夢幻転生 (アルパカ度数38%)
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無印前 その1:夢幻開始

*注意
某所の仮面の理を書く息抜きに書くSSという、割と意味不明な事をしている作品です。
力尽きたらエタりますが、プロットはA's終了まではあるので、その辺までは頑張って書きたいと思います。
ストックがなくなるまでは毎日更新、なくなれば不定期更新にシフトします。
では本文をどうぞ。


 

 

 

 寝て起きたら赤ん坊になっていた。

意味が分からないと思うが、ぼくにも意味が分からなかった。

記憶にある限りぼくは普通に自宅の古アパートワンルームで布団の中で横になっておやすみなさいと言って眠りにつき、そして夢を見る間もなく起きたら赤ん坊。

せめてその間に何かイベントがあるべきなんじゃあと思いつつも、僕はぎゃあぎゃあと泣く。

男の子だけど、赤ん坊だもの。

泣かなくちゃあ駄目だよねぇ。

 

 兎に角ぼくは泣いて泣いて泣きまくって、最初はぼくはこれがただの妄想なんじゃあないかと思った。

もしくは現実世界でうたた寝しているぼくの夢か幻かで、今ぼくが思考できているのも胡蝶の夢みたいな物なんじゃあないかって。

けれどいくら泣いても夢は覚めず、ぼくは次第にふと赤ん坊は誰しもこんな風に他人の記憶を持って生まれてくるんじゃあないかとか思った。

そして成長していくに連れ、物心付く前の事なんかボロボロの紙切れみたいに存在を忘れてしまい、消えてなくなっちゃうんじゃあないかと。

そうなれば、ぼくという精神はきっと死んでしまうのだろう。

まぁ別にいいか、とぼくは思った。

割と何となく生きているぼくにとって、死は頑張って回避する物ではなく、来たら受け入れられる物であった。

なのでこのまま赤ん坊の中に消えていくんだなぁ、と思ってぼんやり過ごしていたら、ぼくはもう5歳になったのであった。

 

 物心、つきまくりである。

 

 てっきり消えてなくなると思ったぼく自身は何時まで経っても消える事なく、いつも通りぼんやりほわほわとしていながら、ぼくは小学校の入学式に望んでいるのであった。

校長先生が長くて威厳があると多分本人は思っている話を長々とし、ぼくはうずうずとする同年齢の皆が何時騒ぎ出すんだろうな、とわくわくしながら待っている。

どうせなら爆発するのがいいな、とぼくは思った。

ぼくのお腹の中に不思議な時限爆弾があり、チッチと昔から時を刻んできた爆弾が爆発し、ぼくの周り数十人ぐらいが爆風に巻き込まれて血肉と化して台風を作るのだ。

生まれた台風はきっと清らかな事だろう。

だって清らかな子供の血肉で生まれたのだ、そうに違いない。

だとすればみんなに祝福してもらえるかなぁ、と思いながら、ぼくはさっきからうずうずを抑えようと無意識に貧乏揺すりをしている子に視線をやる。

 

「あっ、たっちゃん」

「しー」

 

 言いつつ人差し指を立てて唇の前にやると、なのちゃんは目を見開いた。

その後すぐに口にチャックをする動作をして、視線を校長先生に戻す。

本当にお口にチャックをできたのなら、その間呼吸は鼻でやるのだろうか、とぼくは思った。

そうするとみんな鼻からびゅごうびゅごうと息を吸ったり吐いたりする世界になり、深呼吸も食べ物を食べたりもジュースを飲んだりも鼻でやる事になるのかもしれない。

と思ったけれど、チャックを開ければ口を使える訳で、その辺はぼくの失態であった。

そんな風に思っていると、ようやく校長先生の話が終わり、そしてすぐに入学式も終わる。

行儀の良い子供である僕らは我先に飛び出さんとばかりに飛び出ていって、まるで風がびゅうびゅう飛んでいる姿に近い物があるなぁ、と思いながらぼくも風の一部となってびゅうびゅう飛んでいった。

飛んでいった先にはクラス分けの表があって、ぼくとなのちゃんは1組に分けられる。

こうやって仕分けされていると、ダンボールに差し込まれるワインの瓶みたいな気分になって不思議だ。

けれどぼくらはワインの瓶と違って、瓶と瓶の間はダンボールで隔離されている訳じゃあないので、孤独ではない。

なのでとっても幸せ。

 

 そんなぼくは登下校をなのちゃんと一緒に歩いて行く。

ぼくとなのちゃんの家が隣だからである。

そんなぼくとなのちゃんとの付き合いはもっと小さい頃からで、何歳からだか忘れちゃったけど、なのちゃんの家の士郎さんが大怪我をした時からだ。

その時ひょいっとぼくの家に預けられたなのちゃんに、ぼくが適当に遊んであげたら、なんでか知らないけど懐かれた。

意味は良く分からない。

けれど家の中でいつもぼくの後ろを追いかけてくるなのちゃんが居ると、ぼくはカルガモの親子の親の方になった気分で、これでくちばしでいつでも誰かの目玉をつつけるんだ、と思うと中々面白かったので、なのちゃんをいじめるような真似はしなかった。

その後なのちゃんの家の恭也さんが超強い事を知り、ぼくはなのちゃんの目玉をえぐり出さなかった事に少しだけ安心する訳だけど。

ぼくは痛いのはそこそこ嫌いなのであった。

そんなぼくは、なのちゃんと思いついた事を喋りながら自宅へと歩いて行く。

 

「あ、電柱だ」

「たっちゃん、電柱はどこにでもあるよ」

「うん、電柱って下から見上げると太陽まで届きそうに見えるよねぇ」

「たっちゃん、太陽を直接見ると危ないってお父さん言ってたよ?」

「だから登ってみたいんだけど、横から見ると全然届かなそうなんだよ。二分の一の確率で太陽まで届きそうなんだけど、どうしよう?」

「危ないからやめようよ……」

 

 呆れたみたいに言うなのちゃんの言に、それもそうだな、と思い直してぼくらはゆっくりと家まで帰る事にしたのであった。

その日のデザートは、入学祝いと言う事で桃子さんの作ってくれた美味しそうなシュークリームだった。

 

「美味しいね、たっちゃん」

「うん、不思議な味だね」

 

 と言うと美味しいと言われ慣れているんだろう桃子さんは、不思議そうな顔で首をかしげる。

 

「なんだか雲と飴を一緒に食べているみたいな味だなぁ」

「あらあら、たっちゃんは面白い喩え方をするのねぇ」

 

 と言って桃子さんに頭を撫でられるのだけれど、ぼくは前世で一度雲に頭から突っ込んだ事があり、その時の雲の食感が本当に今のシュークリームに似ているのだ。

けれどそんな事を言ったって信じてもらえなさそうなので、ぼくはちょっと不機嫌になりつつも残りのシュークリームをもきゅもきゅと食べる。

そんなぼくを仕方がないなぁ、となのちゃんは見ていたりするのだけれども、その仕方がないなぁ、がなんだかチワワの大群を見ているような仕方がないなぁ、なので、ぼくはまぁいいかと言う事にするのだった。

 

 そんなこんなでぼくとなのちゃんの小学校生活が始まった。

ぼくは適度にみんなと距離を作りながらぼうっとしていたのだけれど、なのちゃんは早速友達を作ったみたいだ。

というのも、ぼくが太陽が照っていて熱いので中庭の日陰でぼんやりしていたら、バニングスさんと月村さんが喧嘩をし始めたのだ。

というか、一方的ないじめっ子であった。

バニングスさんと言う金髪の子は月村さんと言う紫色の髪の毛をした子からカチューシャを取り上げ、なんだか口論をしているようだったのだ。

ぼくは、これはぼくもカチューシャを入手する為に立ち上がらねばなるまいと思って腰をあげたら、なのちゃんがだめー! と叫びながら乱入してきて、バニングスさんを平手でぶん殴ったのだ。

ぼくはなのちゃんのあまりの怖さにちょっと腰が引けてしまって、すごすごとその場は教室に帰ったのだった。

ぼく、情けなし。

そして意味がわからないと思うが、翌日登校してきたらなのちゃんとバニングスさんと月村さんは友達になっていた。

実際意味がわからず、ぼくは首を傾げたのだけれども、尻尾があれば振り切れそうな勢いでその事を報告してくるなのちゃんに、良かったねと言った。

そして気づけばぼくは彼女ら3人と一緒のグループになっており、4人で行動する事が当たり前になっているのであった。

 

 バニングスさんは、頭がよく強気な子だった。

テストはいつも100点で、前世パワーで100点なぼくは、一個でも問題をミスしたら小学1年生の子供に頭脳で負けてしまうと言う脅迫を受けているような気分になる。

どうやらバニングスさんは、家族の事が大好きなようだった。

それが分かったのは、遠足の日の事である。

 

 6月ぐらいに遠足に行く事になった日、横暴な事にくじ引きの席替えで決まった班ごとにぼくらは歩いていた。

ご飯も班ごとに食べるようにと言う教師力全開の事態だったが、幸い自由時間は好きな友達と遊んで良いらしく、ぼくもバニングスさんもなのちゃんと月村さんと遊ぶつもりだったけれど、あいにくなのちゃんと月村さんは風邪でおやすみだったのであった。

という事で、ぼくとバニングスさんは体育座りで色んな話をしていた。

最初はバニングスさんの事だからスポーツに参加にするのだろうと思っていたけれど、彼女はそういえばあんたと腹割って話した事無かったわね、と言って2人きりで話をするようになったのだった。

ありていに言って、彼女は天才であった。

1を聞いて10を知る、を擬人化したみたいな人間で、テストの点数では測れない部分の頭の良さが凄い人間だった。

ぼくは前世で天才と呼ばれたり自称したりしている人間にダース単位で出会っているけれど、彼女はその中でも五指に入るぐらいの天才なのだ。

例えば、こんなエピソードがある。

 

「1わる10って何だと思う?」

「…………そうね、わるって何?」

「割り算」

「割り算……引き算が引き算なんだから、割り算は分けるのよね。でも、1って10じゃ割れないんじゃ? あ、何も言わなくていいわよ、自分で考えるから。えーと、テレビで見かけた0.1とかってこれに使うんじゃあないかしら。って事で、0.1ね!」

 

 この娘、今足し算を習っている途中である。

引き算は多分両親の英才教育なんだろうけど、割り算の正体に語呂から気づいて、テレビなどの情報から小数点に気づき、答えを出してみせたのだ。

ちなみに、ぼくは「もしくは十分の一だね」と言ってバニングスさんを悩ませ、後日怒ったバニングスさんに「紛らわしいし合ってるじゃない!」と言われ怒られたのだけど。

 

 兎も角そんなバニングスさんとぼくは、遠足に行った公園で2人きりで座っていた。

お尻の下には青々と茂った草があって、ちょっと冷たかったのを覚えている。

そこは湖畔の小さな林で、湖の中を白鳥ボートなんかが動いているのを上の方から見ていて、ぼくはここから足を突っ込んだら湖に大きな波をたてられそうだけど、実際は小さな波紋しかたてられない事に悲しんでいた。

ぼくは自分のことを普通に語った。

 

「ぼくは普通でしかなくて普通じゃあない所が無いから、あんまり自分語りする自分が無いなぁ」

「何よ、いきなり貴方の話は終わりじゃない」

「って言っても、ぼくはいつもぼんやりふわふわ生きているから、そんなに喋る事が無いんだよ。ぼく自身なんかよりも、この辺の空気の事の方がいっぱい喋れるぐらいさ」

「例えば?」

「草の匂いがするけど、草の匂いは地面に顔を当てているような気がして、なんだか土を舐めているような気がして好きじゃあないなぁ、とか。湖から運ばれてくる匂いは潮と違ってつんって来る匂いで、まるで背中をぴんと張りっぱなしにしたみたいな匂いだなぁ、とか」

「あんたはなんだかんだ言って普通じゃないわよ。面白いからいいけど」

「そうかなぁ」

 

 と言いながら、ぼくはバニングスさんの顔をじっと見つめて、この白い肌は何でできているんだろうなぁ、陶器にしては柔らかく、キャンパスにしてはつるつるしていているなぁ、なんて思っていた。

そんなぼくに、十分自己紹介みたいになっていたし、まぁいいか、と言ってバニングスさんは口を開く。

 

「私はそうね、頭が良いし、多分顔も良いわね。あとお金持ちの娘だわ」

「そう言って嫌味にならないぐらいに凄いね、バニングスさんは」

「そうね。……う~ん、結構改まって自己紹介って難しいわね」

「じゃあ、大切な人とかは?」

「え? えっと、なのはとすずかもそうだけど、改めて言うなら、パパとママかしら」

「家族仲は良好、と」

「そうね、私はパパとママの事、誇りに思ってるわ」

 

 とバニングスさんは、まるでダイヤモンドみたいな輝きの笑みを浮かべた。

綺羅びやかで、何よりも固く、けれど割れやすい。

バニングスさんはそんな感じで、その心を削りとって加工してみたいな、と思える感じなのだけれども、ぼくが手を出すまでもなくブリリアントカットされそうなので別にいいかな、とぼくはその時思った。

 

「おっきな会社の社長をやっているパパの事は本当に誇りに思っているし、それを支えているママの事も同じよ」

「好きではないの?」

 

 とぼくが言ってみると、バニングスさんはぼくの頬へと平手を放つ。

避けれるけど、この娘の攻撃に当たるべきか当たらないべきか、もし当たるのだとすればどの角度がいいのか、深く考え込んでいたら平手が当たってしまった。

パチーン! と言う音が響き、同時にバニングスさんは平手を放っていない方の手で口を覆う。

 

「ご、ごめんなさ……」

「いや、これはぼくのほうが悪いんじゃあないかなぁ。なんか聞いちゃいけない事を聞いちゃったみたいだし」

「……ううん、でも暴力を振るった事は悪い事よ。ごめんなさい」

 

 そういって謝れるバニングスさんは偉い子なので、ぼくはうなずき許すよ、と言って彼女を許した。

それから暫く僕らは日陰で涼んでいた。

日向は日向ぼっこって言うけれど、日陰は何って言うんだろうなぁ、とうんうん考えているぼくに、バニングスさんは言う。

 

「そうね……。好きだと思う。思うんだけど、時々分からない時があるのよ。なんで家のパパだけ私の誕生日に仕事をしているの? ってね。仕方ない事だってわかってる筈なんだけど」

「聞いてみれば答えてくれるんじゃあない? それか、代わりの事をしてくれるんじゃあない?」

「そんな、迷惑かけられないわよ……」

「迷惑なのかなぁ?」

 

 首を傾げるぼくに、子供に言い聞かせるみたいにバニングスさんは言う。

 

「迷惑なの、だから言っちゃいけないの」

「じゃあぼくらが大人になった事を考えてみよう」

「え? 何よ突然」

「多分ぼくらも結婚するし、子供ができるよね?」

「私は置いてけぼりだけどね……、まぁそうね」

「とりあえず子供が3歳ぐらいだとしよう。ぼくらより年下だ」

「可愛いわね、きっと」

「その子供は、どんな事すると思う?」

「え~と、可愛い」

「うん」

「それから、そうね……うん、大体あんたの言いたいことは分かったわ」

「早いなぁ」

 

 と言ってバニングスさんの目を見ると、その目のキラキラした輝きでぼくを見つめてきて、ぼくらは見つめ合う事になる。

この目を抉って保管したらとても綺麗だろうなぁ、とぼくは思うのだけれど、保管方法が思いつかないので止めておくのであった。

苦笑しつつ、バニングスさん。

 

「確かに我儘言わない自分の子供って、なんて言うか、切ないわね」

「だから我儘も偶にはいいんじゃない?」

「でも、偶にはってどれぐらいならいいのか分からなくって……」

「ん」

 

 ぼくは湖の方を指さした。

その先には同じクラスのヒロキ君が居て、彼はおりゃあああと叫びながら湖にダイブ。

そして泳ぎだして、すぐに冷たいよ~! と言って泣きだした。

慌てて先生達が湖に飛び込んでヒロキ君を助け出し、服を脱がせてタオルで体を拭いてあげている。

視線を再びバニングスさんに。

大口をあげながら、今にも信じられない! とでも言い出しそうな顔をしている彼女に言う。

 

「あの十分の一ぐらいは大丈夫なんじゃあないかな」

「……そんな気がしてきたわ」

 

 そう言って肩の力が抜けた笑みを漏らすバニングスさん。

これできっと両親との関係も良くなるだろうなぁ、とぼくは笑い、バニングスさんも笑った。

大口を開けて、これ以上ないぐらい乾いた、だけど長々と続く笑みを漏らした。

笑い声がオノマトペになって空中に現れたとしたら、その重さでぼくらが潰れちゃうんじゃあないだろうかと不安になるぐらいの笑いだった。

そしてそんな笑いを経た後に、バニングスさんは笑いすぎて出てきた涙を拭いながら言う。

 

「そうだ、あんた何時まで私のことバニングスさんって呼ぶのよ。アリサでいいわ、アリサで」

「分かったよ、アリサちゃん」

 

 翌日、ぼくはなのちゃんと月村さんにすごい目で見られた。

なぜかは未だに分からない。

 

 

 

 

 



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その2:月下

 

 

 

 月村さんは本が好きで、これまた頭の良い子供だった。

学校に何時も本を持ってきていて、その本は児童文学ではなく普通の一般娯楽小説であり、勿論ルビなんて難しい漢字ぐらいにしか振っていない。

何度も言うが、月村さんは小学1年生である。

もしかして前世のぼくって結構頭が良い気がしていたけれど、本当は頭が悪かったんじゃあないかと思うぐらいに皆頭が良いので困ってしまう。

テストは100点とは限らないけれど大体90点以上とっていて、これまたぼくがそのうち追いぬかれてしまうんじゃあないかと思ってしまうような感じだった。

 

 彼女と2人きりで話す機会ができたのは、偶々ぼくが図書館に用事があった時である。

ぼくは輪廻転生関係の本を探して読んでいた。

なんでかっていうと当たり前の事なんだけれど、ぼくのこの身に襲いかかってきた事柄がどう考えても輪廻転生だからである。

ぼくとしては鳥になって空を飛んでみたり、もぐらになって地面を掘り進んでみたりしたかったのだけれど、なんでかぼくは人間に輪廻転生し、日本人から日本人に生まれ変わった。

しかもこの世界はぼくの生まれた世界とは微妙に違うパラレルな日本で、前世でやった記憶のある単色版画ぐらいの精度で似通っているようで、つまりはあんまり似ていない部分もある。

例えば日本であるこの国には、忍者という国家資格があったり、許可を得れば真剣を持ちだしたりとかできるらしい。

隣の家に証拠の人間が息をしたり食事をしたりしているので、多分間違っていないだろうし、図書館で調べた限りでもそうだった。

なのでその謎を解き明かそうと、同じような経験をした人が居たら会ってみたいなぁと思いながらぼくは輪廻転生の事を調べていたのだった。

 

「あれ、たっちゃん?」

「あれ、月村さん?」

 

 と、そこで月村さんと遭遇し、ぼくらはそんな感じに声を掛けあって出会った。

月村さんは黒を基調とした可愛らしい服をしていたので、ぼくは開口一番に彼女の服を褒め、彼女はにっこりと笑いながら空いている席に案内してくれて、ぼくらは机に隣り合って座った。

ぼくは折角なので机を尻に敷いて椅子に足裏を乗っけたかったのだけれど、月村さんの強い目つきに負けて、ぼくは大人しく椅子に座ったのであった。

机がぼくを載せられなくて哀しそうな顔をしているような気がしたけれど、ぼくは代わりに分厚い本を載せてやる事しかできなかった。

 

「どんな本読んでるの?」

 

 と月村さんが聞いてくるので、ぼくは背表紙を見せながら彼女に本の題名を朗読すると、彼女は困った顔をして固まってしまった。

こんなにがっちりと固まってしまった所を見ると、心臓はどうなのだろうと抜き出して止まっていないかどうか調べてみたいのだけれど、それをやると彼女の可愛い服が血で汚れそうなのでぼくはやめる事にする。

心臓近くの動脈血は眩いばかりの赤で、きっといくら黒い服でも真っ赤に染まってしまうに違いない。

そんな訳でぼくは月村さんの読んでいる本の題名を自力で確認し、彼女が有名な児童文学を読んでいるのだと知るときょとんとしてしまった。

 

「あれ、月村さんってこういう本も読むんだ。てっきり、もっと大人な本ばっかり読んでいるのかと思っていたよ」

「え、あ、うん。私児童文学とか童話とかも好きだから」

「夢があっていいよね。あいつはガムみたいに噛み切れないけど、甘いもの」

「は、はぁ……」

 

 前世で一度夢を食べようとした事があったけれど、ぼくの顎の力が弱いのか、噛み切る事ができなかったのだ。

なら飲み込めばいいじゃないかと言う話になるのだが、その夢は結構大きくて、餅を食べて喉を詰まらせるみたいにして死んでしまいそうだったので止めたのであった。

死ぬのは怖くないが、もうちょっとなさけある死に方が良かったのである。

 

「その本、シリーズの3冊目だっけ? ぼくは4冊目まで読んだ事があるけれど」

「え? たっちゃんはこの本読んだ事あるんだ」

「うん、主人公が太い枯れ木みたいな性格をしていて面白かったなぁ」

「たっちゃんは相変わらず独特だねぇ……」

 

 月村さんは苦笑したけれど、なんだかどきどきわくわくした目をしていた。

その目はなんだかあの夜にぽっかりと浮かんだ満月のような目で、太陽がそうするように鏡を使って光を当ててやれば、いくらでも輝けるような目に見えた。

けれどその目はまだクレーターができていなくて、ぼくは今指でちょちょいと突いてやってクレーターを作り、完璧な目にしてみようかな、とも思う。

けれど今は本を読みたい気分だったので、まだいいやと思いながらぼくも笑顔を作った。

そしたら月村さんは次々とそのシリーズについての話をし、語りに語りはじめるのだ。

図書館の中と言う事で声は抑えていたけれど、彼女は留まることなくペラペラと話し続ける。

 

「この本の主人公は好きな所もあるけれど、プライドが高い所が良くも悪くもあるよね」

 

 とか。

 

「この本の登場人物に病気で人から虐げられている人がいるけれど、本当に可哀想で切なくなってくるんだ」

 

 とか。

 

「この本の悪役は本当に酷いんだけど、でも同情できちゃう私って悪い子なのかな」

 

 とか話しているうちに司書さんが額に井桁を作ってこちらに歩いてきて、僕はあの井桁にカッターナイフで切れ目をいれたら綺麗な赤い血が飛び出るのかなぁ、と思っていると、月村さんは僕の視線で司書さんに気づき、静かにお口にチャックをするのだった。

そんな訳でぼくらは図書館を出てぼくらは別れる事になるのだけれど、月村さんはなんだか顔を僅かに赤らめながら僕の方を見たり自分のつま先を見たりと視線を行ったり来たりさせる。

そうなると視線が行ったり来たりしなくちゃいけなくて、視点さんが走るのが大変そうだなぁ、と思って僕は月村さんに近づいて腰をおろし、彼女を見上げた。

そうすると彼女はビックリして、恥ずかしそうに顔を真っ赤にするのだけれど、そのうちに吹っ切った顔になり僕に言う。

 

「あの、たっちゃん、このあと良ければ私の家に来ない? もっと本についてお話したいんだ」

「ん? あぁ、なのちゃんもアリサちゃんも小説は読まないもんね」

 

 しかしアリサちゃんはビジネス書は読むというスーパー小学生だった。

あの娘の頭はどうなっているんだろうな、きっと脳味噌はたっぷり身が詰まっていて、スプーンで掬うとプリンみたいにぷるぷると取れるんだろうな、とぼくは思う。

けれどそれはそれとして、僕は月村さんに向かって笑みを向けた。

 

「分かった、お邪魔させてもらうよ。元々夕方までは図書館に居るつもりだったから、両親には連絡だけすれば許してもらえると思う」

「や、やったぁっ!」

 

 と言って月村さんは喜びのあまりジャンプする。

これがサイヤ人だったらとっても高くまで飛び上がって、彼女を見続ける僕は首を傾けるのが大変で倒れてしまっていたかもなぁ、と思いつつ、僕は微笑ましげに月村さんを見ていると、彼女はすぐに恥ずかしそうになり、再び真っ赤になってうつむいてしまうのだった。

そのあと月村さんは、なんと携帯電話を鞄から取り出す。

凄いなぁ、携帯電話、僕が前世で初めて携帯を持ったのは大学生になってからだよ、と思いつつ彼女を見ていると、彼女は家に連絡しているようで、口の動きでお姉ちゃんが居るのが分かったりしつつ、ぼくはぼんやりと図書館を見つめる。

なんだか近代的な図書館はやたらお金のかかった建築で、ガラス張りの建物だった。

まるで宝石が中に人を閉じ込めてみるみたいで、中に居る動いている人達はそこから永遠に出られない事を知らないのかもしれない。

本と言う誘蛾灯に誘われて人が集まっていくその様は、まるでぬらりひょんが妖怪を集める様に似ていた。

ぼくは今世どころか前世を含めても妖怪と両手の指で数えられる程しか会ったことがなく、ぬらりひょんと出会った事なんて無いので、想像なのだけれども。

 

 とまぁ、そんな風にしつつ月村さんが電話を終え、そのあと少し会話していると、小さく低い音と共に黒塗りの車が現れる。

ぼくは高級車に乗るのは今世では初めてなので、おっかなびっくりしながらメイドさんの運転する車に乗り、月村さんと一緒にペラペラ話しながら月村さんの家に向かった。

月村さんの家は、とても大きかった。

それを見てぼくがおぉ、と歓声を上げると、月村さんはなんだか不安そうになる。

 

「大きい家だなぁ」

「……その、たっちゃん、引いちゃった、かな?」

「いや、お菓子の家だったら食べきれなさそうだなぁ、って」

 

 月村さんは車内で器用にずっこけた。

おでこを座席にぶつけて、とても痛そうだった。

なので痛いの痛いの飛んでけ~、をやっていると、涙目だった月村さんはなんだか笑顔になり、なんだかぼくも幸せな気分になるのであった。

 

 月村さんの家は、姉妹とメイド姉妹の4人住まいだった。

女の子ばっかりだなぁ、と思いつつ通された応接間でぼくは紅茶を飲みながら猫と戯れていた。

猫はみんな可愛い子ばかりで、この猫で三味線を作ったら良い三味線が作れそうだなぁ、と思って、ぼくは猫の腹をなでながら待っていると、この屋敷の中の全員が応接間に集合する。

ぼくは前世パワーで適度に礼を失する事ない態度で月村さんのお姉さんに挨拶すると、彼女は悪戯な目でぼくを見ながら言った。

 

「月村さんのお姉さんじゃあ言い難いでしょ、忍でいいわよ」

「はぁ。じゃあ忍さんと」

 

 と言うと、なんだかビクッと月村さんが跳ね上がって、もしかして月村さんがノミになってしまったんじゃあないかと思ってぼくはビックリした。

人間大のノミには一度しか会った事が無いけど、あれは相当グロテスクだったので、げんなりしつつぼくは疑問詞を吐き出す。

 

「どうしたの、月村さん」

「うぅ……」

「何か気になる事でもあったの、月村さん」

「ふぁ、うう……」

「言ってくれればなんでもやるよ、月村さん」

「すずか……」

「え? 何だい? 月村さん」

「すずかって呼んで!」

 

 叫ぶ月村さんに、ぼくはなんで彼女はこんなに必死なんだろうと首を傾げながら、頷いた。

 

「分かったよ、月村さん」

「――~~っ!」

「冗談だよすずかちゃん」

 

 と言うと、彼女はまるで力を使い果たしたみたいに安心して、深く溜息をつきながら椅子にだらんと腰掛けるのであった。

 

 翌日、ぼくはなのちゃんとアリサちゃんにすごい目で見られた。

なぜかは未だによく分からない。



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その3:春の蒼穹

 

 

 

 空は今にも落ちてきそうなぐらい綺麗だった。

屋上でぼくら4人は何時ものようにお弁当を食べており、前世の小学校では班での給食だったことを考えると、ぼくの通うこの聖小は自主性を重んじるんだなぁ、と思う次第であった。

兎も角お弁当である。

なのちゃんのお弁当はとても綺麗で、明らかにぼくら3人とは一つ格の違うお弁当だった。

 

「えへへ、お母さん何時も頑張って作ってくれているんだ」

 

 と言うなのちゃんの母親は喫茶翠屋と言う人気喫茶店の店主で、物凄く料理が上手い。

プロだけあって、流石にお弁当の美味しさも見栄えもピカ一だった。

 

「ウサギが大事に守っている宝物みたいにキラキラしているなぁ」

 

 と言うのがぼくの感想なのだが、3人ともぼくの感想には首を傾げるばかりで、特に同意を得られる事は無かった。

残念。

そんななのちゃんのお弁当に負けず劣らず豪華なのが、アリサちゃんのお弁当である。

 

「ママは忙しいから、メイドの手作りだけど……」

 

 と言いつつも、お手伝いさんとの仲が良いのだろう、少し自慢気に言うアリサちゃんのお弁当はとても美味しそうだ。

特にハンバーグなんかは美味しい肉を使っているのだろう、交換して食べた時にその美味しさに驚いた事がある。

綺麗に別れた虹色みたいな味だね、と言うと、アリサちゃんはあんたは褒めているのか貶しているのか今一分からないわね、とぼくに言った。

そう言いつつもニコニコしていたので、多分そんなに嫌な事だとは思っていないのだろう。

ちなみにぼくとしては、素直な感想を言った訳で、お世辞とかは別に無いのだけれど、一応褒めたつもりである。

 

「うちは、ノエルが作ってくれるかな」

 

 というすずかちゃんのお弁当は一番普通で、それでもメイドさんとかなり確かな絆があるのだろう、所々に愛情が詰まっていると分かる物だった。

りんごは細かい造形のうさぎになっているし、ウィンナーはタコの顔まで切れ込みを入れてある。

工事現場の基礎みたいに丁寧だね、と言ったら、なんとも言えない笑顔で返された。

何故ぼくの言葉は上手く伝わらないのか、不思議な物だと首を傾げざるをえない。

 

「で、ぼくのお弁当は……」

 

 困ったことに、冷凍食品オンリーであった。

これでみんなのお弁当と交換するのが申し訳ないぐらいなのだが、みんなは嫌な顔一つせずにぼくの冷凍食品をつつく。

 

「冷凍食品って案外美味しいのね」

「うん、手作りだとちょっとできないおかずとかもあるしね」

「え~と、うん、美味しいよね!」

 

 何かコメントしようとして何も言えてない最後の台詞はなのちゃんのものである。

それはともかくとして、ぼくのお弁当が冷凍食品オンリーなのは、ちょっとした事情があって、ぼくがお弁当を手作りしているからである。

勿論小学生の手作り弁当なんて、そんなに手間をかけられない訳で、結局冷凍食品ばかりのお弁当となってしまう。

幸いなのは、3人ともが裏に何らかの事情があると察していてくれて、深く踏み込んだことを聞いてこないでくれる事だ。

聞かれても答えに窮する事しかできないので、ぼくは良い友だちを持ててとても嬉しかった。

膨らませた風船が割れる時が待ち遠しいのと同じような嬉しさがあった。

ちなみに、ぼくは正直言うと、冷凍食品の味はあんまり好きではない。

普通の料理を食べるのが紙を食べる事だとすると、冷凍食品を食べるのはゴムを噛み締める事に似ている。

前世でお腹が空いた時に輪ゴムを噛んでいたのを思い出すからなのだろうか、その辺はよく分からないのだけれども。

 

 そんな感じにお弁当を食べ終わった後は、ぼくらでお喋りをする事になる。

ぼくらは色んな事をお喋りした。

授業の事、最近のテレビの事、面白い本の感想、見上げた空の青さが素晴らしい事、翠屋の食事の美味しさ。

話題は不思議な程尽きなかったし、ぼくらは箸が転げても笑ってしまうような年齢で、だから些細な事がいくらでも楽しい事に思えた。

一応みんなの数倍精神が生きている筈のぼくも、体に精神年齢が引っ張られるのか、前世よりも高揚した精神で会話をしていた。

例えばぼくらはこんな事を話した。

 

「そういえば、たっちゃんっていつも放課後に何をやっているの?」

 

 不意にすずかちゃんが言って、ぼくは特に隠す事でも無いので喋る。

 

「すずかちゃんとアリサちゃんが習い事がある日だよね? なのちゃんと遊ばない時は、本を読んだり、音楽を聞いたり、お昼寝したり、その辺を散策したりしているかな」

「そっか、結構充実しているんだね?」

「う~ん、散策以外は夜もできる事なんだけどね」

「お昼寝は夜寝になっちゃうんじゃ?」

 

 なのちゃんの横槍に、なるほどと、思いつつそういえばそうだったね、とぼくは頷く。

夜と言えば他の時間に比べて一番重要な時間である事には違いない。

夕焼けの血のように赤い太陽の光が膨らみ疲れたフグのように消えてしまい、濃藍色の帳が下りてから始まるあの夜。

ぼくの目は夜に喩えられるミッドナイトブルーか黒かに光の反射で見え方が変わる目で、この目は前世と同じ目だったから、ぼくはこの目に愛着を持っている。

でも毎日鏡を通してしか見る事ができなくて、もしもこの手で取り出しても目が無くなっては見る事ができなくなってしまうので、とても残念だった。

閑話休題、話は続く。

 

「すずかちゃんとアリサちゃんはヴァイオリンとか茶道とかだっけ」

「えぇ、習い事よ」

「一度ぼくも2人のヴァイオリンを聞いてみたいなぁ」

「あ、なのはも!」

 

 となのちゃんが続けて言うと、アリサちゃんもすずかちゃんも少し恥ずかしそうな顔で俯いた。

 

「え、えっと、まだ人に聞かせられるような腕じゃあないから……」

「私も、もうちょっと自信が持てるようになったらがいいなぁ……」

「え、駄目なの?」

 

 と、なのちゃんが2人に対し上目遣いに聞く。

うっ、と2人は悲鳴を上げて、助けを求めるべくぼくに視線を。

任されよ。

という事でぼくはなのちゃんに視線を向け、呼びかけた。

 

「なのちゃん、駄目だよ無理強いしちゃあ」

「え、そっか……」

「そうだろ、2人ともとても人に聞かせられる腕じゃあないらしいし、聞いてぼくらが気絶でもしちゃったら2人がショックを受けてしまうじゃあないか」

「ってちょっと待ったぁっ!」

 

 と、ぼくとなのちゃんの間に手刀を振り下ろすのはアリサちゃんだった。

ぼくはそれになんだかケーキを切り分けるナイフを連想した。

だとすれば、そのケーキはこの場に漂う空気であり、空気でできたケーキって味が無さそうだけど案外美味しいんじゃあないかとぼくは思った。

だって間に空気を挟むのは、料理の食感を変えるための基本の一つである。

だから空気でできたケーキがあれば、食べてみたいなとぼくは思った。

 

 それはそうとして、問題はアリサちゃんの割り込みである。

見ればすずかちゃんも口元をひくつかせている。

こてん、と首を傾げるぼくに、苦笑気味のなのちゃん。

 

「誰のヴァイオリンが聞いて気絶する程下手くそですって!?」

「アリサちゃん」

「あんた聞いたことないでしょ!?」

「だからアリサちゃんの感想が全てで、アリサちゃんは人に聞かせられるような腕じゃあないって言ってたじゃあないか」

「気絶するとか言ってないじゃない!?」

「だって、人に聞かせられないんだろう? だから多分そうなんじゃないかと思ったんだ。どう、当たってた?」

「んな訳無いわよ、このバカちん! しかもなんで偉そうに言うのよ!」

 

 どこが偉そうだったんだろう、とぼくは首を傾げる。

ちなみにそんな予想をしたのは、前世で人を気絶させるほどにヴァイオリンが下手な知人が居たからだ。

録音してスピーカーで流して兵器として使われようとしたが、何故か録音機器が爆発するので無理だったという曰くつきの音色である。

ぼくは一度直接それを聞き、気づいたら病院のベッドに寝ていたと言う記憶があったり。

聞いた記憶の無い音に感想は言えないので、感想を求められて困り、猫箱みたいな音だったね、と答えた記憶がある。

何故か大層感謝されたので、覚えていた。

 

「あーもう、分かったわよ、そこまで言われちゃあ女がすたるわ! 今度聞かせてあげるわよ! すずかもいいわね!」

「えっと、私も?」

「当然でしょ、あんたも言われたじゃない。このバカちんを見返すのよ!」

「う~ん、確かにそうだね。ここまで言われたら、私もタダじゃあ置けないかな」

 

 と、なんだか怖いオーラを纏うすずかちゃん。

前世でまだまだ見慣れている程度の物だけれど、年齢を考えれば驚異的な恐ろしさだった。

このペースで成長していけば、いずれはぼくが経験した事が無い程に怖い人になれるだろう。

それは楽しみなような、怖いような、解けないルービックキューブみたいに複雑な気持ちであった。

 

 とまぁ、そんな訳で放課後。

ぼくらは一旦家に帰った後鮫島さんの駆る黒塗りの高級車に連れられ、アリサちゃんの家に集まった。

まずは軽く談笑をした後、アリサちゃんがこほんと咳払いしてケースからヴァイオリンを取り出す。

隣ですずかちゃんもまたヴァイオリンを取り出し、視線を交わし合い、一つ頷いた。

 

「始めるわ」

 

 と言ってから、2人はヴァイオリンを奏ではじめた。

音色は艶やかに奏でられた。

目をつむれば目の前にほっそりとした少女が浮かんでくるような演奏だった。

弦の艶やかさは控えめで、少女が控えめな化粧をする様を想起させる物。

それでいて凛とした空気感を作る、ピンと背を張った空気みたいな物は確かにそこにあったのだ。

勿論、プロの演奏家と比べれば技術的に劣るのは仕方がない所がある。

けれどそれ以上に、目の前の2人は目的を明確に持って演奏している感があって、兎に角素晴らしい物だった。

友達であるぼくに共感しやすい目的である事を差し引いても尚である。

永遠とも思える時間が過ぎ去り、2人の弦が同時に停止、まるで止まったメトロノームみたいに明確な終わりを告げる。

ぼくとなのはちゃんは、惜しみない拍手をした。

 

「す、凄いよアリサちゃん、すずかちゃん!」

「うん、上手く言えないけれども、凄いのはよく分かったよ」

「あ、ありがと2人とも」

「う、うん……恥ずかしいなぁ」

 

 と、顔を赤らめて俯く人に、ぼくは先程思った感想を噛み砕いて述べる。

すると、2人はますます顔を真っ赤にしてしまう。

そんなにべた褒めしたつもりは無いのだけれど、2人は感じ入る所があったのだろう。

そうこうしていると、なのちゃんが困ったような顔をしてアリサちゃんとすずかちゃんに言った。

 

「えっと……私はそんなに難しい感想は言えなくて、とっても凄いってしか言えないんだけど……」

「うん、なのはちゃんが普通だと思うよ」

「えぇ、おかしいのはたっちゃんの方よ」

 

 酷い言われようであった。

ぼくは次からもう少し思った事を口に出さないようにした方がいいんじゃあないかと思ったけれど、そう結論づける前にすずかちゃんが口を開く。

 

「……でも、嬉しかった。なんていうか、気持ちがつながったみたいで」

「……うん」

 

 という2人はとても可愛らしく、可愛い物好きな美由希さんであれば、2人をぎゅうっと子を守る親もかくやと言わんばかりに抱きしめた事だろう。

けれどぼくはただの凡夫で母性愛溢れる人間ではないので、そっと2人に手を伸ばし、2人の手を握る事ぐらいしかできない。

体温が伝わる。

まるで木と木が枝同士をそっと触れ合わせるような感じで、そこには優しさだけじゃあなくて力強さがある温度の伝わり方があった。

 




次回無印開始。


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無印 その4:ぼりぼり

 

 

 

 一年が経過して、ぼくら4人は小学2年生になった。

そしてもう一年が経過して、ぼくら4人は小学3年生になった。

ぼくら4人は串にさした団子みたいに仲良しだったけれど、これがもし本当に団子だったとしたら3つしか一本の串に刺せないのだから、ぼくは人間に生まれてきて良かったと思う。

この2年、色々な事があった。

夏には海に行き、秋には果物狩りに行き、冬にはスキーに行き、ぼくらは縦横無尽に遊びまわった。

海ではまるで水切りみたいにピョンピョンと跳ねるトビウオを見たり、果物狩りではブドウでみんな顔を紫色にしたり、スキーでは運動神経が鈍いなのちゃんが転んだりした。

中でも一番のビッグイベントは、なのちゃんの兄の恭也さんとすずかちゃんの姉の忍さんとが付き合う事になった事だろう。

ぼくらはぼくらなりに2人の幸せを祈り、2人がいつの間にか居なくなっていたりしても探さないでおいてあげる事にするのであった。

 

 そして、小学3年生の春の事である。

 

「ねぇなのは、今日は私もすずかもたっちゃんも暇だし、遊ばない?」

「あう、ごめんね……今日も用事があって、手が離せないんだ……」

 

 アリサちゃんが亀の首みたいに慎重に話しかけると、なのちゃんはすまなさそうな顔でそう答えた。

その下げる頭が物凄く重そうで、今にもなのちゃんの首がぽこんととれてしまいそうなぐらいだったので、ぼくは仕方ないかとそれを見送る。

そんなぼくと似たような感想だったのだろう、アリサちゃんは少し悲しい顔をして言った。

 

「そっか……仕方ないわね」

「うん、ごめんねアリサちゃん。すずかちゃんとたっちゃんも」

「構わないよ」

「それより用事があるんだろう、時間は大丈夫?」

「あ、じゃあまた明日っ!」

 

 言ってなのちゃんは走り去り、ぼくはあのまま転んだら重そうな頭が廊下にぶつかって地割れでも起きないものかと見送っていた。

横目で2人の表情を確認すると、なんだか寂しそうな複雑そうな顔でなのちゃんの消えた先を見ている。

なのちゃんは、この所付き合いが悪かった。

イタチだかフェレットだかのユーノを拾った日からなんだか用事ができてしまったようで、一日中外に居るようなのだ。

隣の桃子さん情報からもそれは確かな事で、ぼくらに分かるのはなのちゃんが悩んでいる問題が家でもぼくらでも無い事ぐらいである。

流石にちょっと心配なような、どうしようもなくなったら相談してくれるだろうから放置しても問題ないような、マーブル模様の気持ちにぼくはなっていた。

けれどアリサちゃんもすずかちゃんも心配の方が濃いみたいで、マーブル模様の美しさが半減している。

 

「きっと、何か理由があるんだろうね」

 

 だからぼくは、気づけばそんな事を口走っていた。

混沌は一対一でぐねっとしているから美しいのであって、こんな風にどちらかが強いと美しくないとぼくは感じるのであった。

 

「それにぼくらの力が必要になったら、いや、それでなくとも誰かに話したくなったら、きっとなのちゃんなら相談してくれる筈さ。目を覚ますのに一発やるなら、苦しんでいても相談してくれない時で十分さ」

 

 2人はきょとんとした後、なんだかにっこりと笑顔を作る。

てっきり美しいマーブル模様を見られる物だと思っていたぼくは、首をかしげるのだけれど、2人はそんな事お構いなしとでも言わんばかりにぼくの両手を手にとった。

どくんどくんという心臓の鼓動が手の皮膚越しに少しだけ伝わる。

 

「ありがとね、たっちゃん」

「少し、安心できたよ」

 

 ううむとマーブル模様を見たかったぼくはなんとも言えない気分になるのだけれども、血液の感触が伝わってきたので、ぼくは美しい鮮血と黒血との描くマーブルを想像して、それで満足する事にした。

何時でも何処でも満足できてしまうのなら、満足は満足足り得ない何かに変質してしまい、あんまり価値がなくなってしまうだろうからだ。

 

「にしても、一発やるって、物騒ね」

「アリサちゃんならやりそうだと思って」

「……ぷっ、確かに……」

「何よそれっ! すずかも笑わないのっ!」

 

 と、アリサちゃんのローキックを受けながら、ぼくらはアリサちゃんの家に集まる事にして、何時もの鮫島さんと黒塗りの高級車に乗ってアリサちゃんの家で遊ぶのだった。

ぼくらは間近に迫った温泉旅行の話をし、そうなればきっとなのちゃんともまた楽しく遊べて、ぼくらの仲はまたよくなるだろうと思ったりする。

ぼくは話の流れで冗談交じりに、ぼくらの誰かが行方不明になるぐらいの事があっても、なのちゃんの為にこの旅行はやるべきだね、と言った。

その結果、ぼくはアリサちゃんに縁起でもないわよ、とローキックを受け、すずかちゃんには精神的なリバーブローを貰ったりしたのだけれど。

 

 帰り道。

今日はなんだか夜景を見ながら帰りたい気分だったし、アリサちゃんの家とぼくの家はそれほど距離も無かったので、送迎の車を断ってぼくは道を歩いていた。

澄んだ青空は雲一つ無くて、豆電球みたいに小さな明かりの星がキラキラと輝いている。

けれど空を見ながら歩いていると灰色の円柱状の刺客にごつんとぶつかってしまうので、ぼくは適度な高さに視線を固定し、ゆっくりと歩くようにしていた。

それでも時には何かにつまづいてこけてしまう事があり、その日その時もそんな感じの結末だった。

 

「うおっ」

 

 と声に出した頃には、ぼくのローファーは道端にある何かにつまづき、ぼくはバランスを崩して一歩二歩、両手を上げてどうにかバランスを取り戻し、まるで鳩が人間を避けるような器用さで、転んで膝をすりむく事を回避する。

やったねぼく、と思いつつぼくはぼくをつまづかせた物を注視した。

それは、青い菱形の宝石だった。

手にとって見てみると、ローマ字で数字が刻印されているように見える。

首を傾げつつ角度を変えてみると、不思議な事に数字は常に重力にしたがった向きのまま変わらない。

つまり、この数字は強い質量を持っている事になる。

何故なら重力に捕まるのは強い質量だと決っているからだ。

なのに全然重くないのは、重力にだけ捕まえられてぼくには捕まえられない質量がその中にあるからなのだろうか。

まるで半透膜みたいな選択性を持っているんだなぁ、などと思いながら、ぼくがふと空を見上げると、空はシャボン玉みたいに鈍い虹色に輝いていた。

 

 綺麗だった。

ぼくは飛び上がってこのシャボン玉を割ろうとするのだけれど、全然届かなくて困ってしまう。

けれど代わりに、黒い点が空に浮かび上がっていた。

あれっと思うが早いか、その黒い点はどんどん大きくなり、ぼくはちょうど重力の事を考えていたので、その黒い点がぼくに向かって重力で引き寄せられているんじゃあないか、なんて思った。

けれどぼくはよくよく考えるとそんな事あるはず無いじゃあないかと思って、それは何故かと言うと、ぼくにはきちんと名前があるからなのである。

名前があればそこに真空は生じず、重力は発生しない。

なので良かった、と胸を撫で下ろすのだけれど、そんなぼくに構うこと無く黒い点はどんどん大きくなっていって、すぐに人型になっていった。

人型は裏地の赤い黒マントをふわりと翻しながら、地面に降り立つ。

人型、金髪紅眼の少女は開口一番に言った。

 

「ジュエルシードを渡してください」

「ジュエルシードって何の事?」

 

 というと、困り顔になって少女はおたおたと辺りを見回す。

なんだかメカメカした黒い杖を持ちながらそんな事をする姿は、まるで目を回している最中みたいで、可愛かった。

なので思わず釣られて僕も周りを見渡すと、人っ子一人居なかった。

まだ19時を回っていないぐらいなので、人通りが途絶える事は無いと思うのだけれど、なんでか誰一人ぼくの目には止まらない。

もしかしてぼくの目がおかしくなっちゃったんじゃあないだろうか、と思いつつ、ぼくは軽く目をこするけど、やっぱり人は目の前の少女しか居なかった。

どうしたんだろう、と少女に視線をやると、困り顔のまま少女が言う。

 

「貴方の持っている、その青い宝石の事です」

「これ?」

「はい」

 

 と少女は言うけれど、ぼくのかかげた宝石はさっき拾ったばかりの菱形の青い宝石だった。

ぼくはこれからこの中にある不思議な重力について解析したかったので、非常に困った事である。

どうしたものか、と少女に負けず劣らず困りながらぼくは言う。

 

「もしかして、君の物なの?」

「ううん、違うんだけど、必要な物なんだ」

「う~ん、後で返してもらえたりしない?」

「多分、無理かな……」

「それじゃあ先に借りたり」

「あの、それは危ない物だから渡してはおけないんだ」

「えぇと……」

 

 何か他に言う事が思いつかず、ぼくは困った顔で少女を見つめた。

すると少女は目をつむって、それから見開く。

さっきまでの困ったなぁって顔に書いてあるような顔ではなく、悲しくも強そうな顔をして、ぼくを見つめた。

 

「言っても駄目なら……力づくで貰います」

 

 言って、少女は黒い杖らしきものを構える。

なんだか前世でよく遭ったような気がするトラブルの気配が今更ながらしてきて、ぼくはどうしようと思い、そしてすぐに思いついた。

ぽん、と手を叩くぼく。

 

「そうだ、思いついた」

「え?」

「力づくになったら、どうもぼくは君に勝てそうにない」

「あ、うん」

「でもぼくはこの宝石が欲しくて仕方がない」

「そうなんだ」

「なので食べます」

 

 言って、ぼくは宝石をぽいっとぼくの口の中に放り込んだ。

べきばきむしゃむしゃごくん。

きちんとよく噛んで飲み込むと、なんの抵抗もなく宝石はぼくの胃の中までたどり着いたのだと分かる。

 

「……え?」

「宝石って飴みたいな食感かと思ったけど、案外固めのチョコレート風なんだね。生チョコからねっとりした感じを除くと近いのかな」

「……え?」

「う~ん、味は塩辛いけど、汗がついていたからその所為かもしれない。それを除くと、ちょっとだけ甘さもあったかな? 生クリームを100倍に薄めたらこんな味かも」

「……え?」

「そういう訳で、さようなら」

「……え?」

 

 と、ぼくはぼうっとしている少女の隣を通り抜けて行くのだけれど、その先にはシャボン玉の膜があって、壁みたいになっていて通れない。

なのでぼくは渋々戻ってきて、少女に向かって話しかけた。

 

「君も災難だけど、なんだか今は此処から出られないみたいだよ」

「……え?」

「うぅん、お腹が減ってきたなぁ。君、さっきの宝石まだ持ってたりする? 持ってたら食べていい?」

「……え?」

「君ってさっきから、え? しか言わなくなっちゃったね」

「……え?」

「食べるものも無いし、ぼくは寝る事にするよ。寝ている間ってそんなにお腹が空かないような気がするだろう? だからさ」

「……え?」

「じゃあ、おやすみ」

「……え?」

 

 と、ぼくは固まったままの少女に手を振ってさよならの挨拶をしてから、道端に横になり、眠りにつく。

車に轢かれないよう、道の端っこに寝るようにする事も忘れずに。

どうでもいいことだけれど、ぼくは転生してからこの方一度も夢を見たことがない。

けれどなのちゃんやアリサちゃんやすずかちゃんに聞く限り、夢は怖かったり楽しかったりする物らしく、そして前世の経験でもそうなので、ぼくはそうなる事を望んで横になってぐぅぐぅと寝る事にするのであった。



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その5:狂る狂る

 プレシア・テスタロッサは人生でただ一人の人間しか愛した事がなかった。

幼少の時より、プレシアは親と折り合いの悪い人間だった。

プレシアの両親は人並みの愛嬌を持った子供を望んで子供を生んだが、プレシアは無愛想を極めた少女だった。

両親は幼い時から本を読む物静かな少女を、内心不気味に思いつつプレシアの弟を産み、両親は愛嬌のある弟にかかりきりになった。

プレシアは家の中でずっと孤独であった。

かといって学校に友達が居た訳でもなかった。

天才的な頭脳で飛び級を繰り返したプレシアは、同年代の子供と触れ合う機会の無いまま成長していく。

やがて天才達の集まる学級に集うようになり、その中にはプレシアと精神年齢の近い少年少女も居たが、彼らもまたプレシアのように無愛想な人間ばかりで、互いに友達を必要としていなかった。

 

 プレシアは自身が孤独である事に実感を抱くことすらなく、研究者としての道を歩み始める。

デバイスや次元エネルギーに関する画期的な論文をいくつか発表し、名声を得たプレシアが二十歳になると、両親はプレシアに見合いを進めるようになった。

当時のプレシアの年齢は結婚には早い年齢だったが、研究者の中でも高い地位になるのに家庭を持つと言う事は一つのアドバンテージとなる。

といっても、両親はプレシアの名声にあやかり富豪の子と繋がりを持ちたがっただけで、決してプレシアの為を思って見合いを進めた訳ではないのだが。

 

 プレシアは23歳の時、見合いの相手と結婚した。

愛の無い結婚であった。

互いに仕事に情熱を注いでおり、今より高い社会的地位を築く為に、家庭を持っているというラベルを欲しがっていただけの結婚だった。

プレシアの夫は当然のように愛人を持っていたし、プレシアもそれをどうでもいいと考え、無視していた。

夜の逢瀬さえも機械的に行い、そこに感情の入り交じる部分は欠片も無い。

プレシアは、永遠に自分はそういう人間なのだろうと思っていた。

研究に自身の全てをつぎ込み、感情的な部分など存在しない人間。

故にプレシアも、妊娠を医者に告げられた時でさえ、自分の娘に何ら感情を持たず、ただ死産になるとまた研究をできない時間が増える為、勿体無いとだけ思っていた。

 

 そして、アリシア・テスタロッサが生まれた。

 

 まるで今までの世界が灰色で、その時世界が色づいたかのようだとプレシアは感じた。

アリシアの行動一つ一つが発見に満ちていて興味深く、また何よりその愛らしさがプレシアの心を誘う。

子を持つ事は、プレシアの中の少ない優先順位をごぼう抜きにし、トップに踊りたった。

愛おしさが体の中から溢れ出んばかりになり、プレシアはアリシアに全ての愛を注いだ。

アリシアは、プレシアの全てとなった。

 

 しかし、夫はそんなプレシアの変化を嫌った。

彼の欲しかった妻は名声を持ちステータスになる妻であり、子供を深く愛する妻ではなかったのだ。

プレシアが、専業主婦としてアリシアの育児に専念したい、と夫に言ったその日、夫は離婚を切り出した。

プレシアは抵抗したものの、アリシアを生むまでの自分が夫への理解を深め、決して夫はこの離婚を撤回しないだろうと言う確信を持つ事になる。

せめてアリシアが安定するまで、とプレシアはプライドをかなぐり捨ててまで頼み、数年後、アリシアが2歳の時に2人は離婚した。

 

 プレシアはアリシアに時間の全てをつぎ込む事なく、収入の為に研究を続けなければならなかった。

幸い、働く事は苦ではなかった。

いくらアリシアが研究より好きになったからと言って、研究の素晴らしさが色褪せる訳ではなかったのだ。

プレシアの天才性は不思議と磨きかかっており、名声は更に高まった。

それが、仇となった。

プレシアはアリシアと十分な時間をとれるようなスケジュールで済む仕事しか行なってこなかったが、その名声から大きなプロジェクトチームに抜擢される事となったのだ。

会社をやめる事も選択肢に入ったが、育児によるブランクのあるプレシアが今以上に好条件の仕事にありつける可能性は低い。

そうなれば、結局アリシアとの時間が減る事となり、本末転倒となってしまう。

それに、数年の我慢だ、アリシアには寂しい思いをさせるようになるが、この仕事を終えたらたくさん休暇をとってアリシアに精一杯構ってやろう。

そう思って、プレシアは次元エネルギー駆動炉ヒュードラの制作に関わる事となった。

 

 そしてアリシアは死んだ。

 

 上層部の無理なスケジュールや安全管理により、ヒュードラは暴走、その所為でアリシアは窒息死した。

プレシアは会社を呪い、そして自分を呪った。

私はいつも気づくのが遅すぎた、そう叫びプレシアはアリシア蘇生の為に人工生命に関するグレーゾーンの研究を続け、そして半ば独力で記憶転写形クローン、プロジェクトフェイトを完成させる。

しかし、記憶転写形クローンでさえも完璧なアリシアを取り戻す事はできなかった。

人格の違うアリシアにプレシアはフェイトと名付け、使い魔によって教育させ自由に使える手駒とする。

同時にプレシアはアリシアを蘇生するための研究を続けた。

グレーゾーンの研究を続けてきた際に罹患した病気により、プレシアは残る寿命が少ない事を自覚している。

かといって病院に行くには後ろ暗い研究の成果が邪魔をし、その事が余計にプレシアを研究に駆り立てた。

そしてプレシアは最早残る寿命が殆どなくなり、奇跡に頼るしかなくなった。

ジュエルシード。

願いを曲解して叶え、次元の狭間に道を開くロストロギア。

それにより、失われた秘術の眠る地、アルハザードにたどり着くと言う奇跡に頼るしか。

 

「……っ」

 

 瞬き。

プレシアはぼんやりとする視界を眺めながら、自分が午睡に陥っていた事に気づく。

最近プレシアは意識を保っていられる時間も少なく、気を抜くと今のように意識を失ってしまう事があった。

幸い椅子の上で眠っていたようだが、これが床であればただでさえ短い残り時間をすり減らしていた事だろう。

そう思ってから、プレシアは何が切っ掛けで自分の意識が戻ったのだろうと思い、魔力反応があったからだと気づいた。

フェイト、あの紛い物の魔力反応。

その名を思考するだけで、プレシアの中に強い憤りが生まれる。

許されるのなら縊り殺してやりたいぐらいの怒りがプレシアの中を走ったが、しかしアリシアと同じ顔をしているフェイトを殺す事は、他の誰でもないプレシア自身が許さなかった。

中途半端に外見だけはアリシアと同じであるから、プレシアは気づかぬ内にフェイトに期待を抱いてしまい、そして人格の差によりそれを裏切られ、怒りを覚える。

八つ当たりだろうとプレシアの中の冷静な何処かが言っていたが、病による気が狂いそうな痛みがプレシアから冷静さを奪っていた。

 

 しかし、何故今此処にフェイトが?

