろん敵わず、境界の力を用いようとも単純な力量差で消滅させる事もできないだろう。

 

「――娘御、わしはこの家に住む者とは旧友なんじゃ。危害を加える事などせん」

「……………」

「はぁ……言って聞かぬ阿呆じゃな。ならば――」

 

 女性の瞳が、険しくなる。

 同時に強大な妖力も本格的に溢れ始め――しかし、すぐさま引っ込んでしまった。

 

「――おい“マミ”、何してんだお前」

「先に喧嘩を売ってきたのはこの小娘じゃ。龍哉」

 

 緊迫した空気が霧散し、それと同時に龍哉と龍人が場に姿を現す。

 どうやら狩りを終えて帰ってきたようだ、2人はそれぞれ猪や妖怪魚を背負っている。

 

「あ……“マミゾウ”ばあちゃん!!」

「おおっ、龍人。お主また大きくなったのう!」

「うぶっ……」

 

 嬉しそうに微笑みながら、龍人をギュッと抱きしめるマミゾウと呼ばれた女性。

 彼女の豊かな胸の中に顔を埋められ、龍人は苦しそうに手足をバタバタさせている。

 しかしそれに気づかないのか、マミゾウは尚も龍人を抱きしめ続けており、苦しそうな龍人を見ていられず紫が間に割って入った。

 

「ちょっと、苦しがっているわよ!」

「おおっ? こりゃ失礼、久しぶりに会ったものじゃからついな」

「ぷはっ……」

「また一段と色男になったのう龍人や。わしは嬉しいぞ」

「当たり前だよ。俺はいつかとうちゃんやばあちゃんより強くなるんだから!」

「それは頼もしいの。じゃが……まだまだ未熟、もっと腕を磨け」

 

 わしわしと少々乱暴に龍人の頭を撫で回すマミゾウ。

 だが龍人は嫌がるどころか嬉しそうに頬を綻ばせ、2人の間には穏かな雰囲気が流れていた。

 

「…………」

 

 どうやら自分の勘違いだったようだ、自らの浅はかさを自覚し紫の顔が僅かに赤く染まる。

 この2人のやりとりを見ればマミゾウの言った事は真実だとわかる、だけど……紫は少しだけ、マミゾウが気に入らないと思ってしまった。

 理由は彼女にもわからない、わからないが……無礼な態度に対する謝罪はしなければ。

 

「……悪かったわ。疑ったりして」

「よいよい。わしは気にしておらんから簡単に頭を下げるな、弱みを見せては自分の首を絞める事になるぞ?」

「ご忠告、痛み入るわね……」

 

 ああ、やはり目の前の化け狸は気に入らないと紫は改めて思った。

 マミゾウは間違いなく大妖怪と呼ばれる程の力を持つ妖怪だ、それは認めよう。

 しかし、自分をまるで何の力もない童女のような扱いで接するその態度は、腹立たしい。

 とはいえ龍人達の知り合いに噛み付くつもりはない、なので紫はその苛立ちを内側で収める事にした。

 

「おいマミ、お前何しに来たんだ?」

「何しに来た、とは辛辣な物言いじゃな龍哉。せっかく極上の酒を土産として持ってきてやったというのに。

 お前がそのような態度では、この酒はわしだけで楽しもうかの」

「悪かった悪かった。けどいきなり何も言わずに現れたから気になっただけだ」

「久しぶりに龍人の顔が見たくなったんじゃ。それと……お主に訊きたい事もある」

「…………」

「………?」

 

 違和感が、紫の中に生まれる。

 マミゾウの表情は先程と変わらず飄々としたものだ。

 しかし、話しかけられた龍哉の表情が僅かに強張った事に気づいたため、違和感に気がついた。

 

「……龍人、メシの時間になるまでちょっと紫と一緒に遊んで来い」

「えっ?」

「あまり遠くには行くなよ? わかったな?」

「うん……」

 

 有無を言わさぬ物言いに、しかし龍人は何も言えず頷きしか返せなかった。

 急にどうしたのだろうと思ったのだが、龍哉の瞳が「何も訊くな」と訴えている。

 気にはなる、しかし父を困らせたくないという子供心が疑問を放つという選択肢を選ばない。

 

「紫、行こう?」

「……………」

「龍人の事、頼むな?」

「ええ、わかったわ」

 

 龍人に連れられ、紫は何も言わずにその場を後にする。

 正直、彼女も龍人と同じく突然の龍哉の態度を問い質してやりたいと思った。

 だがそれは龍人が望む事ではないし、彼女もまた龍哉の瞳を見て問いかけるのを断念したのだ。

 家から少し離れ、2人は大木の幹の背中を預け座り込んだ。

 

「……あの妖怪とは、どんな関係なの?」

「ばあちゃんはとうちゃんの古い友人らしいんだ。面白くて優しくて、強い大妖怪なんだ!」

「…………そう」

「? 紫、マミゾウばあちゃんと何かあったのか?」

「いいえ、なんでもないわ」

 

 先程の事を話せば、色々と面倒だ。

 そう思った紫は適当に言葉を濁し、会話を終わりにした。

 

 一方――龍哉とマミゾウは家に入り、向かい合うように座り込んで酒を交わしていた。

 

「――おっ、いい酒だな」

「当たり前じゃ。お前は良い酒を持ってこんと煩いからな」

「そう言うなよマミ、たまにしか来ないんだから」

「ふん、まあよい。ところで龍哉……お前、龍人に何をした?」

「……………」

 

 やはりきたかと、龍人は内心ほくそ笑んだ。

 マミゾウは龍人の事を大切にしてくれている、だからこそ……彼の変化に気づいたのだろう。

 そして、問いかける彼女の顔は「話さなければ許さん」と告げていた。

 

「別にたいした事じゃねえ。ちょっとばかり人間の汚い一部を見ただけだ」

「……お前、まさか龍人を人間が住む場所に連れて行ったのか?」

 

 苦い表情になるマミゾウに、龍哉は「ああ、そうだ」とあっけらかんとした口調で返す。

 それを聞いて眉を潜めるマミゾウであったが、何も言わず酒を飲み干した。

 

「意外だな。紫みたいに俺を責めないのか?」

「責めた所でお前が反省するとは思えん、それに……遅かれ早かれあの子が見る現実じゃ」

 

だからマミゾウは何も言わない、まだ早いとは思うが。

 

「しかし紫……先程の小娘は一体何者じゃ?」

「龍人のヤツが助けた恩でな、ここに住まわせてやってんだ。――それに、厄介な能力を持って生まれたんで、鍛えてやってる」

「ほぅ……成る程、お前が厄介というのなら相当なものなのじゃろうな。尤も――それだけとは思えんが」

「…………わかるか?」

 

 当たり前じゃ、そう返し注いだ酒を口に含むマミゾウ。

 ……やはり目の前の化け狸には、隠し事などできないようだ。

 そう思った龍哉は、あくまで口調を変えず……ある事実をマミゾウに告げた。

 

 

「―――あまり、()()()()()()()

 

 

「――――」

 

 酒が入った盃を持った手が止まる。

 暫し硬直した後、マミゾウは目を見開きながら龍哉へと視線を向けた。

 

「おい……それは、どういう意味じゃ?」

 

 声が震える、今の言葉が信じられていないようだ。

 珍しい狼狽したマミゾウの姿に、龍哉はニヤッと口元に笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「仕方ねえさ。それに思ったよりも保ったと思うぜ?」

「……龍人はどうする?」

「紫が居るさ。アイツはまだ小娘だが龍人よりかは世の中を知ってる、それに……お前だって居るだろ?」

「お前……」

「マミ、これは俺がこの世界に()()()()()時に決まっていた事だ。

 だからこそ俺はお前にこの事を話し、龍人を支えてくれるであろう紫を受け入れた。全ては龍人の為だ、アイツには……この世界で幸せになってほしいからな」

「龍哉………」

 

 全ては龍人の為、その為ならば龍哉はどんな事だって受け入れるだろう。

 それはまさしく大きく暖かな愛情、息子の幸せを望む父親としての愛情であった。

 

「マミ、龍人には言うなよ?」

「……わかっておる。わしがそれぐらいわからぬと思っておるのか?」

「だな。お前さんならわかってくれると思ってたよ」

(……たわけが)

 

 身勝手な男だと、マミゾウは思う。

 しかし――もはや未来は変わらないだろう、目の前の男を見ればわかる。

 だからマミゾウは何も言わない、その時が来るまで……ただ待つだけだ。

 

「ところでマミ、外の世界はどうなっている?」

「変わらんよ。人と妖怪の関係は一部を除いて殺し殺される関係……それは、一生変わらぬのかもしれんな」

「まあそれもまた運命さ。変わってないならいいんだが……“()(たい)(よう)”はどうだ?」

「……実はな。“(じん)(ろう)(ぞく)”が少しばかりおかしな動きをしておるそうじゃ」

「へぇ……」

 

 人狼族――見た目は人間だが、狼の獰猛さと身体能力を兼ね備えた妖怪である。

 人間の間でも知れ渡っている妖怪であり、天狗と同じく妖怪の中では珍しく群れを作る一族だ。

 そして……通常の妖怪よりも強く、人間の肉を好んで食べる。

 そんな人狼族が、近頃表立って活動している姿を確認した――部下の妖怪狸から聞いた話だ。

 

「“五大妖”の一体――人狼族の【刹那】が動くか……目的は何だ?」

「さて……それはわしにはわからん。しかし“五大妖”の一体が動くという事実は、妖怪達にとってあまり良いものではないのは確かだ」

 

 あれだけの大妖怪が動くという事は、世界のパワーバランスに影響を及ぼす。

 妖怪だけではなく、人間にすらその影響は及ぶだろう。

 妖怪でありながら人間を好む珍しい妖怪であるマミゾウにとって、その事実は許容できるものではない。

 

「……まあいいや。その時になってから考えればいいよな」

「楽観的じゃなお主は……まあよい、一理あるからな」

 

 そう言いながら、マミゾウは残った酒を飲み干し立ち上がった。

 

「どうした?」

「風呂に入ってくる。無論龍人とじゃ♪」

「……頼む」

 

 ひらひらと手を振り、マミゾウを見送る龍哉。

 そして、マミゾウが家から出て1人になってから。

 

「頼むぜマミゾウ。龍人達を守ってやってくれな」

 

 ぽつりと、そんな呟きを零した―――

 

 

 

 

「――あー、良い湯じゃな」

「ばあちゃん、酒くさいよー」

「我慢せい、いずれは浴びるように飲む事になるんじゃからな」

 

 龍人達の家の近くには、天然の温泉が湧いている。

 マミゾウは先程龍哉に言った通り、龍人を連れて温泉を楽しんでいた。

 ……そして何故か、紫も一緒である。

 一緒に入ろうとマミゾウに誘われ、無論断ったのだが……強引に服を剥ぎ取られてしまったのだ。

 酒を飲みながら温泉を楽しむマミゾウ、空に浮かぶ星達は今日も変わらず美しかった。

 

「……………」

「どうした? そんな隅っこにおらんでこっちゃこい」

 

 隅の方で縮こまっている紫に、マミゾウは不思議そうな視線を向ける。

 一方、紫は先程からマミゾウを睨んでおり、彼女が何故自分を睨んでいるのかわからずマミゾウはますます怪訝な表情を浮かべていた。

 

「……どうして、私まで入らないといけないのかしら?」

「裸の付き合いというヤツじゃ。別に構わんじゃろう?」

「紫ー、そんな隅っこに居ないでこっち来いよ!」

「……………」

 

 どうやら龍人は、マミゾウ側らしい。

 もういい、どうせ抵抗しても無駄だと紫は諦め、わざとらしく溜め息をつきながら2人の元へと近寄っていく。

 

「飲むか?」

「いりませんわ」

 

 マミゾウと視線を合わせようともせず、きっぱりと断る紫。

 それに特別腹を立てた様子もなく、マミゾウは酒を飲み干してから……龍人を後ろから抱き寄せた。

 

「ばあちゃん?」

「龍人、龍哉の阿呆から聞いたぞ。人間に会ったそうじゃな?」

「……………」

 

 僅かにピクッと身体を奮わせる龍人。

 わかりやすい子じゃ、マミゾウはそう思いながら…優しく、龍人を後ろから抱きしめる。

 

「人間が自分の思っていたよりも汚れた存在で、驚いたか?」

「……それ、は」

「よいよい。そう思ってしまうのも致し方あるまいて、わしとて過去に何度も人間を見限ろうと思ったからのう」

「…………」

「……紫、お前も人間の穢れた面を見たからこそ、人を信じる事ができないのだろう?」

「当然よ。信じる価値があると思うの?」

 

 はっきりと、それが真理だと言わんばかりに言い放つ紫。

 それを見てマミゾウは苦笑しながらも、言葉を続ける。

 

「お主等はまだまだ世界に目を向けておらん。視野が狭い子供じゃ」

「ばあちゃん……?」

 

 厳しい口調、初めて見るマミゾウのその姿に龍人は驚いてしまう。

 

「よいか龍人、紫、確かに人間はわし達妖怪を恐れ、また強い力を持つものを排除しようとする。しかしそれが人の総てではない、己の決め付けだけで物事を計るのは愚か者のする事じゃ。そんな愚か者になるでない」

「……妖怪でありながら、随分と変わった考えなのね。人の本質は紛れもない悪よ?」

「たわけ。それこそが愚かしい行為だとわからんのか小娘、たかだか15年程度しか生きていない餓鬼が……世界を知ったつもりか?」

「っ」

 

 キッと、マミゾウを睨む紫。

 だがそんな睨みなど何の意味も無いと言わんばかりに、マミゾウは冷たい視線を紫に向けた。

 ……場の空気が重いものに変わっていく。

 両者の睨み合いは暫し続き、間に挟まれた龍人は居心地の悪さを感じつつもおとなしくする事しかできない。

 

「人総てが悪ではない。それを忘れてしまえば……平和な世界は訪れぬ」

「人総てが……悪ではない」

「龍人や、これから先もお前は人間の汚い部分を見る事になるだろう。それは決して逃れられぬ事じゃ。だがそれから逃げてはならぬ、お前がこれから先、この狭い世界の外へと飛び出すのなら……わしの言った事を、忘れるな」

「…………」

 

 マミゾウに優しく抱きしめられ、龍人は心地良さそうに目を閉じながら…何度も彼女に言われた言葉を反復させる。

 人総てが悪ではない、もしそれが信実であるのならば……あの時自分が見た人間が人間の本質と決め付けるのは間違いだ。

 ……確かに、視野が狭いと言われても仕方ないかもしれない。

 

「少しずつでよい、まだまだお主達は若いのだからな」

「うん、わかったよばあちゃん!」

「うむうむ、龍人は相変わらず素直で良い子じゃ!!」

「うぐ……く、苦しいよばあちゃーん!」

「…………」

 

 戯れ、楽しげな空気に包まれる龍人とマミゾウとは違い…紫の表情は強張っていた。

 

(人は私達妖怪を迫害してきたわ……それが悪ではない?)

 

 同じ妖怪、それも大妖怪と呼ばれる力を持つマミゾウからそのような言葉を放たれるとは思わなかった。

 彼女は自分達よりも遥かに長い年月を生きているというのに、人間が悪ではないと思っているのだろうか?

 

(でも………)

 

 マミゾウを見ていると、彼女が本当に人間に対し友好的な感情を持っている事がわかる。

 

(もう少し、ちゃんと考えるべきなのかしら……?)

 

 今まで紫は、自分を退治するもしくは利用しようとする人間としか会った事がない。

 それに対する怒りや憎しみは、決して消える事はないだろう。

 だがもしも――マミゾウの言ったように、自分を受け入れてくれる人間が居るとするならば。

 会ってみたいと、見てみたいと紫は思ったのだった。

 

「……ふぅ、さて…そろそろ上がろうかの」

「ばあちゃん、寝る前に色々お話してよ!」

「もちろんじゃ。紫もどうじゃ?」

「…………そうね。せっかくだから聞かせてもらおうかしら」

「上から目線じゃな。お主」

「ふふっ、実際に上から見てるもの」

「なんじゃとー?」

 

 がおーっと、両手を上げて紫に襲い掛かるマミゾウ。

 それを笑顔を浮かべながら、紫は軽々と逃げ。

 

――自分達を囲っている存在に、気がついた。

 

「っ!!」

「……なんじゃ、あのまま去るのなら見逃してやったのじゃがな」

 

 紫は身構え、マミゾウは心底呆れたように肩を竦めつつ湯から出る。

 

「……誰だ?」

「龍人、服を着ろ。敵じゃぞ」

「敵って……なんで!?」

「そんなの襲い掛かってくる輩に―――聞けばよかろう!!」

「ギャッ!?」

 

 茂みを揺らしながら襲い掛かる一体の影。

 影が3人の襲い掛かる前にマミゾウが素早く術を発動させ――影の上に巨大な岩が突如として現れ、影を容赦なく押し潰した。

 グシャリという鈍い音が響き、肉片と赤黒い血が地面を汚していく。

 

「ここで潰せば温泉が汚れてしまうな」

「ばあちゃん着替え早っ!?」

 

 既に着替えを終えているマミゾウに、驚く龍人であったが。

 

「龍人が遅いだけよ」

 

 紫もまた、いつもの導師服に着替え終えた後であった。

 

「紫も早っ!?」

「っ、裸のまま私の正面に立たないで!!」

「あいたぁっ!?」

 

 裸のまま紫の正面を向いてしまい、思いっ切り平手打ちをお見舞いされてしまう龍人。

 

「夫婦漫才をしておる場合か、それより龍人は早く服を着なさい」

 

 そんな2人のやりとりに少々呆れつつ、マミゾウは周囲に展開している存在を瞬時に分析する。

 

(数は……今一体潰したから、残りは八体じゃな。それにしても……)

 

「……マミゾウ、半分は任せられるかしら?」

「待った待った、俺が着替えるまで待って!!」

「龍人、お前はそこで遊んでおれ。それと紫、ここはわしに任せておけばよい」

「だけど、相手はそれなりにできる相手よ?」

「それなり程度が有象無象に湧こうが……わしには指一本触れられんよ」

 

 そう言いながら、マミゾウは懐から何かを取り出す。

 それは――何の変哲もない緑の葉っぱであった。

 それを八枚取り出し、それぞれを両手の指の間に挟み込むマミゾウ。

 一体何をするつもりなのか、彼女の行動が理解できず怪訝な表情を浮かべる紫に、マミゾウはニヤリと笑みを見せてから。

 

「大妖怪の力というものを、見せてやる」

 

 そう言い放ち、マミゾウは指に挟んだ葉を一斉に投げ放つ。

 無論そんな事をすれば、葉は重力に従い落ちる――事はなく、まるで意志を持っているかのように飛んでいき森の中に消えていった。

 

「……ちょっと、何を」

「先に仕掛けようとしたお主達が悪い。わし達もただ黙ってやられるわけにはいかんのでな、では―――」

 

―――消えよ、目障りじゃ。

 

 冷たくそう言い放ったマミゾウは――印を結び、容赦なく“それ”を発動させた。

 瞬間、周囲につんざくような爆音が響き渡る。

 突然の音に紫はおもわず両手で耳を塞ぎ、そのすぐ後に……血の臭いが充満し始めた。

 一体何をしたのか、マミゾウに問いかけようとした紫であったが、当の本人は無言のまま歩を進め始め……近くの木の裏側を覗き込み、あるモノを引っ張り上げた。

 それは――茶色の毛を赤黒く染め上げた、一匹の狼。

 見た目はただの狼に見えたものの、その狼からは妖力を感じ取れ……紫は正体を瞬時に理解する。

 

「まさか……人狼族?」

「だが下っ端じゃろうて、人の姿になれない所を見るとな」

「……あれ、もう終わったのか?」

 

 ここでようやく着替えを終えた龍人がやってきた。

 彼をやや呆れた様子で見てから、紫は改めて人狼族の狼へと視線を向ける。

 

「随分大怪我を負っているけど……あなた、何かしたの?」

 

 身体の一部は文字通り皮膚ごと吹き飛んでしまっており、息も絶え絶えなその様子は、もう永くないとすぐに判るほどだ。

 

「他は一撃で始末した。一匹残したのは……このようなくだらぬ事をした事情を聞いてやろうと思ってな」

「……一体、何をしたの?」

「先程の葉に術を掛けて投げ放っただけじゃ。わしが印を組めば葉が爆発する術をな」

「…………」

 

 えげつなく、それでいて強力な術を放ったようだ。

 あれだけ小さな葉でも下級とはいえ妖怪の強固な身体を抉るだけの破壊力を持ち、しかも小規模な爆発だけで留める。

 そんな術を組める妖怪などそうはいない、やはりマミゾウは大妖怪と呼べる力を持つ妖怪だ。

 

「おい、それでわし達を襲った理由はなんじゃ? いくら下っ端とはいえ人狼族であるおぬし等がわしとの実力差を見誤るなどという愚行は犯すまい。

 誰の命令で動いている? 答えてもらうぞ?」

 

 だからこそ目の前の狼だけ加減して生かしたのだ、白状するまでは決して殺さない。

 龍人達に向けていた優しい眼差しは既になく、凄まじい眼光で狼を睨むマミゾウ。

 たったそれだけで、狼は萎縮しマミゾウに逆らうという気概を完全に削られてしまった。

 

「……ばあちゃん、恐っ」

「ま、待て龍人。これはあくまで妖怪としてであってお前のマミゾウばあちゃんが恐いわけではないからな!?」

「そういうのいいから、さっさと尋問して頂戴」

「っ、紫……覚えておけ」

 

 ジト目で紫を睨んでから、マミゾウは再び掴み上げている狼に視線を向け。

 ……既に、狼が絶命している事に、気がついた。

 

「何……!?」

 

 加減を間違えた? 一瞬そう思ったマミゾウであったが、そうではない。

 狼の額を貫く、銀に光る細い棒状のようなものが見えたからだ。

 

「っ、マミゾウ!!」

「チィ―――!」

 

 紫の声と、マミゾウが息絶えた狼を投げ捨てその場を離脱するのは、同時であった。

 刹那、マミゾウが立っていた場所に数百という物体が降り注ぐ。

 それは先程の狼の命を奪ったものと同じ、銀色に光る――“髪”であった。

 無論ただの髪ではない、妖力によって硬質化されたそれは鉄塊すら容易く貫き砕くほどの破壊力を有していた。

 

 着地と同時に、マミゾウは近くの大木を見上げる。

 彼女の視線の先――大木に生えた太い枝の上に、誰かが立っている。

 それはマミゾウの視線を向け、枝から飛び降り…彼女達と対峙した。

 

「っ、貴様は………!」

 

 目の前に降りてきたのは、銀光を放つ長い髪を持った1人の男。

 その男を見た瞬間、マミゾウは目を見開き驚愕した。

 当たり前だ、何故ならその男は。

 

「――よもや、オレ自らが直接出る事になるとはな。気に食わん」

「―――――」

「? 紫、ばあちゃん。コイツの事知ってるのか?」

 

 紫もマミゾウと同じく目を見開き固まってしまい、龍人は怪訝な表情を浮かべながら問いかけた。

 

「龍人、紫と共にこの場を離れろ!!」

「えっ……?」

「いいから早くせい! こやつは………」

 

 数多く存在する妖怪の中でも、特に強大は力を持つ大妖怪。

 その大妖怪の更に上を行く5人の存在……その者達を、“五大妖”と呼ぶ。

 圧倒的な力を持つその者達は、戦うだけで世界が荒れるとまで言われており。

 そして――今、紫達の前に姿を現した男こそ。

 

 “人狼族”の大長にして、“五大妖”の1人――“(おお)(がみ)(せつ)()であった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




マミゾウさんの正確な年齢がわからないため、ここでは紫さんよりかなり年上という設定になっております。


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第7話 ~望まぬ旅立ち~

大妖怪「二つ岩マミゾウ」から人間に対する彼女なりの考え方を教えてもらった紫と龍人。
それによって紫は僅かながら人間に対する憎しみを和らげた矢先、彼女達の前に人狼族の狼達が現れる。
マミゾウの圧倒的な力で返り討ちにしたものの、次に現れたのは……五大妖と呼ばれる凄まじい力を持った人狼族の大長であった………。


――五大妖。

 

 大妖怪と呼ばれる妖怪の中でも、更に強大な力を持った五人の妖怪の総称である。

 その誰もが天地を左右する程の力を持ち、それらが動く時……世界が揺れると言われるほどの影響力を持つ者達だ。

 出会えば命は無く、助かる術は存在しない。

 それだけの力を持った妖怪が――今、自分達の目の前に居る。

 身構えはしたものの、その事実が信じられず紫は完全に固まってしまっていた。

 

「何をしておる、紫!!」

「――っ」

 

 マミゾウの怒声が、紫の硬直を解いた。

 慌てて視線をマミゾウに向ける紫、見ると……彼女は凄まじい形相を浮かべていた。

 その姿に恐ろしさすら覚え、別の意味で硬直してしまいそうになる紫に向かって、マミゾウは更に叫んだ。

 

「早く龍人を連れて龍哉の元へ急げ! わしが時間を稼ぐ!!」

「……そのデケエ尻尾。そうか……テメエが佐渡の二ッ岩と呼ばれる化け狸だな?」

「っ、何故じゃ……何故お前のような大妖怪がここに………!」

「テメエに話す必要は無い。いいから消えろ、邪魔をするなら――殺すぞ?」

「――――っ」

 

 髪と同じ銀の瞳が、マミゾウを捉える。

 たったそれだけで、ただ睨まれただけでマミゾウは戦意の殆どを削られてしまった。

 足は震え出し、数秒後の死が脳裏に浮かび上がる。

 恥も何もかも捨て去ってすぐに逃げ出してしまいたい衝動に駆られるがしかし、マミゾウは決して逃げる事はしなかった。

 

 だってそうだろう? 今ここで自分が逃げれば、後ろに居る龍人と紫はどうなる?

 2人の命を守るため、マミゾウは己の命すらも犠牲にしようとするが……刹那はそんな彼女の決意を鼻で笑う。

 

「無駄なんだよ。たとえテメエが今すぐオレに立ち向かってこようが結果は変わらねえ。

 テメエは一瞬で殺され、数秒後には後ろのガキ達の命も尽きる。そんぐらい……テメエほどの妖怪ならわかんだろ? テメエが出来る事は今すぐここから逃げる事だけだ、そうすりゃあ命ぐらいは助かるからよ」

 

 冷たく、無慈悲な言葉を吐き出す刹那。

 だがそれは全て事実だ、刹那の言ったように未来は変わらない。

 ……それでも、マミゾウは自分の命可愛さに逃げるなどという選択肢は選ばなかった。

 龍人は自分にとって孫も同じ、そして紫も守ってやらねば簡単にその命を散らしてしまう子供でしかない。

 ならば守ってやらねば、たとえ敵わぬとも2人が逃げられる時間ぐらいは―――

 

「――不可能だって言ってるだろ。お前なんかにオレの時間稼ぎが勤まると思ってんのか?」

 

 けれど。

 まるでマミゾウの決意を踏み躙るかのように、刹那は変わらぬ口調で未来を言い放つ。

 

「お主こそ、わしの力を嘗めてもらっては困るな!!」

「……ったく、しょうがねえなあ」

 

 面倒だが仕方ない、そう言わんばかりの口調と態度で……刹那は妖力を解放した。

 瞬間、周囲の木々が激しく揺れ、森の動物達が一斉に逃げ去っていく。

 空気はまるで重量感を持ったかのように重苦しくなり、息をする事すら難しくなった。

 妖力を解放した、たったそれだけで周囲に影響を及ぼしていく。

 改めて目の前の存在の強大さを思い知り、けれどマミゾウは一歩も退かない。

 たった数秒でもいい、後ろの2人が逃げられるのならばそれで――

 

「――雷龍気、昇華!!」

「きゃっ!?」

「なっ――うおっ!?」

「……ああ?」

 

 突然の衝撃と共に、マミゾウの身体が宙に浮く。

 そしてそのまま刹那との距離が離れていき、そこでようやく彼女は――龍人に抱えられている事に気づいた。

 しかも自分だけではない、反対側の腕には紫も抱きかかえられている。

 

「龍人……!?」

「ごめんばあちゃん、じっとしてて!!」

「たわけ、誰かが時間稼ぎをしなければ逃げられんぞ!?」

 

 凄まじいスピードで移動している龍人だが、それでも相手からは逃げられないだろう。

 それをわかっているからこそマミゾウはそう叫ぶが、龍人は聞く耳を持たない。

 当たり前だ、あそこにマミゾウを残せば……間違いなく彼女は死ぬ。

 それがわかっていてどうして残す事ができるというのか、だから龍人は“紫電”を展開して全速力で逃走する選択を選んだのだ。

 龍気を用いるこの技は、既に彼の身体を蝕み始めているが、その痛みを無視して彼は走り続けた。

 止まれば死ぬ、先程から加減なしの全力で逃げているというのに……死の気配が、消えてくれない。

 振り向けば死ぬとわかっているから、龍人はただ前を見て逃げる事だけを考えて――

 

「――なかなか速いな。驚いたぞ」

「――――」

 

 その声が耳に届いた時には、既に刹那の右足による回し蹴りが放たれていた。

 

「っ、が――っ!!?」

「あぐ……!?」

「ぐあ……!?」

 

 瞬間、3人の身体に衝撃と激痛が走る。

 更に3人はまるで大砲の弾のように吹き飛ばされ、各々大木に叩きつけられてしまった。

 息が詰まり、動く事ができずにズルズルと地面に座り込んでしまう紫達。

 

「そ、んな……!」

「ぐっ、化物め……!」

 

 たった一撃で、紫もマミゾウも身体を動かす事ができなくなる程のダメージを負ってしまった。

 

「すぐに逃げたのは褒めてやる。臆病は弱肉強食の世界において尤も重要なものだからな。――だがそれだけじゃ生き残れねえ、テメエらとオレとじゃ力が違い過ぎるんだよ」

 

 冷たくそう告げながら、刹那はゆっくりと紫に向かって歩いていく。

 無論、彼女の息の根を止めるためだ、元々の目的を果たそうとして……。

 

「はー、はー……はー……」

 

 紫を守るように立ち上がった龍人が、刹那の前に立ち塞がった。

 足は震え、先程の一撃で額から血を流し、息も絶え絶え。

 はっきり言って相手にもならない、否、たとえ彼が全快であったとしても結果は変わらない。

 所詮刹那にとって龍人は無力な子供同然、今のように立ち塞がろうが指一本でその命を奪える存在でしかないのだ。

 

 それでも――刹那は表情にこそ出さないものの、龍人の行動に内心では驚いていた。

 実力差など先程の一撃で理解した筈、だというのに立ち向かってくるなど……単なる馬鹿か、それとも大物か。

 どちらにせよ、龍人の行動は刹那にとってなかなか楽しめる行動であり、彼は立ち止まり龍人へと声を掛けた。

 

「おい小僧、どかねえと……死ぬぞ?」

「はぁ、は……ど、どかねえ!!」

「テメエなんぞがオレに勝てるわけねえだろ。それがわかってんのにどうして邪魔をする?」

「りゅ、龍人逃げろ! 逃げるんじゃ!!」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 どうにか起き上がろうともがきながら逃げろと叫ぶマミゾウの声にも反応せず、ただただ刹那を睨みつける龍人。

 ……目を離したら、紫は殺される。

 それがわかっているからこそ、龍人は立ち上がり真っ向から刹那と対峙していた。

 

 打開策などあるわけがない、このまま見逃してくれるかもしれないなどという都合の良い事を考えているわけでもない。

 ただ、今の自分にできる事などこれぐらいしかないから……だから龍人は決して逃げなかった。

 

「――その気概は認めてやる。だが……邪魔するなら本当に殺すぞ?」

「ここで、俺が逃げたら……お前、紫を殺すだろ!! 手下に命令したみたいに!!」

「…………」

「お前は、紫を殺そうと何度も何度も手下を使って襲ったんだろ!?

 そんなヤツから、はぁ……目を、離すわけにはいかねえ!!」

「……その結果、お前が死んでもか?」

「友達を……はぁ、はぁ……見捨てるぐらいなら、死んだ方がマシだ!!!」

「――――」

 

 その、言葉で。

 紫の心が、「殺される」と覚悟し死を覚悟した心が再び動き出した。

 絶対に勝てない、殺されると理解している相手にも龍人は立ち向かっている。

 その理由が、自分を守る為だとわかって……紫は、己の弱さを心の底から憎んだ。

 彼にここまでの覚悟を抱かせたというのに、自分は一体何をしている?

 自身の命すら投げ打ってでも自分を守ろうとしている彼に、ただ縋っているだけ?

 

(……冗談じゃない)

 

 そんな事は許されない、否、自分自身が許せない。

 敵わない相手だろうが何だろうが関係ない。

 ここで何もしないなどという選択を選ぶ事は、彼の全てを裏切る事と同意だ。

 彼は自分を友達だと言ってくれた、だから守ると……強大な相手に立ち向かってくれている。

 ……ならば自分も、彼を守らなければ。

 

「ぐ、くっ……!」

「紫……!?」

「んん……?」

 

 立ち上がろうとして、紫の全身に痛みが走る。

 それだけではない、相手の圧倒的なまでの力を目の当たりにして、紫の身体が動く事を拒否している。

 恐い、動くなと己の肉体がストライキを起こそうとして――紫は無理矢理それに蓋をした。

 ここで立ち上がる事を諦めれば、自分は二度と彼に友達だと言ってもらう資格など無くなってしまう。

 龍人が紫を大切な友人だと想うように、紫もまた龍人を大切な友だと想っているからこそ。

 内なる恐怖をかなぐり捨て、紫は龍人と同じように刹那と対峙した。

 

「紫……」

「……ごめんなさい、龍人、マミゾウ。

 私のせいで、こんな事に巻き込んでしまって……」

「何で謝るんだよ、悪いのはお前を殺そうとしてるコイツだ!

 それに、紫は友達じゃねえか。友達を守るのに理由なんかいらねえだろ?」

「…………ありがとう」

 

 ずっと、追われ続ける生き方を強いられてきた。

 でも今は違う、自分を守ろうとしてくれる友が居てくれる。

 それのなんて幸せな事が、絶望的なこの状況でも紫はそう思わずには居られない。

 ……だが、現実はそんな儚い幸せすら打ち砕く。

 

「――惜しいな、そっちの小僧は成長すりゃあそれなりの大物になれるぜ。

 だが……オレの邪魔をする以上、生かしておくわけにはいかねえな!!」

「っ」

「――雷龍気、昇華!!」

 

 龍人の身体が、再び雷に包まれる。

 たとえ敵わぬ相手であろうと、抵抗する事は止めない。

 自身の出せる全ての力を以って、最後の最後まで足掻こうと龍人は“紫電”を発動。

 そして、その気概に気に入りつつもそれごと粉々に砕こうと、刹那は地を蹴って。

 

――己の浅はかさに、気づく事になる。

 

「――――!!?」

 

 それは、突然の襲来であった。

 紫と龍人、刹那にとってとるに足らない子供2人の命を奪うため、彼は地を蹴り彼女達に向かって右の拳を突き出し。

 突然現れた第三者によって、真っ向からその拳を刀で受け止められてしまった。

 

「テメエ――!」

 

 自分の邪魔をされ怒りに震える刹那だったが、自分の邪魔をした存在の正体を知るやいなや、自ら後方へ跳躍し距離を離す。

 一方、自分達の命が助かった事に驚きながら、紫と龍人は自分達を助けてくれた存在を見て……二度目の驚きを放った。

 

「――龍哉!!」

「とうちゃん!!」

「ふぅ、あぶねえあぶねえ……なんとか間に合ったな」

 

 割と本気の口調でそう呟きつつ――龍哉は紫達へと振り向き、安堵の表情を浮かべた。

 

「りゅ、龍哉……遅いぞ」

 

 どうにか立ち上がり、右手で左肩を庇いつつ紫達の元へと近寄るマミゾウ。

 

「……お前ほどの妖怪がここまでやられるとはな。まあ――相手が相手だからしょうがねえな」

 

 そう言いながら、手に持つ【妖黒刀・闇魔】の切っ先を刹那に向ける龍哉。

 

「そうか……テメエが八雲紫を匿っていたとはな」

「……龍哉、あなた彼と知り合いなの?」

「ん? ああ、ちょっと数百年前にやりあったんだよ。

 ――久しぶりだな刹那、だが五大妖ともあろう妖怪がこんな乳臭いガキを殺すためにわざわざ動くとは……人狼族の大長の名が泣くぞ?」

 

 小馬鹿にしたような龍哉の言葉にも、刹那は意に介した様子を見せない。

 そのような挑発などに反応する程、彼は小物ではないからだ。

 

「それでどうする? 次は俺が相手になってやるぞ?」

「…………」

「俺は一向に構わんが……どうする?」

 

 試すような物言い。

 しかしその姿に隙は無く、刹那は責めあぐね舌打ちを打つ。

 ……誤算であった。

 紫達との戯れなど起こさずに命を奪っていれば、このような状況にならなかったというのに……刹那は己の浅はかさを今更に理解する。

 だが理解しても状況が変わるわけではない、龍哉の実力を知っている彼の脳裏に紫の命を奪うという考えは、既に消えていた。

 

「……仕方ねえ、今日は退くとするか」

「逃がすか……!」

「よせ龍人、お前が行った所で勝てるわけねえだろうが。もっと現実を見ろ」

「くっ……!」

 

 龍哉に制され、悔しげな表情を浮かべる龍人。

 だが彼の言う通りだと自分に言い聞かせ、内側から溢れそうになる怒りを懸命に抑え込んだ。

 

「――そのガキは、テメエの息子か?」

「ああ、可愛いだろ? 自慢の息子だ」

「……成る程な。テメエの息子ならオレに立ち向かう事もできるかもしれねえ。

 おい小僧、テメエ……名前はなんていうんだ?」

「…………龍人だ!!」

「龍人……覚えておくぞ。テメエがもう少し強くなったらまた遊んでやる」

 

 そう告げた瞬間、刹那の姿が消える。

 すぐさま森の雰囲気もいつものものに戻り、息苦しさから解放され紫達はおもわずほっと息を吐き。

 

「ぁ……ぐ……」

 

 緊張の糸が切れ、更に“龍気”を使用した影響か、龍人は苦しげな声を上げながらその場で倒れ込んでしまった。

 

「龍人!!」

「心配すんな紫、力を使い過ぎただけだ。

 ったく……あれだけ俺の許可なしに“紫電”を使うなって言ったのによ」

 

 とはいえ、そうでもしなければ今頃3人の命は無かっただろう。

 そう思うと龍人を責める事はできない、呆れはするが。

 倒れた龍人を抱きかかえ、龍哉は紫達を連れて自分達の家へと戻っていく。

 

(……こりゃあ、もう無理そうだな)

 

 ある懸念を、胸に抱きながら。

 

 

 

 

「――龍人は寝たわ。ぐっすりみたい」

「龍気を使ったからな。あいつの身体じゃ負担が大きいんだ」

 

 無事に家へと戻り、疲労していた龍人を寝かせた時には既に日は沈み、夜になっていた。

 紫とマミゾウのダメージは幸いにもたいした事はなく、マミゾウに至っては既にいつものように酒を飲み始めていた。

 龍哉と向かい合うように座り込む紫、そして……彼女は突然2人に向かって頭を下げた。

 

「……ごめんなさい」

「何だ、一体何を謝ってんだ?」

「今回の事は、全て私の責任よ。

 そのせいで龍人……そして龍哉達にも迷惑を掛けてしまったわ」

 

 だから紫は頭を下げた、その程度で許してもらおうなどという虫の良い話はないが謝りたかったのだ。

 すると――何故か龍哉とマミゾウは、そんな紫を見て笑い始めてしまった。

 

「ははははっ! なんじゃ、可愛い所もあるではないか!!」

「お前、意外と真面目な所があるんだな!」

「えっ……」

 

「構わぬ構わぬ、それに簡単に頭を下げるなとわしは言った筈じゃぞ?」

「紫、俺はいつかお前の命を狙ってる輩が現れる事は最初からわかってた。わかっていてお前を受け入れたんだ。

 今更お前が責任を感じる必要なんてないし、ましてやお前のせいじゃない。だから謝るな」

 

「龍哉、マミゾウ……」

「責はお前ではなくお前の命を狙う側にある、故にお前がわし達に謝る必要など何処にも存在せん。

 そして龍人もわし達と同じ事を思っている筈じゃ、だから龍人に謝るなどという事はするなよ?」

 

 逆にお前を守ろうとした龍人の顔に泥を塗る結果になるからな、そう言って酒を煽るマミゾウ。

 龍哉も同意するように頷きを見せ、マミゾウと同じように酒を飲んだ。

 その反応が、紫の中から罪悪感を拭っていく。

 軽い調子で紫の謝罪を受け流したのも、彼女がいらぬ責任を背負わない為だ。

 

 それに気づき、紫はもう一度2人に向かって感謝の言葉を放つ。

 尤も、今度は心の中でだが。

 

「――さて、問題はここからだ」

「そうじゃな。――いずれ、また紫の命を狙う輩がここにやってくるじゃろう」

「…………」

「紫、だからといってここから1人で居なくなったりしたら許さねえからな?

 ここまで来た以上たとえお前が俺達から離れたとしても、俺達も同様に狙われるだろうさ」

 

 人狼族は、妖怪の中でも珍しい群れを作る種族だ。

 故に同じ種族の命を奪った存在を、人狼族は許さない。

 紫だけでなく既に龍哉とマミゾウ、そして龍人も人狼族から狙われる事になる。

 そうなると、もうこの山で暮らしていくのは難しくなるだろう。

 

――だから、龍哉はある決断を下す。

 

「しょうがねえ……ちょっとばかり早いが、この山を出るしかねえな。

 俺としてはあと二十年……いや十年は龍人をここで鍛えてやりたかったが、人狼族に目を付けられた以上は仕方ねえ」

「わしも共に行くぞ」

「悪いな、マミゾウ」

「気にするな。わしが自分で言い出したことじゃからな」

「…………」

 

 龍哉もマミゾウも、自分を責めるなと言ってくれた。

 だがそれでも、紫は自分自身を責めてしまう。

 自分が弱いせいで、未熟なせいで……自分を受け入れてくれた者達に迷惑が掛かってしまっている。

 その事実は紫の心を乱し傷つけ、彼女にある決意を抱かせる。

 

「……龍哉、マミゾウ」

「ん?」

「なんじゃ?」

「――私、もっと強くなるわ。誰にも負けないくらいに……強く」

 

 そうすれば、守られる側から守る側に変わる事ができる。

 そうすれば――自分を守ってくれた龍人達を、今度は自分が守ることができる。

 だから紫は誓った、皆を守れる程に強くなるという誓いを建てた。

 

「――おう。強くなれ強くなれ」

「お前ならばいずれわしと同じ大妖怪と呼ばれる時も来るじゃろう。だが焦りは禁物じゃぞ?」

「ええ、わかっているわ」

 

「よし――じゃあ、龍人が目覚め次第出発するか。ちょうど行きたい場所があったからな」

「行きたい場所?」

「ああ。どうせ旅立つなら世界を楽しく見て回った方が良いだろう?」

「……楽観的ね、あなたは」

「それで、何処に行きたいんじゃ?」

「ああ、それはな――」

 

 

 

――旅立ちの時が、遂にやってきた。

 

 物語がようやく動きを見せる。

 この広い世界で、彼等は多くの出会いを別れを果たし……そして、世界というものを知っていく。

 その結末がどうなるのかは。

 

「――――都だ」

 

――まだ、誰にもわからない。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




これにて序章は終わりです。
次回からは「都編」になります。
古代で都、わかる方はこのキーワードで次に出てくるキャラクターがわかるかもしれませんね。


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第一章 ~都と姫と紫達~
第8話 ~都~


五大妖の1人であり人狼族の大長である刹那に狙われる事になってしまった紫達。

住み慣れた山を離れ、一向は龍哉の要望により都へと足を運ぶ……。


「…………おお~」

 

 感嘆の声が放たれると同時に、龍人の瞳が輝いた。

 彼の瞳の先には――沢山の人間達の姿があった。

 忙しなく荷車を走らせる者、商いの声を放つ者、他愛ない話をする者。

 様々な人間が、都の中で生活している。

 その光景が、人間を殆ど見ていない龍人にとっては物珍しく映り、彼はすぐさま後ろに居る紫達に声を掛けた。

 

「紫、とうちゃん、ばあちゃん、人間が沢山居る!!」

「そんなの見ればわかるだろう。はしゃぎ過ぎだ龍人」

 

 いくら人間を殆ど見た事がないといっても、彼の様子を見ると龍哉は苦笑せざるおえない。

 マミゾウも龍人のはしゃぎっぷりを見て同じく苦笑いを浮かべており、龍哉と同意見だった。

 一方、そんな2人とは違い紫の表情はやや強張っていた。

 

 ……当たり前だ、紫は都に赴く意味がないと思っているからだ。

 人狼族――それも五大妖の1人に狙われているというのに、何故都に行かなくてはならないのか。

 紫は視線を、この都に来ようと提案した元凶である龍哉を軽く睨んだ。

 それに気づいていないのかそれとも気づいていて受け流しているのか、龍哉は視線を龍人に向けながら口を開く。

 

「それじゃあ各自自由に行動するぞー。

 ここに来た目的はいつでも果たせるからな、お前だって都の中を見てみたいだろ?」

「いいの!?」

「おお。但しちゃんと光魔は持っておけよ?」

「わかった!!」

 

 言うやいなや、光魔を右手で持って人ごみの中に吶喊していく龍人。

 

「ちょっと、龍人!?」

「よし、じゃあ俺達は一杯引っ掛けていくか。マミ、良い店知っているなら案内してくれよ?」

「昼間では開いている店も限られているが……まあよい、案内してやる」

「ちょっと待ちなさい!!」

 

 さあ行くかと、酒を飲むために移動しようとした2人を、紫が制した。

 2人を睨むように視線を向ける紫、まるで怒りを抱いているようで…事実、彼女は今龍哉達に怒りを向けていた。

 

「何だよ?」

「何だよ、じゃないわ。この都で龍人を1人にするなんて何を考えているの!?」

 

 都は沢山の人間が住んでいる。

 それと同時に……妖怪退治ができる陰陽師や祓い屋も、数多く存在しているのだ。

 そんな中を、龍人1人にするなど紫には理解できなかった。

 

「大丈夫だっての。今はマミの術で姿形は変わっているし妖力だって抑えてるだろ?」

 

 そう、現在紫達はマミゾウの変化の術により人間の姿に変わっている。

 全員の髪と瞳は黒に変化しているし、妖力も抑えているため並の退治屋ではまず紫達が妖怪だと気づけないだろう。

 それは紫とてわかっているし、彼女自身もマミゾウの術に対して信頼を置いている。

 とはいえ完全に安心できないのもまた事実、だというのに何故彼を自由に行動させるというのか……。

 

「光魔を持っているなら龍人の居場所はいつだってわかるし、好奇心旺盛なアイツを止めてたら大変だぞ?」

「そういう問題ではないわ。もし腕の立つ祓い屋が現れたら……」

「だったら、お前が傍に居てやればいいだろ?」

「っ、もういいわ。最低ね!!」

 

 嫌悪感を露わにした表情で龍哉を睨んでから、紫はすぐさま龍人の後を追った。

 その後ろ姿を見つめつつ、ポリポリと頭を掻きつつ苦笑する龍哉。

 

「ったく……龍人に関してだと過保護だよなあ」

「紫の言い分の方が正しいぞ? わしも正直龍人の傍を片時も離れたくないしのう」

「だったらお前も龍人についていけばよかったんじゃないのか?」

「おぬしを1人にしておきたくないという思いもあるからのう、それに……ここなら騒ぎさえ起こさなければ妖怪とて生きていける。

 ――都の“歪み”を知っているからこそ、自由行動を許したのではないか?」

「……まあな」

 

 肩を竦める龍哉。

 ……この都には、人間だけが暮らしているわけではない。

 多くの人間はそれに気づかないが、ここには人間が恐れるような妖怪も生息しているのだ。

 そして――その事実を、一部の人間達は()()()()()()()()()()()()()()

 だから龍人が騒ぎを起こさない限りは祓い屋も動かない、それがわかっているから龍哉は敢えて彼に自由に行動する事を許した。

 尤もそれは建前であり、愛する息子の願いをかなえてやりたいという親心が理由の大半を占めているのだが。

 

「それよかマミ、さっさと飲みに行くぞ? 都に着くまでの間、旨い酒にありつけなかったんだからな」

「……お主、まさかその為に龍人と別行動をとったのではあるまいな?」

 

 ジト目で睨むマミゾウにも、「んなわけねえだろ」と返し歩を進めていく龍哉。

 その姿を眺めつつ、それも理由の内に入るのだろうと直感したマミゾウは、呆れたように龍哉へと溜め息を吐き出したのだった。

 

 

 

 

「――龍人!!!」

「あっ、紫、お前も一緒に都を見て回るか?」

 

 先に走っていった龍人だったが、すぐに追いつく事ができた。

 というのも、彼が周りの人間達や店をキョロキョロと忙しなく眺めているために、歩が止まっていたからだ。

 すぐに追いつけた事にほっとしつつ、紫は龍人の右手を掴んで隅の方へと移動する。

 

「龍人、1人になっては駄目よ」

「なんで?」

「ここは都、私達妖怪を退治しようとする祓い屋も多く存在しているの。

 だというのに、迂闊に1人になったりしたら危険なのよ」

 

 まるで子供に言い聞かせるように、龍人へそう告げる紫。

 しかし、龍人の表情は紫が予想したように、不満げであった。

 好奇心旺盛で、人間を殆ど見た事がない彼にとってここは魅力的な場所に見えるのだろう。

 それがわかっているから紫も半ば無駄だと思いつつも忠告したのだが、やはりというか彼は全然聞き入れるつもりはないらしい。

 だがこのまま彼を1人にしておくわけにもいかない、龍哉達があてにならない以上彼の手綱は自分が握っていなければ……。

 

「…………」

「? 龍人、どうかしたの?」

 

 頬を膨らませて自分に向かって不満げな視線を向けていた龍人が、いきなり明後日の方向へと視線を向けたので、紫はおもわず首を傾げ彼の名を呼んだ。

 しかし龍人からの返答は無く、その場で立ち尽くしたままある一点――路地裏へと視線を向けている。

 

 その先に何か彼が興味を引くものがあったのか、そう思った紫は彼と同じ場所へと視線を向けるが、あるのは路地裏へと続く道だけ。

 人はおろか動物の姿も無く、たとえその中に赴いたとしても目に付くものはないだろう。

 では何故彼は突然そちらへと視線を向けたのか、紫が疑問に思った事を彼に訊ねようとして……気がついた。

 

(これは……妖怪の気配?)

 

 ここでようやく気がついたのだが、視線を向けている先から…妖怪の気配を感じ取ったのだ。

 あまりにも微弱で気づくのに時間が掛かったが、確かにこの気配は人ならざるものの気配。

 ……しかし本当に弱い、だがかといって死にかけの妖怪が路地裏の中に居るわけではない。

 これは“(ざん)()”、妖怪の通った形跡を感じ取っただけだ。

 

「龍人……?」

 

 龍人が、その路地裏へと向けて走り出した。

 慌ててその後を追う紫、入り組んだ道を暫く走り……通りの声も微かに聞こえる程度になった頃。

 紫は、彼をここに辿り着く前に止めなかった事を後悔した。

 

「…………」

「あれ? 妖怪の気配があったのに……」

 

 辿り着いた先は、策に囲まれた袋小路。

 雑草が無造作に生えるだけの、来る目的など無い場所。

 だが――今この瞬間、何の変哲もないこの袋小路は、顔をしかめる醜悪さを残していた。

 

「――龍人、もう行きましょう」

「えっ、ああ……そうだな……?」

 

 紫の声に従い、この場を後にしようとした龍人だったが……彼の視線が、あるモノを見つけてしまう。

 それは地面に落ちた、小さな物体。

 ……何かの肉のようだ、まだ新鮮で乾いていない血も付着している。

 なんだろうと龍人はその肉片に手を伸ばそうとして。

 

「――やめなさい、龍人!!」

 

 紫の怒声が、彼の動きを完全に止めた。

 

「きゅ、急に大声出すなよ紫……」

「いいから、それに触れるのはやめて」

「わ、わかった……でも、これって……」

「貴方は気にしなくていいわ。それより早くここから出ましょう」

 

 強めの口調で龍人の言葉を遮って、彼の右手を強く握りしめる紫。

 ……嫌なものを見てしまったと、彼女はその端正な顔を歪める。

 だがそれも仕方がないだろう、龍人が見つけてしまった肉片は――

 

「…………」

「紫……?」

 

 自分の手を掴んでいた紫の足が止まった。

 不審に思い、龍人は紫に声を掛けたが彼女からの返答は返ってこない。

 一方の紫はその顔を先程以上に歪め、怒りを孕んだ視線を曲がり角の先へと向けていた。

 そして――その曲がり角から、歓迎したくない第三者が姿を現す。

 

 第三者の正体は3人の男、どの男もみすぼらしい格好をしている。

 無造作に伸びた無精髭と不衛生な見た目に、嫌悪感を露わにする紫。

 だがそれ以上に不快なのは、男達が自分達を見てニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている事だ。

 3人の内の2人は両手に荒縄を持っており、最後の1人は自分達に向けて両手を突き出しながら近づいてきている。

 ……人攫い、それも人身売買を生業にしている人間だと、紫はすぐに理解した。

 おそらく自分達の姿を見て売り物になると判断したのだろう、そして自ら人の居ない路地裏に入ったので行動に移ったと容易に想像できた。

 だがその行動はあまりにも浅はかだ。

 男達は自分達が何の力もない非力な子供だと思っているのだろう、憐れといえば憐れである。

 

(――殺せば、面倒な事になりそうね)

 

 本音を言えば殺してやりたいが、都の中でそのような行動に出れば迂闊に動けなくなる。

 男達の吐き気を催すような笑みに苛立ちながらも、紫はすぐに黙らせようと力を解放しようとして。

 

「――おい」

 

 まるで肌を切り裂くような殺気が込められた青年の声が、男達の更に後ろから聞こえてきた。

 

 後ろに振り向く男達、紫と龍人もそちらへと視線を向けた。

 そこに居たのは、まだ若い青年であった。

 白に近い長めの銀髪を後ろで1つに束ね、緑を基調にした袴で身を包んでいる。

 背中には長さの違う二丁の刀を背負い、その姿はまごうことなき“剣豪”の姿であった。

 

 青年は無言のまま男達を睨む、その眼光はただ鋭く見ているだけで精神を切り裂かれるかのような錯覚すら覚えた。

 直接向けられていない紫ですら息苦しさを覚えるその殺気を真っ向から受け、男達は短く情けない悲鳴を上げながらその場でへたり込んだ。

 

「……斬られたいならそこで座ってろ。死にたくねえなら……すぐに消えろ」

 

 再び声を放つ青年だが、その声は低く重いもの。

 瞬間、男達は我先にと悲鳴を上げながらその場を走り去っていった。

 その姿を心底見下すような視線で暫し見つめながら、青年は紫と龍人に視線を向けた。

 だがその視線は先程の男達ほどではないにしろ、冷たく鋭いものであった。

 

「お前、凄いなー! 助けてくれてありがと!!」

 

 身構えそうになった紫であったが、その前に龍人が動きを見せた。

 いつもの警戒心のなさで青年に近寄り、感謝の言葉を告げるその姿におもわず紫はつんのめりそうになってしまう。

 青年の視線が龍人に向けられる、相変わらず刺すような視線だが龍人は構う事無く青年へと自分の名を名乗った。

 

「俺、龍人っていうんだ。お前の名前は?」

「…………妖忌。(こん)(ぱく)(よう)()だ」

「妖忌? なんか変な名前だな」

「…………」

「まあいいや。よろしくな妖忌!!」

 

 握手をしようと、右手を妖忌の前に差し出す龍人。

 しかし妖忌はそれに応じず、視線を龍人……ではなく、彼の持っている光魔へと向けながら問いかける。

 

「この刀、お前のか?」

「これ? 今はとうちゃんのだけど、俺が一人前になったら譲ってくれるって言ってた」

「……そうか」

 

 何故か龍人の言葉を聞いて、妖忌は口元に笑みを浮かべる。

 キョトンとする龍人だったが、いち早く妖忌の様子に気がついた紫は。

 

「っ、龍人――!!」

「おわあっ!?」

 

 叫びながら龍人の腕を掴み、強引に彼を自分へと引き寄せて。

 瞬間――先程まで彼が居た場所に、銀光が奔った。

 

「なっ……!?」

「……どういうつもりかしら?」

 

 龍人を守るように前へ出ながら、紫は――刀を持った妖忌を睨みつけた。

 

――今、妖忌は本気で龍人を斬ろうとした。

 

 事実、紫が龍人を引き寄せなければ彼の首と胴は離れていただろう。

 だが何故? 龍人と妖忌は初対面のはず。

 自分達を狙う妖怪かとも思ったが、妖忌からは人間の匂いがする。

 もしや祓い屋かと思案する紫だが、それどころではないと己に言い聞かせ思考を切り替えた。

 とにかく今はこの状況を打破しなければならない。

 

 ……だが、自分達の置かれた状況は芳しくはなかった。

 後ろは壁、正面には刀を持った妖忌。

 互いの距離は僅か三メートルほど、先程の剣戟で妖忌は並の剣士ではないとわかった以上、この程度の距離など無いと同意だ。

 

(スキマを使って……いえ、その前に斬られてしまうわ……)

 

 妖忌ならば、スキマの中に入る前に自分達を斬る事など造作もないだろう。

 かといって戦うという選択肢も、賢い選択ではない。

 剣という獲物を持っている以上素手では戦えないし、このような狭い場所では妖力弾を撃てば自分達に飛び火する危険性もある。

 

「お前……どうして光魔を欲しがるんだ?」

「お前に話す必要は無い。死にたくなければ渡してもらうぞ」

「それは無理だ。これはまだ俺のじゃないし、たとえ俺のだとしてもお前なんかには渡さない!」

「……そうか、ならばやはり力ずくだ」

「――――っ」

 

 考えている暇は、与えてはくれないらしい。

 とにかく龍人は守らなければ、紫は素早く懐に手を伸ばし――その前に、龍人が動いた。

 地を蹴り、光魔を抜くと同時に上段からの斬撃を繰り出す龍人。

 初撃の速度は申し分ない、大太刀の攻撃力も合わせてまともに受けるのは得策ではない剣戟だ。

 

――鋼のぶつかり合う甲高い音が響く。

 

「くっ……!?」

「し――!」

 

 龍人の上段からの一撃は妖忌の右の剣によって容易く弾かれた。

 間髪入れずに妖忌から繰り出されるのは左の短刀による横薙ぎの一撃。

 弾かれ体勢を崩された龍人では受けられず、彼は回避の選択を選び上体をできる限り逸らした。

 風切り音と共に、妖忌の剣が虚しく空を切る。

 

「っ!?」

 

 だが、回避に成功したはずの龍人の首筋に決して浅くはない裂傷が刻まれた。

 凄まじい速度で振るわれた剣戟の剣圧による傷である、やはり妖忌は並の剣士ではない。

 

「くそ……!!」

 

 傷は浅い、動きに支障は現れない。

 なので龍人はもう一度踏み込み、今度は下段から掬い上げるような一撃を繰り出した。

 それを妖忌は刀を交差させ受け止める。

 龍人の渾身の一撃は真っ向から受け止められ、鍔迫り合いに陥る両者。

 

「ぐ、く……っ」

「……ぬんっ!!」

「ぐっ!?」

 

 裂帛の気合と共に妖忌から繰り出されたのは、右足の蹴り。

 刀にだけ目を向けていた龍人は反応できず、まともに受け後ろの壁に叩きつけられてしまった。

 息が詰まり、蹴りの衝撃によって刀を落としてしまう龍人。

 すかさず妖忌は地を蹴り、右の剣を振り下ろそうとして。

 

「っ、チィ――!」

 

 真横から放たれた一撃を察知し、後方へと跳躍した。

 

「ゲホッ、うっ……」

「龍人、大丈夫?」

「ご、ごめん紫……助かった……」

「礼はいいから、立って」

 

 咳き込む龍人に視線を合わせないままそう言って、紫は右手に持った扇――“八雲扇”の先を妖忌に向ける。

 この武器は紫の血と妖力を硬度の高い鉱石に混ぜ、数日の儀式によって完成した彼女特製の扇子だ。

 無論ただの扇子ではなく、彼女が振るえば名刀すら霞む切れ味と強度を誇り、その一撃は鉄塊すら砕く。

 本来妖力弾による遠距離を得意とする紫が、近距離での戦いを強いられる時の為に作ったものである。

 ……しかし、それでも紫は自分達の状況が変わらない事を自覚していた。

 

(駄目だわ……接近戦では相手に分がありすぎる)

 

 状況も相手も、自分達にとっては悪すぎる。

 ……最悪の結果も考えなくては、紫の頬に冷や汗が伝った。

 

「――雷龍気、昇華!!」

「っ、龍人……!?」

 

 雷の【龍気】が発動し、龍人の周りに電気が使う。

 既に彼は“紫電”を発動させ――更に、()()()を発動させた。

 

「――――」

(なに、これ……!? 龍人の右手に……何かが)

 

 紫も妖忌さえも、龍人の変化に気づきその顔に驚愕の色を宿す。

 ――彼の右腕に、力が集まっていく。

 霊力でも妖力でもない、けれど濃密で膨大な力が右腕一点に集まっている。

 そして彼は左手で自身の右手首を掴んでから、右手をまるで牙のような形に広げた。

 

「妖忌、受けてみろ!!」

「くっ……!?」

 

 すぐさま妖忌も、右の剣に霊力を集めていく。

 だが遅い、その前に龍人の技が完成し。

 

「――そこまでだ龍人、()()はまだ使うな」

 

 聞き慣れた声が場に響き。

 

「がっ!?」

 

 爆撃めいた音と共に、妖忌の身体が真横の壁に吹き飛んだ。

 

「っ、とうちゃん!!」

「マミゾウ……」

 

 2人の前に現れたのは、龍哉とマミゾウ。

 先程妖忌を吹き飛ばしたのは、龍哉が繰り出した蹴りだったようだ。

 

「すまんな2人とも、ちょいと遅くなった」

「おい龍人、お前厄介事に巻き込まれるの早すぎだ、おかげで一杯しか飲めなかったじゃねえか」

 

 そんな文句を垂れる龍哉に、マミゾウは背後から彼の頭に拳骨を落とした。

 妖力を込めてのものだったのでその破壊力は高く、拳骨とは思えない音を響かせ龍哉が顔面から地面に倒れこむ。

 

「たわけ、わし達が来るのが遅すぎたんじゃ!」

「いってー……おいマミ、もう少し手加減しろよ!!」

「やかましい!!」

 

 一喝しつつ、マミゾウは紫達の元へ。

 そして2人が軽傷で済んでいた事を確認して、安堵の溜め息を漏らした。

 と、龍哉に蹴り飛ばされた妖忌が破片を撒き散らしながら這い出てくる。

 

「ほう、まともに受けてまだ立ち上がれるか。まあ……それも当然かもな」

「いきなり何しやがる……!」

「それはこっちの台詞じゃ阿呆が。わしの可愛い龍人と紫に手を出しおって、ただで済むと……んん?」

 

 一気に戦闘態勢に入ろうとしたマミゾウであったが、何故かいきなりその動きを止めてしまった。

 

「……お主、まさか」

「そのまさかだマミ。ったく……その刀に選ばれる程のヤツが、何やってんだか」

「? とうちゃん、ばあちゃん、妖忌の事知ってんの?」

 

 龍人の問いにマミゾウは頷きを返し、龍哉は――妖忌の正体を明かした。

 

 

「――コイツは魂魄妖忌。“半人半霊”の家系である【魂魄家】の人間だ」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




ここに出てきた妖忌は所謂“若妖忌”になります。
他の二次創作に出てくるのとは違いかなり粗暴ですが、そこらは追々わかってきますのでご了承ください。


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第9話 ~輝夜姫~

都へと辿り着いた紫と龍人。
龍哉に自由行動を許され、早速とばかりに都の中を見て回る事にした龍人についていく紫。
そんな中、2人はある青年に出会い、いきなり襲われてしまう。

龍哉によってなんとか危機を脱した2人は、青年が【魂魄家】という家の者だという事がわかり……。


「――【魂魄家】?」

 

 聞き慣れない単語に、首を傾げる龍人。

 紫も自分の記憶を探るが、魂魄家という家は聞いた事がなかった。

 

「“半人半霊”の一族でな、優秀な剣士が多く生まれる家系でもある。

 特に魂魄家に存在する名刀【(ろう)(かん)(けん)】と【(はく)(ろう)(けん)】を持つ者は魂魄家の当主に選ばれ、同時に魂魄家最強の剣士の証でもあるのじゃが……」

「半人半霊?」

「半分が人間で半分が幽霊という珍しい種族の事じゃ。

 単純に人間と幽霊の混血児というわけではなく、元々そういった種族なんじゃよ」

 

 マミゾウの説明を受け、けれどよくわかっていないのか「ほー」などという返事を返す龍人。

 既に戦闘中にあった緊迫な空気は薄れ、しかし……紫と妖忌だけは、互いに互いを睨みあっていた。

 紫は龍人を守るため、妖忌は龍人の持つ光魔を奪うため。

 しかし――龍哉とマミゾウが場に現れた事によって、妖忌の目的が果たされる事は無くなった。

 

「おいおめえ、その剣……【(ろう)(かん)(けん)】に【(はく)(ろう)(けん)】だな?

 つまり、お前さんは魂魄家の当主って事になるが……そんなお前さんが、なんでガキを襲うなんてくだらねえ事をした?」

「……俺はまだ当主じゃない。今の当主は俺のおふくろだ」

「そうかい。それで……どうして龍人と紫を襲いやがった?」

 

 冷たい視線を妖忌に向ける龍哉。

 凄まじい眼力に、直接それを向けられていない紫達3人もおもわず後ろに後ずさる程。

 妖忌も表情こそ変えないものの、冷や汗が頬に伝い地面に落ちる。

 それでも真っ向から龍哉と睨み合っているのだから、彼の胆力も相当なものだろう。

 

 とはいえ、このまま睨み合いを続けてはならない。

 龍哉の力の奔流を祓い屋が感じ取ってしまえば、都で動く事が難しくなるからだ。

 なので龍人が事情を説明しようとして…その前に、紫が2人の間に割って入った。

 

「……彼がいきなり襲い掛かってきたのよ。光魔を奪おうとしたの」

「光魔を……?」

「…………」

「おいおい、魂魄家の当主……じゃなかった、次期当主ともあろう剣豪が刀狩りかよ……」

「その刀はコイツが持つには勿体ない刀だ。コイツではその刀を使いこなす事はできん」

 

 だからオレに譲ってもらおうと思った、悪びれもなく妖忌は言い放つ。

 なんとも身勝手な物言いに、紫の額に青筋が浮かんだ。

 おもわず飛び掛ろうとしたが、マミゾウに止められてしまう。

 

「桜観剣と白楼剣があれば充分じゃねえか。それは妖怪の名工が鍛えた名刀だろう?」

「……これだけでは足りない。オレには……もっと強い力が要る」

「…………」

 

 何処か、焦りのような呟きを零す妖忌。

 紫は変わらず妖忌を睨んでいたが……龍人はある疑問を抱き、妖忌にある問いかけをした。

 

「なあ、お前……そんなに光魔が欲しいのか?」

「…………」

「どうしてだ? どうしてそんなに強い力を欲しがっているんだ?」

「…………」

 

 妖忌は答えない。

 言いたくないのか、お前に話す必要はないという意味なのか。

 けれど、龍人は何故か気になった。

 さっき感じ取った焦り、そして力に対する渇望が龍人には気になったのだ。

 だから――龍人は龍哉にあるお願いをした。

 

「ねえ、とうちゃん」

「んー?」

「あのさ……光魔、妖忌に渡しちゃ駄目かな?」

「はあ?」

「ちょっと、龍人!?」

「いきなり何を言っておるんじゃ?」

 

 突然の提案に、当然ながら紫達は驚いた。

 なにより驚いているのは妖忌である、それもまた当然と言えた。

 当たり前だ、あれだけの名刀を譲ろうなどという提案が他ならぬ龍人から出るなどどうして想像できるのか。

 だが龍人は決して冗談で言っているわけではない、彼の瞳は本気だった。

 

「……龍人、なんでそんな事を言うんだ?」

「だって、妖忌は凄い剣士だろ? だったら光魔の力を完全に引き出せる筈だし……」

「それはそうだが、だからって光魔を譲る道理になるわけじゃない。

 この刀も闇魔もいずれお前が一人前になった時に譲るつもりなんだ、それを簡単に譲るなんざできるわけがねえだろ?」

「…………」

 

 わかっている。

 龍哉の言う通りだ、光魔も闇魔も簡単に他者に譲れる刀ではない。

 龍人だってもちろん簡単に譲るつもりなどない、でも……。

 でも――妖忌の中に、先程感じた焦りや力に対する渇望以外に、何か強く純粋な感情を感じ取る事ができたのだ。

 それが何なのかは龍人もわからない、だけど――

 

「――おい」

「ん? なに?」

「お前、どうして……」

「どうしてって……俺にもよくわかんねえよ。

 だけどお前、ただ強くなりたいとか他人を傷つけたいとかそういう理由で光魔を求めたわけじゃないんだろ? なんとなくだけどそう思えた、だから光魔を譲りたいって思ったんだ」

「…………」

 

「――駄目だぞ龍人、いずれ譲り渡すとしても今の所有者は俺だ。

 そして、俺はお前達に襲い掛かったコイツに光魔を譲るつもりはない」

「とうちゃん……」

「……龍人、って言ったな」

「えっ、うん……」

「……もういい、お前の刀は諦める。

 そんな事よりも、いきなり斬りつけて……悪かった」

 

 少しぶっきらぼうに、けれど申し訳無さそうに妖忌は龍人に謝罪の言葉を送った。

 けれど龍人は気にした様子もなく、にかっと笑みを浮かべ……妖忌に握手を求めるように右手を伸ばす。

 

「じゃあ、仲直りの握手!!」

「は?」

「これでさっきのはお互い気にしない事にする。それに…俺、お前と友達になりたい!」

「と、友達……?」

 

 龍人の提案に妖忌は驚き、戸惑いを隠せない。

 いきなり襲い掛かり、斬り付けた相手と友達になりたいなどと……何を考えているのだろうか。

 

 ……いや、きっと何も考えていないのだろう、龍人の顔を見て妖忌はすぐそう思った。

 彼は余計な事を考えず、ただ純粋に自分と友人になりたいと思ってくれている。

 馬鹿なヤツだ、だが……妖忌は龍人のような馬鹿なヤツが嫌いではなかった。

 笑みを浮かべ、龍人と握手を交わす妖忌。

 

「…………」

「……なんじゃ、不満か?」

 

 なんともいえない表情を浮かべ2人を見ている紫の横へ移動し、問いかけるマミゾウ。

 

「不満よ。――龍人は甘すぎるわ」

 

 それが悪いなどと言うつもりはない、彼の甘さは美徳でもあるのだから。

 だが……誰にでもその甘さを向けるのは、危険だと紫は思っていた。

 その優しさを利用し、踏み躙る輩がいずれ現れるだろう。

 

「今の時代、そしてこれからの時代……龍人のような甘い者もきっと必要になる筈じゃ」

「どうして、そう思うのかしら?」

「龍人の甘さは他者との繋がりを深めていく原動力になる、誰かと誰かが繋がりその誰かが別の誰かと繋がりを深めていく。

 その果てに、世界すら包み込むような繋がりを見せてくれるかもしれんぞ?」

「…………」

 

 途方もない話だ、そして……それは夢物語でしかない。

 現実はそんなに甘いものではないのだ、繋がりだけで何かが変わるほど、世界は小さなものではない。

 ……でも、そう思っても紫は否定したくなかった。

 

「おーい龍人、そろそろ行くか?」

「あ、うん!!」

「……そういえば、妖怪であるお前達が都に何の用だったんだ?」

「えっ、なんで俺達が妖怪だってわかったんだ!?」

「……さっきの戦いで妖力を放出してただろうが」

 

 間抜けな事を言うものだから、つい妖忌は呆れてしまった。

 

「あ、そうか。……ところでとうちゃん、俺達なんで都に来たんだっけ?」

「おめえ……なんで忘れるんだよ」

「あははっ」

「……それで、ここに来た目的は何なんだ?」

 

 これでは話が進まない、そう思いつつ妖忌はもう一度問いかけ。

 

「――今有名な“かぐや姫”に会いに来たんだよ」

 

 龍哉は、今間違いなくこの都で一番有名な人物の名前を、妖忌に告げた。

 

 

 

 

――かぐや姫。

 

 その人物は、この世のものとは思えない美貌を持つ少女の事である。

 帝すら魅了する美しさと気品に溢れたその少女は、都全ての男を魅了しているのではないかと言われているそうだ。

 紫達が都に来たのも、そのかぐや姫を見るためである。

 尤も、紫やマミゾウは人狼族に狙われているこの状況で都に行くなど…と苦言を漏らしていたが、好奇心旺盛な龍人が都に行ってみたいと言ってしまったため…諦める事に。

 紫もマミゾウも、龍人に甘いのだ。

 

「……なんでオレまで一緒に行く必要がある?」

 

 そう言い放つのは、何故か紫達に同行している妖忌であった。

 当初、彼は当然龍人達と別れ自分の帰るべき場所へと向かおうとしたのだが。

 

「妖忌もかぐや姫見た事ないんだろ? 一緒に見に行こうぜ!」

 

 と、龍人が妖忌に言って、強引に同行させているのだ。

 先程の事もあり強く出れない妖忌は、龍哉とマミゾウに助けを求めたのだが…2人はそんな妖忌の願いを無常にも無視。

 ならば紫に…そう思った妖忌であったが、先程の事を気にしているのか紫はせせら笑うだけで助けようとしない。

 ……後で全員斬ってやろうか、妖忌は密かにそう思った。

 

「ところで妖忌、お前さん“半霊”はどうした?」

「半霊? とうちゃん、半霊って何?」

「半人半霊って種族はな、自分の半身である半霊を連れ歩いてんだ。まあ半分幽霊なんだから、当然と言えば当然なんだが」

「へえー……でも半霊居ないな。なんでだ?」

「都の中で半霊が居れば騒ぎになる。だから都の外で待機させてんだ」

 

 半身とはいえ、多少離れていたとしても肉体に影響はない。

 余計な騒ぎを起こしたくない妖忌にとって、この対処は当然と言えた。

 

「――あれだな」

 

 前方に視線を向けながら、龍哉が呟きを零す。

 その先に広がるのは、巨大な屋敷。

 貴族、それもかなりの財を持つ者しか住めない程の巨大な屋敷が広がっており、そのような建物を見た事がない龍人は大きく口を開けてしまっていた。

 予想通りの反応をしている龍人を見て苦笑しつつ、龍哉はあれがかぐや姫が住まう屋敷だという事を告げた。

 

「俺の家よりずっとでけえな……」

「当たり前だろうが。そんな事より行ってみようぜ」

「うん!! 紫、妖忌、行くぞー!!」

「ちょ、龍人!!」

「引っ張るんじゃねえ!!」

 

 紫と妖忌の手を掴み、屋敷に向かって走っていく龍人。

 突然引っ張られ抗議の声を上げる紫と妖忌だが、龍人は聴く耳を持たない。

 そして3人は屋敷の門前まで辿り着き――多くの人で賑わっている事に気がついた。

 5人が横一列に並んでも通れそうな程大きな門に、それこそ数十人という人間が集まっている。

 全員が中の様子を伺っており、所謂野次馬状態となっていた。

 

「なんでみんな中に入らないんだ?」

「さてな」

「……邪魔ね」

 

 これでは中に入れず、目的のかぐや姫を見る事ができないではないか。

 元々紫は興味などなかったが、ここまで来た以上は一度見てみたいと思ったのだ。

 なので入口の門を塞ぐようにしている人間達は、正直叩きのめしたい程邪魔な存在であった。

 とはいえそんな事ができるはずもなく、紫の苛立ちが増していく中――それは起こった。

 

「――ふざけるな!!!」

「……?」

 

 喧騒が消え、野次馬となっていた人間達の動きが止まった。

 聞こえてきたのは男の怒声、それも屋敷の中からだ。

 一体どうしたのか、確認したいが野次馬のせいで中の様子を見る事ができない。

 と――紫と同じく気になったのか、龍人が無理矢理野次馬を掻き分け始めた。

 慌てて後を追う紫、妖忌もそれに続いた。

 暫く人垣をかき分け、どうにか屋敷の庭へと足を踏み入れる3人。

 すると、3人の視界にある光景が映った。

 

(かぐ)()、我々の何処が気に入らないというのだ!?」

 

 1人の男が、再び怒声を放っている。

 身なりの良い格好で身を包んでおり、紫はその男が貴族である事に気づく。

 よく見るとその男だけでなく、周囲の数人も同じように上質な衣服に身を包んでいた。

 そして――怒声を放った男の視線の先には、年配の男女(おそらく夫婦だろう)に挟まれるようにして座っている、1人の女性の姿が。

 長く艶のある黒髪、整った……整いすぎたとも言える顔立ちはまさしく“完璧”と言える程だ。

 否、そのような言葉では現せないほど、目の前の女性はただただ美しかった。

 あらゆる男を魅了するその容姿は、女である紫ですらおもわず見惚れてしまっていた。

 

「……わたくしは、誰とも夫婦(めおと)になるつもりはありません」

 

 凛とした声で女性――輝夜姫ははっきりと怒声を放った男にそう言い放つ。

 透き通った歌声のような声はそれだけでも再び魅了されるほどに美しく、しかし怒りで我を忘れている男には通用しない。

 

「その理由を訊いているのだぞ!?」

「理由は今言った通り、わたくしにその気がないだけです。

 お引取りください、怒りに任せ怒鳴り散らすような殿方は……好きではありません」

「――――っ」

 

 男の顔に、先程以上の怒りが宿る。

 周りに居る貴族の男達も輝夜姫の物言いに怒りを覚えたのか、顔を歪ませていた。

 そして何を思ったのか……輝夜姫に怒声を放った男が、腰に差してある刀を抜き取る。

 その行動に周囲からはどよめきの声が上がり、老夫婦は小さな悲鳴を漏らし……輝夜姫は、その端正な顔を険しくさせた。

 

「……どういうおつもりですか?」

「この私に恥をかかせおって……! いくら美しい娘御とはいえ、許さん!!」

「身勝手な……仕える者が居る立場でありながら、そのような事をしては程度が知れますよ?」

「っ、貴様ぁっ!!!」

 

 叫び、刀を振り上げながら輝夜姫に向かっていく男。

 それを輝夜姫は冷ややかな視線を向けながらその場を動かず、そんな彼女を老夫婦は守ろうと動き。

 

「――やめろおおおっ!!!」

 

 そんな彼女達の間に割って入るように、龍人が飛び込んでいった。

 

「なっ――」

「うおおおおっ!!!」

「ぬあっ……!?」

 

 男の振り下ろした刀は、光魔を抜き取った龍人によって完全に受け止められる。

 間髪入れずに龍人は光魔を持つ両手に力を込め、力任せに男を弾き飛ばした。

 悲鳴を上げながら情けなく地面を滑るように吹き飛ばされる男。

 龍人の介入に誰もが驚き、男は顔をしかめながら立ち上がり怒声を放とうとして。

 

「――お前、自分が何をしたのかわかってるのかよ!!」

 

 その前に、龍人の口から男を責めるような大声が放たれた。

 

「な、何だと……!?」

「刀は武器、武器は力、そして力は戦えない弱い人を守るためのものだ。

 決して誰かを不必要に傷つけていいものじゃないって、とうちゃんが言ってた。

 ――なのにお前は、この子を斬ろうとした! 大人なのに、そんな事もわからないのかよ!!」

「き、貴様……誰に向かって口をきいているのかわかっているのか!?」

 

 龍人を睨みつつ、男は怒鳴る。

 すぐさま男を守るように数人の人間――男の護衛が姿を現した。

 だが龍人は変わらず男を睨みつけながら、言葉を続ける。

 

「お前が誰だろうとも、お前のやった事は悪い事だ!!

 悪い事をしたら謝らなきゃいけないんだ、だからこの子に謝れ!!」

「こ、この小僧がぁぁぁぁ……!」

 

 自分に対してこれほどの暴言、もはや絶対に許す事などできぬ。

 斬り捨てなければならない、そう思った男は部下と共に龍人を斬ろうとして。

 

「――そこまでです」

 

 凛とした、しかし地の底から響くような声が場を支配した。

 

「うっ……」

「……()()()様、これ以上見苦しい姿をわたくしの前で見せないでいただきたい」

 

 そう告げるのは、男――不比等を冷ややかな視線で見つめる輝夜姫であった。

 その視線のなんと恐ろしい事か、彼女の美しさも相まってまるで凍りついたかのように身体が動かなくなるほどの恐怖心が不比等達を襲う。

 そしてその影響は直接その視線を向けられていない紫達にすら及び、野次馬も周りの貴族達も誰もが言葉を放てないでいた。

 

(人間なんかに、私が圧されている……!?)

 

 紫にとって今の状況は、自分に対する侮辱に等しかった。

 人間を見下している彼女が、他ならぬ人間に圧されるなどあってはならない。

 そう思っているのに……彼女の身体は彼女の意志に反して、その場から一歩も動けずに居た。

 

「この少年に免じて今回の事は不問とします。

 ですがもう二度とわたくしの前に姿を現さないでください、もしこの約束を守れぬというのなら……今回の事を、帝に報告させていただきます」

「っ、ぬうぅぅぅぅぅ……!」

「――他の方もお帰りください。そして二度とわたくしに求婚するなどという事をしないでください、それができないのならこちらもそれ相応の対応をさせてもらいますので」

 

 不比等に向けていた視線を、他の貴族達に向ける輝夜姫。

 それだけで全員が何もできず、ただ黙って頷きを返す事しかできなかった。

 一方、輝夜姫の視線が離れた事である程度反抗する意志を取り戻せたのか、悔しげに唇を噛み締めながら不比等は輝夜姫を睨みつける。

 だがそんなもの輝夜姫には(ちり)(あくた)の効果もなく、逆に睨み返され一気に萎縮してしまう始末。

 そして、不比等を含んだ輝夜姫に求婚を望んだ貴族の男達は逃げるように屋敷を去り、野次馬達も少しずつ屋敷から離れ……残ったのは、紫達だけになった。

 

「――助けていただき、ありがとうございました」

 

 まず最初に聞こえたのは、輝夜姫が頭を下げつつ龍人に告げた感謝の言葉。

 

「気にすんなよ。悪い事をしたのは向こうなんだから」

「でもあなたはわたくしの命を救ってくださった恩人です、名を教えていただいてもよろしいですか?」

「龍人だ。宜しくな!」

 

 そう言って、龍人は右手を輝夜姫に向かって差し出した。

 彼の挨拶である握手を求めているようだ、輝夜姫は当初龍人の意図がわからずキョトンとしていたが。

 

「――よろしく、龍人様」

 

 やがて、見惚れるような美しい笑みを浮かべ、右手を差し出し龍人と握手を交わした。

 

「……輝夜姫様、不肖の息子が出すぎた真似をした事をお許しください」

 

 そう言って、なんと龍哉は輝夜姫の前に恭しく畏まり頭を下げた。

 決して丁寧な態度を見せない龍哉がこのような行動に出た事に、紫達は当然ながら驚いてしまう。

 

「いいえ。あなたの息子は素晴らしい子です、どうか頭を上げてください」

「勿体なき御言葉、ありがとうございます」

 

(……ふむなんか変じゃの)

(龍哉……?)

 

 相手が相手だ、畏まった態度で接するのは当然かもしれない。

 これだけの財力を持った者、しかも輝夜姫に対して無礼な物言いをすれば面倒な事になる。

 それは紫もマミゾウも理解している、理解しているが……龍哉の行動には、どこか違和感を覚えた。

 

「助けてくれたお礼に、今宵はここで食事をとっては如何でしょうか?」

「いいの? やったー!!」

「ふふっ……おじいさん、おばあさん、いいでしょうか?」

「勿論だよ輝夜、どうぞゆっくりと寛いでいってください」

「感謝します」

 

「なあなあ輝夜、メシになるまで一緒に遊ぼう!」

「ええ、いいですよ龍人様」

「……龍人様じゃなくて、龍人でいい。だってせっかく友達になったんだから!」

「では龍人と……そう呼ばせてもらいますね?」

「うん! 紫と妖忌も一緒に遊ぼうぜ!!」

 

「…………」

「なんでオレまで……」

「いいじゃんかー」

「引っ張るんじゃねえっての!!」

 

 遠慮のない物言いの龍人に、紫はおもわず頭を抱えたくなった。

 隣ではマミゾウもさすがに苦笑を浮かべており、彼の態度は下手をすると打ち首になってもおかしくはないだろう。

 しかしそんな彼女達の心中などまるで理解していない龍人は、輝夜に都での遊びを教授してもらいながらニコニコと笑みを浮かべているのであった。

 

 

 

 

「――おのれ、おのれおのれおのれ輝夜めぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 とある屋敷にて、陶器が割れる音と男の憎しみが込められた怒声が響き渡っている。

 この男の名は(ふじ)(わらの)()()()、先程輝夜姫に求婚を求めた男の1人であり、龍人に自らの行動を戒められた貴族の1人である。

 

 男は怒り狂っていた、自らの辱めた輝夜姫と突然現れ自分に対し暴言を吐いた龍人に対し、憎しみを募らせていた。

 貴族故に、幼き頃から自らの望んだ結果だけを得る事ができたが為に、今回の事は不比等にとって決して許容できない事であった。

 

 復讐してやりたい、自分の求婚を断った輝夜を屈服させ、自分の邪魔をした龍人を斬り捨ててやりたい。

 そんなどす黒い感情を胸に抱きつつ、けれどそれができない不比等はこうやって周りに当り散らしていた。

 相手が平民ならば上記の歪んだ願いを叶える事ができただろう、しかし今回の相手はあの帝すら魅了した輝夜姫だ。

 そのような事をすればかえってこちらの立場が危うくなる、それを理解しているが故に不比等は発散できぬ怒りを溜め込んでいた。

 

(せめてあの小僧には……しかし、下手にあの小僧に手を出し、それが輝夜の耳に入れば……)

 

 そうなれば結果は同じ、だから不比等は龍人にも手を出す事ができない。

 だがそれでは自分の気が収まらない、一体どうすれば…先程から不比等は、堂々巡りを繰り返していた。

 完全なる逆恨み、だがそれを咎められる者は誰もおらず。

 

――その強い憎しみが、呼んではならぬモノを呼び寄せてしまった。

 

「――キキキ、強い憎しみ…負の感情だぁぁぁ」

「な、に……!?」

「その憎しみ、晴らしてやるよぉぉぉぉ……」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




実際の不比等さんはこんな人じゃない…はず。
ですが物語のために犠牲となってもらいました、ごめんなさい。

妖忌も他の二次創作と違いどうも粗暴な面が目立ちますが、この物語ではまだまだ若者なのでご了承ください。


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第10話 ~輝夜の強さ~

都に着き、ある一件で輝夜姫と知り合いとなった紫達。
輝夜姫を一目見て、都を後にする予定だった彼女達であったが……。


「――紫の髪って綺麗ね、日の光に反射して輝いているわ」

「…………」

 

 そう言いながら紫の金糸の髪に櫛を通していくのは――輝夜姫だった。

 

(……驚いたわね、色々と)

 

 おとなしく髪を梳かされながら、紫は輝夜の図太さに驚きを隠せないで居た。

 あれから数日が経ち、紫は龍人と共に毎日輝夜の元へと赴いていた。

 最初に驚いたのは……輝夜の素が、貴族の娘らしからぬものであった事だ。

 

「――やっほー、待ってたわよー」

 

 二度目の訪問時に、輝夜は紫達に上記の言葉を放った。

 およそ貴族の娘とは思えぬ友好的過ぎる挨拶に、紫は当然ながら驚いた。

 どうも輝夜は、自分が心を許せると判断した相手にはこのような態度で接するらしい。

 龍人は言葉遣いにこだわらないので、すぐさま輝夜とより一層仲良くなったのは言うまでもなく。

 

 次に驚いたのは、輝夜姫が紫達を人間ではないと即座に見破った所か。

 大妖怪であるマミゾウの変化の術など初めから存在しないかのように、輝夜姫は紫達の正体を見破ったのだ。

 

「ねえ、どうせなら妖怪の姿に戻ってよ。わたしはそういうの気にしないし」

 

 そう言われたので、現在紫達は元の姿に戻っており、輝夜姫は元の紫の髪を見てこうして手入れを行っている始末である。

 

「それにしても……妖忌だっけ? このわたしを前にしても魅了されないとか、枯れてるわよねー」

「龍人だってそうじゃない」

「あの子はまだ子供だもの」

「……確かに」

「しかもさっさと都を離れるとか……このわたしに会えたっていうのに、あんまりだと思わない?」

 

 そう、輝夜の言う通り妖忌は既に都には居ない。

 輝夜と出会った翌日、早速彼女が住む屋敷に遊びに行こうと龍人が誘ったのだが。

 

「――悪いが、俺はそこまで暇じゃない」

 

 ぴしゃりと言い放ち、龍人の文句も聞かずにそのまま去っていったのだ。

 まあ元々龍人が半ば強引に同行させていたのだから、無理もないのかもしれないが。

 

「凄い自信ね」

「当たり前じゃない。それだけの美貌があるっていう自負くらいしているもの」

 

 まるでそれが世界の理だと言わんばかりの口調で、輝夜は自らの美しさを前面に押し出す。

 清々しいほどの態度に、紫は再び苦笑してしまった。

 

「……あなたは、人間でありながら妖怪である私達を恐れないのね」

「別にー。恐れる必要なんかないじゃない、別に気持ち悪い外見なわけじゃないし何かされたわけでもないんだから。

 それよりわたしとしては、紫みたいな綺麗な髪を隠している方が驚きよ」

「…………」

 

 どこかずれている輝夜の発言に、紫はおもわず苦笑を浮かべてしまう。

 変わった人間だ、妖怪である自分を恐れないばかりか妖怪の自分の髪を「綺麗」と本心から言うのだから。

 ……尤も、そう思ってくれる人間はあくまで彼女だけなのだが。

 

「…………」

 

 遠目から、この屋敷の使用人に視線を向けられている。

 当然その視線に友好的な色は無く、恐れと疑惑、それと……憎しみの色が感じられた。

 仕方ないと言えばそれまでだ、だがやはり不快だと思ってしまう。

 

「――気にしても無駄よ。苛立つだけだわ」

「…………」

 

 そんな紫の心中を察したかのような言葉が、輝夜の口から放たれる。

 

「人間は妖怪を恐れるものよ、それが今の時代。尤も――わたしからすればそんなもの愚かでしかないけど」

「えっ?」

「人間の中にも、妖怪よりずっとずっと醜く汚い人間だって居るし、妖怪の中にも人間よりずっと知的で綺麗な妖怪だって居るわ。それなのに種族という括りだけで相手を見て判断する、視野の狭い愚か者でしかないわ」

「…………」

 

 辛辣な物言いだ。

 だが、彼女の言っている事は正しいと紫は思った。

 そして同時に、自分もその「視野の狭い愚か者」の一部だと思い知らされ、情けなくなった。

 

(私は、まだ子供なのかもしれないわね……)

 

 マミゾウという自分より遥かに年上の大妖怪に諭され、見下していた筈の人間である輝夜に助言され。

 自分はもう世の中の事を知った気で居たけれど、まだまだ甘い子供でしかないと…紫は自嘲した。

 

「あっ――紫、危ないぞー!」

「えっ――ぶっ!?」

 

 やや間延びした龍人の声が聞こえたと思った時には、紫は視界を閉ざされ顔全体に痛みが走っていた。

 突然の事態に混乱しつつ、顔を両手で押さえながらプルプルと震える紫。

 一体何が起きたのか…痛む顔を擦りながら紫は目を開け、自分の前で(まり)を持ちながら申し訳なさそうにしている龍人を視界に入れた。

 ……それを見た瞬間、紫は瞬時に理解する。

 先程の衝撃は、蹴鞠をしていた龍人が自分の顔面に向かって鞠を当ててきた事によるものだと。

 

「……龍人?」

「あー……わりい」

 

 軽い口調で謝る龍人。

 その態度に、紫は怒りを露わにした。

 

「――龍人、女性の顔に鞠を当てるとはなんですか!!」

「わぁっ!? だから悪いって謝ってるだろ!?」

「それが謝っている態度なのかしら!?」

 

 逃げる龍人、それを怒りの形相で追いかける紫。

 さすがに人間が住まう屋敷なので力は使えない為、2人は広い中庭をぐるぐると追いかけっこを始めてしまう。

 その光景を見ながら、輝夜は本当に楽しそうにくすくすと笑みを浮かべていた。

 妖怪と言えども、今の2人はまさしく子供そのものである。

 冬の寒さは続いているものの、紫達の周囲は不思議と暖かく穏かな空気が流れていた。

 

「んっ? ――いてぇっ!?」

「捕まえたわよ龍人!! ……ん?」

 

 追いかけられていた龍人が突然立ち止まり、チャンスとばかりに彼の頭に拳骨を叩き落す紫。

 すぐさま説教を…と思ったのだが、この場にいない第三者の気配を感じ取り、視線を裏口へと向ける。

 輝夜も気づいたのか、全員が視線をその一点へと見つめると……裏口の扉がギィッ…という音を立てて開いた。

 使用人でも帰ってきたのだろうか、そう思った輝夜であったが、現れたのは……上質な布を用いて作られた美しい着物を着た少女であった。

 

 年齢的には龍人と同じ、もしくは年下のあどけない少女。

 着ている服を見る限り貴族の娘だろう、だがそんな事よりも紫達は少女が右手に持つ獲物――短刀に視線を走らせた。

 明らかに年端もいかぬ少女が持つものではなく、更に少女の瞳には敵意の色が宿っていた事に気づく。

 しかもその敵意は……輝夜に向けられている!!

 

「……お前が、輝夜か?」

 

 少女が近くの紫に問いかける。

 変わらぬ敵意が込められた眼差しを受け、紫は僅かに顔をしかめつつ少女の問いを無視した。

 反応が返ってこない事に苛立つ少女、もう一度問いかけようとして…輝夜が動いた。

 

「――輝夜はわたくしですが、あなたは?」

「っ、輝夜……覚悟!!」

 

 輝夜が自らの名を名乗った瞬間、少女は瞳に宿した怒りの色を濃くしながら、一直線に輝夜へと向かっていく。

 右手に持つ短刀を強く握りしめながら、少女は確かな殺意を持って輝夜へと迫り。

 

「――おい、何やってんだよお前!!」

 

 呆気なく、龍人に右手を掴まれ動きを封じられてしまった。

 

「は、放せ無礼者!!」

「無礼者はお前だろ、どうして輝夜にそんなもんを振り回そうとしたんだ?」

「黙れ!! この女は、父様を侮辱した憎き女狐だ!!」

「…………父様?」

 

「――輝夜様、どうかなさいましたか!?」

「大丈夫です。こちらの事は気にせず仕事に戻ってください」

 

 慌てた様子でこちらに来ようとする使用人達に強い口調で言い放ちつつ、輝夜は黙って自分を睨む少女に視線を向けていた。

 輝夜の口調に驚いたのか、それとも大丈夫だと言われたからか、使用人達はこちらの状況を確認せずに遠ざかっていく。

 使用人達の素直な行動にほっとしながら、輝夜は龍人に掴まれている少女に問いかけた。

 

「父様、と今あなたは仰いましたが……どういう事でしょうか?」

「よくもぬけぬけと……! 私の父である藤原不比等を辱めておきながら、ふざけた事を言うな!!」

「不比等……」

 

 その名を聞き、あの時の事を思い出したのか、輝夜の表情が僅かに曇った。

 一方、龍人は何故かキョトンとした表情を浮かべている。

 

「なあ紫、不比等って……誰だっけ?」

「……あなたがふっ飛ばしたでしょうに」

「んー………………あっ、あの時の悪いヤツか!!」

 

「父様は悪いヤツなんかじゃない! 取り消せ!!」

「悪いヤツだよアイツは、だって求婚を断られたからって輝夜を斬ろうとしたんだぞ?」

「嘘を吐くな! 父様がそんな事をするわけないだろう!!

 父様は輝夜に辱めを受けてから、ずっと屋敷の中に閉じこもって……お前のせいだ!!」

「…………」

 

 成る程、とりあえず何故この少女が輝夜を狙ったのかは理解できた。

 理解できたが……あまりにも短絡的過ぎる少女の行動に、紫はつい笑いそうになる。

 貴族の小娘が、短刀を持って単身輝夜の命を狙うなど……愚かな行為としか言いようがない。

 そもそもあの時の事で輝夜に落ち度はない、寧ろあの男が情けなく彼女に執着したのが原因ではないか。

 逆恨みをして、更にその娘にまでこのような愚行を犯させるとは……。

 

(つくづく、あの不比等という人間の男は救えないわね……)

 

 もはや嫌悪感すら抱けないほど、紫の中で不比等という男の存在は許されざるものとなっていた。

 しかし今はそんな男の事など考えている場合ではないと、紫は思考を元に戻す。

 とはいえこの少女の処遇を決めるのは輝夜だ、自分が決める事ではない。

 

 尤も、まだ年端もいかぬ少女とはいえ輝夜の命を狙ったのだ、決して軽い罪ではない。

 打ち首か、よくて島流しか……どちらにせよ、目の前の少女に未来は待っていないのは明らかであり。

 

「――龍人、放していいわよ」

 

 けれど、次に放たれた輝夜の言葉は、紫の予想していたものとは違っていた。

 

「えっ?」

「いから、放していいわよ」

「………ああ」

 

 言われた通り、掴んでいた少女の右手を離す龍人。

 少女は掴まれた腕を左手で庇いつつ……輝夜を睨むだけで何もしなかった。

 周りを紫達に囲まれてしまっているからだろう、抵抗するだけ無駄だと理解したようだ。

 改めて少女へと視線を向ける輝夜、少女は変わらず彼女を睨んでいるが、輝夜の表情は変わらない。

 寧ろどこか無機質じみたものになっており、美しさも相まって恐ろしさすら感じられた。

 

「……ねえ、そんなにわたしが憎いの?」

 

 口調を変え、少女に問いかける輝夜。

 

「あ、当たり前だ!!」

 

 一方の少女は様子が変わった輝夜にやや怖気づきながらも、精一杯の虚勢を張りながら答えた。

 

「じゃあ、わたしを殺したい?」

「そうだ! 私はその為にここに来たんだから!!」

「…………」

 

 堂々と殺すと発言されても、輝夜の表情は変わらない。

 その瞳には一片の怒りも憎しみも宿ってはおらず……というよりも、何の感情も見られない。

 まるで少女の事など微塵も眼中にないと言わんばかりに、輝夜の瞳は冷たいものだった。

 再び周囲が沈黙に包まれ、誰もが口を紡ぐ中で。

 

「――じゃあ、殺してみる?」

 

 輝夜が、ぽつりと呟くようにそんな言葉を口にした。

 

「えっ……」

「殺したいんでしょ? だったらいいわよ、殺しても」

「な、何言ってんだよ輝夜!」

「龍人は黙っていなさい。――その短刀で、心の臓を貫いてみる?」

 

 言いながら、自分の胸を指差す輝夜。

 ちょうどそこは心臓の位置、貫かれれば命を失う人間にとって大切な器官の1つだ。

 突然の言葉に、少女は目を見開いて固まってしまう。

 

「どうしたの? ここへはわたしを殺しに来たんでしょう? 今更怖気づいたわけでもあるまいし」

「っ、ば、馬鹿にして……! どうせ抵抗するつもりでしょう!?」

「抵抗なんかしないわよ。周りにも手出しはさせない、ほら……刺してみたら?」

「輝夜……」

「紫も龍人も、手を出したら許さないわよ?」

「だけどさ……」

 

「いいから。黙ってなさい」

 

 強めの口調で言われてしまい、紫達はおもわず押し黙ってしまう。

 輝夜は先程から視線を逸らす事無く少女を見つめ、少女は輝夜と右手に持つ短刀を交互に視線を向けていた。

 ……やがて、少女は短刀の切っ先を輝夜へと向けながら両手で持ち直した。

 これには紫達も動こうとしたが、もう一度輝夜に制されてしまう。

 

「…………」

「……どうしたのよ? 命を奪いに来たんでしょ?」

「わ、わかってる!!」

 

 だが、いつまで経っても少女は短刀を輝夜に向けたままその場から動こうとしなかった。

 よく見ると少女の両手は震えており、息も荒くなってきている。

 

(ああ……成る程)

 

 そこでようやく、紫は輝夜の真意に気づく。

 彼女が何故自分達に何もさせないようにしているのか、どうして少女を挑発してまで自分の命を奪わせようとしているのか。

 

――それは、少女が輝夜の命を奪う“覚悟”が無い事に、気づいたからだ。

 

 同じ人間の命を奪うという行為は、普通の人間にとって一番の禁忌だ。

 少女はそれに気づいたからこそ、先程から動こうとしない。

 輝夜は最初からそれに気づいており、けれど敢えて指摘する事はしなかった。

 した所で、頭に血が昇っている状態では無意味でしかないからだ。

 

――どれくらい、静寂が続いたのか。

 

 誰もが口を閉ざし、少女の次の行動がどんなものかを確認しようとしている。

 一方の少女は、相も変わらず短刀を輝夜に向けたまま微動だにしない。

 そして――短刀の切っ先が、ゆっくりと下がっていった。

 だらんと両手を下げ、脱力した少女の手から短刀が落ち地面に突き刺さる。

 

「――それでいいのよ」

 

 そう言って、輝夜はあやすように少女の頭に手を置いた。

 

「命はね、簡単に奪っていいものじゃないの。

 たとえどんな命だろうとそれは変わらない、有限であるからこそ他者の生を奪う行為は決して許されない」

「…………」

「何かを殺すというのは、殺したものの全てを背負うという事よ。

 家畜を殺して自らの糧にする事だってそう、だからこそ生きている者達は日々を過ごせる事に感謝をし、命の尊さを確認しなければならない」

 

 自らに言い聞かせるかのように、輝夜は言った。

 少女も、紫達も黙って彼女の言葉を耳に入れていく。

 何故かはわからない、わからないが……今の輝夜の言葉は聞かなければならないと。

 忘れてはならないと、全員がそう思ったのだ。

 

「わたしを恨みたければ恨みなさい、憎みたければ憎めばいい。

 その憎しみをどうしても拭えないのなら……その時は、わたしの命をあげるわ」

「……どうして、そこまで」

「わたしという存在は男を狂わせる、自慢しているわけじゃないけど実際にあなたの父親を狂わせたわ。だからわたしにはその責務を果たす義務がある、ただそれだけの話よ」

 

 あっけらかんと、まるで世間話をするかのように輝夜は言い放つ。

 だがその言葉に込められた感情は本物であり、少女もそれに気づき…輝夜に対する憎しみを消し去った。

 それと同時に湧き上がってくるのは――自分の浅はかさに対する後悔の念。

 

「――別に、気にしてないわよ?」

「えっ……」

「後悔してるって顔に書いてあるのよ、わかりやすいわね。

 別に気にしてないからあなたも気にしないで頂戴、気にされてもこっちが困るわ」

「…………」

 

 勝てない、と。

 目の前の女性には、絶対に勝てないと少女は思い知った。

 器が違い過ぎる、自分と彼女では人としての器があまりにも違いすぎた。

 

「――誰か、来てくれませんか?」

 

 少し大きな声で、使用人を呼びつける輝夜。

 すぐさま若い男がやってきたので、輝夜はその男にある指示を出す。

 

「この子を家まで送ってあげてください。それと今回の事は他言無用でお願いします」

 

 にこり、可憐という言葉ですら表現できない程の美しい笑みを受け、男は頬を赤らめながら無言で頷きを返す。

 これで男は少女の事を誰かに話したりはしないだろう、輝夜の笑みにはそれだけの魔力がある。

 

「もう日が暮れるわ。帰りなさい」

「…………うん」

「あっ、ちょっと待ちなさい」

 

 そう言って少女を呼び止める輝夜。

 すると、彼女は奥の部屋へと引っ込み……何かを持ってきた。

 そしてそれを少女に手渡す。

 

「これは……」

 

 輝夜が少女に渡したもの、それは――櫛だった。

 無論ただの櫛ではなく、“つげ櫛”と呼ばれる高級品だ。

 

「貸してあげるわ。だから……今度は屋敷の正面から入ってきなさい」

「えっ……」

「約束よ?」

 

 言って、輝夜は含みのある笑みを少女に向けた。

 ……遊びに来いと、輝夜は言っているのだ。

 このような事をしでかした自分を許しただけでなく、また来なさいと言ってくれた。

 それに驚き、けれど嬉しくて……少女も輝夜と同じように笑みを返したのだった。

 

 

 

 

「――甘いのね、あなたは」

 

 少女が屋敷から去った後。

 紫は、まるで小馬鹿にするような口調で、上記の言葉を輝夜に放った。

 それを聞いた輝夜は怒る事はせず、まるで紫の言葉を肯定するかのように苦笑した。

 

「もしもあの人間が父親に今回の事を話したら、面倒な事になるとわからなかったの?」

「あの子は話さないわよ。そういう子じゃないもの」

「どうしてそう思えるの?」

「あの子はただ父親が好きなだけなのよ。今回はそれがちょっと行き過ぎただけ」

 

 だから、罰を与える必要もないと輝夜は言った。

 ……やはり彼女は変わっている、本当に人間なのかと思えるほどに。

 

「――結構ね、嬉しかったのよ」

「えっ?」

「わたしを特別扱いする人間は沢山居るの、それこそ老若男女関係なくね。

 だから、あの子みたいにわたしを特別扱いしなかったのは、ちょっと嬉しかったわ」

「…………」

 

 そういう問題ではないと思ったが、紫は口には出さなかった。

 言った所で輝夜には理解されないだろう、色々な意味で普通ではないから。

 それに――紫自身、彼女が出した選択は驚くと同時に、尊敬に値すると思ったのだ。

 自分を殺そうとした相手を赦し、尚且つ自ら歩み寄ろうとする姿勢。

 それは決して簡単に真似できる事ではない、輝夜の器の大きさが否が応でもわかる選択だった。

 

「あー……本当、最近のわたしって幸せを感じているわ」

「あら、じゃあ前は幸せじゃなかったのかしら?」

「そんな事ないわよ。わたしを育ててくれたおじいさんおばあさんと一緒に暮らしていた時は、幸せだったわ。でもわたしの美しさに魅了される男が増えてからは、毎日が退屈と憂鬱の連続だった」

 

 輝夜にとっては、男に求婚を迫られても迷惑なだけだった。

 ただ自分を育ててくれた老夫婦と穏かに、慎ましく暮らせればそれで良かったのだ。

 でも、輝夜は今確かに幸せを感じていた。

 

「紫達と会ってから、改めて生きてて良かったと思えるようになったわ」

「まだ会って数日なのに?」

「揚げ足をとらないの、嫌な性格ね」

 

 言いながら、軽く紫の額を小突く輝夜。

 

「感謝してるんだから。わたしと出会ってくれてありがと」

「……やっぱり、あなたは変な人間ね」

 

 言いながら、輝夜から視線を逸らす紫。

 なかなかに失礼な態度を見せられたが、輝夜が浮かべたのは笑顔だった。

 だってそうだろう? そんな態度を見せながらも……紫の頬が赤くなっていたのだから。

 照れ隠しが下手な紫に、ついつい笑顔になってしまうのは致し方ない事なのである。

 

「紫、顔が真っ赤だぞ?」

「っ、龍人は黙ってなさい!!」

「いてえっ!? なんで叩くんだよ!?」

 

 いきなり頬を叩かれて抗議する龍人だが、紫は徹底的に無視した。

 その光景を見て、輝夜は今度こそ声を出して笑ったのだった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




この少女の名前は次回に出てきます。
とはいえ、もうわかっていると思いますが……。


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第11話 ~輝夜と妹紅~

輝夜の命を奪おうとした少女。
しかし他ならぬ輝夜の器の大きさを思い知り、彼女は復讐を諦めたのだった……。


「――よっ、ほっ、ほいっ」

 

 輝夜が住まう広大な屋敷の中庭。

 その中で龍人は蹴鞠で遊び、その光景を1人の少女が感心したように見つめていた。

 少女の名は(ふじ)(わらの)()(こう)、藤原不比等の一人娘であり――前回、輝夜の命を狙ってきた少女である。

 器用に鞠を上空に向かって蹴り続ける龍人を、両手で鞠を持ちつつ見続けている妹紅。

 ……既に彼女の中で、輝夜の命を奪おうという目的は綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「上手……」

「へへーん、そうだろー?」

 

 得意げな顔を見せつつも、鞠を地面に落とさないまま蹴り続ける龍人。

 それを見て、妹紅はますます瞳を輝かせるのであった。

 そんな子供2人を微笑ましく見つめながら、紫と輝夜は縁側で将棋を嗜んでいた。

 

「龍人が居てくれて助かったわー。わたし、子供の相手とかできないし」

「一度命を狙われた相手を再び招くなんて、随分と図太いのね」

 

 既に妹紅からは輝夜に対する憎しみの感情は感じられない。

 前回のやりとりによって誤解は解けたようだが……それでも、紫は輝夜が妹紅を再び屋敷に招き入れる行動はあまり理解できなかった。

 

「図太くなければ今の時代、楽しんで生きる事なんてできないわよ」

 

 上記のやりとりをしつつも、繰り出される一手一手は真剣そのもの。

 互いに一歩も譲らず、しかし……紫は自分の不利を悟っていた。

 

「紫ってば、わかりやすいわよねー」

「どういう意味かしら?」

「というより潔いっていうか、諦めるのが早いのよ。

 自分が不利になった瞬間に一手に精彩を欠いているわよ、だから巻き返せない」

「…………」

 

 痛い所を突かれ、紫は押し黙る。

 また自分の悪い面が出てしまったようだ。

 どうしても不利になると、紫は無意識の内に諦めてしまう。

 それは今までの生き方が影響しており、彼女自身このままではいけないとわかっているのだが……ちょっとした所で出てしまうようだ。

 

「もっと諦めが悪くなってもいいと思うけどねー、せっかく生きているんだから」

「そんなの、泥臭いだけですわ」

「泥臭くなれってわけじゃないわよ、わたしもそういうのはあんまり好きじゃないから。

 でも紫の場合はちょっと達観しすぎよ、まだまだ若いんだから」

「年寄りみたいな事言うのね」

「おっとっと」

 

 苦笑しながら、パチンと駒を打つ輝夜。

 瞬間、紫の表情が苦々しいものに変わり、対して輝夜はしてやったりと言わんばかりの笑みを口元に見せた。

 

「王手」

「……待った」

「できるわけないでしょうが。はいまたわたしの勝ちー!」

「むぅ……」

 

 また負けてしまった、紫の表情が悔しげなものに変わる。

 と。

 

「あ」

「あ……」

「えっ――ぶっ」

 

 龍人と妹紅の間の抜けた声を耳に入れ、何事かと紫は顔を上げた。

 瞬間、彼女の顔に勢いよく鞠が直撃する。

 不意打ちに近いものだったため、紫はそのまま後頭部を地面に強打しながら倒れ込む。

 ズキズキと痛み出した後頭部を擦りながら、彼女はすぐに起き上がり――龍人と妹紅を睨み付けた。

 瞬時に紫から視線を逸らす2人、輝夜はというと一連の光景を見て必死に笑いを堪えている。

 否、堪えきれず大声で笑い出してしまい、紫の顔が羞恥と怒りによって真っ赤に染まった。

 

「龍人ーーーーーーーっ!!!」

「わ、わりい!!」

「貴方は、何度やったら気が済むの!!」

 

 龍人に向かって飛び込むように迫る紫。

 慌ててその場から逃げ出す龍人、何故か……妹紅の手を掴みながら。

 

「えっ、なんで私まで!?」

「妹紅、俺と一緒に逃げてくれ!!」

「私関係ないのに!?」

「待ちなさい!!」

 

 鬼の形相で追いかけてくる紫を見て、妹紅は全速力で逃げる事に決めた。

 今の彼女に何を言っても無駄だ、捕まれば自分も折檻されると悟り逃げる道を選んだ妹紅。

 中庭で追いかけっこを始め出した3人を見て、輝夜はますます声を上げて笑うのであった。

 

「――いってー」

「なんで私まで……」

「だ、だから謝ってあげてるじゃない……」

 

 数分後。

 縁側には、頭を押さえている龍人と妹紅の姿があった。

 ……さすがに拳に妖力を込めての拳骨はやり過ぎたか、紫は内心反省しつつも表の態度はやや不遜だ。

 尤もその拳骨は人間の妹紅には繰り出していない、そんな事をすれば頭蓋を粉砕してしまう。

 

「あー面白かった! いい逃げっぷりだったわよ、妹紅」

「…………」

 

 微妙な表情を輝夜に向ける妹紅。

 輝夜の方は既に妹紅に対し地を見せているが、対する妹紅はまだぎこちない。

 当たり前だ、既に妹紅は輝夜を殺そうという意志は見られないものの、それでも彼女に心を開く理由がない。

 それは輝夜もわかっている、その上で彼女は妹紅にありのままの自分を曝け出していた。

 

「ところでさ」

「?」

「あいつ……まだ情けなく引き摺ってるの?」

「えっ……」

 

 一体何の事を言っているのか理解できず、キョトンとする妹紅。

 そんな彼女に、輝夜は。

 

「――あんたの父親、まだ部屋に引き篭もって情けない醜態を晒してるのかって訊いたのよ」

 

 情け容赦なく、妹紅が一番聞きたくはないであろう問いかけを、投げ掛けた。

 

「なっ――!?」

「事実じゃない。わたしに拒絶されただけで、妹紅みたいな家族すら見捨てて独りになってる憐れな男」

「輝夜……!」

 

 キッと輝夜を睨む妹紅。

 だが輝夜は決して自らの発言を撤回しない、そしてそれは……全て事実だ。

 だから妹紅も輝夜を睨むだけで、それ以上の事はしなかった。

 認めたくはない、認めたくはないが……父が自分や兄達から離れ、5日以上も部屋から出ないのは事実である。

 ……それは、家族である自分達を見捨てていると言っても過言ではない。

 

「元はと言えば、輝夜が……!」

「じゃあ、あんたは好きでもなんでもない男に求婚されて、喜んで夫婦になれっていうのかしら?」

「っ、だけどそれは……貴族という立場があるのならば、仕方がない時だってある!」

「へえー……じゃああんたは父親にまったく会った事がない男と夫婦になれって言われても、喜んでその指示に従うのかしら?」

「あ、当たり前よ!!」

「…………」

 

 嘘ばっかり、言葉には放たず輝夜は視線でそう訴える。

 虚勢を張っているのは目に見えて明らかだ、だが子供故の虚勢なので不快感はない。

 とはいえ、見ていて見苦しいのもまた確かであり、輝夜は更に追い討ちを掛ける事にした。

 

「わたしがあの男と夫婦になって、あんたは嬉しい?」

「…………」

「わたしがあんたの義理の母になって、幸せなの?」

「…………」

 

 妹紅は答えない。

 否、答えられる筈がなかった。

 だって彼女にとっての母は、自分を産んですぐに亡くなってしまった、面影すら残っていない実の母親だけなのだから。

 だから――白状すると妹紅は、輝夜と父が夫婦にならなくて良かったと、そう思っている。

 しかし彼女は父を傷つけた、それは許せない。

 

――では、どうすれば良かったというのだ?

 

 内なる自分が、問いかけてくる。

 輝夜がどのような行動に出れば、自分は満足したのだろう?

 夫婦になる事は望んでおらず、けれど父を拒絶してほしくもなかった。

 

 ……あまりに身勝手で、傲慢な願いだ。

 そう、だったら――初めから父が輝夜に求婚しなければ、このような事にはならなかったのではないか?

 父は輝夜を愛したわけではない、ただ彼女のこの世のものとは思えぬ美貌を手に入れようとしただけ。

 それだけで父は、母を愛した心が残っていながらも、輝夜を夫婦にしようとしたのだ。

 

(…………ああ、私は)

 

 自分は子供過ぎたと、漸く彼女は自覚する。

 身勝手なのは輝夜ではなく、自分や父ではないか。

 それを理解せず、自分も父も輝夜に対し向ける事すら間違いな憎しみを抱き、自らに至っては彼女の命すら奪おうとした。

 馬鹿げている、ここまで自分は愚かだったのかと妹紅は自分自身の情けなさに泣きたくなった。

 

 輝夜は初めから気づいていた、自分達の傲慢な感情に。

 その上で、輝夜は弱く子供な自分自身を受け入れてくれた、赦してくれたのだ。

 ……最初から、自分達と輝夜の間には決定的な差があった。

 圧倒的なまでの器の差だ、それを改めて妹紅は自覚して……気がつくと、己が情けなさに涙を流していた。

 

「えっ!? 妹紅、どうした!? 腹が痛いのか!?」

「……違うの龍人、そうじゃないの」

「じゃあ……どうしたんだよ? もしかして、輝夜の言い方が恐かったのか?」

「うぅん……輝夜は何も悪くないの、悪いのは……私なの」

 

 必死に嗚咽を抑えながら説明しようとするが、上手く言葉が出てこない。

 そんな妹紅の様子に龍人は慌て、紫と輝夜は黙って彼女の言葉を待っていた。

 そして暫し経ち、涙も収まった妹紅は、しっかりと輝夜の瞳を見つめながら。

 

「――ごめんなさい、輝夜」

 

 澄んだ声で謝罪の言葉を述べながら、輝夜に向かって深々と頭を下げた。

 

「えっ、えっ……?」

「龍人、少し黙っていなさい」

 

 未だに状況がわかっていない龍人にそう言いながら、紫は彼を連れて輝夜達から少し離れた。

 

「……今の謝罪は、どういう意味なのかしら?」

「――私は子供過ぎた、それなのに輝夜はそんな私を赦してくれた。

 謝って済む事ではないと私だってわかってる、でも……謝りたかった」

 

 謝罪の言葉だけで赦されると、妹紅だって思っていない。

 これは言うなれば自己満足、それでも妹紅は輝夜に対して謝罪したかったのだ。

 それを、どう捉えたのか。

 

「ふーん……なんだ、あんた結構大人じゃない。少なくともわたしが思っていたよりずっと大人よ」

 

 意外そうに、けれど嬉しそうに輝夜は言った。

 その言葉に顔を上げる妹紅を、輝夜は優しく包み込むように抱きしめる。

 

「うんうん。その言葉だけでわたしは満足よ、だって……()()も案外捨てたもんじゃないって改めてそう思えたんだもの」

「えっ……?」

「今のは独り言よ、気にしないで。――ありがとね妹紅」

「…………」

 

 どうして自分はお礼の言葉を述べられたのか。

 その理由が理解できずキョトンとしてしまう妹紅であったが、次第にどうでもよくなった。

 抱きしめられている感触があまりにも心地良くて、まるで母のような抱擁のように思えて、考える事すら億劫になったからだ。

 それを知ってか知らずか、輝夜は妹紅をより優しく抱きしめる。

 ……それに堪えるように、妹紅も輝夜の身体を抱きしめ返した。

 

「……なあ、紫」

「何?」

「なんで妹紅は輝夜に謝ったんだ?」

「……龍人はまだ子供だから、わからないわよ」

「ふーん……?」

 

 やっぱりよくわからないと、龍人は首を傾げた。

 ただ……輝夜も妹紅も嬉しそうに見えたので、良い事があったと自己解釈する事にしたのだった。

 

 

 

 

「……?」

 

 時刻は流れ、夜となった。

 久しぶりに安らいだ気分になりながら、妹紅は自らの屋敷に戻り……首を傾げる。

 いつもと変わらぬ屋敷の中、だというのに妹紅は何処か違和感を覚えた。

 

(……静か過ぎる……)

 

 夜になったとはいえ、時間的にはまだ真夜中というわけではない。

 いつもならば使用人達がまだ仕事をしており、また自分が帰れば誰かしら出迎えてくれる筈。

 だというのに誰も来ない、それに対して不満があるわけではないが……違和感を覚えるのもまた確かだ。

 

 ギシ、ギシ……床を踏み歩く音だけが、妹紅の耳に入ってくる。

 灯台を持ちながら廊下を歩くが、誰かとすれ違う事はおろか人の気配すら感じられない。

 まるで自分と屋敷だけが世界から切り離されたような、そんな錯覚にすら陥りそうになる。

 だんだんと不安を募らせながらも、妹紅は屋敷内をゆっくりとした足取りで歩いていく。

 だが途中の部屋を除き見ても、誰も居ない。

 全員が揃って出かけているのかとも思ったが、それこそ在り得ない話だと彼女はすぐさま否定する。

 

(どうして誰にも会わないの……? それに、この臭いは……)

 

 先程から、妹紅の鼻腔を刺激する臭いがある。

 それはあまり嗅ぎ慣れた事のない、けれど何故か不快感を湧き上がらせる臭いだった。

 できる事ならば嗅ぎたくはない、でも同時に身近にある臭いのようにも彼女は感じられた。

 顔をしかめる妹紅、廊下を進むにつれその臭いが強くなっていくのだから当然だ。

 

(……父様は、まだ部屋だろうか……?)

 

 不快感と戦いつつ、妹紅はとりあえず父である不比等の元へと向かおうと歩を進めた。

 ……その間も彼女は誰とも会わず、静寂な屋敷を歩く事になる。

 背筋に冷たいものを感じながら、彼女は漸く不比等が篭っている部屋の前まで辿り着いた。

 そして彼女は父の名を呼ぼうとして……ある音を耳に入れる。

 

(何……この音……)

 

 何か固いものを磨り潰すような、引き千切るような、そんな音が父の部屋から聞こえてきて、妹紅は訝しげな表情を浮かべた。

 それと同時に彼女は気づく、先程から臭っているあの臭いが……音と同じく、父の部屋から漂ってきている事に。

 

「…………」

 

 警鐘が、妹紅の内側から鳴り響く。

 行ってはならない、これ以上は進んではならないと他ならぬ自分自身に告げられる。

 ……しかし、今の妹紅に部屋へと入る以外の選択肢は選べなかった。

 警鐘を無視してはならないと思っても、この部屋には妹紅の父が居るのだ。

 だから彼女は決してこの場を離れる事はできず、ゆっくりと入口の襖を開いて。

 

――自分の浅はかさを後悔しながら、地獄へと足を踏み入れた。

 

「――――」

 

 思考が、焼き切れる。

 入口を開き中へと入る前に、噎せ返るような臭いが妹紅へと襲い掛かった。

 その臭いは先程から嗅いでいたその臭いであり、部屋の前で聞こえた音も奥から聞こえてきている。

 奥では蠢く影が見え、だが妹紅はそんな事よりも。

 

――自分の真下に転がっている、肉片に思考を奪われていた。

 

「………………ぇ」

 

 掠れた声が、辛うじて妹紅の口から漏れる。

 しかし彼女の思考は正常に働く事ができず、視線は変わらず肉片へと注がれていた。

 彼女は気づく、先程から漂っていたこの臭いの正体を。

 

 それは―――()()()()()()

 

 べったりと床に散っている赤色の液体から、血の臭いが漂っていた。

 床だけではない、天井や壁もまるで塗りたくられたかのように、赤一色に染まっている。

 そしてこの肉片、周りの血を見て妹紅は当たり前のようにソレが何なのか理解した。

 ……この肉片は人間のもの、人間であったものの成れの果てだ。

 

(……どう、して………)

 

 目の前の現実が理解できない。

 どうして、何故と自問自答しても、当然ながら答えは返ってこなかった。

 あまりにも非現実な光景に、妹紅はただその場で立ち尽くす事しかできず。

 

――更に、彼女の心へと追い討ちを掛けるかのような光景が、現れる。

 

「…………誰、だ?」

「ぁ…………あ」

 

 奥から聞こえた男の声、その声は蠢く影から発せられた。

 ……その声の主は、間違いなくこの地獄を作り上げた元凶に他ならない。

 逃げなければ、瞬時にそう思った妹紅であったが、父の安否が気になりその場から動けないでいた。

 やがて、影がゆっくりと妹紅へと近づき、灯台から発せられている明かりによってその全貌が見えたのだが。

 

「―――――」

 

 ソレを見て。

 妹紅は今度こそ、何も考えられなくなった。

 目の前に現れたモノ――それは、妹紅の父である藤原不比等。

 だが、ソレは不比等の姿をしたナニカだと妹紅は瞬時に理解する。

 だってそうだろう? そうでなければ何故。

 

――何故、妹紅の兄であり自身の息子であった首を、愉しげに食べているというのか。

 

「ぁ…………」

「妹紅、か……見て、しまったなぁぁぁぁ……?」

 

 ニヤーッと、不比等の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。

 その笑みはもはや人間ができる笑みではない。

 歪みに歪み、冒涜的なまでの不気味さを持ったその笑みは、見るだけで心が凍りつく。

 このような異常な世界を見せられても尚、妹紅は気を失わずに不比等らしきモノを見つめていた。

 それは彼女にとって不幸とも呼べる状況であり、しかしここで気を失えば二度と目覚めないとわかっているから、彼女は必死に意識を繋ぎ止めている。

 だが、それもまた無駄な行為なのかもしれない。

 

「もう少し、育ってからの方が良かったんだがなあ……我慢できなくなっちまった」

「……とう、さま……何、を……?」

「まあいいかぁ……一番喰いたかったのが、自分からやってきてくれたからなぁぁぁぁぁ……」

 

 ペッと、ソレは喰らっていた妹紅の兄だった男の肉片を吐き出す。

 そして、再びあの笑みを浮かべながら、ゆっくりと妹紅の元へと近づいていった。

 

「旨そうだぁぁぁぁぁ……」

「あ、ぁ……あ」

 

 喰われる。

 父の姿をした、父ではないモノに喰われてしまう。

 眼前に迫る死への恐怖が、妹紅から逃走という選択肢を与え、彼女はまるで飛び出すようにその場から駆け出した。

 死にたくない、ただその一心で妹紅は全速力で逃げ出して。

 

「追いかけっこ……キキキ、いいぞぉ……もっと恐怖に包まれながら、逃げ惑えぇぇぇ……」

 

 ソレはただただ愉しそうに呟いて。

 ゆっくりと、けれど確実に妹紅より早い速度で、彼女を追いかけ始めた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第12話 ~友に迫る危機~

――闇の者が、動きを見せる。

そして、ソレが紫達の親友である妹紅に迫っており。
しかしまだ、彼女達はその事実に気づいていなかった………。


 都の中心部より離れた場所にある、一件の宿。

 そこはお世辞にも良い宿とは言えずしかも食事も出ない、泊まるだけの宿だ。

 現在、紫達はその宿で厄介になっている。

 暫く都に留まる事になったので、一番安い宿を探した結果…この宿に辿り着いたわけで。

 

「とうちゃん、ばあちゃん、ただい……臭っ!?」

「うっ……」

 

 夜となり、輝夜の屋敷から戻ってきた紫と龍人。

 自分達が寝泊りしている部屋へと戻り、居るであろう龍哉とマミゾウに声を掛けながら入口の襖を開いた瞬間、2人の表情が一気に歪む。

 だがそれも仕方が無い事だ、部屋に入った瞬間2人は噎せ返るような酒の匂いに包まれたのだから。

 顔をしかめつつ2人は部屋の様子を見て、益々顔を歪ませた。

 

「んん~……? おー、おかえり~」

「遅かったのう~」

 

 紫達を出迎える龍哉とマミゾウ、しかし2人の顔は真っ赤に染まっていた。

 どう見ても泥酔状態である、まあ所狭しと床に転がっている徳利や(かめ)を見れば誰にだってわかるが。

 龍人は酒の匂いに咳き込んでしまい、紫は醜態を晒す2人を見て溜め息を吐き出した。

 

「……飲み過ぎよ、2人とも」

「まだまだ宵の口じゃよー」

「そうだそうだー!」

「…………」

 

 冷たい視線を2人に向ける紫。

 しかし酔っ払いにそんなものは効かない、無駄に大きな声で再び乾杯の音頭を掛け合う始末。

 制裁を与えてやりたいが、無闇に暴れたら面倒な事になるので、とりあえず紫は咳き込んでいる龍人を部屋から離れさせようとしたのだが。

 

「なんだよ龍人ー、具合でも悪いのかー?」

「けほっ……だって、酒臭いから」

「情けない事言うなよなー、大人になれねえぞー?」

「龍人、ああいう大人になりたくないのなら無視しなさい」

 

 絡もうとする龍哉にしっしと手を振りつつ、龍人を守る紫。

 「横暴だー」、「龍人ー、一緒に飲もう!」などと言っている酔っ払い達だが、当然紫は無視。

 龍人も酒の匂いが余程嫌なのか、龍哉に呼ばれているというのに返事を返さなかった。

 そんな彼の態度に、龍哉とマミゾウは子供のように頬を膨らませ始める。

 ……駄目だこの大人達は、紫は再びため息を吐いた。

 

「んっく……ところで龍人、お前ももう13だよな?」

「えっ? うん、そうだけど……それがどうかした?」

「13といえばそろそろ女に興味を持ってもいい年頃だ。だから心優しいとうちゃんはな……お前にこれを用意したぞー」

 

 そう言って、覚束ない足取りで龍哉は部屋を移動し、何かを持って戻ってきた。

 彼が持っているのは薄めの長方形の物体、紙で作られたそれは所謂“本”と呼ばれるものだ。

 しかし表紙は白一色であり、一体中に何が書かれているのかは判別できない。

 一体なんだろうと視線を本に向ける紫と龍人、そんな2人に龍哉はニマーッと微笑みながら本を開き。

 

「っ!?」

「……?」

 

 開かれた本の中を見た瞬間、紫は一瞬で頬を赤らめ龍人はキョトンとしたまま首を傾げた。

 龍哉が持ってきたのは、“春本”と呼ばれる類のものであった。

 描かれているのは当然成人女性の絵、しかし衣服の類は身に着けていない。

 口をパクパクとする紫に、龍哉とマミゾウは満足そうな笑みを浮かべる。

 更に頁を捲っていくと、成人男性と女性が交わっている絵が――

 

「っっっ、な、なんてものを見せるのあなたは!!」

「おっとっと」

 

 春本を奪い取ろうとする紫から逃げる龍哉。

 ……紫の反応は、ある意味では予想外であったと思いながら、龍哉は口を開いた。

 

「正しい性教育をしようという親心ってヤツだ」

「何が親心よ!!」

「まったく、これだから生娘は……」

「そっちは発情している老婆じゃない!!」

「なっ!? 老婆とは何じゃ老婆とは、わしはまだ若いわい!!」

 

 ぎゃーぎゃーと言い合う紫とマミゾウ。

 その間にと、龍哉は龍人を自身の元に引き寄せ春本を見せる。

 

「どうだ?」

「どうだって……何が?」

「こう、滾るものとか無いか?」

「???」 

 

 そう言われても、龍人にはよくわからなかった。

 しかしそれも仕方がないだろう、彼は今まで山奥で暮らしてきたのだ。

 男と女の交わりなど見た事がないし、知識としても得ていない。

 だからこそ龍哉は、せっかく都に来たのだからと思ったのだが……自分を睨んでいる紫に気づき、龍哉は龍人から春本を遠ざけた。

 

「紫ー、いずれ龍人だって好きな女を抱く時が来るんだからよー」

「そうだとしても、まだ彼には早すぎるわ」

「そうじゃ! こうなったら紫が龍人に実戦形式で教えてやれば……」

「発情狸は黙ってなさい!」

 

 酔っ払いにぴしゃりと言い放ち黙らせる紫。

 酒を飲むなとは言わないが、大人なのだからしっかりしてほしいものである。

 自分はこんな風にならないようにしようと心に決めつつ、紫は龍人へと視線を向けて。

 彼が、障子を開け外をじっと見つめている事に気がついた。

 

「龍人……?」

「…………」

 

 声を掛けるが、龍人からの反応はない。

 訝しげな表情を浮かべながら、紫は彼の隣に移動してから彼が向いている方向へと視線を向け…ある事に気づく。

 

(あれは……結界?)

 

 龍人が向けていた視線の先に広がるのは、貴族達が住まう屋敷が集まる区画だった。

 その中で紫は、ある屋敷に結界が施されている事に気づく。

 防御の為の結界ではない、他者に存在を気づかせなくさせる類の結界だ。

 それにより現在紫が見ている屋敷は、他の者には存在を認知できないようになっている。

 勿論力ある存在には効かないものの、並の存在では決して見破る事ができない高度なものだ。

 紫は境界を操る事によってその結界を見破る事ができているが……。

 

「龍人、貴方もしかして……あれが見えているの?」

 

 今の龍人では、あの結界を見破る事はできないだろう。

 しかし彼が向けている視線はその屋敷だ、だとすると彼は結界で見えなくなっている筈の屋敷が見えているという事に――

 

「っ」

「えっ……!?」

 

 それは、突然の事であった。

 先程から様子のおかしい龍人に再び声を掛けようとした瞬間、突如として彼は窓から飛び出していったのだ。

 当然ながら紫は驚き、酔っ払っていたマミゾウも慌てて窓際へと駆け寄った。

 

「おい、龍人!?」

「おー? どうしたー?」

「っ、いつまで酔っ払ってるのよ、馬鹿!!」

「ぐえっ!?」

 

 未だに事態を把握していない龍哉に苛立ち、彼の腹部をおもいっきり踏みつける紫。

 苦悶の表情を浮かべ蹲る龍哉に冷たい視線を向けてから、紫はすぐさま窓から飛び出し龍人の後を追いかける。

 続いてマミゾウもそれに続こうとして。

 

「――マミ、お前は行かなくていい」

 

 腹を擦っている龍哉に、呼び止められた。

 

「龍哉……?」

「いってー……紫のヤツ、わざわざ足に妖力を込めて踏みやがって……」

「何をしておる、早く龍人を……」

「慌てんなよ」

 

 そう言いながら、龍哉は転がっている徳利の中に少しだけ残っていた酒を口に含んだ。

 

「どういうつもりじゃ龍哉、龍人を追わねば……」

「少し待て。――これも()()だ」

「修業、じゃと……?」

 

 一体何を言っているのか、しかし龍哉は何も説明しようとはしない。

 そんな彼の態度に苛立ちながらも、マミゾウは龍哉に睨まれ結局龍人達を追う事ができずにその場で待機せざるをえなかった……。

 

 

 

 

 静寂が、夜の街を包み込む。

 その中を駆け抜ける2つの影、言うまでもなくその正体は紫と龍人であった。

 屋根の上を駆け抜け、跳躍し、わき目も振らずに走っていく龍人を、紫は必死に追いながら呼び止める。

 

「龍人、待ちなさい!!」

「…………」

 

 だが龍人は返事を返さない。

 落ち着きがなく人の話を聞かない所は確かにあるが、今の彼の態度は普段とは違っていた。

 彼は今焦っている、それが何なのかはわからないがかといってこのままにはしていられない。

 なので紫はスキマを展開、彼の前に出るように空間移動をして無理矢理彼を立ち止まらせた。

 

「待ちなさいって言っているでしょう!」

「……紫」

「いきなり飛び出すなんて、みんな驚いていたわよ?」

「ごめん、でも……」

「……まあいいわ。とにかく一旦戻って」

「っ」

「えっ……!?」

 

 戻りましょう、そう告げようとした紫の横をすり抜けるように、龍人は再び地を蹴った。

 舌打ちをしながら再び彼の後を追う紫、そして彼の横に並ぶように走りながら怒鳴るように声を掛ける。

 

「龍人、いい加減にしなさい!!」

「ごめん紫、とうちゃん達には後で絶対に謝るから!!」

「一体どうしたというの!?」

「……何か、嫌なものが見えたんだ」

「嫌なもの……?」

 

 要領を得ない答えが返ってきて、紫は首を傾げる。

 だがここで紫は、先程彼が見ていたものを思い出す。

 

「龍人、貴方やっぱり結界が見えていたの?」

「結界? 何の事だよ? よくわかんねえけど、向こうの方でなんかこう…モ…ヤモヤしたものが見えたからさ。それに……嫌な予感もしたんだ。行かなきゃいけないって思って」

 

 だから、気がついたら飛び出していたと龍人は答える。

 ……どうやら彼は結界を見破ったわけではないようだ。

 つまり彼の瞳は結界とは違う何かを捉えた、そう考えるのが自然だろう。

 だとすると彼は何を見たというのか、詳細を訊きたいが…どうやら答えてもらう時間はないらしい。

 

――屋敷の前に着地する2人。

 

「あれ? こんな屋敷なんてあったのか……?」

(……やっぱり、結界を見破っていたわけではないようね)

 

 龍人の様子を見て、紫はそう確信する。

 とはいえこれ以上彼の好きにはできない、龍哉とマミゾウも心配しているだろう。

 そう思い紫は龍人に声を掛けようした時には――彼は入口の門を開こうとしていた。

 

「ちょっと龍人、何をしているのよ!」

「だって気になるんだ」

「気になるからって――――――っっっ!?」

 

 紫が静止する前に、門を開いてしまう龍人。

 重い音を響かせながら、門はあっさりと開いてしまった。

 ……それはおかしい、見張りも周囲に見られないというのに何故門が開く?

 それではあまりにも無用心だが……そんな事は、今の紫にとってどうでもよかった。

 

(これは……何!?)

 

 龍人が門を開いた瞬間、異質な空気が一気に紫に襲い掛かった。

 しかもその空気の出所は、結界が張られている屋敷からだ。

 人間が住める場所ではない、屋敷の中はまるで異界のような変質を遂げている。

 妖怪である自分ですら重苦しく思え、粘着質すら感じられる空気が纏わりついてくるかのようだ。

 それだけではなく……中から、ある異臭が漂ってきた。

 

(っ、人間の……血?)

 

 そこで紫は、異臭の正体が人間の血液だという事に気づく。

 それも1人や2人ではない、数十人という人間を解体しなければここまでの強烈な臭いは発しないだろう。

 まるで肌に纏わりつくような血の臭いに、妖怪である紫も顔を歪めてしまう。

 一方、門の前に居た龍人は紫以上にその臭いを受けてしまい、激しく咳き込んでいた。

 

「げほっ、げほっ……!」

「龍人、大丈夫?」

「ごほっ……な、何なんだよこれ……」

「…………」

 

 これ以上先に進んではならない。

 今までの経験と危機回避能力が、紫にそう訴えていた。

 それに逆らう事無く、紫は龍人にここから一刻も早く離れようと進言した瞬間。

 

「――いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 少女の悲鳴が、屋敷の中から聞こえてきた。

 

「っ」

「今のは……」

 

 人間よりも優れた聴力によって、2人は確かに今の悲鳴を耳に入れていた。

 しかし何故だろうか、紫は今の声をつい先程聞いたばかりに思え……。

 

「まさか……妹紅!!」

「えっ――龍人!?」

 

 粘りつくような異質な空気を漂わせている屋敷の中を、龍人は自らの意志で入っていく。

 しかも、何故か妹紅の名を呼びながらだ。

 

(そうか、今の悲鳴は………!)

 

 聴いた事がある声なのは当然だ、だってその声は……妹紅のものなのだから。

 一瞬躊躇い、けれど龍人をそのままにはしておけず紫も屋敷の中へと入っていく。

 

「っ…………」

 

 血の臭いが酷くなり、紫はますます顔を歪ませていく。

 しかしそれには構わず、彼女は龍人の後を追って……すぐさま追いついた。

 廊下の丁度曲がり角に差し掛かった所で、彼は何故か動きを止めている。

 彼を守るように前に出ながら、紫も曲がり角の先へと踏み入れ。

 

――恐怖と震えで動けなくなり、壁に背を預けたまま座り込み涙を流す妹紅と。

 

――そんな彼女を心底愉快そうに見下ろしながら、大きく口を開く藤原不比等の姿を視界に入れた。

 

「も――――」

「――伏せろ、妹紅!!!」

 

 紫が妹紅の名を呼ぶよりも速く、龍人が動く。

 地を蹴り一息で不比等へと間合いを詰め、右手に妖力を流し込む龍人。

 そして、そのまま相手の頭蓋を砕く勢いで右の拳を突き出し――鈍い打撃音が、龍人の首から響き渡った。

 

「――――!!??」

 

 鋭い激痛と凄まじい衝撃を感じながら龍人は吹き飛び、壁へと叩きつけられその中に埋まってしまった。

 その威力を物語るかのように、壁は粉微塵になりパラパラと破片が宙を舞う。

 更に驚くべき事に、龍人を殴り飛ばしたのは人間である筈の不比等なのだから、本来それはありえない光景であった。

 

「龍人!!」

 

 彼の名を呼びつつも、紫は決して不比等から視線を外すような事はしない。

 正直彼女はまだ混乱している、人間である不比等が妖怪と(りゅう)(じん)の血を引いている龍人を殴り飛ばすなどありえない筈だ。

 だがここで混乱したままでは間違いなく自分達は全滅すると認識し、紫はすぐさま能力を発動。

 

 瞬間、龍人が消えた壁と不比等の傍に居た妹紅を呑み込むようにスキマが現れた。

 そのままスキマは2人を呑み込み、次の瞬間には紫の隣に展開されたスキマから2人揃って姿を現した。

 

「龍人、妹紅、大丈夫!?」

「あ……あ……」

「…………いってえ、首が吹き飛んだかと思った」

 

 妹紅は恐怖からかまともな返答を返すことができず、龍人は反応を示すものの表情は苦悶のものへと変わっていた。

 ゴキゴキと首を鳴らしながら、口に溜まった血をベッと地面に吐き出す龍人。

 致命傷というわけではないものの、決して小さなダメージではないようだ。

 

(ますます不可解ね……)

 

 龍人の身体は非常に頑丈だ、並の妖怪など比べ物にならないほどに。

 だというのに、ただの一撃でこれだけのダメージを負うなどそうそうあるものではない。

 ではあれは不比等に化けた妖怪なのか、そんな予測が紫の中で生まれるが……彼女はそれを否定する。

 何故なら、今こうして自分達が対峙している相手は、間違いなく藤原不比等だと彼女自身が認識しているからだ。

 

「……不思議な術を使うな。小娘」

「…………」

「お前……あの時輝夜に斬りかかったヤツだよな?

 だとするとお前は妹紅のとうちゃんなんだろ? なのに、どうしてお前……妹紅を喰おうとしたんだ!?」

 

 痛みに耐えつつ、龍人が問う。

 その問いに、不比等は歪んだ笑みをより深く歪ませた。

 

「それをお前に話す必要があるのかあ? 邪魔をするなら……お前達も喰うぞ?」

「っ、上等だ。やれるもんならやってみやがれ!!」

「――龍人、待ちなさい」

 

 再び吶喊しようとする龍人を、紫は呼び止める。

 その声に反応したのか、龍人はつんのめりそうになりながらも、動きを止めた。

 

「な、なんで止めるんだよ!?」

「落ち着きなさい。――貴方では勝てないわ」

 

 先程の一撃、そして龍人が負ったダメージを計算して……紫は、彼では目の前の存在には勝てないと分析した。

 そしてそれは紛れもない事実であり、彼女の判断は間違ってはいない。

 

「勝てないとかそんなの関係ねえ!!

 ――こいつから沢山の人間の血と肉の臭いがする、こいつが沢山の人間を喰ったのは間違いないし、自分の子供まで喰おうとしたんだ!!

 そんなの絶対に許せねえ!! だから絶対にぶっ飛ばす!!」

「だから落ち着きなさいと言っているの。――誰も、勝てないから逃げなさいなんて言ってないでしょ?」

「えっ?」

 

 その言葉を聞いて、龍人はキョトンとした表情を紫に向ける。

 

 そう、逃げろなどとは言っていないし言うつもりもない。

 そもそも彼が素直に自分の言葉に従うなどとは、紫自身微塵も思っていない。

 ……できる事ならば、逃げてほしいとは思っている。

 相手はどういうわけか、龍人どころか自分よりも力が勝っている事を理解した。

 ならばここでの最良の選択は、全員で逃げ龍哉やマミゾウの助けを借りる事だ。

 でも――紫はその選択を選ぶ事ができなかった。

 

(ここで龍哉達の力を借りて勝ったとしても……いずれ、私達の未来は閉ざされる)

 

 人狼族の大長、五大妖の刹那といつか戦わなければならない時がやってくる。

 だというのにいつまでも龍哉達の力を借りてばかりでは、成長する事はできない。

 だから――紫は第三の選択を選んだ。

 

「――龍人、()()でこの男を倒すのよ」

 

 もう、逃げるだけの生き方は望めないし、紫自身御免だ。

 自らの未来は自らの力で切り開かねばならない時が、既にやってきているのだ。

 故に紫は戦う選択を選んだ、龍人と共に戦うという選択を。

 

「……よーし、いくぞ紫!!」

「ええ。――妹紅はその間に逃げなさい!!」

「で、でも……」

「お願い。あなたを守りながら戦うなんてできないから」

「…………」

 

 紫の言葉を受け、妹紅は躊躇いながらもその場から逃げ出した。

 しかし不比等は追いかけない、まるで逃げても無駄だと言っているかのように。

 

「――人間じゃないが、ガキの肉だ。腹は満たせるなぁぁぁ」

「子供だと思っていると、痛い目を見るわよ!!」

「お前は、俺がぶっ飛ばしてやる!!」

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第13話 ~龍の鉤爪~

妹紅を守る為に、不比等に挑む紫達。
既に人間ではないと思える彼に、果たして2人は勝利する事ができるのか……。


「――雷龍気、昇華!!」

 

 加減などできない。

 絶対に目の前の存在は許せないという怒りを胸に秘め、龍人は一気に全開の力を発揮する。

 大気に漂う自然の力を取り込み、それをすぐさま電気へと変換。

 バチバチという爆ぜた音を響かせながら、龍人の身体に電流が纏わりつく。

 

「んん……?」

「――――紫電!!」

 

 バキンッという音が響いた瞬間、龍人の姿が消えた。

 不比等がそれを理解するよりも早く、彼の身体に龍人の右の拳が叩き込まれる。

 

「ぬおっ……!?」

「おらぁっ!!!」

 

 続いて右足を振り上げ、不比等の顎を蹴り上げる龍人。

 宙に飛ばされる不比等に、今度は反時計回りに移動しながら背後から拳を叩き込もうとして。

 

「っ!?」

「――少しは、やるなぁぁぁ」

 

 逆に、不比等の拳が龍人の顔を殴り飛ばしていた。

 床を破壊しながら吹き飛んでいく龍人。

 すかさず不比等は追撃しようと吹き飛ぶ龍人を追おうとして――その場から後退した。

 

 瞬間、先程まで不比等の居た場所に数十もの妖力弾が叩き込まれ小規模の爆発が起きる。

 忌々しげに舌打ちをしつつ、不比等は視線を自身に攻撃を仕掛けてきた紫へと向けた。

 

「小娘がぁぁぁぁ……!」

「っ」

 

 その眼力に呑み込まれそうになりながらも、紫は不比等の周りにスキマを展開。

 五つのスキマが不比等を囲むように出現し――そこから連続して妖力弾が放たれた。

 

「むぅ……っ!?」

 

 妖力弾が、不比等の身体を釣瓶打ちにしていく。

 だが――攻撃を当てているというのに、紫は悔しげに唇を噛み締めていた。

 

(…………効いていない、わね)

 

 加減などしていない、だというのに紫の攻撃は不比等にとって塵芥の効果も発揮されていなかった。

 その事実が彼女のプライドを傷つけつつ、同時に相手との力量差をはっきりと示してしまっていた。

 

(この男、想像以上に強い……!)

 

 紫電を使用している龍人の速度にあっさりと追いついただけでなく、自分の攻撃をまるでものともしない防御力。

 妖力の大きさだけでなく、あらゆる要素で目の前の存在は自分達を上回っていた。

 

「じゃ――!」

 

 妖力弾を全身に打たれながら、紫に接近する不比等。

 すぐさま紫は攻撃しているスキマを閉じ、両手を前に翳し術を展開させた。

 

「四重結界――きゃあっ!!?」

 

 放たれたのは攻防一体の結界である“()(じゅう)(けっ)(かい)”、青白く輝く防御結界が紫の前方に出現した。

 だが、不比等の拳が四重結界に触れた瞬間、硝子が割れるような甲高い音を響かせながら四重結界は呆気なく粉砕されてしまう。

 更にその衝撃は紫自身にも及び、衝撃と痛みを受けながら彼女の身体が軽々と吹き飛んでしまった。

 そして、今の紫の状態は絶望的なまでの隙を生んでおり。

 

「――――“風龍気”、昇華!!!」

 

 けれど、不比等は紫に追撃する事はできなかった。

 

「んー……?」

 

 風が、場に荒れていく。

 それが気になったのか、不比等は追撃を止め風の発生源へと視線を向ける。

 そこには、自分の睨む龍人の姿があり――彼の右足全体を包むように、鎌鼬のような風が吹き荒れていた。

 

「――(くう)()(ごう)(りゅう)(きゃく)!!!」

「っ、チィ……!?」

 

 一息で間合いを詰め、不比等に向かって右の回し蹴りを放つ龍人。

 すると不比等は先程とは違い、両腕を上げて防御の体勢をとった。

 

 打ち込まれる蹴り。

 瞬間、その蹴りを受けた両腕から凄まじい衝撃が伝わり、不比等の表情が歪む。

 それだけでは留まらず、右足に展開している風が刃となり、防御している不比等の両腕を文字通り抉り始めていた。

 

「ぬ、ぐ……りゃああぁっ!!!」

 

 裂帛の気合と共に、不比等の身体は吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。

 パラパラと破片を撒き散らしながら、不比等の身体は壁の中に消え、龍人はそれを見届ける事無く紫の元へと駆け寄った。

 

「紫、大丈夫か!?」

「……大丈夫よ。そういう貴方は?」

「俺は大丈夫だ、頑丈だからな」

 

 言いながら、大丈夫だとアピールするかのように握り拳を作る龍人。

 しかし、彼の息は上がっておりその額には汗が滲んでいた。

 龍気を使った事による疲労は、確実に彼の身体を蝕んでいる。

 それに気づいた紫は表情を歪ませつつ、彼を守るように前へと出た。

 

「…………効いたなあ、今のは」

「…………」

 

 破壊された壁から、這い出るように不比等が姿を現す。

 否、現れたのは……()()()()()()()()()()()

 

「なっ……」

「…………」

 

 現れたのは――異形の存在。

 まるで骨と皮しか存在していないと思えるほどの痩せこけた肉体、赤黒い皮膚。

 血走った目はギョロギョロと忙しなく動き、大きく裂けた口で笑うその姿は醜悪に尽きる。

 突然現れた化物に龍人は驚き、一方の紫は何処か納得したような表情を浮かべていた。

 

「あー……剥がれちまったなあ」

「こ、こいつ……人間じゃないのか?」

「ただの人間が、こんな芸当なんかできるわけないでしょうに」

「だ、だけどこいつ……さっきまで人間の匂いしか発してなかったぞ!?」

 

 そう、だからこそ龍人は目の前の存在を藤原不比等だと信じて疑わなかった。

 確かに人間とは思えぬ力に驚きはしたものの、嗅ぎ取れた匂いは確かに人間のものだった。

 しかし……現れた異形の生物は濃密な妖怪の匂いを発している。

 一体どういう事なんだと龍人は混乱し――そんな彼の疑問は、紫によって解かれた。

 ……尤も、それは彼にとって到底理解できる内容ではなかったが。

 

 

「――それは当然よ龍人。

 だって、さっきまでこの男は藤原不比等の皮を被って彼に成り済ませていたんだもの」

 

 

「………………は?」

 

 意味が、わからなかった。

 極限まで高まっていた緊張感の中で、彼は間の抜けた表情を浮かべる。

 それほどまでに、紫の言葉は龍人にとって理解できないものだった。

 

「妖怪が人間の中に溶け込む一番の方法は、変化の妖術で人間に化ける事。

 でもその方法では祓い屋のような存在に妖怪特有の匂いと妖力を嗅ぎ取られてしまう。

 マミゾウぐらいの大妖怪が扱う変化術なら話は別だけど、あれほどの術を使える妖怪はそう多くないわ」

 

 だが、他にも方法はあるのだ。

 しかもその方法は変化の術を使えない者でも使用でき、しかも祓い屋や妖怪にすら人間と認識させられる。

 

「――でもね。この男のように人間の皮を被ってその人間に成り済ますという方法があるの。

 馴染むまで時間が掛かるという欠点があるけど、馴染めばその人間の匂いを纏う事ができるから、同じ人間はもちろん私達妖怪すら欺く事ができるわ」

「――――」

「おそらく、輝夜に求婚を迫った日に藤原不比等は殺されたのでしょうね。

 そして部屋に閉じこもる事によって皮を馴染ませる時間稼ぎをして、藤原不比等に成り済ます事ができた」

「そうだあ……だが、せっかく馴染んだ皮もお前達によって破壊されてしまったなあああ……」

 

 しかし、異形の者は言葉とは裏腹に気にした様子もなくケタケタと笑っていた。

 

「…………んで」

「んん……?」

「なんで……そんな事、そんな酷い事……できるんだ?」

 

 呟くように、震える声で問いかける龍人。

 それを聞いて、異形の者は一瞬驚き…次の瞬間、愉しげに笑いながら答えを返す。

 

 

「――愉しいからだ、それ以外に理由があるか?」

 

 

「…………は?」

「人間は勝手に増える、なら幾ら喰おうと関係ない。

 それにな……オレは恐怖の中で喰われていく人間の顔を見るのが、堪らなく愉しいんだ」

「――――」

 

 今度こそ。

 その言葉で、龍人の表情が凍りついた。

 己の欲求を満たすため、ただそれだけで……この地獄を作り上げた。

 しかし……それは決して、()()()()()()()()()

 

「――龍人。妖怪は人間の憎しみや怒り、恐怖といった負の感情を糧にしている。

 人間の肉を喰らうのも、負の感情が染み込んでいるからよ。人間が生きるために……自らの糧にするために家畜を育て、そして殺す……それと変わりないわ」

「そうだ……さすが同じ妖怪だけあってよくわかっているなあああ……」

「…………」

 

 間違いなどと、紫とて思っていない。

 それが妖怪であり、人間と妖怪の関係を表しているのだから。

 ……だけど、何故だろうか。

 間違いと思っているわけではないが……酷く、不愉快な気分になるのは。

 自分自身に少しだけ戸惑いを覚えながら、紫は打開策を考えようとして――空気が変わった事に気がついた。

 

 

「――――お前、そんなに腹が減ってたのか?」

 

 

「ん……?」

「龍人……?」

「腹が減って腹が減ってしょうがなくて……だから、そうまでして人間を喰いたかったのか?」

 

 静かな口調で問いかける龍人。

 そこに余分な感情はなく、何処か無機質さすら感じられた。

 だがそんな事よりも、紫には気になる事があった。

 

(……龍人の力が、どんどん大きくなってる?)

 

 そう、ほんの僅かずつではあるものの……龍人の身体から、力が溢れ出しているのだ。

 しかしそれは妖力ではない、妖力よりも遥かに大きく……そして同時に暖かさすら感じられる力。

 闇に属する妖怪では決して放てない、光の力だ。

 

「……お前、話を聞いていたのかあ?

 オレがあの人間を殺して皮を奪ったのは、愉しむ為だ。強い負の感情を撒き散らしていたあの人間を喰うだけでも良かったんだがな……この屋敷には、美味そうな人間が多く居た。

 特に……さっき喰おうとしたヤツは、一番最後に喰おうと思っていたんだああ……」

「…………」

「そろそろ飽きてきたなああ、お前達をさっさと喰ってさっきの小娘を――」

 

 そこまで言いかけて。

 異形の者は、それ以上喋れなくなった。

 

「――妖怪が人間を喰う事は、決して間違いじゃない事だって俺にだってわかる。

 それも自然の摂理だって、生きるために必要なものだってぐらい理解してる。

 だけど、お前は生きるためじゃなく自分勝手な欲求を満たすためだけに、妹紅のとうちゃんや屋敷の人間を喰ったんだ。

 そして今、妹紅まで勝手な理由で喰おうとしているお前を……俺は許さない!!」

「…………クハッ、クカカカカカカカッ!!!」

「龍人……」

 

 異形の者が笑う、これ以上可笑しい事などないと言わんばかりの勢いで。

 しかし、紫はその嘲笑を否定することができなかった。

 今の龍人の言葉は、紫にとっても戯言以外の何物でもなかった。

 彼はまるでわかっていない、妖怪とは総じて自分勝手であり本能で生きている。

 だから気紛れに人間を襲い、殺し、それに対して疑問も罪悪感も抱かない。

 それが妖怪という存在であり、だからこそ人間は妖怪を恐れ憎むのだ。

 

 妖怪は人間を見下し、喰らい、人間は妖怪を恐れ憎む。

 それは古来から続く両者の変えようのない関係、だがそれを彼は否定した。

 ならば、嘲笑を送られても致し方ないだろう。

 あまりに愚かで世界を知らない子供の戯言、龍人の言葉には何の価値もない。

 ……そう、価値などあるわけがない。

 

――だというのに、何故。

 

 彼の言葉を否定する事も、笑う事もできないのか。

 

「お前は……絶対に俺がぶっ飛ばす!!」

「……ガキが、粋がるのもここまでだ」

 

 (ぜっ)(さつ)の意志を込めて、異形の者が龍人を睨む。

 だが龍人は怯むことなく睨み返しながら、“奥の手”を発動させ始めた。

 

「な、にぃぃぃ……!?」

「これは……!?」

 

 場の空気が一変する。

 龍人が左手で右手首を握り締めた瞬間、凄まじい力の奔流が一瞬で周りの空気を吹き飛ばしたのだ。

 その強大な力を感じ取り、異形の者は勿論のこと、紫すらその顔を驚愕に満ちたものに変えた。

 

(なに、この力……それにあの構え、妖忌に襲われた時と同じ……)

 

 だが、感じられる力はあの時の比ではない、というより普段の龍人からは考えられない程の力だ。

 それにその力は妖力でも霊力でもましてや魔力でもない、ただただ圧倒的な力だった。

 

「小僧、その力は何だあぁぁぁぁ……!?」

「……とうちゃんには極力使うなって約束してたけど……今の俺じゃ、()()()を使わないとお前を倒せない。

 覚悟しろよ。()()()は……死ぬほど痛えんだからな!!!」

「っっっ」

 

 突風が吹き荒れ、紫はおもわず両腕で顔を覆う。

 そして、彼女は腕の隙間から……見た。

 吹き荒れる突風の中心、そこに佇む龍人の右腕が――黄金の輝きを放っている。

 眩く輝く龍人の腕、しかしその光はどこまでも暖かい。

 

「――この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき……噛み砕く!!」

「ぬ、ぐ……オオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 

 先程までの余裕など微塵も感じさせない、焦りと恐怖に満ち溢れた顔で、異形の者は龍人に向かっていく。

 右腕に己の全妖力を込め、原型すら残さぬように彼の体を粉々にしようと振り下ろした。

 その速度はまさしく神速の如し、風切り音を響かせながら…異形の者の腕は、龍人の左肩を抉り砕く。

 

「龍人!!!」

「…………」

「キキキ……終わりだ、終わりだああああ……」

 

 

「――ああ、お前がな」

 

 

「ギ…………ッ!!?」

 

 気づいた時には、もう全てが遅すぎた。

 確かに異形の者の攻撃は、龍人の左肩を抉り砕いた。

 だがそれだけ、本来ならば致命傷となり得る一撃だったとしても、龍人の命を奪うまでには到らず。

 

「――奥義」

「ま、待てえええええええっ!!!」

 

 龍人は、しっかりと照準を相手へと合わせ。

 

 

 

「――――龍爪撃(ドラゴンクロー)!!!」

 

 黄金に輝く右腕を、異形の者へと叩きつけた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第14話 ~【龍気】の代償~

妹紅を救うため、格上の妖怪に戦いを挑んだ紫と龍人。
しかし相手の力は強く、龍人は龍哉から安易に使うなと言われていた【奥義】を繰り出す。


「――グオオアアアアアァアアァァァッ!!?」

 

 凄まじい悲鳴と吐血を繰り返しながら、異形の者は一瞬で屋敷から吹き飛ばされた。

 今にもバラバラになってしまいそうな凄まじい衝撃と激痛を絶え間なく受け続けながら、異形の者は屋敷の壁だけでなく近くの家屋の壁すら破壊しながらも…尚止まらない。

 爆撃めいた音と共に吹き飛び続け、既に右腕と左足は衝撃で捻り切れ、残る左腕と右足も既に折れ曲がっている。

 だがそれでも異形の者は止まれない、龍人が放った一撃はそれだけの破壊力を持っていたのだ。

 

「ギイィィィィィィィィイイイイィィィィィ――――!?」

 

 何故、どうして。

 相手は自分よりも格下だった、とるにたらない相手だった筈だ。

 だというのに、今こうして自分はその格下相手の一撃を受け――命の灯火が尽きようとしていた。

 

「おのれ……おのれおのれおのれオノレェェェェェェェェェェェェッ!!!!!」

 

 怒りと憎しみを際限なく増幅させ、しかしそれが晴れることは決してなく。

 数百メートルという距離を家屋を破壊しながら吹き飛ばされ続けた後、異形の者は破裂音と共に爆散した。

 それで終わり、藤原不比等を殺め惨状を生み出した異形の者は、この世界から跡形もなく消滅した。

 

「…………」

「は、あ、あ……」

 

 腕を突き出したままの体勢で立ち尽くす龍人。

 一方、紫はその瞳を限界まで見開かせながら、無言で大穴が開いた屋敷の壁へと視線を向けていた。

 

(なんて、デタラメ……)

 

 龍人が放った一撃は、それこそデタラメ以外の何物でもなかった。

 相手は自分達よりも遥かに上の存在であった、故に紫達の攻撃はまともに当たった所で致命傷になるわけがない。

 だというのに、龍人が放った一撃は致命傷どころか相手の命を五度奪っても足りぬ程の破壊力を秘めた一撃だったのだ。

 驚愕しないわけがない、今の龍人が放てる一撃ではなかったのだから。

 

「――――、ぁ」

 

 ぐらりと、龍人の身体が崩れる。

 そのまま彼の身体は背中から地面に倒れようとして。

 

「――チッ、やっぱり使いやがったのか」

 

 そんな彼の身体をしっかりと支えながら、上記の言葉を呟く第三者が現れた。

 

「龍哉……」

「すまぬな紫、遅れてしまった」

「マミゾウ……」

 

 現れたのは、龍哉とマミゾウであった。

 遅すぎる増援に紫は表情を強張らせつつも、ここで緊張の糸が切れたのかその場に座り込んでしまった。

 格上との戦闘による緊張感と死の恐怖が、終わった事により一気に彼女の身体に襲い掛かったのだろう。

 すぐさま紫を休ませてやりたいと思った龍哉とマミゾウだが、まだ彼女にはやってもらわねばならない事がある。

 

「紫、スキマを俺達が泊まってる宿に繋げろ。既に祓い屋達も動きを見せてる、こんな所で鉢合わせになったら面倒だ」

「……でも、妹紅が」

「あの人間の少女なら、屋敷から飛び出してすぐに他の人間に保護されたよ。それより早くしろ」

「……そう。ならいいわ」

 

 龍哉の言う通りだ、そう思った紫はすぐさまスキマを展開させた。

 龍哉は龍人を抱きかかえ、マミゾウは立ち上がれない紫を抱きかかえスキマの中へと入り――その場から消える。

 スキマは一瞬で紫達が泊まっている部屋へと繋がり、今度こそ紫は心の底から安堵したかのような溜め息を吐き出した。

 

 ……生き残れた、自分より格上の相手と戦って五体満足で生き残れた。

 その事実が紫に生への感謝と執着を与え、それと同時に……()()()も与えてしまう。

 

「とにかく今はお前等の傷を治してやる、来い」

「…………」

「紫、どうした?」

「えっ……あ、なんでもないわ」

 

 既に意識を失っている龍人と紫を治療していく龍哉。

 傷はすぐに癒えたものの……龍人の意識は一向に戻らなかった。

 きちんと呼吸はしているし生きてはいる、だがまるで死んだように眠っている姿は紫達を不安にさせた。

 特に紫は龍人が目の前で致命傷を負った姿を見ている、不安はマミゾウ以上であった。

 

「大丈夫だ。いずれ目を醒ます」

「……そう、それならいいのだけれど」

「しかし龍哉、傷を治療したというのに何故龍人は眠ったままなんじゃ?」

「力を使い過ぎたんだよ。正確にはこの馬鹿は今の自分に耐えられる以上の【龍気】を一度に放出したんだ」

「龍気……(りゅう)(じん)が使える自然界に存在する力を自分に取り込む能力」

「正式な名称じゃないがな。尤も、この力に正式な名称なんぞ無いが」

 

 前に龍人から聞いた話を思い出す。

 自然界の力というのは凄まじいものであり、これを取り込む事ができる【龍気】を扱えるからこそ龍人は並の妖怪では敵わない力を発揮できる。

 だが紫が知っているのはそれだけ、だからこそこの機会に訊いておきたいと思った。

 

「ねえ龍哉、【龍気】を使った影響なのはわかったけど……それだけで、あれだけの破壊力を持つ攻撃を生み出せるものなの?」

「待て紫、その口振りから察するに……あの状態は、龍人がやったのか?」

 

 マミゾウが言ったあの状態とは、龍人が放った一撃が原因で生まれた一直線に伸びる巨大なクレーターの事だ。

 始まりは藤原の屋敷からであり、まるで蛇のように真っ直ぐなクレーターが都に生まれていたのだ。

 当然そこにあった建物は粉々に砕け散っており、そこだけ天変地異が起きたと錯覚できるかのような惨状であった。

 てっきりマミゾウは紫と相手によるものだと思っていたのだが……。

 

「紫、コイツ……龍爪撃(ドラゴンクロー)を使ったんだろう?」

龍爪撃(ドラゴンクロー)……ええ、確かに龍人はそう言っていたと思う」

「あれはな、圧縮した【龍気】を右腕一本に集めて相手に叩きつけるって単純な技でな。例えるなら妖力を右手に込めてそのまま相手をぶん殴ると同じ原理なんだよ」

「何を言っておる。そんな単純なものであれだけの事を……」

「それができるんだよマミゾウ、それだけ【龍気】……正確には自然界の力が凄まじいんだ」

 

 それから龍哉は、【龍気】の――自然界の力について話し始めた。

 自然界とは即ち、()()()()()()と同意。

 つまりその力はこの世界が存在する限り、際限なく取り込める無限の力だそうだ。

 それを聞いて紫とマミゾウは当然ながら唖然としてしまった、あまりにも出鱈目なのだから当然である。

 しかしあれだけの破壊力を見せ付けられてしまえば、強ち間違いではないとも思った。

 神々すら打ち倒す事ができる力、それが龍人が扱える【龍気】という力だった。

 

「まあ当然と言えば当然なんだけどな。龍人は(りゅう)(じん)の血を引いてんだ、そして(りゅう)(じん)は八百万の神々の頂点に君臨する(りゅう)(じん)(ぞく)の力の一部を受け継いで生まれる人間。

 デタラメなのは当然だし、寧ろあれでもまだ優しいもんだ」

「…………なんというか、夢のような話じゃの」

「だが無尽蔵に力を取り込めるという事は、同時にその負担も無尽蔵という事だ。

 だから俺は龍人の身体が成熟するまで龍爪撃(ドラゴンクロー)の使用を禁じたんだが……ったく、いくら格上の相手だからって使うなよな」

 

 呆れたように呟きながら、眠っている龍人を軽く睨む龍哉。

 だが彼が怒るのも無理はない、初めて龍人が龍爪撃(ドラゴンクロー)を使った時、半年以上も目を醒まさなかったのだ。

 それだけ【龍気】を使用した際の負担が膨大という現れであり、欲を言えば【龍気】自体の使用も禁じたいくらいだ。

 元々は神々――龍神だけが使う事ができる力なのだ、肉体が神々よりも脆弱な者には負担が大き過ぎる。

 

「それで、龍人はいつ目を醒ます?」

「さてな……まあ一生なんて事はないだろうが、あれだけの破壊力を持つ龍爪撃(ドラゴンクロー)を使っちまったからな……下手をすると何十年と掛かるぞ」

「何じゃと……!?」

「俺が禁じた理由が判るだろ? とにかく今はおとなしくしていた方がいいだろ、あんな事件が起こっちまった以上人間達の警戒心が上がる。

 そんな中で人間じゃねえ俺達が下手に動けば面倒になる、そうだろマミ?」

「じゃな……わしの変化の妖術を見破れる人間がこの都に居るとは思えんが、おとなしくしているに越した事はない」

「…………」

 

 今後の事を話し合う龍哉とマミゾウ。

 その中で、紫は無言のまま俯いていた。

 ……先程彼女の中で生まれた()()が、彼女の心を責めていく。

 それを振り払いたくて、彼女は勢いよく立ち上がりそのまま外に出ようとした。

 

「紫、何処へ行く?」

「……少し、夜風に当たってくるわ」

 

 マミゾウの問いに視線を合わせないまま答え、紫は改めて外へと出ようとしたが……今度は龍哉に呼び止められる。

 

「おい、紫」

「…………何かしら?」

「わかっていると思うが、龍人が今こうしているのは他ならぬコイツが未熟だからだ。

 力もまともに使えないくせに格上の相手に挑むなんていう愚かな事をしたからこその結果にすぎねえ、だから……お前が責任を感じる必要も意味もないんだからな?」

「…………私が、そんな女に見えるのかしら?」

 

 嘲笑しながらそう返し、紫はその場を後にする。

 だがその嘲笑は、自分自身に向けられているように2人には思えた。

 

「……ったく、これだからガキは」

「致し方あるまい。紫は龍人を何処か弟のように思っているようじゃからな」

「確かにアイツもまだまだ未熟だ、だがこうなったのは龍人が弱いからでしかない。

 自分と相手の力量も測れないもんが、遥か上の領域に手を伸ばした結果……こんな醜態を晒してるだけだ」

「手厳しいのう……」

 

 しかし、残念ながら龍哉の言葉は正しい。

 龍人の行動は愚か者でしかない、相手が自分より格上だとわかりながらも立ち向かったのだから。

 そんな事ではこの世界で生き残る事などできない、それだけ龍人達が歩んでいる世界は厳しいのだ。

 ……だが、それでも。

 自分にとって大切な友を守ろうとした龍人を、マミゾウは心から責める事はできなかった。

 

 

 

 

「…………」

 

 静寂に包まれた都を、紫は彷徨うように歩いていく。

 目的があるわけではない、ただ今は……何も考えたくなかった。

 

(私は、なんて……)

 

 弱いのだろうと、紫は己の弱さに憎しみすら覚えた。

 何もできなかった、先程の戦いで自分は足手まとい以外の何者でもなかった。

 その事実が紫のプライドを砕き、そして……自分より弱いと思っていた龍人の力を見て、彼女の心は傷ついていた。

 だがその傷は決して龍人に対する劣等感から来るものではなく、命を懸けて戦う彼の力になれなかったという事実から来る傷であった。

 

 未熟なのはわかっている、だがそれでも……境界を操る能力という力を持っている以上、そこいらの者には負けないと思っていた。

 そして龍人の事は、危なっかしくて自分が見ていないと駄目な弟のように思っていた。

 だが現実は違う、彼は紫よりも強い力を持ち、そして……決して相手が誰であろうとも立ち向かえる勇気を持っている。

 笑えない話だ、自分の傲慢さにもはや笑いさえ浮かばない。

 

「――辛気臭い顔ね、せっかくの美人が台無しよ?」

「えっ……」

 

 突然掛けられた声に驚きつつ、紫は視線をそちらへと向ける。

 視線の先には……自分に対して怪訝な表情を浮かべた、輝夜の姿があった。

 

「輝夜……?」

「何やっているのよ、こんな所で」

「それはこっちが訊きたいわ」

「わたしはねえ、ちょっと散歩よ」

「…………」

 

 貴族の娘が護衛も付けずに、夜の都を散歩。

 明らかにずれている彼女の行動に、紫は呆れを通り越し…つい苦笑してしまった。

 

「そっちこそ、そんな辛気臭い顔してどうしたのよ?」

「…………」

「……言いたくないなら別にいいけど、暇ならちょっと付き合いなさい」

 

 そう言って、紫についてくるように命令する輝夜。

 強引な物言いだったものの、拒否する理由もなかったので紫はおとなしくついていく事に。

 そのまま輝夜は紫を連れて、自分の屋敷へと戻る。

 いつもの縁側に腰掛け、紫も輝夜の隣に座り込んだ。

 しかし輝夜は何も言わず、ただ黙って月を見上げるだけで紫に問いかけたりはしない。

 紫も紫で何も言わず、2人の間に暫し静寂が訪れていたが……我慢できなくなったのか、輝夜が先に口を開いた。

 

「――妹紅なんだけど、今わたしの屋敷で保護しているわ」

「えっ……!?」

「だってしょうがないわよ。妹紅以外の親族はもちろん、使用人全てが殺されていたんだから」

「…………」

 

 やはりあの屋敷に妹紅以外の生き残りはいなかったようだ。

 わかっていたが、輝夜から改めてその話を聞いて紫の表情が僅かに歪む。

 

「……妖怪なのに、人間が死んだのがそんなに悲しいのかしら?」

「えっ?」

「そんな顔していたからよ。まあ別にいいけど」

「…………」

 

 悲しい? 妖怪の自分が、罪の無い人間が死んで悲しんでいる?

 馬鹿げた話だと、紫は一笑し思考を切り替えた。

 

「とにかく妹紅の事は心配しなくて大丈夫よ。だけど……さっき辛気臭い顔をしていたのは、それが原因じゃないんでしょ?」

「…………別に、あなたには関係ないわ」

「そうね、でもわたしって結構あんたの事気に入ってるのよ? だから訊きたいわ、話してくれない?」

「…………」

 

 有無を言わさぬ物言い。

 だが決して輝夜は急かさず、ゆっくりと紫の言葉を待っていた。

 ……そのせいだろうか、人間に弱みなど見せたくないと思っていた紫であったが。

 

「――龍人との力の差を思い知って、自分自身に愛想を尽かしただけよ」

 

 気がついたら、己の心を輝夜に吐き出してしまっていた。

 

「? 意味が分からないんだけど?」

「ちゃんと説明するわよ」

 

 それから紫は、輝夜に妹紅の屋敷であった事を全て話した。

 あの騒動の原因の1つが紫達だと予想していたせいか、それを聞いても輝夜の反応に驚きの色は無かった。

 

「龍人の力は私を大きく超えていたの。それなのに私はそれに気づかず、あの子を何処か見下していたわ」

「ふーん……」

「それが恥ずかしくて、同時に情けなくて……」

 

 一度恥ずべき姿を見られてしまったからか、紫は自分でも驚くぐらいあっさりと心の内を輝夜に明かしていた。

 人間である輝夜に、妖怪である自分の弱さを吐露する。

 なんと情けない事か、本来ならば恥ずべき事だが……不思議と、紫の心は穏やかだった。

 

「でもさ、そんなのすぐに追い越せばいいじゃない」

「……簡単に言ってくれるのね」

「悩んだ所で強くなるわけでもないわ、悩み続ける事には意味があるけど…紫が今やっている事は無意味でしかない」

「…………」

「歩みを止めれば成長しない、だったら立ち止まらずに歩み続ければいい。

 妖怪は……というか紫は物事を難しく考えすぎなのよ、そんなんだからすぐそうやって歩みを止めちゃうんじゃない?」

 

 そう言って、輝夜はからからと笑う。

 こっちの事情も知らないで……そう思いながらも、紫は輝夜の言葉を心の底では受け入れていた。

 

 そうだ、彼女の言っている事は正しい。

 難しく考えず、ただ歩みを進めて……今度こそ龍人より強くなればいいだけ。

 とはいえ、そういった考えに到るまでが大変なのだ、特に精神に影響を及ぼしやすい妖怪では尚更である。

 

「でも龍人って強いのね、普段の姿からは想像もできないけど」

「だからこそ、私も彼の力を見誤ったのだけどね」

「それだけ強いなら、わたし専属の護衛として雇おうかしら」

「やめておきなさい、龍人がそんな器用な真似できると思う?」

 

 無理ね、即答しながら再びからからと笑う輝夜。

 それに釣られて紫も笑ってしまい、2人の笑い声が縁側に響き渡る。

 一頻り笑い、それが収まった時には……紫の心は軽くなってくれていた。

 そんな彼女の様子を見て、輝夜はそっと微笑みながら……再び空を仰ぐ。

 

「月を見るのが、そんなに楽しいの?」

「楽しいわけないじゃない。それにわたし……月はちょっと嫌いなのよね」

「? じゃあ、どうして見ているの?」

「…………」

 

 紫の問いには答えず、ただ黙って月を見やる輝夜。

 その様子に怪訝な表情を浮かべながらも、なんだか話しかける事ができず、紫も輝夜と同じように空を見た。

 少しだけ欠けた月が浮かぶ、満月まで……およそ5日といった所だろうか。

 月は巨大な“魔の塊”、満月になった夜は妖怪が最も活動を活発化させる夜になる。

 

「――もうすぐ、ね」

「えっ?」

「満月、あと…5日ぐらいかしらね?」

「そうだけど……それがどうかしたの?」

 

 人間である輝夜には、満月になろうとどうでもいい事の筈だ。

 そんな事を考えつつ、紫は輝夜の次の言葉を待ち。

 

 

 

「――次の満月の夜にね、月から迎えが来るのよ。

 そうしたらわたし、もうここを離れなければならなくなるの」

 

 その言葉を聞いて、端正な顔に驚愕の色を浮かばせた。

 

 

 

 

To.Be.Continued... 



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第15話 ~月からの迎え~

輝夜との対話によって、紫の中に宿った罪悪感は幾分かは和らいでくれた。
それに感謝しつつ、紫は輝夜からある未来を告げられる。

満月の夜、自分が月に帰らなければならないという未来を―――


――では、開始します。

 

――我自らが行ければいいのだがな、すまぬ。

 

――お気になさらず、こちらとしても正常に動くのか試してみたい所でしたので。

 

――うむ……頼むぞ。

 

――畏まりました、吉報をお待ちくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 満月が地上を照らす。

 その地上に存在する都の中にある輝夜の屋敷は、夜だというのに喧騒に包まれていた。

 広く美しい屋敷の中庭には、数多くの武装した男達が忙しなく動いている。

 屋敷は殺気立った空気に包まれ、男達を少し遠目で見ていた輝夜は……そっと溜め息をついた。

 

(気持ちはわかるんだけどねえ……)

 

 今宵は満月、そして……その月から輝夜を迎えに来ようとする者達が来る日。

 彼女はこの地上の人間ではない、地上の遥か上空に浮かんでいる月に住まう“(つき)(びと)”と呼ばれる種族だ。

 とある事情により彼女は地上へと堕とされ、そこで竹取の翁――輝夜が“おじいさん”と呼び慕っている男に拾われた。

 その瞬間、輝夜は地上の人間として生きる事を決め、それは未来永劫変わらない…筈であった。

 

 だがあろう事か、他ならぬ月人から十五夜の日に彼女を迎えに行くという連絡が入ったのだ。

 黙っているわけにもいかず、輝夜は育ての親である竹取の翁達にその事を話し……この状況が出来上がってしまった。

 武装している男達は翁が雇い入れた武士達、翁は輝夜を守る為に月からの迎えと戦う道を選んでしまったのだ。

 

 無論輝夜としてはその気持ちは嬉しく思っている、自分を本当の娘のように思ってくれたからこそ、守ろうとしてくれるのはわかる。

 だが……残念ながら、翁の心遣いは徒労に終わってしまうだろう。

 腕に覚えのある武士をおよそ百人近くも雇ったようだが、それでも無意味なのだ。

 だって、自分を迎えに来るのは――

 

「輝夜」

 

 名を呼ばれ、輝夜は横へと視線を向ける。

 そこに居たのは、“あの事件”の唯一の生き残りとなった藤原妹紅であった。

 

 妹紅は現在輝夜の屋敷で保護され、翁達に可愛がられている。

 親兄弟を一度に喪ってしまったものの、妹紅は決して悲しむ様子を見せずに気丈に振舞っていた。

 無理しちゃって、そう思いながらも輝夜は妹紅の心の強さに感嘆しつつ、同時に尊敬の念を向ける。

 まだまだ小さな少女でしかないというのに、その心の強さはかなりのものだ。

 ……きっと自分が居なくなっても、翁達を支えてくれる事だろう。

 

「……輝夜?」

「あ、うん……どうかしたの?」

「さっきから呼んでるのに……やっぱり不安?」

「別にそういう訳じゃないわよ、それより何か用があったんじゃないの?」

「うん、輝夜にお客様よ」

「客……?」

 

 はて誰だろうか、首を傾げながら輝夜は妹紅と共にその場を後にする。

 そして客間へと足を運ぶと、そこに居たのは……紫達であった。

 だがその中に龍人の姿は存在しない、紫から話を聞いていたが……5日経った今でもまだ目覚めていないようだ。

 

「あら、皆さんお揃いで」

「ごめんなさいね輝夜、こんな時に」

「別に構わないわよ。でもそれなりの祓い屋も来ているから、長居していると変化の妖術を見破られてしまうわよ?」

「大丈夫ですよ輝夜姫様、それよりも……どうか私達にも貴女様を守らせてはいただけないでしょうか?」

 

 そう言ったのは、恭しい態度を見せる龍哉であった。

 彼の言葉を聞いて輝夜は目を丸くする、突然の申し出なのだから当然だ。

 しかし……一体どういう風の吹き回しなのだろう。

 彼等は人狼族に命を狙われる身、だというのにこんな所で道草を食っている場合ではない筈だ。

 

 だが龍哉の瞳は嘘を言っているものではない、彼は本気で自分を月の使者達から守りたいと思っているようだ。

 尤も、後ろで壁に背を預けて腕組みをしているマミゾウという妖怪は、乗り気ではないようだが。

 

「一体、何が目的なのかしら?」

「特に何も。ですが私の息子である龍人にとって姫様は大切なご友人、親として息子の友人を守りたいと思う親心で御座います」

「…………」

 

 白々しい話である、全てが偽りではないが……それが本音ではあるまい。

 何を企んでいるのかはわからないが、輝夜はその申し出を受ける事にした。

 

「ありがとう。でも少し離れた位置で待機していた方がいいわ」

「それは承知しております。それでは」

 

 輝夜に頭を一度下げてから、龍哉は部屋を後にする。

 続いてマミゾウも無言で彼の後を追い、部屋には紫と輝夜、そして妹紅が残された。

 

「紫は行かないの?」

「私は中であなたの傍に居るわ」

「そう。……ところで、龍人はまだ目を醒まさないのね」

「…………」

 

 しまった失言だった、紫の顔が曇った事に気づき輝夜は少しだけ後悔する。

 しかも顔を曇らせたのは紫だけではない、彼に助けてもらった妹紅も同様の表情になってしまった。

 なんとも微妙な空気になってしまった、苦笑しつつどうしたものかと輝夜が考えていると。

 

「き、来たぞーーーーーーーーーーーっっ!!!」

 

 遂に、その時は訪れた。

 その声に反応し、すぐさま屋敷の外に出る紫と妹紅。

 一方の輝夜はのんびりとした動きでそれに続き、全員空を見上げた。

 

――光が、ゆっくりと地上に降りてくる。

 

 その中心には複数の人型の姿が見えた、肉眼で確認できる限りでは10人程だろうか。

 向かってくる先は勿論この屋敷であり、けれどその姿はあまりにも無防備であった。

 弓矢で狙ってくださいと言わんばかりの姿に、人間達は一斉に矢を構えた。

 そして射る瞬間、紫は一瞬だけ奇妙な感覚に襲われたと思った時には。

 

――翁達、そして輝夜と妹紅以外の人間達が、地面に倒れ伏していた。

 

「えっ――」

「――まあ、当然か」

 

 わかりきっていたと言わんばかりの口調で、輝夜が呟きを零す。

 翁達と妹紅は突然の事態に混乱しており、その場に立ち尽くす事しかできない。

 

「一瞬で意識を奪ったんだろうな、それも後遺症が残らない程度の力で。

 妖怪である俺達が効かなかったのもそのせいだろ」

 

 いつの間にかこの場に居た龍哉が、今の状況を説明する。

 

「でも、妹紅達は……」

「意図的にあいつらの意識だけは残したんだろ、ただそれだけの話だ」

 

 あっけらかんと説明する龍哉だが、その事実を紫はすぐさま信じる事はできなかった。

 そのような限定的な術など聞いた事がない、これだけの範囲に居る者達の意識を一瞬で奪うだけならばともかく、ごく少数を意図的に術から外れさせるなど……できるというのか。

 しかし龍哉の言葉に偽りの色はない、そればかりか「できて当然」と言わんばかりの口調であった。

 そして――月から降りてきた者達が、紫達の前に着地した。

 

 改めてその者達を見やる紫、最初に思ったのは――珍妙な格好だなという感想であった。

 全員が白づくめの服に身を包んでおり、見た事のない鈍い光沢を放つ物体を抱えるように持っている。

 そんな珍妙な集団の中心には、長く美しい銀の髪を三つ編みにした女性の姿が。

 おそらく彼女がこの集団のリーダーのようなものなのだろう、立ち振る舞いだけでなく……内側から溢れ出す力は、ただただ強大だ。

 銀髪の女性が輝夜に視線を向け、片膝を地面に付け頭を垂れた。

 

「――お久しぶりです、姫様」

 

 成熟した見た目に相応しい、美しくそしてよく響く声で銀髪の女性は輝夜に話しかける。

 

「ええ、本当に久しぶりね……“八意(やごころ)××”」

 

 対する輝夜は、少しだけ嬉しそうに銀髪の女性の名を呼んだ。

 だが苗字にであろう八意という言葉は聞き取れたものの、下の名前がよく聞き取れなかった。

 いや、聞き取れなかったというよりも、理解できなかったと言った方が正しいかもしれない。

 と、八意と呼ばれた女性が紫達に視線を向ける。

 

「お、お願いします! この子を…輝夜を連れて行かないでくだされ!!」

 

 瞬間、翁達は上記の言葉を放ちながら、八意達に土下座をした。

 

「おじいさん、おばあさん……」

「わ、私からもお願い! いえ、お願いします!!」

「妹紅……」

 

 妹紅まで頭を下げ、八意達に懇願する。

 その光景を見て輝夜は嬉しく思う反面、胸が苦しくなった。

 こんな自分の為に、ここまでの事をさせておきながら……自分はそれに応える事ができない。

 ……もう自分は、こんなにも優しく暖かな人達の傍に居る事ができないのだ。

 

「…………」

 

 八意は何も言わない、ただ黙って翁達を見下ろしている。

 その瞳には何の感情も感じられず、代わりに白づくめの男の1人が声を荒げた。

 

「気安いな、穢れた地上の民。貴様等程度の懇願に我々が頷くと思っているのか?」

 

 放たれた言葉は、傲慢さが滲み出ている拒否の言葉だった。

 他の白づくめの男達も口には出さないものの、明らかに翁達を見下したような視線を向けていた。

 

「この人達はわたしの地上での育ての親であり、親友よ。――見下すことは、許さないわ」

「も、申し訳ありません……」

 

 輝夜に睨まれ、一気に萎縮する白づくめの男達。

 

「――あなた達の意識を奪わなかったのは、お礼を言うためよ」

 

 頭を下げている翁達を黙って見下ろしていた八意が、静かな口調で口を開く。

 頭を上げる翁達、その顔には困惑の色が浮かんでいた。

 

「竹取の翁とその妻、あなた達は姫様を正しく育ててくれた。

 そして藤原妹紅、当初は身勝手な敵意を向けていた事に対する粛清をしようと思ったけれど、その後あなたは姫様の言葉を真摯に受け止め親友となってくれた。

 ――礼を言います。ありがとう」

 

 そう言って、八意は翁達に向けて頭を下げる。

 その行動に白づくめの男達は驚き、対する翁達は……その顔を絶望の色に染め上げていた。

 ……わかってしまったのだ、彼等は。

 もう輝夜は自分達の前から消えてしまうと、そしてそれを止める事はもうできないと。

 俯き、肩を震わせる翁達を一瞥してから、八意の視線は紫達へと向けられる。

 

「……あなた達も、姫様の帰還を邪魔するつもりなのかしら?」

「…………」

 

 身構える紫。

 だが――たとえ戦ったとしても、勝つ事はできないだろう。

 八意から溢れ出そうとしている力は、自分よりも遥かに大きい。

 しかも無意識の内に身体から出している力なのだから、本気を出せば今以上の力を発揮できる。

 それがわかってしまうから、紫は身構えるだけで何もできなかった。

 

「いやあどうでしょうね、でも……輝夜姫様が本当に帰還を望んでいるとでも?」

「貴様、地上の妖怪の分際で……!」

「よしなさい」

 

 手に持った物体の先端を龍哉に向ける白づくめの男。

 それを手で制しつつ、八意は視線を輝夜へと向けた。

 

「姫様、今のは一体どういう意味なのでしょうか?」

「あなたなら、言わなくてもわかると思ったけど?」

「…………」

 

 試すような、何処か期待するような口調で輝夜は言う。

 それだけで――八意は輝夜の心を、彼女の願いを理解する。

 だが本気なのだろうか、理解はしたが……納得したわけではない。

 彼女の願いは八意にとって意外なものであり、正直な所……理解に苦しむものでもあるのだから。

 

「――それが、今の姫様の願いなのですね」

 

 しかし、八意は自分の心中を決して表には出さない。

 自分の考えなど関係ない、今の八意にとって輝夜の願いこそが自分の願いなのだ。

 かつてある理由から輝夜を地上に堕とす原因を作ってしまった今の自分は、輝夜の願いを叶える事こそ存在意義なのだから。 

 だから、八意は迷う事無く輝夜の願いを叶えようと、部下である白づくめ達へと振り返り。

 

 

――突然、何の前触れもなく彼女の首が胴から離れた。

 

 

『―――――』

 

 突然の事態に、誰もが反応できなかった。

 宙に飛ぶ八意の首、それを呆然と眺めつつ……全員の視線が、一点へと注がれる。

 その視線の先に居るのは、1人の少女。

 雪のように白い髪と、血のように赤い瞳をもった少女が、いつの間にか八意の眼前に存在しており、右手に持つ刀で彼女の首を跳ねていた。

 瞳に無機質な色を宿す少女は、無表情のまま首と胴が離れた八意を見つめており。

 

「――いきなり、ご挨拶ね」

 

 命を奪った筈の八意の声を、耳に入れた。

 

「え――」

 

 無機質な、けれど何処か驚愕を含んだ呟きを零す少女。

 しかし次の瞬間、少女の身体は一瞬で細切れにされた。

 そしてそれを行ったのは――首を跳ねられた筈の、八意の身体であった。

 一瞬で生物を細切れにした早業も理解できなかったが、首を跳ねられたというのに動くという事態も、誰もが理解できない。

 

 しかし八意の身体は未だ動きを見せ、地面に落ちた自分の首を掴み上げ、まるでくっ付けるように元の場所へと添える。

 すると、離れた筈の首と胴が何事もなかったかのように元に戻ってしまった。

 

「な、なんじゃ……一体何が起きた?」

 

 突然の展開に、マミゾウはおもわずそんな呟きを零してしまう。

 だが紫も彼女と同様に混乱しており、人間である翁達と妹紅はショックな場面を連続で見てしまったせいか気絶してしまっている。

 その中で、龍哉と輝夜、そして八意だけはいつもと変わらない様子で――“来訪者”を迎え入れた。

 

「――失敗?」

「奇襲、失敗……」

「ならば、次は正攻法で……」

 

 そんな声と共に、再び音もなく現れる第三者。

 まるで最初からそこに存在していたかのような登場にも驚くが、何より驚いたのは……。

 

(同じ顔……!?)

 

 そう、現れた第三者の顔が、先程八意によって細切れにされた少女と瓜二つだった。

 顔だけではない、体格も服装も手に持った刀も、何もかもがまったく同じ。

 まるで三つ子を見ているかのようだ、否、三つ子でもここまで似通った容姿ではない。

 

 それにどういった方法を用いてこの場に現れたのかがまったくわからない。

 何かしらの術を使ったのならば、必ずその術の使用した際の力の残滓を感じ取る事ができる筈である。

 それは霊力も妖力も関係ない、だというのに現れた少女達は、その力の残滓をまるで感じ取れずに登場してきたのだ。

 混乱が混乱を呼び思考が停止しそうになるが、紫はすぐさま懐から【八雲扇】を取り出し身構えた。

 

――明確な殺意が、少女達から発せられているからだ。

 

 先手必勝とばかりに、紫は攻撃を仕掛けようとして……周りに沢山の人間達が倒れている事を思い出す。

 ここで戦うのは構わない、だがそんな事をすれば気を失っている人間達にまで被害が及ぶだろう。

 紫としては関係ない話ではあるものの、その中には輝夜の育ての親である翁達や友人の妹紅も居るのだ。

 急ぎこの場を離れなければならない、しかし相手がおとなしくついてきてくれるだろうか……。

 

「――開始、します」

「まずは……こちらから」

「っ」

 

 仕掛けてくる、紫達は一斉に身構え。

 瞬間、少女達の姿がこの場から消え――同時に、白づくめ達の命も消えた。

 

「なっ――」

 

 何度目になるかわからない驚愕の声が、紫の口から放たれる。

 

 またしても見えなかった。

 しかも消えたと思った時には――白づくめの男達全員の首が、先程の八意と同じように跳ねられていた。

 悲鳴も上げず、間の抜けた表情のまま自分が殺された事も理解できずにこの世から消える白づくめの男達。

 そして、少女達の視線が一斉に紫達に向けて向けられる。

 

「……妙な業を使うもんだな」

「そうじゃな。術の残滓を感じる事ができんかった……一体どんな奇怪な業を使ったんじゃ?」

(マミゾウもわからなかったのね……)

 

 だとすると、相手は相当の実力者という事になる。

 同じ顔を持ち、まるで人形のように表情一つ変えない白髪の少女達。

 一体何者なのか考察したいが、そんな暇はないらしい。

 

「――ちょいと、協力しませんか?」

 

 言いながら、龍哉は輝夜を守るように立っている八意へと声を掛ける。

 

「協力?」

「相手の能力がわからない以上、ここは協力して戦った方がいいと思いましてね」

「…………」

 

 龍哉の提案に八意は何も答えず、代わりに行動で応える。

 何かを呟き、右手で地面を叩く八意。

 その瞬間、気絶した翁達を含んだ倒れている人間達と事切れた白づくめの男達…そして輝夜の姿が消えた。

 

「おーおー……相変わらずデタラメっすね、八意××様」

「……あなた、どうして私の本来の名前を知っているの? いえ、どうして発音できるの?」

「おや、八意様ともあろう御方が俺を覚えていないのですか? まあ……あなたにとって俺なんて記憶に値しないかもしれませんが」

「…………まさか」

 

「――目標、確認しました」

「っ、何を話しておるかは知らんが来るぞ。身構えい!!!」

 

 檄を飛ばすように、マミゾウが叫んだ瞬間。

 白髪の少女達は、一斉に紫達に向かって地を蹴り吶喊していった――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第16話 ~白き人形達~

突如として現れた同じ顔を持つ謎の少女達。
輝夜を守るため、紫達は八意と共にその少女達を迎え撃った……。


――向かってくる少女達。

 

「マミは右、オレは左、紫は正面から迎え撃て」

「応っ!!」

「わかったわ」

「では私は傍観させてもらうわ、お膳立てはしたのだからね」

 

 そう言って、後方へと後退する八意。

 お前も戦えと言いたかったが、既に眼前にまで少女達が迫っていたので断念。

 

「ふっ!」

「くっ……!」

 

 正面からの斬撃を八雲扇で受け止める紫。

 どうにか防御するものの、凄まじい衝撃が腕から全身に伝わり、おもわず苦悶の表情を浮かべてしまう。

 

(強いわね……でも……!)

 

 負けるわけにはいかないと、己を鼓舞しつつ紫は斬撃を押し返す。

 すかさず八雲扇を振りかざし妖力弾を発射、八発の光球が少女を囲むように放たれ――ただの一振りで霧散してしまった。

 

(っ、正攻法では駄目ね……)

 

 単純な戦闘力では、向こうが勝っている。

 たった一度の攻防でそれを理解した紫は、正攻法での戦い方を諦めた。

 だが倒す術はある、というより今の自分ではこれ以外の方法はない。

 龍哉もマミゾウも別の少女達との相手で手一杯、援護は期待できないだろう。

 

「その首……貰います」

「……やれるものなら、やってみなさい」

 

 不敵に笑う紫にも、少女は表情を変える事無く向かっていく。

 それに不気味さを覚えつつも、紫は真っ向から迎え撃った――

 

 

 

 

「――ほれほれどうした? わしはここじゃぞ?」

「…………」

 

 繰り出される斬撃は、凄まじく速い。

 人間はおろか、並の妖怪であっても斬撃を放たれた事も気づかずに首を跳ねられるだろう。

 しかし、マミゾウはその斬撃を軽々と避けるばかりか、相手を挑発する余裕すら出していた。

 表情には出さないものの、少女の様子は僅かに驚きを含んでおり、それに気づいたマミゾウはますます笑みを深めていく。

 その笑みはあからさま挑発。結果、少女の斬撃は激しさを増していった。

 それでもマミゾウには届かず、そればかりか。

 

「――――っ」

「実直過ぎる斬撃じゃな。故に読みやすい」

 

 そればかりか少女の斬撃は――マミゾウが持つ巨大な尻尾で包み込むように掴まれてしまった。

 少女は力を込め刀を抜こうとするが、まるでビクともしない。

 

「どうした? 先程の不可思議な術でわしの首を跳ねればよかろう?」

「…………」

「まあ使えんじゃろうな。気配も力の残滓も残さずに移動できる術など、そうそう使える筈もあるまいて」

「…………」

 

 あれだけのデタラメな業だ、おいそれと使える筈はないとマミゾウは読んでいる。

 もしも無制限に使えるのならば、八意が結界を発動する前に自分達を全滅させる事ができるのだから。

 そして事実、少女は自分の力だけで刀を抜こうとしている、マミゾウの読みは当たっているだろう。

 このままもがく姿を見るのも一興だが、無駄な時間を作るつもりは彼女にはない。

 だから――マミゾウはすぐに決着を着けた。

 

「――幻術、【()(せつ)(ふう)じ】」

「っ!? これは……!?」

 

 突如として、少女は何者かに背後から四肢を掴まれてしまった。

 一体何が起きたのか、視線だけを後ろに向けると……そこには、凄まじい形相でこちらを睨む、鬼のような怪物が少女の四肢を掴んでいた。

 すぐさま拘束を解こうと試みるが、どんなに力を込めても抜け出す事ができない。

 尚ももがく少女に、マミゾウは掴んでいた刀を放しつつ少女に話しかける。

 

「無駄じゃよ。おぬしはもう動けぬ、わしが一番得意としている幻術を使用したからのう」

「幻術……」

「おぬしには、自分の身体を掴み上げている怪物の姿が見える筈じゃ。

 しかしそれは現実のものではない、尤も術にかかったおぬしからすれば現実になっておるがな」

 

 幻術【羅刹封じ】。

 マミゾウが使用できる幻術の中で一番強力な術であり、かけられた者は幻の羅刹によって四肢を拘束されてしまう。

 動きを止める類の幻術では高位の術であり、たとえ大妖怪であっても容易に術から逃れることは不可能。

 そして――マミゾウの相手であるこの少女では、決して抜ける事はできない。

 

「おぬしはまだ殺さん、目的と何者であるかを話してもらうまではな」

「ぐ……く……」

「無駄じゃよ。――さて、龍哉達は終わったかの?」

 

 龍哉へと視線を向けるマミゾウ。

 そこでは当然龍哉と少女が戦っていた……が。

 

(…………増えてる)

 

 そう、少女の姿が4人に増えていた。

 姿形はまったく同じ、それらが無表情のまま龍哉に向かって刀を振るっている光景は不気味の一言に尽きる。

 しかしマミゾウは助けに入らない、そればかりか。

 

「おい龍哉、何を遊んでおるんじゃ? それとも苦戦しておるのかな?」

 

 挑発にもとれる野次を飛ばす始末であった。

 これには龍哉もジト目でマミゾウを睨みつつ、しっかりと相手の斬撃を避け続ける。

 

「ったく、めんどくせえなあ……」

 

 最初は1人だったのに、突如として3人増えたのは参った。

 だがそれは4対1という不利な状況になってしまったという理由からではなく。

 

「――何人集まろうが、相手にならねえんだよ」

 

 たとえ1人から4人になろうとも、自分の相手にはならないという理由からであった。

 一斉に繰り出される斬撃、龍哉の逃げ道を塞ぐように放たれた攻撃は評価できる。

 しかし、ただそれだけだと龍哉は持っていた【光魔】を鞘から抜き取る。

 白銀の刃が表に飛び出し――それで終わり。

 

「最初の奇襲で俺の首を跳ねれば良かったのにな」

 

 再び刀を鞘に収める龍哉。

 そして少女達にそう言い放つが、既に4人の少女達は物言わぬ骸と化していた。

 抜刀すると同時に斬撃を放ち、龍哉の一撃は少女達の胴をまとめて薙ぎ抜きその命を奪ったのだ。

 まさしく速攻、光の速さだと錯覚してしまう程の斬撃で、少女達は自らが斬られた事も気づかずにこの世から消えた。

 

「マミ、そっちは……終わったみてえだな」

「相も変わらず凄まじい強さじゃなおぬしは、さて後は……」

 

 後は紫だけだと、龍哉とマミゾウは彼女へと視線を向ける。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「…………」

「……やっぱ、まだ無理か」

 

 紫と少女の戦いは、まだ終わりを迎えていなかった。

 それを何処か予想できていたと思わせる呟きを零しつつ、龍哉は紫へと声を掛けた。

 

「おい紫、手を貸してやろうか?」

 

 正直言って、今の紫ではこの謎の少女を打倒する事は難しいだろう。

 現に彼女の身体には決して浅くはない刀傷が無数に刻まれている、このままではいずれ致命傷を受けてしまうのは明白であった。

 しかし、紫は龍哉の提案に首を横に振って拒否の意志を見せる。

 

「大丈夫よ。もう終わりにするから」

「強がりを言うでない紫、今のおぬしでは……」

「心配ないわよマミゾウ。――()()()()()()()()

 

 そう言って紫は、左手を対峙している少女に向ける。

 そして、その手をそっと何か柔らかなものを掴むようにゆっくりと握りしめ――能力を発動させた。

 

――ぷちゅん、と。

 

 そんな間の抜けた音が、場に響く。

 

「なっ――」

「…………」

 

 刹那、目を限界まで見開き表情を凍りつかせるマミゾウ。

 当たり前だ、何故なら。

 何故なら――紫が手を握り締めると同時に。

 少女の身体が一瞬で潰され、跡形もなく消え去ってしまったのだから。

 

 血の一滴も残さずに、紫と対峙していた少女はその命を呆気なく散らす。

 断末魔の叫びも放たず、痛みも苦しみも感じないまま、まるで初めから存在していなかったように、この世界から消え去った。

 

「…………今、何をしたんじゃ?」

 

 紫が少女に何かしたのは間違いないだろう。

 しかし何をしたのか、マミゾウには理解できなかった。

 そんな彼女に、紫はあっけらかんとした口調で説明した。

 

「能力を使って、相手の境界をこの世界の境界と繋げただけよ」

「……何?」

 

 問いに答えた紫であったが、マミゾウにはその言葉の意味が理解できなかった。

 境界、という概念はマミゾウとて知っている、だがそれを繋げるというのは……。

 

「マミ、前に言ったろ。紫は境界を操る能力を持って生まれた妖怪だと。

 俺達がこの世に存在できるのは、俺達という存在を司る境界とこの世界そのものの境界が交わっていないからだ。

 だが紫は自分の能力を使って相手の境界を操作してこの世界の境界との隔たりを無くしてしまった、その結果相手は存在する事ができなくなり消滅したってわけだ」

「――――」

 

 龍哉も説明してくれたものの、それでもマミゾウには理解できなかった。

 否、理解できないというよりも、信じられないと言った方が正しいかもしれない。

 そのような能力など、一妖怪が持てる範疇を超えているではないか。

 まさしくその能力は創造と破壊を自由に行える神々の領域、話を聞いていたとはいえ……正直マミゾウは信じていなかった。

 だが今のを見てしまっては信じざるおえない、そして同時に……紫に対して、ある種の恐怖すら抱いてしまった。

 

――まだ、能力を完全に扱えるわけではない。

 

――ならば、今の内に。

 

「…………」

 

 浮かびかかった考えを、懸命に振り払う。

 ……()()()()などできるわけがない、忘れてしまえと己に言い聞かす。

 

「お前、最初から能力で勝てるならそうすればよかったじゃねえか」

「近接戦闘を勉強したかったから、ある程度相手をしたかったのよ」

「成る程ねえ……格上相手の敵を修行の道具にするとは恐れ入った」

「……そうでもしなければ、強くなれないわ」

「…………そうかい」

 

 そう呟いた紫の瞳の中に見えた決意の色を察し、龍哉はそれ以上何も言わなかった。

 

「――終わったのね、それで……あれはどうするの?」

 

 いつの間にか近寄ってきた八意が、マミゾウの幻術によって動けなくなった唯一の生き残りである少女を指差す。

 おっと忘れていたと3人は思い出し……その中で、マミゾウだけがニヤーッと意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「よし、では今からじっくりねっとりいたぶって……何者なのかを吐いてもらうとしようかのう」

「…………」

「あら、それは素敵な考えね。私も協力するわ、吐かせるのは得意だから」

「うむうむ、では参ろうか?」

「ええ、参りましょうか」

 

「……女って恐いなあ、紫」

「私をあんな連中と一緒にしないで頂戴、本当に」

 

 サディスティックな笑みを浮かべつつ、ゆっくりと少女に向かっていくマミゾウと八意。

 ……気のせいか、無表情である筈の少女が恐怖に脅えているような気がした。

 早く帰りたい、そう思いつつも情報は欲しいので紫はさっさと終わってほしいと願いつつ。

 

 

「――それは可哀想だから、やめていただけるかしら?」

 

 そんな声を、耳に入れた。

 

「っ」

 

 全員の視線が、声が聞こえた方向へと向けられる。

 そこに居たのは――1人の女性であった。

 

 色素の薄い赤い髪を短く纏め、白と水色を基調としたワンピースタイプの衣服で身を包み、優しげな笑みを浮かべている。

 得体の知れない、けれど何処か安心感を覚えさせるような不思議な雰囲気を醸し出す女性に、紫はおもわず警戒心が緩みそうになってしまった。

 まだ八意の展開した結界の中に自分達は居る、だというのに目の前の女性はその結界を破壊する事無く侵入してきた。

 ただの人間ではないという事は間違いないし、何より――女性の背中に生える白く大きな翼が人間ではないと告げている。

 

「んだよ……また新手か?」

「……私の結界の中に音も立てずに侵入してこれるとはね……」

「ふふっ、こういった事は得意だから」

「それでおぬしは何者じゃ? どうやらこの娘御の飼い主のようじゃが……」

 

「――ワタシは“アリア”、【アリア・ミスナ・エストプラム】と申します。以後宜しくお願い致しますわ」

 

 恭しく頭を下げつつ、丁寧な口調で自己紹介を始めるアリアと名乗る女性。

 ……その態度に怪訝な表情を浮かべつつも、誰もが彼女に対し警戒を怠る事はなかった。

 頭を上げるアリア、そして視線を少女へと向けたと思った時には。

 

「収穫はあったけど、もう少し“頂いていきましょうか”」

 

 アリアの姿が、紫達の視界から消えており。

 気がついた時には、既にアリアは少女の近くまで移動を終えていた。

 

「なっ――」

 

 まるで見えなかった、その事実に紫達は驚愕し。

 

「――おいおい、マジかよ」

 

 口調はいつも通り、けれどその声には隠し切れない驚愕の色を宿している龍哉の声が聞こえ――二度目の驚愕を迎えた。

 

――無くなっている。

 

 当たり前のように存在している筈の龍哉の右腕が、()()()()()()()()()()()

 しかもその無くなった腕を、少女を幻術から解き放っているアリアが持っていたのだから、ますます理解に苦しんだ。

 一体何が起きたのか、その場に居た誰もが理解できない中。

 

「――“(はく)”達の殆どがやられちゃったけど、一応の収穫があったからここらで失礼させてもらうわね」

 

 そう言い残し、アリアは少女と共にこの場から消えてしまった……。

 

「っ、龍哉!!」

 

 最初に我に返ったのは八意、先程の冷静な態度ではなく狼狽した様子で龍哉へと駆け寄った。

 その一瞬後に紫とマミゾウも我に返り、龍哉の元へ。

 対する龍哉は、じっと右腕があった場所を眺めているが……その顔に悲壮感はない。

 

「……あー、こりゃ再生は無理だな」

 

 そればかりか、まるでちょっと転んでしまった程度のように、軽々しい口調でそんな事を言っていた。

 

「い、一体何が起きた……? わしには何も……」

「俺も見えなかったよ、だからこうやって無様に右腕をとられちまった。

 まあとられちまったもんは仕方ねえ、片腕でも生きていけるし大丈夫だろ」

「…………」

 

 あまりにもあっけらかんと言い放つものだから、紫達はなんだか自分達が慌ててしまっているのが馬鹿らしく感じてしまった。

 

「八意様、とりあえず結界を解除して輝夜姫様達の所に戻りましょうや」

「……そうね、とにかく今はそうしましょう」

「待て、その前に怪我の治療を……」

「血なんぞ一滴も出てねえよ、もう止血はしたからな。まあちょっと見苦しいから後で傷口は隠しておかねえと拙いか」

「…………」

 

 生き残る事はできた、その事実と結果は間違いなく自分の糧になっただろう。

 しかし――謎も多く残ってしまった。

 いきなり現れたあの少女――白とアリアと名乗った女性は何者だったのだろうか。

 考え込むが当然答えなど得られる筈もなく、紫はそのまま輝夜の屋敷へと戻っていったのであった――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第一章エピローグ ~月の姫との別れ~

謎の女性【アリア】達との対峙を終え、屋敷へと戻った紫達。
全てが解決したわけではないものの、輝夜が月に戻る事は無くなり。

――そして、別れの時がやってきた。


「――輝夜、行くな!!」

 

 翁の悲痛な叫びが、屋敷に木霊する。

 皺だらけの頬には涙が伝い、隣に座る彼の妻も同様に涙を流していた。

 その視線の先には――八意と共に翁達を見下ろしている、輝夜の姿が。

 

「お前はわし達の娘じゃ。お前が居なくなってしまったら、わし達は一体何の為に生きていけばいい……!?」

「輝夜、行かないでおくれ……!」

 

 まるで許しを請うように頭を地面に擦りつけながら、翁達は懇願する。

 それはあまりにも無様で、けれど輝夜に対する愛情がひしひしと感じられる姿であった。

 ……僅かに、輝夜の表情が歪む。

 翁達に対する罪悪感と申し訳なさ、そしてここを離れなければならないという悲しみが、輝夜の心を苦しめる。

 

「――おじいさん、おばあさん、今までありがとうございました」

 

 だがそれでも、輝夜の選択は変わらない。

 変えられるわけがない、このままここに居れば再び月の者達が自分を捜しにやってくる。

 しかも今度は【裏切り者】としてだ、こちらが手を下したわけではないとはいえ、輝夜を迎えに来た月の使者が地上で殺されてしまった。

 その事実は月にとって輝夜達を裏切り者と認識するには充分過ぎるものであり、この地を離れなければ関係のない地上の者達が巻き込まれてしまうのは明白。

 だから輝夜は八意と共にこの場を離れるという選択を変える事などできるはずもなく、しかし翁達は決して認めようとはしない。

 

 そして――それを認めない人物が、もう1人居た。

 

「…………輝夜、行っちゃやだ」

「妹紅……」

 

 翁達とは違い涙は流さず、けれど身体を震わせ今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべる妹紅。

 懸命に涙を流すのを我慢しながら、妹紅は「行くな」と輝夜に言い続ける。

 

(……ああ、本当に)

 

 その姿の何と美しく、尊いものか。

 自分は心から愛され支えられているというのが、改めて実感できる。

 それのなんて素晴らしい事か、輝夜は今までにない幸福感に全身が包まれていた。

 

――だからこそ、この素晴らしい人間達には生きてほしい。

 

「――これを」

 

 言いながら、輝夜は翁達にあるものを手渡す。

 それは小さな小瓶、中からは僅かに液体の音が聞こえてきた。

 

「これは【蓬莱の薬】、不老不死の薬です。

 わたしができるせめてもの恩返しを、受け取ってください」

「ああぁ……!」

 

 今度こそ、翁達は絶望に打ちひしがれる。

 もう自分達の娘は帰ってこない、永遠の別れが決定付けられていると認めざるおえなかった。

 

「妹紅、おじいさんとおばあさんの事……お願いね?」

「ま、待って……わたし、私はまだ……輝夜の事を許したわけじゃない!!」

「…………」

「お前は……お前は父様を辱めたんだ、だから……だから、私に復讐されないといけないの!!」

 

 ぽろぽろと、妹紅の瞳から溢れんばかりの涙が流れていく。

 それを見て、輝夜は優しく微笑みながら彼女の涙を指で掬い……優しく包み込むように抱きしめる。

 ありがとうと、心からの感謝の言葉をそっと妹紅に耳打ちをして輝夜は彼女から離れた。

 そして翁達から背を向け、決して振り返ることなく八意の元へと戻っていった。

 

「輝夜!!」

「……さようなら。どうかお元気で」

 

 告げる言葉は、ただそれだけ。

 そして八意と共に、輝夜の姿は一瞬で消えた。

 

「…………輝夜ぁあぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 妹紅が叫ぶ、その声に怒りと憎しみと……敬愛と親愛の感情を込めながら。

 みっともなく涙を流し続けながら、妹紅はただただ輝夜の名前を叫び続けていた……。

 

 

 

 

「――まだかしら」

 

 所変わり、都から少し離れた平原。

 そこには荷物を纏め、輝夜達が来るのを待っている紫、マミゾウ、龍哉、そして龍哉に背負われ未だに眠っている龍人の姿があった。

 

「まあしょうがねえさ。最後の別れになるんだろうからな」

「……龍哉、あなた輝夜が月の者だと初めから知っていたの?」

「まあな」

「……あなたは一体何者なの?」

 

 龍哉は自分をただの妖怪だと言っていた、しかしただの妖怪が月に住んでいた輝夜や八意の事を知っているわけがない。

 それに彼には不可解な点が多過ぎる、(りゅう)(じん)でもないのに龍人と同じく【龍気】を扱えるし、五大妖にも一目置かれているその強さにも疑問が残る。

 紫の金の瞳が「答えろ」と告げており、龍哉は肩を竦めながらもその問いに答える事にした。

 

「ふっふっふ……実は俺は、“龍神様”だったのさ!!」

「…………」

 

 絶対零度を思わせる冷たい視線で、紫は龍哉を睨み付けた。

 だが――龍哉の表情に変化はなく、その雰囲気は冗談を言っているようには思えなかった。

 嘲笑でも送ってやろうと当初はそう思った紫であったが、龍哉の雰囲気を感じ取り信じられないといった表情で彼を見つめる。

 

「……正確には、“元”龍神って言った方が正しいな」

「…………龍哉、あなたは」

「もう何千年以上昔になるのかねえ……俺は【龍の世界】で生まれた龍神だった。

 けどその時の俺は好奇心旺盛……というより無鉄砲で後先考えずに行動するガキそのものだった、だから平和そのものだった【龍の世界】を飛び出したんだ」

 

 今考えると、本当に愚かしい行為だったと龍哉は自嘲する。

 

「んで、色々な世界を巡って……ある日、俺はとあるヘマをして死に掛けたんだ。そんな時俺を助けてくれたのが……」

「あの、八意という女性?」

「ああそうだ、しかも俺の傷が完治するまで輝夜姫様は自分の屋敷に住まわせてくれた。

 八意様と輝夜姫様、あの2人が居なかったら今の俺はここに存在していなかっただろうな」

 

 そして怪我が治り、龍哉は月から旅立っていった。

 いつかこの借りを必ず返すと、八意と輝夜に約束を果たしてから龍哉は【龍の世界】へと帰還したのだが……。

 

「好き勝手やってきたのが龍神王様――龍神族を束ねる御方の逆鱗に触れちまってな。

 俺は龍神としての地位を剥奪され、この身体を妖怪の身に堕とされ地上に永久追放……まあ、自業自得なんだが」

「……じゃあ、あなたが【龍気】を扱えるのは」

「身体を作りかえられても元々は龍神だったから、ってわけさ。まあ勿論ちょっとしか使えないけどな」

「成る程ね……」

 

 龍哉が何故【龍気】を扱える事ができたのか、その理由をようやく紫は理解できた。

 そして輝夜に対してあそこまで恭しい態度を見せていたのかも、八意の事を知っていたのかもわかった。

 しかし、龍哉が嘘を言っていると思っているわけではないものの、話の内容はおいそれとは信じられるものではない。

 

「紫、俺は嘘なんぞ吐いてないぞ?」

「……そうね。あなたはくだらない嘘は言うけれど、ここまでくだらない戯言は言わないものね」

「んだよ、マミと同じような事言いやがって……」

「マミゾウは、龍哉の事を知っていたの?」

「おぬしが紫と出会う前に聞いた事があってな、尤も月の者との関係は今初めて聞いたが」

「……龍人は」

「もちろん知らないし、これからも教えるつもりはない」

「…………」

 

 その方がいいだろう、彼は龍哉の事を本当の父親だと思って慕っている。

 不用意に事実を告げないほうが良い時もあるだろう、彼の心を傷つけたくはない。

 

「――おまたせー!」

 

 と、妙に明るい声を発しながら輝夜と八意が場に現れた。

 

「……もう、大丈夫なの?」

「ちょっと紫、どうしてあんたがそんな辛そうな顔をしてるのよ?

 わたしは最初からこうなるってわかってたんだから、別に悲しくなんてないわよ?」

「…………」

 

 強がりを言って、とは言えなかった。

 そんな事を言えば輝夜の心が傷ついてしまう、それは紫の本意ではない。

 大切な者との永遠の別れ、紫はまだそれを体験した事はないが……きっと想像を絶する悲しみなのは間違いないだろう。

 だから紫はそれ以上何も言わず、輝夜はそんな紫の心中を察したのか優しい微笑みを浮かべていた。

 

「それで八意様、これからどうするんで?」

「姫様と一緒に逃亡生活よ。私も月にとって裏切り者になってしまったからね」

「だったら、俺達と一緒に行きます?」

「せっかくの申し出だけど遠慮しておくわ。暫くは姫様とのんびり地上を散策させてもらうから」

「ありゃ、そりゃあ残念ですね」

「では姫様、そろそろ参りましょうか?」

「ええ……」

 

 八意にそう答えてから、輝夜は改めて紫に視線を向ける。

 ……お別れの時が、やってきたようだ。

 しかし不思議と紫の中での悲しみは少なかった、また会えると、そんな確信めいた予感が彼女の中で芽生えていたからだろうか。

 対する輝夜も、その表情に悲しみの色は無く、あるのは再会を望む願いのみ。

 どちらからともなく、2人は両手を合わせる。

 

「じゃあね、紫」

「ええ、またね……輝夜」

「今度会った時は、きっと今より綺麗になっているでしょうね。まあわたしには敵わないでしょうけど」

「言ってなさい。すぐに追い抜かしてあげるから」

「ふふっ、楽しみにしておくわ」

 

 最後まで笑みを崩すことなく、輝夜はやがて紫から離れ八意の元へ。

 

「それじゃあ……また」

「輝夜姫様、お元気で」

「ええ。そちらの妖怪狸も元気でね」

「わしはついでみたいに言うな。じゃが……また会える日を楽しみにしておるよ」

 

 その時は一緒に酒でも飲もう、そう告げるマミゾウに「勿論」と告げ――2人の姿が消えた。

 

「――では、わしはそろそろ佐渡に戻らせてもらうぞ。本当ならば龍人が一人前になるまで見守ってあげたかったが……部下達も心配なのでな」

「そうか。お前さんの部下まで人狼族に狙われちゃたまんねえだろうしな」

「龍哉、龍人をしっかり守ってやれ。そして紫、おぬしも無理はするな」

「わかっているわ。……色々とありがとう、マミゾウ」

 

 短い間ではあったが、彼女にも世話になった。

 最大限の感謝の意を伝えるために、紫はマミゾウに向かって深々と頭を下げた。

 そんな彼女にマミゾウは苦笑しつつ、ぽんぽんと彼女の頭を軽く叩き頭を上げさせた。

 

「妖怪が、弱みを見せてはいかんと言った筈じゃぞ?」

「あなたは友人だもの、関係ないわ」

「ふん、生意気な奴め……」

 

 悪態を吐きつつも、マミゾウが浮かべる表情は笑顔で溢れていた。

 そして「ではな」と軽い口調で2人にそう言ってから、マミゾウもその場を去っていった。

 残されたのは紫と龍哉、そして龍人の3人だけになり……少しだけ、紫は物寂しさを覚える。

 どうやら自分が思っていた以上に、輝夜やマミゾウという存在が自分の中で大きくなっていたようだ。

 

「さーて……これからどうする?」

「どうすると言われてもね……色々と騒動を起こしてしまったから都には戻れないし、それに龍人も目覚めていないし……」

「んー……よし、とりあえず歩きながら決めるか」

 

 そう言って、さっさと歩き始めてしまう龍哉。

 慌ててそれの後に続く紫、文句を言ってやろうかと思ったが……特に行き先も決めていないのでこれでいいかと納得した。

 目的の無い旅というのもいいだろう、自分達の立場を考えればあまり利口ではないがそれもまた一興。

 そう思うと、自然と紫の足取りは軽くなっていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――首尾は?

 

――まあまあ、と言った具合ですわ。とはいえ投入した“白”達はほぼ全滅してしまいましたが。

 

――ふむ、まだまだ改良しなければならないという事だな。

 

――収穫はありましたので、暫し“この世界”を探ってみます。

 

――頼むぞアリア、我のこの身体……まだまだ馴染まぬ。

 

――畏まりました、我が主。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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間章 ~小さな小さな楽園へ~
第17話 ~不可思議な隠れ里~


都を離れ、旅を続ける紫達。
そんな中、彼女達はある場所へと辿り着く……。


 穏かな風が、紫達の頬を優しく撫でる。

 小川のせせらぎはそのまま安らぎへと変わり、穏かな日々を実感させてくれた。

 そんな中、紫は龍哉と共に川に向かって糸を垂らしている。

 何をしているのかと問われれば、釣りという答えが返ってくるであろう行為を行う紫と龍哉。

 

「……釣れねえなあ」

「釣れないわねえ……」

 

 釣りを始めたのは朝、だが今では太陽が真上に昇っている。

 だというのに、2人が釣った魚の数は……ゼロ。

 

「紫は釣りが下手くそだな」

「あなたには言われたくないわね、下手くそ」

 

 悪態を吐き合いつつも、2人は釣りを続けていく。

 人ではない彼女達には人間とは違い明確な食事は必要としないのだが、食べるという楽しみを感じる事はできる。

 だから彼女達は食糧を確保しようとしているのだが……結果は散々なもののようで。

 

「龍人のヤツは上手いんだがなあ……」

「…………」

 

 紫の視線が、ある方向へと向けられる。

 そこには、大木の幹に身体を預けながら、静かな眠りに就いている龍人の姿が。

 ただ穏かに、小さな呼吸を繰り返しながら……まるで死んだように、眠っている。

 

「…………まだ、目が醒めないのね」

 

――都での出来事から、既に2年という歳月が流れていた。

 

 だというのに龍人の瞳はあれから開けられる事はなく、ただただ眠り続けている。

 紫と龍哉は眠ったままの龍人を連れ、目的のない旅を続けつつ……彼の目覚めの時をひたすらに待ち続けていた。

 その間も人狼族の襲撃が度々遭ったものの、幸運にもまだ生き延びる事ができていた。

 

「まあ初めて龍爪撃(ドラゴンクロー)を使った時も半年眠ったままだったんだ。

 あれだけの破壊力を出せるほどの【龍気】を一度に使えば、そう簡単に起きねえよ」

「…………」

 

 もしかしたら――もう二度と目覚めないのではないか?

 考えたくはない、でも時折ふと…紫はそんな事を考えてしまう。

 2年という月日は何百という年月を生きる妖怪にとってあっという間、それこそ瞬きする間と言ってもいい。

 だが眠り続ける彼を見ると、彼女の中でそういった不安が生まれるのは、ある意味では必然と言えるのかもしれない。

 

「あと何年……下手すると何十年って眠り続けるかもなあ。

 どんな力にも代償は必要だ、そしてこいつの払った代償は……それだけ大きいって事だな」

「…………」

「あー……にしても、やっぱ“片腕”だと色んな面で不便だなー」

 

 言いながら、龍哉は根元から無くなっている右腕へと視線を向ける。

 ……2年前、アリアと名乗る謎の女性により彼の腕は奪われてしまった。

 妖怪(元龍神)である彼ならば、いずれ腕が生えるのでその時は気にもしていなかったのだが……未だに彼の右腕は無くなったままだ。

 

(得体の知れねえ奴らだったな……目的もそうだが、感じられた力の質も感じた事のないものだった……)

 

 彼女達は一体何者なのか、あれから一度も出会えていないのでわからずじまい。

 とはいえ、出会わないのが一番なのだが。

 

「…………?」

「おっ……」

 

 ある気配を察し、2人は立ち上がる。

 

――人間と、複数の妖怪の気配。

 

 人間側は1人、妖怪側は少なく見積もっても5人。

 しかもその妖怪は、【人狼族】のようだ。

 ……考えなくてもわかる、その人間の未来はすぐに閉ざされると。

 何処にでもある光景、紫達にとって干渉する必要も義務もない事柄…ではある、が。

 

「―――龍哉」

「あん?」

「……少し、散歩に行ってくるわ」

 

 言うやいなや、紫はスキマを開きこの場から消える。

 手をひらひらと振りながらそれを見送って。

 

「――素直じゃねえの」

 

 楽しそうに笑いながら、龍哉はそう呟きながら釣りを再会させた。

 

 

 

 

 スキマを用いて、ある場所へと移動した紫。

 そこには、紫の突然の登場に驚きを隠せない人狼族の若者達と、その中心で座り込んでいる青年の姿があった。

 勿論彼等は先程紫達が察知した人狼族と人間である、何故わざわざ紫自らが彼等との干渉を行ったのかは……言うまでもなく、喰われようとしている憐れな人間を守るためだ。

 自分も随分甘くなったと思いつつ、紫は未だに呆然としている人狼族に呆れの表情を見せながら能力を発動。

 刹那、人狼族の背後に巨大なスキマが現れ――彼等の身体が呆気なくそれに呑み込まれた。

 

 それで終わり、スキマの中に呑み込まれた人狼族はそのまま紫の能力によって個々の存在を司る境界を操作され、音も無く消滅した。

 殺す意味はないが生かしておく意味もない、それに今の人狼族達は紫達を捜していたのだと推測できるので、生かしておけば色々と面倒になる。

 

 こうして厄介な追跡者であったであろう人狼族は消えてなくなり、場には紫と呆然としたままの人間の青年だけが残された。

 青年を一瞥した後、特別話すつもりもなかったので紫は再びスキマを展開。

 早く釣りを再開して今日の食糧を確保しなければ、そう思いながら彼女はスキマへと入り――

 

「ちょっとお待ちをーーーーーーーーっ!!」

「は………?」

 

 ……スキマへと入ろうとしたが、突然大声を上げながら迫ってきた青年に驚き、紫はおもわず動きを止めてしまった。

 

「助けてくださって、ありがとうございました!!」

 

 煩いぐらいの声で礼を言いながら、深々と頭を下げる青年。

 その態度に、紫はポカンとしてしまった。

 当たり前だ、今のやりとりで紫が人間ではないという事をこの青年は理解している筈。

 だというのに自分から近寄り、且つこのような無防備な姿で礼を言うなどと……バカなのかそれとも大物なのか、やや色素の薄い薄紫の髪を持つ青年に視線を向ける紫。

 その態度が自分の話を聞いてくれる気になったと思ったのか、青年はニカッと無邪気で人懐っこい笑顔を紫に向けた。

 

「是非ともお礼をさせてください! さあさあ!!」

「えっ、ちょっと……」

 

 ニコニコと笑みを浮かべながら、紫の手を掴み歩き始める青年。

 本当にこの人間は何者なのだろうか、色々な意味で。

 とりあえず引っ張られるのは不快なので、一度青年を止め掴まれていた手を引き剥がす。

 

「悪いけど、連れも居るしお礼はいらないわ」

「そんなあー……でしたらお連れの方も」

「必要ないと言ったはずよ、それに私……人間は一部を除いて嫌いなの」

 

 確かな拒絶の意を込めて、はっきりと告げる紫。

 青年の顔が、紫の迫力に圧されたのか僅かに強張る。

 これでさっさと消えてくれるだろう……そう思った紫であったが、相手は存外に大馬鹿者だったようで。

 

「――では、その嫌いな人間を好きになってもらいたいので、来ていただけませんか?」

「…………えぇー」

 

 

 

 

「――で、結局押し切られたと?」

「う、うるさいわね……」

 

 木々が生い茂る山の中を、紫達は歩いていく。

 だがその中に、先程紫が助けた青年も共に居た。

 

「さ、さすがに目障りってだけで命を奪うのは忍びないじゃない」

「ああそりゃあそうだが、だったらスキマでその場から逃げればよかったじゃねえか」

「……あんなに無邪気な顔で願われたら、無碍にするのも可哀想だと思っただけよ」

「はっ、お前も大分龍人みたいになってきたなあ」

 

 くけけけと意地の悪い笑みを浮かべる龍哉を、紫は全力で睨み付けた。

 しかしそれでもこの男には届かない、腹は立つが……まだまだ実力の差は大きいのだ。

 一方の青年は、そんな2人のやりとりには気づかず「こっちですよー」と呑気な声で道案内を続けている。

 

「おい坊主、俺達を何処に連れていく気かは知らんが……俺達はまだお前さんの名前すら知らないんだぞ?」

「おっとこれは失礼。私の名は【(ひえ)(だの)()()】と申します」

「龍哉だ。そしてこっちは八雲紫で、俺がおぶってんのが息子の龍人だ」

「寝ているのですか?」

「……まあ、そんなようなものだ。それで俺達を何処へ連れていくつもりだ?」

「まあまあ、もう少しで着きますから」

 

 何が楽しいのか、ニコニコと笑みを絶やさずに先導していく青年――阿一に、紫は怪訝な表情を向ける。

 自分達に対して何かよからぬ事を考えている可能性もあり得ると思い、おとなしくついていきながらも彼女は阿一に対して警戒を怠らない。

 そんなこんなで阿一の後ろに暫し付いていき……暫くして、前方を歩いていた阿一が立ち止まり紫達へと振り返った。

 

「お待たせしました、どうぞ!!」

 

 そう言って、阿一は自身の前方を指差す。

 どうやらそちらを見てみろという意味のようだが、一体何だというのか。

 怪訝な表情を浮かべつつも、紫は阿一の前に出て――周りを山々に囲まれた小さな集落を眼下に捉えた。

 

 田畑に藁で作られた家々、農作業を営む者達の姿が見える。

 集落の中心地点には大きな屋敷が建っており、おそらくこの集落の代表者のような者が暮らしているのだろうと推測できる。

 ……しかし、紫はそれを見てますます怪訝な表情を深めていった。

 当たり前だ、阿一の行動を見る限り彼はこの集落を自分達に見せたかったようだが、その意図がまるで理解できないのだから。

 こんなものを見せて彼は何が言いたいのかわからず、紫は彼に視線を向けながらどういう事なのか問い質そうとして……龍哉の呟きを耳に入れた。

 

「…………おい、こいつはどういう事だ?」

 

 その声色は、普段の飄々とした彼にしては珍しい僅かな驚きを含んだものであった。

 それを聞いて紫は一度阿一に問い質す事を中断させ……彼女も、彼の驚きの意味に気がついた。

 

「これは……」

 

 もう一度、紫の視線が眼下にある集落へと向けられる。

 何の変哲もない、この時代では何処にでもあるような小さな小さな集落。

 だが、その中から普通ではない光景を察知する事ができた。

 

「お気づきになられました?」

「……これは、どういう事なのかしら?」

 

 驚愕の表情を隠さないまま、紫は阿一に問いかけながら視線を向ける。

 対する阿一はまるで悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべるだけ。

 その態度に苛立ちを覚えつつ――紫は、再度問いかけた。

 

 

「どうして――()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 そう、紫の金の瞳が集落のある光景――人間と妖怪が共に暮らしている光景を捉えたのだ。

 都の時のように妖怪が人間に化けて溶け込んでいるわけではなく、従来の人間とは違う外見のままの妖怪が、普通に暮らしているのだ。

 しかも、人間はその妖怪に対して恐れを抱いた様子もなく、ただの隣人のように会話している。

 人間は妖怪を恐れ、妖怪はそんな人間を見下す――その理が、この集落には存在していなかった。

 

 さすがに会話の内容は聞き取れないものの、共に笑顔を浮かべながら話している光景は友好的以外の何物にも見えない。

 どちらも互いの立場を尊重しなければ、あのような光景は生まれないだろう。

 紫の驚きの表情を見て、阿一は満足そうに笑みを深めていく。

 しかしその笑みに皮肉の色は無く、何処か嬉しそうな笑みであった。

 そして彼は、紫の問いに答えを返す。

 

「――ここは、様々な種族が共に暮らす隠れ里。異なる種族が平和に暮らす小さな楽園です」

 

 

 

 

「――申し訳ありません、大長」

「…………」

 

 所変わり、険しい山々が聳え立つ山脈。

 その更に奥深くに存在する洞穴の中で生きる人狼族の若者達が、自分達の王に向けて頭を垂れていた。

 

 王の名は大神刹那、五大妖の1人である彼は、自分に向かって頭を下げ許しを請う同胞を無言で見つめていた。

 視線を向けられる、それだけで人狼族の若者達の身体は奮え冷や汗が止め処なく溢れてくる。

 絶対的な力の差、それが否が応でも感じ取れるからこそ、すぐ傍まで迫っている己の死を当たり前のように理解できた。

 

――彼等は、刹那から紫達の命を奪うように命じられている。

 

 だというのにそれを果たせず、無駄に同胞の命を散らしている事に対して謝罪し、許しを請うているのだ。

 だが刹那は何も言わず何も行わず、ただ黙って若者達を見下ろすのみ。

 若者達にとってはまさしく拷問に等しいものだ、いっその事一瞬で殺してくれた方が幾分マシだと思うほどの重圧を視線から感じるのだから。

 ……どれだけの時間が経ったのだろうか。

 沈黙はただただ続き、精神が磨耗しきった若者達は今にも発狂しそうな程追い込まれる中――漸く、彼等の王が口を開いた。

 

「――もう少し、だな」

「…………は?」

「ああ、いや…こっちの話だ。それよりお前等、オレに許しを請う暇があるなら……さっさと自分達のやるべき事を果たしたらどうだ?」

「ひっ……!?」

 

 刹那の瞳が細められ、若者達を軽く睨む。

 ただそれだけで彼の妖力により洞穴内に突風が吹き荒れ、若者達の身体は一瞬で硬直した。

 

「二度は言わねえ。利用できるモンはなんだって利用しろ、形振り構わずに……あいつらを殺せ」

「は、はいぃっ!!」

 

 悲鳴に近い声を上げ、若者達は逃げるように洞穴から飛び出していった。

 その情けない姿に一笑しつつ、刹那は虚空に向けて話しかける。

 

「“死を招く日”……それまでおよそ半年、か」

「――ええ。その時は是非協力していただけますね? 五大妖が1人……大神刹那」

 

 刹那以外誰も居ないはずだというのに、彼の言葉に女性の声で返答が返ってきた。

 対する刹那はそれに対し驚きなど見せず、まるで最初からわかっていたかのように会話を続ける。

 

「いいぜ。オレが楽しめるんならな」

「勿論、そうでなければあなたに協力など求めませんわよ」

「胡散臭いヤツだな、オレに姿を現さずに一方的な要求をするとは……余程命知らずの馬鹿か、それとも」

「フフフ……迂闊にあなたの前に出ては命が幾つあっても足りませんのでね」

 

 女性の声が笑う、その無礼な態度にも刹那は不思議と怒りを沸かせなかった。

 だってそうだろう?どうして自分より劣る相手を一々相手にしなければならない?

 そう思っているからこそ刹那はこの正体のわからぬ声に対して、何の感慨も抱いていなかった。

 しかし、この声が自分に持ちかけてきた“提案”には興味が湧いた。

 

「楽しみだ……」

「それまで存分に力を蓄えるがいいでしょう」

「ああ、そうさせてもらうぜ……」

 

 まだ動く時ではない。

 しかしその時が来るまで退屈だと、刹那は小さく舌打ちを放つ。

 時よ早く進め、そんな事を願いながら……刹那はただただ不動のままで居た―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




今回から間章がスタートします。
また読んでくださると嬉しいです。


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第18話 ~阿一と紫~

都を離れ、旅を続ける紫達は不思議な青年、稗田阿一を偶然助けてしまう。
お礼として彼に連れて行かれた場所は、人と妖怪が共に暮らす隠れ里であった……。


「――稗田様!!」

「こんにちは、稗田様!!」

「やあ皆さん、こんにちは」

「…………」

 

 人間と妖怪、異なる種族が共に暮らしている隠れ里。

 気紛れで助けた(ひえ)(だの)()()に連れられて、紫達はその隠れ里へと赴いた。

 里に入った瞬間、阿一は里の住人達に囲まれてしまう。

 どうやら相当に慕われているようだ、誰もが阿一に対して絶対的な信頼を込めた視線を送っているのがわかる。

 

 そして……その中には人間だけでなく、妖怪の姿も存在していた。

 明らかに人間とは違う青い肌に赤黒い瞳、人間にとっては忌むべき化物の容貌。

 本来ならば恐れられ、虐げられ、憎まれる……筈だというのに、その傾向は一切見られなかった。

 改めてこの目で見ても信じられない、人間と妖怪がまるで同じ種族であるかのように存在しているという光景が。

 

「? 稗田様、こちらの方々は……妖怪ですな?」

 

 人間と同じように阿一を囲んでいた妖怪の1人が、紫達に視線を向ける。

 そこに敵意は見られない、その事実がまたしても紫を驚かせた。

 

「そうです。こちらの女性……八雲紫さんに命を助けられ、お礼としてこの隠れ里に案内を――」

『…………命を、助けられた?』

「えっ…………あっ!?」

 

 しまった、という顔になる阿一。

 だがもう遅い、彼の言葉を聞いて周りの者達の雰囲気が変わった。

 そして全員が阿一をジト目で睨み、当の阿一はというと顔を引き攣らせていた。

 

「稗田様……まさか、護衛も付けずに里の外に出たのですか?」

「あー……あはは、まあ……はい」

『何をなさっているのですかあなた様は!!』

「す、すみません!!」

 

 住人達に怒鳴られ、一瞬で正座する阿一。

 ……それから、彼はそれはもうこっぴどく叱られた。

 どうしてそんな危険な真似をするんですかガミガミ。

 あなたはご自分の立場をわかっていないんですねガミガミ。

 ガミガミ、ガミガミと……完全に紫達を蚊帳の外にして阿一を叱り続ける住人達。

 一方の紫達も、この光景を見て迂闊に声を掛けられずにいた。

 

「……なんだよ、これ」

「私が訊きたいわ……」

 

 それから暫く、ガミガミガミガミとお叱りの時間は続き……漸くそれも終わりを見せた。

 

「あっ、申し訳ありません御二方! お待たせしてしまって……」

「……別にいいけどよ。お前さん、慕われてんのかそうじゃねえのかよくわかんねえな」

「ははは……まあ今回は勝手に里の外に1人で出てしまった私が悪いですからね、叱られるのは当然です」

 

 さあ行きましょうと、少し疲れた様子でそう告げる阿一に、紫達はついていく事に。

 その間も紫は里のあちこちに視線を向け続け……何度目になるかわからない驚きの表情を浮かべていた。

 

「――やはり、驚きますか?」

 

 そんな紫の心中を悟ったような阿一の言葉が、紫の耳に入る。

 

「ええ、正直」

「そうですよね。人間は妖怪を恐れ、そんな妖怪は人間を見下し餌としか見ていない……それが当たり前の考えであり世の理と言えるかもしれません。

 ですがここに居る妖怪達はそんな俗世を嫌い、争い事を避けたいと願いやってきた妖怪達なんです。

 そしてこの里に暮らす人間達も、妖怪と共に生きてみたいと思っている者達の集まりなのです」

「…………」

「――おかしいですか? そのような事を考え願う人間や妖怪が存在していては」

「……私では答えは出せないわ、でも私個人としては……変わっていると、そう思ってる」

 

 だがおかしいとは思わない、紫がそう言葉を続けると阿一は嬉しそうに微笑みを見せた。

 ……まるで“幻想”だと、紫はふとそう思った。

 人間と妖怪は決して相容れぬ種族、その常識とも言える理をここは真っ向から破っている。

 非常識な世界、故に“幻想”だと紫はそう思ったのだ。

 

――やがて、里の中心にある大きな屋敷へと紫達は招かれた。

 

「へえ、ここはお前さんの家だったのか」

「はい。私は一応この里の代表のような者でして……」

「だからあんなに慕われてたのか、だとすっと叱られるのは当然だわな」

「ははは……」

 

 苦笑いを浮かべる阿一、先程の事を思い出したのかその笑みも僅かに引き攣っている。

 それを誤魔化すように大きな声で「さあどうぞ」と紫達を屋敷に入れようと促すその姿は何処か滑稽に映ったので、紫達は苦笑を浮かべつつ屋敷の中へ。

 都のものとは違い派手さは無いものの、素朴で暖かみのある屋敷の中を歩いていく紫達。

 

「あ、そういえばその子は眠っているんですよね? でしたら先に布団を用意させましょう」

「いや構わない、コイツはなるべく俺の傍に置いておきたいんでね」

「そうですか。所でその子も妖怪なのですか?」

「ん……まあ、一応な」

「ですがその子は、その……ただの妖怪に見えないのですが」

「へえ……」

 

 その言葉に、龍哉は僅かに感嘆の声を零す。

 どうやらこの阿一という人間、色々な意味でただの人間ではないようだ。

 尤も、龍哉は最初に阿一を見た時になんとなく悟っていたようだが。

 やがて客間へと到着し適当な場所に座り込む紫達、龍人は龍哉の傍で寝かせた。

 

「……龍人の事を知って、どうしたのかしら?」

「あ、いえいえ! 別に無理に訊きたいというわけではなくて……あ、でもできれば彼が何者なのかは知りたいですね。

 私が現在執筆している書物に、貴重な頁が生まれますから!」

「……書物?」

「はい、ちょっと待っててください!」

 

 そう言って、阿一は飛び出すように客間を後にする。

 ドタドタという音を響かせながら、すぐさま戻ってくる阿一。

 そんな彼の手には、題名が書かれていない厚めの本が握られていた。

 

「それは?」

「これは現在私が書いている妖怪についての生態や能力といったものを書き記そうとしている……予定の書物です。

 ただまだまだ書き始めたばかりで殆ど真っ白なんですよ、ですがこれを完成させれば人間が不用意に妖怪に手を出したりしなくなりますし、安全も確保できます。

 なので――是非あなた方の事も、書き記させてはいただけませんか?」

「成る程、俺達をここに招いた目的はそれか?」

「いえいえ、まあ……あわよくばと考えていないと言えば、嘘になりますけどね」

 

 あはは、と笑う阿一。

 その裏表のない反応に、龍哉は肩を竦めて呆れ顔を浮かべつつも、口元には彼に好感を抱いたかのような笑みが。

 紫もそんな彼の正直さに苦笑しつつも、龍哉と同じく阿一に好感を抱いていた。

 要するに2人とも、彼を気に入ったという事である。

 

「別に俺は構わねえよ、但し……色々と良い脚色をしてくれよ?」

「えっ!? いや、それだと正確な情報にならないのですが……」

「いいんだよ。後世に残る書物なんぞ大体そんなもんなんだ」

「ええー……」

「阿一、龍哉の戯言は受け流してしまいなさい。というより彼の項目を作った所で紙の無駄よ」

「何だとー!」

「…………あはははっ!!」

 

 和やかな空気が、辺りに流れる。

 こうして2人は、阿一の願いを叶えようと彼に自分達の事を話し。

 阿一はそれを書き記し、未来の人間達の安全を願った書物は新たな項目を増やしていくのだった。

 

 

 

 

「――ふぅ」

 

 月が、星と共に地上を照らす夜。

 阿一の厚意によって屋敷に泊まる事になった紫は、先程湯で身体を清め縁側へと座り込み空を見上げていた。

 巨大で神々しい月が、今日も変わらず世界を照らす。

 月を見ると思い出すのは……友人である輝夜と妹紅だ。

 あの2人は今頃何をして過ごしているのだろうか、そんな事を考えていると……声を掛けられた。

 

「紫さん、湯加減はどうでしたか?」

「とても暖まれたわ、どうもありがとう」

「いえいえ、では……暖まった身体を、これで適度に冷まさせませんか?」

 

 そう言って阿一は、紫にあるものを手渡す。

 それは小さな盃、阿一は持っていた徳利を紫が持つ盃に傾け中に入っている液体を注いだ。

 少しだけ白く濁っている液体、そこからほのかに香る匂いは酒のものだ。

 自分の持っていた盃に同じ液体を注ぎ、阿一は「乾杯」と紫に告げ一気にそれを飲み干す。

 紫もそれに習って注がれた酒を飲み、ほっと一息ついた。

 

「どうですか?」

「……素朴だけど、優しい味。どこか懐かしく思えるような……美味しい酒ね」

 

 掛け値なしの感想、するりと正直な言葉が紫の口から零れる。

 その感想を聞いて阿一は、それはそれは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「これはこの里で作った自慢の一品の1つ、人間と妖怪が共同で作ったお酒なんですよ。2つの種族が協力して作りましたから人間にも妖怪にも美味しいと思える酒になりました」

「人間と妖怪が、ね……」

 

 何度聞いても、その事実に紫は驚いてしまう。

 まだ十七年という年月しか生きていないが、それでも人間と妖怪の関係がどういったものかはこの目で見てきたつもりだ。

 だからこそ、共に歩み共に生きるこの隠れ里は……ある意味で“非常識”な世界だと思えた。

 

「ありがとうございます、紫さん」

「えっ?」

「ほら、私の我が侭を聞いてくださったではありませんか。おかげで書物に貴重な文を書き記す事ができました」

「ああ……」

 

 それを聞いて、漸く紫は理解する。

 同時に阿一の律儀な言葉に、苦笑してしまった。

 彼は不思議な人間だ、人の身でありながら妖怪を恐れないばかりか自分から近寄っていく。

 妹紅も最終的には仲良くなれたものの、当初は妖怪である自分とは距離をとっていたというのに……。

 かといって決して無知なわけではない、彼は妖怪の恐ろしさや生態を良く知っている。

 その上で、彼は自分とは違う妖怪へと歩み寄ろうとしていた。

 

「……あなたは、龍人に似ているわ」

「龍人……龍哉さんの息子さんですね?」

「ええ、彼もあなたと同じように人間にも妖怪にも同じ目線を向ける事ができる子なの」

「素晴らしい子なのですね、ですが2年前からずっと眠り続けているとか……」

「…………」

 

 彼は一体、いつになれば目を醒ましてくれるのか。

 ……彼の声が聞きたいと、いつからか紫はそんな願いを抱くようになってしまっていた。

 自分の名を呼ぶ彼の声を、笑顔を、見たいと思ってしまう。

 だがそう願うと、同時に彼が眠り続ける原因である自分の弱さも思い出してしまう。

 

 彼は自分を守る為に強すぎる力を使った、自分がもっと強ければ…彼は今も2年前と変わらぬ笑顔を見せてくれているだろう。

 その度に、紫は己の弱さを呪いたくなる。

 

「――大丈夫ですよ、紫さん」

「えっ……」

「彼はいずれ目を醒まします。だって彼は……龍神様の力を持って生まれた子なのでしょう?」

「…………」

 

 だから大丈夫ですと、根拠のない励ましをする阿一。

 なんとも無意味で、人間らしい無駄な励ましである。

 だが、それでも……それでも、今の紫にとってその言葉は嬉しかった。

 まるで阿一の言葉が、「自分を責めるな」と言ってくれているような気がしたから。

 都合の良い考えだと内心苦笑しつつも、今はその都合の良い考えに甘える事にしよう。

 

「阿一、お酒……おかわり貰えるかしら?」

「勿論です! さあさあ、どんどん飲んでください!!」

 

 ああ、なんだか今日は気分が良い。

 良い夢を見られそうだと思いながら、紫は阿一と共に暫し2人だけの酒盛りを楽しんだ……。

 

 

 

 

「―――よし、ここならいいだろう」

 

 所変わり、隠れ里から少し離れた森の中。

 その中で上記の呟きを零すのは……気だるげな表情を浮かべた龍哉であった。

 彼は暫し周囲を見回し、自分以外の存在が居ない事を入念に確認する。

 そして、彼は瞳を閉じ――突如として左腕を自らの胸へと躊躇いなく突き刺した。

 常軌を逸した行動、しかし当然ながら彼のこの行動にはある理由と目的があった。

 

 胸を貫いた事による激痛が彼を襲い、けれどそれは一瞬で消え――次に目を開いた時には、彼はこことは違う場所に立っていた。

 そこは――どこまでも広がる花畑と暖かくも優しい光が溢れる世界。

 この世のものとは思えぬ、否――ここは“この世”ではなかった。

 

「――よし、ちゃんと着けたな」

「生と死の理を曲げてまで、一体何の用ですか?」

 

 背後から女性の声が響き、龍哉は振り返る。

 特徴的な帽子を被り、手には板のようなものを持った女性が、龍哉に対して厳しい視線を送っている。

 その視線に少し身震いしながらも、目的の人物に出会えた事に笑みを浮かべる龍哉。

 

「御安心を、すぐに戻りますから」

「そういう問題ではありません。まだあなたは完全に死んではいない、つまり仮死状態なのです。だというのにここへ訪れるなど……本来あってはならぬ事なのは、理解できますね?」

 

 責めるような、否――女性の物言いは完全に龍哉を責めるそれであった。

 しかし龍哉は動じない、想定内の反応であったからだ。

 

「ですがどうしてもあなたに会いたかったのです。もう……遺された時間はそう多くはない」

「…………」

 

 女性の表情が、僅かに曇る。

 

「命を喪ってからでは遅いのです。だからこそ少々強引な手を使わざるをえなかった」

「……一体、私に何を望むのですか?」

 

 女性は問う、そのどこまでも美しくも厳しい瞳に龍哉は尊敬と畏怖を抱き。

 

 

 

「――ありがとうございます。【()()(えい)()・ヤマザナドゥ】様」

 

 ヤマザナドゥ――あの世の閻魔へと、“ある願い”を話すのであった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたのなら嬉しく思います。


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第19話 ~鬼~

人間と妖怪、異なる種族が共に生きる不思議な隠れ里に招待された紫達。
旅を一度中断させ、彼女達は暫くこの里で厄介になる事にしたのだった……。


―――ああ、お茶が美味しい。

 

 縁側に座り、春の日差しを全身で浴びながら、お茶を飲む。

 それのなんて心安らぐ事か、緩みきった顔で紫はただただのんびりと過ごしていた。

 

「……お前、すっかりばあさんになったな」

 

 そんな彼女のささやかな幸せをぶち壊すのは、げんなりとした表情を浮かべた龍哉であった。

 邪魔をされた紫は一度持っていた湯のみを床に置いた後、ギロッと龍哉を睨みつける。

 

「失礼ね。私はまだ十七よ?」

「まだ十七だっていうなら、もっと若々しい雰囲気を纏えっての。

 今のお前、どっからどう見ても隠居したばあさんにしか見えないぞ?」

「…………」

 

 そんなに今の自分は年寄りくさいのだろうか?

 だが仕方がないではないか、紫にとってこの時間は心から安らげる時間なのだから。

 そう反論すると、龍哉から何処か憐れみを含んだ視線を向けられてしまった。

 彼の態度に苛立ちを覚えつつも、もう無視しようと決め紫は再びお茶を飲み始める。

 せっかくの平穏な時間なのだ、今は俗世の事を忘れてしまっても罰は当たるまい。

 

「た、大変ですお2人とも!!」

 

 だというのに。

 阿一の慌てた声によって、紫の平穏は再び崩れ落ちてしまった。

 

「…………」

「はぁ……はぁ……あれ? 私はどうして睨まれているのでしょうか……?」

「気にすんな、ちょっと間が悪かっただけだ。それよかどうした?」

「そ、そうです大変なんです! さ、里にとんでもない妖怪が現れたんです!!」

「とんでもない妖怪……?」

 

 尋常ではない阿一の様子に、紫も睨むのをやめ彼の話を聞く事にした。

 すると阿一は――紫達にとって聞き慣れた、けれど驚くような妖怪の種族を口にする。

 

「お、鬼が――鬼が里に姿を現したんです!!」

 

 

 

 

「――がおー! 食べちゃうぞーーーっ!!!」

「わ、わああああああっ!!!」

「…………」

「……なんだ、ありゃ」

 

 鬼が里に現れた。

 その話を聞き、紫は龍哉と阿一と共にすぐさまその場所へと向かい、問題の鬼はすぐに見つかった。

 しかし……愉しげに笑う鬼を見ていると、どうも毒気を抜かれてしまう。

 しかもその鬼の見た目が、まだ年端もいかぬ少女の姿なのもそれに拍車を掛けた。

 

 とはいえ内側から感じ取れる妖力は強大であり、薄い茶色の髪の間から生える二本の捩れた角が、少女が鬼であるという証を示していた。

 殺気や敵意は感じられないものの、鬼の出現により周囲の人間はもちろん妖怪ですら逃げ惑っているので、このまま好き勝手をさせるわけにはいかない。

 逃げ惑う里の者達を楽しげに追いかける少女の前に、紫と龍哉は立ち塞がった。

 

「おお?」

「楽しんでいる所悪いけど、これ以上勝手をされては困るのよ」

「……ふむ、まだまだ若いが確かにお前さんは鬼みたいだな」

「へー……やっと出てきてくれたんだ」

 

 紫達の登場に当初は驚いた表情を浮かべる少女であったが、すぐさま先程のような嬉しさを隠し切れない笑みを浮かべる。

 その態度に怪訝な表情を浮かべつつ、紫は少女へと問うた。

 

「鬼であるあなたが、この里に一体何の用なのかしら?」

「その前に名前ぐらい名乗ってよ、それぐらいの礼儀は心得ている筈だろう?」

「いきなり里の者達を追い掛け回すような蛮族に、名乗る名前があると思う?」

「ほーほー、蛮族……ね」

 

 瞬間、少女の姿が紫の視界から消えた。

 それと同時に懐から右手で八雲扇を取り出し妖力を込める紫。

 

「っ」

 

 扇を開いた瞬間、紫はそこから凄まじい衝撃を受け地面を削りながら数メートル後退した。

 右手から感じる痺れに顔をしかめながら、紫は自身に向かって右の拳を突き出したままの少女を睨みつける。

 

「……いきなり殴りつけるなんて、やはり蛮族ね」

「鬼を愚弄できるその根性は嫌いじゃないけど、もう少し相手の実力を推し量れるようになってからにしなよ」

「私は事実を口にしただけよ、自覚が無いなんて憐れなものね」

 

 軽口を返しながらも、紫は少女の鬼としての力に驚きを隠せないでいた。

 鬼という種族はあらゆる妖怪の中でも群を抜いて高い力を秘めている種族だ。

 単純な腕力だけでも山を砕き、大地を裂き、空気すら捻じ曲げる。

 

 普通の妖怪以上の屈強な肉体は、生半可な攻撃など無意味と化す。

 故に鬼という種族は妖怪の中でも最強の力を持つ種族だと謳われる時もあるくらいだ、それを理解していたつもりであったが……自分の認識が甘かった事を紫は思い知った。

 

「でも結構やれるみたいだね、風穴を開けてやるつもりだったのに」

「――おいコラ、なに勝手に暴れまわってんだ鬼のガキ」

 

 紫と少女の間に割って入る龍哉。

 

「悪いが俺達はここの連中に世話になってるんでな、これ以上ここで騒ぎを起こすんなら容赦しねえぞ?」

「いいよ。こっちは最初からそれが目当てなんだ」

「ああ?」

「特別に先に名乗ってあげるよ。わたしの名前は【()(ぶき)(すい)()】、お察しの通り鬼さ。

 出身はここから三つほど山を越えた先にある【妖怪の山】で、ここに来た理由は……強い力を2つ、感じ取ったから」

 

 少女――伊吹萃香はそう言って紫と龍哉を指差す。

 ……成る程そういう事かと、2人は彼女の言葉で目的を理解した。

 鬼という種族は酒と勝負事を何よりも好む種族だ、時に人間を攫ってまで勝負事をするくらいなのだから、筋金入りなのだろう。

 

 そして強者との勝負を望む鬼も多い、萃香は紫と龍哉という強い妖力を持った妖怪と勝負するためにこの里にやってきたようだ。

 なんとも傍迷惑な話である、当然2人は萃香に対して呆れを含んだ溜め息を吐き出した。

 

「つまり、だ。お前さん……俺達のどちらかと喧嘩したいと?」

「違う! お前達2人とだ!! わたしの目的がわかったのなら勝負しよう!

