襖の開かれた永遠亭の一室に、三日月の光が差し込む。
その部屋では一切の明かりを使用していないにもかかわらず、月の光だけで妖しく輝いているようにも見えた。
その部屋で輝夜は永琳と向き合うように座り、そしていかにも無気力そうに卓袱台へと伏せていた。
「ああ…」
その状態になってから何度目になるともわからない溜め息をつく輝夜。
それに対し、あえて反応をせずに黙ってお茶を飲んでいた永琳だったが、輝夜が先程から醸し出している「構って」オーラに観念したように口を開く。
「溜め息をついたら幸せが逃げるらしいですよ。どうしたんですか」
ようやく永琳に構ってもらえた輝夜は身を起こし、今度は頬杖をつきながら理由を話す。
「最近暇なのよね。何でもつまんないっていうか、彩がないって感じ?刺激が欲しいっていうか」
確かに、蓬莱人として永い時間を生きていればそう感じるのも、以前までなら納得できたかもしれない。ただ、今は藤原妹紅との殺し合いという「刺激」があるのでは?
「藤原妹紅との殺し合いがあるではありませんか。こちらからすれば十二分に刺激的なことに思えますが」
「んー、まぁ。前まではそうだったんだけどね。でもなんか、それすら飽きてきたっていうか…。それに、よくよく考えてみたら向こうが一方的に憎んでるだけなのよね。昔振った男の娘にどう感情を持てと。冷静になったらそんな感じね」
「……」
「そうだ。とりあえず今は刺激云々よりも、妹紅をどう遠ざけるかが問題だわ」
…この姫は本当に自分中心だな。
内心呆れながらもこれまでの付き合いで慣れていた永琳は、表情にはおくびにも出さず輝夜の相談に乗る。それに、いい考えも浮かんだし。
「遠ざける…ですか。思い切って永遠亭ごとどこかに移動させます?」
「んー、面倒ね。パス。それにそんなんじゃ、見つかってまた移動してのいたちごっこになるじゃない。妹紅が近づきたくなくなるようにしないと。大体、蓬莱人ってのが厄介なのよね。殺せないし、私の能力でどうこうも出来ないし」
「そうですね…。でしたら、蓬莱人の性質を逆手に取るとか」
逆手?いったいどういうことなのか。
その意味はともかくとして、永琳の自信ありげな表情を見た輝夜はその意見を前向きに検討することにした。
「いったいどういうこと?」
「つまりですね。蓬莱人の不死を逆手に取るんです。要は『死んだ方がマシ』と思わせればいいんです。そして文字通り『死ぬほど』痛い目に合わせた後、姫様に近づかないよう脅せば完了」
「ふむ…」
いいんじゃない?ていうかもうそれでいいか。
一人じゃ思いつかないからわざとらしく溜め息をしてまで永琳に考えさせた甲斐があった。流石は月の頭脳といったところか。
「よし、じゃあそれでいきましょう。問題はどう痛めつけるかなんだけど…」
「半永続的に続くような装置がいいですね。あとは出来れば長く苦痛を与えるような方法で。そして姫が何もしなくても動き続ける方がいいですよね。それらを考慮したら…」
「考慮したら?」
「強酸のシャワーとかどうでしょう。自動循環が好ましいですね。密閉した箱状のものに人を入れて、上から皮膚を焼くような酸を降らせる。それを何時間も続けさせればかなりつらいと思いますが」
「成程…」
え?なんなのこの頭脳。こんな短時間でここまで考えられるもん?
しかしまぁ、完璧に思えるし、ケチをつける必要もないでしょ。
そう思考した輝夜は即決。
次の問題はそんな装置をどう作るかだったが、
「いいじゃない。で、そこまでの装置…」
「河童たちにでも作らせればいいんじゃないでしょうか。彼らならそれほど難しいことでもないでしょう」
「その手があったか…」
もうこうなったら永琳に丸投げでもよくない?
そして実際にそのあとは永琳に丸投げをした輝夜であった。
■
「さて、姫様。これが例の装置です」
そう言って永琳が見せたものは、成程確かに数日前に言っていた架空の装置と一緒の物であった。
ガラスで作られた長方形の箱状の物で、上部にはそこから液体を流せるであろう細かな穴が幾つもある。そしてその上には液体を入れるタンク。流す液体さえ間違えなければ普通のシャワーとして十分機能するだろう。
「ところで、これに自動循環機能は付いてるの?見た感じ随分とシンプルだけど」
「先程試験的に水で使用してみましたら、明らかに最初にタンクに入れた量より多く降りましたので大丈夫かと」
「へぇ~、河童ってすごいわねぇ。その原理についての説明はなかったの?」
「受け取った際は何故か息も絶え絶えという状態だったので。何も聞きませんでした」
『何故か』の部分をあからさまに強調したうえ、そのあと謎の笑みを浮かべた永琳。
考えてみればこんなの数日でおいそれと作れるものではないだろう。それを可能にするため永琳が一体河童たちにどんなことをしたのか、輝夜はあえて聞かなかった。
「じゃああとは妹紅を呼び出すだけね。それじゃあ…」
「お任せください。姫様」
「あ、あらそう?じゃあ悪いけど頼むわ。力が出なくなるような薬確かあったでしょ?それ服用させるの忘れないようにね」
「分かってます。大丈夫ですよ」
そう言って永琳はニヤリと笑った。
――…ん。
――……ここは?
私は目を覚ました。
状況が分からず、とりあえず前を見るとどうにもガラスがある。
…これは?
私は確かあれから――?