疑問詞を覚え、プレシアは眉をひそめる。

定期報告の時間はまだ来ていない、なのに来るのだとすれば、フェイトでは対応しきれない予想外のアクシデントがあった為だ。

一体何があったのだろうと疑問に思いつつプレシアが待っていると、すぐにプレシアの居る広間にノックの音が響く。

 

「入りなさい」

「はい、母さん」

 

 言ってフェイトが大広間に入ってきた。

その背後には、バインドで捕縛された、フェイトと同い年ぐらいの少年が浮かんでいる。

黒髪の少年で、目を瞑っているのは気絶しているのか眠っているのか、どちらにしろ呼吸は正常に働いているようだ。

顔の造形は特に特徴的な所は無く、年齢相応の幼さがそこにはあった。

服装は白を基調とした服装で、背負っている鞄を見る限り、現地の小学校という教育機関に通っているのだろう。

普通の少年である。

この少年がどうしたのだろう、と内心プレシアは首を傾げた。

 

「一体何があったのかしら? フェイト。よっぽどの事が無い限り、定期報告までに戻らないよう言っておいた筈だけど……」

「はい、母さん。でも、ちょっと私じゃあどうしようもない事があって……」

「言ってみなさい、フェイト」

 

 自分でも虫唾が走るような猫なで声を出して、プレシアは無理に笑顔を作った。

フェイトは、困り果てたような顔をするも、すぐに真剣な顔を作ってプレシアに向き直る。

 

「この子が、ジュエルシードを食べちゃったんです」

「……は?」

 

 思わず、プレシアは目を点にした。

 

「しかも、ぼりぼりいってたから、多分噛み砕いて食べちゃって……」

「……何を言っているのかしら?」

「私も夢でも見たんじゃあないかって、サーチしなおしたんですけど、やっぱりこの子全体にジュエルシードが行き渡っているような感じで……」

「何をバカな事を、そんな事ありえる筈……」

 

 と言いつつプレシアは、念のため魔力サーチを施行。

少年の中に、ジュエルシードと思わしき膨大な、しかしリンカーコアとは明らかに異質な魔力反応が見つかる。

 

「筈、が……」

 

 冷や汗をかきつつプレシアは再度サーチをするも、返ってくる反応に違いは無かった。

自分の顔がひきつってゆくのを、プレシアは感じる。

 

「封印魔法も念のためこの子に使ってみたんですけど、効果が無くて……」

「…………」

 

 プレシアは、頭痛を堪えるのに額に手をやり、深く溜息をついた。

流石に予想外にも程がある事態である。

一体何がどうなったのか、研究者としては未知の事態は喜ばしい物なのだが、寿命が尽きかけた今となっては煩わしいだけだ。

肩の力が抜けるのを感じつつ、プレシアは続ける。

 

「後でデータを確認したいからバルディッシュの記録をコピーして置いて行きなさい。

あとは、そうね、とりあえずはこの子供は時の庭園で預かるわ。

場所は……」

 

 と、プレシアがそこまで言った所で、少年の瞼がピクリと動いた。

起きようとしているのだ、と理解すると同時、プレシアは念のため魔法を使えるよう集中力を極限まで高める。

フェイトもまた、バインドを抜けだされた時の為にバルディッシュを構え、戦闘準備をしてみせた。

目の前の少年は、ロストロギアを食べるという異形の業をやってみせた人間だ、何をしてくるのか全く予想がつかない。

緊張感に満ちた空間で、少年はゆっくりと瞼を開いた。

 

「……ん、ん?」

 

 疑問詞と共に、少年は辺りを見回し、プレシアへと視線をやった。

少年とプレシアとで、目が合う。

少年の瞳は宵夜の濃紺であった。

まるで夜の帳そのもののような、深く、美しい瞳。

その瞳が体全体に生命の息吹を与えたかのように、全身が眠っていた先ほどまでとはまるで別物の存在感を醸し出す。

決して美しくはない。

未だ未完成の肉体である少年は、美しいと比喩するには幼すぎ、可愛らしいと比喩する方がより近いだろう。

 

 それでいて尚、少年の存在感は異様であった。

まるで海と夜闇との境目、その間でブレている曖昧な何かのように思えて、しかし次の瞬間にはクッキリとした強固な存在であるようにも思える。

矢張り最も凄まじいのは、その瞳であった。

その瞳は、揺れる狂気に満ちていた。

まるで億千万の烏が飛び交っているかのように瞳の色は波打っており、その中には瞳に写り込んだプレシアがゆらりゆらりと揺れている。

今にもどろりと溶け出し、床へと垂れていきそうな瞳であった。

それでいて、まるでコップいっぱいに入れた水のように表面張力がそれを留めており、眼球そのものの許容点を超えた位置で瞳のドロドロは波打っている。

 

 プレシアは、その瞬間足元が奈落になったようにさえ感じた。

価値観が粉砕され、自分の中の全てが置き換わるようにさえ思える。

浮遊感が全身を包み、まるでプレシアは少年の瞳の中の夜に抱かれているかのように思え、不思議と安心感を覚えた。

震える程の感動が、プレシアの中を走る。

アリシアと生んだ時に等しい程の、激烈な感動が、だ。

 

「おはよーございます」

 

 と言う少年に、プレシアは頬を染めた。

胸は早鐘のように打ち続け、体は芯から熱く、立っていれば倒れていたかもしれないぐらい。

プレシアはその瞬間、今自分が感じている感情を天啓した。

 

 プレシアは、少年に一目惚れした。

 

 親子以上に年の離れた9歳の少年に、一目惚れしたのだ。

プレシアが人生で2人めに愛した人間が現れた瞬間であった。




<追・追記>
寝て起きて見てみたら言い訳がましくて見苦しかったので、追記を消去しました。


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その6:惚れた腫れた

 

 

 

「2人とも、ありがとうね」

 

 と言いつつプレシアさんは、ぼくとフェイトちゃんとを両手でそれぞれ抱きしめ離そうとしない。

その手つきはまるで今にも割れそうな卵をふんわりと持つようであり、力ではなく気持ちで離れる事ができなくなるトラップだった。

ぼくもフェイトちゃんも軽くプレシアさんに顔をおしつけられ、ぼくらの頬で彼女の柔らかな胸を少し押しつぶすような形になる。

痛くないのかなぁとプレシアさんの顔を見ると、彼女はなんだか頬を赤らめており、初めて口紅を引いた少女みたいな顔をしていた。

そんなぼくの視線に気づくと、プレシアさんはぱっと顔の赤みを増やし、視線をフェイトちゃんへと逸らす。

ぼくも釣られてフェイトちゃんへと視線をやると、なんだか彼女も真っ赤な顔をしていて、母娘なんだなぁ、なんていう平凡な感想をぼくは持った。

 

 ぼくらは、時の庭園というなんだか阿修羅像みたいに大層な名前のプレシアさんの自宅の、ダイニングに居た。

なんだかプレシアさんが具合が悪そうなので、ぼくが料理を作ろうとした所、私にも手伝わせて、とフェイトちゃんが手伝いを申し出てきたのだ。

その時の頭の下げる角度が良かったので許可し、ぼくはフェイトちゃんに料理を教えながら2人で胃に優しそうなポトフを作り、プレシアさんを驚かせた。

プレシアさんは涙ぐむほど感動して、一口食べた所で思わずと言った様相でぼくらを抱きしめるぐらいに感動したのであった。

まるで実直な軍人が勝利に感動するかのような喜びようで、ぼくもフェイトちゃんもやったね、と目と目で交わし合うのだった。

 

「プレシアさん、喜んでくれるのはいいけれど、ポトフが冷めちゃいますよ」

「あ、あぁ、うん、そうね」

 

 と道端に落ちているガムよりも名残惜しそうにプレシアさんはぼくらを手放し、ぼくらは席に戻って食事を再開する。

フェイトちゃんは食材を切ったりしただけだけれど、それでも自分で作った料理の味は素晴らしい物があるのだろう、感慨深げに食事を続けていた。

アルフさんはフェイトちゃんに複雑な目を、プレシアさんとぼくに胡散臭そうな目を向けながらも、ポトフを食べる速度は夢中そのものである。

皆美味しそうに食べているので、ぼくは温泉みたいな勢いで喜びが湧いてくるのを感じながら、ポトフを食べた。

 

 数日前。

お腹が空いたので眠ったぼくは、フェイトちゃんに風邪を引かないようにと連れられ、フェイトちゃんの自宅まで連れてきてもらったらしい。

そのフェイトちゃんとプレシアさんは、なんと魔法使いなのだそうだ。

正確には魔導師といい、もっと正確に言うとミッドチルダ式魔導師と言うのだそうだけれど、正確さを極めるのは原子をクォーツに分解するみたいに無限に連なるので、ぼくはあまり気にしていない。

ちなみに、アルフさんは使い魔とかいう存在なのだと言うが、使い魔が何なのかはぼくにはよく分からない。

兎も角プレシアさんによると、ぼくは魔法的に大変危険な状態にあるらしく、対処できる魔導師が近くに居ないと危ないらしい。

なので家に返してやる事はできず、此処にいて欲しいのだそうだ。

ぼくはせめて連絡ぐらいとりたいなぁと思ったけれど、そう説明するプレシアさんが互いの尻尾を飲み込む一対の蛇みたいな目をしていたので、これは何を言っても聞いてくれないだろうなと思い、頷いた。

 

 そこでぼくは、ここ数日時の庭園に泊まっている。

プレシアさんは、目がどろりと今にも溶け出し沼みたいになりそうな事を除けば、とても優しくて気立ての良い女性だった。

フェイトちゃんにはまるで金メッキみたいに綺羅びやかで分かりやすい優しさをみせ、アルフさんとはちょっと仲が悪いみたいだけど、代わりにぼくにとても優しくしてくれる。

朝起きる時は何時もわざわざ起こしにきてくれるし、一日中ぼくが視界に入るように過ごしており、昼寝の時は何時も添い寝してくれる。

あんまりに優しいので、仕事関連で1日中時の庭園に居る訳にはいかないフェイトちゃんに、ぼくは軽い嫉妬の視線を受けてしまうぐらいだった。

 

 仕事。

そう、フェイトちゃんにはなんと、役目があった。

ぼくが食べたあのジュエルシードという宝石はとても危険な上に複数あるらしく、更に海鳴に落ちてしまい、それを体調の思わしくないプレシアさんに変わってそれを封印するのが役目らしい。

それを聞いてからなんだかフェイトちゃんはそれ以前より断然に元気いっぱいになり、まるで美味しいアスパラガスみたいに力強くなった。

そんなフェイトちゃんは仕事に熱心になり、加えて海鳴と時の庭園を往復するのに魔力が結構要るらしいので、彼女は1日に1度しか時の庭園には戻ってこない。

それでもアルフさん曰くぼくが連れてこられる前の予定よりも大分時の庭園に戻ってくるようになったらしく、フェイトちゃんは前よりずっと元気になったそうだ。

ポトフも食べるしね。

 

 なんて思っている間にぼくらは夕食を終え、短い逢瀬を堪能したフェイトちゃんは、アルフさんを引き連れ再び海鳴へと転移していった。

ぼくとプレシアさんは気持ちのいいラッパみたいに高らかな声をあげて転移していくフェイトちゃんを見送り、それからゆっくりとした時間を体験する。

最初ぼくが目を覚ました時にはなんだかRPGのラスボスが住んでそうな家だなぁと思ったのだけれども、中には石造りっぽくはあるものの家庭的な部屋もあり、そこでぼくもプレシアさんも柔らかな空気の中で過ごした。

食後の隠し味みたいなちょっぴりさの眠さに瞼を重くしながら、暖炉型のストーブに当たってぼくらはゆっくりした時間を過ごす。

暫くしてお腹がこなれてくると、ぼくは言った。

 

「そろそろ、お風呂に入ろうかな」

 

 がたん、とプレシアさんは座っている椅子を地震でもあったかと思うぐらいに揺らしながら反応する。

毎日のようにぼくがお風呂に入る度にそんな反応をするのは何でだろう、と首を傾げつつ、ぼくは立ち上がった。

するとプレシアさんはまるで霞でも掴もうかと言うかのように、手を中空に伸ばす。

顔を林檎のように真っ赤にし、掠れたフルートのような声で言った。

 

「そ、その、T?」

 

 ぼくは呼ばれて立ち止まると、プレシアさんの次の言葉を待つ。

プレシアさんは最初出会った時は悪の魔女みたいな服装をしていたのだけれど、今は白いニットに紫色のタイトスカートという、地球にいてもおかしくない服装だ。

おっぱいでけぇなと思いつつプレシアさんを眺めていると、プレシアさんは視線をぼくから逸らしながら、何かを言おうと口を開け閉めする。

ぼくはプレシアさんが何を見ているのか気になったので、視線の先を見るのだけれども、そこには毛足の長い絨毯があるだけだ。

もしかしたら、視点が違うから、量子力学のように観測者によって見える物も違うのかもしれない。

ぼくはちょっとインテリな気分になりながらプレシアさんへとトコトコ近寄った。

 

「T!?」

 

 叫ぶプレシアさんにどうしたのだろうと思いつつも、ぼくは動かない犬猫のように肥大化した好奇心を抑える事ができず、ぼくは寸前までのプレシアさんの頭の位置に頭を動かし、プレシアさんの見ていた所を見てみた。

けれどやっぱりそこには毛足の長い絨毯があるだけであった。

なんだったんだろうと首を傾げつつぼくが引くと、プレシアさんは両手で胸を押さえながら荒い息をしている。

胸を掌で潰すその様は、プレシアさんの顔の赤さも相まって、なんだかエロティックだった。

 

「どうしたんですか? プレシアさん」

「えっとね……」

 

 言ってから、プレシアさんが深呼吸。

まるで初めてラブレターを書いた女学生のような緊張を持ってして、ぼくに告げるのだった。

 

「お、お風呂に一緒に入らないかしら?」

「いいですよ」

 

 という訳で、ぼくらは一緒にお風呂に入る事になる。

ぼくはちょっと前まで、なのちゃんの家に泊まった時にはなのちゃんや美由希さんや桃子さんともお風呂に入った事がある。

なので別にいいやとぼくは簡単に了承したのだけれども、プレシアさんは喜び過ぎて綿菓子みたいにふわふわした足取りになりつつお風呂に向かった。

 

 時の庭園のお風呂は、適度な広さだった。

暗色を基調として作られたお風呂はなんだか夜闇が降りてきたみたいなお風呂で、そこに時折星々のように金色の装飾がある。

豪華絢爛さに毎回の事ながらちょっと腰が引けつつ、ぼくはプレシアさんと入浴した。

背中を流しっこして、それぞれ頭を洗ってから湯船に浸かる。

湯船の広さは流石にぼくの家より広いけれど、温泉のようにとんでもない広さではなく、ぼくとプレシアさんは向い合ってお風呂に入った。

勿論、互いの裸が丸見えである。

 

 プレシアさんはちょっとビックリするぐらいに若くみえる女性だった。

フェイトちゃんの母親と言う事で最低でも三十路過ぎだと思うのだけれど、20代といっても余裕で通用する体を持っている。

しかもかなり肉感的な体で、加えてプレシアさんはなんだかぼくに対して恥じらいを感じているようだった。

ぼくからすれば9歳の子供の視線なんて犬猫の視線と同じようだと思うのだけれども、彼女はどうもそれすら恥ずかしいらしく、両手や曲げた膝を使って巧みに体を隠している。

だが、意識されると余計にこちらも意識してしまい、ぼくは思わず勃起をしてしまうのだった。

 

「……あ」

 

 なんだかしっとりした弦を弾いたようなぷるるんとした声を出し、プレシアさんはぼくの股間を凝視する。

ぼくとしては困ったなぁと思うぐらいの事で、微笑ましく笑われるぐらいだと思って、隠すでもなく放置するのだけれど、プレシアさんはなんだか釘で視線を打ち付けられたみたいにぼく自身を見ていた。

けれどプレシアさんにはフェイトちゃんという子供がおり、性的嗜好は普通なんじゃあないかと思う部分もあり、ぼくはなんだか困惑する事しかできない。

そうこうしているうちに、プレシアさんはざばぁっと滝のように湯を湯船に落としながら、腰を上げてぼくへと近づいてきた。

両手をぼくの肩にやり、ぼくを半ば押し倒すようにして、ぼくの顔へと顔を近づける。

明らかにこれ以上彼女を近づけると、倫理的に超えてはならない一線を超えてしまう。

その事にぼくはちょぴっと悩むのだけれども、プレシアさんの濡れた髪が烏の濡れ羽のようにきらきらと光を反射していて、その光が漢字の“光”のような反射を見せていて、それが血肉を刺し抜くような鋭さを持っていたので、まぁいいかとぼくは思った。

そしてぼくの唇はプレシアさんの唇を合わさり、ぼくは鼻で息をする事を思い出すまでとても苦しい思いをするのであった。




別名誰得回


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その7:友達記念日

 

 

 

 フェイトちゃんは兎に角生真面目で一生懸命な子だった。

例えばぼくが料理を教える時、「適当に」とか「適度に」とか言ったらそうかと納得するのではなく、その具体的な量を聞いてきたりする。

ぼくは不思議に思って感じた通りにやればいいんじゃないかと言ったけれども、すると彼女は真剣な瞳で、食材を無駄にする事は強力避けたい事だから、と言うのだ。

ぼくは適当な人間なのでそのぐらいどうでもいいじゃないかと思うのだけれども、彼女はそんな事は無いのである。

まるで真っ直ぐに伸びた結果、他の木々をぶち抜いて伸びてしまう大木のような子だった。

まぁ、ぼくは適度に彼女に合わせて、何時もの量を測定させて彼女に憶えてもらったのだけれども。

 

 彼女とぼくが2人きりになった機会はあまりない。

ぼくが時の庭園に監禁されてから1日に1回戻ってくる事になったフェイトちゃんは、日に日に落ち込みようを深くしていった。

まるで彼女の周辺だけ重力が歪んでいるんじゃあないかと思うぐらいに彼女は落ち込んでおり、ぼくは重力の調査の為に彼女に近づこうとしたのだけれど、それはアルフさんが許さなかったのだ。

アルフさんはぼくにこう言った。

 

「あのクソババアも嫌な臭いがするけど、あんたはそれ以上だね」

「どんな臭いなんだい?」

 

 とぼくが問うと、アルフさんはきょとんと目を丸くして、それから難しい顔になり、最後にはとびっきり苦いお茶を呑む時のぼくのような顔をする。

 

「嗅いだ事は無いけど、豚の肥溜めだってあんたよりいい臭いだろうよ。あんたからは、下衆以下のクソカスの臭いがしてくるのさ」

「なるほど、参考になったよ。ありがとうアルフさん」

「……は?」

 

 と言うアルフさんは、もしかしたらぼくへの言葉には挑発の意味を込めていたのかもしれないけれど、ぼくはてっきりそれがアルフさんの率直な感想なのかと思い、素直に受け取ってしまった。

するとぼくは自分がなんだか馬鹿みたいで、困ったなぁと頬を指でかく事になる。

まるでキリギリスが冬も裕福に暮らしているのを見たアリみたいな気分だった。

アルフさんはそのままなんだか力が抜けたみたいになって、兎に角フェイトに近づくなと言って消えてしまった。

ぼくはアルフさんに逆らう理由が特に無かったので、コインを投げて思った物と逆だった為、フェイトちゃんに近づかないようにしようと決めたのだった。

とまぁ、そういう訳でぼくはフェイトちゃんと2人きりになる事は中々無かったのだ。

それでなくともプレシアさんがなるべくぼくと一緒に居るようにしているので、機会は余計に少なかった。

 

 そんな折、プレシアさんが疲れて寝てしまった後、ノックの音と共に寝間着姿のフェイトちゃんがぼくに与えられた部屋に訪れた。

ぼくとしては、寝耳に水である。

前世で一回本当にやられた事があるが、本当にあれは心臓に悪い物で、つまるところフェイトちゃんの訪問もぼくの心臓に悪影響だった。

いつかぼくを食べる人が居たらハツが不味くて食えたもんじゃあないと言われるかもしれないと思い、思わずぼくはフェイトちゃんを睨みつけてしまったけれど、よく考えたらぼくは牛じゃあないので心臓をハツとは言わない。

なのでぼくはすぐに視線を柔らかい物にして、フェイトちゃんに椅子を薦めた。

フェイトちゃんはなんだか不思議そうにしていたけれど、すぐに落ち着いて口を開く。

 

「私、まだジュエルシードを1個しか見つけてないんだ……」

 

 というフェイトちゃんは、どうやらぼく以前に1個ジュエルシードを見つけていたらしく、つまりここ数日1個もジュエルシードを見つけられていないのだそうだ。

その事で、プレシアさんのフェイトちゃんへの折角柔らかくなった態度も、時折ギスギスし始めてしまったらしい。

思い返せば、プレシアさんの目はぼくを見た後フェイトちゃんを見ると、まるで絹豆腐と木綿豆腐ぐらいに質感が変わってしまうのだ。

そして木綿豆腐はだんだんともっと硬質になっていき、今日にはなんだか薄紫色のガラス片を思わせる視線になっていた。

 

「悔しいけど、Tの方が私よりも母さんと仲が良いみたい。勿論、私の方が母さんと長く接しているけど、Tだけが知っている母さんの顔があるんじゃあないか、って思って」

 

 フェイトちゃんはなんだか今にもアイスみたいに溶けて無くなってしまいそうな顔をしながら、そんな事を言う。

ぼくは流石に数日と9年の差は大きいんじゃあないかなぁ、と思いつつも、口を開いた。

 

「プレシアさんは、野菜とか豆腐とか胃にやさしい物をよく食べるけど、好物なのは肉っぽいよね。多分豚が好きっぽい。フェイトちゃんには悪いけど、嫌いな色は黄色とか金色とかその辺みたい。逆に好きな色は黒みたいだね、ここはフェイトちゃんと一緒。絹みたいにつるっとした静かな空間が好きな人だから、多分音楽とかは聞かないか、クラシックの室内楽みたいのが好きかだと思う。あとは……」

 

 と、ぼくが知るプレシアさんの事を、ぼくはテープレコーダーみたいにどっさりと吐き出す。

正直言ってここまで協力する義理は無かったのだけれども、ここ数日ぼくの頭の中はやたら視界に映るプレシアさんの情報でいっぱいになっていて、兎に角それを吐き出したかったのだ。

なのでこの場はフェイトちゃんとWIN-WINな関係になろうと思ってそんな風にしたのだけれども、フェイトちゃんはぼくの言葉が長くなるにつれどんどんと落ち込んでいった。

それはもう可哀想なぐらいの落ち込みかたで、マリオがジャンプする時に捨てられるヨッシーのように彼女のテンションはどこまでも落ちていく。

それに気づいてぼくは喋るのをやめると、フェイトちゃんは泣きそうな顔で言った。

 

「Tは、母さんの事、よく見ているんだね」

「ぼくは生き物や自然を見るのが好きなんだけど、此処ってプレシアさん以外の生き物ってあんまり居ないからなぁ」

 

 というのは半分嘘で、ぼくは無機物萌えでもあるのだけれど、ぼくはフェイトちゃんのあんまりな落ち込みように思わずそんな事を言った。

そっか、と言って無言で俯くフェイトちゃん。

するとちょうどぼくの目の前にフェイトちゃんのつむじが来て、ツインテールに分かれた髪の毛の根本がなんだか整列した軍人を思わせたので、ぼくは咄嗟に手を伸ばして、それを抑えるようにする。

そしたらフェイトちゃんはビクッとぼくをみて上目遣いにぼくを見つめるのだけれど、すぐに我に返ってオニギリでも入れたみたいに頬を膨らませて、ぼくの手を振り払った。

 

「子供扱い、しないで」

「あぁ、うん、ごめんよ」

 

 ぼくはそう言われてから、ぼくはフェイトちゃんを撫でるような格好になっていた事に気づき、反省した。

するとなんでかフェイトちゃんも傷ついたような顔をし、また俯いてしまった。

それがナイフでサクッと刺されたような傷つき方ではなく、まるでリバーブローを貰ったような傷つき方だったので、ぼくはそこに美しさを感じずなんだかグロテスクな感覚を受ける。

なのでそれを見たくなくって口を開こうとするけれど、フェイトちゃんが続きを告げる方が先だった。

 

「……ごめんT、心配してくれたのに変な事しちゃって」

「あぁ、うん」

 

 とぼくは生返事を返すのだけれども、フェイトちゃんは沈み込んだまま。

なんとかして彼女を元気づけるか、此処から追い出すかしないと迷惑極まりないのだけれど、現実的に言って、彼女を追いだそうとしたらぼくはやっつけられてしまう。

なので仕方なくぼくは彼女を元気づける方法を考えた。

ぼくは例えば、となのちゃんだったらどんな風にすれば元気になってくれるか考えてみる。

けれど構ってあげればすぐに笑顔になるなのちゃんは、むしろ何をしても元気になりそうで、なんだか参考にならない感じだった。

という訳で、ボツ。

代わりに同じ金髪なのでアリサちゃんを例に考えてみると、彼女はプライドと理性を満足させてあげると笑顔になりやすいように思える。

なので早速試してみた。

 

「地球の日本には、灯台下暗しって言う諺があってね。親しい人程見えない姿っていうのはある物なのさ」

「うん……ありがとう」

 

 と言うフェイトちゃんの顔は、なんだか限界まで伸ばしたままの輪ゴムみたいな感じだった。

駄目だこりゃ、と思い、今度はすずかちゃんを例に考えてみる。

彼女と仲良くなった時の事を思い出すと、彼女はクラスに一人も居なかった読書仲間であるぼくを得た事で笑顔になった。

ではフェイトちゃんにとっての仲間とは何だろうか。

魔法仲間は無理。

女の子仲間も性転換手術が必要で、ちょっと今此処ではできそうもない。

家族仲間もフェイトちゃんと結婚しないと無理で、性格仲間も正反対な性格のぼくでは不可能だろう。

とすると、ぼくには残るは一つしか思い浮かばなかった。

 

「フェイトちゃん」

「なに、かな」

「友達にならないかい?」

「……え?」

 

 フェイトちゃんは、目を鳥類みたいに丸くする。

それからゆっくりと言葉を飲み込み、オウム返しに言った。

 

「とも、だち?」

「あぁ、ぼくは何時までか分からないけど暫くは此処に居るし、地球に戻ってからも君からなら会いにこれるだろう?」

「えっと、簡単にはできないけど……」

「それならぼくが地球に戻るまでの間だけでいいから、期間限定の友達になろう。軽量級な友達って奴かな」

「いいの、かな……」

「いいもなにも、悪いことなんてあるのかな?」

「だって、私がTを此処にさらってきたんだよ?」

「そうじゃなければ、ジュエルシードを食べたぼくは大変な事になっていたかもしれないんだろう? ならいいことじゃあないか」

「だって、私悪い魔導師なんだよ?」

「ぼくは通信簿に毎回悪い子って書かれているさ」

「だって、私暗いし、うじうじした子だし……」

「ぼくは適当で普通な子さ」

 

 と言うと、ぷっ、と風船に穴を開けたような音を出して、フェイトちゃんは吹き出した。

 

「てぃ、Tが普通って……く、くくっ」

「なんだよ、みんなぼくの事を普通じゃない普通じゃないって言うんだよなぁ」

「くすっ、Tは変な子だよ」

「やれやれ、君の目も牛乳瓶の底のように曇っているようだね」

 

 と言いつつ、ぼくはフェイトちゃんに手を差し出した。

我ながら、スーツの裏ポケットから財布を取り出す時のように自然な仕草であった。

 

「……えっと?」

「ぼくら友達だろう? 握手ぐらいしとこうよ」

「あ、その、いいのかな……」

「勿論さ」

 

 と言って笑みを浮かべると、フェイトちゃんは仄かに頬を赤くしながら、そっと手を伸ばす。

ぼくらは、まるで錠前のように強固に互いの手を握り、握手した。

なんだか宝石を見るみたいな目で握手を見ているフェイトちゃんを見るに、これで彼女も気分が良くなったようだ。

世話が焼けるなぁと思いつつ、ぼくは手を離し戻す。

あっ、と呟きながらぼくの手を視線で追った彼女に、ぼくはなんだか滑車の中で走るハムスターを見るような気分になって、ついでにこんな事を言った。

 

「さて、ぼくらは友達なのでいつでも握手できるけれど、物理的に遠く離れている時にはそうもいかない」

「そうだね」

「だから握手が必要になった時は、ぼくの名前を呼ぶといいよ。そうすれば、心の中に今の握手が浮かんでくる筈だ。不安な時とかに使うといいんじゃないかな」

「……T」

 

 とぽつりと呟き、フェイトちゃんは目をつぶった。

ほんのり頬を赤くしている辺り、やはり握手の事を思い返しているのだろう。

それを生暖かく見守っていると、やがてフェイトちゃんが目を開いた。

 

「ありがとう、T」

 

 フェイトちゃんの笑顔は切り取って保存したいぐらいに綺麗だったけれど、残念な事にぼくはハサミを持っていなかったので、代わりに笑顔で返しつつぼくは脳裏に彼女の笑顔を焼き付けるのであった。




寒い所為かまた体調が悪くなってきたので、明日更新を休んでいたら風邪で寝てるものだと思ってください。


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その8:憎悪の輪1

寝て起きたら風邪は治ったみたいです。良かった。


 

 

「T……」

「……え?」

 

 なのはの目の前の金髪の少女が、祈るように言った。

その言葉の内容が信じられず、なのははその場に立ち尽くすようにしながら、その名に関わる事態を回想する。

 

 なのはは今、生涯で最も精神を不安定にしていた。

何故なら、なのはの生まれて初めての友達が、一番の親友が、行方不明になっているのだ。

Tと言う名の彼は、アリサやすずかと同じく、なのはにとって代え難い唯一無二の親友であった。

言動は脳からダース単位でネジが抜けているとしか思えない物だし、優しいと思えば突き放すような言動を取る気まぐれな所もある。

容姿も十人並みで、仕草も大人っぽく魅力的な時もあれば、同年代より一段幼いぐらいの時だってあった。

そんなTは、しかしそれでもなのはと強い絆で結ばれている。

なのはがなんだかんだいってTを嫌いになれないように、Tも結局なのはの事を同じぐらい好いているのだとなのはは信じていた。

 

 何より、なのはにとってTは自分を救ってくれたヒーローでもあったのだ。

幼い時分、なのはの父が大怪我をし、なのはの家族はなのはに構う余裕を無くした。

それでも僅かな時間を縫って必死になのはに構ってくれたのだが、幼いなのはは父が怪我したから自分が構ってもらえなくなったと言う事実関係を理解できなかったのだ。

なのはは、自分が良い子ではないから構ってもらえなくなったのだと信じた。

だから何事にも良い子でいなければならないという強迫観念に駆られ、なのはは何事も必死に我慢し、良い子を演じ続ける事になる。

 

 そんななのはは、詳しい事情は知らないが、時折昼間に隣の家に預けられる事になった。

そこで出会ったのが、Tである。

Tは、決してなのはに優しくはなかった。

なにせ気まぐれな少年である、優しくしたと思えば無視したり、泣かせたと思えば慰めたり、その行動は自由奔放の極地にあったのだ。

そんな少年だったので、Tは別になのはの精神を直接癒やしはしなかった。

けれどそんなTの自由な姿は、なのはに自分を縛る事への疑問を抱かせる事になる。

自分は良い子でいなければいけないけれど、良い子でなくとも平気で生きていられる子が居る。

その事実は、僅かながらなのはの心の慰めになった。

Tが居なければ、きっと自分は良い子になろうという強迫観念に縛られた、暗黒の幼年時代を送る事になっただろう。

そんな確信がなのはにはあった。

 

 Tは不思議な魅力を持つ少年であり、小学校に上がったなのはにできた友達とも、すぐに仲良くなる。

その事にちょっぴりの嫉妬を覚えながらも、なのははTに構い、構われ、時には無視され、時には遊ばれながら幼年時代を過ごした。

Tは、最早なのはにとって精神の半身とさえも言える程に、なのはの心を占めていた。

多分これからもずっとそうなのだろう、となのはは漠然と考えていた。

大人になっても、Tは何時も自由な背中を自分に見せてくれていて、ほんのちょっぴりの希望をくれるのだろうと。

 

 しかしTは行方不明になった。

アリサの家から帰る途中、通行人が山ほど居る道を通っていたと言うのに、消え去るようにその消息を絶ったのだと言う。

剣士である士郎も恭也も美由希もその捜索に関わったが、成果は芳しくなかった。

自分の無力さに後悔する家族の姿を、なのはは何度も目にしている。

 

 アリサは、号泣しながらなのはとすずかに謝った。

ごめんなさい、私が無理にでもたっちゃんを車で送らせていれば……。

そう言いながら涙を溢れさせるアリサを、なのはとすずかは2人で抱きしめ言った。

アリサちゃんは何も悪くない、と一言だけ。

それ以上は、心細さに今にも折れそうな2人の頭では考えつかなかった。

だから2人は、何度もその言葉を繰り返して言う事しかできなかったのであった。

 

 何より、なのはの頭の中には2人にはとてもいえない事実があった。

なのははTが行方不明になったと聞いて即日、ユーノに相談し魔法を使い、Tの魔力反応を海鳴全域から探ったのだ。

リンカーコアを持たないTの微細な魔力反応だ、一度では見落とす可能性もあった。

しかし、ジュエルシードの捜索を一旦止めて、1日中魔法を使い続けてもTの反応は見つからなかったのだ。

勿論、Tが海鳴の外に攫われた可能性はある。

しかしその事実そのものが残酷な結末の可能性を高めている事を悟ったなのはは、顔を真っ青にする他に何もできなかった。

 

 それでもなのはがジュエルシードを集めるのを辞めなかったのは、Tの言葉があったからだ。

なんでもTは、行方不明になる寸前に、自分が行方不明になってもなのはを無理やり温泉旅行に連れて行こう、と冗談交じりに話していたらしい。

なのはは、その事実に心打たれた。

そして余計にTが恋しくなり、しかしそれを振り払うようになのははジュエルシードの捜索に心を傾ける事になる。

Tが今のなのはを見ていたなら、自分にしかできない事をやれと言うだろう、となのはは思った。

ジュエルシードを封印する事は、町の皆を守る事に繋がる。

ただでさえTがいなくなっている今、アリサやすずかに万が一の事があれば、なのはは悔やんでも悔やみきれないだろう。

ジュエルシードの探索者、あの金髪の少女の事が気になる事も、ジュエルシードの探索へ拍車をかけた。

 

 しかし、Tの行方不明でなのはの行動は大幅に制約された。

少年誘拐犯が海鳴に居る可能性が高い今、なのはの外出は当然制限される事になった。

代わりにユーノが海鳴を探索し、ジュエルシードがあればなのはを巻き込んで封時結界を発動、なのはが飛行で対応するというのが現状の手段である。

即応性に問題のある手段だが、背に腹は代えられない。

しかし現状その方法で見つかったジュエルシードは1つも無かった。

 

 そのうちになのはは、ユーノに勧められた事もあり、またTの言葉を無駄にしないためにも、アリサとすずかとで温泉旅行に行く事にした。

決して明るい空気の旅行ではなく、大人は決行すべきか迷ったと言う。

なのはら3人は、それでもTの言葉があったから、と頭を下げ、旅行を願った。

最終的に折れた大人達は、必ず大人と一緒に行動する事を条件に旅行を許したのであった。

 

 なのはら3人は、元気いっぱいにはしゃぎ回ろうとした。

しかし空元気は空元気と言う事なのだろう、どこか陰鬱な雰囲気の漂う旅行であった。

こんなんじゃTに呆れられてしまう、となのはらは笑顔を作ろうとするものの、余計に空回りになるばかりだった。

夜はみんなで旅行に来ているとは思えない静かさであった。

何時もなら夜半まで続くなのはら3人の布団の中でのお話も、途切れ途切れでいつの間にか睡魔に身を委ねる事となったのである。

 

 そしてその夜半、ジュエルシードの反応があった。

なのはは思わずユーノと共に飛び出し、今正にジュエルシードの元にたどり着いた所、少し開けた橋のかけられた川に金髪の少女と赤髪の女性が立っていたのだ。

なのはとユーノが2人と少々の口論をした後、話し合いは決裂する。

そしてフェイトと呼ばれる金髪の少女が戦いに身を投じようと言うその瞬間、目を閉じTの名を呟いたのだった。

それに、苦みばしった顔でアルフと呼ばれる赤髪の女性。

 

「フェイト、あいつの名前のお呪いかい?」

「うん、本当に暖かくて、心強くなるみたい」

 

 言うフェイトの顔は、今までの悲痛さが和らげられ、強い使命感に溢れているようなのはには思えた。

ぶるぶると震える手を必死で抑え、なのはは問う。

 

「Tって……もしかして、たっちゃんの、ええと、私と同い年の男の子の名前?」

「……貴方は、Tの知り合いだったんだ。Tは、魔導師の知り合いなんて居ないって言ってたけど」

 

 なのはは、落ち着けと自分に命じた。

目の前の少女はただTの名前を知っているだけだ、別にTを攫った相手だとは限らない。

それにもしそうだとしても、この娘ならTには酷い事をしないだろうから、Tの安全は確保されていると言っても良い事態な訳で。

だから、落ち着いて。

 

「私は、たっちゃんに魔導師だって言う事、秘密にしていたから。そんな事より、たっちゃんは何処に居るの、無事なの!?」

「……そう、なら私は貴方に謝らないとならない」

 

 少女は黒い斧型のデバイスをなのはに向けた。

肌を刺すような戦意を瞳に、なのはに告げる。

 

「Tを攫ったのは、私。Tは……、無事とは言えない」

 

 なのはの中で、決定的な何かが切れる音がした。

 

「う……うわぁあぁあぁっ!」

 

 絶叫。

なのはは暴れまわる心そのままに、魔力を愛杖レイジングハートにつぎ込む。

 

『ディバインバスター』

 

 直後、桃色の極太の光線がフェイトの寸前まで居た橋を破壊。

夜闇を太陽のような光度で照らし、破壊の極光が空気を裂いてゆく。

フェイトは軽やかな動きでそれを避け、なのはに向かって飛行。

腹腔から膨れ上がる憎悪に瞳を燃やすなのはは、絶叫を続けながら次なる砲撃魔法をフェイトへと放つ。

 

「なのはっ、落ち着いて、砲撃魔法だけで勝てる相手じゃあ……!」

「悪いけど、助言はさせないよっ!」

 

 いつの間にか赤毛の狼と化していたアルフがユーノへと攻撃、ユーノは辛うじて緑色の魔法陣を繰り出し防御。

しかし、明らかに冷静さを失ったなのはを捨て置く事はできず、戦域を移す事はできない。

それを尻目になのはに向かって飛び交うフェイトへと、なのはは叫び続けながら砲撃魔法を連発する。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 泣きながら、なのはは砲撃魔法を放ち続けた。

こんなにも誰かが憎いと感じたのは、生まれて初めての事であった。

目の前でフェイトという少女が息をしている事すら気に食わなかった。

少女の悲しげな瞳に何か理由があるんじゃあないかなんて思っていた事は、軽く吹き飛んでしまっている。

残るのは、腹の底から燃え上がる憎悪の炎だけだった。

だが、フェイトはそんな単純攻撃で落ちる魔導師では無い。

当然のごとく砲撃魔法をかいくぐってなのはへと到着、大鎌へと変形させたデバイスから伸びる魔力刃を振るう。

 

「……ごめん」

「……あ」

 

 非殺傷設定での、斬撃。

バリア貫通力を高めた一撃に、なのはは自身の意識がゆっくりと落ちてゆくのを感じた。

それでも、なのはは憎悪を込めて内心で叫ぶ。

ごめんなんて、謝った程度で貴方の事を許すもんか!

現実に叫んでいれば、喉が裂けんばかりの絶叫をする。

 

 漆黒の決意と共に、なのはは落ちてゆく意識の中で叫び続けた。

なのはは、既にあらゆる手段を使う気でいた。

家族やアリサとすずかの家族、この温泉旅行に来ている皆に、ユーノを脅してでも魔法の事を教え、知恵を乞う。

どんな手を使ってでも、Tを救ってみせる。

そして。

 

 ――必ず貴方をねじ伏せ、絶望の悲鳴をあげさせてみせる。

 

 意識が落ちる最後の瞬間まで、なのはは憎悪の瞳と共にそう叫び続けていた。




ちょっとその9に入る話を新しく挿入しようと考えていますので、これからその9を書いてきます。
なので筆ののり具合によって、毎日更新が途切れてしまう可能性があります。
ご了承ください。


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その9:憎悪の輪2

「――きたっ!」

 

 喜びの声をなのはがあげると同時、青色の閃光が縦に昇る。

先行するなのはの後ろから、ユーノを肩に載せた恭也が地面を疾走していた。

苦い顔でなのはを追う恭也を尻目に、なのはは喜色を顕にしながら突き進む。

やがて青い閃光の元、ジュエルシードまで障害物の無い位置に到着したなのはは、白い靴で空中を踏みつけた。

レイジングハートが即座に呼応、桃色の円形魔法陣によってなのはの位置を固定。

桃色の光球を杖の先端に構成、短いチャージ時間が発生する。

 

 その数瞬の間、なのはは思わず過去を回想していた。

なのははユーノに頼み込み、温泉旅行に着ていた人間全員に魔法の事をばらした。

憶えている限りの事を、なのはは自分がフェイトに激烈な憎悪を抱いた事を除き全て話したのだ。

反応は様々であった。

アリサとすずかはなのはに泣きつき、高町家の面々は知らず御神流の理念を守っていたなのはを静かに労った。

そしてなのはがTを助けたい、その為に知恵と力を借りたいと言い出した所、全員が賛成してくれたのだった。

 

 知恵に関しては、そもそも交渉のテーブルについてすらいない現状、あまり即効性のある事は無かった。

それでもいずれ来ると言う時空管理局への有利な交渉の準備や、フェイトの言動から黒幕が別に居るかもしれない事が分かったのである。

なのははそれを聞いて、密かにその黒幕にも腹腔渦巻く憎悪の対象に入れた。

勿論、だからといってフェイトを矛先から外すつもりは無かったが。

 

 力に関しては、意外にも難航した。

どうやらなのはは気づかぬうちに恐ろしいまでに強くなっていたらしく、飛行魔法をありにすれば士郎と恭也と美由希を相手に低空戦闘をしてさえ互角以上の戦いをしてみせた。

流石に地上戦では家族の剣士達に及ぶべくもなかったのだが、それでも魔力の覚醒が運動神経に良い影響を与えたらしく、ド底辺だった運動神経もかなり良好になっていたのであった。

それでも明らかに遠距離戦闘に向いているなのはは得意を伸ばす事にし、レイジングハートの組む地獄のメニューに尽力する事になる。

 

 閑話休題、兎も角遠距離攻撃力に乏しい剣士単体では、空戦魔導師に勝つ事はできない。

しかしユーノの見立てでは、ユーノの強化魔法を受ければジュエルシードのモンスター達には勝てるぐらいだと言う。

万が一の場合を備え、なのはには恭也が同行する事になった。

士郎は鈍った勘のままでは足手まといになる可能性があるため、美由希はまだ未熟であるための除外である。

 

 3人となったなのはら一行は、学校を休んで毎日のようにジュエルシードを集め始めた。

アリサとすずかは応援しかできぬ我が身に不甲斐なさを感じつつも、毎日のようになのはと連絡して励ましの言葉をやっている。

それを心の栄養としながら、なのははジュエルシードを探し続けた。

そして今日、ジュエルシードを町中で強制発動させるフェイトらに出会ったのである。

 

「――封印っ!」

 

 最早詠唱省略をしても可能になった封印魔法を発動。

なのははレイジングハートの杖先から極太の桃色光線を発射し、ジュエルシードに命中させるも、それは別方向から放たれた黄金の光線と同時であった。

二重の封印魔法によって強烈に封印されたジュエルシードが、大きな十字路の中心に浮かぶ。

なのはは念話でユーノに敵の近接を告げ、一人見晴らしの良い上空に待機する。

万能型のフェイトと違い遠距離専門であるなのはにとって、遮蔽物は邪魔にしかならない。

するとすぐさま、黄金の魔力光に身を包んだ少女が視界に。

 

「……見つけた」

 

 言ってから、なのはは自分でもゾッとするような声だったな、と思った。

しかし不思議と改善する気には欠片もならず、むしろ憎悪が憎悪を呼びまだ足りないと叫ぶ有様であった。

なのでなのはは、お目付け役でもある恭也の目の届かない上空、口元で三日月を作る。

レイジングハートを構え、ディバインバスターのチャージを開始。

直後、なのははフェイトに向かって急降下を始める。

サーチャーを送らねば未だに超遠距離砲撃のできないなのはにとって、不意打ちを成すには射程距離まで近づく必要があったのだ。

 

「――っ!?」

 

 声にならない悲鳴と共に、フェイトが空を仰ぎ見るのが見えた。

が、なのはは口元を左右非対称に歪めながら思う。

遅い。

 

『ディバインバスター』

 

 電子音声と共に、なのはの最大出力の破壊光線がフェイトへと降り注ぐ。

圧倒的威力を持つ光線は、フェイトごと背後のビルどころかその背後のビル郡まで貫通。

7つのビルが轟音を上げながら圧壊してゆくのを見つつ、なのははレイジングハートを油断なく構えながら、溜まった魔力煙を排出した。

視界の端では、恭也がユーノの強化魔法を受けてアルフと対峙している。

その近辺には無数の緑色の円形魔法陣が浮かんでおり、足場として使えるようになっていた。

恐ろしく燃費の悪い悪あがきではあるものの、空戦可能な使い魔に剣士と結界魔導師が対抗する為に必要な処理である。

 

「おぉおおぉぉっ!」

 

 絶叫と共に、フェイトが空へと自身を駆った。

恐るべき速度で向かってくるフェイトに、なのはは準備していたディバインシューターを発動。

6つもの桃色の小光球が変則的な軌道を描きつつフェイトへと迫る。

左右と正面やや背側からの誘導弾を、フェイトは加速した後にやや腹側に軌道を変換し避けた。

残る誘導弾が鳥籠型の檻のように一点で交わる軌道でフェイトへと接近、フェイトは更なる加速でそれを回避した。

 

「けど、終わりだ」

 

 が、直後なのはがマルチタスクで準備していた、レストリクトロックが発動。

誘導された位置に居るフェイトを拘束せんと桃色の輪が襲いかかるも、フェイトが呟く。

 

「それは、そっちも」

『ブリッツアクション』

 

 なのはの視界から、フェイトが消え去った。

直後、なのはが反射的に展開した防御魔法に、フェイトの魔力刃が激突。

鎌の刃と化した黄金の魔力光と、薄桃色の結界とが一瞬拮抗する。

なんとフェイトは、バインドの展開速度よりも早く用意していた高速移動魔法を発動、まだ広いバインドの隙間を縫ってなのはの背後を取ったのだ。

それはつまり、予めなのはの作戦を見切っていなければできない業である。

恐るべき速度と思考に目を見開くなのはだが、反射的に全方位に展開した防御では、フェイトの攻撃には敵わない。

一瞬後になのはの防御魔法が圧壊、振りぬかれる魔力刃になのははふっ飛ばされた。

 

「うあっ!?」

 

 鈍い悲鳴と共に辛うじて防御魔法を展開、ビルのコンクリに頭から突っ込むなのは。

なんとかダメージを最低限に抑えたものの、上空からなのはを追うフェイトの周りには、既に黄金の魔力スフィアが3つ浮いていた。

 

「フォトンランサー・マルチファイヤ」

 

 起伏の少ない声と同時、黄金の槍が計9本なのはを襲う。

コンクリから抜け出す途中だったなのはは舌打ちしラウンドシールドを発動、なんとか直射弾を凌ぎきるも、最早フェイトは目前であった。

だが、故になのははフェイトの不意をとれる。

 

『フラッシュムーブ』

 

 電子音声と共になのはは高速移動、フェイトが死神の鎌を振り払ったその背後に現れた。

 

「せぁぁぁあっ!」

 

 絶叫と同時振り下ろすレイジングハートが、辛うじて半回転したフェイトの刃と交錯。

近接魔法の練度自体はフェイトが上なものの、上方を取った上に、準備に魔力をそそげたなのはの方が込められた魔力は大きい。

自然拮抗状態となり、なのはとフェイトはその目を合わせた。

 

「いきなり、だね……! 急に態度は変わったのは、Tが大切だから!?」

 

 叫ぶフェイトに、なのはは鼻で笑いつつ皮肉を告げる。

 

「言わないよ。言っても、多分意味が無いから」

「そういうこと、言うんだ……」

 

 さすがに口元を引くつかせるフェイト。

なのははその姿に溜飲を下げつつも、まだだ、と内心が叫ぶのを感じた。

まだだ、もっとこの娘を苦しめなくちゃあ、気が済まない、と。

この娘の悔しがる所がみたい。

この娘が泣き出す所がみたい。

この娘が絶望する所がみたい、と。

 

 なのはは、咄嗟に口内を噛み切った。

ともすればTの確保を捨て置きそうにさえなる自分を戒めたのだ。

そんななのはに、フェイト。

 

「……でも、確かにTを攫った私にはそれくらい言われるのが当たり前」

「そうだね、だから何?」

 

 問うなのはに、フェイトは視線を合わせた。

まるでちょっと前のなのは自身のような、心に折れぬ何かを持った目で、フェイトは言う。

 

「それでも、Tは渡せない」

 

 なのはは、思わずレイジングハートを持つ力を強くした。

それを即座に見切ったフェイトがレイジングハートを弾き、なのはは軽く距離を取って空中に陣取る。

フェイト相手では心臓に悪い距離だが、これ以上離れれば戦闘が再開してしまうだろう。

急ぎ策を練らねばならないなのはには、時間が必要だった。

 

「悪いことだっていうのは、分かっている。でも私には、Tが必要だって分かったから。Tが、母さんが居てくれて、初めて私は幸せになれるんだって分かったから」

「……で?」

「だから、ごめんなさい。Tは返さない」

 

 フェイトの身勝手な言葉に沸騰する思考とは別の冷静な思考で、なのはは現状を打破する案を次々に思案する。

同時、それを気付かれぬよう、沸騰する思考と言動との直結回路を開けたり閉じたりし、腹腔に渦巻く憎悪を吐き出した。

 

「なるほど、貴方には一切遠慮が要らないらしいっていうのが分かったの」

 

 作戦は一応考えついた。

僅かな光明を心に、なのははレイジングハートを構える。

対しフェイトもまた、バルディッシュをなのはに向けて構えた。

それから、ふと気付いたと言わんばかりにフェイトが言う。

 

「そういえば、貴方の名前は? Tは何となく予想できるって言ってたけれど、Tから貴方の名前は分かっていない」

「……なのは、高町なのは」

「私は、フェイト、フェイト・テスタロッサ」

 

 恐ろしく冷たい名前の交換を果たし、2人は再びにらみ合いに突入した。

遠くから聞こえる剣戟を耳に、2人が弾け出すような速度で動き出す。

逃げる側になったなのはに、フェイトは直射弾を次々に形成、できた端から放った。

正確に自分の行き先に突き刺さる直射弾に、なのはは内心舌打ちしつつ高速飛行で恭也らから遠ざかる方へ向かって飛び交う。

合流すれば飛べない恭也が狙い撃ちされる、その防御に回ればなのはらの敗北は明らかである。

ちょうど封印したジュエルシードの方に飛びつつ、なのはは誘導弾を次々に放った。

 

 直射弾の雨の中、桃色の小光球が縫うようにフェイトへと近づく。

フェイトがバルディッシュから魔力刃を発生、6つの誘導弾を切り払うのを尻目に、なのはは急降下。

地面にたどり着くと、フェイトへ向けてレイジングハートの杖先を構える。

なのはの至った考えの前半は、囲むように動かす誘導弾でフェイトを貼り付けにしつつ、足場の構成の必要がない地上からの高速砲撃であった。

軌道上にジュエルシードがあるが、そんなものは後で回収すればいい、となのははチャージし終わった砲撃を放つ。

 

「ディバインバスターっ!」

 

 直後、極太の桃色の光線がなのはの杖先から吐き出された。

が、すぐになのはは魔力の放出を辞め、直進する高速移動魔法を発動。

フェイトは砲撃と挟み撃ちに行く手を阻む誘導弾を避ける為に高速移動魔法でなのはに近づき、その限界距離の目前になのはが現れた事に目を見開く。

たった一度で、フェイトの高速移動魔法はその限界移動距離を見切られていたのだ。

ばかりか、高速移動魔法の使用タイミングと軌道まで。

なのはの考えの後半は、高速移動魔法の終わり際への攻撃であった。

一瞬早く、なのはの杖撃が振り上げられた。

が、降り始めから振り終わりまでの速さはフェイトの方が上、丁度2人のデバイスはその中間地点でぶつかり合う。

まさに、ジュエルシードのある場所でだ。

 

 世界が、ひび割れたかのような悲鳴をあげた。



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その10:憎悪の輪3

ランキング入りの効果、凄いですね……。皆様有難う御座います。
今話には多少の性描写があります。
苦手な方はご注意ください。


 

 

 夜半、時の庭園の自室。

暖かな照明に晒された椅子に腰掛け、フェイト・テスタロッサは口元を緩めながら、包帯の巻かれた両手を眺めていた。

嬉しくて仕方がなかった。

状況が許すのなら小躍りしたいぐらいの心地で、フェイトはニヤニヤと口元が笑みの形を作るのを、必死で抑えようとする。

怪我の痕を眺めながら微笑むなど、なんだかTのような変な人みたいだ。

寝ているアルフが目を覚ませば見られてしまうのだ、そうなったら、なんというか、困る。

なのでフェイトは全力で笑みを抑えようとするも、努力も虚しく笑みは消えない。

それもこれも、Tの所為である。

ずるいなぁ、と満面の笑みを浮かべながら、フェイトはTと母の事を想った。

 

 フェイトと母プレシアの間は、かつて冷えきっていた。

フェイトの曖昧な記憶では、幼少期の母はとても優しかった憶えがあるのだが、プレシアがフェイトを長年の病気から救い上げた頃から、次第に2人は疎遠になっていく。

フェイトはできる限り母との距離を埋めようとし、悪いところを治そうと必死になったが、それでもプレシアはフェイトと触れ合う時間を減らしていった。

世話は全てプレシアの使い魔、リニスが行った。

故にプレシアとの接点は限りなく減っていき、またフェイトから会いに行くのも研究に尽力するプレシアの邪魔になるだろう事から憚られた。

フェイトが魔導師として一人前になってからは、低級ロストロギアを集めに行かされる事があったが、その時の会話も必要最低限でしかなかったのだ。

 

 それが、Tを攫った時から全てが変わった。

プレシアは、少しづつではあるものの、フェイトに優しくするようになる。

かつての仲と遜色ない程と言えば嘘になるが、それでもプレシアとの仲はTを攫う前とは雲泥の差にまで修復されたようにフェイトには思えた。

 

 プレシアは、フェイトの事を撫でてくれるようになった。

抱き寄せて暖かな体温を交換する事もあったし、フェイトがTと協力して作った料理を食べてくれもした。

その度に、何をしても褒めてくれなかったプレシアが、フェイトを褒めてくれるようになった。

暖かかった。

フェイトは涙がでるほどのうれしさに、体を震わせる。

体の芯から熱くなり、感動がフェイトの全身を支配した。

長い間の夢が叶い、フェイトは嬉しくてたまらなかった。

 

 ただ一つ難点があったとすれば、プレシアはフェイト以上にTの事を溺愛していたのだった。

プレシアは多くの場合、フェイトよりもTの事をよく褒めた。

接触もTとの方が多く、明らかにプレシアはフェイトに与える以上の愛情をTへと注いでいた。

自然、フェイトはTへ嫉妬の念を抱くようになる。

対抗心を燃やしフェイトはジュエルシードを集めてこようと躍起になるものの、ジュエルシードは中々見つからない。

焦るフェイトだが、結果は中々伴わなかった。

ついに落ち込んだフェイトは、ジュエルシード以外の方法でも母の機嫌を取るべきだと思い、自分の次に母をよく知るだろうTの元を訪れた。

 

 Tは、フェイトの知らない母をよく知っていた。

勿論フェイトが知っていてTが知らない母の姿もあったけれど、それ以上にTが知っていてフェイトが知らない母の姿の方が多かった。

フェイトは、自分が一番プレシアを愛しているという自信を持っていた。

それを何気なく語るTの言葉で粉砕され、フェイトは底なしに落ち込んだ。

 

 Tは、そんなフェイトを慰めようとしてくれた。

気まぐれで妙な価値観を持つTだが、その優しさだけは本物であるようにフェイトには思えた。

ばかりか、Tはなんでもない事をするように自然に、フェイトに友達になろうと言ってのけたのだ。

フェイトは、友達というものがどんな物か知らぬままに、Tと友達になった。

無論友達という言葉の持つ意味ぐらいは知っていたが、それがどれほどの価値を持つ物か自覚しないままに、Tと友達になったのだ。

 

 Tは言った。

“握手が必要になった時は、ぼくの名前を呼ぶといいよ。そうすれば、心の中に今の握手が浮かんでくる筈だ。不安な時とかに使うといいんじゃないかな”

その時はフェイトはそうなのかと思い、自分を想ってくれたTに感謝しながらその言葉を受け取った。

そしてフェイトはその翌日、温泉旅館近くで見つけたジュエルシードを封印した後、早速その言葉を使う場面に遭った。

同じジュエルシードの探索者、白い魔導師と遭遇したのである。

同じものを求めるのであれば決裂は必須、ならばその後にあるのは戦闘だ。

フェイトは戦いが好きではないし、他者を傷つける事だって好きではない。

だから不安に心を飲み込まれそうになって、その時フェイトは目をつむり、Tの名を呟いた。

嘘かと思うほど、心が落ち着いた。

心に無限の勇気が湧いてきて、今ならなんでもできるというぐらいの全能感がフェイトを支配する。

まるで、Tがすぐ後ろに居て支えてくれているような感覚であった。

 

 その後白い魔導師がTの友達だったと知り、フェイトは困惑したものの、手心を加えずに白い魔導師を倒した。

本当にTの友達だかなんて分からないし、例えそうだとしてもジュエルシードを渡すわけにはいかない。

そうやって魔導師を倒し、母に報告した後Tに白い魔導師の事を聞いたけれど、フェイトが白い魔導師の名前を聞き忘れていた為、話は全く進展しなかった。

 

「まぁ、例えなのちゃんだったとしても」

 

 とTは言う。

 

「だったとしてもだ。とりあえずぼくは、フェイトちゃんが必死でジュエルシードを集めなくちゃならない事を知っている。プレシアさんも、少なくとも“今は”ジュエルシードを変な事に使おうとはしていないっぽい。対し、ぼくはなのちゃんがジュエルシードを集める理由を知らない。いや、あの娘は正義感の強い娘だから、悪い事じゃあないとは思うけどさ。だから、とりあえずなのちゃんらしき魔導師に怪我をさせないでくれるならいいや」

 

 そう言ってのけるTの顔は、白い魔導師を心配しているのか、はたまたまたよく分からない理由でそうなっているのか、なんだか渋い顔をしていた。

なのでフェイトは、自分がやられたようにTの頭を撫でてやる事にする。

友達の素晴らしさを知ったからこそTがなのはを心配する気持ちも分かり、そしてその上で自分の事をそれ以上に想ってくれる事が、凄まじく嬉しかったのだ。

するとTはなんでか黙って撫でられ続けるので、フェイトは止め時を見つけられず、アルフが止めに入るまで延々とTの頭を撫で続けるのであった。

 

 そして更に数日後、今日のつい先程まで、ジュエルシードを見つけたフェイトは再び白い魔導師なのはと争った。

なのはは、有無をいわさずフェイトに先制攻撃を仕掛けてきた。

なのはは非魔導師だが身体能力の高い人間を連れ、使い魔に彼を強化させて戦った。

ばかりか、なのはは驚くほどの成長を見せており、フェイトとほぼ互角に戦ってみせたのだ。

アルフの方もかなり苦戦していたようで、負けが見えた粘り戦に過ぎなかったのだと言う。

そんな折、ジュエルシードが暴走しかけた。

なのはとの戦闘で魔力を消耗していたフェイトには封印に不安があったが、それでもTの名を呟くと驚くほどに心が落ち着き、全身全霊を持ってして、掌の怪我を代償にジュエルシードを封印できた。

その後、暴走の余波で吹っ飛んだなのはが戻ってくる前に、フェイト達はその場から退散するのであった。

 

 プレシアは、驚くほどフェイトの事を心配してくれた。

Tと共にフェイトの手に薬を塗り、包帯を巻き、回復魔法を使ってみせてくれたのだ。

愛されている事を心から確信でき、フェイトは大怪我をしたというのに感動の涙を隠せなかった。

その光景を見て、未だプレシアとTに疑念を持っていたアルフでさえも、ほろりと涙をこぼしてしまった。

それからずっと、フェイトはこの調子である。

包帯を見てはニヤニヤとし、時には身悶えしてから掌の痛みに動きを止め小さく痙攣する。

まるでTのようにお馬鹿な行動だと思いながらも、フェイトはその一連の行動をやめる事はできなかった。

 

 そうだ、とふとフェイトは思いついた。

フェイトはTに色んな物を貰ってばかりで、少しも彼に何かを返せていない。

何か少しでも、彼に返せる物は無いだろうか。

そう思ってフェイトはTの言葉を回想し、彼が生き物を観察するのが好きだと言っていた事を思い出す。

アルフは寝ているし、母はこの所体調が悪い上にそもそもこんな些事に動かすのに遠慮があった。

だが、自分ならTの部屋に居て好きなだけ観察されて構わない。

そう思い立ったが早いか、フェイトはそっとベッドを抜け出し、Tの部屋へと歩き出した。

 

 そして歩き出してから、フェイトはもしTが既に眠っていたらどうしよう、と不安に陥る事になる。

そうなればフェイトはただの愚か者だが、そもこんな時間でもなければプレシアは多くの時間をTと過ごしており、フェイトが行く意味が無くなってしまう。

こうなれば運を天に任せる他無いと考え、せめてもしTが寝ていたならば起こさないよう、フェイトは足音を消してゆっくりとTの部屋へと向かった。

 

 Tの部屋のドアは、少しだけ開いていた。

中から光が漏れており、それと共にパンパンと言う何かを叩くような音がする。

フェイトは少しばかり思案し、Tが自分の額を手で叩いている所を想像した。

意味不明な光景だが、Tならばありえるかもしれない。

そんな風に思いながら、フェイトはそっとTの部屋を覗いた。

 

 全裸のプレシアが、全裸のTに跨っていた。

 

「……え?」

 

 消え入りそうな小声で、フェイトは呟いた。

プレシアは獣のような嬌声をあげながら、Tに跨り体を上下させていた。

肉と肉がぶつかり合い、パンパンと音を響かせている。

プレシアの表情は見えず、辛うじて見えるTの表情は、なんだかぼうっとして虚ろであった。

 

 何をやっているのか、フェイトには分からなかった。

分からないが、分からないなりに何か恐ろしい事なのではと、生命が持つ直感が告げている。

どうにかしなければいけない。

どうにかしなければいけないが、どうすれば何がどうなるのか、フェイトには何一つ分からなかった。

ただ、2人のしている行為がとてつもなく醜悪な物に思え、立ち尽くす事しかできなかったのだ。

 

 暫く肉を打つ音が響いた後、プレシアがううっ、と悲鳴を上げ、それを最後に2人はベッドに横になった。

それでもフェイトが動けぬままに立ち尽くしていると、プレシアの声が聞こえてくる。

 

「もう寝ちゃったのね……遅い時間だもの、仕方がないか」

 

 その声を聞いて初めて、フェイトは随分長い間自分が立ち尽くしていた事に気付いた。

凍てつくような寒さがフェイトの体を蝕み、完全に温度を失った冷や汗が顎を伝っていたのだ。

ごくり、と生唾を飲み込み、フェイトはこの場から離れようとする。

だが、正にその瞬間、プレシアが口を開いた。

 

「Tは本当に良い子だわ……、あの紛い物と違って」

 

 フェイトは、思わず足を止めた。

紛い物という言葉に聞き覚えは無かったが、本能がこれ以上聞いてはいけないとフェイトに囁く。

急ぎこの場を離れようとするフェイトだが、足が床に圧着されたかのように動く事ができない。

どころかフェイトは、緊張の余り声一つあげる事ができなかった。

そんなフェイトを尻目に、プレシアが続ける。

 

「フェイト……あのアリシアの成り損ないの欠陥品。私があの娘に優しくするのも、貴方に醜い所を見られたくないからなのよ? 分かっているのかしら」

 

 プレシアは愛おしげに、Tの頭を撫でながら言った。

その内容は電撃のように速やかにフェイトの中を駆け巡り、はっとフェイトは目を見開く。

思い出したのだ。

幾度かフェイトは、夢の中で母にアリシアと呼ばれる事があった。

今までは奇妙な言い間違いのある夢だな、と思っていたのだけれども。

成り損ない。

欠陥品。

 

「そう……私は、記憶転写形クローンを作ってまで、アリシアを生き返らせようとした。幸せを追い求める為に。なのにT、貴方と共に過ごすだけでこんなにも私は幸せになれる」

 

 まるでフェイトの心の声が聞こえているかのように、プレシアはフェイトの望む答えを言った。

フェイトは、嘘だと思いつつも、記憶する全ての事柄がプレシアの言葉を裏付けている事を直感する。

体中から力が抜けていくのを、フェイトは感じた。

なのに不思議と体は硬直したままで、プレシアに何一つ悟らせないようにしたままであった。

 

「暫くこの幸せに浸っていたけれど、私は病でそう長くはない。アリシアだって生き返らせなければいけない。だからT、一緒に旅立ってくれるかしら?」

 

 フェイトは、さらなる衝撃に目を見開いた。

母さんが、病でもう長くない?

フェイトはそんな事気づいていなかった。

好きでいていいのか、そもそも今本当に好きなのかすら分からないけれど、少なくとも今までのフェイトが母を世界で一番好きだと思っていたのは事実だ。

なのに、母の残る寿命にさえ気づかなかった?

 

「くすっ、今度は貴方が起きている時に言うわ。おやすみなさい」

 

 瞳から光をなくすフェイトを尻目に、プレシアは優しくTに言うと、明かりを消した。

残ったのは、闇夜に蠢く絶望だけだった。

最早どこをどう通ったのかも分からず、気づけばフェイトは自室のベッドの上に戻っていた。

自分でも驚くほどの冷静さで、アルフを起こさないように横になる。

 

 眠れなかった。

眠れる筈がなかった。

腹腔に渦巻く苦しみに耐え切れず、フェイトは何が悪かったのだろうと思う。

フェイトは苦しんでいる。

絶望に身悶えしている。

ならば何か悪い要因があった為であり、その要因を排除すべきだと思うのは当然の事だ。

そしてフェイトは、何か要因があり、それを無くせば少なくとも今までの生活が手に入ると信じた。

信じるしかなかった。

それほどにフェイトは心が弱っており、八つ当たりだと何処かで理解していても、それをせねば両足で立つ事すらままならなかったのだ。

 

 プレシアだろうか?

いや、フェイトは今になってもまだ母を憎む事はできない。

その感情に名前をつける事はまだできていないが、少なくとも単純な憎しみではないだろう。

それに、死んだ娘を生き返らせようとする母を、フェイトは悪だとは思えなかった。

 

 アルフだろうか?

いや違う、とフェイトは思う。

アルフは無力と無知があったが、それを悪だと断ずる事はフェイトにはできなかった。

そも、使い魔とは自分の魔力を分けて生む存在である。

言わば子に等しいアルフに対し、フェイトは悪のレッテルを貼ったり憎しみを抱いたりはできなかった。

 

 白い魔導師なのはだろうか?