 手加減してやるから、2人同時にかかってこい!!」

『…………』

 

 無邪気な笑顔で上記の言葉を放ってくる萃香。

 おもわず紫と龍哉は顔を見合わせ、再び呆れを含んだ溜め息を吐き出した。

 なんという自信満々、というよりも傲慢な態度なのだろうか。

 これではどちらが相手の力量を推し量れないのかわかったものではない、まあ鬼という種族故の自信の表れなのだろう。

 

 ……だが、当然この鬼娘の身勝手な願望にわざわざ応じる必要性は皆無だ。

 だから――とりあえず身の程を弁えさせてやる事にした。

 

「――龍哉、加減してあげなさいね?」

「あいよ」

「おっ――?」

 

 何かしてくるつもりなのか、左の指先を自分に向けてくる紫に身構える萃香であったが……あまりにも遅すぎる対応であった。

 刹那、萃香を囲むように四つのスキマが現れ、そこから妖力で編まれた鎖が飛び出し瞬時に萃香の四肢を拘束。

 その早業に驚く萃香に、龍哉はニヤーッと嫌な笑みを浮かべつつ近づいて。

 

「おらああっ!!」

「ぎゃんっ!!?」

 

 左の拳を勢いよく振り下ろし、萃香の頭部に容赦なく拳骨を叩き込んでやった。

 その威力はただ凄まじく、萃香の身体が硬い地面の中に完全に埋まってしまう程。

 辛うじて二本の角が外に出ているが、それより下は地面と同化してしまっていた。

 砂埃が巻き上げられ、周囲の野次馬達はおもわず距離を離しつつ……この惨状に目を丸くしてしまう。

 

 明らかにやり過ぎである、人間は勿論だが並の妖怪であれば死に至る破壊力は今の一撃に込められていた。

 しかし紫も龍哉もその顔に微塵も後悔の色はなく、次の瞬間――またしても砂埃が周囲に巻き上がった。

 

「――ぷはっ!?」

「お? それなりに力は込めてやったんだが、まだ動けるか」

「埋まったままの方がよかったのだけれど、まあ仕方ないわね」

「けほっ、ごほっ……」

 

 砂埃を撒き散らしたのは、先程まで完全に地面に埋まっていた萃香であった。

 力任せに地面から抜け出した彼女の怪力にも驚くが、龍哉の一撃を受けてまだ動く気力があるのもまた驚きに値する。

 

 尤も、とうの萃香は咳き込むだけで2人に襲い掛かってくる事は無く、そればかりかその場に座り込んでしまう始末。

 戦意は既に存在せず、萃香は今のやりとりで勝てないと悟ったのだろう。

 

「――あーあ、駄目だ。今のわたしじゃ勝てんわ」

 

 対して悔しそうな様子は感じられない口調で、己の負けを認めたのだった。

 

 

 

 

「――んぐ、んぐ、ぷはぁっ!!」

「おーおー、良い飲みっぷりだな!!」

「へへー、そういう龍哉もなかなかだな!!」

「………はぁ」

 

 鬼の少女、伊吹萃香をおとなしくさせた紫と龍哉。

 さてこの鬼娘をどうしてくれよう…そう思った2人に、阿一は何を思ったのか。

 

「是非、うちの屋敷に連れてきてください!!」と、のたまったのだ。

 

 大方鬼という妖怪の事を執筆している書物に書き記したい魂胆だろうが、人間でありながら自ら鬼に近寄る彼の根性にはある意味感心してしまう。

 萃香も萃香でそんな阿一の図太さを気に入ったのか、自分達の種族の事を酒を飲みながら説明し――それが終わった時には、既に日は沈み夜が訪れていた。

 

 そして現在、萃香は龍哉と共に酒盛りを愉しんでいる。

 紫も付き合わされる羽目となり、配分を考えずに飲みまくっている2人に、何度目かわからない溜め息を吐き出した。

 

「紫ー、もっと飲め飲めー!!」

 

 頬を紅潮させた萃香が、紫に絡んできた。

 

「ちゃんと飲んでいるわよ、それより……妖怪の山に帰らなくていいのかしら?」

「いいのいいの、別にあっちこっちにフラフラするのはいつもの事なんだからさ!」

 

 そう言って萃香は自らが持つ【伊吹瓢】を口に含み酒を飲み続ける。

 見た目が年端もいかぬ少女が浴びるように酒を飲むという光景は、やはり何処か違和感を覚えた。

 

「それにしても、紫は結構強い妖怪なんだなー!」

「そういう萃香も、鬼の中でも特に強い力を持っているのではなくて?」

「まあねー。いずれ【山の四天王】の内の1人になるのも時間の問題かなー?」

「山の四天王?」

「妖怪の山はわたし達鬼が支配しているんだけど、そんな鬼の一族の中でも特に秀でた力を持っている者は【山の四天王】って呼ばれているんだ。

 わたしの友人の1人もその四天王の1人なんだけど、いずれわたしもその中の一員になるつもりさ」

「ふーん……」

 

 だが、確かに萃香はそれだけの潜在能力を秘めているだろう。

 自分と同じくまだまだ若い妖怪ではあるものの、既に上級妖怪に分類されてもおかしくはない力を持っている。

 単純な力だけならば今の紫より大きい、四天王などと呼ばれる未来が約束されているのはある意味で正しい事なのかもしれない。

 

「しっかしここは面白いねえ。人間と妖怪が共存して暮らすなんて……まるで幻想の世界だよ」

「幻想……」

「だってそうだろう? 人間に恐れられない妖怪なんて妖怪じゃないよ、もっと別の人間でも妖怪でもない中途半端な存在さ」

「…………」

 

 辛辣な物言いで、萃香は事実を口にする。

 そう、この里で暮らす妖怪は人間でも妖怪でもない中途半端な存在。

 それは少なからず俗世を知っている紫にとって、否定などできない正しい認識であり事実だ。

 

 ……でも、何故だろうか。

 萃香の言葉を否定するつもりはない、つもりはないが……。

 彼女の言葉に、少しだけ苛立ちを覚えてしまっていた。

 

「幻想……幻想、それですよ!」

「んん?」

「阿一?」

 

 いきなり大声を放つ阿一に、3人の視線が彼に集まる。

 

「人間と妖怪、異なる種族が生きる世界……俗世にとってはまるで幻想でしょう。

 なのでここは【幻想郷】、この隠れ里は【幻想郷】という名にしましょう!!」

「幻想郷……」

「だとすると、私が書いている書物は……【(げん)(そう)(きょう)(えん)()】、そう名付けましょう!!

 ありがとうございます皆さん! あなた方のおかげで色々とこの里に新たな歴史が生まれました、感謝します!!」

 

 言うやいなや、阿一はその場から駆け出して自分の部屋へと戻っていった。

 彼の奇行ともとれる行動に萃香はポカンとした表情を浮かべ、紫と龍哉は苦笑してしまう。

 彼は普段生真面目で穏か、優しくおとなしい青年であるものの、いざ書物や妖怪の事となると人が変わってしまう。

 

 今だって、自分の書物の正式な名前が決まった事と、普通の人間では五体満足で出会い話す事ができないであろう鬼の事を知れたからこそ、あのように興奮してしまっているのだろう。

 ただ……やはりなんというか、ちょっと不気味だと思ってしまうのは致し方ない事だと思ってもらいたい。

 

「か、変わった人間だね…」

「否定はしないわ。でも……優しい心を持った人間よ」

「へえ、人間も妖怪も嫌いな八雲紫さんにしては、随分とお優しい評価だことで」

「龍哉、うるさいわよ」

 

 からかう龍哉を睨んでから、紫は立ち上がる。

 

「んー? 紫、まだ飲もうよー?」

「悪いけど、私は浴びるようにお酒を飲むのは好きじゃないの。それに……」

「………?」

「――なんでもないわ。おやすみなさい」

 

 そう言って、今度こそ紫はその場を後にする。

 そして真っ直ぐある部屋へと向かい、襖を開き中へと入った。

 その部屋は客間の1つ、紫は無言のまま部屋の中央へと歩を進め……眠っている龍人の前に腰掛けた。

 安らかな寝顔のまま、静かに呼吸を繰り返す龍人の頭を、優しく慈しむように撫でる紫。

 

「――そいつ、お前の男か?」

「っ、萃香……」

 

 いつの間にか部屋へと入ってきた萃香、紫の隣に座り眠っている龍人に視線を向ける。

 

「……こいつ、半妖かな? でもただの半妖には見えないね」

「彼は半妖よ。でも……人間側の母は(りゅう)(じん)でもあったらしいの」

(りゅう)(じん)……へえ、あの伝説の種族か」

 

 少しだけ興味深そうに龍人を見てから、再び酒を飲み始める萃香。

 

「ずっと眠っているの。未熟な私を守る為に、二年前から」

「二年も? 随分と寝坊が過ぎるんだね」

 

 からからと笑う萃香、確かにそうかもしれないと紫は思ったが、萃香のようには笑えなかった。

 

「まあいずれ目を醒ますんだからさ、そんな卑屈な顔をする必要なんかないんじゃない?」

「…………」

「そいつだって、紫にそんな顔をしてほしくてあんたを守ったわけじゃないと思うよ? わたしはこの龍人ってやつの事は知らないけど、誰かを守ろうと必死になるヤツは……きっと優しいヤツさ」

「……優しい、そうね……彼は優しいわ」

 

 だけど、少し優しすぎるくらいだ。

 だから彼は簡単に龍気という、己の命すら危うくさせる力を躊躇い無く使用する。

 誰かの為に己の力を使い、そして彼はその誰かの為に己の命すら犠牲にする……そう思えてならない。

 

 ……だからこそ、彼よりも強くならなければと紫は思う。

 彼は大切な友人だ、友人だからこそ守りたい。

 彼が自分を守ってくれたように、今度は自分が彼を守らなければ。

 

「――ほら、また辛気臭い顔になってるよ?」

「…………」

 

 知らずに顔が強張っていたようだ、苦笑混じりに萃香に言われ慌てて紫は表情を崩す。

 

「ありがとう萃香、あなたって意外と優しいのね?」

「意外は余計だよ。鬼って種族は義理堅いんだ」

 

 不服そうに睨む萃香に、紫は苦笑を浮かべる。

 ……少しだけだが、心が軽くなったような気がした。

 その遠因を作ってくれた萃香に感謝しつつ、紫は彼女を連れて部屋を後にしようとして。

 

――里の者ではない、敵意に溢れた妖怪の気配を感じ取った。

 

「――これは」

「うん? ……この妖力の類は人狼族だね、敵意がここまで感じ取れるって事は……結構な数だよ?」

「ちっ……」

 

 自分達を狙う人狼族が近くまでやってきているのだろう。

 この隠れ里を狙われるのは拙い、そう思った紫は囮になるためにスキマを展開する。

 

「紫、何をする気だい?」

「相手の目的は私達よ。この里に無用な厄介事を背負わせるわけにはいかないわ」

「人間なんてどうなろうが関係ないんじゃないか?」

「……私は人間も妖怪も嫌いよ、それは今だって変わらないわ。

 でも、全ての人間と妖怪が嫌いなわけではないわ、そしてこの里には守りたい人達が居るの」

「ふーん……妖怪にしては変わってるよ、色々な意味でね」

 

 どこか皮肉を込めた口調で言いながら、萃香も立ち上がり紫の展開したスキマに入ろうとする。

 

「萃香?」

「手伝ってやるよ。この里には美味しい酒があるしご馳走になった、その恩ぐらいは返してやらないとね」

「……ありがとう、助かるわ」

「はいはい、それじゃあさっさと移動しようよ。それにしても本当に紫の能力は便利だよね」

「無駄話はそこまでにしましょう。さっさと行くわよ」

 

 龍哉は連れて行かなくても大丈夫だろう、彼ならば独自に動いてくれる筈だ。

 そう思った紫は彼に声を掛ける事はせず、萃香と2人でスキマでの移動を開始する。

 そしてスキマが閉じられ、部屋の中が眠っている龍人だけになった時。

 

 

 

 

「――ちょうど良いな。頃合か」

 

 そんな声が、部屋の中から聞こえてきた―――

 

 

 

 

To.Be.Continued... 




はい、この物語による幻想郷の基盤が完成しました。
楽しんでいただけたのならば幸いです。


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第20話 ~誇り高き獣の戦士~

隠れ里――幻想郷で暫し厄介になる事に決めた紫達。
鬼の娘、伊吹萃香との出会いを果たし、友人が増えた紫。

そんな中、里の傍に人狼族が迫ってきている事に気づいた紫と萃香は、里を守るために自ら迎え撃つ事にした……。


――目を醒ますと、龍人は知らない場所に立っていた。

 

 周りは霧に隠れて見えず、自分が立っている場所すらおぼろげだ。

 目を醒ましたと思ったが、また自分は夢の中に居るらしい。

 キョロキョロと辺りを見回しながら、龍人は何が起きたのかを思い出そうとする。

 そうして暫し思考に耽け……彼は漸く思いだす。

 

「紫……妹紅……」

 

 そうだ、自分は妹紅を助けるために紫と共に妖怪と戦っていた。

 だが周りに戦っていた妖怪はおろか、紫の姿すら見受けられない。

 まだ完全に思い出してはいないようだ、もう一度自分の身に何が起きたのかを考え始め。

 

「――おい、いい加減目覚めんか」

 

 いつの間にか自分の前に立っていた、1人の少女に声を掛けられた。

 黄金に輝く長い髪、赤い瞳は思い輝きを見せている。

 背は小さく比較的小柄な龍人よりも小さい、だが見た目相応の年齢ではないと本能的に龍人は察していた。

 

「……お前、誰だ?」

「お前、とは(わらわ)に対して言っているのか? だとするなら……随分と生意気な小僧よな」

 

 尊大な口調を放ちつつ、少女は龍人を軽く睨みつける。

 

「――――!!?」

 

 瞬間、凄まじい気迫と重圧が龍人の全身に襲い掛かった。

 気を張っていなければ、瞬く間にそれに押し潰されてしまいそうだ。

 慌てて全身に力を込める龍人、それを見て少女は右手で自身の長い黄金色の髪を弄りつつ口を開く。

 

「この程度の重圧でそのような情けない顔になるとはな、甘やかされているのがよくわかる」

「……お前、何だ? 妖怪……じゃないよな?」

「…………」

 

 少女が、龍人に向かって一歩だけ歩を進める。

 すると先程以上の重圧が龍人に襲い掛かり、龍人は片膝を付きそうになるのをどうにか堪えた。

 

「口の利き方に気をつけろよ小僧、無知は罪であり無謀は己自身を食い潰す」

「ぐ、く……!」

「まあ、お前はまだまだ子供故に致し方ない部分もある。今回は大目に見てやる事にしよう」

 

 そう言うと、少女は龍人に向かって放っていた重圧を消し去った。

 己に襲い掛かっていた圧が消え去り、大きく息を吐き出して龍人は安堵する。

 

「はぁ……はぁ……」

「情けないものよな。曲がりなりにも(りゅう)(じん)の血を引いているというのに、この程度で疲弊するか?」

「……なんで、それを?」

「妾はあらゆる世界を見る事のできる存在だ。故にお前程度の存在を認知するなど容易い事だ。それに……お前は龍哉の息子だからな、否が応でもその名を覚えてしまうさ」

「えっ、なんでとうちゃんの事を……?」

「お前に話す必要はない。それより、いい加減目覚めたらどうだ?

 いくら龍神の力を使ったとはいえ、二年以上も眠り続けるなど……情けないを通り越して泣けてくる」

「に、二年……!?」

 

 少女の言葉に、龍人は驚きを隠せない。

 それと同時に思い出す、自分が紫を守る為に龍爪撃(ドラゴンクロー)を使った事を。

 莫大な量の龍気を一度に使用してしまったが為に、どうやら自分は永い眠りに就いてしまっていたようだ。

 

「紫は? 妹紅は無事なのか!?」

「何故妾がそれをお前に教えなければならない? 妾がここに来たのは情けないお前を起こしに来ただけだ。

 本来ならば干渉する必要はないが、龍人の血を引いたお前がこうまで情けないと妾達の沽券に関わる」

「沽券…………って、何?」

「…………はぁ、本物の阿呆よな。龍哉も育て方が甘すぎる」

 

 心底呆れたような口調で、少女はそう言いながら大袈裟にため息を吐き出す。

 とりあえずおもいっきり馬鹿にされている事は理解した龍人であったが、不思議と反論できなかった。

 それはもちろん目の前の少女が先程放った重圧の大きさが、龍人の本能に刻まれたからというのもある。

 

 しかしそれとは別に、龍人は少女が放つ乱暴な物言いの中に……暖かな感情を察したからだ。

 ……とにかくいつまでもここには居られない、それだけわかれば龍人にとって充分な情報だった。

 

「紫達の所に行かないと……」

「ああ待て待て、まだ妾の話は終わっておらんぞ?」

「何だよ? 早く友達の所に行かないと……」

「たわけが、未熟なまま目覚めた所で、いずれお前の友とやらの足を引っ張るのは明白だ。お前は弱い、そんな弱さのままで誰かを守れると思っているのか?」

「っ」

 

 おもわず少女を睨んでしまう龍人。

 ……だが、言い返せなかった。

 自分が弱いのはわかっている、今までの戦いでそれはよく理解できていた。

 

「ふん……己の未熟さを理解できる頭は一応存在しているようだな」

「……確かに俺は弱いよ。でもいずれはみんなを守れるくらいに強くなるさ」

「では、そのいずれとは一体どれくらい先の未来の事を言っている? そして、その未来の前にお前が守りたいと思う存在が無事である保障はあるのか?」

「…………それ、は」

 

 答えは、きっとノーだ。

 人狼族に狙われている以上、いずれ再びあの五大妖の1人である刹那が現れるだろう。

 あの時は父である龍哉のおかげで助かった、だがそれはたまたまであり運が良かっただけ。

 今の自分では守られる立場でしかなく、そしてその事実は守る立場に居る龍哉達の枷になるのは明白。

 

「――ふん。だからこそ妾が出向いてやったのだ」

「えっ……?」

 

 呟くように少女がそう告げ両手を天に向かって翳すと、少女の右手と左手から何かが現れた。

 光を発しながら現れたそれは――不思議な暖かさを放つ宝玉と、一本の剣だった。

 少女は何も言わず、左手に現れた青白い光を放つ宝玉を無造作に龍人へと投げ放つ。

 

「っ……!?」

 

 すると、宝玉は吸い込まれるように龍人の身体へと消えていった。

 突然の事態に当然驚く龍人であったが、痛みはなくそればかりか――不思議と力が溢れるのを感じていた。

 

「それは【龍宝珠(ドラゴンジュエル)】、龍神族が造り出した龍の力を引き出す宝具。

 しかしお前が未熟である限りその宝具もお前の力を引き出しきる事はできん、だがお前がこれから成長を続ければ……その宝具もお前の力を無尽蔵に引き出してくれるだろう」

 

 説明しつつ、少女は龍人に右手に持っていた剣を手渡した。

 

「対するこちらは何の変哲もない無銘の剣……だが、龍の加護が施された剣だ。

 これだけのものを与えても未熟なお前にはまだ足りぬが、これ以上の施しをする必要も義務も妾達には存在しないのでな」

「…………」

 

 受け取った剣に視線を向ける龍人。

 少女の言ったように何の変哲もないロングソード程の長さの長剣が、黄金色の装飾が施された鞘の中に入っている。

 素直にそれを受け取る龍人であったが、ある疑問が浮かんだので少女に問うた。

 

「……どうして、俺にこれを?」

「答える義務はない。だが……お前とお前の傍に居る妖怪はいずれ大きな運命に立ち向かわなければならなくなる。

 そしてそれに立ち向かうには生半可な力では決して乗り越える事などできない、だから妾自らが出向きお前に力を託した」

「でも、干渉する必要はないって思ってるんだろ?」

「無論だ。――ただ交わした約束を果たしているだけに過ぎん」

「約束……?」

 

 それは一体何なのか、再び少女へと問うとして――突如として、龍人の意識が薄れていった。

 視界がぼやける、力も抜け再び視界が閉ざされる寸前。

 

「――託された力を、正しき方向へと持っていけ。力とはそのように使うものだ」

 

 少女のそんな声が聞こえ、今度こそ龍人の意識は闇へと堕ちていった―――

 

 

 

 

「――おっ、来た来た」

「…………」

 

 隠れ里――幻想郷から少し離れた山々の中に、紫と萃香は居た。

 そしてそんな2人の前に、数十を超える数の人狼族が姿を現す。

 狼の姿になっている者も居れば、人型の姿になっている者も居る。

 だがその全てが、紫達を見て低い唸り声を上げ威嚇していた。

 

「貴様……八雲紫だな?」

 

 その中の1人、一際大型で尻尾も大きい人狼族の男が、紫達に声を掛ける。

 おそらくこの男がこの集団のリーダー格なのだろう、内側から発せられる妖力は大きい。

 と、そのリーダー格であろう男の視線が、紫の隣に立つ萃香へと向けられ、その顔に驚愕の表情が刻まれる。

 

「ま、まさか……貴様、鬼か!?」

「ああそうだよ、それがわかるなら……自分達がこれからどうすればいいのか、わかるよね?」

 

 口調はあくまで軽めに、しかしその視線は重く厳しいものだった。

 それだけで、殆どの人狼族は脅えた表情を浮かべ、中には数歩後ろに後退する者まで現れる。

 鬼という種族はそれだけ強い妖怪なのだ、野生の中で生き徒党を組む人狼族はそれがより深く理解できていた。

 

「悪いけど、紫を狙うんなら……あんた達はわたしにとって敵になるよ?」

「何……!? な、何故鬼が八雲紫の味方をする!?」

「別に鬼全体が紫の味方をするわけじゃないさ、これはあくまでわたし個人の意思、こいつはわたしの友人だからね」

 

 そう言って、萃香は伊吹瓢を手に持ちその中にある酒を口に含む。

 対する人狼族達は、その発言に驚き戸惑っていた。

 当たり前だ、鬼という強力な妖怪が紫の味方になってしまうなど、完全に想定外だ。

 

「お、おのれ………!」

 

 悔しげな表情を浮かべる獣人族の若者達。

 ……自分達では、鬼である萃香を打倒する事はできない。

 だが彼等は決して逃げ帰る事などできない、逃げ帰った所で自分達に待つのは“死”だけだ。

 

「喧嘩したいなら相手になってやるけど……わたし達2人に勝てると思う?」

「……勝てる勝てないではないのだ、このままおめおめと帰った所でもはや我々に生きる道はない!!」

「八雲紫、そして鬼の童女! 覚悟してもらおう!!!」

 

 瞬間、一斉に人狼族は2人へと襲い掛かった。

 

「……はぁ」

「…………」

 

 それを、萃香はつまらなげに見ながら、右手で拳を作り。

 紫は、自身の周りに都合十五のスキマを展開して。

 

「――飛光虫ネスト」

「――元鬼玉」

 

 スキマから数十を超えるレーザーが放たれ、相手を釣瓶打ちにし。

 萃香の右の拳から生み出され放たれた高熱を孕んだ光球が、残る相手を呑み込み焼き尽くした。

 

「……無駄に命を散らして、何になるのかね」

「仕方がないわ。彼等が言っていたけど、あのまま逃げた所で刹那に殺されるだけだもの」

「刹那って……もしかして五大妖の刹那? あんなのに狙われてるの?」

「まあ、ね……」

「そりゃあ大変だねえ、本当にさ」

 

 

「――それだけ危険な力を持っているという事だ、八雲紫にはな」

 

 

「…………」

「っ、誰……!?」

 

 突如として聞こえてきた声に、紫はすぐさま周囲を見渡す。

 しかし誰もいない、あるのは紫達によって倒された人狼族の骸だけだ。

 

「故に主は、この女の抹殺を我々に命じたのだ」

 

 再び聞こえた男の声、そして声の主が紫達の前に姿を現す。

 

(この男は……)

「へえ……」

 

 声の主は、まだ若さを隠せない青年であった。

 やや細身で長身な身体ながらも、無駄なく引き締まった逞しい肉体を持ち、頬には三条の傷が刻まれている。

 右手に持つ赤い長槍の切っ先を紫達に向けつつ、男は再び口を開いた。

 

「八雲紫、あなたに恨みはないが我が主であり人狼族の大長である刹那様の命により、あなたの命を貰い受けに来た」

「…………」

 

 強い、と。

 紫は目の前の男の実力を感じ取り、苦々しい表情を浮かべた。

 先程の人狼族の若者とは比べものにならない実力者だ、故に……境界の能力で消滅させる事もできない。

 

「そちらの鬼の娘、あなたの命を奪うつもりはない。早々に立ち去ってはくれないだろうか?」

「随分とお優しいものだね。けどさ……はいそうですかって言うと思う?」

「……いや、勇猛な鬼であるあなたに、今の問いは愚問でしかなかったな。

 だがこちらとて主の命で動いている、邪魔をするならば排除させてもらうぞ?」

 

 だから去ってくれと、青年は言葉ではなく瞳で訴える。

 その真っ直ぐ過ぎる瞳を見て、紫と萃香はおもわず感嘆の息を零した。

 

「あんたはどうやら礼節を弁えてるみたいだね。嫌いじゃないよそういうのは」

「嘘を嫌い情に厚く気高い妖怪である鬼にそう言われるのは、光栄だ」

 

 口元に笑みを浮かべる青年、その笑みは萃香の言葉に心から感謝していると告げていた。

 それを見て、厄介な存在が来たと紫は内心歯噛みする。

 

――目の前の男は本当に強い、力ではなく心がだ。

 

 主と認めた相手のためならば己が命すら平然と投げ出す覚悟を持つ、歴戦の戦士。

 現れた男はまさしくそれに当て嵌まる、故に――強敵だ。

 だが逃げられない、男がそれを許す筈もないしたとえ逃げられたとしても、幻想郷に生きる者達を巻き込む可能性だってある。

 

(ここで……この男を倒すしかないわね……)

 

「――どうやら戦う気になってくれたようだな。感謝するぞ八雲紫」

「…………それは、どういう事かしら?」

「あなたは【境界を操る】という天地を左右する程の強大な能力を持っているが、単純に妖怪としても強い力を持っている。

 そんなあなたと戦えるというのは、戦士として光栄であり喜ばしい事だからだ」

「……それは、どうも」

 

 やりにくい男だ、今までの相手は自分に対して明確な敵意と殺意を向けてきた。

 だがこの男は違う、敵意こそあるものの殺意はなく…ただ純粋な闘志を感じられる。

 

「悪いけど、一対一なんて事にはさせないよ?」

 

 言いながら、萃香は紫の一歩前に出て自身の妖力を解放させた。

 

「……欲を言えば八雲紫と正々堂々戦いたかったが、そちらにはそちらの都合がある。

 無論こちらに否定する意志も権利もない、それに……天下の鬼と戦ってみたいとも思っていた!!」

「…………本当にやりにくいね、殺意全開の方がまだマシだったよ」

 

 萃香も紫と同じく、男の実直さにやりにくさを感じているようだ。

 槍を両手で構え直す男、切っ先は紫の心臓部を向けたまま数秒後の一撃を繰り出す直前。

 

「――人狼族が1人、【(いま)(いずみ)()(ろう)、参る!!」

 

 己の名を高らかに言い放ち、地を蹴って紫達に向かって吶喊した―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたのなら嬉しく思います。


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第21話 ~龍の子の覚醒 VS今泉士狼~

幻想郷に被害が及ばないようにするため、里の外で人狼族の相手をする事に決めた紫と萃香。
2人の力によって人狼族の群れは呆気なく倒されたが、彼女達の前に【今泉士狼】と名乗る人狼族の戦士が現れる。

今までの相手とは違う事を察知しながら、2人は士狼との戦いを開始した……。


――閃光が奔る。

 

「――――!」

 

 迫る死の一撃、動かねば死ぬと本能に訴えられ紫は回避行動に移った。

 刹那、先程まで彼女の居た場所に閃光が通り過ぎる。

 回避したと紫が認識する前に、追撃の光が彼女に迫った。

 

「っ………!」

 

 目で追えず、半ば勘を駆使して紫は首の皮一枚の状態を維持し続ける。

 だが光が通り過ぎる度に、彼女の衣服は貫かれ僅かに肌を裂いていく。

 

(速い………!)

 

 凄まじく速く、一撃一撃がまさしく必殺の領域。

 今泉士狼と名乗った青年の槍は、紫の想像を遥かに超えた領域の業であった。

 並の妖怪より身体能力も動体視力も優れている紫であるが、士狼の放つ槍を光としか認識する事ができない。

 それでも今までの戦闘経験と彼女自身の力量によって致命傷を避けているものの、士狼の槍は確実に彼女の身体を傷つけていた。

 

「はあああああっ!!!」

 

 士狼の攻撃は止む気配を見せず、寧ろ一撃が放たれる度に際限なく激しく速くなっていっているようにも思えた。

 反撃に移る事など到底できない、今の紫にできる事はこうして致命傷を避けるために見苦しく攻撃を避け続ける事のみ。

 

「っ!?」

 

 士狼の攻撃が突如として止んだ。

 その理由は、紫の前に出てきた萃香が彼の槍を自分の手首に付けられている鎖で巻き取るように受け止めたからだ。

 

「よっ」

 

 すかさず萃香は巻き付けた鎖を力一杯引き寄せる。

 鬼の剛力は容易く士狼の身体ごと槍を自身の元へと引き寄せ、その無防備となった身体に反対の拳を容赦なく叩きこんだ。

 

――だが不発。

 

 萃香の拳は士狼には当たらず、その前に士狼は自身の槍を持ち替えあっさりと鎖による拘束を解除。

 そればかりか、萃香が突き出した拳を引っ込める前に彼女の額を貫こうとその槍を突き出した――!

 

「甘いっ!!」

 

 だが流石は鬼というべきか、迫る槍を拳で弾き軌道を変え難を逃れる。

 そのまま追撃の一撃を放とうとした萃香であったが、その前に士狼は後ろへと跳躍し離れていってしまった。

 

「……助かったわ、萃香」

 

 ほっと息を吐き出しつつ、紫は本心からの言葉を口にする。

 

「…………」

 

 一方、萃香は何故か槍を弾いた拳をじっと眺めていた。

 相手との距離が離れたとはいえ、あれだけの実力者ならば一息で間合いを詰められる距離でしかない。

 だというのに、今の萃香の行動はあまりに愚行であり……そこで紫も、ある事に気がついた。

 

(これ、は……)

 

 紫の視線が、自身の身体に向けられる。

 既に衣服の到る所は彼女の血で赤く染まっており、けれど妖怪である彼女にとっては致命傷にはならない。

 しかし、しかしだ――

 高い再生能力を持つ妖怪の身体である筈だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()。 

 

「――やられたね」

 

 自分の拳――先程槍を弾いた際に刻まれた傷を眺めながら、萃香は忌々しげに呟いた。

 

「萃香……?」

「紫、もうこれ以上くらってやるわけにはいかなくなったよ。――あの槍、“呪い”が掛けられてる」

「っ」

 

 呪い。

 呪術とも呼ばれるそれは、闇に生きる妖怪にすら届く事のできる力の1つ。

 優れた呪術者ならば、音もなく命を奪えると謳われるその強大な力を、萃香は士狼の持つ槍から感じ取っていた。

 言われて紫も気づく、あの槍に妖力とは違う力――しかしまごうことなき闇に属する力が付与されている事に。

 

「さすが鬼、もう気がついたのか」

「さっきから傷が治らないからね、嫌でも気づく」

「――この槍は(じゅ)(ろう)の槍、俺の骨にある呪式を組み込みながら細かく砕き、呪術の力を込める事のできる鉱石と混ぜ合わせた槍だ。

 この槍で傷つけられた者は、たとえ強靭な妖怪であっても治らぬ傷を刻み込まれる」

「たいした逸品だよ、鬼の秘宝にも届くんじゃないかな? だけどこの呪いは完璧じゃない、傷に妖力を流し込めばゆっくりとだけど治るよ」

 

 言いながら、萃香は自身に刻まれた傷に妖力を流し込んでいく。

 すると、確かにゆっくりとした速度ながらも、彼女の傷が癒えていった。

 萃香の強大な妖力が、刻まれた呪いの力を中和しているのだ。

 

「見事。確かにお前達相手ならば我が槍の呪いに打ち克つ事は可能だろう、しかし……そんな余裕があると思うのか?」

「…………」

 

 そう、士狼の言葉は正しい。

 確かに紫達に刻まれた呪いの傷は癒す事はできるだろう。

 しかしそれには余分な妖力を消耗しなければならないし、傷が治る速度だって決して早くはない。

 

 その間は完全に無防備となる、そんな姿を曝け出しておきながら、相手が悠長に待っている意味も道理も存在しない。

 故にこのまま責め続けられれば傷は一向に治らず、血を流し続け身体能力の低下を招く。

 そうなれば――待っているのは確実な死。

 

――尤も、あくまでそれは普通の妖怪であるなら、だが。

 

「――残念だったわね、その呪いは私達には届かない」

「何……?」

 

 それはどういう意味だと、士狼が問いかける前に。

 紫と萃香の身体から、槍による呪いが跡形もなく消滅した。

 

「何だと……!?」

「あれ?」

 

 士狼だけでなく、萃香も刻まれた呪いが消えた事に驚きつつも、瞬時に傷を塞ぎ元に戻した。

 紫もすぐさま身体中の傷に妖力を流し込み、事なきを得る。

 

「…………何をした?」

「私の能力、あなたの主から聞いていないの? ――あなたの呪いの境界を操作して、私達に届かせないようにしただけよ」

「――――」

 

 そのありえない回答に、士狼は目を見開いて固まってしまった。

 境界を操る能力の事は、彼の主である刹那からは聞かされていたものの、ここまで出鱈目だとは思っていなかったようだ。

 

「本当に反則だよね、紫の能力って」

「だからこそ、今みたいに狙われるようになってしまったのだから、あまり喜ばしい事ではないわね」

 

 それに、思ったよりも呪いの力は強かったようで。

 能力により呪いが自分達に及ばないようにしたものの、そのせいで紫の妖力はかなり消耗してしまっていた。

 万物すら支配できる彼女の能力でも、文字通りの万能さは発揮しきれない。

 強い力には制約というものがあり、彼女が持つ能力の制約は他者の能力とは比べものにならないのだ。

 

「ふ――ふふふははははははっ!!!」

「…………」

 

 突然大きく口を開き、笑い出す士狼。

 それは歓喜の笑い、事実彼は喜びを感じていた。

 

「実に見事! その能力だけでなく、それを有効に使い我が槍の力を封じ込めるとは……お前達程の相手に巡り合う事ができた運命に、感謝する!!」

「…………それはどうも」

「だがしかし、たとえ我が槍の呪いを打ち破ったとしても、それならば我が槍術にて打ち克てばいいだけの話だ。

 八雲紫、伊吹萃香、雷すら貫くと謳われる我が槍を――今一度受けてみるがいい!!」

 

 瞬間、再び士狼は紫達に攻撃を開始した。

 だがその槍の速度は更に上がっており、しかも今度は2人を相手にしてもまだ余り得る程だ。

 雷すら貫くという言葉は、決して大袈裟なものではないと2人は思い知りつつも、攻撃を避け続けていく。

 

(とはいえ、どうしたもんかな……)

(くっ、攻撃に移れない………!)

 

 攻撃後の隙を突いて――などという事ができない。

 そもそも紫は接近戦での戦いはどちらかと言えば不得手であり、得意である萃香も獲物は己の拳のためどうしても槍との間合いが違い過ぎる。

 それに何よりもだ、士狼の槍は一撃を放ったと認識した時には、既に二撃目が放たれている程に速い。

 

(せめて距離を離せれば………)

 

 しかしそれも叶わない。

 相手との距離を離そうと試みれば、たちまち踏み込まれ再び相手の間合いの中に入ってしまうのだ。

 一撃をわざと受けながら相手の隙を突けばあるいは……そんな考えが2人の中に生まれるが、それは愚策でしかない。

 士狼の槍は先程以上の速さと破壊力を兼ね備えている、如何に強靭な妖怪の身体でも風穴どころか貫かれた所から粉砕されるは必至。

 

(……けど、これじゃあこっちがやられるだけか)

 

 どの道避け続けても結果は変わらない、そう思った萃香は――勝負に出た。

 

「――――っっっ」

 

 左肩が弾け飛んだかのような衝撃に襲われる。

 それには構わず、萃香は右の拳に妖力と鬼の剛力をしっかりと込め。

 

「――らあっ!!!」

 

 彼女の左肩を貫いた槍を引き抜こうとした士狼の腹部に、重い一撃を叩き込む!!

 

「ぐ――が、がが……!?」

 

 噴射しているかのような勢いで吐血しつつ、地面を削りながら吹き飛んでいく士狼。

 それでも彼は右手に持つ槍を決して手放さず、それを賞賛しながら萃香は追撃に移った。

 それと同時に紫も動き、自身の背後に都合八つのスキマを展開。

 

「――飛行虫ネスト!!!」

 

 そこから放たれるは白銀の光、それらが必殺の速度を以て士狼に迫る。

 

「ぬっ――おおおおおおおっ!!!」

「えっ……!?」

 

 それは、突然の事であった。

 片膝を突き、完全に無防備であった士狼が雄叫びを上げた瞬間。

 彼の妖力が爆発的に大きくなり、それと同時に彼の姿が消える。

 

「なっ――」

 

 士狼の姿を見失い、萃香はおもわずその足を止め、一瞬遅れて白銀の光が虚しく通り過ぎる。

 

――そして。

 

 紫の真横から、呪いの槍が迫っていた。

 

「――――」

 

 避けられない。

 飛行虫ネストを放った直後で、紫の身体は硬直してしまっている。

 

「――その命、貰い受ける」

 

 自らの勝利を確信した士狼の槍が、哀れ紫の身体を貫こうとして。

 

――白銀の刃が、その槍を弾き飛ばした。

 

「っ、なに…………っ!?」

「――――、ぁ」

 

 助かった、その事実を認識する事もせず、紫は固まってしまう。

 それは当たり前だ、何故なら自分と士狼の間に割って入ったのは……。

 

「――――龍人」

 

 右手に長剣を持ち、静かに士狼を睨んでいる、龍人だったのだから。

 

「……お前は」

「あんた……確か、龍人だったよね……?」

「ん? なんで俺の名前を知ってるんだ? というか、お前誰だ?」

「わたしは伊吹萃香、鬼さ……って、呑気に挨拶している場合じゃないよ」

「…………そうだな」

 

 萃香に相槌を返した瞬間――龍人の姿がその場から消える。

 刹那、彼は一息で士狼との間合いを詰め、その顔面に膝蹴りを繰り出す。

 だが不発、龍人の膝蹴りは士狼に左手によって防がれ、その時には彼は二撃目を繰り出していた。

 

「ぐっ……!?」

 

 振り下ろされる斬撃、それを士狼は槍で受け止め――その衝撃で後方へ吹き飛んだ。

 

(なんという重さだ………!)

 

 比較的小柄な少年が放ったとは思えない一撃だった、その事実に士狼は驚きを隠せない。

 そしてそれは彼女達も同じであり、萃香は楽しげに笑い紫は目を見開いて驚愕していた。

 

(違う……今までの龍人じゃない!!)

 

 二年前とはまるで違う、何が起きたのかはわからないが彼の力が遥かに増していた。

 如何に萃香の拳による一撃を受けていたとしても、士狼の戦闘能力に衰えは見られない。

 だというのに、龍人の一撃は破壊力だけならば士狼の槍を上回っている。

 そして少なくとも二年前の彼では到底辿り着けない領域だ、これを見て驚かずには居られないのは道理であった。

 

「……まさか、これほどの戦士だとは思わなかった」

「もう俺達に構うな」

「……八雲紫と鬼の娘だけならば、我が命を差し出せば倒しえるかもしれないが……これほどの実力者3人では、さすがに不利か」

 

 しかし、と士狼は悔しげに紫達を睨む。

 自分の使命は主である刹那の命を遂行する事、それができないという事実がただ悔しく……憎かった。

 だがその悔しさなど主に対する忠義の前では無意味なものでしかない。

 

「――名を、教えてはくれないだろうか?」

「龍人だ」

「龍人……その名を忘れずに覚えておく、我が名は今泉士狼――次に会った時には、我が槍にて必ず貴公の命を貰い受ける!!」

 

 そう宣言すると同時に、士狼はその場から全速力で離脱する。

 元々地上において人狼族の機動力は他の妖怪より遥かに優れている事もあり、一秒も満たぬ時間で士狼の姿は紫達の前から消え去ってしまった。

 しかし紫達は追おうとはしない、ここで確実に命を奪っておきたいのが本音ではあるものの、消耗している今では追撃は厳しい。

 こうして戦いは終わり、場に静寂が戻った。

 

「紫、大丈夫か?」

「…………」

 

 懐かしい声、懐かしい顔が紫の視界に映る。

 それは紛れもない龍人の顔、しっかりと目を開いている彼の顔だ。

 

「……紫?」

 

 心配そうに自身の顔を覗き込んでくる彼を見て、紫は無意識の内に――彼の身体を抱きしめていた。

 

「……どうした?」

 

 キョトンとした声に、紫は呆れ返ってしまう。

 今の今まで眠っていたくせに、久しぶりに聞いた彼の声はまるで変わっていなかったのだから。

 でも――その声は紫の心によく響き、安心させる。

 

「……ありがとう、助けてくれて」

「気にすんなよ、それより怪我ないか?」

 

 心配する声は、あくまで二年前と変わらない。

 それを聞いて泣きそうになってしまったから、紫はより強く龍人を抱きしめた。

 そして暫くの間、紫はただただ龍人の温もりを思い出しながら、その身を委ねていたのだった………。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




漸く龍人復活です。
さて次回は……あの人を登場させましょう。


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第二章 ~決意と夢の始まり~
第22話 ~友との再会~


龍人の目覚めにより、今泉士狼を撤退させる事に成功する紫達。
そして彼の目覚めは、紫の心に漸く平穏を齎したのであった。


――子供達の声が、紫の耳を少しだけ騒がしくさせる。

 

 春の息吹をその身で目一杯感じながら、子供達が走り回っている。

 誰もが笑顔を浮かべ楽しげで、幸せそうであった。

 そしてその中心には、子供達の相手をする龍人の姿があり、彼もまた周りの子供達と同じく無邪気な笑みを浮かべている。

 無邪気で、未熟で、けれど愛おしい。

 周りの大人達は誰もがそう思い、紫もまた同様に彼等を見守っていた。

 

「――幸せそうですね。やはり龍人さんが目覚めたのが嬉しいんですか?」

 

 紫の耳に、子供達とは違う声が聞こえてきた。

 声の主は稗田阿一、この隠れ里――幻想郷にて妖怪に関する書物を書いている人間の青年だ。

 少しだけからかうような声色を混ぜた阿一の問いに、紫は皮肉を込めながら否定をしようとして。

 

「…………そう、ね。思っていた以上に嬉しいわ」

 

 すんなりと、阿一に対して己の正直な心を曝け出した。

 ……そう、自分は今嬉しく確かな幸せを感じている。

 龍人が目覚めてくれた、二年という妖怪にとって短く、けれど紫にとっては長い二年という月日の果てに。

 彼は眠る前と何も変わらない無邪気さと優しさ、そして純粋さを紫に見せている。

 たったそれだけで紫の心は弾み、彼の笑顔を見るだけで小躍りをしてしまいそうになった。

 

 それと同時に彼女は気づく、龍人という存在が自分の思っている以上に己が心を占めていると。

 でも、それも悪くないと彼女は思う。

 たった1人の少年の存在によって一喜一憂するなど、まるで恋をする童女のようではないか。

 なんと未熟で情けない姿か、妖怪の山に帰った友人である伊吹萃香が今の自分を見れば、きっと笑い転げるだろう。

 

――それもまた悪くないと、それでも彼女は己の心を笑わない。

 

 と、龍人から「紫ー」という無邪気な声が聞こえてきた。

 見ると彼が自分に向かって手を振っており、紫も右手を振ってそれに応えた。

 たったそれだけ、それだけの反応で彼の表情は瞬く間に笑みに溢れる。

 なんて単純なのだろうか、彼の反応を見て苦笑しつつも…紫の心は再び嬉しいと弾んでいた。

 

「――稗田様、御客人がお見えになられました」

「客? はて……今日、誰かが来訪する予定はありましたっけ?」

 

 屋敷の使用人にそう告げられ、首を傾げる阿一。

 そもそも隠れ里であるここに来訪してくる者など、数えるほどしか存在しない。

 では誰が来たのだろうと思考に耽る阿一に、別の女性が声を掛けた。

 

「――お久しぶりですね、稗田阿一さん」

「おや、あなた達でしたか」

 

 どうやら声の主は阿一の知り合いらしい、いつもの友好的な声を発している。

 紫も阿一と同じくその女性へと振り向いて……意外な人物を視界に捉えた。

 

「――妖忌?」

「……紫、か?」

 

 女性の隣に立つ青年、それはかつて都で出会った魂魄妖忌であった。

 相変わらずの仏頂面だが、知り合いが前と変わらぬ姿なのは安心できた。

 

「妖忌、今紫と言いましたが……この子が?」

「ああ。こいつと……向こうで子供と遊んでるのが、紫と龍人だ。“おふくろ”」

「おふくろ……?」

 

 おふくろ、妖忌は隣に立つ女性を確かにそう呼んだ。

 つまりこの妙齢の女性は妖忌の母なのだろう、妖忌と同じく緑を基調とした着物で身を包んだ白に近い銀髪の女性。

 穏かな表情はおとなしめな印象を与えるものの、着物から出ている腕や首筋に刻まれた刀傷が、ただの女性ではないと訴えている。

 尤も、そんなものを見なくても女性から感じられる鋭い刃のような覇気が、只者ではないという証になっているが。

 

「前に息子がとんだ迷惑を掛けたそうですね……八雲紫さん」

「ええ。でも一番迷惑を掛けられた龍人が気にしていないから、私もこれ以上彼を責めるつもりはないわ」

「ありがとうございます。この子には私自らがしっかりと罰を与えておきましたので」

「…………」

 

 ぶるりと、妖忌の身体が震え上がっていた。

 ……何をされたのかは知らないが、相当な目に遭わされたのは確かなようだ。

 訊いてみたい衝動に駆られつつも、世の中には知らない事もあった方がいいと紫は自己完結させる。

 そんな彼女の心中はさておき、女性は改めて紫へと視線を向け、自らの名を明かした。

 

「私は【(こん)(ぱく)(よう)()】、妖忌の母であり魂魄家の現当主で御座います」

「八雲紫よ。……成る程、前の【桜観剣】と【白楼剣】の持ち主なら、その覇気も納得できるわ」

「ふふふ、このような老いぼれを捕まえて……光栄ですね」

 

 上品な笑みを浮かべる妖華、妙齢ながらもその笑みはただ美しかった。

 

「妖華さん、せっかく来られましたし私の屋敷に参られませんか?」

「ありがとうございます阿一さん、ですが今回はあまり屋敷を空けたくはありませんので次の機会にしてはいただけないでしょうか?」

「わかりました。ではすぐにいつものを用意してもらいますので」

 

 言って、阿一は使いの者に指示を出し始める。

 

「……ねえ妖忌、あなた達はどうして幻想郷の事を知っているの?」

「幻想郷?」

「この隠れ里に付けられた名前よ。それよりどうしてこの里の人と交流があるの?」

「阿一の……今の稗田家の当主の父親と、“()()()御嬢様”のお父上が友人でな。

 昔、随分と世話になったという話は聞いた事はあるが、その名残だろ」

 

「……幽々子御嬢様?」

「俺達【魂魄家】が代々仕えている【西(さい)(ぎょう)()家】の御嬢様だ。――そういえば、お前達暫くこの里に居るのか?」

「ええ、そのつもりだけど……」

 

 紫がそう答えると、妖忌は少しだけ考える素振りを見せてから。

 

「――幽々子御嬢様に会ってはくれないか? 前にお前達と出会った事を話したら、会いたいと仰られてな」

 

 そんな提案を、紫に告げてきた。

 

 

 

 

「――都で大きな事件が遭ったと聞いたが、そんな事があったとはな」

「ええ。本当にいろいろあったのよ……」

 

 幻想郷を離れ、紫、龍人、妖忌、妖華の4人はある山中を歩いていた。

 先頭は妖華、その後ろに龍人と紫と妖忌が並んで歩いており、妖忌は野菜や果物、米といった食糧を積んだ荷車を引いている。

 幻想郷で作られた作物達だ、妖忌達が幻想郷に訪れたのもこの作物達を購入するためであった。

 そして現在、ゆっくりと歩を進めながら紫達は二年前の都での騒動を妖忌に話していた。

 

「二年も眠るとはな……。(りゅう)(じん)という種族の事は聞いた事があったが、よもやお前がその種族だとは思わなかった」

「でも、俺が一番驚いたのはとうちゃんが本当のとうちゃんじゃなくて、しかも元々龍神様だったって事だなー」

 

――龍人が目覚めた後、龍哉は彼に自らの正体を明かした。

 

 本来は話すつもりは無かったのだが、やはりいつまでも隠し通せる事は難しい……そう判断した龍哉は、話す事にしたのだ。

 そうなれば当然彼が龍人の本当の父親ではないという事も理解してしまい、当たり前だが彼は驚きを隠せなかった。

 しかし、彼の驚きはすぐさま消え、実の親ではないという事実にもまったく悲観した様子は見せなかった。

 だがそれも当たり前だった、龍人にとって親は龍哉だけであり、血の繋がりが無くともその事実は彼の中で確固たるものになっているのだから。

 

―――とうちゃんが本当のとうちゃんじゃなくても、俺にとってとうちゃんは本当のとうちゃんだ!!

 

 そう告げた龍人の言葉に、龍哉が不覚にも涙ぐみそうになったので、ここぞとばかりに紫が弄り倒したのは余談である。

 因みに彼は妖忌達と同行していない、なんでも幻想郷の者達と酒盛りする約束をしてしまったらしい。

 ……通算何度目の酒盛りだろうか、まったく興味ないし知った事ではないのでどうでもいいが。

 

「それで妖忌、幽々子ってヤツはどんなヤツなんだ?」

「幽々子御嬢様だ。せめて様ぐらいは付けろ」

「妖忌、龍人にそんな事を言っても無駄よ」

「……それもそうだな。とにかく無礼な態度だけはするな、それさえ守れればそれでいい」

 

「へーい。それでどんなヤツなんだ?」

「優しく穏かな方だ、ただ……少し悪戯が過ぎる時もある」

「子供なんだな」

「少なくともお前よりは年上だ」

 

 そんな会話をしつつ、紫達はどんどん山を登っていく。

 ……だが、ふとした疑問が紫の中で生まれた。

 

(こんな山奥で暮らしているのかしら……?)

 

 幻想郷も山に囲まれた里であったが、紫達が歩いている場所は更に山奥の秘境とも呼べる場所だ。

 妖怪のような人外でなければ荷車は運べず、人どころか動物の姿すら見られない。

 御嬢様、と呼ばれているのならば位の高い人間なのだろう、だというのにこのような山奥の先に暮らしているのは何故だろうか。

 

 それに――もう春になる季節だというのに、周囲が冬のような空気に包まれているのも疑問に拍車を掛ける。

 山奥だからという理由ではあまりに弱いほどに、肌寒い空気が張り詰めているのだ。

 否、肌寒いというよりも……これは悪寒だろうか。

 この先に行くなと、内なる自分に訴えられているかのような錯覚に陥り、自然と紫の歩を進める速さが遅くなった。

 

「紫、どうかしたのか?」

「……いいえ、なんでもないわ」

 

 龍人にそう返しつつ、紫は再び歩を進める速さを元に戻す。

 ……だが、小さな警鐘は先程から鳴り続けている。

 

「――もうすぐですよ」

 

 先頭を歩いていた妖華が紫達に声を掛ける。

 ただ山道を歩いていただけだったからか、龍人は「やっとか」と言わんばかりの表情を見せている。

 前方を見ると、長い階段が見え始めてきた。

 たまには歩いて移動するのも悪くないかもしれないと思いつつ、紫は皆と共に階段へと足を運ぼうとして。

 

――この世の者ではない気配が、周りから漂い始めたのを感知した。

 

「っ」

「なんだ……? この空気……」

「……妖忌」

「わかっている。――またか」

 

 刀を抜く妖忌、それと同時に――紫達の周りに煙のようなものが複数現れる。

 否、それは煙ではなく……煙のように不確かな薄さの頭蓋であった。

 カタカタと音を鳴らしながら、人間の頭蓋が宙に浮き笑い声を上げる。

 普通の人間ならば卒倒してもおかしくはない不気味な光景だが、人外である紫達には通用しない。

 

「…………怨霊、ね」

 

 冷たい視線を向けながら、紫は現れた存在の正体を口にする。

 

――怨霊。

 

 人間の負の感情によって構成された、成仏できずに現世を彷徨う霊の一種である。

 元の人間の記憶や精神は存在せず、ただ生きとし生ける者を狙うある意味では妖怪よりも恐ろしい存在だ。

 

(でも……どうしていきなり現れた?)

 

 怨霊という存在は、基本的に人が多く住まう場所に現れる。

 上記の説明にもあるように、怨霊は生者を襲い自分達の仲間にしようとするからだ。

 もしくは襲った人間の身体を乗っ取り、再び生を謳歌しようするのが怨霊であるが……ここは人里離れた山奥。

 怨霊が現れる場所ではない、生者などそれこそ数えるほどしか居ないのだから。

 では何故? 疑問は次々と浮かんでいくが…考…えるのは後だ。

 

「…………」

「龍人……?」

 

 龍人が荷車に置いていた、彼がいつの間にか手に入れていた無銘の剣を鞘から抜き取る。

 そしてその切っ先を怨霊達へと向け――力ある言葉を解放した。

 

「ここは、お前達の居るべき場所じゃないんだ。在るべき世界に――()()

「ギ……ッ!? ギャギャギャ……!?」

 

 すると、怨霊達は一斉に声を荒げ龍人に向かって脅えのような反応を示す。

 

「龍人……?」

 

 一体彼は何をしたのだろう、それは疑問だが……好機だ。

 紫が仕掛ける……前に妖忌が動き、目にも止まらぬ速度で刀を振るい怨霊達を切り刻んでいく。

 実体の持たない怨霊に物理攻撃は効かない…が、妖忌の持つ【白楼剣】は霊の未練を断ち切る妖刀。

 瞬く間に怨霊達は霞へと消え、辺りに静寂が戻っていった。

 

「……龍人、お前……何をしたんだ?」

 

 刀を鞘に収めつつ、妖忌が龍人に問う。

 龍人も剣を鞘に収めつつ、妖忌の問いに答えを返した。

 

「……わかんねえ」

「はあ?」

「でも、なんか怨霊達を見てたら自然とさっきの言葉が頭に浮かんだんだ」

 

 龍人自身も自分が何をしたのか理解していないのか、その口調には驚きと困惑の色が見受けられた。

 

「――言霊、ですね」

 

 そんな彼等の疑問に答えたのは、妖華であった。

 

「言霊?」

「言葉の持つ力の一つです。先程龍人さんは怨霊達に「還れ」と告げたでしょう? それによって怨霊達は自分達が居るべき場所――つまり冥府へと誘われそうになった、ひどく脅えた様子になり動きを止めたのはそのせいでしょう。

 無論ただの言霊に怨霊を冥府に還す力は存在しません、(りゅう)(じん)の血を引く龍人さんだからこそできたのでしょうね」

 

 とはいえ、龍人のは完璧な言霊ではなかったようだ。

 もしもあれが発動していれば、怨霊程度の存在など一瞬で冥界へと送られる。

 つまり先程動きを止める程度に留まったのは、龍人の言霊が不完全だったからだ。

 

「……(りゅう)(じん)というのは、本当にデタラメな種族なんだな」

 

 言霊というものが時折現実のものになる現象は確かに存在する。

 しかし(りゅう)(じん)はそれを自由に扱えるというのだ、デタラメだと言わずに何というのか。

 

「――妖忌?」

「っ、幽々子様!!」

 

 突然聞こえた声に、妖忌が反応する。

 遅れて紫は声の聞こえた方向へと視線を向けると……そこに居たのは、1人の少女。

 背中辺りまで伸びる薄桃色の髪が何よりも目に付く特徴の、可憐な少女だ。

 そして今、妖忌はこの少女を「幽々子」と呼んだか。

 

「妖忌、彼女が……?」

「ああ、西(さい)(ぎょう)()()()()御嬢様だ」

「……妖忌、妖華、こちらの2人は?」

「前に妖忌が話していた八雲紫さんと龍人さんですよ、幽々子様」

「この2人が……」

 

 妖華の言葉を聞いた瞬間、幽々子と呼ばれた少女は無邪気に微笑みつつ紫達へと歩み寄った。

 

「はじめまして。私は西行寺幽々子よ、あなた達の事は妖忌から聞いているわ」

 

 自らの名を明かしながら、右手を差し出し握手を求めてきた。

 

「よろしくな幽々子、龍人っていうんだ!」

 

 反応に遅れた紫とは違い、龍人はすぐさま握手に応じお互いに笑みを浮かべ合う。

 

「よろしくね?」

「……ええ、よろしく」

 

 ニコニコと微笑む幽々子、その顔に紫達に対する警戒心は微塵も感じられない。

 なんとも無邪気で……無用心なのだろう。

 でも、何故かはわからないけれど。

 ニコニコと笑っている筈だというのに、その笑みが……悲壮感に溢れているものに、紫は見えてしまった。

 

「さあさあ皆さん、立ち話もなんですから屋敷に戻りましょう?」

「そうね。それじゃあ紫、龍人、早く行きましょ!」

 

 言うやいなや、幽々子は紫と龍人の腕を掴み屋敷に向かって走り出した。

 思っていた以上の力で引っ張られつんのめりそうになりながらも、紫達はおとなしく幽々子に引っ張られていくのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




かなりオリジナリティが強いですが、こういった作品だと割り切っていただけると幸いです。


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第23話 ~幽々子の呪われし能力~

妖忌と再会し、彼が仕えている西行寺家の娘――西行寺幽々子と知り合った紫達。
幽々子は妖怪に対しても人懐っこい変わった人間だと認識した紫であったが、彼女はまだ知らなかった。

ただの人間である幽々子の内側に宿る、呪いの力に………。


「――ああ、お茶が美味しい」

「……あなた、まだ若いのに随分年寄り臭いのね」

「紫には言われたくないですよー」

 

 広い中庭を一望できる縁側にて、隣り同士に座る紫と幽々子。

 一歩下がった場所には、まるで見守るように佇む妖華の姿があり、紫と幽々子の手には彼女が淹れた緑茶が入った湯のみが握られている。

 山奥に存在する屋敷ではあるものの、流れる空気は先程とは違いすっかり春のそれだ。

 暑いわけでも寒いわけでもないちょうどいい暖かさは、生きる者の心を弾ませていた。

 なんて穏やかで和む時間だろうか、ずずずとお茶を啜りながら紫達は中庭へと視線を向け――全然穏やかではない光景を視界に入れた。

 

――鋼がぶつかり合う甲高い音が、空気を震わせる。

 

 刀と長剣、2つの刃が幾度と無くぶつかり合い、龍人と妖忌の身体が縦横無尽に駆け巡っていく。

 紫と幽々子はのんびりと縁側でお茶を飲みまったりと過ごしているというのに、龍人と妖忌は互いの獲物を振るい合い打ち合いを行っていた。

 要するに鍛練である、事の発端は妖忌が。

 

「少しは腕を上げたのか?」

 

 と言ってきたので、「じゃあ試してみようぜ!」と龍人が乗り気になり――今に到る。

 

「でも凄いわ。あの妖忌の剣についてこれるなんて……龍人って、強いのね」

「幽々子様、まだまだ妖忌は未熟者。剣に迷いが見られますので、あまり過大評価してはなりません」

「もう、妖華は妖忌に厳しいんだから。あの人が毎日頑張ってるって知っているでしょう?」

「あの刀の持ち主ならば日々の鍛練は当たり前ですよ。――ですが、確かに龍人さんの剣はなかなかのものです」

 

 荒削りで真っ直ぐ過ぎるところはあるものの、少年とは思えない程に力強い剣戟だ。

 無論妖忌にすら及ばないが、あと数十年もすれば一人前と呼べる領域に達するかもしれない。

 魂魄家最強の剣士だけが持つ事を許される【桜観剣】と【白楼剣】の前任者である妖華にここまで言わせるのは、剣士として誉れある事だ。

 尤も、それを龍人に言った所で理解できるとは思えないが。

 

「っ、……っ!!」

「…………」

 

 特別甲高い音が響き、妖忌が後方に吹き飛ばされる。

 凄まじい衝撃に襲われたのか、妖忌の顔に苦悶の色が浮かんだ。

 一方、妖忌を剣戟で吹き飛ばした龍人は、右手に長剣を持ったまま不動の体勢で妖忌を見据えている。

 

「……お前、二年間眠っていたんじゃなかったのか?」

「そうだよ。けど……ずっと寝てたからか、身体がすげえ軽いんだ」

 

 だからこんなに動けんのかな、そんな呑気な事を言う龍人に妖忌は眉を潜め…そして、それは紫も同じであった。

 

(どうして、いきなり力が増したの……?)

 

 彼は二年間眠り続けていた、だというのに目覚めて早々人狼族の実力者である今泉士狼を圧倒した。

 そして今も、二年前ではまるで歯が立たなかった妖忌の剣に、食らいついているばかりか僅かに圧しているのだ。

 疑問に思わぬわけがない、一体彼の身に何が起きたというのか。

 

 それに彼がいつの間にか持っていた剣にも謎が残る、誰が彼に渡したのか当の本人すら覚えていないというのだ。

 急激に彼の力が増した事と何か関係があるのだろうが、いくら考察しても結論には至らない。

 

「妖忌、大丈夫ー?」

「……大丈夫ですよ、幽々子様」

 

 心配そうな声を掛ける幽々子に、妖忌は視線を龍人に向けたまま返事を返す。

 

(なんと情けない……幽々子様にご心配を掛けるなど……!)

 

 いくら鍛練とはいえ、この刀を託された剣士として同じ剣戟で圧されるなど屈辱だ。

 憎々しげに龍人を睨む妖忌、すると彼は徐に白楼剣を鞘に収め桜観剣を両手で握りなおした。

 

「……やれやれ、これだからまだまだ未熟なのですよ。妖忌」

 

 “それ”に最初に気がついたのは、妖華。

 続いて紫が、桜観剣に妖忌の霊力が集まり出したのを察知する。

 

「妖忌、何を……?」

「んん……?」

 

 妖忌が何をしているのかわからないのか、龍人が首を傾げると――桜観剣の刀身が輝き出した。

 その輝きは霊力によるもの、圧縮されたそれは瞬く間に臨界へと到達する。

 

「っ、龍人、逃げなさい!!」

「ん……?」

「――悪いが、決めさせてもらうぞ!!」

 

 叫ぶようにそう告げ、妖忌が龍人に向かって吶喊する。

 

「っ………!」

 

 そこで漸く龍人も気づき、左手を剣の刀身に這わせ龍気を注ぎ込む。

 

(だん)(めい)(けん)―――」

「――“炎龍気”、昇華!!」

 

 桜観剣の輝きが一際大きくなり、同時に龍人の持つ長剣に黒い炎が纏わりついた。

 そして、互いの一撃が入る間合いへと詰め寄った瞬間。

 

「――(めい)(そう)(ざん)!!!」

(えん)(りゅう)(てん)()!!!」

 

 互いの一撃が繰り出され、爆撃めいた轟音と衝撃波が中庭全体に巻き起こった。

 

「きゃあ!?」

「っ、く………!」

 

 瞬時に幽々子を守る妖華、紫も結界を張り衝撃を軽減させる。

 その甲斐もあって幽々子は驚きはしたものの、怪我一つなく紫と妖華はほっと胸を撫で下ろす。

 そして、ただの鍛練にしては明らかにやりすぎた2人へと視線を向けると。

 

「…………ぷはぁー、効いたー」

「…………ちっ、くそったれ」

 

 龍人も妖忌も、衣服の所々を焦がしながら、地面に倒れ込んでいた。

 

「…………」

「はぁ……まったく……」

 

 大きく溜め息を吐いてから、立ち上がり中庭に向かう妖華。

 紫もそれに続き、倒れたままの龍人と妖忌を見下ろしながら。

 

「…………」

「ぐっ……っ!?」

 

 妖華は無言で妖忌の額にとんでもなく力の入った平手打ちを叩き込み。

 

「――龍人!!!」

「いてえっ!?」

 

 紫は右の拳に妖力を込め、龍人の顔に拳骨を叩き込んだのであった。

 

 

 

 

「――まったく、幽々子様に被害が及んだらどうするつもりだったのかしら?」

「うっ……」

「龍人もやり過ぎよ。反省しなさい」

「だってさ、なんかお互いに負けたくないって思ったら……」

「何か言ったかしら?」

「……なんでもないです」

 

 縁側で小さくなる男達にガミガミと説教する紫と妖華。

 それにより更に小さくなっていく2人だったが、突如として幽々子の笑い声が場に響く。

 

「あはははっ、なんだか2人って兄弟みたいね!」

「……俺と妖忌が、兄弟?」

「ご冗談を。こんな小僧が弟などと俺は許容できません」

「なんだよー。っていうか俺が弟なのは確定なのか?」

「当たり前だ、阿呆が」

「阿呆って言った方が阿呆なんだぞ!!」

「なんだと!?」

 

 睨み合う龍人と妖忌。

 息子の子供じみた態度に妖華は溜め息を吐き出し、幽々子は再びからからと笑い出す。

 するとさすがに大人気ないと思ったのか、ばつの悪そうな表情を浮かべる妖忌。

 ……和やかで穏やかな空気が、再び戻ってきた。

 

「…………」

(? 妖華……?)

 

 気のせいだろうか。

 龍人達のやりとりを見て、正確には楽しそうに笑っている幽々子を見て、妖華が瞳に涙を浮かべた気がしたのは……。

 

「…………おなかすいた」

 

 幽々子がそう呟いた瞬間、彼女の腹部からきゅ~という可愛らしい音が響いた。

 当然その音はこの場に居た全員に聞こえており、幽々子は羞恥で顔を紅潮させる。

 

「では、そろそろ夕食の支度を致しましょうか。妖忌、あなたは幽々子様の傍に居なさい」

「ああ、わかった」

「お2人も食べていってください」

「やったー!!」

「ふふふ……」

 

 穏やかな笑みを浮かべてから、妖華はその場を後にする。

 夕食の時間が待ち遠しいと言わんばかりの反応を示す龍人、それを見て呆れる妖忌、そんな2人を見てまたしても楽しげに笑う幽々子。

 紫も3人の輪に入ろうとして……ふと、先程の事が気になり妖華の後を追う事にした。

 

「紫、何処行くんだ?」

「少し席を外すわ」

 

 龍人に短くそう告げ、紫は急ぎ足で妖華の後を追う。

 広い屋敷の廊下を歩き、紫が妖華の姿を視界に捉えた時には、既に屋敷の台所に辿り着いていた。

 

「紫さん? どうかしたのですか?」

「……少し、気になった事があって」

「気になった事、ですか? それは一体なんでしょうか?」

 

 訊ねながら、妖華は早速夕食の仕込みに入る。

 その後ろ姿を眺めながら、紫は先程の事を訊ねた。

 

「幽々子が楽しそうに笑っているのを見て、泣きそうになっていなかった?」

「…………」

 

 野菜を刻んでいた包丁を持つ手が、止まる。

 その反応は肯定の証、すると妖華は料理の手を止め紫へと振り返った。

 

「……良い観察眼ですね。あなたはまだ若いですがいずれ大妖に成り得る器の持ち主です」

「それはどうも。――気づいたのはたまたまだけど」

「だとしても見事なものですよ八雲紫さん、ですが私もまだまだ未熟のようですね」

 

 ふふふと笑う妖華。

 

「幽々子様があのように笑う姿を見たのが十年振りでしたので、つい嬉しくなって感極まったのですよ」

「…………十年?」

「そう、十年……幽々子様はずっと己を憎み続け恨み続け……十年間、心からの笑みを浮かべた事はないのです」

 

 何処か吐き捨てるように、妖華は言う。

 だが、紫にはその言葉の意味をよく理解できなかった。

 

「あなた達には本当に感謝しています。まさか会って早々に幽々子様があそこまで心を開き、尚且つ昔のように笑ってくださるとは思ってもいませんでしたので……」

「……妖華、あの子は普通の人間じゃないの?」

「人間ですよ、幽々子様は。穏やかで心優しく……本当に優し過ぎる人間です」

「じゃあ、どうしてこんな人も動物も寄り付かないような山奥で暮らしているの? あの子の親は一体何処に居るの?」

「…………」

 

 妖華の雰囲気が変わる。

 しまった、そう後悔してももう遅い。

 安易に深入りし過ぎた、今の問いはおいそれと訊ねてはいけない類のものだ。

 緊張で無意識の内に喉を鳴らす紫、一方の妖華はただじっと紫に視線を向け続け。

 

「――幽々子様のご両親は、既にこの世にはおりません」

 

 あっさりと、紫の問いに答えを返した。

 

「母君様は幽々子様をお産みになってすぐに、父君様は幽々子様が七つの時に」

「……ごめんなさい、このような質問はするべきではなかったわね」

「いいえ。構いません、私はただ事実を口にしているだけ、幽々子様もお許しになる事でしょう」

「……なら、あの子がこんな所で暮らしている事に対する答えも、いただけるのかしら?」

 

――不思議と、気になっている。

 

 会ったばかりの少女、それも人間である幽々子を紫は何故か知りたいと思った。

 理由は紫自身もわからない、でも初めて彼女を見た時に……何かを感じ取ったのだ。

 普段の自分とは違う態度に驚きつつも、紫はそれ以上何も言わずに妖華の言葉を待つ。

 ……すると、彼女は。

 

「幽々子様がこの屋敷で暮らしているのは、幽々子様ご自身の“能力”のせいなのです」

 

 何かを思い出したのか、少しだけ辛そうに紫の問いに答えを返した。

 

「能力……?」

「はい。本来生きとし生ける者が持つべきものではない能力……幽々子様は、無意識の内に他者を“死を誘う”能力を持って生まれてしまったのです」

「死を…………誘う?」

 

 その言葉はあまりに曖昧で、象徴的なものだった。

 死を誘うとは一体どういう事なのか、紫はもう少し詳しく訊く事にした。

 

「文字通りの意味です。幽々子様の傍に居る生者は、幽々子様ご自身の能力によって無意識に自らの命を絶ってしまう」

「なっ――!!?」

「幽々子様の父上も、その能力によって自ら命を絶ち、そしてその弟子や使用人達も後を追うように……」

「――――」

 

 言葉が、出なかった。

 当たり前だ、ただそこに在るだけで死を与えるなど死神と、否、死神以上に恐ろしい。

 そんな能力をあんな少女が、それも人間が持ちうるなど……。

 

「幽々子様はご自分の能力を制御しようと努力なさいました、ですがそれは叶わず……」

「当たり前よ、そんな能力大妖怪でも制御する事なんてできるわけが無い。ましてや人間の幽々子では絶対に不可能よ」

「ええ。ですが自身の能力によって亡くなった者達に涙を流す幽々子様を見てしまえば、諦めろなどとは言えませんでした」

 

 結局、幽々子の能力によって屋敷の者達は全員自ら命を絶ってしまった。

 後に残ったのは、半人半霊故に彼女の能力が効き難かった魂魄家の者と……沢山の墓標だけ。

 幽々子の親族も幽々子の能力を恐れ、彼女のこの人里離れた山の中へと隔離した。

 その際にその親族達から次々と呪いの言葉を吐き出され、彼女自身も己を強く呪ったらしい。

 ……それでも、彼女の能力は他者の命を奪っていく。

 

「怨霊が人も獣も存在しないこの場所に現れるのも、幽々子の能力が関係しているというわけね……」

「はい。その通りです」

「…………」

 

 なんとも、笑えない話だ。

 だが、紫はここでどうして自分が幽々子の事を知りたいと思った理由を理解した。

 ……似ているのだ、彼女は自分に。

 自らの能力によって周りから疎まれ、憎まれ、呪われる。

 そして自らも自身の能力を憎み、呪っている。

 人間と妖怪、種族は違えど……紫と幽々子は同じ傷を持って生きている者達だったのだ。

 だから紫は半ば直感めいたもので幽々子が己と同じだと悟り、彼女を知りたいと思ったのかもしれない。

 

――放ってはおけないと、そう思った。

 

「妖華、私と龍人を暫くこの屋敷に居座らせてはくれないかしら?」

「えっ……」

「正直、私にだって幽々子の能力を制御するなんて芸当ではできないわ。でも彼女の能力は私には通用しない」

 

 自分自身の境界を操作すれば、死を誘うという幽々子の能力を遮断する事はできる筈だ。

 同様に龍人にもそれを施せば、少なくとも彼女の能力によって命を奪われる事はない。

 

「――あの子には友人が居ない。あなたも妖忌もあくまで従者だもの、だから……私達があの子の友人になる」

「…………紫さん」

「妖怪の私が人間の幽々子の友人になるのは、ご不満かしら?」

「……いいえ、いいえ紫さん。ありがとう」

 

 深々と頭を下げ、心からの感謝の言葉を口にする妖華。

 ……ああ、本当に自分は甘くなったと紫は内心苦笑する。

 妖怪の自分が人間の幽々子に、少しでも力になろうとするなど……実に妖怪らしくない。

 今更な気はするが、甘ったるくなった自分にはいつも苦笑させられる。

 

 だが――それも構わないだろう。

 妖怪らしくなくて結構、ただ自分の心の赴くままに行動して何が悪いというのか。

 人間と仲良くしてはいけないなどという理など存在しないのだ、これもまた1つの答えなのだから……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




これから全体的に展開が速めになっていくと思います。
見返すと無駄な場面が多いと思いましたので、もう少し適度な感じを心掛けようと思いましたので。


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第24話 ~人と妖怪の友情~

西行寺幽々子の力は、一個人が持つにはあまりにも大き過ぎる力だった。
それ故に周囲に呪われ孤独になった彼女を紫は己と重ね、彼女の力になりたいと思い始める……。


――見慣れぬ天井が、紫の視界に広がった。

 

「…………」

 

 半身を起き上がらせ、周囲を見渡す。

 見慣れない部屋だ、現在厄介になっている阿一の屋敷ではない。

 

「…………ああ」

 

 どうやら寝ぼけていたらしい、その事実に紫は僅かに羞恥しながら布団から起き出した。

 ここは西行寺幽々子の屋敷、昨日から暫くこの屋敷に住まわせてもらう事になった事を漸く思い出す。

 外を見るとまだまだ空は暗い、夜明けになるまで時間はあるだろう。

 しかし一度起きてしまったので、紫は夜風に当たろうと中庭へと赴いた。

 

――桜の花弁が、空を舞っている。

 

 その光景はただただ美しく、けれど花の儚さを表しているようにも見える。

 暫しその光景に魅入り、紫はふと庭の奥へと視線を向けた。

 そこにあるのは、沢山の墓標と――その近くに聳え立つ立派な桜の木。

 墓標は幽々子の父やその弟子、使用人達のものだ。

 皆、何故かこの桜の木の下で自害したため、似つかわしくないと思いつつもここに建てたらしい。

 

「――――、ぁ」

 

 その、中央で。

 桜の花弁を描かれた扇子を両手に持ち、舞を踊っている少女が居た。

 少女の名は西行寺幽々子、この屋敷の若き主であり――呪われた力を持って生まれてしまった悲運の少女。

 

「…………」

 

 おもわず、紫は息をするのも忘れてしまう程、幽々子の舞に魅入ってしまっていた。

 それほどまでに彼女の舞は美しく、けれど何処か悲しい舞だった。

 まるで、罪を償うように、許しを請うように、彼女は踊っていると紫はそう感じた。

 

――そして、それはきっと正しいのだろう。

 

 妖華は言った、幽々子は己を呪っていると。

 自らの能力で父を、父の弟子を、使用人達を死に至らしめた。

 無論彼女に罪が無いと言えば嘘になるだろう、たとえ望まぬ能力とて授かってしまった以上はその能力に対する責任は果たさねばならない。

 

 だが、彼女の能力はあまりにも出鱈目で、到底制御できるわけがない。

 百年の時も生きれぬ人間が、否、現世に生きる者が持つにはその力はあまりにも――

 

「…………紫?」

「っ……」

 

 魅入っていたせいか、幽々子に声を掛けられるまで彼女に接近されている事に気づけなかった。

 こんな時間に起きている事を不思議がっているのか、幽々子はちょこんと首を傾げながら紫を見つめている。

 ……先程までの、痛々しい悲しみに包まれた雰囲気は、無くなっていた。

 

「幽々子、こんな時間に起きて舞を踊るなんて変わっているわね」

「そういう紫こそ、どうして夜遅くに起きているの?」

「私達妖怪は本来睡眠なんか必要としないのよ、まあ体力や妖力が消耗していれば眠って回復させるけど」

「睡眠を必要としないなんて、妖怪って便利なのね」

 

 羨ましいわと、幽々子は笑う。

 その笑みは歳相応の笑みで、おもわず紫は安堵の溜め息を零した。

 舞を踊っていた時の彼女の表情は、まるで死ぬ一歩手前のように儚く映ったからだ。

 どちらからともなく移動し、2人は縁側に座り込んだ。

 

「……ねえ、紫」

「なにかしら?」

「あなた、妖華から聞いたんでしょう? 私の事……」

「…………」

 

 少し間を空けてから、紫はええ、と答えを返す。

 すると一瞬だけ幽々子は身体を震わせ、すぐさま自嘲めいた笑みを浮かべた。

 

「驚いたでしょ? 人間の私が、こんな能力を持ってるって聞いて」

「……正直、ね」

「あはは……。――だったら、どうして紫はまだここに居るの?」

「…………」

「私は生きとし生ける者達に死を招く呪われた人間、それを知ってしまっているというのに、どうして?」

 

 真っ直ぐな瞳、けれどその奥には漆黒の闇のように暗く深い悲しみの色が溢れている。

 僅か十七年、その短い人生の中で幽々子はきっと自分では想像できない悲しみを経験したのだろう。

 両親を亡くし、その弟子や使用人すら消え、このような人も獣も安易に近づかない山奥で生き続ける。

 妖怪ならば特に支障はないだろう、だが彼女は脆弱な人間なのだ、耐えられるわけがない。

 

「……そうね。信じてくれるかは知らないけど、幽々子は……前の私に似ているのよ」

「紫に、似てる?」

「私もね。龍人達に出会う前は、色々なものを呪って生きてきたわ」

 

 それから紫は、今まで自分が能力故に同じ妖怪から命を狙われていた時の事を幽々子に話す。

 

「…………」

「だから私は同じ妖怪も、人間も嫌いだった。

 今も醜い人間や妖怪は嫌いよ、でも龍人達に会って……人間の友人もできて、世の中結構捨てたものじゃないなって思えるようになったの」

 

 その気持ちに偽りはない、だから……たとえお節介だとしても、紫は幽々子に伝えたい事があった。

 

「幽々子、あなた……心のどこかで自分自身を殺してやりたいって、そう思ってない?」

「…………」

 

 幽々子は答えない、だが紫から視線を逸らし顔を俯かせた彼女の反応で紫は理解する。

 

「自分を殺してやりたい、こんな能力を持って生まれた自分を憎んですら居る。

 でも死ねない、死ぬのが恐いから。だけど何よりも……自分を慕い支えてくれようとしてくれる妖忌達が居るから、死ねないんでしょ?」

「…………」

 

 沈黙は続く、否定も肯定もせずに幽々子は押し黙る。

 

「あなたの気持ちは良くわかる、などという傲慢な言葉を放つつもりはないわ。確かに幽々子の境遇と私の境遇にはある程度の共通点はあるかもしれないけど、あくまでそれはある程度であって同じではない。

 だから私では幽々子の気持ちを完璧に理解する事なんてできない、でもね……自分自身の憎み続けて、恨み続けて生きるというのはきっと辛い事よ」

 

「………………紫は、優しいわね」

 

 顔を上げる幽々子、その顔は……まるで泣き出しそうな子供のそれだった。

 

「でも紫、私はきっとこの世に生まれてはいけない人間だったのよ。ただそこに在るだけで周りに死を撒き散らす女なんて、どうして生きていていいと思えるの?」

「幽々子……」

「妖忌も妖華も本当に私を大切にしてくれる、支えてくれているわ。

 だけど、私はそんな2人に何も返せないばかりか……負担ばかり掛けてしまっている」

 

 それが幽々子には辛かった、苦しかった。

 このような呪われた力を持つ自分の為に、2人をこのような場所に縛り付けているという事実が、幽々子を苦しめる。

 

「2人はそんな風に考えて居ない筈よ。そうでなければどうしてあなたの傍に居るのかしら?」

「…………」

「……すぐに意識を変えろだなんて言わないわ。だけど幽々子、自分を呪うのだけはやめなさい」

「だけど、紫――いたっ!?」

 

 何か言いかけた幽々子の額を、軽く小突く紫。

 しかし妖怪と人間という種族の違いのせいか、加減したつもりだったが幽々子は両手で額を押さえながら蹲ってしまった。

 

「あ、あら……ごめんなさい。そんな強くやったつもりはなかったのだけど……」

「うぅ~……いきなり何するのよー」

 

 涙目で恨めしそうに紫を睨む幽々子。

 

「あなたは1人じゃないの。あなたを慕う従者と……()()が居るんだから」

「えっ……友人……?」

「そうよ。――私と龍人が居るわ、そして私達も幽々子には普通に生きてほしいと願っている。それじゃあ不満かしら?」

「…………」

 

 幽々子の瞳が、驚愕の色を宿しながら見開かれる。

 会ったばかりの、それもこのような能力を持った人間の自分を友だと言ったのが、本当に驚いたのだろう。

 だが紫は決して偽りの言葉を放ったわけではない、本当に心から……西行寺幽々子という存在を、友人だと想っていた。

 

「それに、あなたの能力をどうにかする可能性だって、ちゃんと考えているのよ?」

「えっ……!?」

「私が今より成長すれば、あなたの能力を私の能力で封じる事ができるかもしれない」

 

 紫の境界を操る能力で、幽々子自身と彼女の死を招く能力との境界を遮断させる事ができれば、彼女は普通の人間として生きる事ができるだろう。

 とはいえ今の紫の技量ではそれは叶わない、それにいつになるのかもわからない。

 だがそれでも、紫は幽々子に生きる希望を与えたかった。

 

 ……このままでは、きっと彼女は己の罪に耐え切れず自ら命を絶つだろう。

 そんな事は認められない、まだ会ったばかりだが紫にとって幽々子はかけがえのない友となった。

 かつての自分と似ている彼女を、守りたいと思ったのだ。

 そうすればきっと、幽々子も今の自分と同じように生きる目的と…穏やかな幸せを得られると信じている。

 

「……紫って、本当に妖怪なの?」

「それはどういう意味かしら?」

「だって……人間の私にここまで優しいなんて、全然妖怪らしくない」

「……かもしれないわね。友人の御人好しが伝染してしまったみたい」

「それって龍人の事? 酷い事言うのね、ふふっ……」

「だって事実だもの、仕方ないわ」

「ふふふ……」

 

 瞳に涙を溜めながらも、幽々子は楽しそうに笑った。

 だけどその笑みは、さっきのような自嘲めいたものではない純粋な笑みだった。

 その笑みを見て、紫は己のした事が間違いではないと改めて確信できた。

 

(でも……これから頑張らないとね……)

 

 幽々子の能力を遮断するには、今の自分の力では足りない。

 だからもっと妖怪としての格を上げなくては、改めて紫は自分自身に誓いを建て。

 

 

――白銀の刃が幽々子の首を狙っている事に、気がついた。

 

 

「――――えっ!?」

 

 硬いものが弾かれる甲高い音を耳に入れ、幽々子は間の抜けた呟きを零しながらおもわず立ち上がった。

 一体何が起きたのか、突然の事態に彼女の思考は停止してしまう。

 そんな幽々子を守るように一歩前に出てから、紫は――自分達を囲むように現れた黒装束の人間達に問いかけた。

 

「このような夜更けに来訪しただけではなく、この家の主人の命を奪おうとするだなんて……随分と礼儀知らずな人間なのね」

「…………」

 

 人間達は何も話さない。

 だが黒い覆面の奥から見える瞳には、紫達に対して絶殺の意志が見受けられた。

 

(こいつら、人間のようだけど……どうして幽々子を狙ったの……?)

 

 妖力は感じられず、相手から匂うこの匂いは紛れもない人間のものだ。

 しかし解せない、最初の一撃は幽々子の首を掻っ切ろうと放たれた短刀だった。

 過去に人間に命を狙われた事のある紫を狙ったのではなく、彼女の隣に居た幽々子が狙われた。

 それが紫には解せなかった、彼女が狙われる理由など一体何処に……。

 

「……また、なのね」

「えっ……」

 

 また、と幽々子はそう呟いた。

 それは一体どういう意味なのか、紫が幽々子に問いかけようとして――その前に人間達が動きを見せる。

 紫達を逃がさぬように展開しながら、右手に短刀を持ち向かってくる人間達。

 

 その動きは素早く、特殊な訓練を受けた者だというのは想像に難くない。

 もしもこの場に居たのが幽々子だけなら、間違いなく彼女は自分が死んだ事にも気づかないまま命を奪われていただろう。

 

「――チッ」

 

 だが、たとえ人間にしては素早い動きだとしても……紫には止まって見える。

 瞬時に能力を発動、すると人間達の前に人数分のスキマが空間を裂きながら現れた。

 

「なっ――ギャッ!?」

 

 人間達はすぐさま回避しようとしたが、時既に遅し。

 スキマはまるで呑み込むように人間達を包み込み、肉片1つ血の一滴すら残さずに消滅させた。

 

「…………」

「……、ぁ」

 

 ぺたんと、腰が抜けたように座り込む幽々子。

 漸く自分の命が狙われていたと理解したのか、その身体は小刻みに震えていた。

 そんな彼女の身体を優しく擦りながら、紫は幽々子に問いかける。

 

「今の人間達に、心当たりでもあるのかしら?」

「……今のはきっと、私の親族の手の者よ」

「は……?」

「厄介者の私を殺したくて殺したくて仕方ないのだと思う。今までだって何度も襲われたもの」

 

 冷たい笑みを見せながら、幽々子は理解できない答えを返した。

 親族――即ち幽々子と血縁関係にある者達が、彼女の命を狙ったと……?

 ……理解できないわけではない、人間の中では己の地位を向上もしくは守るために親族を殺す。

 だが、紫は噴火せんばかりの怒りをその親族達に抱いた。

 ふざけている、幽々子を呪うばかりか命まで奪うなど、紫には許容できなかった。

 

(許さない、この報いは……必ず受けてもらうわよ………!)

 

 

 

 

「――あら、まさかまた会うなんて思わなかったわ」

 

 西行寺の屋敷から遠く離れた森の中で、上記の呟きを零す女性が居た。

 彼女は今の紫達と人間達のやりとりを見て、僅かに驚いていた。

 

「…………殺し、ますか?」

 

 そんな女性に無機質な声で話しかける1人の少女に、女性は首を横に振った。

 

「まだいいのよ。近い内に否が応でも対面する事になるのだから」

「……では、その時に」

「ええ。その時にはお願いね? ――白」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




もう少しテンポ良くいきたいですね、なかなか難しい……。


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第25話 ~赤き死の女神~

幽々子との友情を深めていく紫。
妖怪でありながら人間と仲良くするという事に違和感を覚えつつも、紫はそんな自分自身を完全に肯定した。
そんな中現れる謎の集団を軽く降し、紫は現れた者達が幽々子の命を狙う西行寺家の刺客だという事を知ったのだった……。


「――もう、我慢の限界だ!!」

 

 屋敷中に響き渡っているのではないかと思えるほどの妖忌の怒声が、部屋に木霊する。

 

「妖忌、落ち着きなさい」

「これが落ち着いていられるのかよおふくろ! 西行寺の連中がまたしても幽々子様のお命を狙ったんだぞ!?」

 

 幸いにも、紫によって幽々子は守られた。

 だが、幽々子の命を狙ったのが同じ西行寺家の人間だと知った瞬間、妖忌は激昂したのだ。

 というのも、西行寺家の連中が幽々子の暗殺を企てたのは、一度や二度ではないのだ。

 

「幽々子様をこのような場所に軟禁しておきながら、命まで狙うなど……もはや勘弁ならん!!!」

 

 勢いよく立ち上がり、桜観剣と白楼剣を腰に差す妖忌。

 その瞳には明確な殺意が見え、それを見た妖華はため息混じりに妖忌を呼び止めた。

 

「妖忌、短絡的な行動は慎みなさい」

「だがおふくろ……!」

「――妖忌、私からもお願い。気持ちは嬉しいけど落ち着いて、ね?」

「っ、幽々子様……」

 

 主である幽々子にまで止められてしまい、妖忌は苦々しく顔を歪めながらもおとなしく座り込んだ。

 

「妖華、今回の事は不問にします。いいですね?」

「畏まりました」

「幽々子様!?」

 

 不問、つまり幽々子は自分の命を奪おうとした西行寺家の者達を許すというのか。

 ……だが、これもいつもの事、幽々子は何度も自分の命を狙われようと一度たりとも報復を行わなかった。

 妖忌が何度も進言しても、幽々子は「大丈夫だから、ごめんね?」と返すのだ。

 

 争い事を好まぬ彼女だからこその判断なのは妖忌とて理解している、だがこれでは一向に問題は改善しない。

 しかし、主の言葉を何よりも優先する妖忌には、それ以上何かできる筈も無く。

 

「………すみません。少し剣を振るってきます」

 

 けれど腹の虫が収まらないので、剣を振って鬱憤を晴らそうと客間を飛び出すように出て行ってしまった。

 

「……妖忌には、後で謝らないとね」

「いいえ、あの子はまだまだ子供なのです。幽々子様が気にする事はありませんよ」

「でも幽々子、報復しろとは言わないけど……何もしないで居たら、問題は解決しないわよ?」

 

 いずれまた幽々子は狙われるだろう。

 西行寺の連中は、彼女の能力を恐れている、いつ自分達がその能力によって自ら命を絶つかわからないからだ。

 無論幽々子はそのような事はしない、しかし連中はそれを信じることができないのだ。

 

「うん、それはわかってはいるんだけど……」

「…………」

 

 何故幽々子は頑なに報復する事を拒んでいるのか、その理由を紫はなんとなく理解できた。

 元々彼女は穏やかで争い事を好まない優しい性格だ、それも理由の1つだろう。

 だが何より――己の能力によって親しい者達の死を見てきたからこそ、“死”というものに敏感で恐れを抱いている。

 

 だからこそ彼女は何もしない、否、何もできないのだ。

 妖華はそんな幽々子の心中を理解しているから必要以上に何も言わないし、妖忌も納得できなくてもおとなしくしている。

 

「――別にいいじゃねえか。幽々子が仕返ししたくないって言ってるんだから」

「龍人……」

 

 先程まで会話に参加していなかった龍人が、口を開いた。

 

「何度襲われようとも俺達が幽々子を守ればいいだけだろ? ただそれだけの話だ」

「龍人……」

「幽々子は俺の友達だ。そして友達は何があっても守るもんだ、そうだろ紫?」

「……ええ、そうね」

 

 なんと単純な考えか、そう思いながらも紫は龍人の言葉を肯定した。

 そう、ただそれだけでいいのだ。

 友である幽々子を守ればいいだけ、何度命を狙ってこようとも返り討ちにすればいいだけの話。

 単純で短絡的、でも……彼らしい答え。

 変わらぬ彼の言葉に、紫は自然と笑みを浮かべていた。

 

「じゃあ、俺も妖忌と一緒に剣を振ってくるなー!!」

 

 そう言って、龍人は長剣を持って妖忌の元へと向かった。

 

「――優しい子ですね。彼は」

「ええ、少し……優しすぎる所があるけど」

「紫、大切にしてあげないと駄目よ?」

「わかっているわ幽々子、彼は私の最初の友達だもの」

「……友達、ねえ」

「……?」

 

 突然悪戯っぽい笑みを浮かべる幽々子。

 

「何かしら?」

「ねえ紫、あなたと龍人って……只の友人なの?」

「そうだけど……どうしてそんな事を訊くのかしら?」

「だって、私だって女だから“そういう”話をしてみたいと思って」

「…………ああ」

 

 成る程、つまり彼女は恋の話をしたいらしい。

 少女らしい話題を出してきたものだと思いつつ、紫はそっと溜め息を吐いた。

 

 何故か? 紫がそういった話は苦手だからだ。

 いや、苦手というよりも理解できないと言った方が正しい。

 人間は異性と恋に落ち、夫婦となり、子を産み育てる。

 無論それは妖怪にもあるが、今まで人間と妖怪から逃げてばかりいた紫にはそんなものを考える余裕など無かったのだ。

 故に紫にはわからない、というより色恋沙汰を考える余裕ができても興味が無い。

 そう告げると、幽々子は何故か大層驚いたのか可笑しな顔になった。

 

「勿体ないわね。紫って凄い美人なのに」

「あらありがとう。でもだからと言って恋をしなければいけないってわけではないわ」

「龍人とは?」

「どうしてそこで龍人が出てくるの? 彼はただの友人よ」

「そうは見えないけどなあ……」

「……そういう幽々子は、恋をしてるのかしら?」

「…………」

 

 反撃したら、黙ってしまった。

 しかし紫は逃がさない、散々質問をしてきたのだから。

 あからさまに視線を逸らされても、瞬時に移動して無言の圧力を向け続ける紫。

 すると幽々子は、先程から傍観していた妖華に助けを求めるという卑怯な手段を決行。

 

 だが妖華はニコニコと微笑むだけで、幽々子の助けを無視。

 ……彼女も楽しんでいるのだろう、生真面目そうに見えて結構お茶目なようだ。

 さすがに可哀想になってきたので――紫は更に責める事にした。

 

「その反応は……しているのかしらねえ?」

「……黙秘するわ」

「却下」

「ええっ!?」

「先に訊いてきたのは幽々子よ? そして私はちゃんと質問に答えたのだから、今度は幽々子の番ね」

「あうう……」

 

 しまった、完全に愚行だった。

 しかしこちらとて安易に暴露するわけにはいかない、というより暴露したら妖華が怒る。

 だから幽々子は紫の視線から眼を背け続け、懸命に黙秘を貫くのであった。

 

 

 

 

「――なあ、まだ怒ってんのか?」

「…………怒ってねえよ」

 

 場所は変わり、中庭。

 桜の花弁が宙を舞う中で、妖忌は一心不乱に剣を振り続ける。

 それを近くで眺めながら、龍人は上記の問いを投げ掛け、妖忌はそれを不機嫌そうに返した。

 

「やっぱ怒ってるだろ、まあ気持ちはわかるけどなー」

「……幽々子様は、甘過ぎるのだ」

 

 剣を振るのを止め、妖忌は吐き捨てるように呟く。

 主の命は絶対だ、それに異議を唱えるわけにはいかない。

 だが、それでも妖忌は幽々子の考えに完全には賛同できなかった。

 

「そもそも幽々子様をここに軟禁させているのはその者達なんだぞ? このような事をしておきながらあまつさえ命まで狙うなど……何様のつもりだ!!」

 

 風が舞う。

 妖忌の怒りが形になったかのように、彼の身体から溢れた霊力が空気を震わせた。

 

「幽々子様はただ静かに、平和に暮らしたいだけなんだ。そんな小さな願いすら西行寺の連中は踏み躙っているんだぞ!?」

 

 それが、妖忌には許せなかった。

 幽々子は本当に優しい人間だ、どんなに辛い事があっても自分達の前では明るく務めようとする。

 そんな彼女が、何故このような仕打ちを受けなければならない?

 そう思うと、妖忌の中に際限なく怒りと憎しみが湧き上がってきてしまう。

 

「でも、幽々子がそれを望んでない」

「我慢してるだけだ。幽々子様はすぐ辛い事も苦しい事も俺達に言わずに己の内に溜め込む方だからな」

「よく見てるな。妖忌って幽々子の事が本当に大切なんだな」

「当たり前だ。俺にとって幽々子様は“総て”なんだ。命を懸けて守ると誓ったあの時から」

 

 妖忌が幽々子と出会ったのは、彼女がまだ四つの頃だった。

 無邪気で可愛らしく、でも何処か陰のある幽々子を見て、守りたいと無意識の内に妖忌は誓っていた。

 その誓いは共に居る時間が増えれば増えるほど大きくなっていき、いつしか彼女は妖忌にとっての“総て”となっていた。

 

 彼女の喜びは自分の喜び、彼女の悲しみは自分の悲しみ。

 故に妖忌は幽々子の幸せを一番に考えている、そしてそれを奪う者を決して許しはしない。

 

「……まあ、結局こうは言っても俺は幽々子様の考えを覆す事はできないんだかな。それに幽々子様は存外に頑固者だから」

「あー、今の幽々子に言ってやろ。頑固者だって」

「あっ、てめっ、変な事言ったら斬るぞ!!」

「やってみろ。二年前とは違うんだからな?」

「……上等だ。前回の決着を着けてやろうか!?」

 

 刀を持ち身構える妖忌、龍人も口元に愉しげな笑みを見せながら長剣を抜き取った。

 そして、2人は前回の続きを行おうと互いに踏み込もうとして。

 

「――ふふっ、仲がよろしいですわね」

 

 第三者の楽しげな声が、2人の耳に入った。

 

「――っ!?」

「ん……?」

 

 すぐさま身体を声が聞こえた方向へと向けながら、身構える妖忌。

 そこに居たのは――背中に純白の翼が生えた見慣れぬ女性。

 優しげに微笑み、桜の花に囲まれるその姿は不思議な美しさがあった。

 

「……何者だ?」

 

 構えは解かず、妖忌は問うた。

 

「そのような殺気を向けられてしまっては、話せるものも話せなくなりますわ」

 

 対する女性はまるでからかうような口調で返しながら、くすくすと笑う。

 その小馬鹿にした態度に苛立ちを覚えつつも、妖忌は飄々とした女性の薄気味悪さに先手を取れないでいた。

 

 突然現れたこの女の素性は知れないが、妖忌自身が目の前の相手が敵だと訴えている。

 主である幽々子にとっての敵だ、そう認識しているのだ。

 しかし、ならば斬らねばと思っているのに……不思議と妖忌は動けなかった。

 否、その理由はわかっている。

 ……恐れているのだ、彼自身がこの女性を。

 

「……お前、誰だ?」

 

 妖忌が冷や汗を流している中、龍人はいつもと変わらぬ態度で女性に話しかけた。

 

「ワタシはアリア。アリア・ミスナ・エストプラムと申しますわ」

「アリアだな、俺は龍人だ」

「こんにちは龍人、以後よろしく?」

「ああ、よろしくなアリア」

 

 笑みを浮かべ合う龍人とアリア、まるで久しぶりに会う友人同士のようなやりとりだ。

 

「おい、なに悠長に話してんだ!!」

「いや、けどさ……」

「――そうでした。さっさと用件を済ませてしまいましょう」

 

 女性――アリアの纏う空気が変わる。

 友好的な空気は一瞬で消え、張り詰めた空気によって息をするのすら躊躇ってしまいそうだ。

 

「用件ってなんだ?」

 

 だが、それでも龍人の態度は変わらない。

 この空気を察知できないわけではない、寧ろ(りゅう)(じん)の血を引いている彼はこういった事に敏感だ。

 現に今だってビリビリと痺れるような威圧感を身体全体で感じている。

 ……でも、何故だろうか。

 彼自身わからないが、目の前のアリアという女性がどうしても自分にとって敵だとは思えなくて……。

 

「――西行寺幽々子を、渡していただけませんか?」

 

「な、何だと……!?」

「…………」

「正確には彼女の魂をいただきたいのです。死を操る力を持った程の魂……それは人間を大きく超えた純度の魂ですから」

「わけのわからん事を……! 貴様も西行寺家の手の者か!?」

「いいえ。あのような虚栄心と家柄以外に誇れる事がない輩達は関係ありませんわ、それより……お返事をいただきたいのですが?」

 

 そう言いながらも、アリアが放つ覇気が際限なく大きくなっていく。

 返事を貰いたいと言っておきながらも、彼女は本気で言っているわけではない。

 ここで了承しようとも断ろうとも、邪魔をするならば殺すとその瞳が告げていた。

 

「ふざけるな!!」

 

 当然、そのような要求など妖忌には呑めるわけがなかった。

 桜観剣と白楼剣を手に持ち、今度こそ明確な殺意をアリアに向け彼は叫ぶ。

 

「…………残念ですわ」

 

 さして残念でもなさそうに呟き、アリアは薄く不気味な笑みを浮かべる。

 

――刹那、銀光がアリアに向けて奔った。

 

「っ……!」

 

 突然の衝撃に驚きつつも、アリアは右の掌から防御結界を展開。

 銀光を受け止め、けれど衝撃によって数メートル後退した。

 

(この力は……)

 

 予想を大きく超える威力に、アリアは表情にすら出さないものの、内心では驚いていた。

 今の一撃は妖忌が繰り出したものではない、自分に向かって長剣を振り下ろしたままの体勢になっている龍人によるものだ。

 

「――なんでかわかんないけど、俺……お前が悪いヤツだとは思えないんだ」

「…………」

「それに、どこかで会ったような気がするし、戦いたくないと思ってる」

 

 言いながら、龍人の身体から龍気が溢れ出す。

 

「――でも、お前が幽々子に何かしようって言うなら、それを黙ってみているわけにはいかねえんだ」

 

 だから今すぐここから消えろと、龍人の瞳がアリアに告げる。

 ここからいなくなってくれれば、こっちもこれ以上何もしないと彼はそう訴えているのだ。

 

「…………優しい子、ですわね」

 

 だが、そんな言葉で引き下がるアリアではなかった。

 

「…………」

「おい龍人、お前まさか戦えないって言うわけじゃねえだろうな……?」

「そんなわけないだろ。友達である幽々子を殺すって言ってるヤツを、このままにしておくわけにはいかない!!」

「ならいい。――遅れんなよ!!」

「わかってる!!」

 

 同時に駆け出し、アリアに向かっていく龍人と妖忌。

 それを見つめながら、アリアは徐に両手を天に向かって広げ。

 

 

「――致し方ありませんわね。では……彼を呼ぶ事にしましょうか」

 

 そう言って瞬時に召喚術を展開し、ある存在をこの場に招き入れた………。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第26話 ~絶望的な戦力差~

突如として現れる謎の女性、アリア。
龍人と妖忌はすぐさま臨戦態勢に入ったが、彼はまだ気づかない。

もう1人、圧倒的な力を持つ者が居る事に………。


『――――っ』

「? 2人とも、どうしたの?」

 

 突然険しい顔付きになった紫と妖華を見て、幽々子は首を傾げる。

 しかし今の2人に彼女の問いに答えを返す余裕は無く、すぐさま飛び出すように中庭へ。

 

「ぐ……っ」

「おわあっ!?」

 

 中庭へと飛び出した瞬間、紫の視界に吹き飛ばされる龍人と妖忌の姿が入った。

 だが2人に目立った外傷は無く、それにほっとしながら紫は2人が吹き飛んできた方向へと視線を向け。

 

「――ん? よお、龍人のヤツが居るからお前も居ると思ってたぜ。八雲紫」

 

 かつて都で出会った女性――アリアの姿と。

 銀髪の髪と銀の瞳を持った悪魔の姿を、視界に捉えた。

 

「…………大神、刹那」

「大神刹那……では、あの男は五大妖の……」

「どうしてあなたがここに……それに、何故アリアと一緒に居るの!?」

「そんな事はどうでもいいだろうが。それより……その人間を渡してもらうぜ?」

「えっ……」

「なっ!?」

 

 刹那の視線が、幽々子に向けられる。

 当然ながら幽々子は混乱し、紫と妖華は驚愕しつつも…身構えた。

 

「ふざけた事を……そんな事を許すと思っているのですか?」

「半人半霊、死にたくなけりゃさっさと消えろ。ああ……もう半分死んでるんだったか?」

 

 コキコキと関節を鳴らしながら、刹那は妖力を解放する。

 瞬間、彼を中心に凄まじい突風が巻き起こり、紫達はおもわず顔を手で覆った。

 ただ妖力を解放しただけでこれだ、相も変わらず凄まじい力に紫達は恐怖する。

 

「――妖忌、桜観剣を!!」

「おう!!」

 

 妖華に言われ、妖忌は右手に持っていた桜観剣を彼女に投げ渡す。

 それを受け取ると共に妖華は桜観剣に霊力を注ぎ込んでいき、刀身が青白い光を放っていった。

 

「紫さん、幽々子様を何処か安全な場所に送ってください。あなたの能力を使えばそれも可能な筈!!」

「その間に、あいつらは俺達が食い止める!!」

「紫、頼む!!」

 

 妖華、妖忌、そして龍人は一斉に刹那達に向かって走っていく。

 

(だん)(めい)(けん)―――」

(だん)(めい)(けん)―――」

「炎龍気、昇華!!!」

 

 そして間合いを詰め、3人は自身が放てる最高の一手を繰り出す準備を終え。

 

「――(めい)(そう)(ざん)!!」

「――(めい)(しん)()(こう)(ざん)!!」

(えん)(りゅう)(てん)()!!」

 

 妖華と妖忌は光の刀を、龍人は炎の剣を刹那達に向かって振り下ろし。

 

「――甘いんだよっ!!!」

 

 刹那の、そんな叫びが放たれた時には。

 3人の必殺の一撃は一瞬で弾かれ、同時に吹き飛ばされてしまった……。

 

「――――」

 

 地面に叩きつけられる3人を、紫も幽々子も呆然と見つめる事しかできない。

 ほぼ同時に放たれた三撃を、刹那は一瞬で防ぎ、弾き、吹き飛ばしてしまったのだ。

 あまりにも規格外過ぎる、五大妖の力を改めて認識せざるをえなかった。

 

「くっ……!」

「きゃっ!?」

 

 強引に幽々子の腕を掴み、紫はこの場から離脱する事に決める。

 龍人達の事は勿論心配だ、できる事ならば彼等の元へと駆け寄り助けたいと思っている。

 だが今の状況ではそれはあまりに愚行、相手の目的が幽々子であるのならば、まずは彼女を簡単に手出しできない場所に連れて行くのが先決だ。

 なので紫はスキマを展開し、一先ず龍哉が居るであろう幻想郷へと彼女を連れていこうとして。

 

「――――」

 

 何故かスキマを展開する事はせず、彼女は目を見開いたまま自分の手を見つめていた。

 否、彼女はスキマを展開しようとしたのだ。

 しかし――どういうわけなのか、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――能力は、封じさせていただきましたわ」

「っ、ぐ……!?」

 

 アリアに蹴られ、幽々子から離れてしまう紫。

 幽々子が紫へと声を掛ける前に、アリアは素早い動きで彼女の身体を掴み上げ拘束してしまった。

 

「ぐ……幽々子……!」

「紫!!」

「あなたの能力はまさしく反則ですからね。暫くは使えませんわよ?」

「……あなた、一体何者なの……!?」

 

 話しながらも紫は能力を使おうとするが、一向に使う事ができない。

 アリアの言ったように、紫の能力が封じられているのは間違いないだろう。

 しかしだ、境界を操るといった能力を封じられるなど、ありえる筈が無いのだ。

 

「……おいアリア、テメエ一体何をした?」

 

 紫以外も疑問に思ったのか、協力しているであろう刹那も似たような質問を彼女に向ける。

 

「ふふふ、それは秘密ですわ」

 

 しかしアリアはそう言って不敵に笑うだけで、決して答えを返そうとはしなかった。

 

――だが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

 状況はまさしく絶望的、相手の目的である幽々子は拘束され、しかも取り返そうと思っても五大妖の刹那が向こう側に居る。

 ……自分では勝てない、否、この場に居る誰もが刹那には勝てない。

 つまり幽々子を救う事は絶対に不可能、そんな事実を認めながらも――紫は立ち上がった。

 

「あら? まだ戦うのですか? あなた程の知能を持つのならば、もう抗っても無駄だと理解できる筈ですが……」

「あ、諦めるわけにはいかないわ……友人を、幽々子を見捨てる事なんて私にはできない!!」

「…………」

 

 その言葉を聞いて、アリアの瞳に冷たい色が宿る。

 まるで紫の行動が心から憎らしいと告げるように、彼女は初めて紫に向かって明確な敵意と殺意を向けた。

 それに圧されて挫けそうになりながらも、紫は己を奮い立たせアリアと対峙する。

 

「……ぐ、く……っ」

「はぁ、はぁ、はぁ………」

「妖忌、妖華……」

 

 紫の言葉が聞こえたのか、苦悶の表情を浮かべながらもしっかりと立ち上がる妖忌と妖華。

 しかし……龍人は倒れたまま、一向に動きを見せなかった。

 

「…………龍人?」

「んー……ちっとばかし力を入れ過ぎたか?」

 

 つまらなげにそう呟く刹那。

 

「――――」

 

 まさか、と紫の視線が倒れたまま動かない龍人へと向けられる。

 

「龍人!!」

 

 彼の名を呼ぶが、返事は返ってこない。

 気絶した? それとも……。

 

「――死んだか?」

「っ、黙りなさい!!!」

 

 考えたくもない未来を呟かれ、紫は殺気全開の瞳で刹那を睨み、指先から妖力弾を撃つ。

 それは小型のレーザーのようになり、貫通力に優れた攻撃は刹那の心臓を貫こうとして。

 

「馬鹿か? 3人がかりであの様だってのに、テメエなんかが俺の身体に傷を付けられると思ってんのか?」

 

 あっさりと、紫の怒りと憎しみを嘲笑うかのように、指一本で防がれてしまった。

 

「うっ……」

「ゆ、紫……能力が発動、しないんだったら……飛んででも幽々子様と龍人を連れて、に、逃げろ……!」

「……どうにか、我々が抑えている間に……」

「無駄な足掻きだな。テメエらなんぞ時間稼ぎにすらならねえよ」

「っ、何故です!? 何故五大妖であるあなたが幽々子様を狙うというのですか!?」

 

 妖華が叫ぶように刹那へと問う。

 

「別にオレはそんな人間なんぞに興味はねえ。オレの目的は別にある」

 

 話は終わりだ、無慈悲にそう告げてゆっくりと紫達に向かっていく刹那。

 

「…………」

「紫、みんな、逃げて!!」

 

 幽々子が叫ぶ、しかし彼女の瞳から溢れ出す涙を見て、誰もその場から逃げようなどとは思えなかった。

 ……しかし現実は無常だ、このまま無慈悲に殺される未来を回避する術はない。

 

「――はああああああああっ!!!」

 

 だがそれでも、諦めるわけにはいかないと妖華が動く。

 裂帛の気合を込め、ありったけの霊力を桜観剣に込めながら刹那に向かって駆け抜ける。

 その気迫はただ凄まじく、たとえ刺し違えても…そんな気概すら感じられた。

 

「――――はっ」

 

 それを。

 刹那は、心底呆れるように失笑してから。

 

「――――」

「主に忠義を尽くすのは認めてやる。だがな……実力が足りねえんじゃ、無意味なんだよ」

 

 向かってきた妖華の剣戟を右腕で弾き飛ばし。

 残る左腕で、彼女の心臓を容赦なく貫いた―――

 

「っ、妖華!!」

「おふくろーーーーーーーーっ!!!」

「が、ぅ……」

 

 口から固まりかと思えるほどの量の血を吐き出す妖華。

 ピクピクと痙攣し動かなくなった彼女を、刹那はまるでゴミのように投げ捨てる。

 彼女の半霊も力無く地面に落ち、そのまま動かなくなった……。

 

「次はテメエか? 小僧」

「く、そ……くそがーーーーーーーーーっ!!!」

 

 涙を流し、刹那に吶喊していく妖忌。

 怒りと憎しみを全身から発しながら向かうその姿は、あまりにも悲しく……そして愚かだった。

 

「けっ……」

「ぐぁっ!?」

 

 軽くあしらうように、刹那は妖忌を殴り飛ばす。

 

「――つまんねえなー。もう少し楽しめるかと思ったんだけどよ」

「それは残念ですわね。ですが協力はしていただきますわよ?」

「わーってるよ。さて……最後はテメエだ、紫」

「――――っ」

 

 刹那が、向かってくる。

 逃げなければ、それがわかっているのに……紫はその場から動く事ができない。

 恐怖が、彼女の身体をまるで呪いのように縛っている。

 ガタガタと身体を震わせ、今にも泣きそうな瞳で刹那を見る今の彼女は、殺される事を覚悟した小動物のように脆い存在となっていた。

 それを何処か愉しげに見つめながら、やがて刹那は紫の眼前まで接近し立ち止まった。

 

「どうやって殺してほしい? 一思いに首を折ろうか? それともじわじわと嬲り殺してほしいか?」

「ぁ……あ……」

「腕や足を一本ずつ折ってから千切って、達磨のようにしてから殺すっていうのもいいなあ」

 

 残虐な笑み、刹那はこの時間を心から愉しんでいる。

 自分の相手にならなかった憐れな少女を、せめて少しでも無惨に残酷に殺してやろうと模索している。

 その際に生まれる絶望や恐怖といった負の感情は、妖怪である刹那にとって何よりの馳走となるのだ。

 

「―――決めた、まずはその四肢を折って砕いて千切って喰らって……それから殺してやる」

「―――――」

「じゃあな?」

 

 刹那の右腕が、紫の左腕を掴み上げる。

 そして、まずは砕く勢いで折ってやろうと彼は腕に力を込め――

 

 

――その一撃を受け止め、刹那の身体を蹴り飛ばす第三者が現れる。

 

 

「っ、うおお……!?」

「…………」

「――――、ぁ」

 

 紫の前に現れたのは、1人の男性。

 紫もよく知っているその男は、普段とは違い凄まじい覇気を全身に纏ったまま。

 

「――よお、好き勝手やってくれたなテメエら」

 

 身震いする程の冷たく重い声を、その口から放った。

 

「――――龍哉」

「……遅くなって悪かったな。今回の事は完全に俺の責任だ」

「いいえ……助かったわ」

 

 まだ身体の震えは止まらず、その場から動けない紫の頭を、龍哉は安心させるようにそっと撫でた。

 

「……龍人はどうした?」

「っ、そうだわ……龍人が大変なの!!」

「ああ……?」

 

 紫の指差した方向へと龍哉は視線を向け、絶句した。

 倒れたまま動かない龍人の姿を見たからだ、見ると小刻みに彼の身体が震えている。

 

「悪かったな。ちっとばかし力を入れ過ぎちまったみてえだ」

「…………」

 

 龍哉の視線が、妖忌と妖華にも向けられ……最後にアリアに拘束されている幽々子へと向けられた。

 

「……あの人間は、お前達の友人か?」

「ええ、守りたい友人よ。でも私は……私の力じゃ……」

「お前さんはまだまだ弱い、そんな力じゃ五大妖には遠く及ばねえさ。――龍人の傍に居てやってくれ」

 

 言って、龍哉は数歩前に出る。

 

「へえ……テメエがそんな殺気に満ちた目になるなんざ、珍しいな」

 

 少しだけ驚くように、刹那は言う。

 確かに彼の言う通り、今の龍哉にはいつもの飄々とした雰囲気は微塵も無く、見るだけで心が凍り付いてしまうほどの殺気に溢れていた。

 しかしさすが五大妖と呼ぶべきか、刹那はその殺気を向けられてもいつもの調子を崩さない。

 

 寧ろ喜びすら見られる、事実――刹那は今喜んでいた。

 龍哉という力ある存在と存分に戦える、それは闘争心の塊である刹那にとって望むべき状況だからだ。

 そもそも彼がアリアという得体の知れない存在に協力するという酔狂な行動に走ったのも、彼女からいずれ紫達と対峙する事になると告げられたからだ。

 しかも龍哉と存分に戦う状態になると言われれば、彼との戦いを望んでいた刹那にとって協力するに値する材料なのは言うまでも無く。

 そして今、そのような状態になり彼は心から歓喜している。

 

「いくぜ龍哉、今日こそ決着着けようや……!」

 

 瞬間、刹那は地を蹴り龍哉へと向かっていく。

 その速度は紫達と戦っていた時よりも更に速く、彼が出せる最高速度であった。

 

「じゃ――!」

 

 小手調べなどしない、刹那は自身が出せる最高の速度で彼の身体を砕こうと拳を繰り出し。

 

「っ、ごっ、が、ぁ……!?」

「――覚悟しろよクソガキ共、お前達は……必ずここで俺が殺してやる」

 

 それすら上回る速度で放たれた龍哉の拳が、刹那の身体を易々と貫いた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第27話 ~選んではならぬ選択~

五大妖、大神刹那によって全滅の危機に瀕する紫達。
そして紫の命が奪われそうになった瞬間、龍哉が現れる。

彼の登場によって歓喜する刹那であったが、彼はまだ気づかない。
息子である龍人を傷つけられ、彼がかつてない程の怒りを抱いている事に……。


――それは、まさしく圧倒的であった。

 

 刹那が龍哉に放った一撃も紫には見えなかったが、龍哉の一撃はそれよりも更に速かった。

 拳の一撃で刹那の身体に風穴を開けたと紫が理解した時には、既に龍哉は肘鉄と膝蹴りの二撃を刹那に叩き込んでいた。

 

「ご、が、ぁ……!?」

 

 たった三撃、それだけであの五大妖が、人狼族最強の男が容易く膝を付いた。

 口からはまるで滝のように血を吐き出し、右腕と左足はあらぬ方向に折れ曲がっている。

 紫達を圧倒した姿は微塵も無く、刹那は完全に“狩られる側”に回っていた。

 

「刹那、確かにお前は強いさ。だがな……今まで俺と互角に戦えてたのはただ単に俺が手加減してやってたからなんだよ。

 だがお前はやっちゃいけねえ事をした、俺の息子を傷つけ、その息子が一番大切に想ってる友達であり俺にとっての弟子を傷つけた。

 ――俺を本気にさせた以上、たとえ背伸びしようとも俺には勝てねえんだよ」

「ぐ、ぐがぁ――!!」

 

 自分を見下す龍哉に怒りを募らせながら、刹那は無事な左腕で彼に殴りかかる。

 だが無意味、それを呆気なく掴み、龍哉は容赦なく刹那の左腕を握り砕き、更にブチンと根元から引き千切った。

 

「ぎ――がああああああああっ!!?」

「…………」

 

 断末魔のような叫びを放つ刹那を、龍哉は無造作にまるでボールのように蹴り飛ばす。

 しかしその無造作な蹴りでもまごうことなき必殺の一撃、まともに受けた刹那の身体は地面を削りながら吹き飛んでいき……止まった時には、彼はピクリとも動かなくなっていた。

 

「――――」

 

 その光景を、紫はただ黙って見つめている事しかできなかった。

 凄まじい、などという表現ですら追いつかない、龍哉の力にただただ圧倒される。

 たとえ妖怪の身に堕ちてしまったとしても、龍神であった彼の力は健在であった。

 

「……子を守る親の思い、見事なものです」

 

 だというのに。

 あれだけの力を見せられて尚、アリアは口元から余裕の笑みを消したりはしなかった。

 

「そいつを放せ、2人の大切な友人なんでな」

「そういうわけにはいきません。彼女の……彼女の魂は、ワタシ達にとって必要なものになりますので」

「ワタシ、達? って事はお前さん、誰かの命で動いてるって事か?」

「ええ、今は諸事情があって動けない我が主に代わってです」

「……よくもまあペラペラと話すもんだな。普通そういった事は隠すんじゃないのか?」

「そうですわね、でも……」

 

―――どうせ全員死ぬのですから、関係ないのでは?

 

 美しく、残酷な笑みを浮かべながらそう告げるアリア。

 それは決して挑発の類ではない、彼女は本気で龍哉達の命を奪えると思っている。

 たいした自信だ、まともに戦えるのが龍哉しか居なくなったとはいえ、既に五大妖の刹那は戦闘不能。

 得体の知れない存在ではあるが、油断しなければ勝てない相手ではないと龍哉は永い年月の果てに培ってきた経験によりそう判断している。

 

「……油断しなければ勝てない相手ではない、そう思っていますか?」

「…………」

「確かにそうでしょう。今のあなたとまともに戦えば……おそらくワタシは敗れるでしょうね」

 

 それは皮肉の類ではなく、本心からの言葉だった。

 アリアは龍哉には勝てない、それをわかっていながらも余裕の色を見せている。

 

「――致し方、ありませんか」

「……っ、紫、龍人の傍に居てやれ!!」

 

 視線は向けず、背後に居る紫にそう言い放つ龍哉。

 その声に一瞬ビクッと身体を震わせながらも、紫は未だ倒れたまま動かない龍人の元へと向かおうとして。

 

「――解放しましょう。呪いの桜をね」

 

 アリアのそんな声を耳に入れた瞬間。

 

「っ、えっ……!?」

 

 周囲の空気が一瞬で変わった事に気づき、紫はおもわずその場から動けなくなった。

 

西(さい)(ぎょう)(あやかし)、今こそ全てを解放する時ですよ。その忌々しき呪いの力を――見せなさい」

 

 まるで歌うように、アリアは中庭の奥に咲く桜の木にそう告げる。

 瞬間――まるで覆い尽くさんとばかりの大きさまで、桜の花弁が一瞬で咲き乱れた。

 

「っ!? げ、ぶ、ぅ……!?」

「ご、ぁ……!?」

 

 激しく舞い散る桜の花弁。

 それらが紫達と触れた瞬間、彼女達は突如として吐血した。

 それだけではない、全身の力は抜けていき、視界は霞み、生きていく気力すら奪われていく。

 突然の事態に混乱する紫達であったが、その隙すら逃さぬとアリアが動く。

 音も無く、瞬きすらできない間にアリアの右手には長さ七尺近くもある規格外の刀が握り締められた。

 何の装飾も施されていない、ただ他者を斬る為だけに特化したある意味では刀らしい刀。

 無骨で、けれどその刀からは宝剣(クラス)の力を感じられた。

 

「て、てめ……一体、何を……」

 

 血を吐き続けながら膝を付く龍哉。

 今すぐにアリアを黙らせ彼女が拘束している幽々子を助けようと思っているのに、彼の身体からは力が抜け続けていく。

 否、彼だけではなくまだ意識を保っている紫も、同様の状態に陥っていた。

 

「あの桜は西行妖、人々の魂を取り込み妖怪と化した桜。

 数多くの魂を取り込んだ結果、あの桜には他者を死に至らしめる力を発現させたのですわ」

「じ、じゃあ……こいつ、も……」

「その呪いの力はあまりにも強大、たとえ元々が龍神であるあなたすら蝕むほど」

「だ、だったら……どうして、てめえは……」

「あの桜の事はよく知っていますもの、故に呪いの力を及ばせない事だってできますわ」

 

 事も無げに言い放つアリアだが、その言葉は到底鵜呑みには出来なかった。

 今現在その呪いを受けているからこそわかる、これは生半可な呪いではない。

 死に至らしめる、ではなく死を決定させる未来を作ると言っても過言ではない強制力。

 その中で平然としていられる存在など、それこそ高位の神々くらいなものだ。

 しかしアリアは神ではない、あくまでその肉体は妖怪のそれだというのはわかっている。

 

「このままでもあなた方は死にますが、念のためにワタシ自らが引導を渡してあげますわね」

 

 残酷な宣言をしつつ、アリアは刀を持つ右手を龍哉に向かって振り上げる。

 しかし龍哉は抵抗できない、西行妖による呪いの力が彼から完全に力を奪っていた。

 紫も意識を手放さないようにするのが精一杯、霞んでいく視界でその光景を眺めている事しかできなかった。

 

「もうやめて!!」

 

 そんな中、アリアに拘束されている幽々子が涙声で懇願する。

 死を誘う能力を持っているが故か、彼女の身体には西行妖の呪いの力は及んでいる様子は見られない。

 

「わ、私の命が欲しいなら、私だけを殺せばいいじゃない!! もうこれ以上、関係のない紫達を巻き込まないで!!」

「……優しいですわね。ですが何か勘違いをしているのでは? ワタシにとって彼等は邪魔でしかない、邪魔な存在は……排除するのが当然ではなくて?」

 

 幽々子の懇願を嘲笑うかのように、口元に笑みを浮かべながらそう言い放つアリア。

 それを見て幽々子の顔が絶望に満たされ、アリアの笑みはますます深まっていった。

 

「――さて、あなたが一番の脅威ですので、真っ先に殺して差し上げましょう。

 安心なさいな? あなたを降した後、すぐにあなたの息子も……そこに居る何もできない愚かな女も、すぐに後を追わせてあげましょう」

 

 言いながら、アリアの視線が紫に向けられる。

 その瞳は彼女に対する憎悪に満ち溢れており、まるで親の仇を見るかのように冷たい色を宿していた。

 

「……随分と、紫に対して憎しみを抱いているんだな」

「当たり前ですわ。あの女は自らの能力すらまともに扱えず、他者に支えられなければ何もできない弱い女。

 実に醜い、己の成すべき事すらわからずに無様に生き続けている……ワタシが一番憎いと思える存在ですもの」

「…………お前」

 

 今までとは違う、何処か未熟者を思わせるアリアの態度に、龍哉は違和感を覚える。

 だがそれも一瞬、すぐさま様子がいつもの状態に戻り、改めてアリアは龍哉を見下すように視線を向けた。

 

「さようなら」

 

 振るわれる斬撃。

 銀光は真っ直ぐ龍哉に向かい、その一撃は彼を五度死に至らしめる破壊力があるだろう。

 

「り――――」

 

 無駄だとわかっていても、紫は手を伸ばす。

 そんなものであの斬撃は止められない、でも今の彼女にはそんな事しかできなかった。

 そして、銀光が龍哉の身体を真っ二つに斬り裂いて…………。

 

「――――」

「なっ……」

 

 驚愕の声は――アリアから放たれた。

 彼女が放った斬撃は、間違いなく龍哉の命を奪える程の一撃だったのは間違いない。

 だが、現実は彼の命を奪うどころか――

 

「…………」

「龍、人………」

 

 意識を失っていた筈の龍人によって、()()()()()()()()()()()()()

 

「ぐ、くっ……」

「…………」

 

 刀を持つ手に力を込めるアリアだが、ビクともしない。

 突然の事態に、アリアの思考は刀を龍人から離す事に集中してしまっており。

 

「っ―――!!?」

 

 あっさりと、彼の剣によって幽々子を拘束している左腕を斬り飛ばされてしまった。

 

「あっ、ぎ――あああああああああっ!!?」

 

 たまらず絶叫するアリア。

 そんな彼女を、龍人は無表情のまま容赦なく蹴り飛ばした。

 

「なっ……」

「龍人……?」

 

 その光景を、紫も龍哉も呆然と眺める事しかできなかった。

 彼が意識を取り戻した事も驚いたが、何より先程の一撃を指だけで止めるなど……。

 

「っ、幽々子!!」

 

 いち早く我に返った紫が、軋む身体に喝を入れながら倒れている幽々子へと駆け寄った。

 すぐさま彼女の様子を見るが、目立った外傷も無く紫はほっと安堵の溜め息を零す。

 

「――まさか、今のは……龍鱗盾(ドラゴンスケイル)?」

 

 よろよろと地面から起き上がるアリアが、聞き慣れない単語を呟く。

 

「まさか……でも今の彼がこの【(りゅう)()】を扱える力量を持っている筈が……」

「…………」

 

 表情を変えず、右手に持つ長剣を投げ捨てる龍人。

 次の瞬間には、彼の両手に光魔と闇魔が音も無く出現していた。

 

「くっ………!?」

 

 身構えるアリア、刹那――龍人は一瞬で彼女との間合いを詰めていた。

 

「きゃっ!?」

「あぅ……!?」

 

 鋼がぶつかり合う音と共に巻き起こる突風が、紫と幽々子の身体を吹き飛ばす。

 そのまま龍哉が倒れている場所まで飛ばされ、痛みに顔をしかめつつ紫は龍哉へと声を掛けた。

 

「……だ、大丈夫?」

「ああ。と言いたいが……アレを何とかしねえと駄目だな」

 

 言いながら、満開になった西行妖に視線を向ける龍哉。

 どういうわけか先程より呪いの力は弱まっているとはいえ、このままでは紫達の命が尽きる未来は変わらないだろう。

 

「…………」

「? 幽々子……?」

 

 幽々子の視線が気絶している妖忌と…既に事切れてしまった妖華へと向けられている。

 

「……どうして、こんな」

 

 はらはらと涙を流し、目の前の非情な現実に嘆く幽々子。

 

「私が……私が居たから、みんな……」

「っ、それは違うわ幽々子! 貴女は何も悪くない、だから自分を責めないで!!」

「そうだぜ……ぐっ、お譲ちゃんは何も悪くねえ……何の罪もねえのに、あんまり、自分を追い詰めるな……」

「…………」

 

 ああ、なんて優しいのだろう。

 こんなにも呪われた自分を、紫達は尚守ろうとしてくれている。

 それが嬉しくて……申し訳なくて。

 何もできない、何も返せない自分が幽々子は憎くて憎くてたまらなかった。

 

 他人を殺すしかできない自分を、友と言ってくれた紫と龍人。

 守られる事しかできない自分を、命を懸けて守ってくれた妖忌と妖華。

 これだけの者達に支えられているというのに、守られているというのに……何もできない。

 

「…………違う」

 

 何もできない、ではない、何もしていないだけだ。

 だがどうする? 自分は人間、幽々子には戦う術など持たない。

 でも何かできる筈だと、幽々子は必死に思考を巡らせて。

 

「――――」

 

 西行妖に視線を向けた瞬間――ある考えが彼女の中に生まれた。

 

「ぁ…………」

 

 瞬間、幽々子の身体が震え始める。

 

「幽々子、どうしたの!?」

 

 突然彼女の様子が変わり、おもわず声を荒げてしまう紫。

 だが幽々子は紫の言葉に反応を見せず、暫し身体を震わせてから。

 

「――――仕方、ないよね」と。

 震えを止め、瞳に決意の色を宿しながら上記の呟きを零した。

 

「幽々子……?」

「…………紫、ありがとう」

「えっ?」

 

 突然の感謝の言葉に、紫は間の抜けた反応を返してしまう。

 そんな彼女に優しく微笑んでから。

 

「ごめんね?」

 

 短く、そう言って。

 幽々子は、西行妖に向かって全速力で駆けていった。

 

「幽々子!?」

 

 その光景を目にした瞬間、紫はいいようのない不安に襲われる。

 いけない、彼女のあのまま西行妖に向かわせてはいけない。

 他ならぬ己自身にそう訴えられ、紫はすぐさま幽々子の後を追って――その場に倒れこんでしまった。

 

「えっ――――」

 

 起き上がろうとして、全身の感覚が麻痺している事に彼女は漸く気づく。

 西行妖の呪いによって、今の紫の身体には殆ど力が残されていなかった。

 

「幽々子、駄目!! 戻ってきなさい!!」

 

 今の紫には、こうして幽々子に向かって叫ぶ事しかできず。

 

――彼女の声を無視して、幽々子は西行妖の下へと辿り着いてしまった。

 

「…………」

 

 懐から、何かを取り出す幽々子。

 取り出したのは(あい)(くち)と呼ばれる鍔の無い短刀だった。

 

「――西行妖、その呪いの力はこの世にあってはいけないものなのよ」

 

 鞘から短刀を抜き取り、そっと自分の首筋に切っ先を向ける幽々子。

 

「…………」

 

 手が、全身が、恐怖から震え始める。

 自分がやろうとしている事に、幽々子は恐くて恐くて……できる事なら、今すぐ逃げたかった。

 

 だが、それはできない。

 何もできないまま、ただ黙ってこの現実を眺めているのも、もう終わりにしなくては。

 何も返せなかった自分ができる唯一の事は、もうこれしかないのだから。

 

「――私達のような存在は消えるべきなのよ西行妖、だから」

 

 だから――お前をここで封印します。

 

――そして。

 

 

「――さよなら、妖忌」

 

 

 一度、倒れたままの妖忌に最期の別れを告げ。

 

 幽々子は、短刀で自らの首を掻っ切って。

 

 十七年という生涯を、自らの手で幕引きした―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第28話 ~別れ~

守れなかった。
その事実は、紫達の心を傷つける。

そして、彼女に更なる追い討ちとなる出来事が訪れる事に……。


「――――」

 

 幽々子の身体が、西行妖に倒れ込む。

 その光景は紫にとって酷くゆっくりしたものに映り……。

 

「――――、ぁ」

 

 掠れた声を出した時には、もう何もかも手遅れになっていた。

 

――もう、彼女は二度と目覚めない。

 

 自らの意志で紫達を助けるために、幽々子は己の命を犠牲にして西行妖を封印するという選択肢を選んでしまった。

 ……彼女の身体が、淡い光に包まれる。

 その光は彼女だけでなく西行妖も包み込み――その光が収まった時には幽々子の身体は消え、あれだけ満開だった西行妖の花弁全てが枯れてしまっていた。

 

 それと同時に、紫達を蝕んでいた呪いの力も消え去った。

 たった十七年という短い年月しか生きられなかった少女の、文字通り総てを賭した行動によって、紫達の命は助かったのだ。

 

「…………幽々、子」

 

 名を呼んでも、返事は無い。

 当然だ、彼女はもうこの世にはおらず、紫の声に応える事は……もう永遠にありえないのだから。

 

「――よもや、このような結末になってしまうとは思いませんでしたわ」

 

 息を切らしながら、そう言い放つアリア。

 そんな彼女の足元には、刀を握ったまま倒れている龍人の姿があった。

 アリアは暴走した龍人すら倒したようだが、その身体には決して浅くは無い刀傷が無数に刻まれていた。

 妖力の大半も消費し、目に見えて余裕の色を無くしているアリアだったが。

 それでも――彼女の優勢は変わらない。

 

 西行妖の呪いが消えたとはいえ、蝕まれた今の紫達に対抗する力は残されてはいない。

 対するアリアは大きなダメージを負っているとはいえ、死に体の彼女達の命を奪う事ぐらいは可能だ。

 つまり、幽々子が己が命を賭してまで西行妖を封印したとしても、紫達の未来は変わらなかった。

 

「西行妖に西行寺幽々子、貴重な魂を回収できなくなったのは残念ですが……せめて、あなた方の魂は貰っていくとしましょう」

「…………っ」

 

 無慈悲なアリアの言葉。

 だが紫には、彼女に反撃する力は残されてはいない。

 それが悔しくて、情けなくて……彼女はその金の瞳から大粒の涙を流していく。

 己の弱さ、相手の強さをただ呪い、憎しみを募らせる。

 ……それしか今の自分にはできなくて、それが紫の心を締め上げていった。

 

「――悔しいのですね、でもこれが現実ですわ八雲紫。

 あなたはいつだってそう、己の力すらまともに扱えず、誰かに支えられてもらいながらも何もできない。愚かで弱い、憐れな女」

「ぐ、ぐうぅぅぅ……!」

 

 唸り声しか、紫には返せなかった。

 アリアの言葉にそれは違うと返せない現実が、一層彼女を苦しめる。

 

「このまま生き続けても同じ事ですわ、あなたは誰かを犠牲にしても何も得られず、何も返せず、大切な者達を喪うだけ。

 ――だったら、今この場で消えた方があなたの……いえ、周りの為ですわ」

 

 アリアが紫に歩み寄っていく。

 そして倒れたままの紫のすぐ傍で立ち止まり、心底見下すように冷たい視線を彼女に向けた。

 

「幽々子を守れなかったのも、龍人達の命が失われるのも、全てはあなたが弱いから。

 そんなあなたに、一体どうして生きる意味があると言えるのかしら?」

「―――――」

 

 音を立てて、紫の心が壊れていく。

 否定できない現実、そして数秒後に訪れる自らの死から逃れられない事を悟り、彼女の心は壊れかけていた。

 

(私、は……)

 

――ずっと、1人のまま生き続けるのが正しかったの?

 

――龍人達や幽々子に会わなければ、彼女達の命が奪われる事もなかった?

 

(ああ……もう、いいや……)

 

 瞳を閉じる。

 もうこれ以上、目の前の現実を見ていたくない。

 何もかもから目を背けて楽になろうと、紫は全てを諦める。

 

「……そうよ八雲紫、全てを忘れて……楽になりなさい。それがあなたの為なの」

 

 先程とは違う、どこか慈悲の感情を孕んだ声色で、アリアは紫に告げた。

 そして彼女を楽にさせてやろうと、アリアは宝剣を天に掲げて振り下ろし。

 

「――――」

 

 何故か。

 紫の身体を斬る寸前に、アリアはその刀身を自らの意志で止めてしまった。

 

「………………?」

 

 いつまで経っても来ない衝撃と痛みに、紫は目を開け顔を上げる。

 すると、自分ではなくある場所へと視線を向けているアリアの姿を捉え、誘われるように紫もそちらへと視線を向け。

 

「――そこまでです。剣を収めなさい」

 

 特徴的過ぎる変わった帽子を被り、両手で棒状の物体を握っている緑髪の女性が、この惨劇の場に現れていた事に気がついた。

 

(あれは……誰?)

 

 紫の記憶の中に、あの女性は存在していない。

 しかしこのような場に現れたのだ、人間というわけではないだろう。

 では妖怪? それは否、何故なら妖怪特有の妖力をあの女性からは感じ取れない。

 

「…………何故、あなたが現世にいらっしゃるのかしら?」

(アリアは、知っているの……?)

 

 口調からして、アリアは現れた女性の正体を知っているようだ。

 だが決して上記の言葉からは友好的なものは感じ取れない、そればかりか憎しみすら感じられた。

 

「わたしはただ、“盟約”を果たすために参上しただけです。

 それでどうしますか? おとなしくこの場を去るというのなら追いませんが?」

 

 静かに、けれど重く威圧感溢れる口調で話す女性。

 直接それを向けられていない紫でも、女性の凄みを感じられるほどだ。

 

「…………流石に、まだ“十王”を相手にするのは少々骨が折れますわね」

(十王……?)

「わかりましたわ。今回はおとなしく引き下がる事にしましょう」

「賢明な判断ですね」

「ですが……いくらあなた様でも、これ以上の邪魔をするというのならば……容赦は致しませんわよ?」

「愚かな……そこまで堕ちたというのですか?」

「堕ちた……? いいえ、成るべくして成ったと言ってほしいですわね」

 

 無音で持っていた刀を消し去るアリア。

 そして、彼女はもう一度紫に視線を向け。

 

「――あなたはいずれ後悔する。孤独で居なかった事に、自らの歩む道に大切な者達を巻き込んでしまう事に」

 

 意味がよくわからない言葉を言い放ち、霞にように消えてしまった。

 

 

 

 

「…………」

「妖忌……」

「…………」

 

 枯れた西行妖の下に簡易的ではあるものの建てられた墓――幽々子と妖華の墓標を、妖忌は黙って見続けている。

 掛ける言葉など見つける事はできず、紫はただ黙って僅かに震えている妖忌の背中を見つめる事しかできなかった。

 命を懸けて守らねばならなかった幽々子を守れず、師であり母である妖華を失った妖忌。

 

 そんな彼が負った悲しみと傷は、決して他者では理解できぬほどに大きいものだ。

 それでも妖忌は意識を取り戻してその事実を知った時も、今だって一度たりとも子供のように泣きじゃくる事はしなかった。

 ただ黙って現実を受け入れようとしているその姿は、ひどく痛々しく……同時に強く映った。

 

「――八雲紫、少し宜しいですか?」

「…………」

 

 先程の女性に声を掛けられ、紫は返事を返さないままそちらへと振り向いた。

 

「龍哉が、貴女に話があるそうです」

 

 そう告げる女性の口調に、紫に対する同情や憐れみの色は見られない。

 事務的に話す彼女の言葉はしかし、今の紫にとってありがたいものだった。

 半壊した屋敷へと足を運ぶ紫、そこには座り込んだ龍哉と……横になっている龍人の姿が。

 

「安心しろ。龍人は眠ってるだけですぐに目覚める」

「…………ええ、わかっているわ」

 

 いつも通りに応えたつもりだったが、紫の口から放たれた声は彼女自身もわかる程に覇気がないものだった。

 だがそれも当たり前だ、友人である幽々子を目の前で失って、他の者達も傷つけられたのだ。

 まだ心が成熟していない紫がこのような状態になるのは、無理からぬ事であった。

 

「――紫、悪いな。正直今すぐにでもゆっくり休ませてやりたいが、どうしても話さなけりゃいけねえ事があるんだ」

「……話さなければ、いけないこと?」

 

 それは一体何だというのか、疑問に思いつつも半ば自暴自棄になっている紫に否定する気力は無い。

 そんな紫の心中を理解して龍哉は苦々しい顔になるが――更なる非情な現実を彼女に告げなくてはならなかった。

 

 

「――俺はもうすぐ死ぬ。だから……お前に龍人を頼みたい」

 

 

「――――」

 

 その言葉を耳に入れ、意味を理解するのに約七秒。

 

「………………は?」

 

 そして意味を理解し、間の抜けた声を出すのに二十秒掛かった。

 混乱の極みに陥っている紫に構わず、龍哉は言葉を続けた。

 

「龍神王様が俺の身体を妖怪のそれに変える際に、罰として明確な寿命を決めたんだ。

 そしてその寿命が尽きようとしている、それに……四季映姫様との“盟約”も果たさなきゃならねえ」

「…………」

「まだ名を名乗っていませんでしたね。わたしは四季映姫・ヤマザナドゥ、死者を裁く【閻魔】です」

「閻魔……!?」

 

――閻魔。

 

 地獄にある()()(きょく)(ちょく)(ちょう)と呼ばれる組織内で、死者を裁くあの世の人物であり、現世で生きる者とは別次元に存在する者だ。

 しかし、ここで疑問が生まれた。

 閻魔である彼女が、何故現世の存在である紫達を助けたのか。

 本来そのような事は許されない筈、だというのに何故……。

 

「――あなた方を助けたのは、龍哉と交わした“盟約”があるからです」

「盟約?」

「彼はいずれ近い将来、己の寿命が尽きる事を悟っていました。故に彼は死した後に己の魂を我々に捧げる事を条件に、一度だけ龍人と八雲紫……あなた方を助けるようにという盟約を交わしたのです」

「―――――」

「まあそういう事だ。都で右腕を斬り飛ばされた時に確信した、あの女――アリアは俺より強いってな」

 

 だから、彼は仮死状態になってまであの世に赴き、閻魔である映姫と盟約を交わした。

 彼女達に魂を捧げる――輪廻転生の環から外れ、二度と転生できずに消滅するとしても……守りたかったのだ。

 そして盟約は無事果たされた、ならば……今度はこちらの条件を果たす番だ。

 

「……どうして、そんな」

「遅かれ早かれ俺は近い内に死ぬ。だったら――」

「そんな事龍人は望まない!! 私だって……」

「だが、映姫様との“盟約”が無ければ今頃お前達は殺されていた」

「――――っ」

 

 現実を突きつけられ、紫は押し黙った。

 そう、彼の言う通り映姫が現れなければ全滅していた。

 それぐらい紫にだってわかっている、わかっているが……納得できるわけがないのは道理であった。

 

「龍人はどうするの!?」

「お前さんが居る。お前に……龍人を託す」

「無理よ。私は何も守れない、そんな私が龍人を支える事なんてできない!!」

 

 友である幽々子を守れなかった、その事実が紫を尚も責め立てる。

 そんなお前が龍人を守る事も支える事もできはしないと、内なる自分が言い放つのだ。

 

「……確かに今のお前は弱いさ。それは事実だ」

「っ」

「だから強くなれ。お前はいずれ誰よりも強くなる妖怪になる、五大妖すら超えるほどの潜在能力がある。だからこそお前になら龍人を託せられると思ったんだ」

「……無理よ。私には……何もできない」

 

――誰かに支えられてもらいながらも何もできない。愚かで弱い、憐れな女。

 

 アリアに言われた言葉が、もう一度紫の脳裏に浮かぶ。

 そうだ、こんな弱くて憐れな自分に、守れるものなど何も………。

 

「――過去は戻せない、起きた事を無かった事にする事だってできない。ならば先の未来の事を考えるのが正しい選択ではありませんか?」

 

 そう言い放つのは、四季映姫。

 先程のような機械的なものではなく、厳しいながらも優しさが含まれる声色で紫へと告げた。

 

「八雲紫、あなたは弱いままで、何もできないままで終わりたいのですか? ただそうやって後悔だけして生きていくつもりですか?」

「…………」

「それは正しい選択ではない。まだあなたに歩む力が残されているのなら、今はただ前に進むことだけを考えなさい。

 過去だけに囚われず、未来を信じて歩を進めていく。それが今のあなたにできる善行に繋がるでしょう」

「……四季、映姫……」

 

「――時間です。龍哉」

「はい」

 

 立ち上がる龍哉。

 その顔は、これから死に到り消滅する未来が待っている者とは思えない程に、穏やかなものだった。

 当たり前だ、何故なら既に彼は現世に心残りは無いのだから。

 息子である龍人には紫が居る、そして2人ならばきっとこの先の未来も生きていけると信じているから。

 

 ……ただ、敢えて心残りが存在するとしたら。

 龍人に、最愛の息子に別れの言葉を言えない事ぐらいか……。

 

「――紫、最期に1つだけ忠告しておくぞ」

 

 龍哉の身体が、光の粒子に変わっていく。

 

「これから先、お前と龍人には数え切れないくらい理不尽で納得できない光景が待っているだろう。

 その度にお前達は人間に、妖怪に、そして世界に怒りや憎しみを抱いていくかもしれん。怒りや憎しみを抱くなとは言わない、だがな……それに己を呑みこませる事だけはするなよ?」

 

「龍哉……」

「怒りや憎しみは新たな憎しみを生み、その憎しみは争いを生み、そしてその争いは罪の無い者達の命を蝕んでいく。だからこそ、憎しみに囚われずに生きていけ。そうすりゃきっと……世界だって変えられるさ」

 

 言いながら、無茶苦茶な事を言っているなと龍哉は内心苦笑した。

 そんな事を簡単にできるわけがない、できるのならば人間と妖怪が憎み合う世界など生まれない。

 だが、龍哉はこの2人ならばそれができると信じていた。

 この2人ならば、きっと異なる種族の橋渡しになってくれると信じているからこそ……願いを託したのだ。

 

「今の言葉、龍人に伝えておいてくれ」

「………………ええ、わかったわ」

「おう。――じゃあな」

 

 最期の言葉は、そんないつもと変わらぬ軽い調子で放たれ。

 龍哉の身体が光の粒子となって――この世から消滅した。

 

「…………」

 

 託された想いを、願いを、もう一度紫は脳裏に蘇らせる。

 はっきり言って、このような小娘に託すようなものではない。

 無茶苦茶で、でも……大切な想い。

 それを無駄にするわけにはいかないと、紫はその金の瞳に強い決意を抱かせるのだった………。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回で第二章が終わります。
最後までお付き合いしていただければ幸いです。


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第二章エピローグ ~新たなる旅路へ~

大切な人との別れは、紫達の心に傷を生んだ。
しかし、彼女達はまだ生きている。

生きているからこそ……前へと歩みを進まなければならない。


「――そう、ですか。そのような事が」

 

 幻想郷、稗田家の屋敷。

 戦いが終わり、紫達は再び幻想郷へと戻っていた。

 彼女達を迎え入れた阿一が、龍哉の姿が見えない事に疑問を持ち――紫が全てを説明し現在に到る。

 龍哉の死を聞き、阿一は上記の言葉を呟きつつそっと涙を流した。

 

「……龍人さんは、どうしていますか?」

「彼はかつて龍哉と共に暮らしていた山に戻っているわ」

「そうですか。それで紫さん達はこれからどうするおつもりで?」

「正直、まだ決めていないの。とりあえず私は龍人についていくつもりよ」

 

 彼がどんな道を歩むのかはわからない。

 だが紫は、彼の傍に居る事を既に決めている。

 亡き龍哉から彼を頼むと言われたし、他ならぬ紫自身が…彼と共に居たいと思っているから。

 

「わかりました。もしもこの幻想郷で暮らす事をお望みでしたら、私達はいつでもお2人を歓迎しますよ」

「ありがとう阿一、本当にありがとう」

 

 心からの感謝の言葉を告げ、立ち上がる紫。

 そしてスキマを展開し、龍人の元へと繋げる。

 

「――お2人の未来に、幸あらんことを願います」

 

 最後に、阿一のそんな言葉を受け取ってから。

 紫はスキマに入り、一瞬で龍人達の家へと到着した。

 

「…………」

「…………」

 

 龍人の背中を視界に捉える、彼は……窓から外を眺めていた。

 無言のまま、ただ黙って外の景色を眺めている。

 その姿に、紫はおもわず彼に声を掛けるのを躊躇っていると。

 

「――おかえり、紫」

 

 いつもと変わらぬ口調で、龍人は紫を迎え入れた。

 

「え、ええ……ただいま」

「? どうかしたのか?」

 

 首を傾げる龍人、その問いはこっちがしたいと紫は心の中で突っ込みを入れた。

 

――彼は、父である龍哉を失っても悲しまなかった。

 

 勿論彼の死を聞いて驚きはした、でも……彼は泣く事もなくただ「そっか……」と寂しげに呟いただけ。

 後はそのまま妖忌に別れを告げ、真っ直ぐ自分達が暮らしていた家へと戻った。

 

 ……泣きじゃくると思った、最悪悲しみのあまり自ら命を絶つかもしれないとも思っていた。

 それだけ龍人にとって龍哉の存在は大きい筈だ、だというのに……彼はもういつもの調子に戻っている。

 だから、それを不思議に思った紫はおもわず彼に問いかけてしまう。

 

「ねえ、龍人」

「なんだ?」

「その、あなたは……」

「――とうちゃんは、もう戻らない。もう二度と会えないんだ」

「…………」

 

 そう言って、龍人はまた寂しげに笑う。

 

「だけどさ、いつまでも悲しんでたらどやされちまうよ。しっかりしろって」

「龍人……」

「だから俺は泣かないよ。それに……泣いている暇なんてないんだ」

 

 そう言って、彼は隅の方に纏められている荷物を持ち上げた。

 

「それは……?」

「――いつか、またあのアリアってヤツと戦わなきゃいけない時が来ると思う。

 だけど今の俺じゃアイツには勝てないし、きっと俺1人じゃいくら強くなったって駄目だと思う。だからさ、これから旅に出て一緒に戦ってくれる仲間を捜す!!」

「…………」

「紫は……どうする?」

 

 そう訊きながら、龍人は少しだけ不安そうに紫を見つめる。

 その瞳が「一緒に来てほしい」と告げているのがわかり、紫は嬉しくなった。

 彼は優しい、優し過ぎるくらいに。

 それでも彼はついてきてほしいと訴えてくれている、それが……紫には嬉しかった。

 

「――勿論私もついていくわ。だって龍哉からあなたの事を頼まれたんだから」

「紫……」

「それにね。私自身があなたと一緒に……」

 

 そこまで言いかけ、紫は龍人から視線を逸らす。

 ……少し恥ずかしい事を言おうとしていた事に、気がついたからだ。

 

「よーし、そんじゃ出発だ!!」

「でも龍人、まずは目的地を決めないと」

「あー……どうする?」

「もぅ……」

 

 彼らしいと思いつつも、紫はつい呆れてしまう。と。

 

「――だったら、【妖怪の山】に行くのはどうだ?」

 

 そんな声が、入口から聞こえてきたので2人は視線をそちらに向けた。

 

『妖忌!?』

 

 2人は同時に驚きの声を上げる。

 幽々子の屋敷で別れた妖忌が現れたのだ、驚くのは当然と言えた。

 

「お前、どうしたんだ?」

「――あの女に用があるのは、お前だけじゃない」

「妖忌……」

 

 その一言で、紫達は理解する。

 復讐するつもりなのだ、幽々子の命を奪う原因となったアリアに。

 

「けど、なんで妖怪の山に?」

「そこには桜観剣と白楼剣を造った妖怪一の名工が居るんだ、そいつにもっと強い刀を打ってもらう」

「へえ、妖怪一の名工かあ……」

(あ、この顔は興味を持った顔ね……)

 

 どうやら、次の目的地は決まったようだ。

 

「よーし、じゃあ妖怪の山に出発ー!!」

 

 言うやいなや、家から飛び出していく龍人。

 

「……あいつは、もう前を向いてるんだな」

「…………」

「俺も、いつかあいつみたいに前を向いていけるんだろうか……」

「それはあなた次第よ、妖忌」

 

 悲しみに暮れ、歩みを止めるか。

 それともそれを飲み干し、前に進めるかはその者次第。

 ……自分はどちらなのだろうかと、紫は己に問いかけるが…今の彼女に答えは出せなかった。

 

「おーい、何してんだよー!!」

 

 龍人に呼ばれ、2人もようやく家から出る。

 

「そういえば、妖怪の山には鬼が居るんだよな? 紫が友達になった萃香ってヤツに会ってみたいと思ってたんだー」

「ったく、気楽なもんだな……」

「龍人らしいじゃない」

 

 歩幅を合わせ、3人は並んで歩く。

 

 

――それが、始まり。

 

 長く険しい、彼等の物語。

 そして、理想郷を目指す旅の始まりであった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回からは第三章となる「妖怪の山」編となります。
ここまでお付き合いしてくださった方々、ありがとうございました。
またこれからも読んでくださると嬉しく思います。


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第三章 ~動乱の山~
第29話 ~妖怪の山へ~


強くならなければ。
その思いを胸に、紫達は妖怪の山へと赴く。



「ほあー……」

「ぷっ、何よその声」

「力が抜けるからやめろ」

「ごめん。でもさ……こんなにでかいとは思わなかったんだ」

 

 ぽかーんと口を開く龍人に紫は苦笑し、妖忌は冷めた視線を彼に向ける。

 しかし彼の反応は無理からぬ事だと紫は思いつつ、視線を前方へと向けた。

 紫達の前方に広がるのは、【妖怪の山】と呼ばれる山の美しい景色。

 数多くの花々が咲き乱れ、遠くからは滝の流れる音が聞こえる。

 標高三千メートルは軽く超える山だが、隙間なく花々が咲いている光景は圧巻の一言だった。

 

 これだけの自然溢れる景色はそうそう拝めないだろう、それ故に紫も口や態度に出さないものの、妖怪の山の景色に心が奪われていた。

 このままこの大自然を心行くまで堪能したい……が、ここに来たのは観光目的ではないのだ。

 

――妖怪の山は、この土地そのものが巨大な組織のようなものである。

 

 山を統べるのはあらゆる妖怪の中でも群を抜いて高い戦闘能力を誇る鬼、その下には鬼ほどではないにしろ高い能力を持ち、且つ妖怪にしては珍しく組織立って行動する天狗が存在している。

 更に河童や他の妖怪もその勢力の中に入っており、他の勢力も迂闊に手を出せないほどの強大な組織なのだ。

 そんな彼等と協力関係を築く事ができれば……紫はそんな思惑があった。

 

 とはいえ、事はそう簡単には進まない。

 この山に生きる妖怪は、同じ土地に生きる妖怪には仲間意識が存在するものの、山の外に居る者には決して心を開かない。

 迂闊に山の中に入ればたちまち攻撃されてしまう所からも、妖怪の山の体制がどんなものかわかるだろう。

 だからこそ、紫は山の麓から少し離れた場所に立ち止まり、一向に歩を進めようとはしていなかった。

 妖怪の山の事を知っている妖忌も同様にその場で待機し、思案に暮れている。

 

「なあ、入らないのか?」

「龍人、妖怪の山に住む妖怪達は余所者には決して容赦しないのよ。迂闊に入ればすぐに迎撃されてしまうの」

「ふーん……でもさ、妖怪の山に用事があるなら入るしかないんじゃないか?」

「それはそうだけど……迂闊な事はできないのよ」

 

 しかし、龍人の言い分も尤もである。

 妖怪の山と敵対関係にならずに山へと入る、そんな方法は……はっきり言って存在しない。

 かといって考えもなしに山に入れば天狗達に攻撃される、八方塞りだ。

 

「――面倒だな。天狗達が襲ってきたら斬ればいいか?」

「妖忌。冗談でもそんな辻斬りみたいな事を言わないで頂戴」

(…………半分は本気だったんだがな)

 

「…………ん?」

「龍人……?」

 

 さてどうしようかと思っていた矢先、突然龍人は妖怪の山の奥を見るように視線をそちらに向ける。

 

「…………」

「どうしたの?」

「……向こうから、嫌な感じがする」

 

 そう言って、龍人は前方の妖怪の山の一角を指差した。

 彼が指差す方向へと意識を向ける紫、しかし彼が言うようなものは感じ取れない。

 

「気のせいじゃないのか?」

 

 妖忌がそう言うが、龍人は首を横に振って彼の言葉を否定する。

 ……しかし、彼の第六感は眠りから醒めてから鋭くなっている、それに(りゅう)(じん)という種族は普通の人間や妖怪よりもそういった“悪意”や“敵意”といったものに敏感だと紫は前に龍哉から聞いた事があった。

 

「……確かめてみましょう。龍人、案内できる?」

「おい、確かめるのは別にかまわねえが……山の中に入る事になるぞ?」

「どの道山の妖怪達に会わないまま目的を果たす事はできないわ。だったら龍人の感じたものを確かめるついでに山に入ればいい」

「ったく……龍人には本当に甘いもんだ」

 

 皮肉を口にしながらも、妖忌はそれ以上何も言わなかった。

 

「いくぞ」

 

 駆け出す龍人、紫と妖忌もその後を追った。

 そして3人は妖怪の山へと入り――その瞬間、紫と妖忌の身体に重苦しい空気が纏わりつく。

 それは敵意と殺気に溢れた空気、おもわず2人は顔をしかめる中で……龍人だけは、気にせず駆け抜けていた。

 感じ取っていないわけではない、寧ろ彼は2人よりも早くこの空気を肌で感じ取っている。

 しかし不思議と彼の中に不快感は無かった、一体どうしてと自問していると……開けた場所が見え、3人はすぐさま近くの木々に身体を預け気配を殺した。

 

 顔だけを木から出し、3人は同じ場所へと視線を向ける。

 傾斜が多い妖怪の山の中にある、平坦な地面が広がる箇所。

 ちょっとした広場と呼べるその場所で、1人の少女が複数の男女に囲まれていた。

 少女の方はまだ十も満たぬほどの子供であり、短く切り揃えられた黒髪が特徴的だが……何よりも、少女の背中から生えている大きな黒い羽が目立っている。

 無論この少女は人間ではない、この妖怪の山に住む“(からす)天狗”と呼ばれる天狗の一人だ。

 そんな鴉天狗の少女を取り囲んでいるのも、同じく天狗――白い耳と尾が特徴的な“(はく)(ろう)天狗”と呼ばれる天狗の中でも下っ端の部類の者達である。

 

「……紫、あれって天狗?」

 

 感づかれないように、小さな声で紫に問いかける龍人。

 

「あの小さな黒髪の少女が鴉天狗、他の犬みたいな耳と白い尾を持つのが白狼天狗よ」

「…………同族で殺し合いでもしてんのか?」

 

 妖忌がそう思ってしまうほど、天狗達の周囲には濃厚な殺気と敵意に満ち溢れていた。

 だがおかしい、天狗……というよりこの妖怪の山で生きる妖怪達は、種族の違いがあっても同じ山に暮らす者同士で争ったりはしない。

 多少の小競り合いはあるとしても、このような殺し合い寸前の空気になる状況など、普通ならばありえない。

 

(……何かが、起きているようね)

 

 この妖怪の山で、何かが起きている。

 詳細はわからないが、紫は漠然とそう思えた。

 

「紫、あいつ怪我してる。助けよう!」

 

 少女の身体に刻まれた無数の刀傷を見て、龍人はそう進言するが、紫は静かに首を横に振った。

 

「介入すれば妖怪の山全体と敵対関係になってしまう可能性だってあるわ。迂闊な行動はできない」

「でも、このままじゃあいつ……殺されるぞ?」

「…………」

 

 確かに龍人の言ったように、このままではあの鴉天狗の少女は殺される。

 鴉天狗は白狼天狗よりも上位の存在とはいえ、あの少女はまだ子供、そこまでの力は無い。

 だからこそ数の差があるとはいえ白狼天狗に追い込まれているのだろう。

 しかしだ、紫としては妖怪の山という巨大な組織との関係を悪いものにはしたくないという思惑があった。

 白狼天狗や鴉天狗ならばなんとかなるだろう、しかしその上にいる大天狗や天狗の長である【(てん)()】。

 更にこの妖怪の山を統治してる【鬼】には、まだ自分達では太刀打ちできない。

 可哀想だが、ここはあの少女を見捨てるしか……。

 

「――――助けるぞ」

「…………はぁ」

 

 龍人のそんな言葉を聞いて数秒後、紫は予想通りと思いながら溜め息を吐き出した。

 妖忌も溜め息こそ出さないものの、呆れに満ちた顔になっていた。

 

「でもあいつらと戦うつもりはないよ。だって妖怪の山の妖怪と戦ったら拙いんだろ?」

「それはそうだけど……どうするつもり?」

「こうする。――風龍気、昇華!!」

 

 大気に宿る自然エネルギーを風の力に変える龍人。

 そして瞬時に場へと潜入、少女の前へと躍り出て先手を打った。

 

(ごう)(りゅう)(ふう)(ばく)(じん)!!!」

「なっ――うおおおっ!!?」

 

 右手に集めた風龍気の力を、地面に叩きつける龍人。

 瞬間、彼を中心として場に凄まじい突風が巻き起こり、それはそのまま白狼天狗達へと襲い掛かった。

 突然の事態に反応が遅れた白狼天狗達は、その嵐のような突風をまともに受け動きを止める。

 しかしそれもあと数秒の話だ、龍人が繰り出した今の技は攻撃の類ではなくあくまで足止めの為の技。

 

「じっとしてろよ?」

「えっ――きゃあ!?」

 

 なので龍人はすかさず鴉天狗の少女の身体を抱きかかえ、その場から離れ始めた。

 

「紫!!」

「はいはい」

 

 龍人に声を掛けられると同時に、紫は自身の前にスキマを展開。

 その時には突風も止み、混乱しながらも白狼天狗達は紫達の姿を捉えており、すぐさま追撃しようと動きを見せていた。

 

「――冥想斬!!」

 

 抜刀、斬撃。

 2つの動作をほぼ同時に行い、妖忌が放った光の刃は白狼天狗達の前の地面を粉砕。

 それによって土煙が昇り、再び白狼天狗達の動きが止められた。

 その隙を逃さず、3人は少女を連れてスキマへと飛び込み――予め繋いでおいた稗田家の屋敷へと移動する。

 

「ぷはぁー……よし、成功!」

 

 右手で握り拳を作り、悪戯が上手くいった子供の笑みを浮かべる龍人。

 

「…………紫さんに龍人さん、いきなりどうしたんですか?」

 

 と、阿一のそんな驚きに満ちた声が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい阿一、突然お邪魔して」

「いえいえ、それは構いませんが……どうしたんですか?」

「きちんと説明するわ。その前に……」

 

 鴉天狗の少女へと視線を向ける紫。

 そこには予想通り、今の状況についていけずポカンとしている少女の姿があったのだった。

 

 

 

 

「――成る程、とりあえずあなた達が何者であるのかわかったし、助けてもらった事には礼を言っておくわ」

「気にしなくていいわよ。私も妖忌も最初はあなたを助ける気は無かったんだから」

 

 少女の治療をしながら、紫は自分達の事を少女に説明する。

 

「ところで、お前名前はなんていうんだ?」

「…………文よ。(しゃ)(めい)(まる)(あや)

「文か、よろしくな文!」

 

 そう言って、右手を差し出し龍人は文に握手を求める。

 彼の行動に訝しげな表情を浮かべながらも、文はおとなしく握手に応じた。

 

「…………ところで」

「?」

「さっきから私の事を凝視しながら一心不乱に筆を進めているこの人間はなんなのかしら?」

 

 冷たい視線を向ける文の先には、彼女の言ったように一心不乱に筆を進めている阿一の姿が。

 どことなく興奮気味の彼は、こう言ってはなんだが……不気味であった。

 だがまあそれも致し方ないのかもしれない、彼は滅多に見れない天狗と立ち会っているのだから。

 

 妖怪の山というのは、人間妖怪問わず知っている者は多い。

 しかし、その妖怪の山に暮らす妖怪達の事を知っている者は殆ど居ないのだ。

 山の妖怪達は滅多に外へと足を運ばない、故に目撃例や生態などといった情報は皆無なのである。

 幻想郷縁起を執筆している阿一にとっては、滅多にお目に掛かれない天狗に出会えた事はとてつもない喜びなのだろう。

 尤も、その喜ぶ姿は紫達にとっても不気味に映ってしまうものだが。

 

「阿一は妖怪が好きな人間だからなー」

「…………正気?」

「悪い人ではないのよ。だから気にしないでくれると助かるわ」

「……まあ、休ませて貰っているしそこは別に構わないけど」

 

 けど、やっぱり変わった人間だと文は思った。

 

「――おい。いい加減本題に入ったらどうだ?」

 

 そう言ったのは、先程まで沈黙を貫いていた妖忌。

 

「何かしら? 半人半霊」

「魂魄妖忌だ。――お前、どうして同じ天狗に命を狙われていた? それも鴉天狗にとって自分より下の立場である筈の白狼天狗に」

「…………」

 

 妖忌の問いに、けれど文は沈黙で返す。

 答えるつもりは無いと、彼女の態度がそう答えていた。

 外の存在である紫達に、妖怪の山の状況を教えたくないと思っているのだろう。

 

「悪いけど、だんまりを決め込ませるわけにはいかないの」

 

 しかしだ、このままというわけには当然いかないのは道理であった。

 

「私達は妖怪の山に用があるの。でもあの状況は普通じゃない、私達の目的を果たすにはその状況をなんとかしないといけないみたいだし……話してもらうわよ?」

 

 有無を言わさぬ口調で、紫はもう一度文に問うた。

 だが、それでも文は口を開こうとしない。

 幼いながらも実力が上の相手を前にして沈黙を貫けるその胆力には感嘆すると同時に、山の妖怪が持つ排他的な考え方が染み付いた文の姿には呆れすら抱いた。

 

「なあ、お前困ってるんだろ? 俺達でよければ力になるから、話してくれないか?」

「力に、なる……?」

 

 漸く文は口を開き、信じられないといった表情を龍人へと向ける。

 対する龍人はそれ以上何も言わず、ただ真っ直ぐな視線で文を見つめていた。

 

「私と妖忌はともかく、彼は純粋にあなたの力になりたいと思っているわ。まあ信じられないでしょうけど」

「…………」

 

 再び場に訪れる沈黙。

 文の中で、現在の山の状態を教えたくないという思いと、素直に吐露したいという思いが(せめ)ぎ合っている。

 

(どうすればいい? 私はどちらを選べば良いと思っているの……?)

 

 迷いは大きくなるばかり、しかし――このまま無駄な時間を過ごしている余裕は存在しない。

 文は一刻も早く山に戻らねばならない理由がある、そうしなければ“あの人”は――

 

「――協力する。お前がそれを望むのなら……俺はお前の味方になる」

「…………」

 

 龍人の、その言葉を聞いて。

 文の中の迷いが、少しだけ晴れてくれた。

 

「………………謀反が、起きたのよ」

「謀反? 紫、謀反って何だ?」

「仕えるべき君主に反乱を起こす事、他にも色々な意味があるけど……今回の謀反はそういった意味合いでしょう?」

 

 無言で頷く文。

 成る程、天狗同士であのような状態になっていた理由も謀反が起きたというのならば納得ができる。

 文と対峙していた白狼天狗は、その謀反を起こした側に就いたのだろう。

 

 ……しかし、だ。

 謀反を起こした側は、あまりにも軽率な行動だと紫は思う。

 何故か? その理由は現在の妖怪の山を治めている存在にあった。

 

「――妖怪の山を統治しているのは【鬼】の一族、その頂点に君臨するのは……鬼の大頭にして【五大妖】の1人だという話だけど?」

「五大妖……」

 

 五大妖という単語を聞いて、僅かに龍人の表情が曇る。

 ……五大妖の名は、龍人に“あの男”の事を否が応でも思い出させてしまっていた。

 

「そうよ。【五大妖】の1人にして最強の【鬼】――(ほし)(ぐま)(ぜっ)()様、あの御方に叶う妖怪なんてそれこそ同じ【五大妖】と呼ばれる存在のみ」

「ならわかる筈よ。謀反を起こした所で無駄だという事に」

 

 そう、たとえ絶鬼以外の鬼全てが彼に反旗を翻したとしても、その全てを打ち砕く力はある。

 それだけ五大妖と呼ばれる妖怪の力は底が無いのだ、それは同じく山に暮らす妖怪ならば知らないわけがない筈なのだ。

 

「勿論私だってそう思ってた。でも……現在山にある里は謀反を起こした者達によって占領されているし、絶鬼様も私達天狗を纏め上げてくださっている【天魔】様も……捕らえられているという話よ」

「何ですって……!?」

 

 その言葉は、紫を驚愕させるには充分すぎる程の内容であった。

 天魔――天狗達を統治する最強の天狗であり、その実力は【五大妖】ほどではないにしろそれに近い能力がある天狗だ。

 だというのに、その2人が捕らえられているなど容易に信じられる話ではなかった。

 しかし文は決して嘘偽りを言っているわけではない、彼女の態度を見れば一目瞭然だし何よりそんな嘘を吐き出す必要性も無い。

 つまり彼女の言葉は真実であり、けれどやはり紫には信じられなかった。

 

「一体首謀者は何者なの?」

 

 少しだけ焦りを含んだ口調で、紫は再び文に問うた。

 ……嫌な考えが、頭に浮かんだせいだ。

 “ある存在”が今回の謀反に関わっているかもしれない、そう思ったからこそこのような態度になってしまっていた。

 

「首謀者は……鬼よ」

「鬼……」

「ええ。尤もただの鬼ではないわ、その者は【山の四天王】の1人であり……()()()()()()である鬼の若頭、(ほし)(ぐま)(ごう)()よ」

 

 

 

 

――石造りの階段から、ゆっくりと下っていく足音が響く。

 

 ここは妖怪の山の奥深くに存在する、鬼や天狗が住まう隠れ里。

 更にその地下に向かって、一人の青年――正確には鬼の若者が歩を進めていた。

 見た目は長身な成人男性といった風貌だが、額には天に向かって聳え立つかのような赤い角が生えている。

 更にその身体はまるで鋼鉄の如し硬さと逞しさを兼ね備えており、この鬼の若者の力強さを訴えているかのようだ。

 

 やがて階段が終わりを見せ、鬼の若者はその先にある地下牢へと視線を向ける。

 山の規律を破った者、山に侵入してきた者を閉じ込めておく目的で作られたそれはしかし、今は別の用途で使われていた。

 捕らえられているのは――天狗や河童、その他山に生きる妖怪達。

 しかしその者達の誰もが、本来この地下牢に捕らわれる必要など無い者達だ。

 

――この者達は、謀反を起こした反乱分子達に抵抗した妖怪達である。

 

 その誰もが、鬼の若者に対し憎しみと怒りの感情を向けている。

 それら全てを軽々と受け流し、鬼の若者は一番奥にある特別強固な牢へと足を運んだ。

 妖力を抑える結界に、個々が持つ特殊な能力を使用を制限させる特別な術式が組み込まれた札を貼られた牢は、如何なる大妖怪すらも一度入れば自力では抜けられない強固さを誇っている。

 

 そして、その中に居るのは――この山の支配者にして五大妖の1人、星熊絶鬼と。

 絶鬼の右腕であり、天狗達の長である【天魔】――()()であった。

 

「――よお。気分はどうだ?」

「………………お前か」

 

 重厚で、しかし穏やかな声で絶鬼は鬼の若者に視線を向ける。

 その赤い瞳に鬼の若者に対する憎しみの色は見られない。

 あるのは失望と、ほんの少しの憐れみの色だった。

 

「貴様……! 自分が何をしているのかわかっているのか!?」

 

 対する沙耶は、鬼の若者を見るなりまるで噛みつかんとばかりに怒声を張り上げた。

 しかし強大な力を持つ彼女でも、この牢の中に居る限り赤子と同位。

 こうして憎しみの瞳と呪いの言葉を吐き出す事しかできないでいた。

 

「お前達の時代は終わった。オレが今の山の体制を変えてやる」

「好きにせい。ワシはお前に敗れた以上何を言っても敗者の弁に成り下がるだけだ」

「絶鬼様!?」

 

 信じられぬという視線を絶鬼に向ける沙耶。

 

「しかし、お前のやろうとしている事は人間と妖怪の関係性を決定的なものにするものだぞ?」

「はっ、鬼の大頭と呼ばれた存在が随分と情けない事を言うものだな。――人間など、我等鬼……いや、妖怪にとって家畜も同等。

 ならば奴等との関係がどうなろうとも変わりない、何をしようとも……我等の優位は変わらん」

「…………」

「そこでおとなしく待っていろ。このオレが、新たな山の支配者となり人間達全てを滅ぼすその時をな」

 

 高笑いをしながら、鬼の若者は牢から去っていく。

 その後ろ姿を、絶鬼は先程から見せている憐れみの表情を変えぬまま。

 

 

 

「――愚かな男よ。他者を踏み躙る事しかできんとは……何故ワシの息子でありながらそれが如何に愚かしい事かわからぬ。豪鬼よ……」

 

 自らの息子に、悲しみの言葉をそっと呟いた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




第三章、妖怪の山編スタートです。
またお付き合いしてくださると嬉しく思います。


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第30話 ~介入~

妖怪の山へと赴いた紫達は、鴉天狗の少女を助ける事になった。
治療と避難の為に一時幻想郷へと向かい、鴉天狗の少女――射命丸文に山で起きている事情を訊く事にしたのだが……。


「――五大妖の息子が、謀反の首謀者、ね」

 

 成る程、五大妖の息子ならば鬼の大頭にも逆らおうという気概を見せるかもしれないと、紫は自身が抱いた違和感が拭えるのを感じた。

 尤も、まだ解せない点はあるが……。

 

「私は私用があって里から離れていたから難を逃れたけど……今頃、奴等に制圧されているでしょうね」

「だが、何故謀反なんてものが起こった? その星熊絶鬼という鬼は、お前達を力で捩じ伏せるような輩なのか?」

「……確かに絶鬼様はとてつもない力を持っているけど、戦いが好きな鬼とは思えない程に穏やかで優しい御方よ」

 

 五大妖と呼ばれる程の力を持つ絶鬼、しかし彼はその力に溺れず驕らず、自分よりも遥かに格下である天狗や河童にすら対等に接してくれている。

 だからこそ彼は多くの者に慕われ、妖怪の山は外界との交流を殆ど閉ざした状態でも平和な時を刻んでいたのだ。

 

「成る程な。つまり……そんな考え方だからこそ、他の妖怪共は不満を募らせていったってわけか」

「っ、絶鬼様の考えは決して間違いじゃなかった! わざわざ周りに戦いの火種を撒き散らそうと考える方が間違いで野蛮なのよ!!」

「何言ってんだ。妖怪っていうのは人間を……いや、他者を襲うのが当たり前の生き物だろう?」

「そ、それは……!」

 

 それは違うという言葉が喉元まで出掛ったが、文は妖忌にその言葉を言い放つ事ができなかった。

 だってその言葉は、他ならぬ妖怪の存在意義すらも否定するような言葉で……。

 

「――妖忌、妖怪全部が誰かを襲いたいと思うなよ」

「…………」

「龍人……」

 

 妖忌に視線を向けず、龍人はそう言い放つ。

 いつも通りの口調、その言葉に何の感情も込められていない筈なのに……言いようのない迫力が込められているように思えた。

 おもわず妖忌は僅かに身体を震わせ、一瞬だけ龍人に対し恐怖感を抱いてしまう。

 

「文、妖怪は人間を……他者を襲わないといけないと思うか?」

「…………」

「正直に言ってくれ。文の本当の考えを聞かせてほしいんだ」

「…………」

 

 妖怪は、人間から恐れられる生き物。

 そして時に、同じ妖怪にすら恐れられる存在だ。

 妖怪は人間を襲い、妖怪すら糧とするために襲い掛かる。

 ……それが間違いだと、文は言えない。

 言えないが……文は、龍人の言葉に首を横に振って否定の意を示した。

 

「……へへっ、そっか」

 

 満足そうに、嬉しそうに文の反応を見て笑う龍人。

 その瞬間、彼の次の行動が決まった。

 

「よーし……紫、妖忌、文と一緒に妖怪の山に行くぞ!」

「は……?」

「はぁ……」

 

 間の抜けた声を出す文、紫は額に右手を添え呆れたような溜め息を吐き出した。

 否、呆れたようなではなく完全に呆れている。

 

「お前……正気か?」

「勿論。それに妖忌だって妖怪の山に用事があるのに、今のままじゃその用事も済ませられないだろ?」

「それはそうだが、な」

 

 理屈はわかる、だが今の妖怪の山に向かうという事は……。

 

「――龍人、今回の件に介入するという事なの?」

「ああ、だって文だって困ってるだろ?」

「でもね龍人、山の問題に部外者が介入するという事は、下手をすれば山の妖怪すべてと敵対する事になるかもしれないわ。

 そうなれば……きっとこの先生き残る事はできなくなる、何より――妖怪の中でも上位に位置する天狗や鬼を相手にしなければならないのよ?」

 

 生半可な決意で介入して良い問題ではない。

 龍人もそれもわかっているだろう、彼とてそこまで馬鹿ではない。

 尤も、彼の事をよく知ってしまっている紫は、次に彼が放つ言葉が何なのかわかってしまっているが。

 

 

「―――友達が困っているのに、何もしないわけにはいかねえよ」

 

 

「……そうだったわね」

 

 ほら予想通りと、紫は内心ほくそ笑んだ。

 だが――呆れると同時に、紫は嬉しいとも思った。

 妖怪の山という強大な存在を前にしても、彼は己の優しさや信念を変えたりしない。

 それが、紫には嬉しかった。

 

「……友達って、私とあなたが?」

「少なくとも、俺はもう文とは友達だと思ってる。文は……嫌か?」

「…………」

 

 真っ直ぐな瞳、真っ直ぐな言葉。

 それを見て彼の思いが真実だと理解して、文は理解できなかった。

 

「――とりあえず、今日はもう休んで夜明けと共に出発しましょう。もうすぐ夜になるわ」

 

 そう言って、紫は半ば強引に話を切り上げた。

 

「阿一、申し訳ないけど……」

「すぐに寝床の準備をさせましょう、それに紫さん達が気にする必要なんかないですよ。

 ここは人と妖怪が共に生きる幻想郷、そして幻想郷はあらゆるものを平等に受け入れる場所ですから」

「ありがとう、阿一」

 

 その言葉に、紫は心からの感謝の言葉を阿一に送る。

 とにかく今は休んで妖力を回復させなくては、文の傷を治療する際に妖力を大分消耗してしまった。

 

「…………」

「? 文、どうかしたのか?」

「……なんでもない」

 

 あからさまに龍人から視線を逸らす文、どう見てもなんでもないようには思えなかった。

 しかし龍人はそれ以上何も訊かなかった、文を早く休ませてあげたかったからだ。

 

 

 

 

「…………?」

 

 ふと、夜になり眠りに就いていた紫は目を醒ました。

 時はまだ草木も眠る深夜、夜明けには遠い時間だ。

 

(……誰か、居るわね……)

 

 縁側に感じる、僅かな妖力。

 だがその存在からは敵意は感じられない、そもそもこの妖力が誰のものか紫はすぐにわかった。

 布団から出て、縁側へと足を運ぶ紫。

 

「――何をしているのかしら? 文」

 

 そして、縁側に座り込みじっと空を眺めている文へと、声を掛けた。

 

「あ……紫、さん」

「? 紫さん?」

「あ、いえ……その、やはり目上の存在にはこういった呼び方がいいというか……先程は、どうもすみませんでした」

「…………」

 

 そういえば、天狗という種族は上下関係を気にする妖怪だという事を、紫は思い出した。

 先程は怪我と突然の状況に頭が上手く働かなかったのだろう、そして休む事で冷静となり……話し方が変わった、というよりも本来の状態へと戻ったというわけだろう。

 

「別に謝る必要なんかないわよ。私は気にしていないから」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ほっとしたように、文の表情が緩んだ。

 その姿は先程のような肩肘張ったものではなく、見た目相応のやや弱々しい姿に映った。

 おそらくこれが彼女の本来の姿なのだろう、先程の態度は天狗として他の妖怪に嘗められない為のものだと理解する。

 そのまま紫は文の隣に座り込み、スキマを開く。

 

 左手をスキマの中へと突っ込み、彼女は取り出したのは――2人分の猪口と(かた)(くち)(酒器の一種)だった。

 猪口の1つを文へと手渡す紫、文はキョトンとしながらもおとなしく彼女から猪口を受け取った。

 そして紫は片口から猪口へと酒を注ぐ。

 

「天狗なのだから、酒は飲めるわよね?」

「え、ええ……大丈夫だと思います」

「大丈夫だと、思う?」

「じ、実はまだ酒を飲む事を禁止されていまして……飲むのはこれが初めてなんです」

「あらそうなの。ふふっ……なら今日は記念すべき日になるのかしら?」

「飲んでもいいんですか?」

「いいじゃない別に、その為に用意したんだから」

 

 そして、2人は互いの猪口を軽くぶつけ合い乾杯する。

 早速酒を口に含む紫と文、阿一の屋敷に保管されていたものを勝手に拝借したものだが、後で謝れば許してくれるだろう。

 程よい苦味と辛みが口に広がる、それをゆっくりと味わってから……こくんと喉に流し込む。

 

「っ、けほっ、こほっ……」

「あらあら……」

 

 しかし文には少々強かったのか、飲み込んだ瞬間咳き込んでしまった。

 だが強がるように笑みを浮かべる文を見て、紫はおもわず苦笑してしまう。

 

「なかなかですね。でもきっと天狗が作る酒の方が美味しいですよ」

「そういえば天狗は酒造りもできるのよね。少し飲んでみたいわ」

「ええ。きっと紫さんも気に入ると思いますよ!」

 

 ニコニコと楽しげな笑みを浮かべる文、だが……ふとその笑みが消えた。

 

「……山の仲間が、心配?」

「それもあります。天魔様も捕らえられているでしょうし……本当なら、今すぐにでも飛んでいきたい」

 

 だがそれはできない、そんな事をしても返り討ちに遭うと文とて理解している。

 焦るな、落ち着けと何度も己に言い聞かせなければ、すぐにでもここから飛び出していってしまいそうになる。

 

「大丈夫よ、なんて楽観的な事は言えないわね。相手が相手だもの」

 

 この件に介入する、それは即ち【鬼】とも一戦交えなければならないという事だ。

 数多く存在する妖怪の中でも、特に力の秀でた【鬼】。

 それと対峙して、果たして自分達は生き残れるのか……そう思いつつも、紫の心には不思議と不安や恐怖感といったものは浮かばなかった。

 

「でも龍人が居るわ。それにあなたのように謀反に加わらなかった者達も居る筈、まずはその者達と合流しましょう」

「……龍人さんは、どうして私の力になろうとしてくれたんでしょうか」

「…………」

「紫さんや妖忌はわかりますよ。あなた達は妖怪の山の内部に目的がある。

 でも龍人さんは、それとは別に単純にただ私の力になろうとしてくれている。それが……私にはどうしても理解できません」

 

 見返りを要求しているようにも、文には見えなかった。

 故に理解できない、文と龍人は今日初めて会ったばかりだというのに、何故心から力になろうとしてくれているのか……。

 

「……そうね。きっとそれは理解できないと思うわ。でも龍人が言っていたじゃない、「友達だから助ける」って」

「たった、それだけの理由で?」

「彼にはそれで充分過ぎる理由になるのよ。あの子は……他者に優し過ぎるから」

 

 良い意味でも、悪い意味でも、彼は優しいのだ。

 そして同時に、彼は他者との温もりを強く求めている。

 意識的なのか無意識的なのかはわからない、だが紫にはそう思えたのだ。

 だから彼は他者との繋がりを深めようとする、人間だろうが妖怪だろうが関係なしに、友達になる事を強く望んでいる。

 今回彼が文の力になろうとしたのも、ただ()()()()()助けるのだ。

 

――だが、その生き方は酷く脆く儚いもの。

 

 危険な生き方だ、いずれ彼自身の首を絞めかねないものだという事は明白。

 しかし紫に彼は止められない、何故なら……自分も他者との温もりを求めてしまっているから。

 だからせめて、そんな危うい生き方しかできぬ彼の傍から、片時も離れないようにしなければ。

 

「……本当に、龍人さんは優し過ぎるんですね」

「ええ。そのせいで私は何度も何度も面倒事に巻き込まれたわ」

「あはは。その割にはちっとも嫌そうな顔じゃないですね」

「…………」

「ちょ、そんなに殺気立たないでくださいよ!! ちょっとした冗談じゃないですか!」

「だったら、余計な事を言わない方が懸命よ。――出発は早いわ、少しでも身体を休めておきなさい」

 

 そう言って、紫は立ち上がり自身の割り当てられた部屋へと戻っていく。

 そして布団に入り目を閉じると、すぐさま意識が薄れていき、紫は眠りの世界へと旅立っていった………。

 

 

 

 

――朝霧が、妖怪の山を漂っている。

  

 その中を、紫達は気配を殺しつつ移動していた。

 

「それで、まずはどうするつもりだ?」

「私達だけで立ち向かっても無駄よ。だからまずは……謀反に関わらなかった者達を捜すわ」

 

 そして戦力を集めた後、真っ向から立ち向かい里を奪還する。

 このまま相手に悟られずに行動する事は不可能に近い、今はまだ幸い見つかってはいないが……それも時間の問題だ。

 だから見つかる前に、戦力となれる妖怪達と合流しなければ。

 

「なあ文、そいつらが居る場所ってわかるか?」

「いえ、残念ながら……」

「妖力で位置を特定しようにも、誰が敵で誰が味方かわからねえな……」

 

 闇雲に動いても、見つかってしまうだろう。

 かといって他に方法は無く、運良く見つけるしかない現状では……。

 

「っ、散れ!!」

「えっ――きゃっ!?」

 

 龍人の叫びと共に、文を除く全員が動いた。

 反応が遅れた文の手を掴んだ紫は、すかさずスキマを展開して彼女ごとその中に入る。

 妖忌は右手で桜観剣を抜き取り、龍人も左手に持っていた長剣を右手で抜き取った。

 

――瞬間、風が吹き荒れる。

 

「ぐ………!?」

「うおお……!?」

 

 その風は暴力となって、龍人と妖忌に襲い掛かった。

 どうにか反応が間に合い直撃は免れたものの、衝撃によって2人の身体は大きく吹き飛ばされてしまう。

 体勢を立て直しつつ、2人は同時に空を見上げると……。

 

「――チッ」

「あれは……」

 

 そこには、黒い羽根を背中に生やし、白を基調とした天狗衣装に身を包んだ鴉天狗が三羽、2人を見下すように君臨していた。

 

「もう見つかっちまったのか……」

「フン、こそこそと這いずり回っている鼠風情の気配を感知できないと思っているのか?」

「鼠風情とはよく言ったものだな、鴉風情が!」

「…………」

 

 妖忌の暴言を聞いて、鴉天狗達から殺気が溢れていく。

 ……どの道、この場から逃げて戦闘を回避する事はもうできない。

 ならば――増援を呼ばれる前に、目の前の存在を倒してしまうのが先決。

 そう判断した龍人達は、同時に動きを見せた。

 

「ぐおっ!?」

 

 まず悲鳴を上げたのは、鴉天狗の方からだった。

 龍人に一瞬で間合いを詰められると同時に上段からの斬撃を繰り出され、その速さに反応が遅れてしまい、上記の悲鳴を上げながら肩を斬り付けられる鴉天狗。

 ぐらりとバランスを崩した隙を逃さず、龍人は左足でその鴉天狗を蹴り飛ばした。

 

「貴様――」

「余所見をするとは、随分余裕だな」

 

 残り二羽の鴉天狗が龍人へと攻撃を仕掛けようとして、その前に妖忌が先手を打つ。

 風切り音を響かせながら、鴉天狗の胴を薙ごうと振るわれる桜観剣。

 しかしその一撃を、鴉天狗は翼を羽ばたかせ上空に逃げる事で回避。

 すかさず右手に持っていた天狗扇を振るい、妖忌に向かって風の刃を発射した。

 

「フン――」

 

 だが無意味、つまらなげに鼻を鳴らしつつ妖忌は左手で白楼剣を抜刀。

 ただの一振りで風の刃を霧散させる妖忌であったが、その時には既にもう一羽の鴉天狗が彼へと追撃を仕掛けて――

 

「――四重結界」

「なっ――ぐあっ!?」

 

 突如として妖忌の前に現れる青白い結界。

 それとぶつかった鴉天狗は大きく吹き飛ばされ――それで終わり。

 

「飛光虫ネスト」

 

 三羽の鴉天狗達の上空に現れる、都合二十五のスキマ。

 そこから一斉にレーザー光が撃ち放たれ、鴉天狗達を釣瓶打ちにする……!

 

「カ……ッ……!」

 

 身体から煙を発しながら、黒焦げになった鴉天狗達が地面に落ちていく。

 ……死んではいない、だが暫く動く事はできないだろう。

 

「ふぅ……」

 

 ほっと一息つきつつ、龍人は妖忌と共に地面に降り立つ。

 

「あいたっ!?」

 

 それと同時に再びスキマが出現、そこから文が飛び出し地面に落ちた。

 

「大丈夫か?」

「あたた……ええ、大丈夫――」

 

 龍人に向かって顔を上げた文の目が、大きく見開かれる。

 その視線の先にあるのは、倒れたまま動かない鴉天狗達の姿。

 

「…………」

 

 文の表情が曇っていく。

 同族のこんな姿を見てしまったのだ、無理からぬ事かもしれない。

 

「文、これからもこういった場面を否が応でも見てしまう事になる。耐えられないのなら……」

「――いいえ。私は行きます、行かないと……いけないんです」

「……そう」

 

 搾り出すようにそう返す文の様子は、無理をしていると一目でわかる程に弱々しいものだった。

 しかし、彼女の言葉の中に何か強い決意を感じ取れたので、紫はそれ以上何も言わない。

 

「それにしても、発見されるのが早かったな」

「天狗の索敵能力を甘く見ていたわ、とにかくここから一刻も早く離れましょう」

 

 一々相手にしてしまっては、いずれ消耗するのは目に見えている。

 とにかくすぐさまここから離れようとして――第三者の声が場に響き渡った。

 

「――見事なもんだ。こうもあっさり鴉天狗を打ち負かすとはね」

『っ!?』

 

 身構えると同時に、全員の視線が声の聞こえた方向へと向けられる。

 そこに居たのは――1人の女性。

 女性にしては長身の身体は無駄なく引き締まり、まるで鋼のような堅牢さを醸し出している。

 しかしその屈強そうな雰囲気とは対照的に、女性が身に纏っているのは胸元が大きく開かれた美しい着物であった。

 女性としての美しさを見せながらも、戦士としての力強さも感じられるその姿は、おもわず見惚れてしまうほどだ。

 そして何よりも、女性の額に生える一本の角が、女性の正体があの【鬼】であると物語っている。

 

「鬼……!」

「……チッ」

 

 妖忌はあからさまな舌打ちをし、紫は冷や汗を頬に伝わらせる。

 こんなにも早く鬼に遭遇してしまうなど、本来ならばあってはならない。

 しかもこの女性、並の鬼とは思えないほどの力強さを感じるのだ。

 

「……へぇ、鬼って本当に角が生えてるんだ」

 

 しかし、そのような緊迫した状況下でも龍人はいつもの調子を崩さなかった。

 そればかりか、鬼の女性の立派な角を見て瞳を輝かせる始末だ。

 

「ほ、星熊様……」

「? 文、こいつの事知ってんのか?」

「こ、この御方は【(ほし)(ぐま)(ゆう)()】様です。【山の四天王】と呼ばれる優れた力を持った鬼に送られる称号を持つ御方であり……」

「おい天狗、自分の名前ぐらい自分で名乗る。余計な事は言うな」

「っ、は、はい……」

 

 ビクッと身体を震わせ、一瞬で文の身体は萎縮した。

 天狗にとって鬼は決して逆らえない上司、それもこの女性はただの鬼ではない。

 文を黙らせてから、鬼の女性は一度咳払いをしてから――改めて、自らの名を明かした。

 

「――あたしは星熊勇儀。そこの天狗が言っていたように【山の四天王】の1人だ、そして鬼の大頭である星熊絶鬼の一人娘さ」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




少しは楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第31話 ~戦場へ~

山の動乱を鎮めるために、介入する事に決めた紫達。
射命丸と共に再び山へと戻ったのだが、早速天狗達の襲撃を受ける。
それを軽く撃退し、さあ先を急ごうと思った矢先に――【山の四天王】が紫達の前に姿を現した。


「――アンタは……確か射命丸文だったか?」

 

 自分の名を明かしてから、女性――星熊勇儀は文へと声を掛ける。

 

「は、はい……」

 

 身体と声を震わせながら、どうにか返事を返す文。

 どうやらこの星熊勇儀という女性が余程恐ろしいらしい、身体だけでなく返事を返した声も震えていた。

 

「……それで、お前さん達は一体何者だい?」

「俺は龍人、こっちは友達の八雲紫と魂魄妖忌」

「八雲紫……? もしかして、萃香が言ってたのはお前さんかい?」

「萃香を知っているの?」

「そりゃあ知り合いだからね。――この山に一体何の用だい? 理解したと思うけど、ちょっと立て込んでいるんだよ」

「知ってる。俺達はそれを止めに来たんだ」

「あ……?」

 

 首を傾げる勇儀に、紫は自分達が文を助け事情を聞き、謀反を起こした者達を止めに来た事を説明する。

 

「ふーん……まあ嘘を言っているようには見えないけど、外の妖怪がわざわざ介入するなんて……こう言ってはなんだけど、余程の阿呆なんだね?」

「否定はできないわね……」

「なあ、お前も謀反を起こした側の鬼なのか?」

「いんや違うよ。あたしもそれを止めようと思ってる側さ」

「だったら、俺達も協力する。みんなでその謀反とかいうのを止めるぞ!」

「…………」

 

 勇儀の赤い瞳が、真っ直ぐ龍人へと向けられる。

 暫し彼を見つめ……勇儀は、まるで嘲笑するように口角を吊り上げた。

 

「――無駄だよ。アンタ程度が何をしようとあいつらには勝てないさ」

 

 だから帰れと、勇儀は冷たく言い放つ。

 

「そういうわけにはいかねえよ。俺達はこの妖怪の山に用事があるんだ」

「だからってこれ以上の介入は許容できないよ。はっきり言って、お前さん程度にチョロチョロ動かれるのは邪魔でしょうがないんだ」

 

 先程よりも更に冷たい口調で、勇儀は言う。

 だがしかし、はいそうですかと納得しないのが龍人である。

 

「……おい射命丸、なんだってこんな奴等をこの山に連れてきた?」

「…………お言葉ですが星熊様。彼等の力はきっと助けになる筈です、私はそう思います」

「まあ確かに、後ろにいる2人は力になるだろうさ。けどこの小僧は邪魔だ」

「…………」

 

 辛辣な言葉を、容赦なく口にする勇儀。

 しかし、その言葉を紫も妖忌も……龍人も否定する事はなかった。

 

「射命丸を助けてくれた事は感謝するよ、でもこれ以上の邪魔はしないでおくれ。これはあたし達妖怪の山で生きる者達の問題だ、余所者に介入されちゃこっちの面子は丸潰れなんでね」

 

 だから帰れと、勇儀は口には出さず目で訴える。

 その眼力はさすが鬼と言うべきか、向けられるだけで息苦しくなるほどだ。

 

「……嫌だ、帰らない」

「…………」

 

 勇儀の目が細められる。

 

「友達が困ってるのに、何もしないなんて俺にはできない」

「分からず屋だねえ。それとも自分の力の無さを認めたくないのかい? 大体、あたしはお前さんのような“半妖”は嫌いなんだよ。

 くだらなくて弱い人間の血を半分宿しているお前さんは、人間にも妖怪にもなれない中途半端な存在なんだ。そんなやつに協力してもらう事なんて無いよ」

「……くだらない、だと?」

 

 瞬間、龍人の身体から妖力が溢れ出す。

 

「…………」

 

 臨戦態勢になった龍人を見ても、勇儀の表情は変わらない。

 だが――彼女も妖力を解放し始め、龍人を明確な敵だと認識した。

 一触触発の空気の中、龍人が先手を打とうと動こうとした瞬間。

 

「――龍人、自分が戦う相手を間違えるな」

 

 妖忌の鋭い一言が、彼の動きを止めた。

 

「…………」

 

 そうだ、目の前の彼女は自分にとって戦うべき相手ではない。

 戦う相手はあくまでこの妖怪の山で謀反を起こした連中、しかし勇儀はそちら側の存在ではない。

 

「助かるよ。でももう少し早く止めてほしかったもんだね」

「勘違いするなよ。止めるのはここだけだ、俺はこいつのやろうとしている事を止めるつもりはない」

「…………」

 

 勇儀の視線が、紫へと向けられる。

 頼むから、こいつを連れて山を降りろと彼女の赤い瞳がそう訴えているが。

 

「――龍人が歩む道が私の道よ。彼の好きなようにさせてあげたいの」

 

 その瞳を真っ向から見つめながら、はっきりと拒絶の言葉を口にした。

 

(正気か? いや……あの目は本気だな)

 

 理解できない、紫達を見て勇儀は心の底からそう思った。

 この問題に介入する、それは即ち天狗や鬼を相手にするという事だ。

 それがどれだけ無謀で危険なものか、この3人がわからないわけがない。

 だというのに何故ここまでするのか、それだけをする理由があるというのか。

 

―――友達が困ってるのに、何もしないなんて俺にはできない。

 

 先程龍人はこう言った、だから協力すると――彼は確かにそう言った。

 ……それが、心底理解できない。

 そのような理由で、命を投げ出すというのか?

 友の力になりたいという気持ちがわからないわけではない、勇儀とて同胞の助けになるのなら自分の全てを投げ出す事ができるから。

 

 だが、しかしだ――それはあくまで同胞だからに過ぎない。

 種族の違う鴉天狗を、半妖である彼が「困っているから助ける」などと……信じられる筈がなかった。

 けれど、到底信じられないが……彼の瞳は、嘘偽りを告げてはいない。

 嘘を嫌う鬼だからこそわかる、彼は心の底から射命丸を友と思い、そんな彼女の助けになろうとしているという事がわかるのだ。

 

――だから、だろうか。

 

「――なあ、ちょっといいかい?」

「ん? どうした?」

 

 気がついたら勇儀は、力ずくで彼等を山から追い出そうという考えを忘れ。

 

「お前さん、どうしてそこまで射命丸に肩入れできる?」

 

 そんな問いかけを、龍人に放っていた。

 

「友達を助けるのに、何か難しい事を考えないといけないのか?」

 

 返ってきた答えは、本当に単純なものだった。

 友達だから助ける、それ以外に理由なんか必要ないと、彼はあっけらんと言い放つ。

 

「……それによって、自分が死んでも後悔はないのかい?」

 

 その姿を不気味に思いつつ、勇儀は更なる問いかけをした。

 

 

「――後悔するくらいなら、死んだ方がマシだ」

 

 

「――――」

 

 その言葉を聞いて、勇儀はおもわずぶるりと身体を震わせる。

 それは恐怖から来る震え、【山の四天王】と謳われる程の鬼の実力者である彼女が、自分よりも小さな少年の言葉を聞いて、心底恐怖した。

 しかしそれに対する羞恥は無い、寧ろ今の言葉を聞いて恐怖しない方がおかしいと勇儀は思った。

 だってそうだろう? 今の言葉は決して強がりでも虚言でもない、彼にとって当たり前で――確固たる言葉だったのだから。

 

――それは異常だ、異端と言ってもいい。

 

 後悔しない道を選び続けるなんて事はできない、未来がどうなるかわからないのだから当たり前だ。

 だから時に妥協し、諦め、後に「こうしておけばよかったかもしれない……」と終わってから思う事は誰にだってあるだろう。

 だが彼は違う、愚直なまでに自分の心が決めた道を選び突き進んでいく。

 その先が茨の道だろうが、死に行く運命であろうと――変わらず進んでいく。

 

――それを異常と言わず、なんと言うのか。

 

「…………」

「足手纏いにはならない。だから……俺達にも協力させてくれないか?」

「星熊様、彼等はきっと私達の力になってくれる筈です!」

「…………」

 

 もう一度、勇儀は龍人と文の後ろに居る紫と妖忌に視線を向ける。

 本当にいいのかいと、無言でそう訴えるが……2人が無言で頷きを返したので、勇儀はそっと溜め息をついた。

 

「――あたしの一存では決められないけど、とりあえずは認めてやるよ」

「本当か!?」

「山の問題を余所者に関わらせたくないけど状況が状況だ。だが勘違いするな? あたしはお前さんのような半妖は好きじゃない」

「それでもいいさ。ありがとう勇儀!!」

「…………」

 

 真っ直ぐな視線、その愚直な態度に勇儀は呆れた。

 だがその真っ直ぐさだけは、好感が持てる。

 半妖という人間でも妖怪でも無い存在は、妖怪である勇儀にとって受け入れ難い存在だ。

 しかし、龍人という個人に関していえば……嫌いではない。

 それに――見てみたいとも思った。

 友達だから助けるというその思いが、最後まで貫けるのかどうかを。

 

「星熊様、山の状況はどうなっているのですか?」

「四つある里は全部豪鬼率いる馬鹿達にとられたままさ、そいつらをぶちのめす為にあたし達は山の反対側にある【玄武の沢】に集まってる。とりあえずそこに――」

 

 そこに向かうとしよう、そこまで言いかけ――勇儀は突然言葉を切る。

 そして彼女はある一点へと視線を向け、一気に表情を険しくさせた。

 

「っ、まさか……!」

「えっ?」

「妖忌!!」

「わかってる」

 

 刹那、文を除く全員がその場から動き始めた。

 突然の事態に呆けてしまう文であったが、すぐさま我に返り皆の後を追う。

 

「あ、あの、どうしたんですか!?」

「射命丸、お前さん……わからないのかい?」

「えっ?」

「私達が向かっている方向に、意識を集中させてみなさい」

 

 少しだけ呆れを含んだ口調で文にそう告げる紫。

 訝しげになりながらも、言われたように文はそちらへと意識を集中して……漸く気がついた。

 

「……【玄武の沢】に、妖力が集まり始めている?」

 

 そう、今まさに向かおうとしていた【玄武の沢】に向かって、多数の妖力が近づいているのだ。

 その状況が何を意味するのか……それを理解した文の顔が青ざめていく。

 

「とうとう【玄武の沢】まで進撃してきたって事かい……無法者が山の支配者気取りとは、笑えないねえまったくさあ!!」

 

 怒りの形相を浮かべつつ、勇儀は更に走る速度を速める。

 だがそれでも沢に着くまでまだ幾ばくかの時間が掛かる、間に合うのかという焦りが勇儀の中で生まれ始めた。

 

――沢は現在、豪鬼の謀反を許せず彼等と戦おうとしている者達の拠点となっている。

 

 しかし、中には豪鬼と彼に付き従う事を決めた者達と戦い、傷を負っている者達も大勢居るのだ。

 そのような状態の沢に責められれば、結果がどうなるかなど考えるまでもない。

 ……この一件で既に命を喪ってしまった者達も居る。

 これ以上の犠牲を増やすわけにはいかない、だが――沢まではまだ距離があった。

 

「――雷龍気、昇華!!」

「っ、龍人……!?」

 

 勇儀の隣を走っていた龍人の身体に、雷が奔る。

 

「勇儀、掴まれ!! 紫、勇儀と先に行く!!」

 

 言うやいなや、龍人は自身の右手を勇儀に向かって伸ばす。

 それを無意識に掴もうと、勇儀が左手を伸ばし、彼の手を掴んだ瞬間。

 

「――紫電!!」

「うぁ……っ!!?」

 

 龍人に手を掴まれ、全身に凄まじい衝撃が襲い掛かった。

 

「な、ん……!?」

 

 景色が、まともに見れない程に流れている。

 いや、流れているのではなく……自分が凄まじい速度で移動しているのだ。

 

(コイツ……!)

 

 だが勇儀は今、足を動かしていない。

 自分の左手を掴んでいる龍人に引っ張られるような形で移動しているのだが……その移動スピードは尋常ではなかった。

 妖怪の中でも最速の異名を持つ鴉天狗よりも更に速い、最強の天狗である【天魔】にすら届きうるかもしれない。

 

(……どうやら、あたしは相当コイツを見縊(みくび)っていたようだね)

 

 半妖である龍人の力など、彼の仲間である紫や妖忌に比べればたいした事はない、勇儀はそう思っていた。

 しかし現実は違ったものだ、見る目が無い自分自身を勇儀は恥じた。

 

「―――見えた!!」

「よし、どうやら間に合ったようだね!!」

 

 2人の視界が、【玄武の沢】を捉える。

 美しい湖のようなそこは、到る所に河童が暮らす水に浮かぶ家々が点在している。

 水と共に生きる河童が暮らすそこは今、まさしく戦場へと変わろうとしていた。

 沢の入口で身構える絶鬼側に付いた天狗や河童の面々、そこへ向かっていくのは豪鬼側に付いた天狗達。

 

 今にも戦いが始まろうとしていたが、両者はまだ睨み合いをしているだけに留まっている。

 ……拮抗を崩すなら今が好機、そう思った勇儀は龍人に声を掛けた。

 

「龍人、あたしをおもいっきり敵側にぶん投げな」

「えっ?」

「奇襲を仕掛ける。できるだろ?」

「……わかった、いくぞ勇儀!!」

 

 彼女の手を掴んでいる右手に、力を込める。

 

「ぬっ、ぐ――りゃああああああっ!!!」

 

 そして、勇儀を力任せに敵陣に向かって投げつけた――!

 

「おおおおおおおおおおおっ!!!」

「な、何だ……!?」

 

 こちらに向かって飛んでくる勇儀を見て、敵の妖怪達からどよめきの声が上がり始める。

 その姿はあまりにも愚か、如何に突然の事態に遭遇したとはいえ、対策に転じようともしないなど愚の骨頂。

 

「――ぬんりゃああああああっ!!!!」

 

 気合一閃、拳に鬼の剛力と妖力を込め、勇儀は敵陣の中央に向かって拳を振り下ろす。

 その一撃は誰にも当たらず、そのまま地面へと叩き込まれ――()()した。

 比喩でもなんでもなく、勇儀の拳にあまりの破壊力に爆発が巻き起こり、彼女の周りの妖怪達は揃って吹き飛ばされる。

 

「あ、あれは星熊様……!?」

「勇儀様だ………!」

 

 彼女の姿を確認し、沢に居た者達からは喜びを含んだ声が放たれる。

 

「今だよみんな、一気に攻めて倒すんだ!!」

『応っ!!』

 

 勇儀の鼓舞を受け、絶鬼側の妖怪達も一斉に攻撃へと転じた。

 

「……すっげえ力だなー」

「お前さんの速さもたいしたもんだよ、さっきの非礼を許してほしい。正直お前さんを見下してた。

 けど今は違う。――改めてこちらからお願いしたい、あたし達に協力してくれるかい?」

「勿論! 友達の助けになるって決めたからな!!」

「……感謝するよ」

 

「――龍人、やる気になるのは結構だけど、1人で無茶は駄目よ」

 

 そう言いながら龍人達の前に降り立ったのは、紫と妖忌。

 遅れて文も登場したが、全速力で飛んだためか息が乱れている。

 

「よし、いくぞ!!」

 

 左手に持っていた長剣を鞘から抜き取る龍人。

 

「――龍人、少し借りるわよ」

 

 言いながら紫はスキマを2つ展開し、中から光魔と闇魔を取り出した。

 妖忌も桜観剣を取り出し、霊力を解放させる。

 そして紫達は、戦場を駆け始めた……。

 

 

 

 

「……何だと? 勇儀が?」

 

 山の頂上付近にある、里の中心にある屋敷。

 そこで部下の鬼に勇儀が玄武の沢に現れた事を報告され、豪鬼は忌々しげに表情を歪ませる。

 

「あの小娘……誰に牙を向けているのかわかっていないようだ」

 

 豪鬼の怒りが妖力となって溢れ出し、屋敷の所々がひび割れ軋みを上げていく。

 報告に来た鬼も、豪鬼の妖力を間近で受けてしまい、すっかり萎縮してしまっていた。

 

「――あいつらを向かわせろ」

「まさか、あの御方達を!?」

「過剰な戦力だが構わん。邪魔な羽虫共はさっさと潰すに限るからな」

 

 わかったらさっさといけ、そう告げ豪鬼は酒を乱暴に注ぎ一気に飲み干した。

 

「勇儀、オレを裏切ってただで済むと思うなよ……?」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
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第32話 ~勇儀の力~

星熊勇儀と共に、妖怪の山で起こっている謀反を止める事になった紫達。
絶鬼側に付いた妖怪達と合流するために、紫達は【玄武の沢】へと向かう事に。

しかし――その【玄武の沢】に、豪鬼の手の者が進行を始めていた……。


――まさしくそれは、“嵐”であった。

 

「――ぶっ飛ばされたい奴から、かかってきな!!」

 

 そう言い放つのは、まだ若いながらも【山の四天王】と呼ばれる鬼、星熊勇儀。

 かつての仲間である妖怪を前にしても、敵と判断した彼女に躊躇いの感情は存在しない。

 

「はあっ!!!」

 

 加減も遠慮も考えず、彼女はただひたすらに拳を振るっていく。

 単純で、小細工などはまるで感じさせない攻撃。

 だがそれで充分、鬼の剛力に妖力を付加した一撃は小細工など無くとも強力すぎる一撃なのだから。

 

 彼女が拳を、蹴りを放つ度に、敵の妖怪達は悲鳴を放ち、文字通り吹き飛んでいく。

 数十という天狗を前にしても彼女は決して怯まず、自ら向かっていくその姿は周りの者達の士気を知らずに上げていった。

 絶鬼側の妖怪達も、勇儀の戦う姿を見て戦意を向上させ戦いに参加していっている。

 当初は豪鬼側が圧倒的な優勢だったが……勇儀という存在の介入によって、完全に逆転してしまっていた。

 

「……恐ろしいものね」

 

 その光景を見つつ、紫は襲い掛かってきた白狼天狗を光魔の斬撃で切り伏せる。

 

「あれが鬼の力かー……本当に凄いな」

 

 紫と背中合わせにしながら、龍人も勇儀の暴れっぷりを見て驚きを隠せないでいた。

 

「彼女は鬼の中でも相当の実力者よ。それを差し引いても鬼という種族があらゆる妖怪の中でも強い力を持っているのは間違いないわ」

「……遠いな。強くなる道は」

 

 しかも、今の勇儀の力まで追いついたとしても……倒すべき相手には尚、届かない。

 

「それでも強くならなければならない、そうでしょう?」

「勿論!! いくぞ、紫!!」

 

 長剣を右手に、龍人は地を蹴った。

 

「わかっているわ」

 

 紫もその後に続き――2人は乱戦になった戦場へと足を踏み入れる。

 

「く、くそ……話が違うぞ!!」

 

 豪鬼側の鴉天狗の1人が、悲鳴に近い怒りの声を上げる。

 そう、彼にとって……否、彼らにとってこの状況はまったくの想定外であった。

 沢に居るのは、絶鬼という臆病風に吹かれたかつての山の支配者に付き従う事を決めた、軟弱な天狗や河童達に過ぎない。

 それ以外の天狗や殆どの鬼は豪鬼の理念に共感し、その数も力の質も絶鬼側よりも大きい筈だ。

 

 だというのに、星熊勇儀の介入によって簡単に戦況は覆された。

 彼女だけではない、彼女と共に現れた見知らぬ者達もまた大きな力を持っている。

 刻一刻と豪鬼側の妖怪達は蹴散らされ、もはや敗北に喫するのは時間の問題であった。

 

「――役に立たぬ者達め。この程度の存在に何を手こずっておるか!!」

「…………」

 

 場に現れる新たな妖怪達。

 1人は巨大な身体を白を基調とした天狗服に身を包んだ【大天狗】と呼ばれる大男。

 そしてもう1人は、桃色の髪を背中まで伸ばし頭に短い角を生やした【鬼】の少女だった。

 その2人の登場に、絶鬼側の天狗達は喜びの表情を浮かべる。

 大天狗はそんな現金な態度を見せる天狗達を冷たく睨んでから、腰に差した大太刀を抜き取った。

 狙うは好き勝手に暴れている勇儀の首、大天狗は背中に生えた巨大な翼を羽ばたかせながら真っ直ぐ彼女に向かおうとして。

 

――真横から放たれた斬撃を、その大太刀で受け止めた。

 

「ぬっ……!?」

「……さすがは大天狗と言った所か、完全に決まったと思ったのだかな」

 

 渾身の斬撃を受け止められながらも、口元に笑みを浮かべるのは――魂魄妖忌。

 剣士としての彼の観察眼が、現れた大天狗の実力を見切りすぐさま攻撃を仕掛けたようだ。

 

「むうう……かあっ!!」

「っ……」

 

 力任せに押し飛ばされ、互いに距離を離す妖忌と大天狗。

 

「貴様……半人半霊だな? 人間にも幽霊にもなれぬ中途半端な存在が、この山に入るなどおこがましいにも程がある!!」

「中途半端な存在とは言ってくれる。ならすぐに切り伏せたらどうだ?」

 

 尤も、お前程度にそれができるのならばな。

 挑発を放ちつつ、地上に降り立つ妖忌。

 大天狗も敢えてその挑発に乗り、地面に降り立った。

 

「よかろう。ならばすぐに細切れにしてやる」

「よく言った。――剣豪として名高い大天狗の力、見せてもらう!!」

 

 同時に消える妖忌と大天狗。

 刹那、両者のぶつかり合いが始まり、周囲に甲高い音が響き渡り始めた――

 

 

 

 

「――お前さんは」

「…………」

 

 鬼の少女が、勇儀の前に現れる。

 すぐさま迎え撃とうとして、勇儀は少女の顔を見て驚きの表情を浮かべた。

 だがそれは当然だ、その少女は勇儀の知り合いであり。

 

「どうしてお前さんがあの馬鹿に付き従ってんだ。――()(せん)!!」

 

 彼女と同じ【山の四天王】と呼ばれる、(いばら)()()(せん)だったのだから。

 

「…………」

 

 鬼の少女、華扇は何も答えない。

 その代わりと言わんばかりに彼女は身構え、勇儀を強く睨みつけた。

 

「……そうかい。敵に語る事はないってわけか」

 

 自分を睨む華扇の目は本気だ。

 本気で自分と戦い、その命を奪おうとしているのがわかる。

 ……ならば、容赦などする必要はない。

 

「……っ」

 

 一息で、勇儀は華扇との距離をゼロにする。

 繰り出すのは右の拳による一撃、当然加減などしていない。

 

「っ、ご……っ!!?」

 

 だが、衝撃を受けたのは先に攻撃を仕掛けた勇儀であった。

 放った彼女の拳は虚しく空を切り、代わりに華扇の掌底が勇儀の腹部に叩き込まれていた。

 

「こい……がっ!?」

 

 反撃に移る前に、華扇の追撃が繰り出される。

 続いての一撃は右足による蹴り上げ、その一撃は勇儀の顎に叩き込まれ彼女の視界が混濁した。

 更に左腕の肘鉄が勇儀の胸部に打たれ、彼女の身体が後方に吹き飛ぶ……前に、華扇は右手を伸ばし勇儀の右腕を掴み彼女を自身へと引き寄せる。

 

「ぐ、っ……」

 

 今度こそ左の拳で吹き飛ばされ、しかし勇儀は両足を地面に突き刺して衝撃を無理矢理殺し体勢を立て直す。

 

「……ちっ、流石だねえ華扇」

 

 口内に溜まった血を乱暴に吐き出し、勇儀は初めて苦痛による苦悶の表情を見せた。

 

――茨木華扇は、勇儀と同じくまだ若い鬼だ。

 

 しかしその実力は【山の四天王】と呼ばれるに相応しいものであり、同時に勇儀にとってあまりにも不利な相手でもあった。

 鬼らしくその力は怪力と呼べる力だが、それよりも彼女は技術面で勇儀を大きく上回っている。

 力だけならば華扇は勇儀に遠く及ばない、だがそれを補って余りある彼女の格闘能力は、力押しの勇儀にとって読みにくいものだ。

 攻撃を受け流し、その力を利用しての反撃。

 

 力任せな面が強い鬼の一族にしては珍しい戦闘スタイルは、元々の能力と相まってまだ若い彼女を【山の四天王】に足らしめる能力なのである。

 それだけではない、萃香程ではないが華扇も妖術を使用する事が可能であり、更に動物の力を借りるという特殊能力も持っている。

 いくら一撃一撃が勇儀にとって致命傷にならないとはいえ、このまま受け続ければ……いずれ倒れるのは勇儀の方だ。

 かといって力で攻めた所で、先程のような手痛い反撃を受けるだけだ。

 

「勇儀!!」

 

 突如として、勇儀の前に現れたのは――龍人。

 彼女を守るように前に出て、こちらに身構えている華扇と対峙した。

 

「鬼、か……?」

「ああ。あいつは茨木華扇、あたしと同じ【山の四天王】さ」

「…………」

 

 山の四天王、つまり鬼の実力者だ。

 しかし龍人は臆することなく華扇を睨みつける……が。

 

「? お前……何かあったのか?」

 

 彼はいきなり、華扇を見ながらよくわからない言葉を口にした。

 

「龍人、どうしたんだい?」

「……勇儀、こいつ本当に敵なのか?」

「はあ……?」

 

 何を言っているんだいと、勇儀は呆れを込めた口調で言い放つ。

 だが、龍人にはどうしても目の前の華扇が敵だとは思えなかった。

 何故なら、彼女の瞳から明確な敵意と殺気以外に……“迷い”の色が見えたからだ。

 

「なあ、お前……本当に俺達と戦いたいのか?」

「…………」

 

 返事はない、が……華扇の瞳が僅かに揺らいだのを、勇儀も認識できた。

 ……どうやら、龍人の言っている事は決して場違いなものではないようだ。

 

「っっっ」

 

 華扇の姿が勇儀の視界から消える。

 先程よりも更に速い踏み込みで、華扇は右の拳で龍人の頭蓋を砕こうとして。

 

「――っ、戦いたいわけじゃないんだろう? 俺……なんとなくわかるんだ」

 

 彼が持っていた長剣の腹で、受け止められてしまった。

 

「っ、くっ……!」

「うわっ!?」

 

 体勢を低くしながら、華扇は足払いを仕掛ける。

 反応が遅れた龍人は回避できず、その足払いによって宙へと浮き。

 その無防備な身体に、踏み込みの力を込めた掌底を叩き込まれた。

 

「龍人!!」

 

 彼を心配しながらも、勇儀は隙を見せた華扇に拳を放つ。

 

「なっ……!?」

 

 しかしその時には既に華扇の姿はそこには無く、彼女は再び勇儀から間合いを離していた。

 

「ぐ、いてて……」

「龍人、大丈夫かい!?」

「大丈夫。……やっぱ鬼って凄い力なんだな」

 

 打たれた箇所を擦りながらも、龍人の戦意は微塵も失われていない。

 

「……華扇、アンタが何か迷っているのは間違いないようだね」

「…………」

「アンタは豪鬼のくだらない企みに共感したわけじゃなさそうだ。でも……もしそうだとするなら、どうしてあたし達の敵になる?」

「…………」

 

 華扇は答えない、先程の問答と同じく沈黙を貫いている。

 それでも、勇儀は既に華扇を自分の敵だとは認識できなくなっていた。

 

「――龍人、あまり貴方の優しさと甘さを戦うべき相手に向けるのはやめなさい」

 

 そう言いながら現れたのは、光魔と闇魔を持った紫であった。

 ……そこで漸く龍人達は気づく、豪鬼側の天狗達は全滅している事に。

 残されているのは華扇と、大天狗のみ。

 

「華扇、もう喧嘩は終わりだよ。お前さんだってどう足掻いたって勝てないってわかるだろう?」

「…………」

「俺、お前が悪い奴だとは思えないんだ。だから……もうやめないか?」

「…………」

 

 勇儀と龍人の眼差しが、ゆっくりと華扇を貫いていく。

 それは今の彼女にとって甘い毒であり……決して、受け入れてはならないものだった。

 

「――来るわよ!!」

 

 紫が叫ぶ、それと同時に華扇は再び戦いを仕掛けていった。

 

「くっ……分からず屋だね!!」

 

 戦ってはならない、けれど立ち向かってくるなら……迎え撃つしかない。

 その現実に歯噛みしながらも、勇儀も再び華扇に攻撃を仕掛けた。

 

 

 

 

 一方、妖忌と大天狗の死闘は終わりの時を迎え始めていた。

 

「ぬうう……っ」

「ちぃ……っ」

 

 互いの剣戟が弾かれ、後退する両者。

 

「はー……はー……はー……」

「はぁ、は……ふぅぅぅ……」

 

 両者共に息は乱れ、周りは剣圧による溝が数え切れぬ程に刻まれている。

 

(このような小僧が、ここまでの力を持っているとは……!)

(想像以上に強い、大天狗の名は伊達ではないと思っていたが……実力では向こうが上か)

 

 しかし勝たねばならない、いくら実力が上でも大天狗()()に遅れを取るようでは……あの女には勝てないだろう。

 

――そろそろ、決着を着けねばなるまい。

 

「決めさせてもらうぞ、大天狗!!」

「ぬう……?」

 

 宣言しながら、妖忌は後ろに跳躍して大天狗との距離を更に離した。

 その距離は実に四十メートル、当然剣戟が届く間合いではない。

 臆したか、一瞬そう思った大天狗であったが。

 

「これ、は……!?」

 

 白楼剣を左手で抜いた妖忌が霊力を開放した事により、その考えは間違いであると気がついた。

 ……間違いない、次に放たれる一撃は魂魄妖忌にとって最大の一手。

 今もこうして膨大な霊力が解き放たれていっている、次の一撃が彼の最後の一撃となるだろう。

 

「…………フン」

 

 だが、大天狗の表情に恐れの色は無い。

 確かに彼は強い、小僧ではあるが剣術では自身と互角と言える。

 しかしそれ以外では自分が勝っている、戦いの経験も……開放できる力の量もだ。

 

「かああああああああっ!!!」

 

 妖力を開放する大天狗。

 その力は、妖忌が開放している霊力よりも遥かに大きい。

 

「…………」

「これでわかっただろう? 如何に貴様が必殺の一撃を放とうとも、我が剣には届かぬ。

 おとなしく負けを認めるがいい、上には上がいる」

「…………ああ、そうだろうな」

 

 その言葉は、決して否定する事はできない。

 上には上がいる、その現実をこの目で見てきたのだから。

 だが、だからこそ――妖忌は決してそこから背を向けることはできなかった。

 

「その遥か上に存在する者を、俺は超えなくてはならない。

 ――それはお前程度の存在じゃない、俺は……お前なんぞに負けるわけにはいかねえんだ!!!」

「よく吼える……小僧如きが!!!」

 

 怒りの色を瞳に宿し、大太刀を大上段に構える大天狗。

 その刀身には膨大な妖力が込められており、このままぶつかり合えば――押し切られるだろう。

 それでも妖忌は真っ向から立ち向かおうとしている、その姿は大天狗にとって愚行であり悪あがきでしかなかった。

 

「――桜観剣、そして白楼剣よ。我が声に応えよ!!」

 

 霊力は臨界に達し、二刀は妖忌の霊力によって光り輝いていく。

 そして――妖忌はもう一度、二刀を持つ手に力を込めて。

 

「――勝負!!!」

 

 彼が出せる最速の速度で、大天狗へと突貫した――!

 

(愚かな……所詮は小僧か!!)

 

 向かってくる妖忌を完膚なきまでに叩きのめそうと、大天狗は斬撃の軌道を合わせ。

 

「受けろ、我が必殺の剣を!!」

「嘗めるな、若造がああああああっ!!!」

 

 横薙ぎに振るわれた桜観剣の一撃を、自身の必殺の一撃で迎え撃った。

 

「ぐ、あ……っ!?」

 

 勝敗は、すぐに着いた。

 剣術ではいくら互角でも、その内側に宿る力の質は大天狗の方が圧倒的に勝っている。

 それ故に妖忌の必殺剣は簡単に受け止められ、秒を待たずに押し切られようとしていた。

 

「よく戦ったと褒めてやる、だが――ここまでだ!!」

 

 桜観剣ごと彼の身体を切り伏せようと、大天狗は更に力を込め――違和感に気づく。

 彼が放った一撃は、桜観剣によるもの()()であった事に。

 

――だが、気づいた時には全てが決まった後であった。

 

(だん)(めい)(そう)(けん)―――」

 

 真名を解き放つ妖忌。

 その声に呼応するように、彼の左手に持っていた――まだ振るわれていない白楼剣の輝きが増す。

 

「しま――っ」

 

 急ぎ力を込める大天狗。

 

「終わりだ」

 

 しかし、彼の一撃はそれよりも速く。

 

 

「―――(めい)(そう)(れん)(ざん)!!!」

 

 白楼剣の刃が振るわれ、大天狗の身体を上下二つに分けてしまった――

 

 

「――――」

「……悪いな。俺はまだ死ぬわけにはいかねえんだ」

 

 断末魔の叫びもなく、地面に倒れこむ大天狗。

 死に行く者に用はないと、妖忌はそちらに視線を向ける事なく刀を鞘に収め。

 

「我が桜観剣と白楼剣に、断てぬものがあっちゃいけないんでな」

 

 そう言い放ち、同時に両者の戦いに終わりが訪れた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




この作品の中では華扇さんは鬼という事になっています。
ご了承ください。


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第33話 ~醜き者達、呑み込まれる心~

玄武の沢での戦いは続く。
山の四天王の1人、茨木華扇と戦う事になった紫達。

彼女の真意がわからないまま、両者は激突を繰り返していく……。


「――らあっ!!」

「っ」

 

 勇儀の拳が、華扇を襲う。

 その一撃はただの拳であっても一撃必殺、まともに受ければそれだけで戦闘不能に陥るだろう。

 しかし、華扇はその必殺である筈の一撃を完全に受け流し、そればかりか勇儀が一撃放つ度に反撃の一撃を彼女の身体に叩き込んでいた。

 

「ぐ、お……っ」

 

 まるで風に揺れる一枚の羽を殴っている気分だと、全身に走る衝撃に顔をしかめながら勇儀は思った。

 こうして華扇とまともに戦うのは初めてだが、改めて彼女の恐ろしさを認識した勇儀。

 自分のように力任せの戦法ではない、あらゆる攻撃を受け流し、弾き返し、反撃する。

 

「ぐ……っ!?」

 

 華扇のカウンターによる一撃を更に受け、後退する勇儀。

 すかさず間合いを詰めたのは――龍人。

 

「し……!」

 

 斬撃が、上下左右から華扇を襲う。

 

「くっ、は、っ……!」

 

 一撃の重さは勇儀に劣る、しかし速さと正確さは上回る攻撃だ。

 これには華扇も受け流すだけで精一杯、反撃する事はできないでいた。

 

「もうやめろ、戦いたくなんかないんだろう!?」

「…………」

 

 まだ言うか、尚もそんな事を言ってくる龍人を華扇は強い視線で睨みつける。

 

「っ、はあっ!!」

「が……っ!?」

 

 上段から放たれた斬撃を、華扇は剣の腹を右腕で弾き飛ばし軌道を変え。

 すかさず左の拳を龍人の身体に叩き込み、彼の身体を吹き飛ばした。

 

「っ!?」

 

 背後から殺気。

 直感じみたものを感じ、華扇は真横に跳躍。

 刹那、先程まで彼女が居た場所に紫が放った斬撃が振り下ろされた。

 

「…………」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 息を大きく乱しながらも、華扇の身構えた姿に隙は見つからない。

 そればかりか……。

 

(何か仕掛けるようね……なら、相手が動く前に!!)

 

 手に持っている光魔と闇魔でたたっ斬る、そう思った紫は華扇との間合いを詰め。

 

「――縛」

「っ、きゃ……!?」

 

 突如として紫の周辺の地面から黒い鎖が飛び出してきた。

 一瞬反応が遅れながらも紫はスキマを展開し、その中へと逃れようとして――鎖の一本が、彼女の左足に絡みついてしまった。

 

「奪……!」

「しま……っ、あぐっ!?」

 

 華扇の力ある言葉が放たれた瞬間、紫の身体に凄まじい倦怠感が襲い掛かる。

 更に彼女の内側にある妖力が、左足に絡みついた鎖に奪われていく感覚が……。

 

「セイッ!!」

 

 バキン、という甲高い音と共に、鎖が勇儀の蹴りによって打ち砕かれる。

 それにより紫は難を逃れたものの、自分の中の妖力の大半が失われている事に気がついた。

 

(今のは……奪気(だっき)呪印(じゅいん)ね。こんな妖術まで扱えるなんて……!)

 

 束縛した相手の妖力や霊力を奪い、自分のものにする高等妖術だ。

 紫の高い妖力の殆どを奪い、華扇の肉体に再び活力が戻っていく。

 

「紫、大丈夫か!?」

「え、ええ……大丈夫、よ」

 

 駆け寄ってきた龍人に心配をかけたくなくて、紫は無理矢理笑みを浮かべる。

 しかし思った以上に妖力を奪われてしまい、その笑みは誰が見ても無理をしているように映ってしまった。

 

「…………」

 

 龍人の表情が変わる。

 彼は初めて華扇に、明確な敵意の色を宿した視線を向けた。

 

「……それでいいのです。私とあなた達は敵同士……どちらかが倒れるまで、戦うしかありません」

「華扇!!」

 

 勇儀が華扇との間合いを詰め、右足による回し蹴りを彼女に叩き込む。

 それを弾きつつ華扇は後退、再び間合いを離された。

 

「――本当に、いいんだな?」

「――――」

 

 それは、まるで地の底から響くような声だった。

 自分を睨む龍人を見て、華扇は身構えこそするものの……身体は完全に萎縮してしまっていた。

 ありえない、鬼である自分があのような小さな少年に萎縮するというのか?

 驚愕と恥辱を覚えながらも、華扇の身体の震えは止まってくれなかった。

 恐いと、心から恐ろしいと華扇は龍人を見てそう思ってしまう。

 

「もう一度訊くぞ? お前、俺達と戦いたくて戦ってるわけじゃないんだろう?」

「…………」

「そんな奴と俺は戦いたくない。何か事情があるならここは――」

「っ」

 

 もうこれ以上、彼の言葉を聞いてはいられない。

 聞いてしまえば戦意を喪失してしまう、だから華扇は龍人を殺す勢いで攻撃に移った。

 狙うは彼の心臓、一突きで決めようと華扇は右手の指先に高圧縮させた妖力を乗せ、そのまま彼の身体を貫こうとして。

 

「――龍鱗盾(ドラゴンスケイル)

 

 その一撃を、片手一本で止められてしまった。

 

「な――」

 

 目の前の光景が信じられず、華扇の動きが止まってしまう。

 それはあまりにも愚か、その隙を――勇儀は決して逃さない。

 

「っ……!?」

 

 ミシミシと、華扇の骨が軋みを上げる。

 凄まじい衝撃に口からはポンプのように血が吐き出され、骨だけでなく臓器にも多大なダメージが襲い掛かった。

 

「が、ぶ……っ」

 

 その場で膝を付き、華扇は左手で勇儀の拳が叩き込まれた右脇腹を庇う。

 

「…………ふぅ」

 

 彼女の一撃を受け止めた掌を見つめながら、龍人は安堵を含んだため息を漏らす。

 

――今の技の名は龍鱗盾(ドラゴンスケイル)、かつて龍人が意識を失ったまま使用した技だ。

 

 超高圧縮させた【龍気】を身体の部位に付与させ、圧倒的な防御力を生む彼が用いる唯一の防御技だ。

 かつてアリアとの戦いで、彼は意識を失いながらこの技を使用したと紫から聞いていた。

 無論彼は龍気をそのような方法で使用した事はない、だが……彼の頭が、既に身体がこの技の使用方法を既に理解していた。

 だからこそ彼にとって初めて使う筈の技だったが、まるで使い慣れているかのように簡単に成功してくれたのだ。

 

「――終わりだよ、華扇」

「ぐ、ぅ……」

 

 勇儀の一撃があまりに甚大だったのか、目の焦点が合わぬまま華扇は勇儀達を見上げる。

 

「……豪鬼に付いた以上、アンタはあたし達にとっての敵だ。悪いけど……」

 

 拳を握り締める勇儀。

 

「勇儀、やめてくれ」

 

 しかし、そんな彼女を龍人が止めた。

 

「…………気持ちはわかるよ龍人。けどね……これは仕方のない事なんだ」

「仕方のない事で、命が失われるっていうのか?」

 

 そんな事は許さないと、龍人は視線で訴える。

 

「“ケジメ”なんだよ龍人、これは組織立って存在している妖怪の山のルールなんだ。

 ここで華扇に何の咎めも無ければ、それを不満に思う者が出てきちまう。そうなれば無用の問題を抱える羽目になるんだよ?」

「無条件で許せなんて俺だって言わない。だけど命を奪う事は無い筈だ」

「これだけの事に加担したんだ。それ相応だとあたしは思ってる」

「友達なんだろ? その友達を殺すっていうのか?」

「…………」

 

 真っ直ぐ過ぎる言葉と視線が、勇儀の胸に鋭い痛みを走らせる。

 ……わかっている、彼の言いたい事は痛いほどに勇儀だってわかっているのだ。

 だが自分は【山の四天王】、この妖怪の山を統治する側の妖怪である以上、私情を捨てなくてはならない時だってある。

 たとえそれが――本当に正しい事なのか判断に迷ったとしても、だ。

 

「龍人、勇儀の言っている事は正しいわ」

「紫まで……!」

「ここから先は山の問題よ。私達が口出しできる権利は無いわ」

 

 だからわかってと、紫は彼を説得しようとするが。

 

「嫌だ」

 

 龍人の考えは変わらず、彼は拒否の意を示した。

 

「龍人……」

「もうこれ以上、命が消える所なんて見たくない。それに華扇にだって俺達と戦わないといけない事情があった筈だ!」

「…………」

 

 ああ駄目だ、彼を説得する事は自分にはできないと紫は思い知った。

 ここまで頑ななのは、彼の優しさと甘さも勿論あるだろう。

 だが何よりも、自分の手から零れ落ちてしまった命達の事を思い出してしまっているから……。

 

「なあ勇儀、どうにか華扇を殺さずに許してくれないか?」

「…………」

「勇儀!!」

 

「――いいのです。もう……いいのですよ」

 

「華扇……」

「ありがとうございます。敵である私にそのような慈悲をくださるなんて……」

「――悪いね、華扇」

「いいえ。――全て自分の意思で行ったこと、どうして今更後悔できると?」

「…………」

 

 拳に、妖力を込めていく勇儀。

 ……せめて苦しまぬように、一撃で楽にさせてやらねば。

 

「駄目だ!!」

「…………」

「龍人、やめなさい!」

 

 華扇を庇うように、龍人は勇儀と対峙する。

 

「……龍人、どきな」

「嫌だ。殺すっていうなら……俺がお前をぶっ飛ばすぞ!」

「…………」

 

 仕方ない、抵抗する彼が悪いのだ。

 何処か自分に言い聞かせるように思いながら、勇儀は龍人ごと華扇の命を奪おうと拳を振り上げ。

 

「――なんてザマだ。華扇」

 

 心底彼女を侮蔑したような声が、場に響き。

 紫達の前に、口元に歪んだ笑みを浮かべた男の鬼が三体現れた。

 

 まだ若い鬼だ、内側から感じられる力は確かに強力だが……勇儀や華扇には遠く及ばない。

 はっきり言って、彼等が敵だったとしても勇儀に一蹴されるのは明白である。

 だというのに、彼等の口元には余裕の笑みが変わらず浮かんでいるのが、不気味に思えた。

 

「今更あんた等みたいな雑魚が一体何の用だい?」

「へ、へへ……余裕ぶっていられるのも今の内だぜ、勇儀!!」

(よく言う……)

 

 虚勢を張っているのが丸分かりである、見てて憐れに思えるくらいだ。

 

「おい華扇! わかってるよなあ? お前が負ければ……こいつらがどうなると思う?」

 

 言いながら、鬼の一体が華扇にあるものを見せた。

 

「っ」

 

 瞬間、華扇の目は見開かれその顔に絶望の色が宿る。

 

――鬼が見せたものは、大鷲と妖狐の子供であった。

 

 掴み上げられぐったりとしたその様子から、相当衰弱しているのがわかる。

 一刻も早く適切な処置を施さなければ命に関わるかもしれない、だが……それよりも紫には気になる事があった。

 何故華扇は、あの大鷲達を見てあのような表情を浮かべているのか……そして同時に、華扇だけでなく勇儀も何故か驚愕の表情を見せているのはどういう事なのか。

 妖力を奪われ衰弱しながらも、紫はその理由を考えていると。

 

「――そうかい。そういう事だったんだね、華扇」

 

 勇儀の、何かを納得したような呟きを、耳に入れた。

 刹那、勇儀の表情が憤怒の色に変わり、彼女の怒りを表すように凄まじい妖力が溢れ始めた。

 キッと鬼達を睨む勇儀、その眼光を受けてすっかり萎縮した様子を見せる鬼だが、まだ余裕の色が見受けられた。

 

「鬼の誇りを忘れて、矮小な人間と同じ卑怯な手を使うなんて……恥を知りな!!」

「へっ、卑怯? 勝てば官軍ってやつだぜ!!」

「貴様等……!」

「勇儀、あの動物達は一体何なの……?」

 

 今にも鬼達に向かっていこうとする勇儀に問いかける紫。

 その声を聞いて多少冷静さを取り戻したのか、勇儀は数回自身を落ち着かせるために深呼吸を繰り返してから。

 

「――あの子達は、華扇の大切な家族なんだよ」

 

 紫の問いに、答えを返した。

 

「家族……?」

「あの子達は華扇が使役している動物達でね。でも華扇にとっては単なる主従関係じゃなく……れっきとした家族なんだよ」

 

 その家族達が、何故彼女の傍に居らず鬼達の所に居るのか。

 その理由は簡単だ、そして華扇がどうして自分達と敵対する道を選んだのかも、漸くわかった。

 

「華扇、アンタ……あの子達の命を握られているんだね?」

「…………」

 

 華扇は何も言わない。

 ただ黙って勇儀から視線を逸らし、顔を俯かせている。

 だがその態度は無言の肯定、そんな彼女を見て勇儀は再びその顔を怒りの形相へと変えた。

 

「覚悟はできてるんだろうね……?」

 

 その眼光はただただ恐ろしく、見るだけで死を連想してしまいそうな程。

 しかしそれを前にしても、鬼の若者達は怯まない。

 

「いいのか勇儀? ちょっとでも動けば……()()()?」

「っ……」

 

 その言葉を聞いて、勇儀はその場から動く事ができなくなった。

 ……目の前の愚か者を始末する事など、造作も無いことだ。

 しかしそれを行えば、確実に大鷲と妖狐の子供の命は消える。

 たとえ全速力で間合いを詰めたとしても、間に合わない距離だからだ。

 拳を痛いほど握り締めながらも、勇儀は鬼の若者達を睨む事しかできない。

 

「そういう事だ。……おい華扇、わかってるな?」

「っ」

「――勇儀を殺せ。そうすればこいつらの命は助けてやる」

「――――」

 

 それは、悪魔の囁きだった。

 ……嘘に決まっている、たとえ勇儀の命を奪ったとしても彼等はあの子達を返してはくれないだろう。

 華扇とてそれはわかっている、このような事をする輩が約束を守ってくれる筈は無い。

 だが、それをわかっていたとしても――今の華扇に、選択肢は無かった。

 

「…………」

 

 震える手で拳を作り、ゆっくりと勇儀へと振り返る華扇。

 

「……そうだね。アンタにはそれしか選べないだろうさ」

 

 明確な殺気を向けられているが、勇儀は穏やかな声で呟き、その場に座り込んだ。

 

「華扇、いいよ」

「――――」

「アンタがあの子達をどれだけ大事にしているかわかっているつもりさ、自分自身を裏切ってまであたし達と敵対したぐらいなんだ。

 ――友を救えないで何が四天王だ。あたしはそんな情けない女になるつもりはないよ」

 

 だから殺せと、勇儀は変わらず穏やかな声で華扇に言った。

 

「勇儀!!」

「来るんじゃないよ龍人! 他の奴も動くな!!」

 

 駆け寄ろうとした龍人や周りの者に、勇儀は怒鳴りつけその動きを止めた。

 

「だけど……!」

「わかっておくれ。あの子達は華扇にとって……とても大切な家族なんだ」

「…………」

 

 家族、そう言われて――龍人は何も言えなくなった。

 大切な者を奪われる苦しみ、無力感、それを知っているからこそ…何もできない。

 

(俺は……どうして、こんなにも)

 

 弱いのかと、龍人は自らの弱さを心から嘆いた。

 もしも自分に力があるのなら、この状況を打破できるというのに……。

 嘆く龍人だったが、彼の傍に居る紫は……目の前の光景を見て、心に影を堕とし始めていた。

 

 

(……………………醜い)

 

 

 なんて醜い存在なのだろうか。

 力で敵わないから、このような卑怯な手を平然と使ってみせるその醜悪さ。

 更にそれで優位に立ったからといって、自分の力だと勘違いする愚かさ。

 その全てが、紫にとって醜く――怒りを買うものだった。

 沸騰しそうな、否、マグマのように噴火しそうな怒りは彼女の中で際限なく湧き上がっていく。

 怒りはすぐに憎しみへと変わり、その憎しみは――紫自身に変化を齎す。

 

(醜い、醜い、醜い………)

 

 彼女は気づかない、自身の金の瞳が赤黒く変色していっている事に。

 彼女は気づかない、自身の妖力が今までの比ではない程に高まっている事に。

 

(醜い、醜い、醜い、醜い………!)

 

 怒りが、憎しみが彼女に囁く。

 全てを消し去れと、蹂躙しろと。

 お前にはそれができると、彼女を入ってはならない領域へと連れて行こうとする。

 普段の彼女ならば、その声に耳を傾けることは無かっただろう。

 しかし今の彼女では、大鷲と妖狐の子供の姿を――守れなかった幽々子の姿と重ねて見てしまっている彼女では、決して抗える事はできず。

 

 

――紫は、自らの意志で己の能力を暴走させた。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第34話 ~戦いの終わり、束の間の休息~

あまりにも醜い。
鬼達が見せてきた醜悪さを見て、紫は守れなかった幽々子の事を思い出してしまう。

その結果、彼女の中に芽生えていた怒りや憎しみの感情が湧き上がっていき……彼女の力が、暴走を始めた。


――風が、吹き荒れていく。

 

『――――!!?』

 

 その場に居た全員の視線が、一点――八雲紫へと向けられた。

 風の中心に立っている紫であったが、なんだか様子がおかしい。

 いや、それ以前に……この禍々しくも強大な妖力は一体なんだというのか?

 

「ゆ、紫……?」

 

 その瞳に恐れの色を宿しながらも、龍人は紫に声を掛ける。

 

――近づくな。

 

「っ」

 

 内なる声が、龍人に警鐘を鳴らした。

 今の彼女に近づけば命は無いと、直感的に龍人は理解する。

 

「……紫、一体どうしたんだ?」

 

 だがそれでも、龍人は自らの意思で紫に近づいていった。

 死の恐怖はすぐそこまで迫っている、今の彼女は危険だと既に直感でなくても理解できた。

 理解できた、が……それと同時に、紫をこのままにはしておくわけにはいかないとも理解したのだ。

 

 紫から溢れ出している妖力、その質が今までとは違うものになっている。

 怒り、憎しみ、悲しみ、そういった負の感情に満ち溢れ、既に呪いに近いものへと変化し始めていた。

 それにこの強大な妖力の量、今の彼女の許容量を遥かに超えてしまっている。

 こんなものを放出し続ければ……彼女の肉体が保たない。

 それが龍人にはわかるから、彼は恐怖心に抗いながら紫を止めようとするが。

 

「――――醜い」

 

 今の紫には、龍人の声すら届かない。

 

「え――」

 

 彼女は何を呟いたのか、それを考えるよりも速く。

 

「――あ……?」

 

 間の抜けた声が、愚かな鬼の若者の1人から放たれた。

 

「なっ――!?」

「ぎ――ぎいいいいいいいいいっ!!?」

 

 龍人の驚愕に満ちた声と、鬼の断末魔の悲鳴が放たれたのは同時であった。

 ……何が起きたのか、その場に居た誰もが理解できない。

 どうして、誰も何もしていないのに。

 

――鬼の若者の1人の右腕が、()()してしまっているのか。

 

 まるで初めから存在していなかったかのように、綺麗さっぱり右腕が消えている。

 激痛が襲い掛かっているのか、その若者は尚も断末魔の悲鳴を上げ続けていた。

 他の二体の若者は、突然の事態に思考が追いつかないのか、目の前で苦しんでいる仲間の無様な姿を眺めることしかできないで居た。

 

「……まさか、紫……」

 

 もう一度、龍人の視線が紫へと向けられた瞬間。

 

「ぎ――!? がああああああっ!!?」

「あぎいいいっ!!?」

 

 残りの鬼達からも、断末魔の悲鳴が放たれた。

 

――2人目は右足を、3人目は左腕が消えてしまっている。

 

 それを見て、龍人は確信する。

 この瞬間、場に居た誰も一歩も動いていない。

 だというのに3人の鬼達は身体の部位が欠損するという事態に陥っている。

 このような芸当ができる存在など、ここには1人しか居ない。

 

「――紫、お前がやったのか?」

「…………」

 

 紫は答えない。

 龍人の問いを無視し、ゆっくりと苦しんでいる鬼達の下へと向かおうとしている。

 

「紫、一体どうしたんだ!?」

 

 そんな彼女の肩を両手で掴む龍人。

 

「っ、ぐ……!?」

 

 瞬間、彼の身体に衝撃が走り吹き飛ばされてしまった。

 

「いって……」

「……醜い」

「おい、紫!!」

「醜い、醜い、醜い……!」

 

 まるでうわ言のような呟きを零しつつ、紫は歩みを止めようとしない。

 その異様な姿に、この場に居た誰もが動く事ができないで居た。

 ……全員が恐怖している、八雲紫という少女の事を。

 鬼や天狗といった妖怪の中でも上位に位置する存在が、まだ子供と言える紫の事を…心の底から恐怖していた。

 

「ぎ、おおおお……」

「……痛い? 痛いでしょうね」

 

 苦しむ鬼達を冷たい視線で見下ろしながら、紫は人差し指を鬼達に向け軽く振るう。

 

「ぎ、いいいいいいいいいっ!!?」

 

 瞬間、鬼達の身体が2つに分かれた。

 

――紫は境界の力で、鬼達を圧倒していた。

 

 肉体の境界を操作し、少しずつ少しずつ……身体を分解しているのだ。

 しかもできるだけ苦痛が増すやり方で、意識の境界も操作し気絶する事もショック死させる事もせずに、ただただ苦しめるために鬼達を生かしている。

 なんという残酷な手だろうか、しかし今の紫に一片の慈悲も存在していない。

 目の前の存在を死ぬまで苦しめ続ける、それだけしか考えていなかった。

 だから紫はひと思いに命を奪う事はせずに、鬼達の肉体を削るという手段を用いている。

 

「が……ひ、ぅ……」

 

 叫び続けたせいか、鬼達の喉はとうに潰れていた。

 それでも全身に走る痛みに耐え切れず、声にならない悲鳴を上げ続ける鬼達。

 だが死ねない、紫の能力によって死ぬ事を許されない。

 殺してくれと既に放てぬ声で懇願するが、紫は――美しくも残酷な笑みを浮かべるのみ。

 

「醜いわね、鬼といっても……所詮は汚らしい妖怪。本当に醜いわ、どいつもこいつも……命を軽んじる輩ばかり、そんな存在にどうして生きる価値があるのかしら?」

「ひ、ひ……」

「ふふ、ふふふふ……こんな小娘に圧倒されるのはどんな気持ちかしら? ねえ、どんな気持ちなの?」

 

 正気を失った瞳、赤黒く変色した濁りきった瞳のまま、紫は笑う。

 同時に感じたのは――圧倒的なまでの優越感。

 鬼という強大な存在を、自分の指先一つで自由にできるという事実は、紫から正気を奪っていく。

 力に溺れ、堕落し、戻れぬ領域に手を伸ばす。

 妖怪としての精神と本能が、彼女の意識を変えようと蠢いて。

 

――自分の足に引っ付く、今にも崩れ落ちそうな妖狐の姿を視界に捉えた。

 

「…………」

「……きゅ、ぐ……」

 

 か細い声を放ちながら、妖狐は紫の足から離れようとしない。

 その姿が、まるで紫の行いを止めようとしているように見えて――彼女には、酷く不快に映った。

 

「―――邪魔よ」

 

 冷たく言い放ち、紫は妖狐に向かって能力を発動させる。

 ……既に彼女は正気ではない、助けなければならない筈の妖狐の命すら簡単に奪おうとしてしまうほどに堕ちてしまっていた。

 そして紫は無慈悲に、躊躇いなく小さき妖狐の命を奪おうとして。

 

「いい加減にしろ!!」

「っ……!?」

 

 その前に、龍人の拳が紫の身体を吹き飛ばし、妖狐の命を長らえさせた。

 

「…………」

「紫、お前……自分が何をしようとしたのか、わかってんのか!?」

「…………」

「助けなきゃいけないこの子を、殺そうとしたんだぞ!?」

「…………」

 

―――煩い。

 

「私の、邪魔を、するから……」

「……変だよ紫、一体どうしちまったんだ?」

 

 今の彼女は、龍人の知る紫ではなかった。

 外見だけではない、内面も龍人にはまるで違って見えるのだ。

 

「俺の知ってる紫は、優しくて暖かくて……こんな事をする女の子じゃない。

 お前、今自分がどんな顔をしてるのかわかってるのか? 今のお前……凄く恐く見える」

「…………」

 

 悲しみを帯びた龍人の瞳が、紫へと向けられる。

 それを見て――紫は、ふと我に返った。

 

―――邪魔をするなら、消してしまえばいい。

 

「っ」

 

 内なる声が、囁きかける。

 その声に従いそうになってしまい、龍人に能力を発動しようとして。

 

「ダメ……!」

 

 自分自身を止めようと、その場で蹲った。

 

 

―――抗わなくていい。

 

―――自分の邪魔をするなら、全て消し去ってしまえ。

 

―――私にはその力がある、全てを支配できるほどの力が。

 

 

「黙りなさい………!」

 

 囁く声に、紫は叫んだ。

 自分の能力は自分のものだ、どう使おうとも自分の勝手だ。

 そして、こんな能力の使用は決して認められない。

 

 

―――自分の心に嘘を吐くな。

 

―――全てを解き放てば楽になる。

 

―――だから。

 

 

「煩い、煩い……!」

 

 内から聞こえる声に、もはや不快感以外の感覚が浮かばない。

 今すぐに消えてほしい、そう思っているのに……紫は完全に抗えずに居た。

 このままでは、また声に従って自分は――

 

「紫!!」

「っ、ぁ……」

 

 ふわりと、暖かな感触が紫の身体を包み込む。

 そこで紫は、龍人に身体を抱きしめられている事に気がついた。

 少し強めに、けれどこちらが痛くならないようにしてくれている優しい抱擁。

 暖かな彼の体温と匂いが、紫の身体だけでなく心すらも包み込んでいった。

 

 ……紫の心から、黒い感情が薄れていく。

 声も、もう聞こえない。

 

「…………」

「…………龍人」

 

 紫に名を呼ばれたので、龍人は少しだけ彼女から離れ……瞳の色がいつもの金色に戻っている事を確認した。

 

「……よかった。いつもの紫だ」

 

 優しくて暖かな色を宿す金の瞳。

 それを見て、龍人は心から安堵したように顔を綻ばせた。

 

 

 

 

「――しっかしまあ、派手にやられたもんだね」

 

 上記の呟きを零しつつ、勇儀は盃に注いだ酒を一気に飲み干した。

 

「っ、げほっ……喉が焼けそうだ……」

 

 勇儀が飲んでいるのと同じ酒を飲んだ龍人が、しかめっ面になりながら咳き込んだ。

 鬼の酒は強いという話は聞いていたが、これは予想以上だと思いつつも、彼はもう一度その酒を口にんで……再びげほげほと咳き込んでいた。

 

「無理しない方がいいよ?」

「大丈夫。――それより、酒盛りなんかしてていいのか?」

 

――玄武の沢での戦いは、一先ず終わりを告げた。

 

 しかしまだ全てが終わったわけではない、だというのに勇儀は怪我人の治療を終えた後、突如として宴会を開いたのだ。

 これにはさすがの龍人も呆れたのだが、意外にも山の妖怪達は宴会に乗り気であり……既に夜が訪れ、思い思いに楽しんでいる。

 まあ英気を養うという思惑もあるし、何よりこのような状況で豪鬼達に戦いを挑んでも返り討ちに遭うのだから、龍人としても反対するつもりはなかったのだが。

 

「…………」

「……紫が、心配かい?」

 

 勇儀の静かな問いに、龍人は頷きを返す。

 ……暴走してしまった彼女は、消耗した妖力を回復させるために眠りに就いている。

 怪我らしい怪我は負っていないが……龍人が心配したのは、彼女の心の方だ。

 自分のやった事で負い目を感じてなければいいが……。

 

「そんなに心配なら、様子を見に行ったらどうだい?」

「でも、紫は今眠ってるだろ?」

「それでもだよ。顔を見るだけで安心する事だってあるさ、大切に思ってるなら尚更さね」

「…………」

 

 持っていた盃を地面に置き、龍人は立ち上がった。

 

「ごめん勇儀、ちょっと紫の所に行ってくる」

「ああ。行ってきな」

 

 言うやいなや、まるで飛び出すように龍人は行ってしまった。

 その後姿を眺めつつ、勇儀は微笑ましそうに顔を綻ばせた。

 

「素直な子だねえ……可愛いくらいさ」

 

 本当に紫が大切なのだろう、彼の態度を見るとそれがよくわかる。

 

「――あれ? 龍人さんは何処に……?」

 

 キョロキョロと辺りに視線を動かしながら、文が勇儀の前にやってきた。

 

「龍人なら紫の所に行ったよ。だから射命丸、邪魔するだけ野暮ってもんだ」

「そうですか……」

 

 少しだけ残念そうに表情を曇らせる文、せっかく彼の為に飲みやすい酒を持ってきたというのに……。

 

「せっかくだ。ちょっと付き合いな射命丸」

「えっ…………」

「なんだい? あたしの酒に付き合えないってのかい?」

「あ、あはは……」

 

 しまった、そう思っても既に遅し。

 周りの天狗や河童達もさり気なく勇儀から離れて飲んでいるし、助けは期待できない。

 ……仕方ない、覚悟を決めよう。

 そう思いながらも、文は一刻も早くこの場から逃げたいと思ったのだった。

 

 ――その後、勇儀に付き合った結果。

 まだ酒に慣れていないせいもあったのか、僅か数分で文はダウン。

 そして、勇儀は次なる犠牲者を求め宴会の中心へと赴くのであったとさ。

 

 

 

 

「あっ……」

 

 当初、龍人は紫が眠っている家屋へと向かおうとしていた。

 しかし、別の場所から彼女の妖力を感じ取り、すぐさまそっちへと赴いた。

 そこは沢の傍にある岩場、小川のせせらぎだけが場に響く静かな場所だった。

 宴会の喧騒も僅かにしか聞こえず、その中央で――紫はただ黙ったまま、じっと空を眺めていた。

 

――その姿に、龍人は魅了された。

 

 空は雲が少なく、三日月や星がよく見える。

 それらの光を受けている彼女の姿は、ただただ美しかった。

 金糸の髪は僅かに輝きを見せ、空を見上げている彼女の横顔から目を離すことができない。

 話しかける事も忘れ、龍人はその場で立ち尽くし彼女を見つめ続けていると。

 

「…………龍人?」

 

 気配を察知したのか、紫が龍人に視線を向け声を掛けてきた。

 

「……あ、あれ?」

 

 いつもの彼女の顔と声だ。

 さっきの幻想的な姿ではない、龍人がよく知る八雲紫が目の前に居た。

 

「? 龍人、どうかしたの?」

 

 そんな彼に怪訝な表情を向けてくる紫。

 なんでもない、慌ててそう返しながら龍人は紫の隣へと移動する。

 

「ちゃんと寝てないとダメだろ?」

「大丈夫よ。それに今は月の魔力を浴びているから問題ないわ」

「月の魔力?」

「月は妖怪にとって力の塊、その光を浴びれば肉体の損傷を治し、失った妖力を元に戻す事ができるのよ」

 

 尤も、三日月ではその恩恵もあまり多くない。

 満月の夜が尤もその恩恵を受けられる時だ、しかしそれでも今の紫にとっては三日月でも充分だった。

 成る程、確かに今の彼女の顔色は良いと龍人は納得する。

 

「……きゅー」

「あら……?」

「おっ……?」

 

 鳴き声が聞こえ、その方向へと視線を向ける2人。

 視線の先には、気持ち良さそうに身体を伸ばしながら月の光を浴びている妖狐の子供の姿があった。

 あの妖狐は華扇が飼っている妖狐だ、先程まで衰弱していたがどうやら元気になってくれたらしい。

 妖狐の姿に2人がほっと胸を撫で下ろしていると、向こうもこちらに気づいたのか視線を向けてきた。

 ……だが、妖狐は紫を見てその顔に僅かな恐れの色を宿す。

 

「…………」

 

 妖狐の反応にショックを受ける紫だったが、無理もないとすぐさま理解する。

 何せ自分はあの子の命を奪おうとしてしまった、ならば恐れてしまうのも当然だ。

 

「――大丈夫だ。この子はお前に何もしないよ」

 

 だから心配するなと、安心させるような声色でそう言って、龍人は妖狐に手招きする。

 しかし恐怖心が消えてくれないのか、妖狐の子は一向に2人の元へと近づいてくれない。

 

(らん)、何をしているの?」

「きゅ……?」

「あ、華扇」

 

 妖狐の子の背後から現れたのは、彼女の主人である茨木華扇。

 彼女の傍にはあの時の大鷲の子供が、寄り添うように飛んでいる。

 華扇も龍人達に気がつき、妖狐の子を抱きかかえながら彼等の元へと歩み寄った。

 

「どうしたのですか? 宴会は……」

「ちょっとな。それより華扇、この子に名前ってあったのか?」

「ええ、この子の名前は藍。因みにこの大鷲の名前は()()といいます」

「へえ……よろしくな久米、藍も」

 

 華扇の肩に乗った久米の頭を撫でる龍人、すると気持ち良さそうに久米の目が細められた。

続いて妖狐の子――藍の頭を撫でると、これまた気持ち良さそうな表情を浮かべる。

 

「……この子達と、またこうして一緒に過ごせるなんて思いませんでした。

 龍人、紫、あなた達のお陰です。なんとお礼を言えばいいのか……」

「気にすんなよ、なあ紫?」

「…………」

「紫……?」

 

 見ると、紫は気まずそうに華扇から視線を逸らしている。

 彼女の態度に首を傾げる龍人であったが、一方でその態度の理由がわかっている華扇は、視線を逸らしたままの紫に諭すような口調で口を開いた。

 

「――先程のような力の暴走は若い妖怪ならば誰もが一度は通る道です。気にする必要も負い目を感じる意味もありません」

「…………」

「我々妖怪は精神に依存する生物です。故に人間よりも怒りや憎しみといった負の感情に己自身を呑み込まれ易い。特にまだ精神が成熟していない若い妖怪ならば尚の事です」

 

 だから気にするなと、華扇は優しい口調で紫に言った。

 だが紫の表情は晴れない、気にするなと言われても他ならぬ彼女自身が己を許せなかった。

 助けなければならない命を殺めようとした事実は、決して消えない。

 しかもその原因が自分の未熟さが引き起こしたのだ、決して許せる筈がないのは道理であった。

 

「紫、いつまでも自分自身を責めたって何も変わらないぞ?」

「龍人……」

「起きた事は戻せない。だったら次こんな事にならないようにすればいいだけだろ?

