誰もいなくなった (ばせばちょんちょん)
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誰もいなくなった
――ごめんなさい。
フランドール・スカーレットの口からは、この言葉がよく出てきた。口癖、というほどではないものの、フランドールは何かあると一人この言葉を呟くのであった。
これまで何回この言葉を口にしてきたか。いや、そもそも誰に対して、何に対してかさえ自分自身分かっていなかった。その時誤って壊してしまった玩具に対して?地下暮らしをしているがために迷惑をかけている姉に対して?自分でも自覚している、狂気を宿す自分などが生まれてきて?
――わからないなぁ。ごめんなさい
■
いつも通りの扉をノックする音、そして同じような「妹様」という声。
フランドールはぼんやりと扉の方へ意識を向けた。
「失礼します」という言葉のあと、入ってきたのはいつも通りのメイド――ではなかった。
とはいえ、いつも通り、とは言ってもフランドールが記憶しているのは背中にある羽ぐらいのもので、顔の造形まではいちいち覚えてはいなかった。
それでもいつもとは違うと感じた理由は至極簡単、背中に羽がなかったのである。
そのことに若干の疑問を持ったフランドールは、メイドが自分のための食事を置いておく間無意識のうちにじっと見ていた。
すると――
「……?」
いきなりメイドが視界から消えたのである。ついでに言うと配膳の途中だったにもかかわらずメイドが消えたと同時に完璧に配置されていた。
「それでは妹様、失礼します。」
後方から聞こえた声はフランドールが振り向くと同時にドアへとまたしても移動し、そしてそのままドアを閉めていった。
「……なんだったのかしら」
多少呆然としながら独りでに口を突く言葉。けれどもその言葉を返してくれる者はいなかった。
■
「私の妹はどうだった?咲夜」
咲夜が地下から戻ってくると、レミリアは薄笑いを浮かべながら尋ねてきた。その笑みは聞かなくてもわかるけど、と付け加えているようにも見えた。
「…なんと言いましょうか、『危険』ですね」
「そうでしょう?これまでどれだけの妖精メイドが犠牲になってきたか…」
口ぶりは呆れたようにしながらも、その顔には薄笑いが浮かんでおり、見様によっては『死んでいったあいつらが悪い』とでも言わんばかりだった。そして咲夜はそのことを感じながらも口にはせず、軽く溜め息をつくだけだった。
「『無意識』ですものね。能力の発動が本人には分かってはいないように思えます。というか私も危うく体のどこかが吹き飛ばされそうになったのですが」
「でもこうして今生きているでしょう?そのことを見込んで遣わしたのよ。ま、万が一ってこともあるから明日以降は別のに任せるわね」
「それと、今のままだとずっとこのまま……ということもあります。能力の制御を妹様が出来るようになって頂かないと」
「そう…ね。それも含めて明日誰にさせるか決めるわ。……咲夜、紅茶を淹れて。ゆっくりでいいわ」
「かしこまりました」
言葉通り扉から出ていく咲夜を横目に、レミリアは一人明日のことを考えていた。
(フランの攻撃を避けれて尚且つ教育出来そうな奴…ねぇ。……アイツに任せてみるか)
■
――フランドール
優しく響くその声は。ずっと聞いていたいようなそんな思いに駆られて。思わず笑みがこぼれてしまう。
――誰?私をフランドールって呼ぶのは?メイドは全員『妹様』だし――
――いい子ね、フランドール
ああ、この声は――
「お母様…?」
自らが出した言葉によって夢から醒めたフランドール。顔を上げると、見慣れない顔がばつの悪そうな表情をしていた。
「あ…、すみませんフランドール様。起こしてしまいましたか」