いや、それも単に敵対している相手を挙げただけで、なんの関連性も無い。

 

 ならば、とフェイトは思う。

最初から自分の中でくすぶりつづけていた、本来なら第一候補となるべき人の名前をあげる。

 

 T。

 

 Tさえ居なければ、プレシアはフェイトに秘密を漏らすような事は無かった。

少なくとも、プレシアがフェイトに偽りの愛情を見せ、フェイトがその裏切りに心痛める事は無かったのだ。

友達だなんて言いながら、フェイトが誰よりも欲しがっていたプレシアからの愛情を、何の努力もせずに奪っていったT。

なのは相手に返さないと宣言するほどフェイトが恋しがっているのに、結局フェイトを傷つける結果しか運ぶことのできなかったT。

 

「憎い……」

 

 呟き、フェイトは両目から涙滴を零した。

シーツに染みができ、ゆっくりと広がってゆく。

 

「憎い、憎いよ……」

 

 フェイトは、シーツを握りしめながら呟く。

それが見当違いの八つ当たりだと、フェイトは何処かで悟っていた。

それでもフェイトは、誰かを憎まねばならなかった。

生きる為に、心の柱と言うべき物が必要だった。

故にフェイトは、夜闇の中、眠るアルフの横で、怨嗟の声をあげ続ける。

 

「Tが、憎いよ……!」

 

 迸る憎悪が、フェイトの口から吐き出されていく。

結局フェイトはその夜眠る事ができず、アルフに覚醒の兆しが出るまで永遠とTへの憎悪を吐き出し続けるのであった。



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その11:家族仲良し

 

 

 

 空は何時もの次元空間のうねうねした混沌ではなく、どこまでも続いている蒼穹。

太陽は発光ダイオードのように綺羅びやかに輝き、道に並ぶは住宅やら高層ビルやら、素材は様々で、まるでクレープをミキサーに突っ込んだみたいな有様だった。

匂いは潮の香り。

海を感じさせる町、それが此処海鳴の町であった。

 

「う~ん、なんだか久しぶりだなぁ」

 

 とぼくは呟くけれど、ぼくが時の庭園に攫われてからまだ10日しか経っていないのだ。

1ヶ月の3分の1、1年の36分の1しか過ぎていない。

枕に慣れるぐらいの長さであったのは確かだけれど、寝起きに今自分の居る場所が何処か未だに悩むぐらいの短さであった事も確かだ。

それにしても、こうやってある期間を一定の期間の割合で考えていると、数字の持つ不思議な力に驚かされる物であった。

例えばぼくの持っている千円札も、翠屋のシュークリーム換算で考えると驚く程高価に感じ、分厚い大学ノート換算で考えるといかにもしょっぱい物である。

なのでなるべく高価に感じるようにしたほうが気分がいいけれど、それはそれで時々自分が思っている程お金持ちじゃあないと気づくと傷つきそうだ。

ぼくは少し悩んだ後、靴を放り投げ、靴がぴたりとぼくのほうを向いて表裏は正しい位置になったので、ううむと唸った後、シュークリーム換算はやめる事にした。

 

 フェイトちゃんのジュエルシードは3つ目が手に入り、ぼくがすっかり消化してしまった物を含めると4つになった。

順調と言えば順調なのだが、先日そんなフェイトちゃんとなのちゃんとに時空管理局という組織の介入があったのだそうだ。

時空管理局は、簡単に言うと次元世界のお巡りさんみたいな物らしい。

ぼくはなんだかお巡りさんと聞くと犬のお巡りさんを想像してしまうので、アルフさんが婦警姿で歩きまわる所を想像してしまい、妙な気分になる。

アルフさんは、婦警にするにしては色気があり過ぎであった。

しかもその事で後でプレシアさんに頬をつねられたりと、踏んだり蹴ったりである。

頬をつねるぐらいならぼくは唇を差し出し、アヒル口にされてもいいぐらいだと言うのに。

 

 閑話休題、兎も角法的機関の介入があったため、プレシアさんは何かを心に決めたようである。

初対面の頃から何かに迷っているような瞳をしていたプレシアさんだったので、良いことではあるのだけれど、同時にその眼はなりふり構わずにジュエルシードを使うような眼にも見える。

そんなプレシアさんは、なにか思う所があったのだろう、ぼくに家族に一旦お別れを言ってらっしゃいと言った。

どういう風の吹き回しだろうと思ったけれど、ぼくはプレシアさんの声が伸びきったゴムのような調子だったので、切なくなって思わず頷いてしまったのだった。

 

 で、今居るのが此処海鳴。

遠くからフェイトちゃんがぼくを監視しているらしく、何か危険があれば必ず助けてくれるらしい。

まぁ、友達だしフェイトちゃんは助けに来てくれるだろう、と甘く考えていたのだけれども、その日からフェイトちゃんは決してぼくと視線を合わせないようにしていた。

まるで丸い大岩のような頑固さで、その頑固さは坂でもあればこっちを轢き殺そうとしてくるぐらいに強固であった。

これは期待できないな、と思いつつも、家族には会っておくべきだし、とぼくは海鳴にやってきたのであった。

 

 さて、ぼくは果たしてプレシアさんに協力すべきなのだろうか。

人道的に考えるなら、プレシアさんに協力すべきなのだろう。

何故ならぼくは、プレシアさんに愛されているのだ。

その勢いと言えば、会って然程経っていないと言うのに、数日前から毎日ぼくをベッドに連れ込むぐらいであった。

いくら賢い気がするぼくでも、今生では9歳で童貞を喪失するとは予想外である。

とは言えぼくは童貞を奪われたから協力するのではなく、その奪い方がとてもロマンティックだったから協力したいのだった。

誘い方も凄い緊張していて微笑ましいぐらいであり、更にまるで初恋の少女のように初な精神でありながら、テクニックは中々の物であった。

そんなギャップだらけのプレシアさんは、緑色と紫色のように意外な親和性を発揮し、それはそれで魅力的であったのだ。

その美しさは、まるで青空に白いルージュで引いた飛行機雲のようで、とても良く感じられたのであった。

 

「でもなぁ」

 

 しかし残念ながら、ぼくの考えは違った。

ぼくはプレシアさんに協力するつもりはあまり無かったのだ。

プレシアさんから簡単に教わったジュエルシードの危険性は高く、何個も連結暴走させれば次元断層とかいう凄い災害が起き、いくつもの次元世界が滅んでしまうのだと言う。

当然、地球もその中の一つになるのだそうだ。

そしてプレシアさんは、口に出さず表情でも隠しているが、そのジュエルシードで次元断層が起きそうなぐらい危険な何かをする事を決意している節がある。

 

 別に、世界を滅ぼそうとしている事自体はどうでもいい事だった。

どうせ世界なんて赤子の積み木みたいな物だし、それがハンバーグから滴る肉汁のように半透明な思想から来る物であれば、ぼくはそれを手伝ってさえいいと思う。

けれど、プレシアさんは明らかに世界を滅ぼす事そのものが目的ではなかった。

何かのついでに世界が滅ぶかもしれないけど、別にいいやって感じだったのだ。

ぼくは自分でもこの“別にいいや”をよくやるのだけれど、プレシアさんの“別にいいや”は天ぷらの盛り合わせが出てきた時に嫌いな野菜を避けても平然としている、あの“別にいいや”だった。

ぼくはその“別にいいや”に猛烈に腹が立つので、正直言ってその点についてはプレシアさんに共感できない。

と言う事で、ぼくは今のところ、あまり積極的にプレシアさんに協力するつもりは無いのだ。

 

 ならばどうすべきだろうか、とぼくが自分の墓穴を掘るもぐらよりも真剣に考えていた所、ぼくは家族と待ち合わせていたファミレスにたどり着く。

流石に高町家の隣の自宅に行ってしまえば、ぼくの存在が高町家にバレるのは目に見えているからだ。

以前その事はプレシアさんに話してあったので、そんな事をすればフェイトちゃんにビリリとやられていつの間にか時の庭園に戻っているに違いだろう。

ぼくは待ち合わせていた両親の所に行き、まずは謝り、それから一緒に食事を取った。

ぼくは赤いものを食べたい気分だったので、ナポリタンを頼んだ。

父はステーキを、母はグラタンを頼んだ。

 

 ぼくの転生後の家庭は、一人っ子の3人家族であった。

父はスポーツマンだ。

何のスポーツをやっていたかは知らないが、足元から首までどこも太く固くガッチリとした体型で、何時もスポーティーな格好をしている。

髪の毛は何時も短く、それを七三に分けていた。

耳は経験したスポーツが柔道なのか、はたまたラグビーなのか、なんだか擦り切れたような耳をしている。

 

 そして何より、父には顔が無かった。

父の顔は空洞だった。

頬骨の辺りから唇のすぐ下のラインを通り、額の中心辺りを通ってやや縦長の楕円形に父の顔はくり抜かれていた。

断面は綺麗な肌色で、皮膚が張っているのがよく分かる。

父はステーキを、顔の空洞に積み上げるようにした。

だって顔が無いのだ、そうやって食べる事しかできないに違いない。

勿論ぼくは、父の声を聞いたことだってなかった。

だって仕方のない事だもの、それで父を責めるのは障害者に対する差別に似ている。

勿論いつだかアリサちゃんに言ったように、父に甘える事が父を喜ばせる事も分かっていたが、ぼくはなぜだかそういった事をやる気になれなかった。

 

 母は編み物が得意な人だ。

家事全般も得意で、小さい頃から家事に携わってきた、家事のプロとも言える存在である。

服装はいつもゆったりした無地のワンピースで、髪の毛は耳が隠れる程度のショートカットだった。

 

 そして何より、母には顔が無かった。

母の顔は空洞だった。

父と同じラインをたどり、やや縦長の楕円形に母の顔はくり抜かれていた。

こちらも同じく断面は綺麗な肌色で、化粧っ気の無い肌が角度によっては見える。

母はグラタンを、顔の空洞に乗せるようにした。

けれど美味く沢山乗せる事ができず、沢山のグラタンをこぼしてしまう。

父はそんな母を見かねてナプキンで服なんかを拭いてやり、ぼくはお熱い事でと思いながらナポリタンをもきゅもきゅと食べていった。

ナポリタンはとても赤くて、ぼくは大満足だった。

 

 やがて食事が終わると、父は顔を傾け、積み上げたステーキを皿に戻し、母も同じようにグラタンを皿に戻した。

何時も思う通りエコ精神あふれる行為であり、ぼくはその事でちょっぴり両親を誇りに思ったりする。

それからちょっと何時帰れるようになるか予定はわからないけど、必ず帰る事を両親に伝え、ファミレスを出た。

フェイトちゃんとの待ち合わせ場所である、人気のない場所として選んだマンションの屋上へとゆっくりと向かう。

 

 さて、多分ぼくが海鳴に来る事は、このまま時の庭園に戻ってしまえば二度と無いだろう。

ぼくの基本方針はプレシアさんを邪魔する方針なので、ぼくはこのチャンスを逃さずなのちゃん側の人間、恐らく時空管理局も含まれているだろう勢力と出会わねばならない。

しかし余り露骨に会おうとすれば、フェイトちゃんに気づかれビリビリされて時の庭園に戻される事になるだろう。

どうしようかなぁと首を傾げながら考えつつ、カタツムリのような速度で歩くだけでなく、ジュースの買い食いをやりながら、これって買い飲みって言うんじゃあないか、とか思いつつ、ぼくは歩いた。

気を抜けば太陽の眩しさに倒れそうになったり、塀の涼しさにへばりつきたくなったり、アスファルトの凸凹に糊を塗ってつるつるにしようとしたりしたくなるぼくである。

だがしかし、ぼくは全力を賭して様々な事を我慢し、真剣に考えながら歩みを進める事にする。

しかし、手持ちに糊が無くて本当に良かった、あったら危うい所だった。

 

 そんな風にしているうちに、ぼくはふとなんだか水色の光を感じて視線をあげた。

視線の先には、紺色の髪の毛をした、ぼくと同じぐらいの背丈の子供が歩いている。

服装はトレーナーにチノパンという普通の格好だが、何処かフェイトちゃんに近い感じがあり、氷の表面のような滑らかさをぼくは感じた。

それから気のせいだろうか、少し離れた所に金色の光と橙色の光も感じ取れる。

ぼくは一体どうしちゃったのだろう、全国普通コンテストがあれば間違い無くグランプリに輝けるぼくなのに、一体何故こんな光を感じるようになったのだろうか。

そんな風に考えながらぼくが目をこすっていると、目の前の少年が口を開く。

 

「ちょっといいかい」

 

 ぼくは辺りを見回したけど、彼の声に思わず足を止めたのはぼく一人だったらしく、それでいて彼は誰かを追いかけたりする様子は無かった。

 

「ぼくですか?」

 

 と聞き返すと、彼は頷く。

石像が倒れこむような頷き方で、ちょうど彼が倒れこんでくると足の小指をぶつけそうなので、ぼくはちょっと嫌な顔をしてしまった。

 

「君はもしかして、Tと言う名前じゃあないかい」

「そうですけど……」

 

 と訝しげに返すと、高町なのはの友達でいいかい、と聞いてきて、ぼくはうんと頷く。

 

「ぼくは時空管理局の者だ。同行を願えないだろうか」

 

 驚いたぼくだったけれど、探していた相手の方からこっちに来てくれた事に思わず嬉しくなり、ぼくは思わず笑みを浮かべてしまった。

多分満面の笑みを浮かべられたんじゃあないかとぼくは思う。

けれど彼はなんだか目を見開き、口を薄く開けて数歩下がった。

どうしたんだろうと思うぼくに、彼は懐から銀色のカードを取り出し、腰を低くする。

テニスプレイヤーが強い一打を放つ時みたいな腰の低さだった。

警戒させてしまったのかな、とぽりぽり頭をかきながら、ぼくが何か言おうとするのを遮って、彼は口を開く。

 

「君は……一体、何だ?」

「ぼくはTです」

 

 虹色のシャボンが空を覆った。

彼が光に包まれ、次の瞬間には肩のトゲが特徴的な黒服に、手には銀色の杖を持った姿に変わるのであった。



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その12:魔王であるか

 

 

 

 クロノ・ハラオウンは正義の味方を目指していた。

原初の思いは、母が泣き崩れた時の記憶になる。

クロノが3歳の時、父クライド・ハラオウンは死んだ。

闇の書と呼ばれるロスロトギアの暴走に対抗するため、一人侵食された艦に残り、アルカンシェルで蒸発した。

クロノの母リンディは、クライドの最後を見た時こそ涙を零したものの、葬式を境にクロノに涙を見せなくなる。

それでも表情からは悲しさが抜けきれず、リンディの笑みは誰が見ても影のある笑顔に見えた。

ぼくがおかあさんをたすけなくちゃ。

幼少のクロノはそう信じ、自分がクライドの代わりになれば母が悲しまなくとも済むのではないかと考えた。

リンディは、クライドが正義の味方なのだと言っていた。

ならば、自分は正義の味方になるのだ――。

そう考え、クロノは魔法の訓練を開始した。

 

 思いは時間をかけ、ゆっくりとその源泉を変えてゆく。

とてつもなくハードな訓練を経て士官学校に入り、局員として働くうちに、徐々にクロノは守りたい対象を変えていった。

最初は母だけだったそれは、親友エイミィを含むようになり、悪友ヴェロッサを含むようになり、師匠のリーゼ姉妹を含むようになり、最後には理不尽な目に遭うすべての人々へ変わっていったのだ。

ただ、それでも正義の味方になりたい、という原初の思いだけは変わらなかった。

しかし同時、その道の待ち構える苦難をもクロノは知る事になる。

 

 局員として、執務官として働くに連れ、クロノは悪の定義の難しさを肌で実感するようになった。

所詮善悪など相対的な物でしかない。

どの悪にも悪なりの事情があり、どの正義にも救いきれない人が居た。

自分を正義と信じて犯罪を犯す人々が居た。

人の命を救うために犯罪を犯す人々が居た。

それらの事件を経て、クロノは正義は感情ではなく法によって定められるべきだと考えるようになる。

感情で悪を決めつけていては、管理局は共通の悪を設定できずに瓦解し、結局多くの理不尽を次元世界に振りまく事になってしまうだろう。

故にクロノは、感情を抑え法に従う事を学んだ。

無論、未だに感情を抑えきる事はできず、また抑えきった冷徹な正義になる気も無かったが。

 

 クロノには、少なからずの自負があった。

自分は絶対にではなくとも、ある程度正しい道を歩んでいるという自負があった。

何故なら、クロノの夢に向かう道には、多くの助かってくれた人々が居るからだ。

理不尽な目から救われた、沢山の人々の笑顔があるからだ。

その笑顔に背を支えられ、クロノは自分の正しさを信じ人生を歩んできた。

勿論管理局のやる事全てが正しい訳ではないし、自分のやることだってそうだろう。

反省は山ほどあるし、後悔だって背が折れそうなぐらい背負っている。

けれど、それでも自分に、管理局に正義を見て信じる人々の為に、胸を張って生きるぐらいの正しさは心のなかにある、と。

 

 だが、それは間違いだった。

正確に言えば、一部は間違いであった。

クロノの肌で感じた次元世界の真理、悪は相対的な悪しか存在しないという考え、それが間違いだったのだ。

確信じみた思いでクロノは思う。

 

 この世に、絶対悪は存在するのだ。

 

「う、あ……」

 

 バリアジャケットとデバイスと結界を同時展開し、構えを取りながらクロノは目前のTという少年を睨みつける。

黒髪に宵闇の瞳を持つ少年は、高町なのはの言から9歳の小学生だと聞いていた。

背丈はクロノと同程度、服装はなのはの物と同じ意匠の白い小学校の制服。

そうとだけ見れば平凡なその少年は、しかし実際にその姿を見ればまるで別物であった。

 

 怖気が走る程に怖かった。

クロノの生命本能全てが、直感霊感の全てが、生きとし生けるものとしての義務であるかのようにクロノに告げる。

目の前の少年は、悪だ。

全ての生命にとっての、邪悪なのだと。

 

 瞳は海の底のような深い濃紺。

まるであらゆる生物の死骸を積み立てた塔に夜闇が色を差したかのような、背筋が凍りつく色だ。

全身の印象は一つ一つは平凡なパーツに過ぎないのに、全てを合わせた今、瞳を直視せずとも空間が歪んだようにすら感じられる。

狂っている。

Tという少年は、どんな生物よりも狂っている。

クロノはそういった確信をさえ得た。

 

 映像モニタ越しにTを見ただけの筈のアースラも阿鼻叫喚の様相だと、通信先から聞こえる悲鳴が告げている。

鋼の心を持ち、何度も凶悪犯罪を防いできたクロノの戦友たちは、今まで相手にしてきた中でも小心な犯罪者すら可愛く見える程に、泣き叫んでいた。

神に最後の祈りを捧げる男が居た。

半狂乱になって絶叫を続ける女が居た。

誰かが気絶して椅子から転げ落ちる物音がした。

音から判断するに、狂気に陥り金切り声をあげながら、誰かに殴りかかる者さえ居た。

 

 クロノは、目の前のTに心底恐怖する。

涙を零し、失禁すらした。

荒い息に、既に肩は上下している。

クロノの直感が囁いた。

目の前の少年は、魔王なのだ。

全ての生命の天敵なのだ、と。

 

「どうしましたか、管理局の人」

「う……おぉぉおぉっ!」

 

 絶叫。

体に染み付いた動作が、クロノに戦闘行為を開始させる。

クロノはS2Uを向け、直射弾スティンガーレイを放った。

酷く低俗な一撃であった。

技術も糞もなくただのテレフォンパンチとして放たれたそれは、しかし水色の軌跡を残しTに激突、彼を1メートル程吹っ飛ばし、塀に当てる。

Tとの距離が離れた事に、これを繰り返せばこの恐怖から逃れられると言う希望がクロノの心に仄かに灯った。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 絶叫と共に、クロノはスティンガーレイを放ち続ける。

誘導弾やバインドなど、思考の片隅にすら思い浮かばなかった。

持ちうる全身全霊を賭して魔法を放ち続け、恐怖から逃れる事以外の事をクロノは何一つ考えられない。

そうするうちに、S2Uの排魔力機構に限界が訪れ、連射が停止した。

 

 クロノは肩を上下しながら魔力煙が消えるのを待つ。

次第に薄れていく煙の中、砂礫がパラパラと落ちる音を除き何一つ音は無い。

震えながらクロノが待っていると、一陣の風が煙を攫った。

明瞭になった視界では、Tは何一つ抵抗できないまま攻撃を受けたようで、塀に半ばめり込むようになっている。

瞳は閉じ、頭はうなだれたまま、服には塀の破片で切ったのだろう切り口がいくつか見えた。

当然だが、まだ生きている。

身動き一つしないTに、クロノは生唾を飲み込みながら、構えるS2Uに魔力を注ぎ込んだ。

同時、クロノはS2Uに非殺傷設定がかかっている事に気づき、それを解除する。

目の前の、存在しているだけで生きとし生けるもの全てを侮辱している存在を、この世から塵一つ残さず消し飛ばす為に。

 

(……はっ! クロノ、待って、それだけはっ!)

 

 脳内に響く母の声に、クロノはほんの僅かに理性を取り戻した。

今自分が何をやっていたのか、少しだけ理解できた、正にその瞬間。

ばっ、と。

Tが突然に頭を上げ、クロノと目をあわせて言った。

 

「いきなりどうしたんですか、管理局の人」

「う、うわぁぁあぁっ!」

 

 なんでこいつは死んでないんだ、非殺傷設定があるからだ、今非殺傷設定をまたかける所、何故、何故この生物を前にそんな事をしなければならない。

本能の叫びに従い、クロノは非殺傷設定を解除したまま、今自分が速射できる最大の魔法を放つ。

 

『ブレイズキャノン』

 

 リンディの電子音声と共に、S2Uから水色の破滅の光線が発射。

熱量を伴いTへと直進、地面のアスファルトを融解させつつ突き進み。

 

「ダメぇぇぇっ!」

 

 絶叫と共に現れた、高町なのはの桃色の防御魔法に防がれた。

恐慌したクロノが次の一撃を準備するより早く、なのはが叫ぶ。

 

「クロノ君、一体何やってるの!? たっちゃんなんだよ、私の友達なんだよ!? 魔法の一つも使えない子なんだよ!?」

「……え?」

 

 なのはが立ちふさがった為、クロノの視界からTが消えた。

同時、スポンジが水を吸うように、凄まじい速度でクロノの脳裏に理性が戻ってくる。

クロノのした事は、魔法の使えない一般人に精神崩壊級の魔力ダメージを与え、そのうえ物理設定の魔法でその一般人を消し炭にしようとした事だった。

理解が及ぶに連れ、クロノは顔を青ざめさせ、S2Uを取り落とす。

頭の中が真っ白になり、全身を身震いさせた。

 

「確かに……さっきのたっちゃんは、物凄く怖かった。私だって、たっちゃんがぼこぼこにされているのを見ても、一歩も動けなかったもん。でも、だからって……だからってっ!」

 

 涙をすら零しながら、なのはは叫ぶ。

その光景に、クロノは自身が一体どんな事をしてしまったのかを理解した。

しかし同時、未だに燻る本能の炎が、この少女を倒してでもTを殺すべきだと叫ぶ。

震える両手がS2Uへと伸びようとするのを、クロノは鋼の精神力で留めた。

口内を噛み切った痛みでどうにか本能を下し理性で縛り付け、口を開く。

 

「すまない、そしてありがとう、高町なのは。どうにか、ぼくは理性を取り戻せたよ」

「……あ」

 

 すると緊張の糸が途切れたのだろう、なのはは膝の力を無くし、ぺたんとその場に座り込んだ。

自然、背後のTの姿が目に見えるようになったが、幸いクロノが彼を殺そうとする衝動は湧き上がらない。

Tは目を丸くしてなのはを見ており、今となってはその姿は普通の少年のようにしか見えなかった。

何を言えばいいのか、状況が特殊過ぎて咄嗟に思いつかないクロノを尻目に、Tが口を開く。

 

「すいません、なんだかとてつもなく眠いので寝ます」

 

 言って、Tはかくりと項垂れた。

いや、それは気絶だろう、と内心で律儀にツッコミを入れつつ、クロノは急ぎTに近づき、彼が生存している事を確認する。

安堵の溜息をもらし、クロノはS2Uを拾ってアースラへと通信を開いた。

誰も通信をサポートする人が居ないのだろう、通信画面には誰もおらず、故に艦内の光景が見える。

ただ一人の例外を除いて誰一人席にまともに座れている人間は居らず、全員が立ち尽くすか床に倒れるなり座り込むなりしていた。

すぐに画面はただ一人の例外、クロノの母である艦長リンディの元へと移る。

 

「クロノ……何と言っていいのか分からないけれど、2人を連れてアースラに戻ってきて。話は全てこれからよ」

「はい、艦長」

 

 言いつつ、クロノは思案した。

先ほどまでのTが魔王であるという確信は、未だにクロノの心に根付いている。

理性で押さえつけられることのできる程度ではあるが、目の前の少年を殺すべきではないかと言う考えは完全には消えていない。

リンディも同じ考えなのだろう、先程までのクロノの行為を完全に否定する事ができないでいた。

 

 状況はあまりにも特殊過ぎた。

一体この世の誰が、何の力も持たない一人の少年が魔王に見える状況など想定するのだろうか。

Tは本当にただの一般人なのか?

Tは本当に邪悪ではないのか?

Tを今殺さなかったのは、本当に正しい事だったのか?

様々な思考を巡らせつつ、クロノは小さな溜息をつき、2人をアースラに収容させにかかるのであった。




別にクロノアンチにしたかった訳でもないのですが、必要性からこんな形になりました。
クロノには別に見せ場みたいなものもあるので、それで帳消しにできるかなぁ、と。

あと、ストックが切れました。
これから今日頑張って書くつもりなので毎日更新が途切れるかは分からないですが、そうなる可能性もあります、とだけ。


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その13:涙の宝石

一回書き上がったのだけれど一から書き直し、今まさに書き終わったので投稿。
これで毎日更新もセーフ……かな?


 

 

 

「やっと医務室から開放されるよ……」

「にゃはは、たっちゃん退屈そうだったもんね」

 

 というなのちゃんとぼくは、ここ数日世話になった医務室を背にし、次元航行艦アースラの廊下を歩いている。

アースラの廊下は暗く、まるで曇りの日の夜闇がそこに広がっているかのようだったけれど、足元は青いライトで仄かに照らされている。

それはまるで、深海と曇り夜空とが溶接されたような光景だった。

なのできっと、その境目には海と空とが混ざった何かがあるのだろうけれど、立ち止まって手を伸ばしてみても、金属質な壁に当たるだけだった。

海と空の混合物なのに、硬いとはどういう事なのだろうか。

ひょっとして、海と空の共通点は固い事なのかもしれない。

だって深い海の底はゴツゴツしていそうだし、空に浮かぶ星々はきっととてつもなく硬いものに違いないのだから。

 

「たっちゃん、相変わらずだねぇ……」

「ぼくは変わった事なんてないさ」

 

 と言うが、なのちゃんはとてつもなく変わっていた。

なんとなのちゃん、こんなに暗い場所なのに転ばないのである。

いつぞやの遊園地に行った時はお化け屋敷で一人で転びまくって、お化けが出る前に涙目になっていた阿呆の子が、だ。

すわ偽物か、と驚いたぼくに、魔法を扱うようになってから神経が良く通るにようになり、運動神経も良くなってきたのだと言う。

あのなのちゃんの超絶運動神経ブチ切れ状態が改善するとは疑わしい話だが、なのちゃんが偽物であると言う証拠は未だ出てきていないので、今のところは真実として扱うべきだろう。

 

 ぼくらは手をつないでブリッジに向かいながら話していたのだが、なんだか無言になってきてしまった。

なのちゃんがなんで無言になるのかはよく分からないが、ぼくはアースラに収容されてからの事を思い出していたのだった。

 

 アースラに収容されたぼくを待っていたのは、管理局のリンディさんとクロノくんとエイミィさんによる謝罪であった。

彼らの謝罪の声がよく揃っていて、まるで格闘ゲームによくある表現の、残像がゆらりと重なっているような感じだったので、ぼくは彼らを許す事にした。

そしたら彼らはそういう訳にはいかぬ、と色々と反論をしてきたものである。

それに対し、一々ぼくが彼らを許せる理由を話していった物だ。

 

 例えば、非殺傷設定の攻撃は、とても気分が良い物だったのだ。

なんていうか、転んで擦りむいたり、皮膚を切ってしまったり、そういう怪我はなんていうか、苛立たしい。

なのに八つ当たりしようにも、自分の体が相手だから八つ当たりのしようがない。

でも、その日殺傷設定の攻撃は違ったのだ。

勿論痛い事には痛いのだが、骨折とかの芯に響く“痛い”じゃあなく、頭がぐわんと揺れえてぼうっとする、あの“痛い”だったのだ。

非殺傷設定のダメージは、切り傷よりも打ち傷に感じが似ていたのである。

ぼくが考えるに、そういう痛さはいつもグロテスクなのだが、何故か今回の痛みは、スタイリッシュだったのだ。

見ていて気持ちのいいダメージだったのだ。

ぼくが受けた物なので観察はしづらかったけれど、それさえなければ、時々くらってもいいかなぁ、と思うぐらいに気持ちのいい攻撃だったのである。

 

 殺傷設定に関しては言わずもがな、ぼくは痛いのは嫌いだがあれは痛いを通り越して蒸発させうるぐらいの攻撃だったので、即死する事が確定している。

そしてぼくはなんとなく生きているので、死んでも別にそれはそれでしょうがないかと思っているのだ。

なのでぼくは、なのちゃんが助けてくれたしナシと言う事で、と彼らに告げた。

 

 これらの事を伝え、ぼくはこれで彼らにも納得してもらえただろうと思ったのだけれども、彼らはそれでも物言いたげな態度であった。

ばかりか、クロノさんに内々で処分を与え、後に通達するという形にしようとしたのである。

ぼくは慌ててそれを遮った。

なにせクロノさんは、ぼくに非殺傷設定の魔法をくらうという貴重な体験をくれた人である。

むしろ恩人と言ってもいいぐらいなのに、罰するなんて見てられない。

 

 勿論処分をしない訳にはいかない3人とは話が平行線になってしまい、なんともこじれる事になってしまった。

未だこの問題は解決していないが、長い論議になるため、先に現状の説明やなのちゃんとの再開をすることになる。

ぼくは自分の身に起きていた事を説明し、またなのちゃんがどんな行動をしてきたのかを聞き、そして咀嚼した。

恭也さんまで関わっていたとは寝耳に水で、ぼくの心臓は大丈夫だけど他の人の心臓は倫理が違う訳で、誰か心臓の味が悪くなった人は居ないのか心配になったが、それは全員に周知の事だと教えられ、杞憂に終わる。

 

 まぁそんな訳で、ぼくは何時暴走するとも知れぬジュエルシードの為、自宅に戻れない事になった。

その説明にはリンディさんとクロノさんが向かい、モニタ越しにぼくは家族と話したのであった。

放任主義だったぼくの両親は、元々ぼくが決意とともに別れを告げた後なので、簡単に了承の意を見せる。

 

 ちなみに、なんだか聞きそびれてしまい、あちらも説明しようとはしないので、クロノさんがぼくを攻撃した理由は不明である。

しかしぼくにとっては割とどうでもよく、おまんじゅうの方が気になるぐらいの話なので、その件については半ば無視していた。

 

 それからは基本的に検査と治療の日々だったのだが、その間にぼくはリンディさんらにお願いした事がいくつかある。

例えばフェイトちゃんの減刑やクロノさんの減刑がそうだが、その他にもぼくは3人に願い事を言った。

すずかちゃんとアリサちゃんに魔法を正式に知らせ、その事を見逃したユーノくんとなのはちゃんの罰を軽減する事である。

驚くと同時に、3人は優しげな笑みと共にそれを軽く了承してくれたのであった。

という訳で、正式な許可を引っ張ってきて、今通信の為にブリッジに向かっている所である。

 

「ねぇ、たっちゃん」

 

 と、なのちゃんが唐突に言った。

ぼくは首を傾げつつ、うん、と答える。

 

「たっちゃんは……たっちゃんだよね?」

「え? うん、そりゃあそうだけれど。ぼくは羽化もしないし蛹も作らないから、名前は変わらないよ?」

「うん……そうだよね」

 

 と、何処か暗く言うなのちゃんは、ぼくの手と絡めた手を、ぎゅっと握り締める。

握り飯みたいにぼくの手が変形してしまいそうなぐらいの強さだった。

ぼくは思わず変な顔をしてそれに耐え切り、油の切れたブリキ細工のロボットみたいにぎこちなくなってしまう。

ぼくの動作を見て、なのちゃんは手に力を入れすぎた事を理解し、すぐに脱力した。

ぼくは思わず安堵の溜息を吐く。

きっとこの溜息でホルンでも演奏すれば、きっと深々とした鳴り方をするだろう。

 

「ごめんね、たっちゃん」

 

 なのちゃんは言った。

 

「クロノくんがたっちゃんに攻撃しようとした時、私はブリッジで画面越しにたっちゃんを見ていたの。怖かった。体中が震えて、怖くて怖くて仕方がなかった。私がクロノくんの代わりにたっちゃんと会っていたなら、私だって攻撃をしかけちゃったかもしれない」

 

 意外な言葉に、ぼくは首を傾げる。

ぼくは自覚症状としては何も変わった事はなく、むしろジュエルシードを食べてからなんか調子が良いぐらいに感じたのだけれど、どういう事なのだろうか。

ぼくの疑問詞が答えを見つけるよりも早く、なのちゃんが続ける。

 

「多分、リンディさん達がクロノくんを責められないのも、同じ理由だと思う。同じ立場に自分がいれば、間違いなくたっちゃんを攻撃していたとしか、思えないから」

「そう、なんだ」

 

 ぼくはあれでもクロノくんを責めていない方なのか、と言う意味で言ったのだけれども、なのちゃんはぼくが何故怖がられるのかに疑問詞を抱いたように聞こえたのだろう。

自分がどう思ったのか、その事について話題を転換していく。

 

「私は、なんていうか、たっちゃんを見ているとたっちゃん以外の全てが、なくなっちゃいそうなように感じたの。お父さんにお母さんにお兄ちゃんにお姉ちゃん、アリサちゃんにすずかちゃんに、ユーノくん達魔法の関係者。みんな、みんな」

「なのちゃん」

 

 いって、今度はぼくがなのちゃんの手を握りしめた。

なんていうか、自分が醜い感情を感じた時の事を、その感情の対象に語る事は、あまり健康的な事とは言えない。

事実、なのちゃんの顔は酷いものになっていた。

だからぼくは、心の片隅に残っている良心を、箒とちりとりで集めたみたいに大きくし、言う。

 

「なのちゃん、ぼくはその事について詳しく聞きたい訳じゃあないんだ。っていうか、むしろ聞きたくないとすら思っている。なんでかっていうと勘としか言いようがないんだけども、兎に角ね」

 

 なのちゃんが立ち止まる。

ぼくは半歩行きすぎてから気づき、向き直りながら続けた。

 

「だからなのちゃん、そんなふうに無理して説明をする必要は無いよ。信じられないかもしれないけど、本当に気にならないし、気にしない方がいいと思えるんだ」

「あり、がとう」

 

 ぽつり、となのちゃんが光るものを零した。

ガラス玉みたいに強く光を反射するそれは、なのちゃんの涙であった。

ぼくは舌で受け止めればガラス玉を食べるのと同じ事になるのかな、とも思ったけれども、流石にこの空気を壊してまでそうする事はできず、ぼくは黙ってなのちゃんを見守る。

ぼく、空気が読める男であった。

でもなんだか、じっとしているとうずうず虫がぼくの両足から心臓に向かって登ってきてしまう。

このうずうずは本当に虫が体内に入ったんじゃあないかと思うぐらいに気持ち悪く、これを起こしてしまうと生理的嫌悪感で真っ赤な蛇を見るぐらいに気分が悪くなってしまう。

要するに、レッドスネークカモン、であった。

なのでぼくは、そっとなのちゃんの頭を撫でる事にする。

 

「……あ」

 

 小さくなのちゃんが呟くのを尻目に、ぼくは長々となのちゃんの頭を撫で続ける。

なんだかこちらはこちらで、良い事をして格好つけているみたいで、下半身丸出しで歩いているみたいな気分になってしまうのだけれども、我慢してぼくはなのちゃんが泣き止むまで頭を撫で続けた。

なのちゃんは静かに泣き続け、ぼくはこの涙を赤いビロードの大きな宝石箱にでも保存しておけば、とても綺麗なガラス玉が沢山できたのだろうにと思う。

ぼくはオートメーション化された宝石箱を想像した。

機械で正確に動く宝石箱は、なのちゃんのぽろぽろと落ちる涙を等間隔で受け止め、ガラス玉を次々と受け止めるのだ。

けれど残念ならぼくには宝石箱の手持ちは無く、それどころか片手でなのちゃんと手をつなぎ、もう片手でなのちゃんを撫でているので、宝石箱があったとしても持つ事すらできない。

機械にすら負ける自分に辟易としながらも、ぼくは兎に角なのちゃんを撫で続けた。

 

 

 

 

 



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その14:凶刃1

毎日更新が崩れてしまいました。
これからもある程度頻繁に更新していくつもりですが、毎日はちょっと厳しいかもしれません。


 

 

 ぼくがアースラに収容されてから10日近く経った。

ぼくはぐるぐるまきにされていた。

より詳しく言うのなら、クロノさんとユーノくん――なのちゃんの魔法の先生らしい――、なのちゃんの3人がかりのバインドに縛られていた。

全くもう、これが体の中に打ち込まれるのならば中々気分の良い物なのだけれども、こうやって体の表面にとどまられると、なんだか蛍光灯を押し当てられるような気分になってしまう。

あれはとても熱くて低温火傷してしまう上に、なんだか有毒そうな光の成分が体に吸収される気がして、とても嫌なのだ。

ぼくは似た気分になって辟易としてしまう。

光の成分を観察しようにも、発光体がすぐ近くにあるので、目を閉じないとチカチカして、目を瞑ってもチカチカとした細かな三角が、薄い水の表面を流れるような感じになってしまう。

エントロピーは相変わらず増大していた。

 

「ねぇ、誰かぼくを離してくれませんか」

 

 思わずぼくはそんな事を言ってしまうも、誰一人反応する人は居らず、ぼくは無視された。

ぼくは悲しくなって溜息をついてしまうけれども、それに反応するのはなのちゃんぐらいである。

それもぼくにちらりと視線をやるぐらいで、ぼくが反応して口を開こうとするよりも早くなのちゃんは目をそらしてしまった。

ぼくは残念な思いを胸に、再び溜息をついた。

残忍な思いと一文字違いであり、ぼくはまるで連続殺人犯になったような気分になる。

 

 ぼくは諦めて、展開されるモニターに視線をやった。

アースラのブリッジからは、宇宙が見える。

それはベタ塗りした黒みたいで、古い映画の宇宙みたいにチープな感覚がする宇宙なのだけれども、リンディさんに聞いた所、これは本当の宇宙のようだ。

それには原稿用紙10枚分以上の感想をぼくは言えるのだが、それは置いておいて、見えるモニターの内容に言をおこう。

モニターの向こう側では、6つもの竜巻が渦巻いていた。

その中には金色の光と橙色の光が見え、クロノさんが説明する所によるとフェイトちゃんとアルフさんが居るらしい。

ぼくはそれを聞いて反射的に助けに行こうとしたのだけれども、何処に行けばあそこまで行けるか分からず、リンディさんにその旨を伝えた所、3人がかりのバインドをくらってしまったのである。

曰く、ぼくが現場に行けば100%現場が混乱するので、どんな判断を下すとしても、絶対にぼくを動かす事は無いのだと言う。

全く、ぼくのような聖人君子かつ生真面目で優等生な人間を前に、なんという言いがかりだろう、と思って反論したのだが、誰一人反応すらしてくれなかった。

セミの抜け殻より悲しかった。

財布には入らない大きさだったけれど。

 

 さて、ぼくをぐるぐるまきにしたアースラの面々は、フェイトちゃんが力尽きるまで待つ心づもりのようだった。

多分、プレシアさんの介入を待ってぼくの証言の裏を取りたいという事もあるのだろう。

けれどぼくとしてはフェイトちゃんを助けるべきだと思ったし、その理由は確かな物だ。

あのままでは当然フェイトちゃんはずぶ濡れになるし、そうなったらフェイトちゃんの髪の毛は塩水でザブザブになってしまう事だろう。

別に髪が乱れるのはいいのだが、フェイトちゃんの髪の毛は黄金のように綺羅びやかで、これが塩と竜巻で犯されれば、その黄金がメッキだったとすれば剥がれてしまうかもしれない。

それは真偽を確かめるという意味では良いことなのかもしれないが、しかしぼくはメッキにはメッキの良さがあるのだと思っているタイプの人間だった。

プレシアさんがフェイトちゃんに向ける感情と同じように。

なのでぼくはフェイトちゃんを助けてもらおうとなのちゃんに頼んだのだが、なのちゃんは物凄く不機嫌になり、無言でぼくを無視し続けているのである。

はて、とぼくは首を傾げたのだけれども、なのちゃんはぼくの言うことを一切合切無視するようになってしまい、ここ数分ずっと何も口にしていなかった。

 

 という訳で、早速ぼくには手段が一つも無くなってしまった。

アースラの面々は艦長命令に逆らうつもりはなさそうだし、ユーノ君は心配そうに見えるし心を動かしやすそうだが、ほぼ初対面でどんな性格をしているのか人づてに聞いた事しかない。

その上ユーノ君はサポートタイプの魔導師らしく、単独ではあの竜巻をなんとかできる訳ではないので、結局なのちゃんを説得する要員が一人増えるだけに過ぎないのだ。

それでもそれしか手段が無いのならユーノ君に賭けるべきだけれども、この場にはもう一人なのちゃんを説得できる人間が居た。

 

 恭也さんである。

 

 高町恭也さんは、大学生の美男子で、常に黒尽くめで長袖を手放さない人で、何より家に伝わる剣術を習う剣士なのだと言う。

ぼくは実を言うと、小学校に入って少ししてから趣味で体を鍛え始めている。

そのロードワークの途中に恭也さん達御神の剣士達と出会ってから、ぼくは基礎練だけ彼らと共に行なっているのだが、彼ら御神の剣士は化物のような体力をしているのだ。

残念ながらと言うべきか、その技の冴えは見た事が無いが、体力から類推できるレベルだとものすごいことになるのは目に見えている。

実際、ユーノくんの強化魔法を貰えばAランク相当の魔導師に勝てるぐらいの戦力となるらしい。

まぁ、なのちゃんがAAA相当の魔導師だと聞いてから、どうもAランクにあまり強いイメージが無くなってしまったのだけれども。

 

 兎に角恭也さんは強くて、ぼくと一定のコミュニケーションをとってきた実績があり、かつなのちゃんの説得ができそうで、更に強化魔法を貰えばあの竜巻相手にも最低限フォローぐらいはできそうだ。

なのでこの場で説得する相手としては最良なのだけれども、ぼくとしては難点が一つだけあった。

恭也さんが、ぼくをかなり苦手そうなのである。

そもそも基礎練でぼくを指導してくれるのは士郎さんであり、その為士郎さんはぼくに積極的に話しかけてくる。

が、恭也さんと美由希さんはどうもぼくに話しかけてくる事は少なく、ぼくが話しかけても話題が続かないのだ。

以下、例。

 

「今日の空は印刷したみたいに青いですよね。この前図工の時間で混ぜて作った絵の具の色に似ています。あの色は食べたくなる色だったなぁ。止められましたけど。空だったら誰も止めないけど、届かなくて残念ですよね」

「…………そうか」

「…………そうなんだ」

 

 例2。

 

「冬の空気ってチクチクして素肌にツイードを着るみたいだけど、それがもし本当だとしたら服には刃が仕込まれているのかもしれませんね。けれどそれでも肌が裂けないのって、なんでなんだろう。どう思います?」

「どうって…………」

「…………ねぇ」

 

 何時もこんな感じである。

ぼくはぼくの話が反応しづらい類の話なんじゃあないかと思ったけれども、士郎さんや桃子さんは普通に話してくれるし、なのちゃんにアリサちゃんにすずかちゃんは流し気味だけど反応はしてくれる。

かといって恭也さんと美由希さんが話下手と言う訳でもなく、少なくとも高町家同士での会話は流暢だった。

なのでぼくは多分、2人に少なくとも苦手意識ぐらいは持たれている訳である。

 

 とは言え、ここで話しかけずにフェイトちゃんを見捨てる訳にもゆくまい。

ぼくはテコの原理を駆使して重い石を持ち上げるみたいに、気合を入れすぎずに自然な感じで口を開いた。

 

「恭也さん、ぼくは離さなくていいんで、フェイトちゃんを助けに行くようなのちゃんを説得してあげてくれませんか?」

「君は、なのはが君を攫われて、どれだけ……」

「分かっていますよ。いや、分かっていませんけど、想像はできますよ。でも、だからってなのちゃんにフェイトちゃんを見捨てさせる方が良いって言うんですか?」

「それは……」

 

 恭也さんは、団子を口に放り込んだらハリネズミだったみたいな顔をして、歯噛みする。

ちらりと会話が聞こえているなのちゃんの方に視線をやると、ぴょこぴょことツインテールを揺らしており、意識をしているのは分かるが、その感想までは分からない。

リンディさんやクロノさんに視線をやると、流石に居心地悪そうだったが、意見を翻すような様子は無かった。

視線を恭也さんに戻すと、苦悩を表情に顕にし、口を開こうとする。

 

 が、その瞬間、モニターが光り輝いた。

青い光がモニターを一瞬占拠し、次の瞬間にはフェイトちゃんが海面に真っ逆さまに落ちる所であった。

アルフさんが頑張ってそれを支えるも、それ以上の事はできず、必死で竜巻から逃れまわる。

要するに、時間切れという事だった。

ぼくが何をするでもなくぼくを封じていたバインドは解ける。

 

「なのはさん、ユーノさん、クロノ執務官」

「はい」

 

 輪唱する返事に、厳しい顔を崩さずにリンディさんが続けて命令を口にした。

3人は転送ポートで現場に行き、なのちゃんはバンバンとディバインなんたらとかいう破壊光線を撃ちまくり、ユーノくんはジャラジャラと緑色の鎖をばらまいて竜巻を拘束し、クロノさんは青い弾丸を打ちながらフェイトちゃんをアルフさんをバインドで捕縛する。

ぼくがぼうっと見ていると、一本づつ封印されていった竜巻は瞬く間に数を減らし、ついに零となってジュエルシードの暴走は止まった。

ぼくは安堵の溜息をつく。

 

「まぁ、とりあえずフェイトちゃんに酷い怪我が無いみたいで良かったですよ」

「……貴方は私を恨まないのかしら?」

 

 独り言に反応するリンディさん。

ぼくはなんだか食べているお弁当を横から突かれて、感想は良かったんだけど、実は冷凍食品でした、みたいな気分になった。

それでも仕方なしにリンディさんに視線をやり、口を開く。

最近のぼくは人間らしさをアピールするロボットみたいに喋りすぎで、何時もの無口なナイスガイじゃあないなぁ、とか思いながら。

 

「別に。貴方とぼくの目的が違うのは当然の事だし、目的が違う人全てを一々恨んでいるのは、なんていうか、シャムの双生児同士で喧嘩するみたいな感じでしょう?」

「意味はわからないけど、言いたいことは何となく分かるわ」

 

 ぼくはリンディさんの言が良く分からなかったが、大人の社交術で曖昧に頷いておく。

硬質な曖昧さに包まれたぼくの笑みに、リンディさんも大人っぽい笑みで答えた。

その笑みがなんだか柔らかで、ぼくとしては定規で測ってみたくなったのだけれども、それより早くなのちゃんらが帰投する方が早く、そもそもぼくは定規を持っていなかった。

残念。

 

「おかえり、みんな」

「ただいま、たっちゃんっ」

 

 なんだか元気がよさそうに言うなのちゃんらは元の服に、フェイトちゃんはいつの間にか囚人服のような物を着せられ、両手を手錠でつながれていた。

でも囚人というには重しが足らなく、ソースのかかっていないハンバーグみたいな感じだ。

ぼくが視線で問いかけると、リンディさんが笑みを共に答えを。

 

「フェイトさんのしている手錠は魔法行使を阻害する力があるから、デバイスを持っていても無力よ、安心して」

「なるほど」

 

 と言うが早いか、パキン、という音。

キットカットを割るよりも綺麗な音に視線をやるのと殆ど同時、フェイトちゃんは手錠を破壊してデバイスを展開、あの水着みたいなバリアジャケットを着てぼくの目の前に迫っていた。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 バルディッシュが変形、鎌みたいな黄金の光の刃をバシュっと出して、フェイトちゃんがそれを振り上げる。

なのちゃんが遅れて大口を開けたのだけ視界の隅で確認できるけれど、フェイトちゃんの早さには敵わないようで、すぐにフェイトちゃんがバルディッシュを振り下ろした。

死の間際の時間に、ぼくはゆっくりとスローモーションで刃が振り下ろされるのを見ている。

ぼくはすぐに死んでしまうだろう自分に、事前予約で冥福を祈りながら、目を閉じずにその刃が来るのを見守った。

 

 

 

 

 



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その15:凶刃2

執筆するぞー→爆睡 とかSS読んでたりとかで時間泥棒されて、こんな更新速度になってました。
兎に角更新です。
その割に話進んでないですが。


 

 

 

 フェイトはTを憎むようになったが、その感情はできる限り隠してきた。

使い魔であるアルフにはある程度伝わってしまったし、その対象であるTにもいくらか気取られているような気配はあったが、幸いにも母プレシアには隠しきれているようだ。

尤も、それが母の自身に対する無関心から来る結果かもしれないと思うと、フェイトは重い溜息をつかざるをえないのだが。

 

 フェイトは、Tを憎んだ。

しかしそれは自覚こそしていないものの、Tを純粋に憎いがためではなく、どちらかと言えばそうでなければ生きる事すらままならない為である。

己の精神のためである。

それが故にかフェイトはTを直接傷つける事なく、管理局の人間と思わしき魔導師がTと接触した時、故意に見逃した。

接触の後どうなったのかは見ていないので分からないが、恐らくはTは管理局に保護される事となったのだろう。

フェイトは、その時神に願った。

儚い願いと知りながら、神に願った。

どうかTがいなくなった事で、母さんが昔の優しい母さんに戻りますように、と。

理の立たない願いであった。

例えTがいなくなる事で母が戻る事があっても、それはまた冷えきった関係に戻るだけだ。

昔のアリシアに対する優しさどころか、Tが居る時のメッキの優しさでさえ望んだ所で得られる物ではない。

それでも、フェイトは祈りながら時の庭園に戻り、母に報告をした。

 

 願いは、矢張り儚かった。

プレシアはフェイトを罵り、縛り上げた上で鞭で嬲ったのだ。

涙をこぼし、絶叫しながらプレシアは体力が尽きるまでフェイトの事を虐待し続けた。

その光景に、フェイトは矢張り自分が母に愛されてなどいないのだと、その身に刻むように思う。

 

 フェイト・テスタロッサは、生きるために他者を必要とする少女であった。

自分一人で大地に両足をつけ、立ち上がる事のできない少女であった。

それはなんら特別なことではなく、多くの人間はそうなのだが、フェイトにとっての他者が数少ない事がその事実の重要性を高めている。

フェイトの人生における他者は、母とリニスとアルフとTしか存在しない。

アルフは他者でありながらも半身である為、2人の間にある愛情は自己愛が幾分含まれているように思える。

リニスは消え、最早遭うことは叶わない。

そしてフェイトが最も好きな母は、フェイトを憎んですらいた。

ならばTの愛情を求めればフェイトにとっての生きる目標となり得たのだろうが、フェイトはその道を選ばなかった。

フェイトは、母が自分を愛してくれるという夢を捨てる事ができなかったのだ。

 

 故にフェイトは、まだ足りないんだ、と思う事にした。

Tがまだこの世に存在するから、一緒に居られるという希望があるから、プレシアは自分のことを好きでいてくれないのだと。

無論、筋の通らない理論である。

けれどフェイトは、一度Tを憎んでしまった以上、掌を返し、彼の愛情を求めようとする事ができなかった。

未だ実害を一つも与えていないのであるし、Tはフェイトが知る限り優しい人間である、愛情を求めれば与えてくれるだろうに、フェイトにはそれができないのだ。

生来の不器用であった。

故にフェイトは、実際にTを害する事を考え始める。

無論それは管理局の保護下にあるTを相手にである、容易いことでは無かった。

が、チャンスは巡ってきたのである。

 

 幾度かフェイトを叱責したプレシアは、残るジュエルシードが6つとも海にある事を聞いた時、フェイトに命じた。

ジュエルシードを魔力流で暴走させた後魔力が尽きたフリで敗北、管理局の次元航行艦に収容された後、隙を見てTを奪い返し、できればジュエルシードも奪ってこい、と。

当然捕まれば管理局の魔力封印錠で戦闘能力を封印されるが、プレシアはそれを破壊する魔法を創っていたのだ。

Tと二度と会えないかもしれない危機が、プレシアの感心をジュエルシード以外に向けさせていた。

その魔法をバルディッシュに受け取ったフェイトは、これだ、と確信した。

魔力封印錠があれば、油断した管理局はTとフェイトを会わせる機会もあるだろう。

その時に与えられた魔法を使えば、Tを害する事ができる。

母を取り戻せる事ができる。

実際にそんな事になる筈が無いのだが、疲れ果て今にも折れそうな心のフェイトは、そう信じる事で心の安定を繋いでいた。

 

 フェイトは、アルフには何も伝えていなかった。

恐らくアルフは、Tを心配してではなく、フェイトの心を心配してその計画を止めさせるだろう。

けれど、それを聞いてしまえば、本当は自分の願いなど叶うはずがないのだと後少しでも考えてしまえば、フェイトは二度と立ち上がれなくなる。

そんな予感が、フェイトの口を閉ざした。

 

 万全の状態となった後、フェイトは海中のジュエルシードを暴走させた。

6つの竜巻と化したジュエルシードに、フェイトはアルフと共に立ち向かった。

消耗していればこの程度はできただろう、というぐらいの辺りで魔力が尽きたふりをし、フェイトは管理局の介入を誘う。

執務官と共に出てきた白い少女が、何となくフェイトにとって印象的でもあった。

だが、それだけで、心に響く何かは一つもなく、無事にジュエルシードは封印されたのであった。

 

 そして簡素な医療服を着せられたフェイトは、魔力封印錠をつけられブリッジに連れてこられる。

そこにTが居た。

なんだかいつものちょっとぼんやりとした顔で、少し離れた位置に居る艦長らしき緑髪の女性と話しながら、フェイトに視線をやっていた。

何時ものTであった。

フェイトに同情するでも憎悪するでもメッキの優しさをくれるでもなく、Tは中庸な瞳をフェイトに向けている。

なのに興味が無い訳ではなく、むしろ強烈な興味を掻き立てられている様子であるTの瞳。

その瞳の感情になんと名付ければ良いのか分からないが、フェイトはその感情を向けられて思わずほっとしてしまった。

母の真意はフェイトの視点では二転三転したように思える。

しかしTの瞳はいつでも変わらず、しかも心安らかな物であった。

 

 そう思ってから、フェイトは小さく頭を振り、そんな考えを頭から振り払う。

違う、私はTを憎んでいるんだ。

だってTは、私に……、私に何をした?

そこまで考えて、それ以上考えれば気づいてはいけない事に気づいてしまうと感じ、フェイトは思考を止めた。

ただこれからTを攻撃すれば、それでいい話だ、今の私は、それだけ考えていればそれでいい。

そう心のなかで繰り返し、フェイトはついに魔力封印錠を破壊する魔法を発動。

簡単な対策で対処されうる物なので、機会は一度だけ。

だからフェイトは、自分のする事の引き起こす結果をすら何も考えない最速の動作で、手にしていたバルディッシュを待機状態からサイズフォームへ変化。

即座にバリアジャケットを纏い、高速移動魔法でTの前に出る。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 絶叫。

共に殺傷設定、物理ダメージ設定となった光の刃を斜めに振り下ろし――。

 

 目が、合った。

 

 Tは死の間際にありながら、いつもどおりに少し眠たげに目を開いていた。

ただ反応しきれなかっただけにしては、フェイトの目にハッキリと視線を合わせている。

だからTはフェイトの事を目で追い、自分に迫り来る死を理解しながらも、いつもの目でぼんやりとフェイトを見ていたのだ。

何を思っているのか、ハッキリとは分からない。

けれどフェイトは、それを自分への信頼だと受け取った。

Tは信じているのだ。

フェイトが自分を害する事など、ある筈が無い、と。

 

 反射的に、フェイトは全力を賭して鎌の動きを止めた。

辛うじて鎌はTの肌に触れる寸前で停止。

触れずとも電磁熱の刃がTの首を僅かに焼き、薄っすらとTの首に焦げ痕がついた。

それでもTの表情は一切変わらず、ぼんやりとした目のままフェイトを見つめている。

他の面々は、誰一人反応できずにフェイトを眺める事しかできていなかった。

 

「なんで……」

 

 フェイトは、思わず呟いた。

フェイトは己の価値を一切認めていない。

母にとって偽物で紛い物で、出来損ないの不良品の自分に価値などあるはずがないのだと。

だから、Tの向ける全幅の信頼が、痛いぐらいに心を締め付けた。

唇を噛み締め、全身を巡る情動に身を任せ、叫ぶ。

 

「なんで、Tはそんな目をしているの……」

「君の金色が中まで金なのかメッキなのか考えていたけど、どっちでもいいやと思っただけだよ」

 

 フェイトの心臓が高鳴った。

メッキ。

覆いだけの偽物。

自身の現状を理解しているかのような、Tの言動に、フェイトは思わず呟く。

 

「なんで……どうでもいいやと思ったの?」

 

 縋りつくような問いだった。

Tは気まぐれでちょっと変な人で、今回の言葉だって偶々Tの変な言葉回しが的中しただけかもしれない。

けれどそうだとしてもいい。

フェイトは、ただTの答えが聞きたかった。

偶然に発された言葉で、中身なんて無くてもいい。

ただ優しい言葉を聞きたかった。

なのに。

それなのに、Tは少しだけ柔らかな笑みを浮かべ、バルディッシュをつきつけたままのフェイトの頭に手を伸ばす。

 

「あ……」

 

 小さく声を漏らすフェイトの頭に、ぽん、と手をやり、優しく撫でながら、Tは言うのだ。

 

「どっちにしても、真実だから、メッキだからと言う事で価値が決まる訳じゃあない。感じた事そのままがぼくにとっての答えになるからさ」

「う、ああ…………」

 

 言葉だけでなく、温もりまでくれるTの言葉が嬉しくて。

フェイトは、自分の中で沸き上がってくる感情に、翻弄された。

つきつけたバルディッシュをTの首筋から外すだけのつもりが、取り落としてしまう。

からん、という金属音と時を同じくして、フェイトはその場で崩れ落ちた。

感情が怖いくらいに大きな奔流となって、フェイトの両目からあふれだす。

大粒の涙を見て、Tはぼんやりと「ビロード……」と呟きつつも、フェイトの頭を撫で続けてきた。

フェイトは、もう止めてもらわないと涙が止まらないのだと思いつつも、それを口に出す事ができない。

体中を駆け巡る、名前も分からない感情がそれを止めさせていた。

 

 嗚咽を漏らすフェイトは、Tがフェイトを撫で終えるのを機に、ゆっくりとデバイスへと手を伸ばす。

いつの間にかフェイトにデバイスの先を向けていた執務官と白い魔導師なのはが反応し、アルフがそれを制そうと反応するも、フェイトは気にするでもなく通信を開いた。

時の庭園への通信であった。

数瞬の間を置いて映像通信が開き、プレシアの顔が映る。

同時、プレシアが目を見開いた。

 

「これは……一体どういう状況なの、フェイト!」

「ごめん、なさい……」

 

 最早フェイトには、Tを憎む事ができなかった。

だがそれは同時、母の愛を得る方法が、フェイトの勝手な想像の中でさえ失われた事をも意味する。

故にフェイトには、もう母に全て話す事しか思いつかなかった。

全てを話せば、プレシアは今まで以上にフェイトの事を嫌うだろう。

けれど、せめて母にだけは誠実にいたい。

そんな思いが、フェイトの口を滑らかにした。

 

「私、友達と言っておいて、母さんを奪うように仲良くなっていったTが、憎かった……! だから、私は、Tを傷つけようと、ううん、殺そうとしました」

「……え?」

 

 思わず目を見開くプレシア。

それにフェイトは、大粒の涙を零しながら続ける。

 

「でも、できなかった……! 八つ当たりで、Tを傷つける事なんてできなかった! だって、Tは、私の友達で! 何時も優しい人だったから!」

 

 一言叫ぶ毎に、胸の奥が裂けるような痛みがフェイトを襲った。

それでも、フェイトは自分の罪を誤魔化す事ができず、それ故に叫ぶ。

叫び続ける。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……!」

 

 嗚咽と共に謝罪を続けるフェイトに、プレシアは暫くの間沈黙を続けた。

その間、管理局のスタッフ達は忙しげにプレシアの居場所を特定しようとするのがフェイトの視界に入る。

この通信自体がプレシアの迷惑になるだろう事は、フェイトにも分かっていた。

けれど、プレシアの思いを欺いてTを害そうとしていた事を、もう一秒だって隠しておけなかったのだ。

外野で管理局の面々が様々な指示を飛ばしているのを耳にしつつ、フェイトはプレシアの言葉を待つ。

きっと母は、自分の事を許してくれないだろう。

ならばせめて、一欠片の希望も残らぬよう、残酷に処して欲しい。

それがTを、唯一の友達を殺しかけてしまった、フェイトにとっての儚い願いであった。

その願いは、叶ってしまう事になる。

 

「この……役立たずめ……!」

 

 プレシアが叫ぶと同時、場の空気が凍りついたようにフェイトには感じられた。

でも、これぐらい当然の仕打ちなのだ、とフェイトは思う。

Tの命を託した筈が、Tの命を狙われたとなれば、プレシアは烈火のごとく怒って良い筈だ。

だから、フェイトは真っ直ぐにプレシアに視線をやり、その怒りの全てを受け止める事にする。

プレシアは、怒りの余り蒼白となった顔で、嘲りの色を顕に告げた。

 

「知っているかしら? フェイト。いいえ、紛い物の出来損ない。アリシアの成り損ないの、欠陥品。私が今まで貴方に優しくしてきたのはね、Tに良い顔をするだけの為なのよ」

 

 ひゅ、と誰かが息を呑む音。

フェイトは知っている現実を前に、それでも直接悪意をぶつけられるダメージの大きさに、歯を噛み締めながら泣いていた。

それでも、既知の事実だけなら耐えられたのかもしれないが。

 

「貴方は、私の娘アリシアの、記憶転写形クローン、プロジェクト・フェイトの失敗作。貴方の名前でさえ、プロジェクトの名前からつけただけ」

 

 名前に関する新事実の発覚に、フェイトは思わず目を見開く。

体は震え、心の奥底が冷え始めるのをフェイトは感じた。

四肢が氷のように冷たく、体が震え始める。

心が砂塵になって、崩れ去ってゆくような感覚。

 

「知っていて? フェイト。私は、ずぅっと貴方の事がね……」

 

 その先を聞きたくない、とフェイトは思った。

けれど耳をふさごうにも震える体は動いてくれず、両手は石にでもなったかのように床に垂れているだけである。

故にフェイトの耳に、その言葉は直接届いた。

 

「大嫌いだったのよ」

「……あ」

 

 フェイトは、ついに全身から力を抜けてゆくのを感じる。

当然の罰の筈なのに、全てを後悔しそうになってしまうぐらいに辛かった。

それでも、フェイトは自身の罪を許されるべきではないとすら考える。

何せ、フェイトのした事は殺人未遂、それも初めてにして唯一の友達へ向けてのものだ、他の誰が許してもフェイト自身が許せない。

なのに被害者面してダメージを受けるのは駄目だと思うも、平気なフリすらフェイトにはできなかった。

そのまま、倒れてしまいそうになるフェイトを、しかしTが支える。

アルフも向かっていたが、流石に隣に居るTに先んじる事はできず、遅れてフェイトを支える事となった。

プレシアは寸前までとは大違いの、親に怒られる前の少女のような顔で、Tへと視線を向ける。

Tはフェイトの顔に視線をやり、呟いた。

 

「それでも、ぼくはフェイトちゃんの事、結構好きなんだけどなぁ」

「……ぇ」

 

 小さく、フェイトの胸に温かみが宿る。

僅かに瞳に光を戻し、Tの腕に支えられながらも僅かに全身に力が入った。

それに微笑むと、Tはプレシアへと視線をやる。

フェイトが横で見ていても分かるぐらいに、何故か優しげな顔を向けて。

Tが、口を開いた。

 

 

 

 

 



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その16:凶刃3

 

 

 

 

 

「それでも、ぼくはフェイトちゃんの事、結構好きなんだけどなぁ」

「……ぇ」

 

 と、フェイトちゃんが小声で反応するのを尻目に、ぼくはフェイトちゃんに少しだけ笑いかけてから、通信画面らしき所へと向き直る。

通信画面の先では、プレシアさんが初めて口紅を引いた少女のような顔をしていた。

美しかった。

彼女の成熟した肉体と反比例するかのように、少なくとも恋愛事に関しての精神は弱く、そのコントラストは意外さに満ちた魅力を醸し出している。

変わらずなプレシアさんに、ぼくはできる限りの微笑みを見せた。

何故か、プレシアさんは数歩下がる。

 

「ぼくはプレシアさんの事もフェイトちゃんの事も好きなので、2人で嫌い合っていると、どうも困ってしまいます」

「……あ、うぅ、ごめんなさい、T」

「うん、まぁぼくのねずみみたいに勝手な願望だから、謝るほどの事じゃあないですよ。許せるかは分からないし、例え許せるとしても、時間の力が少し必要でしょうけれど」

 

 そう言うと、プレシアさんは怒りそうになったり泣きそうになったり、まるで何個も持っている顔を次々に入れ替えるみたいに表情をコロコロと変えた。

それがまるで子犬が芝生で転げまわっているような早さなので、ぼくは思わず目を細めて口元を緩めてしまう。

まるで古びたガマ口みたいな精神であった。

そんな自分のミーハーさに呆れ返ってしまうぼくだけれども、それでも、とぼくは意を決して口を開く。

 

「プレシアさん、これから貴方はどうするつもりですか? 管理局に場所が分かっちゃったみたいですし、頼みのフェイトちゃんもすぐに拘束されてしまうでしょうし」

 

 はっと気付いたプレシアさん。

何も分かっていないうちに捕まえようとしていたのだろう、アースラの面々はぼくに険しい視線を送ってくる。

まるで矢のようにプスプスと刺さってくる視線は、なんでだろうか、流鏑馬で揺れる馬の上からでも正確な狙いで飛んでくる矢を思い出させた。

けれどぼくは動かぬ的になった憶えはないので、きっと勘違いだろう。

それに、このプスプスは覚悟の上でのプスプスであった。

何せぼくが今のところ世界で一番大切なのは、プレシアさんなのだ。

だからといってなんでも叶えてやりたいと言う訳じゃあないけれど、それでもこれぐらいの助勢をするぐらいの愛おしさをぼくは彼女に感じていた。

ぼくはとても一般的な人間なので、適度に情に流されやすいのだ。

 

「……旅立つわ」

 

 プレシアさんは、言った。

その瞳に理性の輝きを乗せながら、それでも言った。

 

「たった6個のジュエルシードでたどり着けるか、分からないけれど。ジュエルシードを暴走させ生み出した次元の裂け目、虚数空間の狭間には、道がある。死者蘇生の技術の眠る伝説の都、アルハザードへの道が」

「馬鹿なっ、そんな夢物語、あるはずが無いっ!」

 

 叫ぶクロノさんを尻目に、ぼくはプレシアさんと視線を交わし合った。

プレシアさんは、完璧に正気であった。

一片の狂気も無い、完全な理性と共に言葉を口にしていた。

であれば、きっとそのアルハザードにたどり着く手段というのはあるのだろう。

少なくとも、ぼくはそう納得できるようだ。

 

「それで、ぼくは貴方の為に何ができますか?」

「たっちゃんっ!?」

 

 なのちゃんの悲鳴を尻目に、ぼくは問うた。

プレシアさんは僅かに瞑目すると、優しい笑みを浮かべる。

まるで母が娘にするような、一切の邪気の無い、湧き水をろ過したみたいな純粋な笑みだった。

 