 それにまた今回みたいな事になったとしても……俺が止めてみせる、だからさ……元気、出してくれよ?」

「…………」

 

 ……ああ、本当に情けない。

 いつも笑っていてほしいと願っているのに、自分のせいで今の龍人の顔は悲しみの色に覆われてしまっている。

 自分は一体何をしている?

 いつまでも悩んだ所で、彼の言う通り起きた事は戻せないのだ。

 ならば――もう二度と今回のような醜態は晒さないと心に決めればいい。

 今よりも強く、彼に心配されないように強くなればいいではないか。

 

「……ごめんなさい龍人、また私の悪い癖が出てしまったみたい」

 

 あなたはすぐに悩むのが悪い所ね、かつて友である蓬莱山輝夜にもそう言われた事があった。

 

「いいって。紫にはいつも助けてもらってるんだ、たまには俺だって紫の力にならないと!」

「…………」

 

 彼はわかっていない、いつだって傍に居るだけで紫にとっての力になる事に。

 だけどそれを紫は言ったりしない、だって…そんなの恥ずかしいではないか。

 

「きゅ……」

「えっ……」

 

 足に軽い感触、視線を下に向けると…藍が紫の足に擦り寄っていた。

 

「どうやら、藍もわかってくれたみたいですね。紫がとても優しい子だと」

「…………」

「抱いてあげてください。藍も喜びます」

「え、ええ……」

 

 華扇に言われ、少し躊躇いつつも……紫は藍を抱きかかえる。

 フワフワとした黄金色の美しい毛並み、とても暖かく心地よい感触であった。

 藍も紫に抱きかかえられ、リラックスしたような表情になっている。

 

「藍も、紫が気に入ったようですね」

「……きゅー」

 

 主人の言葉を肯定するように、藍が一声鳴いた。

 和やかな空気、この場に居た誰もが穏やかな表情を浮かべる中。

 

「――華扇」

 

 場の空気を一変させるような勇儀の声が、響き渡った。

 

「…………」

 

 何も言わず、勇儀へと振り返る華扇。

 

「……わかっているようだね」

「ええ、わかっています」

 

 そう告げる華扇の瞳には、何かを決意したような色が宿っている。

 

「勇儀、華扇に何か用なのか?」

 

 緊迫していく空気に若干顔をしかめながら龍人が問うと、勇儀は。

 

「――華扇のこれからの処遇を決める、ついてきてもらうよ」

 

 そう言って、有無を言わさぬ表情のまま華扇の腕を掴み上げた。

 

 

 

 

To.Be.Continued…




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第35話 ~救出~

玄武の沢での戦いに勝利した紫達。
束の間の休息に勤しむ彼女達であったが、豪鬼の味方をした華扇の処罰を決める事となり……。


「――茨木華扇、今からアンタの判決を下すよ。覚悟はいいね?」

「はい」

 

 玄武の沢の中心にて対峙する勇儀と華扇。

 その周りには固唾を呑んで見守る妖怪達、そして……今にもそこに飛び込んでいこうとする龍人を止める、紫と妖忌の姿があった。

 

「龍人、さっきも言ったが何も言うなよ?」

「だけどさ……!」

「他ならない華扇が決めた事よ。だというのに自分の身勝手な感情で干渉していいわけではないと、貴方だって思わないでしょ?」

「…………」

 

 藍を抱きかかえたままの紫にそう言われ、龍人はおもわず押し黙る。

 ――今から、今回の件に関する華扇の判決が下される。

 当然龍人は抗議した、今回華扇が勇儀達の敵になったのは久米と藍の命を握られていたからだ。

 好き好んで勇儀達と戦ったわけじゃない、だが……事はそう単純なものではなかった。

 

 如何に理由があろうとも、華扇が勇儀の命を奪おうとしたのは事実。

 その罰は受けなければならない、それが生きる者が背負わなければならない責務なのだ。

 ……そんな事を他ならぬ華扇から言われてしまえば、龍人としてもこれ以上何も言えなかった。

 とはいえ、納得できないのもまた道理である。

 万が一、勇儀が罰として華扇の命を奪うようであるのなら――

 

「龍人」

「…………」

 

 すぐ後ろから、囁かれるように紫から声を掛けられた。

 それと同時に、妖忌が持つ桜観剣の刀身が龍人に突きつけられる。

 

「全てが終わるまで、動くなよ?」

「…………」

「子供のように騒ぎ立てればいいわけじゃない。これは俺達が介入していいものじゃないんだ」

 

 だからわかれと、厳しい口調で龍人を戒める妖忌。

 

「――華扇、お前さんは久米と藍の命を握られていたとはいえ、豪鬼に加担した。

 それはこの妖怪の山の秩序を乱す行いだ、それはわかるね?」

「ええ、勿論よ。どんな理由があったとしても私のやった事は許される事じゃない、斬り捨てられても構わないわ」

「よく言った。なら華扇、アンタには――」

 

 判決が、下される。

 だが華扇には恐怖も、一片の後悔もない。

 守る事ができたからだ、自分にとって大切な家族も同意である子達を。

 だから彼女は静かに待つ、自分の最期の時を。

 ――尤も、“それ”が訪れるのは、まだ随分先のようだが。

 

「―――アンタには、あたし達と一緒に今この山で起きてる問題を全身全霊で解決してもらう」

「………………えっ?」

 

 間の抜けた声が、出てしまった。

 だがそれも仕方ないだろう、勇儀の放った判決は華扇にとってまったく予期できなかった内容なのだから。

 しかし彼女の表情に変化はない、つまり今の判決は……。

 

「みんな、異論は無いね?」

 

 周りの妖怪達に大声で問いかける勇儀。

 すると、周りからは返事とばかりに勇儀を賞賛するような拍手が巻き起こった。

 

「と、まあこういうわけだ」

「勇儀……」

「華扇、確かにアンタのやった事はおいそれと許せる事じゃないよ。

 だけどね、それと同時にアンタを失いたくないって思ってる連中がここには沢山居るんだ、それを忘れちゃいけないよ?」

「…………」

 

 勇儀の言葉を肯定するように、久米が鳴きながら彼女の肩に降り立った。

 ……おもわず、泣きそうになるのを堪えようと、華扇は俯く。

 なんて甘いのだろうか、呆れながらも……彼女の心は喜びと感謝に溢れていたのは言うまでもない。

 

「龍人、これならお前さんも文句は無いだろ?」

「勇儀……」

「本当にアンタは優しい子だよ。いつまでもその心を持っていてくれると嬉しいね」

 

 そう言って、勇儀は優しく微笑みながら龍人の頭を撫でる。

 どうして撫でられているのか理解できなかったが、その心地よさに龍人の表情が解れていく。

 

――数分後。

 

「…………いつまで撫でているのかしら?」

「おっと。いや、結構触り心地が良かったもんで、つい夢中になっちゃったよ」

「まったく……そんな事を続けるよりも、今後の事を決めるのが先決でしょうに……」

「紫、なんでそんなに怒ってるんだ?」

「怒ってないわ」

 

 怒ってるじゃないか、おもわずそう返そうとした龍人だったが、なんだか怒られそうなのでやめておいた。

 そんな光景を、妖忌と華扇が微笑ましそうに見ていたのは余談である。

 

「まあ紫の言っている事は正しいからね。本題に入るとしようか」

「豪鬼って奴をぶっ飛ばせばいいんだろ?」

「そんな単純な話なわけないだろ、阿呆」

「なんだとー!?」

「いや、そうでもないよ。

 ――あたしとしては、このまま豪鬼の所に攻め入った方がいいと思ってる」

 

 その言葉に、周りの妖怪達は驚きの表情を見せる。

 まだ四つある里は全て豪鬼側に占領されている、まずは一つずつ取り戻していった方がいいのでは……。

 

「勿論ただ豪鬼を倒しに行くわけじゃない。あいつが居る里には……親父達がいるだろう?」

「――成る程、絶鬼様達を救出できればそのまま戦力が増強する。その勢いのまま豪鬼を打倒すれば一気に収束させる事ができるわね」

 

 このまま悪戯に戦いを長引かせれば、いらぬ犠牲が増えるだけ。

 それに今の戦力を考えれば不利なのはこちらなのだ、奇襲を仕掛けて一気に戦況をひっくり返さなければ勝利は難しい。

 とはいえ、この策も決して安全なものではないだろう。

 しかし、勇儀は不安に思う事は無かった。

 たとえ戦力的に相手の方が上でも……山の仲間達だけではなく、部外者でありながらこうして協力してくれている者達も居てくれるのだから。

 

「ですが星熊様、真正面から行けば返り討ちに遭ってしまう可能性が……」

「そうだろうね。でも……今回はあえて真正面から攻め入る事にするよ」

 

 というよりも、その方が都合が良いのだ。

 確かにただ真っ向から攻めた所で返り討ちに遭うのは目に見えている、戦力では向こうの方が上なのだから。

 しかし、こちらにも向こうには無い“戦力”が存在する。

 

「龍人、紫、妖忌」

「ん?」

「今から策を説明するよ。今回の要はお前さん達だからね」

「……どういうこと?」

 

「つまりだ―――」

 

 

 

 

「――チッ、しくじったか?」

 

 隠れ里の中央に位置する屋敷の中で、豪鬼は苛立った呟きを零す。

 玄武の沢へと攻め入った鬼達からの連絡が、丸一日経っても返ってこない。

 まだ落とせないという事は考えられない、つまり……返り討ちに遭ったという事だろう。

 

(しかし解せんな……いくら勇儀が向こうを味方しているといっても、華扇に大天狗まで送ったというのに敗北したというのか?)

 

 如何な勇儀とて、あの2人を相手にすれば勝てるとは思えない。

 かといって絶鬼を慕う妖怪達では2人を打倒する力を持つ者は居ない筈だ。

 ……違和感が、豪鬼の中で生まれた。

 小さな、しかし決して無視してはならない何かが、豪鬼に警鐘を鳴らしたが。

 

「――豪鬼様、大変です!!」

 

 今の彼に、その事を悠長に考えている余裕は存在していなかった。

 

「…………なんだ?」

 

 騒々しく部屋へと入ってきた部下の鬼を睨みつつ、豪鬼は問うた。

 その眼力に萎縮しながらも、その鬼は豪鬼の苛立ちを増大させる報告を告げる。

 

「ほ、星熊勇儀と茨木華扇が率いた妖怪達が、里に攻め入ってきました!!!」

 

「…………」

「い、如何いたしましょうか!?」

「莫迦かお前? このまま黙って殺されたくないなら――殺せ」

「は、はいぃっ!!」

 

 情けない声を出しながら退室する鬼に、豪鬼は大きく舌打ちをした。

 

(やはり華扇は裏切ったか……どいつもこいつも……!)

 

 怒りが豪鬼の身体から妖力を溢れ出させ、部屋の壁や柱が軋みを上げる。

 凄まじい憤怒の表情を浮かべながら、豪鬼は屋敷から一瞬で消え。

 既に始まっている戦いの場へと赴き、先陣を切っている勇儀と華扇の前へと現れた。

 

「っ、豪鬼……!」

「……よお、久しぶりだねえ」

「…………」

 

 豪鬼を見て華扇は身構え、勇儀は身構えこそしないものの明らかに目つきが変わった。

 ……どうやら、本気で自分と戦う気概のつもりらしい。

 そんな彼女達の態度に、豪鬼の表情が益々険しくなっていく。

 

「オレに勝てると、本気で思っているのか?」

「思ってなかったら、こうしてアンタと対峙してないだろ?」

「……目障りな女共だ」

 

 もはや語るまいと言葉を切り、豪鬼は一気に妖力を開放する。

 それはそのまま突風となって勇儀達を襲い、その勢いの強さにおもわず2人は顔をしかめた。

 流石は鬼の若頭と呼ばれる事はある、単純な力は……自分達よりも上だと2人は認めざるおえない。

 だがこちらとて退けない理由があるのだ、たとえ力で敵わないとしても立ち向かわない理由にはならないのだから。

 周囲の戦いの音を耳に入れながら、3人は暫しそのまま相手を睨み続けてから。

 

「――死ね」

「し……!」

「はああ……!」

 

 まったくの同時に、地を蹴り戦いを開始した――

 

 

 

 

「――もう、始まっているようですね」

「急ぎましょう」

 

 場所は変わり、ここは隠れ里の地下通路。

 通路の中央の空間に亀裂が生まれ、そこから現れたのは――文と紫、そして龍人と妖忌であった。

 スキマを用いての移動を終え、4人は地下牢へと続く通路へと降り立つ。

 周囲には何の気配も存在しない、地上で戦いが始まっているからだろう。

 

「それにしても……勇儀自らが“囮”になるなんてね……」

「ですがそれが一番確実な方法だと思いますよ」

 

 そう、現在勇儀達は“囮”として戦っている。

 彼女達という戦力を前にすれば、さすがの豪鬼も動かざるおえなくなる。

 そうなれば、この地下牢の警備も手薄になり……その隙に、紫の能力で潜入し絶鬼達を救出。

 そのまま戦いに参入し一気に決着を着ける――そういう筋書きだ。

 

「だけどさ、文は案内役だとしても俺と妖忌は勇儀達と一緒に戦ったほうがいいんじゃないか?」

「向こうがこちらにも戦力を投入していたら救出は難しくなるわ、だからこそ龍人達も一緒に来てもらったの」

「――こっちですよ」

 

 文を先頭に、なるべく気配を殺しながら移動していく紫達。

 ……上からは既に、戦闘の音が聞こえてきている。

 それと同時に感じられたのは、とてつもない大きさを持った妖力の存在だ。

 勇儀や華扇のものとは違う、おそらくこれが……。

 

「――豪鬼って奴は、本当に強いんだな」

「ええ。四天王の1人ですが……正直、他の四天王とは段違いの力を持っています。

 星熊様と茨木様が2人ががりでも、勝てるかどうか……」

「文、そういえば萃香はどうしたの?」

「わかりません。私はもちろん星熊様もこの騒動が起こってから一度も伊吹様の姿は見ていないのでどうしているのか……」

「そう………」

 

 だとしたら、地下牢で捕らえられている可能性がある。

 それに期待しながら再び移動に集中し……程なくして更に地下へと続く階段へと辿り着いた。

 

 この先です、そう言いながら階段を降りていく文。

 紫達もそれに続き、深く暗い闇の底へと向かっていった。

 嫌な臭いが紫達の鼻腔に突き刺さり、彼女達は僅かに表情をしかめていく。

 本来ならば松明のような明かりが必要ではあるものの、人外の存在である彼女達には不要であり、けれど慎重に降りていった。

 誰もが無言のまま、階段を降りていく音だけが周囲に響くこと暫し。

 

「――――誰じゃ?」

 

 階段を降りきったと同時に、老齢の男性の声が奥から聞こえてきた。

 

「っ、絶鬼様……!」

「あっ、文!!」

 

 声を聞いた瞬間、その方向へと走っていく文。

 紫達も当然後に続き……その先には、地下牢が広がっていた。

 

「……ひでえ。こんなの」

「謀反を加わった連中より数が多いな」

「それだけ、星熊絶鬼という鬼が周りの者に慕われていたという事でしょうね」

 

 言いながら、紫は牢の中へと視線を向け萃香の姿を捜す。

 しかし中に居るのは鬼や天狗や河童、その他の妖怪だけで萃香の姿は見当たらない。

 一体どういうことなのだろうか、彼女は現在この山には居ないというのか……。

 

「皆さん、こっちに来てください!!」

 

 文に呼ばれ、紫は一度思考を中断させ彼女の元へ。

 そこは地下牢の一番奥、所狭しと何かの術式が刻まれた札を貼り付けられた一際頑丈そうな牢だ。

 

「…………」

 

 そして、その中に居る女性と……年老いた鬼の姿を見て、紫は言葉を失った。

 

(なんて、出鱈目な……)

 

 最初に浮かんだのは、そんな感想だった。

 美しく艶やかな黒髪と文以上に大きく立派な漆黒の羽根を持つ女性、彼女が天狗を統べる【天魔】なのだろうと当たり前のように理解する。

 彼女から発せられている力強い覇気と存在感が、否が応でも理解させたのだ。

 

 尤も、その強さも――隣に座る鬼を見てしまえば、なんて小ささなのだろうと思ってしまう。

 皺がれた顔、鬼の象徴である角はあるもののその顔には妖怪らしからぬ穏やかさが見える。

 だが着ている衣服の上からでもわかる無駄なく引き締まった身体と、天魔以上の覇気と存在感は見ているだけで意識を呑み込まれてしまう程に大きい。

 

(さすが五大妖、といった所かしら……)

 

 しかし、その凄まじいまでの存在感を見せられて……紫にある違和感が生まれた。

 天狗を統べる天魔や山の頂点に君臨する絶鬼からも、思ったような妖力を感じ取れなかったのだ。

 無論彼等から認識できる妖力は強大だ、大妖怪に相応しいと言える。

 それでも、紫にはどうも彼等という存在から感じ取れる妖力にしては、少なすぎると思ったのだ。

 

「……文、後ろの小娘達は何だ?」

 

 天魔がギロリと紫達を睨みながら、文へと問う。

 

「この方達は、協力者です」

「協力者? 文、余所者に力を借りるとは……天狗の誇りを忘れたのか?」

「天魔様、ですが……」

「それに協力者といっても小娘や小僧共ではないか。こんな者達に一体何ができる?」

「みっともなく牢に入れられている奴に言われたくねえな」

「なんだと!?」

 

 天魔の眼光が増した。

 だが妖忌もそんな天魔を睨み返し、一触即発の空気が辺りに漂い始める。

 

「妖忌、やめろって。大体妖怪の山の妖怪達が余所者に厳しいってお前だって知ってるだろ?」

「ああ、すまんな。天狗を統べる大妖怪様のあまりに無様な姿を見せられて口が滑ってしまった」

「貴様……!」

「妖忌、やめなさい!」

「今はこんな事してる場合じゃないだろ、今だって勇儀達が戦ってるんだからさ」

 

 とにかく、絶鬼達をここから出してあげなくては。

 そう思った龍人は牢に近づき、徐に手を伸ばして……衝撃が彼の手に襲い掛かった。

 

「いでっ!? な、なんだ……!?」

「……結界が張られているようね」

 

 龍人が手を伸ばした瞬間、牢に張られた札が反応し結界を展開し彼の手に衝撃を走らせたようだ。

 

「よーし、じゃあ紫。早速この結界解いてくれ!」

「………………残念だけど、無理ね」

「えっ、でもお前の能力なら……」

「余程強力な結界なのね、今の私じゃ境界の境目が見えない……」

 

 自分の未熟さに歯噛みしながら、紫は小さく舌打ちした。

 絶鬼達を捕らえているのだ、何かしらの結界は施されていると思ったが……予想以上だ。

 これでは彼等をここから出す事ができない、だが悠長にしていては上で戦っている勇儀達の身だって危うくなる。

 とはいえこの結界はおいそれと破壊する事も叶わない、少なくとも自分では……。

 

「――紫、“あれ”使ってもいいか?」

「えっ?」

 

 すると龍人は、左手で自身の右腕を掴み出した。

 それを見た瞬間、紫は彼が何をしようとしているのか理解する。

 

「まさか貴方……龍爪撃(ドラゴンクロー)を使うつもりなの!?」

「こいつが生半可な攻撃で壊れないっていうのは俺にだってわかる。だったらこいつを使うしかねえ」

「ダメよ! それだけは使ってはダメ!!」

 

 紫の脳裏に、二年前の光景が思い浮かぶ。

 ……使わせるわけにはいかない、あれは諸刃の剣なのだから。

 また彼がいつ目覚めるのかわからない眠りに堕ちるなど、紫には耐えられない。

 しかし、この少年はそんな紫の心中をまるで理解してくれないようだ。

 

「大丈夫だ。もうあの時みたいな事にはならねえ」

「そんなのわからないわ。何を根拠に」

「――こんな所で止まってるわけにはいかねえ。何より……こいつを使いこなせないままってわけにはいかねえんだ」

「…………」

 

「上では勇儀達が戦ってる、そして俺達がここに居るのは捕らわれてるみんなを助けるためだ。

 自分のやるべき事、果たさなきゃいけない事ができなかったら、命を懸けて戦ってる勇儀達の思いを裏切る事になるんだ」

 

 それだけは、絶対にできない。

 勇儀達は自分達を信じてくれた、お前達ならできると安心して背中を任せてくれたのだ。

 それを裏切ってしまえば、もう二度と勇儀達を友だと思う事はできなくなる。

 だからこそ龍人も、全てを懸けて勇儀達の思いに応えるのだ。

 

「紫、俺を信じろ!!」

「…………」

「紫、頼む!!」

「………………はぁ、まったく」

 

 前に、自分は龍人に甘いと散々からかわれたが。

 どうやら、それを否定する事はできなくなってしまったらしい。

 それに――彼の言葉を信じたいと思った。

 

「やりなさい、龍人」

「ああ!! 絶鬼のじいちゃん、そっちの天狗と一緒にできるだけ隅っこに移動しててくれ。

 妖忌と文も、俺からできるだけ離れろ!!」

「ああ?」

「えっ、あ、わかりました!!」

 

 怪訝な表情を浮かべながらも、妖忌と文はおとなしく後ろへと退がる。

 それを確認してから――龍人は“切り札”の準備に入った。

 

「っ、なんだ……!?」

 

 最初に驚愕を含んだ声を出したのは、天魔である沙耶。

 

「な、なんですかこの力は!?」

 

 続いて文も目を見開きながら驚きの声を上げ、妖忌は何も言わないもののその顔には確かな驚愕の色が。

 

――龍人の右腕に、凄まじい力が集まっていく。

 

 霊力でも妖力でもないその力の質量は凄まじく、到底今の彼が出せるはずのないものだった。

 右腕が黄金の輝きを放ちつつ、臨界を超えて尚その力は高まっていった。

 彼を見つめるだれもが驚き、その中で紫だけは祈るように目を閉じる。

 大丈夫、彼なら大丈夫と己に言い聞かせながら……紫はただひたすらに彼の無事を祈り。

 

「――この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき……噛み砕く!!」

 

 力ある言葉が、放たれる。

 その声に応えるように、黄金の光はより一層輝きを見せ。

 

「くらえ!! 奥義――龍爪撃(ドラゴンクロー)!!!」

 

 龍人はその右腕を、力一杯結界に向かって叩きつけた――!

 

「ぬう……っ!?」

「うあ……!?」

 

 龍人の右腕が、結界に触れた瞬間。

 凄まじい衝撃波が周囲に巻き起こった。

 

「ぐ、く……!」

 

 黄金の右腕が、結界に阻まれている。

 龍爪撃(ドラゴンクロー)の一撃を以ってしても、結界に軋みを上げさせるだけだった。

 

「無駄な事を……お前のような小僧が突破できるような結界ではないさ」

「う、うるせえ……ちょっと黙ってろ!!」

 

 小馬鹿にする沙耶にそう返しながら、龍人は更に右手に【龍気】を集めていく。

 

――パキン、という音が響き始めた。

 

「な、なんだと……!?」

 

 驚愕する沙耶、だがそれも当たり前だ。

 軋みを上げていた結界が、少しずつ破壊されていく。

 それも、まだ小僧である龍人1人によってなのだから、沙耶が驚愕するのは当然だった。

 

「く、ぐ……うおおおおおおっ!!!」

 

 激昂し、その声に呼応するように【龍気】が更に龍人の右腕に集まっていき。

 牢に貼り付けられていた札が独りでに破れ、燃え尽き。

 

 爆音と地響きを部屋全体に巻き起こしながら。

 龍人の龍爪撃(ドラゴンクロー)は、結界ごと絶鬼達を閉じ込めていた牢を破壊した――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第36話 ~豪鬼の力~

豪鬼を打倒するために、激闘を繰り広げる勇儀達。
そして、鬼の若頭にして四天王最強の力が彼女達に襲い掛かった……。


「っ、ぐ……!?」

「うぁ……!?」

 

 戦場と化した里の中で、一際激しい死闘を繰り広げている三者。

 その内の二名――星熊勇儀と茨木華扇は、窮地に立たされていた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「う、ぐ、ぁ……」

「……少しは腕を上げたようだが、こんなものか」

 

 息も絶え絶えとなった2人を冷たく見つめながらそう言い放つ豪鬼からは余裕が感じられる。

 彼の身体にも勇儀と華扇によって刻まれた傷があるものの、2人とは違い息も乱れておらず妖力の減少も見られない。

 

 ……彼は強い、同じ四天王でありながらその力は他の3人を大きく引き離している。

 五大妖である絶鬼の力を強く引き継いだ彼は、その恵まれた才能を更に引き伸ばし鬼の若頭となった。

 現に勇儀達は、まだ一度も彼に勝利した事はない。

 

「はー……はー……ったく、相変わらず化け物だねえ……」

「化け物? 違うな、鬼でありながらそんな程度の力しかないお前達が弱いだけだ」

「くっ……!」

「こんな程度の力でオレに楯突くとは……愚かしいを通り越して呆れるぞ?」

「……あたし達は、アンタのその傲慢さが心底気に入らないんだよ」

 

 そう、この男は傲慢さが過ぎる。

 自身の力に溺れ、部下である天狗達だけでなく同族の鬼すら見下し……己以外を決して信用しない。

 それが勇儀達には許せなかった、この男の存在は妖怪の山の秩序そのものを滅ぼしかねないからだ。

 

「もう少し賢いと思ったが……我が妹ながら、泣けてくる」

「あたしも、アンタみたいな兄貴が居るなんて思いたくもないね!!」

「あなただけは許さない、たとえ私の命に代えても……!」

「オレを打倒する、か? ――そういった言葉はな」

 

 豪鬼の姿が消える。

 身構える勇儀達であったが、その行動は彼にとって無意味でしかなく。

 

「――実力を伴わせてから、言うのだな」

 

 気配を感じさせないまま、豪鬼は華扇の右腕を自身の右手で逃がさぬように掴み。

 

「っ、あ――ぐううっ!!?」

 

 左手の手刀で、彼女の右腕を容赦なく斬り飛ばしてしまった。

 痛みに耐える華扇に、豪鬼は追撃となる蹴りを叩き込み彼女を吹き飛ばす。

 

「華扇!!!」

「あ、ぐ……ぎ、ぁ……」

「…………」

 

 無言で斬り飛ばした華扇の右腕を粉々にする豪鬼。

 

「愚かな女よ。勇儀に味方するからこうなるのだ」

「あ、あんたって男は……!」

 

 瞳に溢れ出さんばかりの怒りの色を宿らせ、豪鬼を睨む勇儀。

 しかし豪鬼にとってそんなものは、小動物の威嚇も同意であった。

 

「そんな程度の力量で戦場に出るからこうなる。弱肉強食のこの世界で弱さは罪だ」

「この戦いは必要のない戦いだ! そしてこの戦いを引き起こしたのはアンタ達だろう!?」

「違うな。全ての元凶は、あれだけの力を持ちながらこのような狭き世界に閉じこもった星熊絶鬼の臆病さが招いたものだ」

「何だって……?」

 

「闘争こそ我々鬼の……否、妖怪の本質。だというのにあの男は、その本質から目を背け何の価値もない日々を過ごす始末。

 その気になれば世界の全てを手中に収め、永遠に血湧き肉踊る戦いができるというのに……自らの意思でそれを拒否したのだ!!」

「――――」

 

 その言葉に、勇儀は思考を停止させた。

 ……ふざけている、つまりこの男は。

 

「――そんな事の為に、アンタは謀反を起こしたっていうのかい!?」

「そんな事とはおかしな事を言うものだ、お前とて戦いに酔いしれる鬼だろう?」

「アンタと一緒にするんじゃないよ!!」

 

 確かに、鬼という種族は喧嘩を含めた戦いが好きだ。

 それは否定しない、だがこんな戦いを望んでいるわけがない。

 無意味に命が奪われ、失われていく戦いなどどうして望むというのか。

 

「オレはこの山を手中に収め、いずれ世界の全てを手に入れる。

 そして作るのだ、妖怪にとって最も恵まれた世界――闘争の世界を!!」

「……阿呆の極みだよ。そんな事ができると本気で思っているのかい?」

「できるとも。邪魔をする輩は人間だろうが妖怪だろうが等しく滅ぼせばいい、ただそれだけの話だ」

「こ、こいつ……!」

 

 邪魔をする者は、全て殺す。

 その考えは、決して許容できるものではなかった。

 ……もはや目の前の存在は、勇儀達の知る星熊豪鬼ではない。

 ただただ力に溺れ、呑み込まれた愚か者だ。

 

「話は終わりだ、消えろ」

 

 豪鬼が右手に妖力で生み出した光弾を浮かばせる。

 そして、それで勇儀達を消し去ろうと彼は光弾を投げ放とうとして。

 

――上段から振り下ろされた斬撃を、左腕で受け止めた。

 

「なに……っ!?」

 

 顔を上げる豪鬼、しかしその時には誰もおらず。

 腹部に強い衝撃が走り、豪鬼の身体が吹き飛んでいった。

 しかし彼にとってたいしたダメージは無く、すぐさま体勢を立て直しつつ自分に攻撃した相手を視界に捉え。

 

「――ガキ、だと?」

 

 それが、まだ少年と呼べる存在だと理解し、驚愕した。

 

「龍人……!」

「勇儀、華扇、大丈…………っ!?」

 

 右手に長剣を持ちながら、龍人は勇儀達へと視線を向け――固まった。

 

「華扇……!?」

「っ、だ、大丈夫……ですよ」

 

 そう言って笑みを浮かべようとする華扇だったが、額には脂汗が滲み顔も引き攣っている。

 何よりも、彼女の右腕が根元から無くなっている姿を見て。

 

「こ、の……何やってんだお前ぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 龍人の怒りは一瞬で頂点に達し、豪鬼へと向かっていった。

 

「龍人、下がるんだ!!」

「……なんだ、このガキは」

 

 向かってくる龍人の力の小ささに、豪鬼は青筋を浮かべる。

 彼にとって、このような“小物”が向かってくる事自体が屈辱と同意なのだ。

 

「――潰すか」

 

 もはや、一秒たりとも視界に入れておきたくない。

 右腕に鬼の剛力と妖力を込め、豪鬼は向かってくる龍人に向けてそれを容赦なく放つ。

 それで終わりだ、たとえ防御が間に合ったとしてもその防御ごと砕く豪鬼の一撃はしかし。

 

「――――あ?」

 

 龍人の姿が消えた事で、不発に終わった。

 

「だあっ!!」

「うお……っ!?」

 

 刹那、豪鬼の胴に目掛けて銀光が奔る。

 それを後ろに跳んで回避する豪鬼、しかしその時には既に龍人は豪鬼との間合いを詰めていた。

 

「――――!!?」

 

 ズドン、という衝撃が豪鬼の全身に走る。

 そのまま彼の身体は地面を削りながら吹き飛んでいき……けれど、それでも彼にとっては致命傷にはなりえない。

 

「…………」

 

 なりえない、が。

 今の一撃による肉体的なダメージが皆無でも、彼の精神には大きなダメージが刻まれていた。

 

(なんだ、このガキは……!)

 

 とるに足らない子供、しかも多くの妖怪が忌むべき“半妖”だ。

 だというのに、自分の攻撃が避けられただけでなく、反撃を受けてしまった。

 

――なんという屈辱か。

 

「小僧……テメエ、覚悟はできてんだろうなあああああ……!」

「うお……すげえ……」

 

 溢れ出した豪鬼の妖力と殺気を受け、龍人はおもわず一歩後ろに後退してしまう。

 

(まったく効いてないのか……)

 

 先程の一撃――豪鬼を殴り飛ばした左腕が痛む。

 加減などしなかった、自分の腕力と妖力を乗せた全力の一撃だった。

 だというのに、まったく効かないばかりか相手の怒りを買う結果にしかなりえなかったという事実には、驚愕せざるおえない。

 

(これが、最強の四天王……)

 

 遥か格上の存在に、龍人は怖気づく……事はせず、口元に笑みを浮かべていた。

 

(どこまで通用する……? あとどれくらい……?)

 

 今の自分なら、どれくらい耐えられる?

 それを知れるいい機会だ、龍人にとって目の前の相手は極上の()()()()

 勝てないのはわかってる、生き残れる確率なんて期待できる程あるわけがない。

 だが、龍人にはわかっているのだ。

 

 ここで死ぬのならばそこまで、ある程度戦えなければ生き残った所で限界なんてすぐに訪れる。

 力不足なのは重々承知、大切なのは……その上でどこまで高みに上れるか。

 

「雷龍気、昇華!!」

 

 出し惜しみも加減もできない、今の自分の全力で漸く相手に遊んでもらえる程度。

 絶対に勝てない相手に自分ができる事、それだけを考え龍人は一瞬で全開の力を放出する。

 

「……オレと戦うつもりで居るのか?」

「違う、勝つつもりで戦うんだ!!」

「よく吼えた。――遊んでやる」

 

 瞬間、豪鬼の姿が消える。

 それと同時に龍人の姿も消え、結果が決まりきっている戦いが幕を開けた――

 

 

 

 

「う、うあああああっ!!?」

「な、なんでこいつらが……!」

 

 豪鬼側の妖怪達の情けない悲鳴が響き渡る。

 だがそれも致し方ないだろう、何故なら自分達が捕らえていた絶鬼側の妖怪達が牢から抜け出し、自分達に牙を向けているのだから。

 

 元々豪鬼側よりも、絶鬼側の妖怪達の方が数が多かった。

 しかし捕らえられていた全員が解き放たれた今、勝敗は既に決まったようなものだ。

 現に牢から脱出した妖怪達の凄まじい勢いによって、豪鬼側の妖怪達の士気はかなり低下してしまっている。

 無論抵抗する者達も居るが、そういった輩は妖忌や紫によって倒されていく。

 そして一番厄介な若い鬼達は……絶鬼の眼力で、もはや抗う意思すら見せていない。

 

「うっ……」

「天魔様、大丈夫ですか!?」

「……大丈夫だ文、心配し過ぎだぞ」

 

 僅かに呻いただけで泣きそうな顔になる文に苦笑しつつ、沙耶は彼女の頭を優しく撫でた。

 

(しかし……相当厄介な結界だったようだな)

 

 自分の手を見ると、微かに震えている。

 

――今の沙耶と絶鬼には、殆ど力が残されていない。

 

 その原因は、2人が入れられていた牢に施されていた結界にある。

 あれは単純な力や能力を封じるだけでなく、少しずつ入れた者の力そのものを奪っていく効力があったようで、沙耶も絶鬼も戦闘に参加する事はせず相手に威嚇するだけに留めていた。

 

 紫が2人から感じられる妖力が小さいと思ったのも、結界によって力を奪われていたからだ。

 とはいえ、もはや勝敗は決した。

 謀反を起こした妖怪達は黙らせたし、残るは豪鬼ただ1人。

 

(しかし……)

 

 豪鬼だけ、だが……その豪鬼が厄介だ。

 まだ妖怪として生まれて三百年弱、鬼としては若い部類とはいえ内に秘められた力は絶大だ。

 正直な話、力が十全だとしても自分では勝てないと沙耶はそう思っている。

 

「――天魔、終わったわよ」

「っ、お、おお……お前は」

「紫、八雲紫よ。とにかく全員黙らせることができたわ」

「そうか。では後は――」

 

「うわああっ!!?」

 

「っ、龍人!?」

 

 吹き飛ばされ地面に倒れている龍人に駆け寄る紫。

 彼の傍には勇儀と華扇も吹き飛ばされてきたようで、龍人と同様に地面に倒れていた。

 

「茨木様!?」

「いかん、すぐに華扇を安全な場所に運び治療をしろ!!」

「は、はい!!」

 

 華扇の状態を見て、すぐさま部下の天狗に指示を出す沙耶。

 2人の鴉天狗が華扇を持ち上げ、飛び去っていった。

 

(これで彼女は大丈夫ね……)

 

 だが、あまり状況は芳しくないようだ。

 

「……吼えただけの事はあるぞ小僧。思っていたよりも楽しめる」

 

 龍人と勇儀の2人が大きく傷ついているというのに。

 そんな彼らと戦っていた豪鬼には、殆ど傷らしい傷が刻まれていないのだから。

 

「……豪鬼、まだわからぬのか?」

「絶鬼? 何故貴様が……いや、よく見たら裏切り者達も……牢から抜け出したようだな」

 

 今気づいたとばかりに、周囲に視線を向ける豪鬼。

 既に、彼の周りには絶鬼側の妖怪達が彼を囲むように展開している。

 

「豪鬼様……いや、豪鬼!! お前の企みもここまでだ!!」

「絶鬼様の息子でありながら謀反を起こすなど……何を考えているのですか!?」

「もはやあなたについていった部下達も捕らえた、観念していただきたい!!」

「…………」

 

 戦いは、終わりだ。

 如何な豪鬼とはいえ、数百を超える山の妖怪達と敵対すればどうなるのか……わからない筈もあるまい。

 

――だというのに、何故。

 

「――仕方ない、な」

 

 何故、豪鬼の口元から笑みが消えないのか。

 

「…………」

 

 その姿が、あまりにも不気味に映り紫はおもわず身体を震わる。

 

「ぐ、いってえ……」

「龍人、大丈夫!?」

「ん? ああ……やっぱり強いなアイツ、全然敵わねえや」

 

 言いながら、立ち上がり身構える龍人。

 少しも戦う気概を失っていない、彼らしい姿に紫の表情が自然と綻んだ。

 

「豪鬼、もうよせ。お前の野望は決して叶いはしない」

「時代に取り残された老人は黙っていろ。それだけの力を持ちながらその力を使わない臆病者はな」

「豪鬼、貴様……!」

「強がりはよせ沙耶、お前も絶鬼もあの結界で殆ど力が残っていないだろう?

 ――それにしても、まさかお前達のような部外者……それもとるに足らないガキ共に邪魔をされるとは思わなかったぞ」

 

 豪鬼の視線が、紫達に向けられる。

 その眼力に、たじろいでしまいそうになってしまった。

 だが、そんな紫の右手を龍人は左手で優しく握り締める。

 大丈夫だ、彼の手の温もりがそう言ってくれた気がして、紫の心を強くしてくれた。

 

「豪鬼、闘争だけの世界には何も残らない。ワシはこの二千年の間にそれを理解したのだ。

 戦いに明け暮れ、他者の命を蹂躙する……その繰り返しでは、得られるものなど何も無いと」

「それがどうした? 戦いに明け暮れる事の一体何が間違っているというんだ?」

「豪鬼……」

「妖怪の本質は闘争だ、それを忘れた老いぼれにこの山の支配者たる資格は無い。

 そして、そんな老いぼれについていく貴様等も同様にこの時代には必要ない存在だ」

 

 だから殺すと、豪鬼は全員に絶殺の意志を込めた視線を向ける。

 その視線で萎縮してしまう者も居たが、自分達の優勢さを思い出し誰一人としてこの場から逃げたりはしなかった。

 ……尤も、それは。

 

「出ろ、出番だ」

 

 儚く都合の良い、願望だったのかもしれないが。

 

「っ!?」

「紫、どうしたんだ?」

「……空間の境界が、変わる?」

「えっ?」

「何かが来るわ、みんな気をつけて!!」

 

 紫が叫ぶように皆へと告げた瞬間。

 豪鬼の真横の空間が裂け、大きな口が開いた。

 

「あれって……紫のスキマにそっくりだ」

「私はスキマを開いてはいないわ、豪鬼の能力なの……?」

「いや……豪鬼にあんな能力は無い筈だよ」

「じゃああれは……」

 

 そうこうしている内に、その口から何かが降り立ってきた。

 現れたのは小さな少女、しかしその頭には捩れた二本の角が生えており……。

 

「す、萃香!?」

「…………」

 

 現れたのは、今まで姿を見せなかった伊吹萃香であった。

 それが豪鬼の声に反応して姿を現した、その事実に一同は驚愕する。

 

「萃香、アンタ……何をしているんだい!?」

「…………」

 

 勇儀が声を掛けるが、彼女からの反応は無い。

 

「無駄だ。こいつはもうオレの傀儡と化した、無駄な心も既に無い」

「傀儡、だって……!?」

「こいつは華扇と違って従わせる材料が無かった。だから心を砕き傀儡にした、ただそれだけの話だ」

 

 面倒そうに、信じ難い事を説明する豪鬼。

 心を砕いた、それはすなわち……勇儀達の知る伊吹萃香はもうこの世には居ないと同意。

 その事実に勇儀はわなわなと拳を震わせ、かつてない怒りを露わにした。

 

「貴様……自分が何をしたのかわかってるのかい!?」

「言った筈だぞ、この世は弱肉強食の理でできていると。

 この女は所詮弱者でしかなかった、ただそれだけの事ではないか?」

「こいつ……!」

「――遊びは終わりだ。萃香、全員を殺せ」

 

 豪鬼が指示を出した瞬間、萃香は動きを見せた。

 妖力を開放し、彼女は自身の能力を発動させる。

 そして――勇儀達の目の前に“巨人”が姿を現した。

 

「っ、みんな離れな!!」

 

 巨人――山のように“巨大化”した萃香を見て、すかさず勇儀は周囲の者達にそう叫んだ。

 あれは萃香の能力、【密と疎を操る能力】の応用によって生み出された戦法だ。

 己の肉体そのものを巨大化させ、元々あった鬼の怪力と巨大化した事によって増大した質量によって相手を叩き潰す、単純でありながら最も恐ろしい戦い方だ。

 単純な腕力なら勇儀が勝る、しかし今の萃香相手ではその力すらも上回れてしまう。

 

「目に映るものは全て壊せ、今のお前ならばできる筈だ」

 

 無慈悲な命令が、豪鬼から下された瞬間。

 萃香は光の無い瞳で周囲を見渡してから、巨人の腕を振るい始めた―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第37話 ~巨人の猛攻~

豪鬼を追い詰めた紫達。
しかし、豪鬼は自らの駒とした萃香を戦場へと投入する。

四天王、伊吹萃香の全力が紫達へと襲い掛かった………。


――地獄が、広がっている。

 

「うあああああっ!!?」

「きゃあああああ!!!」

 

 山に響き渡るは妖怪達の悲鳴。

 それと同時に聞こえるのは、身体を大きく揺らすほどの地響きの音。

 そして、その中心には――瞳から生気を感じられない、伊吹萃香の姿が。

 

「萃香!!」

「…………」

 

 紫が大声を張り上げても、今の萃香には届かない。

 ……既に彼女の心と意志は消えている。

 豪鬼の言葉は偽りではなかった、彼女は単純に操られているわけではない。

 本当に心を()()()()()()、伊吹萃香という存在はもうこの世には存在しない。

 どういった方法を用いたのかはわからない、だが紫には萃香の意志を感じる事ができなかった。

 今目の前で暴れている巨人は萃香ではなく、ただ豪鬼の命令に従う人形も同じ。

 ……だが、それでも。

 

「チィ――!」

「妖忌!?」

「お前の知り合いだろうが、向かってくる以上……斬らせてもらうぞ!!」

 

 言いながら妖忌は桜観剣に霊力を込めつつ、萃香に向かって突貫していく。

 二秒を待たずに込められた霊力は臨界を超え、桜観剣の刀身が大きく伸び光の剣と化す。

 

(だん)(めい)(けん)――(めい)(そう)(ざん)!!!」

 

 振るわれる必殺剣。

 大きく伸びた光の剣は、山のように大きくなった萃香すら真っ二つに斬れるほどに巨大化している。

 それが上段から振り下ろされ、萃香の命を奪う――筈であった。

 

「なに!?」

 

 驚愕の声は妖忌から。

 彼が今出せる最高の一撃は、萃香を斬る事無く――彼女の右手一本で止められてしまった。

 いくら巨大化しているとしても、いくら鬼の頑強な肉体があるとしても……彼の必殺剣がこうも容易く防がれるなど、もはや悪い夢だ。

 

「妖忌!!」

「くっ――ごあっ!!?」

 

 急いで離れようとした妖忌の身体が、萃香の左の拳を受け地面へと叩きつけられる。

 巨人の一撃は固い地面に易々と大穴を開け、その中では……全身から血を流し倒れる妖忌の姿が。

 

「こ、の……化物が……!」

 

 血を吐きつつ悪態を吐く妖忌だが、受けたダメージが大きく動く事ができない。

 

「萃香ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 妖忌に追い討ちを仕掛けようとする萃香に、今度は勇儀が迫る。

 彼女の動きに気づき、すぐさま萃香は標的を妖忌から勇儀に変更。

 

「だりゃあっ!!!」

「……っ!!?」

 

 勇儀の懇親の蹴りが、萃香の右足に叩き込まれる。

 それによりバランスを崩し、背中から地面に倒れる萃香。

 すかさず勇儀は萃香の右手付近に移動、大きくなった彼女の右腕を両手で掴みその剛力で掴み上げる。

 

「お……おおおおおおおおおおっ!!!」

「っ、っ……!?」

 

 そして、自身の十倍はあろう萃香の身体を力任せに投げ飛ばした――!

 

 爆撃めいた音を響かせながら再び地面に叩きつけられる萃香。

 山の地形が変わってしまったが、この状況ではそのような事を考えている余裕は無い。

 とにかく彼女を止めねば全滅する、そう思った勇儀は右手に妖力を込めていく。

 生半可な攻撃では彼女は止められない、かといって手加減する事はできない。

 命を奪うような事はしたくない、したくないが……殺す気でいかねば今の萃香は止められないのだ。

 

「勇儀、待って!!」

「紫、悪いけど萃香の命を考えている余裕なんか無いんだよ!!」

「わかってる。でも――」

「っ、伏せな!!!」

 

 紫の声に反応を返してしまったせいで、勇儀の攻撃が一瞬遅れてしまった。

 その間は萃香は起き上がり、勇儀……ではなく、紫目掛けて右の拳を振り下ろしてしまう。

 紫は反応できない、彼女もまた躊躇いによって萃香の攻撃が対処できないで居た。

 潰される……そう思った紫を庇うように、勇儀が前に出て。

 

「――()(じん)(ざん)()(とう)!!!」

 

 自身の妖力を込めた右の手刀で、萃香の拳を真っ向から受け止める――!

 

「きゃあ!?」

 

 衝撃と風圧が、近くに居た紫の身体を吹き飛ばした。

 

「ぐ、あぁ……!?」

「っ………」

 

 勇儀の口から苦悶の声が漏れ、萃香も表情にこそ出さないものの攻めるのを止め大きく後退する。

 

「勇儀、大丈――っ!!?」

 

 すぐさま駆け寄る紫であったが、勇儀の右腕があらぬ方向へと折れ曲がっているのを見て、絶句した。

 

「ぐ、萃香のヤツ……前よりも力が上がってる……」

「莫迦が、上がっているのではなくあれが本来の萃香の力だ」

「なんだって……!?」

 

 それは一体どういう意味なのか、勇儀と紫は上記の言葉を放った豪鬼へと視線を向ける。

 

「アイツはオレの人形になったと言っただろう、もはやアレに余分な感情など無い。

 ――故に、どんな痛みも苦しみも感じないという事だ」

 

 歪んだ笑みを浮かべ、豪鬼はそう言った。

 ……その言葉の意味を理解し、紫は再び絶句する。

 

 余分な感情など無い、痛みも苦しみも感じない。

 それは即ち、どれだけ自分の身体を痛めつけても関係ないという事。

 今の萃香は、自身の身体に襲い掛かる反動を気にせずに攻撃している、つまり……彼女の身体は今この瞬間にも壊れ始めているという事だ。

 自分の身体を省みる事ができないから、どんなに力を使おうとも関係ない。

 故に先程の攻防で勇儀は押し負けたのだ、だがそれは……。

 

「あなたは……萃香が死んでしまうというのに!!」

「それがなんだというんだ? そら、早く止めねば犠牲が増えるぞ?」

 

 言って、豪鬼は大きく後退した。

 高みの見物を決め込む気だ、その態度に煮えくり返りそうな怒りが沸いてくるが、今はそれどころではない。

 

(萃香を止めないと、でも……)

 

 今の彼女はまさしく鬼神、迂闊に攻めても返り討ちに遭うだけ。

 しかし紫にとってそんな事は重要ではない、重要なのは……。

 

「――仕方、ないね」

 

「えっ……」

「まだ豪鬼が控えてるんだ、このまま萃香を相手をしているわけにはいかないよ」

 

 言いながら、勇儀は左腕に妖力を集めていく。

 瞬く間に集まったその力は凄まじく、次の一撃が彼女の必殺の一撃になると理解できた。

 

「ま、待って勇儀!!」

 

 だが、それを萃香に放たせるわけにはいかないと、紫は勇儀を止めようとする。

 当たり前だ、彼女の次の一撃を受ければ萃香は……。

 

「紫、アンタだってあの子を助けられると思ってるわけじゃないだろ?」

「…………」

 

 その言葉に、紫は何も言えなくなる。

 

「このままあの子を放っておけば犠牲が増えるだけだ、その前に力ずくでも止める。

「だ、だけど……」

「鬼の誇りを踏みにじられたまま、豪鬼の傀儡になっているのは萃香だって我慢ならないさ。

 でもあたしじゃあの子を生きたまま止める事はできない、仕方がないんだよ!!」

 

 勇儀とて、こんな選択は選びたくはなかった。

 萃香は大切な友人、それを自らの手で討つなど……どうして選ばなければならないというのか。

 だが無理なのだ、萃香に施されたものがどんな術なのか判別する事はできないし、たとえそれがわかったとしても悠長に解除する事もできない。

 

 せめて絶鬼や沙耶がまともに戦えるのならばまだ手はあったかもしれない。

 それを望めない以上、もう――これしか手段はないのだ。

 

「…………」

 

 納得は、当然ながらできない。

 できない、が……紫はもう何も言えなくなった。

 

 ……助けられないと、わかったからだ。

 境界の力でも、萃香に施されたモノの正体が見えない。

 つまり今の自分では、彼女を救えない。

 友人である彼女を見捨てる、そんな選択は紫だって望んでいない。

 だが――現実はただただ非情なものでしかないのだ。

 

(仕方ない、のよね……)

 

 このまま萃香を放っておくわけにはいかない、ならばせめて、自分達の手で楽にさせてあげなくては。

 ごめんなさいと、紫は心の中で萃香に謝罪の言葉を送る。

 それは一種の逃げだったが、それでもそう思わずには居られなかった。

 そして、紫も勇儀と共に萃香へと向かおうとして。

 

「―――駄目だ、そんなの!!!」

 

 妖忌を助けていた龍人が、2人の前に立ちはだかった。

 

「龍人……」

「……おどきよ、龍人」

「嫌だ!!」

「仕方がないんだ。もう萃香を止めるにはこれしかない!!」

「龍人、私も勇儀もこんな選択を選びたいわけじゃない、だけど仕方のない事なのよ」

 

 現実は、夢物語とは違うのだ。

 助けられない命だってある、どんなに願ってもだ。

 仕方ないと、割り切らなければならない時だってあると、紫は優しく龍人にそう言って。

 

「――――けんな」

「えっ……?」

「――ふざけんな!!」

 

 初めて、彼から怒りに満ち溢れた怒声を放たれてしまった。

 

「龍、人……?」

「仕方ない? 割り切らなければならない時だってある? そんな理由で萃香を殺すっていうのかよ!?」

「っ、私達だってそんな事はしたくないわ!! でも今の萃香を止めるにはこれしかないの!!」

「龍人、アンタがそこまでして萃香を救おうとしてくれてるのは嬉しいよ、でもね……アンタはもう少し現実を見た方がいい。このままじゃ他の連中が萃香に殺されちまうんだ、同胞殺しをあの子にさせろっていうのかい?」

「そうじゃない、だけど俺は絶対に認めないぞ!!」

「龍人、いい加減に――――」

 

 

「――助けられる命を見捨てる理由に、“仕方ない”なんて使うな!!!」

 

 

『――――』

 

 その、言葉で。

 紫も勇儀も、その場で立ち尽くす事しかできなくなった。

 

「助けたいと思ったのなら、最後の最後まで諦めるなんてしていいわけがないんだ!! 俺は、絶対に諦めないぞ!!」

「…………龍人」

「……だったら、何か方法があるっていうのかい?」

「…………」

「方法が無いのにそんな甘い事をぬかしたのか。

 ――お前さんは甘過ぎるんだ、叫べばなんとかなるわけじゃない」

 

 そう、彼女の言っている事は正しい。

 龍人のそれは理想論、思うだけでは現実は変わらない。

 だから紫も、龍人の言葉には頷けなかった。

 ……だけど。

 

―――助けられる命を見捨てる理由に、“仕方ない”なんて使うな!!!

 

 この言葉が、頭から離れない。

 まるで刃のように、彼の言葉が紫の心に突き刺さっていく。

 理想論でしかない子供の叫び、現実を知らぬ愚か者の願いでしかないのに何故。

 

――何故、そう思う度に胸が痛むのか。

 

 自分には萃香を助けられない、救えない。

 それはわかりきった自明の理、現実はただただ現実しか与えないのだ。

 

―――俺は、絶対に諦めないぞ!!!

 

「…………」

 

 現実を見る事ができない者は、愚か者でしかない。

 助けられない命を助けようとするなど、間違っている。

 

(…………だけど)

 

 それを心から願える龍人は、紫にとって眩しく映った。

 愚かでしかない筈なのに、尊いように見えたのだ。

 

――その願いを守ってあげたいと、叶えてあげたいと。

 

――当たり前のように、気がつくと紫はそう思っていた。

 

(違う、私は……)

 

 気がつくと、ではない。

 自分はずっと、彼のこういった真っ直ぐな願いを守りたいと思っていた。

 甘過ぎる、子供のような彼の願い。

 それが紫にとって……ずっと闇の中で生きてきた彼女にとって、光のように眩く綺麗だったから。

 そんな願いを抱ける彼を変えたくないと、守りたいと思ったのだ。

 そして、自分も本当は。

 

(……私は)

 

 何を望む?

 何を願う?

 ……答えは、判りきっている。

 

「私だって……」

 

 できるのならば救いたいと、助けたいと思っている。

 当たり前だ、萃香は紫にとって大切な友人の1人。

 そんな彼女を、どうして見捨てられるというのか。

 ……ならばどうする?

 思いだけでは萃香は救えない、明確な手段が無ければ彼女を止める事は。

 

「…………」

 

 違う、手が無いわけじゃない。

 手段はある、この方法を用いれば……きっと萃香は元に戻る。

 最初から紫は見つけていた、彼女を救う手立てを思いついていた。

 だけど、それは……手段と呼ぶにはあまりにも。

 

(でも、これしかない……私の能力を、“開放”させれば……)

 

 能力開放、それは彼女が持つ【境界を操る能力】を限界まで使用可能にする、謂わば奥の手だ。

 前々から使えたわけではない、だがあの時――下賎な行いをした鬼達に対し怒りと憎しみを抱き支配されそうになった時、紫はこの技術を習得した。

 これを用いれば、自分よりも上位の存在の境界も自由に扱う事ができる、萃香を操っている術も文字通り消し去る事ができる。

 

 ……だが、力というのには必ず“代償”が存在する。

 能力開放は諸刃の剣、文字通り無敵となるが……心がそれに追いつかない。

 使えば死ぬ、肉体ではなく心が。

 それがわかっていて、どうして使おうという気になるというのか。

 

 暴走したあの時、紫の心は自分の能力に呑み込まれそうになった。

 龍人の声が、彼の温もりが無ければ戻れなかった。否、あの時戻れたのは単なる偶然が重なった結果に過ぎない。

 自分の能力はそれだけ凄まじく恐ろしいものだ、それを御しうる事は今の紫にはできず……その状態のまま開放すれば、今度こそ戻れない。

 心は呑み込まれ、ただただ破壊を繰り返す怪物に成り下がるだけ。

 自分自身も、彼の事も忘れてしまう……それが、紫には恐ろしかった。

 

――でも、それでも。

 

「――――龍人」

「紫……」

 

 それでも、紫は自分の心にこれ以上嘘を吐きたくなかった。

 彼の名を呼び、そっと……右手を差し出し、彼の左手を握り締める。

 

「お願い。暫くこのままで居させて……萃香を救うために」

「紫、アンタまで……」

「勇儀、お願い。私と龍人を信じてほしい」

「…………」

 

 強い眼差し、紫の金の瞳の中に確かな決意の色が見受けられた。

 そんな眼差しを向けられてしまい、勇儀は苦々しい顔になるだけでそれ以上何も言わなかった。

 自分を信じてくれた勇儀に感謝しつつ、紫は龍人の手を強く握り締める。

 すると、彼の方も握り返してくれて…視線を向けると、彼は優しく微笑んでくれた。

 

「――ありがとう、龍人」

 

 それだけで、たったそれだけで紫の心から迷いが消えた。

 胸の内にあるのはただ一つ、望まぬ暴走を続ける萃香を止めるという思いだけ。

 恐怖はこの場に置いていき、紫は一度祈るように目を閉じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あら、こんなに早くここに来れたの? “入口”は開いたとはいえ、早過ぎるくらいね。こんなの初めてじゃないかしら?」

「……………………え?」

 

 能力を開放した瞬間、そんな声が聞こえ。

 紫は、見知らぬ場所で立ち尽くしてしまっていた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第38話 ~能力開放、そして決着の時~

萃香を救うため、己の能力を全開まで開放する紫。
すると、彼女は不可思議な空間へと迷い込む………。


「………………えっ?」

 

 目の前に広がる空間を見て、紫は目を見開いたまま固まってしまった。

 漆黒の空間、地面すら見えず自分が浮いているのか立っているのかもわからない。

 その空間の周りには数え切れぬほどの扉が浮かび、同じく数え切れぬほどの巨大な瞳が周囲に浮かびながら、紫を見つめている。

 一体此処はどこなのか、何故自分はこのような場所に居るのか。

 呆然とする紫に、何処か聞き慣れた声が語りかける。

 

「こんにちは、それともこんばんは? それとも……おはようございますかしら?」

「えっ……」

 

 そこで紫は漸く気づく、自分の目の前に誰かが立っている事に。

 だがそれに気づいた瞬間、彼女の思考は再び凍り付いてしまった。

 しかしそれも無理からぬ事だ、何故なら紫の目の前に立っているのは……。

 

「わ、私…………!?」

 

 そう、紫の目の前に立っているのは……自分自身だったのだから。

 背丈も、服装も、髪も、何もかもが自分と同じ。

 違う点と言えば、紫が金の瞳に対し……目の前の女性の瞳は血よりも赤黒く恐ろしい目をしている事ぐらいか。

 

「挨拶も返せないだなんて、お姉さん悲しいですわー」

 

 肩を竦め、小馬鹿にするような口調でそんな事を言う女性。

 

「あ、あなたは……?」

 

 挑発ともとれるその態度に苛立ちすら抱く余裕のない紫は、上記の問いかけをするので精一杯だった。

 そんな彼女の態度が愉快なのか、女性はくすくすと笑ってから言葉を返す。

 

「ここは“境界の地”、貴女“達”がいずれ辿り着く場所であり同時に始まりの場所……でも、今回は今までで一番早かったわね」

「…………?」

「この間の暴走で入口の扉は開いていたのだけど、少なく見積もってもあと七百年程はここに到達する事はできないと思っていたのに……」

「な、何を……」

 

「理解しなくてもいいわよ、理解できないでしょうしいずれ判る事だから。

 さて……それで、貴女の望みは一体何なのかしら?」

「えっ?」

「ここに来れたという事は、貴女は自分の力である【境界を操る力】を際限無く使用できるようになった。この力はあらゆる存在に干渉し支配できる力、貴女はこれを使って一体どんな望みを叶えるのかしら?」

「…………」

 

 正直、紫は今のこの状況を理解できていない。

 だが不思議と……ここは安心できた。

 理由はわからない、けれど警戒する必要はないと自分自身が訴えている。

 そして同時に、女性の問いには答えなければならないという強迫観念じみたものが彼女の中で生まれ、だから――紫はしっかりと女性を見据えて、自らの思いを口にする。

 

「――自分の力を際限無く使えるようになったというのなら、友人である萃香を助けるわ」

「…………」

 

 紫の問いに、女性からの反応は無い。

 だが、その瞳には僅かな驚愕と……ほんの少しの呆れが見え隠れしていた。

 しかし紫は動じない、心の何処かでこのような反応が返ってくるであろうと思っていたからだ。

 

 それから数十秒、互いに何も話さず沈黙が続き……先に口を開いたのは、女性の方であった。

 

「それだけの力がありながら、他者を救うために使うというの?」

「ええ、そうよ。少なくとも今の私の望みは……」

「誰かの為に、などという行為は愚行でしかない。それを理解しているのに何故それを望むのかしら?」

「否定はしないわ。だけど……損得勘定だけを考えて動くのは、虚しい生き方だと思っただけよ」

 

「“彼”に影響されたのかしら?」

「…………」

 

 何故それを、という疑問は浮かばなかった。

 目の前の女性が何者なのかはわからない、だが紫は自然と女性が自分の事を知り尽くしていると当たり前のように理解できた。

 だから女性が彼の事を知っているのに疑問を抱く事はしなかったし、自分の心中を悟られる事にも抵抗感を抱く事はなかった。

 

「……彼の考え方はいずれ自身を滅ぼす、それがわかっていながら彼と同じ道を歩むというのかしら?」

「…………」

「貴女は知っている。誰かの為に動くなど愚かでしかないと、物事と現実は簡単なものではないと。

 今までの人生でもうそれは理解できているでしょう? だというのにどうして自ら無意味な道を選択するのかしら?」

 

 淡々と、真実だけを口にする女性。

 ……それを否定する事は、紫にはできない。

 何故ならそれは全て正しい言葉だからだ、龍人達と出会う前に……紫は嫌というほどに現実を見てきたのだから。

 

「彼は妖怪だけでなく、人間や妖精……あらゆる生物に手を差し伸べようとするわ。でもその先に待っているのは感謝ではなく、彼に対する恐れと拒絶だけ。

 今はまだ幼い彼だけど、これから成長すれば(りゅう)(じん)としての力を覚醒させ、その力を恐れる者達が多く現れる」

「…………そうね。それは正しいわ」

「そうなれば彼は悲しみの海に溺れ、自らの存在意義を失い自身を呪っていく。そんな未来しか存在しないのよ、彼が自らの考え方を変えない限り」

「……そうかもしれないわ」

 

 紫は否定しない、否定できない。

 彼を受け入れない者達が、他ならぬ彼の心を傷つけ破滅させていく。

 そんな未来がいずれ訪れる事など、今の紫にだって容易に想像できた。

 

 だから、本来ならば自分は龍人の今の考え方――誰かの為に自分自身を懸けてまで救うという行為を止めなくてはならないだろう。

 それはわかっている、だが…………()()()()

 

「――――それでも、私は彼に自分自身を貫いてほしいと思っているわ」

 

 自らの願いだけは、裏切りたくなかった。

 

「…………」

「それにね、龍人は1人じゃないもの。たとえどんな事があっても私が彼の傍に居る。

 彼がどんなに困難な道に歩もうとも、私は最後まで彼の傍に居て彼を支えてみせるわ」

 

 それが、紫の今の一番の願い。

 今は亡き龍哉から頼まれたからではない、彼女自身が自分で決めた願いだ。

 非情で悲しい現実を見てきたからこそ、彼のような考え方を持つ者を無くしたくはない。

 きっと彼はその現実すら変えてくれると思えたから、紫は彼の生き方を止めたくはなかった。

 

「…………いずれ、後悔するかもしれないわよ?」

「未来の事はわからないわ。ただ今は……」

 

「――能力開放は諸刃の剣、使用すれば自分自身を蝕むから気をつけなさい」

 

「えっ……?」

「一度暴走した貴女なら今の言葉の意味を理解できる筈よ、能力を開放させれば自分より上位の存在の境界にすら干渉できるけど……その代償は大きいわ。――それだけは忘れないように。わかったわね?」

 

 視界が、歪んでいく。

 

「――さて、今回の貴女は一体どれだけその悲しい願いを貫けるかしら?」

「待って……!」

 

 手を伸ばす。

 その言葉の意味は何なのか、問い質したくて紫は手を伸ばした。

 だがその手は女性に届く事はなく、紫はそのまま意識を手放して――

 

「――――紫!!」

「――――」

 

 龍人の声が聞こえ、彼女は現実へと帰還した。

 

「…………龍人」

「紫、お前……目が」

「目?」

「目が……赤黒くなって……」

「…………大丈夫よ、龍人」

 

 安心させるように言ってから、紫は視線を萃香へと向ける。

 そして能力を発動させ――紫は自らの変化に気がついた。

 

(…………見える)

 

 先程まで見えなかった萃香の境界が、呆気なく簡単に見えるようになっていた。

 それだけではない、自らの内から感じられる妖力の量も今までとは比べものにならないほど増大している。

 

(この力が……)

 

 能力開放の恩恵は、紫の想像以上の代物だったようだ。

 ……しかし、その恩恵にいつまでも甘えている余裕は存在していない。

 

「っ、…………」

 

 自分の中で、何かが軋みを上げている。

 能力開放による代償、それは己自身の“全て”だ。

 秒単位で八雲紫という存在そのものが壊れていくような感覚は、気味が悪いなどという表現では追いつかない程の絶大な不快感を彼女に与え続けている。

 時間は掛けられない、紫はその不快感と戦いながら萃香の境界へと意識を集中させた。

 

 萃香の身体に赤黒い靄のようなものが纏わりついている。

 それこそが萃香の精神を蝕み彼女を傀儡としている術の境界、能力解放により紫には完全にそれが見えていた。

 

「ぁ、ぅ……」

 

 だが――見えた瞬間、紫の身体を蝕む代償が本格的に牙を向け始める。

 能力開放は諸刃の剣だと女性は言った、これ以上開放を続ければ……紫自身が消えてなくなる。

 

(ま、だ……!)

 

 少しでも気を抜けば跡形も無く消えてしまう。

 そんな不快感と恐怖に襲われながらも、紫は左手を萃香に向けて翳し出した。

 

(萃香、今……その呪縛から開放してあげるわ!!)

 

 大丈夫、自分は決して消えたりしない。

 萃香を助けると誓ったのだし、何よりも……右手には、彼の温もりがある。

 

――ならば、どんなものにだって負けたりしない!!!

 

「っ、ガ……ッ!?」

「えっ……!?」

 

 紫が翳していた左手を閉じた瞬間、萃香の口からくぐもった声が放たれた。

 そして萃香の動きが止まり……彼女の身体が、元の大きさまで戻っていった。

 

「なに……っ!?」

 

 傍観していた豪鬼の声から、驚愕の声が放たれる。

 

「紫、やったのか……!?」

「え、ええ…………ぐっ」

 

 凄まじい頭痛が紫を襲い、たまらず彼女はその場で膝を付いてしまった。

 だが成功した、萃香を蝕んでいたモノの境界は消し去る事ができたから、もう彼女は大丈夫だ。

 

「女ぁ……一体、何をした!!!」

「っ……!?」

 

 怒りに満ち溢れた形相で、紫達に迫る豪鬼。

 

「はぁぁっ!!!」

「ぬうぅ……!?」

 

 だが、豪鬼の前に勇儀が立ちふさがり、彼女の拳が彼の身体を吹き飛ばした。

 

「勇儀……」

「……紫、萃香は……もう大丈夫なのかい?」

「ええ、彼女を蝕んでいたモノは消滅できたわ……」

「………………すまないねえ」

 

 感謝と同時に、勇儀は己の弱さに怒りすら覚えた。

 ……自分は諦めてしまった、友人である萃香を助けるという道を捨ててしまった。

 だというのに、自分より遥かに子供でありまだ己の能力すらまともに扱えぬ紫が、その道を決して諦めようとしなかった。

 紫だけではない、龍人も決して諦めず……そして、願いは現実のものとなった。

 それに比べて自分はなんて情けないのだろう、鬼という種族でありながら友1人救えないというのか?

 

「勇儀ぃぃぃぃぃぃぃ……!」

「…………」

 

 いや、それは決して違う。

 もう諦めるなどという選択肢は選ばない。

 紫達は萃香を助ける道を諦めなかった、ならば自分にできる事は……そんな2人を命を懸けて守る事。

 

「豪鬼、お前さんはもう終わりだよ!!」

「萃香を止めたぐらいで、勝った気でいるなよ勇儀!! オレに勝てると思っているのか!?」

「勝たなくちゃいけないんだよ……もうこれ以上、お前さんの好きにはさせない!!!」

 

 

 

 

 大地が、悲鳴を上げていく。

 豪鬼と勇儀の凄まじい拳の応酬により、地響きと衝撃が山全体を軋ませていた。

 ……周囲の誰もが、その中に入る事ができない。

 それほどまでに両者の戦いは凄まじく、けれど――誰もが勝敗を理解せざるおえなかった。

 

「――負けるな。勇儀は」

「えっ……!?」

 

 紫と妖忌と萃香を連れ、絶鬼達の元まで避難してきた龍人は、絶鬼の言葉を聞き驚愕した。

 

「確かに今の所は互角だが、元々豪鬼と勇儀の力の差は歴然じゃ。このままでは勇儀は勝てん」

「そ、そんな……! で、でしたらすぐに援護を!!」

 

 龍人と同じく絶鬼の言葉を聞いた文が、すぐさま援護しようとするが。

 

「よせ文、お前程度の攻撃など豪鬼には効かん」

 

 そんな彼女を、沙耶が厳しい口調で止めてしまう。

 

「ですが天魔様……!」

「お前の気持ちも判る。しかし力無き者が介入した所で無意味でしかないのだ」

「……っ」

 

 それは事実だ、文とて沙耶の言っている事は理解できた。

 理解できたが……今の文にとってその言葉は、酷く不快に思えてしまう。

 

「――文、豪鬼の足止めできるか?」

「えっ?」

 

 龍人がそう言った瞬間、彼を中心に凄まじい突風が吹き荒れ始める。

 この現象を文は知っている、地下牢で絶鬼達を出そうとした際の現象とまったく同じ。

 

「龍人、まさか貴方また……!」

 

 いまだに続く頭痛に顔をしかめながらも、紫は龍人が放とうとしている技に気づき、声を荒げた。

 

「あいつに生半可な攻撃は効かないんだろ? だったら……こいつしかねえ」

「よしなさい。一度だけでも相当な負担なのに、二度も放ったら貴方の身体がどうなるか……」

 

 そこまで言いかけて、紫は言葉を切った。

 ……違う、彼は制止の言葉など望んではいない。

 それに自分は龍人に自分自身を貫いていってほしいと願ったではないか。

 ならば自分のすべき事は彼を止めることではない、そう判断した紫は絶鬼達にある願いを告げた。

 

「――星熊絶鬼、天魔、どうか龍人に力を貸してあげて」

「なんだと……?」

「力の殆どが使えないといっても、このまま何もしないなんて大妖怪として恥ずかしいでしょう?

 今の自分にできる事を……望む事をやり遂げる、少なくとも龍人と文はそれがわかっているから行動に移ろうと思ったのよ?」

「…………」

 

「龍人、決して無理はしないで?」

「大丈夫だ、俺を信じろ!!!」

「ええ、勿論」

 

 いつだって、信じている。

 だから紫はもう龍人を止めたりしない、彼の望みを叶えさせたいから。

 

「…………文、わたしの合図に合わせて己の力を解放しろ」

「天魔様……」

「このような小娘にここまで言われて、何もしないわけにはいかん。それに……わたしだって、お前と同じ気持ちなのだからな」

「……はい!!!」

 

「――龍人、ワシの力でお前を豪鬼に向かって投げ飛ばす。その勢いのまま豪鬼にお前の一撃を叩き込んでやるんじゃ」

「絶鬼のじいちゃん、頼む!!」

「任せろ。――頼むぞ、龍人」

 

 龍人に向けて、両手を翳す絶鬼。

 すると、ふわりと龍人の身体が浮かび上がった。

 

「――この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき、噛み砕く!!!」

 

 力ある言葉が放たれる、だが……。

 

「っ、ぐ……!」

 

 思うように【龍気】が収束しない、そればかりか激痛が龍人の身体を襲い掛かった。

 既に彼は一度龍爪撃(ドラゴンクロー)を放っている、まだその反動が残っているのだ。

 

「く、そ……!」

 

 これでは放てない、しかし悠長にしていれば勇儀が……。

 

「任せてください、龍人さん!!」

「文……!」

「私と天魔様で、足止めをしてみせます!!」

「――今だ、文!!!」

「はい!!!」

 

 勇儀と豪鬼の距離が一度離れた瞬間を、沙耶は決して見逃さなかった。

 刹那、沙耶と文は同時に己の全妖力を解放、それは荒れ狂う竜巻へと変わり――豪鬼を包み込んだ。

 

「うお……っ!?」

「限界まで高圧縮させた竜巻だ……豪鬼、いくらお前とて逃げられんぞ!!」

「馬鹿が……こんなもの、足止め程度にしかならねえんだよ!! 天狗の長も地に堕ちたな!!」

「ふん。否定はしないさ、だが今回は……あの小僧に任せるしかあるまい」

「何…………っ!?」

 

 そこで豪鬼は、漸く気づく。

 自分を見据える龍人の強い眼差しと、彼の右腕に集まる凄まじい力に。

 勇儀との戦いで周囲に意識を向けられなかったが故に、豪鬼は龍人の一手に気づけなかった。

 そして、彼に集まる力は自分を打倒できると理解できたが――その理解はあまりに遅すぎる。

 

「――じいちゃん、今だあああああっ!!!」

「ぬおおおおおおおおおっ!!!」

 

 裂帛の気合を込めて、絶鬼は龍人を豪鬼に向けて文字通り()()()()()

 その速度はまさしく光の如し、そして………。

 

「くらえ!! ――龍爪撃(ドラゴンクロー)!!!」

 

 神速の速度すら力に変えて、龍人は必殺の一手を豪鬼へと叩きつける――!

 

「が、ご、ぁぁぁぁ……っ!!?」

 

 その一撃をまともに受け、豪鬼は血反吐を撒き散らしながら吹き飛んでいく。

 更に豪鬼の身体から破裂音が響き、龍爪撃(ドラゴンクロー)を受けた腹部が弾け飛び、彼の身体が二つに分かれながら地面に勢いよく叩きつけられる。

 

「……が、ぎ、ざま……!」

「なっ――」

 

 だが、それでも彼は生きていた。

 身体を二つに分けられても、彼が龍人に向ける目は――絶殺の意志が込められている。

 

「ごぶ……っ、な、何故……オレが、こんな、小僧に……」

「…………」

「お、オレ、は……鬼、だぞ………! なのに、こんな、ガキにぃぃぃ……!!」

「ぁ…………」

 

 おもわず、龍人は全身を震わせてしまう。

 豪鬼のそのあまりに恐ろしい瞳に、彼は生まれて初めて恐怖に身体を支配されてしまった。

 もう相手は動かない、命の灯火は今にも尽きそうになっている。

 でも、それがわかっても龍人は恐怖心を抱かずにはいられなかった。

 

「――見るな、龍人」

「ぁ……絶鬼の、じいちゃん……」

 

 そっと、絶鬼が龍人の前に出て豪鬼の視線を遮る。

 それにより、漸く龍人は身体の震えを止めさせる事ができた。

 

「豪鬼よ、お前は誰も信じずたった1人で戦った。だから、力を合わせたこの子らに勝てなかったのだ」

「ふざ、けるなぁぁ……! そんな事で、このオレが、負けた、などど……」

「鬼という種族は確かに妖怪全体から見れば優れた力を持っているだろう、じゃがそれだけでは駄目なのだ。ワシも昔はお前と同じ考えを持っていた、自分1人でも全てを支配できると信じて疑わなかった。しかしな……それはとても虚しく何も残らぬ道なのだ」

 

 お前にも、それをわかってほしかった。

 そう豪鬼に告げる絶鬼の声は、ひどく弱々しく……悲しいものだった。

 

「オレは、鬼だ……人間も、妖怪も、等しく支配する力を、持っ……た……」

「…………」

 

 それ以上、豪鬼の口から言葉が放たれる事はなかった。

 ……その意味を理解し、絶鬼はぽつりと呟きを零す。

 

「――力だけでは無駄な争いを生むだけじゃ。それだけを信じて歩んできたからこそ……今の人間と妖怪の関係を生み出してしまった。

 豪鬼、過ちを繰り返してはならんのだ……何故、それがわからぬ」

 

 物言わぬ息子に、絶鬼は独白する。

 しかし、その言葉が豪鬼に届く事は……もう、二度とない。

 

 

 

 

To.Be.Contiued...




楽しんでいただけたでしょうか?
第三章ももうすぐ終わりになります、最後までお付き合いしてくださると嬉しいです。


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第39話 ~山の宴~

豪鬼を倒し、戦いを終わらせた紫達。
傷つき疲れ果てた彼女達に待っていたのは、勝利を祝う宴であった……。


――妖怪の山が、喧騒に包まれている。

 

 山の頂上近くに存在する、鬼達の里。

 その中で、妖怪の山に暮らす天狗や河童、鬼といった妖怪達が大騒ぎをしていた。

 ある者は浴びるように酒を飲み、ある者はただひたすらに騒ぎ立ち……しかしその誰もが、その顔から笑みを零し心から宴を楽しんでいる。

 

「――ふむ、旨い」

「けほっ……これは酒というより、毒ね」

 

 咳き込みながら、鬼の酒を飲み感想を呟く紫。

 その隣で巨大な盃に入った酒を飲み干した絶鬼が、紫の感想を聞き口元に笑みを浮かべる。

 

「小娘には、まだこの酒の旨さがわからぬか」

「限度というものがあるのよ。ただ強いだけの酒なんて毒と同じじゃない」

「カッカッカ、子供よのう」

 

 豪快に笑う絶鬼、右手に持つ盃には既に新たな酒が注がれている。

 既に常人の数十、いや数百倍もの量を飲んだというのに、まるで酔った様子を見せない絶鬼。

 酒豪として知られる鬼の中でも規格外だ、肩を竦めつつ紫は別の酒を手に取った。

 

「お主には、それぐらいがちょうどいいじゃろうて」

「これでも充分強い酒だと思うけどね」

 

 鬼や天狗の作る酒は、人間が作る酒とは比べ物にならないほどに強いものだ。

 妖怪が飲むのだから当たり前かもしれないが、まだ妖怪として若い紫にはやや強すぎる。

 

「うおーい紫ー、飲んでるかー?」

 

 陽気な声で紫へと擦り寄るのは、萃香。

 既に出来上がっているようで、頬だけでなく顔全体に赤みを帯びている。

 

「萃香、気持ちはわかるけど飲み過ぎてまた巨大化しないでね?」

「細かい事気にするなよ華扇! 本当にお前さんは頭が固い鬼だねえ」

 

 そんな事を話しながらやってきた華扇と勇儀の手には、鬼特製の酒が入った盃(しかも一升枡である)が握られていた。

 ……場が一気に酒臭くなった、自然と紫の表情が苦々しいものに変わる。

 

「あなた達の尻拭いをさせられれば、嫌でも細かくなるわよ」

「うへえ、藪蛇……」

「……それにしても、山の宴というのは本当に騒がしいのね」

 

 よくもまあここまで騒げるものだと、逆に感心してしまうほどだ。

 

「騒ぐのは当然さ。――この戦いで死んでいった者達の、弔いも兼ねているんだからさ」

「…………」

「不謹慎かい?」

「いいえ。あなた達にとってこれが正しいものなのでしょう?」

 

 死んだ者達が、楽しい気分のままあの世へと旅立てるように、騒ぎに騒ぎ立てる。

 それもまた一つの弔いの形、それがわかるから紫とてこの宴を楽しもうとしていた。

 

「ところで、龍人は何処へ行ったんだい?」

 

 一緒に飲もうと思ってるんだけどねー、そう呟きつつキョロキョロと視線を泳がせる萃香。

 と、彼女はすぐさま龍人の姿を見つけたのだが……。

 

「ありゃ……なんだいあれは?」

 

 彼の置かれている状況を見て、苦笑を浮かべた。

 

――龍人が、沢山の天狗達に囲まれている。

 

 その中心で、一心不乱に料理を食べ続けている龍人。

 そんな彼に、周りの天狗達は彼に向かって何かを話しかけている。

 一体何を話しているのだろう、気になった紫達は聞き耳を立てようとして。

 

「――だーっ、もう! 落ち着いて食えないって!!」

 

 立ち上がり、逃げるようにその場を離れ紫達の元へと駆け寄ってきた。

 

「ったく……」

「龍人、どうしたの?」

「人がせっかく美味いもん食ってんのに、あいつら色々と煩いんだ」

 

 不満げにそう言いながら、紫達の所にあった料理を食べていく龍人。

 彼にしては珍しい態度だ、一体どんな事を言われたのか余計に気になった。

 

「一体何を言われたの?」

「それがさ。「うちの娘を貰ってはくれないか?」とか意味がわかんない事を口々に言ってくるんだ、本当に何なんだよ」

「…………」

 

 龍人の言葉を聞いた瞬間、紫はおもわず未だに遠目から龍人を見ている天狗達を睨みつけた。

 

「成る程ねえ……まああの戦いで龍人が半妖とは思えない力を持っているってわかったし、何より(りゅう)(じん)の血も引いてるんだ。強い子孫を残すために、子種を得たいって魂胆だろうね」

「こ、子種……」

 

 勇儀のストレートな物言いに、頬を赤らめる紫。

 

「おや? 言葉を聞いただけで顔を赤らめるなんて初々しい反応だね、もしかして経験が無いのかい?」

「あ、あるわけないでしょう!」

「こいつは意外だ。てっきり龍人と()()()()()経験をしているかと思ったんだけどねえ」

「っ」

 

 キッと勇儀を睨みつける紫だが、彼女はからからと笑うのみ。

 当たり前だ、先程よりも頬を赤らめた状態で睨まれた所で恐ろしいどころか微笑ましいだけなのだから笑ってしまうのも当然であった。

 

「って事は……龍人も経験がないのかい?」

「んぐ……経験って、何のだ?」

「……これはまた。お前さんもう十五なんだろう? 本当にわからないのかい?」

「だから、何がだよ?」

 

 訝しげな視線を向ける龍人に、勇儀は苦笑しつつ肩を竦める。

 どうやら本当にわからないらしい、珍しい事もあるものだ。

 ……これはからかい甲斐がありそうだ、口元にいやーな笑みを浮かべる勇儀。

 

「そうかそうか……だったら龍人、あたしが手取り足取り教えてあげようか?」

「えっ?」

「ちょ、ちょっと勇儀!!」

 

「いいぞいいぞー、なんだったら私も一緒に教えてあげようかー?」

「萃香まで、何を言っているの!!」

「そ、そうよ勇儀、萃香。そ、そういった事は好き合った者同士で行う神聖な……」

「華扇。そんなんだからアンタは百年以上経っても生娘のままなんだよ」

「ぐっ……!」

 

 痛い所を突かれたのか、押し黙る華扇。

 

「絶鬼、見てないでこの酔っ払い達を止めて頂戴!」

「いいじゃないか。龍人も十五なのだろう? そろそろ女を抱く悦びを経験してもいい頃だ」

「…………」

 

 なんだか頭が痛くなってきた、両手で頭を抱えたくなった紫だったが、今はそれどころではない。

 

「教えるって、何を教えてくれるんだ?」

「決まってるだろう? ……今まで経験した事のない悦びさ」

「優しくしてあげるよ龍人、だから安心して……私達に身を任せてね?」

 

 そうこうしている内に、勇儀と萃香が少しずつ龍人ににじり寄っている。

 あの目は本気だ、酔っ払っているからなのかそうでないのかはわからないが、彼女達は本気で龍人と行為に及ぼうとしている。

 それがわかった瞬間、紫の脳裏に明確な怒りが沸き上がった。

 その理由が何なのか考察する前に、彼女は龍人の手を掴み無理矢理立たせる。

 

「おおっ?」

「龍人、行くわよ」

「行くって……おわあっ!?」

 

 彼の言葉を待たず、紫は素早く彼を連れてこの場を後にする。

 後ろから勇儀達の声が聞こえたが、今はその声がひどく煩わしいと思い無視した。

 

「……おやおや、恐いねえ」

「勇儀、萃香、からかいが過ぎるわよ?」

 

 紫の怒りを感じ取ったのか、やや強い口調で苦言を放つ華扇。

 萃香はごめんごめんとあまり反省の色が見られない謝罪の言葉を放ったが、勇儀は黙って手に持っていた盃を口に付ける。

 

「勇儀、まさか本気だったのか?」

「…………さて、ね」

 

 絶鬼の問いに曖昧に答えつつ、勇儀はふっと笑う。

 ……その笑みは、何処か残念そうに見える笑みだった。

 

 

 

 

「――おい、紫ってば!!」

「…………」

 

 すぐ後ろで、龍人の声が聞こえる。

 だが今の紫にはその声に応える余裕が無い、彼の声を無視して歩を進め続けた。

 やがて宴の席から離れ、喧騒が遠くから聞こえるぐらいまで離れてから……紫は漸くその足を止めた。

 視線を後ろに居る龍人へと向けると、やはりというか彼の表情は不満げなものに変わっていた。

 

「……ごめんなさい、龍人」

「どうしたんだよ? まだ食ってる最中だったのにさ」

「…………ごめんなさい」

 

 一体、どうしてしまったのだろう、自分で自分の行動が理解できない。

 ただあの時、無性に腹が立ったのだ。

 龍人に妖艶な笑みを浮かべながら寄っていく勇儀達も、自分が何をされようかわかっていない龍人も。

 けれどその理由がわからなかった、どうして自分はあそこまで腹立たしいと思ったのか……。

 

「もう戻ろうぜ? まだ食い足りないし」

「あ……」

 

 足早に戻ろうとする龍人、それを紫は……無意識の内に右手を伸ばし彼の服を掴んで止めてしまった。

 

「紫?」

「…………」

 

 訝しげな視線を向けてくる龍人、ほんの少しだけ怒っているように見えた。

 しかしそれも仕方ない事だろう、彼にとって今の紫の行動は理解できないのだから。

 対する紫も自分が何をしているのか、何をしたいのか理解できなかった。

 ただ……龍人に、あの場には戻ってほしくないと思っているという事だけは、理解できた。

 ……少しだけでいいから、2人で静かに時を過ごしたいと思ったのだ。

 

「……今日の紫、なんだか変だな」

「…………」

「……ま、いっか」

 

 そう言って、龍人は紫の手を掴んで近くの岩場へと座り込む。

 

「メシは後で食えばいいし、話でもしようぜ?」

「龍人……」

 

 ほら早く座れよ、急かされ彼の隣に座り込む紫。

 何気なく空を見上げると、星々が優しく地上を照らしていた。

 

「綺麗だなー……」

「遮るものが少ないからでしょうね」

 

 今にも零れ落ちそうな、満天の星空。

 宴の喧騒は遥か遠く、程よい静寂が紫を包む。

 

「…………」

 

 隣には龍人、そしてこの静寂。

 それが、紫にはただ心地良く……幸せだと思えるものだった。

 

「紫、これからどうする?」

「えっ?」

「ほら、妖怪の山での用事は済ませただろ? 次は何処へ行こうか?」

「ああ……そういう事ね。というか、まだ妖忌の用事が終わってないでしょう?」

「あ」

 

 今思い出した、そう言わんばかりの龍人の反応に苦笑してしまう紫。

 彼が聞いたらきっと怒るだろう、ちょっと見てみたいと思ってしまった。

 

「まあ妖忌の用事が終わった後は……どうしようかしら」

 

 正直、考えてはいない。

 一度幻想郷に戻って今回の事を阿一に話してあげようとは思っているものの、その後の行動はまだ決めていなかった。

 

「龍人はどうするつもりなの? 共に戦ってくれる仲間を捜すつもりでしょうけど……」

「うん、そう思ってたんだけど……暫くは、やめておく」

「えっ?」

「……今回の事で、自分が思ってる以上に弱いことがわかった。このまま外に旅へ出たらきっと通用しない、だからもう少し力をつけてから仲間を捜そうと思ったんだ」

 

 右手で握り拳を作りながら、龍人は言う。

 ……確かにと、紫は彼の言い分を理解できた。

 世界は広い、様々な妖怪が存在しその中には大妖怪と呼ばれる存在がおり……はっきり言って、今の自分達では到底敵わない。

 それに今はおとなしいが人狼族の事もある、一度立ち止まるという選択も一つの手だ。

 

「そうね……私もその方がいいと思うわ」

「紫はどうする?」

「私は貴方についていくわ。力が無ければ生き残る事はできないでしょうし」

「そっか! じゃあ、これからも一緒に居られるんだな!!」

「…………」

 

 本当に嬉しそうに笑いながら、龍人は上記の言葉を口にした。

 それに「そうね」と短く返しながら、紫は彼から顔を逸らした。

 ……顔が熱い、きっと頬は赤みを帯びているだろう。

 あんなに純粋な顔であんな事を言われれば、気恥ずかしいと思ってしまうのは当然だ。

 だというのに、隣の少年はいとも簡単にあんな事を言ってくる。

 それがなんだか悔しくて、紫は心の中で悪態を吐いた。

 

「ん……?」

「お……?」

 

 2人の視線が、ある場所へと向けられる。

 そこに居たのは、こちらに向かって……正確には紫に向かって走ってくる小さな生物。

 黄金色の耳と三又に分かれた尻尾を持った、まだ子供の妖狐。

 

「きゃっ!?」

 

 妖狐――藍はそのまま紫の膝へと飛び込むように着地した。

 

「藍……?」

 

 寝そべる藍、その態度は紫の膝から絶対に降りないと告げていた。

 

「ははっ、藍は紫が好きなんだなー」

「……もう、しょうがないわね」

 

 懐いてくれるのは嬉しいが、ほんの少しだけ気恥ずかしい。

 とはいえ紫は無理矢理藍を引き剥がそうとは思わなかった、そんな事をすれば可哀想だし、何より紫自身も藍と共に居るのは心地良いと思ったからだ。

 

「――まったく、いきなり走り出したと思ったらやはり紫の所に行ったのね」

「あ、華扇」

 

 呆れたような呟きを零しつつ現れる華扇、彼女の右肩には久米の姿もあった。

 

「ごめんなさい紫」

「いいのよ華扇、私も懐いてくれるのは嬉しいから」

 

 安らかな表情の藍の頭を優しく撫でながら、紫は言う。

 

「それにしても、藍は紫によく懐いてるよなー。紫って動物に好かれやすいのかな?」

「そういうわけではないと思うけど……」

 

 だが、確かによく懐いてくれていると紫も思った。

 まだ出会って間もないというのに、藍からは既に微塵も警戒心というものが感じられない。

 僅かな違和感を覚える紫に対し、華扇はその理由を話す。

 

「きっと、紫と藍は互いに妖力の波長が合うのでしょうね」

「妖力の波長が、合う?」

「時折そういった事があるの。だからこそ藍は出会ったばかりの紫に心を許しているし、紫も藍と共に居るのは心地良いと思っているでしょう?」

 

 人間で言う「気の合う者」のようなものだと、華扇は説明した。

 

「なあなあ藍、俺は?」

「…………くあぁ」

 

 龍人の問いに答えず、代わりに大きな欠伸をする藍。

 ……どうやら、龍人の事は紫ほど気に入ってはいないようだ。

 

「なんだよー……」

「ふふ、残念だったわね龍人」

「ちぇー……まあいっか、これから仲良くなればいいんだし」

 

 そうは言うものの、あからさまに龍人の表情は不満げなものに変わっていた。

 

「……紫、もしあなたがよければこれから藍をあなたの所に置いてはくれないかしら?」

「えっ?」

「藍はこの山の者ではないの、前に麓付近で傷だらけのまま発見されて私が面倒を見ていたのだけど……紫と一緒に居た方が、藍の為になると思ったのよ」

 

 それと同時に、藍という存在が紫にとって必ずプラスになるとも思ったのだ。

 

「いいじゃん紫、そうしろよ!」

「……私は構わないけど、あなたはどうなの?」

 

 頭を撫でつつ、藍に問いかける紫。

 すると藍は顔を上げ、紫へと視線を向けた。

 そしてこくこくと頷きを数回繰り返す、どうやら彼女も紫と共に居たいらしい。

 

「――なら、これからよろしくね藍?」

「きゅん!」

 

 一声鳴き、再び紫の膝に寝そべる藍。

 

「華扇、ありがとう」

「お礼を言う必要はないですよ。藍の事、お願いします」

 

 頭を下げる華扇、その態度で彼女が如何に藍を大切にしていたのか理解できた。

 だから、紫も決して茶化さずに真剣な表情で頷きを返したのだった。

 

「……腹減ったー」

「あれだけ食べてたのに?」

「全然足りないよー、もう戻ろうぜ?」

「そうですね。ですが龍人、勇儀と萃香には近づかない方がいいですよ? 厄介な事になりますから」

「へーい」

 

 立ち上がり、宴の場へと戻っていく龍人。

 紫と華扇も彼の後に続き、そして彼女達は再び楽しい宴へと身を委ねたのだった――

 

「そういえばさ、勇儀達は俺に何を教えようとしてたんだ?」

「……忘れなさい」

「なんで?」

「いいから、忘れなさい。いいわね?」

「あ……はい」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




更新が遅れて申し訳ありません。
楽しんでいただけたでしょうか?もしそうなら幸いに思います。


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第三章エピローグ ~それぞれの道~

戦いは終わり、山の妖怪達と関係を結ぶ事ができた紫。
そして、最後は妖怪一の名工と会うという妖忌の目的を残すのみとなったが……。


――場に、冷たい空気が流れている。

 

 どうしてこんな事に、最近溜め息を吐くのが多くなってきたと紫は嘆き、そんな彼女を慰めるように足元で藍が小さく鳴いていた。

 彼女の隣に立つ絶鬼はやはりこうなったかと言わんばかりの表情のまま、けれど何もせず傍観を決め込もうとしている。

 一方、龍人と自分達についてきた文は、この空気を感化され動けないでいた。

 

 そして、この冷たく漂う空気の中心には――2人の男が対峙している。

 1人は妖忌、そして1人は……年老いた鴉天狗の老人であった。

 しかし老人といってもその身は鋼のように鍛え上げられており、また纏う覇気はただ凄まじく、見るだけでも圧倒されてしまう“凄み”を感じられた。

 

――何故このような一触即発の空気になったのかは、少し前まで遡る。

 

「――なあじいちゃーん、まだ着かないのかー?」

「もう少しだと何回言えばわかるんじゃ」

「だってさー……」

「龍人、黙れねえならさっさと帰れ。目障りだ」

「なんだとー!?」

「……なんだか彼、苛立ってますね」

 

 龍人と妖忌から少し離れながら、文は紫に話しかける。

 

「仕方ないわよ。妖忌がこの山に来たのは妖怪一の名工に会うためだもの。だっていうのにあんな戦いに巻き込まれ、挙句に宴に無理矢理付き合わされて酔い潰されればね……」

 

 意外にも、妖忌は酒に弱かった。

 だから今の彼は間違いなく二日酔いに苦しんでいるだろう、元々物言いが乱暴な彼だから、いつも以上に苛立っているのはある意味当然と言えた。

 しかし、漸く彼の目的を果たす事ができそうだ。

 

 現在紫達は、絶鬼の案内でその妖怪一の名工と謳われる鴉天狗が住む場所へと向かっている。

 その名工は天狗でありながら里に住む事はせず、山の中でも辺鄙な場所に暮らしている変わり者らしい。絶鬼曰く「妖怪一の名工なのは確かじゃが、妖怪一の頑固者でもあるからのう」との事だ。

 ……なんだか嫌な予感がする、そんな思いを胸に宿しつつ紫達は絶鬼についていき、やがて二つの小屋が見えてきた。

 

「――おお、ここじゃここじゃ」

 

 変わらないのうと懐かしむような呟きを零す絶鬼。

 見えてきた小屋は、何の変哲も無い木造の小屋であった。

 特徴らしい特徴など微塵もない、けれど大きめに作られた方の小屋からは……金属と鉱石が僅かに焼ける匂いが漂ってきた。

 おそらく大きい方が工房で小さい方が住居なのだろう、住居と呼ぶにはあまりにも小さくみすぼらしいが。

 

「おい(とう)(いち)(ろう)、いるか?」

 

 乱暴に住居であろう小屋の扉を叩く絶鬼、ミシミシと軋みを上げながら小屋が揺れている。

 程なくして扉が開き、出てきたのは不機嫌そうに眉を潜める鴉天狗の老人。

 

「……絶鬼、お前は相変わらず加減というものを知らないんだな」

 

 放たれた言葉の中には絶鬼に対する不満さがありありと滲み出ており、同時にその態度は天狗が鬼に対して放つものではなかった。

 しかし絶鬼は気にした様子もなく、鴉天狗の老人へと言葉を返す。

 

「お主も相変わらずじゃな刀一郎、宴を開いたというのに何故来なかった?」

「騒がしいのもお前の酌に付き合うのも御免だ。――ところで絶鬼、後ろの餓鬼共はなんだ?」

 

 刀一郎と呼ばれた鴉天狗の視線が、紫達に向けられる。

 まるで鋭い刃物を喉元に突きつけられたかのような視線に、紫と文はおもわず一歩後ろに下がってしまう。

 明らかに歓迎されてはいない、寧ろ敵意すら向けられているかのようだ。

 

「――お前が、妖怪一の名工か?」

 

 そんな視線を向けられながらも、妖忌は刀一郎へと問いかける。

 その問いに答えるつもりはないという様子だった刀一郎だったが、妖忌の腰に差されている桜観剣と白楼剣を見て僅かに表情を変えた。

 

「……ほぅ、桜観剣と白楼剣。魂魄家の者か」

「そうだ。――頼みがある、この刀を超える刀を俺に打ってほしい」

 

 矢継ぎ早にそう言い放つ妖忌、すると刀一郎は一瞬だけ驚いた表情を浮かべ。

 

「っ、ぐ――!?」

 

 一瞬にも満たぬ速さで、妖忌を蹴り飛ばしてしまった。

 反応が遅れた妖忌はそれをまともに受け、地面を滑るように吹き飛んでいく。

 

「妖忌!?」

「何すんだ!?」

 

 すぐさま龍人が刀一郎に食って掛かる。

 

「すまんな。この餓鬼があまりにくだらない事を言ったから反射的に足が出てしまった」

「くっ……テメエ……!」

 

 立ち上がる妖忌、蹴られた腹部を右手で押さえながら苦しげな表情を浮かべている。

 それだけ刀一郎の蹴りの威力が凄まじかったのだろう、そして同時に妖忌ですら反応する事ができなかった程に速い蹴りであった。

 

「まあ落ち着け刀一郎、話だけでも聞いてはどうじゃ?」

「聞く意味などない。桜観剣と白楼剣を超える刀を作れなどという戯言を口にする愚か者の話などな」

 

 冷たく吐き捨てるようにそう言い放つ刀一郎からは、凄まじい怒りと憎しみが放たれている。

 それを間近で感じ取った龍人は、刀一郎を責め立てる事も忘れてしまい口を閉ざしてしまった。

 

――そして、話は冒頭へと戻る。

 

「魂魄家も堕ちたものだ、こんな半人前以下の小僧に桜観剣と白楼剣を渡すとはな」

「何だと、貴様……!」

「帰れ。お前程度に打つ刀などこの世には存在しない、桜観剣と白楼剣が泣いているぞ?」

「……なら、試してみるか?」

 

 桜観剣の柄を掴む妖忌、腰を深く落としいつでも切り込める体勢へと入った。

 それを見ても刀一郎の表情は微塵も変わらず、妖忌に対して益々失望の色を濃くしたように見える。

 これは拙い、今にも飛び掛ろうとしている妖忌を止めようと紫はおもわず大声を張り上げようとして……その前に刀一郎の姿が場に居た全員の視界から消え。

 

「――――」

「――そんな程度の実力で、よくオレに新しい刀を打てとほざけるものだな」

 

 気がついた時には、妖忌の首筋に刀一郎が持つ刀が突きつけられていた。

 

(は、速い……)

 

 まるで見えなかった、刀一郎の声が聞こえるまで紫はまったく反応する事ができなかった。

 龍人も文も同じなのか、その顔は紫と同じく驚愕に包まれていた。

 

「…………」

 

 首筋から刀を離された瞬間、妖忌はそのまま崩れ落ちるように地面に座り込む。

 情けない姿だが、それも無理からぬ事である。

 直接刀を向けられたからこそわかる、自分との実力差を。

 

 絶対に敵わないと身体に叩き込まれてしまったのだ、既に妖忌の中には一欠片の闘志も覇気も消え失せてしまっていた。

 その姿を冷たく見下ろしながら刀を鞘に収める刀一郎、そして絶鬼へと視線を向けた。

 

「絶鬼、お前ほどの男がこんな小僧達を連れてくるとは……歳か?」

「そう言ってやるな刀一郎、それにこの子等はまだまだ未熟じゃが将来性はある。だからこそ妖怪一の名工であり天狗一の剣豪であるお前に会わせてやりたいと思ったのじゃ」

「ふん……確かにこの小僧はいずれ類稀なる力を持った剣士に成長するだろう、だが今のようにただ力だけに囚われ振るうべき剣すら見失っている愚か者のままでは到底その領域には辿り着けんさ」

 

 そう妖忌に告げる刀一郎の言葉は、ただ冷たい。

 

「小僧、お前は一体何のために剣を振るう? 力を誇示するためか? それすらもわからぬお前に……その刀は重過ぎる」

「っ」

 

 ギリ、と折れんばかりの力で歯を食いしばり、妖忌はその場から逃げるように走り去っていく。

 

「おい、妖忌!!」

「龍人、追うべきではない。余計にあやつの自尊心を傷つけるだけじゃ」

「…………」

 

 絶鬼にそう言われ、龍人は追いかけようとした足を一度は止めるが。

 

「――やっぱり、放ってはおけないよ!!」

 

 そう言って、今度こそ妖忌を追いかけていってしまった。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 気まずい沈黙が、龍人と妖忌の間に流れる。

 すぐに妖忌に追いつけた龍人だったが、彼に掛ける言葉が思いつかない。

 かといって1人にはしておけず、こうしてただ沈黙するだけの時間が流れていた。

 

「…………俺を、笑いに来たのか?」

「なんでそうなるんだよ?」

「そうじゃないなら消えろ、目障りだ」

「嫌だね。今のお前、なんか今にも泣きそうだし」

「何を馬鹿な……」

 

 皮肉を返そうとして、妖忌は押し黙る。

 ……非常に癪な話だが、龍人の言葉に否定する事ができなかったからだ。

 妖忌は自分が最強の剣士だと思っているわけではない、自分より優れた剣士が居る事ぐらいは理解していた。

 だがそれでも、この桜観剣と白楼剣に選ばれたという自信と自負はあった。

 

 けれど、先程のやりとりで妖忌は自分が思っている以上に弱く……桜観剣と白楼剣を持つに値しない男だと否が応でも理解させられてしまったのだ。

 だというのに自分の未熟さを刀のせいにしていた、その事実に漸く気づき……恥ずかしさと情けなさで一杯になってあの場から逃げ出し、1人になりたかったのだが……。

 現在自分と背中合わせに座っている龍人は、そんな自分の心中などまったく気づいてくれないらしい。

 

「――弱くたって、いいじゃねえか」

「…………」

「これから強くなればいいだろ? そうすれば……」

「簡単に言うな、俺が弱かったから……未熟だったから、幽々子様もおふくろも……!」

 

 守れなかった、守らねばならない主を、そして師であり剣士として目標であった母を。

 その事実は妖忌の心に大きな傷を残し、この先も決して癒える事はないだろう。

 だから彼は力を求めた、自分の未熟さから目を逸らして力だけを求めてしまったのだ。

 

 ……それが間違いだと気づけたが、気づいた所で、否、気づいたからこそ妖忌は焦りを覚える。

 強くなるためにはどうすればいいのかわからない、ただ鍛錬を積めばいいわけではないと、彼が討たねばならぬ存在――アリアの力を見れば一目瞭然だ。

 これではいつまで経っても、幽々子達の仇を取る事など……。

 

「少しずつ、前に進むしかねえんだ。俺達は」

「何……?」

「もう喪ったものは戻らない、取り返せない。それにいつまでも縋っていたら……前には進めない」

「っ、俺に幽々子様達の事を忘れろっていうのか!?」

「違う。でもそれだけに囚われてたら、もっと色々なものを喪うことになるだけだ!!」

「…………」

「俺だってアリアは許せない、幽々子達やとうちゃんの命を奪ったアイツだけは。

 だけど今の俺じゃアイツには勝てないし、きっと俺1人の力じゃ敵わない。

 だから少しずつでもいいから前に進んで、いつかアイツを止められるようにしないといけないんだ」

 

 それは、途方もない話かもしれない。

 数年で辿り着けるものではなく、数十年、数百年経とうとも無理かもしれない。

 でも、だからといって駆け足で追いつこうとすれば結果的に何も変わらないと龍人は思っていた。

 もうこれ以上何も喪わないためにも、力だけに固執せずに強くなっていかなければ。

 

「…………お前は、ガキのくせに物分りが良過ぎるな」

「だって、俺が勝手な事ばかりしたら紫が困る」

「……単純な理由だ」

 

 だが龍人にとっては、それだけで充分なのだろう。

 紫が傍に居るからこそ龍人は歩みが遅くとも前を向いて歩いている、紫という存在が龍人を強くしているのだというのがわかる。

 ……それを、妖忌は羨ましいと思ってしまった。

 でも、そうか……と、妖忌は穏やかな呟きを零しつつ立ち上がる。

 

「……悪かったな、龍人」

「えっ?」

「お前をガキだガキだと思っていたが……ガキだったのは、俺の方らしい」

「? 妖忌はもう百歳近いんだろ? じゃあ俺よりずっと大人じゃん」

「そういうわけじゃ……いや、お前がそう思っているのならそれでいいさ」

「あーっ、なんで笑うんだよー!」

 

 くつくつと笑う妖忌に、抗議の声を上げる龍人。

 しかし妖忌の笑い声は暫し周囲に響き、止まった時には拗ねる龍人の姿があったとさ。

 

 

 

 

「――もう行くのか? 忙しない子供達だ」

「俺と紫は幻想郷に戻るだけだよ、絶鬼のじいちゃん」

「龍人さん、紫さん、色々とありがとうございました!」

「文も元気でね?」

 

 妖怪の山の麓付近。

 山を離れる紫達に、絶鬼を始めとした妖怪達が別れを惜しんで見送りに来ていた。

 それぞれ、知り合った者達と一時の別れを交わす紫達。

 その中で、妖忌と刀一郎は再び睨み合っていた。

 とはいえ先程のような殺伐としたものではなく、寧ろ睨んでいるのは妖忌だけなのだが。

 

「次に会った時は、もう少しマシな剣士になっている事を願うぞ。そうでなければ桜観剣と白楼剣は返してもらおうか?」

「言ってろ、老いぼれが」

「その刀は全てを斬る。物質だけではなく霊のような精神的なものも、そして時すらも斬れる刀だ。この刀を持つのならその領域まで辿り着け」

「フン……」

 

 小さく笑い、それ以上は何も言わずに妖忌は歩き始めていく。

 それを見て紫達も慌てて彼の後を追いかける、皆へ挨拶を告げながら。

 

「もぅ……もう少し話をしたかったのに」

「だったら俺に合わせる必要はなかったんじゃないのか?」

「そういうわけにはいかないわ。彼女達にはまた会えるけど……魂魄家に戻るあなたとは、そうそう会えなくなるでしょう?」

 

 そうなのだ、妖忌はこれから魂魄家へと戻る事に決めていた。

 妖華の事を魂魄家の者に話さねばならないし、何よりも妖忌自身が一度家に戻り自らを見つめ直すと決めたからだ。

 魂魄家は妖怪退治も行っている、妖怪である紫達がおいそれと行ける場所ではないのだ。

 つまり、暫く妖忌とは会えなくなってしまう……最後の最後まで別れを惜しむのは当然と言えた。

 

「――いずれ、また会える。いや……お前達の歩む道に、きっと交わる時が来る」

「…………」

「それまで俺は少しずつ歩みを進める。誰よりも強い剣士になってやるさ」

 

 そう言って、妖忌は笑った。

 その笑みは今までのような粗野なものではなく、柔らかく優しい笑みだった。

 

「お前達も、強くなれよ?」

「勿論! 力がなくちゃ、守りたいもんも守れないからな!」

「さようなら妖忌、また」

「ああ、またな」

 

 手を振り、妖忌の姿が消える。

 

「さてと……幻想郷に戻るか?」

「ええ、そうね」

「きゅん!」

 

 藍を肩に乗せ、紫は幻想郷に向けてスキマを開く。

 そして、最後にもう一度妖怪の山へ視線を向けてから、龍人と共に幻想郷へと帰還したのだった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




これにて第三章はおしまいです。
次回からは少し時間が流れます、次は……二つルートがあるんですが、どちらにしようか迷い中です。
楽しんでいただけたでしょうか?もしそうなら幸いに思います。


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間章② ~幻想の日々~
第40話 ~変わらぬ幻想の日々~


ちょっとした間章になります。
それと今回から前話より月日が流れていますのでご了承ください。


――夢を、見た。

 

 それはとても幸せで、楽しい夢。

 少しだけ寂れた神社の中で、私は様々な種族に囲まれていた。

 人間、妖怪、妖精、半妖、神々、種族が異なる者達が……楽しい宴を開いている。

 私もその中で楽しく笑っていて、本当に幸せそうで。

 

 ……でも、何故だろうか。

 隣に居るはずの、隣に居なければならない筈の“あの人”の姿が、何処にもない。

 夢の中だけど、“あの人”が居ないのは違和感があるし、寂しい。

 あの人は、一体何処に……。

 

「――様、紫様!!!」

「……んん……?」

「紫様、起きてください! 朝ですよ!!」

 

 まだ幼さを残す少女の声が聞こえ、同時に紫はその声の主に身体を揺さぶられている。

 寝ぼけ眼のまま上半身を起き上がらせると、「わっ」という短い悲鳴が聞こえた。

 顔を左方向へと向ける、そこに居たのは黄金色の髪を短めに切り揃え導師風の衣服に身を包んだ少女が居た。

 あどけなさを残しつつも成長すれば間違いなく絶世の美女になるであろう顔立ちだが、頭部に生えた黄金色の耳と四本の尾が少女を人間ではないと示していた。

 ふぁぁ……と大きな欠伸を一つしてから、紫は少女の名を呼び朝の挨拶を交わした。

 

「おはよう、藍」

「おはようございます、紫様」

 

 恭しく紫にお辞儀をする少女。

 この少女は藍、かつて妖怪の山にて友人となった茨木華扇から譲り受けた妖狐である。

 当初は獣の姿であったが、今では人の姿になれるまで成長を遂げていた。

 

「朝食の準備がもう少しで終わりそうなので、起こさせていただきました」

「そう、ありがとう藍。……彼は?」

「あの御方でしたら、人里の畑の手伝いをすると朝早くに――」

「――ただいまー!!」

 

 縁側の方から、元気が有り余っている少年の声が響く。

 どうやら帰ってきたようですね、そう言って藍は縁側へと向かい、遅れて紫もその後を追う。

 縁側方面の中庭に居たのは、小柄な黒髪と金の瞳を持った少年であった。

 右手には鍬や鋤などといった農具を持ち、動きやすいアンダーシャツとズボンは土ですっかり汚れてしまっている。

 それを見て紫は苦笑し、藍は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。

 

「“龍人”様、人間の手伝いをするのは良いのですが、そんなに汚れるまで手伝っていたのですか?」

「それがさ、いつも手伝ってる農家のおっちゃんが腰を痛めちまったみたいで、つい」

「はあ……それはお疲れ様でした」

「腹減ったー、メシはー?」

「もうすぐできますから、龍人様は汚れを落としてきてください」

 

 藍の言葉に「へーい」と返しながら、少年――龍人は井戸のある場所へと向かう。

 と、立ち止まり彼は紫へと視線を向け。

 

「おはよう、紫」

 

 優しく微笑み、朝の挨拶を告げた。

 

 

 

 

『――いただきます』

 

 居間にて、3人は朝食を食べ始める。

 藍が用意してくれた焼き魚、お浸し、白いご飯、味噌汁といった和食の朝食。

 

「……ふーん、藍ってばすっかり料理が美味くなったわねー」

「あ、ありがとうございます紫様」

 

 嬉しそうに微笑みつつ、少しだけ気恥ずかしいのか頬を赤らめる藍。

 

「んぐっ、ん……うめえぞ、藍!!」

「あ、ありがとうございます龍人様。ですけどもう少し味わって……」

「おかわり!!」

「……あ、はい」

 

 肩を落としつつ、龍人の茶碗を受け取りご飯を盛っていく藍。

 彼はいつも美味しそうに沢山自分の作った料理を食べてくれる、それは嬉しいのだがもう少し味わってほしいというのが藍の本音だったりする。

 

「龍人、幻想郷の様子はどうだった?」

「相も変わらず平和だったよ。そういえば()()が後で屋敷に来てほしいって」

「阿爾……二代目稗田家当主ね、わかったわ。――ごちそうさま藍」

「お粗末さまでした」

 

「じゃあ早速阿爾の所に行ってくるわ」

「俺も里に行ってくるよ、藍」

「いってらっしゃいませ紫様、龍人様、お気をつけて」

 

 藍に見送られながら、紫はスキマで幻想郷へと向かう。

 スキマの中で龍人と別れ、彼は人里の中心地へ、紫はそのまま稗田家の屋敷の中庭へと出る。

 中庭には美しい桜が芽吹いていた、もう季節は暖かな春が到来している。

 

 

――紫達が幻想郷に辿り着いて、二百年という月日が流れていた。

 

 

 藍は紫の式となり、主を支えるよう日々修行や雑用に精を出している。

 紫と龍人も彼女の境界を操る能力を活用して作った異次元空間の中に建てた屋敷で暮らしながら、少しずつ力を付けてきている。

 無論まだ大妖怪と呼べる程の力はないだろう、それでも紫達はこの二百年で確実に成長していた。

 

 幻想郷は二百年前と変わらず、人と妖怪が共に暮らす隠れ里のまま、平和な時を刻んでいる。

 願わくば、この平和がずっと続けばいいのだが……紫はそう願わずにはいられなかった。

 

「――おはようございます。お早いですね紫さん」

「あなたを待たせては、色々と煩そうですからね。阿爾」

 

 わざとらしい皮肉の言葉を放たれ、薄紫色の髪を短く切り揃え鮮やかな色の着物に身を包んだ少女――稗田阿爾は苦笑する。

 彼女は先代である稗田阿一の転生体であり、まだ齢十でありながらその立ち振る舞いは大人のそれだ。

 転生によって阿一の記憶が残っているからだろう、とはいえ阿一とは違い好奇心旺盛な面はなりを潜めたおとなしい性格に変わっているが。

 

 自室へと招かれ、阿爾と向かい合わせに座る紫。

 早速とばかりに用件を訊くと、阿爾は小さな溜め息をついてから自らの要件を告げた。

 

「実はですね、里の者達から人間側の“守護者”となる者を見つけてほしい、と頼まれまして」

「…………成る程」

「私としては、紫さんと龍人さんがいらっしゃれば充分だと思っているのですが、一部の人間が幻想郷の守護者が妖怪だけでは……そう思っているようなのです」

 

 言って、阿爾は湯飲みに入ったお茶を一口飲んでから再び溜め息をつく。

 この内容は妖怪である紫にとってあまり気分の良いものではない、それがわかっているが故のものだろう。

 とはいえ紫も二百年生きた妖怪、そんな程度で気分を……多少悪くしたものの、決してそれを表に出す事はしない。

 

「この二百年で、幻想郷にも人間が増えました。外から住人が増えればそういった考えを持つ者が現れても仕方ありませんわ」

 

 寧ろそれが一般的な考え方なのだ、この幻想郷に生きる人間達の考え方が変わっているだけなわけで。

 

「幻想郷において絶対的な人間の味方、いざという時に妖怪に対する抑止力となるべき人間……単なる祓い屋を用意しても意味はありませんわね」

「……本来ならば、紫さんに相談する事ではないのですが」

「そんな事ありませんわ。この幻想郷の未来を考える者同士として、こういった相談をしていただけるのはありがたいですわ」

 

 というより、人間達だけで勝手に物事を進められれば色々と面倒になるのだ。

 ここは人と妖怪が共に暮らす世界であり、これからもそうであってほしいと願っている。

 どちらか一方の種族だけが動いてしまえば、それも叶わない。

 

「わかりました。少し考えてみましょう」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。それでは、私は少し里の方を見てみますわね」

 

 そう言って、稗田の屋敷を後にする紫。

 里を歩くと、目に映るのは……楽しげな笑顔。

 畑仕事に精を出す男達、川で洗濯をしながら談笑する女性達、元気一杯に走り回る子供達。

 

 ただこの光景の中には、人間だけでなく妖怪の姿も見られる。

 協力して生きている、人間と妖怪という異なる種族など関係ないと言わんばかりだ。

 ……ただ、子供達と混ざって遊んでいる龍人が違和感なしなのは如何なものか。

 

「――相変わらず、ああやって見ると龍人さんは子供みたいですねー」

 

 一瞬突風が吹き、紫の隣に1人の少女が降りてきた。

 背中に黒く大きな羽根を持った黒髪の少女、鴉天狗の射命丸文だ。

 

「文、今日はどうしたの?」

「暇潰しですよー、それにしても……相変わらず人と妖怪が共存してる面白い場所ですよね、ここは」

「ええ。このままの関係を維持できればいいのだけれど……」

「紫さんって妖怪らしくないですよねー、進んで人間と共存しようとするなんて」

「私はただ平穏が好きなだけよ。それに龍人が人との共存を望んでいるなら、私もできる限りそれを協力しようとしているだけ」

 

 まだ、紫の中で人間に対するわだかまりは消えていない。

 おそらく一生消えることはないだろう、だが消えることはなくても小さくする事はできる。

 事実、紫はこの二百年で人間に対して負の感情を抱く事は少なくなった。

 これも幻想郷の、ひいては彼のおかげだろう。

 

「むふふふ……」

「何よ、その気味の悪い笑みは」

「いやあ、紫さんは龍人さんが本当に好きなんだなーっと」

「はいはい。言ってなさいよ」

 

 またこれだ、文は紫が龍人の話をするとすぐこういった事を言ってくる。

 初めの頃は少し強めの口調で否定していたが、あまりにもしつこいので今では軽く受け流すことができるようになっていた。

 ……それが良い事なのかはわからないが。

 

「つまらないですねー。――で、実際はどうなんです?」

「はいはい」

「いいじゃないですか。ここだけの話にしますから」

「嫌よ、どうせ話したら山全体に誇張するのは目に見えてるもの」

「当たり前じゃないですか」

「…………」

「おごおっ!?」

 

 素直でよろしい、だから紫は無言で文の鳩尾に拳を叩き込んであげた。

 もちろん妖力を込めてだ、妖怪の頑強な肉体にも確かなダメージを与えられるぐらいの力加減で。

 おかしな悲鳴を上げながら倒れ込み痙攣する文、その無様な姿を見てちょっとだけスッキリしたのはここだけの話。

 

「げほっ、ごほっ……乙女の柔肌に何てことを」

「今度余計な事を言ったらこんなものじゃ済まないわよ?」

「残念ですねー、今日こそは紫さんと龍人さんの熱愛発覚! と思ったんですがごぼおっ!?」

 

 再び文の鳩尾に突き刺さる紫の拳、自業自得である。

 

「うぐぐぐ……」

「もう帰りなさい。このままだとあなたの羽根を一本一本毟り取る事態になりかねないから」

「そこまで怒ります!?」

 

 やばい、ふざけているわけではないがこれ以上彼女の機嫌を損ねたら本当にやられる。

 本能的にそう察知した文は慌てて呼吸を整えて、本来の目的を果たす事にした。

 

「あ、あのですね紫さん、実は少しお話したい事がありまして」

「やっぱり毟られたいの?」

「違いますって、しかも毟られたいわけないじゃないですか! そうじゃなくって、最近妖怪の一部がおかしな動きを見せているそうなんです」

「……妖怪が?」

「ええ、基本的に徒党を組まない妖怪達が集まって何かをしようとしているらしいんですけど、何をしているかまではちょっとわからないですね」

 

「…………」

「人間の世界を侵略しようとでも考えているんですかね?」

「さあ……ただ、少し調べた方がいいかもしれないわね」

 

 何もなければいいが、妖怪達が集まって何かを企んでいると聞けば黙ってはいられない。

 

「文、ありがとう。わざわざ教えてくれて感謝するわ」

「いえいえ、一応友人ですからね。紫さんは」

「一応は余計よ、それで妖怪達が集まっている正確な位置はわかる?」

「そう言ってくると思いまして、今個人的に動ける天狗達で調べていますよー」

「えっ、わざわざ動いてくれているというの?」

 

 思わぬ話に、紫は驚いてしまう。

 山の天狗達が率先してそのような事をするなど、普通はありえないからだ。

 驚く紫に、文は少しだけ気恥ずかしそうにしながらその理由を話す。

 

「ま、まあ……紫さん達は、私の友達、ですからね……」

「文……」

「それにあなた達とは二百年前、盟約を交わしています。山を救った英雄でもありますから」

「…………英雄、ね」

 

 なんとも、大袈裟な話だと紫は内心苦笑する。

 

「助かるわ。けれど無茶だけはしないでね?」

「おおっ? なんだか紫さん、優しいですね?」

「…………」

「……すみません。謝りますから無言で拳を握り締めるのはやめてください」

 

 先程の拳は本当に痛かった、というか今も痛い。

 おふざけはこれくらいにしないと本当に危ないと判断し、文は素直に謝罪した。

 

「それでは、私はこれで」

「もう行ってしまうの?」

「紫さんに先程の話を伝えるために来ただけですからね、それでは龍人さんにもよろしく伝えておいてください!」

 

 言うやいなや、文は翼を広げ一瞬で紫の視界から飛び去ってしまった。

 その影響で周囲に突風が吹き、一部の者達が何事かと視線を向けてきたが、紫を見て何故か納得したのかいつもの日常に戻っていった。

 

(……何かの前触れでなければ、良いのだけれど)

 

 文の話を思い返し、自然と紫の表情が強張っていく。

 この幻想郷は確かに平和だ、しかしそれは人の世から外れた場所に位置する隠れ里だから。

 外では人間と妖怪の関係は二百年前と変わらず、寧ろ悪化の一途を辿っている。

 憎しみと悪意の環は広がるばかり、このままでは人間にも妖怪にも取り返しのつかない事が起こりそうな気がして……。

 

「――紫、大丈夫か?」

「っ、龍人……」

 

 我に返ると、自分を心配そうに見つめている龍人の顔が視界に映った。

 そんな彼の周りには、彼と遊んでいたであろう子供達の姿も。

 

「……大丈夫よ。心配しないで」

「そうか? なんか悩んでるように見えたんだけど……」

 

 龍人の眉が八の字に下がり、ますます心配そうな視線を紫に向けてくる。

 すると周りの子供達も同じような表情をするものだから、紫はおもわずぷっと噴き出してしまった。

 

「あ、笑った!」

「ご、ごめんなさい……で、でも別に龍人を馬鹿にしたわけじゃないのよ?」

「? 何言ってんのかよくわかんねえけど、紫が元気になったみたいでよかった!」

「…………」

 

 よかったよなー、と周りの子供達に訊ねる龍人。

 子供達もよかったー、と笑顔で返事を返している。

 二百年という月日が経っても、彼は変わらぬ心で今を生きていた。

 それが紫には嬉しく、その心がいつまでも変わらないようにと密かに祈った。

 

「紫、元気ならみんなと一緒に遊ぼうぜ?」

「えっ?」

「みんな、前から紫と一緒に遊びたかったみたいでさ、いいだろ?」

(私と遊びたい? 龍人と違って人間に対して友好的な態度を見せなかった私と……?)

 

 視線を、子供達へと向ける紫。

 やはりというか、中には紫に対して怯えや恐怖の色を見せる子供も居る。

 だが、それ以上に紫に対する興味と……“一緒に遊んでみたい”という子供らしい欲求の色が見えた。

 物好きな子供達だと、内心では皮肉を述べつつも紫の口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 じゃあ遊びましょうか、紫がそう返事をしたら子供達は我先にと一斉にその場から駆け出していく。

 どうやら鬼ごっこを興じたいらしい、龍人まで逃げ始めているから紫が鬼役なのだろう。

 

「それー、こわーい紫ばあちゃんに捕まったら大変だぞー!」

「っ、龍人、誰がばあちゃんですって!?」

「だって俺もお前も二百歳超えてるから、人間からすればじいちゃんばあちゃんだろ?」

「……龍人、貴方はもう少し言葉を選んで口を開いた方がいいって事を教えた方がいいみたいね」

「あれ? なんでそんなに怒ってるんだ?」

 

 その後、のどかな筈の鬼ごっこは龍人にとって地獄と化した。

 先程の失言でそれはもう怒りに怒った紫によって散々追い掛け回され、時には容赦のない攻撃をされ。

 夕暮れになる頃にはボロ雑巾のような状態になってしまった龍人を見て、子供達が紫に対し強烈なトラウマを抱く羽目になり。

 それが阿爾の耳に入り、2人がこっぴどく叱られたのはまた別の話。

 

「藍、紫に“ばあちゃん”は禁句だな。それがよくわかった」

「……龍人様、それは当たり前だと思うのですが」

「なんで?」

「はぁ……」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第41話 ~花見と花の妖怪~

幻想郷での平凡な日々は過ぎていく。

さて、今回の物語は……。


 人里が、楽しげな声に包まれている。

 人と妖怪、異なる種族が思い思いに酒を飲み、つまみを口に含み、騒ぎに騒いでいる。

 今日は里全体を巻き込んでの花見の日、その中には当然ながら紫達の姿があった。

 わいわいと楽しんでいる者達に視線を向ける紫の口元には、優しげな笑みが浮かんでいる。

 今日も幻想郷は平和なようだ、皆を見ているとそれを改めて認識できた。

 

 だが、一部の者は遠巻きに紫を見て怪訝な表情を浮かべている。

 おそらく紫が恐いのだろう、龍人はよく人里に出入りしているし、藍も買い物等で里の人間には認識されている。

 しかし紫は基本的に里へと赴く時は稗田家に用事がある時だけだ、里の者達にとって紫は得体の知れない妖怪だと思われているだろう。

 それに関して何か思うところなど紫にはない、ないが……せっかく酒を楽しんでいるというのに、興が削がれてしまうではないか。

 とはいえここで何かしらのアクションを起こせば余計に事態が拗れてしまう、なので紫は何も知らない風を装う事にした。

 

「――紫さん、楽しんでいますか?」

 

 紫の隣に座る一人の少女、明るい薄紫色の髪を持つ少女、稗田阿爾。

 見知った人物を見て少しだけ紫の気分が良くなった、が、何やら向けられる視線が多くなったような気がする。

 

「……どうやら、龍人さんと違って純粋に楽しめていないようですね」

 

 視線に気がついたのか、呆れの含んだ苦笑を浮かべる阿爾。

 彼女とてこうなるとは想像できていた、しかし実際に目にすると気分が良いものではない。

 見慣れぬ妖怪が花見の席に居るという事実が不安を呼ぶのは理解できるが、彼女はこの幻想郷にとってなくてはならない存在だというのに……。

 そう考えると阿爾の表情がどんどん強張っていき、そんな彼女の頭をあやすように紫は撫でた。

 

「別に私は気にしていないわ。仕方がない事だってあるのだから」

「……それはそうかもしれませんけど、このような場だというのにあれは」

「まだまだ人と妖怪の間にある溝は大きいという事ですわ、両者が共に生きる幻想郷の中でもね」

 

 だがいつかは、今よりも歩み寄る事ができる筈だ。

 紫はそう信じている、この幻想郷ならばきっと。

 

「阿爾も楽しみなさい。まだ酒は飲めないでしょうけど」

「……はい。わかりました」

 

 漸く笑みを浮かべてくれた阿爾に、紫も笑みを浮かべる。

 改めて酒の味を楽しもうと持っていた盃に入っている酒を口に含む。

 僅かな苦味、けれど喉をするりと通っていく喉越しの良さがもう一度飲みたくなるような味わいを見せてくれる。

 

「そういえば阿爾、里に変わりはないかしら?」

「ええ。ただ……最近性質の悪い悪戯妖怪が時折里に現れるようになったそうで」

「悪戯妖怪?」

 

 阿爾の話によると、作物を荒らされたり道の真ん中に落とし穴を仕掛けられたり……。

 まあ幸いにも命に関わるような事態には発展していないようだが、ある農家の男が足の骨を折る事件が発生してしまったらしい。

 里の者達はその事をすぐさま阿爾に相談し、阿爾もその妖怪の正体を調べている最中なのだそうだ。

 

「紫さんは何か心当たりとかはありませんか?」

「そうね……ただその程度の被害で済んでいるのなら、あまり力のない妖怪なのでしょう」

「やっぱりそうですか……」

「ですがあまり好き勝手をされては困りますわね」

 

 幻想郷で生きる者達に危害を加える、それはすなわち自分に喧嘩を売っていると同意なのだから。

 何処の誰かは知らないがそれ相応の報いを受けてもらわねば、知らず紫の口元に妖怪らしい不気味で恐ろしい笑みが刻まれる。

 それを見て、阿爾は僅かに身体を震わせたのは余談である。

 

「紫様」

 

 紫の前に跪く女性、紫の式になった妖狐、藍だった。

 僅かに表情が強張っている、どうやら何か問題が発生したようだ。

 どうしたのかと藍に問う紫、すると彼女はこの花見の場に見慣れる妖怪が居ると告げた。

 今の所周りに危害を加える様子を見せないというが、かといってこのまま放っておくわけにはいかないだろう。

 そう思った紫は立ち上がり、阿爾に一言告げてから、藍の案内でその妖怪の元へと足を運んだ。

 

 そこは花見の場では隅の方、しかし先程までは賑やかな喧騒に包まれていたのだろう、周りの転がる盃や猪口がそれを物語っていた。

 だが今はそんな空気など微塵も存在せず、人間達が怪訝な表情のままある方向をチラチラと盗み見ている。

 その視線の先には、里の中にある一番の桜の木の幹に身体を預け、静かに酒を嗜む1人の女性が居た。

 背中まで伸びるやや癖のある緑の髪が風に揺れ、真紅の瞳は見たものをおもわず硬直させてしまうほどの力強さが感じられる。

 

 成る程、確かに少々厄介な問題が発生してしまったようだ、紫は女性を見て内心舌打ちをした。

 この女性は藍の言う通り妖怪だった、それも力のある妖怪だ。

 暴れられては面倒な事になる、なので紫はなるべく刺激しないように女性へと声を掛けようとして、その前に女性が先に口を開いた。

 

「――綺麗ね」

「えっ……」

「もうすぐ枯れてしまう運命だけど、まるで最期の輝きを見せ付けているようだわ。そう思わない?」

 

 身体を預けている桜へと顔を上げながら、女性が問う。

 突然の問いかけに面食らいそうになりながらも、紫は努めて冷静な表情を崩さず言葉を返す。

 

「あなた、あまり見かけない顔のようだけど、一体どんな用事があってここに居るのかしら?」

「先に質問をしているのはこっちなのに、それを無視して問いかけるなんて礼儀の知らないのね」

「貴様……」

「藍、構わないから。――確かにそうだったわね、だけど花は咲いているから美しいのは当然ではないの?」

「……わかっていないのね。咲く前でも花は変わらず美しいわ、表面上の美しさしかわからないのは視野が狭い証拠よ?」

 

 少し小馬鹿にするような口調と笑みを向ける女性を見て、藍は一瞬で己の妖力を解放させた。

 主である紫を侮辱されたのだ、式として許せないと思うのは道理であった。

 しかし、そんな彼女の怒りは女性に向けて放たれる事はなく、他ならぬ主人である紫に制止させられてしまった。

 

「それで、あなたは一体何者かしら?」

「ただの花が好きな妖怪よ。ここの花達が随分と楽しそうだったから気になったの」

「……花達が、楽しそう?」

「私は花達の声が聞こえるの。それでこの里に咲く花達があまりにも楽しそうな声を出していたから、気になったってわけ」

「…………」

 

 花達の声が聞こえる、一見するとふざけているような言葉だ。

 だがおそらくこの女性は嘘など言ってはいないだろう、妖怪であるが故に紫は同じ妖怪である女性の言葉をすんなりと受け入れていた。

 しかし、だ。敵意が無いとはいえこのままでは周りの迷惑である。

 

 とはいえ相手も力のある妖怪、軽く追い出すという事はできないし、力ずくでいこうにも里に被害が及ぶだろう。

 さてどうするか、思案に暮れる紫であったが、1人の少年があっさりとその問題を解決してしまった。

 

「紫、藍、どうかしたのか?」

「龍人……」

「龍人様……」

「ん? お前、誰だ? 見ない顔だけど……妖怪か?」

 

 無遠慮ともとれる態度で女性に話しかける龍人、さすがの女性も彼の態度に僅かに驚きを見せていた。

 

「俺は龍人、お前の名前は?」

「え、あ……か、風見(かざみ)幽香(ゆうか)よ」

「幽香かあ……よろしくな、幽香!!」

 

 笑顔で握手を求める龍人に、女性、風見幽香は面食らった様子でそれに応じた。

 先程とはまるで違う幽香の様子が面白くて、紫が苦笑を浮かべていると……彼女は、周囲のある変化に気がついた。

 

――周囲の喧騒が、元に戻っている。

 

 周りの人間や妖怪達は再び花見を楽しみ出していた、先程まで幽香を遠巻きに見ては戦々恐々していたというのに……。

 一体何故、そう思った紫だがすぐさまその理由に思い至った。

 なんてことはない、周りの者達は彼が、龍人が来たからもう大丈夫だと判断したのだ。

 彼は半分は妖怪である半妖であるが、幻想郷に生きる者達からは絶大な信頼を置かれている。

 

 この二百年、彼は暇さえあれば里へと顔を出し周りの者達との親睦を深め、家族のように生きてきた。

 他者との繋がりを得たいと強く願っているからこそ、彼は幻想郷の者達の助けになってきた。

 そんな彼に周りの者達は信頼を向けるのは当然であり、それを考えれば今の状況も理解できた。

 

(……私には、できないわね)

 

 龍人には人や妖怪といった隔たりは存在しない、だが紫は違う。

 過去の出来事が、彼女に人や妖怪に対し心から信頼を置かすまいとしている。

 おそらくこの考えは一生変わらないだろう、悲しいが致し方ない事なのだから。

 だから紫は違う方法で幻想郷に貢献する、龍人が心で幻想郷に生きる者達を支えるのなら……自分は“力”で支えよう、と。

 

 

 

 

「んがー……」

「もぅ……騒ぎに騒いだって感じね」

 

 時は流れ、夕刻。

 楽しかった花見は終わりを迎え、既に皆は片づけを終え家に戻っていった。

 紫と藍も屋敷へと戻り、2人と違い里の者達と騒いでいたために寝入ってしまい、藍に背負われた状態だ。

 幸せそうに眠ってる龍人を見て、自然と紫達の口元には笑みが浮かぶが。

 

「――へえ、なかなかいい屋敷ね」

「……どうしてあなたまで一緒に居るのかしら? 風見幽香」

 

 屋敷を見渡すように視線を動かしている幽香に、紫は溜め息交じりの問いかけを放つ。

 紫達の屋敷はスキマを用いてしか入れない、だから幽香は紫がスキマを開き屋敷に戻ろうとした所を素早く入り込んだのだ。

 気づいた時には既に遅し、さすがにスキマの中に閉じ込めておくわけにもいかず、現在に至る。

 

「だって眠いのだもの、今夜は泊まらせてくれるわよね?」

「そんな勝手が許されると思っているのか?」

「私は紫に訊いてるのよ。式風情の駄狐は黙っていなさい」

「貴様……!」

 

 藍の尻尾が逆立つ、幽香も迎え撃つつもりなのか笑みを浮かべつつ拳を握り締めた。

 

「藍、よしなさい。龍人が起きてしまうわ」

「ですが紫様……!」

「それと幽香、泊まらせてあげるからさっき藍に放った暴言を謝りなさい」

「…………わかったわ。ごめんなさい藍、少し言葉が過ぎたわ」

 

 素直に藍に向けて頭を下げる幽香、藍も不満そうな顔だがおとなしく引き下がる事に。

 一触即発の空気が霧散したのを確認してから、紫は藍に龍人を部屋に連れて行くように指示し、その後幽香を連れて客間へと足を運ぶ。

 

「悪かったわね、生真面目そうだからついからかってしまったの」

「別に構わないわ。あんな挑発に乗ってしまう藍が悪い、でもあまり馬鹿にすると私も黙っているわけにはいかないからそのつもりで」

「随分可愛がっているのね、式は主にとって道具なのでしょう?」

「あの子は私にとって式だけれど、それ以上に家族でもあるのよ」

「家族、ね……まるで人間みたい」

 

 その口調は、先程のような小馬鹿にするようなものだった。

 だが紫は動じない、自分が妖怪として変わった考えを持っているとわかっているからだ。

 

「紫は変わっているわね、式を家族と言ったり人間と花見を興じたり……妖怪らしくないわ」

「そういうあなただって、花見に乱入していたじゃない」

「私は花達の楽しげな様子が気になったから見ただけだし、人間なんか眼中に無かったわ」

 

 事実、幽香はあの場で一度たりとも人間達に視線を向けることはなかった。

 遠巻きに自分を見ていたのは知っていたし、あからさまに迷惑顔を向ける者だって居たことも気づいている。

 

 だが幽香にとってそんなものはそれこそ無意味なものであり、人間などそこらに落ちている小石のような存在なのだ。

 それでもあの場に居たのは花達の様子が気になったのと、あの無駄に自分に友好的だった少年、龍人が面白いと思ったから。

 

「あの子、龍人って言ったわよね? 彼、半妖でしょう?」

「ええ、そうよ」

「あの子もあなたにとって家族なのかしら?」

「愚問ね」

「ふーん……」

「…………?」

 

 幽香が、いたずらっぽい笑みを向けてくる。

 碌でもない事を考えているのだろう、しかし関わりたくないので紫は無視して自室へと戻ろうとする。

 しかし、次に幽香が放った一言で彼女は動きを止めてしまった。

 

「――彼の事気に入ったわ。私が貰ってもいいかしら?」

「…………」

「半妖だけど、彼の内側にある力はとても大きい……それに花や植物達にも凄く好かれている。だから気に入ったの」

 

 だから、貰ってもいいわよね?

 真紅の瞳に獲物を狙う狩人のような色を宿し、幽香は再度問いかける。

 紫からの反応は無い、しかしその心に動揺の色を宿している事に気づき、幽香は内心ほくそ笑む。

 

 他者をからかうのが好きな幽香は、紫のような存在が動揺するのが堪らなく好きなのだ。

 もっとからかってやろう、悪戯心に火の点いた幽香は再び口を開こうとして……何も言えなくなった。

 

「……悪いのだけれど、彼はこの幻想郷に必要な存在なの。あなたの退屈を紛らわせる玩具じゃないのよ?」

 

 静かに、けれどいやに耳に響く紫の声。

 その声に込められているのは、明確な敵意と絶対零度の如し冷たさ。

 見縊っていたわけではない、だが今の紫を見て幽香は己の軽率な行動と言動を後悔した。

 

「……悪かったわ。もう言わないから」

「…………」

 

 場の空気に緩みが生じ、幽香は知らず知らずの内に安堵の溜め息を零していた。

 戦って負けるなどとは思っていないが、ここは彼女の屋敷、つまり彼女の土俵だ。

 実力が拮抗していると判断できた以上、ここで戦うのは得策ではない。

 

「本当に大切なのね、彼が」

「……約束を交わしているのよ、彼を守り支えるという約束を」

「私にはそれだけには思えないけど、まあいいわ」

 

 言って、幽香は布団に潜り込んでしまった。

 そんな彼女を一睨みしてから、紫は今度こそ部屋から出ようとして。

 

「でも、彼が気に入ったのは本当よ?」

「いいから寝なさい!!」

 

 まだそんな事を言ってくる幽香を一喝して黙らせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「――暫く厄介になるわ。宜しくね?」

「はあ!?」

「ああ、よろしくな幽香!」

「龍人様!?」

 

「紫、藍、いいだろ?」

「…………」

「…………」

(本当に、彼には弱いのね……)

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第42話 ~迷いの竹林へ~

今日も平和な幻想郷にて、紫達は生きていく。

さて、今回の物語は………。


「~~~~~~♪」

「…………」

 

 ザクッ、ザクッ、という土を耕す音が響く。

 鼻歌を歌いながら鍬を持ち畑仕事に精を出すのは龍人、その近くでは同じく鍬を持ちながらもなんともいえない表情を浮かべている幽香の姿があった。

 前の花見の時から八雲屋敷にて厄介になっている幽香だったが、龍人から「働かざるもの食うべからず」と言われ、半ば強引に畑仕事を手伝わされている。

 

 ……はっきり言って不快である、何故自分が人間達の仕事の手伝いをしなければならないのか。

 それに、遠巻きから自分を眺める人間達の視線も鬱陶しいことこの上ない、いくら道端に落ちてる小石程度の認識であっても、こうもあからさまでは不快にもなるというものだ。

 

「幽香、手が止まってるぞー」

「……どうして私がこんな事をしなければならないのかしら?」

「言ったろ、働かざるもの食うべからずだって。それにここの農家のおっちゃんは誰かの悪戯で足を怪我しちまって仕事ができねえんだ」

「だからって、妖怪である私が人間の仕事をしろと? 笑い話にもなりはしないわ」

「どうせ暇だろ? やることないなら口より手と足を動かしてくれよ」

「…………」

 

 ビキッと、幽香の額に青筋が浮かぶ。

 ああ確かに暇だとも、だがそういう問題ではないのだ。

 “妖怪”の自分が“人間”の役に立とうとするなど、無駄で無意味で無価値な事。

 

「……人間が妖怪を恐れ、妖怪は人間を見下し、餌としか見ない」

「………?」

「それが両者の関係だって事は俺だって知ってるさ。だけど……だからってそれが正しいわけじゃない。

 それに、そんな関係を続けていたら、いつか取り返しのつかない事になる。人間と妖怪……どちらかが完全に滅びるまで互いを憎みあう事になるかもしれない」

 

 そんな未来など、龍人は認められない。

 だから少しずつ歩み寄ってほしいと思っているのだ、たとえ何十年何百年と経とうとも……。

 その果てに、互いに歩み寄る未来が来ればそれはどんなに。

 

「――くだらない未来ね。そんなもの」

「…………」

「人と妖怪の関係は未来永劫変わらない、変わるわけがないのよ。

 残念ね。あなたの事は割と気に入ったんだけど、そんなくだらない妄言をほざくのなら……期待外れもいい所だわ」

 

 幽香は告げる、冷たい口調で、蔑むように。

 しかし龍人は反論しない、幽香の言っている事は間違っていないと知っているから。

 未来永劫、両者の関係は変わらないのかもしれない、事実里の者達の中でも自分や紫に対し友好的ではない人間だって居る事を龍人は知っている。

 どんなにこちらが歩み寄っても、相手は決してこちらに信頼を置こうとはしない。

 一方通行な思いは、幽香の言う通りくだらないものへと成り下がってしまうかもしれない。

 

「――焦ったって、しょうがないさ」

「えっ……?」

「そう簡単にお互いの関係が変わるだなんて俺だって思ってないさ、それに幽香の言う通り未来永劫変わらないかもしれないとも思ってる。

 でもだからって諦めたら勿体無いだろ? だから……焦らず、ゆっくりやっていくさ」

「…………」

 

 そう言って笑う龍人の顔は、とても穏やかで……優しい色を宿していた。

 まるで全てを包み込む森のような大きさと暖かさを感じ、幽香はその笑みから視線を逸らせない。

 くだらない、実にくだらない妄言を放っている筈だというのに、どうしてこんなにも美しく純粋な笑みを浮かべられるのか……。

 

「あ、あの……」

「ん……?」

 

 下から声が聞こえ、視線を下に向ける幽香。

 そこに居たのは小さな人間の少女、脅えた表情を自分に向けており、それを見た幽香の顔が不快げに歪んだ。

 

「ユズ、どうした?」

 

 幽香の顔を見てますます脅える少女、ユズに声を掛ける龍人。

 するとユズはおずおずと2人に両手で持っていた何かを見せてきた。

 それは笹の葉で包まれた球体の物体、幽香はその正体がわからなかったが、龍人はすぐさま笑みを浮かべユズの頭を優しく撫でた。

 

「握り飯を持ってきてくれたのか、ありがとな」

「う、うん……あの、そっちの、妖怪さんも……」

「ああ。もちろん幽香も食うよ」

「は? ちょっと、誰がそんなもの……」

 

 抗議の声を上げようとした幽香であったが、その時には既に龍人は走り去っていくユズに手を振っていた。

 おもいっきり龍人を睨みつける幽香、しかし龍人は動じない。

 

「いいじゃねえか。少しは動いて腹が減ったろ?」

「人間の食べ物を食べたところで、意味は無いわ」

「食べる楽しみがあるじゃねえか、生きているのに楽しみが無いとつまらないだろ?」

 

 適当な石の上に腰を降ろし、握り飯を食べ始める龍人。

 食べながらもう一個の握り飯を投げられ、キャッチする幽香だったが表情は不機嫌さを隠そうともしていない。

 当たり前だ、畑仕事にこの握り飯……幽香にとって無意味な時間を過ごしているのだから。

 いや、無意味というよりは、人間の役に立ってしまっているというのが、ただ腹立たしい。

 

「さっきのユズだって、幽香に歩み寄ろうとしてくれたから、握り飯を持ってきてくれたんだぞ?」

「今だけよ。無知な子供だからこその無謀な行動、半端な知識を得れば周りの人間と同じものに成り下がるわ」

「そんなの育ってみないとわかんねえよ、人間全部がああなわけじゃないさ。

 それより食えよ、美味いぞー」

「……夢物語も、そこまで頑なだと気味が悪いわね」

「気味が悪くて結構。元々受け入れられるような道じゃねえっていうのはわかっているし、それに……この道は1人で歩んでいるわけじゃない」

 

 だから、前を向いて歩いていけると言って、龍人は笑った。

 ……またあの笑み、全てを包むような優しく暖かな笑みだ。

 見た目も中身も少年だというのに、今の彼は普段とは正反対で……目が離せない。

 そこまで考え、幽香は頭を振って思考を切り替える。

 自分は一体何を考えているのか、大きく溜め息をついて、彼女の視界に先程の握り飯が映った。

 

「…………」

 

 食べる必要など、ない。

 妖怪は人間の食事を必要としない、が。

 気がついたら、幽香は手を動かして……握り飯を口の中に含んでいた。

 

「…………」

「美味いだろ?」

「…………さあ」

 

 素っ気なく返しながらも、咀嚼を続ける幽香。

 それを見て、龍人は苦笑を浮かべそれに気づいた幽香の顔が僅かに赤らんだ。

 

「な、何よ……何か言いたい事があるのなら言えば?」

「別になんでもねえよ。でもお前って、結構面白いな」

「っ、こいつ……!」

「うおっ!?」

 

 顔を高潮させた幽香に殴りかかられ、間一髪回避する龍人。

 

「……ちょうどいいわ。あなた半妖だけど(りゅう)(じん)とかいう種族の力を引いているのよね? その力がどんなものなのか試させてくれない?」

「ちょっと待て、お前って結構力がある妖怪だろ? そんなお前が暴れたら里がめちゃくちゃになる」

「そんなの私には関係ないわねえ……」

 

 口元に歪んだ笑みを浮かべつつ、幽香は妖力を開放させる。

 瞬間、周囲の空気が軋みを上げ、龍人は溜め息をつきながら残りの握り飯を一口でほおばりつつ、幽香を止めようとして。

 

「――はい、そこまで」

 

 上記の言葉と共に、幽香の首筋に闇魔の刀身が添えられた。

 

「……紫」

「里で暴れられては困るのよ。龍人も彼女を怒らせるような言葉は慎みなさい」

「俺は何も言ってねえよ」

「まあいいわ。幽香、お願いだから無駄な争いは控えてくれないかしら?」

「私があなたのお願いをきく必要があるとでも?」

「いいえ。でも……賢い幽香なら、拒否すればどうなるのかわかるわよね?」

 

 グッと、闇魔の刀身を握る力が強くなった。

 どうやら本気のようだ、つまらなげに溜め息をついてから幽香は妖力の放出を止める。

 紫もそれを確認してから闇魔をスキマの中に入れ、里の地面へと降りた。

 

「紫、何かあったのか?」

「ええ、たった今貴方達のせいでね」

「そうじゃなくて、わざわざ里に来た理由……他にあるんじゃないか?」

「……よくわかったわね。実は里に時々悪戯を仕掛けてくる妖怪の正体がわかったから、少しお灸を据えようと思っているの」

「へえ、それでどんな妖怪だったんだ?」

 

 龍人が問う、それを聞いた紫はすぐさま彼の問いに答えを返した。

 

「――妖怪兎よ。最近里の近くに出現した“竹林”で目撃されたらしいわ」

 

 

 

 

――幻想郷の近くには、まるで森のような広さがある竹林が存在する。

 

 しかしこの竹林は昔からあるものではなく、ある時突然に、何の脈絡もなく姿を現した。

 故に紫は阿爾からの依頼でこの竹林を調査しようとしたのだが、その阿爾から里で悪戯を行っている妖怪が所謂“妖怪兎”だと聞き、更にその妖怪兎が竹林の中へと入っていったのを見たという報告を受けたそうだ。

 話を聞いた紫はすぐさま調査を開始しようと、現在龍人と共に竹林の中を飛んで移動していた。

 

「にしても……こんなに巨大な竹林がいきなり現れるなんて、そんな事あるのか?」

「一気に成長したとは考えにくいわね、だとすると……この竹林は元々ここにあったという事よ、でも誰もそれを認識できなかった」

「紫でもか?」

「ええ。――相当強力な結界か、それとも魔法の類か。それはわからないけど……この竹林には相当の実力者が居るみたいね」

「……藍と幽香も連れてくればよかったかな」

 

 今、この場に藍と幽香は居ない、2人とも八雲屋敷で待機している。

 幽香はともかく藍は調査の手伝いの為に連れてきたかったのだが、調査の間幽香を1人にしておきたくはなかったのだ。

 なので藍は彼女を監視する役目を担ってもらっている、里の者から仕掛けなければ幽香も何もしないとは思うが、念のためだ。

 

「今頃、喧嘩をしていなければいいけど」

「してる、だろうな。幽香は人をからかうのが好きだし、藍は真面目すぎるから……」

 

 幽香が紫や龍人に対する暴言を放ち、それを聞いた藍が憤慨する。

 容易に想像できる光景だ、それを思い浮かべて紫はおもわず苦笑してしまった。

 

「あの子は真面目すぎるのよね、私達の役に立とうと躍起になってるから」

「でもさ、藍は紫の式なのにどうして俺まで主人だと認識しているんだ?」

「あの子と正式に式としての契約を結んだ際に、私達の血肉を与えたでしょう? だから藍は貴方の事も主人として認識しているのよ。

 まあそれを差し引いても、主人である私の友人であり家族である貴方を主人だと思うのは当然かもしれないけどね」

 

 龍人と話しながら、紫は周囲に意識を向ける。

 見えるのは大きく伸びた竹ばかり、だが下級とはいえ妖怪の気配を至る所から感知できる。

 どうやら既にこの竹林は下級妖怪達の根城になっているようだ、陽の光も通りにくいこの空間ならば当然ではあるかもしれないが。

 

「ん……? 紫、あれは……」

 

 少しだけ声を落として龍人が紫に声を掛け、ある方向を指差す。

 その方向へと視線を向ける紫、そこに居たのは竹林を走る小さな少女。

 しかし頭に生えた人とは違う白く大きな耳がその少女を人間ではないと示しており、更にその耳は兎の耳にそっくりであった。

 

「見つけたわ……龍人、気配を殺して追いかけるわよ」

「おう、わかった」

 

 すぐさま少女を追いかける紫と龍人、勿論気配を極力抑え、少女との距離を充分に離し感知されないようにしながら尾行を開始した。

 

「あいつ、走るの速いなー」

「兎はああ見えて結構俊敏なのよ、地上での機動力が高いのも頷けるわ」

 

 油断をしていると、あっという間に見失ってしまいそうだ。

 

「あいつが里で悪戯を繰り返してる犯人だとしたら、どうするんだ?」

「灸を据えてやるわ、それでも反省しないのなら……鍋にでもしましょうか」

「兎って美味いのか?」

「美味しいらしいわよ。妖怪兎が普通の兎と同じ味なのかは知らないけど」

 

 などという物騒な会話をしながらも、2人はつかず離れずの距離を維持しながら妖怪兎の少女を追っていく。

 途中、妖怪兎の少女は立ち止まり周囲に視線を向ける場面があったものの、気づかれぬまま2人はある場所へと辿り着いた。

 そこは変わらず竹達に囲まれた場所、だがぽっかりと竹が生えていない空間が存在していた。

 妖怪兎の少女がそこに近寄っていき――突如として、その姿が初めから存在しなかったかのように消えてしまう。

 

「これは……!?」

「消えちまった……」

 

 2人は急ぎ妖怪兎の少女が消えた場所へと降り立つ、だがそこには少女が居た痕跡すら残っていなかった。

 空間に歪みが存在しないか、紫は能力を開放する。

 すると、僅かに、本当に気づけない程の僅かな歪みを発見する。

 この場に居なければ気づけなかっただろう、その歪みに右手を添える紫。

 瞬間、バチッという衝撃が紫に襲い掛かり、彼女は顔をしかめながらその場から離れた。

 

「紫!?」

「大丈夫よ。――――えっ!?」

「な、なんだこれ!?」

 

 目を見開き、驚愕する2人。

 一体何が起きたのか、先程まで何も無かった空間に、突如として大きな屋敷が現れたのだ。

 目の前には木製の門、その先には中庭が存在する和風の屋敷が広がっている。

 

「なんでいきなり屋敷が……」

「ここに特定の存在以外の者に認識させない術が展開されていたのでしょうね、それも私の能力を用いても気づきにくい程の高度な術が」

 

 ……これ以上この先に進む事は得策ではない、紫はそんな認識を抱き始めていた。

 これだけの高度な術は見た事がない、境界を見て操作する自分の能力ですら、近くで見なければ小さな綻びすら発見できなかったのだから相当だ。

 少なくとも大妖怪クラス、否、それ以上の存在がこの屋敷に居るのは明白であった。

 

 自分と龍人だけでは危ない、せめて藍……あるいは幽香の力を借りなければ危険だ。

 そう判断した紫はすぐさま龍人に引き返すように告げようとして、その前に門が重苦しい音を響かせながら開き出した。

 身構える2人、すぐにでも攻撃を仕掛けられるように準備を終え、門の中から現れたのは――1人の女性。

 

「なっ――!?」

「………?」

 

 その女性を見た瞬間、紫は二度目の驚愕に襲われていた。

 彼女のそんな姿を見て龍人も面食らい、そしてそれは……現れた女性も同じであった。

 

「…………これはまた、意外すぎる来訪者ね」

 

 驚きながらも、その口調には僅かに喜びの色が混じっている。

 美しい銀髪を三つ網で纏め、美しくも力強い覇気を全身から放っているこの女性は、紫のよく知る人物。

 

「………………八意」

「ええ、久しぶりね八雲紫、そして話すのは初めてかしら。龍人」

 

 かつて都で友人となった蓬莱山輝夜と共に月の追っ手から逃げているはずの月人の女性、八意であった―――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回から新章突入です。
少しでも楽しんでいただければ幸いに思います。


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第四章 ~月面戦争~
第43話 ~八意永琳~


幻想郷に突如として出現した竹林、その調査と里で悪さをする妖怪兎を捕まえるために進入した紫達。
その中で、彼女達はかつて都で出会った月人、八意と再会する……。


「――またいつか会えるとは思っていたけど、二百年程度で再会するとは思わなかったわ」

 

 そう言いながら客間へと案内した紫と龍人にお茶を出すのは、かつて月に暮らしていた女性、八意。

 再会を喜ぶように笑みを浮かべる彼女に、紫もまた同じような笑みを浮かべ言葉を返した。

 

「本当ね。輝夜は元気かしら?」

「勿論、ただ今は眠っていらっしゃるから……」

「わかっているわ、でもまさか八意達がこんな竹林の奥に暮らしていたなんて……」

(えい)(りん)よ。地上で生きる以上名前が無いと不便ですからね、今の私は八意永琳と名乗っているの」

「永琳ね、覚えておく…………龍人?」

 

 先程から、やけに静かな龍人に紫は視線を向ける。

 すると彼は、じっと永琳を見つめているではないか、一体どうしたというのか。

 

「あら、もしかして私に見惚れてしまっているのかしら?」

「歳を考えなさい、永琳」

「…………」

(あ、失言だったみたい……)

 

 冷静を保とうとしているようだが、顔が引き攣っている。

 意外と打たれ弱い永琳に驚きつつ、紫は心の中で謝罪しながら強引に話題を変える事にした。

 

「と、ところで永琳。ここに妖怪兎が居ると思うのだけれど……」

「妖怪兎? ええ、確かにここには多数の兎達が暮らしているけど……」

「実はね……」

 

 紫は永琳に、自分達がここに辿り着いた敬意、そして今までの事を話した。

 自分達は人と妖怪が共に暮らす幻想郷という隠れ里で暮らしている事。

 その里で、最近悪戯をする妖怪兎が現れ始め、里の者が怪我をした事。

 妖怪兎をこの竹林で目撃し、後を追ったらこの場所へと辿り着いた事。

 

「……成る程、そちらの事情は理解したわ」

 

 紫の話を聞いた後、永琳は疲れたように大きく溜め息をつき額に手を置いた。

 どうやら彼女も知らなかったらしい、もう一度溜め息をついてから永琳は紫達に向かって頭を下げた。

 

「知らなかった事とはいえ申し訳ない事をしてしまったわ、おそらくそれは私の弟子がしでかした不始末ね。――すぐに連れてくるわ」

 

 言って、永琳は客間から出ていってしまった。

 

「……龍人、先程から永琳を見ていたようだけど、どうしたの?」

「ん? ああ……俺、話には聞いていたけど永琳ってどんなヤツなのか見たのが初めてだったから」

「そういえば、あの時は眠っていたものね」

「アイツ、凄く強いな。もしかしたらとうちゃんより強いかも。そう思ったらついジッと見ちゃったんだ」

「龍哉より……?」

 

 確かに、永琳の力は底が知れないと紫も思う。

 だが元とはいえ龍神であった龍哉よりも強いというのは、些か信じられない。

 と、遠くから悲鳴のような声が聞こえてきた。

 悲鳴というよりも断末魔に近いかもしれない、一体どうしたのかと思っていると……永琳が戻ってきた。

 

「待たせたわね」

 

 そう言ってにこやかに笑う永琳の右手には、先程紫達が追っていた妖怪兎の少女が握り締められていた。

 頭の耳を乱暴に掴み上げられ、ぐったりとしているその姿はおもわず何があったのかと問いたくなるほどに悲惨な姿であった。

 

「この子は因幡(いなば)てゐといって一応私の弟子になる妖怪兎達の長よ。だけど悪戯好きで今回の事もこの子がやらかした事みたい。

 身内の恥を見せてしまって申し訳なく思うわ。――てゐ、あなたも謝りなさい」

「ぐへえっ!!?」

 

 ぽいっと、地面に少女、因幡てゐを乱暴に投げ捨てる永琳。

 投げ捨てられたてゐはプルプルと身体を震わせている、見ていて痛々しい事この上なかった。

 

「大丈夫か?」

「……酷い目に遭ったウサ」

「てゐ、私は謝りなさいと言ったのだけれど?」

「うぐ……こ、今回は悪かったわね」

 

 そっぽを向いて謝罪の言葉を放つてゐ、当然ながらそこに誠意の欠片も見られない。

 

「……永琳、お鍋と調味料あるかしら?」

「あるわよ。でもてゐは煮ても焼いても食えなそうだけど?」

「ちょちょちょ!? 平然と食う相談をしないでよ!?」

「じゃあ、それが嫌ならちゃんとお前の仕掛けた落とし穴に引っかかって怪我をした農家のおっちゃんに謝りにいくか?」

「…………わかったわよ」

 

 しぶしぶといった様子で承諾するてゐ、どうもまだ反省の色が見えない。

 

「そうだ。紫、農家のおっちゃんのお見舞いにコイツを使った兎鍋をご馳走するっていうのはどうだ?」

「いい考えね」

「わかりました! 誠心誠意謝らせてもらいますので、それだけはご勘弁を!!」

 

 とうとう土下座までし始めた、その滑稽な姿を見て永琳と紫は顔を見合わせて厭な笑みを浮かべ合う。

 と、永琳は懐から何かを取り出し紫に手渡した。

 それは小さな瓶状の物体、中には透明な液体が満たされている。

 

「これは?」

「骨折をしたという人間に飲ませてあげて、それを服用してから一晩経てば折れた骨が元通りになるだろうから」

「一晩で?」

「こんな程度の薬ならすぐに作れるのよ、これでも【月の頭脳】って呼ばれてた薬師なんだから」

「へえー……」

 

 にわかには信じがたいが、おそらくそれは真実なのだろう。

 薬の知識がない紫にも、この薬から“凄み”のようなものが感じられた。

 人間はおろか、妖怪が作る薬すら上回る効力があるのだろう。

 

「……あんた達、悪魔?」

「この薬を渡して謝ればいいだけだろ? 大体先に怪我を負わせたのはお前じゃねえか」

「そうだけどさ。わたしにとって悪戯は存在意義と言っても過言じゃないんだからしょうがないじゃない」

 

「――そういえば紫、あなた達どうやってこの“(えい)(えん)亭《てい》”に辿り着けたの? ここと竹林には姫様の能力を利用して他者からは決して感知できないようになっていたのに……」

「この屋敷に関しては偶然かしらね、彼女を追った際に僅かな綻びを見つけたから、能力を使って干渉したのよ。でも竹林は数日前に幻想郷の近くに突然現れたから、その存在は私達以外も知っているわよ?」

「……どういう事? 私の結界と姫の能力が正常に機能していないというの?」

「それはわからないわ。でも安心して、ここの事は勿論他言しないし、里の者達にもここには近寄らぬように警告をしておくから」

 

 というより、ただの人間がここに入れば間違いなくはぐれ妖怪達の餌になるのは明白である。

 それをわからせれば、自殺願望者でもない限り近づいたりはしないだろう。

 

「…………」

「信用できない?」

「いいえ。少なくともあなた達は信用できるわ、ただ……問題はそれだけではないのよ」

「……?」

 

 どうやら他に何か問題があるらしい、永琳の表情が強張っている所を見ると小さな問題ではないようだ。

 しかし、どうも現状では自分達に何かできるわけではないらしい、そう思った紫はそろそろお暇させてもらおうとてゐとじゃれている龍人へと声を掛けた。

 

「龍人、今日はもう帰りましょう」

「えっ、輝夜に会いに行かないのか?」

「眠っていると言っていたでしょう? せっかくの再会を喜びたい気持ちはわかるけど、また後日来ればいいわ」

 

「んー……了解。じゃあてゐ、明日の朝竹林の入口に来いよ? 来ないと本当に兎鍋にするからな?」

「わ、わかってるわよ……」

 

 龍人にキッと睨まれ、内心ビビりながらもおとなしく頷いておくてゐ。

 まあ、忘れてたフリをして適当に流せばいいだろう、この男は存外に甘そうだから……。

 

「てゐ、もし忘れてたフリをして適当に流したりしたら……死んだ方がマシだと思うような目に遭わせるから、そのつもりで」

「…………ハイ」

 

 因幡てゐ、狡賢さは妖怪の中でも上位であるが。

 月の頭脳と呼ばれた永琳には、勝てないのであったとさ。

 

 

 

 

「……ふぁぁ~……」

「あら、姫様。起きたのですか?」

 

 紫と龍人が永遠亭を後にしてから、1人の少女が寝ぼけ眼のまま永琳の前に現れた。

 少女の名は蓬莱山輝夜、この永遠亭の主人でありかつて紫達と友人関係を結んだ月の姫である。

 

「なんだか騒がしかったけど、兎達が悪さでもしたの?」

「いいえ。来訪者ですよ、それも……私達の知り合いが来ました」

「わたし達の知り合いって、まさか月の追っ手?」

「違いますよ。――八雲紫と龍人です」

「へー、紫と龍人が………………紫と龍人!?」

 

 目を見開き驚きの表情を浮かべる輝夜、その顔はすぐさま永琳に対する不満の色へと変化した。

 

「ちょっと永琳、どうして起こしてくれなかったのよ!?」

「姫様は寝たばかりでしたし、起こすのも可哀想かと思いまして」

「思わなくていいってば! あーもう、久しぶりに会えるチャンスが!!」

「まあまあ、また後日来ると言っていましたから、その時に再会を喜び合えば宜しいではありませんか」

 

「むー……まあいいわ。それで2人は元気だった?」

「ええ、力も増していましたし良い成長を遂げているようでした」

「ふーん………」

「…………」

 

 口元に隠しきれない喜びの笑みを浮かべる輝夜を見て、永琳も自然と優しい笑みを浮かべていた。

 都から逃げて二百年以上が経ったけれど、輝夜があのような笑みを浮かべるのは本当に久しぶりだからだ。

 今宵は本当に良い再会ができた、既に屋敷に戻っていった紫達に永琳は心の中で感謝の言葉を告げる。

 ……だが、この再会によって新たな問題が発生した。

 

(結局、私の結界と姫様の能力が正常に機能しなかった理由がわからないわね……)

 

 この永遠亭の竹林には、月の追っ手から逃れるために様々な術が施されている。

 入った者を迷わせる霧、他者に認識させない不可視の術、そして輝夜の能力による永遠の継続。

 だというのに、紫の話では竹林は幻想郷の住人に認知され、永遠亭に施されていた結界すら僅かとはいえ綻びが生じていた。

 そんな事は本来ならばありえない、施した術はまさしく永遠に解けないようになっているというのに。

 

(何者かの干渉を受けたのは間違いないけど……私に気づかれないようにそんな事ができる存在が、この地上に居るというの?)

 

――何かが、起きようとしているのかもしれない。

 

 そんな懸念が、永琳の中で生まれ始めたが。

 

(まあ、いいか)

 

 考えるのが面倒になったのか、勝手に自己完結させ永琳は思考をあっさりと切り替えたのだった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




少し短めになりました、更新速度を少しでも上げるために今までより少し短い話がこれからも増えるかと思います。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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第44話 ~玉兎の少女~

平和な幻想郷に生きる紫達。
かつての友人である輝夜を守る永琳との再会を喜びつつ、彼女達は幻想郷での平和な世界で生きていく。

……そんな中、彼女達の前に遠い来訪者が現れた。


「――邪魔するわよ、阿爾」

「あ、いらっしゃい紫さん」

 

 今日も穏やかな空気に包まれた幻想郷。

 暖かな春の風が吹く中、紫は稗田の屋敷へと訪れていた。

 すぐさま紫を迎え入れ、使用人にお茶の用意をするよう指示を出す阿爾。

 

「この間はありがとうございました、紫さんと龍人さんのおかげで田吾作さんの足の具合も良くなったみたいで」

「いいのよ。こっちとしても収穫はあったから」

「それにしても凄いですね、折れた骨を一晩で治してしまうだなんて……一体何処であのような薬を?」

「……腕の良い妖怪の薬師が居るのよ、事情を話したら分けてくれたの」

 

 真実は違う、妖怪兎、因幡てゐの落とし穴によって足の骨を折る怪我を負った人間の田吾作の足を治した薬を作ったのは、竹林の奥に隠れ住む月人だ。

 しかし紫は真実を話したりはしない、月人、八意永琳との約束もあるし幻想郷の住人に余計な不安要素を抱かせたくないからだ。

 

「ところで阿爾、私の言った通りにしてくれましたか?」

「竹林の事ですよね? 勿論里の全員に伝達しましたよ、でもそれだけ恐ろしい場所なんですか?」

「ええ、私や龍人ならばいざ知らず、普通の人間が入れば間違いなく出られなくなりますし、その前に住み着いたはぐれ妖怪達の餌になってしまいますわ」

「……そんな所を根城にしているだなんて、妖怪兎って意外と逞しいんですね」

「狡猾だけが取り柄ですからね、あの種族は」

 

 などと話しながら、紫はまったりと時間を過ごす。

 今頃龍人はいつも通り里で人間達と共に汗水垂らして働いている事だろう。

 二百年ぶりに月からの来訪者と再会したが、幻想郷には変化は無い。

 変化がないという事は平和だという事だ、ただ……それは同時に進化を忘れているという事にも繋がる。

 

(進化をするために平和を逃すか、平和を守るために進化を捨てるか……どちらが正しいのかしら?)

 

 きっとどちらも正しいのだろう、そしてどちらも間違っている。

 そんな答えの出ない疑問を思い浮かべながらもすぐに忘れ、紫は用意された熱めのお茶を啜りほっと一息。

 ……年寄りじみているという考えが一瞬浮かんで、紫は慌ててその考えを振り払ったのは余談である。

 

「――あら、ここに居たの?」

「幽香……?」

 

 塀を文字通り飛び越えて中庭に現れた長い緑の髪を持つ妖怪、風見幽香。

 口ぶりからどうやら自分を捜していたようだ、一体何の用事なのだろうか。

 

「龍人が呼んでいたわよ。まったく……この私を小間使いにするなんていい度胸してるわね本当に」

「龍人が? それで何処に居るの?」

「里の北側の入口付近よ、それじゃあ確かに伝えたから」

 

 そう言って、幽香は再び塀を飛び越えていこうとして……服の裾を掴まれた。

 視線を下に向ける幽香、すると自分の服の裾を掴みながら自分を見上げている阿爾の姿が見えた。

 

「……何かしら?」

「風見幽香さんですよね? 是非とも幻想郷縁起完成のご協力を!!」

「は?」

 

 キョトンとする幽香を、「さあさあ」と言いながら引っ張っていく阿爾。

 その小柄な身体の何処にそんな力があるのか、妖怪である幽香を引っ張る姿は圧巻の一言である。

 幽香もその突然な事態に対処できず、気がついたら部屋の中で阿爾と向かい合う形で座り込んでしまっていた。

 

 どうやら阿爾の、というより稗田家当主の悪い癖が発動したようだ。

 阿爾は先代の阿一と違いおとなしめな少女だが、見たことの無い妖怪を見たらこのように目を輝かせて興味を抱く。

 幻想郷縁起を完成させるためとはいえ、やはり何度見ても変わった人間だと紫は思った。

 

「ちょ、何なのよアンタ……紫、助けなさい!」

「暇なら協力してあげなさい」

 

 スキマを開き、入っていく紫。

 

「っ、あいつ……!」

「さあまずはですね、あなたがどのような妖怪なのかを教えてください!!」

(…………本当に何なの、この人間)

 

 問答無用でぶっ飛ばしてやればいい。

 そう思った幽香だったが、阿爾の不思議な迫力によってそんな気概が削がれてしまい。

 結局、彼女は阿爾の長く多い質問に答える羽目になってしまったとか……。

 

 

 

 

「――あ、紫」

「龍人、急にどうしたの?」

 

 スキマを用いて、里の入口へと移動した紫。

 そこには龍人と里の人間が数名居り、紫のスキマを見てギョッとするが彼女の姿を確認するやいなや今度はほっとした表情を浮かべていた。

 まあスキマの中は沢山の目玉が見えるから不気味に思うのだろう、少なくとも目にして気持ちの良いものではない。。

 それはともかく、彼女の視界に龍人が抱きかかえている見慣れない物体が映った。

 

(妖怪、ね。それにあの耳……妖怪兎かしら?)

 

 彼が抱きかかえているのは、気を失っている妖怪の少女であった。

 薄紫の長い髪の毛、頭の上には長い兎のような耳が生えている。

 内側から感じる妖力でこの少女が妖怪なのはわかったが、それよりも紫は少女の服装に目がいった。

 着物ではない不思議な衣装だ、寝巻きとはまた違うが今まで見たことのないデザインだった。

 

「龍人、この妖怪は?」

「里の入口で倒れてたのを里の人が発見したんだ、こいつ…たぶん妖怪兎だろ?」

「そうだと思うけど……まあいいわ。――この妖怪は私達が保護しましょう、ご苦労様でした」

「いえ、八雲様、龍人様、よろしくお願い致します」

 

 この少女の処遇をどうしようか困っていたのだろう、紫の言葉に里の者達は安心したような表情を見せた。

 改めて妖怪少女を見る紫、気を失っているがたいした傷を負ってはいないようだ。

 直に目が覚めるだろう、とにかく一度八雲屋敷に連れて行こうとして。

 

『――紫、龍人、その兎を永遠亭に連れてきてくれないかしら?』

 

 突如として、頭の中でそんな声が聞こえてきた。

 

「…………永琳?」

『頭の中に直接話しかけているわ、あなた達以外の者にはこの声は聴こえていない。

 ――その兎は“月”に生きる【玉兎(ぎょくと)】という妖怪兎よ、悪いけど今すぐ連れてきてくれる?』

「……わかったわ」

 

 永琳の念話に小さく返事を返し、紫は視線を龍人に向ける。

 彼も今の念話の内容を聞き納得したのか、何も言わず頷きだけを返した。

 スキマを開き、龍人共に永遠亭へと一瞬で移動する。

 

 既に門前には永琳が彼女達を待っており、紫達は永琳の案内で客間へと足を運んだ。

 永琳が玉兎と呼んでいた妖怪少女を用意されていた布団の上に寝かせ、彼女と向かい合わせになるように2人は椅子に腰を降ろす。

 

「ごめんなさいね。無理を言ってしまって」

「いいえ。それより永琳、この妖怪兎……月から来たと言っていたけど」

「ええ、この妖怪兎は【玉兎】、月の都での労働力となっている妖怪兎よ。その変わった格好は玉兎達が着用する服だからすぐにわかったわ」

「でも永琳、永遠亭に居たのによくわかったな?」

「その場に居なくてもいくらでも見る手段はあるというものよ、まあその方法は教えてあげないけれど」

 

 含みのある笑みを浮かべる永琳、相変わらず底の知れない女性だ。

 と、勢いよく客間の扉が開かれた。

 

「紫、龍人!!」

「あ、輝夜!!」

 

 入ってきたのは、2人の大切な友達である月の姫、蓬莱山輝夜。

 輝夜の姿を見て龍人も紫も表情を綻ばせ、輝夜も満面の笑みを浮かべ2人に駆け寄っていく。

 

「紫は随分美人になったわねー、まあ私には敵わないけど。龍人は……変わらないのね」

「なんだよー! これでも結構強くなったんだからなー!!」

「…………」

 

 無邪気に、けれどとても嬉しそうに笑う輝夜。

 その笑顔を見ただけで、永琳は嬉しくなった。

 このまま旧友との再会を喜ばせておくのはいいが……残念ながらそういうわけにもいかない。

 

「――起きているのでしょう?」

「えっ?」

 

 寝ている筈の妖怪兎の少女に厳しい口調で声を掛ける永琳。

 暫し返事が返って来る事は無かったが……やがてゆっくりと、その妖怪兎の少女は起き上がった。

 どうやら隙を見てこの場を離れようとしていたようだ、妖怪兎の気まずそうな表情で理解できた。

 

「玉兎が、この穢れた地上に来た理由は何かしら?」

「……何故、私が月の兎だとわかったのですか?」

「私は八意XX、そしてこちらは蓬莱山輝夜、この名に聞き覚えがあるのなら何故あなたの事を知っているのか理解できるわね?」

「や、八意様に…蓬莱山様!? す、凄い……まさか本当にお会いできるなんて、さすが豊姫様の力は素晴らしい!!」

「…………豊姫?」

 

 何やら勝手に感激している玉兎の少女に、永琳は訝しげな視線を向ける。

 一方、完全に蚊帳の外状態となっていた紫は、ここで会話に割って入る事にした。

 

「それで、一体月の兎が地上に一体何の用なのかしら?」

「……地上の妖怪ね。地べたを這いずり回る事しか能が無い穢れの塊が、随分と偉そうな口を利くものね」

「…………」

 

 紫の問いかけで返ってきたのは、あからさまな侮辱が含まれた言葉だった。

 随分と言ってくれるではないか、首を跳ねてその皮を剥いでやろうかと思った紫であったが……その怒りは、次に放たれた永琳の言葉で霧散する。

 

「――彼女達は私の、そして姫様の大切な友人よ。その2人を侮辱するという事は私達と敵対するという事を、肝に銘じておきなさい」

「っ、は、はい……」

 

 その言葉は一瞬で玉兎の少女の身体に纏わりつき、恐怖によってその心すら凍りつかせた。

 強力な言霊だ、おそらくこれでも永琳は加減をしていると思われるが……圧倒的なまでの力量差に紫は気がつくと頬に冷や汗を伝わらせていた。

 

「永琳、流石に可哀想だしこれじゃあ話が進まないわ。――それであなたは何をしに地上へ来たの? 指名手配されている私達を捕まえようとしてるとか?」

「そ、そのような大それた事、兎程度の私にはできません。じ、実は……」

 

 事情を話そうとして、玉兎の少女の視線が紫達に向けられる。

 どうも自分達には聞かれたくない内容のようだ、少女の視線が紫達に「この場から消えろ」と訴えていた。

 しかし紫はその視線を軽く受け流す、こんな兎の睨みなど気にする必要は無いからだ。

 

「いいから話しなさい、話さないというのならここまでよ」

「…………わかりました」

 

 永琳に言われ、納得のいかない表情を浮かべながらも……玉兎の少女は己が目的を話し始める。

 

「――八意様、どうか月にお戻りになってはいただけませんか? そして綿(わた)(つき)様達と共に地上から侵略を企てた妖怪達を滅するために御力をお貸しください!!」

 

「…………」

「地上から、妖怪達が月に侵略……? それは一体どういう事なの?」

「お前達に話す必要は無い」

「いちいち無駄な反応をするのはやめなさい。……謀反人である私に助けを求める必要があるとは思えないわね。月の技術を用いれば地上の妖怪に遅れを取るなどという事は決して無い筈」

「も、勿論我々も当初宣戦布告をしてきた妖怪達を前にして同じ事を考えていました、ですが地上の妖怪達は我々が思っているよりも遥かに強力で……それに百年ほど前に月夜見(ツクヨミ)様の方針で強力すぎる兵器は破棄または破壊してしまい……」

「成る程、平和主義者な彼女らしいわ」

 

 しかし、それでも解せない話だと永琳は思った。

 月には、地上とは比べ物にならない高度な文明が存在する。

 それこそ極一部の者しか使えぬ魔法や特殊能力を、何の力も無い一般の存在が容易く使えるような強力な技術が存在しているのだ。

 

 いくら強力な兵器の殆どを破棄したとしても、全ての武器を破棄したわけでもなくそれだけでも充分に対処できる筈。

 だというのにこの玉兎の口振りからして戦況は月人達の不利になっている、解せない話だと思うには当たり前だと言えよう。

 

「つまりあなたは、豊姫の指示で私を月に連れ戻すために地上へ来たと?」

「はい。でもこんなにも早く八意様に出会えるなんて幸運でした!!」

「…………」

 

 どうやら、この玉兎は自分が月に戻ると思い込んでいるらしい。

 なんという楽観的で頭の悪い兎だろうか、尤も玉兎というのは大抵このような愚か者が殆どだが。

 この愚か者はまるでわかっていない、なので永琳ははっきりと玉兎の少女に現実を教えてやることにした。

 

「帰りなさい」

「………………えっ?」

「帰りなさいと言ったのよ、私ももちろん姫様も……二度と月には帰らないわ」

 

 

 

 

「…………」

「――ごきげんよう、調子はどうかしら?」

 

 無音の世界、草木一本生えぬ不毛の大地。

 ここは月の大地、地上――地球から遥か数十万キロメートル離れた惑星の大地に、1人の人狼族の青年が立っていた。

 青年の名は今泉士狼、人狼族の大長であり五大妖の1人でもある大神刹那の右腕にして人狼族随一の槍術使いである。

 そんな彼の前に現れたのは、美しくも儚く不気味な笑みを見せる、赤髪の女性。

 

「……何か用か?」

「労を労いにきたのですわ。先程の玉兎達との戦闘、お疲れ様でした」

「…………」

 

 士狼からの返答は無く、彼の態度がすぐにこの場から消えろと訴えている。

 嫌われたものですわね、内心ではそう思いながらもさして気にした様子もなく赤髪の女性は言葉を続けた。

 

「月の都への道はもうすぐ見つけられそうですわ。さすがに強固な結界ですわね」

「ならばさっさと見つけてはくれないか、こちらの被害も決して小さくはない。このまま犠牲を増やし続ければ侵略も成功しない」

「もちろんわかっておりますわ、龍哉によって負傷した自身の主の傷を癒すために、月にあるという万能の霊薬があなたにはどうしても必要ですものね?」

「……それがわかっているのなら、早くしてくれ。こちらと利害が一致しているからこそ協力しているんだぞ?」

 

 わかりましたわ、最後まで胡散臭い笑みを崩さないまま…女性は一瞬で場から消える。

 目にも留まらぬ速さで、気配の残滓すら残さずに消えた。

 赤髪の女性の得体の知れなさに恐怖しつつも、士狼もこの場を離れ待機している妖怪達の元へと戻っていった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第45話 ~月へ~

幻想郷に現れた月の兎、玉兎。
彼女を連れて永遠亭へ向かった紫達は、玉兎の口から月で起こっている異変を知ったのであった。


「――な、何故ですか!?」

 

 妖怪兎の少女の悲鳴に近い声が、永遠亭に響き渡る。

 少女は困惑していた、捜し求めていた永琳に出会い、月の危機を知らせ、一緒に来てくれるのだと当たり前のように思った。

 だが現実は違う、永琳から返ってきたのは冷たい返答、それを聞いて困惑しない方がどうかしている。

 一体どうしてなのかと訴えてくる少女に、永琳は先程と同じ冷たい口調で言葉を返した。

 

「私も姫も、既に月を捨てた身。月に戻ろうだなんて微塵も思わないし、未練も無い。

 そもそもお尋ね者になっている私達が月に行けばどうなるかなど、玉兎であるあなたにもわかるはず」

「そ、その点でしたら綿月様達がなんとかしてくれます!!」

「だとしても月を捨てた私達が月に戻る道理も助ける義理も無い。――話は以上よ、これ以上食い下がるというのなら……宇宙空間に放り投げて塵にしてもいいのよ?」

「…………」

 

 にっこりと微笑みながら上記の言葉を放つ永琳に、少女はぞくりと身体を震わせた。

 今の言葉が本気だとわかったからだ、これ以上ここに居たら目の前の彼女は間違いなく自分の命を奪う。

 ……しかし、このままおめおめと月に帰るわけにはいかない。

 

「――お願い、します」

「…………」

「確かに、このまま戦ってもこちらが勝利するかもしれません。ですが……犠牲も大きくなってしまう、ですから」

「くどい」

 

 その一言で、少女は再び黙ってしまった。

 それだけではなく身体の震えも大きくなり、目には涙すら溜まってきている。

 玉兎は月の世界でも最下級の立場の存在、おまけに臆病で自分勝手な妖怪兎だ。

 

 だが、そんな臆病者が加減しているとはいえ永琳の言霊を受けても一向に逃げようとはしていない。

 その点だけは永琳も評価したが、このままというわけにもいかず……。

 

「――なあ、永琳」

「? なにかしら、龍人」

「どうにか助けてあげられないのか? そりゃあ永琳と輝夜は月にとってお尋ね者みたいだけどさ……」

「さっきも言ったけど、私も姫も月には未練も無いし助ける道理も無い、余計な事に首を突っ込みたくないのよ」

「…………」

 

 そう言われてしまうと、龍人としても何も言えなかった。

 輝夜へと視線を向けても、永琳と同じ意見なのか「無理よ」と言わんばかりの表情で肩を竦めている。

 だが永琳達には永琳達の立場と考えがある、それぐらいは龍人にだってわかった。

 だから彼は2人を責めるつもりは無い、かといってこの少女をこのまま帰すのも忍びない。

 

 ならばどうする? 暫し考え……彼の顔に、ある“決意”の色が宿った。

 それを見た瞬間、紫は彼が次に放つ言葉が何なのかを理解し、苦笑を浮かべ。

 

「――だったら、俺が協力する。お前達の力になるよ」

 

 予想通り過ぎる言葉を聞いて、おもわず噴き出しそうになってしまった。

 

「…………は?」

「俺は永琳より強くないけど、力にはなれると思う。それじゃあ駄目か?」

「な、何を言って……」

 

 龍人の突然の提案を聞いて、少女は困惑している。

 まあそれも当然だ、いきなりあんな事を言われれば困惑もする。

 しかし龍人の性格を知っている紫は特に驚かず、寧ろ必ず干渉するとわかっていた。

 困っている者を見れば、立場や種族など関係なく手を差し伸べようとするのが龍人なのだから。

 

「龍人、あなた本気なの?」

「なにがだ? 永琳」

「月の騒動に地上人のあなたが関わる必要性は皆無の筈、それなのに何故……」

 

 そう、それが永琳には理解できなかった。

 龍人は嘘偽りなど言っていない、本気で、心の底から月での騒動を止めようと協力を申し出ている。

 だからこそわからない、そんな事をして一体どんな利益があるというのか。

 

 無理もあるまい、会話を聞いていた紫はそう思わずにはいられなかった。

 彼女の疑問は尤もだし、問いかけたくなる気持ちもわかる。

 だが彼という人物を知っている紫にはその理由が理解できるし、当初は永琳と同じくキョトンとしていた輝夜も、今では納得したように笑みを浮かべている。

 

「――だって、困ってるだろ? それに輝夜達の故郷じゃねえか、友達の故郷がめちゃくちゃにされそうになってるのに、何もしないわけにはいかないよ」

「…………」

 

 今度こそ、永琳の表情が固まってしまった。

 口をポカンと開き、何処か間の抜けたその顔を見て紫と輝夜はおもわず噴き出しそうになってしまう。

 やはりと言うべきか、彼の月に干渉する理由が自分達の予想通りのものであった。

 

――そう、ただそれだけなのだ。

 

 龍人にとって友人である輝夜と永琳の故郷が地上の妖怪達に侵略されるのが我慢ならない、だから力になろうとする。

 彼はそれだけの理由で充分動いてしまうのだ、余計な打算も何も彼には関係ない。

 

――なんという無垢で強く、そして愚かな考えか。

 

「――ふ、ふふ、あははははははははっ!!!」

 

 耐え切れず、口を大きく開いて大笑いする輝夜。

 瞳に涙を溜め、膝を折り、咳き込むまで彼女は笑い続けた。

 心底面白いものに出会えたかのように笑い、それが漸く収まった後――彼女は息を乱しながら永琳に向かって口を開く。

 

「はー、はー……永琳、命令よ。龍人の力になってあげなさい」

「姫様?」

「私が良いというまで龍人を主と認め、彼の助けになりなさい。できるわよね?」

 

 有無を言わさぬ物言い、決して拒否する事は許さぬと言わんばかりだ。

 当然永琳は輝夜のいきなりの命令に面食らい、けれど輝夜の顔を見て……静かに頷きを返し、龍人へと視線を向けた。

 

「――龍人、月に行くのは少し時間が掛かるわ。でも今宵は満月……夜になってから、またこの永遠亭に来てくれるかしら?」

「えっ……」

「あなたを月に連れて行ってあげる。どうせ月に行く手段を考えてはいなかったでしょ?」

「あ……」

 

 言われて、間の抜けた声を出してしまう龍人。

 

「八意様、月へ来てくださるのですか!?」

「勘違いしてもらっては不愉快だから言っておくわ、私が月に行くのはあくまで姫様が龍人に力を貸せと言ったから。勝手な希望を向けるのはやめて頂戴」

「ぁ…………はい」

 

「……輝夜、一体何を考えているの?」

 

 楽しそうに笑っている輝夜に、紫は心中を問うために声を掛ける。

 

「だって面白いじゃない、さっきの龍人の言葉を聞いたでしょ?

 あんな理由で月という地上の生物にとって未知の世界へと足を踏み入れようとしてる、しかもそれに対する不安など微塵も抱かずにね。

 死と穢れから逃げ続けている私達月人からは理解できない考えよ、だから……その愚かで可笑しい彼の意志が、何処まで貫かれるのか見てみたくなったの」

「……あまり、良い趣味ではないわね」

「永遠を生きるのだもの、娯楽は必要よ? それに他にも理由はあるし……何よりも、私達を友達だと言ってくれたのが嬉しかったのよ」

 

 きっと彼は、周りが反対しても意見を曲げようとはしないだろう。

 実に面白い考えを持って生きている、だからこそ輝夜はそれがどこまで続くのか見てみたい。

 穢れの中で生き続ける罪深き地上の民の、その可愛らしくもただ愚かな願い。

 それを見てみるのも、永遠を生きる彼女にとって良い暇潰しになりそうだ。

 

 

 

 

「――というわけで、今夜月に行くぞ」

「…………はい?」

 

 龍人の言葉に、藍はおもわず変な声で返事を返してしまった。

 だってそうだろう、帰ってきた途端に上記の言葉を言われれば、変な声だって出てしまう。

 

「藍、理解できないでしょうけど、龍人は本気で言っているから」

「……一体、何があったのですか?」

「実はね……」

 

 混乱する藍に、紫は永遠亭であった事を事細かに説明した。

 さすがに話を聞いて驚きを隠せない藍であったが、主人の意向を汲み取りすぐさま準備をするために一礼をして部屋を後にした。

 

 戦闘は絶対に避けられない、言葉での説得が通じる相手ではない以上、戦える準備は必要だ。

 それを藍はすぐに理解してくれた、まだまだ尾も少なく若い妖狐だが、式としての彼女は現段階では充分過ぎる程の性能を誇っている。

 

「――やっと帰ってきたわね、紫」

「幽香……って、なんで疲れた顔をしているの?」

「……わからないかしら?」

 

 額に青筋を浮かべ、怒りの形相で紫を睨む幽香。

 そこで彼女は漸く思い出す、そういえばあのめんどくさいモードになった阿爾に拘束されていたのだったと。

 なんだか今にも飛び掛ってきそうな幽香に、どうしたものかと紫は思考を巡らせる。

 

 が、幽香は紫に襲い掛かる事はなく、けれどその口元に厭な笑みを浮かべ始めた。

 ……嫌な予感がする、そう思った紫に幽香はこう言った。

 

「月に行くって聞いたけど、当然私も連れて行くのよね?」

「……えっ?」

「退屈凌ぎになりそうじゃない。――連れて行くわよね?」

「…………」

 

 違う、彼女の言葉は【お願い】ではない、【脅迫】だ。

 瞳を細め、何処からか取り出した日傘の先端を紫に向け、上記の言葉を放つ。

 どう考えても拒否したら命を奪うつもりだ、明確な殺意だってこっちに向けてくるし。

 しかし困った、彼女を連れて行ってもしも月人とか地上の妖怪とか考えずに暴れ出したら……想像もしたくない。

 

 とはいえこのまま無理ですなどと言おうものなら、月に行く前に体力と妖力を使い果たしてしまいそうだ。

 目まぐるしく思考を巡らせる紫、どうにか打開策を探そうとして、その前に龍人が口を開いた。

 

「いいよ。行くか?」

「龍人!?」

「さすが龍人、話が早いわね」

「ただし、勝手に暴れ回るのは駄目だ。それが約束できないのなら置いていく」

「…………」

 

 あからさまに不満そうな表情を浮かべる幽香、しかし龍人も一歩も退こうとはしない。

 睨み合う両者、空気もだんだんと重くなり始め……先に折れたのは、意外にも幽香の方であった。

 

「――いいわ。でも敵と判断した者には決して容赦しない、いいわね?」

「ああ、それでいい」

 

 ならいいわ、そう言って日傘を降ろす幽香。

 

「……ごめんな、紫」

「えっ?」

「今更だけど、勝手に決めたりしてごめん」

「いいのよ。貴方の突然の行動は今に始まった事ではないし」

「ぐっ……」

 

 痛い所を突かれたのか、龍人は短い唸り声を上げた。

 確かに勝手な事をしているのは認めよう、だが紫にとっても今回の月への外向はメリットが存在する。

 

 もしも月人達の勝利に終わればこの地上に報復する可能性がある、だが自分達が月側に付けばその危険性を無くせるかもしれない。

 そして、上手くいけば月にあるという高度な技術を得る事ができるかもしれない、それだけでも紫にとっては充分過ぎるメリットだった。

 龍人は間違いなくこのような事は考えられない、だからこういう役目は自分が行わなければ。

 

「龍人、貴方は貴方の信じる道を歩んで。私はいつだって貴方の傍で貴方を支えるから」

「うん……ありがとうな、紫」

 

 微笑む龍人、紫もそれに答えるように微笑みを返す。

 そう、彼には自分の信じる道を歩んでほしい。

 きっとそれが、この幻想郷を……そして世界を、変えてくれると信じているから。

 

 

 

 

「――なんだか増えてるわね」

 

 時は進み、夜。

 満月が地上を照らす竹林の中、永遠亭の中庭に集まった紫達。

 幽香と藍の姿を見て永琳は上記の言葉を放つが、すぐに気にしない事にした。

 

「ところで永琳、どうやって月に行くんだ? 俺は紫の能力で行こうと思ってたんだけど……」

「それは無理よ。月の都には特殊な結界が張られているから、いくら紫の能力でも行けるのは“表”の月だけ」

「えっ、じゃあどうやって……」

「安心なさい。“これ”があれば“裏”の月に行けるわ」

 

 そう言って永琳が取り出したのは、絹すら霞む美しさを見せる布であった。

 月の光でキラキラと輝くそれは、見た目はただの布でも一つの芸術品を思わせる。

 

「これは“月の羽衣”、地上と月を行き来するために使用する月の道具。これで月の都に移動するわ」

「へえー……こんな布切れでなあ……」

 

 とてもじゃないが、こんなもので月に行けるなど信じられない。

 しかし永琳が嘘を吐く意味も理由も無い以上、事実なのだろう。

 ……やはり、月の技術は地上とは比べ物にならないほどに発展しているのは間違いないようだ。

 

「それで、いつまでこんな所に居るのかしら? 私、さっさと暴れたいのだけど」

「……紫、龍人、友達は選んだほうがいいわよ?」

「…………ご忠告、痛み入るわ」

「月の羽衣を掴みなさい、楽にしていればすぐに着くから」

 

 永琳にそう言われ、全員が月の羽衣を握り締めた。

 それを確認してから、永琳は何かの術を詠唱し始めて。

 

「えっ?」

 

 気がついたら。

 紫達は、見知らぬ不毛の大地に立っていた。

 見渡す限りの不毛の大地、至る所には横に広がる大小様々な穴が開いている。

 空は暗く、満天の星空と……見慣れぬ青い惑星が見えた。

 

「あれは……」

「あれは“地球”、あなた達……そして私達が暮らす青き惑星、月から見たのは久しぶりだけどやっぱり美しいわね」

 

 眩しそうに地球を眺める永琳、輝夜も目を細め地球を見つめていた。

 ……美しいと、紫達の心はそれだけを考えていた。

 幽香ですら、地球をこの目で見て心底見惚れている。

 それだけ美しいのだ、そしてその美しい地球で生まれ生きている事が、なんとなく誇らしくなった。

 

「それにしても……座標がズレてしまったわね、綿月の屋敷に着くように設定した筈なんだけど……」

「いいよ別に、月の大地を歩くのもいい経験になりそうだし」

「観光に来たわけではないでしょうに……ところで、なんだか身体が軽いのだけれど?」

「月は地上の六分の一程度の重力しかないから、身体が軽くなるのは当然よ」

「? よくわかんねえけど、とにかく月の都に行こうぜ?」

 

 そんな会話をしつつ、紫達は月の大地を歩く……ことはできなかったので、飛んで移動する事にした。

 周りの景色を見渡す龍人、しかし何処を見ても不毛な大地が続き、彼は不満げに唇を尖らせた。

 

「なんか、月って寂しい場所だな……」

「ここは地球と違って大気が殆ど存在しないから、でも月の都には月にしかない珍しい植物が存在しているのよ?」

「植物? 花もあるのかしら?」

「ええ、花の妖怪であるあなたも見た事がないものがあるわよ」

(……私が何の妖怪なのか、言わずとも気づくなんて)

 

 一目見た時から幽香は永琳を得たいの知れない存在だと思っていたが、どうやら自分の思っていた以上の存在だったらしい。

 下手に手を出していい相手ではないと、彼女は改めて永琳に対しそう思った。

 

「そういえば、お前ってなんて名前なんだ?」

「…………」

 

 龍人の問いに、玉兎の少女は何も答えない。

 しかし永琳に睨まれ、ビクッと身体を震わせてから……仕方なしに自身の名を告げた。

「…………レイセン、よ」

「レイセン、かあ。それじゃあ改めて宜しくな? レイセン!!」

「…………」

 

 龍人から視線を逸らす玉兎の少女、レイセン。

 ……どうも彼の視線は直視できない、自分と違って真っ直ぐだからだろうか。

 どことなく気まずさを感じているレイセンであったが……突如として、その場で立ち止まってしまった。

 

「? レイセン、どうしたんだ?」

「……仲間達の声が聞こえたの、これ……悲鳴?」

「えっ?」

「玉兎はその耳でお互いに離れていても会話ができる能力があるのよ。――どうやら、近くで戦闘が発生しているようね」

 

 レイセンの悲鳴という呟きから、永琳はそう予測した。

 それを聞いた瞬間、龍人、そして幽香は同時に動きを見せる。

 

「レイセン、その場所わかるか!?」

「えっ? あ、うん……わかるけど」

「なら案内しなさい。今すぐに」

「え、え……?」

「早くしなさい、死にたいのかしら?」

「ひっ!? あ、その……あっちの方角から」

 

 レイセンがある方向を指差した瞬間、2人は同時にその方向へと移動を開始し、レイセンは引っ張られる形で連れて行かれてしまう。

 

「ちょっと龍人、幽香!!」

 

 龍人の行動は予期できたが、幽香も同じ反応を見せるとは予想外だった。

 だが拙い、おそらく月人と地上の妖怪達が戦っていると思われるが、彼はともかく幽香は無差別に攻撃を仕掛けるかもしれない。

 

「……追いかけるしかないわね」

「まったく……!」

 

 呆れつつも、紫達も彼等と同じ方向へと移動を開始した。

 戦闘になる事は覚悟していたが、こうも早くそれが訪れるとは……。

 とにかく今は彼等を追おう、そう考え紫は永琳達と共に月の大地を飛んでいく。

 

 

 

――自分達を見つめる存在に、気づかないまま。

 

 

 

 

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第46話 ~月夜見~

玉兎――レイセンから月の危機を聞いた紫達。
友人である永琳と輝夜の故郷を守ろうとする龍人の力になるため、紫と藍、暇潰しの為に無理矢理同行した幽香は月へと辿り着く。

到着して早々、レイセンは仲間である他の玉兎達の危機を察知し、龍人は彼女を連れてその場所へと急行する……。


――月の大地の上を飛行する龍人と幽香、そして龍人に引っ張られているレイセン。

 

「ちょ、ちょっと勝手に………!」

「仲間が危ないんだろ!? だったら助けるぞ!!」

「そ、それはそうだけど……」

「――見えたわ」

 

 幽香の言葉に、龍人とレイセンは前方へと視線を向ける。

 視線の先には変わらぬ月の大地が広がり、けれどその中で複数の妖怪達とレイセンと同じような服装の玉兎達が戦っている光景が視界に映った。

 

 それと同時に鼻腔に響く、鉄錆の臭い。

 更に大地に倒れ伏したまま動く様子の無い玉兎達を見て、龍人の頭は一瞬で沸騰した。

 速度を上げ、戦場のど真ん中に飛び込むようにして着地する龍人とレイセン。

 その際に起きた爆音により、妖怪も玉兎も一時戦闘を止め視線を龍人達に向けた。

 

「お前等……死にたくないなら地上に帰れ!!!」

 

 放たれる龍人の怒声。

 それがそのまま言霊と化し、周囲の者達全てに恐怖と衝撃を与えた。

 威嚇に近いそれを受けて、一部の妖怪と玉兎はその場にへたり込み、けれど妖怪達全ては止まらなかった。

 

「なんだテメエは……玉兎とかいう兎じゃねえな?」

 

 妖怪の一体が龍人を睨む。

 筋骨隆々の肉体、内側から放たれている妖力はそこらの下級妖怪を大きく上回っている。

 大妖怪とは呼べないものの、それなりに力のある妖怪のようだ。

 他の妖怪達もその殆どが人型の妖怪であり、並よりも上の力を感じられた。

 

「誰だかしらねえが、オレ達の邪魔をするっていうなら……テメエも喰ってやろうか?」

「男なんぞ喰っても面白くねえが、テメエが連れてる玉兎も…中々美味そうじゃねえか」

 

 下卑た笑い声を上げる妖怪達、その瞳には明らかな情欲の色が見えている。

 レイセンの顔が歪む、恐怖からではなく嫌悪感からだ。

 この妖怪達は自分達を食らうと言った、だがそれはそのままの意味だけではない。

 それがわかったからこそ、レイセンは妖怪達に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

 

「――あら、じゃあ私の相手もしてくれるかしら?」

 

 上記の言葉を放ちながら、幽香が妖怪達の前に降り立つ。

 瞬間、妖怪達は幽香の姿を見て驚愕と恐怖の表情のまま固まってしまった。

 

「げえっ!? お、お前はまさか……風見幽香!?」

「な、なんでお前がここに居るんだよ!? き、聞いてねえぞ!!」

「ふーん、私の事を知っているのね。ところで……私を前にして逃げないのは、相手をしてくれるという意味かしら?」

 

 幽香が笑う、妖怪らしく相手に恐怖と絶望を与えるために。

 その笑みは先程の龍人の言霊よりも強力なのか、対峙する妖怪達の誰もが戦意を喪失していた。

 情けない妖怪達を見て幽香はつまらなげに顔を歪ませ、けれど次の瞬間にはサディスティックな笑みを浮かべる。

 

 自分と戦って楽しませてくれないのならば、せめてその命を昇華させて自分を楽しませてもらわねば。

 右手に日傘を持ち、その先端を妖怪達の群れに向ける。

 込められるは強大な妖力、高圧縮されたそれは瞬く間に臨界へと達し、日傘の先端が光に満ち溢れていく。

 

 そこで漸く憐れな妖怪達は気づく、次に放たれる一撃は自分達の命を容易く奪うものだと。

 だが理解しても全てが遅すぎた、最後の悪あがきとばかりに幽香から背を向けて逃げようとする妖怪達の姿もあったが……その滑稽な姿すら、今の幽香を愉しませる材料に過ぎない。

 口元に隠しきれない笑みを浮かべながら、幽香は日傘に込めた妖力を開放した。

 

――刹那、放たれたのは――全てを呑み込むエメラルドの光であった。

 

 月の大地を削りながら放たれた光は、瞬く間に妖怪達を呑み込み、凄まじい衝撃と熱が妖怪達の身体を壊していく。

 爆音の中でも響く妖怪達の断末魔の叫び、その声を心地良いBGMとして愉しみながら、幽香は光を放出し続け。

 

「――最期の滑稽な姿は、なかなかに愉しめたわ」

 

 残酷な言葉と共に、彼女は日傘を下ろす。

 ……光に包まれた場所には、既に何も存在していない。

 妖怪達の肉体も、魂ごと消滅してしまったのではないかと思えるほどに残っていない。

 

 あまりにも圧倒的、幽香の力を間近で見て龍人は驚き……同時に尊敬した。

 あれだけの力を持ちながらも、彼女はそれを持て余す事無く使いこなしている。

 それは並大抵の妖怪ではできない芸当、だからこそ龍人は幽香に対し尊敬の念を送っていた。

 

「み、みんな、大丈夫!?」

「……レイセン?」

「レイセン、いつ帰ってきたの!?」

 

 傷だらけの玉兎達に駆け寄るレイセン、玉兎達も駆け寄ってきたのが自分達の仲間であるレイセンだとわかり、再会と助かった事を喜んだ。

 しかしその喜びはすぐさま困惑のそれに変わり、玉兎達の視線が龍人達に向けられる。

 

 その視線に込められていたのは警戒と敵意、まあ彼女達からすれば龍人達は得体の知れない存在だ、そのような態度になるのは至極当然と言えよう。

 なので龍人はなるべく恐がらせないように心がけながら、玉兎達に話しかけようとして。

 

「――龍人、貴方はすぐそうやって突っ走るのだから! その癖を止めなさいと言ったでしょう!!」

 

 彼等に追いついた紫の怒声が、龍人の動きを止めてしまった。

 

「あ、紫」

「紫、じゃないわ! まったく……私達にとってここは未開の地なのだからもっと慎重に動かないと駄目でしょう? それに幽香も、勝手な行動をとるのはやめて頂戴!」

「そこまで束縛される謂れは無いわ。何なら力ずくで黙らせてみる?」

「…………」

 

 ビキッと、紫の額に青筋が浮かぶ。

 一触即発……になるかと思いきや、紫は大きく溜め息をつくだけでそれ以上幽香に突っかかることはせず、龍人に駆け寄っていった。

 ここで彼女と争っても無意味だと判断したからだ、紫の態度に幽香はつまらなげに舌打ちを放つ。

 

「龍人、次からは気をつけてね?」

「う、うん……ごめんな紫、次は勝手な事しない」

「宜しい、わかってくれればそれでいいの」

 

「……ね、ねえレイセン。あの銀髪の女性……も、もしかして」

「や、八意様……? 八意様なの……?」

「そ、それにあの御方は蓬莱山様では……?」

 

 永琳と輝夜を見て、玉兎達が口々にはやし立てる。

 この2人は月にとってお尋ね者であり裏切り者、しかしそれ以上にこの2人は玉兎達にとって、否、月人にとって有名であり、憧れであり、また畏怖の存在でもあった。

 

 下っ端の玉兎では出会う事すら恐れ多い、そのような認識を抱いているのだ、本物の2人を見て冷静でいられる玉兎はこの場には居なかった。

 玉兎達の視線を一身に受けながらも、軽々とそれを受け流しつつ永琳は玉兎達に声を掛ける。

 

「あなた達の部隊は、これで全部かしら?」

「はひぇっ!?」

「現存している戦力は、あなた達で全てなのかと訊いているの」

「は、はひ……そ、そうです……」

 

 永琳に声を掛けられたからか、それとも単純に彼女の声色が恐ろしかったのか。

 それはわからないがどうにか彼女の問いに答えた玉兎の声は震えに震え、よく見ると身体も震え出していた。

 その情けない姿に頭を抱えそうになってしまう永琳だが、玉兎というのはそういうものだと思い出し気にしない事に。

 

 このまま放置しても構わないがそれもどの道面倒に繋がると判断し、玉兎達も連れて月の都に戻ろうと考える永琳。

 と、永琳の視線が自分達から少し離れた場所に移動していた龍人へと向けられる。

 

――彼の視線の先にあったのは、玉兎達の亡骸。

 

 それを悲痛な表情を浮かべながら見つめている彼を見て、永琳はおもわず声を掛けるのを躊躇ってしまった。

 なんて悲しい顔をするのだろうか、近づくだけで壊れてしまいそうなほどの儚く見える。

 誰も彼に話しかける事ができず、すると――龍人は突如として玉兎の亡骸を持ち上げ始めた。

 

「……龍人、何をしているの?」

 

 彼の行動の真意がわからず、紫が問いかけると。

 

「……こいつらも、月の都に連れて行く。ちゃんと弔ってあげないと」

 

 悲しみと怒りが交じり合ったような声で、上記の返答を返された。

 

「龍人……」

「こんな冷たい大地に寝かしておいたままじゃ可哀想だろ、もっと暖かくて……花が咲く綺麗な土に埋めてやらないと」

「…………そう、ね」

 

 藍に視線を送る紫、それを見た式は主の指示をすぐさま理解。

 無言で頷きを返した後、両手と尻尾を使って龍人と同じように玉兎達の亡骸を持ち上げ始めた。

 

「紫、藍……」

「弔ってあげましょう、自己満足かもしれないけど私もこのままにしておくのは忍びないわ」

「……ありがとな、2人とも」

 

「――永琳、手伝ってあげなさい。わたしも手伝うから」

「姫様……」

「止めるのは無しよ永琳、わたしが自分の意志で手伝いたいって思っているのだから、止めるのは許さない」

 

 そう言うと、輝夜も龍人達を手伝い始め、永琳は困ったように笑ってからそれに続いた。

 

 ――その光景を見て驚くのは、玉兎達。

 当たり前だ、あの永琳と輝夜にこのような事をさせてしまっているのだ、恐れ多いなどという次元ではない。

 

 しかし誰も口を挟めなかった、本来ならばあの2人を止めなくてはいけないと玉兎達の誰もがわかっているのに、止められなかった。

 そんな中、レイセンは他の玉兎達と同じくその顔を驚愕に染めながらも、どうしても問いかけたい事があり龍人へと声を掛ける。

 

「………どうして」

「ん?」

「どうして、地上の者が私達玉兎の死を憐れむの? 悲しむの? そんな事をして一体何になるというの?」

 

 そう、それがレイセン、否、玉兎達には理解できなかった。

 地上の穢れた者達は野蛮で下等な生き物達、そのような認識を持っているからこそ信じられなかった。

 一体何が目的なのか、どんな裏があってこのような事をしているのか。

 疑いは疑問を呼び、けれどその問いに対する答えは……レイセン達にとって理解できないものであった。

 

「――生き物が死んでいて、弔おうとするのがそんなにおかしい事なのか?」

「そうじゃない。私達玉兎は月にとって奴隷であり駒であり消耗品、最下級の立場である兎なの。

 そんな私達の死を憐れんだり悲しんだりする事自体変なのに、しかも悲しんでいるのが穢れた地上の民なのが理解できないって――」

「レイセン、怒るぞ?」

「っ!!?」

 

 怒気を孕んだ呟きに近い龍人の声を聞いて、レイセンの全身が凍りついた。

 自分達を駒だの消耗品だの言うなと、彼の瞳が訴えている。

 

「戦いが起こる以上、死は免れない。でも……こいつらだって死にたくて死んだわけじゃない。

 だからせめて弔ってあげたいと思うのは当然だし、俺にとっては地上の民とか玉兎とか月とか立場とか関係ないんだ」

「関係、ない……」

「誰かが死ねば悲しいし、弔いと思うのは当然だと俺は思ってる。自己満足かもしれないけど……俺はこいつらをちゃんとした大地に眠らせてやりたいんだ」

 

 だから連れて行くと、龍人は当たり前のようにそう返した。

 その言葉と瞳に嘘偽りは存在しない、レイセン達ですら理解できるほどそれは真っ直ぐだった。

 だからこそ紫達は龍人の意志を尊重してあげたいと、彼の手伝いをしてあげたいと思ったのだ。

 尤も、幽香だけは興味なさそうに遠目から眺めるだけで何もしようとはしていないが。

 

「……ねえ、レイセン」

 

 仲間の玉兎の1人が、レイセンに話しかける。

 

「あの地上の妖怪……一体何なの?」

「……わからない、でも」

 

 でも少なくとも、これ以上彼に対して警戒心を抱く必要は無いという事だけは、わかった気がした。

 ――作業を終え、皆に負担を掛けまいと玉兎の亡骸を全て龍人が背負う事になった。

 

「よし、じゃあ――」

 

 出発しよう、龍人がそう言葉を続けようとした瞬間、()()は起きた。

 

「え―――」

 

 最初に皆が感じ取ったのは、一瞬の浮遊感。

 しかしそれを自覚した時には、目の前に映る光景がまったく別のものに変わっていた。

 

(これは……!?)

 

 最初に自分達に何が起きたのか理解したのは、紫であった。

 移動させられたのだ、あの一瞬で、これだけの人数をいとも簡単に。

 先程感じた浮遊感も、瞬時に転移させられた際に発生したものだろう、何よりもだ。

 何よりも、自分達の前にある玉座のような立派な椅子に座る1人の女性から、異質な力を感じられたのも理解に繋がる一因であった。

 

――紫達が連れてこられた場所は、だだっ広い空間であった。

 

 天井は高く、そこに吊るされているのは宝石のように輝く照明達。

 床は鏡のように磨かれた美しい石で作られており、紫達の姿を映し出している。

 金色の刺繍が施された赤い絨毯は高級感を漂わせ、けれど決して行き過ぎな類ではない。

 

 見た事のないデザインで作られたその部屋は、紫も実物では見た事の無い西洋じみたものを感じられる。

 状況が状況ならばおもわず見惚れてしまいそうな美しさを誇っているが、紫はさり気なく龍人を守るように一歩前に出て玉座に座る女性を見やる。

 

――美しい女性だった。

 

 雪のように白く長い髪、瞳は翡翠色の輝きを見せている。

 権力者を誇示するような装飾多々な服に身を包んでいるが、女性の容姿と雰囲気がそれを感じさせない。

 自然な美しさだ、同姓であっても魅力的に映るその姿は女神を思わせ、しかし同時に内側からははちきれんばかりの力を感じられる。

 

「――ようこそ、地上の民達。まずは歓迎致しましょう」

 

 女性が口を開く、落ち着いた物言いと透き通るような声が耳に心地良い。

 

「お前、誰だ? ――ってあれ!? 玉兎達がいねえ!?」

 

 女性に問いかけた龍人であったが、ここで彼は自分が背負っていた玉兎の亡骸、そしてレイセンを含む玉兎達の姿がない事に気づく。

 慌てる龍人を宥めるように、女性は優しい口調でその疑問に答えを返した。

 

「玉兎達は都に送りました。仲間を丁重に弔うようにという指示も出しています、なので安心してください」

「送ったって……じゃあ、お前が俺達をここに連れてきたのか? お前、一体何者なんだ?」

「ふふふ、そう慌てないでくださいな。――こちらも懐かしい顔を見たのですからね」

 

 そう言って、女性は永琳と輝夜へと視線を向ける。

 

「久しぶりですね八意、蓬莱山、またあなた達に会えるとは思いませんでした」

「そうね。私もまた会うとは思わなかったわ、月夜見(ツクヨミ)

月夜見(ツクヨミ)様、お久しぶりです」

 

 月夜見、そう呼んだ女性に柔らかな笑みを見せる永琳と、恭しく頭を下げる輝夜。

 どうやら永琳と輝夜にとって旧知の仲のようだ、紫がそう思っていると月夜見の視線が彼女達に戻される。

 

「地上の民達、わたくしの名は月夜見。この月の都の統率者を勤めさせて頂いております」

 

 恭しく頭を下げ、自らの名と立場を紹介する月夜見。

 その態度に紫はおもわず面食らってしまう、月人にとって地上に生きる者達は穢れた存在だと認識している筈だというのに、彼女からはそういった面は見られないからだ。

 何か裏があるのだろうか、そう勘繰ってしまう中、月夜見の言葉に龍人が反応を返す。

 

「よろしくな月夜見、俺は龍人っていうんだ!」

「ええ、知っていますよ龍人。あなた達が月に来てからずっと見てきたのですから」

「えっ……?」

「わたくしは月の全てを見通す事ができる。あなた達が地上から月にやってきた事も知っていましたし、その時の会話も全て聞いていました」

 

「相変わらず良い趣味ね、月夜見」

「それが月の女神と呼ばれるわたくしの仕事なのですから、そういった物言いは少々引っ掛かりますね、八意」

 

 軽く永琳を睨む月夜見、けれどその睨みは仲の良い友人が行うようなおふざけの入ったものだった。

 永琳も苦笑しつつごめんごめんと謝罪の言葉を返す、そのやりとりだけで2人の仲の良さが見て取れた。

 

「………それで、私達をこんな所にまで連れてきた理由は何かしら? 始末するためというのなら……こっちにも考えがあるのだけど?」

 

 先程まで沈黙を貫いていた幽香が口を開く、それと同時に彼女は右手に持っていた日傘の切っ先を月夜見に向けた。

 挑発するように殺気を放つ幽香に、けれど月夜見はその美しい笑みを微塵も崩さない。

 

「始末するなんて…そのような事をするのでしたら、わざわざこの月の都の中枢である“月王宮”に連れてくると思いますか?」

「……腹立たしいわね。その余裕、私なんか相手にするまでもないという事かしら?」

「いいえ。ですが今は無用な争いをしている場合ではないのです、あなた達とてこの月に来たのは我々の住処を侵略するためではないでしょう?」

「…………」

 

 暫し月夜見を睨んでから、幽香は大きく溜め息を吐きながら日傘を下に降ろす。

 毒気を抜かれてしまった、どうも彼女を見ていると今の自分の行動が滑稽に思えてならなくなったのだ。

 

「――龍人、わたくしの前に来てくださいな」

「? わかった」

 

 突然呼ばれ、怪訝な表情を浮かべながらも月夜見に向かって歩を進める龍人。

 互いに手が届く距離まで近づき、月夜見は玉座から立ち上がり、じっと彼の瞳に視線を向ける。

 

「…………」

「…………」

 

 翡翠色の瞳が、捕らえるように龍人に向けられる。

 何かを見定めるような視線に若干の不快感を抱きながらも、龍人は月夜見から視線を逸らす事ができなかった。

 ……どれくらい、そうしていただろう。

 

「―――成る程、やはり嘘偽りなどありませんでしたか」

 そんな呟きを零しながら、月夜見は龍人から視線を外し再び玉座へと座り込んだ。

 

「………何がしたいんだ?」

 

 当然ながら、龍人の浮かべる表情は疑問と困惑が混ざり合ったもの。

 

「申し訳ありません。少し確かめたい事がありましたので」

「確かめたい事?」

 

「龍人、あなた達がこの月に来た目的は他の妖怪と違うのでしょう? では目的が一体何なのかを確かめるためにあなたの心を少し見させてもらいました。――あなた達は、我々月人に協力するために来てくれたのですね?」

「……すげえ、よくわかったな」

「伊達に長生きはしていませんから。それで……見返りは何を求めるのですか?」

「見返り?」

「わざわざ無関係なこの争いに干渉しようというのです、当然見返りがあっての事でしょう?」

(……ああ、成る程)

 

 今のやり取りで、紫は月夜見が自分達をこの場所に連れてきた理由を理解する。

 要するに彼女は、自分達が月人達にとって有益になる存在かどうか見極めたいと思ったのだ。

 身も蓋もない言い方をすれば役に立つかどうかを知りたいというわけだ、そして当然自分達にとって益にならないのであれば……。

 

 どうやら月夜見に対し下手な言い訳も嘘も通用しないだろう、しかしだ……月夜見は一つミスを犯した。

 完全に問いかける相手を間違えているという点だ、だってそうだろう?

 

「――見返りなんて考えてねえよ。俺はただ友達である永琳と輝夜の故郷が襲われてるから、力になりたいって思っただけだ」

 

 彼の答えは、良い意味でも悪い意味でも常識から外れているのだから。

 

 

 

 

――場所は変わり、月の都にある墓地。

 

 今日、新たに多くの墓が建てられ、同志である玉兎達が黙祷を捧げていた。

 地上とは違い月には穢れはなく、その為玉兎を含む月人達に寿命の概念はほぼ存在しない。

 しかしかといって不死というわけではない、斬られれば血は出るし心臓や頭を貫かれれば死ぬ。

 死なないわけではないのだ、だが……死に難いが故か、皆“死”というものに対して何処か他人事のように考えている。

 今とて月人達の為に戦った玉兎達を弔っているのだって一部の玉兎のみ、更に言えば同じ玉兎でも仲間を死を弔うという考えを持たない者達とて存在する。

 

――それが、レイセンには恐ろしいもののように感じられた。

 

「――はいおしまい! レイセン、疲れたし甘味所にでもいかない?」

「…………」

 

 玉兎の1人が、レイセンに話しかける。

 甘味所への誘い、いつもならば二つ返事で頷きを返すが……今はそんな気分にはなれなかった。

 ちょっと用事があるの、短くそう告げ逃げるようにその場を離れるレイセン。

 他の玉兎達の姿が見えなくなってから、レイセンは吐き気を抑えるように胸の辺りを右手で強く握り締めた。

 

(仲間が死んだ後なのに……すぐにいつもの調子に戻るなんて……)

 

 だが、そんな光景などそれこそ何度も何度もレイセンはこの目で見てきた。

 この月にとってあのような光景など当たり前、気にする必要も意味も存在しない。

 ……けれど、レイセンにはどうしても我慢できなかった。

 おかしいと、間違っていると思ってしまうのだ。

 

(……私が、変なのよね)

 

 このような考えを持つ玉兎など、自分だけだ。

 そうだ、自分がおかしいだけで間違っていると思っているのは自分の勘違いで――

 

―――生き物が死んでいて、弔おうとするのがそんなにおかしい事なのか?

 

 頭に浮かぶ、先程の龍人の言葉。

 それは、心の何処かでレイセンが聞きたかった言葉そのものであり。

 彼が本気で玉兎の死を悲しんでくれて、レイセンは嬉しかった。

 自分のこの他の玉兎とは違う考え方が正しいと言っているような気がして、嬉しかったのだ。

 ……自然と、レイセンの口元に笑みが浮かぶ。

 

「――――」

 

 だが、その笑みはすぐに凍りつき。

 レイセンは、すぐさま仲間達が居た場所へと駆け足で戻り。

 

「――まだ、お仲間が残っていたようですなあ」

 

 周囲の地面や墓石を、仲間の血で赤く染め上げ。

 血を流し意識を失っている仲間の首を締め上げている、1人の男と対峙した。

 

 

 

 

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第47話 ~朧~

月夜見と出会い、自分達の目的を話す紫達。
一方、月の都では謎の男が玉兎達を襲い、レイセンが1人立ち向かおうとしていた……。


「――――っっっ」

 

 仲間の無残な姿を赤い瞳で捉えた瞬間、レイセンは動いていた。

 溢れんばかりの憎悪をその顔に宿し、彼女は一瞬で間合いを詰め男の顔面に右の拳を叩き込んだ。

 刹那、レイセンは右手から固い衝撃を感じ僅かに顔をしかめる。

 

「――速いですなあ」

「くっ……!」

 

 不意打ちの一撃が、まったく効いていない。

 避けようともせずにまともに受けたというのに、男の顔には傷一つ付いていなかった。

 すかさずレイセンは次の一手を放つ、人差し指を男の顔面に向け――そこから赤く輝く弾丸が放たれた。

 それは男に着弾した瞬間爆発を引き起こし、その衝撃で男が掴んでいた玉兎が男の腕から離れる。

 すぐにレイセンはその玉兎を抱きかかえつつ後退、辛うじて息をしている事に安堵しつつ、再び視線を男へと向けた。

 

「……成る程、そこらの兎よりは強い」

(効いてない……!?)

 

 今の一撃もまともに受けた筈、だというのに男に対してはまったくダメージが通っていなかった。

 とてつもない頑強さだ、レイセンの頬に冷や汗が伝い地面に落ちる。

 自分だけではおそらく勝てない、他の玉兎よりも戦闘能力に優れたレイセンはすぐさま相手と自分との力量差を理解した。

 

 だが当然相手は逃がしてはくれないだろう、自分を見るその漆黒の瞳が決して逃がさぬと告げている。

 しかしだ、このまま悠長にしている場合ではない、レイセンと男の間には仲間である玉兎達が傷つき倒れているのだ。

 中には虫の息になっている者も居る、時間を掛ければ間違いなく助けられない。

 

「仲間が、心配ですかな?」

「っ、アナタ何なの!? 地上の妖怪!?」

「ああ、そういえばまだ名も名乗っていませんでした。

 ――(おぼろ)という、察しの通り地上の妖怪……いや、正確には“付喪神(つくもがみ)”と言った方が正しいですかね」

「付喪神……」

「話はここまででいいでしょう、本来ならば“月王宮”と呼ばれる場所に転移する予定だったのだが、どうもあっしらの協力者というのは悪戯好きでいけねえ」

「っ、月王宮……!」

 

 月王宮の単語が男、朧の口から放たれた瞬間、レイセンは一気に戦闘態勢へと入った。

 仲間を一刻も早く助け出したい、そう思っているのは確かだが、月を統治している月夜見が居る月王宮に向かおうとしているこの男を、このままにはしておけない。

 レイセンの瞳が妖しく輝き始める、それを見て朧は口元に愉しげな笑みを浮かべてから、腰に差してあった鍔の無い四尺はあろう長刀を鞘から抜き取った。

 

「あまり時間は掛けられませんのでねえ、悪いが……一気に決めさせてもらいましょうか」

「やってみなさい!!」

 

 自分を鼓舞するように叫ぶと同時に、レイセンは再び朧に向かっていく。

 ……立ち向かっても勝てないとわかりながらも、玉兎としての使命を果たすために。

 

 

 

 

「――見返りなんて考えてねえよ。俺はただ友達である永琳と輝夜の故郷が襲われてるから、力になりたいって思っただけだ」

「…………はい?」

 

 龍人の答えに、月夜見は数秒硬直し、その後に自分でも驚く程の間の抜けた声を出してしまった。

 そんな自分に恥じながら、月夜見は視線を永琳に向ける。

 ……苦笑していた、それと同時に先程間の抜けた声を出してしまった自分を笑っていた。

 恨めしげな視線を永琳に向けてから、月夜見は再び龍人へと視線を戻し問いかける。

 

「ただ、それだけなのですか? たったそれだけの理由で戦うと?」

「大事な友達の故郷が身勝手な理由で襲われてるのに、それ以外の理由が必要なのか?」

「…………」

 

 ああ、と月夜見は心の中で呟きを零した。

 目の前の少年の心は真っ直ぐだ、穢れがある地上の者とは思えないほどに。

 ただ……その真っ直ぐさはひどく“歪”でもあった。

 彼自身それに気づいていないだろう、だが彼の周りに居る者達はそれに気づいている。

 

「八意、蓬莱山、あなた方程の者達が彼に協力するのは」

「私は姫様から命じられたからというのもあるけど、彼は友人だからね」

「月夜見様、わたしも永琳と同じく彼を友人だと思っているからこそ力になりたいのです。友人だからこそ……彼を放ってはおけません」

「……そちらの者達も、同じ考えですか?」

 

 紫達へと問いかける月夜見。

 

「私と藍は龍人の願いを叶えてあげたいから、ここに来たのよ」

「私はアンタ達月人がどうなろうと知ったことじゃないけど、暇潰しになりそうだからね」

「…………そうですか」

 

 若干一名、なかなかに聞き捨てならない事を口走っていたが、この際気にするだけ無駄だろう。

 ……やはり気づいているようだ、龍人という少年の考え方に対する歪さに。

 もう一度龍人の顔に視線を向ける月夜見、キョトンとしている彼の瞳は変わらず真っ直ぐであった。

 

 月を統べる者として、本来ならば穢れを持つ地上の者達を受け入れるのは間違い、なのだろう。

 だが、彼のこの真っ直ぐ過ぎる瞳は……受け入れたくなった。

 

「……いいでしょう。龍人、八雲紫、藍、そして風見幽香。

 本来ならば地上の民であるあなた方を受け入れるわけにはいきませんが、我々に協力してくれるというのであれば特例としてこの月の都での滞在を許可致しましょう」

「ああ、絶対に妖怪達を止めてみせるさ!!」

「ふふっ、期待していますよ」

 

――かつて、自分を含めた月人達は地上で生きていた。

 

 だが穢れによる寿命の訪れに恐怖し、穢れの無い月への移住を決め、今に至る。

 その時の判断は間違いではなかった、なかったが……。

 地上に生きる龍人のこの瞳を見ていると、もう少し地上で生きていても良かったかもしれないと、月夜見はふとそう思った。

 生命力に溢れ、明日への希望に溢れている彼の瞳を見ていると、月夜見は永く忘れていたかつての感情を――

 

「…………っ」

「? 月夜見、どうしたんだ?」

 

 突然月夜見の表情が強張り始め、それに気がついた龍人が声を掛けると。

 

「――招かれざる客が、現れてしまったようです」

「えっ……」

「何故今の今まで気づかなかったのかはわかりませんが……この月の都に、地上の妖怪が侵入を果たしてしまったようです」

「なっ――!?」

 

 

 

 

――再び場所は、月の都へと移る。

 

「――よく保った、予想以上でしたなあ」

「ぐっ、く……」

 

 朧と名乗った妖怪との戦いを始めたレイセンであったが、状況は無残なものであった。

 レイセンの身体の至る所には朧による刀傷が刻まれ、右の目に至っては自らの血で塞がれている。

 

 息も乱れ、視界は霞み、左肩を右手で庇うその姿はただ痛々しい。

 対する朧は息一つ乱す事は無く、身に纏う紺色の着物には少しの乱れも見えない。

 まさしく圧倒的、レイセンの予想は当たり初めから勝負にすらならなかった。

 

――殺されると、レイセンは死の恐怖に襲われる。

 

 元々彼女は、否、玉兎という種族は臆病で自分勝手な存在だ。

 レイセンもその例に漏れず、その臆病さが彼女から戦意を完全に奪っていた。

 未だに倒れたまま命の灯火が尽きようとしている仲間達を見捨てて、この場から逃げてしまいたいと願い始める始末。

 しかしレイセンに非は無い、寧ろ玉兎をよく知る者からすれば立ち向かうだけ勇敢だと言うだろう。

 

「は、は、は……」

 

 恐い恐い恐い恐い……!

 足は震え、気を抜くと涙すら出できそうになる。

 逃げなくては、自分では決して目の前の存在には敵わない。

 仲間の事など考えている余裕なんかない、考えれば自分の命だって無くなってしまう。

 

 自分の命以上に大切なものなんて存在しないのだ、ならば見捨てるのだって致し方ないではないか。

 そう思った瞬間、レイセンは朧から背を向け全力でその場から逃げ出した。

 

「……無理もねえですが、ちと……薄情ですなあ」

 

 それを、どこかつまらなげに暫く見つめてから、朧は地を蹴った。

 一息、たった一息で朧は逃げるレイセンへと追いつき。

 驚愕する彼女の視線を受けながら、手に持っていた刀を振り下ろし、彼女を真っ二つにしようとして。

 

「っ、むぅ……!?」

 

 自分の斬撃を防ぐ何かが現れ、後退を余儀なくされた。

 

「……お前さんは」

「ふーん……その刀にその着物、もしかしてあなた……大妖怪“朧”かしら?」

「如何にも。そういうお前さんは風見幽香……でしたな?」

 

 自分の斬撃を防いだ存在が幽香だとわかり、朧はその顔に若干の驚愕の色を示す。

 この場に彼女が現れた事も驚いたが、その後ろ――レイセンを守るように現れた少年達も、彼の知る存在だった。

 

「金糸の髪と瞳……八雲紫さんですな?」

「ええ、そうよ」

「と、するとその隣に居る坊主は……龍人族の子である龍人ですかい。

 いや驚いた、まさかこのような場所でお前さん達のような実力者に出会う事になろうとは……夢にも思いませんでしたよ」

 

「レイセン、大丈夫か?」

「……龍人、みんな」

「紫、藍、レイセンと他の玉兎達を助けよう!」

「わかっているわ龍人。藍」

「畏まりました、紫様!!」

 

 レイセンを連れ、倒れている玉兎達の元へと向かう紫達。

 一方、そんな彼女達には目もくれず、幽香の瞳は朧1人に向けられていた。

 その瞳には好戦的な色を宿し、僅かに歓喜の感情も見受けられた。

 

「……よろしいのですかい? そちらさん方は月側についたんでしょう?」

「私は月人がどうなろうと知った事じゃないの、私がここに来たのはあくまで暇潰しの為。――よかったわ、最高の暇潰しができそうで」

「暇潰し、とは?」

「――朧。刀の付喪神として生まれながらも、その力は大妖怪と呼ぶに相応しい剣豪。アンタ相手ならおもいっきりやれそうね」

 

 妖力を身体から放出しながら、口元に歪んだ笑みを浮かべる幽香。

 成る程、つまり彼女は自分と戦う事を“暇潰し”程度にしか考えていないという事か。

 傲慢な幽香の言葉に朧は苦笑しつつも、刀を持つ右手に力を込めた。

 

「随分と自信がおありなようですが……あっしに勝てると?」

「じゃあ逆に訊くけど、私に勝てると?」

「困りましたねえ。あっしにもあっしのやるべき仕事というものがあるんですが……いつまでも、()()に付き合ってる暇はねえんですが」

「……よく言ったわね。付喪神風情が!!」

 

 幽香が動く、一息で朧との間合いを詰め右手に持つ日傘を上段から振り下ろした。

 日傘といってもその頑強さは折り紙付きであり、更に幽香の強大な妖力が込められているので、鋼鉄の塊であってもまるでバターのように切り裂く程の切れ味を持っている。

 まともに受ければそれこそ妖怪であっても致命傷たりうる一撃は、しかし。

 

「―――――」

「――だから言ったんでさあ、子供だって」

 

 しかし、その一撃は呆気なく朧によって弾かれ。

 返す刀で朧は、日傘を持っている幽香の右腕を根元付近から両断し。

 更に三撃の突きを放ち、彼女の身体に風穴を開け吹き飛ばしてしまった。

 

「ぐっ、が、ぁ――!?」

 

 衝撃、混乱、そして遅れて激痛が幽香を襲う。

 地面を滑るように吹き飛ばされ、ゴロゴロと情けなく転がっていく。

 歯を食いしばりながらその衝撃を殺し、幽香が無理矢理体勢を立て直しながら立ち上がった時には。

 

――既に、銀光が彼女の眼前にまで迫っていた。

 

 一秒も待たずに訪れる死を自覚し、幽香は限界まで目を見開きながら……何もできなかった。

 相手の行動に反応が追いつかない、頭では回避しなければならないとわかっていても身体がついてこない。

 

 そんな馬鹿な、こんな呆気ない幕切れがあってたまるかと、幽香はそう思わずにはいられなかった。

 相手は大妖怪、だからこそその力は強大で自分の暇潰しになると思っていた。

 幽香はまだ若い妖怪ながらも、既に身に宿す妖力も単純な腕力も、今まで培ってきた戦闘経験も大妖怪の域に達している。

 だというのに、幽香は朧という存在にまるで歯が立たなかった。

 

(なん、で――――)

 

 なんたる屈辱か、勝てると微塵も疑わなかった相手に呆気なく敗北するなど信じたくも認めたくもない。

 しかし現実は変わらない、朧の斬撃は幽香の身体を両断するには充分過ぎる破壊力と速さを持っている。

 一方の幽香には回避する事も防御する事もできない、こうして間の抜けた顔のまま両断されるのを待つ事しかできなかった。

 

――だが、彼女の命は地上ではないこの月で失われる事はなかった。

 

「…………」

「くっ、うぅ……!」

「えっ……」

 

 朧の刀は、幽香の身体には届かなかった。

 幽香自身が何かをしたわけではない、彼女と朧の間に何者かが割って入り斬撃を防いだのだ。

 防いだのは長く美しい金糸の髪を持つ少女、八雲紫。

 両手にそれぞれ光魔と闇魔を持ち、それを交差するように構え彼女は朧の斬撃を真っ向から受け止めていた。

 

「……なかなか、ですなあ」

「くっ――あぁっ!」

「むっ……」

 

 裂帛の気合を込めながら、紫は強引に朧の斬撃を押し返す。

 数メートル後ろに後退する朧、それを確認してから紫は視線は朧に向けたまま幽香へと声を掛ける。

 

「幽香、とりあえず斬り飛ばされた右腕を回収して後退しなさい、止血と腕の修復は藍がやってくれるでしょうから」

「は? 冗談言わないでよ紫、このままおめおめと引き下がれっていうの!?」

 

 激昂する幽香に、紫は冷めた目を彼女に向け……現実を言い放つ。

 

「そんな状態で何ができるのよ。それにあなたじゃ目の前の相手には勝てないって、他ならぬあなた自身がわかっているんじゃない?」

「……ふざけないで。この私がそんな」

「自分の力を過信し、弱さを認めない半人前のままで居たいのなら好きになさい。敗北を知らないからこその態度なのでしょうけど、世界にはあなたなんかより強い存在なんかそれこそ星の数ほど居るのよ」

 

 話は終わりよ、そう告げて紫は意識を再び朧へと向ける。

 先程の攻防でわかった、目の前の相手はまさしく強敵だと。

 光魔と闇魔を持つ両手が僅かに痺れてしまっている、ただの一撃を受け止めただけでだ。

 

 しかしやらなければならない、龍人と藍は玉兎達の治療にあたっているし幽香もこの調子では戦えない。

 それにだ、たとえ相手が強敵であっても乗り越えなければならないのなら、なんとしても勝たなければ。

 

「困りましたなあ、これじゃああっしの仕事が終わりそうもねえ」

「……誰の命令で動いているの?」

「それは言えませんよ、雇われの身である以上はね」

「そう……それもそうね」

 

 短く告げると同時に、紫が動いた。

 足に妖力を込めそれをブースター代わりに放出、瞬間的にではあるが機動力を大幅に上昇させ紫は朧との間合いを詰めた。

 上段から光魔と闇魔を振り下ろす、それを――朧は刀一本で受け止めてしまう。

 互いの刀がぶつかり合った瞬間、地面が僅かに陥没し周囲に小さな突風が巻き起こった。

 再び離れる両者、厳しい表情を浮かべる紫に対し、朧は何処か愉しげな顔を見せ。

 

「致し方ありやせん、もう少しここで戦う事にしましょうか」

 

 初めて紫に対し明確な敵意と殺気を放ち、朧は戦闘態勢へと移行した。

 

 

 

 

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第48話 ~怒りの砲撃~

月の都に現れた大妖怪、朧。
圧倒的な力の前に片腕を失った幽香の代わりに、紫が朧に立ち向かっていく……。


――鋼のぶつかり合う甲高い音が、戦いの場を支配する。

 

「っ、はああああっ!!!」

「ぬうぅぅ……!」

 

 大太刀に分類されるであろう巨大な刀を片腕に一本ずつ、二刀流を駆使して攻撃を繰り出す美しい美女。

 その太刀筋は美しさはなく無骨なもの、けれど戦いにおいては最適な剣戟であった。

 それを刀一本で受け止めるのは、刀の付喪神でありながら強大な力を持った大妖怪、朧。

 上下左右、あらゆる角度から放たれる紫の剣戟を確実に受け、弾き、返す刀で反撃していくが。

 

「っ!!」

「むう……」

 

 確実に胴を薙いだ。

 その筈だというのに、刀を持っている朧の手には手応えが微塵も感じられなかった。

 斬撃が紫の身体に触れる瞬間、その部分が沢山の目が浮かんでいる黒い空間に変わってしまうのだ。

 当初は驚き、やがて朧はこの現象が紫の能力によるものだと理解し、寡黙な表情を僅かに歪ませる。

 

「っ、くぅう……っ!!」

「むっ……」

 

 一際甲高い音を響かせながら、両者は大きく後退する。

 現在の2人の距離はおよそ七メートルほど離れている、紫と朧にとってはとるにたらない距離ではあるが、両者は互いに相手に踏み込もうとはしない。

 紫は今までの攻防で乱れた息を正すために、対する朧は単純に紫の能力の出鱈目さに驚いていた。

 

「……いやはや、厄介な御方に出会ってしまったもんだ」

「…………」

「内側から溢れている強大な妖力に、その刀も厄介ですが……何よりもその能力、まさしく出鱈目としか言いようがありませんなあ」

「褒め言葉と受け取っておくわ」

 

 乱れた息が元に戻る。

 闇魔と光魔を持つ手に力を込め、紫はまず牽制を仕掛けた。

 瞬時に紫の周囲に展開されるスキマ、その数十八。

 何か仕掛けてくるか、そう判断した朧はその場で迎え撃とうと身構えた瞬間。

 

「――飛光虫ネスト!!」

 

 紫がスキマに妖力を送り、そのスキマから貫通力と速度に優れた光弾が撃ち放たれる――!

 

「面妖な……!」

 

 放たれた攻撃に対しそう呟きながら、朧は持っていた刀を一度鞘に収めると同時に抜刀の構えを取った。

 

「一閃!!」

 

 そして神速の如き速さで抜刀し、刀から放たれた剣圧が質量を持ち飛ぶ斬撃へと変化する。

 飛光虫ネストの光弾を文字通り切り裂きながら、その斬撃は一向に威力を衰える事無く紫の身体を両断しようと迫っていく。

 

「くっ……!」

 

 自身の前に巨大なスキマを展開させる紫。

 斬撃がそのスキマへと入ると同時に閉じ、難を逃れたが――既に眼前には朧の刀が迫っている!!

 

「往生してもらいましょうか!!」

「――くぁっ!!」

 

 一刀両断される未来を回避しようと、紫はがむしゃらに剣を振り上げた。

 その甲斐あってか朧の刀を受ける事に成功し、けれど充分な力が入っていなかったからか、弾き飛ばされてしまう。

 更に間合いを詰めようとする朧、バランスを崩し対応できない紫であったが……両者の間を割って入るように第三者が乱入した。

 

「っ、幽香……!?」

「負け犬は、とっとと消えてもらいやしょうか。今いい所なんでさあ」

「私が負け犬、ですって……!? ふざけた事を言うな!!」

 

 朧の言葉に怒りの声を放ちながら、幽香は残る左手で持った日傘の切っ先を朧に向ける。

 そして日傘に込めていた妖力を一気に開放し、エメラルド色の砲撃が撃ち放たれた。

 

 ……またそれか、芸のない。

 あからさまに失望の色をその顔に宿しながら、朧はいとも簡単に迫る砲撃を左右二つに切り裂き無力化してしまった。

 

「――――」

「そんな精神状態で放つ攻撃なんざたかが知れてるってものでさあ、負け犬は負け犬らしく……とっとと消えてもらいやしょう!!」

 

 朧が迫る、しかし幽香は動けない。

 自分の一撃を一度ならず二度までも防がれた、それもああも簡単にだ。

 その事実は幽香の心を完膚なきまでに叩き潰し、彼女に戦う意志を完全に奪い去ってしまった。

 

 振り下ろされる、朧の斬撃。

 それを、幽香は他人事のように見つめながら。

 

「――何をやっているの、幽香!!」

 

 斬撃を受け止めた紫の怒声を、耳に入れた。

 

「くっ……きゃあっ!?」

 

 斬撃を受け止めた紫だったが、充分な力が入っていなかったため呆気なく弾き飛ばされてしまう。

 今度こそ、幽香を守る者は居なくなり、朧は再び彼女に向かって刀を振り下ろす。

 

「っ、ぐっ!!」

「…………えっ」

 

 鮮血が舞い、幽香の顔に数滴血が付着する。

 しかしそれは彼女の血ではなく……彼女を守るために朧の刀をその身に受けた、龍人の血であった。

 彼女を守ろうと割って入ったが、身体で受ける以外の余裕が無かったのだろう。

 朧の斬撃は彼の左肩から右腰辺りまでバッサリと切り裂き、彼は苦悶の表情を浮かべたままその場で膝をついてしまった。

 

「――朧ォォォォォォォッ!!!」

 

 瞬間、紫は激しい怒りを露わにしながら朧の名を呼び、自身の能力を開放する。

 境界を操る能力の全開放、それに伴い彼女の瞳が金から血のように赤黒く不気味なものに変化した。

 それと同時に彼女に襲い掛かる絶大な不快感と痛み、能力の全解放による反動が瞬時に発動してしまったが、怒りに満たされた今の彼女には関係なく。

 

「――紫、やめろ!!」

「っ、龍人……!?」

 

 しかし、痛みに耐えながら自分を制止する龍人の声を耳に入れ、紫は我に返った。

 

「ぐっ……いってぇ……」

 

 呼吸をするだけで痛みが走る、それを我慢しながら龍人は俯いている幽香へと声を掛けた。

 

「幽香、何やってんだ。死にたいわけじゃ……くっ、ねえだろ……?」

「…………」

 

 幽香は何も答えない。

 自らの力がまるで相手に通用しないという事実が、彼女の心をへし折っていた。

 妖怪は人間よりも遥かに肉体的強度が優れている、けれど反面精神的な防御力は脆い。

 なまじ強い力を持っている者ならばなおさらその傾向は強く出てしまう、今の幽香はまさしくその状態に陥っていた。

 

 普段の自身に満ち溢れた表情も、見るも無残で弱々しいものへと変わっている。

 強い力を持つが故に、幽香はまるで無力な少女のように何もできなくなって……。

 

「――そんな程度じゃないだろ、幽香」

「…………」

 

 何処か、小馬鹿にするような龍人の声を耳に入れ、幽香は顔を上げた。

 

「紫や俺に守られたままなんて、お前らしくねえな。それとも……本当に()()()()()だったのか?」

「――――」

 

 瞬間、幽香の目は見開かれその瞳には今まで以上の生気に満ち溢れた。

 ふざけるな、今この半妖は何と言った?

 侮辱された、幽香にとって小さく弱き存在という認識を持つ半妖にだ。

 その事実は彼女の心を瞬時に蘇らせ、凄まじい憤怒はそのまま妖力へと変わっていった。

 

「――――じゃないわよ」

(ん……?)