まだ完全には覚醒していないのか先程の夢と相まって、目の前の人物がずっと昔に死んでしまった母親の姿と重なって見えた。久しく感じることのなかったぬくもりに触れて、ふにゃりとした笑みを浮かべる。
「貴女は誰?初めまして?」
「初めてですよフランドール様。私はここの門番の紅美鈴と言います」
「ホンメイリン…」
教えられた名前を舌の上で転がし、記憶する。紅美鈴。私のことをお母様と同じように『フランドール』と呼んでくれる――。
「ところで妹様。この部屋から出たい。そう思ったことはありませんか?」
唐突の質問に多少真意を測りかねるフランドール。けれども、ニッコリと笑う美鈴を見て、一つの思いが芽生える。
「外に出て、美鈴と一緒にいられるなら、出たい」
「え…?」
予想していない答えに狼狽をする美鈴。まさか会って数十分の相手にここまで懐かれるとは思ってもいなかった。しかし、よく考えてもみればフランドールはこれまで殆どを一人で過ごしてきたのだ。子供が好きだし好かれやすいと思う自分にとっては何気ない、妖精などと同じ感じで接しても、向こうにとってはそうではないのかもしれない。
そして美鈴はそんなフランドールを愛らしいと思い、守ってあげたいと思った。
「分かりました。お嬢様に掛け合ってみましょう。」
「ほんと!?」
美鈴が考えているときは不安げな表情を浮かべていたが、その言葉を聞いて満面の笑みを浮かべる。
「ただし、今のままでフランドール様を外に出すわけにはいきません。条件があります」
「条件…?」
「フランドール様の能力。これを御自身で制御出来る様になって頂かねばなりません」
「あ…う…」
今までのことが脳裏をよぎる。無意識のうちに発動する自分の能力。フランドールにとっては向き合いたくないものではあったが。
しかし
「……先ずは、御自身のやってきたこと。そのことに目を背けてはなりません」
と心を読んだかの如く美鈴は言う。
「そしてそのことを心から反省し、悔やみ、もうしないと誓う。これがまず第一歩です。わかりましたか?」
「う…うん!」
「それではやっていきましょうか。厳しく行きますからね?覚悟しててくださいよ?」
冗談めかしてあくどい笑みを美鈴が浮かべると、フランドールは楽しげな笑みを浮かべ返した。
■
「どうなの?フランと美鈴の関係は」
レミリアはいつも通りの紅茶を飲みながら、多少なりとも気になっていたことを咲夜へと問いかけた。
「随分と仲がよろしいようです。能力の制御に関しても積極的だと」
「……正直、私もフランと関わるのは怖かったからね。愛情なんてろくに知らなかったのでしょう。美鈴の方がよっぽど身内らしいのじゃない?私なんかよりも」
溜め息をつきながら空になったティーカップを置くレミリア。
「なにも直接触れ合うだけが家族ではないですよ。そのように妹様のことを心配するのも立派な愛をお持ちだと私は思います」
咲夜はそう言葉を紡ぎながら、空になったティーカップに紅茶を注ぐ。レミリアは少し照れたようにしながら視線を逸らす。
「まぁ、上手くいくのを祈るしかないわね。多分、フラン自身も自分の能力を完璧に把握してるわけではないだろうし…」
■
「そう言えば、自分の手に目があった」
フランドールの能力制御のために美鈴はまず、発動した際変わったことがないかを尋ねた。
「目…ですか?どちらの手に?」
「えぇっと、右手…だったかな?」
想像していたよりもあっさりと手掛かりを掴めたことに安堵する美鈴。発動した際の変化からフランドールの能力の原理が正確に理解さえできれば、それを自分のものにするのもそう難しくはないだろう。
「成程。その目はどのような目です?」
「あの、何にでもどこかに目玉があるでしょう?普通の目とは別に。それだと思うんだけど…」
――普通の目とは別に?