「T。私は、貴方を愛しています。だから、一緒にアルハザードに旅立って欲しいの」

 

 艦内の全員が、絶句する。

その様子を感じて、そういえばぼくはプレシアさんとの関係を詳しくは話していなかった事を思い出した。

情事を語る趣味は無いが、それ以上にぼくらが告白の無いまま爛れた関係にあった事も話していなかったのだ。

でも、そんな事はぼくにとって、埃の積もった大学ノートのような物だった。

ぼくはすぐに意識を全てプレシアさんに向けて、素直な答えを口にしようとするも、プレシアさんが続きを口にする方が早い。

 

「管理局に言うけれど、私がこの場で積極的にジュエルシードを連鎖暴走させれば、30秒ほどで次元断層ができるわ。私はアリシアとTのどちらか片方でも居ない未来に興味なんて無いの、Tを残して時の庭園に乗り込んできたら、近隣の次元世界ごと破壊するわよ」

「何っ!?」

「馬鹿なっ、貴方は何を言っているのか分かっているのですか、プレシア・テスタロッサ!」

 

 クロノさんとリンディさんが何か言っているけど、ぼくの耳には外野の言葉なんて入らなかった。

ぼくは数歩プレシアさんに向かって近づくと、言う。

 

「ぼくは見ての通り無口で口の回らない人間だから、その問いに対する答えをまだ上手く言葉にできないんです。時の庭園の貴方の居る場所に辿り着くまでに考えておくので、答えはその時で良いですか?」

「えぇ、構わないわ。……管理局に言っておくけど、30分以内にTを連れて時の庭園に入ってこなければ、次元断層で何もかもを破壊するわよ」

「待ちなさい、プレシア・テスタロッサっ!」

 

 リンディさんが叫ぶけれども、通信画面は消え去り、声は虚しく響いた。

同時、宇宙に浮いているはずの艦内が、地震でも起きているみたいに揺れ始める。

艦内の所々から悲鳴のような状況報告が上がり、どうやら次元震という現象が起きているらしい事だけが、魔法知識の乏しいぼくにも分かるのであった。

リンディさんは、唇を噛み切り血をにじませながらも言う。

 

「……Tさん、聞きたい事は山ほどありますが、時間的都合から、全てを後回しにする他ありません。時の庭園に行き、彼女を説得してくれますか?」

「リンディさんっ!? たっちゃんを連れて行っても大丈夫なんですか!?」

 

 なのちゃんが悲鳴を上げるけれども、状況は予断を許さない事はぼくにも分かった。

事実、クロノさんと恭也さんは悔し気な顔をしながらも、決して反論はしていない。

何せプレシアさんは30秒で次元断層を作れると言うのだ、それが正しいのなら30秒以内に封印魔法を当てるなりプレシアさんを倒すなりできる距離にまで近づかねばなるまい。

そしてリンディさんから又聞きした内容によると、ジュエルシードは魔法的衝撃によって大規模な暴走を起こすらしく、それをプレシアさんが利用すれば次元断層の実現性も決して低いとは言えないのだろう。

詳しい理屈までは分からないが、リンディさんがぼくの同行を求めている時点でぼくの考えが正しい事は分かっていた。

そして何より、ぼくは元々プレシアさんの前に行く事を望んでいるのだ。

なのでぼくは、満面の笑みを浮かべて言う。

 

「はい、勿論ですとも」

「……変な比喩が入らないと、それはそれで心配ね」

 

 酷い言われようだった。

けれどリンディさんにとって重要なのは、恐らくぼくがプレシアさんにとっての人質になりうるという事だけなのだろう。

ぼくが説得できようができまいが、そもそもその気があろうがあるまいが、時間稼ぎ兼プレシアさんにとってのアキレス腱となるぼくは管理局にとって有用な存在である。

なので酷い一言は本当に一言だけで、リンディさんは弓に何本も矢を構えるようにポンポンと指示を出す。

その間、なんでかぼくは腫れ物を扱うように、誰一人にでさえ話しかけられなかった。

てっきりなのちゃん辺りがプレシアさんとの関係を問いただしてくるものかと思っていたのだけれど、なのちゃんはなんとも言えない顔でぼくを見やるだけであった。

 

 時の庭園にはぼく、リンディさん、クロノさん、なのちゃん、ユーノくんが突入。

リンディさんは入り口で次元震を抑える魔法を展開、ぼくとクロノさんとなのちゃんとユーノくんはプレシアさんの元へ。

駆動炉の辺りにロストロギア反応があり、それがジュエルシードの暴走を助長しているらしいが、それは無視するそうだ。

なんでも次元震を抑える魔法を展開されていながらであれば、戦力を分散させるよりも、なのちゃんとクロノさんで6つのジュエルシードを封印できる可能性に賭ける方が妥当なのだと言う。

ちなみに恭也さんは、誰一人他人に強化魔法を使う余裕のある人間は居ない為、お留守番なのだそうだ。

流石に苛立った様子を覆い隠しながら、恭也さんはぼくを含む出撃メンバーに頭を下げていた。

ぼくはそんな彼が哀れだったので、なんて役に立たない大人だろう、と言うと、ごつんと頭を殴られた。

なのちゃんにも殴られて、結構痛かった。

兎も角フェイトちゃんが医務室に連れて行かれるのを尻目に、ぼくらはアースラの奥にある転移魔法陣に乗り、時の庭園に突入する。

青い煌めきが視界を覆った次の瞬間、ぼくら5人は時の庭園に降り立っていた。

すぐに魔法陣を展開するリンディさんを置いて、残る4人で走りだす。

 

「マーブル色の空、ラスボスの城臭のするこの雰囲気、カビっぽい空気。う~ん、次元震が余計でセピア色ぐらいの同一性だけど、なんだか帰ってきたなぁ」

「たっちゃん、こんな時でも相変わらずだね……」

 

 前に向かって走りつつも、呆れたように言うなのちゃん。

それでもなのちゃんは先ほどのぼくとプレシアさんとの会話にいくつも疑問を持っているだろうに、何も問うてこない。

視線をやっても、ビクッとハムスターみたいに反応するだけ。

別に聞かれないなら聞かれないで答える必要が無くて楽なのだけれど、なんだかなのちゃんに何の説明も無しだと、ぼくが鈍い赤色みたいに卑怯な手を使っているような気がして、どうにも気になってしまう。

けれど聞かれても居ないのに語りだすのは、まるで重力が強い人間みたいに思えてしまうのだ。

ぼくは自分の感想をよく語る方だった筈なのに、今はなんでかそういう事が上手くできない。

まるでぼくの歯車を回している小人達がストライキをしてしまったかのようであった。

そんなぼくらを見かねたのか、クロノさんとユーノくんがアイコンタクト。

話したことのあるクロノさんからの言が自然だと感じたのだろう、クロノさんが口を開く。

 

「君は、プレシアとどんな関係だったんだい?」

「石像と猫みたいな関係でした」

「…………あぁ、君はとても平常運転のようだな」

 

 クロノさんが天を仰いだ。

どうしたんだろう、と首を傾げつつ、続けるぼく。

 

「告白とか……」

「告白っ!?」

 

 なのちゃんの叫びは捨ておいて。

 

「告白とかそういう直接的なやり取りは無かったんですけれども。互いにある程度分かり合った関係だったと思います。混ざった絵の具のよう、と言うにはちょっと油分が多そうな関係でしたけれども」

「そ、そうなのか……」

「あなた方にとっての問題は犬がどちらなのかと言う事だと思いますけれども、場合によって変わるとしか。リアス式海岸みたいなんですよね」

「……聞いておいて悪いが、混乱するのでそれぐらいにしておいてもらっていいか?」

「あ、はい」

 

 ぼくはしゅんと項垂れつつも、両足を動かして奥へ奥へと進んでいく。

時の庭園の所々には巨大な鉄の像があったのだけれども、まるで今にも関節が滑って動きそうな巨像は、一つも動かず沈黙してばかりだった。

当たり前と言えば当たり前と言えよう、万が一ぼくが最奥部まで辿り着けなければ、困るのはプレシアさんなのである。

そんな訳でなんの障害も無いまま、ぼくらはプレシアさんの居るであろう奥まで進んでいった。

 

 

 

 

 



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その17:神であるか1

最近の物凄い評価の上がり方にビビってます。
こんなに評価が高くっていいんでしょうかと思いつつ、更新です。


 

 

 にしても、奇妙な4人組だと言わざるをえない。

クロノさん。

正義の味方である管理局の人間であり、ぼくを非殺傷設定の魔法で攻撃し、ぼくに非殺傷設定の魔法の素晴らしさを教えてくれた人。

ユーノくん。

なんでも遺跡とかを発掘する考古学者の卵であり、ぼくと同い年なのに発掘チームの責任者で、ぼくにとっては余り縁のない人。

なのちゃん。

ドジっ子系優しい子だが、いつの間にか桜色のビームをぶっ放すようになった超天才魔導師で、でもぼく的にはただのなのちゃんな小学生。

ぼく。

超絶に一般人かつ常識人だが、ひょんな事からジュエルシードを食べてジュエルシードの力を宿したっぽい元一般人。

警察官、考古学者、小学生、元一般人。

こうやって並べてみると、いかに滑稽な集団か分かる物である。

そしてその目的はと言えば、愛に生きる大魔導師を説得するという物である。

それなら結婚詐欺師でも呼べばいいのだけれども、何をどう間違ったのかプレシアさんはぼくを愛しており、それ故にぼくとその護衛が行かねばならぬ事態になっているのであった。

まったくもって、字面だけ並べるとなんとも言えない物だった。

 

 そんなぼくらは、ついに最下層にたどり着く。

最下層はカッティングされていないパープルダイヤモンドの巨大な原石が、険しい山脈の中に埋もれているのを、山脈だけ通り抜ける魔法の刃で一閃したかのような場所だった。

所々山の頂上のように岩々が立ち並んでいる姿は、勃起する男根を思わせ、ぼくはなんだかちょっとげんなりする。

そんな中に、プレシアさんは隣に緑色の液体で満たされた円柱状のポッドを従え、立っていた。

その姿がまるで孤独な羊飼いのようで、ぼくは話しかけてみたくなったのだが、それに先んじてクロノさんが口を開く。

 

「投降するんだ、プレシア・テスタロッサ! 今ならまだ、罪は重くないっ!」

「来たのね、T」

 

 プレシアさんはまるでクロノさんが目に入っていないかのように、華麗な無視を見せた。

それがまるで闘牛士のような華麗さで、ぼくはちょっと息を呑むような感動を覚えてしまう。

あんまりに不意だったので、ぼくが胸を抑えながらキラキラと豆電球みたいに目を輝かせていると、隣のなのちゃんが口を開いた。

 

「あの、プレシアさん! 私、貴方に聞きたい事があるんです!」

「あぁT、私はもう10日近くも貴方と離れていたのね」

「あのー、プレシアさん? 聞きたい事が……」

「ふふ、感動しているのはお互い様かしら。こっちもなんだか、胸がドキドキしてきちゃったじゃない」

「…………」

 

 相変わらず華麗な無視を見せるプレシアさんだが、ぼくは隣で発されている怒気が気になってしまい、ちらりとなのちゃんに視線をやる。

なのちゃんは、少し無表情気味な笑みを作っていた。

マジギレ5秒前、という感じである。

ぼくは静かになのちゃんから距離を取る事にする。

だってなのちゃん、怖いし。

そんなぼくに、変わらずプレシアさん。

 

「さぁ、T。貴方の声を聞かせて頂戴?」

「プレシアさん、少しでいいから、フェイトちゃんと……」

 

 と、なのちゃんが最後の忍耐で言い始めた、その時である。

一迅の風が吹いた。

影が差し視線をそちらに。

ふんわりと、トランプのカードの表裏みたいに黒と赤で配色された、翻るマント。

ぼくを以ってしても、思わず見惚れてしまう綺麗な金髪。

アースラに居る筈のフェイトちゃんが、ぼくの前に立っていた。

ついでに辺りを見回すと、アルフさんもぼくらの後ろに立っていた。

 

「……な、フェイト・テスタロッサ!?」

「フェイトちゃん!?」

「大丈夫なのかい!?」

 

 悲鳴を上げる面々と同じようにぼくは驚き、しかしぼくはその事実に即座に納得した。

けれど他の3人はそうも行かないようで、振り返って見るに、目を丸くしたままである。

首を傾げるぼく。

 

「そんなにフェイトちゃんが此処に居るのが疑問かい? アースラにはフェイトちゃんを止める戦力が居ないだろうに」

「いや、しかしまさかあの直後にだな……」

 

 クロノさんがまごつく中、フェイトちゃんに視線をやると、肩越しに振り返った彼女と目があった。

フェイトちゃんの目は揺れる炎の舌のようで、その内心はまだまだ完調とはいえないようだ。

しかし、それでもその奥は強固に固まっていて、まるで炎の熱量で半ば融けだしたルビーのようだった。

美しいけれど、冷えて固まってからでなければ手を出す事はできず、ぼくはその点が残念なような、待ち遠しいような、なんとも言えない気分である。

不意ににこりと笑って、フェイトちゃん。

 

「Tは、私を信じてくれているんだね」

「信じるも何も、ぼくは感じたままに行動しているだけなんだけれど」

「……そうだねっ」

 

 ぼくが首を傾げながら言うと、何故か弾むような声で返すフェイトちゃん。

その弾み方がゴムのような弾力性がある物で、ぼくはそれが地面に叩きつけられたら、飛んでいったそれを見るのに首が疲れそうだな、と思った。

なので、ぼくはその声に返す言葉を思慮しなければならず、ぼくがそれを思い起こすよりも早くフェイトちゃんが行動を始める。

プレシアさんに視線を戻したフェイトちゃんは、数歩近づいて言った。

 

「母さん。私はアリシア・テスタロッサではなく、ただの欠陥品なのかもしれません。けれど私は、貴方の娘なんです」

 

 瞳を閉じて両手を開き、数歩近づくフェイトちゃん。

 

「貴方がそれを望むのなら、私は世界中の何からだって守ってみせる。どんな悲しみからでも、どんな憎しみからでも。貴方が望むなら、Tの心だって、手に入れてみせる。今度こそ、憎まないで居てみせる。でもそれは、私が貴方の娘だからじゃあない。貴方が、私の母さんだから……」

 

 ぼくはフェイトちゃんは一体何を言っているんだろうな、と思った。

プレシアさんは、悲しいからアリシアちゃんを生き返らせようとしているんじゃあない。

プレシアさんは何も考えていないから、アリシアちゃんを生き返らせようとしているのだ。

アリシアちゃんが死んだという事実を受け止めたり、その事実を脳に刻みたくないから、アリシアちゃんを生き返らせようとしているのだ。

プレシアさんは未だ悲しんですらいない。

悲しむより前の状態だって言うのに、その先の悲しみから守ろうって言ったって、今一実感が沸かないだろう。

フェイトちゃんは、プレシアさんの外付けの脳味噌になると言うべきだったのじゃあないだろうか。

そうやってプレシアさんの代わりに考えてやる事が、プレシアさんを守る事に繋がるのではないだろうか。

もちろん、それは思考を放棄するプレシアさんが生きていないままだと言う事にも繋がってしまうので、中々難しい問題なのだけれど。

考えるという事は生きる事である。

すると考えまくって生きているぼくは生を謳歌している訳で、あぁ、生きるって素晴らしいな、とぼくは思った。

 

 僅かな、羊を無言で数えるような沈黙。

プレシアさんは僅かに瞑目した後、目を見開き言った。

 

「T、もっと貴方の声を聞かせてくれないの?」

「……え?」

 

 疑問詞を零すフェイトちゃん。

請われては仕方ない、とぼくは数歩前に出て、フェイトちゃんと並んで口を開いた。

 

「うぅんと、フェイトちゃんと会話する気は無いのかい?」

「無いわ」

 

 バッサリとプレシアさんが言う。

隣で、フェイトちゃんが崩れ落ちる音。

それがまるで砂金に息を吹きかけるような有様だったので、ぼくは反射的に彼女を支えようとしてしまう。

けれどよくよく考えると、これからぼくはプレシアさんに告白の返事をしなければならない訳で、重要度はどっちもどっちだけれど、フェイトちゃんを支えるのはぼくじゃなくてもできるのに対し、プレシアさんに応えられるのはぼくだけだ。

そこで視線をアルフさんにやると、急ぎアルフさんが駆け寄ってフェイトちゃんを支えた。

視線で問いかけると、アルフさんは小さな声で言う。

 

「本当は殴りかかってやりたい所だけど、フェイトの前でそれはできない……。託すのがあんたしか居ないってのが物凄い不安だし嫌だけど、頼んだよ」

「はいはい」

 

 これが本当に物凄く嫌そうな顔で言うので、ぼくは適当に返事をしてからプレシアさんの前へと進む。

 

「お、おいっ、これ以上離れると……」

「まぁ、大丈夫だと思うよ」

 

 護衛の観点からのクロノさんの言葉があったけれど、無視してぼくは3人の魔導師とプレシアさんとの中間辺りに立った。

改めて、プレシアさんと隣のアリシアちゃんを見る。

何時ものように肉体とギャップのある少女らしい表情のプレシアさん。

アリシアちゃんはフェイトちゃんにそっくりだし、眠っているような表情からは人格は見て取れないけれど、ぼくの錯覚か彼女はなんだか満足そうな顔をしているように見えた。

それを見ていると、なんだか硝子に閉じ込められているのはアリシアちゃんじゃあなく、プレシアさんを含めたぼくら全員なんじゃあないかと思ってしまう。

けれどそう思ってしまうと、ぼくはアリシアちゃんの入っているポッドを破壊しなくてはならなくなってしまい、それは大変プレシアさんを困らせてしまうだろうと思ったので、ぼくは自重した。

ぼく、自重ができる男であった。

 

「まず、プレシアさん。貴方の告白に、返事をさせてもらいます」

 

 期待を胸に、ぼくに視線をやるプレシアさん。

上目遣いに恐々とぼくを見る様子は、まるでラブレターを入れた下駄箱を監視している少女のようで、初々しさで満載だった。

別に初々しさを見たければたんぽぽを摘めば良いと思うのだけれども、此処にはたんぽぽが生えていないので、ぼくは十分にその初々しさを堪能しながら言う。

 

「プレシアさん、お付き合いを始めましょう」

 

 プレシアさんの顔が、ぽっと赤く色づいた。

苺みたいな赤色だなぁ、とぼくは思う。

本物の真っ赤ではなく、そこに何かが隠れ潜んだ赤だったのだ。

後ろではフェイトちゃんを除く4人が「え?」と疑問詞を口にしているのだが、ぼくは無視して先を続ける。

 

「ぼくらの過ごした時間は、答えがお友達から始めましょうが妥当なぐらいに短かったです。けれどぼくはどうだかわかりませんが、プレシアさんは今までの誰よりもぼくの事を理解しているように思えます。直感が大分多くて、星が流れる先を決めるような物なんですけれども、それでも」

「……あり、がとう、T」

 

 プレシアさんは、ポロリと涙を零した。

ぼくはにっこりと笑いながら、しかし言わねばならない事を続ける。

 

「でも」

 

 と、たった一言でプレシアさんは顔色を変える。

油混じりの水みたいな青色だった。

 

「ぼくが今のところ一番大切なのは貴方ですけれども。けれど他にも、ぼくには大切な物はあるんです。そこに居るなのちゃんとフェイトちゃんもそうですし、両親だってもちろん、他にもいろんな友達が地球には居ます。あぁ、地球外でもクロノさんが恩人だったりしますね」

「それは、つまり……」

 

 既に答えは得ているのだろうけれど、それでも言うプレシアさん。

ぼくはギロチンの縄を切るような重い気分で、しかし表情にそれは出さず、言った。

 

「ぼくは、貴方のアルハザードの旅についていけません」

 

 次の瞬間、紫色の光がピカっと生じたかと思うと、ぼくはその場に倒れてしまう。

後ろに向かって倒れ、ごつんと頭をぶつけた。

後頭部を打ち付けそうな倒れ方だったので、ぼくは岩肌ではなく平らな輝く場所に立っていた事に心底感謝した。

それからなんで倒れたんだろうと首を傾げるよりも早く、ほんの刹那遅れて、ぼとと、と重量感のある音が聞こえる。

視線をやった。

ぼくの四肢がその辺に落ちており、その傷口は焼け焦げていた。

 

「なら、無理やりにでも連れてゆくわっ! 例え、その四肢をもぎ取ってでもよ!」

「あの、せめて言ってから実行に移してもらえませんか?」

 

 割りと酷い行為だけれど、プレシアさんは、アルハザードにたどり着けば治る筈なので別にいいと思っているんだろう。

事実ぼくも、この上で四肢をつなげ直されては、プレシアさんに惚れ直す事しかできまい。

それにしたっていきなりだし、遅れて喉の奥で叫びが爆発してしまいそうな痛みが走り、ぼくは歯を噛み締めながら我慢せねばならず、そしてぼくは痛いのはそこそこ嫌いなので、不満たらたらであるが。

やれやれだ。

ぼくが溜息をつきながらそう思うのと、なのちゃんの絶叫が響き渡るのは、殆ど同時であった。

 

 

 

 

 



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その18:神であるか2

大分遅くなりましたが、更新です。


 

 

「いやぁぁぁっ!?」

 

 なのちゃんの絶叫をBGMに、ぼくは内心溜息をつく。

ぼくの四肢は、まるでねずみに食べられている最中のように痛かった。

ぼくは視界が真っ赤になるのを感じ、しかもそれがプレシアさんが闘牛士として振るマントに似ているような気がして、そしてよく考えるとフェイトちゃんのマントも赤かったのだ。

するとなんだかこの痛みが見せる幻覚も、ぼくとプレシアさんとフェイトちゃんの絆のように思えて、ぼくはなんだかこの痛みに恋しさを感じるようになる。

けれど痛みはやっぱり痛みなので、視界だけ残して痛みを取り除きたいというのが本音である。

食パンから耳だけそぎ落とすような行為だと、分かっていてもだ。

 

 なのでぼくは、目を閉じ想像した。

四肢が繋がる事を。

この痛みがその波紋だけ残して、その石本体は消えさってくれる事を。

ついでに、スポーツカーみたいに格好いい蜘蛛を。

 

 何故かぼくにはそれができるという確信があった。

妄想が、夢幻が、この世に現れるという瞬間が存在するという確信があった。

まるでりんごが木から落ちるような確信であった。

ぼく自身なんでそんな確信があるのか全く分からなかったけれど、兎に角確信はそこにあったのだ。

なので、ぼくは薄っすらと微笑んだ。

一人で雑誌を眺めている時のあの“ニヤニヤ”ではなく、女の子を眺めている時のあの“ニヤニヤ”でもなく、また別の何か、ぼく自身にも得体のしれない微笑みだった。

 

「くっ、Tっ!」

「いや、まだ来なくていいよ」

 

 崩れ落ちるなのちゃんを尻目に、クロノさんが叫び、近寄ろうとしてくる。

それを言葉で制して、ぼくは目を開いた。

直後、ぼくの四肢が宙に浮く。

まるでミニ四駆の逆みたいにくるくると回って、四肢はぼくの焼け焦げた四肢の先に停止した。

乙女な顔のプレシアさんを除き、全員が硬直してぼくを眺めている。

なのでぼくは、ステージに現れるマジシャンのような気持ちでにっこりと微笑んだ。

これで紳士的な礼ができれば言いっこなしなのだが、ぼくは残念ながら平な床と仲良しになっていて、それはできなかった。

 

 にょきっとぼくの骨が伸びる。

焦げた肉を突き破り、伸びたぼくの骨はそのペンキで塗ったみたいに真っ白な姿を見せつつ、四肢へ向かって伸びていった。

そしてついに骨は四肢に到達し、ドッキングされる。

 

「うぃーん、がっしょん!」

 

 効果音が無かったので、ぼくは口に出して言った。

すると骨の真ん中ぐらいに新しく関節ができて、ぼくは四肢をぐりんぐりんと回してから、獣のように四足を床について体を持ち上げる。

四本足の蜘蛛のような姿で、想像に似たぼくになったので、ぼくは大変満足だった。

もちろん不満がないと言えば嘘になるけれど、ぼくは四肢がとても長くなったので、とても満足している。

ぼくはにっこりと笑った。

多分、カッターナイフで切り抜いたみたいな笑みだったと思う。

 

「あぁ……T、本当に痺れるわ……!」

「えへへ、照れるなぁ」

 

 プレシアさんが言うのに、ぼくはぽりぽりと頭をかいて答えた。

神経は繋がっていなかったが、ぼくは四肢の先を指先まで器用に動かす事ができたのだ。

その事にぼくはちょびっとだけ自慢気になりつつ、なのちゃんらの方に振り向いた。

ぼくは会心の笑みを浮かべつつ、ニヒルに言ってみせる。

 

「どう? 格好いいでしょ?」

「…………」

 

 ところが反応は一切無く、全員が口を開けたままポカーンとぼくを見ているだけだった。

ぼくは肩透かしをくらったような気分になり、なんとも言えない顔を作ると、すぐにプレシアさんに視線を戻す。

するとプレシアさんが心奪われた顔でぼくを見ているので、ぼくは少しの満足感を得た。

 

「それじゃあ、ちょっと邪魔だから」

 

 と言って、ぼくは目を閉じる。

相変わらずジュエルシードは次元震を起こしており、地面がグラグラ揺れて、ぼくはちょっと気分が悪いのだ。

なのでこれをどうにかしなければならないけれど、先ほどから続いている確信が折れストローみたいに続いており、ぼくはそれもどうにかできると直感していた。

目を見開く。

ぼくを中心に、薄桃色の結界が伸びてゆき、世界を包んだ。

 

「次元震が……」

「……止んだ?」

 

 仲良く言うクロノさんとユーノくんが言う通り、ぼくの行いにより、次元震は止んだ。

多分、ぼくが今何となくで使った結界っぽいものが原因なのだろう。

ぼくは、この結界は何処まで広がっていったのだろう、と思った。

時の庭園の全域だろうか。

アースラまで含むのだろうか。

それとも次元世界一つ分だろうか。

それとも、全ての次元世界にまで広がっていったのだろうか。

ぼくは何処までも広がっていく薄桃色の結界の事を思った。

 

 結界の薄桃色は、内臓の色に似ているな、とぼくは思う。

ならば今この結界の内側は、ぼくのお腹の中も同然なのかもしれない。

とすれば、ぼくが横になったりすれば、この辺りの重力だって横になってしまうのだ。

ぼくはうかつに寝返りをうたない事を誓い、プレシアさんに意識を戻す。

 

「…………っ!」

 

 プレシアさんは、杖を両手で掴んで体重を預け、やや前のめりになった格好で俯いていた。

怪我でもしたのかなぁ、と首を傾げるぼくに、ぱっとプレシアさんが面を上げる。

プレシアさんは、涙をこぼしていた。

宝石にするには滝みたいな涙で、お陰でぼくは宝石箱を持っていない事を後悔せずに済んだ。

なのでとっても幸せ。

 

「T、貴方は、貴方は……」

 

 まるでこの部屋に存在する空気全てを吸い込むような、大きな吸気。

それを成した上で一拍、プレシアさんはライトアップされたみたいに感激しながら叫んだ。

 

「私の神だったのね……!」

 

 花畑みたいな綺麗な言葉で、その言葉はぼくの胸に植物の種子みたいにして打ち込まれた。

普通ならそれを素直に受け取り、愛情を込めて育てる物だろう。

けれどぼくの中には小さな戸惑いがあり、ぼくは種子を土に埋める事すらなく噛み砕いてしまう他ない。

 

「違いますよ、プレシアさん」

「それでも貴方は……呆れるほどに美しい……」

 

 ふらふらと、プレシアさんは濁流のように涙を零しながら、ぼくへと近づいてくる。

プレシアさんの涙は、まるでプレシアさんの全てを吐き出しているかのようだった。

涙は顎から落ちたり服を伝ったりして床を濡らし、プレシアさんの歩いてきた軌道が分かってしまうほどになっている。

プレシアさんは、ゆっくりと痩せ細り始めていた。

涙は次第に水分が足りなくなってきたのだろう、血が混じるようになってきて、血涙と化してくる。

 

 それでもプレシアさんは歩みを止めない。

けれどこのままだとぼくはプレシアさんの手が届かない高さに居る為、ぼくはゆっくりと四肢を曲げて、狼みたいに体を床に横たえ、四肢を折りたたんだ。

プレシアさんはそんなぼくの元へとたどり着き、膝を屈め、ぼくの頭を撫でる。

撫でられながら、ぼくはその撫で方がとても奇妙で、ちょっと首を傾げてしまう。

髪の毛を撫でる手つきと言うよりも、蜘蛛のお腹を撫でるような手つきだった。

 

「母……さん……」

 

 と、そこでフェイトちゃんの声。

振り向くと、再び意識を取り戻した様子のフェイトちゃんが、アルフさんに肩を借りながらこちらへ向かってくる。

その顔はまるで爆竹を食べたような顔で、要するにショック療法を試したような感じなのだが、さっきからの光景の何処にショックがあったのだろうか。

首を傾げるぼくを尻目に、フェイトちゃんが続ける。

 

「お願いです、話を聞いて……」

「T……、私は、幸せだったわ……」

 

 ぼくは一瞬悩んだが、明らかに残り少ない命を振り絞っているプレシアさんの方に視線をやった。

プレシアさんの両目と開かれた口は、まるで真っ黒な闇のようだった。

墨で塗りつぶしたみたいに真っ黒で、ぼくはムンクの“叫び”みたいなぐにょぐにょした感じをそこに感じ取る。

一体誰が叫んだのだろうか。

ぼくではない事は確かだけれど。

 

「返事を……一言でいいから……」

「貴方に会えて、アリシアに会えて……」

 

 プレシアさんは、ついに耳や鼻や髪の毛の穴から血をこぼし始めた。

それでもぼくを撫でる手を止めず、ぼくは髪の毛に血が付いてバリバリになってしまうそうだけれど、整髪料代わりになっていいかな、と思う事にする。

血で髪を逆立たせるのも、まるで蝋人形みたいで楽しそうだった。

 

「母さ……」

「私は、例えどんなに幸せと呼べる人生とだって、今の私の人生と交換したくない。そう思えるぐらいに、今幸せなの」

 

 ぼくは内心首を傾げる。

ぼくはハッキリ言って、誰かと人生を交換したいとは思わなかった。

もうちょっと運が良かったらとか、もうちょっと美味しい物を食べたいとか、もうちょっと福耳になりたいとか、そのぐらいは思った事はあるけれど。

後はせいぜい、嫉妬される事があれば、お前らぼくの立場になってみろよ、ぐらいは思ったか、それぐらいである。

なのでプレシアさんの言葉は良く分からなかったけれど、とりあえず頷いておく。

微笑むプレシアさん。

真っ黒な両目と口が、笑みの形を作った。

 

「私は、貴方を愛していたわ」

「ぼくも、貴方を愛していました」

 

 プレシアさんは、直後口から血塊を吐き出し、崩れ落ちる。

ぼくは慌てて伸びた四肢でそれを支え、直後フェイトちゃんが飛び込んできてプレシアさんを支えた。

プレシアさんはTシャツよりも真っ白な顔をしていて、ぼくは伸びた四肢が意外に使いづらい事を感じつつ、プレシアさんの脈を計る。

脈は恐ろしく弱かった。

 

「母さん……母さんっ!」

 

 泣き叫ぶフェイトちゃんを尻目に、プレシアさんはぼくに視線をやり、僅かに微笑みを残す。

それがプレシアさんの最後だった。

直後、首の力を失い、プレシアさんはだらりと頭を蜘蛛の糸のように垂らす。

慌ててフェイトちゃんが支えるも、もう遅いとぼくは直感していた。

 

「母さん、母さん、母さんっ!」

 

 フェイトちゃんが泣き叫び続ける。

その声はやまびこみたいにわんわんと部屋の中に響き続けた。

聖歌隊のコーラスのように、反射してきた叫び声がフェイトちゃんの声を重なる。

その重なり方が、まるで机の上でトントンと整理した書類のように綺麗に揃っていたので、ぼくは薄っすらと微笑んだ。

多分それは、製図用シャープペンで書いたみたいな笑みだったに違いないだろう。

 

 

 

 

 



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その19:白紙交渉

 

 

 

 それから。

ぼくらはプレシアさんとアリシアちゃんの遺体をアースラに運んだ。

全てを外から見ていたというリンディさんとアースラの面々は、ぼくらを沈痛な表情で迎えた。

前から順番にぼくらはアースラの転移魔法陣から歩いてゆき、ぼくはプレシアさんを骨組みだけのプラモデルより慎重に運んだ。

フェイトちゃんは半ば意識を失い、アルフさんにお姫様抱っこをされていた。

ぼくはちょっとお姫様抱っこなんて多分一生縁のない物だと思っていたので、少しフェイトちゃんが羨ましくなったけれど、それにはぼくの長く伸びた四肢が邪魔である。

なのでぼくは、アースラに戻るが早いか、リンディさんに言って鋏と糊を借りた。

広い場所を借りて、ぼくは鋏で四肢の長く伸びた骨を切り取り線のついた紙みたいに切り取り、糊でぼくの四肢をくっつける。

切るのは兎も角、上手くくっつけるには寸分の互いもなく四肢をくっつけねばならなかったので、ぼくはまるで千切れた糸と糸とを接着剤でくっつけるような慎重さを必要とした。

それでもぼくはどうにかそれをやってのけ、これはもう拍手喝采だろうと思ってアースラの面々に振り返り、再び自由に動くようになった四肢を大きく振り挨拶をしてみせる。

けれどシーンとして誰も返してくれず、それからぼくは皆がプレシアさんの死を悼んでいるのでは、と思い当たり、恥ずかしくなって顔を赤くしてしまったのであった。

 

 フェイトちゃんとアルフさんは重要参考人として隔離されたが、その罪は然程重くはならないのだと言う。

というのも、フェイトちゃんは殆どプレシアさんの命令に従い続けていた事が明白だからだそうだ。

ぼくを殺そうとした時の事も、精神的に極度に不安定になっていた事などを考慮して、大した罪にはならないのだとか。

ぼくもそれを望んでいたので、一も二もなくぼくはその結果に満足するのであった。

といっても、故人であり愛した人でもあるプレシアさんに多くの罪を背負わせる形になるのは、なんとも言えない感じではあったのだけれど。

 

 そうそう、クロノさんのぼくへの攻撃も、なんでか知らないけれど、殆ど罪にはならなかったのだそうだ。

クロノさんは管理局内部の何処かから不当な圧力がかかった為だと説明し、土下座せんばかりにぼくに謝っていたが、ぼくは元々クロノさんを罰するつもりはなかったので万々歳という奴である。

それにしても、クロノさんを許すという事はぼくの意図に沿う事にする訳で、そんな事にしたい誰かって、もしかしてぼくのファンか何かなのだろうか。

ぼくは人形になったつもりは無いので、ガラスケースに飾られるのは嫌だけれど、こうやって時々布で磨いてくれるような事があるのなら、偶にはポージングぐらいしてもいいかな、と思った。

 

 で、ジュエルシードを食べた、ぼく。

ぼくがどんな状態にあるかは、アースラ内部の設備では解明できなかった。

したがってぼくからジュエルシードパワーを摘出する事もできず、今どんな状態にあるのかもわからないらしい。

ただ、ぼくの四肢が格好良くなったり、ジュエルシードの暴走を抑えたりできたのは、このジュエルシードパワーによるものだとアースラの面々は睨んでいるのだと言う。

つまり、ぼくが強く望んだ妄想、夢幻は現実になる可能性があるのだそうだ。

そう言われて、ぼくは野球のピッチャーが投げた球が吸い込まれるように、パズルのピースがピタリとはまったような気がした。

と言っても、大男ならパズルぐらい力技で嵌めれるので、真実への近さは走り幅跳び二回分ぐらいだと思うけれど。

 

 そんなぼくは本局の設備で再調査せねばならないそうで、このままアースラに留まりミッドチルダという世界にまで行く事になるらしい。

ぼくは次元通信を使って両親やアリサちゃんやすずかちゃんにその事を伝え、認められたり怒られたり心配されたりした。

が、どうもこのアースラ、先の次元震でまだ本局に行く事ができないらしい。

つまりある程度の期間、地球近辺に停泊するのだそうだ。

その間、ぼくはある思いつきがあったので、フェイトちゃんの元に会いに来ていた。

 

「やぁ、フェイトちゃん」

「……あ、T」

 

 はにかむフェイトちゃん。

とんかつの肉より柔らかな笑みだった。

なのでぼくは、フェイトちゃんの頬を摘んでみようと手を伸ばしたのだが、フェイトちゃんは少し痩せていて、掴める肉が無い。

なのちゃんと大違いだ、と思いつつ、ぼくは折角手を伸ばしたので、そのついでにフェイトちゃんの頬を撫でるようにする。

フェイトちゃんは最初怪訝そうな顔をしていたけれど「まぁ、Tだしね」と言ってからはぼくのほっぺ撫でを黙って受け入れた。

 

「いや、ぼくがどうかしたのかい?」

「え? だって、普通ほっぺを撫でるかなぁ、って思ったんだけど……」

「それは確かに普通じゃあないけれど、なんでぼくだと普通じゃないんだい? こんなに超弩級の普通人間なんて、世界中を見回したって居ないだろうに」

「うん、そうかもねー」

 

 フェイトちゃんは、何故か乾いた笑みを浮かべるが、その頬は潤ってつるつるであった。

その上手いマーブル模様な感じにぼくは満足して、手を引く。

少しだけ名残惜しそうにしているフェイトちゃんを捨て置き、ぼくは横で黙ってぼくを睨みつけているアルフさんに視線をやった。

 

「アルフさんも、数日ぶり」

「……あんたは」

 

 と言って、複雑そうな表情でアルフさんは語りだす。

 

「正直言って、あたしの勘は今すぐあんたをぶっ殺さないと、ヤバイ事になるってぐらいに感じている。いろんな意味でね」

「あ、アルフ!?」

「でもっ」

 

 落としたトマトみたいに驚くフェイトちゃんの言葉を、アルフさんが遮った。

ぼくはそこに空気でできたナイフを連想した。

いつか思い描いた空気のケーキと逆の連想である。

切ったようで何も切れていないナイフ。

 

「でも、あんたが居るとフェイトが少しでも笑顔になるってのも事実だ。あんたには、あたしにはできない事ができる。でもヤバイ感じがするのは変わらない。だからあたしはせめて、あんたに話しかけない。返事もしない。それだけさ」

「今話しかけてるじゃん」

 

 ぼくは反射的にスウェーした。

それから、アルフさんがプルプルと震える拳を握りしめながらも必死に耐えているのを見て、やっぱりアルフさんのナイフは空気製なのかもしれないと思う。

けれど、ぼくはそれを口に出さない程度には大人だった。

 

 ぼくは、おどおどしたフェイトちゃんに向き直る。

それからぼくは、真っ直ぐに手を伸ばした。

我ながら、ポケットチーフのような手の差し出し方であった。

首を傾げるフェイトちゃん。

 

「えっと?」

「フェイトちゃん、ぼくらの友達期間は、ぼくが地球に戻るまでだった。ぼくは一回地球に戻っちゃったから、よく考えれば友達期間は一旦終わってしまっている」

「あ……」

 

 真っ青な顔になるフェイトちゃん。

ペンキで塗ったような青ではなく、アルコールランプみたいな色の青だった。

 

「だから。フェイトちゃん、もう一度ぼくと友達にならないかい? 今度は、どちらかが友達を辞める気にならない限り、ずっと続く友達に」

「ずっと続く、友達……」

「あぁ。だからその為に、握手をしよう。ぼくの友達によると名前を呼び合えば既に友達らしいんだけど、それってなんだかカタツムリみたいだろう? だからぼくは、こういう風に区切りがあるのがちょっと好きでさ。握手、しないかい?」

「…………」

 

 ぼくの言葉に、フェイトちゃんは俯いてしまった。

影が差してフェイトちゃんの顔は見えなくなり、シールでも貼って隠したみたいだ。

残念ながらシールはがしの持ち合わせのないぼくは、黙ってフェイトちゃんの返事を待つ他無い。

なのでぼくは、石のようにそれを待つとする。

 

「……ごめん、T」

 

 言いながら、フェイトちゃんが面を上げた。

未だ瞳のルビーは熱く、湯気を上げているようにぼくには思える。

 

「私は、Tを八つ当たりで殺そうとした。バルディッシュを振り上げて、首に鎌を押し当てる所までいった。あの時私が気まぐれを起こさなければ、私はT、貴方の事を殺していたんだ。なのに私はまだ、貴方に謝りもしていない。それで友達になるなんか、私が私を許せないよ」

「…………」

「今私がTに謝ったら、きっとTは私を許してくれる。でも、それじゃあ駄目なんだ。私は、許されるべきじゃあない。Tを襲った罰を、受けるべきなんだ。償わなければならないんだ。だって」

 

 と、一息。

フェイトちゃんは、眼の奥をどろりとさせ、まるで沼底のような粘着性を見せながら続ける。

 

「私は、今でもTの事に、嫉妬してる。私は一言も言葉を聞いてもらえなかったのに、母さんと最後の言葉を交換できたTを。私は母さんに不幸しかあげられなかったのに、母さんの人生を最後に幸せだったと言える物にしたTを。妬んでいる。嫉妬、している」

 

 ぼくとしては、嫉妬ぐらいどんとこい、という気分ではあった。

何故なら、ぼくは糊が好きだからだ。

道路に塗って、糊でツルツルの地面を作れるからだ。

なので粘着質なのは好きなほうだし、そのデメリットも気にならない方である。

けれど、そう言ってもフェイトちゃんはぼくと友達になってくれる訳では無さそうなので、ぼくはアザラシみたいに無難な事を言った。

 

「ぼくはそれぐらい、気にしていないんだけどな」

「うん、わかってる。これはただの私の我侭。母さんを亡くした私には、もうアルフとTしか残っていない。でもアルフは半分私自身みたいな物だし、それはそれで嬉しいんだけど、生きる目的には、できない。私には、Tを生きる目標にする事しかできない」

「…………」

「友達だっていいながら神のように崇めるか。嫉妬して魔王のように憎むか。今の私には、それしかできなくて」

 

 神。

魔王。

2つの言葉は、まるでミルクとコーヒーのようにぼくの中に混ざりこんでいき、なんだか奇妙な感覚があったのだけれど、その答が出るより早く、フェイトちゃんの言葉が続く。

 

「母さんはTを神だと言った。だから私は、Tを魔王のように思うよ。傍迷惑かもしれないし、それどころかそんなふうに思われても気にしないかもしれないけれど」

 

 そう言われてしまえば、ぼくはぐうの音も出ない。

ぼくは神だと思われたいかと言うと、それは思ってくる人次第としか言いようがないのだけれど、少なくともフェイトちゃんにはそう思われたくないのだ。

なんでだろうと思うのだけれど、何時もみたいに自然に思い浮かんでくる言葉は無かった。

代わりに、空白の言葉が思い浮かんでくるような気がする。

空白、スペース、それとも白塗り。

そんな言葉で思い描けるような理由で、ぼくはフェイトちゃんに神だと思われたくなかった。

魔王だとも思われたくなかったのだけれど、それでも神よりはマシかもしれない。

 

「……分かった。いや、正直に言って、他の人だったら気にしないけれど、フェイトちゃんに魔王と思われるのは嫌なんだけどね。でも、とりあえず分かった。考えを纏める時間が欲しいけど、保留って答だと冷凍マグロみたいだろう? だから。それに、ぼくにはもう一つ用事があるのだから、そっちも進めなくちゃいけないしね」

「……もう一つの用事?」

 

 フェイトちゃんが首を傾げるのに、ぼくは頷き、入り口の扉の方を見る。

ストローでぶくぶくやるのを三倍ぐらいの音量にした、排気音。

自動ドアが開いた先には、ぼくと同じ服を着た子。

私立聖祥大学付属小学校三年生の、9歳の女の子。

高町なのはが、そこに立っていた。

 

 

 

 

 



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その20:発射準備

 

 

 

 なのちゃんは言った。

 

「私、初めて出会った時から、胸の中の何処かで気づいていたんだ。フェイトちゃんが、あの娘がとても寂しそうな顔をしていた事」

 

 唇を噛み締めるなのちゃん。

唇の皮が少し破れ、血が滲み始める。

その様子を見て、ぼくはなのちゃんの犬歯は果物ナイフなんだなぁ、と思った。

皮と中身が逆な林檎を剥こうとしているのだけれど、やっぱり中身も逆になっていて、身が外側にあって中身は空洞なので、切っても赤いものの先には空洞しか無いのだ。

ひっくり返り林檎。

重力林檎。

ううん、空気林檎。

 

「だけれども、私はそれを無視した。たっちゃんが攫われて、その原因がフェイトちゃんだったって聞いて、フェイトちゃんを許せなくなって。フェイトちゃんがとっても寂しそうな顔をしていて、助けたいって思った自分を無視して、たっちゃんを助けてフェイトちゃんを叩きのめす事に全力全開だった」

 

 空気林檎の味はどんな味なのだろうか。

空白のはずの空気を食べた味はどんな味なのだろうか。

ぼくは多分、それは想像の味なのではないかと思う。

白い身を切り分けて、残った赤い皮を引き裂いて、その先にある物への期待と言う名の妄想。

ぼくだったらどんな味を感じるのだろうかと思い、ぼくは少女のように仄かで甘酸っぱい蜜がいっぱい詰まった果肉を思い描いたけれど、真実を知るぼくには永遠に手に入らない物なのだと気づいてしまった。

ぼく、がっかりである。

 

「そして……全部が全部って訳じゃあないって分かっているし、私がしたことは運命の輪を早回しにしただけみたいなんだって事、分かってる。ううん、ひょっとしたら私なんて居なくても同じだったんじゃあないかって。でも、結局……」

 

 俯いた顔を、ぼくに向けるなのちゃん。

ぽろり、と涙を零しながら、なのちゃんは言った。

 

「私が切っ掛けで、フェイトちゃんは酷いことになっちゃった」

「…………」

 

 ぼくは幾つかの事に迷った。

まず咄嗟になのちゃんを慰めようとして、そしてどうすれば良いのか分からなかった。

なのちゃんの言葉には果物によく見られるあの芯の強さが見られ、悪く言うととてつもなく頑固な感じがあり、ぼくのどんな慰めも受け取れなさそうな所があったのだ。

 

 次に、ぼくはそもそもなのちゃんをどうしたいのかと思った。

ぼくとなのちゃんは友達なので、涙をハンカチで拭いてあげる事ぐらいならしてあげたっていい。

なんだったら、ぼくは指をつきだしてなのちゃんの目をえぐりだし、涙の通りを良くしてあげたっていいだろう。

そうすればなのちゃんの涙はプレシアさんみたいに水たまりを作るぐらいにドバドバと出るようになって、ホースの先みたいに水を流したり飛ばしたりと好き放題にできるようになるに違いない。

なのちゃんは喜びと痛みで半分半分ぐらいには思ってくれるだろう。

ぼくだって綺麗な眼球を手に入れられて、Win-Winという奴になれるではないか。

 

 でも、ぼくは結局そうしなかった。

ぼくはなのちゃんと友達だけど、ぼくとしては彼女と馴れ合いをしているつもりでは無いのだ。

ぼくはなのちゃんの瞳が、その意思によって素晴らしい輝きを満たす時を見たくて、そしてできればその瞬間にその瞳をえぐりだし、永遠の輝きとしてみたくて、なのちゃんと友達で居るのだ。

もちろん一緒に居て心地良い事も確かなのだけれども、一番の目的はと言われれば、やっぱりそれなのである。

そうなると、今ぼくがなのちゃんの目を抉ってしまえば、その輝きはこの瞬間を琥珀のように閉じ込めて終わってしまうだろう。

それはあまりに惜しいことで、ラーメンの器にティッシュを入れるような後に引く嫌な感じがある事なのだ。

なのでぼくは、代わりになのちゃんに近づき、折衷案を実行する。

 

「たっちゃん? ……ふぇ!?」

 

 ぼくは、なのちゃんの涙を舌で掬った。

そのまま、くるりと巻いた舌ごと口の中に入れ、口蓋を閉める。

ぼくはワインやら水やらお寿司やらをそうするように、ゆっくりとなのちゃんの涙を味わって消化した。

パクパクと口を開け閉めするなのちゃんに、その塩っぽいけど美味しかった感じを表して、にっこりと笑うぼく。

 

「色々と言いたい事はあるけれど、これでチャラという事にしてあげるよ。それで、なのちゃんは何をしたいんだい?」

「うぅ……。は、恥ずかしい事するなぁ……」

 

 顔を真っ赤にするなのちゃん。

そんなに自分の涙をテイスティングされるのが恥ずかしかったのだろうか。

プレシアさんはぼくの髪の毛をテイスティングした事もあったけれど、あれは別に恥ずかしくは無かったけれど。

そんな疑問詞に満ちたぼくの顔を、何かを諦め紙飛行機にして飛ばしたような顔をして、なのちゃん。

 

「ええっと、だから私は、フェイトちゃんに何かをしなければいけない。ううん、したいんだ。助けたいんだ。どの口で言うの、って言われちゃうかもしれないけれど。弱いくせに、って言われちゃうかもしれないけれど。それでも、私はフェイトちゃんの為に何かをしたい」

「その辺は、ぼくも協力できるとは思うけれど」

「ごめんね、そこは私一人の力でやってみたいんだ」

 

 にっこりと笑うなのちゃんに、ぼくはそういえばなのちゃんがアリサちゃんとすずかちゃんと友達になった時も、ぼくの力なんて必要無かったんだっけな、と思った。

うむ、と納得するぼくを尻目に、だけど、となのちゃんは言う。

 

「だけど、その、虫のいい話だけど。私一人でお話するつもりなんだけど、力は借りたいと言うか。ちょっと、心の力を借りたいと言うか」

「へ? どういう事だい?」

「その……」

 

 うつむき、もじもじとしながら視線を足元に。

指を指に絡め、剣道のすり足みたいにすりあわせながら、なのちゃん。

 

「フェイトちゃんに、握手がどうとか、言ってたみたいじゃない」

「うん」

「あれ、なのはにもやって」

 

 思わず、ぼくは目をパチクリとさせてしまった。

意味不明な思考回路に、一般人で常識人なぼくの頭がパンクしそうだった。

 

「なんで?」

「なんでも」

「つまり?」

「いいから、なのはと握手してっ!」

「別にいいけど、理由は話せない事なのかい?」

「い、いいからっ!」

 

 叫びながら、顔を真っ赤にしながら手を差し伸べるなのちゃん。

ぼくはそれに、ウイスキーをラッパ飲みするロシアの人々を思い描きながら、手を伸ばした。

指と指が絡み合う。

掌と掌がふれあい、皺が合わさった空間に暖かな空気が滑り込んだ。

手を上下に。

ぎゅ、という少し痛いぐらいに強く握られた握手が行われた。

それを終えると、ゆっくりと手と手が離れ、重力に従い降りてゆく。

笑顔のなのちゃんが、うにみたいにトロリとした、口に含めば溶けそうな声を出した。

 

「えへへ……!」

「…………」

 

 一体何があったのだろうか。

首を傾げるぼくを尻目に、なのちゃんはぼくと握手した手を宝物みたいに眺めている。

そうなるといじわる心が湧いてきて、ぼくはなのちゃんの手をファブリーズでシュッシュとやってみたかったのだが、生憎手近に無かったので、諦める事にした。

ぼくは大仏みたいな目でなのちゃんを見つめ続け、そうすると我に返ったなのちゃんが慌てて背筋を伸ばすのが見えるが、当然遅い。

ぼくは平坦な声で聞いた。

 

「それで、お話と言っても何か考えはあるのかい?」

「あ、うん、それはね……」

 

 言って、首元のレイジングハートを掲げるなのちゃん。

首を傾げるぼく。

 

「つまり?」

「戦うの」

「なんでそうなるのさ……」

 

 ぼくは何時も通りにとても常識的な発言をした。

幸いな事に日本語が通じているようで、頷くなのちゃん。

 

「うん、私の言葉は沢山の理由でフェイトちゃんに届かない。壁はいくつもあって、中には絶対に壊せないのもあるし、乗り越えるのが大変な物もある。だから、一つづつ超えていくつもりで居るんだ。で、その中の一つが……」

「力、か」

 

 まぁ、そこまで言われればぼくにも分からないでもない。

なのちゃんとフェイトちゃんは、魔法による力が支配する場で出会った。

そこでなのちゃんは、言い訳しようがないほどに完璧に負けてしまったと聞いている。

ならばフェイトちゃんがなのちゃんを、自分に勝てなかった子というフィルター越しに見てしまうのは致し方ない事だろう。

もちろんフェイトちゃんも良い子なので、そのフィルターは時間が外してくれるだろうが、フェイトちゃんが苦しんでいるのは今なのだ。

ならば乗り越えられる壁は一つづつ乗り越えていきたいというのが、なのちゃんの考えなのだろう。

 

「勝算はあるのかい?」

「うん、もちろん」

 

 そう言ってのけるなのちゃんは、とてつもなく輝いた瞳をしていた。

その瞳には、硬質で真っ直ぐな恐ろしいほどに輝く光が見えた。

その光は、夜闇の中のペンライトの光に似ていた。

真っ直ぐに伸びる光は、まるで柱のような形をしていながら半透明で、空気中の埃を孕んでいる事だろう。

そして一見明確に分けられている光と闇だが、そこにはただ空気があるだけで、明確な区切りは無いのだ。

ぼくは、なのちゃんがプラスティックになれるだろうか、と思った。

空気を閉じ込める樹脂にならなければ、きっと、ボロボロになっていて思いの矛先はなくしてしまったものの、強い思いだけは残っているだろうフェイトちゃんには、勝てないだろう。

 

 ぼくは、多分にこやかに笑えたと思う。

なのちゃんはぼくの笑みに、力強く、おにぎりみたいな笑みを作った。

潮の香りのしそうな、海鳴みたいな笑みだった。

なのちゃんの育った町の笑みだった。

 

「じゃあ、ぼくがちょっとだけお膳立てするから、それからはなのちゃんに任せたよ」

「うん、ありがとうたっちゃん」

 

 そう言って、ぼくはその足でフェイトちゃんの部屋に向かい、友達交渉をして一旦切り上げる事になった。

そうして部屋の外で壁に背を預けながら、様々な事に思いを馳せる。

ぼくがクロノさんが使っていたデバイスの声がリンディさんの声だった事に気づき、もしかしてクロノさんはマザコンなのではなかろうか、だとすればぼくが出会ったことのある中で一番の変態ではなかろうか、2人は何処まで行っているんだろう、と思っていた辺りで、排気音。

自動ドアが開き、連れ立ってなのちゃんとフェイトちゃんが出てくる。

思わず、目を見開くぼく。

 

「いや待て、フェイトちゃんは一応重要参考人だろう? 連れだして大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ」

 

 と、なのちゃんの後ろからカルガモの親子みたいに引き連れられて出てきた、通信用ウィンドウが喋った。

画面にはリンディさんが映っていて、ぼくは直前に考えていた事からなんとも言えない顔を作りつつも、2人に視線を。

口を開くフェイトちゃん。

 

「T。なのはとの戦いに勝てば、Tが私を友達にしようとする事を諦めるって、本当?」

 

 ぼくは思わずなのちゃんに視線をやった。

平謝りをするなのちゃんに、フェイトちゃんも一瞬で事情を悟っただろうが、ぼくは難しい顔をしつつも頷いた。

 

「あぁ、その通りさ。フェイトちゃんが勝てば、ぼくからフェイトちゃんを友達にしようとするのは諦めるよ」

「……そっか」

「そしてそれは勿論」

 

 と、フェイトちゃんが暗い表情になりそうになるのを、ぼくは遮った。

まるでまるで線路にそそり立つ巨木みたいに強烈なインターラプトだっただろう、とぼくは思う。

 

「ぼくがなのちゃんの勝ちを確信していると言う事でもあるのさ」

「……私は、負けないよ」

「ま、全力を出せるよう頑張る事だね」

 

 言って、ぼくは肩をすくめ、ブリッジに進む2人の後をついて行った。

金属質な床に足音が良く響き、パイプオルガンみたいだな、とぼくは思う。

あれは建物と楽器が合体しているが、ぼくらの足音も建物の力あっての音楽だ。

硬い床を、足裏が勢い良く踏みしめていく。

ぼくはその音楽がエレクトロニカ・ミュージックのように感じられながらも、黙々と2人の後ろをついていくのであった。

 

 

 

 

 



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その21:消化試合

とてつもなく遅い投降になりましたが、別に交通事故に遭ったり不治の病になったりした訳でもなくただの無精によるものでした。
それはともかく更新です。


 

 

 

 アースラのブリッジ。

ぼくを含めたアースラスタッフ達にアルフさん、ユーノくんに恭也さんは、みんなで海鳴に張った結界の内部を観察していた。

結界内部にはオブジェクトとして海に半ば沈んだ廃墟が連なっており、まるで沢山の裸ポッキーをチョコレートの海に差し込んだ所みたいだ。

しかし残念ながらぼくはトッポ派だったので、よだれを垂らすような真似まではすることはない。

なぜなら、空洞に凝固した液体が詰まっている形は、血管を想像させる作りだからだ。

ぼくは血が好きだった。

流れる血が好きだった。

食欲でも無いので吸血趣味は無く、性欲でもないので勃起する事もなく、ただ血が流れるのを眺めるのが好きだと言うだけなのだけれども。

といっても、透視のできないぼくには血管の中の血が流れる場面は直接目で見る事ができない。

なので、多くの場合想像によるものなのであった。

 

 画面いっぱいに映しだされた現場には、なのちゃんとフェイトちゃんがバリアジャケットを纏い対峙している。

見れば、それだけで戦意に溢れている事が分かる様相であった。

なのちゃんは顔こそ普段より緊張しているかなってぐらいで、その緊張だってヴァイオリンに張られた弦ぐらいであって、ピアノ線みたいになんでも切れるほどではない。

けれどなのちゃんには不思議と威圧感があり、彼女の纏う空気がそれをさせているのだろうとぼくは思う。

 

 実を言えば、ぼくが高町家で一番恐ろしく感じるのは、本気で怒ったなのちゃんである。

ぼくがなのちゃんが本気で怒った事があるのを見たのは、たった一度しか無い。

近所の小学生上級生が子猫の兄弟を次々に道路に投げ、車で轢き殺すゲームをやっていた時の事である。

当時一年生だったなのちゃんが本気でブチ切れて、年齢差を忘れて小学生に立ち向かっていった物であった。

ちなみにぼくは四肢欠損で済んだ猫が気になっていたので、なのちゃんを抑えて子猫らを動物病院に連れていく事を頼み、小学生たちを受け持った。

喧嘩には負けたけど足止めには成功し、ぼくは後から、これでいつでも子猫の足のあの美しい切断面が見る事ができるぞと喜び勇んで子猫を引き取ろうとした所、子猫は既に完治しすずかちゃんの家に引き取られていたのであった。

当然、足の切断面はむき出しではなくなっていた。

ぼく、頑張り損である。

 

 兎も角なのちゃんの雰囲気は、あの時を彷彿とさせるような、いや、それ以上の威圧感を感じるほどの物に成長した。

見るに、フェイトちゃんはなのちゃんの威圧感に、僅かに顔を歪ませている。

フェイトちゃんの雰囲気も負けず劣らず恐ろしい切れ味のカミソリに思えるのだが、そのカミソリはきっと両刃のカミソリなのだろう。

指で平たい面を持っても汗で滑れば怪我をしてしまい、それに緊張すれば汗が増して行くという悪循環。

それを断ち切るには、カミソリを割っても、指を切り落としてもいけない。

カミソリを机に上に置いてもらわねば、なのちゃんはフェイトちゃんを救えないのだ。

こりゃあ難易度が高いなぁ、とぼくが思っていると、なのちゃんが口を開く。

 

「フェイトちゃん。私達の始まりは、ジュエルシードを巡っての戦いだったよね。でも、最後の戦いは私が負けたまま知り切れトンボ、私はフェイトちゃんが海のジュエルシード6個に挑んだ時、それを放置して終わっちゃった」

「……妥当な判断だったと思うけれど」

 

 静かにフェイトちゃん。

なのちゃんは僅かに目を細めた。

眉毛が二対ある人みたいに見えて、ぼくは一瞬なのちゃんが宇宙人だったのかと思う。

それからクロノさん達やフェイトちゃんもミッド人であり、要するに宇宙人みたいな物だと思いだした。

そう思うと、魔導師であるなのちゃんも宇宙人の資質があるのかもしれない。

ぼくは、火星人のタコみたいになったなのちゃんを想像したが、その想像が絵となるよりも早く、なのちゃん。

 

「ううん、私はフェイトちゃんに言いたいことがあった。したいことがあった。地球の平和も大事だったけれど、それと同じくらい重要で、しかも私にできる、そして私にしかできないと思った事があったんだ。だから、私は何が何でもフェイトちゃんを助けに行くべきだった」

「…………」

「でも、私はそれをしなかった」

 

 なのちゃんはギロチンを落とすみたいな雰囲気で言った。

けれどその刃は空を切ったようで、フェイトちゃんは静かになのちゃんの言葉を聞いている。

でも、その目には理解の色はあるけれど、身を委ねるような色は見られなくて、ぼくはフェイトちゃんがなのちゃんの言葉に暖かさを感じなかったのかな、と思った。

ぼくは薄っすらとだけれど感じた。

けれど真冬の暖房にだって人だけじゃあなく虫が寄ってくるのだ、ぼくはフェイトちゃんが虫じゃあないと分かったので、それはそれでいいか、と思う事にする。

 

 しばし、沈黙。

なのちゃんは細めた目をフェイトちゃんに向けつつも、少し俯いた感じで硬直する。

フェイトちゃんもまた、静かになのちゃんの次の言葉が待っていた。

チーズの塊みたいな沈黙が過ぎ去った後、なのちゃんが再びあの威圧感を纏い、フェイトちゃんに視線を。

口を開く。

 

「……何がしたかったのか。貴方に何を伝えたいのか。それは、勝ってから言うよ」

 

 恐ろしく自信に満ちた物言いであった。

ぼくとしてはなのちゃんがこんなに自信満々なのは珍しいので、首を傾げてしまう。

まるで心の中に他の誰かの大きな支えがあって、それも脚立のような華奢な物ではなく、家屋の土台のような堅牢な物であるようだった。

ここまで強くなのちゃんの心に足を踏み入れる事ができるのは、アリサちゃんかすずかちゃんか、その辺りなのかなぁ、とぼくは思うのであった。

 

 そんなぼくを尻目に、なのちゃんとフェイトちゃんは互いにデバイスを構え合う。

恐るべき緊張感。

風船が割れる寸前の、魚が飛び跳ねるのを待つ海鳥の、ピアノ線が人の肌に触れて一瞬張り詰めるあの瞬間の緊張感であった。

ぼくはそれを壊してしまいたい衝動に襲われたけれども、それ以上にこの緊張感が高まって爆発する事の方が見たくて、ぼくはじっとそれを見つめていた。

一陣の風。

弾かれるように両者が動き出す。

 

 そこからは、ぼくの目には上手く捉える事ができなかった。

ゲームや漫画みたいな残像が見えるほどの速度でなのちゃん達は動き出し、桜色と黄金の魔力光が交錯する。

あまり隣り合わせにして相性の良い色とは思えなかったが、こうして見るとどちらも派手な色という事で似通っているだろう。

螺旋を描きながら、なのちゃんらは飛行。

桃色の球体と黄金の槍とが交錯し、オブジェクトを破壊し、時にはデバイスが打ち合わされる金属音すら響く。

 

「凄い……、2人ともとんでもない魔力値だけど、その上こんなに動けるなんて……」

「フェイト・テスタロッサが優勢ではあるが、高町なのはもよく食らいついているな」

 

 後ろで話しているエイミィさんとクロノさんは置いておいて、ぼくは映像に食らいつくようにして見ていた。

何気に、ぼくは魔導師同士の本気の戦いを見るのは初めてであった。

魔法は質量兵器を圧倒する力を持っており、その弾速も当然のように音を置き去りにする。

必然感覚や脳の強化魔法を使わねば観戦すらおぼつかないが、ぼくは一般人なので魔法なんて使えない。

けれど、ぼくにはジュエルシードパワーがある。

いや、仮名なので本当はもっと格好いい名前なのかもしれないが、兎も角不思議な力がある。

ぼくはアースラスタッフに気付かれないよう、そっと自分の感覚や脳の強化を願った。

その甲斐もあり、ぼくの目はなのちゃんとフェイトちゃんの速度にゆっくりと慣れてゆく。

 