「――ふざげんじゃないわよ。半妖風情が!!」

 

 激情が言葉となって幽香の口から放たれ、それと同時に彼女の姿が消えた。

 否、消えたのではない、ただ彼女は今までとは比べ物にならない速度で動き、朧との間合いを詰め。

 ミシミシという軋んだ音を響かせながら膨張する左腕で、朧の身体を殴り飛ばしていた。

 

「ご、っ…………っ!!?」

 

 血反吐を吐きながら、宙に殴り飛ばされる朧。

 ……見えなかった、彼女に殴られるまでまるで反応できなかった。

 その事実と受けたダメージにより、朧の身体は一時的に行動不能に陥ってしまい。

 彼が再び動く前に、幽香は次の一手を繰り出していた。

 

「――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 突き出される左手、そこから放たれたのは――幽香の得意とする巨大な砲撃。

 しかしその規模、破壊力は先程のものよりも遥かに強大だった、しかもそれは……放った幽香ですら驚いてしまうほどの。

 違うのだ、今撃ち放っている砲撃は幽香が今まで放てたどの一撃よりも強大だった。

 

 故に幽香は驚いていた、これだけの破壊力を持つ砲撃を何故放てるのか疑問に思いながら、朧の身体が砲撃の中に消えていくその姿を見つめていた。

 ……それから数秒後、砲撃は収まり幽香は自身の身体に襲う脱力感から両膝をついてしまった。

 

「……すっげえ」

「…………」

 

 その光景に龍人と紫は、驚く事しかできなかった。

 だがいち早く我に返った龍人は、痛む身体を無視しながら幽香の元へと駆け寄る。

 

「やったな、幽香!!」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 顔を上げる幽香、すると視界に嬉しそうに笑う龍人の顔が映った。

 何を暢気な事を言うのだろう、先程の侮辱の言葉を思い出し、おもわず怒鳴ってやろうと思ったが。

 

「――やっぱ、幽香は強いな」

 

 彼のそんな言葉を聞いて、幽香はその怒りを霧散させてしまった。

 

 先程の言葉は、自分のへし折った心を奮い立たせるためのものだったのだろう。

 彼にそんな考えがあったのかはわからない、しかし事実として彼の言葉によって自分はまた戦う意志を取り戻す事ができた。

 更に今の戦いで力も増した、意図したものではないかもしれないとはいえ……彼の言葉で自分は助かったのだ。

 それは認めなくてはならない、それと同時に感謝もしなければならない、が。

 

「――は、半妖風情に褒められた所で、嬉しくないわよ!!」

 

 残念、幽香は素直に感謝を示す事が難しい女性だったようで、つい怒鳴り声でそんな事を言ってしまう。

 幸いにも龍人は別に気にする事はなく、そのままレイセンや玉兎達の元へと向かっていき、幽香はもう少し柔らかい返事を返せばよかったなと軽い自己嫌悪に陥ってしまった。

 

「レイセン、大丈夫か!?」

 

 藍によって治療を施されたレイセンに声を掛ける龍人。

 傷は癒えているものの失血している為か、レイセンの顔色は悪い。

 しかし命の危機は回避できたようだ、それがわかり龍人はほっとするが……彼女の表情が気になり、つい問いかけてしまった。

 

「……レイセン、どうかしたのか?」

「ぁ……う、ううん、なんでもない……」

 

 そう言って笑うレイセンだが、その笑みはあきらかにぎこちないものだ。

 怪我を負ったからというわけではないらしい、なので龍人は暫く無言でレイセンを見つめていると、観念したのかぽつりと呟くように吐露した。

 

「…………私最低だなって、そう思っただけ」

「えっ、なんでだ? レイセンは仲間達を守ろうとあの朧とかいう妖怪と戦ったじゃねえか」

「でも逃げようとした、恐くなって……自分の命が惜しくなって、仲間達を見捨てて逃げ出したの」

 

 情けなくて、恥ずかしくて。

 それだけではない、あんなに馬鹿にしていた地上の妖怪に命を助けられて、今だってこうして治療を施されている。

 自分の器の小ささを思い知らされて、涙すら出てきそうだ。

 だというのに、目の前の少年は変わらず自分を心配してくれている。

 あんなにも侮辱し小馬鹿にした自分にもだ、その事実はますますレイセンに己の矮小さを自覚させていく。

 

「なーんだ、そんな事か」

「なっ、そんな事かって……」

「殺されそうになって、恐くなって、それで逃げる事の何が悪いんだ? 自分の命を優先する事にどんな間違いがあるっていうんだ?」

「そ、それは……でも……」

「起きた事は戻せない、それでも後悔するなら次は逃げないように頑張ればいいだけだ。レイセンならそれができるさ」

「…………龍人」

 

「誰だって命の奪い合いをするのが恐いって思うさ、思わないのは……命の大切さを理解できない奴だけだ」

「……龍人も、戦いが恐いって思う事があるの?」

「そりゃああるさ、というかいつだって恐い。自分の命が奪われるのも、相手の命を奪うのも、恐いに決まってる。

 ――でも、恐くて逃げ出しそうになった時、後ろにはいつだって紫達が居てくれるからな。だから前を向いて戦えるんだ」

 

 1人じゃないから、どんな奴が相手でも戦える。

 そう告げる龍人を見て、レイセンは後悔ばかりする自分がひどく滑稽に思えた。

 起きた事は戻せない、ならば……後悔ばかりするのではなく、次に繋げる為に前を向く。

 すぐにはできないかもしれないが、確かに彼の言う通りだ。

 

「…………龍人、ありがと」

「へへっ、どういたしまして!」

 

 ぎこちなく、けれど龍人に対してレイセンは初めて笑顔を見えた。

 対する龍人も、レイセンに向けて満面の笑みを返す。

 

「…………」

「嫉妬かしら?」

「どうしてすぐそういう風に捉えるのかしら?」

 

 いつの間に現れたのか、上記の言葉を放つ永琳に冷たく言い返しながらも、紫は笑みを浮かべあう龍人とレイセンの姿をじっと見つめていた。

 別にレイセンと龍人が楽しそうに話している姿を見て嫉妬しているわけではない、ただ……あれだけ地上の者に厳しい態度を見せていたレイセンの心を変えてしまった龍人を見て、驚いているだけだ。

 そう、驚いているだけ、他意は……無い。

 

「彼は、ある意味では恐ろしい能力を持っているわね」

「…………」

「彼には人間も妖怪も月人も、何もかもが関係ない。何の区別も差別もなく接することができる、そんな事はそうそうできるものじゃないわ」

「……そうね」

「だからこそ心配なのでしょう? そんな彼の心を簡単に利用しようとする輩が現れるかもしれないと」

「…………」

 

 紫は何も答えない、だがその無言は肯定の証だった。

 しかし彼のこの考え方はこれから先も変わらないだろう、それに変わってほしくないと紫は強く望んでいる。

 彼が居たから変われた者が居た、救われた者も居た、だからこそ彼はいつまでも今の彼のままで居てほしい。

 

 だから紫は改めて決意する、彼のこの考え方を利用する者から彼を守っていこうと。

 彼を守る事が、きっと幻想郷の…ひいては人と妖怪の関係に変化を齎すと、信じているから。

 

 

 

「――彼を守る理由、それだけではないでしょうに」

 

 ……永琳のその言葉は、再び無視する事にした。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第49話 ~綿月姉妹~

朧との戦いに勝利し、ほっと息をつく紫達。
当初の予定を済ますために、彼女達は次に月の使者のリーダーを務めている月人、綿月姉妹に会う事にした………。


 石畳の床を、真っ直ぐ歩いていく。

 現在紫達は永琳に連れられ、ある場所へと向かっていた。

 朧との戦いが終わり、玉兎と自分達の治療を終えた紫達は、そのまま永琳に連れられ都の中を歩いていく。

 

「…………」

 

 周りの視線が集中している、それに若干の不快感を覚えつつも紫は無視した。

 既に月夜見と玉兎達によって月の民にも、紫達地上の者が協力者となって侵略に来た妖怪と戦うという情報は伝わっている。

 しかしだ、いくらその情報が耳に入ったとしてもおいそれと月の民がそれを受け入れる道理には繋がらない。

 

 事実、向けられている視線の中には明らかな警戒の色が見え隠れしている。

 あからさまな敵意すら向けられる始末であり、仕方ないとは思いつつも不快だと思ってしまうのも致し方ないものだろう。

 けれど紫は決してそれを表には出さない、あくまで受け流す事に徹し……不快感を顔に出そうとしている藍を無言で制した。

 

「ところで永琳、これから何処に行くんだ?」

「綿月姉妹の屋敷よ。――見えてきたわね」

 

 永琳の言葉通り、前方に巨大な屋敷と門が見えてきた。

 その大きさに龍人は驚き、そうこうしている間に屋敷の門の前まで辿り着いていた。

 

「――止まれ。この屋敷に一体何用だ?」

 

 門の前に立っていた2人の鎧姿の男達が、紫達の前に立ち塞がる。

 彼等はここの門番なのだろう、厳しい表情を浮かべながら紫達に右手に持つ筒状の物体を向けてきた。

 この物体は一体何なのだろう、そう思っているとその物体の先端から剣状の物体が出現した。

 

「わっ、すげー……それってもしかして剣なのか?」

「レーザーブレード、高熱と高振動によって抜群の切れ味を誇る光の剣。兵士達の標準装備よ」

「ふーん……?」

「質問に答えろ、お前達は一体……」

「月夜見から聞いていないかしら? 八意XXと地上の妖怪達がこの屋敷に訪ねてくると」

「や、八意様!? こ、これは大変失礼を致しました!!」

 

 慌ててレーザーブレードの刃を収め、永琳に向かって深々と頭を下げる門番達。

 それを一瞥し、永琳は歩みを進め門を開く。

 すぐさま彼女の後を追う紫達、門を抜けると……そこに広がるのは、巨大な庭園であった。

 生命の息吹がひしひしと感じられる緑の芝生、所々に咲いた花々は見る者の目を楽しませる。

 

「……月の花を見たのは初めてだけど、綺麗なのね」

「幽香から見ても綺麗に見えるのか?」

「ええ、本当に綺麗……後でこの花達の種を貰えないか聞いてみようかしら」

「いいなそれ、幻想郷に咲かせたらきっとみんな喜ぶぞー!」

「その時は私が咲かせてあげるわ。あなた達じゃ上手く咲かせられないかもしれないし」

「いいのか? 助かるよ、幽香!」

「…………」

 

 どうも、あの戦いの後から幽香と龍人の仲が良くなった気がする。

 相変わらず幽香の言動にはどこか棘を感じるものの、半妖の龍人に対する物腰は明らかに柔らかくなっていた。

 

「……風見幽香の奴、なんだか龍人様に対する態度が変わったと思いませんか?」

「藍もそう思う? ――でも彼はどんな存在とも仲良くなるから、別段おかしい事ではないでしょうけど」

「……ですが、私は正直風見幽香という存在は好きになれません。あの妖怪は龍人様に悪影響を及ぼしそうで」

「滅多な事を言うものではないわよ藍、それにそんな事を言っているけど要するに幽香と龍人が仲良くなっているのが気に入らないだけでしょう?」

「…………否定は、しません」

 

 心中を見破られたからか、藍の顔に赤みが帯びる。

 そんなやりとりをしつつ、紫達は屋敷の中を永琳についていく形で歩いていった。

 

「ねえ永琳、その綿月姉妹というのは一体どんな人物なの?」

「姉の方は綿(わた)(つきの)(とよ)(ひめ)、おっとりとした平和を好む優しい子よ。でもその頭脳は私に次いで高く私の知識を瞬く間に吸収していったわ。

 妹は綿(わた)(つきの)(より)(ひめ)、剣の達人で月人の中でも類まれなる武の才能を持って生まれた子、でもちょっと生真面目過ぎるのが玉に瑕かしらね」

「あなたがそこまで褒めるのだから、相当なものなのでしょうね」

「ええ。まがりなりにも私の一番弟子ですから」

 

「…………ん?」

「? 龍人、どうしたの?」

 

 突然立ち止まったと思ったら、道から外れ龍人は走り出してしまった。

 また勝手な事をして、溜め息をつきつつも紫は龍人を呼び止めようとして……永琳に止められてしまう。

 

「永琳?」

「いいじゃない。どうせこの後の話は龍人にとって退屈になるでしょうから、この屋敷を好きに見学させてあげましょう」

「じゃあ私も別行動をとらせてもらうわ、月に咲く花達を見てみたいから」

 

 言うやいなや、先程通り過ぎた庭園へと向かっていく幽香。

 当然止めようとする紫であったが、またしても永琳に止められてしまった。

 勝手な行動をする龍人達に、紫はなんだか頭が痛くなっていった。

 とはいえ永琳が止めるという事は問題ないという事だろう、紫はそう判断しておとなしく永琳の意見を尊重する事にした。

 決して幽香を止めるのが面倒になったというわけではない、ええ決して。

 

 暫く歩みを進め――やがてとある部屋へと辿り着いた。

 その部屋の扉の前に立つ永琳、すると自動的に扉が横に開き彼女は中へと入っていく。

 驚きつつもそれに続く紫と藍、中に入ると――1人の少女が紫達を出迎えてくれた。

 

「――お久しぶりです八意様、およそ二百年ぶりですね」

「ええ、まさかまた会う事になるとは思わなかったわ。豊姫」

(……この少女が、綿月豊姫。か)

 

 確かに永琳の言ったように、おっとりとして物腰が柔らかそうな印象を受ける。

 永琳と向かい合って浮かべている笑顔は、可愛らしくもあり美しくもあり、見ていると心が落ち着く不思議な魅力があった。

 

 ……少し幽々子に似ていると、紫はふとそう思った。

 再会を懐かしむような会話を暫し永琳と交わしてから、豊姫の視線が紫達に向けられる。

 

「――月夜見様から話は聞いています。ようこそ地上の妖怪達、私は豊姫。綿月豊姫と申します」

「八雲紫よ、そしてこっちは私の式である藍」

 

 互いに名を明かす豊姫と紫。

 しかし、互いに向ける視線に友好的な色は存在していない。

 紫はただ純粋に豊姫という月人に対する警戒心を向け、対する豊姫は地上の妖怪である紫に友好を築くつもりはないという意思表示を見せていた。

 やはりこのような反応を見せてくるか、内心ではわかっていたものの豊姫の態度はあまり気持ちのいいものではなかった。

 

「――大丈夫よ豊姫、彼女は信頼できる妖怪よ。だからその目はやめなさい」

「…………わかりました、八意様」

 

 永琳に諭され、豊姫は紫に向けている視線を幾分か柔らかいものに変えた。

 

「協力者に対して向ける瞳ではなかったわね、ごめんなさい」

「いいのよ。あなた達月人にとって私達は侵略に来た地上の妖怪と大差ない、無条件で信用しないのは当たり前よ」

「……聡明ですね。それになかなかに器が大きい」

「褒め言葉と受け取っておくわ、ところで……あなたには妹が居たと聞いたのだけれど?」

「依姫ちゃんの事? あの子なら今は玉兎達の稽古を――」

 

 豊姫がそこまで言い掛けると、突如として地面が揺れ始めた。

 揺れ自体はすぐに収まったものの、続いて爆発音のような轟音が聞こえ、再び地面が揺れた。

 

「これは……まさか敵襲!?」

「音の発生源から察するに……玉兎達の訓練場から聞こえたわね」

「っ、豊姫、行ってみましょう!!」

「ええ、そうしましょう!」

 

 部屋を飛び出し、豊姫の案内で訓練場へと向かっていく紫達。

 訓練場といっても庭の一角であり、すぐに辿り着いた。

 そこには玉兎達がへたり込んでおり、すぐそばでは戦闘音が響いていた。

 

 朧の襲撃が終わり油断してしまったかもしれない、そんな事を考えつつ紫は戦闘音の中心へと視線を向け……目を丸くした。

 豊姫や藍も紫と同様に目を丸くさせ、永琳は()()を見て肩を竦め呆れの表情を見せていた。

 だがまあ、それも仕方がないだろう。

 

――何せ戦っているのは、龍人と豊姫の妹である、綿月依姫だったのだから。

 

 

 

 

 時間は龍人が突然紫達から離れた頃まで遡る。

 永琳の後ろを歩いていた龍人であったのだが、ふとあるものに気づいたのだ。

 それはとある“力”、妖力でも霊力でもない……どちらかといえば、【龍気】に近い力だ。

 龍人族の血を引いている龍人だからこそそれに気づき、気になった彼はその力の持ち主を見たくなり、好奇心のままに勝手な行動に出てしまった。

 もしかしたら同族がこの月にいるのかもしれない、そんな期待めいた感情を抱きながら龍人はとある場所へと足を踏み入れる。

 

 そこは庭の一角、辺りには桃が実った木が生え揃い、その付近で玉兎達が何か武器のようなものを持って訓練を行っていた。

 けれど龍人は玉兎達には目もくれず、彼女達の訓練を厳しい表情で見守っている1人の女性に視線を向けた。

 

 薄紫色の長い髪を黄色のリボンを用いてポニーテールにして纏め、赤い瞳からは凄まじい覇気を感じ取れる。

 やや長めの長刀を地面に刺し、玉兎達を見つめるその姿は厳しい鬼教官を思わせた。

 そして、その少女から龍人は先程自分が感じた力が宿っている事に気づき、暫し視線を向けていると――気配に気づいたのか、少女がこちらに視線を向けてきた。

 

「……何者ですか?」

 

 凛とした声、おもわず身を引き締めてしまいそうになり、龍人はおもわず口ごもってしまう。

 

「どうしました? 質問に答えないというのなら、こちらもそれ相応の対応をしなければなりませんが」

「ぁ、わ、悪い……俺は龍人。地上の半妖だ」

「地上の? いえ、それよりも……龍人、といいましたね? 確か月夜見様から八意様と共にこの屋敷に訪れる地上の民が居ると聞きましたが」

「ああ、それで間違いないよ。訓練の邪魔をしてごめんな? お前から【龍気】に近い力を感じたからつい……」

「その龍気というものが何なのかはわかりませんが、貴方が本当に月夜見様の仰っていた龍人だという証拠を見せてはくれませんか?」

「証拠?」

「ええ。この月の都に侵略を企てている妖怪達ではないという確たる証拠を、見せてくれませんか? 名を名乗っただけでは、信用できませんので」

「証拠、って言われてもな……何を見せたら信じてくれるんだ?」

「…………そうですね」

 

 顎に手を置き暫し思案する依姫、すると彼女は何を思ったのか地面に刺していた刀を鞘から抜き取り、その切っ先を龍人に向け始めた。

 

「龍人という地上の半妖は龍神様の力の一部を分け与えられた(りゅう)(じん)の血を引いていると聞きました、なのでその力を見せてくれれば……信じましょう」

「えっと、つまりお前と戦えばいいのか?」

(りゅう)(じん)の力を見せてください、それが何よりの証拠となりましょう」

「……よーし、俺としてもお前みたいな強い奴と戦えるのは好都合だ」

 

 腕を回し、準備運動を始める龍人。

 

「何故、私と戦うのが好都合だと?」

「だってお前って凄く強いんだろ? 見ればわかる、俺なんかよりもずっとずっと強いって。

 そんな奴と戦えば、きっと俺は今よりも強くなれる。だから戦えるのは好都合なんだ」

「…………」

 

 真っ直ぐな瞳、穢れた地上の民にしては澄んだ……否、些か澄み過ぎているといえる瞳。

 それを向けられ、依姫は口元に小さな笑みを作る。

 剣士としての自分が、目の前の少年と戦える事が嬉しいと訴えている。

 

「全力で行くぞ、えっと……」

「――私の名は綿月依姫。好きなように呼んでください」

「じゃあ依姫、行くぞ!!!」

 

 

――そして、場面は紫達の時まで戻る。

 

 

「――何やってんのあの子は!!」

 

 おもわず大声でツッコミを放ってしまう紫。

 

「あらあら、依姫ちゃんってばお茶目さんね」

「いやいやいや、お茶目とかそういう次元の話じゃないから!!」

 

「落ち着きなさい紫、別に殺し合いをしているわけじゃないんだから大丈夫よ。大方依姫が龍人が信頼できる者かどうか試しているのでしょうね、あの子はああやって戦いの中で相手の事を知ろうとするから」

「何その傍迷惑な確かめ方!?」

「紫様、なんだかお顔が物凄い事になっているので本当に落ち着いてください!!」

「はー、はー、はー……」

 

 藍に宥められ、どうにか紫は落ち着きを取り戻していく。

 しかし頭を抱えたい状態なのは変わらない、一体何がどうなったら協力関係になる筈の月人と戦う事態に発展しているのか。

 

「でも本当に放っておいて大丈夫よ。――もうすぐ勝負がつきそうだから」

 

「っ、くぅ……っ!」

「…………」

 

 永琳がそう言った瞬間、苦悶の声を放ちながら龍人が大きく依姫に吹き飛ばされた。

 肩で大きく息を繰り返す龍人、一方の依姫は刀を両手で構えながら息一つ乱れていなかった。

 この時点で両者の力の差は明白である、しかし龍人の口元には楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

「はぁ、はぁ……ホントに強いな、依姫」

「貴方もなかなかですよ龍人、しかし――(りゅう)(じん)の力を見せてはくれないのですか?」

「わかってるさ。――今見せてやる!!」

 

 右手に持っていた長剣を投げ捨て、左手で右手首を掴みそこに力を込めていく。

 その手に集まるのは高圧縮された【龍気】、宣言通り彼は龍人族の力を依姫に見せようとしていた。

 

――依姫の表情が、変わる。

 

 予想を超える龍人族の力を瞬時に悟り、彼女の表情から目に見えて余裕の色が消えていた。

 しかし慌てず騒がず、依姫は持っていた刀を天に掲げ――己が能力を発動させる。

 

「いくぞ、依姫!!」

「――来なさい龍人。その力に敬意を評し、貴方に極光の力を見せてあげましょう」

「奥義――――」

 

 龍人に集まる力が臨界に達した瞬間、彼は一気に依姫との間合いを詰める。

 それと同時に依姫の力も臨界を迎えそして。

 

「――――龍爪撃(ドラゴンクロー)!!!」

「――【天照大御神(あまてらすのおおみかみ)】よ。我が名我が命に応えよ、その究極の光――極光の力を以て彼の者に祝福と裁きを与えよ!!」

 

 龍人の龍爪撃が放たれると同時に、依姫を中心として視界が焼かれる程の光が溢れていった。

 すぐさま目を背ける紫達、この光をまともに見れば心すら焼かれると本能が察知したが故の行動だった。

 その光はすぐに消えず、数秒間周囲を白一色に染め上げ……それが収まり、紫達が目を開いた時には。

 

「……見事。その力はまさしく龍神様の一部、それを正しく扱える貴方を信じましょう――龍人」

「くっそー……全然歯が立たねえ」

 

 悔しそうな表情を浮かべ、依姫に手を差し伸べられている龍人の姿を、視界に捉えた。

 

「ありがとな依姫、俺の事を信じてくれて」

「貴方の力はただ真っ直ぐなものでした。だからこそ信じるに値すると判断したのですよ」

「へへっ、これから宜しくな?」

「ええ、短い間ではありますが……宜しくお願いします、龍人」

 

 固い握手を交わす龍人と依姫。

 龍人は相変わらず人懐っこい笑みを浮かべ、対する依姫も柔らかな笑みを浮かべていた。

 その光景を見て、永琳と豊姫は少なからず驚きを見せる。

 

「……依姫ちゃんのあんなくだけた笑顔を見るのは久しぶりね、しかもそれを向けている相手が地上の民なのだから余計に驚いたわ」

「面白いでしょ? 見ていて飽きないのよ、龍人は」

「成る程……八意様が気に掛けるのも、わかる気がします」

 

「…………」

「――紫様、どうかなさいましたか?」

「……いいえ。ただ……龍人は色々な意味で驚かせてくれるって、思っただけよ」

 

 月人は、地上の民を快く思わない。

 穢れを嫌い月へと移住した月人にとって、その穢れを持つ地上の民は忌むべきものなのだから当たり前と言えよう。

 

 だというのに、龍人はその月人とああも容易く信頼関係を築いてしまった。

 自分では絶対にできない事を、彼は平然とやってのけるのが本当に驚きで……同時に、少し恐くもあった。

 彼はどんな存在とも関係を築けてしまう、けれどそれは彼にとって諸刃の剣でもある。

 

「……腹減ったー」

「じゃあ屋敷に戻って、美味しい桃でも食べましょうか?」

「桃!? 食べる食べる!!」

「……お姉様、また熟れる前の桃を勝手に取ったのですか?」

「いいじゃないの依姫ちゃん。八意様、龍人、いきましょう?」

「ええ、そうね」

 

「おう! 月の桃って地上のより美味いのかな?」

「甘くて柔らかくて、食べたらきっと綻んでしまうでしょうね」

「楽しみだなー! 紫、藍、行くぞー?」

「あ、は、はい!!」

「…………ええ」

 

 考え過ぎだ、杞憂に終わるに決まっている。

 何処か自分に言い聞かせながら、紫は龍人の元へと向かっていった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第50話 ~月での交流~

月での滞在を許された紫達。
戦いに備えながら、彼女達は月人達との交流を深めていく………。


「――凄い部屋ね、これは……全て薬なのかしら?」

「そうよ。ここは私の研究室。どうやら掃除はしていたようだけどそれ以外はそのままの状態にしていたようね」

「…………」

 

「ああそうそう、あまり不用意に触らない方がいいわよ。妖怪であろうと関係なく命に関わるような劇薬も沢山あるから」

「…………はい」

 

 永琳の言葉を聞き、伸ばしていた手を引っ込める藍。

 

――現在、紫と藍は永琳と共に彼女が月に居た頃に使用していた八意家の研究室へと足を踏み入れていた。

 

 入ってすぐに目に付いたのは、巨大な棚に均一に並べられた大量の瓶だった。

 一つ一つにラベルが貼られており、永琳の話によればこれら全てが彼女の作った薬らしい。

 ざっと見ただけで数万という種類はある、これら全てを管理していたのだろうか?

 

「永琳、あなたは医者ではなかったの?」

「いいえ違うわ。八意家は代々薬師の家系でね、私はその中でも天才と呼ばれる程の才能を持って生まれたの」

「……よく自分で言えるわね」

 

 事実だからしょうがないわ、あっけらかんと返す永琳に紫はおもわず苦笑した。

 

「薬師は勿論として、医者でもあり研究者でもあり戦闘員でもあり……まあとにかく、月に居た頃はそれこそほぼ総ての分野に関与していたわね」

 

 昔を思い返すと、あの頃の自分はただひたすらに吸収した自らの知識を生かしたくて堪らなかった。

 だからなんでも首を突っ込み、しかもその才によって大きな結果を残し、また首を突っ込み……そんな事を繰り返して、気がついたら【月の頭脳】などと呼ばれてきた。

 

「自分の知識が結果として残るというのが面白くてしょうがなかったわ、でも――だからこそ、私は間違いを犯してしまった。“蓬莱の薬”という禁薬を作ってしまったの」

「……不死の薬、だったかしら?」

「元々は姫様の依頼だったけど、私はその薬を作る事で何が起こるのかも考えずに作ってしまった。――自分の知識欲と自己顕示の為に、姫様の生き方を変えてしまった」

 

 ああ、なんと罪深い事か。

 気づいた時には既に遅過ぎた、輝夜は月から追放され穢れた地上に堕ちてしまった。

 自分があの禁薬さえ作らなければ、彼女は今もこの月で全ての月人から愛されて生きていただろう。

 それを奪ってしまったのだ、罪と言わず何と言うのか。

 ……けれど、他ならぬ輝夜によって永琳の罪は許された。

 

「――都であなた達と別れた後、あの永遠亭で暮らすようになってから、姫様に「ありがとう」と言われたの。

 蓬莱の薬を作ってくれてありがとうって、皮肉でも同情でもなく……心から感謝の言葉を言ってくれた」

 

 そのお陰で自分はこの地上に来れた、一生心に残る人達にも会う事ができた。

 穢れの中で精一杯生きる、逞しい人間の美しい姿と心に触れる事ができたと、輝夜は言った。

 月人のままでは決して経験できなかった事をできるようにしてくれて、感謝していると彼女は言ったのだ。

 

 無論、それだけで永琳は自分の罪が消えたとは思っていない。

 如何に輝夜が感謝しようが許そうが、罪が消えるわけではないのだ。

 けれど輝夜のその言葉で、永琳が救われたのもまた事実だった。

 

「……ごめんなさいね、急にこんな話をしてしまって。ここに来たからつい昔の事を思い出してしまったみたい」

「いいえ。少なくとも私は貴女の事が知れて良かったと思っているわ、貴女はどう思っているかわからないけど、私は貴女の事を友人だと思っているのだから」

「…………ありがとう」

 

 そう言って、永琳は穏やかな笑みを紫に向ける。

 成熟した女性の、けれどどこかあどけなさも感じる美しい笑みに、同じ女性であるのに紫は魅了されそうになってしまった。

 

「あの……所で紫様、私達は何故ここに来たのでしょうか?」

「っ、そ、そうだったわね……」

 

 藍の声で我に帰り、紫は声を掛けてくれた式に内心感謝した。

 そもそも龍人達と別行動をして、わざわざ永琳と共に彼女の研究室に来たのには勿論理由があった。

 彼女は様々な薬を精製できる知識と能力がある、それこそ先程言った不死の薬ですらだ。

 

「永琳、貴女妖怪にも効力がある薬も作れるの?」

「勿論よ、何か作ってほしい薬でもあるのかしら?」

「――ええ、少し貴女にお願いしたい事があるのよ」

 

 そう前置きして、紫は永琳に自らの願いを話す。

 すると、永琳は少しだけ驚いたような表情を浮かべてから、やがて紫に向かって大きく頷きを返したのだった。

 

 

 

 

「――輝夜、この花は一体何かしら?」

 

 庭園に咲く花を指差しながら、幽香は隣に居る輝夜へと問いかける。

 幽香が指差したのは、白い花弁を持つ強い発光を放っている不可思議な花であった。

 

「これは(れい)(こう)()、熱損失の無い光を放ち続ける花よ。強い発光だけど眩しくないでしょ?」

「ええ。まるで朝焼けのような優しい光ね、それじゃあこれは?」

 

 今度は先程よりも不可思議な花であった。

 まず花弁が一枚ずつ黄、青、緑、白と分かれている、それだけでも不可思議だというのに……この花から高濃度の酸素が絶えず放出し続けている。

 

「これは月でも貴重な《エアフラワー》っていう花よ、花弁から高濃度の酸素を放出するのだけど、これを食べれば暫く無呼吸状態で活動ができるの」

「無呼吸で……?」

 

 このような珍しい花を見ただけでも驚いたが、輝夜の言葉に幽香は再び驚きを見せた。

 生物は呼吸なしでは生きられない、それは人間よりも遥かに肉体的強度に優れた妖怪であっても例外ではない。

 

「これは二百万年前ぐらいに永琳が品種改良して生み出した花らしくて、空気の無い表の月で活動する為に作ったんだって」

「……出鱈目ね、あの女」

「月の都の創設者の1人だもの、出鱈目なのは当然よ。まあ結局今の月の都が出来上がった事で表の月で活動する意味が無くなってしまったから、こうやって観賞用の花になってしまったのだけれど」

(……わかってないわね)

 

 内心で輝夜を小馬鹿にしつつ、幽香はこのエアフラワーの力にただただ感嘆していた。

 無呼吸状態で活動できるほどの高密度の酸素を放つ、その恩恵は呼吸だけには留まらない。

 

 まずそれだけの酸素量を体内に取り込めば血流は良くなり、新陳代謝が格段に向上する。

 それはそのまま自然治癒力の向上にも繋がり、怪我の治りが早くなるだけではなく重傷の状態でも生還できる可能性が飛躍的に増大する 。

 朧との戦いで斬り飛ばされた幽香の右腕は既に癒着し、完全に元の状態に戻っていた。

 

 元々彼女の再生力が高いというのもあるが、このエアフラワーが放出する高密度の酸素がこの月の都に充満しているのも要因の一つだろう。

 だからこそ幽香はこのような花を作り出す事ができる永琳が出鱈目だと言ったのだ、しかし輝夜はその真意を理解していない。

 

「そういえば、あなたはよかったの?」

「何がよ」

「龍人みたいに、依姫に鍛えてもらわなくて」

「……私には不要よ、教えを請うなんて屈辱だわ」

 

 そう、幽香にとって他者に教えを請うなど屈辱以外の何物でもない。

 だからこそ、只今絶賛鍛えられ中の龍人の考えが、幽香には理解できなかった。

 

 

 

 

「――――くっ!!」

「どうしました、そんな太刀筋では当たりませんよ?」

 

 庭園から少し離れた広場にて、龍人は依姫に向かって剣を振るっていた。

 右手に持つ愛用の長剣をあらゆる角度から、情け容赦なく目の前の女性に振り放っている。

 加減などしていない本気での攻撃だ、だというのに……龍人の剣は依姫の身体に当たるどころか掠りもしない。

 全ての攻撃が見切られている、なので龍人は一度距離を離し【龍気】の力を用いる事にした。

 

「雷龍気、昇華!!」

「?」

「――紫電!!!」

 

 龍気を電気エネルギーへと変換させ、身体に纏わせる龍人。

 すぐさま紫電を発動、先程とは比べ物にならない速度で剣戟を放つ、が。

 

(っ、嘘だろ……これでも当たらないのか!?)

 

 紫電を用いた剣戟でも、依姫には届かなかった。

 驚愕する龍人に対し、依姫は初めて反撃に移った。

 

「し――!」

「っ、ぐぁ……っ!?」

 

 放たれたのは、横薙ぎの一撃。

 何の変哲も無い一撃だ、けれど軌道を合わせその一撃を受けた瞬間、全身が吹き飛んだと錯覚する程の衝撃が龍人の身体に襲い掛かった。

 そのまま受けきれず後方に吹き飛んでしまう龍人、慌てて起き上がるが……その時には既に、彼の眼前には依姫の刀の切っ先が向けられた後であった。

 

「――ここまでにしておきましょう、龍人」

「…………おぅ」

 

 切っ先が眼前から離れた瞬間、龍人は思わず安堵の溜め息を吐き出してしまった。

 彼女にそのつもりなどなかったのはわかっているが、あの瞬間――殺されると思ってしまったのだ。

 それだけの威圧感と覇気があの刀には込められていた、依姫の力を改めて思い知り龍人は己の力の無さを少しだけ恨んでしまう。

 父を失い二百年という年月が流れる間、彼は自分のできる限りの努力を重ねてきた。

 

 その成果は確実に出ているだろう、だが上には上がいる。

 まだ自分はいつか戦わなければならない相手の域には到底達していない、果たしてその域に辿り着く日はやってくるのだろうか……。

 

「龍人、どうかしましたか?」

「……なんでもない」

「そうですか、では私は玉兎達の訓練に行かなければなりませんが……あなたも来ますか?」

「あ、うん」

 

 立ち上がり、既に歩き始めている依姫の後を追う龍人。

 向かった先は初めて依姫と出会った場所、そこでは玉兎達があの時と同じように訓練に励んでおり、その中にはレイセンの姿もあった。

 

 皆が鬼気迫る表情で訓練に励んでいる、流石だなあと龍人が感心する一方、依姫は眉間に皺を寄せ睨むように玉兎達に視線を向けていた。

 あんなに一生懸命訓練に励んでいるのに駄目なのだろうか、依姫は厳しいなと思う龍人であったが……どうやら彼女の表情が険しいのは、別の理由があるらしい。

 

「――あなた達、()()怠けてましたね?」

 

 まるで地の底から響き渡るような、依姫の声。

 静かでありながらその威圧感は凄まじく、レイセンを除く玉兎達は動きを止め一斉に依姫から視線を逸らした。

 

「今、月がどういった状況なのかまるでわかっていないのね……いいわ、なら1人ずつ実戦形式で鍛え上げてやりましょうか」

『ええっ!?』

 

 悲鳴のような叫びが、玉兎達の口から放たれる。

 ……成る程、依姫の表情が険しかったのは玉兎達が自分達が来るまで訓練を怠けていたのが原因だったらしい。

 しかも“また”と依姫は言った、どうやらこういった事は一度や二度ではないようだ。

 

 さあ誰からでもいいからかかってきなさい、それはもう素晴らしい笑みを浮かべて依姫は早速とばかりに地獄の稽古を開始する。

 それを見て玉兎達はすっかり萎縮してしまい、中には涙目になっている者も。

 自業自得とはいえ、龍人はほんの少しだけ彼女等に同情の視線を向けたのだった。

 

 

――それから、十数分後。

 

 

「……レイセン、大丈夫か?」

「…………あんまり、大丈夫じゃない」

 

 龍人の視界に広がるのは、依姫のシゴキによって叩きのめされた玉兎達の姿であった。

 同じように地面に突っ伏しているレイセンに声を掛けたが、返ってきたのは今にも消え入りそうな弱々しい返事だった。

 

「自業自得だな」

「うー……私はみんなにサボるなって言ったんだよ? それなのにみんなはのらりくらりと返事するだけで……」

「……大変だな、レイセンも」

 

 よしよしと、龍人は労うようにレイセンの頭を撫でてあげた。

 心地良いのか、ほにゃっと少しだらしのない顔になるレイセン、でも気持ち良さそうだったので龍人はそのまま撫で続ける事にした。

 

「はふー……気持ちいい……」

「そうか? 俺も前に頭を撫でられたことがあったけど、痛かったなあ」

「それは撫で方が下手なだけだと思う、龍人のは優しくて……暖かいよ」

 

 少し強めだが、決して痛くはない。

 優しく慈しむような撫で方だ、レイセンは目を細め呆気なく龍人に身を委ねた。

 

「――レイセン、いつまで休んでいるの?」

「ひぇっ!? あ、す、すみません依姫様!!」

 

 依姫の厳しさが含まれた声を耳に入れた瞬間、夢見心地だったレイセンは一瞬で現実に引き戻される。

 それと同時に龍人の手が頭から離れ、「あっ……」とレイセンは名残惜しむような呟きを零してしまう。

 

「さあレイセン、来なさい」

「レイセン、頑張れー!!」

「う、うん!!」

 

 龍人の応援を受け、レイセンは表情を引き締め身構える。

 それを見て、依姫は少しだけ驚きつつ、口元には嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

――レイセンは、玉兎の中で抜きん出た武の才能を持って生まれた子だ。

 

 だからこそ依姫は彼女を人一倍厳しく鍛えようとしている、しかしレイセンは他の玉兎達と同じように臆病な気質であり、強くなろうという意欲が薄かった。

 自らの才を自らの手で殺してしまっていたのだ、だが今は違う。

 レイセンの赤い瞳からは確かな決意の色が見える、今よりも強くなって見せるという強い決意が。

 しかもその決意を抱かせてくれたのは、今もレイセンの応援をしている地上の民である龍人なのだから驚きだ。

 

(龍人、感謝しますよ)

 

 心の中で龍人へと感謝の言葉を告げつつ、依姫は向かってきたレイセンに向かって剣を振るった。

 

 

 

――レイセンがやる気になってくれた事が嬉しくて、ついつい稽古に熱を入れ過ぎてしまったのはまた別の話。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いです。

なんだかんだで50話突破、皆様のおかげです。
とはいえまだまだ物語は続いていきます、これからもお付き合いしてくださると嬉しく思います。


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第51話 ~妖怪達の侵攻~

月で過ごしながら、紫達は各々の力を引き出していく。
――そして遂に、妖怪達が本格的な動きを見せ始めた。


「――おい、いい加減にしろ!!」

「いい加減にするのは貴様等だ、今は攻め入るべきではないというのがわからんのか!!」

 

 怒声が場に響く。

 怒鳴り合うのは妖怪達の群れ、月に侵略を企てた妖怪達だ。

 

「月人達の力は想像以上だった。闇雲に攻めても無駄だ!!」

「そうだ。あの朧ですらあの女が居なければ命を落としていたのだぞ!?」

「知った事か!!」

「オレ達の力をもってすれば、月人なぞ物の数ではない!!」

「それは浅はかな考えだ!!」

「なんだと!? 月人の前に貴様等を喰ってやろうか!?」

「やれるものならやってみせろ!!」

 

 言い争いはますます激しくなっていく。

 その光景を人狼族の青年、今泉士狼は溜め息混じりに見つめていた。

 ……どちらの言い分も尤もであり、間違いではない。

 このまま月への侵略を進めないままでは内部崩壊するのは必至。

 ただでさえ妖怪達は月人という“餌”を前にして立ち止まっているのだ、耐えられる筈がない。

 

「――落ち着いてくださいませ、皆様」

 

 怒声の飛び交う中でも、よく響く澄んだ女性の声。

 その不気味ながらも不可思議な魅力が孕んだ声を聞き、全ての妖怪達がある一点へと視線を向ける。

 妖怪達の視線の先には、声の主である赤い髪を持つ美しい女性が穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「苛立つ気持ちは判りますわ、目の前の餌を前にしてお預けなど納得できないでしょうね。

 それも全てワタシの指示によるものでした、なので責めるのならばワタシ1人にしていただけますか?」

 

 そう言って、赤髪の女性は申し訳なさそうに妖怪達に向かって頭を下げる。

 その姿、動作の一つ一つが美しく、先程まで怒りを露わにしていた妖怪達もおもわず見惚れ小さく喉を鳴らした。

 場の空気が殺伐としたものから変わっていく事を確認してから、赤髪の女性は言葉を続ける。

 

「ですがそれももう終わりです。準備が整いましたので――存分に暴れてくださいませね?」

「……ほう、つまりやっと好き勝手していいって事か?」

「ええ、散々待たせてしまったのですから、当然の権利ですわ」

『おお……っ!!』

 

 女性の言葉に、妖怪達は歓喜の声を上げる。

 それを見て女性は優しくにこやかな笑みを浮かべていた。

 

(……女狐め)

 

 心の中でそう吐き捨てながら、士狼は女性に睨むような視線を向ける。

 

――妖怪達は気づいていない、自分達が赤髪の女性の言葉だけで無様に操られている事に。

 

 女性の強力な“言霊”によって、都合の良いように誘導させられているとまったく気づいていないのだ。

 しかしそれも仕方のない事なのかもしれない、それだけ女性の力は強大であり未知数だ。

 こっちとしても目的さえ果たせればあの妖怪達がどうなろうと知った事ではない。

 元々人狼族以外の妖怪達に協力を求めたのも、邪魔をしてくる者達の露払いをしてもらう為だ。

 

「ああ、そういえば……今度は“あの子”も投入してみたらどうでしょうか?」

「あのガキか? それはいいが……使い物になるのか?」

「勿論なりますとも。何故ならあの子は――――――なのですから」

 

 

 

 

「――ぁ、あ、ぐっ……」

「紫様!!」

「ぐ、うぅ……」

「お、おい八意! 本当に大丈夫なのか!?」

 

 ベッドに横たわり、苦しげな息と声を放つ紫。

 そんな主の姿を見て、藍は慌てた様子で永琳へと声を掛ける。

 しかし、この現状を生み出した永琳が次に放った言葉は、藍に怒りを抱かせるものであった。

 

「大丈夫なわけがないでしょう。だからこそこうやって一瞬の隙も見逃さないように見張っているんじゃない」

 

 そう言い放ちながら、永琳は苦しむ紫に透明な液体が入った注射を数本刺す。

 

「ど、どういう事だ!!」

「文句なら私ではなくあなたの主に言いなさい。――あんな無茶をすれば、こうもなるわ」

 

 言って、永琳は苦しんでいる紫を軽く睨みつける。

 この現状を生み出したのは確かに永琳だ、だが発端は紫によるものであった。

 

――貴女の薬で、私の身体を強化してほしい。

 

 この言葉が、今の状況の始まりであった。

 紫が龍人達と別行動をして永琳の研究室へと足を運んだ理由、それは彼女のあらゆる薬を精製できる知識と能力を用いての自らの強化であった。

 妖怪にも効力のある薬を作れる彼女ならばきっと自分の肉体を強靭にする薬を作れる筈、紫の目論見通りそれは可能だった。

 

――しかし、どんなものにも“代償”というのは存在する。

 

「単純な肉体強化だけじゃない、精神的な傷に弱い妖怪特有の弱点に対する耐性に妖力の絶対量の増幅、その他器官の頑強さの向上……それだけの強化を薬で行おうとすれば、強烈な副作用に苛まれるのは当然。

 しかも紫の身体は妖怪としてもまだ若い、苦しむのは当然よ」

 

「なっ!? そ、それがわかっていながらお前は紫様に薬を与えたというのか!?」

「ら、藍、永琳を……責めるのは、ぐっ、間違い、よ……」

「っ、紫様!!」

 

 永琳に詰め寄ろうとした藍であったが、弱々しく制止の声を上げる紫の言葉を耳に入れ、自らの主に詰め寄った。

 

「紫様、何故このような無茶を……」

「はぁ、はぁ……別に、最初はこんな事を、するつもりは、はぁ、なかったんだけど、ね……」

「ならば何故!?」

 

「……永琳、侵略に来ている妖怪達の中に、明らかに…次元の違う相手が、くっ……居る事に、気づいてる……?」

「…………ええ、紫もそれに気づいているからこんな無茶を思いついたのでしょう?」

「ふふっ……まあ、ね……」

「? 紫様、それは一体どういう事ですか?」

 

 2人の会話についていけず、藍は混乱する事しかできない。

 そんな彼女に紫は説明しようとするが、永琳に止められ代わりに彼女が藍に会話の意味を教える事にした。

 

「この月の都には地上からは決して干渉できない結界が張られている、たとえ境界を操る紫の能力でもそれは叶わない。――だとしたら、どうやってあの朧という妖怪はこの月の都に侵入できたと思う? それも侵入する直前まで月夜見にすら気づかれずに」

「……そういえば」

 

 たしかにそうだ、この月の都には藍の主である紫の能力ですら干渉を許さない程の結界が張られている。

 だというのに月に侵略を企てる一派の一員である朧はこの都に侵入してきた、如何に強大な力があろうとも不可能である筈の事をやってのけたのだ。

 

「無理矢理結界を突破したわけでもない、そもそもそんな事は地上で“五大妖”と呼ばれる大妖怪であっても不可能よ。月夜見が生み出した結界はたとえ私や豊姫達であっても容易には破れない。

 だというのに破りもせずに結界を越えてきた、それはつまり……向こうには大妖怪すら超えた力を持つ存在が居るという事」

 

 それに気づいた瞬間、紫はすぐさま今の自分の力では対処できないと悟り、この方法を思いついた。

 何せいつ攻めてくるかわからないのだ、そしておそらく……次は総力戦となる。

 何故そんな事がわかるのかは紫自身もわからない、ただ何故か……それがわかってしまった。

 

 時間がない、だからこそこのような無茶な方法を試してみるしかない。

 ……それに考えたくない事だが、これだけの事をしても届かない……そんな不安も紫の中で生まれ始めていた。

 

「ぐっ、あ……」

「紫様、大丈夫ですか!?」

「はぁ……大丈夫よ、だから……あなたは少し休みなさい」

「ですが……!」

「はいはい。式の貴女が取り乱したら余計に負担が掛かるのよ、それくらいわかりなさい」

「…………」

 

 おもわず永琳を睨みそうになってしまう藍であったが、すぐさま己の浅はかさを思い知り、そのまま研究室を出て行ってしまった。

 その光景に永琳はつい苦笑を浮かべ、紫も自らの式に対して溜め息が出てしまった。

 

「良い子ね、ちょっと心配性な所はあるけど」

「……あの子は、生真面目過ぎる、から、ね……」

「貴女も辛いなら喋らずに静かにしていなさい」

「…………そうするわ」

 

 大きく息を吐いてから、目を閉じる紫。

 まだ身体中から痛みが発しているが、幾分かは楽になってくれた。

 漸く永琳の薬が紫の身体に馴染んできたようだ、これならば思っていた以上に早く元に戻るかもしれない……。

 

 

「――そんな事をしても無駄なのに、さすが浅はかな女ですわね」

 

 

「――――っっっ!!?」

 

 気づいた時には、遅過ぎた。

 眼前に迫る銀光、秒を待たずに自らの首を撥ねると理解しているのに、紫には何もできず。

 

「っ、くっ――!?」

 

 けれど銀光は紫には届かず、突風が吹き荒れ爆音が響き渡った。

 

「え、永琳!!」

「紫、あなたはまだ寝てなさい。そんな身体じゃ戦えないわ、“あれ等”の相手は私がするから動けるようになったら龍人達の所に向かいなさい」

 

 口早に言って、永琳は先程の突風によって開いた大穴から外へと出る。

 その先に待っていたのは、八尺近い長さを誇る刀を持った赤髪の女性と、そんな女性に付き従うかのように立っている、白髪の少女。

 ……永琳にとって初めて会う相手ではない、尤も――会いたくない類の相手だったが。

 

「…………アリア・ミスナ・エストプラム」

「覚えてくださって光栄ですわ【月の頭脳】、八意永琳様」

「成る程ね。私の結界ですら易々と越えるあなたならば、月の都の結界など無いに等しい」

「それは買い被り過ぎですわ。なかなかに苦労しましたから」

 

 赤髪の女性――アリアはそう言ってくすくすと笑う。

 相変わらず得体の知れない女だ、永琳は音も無くその手に弓と矢を取り出した。

 

「――月を捨てたあなたが、月の為に戦うと?」

「別に月の為に戦うつもりは無いわ。ただあなたという存在を生かしてはおきたくないだけ」

「あら恐い。――ですが、それはワタシも同じ事ですわ」

 

 刹那、アリア達と永琳の周りの世界が文字通り歪み始めた。

 その変化に気づいた永琳であったが、時既に遅く。

 

――まるで初めから存在していなかったかのように、永琳達の姿がこの場から消えてしまった。

 

 

 

 

「――た、大変です依姫様!! ち、地上の妖怪共が突如として月の都に現れました!!」

「えっ――!?」

 

 稽古を続けていた依姫達の耳に、玉兎の焦りに満ちた報告が響き渡る。

 

「ど、どうしましょうか!?」

「ど、どうして妖怪達が月の都に!?」

「――とにかく迎撃するわ、急いで準備を!!」

『り、了解です!!』

 

 わらわらと散っていく玉兎達、それを見送ってから依姫は急ぎ豊姫の部屋へと急ぐ。

 部屋に辿り着くと、外の様子に気づいたのか豊姫と彼女の部屋に遊びに行っていた龍人とレイセンの姿が見えた。

 

「お姉様、龍人、レイセン!!」

「依姫様、外の様子が……」

「ええ。――地上の妖怪が月の都に現れたそうです、それも大量に」

「えっ!!?」

 

 その言葉にレイセンの表情が驚愕と恐怖に包まれ、そんな彼女を豊姫は安心するように声を掛ける。

 

「レイセン、大丈夫よ。……依姫ちゃん、玉兎達に指示は?」

「もう伝えました。私達も出ます」

「お願いね。私は月人の皆さんを避難させるから」

 

 言って、豊姫はすぐさま自らの能力を用いて一瞬でこの場から消えた。

 さて自分達も行かなくては、そう思った依姫であったが……先程から明後日の方向に向いたままの龍人に気づき、思わず声を掛けた。

 

「龍人、どうしたのですか?」

「…………」

「龍人、戦うべき時が来たのです。わかりますね?」

「……あ、ああ」

 

 漸く反応を見せる龍人だが、心此処に在らずといった様子だ。

 今更怖気づいたとは思えないが、いつもの彼らしくない反応に依姫は困惑する。

 

「どうしたのですか?」

「……向こうから沢山の妖怪の気配を感じるんだけど、その中に……なんていうのかな、懐かしいというか……不思議な気配を感じるんだ」

「???」

 

 それを聞いて、ますます依姫は困惑してしまった。

 だがいつまでもここに留まってはいられない、侵略者である妖怪達から月の都を守らねばならないのだ。

 

「――依姫、手分けして妖怪達の相手をしよう」

「えっ?」

「敵が居るのは一箇所じゃないんだろ? だったら分担して鎮圧した方が効率がいい筈だ」

「それはそうですが……いえ、わかりました」

 

 確かに龍人の言い分は尤もだ、分担して妖怪達の相手をする方が良い。

 尤も、龍人はそれだけが目的ではないのだろう、先程彼が感じた不思議な気配とやらの正体を知りたいという理由も含まれている。

 ……少し心配だ、なので依姫はレイセンにある指示を出した。

 

「レイセン、あなたは龍人と行動を共にしなさい」

「えっ、ですが……」

「二度はいいません。――龍人、ご武運を」

「ああ、依姫も気をつけてな」

 

 勿論です、そう言って依姫は屋敷を飛び出していく。

 

「レイセン、俺達も行くぞ!!」

「うん!!」

 

 続いて龍人とレイセンも屋敷を飛び出し、ある場所へと一直線に向かっていった。

 が、その前に月人達の悲鳴を耳に入れ龍人達は方向転換。

 

「う、うわあああああああああっ!!?」

「っ、やめろおおおおおおっ!!!」

 

 目の前に広がる光景――月人であろう男性に襲い掛かる、緑の肌を持つ三つ目の妖怪を確認した瞬間、龍人はその場に介入した。

 男性に迫る爪の一撃を右手で弾き、残る左手で妖怪の腹部に拳を叩き込む。

 くぐもった悲鳴を上げながら妖怪は吹き飛び、近くの家屋を破壊しそのまま見えなくなってしまった。

 

「大丈夫か!?」

「あ、ああ……すまない」

「すぐに避難をしてください!! 月王宮へ急いで!!」

 

 レイセンに言われ、月人の男はすぐさまその場を走り去る。

 改めて周囲を見渡す龍人、周囲に人の気配は無く既に避難を終えた後のようだ。

 先程の男性は遅かったものの、月人の対応の早さに舌を巻きながら――龍人はこちらに向かってくる複数の気配を静かに迎え入れた。

 

「おっ? なんだ、まだ逃げてないのが居たか」

「おいちょっと待て、こいつは玉兎とかいう妖怪兎に……半妖だぞ」

「なんで半妖がこんな所に……いや、こいつが多分龍人とかいう龍人族のガキだな」

 

 現れたのは多数の妖怪、どれも人型であるものの醜悪に肥えた肉体は見るだけで不快感を煽っていく。

 それに浮かべる下卑た笑みも拍車を掛け、レイセンはあからさまに表情を歪ませた。

 

「……なあ、お前達が侵略者か?」

「だとしたらなんだ?」

「…………このまま黙って帰る、っていうのは無理か?」

 

 答えがわかりきった質問をしている、それは龍人自身もわかっていた。

 だがもしもこのまま引き下がってくれるのなら……そんなありえもしない願いを抱いてしまい、返ってきたのは――嘲笑であった。

 

「しょうがねえよな……」

 

 覚悟ならできている、友人の故郷であるこの月を侵略するというのなら……目の前の妖怪達は、倒さねばならない敵だ。

 身構える龍人とレイセン、そんな彼らを相変わらずの下卑た笑みを浮かべながら見つめつつ、妖怪達はある少女を2人の前に連れてきた。

 その少女は見た目では年端もいかぬ少女だった、腰辺りまで伸ばした赤髪のストレートヘアーと側頭部を編み上げ黒いリボンで纏めている。

 

 なかなかに可愛らしい容姿を持っているが、青がかった灰色の目からは生気を感じられず、また身に纏う衣服も衣服というよりはボロ布で無理矢理身体を隠しているといった方が正しいほどのみすぼらしい姿だった。

 

「オラッ、さっさと戦えや!!」

 

 妖怪の一匹が、少女に向かって怒声を放つ。

 その声にビクッと身体を震わせながら、少女は龍人達に向かって身構える。

 

「……おい、戦う気の無いヤツを戦わせるのか?」

「同情かい? 優しいねえ、ならそのままおとなしくやられろや」

「…………」

 

 目の前の少女を見やる龍人、身構えてはいるものの戦意はまるで感じられなかった。

 寧ろこちらに対して申し訳なさそうな視線を向けている、拍子抜けしそうになるが……戦わないわけにはいかない。

 

「レイセン、あの子の相手は俺がする」

「わかった。――でも、あの子」

「わかってる、だから……なんとかするさ」

「――――っ」

 

 少女が掛ける、大地を蹴り龍人に向かって拳を放った。

 予想以上の速度に驚きつつも、龍人は左腕でその拳をガードし少女の身体を弾き飛ばす。

 

「…………そうか、さっきの不思議な気配の正体はお前だな」

 

 それと同時に彼は、その気配が一体どんなものなのかも理解した。

 この少女は妖怪だ、だが同時に……()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――お前、妖怪だけど……“龍人族”の力を持ってるな?」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第52話 ~それぞれの戦い~(前編)

遂に本格的な侵略を開始した妖怪達。
綿月姉妹、そして紫達はそれらに対応するために動き始める……。


「うおおおあああああっ!!!」

(…………参ったな)

 

 迫る拳を両手を用いて弾いて防御しながら、龍人は内心困っていた。

 赤毛の少女は容赦なく拳や蹴りを自分に叩き込んでくる、その速度と重さはさすが妖怪というべきか、彼が想像していたよりも遥かに優れている。

 だが、優れているといってもそれだけ、今のように両手だけで弾ける錬度でしかない。

 はっきり言って目の前の少女は相手にならない、彼が困っているのは別の理由だ。

 

 少女の攻撃を捌きながら、龍人はちらりと視線をレイセンへと向ける。

 彼女の前には数十を超える数の妖怪達が居る、龍人が少女の相手をしている以上、彼女1人であれだけの数の相手をしなければならない。

 レイセンが圧倒的に不利なのは明白、妖怪達もそれがわかっているのか誰もが勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

 けれど妖怪達はすぐに襲い掛かりはしない、もっと相手の恐怖心を煽ってから……ゆっくりとその心と身体を喰らおうという魂胆なのだろう。

 悪趣味な、しかし妖怪としてはある意味当然の本能に従っていると言える。

 

――尤も。

 

――そのくだらない魂胆は、決して叶わないのだとその身を以て理解させられてしまうのだが。

 

「……ねえ、ちょっといい?」

「ああ? なんだお嬢ちゃん、命乞いか? それとも……自分からオレ達にその身体を捧げようって思ったのか?」

「…………」

 

 汚物を見るような視線を、妖怪達に向けるレイセン。

 だがその言葉に答えを返さず、レイセンは更に問いを続ける。

 

「あの妖怪、無理矢理戦わせてるみたいだけど……脅しているの?」

「脅してる? 人聞きの悪い事言うなよ、オレ達はアイツの世話をする、代わりにオレ達の為に戦う。利害の一致ってヤツだ」

(よく言う……)

 

 衣服とは到底呼べないボロ布に身を包み、よく見れば身体の至る所に打撲痕が見える。

 とても“世話をしている”わけなどないのは明白、寧ろ胸糞悪い事をこの妖怪達はあの少女にしているのだろう。

 

「……私は、あなた達を殺さない」

「あ?」

「死はそれだけで穢れとなる。特にあなた達のような穢れきった者の死と地をこの月の大地に流させるわけにはいかない、だから――」

 

――身体じゃなく、その心を殺す。

 

 怒りを込めたその言葉を吐き出した瞬間、レイセンの紅い瞳が輝き始め。

 瞬間、妖怪達はレイセンによって地獄へと叩き落された。

 

「――う、うあああああああっ!!?」

 

 妖怪達の口から、情けない悲鳴が吐き出される。

 

「な、なんだこれは……なんでこんなのがいきなり……!?」

 

 自分達の身に一体何が起きたのか、彼等は理解できないまま――“それ”を視界に捉えた。

 

――現れたのは、漆黒の鱗に覆われた巨大な“龍”だった。

 

 血走った赤い瞳は見るだけで生きる気力を奪われ、黒光りする鱗はありとあらゆる物質を通さぬ堅牢さを物語っている。

 その身体の大きさはまさしく山、脚に生える爪は全てを切り裂く名刀に等しい。

 生物の頂点に位置する“龍”が、突如として妖怪達の前に姿を現していた。

 

「に、逃げろ……逃げろおおおおおっ!!」

 

 一目散に逃走を選択する妖怪達、しかしその判断は決して間違いではない。

 見ただけでわかるのだ、目の前の存在にとって自分達など道に転がっている小石以下に過ぎない。

 ちょっと小突かれただけでもズタズタにされ、哀れな餌に成り下がるは明白。

 

「っ!!? な、なんで身体が……!?」

「う、動かねえ…ど、どうなってやがる!?」

 

 だが、妖怪達に逃走は許されない。

 まるで自分の足が石像になってしまったのように、否、足だけでなく全身が動かなくなっている。

 

――黒龍の瞳が、妖怪達に向けられる。

 

「ひ、ひぃぃっ!!」

「た、たす、助け……っ!」

 

 ガチガチと歯を鳴らし、決して通らぬ命乞いをする姿はまさしく滑稽の一言に尽きる。

 

「…………グルルルル」

 

 そんな哀れな餌達に、黒龍は小さく唸り……口を開いた。

 巨大な身体に相応しい巨大な口が限界まで開かれ、中にはびっしりと鋭利で巨大な牙が生え揃っている。

 そして――黒龍は情けも躊躇いもなく、数十匹の妖怪達を丸呑みにした。

 

 

 

 

「く、うぁ……」

 

 ザザザ…と、地面を滑りながら後退する赤毛の少女。

 

「……もういいだろ。ここまでにしろ」

 

 赤毛の少女にそう言いながら、龍人は構えを解こうとするが……少女の態度は変わらない。

 

(まいったな……なんか、すげえ悪い事をしてる気分だ……)

 

 戦意も敵意もない相手との戦いが、これほどまでに精神的にくるものだと理解し、龍人は静かに溜め息を吐き出す。

 これならば剥き出しの殺意を向けてくれた方がまだマシだと言えるほどだ、とはいえこのまま無駄な時間を過ごす余裕はない。

 

 月の都のあちこちから妖怪の気配がする、その中には当然強い力も感じられ……しかもその力は、前に感じたものと同じ。

 仕方ねえ、赤毛の少女に心の中で謝罪しつつ、龍人は勝負を決めた。

 

「雷龍気、昇華!!」

「――えっ!?」

 

 龍人の身体に纏わり付く、電気エネルギー。

 それを見て赤毛の少女は驚愕し、瞬間――龍人の姿が視界から消えた。

 紫電を用いて少女の背後へと回り込む龍人、一瞬遅れて少女はこちらに気づくが、その前に龍人は少女の身体に手刀を叩き込んだ。

 

 なるべく身体にダメージが残らないように、けれどその一撃は容易く少女の意識を奪い去った。

 倒れる少女を抱え、龍人はすぐさまレイセンの援護に回ろうとして……信じられない光景を目にした。

 

「レイセン、“これ”……お前がやったのか!?」

 

 表情と同じく驚愕を孕んだ声で、龍人はレイセンに問う。

 だが彼の驚きも仕方ないだろう、レイセンの目の前には……先程居た妖怪達全てが力なく倒れているのだから。

 呼吸をしているので死んではいないだろう、しかしこれだけの数の妖怪をたった1人で倒したというのは龍人にとっては驚愕であった。

 レイセンが龍人へと振り向く、その真紅の瞳からは――血が涙のように流れていた。

 

「っ、レイセン、怪我したのか!?」

「ううん。平気……ちょっと、能力を使い過ぎた反動だから」

「能力?」

「私の能力で、こいつらにとっては現実になる幻覚を見せたのよ。

 ――もうこいつらは現実に戻ってこれない、今頃自らが生み出した幻覚に殺されたから」

 

 レイセンは、“物の波長を操る”という特殊な能力を持っている。

 先程妖怪達が見た黒龍もレイセンの能力による幻覚であり、けれどそれは並の妖怪が扱う幻術とは範囲も効果もその鮮明さも桁外れだ。

 幻覚であってもその者が“現実”だと認識すればそれは現実になり、事実妖怪達はもう二度と起き上がる事はできないだろう。

 

 だが肉体は健康そのものだ、尤も――心を殺してしまった以上、いずれ衰弱し結局は死に至るだろうが。

 けれどここでは殺せない、穢れを持つ地上の妖怪達は地上で死ななくてはならないから。

 だからレイセンは肉体ではなく心を殺した、妖怪達にとっては……どっちの方が幸福だっただろうか。

 しかしそのような強大な力を使えば代償もそれ相応のものとなる、瞳からの出血はその代償の証だ。

 

「……龍人、他の妖怪達を止めに行きましょう」

「えっ、でも……」

「この妖怪達なら放っておいても大丈夫。さっきも言ったけどもう二度と現実には戻れないし、いずれ豊姫様の能力で地上に戻されるだろうから。

 ……ところで、その妖怪はどうするの?」

 

 レイセンの視線が、彼に抱えられている赤毛の少女へと向けられる。

 

「こいつは悪いヤツじゃない、無理矢理戦わされてたみたいだし衰弱もしているから……」

「……うん、わかった。でも龍人がちゃんと面倒みてよ?」

 

 勿論、即座にそう返す龍人にレイセンは頷きを返してから、彼と共にこの場から移動を開始した。

 

 

 

 

――情けない、藍は自らの未熟さをここまで呪った事はなかった。

 

 先程の件で頭を冷やそうと永琳の研究室を一旦離れた彼女であったが、その直後に研究室から異変が起こった事を察知。

 すぐさま主の元へと戻ろうとして、突如として現れた妖怪達に藍は足止めされてしまう事になってしまう。

 主も同様の状況に陥っているかもしれないというのに、式である自分がこの体たらくである。

 その事実は藍に怒りと苛立ちを覚えさせ、けれどすぐにこの場を突破する事は彼女には叶わない。

 

「……四尾の妖狐、か。我々に敵対する意思を見せるという事は…お前も八雲紫の関係者というわけだな?」

 

 妖怪達の先頭に立つのは、右手に呪いの槍を持つ人狼族の若き戦士。

 出会ったのはこれが初めてだが、藍はすぐさま目の前の男が何者なのかを知る。

「………今泉、士狼」

「左様。我が名は今泉士狼、しかし我が名を知っていても尚立ち向かおうとするとは……若いながらもなかなかに豪胆なものだ」

 

 人狼族の青年、今泉士狼は自分に向かって睨みつけている藍の気概に感心しながら、槍の切っ先を彼女に向けた。

 

「願わくば敗北を認めこの場から去ってはくれまいか? 無用な殺生は好まない」

「おい人狼、何勝手な事言ってんだ!!」

 

 士狼の言葉に、後ろに居た妖怪達の一匹が抗議の声を上げる。

 しかし、士狼はその妖怪を一睨みで黙らせ、言葉を続けた。

 

「お前はまだ若い、いずれは妖怪として大成するだろう。故にそれだけの才を持つ者を殺すのは忍びない」

「ふざけるな、情けなど私に対する侮辱と知れ!!」

「……どうやらそのようだな、先程の言葉は撤回し非礼を詫びよう。すまなかった」

 

 構えたまま、軽く頭を下げ謝罪の言葉を口する士狼。

 それを見て、藍は目の前の男の“大きさ”に怖気づきそうになる。

 ……主の言うようにやりにくい男だ、妖怪でありながらこれだけの誇りと礼節を重んじる者はそうはいない。

 

 故に藍は悟る、この今泉士狼という男には今の自分では敵わないと。

 だが、それでも藍の頭に「降伏」の二文字は思い浮かばない。

 自分は八雲紫の式、主に危害を加える者はたとえ神々であっても立ち向かうのが常識。

 

「……主思いの良い式だ、八雲紫はやはりいずれ我が主にとって脅威となるか」

 

 致し方あるまい、立ち向かってくるというのならば……倒さねば。

 決意を固め、士狼は明確な敵意と殺気を藍に向ける。

 

「っ」

 

 気圧される、士狼から発せられる覇気に藍はおもわず一歩後退してしまった。

 

(負けるわけには……!)

 

 主はまだ動けない筈、それまでは自分がなんとかしなくては。

 命に代えても目の前の存在を打倒する、それだけの気概を込めて藍は士狼に向かって足を動かし。

 

「――――え」

 

 刹那。

 自分の心臓を貫こうとする銀光を、間抜けな顔で見る事になってしまった。

 

 ……避けられない。

 迫る銀光はただ速く、決して抗える事などできない光の槍だ。

 ああ死ぬのかと、当たり前のように理解させられ受け入れしまうほどに、見事な一撃。

 

(……申し訳ありません、紫様)

 

 自身の不甲斐なさを主に詫びるが、それは届かない。

 一秒にも満たぬ時間で槍は藍の命を奪い、彼女の物語はここで幕を閉じる。

 

「ぬおおお……っ!?」

「…………え?」

 

 しかしその時は訪れず、代わりに聞こえたのは士狼の悲鳴と無数のレーザー音。

 何者かが士狼に攻撃を仕掛け自分の命は助かった、それを理解できた藍であったが、それ以上の事はわからず茫然としていると。

 

「――人の式に、手を出さないでくださいます?」

 

 後ろから、聞き慣れた……尊敬すべき主の声が聞こえてきた。

 

「紫様!!」

 

 おもわず後ろに振り向いた瞬間、藍は紫へと飛び込むように抱きついてしまう。

 その行動に紫は驚きつつも、しっかりと藍を抱き止めた。

 

「藍、心配を掛けてしまったのはわかるけど、私の式だというのにそんな情けない姿を晒しては駄目よ?」

「も、申し訳ありません……つ、つい……」

 

 自分の行動を恥じるように頬を赤らめ、紫から離れる藍。

 そんな彼女の姿が可愛らしく、紫はそっと彼女の頭を撫でてあげた。

 

「……久しぶりだな、八雲紫」

「ええ、できれば二度とお会いしたくありませんでしたけど」

 

 藍を庇うように前に出て、先程の飛光虫ネストを受けても無傷だった士狼と対峙する。

 

「あなたも大変ですわね、あの傍若無人と傲慢の塊である男に月を落とせという無茶な命令でもされたのかしら?」

「……我が主は龍哉から受けた傷がまだ癒えん。五大妖の1人である我が主が、二百年以上経った今でも傷に苦しんでおられるのだ」

(龍哉のヤツ、あの時刹那に呪いでも仕掛けたのかしら?)

 

「しかしこの月にはあらゆる傷を治す霊薬があると聞いた、それを得るためならば……月とて落としてみせよう」

「一体誰からそんな情報を聞いたのかしら? いえ……一体誰に()()()()()?」

「…………話は終わりだ」

 

 身構える士狼、紫もスキマから闇魔と光魔を取り出し両手で握り締める。

 

「藍、あなたは下がっていなさい」

「…………畏まりました」

「――八雲紫、あの時着ける事のできなかった決着……ここで着けさせてもらうぞ!!」

 

 逞しく吼え、士狼が動く。

 真っ直ぐ迷う事無く紫へと向かって踏み込み、されどその踏み込みは藍の時よりも速い。

 狙うは頭部、まさしく先手必勝の理にて彼は一撃で勝負を決めようとして、重く低い金属音を耳に入れながら後方に吹き飛ばされた。

 着地と同時に再び槍の切っ先を紫に向け、けれど今度は攻撃に転じようとはしない。

 最速の踏み込みだった、今泉士狼が出せる最大級の速度と威力を以て彼は一気に勝負を決めようとして、失敗した。

 

「――次は、こちらの番ですわね」

 

 静かに告げ、今度は紫が攻撃に転じる。

 その速度は自分の踏み込みにも勝るとも劣らず、士狼は回避ではなく防御を選択に選び刃を交えた。

 轟音とも呼べる金属音が辺りの空気を震わせ、今度こそ両者は互いの命を奪うために本格的にぶつかり合った――

 

 

 

 

To.Be.Comtinued...




ころころと場面が変わった部分が多いですが、試験的に色々な戦いを同時進行で進めようと思いこのような書き方になりました。
ややこしいですかね? もしそうなら次にこのような場面を書く際に気をつけてみます。


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第53話 ~それぞれの戦い~(後編)

月での戦いが始まり、紫達は各々の相手との戦闘を開始する。
間違いなく死闘になるこの戦いはしかし。

――呆気なく、意外な形で幕を閉じる事になる。


「――――もう少し、ね」

 

 肩で息をしながら、依姫は自身の周りで倒れている妖怪達に視線を向けながら呟きを零す。

 現在、彼女は合流した玉兎達と共に、月王宮に攻め込もうとしている妖怪達の大群を相手にしていた。

 この月王宮には月の統率者である月夜見だけでなく、避難してきた月の民も居る、一歩も通すわけにはいかない。

 

「依姫様、また妖怪達が!!」

「……あなた達は怪我人を王宮に運びなさい、後は私がやるわ」

「わ、わかりました!!」

(本当に、数だけは多い)

 

 王宮に向かって走ってくる、妖怪達の群れ。

 その数は百を優に超えている、既に数百匹もの妖怪を倒したというのに……一体あと何匹居るのか。

 右手に持つ刀を地面に突き刺す依姫、そして彼女は“神降ろしの術”を発動させる。

 

 呼び出すのは“祇園(ぎおん)”の力、術を発動した瞬間――妖怪達一匹一匹に“剣の檻”が現れ全員の動きを一斉に止めてしまった。

 女神すら閉じ込めると謳われる祇園の力、剣の檻に閉じ込められた妖怪達に脱出する手段は存在しない。

 中には無理矢理壊そうと試みる妖怪も居たが、剣の檻に妖力弾を当てようと力任せに折ろうとしてもビクともしない。

 圧倒的な力の差、有象無象の妖怪達では依姫に勝つ事など不可能であった。

 

(さて、後はお姉様の能力でこの妖怪達を地上に送ればいいか……)

 

 無駄な殺生はしない、というよりできない。

 死は穢れとなり、その穢れが集まれば月の大地は地上の大地と変わらなくなる。

 それだけは避けなければならない、なので依姫は向かってくる妖怪達全てを叩きのめしているが殺してはいなかった。

 単純な力では彼女が勝っていても、殺さずに無力化するというのは思った以上に疲れたのか、依姫は気が抜けたように溜め息を吐き出し。

 

「っ、ち……!」

 

 機を待っていた男――朧の気配に気づき、迫る銀光を視界に入れた。

 だが今の依姫に反撃の術はない、獲物である長刀は祇園の力を維持するために地面に突き刺したまま、抜けば拘束している妖怪達が自由になってしまう。

 かといって他の神々を喚ぶ余裕もない、迫る斬撃の速度は速く重いものだ。

 

「っ!?」

「ぬう……!?」

 

 だが朧の斬撃は依姫には届かず、両者の間に割って入ってきた幽香の日傘によって真っ向から受け止められていた。

 

「風見、幽香……」

「悪いわね、こいつの相手は私がやるわ」

「……またお前さんですかい、こっちは遊んでいる暇はないんですがねえ」

 

 日傘を弾き、幽香と距離をとる朧。

 

「そっちは雑魚の相手で大変でしょう? こっちはこっちで手伝ってあげようとしているんだから、感謝しなさい」

「…………」

 

 朧の力は他の妖怪とは比べ物にならない、少なくとも今の状況では些か不利だ。

 まだ他の妖怪が攻め入る可能性もある以上……ここは彼女の好きにさせるのが良いだろう。

 それに何よりもだ、幽香の瞳から強い闘志を感じ取り、武人として彼女に朧と戦わせたいと思ってしまった。

 

「……好きにしなさい、ですが相手の命を奪ってはいけませんよ?」

「それは約束できない……わねっ!!」

 

 依姫にそう返すと同時に、幽香は動く。

 狙うは朧の首一つ、情け容赦なく幽香は日傘を上段から降り下ろした。

 

「……致し方ありませんなあ、少し相手をして差し上げやしょう!!」

「前の私だと思ったら…大間違いよ!!」

 

 

 

 

――閃光が奔る。

 

 狙いは正確無比、確実に相手の急所を狙った一撃は必殺の領域だ。

 触れれば即死、掠っても致命傷を誇るその一撃を既に数十手放ちながらも、人狼族の青年――今泉士狼は表情に驚愕と焦りの色を宿していた。

 彼の相手となっているのは、かつて彼の主である大神刹那に命を奪うように命令され、けれど敗北した妖怪の女性、八雲紫。

 彼女はその細腕で大太刀に分類されるほどの巨大な刀を持ち、舞うように士狼の槍の一撃を防ぎきっていた。

 

(まさか、ここまで強くなっているとは……!)

 

 前に勝負をしたのは二百年ほど前の話、自らも鍛錬を重ねてきたが当然相手も強くなっていると士狼とて予想していた。

 だがその予想は懇親の突きを呆気なく防がれた瞬間、明らかに甘かった事を彼に思い知らせる事になった。

 間合いでは分が悪い筈の槍の一撃を捌き、返す刀で確実にこちらの命を奪おうとしてくる。

 

(この二百年で、彼女はどこまで強くなった……!?)

 

 敗北の二文字が、士狼の脳裏に浮かび上がる。

 少なくとも楽に勝てる相手ではない、多少の損害を覚悟しても勝利には程遠い。

 命を懸けねば勝利するのは無理だと理解し、士狼の瞳に改めて覚悟の色が宿る。

 

――と、そんな彼の覚悟をまるで理解できない輩が、動きを見せた。

 

「死ね、八雲紫!!」

「っ、貴様等……我等の勝負に横槍を入れるのか!!」

「決闘ごっこをやってるんじゃねえんだよ人狼、こちとら暴れたくて暴れたくて仕方がなかったんだ!!」

 

 一斉に動き出す妖怪達、士狼と同じ人狼族の者達が止めようとするが、暴徒同然の彼等は止まらない。

 

「――邪魔、ですわね」

 

 響き渡るは、紫の声。

 つまらなげにそう吐き捨て、彼女は向かってくる妖怪達に視線を向けながら能力を発動。

 刹那、実に六十七ものスキマが向かってくる妖怪達の真正面に開かれた。

 

「え――――ぎゅっ!?」

「ぎゃっ!?」

 

 妖怪達は突然現れた隙間に驚くが、次の瞬間にはそのスキマに文字通り()()()()()()()()

 僅か数秒、たったそれだけの時間であれだけ居た妖怪達は消え去り、残ったのは士狼と彼と同じ人狼族のみ。

 

「…………」

 

 その光景に、士狼はおろか紫の味方である筈の藍ですら、彼女を恐怖に満ちた瞳で見つめていた。

 あまりにも圧倒的過ぎる力、その力を目の当たりにして恐怖を抱かないほうがおかしい。

 一方、当の紫の表情には疲労の色が見え息が乱れていた。

 

(永琳の薬で確かに力は増しているようだけど……身体がまだついていかないわね……)

 

 予想以上の消耗だ、大幅なパワーアップを果たしたのは確かだがそれ以上の消耗が彼女の身体に襲い掛かっている。

 だがそれは当たり前だ、成長には段階がある。

 その段階を一気に飛ばした強化を果たしたのだ、力は増しても肉体がそれに追いつかない。

 

 当然それを考慮して力だけでなく肉体の強化も永琳に頼んだのだが……それを差し引いても大きな消耗だ。

 けれどもういいだろう、少なくともここでの戦いは終わりを迎えた。

 既に士狼や残りの人狼族に戦う意志はない、それを確認して紫は光魔と闇魔をスキマの中に戻そうとして。

 

「――――思った以上に足掻きますわね、忌々しい」

 

 憎々しげな女性の声が、耳に入ってきた。

 

「っ、アリア……!?」

 

 空間に亀裂が入り、その中から現れたのは赤髪の女性、アリア・ミスナ・エストプラム。

 紫に冷たい視線を向けながら登場したアリアであったが、その身体には幾つもの傷が刻まれていた。

 

「……敗れてしまったようですわね、今泉士狼」

「ま、まだだ……まだ俺は戦える!!」

 

 アリアの声にそう返しながら、身構える士狼。

 

「――八雲紫との実力差を思い知った状態で、吼えても滑稽なだけですわ」

「っ」

 

 だが次にアリアが放った一言で、士狼は今度こそ完全に戦う意志を殺がれてしまった。

 そんな彼を一瞥し、アリアは再び紫と対峙する。

 

「……また、違う結末ですか」

「…………?」

「まあいいでしょう。これ以上戦いを続けてもこちら側の敗北は必至……引き際ですわね」

「逃がすと思っているのかしら?」

 

 瞬間、紫の瞳がどす黒い色へと変化する。

 能力の完全開放、自らの身体が軋みを上げるがそんなものに構ってはいられない。

 それだけの相手なのだ、しかし――アリアは紫のその姿を見てもまったく動じず、寧ろ憐れみを込めた視線を向けてきた。

 

「――危険な力をそうも簡単に使って、本当に自らの望む世界が作れると思っているのですか?」

「何を……」

「力とはそれだけで争いの元となり、力を持つ者は持たざる者とは決して理解しあう事はできない。

 力ある妖怪は、力無き人間と理解し合うことはできない。それが自然の摂理であり絶対の理」

「――――」

「そして八雲紫、その事実は誰よりもあなた自身が理解している。

 でも“彼”が居るから、“彼”の夢が綺麗で尊いものだから……わかっているくせに目を逸らして、偽りの道を歩み続けている」

「…………貴女は、一体何者なの?」

 

 得体の知れない存在だという事は、十二分にわかっていた。

 初めて会った時から、不気味で相容れない存在だという事も充分に理解していた。

 だが、改めて紫は目の前のアリアという存在に恐怖した。

 

「偽りの道を歩めば待っているのは屈辱と苦しみだけ、ならば力ある者達だけが平和に生きる世界を作りなさい。――彼を失いたくないのなら」

「え――」

 

 紫がその言葉を意味を理解する前に、アリアの姿が霞のように消えてしまう。

 アリアだけではない、士狼と他の人狼族の姿も消え……場に不気味な程の静寂が訪れた。

 しかし紫はその場から動く事ができなかった、動いた所でアリアを追う事は叶わなかったが…先程の彼女の言葉が、頭から離れず消えてくれない。

 

(どうして、あれではまるで彼女は私達の事をよく知っているような……)

 

 疑問は疑問を呼び、そしてその疑問は恐怖と……ある違和感を抱かせる。

 今まであのアリアという女性には得体の知れない不気味な妖怪であり、倒さねばならない敵という認識しか抱いていなかった。

 

 無論敵という認識が変わったわけではない、けれど――紫の中でアリアに対する何かが変わったような気がした。

 一体何が変わったのか、それは彼女自身もわからず困惑するが…思案する彼女の前に、新たな人物が姿を現す。

 

「――紫、藍、大丈夫!?」

「永琳……って、その傷はどうしたの!?」

 

 現れたのは慌てた様子で紫達の元に駆け寄ってくる永琳、けれど彼女の身体には痛々しい傷が刻まれていた。

 衣服は裂け、後ろで三つ編み状に纏めていた髪は解け、赤い血が腕から地面へと幾度となく落ちていく。

 見るからに重症だ、しかし永琳はそんな紫の心中を悟ったのか安心するように口を開いた。

 

「大丈夫よ。蓬莱人である私にはこんな傷や失血では死なないから。

 そんな事より、アリア・ミスナ・エストプラムがこの月に現れたのよ。さっきまで相手が展開していた結界内で戦っていたのだけれど……」

「……彼女は消えたわ、多分侵略していた妖怪達も姿を消していると思う」

「えっ? ……どういう事なの?」

「敗北を認めていたわ、きっと有象無象の妖怪達は龍人達にやられたのでしょうね」

「…………」

 

 意識を月の都全体に向ける永琳。

 ……確かに玉兎や紫達以外の妖力は感じられなくなっている、紫の言う通り侵略者である妖怪達は撤退したのだろう。

 月が勝利するという未来は、永琳にとって決められているも同然の未来だった、こう言ってはなんだが紫達が居なくとも綿月姉妹や玉兎達だけでも充分に対応できるとわかっていたから。

 ただ極力犠牲を増やしたくないという豊姫の方針でレイセンが自分達に協力を申し出たのだ、その時点で侵略者達に勝ち目など一分も無かったのは明白。

 

――しかし、永琳には解せなかった。

 

 何故こうも簡単に引き下がった?

 アリア・ミスナ・エストプラムという妖怪の力を理解している永琳には、それだけがどうしても解せない。

 現に結界内で永琳と死闘を繰り広げていたというのに、突如として彼女は逃げるように永琳を結界内に閉じ込めたまま消えてしまったのだ。

 紫達が危険だと思い永琳が強引に結界を破って戻ってきてみればこの現状である、納得できないのは道理であった。

 

(最初から相手は、いえ……アリアは月を侵略するつもりはなかった?)

 

 だとすると、一体何の目的で妖怪達に力を貸したのだろうか。

 これだけの事を引き起こして、ただの気紛れで力を貸すとは当然思えない。

 ……そこまで考え、永琳は自ら思考を一度完全に切り替える事にした。

 確かに解せない点は幾つもあるものの、今は目の前で荒い息を繰り返し苦しげな表情を浮かべている紫を楽にさせてあげなくては。

 それに他の戦況も気になる以上、ここで立ち止まっている場合ではない。

 

「紫、歩ける?」

「…………ええ、大丈夫よ。藍、戦いは」

「――――っ」

「……藍」

 

 紫が藍に視線を向けた瞬間、彼女の表情に確かな怯えの色が見えた。

 それを見て一瞬悲しげな表情を見せる紫であったが、すぐさま優しく柔らかな表情と声で藍に言葉を掛ける。

 

「藍、ひとまずゆっくりと休みましょう? それと……恐がらせてごめんなさいね?」

「ぁ……い、いえ、紫様が謝る必要などありません! わ、私が……申し訳ありません。主である紫様になんて無礼な事を……」

「いいのよ藍、ありがとう」

 

 そう言って藍の言葉を遮り、紫は彼女の頭を優しく撫でてあげた。

 ……恐れられているのは慣れている、まだ未熟な藍では先程の自分の力を見て恐怖を抱くのは当たり前だ。

 だから紫は藍に対して何も言わない、でも……少しだけ、ほんの少しだけではあるが。

 彼女にあんな表情を向けられたのは悲しいと、彼女の心が静かに訴えていた……。

 

 

 

 

「――おい、どういうつもりだ!!!」

「どういうつもり、とは?」

 

 殺気立った妖怪達の視線が、たった1人の女性に向けられている。

 ここは地上、月にとって穢れに満ちた世界。

 人も獣も立ち入らぬ深い森の中で怒鳴っているのは、先程まで月に居た妖怪達であり、突然自分達を月から地上に戻した赤髪の女性、アリアに対し怒りを向け怒鳴り散らしている。

 

 妖怪達にとって彼女の行動は裏切りも同じ、怒りを抱くのは当然であった。

 しかし、そんな中でもアリアの表情は穏やかな笑みのまま変わる事はなく、彼女は静かに妖怪達に向けて言葉を返した。

 

「お言葉を返すようですが……ワタシが地上に戻さなければ、今頃あなた方は月の者達にやられていたのでは?」

「っ、そ、それは……!」

 

 まさしくその通り、けれどそんな事で妖怪達は納得しない。

 

「だ、だったらすぐにオレ達を月に戻せ! オレはまだ月人を食ってないんだぞ!!」

「おれだってそうだ!!」

「そうだ、すぐに戻せ!!」

 

 戻せ、戻せ、妖怪達は口々に自らの身勝手な欲望をアリアに向けて放っていく。

 その姿を少し離れた場所で見ていた士狼は、あからさまに表情を歪ませ妖怪達に嫌悪感を抱いた。

 ……けれど、その耳障りな声はすぐに聞こえなくなる。

 

「――ご苦労様でした。おかげで……良い()()()()ができましたよ」

 

 まるで女神のような優しさに満ちた、同時に何処か狂気を孕んだ声でアリアがそう言った瞬間、場が地獄へと変化した。

 舞い散るのは赤い鮮血、瞬く間に周りの木々や地面を赤く穢していくそれは、先程までアリアに怒鳴っていた妖怪の一匹から放たれたものだった。

 

 ……何が起きたのか、周りの妖怪達は理解できず間の抜けた表情のまま固まってしまう。

 そんな彼等にアリアは変わらず笑顔のまま、右手に持っていた獲物を無造作に振るった。

 刹那、銀光が奔り――他の妖怪達の身体を一匹残らず上下に両断してしまった。

 

「な――」

「試し切りにしては、あまりにも呆気ない獲物ですわね」

「ア、アリア……貴様、何のつもりだ!?」

「何のつもりもなにもありませんわ、ただワタシは有象無象の雑種を斬り捨てただけの事。一体あなたにどんな不利益があるというのですか?」

 

 アリアは笑う、美しく残酷な笑みで。

 その笑みを見た瞬間、士狼達はまるで金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまった。

 そんな彼女の右手には、見た事のない剣が握られていた。

 刀ではない、両刃を持つ西洋のロングソードに近い形状。

 しかし刃は厚く、白銀に輝く刀身には龍の紋様が刻まれている。

 ……このような状況だというのに、士狼はその剣を見て魅了されてしまった。

 

「これは“神剣”と呼ばれる月の秘宝の一つ、かつて龍神王“神楽(かぐら)”が月夜見との親交の証として送ったとされる宝剣ですわ」

「月の秘宝、だと? 何故お前が………………まさか」

「ええ。――まさかワタシが何の見返りも無くあなた方に協力したと思っていますの? ワタシの狙いはこの宝剣、ですがワタシ1人だけで動くには限界がある」

 

 だからこそアリアは、月への侵略を企てる妖怪達に協力を申し出た。

 甘い罠で唆し、囮として利用し……自らの目的を果たしたのだ。

 

「――成る程、あっしらはまんまと利用されたってわけですかい?」

「っ、朧……!」

 

「あら? よく神剣の一撃を防ぎましたわね」

「運が良かっただけでさあ、しかし……お前さんは本当に恐ろしい女だ」

「褒め言葉と受け取っておきますわ。ですが勿論協力してくださったあなたには報酬を差し上げます」

 

 そう言ってアリアは、朧に一本の刀を、士狼には透明な液体が入った小瓶を手渡す。

 

「その刀は妖刀“(てん)(くう)(まる)”、そしてそちらの小瓶に入った液体はあらゆる怪我を治療する霊薬ですわ」

「…………我々を、始末しないのか?」

「有象無象の雑種はいくら斬り捨てても問題ありませんが、あなた方は別です。それにワタシも少々疲れましたので……ここであなた方とやりあうつもりはありませんわ」

「…………」

「ではワタシはそろそろお暇させていただきますわ。――ごきげんよう」

 

 優雅に一礼し、アリアの姿が士狼達の前から消え去った。

 残されたのは憐れな妖怪達の骸と、悔しげな表情で唇を噛み締めている士狼、そして無言のまま天空丸を見つめる朧だけが残された。

 

 ……利用された、その事実は士狼にこの上ない屈辱を与える。

 だがその屈辱を晴らす事はできない、自分と相手では明らかに力の差が明白だからだ。

 

「……アリア・ミスナ・エストプラム、この屈辱……忘れんぞ!!!」

 

 自らに誓うように、士狼は怒りの声で吐き捨てる。

 

 

 

――血の臭いを孕んだ風を、その身に受けながら。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




ちょっと呆気ない幕切れ、ですがガッチリバトルを書くともう三話ほど続いてしまいますし、当初の予定でここではガッチリバトルは書かないつもりでしたのでご了承ください。


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第54話 ~休息の中で~

戦いは一応の終わりを見せ、紫達は休息の時を過ごす………。


「――――永琳、どうだ?」

「……大丈夫。かなり衰弱しているけどさすが妖怪ね、直に目を醒ますわ」

 

 永琳から放たれた言葉を聞いて、龍人はほっとしたように大きな息を吐き出した。

 そんな彼の視界の先には、清潔感溢れる白いベッドに横たわり眠っている赤毛の少女の姿が。

 全身にはガーゼや包帯が巻かれており、その姿は見るだけで顔をしかめてしまう程に痛々しい。

 

 この少女は先の戦いで龍人と戦った少女であり、戦いを終えた後すぐさま永琳によって治療が施された。

 かなり衰弱しており栄養状態も悪かったものの、月の医術と永琳の適切な処置により一命を取り留める事に成功してくれた。

 

「レイセンも永琳と一緒に傷の手当てをしてくれてありがとな」

「ううん、気にしないで」

「それにしても、なかなか手際が良かったわねあなた」

「えっ!? あ、いえ、その……よく仲間の治療をしたりした事があっただけで……八意様に比べれば私なんて」

 

 永琳に褒められ、慌てたように否定の言葉を返すレイセン。

 だが褒められた事は嬉しいのか、顔は恥ずかしそうに赤く染まりながらも口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 正直な反応にからかい甲斐があると思った永琳であったが、さすがに可哀想なので何も言わない事に。

 

「だけど、妖怪なのに“龍人族”と同じ力を持つって言っていたけど……本当なの?」

「ああ、この子から感じる力は俺と同じものだし……間違いないと思う」

「龍神様は人間だけでなく一部の妖怪にも自らの力の一部を分け与えた例もあるから、この妖怪が龍人と同じ力を持っていてもおかしくはないけど……」

「まあそんな事はどうだっていいけどな、戦いたくないのに戦わされて、それで死ぬ事にならなくてよかった」

 

 そう言って、龍人は赤毛の少女の頭を優しく撫でる。

 生きていてよかった、そんな思いを少女に伝えるように。

 

「なあレイセン、他の玉兎達は大丈夫なのか?」

「うん、妖怪との戦いで怪我人は沢山出ちゃったけど幸いあの時と違って死者は出なかったから……」

「そっか……よかったな」

「龍人達が頑張ってくれたお陰だよ、ありがとう」

「頑張ったのはレイセンも同じだろ? ――逃げずに頑張れて、よかったな?」

「龍人…………うん!!」

 

 嬉しそうに、少しだけ誇らしげにレイセンは満面の笑みを浮かべる。

 その笑みにつられて龍人もニカッと笑みを浮かべ、ニコニコと笑みを浮かべ合う2人。

 微笑ましい光景だ、おもわず近くでそれを見ていた永琳も口元に優しげな笑みを浮かべていた。

 

――その一方、部屋の隅でそれを見ていた紫は逆に表情を歪ませていた。

 

 そしてそのまま無言で部屋を退出、早足でその場から離れていき……診療所の外へと出た。

 周りから聞こえるのは建築音、先の戦いで壊された建物を直す音と月人達の声が紫の耳に入ってくる。

 それを聞きながら、紫は柱の一柱に背を預け空を見上げた。

 見えるのは雲ひとつ無い晴天、まあ尤も地上のものとは違いホログラムによる晴天なのだが。

 

「――機嫌が悪そうね、どうかした?」

「機嫌云々は貴女に言われたくありませんわね」

 

 声を掛けてきた相手、風見幽香に棘のある言葉で返す紫。

 それを聞いて肩を竦める幽香であったが、事実彼女は只今少々機嫌が悪い。

 まあ仕方がないだろう、何せ先の戦いで朧と戦っていた彼女は突如として戦闘を中断させられてしまったのだから。

 依姫が邪魔をしたわけではない、前とは違い善戦していた幽香であったが……突然、何の前触れもなく朧が月から消えてしまったのだ。

 

 朧だけではない、依姫に囚われていた妖怪達も霞のように消えてしまった。

 血湧き肉踊る戦いをしていた幽香は当然怒った、そりゃあもうおもわず月王宮を粉々にぶっ壊してやろうかと思うくらい怒った。

 今は幾分機嫌が直った彼女ではあるが、よく見ると口元がへの字に曲がっている。

 ……尤も、紫も彼女と似たような表情になっているのだが。

 

「機嫌が悪いのなら、殺し合いでもしましょうか?」

「にこやかな笑顔で言う言葉ではないわね、そんな事するわけないでしょうに」

「辛気臭い顔しちゃって、そんなに龍人に構ってもらえないのが不満なのかしらね?」

「…………」

 

 おもわず、紫はキッと幽香を睨みつけてしまう。

 だが幽香はまったく堪えた様子を見せず、寧ろ彼女の反応を見てニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる始末。

 

「素直に甘えちゃえばいいじゃない、前から思っていたけど……アンタって龍人に対して『頼りになる姉』のように振舞おうとしてない?」

「……確かにそうね。でも龍人は危なっかしくて目を離すと心配なのだもの、自然と姉のように振舞うようになってしまったのよ」

「過保護ねえ。でもそんな考え方をしているから素直に甘える事ができなくなってるんでしょ?」

 

 莫迦よねえ、からからと可笑しそうに笑う幽香を紫は先程以上の冷たさを孕んだ瞳で睨みつける。

 それでも幽香は堪えない、まるで強がっちゃってと言っているかのように。

 

 ……苛立ちが増した、しかし何故か紫は否定の言葉を放つ事ができなかった。

 いくら否定しても幽香に対して無駄に終わると思ったからか、それとも……。

 

「――いつか、後悔する事になっても知らないわよ」

「幽香、いい加減にしないと怒るわよ」

「これは忠告。龍人の生き方を考えれば……彼がいつ死んでもおかしくはないでしょ?」

「――――っ」

 

 今度こそ、紫は明確な殺気を込めて幽香を睨む。

 紫の怒りに呼応するように妖力が身体から溢れ出し、その力は周囲の地面や柱を軋ませていく。

 今の言葉だけは許容できない、彼の死を連想させる言葉を吐かれて何もしないわけにはいかない。

 

 並の者ならば腰を抜かし失神してしまう程の威嚇を受け、幽香はおもわず一歩後ろに後退してしまった。

 しかし彼女もまた類稀なる力と才を持って生まれた妖怪、一歩後退するだけに留まり更に言葉を続けた。

 

「本当は紫だってわかってるんでしょ? なら……私に言われなくてもどうすればいいのか、わかるわよね?」

「…………」

 

 暫し幽香を睨む紫であったが、やがて殺気を消し気まずそうに彼女から視線を逸らした。

 ……わかっている、彼女の言葉はきっと正しい。

 龍人の生き方は、他ならぬ彼自身の命を蝕む可能性を秘めている。

 でも彼には自由に自分の思うままに生きてほしい、そう願っている以上……紫は幽香の言葉を否定する事はできない。

 

「……ごめんなさい、幽香」

「別に、謝られてもこっちが困るわ。謝るくらいならその辛気臭い顔を見せるのはやめてよね、そんな顔を見ていると……グチャグチャにしたくなるから」

「まあ恐い。それじゃあ退散するとしましょうか」

 

 そう言って、再び診療所に戻っていく紫、その後ろ姿を見ながら……幽香は後方へと声を掛ける。

 

「――主を恐がっているのかしら? 妖狐」

「…………」

 

 幽香の前に現れる1人の少女、紫の式である藍であった。

 気まずそうに視線を逸らし、握り拳を作りながら震えるその姿は幽香にとってひどく滑稽に映った。

 

「恐いと思うのは仕方ない事よ、アンタは私達の誰よりも弱い。たとえ主であってもあんなに不気味で出鱈目な能力を持った紫を恐がるのは無理ないわ」

「っ」

「それが嫌なら今より力をつければいいだけの話よ、そして紫を守るに相応しい式になればいい。簡単でしょ?」

「…………他人事だと思って、軽々しく言ってくれる」

 

 だが、幽香の言葉は正しいと藍は理解している。

 確かに紫の力を見て恐いと思った、それは認めよう。

 そんな自分を情けないと思い、自己嫌悪に陥り、けれど……このままでは嫌だと思った。

 

 ならばどうすればいいかなど、決まりきっている。

 それこそ自分に対し憐れみと嘲笑を送るこの失礼極まりない風見幽香に言われなくてもだ。

 

「自らを鍛えたいのなら、私が付き合ってあげましょうか?」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「だって月人達は相手をしてくれないんですもの、弱い者苛めになるけど……この苛立ちを発散するのはちょうどいいわ」

「っ、ほぅ……後悔するなよ?」

 

 弱い者と言われ、藍の額に青筋が浮かぶ。

 上等だこの花妖怪、ボコボコにしてやるという視線を幽香に向ける藍であったが。

 その後、幽香に軽くあしらわれ逆にボコボコにされる事になるのはまた別の話……。

 

 

 

 

「――龍人、入るわよ?」

 

 一言そう告げてから、紫はドアを開け赤毛の少女が居る病室へと再び足を踏み入れた。

 中に居たのは龍人と眠ったままの赤毛の少女のみ、先程まで居た永琳とレイセンの姿は見当たらない。

 

「龍人、永琳達は?」

「他の怪我人を見てくるって」

「そう……」

 

 短く返し、紫は龍人の隣に椅子を持っていき彼の隣に座り込む。

 ……視線を彼に向ける紫、龍人の視線は眠ったままの赤毛の少女に向けられている。

 

「……そんなに悲痛な表情を浮かべなくても、治療は終わったしいずれ目を醒ますと永琳も言っていたでしょう?」

「え、あ……俺、そんな顔してた?」

「してたわよ、そんな心配をしなくても……」

 

 そこまで言いかけ、紫は自分が龍人の気分を害するような事を言おうとしている事に気づき、口を閉じた。

 龍人は優しい、たとえ大丈夫だと言われても彼ならば心配してしまう。

 だというのに今自分はわざわざ言わなくてもいい事を言おうとして彼の気分を害してしまう所だった。

 

 ……感情のコントロールが、上手くできない。

 先程幽香に変な事を言われたからだ、責任転嫁に近い事を考えつつ紫は何も言わずに龍人の隣に座り続ける。

 

「……んっ……」

「あ」

 

 赤毛の少女の口から、僅かに声が漏れた。

 それは少女が眠ってから初めての事で、それが何を意味するのかを2人が理解するより速く、少女の瞳が開かれた。

 開かれた瞳は暫し虚空を見つめ、やがてゆっくりと視線が2人へと向けられる。

 

「大丈夫か?」

「…………」

 

 龍人が声を掛けるが、少女からの反応は無い。

 まだ意識がはっきりと覚醒していないのだろう、急かす事はせずに2人が待っていると。

 

「……なん、で……」

 

 少女が、龍人を見つめながら疑問の言葉を口にした。

 

「ん?」

「どうして、私…生きて、るの……?」

「……無理矢理戦わされてたんだろ? だから殺さなかった、ただそれだけだ」

「どう、して……? だって私、あなたに攻撃を……」

「命を無駄にしたくないんだ俺は、本当は向かってくるヤツでも殺したくないくらいなんだ。――命に代わりは無いからな」

「…………」

「今は余計な事を考えずにゆっくり休めよ、ちゃんと話をするのもまずは身体をちゃんと休ませてからだ」

 

 もう眠れと、少女の頭を撫でながら龍人は言う。

 その言葉と声に安らぎを覚え、少女は言われるがままに目を閉じ…そのまま眠ってしまった。

 

「……良かった。永琳には大丈夫って聞かされていたけど、目を開けてくれて改めて安心できた」

「…………」

 

 龍人の視線が、意識が、赤髪の少女だけに向けられている。

 彼は優しい、誰に対してもその優しさを向ける事を、紫はよく知っている。

 だから彼がこんなにも真摯に少女の事を考えるのは、別におかしい事ではない。

 そう――おかしい事ではない筈だというのに。

 

「? 紫……?」

「…………ぁ」

 

 どうして、気がついたら。

 まるで龍人にこっちを向いてほしいかのように、彼の服の裾を掴んで引っ張ってしまったのか。

 当然ながら龍人は怪訝な表情を紫に向けてきた、対する紫は……自分の行動の不可解さに困惑しながら、顔をどんどん赤くさせていく。

 

「あ、いえ、あの……私……」

「どうしたんだ?」

「ぁ、ぅ……」

 

 本当に、何をしているのだろうか。

 これではまるで、寂しがっている子供のようではないか。

 こんな無様な行動、八雲紫がやっていい事ではない。

 いずれ大妖怪と呼ばれ、藍という将来有望な式を操る妖怪が、こんな子供のような事を……。

 

「…………」

「おっ……?」

 

 そこまで考えて、紫は言い訳じみた自分の考えを自ら捨てた。

 それと同時に、彼女は自身の身体を龍人の身体へと預け出す。

 

「紫?」

「……ごめんなさい、今はこのままで」

「いや、別にいいよ。それになんだか嬉しいし」

「え?」

 

 顔を龍人へと向けると、彼は言葉通り嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

「だってさ、なんか紫が俺に甘えてくれてるような気がしてさ。お前って俺にそういう事しないだろ?

 なんていうか、とうちゃんの約束を守るために俺には弱い所を見せないというか……上手く説明できねえけど、とにかくお前が甘えてくれたような気がして、嬉しかったんだ」

「――――」

 

 とくん、鼓動が小さく鳴った。

 あっさりと、龍人は紫の小さな虚栄心を解し、受け入れてくれた。

 それが嬉しくて、嬉しくて、紫は気づいたら見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべていた。

 同時に彼女はある事実に気づく、だが……それをまだ龍人に話すつもりはない。

 

「龍人」

「なんだ?」

「……また、こうして甘えてもいいかしら?」

「勿論。というかこんなんならいつでもいいぞ?」

「…………ありがとう」

 

 それ以上は何も言わず、紫は無言のまま龍人にその身を預け、彼の温もりを感じながら時を過ごした。

 その後、永琳とレイセンが再びこの部屋に戻ってくるまでそのままの体勢で過ごし。

 2人のその姿を見て、永琳が嫌な笑みを浮かべそれを見て紫が怒りのまま彼女を攻撃する事になるのはまた別の話。

 

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回でこの第四章も終わりになります。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。


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第四章エピローグ ~地上への帰還~

戦いは終わり、紫達は自分達の帰るべき場所へと帰還する。

新たな友人、そして仲間を引き連れて……。


「――――成る程、今回も大変だったんですね。紫さん」

「ええ、でも……実りのあるものだったわ」

 

 暑くなり始めた日差しが、稗田家の屋敷に降り注ぐ。

 その中で執筆しつつ紫と会話をするのは、この屋敷の主である二代目稗田家当主、稗田阿爾だ。

 彼女は現在月から帰還した紫達から、月で起こった戦いを聞きそれはそれは楽しそうに筆を進めていた。

 そんな2人の傍には、新たに『幻想郷縁起』に記載される事になった永琳と輝夜の姿も。

 

「月に兎が居るとは聞いた事がありますが、まさか私達のような人が存在するとは思いませんでした!」

「無理もないわ。もう数億年以上前に月の民は地上を捨てたのだから」

「数億……途方も無いですね」

「……普通に信じるのね。わたし達が月人だって事も、月での話も」

「色々な意味で普通じゃない空気を纏っていますからね、それに紫さんのお知り合いの方なら信用できます!」

「…………一応、褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 阿爾のあんまりといえばあんまりな言葉に、顔を引き攣らせる輝夜。

 見た目は見目麗しい人間の少女だが、中身は見た目通りではないようだ。

 しかしその甲斐あってか、既に阿爾と永琳達はお互いに気を許し合っている。

 

「――さて、改めまして。幻想郷へようこそ、八意永琳さん、かぐや姫様……いえ、蓬莱山輝夜さん。

 私達は、そしてこの幻想郷はあなた方を受け入れます」

「ありがとう」

「ありがとね、こっちこそよろしく!」

 

 暖かな阿爾の言葉を受けて、永琳も輝夜も満面の笑みを浮かべる。

 この瞬間、彼女達はこの幻想郷の一員になり、紫も嬉しくなって口元に笑みを浮かべていた。

 と、阿爾の視線が中庭に、正確には中庭に咲く花達を愛でている幽香へと向けられる。

 幽香の傍にはじっと彼女の姿を観察している龍人と、月で彼と戦いそのまま地上へとついてきた赤髪の少女の姿もあった。

 

「あの少女も妖怪なのですか?」

「ええ、地上の妖怪を月に置いたままというわけにはいかなかったし、龍人が放っておけないみたいだから連れて帰ってきたのよ」

 

 永琳の薬と、少女自身の生命力によって既に傷は完治している。

 だがあの野良妖怪達に虐待に近い事をされてきたのか、少女は紫と龍人以外の者には警戒と怯えの色を見せていた。

 人間である阿爾に対してもそれを見せるのだから、相当なものなのだろう。

 こればかりは時間が解決するのを待つしかない、なので紫は阿爾に少女の事を『幻想郷縁起』に記すのは待ってほしいと告げた。

 少女の境遇を知った阿爾は当然承諾し、わかってくれた彼女に紫は感謝の意を示す。

 

「――――さて、と」

 

 花達を一度丁寧に撫でてから、幽香は立ち上がった。

 

「それじゃあ、私はそろそろ行くわ」

「? 幽香、行くって何処へだ?」

「別に目的地を決めているわけではないけど、一箇所に留まるのは嫌いなのよ」

 

 月から地上に帰ってきた以上、もうこの場所には用は無い。

 元々幽香は愛でるべき花達を求めて旅をしている妖怪だ、この幻想郷に留まる理由が既に存在していない以上、こうなるのは必然であった。

 

「そっかー、お前って結構危ないヤツだけど、居なくなると寂しくなるなー」

「私は清々するけどね、アンタは半妖の癖に図太いというか……色々な意味で強過ぎるのよ」

「???」

 

 幽香の言葉の意味が判らず、首を傾げる龍人。

 そんな彼を無視し、幽香は紫へと視線を向け口を開いた。

 

「じゃあね、精々この半妖のお守りをしてあげなさい」

「……また会える日を楽しみにしていますわ」

 

 皮肉めいた口調で、けれど本心からの言葉を放つ紫。

 それをどう受け止めたのか、幽香は小さく笑ってから跳躍し屋敷から飛び去っていってしまった。

 あっという間に幽香の姿は見えなくなり、少しだけ……ほんの少しだけ、紫は寂しくなった。

 

「姫様、私達もそろそろ……」

「そうね。じゃあ紫、龍人、私達も行くわ」

 

 立ち上がる永琳と輝夜。

 

「ああ、またな?」

「暇なら遊びに来なさい、こっちも暇を持て余しているから」

「暇なら人里で働けよ、人手不足だから」

「あら、それは良い考えね。龍人、姫様でも出来そうな仕事を見繕ってくれる?」

「ちょ、ちょっと永琳……私は姫よ?」

「極潰しは要りませんから」

 

 きっぱりと、輝夜にとって残酷な言葉を放つ永琳。

 それを聞いて輝夜の表情が凍りつき、そんな彼女を見て紫と永琳はくすくすと笑った。

 どれだけ働きたくないんだこの姫様は、まあ気持ちは判ってしまうけれど。

 ……尤も、永琳は決して冗談で言ったわけではないようだが。

 

「そ、その話はまた追々という事で!!」

「あ」

 

 言うやいなや、輝夜は逃げ出すように屋敷を飛び去っていってしまった。

 やれやれと肩を竦め、「それじゃあ」と言って永琳も輝夜の後を追うように屋敷を後にする。

 騒がしかった屋敷が静かになり、そして紫達も自分達の屋敷に帰る事にした。

 

「阿爾、私達もそろそろ戻るわね」

「はい、それではまた」

 

 龍人を呼び、屋敷に繋がっているスキマを開く。

 阿爾に一度手を振ってから、紫達は八雲屋敷へと戻っていった。

 

「お帰りなさいませ紫様、龍人様」

 

 屋敷に戻ると、いつも通り藍が紫達を出迎える。

 そう、いつも通り、紫にとっての“いつも通り”が漸く戻ってきてくれた。

 

「ふぅ……」

 

 大きく息を吐き出す、ここで紫はやっと今回の戦いが終わりを迎えてくれたように思えた。

 

「そういえば紫、よかったのか?」

「? 何がかしら?」

「ほら、体力と妖力が戻って早々に幻想郷に帰ってきたけどさ……月のみんな、俺達の為に宴を開こうとしてくれてたじゃねえか」

 

 だというのに、戦いが終わり二日が経ち、気力体力共に戻ったと同時に紫と永琳はすぐに帰ろうと言い出したのだ。

 これには宴を楽しみにしていた龍人は不満を漏らし、月夜見達も同様の反応を見せた。

 だが結局月人達が呼び止めても聞き入れず、こうして幻想郷に戻ってきてしまったのだ。

 

「いいのよ。私達は地上の民で向こうは月の住人、必要以上に関わりを持ってはお互いの為にならないの」

 

 月は穢れを嫌い、そして自分達は穢れの中で生きる者達。

 今回のような件を除けば本来交わる事など無かった関係なのだ、紫も永琳もそれがわかるからこそ早々に戻ってきたのだ。

 そして、おそらくもう今回のような事が起こらなければ関わる事もないだろう、それもまた互いの為だ。

 そう説明する紫であったが、案の定龍人の浮かべる表情は不満のそれだった。

 他者との関係を大切に思う龍人ならばこの反応も致し方ないが、こればかりはわかってもらわなければ。

 

「……月の料理、楽しみだったんだけどなあ」

「ごめんなさいね。藍の料理で我慢して頂戴」

「うーん……まあいっか、生きてりゃいつかまた会えるだろうし」

 

 そう言って、龍人はこの話題をおしまいにする事にした。

 

「それよりさ、この子どうする?」

 

 龍人の視線が、先程から彼の背中に引っ付くように隠れている赤毛の少女に向けられる。

 視線を向けられ、一瞬だけびくっと身体を奮わせる少女。

 

「そうね……龍人はどうしたい?」

「そりゃあ暫くここに住まわせてやりたいさ、今は身体じゃなくて心を休ませてあげないと」

「ええ。――でも働かざるもの食うべからずよ、それはわかるわね?」

「…………」

 

 紫に言われ、無言のままこくりと頷きを返す赤毛の少女。

 

「ならまずはこの家の雑用をしてもらうわ、詳しい事は藍に聞きなさい」

「でも無理をする必要なんかないからな? 俺達はお前に酷い事なんて一切しないから、安心して暮らしてくれ。

 ここで暮らす以上はお前は俺達の“家族”になる、遠慮する事なんかないからな?」

「ぁ……」

 

 龍人に頭を撫でられ、赤毛の少女は僅かに笑みを浮かべた。

 まだぎこちなく少し無理をしているように見えるが、やっと確かな笑顔を見せてくれた。

 

「そういえば、お前名前はなんていうんだ?」

 

 今の今まで名前を聞いていなかった事に気づき、龍人は訊ねる。

 名前があるならこれからそれで呼ばなければならないし、名前が無いのなら名付けてあげなくては。

 龍人に訊かれ、少女は小さめな声でけれど少し誇らしげに、自らの名を口にした。

 

「――美鈴(めいりん)、わたしの名前は……(ほん)美鈴(めいりん)です」

 

 

 

 

「――――刹那様、只今戻りました」

「……士狼、テメエ今まで何処に行ってやがった?」

 

 冷たく暗い洞窟の中で、男の絶対零度の如し冷たい声が響き渡る。

 その声を一身に受けた青年、今泉士狼は主である大神刹那に睨まれぶるりと身体を奮わせた。

 恐怖で主の顔が直視できず、士狼は俯いたまま懐から小瓶を取り出し刹那に捧げる。

 

「……何だ、これは?」

「月の都にて手に入れた霊薬で御座います、これを飲めば主の怪我も治るかと……」

「月だと? ――そうか、何処に行ってやがったと思ったらテメエ月なんぞに行ってやがったのか。それも勝手に同胞を連れて」

「お怒りは尤もだと理解しています、どのような処罰も受ける所存です。ですが我が主、まずはこの霊薬で傷を癒してください」

「フン……そんな薬なんぞに頼る必要なんかねえんだよ、余計な事はするな士狼。テメエはオレの言葉に従ってればいい」

「…………申し訳ありません」

「その薬は勝手に使え。――話は以上だ、消えろ」

「はっ」

 

 一礼し、洞窟の外に出る士狼。

 夜空が辺りの山々を照らす中、その暖かな光とは対照的に士狼の顔には影が差していた。

 

(わかっていた事だ、今回の事は完全に俺の独断であり主の望む事ではなかった)

 

 だから、あのような反応が返ってくるのを士狼は予想できていた。

 できていた、が……実際にあのような冷たい反応だけしか返ってこないというのは、彼の心を傷つけていた。

 しかし彼はすぐさまその傷に蓋をする、主が正しいのだと、自分が勝手な事をしたのだと己に言い聞かせながら。

 

 

 

 

 

To.Be.Continued...




今回で第四章は終わりです、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
あっさりと地上に戻ってきましたが、本編でも紫の発言とあまりダラダラ月でのやりとりを続けたくないという理由からこうなりました、ご了承ください。

次回からは間章となり、何人か原作キャラを出したいと思います。
少しでも楽しんでいただければ何よりでした、また次回も読んでくださると嬉しく思います。


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間章③ ~幻想の日々~Ⅱ
第55話 ~蓬莱人の幻想入り~


月での騒動が終わり、新たな仲間を連れて幻想郷へと戻ってきた紫達。
一度立ち止まり平和な時を過ごす彼女達であったが、おもわぬ出会いを果たす事となる………。


――深々と、雪が降っている。

 

 季節は冬、幻想郷に冬が訪れ大地は銀世界に変わっていた。

 その美しい景色を眺めながら、紫は八雲屋敷の縁側に座り暖かいお茶で身体を暖める。

 本当ならば室内でお茶を飲みたい所なのだが、今回ばかりはそうはいかないのだ。

 視線を中庭に向ける紫、広がるのは一面の銀世界…だけではなく、暴れ回る2人の妖怪。

 

「まったく、よくやるわね……」

 

 少し呆れを含んだ声色で呟きつつ、お茶を一口啜る。

 そんな紫の視線の先では、中庭でぶつかり合う藍と美鈴の姿があった。

 拳や蹴りで近接攻撃を放つ美鈴に対し、妖力弾や札を用いて遠距離攻撃を放つ藍。

 両者の戦いは拮抗しており、2人の周囲の地面は大きく陥没していた。

 

 これは喧嘩をしているわけでも命の奪い合いをしているわけでもなく、最近この八雲屋敷で恒例となりつつある修業の光景である。

 藍の主人としてその光景を見守っている紫であったが、正直こんな寒い中でしてほしくないというのが本音だ。

 早く終わってくれないかしら、そう思う紫の願いが届いたのか――両者が同時に勝負に出た。

 

「狐火―――!」

「っ、かぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 藍の両腕を包むように現れる、妖力で形成された炎。

 それを見て美鈴は大きく後ろに跳躍し、両腕にある力を溜めていく。

 それは(けい)と呼ばれる内外の“気”を溜め発する力、妖力や霊力とも違う生物の生命エネルギーそのものを使った力だ。

 

(あ、これは危ないわね)

 

 右手を上に翳し、己と屋敷全体に結界を張る紫。

 次のぶつかり合いの余波をまともに受ければ屋敷が倒壊するからだ、そして紫が結界を張ったと同時に――両者は最後の一手を放つ。

 

「火拳――(ごう)(えん)(てん)!!」

(さい)(こう)(りゅう)()(けん)!!!」

 

 藍の炎の拳と、美鈴の虹色の拳がぶつかり合う。

 両者の激突の際に巻き起こった衝撃は2人の周囲の地面に積もった雪をまとめて吹き飛ばし、その余波は八雲屋敷にまで及んだ。

 しかし屋敷は紫が張った結界によって傷一つ付かず、当然ながら紫自身にもその衝撃は届かない。

 互いに睨み合いながら後退する藍と美鈴、両者の闘志は微塵も衰えておらず、2人は再び衝突しようとして。

 

「そこまでにしておきなさい、やり過ぎは身体に毒よ?」

 そう言いながら3人分のお茶を用意した紫の声で、鍛錬は終了を迎えたのだった。

 

 

 

 

「――どうかしら? もう今の生活には慣れた?」

「え、あ、えっと……」

 

 縁側から室内に移動し、お茶を飲みつつまったりとした時間を過ごす紫達。

 そんな中、紫はちびちびと熱めのお茶を啜る美鈴に上記の問いかけを投げかけた。

 対する美鈴は紫の問いかけに一度驚き、そのまま俯いてしまい答えを返す事はなかった。

 

(……やっぱり、まだ無理か)

 

 月から地上に帰還し、美鈴をこの八雲屋敷に迎えてから既に十日が経った。

 しかし彼女から紫達の警戒心が完全に解かれる事はなく、話しかけても今のような反応が返ってきてしまう。

 だが無理もないと紫は理解している、彼女は少し前までずっと野良妖怪達に心も身体も傷つけられてきたのだから。

 

――彼女は、紅美鈴は自分が何の妖怪なのかを理解していない。

 

 気がついたら今の姿になっていて、見た目が人間の少女だった為か、彼女は幸運にも近くの里の人間に保護された。

 そこで彼女はある家の養子となり、血が繋がっていないというのにそこの人間達から惜しみない愛情を注いでもらえたそうだ。

 育ての親は武術家だったらしく、先程の勁の力もそこで習い彼女は普通の人間の少女と同じようにすくすくと成長していった。

 それから五十年が経ち、今の姿のまま成長していない彼女が妖怪だと周りの者から認識されても、彼女を迫害する者はその里には居なかったらしい。

 幸せだった、育ててくれた親の死に目もきちんも見届ける事ができた。

 その平和がずっと続くと彼女は、そして彼女を受け入れた里の誰もが信じて疑わなかっただろう。

 

――だが、そんな小さな平和は簡単に崩れ去ってしまった。

 

 ある日、彼女が狩りの為に少しの間里から離れていた際……野良妖怪達によって里は崩壊した。

 無残にも喰い散らかされた家族同然の者達を見て、美鈴は激昂し彼等を滅しようと勇ましく戦いを挑んだが……多勢に無勢、結局は敗北しそのまま彼女は野良妖怪達の隷属になってしまった。

 それからというもの、彼女はずっと地獄の中で生き続け、数々の恥辱や痛みを野良妖怪達に与えられる事になってしまう。

 それでも彼女は死を選ばなかった、妖怪と知っても尚自分を受け入れてくれた者達の死を無駄にしたくなかったから。

 ……そのような生き方を強いられてきたのだ、寧ろ警戒し怯えながらも自分達に歩み寄ろうとしてくれている美鈴に、紫は感謝すらしたくなった。

 

「無理をする事はないわ、ここにはあなたの敵は居ない。あなたを傷つける者は存在しない」

「…………」

「恐いのなら無理をして歩み寄ろうとしなくていいの、今はゆっくりとその身体と心を癒す。それだけに専念しなさい」

 

 優しい声、暖かな言葉を美鈴に向ける紫。

 ……言いながら、内心紫は自分の甘さに苦笑していた。

 ここまでする義理などないというのに、これではまるで龍人のようではないか。

 でも仕方がないのだ、紫自身……今の美鈴を放ってはおけないと思ったから。

 

(龍人の甘さが移ってしまったわね……)

 

 だが気分は決して悪いものではなく、寧ろ暖かなものであった。

 妖怪は総じて自分勝手、他者を力でねじ伏せる闇に生きる存在。

 だというのに今の自分はどうだ? 助ける必要など無い筈の他者に手を伸ばす愚か者ではないか。

 

「…………あ、あの」

「………?」

「…………ありがとう、ございます」

「…………」

 

 まあ、でも。

 嬉しそうに笑みを浮かべながら、心からの感謝の言葉を告げる美鈴を見て。

 愚か者でもいいかと、紫は思ったのであった。

 

「ら、藍、少し人里に行ってくるわね?」

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 言うやいなや、さっさとスキマを展開し逃げるようにその場を後にする紫を見て、藍は微笑ましそうな笑みを浮かべ彼女を見送った。

 どうやら式には自身の心中を理解されてしまったようだ、気恥ずかしさから紫の顔が赤く染まる。

 ……やはり龍人とは違い、自分はあんなにも純粋な感謝と好意を向けられるのは恥ずかしく思えてしまうようだ。

 少々子供めいた自分の態度に再び恥ずかしさを募らせながら、紫は人里へと降り立った。

 

「八雲様、こんにちは」

「あ、八雲様!!」

「――ごきげんよう、皆さん」

 

 里に降り立った紫に、周囲を歩いていた人間や妖怪達が声を掛けていく。

 それを紫は美しく、けれどどこか妖しい魅力を孕んだ笑みで返すと、一部の男達が一斉に視線を逸らした。

 その態度に怪訝な表情を浮かべるもすぐさまそれを消し、紫は近くに居た人間の若者に声を掛ける。

 

「龍人が何処に居るのか、知りませんか?」

「えっ? りゅ、龍人さんですか!? あ、えっと……す、すみません! ぞ、存じ上げませんです!!」

「…………?」

 

 話しかけた際の青年の反応は、ひどくおかしいものだった。

 顔を赤らめ、しどろもどろで言葉遣いも少々おかしい。

 しかし自分が妖怪だから恐れているという雰囲気でもない、ではこの態度は一体何なのか。

 別に不快感があるわけではないが、不可思議なのは間違いなく紫はちょこんと首を傾げた。

 その姿を間近で見て、青年の顔が真っ赤に染まる。

 

「? お顔が赤いようですが、もしや風邪を引いてしまったのでは?」

「あ、や、ち、違います大丈夫です失礼しますうぅぅぅぅぅっ!!!」

「あ………」

 

 一気にまくし立て、青年は逃げるように紫の元から去っていってしまった。

 あまりに失礼な態度だったが、青年の反応があまりにも変だったので紫の中で不快感は生まれず、ただただ怪訝な表情を浮かべるばかり。

 一方、そのやりとりを見ていた者は全員苦笑を浮かべていた。

 ……紫は気づかない、自身の美しさに魅了され青年は緊張していた事に。

 当初は妖怪でありたまにしか姿を現さない為か、紫は龍人と違い里の者達から警戒心を向けられていた。

 しかし彼女自身がよく里に姿を現す事になり、更に龍人のような優しく穏やかな気質を見せるようになってから、警戒する者は少なくなっていた。

 警戒しなくなったと同時に彼女の美しさに魅了される者達も増え始め……先程の青年もそのせいであのような反応を見せたのだ。

 

(人間は、やはり根本では妖怪を受け入れないのかしらね……)

 

 結果、紫はそう結論付けてしまう始末。

 彼女の心中を聞けば全員が否定するだろう、しかしここには心を読める(さとり)妖怪は居ない。

 仕方ない、龍人は自分で捜す事にしようと思った矢先――捜し人の気配が自分の元へと向かってきている事に紫は気がついた。

 紫の口元に自然と笑みが浮かぶ、本人は気づいていないようだがそわそわと落ち着きも無くなっていた。

 

「あ、龍人―――」

 

 やがて龍人の姿が見え、紫は彼の名を呼んだが……すぐさま口を閉ざし表情を険しくさせた。

 彼に何かがあったわけではない、だが彼の表情が鬼気迫るものに変わっていたからだ。

 一体どうしたのか、こちらに向かって走ってくる彼に駆け寄る紫。

 そこで漸く彼女は彼の表情の意味を理解した。

 

――2人の少女が、彼によって背負わされている。

 

 どちらも薄汚れており、土や泥に塗れているだけでなく所々に傷や打撲痕が見られた。

 それに表情を見るにかなり衰弱も激しいようだ、呼吸もかなり弱く処置を施さなければ命に関わるかもしれない。

 

「龍人、彼女達はどうしたの?」

「本格的な冬が到来するのに里の備蓄が少なくなってきたから、近くの山に狩りに行ってたんだ。

 そしたら、雪の中でこいつらを見つけてさ……紫、永琳を呼んでくれねえか?」

「わかったわ」

 

 すぐさま頷きを返し、紫はスキマを開き彼と共に中へと入る。

 一度龍人を屋敷へと連れて行ってから、紫はそのまま永遠亭へと赴く。

 そして永琳に事情を説明し、治療を快く引き受けてくれた彼女と共に再び屋敷へ。

 

「―――大丈夫よ。点滴も投与し続ければ死ぬ事はないわ、身体に刻まれた傷自体はたいした事無かったから」

 そして彼女によって的確で且つ紫達が見た事のない器具を用いての治療が終了した時には、既に日が暮れた後であった。

 

「ふぅ……永琳、ありがとな」

「構わないわ。でもすぐに私を呼んだのは正解ね、今の里の医療レベルじゃこの患者の治療はできなかったでしょうし」

「そんなに酷い傷だったのか?」

「たいした事ないって言ったでしょ? でもかなり衰弱していたから、持ち堪えるには栄養剤や強心剤を打ち込む必要があったの」

「???」

「今の人間には開発できない薬だと思ってくれればいいわ」

 

 言いながら、使用済みの器具を片付けていく永琳。

 完全に理解する事はできなかったが、とにかく無事だという事なのだろう。

 龍人はとりあえずそう自己完結を済ませる一方、紫は永琳にある願いを投げかけた。

 

「永琳、もしあなたが良ければなのだけど……あなたの医者としての技術を、里に教える事はできないかしら?」

「……気持ちはわかるけど無理よ、今の医療レベルでは理解できないわ」

「…………」

 

 はっきりと告げられ、紫は何も言えなくなった。

 永琳の優れた医療技術を里の者達にも伝えられれば、もしもの時にも対応できると思ったのだが……。

 

「それよりも……この少女は一体何者なのかしら?」

「何者って言われてもな、俺が見つけた時は気を失っていたから知らねえよ」

「……それにしても、この子達からなんだか人間ではない気配を感じるわ」

 

 改めて眠っている2人に視線を向ける紫。

 1人は青のメッシュが入った長い銀髪、もう1人はまるで雪のように白く長い髪を持つ。

 少なくとも周囲の人間にこのような色の髪を持つ人間は居ない、それに人間以外の気配を彼女達から感じるが、妖怪とは違う気配だ。

 

(でも、何故かしら……この白髪の少女、何処かで見た事があるような……)

 そう思ったが、記憶を辿っても白髪の少女の知り合いは存在しない。

 

「…………」

「? 永琳、そんな恐い顔してどうした?」

「恐い顔は余計よ。――まさかとは思ったけど、間違いないみたいね」

「間違いないって……永琳、この少女達と知り合いなの?」

「それほど親しいという間柄ではないし、知っているのは白髪の方だけよ。それに……あなた達もよく知っているわ」

「えっ……」

 

 すると永琳は、紫達にとって馴染み深い名を口にする。

 その名は、もう二度と聞くはずのないものだった筈であり。

 同時に、別の驚愕が彼女達に襲い掛かる事になった。

 

 

 

「――彼女は()()()()よ。それもどういうわけか……()()()になっているわ」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




今回から再び間章へと突入します。
色々な原作キャラを登場させる予定なので、ちょっと長くなりそうですが最後までお付き合いくださると嬉しく思います。


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第56話 ~蓬莱への軌跡~

幻想郷に冬が訪れた。
そんな中、龍人が近くの山に狩りに行った際、行き倒れになっている2人の少女を発見する。

永琳によって治療が施される中、紫達は彼女から片方の少女がかつて都で別れた藤原妹紅である事を伝えられる……。


「ふ、藤原妹紅………!?」

「妹紅って……いや何言ってんだよ永琳、妹紅は人間なんだからもうとっくに死んでるだろ!?」

 

 永琳からの言葉に、紫と龍人は当然ながら驚愕の反応を見せた。

 当たり前だ、この白髪の少女がかつて都で友人となった藤原妹紅などと…信じられるわけがない。

 しかし永琳の表情は変わらず、冗談の類を言っているわけではないと2人はすぐさま理解した。

 

「人間ではなくなっているのよ。蓬莱の薬……かつて私が開発した不老不死の薬を、藤原妹紅は飲んでしまっている」

「でも、どうしてその禁薬を……」

「竹取の翁と別れる時、姫様は彼等に蓬莱の薬を手渡したの。それを飲んだのでしょうね。

 そして彼女は不老不死――蓬莱人となり、死ねなくなってしまった」

 

 この白髪の髪も、蓬莱の薬によるものなのだろう。

 ……また、永琳の罪が増えてしまった。

 

「………うっ………」

「っ」

 

 身じろぎをし、白髪の少女が目を開けた。

 瞳の色は……深紅、やはり人間だった頃の妹紅とは似ても似つかない。

 だが、同時に紫は目を開けた少女を見て、彼女に妹紅の面影を感じていた。

 

「………夢、かしら。とても懐かしい人達が見える」

「夢ではないわよ藤原妹紅、私の事は覚えているかしら?」

「えっ………」

 

 深紅の瞳が大きく開かれ、少女の視線が紫達へと向けられる。

 

「……………紫、龍人?」

「――――」

 

 名を呼ばれた瞬間、紫は認めざるをえなかった。

 この白髪の少女は間違いなく藤原妹紅、かつて友人となった人間の少女だと否が応でも理解してしまった。

 髪や瞳の色は違えども、自分に対して向けてくるその視線の色は……かつての彼女と同じだったのだから。

 

「……妹紅、なのね」

「…………うん。でも驚いた、いつかまた会えるかもしれないと思った時はあったけど…こうして実際に再会すると、驚いちゃうわね」

 

 そう言って白髪の少女――藤原妹紅は苦笑する。

 だが驚いたのは紫も同じであった、まさか二百年以上経った今、人間である彼女と再会できるなど誰が思おうか。

 しかし同時に解せない点があった、何故人間である彼女が今もまだ生きているのか…ではない。

 その理由は先程永琳から説明された、解せないのは……何故彼女が不老不死になってしまったのかだ。

 

「っ、そうだ(けい)()は……痛っ!?」

「おい無茶すんなよ、慧音って……お前の隣で寝てるコイツの事か? それなら大丈夫だぞ、永琳が治療してくれたから」

「…………慧音、よかった」

 

 隣に眠る少女の姿を見て、安堵の息を零す妹紅。

 どうやらこの慧音という少女は妹紅にとって大切な存在のようだ、彼女の反応を見ればわかる。

 

「……私と別れてから何があったのか、お互いに話さない?」

「それはいいけれど……まだ身体が完治していないでしょう?」

「大丈夫。不老不死の私は死なないの、それはそこに居る月の者ならわかるわよね?」

 

 視線を永琳に向ける妹紅、対する永琳は何も言わないが皮肉めいた妹紅の口調に軽く睨みつけた。

 ……とりあえず、ここで妹紅を休ませても他ならぬ彼女自身が不満そうなので、紫はゆっくりとこの二百年で何をしていたのかを妹紅に話す事に。

 それを黙って聞いていた妹紅であったが、紫が話し終えた後の彼女の表情は予想通り驚きに満ち溢れていた。

 

「………本当に、色々な事があったのね」

「ええ。――今度は貴女が教えて頂戴、どうして不老不死の身体になったのか……今まで何をしてきたのか」

「…………」

 

 妹紅の表情が、悲しげに歪む。

 だがそれもすぐに消え……妹紅は、この二百年の間に自分の周囲で何が起こったのか、静かに話し始めた。

 

「――輝夜達が都から居なくなった後、私はおじいさんとおばあさんと一緒に暮らしていたわ。

 でもおじいさんとおばあさんは輝夜が居なくなってから目に見えて元気が無くなって、四年後に体調を崩してそのまま……」

「…………」

「2人ともそれだけ輝夜を愛していたって事よ。だからこそ……居なくなってしまった事による心への傷が大き過ぎた」

 

 今でも鮮明に思い出せる、生きる気力を喪った竹取の翁夫妻の姿を。

 妹紅とて何もしなかったわけではない、どうにか2人を元気付けようとしたが……2人は「ありがとう」と心からの感謝の言葉を告げるだけで、何も変わらなかった。

 そして2人が失意の内に息を引き取った姿を目の当たりにして、妹紅は輝夜に対し憎しみを抱くようになってしまった。

 

「お門違いもいい所だけどね、でもあの時の私は子供過ぎたから…輝夜に対する憎しみでいっぱいになってしまった」

「…………」

 

 永琳の表情が、曇っていく。

 妹紅だけでなく竹取夫妻の人生すら狂わせてしまった、その罪が彼女の身体に重く圧し掛かる。

 

「それから程なくして、輝夜が残した「蓬莱の薬」が帝に命によって処分される事が決まったの。不老不死の秘薬なんてこの世にあってはならないっていう理由でね。

 ――私もその使いの一員として同行したわ、輝夜の残したものだったから最後まで見届ける義務があると思ったから」

 

 そして妹紅は、岩笠という男とその部下達と共に「蓬莱の薬」を処分するためにとある山頂を目指して出発した。

 登山は何の問題もなく順調に進み、妹紅もそのまま無事に終わると信じて疑わなかった。

 使いのリーダーである山笠にも良くしてもらえたし、これが終わったらこれからどうしようかなと考えていた時に――それは起こってしまった。

 

「人間って自分に無いものを何が何でも欲しがってしまうのよね、身体だけじゃなく心も弱いから」

 

 まるで自分自身に言い聞かせるように、自嘲めいた笑みを浮かべながら妹紅は言う。

 ――突然だった。

 何の前触れも無く、突如として山笠の部下の1人がいきなり「蓬莱の薬」を服用しようとしたのだ。

 当然その者はすぐさま山笠達によって取り押さえられた、だが……不老不死というある意味で人類の夢は、人の心を狂わせてしまう魔力を秘めているようだ。

 

 1人、また1人と「蓬莱の薬」を奪おうと骨肉の争いが起こり、それはやがて悲惨な殺し合いに発展した。

 周囲は血で赤く染まり、まさしくそれは地獄絵図だったと妹紅は語る。

 永遠に生き、永遠に自らが抱く欲望を叶える為に使いの者達は互いに争い合い殺し合った。

 当然その矛先は妹紅にも向けられたが、彼女は山笠が身を挺して庇った為難を逃れ――たった1人、その地獄から生還した。

 

「――本当に、あの時程人間が醜くて弱い生き物だと思った事も無かったし、自分がそんな“人間”である事が恥ずかしくてしょうがなかった」

 

 そんな思いと、目の前で人間達が醜く殺し合う光景を見たせいで、妹紅の心は一度壊れてしまった。

 結果――彼女は人間では居たくないという思いに縛られ、目の前にあった禁薬に手を伸ばしてしまう……。

 

「初めはすっごく後悔したよ、何せ不老不死になっただけじゃなくて髪と瞳の色がこんな風に変わっちゃったんだから。

 それから私は都に帰ることはせずに流浪に旅に出て……沢山死んで、でもその度に生き返って…今に至るってわけ」

「……随分と軽い口調で話すのね」

「情けない話をしているからね、こんな口調でなきゃ説明できないよ。――でも今は後悔してないかな、だってまた友達に会えたんだから」

 

 そう言って笑う妹紅の表情に、一片の陰りも見当たらない。

 彼女は本心から言っていた、不老不死になってよかったと、またあなた達に会えてよかったと。

 二百年以上経っても、彼女からは変わらぬ友情を感じられた。

 それが嬉しくて、気がついたら紫は自然と笑みを浮かべていて、隣に座る龍人は「ありがとな」と妹紅に感謝の言葉を告げたのであった。

 

 

 

 

 

「――長生きって、するもんだな」

 

 隣に座る彼が、そんなちょっと笑ってしまうような事を言ってきた。

 あの後すぐに妹紅は眠り、永琳を永遠亭へと送った後、私と龍人は縁側で座り藍が用意してくれたお茶を啜っていたのだが、いきなり龍人が上記の言葉を放ち私はつい噴き出してしまう。

 

「いきなりどうしたの?」

「いや、また大切な友達と再会できたからさ、そう思っただけだ」

「………そうね。でも」

「でも、なんだ?」

「……なんでもないわ」

 

 でも、彼女はこれからずっと生き続けなければならない。

 不老不死は寿命の短い人間にとっての夢、だがその夢は叶えられないからこそ憧れる夢なのだ。

 死なない、永遠に生き続けられる……ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その事実はどれほどの苦痛であり拷問なのか、きっと私でも理解できないだろう。

 友人がその苦痛をこれからも味わい続けなければならないと思うと……胸が痛んだ。

 

「紫、大丈夫か?」

「えっ?」

「なんか辛そうだぞ、何かあったのか?」

「…………」

 

 ああ、私ってなんて単純な女なのかしら。

 龍人が心配してくれた、それだけで…心が躍る。

 彼が私を見てくれる、それだけで胸が高まる。

 この気持ちの正体を私は知っている、でも彼にはまだ何も言わない。

 言ったところで彼には理解できないだろうし、もう少しこのままでもいいだろうと思ったから。

 

「紫?」

「……大丈夫よ龍人、本当に心配性なんだから」

「紫には言われたくねえよ、いっつも俺の事心配してるじゃねえか」

「当たり前よ。貴方って危なっかしくて目を離せないんだから」

「なんだよー、俺そんな子供じゃねえぞ」

 

 あらら、拗ねちゃった。

 でもね龍人、そういう態度はまるっきり子供のそれよ?

 頬まで膨らませちゃって……ちょっと可愛いと思った。

 もう少しからかってやりたい衝動に駆られたが、あまりやると嫌われるので自重する事に。

 

 ごめんなさいと素直に謝れば、彼はすぐにいつもの笑みを向けて許してくれた。

 うん、やっぱり龍人にはいつだって笑っていてほしいものね。

 ……彼の肩に頭を乗せる、でも彼は何も言わず黙ってその場から動かないでいてくれた。

 こんな所、藍や美鈴には見せられないわね……。

 

「…………」

「…………」

 

 視線を感じる、それも2人分の視線をだ。

 言うまでもなくその視線の正体は藍と美鈴であり、2人とも何処となく羨ましそうな視線を向けてきている。

 ……見せられないと思った矢先にこれだ、まあ、今更止めるつもりはないが。

 2人の視線は完全に無視し、私は暫し自分の身体を龍人へと預ける。

 

 

――ここで肩に手を回して抱き寄せてくれたら、合格だったのだけれどね。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第57話 ~上白沢慧音~

二百年振りに出会った友人、藤原妹紅。
彼女は蓬莱の薬を飲み不老不死となっていたが、紫達は互いに再会できた事を喜び合った。

一方、彼女と共に居た少女、慧音は未だに目覚めないままであったが……。


「――化物め!!」

 

――違う。

 

「人間だと偽りやがって……化物が!!」

 

――違う、偽っていたわけじゃない。

 

「おぞましい……出て行け!!」

 

――どうして? 私は、化物なんかじゃないのに。

 

「――お前なんか生まなきゃよかった」

 

――お母さん、どうしてそんな事言うの?

 

「お前なんか俺達の子じゃない、さっさと消えろ!!」

 

――私、いらない子だったの?

 

 

『――お前は我の力を扱える人間だ』

 

――いらない。

 

『感謝しろ、我の力……お前に与えてやる』

 

――いらないよ、そんな力なんていらない!!

 

――戻して、私を人間に戻してよ!!

 

 

『出て行け、化物!!』

 

――私、化物なの?

 

『出て行け!!』

 

――化物のまま、生きなきゃいけないの?

 

――人間として生きられないのなら、化物でしかないのなら、私は。

 

 

 

『あんたが化物? 馬鹿言っちゃいけないよ、あんたの目の前に本当の化物が居るっていうのに』

 

 

 

「っ、は、ぁ……!」

 

 目を醒まし、同時に勢いよく上半身を起き上がらせた。

 荒い息を繰り返し、所々青みがかった銀髪を持つ少女は周囲を見渡し……ここが自分の知らない場所だという事を確認する。

 

(ここ、何処……? どうして、私……)

 

 記憶を遡り、見慣れぬ部屋で眠っていた今の状況に陥っている経緯を思い出そうとする。

 と、入口の襖が開かれ1人の少女が部屋へと入ってきた。

 入ってきたのは白髪の美しい少女、名を藤原妹紅といい――少女にとって命の恩人であり、短い間ながらも共に旅をしてきた大切な友人だ。

 目を醒ました少女を見て妹紅は一瞬驚き、その顔をすぐさま綻ばせ彼女の元へと駆け寄る。

 

「慧音、よかった……目を醒ましたんだね」

「…………妹紅、ここは何処? 私達、一体どうしたの?」

「心配しなくても大丈夫よ、ここは私の古い友人達が住む屋敷。倒れてた私達を助けてくれたの」

「…………」

 

 どうやら、自分は助かったらしいと少女――(かみ)(しら)(さわ)(けい)()は妹紅の言葉で理解する。

 だが同時に、()()()()()()()()という思いが彼女の中で生まれてしまった。

 友人である妹紅が助かったのは素直に嬉しかった、でも……。

 

「ちょっと待っててね、慧音が目を醒ました事をみんなに伝えてくるから!」

 

 そう言って、急ぎ足で部屋を出て行く妹紅。

 暫しそのままの体勢で待っていると、やがて妹紅は数人の少年少女達を連れてきた。

 その内の1人に生えた黄金色の狐耳と五尾の尻尾を見て、慧音の表情が強張る。

 

「慧音、恐がらなくて大丈夫。この人達……って言ったらちょっと変だけど、彼等はとにかく敵じゃないし慧音を傷つける輩でもないよ」

「…………」

 

 妹紅に優しい口調を聞いて僅かに警戒の色を解く慧音であったが、その瞳には確かな怯えと不安の色が見受けられた。

 それを見てなんともいえない表情を浮かべながら、妹紅は後ろの3人、龍人達に目線で「ごめん」と謝罪の意を見せる。

 勿論そんな事を一々気にする龍人達ではない、妹紅を見て「大丈夫」と同じように目線でそう返した。

 

「とりあえずもうすぐ昼飯だし、もし食えるなら一緒に食わないか?」

「ぁ、えっと……」

 

 龍人の言葉に、慧音は困ったように眉を潜めてしまう。

 ちょっと軽率だったか、自分の行動に軽く反省する龍人であったが、そんな彼に妹紅が助け舟を出した。

 

「慧音、警戒する気持ちはわかるけど本当に大丈夫よ。それに身体も衰弱しているしまずはしっかりと食べないと」

「…………はい」

「決まりね、でも慧音はさっきまでずっと眠っていたし……」

「でしたら食べやすい粥を用意しよう」

「ありがとう藍、私も手伝おうか?」

「大丈夫だ。妹紅殿はその少女の傍に居てやればいい」

 

 そう言って、藍は部屋を後にする。

 それに続くように龍人と美鈴も部屋を出て行き、場には妹紅と慧音だけが残された。

 

「……妹紅、あの人達……妖怪、ですよね?」

「え、ああ、うん。龍人と……あの場に居なかったけど紫の話は前にしたでしょ?

 それ以外の、狐の妖怪の方は紫の式神である八雲藍で、もう一方の赤髪の方は紅美鈴っていってここで居候している妖怪よ」

「あの男性が、妹紅が前に話してくれた龍人……」

 

 成る程、確かに以前妹紅が言ったように優しそうな少年だと慧音は龍人の顔を思い出しながらそう思った。

 しかし、それでも慧音の中からどうしても彼等に対する警戒の色が消えてくれない。

 失礼な態度を見せてくれたと慧音自身もわかっている、だがやはり妹紅以外の他者の目を見ると……。

 

「少しずつ慣れていけばいいのよ、慧音」

「妹紅……」

「龍人達はさっきの慧音の態度をまったく気にしていないし、逆に慧音が申し訳なく思う方が困ってしまうわ。

 でも彼等はあなたの事を聞いても決してあなたを傷つけないし否定しない、それだけはわかってちょうだいね?」

「…………」

 

 妹紅の言葉に返事は返さず、けれど慧音はこくんと頷きだけは見せてくれた。

 それを見て、妹紅はにっこりと優しい微笑みを慧音に向けたのであった。

 

 

 

 

『いただきます』

「…………」

 

 手を合わせいつものようにいただきますと言ってから、食事に入る龍人達。

 それを見て慧音も慌てて合わせてから、藍の作ってくれた粥を口に入れ租借してから呑み込んだ。

 ……暖かくて、とても美味しい。

 身体だけでなく心まで暖かくなっていくような気がして、慧音はおもわずほっと安らいだ溜め息を零す。

 

「うめえだろ? 藍に掛かればただの粥でも凄く美味くなるんだよなー」

「あ、はい……とても、美味しいです……」

「龍人様、大袈裟です。こんな事で褒められなくても……」

「……藍さん、尻尾が凄い事になってますよ?」

 

 しれっとした態度で言い放つ藍に、少し小さな声でツッコミを入れる美鈴。

 だって仕方ないだろう、龍人に褒められた藍の尻尾がブンブンと左右に揺れてさっきからビシビシと美鈴の身体を叩いているのだから。

 正直結構痛いのだ、まあモフモフしてるから若干の気持ちよさもあるが即刻やめていただきたい。

 

「…………」

 

 優しく暖かな雰囲気、それが今この部屋を満たしている。

 自然と安らぎを感じるこの空間は、慧音にある記憶を思い起こさせた。

 それは――自分の両親の記憶、もう二度と取り戻せない日々の記憶。

 

『――化物め!!』

『――お前なんか生まなきゃよかった』

 

「――――っ」

 

 ……思い出したくない記憶も、思い出してしまったようだ。

 慌てて頭の中から消し去ろうとするが、まるで呪いのように纏わりつき……消えてくれない。

 

(思い出したくなど、ないのに……!)

「――慧音、大丈夫よ」

「ぁ…………」

 

 妹紅に引き寄せられ、慧音は優しく彼女に抱きしめられた。

 優しく頭を撫でられながら、「大丈夫」と耳元で妹紅に囁かれ、だんだんと慧音は落ち着きを取り戻していく。

 その光景にキョトンとする龍人達であったが、何も言わず黙って見守る事に。

 ……数分後、落ち着いた慧音の身体を離し、妹紅は龍人達の方に向いて深々と頭を下げた。

 

「食事中にごめん」

「いいよ別に。――慧音、辛そうだけど大丈夫か?」

「あ……はい、大丈夫です!」

 

 助けられ、眠る場所や食事まで用意してもらっておいて、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。

 そう思った慧音はすぐさま龍人の問いにやや過剰な反応で返すが……龍人はそんな慧音を見て溜め息を吐き出した。

 

「無理すんなよ、別に俺達はお前が迷惑だなんて思ってないし、お前がよければいつまで居たって構わないんだ」

「…………」

「辛いなら辛いって吐き出せばいいし甘えればいい、ここにはそれを否定する奴なんてどこにもいないんだからな」

「ぁ…………」

 

 顔を妹紅に向ける慧音、すると彼女は「だから言っただろう?」と言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 ……彼等は、自分を受け入れてくれる。

 当たり前のように、上白沢慧音という存在を受け入れようとしてくれていた。

 

「…………ありがとう、ございます」

 

 嬉しくて、でも胸が一杯になっていたから、感謝の言葉も涙混じりのものになってしまった。

 それでも龍人達が見せてくれたのは、安心させるような満面の笑み。

 それが余計に嬉しくて、慧音はおもわず妹紅の胸に飛び込みそのまま泣いてしまったのであった……。

 

 

 

 

「ただいまー…………って、何これ?」

 

 とある事情で人里に行っていた紫であったが、屋敷に戻って開口一番、上記の言葉を口にした。

 とはいえ彼女が驚くのも無理はない、昼食を食べているだろうと思い居間へとスキマで赴いたら、昼食をほったらかしで全員が慧音を慰めている光景が広がっていたのだから。

 一体何が起こったというのか、軽く混乱する紫の姿に最初に気がついたのは……藍であった。

 

「あ、おかえりなさいませ紫様」

「ただいま……それで、この状況は何?」

「実はですね――」

 

 藍に事の詳細を聞いた紫は、とりあえず納得しつつ苦笑した。

 自分もその場に居たかったなーと思いつつ、紫はまだちょっと涙目の慧音へと話しかけ始めた。

 

「はじめまして、上白沢慧音」

「え、あ……」

 

 紫に話しかけられ、慧音は驚きながら妹紅の後ろへと隠れてしまった。

 

「…………」

(紫様、ショック受けてる……)

 

 まあ確かに、あのような態度を見せられてはショックも受けるだろう。

 というか若干涙目になっている、どんだけ精神的ダメージを受けたというのか。

 

「大丈夫だぞ慧音、紫は確かに怒ると恐いしすぐ拳骨してくる乱暴者だけど、基本的に優しいから――いでぇっ!?」

「龍人、それ全然フォローになってないから」

 

 余計な事を言う龍人にしっかり拳骨を落としてから、再度慧音へと視線を向ける紫。

 ……気のせいか、先程よりも警戒されている気がするが、めげずに再び話しかけた。

 

「私は八雲紫、この屋敷の主で……妖怪よ」

「……か、上白沢、慧音、です……」

(……あらかさまに警戒されてる……)

 

 そんなに自分は恐い顔をしているのだろうか、またしても内心ショックを受ける紫。

 できれば今すぐに鏡で顔を確認したい所ではあるが、話さなければならない事があるのでそちらを優先する事に。

 

「上白沢慧音、それと妹紅。あなた達……これから行く宛は?」

「…………」

「正直、無いな。……でも、できれば慧音だけでもここに住まわせてやってほしい所だけど」

「妹紅!?」

「それなら大丈夫よ、もう人里にはあなた達の事は話してあるから」

『えっ?』

 

 同時に声を出す慧音と妹紅。

 息ぴったりな2人に苦笑しながら、紫は先程の言葉の意味を説明する。

 

「2人とも、身体を治してから人里で暮らせばいいわ。既に住居も用意したから」

「えっ……」

「い、いいのか? 私は人間じゃなくなってるのに……」

「あら、人里といっても幻想郷は人妖関係なく暮らしている場所なのよ? 不老不死の人間くらい受け入れてくれるわ」

「げ、幻想郷!?」

 

 その名を聞いて、妹紅は驚きの声を上げる。

 何故なら、妹紅がいつか慧音と共に辿り着きたいと思っていた場所だったからだ。

 風の噂で人と妖怪が共に生きる世界だと聞いていた、そこならば自分達を受け入れてくれると思っていたが……。

 

「ただ、その為には上白沢慧音に訊かなければならない事があるの」

「えっ……?」

「上白沢慧音、あなたはどんな妖の血をその身に宿しているのかしら?」

「――――っ!!?」

 

 紫の言葉を聞いて、慧音はビクッと身体を大きく奮わせた。

 ――そう、慧音は正確には人間ではない。

 ほんの僅かではあるものの、彼女の中には人間ではない血が混じっている。

 しかしだからといって、人里の者達は慧音を受け入れないわけではない。

 ただどんな妖怪の血を持っているのか、それを知らなければならないのは当然であった。

 それが最低条件だ、彼女には申し訳ないが素性を話してもらわねば。

 

「…………」

 

 慧音の身体が震えている。

 その態度で、彼女が己の中にある妖の血を恐れ、憎んでいるというのがすぐにわかった。

 

「……別にすぐに里に移住しなくてもいいのよ」

 

 彼女の心中を察し紫はそう言ったが、慧音はすぐさま首を横に振った。

 ここに居る者達は自分を受け入れようとしてくれている、そして幻想郷の者達もだ。

 ならば、こちらもそれ相応の態度を見せなくては、礼儀に欠けてしまう。

 だから――慧音は、紫達に己の中に宿る妖の正体を明かした。

 

 

 

「――私の中には、(ハク)(タク)の血が宿っているんです」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第58話 ~再会~

妹紅と共に保護された少女、上白沢慧音が目を醒ました。
そして紫達は、彼女から自分の過去を聴く事に。


――上白沢慧音は、とある里で(きょう)()()の両親の間に生まれた。

 

 幼い頃から知的好奇心に溢れ、また知能も高く両親の知識を瞬く間に吸収していった。

 そんな彼女に両親は喜び、里の者達からも好かれ慧音の人生は幸せだった。

 いつか自分も両親と同じ郷土史となり、いずれは他地方の歴史も紐解いてみたいと思いながら成長していき……けれど、その幸せは突如として終わりを迎える事になる。

 

《ほぅ……娘、どうやらお前の身体は随分と特殊な作りのようだな》

 

 それが、彼女の幸せを奪う始まりの言葉だった。

 満月の夜、誰も居ない筈だというのに毎回慧音の耳に何者かの声が聞こえるようになったのだ。

 不気味に思った彼女はすぐさま両親に相談し、両親も見張りを雇うなどして対応したのだが、見つける事ができなかった。

 それでも満月の夜になると、不気味な声が慧音に囁きかけてくる。

 

《我の力、欲しくはないか?》

《お前は特別だ、お前の身体は我の力を取り込む事ができる》

《我を受け入れろ。そして我の力を取り込め!!》

 

 やがてその声は満月の時だけでなく、毎夜のように聞こえるようになってしまった。

 目に見えて彼女は元気を無くし、両親や里の者達もそんな彼女を心配したが……状況は一向に改善しない。

 困った両親が遂に祓い屋を呼ぼうとした際――声の主が、慧音の前に現れてしまった。

 

――(ハク)(タク)、それが慧音に囁きかけていた正体だった。

 

「白沢ってなんだ?」

「人語を解し万物に精通する程の知能と知識を持った聖獣よ、徳の高い為政者の前に現れ己が知識を与えると言われているけれど……それがどうして人間であったあなたの元に現れたの?」

「……その白沢は、もうすぐ自分の命が尽きる事を私に話してきました」

 

 聖獣といえども永遠に生きられるわけではなく、けれど白沢はただ黙って死ぬわけにもいかなかった。

 せめて自分の力と知識を他者に与え、自らの存在を後の世に遺したいと思ったのだ。

 それは身勝手な願いでしかなく、けれど死を前にした白沢にそれを冷静に考える思考は残されていなかった。

 そんな中、白沢は上白沢慧音という自分の力を取り込める特殊な体質の人間に出会ってしまった。

 

――そして、慧音は自分の意志など関係なく白沢の力を得る事になってしまう。

 

「白沢は自身の力を私に与え……そして、私は化物に変わりました」

 

 満月の夜、妖の力が一番活性化するその夜に――慧音は両親の前で白沢の姿へと変わってしまった。

 頭部には二本の角が生え、髪の色は緑に変わり、尻尾も生えたその姿はまさしく妖のそれであり、けれど彼女の心は人間のまま変わる事はなかった。

 

 しかし――たとえ彼女の心が変わらなくても、周りの者の心が変わらないわけではない。

 人とは違う姿となった娘を、彼女の両親は驚き、怯え、そして拒絶した。

 話を聞いてほしいと事情を説明しようとする彼女の言葉に耳を傾けず、そればかりか彼女を化物だと罵る始末。

 

 両親だけではない、今まで自分を愛し支えてきてくれていた里の者達まで彼女を拒絶し、完全に孤立するのに時間は掛からなかった。

 白沢の姿になるのは満月の夜だけであったが、それでも周りの目は変わらず彼女を化物としてしか見る事はなかった。

 

 誰も彼女の言葉を聞こうとはせず、慧音の心は瞬く間に磨耗していき……そんな彼女に追い討ちを掛けるかのように、長から追放処分を下される事になる。

 ただ見た目が変わっただけ、しかも変わるのは満月の夜だけだというのに、里の者達は一方的に彼女を拒絶し里から追い出したのだ。

 慧音が追い出される直前まで、まるで呪詛のように彼女を化物だと罵るその姿を今でも鮮明に思い出せる。

 

「――それから程なくして、同じく旅をしている妹紅と出会い、行動を共にする事になったんです」

「…………そう、だったの」

 

 自身の事を話し終えた慧音に、紫はどんな言葉を掛けてあげればいいのかわからなくなった。

 矮小な人間に対し怒りを覚えると同時に、幻想郷の外では人間と妖怪の関係はまるで変わらないのだと失望する。

 ある程度の納得はできる、だが慧音の話も碌に聞かずに彼女を拒絶し追放するなど……決して許される事ではない。

 場の空気は当然の如く重苦しいままであり、そんな中――龍人が立ち上がり慧音へと近づき、彼女の頭をそっと右手で撫で始めた。

 

「……頑張ってきたんだな、本当によく頑張ったな」

「…………」

「俺じゃきっとお前の辛さなんてわからないと思うけど……できれば、人間を嫌いにならないでほしいんだ。

 お前を拒絶して傷つけた奴らだけが、人間の全てじゃないからさ」

 

 難しい話だというのは、龍人にだってわかっている。

 しかし、人間である慧音が同じ人間を憎み嫌うというのは……きっと、悲しい事だ。

 そんな危惧が龍人の中で生まれていたが、次の慧音の言葉でそれが杞憂である事を彼は理解した。

 

「――大丈夫、です。凄く悲しくて辛かったけど……1人になった私の傍には、妹紅が居てくれましたから」

 

 そう言って、慧音は妹紅に向かって嬉しそうに笑う。

 ……確かにあの時の事を思い出せば身体は震え、涙も出てきてしまう。

 だけど慧音の傍には妹紅が居てくれた、自身を支え、守り、共に在ってくれた。

 過去の痛みも、苦しみも、いずれ乗り越える事ができる。

 

「そっか……よかったな慧音」

「はい、妹紅に会えて本当によかった……」

「ちょ、ちょっと慧音……恥ずかしいよ……」

 

 顔を赤らめ、頬を掻く妹紅。

 こういった真っ直ぐな好意は素直に受け止められないのか、視線を逸らし少々困り顔を浮かべている。

 だが口元にはしっかりと笑みが浮かんでおり、それに気づいた全員が彼女を微笑ましそうな視線を向けるのであった。

 

「そ、そういえば紫、頼みたい事があるんだけど!」

「あら、あからさまに空気を変えたいみたいだけどあまり良い手じゃないわね」

「違うわよ! ――ちょっと連れて行ってほしい所があるの、あなたの能力ならどんな所でも行けるでしょう?」

「どんな所でもというわけではないけど、一体何処に行きたいのかしら?」

 

「――わかるでしょう紫、今この幻想郷で私が会いたいと思う奴なんて、1人しかいないわ」

 

 強い口調、その声には確かな怒りの色が感じ取れた。

 それで紫は瞬時に理解し、とある場所へとスキマを開く。

 

「わかっているとは思うけど、騒動は起こさないでね?」

「それは相手の態度次第よ」

 

 険しい顔つきのままそう言って、スキマに入っていく妹紅。

 若干の浮遊感を感じながら彼女はある場所へと降り立った。

 周囲には天まで聳え立っているかのような竹が所狭しと生え、遠くからは獣の鳴き声と血の臭いが漂ってくる。

 妹紅がやってきた場所は【迷いの竹林】であり……そんな彼女を、1人の少女が静かに出迎えた。

 長く美しい艶のある黒髪に、見るだけで魅了される程の美しい顔立ちと気品を醸し出すその少女を見て、妹紅は知らず知らずの内に右手で握り拳を作っていた。

 

「……久しぶりね」

「…………」

「永琳から聞いていたけど、本当に『蓬莱の薬』を服用して蓬莱人になっているなんて……罪深い子」

「…………」

 

 少女が話しかけても、妹紅は何も反応できないでいた。

 今、妹紅の内側から溢れ出そうとしているのは……目の前の少女に対する怒り。

 ギリッ、と歯を食いしばりながら、妹紅は射殺さんばかりの鋭い瞳を少女――蓬莱山輝夜へと向けた。

 そのあまりに強く恐ろしい眼力を真っ向から受けても輝夜の表情は変わらず、それが引き金となって妹紅は輝夜に向かって間合いを詰める。

 僅か一息で妹紅は輝夜の眼前へと踏み込み、右足を彼女の腹部へと貫く勢いで叩き付けた。

 

「っ!? が、ぶ――――っ!!?」

 

 凄まじい衝撃と激痛が輝夜に襲い掛かり、口から多量の血を吐き出しながら吹き飛び、竹を薙ぎ倒しながらもまだ止まらない。

 妹紅が放ったのはただの蹴りではない、右足に尋常ではない高熱を孕んだ必殺の一撃だった。

 輝夜を殺すために本気で放った妹紅の蹴りは、輝夜の腹部に風穴を開け、内臓を燃やし尽くし、常人では耐え難い激痛を彼女に与え続ける。

 数十メートルという距離を吹き飛び続け、地面に叩きつけられた時には輝夜の身体の大部分の骨は砕かれ、彼女の命は尽きてしまっていた。

 しかしすぐさま輝夜の身体は再生を始める、蓬莱人である彼女は死ぬ事のない不死の身体を持っているのだ。

 

「――おじいさんとおばあさんは、最期まであなたの名前を呼んでいたわ」

 

 パキパキという音を響かせながら骨の再生を試みている輝夜に、妹紅は言った。

 

「2人は私にあなたを恨むなと言っていたわ、だから……今の一撃で終わりにしてあげる」

「げほっ……ふ、ふふっ……優しいのね、相変わらず」

「……正直、あなたを恨んでいたし憎んでもいた。

 でも、上手く説明できないんだけど……相も変わらず吃驚するぐらい綺麗で、変わらないあなたを見て、安心したの」

 

 でも、やっぱり許せない点もあったから一回殺したんだけど、笑いながら妹紅は言う。

 そんな物騒な言葉を投げかけられても、輝夜が浮かべるのは子供じみた無邪気な笑みであった。

 

「あー……いたた……いくら不老不死でも、痛いものは痛いのね」

「でも、その“痛み”こそが不死の私達にとって何よりの“生”だと思わない?」

「ええ、まったくその通りよ。()()()()もよくわかっているじゃない」

「……そのもこたんって、もしかして私の事?」

「当たり前じゃない、可愛げのないあなたに可愛らしい愛称を付けてあげたのよ、感謝しなさい」

「冗談じゃないわ、そんな恥ずかしい愛称を定着させようとしないで」

「可愛いからいいじゃない、も・こ・た・ん」

「……いいわ、もう一回殺してあげる」

 

 言うと同時に、先程と同じ炎の蹴りを輝夜の顔面に向かって放つ妹紅。

 しかし妹紅の蹴りは虚しく空を切り、彼女の蹴りが外れると同時に風切り音が周囲に響き……妹紅の首が胴から離れた。

 宙に跳んだ首が地面に……落ちる前に、妹紅の身体が彼女の首を掴みそのまま元の場所に戻し、再生を始める。

 

「……吃驚した」

「あら? まだ死に慣れてないの?」

「いつもは全身を野犬に食べられたり、灰になったり、餓死したりだったから今回のような死に方は初めてね」

「遅れてるわねー、もこたんは」

「死に方に遅れも進みもないでしょうに」

 

 そんな恐ろしくも不気味な会話を交わしながら、身体を再生させていく輝夜と妹紅。

 隣同士で座り込み、無邪気な笑みを浮かべながら話す輝夜に少し呆れながらも暖かな相槌を返す妹紅。

 先程まであった息の詰まりそうな重苦しい空気は既になく、2人はただひたすらに二百年ぶりの会話を楽しんでいた。

 

「それにしても……自分で考えておいてなんだけど、もこたんって愛称は妙にしっくり来るわね」

「……お願いだから、そのおかしな愛称を広めないでよ?」

 

 念のため釘を刺した妹紅であったが、輝夜は「はーい」という軽い返事しか返さない。

 本当に大丈夫なのかしら、なんだか不安になる妹紅であったが……後日、輝夜によって「もこたん」の愛称は人里に広められてしまい、皆が親しみを込めて彼女をその愛称で呼ぶようになってしまった。

 その直後、迷いの竹林内で大きな火柱が上がり危うく火事になりかけたのはまた別の話である。

 

 

 

 

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第59話 ~吹雪の後に~

人と妖怪が共に暮らす幻想郷にて、紫達は歩みを進めていく。
かつての友人である藤原妹紅との再会を果たし、彼女達はまた新たな絆を築いた……。


『――――さーーーーーむーーーーーいーーーーーーー!!!!』

「……あの子達、何をしているのかしら」

 

 目の前すらまともに見る事のできない程の猛吹雪の中、動く影が2つ。

 1つは龍人、そしてもう1つは美鈴である。

 凍てつく冷気と雪が容赦なく吹き荒れるというのに、2人は先程から寒い寒いと連呼しつつも本組み手を行っていた。

 龍人と美鈴曰く、「こんな厳しい環境の中でならより一層修行になる!」との事。

 ……阿呆である、当然紫は暖かな部屋の中でお茶を飲みつつ外の阿呆2人を冷めた目で見つめていた。

 

「……御身体を壊さなければいいのですが」

「龍人と美鈴は無駄に頑丈だから大丈夫よ。それより藍、2人に替えの服と暖かなお茶でも用意してあげて頂戴」

「畏まりました、すぐに――」

 

『もう無理ーーーーーーーーーっ!!!』

「わあっ!?」

「寒っ!?」

 

 2人の情けない悲鳴と共に、部屋の中に外の吹雪が入ってきた。

 せっかく暖かな空間だった部屋が瞬時に凍てつき、紫は抗議の声を上げようとしたのだが…2人はそれよりも早く動き。

 

「ひっ!?」

「ああ……藍、もふもふだ……」

「もふもふ……もふもふ……」

 

 一目散に、藍の黄金色の美しい五本の尻尾の中に潜り込んでしまった。

 当然藍は驚き素っ頓狂な声を上げてしまう、外の猛吹雪に晒された2人の身体は冷たくぐっしょりと濡れている。

 そんな2人が遠慮なく尻尾の中に飛び込み抱きついてきたのだ、冷たさと軽い痛みで驚くのは当然であった。

 尤も、藍に襲い掛かったのはそれだけではないようだが。

 

「あっ、くぅん……りゅ、龍人様、も、もう少し、あっ、優しく……」

「…………」

 

 藍の顔に赤みが帯びていく。

 息も荒くなっていき、表情も恍惚なものに変わっていっている。

 美鈴は途中でそれに気づいたのか、僅かに頬を赤らめつつ藍の尻尾から離れてのだが、気づかない龍人は尚も藍の尻尾を弄んでいた。

 ……このままでは拙い、色々な意味で。

 そう思った紫は大きく溜め息を吐きながら、右手に妖力を込めつつ立ち上がった。

 

――数分後。

 

「――もぅ、あんなに綺麗だったのにこんなに濡れちゃって」

「紫様自ら私の尻尾を手入れするなんて、その……」

「これもまた主人の仕事よ、だってこんなにも暖かくて柔らかくて綺麗な黄金色の尻尾なのだもの、いつだって素敵なままで維持したいと思うでしょ?」

「……ありがとうございます、紫様」

 

 優しい手つきで自身の尻尾の毛繕いをしてくれる主人に、藍は心からの感謝の言葉を告げた。

 表情も穏やかなもの、だったが……その顔もすぐさまなんともいえない微妙な表情に変わり、彼女の視線は外へと向けられる。

 外は先程と変わらない猛吹雪に晒され、その中で首から下が完全に地面に埋もれている龍人の姿があった。

 

「さ、さみぃぃいぃぃぃぃぃっ!!!」

「……紫様、あれはやり過ぎでは?」

 

 藍の尻尾に狼藉した龍人に、紫はきついお仕置きを施した。

 まずしっかりと妖力を込めた拳骨をこれでもかと彼の頭に叩き込み、すかさずスキマを用いて彼を氷点下になっている外へと放り出し、更に首から下を地面に埋めてしまった。

 いくらなんでも可哀想である、そう思った藍は恐れ多いとは思いつつも紫に進言する。

 

「いいのよ、龍人は頑丈だから。それにあんなに気安く女の身体に触れる事は駄目だって事を身体でわからせないと」

 

 彼の場合、口で言っても理解しない事がある。

 だからああやって強引に判らせた方が良い場合もあるのだ、ほんの少しだけやり過ぎだとは思うが。

 

「…………私は、別に嫌ではありませんでしたけど」

「藍、あなたまさか龍人に……」

「い、いえいえそんな! 龍人様は私にとって紫様と同じく主人のようなものです、そ、そのような事は……」

「そのような事って、どういう事かしら?」

「あ、ぅ……」

 

 紫の言葉に、藍は何も言わず頬を赤らめ俯いてしまった。

 その反応を見て紫は疲れたように溜め息をつきつつも、戒めの言葉を藍に告げた。

 

「藍、女の妖狐は男に惚れやすいのは知っているけど……」

「ほ、惚れっ!? で、ですから違います! それを言うなら紫様だって龍人様の事が……!」

「らんー? それ以上言ったら……手元が狂って尻尾を引き千切ってしまいそうになるから、それが嫌なら黙っていましょうね?」

「…………ハイ、ワカリマシタ」

 

 おもわず片言の返事を返してしまう藍。

 だってしょうがないだろう、背後に居るために表情は見えないが……間違いなく今の紫の顔は直視できない恐ろしいものに変わっていると、声だけで判断できた。

 ここはおとなしくしているのが自分の為だと瞬時に判断し、藍は物言わぬ石像になれと己に言い聞かせる。

 聞き分けの良い式に紫は満足そうな笑みを浮かべつつ、再び毛繕いを開始したのであった。

 

「……あの、龍人さんをそろそろ中に入れてあげなくてもいいんでしょうか? さっきまで聞こえてた声が聞こえなくなってるんですけど」

『――――えっ?』

 

――少女救出中。

 

「…………死ぬかと思った」

「ご、ごめんなさい……」

 

 これでもかと衣服と毛布に埋もれながらも身体を震わせている龍人を見て、紫もさすがに謝罪の言葉を言う他なかった。

 ……後ろからジト目で睨んでくる藍と美鈴の視線が痛い、精神攻撃に弱い妖怪に対してその態度はないだろうと言ってやりたかった。

 とはいえ今回は甘んじて受けなければなるまい、なので紫は何も言わず龍人に向かって深々と頭を下げ続ける選択肢しか選ぶ事ができなかった。

 

「それにしてもさ……最近、ずっと吹雪いてるよな」

 

 ようやく寒さから開放されたのか、身体の震えを止め毛布を取り払った龍人が言う。

 それに伴い紫も頭を上げ、視線を外に向けた。

 ――先程と変わらぬ、激しい吹雪が舞っている。

 

「幻想郷の冬って、いつもこうなんですか?」

「いや……俺達も二百年ぐらいここに居るけど、今回のは初めてだな」

 

 確かに吹雪いた事は、過去に何回もあった。

 しかしそれは一晩だけの時が殆どであり、今回は…既に四日間もの時間、吹雪いている。

 龍人の言う通り、今回のような事は初めてだ。

 

「……龍人、吹雪が止んだら人里に行ってみましょう」

「おう。美鈴はどうするんだ?」

「あ……えっと、いいんでしょうか?」

「勿論、人里のみんなは人間でも妖怪でも優しいからな。美鈴だってすぐに気に入るさ」

 

 心優しい美鈴の事だ、きっとすぐに人里の者達に慕われ愛されるだろう。

 そして美鈴もまた人里の者達と仲良くなり…また新たな絆が生まれてくれる。

 その絆が更なる絆を生み……いずれ世界すら繋げられる絆になってくれるかもしれない。

 そうなってくれたら、龍人は嬉しいと思った。

 

――それから、二日後。

 

「…………」

「これは……」

 

 およそ六日振りに人里へと赴いた紫達は、この吹雪によって被害を被った人里を見て愕然とする。

 吹雪によって倒壊した家屋、雪に埋もれた建物、更には今回の吹雪によって怪我人が発生したのか、人里のあちこちから喧騒が響き渡っていた。

 想像以上の被害に一瞬顔をしかめながらも、紫はすぐさま歩を進め阿爾の元に向かう。

 阿爾はいつもの稗田家の屋敷ではなく、里の診療所で見つかった。

 

「紫さん、龍人さん!」

「阿爾、被害の方は?」

「潰れた家屋の下敷きになっている者達が居るようで……」

「龍人、里のみんなと協力して救出の手伝いを……」

 

 龍人にそう指示を出す紫だったが、既に龍人と美鈴の姿はなかった。

 どうやら彼女が指示を出す前に行ってくれたようだ、美鈴もその手伝いに行ってくれたのだろう。

 2人の行動の速さに感謝しつつ、紫は藍と共に里の者達の治療を開始した。

 凍傷や壊死しかけた細胞を治療札や永琳から預かった薬を用いて治療を施していく。

 

(さすが永琳の薬ね、壊死しかけた細胞まで再生させるとかどういう原理なのかしら)

「ありがとうごぜえます八雲様、わし達なんぞの為に……」

「お気になさらないでくださいな、困った時はお互い様ですから」

 

 にっこりと微笑む紫、それを見て治療されていた老人は涙ぐんでしまった。

 感謝してくれるのは嬉しいが、そこまで感謝されると困ってしまう。

 藍も同様なのか、拝み倒され困りつつも口元はすっかり緩んでしまっている事を紫は見逃さなかった。

 後でからかう材料ができたと内心ほくそ笑みながら、紫は藍と協力し治療を続けていった。

 

「念の為、後で永琳を呼んでおきましょう」

「ありがとうございます紫さん、藍さん、本当に助かりました!」

「気にしないで頂戴、それに……助けられない命は助けられないもの」

「あ…………」

 

 紫の言葉に、阿爾の表情が曇る。

 ……今も、潰れた家屋の下敷きになっている者達が居る。

 当然龍人達が救出しようと動いてくれているが、もう手遅れな者も居るだろう。

 しかしこれも自然の摂理、仕方がない…という言葉では済ませられないかもしれないが、生きとし生ける者達にとって避けられぬものだ。

 だが、仕方がないと思っても、紫の胸に僅かな痛みが走った。

 

「それにしても、今年は異常な程の吹雪でしたね……。それだけじゃなく、()()まで降ってくるなんて思いませんでした」

「…………氷塊?」

「阿爾殿、氷塊とは……?」

「里のあちこちに氷塊が落ちているそうなんです、殆どが小さかったり大きくても大人の拳大ほどのものなのですが…里を囲っている壁や門を破壊する程の巨大な氷塊も振ってきたらしくて……」

 

 それが家屋に直撃していたら被害が更に増えていたでしょうね、想像したのか阿爾の身体がぶるりと震える。

 周囲の地面に視線を向ける紫、なるほど確かに雪に紛れて大小さまざまな大きなの氷塊が見えた。

 その内の1つを手に取る、すると……紫はある事に気づき、阿爾に声を掛けた。

 

「阿爾、その巨大な氷塊が降ってきた場所に案内してくれないかしら?」

「えっ? ええ……それは構いませんが……」

「藍、あなたは龍人達と合流して……丁重に弔ってあげなさい」

「……畏まりました」

 

 一礼し、その場を去っていく藍。

 その姿を見送ってから、紫は阿爾の案内で里の一角――防衛用の壁がある場所へと赴いた。

 そこは木製の壁に紫と里の霊能者が協力して作成した札を貼り付け、外から侵入しようとする妖怪を撃退する作りになっているのだが……。

 既に防壁としての機能は完全に失われており、その原因となっている巨大な氷塊が破壊された壁に突き刺さっていた。

 

「私も報告だけでしか聞いていませんでしたが……大きいですね」

 

 比較的小柄でありながら、阿爾が見上げる程に氷塊は大きかった。

 まるで水晶のように透き通った美しい氷塊だ、しかし……この氷塊からは本来無い筈の()()()()を感じられる。

 氷塊に手を触れる紫、外の空気も相まって凍りつくような冷たさを感じながら…紫は顔をしかめた。

 

「……霊力の残滓を感じられるわ」

「えっ……この氷塊からですか? じゃあ、この氷塊は……」

「でもこの氷塊は人間が作り出したものじゃないわ。霊力といっても人間のものとは違う……おそらく、【妖精】の霊力でしょうね」

「妖精……?」

 

 ――妖精。

 大自然の具現、自然現象そのものの正体と呼ばれる、妖怪とはまた違うベクトルに存在する人外。

 手の平に乗ってしまうような小さなものから、大きくても十を満たない人間の子供のような容姿を持ち、天真爛漫で悪戯好きの西洋に伝わる存在だ。

 妖怪という人外の事を書いている阿爾も、妖精という種族の事は知っていた。

 しかし実際に出会った事はなく、この幻想郷にも妖精は存在しない為に、紫の言葉には驚きを隠せない。

 

「ここは人間と妖怪、陰と陽とも言うべき他種族が共に生きる場所。故にここには自然と多種多様な種族が集まる一種の“場”が形成されているのよ」

 

 説明しつつも、紫自身先程自分が放った言葉に違和感を覚えていた。

 ほぼ間違いなくこの氷塊は妖精によるものだろう、人間とはまた異なる波長の霊力からもそれが伺える。

 だがやはり解せない、妖精というのは一部を除いて力は弱く人間でも大人であれば簡単に捕らえたり退治したり出来るほどの力しかない。

 だというのにこれだけの氷塊を生み出したというのは通常の妖精としての概念を逸脱している、どうやら幻想郷に現れた最初の妖精は上記の“一部”に該当するようだ。

 おまけに、余計な事までわかってしまい紫は大きな溜め息を吐き出してしまう。

 

「……とにかく、きっとこれを作り出した妖精はまた現れるわ。

 阿爾、申し訳ないけど暫く屋敷に滞在してもいいかしら? これ以上この問題を放っておけば里への影響が大きくなってしまうから」

 

 今回の事で、人間達が人外に対する考え方を変えてしまう者も現われるだろう。

 そもそも幻想郷に生きる人間達は妖怪のような人外に対する恐怖心や差別的考えが欠落している、本来の関係に戻るだけと言えばそれまでだが…それが大きくなりすぎては、また新たな問題も発生する。

 ここは人と妖怪が共に生きる世界だ、その均衡をできる事なら壊したくはない。

 あまりにも互いに踏み込みすぎるのも考えものだが、距離を置き過ぎるのも宜しくないわけで。

 なかなか難しいものだと、紫は再び溜め息を吐いたのであった。

 

 

 

 

 夜になった。

 闇の世界と化した人里の道を、紫は龍人、妹紅、美鈴の3人と共に歩を進めていく。

 聞こえてくるのは積もった雪を踏み鳴らしていく音だけ、幸いにも昨日のような吹雪にはならなかったが、気温は大分下がっており龍人が寒そうに身体を震わせていた。

 

「情けないわね龍人、男の子でしょ?」

「しょ、しょうがねえだろ……寒いもんは寒いんだよ、というかお前等は寒くないのか?」

 

 呆れる妹紅にそう返しつつ、龍人は平然と歩を進めている3人の問いかけた。

 龍人とは違い、女性陣はいつもと変わらぬ服装だというのに普段通りの様子で歩みを進めている。

 紫や美鈴はまだわかるものの、妹紅の服装ではどう考えても寒い筈だ。

 

「妖術で身体の周りを高熱で覆っているから、寒くないのよ」

「私は全身に気を巡らせて寒さを和らいでいますので……」

「い、いいなあ……その方法、俺にも教えてくれよ! はぁ……藍が居れば尻尾の中に埋もれるのになあ」

 

 現在ここには居らず、竹林から連れてきた永琳と共に里の者達の治療を行っている藍の尻尾を思い出し、龍人は大きく溜め息を吐き出した。

 情けない彼の発言に妹紅は肩を竦め、美鈴は呆れはしないもののなんともいえない苦笑を浮かべる。

 緊張感の欠片すら今の龍人には感じられず、先頭を歩いていた紫はさすがに黙ったままではいられず苦言を放った。

 

「いい加減にしなさい龍人、妖精とはいえおそらく今回の吹雪で相当力が増しているのよ。油断しないで」

「だって寒いしさー……うぅっ、今日は布団に入っても寒そうだなー」

「半分妖怪の血が混じってるのに、軟弱だなー」

「んー……なんでだろうな、確かに前はこんな寒がりじゃなかったんだけど……」

(……そういえば、そうだったわね……)

 

 確かに昔は、今のように寒い寒いと連呼するような事はなかった。

 ……若干の違和感が紫の中で生まれる。

 しかしそれもすぐに霧散してしまった、何故なら……周囲の気温が急速に下がり始めたからだ。

 元々氷点下だった気温は更に下がり、吐いた息が凍りつきそうだ。

 このまま気温が下がり続ければ家屋の中に居る里の住人達にまで影響が及ぶ、故に。

 

――自分達の前に現れた、身体から凍てつく冷気を放つ妖精を黙らせなければ。

 

 しかし、と紫は現われた妖精の容姿を見て内心驚いていた。

 先述の通り妖精は大きいものでも十を満たない人間の子供のような容姿だ、しかし目の前の妖精の少女は成熟した大人の肉体を持っていた。

 白のシャツの上から青いワンピース状の衣服で身を包み、ウェーブがかった薄めの水色の長い髪に青い瞳。

 背中には氷で作られたであろう十枚の羽根が生えており、雪の上だというのに素足のまま立っている。

 

「……お前等、妖怪だろ?」

 

 少女が紫達に問いかける、外見とは違い幼い声色だった。

 質問には答えず、紫達は無言のまま身構えた。

 相手は妖精とはいえ、内側から感じ取れる霊力の高さは決して油断できるものではない。

 やはり目の前の妖精は氷に関する妖精のようだ、この猛吹雪で力を随分と増してしまっているらしい。

 

「……まあいいや。あたいのこの力――アンタ達で試させてもらうよ!!!」

 

 妖精が叫ぶ、同時に強烈な冷気が紫達に襲い掛かった。

 おもわず顔を庇い動きを止める紫達であったが、その中で龍人だけが妖精に向かって踏み込み。

 

 その身体に、容赦のない右の拳を叩き込んだ――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




この妖精の正体とは!?
とは言いつつも判る方なら速攻でわかってしまいますね。
楽しんでいただけたのなら幸いに思います。


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第60話 ~炎の不死人対氷の妖精~

吹雪の中から現われたのは、氷の妖精であった。
妖精とは思えぬ力を感じ、龍人はすぐさまその妖精に攻撃を仕掛けたのだった。


「―――だりゃあっ!!!」

「――――っ」

 

 躊躇いなど見せない加減なしの拳は、氷精の腹部に深々と突き刺さった。

 見た目は女性ながらも、龍人は躊躇いなど見せずに攻撃したのは、相手から明確な殺意を感じ取ったからだ。

 いや、正確には殺意というよりも……無邪気さすら残る残酷さを感じ取ったと言った方が正しい。

 この氷精は紫達の命を奪う事になんの疑問も罪悪感も抱いていない、道端の小石を蹴るような感覚で他者の命を平気で奪う。

 だから躊躇いなど見せられなかった、だが………。

 

「いい―――っ!?」

「……痛いなあ、何すんのさ」

 

 パキパキという音を響かせながら、氷精に叩き込んだ龍人の拳が()()()()()()()

 瞬く間に拳を凍りつかせ、続いて腕を凍らせ、更には首元にまで迫ってきた。

 拙い、すぐに離れなければ、そう思うが拳が完全に氷精の身体と結合してしまいその場から抜け出せない。

 遂に顔辺りまで氷が伝い、このまま全身が凍りついてしまうと思った瞬間。

 

「あだぁっ!?」

「おおっ……?」

 

 氷精が悲鳴を上げながら吹き飛んでいき、同時に龍人を凍りつかせていた氷がみるみるうちに溶けていく。

 一体何が起きたのか、そう思う前に龍人は自分の凍りついた腕が赤い炎に包まれている事に気づく。

 しかしその炎は凍りついた腕を溶かすと同時に消え、他の部位に燃え広がる事はなかった。

 

「――龍人、油断し過ぎ。相手は氷の塊みたいな奴なんだから、単純に殴りつけてもこうなるだけだよ」

「妹紅……」

 

 龍人の隣に立つ妹紅、今の彼女からは熱いくらいの熱が放たれていた。

 その熱は炎に変わり、彼女の身体を包み込んでいく。

 しかしその中でも妹紅は平然としており、だんだんとその炎は彼女の背中へと集まっていった。

 

「ちょうどいいや、相手が氷の塊なら……私の出番だ」

 

 そう告げる妹紅の背中に、炎で形成された翼が現われる。

 その翼は神獣と謳われる――朱雀の翼を象っていた。

 凄まじい熱におもわず龍人は彼女の傍から離れ、そんな彼に妹紅は不敵な笑みを向ける。

 

「助けてくれた恩返しもしたいし、この里で暮らす事を許してくれた以上……ちゃんとここを守る義務がある。紫、ここは私に任せてくれるかしら?」

「……ええ、お願いするわ」

 

 境界の力を用いて目の前の氷精を叩き潰すのは簡単だ、しかしそれでは妹紅の考えを踏み躙る事になるし、この力は大きな量を一度に使うと色々と拙いのだ。

 なので紫は今回傍観に徹する事にし、彼女と共に戦おうとする龍人を呼び寄せた。

 

「龍人、ここは妹紅に任せましょう」

「………妹紅、油断するなよ?」

「大丈夫、これでも不老不死になってから何度も修羅場を潜り抜けてきたんだから」

 

 軽い口調でそう返しながらも、妹紅は決して氷精から視線を逸らす事はしなかった。

 相手をただの妖精だと見れば、その時点で敗北すると彼女自身がわかっているからだ。

 両足に力を込める、すると彼女の足に朱雀の炎が纏わりついた。

 一方、蹴られた氷精は雪の中で倒れていたが、何事もなかったかのように立ち上がりつつ、妹紅によって蹴られた右わき腹付近に視線を向けた。

 

「あちち……炎が使えるんだ……」

 

 溶けていた。

 蹴られた箇所が、足の形そのままに溶け完全に無くなっていた。

 人間ならば猟奇的な絵図ではあるが、妖精である彼女にとって特に気にしたものではなく、すぐさま周囲の冷気を取り込んで元に戻す。

 

――妖精は他の生物と違い“死”という概念が存在しない。

 

 元々が自然の一部なのだ、たとえバラバラにされようが粉微塵にされようがいずれは復活を果たす。

 とはいえ粉微塵にされれば痛いし何より復活までそれなりの時間を要するので、氷精としてもそれは御免被る。

 だから――自分を睨みつつ両足に炎を纏わせた少女を黙らせようと、氷精は彼女に向けて右手を翳した。

 

「フリーズランサー」

 

 名を告げ、氷精は右手に溜めた霊力を一気に開放させる。

 刹那、その右手から放たれたのは――巨大な氷柱。

 一つ一つがまるで槍のような鋭利さを持ち、撃ち出される速度も相まって当たれば風穴を開けられるは必至。

 その氷柱が合わせて十七、全てが妹紅に向かって撃ち放たれた。

 

「妹紅!!」

 

 龍人が叫ぶ、しかし妹紅は口元に笑みを浮かべながらその場から一歩も動こうとしない。

 そして、氷柱が妹紅の華奢な身体を貫こうとした瞬間。

 

「――灰燼と還れ」

 

 妹紅の身体から巨大な火柱が放たれ、氷柱全てを一瞬で蒸発させてしまった。

 これには氷精も驚き、それが圧倒的なまでの隙を生む。

 妹紅が動く、驚き次の行動に移らない氷精に嘲笑するような笑みを浮かべつつ、間合いを詰め。

 

「紅蓮脚!!!」

 その身体に、高熱を孕んだ脚を叩き込んだ―――!

 

 その一撃はまさしく必殺、悲鳴を上げる事もできずに氷精は冗談みたいな速度で吹き飛んでいった。

 瞬く間に氷精は人里から離れ、近くの山の斜面に叩きつけられながらも尚止まらない。

 何度も地面にバウンドし、錐揉み状態になりながらも止まらず……ようやく止まったと思った時には、氷精は人里から2つほど離れた山の中に倒れていた。

 

「げほっ……ごほっ……」

 

 激しく咳き込みながら、氷精は蹲り身体を痙攣させる。

 ……今の蹴りで氷精の胸辺りには風穴が開いていた。

 それを修復しながらも、氷精は身体全体に走る痛みを必死に耐えていると……。

 

「っ」

 

 上空から殺気を感じ、氷精は痛みに耐えながら後ろに跳躍。

 刹那、先程まで氷精が居た場所に妹紅の踵落しが叩き込まれ周囲の雪が一瞬で蒸発した。

 地面を滑りながら後退する氷精、まだ修復は終わっていないが反撃しなければこのまま押し切られる。

 そう判断し、氷精は両手に氷で作り出した剣を持ち妹紅に向かって踏み込んだ。

 

「とりゃあああああああああっ!!」

 

 二刀の氷の剣をめちゃくちゃに振り回す氷精。

 それに触れれば瞬時に凍りつくと理解し、妹紅は受けるのを止め回避を選択。

 氷の剣が振るわれる度に空気が冷え、周囲の木々が凍り付いていく。

 

「ふっ―――!」

「あえっ!?」

 

 右の剣を妹紅に振り下ろした瞬間、彼女は左足による後ろ回し蹴りで真っ向から氷の剣を受け止めた。

 脚に纏っていた炎により溶けていく氷の剣、すぐさま氷精は左の剣を妹紅に向かって振り下ろそうと試みる。

 それを見た妹紅は左足を地面に下ろしながら右足による蹴りを氷精の左手首に叩き込んだ。

 衝撃と痛みが氷精を襲い、その拍子に氷精の左手から氷の剣が離れてしまった。

 

「っ………!?」

 

 その場で高速回転をし、その勢いを込めた妹紅渾身の蹴りが氷精の腹部に突き刺さる。

 数本の木々をへし折りながら吹き飛ぶ氷精、妹紅はそれを見届ける事無くすぐさま追撃に入った。

 跳び上がり、氷精を追いながら右足を大きく天に向かって振り上げる妹紅。

 

(こう)(おう)(てん)(きゃく)!!!」

 先程よりも更に熱が込められた炎を纏わせ、それを氷精に向かって勢いよく振り下ろす―――!

 

「っ、チィ―――!」

 

 しかし不発、周囲の地面と雪をまとめて吹き飛ばすだけに終わり、妹紅の口からは悔しげな声が漏れた。

 間一髪難を逃れた氷精であったが、息は乱れ未だに修復の終わらない胸部を押さえながら、膝を突いていた。

 それを見て妹紅はゆっくりと息を吐き、纏っていた炎を消し去る。

 

「……もう降参しなよ、あんたの負けだ」

「うぐぐ……まだまだ私は負けてないよ!!」

「その身体でよく吼える……いくら死なないって言ってもあんまり痛めつけたくはないのよ、おとなしくしててくれない?」

 

 同じ女…というと少々語弊があるが、見た目が可愛らしい少女を痛めつけるというのはなかなかに良心が痛むのだ。

 それにこの氷精には訊かなければならない事もある、だが相手はこっちの心中を理解してくれないのかまだ戦うつもりのようだ。

 ……これはもう四肢を消し飛ばさないとおとなしくならないかもしれない、そう思った妹紅は気乗りしないながらももう一度両足に炎を纏わせる。

 

「あたいは誰にも負けないよ! この寒さで強くなってるんだから!!」

「よく言うわよ、負けてるじゃない」

「負けてない!!!」

 

 叫ぶようにそう返し――氷精は全身全霊を込めた一撃を繰り出す準備に入った。

 残りの霊力を全て開放し、周囲の冷気を己の中へと取り込んでいく。

 勝負に出るようだ、ならばと妹紅も両足の炎の勢いを上げていった。

 

「あたいの必殺技を受けてみろ!!」

(中身は子供なんだけど、力は妖精の概念を逸脱してるっていうのが厄介ね……)

 

 妖精は悪戯好き、しかし力は弱いからこそ命が失われる事態に陥る事はあまりない。

 だがこれだけの力を持つ妖精が悪戯に走ったら……そう思うと、ますます目の前の存在を野放しには出来ない。

 再び妹紅の背中に朱雀の翼が現われ、氷精の霊力と妹紅の妖力が場に充満していき。

 

「くらえっ! グレートクラッシャー!!!」

 

 先手は氷精、自身の数倍はある氷槌を生み出し真っ向から妹紅に向かって振り下ろした。

 しかし妹紅は動かない、まともに受ければその華奢な身体など拉げてしまうというのに。

 諦めたのか、口元に勝利を確信した笑みを浮かべながら――氷精の槌が、妹紅の身体を叩き潰してしまった。

 周囲に飛び散る赤い血と肉片、それを見て氷精の笑みがますます深まっていく。

 

「はーっはっは!! なによ偉そうな事言っておいて、やっぱりあたいってば最強ね!!」

 

 右手をぐっと天に向かって挙げる氷精。

 自分は勝った、勝ったのだ。

 勝利が氷精に自信を与え、彼女は次なる獲物として先程見た龍人達の元へと戻ろうとする。

 ……だが、彼女は知らなかった。

 自分が命を奪った相手の異質さを、そして勝利が自分に与えたのは自信ではなく…過信だという事を。

 

 

「――やっぱり死ぬと痛いわね、当たり前なんだけど」

 

 

「え―――」

 

 誰の声だ?

 キョトンとする氷精の身体を、声の主はしっかりと掴み上げ。

 

「次は、不死も殺せるようにならないと、ねっ!!!」

 

 無茶苦茶な事を言いながら、左足に高熱の炎を纏わせ。

 いまだに状況を理解していない氷精の身体に、容赦のない炎の蹴りを叩き込んだのであった―――

 

 

 

 

 

 

「――はい、ご苦労様」

「いーえ、どう致しまして」

 

 倒した氷精を担いで人里に戻ろうとした妹紅の前に、スキマから出てきた紫が現われる。

 労いの言葉を掛ける紫に、妹紅は気だるげに返事を返しつつ地面に座り込んだ。

 紫が来たのなら急いで戻る必要もないだろう、それに……まだ身体が治りきっていない事を思い出す。

 このまま戻ったら間違いなく龍人や慧音に詰め寄られる、特に慧音には説教をされそうなので全部治してから戻る事に決めた。

 

「……本当に不死なのね、妹紅」

「まあね。見ていて気持ちの良いものじゃないから今は私を見ない方がいいわよ?」

 

 そう言って苦笑する妹紅の身体は、普通の人間が見れば卒倒する程の状態になっていた。

 何せ一度強大な氷槌で叩き潰されたのだ、四肢も頭部も復元を終えているが……所々の皮膚は無く骨や筋肉が剥き出しになっている。

 更には臓器も表に出てしまっており、このまま帰れば色々な意味で大惨事になってしまうだろう。

 

「……ねえ妹紅、どうして氷精の一撃を敢えて受けたの?」

「なんだ、覗いてたの?」

 

 趣味悪いわねと妹紅は笑うが、紫はくすりともせずに妹紅を見やる。

 それを見て妹紅もすぐさま笑みを引っ込ませ、気まずそうに視線を逸らした。

 彼女は蓬莱人、不死の身体を持ち決して死ぬ事はできない。

 だがかといって先程の攻撃は彼女ならば充分に防ぐなり避けるなりできた筈だ、そして今の妹紅の態度でわざと一撃を受けたという推測は確信へと変わった。

 それが紫には理解できず、同時に許容できるものではない。

 

「………怒らない?」

「あら、怒るような理由なのかしら?」

「うー……怒るかもしれない、現に慧音には怒られた事があるから。でも、私にとってはちゃんとした理由なんだからね?」

「わかったわ、怒らないから……話しなさい」

「うっ、暫く会わない内に恐い顔を作れるようになったのね」

 

 やれやれといった様子で溜め息をついてから……妹紅は、紫の問いに答えを返した。

 尤も、彼女の返答は紫にとって納得のできるものではなかったのだが。

 

「痛みが欲しかったのよ、私は死ねない身体だから……“生きている”と実感できる痛みを感じないと、自分が死んでいるのか生きているのかわからなくなるから」

「…………」

 

 なんだそれは、ふざけているのか?

 最初に頭の中に浮かんだのは、そんな言葉であった。

 痛みを感じたかったから、わざと殺されるような真似をするなど理解できない。

 当然納得などできないと反論しようとして……けれど、紫は何も言えなくなった。

 

 死ねない身体、百の年月すら生きられぬ人間から彼女は不死の肉体へと変貌してしまった。

 故に彼女は“死”への概念が薄れ、わからなくなった。

 だから彼女は痛みを求める、常人には理解できぬ考えだと理解していても…これが不死である彼女にとっての“生”の謳歌なのだろう。

 

「――ごめんね紫、私もこんな方法が正しいものじゃないってわかってるんだけどさ」

「別にあなたが謝る事ではないわ妹紅、それに私はその考え方が間違っているとも思えないから」

 

 納得はできないけどね、そう続ける紫に妹紅は苦笑を浮かべながらも、紫の言葉に感謝していた。

 他者には決して理解も納得もできない壊れた考え方を、間違いではないと言ってくれたのが嬉しかったから。

 少しだけ、妹紅は蓬莱人になった自分を好きになれた気がした。

 

「とりあえず、このお騒がせ妖精は一度屋敷に連れて行くとして……目が醒めたらどうしてやりましょうか?」

「まずは里のみんなに謝らせないとね、犠牲者が出なかったとはいえ氷塊で門が壊れちゃったんだから」

「そうね、龍人達も心配しているでしょうしこのまま屋敷に帰りましょう」

 

 スキマを開き、屋敷へと繋げる。

 そして紫は妹紅と彼女に担がれている氷精と共に、八雲屋敷へと戻っていったのであった。

 

 

――自分達を見つめている存在に、気づかないまま。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




うちの妹紅さんは蹴り技主体の戦闘スタイルでいくつもりです。
深秘録での妹紅さんの蹴り技がカッコよかったので。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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第61話 ~解けかける綻び~

氷精に勝利し、一度八雲屋敷へと戻る紫達。
しかし、今回の事で人と妖怪…異なる種族が生きる幻想郷に綻びが見え始める事になってしまう……。


―――さてどうしたものかと、紫は誰にも気づかれないように溜め息を吐いた。

 

 現在、紫は人里の中心部に居た。

 そこは里の者達が阿爾や上役から重要な連絡を受けたり意見を交換する際に集まる広場であり、今も里の住人達が一斉に集まっていた。

 しかし場の空気はお世辞にも良いものとは言えず、寧ろ重苦しいものだ。

 いつもは穏やかでどこか緩めの空気に包まれている幻想郷の人里ではあるが、今回ばかりは状況が違っている。

 そしてその原因となっているのは、先程から里の者達睨まれ少し脅えている氷精――チルノであり、彼女は現在逃げるように龍人の背中に隠れてしまっていた。

 

 妹紅がチルノを倒し、話を聞きたかったので彼女を一晩屋敷で休ませたまではよかったのだが……朝になったら、彼女の身体が縮んでしまっていた。

 一般的な妖精と同じく十に満たぬほどの小さな身体に変わっており、水色の髪も短くなった彼女は自分が何故眠っていたのか理解しておらず混乱していた。

 とりあえず紫達は事情を説明したものの、よくわかっていないのか彼女はキョトンとした表情を浮かべるのみ。

 

「……もしかしたら、力を放出し過ぎたのかしら?」

 

 そう言ったのは、紫であった。

 この氷精、チルノは氷を司る妖精だ。

 故に寒さなどで力を増し、六日間に及ぶ猛吹雪によって彼女の力は信じられない程に増大した。

 姿形が大人になっていたのもそれが原因であろう、しかし妹紅との戦いによって彼女はかなりの力を消耗させ子供の姿に変わってしまった。

 今の姿が本来のチルノの姿なのだろう、前の姿は謂わば“暴走”していた状態と言った方がいいかもしれない。

 

「なんかよくわかんないけど、あたいがみんなに迷惑掛けちゃったみたいなんだな……ごめん」

 

 しょんぼりしながら謝罪するチルノを見て、なんだかよくわからない罪悪感が紫達を襲う。

 気にしなくていいとすぐさま返したのだが、チルノは里の皆にも謝りたいと言ってきたので、阿爾に詳細を説明したまではよかったのだが…タイミングが悪すぎた。

 今回の猛吹雪で多数の犠牲者が生まれてしまった矢先に、幻想郷の里を守る壁が壊されてしまった。

 つまりいつ野良妖怪に襲われるかわからない状況に立たされてしまったのだ、里の住人達の不安が怒りに変わるのにそう時間は掛からず、更にその矛先はチルノに向けられてしまう。

 

 彼女に罪が無いと言えば嘘になる、猛吹雪で力を際限なく取り込み半ば理性を失っていた状態とはいえ、彼女が齎した被害は決して小さくはない。

 しかも彼女は氷を司る妖精というのも間が悪かった、里の人間達の中には今回の猛吹雪をチルノが引き起こしたものではないのかと疑う者まで出る始末。

 当然その件に関してはチルノに非は無い、阿爾もそれがわかっているのか必至に説明するがその者達は信じてはくれなかった。

 分からず屋め、言えるのならばそう言ってやりたかったが……その者達は今回の件で家族を失ってしまった者達だ、やり場のない怒りを他者に向けてしまうのも無理からぬ事なのかもしれない。

 場の空気は重さを増していき、遂に1人の人間が阿爾に対し残酷な進言を口にした。

 

「……阿爾様、それでこの(あやかし)の処分はどうなさるんで?」

「処分、ですか?」

「当たり前です、こいつのせいで里は大変な被害に遭ったのですよ!? いくら見た目が幼子だとしても、許す道理はありません!!」

「お待ちなさいな。この氷精が行ったのは里の壁の破壊のみ、ならば壁の修復をさせれば……」

「八雲様、本気で仰っているのですか? よもや……同じ(あやかし)だから、これを庇っているのでは!?」

「そうではありません。……もう少し冷静になってくださいまし、今回の吹雪はこの妖精とは何の関係もないのです」

 

「………それは、本当ですか?」

「……どういう、意味でしょうか?」

 

 目を細め、紫は男を見やる。

 その視線を受け男はぶるりと身体を震わせるが、それでも瞳の奥に根付く怒りの炎は消えなかった。

 ……この男は、今回の吹雪で妻と子を失ってしまった。

 幸いにもこの男は家屋が潰れた際に端の方に居たため比較的早く助け出されたが、奥で眠っていた妻と子は……。

 

「何故関係ないと言えるのですか? この(あやかし)は冷気を操れると聞きます、我々を喰らうためにあの吹雪を起こしてもおかしくはない!!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私そんな事……」

「黙れ(あやかし)が!! 貴様の言葉など聞きたくもない、今すぐに黙らせてもいいんだぞ!?」

「ひっ……」

 

 憎悪に満ちた瞳で睨まれ、再び龍人の後ろに隠れるチルノ。

 それを見て龍人は男に怒鳴ろうとして…皆が集まる前、紫が自分に言った言葉を思い出した。

 

―――貴方は、決して口を出してはいけないわ。

 

 何故なのかは訊いても教えてくれなかった、でも紫の言葉はいつも正しいと思っている龍人はおとなしく頷きを返したのだ。

 彼女との約束を違えるわけにはいかない、そう思い龍人は強引に言葉を呑み込み沈黙を守った。

 しかし、彼の態度はこの状況に対しては悪手だったようだ。

 

「龍人様、あなたまでその(あやかし)を庇うというのですか!?」

「…………」

「龍人はこの妖精を庇っているわけではありません、ですから一度冷静に――」

「オレは連れと子を失ったのですよ!? どうして冷静になれというのですか!!

 それとも八雲様は、オレと同じように家族や知人を失った者に対してもそんな冷たい事を仰ると!?」

「…………」

 

 男だけでなく、他の人間達の視線も紫1人に向けられる。

 その全てがこの吹雪で大切な存在を奪われた人間達であり、紫はおもわず言葉を失ってしまう。

 

「――落ち着きなさい。いくらなんでも言葉を荒げ過ぎです」

 

 鋭い声が、阿爾の口から放たれる。

 その戒めの言葉を受けて男は少し冷静さを取り戻すが、内に抱く怒りは増すばかり。

 ……このままでは人間達の怒りがチルノだけでなく、周りの妖怪達にまで向けられてしまう。

 そうなってしまえば今の幻想郷の『人と妖怪の共存の継続』という理想が破綻する。

 現に男の発言を聞き、一部の妖怪達の表情が不快げに歪んでしまっていた。

 今の幻想郷の状態はひどく儚く脆く不明慮なものだ、ちょっとした事でも簡単に瓦解する。

 

「―――どうすれば、納得できる?」

 

 ひどく落ち着いた声が、場に響く。

 その声を放った龍人は男を見ながら、再度同じ問いかけを投げかけた。

 対する男は一瞬驚きながらも、すぐさま怒りと憎しみが込められた声色で自らの歪んだ願望を口にする。

 

「その妖をオレ自らの手で殺してやりたい、いや……オレ達で残酷に殺して、痛みを与えてやりたい!!!」

「…………」

「他の者もそうだろう!? この妖を許せないだろう!?」

 

 男が周りの者を囃し立てると、一部の人間達から頷きが返ってきた。

 これを見た阿爾は驚き、同時に表情を険しくさせすぐに怒りの声を放つ。

 

「そんな事をして何になるのです! 第一自然そのものに等しい妖精の命は奪えるものでは」

「でも痛みは感じる! だったら……消える直前まで痛めつけて、オレ達の受けた痛み以上の痛みを与えてやるんだ!!」

「なっ―――」

 

 なんという愚かな考えか、しかし何より驚いたのは。

 この男の考えに、賛同する人間が他にも居たという事だ。

 誰もが瞳に狂気の色を宿し、血走った目でチルノを睨んでいる。

 どす黒く陰湿な空気を纏いながら、男達はゆっくりとチルノに向かっていき。

 

「――それは、駄目だ。そんな事はさせられない」

 悲しそうに、呟くようにそう言った龍人が、止めに入った。

 

「龍人様、いくらあなたでも止める権利はない筈だ!!」

「そうだ! おれ達の怒りはこいつにぶつけなきゃ気が済まねえ!!」

「……駄目だ。頼む、そんな事はしないでくれ……」

 

 頭を下げ、龍人は言う。

 だが、怒りと憎しみに支配された男達はそんな言葉では止まらない。

 

「やっぱり、半分妖怪の血が混じってるから、オレ達人間の考えなんかわからねえんだ!!」

「そうだ! 所詮他人事だからそんな事が言えるんだ!!!」

「っ、いい加減に―――」

「違う!!!」

 

 身勝手な男達の言葉に怒りを覚え、おもわず手が出そうになる紫の耳に、龍人の悲痛な叫びが響く。

 

「俺だって、家族を失う痛みくらいは…わかる。俺だって二百年前に、とうちゃんを…失った」

「だったら―――」

「でも、だからって怒りを、憎しみをコイツに――チルノにぶつけるのは間違ってる。

 コイツは本当に今回の吹雪とは関係がないんだ、コイツがみんなの家族や友達を奪ったわけじゃないんだ。信じてくれ……」

「うっ………」

 

 殺気立っていた男達の目に、少しだけ正気が戻った。

 ――彼が、懇願するように自分達に向かって土下座をしている。

 その気になれば自分達など簡単に力で捻じ伏せられるのに、それをせずに彼は説得という道を選んだ。

 それを見ても尚止まれないほど、この男達の性根は終わってはいない。

 だが――やはり納得できるわけではないのも、また事実であった。

 

「……では龍人様、我々はどうすればいいのですか? このやるせない怒りを、どこで晴らせばいいのですか?」

「それ、は……」

 

 その問いに、龍人は答えを返す事ができなかった。

 耐えろ、などという無責任な言葉など勿論言えないし、かといって第三者にその怒りを、憎しみをぶつければ…それはまた新たな怒りと憎しみを生む。

 そうして際限なく増えていけば……待っているのは、悲惨な結末だけ。

 答えのない問いかけに何も言えなくなる中――チルノが、男達の前に歩み寄った。

 

「……あたいを倒せば、お前等みんな気が済むのか?」

「…………」

「もしそれで気が済むなら……いいよ」

「っ、チルノ!!」

「あたいだって痛いのは嫌だけど……今こうして、みんなで喧嘩してる方がもっとやだ!!」

 

 見てるだけで、胸の辺りが痛くて苦しくなる。

 どうしてなのかチルノ自身わかってはいなかったが、それでもこのまま皆が言い争いをしているのを見ているのは耐えられなかった。

 それに自分は悪い事をした、だったらその罰は受けなければならない。

 かつて彼女の一番大切な友人から言われた言葉を思い出し、チルノは内なる恐怖に耐えながら男達の怒りを晴らそうと行動に移った。

 

「うっ……」

 

 男達の瞳から、狂気の色が消えていく。

 怒りが、憎しみが晴れたわけでも消えたわけでもない。

 だがそれでも、男達は自分達の怒りを目の前の妖精にぶつけるという選択肢を、選ぶ事ができなくなった。

 けれど心は軋みを上げている、悲しみを忘れたいと際限なく訴えている。

 人としての理性と、獣のような負の感情に板ばさみになり、男達は別の苦しみをその身に宿す。

 怒りを晴らせ、憎しみを溜め込むな、そんな言葉が内なる自分から放たれるが……。

 

「………なあ、妖精…だったか?」

「うん……何?」

「今回の吹雪は、本当にお前さんのやった事じゃないんだな?」

「うん、でも……壁、壊しちゃった……」

「…………そうか」

 

 そう言って、最初に進言した男は龍人に向かって跪く。

 

「龍人様、顔を上げてください。あなたのような方が我々に頭を下げる事はありません」

「えっ………」

「――ありがとうございました」

 

 呟くように感謝の言葉を龍人に告げ、男はそのまま広場を離れていく。

 

「お、おい……」

「ま、待てって!!」

 

 その姿を見て、他の男達も逃げるようにその場を去っていった。

 

「………龍人、チルノ、ありがとう。貴方達のおかげで」

「やめろよ紫、俺に…ありがとうなんか言うな」

「えっ……」

 

 冷たい口調で、龍人は紫の言葉を遮った。

 彼の態度に紫は驚きを隠せず、それ以上声を掛けられず黙ってこの場から去っていく彼の背中を見つめる事しかできなかった。

 

「――この妖精に対する処罰は、破壊した壁の補修と強化のみとします。よろしいですね?」

 

 困惑する里の者達に、阿爾はそう言い放った。

 それに意見する者はおらず、誰もが今の広場の空気に耐えかね逃げるように離れていく。

 そして、阿爾と紫、そしてチルノだけになったと同時に、阿爾は深く大きな溜め息を吐き出した。

 

「……紫さん、今回の事はなんてお詫びをすればいいのか」

「阿爾が謝る必要なんてないわ、それに……私も、あの人間達を完全に否定する事はできない」

「…………」

「とにかく一度戻るわ、龍人の事は……私に任せて」

「はい、お願いします。――あの人は、本当に優しすぎる方ですね」

「…………」

 

 阿爾の言葉に何も答えず、紫は黙ってスキマを開きチルノと共に八雲屋敷へと戻った。

 いつも通り藍に出迎えられたが、半ば押し付ける形でチルノを渡し、紫は再びスキマで移動する。

 移動した先は当然彼が居る場所、彼は人里の端に位置する小川の傍で座り込み、空を見上げていた。

 

「…………」

 

 話し掛けられない。

 顔を見なくても判ってしまう、今の彼は…ひどく傷つき思い悩んでしまっていると。

 あの人間達に何もできなかったと己を責め、彼は自身を傷つける。

 ……あの状況では、誰も正しい答えが出せないというのに。

 

「――紫」

「っ、気づいてたの?」

「気配を隠してないだろ? なら気づくさ」

「そう、だったわね」

 

 龍人の隣に座り、彼と同じように空を見上げる。

 今日の天気は快晴、まだ空気は冷たいがいずれ春の息吹が流れてくるだろう。

 

「紫、ごめんな」

「えっ?」

「どうすればよかったのか、わからなかった。家族を失った人間達の気持ちも判ったけど、チルノに傷ついてほしくなかったから……たとえ死なないとしても、傷ついてほしくなかったから。

 でも、結果的にあの人間達の怒りや憎しみを内側に残しちまった、もっと良い方法があったかもしれないってのに、さ」

「それは違うわ龍人、貴方のあの行動は間違いじゃなかった。貴方が居たからチルノは理不尽な暴力から守られた、あの人間達も自らの怒りと憎しみの渦に沈まなかった。

 貴方は正しい事をしたのよ、私だったらきっと力であの人間達を黙らせていたわ。それが新たな怒りや憎しみを呼ぶと判っていても……だから龍人、自分を卑下しないで」

「………そうかなぁ」

「そうよ、私は貴方を誇りに思う。どちらも見捨てずどちらも否定しなかった貴方を」

「そっかぁ……紫がそう言ってくれるなら、さっきの俺も意味のあるものになる気がするよ」

「ええ、いつだって貴方は正しい道を歩んでいるわ」

 

 龍人の手を、自分の手で優しく重ねる紫。

 そして2人はふと見つめあい、どちらからともかく笑ったのだった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第62話 ~閻魔との対峙~

幻想郷に生きる紫と龍人。
少しずつ人と妖怪との溝を生めながら、彼女達は今日も歩みを進めていく。

そんな中、幻想郷に春が訪れ……2人はある場所へと赴いた。


「――映姫様ー、四季映姫・ヤマザナドゥ様ー」

「………わざわざそこまで呼ばなくても聞こえていますよ、小野塚小町」

 

 黒塗りの大きな机に広がる沢山の書類に目を通しながら、閻魔である四季映姫は部屋の入口に居る部下に声を掛ける。

 彼女の声に部下である死神、小野塚小町は人懐っこい笑みを浮かべながら「こりゃ失礼」と言いつつ、映姫の元へ。

 すると彼女は死神装束の中、正確には自身の豊満な胸元から一枚の手紙を取り出し映姫に見える位置に置いた。

 瞬間、映姫の表情が露骨な嫌悪感に満ちたものに変わり、それを予期していた小町はポリポリと自身の赤い髪を指で掻きつつ苦笑する。

 

「そんな顔しないでくださいよ、十王様達からのありがたーい手紙なんですよ?」

「ほう? ありがたいものだと思っているのならば小町、あなたが私の代わりに見てもいいのですよ?」

「い、いやあ…あたいは一介の死神風情ですし遠慮しておきます」

「…………はぁ」

 

 閻魔の仕事に終わりはない、寧ろやってもやっても増えていくばかりだ。

 だというのに十王達からの手紙など、十中八九厄介事に決まっている。

 できる事ならばこの場で破り裂いて見なかった事にしたいのだが、それができないのが閻魔であり根が生真面目な映姫の辛い所。

 のろのろとした動きで手紙を広げ、中身に目を通す映姫。

 それから数秒間、彼女は無言のまま手紙を凝視して。

 

「――ぬがーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 バリィっと、これでもかとばかりに力を込めて手紙を引き裂いた。

 

「えっ、ちょ、どうしたんですか四季様!?」

「どうしたもこうしたもありません!! 閻魔が多忙だと知っていてこのような案件を寄越すなど……小町、ちょっと十王達の元に行ってきます」

「……因みに、何をしに?」

「それは勿論……地獄に叩き落としにです」

「ちょっ!? それはホントに洒落になりませんって!! 第一、その手紙には一体何が書かれていたんですか?」

「…………」

 

 ふーっ、ふーっと荒い呼吸を繰り返す映姫。

 よほど頭に来たのだろう、割と怒りっぽい彼女だが今回のは小町にとっても珍しい怒りっぷりであった。

 とりあえず怒りを静めてもらわねば困る、死者の世界であるあの世で殺戮ショーなど見たくない。

 ……数分後、小町の健気な頑張りによってどうにか冷静さを取り戻した映姫。

 そして彼女は、小町の問いに答えるべく手紙の内容を彼女に告げ。

 

「あー……成る程」

 彼女が怒り狂った理由を、理解するのであった。

 

 

 

 

 

 

「――龍人、準備できたの?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

「? 紫、龍人、どっかいくのか?」

 

 八雲屋敷でボーっと過ごしていたチルノは、いつもとは違う服装になっている紫を見て声を掛けた。

 今の彼女はいつもの導師風の服装ではなく、やや明るめの紫色のドレスに身を包み、右手には愛用の日傘を持っている。

 普段の全身を包むような服装とは違い、胸元が剥き出しになった扇情的な服に身を包んでいる今の彼女は、普段とは違う妖しさと美しさを見せていた。

 

「ええ、ちょっと龍人と出掛けてくるわ。日が沈む前には帰ってくる予定だから、藍や美鈴の言うことをよく利いてお留守番しててね?」

「私も一緒に行っていい?」

「悪いけどそれは駄目、龍人と2人だけで行きたいの」

「えー……もしかして逢引ってヤツか?」

「……チルノ、誰から教わったの?」

「里に住むチヅルって人間から」

「もぅ……」

 

 あの騒動から暫く立ったが、チルノは里の者達との溝を少しずつ埋められているようだ。

 しかしいらん事を覚えてくるのはいただけない、なので紫は彼女に今の言葉は無闇に他人に言うものではないと釘を刺しておいた。

 一応右手を挙げ元気よく返事を返すチルノであったが、本当にわかっているのかは疑問である。

 まあいい、龍人も来たしそろそろ出発しなければ。

 

「いってらっしゃいませ紫様、龍人様」

「いってらっしゃい!!」

「よし、いってこい!!」

 

「ええ、いってくるわ」

「いってくる。チルノはあんまり悪戯すんなよ?」

 

 スキマを開き、龍人と共に中へと入る。

 2人が向かった先は、既に長い間人が住まなくなったとわかるほどに古ぼけた屋敷。

 所々の床板や壁は罅割れ、かつては美しい庭であったであろう場所も雑草が生え苔さえも見える。

 あまりにもみすぼらしく、けれど紫と龍人にとってここは自分達の大切な場所であり…同時に、自分達の弱さの証明だった。

 

「…………」

 

 ここに来る度に、紫の心は軋みを上げる。

 何故守れなかったと、何故救えなかったと、他ならぬ自分自身が彼女を責め続けていく。

 無意味で無駄な後悔だ、それでも紫は己を責め続ける。

 

「紫、また泣きそうな顔になってるぞ?」

 

 そして、決まって紫の心情に気付き龍人が声を掛ける。

 毎年この爽やかな春の息吹を感じられるようになってから、こんなやり取りを繰り返していた。

 龍人に優しく右手を握られ、彼の暖かさと優しさに触れながら「ごめんなさい」と紫は謝る。

 これもまたここに来る度に行われるやり取り、代わり映えしない自分の弱さに紫は失笑を送りたくなった。

 

 荒れた庭を歩いていき、紫達はある場所で立ち止まり上を見上げる。

 そこにあるのは一本の巨大な桜の木、しかしそれは春の季節が訪れたというのに枯れきっていた。

 これはただの桜の木ではない、死と呪いに満ちた妖怪桜である「西行妖」だ。

 

「――幽々子、龍哉、今年も来たわよ?」

「とうちゃん、幽々子、来たぞ?」

 

 西行妖の下に備えられている墓石に、紫と龍人は声を掛ける。

 かつてこの屋敷で紫達と友人になった西行幽々子と、龍人の父である龍哉がここに眠っている。

 とはいえ幽々子の肉体は西行妖の中に取り込まれてしまっているし、龍哉に至っては閻魔との盟約によって魂ごと消滅してしまっているから、厳密にはここに眠っているわけではない。

 それでも2人は毎年必ずこの時期にここへ訪れ、2人の冥福を祈っている。

 その後、祈りを終え周囲の掃除を終えいつものように帰る、いつも通りの時間を過ごす2人……で、あったが。

 

「――妖怪でありながら人間の真似事をするとは、相変わらず不思議な妖怪ですねあなたは」

「…………」

 

 背後から聞こえた女性の声を耳に入れ、紫と龍人はゆっくりと振り返り…紫は驚きから目を見開いた。

 緑色の髪の上に特徴的な帽子を作り、手には「(かい)()の棒」と呼ばれる板状の物体を持つこの少女は……人間ではない。

 かといって妖怪でもなく、生きる者にとっては会いたくない類の存在だ。

 

「現世に閻魔のあなたが一体何の用ですの? 四季映姫・ヤマザナドゥ様?」

「閻魔……?」

「あたいもいるよー?」

 

 そう言って現われたのは、赤髪を持った長身の女性。

 その長身よりも更に巨大な大鎌を持つ彼女はにこやかな笑みを浮かべ、友好的な雰囲気を紫達に見せている。

 しかし紫は決して警戒心を解きはしない、閻魔という存在に気を許す事はできないからだ。

 

「閻魔様って女の子だったんだな、俺は龍人っていうんだ!」

「知っていますよ龍人、ですが会うのは初めてでしたね。四季映姫・ヤマザナドゥと申します」

「あたいは小野塚小町、四季様の部下の死神さ」

「死神かあ……よろしくな、小町!!」

「…………」

 

 警戒心の欠片もない龍人を見て、紫は頭を抱えてしまった。

 生きる者にとって閻魔や死神という存在は相容れぬ事のできないものだ、特に死神が生きる者の前に現れる時は…その命を刈り取る時。

 だというのにこれである、頭を抱えたくなるのは当然であった。

 

「面白いねえ、死神だってわかってるのに歩み寄るのかい?」

「え、なんで?」

「死神は命を刈り取りあの世に送るのが仕事さ、自分の命を奪いに来たと思わないのかい?」

「……奪いに来たのか?」

 

 刹那、周囲の空気が変わった。

 龍人から放たれるのは、龍人族特有の力である【龍気】。

 それが彼の身体から溢れ出し、周囲に突風を生み出している。

 

「うおっ……ちょ、ちょっとお待ちよ。今のは冗談だし、お前さん達の命を刈り取るためにやってきたわけじゃないから」

「………そうか」

 

 慌てた様子で弁明する小町の言葉を聞き、これまた一瞬で力を引っ込める龍人。

 これは色々な意味で厄介な存在だねえと、冷や汗を頬に伝わせながら小町は彼の顔を見やる。

 先程の人懐っこい雰囲気はどこへやら、彼がこちらに向けるのは明確な警戒心と敵意のみ。

 今はこれ以上何もしないが、少しでも仕掛けてくるのならば迎え撃つ、彼の黄金の瞳がそう訴えていた。

 

「小町、誤解を招くような物言いをしたあなたに非がありますよ。――部下が大変失礼を致しました、今回私があなた達の前に姿を現したのは……実を言うと、まったくの偶然でして」

「えっ?」

 

 やや疲れた口調で言った映姫の言葉に、紫は再び驚いた。

 閻魔である彼女がわざわざ現世に現われたのだ、何もないとは思えなかったが…どうやら彼女の用事に自分達は関係ないらしい。

 ではその用事とは一体何なのか、そこまで考え…紫は、映姫の視線が西行妖に向けられている事に気付く。

 

「気付いたようですね。ええ――実はこの西行妖に用がありまして」

「……この木を、どうするおつもりですの?」

 

 紫の声に冷たさが含まれ、予想通りの反応に映姫はため息をついた。

 本来ならば「あなた達には関係のない事です」と言って突き放し、自分達の目的を果たせばいいだけなのだが…当然、目の前の妖怪は納得しないだろう。

 そればかりか自分達の邪魔をしてくる可能性すら出てきかねない、彼女の能力を考えればここで余計な敵対心を抱かせるのは得策ではない。

 それに彼女達もまったくの無関係というわけでもないだろう、少なくとも西行寺幽々子の事を知っている彼女達は。

 なので、彼女は包み隠さず紫達に自分達の目的を話す事にした。

 

 

 

「――この西行妖を“冥界”へと持っていき、そこで西行寺幽々子を“亡霊”にします」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




今回は少し短め、本来はこれくらいの手軽さの方がいいのかもしれませんがなかなか上手くいかないのです。
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第63話 ~魂魄家へ~

幽々子の墓参りに赴いた紫と龍人の前に、閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥが姿を現す。
警戒する紫に、映姫はかつて失ってしまった彼女達の親友、西行寺幽々子を亡霊化させると言い出して………。


「――この西行妖を“冥界”へと持っていき、そこで西行寺幽々子を“亡霊”にします」

「…………は?」

 

 映姫のその言葉を聞いて、紫の口からは間の抜けた声が放たれた。

 しかしそれも一瞬、紫はすぐさま金の瞳に覇気を込めて映姫を睨みつける。

 予想通りの反応に、映姫は取り乱すことなく言葉を続けた。

 

「実は十王からとある指示が来ましてね。――冥界の幽霊達を管理する存在を用意しろと」

「……その役目を、幽々子にやらせるというの?」

「彼女の能力は、我々死者の世界に生きる者側の能力です。この世界では死を招くだけですが…死者の世界である冥界ならば、彼女の能力を“生かす”事は可能でしょう」

「けれど、亡霊化させるという事は……」

「ええ、彼女はもう二度と人間として成仏する事も輪廻転生することもできなくなります」

「っ」

 

 怒りを込めて、紫は先程よりも更に強い覇気を込めて映姫を睨む。

 しかし彼女は先程と同じようにまったく動じない、動じる必要など言わんばかりに平静だった。

 

「ですが八雲紫、今回の件は我々だけでなくあなた方生者にとっても有益なことなのですよ?」

「…………」

「このまま西行妖を放っておけば、いずれ西行寺幽々子の封印を破り死の呪いが世界に充満してしまう。

 ですがこれを冥界に持っていき亡霊化させた西行寺幽々子を常に傍に置いておけば封印は決して破られる事はない」

 

 それにだ、たとえ彼女が輪廻転生を果たしたとしても…また同じ轍を踏むしかないのだ。

 彼女の魂は人間という概念を超越してしまっているほどに大きい、そんな彼女が転生したとしてもまたあの忌まわしき死の能力を受け継いで生まれてしまう。

 そうなればただ苦しみを長引かせ悲しみを広げるだけでしかない、故に亡霊化させるというのは他ならぬ幽々子を救う事に繋がるに等しい。

 亡霊は死者であるが厳密には幽霊とは違う、生者と同じように肉体を持ち生者と同じように生活ができる存在だ。

 故に幽々子を亡霊にすれば生前できなかった生を謳歌する事ができる、人として生きる事は叶わないがそれでも彼女にとって幸せである事に間違いはない。

 

「亡霊化によって生前の記憶は失ってしまいますが、それでも彼女は冥界で“生きる”事ができます。あなた方ともまた話し、笑い合い、友として過ごす事ができるのですよ?」

「…………」

 

 映姫の言葉は優しく、暖かみを含んだものであった。

 彼女の言葉に打算的なものは感じられない、生真面目な閻魔は心からの言葉で紫に説明してくれている。

 本来妖怪である自分に、冥界の事情など説明する必要など皆無だというのに、映姫は紫が幽々子を大切に思っている事を理解し、その気持ちを汲もうとしてくれていた。

 それには紫も純粋に感謝している、そして彼女の言い分が正しく自分達にとっても再び幽々子に巡り合えるという事実を聞けて本当に有益なものだ。

 生前の記憶を失ってしまうのは悲しいが、また巡り合い友人になればいいだけの話、紫にとってデメリットにもなりはしない。

 

 そう――映姫は正しい、それがわかっているというのに。

 妖怪でありながら人と接しすぎた紫の心は、正しいと理解していても納得はできなかった。

 無意味な反抗心だ、それに自分が反対したとしても向こうにとっては何の関係もない。

 結果は変わらず、それでも……幽々子が()()()()()()を謳歌できなくなるという事だけは、紫の心が納得できなかった。

 だがそれも子供のような我儘でしかなく、そんな矮小な心しか持てない自分自身に嫌気すら差してくる。

 

「紫」

「………龍人」

 

 隣に立ち先程から沈黙を守っていた龍人が、そっと包み込むように紫の手を握り締めた。

 彼の暖かさを感じつつ視線を向けると、龍人は嬉しそうに…紫を安心させるように笑みを浮かべていた。

 

「今度こそ……今度こそ幽々子と楽しく過ごそうな、紫」

「…………」

「正直、幽々子が人間として生きられないと言われた時は悲しかったけど、だけどだからって幽々子自身が変わるわけじゃないんだ。

 俺達の事を覚えてなくてもまた友達になれるし、これからずっと会えるならそれで充分だ。少なくとも俺はそう思う」

「龍人……」

「こらこら、一応彼女は死者の住人になるというのにいつでも会えるように思われては困りますよ?」

「駄目なのか?」

「当たり前です。――そう言いたいですが、きっとそちらのスキマ妖怪はこちらの言い分を簡単に無視して冥界に行く事になるのでしょうね」

「ええ、よくわかっているではありませんか、閻魔様」

 

 わざとらしい口調でそう言うと、映姫はあからさまなため息をついた。

 しかし彼女はそれ以上何も言う事はなく、認めはしないものの黙認してくれるようだ。

 感謝します、口には出さず心の中で映姫に対し感謝の言葉を告げる紫。

 そんな彼女の心中を理解したのか、小さく口元に笑みを浮かべる映姫なのであった。

 

「そうだ、じゃあこの事を妖忌のヤツにも知らせてやらないと!!」

「そうね……あれから一度も会ってないし、ちょうどいいかもしれないわ」

「魂魄家に行くのですか? ならばこちらの用事も頼みたいのですが」

「…………」

「そんなあからさまに嫌そうな顔をしないでください、善行を励んでいると思えば良いでしょう?」

 

 紫の態度に溜め息をつきつつ、映姫は懐から何かを取り出した。

 それは金装飾が施された美しい書簡だった、何かしらの術が施されているのか封を触ってもびくともしない。

 

「何勝手に開けようとしているのですか、これを魂魄家の当主に渡してください」

「中身は何ですの?」

「まずは魂魄家の当主にそれを渡してください、いずれわかる事ですから」

 

 さあさっさといったいった、しっしっと手を振る映姫に紫達は苦笑。

 しかし妖忌にこの事を早く伝えたい為、紫達はすぐさまスキマで屋敷を離れる。

 そしてスキマが閉じ、周囲に映姫と小町だけになった瞬間――無言だった小町が、映姫に話しかけた。

 

「――よかったんですか四季様? 西行寺幽々子の事を話すのはいいとしても、生者が冥界に行き来するのは十王様達も良い顔はしませんよ?」

「仕方ないでしょう? 西行寺幽々子の話をした以上、彼女達が冥界に訪れてしまう事は明白です。力ずくで阻止する事も可能ですがそちらの方が我々にとって痛手になるのですから」

「まあ確かに八雲紫は妖怪とは思えない厄介な能力を持っていますけどねー……」

「違いますよ小町、確かに八雲紫の能力は神々の領域まで達せるほどの凄まじい能力ですが……我々が危険視しているのは、“彼”の方です」

「彼って……あの龍人族の子供ですか?」

 

 そんなまさか、おもわず小町の口に笑みが浮かぶ。

 確かにあの少年の力は半妖とは思えぬほどに大きい、力を放出した際に驚いたのは事実だ。

 けれどあくまでそれだけ、世界は広くあの程度の力の持ち主などいくらでも居る。

 だというのに閻魔である映姫達が危険視するなど、信じられないのは当然であった。

 

「彼の強さには終わりがありません。いずれ彼は大妖怪という肩書きでは到底合わない程の力を身につけてしまいます、そして何よりも彼は厄介な存在の加護を受けているようですからね……」

「厄介なって……誰ですか?」

「……言いたくありませんよ、口にするのも恐れ多い方ですからね」

 

 無駄話は終わりです、そう言って映姫は会話を中断させた。

 小町としては先程の話の続きを訊きたかったが、どうせ訊いた所で答えてはくれないだろうし説教されるのがオチだ。

 なので煮え切らないながらも小町は思考を切り替え、自分の仕事に取り掛かったのであった。

 

 

 

 

 

 

 魂魄家の屋敷は、幽々子が暮らしていた屋敷から三つほど山を越えた先にある。

 大きな屋敷だが周囲は山々に囲まれており、ここに来るまでの道のりは獣道しか存在していない。

 普通の人間ならば到底辿り着ける事ができず、また辿り着こうとする酔狂な存在も居ないだろう。

 魂魄家は代々妖怪退治を生業としている一族、故に妖怪達は魂魄家を恐れ決して近づこうとしない。

 そんな屋敷に、妖怪が近づくとどうなるかというと……。

 

「――まあ、こうなるわよね」

「? 紫、何か言ったか?」

 

 映姫からの書簡を届けるのと、妖忌に幽々子の事を話す為に魂魄家へと訪れた紫と龍人。

 彼に会うのは妖怪の山での騒動以来だなと懐かしみながら門を叩いたのだが……そこでふと、紫は魂魄家が妖怪退治を生業にしている事を思い出した。

 正直思い出すのが遅すぎだろうと自分自身にツッコミを入れてしまうほどに間抜けな事をしてしまったと自覚した時には、既に2人は十数人もの人間に囲まれてしまっていた。

 誰もが手に攻撃用の札と霊器(霊力を用いて妖怪にダメージを与える武器)を持ち、紫達に向かって明確な敵意を向けている。

 

(こうなるまで気付かなかった私も阿呆だけど、あの閻魔だって充分こうなるってわかっていたのになんで言わないのよ!!)

 

 半ば責任転嫁をしつつ、さてどうしようかと紫は思案する。

 正直な話、自分達を囲んで今にも攻撃を仕掛けようとしている人間達を打ち負かす事など造作もない。

 しかしそんな事はできず、かといってこのまま何もせずにされるがままというのもできないわけで。

 

「妖怪風情が、この魂魄家に一体何の用だ!!」

 

 人間の1人が激情を込めた声で問いかける、だがその瞳は血走っておりたとえこっちが正直に言おうとも口を開いた瞬間に攻撃を仕掛けてくるのは目に見えていた。

 話し合いはどう考えてもできそうにないだろう、面倒だが黙らせようと紫はそっと妖力を解放しようとして。

 

「――待て、その妖怪達はワシの友人だ」

 凛としたまるで剣のような鋭い声が、場に響いた。

 

 全員の視線が、屋敷の方角へと向けられる。

 すると、屋敷の中から1人の壮年男性が現われこちらに向かってきた。

 白が混じった銀髪を後ろで1つに束ね、背中には二本の刀を携えたその男は真っ直ぐ紫達の前まで歩み寄り、不適な笑みを浮かべながら久しぶりに再会した友人を歓迎した。

 

「――久しぶりだな龍人、紫、妖怪の山での騒動以来か?」

「ええ、あなたは老けたわね妖忌」

「皺ができたなー、それに顎に髭も生えてるし……全体的に渋くなったな」

「ふん、二百年以上経っても外見が殆ど変わらんお前達の方がおかしいんだ」

 

 皮肉めいた事を言う妖忌であったが、その笑みには確かな喜びの色が見られた。

 会うのは実に二百年振りだが、変わらぬ彼の姿を見て紫達も喜びの笑みを浮かべる。

 

「よ、妖忌様……」

「この者達は古い友人だ、手を出すな」

「ゆ、友人でございますか? し、しかしこやつ等は……」

「いつも貴様達が相手をしている下賎な野良妖怪とは違う、妖怪とはいえ中には話のわかる者も居ると言った事を忘れたのか?」

「…………」

 

 責めるような妖忌の言葉と視線を受け、周りの人間達は揃って押し黙ってしまった。

 それには構わず妖忌は紫と龍人を連れ屋敷の中へと入っていく。

 紫達が連れてこられたのはただっ広い大広間、掛け軸や壷が飾られたそこは気品が溢れた空間であった。

 用意された座布団の上に座る2人、そうしている間に妖忌は使用人を呼び人数分の茶と菓子を用意するように指示する。

 使用人が部屋を出て行き改めて3人になった後、妖忌は早速本題に入る為に紫へと声を掛けた。

 

「それで、妖怪であるお主達がわざわざ魂魄家に赴いた理由はなんだ?」

「閻魔から、あなたにこれを渡すように指示されたのよ」

「閻魔様から、だと……?」

 

 紫から手渡された書簡を受け取り、封を切る妖忌。

 先程紫が封を切ろうとして切れなかったというのに妖忌は簡単に切ってしまった、やはり彼だけに封を切れるように映姫が細工をしていたようだ。

 中に入っていた封書に目を通す妖忌、暫し無言の時間が過ぎていき……数分後、彼は封書から視線を外しふぅと小さく息を吐き出す。

 

「……龍人、紫、お前達は閻魔様から幽々子様の事を聞いているか?」

「…………ええ、あの子を亡霊化させ冥界の管理をさせると」

「そうか……ならばワシから説明する事は何もないな」

「ところで妖忌、それには何が書かれてたんだ?」

 

 書簡を指差し、問いかける龍人。

 

「再び幽々子様に仕え、共に冥界にて幽霊達の管理を行えとの指示が書かれている」

「えっ……」

「実は数日前、こちらに閻魔様がいらっしゃってな。幽々子様の事と西行妖の事を聞いていたのだ、その時からもしやと思っていたが……」

「そうだったの……」

「だがこちらとしても願ってもない話だ。――今度こそ、果たせなかった約束を果たせるのだからな」

 

 両の拳を握り締め、顔を強張らせる妖忌。

 ……二百年前の忌まわしき記憶、守れなかった幽々子の事を思い出しているのだろう。

 彼も紫達と同じく、幽々子を守れなかった自分自身を呪い続けているようだ。

 しかしその呪いももうすぐ癒えるだろう、彼が再び彼女と巡り合った時に。

 

「――ありがとう龍人、紫、再び友に再会できただけでなく…この書簡を持ってきてくれて感謝する」

「私達に感謝する必要はないわ。感謝するのならあの閻魔にしなさい」

 

 おそらくあの閻魔は、妖忌の心中を知っているからこそ彼にこの役目を与えたのだろう。

 もちろん彼が半人半霊、あの世寄りの存在だからという理由もあるだろうが……それはついでのようなものだ。

 

「そうだ。久しぶりに会ったのだし今日は泊まっていかないか? お前達がこの二百年の間に何があったのかを聞きたい」

「いいなそれ、とっておきのメシと酒を用意してくれよ!!」

「いいだろう、できる限りの持て成しをしてやる」

「ちょっと龍人………」

 

 制止しようとした紫であったが、龍人と妖忌の楽しげな顔を見てやめる事にした。

 それに紫も久しぶりに友人である妖忌と飲み明かすのも悪くないと思っている、ならばここは厚意に甘える事にしよう。

 とはいえ留守番をしている藍達には連絡をしておいた方が良いだろう、なので紫は一度幻想郷に戻ろうと龍人に声を掛けようとして。

 

 

 

――漆黒の爪が、自分の首を抉り切ろうとしている光景を、目に入れた。

 

 

 

 

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第五章 ~血の闘争~
第64話 ~血の悪魔、襲来~


幽々子の事もあり、久しぶりに友人である妖忌に会うために魂魄家に訪れた紫と龍人。
久しぶりに昔話に華を咲かせようとした矢先――紫に襲い掛かる何者かが突如として現われた………。


――漆黒の爪が、紫の首に迫る。

 

 その一撃は妖怪である彼女すら狩り取れる威力を持ち、また完全な不意打ちだったせいか反応していない。

 哀れ紫は凶刃の前になす術なく、その命を奪われそうになり。

 

「――何してんだ、お前」

「――――!!?」

 

 けれどその爪は、紫に届く事はなく。

 介入した龍人の指三本で、呆気なく止められてしまった。

 その光景を見て、紫の命を奪おうとした第三者は驚愕によって動きを止めてしまう。

 だがそれは愚かな行為、自らに敵意を向けている相手を前にして動きを止めるなど愚行であり。

 

「っ、ご、ぁ………!!?」

 

 メリメリという音を響かせ、第三者は凄まじい衝撃と痛みを腹部から感じながら吹き飛んでいく。

 瞬時に襖を破壊し中庭へと吹き飛び、そのまま壁に激突して壁を破壊し土煙を上げる。

 

「流石ね、龍人」

「よく言うよ、わざと反応しなかっただろ? 俺が割って入らなかったらどうしてたんだ?」

「龍人なら必ず私を助けてくれると信じていたから、考える必要なんかないでしょう?」

「まあ、紫の事は必ず守るから確かに必要ないかもしれないけどさ」

「…………」

 

 不意打ちだ、頬に熱が帯びるのを感じながら紫は龍人から目を逸らす。

 と、今はそのようなやりとりをやっている場合ではないと思い返し、紫達は中庭へと赴く。

 土煙は未だ晴れず、けれどその中から感じられる妖力は微塵も衰えていない。

 

「魂魄家に堂々と妖怪が来るとはな……随分と嘗められたものじゃな」

「俺達はそんなつもりじゃなかったぞ?」

「お主達は別だ。――おい、さっさと姿を現せ。あんな程度でくたばっているわけがないだろう?」

 

 刀は鞘に収めたまま、土煙に向かった言い放つ妖忌。

 すると、土煙が晴れる前に第三者が紫達の前に姿を現した。

 

「………変な恰好だな、お前」

 

 その姿を見て、龍人はおもわずそんな事を口走ってしまう。

 長身の身体を持つその男は全身を黒のスーツで身を包み、背中には自分の身体を覆えるほどの漆黒の巨大なマントを装着させている。

 髪はキラキラと光る金色、深紅の瞳に口元からは……牙が見え隠れしていた。

 確かに龍人の言う通り珍妙な恰好であった、妖忌も同じ事を考えているのか表情が怪訝なものに変わっている。

 

 その中で、紫は男が西洋――即ちこことは違う大陸に生きる生物だという事を悟っていた。

 彼が身につけている衣服も西洋のものだ、龍人や妖忌が恰好に怪訝な顔を見せるのも無理はない。

 ……尤も、目の前の男はあまり係わり合いになりたくない類の“妖怪”だったが。

 

「妖忌様、大丈夫ですか!?」

 

 轟音を聞き入れたのか、魂魄家の僧達がこちらに向かってくるのが見えた。

 すると、男は視線を僧達に向け――牙が剥き出しになるような笑みを浮かべる。

 そして男は動きを見せる、しかし向かっていくのは紫達ではなく――僧達へと向かっていく!!

 

「――お前の相手は、俺だろうが」

「っ………!」

 

 しかしその前に龍人が男の前に回り込み、男は忌々しげに龍人を睨みつつ攻撃に移った。

 赤黒く光る右手の爪を振り下ろす男、硬質化されたそれは鉄塊すら砕けるほどの破壊力を秘めている。

 だが遅い、天狗という妖怪の速さをこの目で見てきた龍人にとって、相手の攻撃など止まって見えた。

 加減はしない、龍人は一瞬で雷龍気を発動。紫電の速さで相手に対し拳を繰り出す。

 

「っ、ご………っ!!?」

 

 くぐもった悲鳴が、男の口から漏れる。

 当然だ、一息で四発の拳を叩き込めばこうもなる、けれど龍人の攻撃はまだ終わらない。

 続いてしゃがみながらの足払いを仕掛け、見事男の足は払われ転倒しそうになる。

 だがその前に龍人は追撃を仕掛け、無防備な男の身体に3発の拳を叩き込んだ後、左足による後ろ回し蹴りを顔面に突き放った。

 骨の砕ける嫌な感触を感じながら、それでも龍人は容赦なく男を蹴り飛ばし沈黙させた………。

 

「……ふぅ、やり過ぎたか?」

「いいえ、上出来よ龍人。この男はこんな程度では死なないから」

(………随分と、腕を上げたものだ)

 

 前とは別人の強さに変わっている龍人を見て、妖忌は嬉しくもあり…同時に脅威を覚えた。

 それは周りの僧達が龍人を見て驚愕と恐怖の表情を見せている辺り、決して杞憂ではない。

 とはいえ妖忌は彼に対しなにかしようなどとは考えない、彼は自分にとって友人である事に変わりはないのだから。

 ――と、男が呻き声を上げながらゆっくりと起き上がる姿を視界に捉えた。

 

「おい、もうやめろって。もう勝負は付いただろ?」

「情けを掛けるな龍人、仕掛けてきた相手に対し甘い事を言えばこちらがやられる」

 

 刀に手を伸ばす妖忌、しかしそれを龍人が止めた。

 

「誰も犠牲になってないんだから、別にいいだろ」

「……甘いなお主は、強くなってもそういう所は変わらんか」

「……うっ、うぅ……」

 

 苦しげな息を吐き、吐血までする男。

 その痛々しい姿に龍人は駆け寄ろうとするが、その前に男は思わぬ行動に出た。

 なんと、男は苦しげな息を吐きながら――龍人に対し平伏すように頭を垂れたのだ。

 これには龍人だけでなく紫と妖忌も驚きを隠せない、そのまま固まっていると男が口を開く。

 

「――貴公の強さ、恐れ入った。どうか……どうか我が願いを聞いていただきたい!!」

「えっ……えっ?」

「突然襲い掛かった無礼は詫びよう! 死んで償えというのなら喜んでこの命を捧げよう! だが……だがもしも、許されるのであれば、どうか私の話を聞いていただきたい!!」

「……………」

 

 ますますわけがわからなくなり、困惑する龍人。

 そんな彼の隣で、紫はめまぐるしく思考を巡らせていた。

 はっきり言って紫にも今の状況は理解できない、しかし目の前で龍人に向かって頭を下げている男の言葉に嘘偽りはないという事だけは理解できた。

 こちらを油断させる芝居ではないというのは鬼気迫る迫力からもわかるし、何より自分の予想が正しければこの男は騙まし討ちの為に他者に頭を下げるなどありえないと思っているからだ。

 

「……龍人、貴方はどうしたい? この得体の知れない男の話を聞くつもりは…ある?」

 

 なので紫は、龍人の意見を聞こうと彼に問いかけた。

 彼が望むのならば自分は何も言わない、ただ彼がこの男の話を聞くつもりがないのなら……彼の代わりにこの男を始末する。

 

「…………正直、まだちょっと混乱してる。でも困ってるみたいだから、とりあえず話は聞いてみたい」

「おぉ………!」

「わかったわ。――妖忌、私は龍人の意見を尊重したいけど、あなたはどうするの?」

「……いいだろう。わしもこの男に訊きたい事がある、始末はその後でも遅くはあるまい」

「決まりね。場所を変えましょう」

 

 言いながら、紫はスキマを開く。

 ここではこの男の話を聞くような雰囲気は作れないだろう、周りの僧達は殺気立っており隙あればこの男の命を奪いに来るという気概が感じられた。

 

「お主達は屋敷の修繕を頼む。わしはこの2人と共にこの妖怪から話を聞いてくる」

「しかし妖忌様、妖怪に話しを聞く必要など……」

「阿呆が、貴様等この2人を敵に回したいのか? 貴様等全員が束になろうともこの2人には適わん、相手の力量差もわからずに喧嘩を売るでない」

 

 浅はかな部下達に軽く失望しながら、妖忌は戒めの言葉を放ち周りの者を黙らせた。

 あからさまに納得をしていない部下達であったが、妖忌が一睨みしただけでその表情も消え失せる。

 ふん、と小さく鼻を鳴らしつつ、妖忌も紫達と共に男を連れてスキマへと入っていった。

 

 向かった先は、八雲屋敷。

 ここならば誰にも邪魔されずに話を聞けるだろう、自分達を迎えてくれた藍に事の敬意を説明してから、紫達は男を客間へと連れていく。

 そして藍が全員分のお茶を用意して退室してから――紫は男に問いかけた。

 

「それで、話を聞いてほしいと言っていたけど……どういう意味なのかしら?」

「それも気になるけど、お前…妖怪だろ? それも結構強い妖怪だよな?」

「結構、どころではないわよ龍人、彼の種族は……“吸血鬼”なんだから」

「吸血鬼……」

 

 その単語は、龍人にも聞き覚えがあった。

 吸血鬼、西洋に生きる妖怪で人間の血を吸い、糧とする夜の一族。

 成る程、吸血鬼には凄まじい再生能力が備わっているというが……既に自分が与えたダメージの殆どを回復させている辺り、その能力は嘘偽りのないものらしい。

 妖怪の中でも鬼や天狗に匹敵する力と魔力を持つ言われているが……そんな吸血鬼が、何故東方であるこの地に存在するのか。

 

「願いを聞き入れてほしいともぬかしていたが……お前、一体龍人に何をさせようと言うのだ?」

「………………力を、貸していただきたい」

「力?」

「吸血鬼であるあなたが、半妖である龍人に力を貸してほしい?」

 

 聞く者が聞けば、世迷言だと一笑されるような発言が飛び出し、紫は理解に苦しんだ。

 先程も説明したように吸血鬼は鬼や天狗に匹敵する力を持っている、だというのに他者の、それも半妖である龍人の力を借りたいなどと…理解に苦しむのは当然であった。

 しかしこの男の表情から酔狂から出る言葉ではないというはわかるが……解せない。

 すると男は顔を上げ、悲痛な声で自らの願いを口にする。

 

 

「その力であの御方を……我が妻であるゼフィーリア・スカーレットを、運命から守っていただきたいのだ!!」

 

 

 

 

――時を同じくして、幻想郷人里の中心地。

 

「美鈴おねえちゃん、こっちだよー!!」

「はいはい、ちょっと待ってくださいねー」

 

 元気よく走り回る子供達を、美鈴は苦笑しながら追いかける。

 少しずつではあるが、美鈴は幻想郷へと足を運び人間達と交流を深めていた。

 人里の者達は優しく、美鈴自身の性格も相まってすぐに皆と仲良くなる事ができ、今もこうして子供達と楽しく遊んでいる。

 そしてその光景と見て周りの大人達は微笑ましい視線を向け、和やかな空気が人里に流れていた。

 

(ふふっ……なんだか幸せだなあ)

 

 春の暖かさを感じながら、子供達と楽しく遊んで過ごす。

 こうしていると、かつて自分が暮らしていた里での思い出が蘇ってきた。

 辛い事もあったけども、その殆どが楽しくて…暖かな思い出。

 それを思い出して美鈴はまた幸せな気持ちになれた、願わくばこの幸せがずっと続けば………。

 

「――――」

「? 美鈴お姉ちゃん、どうしたのー?」

 

 突然立ち止まった美鈴を不思議に思い、怪訝な表情を浮かべながら駆け寄る子供達。

 しかし美鈴は子供達の声に反応する事ができず、瞬く間に表情を険しくさせ里の入口付近へと視線を向けていた。

 美鈴お姉ちゃん、何度も自分を呼ぶ声が何度も耳に響き、そこで漸く美鈴は子供達に反応を返す。

 

「……みんなを連れてここから離れて、早く」

「えっ?」

「いいね? すぐにここから離れるようにみんなにも言ってください!!」

 

 言うやいなや、全速力で里の入口へと走っていく美鈴。

 ――何かが、この里の近くに現われた。

 体内の“気”を用いて現われた存在が人間ではなく妖怪だとわかり、尚且つここからでもわかるほどの殺気を感じてしまえば険しい表情になるのも無理からぬ事だ。

 里の者達はまだ気づかない、しかし妖怪や霊能者が居る以上いずれは気づいてくれるだろう。

 そうなれば避難をしてくれるだろう、ならば自分にするべき事は……それまで相手の足止め、もしくは倒す事だ。

 

「…………」

「……ロックはどこだ?」

 

 現われた存在は、見慣れぬ服装をした男であった。

 それは西洋で着られている紫に黄色の線状の模様が刻まれたシュールコー、下は漆黒のズボン、血のように赤い革靴を履いている。

 やや頬のこけた不健康そうな顔は不気味に映るが、何よりも口から見える牙が印象的だ。

 

「ロック……?」

「ロックはどこだ?」

「……何を言っているのかわかりません、ここから消えないというのなら……容赦はしませんよ?」

「ロックはどこだ!!」

 

 叫び、美鈴に吶喊していく男。

 

「話し合いは無理みたいですね!!」

 

 ならば。自分がやるべき事は1つだけ。

 紫達の代わりに戦い、この人里を守る事だ。

 

 

「――紅美鈴、参る!!!」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




シリアスばかりですが、この作品はかなりシリアスが多いのでご了承ください。
少しでも暇潰しになってくだされば幸いに思います。


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第65話 ~新たなる旅立ち~

紫たちを襲った吸血鬼から事情を聞こうと八雲屋敷へと戻ってきた紫達。
一方その頃、人里では美鈴と謎の妖怪との戦いが始まろうとしていた………。


 

 

 幾重もの爪が美鈴を引き裂こうと振るわれる。

 それを弾き、避け、いなし、防いでいく美鈴。

 しかしその一撃一撃の速度は速く、また重い。

 一手から回避する度に美鈴は顔をしかめ、また確実に追い詰められていた。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

「ぐっ……く」

 

 雄叫びを上げながら、尚も激しい攻撃を繰り出してくる男。

 単純な力、速さだけならば圧倒的に自分より上だ、そう思い知らされ――美鈴は一気に勝負を仕掛ける。

 上段から振り下ろされる右の豪腕、それを“気”で強化した左の裏拳で弾き飛ばしながら、右の掌に巨大な光球を生み出した。

 それは気の塊、美鈴の生命エネルギーをそのまま破壊力に変えた必殺の一撃。

 

星脈地転弾(せいみゃくちてんだん)!!!」

 

 気の塊を、男の腹部に全力で叩き込む美鈴。

 メキメキという音が――骨がひび割れ砕けていく音が男の身体から放たれ、多量の血を吐き出しながら吹き飛んでいく。

 更に追撃を仕掛ける美鈴、相手が自分より格上だと判断した以上攻撃の手を緩めるわけにはいかない!!

 両足に“気”を込め地面を削りながら踏み込む、そして右足を虹色の気で満たしながら吹き飛んでいく男へと追いつき。

 

地龍天龍脚(ちりゅうてんりゅうきゃく)!!!」

 

 懇親の力と気を込めた、右足による矢のような蹴り。

 大岩すら容易く粉々にする美鈴の蹴りを受け、男は先程以上の吐き出し――森の中へと飛んでいった。

 多くの木々を薙ぎ倒していくがまだ止まらず、やがてその姿も見えなくなった。

 静寂が場に訪れ、聞こえるのは荒い息を繰り返す美鈴の吐息のみ。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……」

 

 一気に“気”を消耗した事による疲労が、美鈴の身体に襲い掛かる。

 しかし………勝利した。

 相手がどんな妖怪かはわからなかったものの、無事人里を守る事が………。

 

「――オオォォォォォォォォッ!!!!」

「なっ……!?」

 

 森から、何かが雄叫びを上げながら飛び出してくる。

 それは美鈴の懇親の攻撃を受け倒れたはずの男だった、男は血反吐を撒き散らしながらまだ呼吸の整わない美鈴に向かって振ってきた。

 慌てて迎撃しようと身構える美鈴だったが、上手く気が練れず相手を見上げる事しかできず。

 

――男が炎に包まれた光景を、視界に入れた。

 

「ギィィィィィィィィィッ!!?」

「えっ………」

 

「……ごめん、ちょっと遅くなっちゃったよ」

 

 美鈴の前に現れる、1人の少女。

 白い髪と深紅の瞳を持つ少女、右手には小さな炎を生み出し炙られている男を睨みつけていた。

 少女の名は藤原妹紅、かつて都で暮らしていた貴族の少女であり、今ではある禁薬を飲み不老不死の身体を得てしまった呪いの少女。

 彼女は遅れてしまった事を美鈴に詫びながらも、燃え続けている男に対し警戒心を解かない。

 容赦なく、躊躇いなく灼熱の炎で燃やしている、人間はおろか妖怪であっても消し炭にできる火力はある筈だ。

 けれど妹紅の中の不安は消えず、やがて火の手は小さくなっていき……残ったのは人型の灰だけだった。

 

「……死にました、よね?」

「…………」

 

 不安が残る美鈴の言葉には答えず、妹紅は徐に灰へと近づき。

 

「っ………!?」

「――馬鹿が、吸血鬼の力を侮ったな!!!」

 

 その灰が動いたと思った時には、妹紅は男によって羽交い絞めにされてしまった。

 肉の焦げる嫌な悪臭が妹紅の鼻を穢し、羽交い絞めにされている身体は炭化した男の肉体で黒く染まっていく。

 だがそれも一時、なんと炭化していた筈の男の肉体が少しずつではあるが復元していった。

 妖怪の肉体であっても速過ぎる再生力、けれど自分や輝夜と違い不老不死というわけでもない。

 

「吸血鬼……話だけでは聞いた事があるけど、西洋の妖怪が東洋に居るなんて一体どうしたの?」

「ちょうどいい。最後の慈悲を貴様に与えてやるぞ女、ロックはどこだ?」

「そんなヤツ知らないわよ、知ってても話すと思う?」

「そうか……ならば、話せるようにしてやろう!!」

 

 口を大きく開く男、剣のように鋭く尖った牙が不気味に光る。

 そして男はその牙を、容赦なく妹紅の首へと突き立て噛み付いた―――!

 妹紅の首から血が流れ、それを男はゴクゴクと美味そうに飲み干していく。

 

「妹紅さん!!」

「っ………」

 

 不快感と痛みからか、妹紅の顔が歪む。

 逃げようとするが男の拘束は強く、身じろぎする事すらできない。

 尚も続く吸血行動、血が足りなくなってきたのか妹紅の顔が青ざめていく。

 そして、男が妹紅から牙を抜いた時には、妹紅は力なく崩れ落ち男にもたれ掛かってしまった。

 

「やはり女の血は格別だな、褒めてやるぞ?」

「こ、こいつ………!」

「我が血を分けてやった……これでお前は我が傀儡だ」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべ、男は妹紅に語りかける。

 吸血鬼は血を吸った相手を眷属にする能力を持つ、つまり血を吸った妹紅をこの男は自らの傀儡に変えたのだ。

 ……そう、男の能力は確かなものであり、男が勝ち誇るのも当然であった。

 

――尤も、それは。

 

――男の能力が、妹紅に効いていればだが。

 

「ぬっ………」

 

 軽い衝撃、下に視線を向けると……男にもたれ掛かっていた妹紅が、両腕を男の背に回し掴み上げていた。

 まるで男を自分から逃がさないように、けれど男は愚かにも自らに迫る脅威に気づいてはいない。

 

「――吸血鬼は、灰の中でも蘇るみたいね。だったら……どこまで耐えられるか試させてくれる?」

「何を言って――――っ!!?」

 

 男の言葉が最後まで放たれる前に、妹紅と男を包むように火柱が立ち昇った。

 灼熱すら超える獄炎の熱を孕んだそれは、周囲の大地を溶かし大気すら焦がしていく。

 当然、その中心に居る妹紅も男も無事で居られる筈もなく、瞬く間に両者の身体は灰と化していった。

 しかし男の身体は灰となると同時に驚異的なスピードで再生を始め――けれど、再生すると同時に燃え尽きていく。

 

「ぎ、が――がぎぃぃぃぃぃぃぃっ!!?」

「吸血鬼の身体って本当に頑丈なのね、まあでも……完全に死ぬまで、燃やし続けるだけだけど」

 

 そう話すのは、灰になった筈の妹紅であった。

 地獄の炎でその身を焼かれながらも、彼女は不老不死故の再生能力で何度も死んでは蘇生を繰り返していた。

 何度でも生き返れる彼女と、頑強ながらも一つしか命の無い男。

 

――勝敗は、初めから着いていた。

 

 妹紅が不用意に近づいたのも、男が生きていると判っていたから。

 わかっていて敢えて男の拘束を受け、逆に逃げれないようにしたのだ。

 後は自分の身体ごと男が死ぬまで焼き尽くすのみ、不老不死だからこそできる無謀で恐ろしい戦い方によって男の身体は少しずつ限界を迎えていき……。

 

「―――相手が悪過ぎたわね、これでも結構死地を通ってきたんだから」

 

 身体を再生しながら、妹紅がそう言った時には。

 男の身体は今度こそ動かなくなり、灰となった身体は崩れ…風に吹かれ消えていった。

 

「妹紅さん、大丈夫ですか!?」

 

 妹紅に駆け寄る美鈴。

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと首元が気持ち悪いけど、アイツの血はさっきの炎で消し飛ばしたから問題ないわ」

「そ、そうですか……よかったです」

「そっちも無事で何よりね。でも………」

 

 何か、大きな出来事に巻き込まれたような気がしてならない。

 そう思い、妹紅はそっとため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――それは、一体どういう意味なのかしら?」

 

 場所は変わり、八雲屋敷。

 吸血鬼の男から、上記の言葉を放たれ当然ながら紫達は困惑した。

 あの吸血鬼が、尊大で誇り高い吸血鬼が他の妖怪に頭を垂れ懇願しているのだ、驚くのは当然であった。

 それでもどうにか平静を装い、紫は男に問う。

 

「我が名はロック、ロック・スカーレットという。遥か遠くの地であるルーマニアにて吸血鬼達を統べながら暮らしているのだが……我等が過激派と呼んでいる者達が何かよからぬ事を企てているのだ。それを阻止しようと準備をしていて……」

「えっ、吸血鬼同士で争うのか?」

「同じ種族の妖怪でも争いあう事は珍しくないわよ龍人、それに人間だって同じくだらない事を繰り返しているでしょう?」

 

「我が妻であるゼフィーリア・スカーレットは私と共に過激派を止めようとしているのだが……観えてしまったのだ」

「観えた?」

「ゼフィーリアには自身や他者の運命を見るまたは操作する力がある。その能力で妻は……過激派との戦いには勝利するが、自分がその戦いで命を奪われる運命を観てしまったのだ」

 

 それを知ったロックは、一度過激派の連中に降伏しようとも考えた。

 そうすれば少なくとも妻の命は助かる、だが……それを配下の者達は決して認めなかった。

 何よりゼフィーリア本人がそれを拒み、しかしこのままでは運命通りの彼女の命は奪われてしまう。

 彼女は運命を操作する力がある、けれどその運命は彼女の力でも操作する事のできない強制力の強い運命だった。

 

「私は諦めたくなかった。だが私の力はゼフィーリアより遥かに劣る……私の力では妻や他の者を守る事ができない。そんな中、この極東の地で半妖でありながらとてつもない力を持つ男とその傍に片時も離れぬ妖怪の女が居ると聞いた」

「……私達も、随分と有名になったものね」

 

 元々紫はその能力からあらゆる妖怪に名が知られていた。

 そして龍人も今では鬼や天狗といった強大な力と組織力を持つ妖怪にも顔が知られている、遥か西洋の地まで名が広まっていてもおかしくはあるまい。

 とはいえ、名が広まるという事はこういった厄介事に巻き込まれることに繋がってしまうのだが。

 

「頼む!! 私と共にルーマニアに赴き、どうか妻達を守ってほしい!!」

「えっと……」

(あら……?)