もちろん美鈴はそんなものみたことないが、フランドールの口ぶりからすると恐らく彼女にはごく当たり前の光景らしい。
「…私はそのようなものは見えたことがありません。もしかすると、その『目玉』がフランドール様の能力のカギかもしれません」
「そ、そうなのかなぁ…」
すると美鈴はよいしょ、と立ち上がり、近くに置いてあった袋から大きな緑と黒の玉を取り出し、それをフランドールの前に置いた。
「美鈴、これ何?」
「これは『スイカ』という、まぁ食べ物です。…妹様、これにも『目玉』は見えますか?」
「う、うん……」
「ではこのスイカを能力で破壊してみてください」
「えっ!?い、いきなりはちょっと難しいよ」
「恐らく、その『目玉』が重要なようなので、それをどうにかして…って駄目ですよね。こんなあやふやじゃ」
思わず苦笑いをする美鈴ではあったが、対するフランはどうにか美鈴の期待に応えようと集中力を高めていった。
「…っ!」
その時凄まじい音と共にスイカが爆発し、辺りには中身が飛び散っていた。
「あっ…」
出来た、と呟いたフランドール。美鈴も思わず辺りを見渡した。
「すごいじゃないですかフランドール様!今御自身の意思でやられたのでしょう!?」
「め…美鈴。出来たよ」
「出来ています!この調子ですよ!」
■
「妹様にはどうやら無機物有機物関係なく、『目玉』というものが見えるらしいです。そして先日、美鈴が試しにスイカを対象にさせた折、その目玉が自身の手に移動、それを握りつぶすとスイカは破裂したようです。本人曰く『キュッとしたらドカーンってなった』らしいです」
「そう。徐々に良くなっていっているのかしら?」
「ええ。そう時間もかからずとも妹様が外に出られるのではないでしょうか」
そう言って咲夜は微笑んだが、対照的にレミリアは難しそうな顔をしていた。
「お嬢様…?」
「少し気になるのよね…。一つ」
■
「きゅっとして…ドカーン!」
その声と同時に綿の塊がはじけ飛ぶ。
あれから数日。フランの能力は回数を重ねるごとに反応が早くなっていき、今ではフランドールの意思と能力の発動のタイムラグは殆どなくなっていった。
「これならもうすぐ外に出られますよ、フランドール様」
「うん!美鈴ありがとう!」
するとそこへ扉をノックする音がして、続いて美鈴、と呼ぶ声が聞こえた。
「…?誰でしょうか?すみません、ちょっと休憩ということで」
そう言って美鈴はドアを開けると、目の前には咲夜が立っていた。廊下に出て、というように手招きをする咲夜。よくわからないがとりあえず廊下に出る。
「珍しいですね咲夜さん。どうかしたんですか?」
「ちょっとね。様子を見に来ただけ。どうなの?妹様は」
「もう殆ど能力制御出来ています。多分危険なんてないんじゃないでしょうか」
「そう。…美鈴。貴女、妹様のことは好き?」
いきなりの質問に少々面食らった美鈴ではあったが、ありのままを答える美鈴。
「ハイ。何と言いますか、ここ数日で『愛しい』という思いは強いですね。目標に向かってひたむきに頑張る姿などが。母性愛に近いかもしれません。勿論、フランドール様にはお嬢様が傍にいるのが一番でしょうけど、ね」
「成程ね。分かったわ。いいわよ、戻って。待たせているんでしょう?」
「あ、はい。失礼します」
そう言うと美鈴は部屋に入ろうとするが、咲夜は何故か呼び止める。
「なにか?」
「……気をつけなさいよ」
「大丈夫ですよ。もう制御は完璧なんですから」
「……」
部屋の中へと入って行った美鈴を見送ると、咲夜は振り返って柱の陰にいたレミリアに声を掛ける。
「だ、そうです」
「……」
「…お嬢様、何が心配なのでしょうか。正直私も美鈴の言うとおり大丈夫かと」
「いや、気にするな。恐らく気のせい、深読みのしすぎだろう。だから、まぁ、な」
歯切れの悪い言葉を自分に言い聞かせるようにしながら、レミリアはゆっくりと階段を上っていった。
■
「フランドール様、これがうまくいけば外出についてお嬢様に掛け合ってみましょう」
「ほんと!?」
そう言うとフランドールは美鈴の方を向いて満面の笑みを浮かべた。美鈴も微笑み返す。
「きゅっとして…どかーん!」
■
「数週間………ね。フランの様子は?」
「……変わりないです」
「そう……」
「フランが見える『目玉』は有機物無機物関係なかった。…もしかしたら、目に見えない、抽象的なものも壊せるのじゃないか、そう思っていたのよね」
「そうだったのですか……」
「もし、あの時『大丈夫だろう』と決めつけなければ…」
「…あくまで結果論です。どうしようもありませんでした。……しっかりしてください。貴女はこの館の当主です。お気持ちはよく分かりますが…」
「分かっている。分かっているのでだけど…。まさか、相手の『心』が壊せるとは…」
「美鈴も全く変化なしです。最早生物というより『人形』と言ったほうがいいかもしれません」
「美鈴のフランの思う心が大きくなっていったのも原因かもね―」
光の入らない部屋。フランドールは床に四肢を投げ出して座り込んでいた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい――」
生気の全くない目。口から漏れ出るは懺悔の言葉。
部屋には二体のドール――
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