 確かに、劣勢はなのちゃんであった。

ドッグ・ファイトなのになのちゃんは殆ど前を飛んでいたし、時々後ろを取ってもあっさりとフェイトちゃんの華麗な軌道で取り返される。

近接戦闘に移行しても、当然のごとくなのちゃんはフェイトちゃんに敵わず、打ち負けつつもどうにか再び飛行戦闘に戻る事ぐらいしかできていない。

それでもなのちゃんが堕ちていないのは、フェイトちゃんと違って高速戦闘でも誘導弾を放てるからだろう。

ぐねぐね曲がる桜色の光球は、あまり当たりこそしないものの、フェイトちゃんの動きを相応に制限していた。

 

 それにしても、綺麗な光景であった。

強い光が放たれ、飛行機雲みたいに後を引きながら消えゆくその様は、打ち上げ花火を思わせる物だ。

けれど魔導師戦闘の光は垂直方向だけじゃあなく様々な方向に撃ちだされ、とても美しいようぼくには思える。

ぼくはそれに、パソコンのスクリーンセーバーを想起した。

洗練された動きは、暗闇にどこまでも続く幾何学的な光に似ているよう思えるのだ。

 

 ならば誰かが触っていないパソコンとは何処にあるのだろうか、とぼくは疑問に思った。

すぐに、ぼくの脳味噌なんじゃあないかとぼくは思い至る。

ぼくの脳味噌はマウスも動かさないままにずっと放ったらかしにされており、ぼくはマウスを動かさねばならないのではないだろうか。

ぼくは反射的に脳味噌マウスを動かそうと思ったけれど、しかしよく考えればそれをしてしまえばなのちゃんとフェイトちゃんの戦いも終わってしまうのだ。

それも、ぼくの横槍によってである。

それはあまりにも忍びないので、ぼくは脳味噌マウスを動かす事を断念し、すぐに戦いを見る事に意識を集中させる。

 

 アースラに表示されている2人の魔力値は、既に双方とも半分を切った。

特になのちゃんの消耗が激しく、既に魔力ゲージが三割辺りまで減っている。

それでもぼくはなのちゃんの勝利を確信しているのだけれども、一体どうやって勝つのかは興味が尽きない。

ぼくが画面を見つめていると、一区切りとでも言わんばかりに2人は声が届く程度の距離で動きを停止。

油断なく武器を構えながら、フェイトちゃんが言う。

 

「強く、なったね……」

「……図々しいことを言うけど。私、フェイトちゃんの隣に立てるぐらいには強くなったかな」

 

 なのちゃんの言葉に、フェイトちゃんは歯噛みした。

気づかずに梅干しを食べた顔の3倍ぐらい必死な顔であった。

フェイトちゃんは、隣に立とうとしてくれる人が居る事への歓喜を、自虐で押し殺しているように見える。

まるでハリセンボンを撫でたがっている人のようだった。

どうやって触れれば針で刺されずに済むのか分からず、それ故に手を伸ばさない選択をした人。

 

「強さは、関係無いよ。私なんかの側に居るべき人なんて、居ない。居ちゃあいけない」

「そんな事無い。誰も側に居てはいけない人なんて、この世界の何処にも居ないよ!」

 

 大ぶりに手を振り払いながら、叫ぶなのちゃん。

フェイトちゃんはそれに、体を震わせながら叫び返す。

 

「例えそうだとしても、それを私が許さないよ」

「私も、そんなフェイトちゃんを許さない」

 

 え、と。

空中で一歩引くフェイトちゃん。

なのちゃんはそれに一歩踏み出し、叫ぶ。

叫び続ける。

 

「一人で居たくないのに、一人ではなくなる事を許さないなんて、悲しすぎるよ。だから私は、フェイトちゃんが自分を許さない事を許さない!」

「……勝手、だね」

「勝手でも、私はそうするよ。理由は私がそうしたいからで十分、それだけで私は何だってできる、何だってやれる」

 

 なのちゃんが両手を胸に。

一瞬目を閉じ、それから静かに見開く。

なのちゃんは、とても美しい笑みを浮かべた。

花弁を開かせるような、誰もが似たような笑みを浮かべたくなるような、不思議な笑みであった。

花粉を飛ばすように、みんなに伝染してゆく笑みであった。

そうして花に囲まれても尚存在感を失わないほど強固で、それでいて命の張りのような物のある美しい笑みであった。

こればかりは、切り取って保存してもその美しさが失われてしまうだろう笑み。

 

「私には、それを教えてくれた、大切な友達が居るから。貴方とも友達になれる、あの人が居るから」

「…………ぁ」

 

 小さく、フェイトちゃんが声を漏らす。

鈴をチリンと鳴らしたような控えめな声は、どうしてか、強くぼくの耳朶に響いた。

その目は綺麗にカットされた輝きを持つ希望に満ちている。

話の展開上フェイトちゃんはなのちゃんの言葉に希望を持ったのだろうが、しかしなのちゃんの言う大切な友達とは、もしかしたらぼくなのではないだろうか。

と思ったけれども、常に自制を念頭に生きているぼくがそんな比喩に使われるなど無いだろうし、クロノさんとかユーノくんとかの事なのだろう。

ぼくは知らない一面が彼らにあったかもしれない事に、少し目を丸くしてしまった。

 

「だから。私は、貴方にこの心を伝えたい。貴方を想って居る人が、此処に居るんだって事を伝えたい。一度は憎んでいて何様のつもりだって思うかもしれないけれど。私がもっと確りしていれば何かがもう少し救われたかもしれないのに、何様のつもりだって思うかもしれないけれど。それでも……」

 

 言いつつ、なのちゃんがデバイスの切っ先をフェイトちゃんに向ける。

反射的に構えを取るフェイトちゃん。

 

「全力全開で、遠慮なんてすっ飛ばして向き合う事で、心と心が通じ合える。私はそう信じているから。だから、戦おう。全てを心の底から出し切るまで、戦おう」

「…………言われなくても、私は一人で生きるために勝つつもりだよ」

 

 言いつつ、フェイトちゃんが目を細め、あのカミソリみたいな雰囲気を取り戻す。

なのちゃんもまた威圧感を纏い、レイジングハートを構えた。

空気が固形物のように濃くなり、沈黙が重たくのしかかる。

戦いの始まりを彷彿させるように、同時に2人が動き出して――。

 

 

 

 

 




それでは良いお年を。


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その22:短いお別れ

 

 

 不気味なまでに全ては丸く収まった。

不気味と言っても、ホラーハウスのような分かりやすい不気味さではなく、差し出された手が次の瞬間誰の物だったか分からなくなるような、あの不気味さなのである。

まるで不恰好な継ぎ接ぎを見せられているようで、これならぼくの方がよっぽど上手くできるだろうに、とやったこともないのに思ってしまうぐらいだった。

様々な色のクマがパッチワークされた、裏返しのテディベア。

体と四肢がひとつも一致していない、ロボットのプラモデル。

肩から足が生え腿から手の生えた、人間。

そういうことだった。

 

 それでも時間は誰一人逃さずに人を前に進めていく。

相対性理論が人によって時間の価値は異なると教えてくれ、そこに平等性は見いだせなくなったが、それでも生きとし生けるものが全て時間を前にしか進める事ができない事だけは同じだ。

もしもそれについていけない奴がいたら、そいつはきっとピッツァになってしまうのだろう。

生地はグルグルと回すと永遠に伸びていくピッツァ。

大きくなったピッツァは、きっと地球を覆い尽くしてしまうだろう。

そのたびに地球は一回り大きくなっていった事だろう。

そう思うと、ピッツァになった人は世界を塗り替え、新しい世界の表面になれる訳だ。

そう考えるとピッツァ人になるのも悪くないと思うぼくだが、それにはきっとどこまでも伸びる柔軟性が重要になるに違いない。

ぼくは頑固で頭の硬い人間だから、ピッツァ人にはなれそうもないだろう。

残念な結果に、ぼくは内心溜息をついた。

 

「たっちゃん……」

「T……」

 

 時は午前中の、少し肌寒い風が吹く海鳴の臨海公園。

ぼくとなのちゃんとフェイトちゃんは、公園の真ん中で3人で両手を繋いで輪を作っていた。

両手の暖かさからその奥にある血液の流れが実感でき、ぼくは薄く笑う。

とくんとくんという心臓の鼓動さえも聞こえてきそうだったが、それにはもっと近くにあるぼくの心臓の音がとても五月蝿い。

ぼくはぼくの心臓を止めてみたかった。

けれどそれには、いつしかなのちゃんが選んでくれた私服を破いて肌を露出させねばならない。

そうなればなのちゃんは悲しむだろうし、その事に連鎖してフェイトちゃんが悲しむだろう。

悲しむのはいいのだが、それが蔓延してしまうのはあまり良くない。

何故ってそれは、ぼくの嫌いなウイルスに似ているからだ。

奴らは遺伝子の奴隷である。

それは別にいいのだが、それなのに生物面してふらふらと浮いてるのだから気に食わない。

ぼくが魔法を使えるようになったら、まずはウイルスを遮断する魔法を作りたいぐらいだ。

なのでぼくは、心臓を取り出して握って止めたりしないよ、と無言で訴えかける為、2人に笑顔を作った。

 

 なのちゃんとフェイトちゃんとの戦いは、なのちゃんの勝利に終わった。

フェイトちゃんのものすごい数の雷の槍をなのちゃんが耐え切り、その後なのちゃんの収束砲とかいう物凄いでかいビームにフェイトちゃんが敗北したのだ。

その後、なのちゃんはフェイトちゃんと友達になる事に成功した。

ぼくは一般人として、きみらは夕日の中で喧嘩した後仲良しになる不良か、と言いたかったけれども、2人の笑みの口元の角度がとても良かったので、遠慮する事にしたのであった。

そして流れとして、ぼくは再びフェイトちゃんと友達になった。

ぼくとしても、いつでもフェイトちゃんの髪の毛を触ったり、ほっぺを触ったりできるので、大満足である。

なんだったら、お互いの爪を剥いで交換してもいいぐらいだけれど、爪は肌に吸い付いているほうがずっと美しいので、それは悩みどころであった。

 

「思い出にできるもの、かぁ」

 

 ぼくは思わず頭をぽりぽりと掻いた。

頭皮の削りかすが爪と肌の隙間に貯まり、ぼくは爪の間はとても優秀な貯金箱なのかもしれないと思う。

なんたって、中身を問わねば何もしなくても様々な物が爪の中に溜まっていく。

問題はすぐに中身にあふれてしまう事だが、一人につき10個もあるので、その辺は解決できるかもしれない。

けれど残念ながら、今考える事は別の事であった。

思い出にできるものを考える事であった。

 

 なのちゃんとフェイトちゃんは、長らく離れる事になる事から、つけているリボンを交換した。

ならぼくはなのちゃんとだけ離れるので、なのちゃんとだけ思い出にできる物を交換すればいいとおもいきや、裁判が待っているフェイトちゃんとはそう頻繁に接触できないらしい。

そも、ぼくの検査も何度も行われる事になるようだし、それはそれで忙しい日常になるのだそうだ。

ということで、ぼくは共通の持ち物をなのちゃんの分とフェイトちゃんの分、2種類考えねばならないのだ。

うぅむと悩み始めたぼくに、くすりと2人。

リスが抱えたドングリに口元を運ぶような、小刻みな動きだった。

 

「いいんだよ、たっちゃんはもう私達と大切な物を交換しているじゃあない」

「私も、大分前にTには大切な物をもらったよ」

「……へ?」

 

 思わず目を丸くするぼく。

するとなのちゃんとフェイトちゃんは、視線を合わせてくすりと笑い、ぼくにちらちら視線をやりながら、口元を抑える。

まるで双子のような動きに、ぼくは困ればいいのか、怒ればいいのか、この場で倒れてしまえばいいのか、悩まざるをえなかった。

けれどまずは、大切なものを思い浮かべるべきだろう。

そう思い、ぼくは再びうぅむと悩み始める。

あれじゃないこれじゃないそれじゃないと考えているうちに、ふと思い浮かんだものがあった。

 

「もしかして、あれかい?」

「なーに?」

「正解、思いついた?」

 

 悪戯な顔をする2人。

なのちゃんは兎も角、何処か遠慮がちな所のあるフェイトちゃんがこんな顔をするのは少し意外で、ぼくは目を瞬いた。

けれど、そんなものはアザラシみたいな気まぐれ辺りだろう。

ぼくは続けて口にする。

 

「心に相手の名前を思い描けば浮かんでくる、アレさ」

「……うん」

「……えへへ」

 

 言いつつ、ぼくはなのちゃんとフェイトちゃんの名前を思い浮かべた。

するとぼくの心のなかには、握手が、続いてなのちゃんとフェイトちゃんの眼球が浮かび上がってくる。

勿論想像の物で、本物には及ばない部分も多いのだけれども、それでも想像であるがゆえに本物を超えている部分だってある。

青空よりも澄み切った青を想起させる、なのちゃんの瞳。

夕日よりも尚赤く、ルビーのような硬質な赤のフェイトちゃんの瞳。

ぼくは、それを思い切って口にする場面を想像した。

柔らかな眼球はぼくの前歯に圧力をかけられ、少し変形する。

それからぼくは口を閉じて中身が外に飛び散らないように準備して、それからぎゅ、と一気に力を入れて眼球を噛み切った。

ぷちゅ、と2つの眼球が同時に弾けた。

ガラス体が口内で混ざり合い、素敵なマーブル模様を作り出す。

味はどんな味がするだろう。

きっと天国の雫のような味がするに違いない。

 

「そうだね。あんまり口にすると安っぽくなっちゃいそうだし、言葉にはしないでおこうか」

「うん。私も、口にするべき大切さもあるけど、これは口にしなくてもいい大切さだと思う」

「そうだね、そうしようか」

 

 頷き、ぼくは2人の目がぼくの目を見つめている事に気付いた。

なのちゃんとフェイトちゃんの頭の中で、ぼくの目はどんな味がしたのだろうか。

甘いのだろうか。

酸っぱいのだろうか。

塩っぱいのだろうか。

ぼくは未だに人の眼球を食べたことがないので、その味の想像すら具体的にできていないのが現状だ。

なのちゃんもフェイトちゃんも、こんなにぼくの目を見つめていると言う事は、きっとぼくの目の味だって想像できているのだろう。

ぼくは自分の不教養を恥じた。

顔を少し赤くし、俯きがちになり、それでも胸の中では、何時かぼくは人間の目の味を味わってみるぞ、と決意表明してみせるのであった。

 

「あ、たっちゃん照れてる!」

「え、Tが!? あ、本当だっ」

「な、なんだよ、2人とも」

 

 ぼくは自分の不教養がバレていない事に安堵する。

けれどもその安堵を嗅ぎ取られても面倒なので、ぼくは続けてこう言った。

 

「照れてなんか、ないってば」

「へー、嘘つくの?」

「くす、そういう事にしておいてあげようよ」

 

 なんかむかつく物言いに、ぼくは口元をひくひくさせる。

すると2人はごめんごめんと言いながら両手を上げて降参、歩み寄ってきて、距離が近くなった。

気づけばぼくらは、互いの息が感じ取れるぐらいに近寄っていたのであった。

するとなんだか、これで3人が揃うのも次は随分後になってしまうんだな、と思ってしまい、ぼくは不覚にも少しうるっときてしまう。

ぼくらは、自然と3人で抱き合っていた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 無言でぼくらは抱きしめあった。

涙は無かった。

けれど互いの温度がお互いの存在を確かに知らせていて、ぼくはそこに命の鼓動を感じる。

ぼくは命を悪戯に奪う事はしないけれど、掌の上に置いて弄ぶ事は大好きで、だからぼくは確りと2人の命の鼓動を脳裏に刻み込んだ。

何時か物寂しくなった時、想像の中でなのちゃんのお腹を裂く為に。

何時か物寂しくなった時、想像の中でフェイトちゃんの頭を割る為に。

2人もきっと、想像の中でぼくを3枚におろせる為に。

ぼくらは確かな絆として、互いの生命の鼓動を心に刻み込んだ。

 

「そろそろ、時間だ」

 

 クロノさんの声に、ぼくらはゆっくりと離れた。

遠くからぼくらを見ていたクロノさんにアルフさんにユーノくんの魔導師組、恭也さんにアリサちゃんにすずかちゃんの海鳴組が寄ってくる。

アリサちゃんが顔をひくひくさせつつ、ぼくにローキックを放ってきた。

ごつん、と痛い音と共に、ぼくの足が蹴られる。

とても痛かった。

文句を言おうとするより先に、アリサちゃん。

 

「本当ならこの100倍蹴らなきゃならないけど、今日の所はこの辺で勘弁しておいてやるわ」

 

 とすると、ぼくはなんと9割9分引きの蹴りで済んだと言うのだろうか。

なんという出血大サービスか、とぼくは思わずアリサちゃんの手を握るのだけれども、アリサちゃんの顔を見て何も言えなくなってしまう。

アリサちゃんは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

美しかった。

泣き顔なんてみんなくしゃくしゃに決まっているし、アリサちゃんの顔もくしゃくしゃだったけれど、その皺一つ一つがまるで丁寧に作った折り紙みたいに、とても自然な角度で曲がっていたのだ。

ぼくは咄嗟に何も言葉が思い浮かんでこなくって、むにゃむにゃと言葉を探しているうちにアリサちゃんはぼくの手を離しなのちゃんの方へ行ってしまうのであった。

私たちの挨拶の時間も計算に入れなさいよっ、となのちゃんをぽかぽか殴るアリサちゃん。

そっちに視線をやっていると、急にぼくに向かって手が伸びてきて、ぼくの頬をぎゅうぅ、とつねった。

 

「あいたたたっ!?」

 

 滅茶苦茶痛かった。

アリサちゃんの蹴りの100倍ぐらい痛い頬つねりは、手を見るだけで分かる、すずかちゃんによる物であった。

これが物凄い痛さで、ぼくが限界の頬つねりの痛さはどれくらいだろう、と工具の万力を使って頬を抓らせてみたことがあったのだが、それよりも痛いぐらいである。

というかあの、すずかさん、プレシアさんに四肢を焼き切られた時ぐらい痛いんですけど。

内心泣き叫ぶぼくの声が届いたのか、すずかちゃんが手を離す。

ぼくは思わずその場に崩れ落ち、手でほっぺたがとれていないか確認せねばならなかった。

ぼくのほっぺたは着脱可能ではないが、四肢はそうなので、何時かほっぺたもそうなるかもしれないが故に。

しゃがむすずかちゃん。

 

「私も、本当に怒っているんだよ? 次に私を心配させたら、またぎゅーだからね?」

 

 言いつつ、空中を摘むすずかちゃんに、ぼくは思わずこくこくと頷いた。

黒いパンツが見えている事は言わないほうがいいだろう。

と思ったら蹴りがぼくの顔面を潰し、ぼくはとても痛い思いをした。

悶絶するぼくを尻目に、すずかちゃんはえっち、と一言言い残して離れていく。

風に棚引く紫がかった髪の毛が、まるで煙草の煙のように軽やかに漂っているのが、とても印象的だった。

すずかちゃんに煙草は似合わなさそうなのだが、不思議とその髪の毛には似合っていたのだ。

 

 とまぁ、そんなわけで皆とのお別れも済んだ。

そういうわけで、ぼくらはクロノさんの青い円形魔法陣の中に立つ。

必死で手を振るなのちゃんに、ぶすっとした顔で視線を外し手だけ振るアリサちゃん、なんだか恐ろしい笑顔で手を振るすずかちゃん。

隣のフェイトちゃんも目を潤ませながら手を振っており、ぼくもカモメのようにそれに習って手を振った。

青空の元、掌がふわふわと規則的に動く。

その光景が白鳥の翼のようで、ぼくはなんだか気分が良くなってきて、少しだけ微笑んだ。

硝子を割ったみたいな笑みだったと思う。

そんなぼくに応えるように手を振る速度が早くなり、続けて深海のように深い青の魔力光が輝きを増し、視界を染めた。

 

 ――暗転。

 

 

 

 

 




割りとあっさりしたラストですが、無印完です。
次はA'sの前に閑話が挟まります。


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閑話その1 その23:自動ドア殺人事件1

前書きとして。
閑話は基本的にスルーしても、話が繋がる予定です。
題名からして何となく気付いた方もいらっしゃるでしょうが、閑話は何時も以上に(私が)好き勝手書く話なので、何時もよりアレな話になります。
それを承知の上でどうぞ。


 

 

 陽光が煌めき、六角形の輝きを瞳に残していく。

木漏れ日の一つ一つが見せる輝きだから、それは木々の隙間が見せる形に違いない。

つまり、木々の隙間はあの蜂の巣と同じ六角形なのだ。

ぼくは木々の隙間に、木々の幼虫が潜んでいる所を想像した。

彼らは目に見えないのか、それとも光そのものなのか。

どちらかちょっと悩んで、それからぼくは光そのものなのだろうと結論づけた。

何故なら、木々は光を栄養とするからだ。

幼虫を栄養分にする成虫は、なんというか、美しい類のグロテスクさを思わせた。

 

「美しいね」

「え? 何が?」

「木々だよ。何処でも緑は美しいね」

「……うん、そうだねっ」

 

 なんだか弾んだ声を出すフェイトちゃんに、ぼくも同じように微笑んだ。

夏であった。

しかしミッドの街は海鳴に比べると幾分冷涼で、偶に暑そうながらも長袖の服を着ている人を見かけるぐらいだ。

リンディさんによると冬も温暖で、コート以外の秋の装いのまま冬を過ごす人も探せば居るぐらいだと言う。

要するに、四季の差がそれほど大きくないのだ。

代わりに強く照りつける太陽や吹雪いてくる雪なんかも無いそうだけれど。

 

 兎も角ぼくとフェイトちゃんは、ミッドで夏を過ごしていた。

ぼくは週に4~5回ある検査の時間以外は室内で自由に過ごし、フェイトちゃんも虜囚の身ながらある程度の自由は与えられていたようだ。

それでもお互い外出は中々できず、予定が空く時間だって中々重ならず、会う事は中々できなかった。

それを見て頑張りだしたのが、リンディさんである。

彼女はちょこちょことした裏技を使って、ぼくとフェイトちゃんが1日だけ遊べる時間を作ってくれたのだと言う。

そんな訳で、ぼくらは2人して夏のミッドを肩を並べて歩いていた。

アルフさんは残念ながら留守番で、恐らくはフェイトちゃんに対する人質になっているので、一緒には出てこれなかった。

けれどぼくの事を無視すると彼女は言っていたので、3人になれても妙な空気にしかなれなかっただろうことを考えると、これで良かったのかもしれない。

 

 閑話休題。

ぼくはミッドの街に出る事は殆ど無く、一人で学校の宿題をさっさと終わらせてミッドの様々な勉強をしていたので、ミッドに置いては世間知らずである。

そのレベルと言えば、アルトセイム地方から殆ど出たことがないというフェイトちゃんを超えるぐらいだ。

なのでぼくは、フェイトちゃんに様々な事を教わりながらミッドを歩いている。

幸い、フェイトちゃんはぼくに物を教えてくれるのが苦ではないようで、嬉々としてぼくに様々な事を教えてくれた。

例えば。

 

「フェイトちゃん、あれは何? 気分のいい三つ目だけど」

「地球で言う信号機、みたいなものかな。色は違うけど」

「フェイトちゃん、あれは何? 空に顔を向けた扇風機みたいだけど」

「くるくる回ってる自動ドアの変形だね。人が挟まれる事故があるのが難点かな?」

「フェイトちゃん、あれは何? 不思議なプラグが出ているけど、尻にでも挿して人間に充電するの?」

「自動車の燃料を充電する為の物だよ。無人型だし、結構新しい奴じゃないかな」

「フェイトちゃん、あれは何? 顔写真と、ミッド語でルカ・なんとかって名前が書いてあるけど」

「指名手配の紙だよ。って、これは分かってて聞いてない?」

「…………そんなことないよー」

「もう、Tってば……」

 

 とまぁ、こんな具合であった。

信号機は不思議な色だわ、自動ドアはくるくる回る亜種が誕生しているわ、ガソリンスタンドは無人化されているわ、ミッドは不思議な街である事この上ない。

ちなみに指名手配の紙は、本当に読めなかった。

変身魔法の使い手だと言う解説文の方は読めたのだけれど、指名手配を意味する単語はぼくのミッド語レベルでは無理であったのだ。

なんでも質量兵器主義者のテロリストらしいが、変身魔法の使い手の顔写真って何の意味があるのやら。

と思いつつも、ぼくは黒髪に赤目のその写真を一応記憶しておく。

 

 そんなわけで街を闊歩してきたぼくら。

自然散歩はそこそこ長い時間に渡り、いくらミッドの夏が穏やかとは言え、汗でぼくらはベトベトになってきた。

とは言え、ぼくから冷房の効いた喫茶店にでも誘おうにも、ぼくは何故か現金もプリペイドカードもクレジットカードも渡されていない。

リンディさん曰く、貴方にお金を渡すとどんな使い方をするか想像がつかないもの、だそうだ。

ぼくは走るメロスの如く必死で抗議したのだが聞き入れてもらえず、財布の紐はフェイトちゃんに握られた。

ぼくが持って歩いてもいいと言われたのは、殺菌作用のある制汗スプレーぐらいである。

が、勿論ぼくも一応男の子なので、女の子を喫茶店に誘ってお金を払わせるのはちょっと恥ずかしい。

特に女の子の手が小銭のようなくすんだ金属に触れるのは、理由は良くわからないが、生理的にあまりよくない。

少なくともデートの最中は嫌で、ある程度は我慢するが、食事の後ぐらいはやめて欲しい物だ。

ミッドはプリペイドカードが主流なのでまだマシだったが、それでもぼくは習慣づいた感覚に従い、自分から喫茶店に誘うのを躊躇していた。

かといってフェイトちゃんもお金を使うのに遠慮があるようで、ちらちらと冷房の効いた喫茶店に視線をやっているが、ぼくに見られているのに気づくと、すぐに何も見ていませんよと言った態度を取る。

バレバレなのでその辺は愛嬌があっていいぐらいなのだが、結局ぼくらの汗と体温は解消されないままであった。

 

「あ、あれってもしかして……」

 

 そんな折である。

ぼくは視線の先に、見覚えのある施設を発見し、フェイトちゃんに問いかけた。

皆まで言うなと頷くフェイトちゃん。

 

「うん、地球で言うコンビニかな」

「よし、とりあえず店内に涼みに行かないかい?」

 

 言うと、数瞬迷ったフェイトちゃんは、それでも頷いた。

遠慮がちな彼女でも、さすがに時に殺人すら起こすあの夏の日差しには勝てなかったらしい。

というわけで、ぼくらはコンビニに入った。

ウィーン、と駆動音を鳴らして硝子製の自動ドアが開き、中から涼しさ成分いっぱいの風が吹き込んでくる。

中の店員さんらしき人が、何故かビックリしたのが遠目に見えた。

それはともかくとして、ぼくらは2人して、目を閉じて存分に涼しい風を味わった。

 

「生き返るね」

「そうだねー」

 

 間延びした声で言うと、ぼくらは足を動かす事を再開させ、店内に入り込む。

ぼくらは甘いものに惹かれるアリのように清涼飲料水コーナーに吸い込まれてゆき、気づけば2人して500mlのペットボトルを購入していた。

薄っすらと味付けされていたそれを3分の1ほど飲み干して、それからぼくはフェイトちゃんの美しい手をプリペイドカードに再び触らせてしまったことに気づき、少し凹んだ。

まぁ、夏の日差しがそれぐらいに強かったと言う事だろう。

ぼくは次なる小銭と女肌の接触を阻止すべく、拳を握り締めた。

不思議そうに、フェイトちゃん。

 

「T、何やってるの?」

「努力を誓っているのさ」

「何を努力するの?」

「それは決めていないけど、それ以外は一分の隙もない誓いだと思うよ?」

「駄目じゃない、それ……」

 

 呆れ顔のフェイトちゃんに、ぼくが思わず首を傾げた。

 

 さて、それは兎も角、せっかく涼ませてもらったのだから、飲み物以外にも何か買わせてもらうのが礼儀と言う物だろう。

ぼくはフェイトちゃんと相談してそう決め、心赴くままに菓子パンを一つ手にした。

メロンパンであった。

他のメロンパンとは存在感が明らかに違うそれは、より深い緑色をしており、白い粉が振りかけられたゴージャスな仕様となっている。

ぼくはそれが気に入って、それを手にした所で、隣でお菓子を見ていたフェイトちゃんが、妙な顔で言った。

 

「ねぇ、それカビてない?」

「え? これってメロン度が高いから濃い緑色なんじゃあないの?」

「え? メロンの中身ってそんなに濃い緑色だっけ?」

「あー、でも濃縮還元で100%を超えたという可能性が」

「あ、そうか、じゃあメロン度が高いからなのかな? でもこれだけ白い粉がついているのは?」

 

 と話していた所、慌てた様子で黒い長髪に黒目の店員さんがこちらへ走ってきた。

何やらメロンパンを見せて欲しいと言うので見せてあげると、顔色を青くして頭を下げてくる。

申し訳ありませんと謝ってくる店員さんに、フェイトちゃんと視線を交わし、口を開くぼく。

 

「え? これカビてるんですか?」

「はい、今後このような事が無いように……」

「いやその、入っているメロンが濃いとかそういうのじゃなくて?」

「いえ、こちらの菓子パンにはメロンは入っておりませんので……」

「え?」

「へ?」

 

 と、ぼくとフェイトちゃんが、メロンパンにメロンが入っていないという驚愕の事実を知った、その瞬間である。

ぱりぃぃん、と。

硝子の割れる音。

瞬間フェイトちゃんが恐るべき速度でぼくと音との間に体を割りこませ、黄金の光と共に透明なバリアジャケットを身に纏った。

が、ぼくはもとよりフェイトちゃんにも衝撃は無い。

ぼくらが数瞬立ち尽くした後に音源に視線をやると、自動ドアが割れていた。

硝子片はコンビニの中に散らばっており、キラキラと陽光を身に受け輝いている。

その元々あったであろう場所からは、外の熱気がうねりながらコンビニの内部へと侵入してきていた。

それ以外の異常は一切ない。

パクパクと口を開け閉めしていた店員さんが、慌てて口を開く。

 

「お、お客様、お怪我はございませんか!?」

「はい、大丈夫です。Tも……」

「うん。大丈夫だけど……」

 

 と告げると、ほっとする店員さん。

けれどぼくは、視線を鋭くしたままに告げる。

 

「見て。自動ドアは内側に向けて割れている」

「うん、そうだけど?」

「で、何が投げ込まれたんだい?」

「石か何かじゃ……」

 

 と告げ、フェイトちゃんが口ごもる。

そう、何も無かった。

外から投げ込まれた物は、何も無かったのだ。

これが魔法なら何もないのは分かるが、今度は自動ドア以外の何物も傷ついていないという現状が不可解になる。

魔力弾なら床かフェイトちゃんに命中している筈で、それも誘導弾ならクリアできるが、そもそも魔力弾は魔力光に包まれており不可視にはできない。

故にコンビニには何も投げ込まれていない。

けれどコンビニの自動ドアは割れた。

不可解、不可解の極みである。

けれど、そこにぼくは直感した。

 

「……これは、事件だ」

「うん、確かに」

 

 と、フェイトちゃんの言葉があったので、ぼくは頷き続ける。

 

「名付けるなら、自動ドア殺人事件だよ」

「え?」

「あの、お客様?」

 

 首を傾げるフェイトちゃんにコンビニ店員。

フェイトちゃんは兎も角、店員は二十歳過ぎに見え、可愛い仕草がちょっと似合わない感じであった。

それはともかく、指差すぼく。

 

「見てくれ、この自動ドアの破片。なんだか、量が少ないと思わないかい?」

「あ、言われてみれば……」

「確かに……」

 

 と2人が言う通り、破片の量が明らかに少なかった。

と言うよりも。

 

「この破片、奇妙なことに、凄い綺麗な割れ口をしている硝子があるだろう? その切り口を繋いだらどうなる? いや、もっと言えば、自動ドアのタッチパネル部分が、どうなっている?」

「……これは」

 

 と、目を丸くしてフェイトちゃん。

頷き、ぼくは告げる。

 

「そう、この場から自動ドアの破片が消え去っている。くるっと丸く、正円形にね」

 

 事実であった。

正円形にくり抜かれた硝子がその後割れたように見えるけれど、ぼくらが入ってくる時にはコンビニの店内に熱気は欠片も無かったのだ。

つまり、ぼくらが店内に入ってから硝子が割れるまでに、自動ドアの硝子は正円形にくり抜かれた事になる。

そして。

 

「見れば分かると思うけれど、正円形にくり抜かれた部分は自動ドアを開ける時にタッチする、あのパネル部分を含んでいる。自動ドアを自動ドアたらしめている、心臓部分。それを無くしてしまえばただの硝子になってしまう、自動ドアのアイデンティティ」

「自動ドアの、命」

「そう。だから改めて言うけど、この事件に名付けるのだとすれば――」

 

 一拍。

ぼくは先程と同じように、鋭く声で告げる。

 

「自動ドア殺人事件だ」

 

 かくして夏のある一日、ぼくとフェイトちゃんはこの奇妙な事件に巻き込まれていく事になるのであった。

 

 

 

 

 



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その24:自動ドア殺人事件2

更新期間が空きましたが、また風邪でした。
寒い時期になりますので、みなさまも体に気をつけてください。


 

「探偵団を立ち上げよう」

「……へ?」

 

 突然に、Tは言った。

脈絡というものを軽視し過ぎた言葉に、思わずフェイトは足を止める。

Tの目を見て本気を確かめ、それから一歩引いてTの全身を観察し、いきなり別人に入れ替わっていない事を確かめ、それからもう一度Tの目の本気度を確かめた。

当然のごとく、Tは本気の目であった。

フェイトは今日何度目かになる頭痛をこらえながら、Tに向け困り切った笑顔を向ける。

 

「えっと、どういうことかな?」

「あの店長、自動ドアの誇り高い命が失われたと言うのに、ガムテープで張るように指示するだけだっただろう? 位牌を飾るどころか、手を合わせもしなかった。どころか、まるでぼくらを犯人を見るような目で見てきたじゃあないか」

「えっと、私、何処から突っ込めばいいのかな……」

 

 フェイトには自動ドアにあるという誇りも初耳だったし、自動ドアを弔う為に位牌を作るという風習も初耳であった。

地球に赴く際に事前に調べておいた地球の情報では、そのような風習など無かった筈である。

が、Tがあまりにも真剣な声色で言うので、フェイトは弱々しく冗談めかして言う事しかできなかった。

そんなフェイトに、首を傾げ、T。

 

「形容が足りなかったかい? けれどあまり美辞麗句を付け加えても、かえって嘘っぽくなるんじゃあないかと思うんだけどなぁ」

「……えーと」

 

 混乱し、フェイトは目をグルグルと回しながら、もしかしてTはフェイトの知らない地球の風習を教えてくれているだけなのかもしれないと思う。

が、同時に何時ものTを考えると、今一信用し切る気にもなれず、うむむとフェイトは頭を抱えてうずくまった。

まずは冷静になるべきだし、そうなるには信じられる物を思い浮かべるべきだ。

そう思い、フェイトはなのはとTの名前を思い浮かべる。

なのはとTとの握手が思い浮かび、フェイトは浮ついた心が落ち着いてきたのを感じた。

 

「……よしっ」

 

 呟き立ち上がると、フェイトは次いでTの事を考える。

Tは不思議な少年であった。

変なことばかり言うし変な事ばかり考えているに違いないのだが、不思議とよく的を射た発言をする、フェイトの大切な友達であり、フェイトに友達の価値を教えてくれた恩人でもある。

その関係はどちらが上とも言えぬ不思議な物であったが、少なくとも一般常識に関しては自分の方がマシだと言う意識がフェイトにはあった。

故にフェイトは友として、Tの常識を導かねばならないのだ。

フェイトの胸の奥に、決意の炎が燃え出す。

瞳に意思の醸し出す温度を載せ、フェイトはTの目を真っ直ぐと見つめて。

 

「で、だから僕らは探偵団を立ち上げねばならないんだ」

「だからってなんでっ!?」

 

 早速挫けそうになった。

思わず叫んだフェイトに、しかしTは不思議そうな顔をするばかりで、こちらこそが道理の通らない事をしているのではないかと錯覚してしまいそうだ。

それでも心の中で、自分で自分にエールを送り、どうにか笑う膝で姿勢を維持するフェイト。

が、追撃。

 

「これさ」

 

 Tは、カビたメロンパンを差し出した。

何時持ちだしたのか不明だが、コンビニから持ち出していたらしい。

勿論、意味不明である。

心が折れそうになるのを必死で抑えながら、フェイトは辛うじて声を出した。

 

「つ、つまり?」

「自動ドアを弔わねばならず、ぼくらには冤罪の視線が向けられ、報酬は先払いされてる。それに、何となく動機も掴めたような気がするから、推理のアテもあるしね」

「……動機って?」

 

 フェイトが土俵際の心意気で繰り出した声に、Tは満面の笑みを浮かべる。

純真な、見る者の心が洗われるような笑みであった。

 

「フェイトちゃんさ」

 

 フェイトは、不意に陽光が強いな、と思った。

現実逃避であった。

 

「自動ドアは硝子製だが、センサ部分は電気が関係している。対し、フェイトちゃんは金髪だ。金髪は、メッキだ。ここまではいいだろう? で、メッキは最初、電池に電気が流れなくなる障害として発見された。つまり、フェイトちゃんを前にしては、自動ドアは心臓麻痺を起こしてしまう」

「あの、私、今まで自動ドアが反応しなかった事って無いんだけど……」

「反応はするさ。でも心臓麻痺になるんだよ。で、止まった心臓と言えば、切り分けて美味しく食べねばならない。硝子は食べられないけど、弔いの意を持つのならば切り分けるのは当然だろう。その前段階として、心臓を切り離さねばならない。つまり、だ。現在の容疑者候補は……」

 

 Tは、くるりとその場で回転。

ゆるめのシャーベットカラーのTシャツが風を孕んで少し浮き上がり、回るバレリーナのスカートのようにめくれ上がった。

薄っすらと割れた腹筋をのぞかせた後、指を天に、片手を腰につけ、口元を左右非対称に持ち上げてTが言った。

 

「あのコンビニの店員さんだ」

「…………」

 

 助けてなのは。

心のなかで、フェイトは思わずそう叫んだ。

それを聞いてくれるはずもなく、続けるT。

 

「現場にはぼくら2人と店員さんと店長しか居なかった。ぼくは自分が自動ドアを殺していないと知っているので排除、フェイトちゃんがそんな事する筈無いので排除、残るは店員さんか店長。店長は自動ドアに弔いの心など持っていなかったから、犯人は店員さんか外部犯の二択。しかし自動ドアに弔いの心を持つのは、店員さんの方が自然だ。故に、犯人は店員さんの可能性が高い」

「はぁ……」

 

 フェイトは、空が綺麗だなぁ、と言う思いに浸りたい衝動に襲われたが、何時までも現実逃避を続けられなかった。

友達の言う言葉に向き合わねばならぬという、性分から来る行動である。

ばかりか、何気に変な論理の上でとは言え、自分のことを信じてくれるTに、なんだかくすぐったい思いすら感じる。

自分が何だか簡単な人間に思えてしまい、恥ずかしがりながらも、フェイトは口を開いた。

 

「それで、私達はなんでデパートに向かっているんだっけ」

 

 そう、フェイト達はデパートに向かっていた。

というのは、Tがコンビニを出るや否や、この辺りで一番高い建物の屋上に行きたいと言い出したのである。

幸いにも近くにデパートがあり、そこが辺りを一望できる高さである事を知っていたフェイトは、Tをそこに案内する途中であった。

ちなみにその知識は、Tと遊びにいけると聞いてフェイトが毎日観光雑誌を読んで集めた知識だった。

役立つのはいいのだが、なんとも釈然とせぬ思いを抱くフェイトであった。

 

「それはね、あの自動ドアの心臓……正円形の硝子が、何処に行ったかを考えてみれば分かる事さ」

「え? 犯人の手じゃあないの?」

「いいや、風に吹かれて飛んでいってしまったのさ」

 

 フェイトは、思わず虚空に視線をやった。

首を傾げるT。

 

「どうしたんだい? 何が見えるの?」

「うぅん、なんでもな……」

「なるほど、正解だ」

 

 言われてフェイトが視線の先に意識のピントを合わせると、そこには気球の絵のポスターが。

え、とフェイトが漏らすよりも早く、Tはにこやかな笑みを浮かべて続けた。

 

「硝子は結構重いからね、風でふわふわ飛んでいく訳にはいかず、気球のように硝子を飛ばす物が必要になるだろう。ぼくの想像では気球よりも沢山の風船の方が近かったんだけれど、まぁその辺は見つけてみての事さ」

「…………」

「それには当たり前だけど、高いところから探すのが一番いい。今も円形硝子が空を漂っているのならすぐに分かるし、犯人がそれを受け取るのならうってつけの場所だからね」

「…………」

「しかしデパートかぁ、海鳴にデパートはあったけど中々近づく機会がなかったから、新鮮だなぁ。特に高度と人口密度が並立しているのがいい。今の年齢だと、中々そういう施設には近寄れないからね。フェイトちゃんは行ったこと……。あれ? フェイトちゃん、なんか目の光が無くなってない? ちょ、どうしたんだい、本気で具合が悪そうなんだけど? おーい、フェイトちゃん……?」

 

 

 

 *

 

 

 

「…………」

 

 瞬き。

照明の眩しさにすぐさま目を閉じ、それからフェイトは頭の裏にごわついたコットンの感触と、生暖かい温度を感じる。

額に手をやりながら、なぜだか痛む頭をさすりつつ、体を起こした。

喧騒。

白を基調とした高級感ある内装に、置いてある様々な賞品による彩り。

それからすぐ側にある顔を見つけ、フェイトはつぶやく。

 

「……T?」

「おはよう、Tだよ」

 

 言いつつTが両手に持った清涼飲料水の缶のうち、片方をフェイトに差し出した。

呆然としながらフェイトはそれを受け取る。

刺すような冷気がフェイトの肌を通して脳裏を刺激し、すぐに現実を思い起こさせた。

思い出したくなかったTの言動と共に、Tに膝枕をされていたのだと言う事実を即刻認識。

フェイトは顔を赤面させ、思わず俯いた。

膝枕なんて子供っぽくって、しかもそれをTにしてもらったのだ。

そう言うのは、なんというか弱みを見せてしまっているようで、恥ずかしいような、情けないような、よく分からない気持ちがフェイトの内心を踊り狂う。

そんなフェイトの内心を知ってか知らずか、ニコニコと続けるT。

 

「現状把握、できた?」

「えっと……。ごめん、お願いできる?」

「うん。フェイトちゃんが熱中症気味でクラっときちゃってから、すぐ近くにデパートがあったからそこまで肩を貸して辿り着いて、店員さんに言って冷房の効いた所で横にさせてたんだ。此処、デパートにあるベンチね?」

 

 熱中症というか、Tの言動で精神的に疲れ果ててしまったのだけれど。

そう言いたくなるのを我慢し、フェイトは兎に角頭を下げた。

原因はTにもあるのだが、介抱してくれたのである、当然のことだ。

 

「ごめんねT、迷惑かけちゃって」

「単品ならありがとう、セットでもありがとう付きの方が、聞く側は嬉しいと思うよ。僕もね」

 

 イオン系の水分補給に適した、フェイトとお揃いの清涼飲料水を口にしつつ、T。

その手の青い缶が照明に反射し、明るい光をフェイトに投げかける。

あ、と思わず口を開くフェイトに、Tは人差し指を天に向け差し出した。

 

「次から、頑張ろう? なのちゃんと出会った時、ありがとうを素直に言えるように」

「……うんっ!」

 

 さりげない所作の中に含まれるTの言葉は、なるほど、なのはの言葉のように心に深く踏み込む力こそ無かったものの、自然に受け入れられる浸透力のような物がある。

流石Tだね、と、なんだか嬉しくなってきてしまい、フェイトは思わず満面の笑みを作った。

Tはそれに何処か獲物を前にした猛禽類のように瞳を鋭くしつつも、すぐに顔を緩め、立ち上がる。

フェイトに手を差し出し、一言。

 

「さて、じゃあ屋上へ行けるかい?」

「屋上?」

 

 首を傾げながらフェイトが言うと、ニッコリと、心あらわれるような清涼な笑顔で、Tは言ってみせる。

 

「もう忘れたのかい、自動ドアの心臓である、円形の硝子板を探すのさ」

 

 フェイトは、脱力した。

が、Tはにこやかにフェイトを連れ、上りのエスカレーターへと誘導する。

 

「さて、何故デパートを目指しているのかは言ったっけ。なら次は、ぼくが探偵団を立ち上げねばならない理由の方だね?」

 

 人目をはばかってか、それとも他の理由があってか、Tは声量を控えめに、フェイト以外には意味のある言葉の羅列として取られない程度にして告げた。

色々な意味で色々な事を諦めつつあるフェイトは、それにただただ頷く。

それに気を良くしてか、T。

 

「地球の探偵といえばシャーロック・ホームズなんだけど、彼には推理力の他にいくつか得難い能力があった。武力と、ワトスンだ」

「えっと、ワトスンっていうのは確か相棒みたいな人で、ホームズの推理に驚く役の人だっけ?」

「そんな感じ。小説の形態としてはワトスンは凡人の視点として活躍したけれども、それはあくまでメタ的な視線による物であって、ホームズを現実の人と考えてみると違う。探偵は他の人よりも多くの事柄に気づいてしまうが故に、孤独さを免れない。それ故に、独りで探偵をしていては心をすり減らしてしまう。だから彼にとって心地よい仲間が必要だったんだよ。ぼくの場合、武力と友人が一緒になってくれたのが、フェイトちゃんになるわけだ」

「…………」

 

 フェイトは、自身の頬に二重の意味で赤味が差すのを感じた。

なのはに負けた自分の武力を、それでも信じてもらえるというのはとても嬉しい事だし、何よりはっきりと友人といってもらえると、それだけで照れくさくなってしまう。

だのにTは、フェイトの羞恥などどこ吹く風で友人と公言してみせるのだ。

ちょっと、ずるいな。

そう思ってしまうフェイトであったが、Tが自由奔放なのはいつもの事である事だし、仕方ないと受け止める他にあるまい。

仕方ないなぁ、とフェイトは笑みを漏らした。

 

 Tは他にも様々な演説を漏らしながら、屋上へとエスカレーターに乗って登っていく。

Tによると、屋上には犯人が居る可能性が、警戒が必要なぐらいにはあるらしい。

何故なら円形の硝子板を受け取るのに最も都合の良い場所は、やはりデパートの屋上のように高いビルの上だからだ。

人目は多いが一々オフィスビルのセキュリティを破る必要がなく、何よりTが妥当と考える風船による硝子板の飛行であれば、デパートのアトラクションだと誤魔化す事も可能だからとの事。

フェイトは話半分、いや話十分の一ぐらいだと思うようにして聞き流しながら、話の途切れ際にTに問うた。

 

「そういえば、Tはあの時コンビニの自動ドアを割ったのは、結局何だったと思うの?」

「そりゃ魔法さ」

 

 あまりに当然のようにTが言う物で、物は試しにと聞いてみたフェイトは、思わず目を見開いてしまう。

何故、と問うよりも早く、Tの声。

 

「あ、屋上についたみたいだよ」

 

 言いつつTがスタスタと最上階の広いテラスに出ようと自動ドアに向かうので、フェイトは慌ててそれに付いて行かねばならない。

駆動音を薄っすらと響かせ動く自動ドアに、フェイトは先のTの話から、この自動ドアも私を見て心臓麻痺を起こしているのかな? などと思いつつも、Tの後を追う。

 

 屋上には、Tとフェイトを除き、5人の人間が居た。

母子の2人にパン屋の屋台のような物を開いている店員、その屋台の椅子に腰掛けた青年、ベンチに座って虚空を見つめる中年の男。

誰が怪しいのか、と反射的に思ってしまってから、フェイトはこつんと自分の額を叩いた。

自分は大分Tに毒されてしまっているらしい。

Tの語るような事などあるわけがないのに、と思うものの、それからすぐにフェイトは不安に囚われた。

でも、友達の言う事を信じないっていうのはどうなんだろう、と。

勿論Tの戯言に耳を貸すなど阿呆か狂人かよっぽどの世話焼きしか居ないだろうが、フェイトはTの友達なのである、よっぽどの世話焼きとしてTの言葉を、せめて根拠無く否定しない程度には信じてやらねばならないのではないか。

首を捻って悩むフェイトを尻目に、Tは屋上の中心に立ち尽くす。

 

 開放されている屋上は、然程広くは無かった。

子供が乗っている小銭で遊べる遊具の他には、自動販売機とベンチとパン屋と緑で彩られた観葉植物による小さな庭しか無い。

それでも遮る物のない広い空は魅力的で、フェイトが空を見つめると、吸い込まれるような青空が視界にいっぱいになる。

本当に引力があるかのような空で、じっと見つめていたら地に足がつかなくなってしまいそうだ。

なんだか不安な感覚に、フェイトはすぐに視線を屋上へ戻すと、Tは難しい顔をしながら腕組みし、くるくると時計回りに辺りを見回していた。

まさか何時までもこれを続けるつもりじゃあ、とフェイトが顔をひくつかせた、その瞬間である。

 

「あっ!?」

 

 と、Tが叫ぶと同時に空を指さした。

遅れて、フェイトはふわりと屋上に大きな影が差したのに気づき、視線を空へ上げる。

あんぐりと、フェイトは淑女にあるまじき大口を開けてしまった。

何故なら。

 

「あれは……気球!?」

 

 思わず叫ぶフェイトであったが、その物体は厳密に気球というにはフォルムが少し違っていた。

白い布が似たような形を取っているのは確かだが、籠は存在せず、代わりに白い布は風呂敷のように一箇所で結ばれているように見える。

フェイトが思わず望遠魔法を使って見ると、なんとその部分は円形の何かを何重かに巻きつけてあった。

 

「まさか、本当に硝子板なの……?」

「あぁ、自動ドアの心臓さ」

 

 フェイトが今度は自身の正気を疑ってふらりと倒れそうになった、その瞬間である。

白い布が、急激に大きくなり始めた。

まるで空気を送り込まれるゴム風船のように大きくなり、みるみると布は大きさを増していく。

ぽかんとフェイトがそれを見つめていると、Tが叫んだ。

 

「まずい、パンになるぞ!」

「…………へ?」

 

 フェイトが疑問詞を挟み込むが早いか、白い布はすぐに浮力を失いはじめた。

慌ててフェイトが望遠魔法を駆使して見るに、確かに布だったそれは、いつの間にか白いパンになっていたのだ。

混乱しつつも、フェイトは即座にその質量を脳内で計算。

速攻発動した魔法で迎撃はできるものの、気づけば白い布から白いパンに変わるそれを攻撃するなど、今度は何が起こるのか怖くて何もできない。

代わりに、フェイトは咄嗟にTを避難させようと抱きつく。

このままTと共に逃げれば2人は無事で済むが、一般人であろう残り5人はどうなるか分からない。

それでもフェイトが何かできる訳でも無いのだ、この場は逃げるべきであった。

しかし、フェイトの視界の端に、遊具に乗ったまま呆然としている子供が見える。

そしてその子供を庇おうとした母親が。

動揺に揺れるフェイトであったが、その頭を優しくぽん、と撫でて、Tは笑顔で言ってみせた。

 

「大丈夫、対応策はあるさ」

 

 言って、Tは素早くポケットに手を突っ込むとパックを破き、カビたメロンパンを巨大な白いパンに向かって投げつける。

するとどういうことだろうか、カビはメロンパンから白いパンに向かってすぐさま増殖し、白いパンは一瞬でボロボロになったかと思うと、バラバラのカスになっていった。

風に吹かれ消えてゆく白いパンくずに、フェイトはぽかんと口を開けながら佇む他ない。

あまりの事態に力を無くしたフェイトの拘束をやんわりと解き、Tは数歩歩いて手を空中へ差し伸べたかと思うと、パシッと何物かとキャッチした。

 

「よし、ゲット、と」

 

 言いつつTが掲げる円形の硝子板。

そこには自動ドアの心臓部分と言える、チップを埋め込んだ動作部分が含まれており。

あまりにも訳の分からない事態に、フェイトは唖然と立ち尽くす他無いのであった。 

 

 

 

 

 



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その25:自動ドア殺人事件3

風邪がぶり返し(ry
皆さんも体調管理には気をつけてください。


 

 

 

「やれやれだね」

 

 シュー、という心細い排気音。

肩を竦めながらシルクハットのように気取った台詞を吐き、僕はポケットから取り出した殺菌作用のある制汗スプレーの噴出ボタンを押し続ける。

ぼくはすぐに自分とフェイトちゃんにスプレーしたので、今スプレーをしている相手はデパートの屋上に居た5人が相手であった。

ぽかーんとした顔のまま、ぼくは目前の青年の全身にスプレーを吹き付ける作業を続ける。

そんなぼくに、隣からフェイトちゃん。

 

「あの、T? なんだかいきなりだったから、何も言わずにされるがままだったけど。なんでTはスプレーをしているの?」

「何を言っているのさ。あんなにカビが繁殖した直後なんだよ? 殺菌しないとまずいじゃあないか」

 

 言いつつ、何故か頭を抱えだしたフェイトちゃんを尻目に、ぼくは黙々とスプレーを吹き付け続ける。

作業はまるで、ライン工の熟練の作業のようだった。

なんだか夢でも見ているんじゃあないかって顔の5人が、次々に入れ替わり立ち代りにぼくの目前に来て、制汗スプレーを浴びてゆく。

その作業は単純明快でありながらも、全身をできる限り余す所なくスプレーせねばならず、しかも全員分にスプレーの分量が間に合うよう調整もなさねばならないのだ。

ぼくはまるで熟練の職人になったふうな気分で、スプレーのボタンを押し続けた。

顎に手をやり、“考える人”みたいに腰をかがめて相手の全身を見つめるぼくは、きっと彼らの目には硬く慇懃な少年と見られていただろう。

口を開いてその誤解を解いてもいいのだが、なんだかそんな風に見られる事自体が新鮮で、ぼくは少しいい気分になって作業を続けた。

 

 作業の合間、フェイトちゃんは迷った末に彼ら5人と話す事に決めたようであった。

それを横で聞きながら、ぼくはひたすらスプレーに没頭する振りをして、内心では5人の人間の分析に力を入れる事にする。

 

 まずは、母子連れの2人。

テイロスというなんだか薄っぺらい名前の人が母親で、印象もまた薄っぺらい人だった。

年齢は30代前半か。

化粧も薄く気配も薄く、ついでに言えばなんだか厚みの薄そうな体をしていた。

勿論実際に厚みが無かった訳ではなく、人並みに体の厚みという物があるのだけれども、なんだかぼくにはそんな気がしたのだ。

例えば普通の人間の四肢は正円柱に近い形をしているが、彼女の場合楕円柱に近いと言えば分かるだろうか。

奇妙な肉体の女性に、しかしフェイトちゃんはあまり違和感を持っていないらしく、親子仲の事を聞いていた。

聞く限り親子仲は良好なようだが、それに対して息子は寡黙であった。

 

 息子はロティスという名前の、なんだか切れかかった街灯みたいに不安そうな子だった。

年齢はぼくやフェイトちゃんと同じぐらい、つるっとしたワックスがけされてそうな髪の毛に、俯いたままの顔など、とても大人しそうな子である。

内弁慶なのかそれとも頭の回転が遅いのか、とても口数の少ない子だ。

そんな彼の中で最も目立つのは、膝にぷっくりできた水泡だ。

つついたら彼の中身が全部飛び出しちゃうんじゃあないかと思って、ぼくは人間の中身が全て流れ出るのを見てみたかったので、水泡をつつきたくてしょうがなかった。

けれどぼくは必死に自制し、スプレーを吹きかけるのを先に終える事にする。

何せ彼は2人めにスプレーした相手なのだ、まだ残りが3人も居るのに放り出すのは、歯に唾液で固まったクッキーがくっついているようで、とても気分が悪い。

 

 パン屋の青年は、カティエという名前だった。

印象といえば、兎に角丸い人であった。

ふっくらと焼き上げたパンのように全身がとても丸みを帯びており、ぼくはこの人が狭いキッチンの中を動きまわるのを想像したが、どうしても風船が無理やり押されて形を変えられているような光景しか想像できない。

何時か彼が割れる日は来るのだろうか。

子供の時夢想した、子供の肉の風のように。

そう考え、ぼくはその光景を想像したけれども、大人の中身なので聖なる物では無く、その辺の焼いていないハンバーグを振り回すような光景にしかならなかった。

なのでぼくは溜息をつき、彼にはスプレーをするだけで留める事にする。

 

 パン屋の前に座っていた青年はイムトと言い、なんと管理局の局員で、災害救助に関わっているのだそうだ。

パン屋のカティエとは知り合いらしく、今日は湧いて出てきた非番で用事も思いつかず、パン屋を冷やかしに着たのだとか。

そうなんだかガラの悪そうな口調で言う彼は、こう言っては誤解を生じるだろうが、匂いのしそうな男であった。

別に臭い訳じゃあないのだが、なんというか、してもいないのに香水の香りのしそうな感じ。

フェロモンむんむんというか、大きく胸元を開けた女性の男性版というか。

そんな彼に、しかしぼくは勃起できなかった。

性の壁は厚いようである。

ぼくは自分の性癖が一般的な事に安堵すべきなのか、それとも性愛を授ける対象が二分の一になった事に悲しむべきなのか、今一分からない。

なのでぼくは、独りで黙祷する事にした。

局員のイムトさんのスプレーが終わると、ぼくは10秒ほど両手を合わせ、目を閉じたのであった。

ぼくのもしかしたら男性に向けられたかもしれない性愛に向けて、黙祷した。

形のない物への黙祷は、きっと神に祈る姿に似ていただろう。

 

 そして最後には、くたびれたスーツ姿の中年、レキという名前の人であった。

最初にぼくが彼に対して思ったのは、中身が無さそうな人間だなぁ、という事だ。

まるで人間大の風船に息を吹き込んだみたいで、もしかしたら彼の腕を切断してみれば、その中身は空気しか無いのかもしれない。

すると彼は恐らく、中身の空気を全て吐き出してしまい、ペラペラの彼になるのだろう。

そう思うと、ぼくは俄然彼の事を知りたいと思った。

何せ、彼の腕を切断するにはリスクが大きい。

もし空気を想像して切り裂いて、中身が普通の肉や骨だったら、ぼくはがっかりするどころではないだろう。

それ程にぼくは空気人間を切る事に執着していた。

空気ケーキを切るアリサちゃんや、空気ナイフを持つアルフさんが今ここに居れば、比較した上ですぐさまレキさんを切れたのだけれども、残念ながら2人とは結構な間会っていない。

自然、細部の記憶は曖昧になっており、ぼくは中年レキを切断する事を保留せざるを得なかった。

 

 とまぁ、これにぼくとフェイトちゃんを加えて7人。

それが夏休みの平日の午前中に、デパートの屋上に居る人数だった。

少ないような気がするけれども、この炎天下でデパートの屋上に子供を連れてくる大人が少ないのかもしれない。

まぁ、何にせよ、とぼくは丁度切れてしまったスプレーをゴミ箱に向かって投げた。

スプレーが空中を回転しながらゴミ箱に向かうのを尻目に、ぼくは屋上の中央に集まった7人に向い言う。

 

「さて、ここに集まってもらったのは、他の何でもない用事があるからです。それは……」

 

 ガコン。

カラカラカラ、と屋上の床に何かが転がる音。

 

「それは、犯人は……」

「T、スプレーが外れて落ちちゃったよ?」

「…………」

 

 ぼくは無言でゴミ箱に向かって歩いた。

途中にあるスプレーの空き缶を回収、ゴミ箱に向かって中に放り込む。

無言でぼくは寸前までの立ち位置に帰還、ごほんと咳払いをし再び口を開いた。

 

「犯人は、この中に居る!」

「いや、何の犯人だよ……」

「さっきのは集団幻覚だったのかなぁ……」

 

 局員イムトとパン屋カティエが五月蝿いが、兎も角ぼくの言いたい事とは、そういう事だ。

まずは、とぼくは自動ドア殺人事件について簡潔に告げる。

割られた自動ドア、割られる前に取られたと思わしき自動ドアの心臓、その場から消えた自動ドアの心臓。

全てを話し終え、ぼくが口を開こうとする、その寸前。

 

「あぁ、そういえば犯人が居るかもってこのデパートに来たんだっけ」

「…………まぁ、そうだね」

 

 思わずジト目になってフェイトちゃんを見つめるが、この娘、何も分かっていないようだった。

集団生活に馴染めて居ないからか、なんとも空気の読めない子である。

こりゃあ小学校にでも通うようになったら死ぬほど苦労するだろうな、とぼくは思った。

それが本当に、数カ月後にフェイトちゃんが小学校に通うようになり、その時フェイトちゃんの空気の読めなさが僕限定であった事を知る事になるのだが、それは蛇足という物であろう。

兎も角、ぼくはこのデパートに至った経緯を説明。

 

「……という訳です。って、なんだか皆さん頭を抱えていますけど、日陰にでも移動します?」

「T、これは多分太陽の光がどうこうって話じゃあないと思うんだけど……」

「え? つまり?」

 

 視線を外すフェイトちゃん。

ぼくはその先に何があるのか見てみたが、レンガ状の床材しか見えない。

気になって歩いて行って踏みしめてみたが、普通の床でしかなかった。

フェイトちゃんも奇行をするものだ、とぼくは首を傾げながら皆の前に戻り、続ける。

 

「犯人はこの丸い硝子板、自動ドアの心臓が欲しかったはず。そのために白い風呂敷に硝子板を運ばせた。パンに変身させたのは、風呂敷を処理する力が無く、パンを処理する力があったからだ。この中に、パンを処理できる力の持ち主が居た。その誰かは、今ぼくがやったようにパンを処理し、丸い硝子板を手に入れようとしたのだろうね。その誰かにとっては残念な事に、ぼくがこうやって硝子板を手に入れ、犯人探しまで始めた訳だけれども」

 

 続けてぼくは、脳内で容疑者についてひと通り考える。

母子は白だ、子供にあんなに大きなパンは食べられないし、母親は影が薄く光が強く照っていないときちんと存在できなさそうだ。

母は一見いけそうだが、あのカビの繁殖の早さから考えるに、あの場では光速が遅くなっていた。

寸前まで白い風呂敷が作っていた影がまだ残っており、そこに夏の湿度が加わりカビが増殖したのだ。

光速の遅い場所に、母は影の薄さから行けはしないだろう。

 

 パン屋のカティエはカビたパンさえ持ち歩いていればいいが、パン屋の中のパンがどれ一つカビて居ないのを見るに、それは不可能だ。

勿論売り物のパン全部にラミネート加工すればいいので、完全な白とは言えないが。

局員のイムトだって怪しい。

イムトの職場は管理局の災害救助部隊、となれば放水はお手の物で、パンをふやけさせて水の勢いで破くぐらい楽勝だろう。

中年レキは割り箸と輪ゴムとペンライトぐらいしか持っていなかったので、犯行は不可能な筈だ。

謎の荷物過ぎて謎だけれども。

 

 と。

そこまでぼくが思考を巡らせた所で、フェイトちゃんが口を開いた。

 

「兎に角、何にせよ、あのパンが落ちてきたら誰かしら怪我をしたでしょうし、それでなくとも犯人はコンビニの自動ドアを割った器物損壊の罪があります。私もTも管理局に縁があるので、すぐに局員が駆けつけるから、逃げられませんよ」

「って、馬鹿っ」

 

 慌ててぼくがフェイトちゃんの口をふさごうとするも、最後の犯人を暴発させかねない言葉が吐かれてしまう。

視線を5人にやると、一人足りない。

雷鳴のような速度の霊感でぼくはフェイトちゃんを突き飛ばそうとするも、間に合わなかった。

するり、と地面から舞い上がる何か。

それはフェイトちゃんをグルグル巻きにして縛り上げる。

 

「フェイトちゃんっ!」

「動くなっ!」

 

 甲高い声。

ぼくは伸ばした手を戻し、ゆっくりと振り向く。

叫んだのは、母子連れの子ロティス。

視界の端でフェイトちゃんを縛っているのは、紙のようにペラペラになったテイロス。

フェイトちゃんは、咄嗟に発動できたのだろうバリアジャケットがあるので気絶こそしていないものの、その場から動くのはちょっと無理そうなぐらいであった。

歯噛みするぼく。

 

「そうか、紙だから風にのって地面を滑って、ぼくらに気づかれずに動いてきたのか……!」

 

 ぼくがそう漏らすのに、子供のロティスは追い詰められた表情でこわばった笑みを作っていたのであった。

 

 

 

 

 




Q.この話いつまで続くん?
A.多分その5まで。


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その26:自動ドア殺人事件4

 

 

 

「硝子板を渡せっ!」

 

 子供の甲高い声。

辛うじてバリアジャケットの展開が間に合ったフェイトは、紙となった母子連れの母に縛られつつ、歯噛みする。

フェイトの全力を振り絞れば、この程度の拘束、力づくで抜け出すことは不可能ではない。

だが、そうなってしまえば確実に母テイロスの体は千切れて粉々になってしまうだろう。

フェイトの脳裏に、様々な煩悶が過る。

意味不明な状況に対する疑問詞。

Tの安否。

母子連れにフラッシュバックする、フェイトの母プレシアの姿。

自分を全く無視してこの世を去ったプレシア。

孤独。

手を差し伸べてくれたT。

 

 そうだ、とフェイトは内心で頷いた。

Tはフェイトにとって必ず守らねばならない大切な人であった。

それは母の代わりを求めてという部分も幾分か含んでいるが、それを薄々悟りながらもフェイトは内心の決意を変えない。

Tを、必ず守る。

例えそれが、どんな犠牲を払う事になっても。

決意に瞳を燃やすフェイトを尻目に、Tは悔し気な表情をしながら硝子板を少年に見せる。

 

「わかった、今から持っていくよ。でも、それじゃあ君がフェイトを離す保証もない。だから、同時に手放さないかい?」

「え? どういう事?」

「ぼくが硝子板を投げて手放すと同時に、君がフェイトちゃんを手放すんだよ。ほら、条件は対等だろう?」

「え? え? えっと……」

「そうでもなければ、この硝子板は手放さないぞ! どうなってもしらないからなっ!」

 

 混乱した様子の少年に畳み掛けるT。

Tが何を考えているのか察したフェイトだが、それにしてもTがどうなってもしらないなどと言うと、物凄い迫力だな、と思う。

何せやることなすことが元からどうなるのかしれない少年である、彼がその上にどうなってもしらない行動を取れば、一体どうなってしまうのやら。

 

 フェイトがそんな風に考えているうちに、状況は動いていく。

3人の大人たちは状況を見守るばかりで、局員のイムトでさえ意味不明な状況に混乱しているうちに、フェイトを人質に取られてしまっている。

それも少年が手に入れようとしている物が硝子板とだけあって、どう反応すればいいのか決めかねている様子であった。

気持ちはわかるが、どうにか手伝って欲しいなぁ、と思いつつも、フェイトはいつでも魔法を使えるよう準備をする。

それを尻目に、交渉を取りまとめたTが、叫んだ。

 

「それじゃあ、せーのっ!」

 

 と言ってTが硝子板を投げるのと同時、フェイトの拘束が解かれた。

するりと床近くを滑るテイロスを尻目に、フェイトは硝子板がまだ空中にある事を確認。

少年ロティスの手に渡るまで後2秒ほど、常人であれば何もアクションはできないが、高機動型魔導師であるフェイトであれば容易である。

目を細め、フェイトは高速移動魔法を発動。

空気を引き裂き空中の硝子板をつかみとり、目を見開く少年に向かってバインドを放つ。

呆気無く捕まった少年を尻目に、フェイトは襲いかかってくるテイロスに向かい、牽制の直射弾を放った。

 

「フォトンランサー!」

 

 非殺傷設定で放たれた黄金の槍が、テイロスに激突。

一瞬の拮抗の後、フォトンランサーはテイロスを焼き切り地面に激突した。

 

「……え?」

 

 疑問詞。

目を見開くフェイトだが、視界に映る光景は変わらない。

ぼう、と紙のように薄い母テイロスに火がつき、すぐさま回ってゆく。

呆然とフェイトが立ち尽くしているうちに、すぐさま紙は全て灰に。

夏の暑さを時たま和らげる、涼し気な風がその灰をさらっていった。

フェイトは、同い年ぐらいの少年の目の前で、その母親を殺してしまったのだ。

そう感じると同時、フェイトは全身から力が抜けてゆくのを感じた。

地面に危うい動きで降り立つと、膝に力が入らず、座り込んでしまう。

そんなフェイトの元に、Tがさっと近づいてきて、今にも倒れそうなフェイトを支えた。

視線をTにやろうとして、フェイトは咄嗟に動きを止める。

殺人者であるTは、果たしてどんな顔で自分を見ているのだろうか。

恐ろしい想像に身を掴まれたフェイトであったが、対しTの声色は優しさに満ちた物であった。

 

「大丈夫だよ、フェイトちゃん。あれは人間じゃあない。そうだろ、ロティス君」

「……う、うん」

 

 ならば何なのか。

思わず面を上げるフェイト。

視線の先に、声色の通りににこりと笑ったTが居るのに、僅かに安堵を覚える。

やはり微笑みながら、T。

 

「……あれは、君のお絵かきだろう?」

 

 は?