 

 もう一度頭を下げ懇願するロックに、龍人が見せた表情は……困り顔であった。

 紫にとってこれは予想外の反応だ、てっきりいつものように二つ返事で厄介事に首を突っ込むとばかり思っていたのだが……。

 頭をポリポリと掻き、暫し思案顔に暮れる龍人であったが。

 

「――悪いけど、力にはなれそうもない」

 

 彼の口から出た言葉とは思えない返答が、放たれた。

 

「っ………」

「龍人……?」

 

 これには、紫も驚きを隠す事ができなかった。

 彼の御人好しは筋金入りだ、愚かしいと思えるほどに彼は他者に力を貸そうとする。

 今までだってそれで何度厄介事に首を突っ込む羽目になったのか、数え切れないほどだ。

 だというのに彼は断った、申し訳なさそうに……力になれないとロックに返答したのだ。

 

「ごめんな? わざわざここまで来てくれたっていうのに、力になれなくて」

「…………」

 

 うなだれるロック、その表情は落胆と不満の色が見えている。

 だが龍人は申し訳ない表情を浮かべながらも、決して自らの言葉を変えたりはしない。

 ……無言の間が、暫し続く。

 

「……………そうか、残念だ」

 

 ぽつりと、消沈した声で呟きロックは立ち上がる。

 

「ならばもうこの場所には用はない、すまないが外へ案内してくれるか?」

「……紫、お願いできるか?」

「え、ええ、それはいいけど……龍人、貴方は本当に」

「協力はできない、これ以上無闇に幻想郷から離れるわけにはいかないってわかったからな」

「………?」

 

 龍人の言葉に若干の違和感を覚えつつも、紫はそれ以上追及しようとはせずスキマを開く。

 彼の反応は確かに意外だったが正論だ、わざわざ面倒事に首を突っ込む意味も理由もない。

 この幻想郷を守っていかなければならない、自分達はなんでも解決する正義の味方ではないのだから。

 

「――お話中、失礼致します」

 

 と、藍が妹紅と美鈴を連れて部屋へと入ってきた。

 

「藍、どうしたの?」

「申し訳ありません紫様、実は……」

「……紫、ちょっと…いやかなり面倒な事になったわ」

 

 そう切り出したのは、妹紅だった。

 

「? 妹紅、何かあったの?」

「……幻想郷に吸血鬼が現れた、どうにか退治したけど…きっと他の吸血鬼に目を付けられたわ」

「っ………」

「な、なんだと!?」

 

 妹紅の言葉に、ロックは驚愕し目を見開かせた。

 それと同時に紫は、どうやら今回も面倒事に首を突っ込まざるおえなくなった事を理解する。

 

「――追跡されていたようね、ロック?」

「…………」

「追跡って……でも紫、ここから魂魄家までは距離があるし何よりお前のスキマで移動してきたんだぞ? なのに幻想郷の場所までついてこれるのか?」

「スキマを使えば少なからず力の残滓がその場に残るわ、おそらくその僅かな残滓を頼りに幻想郷まで来たのでしょうね」

 

 とはいえこの八雲屋敷は幻想郷内にあるとはいえ特殊な結界と紫の能力によって隠蔽されている、流石にここまでは辿り着けなかったのだろう。

 しかしそれを差し置いても、スキマを使用した際に残った残滓だけで追跡できるという吸血鬼の能力には脱帽した。

 

「す、すまない……私がお前達に干渉したばかりに………!」

「謝られても状況が変わるわけではないわ。――あなたを追ってきた吸血鬼に心当たりは?」

「おそらく…いや間違いなく、妻を殺しスカーレット家の勢力を奪おうとする者達の仕業だ……」

「…………はぁ」

 

 大きなため息が、紫の口から吐き出される。

 ため息も吐きたくなるというものだ、せっかく龍人が断ったというのに……こちらから出向かざるをえなくなったのだから。

 

「……龍人、どうやら今回の事にも首を突っ込むしかなさそうよ。このままこの問題を放っておけば吸血鬼の一族が幻想郷に攻め入って来る、それを阻止するには……私達がこの問題に干渉して解決するしかない」

「そっか……でも幻想郷のためだ、やるしかないよな」

「藍、あなたはすぐに準備を」

「畏まりました!!」

 

 部屋を出て行く藍。

 よもや未開の地である西洋まで赴くとは……なんだか紫は笑えてきてしまう。

 

「――わしも、付き合ってやろうか?」

「妖忌?」

「久しぶりに会った友も手助けをしたい、それに吸血鬼は強力な妖怪と聞く……わしの力が必要になると思うが?」

「それは助かるけど……いいの?」

「友の手助けがしたいと言ったであろう? 幽々子様の事はまだ暫く時間が掛かるという話じゃ、ならばその間に……今より更に強くならなければな」

 

 強い決意、それはかつて守れなかった幽々子を今度こそ守る為に強くなろうとする男の決意であった。

 ならばその決意を無碍にするわけにはいかない、それにこちらとて妖忌の同行は心強いのだから。

 

「わ、私も行かせてください!!」

「美鈴?」

「はーい、じゃあ私も私も」

「妹紅……って、遊びに行くわけじゃないのよ?」

「そんなの知ってるわよ、第一里を襲った吸血鬼を倒したのは私と美鈴なのよ?」

「い、いえ……私はたいしてお役に立てませんでしたが……」

「何言ってるのよ美鈴、そんなわけないじゃない。――とにかく私も行くわ、里を……慧音が平和に暮らせそうな里を襲われて、黙っているわけにはいかないの」

 

 いつも通りの口調と声色、だがその中には燃え盛るような怒りの色が見え隠れしている。

 一方の美鈴は、若干の怯えを見せながらも決して自分の言葉を覆そうとはしない迫力があった。

 ……役に立ちたいと思っているのだろう、彼女は優しく人間よりずっと人間らしい御人好しな妖怪だから。

 

「……わかりました。ですが私達が出向いている間に再び里が襲われる危険性がありますし……」

「だったら永遠亭の奴らを働かせればいいのよ、どうせいつも惰眠を貪っているんだし不老不死なんだから」

「それもそうですわね」

「そ、それでいいんですか……?」

 

 美鈴の控えめなツッコミに、紫と妹紅は何も言わずただにっこりと微笑みを返すのみ。

 それを見て、美鈴は言いようのない恐怖を覚えたのは余談である。

 

「…………すまない」

「言った筈ですわ、謝った所で状況が変わるわけではないと」

「…………」

「……あなた、吸血鬼らしくないですわね。話に聞く吸血鬼はただただ尊大で、傲慢で、それに見合う力と誇りを持つ種族だと聞いていたけれど……」

「………吸血鬼が、平和に生きる事を望んではいけないか? 妻も同じ気持ちだ、とはいえそのせいで今回のような事態を引き起こしてしまったのだから、本来は望んではいけなかったのかもしれんな」

「あら? 妖怪が平和を望む事が間違いだと誰が決めたのかしら? 私と龍人だって、人と妖怪が共に生きる幻想郷を守る為に戦っているのだから、寧ろ私はあなたの考え方の方が素敵だと思いますけどね」

 

 尤も、異端な考え方だというのは紫自身自覚しているが。

 改めて自分は妖怪らしくないと思いつつ、紫は永遠亭にスキマを開く。

 そして自分達が居ない間、里を守るように永琳達に事情を話し着々と出発の準備を整えていき。

 

「――よーし、出発ー!!」

「おー!!」

「向こうのごはん、美味しいと良いんですけど……」

「………あのね、遊びに行くわけじゃないのよ?」

 

 やや緊張感に欠けながら、紫達は吸血鬼の居るルーマニアへと旅立っていくのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
暇潰しになってくだされば幸いに思います。

二月二十一日、ロックの台詞に矛盾点が見つかったので修正しました。


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第66話 ~紅魔城~

西洋の妖怪である吸血鬼、ロック・スカーレットと共にルーマニアへと赴く事になった紫達。
彼女達の戦いが、再び幕を開こうとしていた……。


 

 

――バチバチと、焚火の火が爆ぜる。

 

「……んっ……?」

 

 その音に反応してしまったのか、妖怪の少女――八雲紫は金色の瞳を開く。

 まだ覚醒しきっていない頭のまま周囲を見渡すと、見慣れない光景が広がっていた。

 周囲に生える枯れた木々、寒々しい空気が流れる土地は彼女が生きる八雲屋敷でも幻想郷でもない。

 寒さからか彼女はぶるりと身体を震わせ、漸く頭の方も覚醒に至り……紫は自分が何処に居るのかを理解した。

 

 ここは幻想郷から遠く離れた土地、ルーマニア。

 その中部・北西部に位置するトランシルヴァニアという土地に向かっており、既に幻想郷を離れ半月という時間が流れていた。

 海を飛び、初めての土地に赴いた紫達は、僅かではあるが心身に疲れを見せ始めている。

 無理もない、この半月もの間ずっと野宿が続いているのだ、しかしそうせざるをえない状況にこの国は陥ってしまっている。

 

――この国は、紫達のような妖怪を討伐しようとする人間が多過ぎるのだ。

 

 無論東方の地でも妖怪は恐れられ、憎まれ、それを退治しようとする人間は沢山居る。

 しかしだ、このルーマニアの土地にはあまりにもそういった考えを持つ人間が多過ぎる、何の力も持たない所謂一般人と呼ばれる人間ですら果敢に妖怪に挑もうとするのだ。

 故に余計な混乱と問題を避けるため、紫達は極力人間の住む場所には近づかずに目的地に向かっていた。

 その結果、慣れない土地という事もあり他の者達――とりわけ藍と美鈴は特に疲れを見せている。

 今も寄り添うように眠っている2人からも、若干の疲れの色を感じ取る事ができた。

 半分人間である妖忌や不死人ではあるが元は人間だった妹紅も腕を組んだまま寝入っている、当初は進んで見張りを行っていたというのに……。

 

 一方、妖精であるチルノはルーマニアに来て余計に元気になっていた。

 彼女曰くこの土地は「よくわかんないけど力が貰えてる」らしい、妖精というのは西洋の生まれが多い故に彼女の力が増しているのかもしれない。

 案内役であるロックも住み慣れた土地故に疲れは見せておらず、あと1人……彼もまた、いつもの調子を崩したりは……。

 

「……龍人?」

 

 その彼――龍人の姿が見当たらず、紫は周囲を見渡すが見つからない。

 確か今の時間は彼が見張りの番をやっていた筈だ、だというのに何処へ行ってしまったのか。

 起き上がり、藍達を起こさないように静かにその場を離れ龍人を捜す紫。

 彼はすぐに見つかった、自分達が眠っていた場所からは目と鼻の先であり自分達の場所を視界に収められる地面の上に座りながら、彼は空を眺めていた。

 

「龍人」

「紫? 悪い、起こしちまったか?」

「いいえ、気にしないで」

 

 龍人の隣に座る紫、そのまま彼に身体を預ける。

 彼も紫が身体を預けやすいように体勢を変え、彼女を受け入れた。

 

「ちゃんと見張ってたぞ?」

「知っているわ。けれど傍に居なかったから心配したの」

「信用ねえのな、俺って」

「逆よ。信用しているからこそ……傍に居ないと不安になったの」

 

 女々しい言葉を放っているとはわかりつつも、紫はおもわず口に出してしまっていた。

 ……どうやら自分も、慣れない土地に半月も居るせいか心が不安になってしまっているようだ。

 精神に依存する妖怪故の弊害が、緩やかにけれど確実に紫の心を蝕んでいる。

 けれどそれは既に霧散し、暖かな安心感が紫の身体を包み込んでいた。

 彼が居る、最初の友人であり守り支えなければならない存在である龍人が傍に居てくれる。

 たったそれだけ、それだけで紫の心は豊かになった。

 

「もう寝た方がいいぞ? 明日には着くってロックが言っていたし」

「ええ、でもその前に一つ訊かせて? 結局介入する事になってしまったけど、どうして最初は断わったりしたの?」

 

 周囲に自分達以外の気配は感じられない、なので紫は疑問に思っていた事を訊く事にした。

 龍人は甘い、それも他者からすれば異常者だと言われてもおかしくはない甘さを持っている。

 困っている者を見ればたとえ誰であろうとも手を伸ばし助けようとして、今までだって何度も厄介な事態に巻き込まれ…けれど、その全てを解決し様々な勢力と協力関係を築く事ができた。

 尤も彼はそんな小難しい事は考えず、ただ「助けたいから助けた」だけなのだろうが。

 そんな困った…もとい甘い優しさを持った彼だからこそ、今回のロックの頼みも二つ返事で引き受けると思っていた。

 

 しかし彼は断わった、紫としては厄介な問題に首を突っ込まなくて済むと安堵したが…彼が断わるという選択肢を選んだのが理解できない。

 かれこれ彼とは数百年という付き合いなのだ、故に彼の心中は理解できていると思っていたのに……。

 

「あぁ、それか……」

「私は絶対に自分から首を突っ込んで厄介事に巻き込むと思っていたのに、断わったから驚いたわ」

「なんだか言葉に棘がある気がするんだが?」

「当たり前じゃないの。貴方の無鉄砲な行動で何度こちらの肝が冷えたか数えるのも億劫だわ」

 

 皮肉をたっぷり込めて、仕返しとばかりにそう言ってやると龍人は苦笑して紫から視線を逸らす。

 悪戯心がもう少し言ってやれと囁いてきたが、あまりやると可哀想なのでここまでにしておく事にした。

 

「……きっと前までの俺なら、紫の言う通り自分から首を突っ込んでたと思う。でもさ……チルノの事があって、あまり幻想郷から離れるのは良くないって思うようになったんだ」

「…………」

 

 チルノの事、というのは猛吹雪に見舞われた時の話だろう。

 確かにあの時は人と妖怪が共に暮らす幻想郷のバランスが崩れる事態にまで発展しそうになった。

 季節は春になり今でこそ表面上はチルノに対する風当たりは消え、人里で子供達と遊ぶ彼女の姿を目撃するようになっている。

 だが、それはあくまで表面上の話であり、今だって表には出ないが人間ではない存在に憎しみを抱く人間が幻想郷に居るだろう。

 

 無論彼等に非はない、あの猛吹雪で親兄弟を失った人間は数多く居る。

 けれど、あれを境に決して無視できない綻びが生まれたのも事実、このままではきっとそう遠くない未来で人と妖怪の共存の道は断たれるだろう。

 元々人と妖怪は相容れぬ存在、だというのに共存しようとすれば当然すんなりという話にはならない。

 それでも紫達はそれを望んでいる、たとえいずれ妖怪が「妖怪とは呼べない何か」に変貌したとしても……。

 

「まあ結局、首を突っ込んでるんだけどな」

「それは仕方ないわ。あそこで介入を拒めば幻想郷は吸血鬼の襲撃に遭ってしまう、この問題を解決する事が幻想郷を守る事に繋がるのだから」

「わかってるさ。ところで……俺達は結局何をすればいいんだ? 吸血鬼を全部ぶっ飛ばせばいいわけじゃないだろ?」

「当たり前でしょうに、貴方はもう少しその「なんでもぶっ飛ばして解決」っていう考え方を改めなさい」

 

 何百年経ってもこれである、今のような苦言が出てしまうのも致し方ないと言えた。

 あははーと渇いた笑いで誤魔化そうとする龍人をジト目で睨んでから、紫は説明に入った。

 

「吸血鬼には派閥があるらしいの、私達が向かっている紅魔城を拠点としているスカーレット家が束ねるゼフィーリア・スカーレット。こっちは比較的穏健よりな考えを持つ勢力よ。

 対してもう一つは他の妖怪や人間を支配して吸血鬼の国を作ろうと考えている過激派、スカーレット家当主であるゼフィーリア・スカーレットの異母姉妹であるカーミラ・スカーレット。

 現在吸血鬼は一部を除いてこの二大勢力に分類されているわ、そしてロックの話によると最近過激派の動きが活発になっているらしいけど…………龍人、聞いてる?」

「あ、うん……聞いてる聞いてる」

 

 曖昧な返事と態度を見せられ、紫はそっとため息をついた。

 彼のこの反応は明らかに聞いていないと言っているようなものだ、いや、聞いていないというより難しい話になりそうだと察して話半分に聞いていると言った方が正しいかもしれない。

 

「とにかく、私達はゼフィーリアと協力して過激派を止めようとしているの。止めないと過激派は人間に対し戦いを挑むだろうから」

「挑むだろうからって事は、まだ人間と吸血鬼の争いは起こってないのか?」

「表面上は、でしょうけどね。もう百年以上この土地では人間と吸血鬼の水面下での争いは起こっているみたいなの。

 吸血鬼は人間を野蛮で何の力もない脆弱な家畜と考え、人間は吸血鬼を自分達にとって脅威にしかならない化物と考えてる」

 

 今まで数多くの人間と吸血鬼が、命を失ったとこの旅の間でロックは紫に話してくれた。

 罪のない人間を面白半分で襲い、血を吸い眷属にしたり無作為に命を奪う吸血鬼。

 そんな吸血鬼を憎み、人間達は自分達に歩み寄ろうとする吸血鬼すら敵とみなし、それでも両者の関係を改善する為に歩み寄ろうとする吸血鬼達を無惨に殺し尽くす。

 泥沼化した両者の関係は堕ちる所まで堕ちているのだろう、だが……それでもゼフィーリアは人間との共存を考えているらしい。

 甘い、と言えばそこまでの彼女の考えに賛同する者は少なく、夫であるロックの始めとした彼女そのものに忠誠を誓う僅かな吸血鬼だけが残っているそうだ。

 

 無理もあるまい、人間を無作為に襲っているとはいえ同時に同族も殺されているのだ、それでも歩み寄ろうとしているゼフィーリアを理解できない吸血鬼が多いのは道理であった。

 しかし彼等はきっと気づいていない、このまま吸血鬼の力に心酔し人間達の領土に攻め入り勝利したとしても、待っている未来は自分達が望んだ結末には決してならないと。

 ()()()()()()()()()、力での支配は間違いだと気づいていないのだ。

 

「……姉妹で、争ってるのか」

「そうみたいね。親兄弟でも相容れないなら対立するのは人間も妖怪も変わらないみたい」

「…………悲しいな。せっかくの姉妹なのに」

 

 そう呟く龍人の悲しみを孕んだ声が、紫の耳に突き刺さる。

 義理とはいえあんなにも愛された親を失った彼からすれば、血の繋がっている姉妹で争うのが理解できないのだろう。

 

「とにかく明日には紅魔城に着く、見張りを後退するから龍人は眠りなさい」

「いいよ。紫だって疲れてるだろ? 頑丈さだけが取り柄なんだから大丈夫だって」

「疲れているのはお互い様の筈よ龍人、ここは私に甘えて―――」

 

 そこで、紫は言葉を切って立ち上がる。

 一瞬遅れて龍人も立ち上がり、すぐさま臨戦態勢に入ると同時に――何かが彼女達の前に姿を現す。

 現われたのは妖獣と呼ばれる妖怪になった獣、二足歩行で衣服も着ているが……全身が体毛に覆われており、何よりその顔立ちは人間のものではなく――狼のものであった。

 数は五、そのどれもが血走った目で紫達を餌として捉えており、口からは涎をポタポタと垂らしている。

 醜悪な光景に紫の表情が僅かに嫌悪感によって歪むが、彼女はすぐさま周囲に伏兵が居ないか探りを入れ始めた。

 万が一伏兵が居ては、近くで休んでいる藍達に危険が及ぶ、だが目の前に現われた人狼達以外の気配は感じられなかった。

 だが安心はできない、早急に目の前の障害を蹴散らして皆の元に戻った方がいいだろう。

 

「龍人、すぐに始末するわよ?」

「わかってる。――いくぞ!!」

 

 言うと同時に龍人はその場から消え――刹那、大砲じみた爆音と共に 人狼の一匹から悲鳴が吐き出される。

 他の四匹が同時に悲鳴が起こった同胞へと視線を向けると、悲鳴を上げた人狼は近くの木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んでいく光景を視界に入れた。

 そして同胞が居た場所には、拳を突き出した龍人の姿が。

 たったの一撃、それも拳による一撃で同胞を軽々と吹き飛ばした目の前の少年に、他の人狼達は狼狽する。

 

――その隙を逃す、紫ではなかった。

 

 地を蹴り人狼達との間合いを詰めながら、紫はスキマを二つ開きそこからそれぞれ右手に光魔を、左手に闇魔を握り締める。

 それと同時に刀身に妖力を込め、右の光魔を一番自分と近かった人狼の首目掛けて一閃。

 風切り音を響かせながら放たれた斬撃は、あっさりと人狼の首を切り飛ばし、それを見届ける事はせずに紫は左の闇魔を上段から振り下ろした。

 そこで漸く残りの人狼達が動きを見せたがもう襲い、闇魔による斬撃は三匹目の人狼の身体を左右に切り裂き絶命。

 

「ガルウゥッ!!」

 

 残り二匹の人狼がそれぞれ紫と龍人に向かって鋭利な牙を覗かせながら噛み砕こうと迫る。

 流石狼の機動力と言うべきか、その動きは確かに速かった。

 だが速いだけだ、かつて戦った相手――鬼や天狗、人狼族の刹那や士狼に比べれば2人にとって止まってるも同意であり。

 

――紫の二刀による斬撃が人狼の身体を両断し。

 

――龍人の拳が、最後の人狼の顔に叩き込まれ、一匹目と同じように吹き飛び見えなくなった。

 

「……早速刺客でも送られたのかしらね」

「さあな、でも弱かったな……刺客じゃなくて野良妖怪なのか?」

「弱いのではなくて貴方が強いのよ龍人。――今のも本気ではなかったでしょう?」

 

 龍気を使わず、半妖故の少ない妖力だけで圧倒してしまった。

 尤も、紫自身も本気ではなかったし彼の言う通り先程の人狼達は弱かったというのもあるが。

 しかしだ、今のが自分達を始末する為に送られた刺客であろうとそうでなかろうと、急ぎこの場を離れなければ面倒な事になる。

 そう判断した紫は、龍人と共に皆の元へと戻ろうとして――再び身構えた。

 

「……誰だ? お前」

「ふーん……雑魚を送ったとはいえ、こうもあっさり倒されるなんて思わなかった」

 

 無邪気で少し幼い声を放ちながら紫達の前に姿を現したのは、まだ年端のいかぬ少女であった。

 ワインレッドに近い濃い赤色の長髪をストレートに下ろし、赤い瞳はルビーのような輝きを見せている。

 白を基調にしたワンピースタイプの衣服に身を包んだその姿はどこぞの令嬢を思わせる気品と美しさを醸し出しているが、内側から溢れ出そうとしているのは恐ろしいまでの狂気であった。

 美しい少女だが、当然このような狂気を孕んだ存在が人間である筈もなく……背中から生えている漆黒の翼が、彼女を妖怪だと示す証となっていた。

 そして彼女はただの妖怪ではなく、鬼に匹敵する力を持つ吸血鬼でありおそらく彼女の正体は……。

 

「……カーミラ・スカーレット」

「あら? よくわたくしの名前がわかりましたね、褒めてあげましょうか?」

 

 紫の言葉に少女――吸血鬼カーミラ・スカーレットは驚き、楽しそうにくつくつと笑う。

 屈託のない無邪気な笑みだが、彼女の力と狂気を感じ取れる紫にとってその笑みはただただ恐ろしく映った。

 ひとしきり笑った後、カーミラは視線を龍人へと向け口を開く。

 

「人間でも妖怪でもない下等な半妖、だというのにあれだけの力を持つとは……どう? わたくしの眷属になる気はないかしら?」

「……それは、お前の部下になれって事か?」

「言葉には気をつけなさい半妖、わたくしが慈悲深くなければ殺しているわよ?」

 

 無邪気さを消し、カーミラは初めて明確な敵意を紫達に向けた。

 その迫力は小さな少女の見た目とは裏腹に重く、気を張っていなければ心すら融かされてしまうほどに恐ろしい。

 しかしその中でも紫と龍人は真っ向からカーミラを睨み付け、そんな彼等を見てカーミラは再び屈託のない笑みを浮かべた。

 

「あら凄い、まあこの程度で萎縮してしまっては面白くありませんからね。今日は顔見せ程度ですからここで失礼させていただきますわ、答えは再び出会った時にでも」

 

 そう言って、カーミラは紫達に背を向けてゆっくりと去っていく。

 ……がら空きの背中だが、紫達は何もできなかった。

 それだけの力をカーミラから感じられたのだ、少なくとも目の前の彼女は大妖怪クラス……自分達2人だけでは勝てない。

 

「そういえば名前を聞いていませんでしたね。半妖、あなたの名は?」

「………龍人だ」

「龍人……覚えておきますわ、そっちの女は……いずれ殺しますから名乗らなくて結構」

「紫を殺す? ――じゃあ、お前は俺の敵だな」

「…………」

 

 凄まじい形相を浮かべ、カーミラを睨み付ける龍人。

 ビリビリと空気が震えるが、当のカーミラはその空気を一身に受けても口元の笑みを消す事はなく、そのまま闇の中へと溶け込んでいった……。

 

「……あれが今回の敵の親玉か、すげえ力だな」

「ええ。――とにかくみんなの所に戻りましょう」

 

 急ぎ、皆の元へと戻っていく龍人と紫。

 だが彼等が戻る前に、全員が2人の元へと駆け寄ってくる姿が見えた。

 

「紫様、龍人様!!」

 

 2人の姿が見えた瞬間、藍は安堵の表情を浮かべながらおもわず2人に向かって抱きついてきた。

 おそらく紫達の姿が見えない事とカーミラの力を感じ取り不安になったのだろう、心配をかけてしまった藍の頭を紫は優しく撫で落ち着かせた。

 

「先程まで、ここに凶悪な妖力を持った存在が居た……何者だ?」

「カーミラ・スカーレット、私達が対峙しなきゃいけない吸血鬼よ」

「っ、やはり先程の力はカーミラのものだったか……」

「も、物凄い妖力でした……あんなのと戦わないといけないんですね……」

「美鈴、怖気づいた?」

「だ、大丈夫です! この紅美鈴、相手がどれだけの相手だろうと逃げる事はしません!!」

 

 妹紅の言葉にそう返す美鈴だが、よく見ると足が震えていた。

 それを敢えて指摘する者は居ない、それに……カーミラの力を感じ取って恐れているのは、彼女だけではないからだ。

 

――それから紫達は、すぐさま出発した。

 

 一刻も早くゼフィーリアの一派に合流しなければ、また刺客を送られる可能性がある。

 そして数時間後……まだ夜も明けない内に、紫達は紅魔城へと辿り着いた。

 周囲を鬱蒼と生い茂る森に囲まれ、その中心に聳え立つ巨大な岩山の上に紅魔城は建っていた。

 

「凄い場所に建ってますね……」

「あれなら攻め入るには上空からしかないってわけか、なかなか理に叶ってはいるが……悪趣味な城じゃな」

 

 あんまりな妖忌の言葉に、けれどその場に居た誰もが…ロックですら否定の言葉を放つ事はできなかった。

 だがまあ仕方ないと言えよう、何せ紅魔城は――ひたすらに紅かったからだ。

 外壁も、屋根も、何もかもが赤一色、夜明け前なので普通の人間では黒く見えるが人外の彼等にはしっかりと紅く見えている。

 ……敢えて言おう、悪趣味であると。

 

「……先代の、即ちゼフィーリアとカーミラの父の趣味らしい。だがゼフィーリアも「吸血鬼らしい」と気に入ってるため、あのままなんだ」

 

 少し疲れたような口調でそう話すロック、どうやら彼も紅魔城の外観には困惑しているらしい。

 だが外観に対するツッコミなど無意味でしかないので、紫達はロックと共にさっさと紅魔城へと飛んでいく。

 大きな門の前には槍と鎧で身を包んだ人狼が二名おり、彼等は紫達を見て身構えるがロックの姿を確認するやいなや構えを解いた。

 

「ロック様、一体どこに行っておられたのですか!?」

「すまない、心配を掛けた」

「いえ、我々の事はいいのですが……その、お嬢様がですね……」

「あー……すまない、どうやら心配だけでなく迷惑まで掛けてしまったようだな……」

 

 歯切れの悪い人狼の言葉に、ロックは表情を苦々しいものに変えながらため息をつく。

 一体どうしたというのだろう、後ろに控えている紫達は揃って首を傾げた。

 と、人狼達は紫達を見て警戒の色を宿しながらロックへと素性を問うた。

 

「ロック様、後ろの妖怪達は……?」

「協力者だ、信用に値する者達だ。丁重に扱ってくれ」

「協力者、でありますか……?」

(困惑している……無理もないわね)

 

 紫達は招かれざる客でしかない、特に今のように吸血鬼同士の抗争の真っ只中なら尚更だ。

 しかしロックの言葉で人狼達は何も言わず、黙って紫達への警戒心を解いた。

 そのまま紫達は紅魔城へと入り……内装まで赤一色だったので、揃って呆れたような表情を見せる。

 

「目が悪くなりそうだな……」

「我慢してくれ。だが妻の前では紅魔城の悪口は言うな、不貞腐れるから」

 

 とはいうものの、おもわず言いたくもなってしまうと紫達は思った。

 床は赤いカーペットが敷き詰められ、壁も天井も赤一色。

 壷などの美術品などはさすがに違ってはいるものの、目に優しくない城なのは間違いなかった。

 このような悪趣味な城の主、一体どんな吸血鬼なのか……。

 

 

「――ロック、このような時に一体何処をほっつき歩いておった?」

 

 

 暫く城の中を歩き、玉座の間に続く扉まで来た紫達の前に、1人の女性がその扉の前に仁王立ちをしながら待ち構えていた。

 青みがかった銀髪を長く伸ばし、透き通るようなアクアマリンの瞳は美しく…同時に冷たい色を宿している。

 深紅のドレスに身を纏い、絶世の美女と呼べるほどの容姿と相まってその姿はまさしく女王。

 内側から溢れんばかりの力と迫力を放つ女性を見て、ロックは後退りながら彼女の名を呼んだ。

 

「ぬぅ……ゼ、ゼフィー……」

「……じゃあ、あれが」

 

 この城の主、ゼフィーリア・スカーレットという事か。

 ……確かにこの力は凄まじい、吸血鬼という種族を差し引いても大妖怪クラスを超えている。

 だが何故だろうか、確かに凄まじい威圧感と迫力を感じるが……不思議と恐ろしさはない。

 寧ろ親しみさえ覚える雰囲気に、紫は怪訝に思っていると。

 

「後ろに女が数名……まさかロック、余というものが居ながら浮気を……?」

「ま、待てゼフィー! それは誤解だ!!」

「う、浮気……?」

 

 一体何を言っているのか、困惑する紫達。

 対するゼフィーリアはぴくぴくと眉を動かし、ロックに向けて憤怒の表情を浮かべている。

 それを真っ向から受けているロックは既に涙目、情けない姿ではあるがあれだけの力の持ち主に睨まれればこうもなるだろう。

 

――そして。

 

 

 

「この………浮気者がぁーーーーーーっ!!」

「待て、話を――ぶへあっ!!?」

 

 ゼフィーリアの蹴りが、ロックの顔面に突き刺さり。

 そのまま近くの壁に叩きつけられ、粉塵が舞うと共に彼の姿が消えてしまったのであった。

 

 

「……何なの、一体……」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第67話 ~獣の王との再会~

吸血鬼、カーミラ・スカーレットとの対峙はあったものの、無事に紫達は紅魔城へと辿り着く。
そこの主であるゼフィーリア・スカーレットとも出会うが、彼女の初登場はロックを蹴り飛ばすという中々にアレな登場なのであった。


 

「――まずは遠路はるばる極東の地よりよくぞ参った、歓迎するよ客人達」

「え、ええ……ありがとう」

 

 そう言って歓迎の意を示す笑みを浮かべるゼフィーリアに、紫は曖昧な返答しか返せなかった。

 しかしそれは彼女だけではない、龍人を除く他の者も同様の反応を見せており、藍と美鈴に至ってはゼフィーリアに対し怯えを含んだ表情を見せている。

 とはいえそれも仕方がないだろう、理由を知っている紫は2人の事を責める事はできなかった。

 

 では何故2人がゼフィーリアに対して怯えているのかというと……彼女の座っている玉座の傍に、ボロボロの布切れ……いや、血だるまのような状態になったロックが倒れているからだ。

 ゼフィーリアの吸血鬼を差し引いても凄まじい怪力と魔術をしこたま叩き込まれたロックは、先程からピクリとも動かない。

 さすがに死んではいないだろうが、猟奇的な姿を見てはその原因であるゼフィーリアを恐がるのはある意味必然であった。

 彼女もそこは承知しているのか、2人の視線に気づきながらも咎めたりはしない。

 

「余はゼフィーリア・スカーレット、この紅魔城の主にしてそこで寝ているロック・スカーレットの妻である吸血鬼だ」

「……八雲紫よ」

「八雲? ほぅ……お前があの八雲か?」

「私の事を知っているの?」

「無論。お前は様々な妖怪に知られているよ、万物すら操る程の力を持った危険な妖怪としてな。しかし実物はなんとも可愛らしい小娘ではないか、おまけに……処女とはな」

「っ」

 

 紫の顔が羞恥により赤く染まる。

 その羞恥を怒りに変え、紫はゼフィーリアを睨みつけるが、紅潮したままの顔で睨まれても恐ろしさは半減する事に彼女は気づかない。

 彼女の反応にゼフィーリアは心から可笑しそうに笑い、余計に紫に不快感を与えていった。

 

「……下品な女じゃな」

「そう言うな半人半霊、このような初々しい女は妖怪の中では珍しいのだぞ? からかいたくなるのは道理というものだ」

 

 とはいえ、あまりそんな事をすれば本当に機嫌を損ねてしまうだろう。

 口惜しいがここまでにしておこう、そう思ったゼフィーリアは話題を変える事にした。

 

「ところでお前達は、余の城に一体何の用で参ったのだ?」

「……そこで無様に倒れているロックが、私達にいきなり襲い掛かってきてね」

「何……?」

 

 そして紫は、今までの経緯をゼフィーリアに説明する。

 すると彼女は驚き、続いて呆れたようにため息をつきながら未だに倒れたままのロックに視線を向けた。

 

「仕方のない旦那様だ。運命というのは変えてはならぬものだというのに……」

「でもお前だって死にたいわけじゃないだろ、だったらなんでそんな風に諦めるんだ?」

「諦めているわけではない、だが運命というのは容易に変えてはならぬ世界の掟。因果を捻じ曲げる事がどれだけ罪深いか、お前はよくわかっていないな」

 

 言って、ゼフィーリアは己の能力を龍人に向けて放つ。

 龍人はそれに気づかないが……彼の運命を視て、ゼフィーリアは驚いたように目を見開かせた。

 

「なんと……そうかそうか」

「…………?」

「なんとも罪深い存在よな、龍人族の血を引いた子よ」

「えっ?」

「お前はあらゆる種族に介入し、それぞれの運命を捻じ曲げている。余からすれば……お前は許されざる大罪人だな」

「っ」

 

 ゼフィーリアの言葉を聞いて、紫は一瞬で妖力を開放させた。

 しかしゼフィーリアは動じず、尚も龍人を責めるように言葉を続けていく。

 

「お前の存在そのものが世界の歪みになっている、本来訪れるべき運命を捻じ曲げ狂わせている。しかも厄介な事に自覚まで無いとは……」

「――黙りなさい。吸血鬼」

 

 強い敵意を込めた金の瞳で、ゼフィーリアを睨む紫。

 彼女を睨むのは紫だけではない、妖忌も妹紅も、恐がっていた藍と美鈴も同様の敵意を向けていた。

 それを一身に受けても尚ゼフィーリアは余裕を見せ、同時に何処か楽しそうな笑みを口元に浮かべる。

 

「……すまんな。別にこの子を侮辱するつもりはなかった、許せ」

「…………」

「ただこの世界の運命すら歪ませようとしているのは事実、それほどの存在なのだよこの子は」

「彼はただ優しいだけよ。人間と妖怪という事なる種族が手を取り合って生きていってほしいとただ愚直なまでに信じ歩んでいるだけ」

「その優しさが厄介なものなのだ、自分や家族ではなく世界に優しさを向けるというのは……本来ならばあってはならぬ事なのだから」

 

 そう言ってゼフィーリアは玉座から立ち上がり、倒れているロックの首根っこを右手一本で掴み上げ、頬を叩いて無理矢理起こした。

 

「いつまで眠っているのだロック、客人の前で無礼であろう?」

「……だ、誰のせいだと」

「知らんな。それよりせっかくの客人なのだ、最上級のもてなしをしてやるのが道理だろう?」

「あ、ああ……」

 

 叩かれた頬を押さえながら、ロックは自らの足で立つ。

 

「皆のもの、せっかくなのでこの紅魔城を案内しよう。ついてきてくれ」

「余達自らが案内するのだ、感謝するように」

「…………」

 

 しかし紫達は動かない。

 先程龍人に向けた言葉が許せないのだろう、だが……その言葉を受けた当の龍人が真っ先にゼフィーリア達についていってしまう。

 

「ちょっと、龍人?」

「みんなも早く来いよ、何してんだ?」

「……お主、よく侮辱されて平然としていられるな」

「だって何言ってるのかよくわからねえもん。それなのに一々気にしたってしょうがないし歓迎してくれてるのは確かなんだから、みんな気にしすぎなんだよ」

「えぇー……」

 

 それはあまりにも気にしなさすぎではないのか、全員がそう思った。

 けれど同時に、当の本人がそう思っているのならば自分達が気にしても仕方ない、そう結論した紫達は漸く足を動かしゼフィーリア達についていく事に。

 その光景を見て、ゼフィーリアは誰にも気づかれないように小さく笑みを浮かべたのだった……。

 

「にしても……やっぱ赤いな、この城」

「赤は吸血鬼にとって切っても切れぬ色、血の色を連想させるこの色は余が一番好きな色でな。父上と母上も気に入っていた」

「でもさあ、目が痛くなってくるんだけど」

 

 顔をしかめる龍人、彼の言う通り紅魔城は赤一色なので目に良くないのは確かだ。

 彼の言葉に少しだけ不機嫌になるゼフィーリア、どうやらよほど彼女はこの城の色合いが気に入っているらしい。

 

「それくらい我慢しろ。しかし……余に対してよくもまあそこまでの口が叩けるものだ、余の力を感知できぬほど愚かでも未熟でもあるまいて」

「わかるさそれくらい、お前すっげえ強いよな……でも、恐い強さじゃなくて優しい強さだ。だから仲良くなりたい」

「…………甘い男よな」

 

 出会ったばかりだというのに、既に龍人は自分に対して警戒してはいない。

 そればかりか長年の友のように歩み寄ってくる、まるでこちらが何もしないと思っているかのようだ。

 あまりに甘い、甘過ぎる彼の考え方に嘲笑すら送りたくなるゼフィーリアであったが……その甘さは、割と好みでもあった。

 だからこそ、彼は鬼や天狗という種族とも歩み寄る事ができたのだろう、先程能力で彼の今までの軌跡を見てきたゼフィーリアはそう思った。

 

「……豪華な城を案内するのは構わんが、わしらが遊びに来たわけではないという事はわかっているな?」

「せっかちな男よ、もう少し人生に楽しみを見出せなければ醜く老いるだけだぞ? それにお前達がここに来たという事は、カーミラのヤツと戦うという事なのだろう? その時まではゆっくりくつろいでいればいいではないか」

「……やっぱり、戦うのか?」

「無論。ヤツは全ての生物を己の下に置き支配しようとしている、姉としてそれは止めねばならん」

「でも、姉妹なんだろ?」

 

 家族であるのならば、命の奪い合いではなくもっと他の方法で解決できないのか。

 そう問いかけようとした龍人であったが、ゼフィーリアに睨まれおもわず口を閉ざしてしまう。

 

「小僧、いい事を教えてやる。甘さだけでは何もできない、お前の甘さはこの時代において希少だが、同時に世界にとって“病”になると知れ」

「病……?」

「お前の運命を少しだけ視させてもらったが、お前はこれからも様々な者と出会い絆を育んでいく。だが……お前が持つ甘さは時として世界そのものを蝕む病と化す。

 そうなれば苦しむのはお前だけではなく、お前が守りたいと願い助けたいと思った者達すら苦しみの中に埋めていく。優しさを履き違えてしまえば……取り返しの付かぬ事態を招く事になるぞ?」

「…………」

 

 その言葉に龍人は、そして誰もが何も言えなくなってしまう。

 それほどまでに重く、しっかりと受け止めなくてはならない言葉だと理解できたからだ。

 

「たとえ妹であっても、力ずくで止めなくてはならない時もある。余とてできる事ならば力ではなく言葉でカーミラを止めたい」

 

 だが、それはもはや叶わぬ願いだ。

 ゼフィーリアは当初カーミラを力ではなく言葉で止めようとした。

 強き力こそ全てという考えを持つ妖怪だからこそ、その考えに縛られたままではいずれ自らの首を絞める事になるとゼフィーリアは理解していた。

 いずれ人間達は自分達よりも数を増やし、やがて時代は人間達を主流としたものに変わっていくだろう。

 だからこそ人間と共存し、種の平穏な未来を望んだゼフィーリアであったが……カーミラは決してそれを認める事はしなかった。

 

「なんとしてもカーミラは止めなければならない、もしヤツを野放しにすれば人間との共存の道は永遠に開かれなくなる。そうなれば……待っているのは破滅だけだ」

「…………」

「戦いなど虚しいだけ、命を奪い奪われ、憎しみだけが増大していく戦いなどな。しかし言葉だけでは足りぬ問題もある、甘さだけでは何も救えん」

「……わかってるよ、それくらい」

「ならば良し。偉そうに説教などしてしまってすまなかったな、このような辛気臭い話などここまでにして――招かれざる客を出迎えてやるか」

「えっ―――」

 

 ゼフィーリアの言葉を理解できず、キョトンとしてしまう龍人の耳に――突如として轟音が響き渡ってきた。

 驚きつつも全員が音の聞こえた方向へと向いた瞬間、閃光が奔りゼフィーリアの脳天を貫こうとして。

 

「っ」

「――遠慮のない一撃、やりおるな」

 

 その一撃を、妖忌が桜観剣の刀身で真っ向から受け止めた。

 すかさず左足のよる蹴りで奇襲を仕掛けてきた相手の腹部を蹴り飛ばした。

 まともに蹴りを受けたが、相手は空中でバランスと整え何事もなかったかのように着地。

 そして、紫達は突如現われた相手の正体を見て、驚きの声を上げた。

 

「あ、お前は……!」

「……今泉、士狼」

「人狼族か……余の城を壊すだけでは飽き足らず、余の命を容赦なく奪おうとするとはな……なかなか豪胆なヤツだ」

 

「……八雲紫、それに龍人……まさかこの地で再び会う事になるとは」

 

 己の獲物、『呪狼の槍』の切っ先をゼフィーリアに向けながら、人狼族の青年――今泉士狼は小さく舌打ちを放つ。

 彼等がゼフィーリアの傍に居る事に対して、ではなく……今の自分の一撃が、妖忌に止められなくても無駄に終わっていたと理解したからだ。

 今も隙を見せているように見えて、実際のゼフィーリアは迂闊に踏み込めない隙の無さを士狼に見せている。

 さすが吸血鬼、それも一族の中で最強と名高いゼフィーリア・スカーレットというべきか……。

 

「カーミラの命か? アイツめ……真正面では余に勝てぬと知って奇襲を仕掛けてくるとは、まあアイツらしいといえばらしいが」

「…………」

 

 状況は士狼にとって圧倒的不利、まともに戦ってもこちらの敗北は必至だ。

 そう判断した瞬間、士狼は自らが空けた大穴から外に向かって飛び出す。

 

「チィ………!」

「構わぬ、放っておけ」

「正気? 命を狙われたのに」

「確かにあの槍使いはなかなかの腕前だが……それよりも厄介なのがこちらに近づいてきている」

「えっ――――っ!!?」

 

 ぞわりと、紫の全身が震え上がった。

 感じ取った力の大きさに、紫自身の本能が一瞬で恐怖の感情を湧き上がらせたのだ。

 更にこの力は紫にとってよく知る者の力であり……龍人も感じ取ったのか、表情を険しいものに変えていった。

 

「……凄まじい“気”がこっちに来ています。な、何なんですかこれ!?」

 

 悲鳴に近い声を上げる美鈴、生物の気を感じ取れる彼女は紫達以上にその力を感じ取っているのかもしれない。

 

「ゆ、紫様……この力は?」

「ええ。――龍人、今回の問題は今までで一番厄介なものかもしれないわね」

「かもな。だけど……あいつとはいずれ戦わなきゃいけなかったんだ、何もできなかった餓鬼の頃とは違う」

 

 言って、龍人は士狼が空けた穴から外に飛び出す。

 

「龍人様!?」

「猪突猛進よな。ロック、お前は城の者を奥の広間に避難させておけ」

「わかった。――ゼフィー、無理はするな」

「…………」

「ゼフィー?」

「ん? ああ、大丈夫だ。まだここでは死なないようだから」

「ゼフィー!!」

「そう怒るな」

 

 小さく笑みを作り、ゼフィーリアも外へと出る。

 続いて紫達もそれに続きながら、妖忌は紫へと問いかけた。

 

「紫、先程から感じるこの刺すほどの力と威圧感の正体を、知っているのか?」

「ええ。私は勿論、龍人は決して忘れる事などできないでしょうね」

「い、一体この力の持ち主は何者なんですか!?」

 

 瞳に恐怖の色を宿しながら問いかける美鈴に、紫は……金の瞳に強い殺意を見せ、問いかけに答えた。

 

「この力の持ち主は、人狼族の大長であり五大妖の1人である――大神刹那よ」

 

 

 

 

 

 

「――無様だな士狼、与えられた役目も果たせずにおめおめと戻ってきたのか」

「……申し訳ありません」

 

 頭を下げ謝罪する士狼に、刹那は絶対零度の視線を向ける。

 

「使えん男だ、女の首すら取れないばかりか……餓鬼まで連れてくるとはな」

「えっ……」

 

 刹那がそう言った瞬間、士狼は背後に気配を感じ振り返る。

 そこに居たのは……真っ直ぐ自分達を睨みつけている、龍人であった。

 

「久しぶりだな小僧、前よりも良い目をするようになった」

「…………」

 

 刹那から視線を外さないまま、龍人は周囲の気配を探り始める。

 視界に入るのは刹那と士狼、そして刹那の左右に立つ強い妖力を持った二匹の人狼。

 更に自分の周りには数十匹の人狼の気配が察知できた、既に展開を始めており完全に龍人は囲まれてしまっている。

 

「お前の父親に付けられた傷が漸く癒えてくれてな、そんな中吸血鬼の小娘が全ての生物を支配しようとしている事を聞いてわざわざ西洋の地まで赴いたが……まさかお前に会えるとは思わなかった」

「…………」

「数百年振りに会ったんだ、積もる話でもしていかないか? 酒は飲めるようになっただろう、用意してやってもいいが……」

「……カーミラに、協力しているのか?」

 

 静かな声で、龍人は問う。

 

「協力? おかしな事を言う小僧だ、このオレがあんな小娘に協力などすると思うか? オレがここに来たのはオレを差し置いて支配者を気取ろうとしている小娘を始末する為だ」

「なら、ゼフィーリアを狙う理由は無い筈だ」

「理由ならある。オレにとって吸血鬼という種族が邪魔になったから始末する、充分な理由だろ?」

「…………何百年経っても、お前は変わらないんだな」

 

 大気が、うねりを上げ始める。

 ビリビリとした空気が肌を焼き、士狼はおもわずゴクリと喉を鳴らす。

 

「オレと戦うのか? 前よりマシになったとはいえあの時の龍哉より劣るお前が、オレに勝てると?」

「いつまでも俺を餓鬼扱いしてんじゃねえ。俺はお前と違って……背負うものが沢山ある、負けられないし逃げる事はできねえんだ」

「ほぅ? つまりお前にとってオレは、何も背負わず逃げてばかりの臆病者って言いたいのか?」

「違うのかよ? とうちゃんに一方的にやられて、今の今まで隠れてたくせによ」

「…………挑発も、上手くなったな」

 

 立ち上がる刹那、そして彼は己の妖力を解放する。

 瞬間、息をする事すら困難になるほどの威圧感が龍人と同胞である人狼達に襲い掛かった。

 士狼と刹那御付の人狼二匹は獣の本能からか、自ら刹那から離れる。

 だがその中でも、龍人は真っ直ぐ刹那を睨み続けていた。

 

「いいぞ小僧、オレと戦う資格はありそうだ。――貴様等は邪魔をしてきそうな奴らを相手しろ」

「――龍人!!」

 

 龍人の傍に降り立つ紫、送れて他の者も場に現われた。

 

「なんだこの犬っころは?」

「五大妖の大神刹那か……実物を見たのは初めてだな」

「こ、これが五大妖の妖力……次元が違う」

「か、身体が震える……」

 

(五大妖の大神刹那……妙だな、余が視た運命の中にこの男は……)

 

「ゼフィーリア・スカーレット、てめえの相手は後でしてやる。だから邪魔をするなよ?」

「ああ、いいぞ。龍人もそれを望んでいるようだからな」

「ちょ……何を言っているの!?」

「お前達も邪魔をするな……というより、邪魔をする余裕も無いだろうさ」

「なにを…………っ、ちっ!!」

 

 素早くスキマを開き、中から光魔と闇魔を取り出しそれぞれの手で握る紫。

 そして交差するように構えると同時に、士狼の槍が交差した刀身に叩き込まれた。

 

「……悪いが、刹那様の邪魔をさせん」

「士狼…………!」

 

 一方、妖忌達もそれぞれの戦いを始めていた。

 

「半人半霊の剣士か、人間にも妖怪にもなれぬ半端者がこの狼牙様と戦うか?」

 

 そう言うのは、刹那の右横に居た長い茶色の髪と全員に狼の毛を生やす大柄の男。

 対する妖忌は既に桜観剣と白楼剣を抜き放ち、狼牙に向かって不適な笑みを見せていた。

 

「狐に……よくわからん妖怪の小娘か、まあ……暇潰しにはなるな。

 一応名乗っておこう、我が名は剣狼。なるべく痛みを与えずに始末してやるから……抵抗するなよ?」

「随分と言ってくれる。八雲紫様と龍人様の式であるこの八雲藍をなめるな!!」

「私は小娘じゃなくて紅美鈴です、あなたなんかに負けるわけにはいかないんですよ!!」

 

 刀を持つ筋骨隆々の肉体を持つ剣狼に、藍と美鈴は同時に立ち向かう。

 一方、ゼフィーリアは参戦せずに居ようと思ったのだが、周りの人狼族がそれを許さぬとばかりに彼女に襲い掛かる。

 それを冷たく見つめながら、面倒そうに一掃しようとして――巨大な氷塊が、人狼族に降り注いだ。

 

「んん……?」

「おい、大丈夫か?」

 

 ゼフィーリアの前に現れる小さな少女、それは勝手に遊びに行っていたチルノであった。

 戦いの気配を感じた彼女は急ぎこの場へと向かい、ちょうどゼフィーリアが襲われそうになったので氷の飛礫を叩き込んだのだ。

 

「妖精にしてはたいした力だな」

「当然じゃない、でもまだまだあたいは本気出してないよ?」

「大きく出たな、では……余を守ってくれるか?」

「いいよ! あたいみたいな強いやつは誰かを守る義務があるからね!!」

「ほぅ……」

 

 面白い事を言う妖精だと、ゼフィーリアは可笑しそうに笑う。

 その笑みに気づかないチルノは、両腕を巨大な氷の腕で覆い立ち上がってくる人狼族達に向け。

 

「――さあ私が相手をしてやるわ、かかってきなさい!!」

 

 高らかと宣言し、人狼族を迎え撃ったのであった――。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
暇潰しになってくだされば幸いに思います。


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第68話 ~VS人狼族~

ゼフィーリアの命を奪おうとした士狼を追う紫達。
そこに現われた五大妖、大神刹那と再び対峙し、決着を着けるために彼女達は戦いへと赴いた……。


 

 

――何故だ、今泉士狼はただただ驚愕する。

 

 彼の槍はまさしく達人級、放たれる突きは神速の速度を持ち“貫かれた”という事実すら気づかずに相手は絶命する。

 更に彼は決して相手を侮らない、だとえ誰であっても全力で相手をするが故に慢心するという事を知らない。

 そんな強さを持っているからこそ、今泉士狼という青年は妖怪としては若くともあの大神刹那の右腕としての地位を得ている。

 彼の前では、どれだけの力を持つ妖怪であっても苦戦は免れない……筈であった。

 

「っ、く…………!」

 

 だというのに。

 彼は、初めから加減など微塵もせずに相手を倒そうと渾身の一撃を絶え間なく放っているというのに。

 相手には――八雲紫には、まったく届く気配すら見せなかった。

 彼女が持つ光魔と闇魔は確かに名刀だ、だがそれ以上に彼女の力量は桁違いのものであった。

 しかし、それは決して彼女が超一流の剣士という認識に当て嵌まるというわけでもない。

 

――彼女の動きは、“異端”であった。

 

 確かに並の妖怪よりも速く動き、剣を振るう速度も遅くはない。

 だが決して自分の槍を捌ける技量でもないのも確かであり、だというのに紫は士狼の攻撃を捌ききっていた。

 矛盾した事態に士狼の思考は困惑していき、同時に彼は紫の異端過ぎる動きに翻弄し始めている。

 彼女は、まるで空に浮かぶ雲のように掴み所がなく、それでいて不可思議なものであった。

 ()(れん)に腕押し、そんな言葉が思い浮かぶような全てを受け流す緩やかで浮いた動きで、彼女は士狼の攻撃の悉くを防いでいる。

 剣士のような獲物を持って戦う者の動きではなく、そのせいか相手の呼吸が読めず先読みも最良の動きも思いつかない。

 

「し―――!」

「うおっ………!」

 

 更に厄介なのが、まるで隙間を縫うように放たれる彼女の反撃である。

 先程も言ったように彼女の動きは異端であり、熟練の戦士故に士狼は彼女の攻撃の軌道が読めなかった。

 だからこそ彼女の反撃を獣の本能とも言うべき第六感で回避するのがやっとであり、ペースは完全に紫のものになっている。

 

(何故だ……何故こうも差が生まれる!?)

 

 最初に出会った時は、共に居た鬼の少女と同時に戦っても圧倒していた。

 しかしだ、次に戦った月では圧倒され……今もこうして、実力の差を思い知らされている。

 なんという屈辱か、けれど現実は変わらず士狼は刻一刻と自分の死が近づいてきている事を感じていた。

 

(認めるしかあるまい……八雲紫は、俺よりも強い!!)

 

 どう転んでも、自分の敗北と死は免れない。

 屈辱を自ら受け入れ、士狼はある決意を抱く。

 どうせ勝てないのならば、せめて自らの命を犠牲にしてでも紫を倒すという決意を。

 全ては自らの主である士狼の為、仕えるべき主の為に彼は命を懸けようと槍を持つ両手に力を込め。

 

「――勿体無い、ですわね」

 

 紫の、そんな呟きを耳に入れた。

 

「……なんだと?」

「勿体無い、本当に勿体無いわあなた。それだけの力と忠誠心を持ちながら……どうしてあんな男に仕えているのかしら?」

「我が主を愚弄するか!!」

「愚弄したくもなるわ。他者を自らの欲望を叶える為の駒にしか思わず、自分以外の生命を蔑ろにする。そんな男を愚弄しない理由があるかしら? あなたがどれだけ忠義を尽くしても、あの男は決してそれに応えないのではなくて?」

「…………」

 

 その言葉に、士狼はおもわず反論を返す口を閉ざしてしまった。

 ……確かにそうだ、しかしそれでも士狼は反論を返す。

 

「忠義に見返りなど不要、我が命は全て主である大神刹那様のもの……」

「ただ仕えるだけの忠義など間違いよ、主が正しい道を踏み外しそうになった時、近くに居る者がそれを止めなくては。忠誠心が高いのにあなたはそれが足りないわね」

「……刹那様の道は覇道の道、全てを踏み躙る王者の道だ!!」

「それが間違いだと、一度も思った事はないのかしら?」

「っ、黙れ!!」

 

 激昂し、紫の心臓を貫こうと突きを放つ士狼。

 それを紫は光魔の刀身の腹で受け止め、彼を睨みながら言葉を続けた。

 

「他者を踏み躙り、命を蔑ろにし、その先に残るものは何? 答えは“無”よ、何も残らないし何も残せない。あの男は生きる者の未来全てを殺す道を歩いていると、あなたにはわからないの?」

「弱者は強者によって踏み躙られるが宿命、それはこの世の理だ!!」

「それは強者の弁よ、自分勝手な妄言を世界の理に当て嵌めるなんて愚の骨頂。強き力を己の欲にしか使えないものが、世界を語るな!!」

 

 闇魔の刀身が士狼に迫る。

 咄嗟に後方に回避する士狼、だが――それで終わりだ。

 

「なっ!?」

 

 突如として、両腕を拘束される。

 間髪入れずに両足も拘束され、士狼は身体を大の字で固定させられてしまう。

 一体何が起きたのか、視線を真横に向けると……そこにはスキマが開かれ中から紫色の淡い光を放つ鎖が飛び出し士狼の両腕両足に巻きついていた。

 すぐさま力を込め脱出を試みる士狼であったが、まるで意味を成さない。

 

「無駄よ、私の妖力と封印術を組み込んだ特別製なのだから、力だけでは抜け出せないわ」

「くっ………!」

「――降伏しなさい。もう勝負は着いたわ」

「……生き恥を晒すぐらいならば殺せ、敗者の弁など何の価値も無い」

 

 そう言って、紫に向かって首を差し出す士狼。

 もはやこれまで、自らの命を犠牲にして紫を打倒するという道すら閉ざされた以上、彼に残された道は潔く死を受け入れるのみ。

 しかし、紫はそんな士狼に冷たい視線を向けながら、スキマの中に光魔と闇魔を引っ込めてしまった。

 

「何をしている、殺せ!!」

「暫くそこでおとなしくしていなさい。――敗者の弁など何の価値も無いのだから」

 

 皮肉を返し、紫はその場を離れる。

 

「――くそおおおおおおおおおっ!!!」

 

 背後から士狼の絶叫を聞きながらも、紫は決して振り向きもせず藍と美鈴の元へと向かった。

 龍人の元へとすぐに向かいたかったが、まだ未熟な藍達の方が心配だ。

 それに……今の龍人と刹那の間に割って入るのは、危険だと紫は理解している。

 そして少し離れた場所で戦っていた藍達を発見し、紫はすぐさま介入した。

 

「――あいたあっ!?」

「美鈴殿!?」

「余所見をする暇があるのか?」

 

 盛大に転がりながら吹き飛ぶ美鈴に視線を向け動きを止める藍に、剣狼が迫る。

 すぐさま我に返る藍であったが、既に剣狼の刀が藍の首を斬り飛ばそうと迫っており。

 

「っ!?」

「藍、大丈夫?」

「ゆ、紫様!?」

 

 その一撃を、割って入った紫が光魔で受け止めた。

 すかさず力ずくで押し返し、剣狼との距離を離しつつ藍を守るように移動しつつ光魔を構える紫。

 

「? 八雲紫、士狼はどうした?」

「動けなくしたわ。自力での脱出は不可能でしょうね」

「……チッ、あの餓鬼は使えんな。刹那様の右腕を自負しておきながら情けない」

「…………」

 

 無意識に、紫は光魔を握る手に力を込める。

 敗者に同情など不要、それはわかっているが……今の物言いは気に入らなかった。

 だが――紫の怒りは、前に出てきた藍と美鈴が宿す“決意”によって霧散する事になる。

 

「紫様、この男は……私達に任せてください」

「藍?」

「今の言葉は許せないんです。仲間を侮辱するような事を言うようなヤツに、負けるわけにはいきません!!」

「美鈴殿の言う通りです、それに……紫様の式として、いつまでも主に守られているままではいつまで経っても前に進む事ができないんです」

 

 だからこそ、この相手は紫の力を借りなくても勝たなければならない。

 敬愛する主の式で在り続ける為に、そして己の妖怪としての誇りの為に。

 一方の美鈴もまた、恩人である紫達の役に立ちたいという想いを胸に秘めている、それを見てしまえば紫はもう何も言えなくなり……黙って光魔をスキマに戻した。

 

「――無理はしないで」

「勿体無きお言葉です」

 

 主の優しい言葉を受け、藍は口元に隠しきれない笑みを浮かべながら、自分の力が際限なく増していくのを感じていた。

 ただの言葉、けれど藍にとって今の言葉は――どんなものよりも嬉しいものだ。

 想いは力となり、それが藍を新たな姿へと変えていく。

 

「……藍、あなた尻尾が……」

 

 驚愕を含んだ呟きを零す紫の視線が、藍の尻尾へと向けられる。

 ――増えていた。

 六尾であった筈の蘭の尻尾が、九尾へと変化したのだ。

 今まで一尾ずつしか増えていなかった尻尾が、一気に妖狐としては最高位の九尾へと変わったという事実は、紫にとって驚愕であった。

 けれど藍にとって、自身の九尾化は驚くものではなく……ただ嬉しいものだった。

 当たり前だろう、何故ならこれで紫達の役に立てるとわかってどうして嬉しく思わないというのか。

 

「藍さん、私がどうにか動きを止めますので、キツイの一発お見舞いしてやってください!!」

 

 言って、美鈴は剣狼へと向かっていく。

 その動きは真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎるものであった。

 当然、そのような単純な動きなど相手にとっては止まっているのと同意であり。

 

「莫迦が」

 

 嘲笑を送りながら、剣狼は美鈴の首を()ねようと上段から刀を振り下ろし――驚愕した。

 

「な、に……!?」

「ぐ、くぅ………」

 

 ありえない、目の前に広がる光景に剣狼は驚愕する事しかできなかった。

 ……受け止められているのだ、自分の刀が、美鈴の()()で。

 いくら妖怪の身体が頑強だとしても、今の一撃は刀身に妖力を這わせた必殺の一撃、素手で止められる道理などあるわけがない。

 刹那のような大妖怪ならばともかく、目の前のとるに足らない筈の小娘に受け止められる筈がない……そう思っている剣狼に、美鈴は反撃に移った。

 

「ふっ!!」

「っ、がっ!?」

 

 腹部に衝撃、美鈴の右の拳が剣狼の腹部に突き刺さる。

 身体をくの字に曲げる剣狼の顎に、すかさず美鈴は左手による掌底を顎に叩き込み、後ろ回し蹴りによる追い討ちで吹き飛ばした。

 だが美鈴の攻撃はまだ終わらない、彼女はすぐさま地を蹴って吹き飛んでいく剣狼へと追いつく。

 

「地龍――」

 

 左足を地面を踏み抜く勢いで叩きつけ、その勢いをそのまま右足へと集めていき。

 

「――天龍脚!!!」

 

 虹色の気に包まれた右足を、剣狼へと叩きつける―――!

 

「が、ぐ、ぅ………!?」

 

 ゴボッ、という音を響かせながら口から多量の血を吐き出し、剣狼の身体は空高くまで吹き飛んでいく。

 凄まじい破壊力を込めた美鈴必殺の一撃、地龍天龍脚をまともに受け剣狼の身体には全身がバラバラになってしまう程の衝撃が襲い掛かった。

 しかし、それでも剣狼の命までは届かず、強い憎しみの色を瞳に宿し美鈴を睨む彼は、空中でどうにかバランスを整え反撃に移ろうとしたが。

 

「――藍さん、後はお願いします」

 

 美鈴の、そんな呟きを耳に入れた瞬間。

 自分の更に真上から、剣狼は自分の命を奪おうとする気配を感じ取った。

 

「な、ん……!?」

 

 すぐさまそれに対し反応を示した剣狼であったが、もう遅い。

 突如として彼の身体は金色の輝きを見せる妖力で形成された鎖に拘束され、動きを封じられてしまう。

 間髪入れずに彼の周りを囲むように鏡のような円形状の物体が展開し、ゆっくりと回転しながら少しずつ白い輝きを放っていく。

 それらから発せられる妖力に、剣狼は自身の死がすぐそこまで迫っている事を理解し、必死に拘束を解こうとするが……。

 

「終わりだ」

「き、貴様……!」

 

 剣狼の前に現れる藍、冷たく自分を見つめる彼女に剣狼は殺意を込めた目を向ける事しかできず――藍は、己の妖力を解放し勝負を決めた。

 鏡の輝きは臨界へと達し、そこから撃ち出されるは白銀の光線。

 細い針状の光線だがその貫通力は高く、容易く剣狼の身体に小さな穴を開け……別の鏡で跳ね返りまたしても剣狼の身体に穴を開ける。

 

「ぎ、ぐ、がが……っ!?」

 

 際限なく反射を続ける光線に貫かれる剣狼、地獄の苦しみのよう痛みに晒される姿はただ痛々しく、けれどそんな彼に藍は小さな笑みを浮かべていた。

 残虐性を孕んだその笑みは、美しい容姿を持つ彼女が見せれば魅力的で……同時に、背筋が凍りつくような冷たさを魅せている。

 ……このまま、声が枯れるまで叫ばせてやりたい、命尽きるまで苦しませてやりたい。

 そんな邪悪な考えが頭に過ぎったので、藍は慌ててその考えを捨て去り勝負を決める事にした。

 

 右手を翳す、すると白銀の光線が一箇所に集まり巨大な槍のような形状に変化する。

 そこに藍は自らの狐火を付加させ、灼熱の炎を纏わせた光の槍の切っ先を剣狼へと向け、撃ち放った。

 大気を燃やしながら飛んでいく光の槍は、既に痛みと衝撃により意識を失いかけていた剣狼の腹部を易々と貫き――彼を中心に、火柱が上がった。

 

「す、すごい……」

(……これが九尾の妖狐の力、とんでもない子を式にしているのね私は)

「……はぁ、はぁ、ぁ……」

 

 ぐらりと、藍の身体が揺れ動き……彼女はそのまま頭から地面に落下していく。

 それに気づいた紫がすぐに藍の元へと飛び、なるべく衝撃が掛からないように受け止めた。

 そして藍の顔を見ると、彼女は荒い息を繰り返しながら意識を失っており、紫はそっと彼女を地面に寝かせてあげた。

 

「藍さん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ。一気に九尾へと成長した事による身体の負担と、妖力の消耗が激しかったから意識を失っただけ。美鈴はこの子の傍に居てあげてくれる?」

「わ、わかりました」

 

 立ち上がり、続いては妖忌の元へと向かおうとして……その前に紫は、そっと藍の頭を優しく撫でてあげた。

 

(藍、頑張ったわね。本当によく頑張ったわよ)

 

 惜しみのない賞賛の言葉を心の中で告げ、今度こそ紫はその場から飛び去った。

 と、右前方で爆撃めいた音が響くと同時に――巨大な氷柱が突如として聳え立ち、紫はおもわずそちらへと進路を変更した。

 その周囲へと近づくと、地面には多数の人狼達が倒れており、中には氷漬けになっている者も居た。

 そして、そんな死屍累々の中心には。

 

「何よ、もう終わりなの? やっぱり私ってば最強ね!!」

「ほぅほぅ、いやはや驚いた。予想以上の強さではないか、褒めてやるぞ妖精」

「ふふん。当然じゃない!!」

 

 得意げな顔でむんと胸を張るのは、いつの間にかこちらに合流した氷の妖精であるチルノ。

 その隣にはからからと笑うゼフィーリアの姿があり、どうやらあの氷柱は彼女の仕業らしく紫は2人の前に降り立った。

 

「チルノ」

「あ、紫! どう? 凄いでしょ!!」

「……あなた1人で、全て片付けたの?」

 

 周りの見る限り、およそ数十匹という数の人狼が確認できる。

 それをたった1人で、しかも妖精である彼女だけで倒したというのは、にわかには信じられなかった。

 

「余は守られていただけでなにもしておらぬ。こやつは既に妖精という範疇を越え掛けているようだぞ?」

「……そうみたいね」

「さあさあ、次はどいつを倒せばいいの?」

「やる気になっている所だけど、チルノは向こうに居る藍達と合流しなさい。私達が戻ってくるまでおとなしくしているのよ?」

「えー……」

「この土地に馴染んで力が増しているのはわかるけど、無闇やたらに力を使えばそれは理由なき破壊に繋がる。それは……力がある者がしてはならない禁忌の1つ。それを理解しないさ」

「う? うー……よくわかんないけど、わかった!!」

 

 理解はしてないようだが、納得はしてくれたのかチルノは紫が指差した方向へと飛んでいった。

 それを見送ってから、紫は今度こそ妖忌の居る場所へと飛び立ち、その後ろをゼフィーリアがついていく。

 

「遊んでいる場合なのかしら? あなたの力なら、あんな人狼達なんてそれこそ一瞬でしょうに」

「いや、あの妖精が余を「守ってやる」と言ったものだから、つい嬉しくてな。守られる側なんて随分久しぶりだから堪能していたのだ」

(やれやれ……)

 

 子供のような事を言うゼフィーリアに呆れていると……剣戟の音が聞こえてきた。

 まだ戦いは終わっていないようだ、とはいえ――既に勝負は見え始めているようだが。

 戦いの場へと降り立つ紫とゼフィーリア、それと同時に妖忌の桜観剣が狼牙の身体を大きく吹き飛ばした。

 

「……チッ、ぞろぞろと増えやがったが」

 

 紫達の姿を見て、舌打ちを放つ狼牙。

 しかしその口振りからして自分の不利を理解できていないようだ、余程自分の実力に自身があるのか……。

 否、単純にこの人狼は相手の力量を読む事ができない未熟者でしかない、力は他の人狼よりは優れているもののそれだけだ。

 

 だがそれでもこの人狼、狼牙の実力は決して侮れない。

 現に妖忌の身体には狼牙の爪や牙による傷が幾つも刻まれており、着物の一部も血で赤黒く染まってしまっている。

 それを見て紫は心配そうな表情を……浮かべる事はなく、寧ろ呆れたような野次を妖忌に飛ばす。

 

「あなたも(もう)(ろく)したわね、妖忌?」

「……煩いぞ紫、わしはまだまだ現役じゃ」

「ならさっさと切り伏せてしまいなさいな。そんな()()

「駄犬、だと?」

 

 紫の暴言に反応する狼牙だが、自らに向けられる殺気に気づき意識をそちらに向ける。

 その殺気は今の今まで戦っていた妖忌から放たれているものだが……狼牙は、ある違和感を覚えた。

 彼から殺気など最初から向けられていた、しかし今の彼から放たれているそれは先程とは比べ物にならないほどに重く鋭い殺気だ。

 まるで別人が放っているかのようなそれを肌で感じ取り、狼牙は無意識の内に身体を震わせる。

 

「待たせたな。ようやっと本気が出せそうじゃわい」

「何だと……? つまり、今までテメエは本気で戦ってなかったって言いたいのか?」

「いやいや、本気だったよ。しかしのう……わしは半分は人間で半分は幽霊の半人半霊、故に生まれ育った極東の地を離れてしまったせいか、思うように身体が動かなくてな」

 

 しかしもう慣れたと、桜観剣を軽く振りながら妖忌は言う。

 

「はっ、強がりならもう少しマシな事を言うんだな」

「強がりではないよ。――死にたくなければ逃げる事じゃ、尤も……逃がさんがな」

 

 瞬間、空気が変わる。

 ピリピリとした空気に全身が刺激され、狼牙は言い様のない恐怖感に苛まれ始める。

 ……逃げなくては、殺される。自らの獣の本能が死から逃れる一心で狼牙へと警鐘を鳴らした。

 だが、それでも狼牙は敵に背を向ける事を良しとせず、その本能を遮るように雄叫びを上げながら妖忌に向かっていった。

 逃げを選ばずに立ち向かってくるその胆力に感嘆しながらも、妖忌は桜観剣を鞘に収めながら左手に持ち、腰を低く落とし抜刀術の構えをとった。

 

 そして、狼牙が右手の爪で妖忌を引き裂こうと振り上げた時には、彼の視界から妖忌の姿は消えており。

 

 桜観剣を横薙ぎに振るった体勢のまま、妖忌は狼牙の後ろへと立っていた。

 

「なっ――」

 

 見えなかった。

 消えたと思った瞬間には、妖忌は狼牙の後ろで剣を振るった状態のまま立っていたのだ。

 まさしく神速、これが半人半霊という存在が見せた速さなのかと驚愕しながら――狼牙の身体は左右二つに分かれ地面に倒れる。

 

 その一撃は、あらゆる存在を一刀の元に切り伏せる神速の斬撃。

 受ければ必ず命を断つこの剣技の名は――(だん)(めい)(しゅん)(けん)(めい)(そう)(ざん)(ひらめき)」。

 自身の勝利を喜ぶ事はせず、妖忌は静かに桜観剣を鞘に収めながら。

 

「人狼族の狼牙、お主の名はこの魂魄妖忌が決して忘れぬ。誇りに思うがいい」

 

 戦った相手に、彼が与えられる最大限の賛辞を送ったのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第69話 ~VS獣の王~

刹那の部下達に勝利した紫達。
すぐさま彼女達は、大神刹那と戦っているであろう龍人の元へと急ぐのであった……。


 

 

「――しかしあの小僧、一体何処まで離れたというのだ」

 

 ぶつくさ文句を言うゼフィーリア。

 自分達の戦いが終わり、紫達は今度こそ龍人の元へと向かおうとして……彼があの場から刹那と共に大きく離れた場所に移動している事に気づいた。

 おそらく周囲の被害を考えたが故の移動だったのだろう、既に紫達はゼフィーリアが統治している土地から離れ山岳地帯へと到達しようとしていた。

 

「っ、向こうです!!」

 

 美鈴が龍人の“気”を察知し、そちらの方向を指差す。

 すぐさま紫達はその方向へと飛んでいき、刹那と対峙している龍人を見つけた。

 

(よかった……まだ生きてる……)

 

 肩で大きく息をしながらも、存命である龍人の姿を見て紫は内心安堵した。

 ……しかし、と。2人の周囲を見て誰もが言葉を詰まらせる。

 龍人と刹那、2人の周りの地面は所々が大きく抉れ、幾つもの岩山は根元付近まで粉々に砕かれていた。

 それだけのぶつかり合いが起こったのだろう、と――戦っていた2人が紫達に気づき視線を彼女達に向ける。

 

「紫、みんな……」

「……どうやら本命が来たようだな」

 

「龍人様!!」

「龍人さん、加勢します!!」

 

 彼の安全を確認した藍と美鈴が、すぐさま加勢しようと動きを見せる。

 

「待てい」

『ぐえっ!?』

 

 しかし、ゼフィーリアがそんな2人の首根っこを掴み制止してしまった。

 咳き込む2人を放置しつつ、地面に降り立つゼフィーリア。

 続いて紫達も、2人の背中を優しく擦りながらそれに続き……刹那を睨み付ける。

 

「テメエらが全員生きてるって事は、士狼達は死んだか……」

「士狼だけは生かしているわ。あの男はあなたには勿体無い程の男だから」

「はっ、甘い女だ。生かしておいて後悔する事になるぞ?

 ――まあいい、とにかく本命が来た以上……遊びは終わりにするか」

 

 瞬間、周囲に重苦しさすら感じられる突風が吹いた。

 刹那が自身の妖力を解放したのだ、その強大すぎる力は空気を震わせ紫達はおもわず一歩後ろに後退してしまう。

 相も変わらず凄まじい力だ、五大妖の名を預かる妖怪は等しく規格外であると改めて思い知らされた。

 自然に紫の頬に冷や汗が伝い、藍と美鈴に至っては刹那が開放した妖力に圧倒されたのか戦意を喪失してしまっている。

 その中で――ゼフィーリアだけは、表情を変えずに腕を組みながら刹那を見つめていた。

 

「少し待ってろゼフィーリア・スカーレット、こいつを始末したら……次はテメエだ」

「気安いな大神刹那、吸血鬼である余を殺すとは大きく出たが、それが貴様にできるのか?」

「できねえと思ってんのか? このオレを誰だと思ってやがる?」

「いやいや、貴様の力そのものは認めているよ。さすが五大妖の名を持ち、獣の王と呼ばれるだけの事はある。しかしだ――貴様にその小僧が始末できるのかと言っている」

「…………ほう?」

 

 その言葉に、ピクリと反応を示す刹那。

 額に青筋を浮かばせ、徐々に牙を露わにしながらゼフィーリアに対し確かな憤怒の表情を見せていく。

 

「それは一体どういう意味だ? オレが……そこの半妖風情に負けるとでも?」

「さて、な。しかし大神刹那よ、余にはお前の“運命”が視えぬ。故にお前の未来がどんな結果に終わるのかがわからぬのだ」

「だからオレがこいつに負けると? 笑わせるな、このオレが……この大神刹那様が、たかだか半妖風情に負けると思うか!!」

 

 激昂する刹那、その声が爆風となり紫達に襲い掛かる。

 それにどうにか耐える紫達とは対照的に、ゼフィーリアは涼しい顔でそれを受け流しつつ、言葉を返した。

 

「大神刹那、五大妖と呼ばれた男が時代の流れも見えぬのか? もはや人と妖怪の関係は変わりつつある……争い合い憎しみ合うだけでは、待っているのは互いの破滅のみ」

「だから、オレのような絶対的な力を持つ者が支配していけば良い。人間なんぞ数だけが多い脆弱で醜い下等種族だ」

「力での支配は永くは続かんよ。これからの時代に必要なのは……“共存”だ。そしてそこの小僧とここに居る八雲紫は、その道を歩み始めている」

 

 そう言って、ゼフィーリアは紫の頭をポンポンと叩く。

 

「お前は自分の気に入らぬ存在全てを敵と認識し、その力で容赦なく叩き潰す。そのような道を歩み一体何が残る?

 他者を見下し、嘲り、そしてまた敵を作る。修羅への道を歩むなど時代錯誤も甚だしいぞ?」

「黙れ。力こそオレ達妖怪の全てだ、人と共存だと? 夜の一族である吸血鬼が人間と共存などという言葉を吐き出すとはな……反吐が出やがる」

「…………」

 

 冷たい目、まるで自分以外の全ての生き物を憎み殺そうとしている目を、刹那は見せている。

 それは本当に恐ろしくて、けれど同時に……哀しい目だと、紫はそう思った。

 自分の力以外信じていない目、この世の誰も信じずに前を向き続けている目だから……とても、哀しく映っている。

 

(どうして、あんな目をまま生きていられるの……?)

 

 紫にはわからない、生まれてから龍人達に出会うまで、ずっと独りだったからこそ自分から独りになろうとする刹那の考えが理解できない。

 孤独は本当に辛くて、苦しくて、悲しみしか与えないものだ。

 龍人達に出会う事がなければ、紫はあの場で殺されていたし、たとえ生き延びたとしても……いずれ全てに絶望して自ら命を断っていただろう。

 そこまでの痛みを孤独は与えてくるのだ、だというのに刹那はあんなにも強い力を持ち士狼という忠誠心の高い部下を持っていながら孤独になろうとする。

 それが紫には理解できず……同時に、怒りさえ沸いた。

 

「――可哀想だな、お前」

 

 そんな紫の心中を代弁するかのように。

 今まで沈黙を保っていた龍人が、憐れみを込めた声で上記の言葉を口にした。

 

「……あ?」

「そんだけ強いのに、お前を主として認め命を懸ける部下だって居るのに、それを理解せずに力だけしか信じないお前は……可哀想だって言ったんだ!!」

(龍人……)

 

「テメエのような半妖風情が、オレに対して同情だと? 随分なめてくれるじゃねえか……手加減してやってるのに気づかない餓鬼のくせによおっ!!」

「…………」

「わからねえのか? テメエは手加減してるオレにすら適わねえんだ、遊んでもらってる分際で……何様だテメエ!!」

「……わかってるさ、お前がわざわざ加減して戦ってた事ぐらい……俺だって強くなったけど、まだまだ力ではお前には適わない事ぐらいわかってる」

(やっぱり……)

 

 刹那とたった1人で戦って、まだ龍人が生きている時点で予想はできていた。

 彼は龍人に対してまるで本気を出していない、ただの暇潰しとして相手をしていただけ。

 如何に龍人があの時よりも成長しているとはいえ相手はあの五大妖だ、絶対的に埋められない差というのは存在する。

 

「なら何故立ち向かう? テメエじゃ絶対にオレには勝てねえんだ、脆弱な人間の血が混じった汚い半妖が……オレに立ち向かう事自体が大罪だってわからねえのか?」

「…………」

「父親との因縁か? だとしたらお前……本当の阿呆だな」

「っ」

 

 龍人の表情が怒りのものに変わる。

 

「そんなくだらねえ事で命を落とす結果を引き寄せる、弱いテメエは一生縮こまって生きてりゃ良かったのによ。――テメエがオレに立ち向かってきたせいで、後ろの奴等は全員死ぬんだ」

「っ!?」

『ひっ!?』

 

 殺気と威圧感が、初めて紫達に向けられた。

 その冷たく纏わりつくようなそれは、瞬く間に紫達の身体を動けなくしていった。

 歯を食いしばってそれに真っ向から立ち向かう紫だが、横に居た藍と美鈴は短く悲鳴を上げその場で座り込んでしまった。

 だが無理もあるまい、もはや刹那が紫達に向けるそれは呪いと同じだ。

 ゼフィーリアは平然としているが、妖忌は紫と同じくどうにか耐えているといった状態である。

 

「やいやいやい! さっきからえらそーに何難しい話してんのよ!!」

「……ああ?」

「チ、チルノ……?」

 

 そんな中、左手で刹那を指差し何やら喚いているチルノに全員の視線が向けられる。

 このような殺気の中で平然としている事に紫は驚きを隠せず……しかし、すぐにその理由を理解する。

 簡単だ、彼女は紫や妖忌のように刹那の殺気を向けられて耐えているのではなく。

 

(そもそもあの子、刹那の殺気を殺気と認識してないのね。どんだけ鈍いのかしら……)

 

 ある意味では凄いと思うが、あれではただ刹那の怒りを買うだけだ。

 

「チルノ、下がってろ!!」

「う?」

「こいつは……俺が倒す!! 俺が越えなきゃなんない壁なんだ!!」

 

「っ、テメエは……どこまでこのオレを怒らせれば気が済むんだコラァッ!!!」

(拙い……!)

 

 紫達に向けていた殺気を更に増しながら、刹那はそれを龍人1人に向けた。

 もう遊びはここまでだ、ゼフィーリアという刹那にとって始末するべき存在が現われた以上、彼は容赦なく龍人を殺す。

 間に合うか、紫はすぐさまスキマを開こうとして。

 

「――もう、ガキのままじゃいられねえんだ。守りたいもんが沢山できた……だから、今ここでお前なんかに負けるわけにはいかねえんだよ!!」

 

 激昂する龍人の、そんな言葉を聞いて。

 紫は――彼の“変化”に気がついた。

 

「えっ――?」

「………?」

 

 おもわず、刹那も動きを止め龍人を見やる。

 ……彼の身体に、凄まじい電気エネルギーが纏わり始めた。

 だがそれは何度も見た「雷龍気」による現象だ、それだけでは今までと何も変わらない。

 しかし、今の龍人の身体には「雷龍気」による電気だけでなく――「風龍気」による風も宿っていた。

 

「雷龍気……プラス、風龍気……“(ふう)(らい)(りゅう)()”、開放!!」

「風、雷龍気……」

 

 雷龍気と風龍気は、それぞれ何度も見た事がある。

 だが、その2つを同時に発動する所を見たのは、紫も初めてであった。

 

「何かと思えばくだらねえ手品か……そんなもんでこのオレを」

「はぁ……はぁ……」

(龍人?)

 

 彼の息が上がっている事に気づき、紫は首を傾げる。

 先程まで、彼の息は上がっていなかった筈では……。

 

(まさか……)

「はぁ、はぁ……そのまま、俺を侮ってろ。刹那!!」

「ああ、そうさせてもらうぜ。所詮テメエが何をしようが、オレには届かねえんだよ!!」

「…………」

 

 体勢を低くして、右手で拳を作る龍人。

 仕掛けるつもりだ、しかし刹那は彼を馬鹿にするかのように薄く笑みを浮かべ余裕を見せていた……が。

 

――瞬間、龍人の姿がその場から消え。

 

――彼の右の拳が、刹那の顔面へと叩き込まれた。

 

「―――!!?」

「えっ!?」

「なんじゃと!?」

「ほう……」

 

 ゼフィーリアを除く誰もが、目を見開き驚きの表情を浮かべる。

 ……見えなかった、龍人の拳が刹那の身体に叩き込まれるまで。

 凄まじい、などという表現では追いつかない速度、明らかに今までの彼の動きとは違っていた。

 一体何をしたのか、紫達がそう思った時には、既に龍人は四撃もの打撃を刹那に叩きつけていた。

 

「が、ぶ……!?」

 

 しかしその一撃一撃は重く、五大妖である刹那の身体にも明確なダメージを与えていた。

 吐血し、その顔に驚愕の色を宿しながらも、刹那はすぐさま我に帰り反撃に移る。

 

「ふざけやがって……調子に乗るな!!」

 

 放たれる右手の爪による一撃、怒りを込めたそれはまさしく必殺の一撃だ。

 だが――刹那の爪は虚しく空と地面を切るだけに留まり、すぐさま龍人の蹴りが叩き込まれ、刹那は後ろの岩壁に叩きつけられてしまった。

 

「……紫、お主……見えたか?」

「…………いいえ」

 

 紫も妖忌も、今の龍人の動きにまるでついていく事ができなかった。

 それだけの速度を以て彼は動いているのだ、もはや今の彼は妖怪の中でも速度に特化した天狗よりも遥かに速い。

 

「――雷の力で肉体を活性化させ、身体に風を纏わせて更に速度を上げるか。面白い芸当よな」

「ゼフィーリア、龍人の動きが追えるの?」

「辛うじて、だがな。しかし驚いた……速度だけならば余はおろか今まで見てきたどの生物よりも速いではないか、龍人族の力とはここまでのものとはな……」

 

 そう呟くゼフィーリアの口調は、あきらかな驚愕の色が込められていた。

 あれだけの速度ならばそのまま破壊力の向上にも繋がる、事実として龍人の攻撃は確実に刹那へと届いているのだから。

 しかしだ、あの異常なまでの速度を維持したまま動くという事は……。

 

「貴様も気づいたか紫、あの小僧……あのままでは死ぬぞ」

「…………」

「あれだけの速度で動いているのだ、それだけ肉体が受ける負担と衝撃は相当なものだろう。止めた方がいいのではないか?」

「……まだ、その時ではないわ」

「???」

 

 

「ぐ、が、ぁあ……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「ぐ、こんな事が……こんな事があってたまるか!! このオレが、五大妖であるこのオレがこんな半妖なんぞに!!」

 

 今の自分の状況が信じられず、刹那は憎しみを込めた瞳で龍人を睨みつつ激昂する。

 しかしそんなもので現実は変わらず、立っていられないのか刹那は膝を地面に付けどうにか倒れる事を耐えるほどに追い詰められていた。

 

(くそったれ……このまま、やられてたまるかよ!!)

 

 五大妖としての誇りが、彼に敗北を認めさせない。

 とはいえこのままではやられるだけ、どうすればいいと目まぐるしく思考を巡らせ――彼は、ある事を思い出す。

 それと同時に彼は奇妙な動きを見せる、右手の平を大きく開き、そこに自分の血を満遍なく付着させたのだ。

 その行動に龍人はおもわず攻撃を仕掛けるのを止め、刹那はその右手を地面に付け妖力を放った。

 

 瞬間、彼の手を中心に煙が挙がり、中から人型の物体が現われた。

 どうやら口寄せの類で何かを連れてきたようだ、やがて煙が晴れていくと中に居た存在が視界に入り。

 

「えっ、士狼……?」

 

 龍人の呟き通り、現われたのは倒れたままの今泉士狼であった。

 彼の四肢を拘束していた紫のスキマは無く、それに気づいた士狼はすぐさま立ち上がって。

 

「――――え」

 

 気がついたら。

 彼の胸部辺りから、刹那の腕が生えていた。

 

「刹、那……様?」

「士狼、最期くらいオレの役に立って死にやがれ」

 

 そう言って、刹那は士狼の身体を貫いた腕を引き抜き、彼の身体から何かを取り出した。

 士狼の血によって赤黒くなったそれは、僅かに脈打つ球体であった。

 心臓とは違う、けれどその物体からは高密度の妖力が発せられていた。

 

(あれは……核!?)

 

 そう、紫の言う通りその物体は“核”と呼ばれる妖怪特有の器官の一つであった。

 妖怪が持つ妖力を生成するための器官であり、人間でいう所の心臓に値するほどの部位である。

 それを容赦なく抜き取った刹那の非道さにも驚いたが、なんと――刹那は士狼の核を口に含みそのまま飲み込んでしまった。

 

「お前……何やってんだ!!」

 

 叫び、先程と同じ速度で刹那に迫り拳を放つ龍人。

 だが――先程まで吸い込まれるように当たっていた彼の打撃を、刹那は軽々と避け後方へと跳んだ。

 

「っ――!?」

「調子に乗りやがってよ、もうテメエの攻撃なんぞ当たらねえぞ?」

「な、なんでだ……なんで仲間にこんな事をするんだ!?」

「仲間? テメエのくだらねえ価値観に当て嵌めようとすんじゃねえよ、オレ以外の人狼は等しくオレの駒であり、道具であり、消耗品だ。

 役に立って当たり前、役に立てねえのは道具以下のクズだ。だから使ってやったんだよ、役立たずの命をな」

「――――」

 

 その言葉を聞いて、龍人の心が一気に冷え込んだ。

 凄まじいまでの憤怒の表情を浮かべながらも、龍人は激昂する事無く――倒れた士狼を抱きかかえ紫達の元へと戻っていく。

 彼の行動に紫達は怪訝に思い、次に放たれた言葉で全員が驚愕する事になった。

 

「美鈴! 頼む、“気”の力でこいつを助けてくれ!!」

「えっ!?」

「ちょ、ちょっと待ってください龍人様!! 本気で言っているのですか!?」

「頼むよ!! こいつの身体、どんどん冷たくなってきてる。このままじゃ……!」

「正気か龍人、こやつは敵じゃぞ?」

「わかってる、だけど……だけどさ!!」

 

(…………龍人)

 

 悲痛な願いを放つ龍人を見て、紫は彼の心中を理解した。

 彼は理不尽な死を認めたくなくて、敵である筈の士狼を助けたいと思っている。

 それはあまりにも愚かな考えだ、命を奪おうとしてきた敵を助けるなど本来ならば認められない。

 けれど――理不尽な死を認められないのは、紫も同じであった。

 

「――美鈴、龍人の頼みを聞いてあげて」

「紫さん!?」

「紫様、何を仰るのですか!?」

「わかっているわ藍。でもこの男はまだここで死んで良い命ではないと判断したの、だから……」

「………………わかりました」

 

 そこまで言われてはと、まだ納得はできなかったものの美鈴は両手に“気”を集めると淡い光が両手に宿り、士狼の傷口へとそれを当てていく。

 傷自体はすぐに治り始めたものの、やはり“核”を奪われた影響か、士狼の生命の息吹は今にも消え去りそうになっていた。

 

「くっ……駄目です、私の“気”だけじゃ失った“核”の再生までは……」

「頑張ってくれ、美鈴!」

「わ、わかっていますけど……」

 

 しかし、先程の戦闘でもかなり“気”の力を使ってしまった。

 これ以上は美鈴の身体自体が保たない、だんだんと“気”の力が弱まっていっているのか、彼女の両手の光が小さくなっていく。

 ここまでか、美鈴が諦めの境地に達しようとした瞬間――彼女の身体の中に凄まじい生命力が流れ込んでいった。

 

「いいっ!?」

 

 そのあまりに高濃度の生命力に、悲鳴に近い声を出してしまう美鈴。

 

「何をしている。さっさと余の生命エネルギーをこの男に注がんか」

「えっ……ゼフィーリアさん!?」

 

 そこで美鈴は漸く気づく、自分に送られるこの生命力はゼフィーリアが与えている事に。

 吸血鬼としての生命エネルギーはまさしく化物と呼べるものであり、美鈴は驚きつつもすぐさま“気”へと変換させながら士狼の身体に注ぎ込んでいく。

 すると、少しずつではあるが士狼の顔色が良くなっていく、これならば何とかなるかもしれない。

 

「……ゼフィーリア、貴女」

「礼はいらんぞ八雲紫、お前達は余を守ってくれただろう? 本来ならば必要ないとはいえ実際に守ってもらった以上、それ相応の礼を尽くすのがスカーレット家当主として当然の義務。――だが、あの駄犬の始末は頼むぞ?」

 

 言って、左手で刹那を指差すゼフィーリア。

 全員が視線をそちらに向けると、刹那は――心底可笑しいと言わんばかりに、笑っていた。

 

「く――はははははははっ!!! 正気か貴様等!? 敵である存在を救おうとするなど、筋金入りの阿呆だな!!」

「……ああまで言われてお前達は黙っているのか? ほれ、いってこい」

「…………ええ、そうね」

 

 スキマを開き、光魔と闇魔を取り出す紫。

 妖忌も桜観剣を抜き取り、その切っ先を刹那へと向けた。

 

「藍、チルノ、あなた達は下がっていなさい」

「ですが紫様……」

「九尾化の反動がまだ収まっていない以上無理をしてはいけないわ、チルノは……おとなしくしておきなさい」

「大丈夫、あたいだって強いんだから!!」

「……藍、この子をお願いね」

「あ、こら藍! 放しなさいよ!!」

 

 暴れるチルノを掴み上げ、藍は紫達から離れる。

 

「オレとやろうってのか? テメエらなんぞじゃ、勝てねえってわからねえのか?」

「フン……わしは貴様が気に入らん、それに剣士として逃げるわけにはいかぬのでな」

「刹那、今度こそ…お前を、倒す!!」

 

 息も絶え絶えだというのに、龍人の闘志は微塵も衰えを見せない。

 だが、そんな彼を紫は制止する。

 

「龍人、今は私と妖忌に任せなさい」

「紫……?」

「――貴方ならわかるでしょう? その意味が」

 

 龍人に視線を向け、紫がそう告げると……龍人ははっとした表情を浮かべ、数歩後ろに下がった。

 

「やはり阿呆は阿呆だな、まあいい……少しだけ遊んでやる、もうオレの勝利は決まったからな」

「さて……それはどうかしらね?」

 

 不敵に笑う紫、それが刹那の逆鱗に触れたのか。

 

「――そんなに死にてえのなら、まずはテメエから殺してやる。紫ぃっ!!!」

 

 激昂しながら、刹那は紫目掛けて真っ直ぐ向かっていき。

 それを、紫と妖忌は真っ向から迎え撃とうと刀を構え。

 

 

――獣の王との、最後の戦いを開始した。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第70話 ~狼王喰らいし龍の鉤爪~

仲間である士狼すら自らの道具を言い放つ刹那に、紫達は怒りを爆発させる。
今度こそ決着を着けるために、彼女達は絶対的強者である五大妖へと戦いを挑んだ……。


 

 

――獣の王が駆ける。

 

 秒にも満たぬ速度で紫との間合いを詰め、右の爪を横薙ぎに払った。

 ――弾かれる。

 

「あ?」

 

 続いて左足による蹴り上げを放ち、避けられる。

 違和感、それを覚えながらも刹那は間髪入れずに攻撃を仕掛けていき。

 その全てを、弾かれ、いなされ、避けられてしまった。

 

「テメエ……!」

 

 瞳に凄まじい憤怒の色を宿しながらも、刹那の攻撃は紫には届かない。

 だが――この状況は本来ありえないものだ。

 紫は特別剣技に優れているわけでも、身体能力が優れているわけでもない。

 光魔と闇魔の刀としての能力を限界まで引き出しているとしても、五大妖である刹那の攻撃の悉くを防ぐなどありえない筈だ。

 しかし現実はそのありえない状況を作り上げている、防戦一方ながらも紫は刹那にくらい付いていた。

 

「っ」

 

 とはいえ、十手受ける度に紫の表情には目に見えて余裕が無くなっていく。

 今の彼女は全神経と妖力を防御と回避に費やしている、刹那が龍人との戦いで消耗しているという理由もあり、どうにか互角の状態に持ち込めているに過ぎない。

 けれどその均衡が崩れるのは時間の問題だ、一撃を受ける度に紫の両手からは感覚が無くなっていた。

 回避もどうにか致命傷を避ける程度まで落ちており、既に彼女の身体の至る所には決して浅くない裂傷が刻まれている。

 

「っ、ぁ……!?」

 

 刹那の右の拳を光魔で受けとめた瞬間、紫は短く悲鳴を上げた。

 それにより彼女の反応が一瞬遅れ、すかさず刹那の左の爪が彼女を薙ごうと放たれる。

 

「っっっ」

 

 両足に妖力を送り、強化した足で後ろへと跳躍する紫。

 それにより身体が二つに分かれるという事態は避けられたものの、彼女の腹部に横一文字の傷が刻まれた。

 

「ぐ、ぅぅっ!!」

 

 激痛と衝撃が紫に襲い掛かり、更に追撃を仕掛けようと刹那が動く。

 紫はまだ反応できない、そんな中――両者の間に妖忌が割って入った。

 桜観剣を右上段に構えた妖忌は、視線を迫る刹那に向け己の霊力を一気に開放する。

 

(だん)(めい)(けん)――(めい)(しん)()(こう)(ざん)!!」

 

 放たれる渾身の斬撃は、首を刎ねようと刀身に青白い輝きを見せながら風を薙ぎつつ刹那へと向かっていく。

 

「――邪魔だ!!」

「ぬぅ……!?」

 

 しかし、刹那は妖忌の斬撃を避けようともせず、真っ向から両手で受け止めてしまった。

 素手で受け止められるとは思わなかったのか、短く唸り声を上げつつも妖忌は刀を持つ手に更なる力と妖力を送っていく。

 桜観剣を受け止める刹那の両手からは血が滲み始めるが、それを見た刹那は両手に膨大な妖力を注ぎ込み――桜観剣ごと妖忌の身体を投げ飛ばしてしまった。

 

「ぬおおっ!?」

 

 砲弾のように飛んでいく妖忌の身体、どうにかブレーキを掛けようとするがそれは叶わない。

 その隙に今度こそ紫の命を奪おうと刹那は動き、けれど全力で横に跳び逃げの一手を繰り出した。

 瞬間、先程まで刹那が居た場所が()()()()()()()()()

 

「くっ………!」

「紫、テメエ……!」

 

 危なかった、もしあのまま攻めていれば刹那の全身は高圧縮されそこで勝負が着いていただろう。

 獣の本能とも呼ぶべきものが、彼に逃げの一手を選んだのはまさしく幸運であった。

 一方、金の瞳を血のように赤黒く変化させ“能力開放”状態に移行していた紫は、悔しそうに表情を歪ませる。

 

 彼女の“能力開放”は、五大妖である刹那の命すら奪えるまさしく奥の手だ。

 ギリギリまで出さなかったのも、確実に能力を刹那に当てるためであったが……彼の培ってきた直感力には届かなかった。

 だがまだ終わりではない、既に反動は激痛となって絶えず彼女の身体に襲い掛かっているが、それでも紫はこの状態を維持したまま闇魔を投げ捨て光魔を両手で握り締める。

 そして、刀身に自らの能力を付与し、紫は刹那に向かって自身が放てる最高の一撃を叩き込んだ。

 

「――(きょう)(かい)(ざん)!!!」

 

 繰り出された一撃、それは何の変哲もない斬撃であった。

 しかし、刹那は迫る斬撃を見て全身が総毛立ち、反応が一瞬遅れてしまう。

 

「ぎ―――っ!!?」

 

 防御ではなく回避を選んだ刹那であったが、反応が遅れてしまったせいか完全に避ける事はできず。

 右腕に喪失感を覚え視線をそこへ向けると……当たり前のように、自らの右腕が()()してしまっていた。

 斬られたのではない、光魔の刀身が彼の右腕に触れた瞬間、跡形も無く消滅したのだ。

 これこそ境界斬、刀身に能力開放状態の境界の力を付与した必殺剣、この一撃を受ければたちまち境界を操作され存在自体を消し飛ばされてしまう。

 

(っ、右腕しか消せなかった……!?)

 

 境界斬は掠りもすれば当てた相手の存在そのものを消滅させる事ができる、現に彼女は刀身にそれだけの能力を付与した。

 だができなかった、それは彼女の力が刹那に届かなかったわけではなく……。

 

(さっきの士狼の“核”で……!)

 

 そう、先程奪った士狼の“核”を取り込んだ恩恵により、境界斬の能力が刹那に僅かに届かなかったのだ。

 それが無ければ紫の勝利は確定していたが……この一撃で刹那を打倒できなかった瞬間、立場は完全に逆転してしまった。

 

「っ!? あ、ぐ……!」

 

 両目に耐え難い激痛が走り、堪らず光魔を地面に落とし紫は蹲ってしまった。

 能力開放および境界斬を使用した反動が、容赦なく彼女の身体に襲い掛かる。

 金色に戻った瞳からは血を流し、神経が断裂しているかのような激痛で意識が混濁しながらも、紫はどうにか顔を上げた。

 

「まさか右腕一本をテメエにやる事になるとはな……だが、これで終わりだ!!」

「紫様!!」

 

 藍の悲痛な叫びが、後ろから聞こえてくる。

 けれど紫は迫る死の恐怖にも臆する事はせず、かといって反撃しようともしない。

 何故か? 決まっている、もう自分の役目はほぼ終わっているのだ。

 

――龍人の必殺の一撃を繰り出す準備による時間稼ぎという、役目は。

 

「っ!!?」

 

 “それ”に気づいた刹那が表情を変えるが、もう遅い。

 既に後方に退がっていた龍人は、右手に高圧縮させた龍気を込め、狙いを刹那へと向けていたのだから。

 左手で右手首を掴み、腰を低く屈めながら龍人は一気に吶喊する。

 

「この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき、噛み砕く――!」

「チィ―――!」

 

 龍人の右手に集まっている力の強大さに気づいた刹那は、己のプライドすらかなぐり捨てて後退する。

 半妖風情から逃げるなど本来あってはならない、だが彼の本能が「逃げなければ死ぬ」と訴えていた。

 如何にダメージを負ったとはいえ、高い身体能力を誇る人狼族の彼ならば、逃げる事は可能であろう。

 

――しかし、刹那は決定的なミスを犯した。

 

――最初に紫達と対峙した際に、“彼女”の姿が無かった事に何の疑問も抱かなかったのだ。

 

「ぐっ!?」

 

 突如として、背後から何者かに羽交い絞めにされる刹那。

 馬鹿な、たった今まで背後に気配は感じられなかった、だというのに何故……。

 疑問を浮かべつつ、彼はすぐさま視線を後ろへと向けると。

 

「――悪いけど、逃がすわけにはいかないのよね」

 

 そう言って刹那の身体を羽交い絞めにして拘束していたのは、今の今まで姿を見せなかった藤原妹紅であった。

 ……ずっと待っていたのだ、刹那が追い詰められるまで、妹紅は紫のスキマの中で待機し続けていたのだ。

 そしてこの男の命を奪える状況に持ち込んだ瞬間、紫は刹那の背後へとスキマを開き、中で状況を見続けていた妹紅はすぐさま刹那へと取り付いた。

 

「龍人、今よ!!」

「し、正気か貴様!? このままだと貴様まで……」

「お生憎様、私は蓬莱人、つまり不死なのよ。たとえ次の一撃でバラバラにされたとしても死なないの」

「――――」

 

 死神の鎌が、刹那の首へと添えられる。

 待て、何が起きている、オレがやられるわけがない、彼の頭に浮かぶのは現実逃避じみた疑問だけであり、そして。

 

「くらえ! 奥義――」

「ま、待て!!」

 

「――龍爪撃(ドラゴンクロー)!!!」

 

 打ち込まれる一撃、その破壊力はまさしく龍の鉤爪の如し。

 龍人の拳が刹那の胸部に触れた瞬間、肉が剥げ、臓器が吹き飛び、骨が砕ける。

 

「ぬううううう………りゃあっ!!!」

 

 更に力を込め、龍人が裂帛の気合を込めた声を上げると同時に、刹那の胸部に風穴が開き、後ろで羽交い絞めにしていた妹紅の身体が上下二つに分かれた。

 そのまま弾丸のように吹き飛ぶ刹那と妹紅、数百メートル飛び続け……巨大な岩壁に叩きつけられる。

 ゴポッと多量の血を吐き出す刹那、そして彼はそのまま動かなくなった……。

 

 

 

 

 

 

 

「…………やったのか?」

 

 桜観剣を鞘に収めつつ、戻ってきた妖忌は紫に問うた。

 蹲っていた紫はどうにか立ち上がり、妖忌の言葉に返答を返す。

 

「ええ、おそらくは。妖忌は妹紅を回収してきてくれるかしら? 多分もう再生を始めているでしょうから」

「……本当に不死身なのだな」

 

 呆れるように呟き、妖忌は飛んでいった。

 紫も龍人の元へと向かおうと動き、視界が霞み立ち眩みを起こしてしまう。

 能力開放の反動に苦しみつつ、座り込み荒い息を繰り返している龍人の元へとどうにか向かった。

 

「龍人、大丈夫?」

「はぁ、はぁ…はぁ…あ、は……」

「……落ち着いて、ゆっくりと呼吸を繰り返して」

 

 彼の背中を擦り、呼吸を落ち着かせる。

 紫の言う通りにゆっくりと深呼吸を繰り返す龍人、すると少しずつではあるが呼吸が落ち着いてきた。

 やがて普通に呼吸ができるようになってから、龍人は心から安堵するような息を零した。

 

「……勝ったのか?」

「……ええ、貴方の勝利よ」

「俺だけじゃない、紫やみんなが居たからだ。――妹紅と士狼は?」

「ごほっ……私なら大丈夫よ、まだ下半身がぶっ飛んだままだけど」

 

 そう言って現われたのは、妖忌に担がれた妹紅、だったが……彼女の下半身は完全に吹き飛び脊髄が見えるというとんでもない状態になっていた。

 刹那の後ろに居たとはいえ龍爪斬をまともに受けたのだ、とはいえ上半身だけで普通に会話する彼女は人外である紫達からしても不気味に映る。

 

「妹紅、ごめんな?」

「大丈夫大丈夫、それにああでもしなきゃ逃げられてたでしょ? 確実に倒すにはあの方法しかなかったんだから」

 

 あくまでも軽い口調で妹紅は言う、口から血を吐き出しながらだが。

 それでも彼女の反応で罪悪感が薄れたのか、龍人の表情が明るいものに変わった。

 

「ところで妹紅、刹那は……」

「死んでいるよ完全に、だって胸部辺りから上全部がまるごと吹き飛んでたんだから。灰になるまで念の為燃やしておいたから心配しないで」

「そう……わかったわ」

 

 それから十数分、紫達はその場から動かず妹紅の身体が再生するのを待ってから藍達の元へと戻ると……美鈴がうつ伏せのまま倒れている姿を目にする。

 

「美鈴、どうしたんだ?」

「……あー、龍人さんですか……? だ、大丈夫です……ちょ、ちょっと“気”の力を使い過ぎちゃっただけですから……」

 

 そう言って顔を上げる美鈴だったが、彼女の頬は痩せこけまるで生気を感じられない状態になってしまっていた。

 しかし、そんな彼女の表情は誇らしげで、彼女の近くでドヤ顔を決めているゼフィーリアと……規則正しい呼吸をしながら眠っている士狼を見て、その理由を理解する。

 彼女は立派に龍人の願いに応えてくれたようだ、ありがとうと精一杯の感謝の言葉を告げる龍人に、美鈴は嬉しそうに微笑みを返した。

 

「しかし、よもやお前達だけであの大神刹那を倒すとは……予想外だったよ」

「……でも、もうボロボロだ。早く休みたい……」

「うむ。では城に戻ろうか、すぐに城の使用人達を使って美味い食事を用意してやる」

「飯!? やった!!」

 

 食事と聞いて龍人の目に輝きが戻り、そんな彼を見て全員が苦笑を浮かべる。

 なんて単純な子なのだろう、だが嬉しそうな龍人の顔を見ていると紫は自然と頬を綻ばせた。

 

(龍哉、龍人はまた強くなったわよ……)

 

 きっと、今の龍人を見れば龍哉も笑みを浮かべているだろう。

 それだけの強さを身につけたのだ、常に彼の隣に居る紫としてはやはり嬉しさが募る。

 こうして戦いは終わり、戦士達は休息を得る為にこの場を離れようとして。

 

「――このような結果に終わるとは、驚きですわ」

 

 言葉通りの驚きを含んだ第三者の声を、耳に入れた。

 全員がすぐさま声の聞こえた方へと視線を向けると、ワインレッドの長い髪を左手で弄びながら薄ら笑いを浮かべている吸血鬼――カーミラ・スカーレットの姿があった。

 

「なんだカーミラ、決着を着けに来たのか?」

 

 紫達が身構えるより早く、ゼフィーリアは彼女達を守るように前に出てカーミラと対峙する。

 

「いいえ、弱っているお姉さまを屈服させた所で面白くもなんともありませんもの。私がここに来たのは……彼らを賞賛する為です」

「賞賛?」

 

 すると、カーミラは紫達……正確には龍人へと視線を向け、恭しく頭を下げ口を開いた。

 

「お見事でした。まさかお姉様の力を借りずに複数人とはいえあの大神刹那を打倒するとは、まったくの予想外でした。あなた方の力には敬意を称しますわ」

「……それで、私達の元に来た本当の目的は何なのかしら?」

 

 問いながら、紫はスキマを開こうと能力をしようとするが、能力を使おうとすると瞳に激痛が走り能力を使う事ができない。

 先程の能力開放と境界斬の反動は、今の紫から戦う力を完全に奪ってしまっていた。

 ……しかしそうなると、こちらの状況はあまりにも不利なものだ。

 自分も龍人も戦えず、他の者達も満身創痍、ゼフィーリアも士狼を助ける為にかなりの体力を消耗しており、対するカーミラは全快の状態だ。

 まともに戦えばこちらの敗北は必至、かといって諦めるわけにもいかず紫は瞳の痛みに耐えながら全力でこの状況を打破する為に思考を巡らせる。

 

「目的は先程も言った通りあなた方を賞賛するため、そしてもう一つは……彼を、私の眷属にしたいと思ってね」

 

 そう言ってカーミラは、視線を龍人へと向ける。

 その赤い瞳には捕食者としての色を宿し、それに気づいた龍人は嫌悪感から僅かに表情を強張らせた。

 

「人間嫌いのお前が、人間の血を引く半妖であるこの小僧を眷属にしたいとは……どういう風の吹き回しだ?」

「お姉様は浅はかですわね。既に彼の力は半妖などという範疇をとうに越えています、私の野望の為……私の力になるであろう者を眷族にしたいと思うのは、当然ではなくて?

 話を戻しましょうか。それで、どうです? 私に忠誠を誓うというのならば……そこに居る者達の命は助けてあげましょう」

 

 視線を再び龍人に戻し、カーミラは問うた。

 だがそれは決して彼に選択肢を選ばせるというものではなく、彼の答えがどうであろうともカーミラが考えを変えないというのは誰もが理解できた。

 そんな中、問いかけられた龍人は暫し沈黙を貫き……やがて、カーミラに向かって小さく笑みを作り答えを返す。

 

「言ったろ? ――紫の命を奪おうとするお前は俺の敵だ、そんなヤツの言いなりになるつもりはない」

 

 疲労困憊といった様子を隠す事もできないほどの弱りきっていながらも、龍人が放ったのは拒絶の言葉であった。

 それに対し、カーミラは一瞬だけその表情を怒りのものへと変えたが……すぐに、恍惚な色を孕んだ歓喜の笑みを浮かべる。

 

「……その目、いいですわ。半妖とは思えぬ強き意志とそこの女に対する狂おしいまでの愛情が感じられる。――その目を、私だけに向けるように調教した時の悦びは一体どれほどのものになるのでしょうね!!」

 

 頬を赤らめ、カーミラはゾクゾクと身体を震わせる。

 その狂気に満ちた様子は紫達に恐怖心を抱かせ、それによりますますカーミラの笑みは深まっていった。

 

「この私にここまでの執着を抱かせるなんて本当に罪作りな子ですわ、とはいえ……今はおとなしく退いておきましょう。どうせなら万全の状態で決着を着けたいですから」

「いいのか? 今ここで余達を始末しておけば良かったと後悔する事になるかもしれんぞ?」

「その時はその時、それもまた一興でしょう。吸血鬼の…いいえ妖怪としての本質を見失ったお姉様には、理解できないでしょうけど」

「……その本質を変えねばならない時代がやってきたのだ、だからこそ父上も母上も」

 

「――お父様とお母様の話題は出さないでいただきません? 今ここで殺しますわよ?」

 

 瞬間、何処か無邪気すら感じられたカーミラの雰囲気が一変する。

 凄まじい力と負の感情がそのままプレッシャーとなって紫達に襲い掛かり、呼吸すら困難になるほどの重苦しい空気が漂い始めた。

 

「……私とした事が、まだまだ子供という事でしょうか」

「用が済んだのなら消えろカーミラ、勝利の余韻に浸る邪魔なのだよ貴様は」

「ええ、ええ、わかっておりますわ。――龍人、ごきげんよう?」

 

 にっこりとあどけなさを残す笑みを龍人に見せてから、カーミラは霧散するようにその場から消えた。

 それと同時に先程から漂っていた重苦しい空気も消え去り、紫達は漸く通常の呼吸ができるようになった。

 

「……とんでもない女に目を付けられたのう、龍人」

「どの道戦わないといけないんだ、どうでもいい事だよ妖忌。それより早く飯食って休みたいぜ……」

「そうだな。では戻ろうとするか」

 

 ゼフィーリアの言葉に全員が頷きを返し、紅魔城へと向けて移動を開始する。

 紫もその後に続こうとして、身体をふらつかせてしまい……彼女の手を、龍人が優しく握り締めた。

 彼の行動に驚きつつも、暖かな手の温もりが自然と紫の疲労を癒して彼女の表情が少しだけ緩む。

 視線を龍人へと向けると彼も紫へと視線を向け、そのままどちらからともなく微笑みを浮かべ合った。

 

「おい、じゃれ合うのなら帰ってからやったらどうだ?」

「う、煩いわね……」

 

 ゼフィーリアのからかいの言葉に悪態を吐きつつ、紫は僅かに頬を赤らめる。

 けれど彼女は決して龍人と繋いだ手を解こうとはせず、彼が生きているのを確認するかのようにその温もりを感じ続けていた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第71話 ~悪魔に忍び寄る闇~

刹那との戦いを終えた紫達は、紅魔城へと戻り一時の休息を甘受しようとしていたのだが……。


 

 

 

「――さあ、遠慮せずに食うがよい」

『おおー……っ!!』

 

 目を輝かせ、感激の声を上げる龍人と美鈴。

 紫達も2人のような反応は見せなかったものの、目の前に広がる光景に驚きを見せていた。

 

 大神刹那との戦いが終わり、紫達はゼフィーリアと共に紅魔城へと戻ってきた。

 するとゼフィーリアはすぐさま使用人である低級悪魔達に宴の用意をするように指示、そして一時間も待たずに紫達は大広間へと集まり……そこに用意された巨大なテーブルの上にこれでもかと用意された料理の山を見て、上記の反応へと見せた。

 高級感漂う器に盛られた料理の数々は美しく、光り輝いて見える。

 希少な食材を惜しげもなく使っているのだろう、西洋の知識にある程度詳しい紫にはそれがすぐにわかった。

 

 各々用意された席に座り、使用人達が紫達にルビーのように輝くワインを提供する。

 ゼフィーリアも同じように用意されたワインの入ったグラスを摘み、乾杯の言葉を放とうとしたのだが……その時には、既に龍人と美鈴は目の前に広がる料理を我先にと食べ始めてしまっていた。

 それもお世辞にも行儀良いとは言えない食べ方でだ、ドカ食いという表現が一番しっくりくるその食べ方に紫や一部の使用人達は閉口する。

 

「品性の欠片もない食べ方よな……まあ、お前達は客人であるから特別に許してやるが」

「んぐっ……だってさもぐもぐ、腹減ってんだもんむしゃむしゃ……」

「そうですもぐもぐ……こちとら“気”を消耗し過ぎて倒れそうなんですからがつがつ……」

「食べるか喋るかどっちかにせんか。……もうよい、この2人は放っておくとして……八雲紫とその仲間達よ、改めて礼を言わせてもらおう。余の命を救ってくれた事に感謝する」

 

 そう言って、ゼフィーリアは気品溢れる笑みを紫に向けた。

 

「感謝される謂れは無いわ。こちらも今回の件に介入しなければならない事情があるもの」

 

 対する紫も同様に笑みを返しつつ、しっかりと皮肉を述べる。

 その態度にゼフィーリアは僅かに眉を潜めるも、すぐさま苦笑を浮かべグラスに入ったワインを一気に飲み干した。

 

「無論ロックの仕出かした事は余の責でもある。当然それなりの謝礼は勿論のこと、お前達の守るべき土地に今後一切侵攻しない事を誓おう」

「…………」

 

 ばつの悪そうな顔を見せるロック、そんな彼を横目で見つつゼフィーリアは軽く彼を小突きつつ言葉を続ける。

 

「しかし余達はともかくとして、愚妹であるカーミラはそうはいかん」

「わかっているわ。だからこそカーミラ討伐に協力させてもらおうと思っているの」

「良いのか? これ以上の介入はせずとも……」

「あなたがカーミラに敗れればいずれ幻想郷が狙われるのは明白、だったら心配の芽は完全に摘み取っておきたいと思うのは当然ではなくて?」

「……成る程、それは道理よな」

 

 紫の言葉に納得するゼフィーリア、尤も……紫が彼女達に協力するのはそれだけが理由ではない。

 吸血鬼という妖怪としては上位に位置する存在、そしてゼフィーリアはそんな吸血鬼の中でも抜きん出た力とカリスマ性を持ち合わせている。

 しかも彼女は妖怪にしては珍しい穏健な考え方を持つ、ここで協力関係を築き上げれば後々役に立つと紫はそう判断したのだ。

 強い力はそのまま抑止力へと繋がり、そしてそれはそのまま自分と彼の夢の到着点へと近づく原動力になる。

 

 それと――これは紫自身の個人的な意志なのだが。

 目の前の彼女を、ゼフィーリア・スカーレットを死の運命から遠ざけたいと思っている。

 彼女の事を個人的に気に入ったというのもあるが……何よりも、彼女を心から愛する夫が居るという理由が、紫がゼフィーリアの助けになりたいと思った理由であった。

 同じ女として、愛する異性が居る立場であるゼフィーリアを、助けたいと思ったのだ。

 勿論紫はこの心中を誰かに話すつもりはない、どうせ色々とからかわれるとわかっているから。

 

「うめーなこれ、もっとくれ!!」

「こらチルノ、もう少し言葉遣いをなんとかしなさい。それともっと行儀良く食べなさいっての」

「細かい事気にするなよ、もこたん」

「もこたん言うな!!」

 

「……西洋の料理は初めて食べるが、どの味付けも不思議なものだな」

「じゃが美味じゃ。……幽々子様も気に入るかもしれん」

「えっ、お前亡霊になった幽々子様に料理を食べさせる気なのか?」

「亡霊といっても閻魔様の話では肉体があるというし、生前の幽々子様はな……こっちが引くぐらいよく食べる御方だったんじゃよ……」

「…………なんか、苦労してたんだなお前」

 

 他の者達も、各々楽しみながら食事をしている。

 あれだけの戦いが終わった後なのだ、まだ全てが終わったわけではないが紫達は束の間の休息の時間を楽しんでいた……。

 

「――ところで、あの男はこれからどうする気だ?」

「んっ? んぐっ……誰の事言ってんだ?」

「お前達が連れ帰ってきたウェアウルフ――そちらでは人狼族だったか? とにかく連れ帰ってきたあの狼男はどうするのだと訊いているのだ」

「…………」

 

 結局、紫達は人狼族の青年――今泉士狼をこの紅魔城へと連れてきてしまった。

 今は客室の一つを貸してもらいそこで眠らせているが、当然このまま放置などというわけにはいかない。

 

 しかし、だ……紫としては、このままあの男を始末した方が良いと考えている。

 あの時は龍人の気迫と真摯な願いに圧され、美鈴達に協力してもらったが……あの男は紫達の敵である事に変わりはない。

 龍人は決して納得してくれないだろう、助けた命を奪うなどという行為は彼にとって許されないものだ。

 だが今泉士狼は自分達の敵である以上、生かしておけば必ずこちらの首を絞めかねない。

 

 ……やはりこのまま生かしてはおけない、そう結論付けた紫は再び食事に夢中になっている龍人へと声を掛けようとして、席を立った。

 そして身体を入口へと向けると、龍人と藍も自分と同様に席を立ち入口へと視線を向けていた。

 妖忌と妹紅も食事の手を止め、立ち上がらないにしろ視線を入口へと向け、残るチルノは何も気づいていないが空気が変わった事を感じ取ったのか困惑した表情を浮かべている。

 大広間の空気が、緊迫したものへと変わっていく中――入口の扉が勢い良く開かれ。

 

「――勝利の余韻に浸っている勝者に対し、随分と無粋な敗者よな。そう思わんか? 人狼」

 

 ゼフィーリアが、大広間に現われた男――今泉士狼に対し、皮肉と怒りを混ぜた言葉を放つ。

 対する士狼は何も言わず、大広間に来る途中で回収した『呪狼の槍』の切っ先を、龍人へと向けながら。

 

「……刹那様は、貴様が殺したのか?」

 

 彼に対して、静かに問いかけた――

 

 

 

 

 紅魔城からおよそ四十キロ程離れた森の中に、血のように赤い外観を持つ館があった。

 館の名は『紅魔館』、その館の現主であるカーミラ・スカーレットはテラスにて優雅に月を眺めていた。

 右手をテーブルの上に置かれたグラスへと伸ばし、中に入っている自分の髪と同じ赤い液体で喉を潤す。

 その姿はまさに令嬢と呼ばれる気品と美しさを醸し出しているものの、彼女の周りにはまるでゴミのように転がる“人間”の死骸があり第三者から見れば恐ろしいの一言に尽きる。

 どの者もまるでミイラのように渇き、血の一滴も残されてはいない。

 

 だがその醜悪な骸達を視界の隅に収めたカーミラは、大きくため息を吐く。

 この事切れた人間達の血は全てカーミラによって無慈悲に吸われたものではあるが、既に彼女にとってこの人間達の骸は自身の目を腐らせる汚物でしかなかった。

 身勝手で傲慢な考えを躊躇いなく抱きつつ、カーミラはパチンッと指を鳴らす。

 瞬間、彼女の前に1人の若き吸血鬼の青年が姿を現した。

 

 金糸の短い髪と深紅の瞳、やや華奢な見た目ながらも全身からは若さ溢れる生気を感じさせられる。

 彼の名はクロノ、カーミラに忠誠を誓う吸血鬼の1人であり……カーミラにとって、他とは違う特別な関係を持つ青年である。

 

「お嬢様、お呼びでしょうか?」

「ええ。ここに転がっている骸を片付けてくれるかしら?」

 

 畏まりました、恭しく一礼をした後、青年は右手に魔力を込める。

 すると青年の手が青白い光に包まれ始め、やがてそれは小さな球状へと変化し、青年はそれを骸達に軽く投げつけた。

 そしてその光球が骸に触れた瞬間――青白い炎が骸を包み、あっという間に灰へと変化させ消し去ってしまった。

 青年の手際の良さを褒めるように軽く拍手するカーミラ、それを見た青年は少し気恥ずかしそうに、けれど誇らしげな笑みを返す。

 

「ありがとうクロノ、助かりましたわ」

「いえ、お嬢様の命を果たしただけの事です。たいした事はしておりません」

 

 柔らかな表情を浮かべながら、上記の言葉を口にするクロノ。

 しかし、何故かカーミラはそんな彼を見て不満そうに唇を尖らせた。

 怒らせてしまったのか、彼女の反応を見て内心慌てるクロノであったが……突然カーミラに腕を掴まれ引き寄せられてしまう。

 

「クロノ、今はあなたと私の2人っきり。その『お嬢様』というのはやめてくださらない?」

「あ、で、ですが……」

「あなたはいずれ私の伴侶になる男、今は戦いのゴタゴタがありますが……私がお姉様を討ち取り紅魔城の主となれば、貴方を夫として迎える事ができますわ」

「…………」

「? クロノ、その顔はなんですの? まさか……私の夫になるのは」

「いえ、それは実に余る光栄だと思っています!! そうではなくて、その……お嬢様は、本当にゼフィーリア様を」

「討ちますわ。あの女は吸血鬼の恥晒し、生かしておく価値などありません」

 

 はっきりと、怒りすら含んだ声色でカーミラは言う。

 その姿に、ロックは何処か悲しげな視線をカーミラへと向けた。

 

「……ゼフィーリア様はお嬢様の唯一無二の家族ではありませんか、姉妹同士で争うなど“先代”様のその奥方様が」

「クロノ、お父様とお母様の話はしないでと前に言いましたよね?」

「っ、も、申し訳ありません!!」

 

 一瞬でカーミラの纏う空気が変わった事を感じ取り、クロノは掠れた声で謝罪の言葉を放ち頭を下げた。

 今の彼女は先程までの穏やかな気質など微塵も感じられず、吸血鬼としての圧倒的な威圧感と畏怖を放っている。

 ……迂闊であった、彼女に亡き先代のスカーレット家の当主、即ちカーミラとゼフィーリアの両親の話をするのはご法度である事をクロノは思い出す。

 カーミラの威圧感でクロノの身体が震えていく、それほどまでの今の彼女は恐ろしい怪物へと変貌していた。

 

「――とにかくクロノ、私はお姉様を討ち倒し紅魔城の主になります。ついてきてくださいますね?」

「…………無論です。私はお嬢様と共にどこまでも歩むと誓っているのですから」

「ありがとう、クロノ」

 

 嬉しそうに微笑み、カーミラはそっとクロノの頬に口付けを落とす。

 甘美な口付けを受け、クロノは先程までの恐怖を霧散させながら、カーミラと見つめ合う。

 カーミラもまた、まるで童女のような無垢な笑みをクロノに向け、ありのままの自分を彼の前に曝け出していた。

 いずれは、自らの姉であるゼフィーリアを打倒し、スカーレットの当主として全てを跪かせる覇者へと道を歩むと決めたカーミラであったが、今だけは目の前の青年との甘い時間を愉しんでいく。

 誇り高い吸血鬼としてではなく、カーミラとして過ごせるこの一時は、彼女に確かな安らぎを与えていたが。

 

「――あらあら、可愛らしいものね」

 

 その一時を邪魔しようとする無粋な存在が、突如として2人の前に姿を現した。

 

「っ、何者だ!?」

 

 カーミラを守るように移動しつつ、クロノは突如として自分達の前に現れた女性を睨み付ける。

 吸血鬼の殺気を真っ向から受けながらも、赤髪の女性は不敵な笑みを崩さぬまま背中に生えた大きな白い翼を広げつつ、自らの名を明かした。

 

「はじめましてカーミラ・スカーレット、ワタシはアリア・ミスナ・エストプラムと申しますわ」

 

 そう言って、アリアはカーミラに向けて恭しく頭を下げた。

 けれどその態度にはカーミラに対して微塵も敬意を払ったものではなく、当然それに気づかない筈がないカーミラは眉間に皺を寄せ額に青筋を浮かべる。

 

「……自殺志願者ですの? だとするなら、すぐに消して差し上げますわ」

 

 右手を空に翳すカーミラ、すると一瞬で彼女の右手に刀身が炎で形成された巨大な剣が姿を現した。

 その剣から溢れ出す魔力はただ凄まじく、けれどアリアは浮かべた笑みを消そうとはしない。

 

「それがスカーレット家に伝わる魔界の宝具である“レーヴァテイン”ですか。魔界の業火で作られた実体の無い魔剣……成る程、さすがと言っておきますわ」

「もう喋らなくて結構よ、お前のその胡散臭い笑みと声を聞くだけで先程までの甘美な時間が穢されていくような気がしてなりませんの。――クロノ、少し下がってくださいな」

「りょ、了解しました」

 

 急ぎその場から離れるクロノ、このまま場に居れば間違いなく巻き込まれるからだ。

 カーミラが持つ炎の魔剣“レーヴァテイン”は、形こそ剣に似ているが実際は武器というよりも“兵器”と呼ぶに相応しい力を持っている。

 一振りであらゆるものを燃やし尽くし、消し炭にする獄炎の剣であるレーヴァテインは高い再生能力を持つ吸血鬼の肉体すら容易く灰燼に帰す。

 並の妖怪ならば掠るだけで即死、大妖怪と呼ばれる存在であってもまともに受ければその身を文字通りその熱によって消されてしまうだろう。

 故にカーミラがレーヴァテインを用いる時は、何人たりとも彼女の傍に居てはならない。

 

 一方のアリアはというと、今更ながらにカーミラに恐れをなしたのか一向に動かない。

 諦めたか? 否、彼女はカーミラが臨戦態勢に入っているというのに、肩を竦めるだけで構えもしていなかった。

 その態度が気に食わず、ギリと歯を強く噛み締めながらカーミラはレーヴァテインに更なる魔力を込めていく。

 それに比例してレーヴァレインの炎は勢いを増していき、そこで漸くアリアは表情を変え……一瞬で大太刀すら超える長さを持つ長剣を右手に持ち切っ先を彼女に向けた。

 

「さすがの魔力ですわね、“あの子”が持っていた時よりも遥かに強い」

「…………?」

「ですがどんなに強い力の持ち主であろうとも、未来は変わりませんわ。

 カーミラ・スカーレット……本来ならばあなたは姉であるゼフィーリア・スカーレットに破れそこに居る恋人のクロノと共にこの世界から消える、ならば……今ここで消えた所で違いはないでしょう?」

「預言者気取りかしら? 本当に忌々しい女……」

「ワタシにそのような能力はありませんわ。ただ()()()()()()()()()()()()()()()()。フフ……ワタシが恐いのかしら」

「もう喋らないで頂戴。耳障りなのよ!!!」

 

 激昂し、アリアに向かっていくカーミラ。

 それをつまらなげに見ながら、アリアは自らが持つ神剣『バハムーティア』を握る手に力を込め、真っ向から彼女を迎え撃った――

 

 

 

 

「――刹那様は、貴様が殺したのか?」

「…………」

 

 呪狼の槍が、龍人の心臓を貫こうと向けられる。

 問いに答えねばその身体を貫く、士狼の表情はそう物語っていた。

 

「龍人、下がれ!!」

「龍人様、ここは我々にお任せを!!」

 

 すぐさま妖忌と藍が動きを見せ、龍人を守るように士狼の前に出る。

 既に妖忌は桜観剣を抜き取っており、藍も両手に狐火を展開していた。

 しかし――龍人はそんな2人の肩に手を置き、自分から再び士狼の前に出てしまった。

 

「龍人様!?」

「おい、何をしておる龍人!!」

「大丈夫だ妖忌、藍、大丈夫だから」

 

 安心させるようにそう告げてから、龍人は再び視線を士狼に向ける。

 ……強い敵意と、憎しみが渦巻いている視線が自分を貫いていた。

 それのなんと恐ろしく……悲しい事か。

 龍人は一度瞳を閉じてから……士狼の問いに答えを返す。

 

「……ああ。俺が刹那の命を奪った、俺1人で勝ったわけじゃないけどあいつの命を奪う切欠を作ったのは俺だ」

「っ」

 

 士狼の瞳に、先程以上の憎しみが湧き上がっていく。

 それを感じ取ったのだろう、他の者達がすぐさま龍人を庇おうと動きを見せ――その全員の目の前に、紫のスキマが展開された。

 

「紫様!?」

「おい紫、何のつもりじゃ!?」

「……龍人の話はまだ終わっていないわ、一先ずみんな動かないで」

 

 視線を龍人と士狼から外さないまま、紫は全員に動くなと命じる。

 当然誰もが紫の態度に難色を示すものの、結局いつでも動けるように身構えながらも事の成り行きを見つめる事にした。

 

「…………やはり、刹那様はお前達に敗れたのか」

「……俺が憎いか? 殺してやりたいか?」

「……いや、弱肉強食のこの世界で敗者に待つのは死だけだ。刹那様はお前達に敗れた、ただそれだけの……」

「嘘だな。お前の目はあいつの命を奪った俺に復讐してやりたいって目だ」

「…………」

 

 士狼は応えない、だがその無言が龍人の言葉を肯定している証であった。

 そんな彼を見て何を思ったのか、龍人は口を開き――場に居た全員が驚愕する言葉を言い放った。

 

「――俺を殺してやりたいのなら、仇を討ちたいのなら……好きにしろ」

 

「なっ――」

「龍人様!?」

「何を言っておる龍人! 正気か!?」

「ああ、正気だ。でも勘違いするなよ? 好きにしろと言ったけど……抵抗しないとは言っていない」

「…………何?」

 

「俺だって命は惜しい、それに何より……俺が死んだら悲しんでくれる人達が居るんだ。それなのに俺の勝手な都合で死ぬわけにはいかないさ。

 でもだからってお前の気持ちも無碍にしたくない、だから――今は傷を癒して、もっと腕を上げて俺の命を奪いに来い」

「――――」

 

 目を見開き、士狼はその場で固まってしまった。

 当たり前だ、今の龍人の言葉はそれだけ彼にとって驚愕に値するものであり、また理解できないものだったからだ。

 敵である自分の復讐心を否定せず、受け入れようとするなど理解できる筈がない。

 

「何度だってお前と戦ってやる。お前の中の憎しみが薄れて別のもので補えるようになるまで……何度だってお前とぶつかり合ってやる。

 だから今はおとなしくしてろ、美鈴達のおかげで命拾いしたとはいえ“核”を一度失ったんだからな」

(……まったくもぅ、またああやって自分から面倒事を増やすんだから)

 

 内心彼の言葉と行動に呆れつつも、彼らしい選択に紫は口元に笑みを浮かべていた。

 たとえ敵であったとしても、分かり合えるかもしれない相手には手を差し伸べる。

 彼らしい甘い選択だ、けれど同時に自分の命を投げ出そうとせずに皆の為に生きようとする確かな意志も感じられた。

 それが紫には嬉しい、彼がちゃんと自分達を遺さずに生きようとしてくれるのがわかるから。

 

「…………何故だ? 何故お前は敵である俺に対しても歩み寄る姿勢を見せる? 命を狙われて、何故そのような考えが抱ける?」

「……俺には夢があるんだ。いつか……遠い遠い未来になるだろうけど、人と妖怪が同じ道を歩み仲良く暮らせる世界にしたいって夢が」

「…………」

「そんなの無理だって思うだろ? 俺だって否定はできないさ、どんなに足掻いたって願ったって現実はいつだって自分の思う結果を見せてくれない。

 だけどさ、だからって諦めたくないんだよ。だって同じ世界に生きている者同士なんだ、分かり合えないままでいるのは……きっと、悲しい事だと思うから」

 

 だから龍人は諦めない、たとえこれから何百年……それ以上の年月が必要としてもだ。

 人も妖怪もそう簡単に変わりはしない、でも変わっていけないわけではない。

 既にその一歩は幻想郷という小さな世界を生み出している、それが少しずつ少しずつ広がっていけば……やがて、世界の全てを幻想郷のようにしてくれる。

 確証なんてきっとない、それでも龍人は諦めたくなかった。

 そしてその夢は彼だけのものではなく、彼の隣に移動して士狼を見つめる紫の夢でもあった。

 

「…………他者との繋がりを求め、協力する。甘い夢だ……」

「その甘い夢によって変われた者達も居るのよ士狼、だから私は彼に賭けているの」

「…………」

 

 槍の切っ先を下ろす士狼、既に彼の瞳には先程までの憎しみや怒りの色は見られない。

 

「……我が主の命を奪ったお前は許せん。だが今の俺ではお前には勝てないとわかった、腕を上げ……必ずお前の命を奪ってみせるぞ」

「ああ、いつでも来い。何度立ち向かってきても俺はお前に勝ってみせる」

「…………」

 

 龍人の言葉には何も返さず、士狼は一瞬でその場から消え去った。

 静寂が訪れる大広間、けれど少しずつ緊迫した空気は霧散していった。

 

「――本当に甘い奴らよな。牙が折れている今が滅ぼすチャンスだというのに」

「アイツとはいつか分かり合える気がする、だから命を奪うような事はしたくなかったんだ」

「…………まあよい。こちらに迷惑が被らなければ関係のない話だ」

 

 そう言って、ゼフィーリアはいまだに硬直している低級悪魔達に新たなワインを出すように告げる。

 紫も龍人と共に席に座り、少し冷めてしまった食事を再開するのであった。

 

 

 

 

「――く、はっ……!?」

「カ、カーミラ!!」

 

 血反吐を吐き膝をつくカーミラに、クロノは悲痛な声を上げる。

 だが今のカーミラに彼の声に対する反応を返す余裕はなく、震える足を叱咤しながらどうにか立ち上がり、自分を見下すように見つめるアリアへと憤怒の視線を送った。

 対するアリアはそんな彼女を嘲笑うかのように、口元には邪悪で歪んだ笑みを浮かべていた。

 

(どうして……!? 何故、この私がこんな得体の知れない女に……!)

 

 レーヴァテインの炎が、そんな彼女の驚愕と不安、そして隠し切れない恐怖を表すかのように縮小していく。

 すぐに片が着く、そう思っていたカーミラの予想は見事に裏切られてしまっていた。

 得体の知れない1人の妖怪に、吸血鬼であるカーミラは完全に弄ばれその身を蹂躙されるという屈辱を味わっている。

 それだけでも彼女にとって狂いたくなるほどの衝撃だというのに、剣を交えたからこそカーミラは目の前の存在が未だに本気を出していない事を理解してしまっていた。

 

(ありえない……五大妖でもない妖怪が、レーヴァテインを使う私に対してここまで一方的なんて……)

 

 困惑と衝撃が絶えずカーミラの脳裏を濁らせていく。

 ……勝てないと、自分では目の前の異端には適わないと知りながらも、カーミラは決して逃げの一手は選ばない。

 それは吸血鬼としてのプライドが許さなかった、尤も――その選択はある意味では愚かと捉えられる選択かもしれない。

 

「さすが神剣と呼ばれた神造兵器ですわね……炎の魔剣と名高いレーヴァテインの使用者でも、まるで赤子扱いとは」

「ぐ、この……!」

 

 地を蹴り、一気にアリアとの間合いを詰めるカーミラ。

 瞬時に己の魔力をレーヴァテインへと込め、一瞬で臨界まで達した炎の刀身を敵である彼女に向けて振り下ろした。

 

「甘い」

「――――」

 

 だが、不発。

 カーミラの渾身の一撃は容易くアリアの神剣によって弾かれ――返す刀で、アリアはカーミラの腹部に神剣を突き刺し地面に縫い付けてしまった。

 

「が、ぶ……っ!?」

 

 吐血するカーミラ、激痛が全身に響くがそれを無視して彼女はすぐさま抜け出そうとして……指一本動かす事ができなくなっていた事に気づく。

 まるで吸血鬼の弱点の一つである銀の武器で縫い付けられたかのように、カーミラの身体はぴくりとも動かなくなってしまっていた。

 

「如何に頑強な肉体と高い再生能力を誇る吸血鬼とはいえ、この神剣にその身を貫かれて動ける筈がないでしょう?」

「ぐ、ぐ……!?」

 

 指一本動かす事もできず、カーミラはアリアを睨み付ける事すらできなかった。

 

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 その光景を見て、クロノは我を忘れアリアに吶喊していく。

 さすがに若い吸血鬼だけあり、その速度は天狗に匹敵するほどに素早い。

 秒も待たずにクロノはアリアとの間合いをゼロにして、相手の首を薙ぎ払おうと右手の爪を全力で振り下ろし。

 

――アリアが、彼に向かって左指を軽く縦に振った瞬間。

 

――彼の身体が左右二つに分かれ、地面に落ち……動かなくなった。

 

「――――え」

 

 目の前に落ちた最愛の恋人だった肉片を見て、カーミラの思考は停止する。

 ……何が起きたのか、今の彼女には理解できない。

 

「今ここで消えた所で違いはないと言ったでしょう? 安心なさいな、あなたの精神もいずれ消え……あの世で、一緒になれるでしょうから」

「…………クロノ」

 

 カーミラが呟くように恋人の名を呼び――それが彼女の最期の言葉となった。

 ……動かなくなったカーミラを見て、アリアは薄い笑みを深めていく。

 

「……所詮、妖怪という存在はいずれ人間によって淘汰され、見苦しく生き延びたとしても「妖怪とは違う何か」に成り下がるだけ。ならば今消えたとしても変わりはしない……そうでしょう? 八雲紫」

 

 そう呟いて、アリアの姿がカーミラごとこの場から消え去る。

 残ったのは哀れな吸血鬼の青年の骸と……館中から漂う、血の臭いだけであった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




最近更新が滞って申し訳ありません。
少しでも楽しんでいただければ幸いに思います。


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第72話 ~紫と堕ちたモノ~

暗躍するアリアと自身と彼の為に前へと進んでいく紫。
両者の再会は、刻一刻と迫っていた……。


――紅魔城、テラス内。

 

 

「…………」

「――もう終わりか? 呆気ない」

 

 そう言いながら、ゼフィーリアは近くのテーブルに置いてあるワインが入ったグラスを手に取り喉を潤す。

 そんな彼女の前方では、両手に光魔と闇魔を握り締めながらも、息を切らし地面に座り込んでいる紫の姿があった。

 顔を上げ恨めしそうにゼフィーリアを睨む紫、だがゼフィーリアは紫の視線を軽々しく受け流しながら口を開く。

 

「なんだその目は? 元はといえば貴様が余に手合わせを頼んだのが原因ではないのか?」

「……それはそうだけど、もう少し加減してはくれないかしら?」

「たわけめ。殺す気概でいかなければ鍛錬にならんではないか」

「…………」

 

 この鬼め、口には出さず心の中で紫は悪態を吐いた。

 

「しかし何故いきなり手合わせを頼んだ? そもそもお前にはデタラメとしか言いようのない能力があるではないか」

「あの能力は諸刃の剣なの、無闇やたらに使用すれば私自身が消えかねないわ。それに……この力はできる限り“破壊”ではなく“創造”に使いたいのよ」

「……物好きよな。それだけの能力……望めばそれこそ世界すら支配できるというのに」

「興味ないわ。私が望むのはただ一つ、龍人達と生きながら人と妖怪が共に生きる幻想郷を守るという夢を叶える事だけよ」

 

 だからこそ、紫はゼフィーリアに手合わせを頼んだのだ。

 吸血鬼としての圧倒的な身体能力を持つゼフィーリアと戦えば、必ずレベルアップに繋がる。

 そして、それはそのまま龍人達を守るという心に決めた誓いを果たせる事に繋がるのだ。

 

「お前は妖怪とは思えんな。人は喰わん、争いは望まん、そして何より人と妖怪が共に生きる道を選ぶ……余も永く生きているが、お前のような異端は初めて見るよ」

「それは褒め言葉?」

「半分は呆れも含んでいるよ、だが……父上と母上も、お前と同じ道を願っていた」

 

 そう言って、ゼフィーリアは星が煌く空を見上げ出した。

 

「あなたの両親も、人と妖怪が共に生きる道を?」

「とは言っても最初からではないよ。父上も母上も若い時は他の吸血鬼と同じように人間を単なる家畜のようにしか見ていなかった。だが百年ほど前から、これからは奪い奪われる関係ではなく共に手を取り合い支え合えるような関係になればいいと言い出してな。

 ――ちょうどその時ぐらいからか、人間の数が前よりも増え始めたのは。父上も母上も、いずれ人間が我々妖怪よりも数を増やし続けると気づいたのかもしれんな」

「ええ、おそらくそれは現実のものになると思うわ。人の数はこれからも増え続ける……やがて、私達の想像を遥かに超える数にまで膨れ上がるでしょうね」

 

 そうなれば、いずれ妖怪が生きる環境は失われていってしまう。

 そういった危惧を抱いたからこそ、紫は人と妖怪の共存を願い、またゼフィーリアの両親もそれを願ったのだろう。

 

「とはいえ、事はそう簡単なものではない。余から言わせれば……父上も母上も、そしてお前も甘いのだよ」

「……否定はしないわ。でもだからって何もしなければ変わらない」

「無論、余とてそれがわかっているからこそ父上と母上の意志を告ごうと思っている。だが……余の愚妹はまるでそれをわかってはくれんようだ」

「…………」

「愚かな妹だよアイツは。力での支配は確かに吸血鬼として……妖怪としての本分を全うしているのかもしれん、だが時代は変わっていくのだ。いつまでもそんな方法が通用するわけがないというのに」

 

 しかしだ、もはやカーミラを言葉で止める事はできないだろう。

 ならば命を懸けて……この手で妹を降すしかない、ゼフィーリアは静かに誓いを建てる。

 

「駄目よゼフィーリア、1人で全てを抱え込むような真似をしては」

「何……?」

「あなたは確かに強い力と精神を持ち合わせている。でもだからといって1人で全てを背負い込み解決させようとしては……孤独になってしまう」

 

 それは、とても悲しい事だ。

 人は独りでは生きれないと言うが、それは妖怪とて同じである。

 特に妖怪は人間よりも精神に依存する生物だ、強い孤独感はそれだけで精神に支障を来たし……下手をすれば、存在の消滅に繋がりかねない。

 ゼフィーリア程の妖怪ならばその危険性は少ないだろう、だが孤独は独断と独善を生み、ますます孤独から抜け出せなくなる。

 そしてその先に待つのは、真っ当な結末ではないのは明らかだ。

 

「あなたを慕う者、あなたを愛する者、そしてあなたを友と想う者が居る事をどうか忘れないで」

「……わかっているよ、お前のような小娘に言われなくともな」

 

 そんな言葉を放ちつつも、ゼフィーリアの口元には優しい微笑が浮かんでいる。

 その反応で彼女が自分の忠告をきちんと受け止めてくれた事がわかり、紫の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。

 

「不思議なものよな……余の能力を以てしても、お前達の運命が視えん。それに……妾の運命も視えなくなった」

「えっ?」

「このまま余はカーミラの軍勢と戦い命を落とす……筈であったが、この運命が消えてしまった」

「なら……!」

「このような事は初めてだ。これもお前達が介入してせいなのかもしれんな」

「嬉しい誤算だと思うわよ? 少なくとも……あなたを慕う者達からすればね」

「ふん……」

 

 まんざらでもない顔を見せるゼフィーリアに、紫は内心苦笑する。

 この夜の女王は存外に素直ではないらしい、とはいえそれを口に出せば恐ろしい目に遭うので決して何も言わないが。

 

「ところでゼフィーリア、先程手合わせで使っていたあなたの武器だけど……?」

「ん? ああ、“スピア・ザ・グングニル”の事か?」

 

 右手を上に翳すゼフィーリア、すると音もなく彼女の右手に巨大な槍が現われた。

 スタールビーの輝きを見せるその槍からは凄まじい魔力が溢れ出しており、並の武器ではないというのがわかる。

 否、あれはもはや武器ではなく“兵器”というカテゴリーに分類される奇跡の結晶体だ。

 

「これはスカーレット家に代々伝わる魔造兵器でな、魔界に存在するとある鉱石に初代当主の血と骨と魔力を織り交ぜて造り上げた“レーヴァテイン”と対になる武器だ」

「レーヴァテイン……?」

「カーミラが持つ炎の魔剣の事だ。スカーレット家の当主となりうる者にこのスピア・ザ・グングニルとレーヴァテインが継承されていく、父上は余達姉妹でスカーレットの血を守ってくれる事を願ってそれぞれの武器を分けたのだが……今考えると、悪手だったようだな」

「…………」

「まあいいさ。いずれカーミラを打倒しレーヴァテインを取り戻せばよい、そして次代の為に大切に保管しておくさ」

 

 言いながら、ゼフィーリアはスピア・ザ・グングニルを消し去る。

 

「しかしお前達には驚かされる。妖怪として見ればまだまだ子供であるお前達が、よもや五大妖の1人を打倒できるとは」

「……偶然が重なったに過ぎないわ。一対一では決して勝てなかった」

 

 それに紫自身、未だに刹那に勝てたのは夢ではないかとも思ってしまう。

 それほどまでに五大妖と呼ばれる存在は桁外れの力を持っているのだ、相手の慢心故の辛勝に過ぎない。

 まだまだ自分達の道を突き進むには、力も心も未熟だと紫は改めて己を律する。

 

「それは過小評価だと思うがな。――どうだ? お前達が良ければ余達と共にこの紅魔城で暮らさないか?」

「光栄な話だけど、私達には帰る場所があるから」

「なんだつまらん。余が東洋の妖怪を気に入るなど滅多にない事だというのに、贅沢よな」

「でも友人としてなら、これからも末永いお付き合いをさせてほしいわね」

「友人? 余が、お前達とか?」

 

 目を丸くしてから、ゼフィーリアはまるで小馬鹿にするかのようにくつくつと笑った。

 事実、ゼフィーリアにとって紫の言葉は笑う以外の反応を示せない程に可笑しなものだった。

 どんな種族かもわからない妖怪の小娘が、当たり前のように自分を友として見ようとしている。

 なんと恐れ知らずで……面白い事か、そんな姿を見せられて笑わないわけがない。

 

 だが同時に、嬉しくもあった。

 自分を恐れず、けれど決して見下そうとしているわけではなく、対等に接しようとしてくれる。

 スカーレット家の当主となったゼフィーリアにとって、紫の態度は久しく見られないものだった。

 

「……ではこれからも友として、余達の役に立ってほしいものだな」

「あら? 利用するだけ利用するなんて、誇り高い吸血鬼がするような事かしら?」

「余がそんな矮小な存在だと思うのか? 小娘が」

 

 互いに不敵な笑みを見せながら……どちらからともなく、声を出して笑ってしまった。

 暖かな月の光に照らされる中、紫とゼフィーリアの間に和やかな空気が流れていく。

 だが――そんな空気を変える報告が、2人の前に舞い降りてきた。

 

「むっ?」

「?」

 

 2人の前に、小さな蝙蝠が羽ばたきながら近づいてくる。

 それをゼフィーリアが左手の上に止まらせると、蝙蝠は忙しなく翼を羽ばたかせゼフィーリアに何を伝え始めた。

 どうやらあの蝙蝠はゼフィーリアの眷属の一匹のようだ、暫し傍観していると――ゼフィーリアは僅かに眉を潜めたのが見えた。

 蝙蝠を外へと放すゼフィーリア、そして彼女は紫へと向き直し。

 

「――紅魔館に行くぞ」

「紅魔館?」

「カーミラが拠点としている場所だ。あの眷属は監視の為に送ったのだが……つい先程、カーミラを含めた全ての吸血鬼が紅魔館から姿を消したという報告が入った」

 

 紫にとっても、驚愕する内容の言葉を、口にした。

 

 

 

 

「――酷い臭いね」

 

 紅魔城と同じく紅一色に彩られた趣味の悪い……もとい、特徴的な館である紅魔館の中へと入った紫は、開口一番上記の言葉を口にして顔をしかめる。

 隣に立つゼフィーリアとロックも、口には出さないもののその表情は紫の言葉と同意見だと語っていた。

 

――死が、館を包み込んでいる。

 

 紅魔館に入った瞬間、紫の鼻腔を生臭い血の臭いが襲い掛かった。

 それを示すように、玄関ホールの床や天井、シャンデリアや掛けられている絵画には夥しい程の血が塗りたくられているかのように付着している。

 中に居るだけで自分まで死んでしまったかのではないかと錯覚してしまう、それほどまでにこの館は異常であった。

 更に腑に落ちないのは、これだけの血が至る所に付着しているというのに……その血の出所であろう死体が一つとして存在しないのは一体どういう事なのか。

 

「……気配は、ないな。この館にはカーミラに忠誠を誓った配下の吸血鬼やワーウルフといった妖怪達が居る筈なのだが……余達以外の気配がまるでない」

「まさか……内部分裂でも起こったのだろうか?」

「だとしても生き残りが居ないというのはおかしな話だ。気配を殺している可能性も否定できんが……」

 

 その可能性を考慮しても、今の紅魔館は明らかにおかしな空気を漂わせている。

 一体どういう事なのかと思案に暮れるゼフィーリアをよそに、紫は中央ホールをぐるっと見て回る事にした。

 円形のホールは幾つもの道に枝分かれしており、また二階へと続く階段も見える。

 が……そのどれからも、凄まじいまでの死臭が漂ってきており、紫はおもわず口元を右手で押さえてしまった。

 

(龍人達を紅魔城に待機させておいて正解だったかもしれないわね……)

 

 現在、紫の傍にはゼフィーリアとロックしかおらず、龍人を含んだ他のメンバーは紅魔城にて待機させている。

 紅魔館の調査を大人数で行うわけにはいかず、かといってゼフィーリアとロックだけで行かせるのは不安が残った。

 なので紫のみ同行する事にして、後の者達は紅魔城で待ってもらう事にしたのだが……その考えは正解だったと紫はそう思わずには居られない。

 ここは居るだけで精神に影響を及ぼす、妹紅や妖忌ならばともかく、美鈴やチルノ、藍などには悪影響を及ぼすだろう。

 

(龍人は……勝手な行動で館中を駆け巡るでしょうね)

 

 改めて連れてこなくてよかった、そう思わずには居られない紫であった。

 

「――とにかく館の中を見て周るぞ。何が起きたのかわからんからな」

「でもゼフィーリア、無闇に探索するのは危険じゃないか? もしもカーミラの勢力が隠れているとしたら……」

「かといってこのまま帰るわけにもいかん、恐いのなら城に戻れロック。調査は余と紫でする」

「つ、妻を黙って行かせる夫が何処に居るんだ! 私も行くぞ!!」

「その意気だ」

 

 小さく笑い、一番近い廊下へと続く通路を歩き出すゼフィーリア。

 その後にロックが続き、殿を務める為に紫は一番後ろからついていく事に。

 

 窓が少ないせいか、廊下は薄暗く不気味は空気は一層濃くなっていった。

 同時に死臭の臭いも強くなる一方であり、紫は無意識のうちを喉を鳴らす。

 これ以上進みたくない、進んではならないという内なる声が、だんだんと大きくなっていった。

 自分と同じ事を考えているのか、前を歩いているロックの身体が僅かに震えている事に紫は気づく。

 一方、先頭を歩くゼフィーリアは微塵も恐怖や不安を感じさせず、紫に格の違いを見せ付けていた。

 

「……やはり、妙だな」

「妙って……何がだいゼフィーリア?」

「先程からずっと気配を探っているがまるで感知できん、如何にカーミラとていくら気配を殺そうとも余の探知能力から逃れられる筈がないというのに……」

「……だとすると、今この館には本当に誰も存在しないという事かしら?」

「そう考えるのが妥当だろう。しかしだとしたら何故カーミラも配下の者達も紅魔館から姿を消した? それに館を包み込むようなこの血の臭い……十や二十の死体では作れん臭いだ」

 

 考えられる理由としては、この紅魔館で沢山の命が何者かによって奪われた、というのが濃厚だろう。

 そしてこの血の元の持ち主はおそらくカーミラの配下の妖怪達であるのは間違いない、もしかしたらカーミラもその何者かによって……。

 しかしこれはあくまで推測、詳しい調査を行わなければこの異常事態の原因を見つける事はできない。

 

「では手分けして調べるとするか。この紅魔館は中々に広いからな」

「それは危険だゼフィーリア、固まって行動した方がいい」

「ロック、お前は少し慎重すぎるのではないか? お前もまがりなりにも吸血鬼だ、そこいらの妖怪に遅れをとるような……」

「でも、その吸血鬼を消し去った存在が居るかもしれないのよ? だとすれば単独行動は軽率すぎる」

 

 ゼフィーリアの力は紫とて知っている、単純な力ならば自分など遥かに超えているという事も理解している。

 だが、それでもこの館で単独行動をするのは得策ではないと思うのもまた事実、ロックも同意見なのかゼフィーリアを説得し始めた。

 すると、あからさまに不満そうな表情を浮かべるものの、ゼフィーリアは2人の意見を尊重する事にしてくれたようだ。

 

「さて、ではどこから調べようか……西館の地下にある書庫か、それとも東館にある宝物庫か……」

「片っ端から調べるしかないかもしれないわね……」

 

 効率が良い方法とは言えないが、現状ではこうする以外の方法は無い。

 ゼフィーリアとロックも紫と同じ意見なのか、彼女の言葉に無言で頷きを返し、改めて調査を開始する為に止めていた足を動かし進路を西館へと向ける。

 紫もまた、そんな2人についていく為に歩を進めようとして。

 

 

「――そんな回りくどい事をせずとも、ワタシの元に来ればこの館で起きた事を説明してあげますわ」

 

 

 そんな声を、耳元で聴き入れた。

 

「っ!!?」

 

 振り返る。

 だが周りには誰も居らず、しかし今の声は……紫にとって決して忘れられないものであった。

 そんな馬鹿な、何故ここに、浮かび上がる疑問を無視して紫はすぐさまその場から浮遊してある場所へと飛んでいく。

 後ろからゼフィーリア達が自分を呼ぶ声を耳に入れたが、今の紫にその声に反応を返す余裕はない。

 がむしゃらに飛行による移動を続け……紫が辿り着いたのは、紅魔館のとある一室。

 そこはカーミラ・スカーレットの自室であったが、その中に居たのは部屋の主ではなく……赤い髪と白い大きな翼を持つ、1人の美女。

 

「お久しぶりですわね、八雲紫。相も変わらず叶いもしない妄想に縋る愚か者の顔つきですわ」

「……アリア・ミスナ・エストプラム」

 

 金の瞳に強い憤怒の色を宿しながら、紫は部屋の中で暢気に紅茶を嗜んでいる女性――アリアを睨み付ける。

 対するアリアはそんな紫の視線を真っ向から受けても、涼しい顔で笑みを作りながら紅茶を飲みのんびりとしていた。

 その態度が気に入らず、ますます紫の表情が険しくなる中――ゼフィーリアとロックが紫に追いつきアリアと対峙する。

 

「……何者だ貴様、見慣れない妖怪だな」

「お初にお目にかかりますわゼフィーリア・スカーレット。ワタシはアリア・ミスナ・エストプラムと申しますの、以後お見知りおきを」

 

 椅子から立ち上がり、優雅にゼフィーリアに対して一礼するアリア。

 その隙だらけな姿を見て、紫は地を蹴りアリアとの間合いを詰めながらスキマから光魔と闇魔を取り出す。

 そして、彼女の首を刎ね飛ばそうと上段から二刀を振り下ろした――

 

 

 

 

「――紫のヤツ、大丈夫かな?」

「心配しすぎじゃ龍人、あやつはお前なんぞに心配される女ではないさ」

「それはわかってるけどさあ……」

 

 紅魔城の客室の一つにてのんびりとしつつも紫を心配する龍人に、桜観剣の手入れをしながら妖忌は上記の言葉を返す。

 先程からずっとこの調子である、正直鬱陶しい事この上なかった。

 

「暇なら鍛錬でもしたらどうじゃ? あの美鈴とかいう娘はずっとこの城を走り回っているぞ?」

「うーん……俺もそうしようかと思ったんだけどさ、紫が心配で集中できないというか……」

「それは単なる言い訳じゃないのか?」

「……かもなー。でもなんでこんなに心配してんだろ? 妖忌の言う通り、紫は俺なんかに心配されなくても大丈夫なしっかり者なのにさ」

 

 うーんと首を捻る龍人。

 どうやら彼自身もここまで紫を心配する理由がわからないらしい、なので妖忌はある事を訊いてみる事にした。

 

「龍人、お主……紫をどう思っておるんじゃ?」

「どうって、どういう意味だ?」

「……簡単に言えば、お前さんは紫を“女”として見ているのかという意味じゃ」

「女……? 何言ってんだ妖忌、紫は女だろ?」

「そういう意味では……いや、お主に訊いたワシが阿呆だった」

 

 久しぶりに会った友人は、相も変わらず女に興味のない玉無しだったようだ。

 しかしである、彼の紫に対する態度は少なくとも前に比べると明らかに違っていた。

 尤も、それを龍人が自覚しているわけではないようだが。

 

「そういえば妖忌、お前この問題が解決したら冥界に行くんだよな?」

「ああ、幽々子様をお守りする……今度こそな」

「でも、亡霊になる幽々子は生前の事を忘れてるんだろ? それってつまり……」

「たとえワシの事を忘れていたとしても、また一から絆を育んでいく。再び幽々子様に仕える喜びに比べれば、ワシに対する記憶の忘却など痛くも痒くもないわい」

「……そっか。妖忌は強いな」

 

 口で言うのは簡単だ、だが妖忌ほど忠誠心の厚い者からすれば主から忘れ去られる悲しみはかなりのものだろう。

 それを簡単に乗り越えてしまう妖忌は強いと、龍人は惜しみのない賞賛を送る。

 

「――よし、俺も負けてられないな!!」

 

 そう言って、龍人は部屋を飛び出した。

 目的は勿論鍛錬の為だ、ゼフィーリア達からはこの城のものはなんでも使っていいという許可は貰っている。

 とはいえ彼の鍛錬は場所を選ぶので、龍人はそのまま紅魔城の外へと赴く。

 そして、そのまま森の中で思う存分鍛錬に勤しもうとした龍人であったが――突如として、彼は足を止めてしまった。

 

――見慣れない男が、紅魔城の前で仁王立ちしている。

 

 膨れ上がっている、と思えるほどに鍛え抜かれた筋骨隆々の肉体。

 固めているかのような厚みを持つ赤黒い髪に、漆黒の瞳からは凄まじい闘志が感じられる。

 黒い胴着状の服を纏っているその姿は武道家を思わせるが、全身から放たれるその覇気は人間……否、ただの生物とは思えない程に力強かった。

 

「……お前、誰だ?」

 

 そんな男に、龍人は普段通りの態度を崩さずに声を掛ける。

 対する男は龍人の問いに何も答えず……けれど、静かに身構え始めた。

 

「お、おい……!?」

 

 それを見た瞬間、龍人も慌てて身構えた。

 ……どういうつもりかはわからず、目の前の男が何者で目的が何なのかも理解できない。

 しかし、男の目が自分の命を刈り取ろうとしている事に気づけば、身構えないわけにはいかず。

 

「ぬぅんっ!!」

「おわぁっ!?」

 

 男は一瞬で龍人との間合いをゼロにして、右の拳を繰り出してきた。

 反射的に反応して迫る拳を回避する龍人、すぐさま跳躍して男との距離を離す。

 

「な、何すんだよ!!」

「…………」

 

 男は何も言わない、ただ口元には愉しげな笑みが浮かんでいた。

 

「しょうがねえな……」

 

 戦うしかない、そう判断した龍人は一気に戦闘態勢へ。

 そんな彼の態度に気づいたのか、男は笑みをますます深めていき、再び彼に向かって地を蹴り踏み込んでいった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第73話 ~アリアの激情~

紅魔館の異変を調べるため、ゼフィーリア達と共に館へと向かう紫。
そこで待っていたのは、因縁深き相手であるアリアであった……。


――拳が、嵐のように繰り出される。

 

「ぬはははははっ!!」

「ちっ……」

 

 高笑いを放ちながらこちらを殺すつもりで拳を放つ男に、龍人は舌打ちしつつもその悉くを防ぎ、弾き、いなしていく。

 一撃一撃は確かに強力であり、まともに受ければ致命傷になりうる。

 だが龍人には届かず、一方の男は防がれているというのに口元には歓喜の笑みを浮かべていた。

 

「ぬうんっ!!」

 

 顔面に繰り出される左腕による肘鉄、それを龍人は左手で真っ向から受け止める。

 

「!?」

 

 額に衝撃、繰り出された肘鉄は確かに防いだものの、男は勢いそのままに上腕部を動かし裏拳を龍人の額に叩き込んだ。

 僅かによろける龍人、その隙に男は追撃となる右の突きを繰り出した。

 

「しっ!!」

 

 だが不発、龍人は突きを左手で弾きながら間合いを詰め、男の顎に掌底を叩き込む。

 仰け反る男に更に踏み込み、腹部に左の突きを叩き込んでから、後ろに周り込みながら回転を加えた肘打ちを男の首目掛けて放った。

 

「ぬはっ!!」

「!!」

 

 しかし龍人の肘は男の左手によって受け止められ、掴まれてしまう。

 すかさず男は肘を掴んだ左手に力を込め――彼の身体を真上に掴み上げてしまった。

 

「こいつ!!」

「ぬおっ!!」

 

 地面に叩きつけられる、そう思った龍人は投げ飛ばされる前に右足による蹴りを男の額に叩き込み難を逃れる。

 渾身の一撃を叩き込まれた男は、そのまま後ろへとよろめき……ただそれだけ。

 まともに叩き込んだというのに、男の身体にはさしたるダメージが負った様子は見られず龍人は苦々しい表情を浮かべてしまった。

 

「……頑丈だな。お前」

「当然よ。脆弱な人間が貴様等のような(あやかし)に戦うには、常識など超えた頑強さが無ければな」

「人間……? まさか、お前……」

 

 龍人の目が見開かれ、顔には驚愕の色が浮かぶ。

 目の前で対峙している男は、龍人にとって確かな強敵である。

 だが彼は妖怪でもなければ、人外の類でもなかった。

 

「お前、人間なのか……?」

「――我が名は拳王(けんおう)、強き武人と戦う為に旅を続けている武術家よ。とある妖の女からここに龍人族の血を引きし半妖が居ると聞いてな……その力が如何なるものか、試したくなったのよ!!」

「……成る程、誰の入れ知恵かは知らないが俺が狙いか」

「怪しい者の助言も聞いてみるものよ。見た目は小僧だが……楽しめる!!」

 

 踏み込んでくる拳王、龍人も身構え直しながら真っ向から彼を迎え撃とうとして。

 

「天龍脚!!」

「ぬっ!?」

 

 虹色の蹴りが拳王に襲い掛かり、防がれたものの両者の間合いは大きく引き離された。

 

「ぬぅ……誰だ!?」

「龍人さん、大丈夫ですか!?」

「美鈴……」

「小娘……? どうやら多少腕に覚えのある妖怪のようだが、貴様なんぞに用は無い。どけぃっ!!」

 

 龍人の守るように前に出て構える美鈴に、拳王は覇気を込めて叫ぶ。

 その威圧感に一瞬顔をしかめるものの、美鈴は真っ向からその威嚇を弾きながら更に一歩前に出た。

 

「龍人さん、ここは私に任せてくれませんか?」

「えっ?」

「この男……相当な“武”を持っています。同じ武術家として……戦ってみたいんです」

「腕に覚えがあるようだが、用があるのはそこの小僧よ! 小娘に用は無いと言った筈だ!!」

「…………」

 

 右足で、地面を踏み抜く美鈴。

 瞬間、周囲が揺れるほどの衝撃が響き渡り、同時に拳王の表情が変わる。

 

「……面白い。肩慣らしにはなるか?」

「龍人さん、いいですか?」

「……本当に危なくなったら、介入するぞ?」

 

 そう言って、龍人は後ろへと退がる。

 それと同時に、騒ぎを聞きつけたのか妖忌達が城から出てきたのを視界に捉えた。

 

「龍人、どうした!?」

「龍人様、一体何が……」

「ああ、いや……」

 

「――何者だ、貴様!!」

「カーミラの手の者だな、死ねえ!!」

 

 駆け寄ってきた妖忌達に説明しようとした瞬間、武装したウェアウルフ達が拳王に向かっていく姿を見て、龍人は慌てて止めようとする。

 だが一瞬遅く、ウェアウルフ達は拳王の身体を両断しようと剣を大きく振り上げ。

 

「――邪魔をするなあぁっ!!」

 

 激昂した拳王によって、一瞬のうちに叩き潰されてしまった。

 血反吐を吐き、身体の至る部分を拳や蹴りによって陥没させながら、ウェアウルフ達は宙に浮き……崖から落ちていく。

 凄まじい破壊力と速さを兼ね備えた攻撃だ、本当にあの男は人間なのかと疑いたくなる強さだ。

 

「雑魚が……」

「そ、そこまでする事ないじゃないですか!!」

「ぬかせっ!! 立ち向かってくる以上は叩き潰す、邪魔者を潰す事の何がおかしい!?」

「っ、邪魔だと判断した者全てを力で叩き潰す、それが如何に業の深い事かわからないのか!!」

 

 美鈴の瞳に凄まじい怒りが宿る。

 刹那、彼女の身体から黄金色のオーラが噴き出し、その力を示すかのように周囲に突風が吹き荒れていった。

 

「藍、周囲に結界を張ってくれるか? そうしないと美鈴の“気”で紅魔城が壊れちまう」

「は、はい! ――それにしても、美鈴殿のあの力は」

「生きてる者なら誰でも持ってる生命エネルギー、それを自由に扱う力を美鈴は持っているんだ」

 

 それだけではない、美鈴は妖怪でありながら“龍人族”としての力を持っている。

 力だけならば彼女は藍よりも強いかもしれないが……美鈴自身の優しい気質が、それを抑え込んでいた。

 妖怪でありながら争い事を望まず、ただひたすらに平穏を望み、己を鍛える事は好きだが手に入れた力を他者に振るう事は好まない。

 それが紅美鈴という少女であり、けれど今の彼女に普段の優しい気質は微塵も感じられなかった。

 

「いいのか? 助太刀しなくて?」

「武術家として戦いたいって言ってるしな、美鈴の好きにやらせるさ。――ところで妖忌、妹紅達は?」

「知らん。適当に遊んでいるのではないか?」

 

 そんなやり取りをしつつも、龍人達は2人から決して目を逸らさない。

 これから始まる戦いは、それだけのレベルだと認識しているからだ。

 

「ただ闇雲にその力を振るい、他者を傷つけ命を奪う。それはとても悲しく……憐れな道なのよ!!」

「力とは振るうためのもの、それを善しとせぬ小娘が道を語るな!!」

 

 美鈴に迫る拳王、大振りの手刀を彼女の脳天に叩き込もうと繰り出し。

 

「ちぇあっ!!」

 

 それを、美鈴は右の蹴り上げで真っ向から弾き飛ばした。

 

「ぬははっ、楽しめそうよな!! 我が名は拳王、かかってこい小娘!!」

「――紅美鈴、参る!!」

 

 

 

 

――踏み込んだ。

 

 秒も待たずに両手に持つ光魔と闇魔に全力の妖力を込め、紫は渾身の一撃をアリアへと叩き込む。

 風切り音を響かせながら放たれたそれは、迷う事無くアリアの身体を左右二つに分けようとして。

 

「っ」

「その程度で、ワタシが殺せると?」

 

 呆気なく、アリアがどこから取り出した長刀によって真っ向から防がれてしまった。

 すぐさま後退する紫、けれどアリアは追撃はせず不敵な笑みを浮かべるのみであった。

 お前程度など相手にもならない、アリアの態度が自身にそう告げているような気がして紫は顔をしかめるが……それが間違いだとすぐに気づく。

 何故なら――アリアの視線は既に紫には向けられておらず、彼女の隣に立つ夜の女王。

 

――スピア・ザ・グングニルの切っ先をアリアに向けながら、ゼフィーリアが凄まじい魔力を全身から放出していたからだ。

 

 ゼフィーリアのその絶大な力を前にして、アリアは紫を追撃する事ができなかったのだと理解する。

 その力のなんと強大な事か、それを向けられていない紫ですら頬に冷や汗が伝うほどの暴力的な力を感じられた。

 まるで台風のような圧倒的なパワーだ、けれどそれでもアリアの口からは不敵な笑みが消えない。

 

「――お前か? この紅魔館を汚らしく変えたのは?」

「そうだと言ったら、どうしますの?」

「質問にはきちんと答えて貰わねば困る、よもや意味が理解できぬほど頭が弱いわけではあるまい?」

 

 小馬鹿にしながら、同時にゼフィーリアは先程以上の敵意をアリアへと向ける。

 息苦しさすら感じるそのプレッシャーに、アリアの口から笑みが消えた。

 

「もう一度問うぞ。――ここに居た吸血鬼達は一体どうした?」

「……全員始末しましたわ、邪魔ですから」

「全員? それは可笑しな話よな、お前如きにカーミラが敗れるとは思えんが……」

「ゼフィーリア、油断しないで。あの妖怪は本当に得体が――」

 

「すまんな紫。――少し黙っていろ」

「――――」

 

 静かで、優しく諭すようなゼフィーリアの声。

 だというのに、その声が紫の耳に入った瞬間――言葉を忘れてしまったかのように喋れなくなってしまった。

 これは“言霊”、声自体に力を込め相手に影響を与える精神的な術のようなものだ。

 けれどゼフィーリアの放った“言霊”の強制力はありえないほどに重く、これではまるで呪いも同意であった。

 

「まあよい。では次の質問だが……何故このような事をした?」

「邪魔だったから、と言った筈ですが?」

「そう思った経緯を問うている、質問の意図が判っているのにわざわざ訊ねるとは……余程、殺されたいらしいな」

「まあ恐い。ワタシはキチンと質問に答えたつもりだというのに、酷いですわね」

 

 くつくつと笑うアリア、その態度にゼフィーリアは僅かに眉を潜めるが、安い挑発に乗る彼女ではなかった。

 一方、ゼフィーリアの“言霊”に影響されながらも、紫はいつでも相手を打倒できるように内側へと力を溜めていく。

 今まで何度も対峙してきた得体の知れない女妖怪、そのくだらぬ因縁はここで断ち切らなければならないと……妖怪の本能とも言うべきものが先程からずっと訴えかけていた。

 

「……浅ましい。あなたのような未熟な女が、ワタシを倒せると?」

 

 そんな紫の心中を悟ったのか、アリアは瞳に紫に対する憎悪の色を宿しながら彼女を睨み付ける。

 その瞳から放たれる威圧感はゼフィーリアと同じく凄まじいものであり、紫はおもわず一歩後退してしまった。

 しかし紫はそれ以上の後退はせず、負けるものかとアリアを厳しい目で睨み返す。

 だが、彼女のその態度はアリアにとって……御しがたいものであった。

 

「ああ……本当に醜いですわ。勝てないとわかっていながら向かってくるその態度……彼ならばともかく、妖怪風情でしかないあなたがその目を宿すのは……本当に我慢なりませんわね」

 

 丁寧な口調の中に、狂おしい程の怒りを宿すアリア。

 冷静さを装っているように見えるが、隠し切れない激情をアリアは無意識の内に晒していた。

 

「……随分と紫を憎んでいるようだが、何かされたのか?」

「…………」

「正直、紫が誰かに憎まれるような事をするとは思えんが……まるで親の仇を見るかのようだな、貴様の紫を見る目は」

「親の仇? いいえ、そんな大層なものではありませんわ。ただワタシは――この女の存在が許せないだけ」

 

 長刀の切っ先を紫に向けるアリア、彼女はそのまま独白を続けていく。

 

「妖怪の本分を忘れられないくせに、人と妖怪の共存を願う偽善者。本当は人間など家畜としか思っていないくせに、“彼”がその道を望むから便乗する哀れな女。この女の中途半端な生き方が……心底虫唾が走りますのよ!!」

 

 空気が、震える。

 初めて見せるアリアの激情を込めた声は、周囲の空気を震わせ衝撃となって紫達を襲った。

 

「……彼とは、龍人の事か? もしそうなら……貴様は本当に何者だ?」

「ただの妖怪ですわ。他者をおちょくるのが大好きで、胡散臭い哀れな女妖怪。それがワタシですわよ」

「では何故そこまで紫に拘る? いや紫だけではない、貴様の目は……龍人に対する明らかな“執着”の色が見え隠れしているぞ?」

「えっ……?」

 

 ゼフィーリアの言葉を聞いて、おもわず紫は身構えるのを止めてしまう程の衝撃に襲われる。

 

「…………」

 

 対するアリアは……先程までの笑みを消し、真顔のままゼフィーリアを見つめていた。

 彼女の言葉を見当違いだと笑う事もせず、否定もせず、けれど肯定もしない。

 

「夜の一族である吸血鬼の余は淫魔を眷属にする事もある、故にそういった感情を読み取るのは得意でな。貴様はどうも龍人に対する執着や……“懺悔”といったものを向けているように見える」

「…………」

「そしてその感情をそのまま憎悪に変え紫に向けている、龍人の傍に居る紫に嫉妬しているのではないかと思ったが……どうやらそうでもないらしい。複雑すぎて貴様の感情を完全に読み取るのは無理そうだ、だが……貴様が龍人と紫にとって何かしらの“(えん)”を持っているのは確かだというのはわかるぞ」

(縁? この女は……私と龍人を、前から知っていたというの?)

 

 だが、そう考えると思い当たる節は幾つか見つかる。

 アリアは対峙する度に自分に対して今のような憎しみの念を送ってきたし、龍人に対しては何処か争いを避けるような態度を見せていた。

 西行妖での時だって、彼女は結局龍人を殺さずに気絶させるだけに留めていた、あの龍哉の腕を簡単に斬り飛ばせる程の実力を持っていたのに、だ。

 

「まさか……アリア、あなたは龍人と血縁関係があるんじゃ……」

「? それはどういう意味だ?」

「龍人は両親を生まれてすぐに亡くしたのだけれど……もしかしたら、他に妖怪もしくは人間側に親族が居る可能性もあるのではないかって……」

「成る程、確かに妖怪の中では人間が作り上げた家系図のような関係を持つ者も居る。たとえばこの女は龍人にとって“叔母”もしくは――」

 

 

「――――囀るな」

 

 

「っ!!?」

「むっ……」

 

 たった一言。

 たった一言の声で、紫達の身体は緊張と恐怖で動けなくなってしまった。

 ゼフィーリアはすぐにその拘束を解いたものの、紫とロックは身体の震えを止める事ができず、指先すら動かす事ができなくなっていた。

 

「ワタシが龍人と血縁関係を? ふふっ……もしそうなら、どんなに良かったのでしょうね……」

「アリア、あなたは……」

「黙りなさい八雲紫、あなたの……あなたの存在だけは許されない。あなたが龍人の傍に居る限り、彼は決して幸せになれないのよ」

「えっ……?」

「……その意味を全く理解できていない腑抜けた顔。彼に依存し共に生きようとする浅ましい想い、その全てがワタシにとって御しがたい!!」

 

 激情を隠そうともしないアリアに、紫はただただ困惑した。

 常に人を小馬鹿にしたような不敵な笑みを浮かべ、その心をまったく読ませなかったアリア。

 だが今の彼女はまるで未熟な童女のように喚き、激昂し、同時に……言いようの無い近視感を覚えさせる。

 

「仮面が剥がれたなアリア、どうやら見た所かなり永い年月を生き続けてきたようだが……心はまだまだ若いらしい」

「黙りなさいゼフィーリア・スカーレット、よくもずけずけと遠慮もなしに人の感情を掻き乱して……本当に吸血鬼というのは子供ですわね!!」

「今のお前に子供と言われても痛くも痒くもないよ。それに余からすれば、今のお前の方が先程よりも魅力的だと思うがな?」

「黙れ!!」

 

 左手を真横に翳すアリア、刹那――不可思議な空間が現れた。

 今ある次元とは異なる異界の入口、それは彼女の不可思議な能力の一つだったが……。

 何故だろうか、ここに来て紫は彼女の力に対して何処か懐かしさを覚えたような気がした。

 自分は前にこの力を見た事がある、否、見た事があるというよりもこれは。

 

「呆けるのは勝手だが、死にたくなければ身構えよ」

「っ」

 

 ゼフィーリアの声で我に帰り、言われた通りに紫は身構え直した。

 そうしている間にも異界の穴は見る見る内に大きくなっていき……中から、異形の生物達が這い出るように現れた。

 グールと呼ばれる動く骸、ゴブリン、ハーピーと呼ばれる西洋の妖怪達。

 更には……虚ろな目をした吸血鬼達も姿を現し、その中には既に生気を感じられないカーミラの姿も存在していた。

 

「……どうやら、貴様がカーミラを討ったというのは間違いではなかったようだな。手間が省けた、礼を言うぞ?」

「それはどうも。ですが……たった3人で、戦うおつもりですの?」

「確かに些か不利な展開ではあるが……ロック、有象無象はそなたに任せる。余と紫でカーミラとアリアを討つ」

「わ、私1人でか!?」

「余の夫ならばそれくらいの事をしてもらわねば困る。それとも……自信が無いのか? この夜の女王であるゼフィーリア・スカーレットが愛し認めたお前が、有象無象の吸血鬼や下級生物に遅れをとるとは思えんがな」

「っ、わ、わかった……けれどゼフィー、君も無理をしてはいけないよ?」

 

 すぐさま臨戦態勢へと入るロック、その姿を見て紫は内心苦笑した。

 見事に尻に敷かれているではないか、とはいえゼフィーリアの性格からすれば当然の結果ではあるが。

 

「紫、少しの間だけでいい。アリアの相手をしてくれ。いくら愚妹とはいえ誇り高き吸血鬼があのような姿を晒しているのは忍びない、頼めるか?」

「……アリアは私が倒すわ、気にしないで」

「ふん……大きく出たな」

 

 カーミラをおびき寄せるように、少しずつ横に移動していくゼフィーリア。

 するとカーミラも移動を始め、標的をゼフィーリアへと決めながら両手に燃え盛る剣を生み出した。

 

「…………ワタシを倒す? 龍人が居なければ前に進めない女が!!」

「本当に私が憎いみたいね、今まで様々な敵意を向けられた事はあったけど……あなた程じゃなかったわ」

「当たり前でしょう? あなたの存在が龍人を苦しめる、だから今すぐに…………往ねっ!!」

 

 長刀を横一文字に振るうアリア、けれど紫との間合いは開いており当然当たらない……。

 当たらない、が――その一振りで、文字通り部屋全体が“斬り飛ばされた”。

 爆撃めいた音を響かせながら、紅魔館が崩壊していく。

 そのあまりに考えなしで無茶苦茶な戦法に驚きつつ、紫はすぐさま崩壊する部屋から飛び立ち外へと出た。

 ゼフィーリアとロックの事は心配だが、あの吸血鬼夫婦が館の崩壊程度でどうにかなるわけでもないと自己完結。

 というよりも……今すぐにでも飛び掛らんばかりの怒りを抱いたアリアを前にして、他者の事を気遣う余裕などないというのが本音であった。

 

「せっかく出したグール達が館の崩落に巻き込まれているじゃない、無駄な事をするのね?」

「……ええ、ワタシも内心驚いておりますわ。自分がここまで短絡的な事をするとは思いませんでしたから」

(口調が戻ってる……冷静さを取り戻してしまったようね)

 

 先程のままならば付け入る隙はあったものの、今のアリアからはそれを感じ取れず紫は内心舌打ちをした。

 とはいえ――負けるわけにはいかないのだ。

 光魔と闇魔を構え、刀身に妖力を編み込んでいく。

 紫のその姿を見て、アリアは小さく鼻を鳴らしながら。

 

 

「もう一度言いますわ八雲紫、今すぐこの世界から……往ねっ!!」

 

 絶殺の意思を込めて、紫目掛けて突貫していった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第74話 ~浮かぶ疑問、理解する驚愕~

紅魔城と紅魔館、二つの場所で死闘が繰り広げられる。
紅魔館にて宿敵であるアリアと戦う紫であったが、激情に駆られるアリアのとある一面を理解してしまう……。


 

 地を蹴り、美鈴は真っ直ぐ敵である拳王へと向かっていく。

 踏み込みながら彼女は“気”を練って握り拳大ほどの大きさの気弾をそれぞれの掌に生成。

 愚直な彼女の動きに嘲笑を送りながら、拳王は美鈴の頭部を粉々に砕こうと右の拳を放つ。

 風を切り裂くその拳は、人でありながらあの鬼の拳にすら匹敵するほどの強大な破壊力を秘めている。

 

「っ」

 

 それを美鈴はギリギリまで引付け、当たる直前に頭部だけを真横に動かし攻撃を回避。

 しかし拳圧により彼女の頬には決して浅くない裂傷が刻まれるが、それには構わず美鈴は更に拳王との間合いを詰める。

 互いに密着するほどの距離まで踏み込んだ美鈴は、両手にある気弾を拳王の胸部へと叩き付けた。

 

「星脈連弾!!」

 

 生命エネルギーの塊である気弾をまともに受け、拳王の身体が後退していく。

 防御もできずにまともに受けた、だが拳王は両足に力を込め地面を削りながら後退する事で吹き飛ばされるのを阻止。

 星脈連弾を当てられた胸部から煙を発しながらも、顔を上げた拳王には愉しげな笑みが浮かんでいた。

 

「し――!」

 

 自分の渾身の一撃が効いていない事に顔をしかめつつ、美鈴は再び踏み込んだ。

 続いて繰り出すのは右足による頭部を狙った回し蹴り。

 拳王の頭部を真横から蹴り砕かんとする一撃を放つ美鈴であったが、その蹴りは拳王の左手によってあっさりと受け止められてしまった。

 

「くっ、この……!」

 

 右足を掴まれたまま、美鈴は左足による蹴り上げを放つ。

 けれど不発、拳王は上体だけを逸らし彼女の蹴りを回避し。

 

「ぬうんっ!!」

「うわっ――――がっ!?」

 

 右足を掴んでいた左手を大きく振り上げ、その剛力を用いて美鈴の身体を勢いよく地面に叩きつけた。

 爆撃めいた音を響かせながら、叩きつけられた美鈴の身体が地面に沈む。

 更にその余波によって周囲の地面に亀裂が走り、如何に今の叩きつけによる破壊力が凄まじいのかを物語っていた。

 地面に沈んだまま、美鈴は起き上がらない。

 それを見て拳王は小さく鼻で笑いながら、腕を組んで戦いを観戦していた龍人へと視線を向ける。

 

「さあ、次はヌシの番ぞ? 今度こそ楽しませてもらおうか!!」

「……それは無理」

「なに……?」

「だって――まだ勝負は終わってないだろ? 美鈴」

 

 龍人がそう告げた瞬間、地面が爆ぜた。

 それと同時に飛び出してくるのは、額から血を流しながらも瞳に先程以上の闘志を宿した美鈴であった。

 完全なる不意打ち、拳王もその奇襲に反応するのに一歩遅れてしまい。

 

「天龍脚!!」

 

 虹色のオーラを纏った渾身の蹴り上げを、まともに受ける事となってしまう。

 しかし美鈴の攻撃はまだ終わらない、吹き飛ぶ前に彼女は強引に拳王の服を掴み上げ、腹部に膝蹴りを叩き込む。

 更に掴んでいた服を放すと同時に肘鉄、掌底、後ろ回し蹴りを連続で繰り出し。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 両の拳を用いて、凄まじい拳撃の嵐を拳王へと叩き込んでいった。

 まるで機関銃のような速さの打撃音が周囲に響く、美鈴は一気にこれで勝負を決めるようだ。

 

「……凄まじい拳じゃな、あの娘……あんなにも強かったのか?」

「妖怪としての強靭な肉体だけでなく、人間が編み出した武術にも通じている。美鈴殿を見てると単純な力の大きさだけで勝負が決まるわけではないと思い知らされますね……」

「…………」

 

 既に百以上の拳打を与えている美鈴のラッシュは、終わりを見せない。

 彼女の打撃は確かに届いているだろう、拳王は血反吐を吐きながら反撃する事もできず打たれるがままだ。

 ……だが、拳王から重く凄まじい“気”が少しずつ溢れ出しているのを、龍人は感じ取っていた。

 美鈴もそれに気づいているのだろう、圧しているというのに彼女の表情には確かな焦りの色が見える。

 

「コォォォォ……!」

 

 拳打を止め、呼吸を整える美鈴。

 次の一撃で確実に仕留める為、彼女は体内の“気”を一気に放出しながら――必殺の一撃を繰り出す。

 

 両手を拳王へと向ける美鈴、そこから現れるのは練りに練った気弾であった。

 しかしその気弾の大きさと密度は今までの比ではない、秒を待たずに大きさは美鈴の長身を易々と呑み込める程に大きくなっている。

 更に気を練って気弾の大きさを上げていく美鈴、そして。

 

星脈地転(せいみゃくちてん)超練気弾(ちょうれんきだん)!!」

 

 五メートル超まで肥大化した巨大気弾を拳王に叩き込み、周囲の地面や空気を吹き飛ばしながら、彼の身体を遥か後方の森まで吹き飛ばしてしまった――

 

 

 

 

 一本の神剣と、二本の魔剣が凌ぎを削る。

 風切り音を響かせながら、2人の女性は互いに相手の命を奪う為に己が獲物を振るっていた。

 その内の1人――紫は息を乱しながら自身が持つ光魔と闇魔を大きく振り上げる。

 それを見たもう1人の女性――アリアは紫の行動を冷たく見据えながらも、手に持つ神剣を真横に構え防御の体勢に。

 

 上段から振り下ろされる二刀の一撃、加減も躊躇いも存在しない紫の一撃はしかし、あっさりとアリアの神剣によって受け止められてしまった。

 暫し鍔迫り合いになりながら互いに相手を睨む両者、やがてどちらからともなく距離を離し仕切り直しに。

 

「フゥ……フゥ……」

「…………」

 

 呼吸を整えている紫とは対照的に、アリアは息一つ乱していない。

 それが両者の明確な力の差を表しているように見え、紫は歯噛みしつつも光魔と闇魔を持つ両手に力を込めた。

 

 既に紫とアリアは崩壊した紅魔館から離れ、近くの山岳地帯にて戦いを繰り広げていた。

 遠くでは僅かに戦闘音が響いている、ゼフィーリアとロックもまた戦っているのだろう。

 

「……見苦しい女」

「…………?」

「勝てないと理解しているのに、尚も立ち向かう……それがどれだけ愚かしい事なのか、わからないわけではないでしょう?」

「……そうね。私自身内心では今の自分じゃあなたには勝てないと理解しているわ、でも――逃げるわけにはいかないのよ」

 

 たとえ逃げる事ができたとしても、その瞬間に“八雲紫”は死ぬだろう。

 もう自分は1人で生きているわけではない、背負うものがあり支えたいと思う存在が居る今の紫に、安易な逃げは許されなかった。

 だからこそ紫はアリアに立ち向かう、勝てないという理屈すら乗り越えた未来をこの手で掴む為に。

 

「彼の真似事をしようとも、自らの醜さは決して隠せないのよ?」

「本当に私を心底嫌っているのね。――龍人の傍に居る私が、羨ましいのかしら?」

「…………」

 

 紫が口元に挑発めいた笑みを浮かべたまま上記の言葉を口にした瞬間、アリアの纏っていた空気が一変する。

 凄まじい、などという表現すら追いつかない程の、濃密で重苦しい殺意。

 

「……図星だったようね。でも予想以上の反応で驚いたわ」

「…………」

「ゼフィーリアの言った通り、すっかり仮面が剥がれてしまったようね。でも今のあなたの方がより生き物らしいと思うけどね」

「――――殺す」

 

 たった一言、ただそれだけで紫の身体は心底震え上がった。

 ……どうやら挑発が過ぎたらしい、だが同時に今のアリアは冷静さを欠いている。

 単純な力では及ばないが、たとえ力で及ばなくとも――やりようはある。

 

 瞳を閉じ、紫は自身の精神を内側へと持っていく。

 そこから取り出すのは自身の能力、能力開放の理だ。

 諸刃の剣になりかねない紫の能力解放だが、目の前の相手を打倒するにはこれしかない。

 自身の中にある力を表へと持っていく、すると目を開けた紫の瞳は――赤黒く不気味な色へと変貌していた。

 

「無駄な事を……お前のような女に、一体何ができるのよ!!」

「あなたを倒す、それが龍人を守る事に繋がるなら……私は私の総てを懸けて必ず討つわ!!」

「っ、何も知らない小娘が吠えるなっ!!」

 

 同時に踏み込む紫とアリア。

 紫は上段から二刀を交差させるように振り下ろし、対するアリアは横薙ぎの一撃を繰り出した。

 互いの一手が繰り出されたタイミングもまったくの同時であり、三本の刀は吸い込まれるようにぶつかり合って。

 

 

――紫は、自分の意識がアリアと混ざり合うような不可思議な感覚に襲われ。

 

――気がついたら、紫はアリアと共に初めて能力開放をした際に訪れた異界である“境界の地”へと足を踏み入れていた。

 

 

「えっ……!?」

 

 状況が理解できず、紫の思考は一度停止を余儀なくされる。

 地面すら見えない漆黒の空間、空には数え切れぬ程の扉と瞳が浮かび上がっており、間違いなくここはかつて自身が一度だけ訪れた不可思議な異界だという事を思い知らされた。

 しかしだ、同時に何故この場所に飛ばされたのかという至極当然の疑問が紫の頭に浮かぶ。

 それも――自分だけでなく、アリアまでこの空間に存在するのは一体何故なのか。

 

「――あら? 随分と珍しいのを連れてきたのね」

 

 少しだけ驚いたような口調でそう告げながら、紫の前に現れたのは――彼女とまったく同じ姿形をした1人の女性。

 さすがに二回目だったせいか、紫は驚く事はなくすんなりと女性と対峙しているが、一方の女性は紫の態度に不満げな表情を見せていた。

 

「つまらないですわね、自分と何もかも同じ女が目の前に現れたのですから、もっとこう……リアクションしてくださいません?」

「……二回目だもの、それよりも訊きたい事があるのよ」

「どうして自分が望んでも居ないのにこの地へと来てしまったのか、でしょう? そこの女の妖力と貴女の妖力が干渉し合ったせいでしょうね、しかも貴女は能力開放状態だったから余計にこの地に入る“扉”が大きく開いていたでしょうから」

「…………何故、アリアが関係しているの?」

 

 この地は、正確には現実世界ではない。

 紫自身も完全にこの地の事を把握しているわけではないが、ここは“八雲紫”と目の前の自分と同じ姿形をした謎の女性以外の存在は決して干渉する事はできない筈。

 だというのに、アリアは自分と同じくこの地に足を踏み入れている、それが紫には理解できずしかし。

 

「ここがどんな場所なのか理解できるのなら、自ずと答えは見つかるのではなくて?」

 

 女性の、わざとらしい曖昧な言葉で。

 けれどその言葉で、紫は否が応でも答えに辿り着いてしまった。

 それと同時に浮かべる表情は――驚愕と戸惑い。

 答えには辿り着いた、けれどそれは容易に信じられる内容ではない。

 

「やっぱり信じられない? でもね紫、貴女が辿り着いた答えは正解よ」

「…………」

「でもそんな事どうだっていいじゃないの、貴女にとってそこの女は明確な敵であり越えなければならない壁、ただそれだけでしょう?」

「それは……」

 

 確かに、女性の言っている事は正しい。

 彼女が何者であったとしても、自分にとって敵である事に変わりはなく、いずれ雌雄を決する相手でしかない。

 ただ、彼女が自分の考えている通りの存在だとすると……。

 

「――ところで、さっきからだんまりを決め込んでいるようだけれど、話に参加しなくていいのかしら?」

「…………」

 

 女性に話しかけられても、アリアは無言を貫く。

 そんな彼女の態度にも女性は気にした様子もなく、寧ろその態度が滑稽だと言わんばかりに小さく笑った。

 

「いつまで過去に縛られて生きているのかしら? もう貴女の物語は前に進まなくなったというのに」

「…………」

「挙句の果てには他の物語にまで干渉するなんて、初めてわたくしと出会った時に見せてくれた青臭くも美しい貴女は一体何処へ行ってしまったのでしょうね?」

「……黙れ」

 

 ギリと歯を鳴らし、アリアは音も無く右手に神剣を呼び寄せる。

 それを見て紫もいつの間にか両手から離れていた光魔と闇魔を呼び寄せようとするが、スキマを開く事ができない。

 

「この地で現実の武器を用いる事はできませんわ。ですが音に聞こえし神剣は例外だったようですわね」

「何を冷静に言っているの!? こちらがまともに力が使えないのなら……」

「大丈夫。――そうやって起きた事を認めず、ただただ憎しみと己自身の無力さに苛まれ全てをなかった事にする……貴女はこの子を浅ましいと言ったけど、はたして浅ましいのはどちらかしら?」

「……あなたならわかる筈よ、ワタシがこうなった理由を!!」

「ええ、ええ、それはもちろん。わかるからこそ……心底つまらないとわたくしは思っているのです」

 

 女性は笑う、アリアを憐れむように、蔑むように。

 いつの間にか女性は赤黒く変色した瞳を細め、睨むようにアリアを見つめていた。

 その視線のなんと冷たいものか、無機質でまるで汚物を見るかのような目に紫は驚きを隠せない。

 

「起きた事は戻せない、貴女の物語は貴女の望まぬ結果を残してしまったけれど、それもまた宿命。それを認める事ができずに堕ちた貴女は本当につまらない女」

「宿命……? あれが……あんな結末が、ワタシの宿命だったというの!?」

「そうよ、それもまた物語の一つ……現実はハッピーエンドばかりじゃない、そんな事貴女ならわかっていたでしょうに」

「ふざけないで!! あんな、あんな現実……認められるわけがない、ワタシが望んだわけではないわ!!」

 

「――――」

 

 アリアの初めて見せる、未熟な少女のような激情。

 今まで対峙してきた彼女からは、まるで想像できない姿に紫は先程から会話に入っていけず驚く事しかできなかった。

 ……一体、彼女の過去に何があったというのか。

 まるで自分の思い通りにならないから喚き散らす子供のようなアリアは、紫からしても滑稽で見苦しく映っている。

 けれど同時に、どうしようもなく……その姿が、自分と重なってしまっていた。

 

「ワタシは認めない、認められない。それなのに……そこの女は、のうのうと彼に縋り、甘え、守られようとしている!!」

 

 アリアの視線が、紫に向けられる。

 その視線は射殺す勢いに満ち溢れ、明確な殺意と激情が紫個人に向かって放たれていた。

 

「確かにそれはある意味当たってはいるけど、この子も彼もお互いにお互いを尊重して同じ立場として前に進んでいる」

「だからこそ許せない、いずれこの八雲紫は龍人を死に至らしめる。この女の存在が彼を苦しめる!!」

「それはまだわからないわよ。この子と貴女の歩みは同じように見えて違うもの、それに何より……自らの意志で堕ちた貴女が、この子の物語を穢す事は許されないわ」

 

 口調にほんの少しの怒気を含ませ、女性は言う。

 

「いい加減目を醒ましなさいアリア・ミスナ・エストプラム。貴女も一度はここへの“扉”を開いた者ならば、自らに起こった事を受け止めその上で正しい選択を選びなさい」

「……これが、ワタシが正しいと選んだ選択よ」

「そう…………やっぱり一度堕ちてしまえば、這い上がる事はできないか」

 

 つまらなげに、けれど同時に少しだけ悲しそうに呟いて、女性はパチンと指を鳴らす。

 刹那、アリアの姿が一瞬で消え、気配も完全にこの世界から消え去った。

 

「……消したの?」

「まさか。ただ現実に帰しただけですわ、ここは現実であって現実ではない異界。

 例外を除いて、ここで生命を奪う行為は決して行えない。何よりも……彼女の命を奪うのは、わたくしの役目ではありませんもの」

 

 そう言って、女性は紫へと視線を向ける。

 その視線が何を意味するのかわかり、紫の表情が僅かに強張った。

 ……お前が討てと、お前が彼女の命を奪えと告げているその目は、紫にとって直視したくない類の視線であった。

 

「前に進む為には致し方ない事ですわ、今更怖気づいたわけではないでしょう? アリアを討たねば……いずれ彼の命が奪われる」

「…………わかっているわ。けど一つだけ教えてほしい」

「嫌ですわ」

 

 紫が内容を話す前に、女性はきっぱりと拒絶の意志を見せる。

 おもわず紫は面食らったように女性へと視線を向け、そんな紫を愉快げに見つめながら女性は言葉を続けた。

 

「アリアの事を知れば貴女は必ず躊躇いを生む、そしてその躊躇いは破滅を生み貴女の物語が終わりを迎える遠因となる。

 それがわかっていながらアリアの事を教えるわけにはいきませんわ、せっかく久しぶりに……本当に久しぶりに、ゴールに辿り着ける可能性を秘めた物語に出会えたのですから」

「……あなたは、一体何者なの?」

「わたくしは観察者、貴女“達”の物語がどのような過程で進みどのような結末を迎えるのかを見届ける者。――さあ、そろそろお帰りなさい」

 

 女性がそう告げた瞬間、紫の視界が霞んでいった。

 どうやら本当に帰されるらしい、まだまだ訊きたい事が沢山あったというのに……せっかちなものだ。

 けれど紫はあっさりと諦める、こうなってしまえばこれ以上此処には居られなくなるというのが本能的に理解できたのもあるが、何よりも目の前の女性が自身の疑問に答える事はないだろうと理解したから。

 

 

――そして、紫は現実へと帰還を遂げる。

 

 

 まず始めに広がったのは、眩いばかりの満天の星々。

 背中に固い感触が広がり、起き上がると岩の上に寝ていた事がわかる。

 傍には光魔と闇魔が転がっていて、それを拾いながら紫は立ち上がった。

 

「…………アリア?」

 

 周囲を見渡すが、先程まで戦っていたアリアの姿が見当たらない。

 そればかりか彼女の妖力を感じ取る事ができない、少なくともこの周囲数キロ地帯には彼女は存在していなかった。

 もしかしたら、あの女性が安全を考え彼女を何処か遠くの場所に飛ばしてから目覚めさせたのかもしれない。

 規格外なあの女性ならば可能かもしれない、そう自己完結しながら紫はいまだ戦いの続いているであろうゼフィーリア達の元へと向かおうとして。

 

「――おお、そちらも終わったのか?」

「ぜー……ぜー……し、死ぬ……」

 

 紫の前に、身体の至る所に裂傷を刻ませながらもいつもの調子を崩さないゼフィーリアと、疲労困憊といった様子のロックが現れた。

 そして――ゼフィーリアの左腕には、ピクリとも動かないカーミラの姿が。

 

「ゼフィーリア、ロック……」

「ほぅ……よもやお前1人であの女を討てるとはな、一体どんな搦め手を用いて倒したのだ?」

「……いいえ、勝ったわけではないわ。負けたわけでもないけど」

「?」

「それよりも……彼女、まだ生きているの?」

 

 カーミラを指差しながら、紫はゼフィーリアに問うた。

 抱えられたカーミラは先程からポタポタと血を流し地面を赤く穢している、そのダメージは傍目から見ても甚大なものだ。

 けれど生命の灯火が消えたようには見えない、するとゼフィーリアは笑いながら紫の問いに答えを返す。

 

「いずれ殺す、ただこいつからまだレーヴァテインを抜き取ってはおらぬし……訊きたい事もある」

「訊きたい事?」

「まあそれは後で話せばよいだろう、とりあえず戻るぞ」

「スキマで戻る?」

「いや、お前も疲労しているだろう。先程から軟弱な態度を見せる夫にはちょうどいい運動だ」

 

 言いながら、未だに荒い息を繰り返しているロックを軽く小突くゼフィーリア。

 恨めしそうな視線を返すロックだが、本当に疲労困憊なのかされるがままだ。

 まあ幾らなんでも吸血鬼や下級悪魔達を同時に相手にすればこうもなる、寧ろ五体満足で居る辺りさすがゼフィーリアの夫と言うべきか。

 

 さあ戻るぞ、ゼフィーリアの声を皮切りに3人は飛び立ち紅魔城へと向かっていく。

 ……アリアが実は隠れていて不意打ちを仕掛けてくると思っていたが、結局はそんな事は起こらなかった。

 どうやら本当にあの女性が彼女を別の場所へと飛ばしてしまったらしい、そうでなければ仕掛けてこない理由には繋がらないからだ。

 

――けれど、胸騒ぎがした。

 

 小さな、けれど決して無視できないそれを感じ取った紫は、無意識のうちに飛行する速度を速めていく。

 一刻も早く紅魔城に戻らなければ、そんな不安めいた考えを頭に過ぎらせながら……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第75話 ~神成る妖~

紅魔城の戦いも、終わりを迎えようとしていた。
しかし彼等はまだ気づかない、遭ってはならぬモノが紅魔城へと近づいている事に……。


 

 

 地面に膝を突き、荒い息を繰り返す美鈴。

 錬りに錬った自身の“気”の殆どを相手に打ち込む必殺の一撃は、彼女の体力を著しく消耗していた。

 けれどその技である「星脈地転超錬気弾(せいみゃくちてん ちょうれんきだん)」を受けた拳王は、紅魔城が建つ岩山の下に広がる森の中へと消えていった。

 

 戦いは終わりだろう、あれだけの破壊力を持った美鈴の一撃を受ければすぐには立ち上がれまい。

 さすがに命を奪う事はなかったが、それでもまた立ち向かってくる余裕は向こう側には残されていないだろう。

 そう判断した龍人は、同じ事を考えていた妖忌と共に美鈴を労う為に彼女の元へと向かおうとして。

 

 

「――流石よな。まがりなりにも龍の力を使えるだけの事はある」

 

 聞き慣れない、けれど同時に聞いた事のあるような声が空から聞こえてきた。

 

 

『っ……!』

 

 同時に動きを見せる龍人と妖忌。

 龍人は一瞬で自分の獲物である長剣を右手に喚び、妖忌は腰に差していた桜観剣を抜き取った。

 それと同時に2人はそれぞれ霊力と妖力を刀身に込め、上空から降ってきた光弾に向かって振るい見事弾き飛ばす。

 

 そして。

 弾かれた光弾は、放物線を描きながら紅魔城の一角へと飛んでいき。

 

――耳をつんざくような轟音と共に、城壁を大きく抉り飛ばしてしまった。

 

「えっ……えっ?」

 

 目の前に広がる光景を見て、美鈴はただ愕然とした。

 突然自分達に向かって降ってきた一発の光弾、それは龍人と妖忌によって弾かれた。

 そこまではいい、だが――何故あんな小さな、大人の握り拳大程度の大きさの光弾が紅魔城の城壁に触れただけで。

 

 強固な城壁を容易く吹き飛ばしてしまっているのか、理解できない――

 

「…………」

 

 空を見上げる龍人。

 見えるのは黒雲の中から僅かに覗く白い光を放つ月と。

 

 支配者のように君臨している、1人の女性だけであった。

 

「……なんじゃ、あやつは」

 

 桜観剣を握る手に力を込めたまま、妖忌は呟く。

 十中八九、先程の奇襲は空に浮かぶあの女性によるものだろう。

 肩が大きく露出した藍色の着物に身を包み、不遜な態度で自分達を見下ろしている絶世の美女と称されるであろう容姿を持つ女性の態度に、妖忌は不快感を露わにする。

 

 このような事をいきなりしでかしたのだ、間違いなくあの女は自分達にとっての敵でしかない。

 そして敵であるのならば己が剣で斬り伏せる――そう思っているのだが、妖忌はその場から動けないで居た。

 妖忌だけではない、疲労している美鈴はともかくとしてもまだ余力を残している龍人すら、女性を見上げるだけで反撃に移ろうとする気概すら見せなかった。

 

 得体の知れない存在だから、というのも理由の一つだ。

 見た目は人型ではあるものの、女性には銀に輝く髪の上に同じく銀色に輝く獣の耳、そして人にはない一本の銀の尾が見える。

 先程の光弾からは妖力を感じられたし、あの女は妖怪なのだろうという認識を抱いているがそれだけで攻めあぐねる彼等ではなかった。

 では、何故彼等は何の動きも見せないのか。

 

 決まっている――“恐い”と思ってしまったのだ、空に浮かぶ美しき獣の女を。

 

 理由としては単純なもの、ただ恐ろしいと思っただけ。

 対峙してはならない、見てはならない、立ち向かってはならない。

 内側から発せられる警鐘は一向に止まる気配を見せず、3人はただただ空を見上げるのみ。

 

「そのまま間抜け面を晒しているのは結構だが、死にたくないのならそこから消えた方がいいぞ?」

 

 何の感情も込められていない口調で、女性は言う。

 その声で呪縛が解けたのか、3人は漸く紅魔城の惨状に気を回す余裕を生む事ができた。

 

 だが、遅い。

 獣の女は既に、次の一手を解き放とうとしていた。

 

「――――」

 

 刹那。

 龍人は、これから何が起こるのかを直感で感じ取ってしまう。

 けれどそれは、彼の感覚が特別優れているからというわけではない。

 彼が、龍人という存在が“龍人族(りゅうじんぞく)”であるが故に、わかってしまったのだ。

 

「まっ――――」

 

 一歩遅れて、彼と同じく“龍人族”としての力を持つ美鈴も気づいたのか、顔を青くさせながら口を開いた。

 待って、そう言おうとする彼女の言葉はしかし。

 

 

――獣の女が生み出した、死の光弾が放つ爆音にかき消されてしまった。

 

 

 撃ち放たれる黄金色に輝く光弾。

 その一つ一つが先程以上の大きさを持ち、それに比例して込められている力の大きさも増大している。

 それが数十、数百、少なくとも数え切れぬ数を一斉に撃ち放たれたのだ。

 狙いなど定めず、まるでばら撒くように放出されていくそれは、まともに受ければ龍人達の頑強な身体でも半分以上吹き飛んでしまう程の破壊力を持っている。

 

 掠りもできない、かといって避けきる事ができる密度ではない。

 濃密な死の気配によって全身を震わせながらも、龍人達は同時に跳ねるように地を蹴った。

 

 そして、もはや爆撃と変わらぬ衝撃と轟音を響かせる世界の中で。

 3人はただひたすらに逃げながら、どうにか自身の命を繋ぎ留めていた。

 

 ほぼ全ての力を回避に専念、どうにしても避けられない光弾は剣や拳でどうにか弾いていく。

 

「紅魔城が……!」

 

 美鈴が叫ぶように言う。

 光弾は当然3人だけでなく、紅魔城にも降り注いでいる。

 先程の小さな光弾でも城壁の一部が抉られたのだ、数百を超える数、それも威力も上がった光弾の雨が降り注いでいる紅魔城は、秒単位で崩壊への道を歩んでいた。

 ゼフィーリアが常時展開している魔力障壁など簡単に貫通し、光弾は赤き城を容赦なく砕いていく。

 

 だがそれよりもだ、中に居る者達の安否の方が3人には気になった。

 しかし確認に行く事はできない、今こうしている間にも自分達があの城と同じ末路を迎えようとしているのだから。

 かといってこのまま防戦一方ではいずれ押し切られるのは明白。

 

 だから。

 龍人は、一か八かの賭けに打って出る事に決めた。

 

「――――」

「っ!? おい龍人、何をしている!!」

 

 自分の身が危険になるのを承知で妖忌は叫んだ。

 当然だ、この光弾の雨の中、龍人が狙ってくださいとばかりに立ち止まれば叫びたくもなる。

 あまりに愚行、自ら死地に立つなど正気の沙汰ではなかったが。

 

「――くらえ!!」

 

 当然、龍人は死ぬつもりもこのまま逃げ続けるつもりもなかった。

 

 右手に持っていた長剣を上空に向かって投げる。

 白銀の輝きを放ちながら弧を描き飛んでいく長剣には、ありったけの“龍気”が込められていた。

 当たれば並の妖怪なら即死、力のある妖怪とて無事では済まぬ破壊力が込められたその長剣が飛んでいく先など、当然決まっている。

 

「いい狙いだ」

 

 賞賛の言葉を呟きながら、獣の女は無造作に左手を小さく動かす。

 瞬間、甲高い音を響かせながら――獣の女の首を討とうとしていた長剣が粉々に砕け散った。

 

「――――」

 

 まさしく怪物。

 必殺の一撃には程遠いものの、決して加減などしていない一撃だったのに、この有様だ。

 あの長剣はまさしく一級品の業物だった、銘はわからぬが今はすっかり紫の愛刀となっている光魔と闇魔にも引けをとらない。

 だというのに砕かれた、本当に呆気なく、あんなにも簡単に。

 

 だが、今は愛用の剣が失われた事実に嘆いている暇はない。

 寧ろ龍人としては、この結果は充分予想できていた。

 何せ相手はあまりにも得体の知れない生物だ、妖怪とか人間とか、そういったカテゴリーに含まれるモノではない。

 

 馬鹿正直に攻めれば死ぬ、かといって搦め手が通用するような単純な相手でもない。

 それでも隙を作らねば一撃すら与えられない、だから龍人は躊躇いなくあの長剣を犠牲にした。

 結果として相手に傷一つ付けられなかったものの、まったくの無駄になったわけではないのだから。

 

「――この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき、噛み砕く」

「むっ?」

 

 光弾の雨を掻い潜りながら、獣の女へと接近する龍人。

 長剣の犠牲によってほんの僅か、一秒にも満たぬ時間ではあるものの、相手に接近する猶予ができた。

 その瞬間、龍人は“紫電”を用いて一気に加速、それと同時に右手に自身が放てる最高の技を組み込んでいく。

 

 黄金色に輝く龍人の右腕。

 その光は一瞬で臨界に達し、けれど獣の女は龍人の動きに反応する事ができず。

 

龍爪撃(ドラゴンクロー)――――!!」

 

 その胸に、黄金の一撃が叩きつけられた――――

 

「…………」

「――――」

 

 光弾の雨が止んだ。

 周囲には生暖かな風が流れ、パチパチと火が爆ぜる音が響き渡る。

 その上空で、龍人は龍爪撃(ドラゴンクロー)を放ったままの体勢で。

 

 

「――――お前は、こんな程度だったのか」

 

 つまらなげに吐き捨てられた声を、眼前から耳に入れた。

 

 

「――嘘、だろ――」

 

 目の前の現実が信じられず、掠れた声が零れ落ちる。

 ……無意味だった。

 龍人が仕掛けた渾身の一撃は、確かに命中したが――獣の女には塵芥の効果もなかったのだ。

 

 かつて、多くの妖怪との戦いで決定打となってきた龍人の龍爪撃(ドラゴンクロー)

 その破壊力はまさしく“必殺”の名を冠するに相応しい技だった。

 

 だというのに、獣の女は口元から僅かに血を垂らすだけ。

 直接叩きつけた箇所も、僅かに服を焦がしただけで肌にすら届いていない。

 悪い夢だ、そう現実逃避したくなる程に異常な結果であった。

 

「馴染む身体のまま退屈を紛らわしたかったのだが、この時点ではこの程度でしかないか」

 

 失望の色を隠そうともせず、獣の女は言う。

 そして、彼女は左手で龍人の右腕を掴み、ゴミを軽く投げ捨てるように左手を振った。

 瞬間、龍人の身体はまるで投げ槍のように飛んでいき、既に八割以上崩壊した紅魔城の瓦礫の中に消えていった。

 

「龍人!!」

「龍人さん!!」

 

 妖忌と美鈴が叫ぶ、それには構わず獣の女は右手を天に掲げあるものを創り出した。

 右手に形成される光弾、それは先程機関銃のように撃ち出していたものと変わらないものだ。

 寧ろ先程のよりも小さく、大きさでいえば最初の奇襲の時のものよりも更に小さい、子供の手でもすっぽりと覆えるほどの大きさであった。

 

 けれど、それを見た瞬間――妖忌と美鈴は戦慄した。

 

 あの光弾は、()()()()()()()()

 小さな、あんなにも小さな光弾だが、内側から感じる力は次元が違う。

 先程の爆撃めいた攻撃が児戯に思えるほどに、放たれようとしている次の一手は異常過ぎた。

 

「冥想――」

「星脈地転――」

 

 同時に動く妖忌と美鈴。

 近距離攻撃では間に合わない、なので2人は自身が出せる最速の遠距離攻撃で止めようとして。

 

「天照の光」

 

 その前に、世界が極光に包まれた――――

 

 

 

 

――地獄が、広がっている。

 

 胸騒ぎがした。

 考え過ぎだと思いつつも、紫は内側からじわじわと溢れ出そうとする不安を拭う事ができなかった。

 杞憂であると思いながらも、結局彼女は半ば強引にゼフィーリア達と共にスキマですぐに紅魔城へと戻り。

 

 瓦礫の山と化している紅魔城を見て、愕然とした――

 

「…………龍人?」

 

 彼の名を呟く紫。

 けれど彼女の視界には彼の姿は見えず、見えるのは一面の瓦礫と炎だけ。

 紅魔城だったものからは僅かに生命の息吹が感じられ、彼はもしかしたら瓦礫の中に居るのかもしれないと紫はすぐさま降り立とうとして。

 

「――何故生きている? アリアを降したというのか?」

 

 見慣れぬ女が、邪魔をしてきた。

 

 あまりにも間の悪いその声は、紫にとって耳障り以外の何物でもない。

 瞳と表情に怒りと苛立ちを浮かべながら、紫は自分の邪魔をした声の主へと視線を向けて。

 

 その、デタラメな力を目の当たりにして。

 龍人を心配する心も、恐怖によって上書きされてしまった。

 

「――――」

 

 なんだ、あれは。

 なんなのだ、目の前に浮かぶ異形は。

 

 紫は妖怪の中でもとりわけ相手の力量を感じ取る能力に優れている。

 だからこそわかった、自分の前に居る獣の耳と尾を持つ女性の異常な力を肌で感じ取れた。

 妖力だけでも大妖怪と呼ばれる存在のおよそ四倍近く、だが目の前の女から感じられるのは妖力だけではない。

 

「我の“神力”を感じ取れるのか?」

「………………」

 

 やはり、と紫は自分の感覚に間違いはないと思い知らされる。

 ……どういうわけなのか、この女からは妖力だけでなく神力も感じられた。

 

 神力。

 読んで字の如く、神々ないし神格化した生物が扱う事のできる力の総称。

 その力の密度は霊力や妖力とは比べものにならない程高く、故に――通常であるのなら神力を持つ者に対抗するには同じ神力を得るしか方法はないとされる。

 

「……お前が、これをやったのか?」

 

 ゼフィーリアが問う。

 常に尊大で余裕を見せる彼女が、震えた声で獣の女へと問いかけている。

 吸血鬼という強大な力を持つ妖怪であるゼフィーリアも、紫と同じく目の前の存在の力を感じ取っていた。

 

 だからこそ理解する、どう足掻いても勝てないという事実を。

 向こうが仕掛けてきたら、抵抗しても無惨に殺されるだけだとわかってしまう。

 冷や汗がゼフィーリアの頬を伝う、そんな自分に苛立ちを覚えながらも身体の震えが止められないでいた。

 

「………………」

 

 獣の女がゆっくりと紫達に近寄っていく。

 身構える2人であったが、虚勢を張っているのがすぐにわかる程に逃げ腰になってしまっている。

 それを見て何を思ったのか、獣の女は無言のまま紫達の元へと向かっていき。

 

――そのまま何もせず、彼女達の横を通り抜けてしまった。

 

「え…………?」

「――もう充分に戯れた、退屈しのぎにはならなかったがな」

 

 振り向こうともせず、獣の女はつまらなげに告げる。

 

「ま、待って!!」

 

 内から溢れようとする恐怖にも構わず、紫は振り向きながら獣の女へと声を掛けた。

 相も変わらず相手は紫達へと振り向こうともせず、けれどその動きを止める。

 

「あなたは……何者なの……?」

「名は無い。寄り代となったこの肉体の精神は既に消えているし、その者の名を使うつもりもない。――神弧(しんこ)とでも呼べばよい」

 

 そう言って獣の女――神弧は再び紫達から離れていきながら。

 顔だけを紫に向け、憐れむように笑って。

 

「――悲しき女よな」

 

 氷のように冷たい声でそう言って、その場から一瞬で消え去った。

 

「…………」

「……紫、今は城の中に取り残された者達を救い出す」

 

 ゼフィーリアの声で我に帰り、けれど紫は頷く事しかできなかった。

 神弧の言葉が何を意味するのか、紫には理解できない。

 今はゼフィーリアの言う通り、瓦礫の山と化した紅魔城の中に取り残された者達を救出するのが先決だろう。

 

 でも、何度も自分にそう言い聞かせても。

 紫の頭の中から、神弧のその言葉が消えることはなかった――

 

「……ところでゼフィーリア、ロックの姿がさっきから見えないのだけれど?」

「あいつならあの神弧とかいう女の覇気にやられて、気絶しながら地面に落ちていったぞ?」

「…………」

「放っておけ。仮にも吸血鬼の肉体だから軽傷で済んでいるだろうし、何よりあんなにも情けない夫の姿を見ると助ける気にもならん」

「…………そうね」

 

 冷たい事を言っているが、同じ立場だったら紫も間違いなく見捨てている。

 なので紫もロックの事は放っておく事にした、というより龍人達の方が気になっているのでどの道ほったらかしにするつもりだったのだが。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




この章ももうすぐ終わりそうです。
最後までお付き合いくださると嬉しく思います。


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第76話 ~ゼフィーリアとカーミラ~

謎の女性――神弧の攻撃によって紅魔城は崩壊した。
けれど彼女はそれ以上の事はせず、紫に対し意味深な言葉を残したまま消えてしまう。

――戦いは、終わった。

納得のいかぬ結果に終わったが、戦いは確かに終わりそして。
吸血鬼姉妹の確執も、ここで終わりを迎えようとしていた……。


――夜が、明けようとしていた。

 

 闇の世界は一度終わりを迎え、生物にとって祝福の光である朝の日差しがもうすぐ訪れる。

 けれど、闇の中で生きる者達にとってその光は歓迎できるものではない。

 特に夜の一族と謳われる吸血鬼にとって、太陽の光は身体と心を蝕む毒と同じだ。

 

「ゼフィーリア、夜が明けるわ」

「わかっているよ紫、余は大丈夫だが……あまり気分の良いものではないのは確かだ」

 

 言いながら、ゼフィーリアは己が魔力を編み込んでいく。

 形成される術式は目ではっきりと見える程大きく、彼女を中心に一瞬で大きく展開された。

 その範囲は瓦礫の山と化した紅魔城とその周辺の森を纏めて覆い尽くすまで広がり、ゼフィーリアは魔術を開放する。

 

 瞬間、周囲に漂うのは――濃霧と呼べるほどに濃い霧であった。

 ただの霧ではない、太陽の光を遮断する特殊な魔力を込めた霧であり、吸血鬼という種族を守る為の魔術である。

 

「さて……次はこちらだな」

 

 両手を、瓦礫の山へと翳すゼフィーリア。

 紅い魔力が彼女の両手から溢れ始めると同時に、少しずつ地面を覆い尽くしている瓦礫の山が浮かび上がっていく。

 

 単純な、けれど城ほどの質量を持つ瓦礫をたった1人で浮かび上がらせるなど、並の魔力ではできない芸当だ。

 大妖怪としての力をまざまざと見せ付けられながらも、紫は空に巨大なスキマを展開させる。

 するとゼフィーリアは、浮かび上がらせた瓦礫をスキマの中へと放り込んでいく。

 

「便利な能力だな、本当に」

「……屈辱的な使い方だけどね」

「何を言う、他者の命を奪う使い方よりよっぽど理に適っているではないか」

「………………」

 

 そう言われてしまうと、紫としては反論に困ってしまう。

 確かにこの使い方のほうが自分には合っている、納得はあまりしたくないが。

 紅魔城を形成していた全ての瓦礫がスキマの中へと収まり、城があった場所に残ったのは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた荒野と。

 

 既に息絶えてしまっている、紅魔城の住人達だけであった――

 

「………………」

 

 あの正体不明の女――神弧が去ってから、紫達はすぐさま紅魔城に取り残された者達の救助を行った。

 住んでいる者達は低級とはいえ悪魔だったので、その殆どを救出する事ができた。

 当然龍人達もだ、尤も彼以外は気を失ったままなので休ませている。

 

 けれど――間に合わなかった者達とて、当然存在していた。

 

 運悪く神弧の無差別な攻撃を受けてしまった者は、その半身を消滅させられ。

 また彼女が最後に放ったという極光の光によって灰になった者も居た。

 

 起きた事は戻せない、失った命を蘇らせるなんて奇跡は起こらない。

 それは紫とてわかっている、わかっているが……彼女の胸には、棘で突かれているかのような痛みが走り続けていた。

 ……無意味な痛みだ、悔やみ続けるなど何の得にもなりはしないというのに。

 

 それなのに、紫の心は小さな小さな悲鳴を上げている。

 そしてそれは――彼女だけではない。

 

「紫」

「……龍人」

 

 自分の両手を優しく握り締める龍人を見て、紫は曖昧に笑った。

 彼も傷ついている、守れなかった者達を見て悲しんでいるのだ。

 

 けれど、彼はただ悲しんでいるだけではない。

 悲しみすら糧として、己が道を歩もうと新たな決意を抱いている。

 

――ああ、そうなのだ。

 

 彼がそういう“強さ”を持っているから、紫は自分の心が折れないと確信できる。

 胸に奔る痛みは今も続いているけれど、もうそれに押し潰される事はない。

 もう一度龍人に向かって笑いかける紫、その笑みは先程のような曖昧なものではなく……強さと優しさを含んだ美しい笑みであった。

 

「――さて、これからどうしたものか」

 

 ゼフィーリアの呟きを聞いて、紫は一度龍人から離れ彼女の元へ。

 

「ゼフィーリア、幻想郷に来たらどうかしら? あそこならあなた達を受け入れる事だって……」

「せっかくの申し出だが、断わらせてもらおう。別にその幻想郷とやらが気に食わないというわけではないぞ?」

「でも、紅魔城も紅魔館も崩壊してしまっているし、あなたの部下達だって……」

「それはわかっている。――なので少々不本意ではあるが、暫しの間“魔界”に行こうかと思ってな」

「魔界……」

 

 魔界。

 この地上とは異なる次元にある異界の一つ。

 悪魔や魔族と呼ばれる存在が生まれ育つ世界であり、常に瘴気が漂う危険な世界である。

 

「余の部下達の殆どは悪魔だ。あそこならば地上よりも傷の治りも早いだろうし、何より……新たな問題が発生してしまった以上、余達とて何もしないわけにはいかなくなった」

「………………」

 

 新たな問題、それは言うまでもなく突如として現れた脅威である神弧の事だろう。

 いつか必ず彼女は再びこの地上に姿を現す、そして今度は――今回のように見逃してくれる事などありえない。

 あれは生命の尊厳など考えもしない、ただただ機械的に他者の命を奪う殺戮者だ。

 

 故に対抗策を用意しておかなければ、今度こそこの世に生きる生命体達は消滅する。

 そんな確信めいた予感を抱いているのは、紫だけではなかった。

 

「かつて余も魔界で少々腕を磨いた事があってな、その際に“魔界神”と呼ばれる魔界の生命体全ての創造主と知り合った。魔界の神とは思えぬ昼行灯なヤツだがその身に宿す力と知恵は確かな女でな、力になってくれるだろう」

「そう……なら、一度ここでお別れになるのかしら?」

「そうなるな。衰弱している者も居るし、すぐに魔界の空気に触れさせてやった方がいいだろう」

 

 言って、ゼフィーリアは口を小さく開き詠唱を開始した。

 聴こえぬ声で彼女は言葉を紡ぎ、やがて身体から先程以上の濃密な紅い魔力が溢れ出していく。

 

 ゼフィーリアの魔力が彼女の身体から離れていく。

 やがてそれは渦となり、強い風を吹き荒らしながら地面に大穴を開けていった。

 大穴に展開される赤い渦、それは魔界へと繋がる“門”へと変化する。

 

「では紫、龍人。色々と世話になったな、他の者達にもよろしく言っておいてくれ」

 

 いつもと変わらぬ口調で、淡白な別れの言葉を放つゼフィーリア。

 その口調からはまったく別れを惜しんでいないのが伝わってくる、なんとも彼女らしいものだと紫は苦笑した。

 

 しかしだ、別れを惜しんでいないのは紫も同じであった。

 いずれまた会える、そう確信しているからこそ惜しむ必要などあるわけがない。

 だから紫はゼフィーリアに向けてただ笑みを返す、それ以上の言葉などいらないと示すために。

 

「――じゃあなゼフィーリア、あとロックは……気絶してるか」

「まったく……こういう情けない所を、いずれ生まれてくる子供達に受け継がれない事を祈らなければな」

「あらあら……」

 

 3人は笑う。

 そうこうしている内に、生き残った者達は続々と魔界へと続く“門”へと入っていき、最後にロックを掴み上げたゼフィーリアが入ろうとして。

 

 

「――お待ちなさい、お姉様」

 

 紫達の前に、満身創痍といった状態のカーミラが立ち塞がった――

 

 

「…………今は見逃してやろうと思ったのだが、姉の心をまるで理解せぬ愚妹よな」

「見逃す? 何をおかしな事を……いつからそんなに反吐が出る甘さを持つようになりましたの?」

 

 嘲笑するカーミラ。

 だが今の彼女には殆ど力を感じられず、虚勢を張っているのは誰の目で見ても明らかであった。

 だからこそゼフィーリアは敢えてカーミラを見逃そうと思った、しかしそれは決して妹を想う姉としての考えではない。

 

 既にゼフィーリアにとってカーミラは明確な敵であり、家族と呼ぶ存在ではなくなっている。

 では何故見逃すのか、それはゼフィーリアにとって今のカーミラは殺す価値もない存在だからだ。

 力の殆どを失い、スカーレット家に伝わる宝具である“レーヴァテイン”を満足に扱えぬカーミラなど、討ったところで何の価値も意味もゼフィーリアの中では生まれない。

 

 故に見逃す、“レーヴァテイン”を預けたままになるがいつでも彼女から取り返せるので焦る必要はない。

 総てを失ったカーミラなど、ゼフィーリアにとって何の脅威にも感じない小物と化しており。

 

――けれど、ゼフィーリアの温情ともとれるその態度は。

   カーミラにとって、死よりも屈辱的な現実であった。

 

「――私は誇り高き吸血鬼。夜を支配する一族の長になる者! 情けや優しさなど……不要なのです!!」

 

 彼女の右手に現れる、炎の剣。

 スカーレット家に代々受け継がれる魔剣、“レーヴァテイン”である。

 

 しかしその炎の輝きは嘲笑を送りたくなるほどに弱々しく、それがそのままカーミラの状態を表していた。

 今の“レーヴァテイン”ではゼフィーリアの命には決して届かない、それは場の居る全員がわかりきった事実であり、カーミラ自身すら気づいている事だ。

 辛うじて原型を留めている程度の魔力しか注がれていない魔剣では、容易く一蹴されるは明白。

 

 だが、それでも。

 カーミラは退かず、瞳に絶殺の意志を込めてゼフィーリアを睨みつけていた。

 

「…………そうか。そうだったなカーミラ、退かないのは……道理であったか」

 

 何かを納得したような呟きを零し、ゼフィーリアは魔力を開放する。

 一瞬で場の空気が重くなり、その余波で彼女の周囲の地面に亀裂が走っていく。

 

「龍人」

「えっ――うわっ!?」

 

 いきなり気絶しているロックを放り投げられ、驚きつつも龍人はしっかりと彼をキャッチした。

 仮にも自分の伴侶だというのに容赦のないものだ、彼女らしいといえばそれまでだが。

 紫達に視線を向けることはせず、ゼフィーリアは己が武器を呼び出した。

 

 瞬時に彼女の右手に現れる深紅の大槍“スピア・ザ・グングニル”、その切っ先をカーミラに向けながら、ゼフィーリアは最後の問いかけを放つ。

 

「父上と母上の願い、共に果たすつもりはないか?」

「戯言を。お父様もお母様も牙を抜かれた憐れな愚か者に成り下がっただけ、吸血鬼の面汚しですわ」

「面汚し……そうだな、我等の歩んできた歴史を顧みればそう思うのは当然か」

 

 強き力を持った吸血鬼は、常に弱者をその力で捻じ伏せ服従させてきた。

 人間に対しても家畜程度の認識しか示さず、ゼフィーリアよりも前の世代の吸血鬼達もそのような生き方が当たり前だという認識しか持っていなかった。

 それが間違いなどというつもりはない、だが……どんなものにも“変化”というものは訪れる。

 

「カーミラ、世界も時代も変わっていくのだ。……いずれ我々が家畜だと侮蔑してきた人間達は際限なくその数を増やし続け、やがて我等吸血鬼……否、妖怪と呼ばれる者達よりも多くなるだろう。

 そうなればもはや支配などという選択肢を選ぶ事はできなくなる、そればかりか逆に支配される可能性とて見えてくるのだぞ?」

「だから、下等生物である人間に服従しろと?」

「服従ではない、共存だ。父上も母上もいずれ訪れる未来を見据えたからこそ、他の吸血鬼達とは違う生き方を選んだのだ」

 

 尤も、その道は決して容易い道ではない。

 今まで吸血鬼が人間に行ってきた非道は決して許されないだろう、共存などどんなに年月が過ぎ去ったとしても叶わぬ願いなのかもしれない。

 それでもゼフィーリアとカーミラの両親はその道を選んだ、今までの生き方のままでは自分達に訪れる未来はないと理解したから。

 

 そしてゼフィーリアもそれが理解できたからこそ、今は亡き父と母の意志を受け継ぐと決めた。

 たとえ夢物語に過ぎない願いだとしても、そんな未来が訪れたらきっと今までとは違う生き方を選べると思ったから――

 

「所詮そんなものは誇りを失った愚か者の弁、くだらぬ妄言ですわ!!」

「………………」

 

 この反応は、充分に予想できたものであった。

 カーミラとは解り合えない、それは紫達と出会う前から確定していた事だ。

 ただ、それでも――この選択を理解してほしかったと思うのは、我儘なのだろうか?

 

 ……もはや、後悔など不要。

 目の前の存在は自分達にとっての敵、それ以上でもそれ以下でもないとゼフィーリアは改めて己に言い聞かせる。

 そして敵である以上、このまま生かしておくわけにもいかなくなったとも言い聞かせた。

 

「――さらばだ。誰よりも吸血鬼の誇りを忘れなかった妹よ」

「さようなら。誰よりも強い力を持ちながら臆病者になったお姉様」

 

 同時に動くゼフィーリアとカーミラ。

 互いに互いの命を奪おうと、一片の躊躇いも後悔も抱かずにそれぞれの獲物を振るい。

 

 

――深紅の大槍が、カーミラの胸部を貫いた。

 

 

「ご、ぶっ…………!」

 

 血を吐き出すカーミラ。

 深紅の大槍は、妖怪の心臓とも呼ばれる“核”を砕いた。

 妖怪の中でも高い生命力を持つ吸血鬼とて、“核”を砕かれれば死は免れない。

 

「……ふふっ、いつだってそうでしたわね。いつだって……お姉様には適わなかった」

「………………」

「力も、才能も、愛する夫も……私がどんなに願っても得られなかった者を、お姉様は手に入れてきた」

 

 身体を震わせ、血を流しつつもカーミラは独白を続ける。

 もうわかっているのだ、自分の命が尽きようとしているのが。

 けれど彼女はゼフィーリアに対して恨み言は放たず、独白を語る口調は今までにない程に穏やかなものであった。

 

「ずっと、羨ましかった……同じ両親を持ちながら、こんなにも違うお姉様が本当に妬ましくて……恨めしくて、羨ましかった……」

「……言い残す言葉は、それだけか?」

「…………まったく、最期の最期まであなたという女は……腹立たしいものですわ、ね……」

 

 ずるりと崩れ落ちるカーミラを、ゼフィーリアは左手で受け止める。

 情けを掛ける言葉も、後悔も、謝罪だって今のカーミラに与えていいものではない。

 だからゼフィーリアはあくまでカーミラの敵として、同時に姉としての言葉を放つ。

 

「いつか余もそちらに行く時が来るだろう。それまでに父上と母上の考えを理解する事を願うよ」

「ふ、ふふふ……そんな事、絶対、に……ありえま……せ……」

 

 ……消えた。

 最期まで皮肉を込めた笑みを崩さぬまま、カーミラはゼフィーリアの腕の中で命の灯火を消し去った。

 熱が喪われていくカーミラの骸を、ゼフィーリアは冷たい目で見下ろしている。

 

 同情なんかしない。

 後悔なんかできない。

 悲しみなんて抱かない。

 

 彼女は敵になった、そして倒さねば己の命と己の大切に想う者達の命が奪われていた。

 だから殺した、その事実に目を背ける事も否定する事だって赦されない。

 いつか肉体が滅び現世から消滅するその時まで、ゼフィーリアはその咎を忘れないと心に誓う。

 

「………………」

「……ありがとう龍人、止めようとしなくて」

 

 その光景を見つめながら、隣で血が滴り落ちるまで拳を握り締めながらも何もしなかった龍人に、紫は感謝の言葉を告げた。

 彼の事だ、姉妹で殺し合う光景を目の前で見せられた黙っている筈がない。

 だからもしも彼が2人の間に介入しようとした瞬間、紫は能力を使ってでも彼を止めようと思っていた。

 

 けれど彼は何もしなかった、止めたいと願う心はあったがそれ以上に――止めてはならないと理解したから。

 あれは単なる殺し合いではない、互いに譲れない願いと想いを守る為の戦いだった。

 その気持ちが龍人には痛いほど伝わったから、彼は介入しなかったのだろう。

 それが紫には嬉しく、同時にほんの少しだけ哀しいとも思ってしまった。

 

「――では改めて。さらばだ2人とも」

 

 骸となったカーミラを大槍と共に消し去るゼフィーリア。

 変わらぬ口調、変わらぬ表情のままゼフィーリアは龍人からロックを受け取る。

 告げる言葉はそれで終わり、彼女は2人に背を向け“門”に向かって歩き始めた。

 

「ゼフィーリア」

「何だ? 龍人」

「…………いつか、人と妖怪は共に歩める世界が来る。そう……思えるか?」

「………………」

 

 それは、期待と不安が混ざり合った問いかけであった。

 明確な答えが欲しい、そんな彼の心中を察したゼフィーリアは――あくまで自分が持つ答えだけを返す。

 

「そんなものわかるわけがないだろう。余はどんな運命でも視れるわけではない」

「そうじゃなくて……」

「他者から答えを貰うものではないぞ龍人。お前はただお前の信じた道を歩み、お前を信じる者達と共に生きればいい」

 

 ではな、そう言い残してあっさりとゼフィーリアは“門”を通り――魔界へと旅立っていった。

 あっさりとした別れだ、けれどそれも彼女らしい。

 

「………………そうだよな、うん」

 

 一方、ゼフィーリアから何かしらの答えを貰ったのか、龍人の表情は晴れやかなものに変わっていた。

 明確な答えは貰えなかった、けれど彼は彼なりに納得する事ができたようだ。

 

「紫、みんなを起こして帰ろうか?」

「ええ、そうね。――今回も色々な事があって疲れたわ」

 

 懐かしい我が家に帰ってゆっくり寝たいものだ、今はそれしか考えられない。

 龍人も同じ考えなのか、紫の言葉を聞いてうんうんと頷きを返してきた。

 そんな彼に苦笑しながら……紫は横になっている藍の尻尾をおもいっきり掴み上げる。

 

「ひにゃああああああっ!?」

 

 文字通り飛び起きる藍。

 

「藍、屋敷に繋がるスキマを開くから全員を運びなさい」

「ぜ、全員をですか……?」

「主が戦っていたというのにずっと寝ていたのだから、当然でしょう?」

「そ、それは……ですが私とてあの襲撃で混乱していた場を治めようとしていたわけでして……」

「そういう言い訳はいいから、早く」

 

 ぴしゃりと容赦のない物言いに、藍は項垂れながらも頷きを返す。

 厳しい事を言っているかもしれないが、式として最低限の仕事もしない未熟者にはちょうどいい厳しさだ。

 

「妖忌とチルノは俺が運ぶから、藍は美鈴達を頼むよ」

「りゅ、龍人様……」

「こら龍人、藍を甘やかすんじゃないの」

「紫は藍に厳し過ぎなんだよ、そんなんじゃ嫌われるぞ?」

「む……」

 

 そんなに自分は厳しいのだろうか、思い返してみるが……主と式の関係としては至極普通だと紫は改めて認識する。

 やはり龍人が甘いだけなのだ、そもそも彼は誰にだって優しいのだから自分が厳しいわけではない、ええ決して。

 

 釈然としないながらも、紫は大きなスキマを展開する。

 この先に続くのは八雲屋敷、懐かしき我が家だ。

 そう思うと一刻も早く戻りたいという気持ちが湧き上がっていき、紫は龍人達を急かすようにスキマへと入らせる。

 

――慣れぬ土地を離れ、紫達は帰るべき場所へと帰っていく。

 

 得られるものはあった、けれど……新たな脅威も生まれてしまった。

 でも今は、戦いで傷ついた身体を休ませる事にしよう。

 

 それだけを考え、紫は幻想郷へと帰還したのであった――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回は第五章エピローグとなります。
ここまで読んでくださりありがとうございます。


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第五章エピローグ ~変わらぬ日々への帰還~

謎を残しながらも、吸血鬼騒動は幕を降ろした。
そして、舞台は再び幻想郷へと戻っていく……。


――足音が、近づいてくる。

 

 まだ覚醒しきっていない頭でそれを自覚した紫は、ゆっくりと目を開けた。

 それと同時に部屋の襖が開かれ、自分を起こそうとやってきた藍と目が合う。

 

「紫様、おはようございます」

「……おはよう藍」

 

 半身を起き上がらせる紫。

 すると藍はそれを見て安堵したように口元を緩ませていた。

 

「失礼ね。二度寝なんてしないわよ」

「どうでしょうか。そう言って夜まで二度寝を決め込んでいたのは紫様では?」

「……あの時は春の陽気があったからよ」

 

 小さく言い訳をしつつ、これ以上の小言を言われたくない紫はさっさと布団から抜け出した。

 

「もうすぐ朝食ができそうですので、居間に来てくださいね?」

「わかってるわ」

 

 それでは、紫に一礼して藍が部屋から去っていく。

 大きく伸びをしてから、紫は縁側へと出た。

 まだ太陽が昇ったばかりではあるものの、降り注ぐ日差しの強さは春のような暖かさを含んではいない。

 

「――もう、本格的な夏なのね」

 

 今日は暑くなるかもしれない、そう思いながら紫は自室に戻りいつもの服へと着替え始めた。

 

 

 

 

 紫と藍、2人で朝食を食べ始める。

 八雲屋敷の食事風景は比較的賑やかなものであるが、その原因の殆どは龍人もしくは時々共に食事をする他の者達によるものだ。

 しかし現在ここに居るのは紫と藍のみである、故に静かな朝食風景が広がっていた。

 

「今日も龍人様がいらっしゃいませんから、静かですね」

「そうね。でもたまにはこういう静かな朝食もいいものだわ、貴女もそう思うでしょう?」

「…………正直に言えば、ですが」

 

 なかなかに素直な式に苦笑しつつ、紫は藍の作ってくれた食事をゆっくりと楽しんでいく。

 彼は今八雲屋敷には居ない、と言っても別に修行の旅に出たとか喧嘩して家出したとかそういうわけでもなかった。

 

 時々ではあるが、彼は数日間この屋敷を留守にして人里で生活するようになった。

 定期的に里の住人達と交流を深めようとするのと、人間達に自衛手段を教えるためである。

 尤も、このような生活サイクルは前にも実行に移した事があるので、今更どうこう言うつもりはない。

 ないのだが……なんというか、本音を言えばだが少しばかり文句が言いたいような気がしなくもないわけで。

 

「紫様、どうかなさいましたか?」

「……いいえ、なんでもないわ」

 

 ややぶっきらぼうに返事を返してしまう、すると藍は何かを納得したような表情を見せてきた。

 

「何か言いたげね?」

「い、いえそんな……ただ、やはり数日とはいえ龍人様が屋敷に居ないというのは、寂しいなあと……」

「別に屋敷で寝泊りしている時だって、頻繁に里に行ったり妖怪の山に行ったりで殆ど居ないけれどね!」

 

 最後の方は語気を荒くしてしまった。

 どうも自分の思っている以上に龍人の行動範囲の広さには不満を抱いているらしい、反省。

 主の機嫌がどんどん悪くなっていく事に気づいた藍は、顔を引き攣らせながらもどうにかこうにか話題を逸らそうと頭を捻り……思い出したかのように紫にとある報告を告げる。

 

「そ、そういえば紫様! 妖忌殿が正式に冥界にある“白玉楼(はくぎょくろう)”の庭師に就いたそうですよ!!」

「そう……じゃあ、“あの子”が亡霊になる準備が整ったというわけね……」

 

 あの子――紫の数少ない人間の友人であった少女、“西行寺幽々子”。

 彼女はあの世の閻魔達によって冥界を管理する立場としての“亡霊”として蘇る事になっている。

 蘇る、とはいっても幽々子の場合「肉体を持つ死者」という特殊な“亡霊”なので、明確には違うかもしれないが。

 

 とはいえ再び人と同じように笑い、泣き、怒るという行動ができるようになったとはいえ……“亡霊”となった彼女に生前の記憶は受け継がれない。

 彼女の肉体は呪いの桜である“西行妖”を封印する為に用いられているからだ、だから紫はおろか付き人であった妖忌の事も彼女はわからないだろう。

 その事実は正直悲しい、だが一番傷ついている妖忌が再び幽々子との思い出を作ろうと考えているのだ。

 悲しいのは自分だけではない、だから紫の心は事実を聞いても落ち着いたものになっていた。

 

「妖忌殿が仰っていました。「近い内に遊びに来い」と」

「死者の世界である冥界に遊びに行くというのも、普通に考えたらおかしなものだけれどね」

「それはまあ、確かに……」

 

 おそらく閻魔辺りが煩いだろうが、そんな事は知った事ではない。

 今度時間を見つけて皆で遊びに行こう、勿論“はじめまして”と装う事は忘れずに。

 

「――ごちそうさま、少し出掛けてくるわ」

「はい、いってらっしゃいませ紫様」

 

 スキマを開き、紫は八雲屋敷を後にする。

 当然向かう先は、人と妖怪が共に暮らす不可思議な隠れ里――幻想郷だ。

 

 

 

 

 吸血鬼一族の騒動から、四ヶ月が過ぎた。

 流れる風には夏の暑さが感じられ、けれど幻想郷は変わらない。

 今日も今日とて人と妖怪が共に生き、過ごしている。

 

「紫、おはよう」

「あら妹紅、それに慧音に阿爾……おはよう」

 

 人里に降り立った紫の前に、妹紅達が現れた。

 互いに朝の挨拶を交わし、ゆっくりとした足取りで里の中を歩いていく。

 

「もう里には慣れたかしら?」

「まあね。それに慧音は阿爾の所で歴史を学ぶようになったし」

「あら、そうなの?」

「は、はい……実は私、もっと知識を得て成長したら……ここで寺子屋を開きたいと思っているんです」

 

 この里では、子供達に勉強を教えるような大人は存在しない。

 それを知った慧音は白沢(ハクタク)となった自分ならば未来を生きる子供達に勉強を教え学ばせる事ができるのではないかと考えた。

 だから今は稗田家を頻繁に訪問し、阿爾の元で幅広い知識を学んでいた。

 

「そういえば、昨日里に美鈴からの手紙が届いたわよ?」

 

 言いながら、妹紅は懐から一枚の和紙を取り出した。

 そこに書かれていたのは――現在旅に出ている美鈴の現状を報告する内容のものであった。

 

 今から二月ほど前、美鈴は自分を鍛えなおす為に旅に出ると紫に告げた。

 彼女なりに吸血鬼騒動で発覚した己の未熟さを思い知ったのかもしれない、だから紫達は快く彼女を送り出した。

 手紙を見る限り変わらず元気にやっているようだ、それがわかり紫の口元には柔らかな笑みが浮かぶ。

 

「も、妹紅さーーーーん!!」

 

 と、前方から慌てふためいた様子で1人の青年が駆け寄ってきた。

 紫達の前で立ち止まり、余程慌てていたのか荒い息を繰り返す青年に全員が首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「はぁ、はぁ……そ、それが……人狼族が現れたんです!!」

 

 青年の言葉を聞いて、場に緊張が走る。

 

「……数は?」

「や、八雲様……!? こ、これは見苦しい所を御見せしまして……!」

「気にしないでくださいまし。それより現れたという人狼族はどれほどの数なのですか?」

「そ、それが……た、たったの1人でして」

「…………成る程」

 

 青年の報告を聞いた瞬間、紫は緊張の糸を解いた。

 

「なら心配は無用ですわ。放っておきなさい」

「えっ!? で、ですがどうも殺気立っている様子でして……」

「大丈夫。あの男の目的は幻想郷ではありませんから」

 

 紫がそう言った瞬間、遠くから甲高い爆音が響き渡ってきた。

 それと同時に発生する妖力のぶつかり合い、それがそのまま突風となって紫達の髪を靡かせていく。

 

「この妖力……もしかして」

「妹紅も気がついた? ――性懲りもなく戦いを挑みに来たようね」

「? 紫さんに妹紅さんは、現れた人狼族の事をご存知なのですか?」

 

 妙に落ち着いた様子の紫に怪訝な表情を向けながら、阿爾は問う。

 彼女の疑問は尤もだ、人狼族はこの幻想郷には存在しない妖怪の一族。

 この里を襲いに来た可能性があると考えるのが自然であり、故に落ち着き払った紫の様子には訝しげるのは当然と言えた。

 

 だがもちろん紫がこうまで落ち着いているのには訳がある。

 とはいえ説明するよりも実際に見て貰った方が早いだろう、そう思った紫は阿爾達と共に爆音が聞こえた場所へと赴いた。

 

 そこは里の入口付近、既に里の住人達が遠巻きに何かを見つめている。

 それを掻き分けながら紫達は中心部が見える場所へと向かい。

 

――そこで戦っている、2人の青年の姿を視界に捉えた。

 

 青年の1人は龍人、そしてもう1人は……槍を持つ人狼族の青年。

 かつて紫達と戦い敗れ去り、龍人の情けともとれる行動によって命を長らえている人狼族の若き戦士。

 今泉士狼が、絶殺の意志を込めながら龍人と戦っていた。

 

「と、止めなくていいんですか!?」

「大丈夫よ慧音、ここは龍人に任せておきなさい」

 

 というよりも、士狼の目的は龍人の命だけだ。

 この幻想郷を攻め入るつもりも、里の住人達の命を狙うつもりも彼にはない。

 かつて仕えていた主であった大神刹那の敵を討つ為に、彼は龍人と戦っている。

 

 対する龍人も、逃げる事も説得する事もせず、真っ向から彼を迎え撃っていた。

 士狼が忠義を誓っていた主をこの手で殺した、その咎を理解しているからこそ龍人は彼の戦いを受け入れている。

 とはいえ龍人とて黙って命を奪われるつもりはなく、こうして手加減などせずに士狼の攻撃を捌き切っていた。

 

「――――覚悟!!」

「っ」

 

 空気が変わる。

 士狼から発せられる殺気が、まるで刺すような鋭利なものへと変化した。

 それと同時に彼は大きく右足で踏み込み、呪狼の槍の切っ先を撃ち放つ。

 

 狙うは龍人の心臓ただ一点、一撃で相手を葬る気概で放たれたそれはまさしく必殺の領域だ。

 更にその一撃は今までのどの一撃よりも速く、充分に警戒していた龍人ですら反応が一歩遅れてしまうほど。

 次の一手は先程のようには捌けない、かといって回避も間に合わない。

 

 だから――龍人は“龍の鱗”でその一撃を受け止める。

 

「――――――」

 

 槍を突き出した態勢のまま、士狼の動きが止まる。

 彼の放った必殺の一撃は、確かに狙い通り龍人の心臓へと向かっていった。

 だが、士狼の槍は龍人の命を奪う事はできず。

 

――龍鱗盾(ドラゴンスケイル)を発動させた龍人の指によって、真っ向から受け止められてしまっていた。

 

「阿呆」

「しま――っ、ぐっ!?」

 

 自身の一撃が真っ向から受け止められてしまった事で動きを止めてしまった士狼は、そのまま龍人の反撃をまともに受けてしまう。

 士狼の腹部に叩き込まれた龍人の拳は、その破壊力を示すようにそのまま彼の身体を大きく吹き飛ばし。

 里の外まで飛ばし、大木に叩きつけてしまった。

 

「が、ぐ……!?」

 

 如何に強靭な肉体を持つ妖怪とて効いたのか、咳き込むだけで士狼は起き上がってくる気配はない。

 

「――今回は俺の勝ちだ。出直せ」

「くっ……!」

 

 後ろに大きく跳躍する士狼。

 そして彼はそのまま後退を続け、幻想郷から逃げるように去っていった。

 彼の勝利に周りの住人達は歓声を上げ始める。

 その歓声に軽く手を振って応えつつ、龍人は紫達の元へと駆け寄った。

 

「やっぱり見逃したのね、龍人」

「あそこであいつまで倒したら、他の人狼族が黙っていないだろ?」

「あら、貴方も少しは考えているのね」

 

 割と本気の口調でそう言ったら、ジト目を返されてしまった。

 ……彼も中途半端に甘いものである、まあそれが彼の良い所であるのだが。

 

「よかったのですか? あのまま取り逃がしたりして……」

「ああ。――俺は大神刹那、つまりあいつらの親玉の命を奪った。だからあいつは俺を憎んでいるし殺してやりたいと思ってる、その気持ちは……理解できるんだ。

 でも俺だって死にたくないし死ぬわけにはいかない、だからああやってあいつが俺に勝負を挑んでくる以上は自分の全力で相手をして、けど殺したりはしないと決めているんだ」

 

 あの青年は、人狼族を纏め上げる“器”を持っている。

 彼が刹那の代わりに人狼族を束ねる事ができたのなら、きっといつか……遠い未来ではあるかもしれないけれど、共に歩める日がやってくるかもしれない。

 そんな願いを抱いているから龍人は彼を殺さず、また紫も彼の意志を尊重して手出しをしないのだ。

 

「それより紫、妹紅、慧音、阿爾、これから時間あるか?」

「ええ、あるけど」

「私と慧音も大丈夫だよ」

「急ぎの用事はありませんが……何かあったのですか?」

 

「いや、これから子供達と遊ぶ約束をしてるから、付き合ってほしいんだよ」

 

 軽い口調でそんな事を言ってくる龍人に、紫達はポカンとしてしまう。

 今の今まで命のやり取りをしていたというのに、彼はもう“幻想郷で生きる龍人”に戻っていた。

 切り替えが早いというより早すぎる、彼の態度には呆れすら抱いてしまう。

 

――けれど。

   同時に、そんな彼がたまらなく“らしい”と思うのも事実であった。

 

「……ええ、いいわよ。私でよければ」

「勿論私も構わないわよ、慧音も大丈夫よね?」

「はい、もちろん!!」

「あのー……私、あまり運動は得意じゃないんですけど……」

 

 小さく進言する阿爾。

 だが、今の紫達にそんな言葉は通らない。

 にやーっと意地の悪い笑みを浮かべる紫達を見て、阿爾は嫌な予感が全身に駆け巡ったがもう遅い。

 

「ちょうどいいわ阿爾、貴女いつも屋敷に閉じ篭りっ放しだからたまには運動しなさい」

「ちょ、紫さん!?」

 

 逃がさないように阿爾の腕を掴む紫。

 当然抗議の声を上げる阿爾だが、その声に耳を傾ける者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷は、今日も平穏な日々に守られている。

 それがいつまで続くのか、この先にどんな未来が待っているのか。

 

 それは誰にもわからず、それでも手探りで前に進んでいく。

 

――たとえどんな結末が待っていようとも。

   それを、受け入れなければならない。

 

 無意識の内に、そんな覚悟を抱きながら。

 紫達は、夏が訪れた幻想郷で生きていく――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




第五章はこれにて終了です。
最後まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。

次回からは幻想郷を中心に物語を進めていくつもりです。
また読んで下さると嬉しく思います。


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間章④ ~幻想の日々~Ⅲ
第77話 ~小さな日常の一幕~


大きな戦いが終わり、紫は仲間達と共に幻想郷へと帰還する。



――小鳥の鳴き声が、ゆっくりと紫の意識を覚醒させた。

 

 瞼を開けた紫の視界に映ったのは、自分の屋敷とは違う天井。

 続いて右腕に何かを抱えている事に気づき、そちらへと視線を向けると。

 

「…………酒瓶?」

 

 何故か、酒が入っていたであろう一升瓶が見えた。

 どうして自分は空の一升瓶を抱えているのだろう……記憶を探ろうとして、紫の頭に鈍い痛みが走った。

 ズキズキと痛むそれに顔をしかめながらも、紫は半身を起き上がらせ周囲を見渡す。

 

 高そうな壷やら掛け軸やらが目立つ、和風の部屋。

 やはりここはいつも自分が暮らしている「八雲屋敷」ではないと改めて自覚しつつ、再び痛み出した頭に手を置く紫。

 すると出入り口であろう襖が開き、水が入った湯のみを持った薄紫色の髪を持つ少女が入ってきた。

 

「ああ、起きたんですね紫さん。おはようございます」

「…………おはよう」

 

 痛みに耐えつつ挨拶を返す紫、そんな彼女に呆れたような視線を返しつつ、少女は持っていた湯飲みを彼女に手渡す。

 それを受け取りつつありがとうと返し、一気に中身を飲み干す紫。

 

「昨日の事、覚えていますか?」

「……ええ、酷い醜態を晒したような気がしますわ」

「気がする、ではないですけどね。まあいつも腹の底が見えない紫さんの意外な一面が見れたという事で、里の者達は喜んでいましたが」

「………………」

 

 存外に、里の住人達というのは逞しいようだ。

 そして紫は漸く思い出す、何故自分がこのような状態でいつもと違う場所――稗田家の客間で眠っていたのかを。

 

 里の者達が良い酒を造れた事を祝う宴会に参加して、これでもかと羽目を外した結果……妖怪だというのに二日酔いに陥ってしまったというわけだ。

 妖怪は一部を除いて酒豪が多く紫も当然酒に強い部類に属しているものの、調子に乗って随分と宴会を楽しみすぎたらしい。

 そして泥酔した彼女は自分の屋敷に帰る事もできず、仕方なく稗田家の者達によって介抱され今に至るわけで。

 ……おもわず頭を抱えてしまった、なんと情けない醜態を晒してしまったのかと後悔しても遅い。

 

「紫さんも得体の知れない大妖怪ではないと改めて認識させたのですから、結果的に良かったのではないですか?」

「……否定はしないけど、これが里の外の妖怪達に知れたら色々と面倒な事になりそうよ」

「大丈夫です。ちゃんと口止めをしておきましたから」

「ありがとう。――阿悟(あさ)

 

 割と本気の口調で紫が感謝の言葉を述べると、少女――稗田家五代目当主である稗田阿悟(ひえだのあさ)はにこりと微笑みを返した。

 水を飲み彼女との会話で少し気分が楽になった紫は、縁側へと向かう。

 既に太陽は真上に昇り、雲一つない快晴を見せている。

 

 

――幻想郷に来て六百年、今日もこの地は平和な時を刻んでいた。

 

 

 

 

「たすけてえーりん」

「………………」

「いや、そんなに冷たい目で見なくてもいいじゃない……」

 

 少しは楽になったとはいえ、二日酔いによる頭痛は紫を苦しめていた。

 かといって我慢したくない彼女は、友人であり薬師である八意永琳(やごころ えいりん)が診療所を営む“永遠亭(えいえんてい)”へと足を運んだ。

 とはいえ永遠亭は迷いの竹林という天然の迷宮の奥深くに存在するため、そこまで歩くのが面倒な彼女は一気にスキマで移動。

 そして場を和ませる為に上記の台詞を放ったのだが……返ってきたのは、絶対零度よりも冷たい永琳の呆れたような視線だけであった。

 

「一体何の用かしら?」

「昨日飲み過ぎちゃって……何かいい薬ない?」

「……少し待ってなさい」

 

 ため息を吐きつつ永琳は立ち上がり、近くの棚を開き中から錠剤の入った小瓶を取り出す。

 そこから三粒の乳白色をした小さな錠剤を出し、紫へと手渡した。

 

「……これ、苦い?」

「子供みたいな事言わないの、二日酔いの頭にはちょうどいいわ」

「えぇー……」

 

 あからさまに不満そうな呟きを零しながらも、紫は永琳から受け取った錠剤を口に含む。

 すぐさま三粒全てを呑み込むと――ズキズキという痛みを発していた頭の痛みが一気に消え去った。

 

「相変わらず、デタラメな効力ね」

「褒め言葉と受け取っておくわ。ところで、龍人の姿が見えないけれど喧嘩でもしたの?」

「どうしてそんな楽しそうな声で訊くのよ。――少し出掛けているの、時折ふらっと何処かに行っちゃう時があるのよ」

 

 そしてふらっと帰ってくる、三百年ほど前から龍人はそんなちょっとした旅をするようになっていた。

 色々な景色を見て回り、いざこざに首を突っ込み解決する。

 ……寂しいと、紫は内心ちょっと思ってしまっていたのは余談である。

 

「なら寂しいわね」

「どうしてよ?」

「だってあなた、彼が居ないと寂しくて死んじゃうでしょ?」

「どこぞの兎よ、私は」

「あれは迷信だけどね」

「とにかく、別に寂しいだなんて思った事は…………ないわ」

「今の間はなにかしら?」

 

 うっさい、悪態を吐きながら永琳から視線を逸らす紫。

 ……くすくすと笑う声が耳に入り、紫の表情が不機嫌そうに歪んでいく。

 

「――ところで」

「?」

「何か用事があったのではないの?」

「二日酔いの薬を貰うという用事なら済ませたじゃない?」

「そういうのはいいのよ。変に誤魔化したりはぐらかす様な仲ではないでしょう?」

「…………そうね」

 

 その問いかけを聞いた瞬間、紫の表情が引き締まった。

 そう――永琳の言葉は正しい。

 勿論薬を貰いたいというのはあったものの、そんなものは建前の一つでしかなかった。

 

「……少しずつ、時代が人間達のものになろうとしているわ」

「あら、そうなの?」

「そうなのって……貴女、外の情勢を知らないの?」

「興味ないもの。私の最優先事項は輝夜の守護でしかないのだから」

 

 あっけらかんと、なかなかに酷い言葉を放つ永琳。

 とはいえ彼女にとって人間達や妖怪達の情勢がどうなろうとも、輝夜に影響が及ばないのならば本当にどうでもいいのだろう。

 彼女はそういった考えを持つ人物だとわかっているのだから、紫としても今更どうこう言うつもりはなかった。

 

「あちこちに式神を送り出しているけど……届いてくる報告は争いばかり、それも人と妖怪だけじゃなく人と人、妖怪と妖怪の争いもあるみたい」

「そんなの、昔からでしょう?」

「そうだけど、人間同士の争いの頻度が増えているみたいなのよ」

 

 それも、人間の数が劇的に増えているのが原因なのだろう。

 中には全てを支配する為に動きを見せる人間も居るらしく、血生臭い報告しか返ってこないのは正直気が滅入るというものだ。

 

 一方、妖怪達の方も正直良い報告を聞かない。

 人の増加に比例するように、少しずつではあるものの妖怪の数が減ってきている。

 昔のように妖怪はただ人間に恐れられるだけの存在では無くなりつつあり、中には徒党を組んだ人間達に排除された大妖怪も居たとの事だ。

 

 そんな状態故に、古くから生きる妖怪達も危惧を覚え始めていた。

 しかしだ、それでも妖怪達の多くは人間を侮り互いに協力関係を結ぼうとはしない。

 妖怪は自分勝手で傲慢な輩が多い傾向が強いとはいえ、それでは何も変わらないというのがわからないのかと紫はそう思わずにはいられなかった。

 

「争いばかりが肥大化しているこの時代、いずれ幻想郷にもその戦火が及ぶとも限らないわ」

「……それで、私に何をしてほしいというのかしら?」

「別に特別何かをしてほしいというわけではないわ、でもいざという時は……どうか私達に力を貸してほしいの」

 

 そう言って、紫は永琳に向かって深々と頭を下げる。

 彼女は既に六百年という年月を生きた妖怪であり、その強さは既に大妖怪の領域に達している。

 そんな彼女が何の躊躇いもなく、他者に向かって頭を下げたのだ。

 従者であり彼女の式神である八雲藍が見たら、卒倒しかねない光景である。

 

 それでも彼女は永琳に頭を下げる、全ては幻想郷に生きる者達を守る為に。

 妖怪としての誇りも大事だ、強き妖怪である彼女はそれをよく知っている。

 けれどその誇りだけを大事にしては、成すべき事も果たせないというのもよく判っていた。

 

 何よりもだ、紫にとって永琳は大切な友人の1人である。

 そんな彼女に妖怪の誇りなど表に出す必要はないし、良き関係を続けて生きたいと思っている以上、礼節を重んじるのは当然であった。

 

「頭を上げなさい紫、もうあなただって立派な大妖怪なのでしょう?」

「ただ長い年月を生きているだけよ。それに大妖怪と呼ばれる存在は千年二千年生きてる輩ばかりだから、まだまだ若輩者よ」

「どの口が言ってるんだか」

 

 確かに生きてきた年月だけを見れば、彼女はまだまだ妖怪としては若い部類に入るだろう。

 だが内に宿る力はただ絶大である、彼女が持つ「境界を操る」能力は勿論、単純な戦闘力とて相当に高い。

 そして彼女の傍には九尾の狐である八雲藍が従い、何よりも――常に彼女を守ろうとする龍人族の青年である龍人が居る。

 

――八雲紫という存在は様々な妖怪に一目置かれ、同時に恐れられている。

 

 それは彼女の力だけでなく、彼女の傍に居る者達もまた強大な力を持っているからだ。

 組織力としては決して大きくなくとも、個々の力は絶大である。

 既に彼女を安易に狙おうとする妖怪はおらず、逆に彼女に取り入ろうとする者達すら存在する始末だ。

 まだ生まれて二十年程度だった時期を考えると、今の彼女の立場はその時とは真逆といえよう。

 

「それで、どうかしら?」

「気が向いたらね」

「………………」

「睨んだって答えは変わらないわ、あなた達とは友人だけど里の住人達にそこまでの思い入れは無いのだから」

 

 それにだ、あまり自分の力を当てにされては困るという考えが永琳にはあった。

 紫や龍人ならばそのような事はしないだろう、だが……他の者はどうだ?