何か薬でも盛られたのか、上手く力が出ない。
混乱する頭で前を見ると、先程は気付かなかった人影がある。
よく見ると、永琳――
そしてその隣で冷たく笑っている、
――妹紅がいた。
■
ようやくそこで頭が覚醒した輝夜は、今度は自分の置かれている状況を把握し驚愕の表情を浮かべた。
――なんで永琳の隣に妹紅が?なんで私があの装置の中にいる?なんでこんなことに?なんで…。
「なんで…」
頭の中をぐるぐる回り続ける疑問が無意識に口をつく。すると妹紅は箱の中でへたりこむ輝夜に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「永琳から全部聞いたぜ?よくもまぁ自分勝手に話を進めてくれたよ。何が『昔振った男の娘にどう感情を持てと』だよ。こっちがどんな思いを抱いているのか知らないで」
「ど…どういうこと?ね、ねえ。永琳?」
しかし永琳は輝夜を見つめ返すだけで何も答えない。
妹紅は立ち上がり再び口を開く。
「ま、お前の計画は永琳からすべて聞かせてもらったよ。随分とまぁ酷いことをしようとしたもんだな。って言っても考えたのは永琳か。そんなに私のことを虐めたかったのか?」
笑いながら傍らにいる永琳へと問いかけると、永琳も微笑み返す。
「ごめんなさいね妹紅。でも最終的には全部輝夜へと返っていくんだから。いいでしょう?」
そう言いながら永琳は妹紅の後ろへと移動し、背後から優しく抱きしめる。返答に満足したのか妹紅は顔を上げて永琳と目を合わせ、右手でそっと頬を撫でる。
「まったく、お前は永琳に頼りっきりなんだよな。お前が永琳に話したからそれを利用しようと思いついたってのに。そんなんだから裏切られるんだろ。ま、その点については僅かに同情してやらないこともないぜ」
「あらあら。酷いわね妹紅。別に私は輝夜を裏切ったわけじゃないわよ。妹紅、貴女だからね…」
互いに笑い合い、そして永琳は妹紅の手に何やらリモコンのようなものを渡す。
「サンキュ。さて、と。それじゃあ、始めようか?」
悪意の塊と言える妹紅の表情と言葉を聞き、輝夜はもはや現実逃避をするかのように説明を求める。
「妹紅…!貴女、永琳とどういう関係…!?訳が分からないわよ。ねぇ!」
「『そういう』関係だよ。分かってんだろ?認めたくないだけで」
輝夜の問いかけをバッサリと斬り捨て、リモコンのスイッチを何の躊躇いもなく押す。
「ちょ…、待って!」
「クスッ。『自業自得』だよ
『シャワー』が降ってくる瞬間、輝夜は外の景色が自然と目に入った。
――満月か…。綺麗ね
皮膚を焼く、酸の雨が体に降り注ぐ
「んっ…」
永琳は目を覚ました。不自然な体制で眠っていたせいか体の節々が若干痛む。
――なにをしていたっけ?
そうだ。あのあと数時間、輝夜に『シャワー』を降らせて。妹紅には先に竹林の方に行かせて。動かなくなった輝夜を装置から出して。それからこれからどうするか話し合う為に妹紅のところへ行こうとして…。ん?
ひとしきり思い出したところで、改めて違和感に気付く永琳。
――何故不自然な状態で眠っていた?
そのことに気付くと自分がどこにいるのか、ようやく把握出来た。
把握は出来たが、理解は出来なかった。
「これは…!?」
……あの装置の中?
間違いない。ガラス越しに外が見える。見上げると、あの穴が確認出来る。
「どうして…」
その声に反応するように、死角から声がする。
「クスクス。なかなか面白い反応ですね、八意殿」
「その声は…」
「ええ、私です」
そう言って現れたのは、半獣状態の上白沢慧音であった。
「…何故こんなことを?」
「何故?決まっているでしょう。アナタなんかが妹紅と仲良くしているからですよ」
「なっ!?」
思ってもいない返答に動揺を隠せない永琳。そんな永琳の状態などお構いなしに一人、どこか危なげに話を続ける慧音。
「吃驚しましたよ、最初にアナタと妹紅が仲良くしているのを見て。まさかと思って八意殿を色々とあとを尾けたりするうちに本当に仲が良いんじゃないですか。どうして仲良くなったかは知りませんけどね。それでどうしようか考えていたらおあつらえ向きの装置があるっていうじゃないですか!それで今の私の能力をフル活用しましてねぇ。アナタという存在を『無かった』にしたんですよ!!」
話を続けていくうちにヒートアップしてきたのか、最早叫んでいる慧音。その様子を見て背筋が凍りつく永琳。
――駄目だ、完全におかしくなっている。
最初はなんとか話し合いで済ませないかと思ったけれど、どうにも無理そうだ。
「妹紅さえ来てくれれば…」
最後の希望がつい口に出た永琳。しかし、慧音はその希望をどこか楽しげに打ち砕く
「フフッ。妹紅は来ませんよ?言ったでしょ、アナタは今『無かった』ことにされているんですって。アナタの存在は私以外知らないんですよ」
「あっ……」
「そんなことも失念するほど、月の頭脳もパニックになっているんですねぇ」
最後の希望が無残に打ち砕かれる。もう逃れる術は残っていない。永琳の体に激しい恐怖が駆け抜ける。
「い、いや…」
「残念『自業自得』ですよ?さて、妹紅にはどんな罰を与えようかな。フフフフフフ」
そうして慧音はスイッチを押した
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