フェイトは疑問詞を脳内で吐き出した。

同じように、周りで見ているギャラリーも似たような声を漏らす。

しかし少年ロティスはゆっくりと頷き、肯定の意を返してきた。

それに呆然とする皆を置いて、T。

 

「君の膝の水ぶくれ、それは怪我じゃあないんだろう? 医者には原因不明とか言われたに違いない」

「わ、分かるの?」

 

 期待に満ちた声を漏らすロティス。

見れば少年の半ズボンから除く膝には、大きな水ぶくれができていた。

自然皆の視線はTの元へ行き、Tは自信満々にこう答える。

 

「それは、君の妄想で膨れ上がった物なのさ」

「……え?」

 

 目を丸くする少年を尻目に、Tは両手を広げ一回転。

Tシャツの裾をはためかせながら、さわやかな顔で続けた。

 

「君、内弁慶で、妄想の強い方だろう? それが全身を上手く流れてくれれば別に支障は無いのだけれども、体の何処かに溜まってしまうと、それは君の膝みたいに膨れてしまう事になる。そういう事さ」

「え? ……え?」

 

 疑問詞を連呼し、明らかについてこれていない少年に、しかしTは断頭台の如き鋭い台詞を吐く。

 

「その妄想は、母親にデパートの屋上へ連れてきてもらえる物だった」

 

 息を呑む少年。

Tの声を聞いて混乱し、続けて少年の反応に驚き更に混乱する面々。

 

「だから君は妄想の絵を描いて、それが動くよう妄想したんだ。絵は、君にとっての世界になる。ロティス君、君は君の書いた絵の神様なんだ。神様は絵を自由に動かせる。それが意識的だろうと無意識でだろうとね。だからお絵かきは君の母親になって、一緒にデパートの屋上へ来てくれた。ペラペラなのはどうしようもなかったけれどもね」

 

 突っ込みどころのありすぎる台詞である。

しかし相対する少年の反応は真剣そのもので、フェイトはもしかしてTは本当に真実を言い当てているのかもしれない、と一瞬思った。

が、やはりTの言動が意味不明なのも確かである。

半信半疑という所で思考を捨て置き、フェイトはもはや何もできないだろう、と少年を縛るバインドを解除。

少年に近づき、その頭を撫でる。

 

「そっか、お母さんと仲良くしたかったんだ。そうだよね、お母さんとは誰だって何時だって、仲良くしたいよね。でも、お母さんに代わりは居ないの。分かる?」

「……うん」

「お母さんの事、大切にね?」

 

 フェイトが笑顔を作ると、少年が黙って頷いた。

それに対し、数歩離れた所から、Tが問う。

 

「しかし、ロティス君。君はなんで自動ドアの心臓が欲しいなんて……」

 

 ぱぁん、と風船が破裂したような音。

呻き声、体重が屋上の床板に乗る重い音。

全員が振り向いた先には、膝をつくパン屋のカティエと、そこに黒光りする鉄製の何かを向ける中年の男、レキが居た。

一瞬それを見て何か分からないフェイトを尻目に、叫ぶT。

 

「しまった、割り箸を拳銃に変えたんだっ!」

「……へ?」

 

 フェイトの口から、二重の意味で疑問詞が漏れる。

質量兵器規制の強いミッドで拳銃を持つ難易度は高い。

その為、フェイトは未だに拳銃の実物を見たことが無く、目前のそれが本物の拳銃と結びつかなかった。

その意味での疑問詞に加え、割り箸が拳銃に変化するという意味不明の事態に、そろそろパンク寸前だったフェイトの頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

フェイトは、周りの空間が色彩を失っていくのを感じた。

 

 これは、そもそも現実の事柄なのだろうか。

フェイトは、この日初めて本気でその疑問を持った。

確かにTは、まごうことなき真実の質感を持っている。

手をつないだ時心のなかにたゆたうあの暖かさ、信頼の光の輝かしさ、何よりフェイトの頭では到底思いつきそうにない奇行の数々。

全てがTは現実の存在なのだと教えていたし、フェイトはその点にだけは納得している。

 

 しかし。

しかし、である。

その他の出来事は、どうにもフェイトの中で確固とした現実感を持ち得ないのだ。

自動ドアが割れるのはまだいい。

その一部が持ち去られたのもいいだろう。

だが、風呂敷がパンになるだろうか?

パンが空中でカビて消え去るだろうか?

お絵かきが人になるだろうか?

割り箸が拳銃になるだろうか?

全て、フェイトが今まで培ってきた現実に反する出来事であった。

そう、まるで、夢の中のような――。

そんなフェイトの思考を置き去りにして、現実は淡々と進んでゆく。

 

「硝子板を渡せ。さもなければ、この男を殺す」

 

 冷たい声と共に、中年の男が言った。

対しTは、フェイトと局員イムトに目配せをするも、どちらもつきつけられた拳銃が青年の命を奪うより早く中年を無力化するのは不可能である。

その上、青年は一発撃たれており、腹部から漏れた血が床を色づけていた。

フェイトは視線を伏せ、せめて手近に居る少年にその光景を見せない事ぐらいしかできない。

局員の方も似たような反応だったのだろう、Tは苦みばしった顔で言う。

 

「分かったよ、どうやって渡せばいいんだい?」

「歩いて渡しにこい。手渡しだ」

「待てよ、それじゃあパン屋のお兄さんの命が保証できないじゃあないか。保証は大事だ。何故なら……」

「時間稼ぎはいい、さっさとしろ」

 

 冷たい声の中年に、Tは渋顔を作り、ぶつぶつと不平を漏らしながら両手で硝子板を持ちながら歩み寄る。

いつもどおりのTに何か策でもあるのかと思うフェイトは、緊張しながらずっと見ていたが、何事も無く硝子板は中年に渡された。

あんまりのあっけの無さに、フェイトが小口を開けて驚いていると、中年はデバイス無しで飛行魔法を発動。

空へと消え去ってしまった。

局員は急ぎ青年に駆け寄り治癒魔法を発動、魔力光の残滓を漏らしながら救命活動を開始する。

然程得手ではないものの回復魔法が使えるフェイトは、駆け寄り続けて回復魔法を発動した。

黄金の魔力光と共に円形の魔法陣が広がり、銃創を直してゆく。

幸い危険な臓器は避けた傷であった為、回復は然程困難な物ではない。

落ち着いた所でフェイトが額の汗を拭い、ふと辺りを見回してみた。

 

「……あれ? Tが居ない?」

 

 文字通り、Tは忽然とその姿を消していた。

さながら、先ほどフェイトが夢想したように、まるで夢の中であるかの如く。

探さねば、とフェイトが思うよりも先に、突如睡魔がフェイトを襲った。

抗い難い強烈な睡魔に、フェイトの両まぶたが、錘でもついているかのように重くなる。

ふらり、とフェイトはその場に倒れた。

不思議と、肉のような弾力ある感触がフェイトの肌を捉える。

Tならウォーターベッドのようとでも言うだろうか、と思ったが最後、フェイトの意識は闇に誘われていったのであった。

 

 

 

 

 



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その27:自動ドア殺人事件5

 

 

 

 クラナガンの外れの、人気のない路地裏。

人混みから吐き出されるように中年の男が一人現れ、疲れ果てた足運びで路地裏の奥まで進んでゆく。

あたりを見回し視線のない事を確認し、男は首元に手をやった。

するとベリッと接着剤の音を置き去りにして、男の顔から肉襦袢が離れてゆく。

シャツをズボンから引っ張りだして、中の詰め物を道路に落とした。

素顔を晒した女は、汗ばんだ黒髪をオールバックに、赤い瞳を空気に晒す。

それは先ほどTが見つけた手配書にあった、指名手配犯ルカの顔であった。

 

 ふぅ、と大きな溜息を一つ。

ここまでこれたのも、自分の用心深さ故にだ、とルカは安堵と共に回想をする。

ルカは変身魔法を得意とする魔導師であると同時、質量兵器主義者であり、反魔導師社会主義者であった。

それ故に魔法に因らない変装も得意としており、魔力反応を伴わない変装と身長まで自在な変身魔法と使い分ける事により、あらゆる場所に姿を表せる女である。

その技術を用い、自動ドアに使われている硝子板を入手する為に、ルカはコンビニの店員として潜り込む事に成功した。

そこで事故を装って自動ドアを割る気だったルカの計画は、しかしフェイトとTの2人組が現れた事により瓦解したのであった。

待機状態で明らかにハンドメイドと分かるデバイスを持ち、恐るべき質の魔力を僅かながら漏らすフェイトは、明らかに高位魔導師である。

当然その前で怪しげな行為をすれば一瞬で捕まってしまうし、故にリスクを避ける為にルカは計画を練り直さねばならなかった。

いや、それだけならばルカは計画を遅らせれば良いだけだっただろう。

だが、もう一人の登場者が問題であった。

 

 Tである。

 

 Tは、ルカの魔導師としての感性に強く引っかかった。

彼を前にしては、何故かルカは自動ドアの硝子板を迂遠な方法で手に入れる他無かったのだ。

なぜかは、ルカ自身にもよく分からない。

どうしてだろうか、ルカの全身にそうせねばならないという不思議な霊的直感が宿り、全身を支配したのだ。

それに逆らい無難な方法を取る事など、ルカにはできなかった。

不可能であった。

不思議なことに、ルカは何故今のような行動をしているのか分からないというあやふやな理由で行動していたにもかかわらず、その行動に疑問を持つ事すらできなかったのだ。

 

 故にルカは、疑問一つ持たずに自動ドアを割った。

T曰く心臓である部分の硝子板を風呂敷に縛って空を飛ばせ、それをパンに変えて下ろし、手に入れようとした。

パンをどうやって受け止めるのかなんて、考えもしなかった。

そして子供が絵を母に変えた事に驚きつつも冷静に機を待ち、疑問一つ持たずに割り箸を銃に変え、輪ゴムを銃弾として打ち出したのであった。

 

「これで……、いい筈だ」

 

 ルカは確かめるように言いつつ、懐から硝子板を取り出す。

何の変哲もない硝子板であった。

硝子板の面積の3分の1ほどを、触った事に反応するタッチパネルが占めている。

ルカは、何故自分がこんなものを欲しがったのだろう、と疑問に思い、とりあえず硝子板を太陽に透かして見る事にした。

視線を空へ。

太陽に硝子板を透かすと同時、ふわり、と影が落ちてくる。

黒い点が空に浮かんでいた。

最初は見間違いか何かかと思うルカであるが、黒い点はすぐさま大きくなり始める。

すぐに何かがこちらに向かっているのだと気づくと、ルカは慌てて身を隠した。

撃ち落とすにも騒ぎになるし、隠れるのが先決と判断したのである。

 

 黒い点はみるみる大きくなってゆき、すぐにその全貌を顕にする。

黒い点は影になっているから黒く見えているだけで、そのおおよそは真っ白であった。

それは、白い布製のグライダーであった。

その中心には一人の子供、Tが体を水平にして乗っている。

 

「う、うわぁっ!」

 

 それを確認した瞬間、ルカは反射的に直射魔法をグライダーに向けて放っていた。

赤色の魔力光を纏ったそれは高速でグライダーに向けて発射、瞬く間にグライダーに穴を開ける。

すぐに真っ直ぐ飛べなくなったグライダーは、ゆらゆらと揺れながら急激に高度を落とし始めた。

 

「は、ははは、やったぞ!」

 

 ルカはなぜだか奇妙なほどに嬉しくなって、叫びながら両腕を上げ、喜んだ。

今にもその場でグルグルと回りたいぐらいに嬉しかった。

ルカがそんな稚気にあふれた行為をしそうになった瞬間、しかしTに動きがあったのである。

Tは、グライダーに穴が開いたと見るや否や、体の固定具を外し両腕だけを残し、グライダーから体を外した。

体を垂直に、まるで宙に浮いた鉄棒に両手で捕まっているかのようになったのち、Tは腕の力で自身の足を目的地であるルカの目前に向ける。

次の瞬間、なんと、Tの腕が伸びた。

否、正確には骨が伸びたのだ。

Tの両腕の肉はある地点で千切れ、その中にある骨だけが異様に伸びていく。

するとみるみるうちにTの体は押し出されて下方に進んでゆき、ルカがあんまりな光景に呆けている間に、両足のスニーカーがルカの数歩手前の地面を捉えた。

そしてTが両手を離すと、骨はすぐさま柔らかくなる。

自由に動かせはするのだろう、Tの両腕はTのすぐ側に戻って来るものの、スペースが足りなかった。

Tの両腕はぐるぐると、フォークで巻いたパスタのように高く積み上げられていたのだ。

そこまでし終えてから、Tは満面の笑みを浮かべて口を開く。

 

「こんにちは、Tです」

 

 ひっ、とルカの口から声が漏れた。

目の前の理解し難い少年を前に、ルカは半ば恐慌に陥っている。

何時魔法が暴発するのかすら分からず、ルカは涙目になりながら拳銃をTに向けた。

その拳銃を抑える手は震えを抑えられておらず、銃口の延長線はぶれ続けている。

 

「やれやれ、人の基本は挨拶からって習わなかったのかい? まったく、カバみたいに非常識な奴だね、貴方は。いいや、カバだってワニを食うぐらいだ、比べるのもカバが可哀想か」

「お、お前は……何だ!」

「ぼくはTだよ。貴方のお名前は?」

 

 パァン、と銃声。

銃弾は明後日の方向に飛んでゆき、近くの民家の雨樋を傷つけるだけに終わった。

やれやれ、と肩をすくめるT。

 

「ぼくは基本的に優しい人間だからね、礼には礼を返すようにしているんだ。犬猫って、なんだかいろんな事でぼくらに優しくしてくれるだろう? ぼくはだから、犬猫には優しくするようにしていたんだ。でも、アリサちゃんとすずかちゃんと友達になって、2人が犬猫にとても優しい子だから、ぼくは2人を通して犬猫に恩返しをするようになったんだよね」

 

 Tは言いながらゆっくりと、ルカの方に歩み寄ってくる。

垂れた両腕は、積み上げられたTの両腕から掃除機の電源ケーブルのように新しい腕部分が補充され、Tの歩行を邪魔しないような仕組みになっていた。

目前の理解し難い存在を前に、ルカは小さく悲鳴を漏らしながら、歩み寄られた分だけ下がる。

 

「でも、偶には直接恩返しをしないと、腕が鈍るというかなんというか、そんな感じなんだ。でも海鳴の街で見かける野生動物なんて、あとは鳥ぐらいだ。けれどあいつらの目って気持ち悪くて、恩を受けている気分にはならないんだよね。だから困っていたんだけれど、今日はなんととても素晴らしい事に、貴方はぼくにとても面白い体験をさせてくれた」

「な、何の事だっ!」

「だから」

 

 ルカの叫びを意にも介さずTは呟き、それから口を開け歯を見せた。

半月状の笑み。

歯は不気味なほど綺麗に揃っており、まるであの空に浮かんでいる月のように、隙間のない輝きをしていた。

 

「ぼくは、貴方に恩返しをしたい」

 

 瞬間、ルカは想像を絶する恐怖を体感した。

まるで心臓を鷲掴みにされるかのような恐怖。

歯が噛みあわず、目からは勝手に涙が溢れ出てくる。

原因不明の震えが止まらず、下半身は尿に濡れた。

 

「う、うわぁぁぁっ!」

 

 ぱぁん、ぱぁん。

拳銃の銃弾が、Tの腹部を貫通した。

しかしそこからは一滴の血も流れず、代わりに黒い何かがどろりと溢れだす。

粘性の高い液体は、どろりという擬音の似合う動きでTの足元へと垂れてゆき、溜まりを作った。

 

「やだなぁ、本当に恩返しがしたいだけなんだよ。さぁ、怖がらないで」

「やめろぉぉぉっ!」

 

 もはや震える足で立っている事すら困難なルカは、後退りすらできない。

そんな状況でも、不思議と銃を撃っても転倒はしなかった。

次々に放たれる銃弾がTの腹部を貫き、黒いタールのような液体が溢れだす。

ルカは悟った。

もはや、拳銃では目の前の少年は殺せない。

咄嗟にルカは、懐の硝子板を取り出した。

小さな掛け声と共に硝子板を割り、鋭利なナイフ代わりにし、ルカはTへと斬りかかる。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 絶叫。

一閃。

脇下から腹の横まで、袈裟斬りに駆け抜ける一刃は、何の抵抗も無くTを真っ二つに切り裂いた。

どばっと切り口から下の内蔵が、重力に惹かれ落ちてゆく。

喜色を浮かべるルカであったが、それも一瞬であった。

落ちてゆく内蔵が多すぎるのだ。

そう悟った一瞬後には、皮だけ残して目玉も脳味噌も一緒に落ちて、Tの中身はすぐさまルカの背後へ。

瞬き程の時間で皮が生え、全裸の姿になってルカの肩を叩いた。

絶叫したいほどの恐怖に襲われながら、ルカは半ば振り返りながら、叫ぶ。

 

「お前は……、お前は一体何なんだっ!?」

「ぼくはTです」

 

 にっこりと笑うTの顔は、それはもう満面の笑みであり。

その残る片手は、ルカの顔へと伸びてきており。

そして……。

 

 

 

 *

 

 

 

「…………」

 

 瞬き。

照明の眩しさにすぐさま目を閉じ、それからフェイトは頭の裏にごわついたコットンの感触と、生暖かい温度を感じる。

額に手をやりながら、なぜだか痛む頭をさすりつつ、体を起こした。

喧騒。

白を基調とした高級感ある内装に、置いてある様々な賞品による彩り。

それからすぐ側にある顔を見つけ、フェイトはつぶやく。

 

「……T?」

「おはよう、Tだよ」

 

 言いつつTが両手に持った清涼飲料水の缶のうち、片方をフェイトに差し出した。

呆然としながらフェイトはそれを受け取る。

刺すような冷気がフェイトの肌を通して脳裏を刺激し、すぐに現実を思い起こさせた。

 

「そうだ、T! 風呂敷がパンになって、パンがカビて、お絵かきが人になって、割り箸が拳銃になって……!」

「はい? フェイトちゃん、どうしたの? 変な夢でもみたのかい?」

 

 首を傾げるT。

それに気づき、フェイトはあたりを見回す。

フェイトはデパートの休憩用ベンチに横たわっており、辺りは見覚えのある区画である。

疑問詞と共に顔を見つめるフェイトに、Tが答えた。

 

「現状把握、できた?」

「えっと……。ごめん、お願いできる?」

「うん。フェイトちゃんが熱中症気味でクラっときちゃってから、すぐ近くにデパートがあったからそこまで肩を貸して辿り着いて、店員さんに言って冷房の効いた所で横にさせてたんだ。此処、デパートにあるベンチね?」

「つまり、屋上に行く、前だよね?」

「うん、そうだよ?」

 

 言いつつ、小首を傾げるT。

そのいつも通りの姿に、フェイトは先程までの光景が夢だったのだとようやく気付いた。

それにしても、とTの言動並に変な夢を見てしまった事にフェイトはかなり本気で凹みつつ、それをひた隠しにし笑顔を作る。

 

「よ、よかったぁ」

 

 やはり小首を傾げるTであるが、深くは追求するつもりは無いのだろう。

しばらく悩んだ後にうん、と一つ頷くと、口を開いた。

 

「それじゃあ、一緒に屋上に……」

「それは駄目っ!」

 

 反射的に、フェイトは叫んだ。

面食らってTが目を瞬く姿に、フェイトの決心が僅かながら揺るぎそうになるも、それでも意思は変わらない。

 

「えっと……何で?」

「な、なんでもっ」

「さっきまでは良いって言ってたじゃん」

「それでもなのっ」

「えーと、うん、後で自動ドアの冥福を祈らせて貰えればそれでいいけどさ」

 

 と納得してみせたTに、フェイトは思わず安堵の溜息をついた。

すると、なんだか異様にのどが渇いていた事に気づく。

多分変な夢を見たからだろうと思いつつ、フェイトはイオン系の清涼飲料水の缶を開け、中身をごくごくと。

一気に半分ほど飲み干すと、ようやく人心地がついた。

安堵の溜息と共に、よし、とフェイトは決意を顕にする。

今度こそ、Tが変な所に行かないよう、私がリードして動かなくっちゃ。

正夢にならない為とTにとって頼れる相手になるため、二重の意味でフェイトは使命感を胸に、Tの手を握った。

 

「それじゃあT、行こう?」

「オッケイ。まずはどんな所に行こうか?」

「そうだね、それじゃあ……」

 

 楽しげな会話を続けながら、2人はデパートの一階へと続くエスカレーターへと歩いてゆく。

2人が通り過ぎていくデパートの家電コーナーでは、多種多様なテレビが様々な番組を映していた。

そのうちいくつかはニュースを映しており、キャスターは回ってきた緊急ニュースの原稿を手に取り、番組の途中ですが、と断って続ける。

指名手配犯である魔導師ルカが、クラナガンの外れで凄惨な死体で見つかったと。

それを耳にするでもなく、フェイトとTは駆け足でその場を離れていった。

 

 

 

 

 




ようやく閑話終了です。
個人的に色々と反省点のある章でした。
次回から、A's突入。


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A's その28:殺意の産声

 

 

 

 ギル・グレアムは己の人生を正義に賭していた。

少なくとも、そう言った自負がある程度にはそうであった。

大怪我をした魔導師を助けた少年時代から幾星霜、グレアムは身命を賭して正義を振るった。

救いきれない人々が居た。

散っていった仲間達が居た。

しかしそれでも、グレアムは己の一生全てを肯定していた。

救いきれない人々が居たのは事実だが、救えた人が居たのもまた事実。

散っていった仲間が居たのも事実だが、己に救い、成長してくれた仲間が居たのもまた事実。

何より己の人生を否定し歩みを止めた所で、得る物は怠惰な時間のみ。

だから、疑問を抱き悩む事を止める訳ではないが、それでも己に歩みを止める事だけは許さず、グレアムは戦い続けてきた。

11年前までは。

 

 11年前、グレアムの目前で一人の勇者が命を落とした。

後輩であった。

いずれグレアムをも超え、多くの人々を救うであろう人間であった。

グレアムと違い妻子を持ち、暖かな守るべき家庭を持つ男であった。

だが、グレアムの目の前で彼は死んだ。

ミスは無いに等しかった。

少なくとも事前に得られた情報を前提にするならば最高の効率で練られた作戦による結果であり、足りなかった情報も得ようとすれば他の多くの物を犠牲にせねばならない物であった。

誰もグレアムを責めなかった。

管理局ばかりか、死んだ男、クライド・ハラオウンの妻子もそうであった。

社会すらクライドを勇者と称える記事ばかりで、グレアムはおおよそ十年周期でやってくるクライドの命を奪った闇の書の災厄を最小限に抑えたと、むしろ讃えられる側でさえあった。

 

 だが、その状況そのものがグレアムの罪の意識を深くする。

クライドは死ぬべき男ではなかった。

対しグレアムは老齢であり、妻子を持たず、引退も心の隅に置くようになった状況であった。

なのに次元世界中がグレアムの功績を讃え、グレアムを恨むべきクライドの妻リンディはグレアムを一言も責めることなく、クライドの子クロノはグレアムの使い魔に師事をすら頼んだ。

グレアムの生涯で、彼の自責と世界の声が一致しないのは、これが初めてであった。

それまではどれほどの功績を上げようと少なからず責める声とてあったのに、その一件だけ不思議とグレアムを責める声は無かった。

塵芥のように視界の隅に映る程度のことはあったが、少なくともグレアムの意識に留まる中には一つとて存在しなかったのだ。

 

 グレアムは、やりきれない気持ちを闇の書の完全封印に向ける事にした。

それが私怨に満ちた行為であり、正義とはとても言いがたい行為だと知りながらも、グレアムは使い魔と共に闇の書について調べる。

知れば知るほど邪悪な運命に満ちたロストロギア。

その知識を蓄えていき数年、グレアムはひょんな偶然から次の闇の書の主となる少女を見つける。

八神はやて。

魔法の存在しない管理外世界、グレアムの故郷地球の少女である。

 

 グレアムは苦悩した。

闇の書を封印できる可能性のある方法は見つかっていたが、それは主ごと凍結封印するという物であった。

その方法は当然主に対する攻撃行為を含んでおり、主が犯罪者でなければ違法行為である。

管理局に報告すれば使えない可能性のある方法であり、管理外世界の少女が管理局法上の違法行為を犯す可能性は低い。

 

 加えて言えば、はやては健気な少女であった。

グレアムがはやてを発見した時、既にはやては両親を交通事故で亡くしていた。

更には両足に闇の書の影響を思わしき麻痺を持っており、障害者として扱われていたのだ。

しかしはやては、笑顔を絶やさぬ優しい子であった。

例えばある時はやては、心なき少年に歩けない事を揶揄され暴力まで振るわれた。

はやては涙を零し、しかし歩けない身で少年に抵抗する事は出来ず、更に大人は誰ひとり感付く物はおらず、はやては少年が飽きるまで嬲られる事になる。

物理的に離れてサーチャーのみで監視していたグレアムと使い魔は、割り込む事ができなかった。

しかしその後はやては、町中を散策している時に少年が犬に襲われている所に出くわす。

凶暴な犬に引き倒され上から押さえつけられ、少年が恐怖の余り声を出せなくなっていた所、はやては大声をあげて近くの大人を呼び、少年を助けたのだ。

その大人とはつまりグレアムの使い魔であるリーゼ姉妹の片方だった訳だが、その事ははやての優しさには関係しないだろう。

その後はやては少年と顔を合わせ、恥辱のあまり逃げ出そうとすらした少年にさえ、しょうがないなぁ、と笑顔を見せるぐらいであったのだ。

 

 私は、この天使のように優しい少女を犠牲にしてまで、闇の書を封印するのか。

グレアムは、そう悩みに悩んだ。

仕事には決して悩みを持ち出さなかったが、頭の片隅には常日頃からはやての事が渦巻き、懊悩は続いた。

しかしグレアムの計画には時間が必要であり、決断は迫られるばかりであった。

はやてに親しい友達を作ってしまえば、暴走前の重要な場面で、闇の書の意思がその友達に影響された行動を取ってしまうかもしれない。

それを阻止する為、グレアムははやてを孤独にせねばならなかった。

 

 苦悩の果てに、グレアムは休暇を使って地球に出向く。

故郷への里帰りと観光と言って日本に現れ、心の赴くままに散策をした。

そこでグレアムは、はやてを虐げ、はやてに救われた少年と出会う。

友達じゃあないけれど、友達になりたい相手を探している。

そう言った少年の瞳に、グレアムははやての姿を見た。

無論少年とはやてが出会えば、グレアムの計画には大きく不利に働く。

それが、分岐点であった。

グレアムは、咄嗟に認識阻害の魔法で少年の記憶からはやての事を消した。

決断は精神全てを賭した物ではなく、咄嗟の判断で行われたのだ。

 

 あとは流されるままに、グレアムは少女はやてを孤独にした。

流石に主治医との繋がりは切れなかったが、親戚の名を騙り少女の家を改築しヘルパー無しに生活させるようにする。

学校には通わせず通信教育で済ませ、近所の人間ははやての事を憶えられなくなった。

はやては孤独になり、その笑顔にも陰りが出始める。

その事にグレアムの心は傷んだが、それでも計画を進める手は止めなかった。

 

 数年が経過した。

いよいよ計画実行の年になり、はやての住む街海鳴は一つの大きな事件に巻き込まれた。

後にPT事件と称される、ジュエルシードを巡った2人の魔法少女達の戦い。

グレアムはそれを好機と捉えた。

謎の少年Tという爆弾こそ抱えたものの、ヴォルケンリッターを制する事のできる高位魔導師がアースラの指揮下に入ったのである。

無論ヴォルケンリッターが万が一にも敗北しないよう介入の準備が必要になるが、アースラを闇の書事件の担当とするのがより自然になるだろう。

よってグレアムは、裁判の関連で身動きの取れないフェイト・テスタロッサを後に回し、先に不安要素であるTとの面会を計画、実行に移す事にする。

 

 柔らかな色合いの床にソファ、木目調の机と、リラックスしやすい環境を揃えた執務室。

グレアムは執務机に座ったまま、2人の使い魔、リーゼアリアとリーゼロッテを控えさせながら、Tに関する資料に目を通していた。

家庭環境や血筋は至って一般的。

両親も何の問題も無い模範的な人間であり、その顔写真にもグレアムには何の問題も見受けられなかった。

リンディとクロノが訪問した時も、息子を誘拐されたも同然の割には好意的な反応であったと言う。

本人の性格はかなり気まぐれな上に独特の感性をしているが、本質的には優しい人間であるとされていた。

独特の言い回しながらフェイトをよく慰め、その心のケアをしていた事からそれが知れよう。

ジュエルシードを食べたりと言動に予測がつかない所は気にかかるので、闇の書事件からは離れた位置に居てほしいのは確かであるが。

最も、それを確かめる為に顔を合わせるのが目的だ。

 

 来客を告げる電子音に、グレアムは資料から面を上げた。

金属扉が排気音と共に横に滑って行き、見知ったリンディから続いてクロノ、最後に一人の少年が部屋に入ってくる。

 

 瞬間、グレアムは生涯最大の戦慄を覚えた。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い!

原始的な本能がグレアムの脳内を蹂躙し、その言葉で埋め尽くしていく。

震える全身を、グレアムは全身全霊を持ってして抑えねばならなかった。

外聞などと言うくだらないものの為ではない。

目の前の生物に自分がこれ以上注目されてしまえば、次の瞬間何か恐ろしいことが起きるのではないかと、恐怖に捉えられた為である。

猛烈な吐き気がグレアムを襲った。

胃液が喉を逆流してくるのを、グレアムは残る僅かな精神力を振り絞って飲み込む。

体中から脂汗が滲むのを、グレアムは抑えきれなかった。

そんなグレアムの様子を見て何かを察したのか、リンディが口火を切る。

 

「お久しぶりです、グレアム提督」

「あぁ、久しぶりだね、ハラオウン提督」

 

 闇の書どころかかつてグレアムが挑んだ次元断層の危機を遥かに超える戦慄は全く和らがなかったが、それでもグレアムは機械的に返事ができた。

反射的にであっても、会話ができればTと離れられる時間が近くなる。

その希望にすがり、グレアムは涙すら流したい気分で、早口に会話を済ませた。

グレアムの考えに気付いたのだろう、リンディとクロノはTを早々と退室させるよう仕向ける。

人の形をした何か恐ろしい物が礼らしきものをするのに、グレアムは鋼の精神で立ち上がり、挨拶を返した。

排気音。

Tと共に、グレアムを気遣ったのかリンディとクロノが退室してゆく。

それを皮切りに、執務室の内部は荒い吐息で満ちた。

 

「あれは……何だったんだ」

 

 リーゼロッテが呟くのにグレアムが視線を動かすと、使い魔2人も消耗した様子で肩で息をしている。

ついでに時計に視線をやると、気づけば30分近い時間が過ぎていた。

面会時間は5分に満たなかった筈なので、残りの時間はグレアムらが会話できるようになるまで回復するのに必要な時間だった事になる。

改めてTの恐ろしさに思いをやるグレアムを尻目に、リーゼアリア。

 

「お父様がクロノを庇ったのは、正解でしたね……」

 

 そう、Tを攻撃したクロノを罰から遠ざける工作をしたのは、グレアムであった。

クロノの人間性を信じた事もあるし、闇の書の凍結封印に必要なデュランダルの調整をクロノ向けにしていた事からでもある。

だが、今の状況を見るに、クロノがTの恐ろしさを感じ取っており、事によれば排除に力を貸してくれるかもしれない事は、加えて有益と言えよう。

グレアムは、瞼を閉じ顔面を天井に向けた。

股間の不快感が、張り付くように気持ちが悪い。

グレアムは、恐ろしさの余り発狂でもしかけていたのだろうか、Tの恐怖に勃起し、射精していた。

 

 それからグレアムは、様々なコネを用い、Tの正体を確かめるべく行動し始める。

根拠がグレアムの直感のみという薄い物ではあるが、グレアムにとってTは闇の書以上に危険な可能性のある存在であった。

それ故にグレアムは様々な情報収集と並行して、あるロストロギアの使用権を購入する。

真実の鏡。

イエス・ノーの二択の答しか返ってこないものの、質問に必ず真実の答を返す、使用回数付きの低級ロストロギア。

その使用権を手に入れたグレアムは、様々な制限を受けつつ真実の鏡の前に立つ。

魔力の一時的完全リミッターに録音機器などのボディチェック、使い魔ですら入れない外界から遮断された空間へ独りで入る事。

全てを乗り越え、グレアムは真実の鏡の前に立つ。

 

「あの少年は……T は……」

 

 一旦口を閉じ、グレアムはもう一度Tに関する推測を頭のなかで反芻した。

半ばグレアムの直感であるが、もはやTは他の存在だと思えないのだ。

故にグレアムの問いは一つしかありえず。

グレアムは、問うた。

 

「“  ”」

 

 真実の鏡は、表面を真紅に染める。

イエスの返事であった。

 

「は……ははは……」

 

 グレアムは、膝を折りその場で崩れ落ちる。

今までの価値観が全て崩れていくのを、グレアムは感じた。

自分の人生の価値、死んでいった仲間たち、救えた人々、後輩クライド、闇の書との因縁。

全てが意味を失い、消え去ってゆくのをグレアムは感じた。

驚くべき事に、正義でさえその一つに過ぎない。

全て、グレアムを構成する全てが無価値な物に成り果てようとする。

それを防ぐには、たった一つの方法しか無かった。

 

 Tを、殺すのである。

 

 理由は己を父と慕ってくれる使い魔にすら話せない。

もし仕留め損ねてしまえば、使い魔にまで己と同じ絶望を味あわせてしまうからだ。

それすらもどうでもいいと考えそうになってしまう自分を叱咤し、グレアムは高速回転する脳髄でTの殺害方法を考える。

幸い、グレアムは2つもの暴力に心当たりが会った。

管理局の最大火力、アルカンシェル。

最悪のロストロギア、闇の書。

その2つをぶつければ、いくらTとて殺せるのではないか。

何の根拠も無い考えだが、それに縋らねばグレアムは人生を両足で立って歩む事すらままならなかった。

 

「殺す……」

 

 呟く。

殺意を載せて。

全身全霊の、グレアムの人生を賭して。

正義に賭していた筈の全てを賭して。

 

「殺す……っ」

 

 言う。

誰一人同じ場所に引きずり込まないよう、孤独に。

ともすれば全てを見失ってしまいそうな今、たった一つの希望に縋るように。

 

「殺す……っ!」

 

 叫ぶ。

己の魂の為に。

生存理由の為に。

その姿はもはや、正義を語る歴戦の勇者ではなく。

殺意に全てを委ねた、悪鬼羅刹の表情であった。

 

 

 

 

 




というわけで、A's開始です。
早速なのですが、PC買い替えの為、更新が滞る可能性大です。
既に滞っているような気もしますが、更に滞ると思われます。
ご了承ください。


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その29:修業について

 

 

「Tさん、本当に申し訳ないのだけれど……」

 

 と言いながらリンディさんが頭を下げる。

緑色の髪の毛が、重力に従い垂れた。

まるでエメラルドグリーンの海が滝のように流れ落ちるみたいな、不思議な光景であった。

ぼくはそういえば、今生では一度も滝を見たことがない。

滝と言えば、修行である。

打たれるのである。

なのでぼくはリンディさんの髪の毛の下に潜り込みたくて、ぼくはリンディさんに近づいた。

リンディさんは、ぴくりと体を震わせ、硬くする。

此処はぼくに与えられた部屋で、中にはぼくとリンディさんの2人しか居らず、監視こそされているだろうが誰か来るまではタイムラグがあるのだ。

それ故の緊張という事だろう。

ぼくは少しだけ悩んだ。

ぼくは決してリンディさんを困らせる為に動いているのではなく、修行の為に動いているのだ。

誤解を招くような行為は本意ではないし、ぼくという奴は驚くほど意思疎通が得意なので、それを損なうのはぼくの長所の損失に繋がってしまう。

 

 しばし悩んだ末に、ぼくはリンディさんの腰に張り付いていたその手を、両手で包みあげた。

少しだけひんやりとした体温が伝わってきて、冷たい物ってなんだか滑らかなんだよなぁ、と思い少しだけリンディさんの手をこすると、つるつるである。

ぼくはゆでたまごにするみたいにリンディさんの皮膚を剥いてみたい衝動に襲われた。

が、ぼくは何としても誤解を解き、そして修行をしたいのである。

自制心を強く働かせ、ぼくは口を開いた。

 

「心配いりません。ぼくがしたいのは、ただの修行なのですよ」

「しゅ、修行?」

 

 疑問詞と共に跳ね上がる頭。

当然のごとくリンディさんの髪の毛は重力に従い、元の位置に戻っていった。

修行する滝は、消えてしまったのである。

ぼくは思わず目が潤んでしまうのを、自身で感じた。

再びリンディさんに頭を下げてもらった所で、そこに発生する滝はぼくの修行したかった滝ではないのだ。

人間の魂だっておんなじだ、連続性がそれを支えている。

例えばぼくが転生しても自分は同じ人間だと感じていられるのは、ぼくの意識が連続性を持ってそれを感じているからだ。

死や生誕の時には睡眠の時とは全く別の脳の機能のスイッチオン・オフがあるとぼくは信じているし、それを感じていないという事はぼくは転生しているのだろうと思う。

つまり何が言いたいかと言うと、ぼくは修行をする機会を永遠に失ってしまったと言う事だ。

ぼくは、思わず俯いてしまった。

それでもリンディさんを困らせるのは本意ではないため、必死で感情を制御する。

すると、ふわりと良い香りのシャンプーの匂いがした。

体を包む体温。

 

「大丈夫よ、Tさん。そんなに強がらなくっても、弱味を見せても良いのよ。そんな貴方を食い物にする人間は居ないし、笑う人だって居ないわ」

 

 そう言いながら、リンディさんはぼくを抱きしめぼくの頭を撫でた。

それでも、リンディさんは何処かでぼくを怖がっているのがなんだか分かる。

無償の愛を騙るのであれば、その仕草はちょっと強ばり過ぎであった。

しかし逆説、リンディさんはそれを乗り越えてぼくを慰めてくれており、その愛情の大きさが分かるという物だ。

ぼくは頑張って、笑顔を作った。

けれど涙腺にさっき我慢していた涙が溜まっていたらしく、一筋の涙が溢れだしてしまう。

その涙はリンディさんの肌とぼくの肌の隙間に入り込み、消えていった。

 

「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」

 

 言いながらリンディさんはぼくの頭を撫で続ける。

よしよしよしよしぼくの頭を撫で続ける。

そのリズムはなんだか心臓の鼓動に似ていて、ぼくはあぁ、人間の心臓ってなんて素晴らしい楽器なんだろう、と思った。

どくんどくんと言う音はポンプ音なのに低周波を伴わず、ドラムとかによくあるバフッという叩かれた空気が鳴らす付帯音が存在しない、純粋な音なのだ。

是非手にとって聞いてみたい所だが、ポータブル心臓にはぼくは最近失敗してしまった所である。

折角の楽器を台無しにするのは憚られ、ぼくは黙ってその場で佇んでいた。

佇みついでに、ちょっと考えてみる。

 

 はて、そういえばリンディさんは何でぼくの部屋に来たんだっけ?

 

 

 

 *

 

 

 

 ぼくは冬風が吹きすさぶようになった現在、半ばロストロギア扱いである。

故にぼくは暴走の危険性から滅多にミッドチルダの研究施設を出る事ができず、監視や研究の為に閉じ込められているのだ。

それにしたって、ぼくにだって東京タワーをクライミングしたり、富士山からターザンロープで裾野まで降りたりする権利ぐらいはあるだろうに、と思ったのだけれど、此処はミッドなのでどちらにせよ無理であった。

 

 それはそれとして。

兎に角ぼくは施設を中々出る事ができず、なのはちゃんら地球組とは通信での会話のみで、フェイトちゃんとも偶にフェイトちゃんがぼくの部屋に訪れるぐらいだ。

一度だけフェイトちゃんと出かけた時もあったのだが、どうやらリンディさんが裏技を尽くしてやった事であり、そうそうある機会では無いらしい。

その機会は十分に使って楽しんだので悔いは無いが、残念なのは確かである。

 

 で。

そんなぼくだが、当然のごとく独りで研究施設に居る訳ではなく、他にも生体ロストロギアやらロストロギア融合者やらも研究施設に住んでいる。

しかしその中でもぼくはとびっきりの危険株らしく、またぼくから得られるデータも独特の物らしい。

そこでぼくだけを隔離し管理しようという話も持ち上がっているそうだ。

勿論それはコスト面や人道面から実現に至っていないが、そういう声が大きい事は確かなのだとか。

全く、ぼくは暴走など一回もしていない模範的人間である。

それも驚異的な模範性の持ち主で、なんでもやってみなさいと言われて隔離用の分厚い金属板をダンボール製に変える事しかしなかったぐらいだ。

独特のデータと言うのは、まぁそういう可能性もあるのだろう。

だけどぼくを危険扱いするというのは何事か。

いくらぼくが温厚といえど、憤懣やるかたない物である。

 

 まぁそんな不満もある訳だけれど、それは置いておいて。

そんな状況で、なんと他にもう一人隔離の必要がある、危険性の高いロストロギア所持者が確認されたらしい。

しかもその子は地球出身で、更に共通の友人として、そのロストロギアの端末暴走でなのちゃんや保護観察中のフェイトちゃんと知り合いになったらしいのだ。

つまり、危険性が高く隔離したい人間が、2人とも出身が同じで共通の友人を持ち、一緒に管理すればストレスの緩和やらコスト削減やらに効果がありそうなのである。

そうくれば後は決まった物で、ぼくは八神はやてちゃんと言う同い年の女の子と、同じ施設で管理される事になった……らしい。

 

「くれぐれも」

 

 と、なのちゃん。

リンディさんの説明から数日後、そのはやてちゃん達を含め、アースラクルーとなのちゃんとフェイトちゃんがミッド辺境にあったこの施設に来ているらしい。

なのちゃんの方がぼくを案内しているのは、何でもなのちゃん曰く、付き合いの長い自分のほうが、まだぼくを制御できるからだそうだ。

ぼくは生憎ステルス戦闘機にもなったことがないので操縦性など無いに等しいのだが、それでもとなのちゃんは息巻いていた。

 

「くれぐれも、いつもみたいに変な事言っちゃ駄目だよ。はやてちゃんにドン引きされちゃうからね」

「へ? ぼくって何時変な事言ったんだい?」

「…………」

 

 頭痛を堪えるような表情のなのちゃん。

久しぶりにぼくと出会えて興奮してしまい、今頃そのしっぺ返しでも来たのだろうか、と心配になってしまう。

しかしそれにしても、タイミングが絶妙で、まるでぼくがいつも変な事を言っているかのような誤解を招く物であった。

やれやれ、なのちゃんも仕方がない子だなぁ、と思いつつぼくはなのちゃんの目を覗きこむ。

なんだか疲れ果てて今にもぽろりと落ちてしまうそうな目であった。

いくら目フェチ気味な所のあるぼくでも、抉りだしたくならない目である。

 

「いいもん、もうとりあえず行ってから考えるっ」

「はぁ……」

 

 叫ぶなのちゃんに、ぼくはどう答えればいいのやらと首を傾げつつ、ぴょこぴょことツインテールを動かしながら歩くなのちゃんに続いた。

どう反応すればいいのやら困りながらついていくと、すぐに自動ドアにたどり着く。

なのちゃんがいつの間にやら使い慣れた様子でIDカードをかざすと、排気音と共に横滑りするドア。

それにぼくは、夏に自動ドアを一つ看取ったんだっけ。

ぼくは懐かしくも苦い思い出に僅かに目を細めながら、部屋に入った。

 

 部屋は多分、ゲストルームの類なのだろう。

ホームパーティぐらいなら開けそうな広さがあり、内装は落ち着きながらも豪華である。

絨毯は上品過ぎない程度に毛足の長い赤、装飾は鈍い輝きの金で統一されており、照明器具は細かな硝子の装飾に彩られていた。

そんな室内に、薄水色のワンピースに黒い七分袖ジャケットを羽織った、車椅子に乗った少女が一人。

その周りにはフェイトちゃんとアルフさん、リンディさんクロノさんエイミィさんに、加えて見知らぬ人が4人立っている。

話に聞くヴォルケンリッターの4人だろうか。

犬耳尻尾付き筋肉隆々男に赤ロリ少女、やたらおっぱいのでかい麗人に地味な金髪、と4人に視線をやってから改めて少女に視線を。

何となく一礼するぼく。

 

「初めまして。ぼくはTです」

「初めまして。私八神はやてです」

 

 はやてちゃんが頭を下げた。

ぼくは視線を向けたままできる限り頭を下げていたので、彼女の茶髪がふわりと踊りながら重力に従うのが見える。

その長さはリンディさんより短かったので修行に向かなかったが、不意にぼくの脳裏に電撃が走ったのである。

ぼくは先日、不注意から修行の滝を非連続的にしてしまった。

もう一度同じ事があれば、短い間隙である、同じ結果が待っているに違いない。

だがより短いはやてちゃんの髪による滝であれば、連続性を途絶えさせずに修行をできるかもしれないのだ。

そしてその経験はぼくの糧となり、何時か来る修行の時をより完璧にしてくれるだろう。

ぼくは早速高速思考で、如何にしてはやてちゃんの頭を上げさせず、ぼくがはやてちゃんの髪の滝壺に辿り着けるか考える。

答えは、一つしかなかった。

 

「…………?」

「…………」

 

 沈黙。

同時、頭の上がらないはやてちゃん。

期待通りの結果に、ぼくは内心ニヤリとする。

この状況は、ぼくがはやてちゃんもぼくと同じように視線をぼくに向けたままで居た事から予想できた。

はやてちゃんは、とりあえず相手が頭を上げてから自分も頭を上げるタイプの子なのだ。

少なくとも初対面の相手ではそうするタイプの子なのだ。

第一段階の成功に、ぼくは内心ほくそ笑みながら、つつ、とすり足で脚を動かした。

 

「…………!」

「…………」

 

 はやてちゃんは小さく目を見開くも、意地になっているのだろう、頭を上げはしない。

だがその意地も、ぼくにとっては好都合である。

ぼくは礼をした姿勢のままで、すり足を続けた。

 

「…………!?」

「…………」

 

 が、はやてちゃんはなんと、礼をしたまま車椅子の車輪を動かし、後退したのである。

内心舌打ち、ぼくは好敵手を見る目ではやてちゃんを見つめた。

気づけばはやてちゃんも、なんだかぼくと似たような目で僕を見つめている。

視線が絡み合い、ぼくらの中間では火花が散ったような気がした。

こいつは絶対に先に視線を上げたりなんかできないな、と心躍った瞬間である。

ぐいっ、と。

ぼくは首元の服を捕まれ、姿勢を引き上げられた。

思わず視線をやると、口元をひくひくとさせたなのちゃんが。

 

「あ……」

 

 小さくはやてちゃんと声が輪唱する。

視線をやると、同じく口元をひくひくとさせたリンディさんが、はやてちゃんの首元を引っ張り姿勢を正させていた。

同じようにぼくと見ていたはやてちゃんと、視線が合う。

一瞬真顔で見つめ合ったぼくらであったが、はやてちゃんの表情はすぐさま色を変える。

クス、と。

微笑。

 

「ぷっ、くくく……っ」

「な、何で笑うんだい?」

 

 問うとはやてちゃんは、お腹を抑えて身を捩りながら笑った。

 

「あは、あははははっ!」

「ちょっと待ちなよ、何で……」

「くっ、あっはっはっ!」

「クスクスクス……!」

 

 と、ぼくがはやてちゃんを咎めようとすると、何でか周りの人々みんなが笑い始める。

これが困った物で、ぼくの姿勢を正させていたなのちゃんまでもが笑い始めており、笑っていないのはぼく一人であった。

ぼくとしてはこれははやてちゃんとの真剣勝負であり、水をさされたことには遺憾の意を伝えたい所なのだが、この状況下で叫んでもなんだかちょっと空気に合わない。

ぼくのような常識人が一人取り残されるなんて、この空間の奇妙さと言ったらまぁ溜息物である。

そう思ったぼくは困り果てて、やれやれ、と小さく呟き肩をすくめるのであった。

 

 

 

 

 




今度こそパソコンが届きそうなので、更新が滞った場合は、私が初macに戸惑っている物とお思いください。


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その30:直結会議室

ちょっと間が開きましたが、再び更新です。


 

 

 暗い空間。

床から放たれる青白い光源に照らされながら、空間投影された映像が輝く。

映像では、はやてとTの2人が共同生活を行っている様が見えた。

ロストロギア所持者達のストレス解消の為というお題目から一緒にされた2人である、故に日中は監視付きとはいえこうして室内では比較的自由に生活できている。

現に今も、2人は昼時とだけあって、カウンターキッチンへ入ってきていた。

 

「へぇ、今日はたっくんがお昼ご飯作ってくれるん?」

「あぁ。いつもお弁当は急いで作らないといけないから冷凍食品だったけれど、晩ご飯は自分で作っていたからね。そこそこの腕前だと思うよ」

「そうなんか。楽しみやな〜」

 

 と、楽しげに会話しながらTは手際よく食事の支度を始める。

はやては自分が入ると邪魔になると分かっているのだろう、キッチンの入り口でにこやかにTを見守っていた。

そんなはやての視線を受けつつ、T。

 

「冷凍食品って、なんかゴムっぽいだろう? ぼくはそれが嫌で仕方ないんだけれども、ゴムって噛むと味がする気がしてくるじゃないか。だから仕方なく冷凍食品を食べていたんだ。なんで久しぶりに昼に自炊する事になるのかな」

「は? ……あぁうん、そ、そうかな?」

「やれやれ、コントラバスって地響きのように鳴るじゃあないか。あれを粘着質にすれば、似たような事になるだろうさ。分かるだろう?」

「……いやすまん、本当にわからんわ……」

 

 いつものTの言動に、まだ慣れていないはやては困り顔であった。

しかしそれを気にするでもなくTはさっと乾パスタを取り出し、熱した油に放り込む。

珍しい調理の方法に、目を丸くするはやて。

体の事情でプロの料理を目にする機会の少ないはやては、インターネット上の料理サイトなどで調べられる料理しかした事がなく、また一人で食べきれない量を作らねばならない料理はヴォルケンリッターと出会うまで作った事が無い。

自らのレパートリーの偏りに思うところのあったはやては、関心した声をあげる。

 

「揚げパスタ? 初めて見るなぁ」

「ふふ、出来てのお楽しみさ」

「って、あれ? さっき油やなくて水に片栗粉溶いとらんかった? でもなんか音的に揚げ物やし……」

 

 と、Tの料理の謎に疑問詞をあげるはやて。

それを無視してTはかけ餡を作り始め、はやてはTが手を伸ばす調味料の類に一つ一つ突っ込みを入れていく。

 

「って、なんで砂糖の次にスパイスに手を出すん!? いやいやラード!? なんで急にネギ刻み始めるん!? っていうかコンビーフ!?」

「ふふ、実を言えば、ぼくはコックになるのが将来の夢なのさ。なのちゃんには4月の授業で教えてあげたっけ」

「いや、私これ食うん? マジで?」

 

 Tの不思議料理術に青ざめるはやて。

しかしそれでも料理を食べる気でいるのは、はやての方からもTの事を友人と思い始めているのだろう。

それ自体はいいことなのだけれども、と映像を眺めるリンディは内心で呟いた。

視線を、映像を映しているこの暗い部屋へ。

会議室として使われるアースラの一室には、リンディ、クロノ、エイミィにヴォルケンリッターの面々が集まっていた。

 

「Tさんとはやてさんは、どうやら上手くいっているようね」

「それが、必ずも望ましい事とは限らないが……、しかし主はやてはお優しい方だ、予想通りと言えよう」

「そうみたいね」

 

 リンディは微笑みをシグナムに向けた。

一瞬視線が交錯する。

これが主人を殺した遠因。

そう思うとリンディの奥底に暗い感情が沸かないと言えば嘘になるが、しかしリンディの夫を殺したのは闇の書の暴走そのものである。

闇の書の主でも、ヴォルケンリッターでも無い。

ヴォルケンリッターは正直遠因過ぎて、リンディが憎むに足る相手ではなかった。

かつてのヴォルケンリッターの行いは悪鬼羅刹の類であったが、今回のヴォルケンリッターにはその影すら見られない。

管理局法に照らしても、以前の主に仕えていたヴォルケンリッターと今のヴォルケンリッターは別人として扱われる。

彼らを憎まずにいられた事に、リンディは内心小さな安堵を覚えていた。

ほかの犠牲者達の事を思えば、その安堵は罪深いものなのかもしれないが。

 

「では、あちらも一区切りついたみたいですし。話を始めましょうか」

 

 言って、リンディは情報共有を始める。

事件はなのはをヴィータが襲撃した日に始まった。

辛うじてヴィータに食い下がるなのはの元に、偶々近くに居たアースラに居た、裁判を終えて嘱託魔道師となったフェイトが助けに。

アルフとユーノを加えた4人で、ヴィータの救援に来たシグナムとザフィーラを相手に奮闘するも、シャマルの手でなのはが蒐集を受け、しかしそのままスターライトブレイカーで結界を破壊し戦闘は終了。

アースラが闇の書事件を担当する事になり、フェイトが聖小に入学しアリサやすずかと知己に。

なのはが復活、フェイトと共に新デバイスを持って再びヴォルケンリッターと戦うも、その間にグレアムが闇の書の主八神はやてを発見保護する。

 

「……こう言ってはなんですが、妙なタイミングですね」

「闇の書事件をアースラが担当すると決まってから最初の、ヴォルケンリッターが全員離れた時間に八神はやてが発見された」

「私たちとしては、タイミングを見計らっていた、と邪推してしまうがな」

 

 鋭利なシグナムの声。

信頼できる上司を疑う声に、しかしリンディは反論できず、続きをただただ口にする。

 

 グレアムは今までにした事のない、権力を振りかざすような、なりふり構わない手口ではやての保護を強行した。

そしてそのままTとの共同管理を提案し、主の協力があれば闇の書の封印手段はあると言う。

なんでも10年前の事件を悔いて時折無限書庫で探していたらしく、はやてにその魔法をかければ暴走開始前の僅かな間、はやては闇の書へのアクセス権を維持できるらしい。

それを利用すれば闇の書は暴走部分を切り離す事ができ、その暴走部分をアルカンシェルで破壊すれば闇の書の悲劇は終わる。

闇の書を完成させる魔力は指定された害魔法獣から蒐集し、最後の暴走は無人世界で行えばいい。

それだけ聞けば、完璧な計画ではある。

 

「……その特殊な魔法が、我らどころかハラオウン提督にさえ非公開で無ければな」

「…………」

 

 言い返せず、リンディは口を紡ぐ。

そう、グレアムの言う特殊な魔法は上層部のみに限定公開される、隠匿性の高い物であった。

リンディ達には概要だけで、術式はおろか実践記録やその保証さえも伝えられていない。

当然幾ばくかの反発はあったが、同時にそれが管理局の最高評議会からの勅令に依る物だと聞くと、それも僅かな物に収まった。

管理局最高評議会。

殆ど名誉職と言われる管理局の最上部組織であり、3名の偉大な魔道師によって構成されていると言う。

その3名ともが管理局の創設メンバーであり、かつ元SSSランクの魔道師であり、かつ全員がそれぞれ次元断層の危機を回避する程の偉業をあげているという偉大な人間達である。

上から介入してくるにしても愚かな介入はしないだろうが、それでもその介入によってグレアムの計画の信憑性が更に下がっているという事実は拭いきれない。

 

「ゲートボールしてる爺ちゃん達ならいい人ばっかだったけど……。でも、だからって爺ちゃん全部を信じられる訳じゃねーし」

「私たちは闇の書の転生時に記憶を殆ど持って行かれるから、はっきりとした事は言えませんが……。噂に聞いた管理局創設の頃の彼らは、決して清廉潔白な人ばかりでは無かったわ」

 

 ヴィータとシャマルの声に、クロノが思わずと言った様相で声を上げようとする。

しかし、その気持ちもすぐに萎んでいってしまったのだろう、開きかけた口はすぐに閉じられる事となった。

クロノの反発は、法と正義を信じるが為に起きた物だろう。

若い者には顕著な反応であるが、クロノは特に、Tを相手にし精神の均衡を崩しかけてからは、法による正義を信じる事によってその精神を持ち直してきた子だ。

その法を定めた最高評議会を疑いきる事は、まだ難しいのだろう。

ならばその分を引き受けるのがリンディの役目である。

そう意気込み、リンディは視線をシグナムへ、凜とした佇まいで口を開いた。

 

「確かにこの事件において、管理局は清廉潔白とは言いがたいでしょう。グレアム提督の動き、最高評議会からの勅令。どちらも首をかしげざるを得ない物ですし、そこに貴方達が疑問を抱くのも当然でしょう」

「…………」

「ですが、残る案ははやてさんの殺害による闇の書の強制転生や、凍結封印によってはやてさんごと闇の書を封印する案ぐらい。事実上、対案は無いと言っていいでしょう」

 

 無論、どちらもヴォルケンリッターには呑めない提案である。

俯くヴォルケンリッターは、当然すでに闇の書の完成が破滅を招くと言う動かぬ証拠をいくつも見せられている。

暴走時の映像に微かに残る転生前の記憶が重なったのだろう、彼らは最早闇の書が完成後に暴走する事を認めていた。

ならば採れる案は、結局一つしか無い。

 

「グレアム提督の案を採るしか、無いか……」

「貴方たちには到底納得のいく方法では無いと思うけれども……」

「いえ、ハラオウン提督が我らの為に尽力して下さっている事は事実です。我らはともかく、主はやてにまで憎しみを向ける人々から守って下さっているのは貴方たちです」

 

 真っ直ぐな視線と共にシグナム。

ヴィータは顔を横にそらしつつも視線だけリンディに向け、シャマルはぺこりと柔らかな動作で頭を下げ、ザフィーラは堅い仕草で頭を下げる。

事実であった。

闇の書の被害者達による報復行為ははやてにまで矛先を向けられた物があり、恨み言を書いた手紙から爆発物の郵送、局員による襲撃計画などまであったのである。

当然闇の書についてはセキュリティ制限の高い情報で、誰もが知る情報では無い筈なのだが、それでも沸いてくる復讐者は後を絶えない。

リンディは人脈を駆使し、それらの報復行為への対応に尽力していた。

闇の書の被害者達の会などに参加していた事もあり、復讐者になりかねない人間の多くが知り合いだった事も有利に働いている。

それでも、夫を殺した遠因に感謝の言葉をもらうのは、奇妙な感覚であった。

リンディは曖昧な笑顔でそれを隠す。

 

「何これ、めっちゃ美味しいやん!?」

 

 と、オンにしたままになっていたはやてとTの映像から、はやての大声があがった。

シャマルも真っ青のポイズンクッキングと思われたTの料理は、何故か見栄えはよく、そしてはやてによると味も良いらしい。

ふふん、と得意そうな顔をするTに、項垂れるはやて。

 

「う、嘘や、あんな適当な料理で、私とおんなじぐらい美味しいんやけど……。めっちゃ凹むわ……」

 

 敗北感に溢れた台詞を言うはやてと、それをニコニコと見つめるTが、リンディの視界に入る。

リンディは、あの健気な少女はやてを救う事に異論は無い。

だがしかし、ふと思ってしまうのだ。

 

 T、あの奇妙な少年はどうだろうか。

 

 クロノが唾棄すべき邪悪と判断し、殺さねばならぬと直感した少年。

無邪気で変な言い回しばかりするだけの子かと思えば、プレシア相手に腕を物理的に伸ばすという発狂した光景を見せた狂気の子。

何より、リンディの直感もまた同じ事を言っているのだ。

Tは世界の為にもリンディの為にも、殺さねばならぬ邪悪なのだと。

 

 グレアムの計画を穿った目で見れば、はやてをわざわざTと同居させる事にしたのが目についてしまう。

グレアムもまたクロノやリンディと同じく、Tに邪悪の気配を感じたのではあるまいか。

いや、冷静にここまでの行動を起こしているのである、恐らくは2人以上に。

それならばリンディは果たして、グレアムを止めるべきなのだろうか。

歴戦の勇士としての感覚を持つグレアムは、それ故にTの邪悪さをより強く感じ取ったのではあるまいか。

とすれば、はやてはTを殺す為の戦力強化として助けるだけであり——。

 