 大き過ぎる力というものは、総じて“正しく”使われる事はないのだ。

 

「……まあいいわ。もしもの時は力ずくでも協力してもらえばいいから」

 

 とは言うものの、紫自身そのような行動に移るつもりはない。

 わかっているからだ、永琳が何故協力的な態度を見せないのかを。

 彼女の力は絶大という表現すら追いつかない“異端”の領域だ。

 だからこそ彼女は安易に自身の力を使用しようとはしない、安易に力を使えば世界そのものに影響を及ぼすからである。

 

「これから幻想郷には戦火を免れようと人妖がやってくる、それはそのまま勢力が増えるという事に繋がるけど……当然、“歪み”も出てくるでしょうね」

「ええ……わかっているわ」

 

 その問題は、避けては通れぬものだろう。

 人と妖怪が共存するこの幻想郷の基盤を崩さぬように、且つこれから増えるであろう幻想郷の住人達を受け入れる。

 中々に厄介な問題が押し寄せていると、紫は疲れたようなため息を零した。

 

「――ため息を吐くと、幸せが逃げちゃうわよ?」

 

 少女の声が、場に響く。

 視線を声のした方へと向ける紫と永琳、そこには艶やかな黒髪を持つ絶世の美女。

 かつて帝すら魅了した姫、蓬莱山輝夜がにこにこと笑みを浮かべながら立っていた。

 

「おはよう永琳、いらっしゃい紫」

「おはようって……今起きたの?」

「あなただって二日酔いで今さっき起きたのでしょう?」

「あら、紫もなの?」

「も?」

 

 首を傾げる紫、すると輝夜はあははーと暢気に笑いながら。

 

「実は私もなのよ、太陽が昇るまで妹紅と飲んでたのよねー……いたたた」

 

 頭を押さえ苦しげな表情を浮かべる輝夜。

 その姿に永琳はため息を吐きつつも、紫に渡したものと同じ薬と輝夜へと手渡す。

 

「永琳、甘いシロップがいい」

「何子供みたいな事を言っているのよ、紫じゃあるまいし」

「どうせ服用するなら、美味しい方が良いに決まっていますわ」

「さっすが紫は判ってるわねー。というわけで永琳、甘いシロップを――」

「いいから、飲みなさい」

「もがが……!?」

 

 業を煮やしたのか、くわっと目を見開かせ永琳は無理矢理輝夜の口内に薬を入れていく。

 いや、あれはもう入れるというよりも「捻り込む」といった方が正しいかもしれない。

 

「うぅ……永琳、前は「姫様」って呼んでくれたし優しかったのに……」

「優しいでしょ? 竹林の中で寝入ってたあなたを回収してあげたんだから」

 

 ちなみに、妹紅は放っておいた。

 そこまでする義理はないからだ、とはいえ二日酔いの薬を近くに置いてあげたが。

 

「永琳、飲み過ぎたから胃に優しいお粥が食べたいわ」

「輝夜、私の話を聞いているのかしら?」

「聞いてる聞いてる。永琳には感謝してます」

 

 ぺこりと頭を下げる輝夜であったが、そこに感謝の念など微塵も感じられないのは明白であった。

 と、なんだか見ていて楽しくなってきた紫も悪乗りし始める。

 

「はいはーい、ゆかりんも永琳のお粥食べたいでーす!」

「………………」

「うっ……ごめんなさい」

 

 さっきよりも冷たい目で睨まれ、あっさりと萎縮してしまう紫であった。

 

「……しょうがないわね、ちょっと待ってなさい」

「ありがとう永琳」

「さすが永琳お母さんね」

「誰がお母さんよ」

 

 ちょっと待ってなさい、そう言って永琳は部屋を出て行った。

 その後ろ姿を眺めてから、紫と輝夜は同時にくすくすと小さく笑い合った。

 

「永琳ってば、なんだかんだで優しいのよねー」

「輝夜の我儘ならなんだって叶えようとするでしょう?」

「そんな事ないわよ。結構恐いんだから永琳って」

「それはわかる」

「ふふっ、永琳の前で言わない方がいいわよ」

 

 物凄い良い笑顔のまま怒るだろうから、そう言って輝夜はまた笑う。

 ふと、紫はそんな永琳の姿を想像して……噴き出してしまった。

 

「……気分は晴れた?」

「えっ?」

「歩む道は険しくて、結果が追いつかない事は多々あるけれど……だからって、自分自身の平穏を忘れてはダメよ?」

「輝夜……」

 

 ……どうやら、先程のやりとりはしっかりと聞かれていたようだ。

 多くは語らず、けれど今の紫にとって必要な言葉を輝夜は紡ぐ。

 結果、これからの事を考え沈んでいた紫の心は少しだけ軽くなってくれたのであった。

 

「永琳のごはんを食べたら……昼寝でもする?」

「いいわね。今日も良い天気だそうだからそうしましょうか」

 

 そうして2人は、宣言通り少し遅めの昼食を食べた後、速攻で輝夜の部屋にて昼寝を開始。

 だが、当然そんな怠惰な生活を許さない永琳お母さんによる妨害でひと悶着あったのは余談である。

 

 

――幻想郷は、今日も平和だったとさ。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




再び間章突入。
暫くは平和(?)な話が続くかと思いますが、少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います。


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第78話 ~紫さんと課外授業~①

今日も幻想郷は平和である。
その中でのんびりと生きる紫の前に、とある依頼が舞い降りてきた……。


「――紫様、お客様をお連れ致しました」

「客?」

 

 ある日の八雲屋敷。

 季節は夏、照りつける日差しが厳しくなっていたものの結界により快適な空間を作り、紫はのんびりとした時間を過ごしていた。

 そんな彼女に式である藍が上記の言葉を放ち、現在里にて暮らしている上白沢慧音を連れてきた。

 慧音は紫に向かって会釈をしてから、早速とばかりに彼女はここに来た目的を紫に話し始める。

 

「突然お邪魔して、申し訳ありません」

「いいのよ、どうせのんびりと過ごしていただけだから」

「紫様、仕事してください」

「少しぐらいのんびりしてもいいでしょうに。それより、ご用件はなにかしら?」

 

 改めて訊ねると、慧音は一度口を開くがすぐに閉じ困り顔を浮かべる。

 あまり軽い頼み事ではないようだ、何よりも彼女にとって恩人であり友人である妹紅ではなく紫に頼み事をする時点で、容易に想像できるが。

 急かす事はせず、紫は黙って慧音の言葉を待つ事に。

 それから数十秒後、慧音はばつが悪そうにしながら。

 

「――課外授業の同行を、お願いしたいのですが」

 

 紫にとって、キョトンとするような頼み事を言ってきた。

 それを聞いた紫は、否、隣にいた藍も困惑してしまう。

 慧音の言葉を理解できなかったわけではないものの、詳細を知らねばわけがわからない頼みであった。

 

「紫さんはご存知かと思いますが、私は今他の大人達と共に子供達に学問を教えています」

「ええ、自分の能力を有効活用したいのと、子供達にちゃんとした知識と歴史を学ばせたいと聞き及んでいるわ」

 

 出会った当初はまだ子供だった慧音も、この四百年で立派な大人に成長した。

 成長に伴い様々な知識を吸収した彼女は、その知識を正しく広める為に里の大人達と協力して子供達の教育を行い始めている。

 この時代、学問を身につけるのは貴族や武家のような上流階級の者達だけで、それ以外の者達は勉学に励むという風習は存在していない。

 だがこれからの時代、争いばかりが続くこの世界に必要なのは単なる力ではなく幅広い知識だと慧音は考えていた。

 

 広い知識を身につければ、たとえ力がなくとも困難を打開する方法を得られる可能性がある。

 それはそのまま人間達が強い力に屈する事無く立ち向かう事ができる未来を手に入れられるという事に繋がると、慧音はそう信じていた。

 そんな彼女の人間に対する強い想いに感化され、里の者達もまた慧音と同じ意見を持つようになり、現在に至る。

 阿悟の話では、なかなかに上手くいっているという話だが……。

 

「それで、課外授業というのは?」

「はい。普段は里の中のみで授業を行っているのですが……如何せん、ただ知識を教えるだけでは限界があると考え始めたのです」

「それで課外授業――即ち、里の外へと出て自分の足で調べ、自分の目で経験させたいという事ね?」

 

 紫の言葉に、慧音は力強く頷きを返す。

 成る程と納得しつつも、紫は表情に難色の色を示していた。

 彼女の考えもわかる、山々に囲まれたこの幻想郷の里ではなかなか山の向こうの情報や知識というのは流れてこない。

 如何に「白沢(ハクタク)」として様々な知識を有している慧音でも、ただ己の知識を子供達に語った所で効果は薄い。

 

 だから彼女は一時的とはいえ里の外へと子供達を連れて行き、里に居るだけでは学べない知識を宿してほしいと考えているのだろう。

 とはいえやはり里の外には野良妖怪や人間の賊といった危険分子が存在している。

 慧音ならば並の妖怪にも決して負けないが、子供達を守りながらでは……。

 

「……ああ、成る程。つまり私をいざという時の“用心棒”にしたいと?」

「…………はい」

 

 気まずそうに、慧音は紫から視線を逸らす。

 妖怪として高い能力を誇り、幻想郷という名になる前の里の時代から存在している彼女に子供達の用心棒をさせる。

 その頼みは、大妖怪である紫の誇りを不用意に刺激する行為に等しいと、慧音とて理解していた。

 

――後ろに控えている藍の表情に、僅かな憤怒の色が滲み始めている。

 

 式である彼女にとって慧音の頼みは、主を侮辱するに等しいものだという認識なのだろう。

 慧音の顔に冷や汗が伝い、場に不穏な空気が漂い始める。

 だが。

 

「了解致しました。その役目、引き受けましょう」

 

 呆気なく、拍子抜けしてしまうほどに。

 紫は慧音の提案に、あっさりと了承の返答を返したのだった。

 

「えっ……」

「紫様!?」

「いいじゃないの別に。ただ条件があるわ」

「条件、ですか……?」

「子供達の連れて行く場所は私が決めさせてもらう。安心なさい、八雲紫の名に懸けて子供達には危険な目には遭わせないし普通に生きているだけでは決して得られない体験をさせてあげるから」

「はあ……まあこちらとしても、課外授業の内容を決めてはいませんでしたから別に構いませんが」

 

 慧音の言葉に、紫はにっこりと微笑みながら立ち上がる。

 そのまま後ろへと振り向き、呆気にとられている藍の頭を軽く小突いた。

 

「あいたっ!?」

「客人に敵意を向けるなんて駄目な式ね」

「で、ですが紫様……」

「彼女は私を頼ってここに来た、ならばその想いに応えるのは当然でしょう? ――妖怪の誇りは大切だけど、それに捉われ過ぎれば零れ落ちてしまうものもあるのよ」

 

 諭すように藍へと告げてから、紫は自分と慧音の前にスキマを開く。

 慧音の方は人里へと繋げ、自分の方は……とある場所へと繋げた。

 

「課外授業の実施日は何時かしら?」

「五日後ですが……大丈夫ですか?」

「勿論。でも……親御さん達には反対されないかしら?」

 

 いくら妖怪と共存できているとはいえ、妖怪の恐ろしさを知らない里の人間達ではない。

 だというのに里の外に行く課外授業を許可するとは思えないが……。

 

「最初は難色を示していましたが、紫さんが同行するならばと許可を貰いまして」

「えっ、どうして?」

「それはもちろん、紫さんがこの幻想郷で生きる皆に信頼されているからですよ」

「………………」

 

 その言葉を聞いて。

 紫の思考は、驚きと気恥ずかしさと嬉しさが混ざり合った感情で停止してしまった。

 

「紫さん?」

「っ、え、えっと……と、とにかく五日後には準備を終えていますので、楽しみにしていてくださいましぇ!!」

 

 最後の言葉をおもいっきり噛みながら、紫は逃げるように展開したスキマへと逃げるように入り込み消えてしまった。

 そんな彼女を見てポカンとする藍と慧音であったが。

 滅多に見れない紫の可愛らしい姿に、自然と頬を緩めてしまったのはご愛嬌である。

 

 

 

――そして、五日後。

 

 

 

「――はーいみんなー、今日はゆかりんお姉さんと一緒に楽しい課外授業にしましょうねー!」

『………………』

「……泣いていい?」

 

 里の入口にて、慧音と十数人の子供達が集まっていた。

 そこへ紫がやけに高いテンションと満面の笑みで上記の言葉を放ったものだから、場が完全に凍り付いてしまっていた。

 紫は紫で子供達の反応が予想外だったのか、一気に声のトーンを落とし隅っこで蹲り始める始末。

 彼女としてはなるべく明るい空気を保とうと若干の羞恥心を我慢したというのに……これではあんまりではないかと言ってやりたかった。

 

 尤も、里の者達にとって八雲紫という女性は畏怖と尊敬と親愛を込めた大妖怪という認識で共通している。

 だというのにあんなフレンドリー過ぎる態度を見せられては、驚愕して凍り付いてしまうのは当然である事を紫は気づかない。

 

「紫さん、気持ちは判りますけど……元気出してください」

「うぅ……龍人だったらあんな反応返ってこないのに、彼との差はなにかしら?」

「え、そりゃあ彼は今まで毎日のように里の人達と交流を深めてきましたし、ふらりと旅から帰ってきたらまっさきに子供達にお土産を渡したりしてますし、紫さんとの差があるのは当然かと」

「うわーん!!」

 

 八雲紫約600歳、上白沢慧音女史の正論の前にマジ泣き。

 その後、他ならぬ子供達に慰められるという情けない光景を繰り広げてから、改めて紫は子供達と挨拶を交わす。

 

「初めて話す子も居るわね。私は八雲紫よ、今日はよろしくね?」

『よろしくお願いします!!』

「あら、意外と躾がされているのね」

 

 自分に向かって頭を下げる子供達を見て、意外そうな表情を浮かべる紫。

 なんとなーく機嫌が良くなった紫は、口元に笑みを浮かべながら――子供達に、本日向かう場所の名を口にする。

 しかし、その場所は同じく同行する慧音にとってあまりにも予想外な場所であり。

 

「今日、みんなを連れて行く場所はね――――鬼や天狗が統治している“妖怪の山”よ」

 

 人間にとって、危険だと認知されている場所であった。

 

 

 

 

「うわー……でけー……」

「おっきいねえ……」

「てっぺんが見えねー!!」

「きれー……」

 

 紫のスキマにて、慧音と子供達は妖怪の山の麓へと到着。

 そこに広がる山の大きさと景色に、子供達は早速とばかりに心を奪われていた。

 

「……あの、紫さん」

「連れて行く場所は私が決める、そういう条件だった筈だと記憶しているけれど?」

「そ、それはそうですが……しかし、まさか妖怪の山とは……」

「大丈夫よ、安心なさいとも言った筈よ? ――来たみたいね」

「えっ……」

 

 瞬間、周囲に風が吹いた。

 子供達は驚いたように声を上げ、慧音はすぐにこの風が自然なものではないと感じ取る。

 風は瞬時に止み、誰もがそう思った時には――紫達の前には先程までいなかった筈の第三者がにこやかな笑みを浮かべ立っていた。

 

「どーも、遅れちゃいましたか?」

「いいえ、ちょうどよかったわ。今日はよろしくね? 文」

「て、天狗……!?」

 

 慧音の顔が驚愕に染まる。

 紫達の前に現れたのは、この山で生きる鴉天狗の少女――射命丸文(しゃめいまる あや)であった。

 身構える慧音、そんな彼女を手で制しつつ紫は突然の文の登場に驚いている子供達に声を掛ける。

 

「みんな、今日はこの鴉天狗の射命丸文お姉さんに妖怪の山を案内してもらうの。挨拶してね?」

「え、あ……えっと、は、はじめまして……」

「ええ、はじめまして。ご紹介に与りました射命丸文と申します、今日はよろしくお願いしますね?」

 

 にっこりと、安心させるように子供達に満面の笑みを浮かべる文。

 それが功を奏したのか、子供達の顔から緊張の色が消え興味津々といった様子で文を眺め始めた。

 

「本物の天狗だー!!」

「綺麗な羽根……」

「なあなあ、その翼触っていい?」

 

 途端に子供達は文へと駆け寄り、あっという間に彼女を囲んでしまった。

 これには流石の文も驚き、予想外の反応に困ったような笑みを浮かべつつ紫へと視線を向ける。

 けれど紫は愉しげな笑みを口元に見せるだけで、困惑している彼女を助けようとしない。

 

「ちょ、紫さん――」

「えいっ!」

「わにゃっ!? ちょ、いきなり翼を触るのはやめてくださいってば!!」

 

 とうとう子供達に背中に生える翼を遠慮なしに触られる始末。

 完全に子供達にペースを握られた文を見て、紫はますます愉しげな笑みを深めていった。

 

「………………」

「驚いた? あなたの話を承諾してからすぐに妖怪の山に行って、ここを統治している友人に事情を説明したのよ。そうしたら彼女を案内役に寄越すって話になってね」

「……人間側の勝手を、山の妖怪が受け入れたのですか?」

「もちろん今回は特例よ。それにこちら側が山にとって不利益な行為をしでかした場合――容赦はしないと釘を刺されたわ」

 

 だからこそ、案内に文を寄越したのだろう。

 彼女は鴉天狗の中では群を抜いて力が強く、けれど他の天狗に比べて気さくな一面を持ち人間に対する友好度も比較的高い。

 なにより彼女は紫にとって気心が知れた友人だ、向こうとしてもこちらとしても彼女を案内役に抜擢するのは色々と都合が良かった。

 

――とはいえ、一概に安心できないのもまた事実。

 

「それとね慧音、こうも言っていたわ。『何が起ころうともこちら側は責任を持てない』とね」

「えっ、それはどういう……」

「この山は鬼と天狗が協力して統治している、私の友人であり鬼である星熊勇儀に息吹萃香、そして茨木華扇は鬼としては穏健派で通っている。

 でもね、巨大な組織力を持てば持つほど一枚岩ではなくなるのよ。その意味――慧音ならわかるでしょう?」

「………………」

 

 慧音の表情が僅かに強張る。

 どうやら彼女も理解しているようだ、それがわかり紫は小さく頷いた。

 

「ほらほら、天狗のお姉さんが困ってるでしょ? そろそろ離れなさいな」

『はーい!!』

 

 紫の一言で、子供達は文から離れる。

 一方の文は子供達に散々もみくちゃにされたからか、疲労困憊といった表情を見せジト目を紫に向けていた。

 

「早速子供達に懐かれたみたいでよかったじゃない」

「全然よくないですよ! この翼の手入れだって結構大変だっていうのに……」

「諦めなさい、上からの命令なんでしょう?」

「はぁ……勇儀さん達も紫さんのお願いには甘いんですから、いつも苦労するのは私達下っ端だという事をわかってもらいたいもんです」

「ごめんなさいね文、今度きちんとしたお礼をさせてもらうわ」

「それは楽しみですね。ああそれと……紫さんなら言わなくてもわかるとは思いますが」

「ええ。――できるのは案内()()、でしょう?」

「…………すみませんね」

 

 小さく謝罪の言葉を述べつつ、紫から視線を逸らす文。

 彼女は今回の課外授業の案内役、だができるのは紫の言った通り案内“だけ”だ。

 それを文は申し訳なく思っている、紫にとってそれだけで充分だった。

 

『天狗のお姉さん、案内よろしくお願いしまーす!!』

「はいはーい。いやー……よく教育が施されてる子供達ですね、山の資源を勝手に奪おうとする下種な妖怪や人間とは比べものにならないですよ」

「そうでしょうそうでしょう」

「なんで紫さんが胸を張るんですか……そういえばそちらの方、まだ自己紹介もしていませんでしたね。私は射命丸文といいまして、まあ見ればわかりますが鴉天狗です」

「あ、私は上白沢慧音と申します。射命丸さん、本日はこちらの勝手を通してくださって本当にありがとうございます」

「いえいえお気になさらず。それでは皆さん、いきましょうか?」

『はーい!!』

 

 文を先頭にして、子供達が山へと向かって歩き始めた。

 まるで小さな探検隊である、その微笑ましい光景に自然と紫の口元が緩んだ。

 

「さあ、私達もいきましょうか?」

「え、ええ……」

「排他的な考えを持つ山の妖怪が、ああも友好的な一面を見せるのが怪しい?」

「……否定はしません」

 

 正直な慧音の返答に、紫は内心苦笑する。

 生真面目な彼女らしい実直な考えだ、そしてその考え方は正しい。

 この妖怪の山で生きる妖怪達はあらゆる妖怪の群れの中でも相当な組織力を有している。

 それ故に山の外で生きる存在は人間妖怪問わずに受け入れない、自らの組織を維持するには当然の考え方だ。

 

 だからこそ慧音は、そんな山に生きる天狗がああも人間の子供達に友好的な態度を見せるのは「何か裏があるのではないか?」と考えずはいられなかった。

 そんな慧音の心中を察し、紫は彼女の肩に手を置いて安心するように告げた。

 

「時代が変わりつつあるのよ。勿論信用できないという慧音の考えは正しいわ、だからあなた自身が本当に信用できると判断するまでは警戒していなさい」

「紫さん……」

「さあいきましょう? 子供達も呼んでいるわ」

「……そうですね、わかりました」

 

 どんどん山へと入っていく文と子供達の後を追い始める紫と慧音。

 こうして、妖怪の山内部での課外授業は幕を開いたのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




まだこの時代には寺子屋は存在していないので、「学問を教える」という表現を使わせてもらいました。
少しでも楽しんでいただけたのなら幸いに思います。


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第79話 ~紫さんと課外授業~②

慧音の頼みで、課外授業についていく事になった紫。
子供達に滅多にできない経験をさせてあげたいと思った紫は、課外授業の舞台を妖怪の山へと決め案内役の文を引き連れ子供達と共に山を登り始めたのだった……。


「みなさーん、疲れてないですかー?」

『大丈夫でーす!!』

「おやおや、急ではないとはいえ傾斜のある山道を歩いているというのに、鍛えられているんですねえ」

「普段は親と共に農作業等の手伝いをしていますからね、近くの山林に足を運ぶ事もありますし」

「ほうほう……それはたいしたものです」

 

 割と本気の口調で驚いたような呟きを零しつつ、文は子供達の先頭をのんびりと歩いていく。

 課外授業と銘打っているものの、その内容は妖怪の山を見学するというものであった。

 だが手付かずの自然をその目に入れ、また文から妖怪の山に関する知識を教わる。

 それだけでも子供達にとっては貴重な体験へと繋がり、これからを生きる糧へとなるのだ。

 

 意外にも文自身、自分からあれこれと山の事を子供達に教えてくれている。

 子供達も普段会う事ができない鴉天狗を前にして、目を光らせ彼女を話を真剣に聞いていた。

 今のところは順調のようだ、後ろで子供達と文のやりとりを眺めている紫と慧音はそう思いながら笑みを浮かべる。

 

――勿論、全てが全て上手く行っている訳ではないが。

 

 先程から、自分達を見ている者達が居る。

 警戒、驚愕、そしてほんの少しの怯えと……隠し切れない捕喰欲求。

 おそらくこの山で生きる妖怪達だろう、捕喰欲求を向けてくるという事は天狗や鬼ではなく野良妖怪の類だと推測できた。

 幸か不幸か慧音は気づいていない、なので紫は彼女に気づかれないようにこちらを見ている野良妖怪達を威嚇する。

 

(あの程度なら襲い掛かってくる事はないわね)

 

 視線を子供達へと向けると、相変わらず文と楽しげに話していた。

 ……野良妖怪達の視線も、今の紫が放った威嚇も気づいている筈なのに、文は何も気づいていないかのように子供達と談笑している。

 それが何を意味するのか、無論わからない紫ではない。

 

「ねーねー天狗のお姉さん!」

「はい、なんですか?」

「この山には鬼が居るんだよね? 会えたりするのー?」

「えっ?」

 

 子供の1人のそんな質問を聞いて、文は驚いたように目を大きく開いた。

 

「いやー……まあ確かにこの山は鬼が統治していますけど、会わない方がいいと思いますよ?」

「えー、なんでー?」

 

 この言葉を聞いて、他の子供達も会話に参加してきた。

 どうやら子供達は鬼に会ってみたいらしい、恐いもの知らずな子供達に苦笑しつつ文は言葉を返す。

 

「鬼は人間を攫うこわーい妖怪です、皆さん大人達に習わなかったのですか?」

「習ったけど……慧音先生や八雲様がいるから大丈夫かなーって」

「おおう、信頼されてますね紫さん……。って、教わっているのなら鬼に会いたいなどと思うのはやめた方がいいですよ? 鬼という種族は本当に恐いんですからねえ、頭からバリバリーって食べられちゃいますよー?」

 

 両手を上に挙げ、襲い掛かるような仕草をする文。

 それを見た子供達は楽しげに逃走を始め、そのまま追いかけっこへと移行してしまった。

 

「……なんというか、彼女は意外と面倒見がいいのですね」

「上司の命令には逆らえないのよ、組織の中に居る者の定めね」

 

 彼女は子供好きでも人間好きでもない。

 ただ上司である勇儀達に命じられたから、子供達の世話をしているだけだ。

 まあ、傍から見ると彼女も充分に楽しんでいるように見えるが。

 

「はぁ、はぁ……」

「天狗のお姉ちゃん、大丈夫?」

(息切れしてる……)

 

 息を荒げている文とは違い、子供達はまだまだ元気な様子を見せている。

 仮にも妖怪、それも上位種に位置する天狗であるというのに、今の彼女は少々情けなかった。

 

「運動不足じゃない?」

「し、しょうがないじゃないですか……普段はずっと飛んでいますし、そもそも鴉天狗に歩かせたり走らせたりする方がおかしいんですって!」

「それにしたって……」

「ほ、他の鴉天狗達も同じようなものです!」

(そういう問題?)

 

 思いがけぬ天狗の弱点が露見した事はさておき、紫達は文が呼吸を整えるのを待って再び山の中を歩き始めた。

 先程の文の様子を子供達がからかい、文が恥ずかしげな表情を見せつつ反論していると……一向は、巨大な滝の下へと辿り着いた。

 

 上を見上げても天辺は見えず、絶えず降り注ぐ滝の轟音は衝撃となって空気を震わせていた。

 その衝撃と巨大な水煙はただただ圧巻であり、それ以上の感動を呼び寄せる光景であった。

 現に子供達は前方に広がる滝の存在感に圧倒され、慧音もまた驚きの表情を浮かべ立ち尽くしている。

 

「ここは山の至る所にある滝の中でも一番大きな滝でして、滝の裏側には“白狼天狗(はくろうてんぐ)”の待機場所があるんですよ」

「白狼天狗ってなにー?」

「見た目は人狼族のような耳と尻尾が生えていますが立派な天狗の一員でして、まあ立場で言えば一番の下っ端ですけどね」

「こ、この滝の中にそんな場所があるのか……」

 

 水の勢いや厚みを考えると、この滝の中に入るのは自殺行為だ。

 もはや水の壁といっても過言ではないこの滝は、入ればその勢いで簡単に潰されてしまうだろう。

 その中を通り抜ける事ができる、さすが立場では一番下とはいえ天狗だと慧音は改めてこの種族の強大さに驚いていた。

 

「会ってみたーい!!」

「おれもおれもー!!」

「うーん、好奇心旺盛なのは結構なんですが……白狼天狗は頭の固いのが多いですからねえ、会えば色々と面倒な事になるんですが…………遅すぎましたね」

「えっ?」

 

 文の言葉にキョトンとする慧音と子供達。

 一方、紫は背後の林の中から静かに姿を現した存在――白狼天狗の少女へと振り向き軽く睨みつけた。

 その態度は相手に自分が敵意を抱いていると告げるような失礼なものであったが、相手の少女もこちらを睨みつけていたので御相子である。

 

 右手に太刀を持ち、左手には円形の盾を持つ白狼天狗の少女。

 まだあどけなさの残る顔立ちからして、若い天狗なのだろう。

 こちらに向ける敵意も覇気も、紫にとっては可愛らしいものであり子供の戯れに等しいものであった。

 だが、かといってそのようなものを向けられて黙っているわけにもいかない。

 

「こんにちは椛、一体どうしたのかしら?」

 

 いつもと変わらぬ口調のまま、文は目の前の白狼天狗へと話しかける。

 椛と呼ばれた白狼天狗は、厳しい視線を文に向け小さく口を開いた。

 

「それはこちらの台詞です文様、何故人間達をこの山へと入れたのですか?」

「? ちょっと待ちなさい椛、それはどういう事?」

「文様の行為は重大な裏切り行為です、すぐにそこに居る人間と妖怪を始末し大天狗様の元へと――」

「はい、そこまで」

 

 語気を荒げ物騒な事を言い出しそうになる白狼天狗の少女――犬走椛(いぬばしり もみじ)の首に、紫の人差し指が添えられた。

 ただそれだけ、それだけの行為で椛は動けなくなる。

 当然だ、その指には高圧縮させた妖力が込められている、紫が少しでも指を動かせば椛の首は呆気なく貫かれるとわかって何故動けるというのか。

 

「誤解があるようだから言っておくけど、私達の事は鬼の者達にはきちんと伝え許可を貰っているわ」

「ざ、戯言を……」

「いいえ、そして私は勇儀さん達から山の案内役をするように命令されているの」

「なっ!? そ、それは本当ですか!?」

「そんな嘘を言って何になると思っているのよ。とにかくあなたの早とちりで子供達が怯えているじゃない、きちんと謝りなさい」

 

「……何故、人間なんかに謝罪をしなければ」

「椛?」

「うっ……」

 

 にっこりと、文は微笑みを浮かべる。

 だがその笑みは背筋が凍りつくほどに冷たく見え、その笑みを向けられた椛は一瞬で表情を強張らせ身体を震わせ始めた。

 その情けない姿を見た紫は内心彼女に嘲笑を送りつつ、椛の首から指を放し強引に子供達の前へと立たせる。

 

「ほら」

「…………驚かせてしまい、申し訳ありません」

 

 不承不承といった様子ながらも、椛はしっかりと慧音と子供達に向かって頭を下げる。

 

「ううん、気にしなくていいよ天狗のお姉ちゃん!!」

「ちょっとびっくりしたけど、近所に住む三つ目妖怪のおじちゃんが怒った時の方が恐かったし」

「う、む……」

 

 てっきり敵意が返ってくると思ったのか、子供達の反応に椛は困惑していた。

 

「ごめんなさいね皆さん、この子は犬走椛といいまして白狼天狗なんですが……若くて新人のくせに頑固で融通が利かなくてその上頭が固いもんだから誤解しちゃってるみたいなんですよ」

「………………」

「でも根が悪いわけじゃないんで、仲良くしてあげてくれませんか?」

「なんで私のお母さんみたいな事を言っているんですか文様!!」

 

「よろしく、椛お姉ちゃん!!」

『よろしくー!!』

「え、あ、う……よ、よろしく……?」

 

 困惑しながらもそう返す椛に、子供達は一斉に駆け寄り彼女はあっという間に囲まれてしまった。

 その恐いもの知らずで好奇心旺盛な子供達の態度に、椛は当然ながら驚き完全にペースを崩されている。

 彼女としては今すぐに蹴散らしたいと思いながらも、そんな事をすれば文達が黙っていないと理解しているので何もできない。

 結果彼女は、子供達に質問攻めをされたり自慢の白い尻尾を無造作に掴まれそうになったりと、見ていて可哀想な目に遭う羽目に。

 

「おお……あの堅物椛が圧倒されてる、これは珍しい光景ですねえ」

「失礼だが射命丸さん、彼女は?」

「あの子は最近訓練を終えたばかりの若い白狼天狗でして、彼女を鍛えていた教官曰く白狼天狗の中では頭一つ抜けた才能を持ち成績も良かったそうですが、如何せん頭が固くあのように融通が利かない面があるのが欠点らしくて」

「……どうも彼女は今回の件を知らなかったようだが」

「あー、えっと……それはですね」

 

「――仕方ないわよ。だって()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「えっ……?」

「うっ……」

 

 紫の言葉に驚く慧音とは違い、文はまるで図星を差されたかのように小さく唸る。

 そう――椛は知らされていなかったのだ、今回の事を。

 

「それは、何故……?」

「言った筈よ慧音、妖怪の山に生きる者達は巨大な組織の中で存在している。でも決して一枚岩ではないと」

「……つまり、今回の事を認めない者達が居ると?」

「まあそれはしょうがないというか当然というか……私達って、余所者に厳しいじゃないですか?

 今回の件に勇儀さん達が盟友と認めてる紫さんが関わっているから特例で認めてますけど、だからって全ての者達がそれを認める事に繋がる訳じゃないって事です」

 

 人と妖怪の間にある溝は、大きなものだ。

 妖怪の多くは人間を下等生物だと見下している、特に力ある妖怪であるのならばその傾向はより強くなる。

 だからこそ、人間達に自分達の山を歩かれるのは屈辱だと考える者も居るのだろう。

 

「天魔様はもちろん大天狗様がわざと情報を下の者に伝えなかったとは思えませんし、おそらくは彼女の部隊の隊長かその上の上司が情報を止めたのでしょうね」

「………………」

「……紫さん、そして慧音さん。身内の恥を見せるだけでなく子供達に恐い思いをさせてしまった事……深くお詫びします」

 

 そう言って、文は2人に対し深々と頭を下げる。

 

「顔を上げてください射命丸さん、こちらに何も危害は加えられなかったしなにより子供達が許したのですから、もうこの話はやめにしましょう」

「……そう言っていただけると、助かりますよ」

「あ、文様~」

 

 情けない声が、椛達の方から聞こえてきた。

 なので3人はそちらへと視線を向け、子供達にもみくちゃにされすっかり人気者になっていた椛を見て一斉に噴き出した。

 3人の態度を見て恨めしそうな視線を向ける椛であったが、子供達に囲まれているその姿ではまったく恐くない。

 その面白い光景を暫く見守っていたかった文であったが、慧音の一言によって子供達が離れてしまったのでそれも叶わず。

 ただ今の椛の情けない姿の事は後で仲間の天狗達に教えてやろうと、文はひっそりと心に決めたのであった。

 

「さて皆さん、お詫びといってはなんですが……滝の天辺までちょっとした空の旅を体験してみませんか?」

「ホントにー!?」

「したいしたい、お願いしまーす!!」

「決まりですね。慧音さん、よろしいですか?」

「ええ。でもあなただけでは……」

「それはご心配なく。椛、あなたも手伝いなさい」

「ええっ!? な、何故私が……」

 

 抗議の声を上げようとする椛だが、文の睨みですぐさまおとなしくなった。

 ただ2人だけでは大変なので紫と慧音も手伝う事にして、4人は子供達を抱え持ちながらゆっくりと真上に飛び始めた。

 

 キラキラと舞う水飛沫、そして上昇していくにつれ変わっていく山の景色。

 その幻想的といえる美しい景色を目の当たりにして、子供達は先程のようなはしゃぎようなど嘘のようにおとなしくなり、その光景に見入っている。

 そんな子供達の反応を見て、慧音は嬉しそうに微笑みを零していた。

 今回、課外授業を企画した事は間違ってなかったと、心からそう思えたのだった。

 

 

 

 

「――さあみんな、2人に挨拶をしなさい」

『ありがとうございました!!』

「いえいえー、こちらも楽しかったですから」

「………………」

 

 太陽が真上に差し掛かる頃、紫達は里へと戻ってきていた。

 いくら子供とはいえこの里では大人の手伝いという仕事があるため、一日中里を離れさせるわけにはいかないのだ。

 予想通り子供達からは抗議の声が上がったものの、慧音の「我儘を言うのなら頭突きをする」という一言で、一斉におとなしくなった。

 

 文もわざわざ里まで子供達を送り届けてくれたのだが、椛まで同行を申し出てきたのは意外であった。

 今もつっけんどんな態度を見せているものの、子供達が彼女に向ける視線は好意的なものだ。

 

「紫さんも、本日は貴重な体験をさせていただきありがとうございました」

『八雲様、ありがとうございます!!』

「いいのよ、気にしないで」

「それでは私は子供達を親御さんの元へと連れて行きますので……」

「ええ、それじゃあまた」

 

 歩きながら手を振り続ける子供達に、紫達も同じように手を振ってそれを見送る。

 そして慧音と子供達の姿が完全に見えなくなってから……紫は隣に立つ文へと声を掛けた。

 

「それで文、私に何か用でもあるんじゃなくて?」

「あややー……やっぱりわかります?」

「ええ、いくらなんでもわざわざ子供達を里まで送るようなあなたじゃないもの」

「いやいや、子供達の事は割と本気で気に入りましたよ? まあそれはそれとして……紫さんに伝える事があるのは事実ですが」

 

 苦笑いをする文を見て、紫はそっとため息を吐き出した。

 どうせ面倒な用なのだろう、天狗である彼女からわざわざ話があると言われればそう考えるのは当然であった。

 

「勇儀さんが、今回の件が済んだら紫さんを連れて来いと仰っていまして……」

「勇儀が? それはどうして?」

「すみません、私もただ「連れて来い」としか言われていないので、内容までは把握していないんですよ」

「そう……」

 

 星熊勇儀達“鬼”と出会い友好関係になっておよそ四百年。

 その後も何度か会い共に酒を飲み交わしたり他愛のない話に華を咲かせたりと、関係は良好なものを築いていると少なくとも紫はそう思っている。

 ただ今まで今回のように向こうから内容を言わずに呼ばれた事はない、それだけでもなかなかに厄介な内容だと容易に推測できた。

 

「……わかったわ。いきましょうか」

 

 とはいえ、紫の選択は「行く」以外なかった。

 紫の言葉に感謝しますと文は返し、3人はそのまま里へと飛び去り再び妖怪の山へと向かう。

 

(……龍人はいつになったら帰ってくるのかしら)

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第80話 ~紫さんの相談対応記~

課外授業が無事に終わり、子供達を見送った紫達。
そのまま屋敷へと帰ろうとした紫であったが、文から友人である勇儀達自分を連れてこいと命じられている事を知らされ、再び妖怪の山へと向かったのであった……。


 妖怪の山の外れに位置する場所に、紫は案内された。

 そこは鬼達が住む里からは離れた場所であり、一件の小さな小屋があるだけだ。

 てっきり鬼達の里へと案内されると思っていた紫は訝しげな視線を案内役の文と椛に向ける。

 

「ここに案内するように指示されたのは確かなので。それでは紫さん、我々はここでお暇させてもらいます」

「……小屋に入ると同時に中で待機していた妖怪達に襲われる、なんて事はないでしょうね?」

「何を言っているんですか。そんな事しませんってば」

「わかっているわ。少しからかっただけだから」

「勘弁してくださいよ……」

 

 大きくため息を吐く文に、紫は苦笑する。

 そんな紫にジト目を送ってから、文は椛を連れて今度こそこの場から飛び去っていった。

 

 小屋へと視線を戻す。

 中には複数の気配が感じられる、そのどれもが妖怪であり実に宿す力は大きい。

 とはいえ、紫にはその気配が誰なのかはわかりきっているので、遠慮も躊躇いもなく小屋の入口の扉を開き。

 

「――よお、遅かったじゃないか」

「おー、先に始めてるよー」

「久しぶりですね、紫」

 

 中から酒臭い空気を醸し出しながら、3人の女性が紫を出迎えてくれた。

 

 長身で額に角を生やす女性、星熊勇儀。

 捩れた二本の角を持つ小柄な少女、息吹萃香。

 桃色の髪とその髪に隠れてしまいそうなほど小さな二本の角を持つ女性、茨木華扇。

 

 この3人は紫の友人であり、そして現在この妖怪の山を統治している鬼の実力者達。

 並の妖怪ならば出会うだけで死を覚悟するほどの力を持った3人を前にしても、紫の口元には懐かしむような楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

「用件は何かしら?」

「つれないねえ。たしか70年前に会ったっきりだろ? 良い酒を用意したんだ……って、龍人はどうしたんだい?」

「彼ならふらりと旅に出てるわ。もうすぐ帰ってくるでしょうけど」

「なんだ、龍人は居ないのか……」

 

 割の本気の口調で残念がる勇儀、それがなんとなく面白くなくて紫は顔をしかめた。

 

「それより、わざわざ山の統治者達が私のような一妖怪を呼び寄せるのだから、よっぽど重要な用件があったのではなくて?」

「そんな慌てなくてもいいじゃん、勇儀はもちろん私も華扇も紫に会って一緒に酒でも飲み交わそうと思ってたんだからさ」

「……用意してくれた事に関して感謝していないわけではないわ、でもあまり長居しては色々と煩い連中が居るのではなくて?」

 

 八雲紫は、星熊勇儀達の盟友の1人である。

 妖怪の山に生きる者達は、そういった認識を抱き外部の存在である彼女を“基本的には”受け入れている。

 だがあくまで基本的にはというだけであり、山の妖怪ではない彼女を認めない輩とて存在していた。

 勇儀達がわざわざ自分達が住まう里ではなくこのような外れの小屋に紫を呼んだのも、余計な煩わしさを払拭するという目的があっての事だ。

 

 紫の指摘が図星だったのか、勇儀は頭を乱雑に掻きつつ――本題に入る事にした。

 

「ちょっと、お前さんに訊きたい事があるんだよ」

「なにかしら? 生憎だけど私は特殊な趣味はないのだけれど」

「そういう冗談は面白くないし笑えない。――最近、山の中で“怨霊”を目撃する事が多くなったという報告が入っているんだ」

「怨霊?」

 

 怨霊、それは生前罪を犯したまま霊となった者達の俗称。

 それらは現世から死神によって回収され、閻魔の裁きを受け地獄へと流されそこで生前の罪を償っていく。

 しかし中には自分勝手な怨み辛みだけを増幅させ、他者の精神に潜り込み“憑き殺す”という厄介な固体も存在していた。

 

 その厄介な固体は人間だけでなく妖怪にとっても脅威であり、特に人間よりも精神に依存している妖怪にとって怨霊とは自分自身の存在そのものを揺るがしかねない危険性を持っているといっても過言ではない。

 故に死神達も怨霊による二次被害を抑える為に現世に赴いては怨霊となる魂の回収に勤しんでいるが……完璧に回収できるわけではない。

 

 とはいえ紫のような力のある妖怪にとって、怨霊はそこまで脅威となる存在ではなく寧ろ取り込めば力が増すので、所謂パワーアップアイテムのような認識でしかない。

 それでも怨霊は厄介な存在であり、そもそも勇儀達にとっては下の者が怨霊の被害に遭うというのは避けたいだろう。

 

――だが、ここである疑問が紫の中で生まれた。

 

「怨霊を目撃する事が多くなったと言ったけれど、最近山の住人達が集団で命を落とすような出来事があったの?」

「いんや、そんな事はないさ。下の連中は食物連鎖が激しい場合もあるけど、だからってそんな事はないし報告も入ってない」

「…………解せないわね」

 

 そう、解せないと紫は思った。

 極端な話、怨霊というのは生物が死ねば増える。

 特に他者に命を奪われたり等の理不尽な死を体験すれば、その数は簡単に増え続けるだろう。

 だが勇儀達はそういった出来事――即ち、妖怪同士の抗争のような事は起こっていないと言う。

 

 紫も定期的に里の外へと式神を送っているが、少なくとも周囲の村や小国で大量の死が発生したという話は聞いていない。

 だというのに、怨霊の目撃件数が増えているという事実は、腑に落ちなかった。

 そもそも妖怪の山に比較的近い幻想郷の里でそのような話は出ていないというのに、何故この山だけにそのような事が起こっているのか。

 

「怨霊を叩き潰すのは簡単さ、けど原因を突き止めなきゃいたちごっこになっちゃうからね」

「私が飼う動物達も少し怯えているようですし、なんとかしてあげたいのですが……」

「情けない話だがあたし達に怨霊に対する専門的な知識を持つモンはいない、だからお前さんの知恵を借りたいと思ってね」

「成る程……」

 

 正直な話、あまりにも情報が少なすぎて原因の糸口すら掴めなかった。

 ただ判る事もある、勇儀達の話と自身の式神による情報を照らし合わせれば、少なくとも今回の現象はこの山限定のものだ。

 つまり、この妖怪の山の中で何かが起こっているという考えに到達する。

 

「一応、天狗達に山を見回って何か前とは違う変化がないのか調べてもらっているよ」

「そう……ならそのまま調査を続けて貰える? 多分だけど、山の中で何かが変わっているでしょうから」

 

 言いながら、紫は立ち上がる。

 

「私は別の方法で調べてみるわ。正直なところ霊に関する知識を有しているわけではないから、“同じ存在”に訊いてみる事にしましょう」

「助かるよ。――ところで今更だけど、こんな面倒事に協力してもらっていいのかい?」

「本当に今更ね。怨霊の存在は私にとっても無視できないし、このままにしておいたら里にまで迷惑を被るかもしれないじゃない」

 

 それが本音の“一つ”、そしてもう一つはもちろん。

 

「それにね、あなた達が私を盟友だと思ってくれているのと同じで、私もあなた達の事を大切な友人だと思っているのよ?」

 

 理由など、それだけで充分なのだ。

 友人だから力になる、そこに種族の違いや立場の違いなど関係ない。

 だから紫は協力する、利害など考えずにだ。

 

 

 

 

「――おかえりー」

「…………それは、私が貴方に言う言葉だと思うのだけれど」

 

 勇儀達と別れ、紫は八雲屋敷へと戻ってきた。

 そのまますぐにある場所へと向かおうとしたのだが……。

 

 居間に着くなり、今まで里を離れていた龍人が帰ってきていただけでなく暢気に上記の言葉を放ったものだから、紫はつい疲れたようなため息を零してしまった。

 

「里の子供達に聞いたぞ。妖怪の山に課外授業に行ったんだって?」

「……龍人、とりあえず私に言うべき事があるのではなくて?」

「ん? ああそうか……ただいま、紫」

「ええ、おかえりなさい龍人」

 

 互いに笑みを浮かべ合う2人。

 半年も満たない程度であったが、それでも紫には久しぶりの再会に感じられた。

 このまま彼と2人だけの時間を過ごすというのも魅力的ではあるものの、紫はすぐさまスキマを開く。

 

「帰ってきたばかりなのに、もう出掛けるのか?」

「勇儀達に少し頼まれ事をされたから、“冥界”に行ってくるわ」

「勇儀に? 一体何を頼まれたんだ?」

「もし旅の疲れがあまりないのなら一緒に来る?」

 

 行く、二つ返事で返答しながら龍人は立ち上がった。

 彼に勇儀達との会話の内容を説明してから、スキマを通して死者の世界である“冥界”へと赴く紫。

 着いた先は“冥界”にて霊の管理を行う管理者が住まう“白玉楼(はくぎょくろう)”と呼ばれる巨大な建物、この中には紫達の友人である魂魄妖忌(こんぱく ようき)と……彼が仕える亡霊姫“西行寺(さいぎょうじ)幽々子(ゆゆこ)”が暮らしている。

 

「幽々子、妖忌ー?」

 

 中庭へと降り立った紫は、友人達の名を呼びながら遠慮なしに居間へと入ろうとする。

 が、彼女の前に白銀の輝きを放つ刀身が突きつけられ、紫は目を細め真横へと視線を移した。

 

「酷いじゃない妖忌、友人に刀を突きつけるなんて」

「なら中庭から入ろうとするんじゃない。礼儀のなってない者に遠慮などせんわい」

 

 言いながら、紫に向けていた桜観剣を鞘に戻す妖忌。

 

「よお、妖忌」

「久しぶりじゃな龍人、今回の旅はどうじゃった?」

「楽しかったけど結構大変だった。――お前、また皺が増えたか?」

「うっ……気にしてるんだから、あまり言うな」

 

 顔に刻まれた無数の皺を擦りながら、妖忌の表情が強張っていく。

 半人半霊である彼は、人間よりも遥かに寿命が長いものの半分は人間のせいかすっかり見た目は老人のようになってしまっていた。

 とはいえ、その身に宿す覇気は歳を重ねる毎に強靭で鋭いものに変わっているが。

 

「ねえ妖忌、あの子は――」

「だーれだ?」

 

 紫の視界が突然塞がった。

 一体何故、などという疑問は抱かない。

 視界が塞がる直前に聞こえた楽しげな声と、その声の主が誰であるか判れば疑問など抱かないからだ。

 冷静に、これっぽっちも驚いてませんよと相手に伝えるかのように、紫は静かに自分の目を覆っている手を掴みそっと目から放す。

 

「――幽々子、此処でその手の悪戯はすぐに特定されるから意味がないわよ?」

「むぅ……少しぐらいは驚いてくれたっていいのに……」

 

 頬を膨らませ紫に抗議の視線を向けるのは、桃色の髪を持つ着物のような死に装束のような不思議な衣服に身を包んだ亡霊の少女。

 この“白玉楼”の管理者にして、紫と龍人の古き友人である西行寺幽々子であった。

 

「あら龍人君、久しぶりねえ」

「相変わらず元気そうだな、幽々子」

「ええ、いつも私はすっごく元気よ!」

「亡霊なんだから元気も何もないでしょうに……」

 

 もっともなツッコミをしつつも、このままでは話が進まないばかりか彼女のペースに呑み込まれてしまう。

 そう危惧した紫は、表情を引き締め幽々子へと無言で視線を向けた。

 それだけで幽々子は紫達が今回遊びに来たわけではないと理解し、妖忌に茶を出すように指示してから2人を客間へと案内させる。

 

――数分後、改めて場を作った紫は早速幽々子に山での会話内容を彼女に話した。

 

「あらあら、現世ではそんな愉快な事が」

「全然愉快じゃないから、それで幽々子はどう思う?」

「うーん……そうねえ、私はあくまで“冥界”で暮らす幽霊達の管理をしているだけだから怨霊は管轄外だけど、妖怪の山にだけ怨霊が増えるという現象が発生するという事は、山の中で何かしらの変化があったのは間違いないわね」

「その辺は山の妖怪達が調査をしているけど、何故そんな事が起こっているのか幽々子は何か思い当たらないかしら?」

「思い当たらないわね」

 

 すっぱりと、あんまりな返答を返す幽々子に紫はおもわずジト目を向けてしまう。

 そんな彼女の視線を受けて焦ったのか、僅かに表情を引き攣らせ取り繕うように幽々子は言葉を続けた。

 

「あ、後は“地獄”の方で何かあったのかもしれないわね」

「地獄?」

「ええ、怨霊は地獄で管理されるものだから。

 そうね、閻魔様なら何かわかるかもしれないから呼んでみましょうか?」

「閻魔を……」

 

 閻魔、という単語を聞いた瞬間、紫はあからさまに苦い表情を浮かべ始めた。

 すぐさま彼女の脳裏に浮かぶのは、くどくどと辛辣な口調と言葉を並べながら説教する1人の女性の姿。

 地獄の閻魔――四季映姫(しき えいき)・ヤマザナドゥを呼ばれると聞いては、苦い顔を浮かべたくなるのも当然と言えた。

 

「幽々子、閻魔にはあなたが色々と訊ねてきてくれないかしら?」

「え、でもせっかくだし本人に話を聞いた方が……」

「いいから、お願いします」

「あ…………はい」

 

 有無を言わさぬ口調で言われては、幽々子としても頷く事しかできなかった。

 ……紫としては、あの説教大好き閻魔には極力会いたくないのだ。

 どうせあの閻魔の事だ、自分を見ては説教を開始するに決まっている。

 

「それじゃあ真面目な話はここまでにしましょうか。せっかく遊びに来てくれたのにずっと真面目な話ばかりじゃ疲れちゃうもの」

「それはいいけど、じゃあどんな話をするつもりなんだ?」

「えっと……そうだわ! 龍人君、また旅に出てたのよね? 今回はどんな所を見て回ってきたの?」

 

 その話を聞きたいわ、幽々子のそんなお願いを聞いて龍人は快く承諾し、今回の旅の内容を話し始めた。

 目的などなく、けれど行く先々で妖怪や人間の問題に巻き込まれ、もしくは自ら首を突っ込んでいく龍人の旅路。

 それを面白おかしく彼は話し、話を聴いている幽々子はまるで子供のように驚いたり楽しんだり……ころころと表情を変えている。

 

――そんな彼女の姿を見て、自然と紫は口元に笑みを浮かべてしまう。

 

 何気ない一時、平凡な時間を過ごす彼女。

 生前叶わなかったささやかな日常を、亡霊となった彼女は体験する事ができている。

 それが紫にとって、否、生前の幽々子を知る者達にとって喜ばしい事だ。

 

 四季映姫が言っていたように亡霊となった彼女に生前の記憶はなく、紫達は幽々子に対し初対面だと偽った。

 ただ生前の記憶を失っていても、彼女は変わらず“西行寺幽々子”であり、すぐに生前の時と同じように友人関係を結ぶ事ができていた。

 彼女が亡霊となって四百年以上が過ぎる中、のんびりと気ままに亡霊生活を送れている彼女は幸せそうだ。

 願わくばこの小さな幸せがこの先に続きますように……もう何度目かわからない願いを、紫は心の中で祈る。

 

「いいわね龍人君、風来坊さんって感じで」

「そうかあ? まあでも色々な場所で色々な人達が見えるのは楽しいけどな」

「でも龍人君、あんまり紫の傍を離れては駄目よ? 寂しがっちゃうから」

 

 そう言って、ニマニマと人をからかうような笑みを紫へと向ける幽々子。

 しかし紫は軽く受け流す、その手のからかいはもう何度目になるかわからないくらいされてきたのだから嫌でも慣れるというものだ。

 

「寂しがる? 紫の傍にはいつも藍がいるから大丈夫だろ?」

「…………」

「あらー……」

 

 からかいには慣れている、それは事実だ。

 しかし、だがしかし……今の龍人の発言は、正直許容できなかった。

 無言で立ち上がる紫、その顔は笑顔であったが……目はちっとも笑っていなかった。

 

「な、なんで怒ってるんだ?」

「怒ってなんかいないわよ? ええ、ちっとも怒ってなんかいないわ」

 

 怒ってるじゃねえか、というツッコミは今この場に居る誰もが口にする事はできなかった。

 そこで漸く龍人は自身に迫る身の危険を感じ取ったらしく、顔を引き攣らせ始める。

 因みに幽々子は妖忌と共に退避済み、彼女を止めるという選択は選ばなかった模様。

 

「でも龍人、幽々子の言う通り貴方は少し風来坊な面が増えてきてるわね」

「うっ、悪い……」

「反省しているのなら、暫くは私の傍に居なさい」

「わかった。紫の傍から離れないようにするよ」

「はい、よろしい」

 

 その言葉を聞いて紫は満足そうに微笑み、龍人は機嫌が直った彼女を見てほっと胸を撫で下ろす。

 

「…………ねえ、妖忌」

「言わないでください、幽々子様」

「あの2人、もう夫婦当然よね?」

「言わないでくださいって言ったではありませんか。――辛い物が食べたくなりました」

「奇遇ね妖忌、私もよ」

 

 げんなりとする幽々子と妖忌は、同時にこう思った。

 お前等もう家に帰って続きしろよ、と。

 

 

 

 

To.Be.Comtimued...




問題フラグが建ちましたが、次回はきっと日常話。
楽しんでいただけたでしょうか? もしそうなら幸いです。


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第81話 ~紫さんと謎の女性祓い屋~

妖怪の山で起こった小さな異変。
その原因を探りながら、紫は今日も幻想郷の地で生きていく……。


「――暑い、です」

 

 唸るような藍の呟きを聞いて、紫は呆れを含んだ表情を自身の式へと向ける。

 

「情けない事言わないの。それでも私の式なのかしら?」

「も、申し訳ありません……ですが、今日は本当に暑くて……」

 

 そう告げる藍の顔には、滴り落ちてしまう程の量の汗が滲んでいる。

 人里から食糧の買出しへ行っただけでこれである、屋敷の中に居る紫は気づいていなかったが相当暑いらしい。

 まあ藍の場合は、その九本の巨大な尾のせいもあるだろうが。

 夏は暑いのが当たり前ではあるものの、今日は外に出ないで屋敷でゴロゴロしてようと紫は密かに誓った。

 

「里の方でもこの暑さですっかり参っている様子でしたよ。中には倒れてしまった者も居るらしくて……」

「あら、そうなの?」

「はい。里に流れる川の水量も少しずつとはいえ減少しているようで……このような日が続くと、干上がってしまう可能性もありそうです」

「……少し、阿悟の所に行ってくるわ」

 

 藍の言葉を聞いて僅かに危機感を抱いた紫は、一言告げてからスキマを展開。

 そのまま稗田家の屋敷へと向かい――纏わりつくような不快感のある暑さを感じつつ、自身の部屋にて机に突っ伏している阿悟の姿を発見した。

 

「ちょっと阿悟、大丈夫!?」

 

 慌てて彼女へと駆け込む紫、すると紫の声を拾ったのか阿悟は顔を上げた。

 顔色は悪くないものの、暑さにやられたのか表情にいつもの清楚さはなく、覇気も感じられない。

 

「あ……紫さん、こんにちは」

「とにかく水を飲みなさい、ほら」

 

 近くにあった容れ物に入っている水を器に入れ、紫は阿悟へと手渡す。

 それを受け取りゆっくりと飲んでいく阿悟、そのおかげか少しだけすっきりとした表情を見せてくれた。

 

「すみません紫さん、ちょっと暑さにやられてました……」

「……今日は本当に暑いのね」

 

 藍が情けない反応を見せるのも、わかってしまう。

 雲一つない快晴から降り注ぐ陽の光はただ強く、ずっと浴び続けていたら痛いくらいだ。

 

「水不足の危険性も考えないといけないわね……」

「ええ、とりあえず現状では問題ないという判断ですが、このような日が続くとなると危ないかもしれません」

「……新たな水源を確保しましょうか」

「ですが紫さん、この近くにそんな場所があるでしょうか?」

「近くにはないわね。でも少し離れた場所に大きな湖があるの」

 

 紫のそんな言葉を聞いて、阿悟はキョトンとした表情を浮かべる。

 

「湖、ですか? ……そのような場所があるという話は、聞いた事がありませんが」

「里から少し離れた場所にあるし、あまり人が近寄るには適さない場所だから知らないのも無理はないわ。

 でも大きさはかなりのものだし、その湖を新たな水源にすれば万が一の事態になっても対処できる筈よ」

「それはいいですね! あ、でも……人が近寄るには適さない場所って」

「なら人じゃない私が行けばいいでしょう?」

「え、ですが……」

「? 何か問題でもあるのかしら?」

 

 話に出している湖は、多数の人外が生息している場所だ。

 幻想郷の里の外は相も変わらず人を喰らう妖怪が存在している、ならばそんな者達には遅れをとる事がない自分が動けばいい話である。

 それに龍人だって水不足という事態になれば動いてくれるし、他にも慧音や妹紅といった里の為に尽力してくれる存在は居るだろう。

 ならば何も問題はない……筈だというのに、阿悟は紫が動く事を反対しているように見えた。

 いや、反対というよりも彼女の様子を見るに紫に対する“申し訳なさ”といったものが見受けられる。

 

「いつも困った時は紫さんや龍人さんに頼るというのも、やはり申し訳ないといいますか……」

「何を言っているのよ。人と妖怪、互いに認め合って生きていくのが幻想郷の世界でしょう? ならばそれぞれのできる事をすればいいだけじゃない」

「それは正しいお言葉だと思います。でもこのまま頼るばかりでは……いつか、里の者達は紫さん達を体よく利用するような気がして……」

「それこそ考え過ぎよ。――この八雲紫が、利用されるだけの矮小な存在に見えるのかしら?」

 

 少しだけ口調に覇気を込めながら、妖怪としての一面を表に出す紫。

 上記の言葉が放たれただけで、周囲の空気が重くなり張り詰めたものへと変化していった。

 そんな紫を見て阿悟はぶるりと身体を震わせ、改めて八雲紫という存在の“格の違い”を理解させられた。

 

「わかってくださったようですわね」

 

 阿悟の反応に満足そうな笑みを浮かべてから、紫はスキマを開く。

 繋げた先は当然今の話で出てきた湖である、阿悟に「それでは、また」と一言告げてから紫はスキマにて湖へと移動した。

 

――その湖は、里から一つ山を越えた先に存在している。

 

 広さ、水深共に数ある湖の中でも大きく、そして良質な水を蓄えていた。

 それもその筈である、この湖はここから更に離れた場所にある“妖怪の山”の沢へと繋がっているのだから。

 飲むだけで活力を得られるこの湖の水の力は、おそらく数多くの妖怪が済むあの山の妖力によって生まれたのだろう。

 少し考えるだけでも様々な活用法が思いつく、ここの水は幻想郷の住人達が生きる上での助けになってくれる筈だ。

 

 しかしこの湖の周囲は深い森に囲まれており、更には野良妖怪も生息しているので並の人間では辿り着く前に命を奪われるのは目に見えている。

 今だってこちらを警戒するように見ている輩が居るのだ、やはり先程阿悟に言ったようにこの湖の水を使わざるをえない状況になったら自分達が動くしかないだろう。

 

(それはそうと……さすがに湖の傍だからかしら、涼しいわね)

 

 照りつける日差しも、湖の傍に居るおかげかあまり気にならない。

 とはいえまだ暑いのも確かだ、こういう日は冷たく冷やした酒をちびちびと飲みながらのんびり過ごしたいものである。

 そんな自堕落チックな事を考えながら、暫く湖を見つめながらぼーっとする紫であったが。

 

「――あれ? こんな所に人が居る?」

「………………」

 

 背後から聞こえる女性の声に反応し、紫は現実へと引き戻された。

 そのまま彼女は背後に振り向き、女性と対峙する。

 

 突如として現れた女性は、まだ二十代と思われる若い人間であった。

 腰辺りまで伸びる長く艶やかな黒髪に瞳、細身の体型を包む白衣(しらぎぬ)緋袴(ひばかま)

 所謂巫女装束と呼ばれる服装であるが、袖は肩口までの短いものであり、袴も足元ではなく膝丈程度の長さで揃えられている。

 背は紫と並ぶほどに高く、見目麗しい容姿を持つが……身体の至る所には、女性とは思えぬ痛々しい傷跡が刻まれていた。

 

(裂傷に火傷の痕、それもただの傷じゃなく……妖怪によって受けた傷のようね)

 

 このような場所に現れたのだ、ただの人間ではないだろう。

 だが刻まれたその傷と服装を見るに、彼女は今や数少なくなった“本物”の巫女と呼ばれる存在だと紫は確信する。

 一方、巫女の衣服に包まれた女性は紫の姿を見るやポカンとした間の抜けた顔を披露し始めていた。

 そんな女性に訝しげな視線を向けていると。

 

「こんにちは妖怪さん、ちょっと訊きたい事があるのだけど」

 

 敵意などまるで感じさせない暢気な口調で、女性は紫へと問いかけを放ってきた。

 

「……なにかしら?」

 

 決して油断しないように、けれどそれを表に出さないようにしながら紫は女性へと反応を返す。

 

「この辺にさ、“幻想郷”って呼ばれる里があるって話を聞いたんだけど、知らない?」

「……さあ、知らないわ。でもそんな場所に何か用事でもあるの?」

 

 嘘を混ぜつつ、女性の心中を読もうと今度は紫が問いかけを返した。

 彼女の嘘に気づかない女性は、すんなりと紫の問いに返答を返したのだが。

 

「うん、そこに居る龍人っていう半妖を退治しようと思ってて」

 

 その内容は、紫にとって到底許容できないものであった。

 

「………………」

「とある人に頼まれたのよねー、その龍人とかいう半妖は人間を無差別に襲う極悪非道な存在だから退治してくれって」

「…………そう」

 

 ああ、駄目だ。

 どうにか返答しながら、紫は自分の内から溢れ出そうとする怒りを抑えられなくなっていた。

 それは同時に紫の身体から高密度の妖力を溢れ出させる結果に繋がり、周囲の空気が一変する。

 彼女の怒りと溢れ出す妖力の強さに、周囲の動物や野良妖怪達は一斉に逃げ出した。

 

「……嘘ついたね? あなたは幻想郷って場所を知ってるし、反応からしてその龍人って半妖の事も知ってるんでしょ?」

「黙りなさい、人間」

 

 音もなく光魔と闇魔を取り出す紫。

 それを見た女性は表情こそ冷静なものだが、静かに臨戦態勢へと移行していった。

 

「すぐには殺さない。お前の口からそんなくだらない依頼を出した人間の名と場所を吐かせるまではね」

「おおぅ……凄い妖力、こりゃあとんでもない怪物に出会っちゃったみたいだね」

「後悔しなさい。彼を退治するなどといった依頼を受けた自分自身を、死ぬ寸前まで後悔しながら――去ねっ!!」

 

 境界の能力では殺さない、楽に死なせるつもりがないからだ。

 憤怒の色を金の瞳に宿しながら、紫は女性に向かって踏み込んだ。

 たった一息で間合いを詰め、右の光魔を下段から掬い上げるかのように振り上げ、相手の左腕を斬り飛ばそうとして。

 

「――――」

「あっぶな……よくそんな動き辛そうな服装でそんなに速く動けるね」

 

 光魔の刀身を、斬り飛ばそうとした左手“一本”で真っ向から受け止められてしまった。

 ……そんな馬鹿な、生身の人間が妖刀を片手で受け止めるなどという芸当ができる筈がない。

 疑問と驚愕に襲われる紫であったが、すぐにそのカラクリに気づき――戦慄した。

 

 なんて事はない、女性は自身の左手に霊力を込めそれで光魔の刀身を受け止めたのだ。

 理屈自体は単純だが……紫を戦慄させるには充分過ぎた。

 紫の斬撃の破壊力は彼女自身の妖力の高さも相まって凄まじく、無抵抗であるのならばあの鬼の頑強な肉体すら容易く両断できる。

 故に、並の者がたとえ防御したところでその防御ごと両断できる力をこの斬撃には込められているのだ。

 

 それを防いだ、人間が、左手だけで。

 即ち、目の前の女性は人間としては破格の霊力と戦闘能力を有しているという事実に繋がり。

 

「破っ!!」

「っ、ぐぅ――っ!?」

 

 相手の右の拳による反撃が、紫に襲い掛かった。

 即座に反応し攻撃の軌道に闇魔を合わせ刀身で受け止める事に成功したものの、冗談みたいな衝撃が襲い掛かり紫の身体は後方へと吹き飛んでいく。

 再び驚愕しながらもすぐさま体勢を立て直し――眼前に、女性が迫っていた。

 

「くっ!?」

 

 防御は間に合わない、瞬時に理解した紫は一瞬でスキマを使って回避する。

 幸いにも回避は間に合ったものの、今の行動は紫の大妖怪としてのプライドを大きく傷つけさせた。

 逃げの一手を自分に選択させた女性を睨む紫、対する女性は紫に対して驚いたような表情を向けていた。

 

「……よく反応できたわね。今のは当たったと思ったのに」

「………………」

「これだけの力を持つ大妖怪が、こんな辺境の地に居るなんて思わなかったわ。

 どうやら噂通り、“幻想郷”って場所は強い力を持った人外が集まっているのかしら」

「っ、幻想郷に……龍人に手を出してみなさい、必ずお前を殺してやる!!」

 

「――そう。ならこっちも“秘術”で勝負を決めてあげるわ」

 

 空気が変わる。

 それを全身で感じ取った紫は、すぐさま闇魔を投げ捨て光魔を両手で持ち直した。

 

 女性が放つ次の一手は、まさしく必殺の一撃。

 両手を合わせ霊力を錬っている女性の周囲に、彩り豊かな“八つ”の光の球が現れた。

 その光球に込められた霊力はまさしく破格、一つでも受ければ半身は吹き飛ぶだろう。

 そんな霊力の塊を八つも作り出す女性のデタラメ具合に顔を引き攣らせつつも、紫も全力を出す為に能力を開放させる。

 

 紫の金の瞳が血のように赤黒い色へと変化し、彼女は自身の能力を光魔の刀身へと宿す。

 両者の力は臨界へと達し、そして。

 

「受けなさい! 夢想(むそう)――封印(ふういん)!!!!」

「境界斬!!」

 

 まったくの同時に、互いの一撃を相手に向けて叩き込む――!

 全てを切り裂く斬撃と、あらゆる者を打ち砕く光球は空中で衝突。

 瞬間、爆音と共に周囲の地面を抉り飛ばす程の衝撃波が、紫と女性巻き込みながら広がっていき……。

 

 

 

 

「――紫、大丈夫か!?」

「……うっ……」

 

 誰かに抱き起こされている感触と全身に走る痛みで、紫は意識を取り戻した。

 目を開けると、視界に広がるのは心配そうに自分を見つめる龍人の姿だった。

 

「……龍人、どうしてここに?」

「凄い力のぶつかり合いを感じたから急いで来てみたんだ。一体どんな化物と戦ったんだ? お前が気を失うなんて滅多にないのに……」

「心配を掛けてごめんなさい、でも大丈夫よ」

 

 身体の痛みはあるものの、動けないわけではなくまだ戦う余力は残されている。

 龍人の手を借りずに立ち上がり、紫は大の字になって倒れたままの女性へと視線を向ける。

 女性は既に意識を取り戻していたが、何故か倒れたまま一向に起き上がろうとはしてこなかった。

 感じられる霊力はまだ多く、余力が残っていないとは考えられないが……。

 

「――まいった。私の負けよ」

 

 呆気なく、未練もなしに。

 女性は倒れたまま、己の敗北を宣言した。

 

「……何を考えているの?」

「何も考えてないってば。というか……秘術まで防がれちゃ、私に勝ち目はないって」

「……お前が紫をこんな目に遭わせたのか?」

 

 静かに、けれど絶対零度の冷たさを込めた声で龍人は女性に問うた。

 その恐ろしさに喉を鳴らしつつ、女性は無言で龍人に向かって頷きを返す。

 

「どうしてこんな事をした?」

「依頼があったのよ。あなたを退治してくれって依頼が」

「誰からだ?」

「さあ? 顔を隠していたし声もくぐもってたから男か女かもわかんないわ、ただあまりにもしつこかったからその依頼を受けたんだけど。――それでどうする? やっぱり殺されちゃうのかな?」

 

 そう言いながらも、女性の口調には悲壮感は見られない。

 その態度にはまるで死を受け入れているかのように、2人は感じられた。

 

「紫、どうするんだ?」

「私が決めていいのかしら?」

「こいつの目的は俺みたいだったけど、直接戦ったのは紫だからな」

「…………なら、お言葉に甘えて」

 

 ならばと紫は女性を睨みつけて――そのまま何もせず、踵を返して歩き始めた。

 

「…………あれ?」

「消えなさい。今回は見逃してあげる」

「ちょ、ちょっと……殺さないの?」

「殺してほしいの?」

「いや、まあ、そういうわけじゃないけど……」

 

 困惑する女性だったが、紫としても彼女が困惑してしまうのも無理はないと思っている。

 何せ殺し合った相手を見逃そうとしているのだ、正気の沙汰ではないと思っているかもしれない。

 ならば何故見逃そうというのか、その理由は単純明快である。

 

――命を狙われる立場であった龍人が、女性の命を奪う意志を見せなかったから。

 

 ただそれだけ、けれど紫にとっては充分過ぎる理由だ。

 相も変わらず吐き気を催すほどの甘さを持つ龍人には閉口してしまうものの、彼にその気がないのだから仕方がない。

 この行為は自分の首を絞めかねない事態を引き起こしてしまうかもしれないが、それもまた彼の“生き方”の一つだ。

 いざとなれば自分が動けばいい、だから“今回は”見逃す事にしよう。

 

「できればもう二度と襲い掛かってきてほしくないが、もし諦めないのなら今度は俺だけを狙え。

 もし俺以外の人達や紫に手を出してみろ、その時は――容赦しない」

「――――」

(ご愁傷様……)

 

 顔を引き攣らせ萎縮した女性を見て、紫は心の中でそっと同情を送った。

 龍人が他者に明確な敵意を見せた時の目は、向けられていない紫にすら恐ろしいと思えるのだ。

 だがこれでもう安易に退治しに来る事はないだろう、ただ……女性の持つ力には少し興味が湧いた。

 人間があれだけの力を使う事ができるのだ、もし出会い方が違っていたら幻想郷の「人間側の絶対的な味方」としての役目を果たしてくれただろうに。

 

 とはいえそれは無理な話だ、彼女は龍人を退治する目的でこの地へとやってきたのだから。

 なのでこれ以上の会話は不要と、紫は龍人と共にその場を飛び立った。

 女性は追ってこない、諦めが悪かったら面倒だと思ったがどうやら杞憂に終わりそうだ。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫よ、少し妖力を使いすぎちゃったけど」

「もう屋敷に戻って休もう。……俺のせいで、ごめんな?」

「龍人が謝る事じゃないわ、気にしないで?」

 

 優しく龍人の頬を撫でながら、紫は彼を安心させるように優しい微笑みを浮かべる。

 龍人も紫の心中を察し、表情を明るいものへと変え、2人は八雲屋敷へと戻ろうとして。

 

「――紫さん、龍人さん。こんな所に居たんですか、捜しましたよ」

 

 突風が一瞬だけ吹き荒れたと思った時には。

 少し疲れた様子の文が、紫達の前に現れていた。

 

「文、どうしたんだ?」

「それがですね……って、龍人さんは紫さんが勇儀さん達と話した内容は……」

「聞いた。それで何か進展はあったのか?」

「ええ、まああるにはあったんですけど……」

 

 なんともいえない表情を浮かべ言葉を濁す文。

 その様子からして進展自体はあったようだ、尤も厄介なものが見つかってしまったようだが。

 そして、次に放たれる文の言葉を聞いて。

 

 

「――今まで確認できなかった大穴を見つけました、そこから怨霊が出てきたので間違いなくその大穴が今回の原因に繋がっていると思われます」

 

 またしても、面倒事に巻き込まれると理解した紫なのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




さて次回は……って、言わなくてもわかりますね。
楽しんでいただけたでしょうか? もしそうなら幸いに思います。


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第82話 ~地下世界へ~

謎の女性祓い屋を退けた紫。
その後、屋敷に戻ろうとした彼女の前に文が現れた。

妖怪の山の中で見た事がない大穴が発見された、彼女の言葉を聞いて紫は龍人と共に勇儀達の元へと向かった……。


「――凄いもんだな、これは」

 

 龍人の呟きが、場に響く。

 妖怪の山のとある一角、鬼の里や他の妖怪の住処からも離れた場所に紫と龍人は案内された。

 そこには既に勇儀と萃香、華扇の姿もあり、3人が向けている場所へと視線を向け……龍人はおもわず上記の呟きを零してしまう。

 

――そこに広がるのは、まるで隕石が落ちた跡のような巨大な大穴であった。

 

 ぽっかりと開いたそれは底が見えないほど深く、まるで入れば二度と出られないような錯覚に陥る不気味さを醸し出している。

 いや、雰囲気だけではない。

 この大穴の中から、認識しきれない程の様々な負の念が感じられる。

 湧き上がっていく不快感を無視しつつ、詳細を訊く為に紫は勇儀達へと問いかけた。

 

「この穴は、昔からあったの?」

「いや、念のため隠居した親父――絶鬼にも訊いたけど、こんな穴はなかったそうだ」

「だとするとつい最近出来たというの? でもこんなにも巨大な大穴、誰も気づかずに出来るとは思えない」

「うん。私達も紫と同じ意見だよ、でも事実として山の誰もがこの穴の存在を知らなかったのは確かなんだ」

 

 だからこそ解せないと、萃香は大穴を睨みつつ言った。

 しかし本当に誰もこの大穴に今まで気づかなかったのだ、それが不可解で……不気味であった。

 一体誰がこのような大穴を作ったのか、目的はいったい何なのか。

 何もかもが不明慮である以上、考察すらできないこの現状はもどかしいものであった。

 

「……調べるしか、ないな」

「そうさね。実際この中から怨霊が出てる事は間違いないんだ、この中で何が起きているのか確かめないと」

「けど勇儀、もしもの時の為に私達の誰かが残っていた方がいいと思う」

「そうだねえ……よし華扇、アンタは山に残っておいてくれ」

「わかったわ」

 

「それじゃあ、行くとしますか!」

 

 言いながら、躊躇いなく穴へと降りていく勇儀。

 それに続く萃香と龍人と紫、ゆっくりと降りながら下に続く闇の世界へと足を踏み入れる。

 大穴は見た目通り深く、無言のまま数分間降り続けたが一向に一番下が見えない。

 

「こりゃあ本当に深いねえ、下手すると地面の下まで続いているんじゃないかい?」

「空気が淀んできている……間違いなく地面の下まで続いているだろうけど、この空気は……」

 

 あまり長居したいとは思えない、暗く危険が香る空気に紫は自然と顔をしかめていく。

 幻想郷の里の暖かで澄んだ空気とは違う、怨霊のようなこの世ならざる者達の空気が充満していた。

 その証拠に、深く潜っていくにつれ周囲に漂う怨霊の数が増え始めている。

 

「おおー、すごい怨霊の数だね」

「萃香、どうして楽しそうなのよ?」

「だって最近刺激的な事がなかったからさ、いい暇潰しになりそうだなーって」

 

 そう言いつつ、降りながら酒を飲むという器用な芸当を披露する萃香。

 なんと暢気なと呆れつつも、楽観的な彼女の存在は良い意味で紫達から緊迫感を薄めていった。

 その後も周囲に漂う怨霊を鬱陶しいと思いながら降りていく紫達。

 

 変わらぬ景色にいい加減飽きてきたと思った矢先――“それ”はゆっくりと紫達の前に現れた。

 

「おや? 見慣れない妖怪達だけど……どちら様かな?」

 

 軽快な声と共に紫達の前に姿を現したのは、黄色に近い金の髪と茶色の瞳を持った少女であった。

 全体的にゆったりとした服装に身を包んだその少女は、紫達に向かって好戦的な笑みを浮かべながら再び問いかけを放つ。

 

「あんた達は一体誰だい? この“地底”では見ない顔だけど……」

「俺は龍人。半妖だ」

「半妖……? そんな半端者がどうしてこの地底世界に居るんだい?」

「ちょいとお待ちよ。名を訊いておいて自分は名乗らないなんて随分といい度胸をしてるねえ?」

 

 不機嫌そうに顔をしかめつつ、勇儀は少女を睨みつける。

 彼女の態度を見て少女は若干不快感を見せるが、すぐさま驚いたように目を見開いた。

 

「……もしかして、鬼?」

「ああそうだよ。あたしは星熊勇儀、そして後ろに居るこの子は伊吹萃香。お前さんの言う通り鬼さ」

「うわー……その角からしてもしかしたらと思ったけど、まさか鬼に出くわしちゃうとはねー」

「今度はそっちが名乗る番だよ?」

「…………黒谷(くろだに)ヤマメ、土蜘蛛の妖怪さ」

「へえ、土蜘蛛とは随分と懐かしい妖怪だ」

 

 言葉通り、懐かしむように言いながら萃香は若干の驚きを見せている。

 彼女が懐かしむのも当然だ、土蜘蛛という種族は鬼と同じく古い歴史から存在している妖怪であり、百年ほど前からめっきり姿を見なくなったのだ。

 かつて自由自在に病を操る力を持った土蜘蛛を人間達は天敵と恐れ、数多くの討伐の記録が残されている事からも、この種族が妖怪として上位に位置する事が覗える。

 

「そんで、そっちの不気味なほど綺麗なお姉さんは何者かな?」

「この子は八雲紫、アンタも妖怪なら名前ぐらい知っているだろう?」

「八雲……ああ、とんでもなく反則な能力を持ってる大妖怪様か。それで、その大妖怪様がこの地底に一体何の用なのかな?」

「その前にこっちの質問に答えて頂戴。この地下世界は一体何なの?」

「ここは“地底”と呼ばれる地下の世界、私のような地上の嫌われ者が流れ着く陰気な場所さ」

 

 少女――黒谷ヤマメの話を聞くと、ここには地上で忌み嫌われたり封印されたりした妖怪達が暮らしている場所らしい。

 そのような場所がある事を知り紫達は驚きを隠せなかったが、すぐさま彼女は問いかけを続ける事に。

 

「この怨霊達は何? それに地上にある妖怪の山にここへと繋がる巨大な大穴を開けたのは、一体何者なの?」

「うーん、それがさ……実は私達もわからなくて困ってるんだよ」

「どういう事だい?」

 

 ヤマメ曰く、この地底には確かに地上よりも数多くの怨霊が存在していた。

 だが最近になってその数は増え続け、けれど地底に住む誰もがその原因がわからず不可解に思っているらしい。

 

「そもそもこんな長く深い穴だって今まで無かったんだよ。それがいきなり現れてこっちも何が何だか……っていうか、地上まで繋がってるんだこれ……」

「ここで暮らしてるお前達も、この穴が誰の手で作られたのかわからないのか?」

「うん。そもそも私達が暮らしてる場所自体そんなに広くないからさ、活動範囲が広がったのはいいんだけど……経緯がわからないと、不気味なんだよねー」

 

 肩を竦めるヤマメ、その口調からは偽りの色は見られない。

 ……ますます解せないと、紫は頭を悩ませる。

 こんな地下深くで妖怪が暮らしている事に対しても驚きだが、その誰もがこの大穴を開けた存在を認識してないとはどういう事なのか。

 

「なあヤマメ、お前さん達を統率してる妖怪はいるのかい?」

「そんなヤツなんかいないよ、ここの連中は自由気ままに生きてて縛られるのは嫌いな輩ばかりなんだから。ああ、でも少なくとも私よりも今回の事情を知ってそうなヤツは知ってるよ。よかったら案内してあげよっか?」

「本当か? 助かる」

「どうやらあんた達はこの怨霊をなんとかするために地上から来たみたいだからね、利害の一致ってヤツさ」

 

 ついてきてー、そう言ってヤマメは下へ向かって降りていく。

 ……信用してもいいのだろうか、そんな不安が紫の脳裏に浮かぶ。

 しかしそうこうしている間にも龍人はさっさとヤマメを追いかけ始めたので、紫は考える事を止め彼の後を追ったのだった。

 

 

 

 

 更に地下深くを潜っていき――数十分という時間を掛けて、紫達は漸く一番下まで辿り着いた。

 そこからは、徒歩で横に広がっている洞穴を歩いていく。

 足音だけが静かに響く中、静寂を嫌ったのか萃香が口を開いた。

 

「ねえ、ヤマメ」

「はいはい、なんでござんしょ?」

「事情を知っているかもしれないヤツってさっき言ってたけど、そいつは一体何者なの?」

「私と同じくこの地底に住んでいる妖怪で、(さとり)妖怪の姉妹だよ」

「覚……そんな妖怪まで地底に移り住んでいたとはねえ」

 

 意外な名が飛び出した事に、紫達は何度目か判らぬ驚きを見せる。

 

 覚妖怪。

 他者の心を読み、その者の心の中にある闇を無理矢理思い起こさせるという凶悪な妖怪だ。

 人間にも妖怪にも嫌われるという珍しい妖怪であり、かつては妖怪の山に居たという話を絶鬼が話していた事を勇儀達は思い出していた。

 

「私もあんまり会いたくないんだけど、今回ばかりはしょうがない…………っと、見えたよみんな」

 

 ヤマメがそう言うと、紫達の視界に洞穴の出口が見えてきた。

 そして洞穴を抜けた彼女達の前に広がる光景は……この地下世界には不釣合いなものだった。

 

――街が、広がっている。

 

 円形のドーム状にくり抜かれた広い空間の中に、長屋のような建物が密集して広がっている。

 それはまさしく街、否、広さからして都と呼んでも差し支えの無いものだった。

 陽の光など通さないこの深い地底世界にて、独自の文化が広がっているという事実は、紫達を驚かせるのに充分過ぎる光景だ。

 

「立派なモンでしょ? いくら粗暴な妖怪達が集まってるっていってもそこらの大地で雑魚寝をするわけにもいかないからさ、数十年ぐらいかけて材料を集めては造っての繰り返しでどうにか形だけは整えたんだ」

 

 少しだけ誇らしげに、ヤマメは言う。

 だが、それだけの労力が掛けられているのは見るだけでもわかる、誇らしく思うのは当然だ。

 

「こんだけ大きいなら、美味い酒も置いてそうだね」

「まあね。ただ地上とは環境が違うから癖のあるモノばっかりだけど」

「それを聞いてますます楽しみになってきた。よし、まずは美味い酒を飲みに行くぞー!!」

「おー!!」

 

 言うやいなや、都に向かって突撃していく勇儀と萃香。

 紫が止めようとした時にはもう遅く、2人の行動に当然のように頭を抱えてしまった。

 

「あちゃー……大丈夫かな、ここに住む妖怪達は好戦的な輩ばかりだからちょっと心配だよ」

「紫、俺達も行こう」

「……そうね、はぁ」

 

 あの2人、ここに来た目的を忘れているんじゃないだろうか。

 いや、絶対に忘れている。すんなりと確信できた事にまたしても頭が痛くなりつつ、紫は龍人達と共に先に行った勇儀と萃香を追いかけ始め。

 

『ぎゃああああああっ!?』

 

 爆音と共に、複数の悲鳴が聞こえ。

 完全に面倒事になってしまったと、紫達は今度こそ理解してしまった。

 

「………………」

「……今の悲鳴って」

「勇儀と萃香のヤツ、喧嘩を吹っかけてきた奴等をぶっ飛ばしたのか?」

「そうでしょうね…………ああ、もうっ!!」

 

 急ぎ、悲鳴が聞こえた場所へと向かう紫達。

 辿り着く前に、もう一度爆音と悲鳴が聞こえ、痛くなる頭を抱えながら到着すると。

 

「あっはっは、あたし等に喧嘩を売るのはいい度胸だったけど、ちょいと実力が伴ってなかったみたいだね!!」

「ほらもう終わりなの? こんな程度じゃないでしょう?」

 

 様々な異形の妖怪達を地面に沈ませながら、愉快愉快とばかりに笑っている勇儀と萃香の姿が見えた。

 どうやら龍人の言った通り、喧嘩を売られたので嬉々として買ったと同時に問答無用でぶっ飛ばしたのだろう。

 酒と喧嘩が何より好きな鬼らしい行動ではあるが、2人の行動は完全に悪手である。

 

 そもそもこちらは喧嘩に来たわけではない、だというのにどうして自ら問題を引き起こすのか……。

 まるで昔の龍人の振り回れっ放しが戻ってきたような感覚に、少しだけ懐かしみながらもその何倍もの精神的疲労が紫に襲い掛かる。

 

「ヤ、ヤマメちゃん!! な、なんなんだこいつらは!?」

 

 妖怪の1人が情けない声でヤマメへと詰め寄った。

 それと同時に、周囲の妖怪達の視線が紫達へと向けられる。

 驚愕、警戒、そして敵意の色が込められた視線。

 ……完全に誤解を生んでしまったようだ、しかもよりによってその原因となったのが龍人ではなく勇儀達だというのだから余計にややこしい。

 

「えっとねえ、この人達は地上からやってきた妖怪で……」

 

「何っ!? 地上から!?」

「おい、よく見るとあの角……まさかあの2人、鬼か?」

「鬼!? そ、それにあの金髪の女は八雲紫じゃ……」

「八雲!? あの八雲紫か!?」

 

 ざわざわと騒ぎ出す地底の妖怪達。

 

「ほらほらどうした? まだまだこっちは動き足りないよ?」

「腕に覚えのあるヤツは、片っ端からかかってきな!!」

 

 尚も場を引っ掻き回そうとする勇儀と萃香に、八雲紫さん約600歳はとうとう堪忍袋を尾がそりゃあもう盛大にブチ切れた。

 

「黙りなさい、この阿呆鬼!!」

 

 叫ぶようなツッコミを放ちながら紫は瞬時に2人へと詰め寄り、両腕に全力の妖力を込め2人の頭に拳骨を叩き落した。

 爆撃めいた打撃音が響くと同時に、その凄まじい破壊力で鬼の2人は頭から地面に陥没。

 

「ふーっ、ふーっ」

『………………』

 

 その光景に、周囲の妖怪達は完全にドン引きした。

 けれど紫の怒りは当然収まらない、地面に沈んだ2人の顔を持ち上げて。

 

『はぶぶぶぶぶぶぶぶっ!?』

 

 超高速のビンタをお見舞いしてやった。

 当然ながらしっかりと妖力を込めてである、それから数分間まるで機関銃のようなビンタの音が周囲に響き続け。

 

「何か、言いたい事は?」

『……すみませんでした』

 

 仁王立ちして腕を組む紫の前に、正座する鬼2人という奇妙な構図ができあがっていた。

 その光景に、誰もが唖然とし口を挟むなどという者も現れない。

 

「紫って、怒ると恐いだろ?」

「あ、あははは……」

 

 龍人の言葉に、ヤマメは曖昧な笑いを零すのみ。

 何やら場がなんともいえない空気に包まれる中、紫の鬼2人に対する説教は続いている。

 お前等何しに来たんだよ、周囲の妖怪達が揃ってそんなツッコミを心の中で放つ中。

 

「――ちょーっと待ったあっ!!」

 

 やけに楽しそうな声が、上から聞こえてきた。

 全員の視線が上に向けられる、そこに居たのは……高台に立つ、珍妙な三人組。

 そう表現すると語弊があるかもしれないが、少なくとも紫にはそう見えたのだから仕方がない。

 

 1人は短い黒髪を持つ少女、可愛らしい顔立ちだが右手に持つ身の丈を大きく超える巨大な錨にばかり目がいってしまう。

 もう1人は尼を思わせる紺色の頭巾を被った水色の髪の少女、服装も落ち着いていて正直もう一人の少女と違って特徴的な特徴は見当たらない。

 そして最後の1人は…………“雲”だった。

 雲である、人間の老人のような顔だけの桃色の雲の傍には同じく雲で形成されているであろう拳が浮いている。

 

(……何あれ?)

 

 そう思わずには居られない程、珍妙な三人組に紫はある意味圧倒された。

 その間に「とうっ!!」などという掛け声と共に高台から降りる黒髪の少女と、それに続く頭巾の少女と雲。

 

「みなみっちゃーん!!」

「イッチー!!」

「雲山さん、一輪さんをオレにくださいお願いします!!」

 

 周囲の妖怪達が騒ぎ出す、若干おかしな言葉が聞こえたがきっと気のせいだろう。

 声援を受け黒髪の少女がドヤ顔を見せてきたので、とりあえず紫は鬼2人を正座したまま珍妙三人組と対峙する。

 

「とりあえず状況はわかんないけど、アンタが一番悪そうだからぶっ飛ばす!!」

「…………は?」

村紗(むらさ)、ちょっと黙ってて」

 

 いきなり宣戦布告してきた黒髪の少女を制しながら、今度は頭巾の少女が紫に話しかけてきた。

 

「この子の事は気にしないで。私は雲居一輪(くもい いちりん)、こっちは私の相棒の雲山(うんざん)よ。見た所地上の妖怪のようだけど……」

「あたしは村紗水蜜(むらさ みなみつ)、元気で明るい船幽霊でーす!!」

「……八雲紫、お察しの通り地上から来た妖怪ですわ」

「八雲……あなたがあの」

 

 紫の名を聞いた瞬間、一輪と名乗った少女の表情が変わり、雲山という名の雲も眼光を厳しくさせる。

 

「……珍しいわね。入道使いか」

「わかるの?」

「これでも博識を自負していますから。そちらの雲は“見越入道”だとわかれば、それを従えているあなたは入道使いという結論に達しますわ。まあそんな事はどうでもいいです、一体何の用ですの?」

「そりゃあもちろん、地底の平和を守る為にあんた達を」

「雲山」

「あ、ちょっと雲山何すんのもごごごごごっ!?」

 

 会話の邪魔になると判断されたのか、口を開いた村紗を後ろへと連れて行く雲山。

 漫才でも披露しに来たのだろうか、そう思いながら紫はあからさまな嘲笑を一輪達へと向ける。

 

「あなた達地上の妖怪が、この地底に来た理由は何?」

「…………」

 

 何度も説明するのも面倒なものだ。

 そう思いつつも、余計な確執を生みたくない紫は一輪達にここへ来た目的を話す。

 

「怨霊をね……確かに、こちらとしても鬱陶しいとは思っていたけれど」

「もし協力してくれるのであれば、助かるのだけど?」

「………………」

 

 紫の問いには何も答えず、一輪は懐から金に輝く輪を取り出し両手に装着する。

 瞬間、彼女と雲山の間に妖力によるパスが生まれた事を紫は察知し。

 同時に、彼女がこちらに明確な敵意を見せた事を理解した。

 

「……あの2人の愚行の後だと信用できないでしょうけど、こちらとしては協力をしたいと思っているわ」

「それが信じるに値するという根拠は何処にあるの? それに私はあなたと、そこの彼を信用できない」

「あら? それは何故?」

「あなた達2人からは人間の匂いがする。人と共に生活しているというのがわかる程にね、そんな妖怪を私は決して信用しない」

 

 そう言い放つ一輪の言動からは、人間に対する強い怒りと憎しみが感じられた。

 かつて人間に何かされたか、それとも何か大切なものを奪われたのか。

 そのどちらにせよ……紫にとって興味のない話だ。

 

「自分達の言い分を通したいのなら“力”で示しなさい。この地底はそういう世界なのよ」

「おっ、いいねえ。そういう考え方は好みだよ」

「勇儀……」

 

 一輪の言葉に賛同する勇儀を、紫は軽く睨みつける。

 だが彼女はその視線を飄々と受け流しながら、言葉を返した。

 

「郷に入っては郷に従え、ってやつさ。お前さんだって言葉だけで説得できるとは思ってないだろう?」

「………………」

 

 その言葉には、反論する事はできなかった。

 視線を龍人へと向ける、紫が前に出て話しているからか先程から彼は傍観を決め込んでいた。

 けれど一輪がこちら側に敵意を見せると同時に、彼もいつでも動けるように内側から“龍気”を放ち始めている。

 どうやら彼も自分から仕掛ける事はしないようだが、勇儀と同じ考えのようだ。

 

(致し方ない、か……)

 

 そう思いながら、紫は音も無く愛刀を両手に出現させる。

 それを見てますます眼光を光らせる一輪と雲山、そして後ろに追いやられていた水蜜の表情も変わった。

 

「加減は不要よ」

「イッチーとあたしとついでに雲山の連携に、勝てるかしらね?」

(入道は“ついで”なのね……)

 

 どうもあの村紗水蜜という船幽霊の少女は、余計な事を言う性質のようだ。

 彼女の言葉で、地味に落ち込んだ表情になっている雲山を見るとそう思わずにはいられない。

 

「紫、手伝うか?」

「貴方が参戦すると相手が消滅する危険性があるから、見ているだけにして頂戴。もちろんそこの2人は正座を続行してなさい」

『えーっ!?』

 

 いやだー、私も喧嘩するー、律儀に正座を続けながらも好き勝手言い放つ2人は当然無視。

 

 力加減に注意しつつ戦うようにと己に言い聞かせ、紫は妖力によるブーストを仕掛け一気に3人との間合いを詰めて。

 

 

 

「――そこまでに、していただけませんか?」

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第83話 ~紫さんとさとりさん~

 死者が住まう世界、所謂“あの世”と呼ばれる場所。

 そこで死者に裁きを下す閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥは、疲れ切ったようなため息を繰り返し吐き出していた。

 

「四季様、大丈夫ですか?」

 

 そんな彼女に気遣いの言葉を放つのは、部下であり三途の川にて働く死神――小野塚小町。

 小町に「大丈夫ですよ」と返答を返しながらも、映姫は再びため息を吐きそれを見て小町は苦笑する。

 

「全然大丈夫に見えないから訊いてるんですよ。何か裁判でややこしい事態にでもなったんですか?」

「いえ、今日の仕事も恙無く終わりましたが……そういえば小町はまだ知りませんでしたね。実は少し前に地獄の方が縮小化されたんです」

「地獄の縮小化?」

「ええ。地獄に堕とされる者達が増え続けるというのに人手は不足するばかり、なので地獄の一部を切り離しスリム化を果たす……そんな取り決めが行われまして」

「それはまた……」

 

 世知辛い話を聞き、小町はなんともいえない表情を浮かべ、対する映姫は小町の心中を察し再びため息を吐く。

 あまり良い手ではないという事ぐらい映姫とてわかっている、実際これによってある問題が発生したのだから。

 そしてその問題こそ、映姫を悩ませる原因となっていた。

 

「納得しないでしょうねえ、地獄で働く奴等は。――暴動とか起きなかったんですか?」

「どうして期待するような顔で訊くんですか貴女は。まあ予想通り起きましたよ、尤も予期していたのですぐさま鎮圧させましたが」

「そいつは重畳。あれ? だったらなんでそんなに元気がないというか、悩んでいるんですか?」

「……確かにデモ自体はすぐさま鎮圧させ、しかるべき処罰と対応をしたのですが……」

 

 そこまで言い掛けた瞬間、部屋の扉がノックされる音が響く。

 ノックしてきたのは別の部署で働く死神のようで、映姫は入るように促す。

 失礼します、そう言いながら入ってきたのは若い男の死神と……無邪気さを感じさせる笑みを浮かべた、桃色の髪を持つ女性。

 

「……西行寺幽々子、何故ここに?」

 

 女性――西行寺幽々子の姿を見て怪訝な表情を見せつつ、映姫は彼女へと問う。

 一方の幽々子は映姫の鋭い視線を真っ向から受けながらも笑みを崩さずに、彼女の質問に答えを返した。

 

「友人の頼まれ事を、果たしにきたんですよ~」

「?」

 

 

 

 

「――そこまでに、していただけませんか?」

「…………」

 

 踏み込もうとしていた紫の動きが止まり、全員の視線がある一点に向けられる。

 その視線の先にいるのは、紫の髪を持つ小柄な少女であった。

 ゆったりとした服装で身を包んだその少女は、傍から見ると薄幸そうな雰囲気を持つ少女にしか見えない。

 だが内側から感じられる妖力と、何よりも胸元に浮いているコードのようなものに繋がれた“目”が少女を人外であると示していた。

 

(……あの目は“第三の目”、だとすると彼女は……)

「ええ。あなたの思っている通りですよ八雲紫さん。わたしは覚妖怪の古明地(こめいじ)さとりと申します」

 

 そう言って少女――さとりは挨拶をするように紫に対し一礼する。

 自分の心を読まれた、その事実に若干の不快感を抱きつつも紫は決してそれを表に出そうとはしない。

 尤も、心を読む事ができる覚妖怪である彼女には無意味な行為かもしれないが。

 

「さとりん、悪いけど邪魔しないでよ」

「……水蜜さん。その呼び方はやめてくださいと前から言っているではありませんか、それと彼女達はこの地底から地上に抜け出してしまった怨霊達を何とかする為にやってきたのです。つまり、私達の生活を脅かそうとしているわけではないのですよ?」

「話が早くて助かるわ、さすが覚ね」

「水蜜さん、一輪さん、雲山さん。この地底世界では力が物を言いますが、ここは穏便に話を進めさせてはくれませんか?」

「………………」

 

 柔らかな物腰でそう進言するさとりに、村紗は肩を竦めつつ構えを解く。

 しかし、一輪は納得していないのが厳しい表情を見せたまま構えを崩そうとはしない。

 

「この方々の心を読めるわたしが、信用できませんか?」

「……いくら心を読めるとしても、人間と共に居る妖怪がやってきて信用することなんかできないわ」

「誰も信用しろなどとは言っていません。ただこのままではまともに話もできませんので……」

「――勝手になさい」

 

 吐き捨てるように言い、踵を返す一輪。

 そのまま雲山と共に、一度も振り返ることはせずにこの場から立ち去っていった。

 

「嫌われたものね」

「すみません。彼女は決して悪気があるわけではないのですが……」

「いいのよ、いきなり地上からやってきた私達を信用できないのは当然だもの。――それより、時間が惜しいから早速本題に入りたいのだけど?」

「そうですね。――場所を移動しましょう、ここでは落ち着いて話ができそうにありませんから」

 

 少しだけ皮肉めいた口調で言いながら、さとりは冷めた視線で地底の妖怪達を見やる。

 彼女の視線に気づいた者達が見せる表情は、どれも恐れや嫌悪を示すものだった。

 ……その理由を簡単に理解できた事に、紫は知らず知らずの内に舌打ちを放っていた。

 

――恐れているのだ、地底の妖怪達は。

 

 覚妖怪は心を読む、それが恐ろしくて堪らない。

 その気持ちはわかる、心の中を読まれたくないと思うのは人間も妖怪も変わらない。

 だが覚妖怪とて読みたくて読んでいるわけではないのだ、覚妖怪にとって「心を読む」という行為は呼吸をするのと同じ。

 それを否定するのは覚妖怪の存在そのものを否定するのと同意である、だというのにあのようなあからさまな態度を見せる輩達に苛立ちを覚えるのは当然であった。

 

「――紫、いくぞ?」

 

 そんな紫に声を掛け、ぽんっと肩を叩く龍人。

 

「お前が怒ったって何にもならないさ。それにあの子――さとりは気にしてないようだぞ?」

「その通りです。覚妖怪は嫌われ者の妖怪、他者に嫌われる事は慣れていますし気にしても仕方ないでしょう?」

 

 悲しい事を言いながらも、さとりの表情は柔らかく何処か嬉しそうに見えた。

 

「当たり前ですよ。――わたしの為に怒ろうとしてくれて、ありがとうございます」

「むっ……」

 

 ぷいっとさとりから視線を逸らす紫。

 その頬は僅かに赤らんでおり、当然それに気づいたさとりと龍人は揃って紫に対し微笑みを向ける。

 そんな2人に紫は金の瞳をジト目にして向けるが、まったく効果がなく2人はますます笑みを深めていった。

 

「なに微笑ましいやりとりしてるんだい、可愛いねえ」

「うるさいわよ勇儀、それより早く立ちなさい。萃香も」

「いやー、そうしたいのは山々なんだけどさ……足が痺れちまったから、話は2人が聞いてきておくれよ」

「そうそう。私達はここで休んでるからさ、よろしくー」

「なっ……」

 

 頑強な鬼がちょっと正座したぐらいで痺れるわけないだろうに。

 要するにこの2人は話を聞くのが面倒になったのだろう、それと正座させた自分に対する嫌がらせも兼ねているとすぐにわかった。

 もう一発拳骨を叩き込んでやろうか、そう思い紫は右手の拳を握り締める。

 

「紫、俺達がちゃんと話を聞いて後で2人に話せばいいだろ?」

「……山の異変を解決する為に来た筈なのに」

「それだけ俺達を信用してくれてるって事さ、それに……分かれて行動した方が良い時だってある」

「えっ?」

 

 ほら行こうぜ、そう言って既に歩き始めているさとりを追いかける龍人。

 彼の放った言葉は一体どういう意味だったのか、不思議に思いつつも紫も足を動かし彼等の後を追った。

 

「よっし、地底の酒を飲ませておくれよ!!」

「とびっきり上質なヤツ、お願いね!!」

 

 後ろから聞こえる、勇儀と萃香の楽しげな声。

 それを聞いて、やっぱり後でしばいてやろうと紫は心に決めたのであった……。

 

「八雲紫さん、龍人さん、あなた方の事はこの地底世界でも伝わっていますよ」

「あら? 悪名が、かしら?」

「ある意味は、ですが。――妖怪でありながら、人と共に生き互いの種族の共存を望む愚か者。その身に宿す力は世界すら滅ぼす程の凶悪な妖怪。

 龍人さんの方は伝説と化した“龍人族”の血を引いた半妖であり、八雲紫の僕という認識らしいです」

「………………」

 

 自分に対する評価が「愚か者」「凶悪」という点は、この際目を瞑ろう。

 だがしかし、龍人に対する評価は紫としては納得できなかった。

 僕とはなんだ僕とは、紫にとって彼は僕などでは決してなく……。

 

「ふふっ……成る程、紫さんにとって龍人さんとはそういった存在なのですね」

「っ、心を読んだわね……?」

「すみません。ですが安心してください、他人に話すつもりはこれっぽっちもありませんので」

「だといいけど……」

「僕かあ……俺と紫は家族なんだが、周りから見たらそう見えるのか」

 

 龍人もさすがに僕扱いは不服なのか、やや拗ねたような口調で言葉を放つ。

 と、紫達は一件の長屋へと辿り着いた。

 どうやらここがさとりの住居らしい、一見して地上にある長屋と外見は変わらない。

 ただ……長屋の周囲には様々な動物達がおり、さとりを見て嬉しそうに駆け寄ってきた。

 

 犬や猫だけでなく、虎や野鳥といった動物達に囲まれるさとり。

 さとりも柔らかく微笑み、駆け寄ってきた動物達を慈しむように撫でている。

 それを見るだけで、彼女と動物達の間に強く深い絆が結ばれているとわかった。

 

「どうぞ、お入りください。“妹”は外出しているようですので紹介は後ほど……」

「妹がいるのか?」

「はい、“こいし”といいまして当然わたしと同じ覚妖怪なのですが、少々無邪気が過ぎますので話の腰を折られる危険性があります。あの子が帰ってくる前に終わらせてしまいましょう」

 

 さとりと共に、長屋の中へと入る紫と龍人。

 中も必要最低限の物しかない、殺風景なものだった。

 

 適当な場所に座り、さとりが茶を用意し向き合う形で座り込んでから――早速とばかりに、本題へと入る事に。

 

「あなた方の心を読み、この地底にやってきた理由は把握しています。まず周囲に漂っている怨霊なのですが……どうやら、“地獄”からここへ流れ着いたようでして」

「地獄から?」

「はい。心を読む能力の応用で最近増え続けている怨霊達と意思疎通を図った結果、彼等は“地獄”にて生前の罪を償っていた怨霊達だというのがわかりました」

 

 しかしである、その後詳しい話を怨霊達に聞いたさとりであったが……それ以上の事はわからなかった。

 怨霊達も何故自分達が地獄からこの地底世界に来てしまったのか、わからないからだ。

 とりあえずさとりは怨霊達にこの地底から出るなという指示(脅迫とも言う)を出したのだが、当然怨霊のような邪の塊が素直に聞く筈もなく……。

 

「成る程、経緯は理解できたわ。でも地上に繋がっている大穴は一体誰が開けたの?」

「……わかりません、地上へと繋がる道は永い間封鎖されてきました。しかもあのような巨大な大穴ではありませんでしたし、一体誰が何の目的で開けたのか……」

「そもそも、あんなにも巨大な大穴を誰も気づかずに開ける事なんかできるものなのか? 山の連中だって気づかなかったって話だろ?」

「そうね……」

 

 大穴を開ける事自体ならば、さほど難しくはない。

 一定の妖力と大掛かりな術式を用いれば可能だ、だがそんな事をすれば当然他者に気づかれるのは明白。

 誰も気づかれずにあれだけの大穴を作るとなると、それこそ特殊な能力を持つ存在でなければ……。

 

「………………」

 

 “ある存在”が、脳裏に浮かび上がった。

 あれからもう四百年以上経つが、あの者達は一体何をしているのだろう。

 十中八九碌な事は考えてはいないだろう、けれど……再び巡り会った時、倒す事はできるのか?

 そして今、あの者達は何を企んでいる?

 

「――紫さん?」

「っ、あ……ごめんなさいね、少し考え事をしていたみたい……」

 

 慌てて取り繕うように言って、紫は誤魔化すが心を読めるさとりには通用していないだろう。

 それでも彼女はそれ以上何も言わず、その事に感謝しつつ紫は一度思考を元に戻し話を続ける事に。

 

「とりあえず、あの怨霊は近い内に何とかできると思うわ」

「本当ですか? ……成る程、冥界に住む者と交友関係があり現在その者は地獄の閻魔に今回の事を報告しに行っていると」

「そういう事よ。後はあの大穴だけど……」

「……わたしとしては、再び閉じた方が良いと思っています。この地底に生きる者達は地上を憎む者が多いですから」

 

 余計な確執は生みたくない、そう考えいるが故のさとりの言葉には紫も納得の意を示す。

 ただ同時にこうも思った、「勿体無い」と。

 

「勿体ねえなあ。せっかくこうやって知り合えたのに、交流できなくなるっていうのはさ」

「……お2人とも、同じ事を考えていますね」

「ふふっ……」

 

 驚くさとりを見て、紫はなんだか可笑しくなって笑みを零してしまう。

 勿体無いと思っていたのは、自分だけではなかったようだ。

 

「なあさとり、この問題が解決してもあの大穴を閉じるのは無しにしないか?」

「何故です? ここに居る者達の殆どは地上から追われ人間や同じ妖怪からも恐れられた者達ばかり、余計な混乱や争いが起きる危険性も……」

「そうかもしれないけど、互いの交流を閉ざしたらその危険性はいつまで経っても消えないと思う。だったら地上との交流を深めて仲良くなった方が良いと思わないか?」

「………………」

 

 龍人の言葉に唖然とするさとり。

 彼の心を読んで嘘偽りのないものだと理解したからだろう、心を読めなくても今の彼女の困惑具合は簡単に読めた。

 

「俺だってすぐに仲良くなって……なんて甘く考えてるわけじゃないさ。でもこれから先の時代……何十年何百年という年月があれば、変わる事だってできる筈だ。

 そして変わっていけば種族なんて関係なく信頼は生まれていく、その輪を少しずつ広げていけば……そう思うのは、馬鹿な考えだと笑うか?」

「…………正直に言えば、甘いとは思います」

 

 正直で、現実的な返答を返すさとり。

 そう――彼は甘い、けれどその甘さがあるからこそ今の自分があると紫は理解していた。

 出会ってから微塵も変わらない彼の考え方、それは紫にとって何よりも大事で尊いものであり。

 

「でも」

「?」

「その考え方は、素敵なものだと思いますよ」

 

 少しずつではあるが、その考えを共感してくれる者が増えていると強く信じている。

 

「とりあえず大穴の件は保留にしておきましょう。まずは怨霊の事を解決しないといけないけれど……現状では、何も出来ないわね」

「元々地獄に居たのなら、地獄に返せばいいんじゃないか? 紫の能力を使えばあの世との境界なんて越えられるだろ?」

「確かにそうだけど、生者である者がそんな事を行えば閻魔や十王達が黙っていないもの。ややこしい事態に発展するのは目に見えているわ」

 

 増え始めていた怨霊達が地獄に居たとわかった以上、後はあの世で働く者達の仕事になる。

 今頃幽々子が閻魔達に今回の事情を説明しているだろうし、後は時間が経てばこの問題は自動的に解決するだろう。

 なので自分達の出番はこれで終わり、終わってみればあまりにも呆気ないが……収穫がなかったわけではない。

 

「ならさ、地底の連中と色々話してみたいな。せっかく出会ったんだから仲良くなりたいし」

「それは良いわね。それじゃあさとり、行きましょうか?」

「あ、はい……」

 

「ふふっ、覚妖怪である自分にこんなにも友好的に接するから困惑しているのかしら?」

「……紫さん、もしかしてあなたも覚妖怪なんですか?」

「見ればわかるのよ。これでも結構な時を生きてきたから、困惑するのもわかるしすぐに慣れないでしょうけど仲良くしたいのは確かなんだから、それだけはわかって頂戴ね?」

「はい。それは勿論!!」

 

 そう言って微笑みを見せるさとり。

 仕方がない、慣れている、そうは言ってもやはり気にしないわけではないのだ。

 けれど紫と龍人の心を見て、覚妖怪である自分と交流を深めたいという気持ちを読めた今の彼女は、嬉しそうだった。

 

「そういえばさとり、妹が居るって行ってたけど……」

「こいしはすぐにあちこちを歩き回る子ですから、その内ひょっこり帰ってきますよ」

「その子とも仲良くなれたらいいなー」

「大丈夫です。龍人さんのような優しい人ならすぐにあの子も心を開いてくれますよ」

 

「…………龍人、だからってあまり親しくなりすぎないようにしなさい」

「えっ? なんでだよ?」

「……とにかくよ。友人の範囲なら大丈夫だけど」

「ふふふ……」

 

 突然そんな事を言ってくる紫に龍人は困惑するが、一方のさとりは彼女の心を読んで微笑ましそうに笑ってしまう。

 噂で聞いた恐ろしさなど微塵も感じられない、可愛らしい彼女の姿に微笑ましくなるなという方が無理な話だ。

 クスクスと笑うさとりを睨みつつも、紫は何も言わずさっさと歩き始めてしまう。

 

(やっぱり、心を読まれるのは慣れたくないわね)

 

 そう思わずにはいられない、紫なのであった……。

 

 

 

 

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第84話 ~紫さんと酔っ払い共~

地底世界に赴いた紫達は、最近増え始めた怨霊の原因が地獄にあるという事を地底に住む覚妖怪である古明地さとりから聞く事ができた。

それを予期していた紫は友人である西行寺幽々子に今回の件を閻魔へと報告するように頼んでおり、後は時間が経てば勝手にあの世の住人達が今回の件を片付けてくれると判断する。

これ以上自分達にできる事はないので、紫達はそのまま地上へと帰還しようとしたのだが……。


「――ヤマメ、歌いまーす!!」

「村紗水蜜、踊りまーす!!」

 

『うおおおおおおおっ!!』

 

 黄色い歓声が、地底世界に響き渡る。

 その中心に居るのは、すっかり酔っ払ったヤマメと水蜜。

 彼女達を取り囲む妖怪達も出来上がっており、場の喧騒はますます大きくなるばかりであった。

 

「………………」

「あらあら、無礼講ね」

 

 その光景を少し離れた場所で見ていた紫は苦笑し、彼女の隣に座るさとりは唖然とする。

 そんな2人の手には地底特製の酒が入った盃があり、現在地底で行われている宴会に参加している意を示していた。

 そう、宴会である。

 

「……あの、どうして殺伐とした空気だったのに、私達が戻ってきたらこんな状態になっているのでしょうか?」

「心が読めるのなら、判るのではなくて?」

「わかります。わかりますけど……理解はできないです」

 

 それは確かに、そう言って紫はまた笑う。

 だが理由としては単純なものだ、この場に残った勇儀と萃香が地底の妖怪達と解り合い意気投合した、それだけ。

 良くも悪くもこの地底世界の理は単純だ、そして鬼である2人にとってその理はすんなりと受け入れられるものだった。

 彼女達もこの場に残った本当の理由もそれだ、まあ尤も半分くらい紫に対する嫌がらせの意味もあったのだろうが。

 

「おーい、話は終わったのかい?」

「紫ー、先に始めさせてもらってたよー」

 

 上記の言葉を放ちながら紫達の元にやってきた勇儀と萃香、既に顔はほんのりと紅潮しており彼女達も出来上がってきているようだ。

 

「それで、解決できそうか?」

「ええ、大丈夫そうよ」

 

 先程の話の内容を2人に話す紫、すると2人は少しだけ驚いたような顔を見せてきた。

 

「地獄からねえ……でも、そんな事をしでかした犯人は一体誰なんだい?」

「それはわからないわ。でも間違いなくあの世の者でしょうし……生者が不用意に関与すれば閻魔や十王が黙ってはいないでしょうから、こちらから犯人を捜す事はできないわ」

「なんだそりゃ。随分と面倒というか、不公平じゃないかい?」

「それが本来の理よ」

 

 とはいえ、勇儀の不満も尤もな話だ。

 そもそも今回の件は十中八九是非曲直庁(ぜひきょくちょくちょう)(死後の人間や妖怪の魂を裁く地獄の機関)、即ちあの世の存在が起こした問題だろう。

 この問題を収束させるのは当然としても、紫としてはそれだけで済ませるつもりは毛頭なかった。

 

「まあいいや。怨霊が居なくなるのならそれに越した事はないし、それより今は飲んで楽しもうか!!」

「そうそう。ほらそこの覚妖怪も飲みなって!!」

「えっ、えっ?」

 

 困惑するさとりに絡む酔っ払い2人。

 可哀想に、そう思いながらも紫は地底の酒を受け取るだけでさとりを助けようとはしない。

 巻き添えになるのは御免だからだ、薄情とは思わないでいただきたい。

 

 助けてくださいという意志が込められたさとりの視線を受け流しつつ、紫は萃香から受け取った盃に入った酒へ視線を向ける。

 濁りのある、芳醇な香りを放つ地底の酒。

 地上で造る酒とはまた違うそれに、紫は少しだけ心を弾ませながら一気に飲み干した。

 最初に感じた味は強い甘み、その後に押し寄せるのは最初の甘みに引けを取らない辛味だった。

 

 強い酒だ、とてもじゃないが人間が飲めるものではない。

 だが妖怪にとっては美味と呼べる代物だ、これは良いものだと紫は龍人にもこの酒を飲ませようとして。

 

「…………龍人?」

 

 自分の隣に居た筈の彼が、いなくなっている事に気がついた。

 

「おんや? 紫、龍人はどこへ行ったのさ?」

「さっきまで一緒に居た筈なのだけど……」

 

 周囲を見渡すが、彼の姿は見当たらない。

 一体どうしたのかと思っていると、先程まで歌って踊っていた水蜜とヤマメがやってきた。

 

「おーい、楽しんでるー?」

「楽しんでるよー。それより2人とも、龍人知らない?」

「龍人って……あの男の子? あー……もしかして、イッチーの所に行ったのかも」

「えっ?」

 

 イッチー、彼女がそんな愛称で呼ぶのは初めてこの地底に来た際にひと悶着あった雲居一輪の事だ。

 そういえば彼女の姿も見当たらない、どういう事なのかと首を傾げる紫に水蜜は説明してくれた。

 

「イッチーってば、ゆかりん達がこの宴会に参加するって聞いてどっか行っちゃったんだよ。地上で暮らしてるのなら人間も妖怪も関係なく嫌ってるからねー」

「それで、どうして龍人は彼女の元へ?」

「さあ? ただあたしはイッチーが居るであろう場所を教えただけだから」

「そう……」

 

 一体、彼は彼女に何の用があるのだろうか。

 正直な話、紫はあの雲居一輪という妖怪の事は好きではない。

 敵意と警戒心に満ちた目、まるで自分達地上から来た妖怪達を親の仇だと思わんばかりの態度。

 

 ここには地上を追われた者達が居るというのはわかるが、彼女の場合は少しそれが行き過ぎているような気がした。

 まるで地上に生きる者達に、自分にとって大切な何かを奪われでもしたかのような……。

 まあそれはこの際どうでもいい、そんな事よりも気に入らない事があるのだ。

 

――どうして龍人は、あんな妖怪を気に掛けているのか。

 

 しかも相手はなかなかの美貌を持つ女の妖怪だ、それが紫にはますます気に入らなかった。

 知らず知らずのうちに紫の表情がどんどん険しく不機嫌になっていき、そんな彼女の様子に周りの者達は揃って生暖かい視線を送っていた。

 

「紫は相変わらず、龍人が好きで好きでしょうがないんだねえ」

「……萃香、何が言いたいのかしら?」

「嫉妬してるんだろう? 自分じゃない女を気に掛けている事にさ」

「何を言うのかと思ったら……言っておくけど、私と龍人はそういった関係じゃ」

 

「――嘘はいけませんよ、紫さん」

 

 そう言って紫の言葉を遮るのは、妙に疲れた様子のさとりだった。

 しかし彼女の口元には笑みが……それも、他者を弄ぶかのような性質の悪い笑みが浮かんでいる。

 

「あなたの心からは一輪さんに対する嫉妬の感情が見えています。そして、龍人さんに対する確かな愛情も」

「っ」

「隠す必要などないではありませんか? あなたのその愛情はとても強く、そして優しいものなのですから」

「さとりん、その話もっと詳しく!!」

「……ヤマメさん、次にその愛称を言ったらトラウマを呼び起こしますよ?」

「恐っ!?」

 

 好き勝手に騒ぎ出す周囲に、紫は少しずつ自分が追い詰められている事を理解する。

 拙い、このままこの場に居たら間違いなく弄られる、そう判断した紫は当然脱出を試みるが。

 

「おっと、逃がさないよ?」

「友人としても、やっぱり詳しく知りたいと思うでしょ?」

 

 それはもう楽しげに笑う勇儀と萃香によって、失敗に終わってしまう。

 単純な力では鬼には勝てず、かといって能力を使えば2人にいらぬ怪我を負わせてしまう可能性がある。

 結果、紫は逃げる事ができず弄られる羽目になってしまうのであった……。

 

「で、どうなの? どれくらい関係は進んだの?」

「黙秘するわ」

「清い関係みたいですよ、そもそもお2人はそういった関係ではないようですし」

「………………」

 

 空気よめよコノヤロウ、遠慮なく心を読むさとりを睨みつける紫。

 だが無意味、今のさとりは先程勇儀達に絡まれた際に助けなかった紫に対する仕返しを行おうとしている。

 残念、周り込まれてしまった。そんな絶望的なメッセージが聞こえたような気がした。

 

「清い関係って……お前さん達、出会って六百年以上経つんだろ?」

「う、煩いわね! 勇儀には関係ないじゃないの!!」

「いや……私も正直、ないなーって思うわ」

「萃香まで!?」

 

 可哀想なものを見るような視線を紫に向ける勇儀と萃香。

 さとり達も「六百年以上共に居て何も進んでいない」という事実を聞き、なんともいえない表情を浮かべている。

 ちゃっかり聞き耳を建てている周囲の妖怪達ですら、今の話を聞いて紫に対して同情の視線を送っている。

 

 そんな彼女達の姿を見て、紫は羞恥で顔を真っ赤に染めながら――弄られている気恥ずかしさと酒の力が変な方向に作用してしまったのか。

 今まで少しずつ蓄積してきた彼へと鬱憤を、吐き出してしまった。

 

「だ、大体龍人はいつまで経ってもそういう事を理解してくれないのに、私から迫った所で無意味なのよ!!」

(あ、素直になった)

 

 盛大な自爆を放つ紫であったが、今の彼女は気づいていないようだ。

 

「六百年よ!? 妖怪にしてはあまり永い年月とは言えないかもしれないけど、だからって短いわけでもない。それなのに……一つ屋根の下で暮らしてるっていうのに、夜這いの一つも仕掛けないっていうのはどういう了見なのよ!!」

「や、私に言われても……」

「そりゃあ私だって幻想郷の基盤を固める為に色々動いたりしていたし、甘い時間を二人っきりで過ごしていなかったのもあるかもしれないけど、向こうからまったく迫ってこないとかありえないじゃない!!」

「ゆ、紫……?」

 

 何やら変なスイッチを踏み抜いてしまったようだ。

 これにはからかっていた勇儀達も顔を引き攣らせ、尚も愚痴を放つ紫を宥めようとするが当然ながら効果は無い。

 

「私ってそんなに魅力がない!? 妖怪からすれば六百歳なんて全然若いでしょ!?」

「そ、そうですね……」

「それなのに龍人ってば、会ったばかりの入道使いに現を抜かすなんて……!」

「それは紫の考え過ぎじゃ……」

「ああ?」

「なんでもないです!!」

 

 その後も、紫の愚痴は続いていった。

 近くで聞いている勇儀達はげんなりとし、少し離れた場所から盗み聴きしている妖怪達は八雲紫という大妖怪の意外な一面を見て驚き、笑い、唖然とする。

 紫も紫でとっくに我に帰っていたのだが、それでも内に溜まった鬱憤は想像以上のものだったらしく、口が止まらない。

 これも龍人が悪いんだそうに違いないと、内心彼に責任転嫁しながら紫はただただ龍人に対する不満をぶちまけ続ける。

 

「――と、いうわけで私は一向に悪くないし魅力がない訳でもないわ。全ては龍人が子供なだけなんだから!!」

『そ、そうですね……』

 

 数十分後、スッキリとした表情を浮かべ紫は漸くその口を閉じた。

 やっと終わった、彼女をからかった事を後悔しながら勇儀達は疲れたようにため息を吐き出す。

 だが仕方ないだろう、まさか彼女が周囲の事など関係なしにあのような愚痴を吐き出し続けるなど誰も想像できなかったのだ。

 しかも愚痴を放ちながらもさりげなーく龍人に対する惚気まで放つものだがら、余計に疲れた。

 

「………………でも、今の関係が変わらない本当の理由が何なのか私だってわかってるわ」

 

 ぽつりと、先程の熱弁とは程遠い小さく静かな声で紫は呟く。

 ……別に今の関係に不満があるわけではない。

 彼は自分にとって恩人であり、初めての友人であり、共に歩む仲間であり……家族である。

 

 これからも龍人は自分の傍に居てくれる、根拠はないがそう強く信じられた。

 だからこのままでもいい、逆に不満を抱くなど贅沢な話だ。

 

「……ごめんなさいね。どうもこの酒に酔ってしまったみたい」

 

 ああ、まだまだ自分は青臭い若造だ。

 いくら周りに弄られ少量とはいえ酒が入っていたとしても、やはり先程の自分の醜態は認めたくない程に無様だった。

 妖怪の賢者が聞いて呆れる、これでは恋も知らぬ人間の生娘そのものではないか。

 

「――私は、そうは思いませんよ?」

 

 彼女の心中を理解したかのようにそう言い放つのは、さとりであった。

 

「…………心を読まないでいただけます?」

「すみません、覚妖怪なものでして。――私は殿方に恋をした事がありませんから説得力が欠けるかもしれませんが、紫さんが龍人さんとの関係をもっと深いものにしたいと思うのは、おかしくはないと思います」

「笑いませんの? まるで恋に奥手な童女のような私を見て」

「まあ、正直に言えば想像と違っていたので面白くはあります」

「………………」

 

 おもわずさとりを睨んでしまったが、彼女は紫の視線を軽く受け流しながら言葉を続ける。

 

「少なくとも私は親しみやすくて好感が持てました。そしてそれは私だけではなく他の者達も同じ考えのようですよ?」

 

 さとりの視線が周囲の妖怪達に向けられる。

 確かに彼女の言葉通り、全員ではないとはいえ紫に向ける視線に柔らかいものが混じっていた。

 大妖怪としてそれはどうなんだと思いつつも、紫はその視線を受け少しだけ嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。

 ……まあ、中には生暖かい視線を向けてくる者も居たが、この際気にしない事にする。

 

「大妖怪としての体裁もあるのは理解できますが、自分の心を表に出す事も大切なのでは?」

「……忠告として、受け取っておくわ」

 

 言いながら紫は立ち上がり、ゆっくりとその場から離れ始めた。

 周囲にからかわれたからでも、さとりの言葉に影響されたわけでもない。

 ただ……今すぐに彼に会いたいと、そう思っただけ。

 

 素直じゃありませんね、小声でそう呟くさとりの言葉は聞こえないフリをして紫は龍人の気配を探る。

 彼の気配はすぐに見つかった、どうやらここからそう遠くない場所に……雲居一輪と共に居るようだ。

 心がざわつく、2人で一体何をしているのかという疑問で脳裏が埋め尽くされていき、そんな自分に再び苦笑した。

 ああ、本当に今の自分は童女のような未熟さばかりが表に出てきてしまう。

 

(まあ、いいか)

 

 そんな自身の未熟さに悩むのもまた一興、生きるという事はそういうことだ。

 今は早く彼の顔を見てざわつく心を落ち着かせる事にしよう、そう思った紫は妖力を解放し龍人の元へと向かう為に飛び立って。

 

 

――龍人の“龍気”が開放された事に気づき、それと同時に地底全体に激しい揺れが襲い掛かった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。

よろしければ評価感想、いただけると嬉しいです。


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第85話 ~小さな小さな宴会~

紫達が宴会を行う中。
龍人は1人、その宴会に参加していない少女の元へと向かっていた……。


 紫達が宴会を楽しんでいる頃。

 龍人は1人、宴会が繰り広げられている場から離れ洞穴の中を歩いていた。

 やがて鍾乳石が連なる広い空間へと辿り着き、龍人はそこで黄昏ている1人の少女へと声を掛ける。

 

「よっ、隣いいか?」

「………………」

 

 龍人に声を掛けられた少女――雲居一輪は彼の姿を見て、表情を不機嫌そうに歪ませる。

 彼女の傍に居る入道雲の雲山も、静かに龍人に向かって身構え始めた。

 それには構わず、龍人は尚も一輪に歩み寄っていく。

 

「宴会には参加しないのか?」

「…………」

「参加したくないのなら、せめて美味い酒でも飲まないか?」

 

 そう言って、龍人は右手に持っていた大きな徳利を一輪に向かって見せるように掲げた。

 

「……視界から消えて頂戴」

 

 しかし一輪の態度は冷たく、龍人に対して明確な拒絶の意思を見せている。

 それでも龍人は不快に思うことはなく、彼女の隣に並び立った。

 

「聞こえなかったの?」

「聞こえたさ、けど別にお前は“俺個人”を嫌ってるわけじゃないだろ? なら俺としてはお前達と仲良くなりたいと思ってる」

 

 あくまで一輪がこのような態度を見せるのは、自分達が地上から来た存在だからと龍人は理解している。

 ならば決して仲良くなれないわけではない、だから龍人は一輪と雲山と友人になる為にここに来たのだ。

 そう簡単に戻るわけにはいかず、彼女達と友人になるのを諦めたくはなかった。

 

「ほら、飲むだろ?」

 

 同時に持ってきた器に酒を注ぎ、一輪へと手渡そうとする龍人。

 けれど一輪は警戒心剥き出しの視線を彼に向けたまま、受け取ろうとはしない。

 なので彼は苦笑しつつも手を引っ込め、そのまま一気にその酒を飲み干した。

 

「んー……美味い、地上の酒とは全然違うけど美味いなー」

「………………」

 

 ごくりと、自然に一輪は喉を鳴らしてしまう。

 その音を聞いた龍人は口元に笑みを浮かべ、違う器に酒を注ぎ再び一輪へと手渡そうとした。

 

「毒なんぞ入ってねえよ。これはわざわざ地底の妖怪達が用意してくれたもんだぞ?」

「…………」

「飲みたくないならそれでもいいさ。まあ今のお前の顔は「飲みたくて仕方ない」って訴えてるけどな」

「っ」

 

 ぶんっと、右の拳を龍人に放つ一輪。

 だが無意味、予期していた彼はそれを軽々と避けつつ、何事もなかったかのように器を一輪へと強引に手渡した。

 

「むっ……」

「そっちの雲も酒が飲めるのか? 一応3人分の器は持ってきたけど……」

「……飲めるとも、すまんが寄越してくれるか?」

「なっ、ちょっと雲山!!」

 

 外見に似つかわしい渋い声を放ち龍人の言葉に反応を返す雲山に、一輪は驚愕する。

 何故目の前の男に対し安易に反応を返したのか、そう言いたげな視線を彼女に向けられながらも、雲山は冷静に答えを返した。

 

「一輪、この男はそこまで警戒する存在ではない。少なくともワシ等に対し害になるような子ではないて」

「何言ってるのよ! こいつは地上で人間と生きる半妖なのよ!?」

「お主とて気づいておる筈じゃ。この子から感じ取れる雰囲気は……“彼女”のような優しさに満ちていると」

「っ」

 

 彼女という言葉を耳に入れた瞬間、一輪は押し黙る。

 その反応に龍人は首を傾げたものの、安易に踏み入ってはいけない内容だと本能で理解し何も言わずに雲山へと酒の入った器を手渡す。

 

「すまんの半妖の子よ」

「龍人だ、俺の名前は龍人」

「おお、そうじゃったな龍人。わざわざ一輪を気に掛けてくれて感謝する」

 

 ニッと渋い笑みを見せる雲山に、龍人も満面の笑みを返す。

 一方、なんだか和気藹々とし出した龍人と雲山を見て、一輪はますます不機嫌そうな表情を深めていった。

 ……こう言っては悪いが、まるで拗ねた子供のように見えて雲山はおもわず苦笑してしまう。

 

「お前、本当に地上で生きるヤツが嫌いなんだな」

「それは仕方なかろうて、一輪だけでなくここに生きる者の殆どは地上の存在そのものに嫌気を差しておる。地上を追われた者、この地底に封印された者。ここにはそんな者達ばかりが集まるからのう」

「……お前達も、そのどちらかなのか?」

「…………ワシ等は、とある理由からこの地底に封印されての」

 

 雲山の声のトーンが、自然と低くなる。

 何か嫌な事でも思い出してしまったのだろうか、顔が強張っていく雲山を見て龍人は口を閉ざしてしまった。

 

「雲山、それ以上話さないで」

「一輪……」

「所詮、そこの半妖に話した所で……平穏に生きているだけの男に、話して判るようなものではないわ」

「そんなの聞いてみないとわからないだろ? まあ、別に俺としても無理に訊こうだなんて嫌な事をするつもりは……」

 

「っ、何も失った事もなさそうな目をしているくせに、軽々しくそんな言葉を吐き出すな!!」

 

 空気が震える。

 一輪の怒りが込められた叫びが、そのまま力となって周囲に降り注いだ。

 息を荒くさせながら自分を睨む一輪を見て、龍人が向けた瞳には……ほんの少しの悲しみの色が含まれていた。

 

「……辛い事があったみたいだな。ごめん、俺のせいで思い出させちまったか」

「っ、何よそれ……なんで、そんな……」

 

 激昂すると思っていた。

 そうすればこちらとしても叩き潰す大義名分が生まれ、そのまま地上から来た者達全員を追い出してしまおうと一輪は考えていた。

 だが龍人は怒りもせず、逆にこちらに対し謝罪してくるという不可解な反応を見せてきた。

 これには一輪も虚を衝かれ、おもわず口籠ってしまう。

 

「確かに俺は今平穏の中で生きてる。だからきっとお前達の辛い事や苦しい事を理解する事は多分できない」

「…………」

「けどな。俺だって……俺だって、何も失わずに生きてきたわけじゃないんだ」

「ぁ…………」

 

 そう言って寂しそうに笑う龍人を見て、一輪の胸に後悔と罪悪感が押し寄せてきた。

 ……この笑みを彼女は知っている。

 かつて自分と雲山を救い数多くの者に慕われた恩人が時折見せた笑みと、よく似ていた。

 だからこそ一輪は理解する、先程放った自分の言葉で目の前の彼を深く傷つけてしまったという事を。

 

「ご、ごめんなさい……」

「……謝る事はないさ。元々こっちが無遠慮に踏み込みすぎたんだ、けどありがとな? お前って、やっぱり優しい妖怪だ」

 

 龍人が笑う、先程とは違う嬉しそうな笑みで。

 その笑みも、一輪のよく知るあの人の浮かべてくれた笑みによく似ていた。

 だからだろうか、一輪の中にあった地上で生きる者達に対する怒りやわだかまりといったものが少しだけ薄れてくれたのは。

 少なくとも目の前の彼にそんな感情をぶつける必要も意味もないと、一輪はそう感じていた。

 

「なんか湿っぽくなっちまったからもうやめにして、美味い酒を楽しもうぜ?」

「……そうじゃな。龍人もこう言っておる事じゃし、一輪も……な?」

「…………そうね」

 

 ここで初めて、一輪は強引に受け取った酒へと視線を注ぐ。

 白い濁りを見せる、地底の中でも上質な酒。

 どうやら相当良いものを持ってきてくれたようだ、酒好きな一輪の口元に自然と笑みが浮かぶ。

 

「……綺麗だな。お前の笑った顔って」

「はあぁっ!? ちょ、いきなり何言ってるのよ!!」

「綺麗だから綺麗って言っただけだぞ? 褒める事は悪い事じゃないと思うんだが……」

「や、そ、それはそうかもしんないけど……って雲山、何笑ってるのあなたは!!」

「いや、一輪にも春が来たと思うと感慨深くて……」

「フンッ!!」

「ごぼぉっ!?」

 

 鈍い打撃音と共に、雲山の口から酷い悲鳴が零れた。

 まあ不意打ちで思いっ切り殴られればこうもなる、しかも殴った一輪はしっかりと拳に妖力を込めているのだからその破壊力は増大していた。

 地面に崩れ落ちる雲山、それを冷たく見下ろす一輪の顔は……赤く染まっていた。

 

「……あなた、女性になら誰にでも言っているのかしら?」

「いや、でも輝夜……俺の友達なんだけど、そいつから「女は褒めるべし」ってよく言われてるし、何より俺自身が綺麗だって思ったから……」

「っっっ、そ、そういう言葉はもっとこう……愛する女性に言うべきなのよ!!」

「そういうもんなのか……ごめんな一輪、なんか不快な思いをさせちまったみたいで」

「え、あ、や……べ、別に不快とかそういうわけじゃ……」

 

 更に顔を赤らめなにやらごにょごにょと呟く一輪だが、龍人は気にせず倒れたままの雲山を介抱し始める。

 

「大丈夫か?」

「うぐぐ……一輪、最近ワシに対するツッコミが厳しくなっているような気がする……ワシ、悲しい」

「なんで一輪は雲山を殴ったんだ?」

「そこっ!! いちいち言及しない!!」

「あ、ハイ」

 

 凄まじい声色でそんな事を言われてしまえば、龍人としても押し黙るしかなかった。

 しかし場の漂う空気はすっかり明るいものに変わっており、3人はやがて互いに笑みを浮かべ合い今度こそ小さな宴会をスタートさせた。

 

「……あー、美味しいわ」

「一輪……ワシが言うのも何じゃが、もう少しその……酒を飲む時は、上品にじゃな」

「いいじゃないのよー、どうやって飲んだってさー。どうせ私みたいな枯れた女に春なんて来る事ないし……」

(あ、この状況は拙いヤツじゃな……)

 

 一輪は、酒を飲む事が好きだ。

 けれど決して強いわけではない、それでも妖怪なので並の人間よりかはずっと強いが、地底の強い酒にはまだ慣れていなかった。

 現に彼女は既に酔っ払い始めている、龍人が持ってきた徳利の中身は半分以下まで減っていた。

 

「すげえな一輪、飲む速度が速すぎだ」

「はぁ……ワシは常にゆっくり飲めと言っておるのに……」

「ほら雲山ー、龍人ー、もっともっと飲むわよー!!」

 

 一々器に注ぐのが面倒になったのか、徳利から直接酒を飲み始めてしまった一輪。

 これには雲山も慌てて止めようと動き、龍人は立ち上がって。

 

「雲山、ちょっと一輪の事は頼む」

 

 雲山に対してそう言いながら。

 静かに、洞穴の奥へと視線を向けて。

 

「――で、何の用だ?」

 

 視線の先へ、そんな問いかけをした瞬間。

 和やかな空気は一瞬で霧散し、一輪と雲山は場に重圧になる程の濃密な殺気が満ち溢れていくのを全身で感じ取った。

 

「な、に……!?」

「何じゃ、これは……!?」

 

 酔いなどすぐに醒め、一輪と雲山はすぐに身構え始める。

 だが身体が重く、気を張っていても身体が震えてしまっていた。

 それほどまでに周囲に満ちた空気には邪気が孕んでおり、妖怪である2人すら蝕む程のものが発生している。

 

「――驚きました。殺気だけでなく気配まで抑えていたというのに」

「俺はそういう負の気配を感じ取るのが得意らしいんだ、いまいち実感はないけどな」

 

 洞穴の奥から、何かが現れる。

 それは3メートルを優に超えた巨人であった。

 腫れ上がっているのではないかと思ってしまうほどの筋骨隆々の肉体、肩まで伸ばされた黒い髪に翡翠色の瞳を持つ整った顔立ちの美男子。

 だがその逞しい肉体から放たれるのは――刺すような痛みを放つ殺気だった。

 

「地底の妖怪か?」

「いいえ。――我が名はデイダラ。あなた達には“ダイダラボッチ”と言った方が理解できますか?」

「ダ、ダイダラボッチ!?」

「ん? どっかで聞いた事があるような……」

 

 驚きを見せる一輪と雲山とは違い、龍人は怪訝な表情を浮かべながらデイダラと名乗った男から視線を逸らし。

 その隙を逃さず、デイダラはその巨体には似つかわしくない速度で龍人との間合いを詰め、右の豪腕で彼の身体を容赦なく殴り飛ばした。

 

「龍人!!」

 

 叫びながら、一輪はすぐさま雲山に彼を助けるように指示を出そうとして。

 

「……ああ、思い出した」

 

 その前に、矢のような速度で殴り飛ばされていた龍人が空中で制止し、何事もなかったかのように顔を上げ呟きを零した。

 これには一輪も雲山も驚き、ただ1人――デイダラだけは口元に不敵な笑みを浮かべていた。

 

「さすが半妖とはいえ“龍人族”の力を持つだけの事はありますね」

「よく言う。手加減してたくせに」

「当たり前です。あの伝説の種族の血を引いた存在……それがどれだけのものか確かめたいと思うのは、力ある者としては当然の行為です」

「本来の目的がただの喧嘩で済むのならいいけどよ、そうじゃないのなら相手を図ろうとするのは愚行だって紫が言ってたぞ?」

 

 地面に降り立ち、龍人は一気に己が力を放出する。

 妖力、そして自然界に漂う力を用いた“龍気”の奔流は、まるで嵐のような風へと変わり周囲に吹き荒れていった。

 

「――ダイダラボッチ。この地において様々な伝承を残す西洋でいう“巨人族”に該当する大妖怪。けど紫と幽々子の話じゃあの世の地獄で働いてるって聞いた事があるんだけどな」

「ええ、その通りです。ですが地獄に愛想が尽きましてね……十王達の勝手な判断で統括していた地獄の一部が切り捨てられたのです」

「それは知っているさ、そのせいで地獄に居た筈の怨霊がこの地底と地上に飛び出してきちまったんだからな」

「いいえ、それは違いますよ。怨霊を現世へと飛ばしたのは私なのですから」

「……へぇ」

 

 あっさりと、それこそ朝の挨拶を交わすかのようにデイダラは思いがけない言葉を放ってきた。

 つまりだ、目の前のこの男が今回の件の元凶であるという事か。

 元凶が自ら現れた事に驚きつつ、龍人はデイダラに問いかけを放つ。

 

「なんでそんな事をした?」

「十王や閻魔達への抗議、といった所でしょうか」

「地獄の一部が切り捨てられた事がそんなに不満なのか?」

「無論です。――今回のようなケースを一度許せば、際限なく地獄を縮小させる暴挙に出るとも限りません。

 そうなれば地獄で暮らし地獄を統括している我々はどうなります? 現世の住人でない我々は生者として生きる事は許されない、そんな事をすれば死神が我等の魂を回収しようと動き出します」

 

 だから、何もしないわけにはいかなかった。

 デイダラは地獄の中でもそれなりの地位を持ち、部下も存在している。

 だというのに地獄の範囲が狭まれば、そこで生きる事ができなくなる者も現れるだろう。

 

 十王や閻魔といった上層部の存在はそれを理解していない、否、理解していながらも切り捨てたのだ。

 そんな事は許されない、許すわけにはいかなかった。

 地獄で働く者は切り捨てても構わない、そんな身勝手を野放しにする事などデイダラにはできない。

 

「……だからって、現世に生きる者に迷惑を被っていい道理には繋がらない。これ以上怨霊達が地上に出れば人間達に大きな被害が出るんだぞ」

「それは仕方のない犠牲というものです。それに人間など――放っておいても勝手に増えるではありませんか」

「………………」

「話は終わりです。――邪魔になりそうなので全員始末させてもらうとしましょうか」

 

 再び龍人へと接近するデイダラ。

 今度は加減などしない、先程の一撃でデイダラは龍人の力を図り切っていた。

 自分の邪魔になる、そう結論付けた彼は一撃で彼の身体を粉砕しようと拳を振るい。

 

「!!?」

「お前の目的はわかった。そしてそれが言葉だけで止められないって事も理解した」

 

 その拳を、龍人は左手一本で真っ向から受け止めて。

 

「なら、力ずくでお前を止めさせてもらうぞ。――――龍爪斬(ドラゴンクロー)!!」

 

 高圧縮させた“龍気”を宿した右手を、デイダラの左肩へと叩き込んだ――

 

 

 

 

To.Be.Continued... 




ここでのダイダラボッチは妖怪扱いです。
神々の一柱としての伝承はありますが、同時に鬼などの妖怪の元となった伝承も残されているらしいので、この作品ではあくまで妖怪という扱いをさせていただきます。


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第86話 ~地底世界の戦い、VSデイダラ~

今回の怨霊事件の元凶だと名乗る大妖怪、ダイダラボッチであるデイダラとの戦いを始める龍人。
それを感じ取った紫は、すぐさま彼の元へと向かう為に動き出した……。


――全速力で、紫は龍人の元へと向かう。

 

 突然感じ取った力の奔流は、龍人のものだ。

 彼が力を解放するという事は、何かに巻き込まれたという意味に繋がる。

 何よりも、そんな彼のすぐ傍には感じた事のない強大な力も確認できた。

 十中八九戦いに移行するのは目に見えている、なので紫は加勢の為に急ぎ彼の元へと向かおうとしていた。

 

「っ!?」

 

 が、その前に岩盤の一角が大きな音を響かせながら吹き飛び、そこから人影が飛び出してきた。

 その人影が何者かを確認して、紫はすぐさまその人影の元へ移動し衝撃を殺しながら抱き留める。

 

「いっつ…………悪い紫、助かった」

「龍人、何があったの?」

 

 抱きかかえた彼の状態を確認する。

 所々に刻まれた傷は致命傷には程遠い、軽傷である事にとりあえずは安堵した。

 だが一体何があったのかまではわからず、紫は龍人に説明を求めようとして――彼が飛び出してた場所から、今度は一輪と雲山が同じように飛び出してきた。

 

「ちぃ……!」

 

 2人が吹き飛んでくる軌道に合わせ紫は結界を展開し、見事2人を救出した。

 顔をしかめているものの、2人も龍人と同じく軽傷を負っただけのようだ。

 と、一歩遅れて勇儀と萃香が紫達の元へとやってきた。

 

「龍人、大丈夫かい?」

「ああ、ちょっと殴り飛ばされただけだ」

「一体何が…………っと、それは“あれ”に訊いた方がいいかもね」

 

 全員の視線が、龍人達が飛び出してきた穴へと向けられる。

 そこから現れたのは、3メートルを優に超える巨人の男。

 その男から感じられる力の大きさに、紫は眉を潜め勇儀と萃香は楽しげな笑みを浮かべた。

 

「なんだい龍人、あたし達に隠れて喧嘩でもおっぱじめたのかい?」

「それなら良かったかもしれないがな。――アイツはデイダラ、“ダイダラボッチ”と呼ばれる大妖怪で、今回の元凶だとさ」

「ダイダラボッチ……!」

「ほうほう、あれが犯人か」

 

 そう呟いた瞬間、勇儀は動きを見せた。

 右手で拳を作りながらデイダラへと接近し、加減なしの一撃を放つ。

 不意打ちに近い一撃は、吸い込まれるようにデイダラへと命中……したのだが。

 

「っ、痛っ……!?」

 

 刹那、勇儀の手には衝撃と痛みが走り、拳を放った彼女の手からは鮮血が舞う。

 何か堅いもので弾かれた感触を感じながら、勇儀は自分の拳を防いだ正体を見て驚愕した。

 

「岩、だあ……!?」

 

 そう、勇儀の拳を防いだのは――デイダラの身体を守るように纏わりついた岩であった。

 しかし解せない、たとえ堅い岩であっても鬼の剛力を真っ向から受け止める強度は存在しない筈。

 だというのに防いだだけでなく、その岩にはヒビ1つ入っていない。

 

「ごっ……!?」

 

 右腕に岩を纏わせ、そのまま勇儀の腹部へと拳を叩き込むデイダラ。

 その一撃を受けて勇儀は吐血し、勢いよく地面へと叩きつけられてしまった。

 単純な力だけでなく身体の頑強さも凄まじい鬼の肉体に、打撃で明確なダメージを与えた。

 その事実は信じられないものであり、地面に沈んだ勇儀へと視線を向けながら紫達は目を見開いて驚愕してしまう。

 

「――ぬああああっ!!」

 

 しかしさすがは鬼というべきか、口元を自らの血で汚しながらも勇儀は立ち上がる。

 そして口内に溜まった血を乱暴に吐き出し、すぐさま紫達の元へと戻ってきた。

 

「さすが、と言っておきましょうか」

「やってくれるじゃないか、ちょっとは効いたよ!!」

「ですが――邪魔です」

 

 左手を天に掲げるデイダラ。

 すると周囲に撒き散らされた岩の破片が浮かび上がり、紫達を囲むように空中で制止した。

 

「――岩石舞(がんせきぶ)

 

 左腕を振り下ろすデイダラ、瞬間――破片達が一斉に紫達へと襲い掛かった。

 

「小賢しいなあっ!!」

 

 叫び、萃香は巨大化し両の手で拳を作る。

 そのまま迫る破片達に拳を繰り出し、たった二撃で数百はあろう破片の雨を纏めて殴り砕いてしまった。

 すかさず萃香は巨大化を維持したまま、デイダラを殴り潰そうと右の拳を繰り出した。

 

「!?」

 

 驚愕が、萃香を襲う。

 なんとデイダラの身体が瞬時に大きくなり、萃香にもひけをとらない大きさまで変化し彼女の拳を軽々と受け止めたのだ。

 一瞬反応が遅れた萃香の隙を突き、デイダラはそのまま彼女の巨体を腕一本で持ち上げ地面へと叩きつけた。

 地面が大きく揺れ、その破壊力を示すかのように萃香の身体が完全に地面に沈み見えなくなる。

 

「萃香!!」

「くっ――雲山、いくわよ!!」

「待て、一輪!!」

 

 龍人が制止の言葉を放つが、一輪は雲山と共にデイダラへと吶喊していく。

 巨大化する雲山の拳、それをまるで大砲のように撃ち出しデイダラの身体に叩きつけた。

 

「――大地の剣よ」

「えっ――くぅっ!?」

「ぬああっ!?」

 

 デイダラが指を天に掲げた瞬間、地面が隆起し岩で形成された剣状の物体が現れ、一輪と雲山に向かって撃ち込まれていった。

 都合六十二の岩の剣が、2人に襲い掛かる。

 驚愕しながらも2人は全神経を回避に専念させ、紙一重でありながらも岩の剣の猛攻を凌いでいく。

 だが上下左右、あらゆる角度から放たれる剣の雨を回避する事は不可能に近い。

 

――けれど、岩の剣が2人に届く事はなかった。

 

「これは……」

 

 静かに驚きを含んだ言葉を放つデイダラ。

 2人を守る為に紫はスキマを展開させ、飛び回る岩の剣全てを異空間へと呑み込んでしまった。

 さすがのデイダラもこれには驚きを見せ、その隙を逃さず龍人と勇儀が動いた。

 

「おらあああああっ、鬼神斬破刀(きじんざんばとう)!!」

空牙轟龍脚(くうがごうりゅうきゃく)!!」

 

 勇儀の右の手刀がデイダラの左腕に裂傷を刻ませ。

 龍人の風の力が込められた蹴りが、右腕を抉っていく。

 さすがに効いたのか巨大化したデイダラの身体が体勢を崩した。

 

「2人とも、離れて!!」

『っ』

 

 同時に離脱する龍人と勇儀、その一瞬後に高熱を孕んだ巨大な妖力玉がデイダラへと襲い掛かる。

 高熱の妖力玉――通称“元鬼玉”を放った萃香は、すかさず次の元鬼玉を生成しデイダラに向かって投げ放っていく。

 連続で叩きつけられた元鬼玉の熱が周囲の大気を燃やしながら、火柱を挙げていった。

 凄まじい熱量に紫達はたまらず後方へと離脱し、様子を見る事しかできない。

 

「――――ふぅ、疲れた」

 

 十数発もの元鬼玉を叩き込んでから、萃香は呟きを零し攻撃を止めた。

 デイダラが居た場所は業火を思わせる熱球に包まれ、中の様子がどうなっているのか見る事はできない。

 しかし無事ではないだろう、あれだけの質量の攻撃を受け続けたのだ。

 仕留めたとは思えなかったものの、攻撃を仕掛けた萃香はもちろん紫達も決定的なダメージを与えられたと核心を抱いた。

 

――熱球が、だんだんと小さくなっていく。

 

 それに伴い中の様子も見る事ができ――あるものが見え、紫達は揃って怪訝な表情を浮かべた。

 熱球の中から見えたのは、デイダラではなく……巨大な岩の塊であった。

 熱によって赤く変色しているそれは、外気に触れる事で急激に冷え固まっていく。

 

「……参ったね、こりゃ」

 

 皮肉めいた呟きを零す萃香、すると岩の塊がボロボロと崩れ出していき。

 中から、五体満足の状態を維持したままのデイダラが姿を現した……。

 

 龍人と勇儀の一撃による傷は確認できたものの、萃香の攻撃による火傷やダメージといったものは見られない。

 どうやら大地を操作して自身を覆う岩の鎧を生み出し、萃香の猛攻を凌いだのだろう。

 だがその事実は紫達にとって驚愕を与えるには充分過ぎた、鬼の実力者である萃香の猛攻を殆ど無力化させたのだから。

 

「…………さすがに、これだけの人数を相手にするには不利ですね」

 

 そう呟くデイダラの呼吸は、乱れていた。

 さすがに妖力を使い過ぎたのだろう、身体の大きさも元に戻っている。

 このまま攻め続ければ勝てる、そう判断した紫達は追撃を仕掛けようとして。

 

――周囲に、怨霊達が飛び交っている事に気がついた。

 

 その数は数十ではきかない、地底中に存在する全ての怨霊が集まっているかのようだ。

 一体何が起きているのか、困惑する紫達だったが……やがて怨霊達が一箇所に集まっていった。

 集まっていく中心に居るのは、何かを迎えるかのように両手を広げるデイダラの姿が見受けられた。

 

「あまり時間を掛けたくはありません。あなた達の力に敬意を評し――こちらも全力で蹂躙して差し上げます」

 

 謳うように言い放ち、デイダラは自身に集まっていく怨霊達を()()()()()()()

 妖怪にとって天敵である筈の怨霊達を、デイダラは迷う事無く受け入れ、吸収し、同時に力を増していった。

 

「チィ、させないよ!!」

「コイツ……!」

 

 悪寒を走らせながらも、デイダラに向かっていく勇儀と萃香。

 全開の力を込め、2人は殴り砕かん勢いで拳をデイダラの顔面に叩き込み。

 

「っ、は、ぁ……!?」

「ひ、ぐう……!?」

 

 掠れた声で悲鳴を上げ、力なく地面に落ちそのまま動かなくなってしまった。

 

「勇儀、萃香!!」

「な、何じゃ……何が起きたのじゃ!?」

「くそっ!!」

 

 すぐさま2人を助けに行こうとする龍人。

 しかしそんな彼の腕を掴み、紫は制止させた。

 

「待って龍人、今のデイダラに近づいては危険よ!!」

「何言ってんだ紫!!」

「いいから落ち着きなさい。今のデイダラは多くの怨霊をその身に取り込んだの、それによって今のあの男は怨霊と同じ体質に変化しているわ。

 精神を蝕む怨霊は私達妖怪にとって天敵であり消滅させられる危険性を持っている、不用意に近づいたり攻撃すればあの2人のようになってしまうわ!!」

 

 そう、紫の言葉は信実を告げていた。

 今のデイダラは怨霊と同じ体質を持ち、存在するだけで精神に依存する妖怪を蝕んでいく程に強くなっている。

 攻撃を仕掛けた勇儀と萃香が倒れ動かなくなったのも、精神を蝕まれたからに他ならない。

 もはやデイダラの肉体そのものが呪いと同じだ、強大な力を持つ勇儀と萃香だからこそまだ存命しているものの……このままでは2人も消滅は免れないだろう。

 

 そしてそれは紫達も同じだ、このままではデイダラが何もしなくても全滅する。

 かといって無闇に仕掛ければ勇儀達のように動けなくなり、結果は変わらない。

 

「……雲居一輪、ここに居るだけでも辛いでしょうけど私と龍人がデイダラに仕掛けたら勇儀と萃香を連れてこの場から離れなさい。そして他の妖怪達にも急いでこの地底から離れるように指示を出して」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。あなた今時分で不用意に攻撃をするのは駄目だって」

「ええ、そうよ。でも――少しの間なら無効化する手段はあるの、ただその手段を施せるのは精々2人までよ」

 

 そうこうしている間にも、デイダラが放つ怨霊の力が紫達の心を蝕み始めていく。

 もう時間がない、悠長に説明することはできないと判断した紫は、すぐさま“能力開放状態”へと自身の身体を作り変えた。

 

 美しい金の瞳が赤黒く禍々しいものへと変化し、同時に能力開放による反動が紫に襲い掛かる。

 痛みに顔を歪ませながらも、紫はすぐさま自身と龍人の境界を操作した。

 肉体の境界を操作し、怨霊との隔たりを作り上げその力が及ばないようにする。

 

「っ」

 

 視界が赤くなる、反動に耐え切れず紫の眼球からは血が流れ始めた。

 意識が断裂し、生きていくために必要なものが少しずつ零れ始めているような不気味な感覚に襲われる。

 身体には浮遊感が押し寄せ、自分が立っているのか浮いているのか倒れているのか、曖昧になっていく。

 たとえどんなに力が増そうとも、能力開放は紫にとって諸刃の剣。

 

「紫!!」

「――――」

 

 ノイズが走っていた視界が、元に戻った。

 視界に映るのは、自分を見つめる龍人の心配そうな顔。

 その顔を見た瞬間、紫は曖昧になりかけた自分自身を取り戻した。

 

「……ごめんなさい龍人、もう大丈夫よ」

「よし。それじゃあ――」

 

「――何をしたのか知りませんが、今度はこちらからいきますよ?」

 

 デイダラが動く。

 一瞬遅れて紫も動き、瞬時に両腕に光魔と闇魔を呼び寄せた。

 

「頼むわよ一輪!!」

「わかったわ。雲山、いくわよ!!」

「うむ!!」

 

 雲山を連れ、一輪は紫とデイダラのぶつかり合いに巻き込まれないように移動しながら、勇儀と萃香をここから連れ出すために動き出した。

 その時には既に、紫とデイダラの間合いは互いの一撃が繰り出せる範囲まで狭まっており、先手を仕掛けたのは――紫!!

 

 奔る光魔の斬撃。

 妖力によるブーストを加えたその一撃は、まともに受ければ防御ごと両断するだろう。

 それを――デイダラは恐るべき動体視力と反射神経を用いて、紙一重で回避した。

 

「――――」

 

 怪物だと、紫はおもわずそう口走りそうになった。

 加減などしていない全力の一手、更に能力開放による強化も施された光魔の一撃を回避したのだ。

 それを怪物と呼ばずに何と言うのか、しかし。

 

 

――紫には、まだ別の一手が残されている。

 

 

 光魔の一撃を回避したデイダラに、闇魔の斬撃が迫る。

 こちらも紫にとって最速の速度で放たれた必殺の一撃、更に回避した直後を狙ったこの攻撃を再び避ける事は不可能。

 奔る斬撃は空を斬り裂き、吸い込まれるようにデイダラの右肩へと叩き込まれ。

 呆気なく、相手の右腕を両断した。

 

「ぐっ――おおおおっ!!」

「ぐぁっ!?」

 

 雄叫びを上げ、デイダラは残る左腕で紫の顔を掴み上げる。

 ミシミシという軋んだ音が紫の顔から響き始め、このままでは秒を待たずに彼女の顔は無惨に握り潰される未来が訪れる。

 だが、死が間近に迫っているというのに――紫は口元に不敵な笑みを浮かべており。

 

「っ、ぐおっ!?」

 

 炎の拳が、デイダラの頭部へと叩き込まれ。

 その衝撃に耐え切れず紫を放し、彼の巨体は地面へと叩き込まれた。

 

「紫様、大丈夫ですか!?」

 

 そう言いながら崩れ落ちそうになる紫の身体を支えるのは、彼女の式である藍であった。

 地上で待機している筈の彼女が何故ここに居るのか、それは勿論紫が彼女を直接この場に召喚したからだ。

 

 この状態でも、一撃でデイダラを打倒する事はできないと紫は理解していた。

 だからこそ紫はわざと致命傷を避け、自らを囮にして相手をこの場に留めておこうと考えたのだ。

 思惑通りデイダラの標的は紫だけに集中し、彼女は藍を相手の死角から召喚させ奇襲させた。

 

 

――当然、これも布石の1つであり。

 

――本命の一手を放つのは、紫でも藍でもない。

 

 

 土煙が晴れ、そこから這い出てくるデイダラ。

 藍の一撃をまともに受けながらも、怨霊の力を取り込んだ彼の肉体は致命傷を負っていない。

 が――デイダラは、漸くある事に気づく。

 

「――龍の尾よ。その(ただ)しき力を以て、悪しき者を薙ぎ払え!!」

 

 大気がうねりを上げ、凄まじい力の奔流が一箇所に――龍人へと集まっていた。

 しかし彼の力が集まっている場所は腕ではなく、足。

 龍爪斬(ドラゴンクロー)ではない、次に放たれる一撃は彼が新たに編み出した龍の奥義。

 

 黄金の輝きを放つ龍人の右足。

 力は臨界へと達し、龍人はデイダラのみを視界に捉えながら吶喊した。

 

「くっ……!」

 

 次の一撃は受けられない。

 本能でそれを理解したデイダラは、取り込んだ怨霊の力を解放させた。

 刹那、彼の身体から紫色の霧のようなものが現れる。

 それは怨霊の念が形となった呪いの霧、それに触れた生者は怨霊の邪念によって精神を崩壊させられてしまうだろう。

 

 だが、龍人は止まらない。

 迷いも躊躇いもその瞳には抱かずに、彼は大きく右足を天に向かって振り上げて。

 

龍尾撃衝(ドラゴンテイル)!!」

 

 黄金の一撃を解き放ち、呪いの霧を浄化させながら。

 龍の尾を冠した一撃を、デイダラの肉体へと叩き込んだのだった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




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第87話 ~地獄の閻魔と女神様~

怨霊異変の元凶であるデイダラと死闘を繰り広げれる紫達。
能力開放、そして龍人の新たな奥義である龍尾撃衝(ドラゴンテール)により、デイダラを打倒する事に成功した……。


――静寂が、周囲に漂う。

 

 龍人の右足から黄金の輝きが消え去り、彼はゆっくりと地面に着地その場に座り込んだ。

 紫も能力開放を解除し、痛む頭を押さえながら彼の元へと向かう。

 

「龍人、大丈夫?」

「ああ、紫こそ大丈夫か?」

「私は大丈夫よ、少し頭が痛いけどすぐに収まるわ。――ありがとう藍、事前に打ち合わせもしていないのによく合わせられたわね」

「そんな事はありません。私はお2人の式なのですから、寧ろ合わせられねば恥です」

 

 生真面目な藍の言葉に苦笑しつつ、紫は視線を前方へと向けた。

 彼女の視線の先には――まるで隕石が落ちた跡のような巨大な穴が広がっていた。

 その一番底には土と岩によって身体の半分以上が埋まったままピクリとも動かない、デイダラの姿が見える。

 

――この大穴は、龍尾撃衝(ドラゴンテール)の一撃()()で開けられたものだ。

 

 龍人が龍爪斬(ドラゴンクロー)以上の破壊力を得る為に生み出した新たな技である龍尾撃衝(ドラゴンテール)

 やはりというべきか、その破壊力はまさしく規格外のものであり――実を言うと、これでもまだ()()()()()()()()

 正真正銘の全力を放てば被害はこんなものでは済まない、この地底世界が纏めて吹き飛ぶだけでなく地上にだって少なからず影響を及ぼす。

 それに何よりもだ、最上位の神々である“龍神”の力は半妖の肉体では全開で使用する事はできない、使用自体はできても肉体が瓦解する。

 

「ふぅ……」

 

 現に今の龍人の身体には殆ど余力が残されていない、頑丈でいつも力が有り余っている彼が座り込み疲れたようなため息を吐いている事からもそれが窺えた。

 だが、デイダラの様子を見るに戦いは終わりを迎えたと判断してもいいだろう。

 彼が取り込んだ怨霊達も、龍人の龍尾撃衝(ドラゴンテール)によって完全に霧散してしまった。

 

 地獄の存在である怨霊にとって、“龍気”そのものが彼等を強制的に消し去る聖なる力を秘めているのだろう。

 相も変わらず“龍気”のデタラメな力に軽く引きながら、紫は“まだ生きている”デイダラへと再び視線を向けた。

 そう――デイダラはまだ生きている。

 さすが大妖怪と呼ばれるだけの事はあるが、それ以上に龍人が彼の命を奪おうとは考えておらず命中に瞬間に僅かに攻撃の軸をずらしたのも起因しているのだろう。

 

「……龍人様、何故先程の一撃で仕留めなかったのですか?」

 

 主の心従者知らず、彼の真意を読み取れない藍がまだ生きているデイダラに気づき問いかけを放つ。

 彼女の気持ちも判らないわけではないが、やはりまだまだだと紫は内心で藍に対する苦言を零していた。

 

「被害はあったけど幸い死者は出なかった。だからまだ殺すのは早計だ」

「お言葉ですが龍人様、それは結果論ですし……少々甘過ぎるのでは?」

「藍は厳しいな、でもお前の方が正しいって事ぐらい俺にだってわかってる。けどコイツは殺さない、これだけ強い力を持っているのなら……その力を正しい方向に使って今回の事を償ってもらう」

 

 言いながら龍人は大穴へと降り、デイダラの身体を引っ張り上げてきた。

 僅かに呼吸はしているが、身体には痛々しい傷が刻まれている。

 このままではどの道デイダラの死は免れないだろう、なのでとりあえず死なない程度まで傷を治してやろうとして。

 

「…………そこの九尾の言う通り甘過ぎる御方だ、こちらとしても譲れないからこそ敵対したのですよ?」

 

 弱々しい声を放ちながら、デイダラは瞳を開き意識を取り戻した。

 

「喋るな、死ぬぞ?」

「敗者には相応の末路が待っているだけです、私はここで朽ち果てるのが運命だったというわけですよ……」

「お前が自分を敗者だと認めるのなら、その命は勝者である俺達が使っていいって事だな? なら今は黙ってろ、勝手に死ぬ事は絶対に許さない」

「…………」

 

 デイダラは答えない、ただ反論を返そうともしなかった。

 なので紫はそのままデイダラに自分の妖力を少しだけ分け与えた。

 これで肉体のダメージはある程度分け与えた妖力で回復する事ができる、尤も動けるようにするつもりはないので微々たる量しか与えなかったが。

 

「しかし、凄まじい強さですね。さすが龍神の力を引く種族というべきか」

「守りたいモンが沢山あるんだ、強くなくちゃそれを守る事なんてできないんだよ」

「守るもの、ですか……ですが私とてそれは同じ事。地獄に居られなくなった者達の為に戦っていたというのに……何故敗れたのです?」

「たった1人で戦ってたからだ。俺には紫や藍、勇儀や萃香に一輪に雲山……みんなで力を合わせられたからな」

「1人……」

 

 そう呟いて、デイダラは再び口を閉ざす。

 ……とにかくこの男の処罰は自分達だけで決めるわけにはいかない、地底の者達の意見も聞かなくては不公平だからだ。

 尤も、血の気の多い地底の者達に元凶を見せればどうなるかなどやらなくてもわかってしまうがそれはそれである。

 

「……怨霊は、これからも増え続けるでしょう。だというのに十王達は怨霊を監視すべき地獄を小さくしている、それが愚行であると何故気づかないのか」

「…………」

「このままではいずれ今回のように怨霊が地上に増え、生者を脅かす。だからこそ私は十王達にその愚かさを知ってほしかった……」

「ふざけるな!! 如何な理由があろうとも、貴様のしでかした事は正当化されるものではない!!」

「藍……」

「ああそうですとも。私は自分のしている事が正しいなどとは思っていません、でも他に方法が無かった……身を以て知らなければ、学習しないのは現世に生きる者達だけではないのですから」

 

 だが、今の自分は敗れた敗者に過ぎない。

 これ以上の問答は無意味だと、デイダラは口を閉ざし。

 

「――まさかこちらが動く前に終わっているとは思いませんでした。ですがご苦労様です龍人、八雲紫」

 

 小さな風が、紫達の首元を優しく撫でるように吹いたと思った時には。

 彼女達の前に、とある女性が現れていた。

 

「……今更あなた自らが動くのですか? ――四季映姫・ヤマザナドゥ様?」

 

 皮肉を込めた口調でデイダラが名を呼んだのは、地獄の閻魔である四季映姫であった。

 デイダラの皮肉を受けても眉1つ動かさず、映姫は倒れたままの彼に近づき口を開く。

 

「デイダラ、あなたの行った事は決して許される事ではありません。怨霊を監視し罪を償わせる為に存在するあなたが生者の世界に怨霊を溢れ出させあまつさえその呪いとも言える力を取り込むなど……」

「弁明は致しません。あなた様の仰るとおり私は禁忌を犯し現世に多大な被害を与えようとしました、如何なる処罰も受ける所存に御座います」

「結構。――ですが未だに信じられませんね、あなたは地獄で働く者達の中では特に働き者で周りからの信頼も厚かったというのに」

「あそこが私にとって居るべき場所であり、ただ成すべき事を果たしていただけに過ぎません。尤も、誰かさん達のせいで見事に裏切られたわけですが」

 

 紫の妖力を取り込んで多少回復したものの、今の彼はまだ満身創痍である。

 だが口から放たれる言葉はただただ饒舌であり、口調だけでなく言葉全体からは映姫達に対する皮肉と失望、そして怒りがひしひしと感じられた。

 当然直接それを向けられて気づかない映姫ではなく、相も変わらず眉1つ動かさぬ平静さを見せているものの、それなりに精神的ダメージを負っているようだ。

 

「龍人、八雲紫、この度は私達地獄の問題に巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」

 

 紫と龍人に向かって頭を下げる映姫。

 閻魔のその姿に紫は内心これを機会に弱みでも握ってやろうかと軽く考える一方、龍人は映姫に不機嫌そうな表情を向けていた。

 ああやはりか、今の彼の心中を紫はすぐに理解し苦笑する。

 

「今回の件の後始末は任せてください。既に小町達死神を動かしていますから、地獄から連れてこられた怨霊達も居るべき場所に戻るでしょう」

「……デイダラはどうなる?」

「彼は重罪を犯しました、裁判は施行されるでしょうが……一度肉体と魂を分け、罪を償ってもらう事になりますね」

(まあ、そうなるでしょうね)

 

 寧ろ、魂を消滅させられないだけまだ譲歩していると言えるだろう、デイダラが犯した罪というのはそれだけ世の理からすれば重罪に値するのだ。

 発見が早期だった事、怨霊による被害が最小限に抑えられた事、そして何よりデイダラの今までの功績を配慮した結果の裁定だろうが。

 

「――駄目だ。そんなの俺が認めない」

 

 龍人にとって、その判断は到底認められるわけがなかった。

 

「は……?」

「手段や形がどうあれ、デイダラは地獄の為……いや、俺達が生きる世界の事も考えてこんな行動を起こしたんだ。

 それを重罪を犯したってだけで全ての責任をコイツに押し付けて終わらせる事は許さない」

「……龍人、彼の罪は我々地獄の者達が定める事です」

「そもそも今回の引き金はお前達が自分達だけの判断で地獄の一部を斬り捨てたからだろう? それなのに自分達の非は認めないのか?」

「…………」

 

 映姫が押し黙る、彼女自身も今の発言は痛い所を突いているのだろう。

 場の雰囲気が重苦しく変化する中、藍は龍人を応援しようかそれとも止めようか迷っているのか困惑するばかり。

 紫はというと……傍観を決め込む事にした。

 

 薄情と言うなかれ、彼女自身どちらの意見も正しくどちらの考えも否定する事ができないのだ。

 無論、最悪の事態に発展しようものなら全力で止めるものの、今は彼の好きにさせたいので黙っている事に。

 

「上に立つ者がそんな事ばかり繰り返せば、組織っていうものは瓦解するんだろう?」

「ええそうです、ですが今回はそうせざるをえない部分が多過ぎる。増え続ける怨霊を広い地獄で管理すればこちらの目を欺き良からぬ事を考え事件を起こす怨霊も出てきてしまう。

 だからこそ地獄の縮小化は避けては通れない、地獄で暴動を起こした者達も今は納得してくれています」

「納得じゃねえ、お前達の力が強すぎるから屈服しただけだ。不満を解消できたわけじゃないって映姫ならわかるだろ?」

 

 現実的な事実だけを告げる映姫だが、龍人も負けじと言い返す。

 ……どんどん映姫の表情が強張っていく、それを見た藍が紫の後ろに隠れてしまった。

 なんで主人を盾にするんだこの駄狐は、そう思いながらも彼女の行動には納得できてしまう。

 閻魔を怒らせるというのはそれだけ恐ろしいものなのだ、見ていて肝というか“核”が冷える。

 

「では、彼を赦せと? 罪を無かった事にしろと?」

「そうじゃねえ、ただこのままデイダラだけに責任を押し付けても何も変わらないって事を言いたいだけだ」

「ならば龍人、あなたには何か言い案がるというのですか? ――あなたは少し甘過ぎる、優しく暖かな心だけでは何も解決しないのです」

 

 その言葉にムッとした表情を浮かべる龍人。

 まるで「あなたには何も変えられない」と言われたと感じたのだろう、なので彼は少々感情的になりながら――とんでもない事を言い出した。

 

「そうだなー……まず今回の件で切り捨てた地獄を元に戻す事ができないのなら、それを幻想郷に移転させて前と同じように怨霊を監視しながら罪を償わせるっていうのはどうだ?」

「なっ――」

「りゅ、龍人様!?」

「……ちょっと、龍人」

 

 この発言に映姫と藍は驚き、紫は驚きながら呆れたようにため息を吐き出した。

 当たり前だ、彼の発言はあまりに突拍子もなく同時に認められるものではなかったのだから。

 

「俺とデイダラ、そしてコイツの部下達でそれを担当する。そうすれば地上に怨霊が蔓延る事も無いだろうし、死神が回収し忘れてる怨霊達も自然と集まってくる筈だ」

「た、確かに怨霊が放つ負の感情を現世で彷徨っている怨霊が嗅ぎ付ける事によって集まるのは確かですが……その方法はあまりにも無茶が過ぎる」

「閻魔の言う通りよ龍人。幻想郷に切り捨てた地獄を移転させるなんて、里の者達を危険に晒す事態を招きかねない」

「そこはほら、紫や永琳に超強力な結界を張ってもらえば大丈夫だろ? 輝夜にも協力してもらえばより一層安心だ」

「……当たり前のように、永琳や輝夜から協力を得られると思っているのね」

 

 なんというぶっ飛んだ考え方だろう、六百年経って彼も大分落ち着いた一面を持ち大人になっているが根本はまるで変わっていないようだ。

 

「2人が首を縦に振るまで諦めないからな。――お前達もそれなら安心だろ? 当然今回の遠因の1つになった映姫達にも協力してもらうけどな」

「ぐっ……え、閻魔や十王を脅すのですか?」

「そう思いたきゃそう思えばいいさ。お前達のやり方は俺にとって気に入らないし認められない、だったら解決できるのならなんだってやってやるさ」

 

 わざとらしく、挑発めいた笑みを映姫に向ける龍人。

 しかし映姫とてそれを簡単に認めるわけにはいかない、彼の提案も長年続いた世の理を崩しかねないからだ。

 だが今の映姫には反論材料が見つからなかった、彼の言う通り今回の件には自分達閻魔や十王に責任が無いとは言い切れないからだ。

 どうにかこうにか映姫は思考をフル回転させ彼の提案を反対しようとする、が。

 

「まあまあ映姫ちゃん。今日はとりあえずこれくらいにしておきましょうよ」

 

 気配をまるで感じさせずに出現した女性の軽い口調で放たれた一声だけで。

 紫達は、自身の総てを支配されてしまったかのように動けなくなってしまった。

 

「あ、あ、あ、貴女様は!?」

 

 辛うじて顔を動かした映姫が声の主を見た瞬間、酷く狼狽した様子を見せ始める。

 あの地獄の閻魔がまるで幼子のような姿を見せる事に驚きながらも、紫達は指一本動かせずにいた。

 一体何が起きたのか理解できない、ただ1つ理解できたのは。

 今この場に、自分達では到底辿り着けない領域に居る存在が、君臨しているという事だけ。

 

「あらら、すっかり脅えちゃって……可愛いわねん」

 

 くすくすと笑う謎の女性の声。

 その声には微塵も緊張感や威圧感というものが感じられないというのに、紫は冷や汗を止める事ができない。

 どうしようもなく恐怖を抱いている、女性の声を聞いた瞬間に紫の心は完膚なきまでに折れきっていた。

 

「――ぐっ、うおおおおおおあああああっ!!」

 

 と、龍人は突如として雄叫びを上げ“龍気”を放出させる。

 凄まじい力の奔流が突風となって辺りに吹き荒れ、その風を受けた影響か紫はどうにか身体を動かせるようになった。

 だが相変わらず冷や汗は止まらない、けれどもこのままでは埒が明かないので紫は勇気を振り絞って顔を上げて。

 

「あらん? ちょーーーーっとだけ力を入れ過ぎたとはいえ、私の“言霊”の拘束を解くなんて……さすが龍人族の生き残り、凄い凄い」

 

 にっこりと微笑んで、龍人の頭をまるであやす様に撫でている、赤毛の女性を視界に入れた。

 緑・赤・紫にも見える青の三色カラーのチェックが入ったミニスカートを履き、下は靴を履いておらず生足を見せている。

 こう言ってはなんだがなかなかに奇抜な服装であるが、上半身はもっと凄かった。

 

 黒いTシャツはまだいい、というより普通だ。

 だがしかし、そこに書かれている文字は「Welcome Hell」という物騒なものであり、肩が大きく出ている言わばオフショルダータイプのシャツである。

 更に更に、女性の頭には帽子の上に惑星のようなものと、女性の周りには月と地球をミニチュア化させたような球体が浮かんでおり、それぞれ鎖で首輪に繋がっていた。

 

「…………」

 

 変な恰好、おもわずそんな言葉が出そうになって紫は慌てて口を噤んだ。

 そんな事を言われたら殺される、否、消滅させられる。

 本能でそれを理解し、今の紫は大妖怪としての威厳などかなぐり捨ててでもこの場をどう切り抜けようか思考を巡らせた。

 

――別次元なのだ、いきなり現れたこの女性は。

 

 人間や妖怪、はたまた神々という次元を完全に超越している。

 さっきとて女性が声を出しただけで指一本動かす事ができなかったのだ、女性は“言霊”による拘束だと言ったがそんな次元の話ではない。

 絶対に逆らえない、歯向かえない、抵抗できない。

 当たり前のようにそう理解させられる力と存在感が、この女性から放たれているのだ。

 

「……お前、誰だ?」

(龍人ーーーーーーっ!! 何故いつものノリで話しかけるのーーーーーっ!?)

 

 心の中でツッコミを入れつつ、確実に寿命を縮ませる紫。

 見ると映姫も同じ事を考えているのか、その表情は完全に引き攣ったものになっていた。

 彼とてこの女性の力を感じ取っていないわけではないだろうに、この状況でも変わらない彼の態度には逆に頼もしさすら覚えた気がした。

 

「私は“ヘカーティア・ラピスラズリ”、可愛くて美人で性格も良くてとても強くて部下にも恵まれて非の打ち所がない地獄の女神様よん♪」

『…………』

 

 空気が、凍った。

 いや、確かに凄まじいなどという表現では追いつかない力と存在感は放っているし、美しい容姿を持っているのも確かではある。

 けれど、それを臆面も無く満面の笑みで言われると……正直、可哀想なものを見る目になってしまうのは致し方ないと思っていただきたい。

 

「地獄の女神様かあ……俺は龍人っていうんだ。でも、自分で自分の事をそこまで褒め称えるのはちょっと変だぞ?」

(言っちゃったーーーーーーーーっ!!?)

 

 さすが龍人、大妖怪八雲紫や閻魔大王四季映姫にすらできない事を平然とやってのける。

 そこに痺れる憧れる……わけがなく、2人は可能ならば今すぐにでも動いて龍人を殴り倒してやりたかった。

 しかし今の空気に圧倒され、哀れ2人は迂闊な事ができず事の顛末を見守ることしかできない。

 

「でも可愛くて美人なのは本当だな!!」

「えっ? え、えへへへ……そう?」

(よしっ、ナイスよ龍人!!)

 

 今度は大袈裟なガッツポーズをする2人、傍から見ると奇怪な行動にしか見えない。

 だが仕方がないだろう、自分よりも遥かに大きな力を持った存在を怒らせれば大惨事になるのだ、2人としてはどうにかこうにかそんな事態を避けたいと思うのは当たり前であった。

 

「んふふー……嬉しいなあ、男の子にそうやって褒められるのなんて何千万年振りかしら?」

「え、何千万年って……そんなに生きてるのか?」

「だって私はあらゆる地獄を司る女神だもの。……もしかして、お婆ちゃんだと思った?」

「そんな事ないって、俺の知り合いだって凄い長生きしてるヤツだっているしヘカーティアは凄い美人だから全然お婆ちゃんっぽくないしな」

「…………」

(あ、すっごい顔がにやけてる……)

 

 もしかしてこの女性は存外に単純なのではなかろうか、紫はふとそう思った。

 同時に彼女が何者なのかを理解し、改めて目の前の女性――ヘカーティアが規格外の存在だという事を思い知った。

 

 あらゆる地獄、即ち様々な世界の地獄を司る女神。

 それだけの存在なのだ、その実に宿る力が自分達とは比べものにならないことなど当たり前なのである。

 地獄の閻魔という立場である映姫がヘカーティアに狼狽した様子を見せたのも、彼女にとっても雲の上の存在だからだろう。

 

「ちょっと映姫ちゃん、この子すっごい良い子じゃない!! この子が死んだら絶対に天国に送ってあげてねん?」

「いや、流石にそんな職権乱用なんかできませんよ!?」

「あ、でも待てよ……? 地獄に堕として、ずっと私の手元に置いておくのもアリね……」

「何平然ととんでもない事を口走ってるんですか!? それよりヘカーティア様、何故貴女様がこの現世にやってきているのですか!?」

「暇だったから」

「そんな理由!?」

「まあまあ、とりあえずそこのボッチちゃんを治療してあげないと可哀想よん。それじゃあ龍人、また近い内にね~♪」

 

 そう言って、ヘカーティアは満面の笑みで龍人へと近づき。

 キョトンとしている彼の頬に、触れるだけの口付けを落とし、映姫とデイダラを連れて消えてしまった。

 

「なっ!?」

「……なんか、色々凄いヤツだったな」

「…………」

 

 何だ?

 今あの女は、龍人に何をした?

 先程までヘカーティアに抱いていた恐怖など消え去り、逆に彼女に対する怒りを溜めていく紫。

 

「とりあえず紫、いつの間にか気絶してる藍を連れてみんなの所に……って、どうしたんだ?」

「…………いいえ、なんでもないわ龍人。それより戻りましょうか」

「……なんか、怒ってる?」

「怒ってなんかいないわよ。ええ……怒ってなんかいないわ」

 

 確かに怒ってはいない、ただいきなり現れたヘカーティアに対する怒りだけは増大し続けているが。

 それが一般的には怒っているという事になるのだが、今の彼女にそんなツッコミを放てる者は居ない。

 結局、彼女が明らかにおかしな様子を見せている事を理解しながらも、龍人はそれ以上は何も訊かない事にして紫と共にさとり達の元へと戻っていったのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次かその次くらいでこの話は終わる予定です。
楽しんでいただけたのなら幸いに思います。


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第88話 ~これからの地底世界~

デイダラとの戦いに勝利した紫達の前に現れたのは、地獄の女神であるヘカーティア・ラピスラズリ。
彼女は何故か龍人を気に入り、意味深な言葉を放ちながらデイダラを連れて地獄へと戻っていった。

一抹の不安を抱きつつも、紫は共に戦った龍人と共に休息へと入る……。


「――紫様、起きられますか?」

「…………藍?」

 

 まだ完全に覚醒していない意識の中で、式である藍の声が聞こえ紫は瞳を開く。

 最初に映ったのは自分を起こそうとしている藍、次に見えたのは八雲屋敷とは違う天井。

 ここは一体何処だろう、一瞬思った紫であったがすぐにここは地底世界……そこで暮らす覚妖怪の古明地さとりが住まう長屋の中だと思い出す。

 

「……おはよう、藍」

「おはようございます紫様、やはりお疲れだったようですね……」

「少し力を使い過ぎたから仕方がないわ」

 

 デイダラとの戦いが終わり、紫達は地底の都へと戻って早々さとりに願い出て休ませてもらったのだ。

 藍にどれくらい寝ていたのか訊くと丸一日も眠っていたとの事、想像以上に自身の身体には疲労が押し寄せていたらしい。

 ……いや、確かに疲労はしていたが、原因は別にあると紫は思う。

 閻魔である四季映姫の後に現れた地獄の女神――ヘカーティア・ラピスラズリのせいである。

 

 思い出すだけでも、冷や汗が出てきそうな程の存在感と力を持っているヘカーティア。

 けれどそれ以上に龍人に対してあまりに馴れ馴れしい態度が、紫にとって確実なストレスとなっていた。

 

「――おはようございます、紫さん」

 

 家主の古明地さとりが、小さく微笑みながら紫の元へとやってきた。

 紫も彼女に対して挨拶を返しつつ、布団から出て立ち上がり大きく伸びをして身体を解す。

 

「昨日は本当にお疲れ様でした。私達を守ってくださってありがとうございます」

「いいのよお礼なんて、それより昨日何があったのか詳しく話さないとね」

「ええ、お願いします」

 

 向かい合うように座り込み、紫は早速さとりに昨日の戦いの事――そして閻魔達と交わした会話の内容を話す。

 話を聞いたさとりは、紫の予想通り驚愕に満ちた表情を浮かべ出した。

 

「……地獄を司る女神、ですか」

「まさしく存在自体がデタラメな方でしたわ。ただ怨霊の件をどうするのか、最終的な事はまだ決まっていませんの」

 

 結局あの時は、ヘカーティアが半ば強引に話を中断させてしまったのだ。

 ただ近い内に映姫が再びやってくるだろう、おそらく今日辺りにでも……。

 とにかく今はゆっくり身体を休める事が先決だ、自分も龍人もかなり疲労してしまった。

 

 因みにデイダラとの戦いにて怨霊による精神的なダメージを負った勇儀と萃香は、既に回復していた。

 元々頑強な肉体を精神を持っている2人だったので、半日程度で元に戻り今は地底の妖怪達と騒いでいる事だろう。

 今あの2人に出会えば余計に疲れてしまうので、紫はこのまま今日も1日ここで過ごそうと誓い……自分と同じように眠っていた筈の龍人が、居ない事に気づく。

 

「龍人さんでしたら、紫さんが目覚める前に外へと行ってしまいましたよ」

「もぅ……疲れているでしょうに」

「一輪さんと雲山さんの事が心配だったみたいですよ、私は休んだ方が良いと言ったのですが……」

「さとりが気にする事はないわ。それにいくら龍人でも今の自分の状態がわからないわけではないでしょうし放っておいても大丈夫よ」

 

 言いながら、紫は再び布団の中へと寝転んでしまった。

 

「紫様……あまりお行儀が良いとは思えないのですが」

「疲れているのよ。さとり、いいわよね?」

「勿論です。ゆっくり休んでいってください紫さん」

「古明地殿、ありがとうございます」

「ふぁぁ……」

 

 つい、欠伸をしてしまった。

 どうやらまだ疲れが取れていないようだ、さとりの許可も得たし存分に寝る事にしよう。

 そう思った紫はすぐさま瞳を閉じ、数秒後には眠りの世界へと旅立っていった……。

 

 

 

 

「――あれ?」

 

 さとりの言う通り、龍人は一輪と雲山を捜していた。

 だが今の彼は紫の予想通り、表情に疲れが見え息も上がっている。

 先の戦いにおける疲労が消えていないのだ、それでも無事を確認していない一輪達の事が気になってしまった龍人だったが……彼女は、意外な場所で見つかった。

 

「一輪、何してるんだ?」

「…………龍人」

 

 共に行動している雲山の姿はなく、一輪はただ1人――龍人が放った龍尾撃衝(ドラゴンテール)によって開けられた大穴の前で佇んでいる。

 不思議に思い声を掛ける龍人に対し、彼女は心配そうな表情を浮かべ駆け寄ってきた。

 

「一輪、どうしたんだ?」

「どうもこうもないわ。――あなた、あれだけの事をしたのにどうして休まないの?」

 

 責めるような一輪の口調に、龍人は困惑し首を傾げるばかり。

 そんな彼の態度を見て一輪は大きなため息を吐き出した。

 

「……あの穴、あなたの仕業なんでしょ?」

「え? ああ、でもそれがどうかしたのか?」

「どうかしたのかって……これだけの大穴を開けるような大技を使った今のあなたの身体には、相当の負荷が掛かっている筈よ。それなのに休まずに何をしているの?」

「一輪達の様子が気になってな、でもその様子じゃ大きな怪我は負ってないみたいだから良かったよ」

「…………はぁ」

 

 再びため息を吐く一輪、その態度は龍人の言葉に対してあからさまな呆れを含んだものであった。

 少しだけ不満げに唇を尖らせる龍人、すると彼女は。

 

「――本当に、あなたって“聖様”に似ているわね」

 

 懐かしむように、ぽつりと呟きを零した。

 

「聖様?」

「……本名は聖白蓮(ひじり びゃくれん)。私達がまだ地上で暮らしていた頃、寝食を共にしていた大僧正様よ。私にとって恩人であり姉のようであり……母のようでもあった」

 

 妖怪である自分や雲山、船幽霊として暴走していた水蜜を、彼女は暖かく迎え入れてくれた。

 優しく気高く、そしていつも自分よりも他者を想う彼女の生き方と龍人の考えは良く似ている。

 だからだろうか、地底に封印されて数百年以上経っても尚、考えまいとしていた彼女の事を思い出したのは。

 

「人と妖怪が平等に暮らせる世界、聖様はそんな願いを抱いていらっしゃったわ」

「へえ、俺が言うのもなんだけど珍しいな」

「私達もそんな聖様の願いに共感して、その夢を叶える為に力になろうとしてきた……」

 

 だが、その理想は高潔ではあるが――同時に、弱者にとって受け入れ難いものでもあった。

 人間の味方をしながら、白蓮は同時に争いを好まない妖怪達を受け入れていた。

 しかし余計な混乱と確執を生ませない為に、白蓮は人間達に妖怪を助けている事実を決して表に出そうとはしなかった。

 それは懸命な判断だ、如何に人と妖怪が共に生きる世界を望もうとも当時の関係を考えれば当然の行動だろう。

 

――上手くいっていた、少なくとも一輪達は少しずつ歩めていると感じていた。

 

 けれど人間達に白蓮の行動が公になると、人間達は恩人であった白蓮にも牙を向いた。

 彼女の優しさと人徳によって何度も助けられたというのに、人間達は白蓮を裏切り者だと罵り……魔界へと封印したのだ。

 当然一輪達は抵抗しようとした、けれど他ならぬ白蓮が人間達との争いを望まなかった。

 

「……結局聖様は抵抗する事無く魔界へと封印され、私達も多勢に無勢……こうして地底へと封印されたのよ」

「………………」

「聖様の夢が間違っていただなんて思わない。でも……正しいとも思えなくなってしまった」

 

 あの時の、白蓮が人間たちに捕まった時の光景は今でも鮮明に思い出せる。

 口汚く彼女を罵り、今までの恩など初めから無かったかのように憎しみや怒りを向ける人間達。

 その気持ちが判らなかったというわけではない、一輪とて雲山に出会う前は何の力もない名も無き村落でひっそりと暮らす少女だったのだから。

 ただ人間達の醜い一面だけを見てしまった彼女は、元人間だった事も影響してか人に対する憎しみを募らせてしまう。

 

 やがてそれは地上に生きる全ての存在に対する憎しみに変わり、だからこそ当初の彼女は龍人達に対して明確な敵意を向けていたのだ。

 ……今でもその憎しみは、消える事は無く一輪の内側で渦巻き続けている。

 

「ねえ龍人、あなたは確か地上にある幻想郷という里で人間達を守っているのでしょう? どうしてそんな事をするの?」

「どうしてって言われてもな、俺にとって幻想郷は故郷のようなものだしそこで暮らしている人達は家族みたいなものだから」

「家族? 人間を? ……利用されているだけだと、思わないの?」

「……まあ、そう思っているヤツも居るだろうな。それは否定できない事実だ」

「なら、何故――」

 

 理解できない。

 利用されていると自覚していながらも、そんな輩達すら「家族」と言って自身の力を振るおうとする彼の考えが。

 けれど、理解できないと思うと同時に……一輪は、かつて自分が白蓮に対し同じ問いかけをした事を思い出す。

 あの時の彼女は、一輪に対して少しだけ困った顔を浮かべながらも。

 

『――それが、人の総てじゃないからよ』

「――それが、人の総てじゃないからだ」

 

 はっきりとした口調で、そう言っていた。

 白蓮とまったく同じ答えを龍人の口から放たれ、一輪は茫然としてしまう。

 

 同じだ、彼と白蓮の目指す場所は。

 それを理解すると同時に、一輪は自分の矮小さを恥じた。

 確かに白蓮を封印した人間達は許せない、けれどだからといって人はただ醜く守る価値などないと評価するのは間違いだ。

 そもそも人も、否、この世に生きる存在に完全なモノなど居やしない。

 それなのに人の総てをわかった気でいた自分が、本当に情けなく恥ずかしいと一輪は自嘲する。

 

(聖様、私はまだまだ未熟者のようです……)

 

 きっと今の自分を見たら、白蓮は呆れる事だろう。

 けれど一輪の心は――何か憑き物が落ちたかのように、穏やかなものへと変化していた。

 未熟で結構、これからその未熟さを克服し前へ進めばいいだけ。

 まだ歩んでいた道が閉ざされたわけではない、こうして白蓮と同じ志を持つ同志に出会う事だってできたし何よりも――白蓮を救うチャンスだってやってきた。

 

「龍人、ありがとう」

「ん? なんで一輪が俺にお礼を言うんだ?」

「自分の未熟で矮小な心を理解できたからよ」

「???」

 

 当然ながら理解できない龍人は首を傾げ、一輪はそんな彼を見てくすくすと楽しげに笑う。

 彼女の笑みにますます困惑する龍人であったが、なんとなくではあるが一輪が嬉しそうだったので気にしない事にした。

 

 

「――あーくっさいくっさい、青くっさい事を恥ずかしげも無く言ってるヤツが居ますよご主人様ー」

「そんな事言わないのクラッピー、それがいいんじゃないの」

「うへー……ご主人様の性癖は妖精ごときのあたいには理解できないですねー」

「あらクラッピーちゃんってば辛辣!!」

 

 

 場に響く、嘲笑を含んだ少女の声と……つい先日に聞いた圧倒的存在感を放つ女性の声。

 その声を耳に入れた瞬間、一輪は目を見開き金縛りに遭ったかのように動かなくなる。

 一方の龍人は、ゆっくりと声の聞こえた方向へと身体を向けた。

 

 そこに居たのは、龍人に対して友好的な笑みを見せる地獄の女神――ヘカーティア・ラピスラズリと。

 長い金糸の髪を持ち、青地に白い星マークと赤白のストライプの服を着た、半透明の羽根を背中に生やした少女の姿があった。

 

「……ヘカーティア」

「先日振りねん龍人、まだ疲れが残っているようだけど大丈夫?」

「大丈夫、心配してくれてありがとう。――ところで、そっちの子は誰だ?」

 

 視線をクラウンピースと呼ばれた少女へと向ける龍人。

 

「この子はクラウンピース、地獄に居る妖精で私の部下よん。ほらクラッピー、挨拶なさいな」

「どーも、クラウンピースでーす。アンタがご主人様のお気に入りみたいだけど……全然魅力的に見えないわねー」

 

 値踏みするような視線を向けながら、クラウンピースは辛辣な言葉を龍人に放つ。

 さすがの龍人も彼女の態度にムッとするものの、とりあえず無視して茫然としたままの一輪の頭を軽く小突いて覚醒させた。

 

「ぁ……」

「一輪、大丈夫か?」

「…………龍人」

 

 気の抜けた反応を見せる一輪、ヘカーティアの存在感にあっさりと圧倒されてしまったのだろう。

 だがそれは当然と言える、先日のような威圧感は出していないものの、彼女が場に居るだけで空気が一変したのだ。

 きっとヘカーティアにとってはただこの場に立っているだけなのだろう、それだけでも龍人達に凄まじい重圧が押し寄せていた。

 敵意や悪意が無いのですぐに慣れてしまうだろうが、あまり彼女と対峙し続ければ精神を削られてしまう。

 

「ヘカーティア、もしかして今回の件でどうするのか決まったから伝えに来たのか?」

「ううん。それは映姫ちゃんに任せているわ、そういうのは閻魔や十王の仕事だから」

「えっ、じゃあどうして……」

 

 ここに来たんだ、そう龍人が問いかける前にヘカーティアは龍人の眼前まで近寄って彼の言葉を遮った。

 美しく妖艶な笑みを浮かべるヘカーティアに、龍人は何も言えず彼女を見つめることしかできない。

 そして。

 

「ねえ龍人、私あなたが気に入っちゃったの」

「それは……ありがとう」

「私の力を充分に理解しながらも体等に話そうとするその気概、内に眠る“龍人族”としての力と……あなた自身も知らない“加護”。そのどれもが私にとって面白いものなのよ、だからね――」

 

――私と一緒に、地獄に行きましょう?

 

 そう言って、ヘカーティアは優しく龍人の手を握り締め。

 抵抗しない彼を、そっと自分の元へと抱き寄せた――

 

 

 

 

「――以上が、今回の件による我々の要望です」

 

 そう言って地獄の閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥは会話を終える。

 それを聞いていた紫達と地底の妖怪達は、閻魔の放った言葉の内容を聞いてざわめき始めていた。

 

「よくもまあ、そんな案が通ったものですわね」

 

 紫も驚き半分、呆れ半分といった口調で映姫へと話しかける。

 一方の映姫は紫の言葉に同意するように、苦笑しながら疲れを含んだため息を吐き出した。

 

――切り離した地獄の土地を、この地下世界へと繋げそこに住まう者達の所有物とする。

 

 最初に映姫が放った言葉は、上記の言葉であった。

 既に切り離した土地は再び今ある地獄に繋げる事はできず、かといって持て余している余裕などあの世には存在しない。

 ならばいっそのことこの地下世界に繋げてしまおうというのが、閻魔と十王達の考えであった。

 

 無論、無償で地獄であった土地を現世の者達に与えるわけではない。

 切り離したとはいえ地獄の土地だ、故にここで地上に溢れた怨霊達を押し込め監視する、それが交換条件との事。

 更に今回あの世にて暴動を引き起こした者達をこの地下世界へと住まわせ、前と同じように怨霊を監視させるという条件も含まれていた。

 こんな話を聞かされて、困惑するなという方が無理な話である。

 

「ですが地上に溢れこれからも増え続けるであろう怨霊の管理、そしてデイダラ達のような者達を処罰という名目で事実上の無罪放免にするにはこれしかありませんでしたから」

「あら? 随分と甘い判断ですわね」

「……こちらとしても、デイダラのような優秀な者が引き続き怨霊の管理をしてくれるというのは助かるのです、とはいえそれを認めない者も居ますから」

「方便、というわけですか」

「それに……ヘカーティア様が介入してきまして、「龍人の考えを汲み取れるような案にしろ」と……」

「………………」

 

 ヘカーティアの名を聞いて、紫の表情が強張る。

 彼の要望に応えようとするのはありがたいが、それとこれとは別問題なわけで。

 

 とはいえ、あの世側からしてもこちら側としても互いにメリットがある案というのは間違いないだろう。

 あの世側からすれば人材を確保できたようなものであるし、こちら側としては単純に地下世界での勢力が増したも当然だ。

 しかし問題がないわけではない、その条件を果たして地底の者達が呑むかどうか……。

 

「――宜しいですよ。こちらとしても広い土地を得られるというのは願ってもない事ですから」

 

 そう告げるのは、先程から沈黙していたさとりであった。

 彼女の発言に周囲は驚きつつも、誰からも反対意見が飛び出すことはなかった。

 メリットデメリットを考えれば、メリットが大きいと判断したのだろう。

 もしくは何も考えていないか……なんとなーく、紫はその線が濃厚だと思った。

 

「助かりますよ古明地さとり。それで地底の代表者は、あなたで宜しいのですか?」

「はい。構いません」

「ではまた日を改めて今回の件に関する明確な契約を結ぶ事にしましょう。――本日は、これにて失礼させていただきます」

 

 映姫の姿が消える。

 それを見てから、周囲の妖怪達は我先にとその場から離れていった。

 ……どうやら本当に深く考えていなかったようだ、彼等にとって今回の事は「ただ土地が増える」程度の認識でしかないのだろう。

 

「一件落着、って考えていいのかねえ」

「ええ。とりあえず今回の件は解決したと判断して良いと思いますよ、お疲れ様でした皆さん」

「あー……まあこっちとしては楽しい喧嘩が出来て美味い酒が飲めたから大満足だ!!」

「右に同じく!!」

「……はぁ」

 

 勇儀と萃香の楽観的な言葉を聞いて、さとりは苦笑し紫はため息を吐き出した。

 まあとにかく、異変と呼ぶべき今回の事件は幕を閉じたと思ってもいいだろう。

 

 とりあえず一度幻想郷に戻って、今度は向こうの問題を解決しなければ。

 地下に篭っていたから気づいていないものの、依然として地上には厳しい夏の暑さが続いている。

 水不足等の心配もあるので、紫は地上に戻ろうとして……龍人がまだ戻ってきていない事に気がついた。

 

「龍人……?」

 

 何か、嫌な予感が、した。

 彼の身に何かあったような、そんな漠然としない不安が紫の心を蝕んでいく。

 鼓動が煩い、呼吸も自然と乱れていた。

 

「――おーい、紫ー!!」

「…………」

 

 けれど、そんな紫の不安を消し去るように。

 いつも通りの様子を見せる龍人が、彼女の名を呼びながら飛んで戻ってきた。

 近くには一輪の姿もあったが、今の紫にはどうでもいい事だった。

 

(……馬鹿ね、何を不安がる必要があるのかしら)

 

 正体不明の不安を抱いた自分に嘲笑を送りながら、紫は彼に向かって手を振った。

 さっきのは気のせいだ、そうに決まっている。

 何故か、紫は自分自身にそう言い聞かせ続けていた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回辺りで間章も終わり、でしょうかね?
楽しんでいただけたのなら幸いに思います。


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第89話 ~明かされる危険、自覚する想い~

地底での騒動が終わりを迎え、紫達は幻想郷へと帰還した。
その中で、彼女達は新たな仲間を迎え入れる事になる……。


「――今度は地面の遥か下にある世界、ですか。紫さん達が幻想郷を離れる度に凄い土産話を持って帰ってきますね」

「それは皮肉かしら? 阿悟」

 

 苦笑する紫に、阿悟は筆を走らせつつ「違いますよ」と返事を返す。

 

「ですが地上では見られなくなった妖怪達が居る地底世界ですか……しかも今は元とはいえ地獄の土地も一緒になっていると。行ってみたいですね……」

「やめておきなさい阿悟、餌になる未来しか見えないから」

 

 幻想郷に戻った紫達は、再びいつもの日常へと戻っていた。

 まずは身体を休ませてから、紫は阿悟の元へと向かい今回の事を彼女へと話す事に。

 案の定、彼女の……というより稗田家特有とも呼べる好奇心旺盛な面を出しながら、「幻想郷縁起」に新たな項目が追加された。

 今の阿悟の姿を見ていると、紫は漸く幻想郷へと戻ってきたのだと実感する。

 

――ただ、彼女に訊かなければならない事もあった。

 

「ねえ、阿悟」

「なんでしょうか?」

「……“アレ”は、何?」

 

 ある一点を指差す紫、その先にあるのは中庭を一望できる縁側だった。

 その縁側へと座り、暢気にお茶を啜るのは……巫女装束に身を包んだ黒髪の女性。

 少々前に紫と死闘を繰り広げた、祓い屋の人間であった。

 

「ちょっとちょっと、人を指差しておいて“アレ”扱いは酷いんじゃない?」

「黙りなさい祓い屋。――二度と私の前に顔を出すなと言った筈だけれど?」

 

 ギロリと紫に睨みつけられて、女性はおもわず押し黙ってしまう。

 相も変わらず凄まじい覇気だ、けれど大妖怪である紫の覇気の中に居るというのに。

 

「紫さん、少し落ち着いてください」

 

 阿悟は気にした様子もなく、普段と変わらぬ口調で紫へと話しかけた。

 毒気を抜かれたのか、紫は女性を睨むのを止め自分の分のお茶を啜る。

 

「それで、どうしてあなたがこの幻想郷に居るのかしら?」

「いや、その……ちょっと詫びがしたくてさ」

「詫び?」

「確かに私は退治の依頼を引き受けたけど、どうやら龍人って半妖は悪いヤツじゃなさそうだし迷惑を掛けちゃったじゃない?」

「だから詫びを、と。結構です、言葉だけでの詫びなど求めておりませんので」

 

 自然と言葉が荒くなる、どうやら紫は女性を言葉通り許そうとは思っていないらしい。

 しかし――次に女性が放った言葉で、初めて紫は女性に対し関心を持ち始める事になる。

 

「勿論言葉だけじゃないわよ。――ここで「人間としての」守護者になってあげる」

「……なんですって?」

 

 女性へと視線を向ける紫、すると女性は何故か嬉しそうに笑みを作りながら言葉を続けた。

 

「その子から聞いたのよ。ここには「人間」の守護者が居ないってね、そしてあなた達はそれを求めてる」

「私と戦い、龍人の命を狙おうとしたあなたを受け入れろと?」

「勿論すぐにとは言わないわ。でも私としてもここはとても気に入ったし、衣食住が約束されるだろうし願ったり叶ったりなのよ」

 

 言って、女性は用意された饅頭を食べ至福そうな笑みを見せる。

 じろりと阿悟へと視線を向ける紫、対する阿悟はわざとらしく紫から視線を逸らした。

 

 だが、紫とて女性の提案に何の旨みもないとは思っていなかった。

 戦ったからこそわかる、彼女が持つ力は人間でありながらそれを大きく逸脱した力だと。

 けれどあくまで彼女は「人間」だ、故に里の新たな守護者としては申し分ない。

 感情を抜きにすれば即採用していた、とはいえ……彼女はやはり紫にとって気に入らないわけで。

 

「紫さん、大人になった方がいいですよ?」

 

 そんな紫の心中を読んだかのような言葉を放つ阿悟。

 転生したとはいえさすが古くからの友だ、こちらが何を考えているのかよく判っている。

 それを感心しながら、紫はにっこりと微笑みつつ阿悟の頬を軽く抓った。

 

「いひゃいいひゃい!!」

「……いいわ。認めてあげましょう、ですが少しでも里にとって不利益になるような事をすれば」

「その時はこの安物の首、そっくりそのままあなたにあげるわ。“博麗(はくれい)の秘術”の最後の継承者としての誇りに懸けて誓う」

「博麗の秘術……あなたがあの時使った術の事かしら?」

 

 確か「夢想封印」と彼女は言っていた。

 境界斬を相殺させるほどの破壊力を持つあれは、まさしく“秘術”と呼ぶに相応しい。

 

「そ。門外不出の術でね、かつて“龍人族”が編み出したものを昇華させた技術なのよ。

 ただ馬鹿みたいに高い霊力が必要だからだんだん担い手も少なくなって、一派も小さくなって今じゃ私1人だけ」

「龍人族が、ね……」

 

 成る程、それならばあの破壊力も頷ける。

 幼き頃から龍人族と行動を共にしていたからこそ、紫は誰よりも理解を示していた。

 

「では、ええと……」

「名前? 性は博麗、名は零。私の名前は博麗零(はくれい れい)よ」

「宜しく零。それで住居の方だけど……」

「どうせならこの里を一望できる場所が良いわね。それに私って前は巫女やってたから、神社がいい!!」

「調子に乗るんじゃありません」

 

 零の額を軽く小突く。

 なんて馴れ馴れしいというか人懐っこいのか、まがりなりにも命のやり取りをしたというのに。

 けれど、涙目になって抗議してくる彼女を見ているとそんな事などもう気にならなくなってくる。

 これも彼女の“気質”のようなものなのかもしれない、良い拾い物をしたと紫は思えた。

 

「それじゃあ零、今から里に行って他の守護者を紹介するわ」

「えー……今日は1日ここでまったり過ごそうと思ってたんだけど……」

「怠惰な守護者なんて要らないのよ。キリキリ働きなさいな」

 

 容赦なく零の首根っこを掴み、阿悟に一言告げてから紫は稗田家の屋敷を後にする。

 当然ながら後ろから聞こえてくる零の抗議の声は無視、働かざるもの食うべからずの精神がこの幻想郷にはあるのだから。

 

 

 

 

 夏の日差しは、今日も容赦なく照りつける。

 けれど里の子供達はそんなものなど関係ないとばかりに、小川で元気一杯に遊んでいた。

 はじける笑顔に楽しげな声、平和な光景が広がっている事に遠くからそれを眺めていた龍人の口元に笑みを浮かばせる。

 今日も幻想郷は変わらず平和な日々を綴っている、そしてこれから先もこの平和が続くと龍人は強く信じていた。

 そんな彼は、ある事を思い出していた。

 その内容は――地底での、地獄の女神との会話。

 

 

――私と一緒に、地獄に行きましょう?

 

 

 あの時、龍人は彼女に上記の誘いを受けていきなり抱き寄せられたのだ。

 当然彼は驚き、すぐさま離れようとするが……ヘカーティアはそんな龍人の抵抗など無意味とばかりに抱きしめる力を緩めようとはしない。

 

「ヘカーティア、放してくれ」

「だめよん。だって放したら逃げちゃうでしょ?」

 

 ヘカーティアの抱擁は決して苦しいものではなく、寧ろ慈愛すら感じられるものだった。

 けれど抜け出せない、それにいくらなんでも全力で抵抗するわけにもいかず、龍人は困り果ててしまう。

 

「ちょ、ちょっと何を――」

「“静かに”」

「――――」

 

 目の前の光景を見て、一輪が堪らず抗議の声を上げようとしたが……突如として彼女はまるで時が止まったかのように動かなくなってしまった。

 たった一言、ヘカーティアが一言“静かに”と言っただけで一輪は彼女の言霊に支配され動かなくなった。

 

「大丈夫。ちょっと意識を飛ばしただけだから心配しないでねん?」

「……それはわかったから、放してくれないか?」

「だからだーめ。んー……なかなかの抱き心地、クラッピーといい勝負ね」

「あ、じゃあ今度からあたいに抱きつくのやめてください。マジで」

「あらやだクラッピーちゃん反抗期!!」

 

 龍人を抱きしめたまま、クラウンピースと漫才を始めてしまうヘカーティア。

 さすがの龍人も我慢できなくなってきた、なので少々気が引けるが強引に離れようと“龍気”を開放して。

 

「――もう休みなさい龍人、それがあなたの為なんだから」

 

 ひどく優しい声でそんな事を言ってくるヘカーティアの声に、反応してしまった。

 開放していた“龍気”を引っ込めてしまう、彼女の声が全身に響き渡るような穏やかなものだったように感じたからだろうか。

 顔を上げる龍人、ヘカーティアは龍人に対して笑みを浮かべていたが……その笑みは、なんだか憂いを帯びたものに見える。

 

「ずっと頑張ってきたのよね? 歯を食いしばって、努力して、痛い思いもいっぱいして……」

「……なんで、そんな」

「目を見ればその人がどんな道を歩んできたのか、大体は理解できるのよ。女神様を甘く見ちゃいやよん?」

 

 おどけたような態度を見せるヘカーティア、しかしすぐさま先程のような憂いのある笑みを見せ言葉を続けた。

 

「もう終わりにしなさい。全てを忘れて、地獄で楽しく暮らしましょう?」

「……ヘカーティア、そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺にはまだやるべき事があるんだ」

 

 紫と共に、幻想郷に生きる者達を助け、支え、共に歩んでいく。

 そして願わくば、全ての人と妖怪が共に暮らせる未来が来てほしいと思っている。

 その道はまだ終わりを見せず、ここで歩みを止める訳にはいかなかった。

 だから龍人はヘカーティアの言葉に否定を返す、だが彼女は。

 

「今の道を歩み続ければあなたは死ぬ。“龍人族”であるが故にね」

 

 龍人に、決して逃れられぬ未来を告げる。

 ……その言葉に、龍人はおもわず反論しようとした口を閉じてしまった。

 今まで自分の道を否定された事はある、笑われた事だって何度も経験している。

 理解されなかった事だってあった、けれど……こうまではっきりと死ぬ未来を告げられるのは初めてだった。

 

 それに今、彼女は龍人が()()()()()()()()死ぬと言った。

 一体それはどういう意味なのか、疑問に思う彼にヘカーティアは――無情な事実を口にする。

 

「あなた、もしかして自分の身体の変調に気づいていないの?」

「変調……?」

「……そう。さすが彼女の加護を受けているだけはある、でも一時凌ぎでしかないわ」

 

 よくわからない事を呟きながら、1人納得したような様子を見せるヘカーティアに、龍人は軽い苛立ちを覚える。

 身体の変調とは一体何なのか、確かにデイダラとの戦いで疲労はしているが……。

 

「かつて龍神達は、人間のあまりの脆さを憐れみ、自分達の力の一部を分け与えた。それが“龍人族”が誕生した始まりなのは知ってる?」

「ああ。それは知ってるけど……」

「世界のバランスを崩さないように人間だけでなく名も無き下級妖怪の一部にも、龍神達は神々の力を分け与えた。――それが傲慢でしかないという事を理解しないまま」

 

 何処か侮蔑するような口調で、ヘカーティアは言う。

 

「龍神達は理解できなかった、自分達の力の強大さを、その力は神々の位に居る自分達だからこそ十全に扱えているという事を。

 ――力というものには代償が常に付き纏うもの、神々の位に位置する者が扱う力を……遥か格下に位置する人間や妖怪に扱えると思う?」

「―――――」

 

 その言葉で。

 龍人は何も言えなくなり、同時に彼女が何を言いたいのかを理解してしまった。

 力を使用するには何かしらの代償を支払わなければならない、それは彼がまだ子供だった頃から義父である龍哉からも幾度となく言われてきた事だ。

 そして力というものは強力であればあるほどに、支払わなければならない代償というものも大きくなる。

 

「龍人族は元々数が多いわけではなかったけれど、彼等が歴史から姿を消した最大の要因は……龍神達から分け与えられた力によるものだったの。

 強すぎる力は人間の肉体で耐えられるものではなかった、龍人族は戦いの際に与えられた力を使い……自滅に近い形で滅びていった」

 

 なんと愚かで、哀しい種族なのか。

 身勝手な憐れみと神々特有の傲慢さによって力を与えられ、その力によって自らの命を奪われるなど笑い話にもなりはしない。

 結果、“龍人族”は他ならぬ龍神達の与えた力によって滅びの道を歩み、生き残りは目の前の彼を含め数えるほどしか存在しなくなっていた。

 

「私が何を言いたいのかもうわかるでしょ? ――このまま“龍人族”としての力を使えばあなたは死ぬ、ただでさえ既に肉体には大きな負荷が掛かっているのだから」

「………………」

「龍人が今までどんな生き方をしてきたかを見させてもらったけど、あんな生き方を続ければ終わりは免れない」

 

 普通の人間よりも強靭な肉体を持つ半妖である事と、“ある存在”の加護があるからこそ彼は今まで力を使いながらも生きてこれた。

 けれど終わりの時は刻一刻と迫っている、そしてそれは逃れられない運命だ。

 しかし彼が助かる手が無いわけではなかった、今の生き方を止め地獄の女神であるヘカーティアの元で暮らせば少なくとも普通に生きる事はできる。

 

 ヘカーティアは龍人の事を気に入っている、相手の力量を理解しながらも自己を保つ胆力、それでいて友好的なその態度。

 更に彼が今まで生きてきた軌跡を見て、ヘカーティアはますます彼の事が気に入っていた。

 四季映姫に死んだら天国行きにするようにと言ったが、今では手元に置いておきたいと思っている。

 

 だからこそ、彼にはこれ以上終わりが見えている生き方をしてほしくなかった。

 そうでなければこのような慈悲は決して与えない、故に地獄の女神は精一杯の慈悲と厚意を龍人へと向ける。

 

「あなたは今まで多くの者に手を差し延べ救ってきた、もう充分頑張ってきたじゃない」

「…………」

「地獄は楽しい所よ? 絶対にあなたも気に入ると思うわよん」

 

 より一層優しく、まるで壊れ物を扱うかのような繊細さで龍人を抱きしめるヘカーティア。

 その強い母性に溢れた抱擁を受け、龍人はごく当たり前のようにそれを受け入れようとして。

 

――ふと、紫の悲しげな顔が彼の脳裏に浮かびあがった。

 

「…………ヘカーティア」

「なあに?」

「ありがとう。ヘカーティアみたいな凄い存在にとって俺なんかただの有象無象の1つみたいなものなのに、こんなにも暖かい優しさを向けてくれて」

「あなたを気に入ったんだもの、お礼を言われるような事じゃないわん」

「――でもな、ヘカーティア」

 

――その申し出を、受けるわけにはいかないんだ。

 

 はっきりと、龍人はそう告げて。

 自らの意志で、ヘカーティアから離れていった。

 

「龍人……」

「ヘカーティアが嘘を吐いていない事はわかってる、だってそんな嘘を俺に吐いたって意味が無いしヘカーティアは優しいからな。でも、俺はこの生き方をやめたくないんだ」

「でもいつかその力であなたは死ぬ。それは逃れられない未来なのよ?」

 

 今の彼は、時限式の爆弾を抱えて生きているようなものだ。

 終わりがいつの日に訪れるかはわからない、けれどそれは必ずやってくる。

 天寿を全うする事も、安らかに眠る事だってできやしない、このままでは苦しみぬいて死ぬ未来しか残っていない。

 だというのに彼はその選択を選んでいる、その選択の先に何が待っているのか理解しているのにだ。

 

「俺には守りたいものと支えたいものが居る、それを投げ捨てたくない」

「……ただ他者の為に、己が命を削り続けるの?」

 

 それは“自己犠牲”の精神、在り方は美しいかもしれないが……悲しい生き方だ。

 

「勘違いしないでくれヘカーティア、俺は自己犠牲なんてするつもりはない。

 今の俺を好いてくれている人達が居る、支えようとしてくれる人達が居る、それなのに俺が自分の都合で死んでしまえばその人達が悲しむ。そんな事は認められないし許されない」

「そう思っているのなら、尚更今のような生き方を続けちゃダメなのよ」

「――俺は死なない。どんな事があっても、俺は俺を必要としてくれる人達が居る限り絶対に死なない」

 

 だから大丈夫だと、龍人は当たり前のように言い放つ。

 そのあまりに信憑性の欠片も無い、子供のような言い分にさすがのヘカーティアも開いた口が塞がらなくなった。

 自己犠牲なんてするつもりはない、けれど今までのように他者の為に戦う事はやめない。

 なんという矛盾、まるで駄々っ子のような我儘さに満ち溢れた主張だ。

 

 しかもだ、彼はそんな無茶苦茶な主張を本気で押し通そうとしている。

 神々でもなんでもない、半妖に過ぎない彼がそんな願いなど叶えられる筈が無いというのに。

 あまりに現実が見えていない愚か者そのものの発言である、でも……そう告げる彼の瞳には、迷いや恐れなど存在していない。

 

「……龍人、どうしてそう思えるのかしら?」

「1人じゃないから、俺の傍には紫や幻想郷に生きるみんなが居るから」

「…………紫」

 

 彼の口から紫の名が放たれた瞬間、聡明な地獄の女神は理解する。

 何故彼はこうまで困難な道を歩もうとしているのに、微塵の不安も恐怖も抱かないのか。

 なんてことはない、彼の傍には彼が尤も信頼する――同時に“愛する”存在が居るからであった。

 

「好きなのね彼女が、八雲紫が」

「好き……ああ、紫は俺にとって一番最初に出来た友達で、大切な家族だからな」

「そうじゃなくて、あの子の事“女”として好きなのよねん?」

「えっ?」

 

 女として、即ち異性としての愛情を抱いているという事。

 ……そうなのだろうか、ヘカーティアからそう言われても龍人はいまいち自覚が持てなかった。

 

 けれど、ヘカーティアと共に地獄へと行き平穏に生きるという提案を受け入れようとした時――彼女の顔が浮かんだ。

 紫と離れ離れになる、共に歩む事ができなくなる。

 そう思ったら、龍人の心は軋みを上げ痛みを伴った。

 その痛みは“家族”として会えなくなるという意味での痛みではないと、なんとなくではあるものの龍人にはそう思えた。

 

「……クラッピー、帰るわよん?」

「んあ……?」

 

 先程から静かだったと思ったら、すっかり寝入っていたクラウンピースに声を掛けるヘカーティア。

 まだまどろみの中に居る彼女の首根っこを掴み上げ、ヘカーティアは龍人へと笑いかけながら。

 

「――今はあなたの心を動かす事はできないみたいだから、諦めてあげるわん」

 

 おどけた口調でそう言って、あっさりと彼女は龍人の前から消え去ったのだった――

 

 

 

 

「龍人」

「………………」

 

 紫の声が耳に響き、龍人の思考は現実へと帰還する。

 視界には自分を見つめる彼女の姿、そしてその後方では先程と同じく小川で遊ぶ子供達と……そこに混じって遊ぶ女性祓い屋――零の姿が見えた。

 何故彼女がここに居て子供達と遊んでいるのか、疑問に思う龍人に紫は先程のやり取りを彼に話す。

 

「そっか……まあとにかく、頼りになる仲間が増えたのは良かったな」

「言うと思った。仮にも貴方の命を狙っていた人間なのよ?」

「でも今は違うんだろ? ならそれでいいさ」

 

 そう告げる龍人に、紫は呆れを含んだ苦笑を見せる。

 けれど彼女の苦笑には確かな優しさと暖かさが感じられ、それを感じ取った彼の鼓動が僅かに速まった。

 

(……ああ、やっぱりそうなのか)

 

 “それ”で彼は完全に自覚する、自身が紫に抱く感情の正体を。

 きっと自覚はしていなくともずっと“それ”を抱き続けていたのだろう、ヘカーティアとの会話で気づけたのなら彼女に感謝しなくては。

 

「なあ、紫」

「どうしたの?」

「手、繋いでいいか?」

「えっ? 別にいいけど……なんだか今日の龍人、変ね」

 

 などと言いながらも、紫は彼の左隣に座り右手を差し出してきた。

 差し出された手を出来る限り優しく握り締める龍人、肌理細やかな絹のような美しい紫の手。

 それを握り締める事ができるのが、今の龍人には幸せに感じられた。

 

「あー、りゅうとさまとゆかりさまがてをつないでるー!!」

「めおとだめおとだー!!」

「おにあいだねー!!」

 

 2人を見て遊んでいた子供達が一斉に囃し立て始める。

 僅かに頬を赤らめ軽く戒める紫であったが、龍人の手を放そうとはしなかった。

 そしてそんな戒めの言葉だけで子供達がおとなしくなる筈も無く、やがて零まで2人をからかい始める始末。

 

 結局、紫が零に割と本気で斬りかかるまでそれは続き。

 その中でも、龍人は幸せそうに笑っていたのであった……。

 

 

 

 

To.Be.Comtinued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第90話 ~紫さんと龍人さん~

幻想郷での日々はゆっくりと過ぎていく。
紫と龍人、2人もその小さな楽園にて平和な時を刻んでいた……。


「――紫様、いい加減お休みになられたらどうですか?」

「朝の挨拶の前に言う言葉ではないわね、藍」

 

 ――八雲屋敷、紫の自室にて。

 主人に向かって正座しつつ、どこか責めるような表情を浮かべながら上記の言葉を口にする式に、紫は右手に持つ筆を紙に走らせながら苦言を返した。

 しかし彼女の式である八雲藍は、主人の機嫌を損ねるのを覚悟で言葉を続ける。

 

「紫様、最近殆どお休みになられてはいないとお見受けしますが?」

「そんな事ないわよ。まあ確かに三日程寝てはいないと思うけど……」

二月(ふたつき)です!!」

 

 尚も暢気な紫に、藍は床を叩きながら先程以上の大声で主を叱責した。

 その反応を見ても紫は驚かず、何が愉しいのかころころと笑うばかり。

 

「どうしてそんなに深刻に考えるのかしらねぇ、妖怪なんだから二月ぐらい寝なくても大丈夫だって藍なら知っているでしょう?」

「それは何もしなければの話です。紫様はこの二月の間、何をしていたのか思い出せますか?」

「人を物忘れの激しい老人扱いして……えっと、幻想郷を一望できる丘の上に鬼達に頼み込んで零が暮らす神社を作ってもらって……」

 

 零とは、当初は殺し合いまで発展したものの今では幻想郷における『人間の守護者』となっている博麗零(はくれい れい)の事である。

 彼女の強い要望……というか単なる我儘を押し通され、『博麗神社』と名付けられた神社を建築に長けている鬼達によって建てられたのは、今から大体二月程前だったか。

 その後は、屋敷に篭ってひたすら“ある作業”に没頭していた筈だ。

 記憶を捻り出しながら紫がそう答えると、藍は何が気に入らないのかわざとらしく大きなため息を吐き出した。

 

「そうです。紫様はこの二月の間、殆ど部屋に引き篭もってばかり……」

「悪意のある発言ね。でもちゃんと貴女が作ってくれた美味しい食事を食べたり、厠に行ったりはしていたでしょ?」

「っ、そ、そういう問題ではないのです!!」

 

 美味しい食事、とさり気なく褒めたのが嬉しかったのか、藍は怒りつつも尻尾をブンブンと振り回し始めた。

 どうでもいいがあれだけの巨大な尻尾を九本全て同時に振り回すのはやめてほしい、部屋の中で突風が巻き起こっているではないか。

 しかし下手に余計な事を言えば数倍になって返ってくるので、紫は作業を進めながら黙っている事にした。

 

 黙っている事にはしたが、少々解せない事もあった。

 藍は自分を心配してくれている、よく出来た式だと褒めてやりたい所だ。

 だが何故ここまで怒るのかは正直理解できない、彼女は紫の妖怪としての格や能力を知っている筈。

 だというのにこの過剰な反応である、何か他の要因で彼女を怒らせるような事をしてしまったのかと紫は再び記憶を思い返していく。

 

「……紫様、まだ部屋から出てこないのですか?」

「もう少し掛かりそうね」

「一体何をなさっているのですか? ……私では、お役に立てませんでしょうか?」

「…………」

 

 その言葉で、紫は漸く藍の心中を理解する。

 ……要するにこの子、主の力になれない事を悔しがっているのだ。

 なんと健気で可愛らしい悩みを抱いているのか、堪らず紫は藍を自身の胸元へと抱き寄せその頭を優しく撫で回した。

 

「ひゃっ!? ちょ、紫様何を!?」

「藍は良い子で可愛いわね、母性本能がくすぐられるわー」

 

 母親になった事はないが、彼女を愛でたいと思うこれこそが母性なのだろうと紫は思う。

 一方、抱きしめられながら頭を撫でられている藍は、頬を赤らめ困惑していた。

 どうにか紫から逃れようとするものの、主に無礼を働いてはいけないと思っているのかその抵抗は小さいものだ。

 

――結局、紫が満足するまで藍は好き勝手に撫で回された。

 

「…………」

「あらら、機嫌を損ねちゃったかしら?」

「いえ……ですが、子供扱いされるのは正直不服といいますか……」

「私にとってあなたは子供よ藍、それはどんなに年月が経っても変わらないわ」

 

 紫にとって藍は自分の式ではあるが、同時に娘のようなものである。

 だから彼女が悩んでいる姿を見るのは嬉しいと思うし、今のように愛でたいと思うのは当然と言えた。

 紫がそう告げると、藍は気恥ずかしいのか視線を逸らしてしまう。

 けれど彼女の尻尾は、先程のようにブンブンと忙しなく動き回っている。

 嬉しいのなら嬉しいと言えばいいのに……紫はそう思いながら小さく笑ったのだった。

 

「ところで紫様、ずっと部屋の中で何をしていらっしゃったのですか?」

 

 主に問いながら、藍は視線を机の上に広げられている巻子本へと向ける。

 そこに書かれていたのは、藍が見た事のないような理論と術式が描かれた“結界術”であった。

 その殆どが理解できず眉を潜める藍に、紫はそれの詳細を語る。

 

「“これ”が何なのか、判るかしら?」

「……申し訳ありません。何かの結界術のようだとは認識できるのですが」

「謝る必要なんかないわよ藍。――これは私の能力と永琳の結界の知識、輝夜の永遠の魔法に零の博麗の秘術、それらを混ぜ合わせ独自の解釈と術式で編み込まれた大結界」

「ずっとこの結界の完成に没頭していたのですか?」

 

 まあね、と答える主人に対し、藍は驚き……同時に呆れた。

 九尾の狐である藍ですらその構造の殆どを理解できない程の大結界だ、相当の力を有しているのは容易に想像できた。

 けれどそれをたった1人で完成させるなど、無茶に等しい行為ではないか。

 

 とはいえ、それなりに紫に仕え彼女の知識と技術を学んだ藍ですらこの大結界を理解できていない。

 故に彼女にしかこの大結界を理解できないのならば、確かに1人で完成させようとするのも無理からぬ話か。

 

「一応完成はしたのだけれど、この結界を起動させるにはまだまだ時間が必要ね」

「何故ですか?」

「この大結界を起動するには大量の妖力と霊力が必要なの、かといってその量は個人の人間や妖怪から出せるものじゃない」

 

 永琳ならば可能かもしれないが、彼女はこれ以上の協力はしてくれないだろう。

 あくまで彼女は傍観者であり知識を与えるだけの存在、幻想郷に対する愛着は薄いのだ。

 輝夜に頼んで協力を仰いでもらうという手もあるが、紫としてはその方法を試したいとは思わなかった。

 彼女は友人だ、そんな姑息な手で協力してほしいとは思わない。

 

「だからこの術式に少しずつ私と零の力を注ぎ込んで術式そのものに溜めていく方法を選んだわ、ただそうなると起動するだけでも数百年……維持するとなるとどれだけの力が必要になるか」

「数百年、ですか? ですが紫様はともかく、あの人間では……」

「だから彼女には“次代”を育てて貰う事にしたわ、数世代先まで掛かるでしょうから」

「……それだけの工程が必要になる大結界、一体どのような効力があるのですか?」

 

 結界とは、一般的に防御や封印の類に使用されるものだ。

 それを考えると、大結界の効力は幻想郷全域を守るような防御膜――藍はそう分析した。

 その分析は正しい、紫が作り出したこの大結界は確かに幻想郷を護るものだが。

 

「――この大結界の中に存在する者は、外界と遮断される。それと妖怪達は人を喰らわなくても生きていけるようになる効果があるわ」

 

 規模、そして効力は藍の想像を遥かに超えたものであった。

 

「外界と遮断!? それに、妖怪が人を喰らわずとも生きていける……!?」

「人と妖怪が共に生きる世界、それを目指している私達だけど、やっぱり妖怪のその本能がどうしても弊害になるわ。

 だからこの大結界を用いてその本能の境界を操作して人と同じように暮らせるようにするの、誰だって隣人に自分が喰える存在が居れば不安に思うでしょう?」

 

 だからこそ、この大結界の術式にそのような効果を付与したのだ。

 紫の能力のみでは、幻想郷全ての妖怪の境界を操作する事はできない。

 故に様々な力や知識を用いてこの大結界を完成させようとしているのだ、尤も――それだけで全てが上手くいくとは紫自身も思っていないが。

 

「…………」

「不満、かしら?」

「いえ、ですが……結界の力で強引に本能を書き換えられた存在は、()()()()()()()()()()()()()()()()、と……」

「……そうね。藍の言っている事は理解しているつもりよ」

 

 妖怪は人を喰らい、そんな妖怪を人間は恐れる。

 それは紫が生まれるよりもずっと昔、太古の時代から決して変わりはしなかった理だ。

 その理を捻じ曲げ、変化させる事は大罪であり誤りなのかもしれない。

 藍の言う通り、今まで妖怪と呼ばれていた存在は妖怪ではなくなってしまうかもしれない。

 

――けれど、そうしなければ近い未来に妖怪と呼ばれる者達は絶滅する。

 

 人の時代は刻一刻と迫っている、おそらくあと数百年もすれば妖怪は殆ど姿を消してしまうだろう。

 それだけ人間の繁殖能力は桁違いだ、それだけではなく人間には妖怪にはない“可能性”を秘めている。

 百の時を生きれぬ短命故か、強靭な肉体を持たない人間だからこそある“強さ”がいずれ妖怪全てを世界から追いやるだろう。

 そしてその運命は決して避けては通れない、その前に人間と妖怪が共に手を取り合って生きる世界を作る事は……難しい。

 

 勿論“彼”は最後まで諦めないだろう、勿論彼の支えになりたいと思っている紫も同じ気持ちだ。

 しかし物事はそう単純なものではなく、だからこそ紫は“別の選択肢”を作ろうと決めた。

 それがこの大結界、世界そのものを変える事ができなかった時の……嫌な言い方をすれば“逃げ道”だ。

 

「……紫様、私は紫様の式です。たとえあなたがどんな道を歩もうともついていく所存である事を忘れないでください」

「ふふっ、ありがとう藍」

 

 慈しむように、式の頭を撫でる紫。

 今度は抵抗せず、藍は素直に彼女の愛情に甘えたのであった。

 

――それから暫く甘えていた藍であったが、彼女はある事を思い出し紫から離れた。

 

「紫様が何をしていらっしゃったのかは理解できました、それで……まだ篭るおつもりですか?」

「……そうね。一応区切りは付いたけれど……」

「それならば一度里に顔を出しては如何でしょうか? 里の住人達も紫様の姿を最近見ないと申す者も居ますし……何よりも、龍人様が寂しがっております」

「…………龍人が、寂しがっている?」

 

 その言葉を聞いて、紫は首を傾げる。

 ……今まで、紫と龍人が暫く顔を合わせなかった事は何度もあった。

 彼が旅をしている時だって、ひどい時には数年間会わなかった時だってあったというのに、その彼がたった二月程度顔を合わせなかっただけで寂しがっているというのか。

 にわかには信じられず、かといって藍がそのような冗談を口にするとも思えない。

 ただ、寂しがっている彼という珍しい姿を想像して、是非ともそれを見たくなった紫は立ち上がり大きく身体を伸ばした。

 

「龍人は何処に居るの?」

「いつも通り、里で人間達の手伝いをしておられます」

「そう……じゃあ会いに生きましょうか、寂しがってる龍人って想像したら可愛らしいし」

 

 しかも自分に会えなくて寂しがっているとなれば、ますます可愛らしいではないか。

 口元に隠し切れない笑みを浮かべる紫に、藍はジト目を送りつつ一言。

 

「――龍人様が可哀想ですね」

 

 精一杯の皮肉を込めて、容赦も躊躇いもなくそう言ったのだった――――

 

 

 

 

 藍と共に幻想郷へと赴く紫を待っていたのは、里に住む者達の笑顔と歓迎の意思であった。

 中には暫く里に来なかった彼女に心配していた者も居り、その優しさに嬉しく思いながらも紫は申し訳なく思った。

 暫し里の住人達との会話を楽しんでから、紫は真っ直ぐ彼の元へと向かう。

 彼が居たのは、最近新しく耕した田畑がある場所だった。

 既に秋の季節に蒔く種を植え、良い作物に育つよう祈りながら作業する住人達。

 

 彼――龍人はそんな住人達から少し離れ、黙々と地面を掘り進めていた。

 その姿はまるで土竜のようであり、田畑に使用する水路として使用する横穴を掘る作業に没頭している。

 それだけならばまだいい、素手で地面を掘るのか等のツッコミはあるもののこの際どうでもよかった。

 それよりもだ、現在彼から発せられている暗いオーラは一体どういう事なのか。

 

 いつもの彼はまるで太陽のように明るく、見ているだけで元気を貰えるような気概さがあるというのに。

 今の彼はその真逆、見ているだけで元気を無くすというか無条件で心配したくなるオーラを撒き散らしている。

 しかも無言で地面を掘り進めているものだから、そのオーラと相まって正直不気味だった。

 周囲の者達も平静を装いながら、時折チラチラと彼の様子を引き攣った表情で見ている辺り上記の表現は決して過言ではない。

 

「……あれ、何?」

 

 おもわず隣に立つ藍へと問いかけてしまう紫。

 

「龍人様です」

「いや、それはわかるけど……あんなに元気のない龍人を見るのは初めてね」

「そうですね、まあ元凶は紫様が殆ど自室から出ずに研究に没頭していたからですけど」

 

 凄まじい皮肉とほんの少しの嫉妬を込めて、藍は厳しい口調でそう返す。

 それを聞いて痛い所を突かれたのか、紫の表情が固まった。

 

 ……正直な話、実際に今の彼を見るまで冗談だと紫は思っていた。

 彼はいつだって明るくて、元気で、その在り方は紫にとって眩しくて。

 けれどそんな彼に紫は何度も救われてきた、彼の強さを知っているから紫には信じられなかったのだ。

 そんな彼が自分と会えないから寂しがっている、浅はかだった自分を責め立ててやりたくなった。

 だが今はそんな自分の責を嘆いている場合ではない、そう思った紫は相も変わらず黙々と穴掘り作業に没頭している龍人へと声を掛ける。

 

「龍人」

「――――」

 

 ぴたり、と龍人の動きが止まった。

 そして彼は立ち上がり、ゆっくりと紫の方へと振り向くと。

 

「あ、紫」

 

 いつものように、紫の名を呼んで。

 しかしその声色には隠し切れない嬉しさが含まれており、表情もぱあっと明るくなった。

 同時に負のオーラも霧散し、彼はすっかり元の明るさを取り戻していた。

 

「…………」

「? 紫、どうかしたのか?」

「え、あ、いえ……なんでもないわ」

 

 反応がない紫に龍人は声を掛けるが、一方の紫はそれどころではなかった。

 ……なんなのだ、今の可愛い反応は。

 今までの彼とは違う、全身で自分に対する好意を示しているかのような反応。

 思い返せば、地底から帰ってきた後の彼は少し変わったような気がした。

 今までも自分に対する親愛の情は見せてくれていたが、今の彼は親愛というよりも……。

 

「紫、もう何かの作業は終わったのか?」

「ええ。ごめんなさいね龍人、長い間幻想郷を任せたりして」

「それは大丈夫だ。妹紅や慧音や零達が居るから、でも紫が居ないのはなんていうか……こんな事思っちゃいけないんだろうけど、ちょっと寂しかった」

「――――」

 

 あ、ダメだこりゃ。

 少し困った顔で「変な事言ってごめんな」と言っている龍人を、紫は無意識の内に抱き寄せた。

 ……周囲から驚きの声が聴こえてきたが、今の紫には関係なかった。

 だって仕方ないではないか、あまりにも彼が可愛らしい事を言うのだから。

 それに彼が遠慮もなしに自分に甘えてくれる事も、嬉しかった。

 

 何があったのかはわからないが、彼はやはり地底で何か変わったのだろう。

 無論紫にとって好ましい変化であった、何故なら前以上に彼を愛しく想うのだから。

 

「……紫様と龍人様、幸せそうだなー」

「見ているこっちが恥ずかしくなるぜ」

「でもお2人が幸せなのは、良い事だよな!!」

「だけど、やっぱり羨ましいぜ……」

 

 2人の様子を遠巻きに眺める者達の声を拾いながらも、紫と龍人は暫く互いの体温を感じ合った。

 今日も幻想郷の空は青く、風は穏やかで、平和な時を刻んでいく。

 その中で抱きしめ合う2人を、周囲の者達は微笑ましく見守るように見つめていた……。

 

 

 ただ、藍が割って入るまでその場から動かずに抱きしめ合うのは勘弁してもらいたいなあ……とも思う、幻想郷の住人達であった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もう少し日常話が続いていく予定です、ご了承ください。


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第91話 ~九尾の式の新たな決意と想い~

平和な幻想郷にて、紫と龍人は今日も生きていく。
さて、今回の物語は……。


――八雲紫の式である九尾の妖狐、八雲藍は夢を見ていた。

 

 見える光景は八雲屋敷の一角、紫がよくのんびりと過ごす縁側に一組の男女が座っている。

 1人は自分自身、そしてもうもう1人は……主の想い人であり、第二の主人である龍人。

 お茶を飲みながら楽しげに会話をしている2人は、傍から見ているとまるで……。

 

「藍」

 

 夢の中の龍人が、夢の中の藍を呼び、彼女は僅かに頬を赤らめ恥じらいの表情を彼に見せ始めた。

 そんな彼女を彼は優しく微笑みながら――そっと、夢の中の藍の抱き寄せた。

 その光景に傍観者のように夢を見ていた藍は驚愕し、けれど目を逸らす事ができずにそれを見つめ続ける。

 一方、夢の中の藍は抵抗するどころか自分の方から彼の背中に手を回し強く抱きしめ返した。

 

 なんという夢を見ているのか、気恥ずかしくて藍は早く夢から醒めてほしいと強く願う。

 ……暫く抱きしめ合っていた両者が、徐に離れた。

 ほっと一息つく藍であったが、夢の中の両者はそのまま互いの服に手を掛けて――――

 

「な、何をしているのですか龍人様ーーーーーーっ!!!!」

 

 悲鳴に近い叫び声を上げながら、藍は布団から跳び上がる勢いで起き上がった。

 

「…………」

 

 外から聞こえる、小鳥の囀り。

 周囲を見渡すと、見慣れた自分の部屋に居ると自覚した藍であったが、彼女は暫し上半身だけ起き上がらせたまま固まってしまっていた。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと思考を巡らせていき。

 

「…………私は、最低の駄狐だ」

 

 頭を抱えながら、自分自身を強く呪うようにそう呟いた。

 自己嫌悪と羞恥心に苛まれる事暫し、藍はいつまでもこうしている場合ではないとどうにか布団から抜け出した。

 しかし彼女の心は今も自分自身に対する恨み言で破裂してしまいそうになっている。

 当たり前だ、大切な主である紫の想い人である彼と、口で説明するには少々憚られるような行為を行おうとした夢を見てしまったのだ。

 生真面目で主を崇拝する彼女にとって、あのような夢を見てしまったという事実は紫に対する裏切りに等しいと思ってしまっていた。

 

 そもそも何故、あのような夢を見てしまったのか。

 もしかして欲求不満なのだろうか、いや己を“慰める”行為は時折行っている。

 妖獣故の“昂ぶり”は確かに存在するものの、あんな夢を見るほど重症ではなかった筈だ。

 ならば何故なのか、自問自答を繰り返しながら主人達の為に朝食を作ろうと藍は部屋を出て。

 

「おはよう、藍」

「――――」

 

 たった今まで、夢に出ていた龍人と出くわしてしまい。

 警戒していなかった藍は、不意打ちのように身体を固まらせてしまった。

 

「藍、どうしたんだ?」

「………………いえ、なんでもありません」

 

 感情を押し殺した声で、藍は龍人の言葉に返事を返す。

 明らかになんでもないわけではない彼女の態度であったが、威圧を込めた瞳を向けられた龍人はそれ以上の詮索はしなかった。

 一方の藍は表情こそ平静を装っていたものの、内心はまるで嵐のように荒れ狂っていた。

 当然そうなった原因はたった今まで見ていたあの夢のせいだ、そのせいで少しでも気が緩むと顔が紅潮してしまいそうになる。

 

「……まあいいや。それより紫から伝言だ、「今日は式としての仕事はせずにゆっくり休め」だとさ」

「えっ?」

「今日は地底に行って、地上との間に交わす盟約を決めないといけないらしい」

 

 今頃地底の妖怪や、デイダラを含めた元地獄の怨霊管理者だった鬼達と話し合っている事だろう。

 当然ながら龍人も同行しようとした、自分とてその案件には大いに関わっているのだから。

 けれどそれは紫によってやんわりと否定されてしまった、彼女曰く。

 

「龍人にはこういう役目は似合わないわ、だって貴方真っ直ぐ過ぎるのだもの」

 

 との事だ、ちなみに苦笑しながら言われてしまった。

 若干その態度には納得いかなかったものの、紫の負担になりかねないというのならば引き下がるしかない。

 

「とにかくそういうわけだ。今日は好きに過ごせばいい」

「はあ……」

 

 気の抜けた返事を返してしまう藍。

 いきなりそんな事を言われてしまっても、藍としては困ってしまう。

 式として、また従者としての仕事に自身の時間の大半を費やす彼女にとって、突然の休みというのは手に余る。

 好きに過ごせという主の優しさは嬉しく思うものの、これといった趣味を持たぬ藍にはその過ごし方というのがわからない。

 

「龍人様は、これからどのような御予定があるのですか?」

「俺か? いや、特に決めてないけど里には行こうと思ってる。それがどうかしたか?」

「…………」

 

 里に行く、きっと彼はまた里に行って困っている人が居ないか捜すのだろう。

 彼らしい日々の過ごし方ではあるものの、藍としてはもう少し休んでもらいたい所だ。

 いつだって彼はそうやって里の力になろうと生きてきた、最近は旅に出る事もあったがこの幻想郷に居る間はずっとそういう生活を送っている。

 ……彼こそ休むべきなのだ、この考えは藍だけではなく彼女の主である紫も常々抱いていた。

 

――なので、丁度いいと藍は何処か自分に言い聞かせるようにしながら。

 

「――龍人様、でしたら私も御一緒しても宜しいでしょうか?」

 

 少しだけ鼓動を速めながら、そんな願いを彼に向かって申し出ていた。

 ただ彼の助けになればいいという意味を込めての申し出だ、それ以外に別の意図はない。

 そう言い聞かせているのに、藍の鼓動は少しずつ跳ねるようにその動きを速めていく。

 それだけではない、我慢していたのに頬の紅潮がだんだんと止められなくなっている。

 頬から感じる自身の熱によりそれに気づき、その変化に内心困惑しつつ藍は彼の返答を待ち。

 

「ああ、それは勿論構わない」

「ぁ…………!」

 

 快く自分の提案を受け入れてくれたもう1人の主に対し、無意識の内に頬を綻ばせた。

 尚も鼓動は煩いくらいに鳴っているが、今の彼女にそんな事を気にする余裕はなかった。

 彼と共に過ごすというのは今までにも何度もあったが、常にその傍には紫の姿があったのだ。

 けれどその紫は今は出掛けている、その事実が藍に彼女自身もわからない謎の高揚感を与えていた。

 

「では少々お待ちください、すぐに準備をしてきますので!!」

 

 言うやいなや、藍は凄まじい速度で自室へと戻り襖を閉める。

 そのまま寝巻きを脱ぎ捨て、いつもの導師風の服装に着替えながら……ふと、藍の視線が台の上に置かれた鉛白(えんぱく)口紅(べに)へと向けられた。

 あれは前に紫が西洋から取り寄せたという化粧道具だ、「たまには着飾ってみなさい」という主からの厚意だったのだが……まだ藍は一度も使った事がない。

 着飾る必要など自分にはなかったし、そんな事よりも式として主の支えになる事の方が彼女にとって重要だったからだ。

 

「…………」

 

 しかし、これから龍人と共に2人だけで里へと向かうという事が、藍にある変化を齎し。

 着替えを済ませた藍は、そのままゆっくりと右手を鉛白に伸ばした……。

 

 

 

 

 人里へとやってきた龍人と藍。

 2人が最初に向かった先は……飯屋であった。

 なにせまだ朝食すら食べていないのだ、一日の活力を得る為にはまず飯という結論に達するのは当然である。

 

「よく食うなー、藍」

「何を言いますか、龍人様に言われたくはありません」

 

 いや、どっちもどっちだから。周りに居た客達は内心そんなツッコミを2人に放つ。

 龍人の周りには沢山の皿やお櫃、既に常人の数倍以上の食糧を腹に収めていた。

 一方の藍も二十近い丼が重ねられており、その全てがきつねうどんという徹底振り。

 狐故か油揚げが大好物な彼女はそれが乗っているきつねうどんも好みであり、しかもこの飯屋は一杯で三枚も乗っているのだ。

 藍としてはこの上ないご馳走に等しく、自制しなければと思いつつもついつい食べ過ぎてしまっていた。

 

「そういえば藍、お前今日は化粧してるんだな」

「ええ、まあ……たまには良いかと思いまして」

 

 口には紅を塗り、顔には鉛白をまぶした今の藍はいつも以上の美しさを見せ付けていた。

 現に店に居る男達は、人妖問わず彼女に魅了されてしまっている。

 だが藍にとってそんな視線になど価値は見出せない、何故なら見せたいと思った相手からはそのような視線を向けられないからだ。

 

「紫もそうだけど、化粧すると女は変わるんだな」

「それはそうですよ、化粧というのは“化ける”という意味も込められているのですから」

「なんかそう聞くと変な感じだな……まあ、綺麗になるんだから見てるこっちとしても嬉しいけどな」

「……嬉しい、ですか」

「ああ、だってそうだろ? 誰だって綺麗なものを見たら嬉しくなるものじゃないのか?」

 

 だから、龍人は今の藍を見れるのは嬉しいと思っている。

 彼とて美的感覚は持ち合わせている、普段は口に出さないが綺麗なものを綺麗だと思えるのだ。

 

「嬉しい……私を見て、嬉しい」

 

 何度も龍人から放たれた言葉を呟く藍。

 気恥ずかしい、けれどそれ以上の幸福感が彼女の内側から溢れ出しそうになる。

 彼の言葉一つ一つが、己の全てを変えていくような錯覚すら覚え、困惑しながらもやはり彼女の口元には嬉しさを隠し切れない笑みが浮かぶ。

 

――その後、もう少しだけ食べた2人は飯屋を後にした。

 

 次の目的地は決めず、のんびりとゆったりした足取りで2人は里の中を歩き回る事に。

 道行く人々と挨拶を交わし、世間話に華を咲かせ、今日も幻想郷が平和である事を認識していく。

 そういった光景を見る度に、藍は改めて紫と龍人の偉大さを思い知るのだ。

 無論、この平和は2人だけが守っているわけではないという事ぐらいはわかっている、この里に生きる者全てが手を取り合っているからこその平和だとは理解している。

 けれどその基盤を作ったのはあの2人であり、だからこそ藍は式として2人に仕える事に悦びを見出していた。

 

 しかし、同時に己の未熟さも思い知ってしまう。

 藍にとって紫も龍人も、遥か先を歩く存在であり、後を追いかければ追いかけるほど自分の小ささを認識してしまうのだ。

 だから彼女は時折こう思う、「本当に自分は2人の役に立っているのか?」と。

 式として、本当に自分は2人の役に立っているのか、支えになっているのかという不安が……。

 

「こんにちはー、龍人様、藍様!!」

「こんにちはー!!」

「えっ?」

 

 突然聞こえた人間の子供達の声に、藍は思考を中断させ前方へと視線を向ける。

 これから寺子屋に行こうとしているであろう子供達が、藍達に向かってニコニコと微笑みを見せていた。

 それを見て、藍はおもわず怪訝な表情を浮かべてしまう。

 龍人に対しこのような好意を隠そうとしない態度を見せるのは理解できたが、自分に対しても何故このような好意的な態度を見せるのか理解できない。

 

 ……正直藍は、人間に対し特別良い感情を抱いてはいない。

 ただ主が守ろうとしているから守っているだけだ、見下しているわけではないが好いているわけでもなかった。

 だというのに、向こうが好意的なものだから怪訝になるのは致し方ないだろう。

 

「この間は、もこたんと一緒に竹林に行ってくれてありがとうございました!!」

「竹林? 藍、何かあったのか?」

「えっ、ええ、まあ……」

 

 あれは数日前だったか、買い物の為に人里へと赴いていた藍だったのだが、道端で倒れている人間の大人とその子供の姿を見かけたのだ。

 話を訊くとどうも突然腹痛を訴えたらしく、何やら尋常ではない様子だったので見捨てるわけにもいかず藍はその親子を永遠亭に連れて行くことに決めた。

 とはいえ藍も「迷いの竹林」の地理全てを把握しているわけではないので、途中で案内人となっている妹紅の協力を仰ぎ無事親子を永遠亭まで連れ込んだ。

 その後、永琳によって体調をすぐに快復させた親子を家まで送って……特に主に報告する必要などない案件だったので、藍は何も言わなかったのだ。

 

 と、その時の子供だけではなく他の子供達も藍に感謝の言葉を送ってきた。

 言われて藍は、自分に対し感謝する子供達は前に気紛れで手を貸していた者達である事に漸く気づく。

 手を貸した、とは言ってもたいした事ではない。ただ転んで受けた怪我を治したり里の外で迷子になろうとしたのを助けたり……藍にとって、たまたま目撃したから行動しただけで感謝される謂れはないものだった。

 そもそも人の感謝など藍にとって必要になるものではないし、された所で困るだけだ。

 

「あの時は偶然目撃したから手を貸しただけだ、感謝する必要などない」

 

 なので藍はわざと距離を離すような物言いで子供達に上記の言葉を言い放った。

 あまり良い態度ではないかもしれないが、あまり馴れ馴れしく踏み込まれるのも困る。

 だからこその態度だったのだが……子供達には塵芥(ちりあくた)の効果もないのか、益々好意的な視線を送ってくるばかり。

 

「お、おい……」

 

 その姿に、藍は困惑してしまう。

 露骨なまでに拒絶の意を込めた態度を見せたというのに、何故子供達は自分に向ける態度を変えようとしないのか。

 そればかりか「尻尾、触ってみてもいいですか?」などと馴れ馴れしい事を言ってくる始末である。

 本音を言えばすぐにでも追っ払ってやりたかったが、隣に龍人が居る以上それもできず。

 

「ほらお前達、そろそろ寺子屋にいかないと慧音が怒るんじゃないか?」

 

 他ならぬ龍人が助け舟を出し、子供達の意識が藍から外れた。

 彼の言葉を聞いて一斉に子供達の表情がげんなりしたものへと変化する。

 慧音が怒る、その事態は彼等にとってあまりよろしくないものなのだろう。

 

「龍人様、藍様、さよーならー!!」

「おい早く行こうぜ、頭突きされたくねえし!!」

「俺も俺も!!」

 

 急ぎその場を駆けていく子供達。

 それを、龍人は見えなくなるまで手を振って見送った後。

 

「――困ってたな藍、お前はあまり人間が好きじゃないから戸惑ったのか?」

 

 彼は、藍の心中を読んだかのような言葉を投げかけてきた。

 その言葉にどきりとしながらも、偽りは無意味だと理解した藍は無言で頷きを返す。

 

「別に無理をして人を好きになれなんて言えないさ、どうしようもない事だってあるし人だって綺麗な生物じゃないからな」

「えっ、龍人様は人に対してそのような認識を抱いているのですか?」

「綺麗な生物なんてこの世の何処にも居やしないさ、そしてそれは俺達のような妖怪と呼ばれる存在だって同じ事が言える。

 どっちが優れていてどっちかが劣っているなんてことはない、だからこそ俺は人も妖怪も大好きなんだ」

「…………」

 

 真っ直ぐな瞳で、里で生きる者達を見つめる龍人。

 人も妖怪も関係ない、ただここに生きる者達に慈愛に満ちた瞳を向けている。

 彼の姿は藍には眩しくて、けれど……少しだけ理解できない部分があった。

 

「……龍人様は、人と妖怪が共に生きる世界を望んでいますが、果たしてその世界で生きる妖怪というのは本当に妖怪と呼べるのでしょうか?」

 

 前に紫にも訊いた問いかけを、藍は龍人にも問うた。

 対する彼は、その真っ直ぐな瞳を藍に向けたまま静かに問いかけを返す。

 

「人は妖怪を恐れ、憎み。そして妖怪は人を見下し、糧としか思わない。

 ずっと昔からその関係は変わらない、でもな――その関係が正しいとは俺は思わないんだよ藍」

「…………」

「同じこの世界に生きている者同士なら、きっと解り合える。

 昔からの関係なんてそれこそどうだっていい、それが正しいと誰が決められるんだ?」

 

 人から恐れられない妖怪が居たっていいではないか、そんなものは妖怪ではないと一体誰が決められるというのか。

 昔からのしがらみなど、龍人にとっては未来を阻む枷でしかないのだ。

 新しい時代はすぐそこまで迫っている、人も妖怪も変わらなければならない時がやって来ているのだ。

 

「それに何よりさ、せっかくだしみんな仲良く生きていられたら幸せだろ?」

「…………」

 

 甘い、なんという甘い理想なのか。

 けれどその理想は、願いは彼だけのものではなくなっている。

 紫、この幻想郷に生きる者達、妖怪の山や地底世界。

 少しずつ、けれど確実に彼の想いを賛同する者達は増え続けている。

 

――ただそれでも、世界総てを変える事は難しい。

 

 物事はそう単純なものではない、それはきっと彼自身もわかっているだろう。

 それでも、そんな未来が来ると信じて彼は前を向いて歩いている。

 それは純粋な妖怪である藍には決して真似できぬ、眩しい姿であった。

 

「…………ああ、そうか」

 

 わかった、わかってしまった。

 ある“感情”を理解して、藍は心を躍らせ喜びを溢れさせる。

 

「龍人様」

「ん?」

「私は紫様の式です、ですが私にとって龍人様は第二の主人です。

 私の総てをあなたに捧げる覚悟も決意も抱いています、ですからいつでも私の力が必要な時は遠慮なく使ってやってくださいね?」

「……ああ、ありがとう藍」

 

 笑みを浮かべる龍人に、藍もまた満面の笑みを返す。

 ……どうやら先の言葉の“本当の意味”を、彼は理解していないようだ。

 けれど構わない、いずれ判ってくれればいい。

 今は主人と従者の関係のままで充分だ、そう……今は。

 

「龍人様、これから散歩でもしませんか? たまにはゆっくりと里を歩きたくなりました」

「いいなそれ、じゃあ行くぞ?」

「はい!!」

 

 歩き始める龍人の隣を、同じ歩幅で歩いていく。

 穏やかな気分のまま、秋の風を全身に感じつつ、2人は里を歩いていった。

 

 そんな2人の姿を、周りの者達は微笑ましそうに見つめていたのだった――――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。


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第92話 ~獣の戦士の歩む道~

幻想郷の地にて、紫と龍人は今日も平和を謳歌する。
さて、今回の物語は……。


 閃光が奔る。

 幻想郷の里、普段は何もない大広場にて神速の槍が幾度となく龍人に襲い掛かっていた。

 

「っ」

 

 僅かに零れる苦悶の声。

 龍人の身体能力を十二分に発揮しても、繰り出される槍――今泉士狼の一撃を捌き切れない。

 致命傷は負わないものの、少しでも気を緩めれば一撃で命を奪われる攻撃を既に数十手放たれ、龍人は防戦一方となっていた。

 

 しかし彼の瞳に死への恐怖は存在しない。

 確かに相手の攻撃は熾烈を極める、しかしそれだけだ。

 今泉士狼とは何度か戦ってきたからこそわかる、今の彼には“必殺”の呼吸が見られない。

 技術はあっても、気概がない攻撃など幾度の死闘を駆け抜けてきた龍人にとって無意味に等しい。

 

 一方、両者の戦いを少し離れた場所から見ている紫は、僅かに眉を潜めていた。

 彼女もまた龍人と同じように、士狼の攻撃に今までのような覇気が見られない事に気づいたのだ。

 紫もかつて彼の槍の凄まじさをその身を以て経験しているからこそ、今の彼の槍は“情けない”ものだと思う。

 ……龍人がいまだ“龍気”を使わずに戦っているのが良い証拠だ、これではあと数合程度で勝負は着くだろう。

 

「つっ……!?」

 

 今度は士狼の口から苦悶の声が放たれた。

 それと同時に防戦一方だった龍人が攻めへと転じ――それで終わりだ。

 左手の指先に高圧縮させた“龍気”を這わせ、龍鱗盾(ドラゴンスケイル)の防御力を用いて士狼の槍を掴み上げ、更に踏み込みながら右手全体を“龍気”で覆い。

 

「っ、ごぶ……っ!?」

 

 加減をした龍爪撃(ドラゴンクロー)の一撃を、士狼の腹部に叩き込んだ。

 込めた“龍気”は少ないとはいえ、それでもその一撃は重く、士狼の身体は弾丸のように吹き飛び地面に沈む。

 何度も咳き込みながら吐血を繰り返し、立ち上がろうとする士狼だがもがくだけで精一杯だった。

 

「――ここまでだ。今回も俺の勝ちだな、士狼」

 

 彼を見下ろしながら、判りきった言葉を放つ龍人。

 対する士狼は、息を乱しながら暫し龍人を睨んでいたが。

 やがて己の敗北を認めるかのように、項垂れ右手に持つ槍から手を放した。

 

「……なあ士狼、お前どうかしたのか?」

「? どういう意味だ?」

「お前が俺の命を奪おうと戦いを挑むようになってもう三百年は経つ。

 最初は当然俺を殺す気で仕掛けてきたってのに、ここの所のお前はどうも覇気がないというか……俺を殺す気がないように思える」

「…………」

 

 龍人の言葉を聞いて、士狼は僅かに表情を曇らせる。

 彼は何も答えない、けれど否定すらしないという事は彼自身も薄々感づいていたという事だろうか。

 

「何か悩みがあるなら聞くぞ?」

「……自分の命を奪おうとする者の力になろうとするとは、相変わらずなのだな」

 

 苦笑する士狼、龍人の態度に毒気を抜かれてしまったのかその表情は自然なものだ。

 2人の間には既に殺伐とした空気はなく、ほんの今まで戦っていたとは思えない程に穏やかな雰囲気を漂わせている。

 これも龍人の能力の1つなのだろう、とはいえ命を奪おうとする者と仲良くなるのは如何なものかと紫は内心そう思った。

 

「――おーい、じゃれ合いは終わったー?」

 

 そんな事を言いながら、気だるい表情で零が紫達の元へとやって来る。

 視線を彼女へと向けた紫達だが……右手で担いでいる物体へと自然と目がいってしまった。

 零が担いでいるもの、それは十にも満たぬ見た目の小さな少女であった。

 気を失っているのかぴくりとも動かず、ぞんざいに扱っている零に紫と龍人は苦言を呈しようとして。

 

「か、影狼(かげろう)!?」

 

 心底驚いた様子の士狼の声を、耳に入れた。

 ……よく見ると、零がぞんざいに担いでいる少女は人間ではなく“人狼族”であった。

 狼の耳に尻尾を生やしたその少女は、悪夢でも見ているのか表情を強張らせ小さく唸っている。

 

「……零、あなたこの人狼族に何をしたの?」

「人聞きの悪い事言わないでよ紫、ただ里の周辺をちょろちょろしてたから少しばかり陰陽札を叩き込んだだけだってば」

「…………」

 

 上記の行動を“だけ”扱いする辺り、幻想郷の守護者としては頼もしい反面、人としてどうだろうという気にもなった。

 いくら妖怪とはいえ見た目が十に満たない少女、それもたいした力のない下級妖怪に対してやり過ぎである。

 しかも今回の場合この少女が何かしたというわけではないだろう、零の言葉と態度を見れば一目瞭然だ。

 

 とりあえず降ろしてあげなさい、紫がそう言うと零は少女を地面に降ろす。

 すぐさま士狼が少女へと駆け寄り、気を失っているだけだと再確認すると、ほっとしたような安堵の表情を浮かべていた。

 ……どうやらこの影狼という少女は士狼にとって単なる同胞というわけではないようだ。

 

「士狼、とりあえずこの子をどこかで休ませてやらないか?」

「……すまない、恩に着る」

「気にするなよ。それで紫」

「わかっているわ。零、この子の事は私達に任せて頂戴」

「あいあい。じゃあ宜しくねー」

 

 気だるそうに手を振っている零に見送られながら、紫達は八雲屋敷へと戻る。

 主人達の帰りを出迎えてくれた藍が士狼の姿を見て身構えたりはしたものの、事情を説明しつつ影狼と呼ばれた少女を客間へと寝かせてから居間へと赴いた。

 紫と龍人は隣同士に座り、その後ろに藍が立ち、彼女達と向かい合う形で士狼が綺麗な正座で座り込んだ。

 

「士狼、お茶か? それとも酒の方がいいのか?」

「いや、そう構わなくても大丈夫だ」

「ならば、さっさと立ち去ったらどうだ?」

 

 睨むように士狼を見ながら、藍は僅かに妖力を開放しながら吐き捨てるように言う。

 ……場の空気が一気に悪くなる、藍が悪いわけではないがさすがにこの態度はないだろうと口を出す龍人であったが。

 

「藍、今日の士狼は客なんだから……」

「何が客ですか! この男が龍人様達に何をしてきたのかわかっているでしょう!?」

「うっ……」

 

 あっさりと、藍の迫力に圧され口ごもってしまった。

 情けないと言うなかれ、怒った時の彼女は本当に恐いのだ。

 よく里で子供が母親に叱られ小さくなっている姿を見るが、きっと今の自分はその子供と同じなのだろうと龍人はそう思いつつおとなしく藍のお説教を聞く事にした。

 

「…………あの妖狐は、お前達の式なのだろう?」

「ええそうよ、主従関係ではあるけれど決してそれだけの関係じゃないの。

 あの子は式で私達は主人、そうである以前に家族でもある。

 だからああやって主従関係なしに意見するのよ、それこそ遠慮なくね」

 

 ただまあ、あまりガミガミ言ってほしくないというのが紫の本音だったりする。

 根が真面目過ぎる藍は、こちらが気を緩めっ放しにするとすぐに説教をしてくるのだ。

 今は龍人が小さくなっているが、ああいう状態は紫自身何度も経験している。

 とはいえ説教している彼女の方が正しいので、ああいった事もありがたい事ではあるのだ。

 

「…………」

 

 その珍妙な光景を、士狼は何か特別なものを見るような目で見つめている。

 珍しい光景なのは確かだが、彼は決してそういった事で見ているわけではないのだろう。

 ――とりあえず、話が進まないので先に藍を止める事にしよう。

 そう思った紫は目の前にスキマを開き、その中から見えた藍の尻尾をおもいっきり掴み上げた。

 

「――――!!??」

 

 瞬間、声にならない悲鳴を上げながら藍が倒れ悶絶し始めた。

 

「これで暫くはおとなしくしているでしょう」

「……お前、容赦ないな」

 

 これには流石の士狼も口元を引き攣らせ、藍に同情を送った。

 けれど紫の表情にはちっとも悪びれた様子もなく、事実彼女は今の行動に対し微塵も悪いと思っていなかった。

 だが、いつまでも藍の説教を聞いているわけにはいかない理由がある。

 確かに龍人の言う通り今の士狼は客としてこの屋敷に招いた、けれど“ただの客”としてだけで招いたわけではない。

 

「――さて。今泉士狼」

「…………」

 

 紫の声色が変わった事を察したのか、士狼の表情が変わる。

 その反応に満足しながら、紫は妖怪の賢者としての顔を表に出しながら問いかけを放つ。

 

「あなたはいつまで龍人の命を狙い続けるのかしら? いいえ――いつまで、狙い続ける“フリ”を続けるのかしら?」

「…………」

「気づかないと思っていたの? 確かに最初の百年程度は本気で龍人を殺そうとしていた、けれどあなたはそれから数十年姿を現さず……次に勝負を仕掛けてきた時には、龍人に対する殺意は薄れていた。

 そして今ではあなたに龍人を殺す意志は見られない、その理由は気になるけど……こちらとしても、彼に余計な怪我を負わせたくはないのよ」

 

 彼は幻想郷にとって、そして紫にとってなくてはならない存在だ。

 その彼を士狼はいたずらに傷つける、それは紫にとって認められない行為だ。

 たとえ龍人自身が納得していたとしても、彼の心中を理解できたとしても、それとこれとは話は別だった。

 

「殺す気もない、だからというわけではないけれどこれ以上あなたの行為を認めるわけにはいかないの」

「紫、それは」

「龍人、貴方の気持ちは理解できるけど私は認められない、それに彼は私達にとって“敵”でしかないの。寧ろここまで決して口を出さなかった事を感謝してもらいたいくらいだわ」

 

 強い口調でそう言うと、龍人はそれ以上は何も言わず口を閉ざしてしまった。

 こちらの、そして自分の立場というものを充分に理解しているからこそ、彼は反論を返せない。

 紫とて龍人の気持ちは理解している、だからこそ今まで口を出さないでいたのだ。

 

 それに、これは彼の前では口には出さないが紫はいずれ士狼は龍人によって敗北し命を落とすと思っていた。

 いずれ龍人が士狼に対し“殺さない”という意志を貫けずに命を奪わざるをえない事態に発展すると予想していたのだが、彼の頑固さは筋金入りだったというのを思い知らされた。

 龍人は士狼を殺さない、たとえ自分が殺されそうになってもそれを曲げないと理解したから、紫は口を出すのだ。

 

「……八雲紫、お前の言葉に否定する事はできない。

 だが、俺は一度たりともお前達に対する憎しみを忘れた事はない」

 

 そう、士狼の中に憎しみは消えない。

 消える事などありえないのだ、憎しみとはそれほど強く内側に残る感情なのだから。

 

 だから何度も殺そうとした。

 敗れても次は負けぬと憎しみを募らせ、傷が癒えると同時に幻想郷へと赴いた。

 ――だが、勝てなかった。

 何度戦っても、士狼は龍人にダメージこそ与えても勝利する事は叶わなかった。

 

 最初に戦った時は、子供とは思えない強さを持った半妖だったという認識だけ。

 確かに才はあるが自分には到底及ばない、そんな程度の評価しか抱いていなかった。

 それが誤りであると気づいた時には、龍人は駆け足で士狼に追いつき、追い越しても尚その歩みの速さは変わらなかった。

 

 悔しかった、憎しみの感情も相まってこの上ない屈辱が彼に襲い掛かったのは言うまでもない。

 その悔しさと憎しみを糧に、彼は敗れ傷も癒えぬままに鍛錬を積み重ね、それでも追いつく事はできなかった。

 

 自分と彼との差は一体何なのか。

 何故純粋な妖怪である自分が、半妖である彼に劣るのか。

 いくら考えても答えは得られず、そのもどかしさが一層彼に屈辱を与えていく。

 

――そうして百年程経った頃、彼に転機が訪れる。

 

 大神刹那が龍人達によって倒された事により、その地位を巡って一部の人狼族が独自の派閥を作り上げ始めたのだ。

 それから見苦しい“同族殺し”に発展するのに、そう時間は掛からなかった。

 我こそは最強、人狼族を支配する獣の王だと自負する者達による小競り合いは日に日に広がるばかり。

 そしてそれは当然争いの望まない人狼族も巻き込み、数多くの罪なき命が散っていった。

 

「……成る程、それを私達の責任にしたいわけですの?」

「責が無いと言えるのか? 貴様達が刹那様を倒さなければこんな事には」

「本気で言っているのかしら? だとするとあなたの評価を変えなくてはいけないわね。

 ――あの男は破壊と恐怖しか齎さない災害そのもの。

 遅かれ早かれこういった事態に発展するのは目に見えていた筈よ」

 

 だから、自分達を責めるのは間違いだと紫は侮蔑を込めた視線を士狼に向けながらはっきりと言い放った。

 ……ああわかっているとも、士狼とて紫に言われずとも理解している。

 傍で仕えていたからこそ、大神刹那という存在の危険性を士狼は誰よりもわかっていた。

 

 だがそんなもの、刹那に忠義を誓う彼にとってはどうでもいい事だ。

 弱肉強食、弱き者を強き者が蹂躙する覇道を歩む刹那を肯定していたのだから。

 けれど力こそ総てであった彼は敗れた、自分よりも力で劣る龍人達に。

 しかも刹那を倒した龍人が信じるものは、刹那とは真逆のものだった。

 

 誰も信用せず、己の力のみに目を向け、他者を有象無象にしか映さなかった刹那。

 数多くの者を信用し、仲間に常に目を向けて、共に支え合い助け合う龍人。

 

 理解できなかった。

 何故敗れたのか本当に理解できなかったし、したくもなかった。

 

 けれど、人狼族同士の争いが始まり助けてほしいと縋ってきた同族達を纏め上げていく内に……彼の心に変化が生じた。

 弱い者など生きる資格など無い、そんな弱者が自分を信じ、縋り、感謝する。

 士狼を慕い、その中で平和な日々を生きる者達を見て……士狼はこう思ったのだ。

 

――刹那様が歩んでいた道だけが本当に正しい道なのか、と。

 

 疑問は迷いを生み、それから目を背きたくて士狼はただただ自分を頼る者達を受け入れ守っていった。

 龍人への戦いに赴く暇などなく、見捨てれば消える命を放ってはおけなくなって。

 気がついたら、彼は分裂してしまった群れの中でも多くの同族が身を寄せる群れの長となっていた。

 

「……そっか。お前が暫く幻想郷に来なくなったのは、そういうわけだったのか」

 

 そう呟く龍人は、嬉しそうであった。

 事実彼は喜んでいた、士狼が刹那のように同族すら踏み躙るような事をしなかったから。

 

「刹那様の覇道が間違っていたとも思えない、だが……」

 

 だが、正しいと胸を張って答える事も彼にはできなくなっていた。

 背負うモノができて初めてわかった事もあった、信じられ慕われる事で理解した想いもあった。

 ただ、それでも――士狼は己の中に生まれた迷いに答えを出す事が出来なかった。

 

「――だから龍人に戦いを挑む姿勢を変えなかった。けれど迷いがあなたの中の私達に対する憎しみを薄めていったというわけね」

「…………」

「本当に傍迷惑な話ね。そちらの私情を押し付けられる龍人が可哀想だわ」

 

 容赦のない言葉。

 罵倒ともとれる言葉を、紫は躊躇う事なく士狼へと吐き出していく。

 けれど士狼は反論しない、彼女の言葉が正しいと理解しているから。

 この迷いは単なる私情だ、それを戦いに持ち込むなど戦士にとってありえない愚行である。

 たとえ敵であっても戦う者に礼節を重んじる士狼にとって、今の自分の迷いは恥以外の何物でもなかった。

 

 ――ただ、彼はまだ気づいていないだけなのだ。

 自分が歩むべき道は、刹那と同じ覇道か、龍人のような他者と共に前を歩く道なのかを。

 そしてその“きっかけ”は、すぐそこまで迫っていた。

 

「――――士狼様!!」

 

 入口の襖が開きながら、少女の声が場に響く。

 視線を向けるとそこに居たのは、先程保護した人狼族の少女だった。

 彼女は士狼の姿を見てほっと胸を撫で下ろした後、紫達を見てすぐさま彼の元へと駆け寄った。

 

「影狼、目が醒めたのか……」

 

 その声には応えず、影狼と呼ばれた少女は士狼を守るように両手を広げながら紫達を睨みつける。

 威嚇をしているつもりなのだろう、士狼を守ろうとしているその姿は可愛らしくおもわず紫と龍人は頬を緩ませた。

 失礼な態度なのはわかっているが、懸命に足の震えを抑えようとしながら士狼を守ろうとするその姿勢に和むのも無理からぬ話である。

 

「よせ影狼、今は敵対しているわけではないんだ」

「嫌です!! こいつらは士狼様の命を奪う悪鬼です、そんなの……私が許しません!!」

「悪鬼……」

「……龍人、どうしたの?」

 

 何故か元気を無くしている龍人に、紫は首を傾げた。

 

「…………子供に嫌われるのって、結構傷つくもんなんだな」

「あっ……そういえば貴方、里の子供達に慕われているものね……」

 

 だからこそ、今の影狼の発言には想像以上のダメージを負ったのだろう。

 

「こ、これ以上士狼様を傷つけるのなら、この今泉影狼(いまいずみ かげろう)があ、相手になるわよ!!」

「……今泉?」

「士狼、お前子供が居たのか?」

「いや、この子は養子でな……身寄りが無いから親代わりになっているんだ」

「そうだったのかー。偉いな、士狼」

「しかし子育てなどした事がなくてな、なかなかに苦労しているよ」

 

 少し気恥ずかしそうに、けれど何処か楽しそうに話す士狼に龍人は自然と笑みを浮かべる。

 その光景に、影狼はぽかんと口を開きながら眺めていた。

 

「……って士狼様、どうして敵とそんな穏やかに会話しているんですか!?」

「む……いや、そう言われてもな……」

「この妖怪達は敵です、士狼様はそう仰っていたじゃないですか!!」

「…………」

 

 ああ、確かに言った。

 何も知らぬ少女に、穢れを知らぬ影狼に士狼はそんな言葉を言い放った。

 ……それを今、心底後悔している。

 

「士狼」

 

 龍人の静かな言葉が、彼の耳に沈んでいく。

 士狼が視線を向けると、彼は穏やかな表情を浮かべ。

 

「俺が言えるわけじゃないだろうけど……大切にしろよ?

 自分の事を想ってくれる子が居るっていうのは、自分が思っている以上に幸せなんだからさ」

 

 迷いが“答え”に変わる言葉を、告げた。

 

「…………」

 

 目を見開く士狼。

 同時に彼は至った、自分が進むべき道を。

 自分が望む未来を、得る事ができた。

 

「――影狼、帰るぞ」

「えっ!? で、でも士狼様……」

「彼等は敵じゃない。どうやら俺は漸くその事に気づけたようだ」

 

 そう言って立ち上がり、士狼はいまだ混乱している影狼を背負った。

 

「龍人」

「なんだ?」

「背負う者が居るのは、時折辛く思うこともあるが……それ以上に、幸せなのだろうな」

「っ、ああ、きっとそうだ!!」

 

 互いに笑みを浮かべ合う龍人と士狼。

 まるで長年の友のような雰囲気の2人に、背負われた影狼は困惑し、紫はそっと口元を隠しながら笑みを零した。

 ――今泉士狼は、もうこちらの敵にはならない。

 確信もなくそう思え、同時に頼もしい味方ができたとこれまた確信もなく理解した。

 

「今泉士狼」

「なんだ? 八雲紫」

「――幻想郷にとって脅威とならない相手ならば、この地はあなた方“人狼族”を歓迎いたします。それを忘れないように」

 

 言って、帰り用のスキマを彼等の前に展開する紫。

 その言葉に、士狼は何も言わず一礼してからスキマに入り――幻想郷の地を離れていった。

 

「士狼のヤツ、なんだかスッキリしたみたいだけど何かあったのか?」

「……見える景色が変わっただけよ。それ以外は何も変わっていないわ」

 

 ふうん、と曖昧な反応を返す龍人、どうやらわかっていないらしい。

 彼は変わっていない、仕えていた主の命を奪った紫達に対する蟠りはいまだ残っているだろう。

 けれど今の彼はとある迷いを捨てる事が出来た、それにより今まで見てきたものの見方が変わったのだ。

 

 そしてそんな大それた事をやってのけた張本人は、そんな自覚などなくのほほんとしている。

 まったく、本当に彼の傍に居るのは面白いものだと紫は思う。

 今まで見た事のない光景を見せ、今まで当たり前だと信じてきた常識を覆す彼の存在は見ていて飽きない。

 さあ、次はどんな面白いものを見せてくれるのか……今から楽しみで仕方なかった。

 

「……ところで紫、藍のヤツ……目を醒まさないんだけど?」

「あ」

 

 しまった、黙らせる為とはいえ少々強く尾を握り締めすぎたか。

 未だに気絶している藍を見て、紫はほんの少しだけ反省する。

 ……これは後で説教コースねと、すぐそこまで迫っている嫌な未来を想像しながら。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




割と長くなった間章はこれにて終了。
次回からは新章へと突入しますです。


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第六章 ~魔の住む異界へ~
第93話 ~地獄の女神からの依頼~


幻想郷にて、平和な時を過ごす紫と龍人。
そんな中、彼らの元に新たなる物語がやってくる事になる……。


 無が、広がっている。

 

 音もない、漆黒の闇だけが広がる世界。

 およそ生物が生きれる場所ではないその世界に、2人の美女が向かい合うように立っていた。

 

「――我が主、少々の我儘を許してはいただけますか?」

 

 赤い髪の美女が、銀に輝く獣の耳と尾を持つ美女へと懇願する。

 対する獣の女、神弧は琥珀のような輝きを見せる無機質な瞳を赤い髪の女、アリアへと向けながら静かに問いかけた。

 

「聞こう。一体何を望む?」

「……主様が憑依した身体も大分馴染まれたと思われます、なので……そろそろ動くべきかと」

「ふむ……」

 

 自らの身体に視線を向ける神弧。

 確かにアリアの言う通り、この新しい身体にも慣れてきた。

 全力は出せないものの、それでも世界を破壊するには充分過ぎる力は有している。

 ならば彼女の懇願を受け入れ、このくだらぬ無価値な世界を蹂躙するのも悪くはない。

 そう思った神弧であったが、彼女は何を思ったのか首を横に振ってアリアの言葉を退けた。

 

「主様?」

「このまま動いてもつまらん。ただ破壊するなど児戯に等しいではないか」

「…………」

「不満かアリア? ならばお前に1つ命を下そう。

 それを達成できたのならば、お前の願いを聞き入れてやる」

 

 不気味に笑い、神弧はそんな事を口にする。

 対するアリアは瞳に若干の不満を抱きながらもそれを口には出さず、神弧の言葉に頷きを返した。

 

「畏まりました。それで、ワタシは何をすれば?」

「簡単だ。というよりもこれはお前の迷いを消す為にも必要な事でな」

「…………」

 

 正体不明の不安が、アリアの中で芽生え始める。

 彼女の心が、それ以上神弧の言葉を聞くなと訴え始めている。

 しかし遅い、神弧はまるで童女のような無垢な笑みを見せながら。

 

「――お前が尤も憎む存在と尤も愛する存在を消して来い。決着を着ける命を与えてやる」

 

 彼女にとって残酷で、けれど同時に望むべき指示を与えた――――

 

 

 

 

 死者の世界の1つ、冥界。

 その中心に建つ巨大な屋敷“白玉楼”にて、小さな宴会が行われていた。

 

「さあさあ2人とも、どんどん食べてね?」

 

 大きな机の上に並べられた料理達を見ながら、この屋敷の主である亡霊姫――西行寺幽々子は向かい合って座る龍人と紫にそう告げる。

 

「もぐもぐもぐ……」

「悪いわね幽々子、用意してもらっちゃって」

「気にしない気にしない、それに藍ちゃんにも手伝ってもらってるしね」

 

 今頃は幽々子の従者である妖忌と共に、台所にて死闘を繰り広げていることだろう。

 何せ紫はよく飲み、龍人と幽々子はよく食べるのだ。

 幾ら料理や酒があろうとも足りない、現に妖忌は藍を助っ人にしただけでなく他の世話係である幽霊達にも応援を要請したのだから。

 ……死者の世界である冥界にて多くの料理を用意するという事態には色々と思う所はあるものの、幽々子の命には逆らえないわけで。

 

「ところで紫、龍人君。あなた達……もう夫婦(めおと)にはなったのかしら?」

「っ、ちょっと……幽々子」

 

 いきなりな問いかけに、紫は口に含んでいた酒を噴き出しそうになってしまった。

 どうにか耐え、しっかりと飲み込んでから紫はニコニコと微笑む彼女を軽く睨む。

 

「だって気になるじゃない。あなた達いつも一緒に居るのに一向に夫婦になったりしないんだもの」

「いつも一緒に居るからって、そういった関係になるとは限らないわよ?」

 

 言いながら、紫は少しだけ自分の言葉に後悔した。

 これでは自分でそういう可能性を潰しているようなものではないか、そう思ってしまったのだ。

 後悔しながら、ふと紫は“その可能性”を想像してみようと試みる。

 

「…………」

 

 龍人と夫婦になり、子を儲け、育てる。

 ……そんな未来を想像しようと試みたが、どうやってもイメージが湧いてこない。

 そもそもよくよく考えてみたら、彼と夫婦になるという事自体想像できなかった。

 常に共に居るからか、それとも自分自身彼とそういった関係には絶対にならないと確信しているからか。

 どちらにせよ、なんとなく紫は虚しくなってしまった。

 

「夫婦かぁ……」

「あら? 龍人君は興味あるの?」

 

 少し意外そうな表情を見せる幽々子。

 人間だった頃の交流は失われているものの、亡霊となって既に数百年の交流はあるので、今の幽々子も龍人がどういった人物なのかをよく理解していた。

 だからこそ、こういった話題にはよく理解できず首を傾げるばかりだと思っていたのだが……予想外の反応に驚いたが、同時に彼女の中で“愉しみ”が増えてくれた。

 

「里の夫婦とかに、よく相談を受けたりその子供と遊んだりしてるんだ。

 何より……見てて幸せそうだから、夫婦っていうのはいいものなんだなっていう認識なんだよ」

「へぇ……」

「……なにかしら?」

 

 自分を見て意味深な笑みを浮かべる幽々子に、紫は少し居心地が悪くなりながら問いかける。

 

「うぅん別に、ただ……よかったわね紫って思っただけよ」

「どういう意味かわからないわ」

 

 そっぽを向く紫、その顔がほんのりと赤く染まっていたから幽々子はますます笑みを深めていった。

 ――そんなこんなで、ゆったりとした宴会は過ぎていく。

 沢山の料理と酒が消費され、ずっと台所に居た藍と妖忌、そして幽霊達は先にダウン。

 ご苦労様と頑張ってくれた裏方達に心の中で感謝しつつ、そろそろお開きにしようとして。

 

「――あらん。良い匂いがすると思ったら楽しそうな事をしていたのね」

 

 何の前触れもなく。

 紫達の前に、会いたくなかった類の存在が2人、姿を現した。

 気配も感じず、その2人はまるで始めから部屋の中に居たかのように出現した。

 突然の事態に驚きつつ、すぐさま身構える龍人だったが。

 

「……ヘカーティアに、映姫?」

 

 現れた人物が、ヘカーティア・ラピスラズリと四季映姫・ヤマザナドゥだと気づき、構えを解いた。

 そんな彼に、ヘカーティアはにっこりと微笑を浮かべてから。

 

「龍人ー、久しぶりねん」

 

 一瞬身体が揺れたと思った瞬間。

 ヘカーティアは、龍人の身体を包み込むように抱きしめていた。

 次の瞬間、部屋全体の空気が重苦しいものへと変化する。

 その発信源である紫は、龍人を抱きしめているヘカーティアを絶対零度の瞳で睨みつけていた。

 

「閻魔様ー、一体何の御用事でしょうか? それとあの方は……」

 

 一方、殺伐とした空気の中でも幽々子はいつもと変わらぬ調子で映姫へと問いかける。

 彼女の図太さ、もとい胆力に内心感心しつつ、映姫は問いの返事を返した。

 

「あの御方はヘカーティア・ラピスラズリ、その名はあなたとて知っているでしょう?」

「……あら、あの方が」

 

 ヘカーティアの名を聞いて、さすがの幽々子も驚きを隠せない。

 だが彼女はあくまで自分のペースを崩さないまま、龍人を愛でているヘカーティアへと自己紹介を始めた。

 

「はじめまして地獄の女神様、私は西行寺幽々子と申します」

 

 正座をし、ヘカーティアへと恭しく頭を下げる幽々子。

 その態度を見てヘカーティアは龍人を一度放し、幽々子に習うように頭を下げる。

 

「わざわざご丁寧にありがとね? 幽々子ちゃん」

「いえいえ。それでわざわざこの冥界の地にやってきた理由は何でしょうか?」

「映姫ちゃんと業務連絡をしてたんだけど、この子が冥界の様子を見に行くって言うからついてきただけよん。でもまさか楽しそうな宴会をしていただけじゃなく、龍人まで居たのは完全に予想外だったけどね」

 

 もっと早く来ればよかったわん、残念そうに言いながらヘカーティアは再び龍人を抱きしめる。

 龍人も抵抗しようとするのだが、細腕からは考えられない程の力で抱きしめられている為に抜け出せず。

 それに何よりも、ヘカーティアが自分を愛情込めて抱きしめてくれるものだから、抵抗する気力が削がれてしまっていた。

 ……ただ、秒単位で紫の視線が鋭く恐ろしくなっていくのは困ってしまう。

 

「あらら、恐い恐い。そんな事してたら龍人に嫌われちゃうわよん?」

「…………」

「大丈夫、まだこの子を取ったりしないから」

 

 意味深に微笑むヘカーティアに、挑発されているとわかっていても紫は表情を強張らせた。

 冷静に対応しなければと己に言い聞かせても、龍人をまるで自分のモノのように抱きしめる彼女を見ると心がざわついてしまう。

 ……まだまだ自分は未熟者だ、こんな程度で心を揺さぶられるなど。

 

「それがいいんじゃないの。どんな事でも動じないなんてそんなのつまらないわよん?」

「……余計なお世話ですわ。それよりいい加減彼を放して」

「いいじゃないの。滅多に会える訳じゃないんだから堪能したって罰は当たらないわん。――それで映姫ちゃん。この子達に“あの件”を任せてみるのはどうかしら?」

「え……?」

「あの件……? ヘカーティア、一体何の話をしているんだ?」

 

 抱きしめられたまま龍人がそう問うと、ヘカーティアはもう一度龍人を放し。

 

「ちょっとね。“魔界”に行ってほしい人材を捜しているのよ」

 

 とある依頼を、紫達へと告げた。

 その言葉に龍人は驚き、紫はいち早く反応を返す。

 

「一体どういう事かしら? あなた程の存在なら直接“魔界”に行く事は造作もないだろうし、現世に生きる者に依頼する案件には思えないのだけれど?」

 

 これだけの存在からの頼み事など、厄介以外の何物でもない。

 だから紫は言葉の端々に拒絶の意を込めながらヘカーティアへと問いかけた。

 

「それは勿論そうだけど、こっちも色々と忙しいしかといって映姫ちゃん達に頼むわけにもいかないのよん。

 そんな中、龍人達の姿を発見したからちょうどいいかなーって思ったの。あなた達なら信用できるし実力も及第点だもの」

「――お断りするわ。こちらには“魔界”に行く意味も必要もないもの」

 

 帰りましょう龍人、有無を言わさぬ雰囲気で立ち上がり龍人の手を掴む紫。

 しかし彼女がスキマを開きこの場から去る前に、ヘカーティアは逃がさぬとばかりに紫の手を掴み阻止してきた。

 殺意すら込めた金の瞳をヘカーティアへと向ける紫だったが、対する彼女はそんなものなど無意味とばかりに微笑みあっさりとそれを受け流す。

 

「少し前からなんだけど、魔界からあの世に来る生物が前よりちょっとだけ多くなった気がするのよ。

 そこで魔界神やってる私のふるーーーーーい友達の神綺(しんき)ちゃんは「気にしなくていいよ、魔界って結構殺伐としてるから」なんて言ってたけど……ちょっと気になってね」

「それで、ヘカーティアは俺達にそれを調査してもらいたいってわけか?」

「そういう事、龍人は察しがよくて助かるわん」

 

 そう言って、三度龍人を抱きしめようとするヘカーティアであったが。

 今度はさせるかと、間に割って入った紫によって阻止された。

 睨み合う2人、しかしその光景は傍から見ると小動物同士のいがみ合いのようなしょうもなさを感じさせた。

 

「……行く必要が微塵も感じられないのだけれど?」

「あなた達にとってプラスになると思うわよん? なにせ魔界は多くの強者が居るもの。

 いずれ倒さねばならない相手に対して、力を付けたいと思っているでしょ?」

「…………」

「それに勿論報酬は与えるわ。成功したらの話だけど」

 

 さあどうする? 瞳でそう訴えるヘカーティアに対し、紫は沈黙し思案する。

 この案件は間違いなく厄介事になる、それは紛れもない事実だろう。

 けれど“魔界”には久しく会えていない友人が居る、それに魔界神とやらとの関係を築くというのも悪い話ではない。

 何よりも、地獄の女神であるヘカーティアや閻魔である映姫に対し借りを作っておけるというのも魅力的だ。

 彼女の言う報酬というのも気になる、ヘカーティアほどの者が自らの言葉を偽りのものにするとは思えないし報酬の件に偽りはないと断言できる。

 

 だがそれ以上に、“関わりたくない”という本音が頭に過った。

 魔界はこの地上とは違う異界の1つ、人間が恐れる“悪魔”と呼ばれる存在が生息する世界だ。

 大妖怪といえども安易に立ち入る事はしないその世界に赴き、果たして無事に帰ってこれるのか……そんな不安が紫の中にはあった。

 安易には決められない、そう思った紫であったが。

 

「ああ、いいぞ」

 

 あっさりと、それこそ朝の挨拶を交わすかのような気軽さで。

 龍人は、地獄の女神の戯言に首を縦に振って承諾してしまった。

 

「ちょっと、龍人!!」

 

 これには紫も声を荒げ彼を非難するように睨み付けた。

 しかし龍人は何処吹く風、紫の視線に小さく笑みを返すだけだった。

 

「さっすが龍人ね。えいきっきちゃん、そういうわけだからいいわよね?」

「また勝手に……十王様達がまた文句を言いますよ?」

「そんなの言わせておけばいいのよん、それにこの件はあくまで可能性だけで“魔界”では何も変わっていないかもしれないし」

「…………」

 

 よく言う、口には出さずに映姫は心の中でヘカーティアの言葉に苦言を零した。

 彼女が気になった事なのだ、それが単なる“可能性”で終わるわけがない。

 間違いなく龍人達にはいらぬ苦労を背負わせる事になるだろう、それが映姫には心苦しかった。

 

「待ちなさい龍人、そんな簡単に」

「わかってる。でも俺だって何も考えてないわけじゃないさ。

 ヘカーティア、幾つか訊きたい事がある。その“魔界”に行く手段はなんだっていいのか?」

「ええ。紫っちの能力で行くのでしょう?」

「さて、な。まあとにかく行く手段が問われないのはわかった。

 次の質問だ。“魔界”には俺と紫以外を連れていっても構わないか?」

「それは勿論構わないわよん、“魔界”に行きたいなんて思う酔狂な存在なんて居るとは思えないけど」

 

「――よしわかった。俺が訊きたいのはそれだけだ。紫、そういうわけだから一緒に来てくれるか?」

「…………」

 

 いつものように、何の躊躇いもなく自分に手を伸ばす龍人を見て。

 紫は喉元で止まっている文句やら何やらが、あっさりと引っ込むのを感じていた。

 なんという勝手な話だろうか、最近では前より大人になってきたと思ったらこれである。

 

 ただ彼は言った、「何も考えてないわけじゃない」と。

 つまり彼は彼なりに何かしら“魔界”に行くメリットを見つけたという事だろう。

 それが何なのかは紫には考え付かないが、きっと幻想郷にとってプラスになるのは確信できた。

 紫は幻想郷を愛している、でも彼は紫と同じくらい幻想郷を愛し、その先に目を向けている。

 

「……仕方ないわね。今回だけよ?」

 

 だから紫は彼の我儘を叶えてあげる事にした。

 本当に仕方ないと、形だけの文句を述べながら。

 

「…………西行寺幽々子」

「なんでしょうか、閻魔様ー?」

「龍人と紫は、あれで何の関係もないのですか?」

「そうですねー、お2人は互いの事を家族のように思っているようですが……」

「……ありえませんね」

 

 あれでは、以心伝心の夫婦のようではないですか。

 そう呟きを零す映姫に、幽々子は小さく苦笑を漏らす。

 知らぬは本人ばかりなり、けれどだからこそ第三者から見れば面白いのだ。

 

 はてさて、果たしてあと何百年絶てばあの2人の関係は変わるのだろうか。

 もしかしたら明日には変わるかもしれないが、そう簡単にはいかないと幽々子は確信していた。

 

 できればこちらが飽きるまで今のような関係を続けてほしいものだと、しょうもない願いを抱く幽々子なのであった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




新章スタート。
魔界へ行きます、シリアスはありますがそればかりではないのでご了承ください。
楽しんでいただけたのなら幸いです。


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第94話 ~魔界、突入~

冥界にて友人の幽々子達と談笑していた紫達の前に、ヘカーティアと映姫が現れる。
そして紫と龍人は彼女から異界の1つである“魔界”へと行ってほしいと調査を依頼されてしまった……。


 妖気が漂う重苦しい空気が流れている。

 

 ヘカーティアの依頼を受け、紫は龍人と共に魔界へと赴く事に決まり、すぐさま準備を整える為に幻想郷へと戻ってきた。

 しかし、何故か龍人は幻想郷に戻るやいなや紫を連れて地底世界へと赴いていく。

 

「ねえ龍人、どうして地底に向かっているの?」

 

 紫の問いに、龍人は「ちょっとな」という曖昧な返事しか返さない。

 彼の様子に紫は怪訝な表情を浮かべるものの、とりあえずは黙ってついていく事に。

 

 特に何事もなく地底世界にある『旧都』へと到着する紫と龍人。

 だが龍人は『旧都』の入口である門は潜らず、そこから少し離れた岩山が連なる場所へと赴いた。

 ここには何もない、『旧都』以外の場所はただの不毛な大地が広がっているだけだが。

 龍人が向かった場所には、この地底には似つかわしくない巨大な“船”とそれを修理している者達の姿が見えた。

 

「一輪、雲山、水蜜ー」

「あら? 龍人じゃない」

「やっほー、龍人!!」

 

 龍人に声を掛けられ、一輪と水蜜は反応を返しながら彼に駆け寄っていく。

 雲山は頷きこそ返すものの、そのまま両手に持っていた木材を奥に見える“船”へと持っていく為に一輪達から離れていった。

 

「どうだ?」

「順調だよ。地上から来た鬼達も手伝ってくれてるから、あと数日で終わりそう!」

 

 嬉しそうに水蜜は龍人へと上記の返答を返す。

 それを聞いて龍人も笑みを浮かべ、一方の紫は内心疎外感を覚えながら口を挟んだ。

 

「一輪、あれは何かしら?」

 

 言いながら、紫は先程から見えている“船”を指差す。

 木製の立派な船はまるで座礁したかのように岩の大地へと置かれており、その周囲には地底の妖怪や……よくよく見ると勇儀と萃香もそこに加わり修理を行っている。

 何故海のない地底に船があるのか、それも疑問に思った紫であったが何よりも気になることがあった。

 

――あの船からは、僧等が扱う“法力”の流れを感じられる。

 

 仏教の教えに従い、日々修行に励む徳の高い僧侶が扱う事の出来る力、法力。

 それが船全体を包み込むような流れを放っている事に紫は気づき、同時に何故そのような船がこの地底にあるのか疑問に思ったのだ。

 それだけではない、法力の他にも何か変わった力が。

 龍人の“龍気”に似たような力が、僅かだが感じられる。

 

「――この船は“星輦船(せいれんせん)”、法力の力で大空を飛ぶ事のできる聖なる船よ」

「法力? 妖怪であるあなた達が何故法力を扱えるのかしら?」

「そんな事はできないわよ。この船に込められた法力は遥か昔、聖様の弟である聖命蓮様が込めた法力なの」

「成る程。――それで龍人、まさかとは思うけど」

「魔界に行くのなら、一輪達も連れて行った方がいいだろ? 恩人を助ける為にさ」

 

 その言葉を聞いて、紫は彼が何故いきなり地底に向かったのかを理解し、大袈裟にため息を吐き出した。

 ……何故彼がヘカーティアの依頼をあっさりと引き受けたのか、合点がいった。

 要するに彼は一輪達の恩人である聖白蓮という僧侶を魔界から連れ出すために、あの依頼を受けたのだ。

 彼らしい考えだとは思うが、自ら面倒事に首を突っ込むのは自重してほしいものである。

 

「魔界に行く、ですって?」

「ああ、実はな」

 

 龍人は一輪達に、冥界での会話の内容を話した。

 その内容に一輪達は驚いたが、魔界に行くと言われ彼女達はすぐさま同行を願い出てきた。

 当然龍人はそれを承諾する、そもそも魔界に行くと決めた最大の理由が彼女達の恩人を助ける為なのだ、同行を許可しないわけがなかった。

 

「それじゃあ一刻も早く“星輦船”を直さないとね!!」

 

 気合を入れ直し、水蜜は星輦船の修理する為にその場から走り去る。

 

「魔界に行くのなら、私の能力があれば充分なのだけれど……まさか、あの船も持っていくつもり?」

「ええそうよ。……聖様はあの船に込められた命蓮様の力を利用して封印された、つまり封印を解く為には」

「あの船そのものが必要、と。それにしてもその聖命蓮という僧はとんでもない法力をその身に宿していたのね」

 

 物質に込められた力というのは例外を除き、年月が過ぎれば少しずつ抜け落ちてしまうものだ。

 ましてやここは妖怪しかいない地底世界、邪気が溢れたこの世界の中でもあの船からは無垢な力が溢れている。

 しかも妖怪が乗っても影響を及ぼさない法力を扱えるなど、並の僧侶ではないと物語っているようなものだ。

 

「命蓮様は聖様の弟であると同時に法力の手ほどきを受けていた謂わば師でもあったらしいわ。

 大僧正と呼ぶに相応しい聖様曰く「本物の聖人だった」らしいから、人の身でありながら破格の存在だったのでしょうね」

「…………本当に人間だったのかしらね、聖命蓮という人物は」

 

 それだけの評価ならば、今頃彼は“天人”にでもなっているのだろうか。

 何にせよ存命している内に会わなくて良かったと紫は安堵する、会っていたら間違いなく滅せられていただろうから。

 割と本気で紫がそう言葉を零すと、一輪はまるで同意するかのように苦笑を浮かべた。

 

「よし、じゃああの船が直り次第“魔界”に行こう」

「はいはいわかりました、今回も貴方の我儘に従うとしましょうか」

「なんだよ、俺ってそんなに紫を振り回してるのか?」

「――まさか、本気で言っているわけではないですわよね?」

 

 にっこりと、極上を笑みを龍人に向ける紫。

 だが目はちっとも笑ってはおらず、彼を責め立てるように冷たい色を宿していた。

 それを見て龍人は沈黙し、紫から視線を逸らすが当然彼女はそれを許さない。

 

「あら龍人、どうして目を逸らすのかしら? 別に後ろめたい事があるわけじゃないでしょう?」

「あ、えっと……すみません……」

「何に対して謝っているのかしら? それに、謝るのならちゃんと相手の目を見て言わないと駄目じゃない」

「…………」

 

 龍人、完全に撃沈。

 それでも紫は薄気味悪い笑みを崩さず、尚も龍人を弄り倒す。

 

 それを少し離れた場所から見ていた一輪は、こう思った。

 大妖怪というのは、存外に子供みたいなのが多いのかもしれない、と。

 

 

 

 

 五日という時間が過ぎ去った。

 龍人と紫は幻想郷にて魔界へと向かう準備――乱暴な物言いになるが、戦闘用の札や武器を用意し。

 六日目の太陽が真上に位置する時間になったと同時に、地底から空飛ぶ船が姿を現し幻想郷の大地へと降り立った。

 

 木造の、立派で大きく何処か神秘的な船を遠巻きで見つめる里の者達。

 中には両手を合わせ拝む者まで現れ、この船そのものがご神体のような認識を周囲に与えていた。

 無理もあるまい、この船から発せられる空気は清らかで澄んだものなのだ。

 やはりこの船は色々な意味でただの船ではないと再認識しつつ、紫は龍人と藍と共に星輦船へと乗り込んだ。

 

「おまたせー、そっちの準備はできてる?」

 

 紫達を迎える一輪と水蜜、そして雲山。

 

「ああ、俺達は大丈夫だ」

「俺達は?」

「少し待っててくれ。すぐに来るだろうから」

 

 龍人がそう言った瞬間。

 星輦船に、2人の女性が降り立った。

 

 1人はアレンジされた巫女服を着た女性、博麗零。

 そしてもう1人は、長く美しい銀の髪が特徴的な美女、八意永琳であった。

 見慣れない者達が星輦船に乗り込んだ事に、一輪達は僅かに表情を強張らせる。

 

「この2人も、魔界に行きたいらしくてさ」

「魔界には強力な妖怪やら悪魔やら居るって話だし、単純に興味が湧いたのよ」

 

 そう言ったのは零、彼女は紫達から今回の事を聞き好奇心のままに同行を願い出た。

 里の、人間の守護者である彼女を幻想郷から離れされる事に当初紫は難色を示したものの、零の強引さと“とある理由”から同行を許可したのだ。

 代わりに自分達が居ない間の幻想郷は妹紅や慧音、輝夜に妖怪の山の連中に任せているので、少しの期間ならば大丈夫だろう。

 

「私は魔界に生息している生物の生態調査と薬の材料の採取よ。魔界にしか生えていない薬草や毒草といったものが存在するからね」

 

 そう告げるのは、永琳。

 薬師である彼女にとって、魔界とは一種の宝物庫に等しい場所だ。

 魔界にしか生えぬ特殊な薬草や毒草、鉱石、生物はどれも薬の材料としては一級品ばかり。

 いまだ勤勉で行動的な彼女だからこそ、今回の魔界探索は大いに魅力的なものであった。

 

 とはいえ心配事はある、当然それは輝夜の事だ。

 自分が居ない間、好き勝手をしなければよいのだが……。

 まあ妹紅達に輝夜の監視を頼んでいるので、大丈夫だろう。

 寧ろ逆に厳しく躾けられる可能性すらある、妹紅はともかく慧音は生真面目が過ぎるきらいがあるからだ。

 

 予想していなかった同行者の存在を知らされた一輪達であったが、彼女達に反対する意志はなかった。

 紫と龍人の知り合いならば信用はできるし、この2人から感じられる力は並大抵のものではない。

 ……魔界という危険地帯に行くには、申し分ない実力を秘めている。

 

「よし、じゃあいくか」

「そうだね。――星輦船、発進!!」

 

 水蜜の元気な声に鼓動するように、星輦船がゆっくりと浮上を始める。

 下では紫達を見送る里の者達が大勢で手を振っており、紫はそれに応えつつ前方に巨大なスキマを展開させていく。

 繋げる先は当然目的地である魔界、だが彼女自身魔界に行った事がないことと“異界”であるが故に繋げる場所を特定する事はできなかった。

 だがそれでいい、まずは魔界に行く事が先決なのだから。

 

「紫」

「? 零……?」

 

 異界へと繋げるスキマを開くには、それ相応の時間を要する。

 意識を集中させ能力を使っていた紫に、零が何処か緊迫した様子で話しかけてきた。

 紫の集中を乱しかねないその行動ではあったが、彼女はどうしても伝えなければならない“危機”を感じ取っていた。

 

「魔界に着いたら、一瞬も油断しない方がいいわ。――私の勘は、良くも悪くも当たるから」

「…………」

 

 その言葉に、紫は無言で頷きを返す。

 魔界が危険な場所だというのは、紫とて事前に理解していた事だ。

 地上よりも『弱肉強食』の意識が根深く残る魔界は、常になにかしらの争いが発生しているという。

 たとえこちらが望まなくとも、その争いにはほぼ間違いなく巻き込まれてしまうだろう。

 だからこそこの数日、紫は色々と準備を進めてきたのだ。

 

 魔界へと続くスキマが、開いた。

 その中へとゆっくりとした速度で入っていく星輦船。

 そして、移動は一瞬で終わり――魔界の大地が紫達の前に姿を現した。

 

 緑など存在しない、岩肌だらけの大地。

 けれど空は明るく、“魔界”という名の割にはその景色は美しいものであった。

 空気も淀んではおらず、地底世界より酷い環境を予想していた紫達はある意味拍子抜けしてしまう。

 

「……綺麗だなー」

 

 そんな呟きが、水蜜の口から零れた。

 それはこの場に居る全員の代弁でもあり、誰もが争いが絶えないと恐れられる“魔界”の景色に心が奪われていた。

 

 しかしそれも一瞬のこと、我に帰った紫達はすぐに周囲を警戒する。

 “魔界”の住人達にとって自分達はただの余所者、まず間違いなく警戒され最悪一方的に戦いを仕掛けられるだろう。

 当然紫達はそんな事を望まないが、都合の良い展開を期待できないのも確かであった。

 周囲の気配を探るが、感じ取れるのは小動物のような小さな気配のみ。

 少なくとも近くに自分達に敵意を見せる存在は居ない、そう思った紫達は張り詰めていた空気を少しだけ緩めて。

 

 

――風切り音と共に、龍人に向かって放たれた銀光を視界に捉えた。

 

 

「――――」

 

 最初に龍人へと襲い掛かったのは、喪失感。

 自分の、喪ってはいけないものを喪ってしまったという感覚に、龍人の思考は停止の一途を辿る。

 一体何が起きたのか、間の抜けた表情を浮かべながら彼は。

 

 鮮血と共に自分の身体から離れ宙を舞い、霞のように霧散した右腕を見た――

 

「ぎ――っ!?」

 

 停止しかけた龍人の思考が、激痛によって強引に呼び戻される。

 同時に、今度は彼の首を両断しようと再び銀光が奔り。

 それを阻止しようと、三条の光が降り注いだ。

 

「っ」

 

 息を呑む音と共に、何かが龍人の傍から離れていく。

 三条の光――永琳が放った矢は虚しく彼方へと飛んでいき、彼女はそれに構わず再び弓を構えた。

 だが永琳の指から装填した矢が放たれる事はなく、星輦船から紫と一輪が同時に飛び出し第三者へと攻撃を仕掛ける。

 

 先に仕掛けたのは一輪、雲山を操る彼女は彼の拳を一瞬で巨大化させ相手を叩き潰さんとばかりに右の拳を繰り出した。

 鉄塊すら粉々に砕くその一撃はしかし、相手には届かず空振りに終わる。

 続いて紫が光魔と闇魔を手に持ち、上段から相手を斬り伏せようと振り下ろし。

 

「っ、お前……!」

「…………」

 

 その一撃を、白銀の輝きを持つ神剣によって受け止められると同時に。

 紫は、龍人へと襲い掛かった存在が赤髪の女性――アリア・ミスナ・エストプラムだとわかり、一瞬でその瞳に怒りと憎悪の色を宿らせた。

 互いに持っていた剣で弾き合い、紫は星輦船に着地しアリアは空中で態勢を整えながら――冷たい目で、紫達を見下ろす。

 瞳には絶対的な敵意と殺意だけが込められ、その全てが紫……ではなく、龍人だけに向けられていた。

 

「…………」

 

 おかしい、と紫は腕を斬り飛ばされた龍人の元へと駆け寄らずに、ぽつりと呟いた。

 彼ならば大丈夫、既に永琳が治療を行っている。

 今の自分がすべき事は、一瞬たりともアリアから目を逸らさずにいつでも戦えるようにする事だ。

 ……だというのに、紫の中はアリアに対する確かな違和感に埋め尽くされていた。

 

「……アリア、あなたは」

「囀るな、紫」

 

 口を開いた紫に、アリアは囁くように告げる。

 その言葉の冷たさに恐ろしさに、紫だけでなく傍に居た一輪達もぶるりと身体を震わせた。

 同時に紫の中にあった違和感が、再び大きくなった。

 

 今の彼女には、彼女自身の意志というものが感じられない。

 まるで人形、主が動かさなくては沈黙を続けることしかできない人形を思わせる無機質さだけしか見受けられない。

 

「…………どういう事なの。腕の再生ができない」

 

 驚愕に満ちた永琳の声が、紫の耳に入る。

 天才と呼べる知識を持つ彼女ならば、腕の一本や二本など自身が作る薬ですぐに生やす事ができるというのに。

 龍人の喪われた右腕部分を見た瞬間、彼女は自分の薬では治せないと思い知らされていた。

 

「無駄だ。ワタシの()()()で斬り捨てたものを、貴様程度が治せると思っているのか?」

「――――」

 

 聞き慣れた単語が、紫の耳に入る。

 その瞬間――彼女の中でずっと根付いていた予想が、確信へと変わってしまった。

 龍人をお願いと永琳達に告げ、紫は飛翔しアリアと真っ向から対峙する。

 

「…………」

「無様ね紫、所詮あなたでは彼を守ることなどできない」

「相も変わらず嫌われたものね。それよりアリア、貴女……随分と余裕がないように見えるけど?」

「……お喋りが過ぎるわね、一刻も早くワタシに殺されたいと見える」

 

 手に持つ神剣の切っ先を紫に向けるアリア。

 対する紫も、光魔と闇魔を静かに構え、いつでも仕掛けられるように妖力を開放させた。

 臨戦態勢へと入った紫であったが、アリアはそんな彼女を嘲笑うかのように口元に歪んだ笑みを刻ませる。

 

「笑わせてくれる……本気でワタシに勝てるとでも?」

「負けるわけにはいかないのよ、それに……私は貴女が気に入らないの」

「あら奇遇ね、ワタシもよ」

 

 互いの殺気が昂ぶっていく。

 2人の瞳には相手に対する憎しみの色しかなく、濃厚な殺意は凄まじい威圧感を周囲に与えていた。

 

「もう終わりにしましょうアリア、貴女との因縁もいい加減飽きてきた所だから」

「ええ、そうね。もう疲れたでしょう紫? 叶いもしない願いを抱き続けて、自分を押し殺す道を歩むのは」

「……なんですって?」

「彼の傍に居るせいで、あなたはいつだって自分自身を押し殺してきたでしょう?

 本当は人間なんてどうだっていいくせに、彼が人と妖怪が共に生きれる世界を望んだから付き添っているだけ。

 そんな世界など永遠に訪れないとわかっているけど、彼のあまりに馬鹿馬鹿しく笑うしかないその夢が珍しいから付き合っているだけでしょう?」

「…………」

 

 まるで心に遠慮なく手を突っ込まれ、乱暴に掴み上げ揺さぶられるような感覚に襲われる。

 皮肉と嘲り、そしてほんの僅かな羨望と嫉妬を込めたアリアの言葉は、すんなりと紫の全身へと沈み込んでいく。

 

「無意味なのよ彼の道は、人と妖怪が共に生きる世界? そんなもの、都合の良い夢物語の中にしか存在しない。

 いずれ人の時代が来て、妖怪と呼ばれる者達は追いやられ忘れられていく。

 それなのに、人の身勝手さに振り回されるだけだとわかっているのに、どうして尚も人の為に生きようとするのか理解に苦しむわ」

 

 そんな道になど何の価値もないと、アリアは吐き捨てた。

 それを聞いた紫は当然より一層アリアに対する怒りを湧き上がらせていくが……同時に、その言葉を否定する事ができなかった。

 夢物語、そう吐き捨てたアリアの言葉は決して間違いだけしかない言葉ではない。

 特に紫にとって、アリアの言葉はどんな他者が放つ言葉よりも心に響いてくる。

 

「後悔するわあなたは、こんな道など歩まなければよかったと……龍人と出会わなければよかったと、後悔する日は遠くない。だから」

 

 だから、今すぐに楽にしてあげるわ。

 無慈悲に言い放ち、アリアが動く。

 対する紫も、一瞬で光魔と闇魔に妖力を送りながら、向かってくるアリアを斬り捨てようとして。

 

「――友達を侮辱するの、やめてくれない? そういうの、私大っ嫌いなのよね」

 

 真横から割って入った零が、アリアとの間合いをゼロにして。

 霊力を込めた左足による回し蹴りを、容赦なく彼女の身体へと叩き込んだ光景を視界に捉えた――

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたのなら嬉しく思います。
また長くなりそうですが、お付き合いしてくださると幸いです。


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第95話 ~龍の子の喪失~

魔界へと赴いた紫達の前に、アリアが姿を現した。
今までの彼女とは違う雰囲気を感じつつ、紫は今度こそ決着を着ける為に妖刀を手にアリアと死闘を繰り広げ始めた。


――大砲じみた衝撃が、アリアの全身に駆け巡る。

 

 零が放った蹴りは人間とは思えない程に凄まじく、この一撃だけで並の妖怪ならば粉々に砕かれる程の破壊力が込められていた。

 しかしそれでもアリアは僅かに口から血を吐き出すだけに留まり、それを見た零は彼女の頑強さに驚きつつも追撃を仕掛ける。

 

 瞬時に懐から取り出したのは、槍のような鋭さを持つ針だった。

 零が妖怪退治の際に用いる武器の1つ、通称“封魔針”に霊力を込めつつアリアへと投擲する。

 一尺程の長さの針が風を切り裂きながら放たれ、その全てがアリアの身体に突き刺さり――爆発した。

 爆風を受けながら、零はアリアから間合いを離し追撃を仕掛けようと懐から札を取り出す。

 

「っ」

 

 悪寒が走り、零は咄嗟に身体を横に移動させる。

 瞬間、爆風の中からアリアが飛び出し零に向かって神剣による突きを繰り出した。

 天性の直感力を駆使して事前に回避していた恩恵か直撃は免れたものの、神剣の剣圧は霊力で守護された巫女装束を容易く貫き彼女の左脇腹に裂傷を刻ませる。

 

「ぐっ……!?」

「――流石初代“博麗の巫女”ね。一番才能を受け継いだ“あの子”と同等かそれ以上だわ」

「っ、わけわかんない事言わないでよね!!」

 

 激痛に耐えながら、零は左の拳を振り上げた。

 だが遅い、零が攻撃を繰り出す前にアリアの行動は終了していた。

 

「は……!?」

 

 振り上げた左腕が動かない。

 何事かと視線を腕に向けると、零の左腕に毒々しい色をした紐のような物体が巻きついていた。

 その物体が放たれている先端には漆黒の孔が開いており、零は“それ”に何か近視感のようなものを感じ取る。

 隙を見せた零に対し、アリアは彼女の身体を両断しようと神剣を上段から振り下ろした。

 

「っ、くっ!!」

「……チッ」

 

 忌々しげに舌打ちを放つアリア。

 確実に零の命を奪い去る一撃を、横から割って入った紫の光魔と闇魔が受け止める。

 けれど実力の差か、受け止めた紫の表情は苦しげに歪み今にも押し切られそうな程に余裕がない。

 

「相手と自分の力量差も弁えずに立ち向かうなんて、臆病なあなたには不釣合いな愚行ね」

「が、ぐ……!?」

 

 腹部を蹴られ、息を詰まらせながら吹き飛ぶ紫。

 

「雲山!!」

 

 放っておけばどこまでも飛んでいってしまいそうな紫を、一輪の命を受けた雲山は自身の身体でしっかりと受け止める。

 彼に感謝しつつ、紫は再びアリアへと向かって斬り込んでいった。

 

 右の光魔による横薙ぎの一撃。

 弾かれる、すかさず左の闇魔で下段からの斬り上げを仕掛けた。

 それも不発、そればかりか返す刀で首を薙ごうとする神剣が紫に迫る……!

 

「っ、ぁ……!」

 

 受けられる態勢ではなく、身体を捻って紫を回避を試みる。

 それでも完全な回避には至らず、神剣の刃が紫の身体を一閃した。

 

「づ、いっ……!」

 

 致命傷には及ばない傷はしかし、決して浅いわけではない。

 服が血で真っ赤に染まっていく。

 紫は痛みに耐えながら二刀を同時に相手目掛けて叩き落した。

 

「…………はっ」

「なっ……」

 

 それを、アリアは容易く弾き、防いでしまう。

 全力に近い一撃防がれ、紫はアリアとの埋められない差を思い知った。

 

「そんな程度の力量で太刀打ちできると本気で思ったのかしら? 如何に妖力量が増し戦闘経験を積んだとしてもあなたは剣士じゃない。

 本来のあなたは相手に自分の力量を隠しながら、小賢しい手を用いて翻弄し惑わす低レベルな戦いしかできないのよ。

 それなのにいっぱしの剣士気取りで妖刀を振るうような戦い方をした所で、適わないのは当然よ」

 

 明らかな嘲笑と侮蔑を込めながら、アリアはそう吐き捨てる。

 お前は弱い、そして自分にはどう足掻いても適わないと瞳で訴えるアリアに、紫は反論を返せなかった。

 とうの昔に自分とアリアの実力差は明白だと理解していた、それでも心の中で認めずにこうして彼女に立ち向かっている。

 なんて無謀で無意味な反抗心か、適わないと知って立ち向かうなどそれこそ愚の骨頂。

 

 紫の聡明で冷静な理性は、自分自身に戦うのをやめろと訴えている。

 戦った所で意味がない、自分では彼女に遠く及ばないとただただ事実だけを告げていた。

 

 ……そんな事、自身に言われなくても紫はわかっている。

 わかった上で立ち向かっているのだ、ならば負けを認めるわけにはいかないのは道理であった。

 痛みは既に全身に回っているが、それでもこの身から一片の闘志も消えていない以上、戦いを放棄するわけにはいかない。

 そんな紫を見て、アリアは忌々しげに……同時に憐れみを込めて、口を開く。

 

「……その考えがそもそもの間違いなのよ紫、あなたは龍人に影響され過ぎた。

 本来のあなたは妖怪らしい妖怪で、妖怪の存続の為ならば人間なんてどうなろうとも関係ないと思っている筈よ。

 もう楽になってしまいなさい、自分を押し殺して好きでもない人間の為に己が力を振るおうとするのはやめなさい」

「アリア……?」

 

 おもわず、紫は攻撃の手を止めてしまう。

 ……彼女の言葉が、侵蝕するように紫の全身へと渡っていく。

 その言葉に頷かなければいけないと、理性だけでなく感情も頷こうとして。

 

「あ、は……ぁ……」

 

 苦しげな息を吐き、右腕の喪失感と戦っている龍人の息遣いを、耳に入れた。

 その瞬間、紫の心からアリアの言葉が消え、怒りと憎しみが全てを占めていった。

 負の感情に呼応するかのように、溢れ出していく紫の妖力。

 

「…………もう手遅れね。可哀想な紫、彼に出会ってしまった故に破滅の道を歩む事になってしまって」

「彼の侮辱は許さない、たとえ誰であってもよ!!」

「その感情が間違いだと気づかないの? ――でもそうね。間違いだと気づかなかったからこそ……ここまで来てしまったのだから」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべつつ、アリアは右手に持っていた神剣を消し去る。

 そして上空へと飛んでいき――決着を着ける為に、己が妖力と能力を開放した。

 

「くっ……!?」

 

 紫は確信する、次にアリアが放つのはまぎれもなく“必殺”のものだと。

 防ぎきる事はできない、かといって逃げる事も叶わない。

 それだけ次に放たれる攻撃は、範囲が広いものだと()()()()()()()()()()()()

 

 その理由を考えている余裕など、今は存在しない。

 すぐさま星輦船に降り立ち、船全体を包み込む結界を張り始める紫。

 

「零、あなたも手伝って!!」

「了解。けどあれは……」

 

 零の直感が、次に放つアリアの攻撃の正体をおぼろげながら理解し始めていた。

 けれどそれはありえないと零自身が否定する、何故ならそれは……。

 

「零!!」

「っ、そうね……今は余計な事を考えないようにしないと」

「一輪、雲山、水蜜達は星輦船そのものの防御を!! 永琳、あなたは龍人の事だけを――」

 

 守って頂戴、そう言い掛けながら龍人達へと視線を向けた紫の目に信じ難い光景が映る。

 

「龍人、やめなさい!!」

「は、ぁ――あ――」

 

 永琳の制止の声に耳を貸さず、苦悶の表情を浮かべながら立ち上がる龍人。

 呼吸するのも困難な様子だというのに、彼は残る左腕に“龍気”を集めていく。

 

「は、はぁ……あぁぁ……!」

「…………」

 

 右腕を斬り飛ばされたというのに、それでも皆を守ろうとする龍人を見て。

 アリアは、眩しいものを見るかのような視線を彼に向けながら。

 

 

「――――()()()()()()

 

 

 自身の周りの空間を歪ませ、数十という大穴を展開し。

 そこから、流星の如し勢いで漆黒の光弾を撃ち放つ……!

 

「――――」

 

 死ぬ。

 当然のように理解し、当たり前のように紫は自分達の死を受け入れた。

 迫る流星は自分達の結界を易々と貫き、この星輦船ごと肉体を撃ち砕いていく。

 不死である永琳ならばまだ生き残れるかもしれないが、自分達はここで死ぬと確信した。

 

 ……だが。

 その絶望的な中でも、“彼”は諦める事を知らなかった。

 

「まだ、だ……まだ、こんな所で……!」

「龍人――」

「こんな所で――死んでたまるかああああっ!!!!」

 

 激昂し、結界の外へと飛び出し迫る流星へと自ら向かっていく龍人。

 自分に迫る絶対的な死も、恐怖も、今の彼には関係ない。

 頭を占めるのは、紫達を守るという決意のみ。

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

 それだけを考え、彼は“龍気”を込めた左腕を無我夢中で突き出して。

 流星とぶつかり合い、彼の身体は一瞬で黒い極光に呑みこまれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………龍、人」

 

 爆風が容赦なく吹き荒れる中、紫はその場で立ち尽くし視界を覆う黒い極光を見つめる。

 ……呑み込まれた彼の姿は、見えない。

 けれど如何なる奇跡か、彼の放った何かによってアリアの攻撃は勢いを削がれ紫達が展開した結界によって弾かれていく。

 

「あ……」

 

 だが、そんな事はどうでもよかった。

 彼はどうなったのか、果たして無事なのか、それとも……。

 黒い極光の中に消えた彼の姿を確認したくて、紫は覚束ない足取りで結界の外に出ようとして。

 

「何をしているの、紫!!」

 

 その足を、叱責する永琳によって止められてしまった。

 

「……龍人が、龍人が」

「今この結界から出たら死ぬわよ。それよりも意識を集中させて結界の維持に専念しなさい!!」

「…………」

 

 永琳の声が、何処か遠くから聞こえてくる。

 彼女の言う通り、展開した結界を維持しなければたちまちこの身もあの光に呑み込まれる。

 そんな事はわかっている、わかっているが……今の紫にとって、それこそどうでもいい事であった。

 今知りたいのは彼の安否だけ、それだけしか考えられない。

 

 ――やがて、極光が消えていく。

 紫と零、そして永琳までも加わったおかげか、星輦船と中に居た彼女達が怪我らしい怪我を追う事はなかった。

 吹き荒れていた暴風も収まり、その場に残ったのは星輦船に乗った紫達と。

 

「っ、救われたわね……紫」

 

 右の翼と左腕を失い、全身から血を流しながらこちらを見つめるアリアだけであった。

 

「――――」

「……龍人?」

「ちょっと待って……龍人は?」

 

 周囲を見渡す一輪と水蜜。

 けれど彼の姿は何処にもなく、彼の妖力も感じ取れない。

 それが何を意味するのか、考えるよりも先に。

 

「――これが結末よ。分不相応で叶いもしない願いを抱いた愚か者の末路なんて、結局こんなものなのよね」

 

 アリアが、認めたくない真実を口にした。

 

「っ」

 

 放たれる五本の矢。

 満身創痍となったアリアをここで確実に仕留める為に永琳が放った矢は、一撃でも受ければ容易く相手の身体を穿つ威力を持っている。

 それを五連、空を奔る銀光はアリアの命を狩り取ろうとして――その前に、彼女の姿が虚空に消えた。

 

――次はあなたの番よ紫、その時を楽しみにしてなさい。

 

 風に紛れて聞こえてくる言葉を最後に、アリアの気配は完全に消え去る。

 ……生き残れた、けれどその事実を噛み締める喜びも余裕も今の紫達には存在しない。

 あるのは無力感と、砕けそうになる心だけ。

 

「……それで、これからどうするの?」

「…………」

「しっかりしなさい紫、いつまでもこんな所で呆けているわけにはいかないのは理解できるでしょう?」

「ちょっと、そんな言い方しなくたっていいじゃない!!」

 

 永琳の言葉に、水蜜は睨みながら反発する。

 確かに彼女の言葉は正しいが、今は紫の事はそっとしておいた方が良いに決まっているというのに……。

 

「……魔界には知り合いの吸血鬼が居るわ。まずは彼女達の元へ尋ねましょう」

「わかったわ。それで何処に居るのかはわかるの?」

「いいえ。でも彼女の妖力は知っているから、それを探してみる事にするわ」

「なら紫はそれに集中なさい。周囲の警戒は私達がしておくから」

「…………ええ」

 

 ふらふらと歩き、船に背を預けるように座り込む紫。

 瞳を閉じ、意識を集中させながらかつて知り合った吸血鬼――ゼフィーリア・スカーレットの妖力を探索する。

 

 ……龍人を失った彼女の瞳から、涙が零れる。

 それが頬を伝い、静かに下へと落ちる感覚を確かめながら、それでも彼女は気づかないフリをした。

 だってそれに気づいてしまえば、認めざるをえなくなる。

 

 だから紫は気づいているのに気づかないフリを続けた。

 いずれ認めなければいけないと、心のどこかで理解しながら……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第96話 ~魔界神の元へ~

アリアとの戦闘にて、龍人が消えてしまった……。
悲しみに暮れる紫であったが、一先ず彼女達はかつて共に戦い友人となったゼフィーリア・スカーレットの元へと尋ねる事に。


「――究極の阿呆よな。お前はいつからそんな愚か者になったのだ?」

 

 最大級の呆れと失望を込めた女性の声が、紫の耳に入っていく。

 その言葉に紫は反論を返したかったが、口を開く事ができなかった。

 いや、正確には反論を返す覇気が今の彼女には存在していなかった。

 

「情けない……確かに力は前よりも増しているが、心は相も変わらず弱いまま。

 それでもこのゼフィーリア・スカーレットの友を自称する大妖怪か? 久しぶりに会えたというのに、これでは会わぬ方が良かったと思える」

 

 尚も容赦なく紫を責め立てるのは、青みがかった長い銀髪とアクアマリンの瞳を持つ絶世の美女であり最強の吸血鬼。

 現在魔界にて新たに再建した紅魔館の主に就いている、ゼフィーリア・スカーレットであった。

 

 自分を尋ねてきてくれた紫達を早速歓迎したゼフィーリアであったが、どうも彼女達の様子がおかしく、何よりも常に紫の傍に居る筈である龍人の姿がない事に彼女は気づいた。

 なので紫だけを自室に招き、事情を訊いた所……アリアとの戦いにて命を落としたと言うではないか。

 だから彼女は呆れた、よもやそんな与太話を本気で言うとは夢にも思っていなかったからだ。

 

「貴様、本気であの男が死んだと……そう思っているのか?」

「…………」

「……失望した。まさかお前のあやつに対する感情がそこまで薄っぺらで価値のないものだとは思わなかったぞ」

「…………生きているとは思えない。それに彼の力はどこにも感じられなくなっているのよ?」

 

 勿論、紫とて何もしなかったわけではない。

 あの場から一度は離れようとして、けれどやっぱり認める事ができなかったから周囲を捜しに捜し抜いた。

 自分だけの探知では足りないと思い、永琳達にも勿論協力を頼んだ。

 けれど彼の力の残滓は勿論、何も見つける事ができなかったのだ。

 

「死体は見ていないのだろう?」

「あれの直撃に巻き込まれて、肉体が残るとは思えない」

「だが見ていないのだろう? あの男が簡単に死ぬものか、何せこのゼフィーリア・スカーレットが夫以外に認める唯一の男なのだからな」

「…………」

 

 根拠のない発言に、今度は紫が呆れてしまった。

 けれど、これも彼女なりの励ましなのだと思うと……少しだけ、気が晴れてくれた。

 

「ありがとうゼフィーリア、少し気が晴れたわ」

「何を言っている? 余は本気で龍人が死んだとは思っていないぞ?」

「……でも」

「お前が信じないでどうする。龍人は生きていると、誰よりもお前が願わなければおかしいだろう?

 どんなに都合が良い事だろうとも、愛する者の生存を願うのは当たり前だ。お前は少し理屈が過ぎる」

 

 そう言って、ゼフィーリアはあやすように紫の頭を撫で始めた。

 子供扱いされていると理解し振り払おうとする紫であったが、それこそ子供の反応なので黙って受け入れる事にした。

 ……ゼフィーリアの言う通り、都合の良い話かもしれない。

 けれど、紫の本心は彼の生存を望んでいる。

 

 たとえ目の前で消えてしまった光景を目にしていたとしても、生きていてほしいと願っている。

 そんな事はありえないと他ならぬ自分自身が認めていても、この願いは捨てられない。

 紫の瞳から悲壮感が消え、そんな彼女を見てゼフィーリアは満足そうに笑みを作りながら席から立ち上がった。

 

「――とはいえ、やはり確実な現実を認識せねばその不安は拭えまい。出掛けるぞ、紫」

「どこへ……?」

 

 立ち上がったゼフィーリアに視線を向けながら、紫は問う。

 すると彼女は、そんな事もわからないのかと言わんばかりの表情を紫に向けながら。

 

「この魔界を生み出し、その全てを視る事ができる魔界神――神綺(しんき)の元へだ。

 そこにいけば龍人が生きているという余の言葉が真実であると認められるし、お前が連れてきた者共の目的も果たせるだろうからな」

 

 そう言って、紫に対し右手を伸ばし彼女を立ち上がらせた。

 

 

 

 

 魔界の空を、星輦船が飛んでいく。

 目指すはゼフィーリアの古い友人であり、この世界を創り上げたという魔界神が統治する魔界都市へだ。

 

「空飛ぶ船とは中々に珍しいものだが、退屈で仕方がない。

 おいそこの幽霊と入道使い、何か芸を見せて余の退屈を紛らわせろ」

「なんで私達がそんな事しなくちゃいけないのよ!!」

「同感ね。そもそも、あなたのような傲慢の塊のような存在に見せるものなんて何もないわ」

「よく吼える。気概だけは一人前よな」

『…………』

 

 紅魔館から勝手に積み込んだ装飾多々な椅子に座るゼフィーリアに、一輪と水蜜は敵意を込めた目を向ける。

 対するゼフィーリアはそんな2人の態度の何が可笑しいのか、口元には彼女達を小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。

 両者の間に流れる空気が重くなる中、その間に挟まれた雲山はどうすればいいのか困惑するばかり。

 

「……西洋の妖怪って、みんなあんな感じなの?」

 

 少し離れた場所からその光景を眺めている零が、呆れを含んだ口調で紫へと問うた。

 その問いに紫は肩を竦めつつ、「あれは持病のようなものだから」という割と失礼な答えを返した。

 

「それにしても、魔界ってもっとこうおどろおどろしい想像だったんだけど……綺麗なものよね」

 

 下に広がる魔界の大地を見ながら、零は言う。

 地上に比べれば緑が少ない大地ではあるが、見た事のない美しい花々や雄大な滝など見ていて楽しい景色があちこちで見られる。

 魔界は悪魔の巣窟というイメージを持っていた零にとって、地上とそう変わらない魔界という世界は良い意味での驚きを彼女に与えていた。

 

「この世界を造った魔界神の影響でしょうね。彼女は闘争心が他の生物より高い魔界人の中では温厚だという話だから」

「えーりん先生、やけに詳しいわね」

「会った事も見た事もないけど、これでも長生きしているから異界の知識だって持っているのよ。それより今の言い方、何か引っ掛かるんだけど?」

「だってなんか先生みたいだし実際お医者さんでしょ? だからえーりん先生って呼ぶ事にしたの」

「本業は医者ではないのだけれどね……」

 

 だがまあ、先生と呼ばれるのは内心ちょっとだけ楽しいと思う永琳なのであった。

 

「こうして本格的に話をするのは初めてだけど、あなたってなんというか……純粋な人間なのね」

「むっ、それはつまり私が子供のようだと言いたいの?」

 

 拗ねたように頬を膨らませる零。

 それを見て永琳は苦笑しつつ「違う違う」と否定するが、今の彼女は正直子供っぽいと思ってしまった。

 

「見た目とか行動とかじゃなくて、その在り方や魂が純粋って意味よ。ただの人間なのにそういうのは珍しいものだから」

「そうかなー? 結構私って人間妖怪関係なく自分が悪いヤツだと思ったのは容赦なく葬ってきたけど」

「それを差し引いても、よ。龍人族が編み出した秘術を扱える者なのだから、根が純粋なのはある意味当然なのかもしれないけど」

「んん? それってどういう意味? 教えて、えーりん先生」

 

 寺子屋の生徒のように右手を挙げる零に、永琳もそのノリに乗ったのかまるで先生のような態度で一度咳払いをして、その問いに答えを返した。

 

「龍人族は龍神の力の一部を与えられたからか、その魂は生物よりも神々寄りなものに変革しているのよ。

 だからこそその在り方や魂は限りなく澄んでいるし、そもそもそうでなければ龍神の力を扱える事ができないの」

 

 如何に生物でも扱える力に変えたとはいえ、元は神々である龍神の力だ。

 穢れた魂を持つ者には扱える力ではないし、扱えるものではない。

 その龍人族が自らの力を参考にして創り上げた“博麗の秘術”ならば、当然ただ霊力がある人間に扱えるわけではなく。

 単純な“強さ”や“才能”では辿り着く事などできない、“人間”でありながら“魂の清らかさ”を持つ零にしか扱えないのはある意味では当然の事であった。

 

「……へへー、聞いた紫? 私ってものすごく凄いみたいよ?」

「はいはいそうね。今の一言で全て台無しだけど」

「あれ? ちょっと紫さん、なんだか視線が冷たいのですが?」

 

 呆れと嘲笑を含んだ表情を向けてくる紫に、零は大袈裟にショックを受けたような仕草を見せる。

 それを見て、紫と永琳は揃って彼女に向かって苦笑を浮かべたのであった。

 

「――よかった。少しだけど元気出たみたいで」

「…………」

「紫は私にとって大事な友達だしさ、やっぱりさっきみたいに落ち込んでると私も悲しいし嫌なんだ」

「零……」

 

 ……心配を、掛けてしまったようだ。

 これでは藍に死ぬほど心配されてしまう、まだ彼女を連れて来なくて良かったと紫は安堵する。

 

「――――見えたぞ」

 

 ぎゃいぎゃいと喚く水蜜を適当にあしらっているゼフィーリアは、ぽつりと呟く。

 その声を広い、紫達は視線を前方へと向け――見えてきた魔界都市を視界に収め、驚愕する。

 

 都市、というくらいなのだからその広さは相当なものだと認識していた。

 しかし見えてきた魔界都市の大きさはその認識が甘いものだと思ってしまう程に、広大であり同時に美しかった。

 周りを古の城壁で囲んだ内部は、欧州にて見られる建造物に似た建物が並び、古風に見えながらも同時に新しく見えた。

 その中央に見える巨大な城、そこがおそらく魔界神が暮らす城なのだろう。

 

「…………おっきい」

「これは……想像を遥かに超えているわね」

 

 周りを囲み内部に居住スペースを作るという点では、幻想郷とよく似ているがその規模は圧倒的に違い過ぎる。

 更に驚くべき事に、それだけの広さ――少なくとも半径数十キロはあろう都市部を覆うように、絶えず魔力障壁が展開されていた。

 その強固さはゼフィーリアが作れる障壁に匹敵ないし凌駕する、少なくとも紫達でも突破するには一苦労だ。

 

「あの障壁、魔界神が?」

「ああ、それも()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 絶句する。

 あれだけの強力で広範囲の障壁、常時展開などしていればあっという間に力が枯渇する。

 それをたった1人、それも絶やさず展開などともはや正気の沙汰ではない。

 あまりにも規格外な存在である魔界神の力に、紫達は絶句する事しかできなかった。

 

「さすが、ヘカーティアが古い友人と称するだけはあるって事ね……」

 

 規格外の存在の友人は、等しく規格外という事か。

 上には上が居るという次元を超えているのはわかっていたが、もはや笑う事しかできない紫の前に。

 

「――この都市に、何の用ですか?」

 

 メイド服に身を包み、右手に身の丈を大きく超える大剣を持つ女性が警戒に満ちた問いかけを放ちながら現れた。

 いつの間に星輦船に乗り込んできたのか、気配も感じずに接近された事実に驚愕しつつ一輪と水蜜は身構える。

 そんな中、紫はゆっくりと相手に敵対の意志はないとアピールしながら近づき、一礼しつつ口を開いた。

 

「私は八雲紫、地上に生きる妖怪です」

「八雲、紫……地上の妖怪が、この魔界に足を踏み入れた目的は?」

「とある調査を地獄の女神であるヘカーティア・ラピスラズリに依頼されたのが1つ、そしてその為に魔界神に御目通りを願いたいのです」

「…………」

 

 メイドの女性は暫し思案するように無言になり、やがて……紫達に向けていた切っ先を下ろす。

 

「……その言葉、全てではありませんが信じましょう。神綺様の御友人であるヘカーティア様の事を知っていた事と、そのヘカーティア様から聞かされていた八雲紫の特徴とあなたは同じですから」

「えっ、ヘカーティアから聞かされていた……?」

「ですが神綺様に出会いたいのならばこちらの指示には従ってもらいます。宜しいですね?」

 

 有無を言わさぬその威圧的な態度を向けられても、紫は黙って頷きを返した。

 争うつもりはないという事を判ってもらわねば困る、無益な戦いなどこちらは望んでいないし向こうも同じだろう。

 紫の反応に一応の納得はしたのか、女性は頷きまずは星輦船を都市の前に降ろすように指示を出した。

 素直に星輦船を降ろし、星輦船から降りる紫達。

 

 ではこちらです、こちらを一瞥してから先頭を歩き出す女性についていく紫達。

 その態度に水蜜や零は顔をしかめるが、我慢してくれたのか無言で同じように歩き出してくれた。

 

「ところで、何故あなたがここに居るのですか? ゼフィーリア・スカーレット」

「紫達は余を頼って来てくれたのだ。客人として歓迎している以上、世話を焼くのはスカーレットの当主の務めだ」

「……前のように神綺様へ戦いを挑むという蛮行はやめていただきたい、約束できないというのであればあなたを都市へ入らせるわけにはいきませんので」

「わかっているよ。前のは興が乗ってしまった結果だ、謂わば若気の至りというやつだな。許せ」

「…………」

 

 一度ゼフィーリアへと視線を向け、殺意すら込めた目で彼女を睨むメイドの女性。

 その瞳の冷たさと殺気の強さを前にしても、ゼフィーリアは肩を竦めるだけで堪える様子はない。

 危うく一触即発の空気になりかけ、メイドの女性が手に持つ大剣に力を込めた瞬間。

 

夢子(ゆめこ)ちゃん、お客様に失礼しちゃダメだよー?」

 

 やけにのんびりほんわかした女性の声が場に響いたと思った時には。

 紫達は見知らぬ城内へと転移させられ、にこやかで友好的な笑みを浮かべた女性が彼女達を迎え入れた。

 

「ようこそ魔界へ。あなたがヘカちゃんが言ってた八雲紫ちゃんね?」

「っ!?」

 

 自分達をここへ移動させたであろう女性とは、七メートルは離れていた。

 だというのに瞬時に眼前へと接近され、しかも話しかけるまでそれに気づかなかった事に紫は驚愕する。

 それと同時に、紫は目の前の女性が何者であるか理解して。

 

「私は神綺、魔界神やってまーす」

 

 軽い口調で女性は、自らの名と存在を明かしたのであった。

 

 

 

 

 魔界神が治める魔界都市から遠く離れた大地。

 そこは今、小さな地獄が広がっていた。

 

 大地に沈んでいるのは、この魔界で生きる悪魔と呼ばれる者達。

 人を誘惑し、堕落させ、その魂を喰らうと恐れられている西洋の妖怪達が。

 傷らしい傷も負わず、けれどその“中身”を空っぽにして倒れ伏していた。

 その数、実に五十は超えるであろう。

 

 更にそのどれもが上級に位置する高い能力を秘めた悪魔達であった。

 それだけの悪魔達を前にすれば、たとえ大妖怪と呼ばれる存在であっても命はなく。

 

――だが、その中心にて。

 

 魂を抜かれ、単なる肉の塊と化した上級悪魔達を見下ろす、美女の姿があった。

 銀に輝く獣の耳と尻尾を持ち、その美貌は呪いめいているのではないかと思うほどに妖艶な空気を醸し出しているこの美女の名は、神弧(しんこ)といった。

 

「――流石に、魂の質は人間よりも良いな。不純物を含んではいるが悪くはない」

 

 淡々と、女は呟く。

 その瞳には何の感情も込められてはおらず、事実として彼女は自らが命を奪った悪魔達の亡骸を見てもなんとも思っていない。

 当たり前だ、彼女にとって彼等の命を奪ったのは単なる“食事”に過ぎないのだから。

 ただ()()()()()()()()、そんな理由なのだから後悔も罪悪感も湧かないのは当然であった。

 

「しかしアリアも相変わらず甘い。己の心を操作したというのにまだあの小僧に未練があるか」

 

 責めるように、しかしその声色には何の感情も乗せずに女は言った。

 甘い、しかしその甘さこそこの世に生きる生物らしい“弱さ”だからこそ、女はアリアの甘さを肯定する。

 ……だが、肯定はしても納得したつもりは女にはない。

 

「みすみす見逃すとはなっていないな。――そろそろ潮時か」

 

 大地を飛び立つ神弧。

 

「念の為もう少し喰らっておくか、魔界神に海の女神……単純な力では我に拮抗しかねん」

 

 それに、神弧にはある予感があった。

 その“予感”は決して無視できぬものではあったので、彼女はすぐさま“魂喰い”を再開させる。

 

「――さて龍の子よ。生きているのならば出て来い、前よりは楽しめるかもしれんからな」

 

 消えた筈の、龍人の生存を願いながら……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




楽しんでいただけたでしょうか?
もしも疑問等がありましたら、できる限りお答え致します。


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第97話 ~魔界神との対峙~

ゼフィーリアの案内で、紫達は魔界神が統治する魔界都市へと足を踏み入れる……。


 魔界神と名乗った神綺に連れられ、紫達は客間へと案内された。

 美しい工芸品に囲まれた高級感漂うその部屋には、既に人数分の飲み物や菓子が用意されており、神綺に促され彼女達は向かい合うように椅子へと座った。

 

「さあどうぞ。夢子ちゃんが作ったお菓子は美味しいよ?」

「…………」

 

 焼き菓子に視線を向ける紫。

 確かに食欲をそそる甘い匂いが漂っているが、何の警戒もなく手を伸ばす事はできない。

 

「警戒する必要はないぞ紫、神綺はくだらない策略とは無縁の女だからな」

「ゼフィーちゃんの言う通りよ紫ちゃん。それにヘカちゃんの知り合いにそんな酷い事しないわ」

「…………そうね、ごめんなさい。どうしても初対面の相手にはまず警戒を抱くような悪癖を持っているようなの」

「その警戒心は大切だから気にしないで。それより紫ちゃんのお友達もどうぞ?」

 

 もう一度促され、紫達はクッキーやスコーンといった菓子に手を伸ばし口に含む。

 優しい甘さが口全体に広がり、しかもいつまでも口に残るようなものではなくいくらでも食べられそうな適度な甘さに自然と全員の口が綻んだ。

 

「美味しいでしょう? 何せ夢子ちゃんの腕は魔界一なんだから!!」

「神綺様、どうしてあなたが得意げになるのですか?」

 

 部屋の隅で待機している夢子の容赦のないツッコミに、ドヤ顔をかましていた神綺は出鼻を挫かれる。

 その姿はとてもじゃないがこの魔界を生み出した魔界神とは思えない程に情けなく、威厳など微塵も感じられない。

 だが彼女の姿は親近感を湧かせ、紫としてはこちらの方が好ましく思える。

 ……とはいえ、ここに来たのは彼女からもて成しを受ける為でも世間話をする為でもない。

 なので紫は一度紅茶を飲み口直しをしてから、こちらの用件を神綺へと話し始めた。

 

「ヘカーティアから私達の事を聞いているのなら、私達が魔界に来た目的を大体は理解しているわね?」

「うんうん。なんでも魔界からあの世に行く者が前より多くなってるって話だけど、魔界なんて殺伐としてるからそんなに変わらないって事はヘカちゃんには話してるよ?」

「ええ、でも――」

「――まあ、最近魔界の子じゃないのがウロウロしてるみたいだけどね。紫ちゃん達が戦ってたあの子とか」

「っ、アリアを知っているの? それよりその口振りだと……」

「伊達に魔界神って呼ばれてないよー。その気になればこの魔界全てを見通せる“千里眼”を持っているもの」

 

 だから神綺は、紫達とアリアとの戦いも知っていると告げてきた。

 そして同時に龍人がその戦いで消えてしまった事も……。

 

「あの子は何者なの? 妖怪みたいだけど、月の神剣を持っているし……」

「…………」

 

 アリアとの因縁を神綺へと説明する紫。

 それに伴い、こちらの用件の詳細も説明し、協力を要請してみると。

 

「勿論構わないわよ。私にできる事ならなんだって協力してあげる」

 

 友好的な笑みを浮かべたまま、あっさりと神綺は紫達の願いを聞き入れた。

 簡単に、けれど本心からのその言葉に、紫達は驚きを隠せない。

 彼女は永琳を除く紫達よりも上位の存在であり、魔界を生み出した創造神だ。

 それだけの存在が、こうも簡単に格下である紫達の要望を聞き入れたのは、紫達にとって予想外であった。

 

「魔界を作ったって言っても、もうそれこそ数千万年以上前の事だもの。

 今じゃ独自の文化や勢力を生み出してるこの世界は、もう私一人のものじゃないんだから、いつまでも偉ぶってるのはおかしいでしょ?」

 

 だから、自分をそんな雲の上のような存在だと認識する必要はないと神綺は笑いながら紫達に言った。

 ……ああ成る程、これは適わないと紫達は思い知る。

 単純な力もその身に宿す器の大きさも、彼女は間違いなく魔界神に相応しいと改めて認識せざるをえない。

 だが同時に、彼女のような存在が魔界神で良かったとも思った。

 

「えっと、確認すると紫ちゃんは消えちゃった龍人ちゃんが生きているのかを確認したくて。そっちの一輪ちゃん達は白蓮ちゃんの封印されてる場所を教えてほしいって事でいいのかしら?」

「え、ええ……ところで、なんだかやけに聖様と親しいような口振りですけど……」

「だって友達だもの白蓮ちゃんとは」

「ええっ!?」

 

 当たり前のようにそんな事を言い放つ神綺に、一輪達はおもわず声を上げてしまった。

 

「この魔界の一部である“法界”に白蓮ちゃんは封印されてるの。

 とっても良い子だから時々あの子の所に行って色々と世間話をしたりしてるのよ?」

「…………」

「勿論一輪ちゃん達の事もよく言っていたわ、本当は私がちょちょいと封印を解いてあげても良かったんだけど……白蓮ちゃんがね、断わったのよ」

「えっ、それは何故……?」

 

 聖とて、封印された事は自身が望んだ事ではなかった筈だ。

 だというのに神綺が封印を解く事を拒んだというのは疑問が残った。

 それは何故なのか、当然の問いかけをする一輪達に、神崎は彼女達を眩しそうに見つめながら。

 

「――いつか自分を慕ってくれた“家族”がここへやってくる。それを信じて待ち続けたいのです……あの子、そんな事を言っていたの」

 

 そう言って、慈しむような笑みを浮かべた。

 

「――――」

「聖が……私達を」

「とても強くて尊い関係なのね白蓮ちゃんとあなた達は。だって心の底からあの子はあなた達が来るって信じているんだもの」

 

 その信頼関係は並のものではないと、彼女達の過去を知らない神綺でも理解できた。

 そして彼女の信頼は本物だったと、この地へとやってきた一輪達を見て確信する。

 

「え、えへへ……なんか、泣いちゃいそう……」

「も、もう泣いてるじゃない村紗……」

「イッチーだって……」

 

 ポロポロと涙を流す一輪と水蜜、雲山は涙こそ流さなかったもののその表情は本当に嬉しそうなものになっていた。

 当然だ、彼女達にとって恩人である聖がずっと自分達を信じて待ってくれていると知って、どうして嬉しくないというのか。

 今すぐに会いたい、会って胸の内に溜めたままの親愛を伝えたい。

 

「すぐに会いたいって顔になってるね。じゃあ外に“法界”行きのゲートを開いておくから、あなた達が乗ってきた船ですぐに向かいなさいな」

「えっ、でも……」

 

 一輪達の視線が、紫へと向けられる。

 確かにその申し出はありがたい、だが龍人の事を考えると躊躇われた。

 

「……いいのよ一輪、村紗、雲山。あなた達が魔界に来た第一の理由は彼女の救出でしょう? こちらの事は気にしないで早く行ってきなさい」

「紫……」

「龍人がこの場に居たら、私と同じ事を言っていた筈よ」

 

 だから気にするなと紫は言う。

 暫し躊躇う一輪達であったが、紫の言葉に甘える事に決め席を立つ。

 

「――ありがとう紫、この恩は絶対にいつか返すわ」

「神綺さんもありがとう!!」

「感謝する……」

 

「夢子ちゃん。入口まで送ってあげてくれる?」

「畏まりました」

 

 夢子と共に、客室を後にする一輪達。

 それを見送った紫に、神綺はニコニコと微笑みを向けていた。

 

「紫ちゃんは優しいのね」

「それを言うならあなたもよ。わざわざここまでお膳立てする義理なんてないというのに……」

「家族が離れ離れになるのは悲しいもの、紫ちゃんならわかるでしょ?」

「…………そう、ね」

 

 ズキリと、紫の胸に痛みが走る。

 それと同時に脳裏にフラッシュバックするのは、光の中に消えていった彼の後ろ姿。

 

「紫、大丈夫?」

「……ええ、ありがとう零」

「おい神綺、さっさと“千里眼”で龍人を捜さんか。こやつは決定的な事実がなければ疑り深いヤツなのでな」

「うーん…………実は会話の最中に、魔界を見て回っていたのよ? でも……」

「…………見つからないのかしら?」

「っ」

 

 考えたくない事を、永琳の口から放たれ紫の身体がびくっと震えた。

 けれど、それは判りきっていた事実ではないのか?

 ゼフィーリアは龍人の生存を信じてくれている、それは嬉しいが……所詮、それは都合の良い希望でしかないのではないのか?

 俯き顔色を悪くしていく紫だったが、次に神綺から放たれる言葉でその都合の良い希望は決して間違いではないと告げられた。

 

「――生きてるか生きてないかと訊かれれば、龍人ちゃんは生きているわね」

「……………………えっ?」

 

 顔を上げる。

 茫然と神綺を見つめる紫に、彼女は淡々と自分の視たものを言葉にした。

 

「力は感じられる。とても弱々しくて気を抜けば感じられないくらい小さい力だけど……確かにこれは龍人ちゃんの力ね」

「…………それは、本当に?」

「さっき紫ちゃん達が戦っていた時に龍人ちゃんの力のタイプがどんなものかは認識しているもの、間違いないわ」

「………………ぁ」

 

 全身から力が抜け、おもわず椅子から転げ落ちそうになってしまった。

 ……彼が、生きている。

 その言葉が少しずつ紫の身体へと浸透していき、涙で視界が滲みそうになってしまった。

 零と永琳も口には出さなかったものの、神綺の言葉を聞いてほっとしたように表情を緩めていた。

 

「神綺、龍人が生きているというのは嬉しい限りだが、余でもあやつの力を感じ取れないとなると……命の危険に晒されているのではないか?」

「ううん、私もそう思ったんだけど……力の殆どを感じ取れないのは、弱っているというより……何かに邪魔されてる感じなの、まるで龍人ちゃんの力が外に漏れないように彼ごと周囲を遮断しているような……」

 

 それ故か、魔界全体を見渡せる程の“千里眼”を持つ神綺ですら、龍人の力の奔流を辛うじて感じ取れても姿が見えない。

 何者の仕業なのかはわからないが、それを行っているのは相当な力を持つ者だろう。

 

「邪魔? それはつまり、龍人は誰かによって姿を隠されているという事なのかしら?」

「多分ね。でも心配しなくていいよ紫ちゃん、龍人ちゃんの力が外に出ないように阻害している力は決して悪いものではない筈だから」

 

 だからこそ神綺は、あまり気負うなと警告するように紫へと告げた。

 

「……今は、それで充分ね」

 

 龍人が何処に居るのかはわからないが、無事に生きている。

 今はそれだけでいい、無事ならばいずれ彼は自分の元へと帰ってきてくれる。

 そんな確証が当たり前のように紫の中に存在しているから、彼が存命しているだけで満足であった。

 

 ならば、今自分がしなければならない事は決まっている。

 ヘカーティアの依頼の事もあるが、それ以上に……アリアとの決着を着けなくてはならない。

 彼女は間違いなくこの魔界に災いを齎す、今度は何を企んでいるのかは知らないがどうせ碌な事を考えてはおるまい。

 わかるのだ、今までの因縁を抜きにしても彼女が自分と同じ碌でもない存在だという事が。

 

――当たり前のように、理解できてしまうのだ。

 

「…………」

 

 彼女は何度も紫を否定してきた、そして龍人が歩んでいる道もだ。

 それが何を意味するのか……紫はもうわかっている。

 きっと出会うべくして出会ったのだろうと、今ではそう思えた。

 

「神綺、アリアの居場所はわかるかしら?」

「わかるけどどうするの?」

「彼女を止めるわ。何を考えているか知らないけど、放ってはおけないわ。

 零、永琳、とりあえず今は彼女を見つけて倒すわよ。もしかしたらヘカーティアの言っていた事に関係しているかもしれないし」

「ええ、構わないわ」

「それはいいけど……龍人はいいの?」

「魔界神である神綺ですら正確な居場所がわからないのなら捜しようがないし、無事なら今はそれでいいの」

 

 本当は今すぐにでも会いたいが、今はアリアの方を優先しなければ。

 紫の言葉に零は何か言いたげだったが、結局何も言わず同意するように頷きを返した。

 

「それじゃあ、今捜してあげるわね………………………………あ」

「?」

 

 突然、間の抜けた声を出した神綺に、紫達が首を傾げた瞬間。

 

――城が、否、魔界都市全体が揺れ動くほどの衝撃が突如として襲い掛かった。

 

「っ!?」

「わわっ、なになになにっ!?」

「これは……外からの攻撃ね」

 

 何者かがこの魔界都市に向けて攻撃を仕掛け、神崎の魔力障壁に阻まれたのだろう。

 だが阻んだというのに都市全体を揺らす衝撃を与えるなど、並大抵の威力ではないと物語っていた。

 

「あちゃー……このタイミングで来ちゃったかー」

「……神綺、この衝撃の正体に心当たりでもあるのかしら?」

「うんあるよー、というか日常茶飯事みたいなものだしねコレ」

「…………これが日常茶飯事?」

 

 あっけらかんと、緊張感の欠片もなくそんな事を言う神崎に全員が唖然とする。

 今も尚衝撃は城および都市全体を襲っているというのに、彼女はこれを日常茶飯事と言ったのだ。

 

「魔界の子って力が強い子ほど闘争心が強い傾向にあるの、で……定期的に私と戦おうとする子が居るんだけど……多分その子の仕業ね」

「…………」

「というわけで紫ちゃん達で、ちょっとアレ止めてきてくれない?」

「は……?」

 

 突然の神綺の申し出に、紫は怪訝な表情を浮かべてしまう。

 

「放っておいても障壁は破られないでしょうけど、ここで暮らす子達が不安がるから止めてきてくれる?

 そっちのお願いを聞いたのだから、勿論引き受けてくれるわよね?」

「……それは構わないわ。けどあなたと戦おうとしている者の襲撃を私達だけで止めろというの?」

「それぐらいできなきゃ、アリアちゃんには勝てないと思わない?」

「…………」

 

 それは、否定しようのない事実であった。

 ……今の自分では、アリアを打倒する事はできない。

 力をつけなくてはならない、ならば格上との戦いはこれ以上ない程の修行となる。

 

「……いいわ。やってやろうじゃないの」

「そうこなくっちゃ」

「零、永琳、手伝ってくれる?」

「はーい」

「しょうがないわね……」

「決まりね。それじゃあよろしくー」

 

 軽い口調でそう言いながら、神崎が指をパチンッと鳴らした瞬間。

 紫達3人は、魔界都市の外に移動していた。

 神綺が転送してくれたのだろう、それに感謝しつつ紫達は上空へと飛び立った。

 

「……一輪達は、もう“法界”に行ったみたいね」

 

 星輦船を降ろした場所には、既に船の姿はない。

 これならば巻き込まれる心配はないだろう、一瞬安堵の表情を浮かべながら。

 

――超高速で遥か彼方から飛んできた何かを、光魔と闇魔で叩き落した。

 

「ぐっ……!?」

 

 両腕が吹き飛んだと錯覚する衝撃が、刀身から両腕に伝わってくる。

 一体何を叩き落したのかは判らない、無我夢中で飛んできた魔弾に反応しただけだった。

 

「…………水?」

「えっ?」

 

 地面を見る。

 すると、大地の一部が僅かに湿り気を帯びているのが確認できた。

 そして零の呟きによって、紫は自分が何を叩き落したのかを理解して――愕然とする。

 

「……嘘でしょ。ただの水が飛んできただけだっていうの?」

「ただの水というわけではなさそうね、超高圧の水による大砲といった所かしら。

 でも凄まじい射程ね、前方からおよそ二百キロ……約五十里離れた場所からの攻撃だったわ」

「ご、五十里!?」

「…………さすが魔界神に戦いを挑むだけはあるって事かしらね」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 今からそんな化物じみた魔弾を相手にしなければならないと思うと、笑いすら込み上げてきそうだ。

 ……だが、凌いでやる。

 この程度凌げずに、どうして倒すべき相手を打倒できるというのか。

 

「零、永琳、全力でいくわよ」

「やれやれ、重労働になりそうね」

「……魔界って恐い場所ね、来なければよかったかも」

 

 文句を言いつつも、臨戦態勢に入る零と永琳。

 紫も両手に持つ光魔と闇魔に妖力を注ぎ込み、戦いの準備を終え。

 

 

 

 あらゆるものを貫き、破壊する水の魔弾が撃ち放たれ。

 魔界都市を背にした紫達は、その全てを真っ向から叩き潰す為に立ち向かっていった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第98話 ~水の魔弾の猛攻~

魔界神である神綺と出会った紫達。
そんな中、魔界都市を襲撃する存在が現れ、紫達はそれを迎撃する事となった……。


――死の魔弾が、紫達に迫る。

 

「つぁ…………!」

 

 三十六発目の水の魔弾を光魔で弾く。

 

「は、ぁ……はぁ……は」

 

 乱れた息を整えながら、紫は次弾に備える為に光魔と闇魔に妖力を込めていった。

 刹那、今度は十七発の水の魔弾が空気を切り裂きながら迫ってくる。

 

「ぐっ……!?」

 

 全ては捌けない、だが水の魔弾の相手をしているのは紫だけではないのだ。

 

「――――ふっ!!」

 

 静かな気合を込め、弓から矢を放つ永琳。

 彼女の膨大な霊力が込められた矢は、必殺の一撃となって飛翔する。

 大気を震わせながら放たれた彼女の矢は、迫る水の魔弾のうち五つを霧散させた。

 残り四つ、これならば対処できるかと思った紫であったが、そんな彼女の負担を減らす為に今度は零が仕掛けた。

 

「はっ!!」

 

 指に挟んでいた退魔札を投げ放つ零。

 彼女の霊力が込められたそれはまるで意志を持つかのように飛び、それぞれが魔弾とぶつかり合い相殺させる。

 

「ふぅ……ふぅ……さ、流石に終わったかな……?」

「……どうやらまだみたいよ」

 

 永琳がうんざりしたような口調でそう呟いた瞬間。

 今度は更に多い三十二発の魔弾が、再び紫達へと襲い掛かった。

 

「ぐ、この……っ!!」

 

 だんだんと、剣だけでは対応できなくなってきた。

 ……悪趣味め、紫は内心で魔弾の主に対しそんな言葉を吐き捨てる。

 紫達が魔弾の相手をしていると知るや、こうして少しずつまるで試すように向こうは魔弾の数を増やしていっているのだ。

 どこまで耐えられるのか、試されているような相手の行動に苛立ちを覚える。

 

 このままでは、いずれ押し切られてしまうだろう。

 かといって反撃する事はできない、相手の正確な位置を探りながら迫る魔弾を防ぐ余裕はないからだ。

 藍を呼ぼうとも考えたが、如何に九尾化を果たした彼女でもこの魔弾を防ぐ事は難しい。

 しかしこのままでも終わりは近い、打開策を必死に考えながら三十二の魔弾を零達と協力して全て叩き落した。

 

「はー……はー……今度こそ、終わり……?」

「……だといいけど、もしまだ続くなら霊力が保たないわね」

「紫、えーりん先生、相手が何処に居るのかわかんないの?」

「これだけの破壊力をもった魔弾の相手をしながら探知するのは無理よ、私が探知に集中している間に2人が防御してくれれば話は別だけど……」

「…………」

 

 紫は目を閉じ、意識を内側へと沈めていった。

 これで終わりな筈はない、だから紫は自らの奥の手を解放する事にした。

 自身の内側へと手を伸ばし、その領域へと到達する。

 

「やば――――っ」

 

 今度こそ勝負を決めるつもりなのか。

 今までとは比較にならぬ数、都合百を超える水の魔弾が紫達へと迫ってきている。

 

「能力、開放――」

 

 その中でも紫は狼狽する事無く、自らの力を解放させながら目を開けた。

 金の瞳は血のように赤黒く変色を遂げ、全開となった彼女はすぐに迫る魔弾全てを視界に捉える。

 

「――境界解析、完了」

 

 水の魔弾の境界を瞬時に読み取り、彼女はすぐさま操作を行った。

 ぱちゅん、そんな音を響かせながら迫っていた水の魔弾は呆気なく破裂してただの水と化して地面に落ちていく。

 その光景に零は驚き、永琳は感嘆したような表情を見せる。

 

「っ、ごぶ……っ!!」

 

 一方、紫は能力開放による反動に襲われていた。

 まるでポンプのようにせり上がってきた血液を口から吐き出し、脳神経を焼き切ってしまう程の激しい頭痛に襲われる。

 あれだけの数の、それも一つ一つが小さな村程度なら軽く消し飛ばしてしまうほどの破壊力を持つ魔弾を消し飛ばしたのだ。

 今の紫では届かない領域へと強引に到達した結果だが、それでも突破口へと繋がってくれた。

 

「ぐ、ぅ……永琳、探知をお願い!!」

「ええ、今やっているわ。それと零、あなたの札を三枚ほど貸してくれるかしら?」

「え、あ、うん」

 

 懐から博麗の札を取り出し、永琳へと手渡す零。

 受け取った永琳はその札を(やじり)へと包み込むように取り付け、弓を構えた。

 

「――好き勝手してくれた御礼をしてあげるわ」

 

 瞬間、永琳の身体から高密度の霊力が溢れ出す。

 その力を彼女は自身の指から矢全体へと流し込んでいき、ある一点へと狙いを定めた。

 彼女の力に呼応するように風が吹き荒れ、紫と零は次に放たれるものが必殺であると理解する。

 

(はや)く、(はや)く、(はや)く――」

 

 念を矢へと送り、それは(まじな)いとなって矢に新たな力を与えていく。

 速度上昇の(まじな)いと博麗の破魔の力、その二つが混ざり合い臨界へと達した瞬間――永琳は、必殺必中の一射を放った。

 

「きゃっ!?」

「わっ!?」

 

 矢を放った瞬間、そのあまりの破壊力からか周囲の空気が吹き飛ばされ突風となって紫と零に襲い掛かる。

 神速の速度に到達した矢は、空間に軋みを上げながら一直線に飛んでいく。

 光となって飛んでいくそれは、まるで最後の輝きを見せる流星の如し。

 魅了する美しさを放ちながらも、周囲全てを薙ぎ払いながら矢は主の命に従い飛んでいき。

 

「――爆ぜろ」

 

 永琳の、その呟きと共に。

 遥か遠くに飛んでいき、肉眼では捉えられなくなった矢が――大爆発を引き起こした。

 耳をつんざくほどの音と衝撃を撒き散らしながら、ドーム状に広がっていく爆発は周囲の大地や岩山を根こそぎ破壊していく。

 だがそれも数秒、爆発はすぐに収束していき……やがて完全に消え去った。

 

「…………」

 

 紫と零は、揃って唖然としてしまう。

 なんなのだ今の破壊力は、ただの“矢”という次元を完全に超えていた。

 永琳の矢は確かに凄まじい威力を持っているとわかっていたが、今のはそんな認識を綺麗さっぱり吹き飛ばすほどのものだった。

 

「さすが紫が認めた人間の守護者が作成した札ね。ここまで威力が上がるとは思わなかったわ」

「いやいやいやいや!! 明らかに私のおかげとかじゃないよね? 今のはどう考えてもえーりん先生の力だよね!?」

「あら、買い被り過ぎよ零。ただの薬師でしかない私だけの力であんな矢を打てるわけないじゃない」

「なんで謙遜してるのか意味わからないけど、本気で言ってるのならこっちが惨めになるからやめてくださいお願いします」

 

 確かに自分の札が永琳の矢の威力を上げたのは認めよう。

 だが所詮自分による向上など微々たるものだ、矢に流し込まれた永琳の霊力の大きさを感じ取れば嫌でも理解する。

 ずるい、だの、なんでそんなに強いんだー、だの、両手を上げて文句を言い放つ零。

 対する永琳は曖昧に微笑みを返し、零の抗議を軽々と受け流していた。

 

 その珍妙な光景を見て余計な力が抜けてくれたのか、紫の中で尚も喚き散らしている頭痛が少しずつ弱まっていく。

 ……水の魔弾は、もう放たれてはこない。

 流石にあの矢の一撃には耐えられなかったのだろうか、しかし相手はあの神綺へと勝負を仕掛ける程の存在だ。

 一応の警戒はしておかなくてはと、緩みかけた緊張感を再び戻そうとして。

 

「――今のは、効いた。凄いねキミ達」

 

 紫達の前に、1人の少女が身体の至る所から血を流しながら現れた。

 猟奇的な光景ながらも、少女の表情があまりに平然としているものだからたいした事のないように見えてしまう。

 だが3人は現れた少女がたった今まであの水の魔弾を放っていた存在だと理解し、警戒心を露わにする。

 一方、少女は自身の身体から流れ出る血には一切構わずゆっくりと視線を動かし……紫と目を合わせた。

 

「…………おかしいな」

「……?」

「キミ、妖怪でしょ? それなのに……違うニオイがする」

「何を……」

 

 言っているのか、紫がそう言う前に少女は瞬時に彼女の眼前へと迫り。

 ――何故か、ふんふんと鼻を鳴らしながら紫の身体を嗅ぎ始めてしまった。

 

「…………」

 

 突然の奇行に、紫達は唖然とする。

 対する少女はそんな3人には構わず、ふんふんと鼻を鳴らすばかり。

 もしかして今の私、臭いのかしら? と、頓珍漢な不安に駆られていると。

 

「……龍の子のニオイ、キミの身体からする」

「えっ……」

「どうして? ただの妖怪なのに、どうして龍の子のニオイがするの?」

「えっと……」

 

 困った、相手が何を言っているのかわからない。

 首を傾げながらこちらをジッと見つめてくる少女に、どうしたらいいのかわからず困惑する紫。

 零と永琳も、そのあまりに無防備で敵意の欠片も感じられない少女の様子に、毒気を抜かれていると。

 

「――ティアちゃん、紫ちゃんが困ってるわよ?」

 

 いつの間に現れていたのか。

 苦笑しながら少女へと話し掛ける、神綺の姿を確認できた。

 

「神綺……」

「とりあえず一旦離れない?」

「……わかった」

 

 紫から離れるティアと呼ばれた少女。

 

「ごめんね紫ちゃん、この子ちょっと天然というか……動物みたいな所があるから」

「……神綺、彼女は」

「この子はティアちゃん、私のお友達よ」

「…………友達?」

 

 ちょっと待て、神綺の言葉に紫達はある違和感を抱いた。

 神綺はこのティアという少女を友達と言った、相手も特に否定していないので決して嘘偽りというわけではないのだろう。

 しかし彼女はたった今まで魔界都市を襲撃していた、神崎と友人関係なら何故そのような事をしたのか……。

 

「ティアちゃん、普通に尋ねてくれれば歓迎するって前も言わなかったっけ?」

「言った。でもそうしたらキミは普通に歓迎するだけで戦ってくれない、だから毎回こういうやり方をしてるだけ」

「うーん……障壁を破らない程度に加減してくれるのは嬉しいけど、ここで暮らしてる子達が吃驚するから控えてほしいんだけどなぁ」

「なら神綺がすぐに出てくればいい、ただそれだけの話」

 

 苦笑混じりに話す神綺と、ただ淡々と話すティア。

 両者の間には敵意や殺意と言ったものはなく、会話の内容はともかくとして雰囲気は和気藹々としたものであった。

 そして会話を聞いている限り、ティアの目的はただ神綺に戦いを挑みたいだけだというのがわかる。

 ……ただ戦いを挑みたいだけであのような魔弾を毎回都市に向かって放っているようだ、しかも神綺の言葉を聞くと割とよくあるようだから呆れてしまう。

 

「……まあいい。今日は結構楽しめた、ところで……キミ、そのニオイは何?」

「何って言われても……」

「ティアちゃん、紫ちゃんには龍人ちゃんっていう龍人族の血を引いた半妖の男の子がパートナーとして居るの。あなたが嗅いだ匂いはきっと龍人ちゃんのものね」

「龍人族……まだ、存在してたんだ」

「ああ、ニオイってそういう……」

 

 成る程、龍の子とは龍人族の事だったのかと紫は合点がいった。

 しかし彼の匂いが身体に染み付いているのだろうか、試しに自分の匂いを嗅いでみるが……正直わからない。

 

「ティアちゃんが嗅いだ匂いは普通の匂いじゃないのよ。この子の体内には龍の因子――“海龍”の力が宿っているから」

「海龍……」

「それで、その龍の子は何処に居るの?」

「――――」

 

 それは、ティアからすれば当たり前とも言える問いかけ。

 けれど紫にとってその問いは不意打ちであり、同時に彼が自分の傍に居ないという事実を再認識させられる問いかけであった。

 

 ……胸が、痛む。

 神綺のおかげで生きている事はわかっている、今はそれでいいと言い聞かせているのに……紫の胸は、痛みを発し続けていた。

 会いたい、今すぐに彼の顔を見ていつものように傍に居てほしい。

 

「……元気、だして?」

「…………」

 

 ティアに頭を撫でられ、おもわず彼女を軽く睨む紫。

 神綺といい、子供扱いするのはやめてほしい。

 けれど、撫でられているのは心地良かったので別段抵抗はしなかった。

 と、暫く紫の頭を撫でていたティアであったが、突然。

 

「帰る、疲れた」

 

 抑揚のない声でそう言って、この場から離れ始めた。

 

「ティアちゃん、またね?」

「……神綺、気をつけた方がいい。最近魔界の空気が変わってきてる気がする」

「忠告ありがとう。ティアちゃんも気をつけてね」

 

 神綺の言葉に頷きを返してから、ティアは一瞬でこの場から消え去る。

 

「つっかれたぁ……あんなのいつも相手にしてるの?」

「ふふっ、なんといっても魔界神ですから!!」

 

 えっへんと胸を張る神綺に、零はツッコミを入れる気力を根こそぎ奪われてしまった。

 だが疲れているのは彼女だけではない、紫も永琳も大分力を消耗している。

 

「お疲れ様、でも良い経験だったでしょ?」

「それは認めるけど……寿命が縮まりましたー」

「大袈裟だよー、零ちゃん」

「大袈裟じゃないから、というかあんた等はいいけど人間の私が寿命縮ませるのは拙いから!!」

 

 割と本気で焦っている様子の零にも、神綺はニコニコと微笑むばかり。

 この漫才を暫し眺めるのも楽しいかもしれないが、流石に少し休みたいというのが紫達の本音であった。

 そんな彼女達の心中を察したのか、ぎゃーぎゃー喚く零の相手を適当にしながら、神綺は紫達を連れて魔界城へと戻っていくのだった……。

 

 

 

 

「…………残念、だったな」

 

 そんな呟きを零しながら、ティアは魔界の空を飛んでいく。

 魔界の中でも神綺に並んで最強と名高い彼女は、魔界人らしく闘争本能に溢れている。

 故に強者との戦いを常に望んでおり、今まで幾度となく魔界神である神崎に戦いを挑んでいた。

 

 けれど、今回は存外に楽しめたとティアは紫達の事を思い出しながら自然と口元に笑みを作る。

 妖怪と人間、もう1人は色々と底が見えない存在だったが楽しめた。

 神綺との戦い以外で傷を負ったのは本当に久しぶりであったし、何よりも……龍人族がこの魔界に居るという話を聞けた事は、彼女にとって朗報であった。

 海龍としての力と因子を持ち、原初の海の女神と呼ばれる彼女にとって同じ龍の力を持つ者は同胞と言っても過言ではない。

 しかも今では希少な存在となった龍人族となれば、是非とも会ってみたかった。

 

 だからこそ彼女は、同胞である龍人族の少年とやらに会えなかった事を残念がる。

 まあいずれ会う事ができるだろう、楽しみは後にとっておく事も時には大切だ。

 それにあの妖怪――神綺に紫と呼ばれていた存在、あれもティアにとって興味深い。

 

 彼女から漂う龍の子のニオイ、それは彼女に対する強い親愛の情が感じられるものであった。

 よほどニオイの主に好かれているのだろう、それがティアには嬉しかった。

 次に会ったら“アレ”を授けてやろう、そう思いながらティアは少し休もうと自らの寝床へ戻ろうとして。

 

「――消耗しているようだな海の女神。我としては都合が良い状況だ」

 

 彼女を呼び止める、神成る妖の声を耳に拾った――

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第99話 ~龍の子の小さな目覚め~

――喪失感だけが、彼の脳を侵蝕する。

 

「は、ぁ……」

 

 無くなってしまった右腕の付け根から、生きる為に大切なものが少しずつ零れ落ちていく。

 痛みを痛みとして許容する事ができず、精神は熱に浸され削れていった。

 

「は、ぎ……ぁ……」

 

 じくじくと、自分自身が溶けていくかのようだ。

 どうしてこんな事になっているのか、何故自分がこんな目に遭っているのか。

 いや、そもそも――自分は一体誰なのか、それすらも曖昧になっていく。

 

「う、ぁ、が……」

 

 恐い。

 自分が判らなくなっていくのが恐い。

 このまま全てが判らなくなって、消えていくのが恐い。

 

 薄れていく。

 今まで自分が持っていた記憶が、確実に消えていく。

 もう何が消えて何が残っているのか判らなくなって、いずれ今感じている恐れすら忘れていくのだろうか。

 

「ぎ、ぁ、あ……あ……」

 

 消えたくない、消えたくない、消えたくない。

 必死に願って必死に縋って、それでも己の欠如は治まらない。

 ……そんな中、名前が消えた。

 自分の名前が記憶から消え去って、彼は急速に意識を薄めていく。

 

「ぁ…………」

 

 抵抗など意味を成さない、そもそも何故この茹だるような熱と恐れに抵抗する意味があるのか。

 楽になってしまえばいい、このまま目を閉じて漆黒の中に沈んでいけばすぐに終わる。

 一刻も早くこの地獄の苦しみから逃れたくて、彼は自分が誰なのかも忘れたまま消えようとして。

 

 

『龍人』

 

 

 金糸の髪を持つ美しい女性の悲しげな顔が、脳裏に浮かび。

 彼は、自分の名前を思い出して――現実へと帰還した。

 

「っ、うあ……っ!!」

 

 跳ねるように飛び起きる。

 

「あ、はぁ――はぁ――」

 

 荒い息が自然と口から吐き出される。

 全身からは汗が溢れるように流れ、その不快感に顔をしかめながら龍人は周囲に視線を送った。

 

 暗く、じめじめとした空間は何処かの洞窟の中だと理解する。

 自分が寝ていた場所にはゴザのようなものが敷かれており、冷たくごつごつとした地面に寝かせないようにという気配りが感じられた。

 続いて龍人は自分の身体を確認して――おもわず思考を停止させてしまう。

 

――右腕が、ない。

 

 本来あるべき場所に在る腕はなく、右肩の付け根部分にはそこを覆うように幾重にも重ねられた包帯が巻かれている。

 右肩だけではない、身体の至る所に包帯が巻かれていた。

 まるで重傷人だと思いながら、龍人は自分の身に何が起きたのかを思い出し、この状態が決して大袈裟なものではないと認識した。

 

「っ、ぐ、ぅ……」

 

 自分の状態を認識すると同時に、今まで忘れていた痛みが全身から襲い掛かってきた。

 痛みには慣れている龍人ではあるが、それでも顔をしかめおもわず呻き声を上げてしまう。

 それに傷口から熱を発している為、思考も上手く定まらず朦朧としてしまった。

 頑丈な半妖の身体でもこれだ、今の自分の身体はよっぽど酷いものなのだろう。

 

「――目が醒めたのね。具合はどうかしら?」

「え――――」

 

 顔を上げる。

 洞窟の突き当たりに位置する龍人とは逆方向、つまり入口方面から誰かが歩いてくる。

 まともに身体を動かせないながらも、龍人は警戒心を抱きながら身構えていると。

 

「動かない方がいいわ。傷が深いのだから」

 

 水の入った桶を持った女性が、龍人の警戒を解こうと優しい言葉を放ちながら現れた。

 自分は敵ではないと態度と言葉で訴える女性を見て、龍人は自然と身体の力を緩めていく。

 何故かはわからない、けれど龍人は目の前に現れた女性が自身の敵ではないとあっさり認めていた。

 

「素直な子ね。警戒され続けていたらどうしようかと思ったわ」

 

 龍人の前に座り込み、女性は近くにあった布を桶に浸し、よく絞ってから龍人の身体を拭き始めた。

 ひんやりとした冷たさが熱を和らげ、汗が拭われる感覚は龍人の表情を安らいだものへと変える。

 このままこの安らぎに身を委ねたかったが、確かめなければならない事があったので龍人は女性へと問うた。

 

「ここは、何処だ? 俺は……」

「ここは魔界の外れにある、誰にも認識されない最果ての地。

 あなたは半死半生の状態で洞窟の外に倒れていたのよ、右腕は……始めから無かったわ」

「……ああ、それはいい。それより助けてくれて本当にありがとう、えっと……」

「名前、かしら? 名乗りたいけど、もう名は捨てたの」

「名を、捨てた……?」

「ええ。……大切な我が子を、孫を守れなかった時から私は自分の名を捨てた」

 

 だから今の自分に名などないと、無名の女性は自嘲するように言った。

 それがあまりにも哀しそうで、けれど何て言葉を掛けていいのかわからなかったから、龍人はそのまま俯いてしまった。

 

「……優しい子。何の打算もなく他者に優しくできる事なんてそうそうできる事じゃない、きっと色々な人から祝福されて育ってきたのでしょうね」

「ああ、俺みたいな半妖を好いてくれるヤツがいっぱい居てくれる。凄く幸せな事なんだろうな」

「半妖? そう、あなたは妖怪と人間の間に生まれた混血児なのね」

「そうだ。でもあんた……あなたは、人間……なのか?」

 

 女性から放たれている匂いや霊力は、人間のものだ。

 だが解せない、何故魔界に人間の女性がたった1人で存在しているのか。

 余裕ができたから周囲の気配を探っても、自分とこの女性以外の生物は感じられない。

 女性はここを誰にも認識されない最果ての地と言った、それが真実ならば何故このような場所に居るのだろう。

 ……それに、女性からは微かではあるものの()()()()()()()()()()()()

 

「人間よ私は。でも確かにただの人間ではないのは確かね」

「…………龍人族」

「っ、驚いた……よくわかったわね?」

「俺も龍人族なんだ。紫……俺の大切な仲間が教えてくれたんだけど、俺を生んでくれた母親が龍人族だったらしい」

 

 まさか、このような場所で同族に出会うとは思わなかったと龍人は内心驚いた。

 とはいえ女性から感じられる龍人族としての力は本当に僅かなものだ、“龍気”を扱える程ではない。

 今では龍人族の血は殆ど薄れてしまったと紫から聞いている、自分は隔世遺伝というよくわからないがそういった理由で龍人族としての血を濃く受け継いで生まれてきたそうだ。

 

「………………まさか」

「……?」

 

 どうしたのだろう、女性が何か驚いた様子で龍人を見つめてきた。

 

「俺、何か変な事言ったか?」

「…………ううん。なんでもないよ、気にしないで今はゆっくりおやすみ」

「…………」

 

 嘘だと、龍人は女性の態度ですぐにわかった。

 でもそれを問い質す権利なんて自分にはないし、何より女性が「これ以上訊かないでほしい」と目で訴えてきている。

 ならば何も訊く事などできるわけがない、でも。

 なんとなくではあるが、女性が自分を別の誰かと重ねて見ているような気がした……。

 

「……は、ぁ」

 

 けれど頭に浮かんだ疑問も、女性に促され横になるとすぐにどうでもよくなった。

 まだ身体は消耗したままのようだ、それになくなってしまった右腕の事もある。

 

「…………紫」

 

 彼女は無事だろうか、怪我はしていないだろうか。

 生きてくれているだろうか、自分が死んだと思い込んで……己を責めていないだろうか。

 もしそうだとしたら――彼女の心を傷つけた自分を、龍人は許せない。

 

「会いたい……」

 

 だけど、会いたい。

 たとえ自分のせいで彼女が傷ついていたとしても、会いたいと願っている。

 そしてもし叶うのならば、また一緒に居たい。

 

「ぁ、う……」

 

 ぐらりと、視界が揺れた。

 どうやら身体は余計な事を考えずに休めと言っているらしい。

 悔しいが、今は休み動けるようにならなければ。

 

 目を閉じる。

 瞬時に睡魔が訪れ、龍人は意識を夢の世界へと誘いながら。

 必ず戻ると、紫に誓いながら眠りに就いた……。

 

 

 

 

――お前に……龍人を託す。

 

 それは、ある者の最期の願いだった。

 自分ではもう果たす事ができない願いを、愛する子を守ってくれという願いを“彼”は紫へと託し――逝った。

 もう六百年以上昔の話、けれどその時の事は今も鮮明に思い出せる。

 そしてその時から、紫は常に龍人の傍に居る事を誓い、彼を守り支えようと決めた。

 

――あなたに、彼は守れない。

 

 けれどその誓いを思い出す度に、“彼女”の言葉が脳裏を過ぎる。

 どんなに願おうとも、お前に龍人は守れないと言い続けてきた、気に食わない相手の言葉が頭から離れない。

 何故か、などという疑問など浮かぶ筈がなかった。

 彼女の言葉は正しいと、他ならぬ紫自身が認めているからだ。

 

――あなたは、いずれ後悔する。

 

 ええ、それは正しい。

 だけど――それを正しいと思うだけで終わらせるわけにはいかない。

 どんなに困難な道だろうとも、いずれ後悔だけがこの身に残るとしても。

 彼が今歩んでいる道を歩み続けるのならば、自分はそれにどこまでもついていくと決めているのだから。

 

 だから、こんな所で立ち止まってはいられない。

 だって、彼が歩もうとしている道は自分にとっても――

 

「…………」

 

 客人用の、柔らかで暖かなベッドから起き上がる。

 まずは自らの状態を確認しようと、紫は目を閉じ内側へと意識を向ける。

 

 妖力はいつもと同じ総量に回復、能力開放による反動も完全に収まっていた。

 丸一日眠っていたのが幸いしたのだろう、紫はベッドから降りいつもの服へと着替え始める。

 充分に休息は取れた、ならばすぐに出発して未だ何処に居るのかわからない龍人を捜しに行かなければ。

 一度神綺達にも声を掛けておこうと、紫は部屋から出ようとして……外から騒がしい声が聞こえてきた。

 

 扉を開け、外の様子を覗き見る。

 無駄に長く広い廊下がどこまでも続いており、遠くから神綺と小さな少女が楽しげに会話をしながらこちらに向かってくる姿が確認できた。

 

「紫ちゃん、おはよう」

 

 扉を開け外に出ると、紫に気づいた神綺が声を掛けてきた。

 神綺に挨拶を返しつつ、紫は隣に立つ少女へと視線を向ける。

 両手で抱えるように本を持つ金髪金眼の少女。

 将来は誰もが羨む美しい女性へと成長するだろう、そう思わせる気品と美しさを少女の身でありながら醸し出していた。

 

「おはよう神綺。……その子は?」

「この子はアリスちゃん、私の娘よ!!」

 

 そう言って、神綺は少女を勢いよく抱きしめる。

 少し鬱陶しそうにしながら、アリスと呼ばれた少女は紫へと声を掛けた。

 

「あなたが、八雲紫?」

「ええ、よろしくねアリス」

「よろしく! それよりママ、いい加減離れてくれない?」

「ええっ!? アリスちゃん、ママの事嫌いなの!?」

「そうじゃないけど……恥ずかしいから」

 

 頬を赤らめるアリス、その姿は傍から見ている紫ですら保護欲を掻き立てられる程に愛らしい。

 当然、彼女を抱きしめている神綺はそれ以上の影響を受けているのは言うまでもなく。

 

「アリスちゃん……可愛いっ!!」

「むぐっ」

 

 離れろというアリスの意見を無視し、余計に強く抱きしめるのであった。

 可愛いと連呼しながら頬擦りを繰り返す神崎と、それを少し迷惑そうにしながらも強く抵抗しないアリス。

 少々神綺側の愛情が一方的過ぎるようにも見えるが、それでも互いに確かな愛情を向けているのがわかる。

 ……龍人に会いたい気持ちが、より一層強くなった。

 

「神綺、永琳と零は?」

「永琳ちゃんが零ちゃんを連れて都市部に行ったわよ、なんでも今の内に目的の薬の材料を色々と買い込むみたい」

 

 零ちゃんは無理矢理連れて行かれたけどね、そう言って神崎はくすくすと笑う。

 成る程、容易に想像できる光景だと紫も僅かに口元に笑みを作った。

 

「一輪達はまだ戻ってきてないわね?」

「戻ってきてないよー。ところで紫ちゃん、お腹空いてない? 夢子ちゃんの美味しい朝食を一緒に――」

「悪いけど、私も出掛けるわ。やらなければいけない事があるから」

「……龍人ちゃんを捜すの? でも何処に居るのかわからないのよ?」

「それでも捜すわ。きっとあなたや永琳は非効率だと思うけれど……会いたいの、今すぐに」

 

 あのような夢を見たからなのか、彼を今すぐにでも捜し出し会いたいという想いが際限なく強くなっている。

 そして彼の事を想えば想うほどに、この身体から溢れ出しそうな程に力が湧き上がってくるのだ。

 今の自分にできないことは何もないと、本気で錯覚させられるほどに。

 

「…………もし永琳ちゃん達が先に帰ってきたら、伝えておくわね?」

「ありがとう神綺。よろしく頼むわね」

「え、せっかくお話したかったのに……」

「ごめんなさいねアリス、帰ってきたら色々と話を聞かせてね?」

「いいわよ。その代わり紫も地上の事を教えてね?」

 

 ええ勿論、そう言うやいなや紫はスキマを用いてすぐさま魔界都市を後にする。

 目の前に広がる広大な魔界の大地、この中からたった1人を捜し出すなどほぼ不可能に近い。

 それは紫にもわかっている、それでも彼女の心は待つという選択肢は選ばなかった。

 

「――藍、来なさい」

「はい、紫様」

 

 幻想郷にて待機させておいた藍をこちらへと呼び戻す。

 すぐさま姿を現した藍に、紫は魔界で起きた事を説明すると――案の定、藍は絶句し取り乱し始める。

 

「そ、それで龍人様は!?」

「生きているわ、それは間違いない。ただ何処に居るのかは魔界神の“千里眼”でも見えないから……」

「承知致しました。ではすぐにこの魔界全てをしらみつぶしに」

「いいえ。単独行動は危険よ藍、私と一緒に来てくれるかしら?」

「畏まりました。では紫様、早速行きましょう!!」

「あっ……」

 

 焦りと不安を隠そうともせず、吶喊していく藍。

 その若さ溢れる未熟さに苦笑しながらも、紫は良い式を持ったと改めてそう思いつつ、彼女の後を追う。

 

 

 

――だが、2人は気づかなかった。

 

 彼女達が都市から離れた後。

 複数の影が、まるで少しずつ侵蝕するように都市へと侵入していった事に……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第100話 ~白き人形達、再び~

龍人を見つける為、紫は藍を連れて魔界都市を後にする。
一方、魔界都市に残った零と永琳は……。


「――ねえ、えーりん先生」

「何かしら?」

「まだ終わんないの……?」

 

 魔界神が統治する魔界都市。

 その都市部は喧騒に包まれており、その中を歩く零は自分の前を歩く永琳に抗議の声を放っていた。

 

「まだよ。こんな短時間で根を上げるなんて情けないわね」

 

 しかし永琳は上記の言葉を返し、零の抗議を軽々と跳ね除けてしまった。

 こんな短時間という発言はこの際目を瞑ろう、実際彼女に強引に連れられこの都市を散策してからそんなに時間は経っていない。

 だが、彼女の両手には数え切れない数の薬草毒草が入った袋が握られている。

 重いわけではないがこれ以上荷物が増えるとなると、彼女が抗議するのは当然であった。

 

 そもそも、零は魔界城にてのんびりと休むつもりであったのだ。

 だというのに、永琳に無理矢理起こされ朝食にもありつけないまま小間使いのようにこき使われる。

 こんな状況では彼女でなくても、文句の1つや2つや3つぐらい言いたくもなるというものである。

 

「魔界になんてそうそう行ける場所ではないもの、可能な限り買い込んでおくのは当然でしょ?」

「じゃあ1人で行ってよ、この間の戦いで疲れてるのに……」

「霊力も体力も平常まで回復しているでしょう? 薬師の目は誤魔化せないわよ」

「…………おばあちゃんは厳しいなあ」

「零、次そんな言葉を吐き出したら……新薬の実験台になってもらうからそのつもりで」

「あ、はい……」

 

 にっこりと、まったく目の笑っていない微笑みを向けられ、零は戦慄しながら頷きを返した。

 ダメだ、彼女に対してもこの手の発言は禁忌らしい。

 軽く命の危機を感知しながら、早く買い物が終わってくれとひたすらに願っていると。

 

「………………ん?」

 

 その場で立ち止まる零。

 周囲を見渡す、見えるのは通行中の魔界人のみ。

 ……別段おかしな光景ではない、幻想郷と同じような平和が広がっている。

 

 その筈だというのに……突如として零には、この平和な光景に何処か綻びのようなものが生じているように見えてしまっていた。

 何か悪しき力を感じたわけでもない、しかし零には――博麗の秘術を扱える巫女、通称“博麗の巫女”には天性的な直観力を持っている。

 生まれ持って備わった力が、決して無視してはならない警鐘を鳴らしていた。

 

「えーりん先生、何か感じない?」

「何か? 随分と象徴的な問いかけね」

「ごめん。でも私も直感で言ってるから上手く説明できないの」

「……別に、おかしな力は感じられないけど」

「そう……」

 

 ならば、自分のこの違和感は気のせいという事なのだろうか。

 永琳は自分よりも遥かに優れている、その彼女が何も異変を感じないという事は……。

 

――否、決して思い過ごしなどではない。

 

「……ごめんえーりん先生、ちょっと急用思い出した」

「えっ、ちょ……!?」

 

 放り投げるように持っていた袋を永琳に押し付け、その場を駆け出す零。

 すぐさま飛翔し、永琳の声にも反応を返さずに魔界都市を一望できる高さまで上昇した。

 周囲に意識を向けながらめまぐるしく視線を泳がす、しかし違和感はあれど正体は掴めない。

 だがこの行動により、零はより一層己の直感が正しいと無意識の内に自覚する。

 

「っ」

 

 暫くして、彼女の感覚は“異常”を感じ取る。

 僅かな力の揺れ、一瞬であったが間違いない。

 この魔界都市にて、何者かが何か力を使用した。

 それだけならば気に掛けることではない、しかし巫女である零はその力に邪悪なものを感じ取ったのだ。

 

「ホントに、私の勘って嫌な事だけはよく当たるんだから……!」

 

 悪態を吐きつつ、全速力で力の感知した場所へと向かう。

 辿り着いた先は都市部の中でも端に位置する、人通りの少ない路地裏。

 とはいえこういった場所特有の嫌な空気はなく、所謂ならず者といった存在も見られない。

 

「チッ……」

 

 だが、巫女としての感覚が先程よりも更に大きな警鐘を鳴らす。

 一気に路地裏へと入っていく零、一度曲がり角に差し掛かった後、行き止まりに差し掛かったが。

 

「っ!?」

「…………」

 

 その行き止まりには、気を失っているのかぴくりとも動かない小さな少女を抱えようとしている。

 人形のような無機質な表情を見せる、雪のような白い髪とそれぞれがまったく同じ顔を持つ3人の少女の姿があった……。

 

 

 

 

――金糸の髪を持つ少女、アリスは不満であった。

 

 滅多に来ない地上からの来訪者、しかも純粋な妖怪に人間、果ては半妖で龍人族が来たというではないか。

 それを城のメイド長である夢子に聞いた瞬間、アリスはすぐにでもその者達――紫達に色々と話を聞きたい衝動に駆られた。

 だというのに、母であり魔界神の神綺から聞いた話では、龍人族の半妖は魔界に来て早々行方不明になったそうではないか。

 更に紫達とも碌に会話ができず……完全に出鼻を挫かれ、正直彼女は拗ねていた。

 

 地上の妖怪や半妖に力や知識を研究すれば、今よりもっと自分は力を得る事ができる。

 そう考えたからこそ、今のこの現状には大いに不満であった。

 とはいえ向こうには向こうの事情があるとアリスとて子供ながらに理解している、だからこそ多少の不満は述べつつも引き止めたりはしなかった。

 

「もぅ……」

 

 だがまあ、かといって納得できるほど彼女は大人ではない。

 愛くるしい容姿を持つ彼女は、まだ齢十の子供なのだ。

 それも魔界人ではなく――かつて赤子のまま地上からこの魔界へと流れ着いた、人間の子供であった。

 

――アリスと神綺は、本当の親子ではない。

 

 およそ十年前、地上から魔界へと1人の人間の赤子が迷い込んだ。

 着る者も与えられず、今にも衰弱死してしまいそうな程弱っていた彼女を見て、誰もが地上で捨てられた憐れな子供だと理解した。

 それを不憫に思った神綺が、母親代わりとなって今までアリスを育てて来たのだ。

 

 後に魔法使いとしての資質がある事がわかり、アリスは立派な魔法使いになる為に今も勤勉に励んでいる。

 だからこそ地上から来た者達が持つ知識を得たいと思ったのだ、きっとそれが自分にとってプラスになると信じているから。

 そうすればきっと、いつか自分も母である神綺の役に立てる筈なのだから……。

 

「あ……」

 

 ふと我に返ると、随分と城から離れてしまった事にアリスは気づく。

 気晴らしに散歩をしながら考え事ばかりしてしまったのが原因のようだ、普段来ない端のエリアにまで来てしまった。

 しかしただ帰るのもつまらない、確かこの辺りには魔法薬の店があったとアリスは記憶を思い返し、せっかくだから寄ってみようと進路を変更して。

 

「――見つけた」

「魔界神の娘、アリス」

「確保、する」

 

 三つの無機質な声が、背後から聞こえ。

 アリスは咄嗟に、本当に無意識のまま背後へと振り返りつつ火球の魔法を声の主達に向けて解き放った。

 高熱と爆音が周囲に響く中、アリスはその場から駆け出しながら両足に強化の魔法を施す。

 

「な、何……何なの……!?」

 

 強化された足を必死に動かしながら、アリスは今の自分の状況を理解できないでいた。

 ただ、あのままあの場所に居るわけにはいかないという事だけはわかり、相手の命を奪う勢いで攻撃魔法を放ちすぐに逃走したのだ。

 自分が義理とはいえ魔界神の娘であるというのがどんな事か、子供でありながら聡明であるアリスとて充分に理解している。

 だがこの魔界都市は常に神崎が施している魔力障壁と千里眼によって守られている、今まで外敵が自分に襲い掛かってきた事など一度たりともなかった。

 たとえ音もなく都市に忍び込んだとしても、神綺の千里眼から逃れられる者など居なかったし、侵入者は速やかに夢子によって駆逐されてきた。

 

 だというのに、神綺も夢子も未だ現れず、背後から自分を狙っている気配をずっと全身で感じ取っている。

 この状況はアリスにとってまさしく異常であり、未熟な子供の精神で耐えられるようなものではなかった。

 恐怖からか涙を流し、震えそうになる身体を必死で抑え付けながら、アリスはただ背後の気配から逃れたくて逃げ続ける。

 

「マ、ママ……夢子お姉ちゃん、た、助けて!!」

 

 必死に助けを乞いながら、アリスは無我夢中で逃げ続けた。

 ……その逃走が、背後の気配によって誘導されている事に彼女は気づかない。

 そして、アリスがその事に気づいた時には――もう全てが遅すぎた。

 

「あ、ああ……」

 

 前は行き止まり、背後には先程の声の気配。

 逃げられない、否、はじめから自分は逃げられてなどいなかった。

 

『確保、開始』

 

 まったくの同時に、同じ声が三つ聴こえた。

 それと同時に、アリスの意識が急速に薄れていく。

 

「マ、マ……」

 

 自分の事を一番に考えてくれる、大切な母の悲しむ顔を思い出しながら。

 アリスの意識は、闇へと堕ちていってしまった……。

 

 

 

 

「こ――――」

 

 その光景を視界に入れた瞬間、零は駆け出していた。

 内側からは抑えきれない程の怒りが湧き上がり、瞳に憤怒の色を宿しながら地を蹴る。

 

 目の前に広がる状況の詳細などわからない。

 ただ彼女の直感が告げているのだ、この雪のような白い髪と血のような赤い瞳を持つ3人の少女達。

 まるで同一人物のように同じ顔を持つ得体の知れない少女達は、自分達にとって明確な“敵”だと訴え続けている。

 何よりも、先程一瞬感じた力の奔流がこの少女達から出ている以上、黙って見逃すなどという事はできない。

 

「こいつ……!」

 

 右足に霊力を込め、一番近い少女の頭を蹴り砕こうと回し蹴りを放つ。

 加減など一切ない必殺の一撃、それを白の少女はいつの間にか左手に持っていた刀で真っ向から受け止めた。

 

「!?」

 

 だが無意味、剣の腹で受け止めた零の蹴りの勢いは微塵も衰えず、白の少女の身体を真横へと吹き飛ばす。

 硬い壁を軽々と粉砕しながら、白の少女の身体は瓦礫の中へと消え去った。

 それには構わず、零は懐から“封魔針”を取り出し残り2人の少女へと投げ放った。

 霊力によるブーストが施されたそれは、鉄の塊すら易々と貫通する矢と化し白の少女達へと襲い掛かる。

 

「は……っ!?」

 

 僅か一秒にも満たぬ連撃、小さな少女を抱えようとしていた少女達では避ける事も防ぐ事もできない……筈であった。

 だというのに、封魔針が直撃する瞬間――ふっと、まるで初めから存在しなかったかのように唐突に、少女達の姿が消えた。

 おもわず声を上げる零、すかさず周囲に意識を向けるが少女達の気配は感じられない。

 瓦礫の中に沈めた少女もいつの間にか消えている、どういうカラクリを用いたのかはわからないが彼女達は一瞬でこの場から移動してしまったらしい。

 

 ならばと、零は上空に飛翔しながら意識を広範囲へと向ける。

 そう遠くには行っていない筈だ、索敵範囲を広げる為に零は目を閉じ意識を内側へと追いやった。

 

「――――見つけた!!」

 

 如何なる秘術か、敵はもう魔界都市を出てしまっている。

 何が目的かはわからないが、あのような小さな少女を連れ去ろうとするのは阻止しなければ。

 全力で敵の場所へと飛んでいく零、後の余力など考えずにただ追いつく事だけを考えて霊力を噴き出していく。

 

「逃がさないわよ……!」

 

 全力で飛ばした甲斐もあり、十秒にも満たぬ速さで敵へと追いついた零。

 相手もこちらに気づいた、だがその前に零は術を完成させていた。

 

「二重結界!!」

 

 完成させた術を発動させる零、ただしそれは決して攻撃の為の術ではなかった。

 ――青白い防御用の結界が、白の少女が連れて行こうとしている少女――アリスの身体を包み込む。

 それを確認すると同時に零は左手を天高く挙げ、今度こそ攻撃用の術を発動させる。

 

 零の膨大な霊力が、球状の形へと象られていく。

 やがてそれは光り輝く陰陽玉へと変化し、その大きさは小さな山ほどにまで膨れ上がった。

 

「――危険」

「博麗の巫女の秘術、危険」

「回避、不可能。防御、開始」

 

 無機質な声色の中に、確かな焦りと恐怖の色を滲ませながら、白の少女達はその場に留まり結界を張り始める。

 どうやら先程の転移は行えないらしい、その様子に零は口元に勝利の笑みを刻み込んだ。

 相手が展開した結界では、次に自分が放つ一撃には耐えられない。

 だからこそ予めあの少女には二重結界を張り、影響が及ばないようにしたのだ。

 

「――小さな子を連れ去るような悪者には、猛省してもらわないとね!!」

 

 左手を振り下ろす。

 光り輝く陰陽玉が、少しずつけれど決して遅くない速度で白の少女達へと振っていく。

 相手の結界は既に完成しているが、そんなものなど彼女が放った博麗の秘術の前には紙も同然であり。

 

「くらえ――陰陽鬼神玉!!」

 

 白の少女達が3人がかりで展開した結界と、零の秘術が激突した瞬間。

 あっさりと、結界は粉々に破壊され。

 光り輝く陰陽玉は、易々と少女達を呑み込み――大爆発を引き起こした。

 

 

 

 

「――藍、どうかしら?」

「…………ダメですね。龍人様の妖力は感じられません」

 

 都市からだいぶ離れた紫と藍は、少しずつ移動しながら龍人の存在を文字通りしらみつぶしに捜し続けていた。

 しかしどんなに意識を周囲に向けても、龍人の妖力はおろか気配すら感じ取れない。

 魔界神である神綺の千里眼ですら捉えられなかったのだ、こうなるのは薄々感じ取っていたものの……進展がないという事実は、2人の心に影を落していく。

 けれど諦めたりなどしない、彼がこの魔界で生きているのが確かならば必ず見つけ出すと己自身を奮い立たせた。

 

「きっとお腹を空かせているでしょうから、戻ったら沢山の料理を用意しないといけませんね」

「そうね。その時は私も協力するわ」

「お願いします、紫様」

 

 などという軽口を叩き合いながら、2人は山岳地帯へと踏み入れた。

 生物の気配など感じられない寂しい場所ではあるが、念のためと2人は岩の大地へと降り立つ。

 

「紫様、確か龍人様は魔界神ですら感知できないものに守られているのでしたよね?」

「ええ、それを考えると龍人は誰かに匿われている可能性が高いわ」

「だとすると、このような人気のない場所にこそ龍人様が居る可能性があると考えた方がいいかもしれませんね」

 

 藍の言葉に頷きを返しながら、山岳地帯を歩いていく紫。

 ……龍人はおろか、他の生物の気配も感じられない。

 けれどそれとは違う、何か違和感のようなものを紫は感じ取っていた。

 

「――紫様、どうですか? 龍人様の力は感じられますか?」

「…………いいえ、藍はどうかしら?」

「ダメですね。ここにはいないと考えるべきなのか……それとも」

「…………」

 

 この違和感の正体は何なのだろう。

 無視できない、無視してはならないと訴える自分自身の直感を信じて、紫は一度龍人捜索を中断し周囲を調べ始めた。

 草木など存在しない、不毛な岩肌ばかりが連なる土地の中で――紫は“それ”を見つけてしまった。

 

「紫様?」

「……藍、あなたにはこれが何に見える?」

 

 そう言って、紫は目の前を指差す。

 そちらへと視線を向ける藍であったが、見えるのは何もない大地だけ。

 首を傾げつつ、藍は自分が見ている光景をそのまま主人へと説明した。

 

「そうね。何もないように見えるのは当然よ」

「? それでは、ここに何かあるのですか?」

 

 もう一度その場所を見る藍だが、やはり赤い地面しか見えない。

 困惑する藍に苦笑しつつ、紫は徐に右手をその場で伸ばし能力を発動させ。

 

――目の前に隠されていた地獄を、解き放った。

 

「な――――」

 

 空間に歪みが生じ、境界が操作される。

 何者かの手によって操作されていた境界が、紫の能力によって正常へと戻り。

 ――赤い大地に、死体の山が姿を現した。

 

「紫様、これ、は……」

 

 掠れた声で、どうにか主人へと問いかける藍。

 先程まで確かに何もなかった、だというのに紫が能力を用いて周囲の境界を操作した瞬間、百ではきかない程の死体が現れ転がっているのだ。

 これに驚愕する者はおらず、けれどその中でも紫はただ冷静であった。

 

「ヘカーティアの予感は的中していたようね、あの世に来る者が多くなっているのは気のせいじゃなかった」

「で、ですがこれだけの死体の山……一体誰が何の目的で」

「…………」

 

 遺体の状態は、様々なものであった。

 四肢を破損した者、自らの血で真っ赤に染まっている者、逆にまるで眠っているかのような姿の者。

 そのどれもが間違いなく息絶えているが、一部の亡骸――死体とは思えぬほどに綺麗な状態で事切れている者には、ある特徴が見受けられた。

 

「――魂喰い(ソウルイーター)、この綺麗な亡骸達は全て殺される前に魂を喰われているようね」

「魂を……」

「生物の魂は純粋な生命力の塊よ。それを喰らえば自身の力を底上げする事ができるのは藍も知っているでしょう?」

 

 故に、その魂を自身に取り込めばその魂の力を自分のものにできる。

 それが魂喰い(ソウルイーター)と呼ばれる、畏怖と侮蔑を込めた禁忌の行為である。

 

「では何者かが、魔界で生きる者達の魂を喰らい力を蓄えていると?」

「ええ、全ての死体から魂を摂取していないのは、おそらく純度の高い魂だけを狙っているからでしょうね」

「まさか、アリアが!?」

「関与している可能性はあるわ。でも……」

 

 紫には、この件はアリアが関与しているとは思えなかった。

 確証などはない、けれど彼女は魂喰いなどという行為は行わないという確信めいた何かがあった。

 だが、今は考察している場合ではないだろう。

 

「藍、戻るわよ」

「ですが、龍人様は……」

「龍人の事は勿論捜すわ。でもその前にこの事を神綺に報告した方がいい」

 

 この発見は、あまり良いものではなかったかもしれない。

 ……紫の脳裏に、ある者の冷徹な笑みが浮かび上がる。

 

「…………ぁ」

「紫様、如何なされたのですか?」

「……なんでもないわ」

 

 頭を振って、悪夢を消し去った。

 とにかく一刻も早く戻らなければ、死体をこのままにしておくのは忍びないものの、紫と藍は魔界都市へと向かおうとして。

 

 

 

――2人の首を薙ごうとする、銀光が奔った。

 

 

 

 

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第101話 ~対峙、紫とアリア~

――その時が、やってきた。

互いに相容れぬ、認めれぬ存在同士が、雌雄を決する時が。


――銀光が、奔る。

 

「――――」

 

 一秒後に迫る自らの死を自覚しながらも、藍は何もできないでいた。

 唐突に、何の前触れも気配もなくその刃は振るわれ、自身と主の首を斬り飛ばそうと迫っている。

 

 反応できない。

 警戒すらしていなかったこの身体では、避ける事も弾く事も防ぐ事だってできない。

 

「あ」

 

 間の抜けた声が、自然と零れる。

 それが藍にとっての最期の言葉となり、彼女は主と共にその生涯に幕を下ろし。

 

「っっっ…………!?」

「えっ……!?」

 

 だが、その前に。

 2人の首を狙っていた斬撃は、紫の光魔によって弾かれ。

 すかさず闇魔による反撃の刃が、奇襲を仕掛けてきた相手の身体を一刀の元に両断した。

 

「――初めてこれを見た時は理解できなかったけど、カラクリがわかればなんてことはないのね」

 

 言いながら、紫は両手に光魔と闇魔を握り締めつつ、自らが切り伏せた相手を見る。

 藍も視線をそちらに向ける、血の海に沈んだ少女の姿が視界に映った。

 自らの血で赤黒く汚れているものの、雪のような白い髪と見開いたままの赤い瞳が確認できた。

 右手には刀が握り締められており、先程自分達の首を薙ごうとしたものだと理解する。

 

「紫様、これは――」

(はく)、確かそう呼ばれていたわね」

「白……!?」

 

 その名には、藍は聞き覚えがあった。

 かつて都にて紫達に襲い掛かった、人形の如し無機質さと同じ顔を持つ不気味な少女達。

 宿敵であるアリアの部下である白の少女が、再び紫達の命を狙おうと現れたようだ。

 

「――奇襲、失敗」

「八雲紫の戦闘能力、予測値を大幅に上回っている」

「増援、要請」

 

 音もなく、紫達の前に現れる白達。

 やはりどれも同じ背格好、体型、顔と不気味さは相も変わらない。

 

「ぞろぞろと……!」

 

 九尾を逆立たせ、妖力を溢れ出させる藍。

 そんな彼女に、紫はある指示を出した。

 

「藍、あなた……1人で全て相手をできるかしら?」

「えっ……」

「できるの? できないの? 私が訊きたいのはこの問いの答えだけよ」

「…………」

 

 試すような視線と問い。

 たった1人で戦えるのかと紫は問うているが、彼女の本当の問いはそんなものではない。

 

――たった1人で、勝て。

 

 自分の式ならば、やってみせろと紫はその金の瞳で命じている。

 その指示はあまりにも酷なものだ、既に白の数は全部で七人。

 それをたった1人で戦い勝てと紫は命じた、傍から聞けばあまりにも無茶な命令ではあったが。

 

「――紫様、私はあなたの式ですよ? ならば……その問い自体、無意味ではありませんか?」

 

 だが、藍は敢えてその指示に従った。

 無茶で酷なのは理解している、けれどそれがどうしたというのか。

 ――信じていると、主は瞳で言ってくれた。

 お前ならば問題はないと、尊敬する主は強い信頼を向けてくれている。

 

 それで充分だった、ただそれだけで藍はどんな命令すら果たそうとする気力が湧いてくる。

 全ては主の為、八雲藍は自らの力の全てを用いて式としての役目を果たす。

 

「――――お願いね、藍」

 

 優しく微笑み、紫はその場から離脱を始める。

 当然、白達が見逃す筈もなく全員が意識を彼女へと向け。

 

――黄金の尾が、白の一体の身体を貫いた。

 

「…………」

「貴様等の相手はこの私だ。尤も――この尾に貫かれたいのなら、存分に余所見をしているといい」

「――殺す」

 

 白達の意識が、仲間の一体を貫き絶命させた藍1人に向けられる。

 刀を向けるその瞳からは、確かな殺意が溢れ出していた。

 

 ……だが好都合だと、藍は内心ほくそ笑む。

 あの人形達の意識が全て自分に向けられるというのならば、どんなに強い殺意や敵意を向けられても構わない。

 式として与えられた責務を果たすには、今の状態は実に都合が良いものであった。

 

――両手に狐火を繰り出しながら、藍は地を蹴った。

 

 対する白達も、一斉に動き出し。

 真っ向から向かってくる藍に向けて、己が手に持つ刃を叩き下ろした。

 

 

 

 

 藍と白達の戦闘が始まった事を背中で感じながら、紫は戦いの場から離れていく。

 当然、藍だけにあの人形達の相手を任したのは理由がある。

 ……戦わなければならない相手が、自分を待っているからだ。

 呼んでいる、八雲紫という存在にとって決して相容れない、そして乗り越えなければならない相手が自分を呼んでいる。

 

 決着を、着ける時が来たのだ。

 巡り合っておよそ六百年、何度も対峙し何度も戦い……そのいずれも勝てなかった。

 今まで戦い生き残れたのも、ただ運が良かっただけ。

 

 けれど今回は違う、もう決着を先延ばしにする事はできない。

 必ず勝つ、そして再び龍人と再会し幻想郷へと帰る。

 ただそれだけを願い、紫は移動を続け――岩山の上に着地した。

 

 相も変わらず周囲に生物の気配はなく、草木も生えぬ不毛な岩肌だけが見える土地で。

 

「――来たわね。紫」

 

 目の前の空間に亀裂が走り、その中から聞き慣れた声が聴こえてきた。

 亀裂は瞬く間に大きくなり、人一人が余裕で通れるほどに大きくなった後、中から現れたのは……赤髪の美女、アリア・ミスナ・エストプラム。

 背中に天使を思わせる白い翼を生やした彼女は、右手に神剣を持ち静かに紫の前へとその姿を現した。

 

「…………」

「遺言はあるかしら? なければ、そのまま死になさい」

 

 有無を言わさぬ雰囲気のまま、アリアは紫を真っ直ぐに見つめてくる。

 その瞳のなんと冷たい事か、放たれた言葉にも強い憎悪が滲み出ている。

 

 彼女も決着を望んでいるようだ、紫もそれがわかっているからこそ誰にも邪魔されないこの場所へと移動してきた。

 お互いに話す事など何もない、ただ互いに相手の命を奪おうと雌雄を決する、ただそれだけだ。

 

 ただその前に、紫はどうしても訊きたい事があった。

 

「――アリア、引き返す事はできないの?」

「…………なんですって?」

「あなたは私を強く憎んでいる、そして龍人に対し執着心を抱いている。

 その理由、その意味がずっと理解できなかったけど……今なら、わかる気がするわ。

 アリア、あなたは――かつて龍人と同じような道を、人と妖怪が共に歩める世界を強く望んでいたのでしょう?」

 

「…………」

 

 アリアの表情が、僅かに強張る。

 頑なに彼女が紫を認めなかったのも、それが理由なのではないかと紫は推測した。

 目指していた道が何らかの要因で崩れ去ってしまい、諦めるしかなかったとしたら……龍人と紫の姿は、かつての自分を見ていると同意だ。

 だからこそ許せない、だからこそ憎んだのではないか。

 

「もしそうなら、今からでも引き返す事はできる筈よ」

 

 まるで懇願するように、紫はそうアリアに訴える。

 それが無意味である事も、無駄である事も理解しながら、どうしても彼女に告げたかった。

 

「……驚いた。まさか殺される前にそんな事を言ってくるとは思わなかったわ」

 

 心底驚いたように、アリアは言葉の中に紫に対する確かな嘲笑を織り交ぜながらそう口にする。

 

「紫、あなたのその愚かしい問いかけがあまりにも驚きに値するものだったから、その質問には答えてあげる。――ええそうよ、あなたの推測は正しい。

 かつてのワタシは確かにそんな世界を夢見てきた、人と妖怪という事なる種族が互いに平和な世界で暮らせるようにと願ってきた」

「……なら、どうしてその夢を捨ててしまったの?」

「捨てた? いいえそれは違う、捨てたのではなく()()()()()()()()()()

()()()()()

 必死になって互いの架け橋になろうとした、この考えに賛同できない者達を説得し、それこそこの身の全てを削り落とす気概で努力を続けたわ」

 

 アリアの脳裏に、ある光景が思い起こされる。

 それはかつての自分、人と妖怪の関係を憂い、それをどうにかしたいと願い続けてきた自分自身。

 抱いた夢は崇高なものだったと自負している、叶えられたらそれは素晴らしい世界が訪れると疑う事無く信じていた。

 その夢は、今の龍人と紫が目指しているものと何ら変わりはない、まったく同じ夢であった。

 

 たまたま才に恵まれ、“ある能力”を持って生まれたアリアは、とある縁から人間と交流を深める事となった。

 その理由は今となっては思い出せない、けれど彼女は人間と触れ合う内にこう思ったのだ。

 

――人は、妖怪とも共に生きていける、と。

 

 けれど世界が見せる互いの関係は、劣悪なものであった。

 だからこそ彼女は夢を抱いた、人と妖怪が共に生きる事のできる世界を願った。

 

「ええ、確かにワタシはその夢が叶えばいいと本気で願った。そして本気で叶える為に全身全霊を懸けてきた。いつかその時が来ると、何度も何度も変えられない現実を見せられながらも、ただただ前に進もうとしてきたわ」

 

 でも、共にその道を歩もうとしてくれる同志はできなかった。

 当たり前だ、誰が好き好んでこんな辛く険しいだけの道を歩もうと思うのか。

 それでも彼女は構わなかった、前に進む事しか考えていなかったから。

 

「――そんな未来などありえないと心の何処かで理解していたのに、ワタシはそれから必死に目を逸らし続けた」

 

 人は妖怪を恐れ、憎み。

 妖怪は人を見下し、喰らう。

 

 何度も何度もそんな当たり前の光景を目にしても、アリアは諦めなかった。

 否、諦めたくなかっただけなのかもしれない。

 今まで頑張ってきたのだから、報われなければ嘘ではないかと思っていたのかもしれない。

 

「結局、ワタシが何をしても互いの関係は変わらなかった。

 やがて時が過ぎ、人間達が際限なく増え続け妖怪や神々といった存在が空想の存在だと人々の間でそう認識され始めてきた頃から、もう終わりが来ていたのでしょうね」

 

 人々からの信仰を失った神々は消えていき、数を減らし続けた妖怪達は増え続ける人間達によって淘汰されていった。

 残った者達は、まるで逃げ隠れるように“とある結界”で人間の世界から隔離した隠れ里へと移動し、生き延びた。

 ……その時点で、全てが破綻していたとアリアは気づいていた。

 だというのに、アリアは尚も諦めずに歩んできた道を引き返さずに前へと進もうと試みた。

 

「笑っちゃうわよね。もう結果は判りきっているのに、尚もワタシは足掻こうとしたの。

 きっと叶うと、聞き分けのない子供のように自分を誤魔化して……初めから、そんな願いなど無意味でしかなかったのに」

 

 叶わないだけで終わるのならば、良かったのだ。

 自分が甘かったと、己の未熟さを思い知るだけならばアリアとてそのままひっそりと生きるだけであった。

 

 けれど、彼女は真に理解したわけではなかったのだ。

 人の欲を、底なしの悪を。

 

「紫、人間はね……本当にどうしようもない存在なのよ?

 結界に囲まれた小さな世界でひっそりと生きてきた私達に、向こうは一方的に蹂躙してきたの」

 

 あれは、結界が弱まり人間の世界との隔離が一時的に消えかかった時だった。

 人間達は妖怪が空想の存在だと思いながらも、心の何処かではその存在を信じていたようだ。

 そして人を超える妖怪の力を得ようと、人間達は侵略してきたのだ。

 

「抵抗したけど無駄だった。妖怪達の力は全盛期を下回っていたし、科学が発展した人間の兵器は妖怪の肉体すら滅ぼすほどだった。――これがワタシの現実、そしてあなた達がいずれ辿る未来の姿よ紫」

「…………」

「人間と妖怪の共存なんて叶わない、叶う筈がない。それをワタシはこの目で見た、ならそんな無価値な道を歩もうとしているあなた達を殺したくなっても仕方ないと思わない?」

「アリア……」

「……どうかしているわね。どうして殺す相手にペラペラと自分の過去を話したのかしら」

 

 自嘲するように、アリアは笑う。

 そこにあるのは強い失望と後悔、そして悲壮感しかなかった。

 

 ……漸く、紫は理解に至った。

 何故出会った事もなかった彼女が、自分を憎んでいたのか。

 龍人に対して執着のようなものを向けていたのか、今の話を聞いて理解した。

 

 彼女はただ、繰り返したくなかっただけ。

 自分が歩んできた道を、歩もうとする紫達を止めようとしているだけだ。

 

 けれど同時に、彼女は同じ道を歩む紫達を羨んでいる。

 自分では得られなかった同志を、紫達が手に入れられた事が心底気に入らない。

 だからただ止めるだけではなく殺すという選択肢を選んだ、それが正しい事なのか間違っている事なのか、今のアリアにとってどうでもいい事なのだ。

 存在そのものを許す事ができない、許容できないのならば殺すしかない。

 

「だからあなたは全てを憎んだの? 賛同してくれなかった人間や妖怪達も、そしてこの世界そのものも」

「憎まないと思っているの? いずれあなたも同じ経験をする、そうすればワタシと同じになる」

「…………ひどい八つ当たりね。そんな事をしても戻るものなど何もないのに」

 

 でも、納得はできた。

 彼女は謂わば未来の自分に等しい、だからこそ彼女の痛みが想像を絶するものであり、憎しみに身を委ねるのも納得できる。

 

「そうね……でも仕方のない事なのよ。全てを失ったワタシには……それだけが、生きる意味なのだから」

「…………」

「こんな所では終われない。いずれまたあなた達のような間違った願いを抱く者が現れる、ワタシのような者を存在させない為にも……こんな世界、根絶やしにしてやらないと」

 

 アリアの雰囲気が変わり、彼女はゆっくりと紫に向かって歩を進めていく。

 ……問答は、もう終わりだ。

 彼女が引き返せない道を歩んでいるのと同じように、紫とて譲れないものの為にここに居る。

 ならばこれ以上の言葉に意味はなく、後は互いに全力を尽くして相手の命を奪うしかない。

 

 紫も歩を進め始める、後戻りなどしない為に。

 ――無意味だと、彼女は言った。

 彼の歩む道は無意味で無価値だと吐き捨て、事実同じ道を歩んできた彼女だからこその言葉であった。

 

 理解はしている、正しいと紫自身も認めている。

 でも……それでも、納得などしてやれない。

 

「…………」

「…………」

 

 更に踏み込み、既に間合いは充分に剣を打ち合える程に近い。

 同時に歩を止め、暫し睨み合うように対峙してから。

 

「安心なさい紫、あなたを殺した後に……龍人もすぐ後を追わせるから」

「それは無理よアリア、龍人は……あの人は、私が守る」

 

 剣を構える。

 ――それが、開始の合図となった。

 

「大妖怪でありながらくだらない願いに縛られた愚か者。美しく残酷に――この世界から、()ねっ!!」

 

 ほぼ同時に、互いの剣がぶつかり合い火花を散らす。

 神剣と二本の妖刀が、お互いを破壊せん勢いで弾け合った。

 

 

 

 

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第102話 ~新たなる龍の子~

「……んっ、ぁ……」

 

 痛みと心地良さで、龍人は目を醒ました。

 最初に映ったのは岩肌の天井、続いて慈しむように自分の頭を撫でてくれる無名の女性。

 

「ごめんなさい。起こしちゃった?」

「……いや、そういうわけじゃないから」

 

 上半身だけを起こし、龍人は改めて右腕へと視線を向ける。

 ――やはり、そこに在るべき腕は失われていた。

 だが全身を襲う痛みは大分和らいでくれた、これならば今すぐにでも動けそうだ。

 

「包帯を替えましょう」

「あ、うん……」

 

 半身を起こしたまま動かず、龍人は女性の処置に身を委ねる。

 慣れた手つきで包帯を替えていく女性は、龍人の傷口を見てほっとしたように安堵の吐息を零した。

 

「さすが龍人族であり半分妖怪の血が混ざっているだけはあるわね。殆どの傷は塞がっているわ」

「そっか……じゃあ、紫達の所に戻らないと」

「待ちなさい。傷が塞がりかけているとはいえ体力を大きく消耗しているのよ、まずは万全の状態に戻してからにしなさい。そうしないと、その紫という子にいらぬ心配を掛けてしまう事になるわ」

「……そうだよな、うん」

 

 処置が終わり、龍人はそのまま再び寝転がった。

 本当ならば今すぐにでも紫達の元へ戻り、無事である事を伝えたい。

 けれど女性の言う通り、今の状態で戻ればまた心配を掛けてしまう。

 女性の指示に従うのが賢明だと思いながら、龍人は何故こんなにもこの女性の言葉に素直に従うのか、疑問に思った。

 

 自分を助けてくれた命の恩人とはいえ、初対面の相手だというのに龍人は女性に対し既に強い信頼を寄せている。

 一片の警戒も抱かず、まるで古い友人のようにすんなりと女性の言葉に耳を傾け従っていた。

 いや、古い友人というよりも、どちらかと言えば家族のような……そんな気さくさを、覚えている。

 

「……ちょっといいか?」

「何かしら?」

「龍人族だって言っていたけど、あなたの他の龍人族は何処に居るんだ?」

「…………」

 

 女性の表情が、僅かに強張る。

 それを見て訊くべきではなかった事だと龍人は理解したが、遅すぎた。

 

「ふふっ、気にしなくて大丈夫よ。もうずっと前から1人でここに居るから」

「えっ、ずっと前から……?」

「ええ。私は元々この魔界ではなく地上にあった隠れ里で暮らしていたわ、でも私以外の龍人族は皆死んでしまって……私1人、生き延びてしまった」

「……何か、争いに巻き込まれたの?」

「ううん、ただの寿命よ。龍人族といってもその力は殆ど薄れてしまったし何より人間だもの、単純な寿命は普通の人間と変わらないの。ただ私は他の龍人族より長命みたいで、もう数百年と生き続けているのよ」

 

 ただそれだけの話だと、女性は単なる世間話のように言う。

 けれど、たった1人で永い年月を生きてきたのだろうか?

 そう思うと掛ける言葉が見つからず、龍人は沈黙してしまう。

 

「でも生きている間に同族に会えて良かったわ。それもこんなにも優しくて良い子にね」

「……なあ。こっちの問題が解決したら、俺達と一緒に幻想郷に来る気は……ないかな?

 そこは人と妖怪が一緒に暮らしてるから、龍人族でも別に住むのは問題じゃないし……」

「ありがとう。――でもいいのよ、私がこんな場所でたった1人で生きているのは……贖罪の意味もあるの」

「…………」

 

 その贖罪というのは、一体なんだと龍人はおもわず問いかけそうになってしまった。

 これ以上踏み込んだ問いは、女性の心にいらぬ傷を負わせる危険性がある。

 それに女性の意志は固い、無理に彼女を幻想郷に連れて行っても逆効果だろう。

 なんとなく空気が重くなる中、そこから逃げるように龍人は目を閉じ眠りの世界へと旅立とうとして。

 

――紫の妖力の奔流を、全身で感じ取った。

 

「――――」

 

 飛び起きる。

 それと同時に龍人は立ち上がり、脇目も振らずに洞穴の出口に向かって駆け出した。

 

「龍人!?」

 

 女性の声も、今の彼には届かない。

 紫が力を解放した、それも全力でだ。

 それは即ち、そうでもしなければ勝てない相手に巡り合ってしまったという事であり。

 直感的に、その相手がアリアであると理解してしまえば、龍人はいてもたってもいられなくなってしまった。

 

 痛みはまだある、しかし前よりも和らいでいるので支障はない。

 だがたとえ意識を断裂する程の激痛だったとしても、今の彼は止まる事はない。

 紫の元へと向かわなければ、ただその一心だけで動いている彼に余計なものを感じる機能など働いていないからだ。

 

 洞穴は短く、すぐに外へと出た。

 周囲に広がる広大な草原を駆けながら、龍人は紫の居場所を捜そうと探知を始め。

 

――自分に向かって振り下ろされた銀光の刃を、後退する事で回避した。

 

「っ」

「――龍人、発見」

「お前……!」

 

 自分を斬り伏せようとした存在を見て、龍人は僅かに驚愕する。

 雪のように白い髪と血のように赤い瞳を持った、無機質な人形を思わせる雰囲気を漂わせる少女。

 かつて紫達が対峙したという、白と呼ばれる存在が龍人の前に立ち塞がった。

 

 それも1人だけではない、いつの間にか彼を囲むように4人の白が姿を現していた。

 流石にこの状況では迂闊に動けず、龍人は歯噛みし身構える……事などしなかった。

 

「――――」

 

 グシャリ、そんな鈍い音が響く。

 ……今の彼の邪魔をする者には、相応の報いを受けるという事を白達は理解していなかった。

 彼は瞬時に前方の白の顔を左手で掴み、そのままの勢いで地面へと大きく叩きつけたのだ。

 

 無論、ただ叩きつけただけではない。

 左手には“龍気”を込め、簡易版の龍爪撃(ドラゴンクロー)とも呼べる一撃を叩き込んだ結果。

 それを受けた白の顔面は文字通り粉砕され、呆気なく絶命した。

 

 残りの白には気にも留めず、龍人は再び駆け出す。

 それを追いかける白達、彼を見つけ次第足止めをしろという主人の命を受けている彼女達であったが……何故か、突如として方向転換を始めた。

 

「龍人!!」

「っ!?」

 

 ここまで追いかけてきたのか、後方から女性の声が聴こえてきた。

 その声に反応し振り返る龍だったが、それはあまりにも愚策な行動であった。

 

「――邪魔者は、始末」

「死ね」

 

「っ、なっ……!?」

 

 白達が、追いかけてきた女性に向かって刀を振りかざしている。

 女性もそれに気づいたがもう遅い、一秒後には白達の刃が女性の身体を無惨にも切り刻むだろう。

 

「くっ――紫電!!」

 

 冷静さを失っていた龍人の思考が、元に戻った。

 それと同時に彼は命の灯火が奪われそうになっている女性を救うために、逆方向へと地を蹴った。

 身体に電撃を纏わせ、速度を一瞬で神速のものへと変えた彼は、白達が刃を振り下ろす前に間へと割って入り。

 

「っ、が、ぃ……!?」

 

 防御などする余裕などなかったので、その身体で白達の斬撃を受け止めた。

 凄まじい激痛が襲う、視界が赤く染まりながらも彼はどうにか足に力を込め倒れるのを防ぐ。

 

「ぐ、あ……っ」

「龍人、どうして……!?」

「ぁ、ぐ……っ」

 

 斬られた箇所が、燃えるような熱を放っている。

 視界は霞み、流れる血の量は多く少しでも気を抜けば意識を失いかねない。

 しかしこのままでは殺されるだけだ、龍人は自分を悲痛な表情で見つめる女性を抱きかかえ、その場から離脱した。

 

「ぎ……っ!?」

 

 強引に身体を動かしている代償か。

 意識どころか命すら奪いかねない痛みが、龍人の身体を蝕んでいく。

 流れていく血は秒単位でその量を増やしていき、如何に半妖である彼ですらこのままでは死に至る。

 いっその事、痛みから逃れる為に薄れていく意識を手放してやりたい衝動に駆られた。

 

「龍人、私の事はいいから逃げなさい!!」

「――――」

 

 けれど、それはできない。

 ここで楽になろうとすれば、自分が抱きかかえているこの無名の女性が白達に殺される。

 何も悪い事などしていない、見ず知らずの自分の命を本気で助けてくれた彼女が、何の意味もなく殺される。

 

 それだけは認められない、認めるわけにはいかない。

 だから龍人は決して楽になろうとはせず、痛みを押し殺しながら全力で逃げる。

 

 ――自分を追いかけてくる気配が、増した。

 確認しなくてもわかる、白の数が増えたのだと理解できる。

 ちらりと後ろを見れば予想通り、同じ顔の少女が既に十数体、無機質な表情のまま自分達を追いかけていた。

 悪い夢だと思いたくもなる光景を目にしながら、彼は何処に逃げればいいのかもわからずに逃げ続ける。

 

 死の誘いが、すぐそこまで迫っていた。

 ここで死ぬわけにはいかないとどんなに己に言い聞かせても、もうすぐ死ぬという未来が頭から離れてくれない。

 

「こんな、ところで……死ねる、か……っ!!」

 

 まだ自分にはやらなければならない事がある、果たさなければならない事が残っている。

 たとえどんなに絶望的な状況でも、覆せない未来が待っているとしても、諦めないし諦めるわけにはいかない。

 自分が死ねば紫が悲しむ、そして彼女は龍人にとってかけがえのない存在でもあった。

 そんな彼女を残して死ぬ事など、どうして認める事ができるというのか。

 

 このまま逃げ続ける事はできない、いずれ追いつかれるだろう。

 ならば一刻も早く女性を安全な場所へと連れて行き、迫る白の人形達を完膚なきまでに叩き潰す。

 

「龍人、あの洞窟に行きなさい。早く!!」

「っ」

 

 女性の声に反応し、龍人は彼女が指差す洞窟へと視線を向け、そちらへと全力で向かった。

 転がり込むように洞窟へと入る、すると女性は両手を合わせながら何かの術を入口へと施した。

 それは結界、防御の役割を持ったそれは同じく中へと入ろうとした白達の侵攻を妨害した。

 

「……少しは時間を稼ぐ事はできるわ。でも長くは保たない」

「はぁ……は、ぁ……」

 

 立ち止まった瞬間、龍人は耐え切れずその場で膝を突く。

 血を流しすぎた、それにアリアとの戦いで受けた傷が再び開いている。

 これでは満足に戦えない、少なくとも白達に対抗する余力は残されていない。

 

「く、そ……っ、これじゃあ……」

「…………」

 

 既に龍人は死に体、だがその瞳に宿す命の輝きはこれ以上ない程に満ち溢れている。

 このような状況であっても、彼は生きる事を諦めてはいなかった。

 ……なんという強い心か、何者にも冒されない極光の如しその意志を見て、女性は“ある選択肢”を彼に与える事にした。

 

「龍人、少し我慢して頂戴」

「えっ――――」

 

 顔を上げると、女性は自分の肩を貸し彼を立ち上がらせた。

 そのまま女性に連れて行かれる形で、龍人は洞窟の中へと歩いていく。

 自分が寝ていた場所と同じく、その洞窟は一本道であり、けれど灯りは無く前には闇が広がっていた。

 

「龍人、あなたをこんな所で死なせるわけにはいかない。けどこのままじゃ殺されるだけよ」

「…………」

「だから――これは賭けになるけど、あなたに()()()()()()を渡すわ」

「えっ……?」

 

 それはどういう意味なのか、それを訊く前に女性は歩を止めた。

 洞窟の一番奥に辿り着いたのか、円形に繰り抜かれたような空間が広がっている。

 その、中で。

 

――まるで眠るように椅子に座っている、一体の男の亡骸の姿を見た。

 

「これ、は……」

 

 傷の痛みも忘れ、龍人は茫然とその亡骸を見た。

 だが損傷は少なく、所々が朽ち果てているもののまるで生きていると錯覚させられた。

 けれどわかる、この亡骸は人間のものであり……同時に、龍人族であったものであると。

 

「……この御方は私がかつて暮らしていた里の長であり、龍人族として最高の力を持って生まれてきた私の夫。時間が無いから簡潔に説明するわ、今からあなたに夫の腕を移植する。つまり――あなたの新しい腕にするという事よ」

「えっ、だけど……」

「大丈夫。朽ち果ててはいるけど一度移植すればそれはあなたの腕となり、あなたの魂と生命力がすぐに全盛期の腕に戻してくれる。

 それだけじゃない、夫の腕を移植すればあなたの龍人族としての力も大きく向上される。強くなれるのよ」

「…………」

 

 移植させる、目の前の亡骸の腕を無くなった自分の右腕に取り付ける。

 女性の言った新しい腕と力を渡すという言葉の意味は理解できた、そしてその方法がこの状況を覆す事ができる手段だという事も。

 しかし、他者の腕を自分の腕に取り付けるなど……本当にできるのだろうか。

 

「普通なら拒絶反応が出るでしょうね、でもあなたならきっと適合できる筈。

 ――運命なんて信じるつもりはなかったけど、あの人が死ぬ間際に自分の身体を残すように言ったのはこれを予期していたからなのかしら」

 

 よくわからない呟きを放ちながら、女性は龍人を亡骸の傍まで連れて行く。

 ……近くで見ると、改めて生きていると思える程に綺麗に見えた。

 それと同時に、その亡骸から“龍気”を感じ取れた。

 

 強く重い、星のような大きな力。

 死して尚その輝きは微塵も衰えてはおらず、それが自分の身体に入るかと思うと身体が震えた。

 扱えるのかと、こんな大きな力が入り込んで耐えられるのかという不安が否応なく膨れ上がっていく。

 

 ――けれど。

 その不安も、脳裏に蘇った彼女の姿で、霧散してくれた。

 

「…………」

 

 手を伸ばす。

 そうだ、自分はまだ終わるわけにはいかない。

 目前まで迫っている人形達を叩き潰し、会いたいと願った彼女の元へと戻る。

 

 それだけを考え、彼は臆する事無く亡骸の身体を左手で触れた。

 

「っ、――――うあっ!?」

 

 刹那、洞窟内に突風が吹き荒れる。

 全身に力を入れなければ容易く吹き飛ばされてしまうその風は、自分達の周りを駆け巡っていた。

 

「ぐっ……」

 

 身体が、バラバラになってしまいそうだ。

 凄まじいまでの力の奔流が彼の全身を駆け抜け、呑み込もうと荒れ狂う。

 負けないと力を入れていく龍人であったが、入り込む力はそれを嘲笑うかのように大きくなっていった。

 

 このままでは耐えられない、取り込んでいる力に呑み込まれ自我が消える。

 歯を食いしばっても、少しずつ呑み込まれていく自身を抑えきれない。

 

「く、そ……」

「龍人!!」

 

 消え去ろうとする自分の身体を、誰かが支えてくれている。

 ……あれは誰だろうか、磨耗してしまった彼の頭では思い出せない。

 

「――大丈夫よ龍人。私の命をあなたに捧げるわ、そうすればこの力に精神を呑み込まれる事もない」

「――――」

 

 聞こえない、女性が何を言っているのか聞き取れない。

 でも、止めなくてはいけないような気がして必死に声を出そうとするが、口を開く事しかできなかった。

 

「……ありがとう。何も守れなかった私の在り方を、意味のあるものにしてくれて」

「――――、ぁ」

「幸せになりなさい龍人。あなたを守ってくれた両親も、そして私も……それを一番に願っているわ」

 

 世界が、真白に染め上がっていく。

 けれど恐れはなく、先程まで荒れ狂っていた力が己の中に入っていくのが感じ取れた。

 それはまさしく星の輝きを放つ黄金の力、かつて龍神が人間を憐れみ分け与えてくれた力の総て。

 

 なんて温かく、安心できる力なのだろう。

 だが注意しろ、この力はそれこそ世界を呑み込む力だ。

 使い方を誤れば、瞬く間に破壊しか生まなくなる。

 

「――――大丈夫、大丈夫だ」

 

 さあ、行こう。

 己の役割を果たす為に、自分の為に命を懸けてくれた名も無き者達の為に。

 龍の子は再び戦いの地へと、その身を委ね流されていく。

 

――瞬間、魔界に新たな生命(いのち)が誕生した。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第103話 ~神なる妖と龍の子~

――陰陽鬼神玉によってできた巨大なクレーターに降り立つ。

 

「……ちょっとやり過ぎたかなー」

 

 そんな呟きを零す零だが、彼女は微塵もやり過ぎだとは思っていなかった。

 白という存在の不気味さや脅威は紫から聞いていたし、何よりもあんなに小さな少女を連れ去ろうとする悪党に容赦など必要ないと思っている。

 だからこそ、零は自身の奥義の1つである陰陽鬼神玉で白達を跡形もなく消滅させたのだから。

 

 そしてその中で白達によって連れ去られそうになった少女――アリスだけは健在であった。

 念のために結界を何重にもした甲斐があったというものだ、たとえ白達を消滅させても彼女を救い出せなければ意味は無いのだから。

 アリスの状態を確認する零、擦り傷はあるものの跡が残る怪我を負った様子はなくほっと安堵の息を零す。

 こんなにも愛らしく美しい少女なのだ、身体に残る傷などは負ってほしくないと思うのは当然でもあり、零はアリスを抱えクレーターから出ると。

 

「アリスちゃん!!」

「あら、もう終わっていたのね」

 

 こちらに向かって飛んでくる神綺と、永琳の姿が見えた。

 それに気づいた零が2人に声を掛けようとして、その前に神綺が鬼気迫る表情で零からアリスをひったくるように抱きかかえてしまう。

 

「アリスちゃん、アリスちゃん!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて……」

「ああ、どうしましょう……アリスちゃんが、アリスちゃんが……!」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら、乱暴にアリスの身体を揺らしながら名を呼び続ける神綺。

 零が落ち着くように声を掛けるが彼女に耳には届かず、どうしようかと思った矢先。

 

「落ち着きなさい」

「うぶっ」

 

 永琳が容赦なく、両手で神崎の両頬に平手打ちを叩き込んだ。

 ぱんっという良い音が響く辺り、本当に加減などせずに叩いたのだろう。

 しかしその甲斐もあってか、両頬を赤くしながらも神綺は冷静さを取り戻したのかはっとしたような表情を浮かべアリスの身体を揺さぶるのを止めた。

 

「……ごめんなさい、永琳ちゃん」

「私に謝ってもしょうがないでしょうに。……その子は大丈夫よ、ただ気を失っているだけで外傷も少ないしじきに目が醒めるわ」

「ホントに!?」

「嘘言ってどうするのよ」

 

 あくまで冷静に即座に診断した永琳の言葉を聞いて、今度こそ神綺はいつもの調子を取り戻した。

 

「よかったぁ……ごめんねアリスちゃん、恐い思いをさせちゃって……」

 

 慈しむように、謝罪するように優しくアリスを抱きしめる神綺。

 そこから感じれるのは無類の愛情、見ている者を暖かい気持ちにさせる美しき母性であった。

 その光景を見て零は表情を穏やかなものに変えながら、アリスを助ける事ができてよかったと改めてそう思ったのであった。

 

「ところで零、何があったの?」

「それがさー……」

 

 永琳の問いかけに、零は先程の事を話す。

 白達が現れアリスを連れ去ろうとした事、それを自分が止めた事を話すと……永琳も神綺は驚いたような表情を見せた。

 

「なんとも懐かしい名前を聞いたものね、まあアリアが現れた時点で予測はできていたけど」

「どうしてアリスちゃんを……? この子は確かに魔法使いとしての才能はあるけど、まだまだ半人前の人間なのに……」

「さあ? ――そういう事は、黒幕さんに直接訊いたらどうかしら?」

「えっ……?」

「そうでしょう? ――そこでこそこそ見ている誰かさん?」

 

 一瞬でどこからか取り出した弓を構える永琳。

 しかし彼女が向けている場所には誰もおらずしかし。

 

「――やはり、人形では荷が重かったか」

 

 突如として、そんな声が響き。

 永琳が矢を向けている方向、距離にして七メートル程度離れた場所から、音もなく1人の女性が現れた。

 人には存在しない銀に輝く獣の耳に一尾の尻尾、白と同じような無機質な空気を纏うそれは射抜くような視線を3人に向ける。

 

「…………」

 

 気がつくと、零は一歩後ろに後退っていた。

 彼女の博麗の巫女としての直感が、目の前に現れた生物の異質さを悟ったのだ。

 あれに出会ってはならない、立ち向かってはならないという警鐘が内側から鳴り響いている。

 今まで対峙してきた妖怪からは感じた事などない、漠然としながらも強大で不気味な恐怖。

 

「……あなた、誰?」

 

 その中でも、神綺はいつもの口調で女へと問うた。

 だがやはり警戒しているのか、守るようにアリスを抱えながらだが。

 

「名は無い。この寄り代の身体の名は使えないのでな、神弧とでも呼べばいい」

「神弧……あなたが龍人の出会った、正体不明の怪物ってわけね」

「怪物、か……そうだな、確かに妾は人でも妖怪でも……」

 

 女――神弧の言葉が途切れる。

 隙だらけのその肉体に、永琳が放った矢が命中したからだ。

 強い霊力が込められた矢は、神弧の左腕に命中し左肩からごっそり吹き飛ばした。

 

「……話している最中なのだが、続けてもいいか?」

 

 しかし、それだけの傷を負っても神弧は先程と変わらぬ口調で言葉を放つ。

 まるで永琳の矢など意味はないと言うかのように。

 すかさず、永琳は次の矢を放ち、今度は神弧の下半身を吹き飛ばす。

 たとえ人間ではない肉体だったとしても致命傷、もはや助かる筈のない傷ではあるが。

 

「妾がそのアリスという少女を連れ去るよう白達に指示したのはな、お前の魂を楽に喰らう為だったのだよ。神綺」

 

 上半身と右腕だけになっているというのに。

 神弧は、何事もなかったかのように会話を続けていた。

 

「えっ……」

「…………」

 

 その異様な光景に零は固まり、永琳は平静さを装いながらも次の矢を装填する事も忘れ立ち尽くしている。

 

魂喰い(ソウルイーター)、それがあなたの正体ってことかしら?」

「いや、それは違う。妾には本来肉体など存在しない、謂わば精神生命体のようなものでな。

 この寄り代の身体を用いて現世に受肉しているようなものなのだ、そして強い魂を喰らいより寄り代の肉体に適合しようと思っているのだが……」

 

 そう上手くはいかないものだと肩を竦めながら、神弧は零へと視線を向ける。

 その視線を真っ向から睨み返しながら、零は両手を合わせ夢想封印の宝玉を展開した。

 高密度の霊力で構成された八つの宝玉が零の周囲に浮かび上がり、放たれる瞬間を今か今かと待ちわびている。

 

「そう憤るな。――ちゃんと相手はしてやるとも」

 

 瞬間、神弧の肉体が秒を待たずに再生を終えた。

 あまりにも早いその再生スピードに、零は展開していた夢想封印を開放する。

 放たれる八つの宝玉、その全てが必殺の一撃であり、まともに受ければ四度殺しても余りある破壊力だが。

 

「待て待て。こっちの準備はまだ終わっていないのに攻撃するな」

「――――」

 

 神弧は、右手を翳しただけで夢想封印の宝玉を霧散させてしまった。

 その光景に零は唖然としたまま立ち尽くし、続いて永琳の矢が放たれる。

 神速の速度で放たれた三本の矢は、神弧の身体に突き刺さる前に粉々にされた。

 

「……やはり駄目ね。想像以上だった」

 

 どこか諦めを含んだ言葉を零しつつ、永琳はそのまま弓矢を投げ捨て降参するように両手を挙げる。

 

「なんだ、月の叡智と呼ばれた程の貴様がもう降参か?」

「随分と懐かしい呼び名を持ってきたのね。

 ええ、降参よ。少なくとも私はもうあなたとは戦わないわ」

「ちょ、ちょっと永琳せんせー!!」

 

 抗議の声を上げる零にも、永琳は何も答えない。

 ……だって仕方がないではないか、もう自分の出番は終わったのだから。

 そもそも自分は前衛に赴いて戦う戦士ではない、後の事は……“彼”に任せよう。

 

「…………む?」

「えっ……?」

「あら……?」

 

 神弧、零、神崎の順に声を上げ、空を見上げる。

 その視線の先から……何かがとんでもない速度でこちらに向かってくるのを感じ取り。

 3人と神弧の間に割って入るかのように、1人の少年が着地した。

 

「あ……!」

「……来たわね」

 

 少年の姿を見て零は驚き、永琳は笑みを浮かべ。

 

「久しぶりよな――――龍人」

「…………」

 

 神弧は、自分を真っ直ぐに見据えてくる龍の子。

 ――龍人の名を呼び、その口元に僅かな歓喜の笑みを刻んでいた。

 

「龍人、生きてたんだ……」

「ああ、ある人に助けられてどうにか生き延びた。――けど、話は後だ」

 

 既に龍人は、紫がこことは違う場所でアリアと戦っている事を感じ取っている。

 本音を言えば真っ直ぐ彼女の所に向かいたかったが、零達の前に現れた神弧を放っておく事もできない。

 だから彼女達と話をするのを後回しにし、龍人は一気に託された新たな力を解放する。

 

「うっ……!?」

 

 瞬間、周囲に嵐が巻き起こった。

 あらゆるものを吹き飛ばし押し潰す鋼の風が、龍人から放たれている。

 それはそのまま彼の力の大きさを示しており、その力の総量は――前の彼からは考えられないほどに大きく凄まじいものであった。

 

「…………貴様」

 

 神弧の表情から、余裕の色が消える。

 口元に刻まれていた歪んだ笑みはなりを潜め、彼を“脅威”として認識した。

 

「時間は掛けられない。だから――抵抗するな」

「それはできぬ相談だ、こちらとて貴様等の魂を喰らいたいと思っているのだからな」

「そうか。なら」

 

――くれぐれも、後悔するな。

 

「…………っ!?」

 

 瞬間、龍人の姿が全員の視界から消え。

 神弧の身体に、黄金に輝く刃が叩きつけられた。

 

「ご、ぁ……!?」

 

 吐血する神弧、その表情は今まで見せた事のない驚愕で満ちていた。

 ……ありえないと、彼女はその身に襲い掛かる痛みを認める事ができなかった。

 零の夢想封印も、永琳の矢すらも命中した所で問題はなかった。

 それは神弧がこの魔界にて喰らってきた悪魔達の魂を自らの力に変えたからだ。

 

 合計258体、それだけの“上級悪魔”と呼ばれる巨大で上質な魂を喰らった今の神弧は、たとえ魔界神の攻撃であっても無効化する事ができる。

 だというのに、龍人の放った一撃は神弧に明確なダメージを与えていた。

 一体何故、そんな疑問が頭に浮かぶ前に二撃目が彼女の右脇腹に叩きつけられる。

 

「が、ふっ……!」

 

 先程よりも重く痛みを伴う一撃。

 耐え切れず後退し、神弧は彼を見て――自分の身体を斬り裂いた獲物の姿を視界に捉える。

 

――黄金の剣。

 

 龍人の両手に握り締められたそれは、刃も柄も全てが黄金の輝きを見せる剣であった。

 とはいえその剣は金属で作られたものではない、あれは彼の“龍気”を剣状に具現化させたものだ。

 だがそれで理解する、あの剣は物理的破壊力だけに優れたものではなく、斬った相手の“魂”すら傷つける刃だと。

 それ故に決して物理攻撃だけでは傷つかぬ神弧を傷つけたのだと理解し――歓喜した。

 

「……この強さ、明らかに今までのお前の力ではない。一体何を取り込んだ?」

「…………」

「そうか、その右腕……お前の腕ではないのだな。龍人族……それも龍神の領域にまで達した者の腕を移植したか。それだけではない、お前の内に漂うお前のものではない魂がお前に最上級の祝福と守護を与えているという事か……」

「……ああそうだ。この腕とこの力は俺を助けてくれた人から譲り受けたもの、全てを守る為に……お前のような存在を止める為に、受け継いだ力だ!!」

 

 地を蹴る龍人、その速度は紫電を使用せずともそれ以上の速さであった。

 嵐のように繰り出される斬撃の猛襲を、神弧は受けに回る事によって悉くを防いでいく。

 しかし防ぐだけで反撃する余裕は彼女にはなく、いずれ押し切られるのは明白であった。

 

「成る程……貴様に送った十八体もの白達が適わぬわけだ」

「っ、うおおおおっ!!」

 

 だというのに。

 両者の状況は一向に変化を見せず、攻防は終わりを迎える事なく続いていた。

 上下左右、あらゆる方向から神速の速度で放たれる黄金の剣を、神弧はただ防いでいく。

 反撃はしない、けれどその防御は完璧であり龍人からは先程のような勢いが見られない。

 

 それだけではない、少しずつではあるが龍人の呼吸が乱れ剣戟にも精彩を欠いていく。

 対する神弧の息は少しも乱れてはおらず、天秤は僅かではあるが彼女へと傾き始めていた。

 

「くっ、おあっ!!」

「むっ……?」

 

 攻撃を止め、龍人は上空へと跳躍する。

 一体何をするつもりなのか、神弧は視線で彼を追いかけると同時に。

 左右から、黄金の剣が襲い掛かった。

 

「ちっ……」

 

 跳躍すると同時に投げ放たれた黄金の剣を、神弧は舌打ちをしつつ粉々に打ち砕いた。

 ――その隙は、逃さない。

 空になった両手に、龍人は特大の“龍気”を宿していく。

 

 相手は文字通り怪物だ、渾身の龍爪撃(ドラゴンクロー)すら届かなかった。

 だが今ならば、新しく移植されたこの右腕の力を借りれば届く筈。

 

「――この一撃は龍の鉤爪、あらゆるものに喰らいつき、噛み砕く!!」

 

 臨界に達する力、呼応するように彼の両腕が黄金に輝く。

 次に放たれる一撃の脅威に気づく神弧だがもう遅い、既に彼は彼女の眼前にまで迫っており。

 

神龍爪撃(ドラゴンクロー)!!」

 

 2つの龍の鉤爪を、神弧の身体へと叩き込んだ。

 

「が、ぁ……!?」

 

 苦悶の声を上げながら、神弧の身体が後退していく。

 それを両足を地面に突き刺す事で阻止しようとする神弧であったが、それでも尚勢いを殺す事ができない。

 

「ぎ――ああああっ!!」

「っ」

 

 獣じみた咆哮を上げ、神弧が力を解放する。

 その力は霊力でも妖力でもない、かといって“龍気”のような神々に属する力でもなかった。

 ただただ暗く、深淵の更に奥深くにある漆黒の如し不気味さ。

 それが神弧の身体から溢れていき、龍人の放った神龍爪撃の力を相殺させていく。

 

「…………」

「ぐっ……ごぶっ」

 

 全身が血に濡れ、口からは絶えず血を吐き出す神弧であったが。

 その口には笑みが刻まれており、また龍人も彼女に致命傷を与えていないと理解した。

 

「っ、ぅ……」

 

 小さく呻き、龍人はおもわず膝をついた。

 ……力を使い過ぎた。

 新しい右腕の力は確かに凄まじく、今までの龍人では扱えない“龍気”を使う事ができた。

 だが当然彼の身に掛かる負担も大きく、激しい頭痛と疲労が一斉に襲い掛かってくる。

 

「――痛みわけ、だな」

「ぐっ……」

「今回はここまでにしよう。お前もまだその右腕の力に振り回されているようだし、楽しみは多い方がいい」

 

「逃がすと思ってんの?」

 

 後退する意思を見せる神弧に、零は厳しい口調で言葉を放つ。

 既に夢想封印の準備は終えている、少しでも動けば即座に放つ事ができるだろう。

 永琳も矢を構えており、完全に神弧を追い詰めていた。

 

「……殺したければ、殺せばいい」

「なんですって……?」

「この肉体は妾のものではない。仮にここで殺した所で死ぬのはこの寄り代の肉体のみ。真の意味で妾を殺せるのは、現状そこに居る龍人だけだよ」

 

 だから殺しても構わないと、神弧は零達の前に無防備な姿を晒す。

 そのあまりに隙だらけな姿に、零は絶好の機会だというのに躊躇いが生まれてしまった。

 本気で言っていると、ここで神弧を討っても意味はないと彼女の直感も告げている。

 

「どうした? 怖気づくような精神力ではあるまい、それに愛娘を危険な目に遭わせた妾が憎くはないのか魔界神?」

 

 挑発するようにそう告げる神弧だが、対する神崎の瞳は冷ややかなものであった。

 

「……ふむ、こちらとしても馴染んできたこの肉体を壊されるのは正直面倒なのでな。そちらが仕掛けないというのならば遠慮なく逃げる事にしよう」

 

 神弧の身体が、透けるように消えていく。

 その光景を誰も止められず、止めても無駄だと理解させられる中で。

 

「また会おう、龍人」

 

 どこか親愛を込めた言葉を、自身を睨む龍人へと送り。

 神なる妖は、この場から完全に消え去っていった。

 

 

 

 

「…………」

 

 ゆっくりと、龍人は立ち上がった。

 まだ頭痛はする、疲労感だって全身に襲い掛かり今すぐにでも休みたい衝動に駆られている。

 けれどそれはできない、紫がまだアリアと戦っているのならば……それを見届けなければ。

 

「――こっちの事は気にしないで、行きなさい」

 

 彼の心中を理解している永琳の言葉を聞いて、龍人はすぐさまその場から飛び去っていく。

 零達との再会を喜ぶのも、互いに何があったのかを話すのも、後回しだ。

 今はただ、紫の元へと向かいたい。

 その一心だけを胸に秘め、龍人は急ぎ彼女の元へと向かっていく……。

 

 

 

 

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第104話 ~立ち止まった者と、先に進む者~

紫とアリア、両者の決着が着こうとしていた。
負けられない、その一心で紫は今度こそ遥か先に居る彼女に追いつこうと剣を振るう……。


――鋼のぶつかり合う音が、響く。

 

「ちっ……」

「やあああああっ!!」

 

 裂帛の気合を込めながら怒涛の連撃を繰り出す紫に対し、アリアは忌々しげに舌打ちを放ちつつ神剣でそれを防いでいく。

 まさしく嵐の如し紫の剣戟だが、その全てがアリアには届かない。

 加減などしていない、余力など残さない勢いで戦ってるというのに尚、相手には通じなかった。

 圧倒的な戦力差が紫とアリアの間には存在している、だが。

 

「はっ、し―――!」

 

 紫の剣戟は繰り出される度に激しさを増し、その瞳には絶えず闘志が宿っていく。

 必ずここで勝つ、その気概がありありと伝わってくる紫の瞳を見て、アリアはその端正な顔を歪ませた。

 

「しつこい……!」

「っ」

 

 神剣を大きく振るい、刀ごと紫を大きく弾き飛ばすアリア。

 そして彼女は左指を紫へと向け、指先から拳大程の弾を撃ち放った。

 

「くっ……!?」

 

 弾の速度は決して速くはない、けれど絶対にこれに当たってはならないと紫は理解する。

 この弾に当たれば“生と死の境界”を操作される、そうなればたとえ防御した所で無駄である。

 かといって回避も選べない、そんな事をすればアリアの追撃を許し神剣によって両断されるは明白。

 ならばどうするのか、決まっている。

 

「――境界斬!!」

 

 同じ能力を以て、相手の能力を相殺するのみ……!

 

 振るわれる光魔と闇魔の一撃。

 刀身には紫の能力を付与した斬撃は、アリアの放った弾を見事両断する。

 

「っ、ぐ……!」

 

 紫の全身に襲い掛かる激痛。

 能力開放の反動もそうだが、今のアリアの攻撃を受けた衝撃が少しずつ彼女の身体を壊していく。

 

「無様ね」

「っ、この……!」

 

 眼前に接近を許してしまい、追撃の為に横薙ぎに右の剣を放つ。

 

「遅い」

「きゃっ!?」

 

 それを避けられ、アリアの左手が紫の顔を掴み。

 そのまま力任せに、彼女の頭部は地面へと叩きつけられてしまった。

 

「が……!?」

「わからないのかしら? あなたはワタシには決して勝てない、おとなしく自分の敗北を認め死を受け入れなさい」

「う、ぐ……!」

 

 全身に力を込めるが、顔を掴まれたまま紫は身動き1つとれなかった。

 そんな自分を冷たく見下ろす彼女を、負けるものかと紫は睨み返す。

 

「……忌々しい目ね。未来が明るいものだと信じて疑っていない目、あなた達に未来などあるわけがないのに」

「いいえ、私は決して貴女には負けない。ここで貴女を倒さなければ……前には進めないのだから!!」

「前に進む? おかしな事を言うのね、あなた達が歩む道に未来などあるわけがない。あるのはどうしようもない現実と……呆気ない幕切れだけ」

「それは貴女が歩んだ道よ、私達の未来はまだ」

「決まっていないと? ――なら、見せてあげましょうか?」

「えっ………………っ!?」

 

 どくんと、自分の鼓動が大きくなった。

 ――何かが、流れてくる。

 頭の中に直接訴えるような、強い記憶。

 自分のものではない、これは――アリア・ミスナ・エストプラムという1人の女性の軌跡であると、紫は理解しながら。

 

――彼女が見た現実を、眼球ではなく脳で視た。

 

「ぁ、…………」

 

 燃えている。

 小さな、ほんの小さな集落が燃えていた。

 一面の炎の中には、既に事切れた人間や妖怪が残骸のように転がっている。

 纏わりつくような死だけが、そこにはあった。

 

 その中を蹂躙していく影が見えた。

 それは妖怪でも神々でも悪魔でもなく――人間だ。

 見た事のない服を着た人間達が、見た事のない形をした銃や乗り物に乗って、この地獄を作り出している。

 

 ……なんと冒涜的な光景なのか。

 人間達から溢れ出ているのは、心を冷え込ませるような醜い欲望。

 だがそれはあまりに人間らしい欲望でもあり、けれど決して許容する事のできない醜悪な感情。

 

 ただ平和に暮らしていただけの場所に土足で入り込み、何の罪のない者達を殺し尽くした。

 命乞いも通じず、逃げる者にも容赦はせず、人間達はただただ蹂躙を続ける。

 蹂躙する者とされる者、そのどちらの記憶や感情が一斉に紫の中へと流れ込んできた。

 

 蹂躙する者達の目的は、この隠れ里に住む妖怪達の人知を越えた力を得るため。

 それだけの為に、ひっそりと生き続けてきた者達を殺して殺して殺し尽くしていく。

 ――これが彼女の、アリアという女性が見てきた現実。

 現実を受け入れながらも、心のどこかではまだ人と妖怪の共存を信じていた彼女が、完全に変わってしまったきっかけの光景。

 

「――――」

 

 紫の心が、凍り付いていく。

 この世のものとは思えないおぞましさ、人間達の醜い姿。

 網膜や脳に焼き付いてしまいそうなその光景を見ていると、自分達が歩んできた道の価値が消えていく。

 

――こんな未来しか待っていないのなら、自分達は無意味ではないのか?

 

 そんな疑問が、自分自身から生まれてきてしまう。

 身勝手な“悪”でしかない人間達を、守る意味などあるというのか。

 自分の信じてきたものが崩れていくのを感じながら、けれども紫の心の奥底にはまだ……。

 

「く――――ああああああああっ!!」

「……ちっ」

 

 裂帛の気合を込めた雄叫びを上げながら、紫は妖力を爆発するように開放させる。

 その衝撃で拘束が僅かに緩み、その隙を逃さず紫はアリアの手から脱出し大きく後退した。

 

「は、ぁ……はー……はー……」

 

 荒い息が、抑えられない。

 呼吸を整えようと努めても、先程観た光景が紫の全てを掻き乱していた。

 

「ふっ……」

 

 そんな紫の姿が滑稽に思えたのか。

 アリアは嘲笑するように笑いながら、神剣を大きく振り上げ。

 

「消えなさい!!」

 

 渾身の一撃を、紫目掛けて振り下ろした。

 どうにか反応しながら、紫は二刀を交差するように構え神剣を受け止める。

 

「くっ……!?」

 

 だが、受け止めた一撃は重く、一瞬でも気を抜けば刀身ごと両断させられる破壊力が込められていた。

 それだけではない、今の一撃を受け止めた結果――闇魔の刀身が湾曲してしまっていた。

 どうにか歯を食いしばって神剣を受け止める紫だが、これではあと数秒保つかどうか……。

 

「――わかったでしょう? いずれ辿る未来を観たのならもう諦めなさい、こんな道には何の意味もないと理解したのなら……楽になってしまいなさい」

「…………」

 

 今までとは違う、優しさと慈愛に満ちたアリアの声。

 その声を聞いて、掻き乱された紫の心が再度凍りつく。

 自分と同じ過ちを繰り返してほしくないと、辛い思いをしなくていいと彼女はその声で訴える。

 憎むべき敵である紫に対しても、彼女はかつて持っていた優しさを向けていた。

 

「……いいえ、楽になるなんてできない……そんな事は、望めない」

 

 それでも、紫は否定した。

 アリアの最後の慈悲を、そんなものはいらないとはっきり口にした。

 

「――叶わないと知ってなおその道を歩むなんて、傲慢にも程がある!!」

「あ、ぐ……!」

 

 鍔迫り合いのまま、弾かれた。

 巨人にでも殴り飛ばされたかのような衝撃は、紫の身体を容易く弾き背後の岩壁に叩きつける。

 ……闇魔の刀身が、今の一撃で砕かれた。

 残る武器は右手の光魔のみ、けれど……紫の身体は限界を迎えていた。

 

「う、ぁ……あ……」

 

 岩壁から出て、地面に倒れる。

 全身は傷だらけ、妖力だって残り少ない。

 決着は着いた、誰が見ても勝敗は明らかだというのに。

 

「ぅ、あ……あぁぁ、あ……!」

 

 紫は立ち上がり、負けるものかとアリアを睨んでいた。

 その瞳は既に普段の金色に戻っている、けれど強い意志の色は今まで以上に輝いていた。

 満身創痍の身体で立ち上がる彼女はこの上なく無様であり、アリアの怒りを加速するだけだ。

 

「人と妖怪の共存? 異なる種族が共に暮らす理想郷?

 そんなものは永遠にやってこない、訪れるわけがない。叶わぬ夢に縛られたまま……ここで消えなさい」

 

 神剣を構えるアリア。

 それで終わり、次の一撃で間違いなく紫の身体は両断される。

 ……初めから判りきっていた結末だ、紫とアリアの間には絶対に埋められない差というのがあった。

 それを覆すなど不可能、アリアはおろか紫すらわかっていた結果だ。

 

「……まだ、終われない」

 

 埋められない差がある、だがそれがどうしたというのか。

 自分はこんな所では終われない、こんな所では死ねない。

 まだやらなければならない事がある、叶えたい夢がある。

 何よりも、生きているとわかっている“彼”と再び再会するまでは……。

 

「紫!!」

「――――」

 

 戦場に響く、少年の声。

 顔を確認しなくてもわかる、現れたのは……紫にとって、一番会いたかった愛しき人。

 

「…………生きていたのね、龍人」

「アリア……」

 

 一瞬で紫の前に現れ、アリアと対峙する龍人。

 彼女に警戒しながら彼は紫の代わりに戦おうと“龍気”を開放しようとして。

 

「――龍人、ここは私に任せて」

 

 他ならぬ紫によって、止められてしまった。

 

「紫……」

「お願い、龍人」

「…………」

 

 何を馬鹿な、そんな身体で何ができる。

 そんな言葉が出掛かったが、龍人は何も言わず後方へと退がっていった。

 今の彼女の邪魔をしてはならない、抱いた決意を無碍にする事はできないと気づいたからだ。

 だから龍人はただ彼女の勝利を信じ、この戦いを見守る事にした。

 

「ふふ……あははははははっ!! せっかくあなたを守ってくれるナイト様が来たのに、その助けを拒むなんて正気とは思えないわ!!」

「…………」

「まだ理解していないようね、あなたがワタシに勝てる筈がないという事を。

 ワタシとあなたでは歩んできた年季が違う、見てきたモノが違う。お前のような女が何かを成そうとするなんて愚の骨頂よ!!」

 

 アリアは笑う、心の底から紫を侮蔑するように。

 だが否定はしない、紫自身も自らの行為に笑いたくなるからだ。

 何があったのかはわからないが、今の龍人は前とは比べものにならない強さを身につけている。

 余計な消費を防ぐ為に力をセーブしているが、今の彼は……おそらくアリアより強い。

 

――だからこそ、彼の力を借りるわけにはいかないのだ。

 

 彼と共に歩むには、彼と同じ強さを身につけなければならない。

 故に、自分1人で勝てなくては、これ以上前に進む事はできなくなる。

 

「……ふぅぅぅぅぅ」

 

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 乱れに乱れた心が、急速に冷静さを取り戻していく。

 けれど戦力差が変わったわけじゃない、残りの妖力は少ないし闇魔は湾曲している。

 だが負けない、負けるわけにはいかないと改めてその決意を胸に宿し。

 

「…………本当に目障りな女ね。そんなに死にたいのならすぐに殺してあげる!!」

「負けない……貴女にだけは、負けられない!!」

 

 憎悪の色を瞳に宿り、アリアが動く。

 それを臆する事無く真っ向から受け止めながら、紫も動いた。

 

 

――同時に放たれる剣戟。

 

 

「……えっ!?」

 

 ぶつかり合い、鋼の軋む音を響かせる中。

 驚愕が、アリアに襲い掛かった。

 

 先程とは、違う一撃。

 余力など残されていない筈の、そのボロボロの身体で放たれた紫の一撃は。

 アリアの全身に重く響き渡る程の、凄まじ一撃であった。

 

「な、ん……っ!?」

 

 ありえない、なんなのだこの剣戟は。

 今までのものとはまるで違う、余裕を見せればたちまち斬り捨てられる程の凄まじい斬撃だ。

 八雲紫の力はよく理解している、その身に宿す能力は桁外れのものだがそれ以外は並の妖怪程度の力しかない筈。

 だからこそ負ける筈がないと確信があった、事実としてアリアは先程まで圧勝していた。

 

 だが、今は違う。

 圧されているのは自分の方、このまま行けば敗北するのは自分だと理解して。

 

「こい、つ……!!」

 

 アリアは初めて、紫に対して全力を出さざるをえなくなった。

 なんという屈辱か、遥か格下の相手だと認識していた存在に全力を出すなど、彼女のプライドが大きく傷つけられた。

 しかしそうも言っていられない、秒を待たずに十を超える剣戟を繰り出す相手に余力など残せない。

 この瞬間、両者の力は拮抗しどちらが勝利するのか完全にわからなくなった。

 

「は、ぁ、は――」

 

 がむしゃらに剣を振るい、紫はただただ攻撃を繰り返す。

 息ができない、視界が霞む、全身の感覚が薄れていく。

 能力は常にトップギア、ここで全てを出し切るつもりで力を行使し続ける

 限界を越えた彼女の身体は秒単位で崩壊を続け、けれど彼女は決して止まらない。

 

 負けられない、負けるわけにはいかない。

 今の彼女の全てを統べる感情はこの1つのみ、それに辿り着くまで止まりはしないと彼女は剣を振るい続ける。

 

 ……アリアの見せてくれた光景は、未来の自分達の姿でもあった。

 この道を歩み続ける限り、いずれ自分も彼女と同じ光景を目にするかもしれない。

 心が挫けそうになる、彼女が見せた未来を思い返すだけで自分の道が正しいのか判らなくなった。

 

 でも、諦める事だけはしたくない。

 たとえ彼女が辿った結果と同じものしかなかったとしても、自分達の道が叶わぬ夢でしかなかったとしても。

 今までの自分を、なかった事にはしたくなかった。

 

「足掻いて足掻いて足掻き続けて、得られるものなんて何もないのよ!!」

 

 振り下ろされる神剣。

 まるで泣いているかのようなアリアの叫びが剣に乗り、紫を両断しようと迫ってくる。

 それを弾こうと闇魔を振るって――甲高い音が響き渡った。

 

「――――」

 

 神剣が、紫の身体を斬り伏せ鮮血を撒き散らせる。

 湾曲した闇魔では、防げなかった。

 結果、神剣は闇魔を砕きそのまま紫の身体をバッサリと斬り裂いてしまう。

 

「はっ……」

 

 知らず、アリアの口から笑い声が放たれる。

 勝った、今度こそこのくだらない戦いが終わりを迎えた。

 そう思ったが故の笑み、誰が見ても致命傷を与えられたと断言できる一撃を受けた紫は。

 

――それでも倒れず、真っ直ぐにアリアだけを見つめていた。

 

「…………」

 

 その瞳を、アリアは己が瞳で見つめ返す。

 死に対する恐れも、未来に対する不安も何もない、純粋な瞳。

 自分に勝って先に進むと、紫の瞳が訴えている。

 必殺の一撃を受けてもなお、その輝きは微塵も衰えてはいなかった。

 

「――――ああ」

 

 知っている、その輝きをアリアはよく知っていた。

 あれは……そう、まだ自分が人と妖怪が共に生きていられると本気で信じていた頃。

 未来が明るいものだと信じ、必ずその道を歩んでみせると己に誓った頃の……。

 

「っっっ」

 

 痛い。

 痛くて痛くて、泣きそうになる。

 痛覚は容赦なく紫の意識を狩り取ろうとして、その全てを受け入れながらも紫は倒れなかった。

 ここで倒れれば立てなくなる、そうなれば負けると判っていたから紫は歯を食いしばって耐えた。

 

 敵の動きは止まっている、対するこちらは闇魔は砕かれたが右手に持つ光魔が残っている。

 右手を大きく振り上げる、同時に口から大量の血が吐き出された。

 断裂する意識、それでも――紫は倒れない。

 

 たとえこの道の先に、どんな結末が待っていたとしても構わない。

 アリアと同じような耐え難い現実が待っていたとしても、人と妖怪との関係が未来永劫変わらなかったとしても。

 ……この道が、龍人と共に歩むこの道を信じているから。

 

 

「アリアーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 

 叫び、最後の力を振り絞って光魔を振り下ろす。

 

 

 それを。

 アリアは、受け入れるように見つめ続け。

 

 

 結局、彼女は何もせずに。

 防げる筈の紫の一撃を防ごうともせず。

 

 

 光魔の刀身が、アリアの胸へと突き刺さり。

 勝敗が決まっていた筈の戦いが、終わりを告げた……。

 

 

 

 

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第六章エピローグ

「…………」

「…………」

 

 剣を突き刺した体勢のまま、紫は動かない。

 アリアもまた、自身の胸を貫いている光魔を見つめつつ、不動のままであった。

 互いに何も言葉を送らず、ただ勝負の結果を受け入れる中で。

 

「――本当に、忌々しい女ね」

 

 静かな、落ち着き払った口調でアリアがそう呟いた。

 その声を耳に広いながらも、紫は何も言わない。

 掛ける言葉などなく、彼女は黙ってアリアの胸から光魔を抜き取った。

 

「ぁ……」

 

 完全に抜き取った瞬間、紫は自分の身体を支える事ができなくなり、その場で座り込んでしまう。

 それと同時に、右手に持っていた光魔の刀身が静かに砕け散った。

 アリアという強大な存在を討った代償か、砕け散った刀身はそのまま砂のように散っていく。

 光魔と闇魔、かつて龍哉が使用していた妖刀は最期まで持ち主の力となったまま、その役目を終え眠りに就いたようだ。

 

「…………はっ」

 

 自分の身体を見て、紫は思わず笑ってしまった。

 血に濡れた導師服は元の色がわからなくなる程に赤黒く染まり、更に身体中には数え切れぬ程の大小さまざまな傷が刻まれている。

 無事な箇所など1つとしてなく、まさしく死に体と呼べる自分の状態を見れば笑いたくもなるものだ。

 

「紫」

「……龍人」

 

 倒れそうになる紫の身体を、龍人が支えてくれた。

 近くに居る彼の体温が、改めて彼の存在を認識させてくれる。

 ――生きていてくれた。

 生きてまた自分の元へ戻ってきてくれた、それだけで紫は全身に走る痛みすら忘れさせてしまうほどの幸福感に満たされる。

 

「少しじっとしてろ」

「えっ……?」

 

 右手を、服の上から傷口に向けて翳す龍人。

 一体何をするつもりなのか、紫がそう思う前に――自らの変化に気がついた。

 

「これ、は……」

 

 暖かい何かが、紫の身体に流れ込んでくる。

 それは龍人が放つ“龍気”、それが直接紫の身体に流れていき……痛みと共に、彼女の傷を癒していった。

 

「驚いたろ? “龍気”にこんな使い方があるとは俺も思わなかったよ」

「? 龍人、それはどういう意味?」

「色々あったんだ、詳しい事は後で話す」

 

 そう言って、龍人は視線をアリアへと向ける。

 どこかこちらを羨むように、彼女はじっと2人を見つめていた。

 もはや戦意の欠片すら見当たらないアリアは、ぼつりと。

 

「……どうして、かしらね」

 

 そんな呟きを零し、視線を天に仰いだ。

 

「ワタシもあなた達と同じ道を歩んでいたのに、どうしてあなた達だけに理解者が現れたのかしら。

 ――忌々しいわ紫、あなたの傍にはいつだって彼が居る……それがどれだけ幸福なのか、はたしてあなたは理解しているのかしら?」

「…………」

 

 もちろん理解している、などと返す事はできなかった。

 きっと自分は本当の意味で理解していない、自分の傍に居てくれる彼の大切さを。

 だから安易な返答は返せない、それはアリアに対する最大級の侮辱に等しい。

 

「……まあいいわ。敗者であるワタシにこれ以上何かを言う資格なんてないのだから」

「アリア、これからお前はどうするつもりだ?」

「どうもこうもないわ。それにワタシがどうしようとどうなろうとあなた達には関係がないでしょう?」

 

 投げやりにそう返すアリア。

 

「ああ、関係ない。だけど……お前が自分を敗者だと認めるのなら、俺達に力を貸せ」

「は……?」

「龍人……?」

 

 彼の言葉に、アリアだけでなく紫も驚きを見せた。

 力を貸せと彼は言った、その真意が判らず2人は困惑する。

 

「俺達の進む道は困難だ。だからこそ強い心と力を持つヤツが仲間になってくれると助かる」

「……正気かしら? ワタシはあなた達の敵だったのよ?」

「敵だった相手と解り合う事ができなくて、どうして人と妖怪の共存を叶えられる?」

『…………』

 

 成る程、おもわず紫とアリアは納得してしまった。

 しかし改めて考えてみると、やはり彼の言い分は正気を疑うものだ。

 命を奪い合い、殺し合った相手と解り合う。

 それを本気で成そうとしているのだから、正気を疑うのも無理からぬ事であった。

 

「ふふっ……」

 

 まったくもってお笑い種だ、そう思う2人だったけれど。

 もし本当に解り合う事ができたのなら……きっと、違う未来が待っていると確信できた。

 

「……あなたの父の命を奪った原因にすら、手を差し延べるなんてね」

「勘違いするな、俺はお前を許したわけじゃない。

 だけどお前の命を奪った所でお前が奪った命が返ってくるわけじゃない、だったらこれからの未来の為に……お前の命を使わせてもらう」

「勝者は敗者の全てを好きにできる、そういう事ね?」

「そう思いたいならそう思えばいい、それでどうなんだ? 俺達に協力する気はあるのか?」

「そうね……」

 

 真っ直ぐな視線。

 龍人が本気で自分を仲間に引き入れようとしているのがわかり、アリアは口元に小さく笑みを作る。

 敵である自分すら共に歩む仲間にしようとするなど前代未聞だ、少なくともアリアは聞いた事がない。

 ……けれど、だからこそ彼はこの困難な道を歩み続けようと思えるのかもしれない。

 

「…………」

 

 アリアの中で一層、紫に対する羨望と嫉妬の念が強くなった。

 かつての自分に彼のような存在が居てくれたのなら、今とは違う道を進めたのかもしれないと思わずにはいられない。

 だが、今更そんなありもしない未来を夢見るなど……叶わない。

 

「……せっかくの申し出だけど、お断りさせてもらうわ」

「…………」

「アリア……」

「確かにやり直す事ができるのなら……ワタシだってそう思っているけれど、もう――遅いのよ」

 

 悔しそうに、心の底から名残惜しそうにアリアがそう言った瞬間。

 

――神弧が、背後から彼女の体を右手で貫く光景が2人の視界に広がった。

 

「――――」

「なっ……!?」

 

 アリアの血が、大地を穢す。

 その光景を、紫と龍人は唖然とした表情で見つめていた。

 

「ごぶっ……」

「――“契約”を果たさせてもらうぞ、アリア」

「あ、ぐ……ええ、構いませんわ……ぐっ、う……」

 

 神弧の腕が、アリアの身体から抜き取られる。

 自身の身体を支える気力すら残されていないのか、アリアはそのまま前のめりに倒れようとして。

 

「餞別ですわ」

 

 最後の力を振り絞って、アリアは紫に向かって持っていた神剣を投げ放った。

 そして。

 

「――ワタシに勝ったのだから、最後まで足掻いてみせなさいな」

 

 皮肉を込めた言葉と笑みを紫に送りながら。

 アリア・ミスナ・エストプラムという存在が、この世から完全に抹消した……。

 

「ぁ…………」

 

 まるで砂のように霧散しているアリア。

 紫はそれを見つめながら、ただ彼女から譲り受けた神剣を握り締める事しかできなかった。

 一方、龍人は立ち上がり紫の前に出ながら神弧と対峙する。

 その瞳には彼女に対する怒りに溢れており、けれどその瞳を一身に受けても神弧はいつもの口調で彼へと語りかけた。

 

「そう憤るな龍人。妾はただアリアとの“契約”を果たしただけだ」

「契約だと……?」

「力を貸す代わりに、アリアは妾に現世で行動する為の寄り代を用意する事と、敗北した場合に魂を貰い受ける。妾とアリアの間にはこのような契約が結ばれていてな、妾もだからこそあの女に力を貸していたというわけだ」

 

 だから、契約を果たしただけに過ぎないと神弧は言い放つ。

 それは事実なのだろう、わざわざそのような嘘を言う必要はない。

 だが、だからといって納得できるわけがなかった。

 

「ふざけるな! アリアはまだ」

「やり直せた、か? 一度堕ちた女に未来などない、あれは自らの憎しみと後悔を払拭する為に数多くの命を奪い蔑ろにしてきたのだ。

 存在そのものが悪となってしまった女が、もう一度光り溢れる世界に戻れるなどという都合の良い話などないさ」

「……お前は、一体何なんだ?」

「何なのだ、と言われてもな……上手く説明はできんが。この世界の者ではないというのだけは確かだ」

「なんだと……?」

 

 神弧の言葉に、龍人は僅かに目を見開かせる。

 

「正確にはこの星の者ではない、“破壊”と“蹂躙”を司る肉体を持たぬ精神生命体。

 妾の存在意義は生きとし生ける者全ての死に他ならない、お前達にとっては紛れもなく存在する事を許さぬ“絶対悪”だろうよ」

 

 あっけらかんと自らの正体を明かす神弧だが、当然龍人はその意味を理解する事はできなかった。

 けれど、彼女が自分で言ったように、目の前の存在がいずれ倒さなければいけない敵であるという事だけは理解できた。

 

「……今すぐに、殺し合うか?」

「っ」

 

 神弧の目が細められると同時に、龍人は一気に“龍気”を開放する。

 そんな彼を、神弧は小馬鹿にするように小さな笑みを向けた。

 

「ここで戦った所で妾の勝利は揺るがん、それではつまらぬ。だから猶予を与えよう、暫し妾は眠りに就くのでな」

「……後悔する事になるかもしれないぞ?」

「その時はその時だ、妾は確かに全ての生物の死滅させる事が存在意義ではあるが、愉しみが欲しいと思っている」

 

 そして、紫と龍人が自らの愉しみになってくれる事を神弧は願っていた。

 ……なんという歪んだ、そして狂気に満ちた望みだろうか。

 その為ならば躊躇いなく敵に塩を送り、その果てに敗北してもそれはそれで構わないと彼女は本気でそう思っている。

 純粋な狂気を孕む目の前の異形は、これ以上は話す事などないと踵を返し。

 

「――負けないわ、私達は」

 

 顔を上げ、立ち上がり神剣の切っ先を向けてくる紫の声に反応し、立ち止まった。

 

「今は勝てなくても、いつか必ず……私達はあなたに勝ってみせる」

「…………その意気だ、期待しているぞ?」

 

 くつくつと笑いながら、再び歩を進める神弧。

 そして、彼女は霧のように掻き消えて。

 

「ぁ、う……」

「紫!?」

 

 同時に、紫の意識は限界を迎え。

 龍人に抱きかかえられる感覚を最後に、意識を闇へと手放した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それじゃあ神綺、世話になった」

「それはいいんだけど……もう帰っちゃうの? もう少しゆっくりしていけばいいのに」

「その申し出はありがたいんだが、紫達を幻想郷に戻して休ませてやりたいからな」

 

 言いながら、龍人は法界から戻ってきた星輦船へと視線を向ける。

 あの中には現在、戦いの傷により眠っている紫が藍によって看病されている。

 傷自体は治したものの消耗は激しいので、幻想郷に戻って療養させなくては。

 けれどゆっくり休ませてやりたいのは彼女だけではない、一輪達によって封印を解かれた僧侶である聖白蓮(ひじり びゃくれん)も随分と消耗している様子だった。

 

 おそらく長い間封印されていた影響なのだろう、如何に人の身から魔法使いになったとはいえこの魔界の空気は地上で生まれた者にとって決して良いものではない。

 龍人としては神綺やゼフィーリア達とゆっくり話でもしてみたかったが、それはまた日を改める事にした。

 

「私達はいつでも歓迎するから、気軽に遊びに来てね?」

「ああ、助かる」

「龍人、今度は余がそちらに遊びに行ってやる。その時は最大限の歓迎を期待しているぞ?」

 

 考えておく、ゼフィーリアにそう言って龍人は飛び立ち星輦船の中へと降り立った。

 甲板部分には永琳と……何故か隅っこで蹲っている零の姿が見えた。

 

「……永琳、零のヤツどうしたんだ?」

「そっとしておきなさい。神綺の娘であるアリスって子との別れを悲しんでいるのよ」

「うぇっぐ、ひっぐ……」

 

 零のすすり泣く声が、ここまで聞こえてくる。

 白達から襲われていた彼女を助けたのを切欠に仲良くなったと聞いていたが、ここまで悲しんでいたとは思わず龍人は少しだけ驚いた。

 彼女の涙もろい一面を見ていると――ゆっくりと、星輦船が浮上を始めた。

 

 手を振って送り出してくれる神綺達に手を振り返しながら、龍人はある方向へと視線を向けた。

 その視線の先は――自分の命を救い、そして新たな力を授けてくれた龍人族の女性が眠っている場所だった。

 

 彼女は、何故自分にあそこまで力を貸してくれたのか。

 結局その理由を彼女自身の口から訊く事はできなかったし、彼女は自らの命を彼に与え消えてしまった。

 もう真意を解く事はできないけれど、授かった力と命を無駄にする事はできないと龍人は改めて心に誓った。

 

「随分と強くなったのね」

「わかるのか?」

「ええ、今までのあなたとは比べものにならない。力だけじゃなく……その心も」

「…………かもな」

 

 だが、まだ足りない。

 倒すべき脅威は一時的とはいえ去った、けれど決して消えたわけではない。

 それまでに今以上に強くならなければならない、それと同時に幻想郷を守っていかなくては。

 背負うものは多くなるばかり、いつか背負いきれず捨て去るものも出てくるのだろうか……。

 

 それでも、彼の中に不安などは存在していない。

 信じているからだ、彼も紫と同じく自分達が歩む道の未来を。

 

――魔界を抜け、見慣れた幻想郷の空へと戻る。

 

 下を見下ろすと、里の者達が驚き戸惑っている姿が見えた。

 しかしそれもすぐに消え、龍人の姿を確認した者達が彼の帰りを喜ぶかのように両手を振ってくれている。

 龍人も笑顔を浮かべながら手を振り返す、すると。

 

「――本当に、人と妖怪が共存しているのですね。素晴らしい場所です」

 

 驚きと歓喜を混ぜた声が聞こえ、龍人の隣に金と紫のグラデーションが入った女性が立ち、真下に広がる幻想郷を眩しそうに見つめていた。

 彼女こそ聖白蓮、一輪達の恩人であり……龍人や紫と同じく、人と妖怪の共存を願いながらも魔界へと封印された大魔法使いであった。

 

「まだまだ抱えてる問題は沢山あるさ」

「ですが私ではここにすら到達できなかった……龍人さんや紫さんが、今まで想像もできない程の努力を重ねてきた結果です」

「俺達だけじゃない。この里で生きる1人1人が同じ願いを願ってくれたから今の幻想郷がある、そしてその願いがこれからも広がっていくと……俺は信じたい」

 

 そうすればいつかは……いつかは、人と妖怪との関係も変わってくれるかもしれない。

 白蓮も同じ考えなのか、龍人の言葉に強い頷きを示した。

 

「白蓮。お前達の力も貸してくれるか?」

「勿論です。微力ながらあなた方の手伝いをさせてください」

 

 互いに向き合い、固い握手を交わす2人。

 ――頼もしい仲間が、また増えてくれた。

 

「ただ……その前に、やらなければならない事があります」

「やらなければならない事?」

「実は一輪達とは違い封印を免れた者達が居まして、その者達に私の事を伝えこの幻想郷にて新たな生き方を模索してもらいたいと思っているのです」

 

 きっと今も、自分の封印を解こうとあてのない旅を続けている筈だ。

 一刻も早く自分が地上に戻った事を伝えねば、申し訳が立たないと白蓮は言った。

 無論、そういう事ならば龍人は反対する筈もない。

 

「俺達も捜すのを手伝おうか?」

「いいえ、それには及びません。――必ず、私達はこの幻想郷へと戻ってきます」

「ああ、待ってるさ。早く見つかるといいな」

 

 龍人の言葉に、白蓮は感謝するように笑みを零す。

 

 

 

 

――こうして、魔界の旅は終わりを迎えた。

 

 新たな仲間、新たな力と心を得て龍人達はこれからも幻想郷を生きていく。

 ……けれど、時代は少しずつ変わっていた。

 人と妖怪、異なる価値観を持つ種族が解り合う日が本当にやってくるのか、それは誰にもわからない。

 

 けれど、彼等はこれからも歩みを進めていく。

 自分達の背負ったものが間違いではないと信じ、それを証明する為に……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




この章を最後まで見てくださってありがとうございました。
暫くまた日常話が続くつもりです、まだ未登場の東方キャラも出したいので。

少しでも楽しんでいただけたのなら幸いに思います。


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間章⑤ ~幻想の日々~Ⅳ
第105話 ~巫女さん達と夜雀さん~


「――あー、暇だわー」

 

 愚痴を零しつつ、“博麗の巫女”と呼ばれる人間の守護者、博麗零はお茶を啜る。

 里から少し離れた丘の上に立つ神社、“博麗神社”にて彼女はのんびりと過ごしていた。

 少しずつ暑くなってきた、もう少しすれば夏の季節がやってくるであろうが、まだ日差しには春の陽気を残したままだ。

 

「…………本当に暇ね」

 

 またお茶を啜る、そして口に含んだ茶を飲み込んでから……彼女は盛大にため息を放つ。

 ……平和である、平和すぎるのである。

 魔界での一件が終わり、半月は経っただろうか。

 聖白蓮と愉快な仲間達という新たな住人を迎えた幻想郷は、ゆったりのんびりとした時を刻ませ続けていた。

 それに対して何か文句があるわけではない、平和なのは本当に良い事なのだから。

 

 ただ、まあ、少しばかり刺激がほしいなーとも思ってしまうのもまた本音であった。

 零はこの幻想郷で済む前は巫女として各地を転々としつつ、妖怪退治を生業として生きてきた。

 故に彼女の半生は戦いの日々であったと言っても過言ではないのだ、そんな彼女に幻想郷の平和過ぎる空気は少々退屈に思えてしまっていた。

 

 無論、人と妖怪が共に暮らすこの幻想郷でも妖怪退治の依頼は飛び込んでくる。

 里の外には人を糧とする野良妖怪は存在しているし、内側でもいざこざが発生しないわけではない。

 けれどこの半月ばかりはそれもなく、ただただ零は怠惰的な日々を過ごしていた。

 

「紫達も遊びに来ないし……今日はどう過ごそうかしら」

 

 1日寝て過ごすというのはもう飽きた、というかそれをやったら翌日身体の節々が痛んだのでしたくはない。

 と、そこで零は前に紫から頼まれていた事を思い出す。

 

 それは――次代の“博麗の巫女”の育成だ。

 零とて人間、いずれ老いを向かえ巫女を続ける事ができなくなる。

 しかしこの幻想郷にて“博麗の巫女”の存在は必要不可欠である、故に現役である内に次代の育成を果たさねばならない。

 

「でもなー……子を産むとしても、相手がいないんじゃどうしようもないし……」

 適当な男を捕まえて子を産む……というのは、自分としても相手にしてもあんまりである。

 かといって愛を育み夫婦となるというのも、零の中では想像できなかった。

 まだ若いとはいえ、悠長に構えていい問題ではないし、何より紫辺りから小言を言われるのは御免被る。

 さてどうしたものかと考えに耽る零であったが、すぐに面倒になってもっと楽しい事でも考えようと思った矢先。

 

「――巫女殿、先程から声を掛けていたのだが、気づかなかったのか?」

 

 縁側に座っていた彼女に、一匹の妖狐が声を掛けてきた。

 顔を上げる零、そこに立っていたのが紫の式である九尾の妖狐の八雲藍だと判り、怪訝な表情を浮かべる。

 

「藍ちゃんだけなんて珍しいわね、どうしたのかしら?」

「……とある依頼を受けてほしいという紫様の伝言を預かってきた」

「依頼って、妖怪退治? やった、最近暇で暇でしょうがなかったのよ!!」

 

 そう言いながら嬉々として立ち上がる零に、藍は呆れを含んだ視線を向ける。

 

「それで、どいつをぶっ飛ばせばいいのかしら?」

「落ち着いてくれ。それに今回は完全な退治ではないんだ」

「ん? どういう事かしら?」

「……里の外で、最近不気味な歌声が聴こえるという報告が入った。

 当初は里の守護者だけで対処してもらおうと思ったのだが……紫様がな」

 

 最近、零が巫女として働いてないから彼女に解決させなさい。

 そう言って、紫は藍にその依頼を伝えるように指示を出したのだ。

 それを聞いて零は不満げに唇を尖らせたが、事実ではあるのでそれ以上は何も言わなかった。

 

「色々と愚痴りたいけどまあいいわ、それでどうして退治じゃないのかしら?」

「いや、最終的にはそうなる可能性もあるが……調査の為に調べた結果、人型の妖怪だという事がわかってな」

「ふーん、で?」

「巫女殿も知っている通り、人型の妖怪というのは総じて知能や能力が高い傾向にある。紫様としては、そういった妖怪を“こちら側”に引き込みたいお考えなのだ」

 

 その言葉を聞いて、零は成る程と納得する。

 しかし彼女も本当に甘い……というか、本当に妖怪なのかと疑ってしまいそうになる。

 自分勝手で傲慢の塊、それも力と能力が優れれば優れるほどその兆候は強く濃いものになるというのに……彼女にはそれがまったく見られない。

 彼女の式である藍ですら、外見上はあくまで友好的に見せているが、内心では人間である自分を何処か下に見ているのがわかるというのに……。

 とはいえそれが不快とか不気味に思っているわけではない、少なくとも零は八雲紫という妖怪を何の混じり気もない好意を抱いている。

 

 妖怪退治を生業とする巫女が妖怪を好意を抱くなど可笑しな話かもしれないが、それだけの魅力が彼女にある何よりの証拠なのだ。

 現に里の住人達の大半は彼女の事を好いている、まあ一部の人間妖怪は「裏で何か考えているのではないか?」と勘ぐっているようだが。

 

「とにかく了解よ。まずは説得を試みて、駄目そうなら退治って事でいいのね?」

「……引き受けてくれるのか?」

「こっちに拒否権なんかないくせによく言うわよ。それに……友人の頼みだもの、できる限り力になってあげたいと思うのは当然じゃないの?」

 

 それに、さっきも言ったけど暇してたからちょうどいいわ。

 そう言ってにかっと笑みを見せる零に、藍は少し呆れたように苦笑を浮かべるのであった。

 

 

 

 

――夜。

 

「――もう少し先だ、遅れるな」

「零さん、藍さん、足元が暗いので気をつけてくださいね?」

「あ、はい……」

 

 里の外にある、森の中。

 藍の案内で零は問題の妖怪が目撃されたという場所へと向かっているのだが……何故か、聖白蓮までついてきてしまった。

 

「あのさひじりん、ついてきて大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。この半月で体力も魔力も大部分取り戻すことができました、それに身体が鈍った状態では仲間達を捜しに行けませんから。……ところで、その“ひじりん”というのは?」

「あだ名よあだ名、紫が“ゆかりん”ってあだ名があるから、聖なら“ひじりん”かなって」

 

 ちなみに、このあだ名を考えたのは零ではなく水蜜だったりする。

 ただ本人には内緒にしてくれと言われているので、零は詳細を説明する事はしなかった。

 それに白蓮自身少々困惑しながらも「ありがとうございます」と感謝しているのだから、特に不満というわけではないのだろう。

 

「……真面目にやってほしいのだが?」

「藍ちゃんは生真面目すぎんのよ。というか、なんで妖怪であるアンタまで一緒に来たわけ? そんなに私が信用できないとか?」

「そういうわけではない。……私とて、いつまでも停滞しているわけにはいかないだけだ」

「はぁ? …………あー、なるほど」

 

 どういう意味なのか一瞬わからなかったが、すぐに理解に至った零は藍に向かって小さく笑みを見せた。

 ――要するに彼女、今の自分を鍛え直したいらしい。

 八雲紫の式として恥ずかしくないように、成長しようと思ったのだ。

 とはいえ、良い意味でも悪い意味でも式に徹しようとしている彼女の考え方を変えなくては、順調な成長は望めないだろう。

 尤も、それを教える義理は零にはない、だから彼女は何も言わずに先行しようとして。

 

「あ」

 

 間の抜けた声を出しながら。

 木々の間をすり抜けるようにしながらこちらに向かってくる、様々な色の光弾を視界に入れた。

 

 完全なる不意打ち、しかも迫る光弾の一つ一つには妖力が込められており、まともに受ければ死にはしないものの相当痛いのは確実だ。

 しかし――零達にはそんなものは通用しない。

 迫る数十の光弾を、彼女達は軽々と避け掠りもせずにそれらを突破する。

 

「嘘っ!?」

「あ、そこね」

 

 奥の木々の中から聴こえた、少女の声を拾った零は懐から三枚の札を取り出し投げ放つ。

 彼女の霊力が乗せられたそれは意志を持つかのように動き出し、声の聴こえた方向へと矢のように飛んでいった。

 そして札が樹へと張り付くと同時に込められた霊力が爆発を引き起こし、その爆発から逃れるように1つの影が飛び出す。

 

「……夜雀、ですね」

 

 白蓮が影の正体を見て、そう呟く。

 彼女の言う通り、零達に奇襲を仕掛けてきたのは背中に鳥の翼を生やした――夜雀の妖怪であった。

 まだ年端も行かぬ少女の姿ではあるが、人型であるが故か身に宿す妖力は並よりも大きい。

 

 こちらに向ける敵意の視線は、言葉での説得は難しいと思わせるほどに鋭い。

 こうなったら一発殴っておとなしくさせようと、乱暴な事を考える零であったが……夜雀の少女が抱えているモノを見て、その考えを霧散させた。

 

「ちょっと……あれ、赤ん坊じゃない……?」

「えっ……!?」

「……どうやらそのようだな」

 

 零の言葉に白蓮は驚き、藍は視線を夜雀の少女へと向け、夜雀の少女が抱えている人間の赤子を視界に捉える。

 まだ生まれてあまり日が経っていない、白い布に包まれた人間の赤子。

 何故妖怪が人間の赤子を持っているのか、考えられるとすれば“喰らう”為であるが……そうではないと藍は自らの予測を否定する。

 ……まるで守るように抱えている姿を見れば、それはないと断言できるからだ。

 

「どうしますか……?」

「うーん……私が妖怪の動きを止めるから、ひじりんがその隙に赤ん坊を保護してくれる?」

「私はどうする?」

「藍ちゃんは……」

 

 そこまで言いかけた瞬間、夜雀の少女が大きく息を吸い込む姿が見えた。

 ぞわりと、3人の身体に悪寒が走る。

 次に放たれる一撃の危険性を察知した3人は、各々の役割を果たそうと動いた瞬間。

 

「――――!!!!」

 

 声と認識できない声が、夜雀の少女の口から放たれた。

 それはそのまま衝撃波へと変わり、妖力によって威力が向上したその一手は周囲の木々を薙ぎ払いながら零達へと襲い掛かる……!