 ——いや、と。

リンディは思わず頭を振った。

グレアムは偉大な人間である、精神的に未熟なクロノやリンディとは違う。

Tが例え邪悪な存在であろうと、法を犯していない以上殺そうとするなどありえない。

そも、Tはちょっと変な言動をするだけの少年である、邪悪な存在などであるものか。

大体、はやてとTを同じ施設に保護しているのには実利がきちんとある、なのに無理矢理結びつけるのは妄想もいい所だろう。

 

 そう思い直し、リンディは映像に視線をやる。

Tのにこやかな笑みを見て、それにおでこをテーブルにぶつけたまま会話するはやてを見て、その安らかな空気にリンディは覚悟を新たにした。

この暖かい子達を犠牲になどしてはならない。

必ず、守り切ってみせる。

僅かな瞑目と共にそう誓い、リンディは目を開けた。

 

 偶然か何かか。

映像の中のTと、目が合う。

まるでリンディが見えているかのように、Tはぺこりと小さな会釈をしてみせた。

 

 

 

 

 



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その31:無機物と有機物

 

 

 砂色の世界に、シグナムは一人たたずんでいた。

360度何処を見ても砂ばかり、青空の紺碧と雲の純白、砂の黄金の3色以外の色は見当たらない。

常人ならば死の世界とでも評するその世界に、しかしシグナムは静かな息づかいを感じていた。

まだ砂に削られ切っていない岩の隙間に生きる、は虫類や甲殻類の呼気。

砂の中で息づく、多節類達の蠢き。

シグナムの鋭敏な感覚でなければとらえられない、生きた世界がそこにある。

 

 そこに、砂礫の嵐。

肌に叩きつけるようにして襲ってくる砂粒を、シグナムはバリアジャケット越しに感じた。

塵や埃をシャットアウトするバリアジャケットを身に纏っている筈なのだが、それでも口内には遮断しきれなかった砂がじゃりりと混じった。

唾液混じりのそれを吐き捨てるシグナム。

ぺっ、という小さな音に反応して、砂が盛り上がった。

高層ビルの如き偉容と共に姿を現したのは、巨大な盲目の竜であった。

一見すると多節類に見える衣は、横方向に継ぎ目の見えない鱗。

円形の口は節足動物を思わせる形であるが、油断をすれば竜のブレスが襲いかかってくる事をシグナムは知っている。

 

「1匹か」

 

 余裕を孕んだ声をシグナムが漏らすと、それに呼応するように砂が盛り上がった。

土竜と次元世界で呼ばれる盲目の竜が、更に1頭、2頭、3頭。

計4頭もの竜が、地面から垂直に立ち上る。

4重の絶叫。

生命の根本を凍らせるような恐るべき輪唱が、シグナムの肌を震わせた。

口元に薄い三日月の笑みを。

戦慄と共に、シグナムは半歩踏み出す。

 

「それでこそ」

 

 シグナムの内心には、主はやてへ魔力を捧げる本懐への喜びがあった。

八神はやてへの蒐集ペースが遅ければ、闇の書ははやてを浸食しその心身にダメージを与えると言う。

4頭の竜はそれぞれ膨大な魔力を保持しており、それを蒐集すれば主の苦しみは緩和される事だろう。

しかし同時、シグナムは戦士としての喜びが沸いてくるのも押さえられなかった。

4頭の竜を倒すだけならば、シグナム1人でも何とかできるだろう。

しかし蒐集可能な形で、と制限をつけるならば、シグナムに可能なのは精々2頭の竜を倒す程度の物である。

目前にあるのは何か。

困難である。

己を燃やし尽くさねば届かぬ強敵である。

ならばその尊き熱量を己が内に秘める為にすべきは、己を燃やし灼熱の炎を心の中に作るべきだ。

その熱量はシグナムの心を沸騰させ、鋼鉄の思考を鋭利に叩き伸ばしてゆく。

はやての戦いなど望んでいないという言葉が不意に思い出され、シグナムは僅かに歯を噛みしめたが、それだけだった。

主はやての為であれば、主はやてに背くことすらしてみせる。

一度はそう誓ったシグナムである、罪悪感に湿った心を、内心の炎で渇かせる事は難事では無かった。

 

「シグナムっ!」

 

 と、レヴァンティンを構え直したシグナムの元に、少女の声が届く。

遅れて黒マントに金髪のツインテールの少女が、シグナムの隣に降り立った。

フェイト・テスタロッサ。

シグナムとかつて戦場で相まみえた、好敵手である。

僅かに消沈する心を表に出さず、シグナムは口元を綻ばせた。

 

「テスタロッサか。助かる」

「と言って、顔には一人で挑んでみたかった、って書いてありますよ、シグナム」

 

 シグナムは目を瞬き、思わず片手で顔を覆い揉んでみる。

そんなに緊張した顔だっただろうか。

生真面目な顔でそんな事をしてみせるシグナムに、くすりとフェイト。

 

「冗談です、ただの予想ですよ。半々づつ受け持ちましょうか」

「むっ、そうか……。まぁいい、あまり遅いようなら3体目も私が貰うぞ」

 

 言って、シグナムはレヴァンティンを構え直した。

僅かな機械音と共に、レヴァンティンが微細なフォルム調整を行う。

隣でフェイトが漆黒の愛斧バルディッシュを変形させる音も加わった。

風音がひゅるひゅると響く砂の戦場。

シグナムとフェイトの息づかいが響く中、少女達と竜は同時に動き出した。

 

 飛行魔法が空を切る。

古代ベルカ式の魔法の非殺傷性は低い。

対象をできうる限り魔力ダメージで沈めなければいけない以上、シグナムの持つ殆どの魔法は直撃させてはならないのだ。

当たり前だが、いくら物理的衝撃を魔力的衝撃に変換できるとはいえ、剣で斬りかかればその変換度には限度がある。

故にシグナムは、できる限り剣から発生する衝撃波や、生まれた炎熱効果のみで竜を倒さねばならない。

その点隣のフェイトは純粋魔力による攻撃が可能なので、シグナムは大言壮語を吐いたが、恐らく3体目を仕留める事があればそれはフェイトに依る物になるだろう。

 

 風音を耳にとらえつつ、シグナムは静かに地表を離れた。

竜の一匹が体を使った薙ぎ払いを回避、そのままシグナムは魔力を集中しつつ、旋回。

刃筋を立てぬよう気遣いながら、魔力付与斬撃を竜に放つ。

空を切るすさまじい音と共に激突、するその結果も見ずにシグナムは空中に待避した。

直後、苦しみに暴れ回る竜がのたうち回りながら薙ぎ払いを続行、砂埃の煙幕を起こす。

煙幕の更に上空に位置したシグナムは、当然砂埃に視界を遮られる事は無い。

 

 視界の隅ではフェイトが直射弾を撃ちながら2体の竜を翻弄している。

残る1体は大きく息を吸い込みながら、体を後退させた。

竜のブレスの準備行動である。

常であれば即座に蛇腹剣で阻止する所なのだが、今それをすれば竜を殺害してしまう。

舌打ちと共に特攻するシグナムを、先ほどまでのたうち回っていた竜が追ってきた。

噛み付きをシグナムは回転し回避、凄まじい機動力で追ってくる土竜を返す刃で叩く。

上手く脳震盪を狙った一撃が決まったようで、竜は悲鳴を上げながら落ちていった。

が、ブレスの阻止は失敗である。

覚悟と共にシグナムが防御を固め、フェイトに言付けようとした、まさにその瞬間である。

 

「シグナムさんっ!」

 

 叫びと共に桜色の誘導弾が竜の口腔を上下に挟むように激突。

直後喉奥を通り過ぎていたのだろうブレスが、竜の口腔内で爆発した。

竜も慌てて威力を調整したのだろう、頭が吹き飛びこそしなかったものの、口内が焼けただれたまま竜は地表へと墜ちてゆく。

シグナムは、何とも言えない顔で振り返った。

白い装束を身に纏った天才魔法少女、高町なのはと視線が合う。

なのはは目を瞬きながらも、自らのデバイスレイジングハートに視線を。

 

「ちょっと、やりすぎちゃったかな?」

『いいんじゃないでしょうか』

 

 いや、と言いかけたシグナムであったが、口を紡ぐ。

助けて貰った身分で言う事では無いだろう。

そう内心で呟きながら、シグナムは視線を辺りに。

フェイトに手を貸していたのだろうヴィータがすでに蒐集を開始しているのを確認し、闇の書を召喚せんと伸ばした手を下ろした。

蒐集が終わるまでは、短い休憩である。

シグナムはデバイスを下ろし、なのはに視線をやった。

 

「すまないな、助かったぞ、高町」

「にゃはは、それなら良かったです」

 

 と言いながら降りてくるなのはに、シグナムは目を細めた。

 

「しかし成長したな、高町。ヴィータとの初戦闘では誘導弾は6発が限界だったと聞くが、今回は12発、しかも速射でか」

「毎日、訓練してますから」

 

 小さく胸を張るなのはに、シグナムは一瞬瞑目した。

確かになのはに才能がある事は確かなのだろうが、それにしても尋常の努力でこの成長を成し遂げられるとは到底思えない。

しかしその努力へのモチベーションは、一体何処から沸いて出てくるのだろうか。

他ならぬ好敵手であったヴィータとの戦いが無くなってしまったと言うのに。

胸の中に浮かんだ疑問を、はき出してみる。

 

「そう、か。ヴィータに負けない為にか?」

「え? 確かに、それもあったと思いますけど……」

 

 疑問詞を孕んだなのはの視線に、小さく微笑み、シグナム。

 

「何、テスタロッサとの決着をつけられなかった事に、思う事が無くもないのでな。高町はどう思っているのか聞いてみたかっただけさ」

「う〜ん、私は特にそういう事は気にしたことなかったですけど……。ただ、私の魔法で誰かを助けられる事って、とっても素晴らしい事だな、って思って」

「そうか」

 

 危ういな、とシグナムは目を細めた。

高町なのはは自覚していないようだが、正義感によってのみ努力できる類の人間だ。

しかし人間は、普通正義感のみで努力できるような精神構造をしておらず、そのような行いを続けていればいずれは壊れてしまうだろう。

そんなシグナムの内心の変化を悟ったのか、己の頭をなでつけながら、なのは。

 

「こう言うとみんな心配するんですけど、私は大丈夫ですよ」

「……そうか?」

「はい。なんたって私の幼なじみは……」

 

 微笑み。

天から舞い落ちるような、美しい笑み。

 

「たっちゃんなんですから」

 

 T。

主はやてと共に居る、少年。

 

「あんなに自由に生きている人を、小さい頃からずっと見ているんですよ? そりゃあもう、息の抜き方やら自由なやり方とか、山ほど覚えていますから」

「……あぁ」

 

 そう語るなのはの顔色には、Tに対する嫌悪や恐怖の色など欠片も見えない。

むしろ自慢の宝物を見せびらかすような、無邪気な笑みでしかなかった。

返しつつ、シグナムは内心ため息をつく。

シグナムは口にせず、思った。

 

 Tは発狂している。

 

 ヴォルケンリッターの全員が同じ意見であった。

その狂気は空間が歪んで見える程の恐ろしさであり、話しているだけでこちらの正気も危うくなってくるような感覚さえもあった。

正直言って、シグナムは初対面の時、何故その場の生きとし生ける全員がTを即座に殺さないのか、理解できなかった程である。

無論、ヴォルケンリッターもその場で斬りかかれば主はやてがどうなるか分かっていた為、どうにか直立不動を維持してみせたのだが。

 

 その後様々なリサーチを繰り返し、シグナムらヴォルケンリッターは一つの結論に達した。

何故かは不明だが、命ある人間にはTが然程狂っているようには見えないのである。

少なくとも、ヴォルケンリッターが感じたようにTを即刻殺さねば害になる、と結論づけるまでには行かない程度には、狂っているよう見えていないのだろう。

リンディ辺りは薄々Tの狂気に感づいているようだが、それも倫理観で押さえ込める程度だ。

 

 加えて言えば、Tは狂っているが、優しい人間であった。

所詮プログラムであるヴォルケンリッターに人格を認めており、恵まれぬ体から悪意に人一倍敏感な主はやてが友人として認めている相手だ。

その狂気もヴォルケンリッターらの予想とは違い、今のところははやてに浸食する気配は無い。

初対面でTが発狂しているという確信を得たヴォルケンリッターだが、こうまで証拠がそろわないと、自分たちの感覚こそが間違っているのではないかと疑い始めざるを得ない。

 

 そして、そんなTをはやてと引き離す事は、最早はやての心を傷つける事に他ならないのだ。

はやてはTに、強い親近感を抱き始めていた。

ある日突然ロストロギアに出会い、ひょんな行動から命を共にする事になってしまい、今は管理局にとって危険な存在となってしまっている。

そんな境遇の近さから興味を持ち、そしてその謎の言動や不思議な優しさに癒やされ、はやてにとって今や一番の友達はTであった。

無論友達である以上家族の次に位置する相手だとしているが、それでも。

 

「やれやれ、だ」

 

 小さく呟き、現状にシグナムはため息を吐露した。

疑似臓器により循環した二酸化炭素がはき出され、空気中の気体と混ざってゆく。

空気分子達が衝突し、エントロピー増大の法則に従っていった。

 

 

 

 

 




明日から数日自宅を離れる事になるので、数日更新が無くなりますが、ご了承ください。


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その32:悪夢1

帰宅更新。


 

 

 

 一面、岩の世界であった。

辺りは扁平な岩石で埋め尽くされており、土が見える場所など存在しないに等しい。

空は雲一つ無い快晴で、空気は刺すような冷たさだ。

それら全てがどこか無機質で、はやては何とも言えない顔を作る。

そんな生命無き世界の中、多くの魔道師がはやてより離れた上空に待機していた。

高町なのは。

フェイト・テスタロッサ。

クロノ・ハラオウン。

愛しき騎士達。

加えて管理局の武装局員達が、十数人杖を構えて待っている。

 

 はやては、瞼を閉じた。

短い生涯の記憶が、はやての脳裏を走馬燈のごとく過ぎ去る。

はやてが物心ついた頃、すぐに両親は他界した。

交通事故で亡くなったらしいが、はやては両親の事を詳しくは知らない。

知らないが、はやては両親を亡くした事で、無償の愛を捧げてくれる存在を失ってしまった。

代わりとなる存在も親戚が居ないはやての前には現れず、はやては孤独となったのだ。

その事が凄まじい速度ではやての精神を蝕み、はやては笑顔の無い暗い子供になる。

 

 そしてはやては施設に預けられる事になり、いじめの対象になった。

足を引っかけられたり、無視されたりするのは序の口。

時には悪戯ではやての食事を無くさせたり、物を隠したり、水をかけたり。

酷い時には、職員に見えない部分を殴ったり蹴られたりもした。

はやては、そんな中で処世術として笑顔を取り繕う事を覚える事になる。

笑顔でいれば、いじめは少しずつだが無くなっていった。

時にはなんで自分だけ自然のままの感情をさらけ出せないのか、と世間の不公平に涙も零したが、はやては歯を食いしばって笑顔を続けた。

 

 そしてはやては足を悪くした。

度重なる不幸にはやては泣き叫びたかったが、施設時代の経験がその無意味さを語っている。

はやては作り物の笑顔を浮かべ、病院の先生やヘルパーへとにこやかに微笑んだ。

同世代の子に車椅子に乗っている事を揶揄されたり暴力を振るわれる事すらあったが、はやては笑顔を絶やさなかった。

怖かったのだ。

再びいじめられる日々に戻る事が。

 

 大人達は言う。

はやてちゃんは立派ね。

はやてちゃんは笑顔でいい子ね。

そう言われるたびに、本当の自分を引っ込めたままに生きるはやては、劣等感を感じた。

世の中にはどんな目に遭っても笑顔で居られる良い子が居るのかもしれない。

だがそれは、自分では無いのだ。

自分はただの、処世術として笑顔を覚えただけの、悪い子なのだ、と。

 

 はやては人と対話する事に控えめになり、代わりに本を読むようになった。

本ははやてに向かって話しかけてこないし、こちらも笑顔を向ける必要が無い。

だからはやては本を読み続け、そうこうするうちに家族というものに憧れを持つようになった。

自分には居ないけれど、家族同士では心が通じ合っており、何も隠さなくても良いのだ。

全てをさらけ出せるのだ。

こんな暗い子でも、受け入れてくれるのだ。

そう信じ、はやては手慰みに家族ができた時の準備を始める。

初めに、料理を自分で作るようになった。

洗濯も掃除もできる限り自分一人でできるようになり、明るい話をできるよう、元々好きだったバラエティ番組もより見るようになった。

家族が自然に発生する筈など無く、こんな準備など無駄なのだとはやては知っていたが、それでもその行為は少しだけはやてを慰めてくれた。

 

 しかし、家族は突然に現れたのだ。

ヴォルケンリッター、はやての愛しき騎士達。

初めははやては騎士達の物騒な雰囲気が、どこか施設で自分をいじめていた子供達に似ていて、正直言えば怖かった。

だからはやては、仮面の笑顔で騎士達に接した。

家族と言うのは、憧れていたから咄嗟に出た言葉に過ぎない。

はやては内心騎士達に当惑しながら、彼らを家族として扱った。

 

 だが、当惑は最初の内だけであった。

騎士達は誰もが愛おしくなる個性を持っており、はやてはすぐに彼らに惹かれていった。

はやては彼らを世話するのが楽しくて楽しくて仕方が無くて、踊り出したくなるぐらいの気持ちで彼らの家族として振る舞う。

すぐにヴォルケンリッター達との距離は縮まり、はやては胸がいっぱいになった。

 

 そんなある日、シグナムははやてに蒐集を命じてほしいと言う。

それさえあれば、はやての足は治るのだ、と。

久しく、はやての内側に暗い感情が生まれた。

足さえ、足さえ自由ならばはやてはもう少し明るい人生を歩めた筈だ。

仮面のような笑顔を貼り付けて生きる必要など、無かった筈だ。

そんな衝動がはやての内側を駆け巡った。

 

 だが、とはやては思うのだ。

そんな事が果たして、目の前の凜々しくも優しい剣士に誰かを傷つけさせるような、酷い事をさせる事と釣り合う成果になり得るのだろうか。

否。

決定的に否である。

故にはやては、シグナムの問いに否と答え、彼女の頭を撫でてやった。

愛おしい体温がはやての体に伝わり、生命の鼓動がはやての心を癒やす。

はやては不意に、騎士達との生活の中で、仮面をかぶっているという自覚無しに笑顔を作っていた事に気づいた。

何時しか、はやては自然と笑顔を作れるような人間になっていたのだ。

シグナムがはやてに感謝の言葉を告げるのに頷きながら、はやては静かに思った。

感謝するのは、自分の方だ、と。

愛しき騎士達、彼らを愛する事ができた自分の方こそが、彼らに感謝するべきなのだ。

果たしてはやてが騎士達の言う通り優しい人間だったとして、はやてを優しい人間にしてくれたのは、その騎士達なのだから。

そう思いつつも、その言葉を告げるのがまだ恥ずかしくて、はやてはただただシグナムを抱きしめ続ける。

夜空の星と、野生の猫の瞳だけがそんなはやてを見つめ続けていた。

 

 そんな生活にも、何時しか転機は訪れる。

闇の書の主である事が管理局にばれてしまい、収容される事になった事。

騎士達が自分の命の為に、約束を破ってでも戦い続けてくれていた事。

そして何より、はやてはTと出会ったのだ。

 

 はやてにとって、Tは初めての同世代の友達だった。

施設時代にはいじめられてばかりで、通院時代には病院に居る同世代の子供に友達を作る気力のある子は居なかったのだ。

ヴィータは同世代と言うより妹のような子だし、すずかとは一度食事を共にしたが、どちらかと言えばこれから友達になれるかも、と言う感覚である。

そんな中、四六時中同じ施設で出会うTは、友達と言って何の遜色の無い少年である。

すぐになのはやフェイトと出会う事にもなったが、蒐集で忙しい彼女らよりもTとの接点の方が多かった。

 

 Tはなかなか独特の感性を持った子であった。

料理の仕方はへんてこだし、比喩も常人を逸した謎の方法ばかりとり、何を言っているのか分からない時も多々ある。

だが、不思議とTは優しかった。

足の悪いはやての気遣ってほしい部分と気を遣わないでほしい部分とを即座に察し、それを気にかけてくれるのだ。

はやてのギャグには独特の感性ながらも反応は欠かさないし、どんなに疲れていてもはやてに対し適当な対応をする事は無い。

はやては、家族を抜きにすればTに最も親しみを感じるようになっていた。

 

「……せやから、きちんとせなぁな」

 

 呟く。

瞼を開くはやて。

胸の奥からいっぱいの空気を吸って吐き、手を目前へ。

あらかじめ摘出してあった少量の、蒐集すれば闇の書が完成するリンカーコアへと。

 

「蒐集」

 

 眩い輝きが、はやての持つ闇の書へと吸い込まれた。

直後、闇の書が覚醒する前に、リーゼ姉妹と呼ばれる凄腕の使い魔がかけた、特殊な魔法とやらが発動する。

これによって闇の書の手綱をとりやすくなるというそうだ。

意識を強く持とうとした瞬間、はやての内側を凄まじい孤独感が襲った。

全身がそぎ落とされて、心だけになってしまったかのような孤独。

鋭利な寒さどころか、体を縮めて震わせる事しかできないような恐ろしさ。

来て、とはやては思わず叫んだ。

——シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ!

家族達に声をかけようとするも、声に鳴らない声が漏れるだけに過ぎない。

手を伸ばそうにも、家族達は暴走開始に巻き込まれて闇の書の走狗とならないよう、離れた位置に居る。

涙がはやての目尻に溜まり、はやては思わず叫んだ。

 

 ——たっくん!

 

 直後、はやての目前に転移魔方陣が出現。

ぽいっ、と中からアースラで見守っている筈のTが放り出された。

思わず手を伸ばすはやてと、何のことやらと言う顔で思わず手を取るT。

直後、黒い光がはやてとTを包む。

瞬き程の瞬間の後、2人が居た筈の場所には、一人の銀髪の女性が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 アースラの空間投影モニターに、幾重にも閃光が走る。

黒い閃光を、様々な色の光が飛び交い押さえ込もうとしていた。

闇の書の意思と、なのは達との激戦である。

それを背景にし、アースラ内部でもまた一つの戦いが行われていた。

 

「……どういうおつもりでしょうか、グレアム提督」

 

 一時的にアースラの艦長を任ずる事になったグレアムに対し、副艦長であるリンディが問いかける。

リーゼ姉妹がはやてにかけたという魔法は精神錯乱系の魔法であり、更にTを強制転送した魔方陣の魔力光もリーゼ姉妹の物であった。

どう考えても、グレアムの仕業である。

リンディは、息子からデュランダルと引き替えに渡されたS2Uを手に。

他のアースラクルー達も、魔法戦闘が可能な者はデバイスを手に立ち上がる。

すでにグレアムの不可解な言動はアースラの全クルーに伝達してあったのだ。

とはいえそれでも現実にグレアムの乱心を目にし、ショックを隠せない人間も少なくない。

リンディもまた、デバイスを握る手が震えるのを押さえられなかった。

そんなリンディ達に、目を細め何のことも無いかのようにグレアム。

 

「さて、アルカンシェルの発射準備をしたまえ」

「ぐ、グレアム提督、何を……!」

 

 リンディが叫ぶと同時、ブリッジの転移装置が七色に輝く。

咄嗟にリンディが阻止しようとするも、遅かった。

先頭に現れた局員が恐るべき速度でバインドを発動、リンディの動きを拘束。

続けてアースラクルーが次々に捕縛され、代わりに転送されてきた局員達が位置につく。

 

「馬鹿な、乗っ取り!? 何を考えておられるんですか、グレアム提督っ!」

「乗っ取りも何も、これは最高評議会の決定だよ」

 

 言われてリンディは気づいた。

現れた局員達の服に刺繍された文様は、最高評議会直属部隊の印。

管理局でも噂以上の事は誰も知らない、裏の部隊と言われる存在。

 

「さて、改めて命令しよう。アルカンシェルの発射準備をしたまえ」

「イエス、サー!」

「待って下さい、あそこにはまだたくさんの人がっ!」

「大丈夫だ、発射準備と同時に強制転移の準備も進めている。発射前に闇の書の意思とはやてくんとあれを除いた全員を収容できるさ」

 

 何処か朗らかにすら聞こえるグレアムの声に、リンディは思わずぺたんと座り込んでしまった。

口を幾度か開け閉めし、それでもなんとか問う。

 

「Tさんを殺す為に……はやてさんを犠牲に?」

「あぁ」

「何故ですか!? なんで、どうしてっ!?」

 

 信じられなかった。

Tをあのグレアムでさえも殺そうとしており、更にそれにはやてを犠牲にすらしてみせるつもりなのだ。

あの健気で優しい、9歳の少女をである。

そんな事を許すわけにはいかないと思うリンディであったが、最高評議会直属の部隊を前にリンディは無力であった。

歯ぎしりをするばかりで何もできないリンディを捨て置き、準備は進んでいく。

そんな中、アースラの中で何が起こっているのか分からないクロノ達の映像で、変化が起きる。

 

「提督、八神はやてが闇の書を掌握しましたっ!」

「何!? Tは、あのおぞましい“あれ”はどうした!」

 

 叫ぶグレアムに応えた訳では無いのだろうが、はやての叫びがサーチャーの音声通信を通じて聞こえた。

 

「私たちが防衛プログラムを分離する事は、今すぐにでもできる。でも、たっくんを闇の書の夢から分離しようとしておるんやけど、そっちがまだできないんやっ! 方法すらまだ……っ!」

 

 最初こそいきり立ったグレアムであったが、その言葉が後半になるにつれ落ち着きを取り戻す。

安堵のため息をさえつき、椅子に深くこしかけた。

指組みに足組み、視線を上から下にやりつつ、ほくそ笑みながらグレアムは映像を見つめる。

 

「闇の書の夢による精神拘束を続けたままの、アルカンシェルによる物理的消滅……。これならば奴を、Tを殺せる筈……!」

 

 邪悪としか評しようの無い笑顔を作るグレアムに、リンディは思わずぽろりと涙を零した。

夫の恩師であるグレアムの事を、リンディは半ば父のように慕ってさえいたのだ。

そのグレアムの変貌ぶりは、一体どうした事か。

折れそうな程に細い声で、リンディは問うた。

 

「何故……、何故Tさんをそんなに殺そうとするのですか? 彼はジュエルシードを飲み込んでしまっただけの、ただの人間では無いのですか?」

 

 グレアムは、体を動かさずに視線をだけリンディに向けた。

堅い声。

 

「君は本当に、私たちがTとしか呼べない“あれ”を、同じ人間だと思っているのかね? 正体を知れば、発狂するか自殺するしか無いであろう、“あれ”を」

「な、何を言って……」

「君は気づいていないのか? 私たちが“あれ”をTとしか呼べない事を。その名前を思い浮かべても、アルファベットのTをしか思い浮かべる事しかできない事を」

「……え?」

 

 言われて、リンディは目を瞬く。

T。

アルファベットのT。

その両方を思い浮かべて初めて、リンディはTの事をアルファベットのT一文字でしか思い浮かべられない事に気づいた。

恐るべき事実に、それが何を意味しているのかすら分からずとも、リンディの背筋が総毛立つ。

T。

T。

T!

そうとしか評せないあの少年は、一体何だと言うのか。

リンディの疑問が弾けるよりも前に、画面に動きがあった。

 

「糞っ、Tめ! まだアルカンシェルのチャージは終わっていないと言うのに、何かしでかすつもりかっ!」

 

 叫ぶグレアム。

その視線の先の画面には、闇の書の闇が黒い光球となり、宙に浮いているのであった。

 

 

 

 

 



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その33:悪夢2

狂気回。
あんまり話進んでないです。


 

 

 

 ぼくは気づけば、知らない草原に立っていた。

踝ぐらいまでの丈の草に、一本の大樹。

どうやらぼくが居る場所は丘になっているらしく、見下ろす位置に大きな西洋風のお城みたいな建物があるのが分かる。

ラスボスでも居そうな偉容であった。

ふと、風。

草原は風にたなびき、まるで何かから逃げようとするかのようにする。

と思ったけれど、ぐるりと見渡してみると、なんだか草たちは放射状にぼくから逃げ出すみたいにして風にたなびいていた。

ぼくが空を見上げると、空中から風が集まってうっすらとした優しい竜巻みたいになってぼくに降り注ぎ、そして見下ろすとぼくから放射状に風が吹いているのが分かる。

ぼくはとりあえず、ぼくが草たちに逃げられているんじゃあないのだと分かり、一安心した。

そうでなければ、いつかもしパンダになる事があれば餓死してしまう事だろう。

ぼくは骨と皮だけみたいになった、眼窩の窪みがよくわかるパンダを想像した。

 

「こんにちは」

 

 背後から、ややハスキーな感じのある少女の声。

ぼくが振り返ると、そこには何故かフェイトちゃんが立っている。

ぼくが目を見開くと、100年も前からそれを待っていたかのように、彼女はうっすらと微笑み言った。

 

「私はフェイト・テスタロッサじゃあないよ」

「じゃあ誰なんだい? いや、それならその前にぼくから自己紹介させてもらうかな」

 

 確かに、フェイトちゃんにしては少し幼い少女であった。

加えて言えば、服も少しだけ幼い感じがする可愛らしい服である。

ううん、と小さく咳払い。

胸を張り、にこやかな笑みを作り、ぼくは言った。

 

「こんにちは、Tです」

「こんにちは、Tです」

 

 ぼくと金髪の少女は、殆ど同時に発音する。

鏡写しみたいになった口元の動き方だったのだろうけれど、残念ながらぼくはぼく自身の口を鏡なしに見る事はできない。

よってぼくは折角言葉がシンクロしたのに、そんな口元を比べる事ができなかったのである。

あんまりな事実に数秒間ぼくは落ち込んでしまったけれども、彼女はぼくの事をにこにこと笑いながら待っていてくれた。

ぼくは眼球の海に向かってダイブし、眼球がプチプチとつぶれて中のガラス体が溢れる光景を想像して、どうにか落ち込みから回復。

口を開く。

 

「えっと、ぼくもTなんだけど、君もTという名前なのかい?」

「ううん。私は貴方。貴方は私。でもそれで分かりにくいと言うのならば、私の事はT・イドと呼んでくれるかな」

「うん、いいよ。T・イド」

 

 にっこりと笑う彼女の微笑み方は、やっぱりなんだかフェイトちゃんと似ている部分があって、関係が無いようには思えない。

けれど彼女の名前はぼくと似ていて、どう考えてもよりぼくと近い場所に彼女が居るに違いないだろう。

と、そこでぼくは豆電球が頭上に輝くかのように、ピコーン! と閃いた。

 

「そうか、君はぼくとフェイトちゃんの子供なのかい!?」

「きみはフェイトちゃんと子作りどころかキスもしていないでしょう? そも、精通だってしているのかな?」

「まぁ、待ってくれよ。そこは説明するからさ。まず、子供は精子と卵子が出会って生まれる。精子と卵子は減数分裂をしたDNAを持つが故に、合体できる。そこで考えてもみなよ、ぼくらの髪の毛は死んだ細胞でできていて、ぼくらの体は生きた細胞で出来ている。つまり、髪の毛と肉体が一度合体した後に別れれば、DNAは半分になったのと同じ事になる」

「まぁ、そうなるかもね」

「うん、分かってくれて嬉しいよ。なら、髪の毛を飲めばどうなる? タンパク質分解されるんじゃあない、髪の毛はもう一度体と一体化するんだ。同じになった髪の毛は、体の中で生きた細胞と出会う。合体だ。結婚だ。つまり寿命が来ないかぎり、いずれは離婚する事になる。離婚は財産を半分にされるから、DNAだって半分にされなきゃあ、世の中の自分の物だと思っている財産を分割された男児たちが黙っていないだろう」

「思っているだけなんだね。つまり、現実は違うんだ」

「そうかもね。世の男性諸君に黙祷。…………。で、結局髪の毛には半分のDNAがある。でもこいつは排泄される宿命だ、水洗されちゃあちょっと他の髪の毛と出会えない。だからぼくらの細胞しか子供になる事はできない。何時出合ったのか。それは当然、フェイトちゃんと握手をした時だ」

「握手で人が妊娠するなら、地球はとっくに人間であふれ出しているだろうけれど」

「そうだね、そうなれば握手の時は必ず手袋をしていなければならなくなる。でもそれだと相手の手の感触が伝わらなくて、薄い手袋が必要の母から帝王切開で生まれなければならない。そのうち相手に与える感触がセックスアピールの一つになり、独特の感触を持つ手袋が流行する。デートではキスよりも手袋越しに手を繋ぐことが大事になるだろう」

「話がずれているよ」

「そうだね、ともかくぼくとフェイトちゃんが握手した時に君が生まれた可能性は否定できない。そうだろう?」

 

 ぼくは渾身の自信に満ちた笑みを見せる。

するとT・イドは涼しい顔をしながら、空に視線をやった。

ぼくもつられて視線を空へ。

すると空模様が怪しくなってきており、薄暗い雲が空を覆い尽くしているのが見えた。

もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。

そう思うと、ぼくはなんだか寂しくなってきてしまい、先ほどまで興奮して喋っていた内容がどうでもよくなってきてしまった。

 

 ぼくはうるりと涙を浮かべる。

本気で悲しくなってきてしまっている自分に少しだけ驚き、ぼくは目を潤ませたままT・イドを見た。

T・イドの隣には、一台の担架がある。

キャスター付きのそれには、まるで人間を縛り付ける為のようなゴムベルトがいくつもついていた。

何かしらの道具が入った袋がぶら下がっているのが、何故か男性器を連想させて気味が悪い。

 

「乗るかな?」

「乗るさ」

 

 返事を返して、ぼくは担架の上に横になった。

ぼくとT・イドはゆっくりと大木の元へと向かった。

まるで高級な料理を持ち運ぶ時のように、慎重な動かし方であった。

大樹はまるで茶色い太いワイヤーを幾重にもねじって巻き付けたみたいで、ぼくとT・イドが2人がかりで手を繋いでも、その幹を囲む事はできないだろうぐらいだ。

ぼんやりと大樹を見つめていると、かちゃかちゃと音がして、何だろうと見てみるといつの間にかT・イドが両手にナイフとフォークを持っていた。

T・イドの口が艶然と動く。

まるでてらてらとした蛇が上唇と下唇の2匹、蠢き回っているかのようだった。

 

「君は私の正体に気づいてはいけない。君は君の正体に気づいてはいけない。気づいた時には、気づいた意味が無くなってしまうから」

「ふぅん」

「気のない返事こそが最高の返事さ。覚えておくといい、私自身でさえも私の正体に気づいてはいけないと思っているという事実を。それが終わりの日を走馬燈の如く延ばす事に繋がるだろう」

「はぁ」

 

 全くもって意味不明であった。

少しはぼくのような簡潔で分かりやすい男になってみればいいのに、と思ってから少しだけ違和感を感じたけれど、ぼくはなんだかそれが臭そうな気がしたので、それには蓋をする事にした。

それはそうとして、ぼくはなんだかT・イドの持つナイフとフォークが気になって仕方が無い。

思わず視線を集中させてしまうと、T・イドはにこりと笑う。

 

「私に可能な事かは分からないが、私は君を食べようと思う」

「そうなのかい。ならば少し注文をしてもいいかな」

「どうぞ」

 

 あまりに素早い反応に、一瞬目をぱちくりとしてしまうが、都合の良い事なのですぐに口を開いた。

 

「まずぼくを食べる時は、お腹の皮膚を縦に切り、左右に引っ張って開いてくれ。内皮も同じ。ピン留めしたら、まずは肝臓から食べるんだ。きっとレバ刺しは濃厚な味で、先に舌を切り取って食べたいだろうけれど、ぼくだって喋って実況したいんだ、我慢してくれ。次は小腸。一口サイズにして煮て食べるといいよ。それから、一番大事なのは心臓。ここだけは循環系で一番最初に、そして生で食べてくれ。肺はどうやって食べるのか、自由でいいよ」

「注文の多い料理店を思い出すよ」

「そうだね。おっと、脳みそは頭蓋ごと煮てから食べるといいが、ぼくはぼくを食べる光景をできるだけ見ていたいんだ、最後にしてくれよ。それと、一個だけお願いがあるんだけれど」

「お願いはすでにいっぱい聞いているような気もするけど、まぁいいよ」

 

 ぼくは、目を瞑った。

毎朝見る鏡の事を思い出す。

ガラスに蒸着された銀が反射する可視光が見せる、ぼくの顔。

ぼくがずっとずぅっと食べたかった人間の眼球。

少し血走った感じの多い、ぼくの瞳。

なのちゃんやフェイトちゃん、はやてちゃんの目に比べると落ちるものの、想像するだけで涎が口内に溢れそうになるそれ。

 

「ぼくに、ぼくの目を食べさせて下さい」

「……そうだね、いいよ」

 

 にっこりとT・イドが笑った。

まるで天使のような笑みだ、と思ってから、この子はフェイトちゃんとうり二つな顔をしているので、ぼくはフェイトちゃんも天使のようだと思ったのだろうかとも思う。

まぁ、あの子も天使が舞い降りてきたのだ、と言われたら思わず信じてしまえそうなぐらいの美形なので、それぐらいは構わない。

大体容姿なんて何の役に立つんだ、と思ってから、自分がそれに魅力を感じて天使のようだと思った事を思い出し、ぼくはたいそう自分の事を恥じた。

 

 そうこうしているうちに、T・イドはぼくの体にナイフとフォークを入れた。

ぼくの体はスパスパと切れて、すぐにぼくの中身は皮膚に覆われていないぼくを露わにする。

ぼくの中身は、夕日だった。

燃えるような夕日がぼくとT・イドの顔を照らし、ぼくらはもし赤面しても分からないだろうぐらいに顔が真っ赤になる。

 

「素晴らしいね」

「あぁ、今食べられて良かったよ」

 

 ぼくらは似たような事を言いながら、しばらく夕日を眺めていた。

けれど夕日はいずれ落ちる物である。

T・イドはそれを待たずにナイフとフォークで夕日を切り分けた。

球形の夕日は輪切りにされ、一片がフォークに突き刺されてひょいと持ち上げられる。

夕日の切断面は、そこら中から赤いバラが顔を見せていた。

T・イドはにっこり微笑みながら口を小さく開き、一口ぼくの中の夕日をかじる。

もぐもぐもぐもぐ、ごくん。

嚥下すると、まるでグルメリポーターの義務のように感想を。

 

「素晴らしい……こんな食べ物がこの世にあるなんて」

 

 T・イドは小さな口を仕草の上品さを損なわない限り早く動かし、ぱくぱくとぼくの中の夕日を食べていく。

ぼくはちょっと暇になったので辺りを見回すと、気づけば辺りでは雨が降っていた。

ぽつぽつざぁざぁと降り注ぐ雨は、もしかしたら夕日が今食べられてしまっているからやってきたのかもしれない。

けれどぼくはT・イドの邪魔をする気にはなれず、もしなったとしても、哀れぼくは眼球を食べるという行為を心待ちにしている所なのだ。

到底邪魔をする気にはなれない。

そうこうしているうちに、T・イドはぼくの中の夕日を食べ終えた。

それからナプキンで口元を拭い、生えている赤いバラを擦り取ってから、ぼくに視線を。

 

「次は、君に君の眼球を食べさせるんだったね」

 

 言って、T・イドはスプーンを用意した。

すっとぼくの眼前にスプーンを動かすと、T・イドはまるでプリンでも掬うような気軽さで、ぼくの目をすっと取り上げる。

するとまるで片目のスイッチを切ったかのように、ぼくの片目は真っ暗になってしまった。

それにはがっかりしてしまわざるを得ないのだけれども、それ以上にぼくの目前に浮かぶ眼球は鏡越しに見るのと大違いで、激しくぼくの心を揺さぶるのであった。

 

 眼球は完全な球形であった。

少しだけ充血気味だけど、よほど取り方が上手かったのだろう、眼球から神経の類がひょろひょろと出ているような事は無い。

何より、その瞳は印象的に過ぎた。

瞳は、まるで宵夜の濃紺のようであった。

夜の帳がゆらゆらと揺れながら、その奥にある億千万の何かの存在を示している。

 

 ぼくが呆然とそれを眺めていると、T・イドはゆっくりとスプーンの先に乗せた目をぼくの口元へと運んだ。

ぼくはゆっくりと口を開けた。

スプーンは何の抵抗もなく、するりとまるで摩擦が無いみたいな動きでぼくの口の中にぼくの眼球を滑り込ませた。

ぼくは誠心誠意、全身全霊を込めて口内の眼球を歯と歯の間に挟み込む。

興奮と感動で、ぼくは既に両眼窩から涙をすら零していた。

震える筋肉をそのままに、ぼくはゆっくりと歯に力を込めて。

 

 ——ぶちゅり。

 

 

 

 

 



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その34:悪夢3

 

 

「どうなってるの……」

 

 なのはが呟くが、それに返す肉声は一つも無い。

その隣には、リィンフォースと名付けた闇の書の意思とユニゾンした八神はやてが、歯噛みしながら念話を続けている。

ヴォルケンリッター達は複雑そうな表情ではやてを見やりつつも、Tに向かって念話を発していた。

 

 闇の書の意思が球形の闇と化してすぐに、はやてとリィンフォースは闇の中からはじき出された。

幸い既にユニゾン可能な状態にあったはやてらは無事であり、それどころかリィンフォースによると、闇の書のバグは全て球形の闇の中に残っており、リィンフォースは正常な状態に戻っていたのである。

しかし、目前の球形の闇についてはそれ以上の情報は無く、解析しようにもリィンフォースとの交戦中からアースラと連絡が取れなくなっている。

何も出来ないながらもTを見捨てる事ができない彼女らは、せめてとひたすら念話でTへと呼びかけていた。

 

『たっちゃん、大丈夫!?』

『T、お願いだからっ』

『たっくん、どうなっとるんや……! 返事をして!』

 

 なのは、フェイト、はやての言葉にも球形の闇は微動だにしない。

このままいつまで時間が過ぎ去るのだろう、と面々の脳裏に疑念が過ぎった、その頃である。

闇の球体が、ひび割れ始めた。

まるで卵から雛が孵るかのように、ひびは地平線に垂直に入っていく。

反射的にデバイスを構える面々を尻目にひびは球形の闇を一周し、そして始まった。

 

 闇は、観音開きになのはらへ見せつけるかのように、開き始める。

中から顔を覗かせたのは、巨大な赤子であった。

髪の毛は一本も生えておらず、おおよそ3頭身と見て取られる体は高さ20メートル程にまでのぼる。

限界まで細められ、ほんの僅かに見える瞳は紅色で、それだけが大きさ以外では辛うじて赤子を識別する印であった。

 

「……たっちゃん……じゃ、ない? 違う?」

 

 何故か、直感的になのははそう思った。

それはフェイトもはやても同様のようで、小さく頷くばかりである。

構えたデバイスを崩さぬまま次の行動を待っていると、突如面々の体を白い輝きが覆い始めた。

 

「なっ、強制転移魔法っ!? 座標はアースラかっ!」

「逆らわない方がいい、下手をすれば次元の狭間に落ちる事になるぞ!」

「で、でもたっちゃんがっ!」

 

 なのはが思わず悲鳴をあげるも、直後強制転移魔法が発動。

なのはの視界が白い光に包まれ、次の瞬間なのはは首元に冷たい物を感じた。

遅れて視界がアースラのブリッジに。

知らない人員に支配されている光景に、思わず悲鳴を。

 

「みなさん!?」

「なのはさん、待ってっ!」

 

 動こうとしたなのはを、リンディが止める。

その視線の先を辿ると、なのはは自身にデバイスを突きつけられている事に気づいた。

デバイスの主はフルフェイスのバリアジャケットを展開しており、身元どころか視線の先さえ分からない。

同時、悲鳴。

 

「グレアムおじさん!? なんでっ」

 

 はやての言葉に、なのはが目を見開く。

あの優しげな初老の男性グレアムがリンディに代わり指揮をとっている事に驚き、それから何故管理局員のグレアムとはやてが知己なのかに二重に驚いた。

思わずなのはが声をあげようとした瞬間、グレアムが吠えた。

 

「ははは、再誕か……。T、あの忌まわしき存在め!」

 

 血走った目で叫ぶグレアムに、なのはは思わずその視線の先に目を。

すると、空間投影モニタに映された巨大な赤子は、腹が破れていた。

破れた腹の中は薔薇で満ちており、その中から全裸のTが這い出してくるのが、別の拡大映像から見て取れる。

Tの無事になのはが胸をなで下ろすと同時、グレアムが咆哮。

 

「ゆくぞ、アルカンシェル発射準備!」

「なっ、グレアム提督!?」

 

 クロノの悲鳴を無視して、グレアムはポケットから一つの鍵を取り出す。

その目前に錠前が下りてくる中、悲鳴が入り交じった。

 

「クロノ君、アルカンシェルって!?」

「極めて強力な魔導兵器だ! 空間ごと歪曲させて消滅させる兵器で、当然Tに耐えられる筈も無い!」

「そんなっ!?」

 

 それらの声を全く無視する形で、アースラクルーに取って代わった乗員達はすぐに準備を終えた。

グレアムは歯が折れんばかりに噛みしめた悪鬼が如き表情に、力が籠もりすぎて震える手で、ゆっくりと鍵を錠前に差し込む。

やめて、と幾重にも重なる悲鳴。

それを欠片も気にすること無く、グレアムは怒号と共に鍵を回転させた。

 

「死ね……! Tぃ!」

 

 直後、円状のミッドチルダ式魔方陣が幾重にも展開。

アースラの先端部分へと収束していき、それが一点に重なった次の瞬間、アルカンシェルが発射された。

発射されたアルカンシェルはTを中心に半径数十キロメートルを空間指定。

次の瞬間指定された空間が歪曲し、中心へ向かって収束、音も無く消滅した。

 

「ふっ……くくく……」

 

 力が抜け膝をつくなのはらを尻目に、グレアムは堪えきれぬ笑みを小さく漏らした。

未だに差し込んだままの鍵をポケットに仕舞い、天を仰ぐ。

涙が重力に従いグレアムの顔を伝った。

 

「は、ははは……あはははははっ!」

 

 限界まで目を見開き、グレアムは哄笑した。

腹を響かせる大声で、叫ぶ。

 

「やった、死んだ、Tが死んだっ! そして私はまだ生きている! Tが死んでも、私は生きているのだ! はははっ、我が人生に意味はありっ! やはり妄想だったのだ、Tなんて存在は! Tを直感した私の感覚が間違っていたのだ! どだい人間の直感が全て正解を選べていたのだとすれば、地球は平たく、数学的証明は完全に正しく、量子力学は存在しなかった! 科学の勝利だ! 人間の勝利だ!」

 

 よほど嬉しいらしく、グレアムは開いた両手を挙げ、今にもその場を駆けてぐるぐると回り出しそうなぐらいであった。

そんなグレアムを、アースラに関わる面々は呆然と眺めるほか無い。

最高評議会直属部隊はなんら干渉する事なく、リーゼ姉妹も静かにグレアムの背後で頭を垂れるのみ。

グレアムは一人ただただ笑い続ける。

心から嬉しそうに笑い続ける。

 

「やったー、あはははっ! あははははははっ!」

「楽しそうですね」

「ははは、そうさ、T、私はあれを排除したのだ! これを喜ばずに居られようか!」

「そうですか、なんだかよく分からないけれどおめでとうございます」

「くくっ、これで私はまだ生きていられる。全ての価値観を保ち続けられる。私は泡沫ではないのだから!」

「ぱちぱちぱち」

 

 その光景を、なのははぽかんと口を開けながら見ていた。

震える手でグレアムと会話している存在を指さし、呟く。

 

「……たっちゃん?」

「はい、ぼくはTです」

 

 瞬間、空気が凍り付いた。

グレアムがぱくぱくと口を開け閉めした後、ゆっくりと顔を下ろす。

するとグレアムの目前には、9歳ほどの全裸の少年が立っていた。

その瞳は宵夜の如き暗き藍色、億千万の蠢く何かを瞳に持つ少年。

Tが、そこに立っていた。

 

「う、うわぁあああっ!」

 

 絶叫。

グレアムは背後にはね飛び、尻餅をつく。

そのまま後ずさりながら叫んだ。

 

「ば、馬鹿なっ! アルカンシェルは直撃した筈だっ!」

「さっきの気分のいい光の事ですか? まるで妖精のシャワーを浴びているような心地でしたよ。でも、もうちょっと少ない方が風情があって良かったかなぁ」

「嘘だ……嘘だっ! それでは私は……この世界はっ!」

「はい? なんですか?」

 

 小首をかしげるTに、グレアムはぐるりと眼球を回転させた。

誰もが凍り付き動けない空間にて、グレアムは視線が定まらぬままに呟く。

 

「……くひ」

「くひー?」

「くひ、ひひひひひ」

「ひひー?」

「くっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」

 

 叫びと共にグレアムは白目を剥き、全身を脱力、その場に倒れ伏した。

リーゼ姉妹が飛び出そうとするも、再び体を硬直させる。

Tが、振り向いたからである。

 

「う〜ん…………」

 

 なのはは、Tに最初の一言以外に声をかけることすら出来なかった。

Tは、かつてクロノに攻撃された時と同じように恐るべき魔王の如き気配をしていたのである。

それでいて、今度は攻撃を許す程生ぬるい気配ではなく、一歩でも今の空間のバランスが崩れれば、その瞬間世界全てが崩れ去ってしまうのではないかという程である。

恐怖の余り、なのはは失禁した。

それは多くの人間がそうであったようで、空調の音に混じり水音がそこかしこで聞こえる。

そんな面々を眺め、Tは困ったように呟いた。

 

「なんだか歓迎されていないみたいだし、いったんお家に帰りますね」

 

 言ってTは手を掲げ、指をパチンと弾く。

アルカンシェルの時と同様に、空間が歪曲。

次の瞬間、その場からTの姿は無くなっていた。

 

「……はっ」

 

 と。

正気に返った声が幾重にも重なった。

ようやく動きを許された人々は姿勢を崩し、その場に倒れ込みそうになる。

リーゼ姉妹は飛び出すようにグレアムの元へたどり着き、声をかけていた。

なのはは、現状を正確に受け入れる事ができず、混乱したまま呟く。

 

「たっちゃんは、何処に……?」

「恐らく……」

 

 と、ユーノが引き取った。

 

「恐らく、Tとジュエルシードは、学習したんだ。空間を操る方法を、アルカンシェルを食らう事で」

「それじゃあ……Tは空間を渡ったと言うのか?」

「あぁ。確立されていない技術だ、行き先は現代の技術じゃあ分からないと思うけれど……」

 

 Tの言葉がなのはの脳裏を過ぎる。

"いったんお家に帰りますね”

言葉の通りならば、Tが居るのは地球の海鳴である。

Tが無事どこかにたどり着いている事に喜べばいいのか、今のTが海鳴にたどり着く事に泣き叫べばいいのか、なのはには分からなかった。

そんななのはを捨て置き、リーゼ姉妹が歓声をあげる。

 

「父様、良かった、意識を取り戻したんだね!」

「良かった……、本当に良かった!」

 

 涙をすら零しながら言う姉妹は、横になっているグレアムの左右から彼を覗き込むようにして叫んでいた。

その様子にその場の全員が視線を向けると、グレアムはゆっくりと身を起こしながら、困惑した様子で言う。

 

「あの……お姉さん達は、誰ですか? それにぼくは、なんでこんな所に?」

 

 

 

 

 

 

 闇の書の決着がついた日から数日後の事。

アースラの一室。

かつてTが寝泊まりしていたのだと聞く部屋にて、はやては無言で部屋の天井を見上げていた。

静かな低い駆動音のみが響く部屋の中、はやては一人両手を胸に当てながら物思いにふける。

そこに、排気音。

自動ドアを通って銀髪紅眼の少女が入ってきた。

 

「ここに居たのですか、主はやて」

「うん。一人で勝手に動いて、ごめんなリィン」

「いえ、謝るほどの事ではっ……」

 

 慌ててはやての正面に移動し、リィンフォースは首を横に振りつつ両手まで横に振り、二重に否定の意を示す。

その様子があんまりに力がこもった物であるのが、なんだか滑稽で、はやてはくすりと小さな笑みを浮かべた。

怪訝そうな瞳でそれを見るリィンフォースであったが、すぐに主が喜ぶのならばよしと一人頷き納得の笑みを見せる。

そんなリィンフォースが可愛くて仕方が無く、はやてもまた笑みを大きくし、手を伸ばした。

それに反応し、リィンフォースは腰を折り頭を下げ、はやての手の届く範囲にやる。

 

「よしよし、いい子やな、リィンは」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 喜色満面に言うリィンフォースに、はやてもまた笑みを浮かべながらリィンフォースの頭を撫でてやった。

暖かな体温が、苦悩に荒れているはやての内心を癒やしてくれる。

家族は一種、はやての心の清涼剤となっていてくれた。

しばらく撫で続けてやっていると、リィンフォースが不意に口を開く。

 

「ギル・グレアムは、恐らく精神障害を認定されるそうで、罪には問われないだろうという事です」

「そっか……」

 

 最高評議会のアースラへの介入は無かった事になっており、全てはグレアム一人の罪となっていた。

いくつもの管理局法に違反したグレアムの行為は悪鬼羅刹の物と言って違い無く、即座に捕縛される。

しかしグレアムは、いわゆる幼児退行を引き起こしており、リンディの言葉によるとこの事件の発端の時から既に発狂していた物と処理される可能性が高いのだと言う。

また、使い魔であるリーゼロッテとリーゼアリアには主と同様の罰が与えられるのが通例であり、今回は恐らく無罪となる可能性が高いとも。

 

「あの姉妹は、ギル・グレアムの介護をして残る一生を過ごす事になるでしょう」

「……喜べばいいんかな、悲しめばいいんかな」

「……それは」

 

 魔法と出合う前まで精神を退行させてしまったグレアムが、覚えの無い罪に問われる事がなくて喜べばいいのか。

それとも、はやてを殺そうとさえしたのに、以前は遺産の管理などをして善人面をしていた外道が罰せられる事なく、悲しめばいいのか。

 

「……いいんや、なんでもないよ」

 

 全てを飲み込み、はやてはリィンフォースにそう告げた。

悲しげな瞳でリィンフォースも頷く。

 

「幸い、私も闇の書の機能は死にましたが、ユニゾンデバイスとしての機能は残りました。騎士達も闇から私たちが分離されるよりも早く闇の書から分離しましたので、何ら影響なく独立したプログラムになっています」

「うん。最初は上手く行ってもまた暴走してまうから、リィンが死ななくちゃならなかった筈だって聞いて、めっちゃびびったんやで?」

「それは……申し訳ない」

 

 頭を下げるリィンフォースに、苦笑するはやて。

リィンフォースの闇の書としての機能の殆どは、Tが原因と思われる球形の闇に取り残され、リィンフォースのバグは全て消え去った。

同時に闇の書の機能も消え去り、はやてとリィンフォースは無敵の闇の書の主ではなく、ただの魔導師とユニゾンデバイスになったのである。

無論それでも破格の強さであるのだが。

そして。

 

「代わりに、たっくんは行方不明に。地球方面の航路はたっくんの再誕で起きた次元震の影響で、一週間近くかかって、地球の現状は不明。そして……」

「管理局からTは、事実上の抹殺指令ですか……」

 

 寂しげなリィンフォースの声に、はやては目を潤ませながら頷く。

管理局は、Tを危険度S級生体ロストロギアとして認定する方針だ、とリンディは言っていた。

新しく創設された危険度S級のロストロギアとは、どんな被害が出ても破壊せねばならない、次元断層以上の悲劇を生みかねない最悪のロストロギアを指すのだと言う。

 

「管理局が居なければ、私たちが助からなくて、酷い事になっていたのは確かや。恩義を感じていないと言えば、嘘になる」

 

 だが。

だけれども。

 

「たっくんが危険だって言うのも、直感で理解できた。たっくんを放っておけば何か、恐ろしい事が起きそうなのも分かる」

 

 だが。

だけれども。

 

「けど、たっくんは殺されるような酷い事、何かしたん!? たっくんはあんな、いい子なのに……!」

 

 こみ上げてくる感情に、はやては思わず涙した。

己を両手で抱きしめ、胸の奥からつきだしてくる感情に身を任せる。

リィンフォースは、そんなはやてを抱きしめた。

先ほどされたように、はやての頭を撫でてやりつつも、リィンフォースは天を仰ぐ。

嗚咽を漏らすはやての耳には聞こえぬ音量で、リィンフォースは呟いた。

 

「だが、Tは……狂っている」

 

 その声は誰の耳にも届くこと無く、孤独に部屋の中で響き渡るのであった。

 

 

 

 

 




A's編終了。
ちょっと久しぶりに夢幻転生を最初から読み直したんですが、この小説は一体何処から来て何処へ行くんでしょうかね。
いえ、ラストは既に決まっているので、プロット不明とかそういう訳じゃあないのですが……。
次回からは空白期。
と言っても、そんなに長い話にはならないと思います。


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空白期 その35:再会

 

 

 

「……はぁ」

 

 ため息の輪唱。

二酸化炭素が空気分子に混じり、雲一つ無い青空へと抜けてゆく。

アリサとすずかは放課後の聖小の教室にいた。

同じ制服を着た少年少女が楽しげに会話しながら帰宅する中、自分たちだけが暗い雰囲気を背負っている光景は少しばかり目立っている。

アリサはこれから待ち受けるすずかとのお茶会に心躍らせようとするも、その中に最近友達になったフェイトどころか、古くからの友人であるなのはやTの姿すら無い事が、余計にアリサの心に暗雲を投げかけた。

再びため息と共に、がくりと俯くアリサ。

すると、す、とアリサの手に温度が。

見ればすずかが、静かにアリサの手を握っているのが視界に入る。

 

「お迎えが来るまで、暇でしょ? たっちゃんの事、気になるんだよね? お話しよう?」

「……うん、そうよね」

 

 言って、2人は施錠する日直の迷惑にならないよう、中庭まで足を運んだ。

普段なら時間ぴったりに現れるメイドや鮫島も、他の用事が舞い込めば少しばかり遅れる事も無い訳では無い。

そんなときには中庭のベンチに座って、なのはにTを加えた4人で他愛の無い話に花を咲かせた物であった。

階段を降り、靴を履き替え中庭に。

すれ違う清掃員に頭を下げつつ、綺麗に掃除されたベンチに腰を下ろす。

普段は少し狭いぐらいの空間がいつになく広く感じ、アリサは僅かに眼を細めた。

同じ感慨を抱いているのだろう、隣のすずかもまた同じような眼をしている。

アリサは、口を開いた。

 

「なのは、言ってたわよね。たっちゃんが、行方不明になったって」

「……うん」

 

 すずかが小さく頷く。

アリサとすずかは先日、なのは達魔導師組との遠距離通信で、簡潔にではあるものの事の顛末を聞いていた。

予めリンディの手で編纂されていたのだろう。

内容はかなりオブラートに包まれていたが、そこはなのはと幼なじみである2人である、通信で会話したなのはを誘導する事である程度の情報を手に入れていたのだ。

すずかの知己であるというはやては、無事生き延びる事が出来た。

その家族も無事であり、それどころかもう一人家族が増える事にすらなったのだと言う。

なのはとフェイトも無事、物理的な犠牲者は1人も無いという奇跡のような解決が成されたのだそうだ。

が、同時に、Tが行方不明になったと言う知らせもあった。

ただ一つの言葉を残し、消えてしまったと言うT。

その行き先が、恐らく地球である事も併せて。

 

「"いったんお家に帰りますね"……か。でもあいつの家は……」

「うん……」

 

 当然、それを聞いた高町家・月宮家・バニングス家はTの家を捜索した。

そうして初めて、ある事実が発覚する。

Tの家が、存在しないのである。

記載された住所は存在しない場所を示しており、それらしき場所を捜索してもTの家は見つからない。

ばかりか、不可解さはアリサやすずか達の認識にすらあった。

アリサやすずか達は、一度もTの家に行こうと思った事が無い。

そしてこれだけ仲のいい友達なのに、Tの家族と出会うどころか、出会おうと思った事すらないのだ。

 

「なのはは隠していたけど、明らかにたっちゃんは何かとんでもない事をやらかしていた」

「リンディさん達、たっちゃんに何か嫌な感じを持っていたよね。敵意……隔意……ううん、恐怖? それとも、罪悪感?」

 

 どれも物騒な事態を想像せざるを得ない感情である。

何にせよ、はやてを救うための戦いで起きた次元震の影響で、なのは達が帰ってくるまでまだ数日かかると言う。

その間はアリサ達がこれ以上の情報を得る事はほぼ不可能に近く、せめてもの慰みとして、無駄とも思えるTの捜索網に頼る他無い。

そして当然、それはアリサとすずかが何かできる事を意味してはいなかった。

 

 アリサの胸の奥から、無力感が沸いてきた。

全身を倦怠感が包み、それでも何かを掴もうとするも、まるで柳を相手にしているかのように手応えが無い。

Tについて何かを掴めるという確信は心から薄れ、代わりに今自分が歩んでいる道先には何も無いのではないかと言う不安が胸に沸く。

不安を振り払おうと、握りしめる拳に力を入れるも、それすらも何処か無意味さが透けて見えて、長続きしなかった。

脱力し、アリサは俯く。

倣い、すずかもまた俯いた。

そんな2人に、声。

 

「あ、すいません、ちょっとベンチ開けてもらっていいですか?」

 

 何処でも開いているでしょう、と言いたかったアリサであったが、返事をするのも億劫で、体を少しずらす。

するとなんだか聞き覚えのある声の主がベンチに腰を下ろし、木が僅かに軋む音がアリサの耳に届いた。

が、なんだか気力が沸かず、顔は俯いたまま。

座った相手は視界の端に移る足を見るに、制服から男と、靴がなんだかTが愛用していたスニーカーと同じなので、似た趣味なのだと知れた。

声色もなんだかそう思うとTに似ているように思え……、とその辺でアリサはあれ? と脳内で疑問詞を。

そんなアリサを捨て置き、少年の声。

 

「いやぁ、ぷすぷす刺してくるように冷たい空気だね。でも剣っていうよりまち針かなぁ。とっても短いまち針なら、限界まで刺してもこんなもんに違いない。でもそうなると、針より丸い留め具の方が大きくなってしまう。つまり、まち針じゃあなく針まちになるんだ」

「って、この頓珍漢な理屈は……!」

「って、この素っ頓狂な理屈は……!」

 

 と、脳みそを朝起きた時ベッドに置き忘れてきたと言われても納得できる理論に、叫びながらアリサは面を上げる。

隣のすずかも同じく。

そして目前の少年をにらみつけ、輪唱。

 

「たっちゃん!」

「はい、ぼくはTです」

 

 しゅた、と手を胸の前まであげて言うTに、アリサは思わずその胸元を掴み引き寄せた。

視界の端ではすずかが立ち上がり、漆黒のオーラを纏いながらTを囲うような位置へ。

きょとんとした顔のTへと、まずはアリサが叫ぶ。

 

「あんた、登場するなら普通に声かけて登場しなさいよねっ!」

「え、いや、なんだか2人とも悩む事に忙しそうだから、邪魔するのもアレかな、って。っていうか、そもそも声をかけた時点で気づかれるかと思ったんだけどさ」

「うっ……」

 

 そう言われると、アリサも勢いを弱める事しかできない。

Tの声色を聞いて即座にTの名前を連想できなかった事に、アリサ自身少しばかり自省しているのである。

それは同じ筈であったが、しかし文句の一つも言わないと気が済まないのだろう、すずか。

 

「たっちゃん、皆にものすごく心配かけたの、分かってる? 行方不明なんて、何やってるの?」

「え? ぼく、行き先はみんなに告げてから移動したんだけど……」

 

 ぽりぽりと頭をかきながら言うTに、それは、とすずかは言葉を濁す。

そう、Tはいったん自宅に帰ると言って転移魔法の類を発動したと聞いている。

行き先を告げた上で移動して行方不明と言われるのは、普通ならば心外だと言えよう。

その自宅が、誰にも見つけられない場所でさえ無ければ。

アリサは、一瞬瞑目。

その鋭利な思考で幾種類ものTの自宅が見つからなかった原因を考え、その中で最悪の物を想定した。

目を開き、即座にすずかへとアイコンタクト。

これ以上この件に関して触れるなと伝えた上で、Tに向け口を開く。

 

「だからっていきなり消えたら皆驚くでしょう、このばかちん!」

「そっか、空間転移は驚く物なのか。確かにいきなり空気分子が姿を消したら、皆驚く物ね。あいつら人間には吸って吐かれる物でしか無いのに、いなくなると途端に困るんだから。まぁ入れ替わっただけだけど、それでも組成割合が微妙に違うもの、ショックを受けても仕方が無いか。ごめんね、アリサちゃん、すずかちゃん」

 