 夜雀の少女にとって必殺の一撃は広範囲を蹂躙し、当然ながら零達3人にもその脅威は及んだが。

 

「…………えっ?」

「――なかなかの威力なのは認めるが、こんな程度では私達には通用しないさ」

 

 あっさりと、呆気なく。

 一歩前に出た藍が展開した結界によって、必殺の一撃は弾かれてしまった。

 その光景に、夜雀の少女は唖然としてしまうが……その致命的なまでの隙を見せた結果。

 

「――零さん、後はお願いします」

「あ……!?」

 

 大魔法使い、聖白蓮が己が最も得意とする身体強化魔法を自らに施し、雷光の如し速さで夜雀の少女から赤子を奪い取り。

 

「はいはい。――ちょっと痛いけど、我慢してね」

「は――――うぎゅっ!?」

 

 上空に飛び上がった零の、右足による踵落としが夜雀の少女の頭部へと叩き込まれ。

 そのあまりの破壊力に、夜雀の少女は何も反応できずに地面へと叩きつけられ、そのまま意識を失ったのだった……。

 

 

 

 

「――もう少し穏便に事を運べなかったのかしら?」

「あはは……」

 

 笑って誤魔化そうとする零に、紫はジト目を送りつつ小さくため息を吐いた。

 博麗神社にて、紫は3人の帰りを待っていた。

 そして無事に自分の依頼を達成してくれた3人に、紫は労いの言葉を掛けようとしたのだが……。

 

「藍、聖、協力感謝致しますわ」

「いえ、お力になれたようで嬉しいです」

「私は式として当たり前の事をしただけですから」

「……ねえ、なんで私には労いの言葉がないの?」

「あら、今言った言葉の意味をあなたはまるで理解していないのかしら?」

 

 にっこりと微笑みながら紫がそう言うと、零は気まずそうに視線を逸らした。

 ……確かに、彼女は不気味な歌声の原因である夜雀の少女をおとなしくさせた。

 けれど彼女は相手を粉砕する勢いの踵落とし(霊力付き)を叩き込んだ挙句、気絶した夜雀の少女をこれでもかと封印札を用いて簀巻きにしたのだ。

 

 いくら暴れられない為にとはいえ、同じ妖怪として可哀想になってくる。

 しかもダメージが大きいのか、さっきから魘されているばかりでちっとも目が醒める様子がない。

 紫としては早く目覚めてほしいのだ、何故なら……。

 

「……うっ、ぐすっ……」

「あ、拙い。なんか泣きそうになってる!!」

「ちょっと零、そんな大声出したら……」

「――びえええええええっ!!」

 

 夜の神社に、凄まじい泣き声が響き渡る。

 泣き声の出所は、当然夜雀の少女が抱きかかえていた人間の赤子からである。

 

「ど、どうしましょうか!?」

「ど、どうすると言われましても……紫さん、妖怪の賢者としてなんとかできませんか!?」

「あなた妖怪の賢者を何だと思ってるのよ! ちょっと零、なんとかできない!?」

「できるわけないでしょうが!! 紫こそそのおっきな胸から乳とか出せないの!?」

「出せるわけないでしょう!!」

 

 一斉に慌てだす紫達。

 誰もが赤ん坊の世話などした事がなく、どうすればいいのかわからないのだ。

 その後も泣き声は大きくなるばかりで、それに比例して紫達の混乱も深まっていく。

 ――で、結局。

 

「……あなた達、揃いも揃って情けないと思わない?」

 

 完全に混乱した紫が、「たすけてえーりん!!」と八意永琳に丸投げする事になった。

 事情を聞いた彼女は快く承諾し、すぐさま赤子用に山羊の乳を用意し、その他諸々必要なものを準備させた。

 現在は件の赤子を優しく抱きかかえながら、あやしつつ最大級の皮肉を込めて上記の言葉を紫達へと言い放っていた。

 

「だ、だって……子育てとかした事ないし」

「それにしたって最低限の知識ぐらいは身につけておきなさい。仮にも女でしょうに」

「……面目ありません」

「やれやれ。……まあそれはともかく、そこの妖怪……そろそろ目覚めるわよ」

 

 永琳がそう言った瞬間。

 

「……んんっ……」

 

 僅かに身動ぎしながら、夜雀の少女は目を醒ました。

 

「えっ!? ちょっと、何よこの状況!?」

 

 そしてすぐさま自らの身に何が起きているのかを理解し、驚愕の声を上げる。

 当然抵抗する夜雀の少女だが、これでもかと貼られた零の封印札の影響か殆ど動けていない。

 

「っ、何をしてるの! その子を放しなさい!!」

 

 永琳が抱きかかえている赤子を視界に入れた夜雀の少女の表情が、激変した。

 瞳は血走り、小柄な少女の身体からは考えられない程の強く重い憤怒の感情を溢れ出させている。

 

「落ち着きなさい。お腹が空いていたようだから食事を与えただけよ、私達の誰もこの子に危害を加えようとしない事を約束するわ」

「誰よあんた!! 偉そうに……」

 

 声を掛けてきた紫を睨み返す夜雀の少女だったが……にっこりと微笑む紫の内側にある妖力の強大さに気づいたのか、途端におとなしくなった。

 どうやら相手を図る事はできるらしい、その事実に内心満足しながら紫は言葉を続ける。

 

「私は八雲紫、そしてここは幻想郷と呼ばれる隠れ里。

 いくつか質問をさせてもらうけれど……まずあなたの名前を教えてくれないかしら?」

「…………ミスティア。ミスティア・ローレライよ」

 

 視線を合わせようともせず、夜雀の少女――ミスティアは自らの名を明かす。

 

「次の質問よ。あの赤ん坊はどうしたの?」

「……捨てられていたから拾ったの」

「拾った? 食べる為に奪ったのではなくて?」

「そんな事しないわよ。私は人間なんか食べた事ないし食べる気も起きないわ、放っておいてもよかったのだけれど……あんまりにも泣いていたから、そのままにするのは目覚めが悪かったというか……魔が差したというか……」

「…………成る程」

 

 おそらく嘘は言っていないだろう、実力差を思い知っているこの状況で自らの立場が不利になる行動を取るとは思えない。

 けれどかといって、簡単に信じられる話でもなかった。

 妖怪が人間の赤子を拾った、しかも零達の話と先程の彼女の態度を見るに守ろうともしている。

 

「人間が好きなの?」

「嫌いよ」

 

 即答だった。

 

「ならどうして拾ったの?」

「だから目覚めが悪いからって言ったでしょ?」

「本当にそれだけ?」

「………………人間は嫌いだけど、だからって生まれて間もない赤ん坊には何の罪も無いもの」

 

 そう、だから拾った。

 でも育てるつもりなど微塵もなかったので、ミスティアは困り果て……風の噂で聞いた幻想郷へと目指す事を決めたのだ。

 

「事情はわかりましたけど……ならば何故、あのような森の中で不気味な歌声を放っていたのですか?」

「不気味は余計よ、まあ確かに私の歌は他者を鳥目にしてしまう効力があるけど……。

 しょうがないじゃないの、この子が泣き止まないからあやす為に歌っていたんだから。それにいきなり妖怪が赤ちゃんを連れてきて「育てろ」って言われても混乱すると思ってたから……」

「そういう事かー、まあでも……解決したからいっか」

 

 不安がっていただけで実害が出たわけではないし、赤ん坊もこの幻想郷で育てればいいのだ。

 誰もがめでたしめでたしと思う中で……紫は、視線をいつの間にか眠っていた赤子へと向けた。

 

――この赤子は、夜雀の歌声を聴いても鳥目になっていない。

 

 それに赤子でありながら、その身に宿る霊力は大きい。

 ……紫の口元が愉しげに吊り上った。

 

「妖怪の笑みになっているわよ、紫」

「おっと、いけないいけない」

 

 苦笑混じりに永琳から言われ、紫はくすくすと“いつも”の笑みを浮かべる。

 

「さて、と……夜雀さん。あなたはこれからどうするのかしら?」

「……見逃してくれるのかしら?」

「ええ、勿論。ですが……今日からこの幻想郷の住人になってくださるのなら」

「はあ?」

「ここには私を始めとして人間妖怪問わず多くの実力者がいらっしゃいます、あなたは見たところ並の妖怪よりは力があるようだけど……厄介な妖怪に絡まれたら、面倒ではなくて?」

「うっ……」

 

 小さく唸るミスティア、どうやら過去にその面倒な事に巻き込まれた事があるようだ。

 

「無闇に人を襲わず命を奪わず、それさえ守ってくだされば自由気ままに生きる事を許可致しますわ。他の妖怪に対する抑止力もいるでしょうから危険も少ないですわよ?」

「むむっ……それはなかなかに魅力的な……」

「すぐに答えを出さなくても結構。まずは体験という事で暫くこの幻想郷で生きるといいでしょう」

 

 紫がそう言うと、ミスティアは考え込みながらもうんうんと頷きを繰り返している。

 これならば彼女もここの住人になる事だろう、色々とここのルールを教えてやらねばならないだろうが。

 

「それと零、その赤子は貴女が育てなさい」

「あー、うん………………って、はあっ!?」

「その子は高い霊力を持って生まれてきたみたいだから、次代の“博麗の巫女”として適任だと判断したのよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ紫!! 私、子育てなんてしたこと」

「そこはほら、幻想郷のみんなに教えてもらえばいいだけよ。――どうせ貴女の事だから、まだ次代の候補すら見つけていなかったのでしょう?」

 

 目を細めながらそう言うと、零は「うっ」と小さく唸りながら押し黙ってしまった。

 

「永琳、零に色々と教えて頂戴ね?」

「あなたが教えてあげればいいのではなくて?」

「だってほら、ゆかりんまだ生粋の乙女だから」

「…………はっ」

「おいコラ、なんで鼻で笑った?」

 

――こうして、次代の博麗の巫女候補と新たな妖怪が幻想郷へと移り住んだ。

 

 また一歩、自らが歩む道を進めたと紫は思いながら藍と共に八雲屋敷へと帰っていく。

 白蓮もまた一輪達の元へと戻り、永琳も赤子を零に手渡して帰ろうとするが。

 

「お願いえーりん先生、助けて!!」

「…………はぁ」

 

 そうはさせじとばかりの勢いで零に袖を掴まれ、盛大にため息を吐きながらさっさと帰っていった紫を怨んだのであったとさ……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第106話 ~輝夜さんと妹紅さん~

「ねえ、もこたん」

「なんだ輝夜? それともこたんって言うな」

 

 迷いの竹林の中にある、永遠亭の中庭にて碁を打ち合う輝夜と妹紅。

 暫く無言で打っていたのだが、突如として輝夜が口を開き妹紅は碁盤に視線を向けながら彼女の声に耳を傾ける。

 

「永琳みたいな完璧超人が喜ぶ事って、なんだと思う?」

「えっ?」

 

 顔を上げ、輝夜へと視線を向ける妹紅。

 

「どういう事?」

「わたし思ったんだけど……いくら姫だからって、永琳に対して過保護にされ過ぎじゃないかな?」

「うん、そうね」

「即答!?」

 

 コンマ一秒の早さで返され、輝夜は驚きを隠せない。

 対する妹紅は「何を今更」とばかりに輝夜へと向かって呆れた視線を向けていた。

 永琳が輝夜に対して過保護なのは周知の事実である、そんな当たり前の事を言われて何故驚かれるのか理解できない。

 

「だって輝夜、たまーに里に散歩する時があるけど……仕事もしてないし、身の回りの世話は永琳や妖怪兎達に任せっきりじゃないの」

「うっ……そ、そういうもこたんはどうなの?」

「だからもこたん言うな。私はこの竹林で採れる筍を里の人達にお裾分けしたり、妖術を用いて炭を作ったりしてるけど?」

「…………」

 

 まさかの返答に、輝夜は何も言えなくなった。

 てっきり妹紅も自分と同じくただただ日々を過ごしているだけかと思っていたのに……なんだか裏切られた気分になる。

 

「まあそれはそれとして、いきなりどうしたのよ?」

「うん、その……えっとね、たまにはわたしが永琳に対して色々としてあげたいというか……もうちょっとこう、アウトドア精神を開拓した方がいいと思ったというか……」

「その『あうとどあ』っていうのが何なのかは判らないけど、とにかく永琳に日頃の感謝をしたいと?」

 

 こくんと頷く輝夜。

 ……珍しい事もあるものだと、妹紅は内心割と本気で驚いた。

 少なくとも再会してそれなりに永い年月が経つが、彼女がこんな事を言い出したのは初めてである。

 

「良い心掛けね、きっと永琳も喜ぶわ」

「そ、そう? それでなんだけど、もこたんはどうすれば永琳が喜んでくれると思う?」

「もこたん言わないでってば。でも、そうね……」

 

 軽く考えてみる妹紅だったが、やはりすぐには思いつかない。

 そもそも永琳が何かをされて喜ぶ姿が想像できなかった、彼女には強い欲というものが見当たらないからだ。

 一般的な考えから出る贈り物をした所で、永琳は輝夜から貰えるものならばなんでも喜ぶだろう。

 

 しかしそれでは駄目だ、せっかく輝夜が珍しく行動を起こしたというのに中途半端な事はしたくない。

 御人好しな妹紅はそれこそ自分の事のようにうんうんと考え始め、そんな彼女の様子を見て輝夜は苦笑しつつ小さく「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。

 

「とりあえず、里に行きましょうか? 実は今日、慧音に頼まれて寺子屋の課外授業に参加しないといけないのよ」

「あらそうだったの。ちなみに内容は?」

「この時期に収穫される野菜の観察だと」

「……それって、楽しいのかしら?」

 

 その光景を想像してみる2人だったが、どうにも楽しそうなイメージが湧いてこない。

 

「……慧音の授業って、あまり楽しくなさそうね」

「…………それ、本人の前では言わないでね?」

 

 あんまりな輝夜の言葉であったが、妹紅は決して否定する事はなかった。

 しかしそういう事なら仕方がないと、輝夜は一人この場で考える事に……。

 

「ほら、行くわよ?」

「……もこたん、もしかしてわたしもそれに手伝えと?」

「次もこたんって言ったら灰にするわよ。当然じゃない、まず輝夜は行動力を養わないとね」

「えぇー……」

 

 露骨に嫌そうに表情を歪ませる輝夜であったが、妹紅にそんな抗議は通用しない。

 首根っこを掴まれ、強引に動きやすい恰好に着替えさせられた彼女は、これまた強引に妹紅に里へと連れて行かれたのであった。

 

 

 

 

「エンヤーコーラ、ドッコイショー」

「……ねえ輝夜、一々変な掛け声出して作業するのやめてくれない? 気が散るんだけど」

「無理矢理テンション上げていかないとやってられないわよ、はぁ……なんでわたしがこんな事をしなきゃいけないの?」

 

 黒い上着と妹紅と同じ赤いもんぺ姿になった輝夜が、愚痴を放ちつつ鍬を持って畑を耕していく。

 姫である自分がなんで農業なんかせにゃならんのじゃとは思いつつ、割と様になっている彼女の姿を眩しそうに見つめる子供達の期待を裏切る事もできず、文句を言いつつも新たな作物を育てる為の畑を耕していた。

 なんだかんだ言いつつも輝夜も御人好しなのだ、尤もそれが表に出るのは本当に稀だが。

 

 子供達はというと、普段殆ど見ない輝夜を近くで見る事ができるせいか、いつも以上に元気な様子を見せている。

 あまりに元気過ぎて慧音に注意される程のその姿は、今を生きる生物の生命力に満ち溢れるものであった。

 

「……少し、眩しいわね」

 

 穢れに満ちたこの地上は、月の民にとって牢獄と同意。

 地上に堕ちた輝夜もその考えに否定はしない、けれどだからこそ輝くモノがあるとここに来て理解した。

 

「感謝します輝夜さん、課外授業に付き合っていただいただけでなく作業まで手伝ってもらってしまって……」

「別に構わないわよ。強引に連れてきたのはもこたんだもの」

「もこたん、偉い!!」

「えらーい!!」

「こらこら、その“もこたん”っていうのはやめなさいっての!!」

 

 やはりこの愛称は気恥ずかしいのか、僅かに顔を赤らめ子供達を戒める妹紅。

 しかし子供達は満面の笑みで彼女を「もこたん」と連呼し、妹紅は居心地悪そうに唇を尖らせながら、元凶である輝夜を睨みつける。

 そしてそんな彼女に、輝夜はそれはそれは楽しげな笑みを返すのであった。

 

「ったく……輝夜、あんまりしつこいと一回息の根を止めるわよ?」

「ねえ、もこたん」

「だから…………はぁ、もういい。それで今度は何?」

「思ったんだけどさあ、永琳って薬師じゃない?」

「そうだけど、それがどうしたっていうのよ」

「薬師って事は、貴重な薬をあげたら喜ぶと思わない?」

「はい?」

 

 なんだかよくわからないが、輝夜が永琳を喜ばせられるかもしれない手を思いついたという事だけはわかった。

 だが上記の言葉だけでは彼女が何をしようとしているのか理解する事はできず、妹紅は怪訝な表情を彼女に向ける。

 一方、輝夜はいそいそと何かをし出したと思ったら……収穫したばかりの胡瓜を入れていた籠ごと背負って歩き始めてしまった。

 

「待て待て待て!!」

 

 輝夜の突然の奇行に一瞬思考が停止する妹紅だったが、すぐさま我に帰り彼女の手を掴み上げる。

 

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃない!! 何やってんのよアンタは!?」

「ちょっと“妖怪の山”に行こうと思って」

「妖怪の山って……いや、それ以前に平然と胡瓜泥棒を働かないでよ!!」

 

 彼女から胡瓜の入った籠を引っ手繰る妹紅。

 ぶーぶーと文句を言い出す輝夜であったが、当然ながら妹紅は額に青筋を浮かべ怒りを露わにした。

 

「まずその奇行の説明をしなさい、いやその前に一回燃やさせなさい」

「そんなに怒らなくたっていいじゃない。ただ“河童の秘薬”を貰いに行こうとしただけよ」

「河童の秘薬って……」

 

 ――河童の秘薬。

 河童の腕が斬られた際に生み出されると伝えられている、どんな傷すらたちどころに治してしまうという霊薬の一種だ。

 その製造方法は謎に包まれており、かつてはその秘薬を得ようと一部の人間達が暗躍し河童達と争ったという記述が残されている程の代物である。

 

「いくら永琳でも“河童の秘薬”は持っていないでしょうし、それをあげたら喜んでくれると思わない?」

「それはわかったけど、それと胡瓜泥棒と何が関係しているの?」

「どうせタダではくれないだろうから、これと交換してやろうかと思って」

「あのねえ……」

 

 あまりに短絡的な行動と発想に、妹紅は頭を抱えたくなった。

 薬師である永琳に秘薬という貴重な薬を渡すという着眼点は良いが、その過程で泥棒を働いては逆に彼女への迷惑に繋がるではないか。

 

「ねえ慧音、この胡瓜もらっても大丈夫でしょー?」

「えっ? ええ、まあ……さすがに全てというわけにはいきませんけど……」

「ちょっと慧音、いいの?」

「勿論です。輝夜さんには手伝ってもらいましたし、正当な報酬ですよ」

 

 慧音の言葉に、子供達もうんうんと何度も頷いてみせた。

 妹紅も慧音がそう言うなら……と、納得する事にした。

 それから輝夜は自分の分の胡瓜だけを貰い、ふわりと浮かび上がり妖怪の山へとゆっくり向かい始める。

 

「輝夜おねえちゃーん、またねー!!」

「またねー!!」

「ええ、なかなか有意義な時間だったわ。今度は永遠亭に遊びに来なさいな、もこたんが案内してくれるでしょうから」

「わかったー!!」

「あ、おい輝夜待て!! 慧音、悪いが私はあいつが変な事しないか見張ってくる!!」

 

 言うやいなや、妹紅はすぐさま輝夜を追いかけ始めた。

 彼女の飛行スピードは緩やかだった為、すぐに追いつく事ができ妹紅は一言文句を言おうとして。

 

「……んふふー♪」

 

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う輝夜の顔を視界に捉え、文句を言う気が薄れていってしまった。

 

「な、何だよその笑み……随分と楽しそうじゃないか」

「楽しいというよりも、嬉しいのよ。

 だってあんなにも純粋に慕ってくれているのよ? それも、わたしを“ただの輝夜”として」

 

 そんな扱いを受けたのは、本当に久しぶりだった。

 永琳は自分をあくまで“蓬莱山輝夜”として接してくるし、輝夜がイナバと呼んでいる妖怪兎達も同様だ。

 けれど幻想郷に住まう子供達は違った、何の混じり気も打算もない澄み切った好意を向けてくれたのだ。

 それが嬉しくないと、どうしてそう思えるというのか。

 

「……そっか」

 

 あまりにも無邪気にそんな事を言うものだから、今まで溜まっていた輝夜に対する不満やら愚痴やらが妹紅の中から消し飛んでしまった。

 嬉しさを表現するかのように、円を描くように飛び回る輝夜。

 それでつい毒気が抜かれてしまったのか、これ以上彼女の行動を邪魔するのも悪いと思い、妹紅は黙って彼女と共に妖怪の山へと向かっていったのであった……。

 

 

 

 

「――成る程、いないと思ったらそんな事をしていたの」

「…………」

「まあ、でも……あの子が私の為にねえ……ふふっ」

 

 事の経緯を妹紅から聞かされ、永琳は驚き少しだけ呆れながらも口元には嬉しそうな笑みを浮かばせていた。

 何か贈り物をしようと考えてくれた、それもなるべく自分が喜んでくれるように一生懸命考えてくれたという輝夜の気持ちは、とても嬉しい。

 

――ただ、説明してくれた妹紅の疲労困憊といった表情を見るに、妖怪の山でも何かあったようだ。

 

 ちなみに、輝夜は疲れたのか既に自室に戻っている。

 小さな壷に入った“河童の秘薬”へと視線を向けながら、永琳は妹紅に問いかけた。

 

「妖怪の山で何があったの?」

「……危うく山の連中と敵対する所だった」

「ちょっと待ちなさい、その辺り詳しく」

 

 どうせ輝夜の我儘に付き合わされて疲れたのだろう、そんな程度しか考えていなかった永琳だが今の妹紅の発言でただ事ではない事態が起こったというのが理解できた。

 その時の事を思い出した妹紅はもう一度大きくため息を吐き出して……ゆっくりと、永琳へと説明を開始した。

 

「別にいきなり輝夜のヤツが天狗達に喧嘩を売ったとかそういうわけじゃなく、真っ直ぐ河童達が住む玄武の沢へと行ったんだよ……」

 

 当初の予定通り、輝夜は持ってきた胡瓜と河童の秘薬を交換してくれるように頼み込んだ。

 だがやはりというべきか、如何に河童の好物とはいえ胡瓜だけで霊薬を交換する事はできないと拒否。

 そこで止せばいいのに、しつこく引き下がる輝夜に河童達も次第に苛立ちを見せ、しまいには「帰らないと尻子玉を抜き取るぞ」という脅しに出る始末。

 まあ食い下がった輝夜が悪いのだが、課外授業での肉体労働があったせいなのか……宥めようとしていた妹紅を無視して、暴れ始めてしまったのだ。

 

「その後はもう無茶苦茶だった。河童達は阿鼻叫喚の嵐、突然の事態に現れる天狗達。最終的には天狗の長である天魔まで出てきそうになったんだ」

 

 やはり彼女の本質は我儘な姫だと再認識した事件であった。

 一触即発の空気の中、異変を察知したのか紫が介入してきたお陰で事なきを得たが……彼女が現れなければどうなっていた事か。

 

「……それで、紫は?」

「たぶんまだ天狗達の所に居ると思う。物凄い迷惑掛けちゃったなあ……」

「あなたが気に病む必要なんかないわよ、止めようとしてくれたんだから」

 

 頭痛を覚え、永琳は額に手を置いて大きくため息を吐き出した。

 紫に対して大きな借りを作ってしまったようだ、後日改めて謝罪に出掛けなければ。

 

「…………でもさ、紫や妖怪の山の連中に沢山迷惑掛けちゃったけど」

「?」

「輝夜のヤツ、凄く生き生きとしてたよ」

「………………そう」

 

 今回の件で、多くの者に迷惑を掛けてしまった。

 その尻拭いをするのは大変かもしれないが、今の妹紅の言葉で少しだけ気が晴れてくれた。

 ――不死であるが故に、普通の生き方ができないと思っていたけれど。

 この幻想郷なら、当たり前の“生”を謳歌できるかもしれない。

 

「まあ、だからといって輝夜に対するお仕置きは止めないけど」

「そうしてやってくれ。……でも永琳、程ほどにね?」

 

 怪しさ全開の薬を用意し始める永琳に、妹紅はそう言いながらそっと輝夜に合掌を送るのであった。

 後日、輝夜は永琳にそれはそれはキツーーーーーーーーーーイお仕置きをされた挙句、暫く妖怪の山の奉仕活動へと駆り出されたのであったとさ。

 

「もこたん、協力して!!」

「嫌だよそんなの、自分が悪いんでしょ?」

「許してえーりーーーーーーーんっ!!」

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第107話 ~紫と龍人、歩み寄る一歩~

紫と龍人、共に困難な道を歩む2人。
心身ともに成長した2人は、少しずつ互いの絆を深めていき。

そして遂に、お互いの関係が一歩進む時がやってきた……。


 人と妖怪が暮らす隠れ里、幻想郷。

 そこで日々の生活をする誰もが現在、里の中を歩く1人の女性に視線を向けていた。

 宝石のように輝く長く美しい金糸の髪と瞳を持ち、紫を基調としたドレスに身を包み日傘を差すその姿は、老若男女問わず心を奪わせる魅力があった。

 

 その女性の名は八雲紫、この幻想郷にて事実上の管理者と守護者を兼ねている、大妖怪だ。

 周囲の視線を一身に受けながらも、彼女は物腰柔らかな雰囲気のまま、ある場所へと向かう。

 その場所は里にある甘味処、そこでとある人物と待ち合わせており……どうやら、その待ち人は自分より先に来ていたようだ。

 

「紫、遅い」

 

 団子を頬張りながらジト目で紫に視線を向けるのは、博麗零。

 この幻想郷における“人間の”守護者であり、()()の博麗の巫女である。

 現在は()()()に博麗の巫女を任せ、里に隠居している彼女に久しぶりに話でもしないかと紫は誘われ、この場所へと赴いたのだ。

 

「いつもはあなたが遅いのだから、いいじゃないの」

「ダーメ、今回はあなたの奢りにさせてもらうわよ」

「……相も変わらず、がめついわねあなたは」

 

 呆れたようにため息をつきながら、零の隣に座る紫。

 やってきた店員に団子を頼んでから、持ってきてもらったお茶を一口含み喉の渇きを潤した。

 

「それで、今回は何の用なの?」

「何か用がなきゃ一緒にお茶しちゃいけないのかしら? 別に何か用事があったわけじゃないわよ」

「あらそう、けど私ってあなたと違って色々と忙しい身の上なのだけれど?」

「あーはいはい。相変わらず賢者様は隠居した私と違ってお忙しいのですね、こりゃ失礼しました」

 

 皮肉と厭味を存分に込めた言葉と視線を受け、紫はおもわず苦笑してしまう。

 少しからかいが過ぎたかもしれないと思い、ごめんごめんと謝った。

 

「それにしても……本当に老けないのね紫って、妖怪ってこういう所がズルイと思う」

「引退したとはいえ巫女をしていた者とは思えない言葉ね」

 

 しかし、そう愚痴を零す彼女には確かな“老い”を感じられた。

 だがそれは当然だ、如何に巫女として優れていようとも彼女はあくまで人間なのだから。

 ……いずれ別れの時が来るのだ、人と妖怪とでは寿命が違い過ぎる。

 

「そういえば、二代目はどうなの? “博麗の巫女”として一応一人前になったようだけど……」

「とはいってもまだ十五だからね……もう少し見守ってあげないと」

「あら、もう十五年が経ったの?」

 

 夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライが連れていた捨て子を二代目の博麗の巫女として育てるように言って、既に十五年。

 成る程、それならば彼女も歳をとるわけだと紫は今更ながらに納得していた。

 

 魔界での戦いが終わった後、紫達の周囲は平和であった。

 人と妖怪の小競り合いはあるものの、少なくともこの幻想郷では大きな事件は起きていない。

 このまま何事もなく今の平和が続いてくれれば……そう思うものの、いずれはその均衡も崩れるだろうと紫は予感していた。

 

 それが世の常だ、人も妖怪も争い合わずにはいられない。

 でも、せめてこの幻想郷だけは……。

 

「紫」

「…………」

 

 零の声で、我に帰った。

 

「難しい事を1人で抱え込むのは悪い癖よ? そんな事よりもっと楽しい事を考えなさい!」

「楽しいこと、ねえ。たとえばどんな?」

「えっ、うーん……」

 

 まさかそう返されると思わなかったのか、零は顔を少しだけしかめながら考え込んでしまった。

 うんうんと唸る事暫し……彼女は何か思いついたのか、ぱっと顔を上げる。

 しかしすぐさまその顔に悪戯を思いついたような子供のような嫌な笑みを浮かべるのを見て、紫はなんだか無性にこの場から離れたくなった。

 というか離れようと思い席を立とうとするが、天性の直観力を無駄に使用した零はそれを見抜き、彼女の手を掴み逃げられなくする。

 

「ちょうどよかった。こっちも訊きたい事があったのよ」

「…………なにかしら?」

「龍人とは、あれから何か進展あった?」

 

 にやにやしながら上記の問いを放つ零に、紫は内心ため息を吐き出した。

 嫌な予感は的中してしまったようだ、だが零1人ならばスキマを用いて逃げられると、紫は能力を開放しようとして。

 

「――久しぶりね零、紫」

 

 彼女達の前に、見知らぬ少女が現れ声を掛けられた。

 2人の視線が少女へと向けられる。

 短めに切り揃えられた金の髪、サファイアのような輝きを見せる瞳とその端正な顔立ちは人形を思わせる程に美しく同時に可愛らしい。

 右手で抱えるように持つ一冊の本が魔導書だと紫は気づき、目の前の少女が人間ではなく“魔法使い”である事を見抜いたが……この少女の正体まではわからなかった。

 ただ何処かで出会った事はある、はて誰だったかと記憶を思い返していると。

 

「……もしかして、アリス?」

 

 隣に居た零が、懐かしい名前を口にした。

 

「意外と忘れていないようで少し驚いたわ」

「本当にアリスなの? わーっ、懐かしいわね!!」

「ええ、零は……老けたわね」

「うぐぅっ!!」

 

 容赦のないアリスの一言を受け、精神的ダメージを受ける零。

 

「……人である事を、捨てたのねアリス」

「ええ、元々私は魔法使いになるつもりだったから」

「そう……まあいいわ、それより遊びに来るなら事前に連絡ぐらいしてくれればいいのに」

「お母様……神綺様が煩いのよ、まだ魔界を出るのは危ないって」

 

 少々うんざりした様子で説明するアリスに、紫と零は妙に納得してしまった。

 神綺は魔界に生きる全ての存在にその愛情を向けているが、捨て子であり人間であったアリスの事は人一倍その傾向が強かった。

 要するに彼女は超が付く親馬鹿なのである、しかもアリスの様子を見るにまったく改善されていない所か悪化しているというのがわかる。

 

「苦労してきたのね……」

「わかってくれる……?」

「…………」

 

 なんか共感し合っている、とはいえここから逃げ出すチャンスがやってきてくれた。

 アリスには悪いが先程の話題を蒸し返されたくない紫は、今度こそスキマを開こうとして。

 

「――巫女様、紫さん、こんにちは」

「久しぶりね、紫」

 

 図ったのかのようなタイミングで、慧音と妹紅が紫達の前に姿を現してしまった。

 彼女達の登場に、紫は完全にスキマを開くタイミングを逃してしまい逃走に失敗してしまう。

 初めて会った慧音達とアリスが挨拶を交わしているが、今の紫にはここから逃げる算段しか考えられない。

 ……致し方あるまい、少々強引に立ち去る他ないと彼女は勢いよく席を立ち上がった。

 

「申し訳ありませんわ。私これから用事が――」

「はーい、逃がすわけないでしょー?」

 

 速攻で逃げ出そうとする紫を、けれど零は逃がさない。

 それはもう爽やかでおもわず顔パンしたくなるような笑みを浮かべ、がっちりと紫の右腕を掴んで放さない。

 放せコラと威嚇するが、老いたとはいえ博麗の巫女であった零には通用せず、更に彼女は紫の逃げ道を塞いでいった。

 

「まだ話は終わってないでしょ? それで、龍人とは進展したのかしら?」

 

 わざとらしく周囲に響くような声でそう言い放つ零。

 結果、その話に興味を持ったのか他の3人の視線が紫へと向けられてしまう。

 これで逃げ道は無くなり、紫はそのまま座り直す事しかできなかった。

 

「むふふふ……」

「……あなた、碌な死に方しないわよ」

「はいはいそういうのいいから、それでどうなの?」

 

 何かを期待するような零の視線が、紫に突き刺さる。

 よく見ると、慧音達も同様の視線を向けており、紫と龍人の関係に興味津々といった様子であった。

 だがしかし、彼女達の期待に応えられるような事は起こってはいない。

 

「特に何も、今までと変わらないしこれからも変わらないでしょうね」

『…………うわあ』

「…………」

 

 凄まじく馬鹿にされている、4人の態度を見て瞬時に紫はそう理解した。

 

「いや、だってさ……もう七百年近く一緒に居るんでしょ?」

「私はとっくの昔に夫婦になっているものかとばかり思っていましたが……」

「奇遇ね慧音、私もよ」

「あまり会話をしなかった私ですら、あなた達が相当の絆で結ばれているとわかるのに……」

 

 口々に勝手な事を言う4人。

 もはや彼女達にからかいの気持ちは無く、本気で紫と龍人の関係を憐れんでいるのが意や絵もわかり。

 

「う――うるさいうるさいうるさーーーーーいっ!!」

 

 妖怪の賢者、ブチ切れました。

 けれどその様子は子供のようで、はっきり言って恐いどころか微笑ましく映った。

 

「そんなこと言われなくてもわかっているわよ!! 私だって……私だってねえ」

(あ、コレはアカンヤツや)

「第一、龍人の方にそういう気がないのだからしょうがないじゃない!!」

「つまり、少なくとも紫はそういう気があると?」

「当たり前でしょ!!」

 

 即答する紫。

 ……そう、紫としては彼と夫婦になるつもりはあるのだ。

 とはいえ強制するつもりはないし、そもそも先程彼女の言ったように龍人自身にそういった気持ちが存在していない。

 だから今の関係が変わらないのは仕方のない事だし、変えなくてもそれは……。

 

――今の関係が崩れるのが、恐いのでしょう?

 

「…………」

「ご、ごめんね紫。ちょっとからかい過ぎちゃった……?」

「いいのよ零、他の皆も気にしないで」

 

 確かにからかいも含まれているだろう、けれどそれ以上に零達は自分達が夫婦となり幸せになってほしいと願っている。

 それがわかるから、紫も本気で起こりはしない。

 

「龍人も龍人よ、紫の気持ちなんて何も考えてないんだから!」

「妹紅、そんな事を言ってはいけませんよ?」

「慧音だって、そう思ってるんじゃないの?」

「それは……」

 

 そう言われてしまうと、慧音としても何も言えなかった。

 

「ですが紫さん、きっと龍人さんなら紫さんの想いに応えてくれると……」

「そうね、でもそれは龍人の望んだものではないし、彼を縛り付けてしまう事に繋がってしまうわ」

「そんな事は……」

 

 そこまで言いかけ、慧音は口を閉ざす。

 他の3人も何も言わず、辺りがなんともいえない空気に包まれていく。

 場の空気を悪くしてしまった事にいたたまれなくなり、紫は4人に謝罪して立ち去ろうとして。

 

「――もう一度訊くけど、紫は龍人と夫婦になりたいの?」

 

 アリスの、そんな問いかけを耳に入れた。

 

「えっ?」

「紫は龍人が好きなのよね? そして可能なら夫婦になりたい、そう思っているの?」

「それは…………でも、龍人がそれを望まない」

「あくまで紫の考えでしょ。紫自身の気持ちはどうなの?」

「……………………好きよ」

 

 か細い声で、けれどはっきりとした口調で、紫は自らの想いを告白する。

 このままの関係でもいい、紫にとって彼は最初の友であり、家族であり、仲間だ。

 でも、できる事なら先の関係へ……互いに一歩近づく関係になりたい。

 

「成る程。――それで、あなたはどう答えるのかしら?」

「えっ……?」

 

 ――そこで、紫は漸く気がついた。

 この場に、自分達以外の存在が居る事に。

 しかもこの気配は、紫がよく知っている人物であり。

 

「あ、あ……」

「……ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだ」

 

 顔を上げると、そこには予想通り。

 ばつの悪そうな表情を浮かべた、龍人の姿があり。

 彼の表情で、紫は今の会話が完全に聞かれた事を理解して。

 

「い――――いやあああああああっ!!!!」

 

 羞恥と驚愕という激情を爆発させ、全速力でその場から逃げ出してしまった。

 顔は病気を疑うかのように赤く染まり、瞳からはあまりの衝撃で涙すら流れている。

 スキマを使わずに飛んで逃げている辺り、普段の彼女が持つ冷静さは完全に失われていた。

 そのまま逃げて逃げて逃げ続けて……気がつくと紫は、幻想郷から遠く離れた山中へと辿り着く。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 頭を抱え、よくわからない呻き声を上げながら悶え続ける紫。

 聞かれてしまった、よりにもよって他ならぬ龍人にだ。

 それだけでも充分過ぎるほどに恥ずかしくショックだというのに、それ以上にショックだったのは。

 

「…………迷惑そうだった、わね」

 

 そう、彼は自分の想いを聞いて困っていた。

 だがそれは当然だ、彼にとって自分の想いなど迷惑以外の何物でもない。

 彼は自由を好み、束縛を嫌い、万人を愛している。

 そんな彼に、個人からの想いなど向けられた所で迷惑になるのは至極当たり前の事だ。

 

「…………はっ」

 

 笑えてくる、なんだ今の自分の無様な姿は?

 大妖怪と呼ばれ、人妖問わずに尊敬と畏怖を向けられる自分が、意中の存在に想いが届かずに……悲しんでいる。

 なんて無様で浅ましい、情けなくて情けなくて……でも、この胸を穿つような悲しみは消えてくれない。

 

「紫」

「っ」

 

 背後から聞こえる龍人の声に、紫の全身は震え上がった。

 振り返れず、かといってこれ以上逃げる事もできず、紫はその場から動けない。

 

「……さっきの話、詳しい内容はみんなから聞いた」

「…………」

「それで、その……夫婦って話だけど、本気……なのか?」

「…………」

 

 紫は答えない、否定も肯定もせず龍人に背を向けたまま小さな子供のように震えている。

 普段の彼女からは想像もできないその弱々しい姿に龍人は驚き、同時にそうさせている自分自身に怒りが湧いた。

 

「ごめん、俺……何も知らなかった。紫が俺の事をそんな風に考えてくれてるなんて……思いもしなかった」

「……いいのよ、だって貴方は私の事を友であり家族として接していたのだもの。気づかないのは当然なんだから」

「だけど、俺はお前を傷つけた。いつだって俺を支えてくれて、守ってくれたお前を守りたいって思っているのに……」

 

 それが、龍人には許せなかった。

 

 けれど紫にはそれで充分だったのだ、共に居られる事に変わりはなかったのだから。

 だが欲というものには際限がない、恵まれた場所に居るからこそ更なる欲が湧き上がってくる。

 友では満足できない、もっと自分を“女”として見てほしい。

 そんな浅ましい願いばかりが紫の大きくなっていき、けれどそれを律する事ができなくなっていった。

 今日の4人に対する態度だってそうだ、あんなからかいなど軽く受け流してしまえばいいのに、それができなかった。

 

「大丈夫よ龍人、私は貴方の傍に居られればそれで充分なの」

 

 嘘だ、もう偽る事なんてできない。

 少しずつ紫の中で育ってきた龍人へと想いは、決壊寸前だった。

 地底に赴いた際も、先程のようにからかわれ、受け流す事ができずに醜態を晒してしまった。

 その時からもう、この想いを抑える事ができなくなっていたのかもしれない。

 

「俺、お前が一番好きだ」

「ありがとう龍人、でも私は我儘だから貴方が想っている以上の“好き”が欲しいと思ってる……」

 

 無理矢理笑顔を作り、紫は龍人との会話を終わらせようとする。

 これ以上は、自分が何を言い出すのかわからなくなるから。

 進まなければいけない道がある、それはとても険しく大変な道なのだから、余計な問題を抱えたくない。

 こうして彼女は自分を偽り続けていく、それが正しいと言い聞かせ、彼への想いから背を向けようとする。

 

――けれど。

 

――彼女が彼を想う気持ちと同じくらいに。

 

――彼もまた、彼女を強く想っているのだ。

 

「紫」

「えっ――」

 

 何が起きたのか、一瞬紫は理解できなかった。

 けれど、全身から伝わる龍人の温もりを感じ取って。

 自分が今、彼によって抱きしめられている事に、気がついた。

 

「龍、人……?」

「いきなり抱きしめたのは謝る、でも嫌じゃないのなら……このままで居させてくれ」

 

 すぐ傍で聴こえる彼の声は、いつもと違い少し儚げで。

 でもとても優しくて、紫は力を抜いて彼に身を委ねた。

 

「俺、お前が一番好きだ。でもそれはお前が一番の親友だからじゃない。

 ……前にな、ヘカーティアに地獄で暮らそうって言われたんだ。随分と気に入られたみたいでさ」

「い、いつの話なのそれは?」

「地底の騒動の時だ。でも俺には歩む道があったから断わった、でもそれ以上に……紫と離れるのが嫌だと思ったんだ」

 

 そしてヘカーティアに紫に向けている愛情を指摘され、改めて彼女を見て……龍人は自らの想いを自覚した。

 でも、自覚してからも彼は紫に対する態度を変えたりはしなかった。

 友として、家族として、同じ道を歩む仲間として接しようと心に決めた。

 だがそれは、決して自らが決めた道を歩む事だけを考える為ではない。

 

「……俺がお前に好きだと言って、お前に拒否されるのが嫌だった。今の関係が変わるのが……恐かった」

 

 だから変えなかった、今まで通りの関係を維持しようと思った。

 そうすれば少なくとも今よりも関係が悪化する事はない、彼女が自分の傍から居なくなる事はないと思ったのだ。

 ……情けない話だ、その結果が彼女の心を傷つけてしまうという龍人が一番望まぬ展開へと繋がってしまったのだから。

 

「ごめん、でもまだもし間に合うのなら……俺の想いを、受け取ってほしい」

「…………」

 

 まったく予期していなかった彼の言葉に、紫は何も言えなくなった。

 彼が自分に振り向くなどありえない、そう思っていた彼からの想いは、紫の思考を白く塗り潰す。

 身体は震え、自然と瞳には涙が溜まり、けれど内側からは言い表せない程の嬉しさと彼に対する愛しさが込み上げていく。

 

「私、私、は……」

 

 必死に声を出そうとするが、上手く言葉が出てこない。

 彼の想いに応えようとしているのに、声が出てくれなかった。

 だから、紫は言葉ではなく行動で示す事にした。

 

「……紫」

「…………」

 

 龍人の背中に手を回し、無言のまま紫は彼を強く抱きしめ返した。

 ……それで充分だった。

 ただそれだけで、龍人は紫の自分に対する強い愛情を感じ取る事ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あーらら、やっぱりこうなっちゃったか」

 

 あの世に存在する地獄の一角にて、2人の会話と姿を眺めながらヘカーティア・ラピスラズリは肩を竦める。

 そんな彼女に、地獄の妖精であるクラウンピースは主人に向けるものとは思えない程に冷たい視線を向けながら口を開く。

 

「覗きなんて良い趣味ですね御主人様、アタイドン引きしちゃいました」

「あらやだクラッピーちゃんったら辛辣!!」

 

 大袈裟にアクションをして悲しいアピールをするヘカーティアだが、クラウンピースには当然通用しない。

 そればかりかこんな茶番を見せる主に対し、ますますその視線に冷たさを加えていった。

 

「あーあ、これじゃあますます龍人を手元に置いておけないわねえ」

「えっ、アレ本気だったんですか?」

「当たり前じゃない。――数少ない龍人族の生き残りでしかも男よ? それも強い意志を持った子なんて、手元に置いて可愛がりたいと思うでしょ?」

 

 ふふふと笑みを浮かべるヘカーティアを見て、クラウンピースはぶるりと身体を震わせつつ龍人に対し同情を送った。

 普段は気の良いお姉さんといった感じなのに、ふとした拍子で地獄の女神としての不気味さを出すのだから心臓に悪い。

 

「まあ、でも……いずれは死んじゃうのだし、その時に魂ごとこっちに持ってくればいいんだけどねん」

「とても死ぬようなヤツじゃないと思いますけどね、アタイから見てもあの生存本能は異常ですよ?」

「クラッピーちゃん、龍人族が長生きできない種族なのは知ってるでしょ? いくら“加護”があるからって龍人が異常なだけ」

「…………」

 

 再び、クラウンピースの身体が震えた。

 彼に執着を見せているというのに、その命を救わないばかりか早く絶えるように願っているヘカーティアは、やはり地獄の女神というべきか。

 

「でも……やっぱりすぐにでも地獄に連れて行きたいわー。映姫ちゃんに頼んで魂を刈り取ってもらいましょうか?」

「好きにしてください……」

 

 おおやだやだ、これ以上この偏愛女神の言葉は聞きたくないとクラウンピースはその場から逃げるように立ち去った。

 そんな彼女の後ろ姿を苦笑混じりに見つめてから、ヘカーティアは再び抱きしめ合っている2人の映像へと視線を向けてから。

 

「……そろそろ“兆候”は現れるとは思うけど、気を落としたらダメよん?」

 

 こちらの声が届かない龍人に向かって、ヘカーティアはそう呟いた。

 口元に、うっすらと笑みを浮かべながら……。

 

 

 

 

To.Be.Continued... 



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第108話 ~仲間を求めて~

 人間が寄らぬ山の中を、龍人は駆け抜けていく。

 現在彼は聖白蓮と共にこの山中に群れを形成している人狼族達に会う為に、幻想郷を離れていた。

 

「龍人さん、この辺りですか?」

「ああ、人狼族には知り合いが居るし、きっと力を貸してくれるさ」

「……ナズーリンと星の居場所が、判ればいいのですが」

 

 魔界での封印が解かれ、現在は幻想郷の一員となった白蓮と彼女を慕う妖怪達であったが……彼女達とは違い封印を免れた仲間である、寅丸星とナズーリンの行方はいまだにわからないままだ。

 2人を見つける為に白蓮達は時間を見つけては幻想郷を離れ、彼女達の行方を捜しているのだがいまだ見つける事ができず、途方に暮れる始末。

 どうしたものかと考える中……龍人は人狼族に力を借りる事を提案した。

 

 星とナズーリンはそれぞれ虎と鼠の妖怪だ、故に人型になったとしても獣としての匂いをその身体に残している。

 無論それは人間や普通の妖怪では感知できない匂いではあるが、優れた嗅覚を持つ人狼族ならばそれを嗅ぎ取る事ができる筈だ。

 そう考えた龍人は、白蓮と共に捜している2人の私物を持って人狼族の群れへと目指していた。

 

「白蓮達がこれだけ捜しても居ないとなると、極力妖力を抑えて生きていると考えるのが自然だな」

「ええ、だとすると龍人さんが提案した2人の妖獣としての匂いを辿った方が確実だとは思いますが……果たして、協力してくれるでしょうか?」

 

 人狼族の事は、白蓮もよく知っている。

 元の狼としての誇り高い一面はあるものの、粗暴で乱暴なものが多い種族だ。

 しかし群れとしての結束は強く、天狗に次いで組織としての位は高い。

 そんな者達の協力をはたして得る事などできるのか、龍人は知り合いが居ると言っているが……正直、白蓮には不安の方が大きかった。

 

「止まれ!!」

「っ」

 

 怒声が響き、2人はその場で立ち止まる。

 瞬間、刃のような鋭利さを含んだ爪が、2人の身体を切り裂こうと繰り出され。

 呆気なく、龍人が繰り出した手刀の一振りで粉砕されてしまった。

 

「なっ!?」

 

 奇襲を容易く防がれた事に、爪を砕かれた人狼族の若者2人は驚愕する。

 その隙を逃さず、龍人は追撃を仕掛けようとして……既の所で動きを止め、上の岩山へと視線を送りながら口を開いた。

 

「随分な歓迎だな、士狼!」

「そう言うな。縄張りに入ってきた者を警戒しないわけにはいかないんでな」

 

 龍人達を見下ろしながらそう言い返す人狼族の青年、今泉士狼は言葉とは裏腹に龍人達に対して歓迎の意を込めた笑みを浮かべていた。

 無論、龍人としても今の奇襲には人狼族としての正当な理由があるとわかっていたので、遺恨などは残さずすぐさま士狼に対し友に向ける笑みを返した。

 

「久しぶりだな」

「ああ。お前はまた成長したようだが……わざわざこの群れに来るとは、何かあったのか?」

「少し頼みたい事ができたんだ」

 

 龍人がそう言うと、士狼は表情を変え「立ち話もなんだ」と、龍人達を自らの住処へと案内する。

 頑強な岩山を刳り貫いて作られた洞窟の中が人狼族の住処であり、龍人と白蓮は周囲を他の人狼族に囲まれながら、士狼に真正面から話し合う事に。

 少々居心地が悪いものの、龍人は早速ここへとやってきた目的を士狼へと話した。

 

 ■

 

「――我等に、犬の真似事をしろというのか!?」

 

 こちらの目的を話し終わった瞬間、場に怒声が響き渡った。

 その声を放ったのは士狼……ではなく、龍人達を囲むように立っていた人狼族の若者の1人からであった。しかし彼と同じ考えなのか、全員ではないが他の者も不満と怒りの表情を露わにしている。

 

「侮辱するつもりは毛頭ない、俺は人狼族の優れた嗅覚と感知能力を信じた故での頼み事をしているだけだ」

「ふざけるなよ半妖、何故我等が貴様のような半妖と元人間の頼みを聴かねばならんのだ!?」

 

「――気持ちは判るが落ち着け」

 

 今にも龍人達へと飛び掛からんとする若者を止めたのは、士狼の一言であった。

 妖力を乗せた“言霊”による一言は強力なもので、激昂していた若者だけでなくこの場に居る全ての人狼族の動きを止めてしまった。

 

「お前達の頼みとやらは理解した。しかしこちらにはそれに協力する利点がない」

「もちろん、こちらもできる限りの御礼はさせていただくつもりです……」

「協力してくれないか士狼、白蓮も言ったけどできる限りの礼はするから」

「ふむ……」

 

 龍人と白蓮の言葉に、士狼は目を閉じ思案に暮れる。

 彼としては、友である龍人の頼みならばと思っているのだが……この群れを率いている長の立場を考えると、そうはいかない。

 かといって無碍にもできず、さてどうするかと暫し考え。

 

「ならば、こちらの頼みも聞き入れてはくれないか?」

 

 ある“問題”を、解決してもらおうと思いついた。

 士狼が言った願いとは何なのか、首を傾げながら龍人は問う。

 すると士狼は、幻想郷に人狼族の群れを受け入れて欲しいと言い出してきた。

 正確にはここではなく……別の所からこの群れを頼ってきた者達を受け入れて欲しいという内容であった。

 

「どういう事なんだ?」

「……人狼族も随分と数を減らし、人間達によって土地を追われる者達も現れ始めた。

 それに他の妖怪との小競り合いもあってな、群れとして成り立たなくなった者達がこの群れに来るようになってしまったんだ」

 

 その結果、この群れの人狼族の数が増え続けてしまったらしく、困っていたらしい。

 かといってこの土地を離れ新たな土地を探すという事も、人間が増え続けてきた今では難しいのでどうしようかと思っていたとの事。

 なので、人と妖怪が共に暮らす幻想郷に人狼族が暮らせる場所を提供してくれるというのならば、協力すると士狼は言った。

 

 それを聞いて、白蓮の表情に陰りが差した。

 相手の事を考えれば受け入れてあげたいとは思うが、これば白蓮が勝手に決めていい内容ではない。

 それにだ、多くの人狼族を受け入れた結果……幻想郷になんらかの影響を及ぼしてしまうのではないかという懸念が生じた。

 自分達だけで受け入れるのならばともかく、幻想郷の管理者ではない自分が勝手に決める事はできない。

 

「ああ、いいぞ。そっちの頼みは引き受けてやる」

「感謝する。人間達が安心できるように離れた場所で構わない、無論環境面でも文句は言わん」

「えっ!?」

 

 あっさりと、これでもかと言わんばかりの快諾に、白蓮は目を丸くする。

 話を聞く限りではこの場に居る数十の人狼族だけではあるまい、だというのに決して広大とは言えない幻想郷の土地に受け入れきれるとは思えなかった。

 

「別にここみたいな岩山じゃなくてもいいんだろ?」

「ああ、群れの中には平原で暮らしている者達も居るからな」

「なら問題ない、それじゃあ早速頼めるか?」

 

 言いながら、龍人は白蓮にあるものを取り出すように言った。

 それを聞いて白蓮は懐から捜している2人の、ナズーリンと星が昔着用していた衣服を取り出し士狼に手渡した。

 既に数百年という月日が流れており、普通の人間はおろか妖怪であっても着用していた本人の匂いを嗅ぎ取る事はできないだろう。

 

「……数日待て。判り次第使いの者をそっちに寄越す」

「頼むな。けどあんまり無理するなよ?」

「わかっているさ。お互いに他者を背負う立場だからな」

 

 そう言って士狼が笑うと、龍人も同じように笑みを浮かべる。

 かつては敵同士、それも命の奪い合いをした両者であるが、それも昔の話。

 今ではこのように良き友として話せる、それが龍人には嬉しかった。

 

 ■

 

「――おかえりなさい、あ・な・た。

 ごはんにする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?」

「………………」

 

 なんだコレ? 八雲屋敷へと戻ってきた龍人は、心の中でこう思った。

 玄関を開けた瞬間に、紫が割烹着姿で龍人を出迎えたと思ったら上記の言葉を妙なポーズをしながら言い放ってきたのだ。

 これには龍人も何事かと固まる事しかできず、一方の紫はというと。

 

「……無視されたぁ、頑張ったのにぃ……」

 

 何故か、さめざめと泣きながら廊下の隅っこでいじけ始めてしまった。

 なんだかよくわからないが、彼女を傷つけてしまったらしいと思った龍人は、少し困り顔を浮かべながら紫に声を掛けようとして。

 

「龍人様、おかえりなさいませ」

 

 龍人と紫の間に割って入ってきた藍によって、彼は開きかけていた口を閉じてしまった。

 その隙にと、藍は素早く龍人の右手を少々強引に、けれど壊れ物を扱うかのように優しく握り、彼を居間へと連れて行こうと歩き出してしまう。

 

「あの、藍?」

「外は寒かったでしょう? お疲れ様でございました、すぐに温かいものをご用意しますので」

「いや、紫が……」

「紫様は現在いじけるので忙しいようですので、代わりに私めが龍人様に愛情を込めたご奉仕を――」

 

「待てや、この駄狐!!」

 

 ピシッという音が響き、屋敷の壁という壁にヒビが入った。

 紫が怒りの感情のままに妖力を開放した結果であり、空気がビリビリと震えている。

 右手で拳を作り、鬼すら裸足で逃げ出しそうな程の凄まじい形相を浮かべた紫が、自らの式に金の瞳を向け「龍人を渡しなさい」と告げていた。

 なんと恐ろしいものか、自らの主の恐ろしさを再認識して震える藍であったが、ほんの少しの悪戯心が彼女に愚行を犯させる。

 

「龍人様」

「なに…………してるんだ?」

「……むふ~」

 

 まるで借りてきた猫のように、龍人の身体に自分の身体を摺り寄せる藍。

 その行為は彼にマーキングを施しているように見え、事実彼女はそれを行なっていた。

 だがまあ、そんな事を眼前でやられた紫はただでさえ穏やかでなかった心中を無闇に刺激されてしまい。

 

「ぬがーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 その日、八雲屋敷は半壊した。

 

 ■

 

「――って事が数日前にあったんだけど、どう思う?」

「…………あなたも大変ね」

 

 数日後。

 龍人は日課である里の手伝いや見回りを終え、里の外れに停泊している星輦船へと赴いていた。

 そこで雲山と共に暇を持て余している様子の一輪と出会い、八雲屋敷の事を話すと微妙な表情を返されてしまう。

 

 当たり前である、一輪からすればそんな痴話喧嘩のような話を聞かされてもなんと答えていいのか困ってしまう。

 とりあえず巻き込まれたであろう彼に上記の言葉を送ったのだが、当の本人は大変だとはちっとも思っていない様子であった。

 

「藍もなんであんな事したんだろうな?」

「それはまあ、あなたを敬愛しているからじゃないの?」

「けど、あんな事したら紫が怒るって藍なら充分判ってる筈なんだけどな。紫って意外と独占欲が強いって最近わかってきたから」

 

 などと言いながらも、それを嬉しそうに語る龍人に一輪と雲山は僅かに顔を顰めた。

 惚けである、おもわず舌打ちを放つと同時に雲山の拳を叩き込んでやりたいと思うほどの惚けである。

 紫の態度は前から判りやすかったが、最近では龍人の紫に対する態度も存外に判りやすくなってきた。

 ……それが一輪には、心底気に入らなかった。

 

「ところで一輪、白蓮と水蜜は?」

「……聖様は里の者達に説法を説いている所よ、水蜜はその付き添い」

「一輪は行かなかったのか?」

「星輦船が無人になるのは避けたいのよ、動かす事はできないでしょうけど何かされたら困るから」

「それもそうか。でも白蓮達が幻想郷に馴染んでくれて良かったよ」

 

 ナズーリンと星を捜す為に、よく星輦船ごと幻想郷から離れる事の多い白蓮達だが、今ではすっかりここに慣れてくれた事に龍人は安堵する。

 それに幻想郷の“守護者”としてきっとここの者達を守ってくれる筈だ、それを思うと安堵するのは当然であった。

 少しずつではあるけれど、確実に幻想郷は良き場所へと成長してくれていると思う。

 きっとこれからもここを守ってくれる頼もしい者達が現れてくれるだろうし、紫だって居る。

 

「…………」

 

 ふと、龍人はある事を考える。

 ここが胸を張って“人と妖怪が暮らせる楽園”になってくれたら。

 

――俺ははたして、ここに居てもいいのだろうか?

 

 そんな考える必要のない事を、考えてしまった。

 脳裏に浮かんだその考えに自嘲しながらも、決して頭からは消えてくれない。

 

「龍人、どうしたの?」

「…………いや」

 

 一輪の声で我に帰り、龍人は立ち上がる。

 ここから離れる為……ではない。

 

「士狼の使いか? 姿を現しても大丈夫だぞ」

「えっ」

 

 近くの茂みが僅かに揺れ、1つの影が飛び出し龍人達の前に着地する。

 現れたのは人狼族の少女、しかも龍人は前に会っている少女であった。

 

「確か、今泉影狼だったか?」

「は、はい……あの節は、ご迷惑をお掛けしました……」

 

 頭を下げ謝罪する影狼に龍人は首を傾げ怪訝な表情を浮かべる。

 彼女に謝られる事などない筈だ、そう思ったがそういえば初対面では随分と警戒されていた事を思い出す。だがあの時は仕方がなかったし彼女に非は無い、なので龍人は影狼に「気にするな」と告げ本題を切り出した。

 

「それより影狼、お前が来たって事は……」

「はい。――匂いの持ち主が見つかりました」

「っ、それは本当なの!?」

 

 目を見開き、勢いよく立ち上がる一輪。

 それを宥めながら、龍人は影狼に問いかけを放つ。

 

「その子達は、今何処にいるんだ?」

「詳細は士狼様が話すと、それでなんですけど……また来ていただけますか?」

「わかった、ちょっと待っててくれるか? 一輪、白蓮達にこの事を伝えてくれ」

「ええ、勿論」

 

 言うやいなや、すぐさまその場から嵐のように駆け抜けていく一輪と雲山。

 仲間が見つかったと聞いたのだから致し方ないとはいえ、里の者達と追突しないか少し心配になった。

 そんな心配をしつつ、龍人はその場で紫を呼んだ。

 

「…………はーい、なにかしらー?」

 

 秒を待たずにスキマが開き、中から紫が現れた、が。

 何故か彼女は不機嫌さを隠す事無く頬を膨らませ、半目で睨むように龍人に視線を送っていた。

 

「お前、まだ不機嫌だったのか……」

「べっつにー、龍人が藍と仲睦まじい事なんてとっくの昔に忘れましたよーだ」

 

 忘れてねえじゃねえか、そんな言葉が喉元まで出掛かったが、余計な事態を招くだけなので龍人は慌ててそれを呑み込んだ。

 

「進展があった。これから士狼達の所に行ってくる」

「……白蓮達と?」

「ああ、それはそうだろ」

 

 そもそもこの問題は、白蓮達が中心になっている。

 だが彼女達だけで人狼族の元に行けば、色々と余計な事態を引き起こしかねないので、緩衝材として龍人が同行する事は前に紫には話している筈だ。

 それを指摘すると、紫は「判ってる」とこれまたぶっきらぼうな態度で返答を返してきた。

 これである、「八雲屋敷半壊事件」の後も紫はこのように機嫌が悪く、果ては輝夜や慧音辺りに「倦怠期?」と言われる始末。

 その倦怠期とやらが何なのか龍人にはわからなかったが、とにかく心配されている事は確かだろう。

 

「紫、何かお前の気に障る事をしたのなら謝る。だからもう機嫌直してくれ」

 

 龍人としても、機嫌が悪いままの紫と一緒に入るのは楽しくないし……悲しい。

 だから仲直りがしたい、そんな心中を込めて龍人がそう言うと、紫はばつが悪そうな表情を浮かべ視線を逸らす。

 

 別に紫は龍人に対して怒っているわけではない、いや本音を言えば鈍い彼に少しだけ怒っているが。

 機嫌が悪いのは、龍人に自分以外の女性が傍にいるという事実が気に入らないだけ、ただそれだけなのだ。

 ただそれだけと彼女自身も自覚しているのだが、どうにも感情のコントロールがいまいちできていないようで。

 ああ情けなや、大妖怪としての自分のあまりに幼稚な行動を顧みて、紫はちょっぴり泣きたくなった。

 

「俺、お前に嫌われるのは……凄く、辛い」

「…………」

 

 その言葉が、紫の心に深々と突き刺さった。

 それと同時にどうしようもない愛しさが込み上げて、自制が効かなくなり紫は龍人の身体をおもいっきり抱きしめる。

 傍で影狼が見ているが、そんな事はどうでもよかった。

 

「ああ、もう、貴方って本当に……もーーーーーーっ!!」

「……紫、どうした?」

 

 いきなり抱きしめられ、よくわからない事を言う紫に困惑する龍人であったが。

 彼女の機嫌が直ったと解釈すると、黙って彼女の温もりを感じようと目を閉じた。

 

 

 

 

「……あの、出発しないの?」

 

 躊躇いがちにそう言った影狼の言葉は、当然ながら無視されてしまった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...

 



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第110話 ~北の大地へ~

白蓮達のかつての仲間、寅丸星とナズーリンの行方を捜す龍人達。
人狼族にも力を借り、遂にその居場所を発見する事ができたのだが……。


 星輦船が、空を駆け抜ける。

 

 目指すは北の大地、目的は当然行方を捜していたナズーリンと星を迎えに行く為だ。

 星輦船には白蓮に水蜜、一輪に雲山、そして龍人に付き添いとして、士狼が搭乗していた。

 

「うひーーっ、寒いーーーーーっ!!」

 

 身体を擦りながら、水蜜が叫ぶ。

 北の大地は幻想郷と比べてもかなりの寒冷地だ、水蜜が寒がるのは無理もない……が、それは季節が冬ならばの話だ。

 今の季節はもうすぐ夏、如何に北の大地とて寒がるほどの気温にはならない。

 しかし肌で感じる温度は確かに「寒い」と思える程であり、今の季節を考えれば異常なものだ。

 

「……雪が、降ってきましたね」

 

 白蓮が呟きを零しつつ、空を見上げるとちらほらと空から雪が降ってきていた。

 それを見て水蜜が余計に寒いと騒がしくなり、一輪がため息をつきながら雲山と一緒に彼女を船の内部へと連れて行った。

 

「成る程、士狼の言う通りこの辺りの土地の天気は異常なものになってるな」

「……士狼さん、本当にこの地に星とナズーリンがいらっしゃるのですか?」

「ああ。……急いだ方がいいのかもしれんな」

 

 そうですねと士狼の言葉に同意しながら、白蓮は少しだけ星輦船の速度を上げる。

 龍人も念の為にいつでも動けるように意識を集中させながら、数日前の事を思い返した。

 

――幻想郷よりも遥か北の大地にて、寅丸星とナズーリンの二名が見つかった。

 

 各地に存在する人狼族のネットワークを駆使し、それが判明した事をすぐさま士狼から聞かされた龍人達は、当然すぐにその地へと赴こうとした。

 しかしその地は現在、異常な気象に晒されているという情報も入ってきていた。

 夏の季節だというのに、その地は吹雪が吹き荒れ全てを凍り付かせんとしているらしい。

 

「この地の土地神が、暴走でもしているのでしょうか?」

「いや、向こうの情報によると冬の妖怪が暴れ回っているらしい」

「冬の妖怪……雪女とか?」

「さてな、とにかく合流してから詳しい話を聞けばいいさ」

 

 そう告げる士狼に頷きを返す龍人と白蓮。

 星とナズーリンを迎えに来たのは勿論だが、解決するまでは幻想郷に戻る事はできないだろう。

 因みに今回同行する事を紫と藍に話したら、それはもう烈火の如く怒られ反対された。

 

 幻想郷の賢者の1人なのだから安易な行動は慎め云々、龍人様がそこまでする必要などありません云々。いつの間にか賢者扱いされていた事に対する件で言ってやりたい気もしたが、やはり放ってはおけないという結論に達し半ば強引に幻想郷を離れてきた。

 

「龍人さん、元々は私達の問題ですのによろしかったのですか?」

「紫も藍も判ってくれているさ、会えなくて寂しいからあんなに怒ったんだと思う」

「ほう、随分と自信過剰な事を言うのだな」

「俺も同じ気持ちだからな」

 

 そう言って、小さくため息をつく龍人を見て、白蓮も士狼も何も言えなくなった。

 龍人と紫は既に夫婦に等しい関係となっている、だというのに離れ離れではお互い寂しいのだろう。

 けれど龍人はそれを押し殺しての力になろうとしてくれている、それが白蓮には嬉しく同時に申し訳なく思った。

 

「とにかくまずは星とナズーリンの所に行こう、それから異常気象をなんとかする。それでいいか?」

「はい、勿論です」

「ところで士狼、ここまで協力してくれる必要はなかったぞ?」

「この地にも同族達が暮らしているんだ、それを見過ごす事などできないさ」

 

 だから、別にお前達の協力をしているだけではないと士狼は言った。

 けれどそれは間違いだ、いや全てではないが彼は友である龍人の手助けをしようとしてくれている。

 とはいえそれを言葉にしても彼は決して認めないだろう、だから龍人も白蓮も何も言わず彼に対して笑みを浮かべ、2人の心中を察した士狼は少しだけばつが悪そうに視線を逸らした。

 

「ん……?」

 

 空から降る雪が、だんだんと強くなっていく。

 龍人達がそれを認識した瞬間、天候が一気に変化した。

 

「うっ……!?」

「きゃっ!?」

「な、ん……!?」

 

 突如として吹き荒れる吹雪。

 星輦船が激しく揺れ動き、あまりの猛吹雪に呼吸すらまともにできない。

 たった今まで雪が降っていただけだというのに、この状況は明らかな異常事態であった。

 

「な、何これ!?」

「聖様、龍人、大丈夫ですか!?」

 

 外の異常を察知した一輪達が、船内から飛び出してくる。

 と、吹雪の中に巨大な黒い影が見えたと思った瞬間、船体が今まで以上に揺れ動いた。

 

「何か当たったのか!?」

「防御魔法を展開します!!」

 

 懐から虹色の輝きを放つ巻物を取り出し空中に翳すように解き放つ白蓮。

 この巻物は魔人経巻(まじんきょうかん)と呼ばれる彼女のみが扱える特殊な巻物であり、展開すると同時に巻物に記された魔法を即時発動する事のできる魔具である。

 魔人経巻に記された魔法の1つが発動し、星輦船全体が薄い虹色の膜のようなもので包まれた。

 防御魔法が展開された恩恵により、ままならなかった呼吸を再開しつつ龍人達は前方へと視線を向ける。

 

 先程から見える黒い影の正体は、巨大な氷塊であった。

 氷塊だけではない、雪に包まれた岩や氷柱なども飛んできている。

 白蓮が即座に防御魔法を発動しなければ、如何な星輦船とはいえ風穴が空いていたかもしれない、彼女の迅速な行動に龍人達は感謝した。

 

「っていうか、いきなりなんでこんな事になったのかな?」

「確かに、さっきまで雪が降っていただけなのに……」

 

 まるでここから先へは進ませないとばかりの荒れ模様だ、否、この状況には明らかな人為的要因が関係しているのは間違いないだろう。

 思考を巡らせる龍人達であったが、この嵐のように荒れ狂う猛吹雪はそれを許さなかった。

 

「げっ!?」

 

 真上を見上げ、水蜜が叫ぶ。

 他の者も同じように顔を上げ、星輦船へと目掛けて押し寄せてきている氷塊を見て表情を凍らせた。

 今まで飛んできたのも大人数人以上はあるであろう大きさであったが、今まさにぶつかりそうになっている氷塊はまるで小さな山だ。

 白蓮の防御魔法があったとしても、直撃すれば墜落する可能性は充分に考えられる。

 

「イッチー、雲山で壊せないの!?」

「いくらなんでも無理よ、大き過ぎる!!」

「……白蓮、念のため防御魔法を最大にしておいてくれ」

 

 そう言いながら、龍人は全員を下がらせつつ一歩前に出て、視線を氷塊へと向ける。

 

「――炎龍気、昇華!!」

 

 生成される炎の双剣を握り締め、刀身に更なる龍気を込めていく龍人。

 揺らめく炎は激しさを増し、臨界に達すると同時に迫る氷塊に向けて殴りつけるように振り放った。

 

「炎龍天牙!!」

 

 吹き荒れる吹雪を消し飛ばしながら、炎の刀身が氷塊とぶつかり合う。

 灼熱の剣が見事氷塊へと食い込んでいくが、それでも勢いは止まらず斬り裂く事は叶わない。

 どうやらあの氷塊には“細工”が施されているようだ、舌打ちをしつつ龍人は炎の剣を消し両手に高密度の龍気を圧縮していった。

 

 単純な熱では斬れない、ならばこちらも必殺の一撃で迎え撃つ。

 龍人の両手が黄金の輝きに包まれ、氷塊が星輦船と衝突せんとした瞬間。

 

神龍爪撃(ドラゴンクロー)!!」

 

 龍の牙が、目標へと突き刺さり。

 その力を一気に爆発させた、山のような大きさを誇る氷塊を文字通り粉々に打ち砕いてしまった。

 爆音を響かせながら落ちていく氷塊の残骸達、そのどれもが星輦船から逸れて落ちていく。

 

「……ふう、なんとか砕けたな」

 

 全員を守れた事に安堵し、龍人はほっと息を吐いた。

 一方、白蓮達は龍人の力を見て驚愕の表情を浮かべていた。

 

「うへー……龍人、また強くなってるんじゃない?」

「……差は開く一方だな、全く」

「…………」

「聖様、どうかなさいましたか?」

「いいえ、なんでもありません」

 

 確かに強い、強すぎる。

 これが今や伝説となった龍人族の力か、しかもこれでまだ全力ではないのだ。

 だが、その強すぎる力を見て白蓮はある懸念を抱く。

 力に溺れる事はないだろう、彼の人となりを見ればそれは信じられるが……不安に思ったのは、それとは別の事だ。

 けれど今は深くは考えまいと、白蓮は頭を軽く振ってその懸念を振り払った。

 

 ■

 

 脅威は消えたものの、吹雪は止まず防御魔法を展開したまま移動を続ける星輦船。

 やがて龍人達の視界にとある村落が見え、その近くに星輦船を降ろすと。

 

「――お待ちしておりました士狼様、そして士狼様の友人方」

 

 数人の若い人狼族が、龍人達を出迎えてくれた。

 簡単な挨拶を交わした後、村落の中でも一番大きな建物へと案内される。

 そこは村落の住人達の避難場所であり、中に入ると優しげな微笑みを浮かべる老婆が龍人達の視界に入ってきた。

 

「このような辺境の地へようこそいらっしゃいました」

「あなたは?」

「わたしはこの村の長を務めさせております、キヨと申します」

 

 温和な笑みを浮かべ、龍人達を歓迎してくれるキヨ。

 見ると他の村落の住人達も、龍人達に対して友好的な反応を見せてくれている。

 その反応にも驚いたが、何よりも……当たり前のように人間と妖怪が同じ空間に居る事も驚きであった。

 

「ここは辺境の地、厳しい環境ですから人間や妖怪など関係なく助け合わなければ生きてはいけないのです」

 

 まるで心を読んだかのようなキヨの言葉に、どきりとする。

 彼女の言葉は事実なのだろう、現に周りの者達は同意するかのように頷きを見せていた。

 ……ここは幻想郷と同じだ、規模は違えども他種族であっても互いを尊重しあって日々を生きている。

 

「ところで、聖白蓮さんはどちらの方ですか?」

「えっ、私ですが……何故、私の名を知っているのですか?」

「知っておりますとも、聖白蓮さんに村紗水蜜さん、雲居一輪さんに雲山さん……これらの方々の事は、“星ちゃん”と“ナズーちゃん”からよく聞いていますからね」

「えっ……」

 

 キヨの口から放たれたとある愛称を聞いた瞬間、白蓮達の表情が固まった。

 知っている、その愛称を持つ者が誰であるかを、彼女達はよく知っていた。

 

「――簡単な経緯は既に人狼族の方々から聞いております。

 寅丸星とナズーリン、あなた方が捜しておられている2人はこの村に居ますよ」

「い、今はどこに居るの!? ねえ、教えてよお婆ちゃん!!」

 

 掴み掛からんという勢いでキヨに迫る水蜜。

 その剣幕を前にしてもキヨは笑みを絶やさず、落ち着くようにと水蜜を諭しながら話を続けた。

 

「今は里の周囲を哨戒してもらっている所ですから、もうすぐこちらに戻ってきますよ」

「ホント!? じゃあ……あの2人に会えるんだ!!」

「でも、どうしてこの北の地にあの2人が?」

 

 ここは白蓮達がかつて暮らしていた寺があった場所とはあまりにかけ離れている、故に今まで彼女達の足取りを追えなかった。

 

「あれは今から二十数年前程だったかしら、ひどく衰弱した2人がこの村にやってきて……なんでも当てのない旅を続けているとか、その時に白蓮さん達の事情を聞きました。

 それから村の者で2人を保護したのですが、助けた恩に報いたいと自分達の事情もあるというのに村の為に尽力してくださって……」

「……きっと星ちゃんが言い出したんだろうね」

 

 彼女は妖怪なのに根っからの御人好しで、寺に居た頃もよく面倒事を背負い込んできたものである。

 そしてその度に彼女の従者であるナズーリンが気苦労を重ね、けれどなんだかんだ言いつつも主人である星の為に尽力するのだ。

 懐かしい記憶が、白蓮達の中で蘇っていく。

 それは幸福な記憶、そしていつかは戻りたいと思っている願いのカタチであり。

 

「――只今戻りました!」

「うー……さ、寒くて死にそうだ」

 

 聞き慣れた声、忘れる筈などない懐かしい声が、入口を開き中へと入ってきた者の口から放たれた。

 ゆっくりと、震える身体を抑えながら白蓮達が振り向くと……金と黒が入り混じった髪の長身の女性と、鼠の耳を持つ小柄な少女が白蓮達を見て驚愕の表情を浮かべていた。

 ……自然と、白蓮達の瞳に涙が溜まっていく。

 忘れもしない、望まぬ別れをした時と何も変わらない仲間の姿を見て、我慢などできるわけがなかった。

 

「……聖、なのですか?」

「それに村紗、一輪に雲山まで……」

「ええ、ええ……そうですよ星、ナズーリン」

 

 とうとう堪え切れず、白蓮の瞳から涙が零れ始めた。

 彼女だけではない、一輪はもちろん水蜜に至っては既に滝のような涙を流している。

 相手側――寅丸星とナズーリンもまた、会いたいと願っていた仲間達との再会に涙を流しそして。

 

「聖、みんな!!」

「星、ナズーリン!!」

 

 どちらからともなく駆け寄って、二度と放さぬとばかりに互いを抱きしめ合った。

 ひたすらにお互いの名を呼び合いながら、涙を流す白蓮達。

 

 会いたかった。

 会いたかった。

 

 もう一度再会を果たし、かつての日々を取り戻したかった。

 そして今、その願いは叶ったのだ。歓喜の涙を流すのは当たり前の事であった。

 

 その光景を、龍人達は優しく見守る。

 決して邪魔をしないように、けれどこの美しい姿を目に焼き付けるように。

 本当に良かったなと、心の中で最大限の祝福の言葉を送りながら、白蓮達を見守っていた。

 

 ■

 

「――そうですか。つまり聖達は龍人さん、あなたとあなたのお仲間の皆さんのおかげで救われたのですね」

「そんな大袈裟なものじゃないさ。頑張ったのは一輪達なんだからな」

 

 思う存分、再会を喜び合った白蓮達。

 その後、それを見守っていた龍人達と自己紹介を交わし、経緯を説明すると星は上記の言葉を口にしながら龍人に向けて深々と頭を下げた。

 

「そんな事より、本当に良かったな。自分の事のように嬉しいよ」

「……龍人さん」

「龍人さんには感謝してもしきれませんね」

「白蓮までやめろって、少しだけ力を貸せただけだ」

 

 これは謙遜でもなんでもない、事実である。

 魔界で白蓮の封印を解いたのは一輪達であるし、幻想郷に移住してからの彼女達は常に努力を続けてきた。それが実っただけであり、自分の協力などそれこそ微々たるものだと言う龍人の言葉に、白蓮達は苦笑する。

 

 その“微々たるもの”でどれほど自分達が助けられ、救われたのか、彼はよく理解していないらしい。

 だが彼がそれを認めることはないだろう、だから白蓮達はそれ以上何も言わずただ彼に対し心の中で感謝を続けた。

 

「星ちゃん、ナズーちゃん、本当によかったわねえ」

「キヨさん……キヨさんや村の皆さんにも何度も助けられました、ありがとうございます」

「ふふっ、いいのよお礼なんて、わたし達はお互いに助け合っただけなんだから。でも……これでお別れなのは、少し寂しいわね」

「…………」

 

 星の表情が僅かに曇る。

 ……最初から決めていた事だ、白蓮達と再会するまではこの村の者達の力になると決めていた。

 故にいつかは別れの時がやってくる、そんな事は判り切っていた事ではないか。

 

 そう己に言い聞かせる星であったが、彼女の表情は晴れない。

 そんな彼女に、キヨはあくまでも暖かな笑みを浮かべながら星の頭を優しく撫でた。

 

「今日は宴にしましょう、大切な人と再会できた事と星ちゃん達の新たな旅路を祝って」

「えっ、ですが備蓄に余裕は……」

「少し切り詰めれば大丈夫よ。それにこの地に暮らす者にとっては慣れたものだもの、それよりも今までこの村に尽くしてくれたあなた達にささやかなお礼がしたいの」

 

 キヨがそう言うと、周りの者達も同意するかのように頷きを見せていた。

 優しく暖かな言葉と心に、星は再び泣きそうになる。

 というよりも既に泣いてしまっており、そんな彼女に「あらあら」とキヨは優しく微笑むのであった。

 

「勿論、あなた達も参加してくださいね?」

「ああ、士狼もいいだろ?」

「それは構わんが……こちらは完全に部外者だぞ?」

「そんな事はありませんよ、人狼族はこの村の者にとって大切な盟友であり守護者であり、家族なのですから」

「……ならば、その厚意に甘えさせてもらおう」

 

 士狼の言葉に満足そうな頷きを見せ、キヨは周りの者に宴の準備をするように指示を出す。

 その命令を楽しそうに聞き入れた村の者達は、吹雪いているというのに外へと出ようとする。

 流石に危ないのではと龍人達が危惧するが、この地で暮らす者達にとって吹雪とは常に己と一緒に在るモノなのだ。

 拒絶せず、けれど受け入れず、付かず離れずといった心構えを持って対応するからこそ、厳しい環境の中で生きていける。

 

――だが、今回ばかりは“相手”が悪過ぎた。

 

「うわああああっ!?」

『っ!?』

 

 突然の悲鳴と、扉を開けた瞬間に吹雪が室内を蹂躙していく。

 目も開けられず、呼吸もまともに行なえない程の規模の吹雪、それは先程龍人達を襲った時以上のものであった。

 しかし、確かに外が吹雪いていたのは知っていたがこれほどのものではなかった、外に出ようとした村の者もそう思っていたからこそ扉を開けたのだ。

 

 ならば何故いきなり吹雪の勢いが異常なまでに膨れ上がったのか、疑問を抱く前に龍人達は村の者達を守る為に動き出す。

 龍人と士狼は真っ直ぐ建物を飛び出し、荒れ狂う雪の世界へと足を運ぶ。

 その一瞬後に白蓮達が動き、建物内に居た者達を一箇所に集め――星が懐からあるものを取り出す。

 

 それは燦々と輝く“宝塔”、かの七福神である毘沙門天が扱うとされる宝具であった。

 黄金の輝きを放つ宝塔は、刹那の時を待たずに建物全体に暖かな結界を展開させる。

 それにより呼吸ができなかった者達はぜいぜいと息を吐き出し、早くも凍傷になりかけた者には暖かな守護を注いでいく。

 これならば安心と認識しながら、念のためにと一輪達にその場へと残るように指示を出し、白蓮もまた外へと出た。

 

「っ」

 

 瞬時に自身の肉体に強化魔法と防御魔法を展開させる白蓮。

 ……既に外は、死の世界と化している。

 嵐という表現すら生温いほどの吹雪は秒を待たずに生物から熱を奪い、氷像にしてしまう冷たさを孕んでいる。

 人間はおろか並の妖怪であっても、この世界に立っていれば瞬く間にその命を奪われるだろう。

 

 その中で。

 荒れ狂う死などものともしないとばかりに不動を保っている龍人と士狼が、身構えたまま前方を見つめていた。

 

 生物など存在できぬ筈の世界の中から、1人の女性が龍人達の前に君臨した。

 薄紫の髪は栄えるように映り、口元に浮かぶ笑みは絶対零度の冷たさを孕み、瞳には一切の光を感じられない。

 顔は龍人達へと向けられているが、その視線が何処に向いているのかはわからなかった。

 

「……もしかして、元凶か?」

「わからん、だがあの女から凄まじい冷気が溢れ出している。どうやら船での出来事もこの女の仕業のようなのは確かなようだ。…………来るぞ!!」

 

 呪狼の槍の切っ先を女に向け、いつでも心臓を貫けるように姿勢を低くし身構える士狼。

 その敵対心を身体で感じ取ったのか、光を灯さぬ瞳を士狼へと向けた女性は、その口元に刻んだ笑みを更に冷たくさせ。

 

――世界が、白に包まれた。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第111話 ~終わりの兆候~

異常気象の元凶らしき雪女と対峙する龍人達。
吹雪に支配された白の世界で、龍の子は自らの力を行使する。

……ある兆候が、現れ始めている事も知らずに。


 世界が白に染まる中、龍人と士狼は同時に動いた。

 それぞれ炎の剣と呪狼の槍を持った2人は、この異常気象の原因であろう雪女に向けて先手の一撃を繰り出す。初めから加減などしない一撃、ほぼ同時に放たれたその一撃は雪女の身体へと叩き込まれようとして。

 

「なっ!?」

「うおっ!?」

 

 その前に、2人の身体が後方へと吹き飛んでいった。

 相手に何かされた、それは理解したが何をされたかは判らず、2人は近くの小屋まで吹き飛ばされる。

 衝撃で小屋は粉砕し、木片が2人の身体に降り注ぐが、構う事無く再び攻め込もうと立ち上がり。

 

「何っ!?」

「こいつは……」

 

 士狼の右腕が槍ごと凍らされ、龍人に至っては左腕と右足が凍り付いてしまっていた事に気づいた。

 あの一瞬でこうも簡単に肉体を凍らされた事実に、2人は驚きを隠せない。

 とはいえ人ではない2人にとってこんなもので決定打になる筈もなく、けれどすぐに戦線復帰は難しい状況に立たされる。

 

 その隙を、雪女は逃さない。

 虚ろな瞳を2人に向けながら、雪女は徐に右手を前に突き出す。

 瞬間、空気が凍りつき巨大な氷柱が計十八本、生成されると同時に必殺の速度で2人に向かっていく。

 

「やべっ……」

「ちぃ……!」

 

 凍りついた箇所に意識を割いている余裕はない、2人は迫る脅威に対処しようとして――その全てが、粉々に砕け散った。

 2人を救ったのは、既に全身に肉体強化魔法を施した白蓮。

 彼女は雪女との間合いを一瞬でゼロにして、強化した右の拳を情け容赦なく相手の顔面へと叩き込んだ。

 

「っ……」

 

 全開の彼女の拳は、鬼の一撃に匹敵する。だが攻撃を与えた白蓮は顔をしかめ、追撃を仕掛けられるというのに自ら雪女から間合いを離してしまった。

 

「……厄介ですね」

 

 呟きを零しつつ白蓮は自身の手、完全に凍りつき動かせなくなった右手へと視線を向ける。

 直接攻撃ではこちらの身体が凍りつく、ならばと白蓮は一度飛翔し体内の魔力を一気に開放させた。

 彼女の周りに浮かぶ四枚の光翼、その一つ一つに強大な魔力が凝縮されており、矛先が向かう場所は当然雪女只1人。

 

「南無三……!」

 

 両手を大きく羽根のように広げ、白蓮は凝縮された魔力を一気に開放する。

 光翼から放たれるのは、あらゆるものを呑み込まんとする巨大なレーザー砲。

 白銀に輝くその光は、避ける事もできない雪女を一瞬で呑み込んだ。

 吹雪を消し去りながら白い光は空へと消え、先程まで居た場所から雪女の姿も消えていた。

 

「……やったと思うか?」

「さあな。白蓮、その腕戻すからこっちに来てくれ」

「はい、お願いします」

 

 地面に降り立ち、龍人の元へと駆け寄る白蓮。

 すぐさま龍人は“炎龍気”の力を用いて自分達の凍った箇所を解凍していった。

 ……まだ戦いは終わっていない、確かに白蓮の一撃は効いたとは思うが決定打ではないだろう。

 雪女の姿が見えなくなっても吹雪の勢いは微塵も衰えていない、その事実が龍人にまだ戦いが終わっていないと警戒心を抱かせていた。

 

「っ、飛べっ!!」

「くっ……」

 

 叫ぶと同時に、3人はその場から大きく跳躍する。

 刹那、先程まで龍人達が居た場所から巨大な氷柱が地面から突き出てきた。

 あのまま何もしなかったらあの氷柱に風穴を開けられていた、背筋に冷たい汗を伝わせる3人に更なる脅威が迫る。

 

「くぅ……っ」

 

 更に強まる吹雪が、3人の身体に襲い掛かる。

 否、もはやこれは吹雪などではなく絶対零度の嵐だ、現に3人の身体は徐々に凍りつき始めていた。

 白蓮がすぐさま防御魔法を展開するが、それでも尚止める事ができない。

 

「このままじゃ……」

「おのれ……こんな状態では相手の姿はおろか匂いすら追えん……!」

「それだけじゃない、これをすぐに止めないとこの村全体が凍りつく!!」

 

 しかし、士狼の言う通り視界は塞がれ相手の居場所が見つけられない。

 この嵐そのものに相手の妖力が編み込まれている、それを辿って感知する事も難しい。とはいえこのままでは全滅する、自分達だけでなく村の者や……漸く白蓮達が再会できた、星とナズーリンも。

 

「……そんな事、させるかよ!!」

 

 数百年という年月の果てに、大切に想う者同士が再会できた。

 それを消させるわけにはいかない、まだ彼女達はこれからの未来を幸せに生きる義務がある。

 だから龍人はその為にならば己の力を使う事を躊躇わない、たとえ()()()()に行き着く結果に繋がろうとも。

 

「――白蓮、すぐにみんなの所へと戻って全力の防御魔法を展開しろ」

「えっ?」

「士狼、俺がどうにか相手を引き摺り出すから、お前は必殺の一撃の準備に入ってくれ」

「……わかった、頼むぞ」

 

 突然の言葉に困惑する白蓮だが、士狼はすぐに頷きを返しその場で槍へと妖力を込めていく。

 

「白蓮、早くしろ。いいか? 全魔力を使って防御しろよ」

「い、一体何を……」

「早くしろと言った筈だ!!」

「わ、わかりました!!」

 

 龍人の剣幕に圧され、すぐさま星達の元へと向かう白蓮。

 それを見届ける事はせず、龍人はすぐさま右足に“龍気”を込めていった。

 自らが生成するものだけではなく、大気中に漂うものも込めていく。

 

「……龍人、お前」

「頼むぞ士狼、“これ”を放ったら多分俺はまともに戦えなくなる、後は頼むぞ?」

「…………わかった。詳しい事はこの際問わん、後は任せてくれ」

 

 頼むな、もう一度士狼に言って龍人は既に臨界を越えた力に更なる力を集めていく。

 黄金に輝く龍人の右足、強大すぎる力は荒れ狂う嵐とぶつかり合い尚も勢いを強めていった。

 彼が次に放つのは神龍の一手、あらゆる者を叩き潰し消滅させる龍の尾。

 

 一度上昇してから、龍人は黄金の右足を振り上げたまま地面に落下していく。

 ……次の一撃は、相手に当てる必要がない。

 というより相手の場所を捉えられない以上、当てる事は不可能だ。

 だから強引にこの世界を破壊する、彼が次に放たんとしている“奥義”はそれを可能としており。

 

「――――龍尾撃衝(ドラゴンテール)!!」

 

 力ある言葉を放ちながら、彼は地面に向かって右足を振り下ろし。

 地表が、否、惑星全てが激しく揺れ動く程の衝撃と共に、白の世界を黄金の光が瞬く間に霧散させていった。

 

 これが狙い、この世界によって相手の姿が捉えられないのならば先にこの世界を破壊する。

 彼の目論見は見事に的中し、黄金の光が嵐を吹き飛ばし――雪女の姿を、視界に捉えた。

 同時に、士狼は全身の筋肉と妖力を用いて呪狼の槍を雪女に向けたまま掲げ。

 

「貰ったぞ……!」

 

 大きく上体を反らし、全ての力を込めてその一撃を投擲する……!

 呪狼の槍が、空を、空間を、自分の軌道にあるもの全てを薙ぎ払いながら雪女へと向かっていく。

 投擲による一手は今泉士狼にとって文字通りの全力の一撃ではないものの、それでも放たれたそれはあらゆる者を貫き粉砕する破壊の一手。

 

「――――」

 

 虚ろであった雪女の表情が、驚愕のまま固まる。

 当たり前だ、士狼の一手は雪女が身構える前に彼女の身体を貫いたのだ。

 ――決着は、それで着いた。

 ごぼっと口から血の塊を吐き出しながら、雪女は空から地面へと落ちていく。

 

 その姿を見て、士狼は飛んでいった呪狼の槍を自らの手元へと引き寄せながら。

 地面に激突する前に、雪女を優しく受け止めた龍人の姿を見たのだった……。

 

 ■

 

「――成る程、そんな事があったの」

「ああ、幸い誰も死なずに帰ってこれたよ」

 

 そう言って、龍人は用意されたお茶をゆっくりと飲み始める。

 一方、北の大地から戻ってきて事の顛末を龍人から聞いた紫と藍は、呆れたように溜め息を零していた。

 

――戦いは龍人達の勝利で終わり、村の者達を守る事ができた。

 

 それだけならば文句の付けようの無い、大円団で終わる話であるが……世の中そんなに甘くはない。

 確かに龍人達は雪女に勝ち、異常気象を終わらせ村の者達を救った。

 しかしである、彼が氷の嵐を消し飛ばす為に放った龍尾撃衝(ドラゴンテール)のせいで、村は完全に崩壊。

 ただでさえあの技は神龍爪斬(ドラゴンクロー)を超える破壊力を持っているのだ、そんなものを加減などせずに全力で放てば村の1つや2つ消し飛ぶのは道理であった。

 

 結果、住む場所を失ってしまった村の者達を、幻想郷へと連れてくる事になったのはいただけない。

 あの地で眠る事を決めていた者達の願いもあり、村を元通りにする羽目になったのだ。溜め息の1つも出したくなるのは当然であった。

 まあ村の者達は誰もが寛容で、龍人の仕出かした事にも笑って許してくれたのでこれ以上の面倒事には発展しないだろう。

 

「それで……人狼族を幻想郷に住まわせる話だけど」

「もう話は付けているわ。でも向こうが里ではなく“迷いの竹林”で暮らしたいと申し出てきてね、こちらとしてはどちらでも構わないから好きにさせる事にしたわ」

 

 どうでもよさそうにそう告げる紫に、龍人は眉を潜める。

 だが今の紫にとって、人狼族の事など二の次三の次にしたい気分であった。

 何故か? それは勿論……さも当たり前のように同じ部屋で冷たい飲み物片手に寛いでいる雪女のせいである。

 

 龍人達との戦いを経て、この雪女……レティ・ホワイトロックは正気を取り戻した。

 暴走していた理由は本人曰く「わからない」というなんともふざけた理由ではあるのだが、本当に覚えていないのならば仕方がないと割り切る事に。

 それで済めばそこまでだったのだが……何を思ったのか、レティは龍人についていきこの八雲屋敷にやってきてしまった。

 連れてきた龍人に対しても文句の1つや2つはあったものの、彼の性格を考えると放っては置けなかったのだろう、なのでこの際それは置いておいてだ。

 

「おいレティ、離れろよ」

「いーや、うふふふ……」

「……さっきから、どうして龍人に引っ付いているのかしら?」

 

 額に青筋を浮かばせながら、紫はどうにかこうにか内側から爆発しそうな怒りを抑えつつ、龍人の肩に自身の頭を乗せのんびりとしているレティへと問うた。

 因みに、紫の傍に立っている藍の表情も、主人と同じく怒りに満ち溢れたものになっている。

 そんな2人を見て龍人は困り顔を浮かべ、元凶であるレティは紫達を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら。

 

「いいじゃないの。だって私……彼の事が気に入ったのだもの」

 

 挑発するように、レティは龍人の腕に自身の両手を巻き付かせた。

 瞬間、屋敷全体の空気が一変する。

 怒りを爆発させた紫と藍の妖力が屋敷の壁や柱に亀裂を走らせていき、殺意を持ってレティへと襲い掛かった。

 

「野郎オブクラッシャアアアアアッ!!」

「何その叫び!?」

「おい紫、藍、やめろって――」

 

 止めようとする龍人だが、もう遅い。

 レティに向かって吶喊する紫と藍、そんな2人を真っ向から迎え撃つレティがぶつかり合い。

 

 その日、八雲屋敷が全壊した……。

 

 ■

 

「あははははははっ!!」

「……龍人、今回の事はあなたにも原因があると思うわ」

「えっ!?」

 

 永遠亭の一室にて、龍人は先程起こった『八雲屋敷崩壊事件』を今夜の寝床を貸してくれた永琳と輝夜へと話していた。

 すると輝夜は腹部を押さえながら大笑いし、永琳は呆れつつも少しだけ龍人を責めるような口調で上記の言葉を口にする。

 自分にも原因があると言われ驚く龍人に、永琳はますます呆れながらも言葉を続けた。

 

「あなたと紫は夫婦なのでしょう? だというのに他の女を連れてきて怒らない妻が何処に居るというのかしら」

「そんなつもりじゃなかったんだけど……」

「だとしても、紫が面白くないと思うのは当然でしょうに」

 

 龍人の反応に笑い転げていた輝夜も、彼を軽く睨みつつ責めるような言葉を放った。

 

「もうあなたと紫の関係はただの友達なんかじゃない、お互いを愛し合う夫婦なの。

 なら相手に対する接し方も変えないといけなくなる、そうしないと……無意味にあの子の心を傷つける事になるのよ」

「………………」

 

 輝夜のその言葉で、龍人は先程の自分の行為が如何に罪深いかを漸く理解した。

 傷つけたくない彼女の心を傷つけた、龍人にとってそれは決して許されない大罪に等しい。

 ……謝らなければ、別室にて不貞腐れている紫の元へと向かおうとする龍人を、輝夜が止めた。

 

「ちょい待ち、謝る必要なんかないわよ。確かに今回のはちょっと龍人が無神経だったのもあるけど、紫の反応も大人げないものだったのだから今回はどちらも悪いわ」

「でも、俺が紫を傷つけたのは事実だろ? 謝って済む話じゃないかもしれないけど……」

「龍人はちょっと重く考え過ぎよ、まあそれだけ紫が好きなのでしょうけど」

「ああ、俺は紫が一番好きだ」

 

 恥ずかしげもなく、躊躇いもせずにそう言い放つ龍人に、輝夜と永琳は少しだけ居心地が悪くなった。

 

「でも、ならなんで藍まで紫みたいに怒ったんだ?」

『…………』

 

 ああ、やはりこの男はこういった面では()()()()()足りない。

 そんな理由など今までの会話の中で理解できるだろうに、2人は心の中でそっと藍に対して合掌を送ったのだったとさ。

 

 ■

 

「ふぁぁ……」

「眠いのならもう寝なさい、寝室の場所は判るわよね?」

「ああ……そうだな……おやすみ輝夜、永琳……」

 

 立ち上がる。

 と、ぐらりと視界が揺れた……ような気がした。

 

「…………」

「龍人?」

「……なんでもない、おやすみ」

 

 部屋から出て、割り当てられた寝室へと向かって廊下を歩いていく。

 ……身体に、痛みが走った。

 最初は小さな、けれど秒単位でその痛みは大きくなっていく。

 

「なん、だ……っ、がっ?」

 

 口からくぐもった悲鳴が飛び出した。

 痛みは激痛へと変わり、龍人の身体を容赦なく蝕み始める。

 呼吸をするだけでも痛みは押し寄せ、立っている事すらできずに龍人はその場で蹲ってしまう。

 やがて呼吸もできなくなり、痛みは脳を焦がし意識を混濁させていった。

 

「は、っ、が……!?」

 

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 

 ぐちゃぐちゃに掻き回された意識の中で考えるのは、身体に走る痛みの事だけ。

 おもわず叫び出したくなるほどの苦しみが絶えず襲い掛かってくるが、そんな事をすれば皆が異変を察知し駆け寄ってくる。

 それだけはしたくない、心配を掛けたくないと龍人はただただその痛みに耐え続けた。

 

 月の光が照らす下で、芋虫のように蠢き苦しみ続ける龍人の姿は、異常の一言に尽きる。

 いつまでこの痛みは続くのか、このまま苦しみ続けて死んでしまうのか。

 思考が焼き切れかけ、彼の命の灯火は確実に小さくなっていく。

 ……それから、どれだけの時間が流れたのか。

 

「…………は、ぁ……ぁ……あ」

 

 身体だけでなく魂すら傷ついているのではないかと錯覚してしまうほどの痛みが、消えていた。

 ゆっくりと立ち上がり周囲を見て、自分以外の存在が居ない事を確認して安堵する。

 先程のような姿を誰かに見られては困る、特に紫に見つかれば……また彼女の心に余計な負荷を与える事になるのだから。

 

「……動く、まだ動ける……」

 

 忘れてしまった動作を思い出そうとするように、龍人は身体を動かし異常がない事を確認する。

 そう、異常はない。

 異常などある筈がないのだ、自分の身体はいつもと同じく無駄に元気で頑丈で。

 

「そうだ、どこもおかしい所なんてない」

 

 自分に言い聞かせる、そうしなければ……考えなくていい事を考えてしまう。

 けれど、全身から噴き出している汗と記憶にこびり付いた痛みがその行為に何の意味もないと訴えていた。

 

「…………参ったな」

 

 自嘲の笑みが、龍人の口から零れ落ちる。

 誤魔化しなどできない、彼は自分の身に何が起きたのかを充分に理解していた。

 突然襲い掛かった謎の痛み、それは()()()()()()だ。

 

 ……かつて、彼は地獄の女神であるヘカーティア・ラピスラズリから決して抗えぬ未来を聞かされた。

 今の生き方を続ければ、龍人族として戦いを続ければ苦しみの果てに死を迎えると、宣告された。

 その始まりがやってきたのだ、思ったよりも早く……そして思っていた以上の苦しみと共に。

 

「大丈夫だ。まだ……きっと」

 

 その呟きは、都合の良い未来を夢見る愚者のものだ。

 それでも龍人はそう思わずには居られない、そう願いたかった。

 けれど、そう願い度に龍人の中の冷静な部分が顔を出す。

 

 もう戦うな。

 もう力を使うな。

 もう、誰かを守ろうとするな。

 

 出来る筈がないのに、自分自身がそう訴えかけてくる。

 死にたくないのならば今の生き方をやめろと、叫んでくるのだ。

 

「……無理だよ、それは」

 

 変えないと誓った、変えたくないと心が思った。

 ならばそんな訴えには耳を貸せず、頷く事なんてできなかった。

 そして同時に、その未来を受け入れるつもりもなかった。

 

「死なないさ、俺は……絶対に、死なない」

 

 新たな誓いを建て、龍人は天を見上げる。

 黒い空を白く照らす月は美しく、それを瞼に焼き付けるように凝視しながら。

 

「――負けないさ」

 

 うわ言のように、そう呟いた。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




次回からは新しい章に入り、後半戦となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました、続きも読んでいただけると嬉しいです。


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最終章 ~大結界展開戦~
第112話 ~大結界への道標~


八雲紫と龍人、2人の道は未だ終わりの時を迎えていなかった。
それでも時は等しく流れ、2人はそれに伴い成長を続けていく。

そんな中、紫はあるユメを見る。
そしてそれが、2人の物語の終焉を迎える“分岐点”となっていく……。


 暗い暗い、ユメを見た。

 

 沢山の物語に繋がる“扉”が浮かぶ、漆黒の空間。

 その世界の中心で紫は静かに佇み、やがて彼女と同じ姿をした女性が現れた。

 八雲紫という女性とまったく同じ容姿、けれどその瞳は吸い込まれそうな漆黒の女性。

 

「……随分と、久しぶりね」

「そうですわね。でもわたくしはずっとあなた達の物語を観賞していましたけど」

 

 良い趣味ですわね、皮肉を込めて紫がそう言うと女性はクスクスと笑う。

 この世界に来るのは三度目だが、相も変わらず夢の中のようで現実味がある不可思議な場所だ。

 同時に何故か妙に落ち着くこの世界ではあるが、紫の心中は真逆の気分であった。

 何故か? 決まっている、自分がこの世界に来る時は決まって何かしらの“分岐点”になるからだ。

 

「ええっと……あなたが生きて、どれくらいになるのかしら?」

「……およそ1100年、かしらね」

「長生きするわね~、ここ400年ばかりはずっと平和が続いていたからあっという間だったでしょう?」

 

 女性の問いに、紫は苦笑を浮かべつつ頷きを返す。

 ……そう、幻想郷には長い平和が続いていた。

 騒動といえば、およそ400年ほど前に北の大地にて暴走していたレティとの一件ぐらいか。

 それ以降は刺激のない、安らかな平和がただただ続き……けれど世界は、すっかり人間達のものになっている。

 

「人間達の増加は留まる事を知らず、数多の妖怪がこの世界から姿を消した」

「…………」

「もはや、人と妖怪が共存できている環境など、あなた達が暮らす幻想郷くらいでしょうねえ」

「……そうかもしれないわね」

 

 できる事ならば、世界中で幻想郷のように人と妖怪が共存できればと思っていたが……現実はそう優しいものではなかった。

 人と妖怪の関係は変わらず、そればかりか当たり前のように信じられてきた妖怪の存在を認めない人間すら現れた。

 妖怪達はそんな人間達の考えに恐怖し、怒り、憎み、報復という愚行に走らせた。

 

 結果、元々そこまで数の多くなかった妖怪達の数は激減し、人間達はますます妖怪を認識しなくなっていく。いずれは陰陽師のような存在も消え、何の力も持たない人間達で溢れ返るだろう。

 

「大妖怪と呼ばれる存在も少なくなり、より多くの妖怪が消えていく……フフフッ、あなた達はどうかしらねえ?」

 

 からかうような、試すような、そんな口調で女性は紫に言った。

 無論、消えるつもりなど紫には毛頭なく、同時に幻想郷も消させはしない。

 

「よい気概ですわぁ、まだまだ楽しませてくれそうですわね」

「あなたを楽しませるつもりはないだけれど、それより一体何が言いたいのかしら?」

「あら、なんのことでしょう?」

「とぼけなくて結構。私に言いたい事があるから、わざわざあなた自身が私をこの世界に連れてきたのでしょう?」

「……せっかちですわねえん。楽しくお喋りしようと思っていたのに」

 

 ぶーぶーと文句を放つ女性だが、紫が一睨みすると大袈裟に肩を竦めてから。

 

「――あなたの未来が、観れなくなった」

 

 今までとは違う、背筋を張りたくなるような真剣な表情と声で、そんな言葉を口にした。

 観れなくなった、それは一体どういう事なのかと紫はすぐさま女性に問う。

 

「前にも言ったけどわたくしは観察者、あなた達の物語を見届けながらその過程を楽しむ……もとい、見守るのが役目。

 あなたの場合、今より少しだけ未来を観ていたのだけれど、毎回毎回観た未来とは違う結果になるのだから面白かったわ」

「…………」

「あらごめんなさい、話が逸れたわ。

 とにかくわたくしは常に八雲紫が歩む少し先の未来を観てきた、けれどその未来が突然観れなくなったのよ」

 

 こんな事は初めてですわ、女性はそう言ってもう一度肩を竦めた。

 

「……それはつまり、この先の未来がどうなるのかわからなくなったという事?」

「そうね。まああなたの場合わたくしが観てきた未来とは毎回違う結末を迎えているから、元々観えていないようなものでしたけど」

 

 しかし、“観えなくなった”という事実は観察者である女性にとって危惧するものであった。

 数多の物語を観てきた中で、こんな事は初めてであり、同時に気に入っていた紫の物語が観えなくなったというのは心底気に入らない。

 だから彼女は紫をこの世界へと喚んだのだ、彼女の物語がこんな不安定な状態に晒されたまま終わりになるというのは女性には認められないからだ。

 

「けれど、それを聞いてどうしろと?」

「別に、ただ何かしらの干渉を受けているのは間違いない。――充分に用心なさいな」

「用心しろと言われてもね……」

 

 なんとも曖昧な情報である、これでは聞くだけ不安を煽るだけではないか。

 ……いや、この女性ならばわざとこちらの不安を煽っている可能性の方が高い。

 そしてその不安にどう立ち向かい、どういう結果を導き、どういった終わりを迎えるのか、それを愉しみにしているのは間違いないだろう。

 良い趣味である、紫自身も一部の者から「胡散臭い」等と言われるが、この女性には敵うまい。

 

「というわけで、頑張りなさいな。

 ――あなたの物語も佳境に入っている筈、楽しい結末を期待していますわ」

 

 世界が暗転していく。

 どうやら現実に戻るようだ、紫はそれに逆らう事なく自ら瞳を閉じこの世界から消えていった。

 

 ■

 

「…………」

 

 見慣れた自室の天井を視界に捉えてから、紫は起き上がり布団から出た。

 いつもの導師風の服に着替え、布団を干そうと外に出ると、丁度廊下の向こう側から歩いてきた藍と顔を合わせた。

 

「おはようございます、紫様」

「おはよう、藍」

「紫様、布団でしたら私が干しますので」

「あらありがとう、それじゃあお願いしようかしら」

 

 藍に布団を手渡すと、彼女はすぐに中庭に向かっていき布団を干し始めた。

 

「紫様、何かあったのですか?」

「えっ?」

「いえ、気のせいならばいいのですが……少し、顔色が優れないように見えまして」

「…………少し、嫌なユメを見ただけだから、気にしないで頂戴」

 

 そう言うと、藍は「それならばいいのですが」と返しながら、慣れた手つきで布団を干し終え紫の元へと戻る。

 

「朝食はどうなさいますか?」

「今日は大丈夫よ、ところで龍人は?」

「龍人様でしたら部屋で休んでおられます、なんでも昨日遅くまで里の者達と飲んでいたようでして……」

「あらあら」

 

 相も変わらず、里の者達と仲の良い龍人に紫は苦笑する。

 ならば今日はゆっくり休ませる事にしよう、そう思った紫はとりあえず気晴らしに散歩でもしようと里に向かってスキマを開く。

 

「少し、里に行ってくるわ」

「いってらしゃいませ、紫様」

 

 藍に見送られ、紫は一瞬で人里へと到着する。

 今日も空は青く美しく、気候も穏やかで心地良い風が吹いていた。

 幻想郷は変わらず平和で、これがずっと続くものだと当たり前のように思える景色が広がっている。

 

 ……だからこそ、先程のユメを忘れる事ができない。

 今までだって自分の未来がどうなっているかなどわからなかったが、改めて用心しろと言われれば気にもなる。

 とはいえ別段変わった事をするつもりはない、ここを守ろうとしてくれるのは自分だけではないのだから。

 頼れる仲間が、友が、愛すべき人がこの幻想郷には存在している。

 だから紫はこのユメの内容を誰にも語らず、自分の内に秘めていこうと決めた。

 それに今は余計な事で気を揉みたくはなかった、この幻想郷に展開しようとしている“大結界”の問題もあるのだから。

 

「た、大変だっ!! 外から妖怪が攻めてきたぞ!!」

 

 緊迫した青年の声が、周囲に響き渡る。

 その声を拾った紫はすぐさま青年の元へと駆け寄り、詳細を訊ねた。

 

「その妖怪はどの方角から現れたのですか?」

「や、八雲様……そ、その、西門から現れまして……」

「西門ですわね、わかりました」

 

 青年の話を聞くと同時に、紫はすぐさまスキマを用いて里の西方面へと移動する。

 既にそこには里で形成された自警団と、慧音の姿があり。

 西門の付近には、人型の妖怪と……その妖怪に拘束されている、里の子供の姿があった。

 

「っ、紫さん……」

「人質、というわけですか。小賢しいですわね」

 

 歩を進め、紫は真正面から妖怪と対峙する。

 人型の妖怪は紫を見て、隙間なく生えた牙が見える口元に歪んだ笑みを浮かべていた。

 人型ではあるが紫達のような完全なものではなく、所々が醜悪に歪んでいる肉体は見るに耐えない。

 僅かに顔をしかめつつ、紫は妖怪との間に数メートルの距離を離したまま、口を開いた。

 

「何が目的ですの?」

「この地を我々のものにしようと思ってな、しかし……まさか八雲紫自らが出てくるとは思わなかったよ」

 

 余裕ぶった雰囲気を見せようとしているが、妖怪からはあからさまな紫に対する恐怖心が見られた。

 実力を理解する最低限の知識はあるようだ、さすがに人型だけあって獣とは違う。

 尤も、里の外から感じられる複数の存在は自分達の有利を信じて疑っていないのか、紫の登場にも動揺は見られなかった。

 

「お断り致しますわ。この地は平和を愛する人妖が暮らす場所ですから」

「フンッ、この目で見るまでは信じられなかったが……どうやら、ここが腑抜けた者達だけが暮らす土地だというのは間違いないらしい」

「平和を望むのが、腑抜けだと?」

 

 紫が問う、すると妖怪はまるでタガが外れたかのように笑い出した。

 

「カカカカカカカッ!! 大妖怪ともあろうものが、まさかそのような問いかけをするとはな。

 愚かで脆弱な人間ならばともかく、妖怪がそのような考え方をするなど腑抜けもいいところだ。そんなものは妖怪とは呼べん!!」

「……人を襲い、喰らい、争うだけが妖怪の姿ではありませんわ」

「たわけが。他者との争いこそ妖怪の本分よ、そこから外れた者に生きる価値などない!!」

「…………成る程、つまりこの幻想郷で生きる者全てに生きる価値がないと」

 

 空気が、変わった。

 

「っ」

 

 それを一番最初に感じ取った慧音は、すぐさま周囲の自警団に後退するように指示を出した。

 その指示に怪訝を示す自警団の面々ではあったが、やがて彼等も紫の変化に気づき自ら後退する。

 一方、人質を手に入れている妖怪達は憐れにもそれに気づかず、そればかりかあの八雲紫を倒すチャンスができたと嬉々するばかり。

 

「あなたの言う妖怪の本分を否定するつもりはありません、それもまた正しいのですから。

 ――ですが、それを当たり前として周りの者を否定して良い理由にはなりません。妖怪とて争いを好まぬ者も居るのですから」

「それがそもそもの間違いだ、そんなものは妖怪とは呼べんと言った筈だが?」

 

 嘲笑するように、妖怪は笑う。

 ……どうやら、説得する事は無理らしい。

 ならば仕方がない、目の前の妖怪も……後ろでこそこそと隠れているだけの有象無象も、()()()()

 何より彼等はやってはいけない事をした、この幻想郷に生きる者に手を出したのだ。

 

――ならば、それ相応の罰を与えてあげなくては。

 

 ■

 

 それは、文字通り刹那の時で終わりを迎えた。

 勝ち誇り、下賎な笑みを浮かべていた妖怪が、まるで初めから存在していなかったかのように虚空へと消える。

 続いて里の外に居た数十の下級妖怪も、一言も言葉を発せぬまま気配を消してしまった。

 その光景に慧音達は驚き、紫は安心させるように優しく微笑みを浮かべながら、人質になっていた里の子供を抱きかかえ慧音達の元へと連れて行った。

 

「怪我はしていないようね、でも恐い思いをしたようだからゆっくり休ませてあげて」

「あ、はい……あの、一体何をしたのですか?」

「少しお灸を据えただけですわ、殺すのは忍びなかったのでここから遠く離れた地にスキマで送ってあげただけよ」

「そうですか……」

「甘いとは自分でも思うのだけれど、この子達の前で血生臭い真似はしたくなかったのよ」

 

 慧音に預けた子供の頭を撫でながら言った紫の言葉に、周囲の者達は彼女の行動に納得すると同時に、紫の慈悲深さに感謝した。

 里の子供を守っただけでなく、このような配慮までしてくれるとは……さすがは八雲様だと周りの者達が彼女を褒め称え始める。

 それをくすぐったそうに受け止めながら、紫は「所用ができましたので」と言い残し、スキマの中へと消えていった。

 そして八雲屋敷へ戻る前に、紫はスキマの中で静かに神剣を手にしながら……先程の妖怪達と対峙した。

 

――先程の言葉は、あくまでその場を収める為の方便だ。

 

 紫としては、幻想郷の住人に手を出したこの妖怪達に慈悲など決して向けるつもりはなかった。

 妖怪達はスキマの中で四肢をリボン状の物体で拘束され、僅かに身動ぎをする事しかできない状態に晒されている。

 尤も、たとえこの拘束を解いたとしてもここは紫のスキマの中、逃げる事などできないし……逃がすつもりなど毛頭ないが。

 

「き、貴様……これを解けっ!!」

 

 先程の妖怪が紫を見て、目を血走らせながら罵声を飛ばす。

 他の下級妖怪たちも同様に騒ぎ立てるが、一方の紫は表情1つ変えず冷たい瞳で彼等を見下ろしていた。

 まるで道端に落ちる塵屑を見るかのような、絶対零度の瞳。

 その瞳で見つめられた妖怪達は、漸く自分達が行なった愚行を理解した。

 

「……ちょうどよかったですわ。実はあなた方のように幻想郷の地を手に入れようとする妖怪達が居ましてね、一々相手をするのが面倒だと思っていましたの」

 

 幻想郷の地は人は勿論、妖怪にとって住み心地の良い土地へと紫達が変化させている。

 故にこの地を狙う外の妖怪達は当然存在しており、特にこの数十年ではその数が際限なく増え続けていたのだ。

 これも人間の勢力図が拡大し続け、次第に妖怪達の住処が減っているからこそだろう。

 

 無論、幻想郷の地はそんな妖怪達を迎え入れる意思は見せている。

 だが殆どが力ずくでこの地を奪い、支配しようとする輩ばかり。

 そんなものを迎え入れる事など、到底できるわけがなかった。

 とはいえ、上記で紫が言ったように一々それらの相手をするには面倒であり骨が折れる作業だ、だから今回のように少数で攻めてきたこの者達は“(にえ)”に相応しい。

 

「あなた方を殺すのは容易い、けれど私は慈悲深いから最期に役目を与えてあげましょう」

「何を――――ぎゅっ!?」

「ぎゃっ!?」

「ぎ、いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 紫が自身の左手を前に突き出し、何かを握り締める動作を行なった瞬間、捕らえた妖怪達の身体が複雑にひしゃげ出した。

 ある者は身体を半分にされ、ある者は枯れ木のように細く絞られ、けれど誰一人として意識を失わず死に至った者はいなかった。

 

「この状態のあなた達を、幻想郷の地を狙っている者達の元へ送り届ければ良い“抑止力”になるでしょうね」

「ぎ、ギギギ……こ、この悪魔、め……!」

「ええ、ですが私も妖怪ですもの。恐ろしいのは当然でしょう?」

「な、何が人と妖怪の共存だ……所詮貴様も、自らの意に反する者を力で抑え付け蹂躙するだけではないか……!」

「…………」

「共存などできるものか、わ、我々は決して交わる事など――ギィッ!?」

「……お喋りが過ぎますわね、そんな口など無い方がいいでしょう」

 

 より一層圧縮を施し、複数のスキマからソレらを落としていく。

 これで少しは侵略者達も理解するだろう、幻想郷に手を出せばどうなるかという事を。

 気に入らない作業を終え、紫は暫しその空間で立ち尽くす。

 

「……所詮、私も同じなのでしょうね」

 

 人と妖怪の共存、それを今でも強く願っているのは間違いない。

 けれど、今ではそれを幻想郷の中でしか守れなくなってしまっているのは……なんとも、締まらない話だ。

 それに先程の妖怪の言う通り、自分達の意見が通らない相手を力ずくで蹂躙する自身の行動は、自らの願いと矛盾している。

 

「全ての人間と妖怪が、共存できるわけではない……」

 

 そんな事はわかっている、世界はそんなに甘いものではないのだから。

 それはこの夢を抱いた当初からわかっていたこと、だからこそ紫はこの幻想郷の地にとある“大結界”を展開し、守ろうと考えたのだから。

 ……龍人の願いに反してしまう行為だとしても、紫にはこれ以上の妥協案は見つからなかった。

 幻想郷を大結界で隔離し、この地だけは人と妖怪が共存できる世界を維持する。

 その為の準備は進めてきた、そして数多くの協力を得て実現できる領域にまで辿り着いた。

 

「龍人はきっと、諦めないでしょうね……」

 

 けれど、彼が昔から願うように世界中が幻想郷のような場所にするという願いは決して叶わない。

 それでも彼は諦めないだろう、だから紫はたとえ彼の意志を反してでも大結界を展開し、幻想郷を隔離する。

 だってそうしなければ、彼はこの地を去りいずれ自らの願いによって己を喰い尽くされてしまう。

 そんな事は認められない、紫にとって龍人は何者にも変えられない存在なのだから。

 こうやって今までこの道を歩んできたのだって、彼が傍に居てくれたから歩んでこれたのだ。

 

――彼をこの地に縛る事になろうとも、彼に生きていてほしい。

 

 それは紫のエゴ、けれど決して譲れないもう1つの願いだった。

 その為に彼に嫌われても、生きて幸せになってほしい。

 今までずっと頑張ってきたのだ、辛い戦いに身を投じて文字通り命を懸けて皆を守ってきたのだ。

 

 ならばもういいだろう、後の人生を幸せに満たしたって罰は当たるまい。

 充分に頑張ってきた彼に対する正当な報酬を受け取るだけだ、それの一体何が悪いというのか。

 これ以上彼が戦う必要などない、彼の戦いは先程も言ったように命を削る戦いだった。

 ならばもう休ませてあげなくては、そうしなければ彼は……戦いの中で消えていく。

 

 それだけは許されない、許すわけにはいかない。

 だから、紫はある決断を下し、八雲屋敷へと戻った。

 

「おかえりなさいませ、紫様」

「……藍、“準備”をなさい」

「っ、では……決行するのですか?」

 

 察しの良い式に、紫は頷きを返す。

 すると藍は重々しく頷き、すぐさま行動へと移った。

 

「妖怪の山と地底世界、そして永遠亭……話を通すのは、そこだけで宜しいですか?」

「ええ、里には私が行くから藍はそちらをお願い」

「畏まりました。……龍人様には、報告しなくても?」

「あの人には私が言うわ、心配しないで」

 

 もう一度頷きを返し、藍はすぐさま八雲屋敷を飛び出していった。

 ……些か早い気もするが、決意をした以上は速やかに行動しなければ。

 今回のように幻想郷の地を狙う妖怪達の事もある、この地の平和を維持するにはあの“大結界”が必要だ。

 紫の能力、博麗の巫女の秘術、永琳の結界術、更に力ある者達から得る事のできた知識を総動員し、数百年という月日を費やしこの地に馴染むように力を注いできた大秘術。

 

 管理者となる予定である人間側の絶対的守護者、博麗の巫女の名を授かった結界――“博麗大結界”を作り出すために、紫達は動き出した……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...




こちらの博麗大結界は原作のものとは微妙に違います。


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第113話 ~迫る最後の戦い~

幻想郷の環境が、変わろうとしていた。
その根底となる博麗大結界の為に、紫達は疾走するが……。


「――ヘカーティア様、一体何の用でしょうか?」

「あらん、映姫ちゃんったらそんな嫌そうな顔をしなくてもいいのに」

「い、いえ……そのような事は」

 

 あの世に存在する、地獄の裁判所。

 そこでいつも通り閻魔として忙しなく働いていた映姫の前に、にこやかな笑みを浮かべたヘカーティアが現れる。

 この忙しい時に、内心ではそう思いながらも絶対的な上司であるヘカーティアを一応迎え入れる映姫。

 

「紫ちゃん達が、遂にあの“結界”を幻想郷に展開するみたいよ?」

「えっ!?」

 

 ヘカーティアの言葉に、映姫はおもわず勢いよく椅子から立ち上がる程の衝撃を受けた。

 

「いえ、ですがそれはまだ……」

()()()()、のよね? 少なくとも、私と映姫ちゃんが知ってる幻想郷よりずっと早い」

「…………」

「やっぱり龍人の存在が影響しているのかしらねん、それとも……神弧と名乗ってるあの変な女のせいかしら」

「それは……わかりません、ですがヘカーティア様」

「わかってるわかってる、干渉しないでって言いたいんでしょ?」

「……ヘカーティア様の力は強力過ぎます、それこそ簡単に世界を消し飛ばしてしまうほどに」

 

 ヘカーティアは、龍人を気に入っている。

 そんな彼が消えるという事態に陥った場合、手を貸してしまう可能性があるので映姫は改めて釘を刺したのだ。

 こちらの存在は本来現世に干渉して良い存在ではないのだ、たとえ世界に何が起ころうとも……。

 

「随分と歴史が変わっているようだけど……助けてあげないのかしらん?」

「できるわけがありません。私達にはその“資格”がない、それにこのまま消えてしまうのならば……それもまた、運命なのです」

 

 言いながら席に座り込む映姫、だが言葉とは裏腹に浮かべる表情は悲痛なものだ。

 映姫の顔を見てやれやれと肩を竦めるヘカーティア、けれどその態度は呆れから来るものではなく、慈しみの込めたものであった。

 地獄の閻魔、私情に左右されず死した者をただただ平等に裁く彼女だが、本質はこのように甘いと言えるほどに優しいものなのである。

 

「でもなー、あの神弧と戦ったら龍人の魂をとられちゃうし……やっぱり勿体無いなー」

「ヘカーティア様」

「はいはい、わかってるわよん。だけど映姫ちゃん、あの子が誰の加護を持っているか知ってる?」

「……知っていますよ。まったく、何故“あの方”は現世に干渉するのか」

 

 大きく溜め息を吐き出す映姫。

 

「仕方ないじゃない。あの人も幻想郷には思い入れがあるのだから、それにハッピーエンド大好き主義者だから」

「だからといって龍人族に自らの加護を施すなど……」

「まあそのおかげで今の今まで生きてこれたんだけどねん」

 

 尤も、その加護も()()が訪れようとしているようだが。

 如何に龍人に加護を施した存在が規格外だとしても、千を超える年月を生きその間での戦いで彼の肉体は確実に疲弊してしまっている。

 これ以上、命を懸ける戦いを繰り返せば……特に、神弧のような強大な力を持った存在と戦った場合は……。

 

「あーあ、本当に残念ねえん」

「…………」

 

 軽い口調で、けれど本当に残念そうにへカーティアは。

 

「――龍人、きっと保たないわね」

 

 残酷な、決して逃れられない運命を口にした……。

 

 ■

 

「……そうか。いよいよなのか」

「ええ、貴方の意見も聞かずに実行に移そうとしたのは……」

「いや、それは別にいいんだよ。紫のする事なら間違いなんてあるわけないしさ」

 

 そう言って龍人は、入っていた布団から出て立ち上がる。

 ……少し飲みすぎたか、龍人は痛む頭をトントンと叩いた。

 と、中庭からスキマが開き藍が紫の命を終え屋敷へと戻ってきたのが見えた。

 

「おかえり、藍」

「ただいま戻りました。あ、おはようございます龍人様」

「おはよう、藍」

 

 軽い挨拶を交わし、3人は居間へと移動する。

 藍にお茶を用意してもらい、一息ついてから……報告を開始した。

 

「地底世界、および妖怪の山の面々は大結界について概ね同意を得る事ができました」

「概ね、というのは?」

「……永遠亭からは反対意見は出ませんでした、ですが地底世界と妖怪の山の一部の妖怪達は……今回の件に、納得を示しておりません」

 

 苛立ちを見せつつ報告する藍であったが、紫自身この事態は充分に予測できたものであった。

 大方反対する者達は「こちらが隠れ住むような真似をする必要などない」と思っているのだろう、気持ちはわかるが既にそんな体裁を保っている余裕など妖怪達にはないというのに。

 

「その者達の事はそれぞれの組織の代表者が対処すると言っていましたが……」

「それなら任せるとしましょう、それで決行の日だけど……4日後に博麗神社で行なうわ」

「4日後? 早過ぎないか?」

「これから博麗神社に大結界を起動させる為の巨大な陣を書いて最短で術の発動開始を考えると、4日後が一番早い時間なのよ」

 

 陣を書き終わるまで少なくとも数日は掛かる、4日後というのもあくまで“最短で陣を書ければ”可能という話なのだ。

 ……そこまで急ぐ必要などないのではないかとは紫自身も思っている、だが急がなければならないと自分自身が訴えていた。

 やはりあのユメの影響なのか、どうにも嫌な予感が消えてくれない。

 

「大結界の発動は今代の博麗の巫女と私で行うわ」

「俺と藍はどうする?」

「龍人達は屋敷で待機していて頂戴、この結界術はあまり大人数で発動させるのは得策ではないの、それに藍はともかく龍人は結界術が苦手でしょう?」

 

 それにだ、2人に待機してもらうのにはきちんとした理由があった。

 

「……博麗大結界の発動にはどれほどの時間が掛かるのかわからない、その間は当然私も博麗の巫女も神社から一歩も動く事はできないわ」

「成る程、その間に2人を守るのが俺達の役目か」

 

 龍人の言葉に、紫は重々しく頷きを返す。

 ……前述の通り、大結界の存在を好ましく思わない妖怪も存在している。

 その隙を狙って幻想郷を奪い取ろうとする輩は現れるだろう、それも……前のような雑魚ではない、強い力を持った妖怪が。

 しかし博麗大結界の発動は少なくとも丸一日以上は掛かってしまうだろう、そして途中で術を中断させられれればこの土地の霊脈が傷ついてしまう。そうなってしまえばこの地はいずれ死ぬ、それだけは絶対に阻止しなければならない。

 

「大丈夫だ。人里の方は慧音や妹紅、それに白蓮達が居る。そして紫達は俺と藍が守るさ」

「龍人様の仰る通りです、命を懸けて守ってみせます」

「ありがとう2人とも。でも藍、命を懸けるのはやめなさい。そんな事は私が認めません」

「……勿体無きお言葉です、紫様」

 

 話は済んだ、ならばすぐにでも準備に取り掛からなければ。

 紫は立ち上がりスキマを開く、繋げた先は当然博麗神社だ。

 

「藍は陣を書く手伝いをして頂戴、その間龍人は少しでも力を温存しておいて」

「わかった」

「それでは龍人様、いってまいります」

 

 頑張ってくれ、龍人に見送られ紫と藍はスキマで博麗神社へと向かっていった。

 そして、屋敷には龍人1人だけが残り、2人を見送った後にすぐさま彼も行動に移った。

 向かう先は――迷いの竹林の中にある、永遠亭。

 

「永琳、いるか?」

 

 勝手知ったるなんとやら、玄関を抜け中庭を通り、龍人は真っ直ぐ永琳の研究室へと足を運んだ。

 沢山のラベル付き瓶に囲まれたその部屋では、今日も今日とて八意永琳が新薬の研究を行なっていた。

 龍人の礼儀を知らぬ来訪にも、永琳は気にした様子もなく液体の入ったフラスコを机の上に置いてから、彼を迎え入れる。

 

「いらっしゃい、でも次からはノックしてくれるかしら? 危険な薬を取り扱ってる時もあるから」

「ああ、悪い。次は気をつける」

「結構。それで……そんな鬼気迫る顔をして、どうしたの?」

「藍から聞いてるだろ?」

「大結界の事? それは聞いているけれど正直興味ないの、協力すべき事は協力したしね」

 

 だから、後は好きにやってちょうだいと本当に興味なしと言った様子で永琳は言う。

 

「わかってる。だけど、できる事ならもう少し力を貸してほしい」

「大結界の発動は紫と今代の博麗の巫女が行なうのでしょう? だったら私のする事なんて何もないでしょうに」

「大結界を望まない妖怪達が、徒党を組んで幻想郷に侵略してくる可能性がある。それは永琳だって判っている事だろう?」

「ええ、でもそれはあくまであなた達の問題よ。薄情かもしれないけどいくら友人だからってなんでもかんでも協力するつもりはないわ」

 

 永琳の最優先すべき事は、あくまでも輝夜の安全を守る事。

 龍人達は確かに友人ではあるが、必要以上に手を貸すつもりなど毛頭ない。

 それにそんな事をすればバランスが崩れてしまう、永琳は自らの力と知識の大きさを理解しているからこそ、必要以上の干渉を行なわないのだ。

 

「それはわかっているさ。今回の事は俺達だけでなんとかしてみせる」

「なら、何に対して力を貸せばいいというの?」

「…………ある薬を作って、俺に投与してほしい」

「ある薬? それって………………待ちなさい龍人、あなた何を考えているの?」

 

 龍人の瞳に浮かぶ、強い決意に満ちた色を察知し、永琳の表情が変わる。

 彼女は気づいてしまった、彼の望みに。

 

「――“アイツ”は、絶対にこの機を狙って目覚めてくる。わかるんだ俺には」

「…………」

「でも、きっと今の俺じゃ勝てない。かといって時間がない」

 

 ()()()から、龍人は更なる修行を重ねてきた。

 千を超える年月を生きている今の彼は、まさしく大妖怪と呼べる力を身につける事ができただろう。

 ――けれど、それだけでは届かないのだ。

 倒さねばならない相手、決着を着けねばならない相手は更に先の領域に居る。

 

 できる事ならばもう数百年時間が欲しかった、だが龍人も紫と同じくこの時期に博麗大結界を展開しなければならないと思っていた。

 しかしそれは、アレと決着を着けなければならないという事に繋がる。

 この世全ての破壊を望む、世界にとっての“絶対悪”。

 

 それが目覚める時がやってきたのだ、龍人にはそれが不思議と理解できていた。

 アレはやろうと思えばこの世界に受肉した時点で簡単に全てを滅ぼす事ができた、けれど“自我”を持つが故にすぐさま行動に移らなかったのだ。

 ただの破壊ではなく、強者と戦い、勝利し、その上で全てを蹂躙するという歪んだ願いを抱いて誕生したからこそ、まだこの世界は存在していられる。

 アレは生物の絶望を善しとする殺戮者だ、だからこそこの時期に……博麗大結界を展開し、幻想郷を楽園にしようとするこの時期に目覚めると確信できた。

 それを阻止すれば凄まじい絶望が生まれる、少なくとも紫達から得られる絶望はそれこそ無尽蔵だ。

 

「……そう、あなた達が戦っていた正体不明の存在が、博麗大結界を阻止しようと動き出すと?」

「阻止なんてアイツはきっと考えない。ただ大結界そのものを消滅させれば強い絶望と悲しみを得る事ができる。アイツにとってはただの“愉しみ”なんだ、それこそ愉しめるのなら過程なんて必要じゃない」

「悪趣味ね、まあ精神生命体ならば魂に気質が引っ張られるのも致し方ないけど……」

「永琳、アレはただ肉体を破壊すれば倒せる相手じゃない。俺の……いや、龍神の力を使わないといつかアイツはまた蘇る」

 

 だが、今の自分の“龍気”ではおそらく届かない。

 相手はあの時よりも力を増している、負けるつもりはないが勝てる保証など存在しない。

 

「だから永琳、この腕を……この腕の力を完全に引き出せる薬を、作ってくれないか?」

 

 そう言って、龍人は自らの右腕を永琳へと見せる。

 ……彼の右腕は、魔界での一件である龍人族の男の腕を移植しており、彼本来の腕ではない。

 そしてこの腕は彼以上の“龍気”を扱う事のできる腕だ、彼も必死にこの腕に相応しい実力者になろうと努力を続けてきたが……まだその領域には達していない。

 それだけの力がこの腕には存在する、故にこの腕の力を完全に使えるようになれば……アレに対抗できる筈だ。

 

「……龍人族の腕、それも“龍神”の領域に達しようとしていた程の腕、ね」

「一時的でもいいんだ。どうにかできないか?」

 

 情けない話ではあると重々承知している、本来ならば自らの努力で辿り着かなければならない領域に反則技を用いて辿り着こうとしているのだから。

 

「できるわよ。だってあなた達の種族に力を与えた龍神の身体の構造を知っているんだもの」

「本当か!?」

 

 顔を上げ、ぱっと表情を明るくさせる龍人。

 

「じゃあ頼む。いつ頃完成するんだ?」

「一日もあれば」

「そっか……よし、それならなんとか……いや、なんとかしてみせるさ」

 

 龍神が扱える力を使用できるのならば、対抗できるかもしれない。

 後は自分次第だが、希望が見えた事に龍人は嬉しさを隠しきれなかった。

 ……だが、彼は当たり前の事を忘れている。強い力には、それ相応の代償が必要なのだ。

 

「――龍人、わかっているの?」

「何がだ?」

「あなたの身体は半妖、“龍神”の力は上位の神々の領域。力の次元が違うのよ」

 

 それが何を意味するのか、あなたにはそれがわかるのかと永琳は問う。

 その問いで彼は思い出した、強すぎる力を扱った先に待つものが何なのかを。

 

「……正直、言われるまで忘れてた。勝てる手段を見つけて舞い上がってたんだな俺は」

「…………」

「けど、俺の選択は変わらない。勿論使わないのが一番良いけど……きっと、そうはいかないだろうから」

「……あなたは、本当に」

 

 呆れてしまう、迷う事なく困難に立ち向かうその心に、真っ直ぐさに永琳は心の底から呆れ返った。

 限界を超えたその先の力に手を伸ばす事に、彼は何の躊躇いも見せないのだ。

 

「いいわ。すぐに作ってあげる」

「ありがとう、永琳。それとさ……この事は」

「誰にも言わないわ。特に紫にはね」

「うん……」

 

 ■

 

「――さあ藍、始めるわよ」

「はい、紫様!!」

「あのー……私も居るんですけど……」

 

――博麗大結界を作り出そうとする紫と藍、そして今代の博麗の巫女。

 

「……八雲達が、例の結界を作り出すそうだ」

「ならば、あの地を我等にする好機!!」

 

――そしてその機を狙い、幻想郷を狙う者達も動き出す。

 

 

 

 

「――龍人、妾も行くぞ。愉しみにしておくといい」

 

 最後の戦いが、すぐそこまで迫っていた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第114話 ~幻想大戦、開始~

博麗大結界を展開するため、紫達は準備を始める。
だがそれは、この地を奪おうとする者達との戦いの開始を意味しており。

遂に、その幕が開こうとしていた……。


――里に、緊張が走っている。

 

 人通りは殆どなく、ほぼ全ての住人が自分達の家に篭っていた。

 道を歩く者達も誰もが表情に不安の色を見せており、その不安を如実に現すかのように空は分厚い雲に覆われている。

 何かが起こると、そんな不安を抱かずにはいられない世界の中、龍人は里の中心地から真上に浮かび上がり遠くの景色へと視線を向けていた。

 仁王立ちのような体勢のまま腕を組み、厳しい表情を見せる彼はおいそれと話しかけられない雰囲気を醸し出している。

 

「そんな恐い顔をして、もう少しリラックスした方がいいんじゃないですか?」

 

 彼の雰囲気にも一切介せずに話しかけるのは、鴉天狗の女性、射命丸文。

 彼女が自分の隣に現れた事に気づいた龍人は、少しだけ表情を緩め彼女に対し口を開いた。

 

「いつ何が来てもいいように、気を張ってるだけだ」

「そうはいいますけど、本当に来るんですか? 博麗大結界の展開の隙を狙って、この地を奪おうとする妖怪達が」

 

 文の問いに、龍人はすぐさま「来る」と断言する。

 尤も、文自身も彼と同じ意見であり、故に手助けをしようと山を降りてきたのだ。

 ……その際に、嫌な言伝も預かってしまったが。

 

「……龍人さん、こういう事は言いたくないんですけど……今回、山の妖怪達は不介入を決め込むそうです」

「…………そうか」

「驚かないんですね?」

「そうなるかなとは思ってた。それにそっちだって内輪揉めで色々と立て込んでるんだろ?」

 

 耳が痛いですね、龍人の言葉に文は申し訳なさそうに眉を下げ頬を掻く。

 

「今回の大結界による幻想郷の隔離の件を認めない山の妖怪だって居る、そいつらがおかしな行動をしないように監視する。それを考えたら、手を貸す余裕なんて生まれないさ」

「あー……まあ、そうなんですけどね……」

 

 しかし、今回の件で不介入を決めたのはそれだけではないのだ。

 ……龍人達が敗北した際に、漁夫の利を得ようと山の上層部は考えている。

 如何に盟約を結んでいるとしても、それを面白く思わず出し抜こうと考える輩というのは何処にでも現れるのだ。

 

「だとすると、文がここに居るのは拙いんじゃないか?」

「言わせておけばいいんですよ。かつて山の危機を救ってくれた龍人さんに対する恩を仇で返すような真似をしているんですから」

「……ありがとな、文」

 

 お気になさらず、龍人の感謝の言葉に文はそう返答を返す。

 彼女との会話で少しだけ龍人は心を穏やかなものへと変化させたのだが。

 

「っ」

「文様!!」

 

 焦燥感を混ぜた声を張り上げながら2人の前に現れた白狼天狗の少女、犬走椛の声を耳に入れると同時に。

 龍人は、遥か彼方から真っ直ぐこちらに向かってくる気配を感じ取りすぐに身構えた。

 

「ご苦労様です椛、その様子ですと……」

「はい、北方からおよそ八十里、少なく見積もっても三百はあろう妖怪の群れがまっすぐこちらに向かってきています!!」

「思ったよりも少ないですね」

「ですが、その群れを統率しているのは……」

 

 

「――来る」

 

 

 椛の報告を、龍人の呟きが中断させる。

 2人の視線は当然彼へと向けられるが、彼は険しい顔で遥か前方を睨むように見つめていた。

 一体何が、そこまで考えた2人は――凄まじい速度でこちらに向かってくる“ナニカ”に気がついた。

 

「何が……!?」

「この妖力、は……?」

「文、椛、周囲に居るみんなを守ってくれ!!」

 

 叫ぶと同時に、全身に“龍気”を張り巡らせ身構える龍人。

 刹那、前方から嵐が現れ。

 

「――ひゃあああああああっ!!」

 

 全てを貫きかねない、()()()()()()が龍人へと襲い掛かる……!

 光に近い速度で放たれた目では決して追えない超高速の一撃に、龍人は右腕の神龍爪斬を叩き込み相殺させた。

 

「うわっ!?」

「くぅ……!」

 

 ぶつかり合いの余波が、里はおろか幻想郷全域を揺れ動かす。

 すぐさま文が風の結界を張った甲斐もあり、周囲を歩いていた人間や妖怪達には被害が及ばなかったものの、誰もが目の前の光景に目を見開き驚いていた。

 一方の龍人は、掴んだ手刀を投げ飛ばし奇襲を仕掛けてきたナニカとの距離を離すと同時に、相手の容姿を確認する。

 

 姿形は人型、膨れ上がったと表現できるほどの筋骨隆々の肉体には永遠に消えない傷が幾千にも刻まれている。

 3メートルを優に超えるその見た目には凄まじいまでの威圧感があり、対峙しているだけでも精神だけでなく寿命すら削られてしまいそうだ。

 そしてその逞しい肉体には相応しい絶大な妖力が、まるで活火山のように溢れ出している。

 

 ……龍人達は、瞬時に理解した。

 目の前に現れた相手は、角は生えていないもののまごうことなき“鬼”であると。

 しかし勇儀や萃香とは違う鬼、おそらく西洋の鬼なのだろう。溢れ出る力はまさしく規格外。

 

「……んん~、いい反応だ。本気でやっちまったらこんな小さな里ごとぶっ潰しちまうかと思ったが……いきなり本命に出会えたかー?」

「風龍気、昇華!!」

 

 加減などできない、周りの被害の事など考える余裕などない。

 目の前の相手はただの脅威などではない、ただそこに在るだけで全てを薙ぎ払う“災害”そのものだ。

 たった一撃、相手の攻撃を受けただけで周囲に凄まじい余波が飛び交ったのだ、これ以上ここで戦えば里が消える。

 まずはこの傍迷惑な存在を里から遠ざけなければ、そう判断した龍人は右足に風の刃を這わせ相手との間合いを詰めた。

 

(くう)()(ごう)(りゅう)(きゃく)!!」

「ひゃはあぁっ!! デーモンセイバー!!」

 

 轟風を纏った風の蹴りと、先程の手刀がぶつかり合う。

 

「ぐあ……っ!」

「おおっ!?」

 

 同等の威力を誇る技のぶつかり合いが、両者の身体を吹き飛ばす。

 龍人はそのまま近くの家屋に突っ込み、鬼は吹き飛ばされつつも地面を削りながらその勢いを殺し、無傷のまま立ち上がった。

 

「ぐ、ぅ……」

 

 土煙の中、頭を振りながら立ち上がる龍人。

 幸いにもダメージは殆どなかったが、周囲から聞こえる里の者達の呻き声や助けを求める声を聞き、意識をそちらへと向けてしまった。

 

 二度も発生してしまったぶつかり合いによる余波によって、既に周囲の家屋は全て倒壊してしまっていた。

 当然中に居た住人達にもその被害が及んでおり、中には家屋の下敷きとなって動けなくなっている者達も居る。

 すぐに動ける者達が人妖問わず救出しようと動いてくれているが、この状況下でその行為は自らの命を投げ出す行為に等しかった。

 

「……すげえな。こんな状況でも他のヤツを助ける選択ができるのか」

 

 住人達の行動を見て、鬼は驚きの表情を浮かべながら上記の呟きを零す。

 実際に鬼は本気で驚いていた、自らの命が危険に晒される場所に居るというのに、他者を助けようと行動している者達を見るのは初めてだったからだ。

 それも妖怪が人間を助けようとし、また逆に人間が妖怪を助けようとしている。

 

「人と妖怪が共存する幻想郷……噂には聞いていたが、マジだったみてえだな……」

 

 目の前の光景に、感動すら覚えてくる。

 世界の常識を覆す光景が広がっているのだ、驚き感動するのは当然の感情と言えるだろう。

 ……だが、鬼にとってこの光景は“邪魔”でしかない。

 

「せっかく遊べる相手が居るんだ。悪いが……」

 

 右手を振り上げる鬼、そこには絶大なまでの妖力が込められている。

 この手を一振りすれば、たちまち周囲は一掃され沢山の命が奪われるだろう。

 

「やめろっ!!」

 

 止める為に、当然龍人は鬼を止めようとするが……間に合わない。

 文と椛も余波を受けすぐには動けず、そのまま鬼による“掃除”が実行されようとして。

 

――その腕を、真上から降り立った白蓮が片腕で受け止めた。

 

「あ?」

「しっ!!」

 

 突然の第三者の登場に、鬼の動きが一瞬止まった。

 その隙を逃さず白蓮は腰を深く屈め、まず鬼の腹部に肘鉄を叩き込む。

 続いて掴んでいる腕に力を込めて相手を引き寄せてからの顎への掌底、右足による蹴り上げ、左足による回し蹴り。

 怒涛の連撃を秒を待たぬ刹那の時間で相手へと叩き込んでから、両腕を用いて鬼の両足を掴み上げた。

 

「はあああああああっ!!」

 

 白蓮の絶大な魔力が、唸りを上げる。

 肉体強化魔法を幾重にも展開し、限界以上の強化を遂げた彼女の肉体は、自身の倍はあろう鬼の身体を勢いよく投げ飛ばした……!

 

「おおおおおおっ!?」

 

 投げ飛ばされた、ただそれだけで鬼の身体には拉げてしまう程の圧が襲い掛かった。

 勢いを殺せないまま遥か彼方まで飛んでいく鬼を、白蓮は追いかけようと両足を強化する。

 

「あれは私に任せて、龍人さん達は里に向かってくる妖怪達の相手をお願いします!! 既に星輦船は発進していますので、合流して対処を!!」

「あれをたった1人で相手するつもりですか!? あれはそこらの妖怪なんかじゃ……」

「わかっていますよ文さん、あれはおそらく西洋の鬼……オーガーと呼ばれる存在でしょう」

「ならば1人では……」

「ですがこちらに向かってくる妖怪の群れを統率しているのは……吸血鬼なのでしょう?」

「吸血鬼!?」

 

 驚きの声を上げながら、文は椛を見やる。

 彼女はそんな文に苦々しい表情のまま無言で頷き、白蓮の言葉が真実であると肯定していた。

 

 ……冗談ではないと、文は頭を抱えたくなった。

 吸血鬼は比較的若い妖怪ではあるが、そのポテンシャルは数多の妖怪の遥か上を行く正真正銘の怪物だ。それが群れを率いて幻想郷に向かっている、そんな事実を知らされてどうして驚かないというのか。

 

「……白蓮、頼む。文と椛はまず周囲の皆を助けてやってくれ」

「龍人さん、まさか……この戦力差で戦うつもりですか!?」

「たとえ相手が誰であろうと戦うさ。俺はこの幻想郷の全てを守りたいと思っている、そこから逃げるつもりはない」

 

 それじゃあ頼むぞ、そう言って龍人はその場から飛び立っていった。

 続いて白蓮もオーガーを投げ飛ばした方角へと飛び立ち、その場に残された文は……大きく溜め息を吐きながら、覚悟を決める。

 

「……椛、山に篭ってもいいんですよ?」

「いいえ、だって文様も逃げるつもりはないのでしょう?」

「…………逃げたくないですからね」

 

 嘘だ、正直に言えば今すぐにでも逃げ出して山に篭って見なかったフリを決め込みたいと思っている。

 強い者には逆らわず、弱い者には強気に出るのが天狗という種族だ、文とてその本能とも言える性質には抗えない。

 だがそれ以上に、ここで逃げて龍人達を見捨てれば間違いなく射命丸文という存在は死に至る。

 それがわかっているから、文は覚悟を決めて周囲に風を巻き起こし住人達を下敷きにしている倒壊した家屋を吹き飛ばした。

 

「椛、すぐに皆さんを安全な場所へとお連れしてから、龍人さん達の手助けに行きますよ!!」

「了解です、文様!!」

 

 恐くても、逃げたいと思ってもそんな選択は選べない。

 だって仕方ないではないか、古くからの友を……龍人達を見捨てる事も、情が移ったこの幻想郷を見捨てる事も、既に文にはできなくなっているのだから。

 

(龍人さん、頼みますから無茶だけはしないでくださいよ……!)

 

 ■

 

 幻想郷の里から既に十里は離れただろうか、白蓮はオーガーを追って人も動物も寄り付かない山岳地帯へと降り立つ。

 

「……随分飛ばされちまったな、やってくれるじゃねえか魔法使いさんよ」

「…………」

「だがお前でも楽しめそうだ、本命は後にとっておくかな。――オラ、さっさとかかってきやがれ」

 

 挑発するように指を動かし、白蓮を誘うオーガー。

 対する白蓮はそんな相手を見据えながらも、戦う前に説得を試みる。

 

「今、幻想郷は大切な時を迎えています。どうかこのまま退いてはいただけませんか?」

「…………ああ?」

「人と妖怪が共に生きる世界が、生まれようとしているのです。そこまで沢山の障害を乗り越え歩み続けてきた人達が居るのです。ですからどうか……その者達の努力を踏み躙るような真似だけは、しないでいただきたいのです」

 

 あともう少しなのだ、大結界が完成すれば幻想郷は新たな世界へと生まれ変わる。

 ゴールに辿り着けるわけではないが、理想の実現には大きく近づく事になるのだ。

 故に邪魔をされたくはない、邪魔をしてほしくなくて白蓮は敢えて説得という選択を試みる。

 

「――萎えるぜ、その態度は」

「…………」

 

 空気が、変わった。

 オーガーの肉体から放たれる力に、白蓮に対する明確な殺意が含まれ始める。

 

「オレは吸血鬼共にデカイ喧嘩があるって聞いたからここへ来た、実際におもいっきり遊べる相手が居るのがわかったから嬉しかったぜ。だからよ……そんなつまらねえ言葉、吐き出すんじゃねえよ」

「……引いては、くれないのですね」

「テメエらの努力なんぞ知った事じゃねえ。――もうすぐ妖怪の時代は終わる、そうなったら思う存分遊べねえだろ?」

 

 その言葉で、白蓮は説得などできないと理解した。

 いや、初めから言葉での説得など通用するような相手ではないと気づいていた。

 それでも彼女はできる事ならば無駄な争いを避けたいと思っている、それは仏に仕える僧として当たり前の思いであった。

 しかし、こちらとて譲れないものがある。決して引けない理由がある。

 

「……いいぜ。その決意に満ち溢れた目、すげえモノを背負ってるヤツの目だ」

「負けられないのです。どうしても立ち塞がるというのならば……あなたを、倒します!!」

「やる気になってくれたようで嬉しいぜ、遊んでやるよ!!」

 

 オーガーが走る、その巨体からは想像もできない速度で。

 だが白蓮は一歩も退かず、自らオーガーへと向けて吶喊し。

 

「はっ!!」

「じゃらぁっ!!」

 

 互いの拳が、大地を激しく揺れ動かしながらぶつかり合い。

 幻想郷から離れた地での死闘が、幕を開いた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第115話 ~死闘、龍の子の僅かな違和感~

 暗雲が、空を覆っている。

 幻想郷から離れた空を飛ぶ星輦船の中で、聖を除く星輦船メンバーは神妙な面持ちのまま前方を、正確には真っ直ぐこちらに向かってくる妖怪の軍勢を睨みつけていた。

 

「うわー……地面にも沢山居るねー」

 

 げんなりした声で、水蜜は地面を埋め尽くしながら進行しているソレを見て言葉を零す。

 だが無理もない、空には多数の吸血鬼、そして地面には……ワーウルフにゴブリン、果てはリビングデッドといった西洋の怪物達が犇めいているのだから。

 少なく見積もってもおよそ三百、対するこちらは星輦船メンバーである一輪達五人と加勢しに来てくれた妹紅の計六人だ。

 

「……抑え切れるのかな、これ」

「抑え切れるのか、ではなく、抑えなければならないのです村紗」

 

 星の言葉に水蜜は頷きを返すものの、表情から不安の色は消えなかった。

 しかし誰もが彼女と同じ表情を見せており、迫る軍勢に対し勝利のイメージが浮かんでこない。

 守れるのか、そもそもあの軍勢と戦って生き残れるのか、そんな不安ばかりが全員の脳裏に浮かんでは消えていく。

 

「みんな、待たせた!!」

 

 そんな中、星輦船に龍人が降り立つ。

 彼の登場に全員の表情が僅かに綻んだ。

 

「あれか……まずは数を減らさないとな」

「待った。龍人はなるべく力を温存じておいた方がいいわ」

 

 そう言って船の一番前に出た妹紅は、すぐさま全身に灼熱の炎を這わせ始める。

 両手を前方に突き出しながら、まずは地面を走る相手に対し灼熱の魔弾を撃ち放った。

 空気を焼きながら五つの魔弾は一直線に軍勢へと向かい、着弾すると同時に爆音が響き火柱が立ち昇る。

 戦場に、怪物達の断末魔の悲鳴が飛び交い、肉の焦げる嫌な臭いが風に乗って龍人達の鼻腔を刺激した。

 

「あっつ!? 火の粉がこっちまで飛んできてる!!」

「ふふん、どうよ?」

「いや、どうよって……少しは加減したらどうだい?」

 

 呆れた口調のナズーリンに、妹紅は少し頬を膨らませ反論を返した。

 

「なによー、加減できる相手じゃないしする必要なんかないじゃない」

「それはそうだが……」

「――ナズー、皆さん。どうやら向こうもこちらを脅威だと認識したようです」

 

 厳しい口調でそう言い放つ星の視線の先には、こちらを睨み標的として捉える吸血鬼の大群が。

 しかしこちらとしてもちょうどいい状況だ、幻想郷に近づかせないのが目的なのだから。

 

「第二波、いくわよ!!」

「イッチー、もこたんが撃ったら私達も出よう!!」

「ええ、星とナズーリンは船の上から迎撃をお願い!!」

「もこたん言うな!!」

 

 ツッコミを入れつつ、再び灼熱の魔弾を生成していく妹紅。

 水蜜は巨大な錨を背負い、一輪は雲山と共に拳を握り締め、星とナズーリンはそれぞれ宝塔とロッドを取り出して身構える。

 高圧縮した妖力を込めた灼熱の魔弾は先程の倍以上の大きさになり、まるで一つ一つが小さな隕石に見える程。

 

「くらえっ!!」

 

 今度は骨ごと焼き尽くそうと、妹紅は都合十七まで増えた魔弾を再び怪物達へと撃ち放った。

 全て着弾すれば少なくとも地上からの進攻は抑え込めるだろう、それにもうすぐ人狼族が応援に駆けつけてきてくれる。

 ならば自分達は空に居る吸血鬼達の相手をすればいい、そう思いながらその場に居た全員が意識を空へと向け。

 

――妹紅が放った魔弾が、全て真っ二つに斬り裂かれ爆発した。

 

「えっ――」

「な、なに!?」

 

 その光景を見て、全員の意識が一瞬だけ固まってしまう。

 すぐさま意識を切り替える龍人達であったが。

 

「――いけやせんなあ、戦いで呆けるなんざ」

 

 背後から、呆れを含んだ男の声が聞こえた瞬間、銀光が奔った。

 それが斬撃だと理解した全員が、全神経を回避に集中させたのだが。

 

「が、っ……!!」

 

 間に合わず、斬撃が妹紅の身体を上下2つに切り裂いてしまった。

 吐血しながら吹き飛んでいく2つに分かれた妹紅の身体を見て、誰よりも速く龍人が動いた。

 その一瞬後に一輪と雲山が妹紅の身体を受け止めようと動いてくれたので、龍人はすぐさま妹紅を斬り捨てた男へと龍気で生成した光の剣を振り下ろした。

 

 跳躍され避けられる、すかさず後を追って再び斬撃を繰り出し、今度は長刀で真っ向から受け止められてしまった。

 光の剣を受け止めたのは、長くしなやかな日本刀であった。

 強靭さではどうしても他の刀剣類に劣るというのに、真っ向からしかも片手で受け止められた事に龍人は愕然とする。

 

「……さすがに、手は抜けやせんか」

「っ、お前は……!」

「ぬんっ!!」

 

 力任せに弾かれ、龍人は相手との距離を離した。

 改めて相手に視線を向ける龍人、右手で長刀を持つ着物姿の大男。

 

「朧……」

「久しぶりですなあ、龍人さん」

 

 かつて、月へと侵攻を企てた妖怪側に加勢をしていた大妖怪であり大剣豪である朧が。

 今度は幻想郷に攻め入る者達の味方となり、龍人達の前に立ち塞がっていた。

 

「なんのつもりだ、お前も幻想郷を手に入れたいと思っているのか?」

「いえいえ、そういうわけではございやせん。ですが頼まれてしまいましてね……それにあっし自身、是非ともお前さんと戦いと思っていやしたものですから!!」

 

 一息で踏み込まれる。

 繰り出される斬撃はただ速く、けれど目で追えた龍人は即座に軌道を合わせその一撃を受け止めた。

 

「っ……なら、今は退いてろ。この問題が片付いたらいくらでも相手をしてやる」

「そんな口約束が信用できると? それに、この状況下なら否が応でも戦わざるをえないじゃあありやせんか」

「くっ……!」

 

 判っていた事だが、やはり言葉だけでは退いてはくれなかった。

 ならば仕方がないと龍人は一度朧の身体を弾き飛ばし、両手に持っていた光の剣を投げ捨てる。

 

 ……既に、星輦船には吸血鬼の集団が組み付き始めていた。

 それを必死に食い止めている一輪達を視界に入れれば、悠長に説得などしている場合ではない。

 星輦船が落とされれば一気に幻想郷の守りが手薄になる、里には慧音が居るが肝心の紫や藍、今代の巫女は結界完成の為に神社から一歩も動く事ができないのだ。

 余力など残せない、この位置で食い止めなければ間違いなく幻想郷に被害が及ぶ。

 

「悪いが、すぐに決着を着けさせてもらうぞ!!」

 

 左手で右手首を掴み、龍人はそこへ“龍気”を込め始めた。

 一撃で決める、そんな気概を込めた瞳で朧を睨みながら、龍爪斬(ドラゴンクロー)を展開しようとして。

 

「っ、ぁ……?」

 

 激しい頭痛と吐き気に襲われ、龍人の視界が赤黒く染まり出した。

 

「な、に……?」

 

 何が、起きたのか。

 身体に傷は刻まれていない、ダメージなどまだ負っていないというのに意識が歪む程の激痛に襲われる。

 それにより集めていた龍気も霧散し、龍爪斬(ドラゴンクロー)が不発に終わってしまった。

 

 術を中断したというのに、頭痛と吐き気は一向に収まらず、寧ろ酷くなる一方であった。

 いきなりの身体の不調に混乱し、自分に起こった変化が理解できず敵を前にしながら龍人は隙を晒してしまう。

 そして、それを見逃す朧ではなかった。

 

「――余所見、ですかい?」

「うっ……!?」

 

 迫る銀光、この身を四度切り刻む事が可能なほどの斬撃が眼前に迫っても、反応が遅れた龍人は避ける事も防ぐ事もできない。

 明確な死が龍人の脳裏を支配し、朧の刀が彼の命を奪おうと振り下ろされた瞬間。

 

「ぬおおおっ!?」

「えっ?」

 

 朧の刀が、薄桃色の()()によって防がれた。

 それと同時に朧の身体が蹴り飛ばされ、彼と龍人の間に……緑髪の女性が口元に好戦的な笑みを浮かべながら、君臨する。

 突如として現れた女性の姿を見て、龍人だけではなく朧すら驚きの表情を隠せない。

 

「……お前さんは、風見幽香」

「久しぶりね朧、会いたかったわよ」

 

 女性――風見幽香は朧の様子にますます浮かべた笑みを深めていく。

 意識を彼に向けたまま、幽香は後ろ居る龍人へと厳しい言葉を言い放った。

 

「こんな所でそんな阿呆面を晒している場合なのかしら? あの空飛ぶ船、あのままじゃ落ちるわよ?」

「ぁ……」

「それにさっきの醜態は何? 倒すべき相手が居るのに、あんな雑魚に圧される程度で自分の目的を果たせるのかしら?」

「…………」

 

 胸を突く言葉を受けて、龍人は何も言えなくなった。

 確かに今の自分の醜態は笑えない程に情けなかった、これでは幻想郷を守る事などできるわけがないではないか。

 

「……この地に咲く草花は、幻想郷を愛している」

「えっ?」

「私がここに来たのもそれが理由、花達がこの地に暮らす者達を守ってくれとフラワーマスターである私に言ったのよ。

 自分達ではなくこの地に生きる他者を守れと言ったの、その純粋で尊い願いを無視できるわけがないじゃない」

「幽香……」

「行きなさい。()()も動き始めたわよ」

 

 彼女がそう言った瞬間――周りの温度が急激に下がり始めた。

 秒単位で下がる気温は肌を刺し、空気を凍らせ、やがて生物の肉体すら凍てつかせていくだろう。

 ただの自然現象ではない、この現象はある妖怪の出現を意味していた。

 

「――冬以外は、あまり動きたくないのだけど、今はそんな事を言ってる場合じゃないみたいね」

 

 のんびりとした口調ながら、その身から極寒の嵐を放出し続ける女性。

 だがその凍てついた吹雪は龍人達には一切の影響を及ぼさず、彼等と敵対する存在だけに降り注ぐ。

 吹き荒れる嵐は地上を進攻する妖怪達を忽ち氷像へと変えていき、生きる為に必要な温もりを無慈悲に容赦なく奪っていった。

 

「レティ!!」

「はぁい龍人、それじゃああとはよろしく」

 

 そう言って龍人達の助けになった雪女、レティ・ホワイトロックは星輦船に降り立ち、その場で寝転がり休息し始めてしまう。

 冬以外の季節では彼女の力は大きく弱体化してしまう、だというのに彼女はわざわざこの死地に赴き力を貸してくれた。

 それだけで充分、空に居る吸血鬼の群れだけを相手にすればいいこの状況を作ってくれた彼女に、龍人達は感謝した。

 

「みんな、朧は幽香が相手をしてくれるから、俺達は吸血鬼達を倒すぞ!!」

「よーっし、やるぞー!!」

 

 皆の士気が上がっていく。

 ……だがその中でも、龍人の表情は晴れなかった。

 謎の痛みはまだ彼の身体を蝕んでいる、少しずつ全身から力が抜けていくような感覚にまで陥っている。

 

 ……それが何なのか、冷静になればすぐに理解できた。

 けれど彼はわからないフリをする、そんな事あるはずないと自らに言い聞かせる。

 そうしなければ戦えない、幽香の言ったように倒すべき相手が居るのだから。

 

「ちぃ……地上部隊が全滅だと……!?」

「致し方あるまい。“あれ”を使うぞ!!」

 

 苛立ちを隠せない様子を見せながら、吸血鬼達はある術式を空に展開させた。

 それは召喚術、だがその規模はひたすらに巨大なものであった。

 

――そこから現れる、岩の巨人。

 

 ゴーレムと呼ばれる使い魔の一種が喚び出されたが、その巨大さに圧倒される。

 山と呼ぶに相応しい巨体は凄まじいまでの威圧感を放ち、その腕は星輦船すら容易に握り潰せるだろう。

 どう戦えばいいのか、そもそもこの相手に攻撃が通用するのか。しかしやらねばならないと全員が自らを奮い立たせる中。

 

「オオオオオオオオオッ!!!!」

 

 空気を奮わせる程の雄叫びを上げ、ゴーレムが動き始めた。

 星輦船を文字通り叩き潰そうと、右腕を大きく振り上げるゴーレム。

 

「やばっ、退避退避ーっ!!」

「間に合わない!!」

「くっ!!」

 

 右手に持つ宝塔を天高く掲げる星。

 そこから放たれるのは無数の黄金に輝くレーザー、数十もの光の帯が一斉にゴーレムの身体へと命中した。

 しかし、多少岩の身体を削っただけでゴーレムの攻撃を阻止する事ができない。

 

 そして星輦船にゴーレムの豪腕が振り下ろされ……。

 

 

「っ、紫様!!」

「わかっているわ藍。……始まったようね」

 

 博麗神社の丁度真ん中に位置する地面の上で、紫は藍と今代の博麗の巫女である博麗霊奈(れいな)と共に博麗大結界完成の為の儀式を行いながら、龍人達の戦いを感じ取っていた。

 藍が声を荒げるが、紫はあくまでも冷静さを失わず集中力を乱さぬまま霊奈と共に大結界の展開を続ける事を決める。

 彼等ならば問題ない筈だ、たとえ誰が相手であろうと必ず勝利を掴み幻想郷を守ってくれると紫は強く信じていた。

 故に今の自分にすべき事を優先する、それは博麗大結界を一刻も早く完成させる事だ。

 

「紫さん……」

「霊奈、今は大結界の事だけを考えなさい。それが博麗の巫女であるあなたが今一番しなくてはならない事よ」

「は、はい!!」

「霊力を放出し続けなさい、この地の霊脈に博麗の巫女であるあなたの霊力を注ぎ込み、私の妖力と能力、そして協力者達の技術を組み合わせた術式を編み込めば大結界は完成する」

 

 ただ、既に丸一日以上続けているというのに、いまだ結界の完成には至っていない。

 それだけこの結界が大掛かりなものだという事を証明しており、しかも完成するまで少なくとも紫と霊奈はここから動く事ができないのだ。

 けれどそれももうすぐ終わる、紫と霊奈は大結界の完成だけを考えようと瞳を閉じ、意識を集中させようとして。

 

 

「――なんだ、龍人はまだこちらに来ないのか」

 

 

 神社へと続く階段を、ゆっくりと昇ってきた1人の女性。

 その姿を見た瞬間、紫達の脳裏に戦慄が走った。

 

「案ずるな、今はまだ何もせんさ。妾の目的は……あくまで龍人のみだからな」

 

 そう言い放つのは、美しく輝く銀の髪と獣の耳、そして一本の尾を持つ妖艶な美女。

 決して出会ってはならぬ、けれどいずれ倒さねばならない生きとし生ける者に対する絶対的な敵。

 

――神弧が、紫達の前に姿を現した。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第116話 ~守るべき家族の為に、白蓮VSオーガー~

 爆撃めいた打撃音が、大地を揺らす。

 身体強化魔法を全開にした白蓮の拳と蹴りの連撃に、鬼であるオーガーは後退する。

 すかさず踏み込み、下段からのアッパーカットを繰り出す白蓮。

 

「はっ!!」

「ひぃぃやははぁぁぁぁっ!!」

 

 裂帛の気合と共に放たれたそれを見て、追い込まれている筈のオーガーの口からは歓喜と狂気が入り混じった声が放ちながら、繰り出された白蓮の拳目掛けて手刀を放つ。

 今の彼女の一撃一撃はそれこそ鬼の剛力に匹敵する破壊力を秘めているが、それは西洋の鬼と呼ばれるオーガーとて同じ事だ。

 

「ぐっ!?」

 

 ぶつかり合う白蓮の拳とオーガーの手刀。

 結果、白蓮は僅かに苦悶の声を零しつつ大きく後退してしまった。

 それを追いかけるオーガー、一足で彼女との間合いを詰め巨岩すら軽々と粉砕する蹴りを繰り出した。

 

「っ、やあっ!!」

 

 眼前に迫る死の一撃を、白蓮は右足の蹴りで真っ向から受け止める。

 すぐさま両者は次の一手として両の拳を交えての接近戦を行ない始めた。

 秒が過ぎる毎におよそ三十もの応酬を繰り返し、百手以上もの拳のぶつかり合いを経てお互いに後退して距離を離した。

 

「……ふーっ、ふーっ……」

「んん~、いい拳にいい蹴りだ。全部まともにくらってれば身体が持っていかれちまうな」

 

 呼吸を整えようとする白蓮とは違い、オーガーはまったく呼吸を乱さすその表情にも余裕に満ち溢れている。

 やはり目の前の存在は強い、それも途方もなく。

 鬼という妖怪は総じて戦闘能力が高いのは白蓮も認識していたが、オーガーの力はそれ以上の規格外なものであった。

 魔力の消費など微塵も考えず、拳や足だけでなく全身に身体強化魔法を施して攻撃力と防御力を限界まで引き上げて尚互角なのだから。

 

“……いいえ、互角などではありませんね”

 

 そう、決して互角などではない。

 今はまだ辛うじて食いついているだけ、いずれ限界は訪れ敗北するのは必至。

 一手放つたびに明確な死のビジョンが白蓮の脳裏に浮かび、けれどそれを覆す手は一向に浮かんでこない。

 

「思った以上に愉しめたぜ。だが……そろそろ終わりにするか」

「……終わりになどしません。あなたはここで……私が倒します」

「大きく出やがったなぁ、そうこなくちゃ面白くない」

 

 くつくつと笑いながら、オーガーは右腕を大きく振り上げた。

 ……先程の言葉通り、勝負を決めるつもりのようだ。

 

「ところでよお……」

「?」

「お前、それだけの力があんのに……なんでこんな辺境でくすぶってんだ?」

「…………」

 

 その問いは、狂気に染まっていたオーガーの口から放たれたとは思えない程に、静かな口調で告げられた。

 

「魔法使いとしての実力は一流以上、おまけに自分の手足となる存在が多い上にどいつもこいつも並の妖怪以上の実力者。

 それだけのピースが揃ってる状態だってのに、何もできない人間や弱小妖怪の為に使う理由はなんだ?」

「人と妖怪が共に生きる世界が、幻想郷にはあるからです」

 

 それが白蓮にとっての理由、ただそれだけで充分であった。

 かつてそれを願い、叶えようと努力して、けれど叶う事のなかった夢。

 その夢を実現しようとする世界に辿り着く事ができた、共に歩む同志を見つけられた。

 

「……闇を知りながら、尚もその道を選ぶってのか?」

「人ではなくなってしまった私に、あの世界は成さねばならない夢を再び与えてくれたのです。かつて叶わなかった夢を見せてくれたのです。だからこそ……この世界を壊させるわけにはいきません!!」

「力を持ちながら弱者の考え方に縋る。やっぱりテメエは人である事を捨てきれてねえな」

 

 呆れと、ほんの少しの敬意を込めた声で、オーガーは言う。

 

「全て力で捻じ伏せてきたオレにはテメエの考えは理解できねえ。だがよ……その決意だけは買ってやる」

「……ありがとうございます」

 

 両の手を合わせ、オーガーに深々と礼をする白蓮。

 その態度にオーガーは呆れる事なく、黙って振り上げた右腕に妖力を込め続けていった。

 

――白蓮の瞳に、強く気高い決意の色が見られたからだ。

 

 オーガーにとって理解できない白蓮の決意はしかし、決して軽んじる事などできないものだった。

 そんな愚行を犯せば最後、自らの命を対価として支払わなければならなくなるだろう。

 

「さあ――終わりにしようや」

「…………」

 

 次で、勝負は決まるだろう。

 残っている魔力もそう多くはない、対する相手はまだまだ余力を残している。

 ……だが、負けられないのだ。

 ここで勝利しなければオーガーは龍人達に牙を向く、そうなれば幻想郷はおろかやっと再会できた“家族”すら喪う事になる。

 

 それだけは認められない、認めるわけにはいかないのは道理であった。

 だから白蓮は一度目を閉じ、頭に浮かんだ敗北のイメージを払拭させる。

 そしてゆっくりと目を開け……右の拳に全魔力を集中させた。

 

「捨て身の一撃か?」

「…………」

「そういう博打は嫌いじゃねえ、いいぜ……仕掛けてみろ」

 

 そう言ってオーガーはその場から動こうともせず、白蓮が仕掛けるのを静かに待つ姿勢を見せる。

 強者の余裕、ではなく敢えて白蓮の決意の一撃を先に仕掛けさせ、それ以上の力でねじ伏そうとしているのだ。

 だが白蓮も敢えてオーガーの挑発に乗る選択を選び、全ての魔力を右の拳だけに込めていった。

 

「…………」

「…………」

 

 静寂に包まれる場、両者は暫し睨み合い。

 

「――――南無三!!」

 

 地面を踏み抜く勢いで地を蹴り、白蓮はオーガーへと向けて吶喊した……。

 

 ■

 

 一足で、白蓮はオーガーとの間合いをゼロにする。

 この一撃で勝負を決めようと、白蓮は右の拳を神速の速度で叩き込もうとして。

 

 先手を仕掛けられた筈だというのに。

 彼女の拳よりも速く、オーガーの右腕による手刀が繰り出された。

 

 避ける事などできない。

 既に白蓮は攻撃の体勢に入ってしまっている、今更回避も防御もできずこのまま彼女の身体はオーガーの一撃によって肉塊へと変えられてしまうだろう。

 

「…………ああ?」

 

 しかし、彼女の命を奪えたと確信したオーガーの口から放たれるのは、怪訝に満ちた呟きであった。

 それと同時に彼の右腕に襲い掛かる衝撃、そちらに視線を向けると繰り出した筈の手刀が弾かれてしまっている。

 ……そこで彼は気づいた、白蓮の一撃が攻撃ではなく防御に使われたという事に。

 

 自らの魔力を攻撃と防御に割り振ったままでは、決して勝てないと白蓮は理解していた。

 だからこそ彼女は防御を捨て、全身に施していた身体強化魔法を一時的に解除すると同時に、その魔力の殆どを右の拳だけに送り込んだ。

 オーガーの言う通り、捨て身の一撃を彼女は選択し――けれど決して最初の一手ではその一撃を繰り出す事はしなかった。

 

 一撃で決める為に、自らの一手は絶対に当てなくてはならない。

 だが右の拳だけに魔力を集中させれば今までのような機動力は望めない、そうなれば間違いなくオーガーの一撃を受けて敗北する。

 故に彼女は右の拳でオーガーの一撃を弾いた、それにより当然残り少ない魔力は大きく消耗し、身体強化魔法を展開する事すらできなくなってしまった。

 

「無駄な足掻きだったな……幕切れだ」

 

 オーガーが動く。

 右の手刀が弾かれたとしても、彼の攻撃はまだ終わらない。

 今度は左腕で手刀を作り上げて、彼はそれを槍のように白蓮の身体へと突き出した。

 

「っ、ご、ぶぅ……っ」

 

 身体強化を施していない白蓮の身体は、普通の人間と大差ない強度しか持たない。

 呆気なく彼女の身体にオーガーの腕が突き刺さり、致命的な傷を負うと共に口から多量の血液を吐き出した。

 これで終わりだ、魔力も殆ど残されていない今の彼女の肉体は今の一撃に耐えられない。

 身体を突き刺した腕を抜き取れば、彼女は自らの身体を支えられずに倒れ込み、敗者という骸に変わるだろう。

 

「愉しかったぜ。じゃあな」

「っっっ」

 

 白蓮の身体からオーガーの腕が抜き取られ、傷口から溢れ出すかのような勢いで鮮血が噴き出した。

 ぐらりと揺れる白蓮の身体、そうして彼女はそのまま地面へと倒れ込み……。

 

「な、に……?」

 

 勝利した筈のオーガーの口から、驚愕の声が零れる。

 ――倒れない。

 致命傷を与え、魔力も尽きた筈の白蓮の身体が、まだ倒れない。

 一体どういう事だ、確信していた勝利の光景を浮かべていたオーガーの思考が、僅かに固まると同時に……彼は見た。

 

――命の灯火が尽きた筈の白蓮の左手が、しっかりと拳を作り上げている姿を。

 

「テ――――」

 

 すぐにオーガーは動いた、骸となった筈の彼女に更なる一撃を叩き込もうとするが。

 

「っっっ、負けられ、ないのです……!」

 

 その前に、白蓮は顔を上げ左の拳をオーガーの身体へと叩き込む!!

 

「ごぁ……!?」

 

 その威力たるや、強靭な肉体を持つオーガーですら血反吐を吐くほどの破壊力が込められていた。

 勝利した筈である相手からの思い一撃を受けた影響か、驚愕に満ちたオーガーの身体は反応を鈍らせる。

 

「――――」

「……はっ」

 

 互いの時間が、凍りつく。

 口元に笑みを浮かべるオーガーに対し、白蓮は死に体の身体を動かし右の拳をオーガーへと向ける。

 秒にも満たぬ刹那の瞬間、けれどお互いの勝敗は既に決していた。

 

 勝利を確信していた際に受けた一撃で、オーガーは動けない。

 対する白蓮は、自らの生命力を魔力に変換し、もう一撃だけ繰り出そうとしていた。

 

――これは、賭けであった。

 

 残された魔力では打倒できない、だから白蓮は相手に決定的な隙を作ろうと自らの肉体を犠牲にした。

 相手に絶対的な勝利を確信させる為に、最初は防御し最後の足掻きに見せかけてから、オーガーの一撃を受けたのだ。

 無論、その一撃で命を奪われる可能性は充分にあった、寧ろそうなる可能性の方が高く現に今の彼女の意識は殆ど消えかけている。

 

 されど。

 彼女の意志は、その奇跡を手繰り寄せた。

 

 どんなに苦しくても、一秒後に死が迫っているとしても関係ない。

 脳裏に浮かぶ家族の笑顔を守る為に、そして幻想郷を守る為に彼女は限界を超えた更なる先へと到達する。

 

「――ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 叫び、彼女は今度こそ最後となる一手を繰り出す。

 その決意と奇跡の一撃を、オーガーは目の当たりにして。

 

「見事だったぜ、女」

 

 心からの賞賛の言葉を放ちながら。

 白蓮の拳をまともに受け、地面を削りながら吹き飛んでいった……。

 

 ■

 

 オーガーの身体が、吹き飛んでいく。

 地面を削り、肉体を破損させ、けれど十数メートル程でそれは止まった。

 拳を繰り出したままの体勢で、白蓮はそれを見つめていたが。

 

「は、ぅ……」

 

 やがて耐え切れず膝が折れ、両手を地面に付ける事でどうにか倒れる事だけは阻止していた。

 

「が、ぶ、うぅ……」

 

 血を吐き出す、意識は断裂を続け今にも消えてしまいそうだ。

 しかしここで眠れば二度と起き上がれないとわかっているから、白蓮は必死に自らを繋ぎ止める。

 死ぬわけにはいかないと自らに言い聞かせ、彼女は全身に走る激痛と戦い続けていた。

 

――オーガーは、動かない。

 

 白蓮が放った渾身の一撃は、彼の命を奪い勝利を齎していた。

 だが今の彼女に勝利に酔う余裕はなく、そればかりか今まさにその命の灯火が尽きようとしていた。

 

「あ、ぐ……」

 

 視界が掠れ、遂に白蓮はその場で倒れ込んでしまう。

 もはや起き上がる気力すら湧かず、全身からは力が抜けてしまっていた。

 

「みん、な……ごめんな、さ……」

 

 涙を流し、皆に謝罪しながら……白蓮の瞳が閉じられる。

 

「…………?」

 

 消えかけていた意識が、戻っていく。

 それだけではなく、全身の激痛も消えていき、一体何が起きたのか混乱しつつ白蓮は閉じていた瞳を開いた。

 

「間に合ったみたいね、よかったわ」

「……永琳、さん?」

 

 自分に向けてほっとした表情を向ける永琳を見て、白蓮は目を白黒させる。

 既に肉体に痛みはなく、そればかりか消耗した魔力も全快していた。

 ……永琳が助けてくれたのは理解できたが、解せぬ点があり白蓮は身体を起こしつつ彼女へと問うた。

 

「何故あなたが此処に? それに龍人さんの話では、今回の件に介入しないと聞きましたが……」

「……私もそのつもりだったのだけれどね、私の最優先事項はあくまで輝夜の守護だもの。だけど……やっぱり放っておけなくてね」

 

 それに何より、他ならぬ輝夜に自らの考えを否定され激怒されてしまったのだ。

 守ろうとしてくれるのは嬉しい、けれどあなたはもう少し自らの感情に素直になりなさいと、優しくも厳しい口調で輝夜は永琳に言い送り出したのだ。

 

「輝夜さんに、感謝しなければなりませんね……」

「ふふっ、そうしてくれると嬉しいわ」

「……ですが永琳さん、まだ戦いは終わっていません」

 

 言いながら、白蓮はゆっくりと立ち上がり自らの状態を確認する。

 気力体力魔力共に永琳の薬によって全快している、ならば急いで戻らなくては。

 

「行きましょう、永琳さん!!」

「ええ、そうね」

 

 既に終わった戦いの場から飛び立つ白蓮と永琳。

 その際、白蓮は一度だけ骸となったオーガーへと視線を向け。

 

「…………」

 

 そっと両手を合わせ、喪われた魂が成仏できるよう祈りを捧げてから、幻想郷へと帰還していった。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第117話 ~因縁の終わり~

「――いい加減、諦めたらどうですかい?」

「あら? 命乞いかしら?」

 

 全身の至る所から血を流しながら、口元に笑みを浮かべつ皮肉を述べる幽香に、同じく傷だらけになっている朧は呆れたように溜め息を吐いた。

 両者の戦いは、既に他者が踏み込めない程に激しさを増し、また両者の状態がそれを物語っている。

 現状では互角に見えるが、実際には僅かに幽香が圧しているという状況であった。

 

「幻想郷から随分離れてしまいましたが……これも狙いだったので?」

「ええ。だってあの地の花達が戦いに巻き込まれたら可哀想じゃない」

「……心配するのは、花達だけとは」

 

 朧の呟きに「当たり前じゃない」と返しつつ、日傘の切っ先を向ける幽香。

 同時に向けるその瞳は、朧に次で勝負を決めると告げており。

 

「いいでしょう。本命が控えている以上、いつまでもお前さんの相手をするのは時間の無駄でさあ」

「……本命?」

「あっしの狙いはあくまで龍人さんでありお前さんはあくまで前座、前座相手にいつまでも遊んでいる意味などありやせん」

「…………」

 

 それは、あからさまな挑発であった。

 お前など相手にならないと、かつて月で戦った時と同じように朧は風見幽香という存在を見下している。

 ……前ならば、間違いなく幽香は激昂していただろう。

 自分こそが誰よりも強いと信じ、他者に負ける事などなかった頃の自分ならば、今の言葉で己を見失い……そのまま斬り伏せられていただろう。

 

 だが彼女は世界を知った、強いというものが何なのかを理解した。

 だから幽香は朧の言葉に流されず、ただ黙って口元に余裕に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「成長したもんですなあ……致し方ありやせん。全力で叩き潰すとしましょうか」

「上等。まあそれでも勝つのは私よ」

 

 そう言って不敵な笑みを見せる幽香に、朧は。

 

「――なら、追いついてみせてもらいやしょうか!!」

 

 そう叫び、幽香の視界から一瞬で消え去った。

 

「なっ――」

 

 すぐさま視線を周囲に向ける幽香だったが、朧の姿は見えない。

 気配は感じ取れるものの、彼があまりにも速く動くので姿を捉える事ができなかった。

 今の朧はあの天狗以上の速度で動いている、龍人の紫電に匹敵する程だ。

 

「っ、ちぃっ!!」

 

 背後に走る悪寒に、幽香は反応し全力でその悪寒から逃れようと身体を動かす。

 刹那、彼女の背中に向かって銀光が奔り、回避行動に移っていた筈の幽香の背に縦一文字の傷を刻ませた。

 

「があっ!!」

 

 すぐさま日傘を横殴りに放つが、不発に終わる。

 幽香がそれを理解した時には、彼女の身体に六つの裂傷が刻まれ鮮血が舞った。

 秒単位で、幽香の身体に朧に斬撃が叩き込まれていく。

 しかし反撃しても不発に終わるだけで、幽香は完全に朧のスピードに翻弄されてしまっていた。

 

「……よく保つ。たいしたもんですなあ」

 

 感嘆の声を上げながら、朧が幽香の前に姿を現した。

 ……既に彼女の身体にはおびただしい程の刀傷が刻まれており、けれど彼女の凄まじいまでの反応速度と身体能力によって致命的な傷は負ってはいなかった。

 とはいえそれも時間の問題、如何に幽香の身体が頑強であったとしても負った傷は浅いものではなく確実に彼女の動きを鈍らせていくものだ。

 このまま相手の攻撃を受け続ければ、彼女の敗北は避けられない。

 

「成る程。その妖刀の力って訳?」

「ご名答でさあ。この妖刀【天空丸】は持ち主の身体能力を極限まで引き上げる、単純で面白みもない能力ですが……あっしとは相性がいい」

「本当に腹が立つわね、今まで手加減してきたって事?」

「言ったでしょう? お前さんはあくまで前座だと」

「…………ふうん」

「おとなしく斬られてくだせえ。本当にこれ以上は時間の無駄なんでね!!」

 

 再び朧の姿が消える。

 超高速で動く彼の姿を、幽香は先程と同じく捉える事ができない。

 そして――遂に立っていられなくなるほどのダメージを負ったのか、幽香はその場で膝をついてしまう。

 

「往生してもらいやしょうか!!」

 

 好機と見たか、朧は最後の勝負を仕掛けた。

 刀身に自身の妖力の大半を込め、一刀の元に両断しようと大きく天空丸を振り上げる。

 次に放たれる一撃は、いかなる大妖怪の肉体すら耐えられるものではないと理解しているというのに、幽香は見上げるだけで抵抗の意志を見せない。

 

 そして、朧の一撃が幽香の左肩へと吸い込まれるように振り下ろされ。

 その瞬間、両者の戦いは終わりを告げた。

 

 ■

 

「………………な、に?」

 

 驚愕の声が、朧の口から放たれる。

 一体どういう事なのかと、彼は自身の視界に広がる光景を目にして完全に動きを止めてしまった。

 必殺の一手、この世全てを斬り捨てられる筈の斬撃は、確かに幽香の身体に叩き込まれた。

 舞い散る鮮血がそれを物語っているし、斬った感覚は今も天空丸を握り締めるこの両手に残っている。

 だというのにだ、だというのに何故。

 

「――前座、と言ったわよね?」

 

 何故、もう肉体は限界を迎えた筈だというのに。

 彼女は、風見幽香は今も自身に力溢れる瞳を向けているのか、朧は理解できないでいた。

 とはいえ呆けるのも一瞬、朧はすぐさま我に帰り幽香の身体に刺さっている天空丸に改めて力を込め、両断しようとするが。

 

「その意見には同意するわ。だって――私も同じだもの」

 

 幽香の左手一本で刀身を握り締められたままぴくりとも動かず、抜き取る事すらできなかった。

 

「お前さん、一体」

「いつまでも遊んでられないと思っていたのは私も同じだったけど、やっぱりまだまだ認識が甘かったようね、あなたは充分に強い。

 だから本気を出すと決めた、花達に負担が掛かってしまうけどあの子達は喜んで私に力を貸してくれるみたいだから……全力で叩き潰してあげる」

 

 瞬間、凄まじい妖力が幽香の身体から溢れ出した。

 それは瞬く間に風を生み出し、勢いは増し嵐と化していく。

 そして、彼女の背中に六枚の植物で形成された羽根が生み出された瞬間。

 

「ごぁ……っ!?」

 

 朧の身体は容易く幽香の右腕による拳で殴り飛ばされ、そのままの勢いで天空丸を手から離してしまう。

 自身の身体に刺さったままの天空丸を鬱陶しそうに抜き取る幽香。

 

「が、ぐぅ……この力、は……」

「フラワーマスターの私は植物、特に花達から力を分けてもらう事ができるの。これが私の“とっておき”、たかだか花だと侮ったとしても侮らないとしても……あなたの敗北はもう決まったわ」

 

 そう言って、幽香は何故か朧の前に天空丸を投げ捨てる。

 その行為はまるで、たとえその刀を用いて立ち向かっても絶対に自分には適わないと告げているようで、朧は額に青筋を浮かべながら立ち上がった。

 

「随分と大きく出たもんですな……あっしに勝てると?」

「勝つわ。だってあなた……やっぱり私にとって前座でしかないもの」

「…………」

「私が強さを認めている存在はこの世に2人しか居ない。ああでもあなたは少し強いわ、だってこんなに傷ついたのは初めてだもの」

 

 だから褒めてやると、幽香は心が凍り付いてしまうような笑みを朧に向ける。

 それを見た朧は、すぐさま天空丸を握り締め幽香へと踏み込んだ。

 放たれる斬撃は最速、侮辱された怒りを込めた一撃は先程以上の鮮烈さを見せていた。

 

「――――」

「さすがに、素手で受け止めるのは痛いわね」

 

 だというのに、幽香には届かないばかりか片手だけで受け止められてしまった。

 信じられぬ光景に、再び朧の身体が固まってしまい、その無防備な肉体に幽香はどこからか出現させた愛用の日傘を叩き込み再び彼を殴り飛ばす。

 血反吐を吐きながら吹き飛んでいく朧に幽香は踏み込み、拳、蹴り、日傘の連撃を繰り出しながら確実に彼の肉体を破壊していく。

 そして、もはや意識の殆どを失った彼は――自らの最期を悟らざるをえない光景を目にする事になる。

 

――彼女の周りに浮かぶ、高エネルギーが込められた七つの光球。

 

 それは一つ一つが必殺の“砲撃”だと、朧は理解して。

 

「――マスタースパーク」

 

 幽香の、静かな口調から放たれる力ある言葉を耳に入れ。

 七つの砲撃が、一斉に朧の身体を呑み込んで。

 

「…………完敗でさあ」

 

 満足そうな笑みを浮かべながら敗北を認めた朧は、極光の中へと消えていった……。

 

 ■

 

 何が起きたのか、龍人達はすぐに理解することはできなかった。

 山のように巨大なゴーレムの豪腕が、星輦船を叩き潰そうとした瞬間――七色の光線が降り注ぎゴーレムの動きを止めた。

 それはわかる、だがこの場に居た誰もがそんな芸当をする余裕はない。

 では一体誰が……全員がその疑問を浮かべる中、彼等の前に2人の“吸血鬼”が降り立った。

 

「あれだけ大きいと、命中させるのも簡単ね」

「でも仕留められていないわフラン、だから先に用件を済ませましょう」

 

 金糸の髪と枯れ木に宝石が取り付いたような特徴的な翼を持つ少女に、青髪に蝙蝠のような翼を持つ少女が話しかけている。

 まだ困惑している龍人達に、青髪の吸血鬼は頭を下げ――自分達の名を明かした。

 

「はじめまして、あなたが龍人?」

「あ、ああ……君達は?」

「わたしはレミリア、レミリア・スカーレット、そしてこの子は妹であるフランドール・スカーレット。

 我が母、ゼフィーリア・スカーレットと我が父、ロック・スカーレットとの古き盟友の誓いに従い、貴公らの助けに来た」

「…………えっ?」

 

 レミリアと名乗った少女の言葉に、龍人は目を見開き驚きの表情を見せる。

 懐かしき名、決して忘れる事などない友の名を聞いただけではなく、この少女は今あの2人を父と母だと言ったのだ。

 それで驚くなという方が無理な話であり、そんな龍人の心中を悟ったのかフランドールは苦笑を浮かべ、一方のレミリアはまるで悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。

 

「その様子だと母様も父様もわたし達の事を話していなかったようね」

「お母様がきっと秘密にしようって言ったんだろうね、お父様はお母様に逆らえないし」

「でしょうね。まあとにかく支援をしてあげるから感謝しなさい」

 

 尊大な物言いを見せるレミリアを見て、成る程確かにゼフィーリアの面影があると龍人は思った。

 ただ強大な力とカリスマを見せる彼女とは違い、レミリアはどこか幼さも見え隠れするので、背伸びをしている子供のようにも見える。

 

「――ゴオオオオオッ!!!!」

 

 空気と大地を響かせる雄叫びと共に、ゴーレムが再び動き出す。

 

「あれ? スターボウブレイクの直撃を受けたのに、全然堪えてない?」

「どうやらあのゴーレム、見た目通りの頑丈さみたいね」

「そういう事だ。裏切り者共!!」

 

 そう告げるのは、ゴーレムの周囲に展開していた吸血鬼の1人であった。

 レミリアとフランドールに向かって敵意と憎悪、そしてほんの少しの畏怖の感情を向けながら、2人を睨んでいる。

 

「裏切り者? それは一体どういう事かしら?」

「知れたこと、吸血鬼でありながらそちら側に付いた貴様等が裏切り者と呼ばす何と呼ぶ!?」

「……ああ、そういう事か」

 

 その言葉にレミリアは納得するように小さく頷きながら……紅い瞳に憤怒の色を宿し、同族である彼等を睨みつけた。

 見た目は幼き少女ながら、その瞳から発せられる重圧感は凄まじく、数で勝る筈の吸血鬼達の多くがレミリアの眼光に脅えの表情を見せていた。

 そんな情けない姿を見て嘲笑するように笑いながら、レミリアは言葉を続ける。

 

「はたして、裏切り者はどちらの方かな?」

「何だと……!?」

「わたし達スカーレット家が魔界に居る事を良いことに、随分と地上で好き勝手していたようじゃないか。次期スカーレット家の当主として、灸を据えねばならないと思っていたんだ」

「お母様も、龍人お兄ちゃん達の手伝いをする時にあなた達をいっぱいお仕置きしちゃっていいって言ってたから……沢山、遊ぼうね?」

 

 にっこりと、見た目相応の笑顔を浮かべるフランドールであったが、その瞳は笑ってはおらず吸血鬼として相応しい狂気と残酷さを見せていた。

 今にも吸血鬼達の群れに飛び込み蹂躙しようとしているフランドールを宥めつつ、レミリアは龍人へとある懸念を伝える。

 

「龍人、お前はもう幻想郷とやらに戻った方がいい」

「えっ?」

「……嫌な予感がする。わたしは母様程ではないが運命を観る事ができてね、向こうの方角から……得体の知れない運命を感じ取った」

 

 そう言ってレミリアが指差した場所へ視線を向け、龍人は愕然とする。

 その方角は間違いなく幻想郷、それも……現在、紫達が居る博麗神社の方角だ。

 ……ぞわりと、全身が総毛立った。

 脳裏に浮かぶ最悪の未来が、龍人を一刻も早くここから離脱させ紫の所に急げと騒ぎ立てる。

 

「龍人さん、ここは私達に任せてください!!」

「星……?」

「こいつらをここから先へは一歩も通さないわ。だから龍人は紫の元に行って!!」

「一輪……」

 

 だがしかし、レミリアとフランドールという協力者が現れたとしても、状況が不利な事には変わりない。

 彼女達の言葉を有難いと思うと同時に、どうしても躊躇いが生まれ龍人は行動に移る事ができなかった。

 

「オォォォォォォッ!!!!」

 

 ゴーレムが唸り、その豪腕を龍人達へと振り下ろす。

 今度こそ命じられたままに、星輦船ごと龍人達の命を奪おうとして。

 

――その巨体に、紅き神槍と炎の魔剣が叩き込まれた。

 

「邪魔だ、木偶人形風情が」

「龍人お兄ちゃんの邪魔は、させないよ?」

 

 レミリアとフランドールの手にいつの間にか握られている武器、それはかつてゼフィーリアとその妹であるカーミラが使っていた、スカーレット家に伝わる宝具。

 “神槍”スピア・ザ・グングニルと、“魔剣”レーヴァテインを展開した2人が、ゴーレムの強固な身体に明確なダメージを与えていた。

 

「龍人お兄ちゃん、急いで!!」

「せっかく私達が雑魚の相手をしてやると言っているんだ、その厚意を無碍にする気か?」

「…………」

「グ――ゴオオォォォォォッ!!」

 

 神槍によって腹部に風穴を開けられ、魔剣によって左腕が砕かれているというのに、尚もゴーレムは動き再び攻撃を仕掛ける。

 だがそれが龍人達に届く事はなく、星が持つ宝塔から放たれた貫通性に優れたレーザーによってゴーレムの肉体が蜂の巣にされた。

 ……先程は殆ど通用しなかったが、それは単に宝塔へと込める力が小さかっただけである。

 仮にも毘沙門天の宝塔だ、それがゴーレム如きに通用しない道理はない。

 レミリアとフランドールの一撃、更に星の追撃を受け遂にゴーレムの身体に限界が訪れ機能を停止させる。

 ガラガラという音を響かせながら崩れ落ちていくゴーレムの残骸には目もくれず、レミリアは再び龍人に向かってここからの離脱を促した。

 

「早く行け、お前の戦う場所はここじゃない」

「……みんな、無理はするなよ」

「合点承知ノ介!! いいから早くゆかりんの所に!!」

「レミリア、フランドール、頼む!!」

 

 全力でこの場から離脱を始める龍人、当然それを見逃すわけもなく吸血鬼達が動き出そうとするが。

 

「おっと、龍人の所には行かせないわよ!!」

「もこたん、復活したんだね」

「本当に蓬莱人というのは不思議生物なのね……」

 

 それを阻止する為に、妹紅と水蜜と一輪、そして雲山が彼等の前に立ち塞がった。

 

「ええいっ、邪魔をするのならばここで死んでもらうぞ!!」

「やれるものならやってみなさい、いくわよ雲山、みんな!!」

「応っ!!」

「みなみっちゃんの力、とくと味わえーっ!!」

 

 吶喊する一輪達、レミリアとフランドールもその後に続く。

 更に星輦船の船上に残った星とナズーリンも動き出し、戦闘は一気に激化していった。

 

 それを背中越しに感じながら、龍人は一気に神社に向かって飛翔していく。

 レミリアの言った嫌な予感が現実にならないよう、祈りながら……。

 

 

 

 

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第118話 ~龍の子と神なる妖、神々の戦い~

「だからそう警戒するな。さっきも言ったが龍人が来るまではおとなしくしているさ」

「…………」

 

 そう言って石畳の上に座り込む神弧だが、当然ながら彼女と対峙している藍はその言葉を信じず、絶殺の意志を込めた瞳で相手を睨みつけていた。

 

「気持ちはわかるが落ち着け、仮初の肉体とはいえ妾とお前は同種だ。少しは慈悲を与えてやりたい」

「ふざけるな、敵に情けなど掛けられる筋合いはない!!」

「そんなに相手をしてほしいのならばしてやってもよいが、命を粗末にするだけだぞ?」

「っ、本当にそうなるのか試してやろうか!?」

 

 激昂し、妖力を開放する藍に対して、神弧は興味など微塵も湧かぬとばかりにつまらなげな表情を浮かべている。

 その態度がますます藍を苛立たせ、自身の牙と爪でズタズタに切り裂いてやろうと両足に力を込めると同時に。

 

「――止しなさい、藍」

 

 後ろに居る主の制止する声を耳に入れ、踏み止まった。

 

「紫様、ですが……」

「賢明だな。生きている以上は一秒でも長く生き延びたいだろう?」

「……1人で戦うのは止しなさい、あなただけでは絶対に勝てないわ」

「っっっ」

 

 わかっている、藍とて紫に言われなくともわかっていた。

 目の前の存在には適わない、どんな奇跡が起きようとも勝利する事などできないと理解している。

 ただそれでも、何もしないわけにはいかなかったのだ。

 

「妾に勝てる可能性があるのは龍人だけだ。肉体ではなく魂そのものにダメージを与えられる者は居るかもしれんが、それだけでは妾には届かぬ。

 龍神の力を用いた秘術である【龍技】は、魂そのものに干渉し消滅させる事のできる技。故に妾の相手をできるのは龍人だけ、それがわかったのならおとなしくしていろ」

 

 そう言ってから、神弧は欠伸をしつつその場で横になる。

 なんという屈辱か、自身に殺意を抱いている相手を目の前にしても尚このような態度を見せる神弧に、藍は激しい憤りを覚えた。

 

「藍、もうすぐ大結界の術式が完成する。そうなれば私も戦えるわ」

「…………」

「無駄だ紫、いくらお前とて妾には適わんさ」

「どうかしら? そんな事やってみないとわからないと思うけど?」

「わかるさ。お前の境界を操る能力は妾には効かんし、この仮初の肉体を滅ぼしたとしても妾は消えん。いずれまた他の肉体を捜し出すだけだ。それはお前も望まぬだろう?」

「…………」

 

 神弧の言葉に、紫は小さく舌打ちした。

 彼女の言う通り、この世に受肉する為に使用している肉体を破壊するだけでは問題は解決しない。あくまでも精神生命体である神弧の魂そのものを消滅させなくては……平和は訪れないのだ。

 

「――来たか」

「っ、龍人!!」

 

 神弧と紫達の間に割って入るように着地し、龍人は神弧を睨みつけながら身構える。

 戦う意志を見せられたからか、神弧は口元に笑みを浮かべつつゆっくりと立ち上がった。

 

「待ちわびたぞ龍人、さて……では早速始めるか」

「……場所を変えるぞ」

「いや、ここでいいさ」

 

 言うと同時に、神弧の姿が龍人達の前から消える。

 同時に龍人もすかさず両手に光の剣を生み出し、右の剣を眼前へと向けて横薙ぎに振るった。

 右腕に響く衝撃、見ると神弧の右の手刀を光の剣が受け止めていた。

 ……デタラメな速さだ、正直今のは偶然防げたに過ぎない。

 

「今のも反応できないとなるとつまらん、そうでなくてはな」

「くっ!!」

 

 やはり相手は正真正銘の化物だ、出し惜しみなどすればすぐに殺される。

 

「藍、紫の傍にいろ。絶対に俺の傍に近づくな!!」

「えっ?」

「うおおおっ!!」

 

 激昂の声を放ちながら、光の剣で神弧の身体を吹き飛ばす龍人。

 相手の距離が離れた事を確認しつつ、龍人は懐から小瓶を取り出し、中に入っていた金色の液体を一気に飲み干した。

 

「龍人、何を飲んだの?」

「紫、早く大結界を完成させてくれ!!」

「やはり愛する女が危険な目に遭うのは耐えられんか? だからこそ、ここで戦おうと言ったのだがな」

「黙れ、紫に手を出したら殺してやるぞ!!」

「最初から妾を殺すつもりのくせに、本当に大切なのだな。――それが奪われた時、お前は一体どれだけの絶望に襲われるのかな?」

 

 くつくつと、本当に愉しげに神弧は笑う。

 紫を殺す、その言葉を聞いて龍人の表情に憤怒の色が宿った。

 

「もう語る事はない。お前は……必ず倒す!!」

「そうだな、もう語る必要もない……最後の時まで、精一杯愉しもうか!!」

「この世界は壊させない、消えるのはお前だけだ!!」

 

 ■

 

 龍人の猛攻が始まり、神弧はすぐさま博麗神社から遠ざかっていく。

 ここを戦場にしない為だ、それを確認してから紫はすぐさま意識を集中させ大結界の生成を再開させる。

 

「……紫様」

「藍、私の傍に……彼を追っては、駄目よ」

「…………どうして、私はこんなにも役立たずなのですか?」

 

 悔しそうに、藍は己の無力さを噛み締めながら涙を流した。

 だがそれは彼女も同じ、あの怪物を彼1人に任せてしまっているこの状況に、そして何もできない己自身が情けなくて……怒りすら覚える。

 それでも今は大結界を完成させなくてはならない、これだけの秘術を途中で中断すれば術式が逆流して幻想郷の地が不毛の大地に変わってしまう。

 

「自分にできる事がきっとある、そしてそれは龍人と共に戦う事ではない筈よ」

「では、私は何をすればよいのですか? 私は……紫様と龍人様の式だというのに」

「考えるのよ、必死に考えて考えて考え続けて、成すべき事を果たせばいい」

「…………」

 

 頷きだけを返し、藍はじっと龍人達が向かっていった方角を見つめ始める。

 

「……龍人さん、何を飲んだのでしょうか?」

「わからないわ」

 

 だが、あの状況で単なる飲料を飲んだとは考えられない。

 だとするとあれは何だったというのか、疑問は尽きず……同時に、嫌な予感がした。

 

 そんな紫の疑問は、白蓮を連れて神社へとやってきた永琳の口から答えられた。

 

「――彼は、戦いに行ったのね」

「永琳、聖も……」

「星達は、まだ戦っているのですか!?」

「落ち着きなさい。魔力も体力も殆ど底を尽いている状態じゃ何もできないわ、少し休みなさい」

 

 すぐに星達の元へと向かおうとする白蓮を制止ながら、永琳は紫達の元へ。

 

「協力しないんじゃなかったの?」

「輝夜が煩いのよ、それより……彼は戦いへ?」

 

 永琳の問いに、頷きを返す紫。

 すると何故か彼女は僅かに表情を曇らせ、その顔を見た紫の身体に悪寒が走った。

 

「……永琳、彼がここから離れる前に小瓶に入った液体を飲んだのだけれど、あれは何?」

「…………そう、飲んでしまったの」

「質問に答えて、あれは」

「私が彼の為に処方した、龍人族の力を最大限に引き出す秘薬。彼に移植された右腕は今の彼以上の力を持っているけど、当然彼には扱えない。だから薬で強引にあの右腕の力を引き出す事を彼が選択したのよ」

「強引に、引き出す……?」

 

 ちょっと待て、なんだそれは。

 ある不安が一気に紫の中で膨れ上がっていく、そしてそれは。

 

「――当然副作用が強い薬よ。できるだけ服用するなと伝えたけど、やっぱり服用したのね」

 

 永琳の言葉で、その不安が決して杞憂ではないという事を、思い知らされた。

 

「待って永琳、それって……」

「大丈夫よ。服用すれば死に至るわけじゃない、でも確実に寿命は縮んでしまうわ」

「どうしてそんなものを!!」

 

 激昂し、永琳に掴み掛かる藍。

 

「彼が望んだ事よ。全ては幻想郷の未来のため……私が何度危険性を話しても意味がなかったわ」

「龍人……」

 

 ああそうだ、彼ならばたとえどんな危険な道でも夢の為ならば躊躇いなく突き進む。

 だからその選択に意義を唱えるつもりはない、けれどどうして自分だけで決めてしまったのかと思ってしまった。

 今こうしている間にも、彼は命を削り続けているのに……何故彼の元に駆けつけられないのか。

 

「……彼の行動に不服なら、追いかけて説教をしてあげなさい」

「永琳……?」

「そうですよ紫さん、藍さんと一緒に龍人さんを叱ってあげてください!!」

「霊奈まで……」

「あなたの分は私が賄ってあげるわ、それにここまで完成しているのなら後は私でも大丈夫だから。――行きなさい」

「…………」

 

 藍へと視線を向けると、彼女は静かに紫に対し頷きを返した。

 

「……ありがとう。藍、いきましょう」

「はい!!」

 

 すぐに飛び立ち、龍人達が向かった方角へと移動を始める紫と藍。

 死闘はまだ続いているだろう、手遅れになる前に向かわなければと思いながらも、紫と藍は焦る気持ちを抑えつつ彼の元へと向かっていった……。

 

 ■

 

 共に戦える、紫も藍もそう思っていた。

 3人で戦えば、あの災厄すら倒し幻想郷を守れると確信めいた自信が確かに存在していた。

 けれど――龍人と神弧の戦いをこの目でみた瞬間、それが如何に傲慢な考えだったのかを思い知らされた。

 

『…………』

 

 紫も藍も、目の前に広がる光景を唖然としたまま眺める事しかできない。

 戦いは既に始まっており、龍人と神弧の攻撃が幾重にも交差する。

 そんな2人が戦う場所は広々とした荒野、しかしそこは元々そういった地だったわけではない。

 

 ここは確か山々が連なる場所だった筈、だというのにそれが文字通り消えてしまっている。

 ……両者の戦いの余波を受けた結果だと理解し、2人は戦慄した。

 

――まさしくそれは、神々の戦いであった。

 

 両手に光の剣を持って、旋風の如し全身全霊の一撃を放ち続ける龍人。

 それを正面から、怯む事なく両手による手刀で弾き返す神弧。

 上下左右、あらゆる角度から間断なく繰り出される無数の剣戟は、一撃一撃が必殺の領域だった。

 

「……なんて、戦いだ」

 

 掠れた呟きを放ちながら、藍は自らの身体を震わせた。

 あまりにも自分とは違い過ぎる、安易に近づけばその瞬間に細切れにされると理解すれば、援護などという選択は選べない。

 

 力も、速度も、あまりにも常軌を逸している。

 互いが交差すれば大地は揺れ、周囲にあるもの全てを破壊し、秒単位でその範囲は広がっていった。

 幻想郷からかなり離れた位置で戦っているのも、こうなると予期していたからなのだろう。

 

「…………」

 

 紫もまた、藍と同じく龍人の戦いをただ眺める事しかできないでいた。

 境界の力を試してみたが通用せず、かといって単純な戦闘能力だけでは神弧に太刀打ちできない。

 ――敵の力は、紫の予想の遥か上だった。

 あれから自分も力を磨いてきたと自負しているが、それでも尚相手には届かない。

 

「っ」

 

 悔しげに表情を歪ませ、全力でこの状況を打破する策を模索する紫。

 だが無意味、聡明な彼女はすぐに「自分では何もできない」という結論に達してしまう。

 

「そらぁっ!!」

 

 放たれる神弧の声。

 振るわれる左の手刀が、龍人の脇腹に直撃し彼の身体が宙に弾け飛んだ。

 まともに受けたのか、苦悶の表情を浮かべ息を詰まらせ隙を見せた龍人に、神弧は自身の尾で追撃を仕掛ける。

 全てを穿つ銀の槍が彼の身体を貫こうとするが、反応が間に合ったのか彼は咄嗟に身体をひねって直撃を避けた。

 

「っ、龍人……!」

 

 だが薄皮一枚とはいかず、身体を削られ鮮血が舞う。

 決して浅くはない傷を受けてしまった龍人だったが、すぐさま体勢を立て直し再び神弧の死闘を再開させた。

 それを先程と変わらず余裕の表情で弾く神弧、状況はまるで変わっていない。

 

「…………」

 

 否、限界は刻一刻と迫っている。

 先程のダメージのせいか、それとも余力を残さず全力で攻撃し続けているせいか、少しずつ龍人の動きが精彩を欠いていく。

 息は乱れ始め、歯を食いしばって攻撃を続けている龍人の姿はただ痛々しかった。

 

「どうし、て……」

 

 こんなにも、自分は弱いのかと紫は己の無力さに絶望する。

 能力が相手に通用しなければ、自分など大妖怪どころかそこらの小娘同然ではないか。

 何もできない、今にも崩れ落ちて力尽きようとしている龍人に対して、何もできる事がない。

 

「ぐっ……!?」

 

 上段からの手刀を受け流そうとした龍人の口から、苦悶の声が零れる。

 同時に彼の足が地面に沈み、一瞬だけ無防備となった身体に銀の尾が迫った。

 

「龍人!!」

 

 駆けた。

 何もできないのは先刻承知、けれどこれ以上このまま見るだけでは我慢ならない。

 せめてこの身体で彼の盾になろうと、紫は走り出して。

 

龍爪撃(ドラゴンクロー)!!」

 

 黄金の牙が、銀の尾を弾き飛ばす光景を目にした。

 神弧の身体が揺れ、弾かれた衝撃で彼女に隙が生まれる。

 

龍尾撃衝(ドラゴンテール)!!」

 

 その隙を逃さず、黄金の足で龍人は神弧の身体を蹴り上げる。

 神速の速度で放たれたそれは神弧の顎を僅かに掠めるだけに留まるが、それで充分ダメージを与えられた。

 

「ぎ、ぐ……」

 

 僅かに苦悶の声を漏らしながら、血反吐を吐く神弧。

 龍尾撃衝(ドラゴンテール)の破壊力は掠っただけでも致命傷になる一撃だ、如何な神弧とて当たれば無事では済まない。

 初めてこの戦いで明確なダメージを与えられた神弧は、歓喜の表情で龍人を睨むが思いのほか衝撃が強かったのかすぐには動けずにいる。

 その隙は逃せない、千載一遇のチャンスを得た龍人は勝負に出た。

 

龍爪撃(ドラゴンクロー)!!」

 

 まずは神弧の顔面に黄金の牙を叩き込み、すかさず左足に“龍気”を込めていく。

 

龍尾撃衝(ドラゴンテール)!!」

 

 回し蹴りのように叩き込まれる龍の尾は、神弧の脇腹に突き刺さり衝撃波の余波は大地を横薙ぎに削り飛ばした。

 ……まともに、命中した。

 先程のような掠りではない、龍人の最強最大の一撃がまともに神弧の身体に突き刺さったのだ。

 神弧の身体が折れ曲がり、大地を血の池で汚していく。

 

「取った……!」

 

 両手で握り拳を作り、藍が叫んだ。

 それは勝利を確信した叫びであり、また紫自身も藍と同じ考えに至っていた。

 まだ神弧は先程の一撃から立ち直っていない、とはいえ持ち直すのに二秒も掛からないだろう。

 

 けれど勝負は一秒後に決まる、既に龍人は両手による神龍爪撃(ドラゴンクロー)の準備を終えているのだから。

 これ以上は望めないという絶好の好機を彼は手繰り寄せ、倒すべき相手の命を奪おうとしている。

 勝った、言葉には出さず紫は今一度そう確信して。

 

「――――――あ」

 

 間の抜けたような龍人の声が、聞こえたと思った時には。

 

 彼は両手を前に突き出した体勢のまま、前のめりに倒れ込んでしまった……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第119話 ~龍の子の決意~

――決まった筈であった。

 

「…………え?」

 

 目の前の光景を見て、紫と藍は目を見開いたまま固まってしまう。

 ――何が起きた?

 怒涛の連撃を受け、決定的な隙を見せた神弧に龍人は最後の勝負に出た。

 

 だというのに、何故。

 最後の一撃を放とうとした龍人は倒れ、一向に起き上がろうとしないのか。

 

「……嘘、だろ……」

 

 起き上がろうとして、けれど動けないまま龍人が驚愕に満ちた呟きを零す。

 自分の身体に一体何が起こったのか、彼は理解しながらも……認めようとはしない。

 そんな彼を冷たく見下ろしながら、神弧は少しの憐れみと呆れを含んだ口調で。

 

「残念だよ龍人、お前の身体はもう……終わりを迎えてしまったんだ」

 

 認めなくない、認めるしかできない事実を口にした。

 

「くっ……!」

「いや、正確にはとうの昔に限界を迎えていたのだろうな。お前の肉体は所詮半妖、龍人族の力を扱い続ければ……こうもなろう」

「ま、まだだ……まだ、俺は……!」

 

 顔を上げ神弧を睨む龍人だが、どんなに足掻いても指一本動かす事ができなかった。

 まるで意識と身体が分離してしまったかのように動かせない、それは即ち神弧の言う通り彼の身体に限界が訪れてしまった事を意味していた。

 けれど龍人はそれを認めず、尚も足掻こうとする意志を見せる。

 

「楽しませてもらったぞ龍人、今まで様々な世界を破壊してきたが妾の魂をここまで傷つけた者はそう多くない」

 

 彼の力を認める言葉を放ちながら、神弧は右腕を振り上げる。

 せめてもの慈悲と、一撃で彼の命を奪おうとして――神弧の身体が炎に包まれた。

 

「龍人様!!」

 

 藍が龍人の身体を抱きかかえ、後方に跳躍する。

 それを炎に包まれながら追おうとする神弧に、紫が放った数十もの光弾が襲い掛かった。

 釣瓶打ちにされ、しかしその全てを受けても神弧の肉体には微塵も影響を及ぼさず、藍が放った狐火の炎も数秒後には消え去ってしまう。

 

「悪いが勝負は着いた、今更お前達がしゃしゃり出た所で結末は変わらん」

「ふざけるな、黙って滅ぼされるつもりはない!!」

「お前達では妾は滅ぼせぬ。たとえ肉体を蹂躙したところで妾の魂に直接干渉しなければ意味を成さない。そして妖怪であるお前達にはその術がない」

 

 だから無駄だと、神弧はつまらなげに事実だけを口にする。

 ……そんな事は紫も藍もわかっている、神弧という存在を真に滅ぼすには肉体ではなくその中にある魂に直接干渉し打ち倒さなければならない。

 闇の中で生きる妖怪では彼女は倒せない、倒せる可能性を秘めているのは魂を直接傷つけられる“宝具”を持つ者か、龍神の力を持つ者だけ。

 紫が持つ神剣も“宝具”の一種ではあるものの、単純な身体能力が劣っている彼女では神弧に一太刀も浴びせられないだろう。

 

「わかったのなら黙って世界の終わりを眺めていればよい。すぐに消えるのだから悲壮感を抱く必要などないではないか」

「くっ……!」

 

 悔しい、自分の無力さを改めて紫に思い知らされる。

 けれどこのままやられるつもりは毛頭ない、たとえ敵わないとしても立ち向かわなければ。

 スキマから神剣を取り出し、紫は命を捨てる覚悟を抱き神弧へと向かおうとして。

 

「ぬっ!?」

 

 深紅の大槍が、彼女の身体を貫く光景を、目にした。

 その一瞬後には、上段から放たれた炎の剣が神弧の身体を焼き切る。

 更に銀光が横一文字に奔り、神弧の左腕が斬り飛ばされた。

 

「…………なんだ、まだ愉しめそうな奴等が残っていたな」

 

 全身から血を流しながら、神弧は血に濡れる口元に笑みを浮かべ奇襲を仕掛けた3人。

 レミリア、フランドール、そして妖忌と対峙する。

 

「妖忌!! それに……」

「簡潔に自己紹介するぞ八雲紫。わたしはレミリア・スカーレット、この子はフランドール・スカーレット。ゼフィーリア・スカーレットとロック・スカーレットの子だ」

「よろしくね、紫お姉さん!!」

「……遅くなってすまん。だが閻魔様がこの戦いに干渉する事を許さなくてな……抜け出すのに苦労した」

 

 言いながら、3人は自らの獲物を神弧に向けつつ全神経を彼女へと注いでいた。

 過去に対峙した事のある妖忌はおろか、レミリアもフランドールも見ただけで神弧の異常性を認識したが故に、悠長に会話する事はできないと判断したのだ。

 

「スカーレット家に伝わる宝具に、魂魄家の宝剣……成る程、確かにそれならば妾の魂に直接傷を付ける事ができるか」

「……少し時間を稼いでやる。すぐにそこの半妖をなんとかしろ!!」

 

 言うと同時にレミリアは動き、フランドールと妖忌もそれに続く。

 彼女達はすぐに理解する、目の前の存在には勝てないと。

 だからこそ時間稼ぎの役目を引き受け、全身を縛ろうとする恐怖心を噛み砕きながら神弧へと立ち向かった。

 

 彼女達の心中を察し、紫はすぐに倒れている龍人を抱き起こす。

 ……だがどうすればいい? どうすれば、今の彼を元に戻す事ができるのか。

 彼の身体には痛々しい傷跡が刻まれているものの、致命傷というわけではない。

 

「ぁ……」

 

 だが彼の身体を改めて見てわかった、わかってしまった。

 もう、彼は神弧の言う通り限界を迎えていると、理解してしまった。

 

「紫、様……」

 

 藍もそれを理解したのか、掠れた声で主の名を呼ぶ事しかできない。

 肉体は無事だ、けれど中にある魂は……もう。

 

「――こうなる事は、初めからわかっていたのではないの?」

 

 そう言いながら現れたのは、悲痛な表情を浮かべた永琳。

 彼女はそのまま紫達に歩み寄り、しゃがみ込んで龍人の身体に右手を添え……より一層表情を歪ませた。

 

「魂そのものが崩壊しかかってる。これじゃあもう……いくら身体の傷を癒しても」

「八意殿、なんとか……なんとかならないのですか!?」

 

 瞳に涙を溜め、藍は必死に永琳へと縋るように頼み込む。

 だが永琳は黙って首を横に振って、もう手遅れだという事を2人に伝えることしかできない。

 

「龍人族は龍神に自分達の力の一部を分け与えられ確かに強大な力を持つに至った、でもそれは自らを破滅の道に追いやる呪いでしかなかったのよ。龍神の力を使えば使うほど龍人族の肉体は崩壊を進めていく、龍人は従来では考えられないほどに耐えられたみたいだけど……それもここまでよ」

「そんな……そんな、馬鹿な話がある筈がない!!」

「……永琳、蓬莱の薬は」

「無駄よ。不老不死の秘薬を用いても龍人の魂がここまで傷ついていたら……」

 

 薬の効果が得られないばかりか、すぐに蓬莱の薬の強い効果によって魂は消滅する。

 つまり、もう龍人を救う手立ては……存在しないという事だった。

 

 けれど永琳の言う通り、この結末は龍人が力を使うと決めた時から訪れる事は少なくとも紫は薄々感づいてはいたのだ。

 あれだけの強大な力を使えば当然それ相応の反動が彼を襲う、使い続ければ自壊するのはわかっていたのに……紫は何も言えなかった。

 彼はずっと幻想郷の為に前を向いて歩みを進めてきた、そんな彼に力を使うのはやめろとどうして言えるというのか。

 龍人族としての力を正しい事に、自分を慕い今を賢明に生きている者達の為だけに使うと決意した彼に、そんな事が言えるわけがなかった。

 

「……保つと、思ったんだけどな」

「龍人……」

「自己犠牲なんか自己満足でしかないってわかっていたのに……結局、俺はその自己犠牲をしちまったってわけか……」

 

 自嘲する龍人に、誰も何も言えず押し黙ってしまう。

 本当なら怒鳴りつけたかった、どうしてこんな無茶ばかりを続けてきたのかと言えるものなら言いたかった。

 しかしそれは無意味な行為であり、同時に今までの彼を否定するも同意だった。

 

「……永琳、もう……無理なんだな?」

「…………」

 

 無言で頷きを返す永琳。

 

「そうか……だけど千年以上生きた、半妖にしては充分過ぎるのかもな」

「っ、そんな事はありません!! 龍人様、あなたはまだ死んではいけない、あなたはまだ……生きなければならない御方なのです!!」

「藍……」

「やっと、やっと御二人の悲願が達成されようとしているというのに、志半ばで倒れるなど……そんな、救われない話があっていい筈がありません!!」

 

 だって、これではあまりにも報われないではないか。

 藍は式として、ずっと紫と龍人の背中を追いかけてきた。

 だからこそ知っている、2人が如何に幻想郷を愛し、その為にそれこそ命を懸けて来たのかという事を。

 

 そんな2人だからこそ幸せになってほしい、否、幸せにならなければならないと藍はそう思っている。

 そしてやっと1つの到達点へと辿り着けたというのに、こんな結末など認められない。

 子供のように泣きじゃくる藍の優しさに触れ、紫と龍人も目頭を熱くさせる。

 

――それで、龍人は決心した。

 

「ぐあっ!?」

「あぐっ!?」

「ちぃ……っ」

 

 響く3人の悲鳴。

 視線をそちらに向けると、傷だらけで倒れているレミリア達と……まだ倒れない神弧の姿が視界に入った。

 龍人との戦いで重傷を負い更に2人の吸血鬼と1人の大剣豪を相手にしても、まだ倒れていない。

 

「……さすがに死を覚悟したよ。だが感謝するぞ、死を覚悟するという事は生を認識できるという事だからな。全てを破壊する事が存在意義である妾が“生きている”と実感できるのだから」

「っ」

「だがここまでだ。妾もこの世界では充分に愉しめた、もう終わりにしよう」

「くっ……」

 

 ここまでか、そんな諦めの言葉が脳裏に浮かび紫は唇を噛み締める。

 そんな諦めなど不要、必要なのは……最後の最後まで諦めず、戦う意志だけだ。

 長い旅路の果てに辿り着いた1つの答えを、奪われるわけにはいかない。

 

「私は……私は諦めないわ神弧!!」

「……ならばどうする? 絶対に敵わぬと理解している妾と、戦うか?」

「っ、ええ、戦うわ!!」

 

 神剣を両手に構え、紫は真っ向から神弧から対峙する。

 恐い、逃げろ、敵うわけがないと聡明な自身が訴え続けているが、紫は決して耳を傾けない。

 敵わないのは先刻承知、それでも……抗わなければならないのだ。

 

 諦めたくないから、諦めるわけにはいかないから。

 今の自分が在るのはこの世界で出会った友人達と、彼が傍に居てくれたからだ。

 その世界を破壊する事は許さない、今まで彼と共に歩んできた旅路を無かった事にするなど許容できない。

 

「紫、藍、俺の手を取るんだ。早く!!」

「えっ……!?」

「龍人様!?」

「早くしろ!! 永琳、少しでいいから結界を!!」

 

 龍人が叫ぶと同時に、永琳は紫達3人を包む結界を展開する。

 それを見て、神弧は言い様のない不安に駆られ全身が総毛立った。

 何をするのかはわからないが、彼等がやろうとしている事を止めなくてはならないと本能が訴え、彼女は結界を破壊しようと動き。

 

「させるかっ!!」

「お姉ちゃん達の邪魔は、させないよ!!」

「通さんっ!!」

 

 起き上がったレミリア達3人に、足止めをされてしまう。

 その隙に紫と藍は龍人の元へと駆け寄り、彼の手を握り締めた。

 

「……ごめんな、2人とも」

「龍人様、何を……」

「お前達に、託す。偉そうな事を言うけど……俺の力を、2人に渡すぞ」

「…………龍人」

 

 その言葉が何を意味するのか、紫はすぐに理解する。

 それと同時に……彼女は静かに、その金の瞳から涙を零し始めた。

 

「思えば、貴方にはずっと振り回されてばかりだったわね」

「そう、だな……ガキの頃の俺は、ずっと紫を困らせてばかりだった」

「あら、今もそう変わらないと思うけど?」

「うっ……」

「でも、そんな貴方だから……私は好きになったのよ」

 

 涙を流しながら、紫は優しく微笑み龍人の唇にそっと口付けを落とす。

 同時に紫と藍の身体に、黄金の力が流れ込んでいった。

 

「これは……!?」

「一時的だけど俺の力が使える筈だ。これで……勝ってくれ」

「ですがこんな事をすれば龍人様の身体は……!」

「このまま何もしなくても俺は死ぬさ。だから最後に可能性を残す、それぐらいはさせてくれ」

 

 龍人の身体が、少しずつ光に包まれていく。

 紫達に力が流れれば流れるほど、彼の身体は光の粒子に変わっていった。

 

「龍人様……」

「藍、紫の式としてこれからも紫の助けになってくれ。俺の想いと幻想郷の未来を……託す」

「…………はい、お任せください」

 

 涙で顔をくしゃくしゃにしながらも、藍は龍人を安心させるように力強く頷きを返す。

 そんな彼女に彼は優しく微笑んでから、紫へと顔を向けて。

 

「紫、俺は必ず戻ってくるぞ」

「…………」

「俺はお前とずっと一緒に生きていたい、その気持ちは今だって消えてない。だから……待っていてくれ」

「……なら早めに帰ってきてね、でないと他の男に靡いてしまうかもしれないから」

「それは困る。紫は美人だから男達が放っておかないだろうから」

「ふふっ、その通りよ」

 

 もう龍人の身体は殆ど光と化し、握っていた手の感覚は曖昧になっている。

 けれど紫はしっかりと彼の手を握る力を強めていく、その感触を忘れないように。

 龍人もまた、紫と同じように握る手に力を込める。そして……。

 

「――またな、紫」

「ええ、またね――龍人」

 

 さよならは言わず、必ず帰ると言葉と目で訴えながら。

 龍人は、最後まで笑みを浮かべながら……光の粒子となって、消え去った。

 

 ■

 

「むっ……?」

 

 邪魔をしたレミリア達を再び地面に静めた神弧は、“それ”に気づいた。

 自分と対峙する紫と藍の身体から、龍神の力が放たれているという事に。

 それと同時に龍人の姿が消えている事に気づき――彼女は、表情に余裕の色を消し去った。

 

「……藍、準備はいいかしら?」

「いつでも」

「貴様等、まさか龍人の――――ぐるぁあっ!?」

 

 神弧の身体が地面に沈む。

 神速の速度で放たれた藍の拳が彼女の顔面に叩き込まれ、すぐさま左手の爪による追撃が放たれた。

 

「ちっ……」

 

 舌打ちをしながら、神弧はすぐさまその場から離脱し藍の一撃を回避する。

 本来ならば受けた所で無意味な一撃、しかし先程の拳による一撃は神弧の身体に明確なダメージを与えていた。

 精神生命体である彼女の魂にまで届く一撃であった、本来ならばあのような直接攻撃は魂に直接干渉する事ができる武器を用いなければ神弧には通用しない。

 だというのに届いた、その意味を理解し神弧は戦慄しながら叫びを放つ。

 

「貴様等、龍人の龍人族としての力を取り込んだか……!」

「…………」

「成る程、一時的とはいえ龍神の力を扱えるお前達の攻撃ならば妾に届く……面白い!!」

 

 すぐさま表情を歓喜のものに変え、神弧は力を解放する。

 その凄まじい力は底が見えず、けれど紫と藍は一歩も退かずその力と真っ向から対峙した。

 恐れる必要など何もない、今の自分達には彼の魂が宿っているのだから。

 

「終わりにしてあげるわ神弧。この世界から……消えなさい!!」

「いいだろう。最後の余興だ、存分に抗うといい!!」

「余興などで終わらせるものか!! 私と紫様、そして龍人様の力で必ずお前を滅する!!」

 

 黄金の光を放ちながら、神弧へと向かっていく紫と藍。

 それを、神弧は己が出せる全ての力を放ちながら同じように2人に向かっていった。

 夢のその先へ向かう為に、妖怪の賢者とその式は龍の子の力を引き継いで破壊の権化へと立ち向かう。

 

 

 勝利し、未来を勝ち取る為に……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第120話 ~黄金の想い~

 神剣が、うねりを上げて神弧へと襲い掛かる。

 剣戟の速度は決して速くはない、だがその破壊力はまともに受ければ神弧の肉体はおろか魂すら両断する破壊力を秘めていた。

 そしてその一撃は、紫が振るう神剣が放つものだけではない。

 彼女の式である藍が放つ拳や炎もまた、神弧の命を狩り取る程の破壊力が込められていた。

 

 ――如何なる奇跡か。

 今の紫と藍は、妖怪と妖獣という領域の遥か先へと辿り着いている。

 それぞれの攻撃に込められているのは妖力ではなく、神々の域に達した者だけが扱える絶対的な力、神力であった。

 肉体ではなく魂そのものにダメージを与えるその力は、黄金の輝きを放ちながら火山の噴火のように2人の身体から噴き荒れている。

 

「…………はっ」

 

 2人の力を前にしても、神綺の内側から現れるのは……歓喜。

 自分の命を奪える程の領域に達した2人と戦える事を、彼女は心の底から悦んでいた。

 

「はは、ははははははっ!!」

「何が可笑しい!!」

 

 怒鳴りながら右の拳を放つ藍に、その一撃を受け止めながら神弧は興奮した面持ちで返答を返す。

 

「可笑しいわけではない、嬉しくて嬉しくて堪らんのだ!! 一手先にちらつく死の恐怖、それを乗り越え戦い続ける事はまさしく生を謳歌していると言えるではないか!!」

 

 だから喜ばしいと神弧は言い放ち、それを聞いた藍は一気に内側にあった怒りを爆発した。

 九尾は総毛立ち、彼女の表情は憤怒によって獣のように変貌していく。

 ……こんな理解できない存在のせいで、龍人は消えてしまったのだ。

 挙句の果てには今のこの状況を愉しんでいる姿を見せられた、それが藍の憎しみを増大させる。

 

「ふざけるなぁっ!!」

 

 藍の怒りの声を現すかのように、炎が巻き上がった。

 超高熱の獄炎が地面を溶かし、大気を燃やし、周囲のモノ全てを焼き尽くしていく。

 

「貴様の、貴様のせいで龍人様が……!」

「それがどうした? 消えた者にいつまでも執着する必要などあるまい?」

「っっっ、貴様ぁぁぁっ!!」

 

「――どきなさい、藍」

 

 静かに、けれど地の底から放たれたかのような紫の声を聞いた瞬間、藍は溢れ出していた怒りを霧散させた。

 獣の本能が警鐘を鳴らす、この場に居たら死ぬと訴えかけており、藍は全力でこの場から跳躍して。

 

――神弧の肉体を幾重にも貫く、紫の光弾を目にした。

 

「ぐぅ……!」

 

 全身に風穴を開けられながらも、神弧はすぐさま肉体を再生させていく。

 その再生スピードは異常の一言に尽きる、秒を待たずに全ての傷を再生させる神弧であったが。

 

「ぬっ!?」

「…………」

 

 既に間合いを詰めていた紫の斬撃を受け、左腕を斬り飛ばされていた。

 返す刀で横薙ぎに神剣をを振るう紫、それを神弧は残る右腕で受け止めようとして……その腕ごと横一文字に斬り裂かれる。

 

「な、に……?」

「もう喋らないで、耳障りよ」

 

 あくまで冷静に、けれど声に藍以上の怒りを秘めて、紫は言った。

 もはや語る事などなにもない、あるのは目の前の存在を完全に滅するという感情だけ。

 彼を失った悲しみは今だけ忘れよう、泣く事なら全てが終わった後いくらでもできるのだから。

 

「――風龍気、昇華」

 

 龍人から受け継いだ力を使い、紫は左手に高圧縮された風を生み出す。

 

轟龍風縛陣(ごうりゅうふうばくじん)!!」

 

 左手を地面に叩きつける、すると神弧を中心に凄まじい轟風が猛りを上げて出現した。

 その凄まじさは神弧を風の塊の中に封じ込め、一瞬とはいえ動きを封じてしまうほどであった。

 たかが一瞬、されどその一瞬だけで充分。

 

「炎龍気、昇華!!」

「っ」

 

 神弧の表情が、深刻なものに変わる。

 既に先程まで浮かんでいた歓喜の表情は消え去り、自らの生命を脅かされた事を自覚した彼女はすぐにこの風の中から抜け出そうとするが、もう遅い。

 

「ぐ、おぉぉ……!?」

 

 風を突き破り、神弧の身体に突き刺さる九本の尾。

 その全てに宿っているのは、龍の炎。

 肉体ではなく魂を焼き尽くす黄金の炎は、瞬く間に神弧の身体に燃え広がり彼女の命を確実に削り取っていく。

 

「終わりだ、神弧!!」

「ぐ、ぅ……おおおおおおおっ!!」

「何……!?」

 

 致命傷を与えたというのに、神弧は瞬時に斬り飛ばされた両腕を再生させ、自身を貫く藍の尾を全て抜き取ってしまった。

 それだけでは終わらず、自身を焼く炎すら強引に吹き飛ばしてしまう。

 

 ……化物だ、初めから理解していたが藍は改めて目の前の存在をそう認識する。

 魂を直接攻撃しているというのに、その一撃一撃が本来ならば致命傷である筈だというのに、神弧はまだ生きているばかりか戦う意志を見せている。

 その瞳には強い命の輝きと生に対する執着のみが見え、自分達に対する悪意などは見られない。

 

「そうか、お前は……」

 

 そこで藍は理解する、神弧という存在を断片的ではあるが理解する事ができた。

 彼女は普通の生物ではない、負の感情から生まれた破壊の権化だからこそ、生を謳歌する事に執着する。

 そして彼女にとって今のこの瞬間こそが“生きている”と尤も実感できる瞬間なのだ。

 だがだからといって認める事などできない、所詮相容れぬ存在であり彼女の所業は決して許されないのだから。

 

「どうした、もう終わりか!?」

「――ええ、もう終わりよ神弧」

 

 振るわれる斬撃。

 藍と入れ替わるように間合いを詰めた紫の神剣が、神弧の身体を斬り裂く。

 舞い散る鮮血、服や顔が汚れるのも構わずに紫は更に間合いを詰め剣を振るった。

 

「っ」

 

 固い感触、斬撃が神弧に掴まれ両者は拮抗したまま互いを睨み合う。

 

「終わりとは随分と大きく出たな紫、もう勝ったつもりでいるのか?」

「……負けられないのよ、あなたと私達では背負うものが違うのだから」

「そんな言葉で己を誤魔化すな、お前達はただ龍人を失った悲しみと憎しみを妾にぶつけたいだけだろう?」

「…………」

「曝け出してしまえばいい。それが心を持つ生物の本質だろう?」

 

 そう言い放つ神弧の言葉に、紫は反論も否定もしなかった。

 ああ、その気持ちがまったくないと言うつもりはない、現に今だって神弧に対する抑え切れない憎しみをぶちまけてやりたいと思っている。

 ……けれど、紫が戦う理由はそんなものではない。

 

「そんなものではないのよ、今の私が戦うのは」

「また奇麗事か?」

「いいえ違うわ。破壊しか能の無いあなたにはわからないでしょうね、憎しみも怒りも……今の私には必要ないものよ」

 

 託されたのだ、龍人に幻想郷の未来を。

 後を頼むと、そしてまたいつか共に生きようと彼は言った。

 その言葉を信じている、その未来を信じている。

 だからこんな所で負けるわけにはいかないし、神弧に対する怒りも憎しみも抱く必要などない。

 

「私は幻想郷の賢者として、私と私の仲間達が愛する世界を守る。その為は……あなたの存在は許されない!!」

 

 龍人から託された力も、もう残り少ない。

 この力が消えてしまえば勝機は無くなってしまう、だから――紫は最後の勝負に出た。

 “能力開放”を発動、境界を操る力を神剣の刀身に流し込んでいく。

 

「っ、貴様……!」

 

 紫が何をしようとしているのか気づいたのか、神弧の表情が変わるがもう遅い。

 赤黒く変化した恐ろしい瞳を神弧に向けながら、紫は自身にとっての最強剣を解き放つ。

 

「境界斬!!」

 

 刀身を神弧に掴まれたまま、紫は両手に力を込め境界斬を繰り出した。

 瞬間、神剣の刀身は掴んでいた神弧の両腕ごと彼女を両断する。

 それだけではない、斬撃を受けた神弧の魂の境界が“変化”を遂げていく。

 

「ぎっ!? が、ぐぁぁぁ……!?」

「魂とその肉体の境界を断ったわ、それに魂の境界も……」

「ぎ、があああぁぁぁぁっ!!」

「ぐっ!?」

 

 苦しみながらも、神弧は消滅した両腕を再生しながら、紫の首を掴み上げる。

 ミシミシと紫の首が悲鳴を上げる、今にも握り潰されてしまいそうだ。

 

「は、がっ……」

「紫様!!」

「邪魔、だぁっ!!」

 

 紫を助けようとする藍に、神弧が叫ぶ。

 言霊が呪いと化し、まるで鎖のように彼女の身体へ纏わりつき、動きを封じてしまった。

 

「ぐっ……ははっ、たいしたものだな。いくら龍人の力を分け与えられたとはいえ、こうも龍人族の力を扱い妾の魂と肉体を切り離そうとするとは……」

「あ、ぁ……」

 

 意識が、薄れていく。

 残り少ない力の殆どを境界斬で使ってしまった、結果として神弧の魂と肉体を切り離す事だけはできた。

 だがそれまでだ、龍人の力と紫の力を合わせても尚、彼女の消滅までは到らない。

 

「ぐっ、ぅ……この肉体はもう保たんか、だが……妾の魂は消えぬ。勝負あったな……紫ぃっ!!」

「は、ぁ……が」

 

 神剣を地面に落としてしまう。

 視界は掠れ、呼吸はとうに止まっていた。

 抵抗する意志はおろか、命の灯火すら消えかけている。

 歯を食いしばっても、抵抗する気力が湧いてくる事はなく、やがて紫は完全に意識を闇の中へと沈ませようとして。

 

――貴女は、託されたのではなくて?

 

 呆れたような、蔑むような自身の声を、聞いた気がした。

 

「…………ぁ」

 

 思い出せ、自分は何を託されたのかを。

 ここまで共に歩んできた彼から、幻想郷の未来を託されたのではなかったのか?

 そしてそれは紫にとっても心からの願いであり、それを守る為にこうして戦ってきたのではなかったのか?

 

「……っ、う、ぁ……」

 

 ならば、こんな所で終われない。

 まだゴールは遠く、漸くスタート地点に辿り着いたばかりだ。

 止まるわけにはいかないし、そんな事は許されない。

 

「ぁ、あ、ぐ……」

「……まだ、死ねないのか? ならばすぐにその首をへし折ってやろう」

 

 紫の首を掴んでいる神弧の手に、更なる力が込められる。

 

 ……そんなもの、今の紫にとってどうだってよかった。

 この瞬間にも襲い掛かる激痛も苦しみも、関係ない。

 今にも消えそうな程に儚い命だけど、まだできる事があるのなら……彼女の心に浮かぶのは、ただその感情のみ。

 

――両手が、とある形を形成させる。

 

――それはまごうことなき、()()()であった。

 

「…………この、一撃は」

「何……?」

「この一撃は……龍の、鉤爪。あらゆるものに……喰らいつき、噛み、砕く……」

 

 紫から放たれた言葉を聞いた瞬間、神弧の背筋が凍りついた。

 次に襲い掛かったのは、明確な死の恐怖。

 今まで感じた事のない、感じる事などありえないと思っていた“死”が、神弧の脳裏に浮かび上がった。

 

「貴様、まだ……!」

 

 一秒後に迫る死を認識し、神弧は全力で紫の命を奪おうとするが……時既に遅し。

 紫の両手には黄金の光が宿り、消えかけていた彼女の瞳には未だかつてない程の強い意志が込められた光が宿っていた。

 相手に対する勝利への渇望、未来の平和を願う祈り。

 瞳から見えるその真っ直ぐな想いを見た瞬間、神弧は何を思ったのか僅かに動きを鈍らせ。

 

龍爪撃(ドラゴンクロー)!!」

 

 それが、勝負を決める決定打となり。

 一瞬先に放たれた龍の牙が、神弧の身体へと叩き込まれた……。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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第121話 ~喪ったもの、残ったもの~

 静寂が、場を支配する。

 神弧の攻撃により倒れていたレミリア達も、その3人を戦いの余波から守っていた永琳も、無言のまま両手を突き出したままの体勢で固まっている紫と。

 彼女が放った龍爪撃(ドラゴンクロー)によって半身を喰い千切られた神弧に、視線を向けていた。

 

「…………」

 

 ゆっくりと前に突き出していたままの両手を降ろし、紫はその場で座り込む。

 瞬間、意識を失いかけてしまうが倒れそうになった自分を支えに来た藍によって、難を逃れた。

 正直に言えばすぐにでも意識を失って楽になりたかったが……まだ、全てが終わったわけではない。

 

「……まさか、龍人の技を使うとは思わなかったよ」

「な、何だと……!?」

 

 藍が驚愕に満ちた声を上げる。

 当然だ、半身を吹き飛ばされ死に体となっている筈だというのに、神弧はまだ生きているばかりかゆっくりと浮かび上がり紫達と対峙しているのだから。

 デタラメなどという表現では追いつかない生命力に、けれど紫は驚く様子を見せずに口を開いた。

 

「終わりよ、神弧」

「終わり? それはお前が決めることではないさ紫、妾はまだ戦えるぞ……だが貴様達にはもう龍人の力を使う余力は残されておるまい?」

「……いいえ、もう終わったのよ神弧。だから……もう休みなさい」

 

 それは、命の奪い合いをしていた相手に向けるとは思えない、穏やかな口調から放たれた言葉であった。

 おもわず神弧は言葉を失い、そんな彼女に紫は言葉を続ける。

 

「様々な世界を壊し続けて疲れたでしょう? もうその魂を休ませてもいい筈よ」

「…………何を、言っているんだ?」

 

 紫の言葉が心底理解できない神弧は困惑しつつ、怒りによってその表情を歪ませた。

 まるで自身が勝利者だと言わんばかりのその口調は、神弧には侮辱しているようにしか思えない。

 たとえ半身が消えたとしてもまだ両腕が残っている、この2つの腕があれば力を失った紫達を始末する事など造作もなく、それを証明するように神弧は動いた。

 

「妾は消えぬさ。消えるのは……貴様の方だ!!」

 

 神弧が紫へと迫る。

 だが紫も彼女の身体を支える藍にも余力は残されておらず、迎撃する事は叶わない。

 けれど何故か、その中でも紫は真っ直ぐに神弧だけを見つめ続けて。

 

「――――そこまでにしなさいな。暴れ過ぎよ?」

 

 向かってくる神弧と紫の間に割って入ってきたヘカーティアが、軽々と神弧の動きを封じ込める光景を視界に入れた。

 突然の登場に驚愕する神弧に対し、ヘカーティアは前に見せたような友好的な雰囲気を消し、威圧感を込めた視線を彼女に向けつつ口を開く。

 

「さっきの紫ちゃんの一撃で勝負は決まっているのに、まだ足掻くなんてちょーーーっと往生際が悪いと思わない?」

「何の用だヘカーティア・ラピスラズリ、地獄の女神が現世の争いに介入するのか?」

「勘違いしているようだけど、そんなつもりは毛頭ないわよ? 映姫ちゃんにも釘を刺されたしね」

「ならば、疾く消えろ」

「……理解できてないようね。もう戦いは終わったのよ神弧、紫ちゃん達の勝利でね」

 

 そう言って、ヘカーティアは掴んでいる神弧の右手に更なる力を込める。

 瞬間、まるで霧のように神弧の右腕が霧散し……ヘカーティアは紫達では聞き取れない言葉を呟いた。

 何かの呟きにしか聞こえないその言葉を言い終えた瞬間、少しずつ神弧の身体が少しずつ霧散していく。

 

「貴様……!」

「仮初の肉体はもう滅んでいるし、その肉体を無理矢理動かしているあなたの魂も余力を残していない。だというのに勝利者である紫ちゃんを殺そうとするなんて、フェアじゃないと思わない?

 自分が敗北してると理解しているのに、消える事がわかっていながらあの子の命を奪うなんて許されないわよ? だってこんなにも頑張ったんだもの」

「妾は破壊を司る存在だ、ならばそのような問いなど愚問でしか……」

「ええそうね、だから私が止めるのよ。

 この世界はあなたを打ち負かした、未来を生きる事を許されたのだから……その未来を敗者が奪うなんて結果を見過ごす訳にはいかないわ。

 そして何より……あなたのその強大すぎる魂はずっと欲しかったのよ、地獄の運営にも役立ってくれるからね」

 

 というよりも、この場に現れた最大の理由がそれであった。

 地獄、というよりあの世に位置する世界では魂をエネルギー源として運用する技術が存在している。

 その為、通常の生物とは比べものにならない純度を持つ神弧の魂を喪うのは、ヘカーティア達にとっては“惜しい”事であった。

 

「……漁夫の利というわけか。地獄の女神も随分と矮小になったものだ」

「あらん酷い、でもまあ確かに否定できないかも」

 

 神弧の皮肉にもヘカーティアはあっさりと認め、くつくつと笑みを零すのみ。

 そして遂に殆どの肉体を喪った神弧に、ヘカーティアは慈悲と憐れみをこめた笑みを向けながら。

 

「お眠りなさい破壊の化身、幾万幾億もの生物と世界を破壊し続けてきて疲れたでしょう?」

 

 もう一度、先程と同じく聞き取れない異界の言葉を口にして、神弧の身体を完全に消滅させた。

 その光景を、全員が唖然とした表情のまま見つめる中。

 

「ありがとうね紫ちゃん。色々と言いたい事はあるでしょうけど……まずはゆっくり休みなさいな」

 

 初めて会った時と同じように穏やかな笑みを見せ、紫達に戦いの終わりを告げる言葉を放ったのだった……。

 

 ■

 

「――アイツが言っていたように、本当に漁夫の利を狙ったようね」

「うぐっ……この幼女ちゃん、容赦ないわー」

「幼女言うな!!」

 

 ヘカーティアによって全員の治療が行なわれ、軽い自己紹介を行なった後。

 開口一番にレミリアが上記の言葉を口にして挑発するものの、ヘカーティアも自覚しているのか小さく唸りつつ苦笑しレミリアをからかう言葉だけを返した。

 とはいえコンプレックスなのか、ヘカーティアの「幼女」発言に激昂するレミリア。

 

「お姉様、話が進まないから静かにして」

「あ、ハイ。すみません……」

 

 しかしフランドールの冷静かつ冷たい指摘にあっさりと矛を収め、小さくなってしまった。

 ……今のやり取りで、その場に居た全員がこの姉妹の力関係をなんとなーく悟ってしまったがそれはさておき。

 

「それでヘカーティア、何故私達を助けてくれたの?」

「助けたわけじゃないわよ、さっきの話は聞こえていたとは思うけど、私が此処に来たのはあの魂を回収する為。あれの魂は純度が高すぎるから死神達じゃ回収できないのよ」

「本当にそれだけかしら? 私にはそれだけの理由で来たとは思えない」

「……まあね。勿論今言った理由も本当だけど、私がここに来たのは……」

 

 言いながら、ヘカーティアはまた何かを呟いた。

 瞬間、紫と藍の身体を覆うように黄金の光が溢れ始める。

 この光は先程のものと同じ、龍人族の力を扱った時と同じ光であり……その光が少しずつ紫達の身体から離れ、ヘカーティアが翳している右手へと集まっていった。

 やがて小さな光球となったそれを、ヘカーティアは上空へと投げ放つ。

 光球はそのまま上空へと昇っていき、空の中へと消えていってしまった。

 

「……今のは?」

「紫ちゃん達の中に残っていた龍人の魂よ、もう殆ど磨耗して原型を留めていなかったけど……あのまま2人の中で消えてしまうだけなのは、悲しい事でしょう?」

「…………」

「在るべき所に還してあげたいと思ったのよ、余計なお世話だったかしら?」

「……いいえ。ありがとうヘカーティア」

 

 心からの感謝の言葉を述べながら、紫はヘカーティアに深々と頭を下げた。

 だが同時に、改めて彼を失ってしまったと思い知らされて……目頭が熱くなった。

 戦いには確かに勝った、幻想郷の未来を守る事はできただろう。

 けれど、隣に居て欲しいと願っている彼が居ないという事実は、紫の心を苦しいくらいに締め上げる。

 

「それじゃあ、私はもう行くわ」

「あら、もう少しゆっくりしていけばいいのに」

「こんな荒野でゆっくりするなんてできるわけないでしょうに、それに紫ちゃん達にはまだすべき事があるでしょう? 私だって神弧の魂をあの世に連れて行かないといけないんだから」

 

 じゃあね、最後までいつもの雰囲気を変えないままヘカーティアはその場から消えた。

 それを暫し眺めてから……紫はゆっくりと立ち上がる。

 

「妖忌、わざわざ来てくれて助かったわ」

「気にするな。幽々子様もお前達に協力する事を強く望んでいたからな」

「そしてレミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、あなた達の協力にも心からの感謝を」

「いいよ別に、次期スカーレット家の当主として調子に乗ってる地上の吸血鬼達に灸を据えるのが一番の目的だったんだ」

「お姉様ったら素直じゃないんだから、でも紫お姉さんもわざわざ頭なんか下げなくてもいいよー」

「ふふっ、ありがとう」

 

 そう言って笑う紫の顔を見て、レミリアもフランも言葉を失った。

 ……なんて無機質で、寂しい笑みを浮かべるのだろうか。

 無理矢理笑っているのに、精一杯平気なフリをしている彼女は見ていて痛々しい。

 けれど何も言葉にはできない、彼女の悲しみを癒す術を持つのは……この世にはいない彼だけなのだから。

 

「……一度冥界に戻る。幽々子様が閻魔を抑えているからな」

「幽々子には近い内に会いに行くと伝えておいて」

 

 わかった、短くそう告げて妖忌はその場を飛び立っていく。

 

「じゃあわたし達も行くわ」

「お姉さん、近い内にお母様達と一緒に幻想郷に遊びに行くからね!!」

「ええ、楽しみにしているわ」

「……だからね。元気……出してね?」

「…………ありがとう」

 

 ああ、情けない。

 千年以上生きた大妖怪が、二百も満たぬ吸血鬼に心配されるなど笑い話だ。

 自分にはまだすべき事がある、守る事のできた幻想郷の平和を維持しなくてはならないという役目が残されている。

 

「いつでも遊びにいらっしゃい。幻想郷は……あなた達を歓迎します」

「うん!!」

「まあ田舎ではあるが、歓迎してくれるというのならまた来るさ」

「そういう所、ゼフィーリアによく似ているわね」

 

 苦笑する紫に、レミリアは不敵な笑みを返す。

 そして飛び立っていく2人が見えなくなるまで見送ってから……紫は、ゆっくりと息を吐いた。

 一先ずは終わった、それを認識するかのように紫はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 

 ……戦いは、これで終わりだ。

 喪うものはあった、戻らぬものもできてしまった。

 

「藍、永琳」

「……はい」

「何かしら?」

 

 けれど、後戻りする事はない。

 後悔は今だって胸の内に残っているけれど、前を向いて歩いていけるならきっと大丈夫。

 

「戻りましょう。凄く……疲れたわ」

「…………はい、ごゆるりとお休みください。紫様」

「……紫、泣いてもいいのよ?」

 

 永琳の優しい声が、浸透するように紫の全身を伝っていく。

 それが嬉しくて紫は自然と笑みを零す、そしてその笑みは決して無理をしているものではない自然なものであった。

 

「大丈夫。もう私は泣かないわ」

「…………」

「今を生きている私達にはすべき事があるもの、それを投げ出して子供のように泣き喚いたら……愛想を尽かされちゃうものね」

 

 喪ったものは戻らない、どんなに願ってもそんな都合の良い話は存在しないのだ。

 けれど残ったものは確かにこの胸の中に残っている、それを捨てて思い出に縋るだけの生き方など真っ平御免だ。

 

「行きましょう、まずはゆっくり休んで……これからの事も考えないと」

 

 ゆっくりと飛び立つ、2人も紫の後に続いた。

 

 いつの間にか空は晴れ、どこまでも続く青空が広がっている。

 澄み切った空は見るだけで心を洗い、新たな気持ちで前を向かせる活力を湧かせていった。

 

 ――龍の子が、幻想の世界から旅立った。

 それを真っ直ぐに受け入れ、妖怪の賢者は前を見据える。

 

 目指す先はただ遠く、終わりは見えないけれどきっと大丈夫。

 自分は1人ではないから、支えてくれる者達と……永遠に残る彼との思い出が、消える事はないのだから。

 

 

 

 

To.Be.Continued...



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エピローグ ~妖怪の賢者と龍の子と~

かくして、物語は終焉を迎える。
龍の子との別れを乗り越えながら、妖怪の賢者は幻想の世界を生きていく……。


 襖が開く音がした。

 その次に聞こえたのは僅かに畳を擦る音、同時に小鳥達の鳴き声も聞こえてきた。

 

「…………」

 

 眠りから醒め、意識が現実へと戻っていく。

 

「紫様、おはようございます」

 

 もう何度聞いたか判らない、自身の式の声。

 ……どうやらもう起きなければいけないらしい、もう少し寝ていたいが起こしに来た生真面目な式がそれを許さないだろう。

 ほう、と息をついてから目蓋を開けて、布団から半身を起き上がらせた。

 

「おや、今日は珍しくすぐに起きたのですね」

「その言葉には否定できないけど、臆面もなくよく言えたものね。藍」

 

 ジト目で軽く式である藍を睨むと、彼女は苦笑を浮かべつつも反論を返す。

 

(ちぇん)の教育に良くありませんからね、紫様は私の主としてしっかりした姿を常に保ってもらわないと」

 

 ただでさえ最近はぐうたらが過ぎますから、容赦のない言葉を放つ藍に少しだけイラッときた。

 とはいえ彼女の言葉は正しいし、ここで反論しようものなら十倍になって返ってくるのでここはおとなしくしておかなければ。

 大きく伸びをしてから、布団から抜け出す。

 それをしっかりと確認してから、藍は部屋から出て行った。

 完全に起き上がるまで信用できないという事か、というか私の布団片付けてくれてもいいではないか。

 

 ぶつくさ文句を言いつつ、いつもの紫のドレスに着替え、布団を片付け、縁側へと出た。

 

「あ、おはようございます紫様」

「おはよう、橙」

 

 挨拶してきた藍の式である化け猫の橙の頭にぽんと手を置いて、そのまま廊下を歩いていく。

 今日も天気は快晴、朝日を浴びると残っていた眠気は完全に吹き飛んでくれた。

 

「橙ー、手伝ってくれー」

「あ、はーい!!」

 

 藍に呼ばれ、返事をしながら橙は廊下を走っていく。

 いつもはマヨヒガと呼ばれる場所で暮らしている藍の式は、久しぶりに主であるあの子と一緒に寝られて朝からご機嫌なようだ。

 まだまだ一人前とはいえない藍の式だから、その式である橙も半人前以下の妖獣だけれど、少しずつではあるが成長してくれているようで安心する。

 藍は今の状態までなるのに千年は掛かったから、橙が一人前になる日はまだまだ先のようだけれど。

 

 ■

 

「じゃあ、少し出掛けてくるわね。橙、しっかり藍の仕事のお手伝いをするのよ?」

「はい、お任せください!!」

「いってらっしゃいませ、紫様」

 

 2人に見送られ、私はスキマを用いて八雲屋敷を後にする。

 目指すは人里……ではなく、里から少し離れた桜並木へと向かい、小川の流れに沿うように日傘を差しながらゆっくりと散歩を始めた。

 冥界に行って幽々子と談話するのもいいけど、たまにはこうやって1人でゆっくりと過ごすのも悪くはない。

 

「…………ふう」

 

 知らず、深呼吸をしていた。

 放たれた呼吸には確かな疲れと達成感が混ざっている、よく食べよく寝ている筈なのだけれど……疲れているのかしら?

 決して歳的な意味ではないと思いたい、だってまだたったの1379歳なのだから。

 まだまだ若い子には負けない筈、毎日スキンケアを欠かさず行なっているから大丈夫……よね?

 

「いい天気……」

 

 おもわず言葉にしたくなるほどに、今日の天気は良いものだった。

 日付でいえば四月十日、春真っ盛りで連日花見で浮かれている連中ばかりだ。

 きっと今日も博麗神社で花見という名の宴会があるだろう、今代の巫女である博麗霊夢はまた文句を垂れるだろうけど。

 といってもなんだかんだ言いつつあの子も甘いのよね、そこが可愛くてついつい甘やかしてしまいそうになる。

 

「…………」

 

 ただ、ふと……楽しく騒がしい毎日が続くと、思い返してしまう。

 博麗大結界が生み出され、新たな幻想郷が生まれてから二百年以上の月日が流れた。

 あの戦いで“あの人”を失ってもう二百年、長いようであっという間だったかもしれない。

 

 幻想郷に暮らす妖怪の殆どは人間を襲わず、そして人間達も妖怪を恐れながらも手を取り合って協力しながら日々を暮らしている。

 恐れは忘れず、けれど手を差し延べてくるのならばその手を取る事はできる関係を維持できていた。

 まだまだ完璧とは言えないこの世界だけど、未来はきっと明るいものだと確信できていた。

 私は妖怪の賢者として幻想郷を愛し、たまーに胡散臭く思われながらもゴールを目指して走っている。

 

「あら、朝から顔を合わせるなんて珍しいわね。紫」

「おーっす、ぐうたら妖怪がこんな朝から散歩なんて……新しい異変か?」

「おはよう霊夢、魔理沙、こんなにもいい天気なのだから私だってたまには散歩したい時もあるわ」

 

 この幻想郷で起こる異変解決のプロフェッショナルとしてその地位を確立している、今代の博麗の巫女である博麗霊夢と友人で魔法使いである霧雨魔理沙に手を挙げながら挨拶する。

 それにしてもぐうたら妖怪扱いとは失礼である、確かに最近結界の管理を藍に一任している所はあるけど……。

 

「そういえば、今日も神社で宴会するつもりなんだけど、お前も来るか?」

「いいわね。それじゃあ美味しい料理とお酒を用意しましょうか」

 

 また藍に小言を言われるけど、宴会の楽しさには変えられない。

 ……あ、霊夢が神社で宴会と聞いて露骨に嫌そうな顔を浮かべてる。

 気持ちはわからないでもない、何せ宴会の片付けは全てあの子1人でやっているのだ。

 神社に来る連中は良くも悪くも我が強いのばかりだから、気を遣うなどという事はできない。

 今日は、私も片付けの手伝いをしてあげようかしら。

 

「あんた達さあ、騒ぐなとは言わないけどもう少し配慮っていうのを覚えてくれない?」

 

 割と本気の目で私と魔理沙を睨む霊夢、おお恐い。

 歴代の博麗の巫女でも特に才能に優れている彼女が怒ると、初代の巫女である零並に宥めるのが面倒である。

 まあ……少しだけ昔を懐かしめるから、それも悪くないなと思ってしまうのだが。

 

「わかったわ。今回の準備と片付けは私と藍でしてあげるから」

「…………紫が?」

「何を企んでるんだ?」

「失礼ね。今日はいい気分だから仏心を出しているだけよ」

「妖怪が仏心って……」

「一番信用できないな、それ」

「あのねえ……」

 

 人の優しさにすぐ疑いの目を掛けるとは、どういう教育をされてきたのかしら。

 失礼な事ばかり言ってくる子供達に罰を与えようと、軽く2人の頭に拳骨を落とす。

 頭を押さえてうずくまる魔理沙と、涙目になりながらこちらを睨んでくる霊夢、あら可愛い。

 少しだけすっきりしたので、私は散歩を再開しようとそのまま桜並木の中を歩き始める。

 

「……なんか、今日は本当に機嫌がいいみたいね」

「そうかしら?」

 

 私の横を歩く霊夢に返しつつ、確かにと心の中で肯定した。

 きっと彼の思い出を少しだけ思い返したからだろう、傷痕になっている思い出だけれどやっぱり思い返すと気分が良くなる。

 それにこの暖かで優しい春の趣きも影響しているのかもしれない、何か新しい出来事を予感させるこの空気が私の心を豊かにさせていた。

 

「そういえば霊夢、ちゃんと修行はしているのかしら?」

「しているわけないじゃない」

 

 しれっと、即答で巫女としてどうなんだと思いたくなる返答を返してきた。

 これには私も呆れてしまい、魔理沙は何が可笑しいのか私の顔を見て笑っている。

 

「まあ予想はできていたけど……博麗としての責務を果たせられないなんて事にはならないでね?」

「わかってるってば、さすがにそれくらいの自覚は持ち合わせているわよ」

 

 どうだか、とは言わないでおいた。

 才能だけなら歴代の巫女でもトップクラスなのに、いかんせんこの子は努力というものを嫌っている。

 一番の友人である魔理沙は努力家だというのに、短い一生をおばあさんのように暮らしているこの子の思考回路は賢者である私にも読めない。

 

 でも今の幻想郷は本当に平和だから、昔のように巫女としての責務に縛られずに生きていられるこの環境は、私にとっても喜ばしいものだ。

 いくら霊夢とて女の子なのだから、普通の子供と同じように生きてほしいという親心のようなものを向けてしまう。

 それにきっと“あの人”もこの場に居たら、私と同じ事を考えるでしょうから。

 

――幻想郷は、今日も平和だ。

 

 明日も明後日もその先も、きっと今のようなのんびりとした時間が流れていく事だろう。

 時代は人のものとなり、妖怪や神々といった存在は既に外の世界では信じられぬ幻想の存在となったけれど、この世界はまだまだ続いていく。

 

 ただ、なんというか、やっぱり……少しだけ、ほんの少しだけだけど。

 寂しいと、私の隣に居る筈である彼が居ない今が、悲しいと思ってしまった。

 喪ったものは戻らないとわかっていても、傷痕が塞がっていくものだと理解しても、やっぱり……。

 

「あの、すみません」

「はい?」

 

 後ろから声を掛けられ、私達は同時に振り向いた。

 そこに居たのは……1人の少年。

 見た目は小柄な十五、六ほどの人間の少年だけど、髪の色は黒いくせに……瞳は、私と同じ金色の輝きを放っていた。

 

「誰だ?」

「あ、すみません。実は俺……最近外の世界から幻想郷に来た半妖なんですけど、道に迷っちゃって……里はどちらの方角ですか?」

「半妖? 珍しいな」

「ええ、父が妖怪で母が人間だったんですけど……風の噂で人間と妖怪が共に暮らす幻想郷がある事を知って、思い切ってこちらに来たんですけど……」

 

 恥ずかしそうに頬を掻きながら、迷子になった事を話す半妖の少年。

 そんな彼をからかうように小さく笑う魔理沙と、彼女を宥める霊夢。

 一方の私は……目の前の少年を見て、完全に思考が停止していた。

 

 喪ったものは戻らない、そんな都合の良い話は存在しない。

 だけど、それをどんなに自覚しても……私の目の前に現れた少年は、“彼”によく似ていて。

 

「私達が里まで案内してあげようか?」

「本当ですか?」

「ああ、もちろん出すものは出して……あいたっ」

「こっちの子の話は聞き流していいわよ、それじゃあ行きましょうか?」

「ありがとうございます!!」

 

 にかっと笑う少年、その笑みも私の思い出の中に残る彼の笑みと瓜二つで。

 今まで、彼の事を思い返すのは本当にごく僅かであった。

 納得していたとはいえ、それでも失ってしまった彼の事を考えるのは心が痛むし、幻想郷を安定させる為に動かざるをえなかったから、思い返してる暇などなかった。

 

「……紫? さっきから黙ってるけど、どうかしたの?」

「…………」

 

 都合の良い奇跡など起こりはしない、だから目の前の彼はあくまで“彼”と似ている別人だ。

 だけど、それでも……私は問わずにはいられなかった。

 

「ねえ、貴方の名前は……なんていうのかしら?」

「えっ、ああ、そういえば名乗っていませんでしたね」

 

 申し訳なさそうにしながら、少年は私に対して佇まいを直してから。

 

「――――龍人です」

 

 澄んだ声で、自らの名を名乗ってくれた。

 

「…………」

「あれ? 龍人って……」

「龍人、ね。はじめまして龍人、私は八雲紫よ」

「八雲紫……あなたが、幻想郷の賢者の八雲紫様ですか?」

「様はいらないわ、紫と呼んでくれて構わないから……貴方の事も、龍人と呼ばせてもらっても構わないかしら?」

「……うん、わかったよ紫」

 

 すんなりとこちらの提案を受け入れて、少年は私の名を呼んでくれた。

 その呼び方は、やっぱりあの人と同じようで自然と心が弾む。

 

「ねえ龍人、実は今夜博麗神社で宴会があるの。もしよかったら貴方も来てくれないかしら?」

「えっ……でも、いいんですか?」

「来てほしいの、貴方に」

「…………」

「私達もその宴会に参加……というか、会場が私の神社なんだけど、来たければ来ても構わないわよ」

「そうそう。宴会は大勢でやるからこそ楽しんだからさ」

 

 彼の心中を察したのか、霊夢も魔理沙が助け舟を出してくれた。

 それで安心したのか、彼も笑みを浮かべて。

 

「じゃあ、参加させてもらいます」

 

 そう、言ってくれた。

 

「…………っ」

 

 感情が、爆発してしまいそうだ。

 彼との繋がりを得た事が、私の中で最大級の悦びとして溢れ出しそうになった。

 嬉しくて嬉しくて、必死になって視線を逸らし瞳に溜まる涙を隠しながらそっと拭う。

 

 さて、そういう事ならすぐに屋敷に戻って宴会の準備をしなければ。

 今日は私が腕によりを掛けて美味しい料理を作って、彼に喜んでもらおう。

 

「霊夢、魔理沙、今夜の宴会は楽しみにしていなさい。そして龍人、必ず来て頂戴ね?」

 

 そう言い残し、私は八雲屋敷へと戻る。

 すぐさま台所に向かいそこにある食材全てを使う勢いで下拵えを開始した。

 

「……紫様、戻られたのですか?」

「にゃー……なんだか紫様、鬼気迫る感じです……」

「良いところに来たわね藍に橙、今日の宴会料理を作るのを手伝って!!」

「えっ、紫様が作るのですか? というかやけに張り切っていますね……」

「そりゃあ張り切るってものよ!!」

 

 さあさあ早く早くと2人を急かす。

 私の様子に怪訝な表情を浮かべながらも、2人はすぐに手伝いを開始してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい出会いが、私の前に姿を現した。

 それはこの胸の内に残っていた物語の続き、ハッピーエンドに向かう第一歩。

 

 前の私に別れを告げ、新たな私が前を進む。

 人と妖怪が共に生きるこの世界で、沢山の友人と思い出に包まれながら生きていく。

 ……今度は絶対に放さない、だってまた会うと約束したもの。

 

 けれど幕はここで降りる、でも私の道はまだまだ終わらない。

 幻想の旅は、まだまだこれからも続いていくのだから……。

 

 

 

 

FIN...




最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
あとがきは活動報告にて書かせていただきます。


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