 激烈に突っ込みを入れたい衝動に駆られるアリサであったが、すずかの目配せを受け、辛うじてそれを飲み込む。

肩を上下させつつ、なんとか返答。

 

「まぁ、許す、わ」

「次からは気をつけてね」

「うん。なのはちゃん達には今度会ったら直接謝る事にするよ」

 

 言われ、アリサは僅かに顔を渋くする。

Tは独特な感性とマイペースさを持ち合わせており、彼が主体的に行動するとき、それを阻止するのは困難である。

すずかも同様に感じたのだろう、その顔には幾分かの焦りが見えた。

なのはらの言葉によると空間転移を身に付けたTである、可不可は分からないが、思いついてしまえばこのままアースラ内部へ転移しかねない。

アリサはすずかに視線を。

すずかはしばし視線を揺らすも、すぐに定めてアリサへ向ける。

同時、頷く2人。

首をかしげるTへと、2人で視線をやった。

 

「たっちゃん、聞いてほしい事があるの」

「たっちゃんに深く関わる事なんだ。お願い」

「えっと、とりあえず内容によるとしか言いようが無いんだけど……」

 

 と、困り顔のTへと、アリサとすずかは伝えた。

なのはやフェイト、はやて、管理局の面々との通信で、明らかにTに関する話題の時に違和感があった事。

管理局はどうやらTに対し、物騒な事態を想起させる感情を抱いているようだった事。

 

「根拠はとんでもなく薄い。でも、私たちは確かにそうだと感じるんだ」

「だからお願い、たっちゃん。できる限り、管理局からは身を隠すようにして欲しいんだ」

「それは……なのちゃんにフェイトちゃん、はやてちゃんからも?」

 

 2人は、無言で頷いた。

が、訝しげなTと目を合わせる事ができず、2人ともが俯いてしまう。

当然と言えよう、何となくとしか言いようが無い根拠で、2人はTを友人から引き離そうとしているのだ。

おまけに管理局から身を隠すと言うことは、Tにとんでもない不自由をもたらす物である。

何故か見つからない家には帰れるかもしれないが、これまでTにとって慣れ親しんできたこの街には帰れないに等しい事態となるのだ。

いくらTが呑気な少年だとしても、容易く頷ける事柄では無い。

 

 無理を言っている自覚に重くなるアリサの頭蓋に、ぽん、と手が乗せられた。

恐る恐る視線をあげてみると、Tは優しげな微笑みを携えている。

思わず目を見開くアリサと、同じようになっているすずかに、穏やかな声でTは言った。

 

「分かった、聞くよ」

「ってあんた、こんな無茶を……!」

「そうだよたっちゃん、こんな事聞いたら、たっちゃんは……!」

 

 思わず大声をあげる2人に、Tは一瞬目を閉じる。

すぐに見開かれたTの瞳に、2人は思わず息をのんだ。

美しい瞳であった。

まるで億千万の輝きが渦巻いているかのような宵闇の瞳は、あの星空のように壮大で心奪われる。

ばかりか、その瞳には人の心を射貫く光があった。

アリサとすずかの胸を打ち抜く、鋼の意思がそこにはあったのである。

胸の中を鷲掴みするかのような光景に、アリサは胸を高鳴らせた。

それはすずかも同じだったのだろう、2人は同時に己の胸を押さえる。

 

「確かにね、根拠は薄いし、ぼくに対するデメリットは大きい物だろう。これに簡単に頷く奴なんてそうは居ないさ」

「なら……っ」

「でも」

 

 言って、慈母のような微笑みを見せるT。

天上の音色の如き声で、続けた。

 

「他の誰でも無い、ぼくの友達の言葉なんだ」

 

 ひゅう、とアリサとすずかは息をのんだ。

心臓が喉から出そうなぐらいに暴れていて、鼓動は今にも破裂しそうなぐらい。

それでも目の前の光景から目を離す事ができず、2人はTの顔に魅せられる。

 

「ぼくはアリサちゃんとすずかちゃんの、頭の良さを信じている。ぼくはアリサちゃんとすずかちゃんが、ぼくを心から心配してくれているのだと信じている。その2つがあって、なんで君らの忠告を聞き流す事ができるかって話さ。ぼくは、君らが正しい事を言っているのだと信じる。なんせぼくらは……」

 

 言って、Tは破顔した。

悪戯に成功した子供のような、得意げな笑み。

 

「友達だ」

 

 アリサは、その瞬間自分の中で熱い物が暴れ回るのを感じた。

喉の奥からこみ上げてくるそれは、すぐに顔面まで到達し、目尻に集まり、どうにか押しとどめようとするも、すぐにこぼれ出てしまう。

ほろりと、アリサの目から涙が零れた。

視界の端では、すずかもまた感涙しているのが見て取れる。

そんな2人に苦笑し、Tが続けた。

 

「それにほら、もし管理局が物騒な目的でぼくを探しているんじゃあないと分かれば、ぼくが出てくれば済む話じゃあないか。まるでトンボが飛ぶぐらいに簡単な話だろう?」

「あ、相変わらずね」

「もう、たっちゃんったら」

 

 言いつつ、アリサは強引に涙を拭って笑顔を作る。

そんな2人に、Tもまた荘厳だった雰囲気をいつもの物に戻しつつ、続けた。

 

「さて、ぼくが管理局から目をくらますにしても、アースラが地球に来るまで数日あるんだろう? それなら、今日と明日ぐらいは地球に居られる訳だ。思い出作りに遊ぶぐらいはしてくれないかな?」

「あ、あったり前よ!」

「当然、私も参加するからね」

 

 言って、3人はそれぞれ手を伸ばす。

中心で1本づつ伸ばされた手は重なり合い、3人は視線をそこに集めた。

静かに、3人は手を地面へ向け少しだけ押す。

思わず拭った筈の涙がまた湧き出てくるのを感じながら、アリサは思うのだ。

こんなにも心が通じ合っていると感じるのは、初めてだ、と。

生きていた良かった、とすら思い、この世の全てに感謝をすらしていい気分になりつつ、アリサはわき出てくる満面の笑みに表情筋を任せる。

視線を重なった手にやっているアリサは気づかない。

すずかも同じく気づかない。

その瞬間にTがどんな表情をしていたのか、その場の誰も気づかないままに、アリサとすずかは3人で互いに心が通じ合ったのだ、と確信するのであった。

 

 

 

 

 



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その36:現実

今回はやや鬱注意です。
本番は次回ですが。


 

 

 

 夕日が落ちてゆく。

今際の太陽の輝きが朱色となって全てを染めてゆき、Tとアリサの顔を赤く染めた。

学校帰りの公園の中。

2人はベンチに座り、ぼんやりと夕日を眺めていた。

 

「いい夕日だね。食べちゃいたいぐらいだけど、ぼくのお腹には既に夕日があるから、やっぱりやめておこうかな」

「…………」

 

 Tの謎の理屈にアリサは思わず突っ込みを入れそうになったが、そんな不思議理論も今日で聞き納めかと思うと、不意に胸の中を寂しさが過ぎる。

どうしようもない衝動に駆られ、アリサは思わずTの手を握った。

ぎゅ、と幼い肉達が絡み合い、互いの体温を伝える。

Tはもう間もなく何処かへと消え去ってしまう。

それでも何時かは帰ってくる筈なのだが、何故かアリサにはこれがTと過ごす最後の時間になるよう思えて仕方が無かったのだ。

アリサは、胸の奥に吹く冷たい風がどうしようもなく不安で、思わずTの肩へと頭を預けた。

Tは僅かに目を見開くが、すぐにいつもの笑顔になり、アリサを受け入れる。

心細いのはむしろTの方だと言うのに、アリサを慰めてくれるTの優しさに、アリサはうっすらと涙を浮かべた。

誤魔化すように、両手で抱きしめるようにTの腕を絡め取る。

Tの体温はまるで小さな太陽でもお腹の中にしまってあるかのように、暖かく心地よかった。

 

 アリサとすずかとTは、2日間遊びに遊んだ。

習い事をサボった2人は、好奇心に身を任せ、様々な遊びにTを巻き込む。

スケートリンクに行って滑りに滑り、外では力尽きるまで雪合戦をして楽しんだ。

それでも一番多いのは、やはり他愛の無い話であった。

何せTは頭がちょっと変な子であるのだが、代わりに話の種が尽きる事の無い少年である。

3人は様々な話をした。

学校の嫌な先生の愚痴、将来の夢への展望、家族の誇らしさ、夢のような魔法の世界。

Tはたとえば、こんな話もした。

 

「フェイトちゃんの人柄ねぇ。真面目で天然な子かなぁ」

「天然って、あんたが言うの?」

「? うん、まぁそう感じたし。そうだなぁ、ようやくメッキが剥がれたけど、剥がれてみれば中身もメッキと同じものだった、みたいな感じ?」

「……はあ」

「けどやっぱり、メッキが剥がれた分切っ先は丸くなって、日本刀みたいな部分は減ったかな。どっちのフェイトちゃんも好きなんだけど、安心して見ていられるのは今のフェイトちゃんだなぁ、やっぱり。打撃って即効性は無いけど、継続性は強いだろう? そういう事さ」

「分かるような、分からないような」

 

 というTはこれでもフェイトを買っているらしく、本人は褒めているらしい言葉が続く。

曰く、将来子供が出来たら絶対に自分は子供を自由に育てられているのか、意思を誘導して人形のように扱ってはいまいか、とか思うに決まっている、のだそうだ。

そんな十年以上先の事を未来予知しなくても、とアリサは思うのだが、何故かTは断固としてそんな言葉を続けるのである。

次いでTは、はやての事についても語った。

 

「はやてちゃんは、仮面の子だね」

「仮面の子? 猫かぶってるって事?」

「猫というよりは狸かな。ほら、縁日の屋台で売っている可愛らしい仮面があるだろう? あれをかぶっていたら、肌にくっついてしまって取れなくなっているような感じなんだよね。接着剤は家族なのかなぁ。家族っていうか、ヴォルケンリッターの皆さん」

「ふぅん。なんか変な先入観のつきそうな話ね」

「うぅん、そうだった? でも、今や縁日の仮面顔になってるから、気にせず友達になれる子だと思うんだけど……」

 

 うぅむ、と首をかしげながら言うTであった。

ちなみに、将来のはやては狸度を増すらしい。

おかげで尻尾が成長して隠す事ができなくなり、間抜けな部分もあるけど、愛嬌として取ってもらえるようになるのだそうだ。

恒例の未来予知に、アリサは問うた。

 

「それじゃ、なのはは将来どうなるのかしら」

「あの子は恋愛しなさそうだなぁ。なんか恋人より先に子供でも出来そうなぐらい」

「うぅ、一瞬想像できちゃった……」

 

 頭を抱えるすずかに、微妙な顔をしつつ頷かざるを得ないアリサ。

アリサとすずかが恋愛ドラマの話などで盛り上がっている際など、今一乗り切れないぐらいには恋愛に興味が無いなのはである。

処女受胎する光景すら目に見えるようであった。

もしくは30間近で恋人が居ない歴と年齢が等号で結ばれる残念な未来。

何気になのはに対し酷い評価をするアリサを置いて、すずかが問う。

 

「じゃあ私の将来は?」

「う〜ん……」

 

 Tは眉をひそめ、すずかを見つめた。

これがもう穴が開くのではというほどの見つめ方で、見ているアリサでさえも恥ずかしくなってくるぐらいの物であった。

なんだか頬が赤くなるのを感じつつ待っていると、困り顔でT。

 

「ごめん、今一想像がつかないや。本当にごめんね、何も思いつけないんだよ」

「ふぇ? わ、私こんなにジロジロ見られたのに?」

「ごめんね……」

 

 珍しく、Tはしゅんとして項垂れた。

慌ててフォローに入るすずかにすぐに元気を取り戻すが、Tが暗い顔をするのは珍しい事である。

首をかしげるアリサに、Tは最後に、とアリサに視線をやった。

 

「う〜ん、アリサちゃんは……」

 

 Tはアリサを注視する。

心の中まで見通すような視線に、アリサは思わずどきりとした。

コートと聖小の制服を纏ってこそいるものの、Tの視線はそんな物で遮れないようにすら思えてくる。

まるで全裸でTの前に立っているような羞恥が、アリサの心を襲った。

肌が火照り、うっすらと汗が滲む。

体表を流れる汗の感覚が、なんだかむず痒く、アリサは思わず身じろぎした。

体の芯がじんじんと熱くなり、取り出せる物であれば取り出して氷水にでもつけておきたいぐらいだ。

熱が下腹部にまで移ろうという辺りで、神妙な顔をしてTが口を開いた。

 

「あのね、アリサちゃんは……」

「わ、私は?」

 

 注視が無くなった事で、アリサは羞恥から逃れ得たものの、体の火照りはまだ冷めない。

身じろぎするアリサに、何とも言えない顔で、T。

 

「何故かニートとかになってそう」

「なるかばかちんっ!」

 

 思わずアリサはTの頭を叩き倒すのであった。

 

 そんなTとの日常も今日で終わりかと思うと、朝からアリサは寂しさを押さえきれなかった。

胸の奥に潜む吃驚するぐらいの寂しさに、アリサはTの腕を抱きしめ続ける。

流石に人に見られるのは嫌なので、ジャンケンに負けて缶ジュースを買いに行ったすずかが戻るまでの事ではあるのだが。

それでも、できる限りはTの体温を感じていたかった。

それはTも同じなのだろうか、Tは肩に乗せたアリサの頭を柔らかな手つきで撫でている。

ふと、アリサは視線を夕日に。

 

「夕日、なんだか落ちるのが遅いわね。結構長い間夕方が続いているような気がするわ」

「うん? どれどれ」

 

 首をかしげつつ、Tは夕日を見ると、あぁ、と頷いてみせる。

 

「なるほど、夕日が電線に引っかかって落ちられなくなっているんだね。よいしょっと」

 

 言ってTが手を伸ばすと、念動力の類の魔法でも発動したのだろうか、ちょうど落ちる夕日にひっかかるような位置にあった電線が揺れた。

するとどうだろうか、夕日は凄まじい速度で落ちてゆき、空は瞬く程の間に朱色から紫色へと姿を変える。

ぽかん、とアリサが丸口を開けていると、声。

 

「あら、アリサちゃんったら、大胆だね」

「ふぇ!?」

 

 思わずアリサがはね飛ぶと、気づけばすずかが缶ジュースを持って帰ってきていた。

違うのよこれは、と言い訳するアリサを無視し、すずかは缶ジュースを配る。

アリサとすずかは果汁100%の物を、Tは炭酸飲料を選んでいた。

一足先に、とTが炭酸飲料のプルタブに手をかける。

プシュ、と言う排気音と共に、白い何かが炭酸飲料の缶から飛び出した。

飛び出したのは、白い鳥であった。

 

「へ?」

「え?」

「あぁ、なるほど」

 

 一人納得するTを捨て置き、白い鳥は3人の周りをくるくると旋回した後、空へ。

すぐに見えなくなるほど遠くへと飛び去っていった。

それを気にするでも無く、Tはぐびぐびと炭酸飲料を口にする。

思わず目を見合わせるアリサとすずか。

すずかの目に困惑が浮かんでいる事から、今の出来事が不自然である事を再確認する。

アリサは、恐る恐るTへと視線をやった。

Tは、ニコニコと笑顔を作ったままアリサとすずかを見つめている。

 

 瞬間、アリサの霊感が劇的な何かを捉えた。

胸の中を激流の如き凄まじき何かが流れていき、発見の連続がアリサの脳髄を洗い流す。

ぱくぱくと、アリサは口を開け閉めした。

理性が認めなければならないその答えに対し、しかし感情は納得できない。

故に、アリサは口を開く。

 

「たっちゃん、あんたは……」

 

 アリサは、2,3の質問をTに向けて投げかけた。

Tは淀みなくその質問に答える。

隣では質問の意図を読めないのだろう、すずかが不思議そうな顔でアリサを見ていた。

 

「そう……なのね」

 

 アリサの質問は、アリサの胸に沸いた確信を強めるだけであった。

間違いない、アリサはその優れた知能と直感により、Tの正体を確信していた。

アリサは、胸の奥にがらんとした空白が生まれるのを感じる。

気力と言う気力が萎えていき、視界が揺れそうにすらなった。

全ての思い出が色あせていくのを感じる。

だが、自分はまだマシなのだと言う自覚だけが、辛うじてアリサの心を保たせていた。

この世の殆どの人間にとって、全ては意味が無い。

しかしアリサは類い希な人間であり、意味ある生命ではあるのだ。

その事実の殆どはアリサの心から気力を奪っていく物だったが、僅かながらアリサの慰めにもなった。

 

 だから。

それ故に。

アリサは、瞼を閉じ、開いた。

空虚な自分の中に少しでも何かを取り入れようとし、深呼吸をする。

せめて風船のように中身が何もなくとも、見目には中に何かあるよう見えるように。

それは、意地だったのかも知れない。

うっすらと涙を浮かべながら、アリサは灼熱の決意と共に口を開く。

せめて、なのはやすずか達の為に、その事実を伝えねばならないから。

だからアリサは、言った。

 

「あんたは……絶対に自分の正体を知るべきではないわ」

「え? うん。何か、誰かにも言われたような気がする台詞だけど、分かったよ」

 

 アリサの雰囲気を見て取ったのだろう、Tは真剣な顔で頷いた。

そして残る炭酸飲料を飲み干すと、近くにあったゴミ箱へ向けて缶を投げる。

UFOの如き謎の機動を描いてゴミ箱に入る缶を捨て置き、Tは視線を2人に。

いつものニコニコ笑顔で、言った。

 

「それじゃあ、そろそろお暇しようかな。多分、明日ぐらいにはなのちゃんが地球に来そうな感じがするし」

「……あんたがそう言うのなら、そうなのかもしれないわね」

 

 アリサの何処か乾いた声に、すずかが疑問詞を瞳にやるも、アリサは答えない。

2人の視線がTへ向く。

Tは鼻の頭をこすり、言った。

 

「それじゃあ、2人とも。なんて言うか、2人と居て、ぼくは結構楽しかったよ」

「えへへ、いい思い出作りができたよね」

 

 と笑うすずかは、恐らくTの言葉を額面通りに捉えているのだろう。

すずかには分からない事実が見えているアリサは、老婆の如き鈍重さで瞼を開け閉めした。

視線をTへ。

できる限りの笑顔を作りながら、言う。

 

「えぇ。忘れたら……本気で、怒るわよ」

「怖いなぁ。ぼくの記憶力は昨日の晩ご飯を覚えるぐらいしかでき……今朝の……いや、今日のお昼ご飯を……」

「何処まで遡るのよ、ばかちん!」

 

 力ない蹴りでTを蹴りつけるアリサ。

Tは僅かに困惑した表情でアリサを見たが、すぐに顔を笑顔に戻す。

 

「ともかく、2人のことは絶対に忘れないさ。それじゃ……」

 

 Tはまるでちょっとコンビニ行ってくる、とでも言わんばかりの気軽さで告げた。

 

「ばいばい」

 

 Tの周りの空間が歪曲。

Tの姿が消え去り、数秒ほどかけて歪みが消えてゆく。

アリサは深いため息をつくころには、全ては幻であったかのように消え去っていた。

 

 アリサは、脱力してゆく体でじっと空を眺める。

空は最早一番星が見えそうなぐらいに暗くなっており、そろそろ携帯電話で迎えを呼ばねばならない頃だった。

しかし、アリサにはどうしてもそんな気が起きない。

ぐったりとした体でベンチに深く腰掛けるアリサに、ふとすずかがその手を握りしめた。

 

「アリサちゃん、風邪引いちゃうよ?」

「…………」

 

 どうでもいい、と言う本心は言えない。

全身全霊で気力を絞り出し、立とうとするも、なかなか上手くはいかなかった。

そんなアリサの様相を見て、すずかは歯噛みする。

しばらく俯いたかと思うと、顔に決意の色を見せながら言った。

 

「……アリサちゃん。何を悩んでいるの? さっき、アリサちゃんは一体何に気づいたの? 私たち、友達でしょう? 言える事ならなんだって聞くよ?」

「……それ、は」

 

 アリサは思わず俯く。

言えない。

言えるものか。

知るだけでこんなにも心折れそうになる事を、すずかに聞かせて大丈夫とは限らない。

他にTの正体を知った人間が居るかどうかは知らないが、少なくともアリサは今恐るべき虚脱感に襲われているのだ。

この全ての意味が無くなりかねない程の何かを、すずかに共有させるのだろうか。

迷いを表情に見せたアリサに、微笑みながらすずかが指を伸ばす。

ちょん、とアリサの頬をつつき、言った。

 

「こーら。前になのはちゃんが悩んでいた時、爆発したのはアリサちゃんでしょ? なのに話すかどうか迷うなんて、ずるいよ?」

「…………そう、なのかもね」

 

 アリサの心は、僅かな楽観に浸され始める。

そう、Tの正体を知った人間の実例をアリサは知らない。

もしかしたらすずかも虚脱感に襲われるだけで済むかもしれないし、そうなれば2人でそれを共有できるかもしれないのだ。

ならば。

苦しい事や悲しい事を、分かち合う事ができるのが友達であると言うのならば。

 

「すずか、聞いてくれるかしら?」

「うん、もちろんだよアリサちゃん」

 

 アリサは、Tの正体をすずかに告げた。

 

 

 

 

 

 

 翌日、月村すずかは自殺した。

 

 

 

 

 



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その37:考察1

今回、話あんまり進んでないです。
いわば総集編的な。


 

 

 

 雨音。

暗く淀んだ灰色の空から、線分の雨が降り注ぐ。

表面が水で覆われた道路へと雨は落下し激突、小さな王冠を作って水分子達の仲間となっていった。

なのはがそんな外を眺めていると、どうしても数日前のすずかの葬式の事が思い出される。

まるで現実感の無い光景だった。

美しく聡明で穏やかな、それでいて何処か強かで、この子は絶対に自分よりも長生きするな、と思っていた少女の死。

否、言葉を取り繕う事無く言えば、自殺。

その事実に衝撃を受けた者は多く、特にアリサなど引きこもってしまい、未だに部屋から出てこないらしい。

未だに上手く消化できていない痛みに、なのはは思わず手を握りしめた。

物理的な痛みで、精神的な痛みを誤魔化せるのだとでも言うかのように。

 

 ピンポーン、と電子音。

なのはは面を上げ、跳ねるツインテールをそのままに部屋を出る。

階段を降り、母の伝える来客者の名前に頷き、玄関へと到着。

扉を開き、叫ぶ。

 

「いらっしゃい、フェイトちゃん、はやてちゃん!」

「お邪魔します」

「お邪魔しますな、なのはちゃん」

 

 2人の言葉に、なのはは微笑んだ。

対する2人は、返事代わりに何処かぎこちない笑みを。

どちらもまるで、油の切れたブリキのロボットのような笑みであった。

自分もこんな笑顔をしていたのだろうか、と苦い思いを抱きつつ、なのはは2人を自宅に招き入れる。

なのはは、2人を先導して自室に招いた。

魔法を知る家族の前だからと言うことで、はやては魔法でぎこちない飛行をしながらそれについていく。

それぞれ思い思いの場所に陣取り、桃子が全員分の飲み物を運んだ後に、ようやく3人は本題に入った。

 

「……なのはは、結界系の魔法はまだそれほど得意じゃあなかったよね。私がやろうか?」

「いや、私に任せて貰えへんかな。リィンフォースならどんな魔法でも覗けん遮音結界を作れるやろうし」

 

 言って、はやては手元の夜天の書に視線を。

明滅した夜天の書から、書の中で待機形態となっていたリィンフォースが起動。

白い光と共にその場に現れた。

 

「承知しました、主」

 

 銀糸の髪を揺らしながらそう言い放ち、掌を天へ翳すリィンフォース。

漆黒の魔力光が僅かにきらめき、なのはの自室を結界で隔離した。

 

「では、私はまた夜天の書の中で……」

「あ、いえ、リィンフォースさんにも聞いていただけますか? あの状態のたっちゃんと接触したリィンフォースさんの意見も聞きたいので」

「む、そうか分かった、高町。では主と共に拝聴させていただくとしよう」

 

 言って直立不動で立ち尽くすリィンフォースに、はやては苦笑しつつ座を勧める。

恐縮しきりだったリィンフォースがようやく座ったあたりで、それを微笑まし気に眺めていたなのはが、口を開いた。

 

「それじゃあ、たっちゃんの事。たっちゃんが一体、何者なのか。みんなでお話しようか」

 

 全員が頷き、ここにTの正体を探る会が始まる。

まずは様々な視点からTについての情報を列挙していく事にし、なのはが先頭を切った。

 

「たっちゃんは、小さい頃からずっとあんな感じ。思い出せる限りでは小学校に入る前から、ずっとヘンテコな理屈ばっかり言っている不思議な子だった」

 

 懐かしげに、なのはは視線を遠くにやる。

脳裏にかつてのTの姿がいくつも浮かんできて、自然となのはは僅かに相好を崩した。

電柱を上れば太陽に到達できるとか言い出すT。

翠屋のシュークリームを雲みたいな味と比喩するT。

そして、出会いの時。

 

「たっちゃんと出会ったのは、お父さんが大けがをして入院して、家族のみんなが私に構う余裕がなくなっちゃった頃。独りぼっちで、良い子でいなきゃ構ってもらえないから良い子でいなきゃ、って思ってて。私は悪い子だから構ってもらえないんだ、って思ってて。そんな頃に私はたっちゃんと出会ったの」

 

 思わず笑みを零し、なのはが続ける。

 

「出会った時からあの自由な性格でね。だから直接慰められるとかそういう事は無かったんだけど、見ていたら、あんなに自由でも良かったんだ、って思えて。救われたなぁ、あの頃は」

 

 と、そこまで言ってから、なのはは少々話題がずれている事に気づき、修正。

Tの話に意識を戻しつつ、続けて言った。

 

「それにやたら頭の良い子で、小学校に入る頃にはもう分数のかけ算ぐらいできてたんじゃあないかな。それから、自分から友達を作る方では無かったかな。私がアリサちゃんと……すずかちゃんと、友達になって」

 

 思わず、なのはは一旦口を閉じた。

目を閉じれば瞼の裏に浮かんでくる、親友の姿。

うっすらと紫がかった髪にヘアバンドをつけた、あの確りとした頼もしい少女。

ついつい物思いにふけりそうになる自分をどうにか押し殺し、なのはは瞼を押し上げる。

 

「友達になって、それから3人でたっちゃんと友達になったんだ。それから3年生になって、ユーノくんとジュエルシードを集めるようになって……」

 

 なのはは視線をフェイトに。

頷くフェイト。

ジュエルシード事件に関して一通りの説明は受けているものの、当事者から話を聞くのは始めてなはやては、僅かに身を乗り出した。

 

「私はジュエルシードを見つけて手にしていたTと出会ったんだ。そしたらTは、いつもの調子でジュエルシードが欲しいって言い出して。最後には、ジュエルシードを食べちゃったんだ」

「た、食べちゃったんか」

 

 思わず突っ込みを入れるはやてに、くすりと微笑みつつフェイト。

 

「うん、食べちゃった。それで時の庭園に連れて戻って、母さんに見て貰ったんだけど……。Tにジュエルシードの力が宿っているのが分かると同時、母さんは一目惚れしたんだ」

「たっくんに……やね」

「うん」

 

 頷きつつも、フェイトは今にも崩れ去りそうな儚い笑みを浮かべる。

それが見ていられなくて、なのはは思わず視線をそらした。

はやても同じようにしていたのだろう、フェイトは場の空気を取り戻さんと、空元気を込めた声で言った。

 

「それからすぐに、私はTと友達になったんだ。Tの方から、友達になろうって言ってくれて。とりあえず期間限定の、軽量級の友達になろうって。えへへ、友達の記念って言って握手して、友達の名前を思い浮かべれば握手が思い浮かぶ、って言ってくれたんだ」

 

 次第に当時の気持ちが蘇ってきたのだろう。

小躍りしかねない程嬉しそうに言うフェイトに、あれ、とはやてが呟いた。

首をかしげるフェイト。

 

「どうしたの、はやて」

「……いや、矛盾っていう程やないんけど。たっくん、なのちゃんが知る限り自分から友達を作る方やなかったんやよね」

「……あ」

 

 と、なのはは思わず目を丸くした。

 

「私と友達になったのも、よく覚えていないけど何となく一緒に居たからって感じだったような気がするし。アリサちゃんもすずかちゃんも、私が連れてきて友達になった」

「その割には、とっても友達を作り慣れているように感じた。握手の話、なのはは初耳だったんでしょう?」

「うん、そうだよ」

 

 妙な話である、と3人の意識は統一するも。

 

「……しかしまぁ、言い出しておいてなんやけど、致命的な矛盾点って訳ではないわな。違和感、程度やね」

 

 はやての言葉が事実であった。

Tがなのはらとの交流の中で、偶々握手をした事から思い浮かんだ理屈かもしれない。

どころか握手云々の話は、彼の意味不明な思考回路から突然生み出された事なのかもしれないのだ。

なのはもフェイトも心から受け入れられた理屈で、何かの経験的裏付けがありそうだと思える物なのだが、その根拠は確かな物ではない。

違和感以上の物とはせぬまま、なのはらは話を進めていく。

 

「で、それから私は母さんの独白で、私が造られた命だって事と、母さんがTに一目惚れしてたって事、母さんが私に優しくなったのはTに良いところを見せる為だけだって事を知った。それで、八つ当たりとしか言いようが無いんだけど、私はTを憎むようになって。そうこうしているうちに、母さんはTに地球で家族に別れを告げなさい、って地球に送ったんだ」

 

 なのはは思わずフェイトを擁護しようとするも、フェイトがあまりに流れるように話を続ける物なので、タイミングを逃してしまった。

しおしおと乗り出した身を戻すなのはを尻目に、フェイト。

 

「私はTを憎んでいたけど、Tを傷つけたくない本心もあって、だからクロノが接触しようとしたのを魔力で察知して、その場を離れたんだ。でも、その時に……」

「たっちゃんは、"あの気配"になっていた」

 

 引き取るなのはに、全員の顔が険しくなった。

"あの気配"。

アースラにてグレアムを前にTが見せた、生命全ての天敵とさえ思える、あのおぞましい気配。

 

「私は魔力の位置関係だけで見ていたから、Tの気配が何時変わったのかは分からないけど……」

「少なくとも、クロノ君が話しかけた時は既にそうだったみたい。それでもまだ、この前よりはマシだったみたいだけど」

 

 事実クロノはその時、恐怖に怯えながらもTに攻撃できた。

アルカンシェルを一顧だにしなかった時のTが、同じ空間に存在しているだけでも発狂しそうな程恐ろしかったのとは違って。

それを聞いて、はやてが目を細めた。

 

「ん? てっきり私は、アルカンシェルをくらってからあの気配になったと思っていたんやけど……。その話を聞くに、攻撃をしたから"あの気配"になったんやないんやな」

「その通りです、主。純粋生物では無いせいか、私たちはTを狂っているとは感じていても、主達ほど恐怖は感じていませんでした。が、それでも"あの気配"の有無は分かります。"あの気配"は、少なくともTが再誕した瞬間には既になっていました」

「すると、今のところ誰にも分からんある切っ掛けがあって、たっくんは"あの気配"になる……って事かな」

「妥当な推論でしょう」

 

 リィンフォースの言葉に、頷く3人。

とは言えその切っ掛けが分からない以上、話はそれ以上展開しない。

話は元に戻り、時系列順にTを追っていく流れに戻る。

フェイトは続けて、自分がTに斬りかかるも、何故かTが微笑んだ事。

プレシアとTとの対面の時、Tがプレシアの告白を受けるもアルハザードへの旅を断り、四肢切断された事。

そしてTの四肢が伸びた事。

その時は"あの気配"は特に感じなかった事。

プレシアの台詞。

 

「母さんは言ったんだ。"T、貴方は私の神だったのね……!"と」

 

 意味深な言葉ではあるが、プレシアの精神状態を思えば、参考にできる言葉では無い。

だが、その言葉はTに狂った人間の一人の言葉である。

参考として記憶しておき、話は続く。

なのはとフェイトの仲を結んだ後、Tはアースラによりミッドチルダへと運ばれた。

Tは研究のためミッドチルダに実質上の監禁をされ、その間に闇の書事件が始まる。

ヴォルケンリッターとアースラチームとの戦いは、グレアムによるはやての発見によって終止符を打たれた。

 

「……リンディさんの話やと、独自の調査で分かった限りでは、グレアムおじさんは私が足を悪うした辺りから私を監視していたらしいけどな」

 

 それからはやてとTは半ば同居するようになり、なのはとフェイトはヴォルケンリッターと共に魔力を蒐集。

そして運命の日がやってきた。

 

「グレアムおじさんは、私を使うてたっくんを殺そうとしていた」

「闇の書の暴走寸前にTを転送する事で、主が精神的に求める相手となっていたTを主を閉じ込める筈だった闇の書の夢へと閉じ込める。いわば精神的牢獄だ。そこに閉じ込めたままアルカンシェルで物理的に殺傷するのが目的だったのだろう」

 

 が、それはアルカンシェルのチャージが終わる寸前にTが再誕した時点で破綻。

急ぎグレアムはアルカンシェルを発射させたものの、Tは物ともせずに"あの気配"を宿しアースラ内部に現れた。

 

「グレアム提督の言い分は、まるでTが存在する事が人類に害悪なような言いようだった」

「うん、そうだね、ちょうどプレシアさんと正反対。まるで……、そうだね、魔王でも見るような目で見ていた」

 

 他にも疑問はある。

Tが腹を破って誕生した、あの赤子は一体何だったのか。

そもそも、何故Tはアルカンシェルをくらっても無事だったのか。

そして。

 

「たっちゃんの名前とアルファベットのTが同じである事」

「Tの住所が存在しなくて、誰もたどり着けない事」

「そして……たっくんの両親の、顔が無かった事」

 

 3人は、それぞれの言葉が言われるたびに表情を暗くする。

グレアムが指摘したTの名前、地球の面々が知ったTの住所の不存在。

そして新たな事実として、Tを何故か違った視点で見る事のできるヴォルケンリッターとリィンフォースの力添えで判明した、映像資料に残っていたTの両親の顔。

 

「他はまだしも、Tの両親の顔は本当に意味不明だ。顔が無いと言うのは、一体何を意味する事実なんだ?」

 

 前例の無い疑問に悩むリィンフォースの言葉に、誰一人答える者は居ない。 そして何より、その直後に起きた悲劇。

Tが地球に数日滞在した時の事。

 

「忍さん達は、たっちゃんを匿うまではしなくとも、思い出作りをする事は黙認するつもりだったみたい。けど、万が一の事態のために人を使って監視だけはしていた」

「距離があったから、会話の内容までは分からなかったみたいだけど……」

「分かるのは、たっくんが行方をくらました翌日からアリサちゃんが引きこもって、すずかちゃんが……」

 

 言葉にするのが怖かったのだろう、はやての言葉は尻すぼみになり、やがてただの吐息の音と化す。

自然、全員が俯いた。

それぞれの心臓の音と時計の音のみが、なのはの自室を支配する。

沈黙を破ったのは、主を慮ったリィンフォースの言葉であった。

 

「何にせよ、Tの存在で狂った者はTの事を、正反対に評していたな」

 

 その言葉に、面を上げる面々。

順に口を開き、呟くような音量で、しかし芯の通った声で言った。

 

「Tは……」

「神か……」

「魔王か……」

 

 3人の声が空気を振動させる。

振動の波は互いにぶつかり合いながら進み、そして遮音結界にぶつかり、消え去っていった。

 

 

 

 

 



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その38:考察2

 

 

 

「私は……たっちゃんは、ただの人間なんだって信じたい」

 

 なのははそう口にした。

沈黙を破っての声に、フェイト、はやて、リィンフォースが面を上げる。

視線が集まるのを感じ、なのはは僅かに顔を緊張させた。

それでも、なのはは口を開く。

 

「たっちゃんは、ちょっと変なだけの、何処にでもいる普通の子だよ。だって、プレシアさんやグレアムさんを狂わせたのも、アリサちゃんが引きこもっちゃったのも、すずかちゃんが……」

 

 震える全身。

認めざるを得ないその事実を前に、なのはは頭の中が真っ白になるのを感じた。

何故その言葉を言おうとしているのか、そもそもそんな言葉を言う必要性が何処にあるのか。

そんな言葉ばかりが真っ白な頭の中に舞い込んできて、なのはを臆病にさせようとする。

しかしなのはは歯噛みし、全身に力を込めて続けて言った。

 

「死んじゃったのも」

 

 なのはは、全身の肌を刺し抜かれているような感覚をすら覚える。

まるで世界中から責め立てられているかのようだった。

縮こまり、震える体を必死に押さえようと、体中に力を込める。

それでも震えは止まらず、続く声もまた微細な震えの籠もった物だった。

 

「別に、たっちゃんは何もしていない。ただそこに居ただけで、何もして居ないんだよ。確かに変な力はあるよ? でも、それは全部ジュエルシードの力と、アルカンシェルのラーニングで説明できる範囲。むしろ、それだけの力を持っていて、誰も傷つけていないんだもん、たっちゃんは……」

 

 唐突に、なのはは自己嫌悪に襲われる。

所詮なのはの台詞など、自己保身に満ちた言い訳にしか過ぎない。

なぜならなのはがTを擁護する物言いをするのは、なのはが地球での居場所を無くしてしまいそうだからに過ぎないからだ。

すずかは逝った。

アリサはなのはの言葉を拒否し、顔を合わせることすら拒否している。

フェイトはミッドチルダに帰らねばならないし、はやても元闇の書の主としていずれはミッドチルダで暮らさねばならない。

2人はミッドチルダに生きる人間なのだ。

まだ地球とミッドチルダ、どちらに生きるか決める事ができていないなのはにとって、地球の、故郷での居場所は必要不可欠な物だった。

例え心の中であっても、今繋がっている相手が必要だから。

Tが何処か遠くへ行ってしまう事に、耐えきれないから。

だから。

 

「たっちゃんは、ただの人間だよ」

 

 沈黙がその場に舞い降りた。

3人の視線が、何処か居心地悪くなのはに降り注ぐ。

胸の奥がひりひりとまるで火傷のように痛み、なのはは視線を伏した。

憐れまれているという実感と、自分がネガティブになっているからそう受け取っているのだという客観が、競合する。

胸の中を陰陽の印のように渦巻く感想は、決して相容れること無くなのはの中にあった。

 

 なのはは、己が情けなくて涙が出そうだった。

事実はきっと、Tを人ではない何かだと示している。

なのははそれに反し、Tを人間だと信じている。

それはつまり、なのはにとってTが人間であるという事実が重いという事である。

Tが人外であれば、受け入れられないかもしれない、という不安があるという事である。

友達を、生まれてから初めてできた友達を、それからずっと今まで最高の友達だった相手を、なのはは受け入れられないかもしれないのだ。

すずかの死による動揺もあるだろう。

事実の重さを受け入れ切れていない部分もあるかもしれない。

けれど、それでもなのはは自虐を止められなかった。

 

 そんななのはを捨て置き、フェイトが小さく息を吸った。

発言の前兆と言えるその挙動に、なのは達の視線がフェイトに集まる。

フェイトは僅かに身じろぎし、緊張を顔に出しながら、言った。

 

 

 

 

 

 

「私は、Tが人ではない何かであるとすれば……。神様みたいな物なんじゃあないかって、思うんだ」

 

 フェイトは、言ってからぎこちない微笑みを作る。

胸の奥に、罪悪感の影が差した。

これが自己擁護に繋がっているのだと言う自覚が、フェイトの胸中を重くさせていたのだ。

フェイトは、両手を握りしめた。

切っていなければ爪が食い込んでしまいそうなぐらいに、強く。

 

「母さんは、Tと出会った時には既に正常な状態じゃあなかったと思う。娘の私は、気づいてあげられなかったけど……。今思うと、やっぱりそうだったんだって」

 

 プレシアは、明らかに狂気を胸に抱いていた。

後から全てを知った上でフェイトが思うに、プレシアのアリシアへの愛は、単純な愛そのもの以外も含んでいたように思える。

 

「たとえば、母さんはアリシア以外の存在を愛する事で、アリシアへの愛が損なわれるみたいにさえ思っていたんだ」

 

 本当はどうだったのか、フェイトには分からない。

単にフェイトに娘としての魅力が足らなさすぎて、プレシアはアリシア以外の存在に目を向ける事ができなかったのかもしれない。

時の庭園に引きこもっていたプレシアに出会いはなく、フェイト以外の果たして誰がプレシアの心を奪う事ができただろうか。

そこでプレシアの心を惹きつける事のできなかったフェイトの無力さが、プレシアの心を更なる狂気へ向かわせた可能性は、十分にある。

今自分が口にしている事柄が、単なる自己擁護の結果に過ぎないのではないかと、フェイトの胸には不安が過ぎった。

それでも、とフェイトは続ける。

 

「あの母さんがそれでもTを愛したというのには、単純な魅力だけじゃあ筋道の通った理屈にならないと思う。あの状態の母さんを惚れさせたぐらいなんだから……、Tがただの人間だとは、私には思えない」

 

 フェイトは視界の端で、なのはがぴくりと震えるのを目にした。

なのはが己の心を支える為に言った意見に反しようと言うのだ、その反応は想定の範囲内である。

それでも罪悪感で胸が重くなるのを、フェイトは感じた。

同時に、けれど、と思う。

けれど、私もこう思わないと、生きていけないぐらいなんだ、と。

悲鳴を心の中であげる。

 

「母さんを魅了するぐらいに、人間ばなれした魅力。それに私は、どうしてもTに邪悪さを感じられない。どっちかと言うと、何処か普通の人から遠く離れた位置に居る感じを覚えるんだ。威圧的というより、尊いっていう感じで。それでいて、近づいて見ようとすれば、グレアム元提督のように、目を焼かれてしまうような」

 

 それとも、とフェイトは内心で思った。

私は、未だに母から少しも逃れられていないのではないだろうか。

だから母の言葉を信じ、それを疑う事はできるようになっても、結局そこから逃げられはしない。

それ故に、フェイトはTを。

 

「だから私は……Tは、神様みたいな物なんじゃあないかと思うんだ」

 

 胸の中を渦巻く感情は、それぞれの色を見せつつも、マーブル模様のように混ざり合い、同じ結論へとたどり着いていた。

だからフェイトは、その言葉だけは胸を張って、堂々と言ってみせる。

罪から目を逸らすためかもしれない。

母の呪縛から逃れられないからかもしれない。

それとも本当にTから受けた印象からそう感じたのかもしれない。

けれどどれにせよ、その言葉だけはフェイトの中で本当だから。

 

 

 

 

 

 

 2人の言葉を、はやては苦々しい思いで聞いていた。

2人の思いとは裏腹に、はやては2人の言葉を素直に受け取れている。

なのはの言うことにもフェイトの言うことにも、はやては十分な説得力を感じていた。

 

 まず、Tが普通の人間だと言うのは常識的に考えればその通りである。

ヘンテコだとは思いつつも、なんだかんだ言ってはやてはTに人間性を認めていた。

Tの起こした事象も、ジュエルシード一個で起こしたにしてはやたら大規模でこそあったものの、管理局によると不可能ではない領域の物らしい。

大体、Tによって発狂した人物はプレシアとグレアムの2人だけである。

すずかやアリサは状況が未だ不明で、加えて言えばプレシアは元々狂っていた節があると言う。

とすれば、人1人を発狂させただけで人外扱いするというのは、流石に大げさに過ぎるのではあるまいか。

はやての全身が発する霊感全てが、Tを自分たちと同じ人間ではないと感じているという事実を除けば、Tが普通の人間であるというのは納得のいく物言いであった。

 

 対しTが神と形容すべき存在であると言う発言も、説得力があった。

はやては映像を含めた資料でPT事件の詳細を確認しており、その際にプレシアの言動も見知っている。

当然、その身に秘めた狂気もである。

プレシアのTへの感情は狂信的でもあり、愛と同時に何処か信仰を感じさせる物であった。

加えてフェイトの過去を鑑みるに、プレシアがTに一目惚れする不自然さもよく分かった。

何より、Tが赤目の赤子から再誕した姿に、はやては恐ろしさよりも神々しさを感じていたのである。

それこそ、まるで神の如き存在であるかのような。

 

 だが、とはやては目を細める。

それでも、はやての最終的な意見は違う。

 

「私は……、やっぱりたっくんは、邪悪な何かやないかと思うんや。そうやな、フェイトちゃんの言葉を借りるなら、魔王の如きって奴や」

 

 ぴくりと、フェイトとなのはの2人が震えた。

やっと手に入れた友達と意見を違える恐ろしさが、はやての心を雁字搦めにする。

今からでも言い直したほうがいいのではないだろうかという弱気が、はやての胸の奥から沸いてきた。

全身が冷えていくのをはやては感じる。

まるで体が石になっていくようだ、とすらはやては思った。

だが、それでも。

 

「グレアムおじさんの記録、見たやろ? グレアムおじさんは、私が足を悪くしてすぐの頃から、私を見張っておった。私ごと闇の書を凍結封印する計画をたてておったんや」

 

 暗い雰囲気にならないよう気を遣い、はやては薄い微笑みを浮かべながら言う。

しかし笑みの作り方が悪かったのだろうか、2人は直視できないとでも言わんばかりに俯いてしまった。

失敗に自省しつつ、続けるはやて。

 

「10年や。グレアムおじさんは、10年近く水面下で動き続けてきた計画を、たっくんを一目見た瞬間から一気に変えてしもうた。たっくんを殺す為に、全ての因縁を捨て去って。グレアムおじさんの手記とかから見るに、グレアムおじさんはたっくんに人間の価値観全てを破壊する邪悪さを感じていた。それこそ、魔王のような」

 

 その記録を見たはやては、同時にグレアムの苦悩をも読み取っていた。

グレアムは凍結封印の方法を早期に発見していたが、それからも心身を削り無限書庫で他の方法を模索していたのだ。

海の提督という殺人的スケジュールをこなしながらの捜索は、グレアムの血を吐くような努力を物語っていた。

全てを許せた訳ではない。

しかしはやては、グレアムを純粋に憎む事ができなかった。

そしてだからこそ、グレアムがあっさりと自分をTを殺す為の道具扱いするようになった事に、折り合いがつけられなかった。

そこに何か特別な理由が無ければ、自分を納得させる事ができなかったのだ。

 

「もちろん、邪悪だろうと何だろうと、たっくんは私の友達や。けど、友達だろうとたっくんがどんな存在か変わる訳やない」

 

 どの口で言うのだろうか、とはやては自己嫌悪に口元を歪める。

はやてがTを魔王と扱うのは、結局自分を納得させるためでもあるのだ。

偶々はやてがTに最も近い存在が魔王だと思っているから良かったものの、違えば果たして自分はどうしただろうか。

苦悩しつつも、はやては続ける。

 

「なぁ、結局みんなたっくんに感じた直感は何と言っているん? 私は、たっくんは邪悪やと、生かしておいてはいけないと感じている。でも友達ではある。生きていて欲しい。できれば闇の書がそうして夜天の書になったように、邪悪だけそぎ落として、皆と一緒に生きていて欲しい。でも、今は少なくとも……」

 

 はやては、口を閉じた。

緊張に乾く口内を、数瞬待って唾液で湿らせ、開く。

言う。

 

「たっくんは、魔王や」

 

 言葉は、空間に重くのしかかった。

重力が増したかのような室内で、沈黙は質量を持つかの如く全員の体を押しつぶそうとする。

3人の脳裏には、同じ疑問詞があった。

何にせよ、Tの為に3人がするべき事は、管理局からの実質上の指名手配を停止する事だ。

Tが人間であるのならば、それを証明すればいいだろう。

Tが神であるのならば、その力を利用してもいい。

Tが魔王であるのならば、どうにかしてその邪悪さをなくせばいい。

だが、一体何をどうすれば、それらを達成できるのか。

3人には分からない。

 

 取っ掛かりすらも掴めず、地球に着いたらとりあえずTの正体について話し合おうという約束があった。

そんな折、地球に着いた3人が早速聞いたのは、すずかの死という事実である。

約束は有耶無耶になりかけたものの、Tがすずかの死と関係している可能性から、3人は集まる事に決めたのである。

しかし約束は果たされはしたが、得られたのは何も思いつかない無力感と、すずかの死の直後に何をやっているのかという罪悪感だけであった。

そんな虚無感の漂う中、不意にリィンフォースがぽつりと小声で言った。

 

「しかし、どれにしろ私には、Tを形容するには何かが足らないような気がする。神という言葉でさえも、魔王と言う言葉でさえも、だな……」

 

 静謐な水面に広がる波紋のように、不思議とリィンフォースの言葉は3人の心に刻みつけられる。

それが何か実効的になる事は無さそうで、相変わらず3人の心は無力感で占められていた。

面を上げる者は居ない。

まだ3人ともが足下から視線を動かせず、歩き出す事もままならなかった。

けれど3人には、予感があった。

いずれは面を上げて歩き出し、Tという巨大な存在を前に、何かを選択せねばならない。

その時に後悔しないよう、よく考えて生きねばならない、と。

 

 3人は面を上げる。

雨の止んだ窓の外からは夕日が差し、彼女たちを朱に染めていた。

視線に力は無く、言葉も最早口にするだけの力すら残っていない。

それでも、3人は視線を交錯させた。

くたびれた瞳の奥に、それでも強い光を宿している事を確認する為に。

歩き出そうとしているのは、自分だけではない事を知る為に。

胸に、ほんの僅かな勇気を分けて貰う為に。

 

 ——どうしてだろうか。

その瞬間3人の脳裏には、何故かTの姿が過ぎるのであった。

 

 

 

 

 




とりあえずここまでで、空白期は終了します。
次からはstsの予定なのですが……。
なんというか、まだstsのプロット組み終わってないんですよね。
ラストまでの大体の道筋はできているのですが……。
という訳で、次回更新はちょっと遅れそうです。
ご了承ください。


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sts その39:クッキング

ついにsts編開始です。
多分T主観の回数は控えめになりそうです。


 

 

 

 蒼天。

春のミッドチルダにふさわしい、心の中まで晴れ晴れする青空であった。

機動六課の隊長室から見える空に、はやては後ろ手を組みながら視線をやっていた。

側控えしているリィンフォースは上品に両手を揃え、はやての隣でかしずいている。

胸の奥を洗われるような感慨に、はやては目を細めた。

無機質な室内から見る青空は、いつもはやてに10年前に過ごした日々を思い出させる。

実験棟に似た閉鎖的な空間から見る青空は、果てしなく何処までも広がっていくようだった。

体の不自由から周りの建物に邪魔されない絶景を見たことの無いはやてには、カルチャーショックであった。

それを微笑みながら見守ってくれた少年の名を、はやては僅かな胸の痛みと共に唱える。

 

「たっくん……」

 

 胸の中に広がる思いは、複雑さを増していた。

グレアムを発狂させ、初めての友達すずかを殺した魔王に対する思いなのか。

それとも初めての親友と言える相手への親しみを込めた思いなのか。

自身にすら判断しかねるそれを胸に、はやてはそれでも思った。

 

「夢すら無かったあの頃の私に、たっくんはなんて言ってたかなぁ」

 

 10年の重みは、僅かながらはやての記憶を風化させている。

それでも奇天烈な発言の多すぎるT語録は、はやての中に色濃く残り続けていて。

 

「"はやてちゃんならきっと夢を見つけられるし、実現させることもできるよ"……やったか」

 

 そう告げるTは、珍しく真剣味のある顔をしており、はやては思わずきょとんとしてしまったのであった。

Tにしては真っ当で、胸に響く言葉だった。

思い浮かぶ当時の情景に、はやては目を細めながら胸の奥の言葉を零す。

 

「私は、夢を実現させたで……!」

 

 夢の部隊。

機動六課。

ここまで来た感慨を込めて、はやての声は室内に響いた。

僅かに目を潤ませながら、はやては心の中で問いかける。

私は夢を実現させた。

なら、たっくんはどうなんか、この広い次元世界の何処かで、夢を実現させているんか。

無言の思いにはやてが心を傾けているその時、ノックの音。

はやては意識を現実に戻し、ハンカチに潤んだ目の水分を吸い取らせ、来客者を招いた。

 

「失礼します」

 

 2人分の声と共に現れたのは、地上部隊の制服に身を包んだ、なのはとフェイトであった。

礼式に則った挨拶を交わし、義務的な情報を交換する。

指令を与えると、ふと、はやては時間に少し余裕があることに気づいた。

目配せ。

はやてが姿勢を崩し椅子に背を預けると、2人もまた柔らかに表情を崩す。

 

「……もう、10年になるんやなぁ」

 

 感慨深くはやてが呟くのに、なのはとフェイトは無言で頷いた。

PT事件と闇の書事件があった、激動の一年。

プレシアが死にグレアムが発狂してすずかが自殺し、Tが姿をくらませた暗黒の一年。

3人が出会った一年。

その年から今年で10年目になり、3人は今年19歳になる。

 

「たっちゃん、まだ見つけられていないんだね」

「もうTと10年も会ってないんだね……。にしては、やたら記憶にはっきり残っているんだけど」

 

 苦笑するフェイトに、同感だとはやて。

あれからTは時折事件を起こしていたものの、3人が出会う事は無いままであった。

その多くは3人の身近な所で起こっていたが、それでも運命の悪戯か、Tと3人はすれ違ったまま出会えていない。

が、Tなりに3人を気にしているのは3人にも伝わっていた。

 

「8年前だっけ、私が任務の帰りに壊れたガジェットを見つけたの」

「私も、捜査する筈の研究所がキノコ雲残して消えちゃったり……」

「私は容疑者がぐるぐる巻きにされて置いてあった事もあったわ……」

 

 何かとTが現れる際、3人に利する場所に現れる事が多い。

そのお陰で助かる部分も多いのだが、上層部からTを匿っているのではと疑われる事もあった。

収支は一応プラスなのだろうが、なんとも微妙な話である。

 

「たっちゃん、どうやって助けるかは思いついていないけれど……、何より、また会いたいな」

 

 言いつつ、なのはは笑みを形作る。

その表情の純粋さに、はやては僅かに組んだ指に力を込めた。

なのはは、10年経ってもまだTを人間だと信じ込んでいる節がある。

それが惰性による物なのか、もっと切実な感情による物なのかは、はやてはまだ判断しきれていない。

 

「T……」

 

 言って瞼を下ろし、口元を笑みの形にするフェイト。

恐らくTとの握手の事を思い出しているのだろうと察し、はやては僅かに歯噛みする。

フェイトもまた、10年前からTを神の如き存在だと信じている節があった。

キノコ雲の中から何故か怪我一つ無い少年を見つけ、彼を弟同然に扱うようになった頃からそれが顕著である。

母に代わる絶対的な存在にTをそぐわせたのかもしれない、と思いつつも、プレシアを映像でしか知らないはやてには判断がつかない。

 

「たっくん、また会えるかなぁ……」

 

 呟くと同時、しかし10年前からTに対する態度が変わっていないのは自分も同じか、とはやては思った。

はやてはTを邪悪な魔王だと思っている。

否、もっと正確に言えば思いたいのだろう、10年前と同じく。

まるでTへの感情が凍り付き、変わらぬままであるかのようだった。

Tという炎にたどり着かねば、この感情を覆う氷は溶けぬままに違いない。

ただしTと出会っても、余りの熱量に感情ごと消し飛ばされてしまう可能性もあるのだが。

 

 三者三様に己の思いを込めて、上っ面だけは同じような声を出した。

けれど中身は違っており、そしてそれは恐らく3人ともが自覚しているのだろう。

ことTの事に限れば、3人の足並みは奇妙なほどに揃わなかった。

果たして再びTと出会った時、3人はどうなるのだろうか。

意見が収束し、共同するのかもしれない。

意見が分裂し、敵対するのかもしれない。

結果を予測できなくとも、それでも3人がTと再会したいと言う思いだけは同じであった。

 

 しばし、沈黙。

互いに互いの感情の違いを理解しているからか、重たい沈黙であった。

それでもそれを断ち切ろうと、なのはが両手を胸に。

にこやかに、サイドテールを揺らしながら口を開く。

 

「そうだ、まだはやてちゃんも時間あるよね? 新しい食堂で3人で食事してみない?」

「いいね、3人で食事なんて次に何時できるか分からないし、六課がある一年のうちに一回はやってみたかったんだ」

「そやな、この3人の思いが六課の始まりやったんやし、その3人で一回ぐらい食事するのも悪ぅないな」

 

 同調するフェイトに、はやてもまた意見を同じくした。

視線をリィンフォースへやると、静かに彼女も頷く。

それからはやては、執務机のあるウインドウに視線をやった。

 

「……アリサちゃんへのホットライン。繋がらんままか」

 

 アリサはあれから10年間、引きこもったままであった。

外界を完全に遮断した彼女は、Tに関する重要な情報を握っていると管理局でも認識されている。

しかし様子見に精神を覗ける類のレアスキル持ちの魔導師を送った所、発狂し自殺してしまったそうだ。

その話を聞いたとき、はやては似たレアスキルを持つ兄貴分のヴェロッサがそうならなくて良かった、と不謹慎ながらほっとしてしまったのを覚えている。

お陰で今のところは管理局としての対応は監視にとどめてある。

そんな彼女の言葉を引き出せる可能性のある者として、3人はアリサとのホットラインを所持していた。

この10年、アリサ側から遮断されたままで開く気配が無い物ではあるのだが。

 

「まぁ、しゃーない、飯行くで飯っ」

 

 暗い空気を払拭するかのように、はやては明るく言った。

と言うよりも、はやてはアリサとの接点は殆ど無かったので、一番影響を受けていないからとも言えるのだが。

はやては椅子から立ち上がり、それじゃあ、となのはとフェイト、リィンフォースを加えた4人で食堂へと向かっていった。

 

 従者として半歩下がって歩くリィンフォースを除く3人の間では、様々な話題が飛び交った。

女性らしくファッションや化粧の事。

戦力運用に関する様々な視点からの意見。

美味しいカフェやレストランの話。

戦闘魔導師としての戦術。

年頃の娘としてはやや魔力煙臭い話を合間合間に挟みつつも、4人は食堂へとたどり着く。

幸い席は空いており、4人は一つのテーブルを取る事ができた。

ふとはやては、10年前にTの正体を考察した時と同じメンバーだな、と思う。

しかしすぐにそれが何を意味するでも無い事に気づき、思考の海へと流していった。

 

「そうや、ここのコック長は結構拘って選んだんやで!」

「はやて、胃袋を掴むのは大事やー! って、意気込んでたもんね」

「流石八神家のお母さん」

「茶化すのはいいが、高町、本気で腰を抜かすぞ?」

 

 言いつつリィンフォースはコックから料理を受け取り、席へ向かう。

それぞれの料理は、それぞれ違う次元世界の料理であった。

特にはやての選んだ料理は、地球の日本食である。

 

「へぇ、日本食まであるんだね」

「私は食べへんけど、納豆もあるで」

「私も納豆苦手ー」

「私は主はやての料理が一番ですが……」

 

 言いつつ4人は料理にそれぞれ食器を伸ばした。

ぱくり、と最初の一口を。

4人は口を動かし、料理を租借し、飲み込んだ。

無言の一瞬。

次の瞬間、光の速度で食器が料理へと伸びた。

暫くの間カチャカチャという食器がならす音だけが残り、4人は食器を料理と口の間で往復させる機械と化す。

 

「ぷはっ、美味しかったぁっ!」

 

 最初に食事を終えたのは、なのはであった。

続いてはやて、フェイト、リィンフォースと順に食事を終え、体重を椅子の背もたれに預ける。

全員が無言で食事に注力してしまう程の美味しさであった。

信じられない、と言う顔でなのは。

 

「はやてちゃん、よくこんなコック引き抜けたね」

「自分でもそう思うわ。周りもこんな感じやで?」

 

 とはやての言で、なのはとフェイトは周りに視線を。

食事をしにきた人間は料理に夢中になっており、談笑しているのは食後のお茶を口にしている人間のみである。

戦慄と共に、フェイト。

 

「付き合いで結構美味しい物食べてきた自信はあったんだけど……。これは、単純に料理の味だけで言っても1、2を争うかも」

「そういう食事って、美味しいのは分かっても味わいきれないもんなぁ」

「うぅ、六課に居る間、体重増えちゃいそう……」

 

 落ち込むなのはに、全員が微妙な顔を作り、己の体のそこかしこをさする。

と、その時である。

コック帽を被った一人の青年が、4人のテーブルに近づいてきた。

その姿に気づき、はやてが口を開く。

 

「あ、なのはちゃん、フェイトちゃん、こちらがコック長さんや」

「はい。ご紹介にあずかりました、Tです。こんにちは」

 

 言って、青年Tが帽子を取り、頭を下げた。

あれ、と首をかしげるなのはとフェイト。

 

「T? なんだか聞き覚えのある名前のような……」

「私も。もしかして、有名な方だったり……」

「あ、2人もなん? 私もそうだし、リィンもそう言ってるんよ。でも……」

「ぼくは特にメディアなどに露出した事は無いので、有名では無いですけれど……」

 

 不思議そうにするTに、なのはとフェイトはそういう事もあるのだろうか、と言わんばかりに訝しげである。

そんな2人に、ニコリと笑顔を作るT。

 

「如何でしたか? ぼくの料理は。自信作でしたけれど」

 

 と話が進んでしまえば、疑問を捨て置く事しかできず、なのはとフェイトはTの料理の賛辞に入った。

はやても疑問詞は変わらずあるものの、何処か懐かしい気のする料理を絶賛する作業に入る。

リィンフォースもそれに続き、暫く会話が続いた。

数分ほど会話した辺りで、Tが時計を気にし始めたのに気づき、はやて。

 

「それじゃあ、追加でお茶とデザートも貰おうかな。Tさんも忙しくてこっちにあんま居られへんやろうし」

 

 と、その言葉にありがたそうにし、Tは職場へと戻っていく。

それを確認した後、3人は改めて視線を交わした。

何故か3人の胸には、かつての少年の姿が思い浮かべられており、それが互いに理解できていたのだ。

瞳の奥に炎の心を。

はやてが口火を切る。

 

「なんでやか分からんけど、ちょっとたっくんの事を思い出したな」

「そうだね、不思議だけど、Tの声が聞こえたような気さえもするよ」

「うん……。たっちゃんがきっと元気にしているって、そう思えたな」

 

 3人は、誰とも無く手を伸ばし、テーブルの中心で重ね合わせた。

稲光が出そうなぐらいに強く視線を。

胸の奥の炎が瞳を溶かしだすぐらいに強く。

 

「たっちゃんを……」

「Tを……」

「たっくんを……」

 

 輪唱。

続けて、異口同音に3人は言った。

 

「必ず、もう一度見つけよう」

 

 誓いは胸に、ほとばしる程の炎となって3人の中に渦巻いている。

まるでTと出会い、心の氷が溶けるのを通り越して、燃えさかり始めたかのようだった。

互いの意思の堅さを見て取り、3人は口元を左右非対称に歪める。

それをリィンフォースが一人、何ともいえないよく分からない気持ち悪さを感じ、難しそうな顔をして眺めているのであった。

 

 

 

 

 




コックのTさん、一体何者なんだ……!


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その40:冒瀆者

 

 

 

 広い空間を、空調の低い駆動音が響く。

薄暗い空間を冷たい色の照明が照らし出し、金属質な面を露わにしていた。

そこかしこにパイプが走り、扉の正面には大型のコンピュータといくつかのモニタがあった。

スカリエッティは、目前のモニタにうっすらとした笑みを向けていた。

視線の先のモニタには、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやての3人のデータが写っている。

 

「失礼します、ドクター」

 

 排気音。

自動ドアが開き、踵を鳴らしながら女性が一人入ってきた。

体の線を浮き彫りにしたボディスーツに身を包んだウーノは、スカリエッティの斜め後ろで停止。

紫色の髪の毛を揺らし、金の瞳を男へ。

 

「ドクター、報告を」

「あぁ」

 

 頷くスカリエッティへ、ウーノは次々に任されていた作業の進展状況を伝えていく。

それに生返事をしながら、スカリエッティは視線を3人のデータから目を離さなかった。

特になのはとフェイトが、スカリエッティの作品であるガジェットを蹴散らす姿に注視している。

報告を終えたウーノはそれに気づき、怪訝そうに口を開いた。

 

「ドクター、これは……先日のレリックを初出動の機動六課に回収された時の……」

「あぁ。やれやれ、ガジェットは高ランク魔導師を相手にする事を目的として作った訳じゃあないんだがね、こうも容易くやられるとねぇ」

 

 肩をすくめるスカリエッティに、ウーノはしかし訝しげな姿勢を崩さない。

書類を抱きしめるようにし、再び質問を。

 

「しかし、ドクターであればFの遺産やタイプゼロに注目するのでは、と思っていたのですが」

「まぁ、今までの私であればそうしていただろうね」

 

 言いつつ、スカリエッティはウーノへと振り返った。

紫色の髪に、金色の瞳。

自身と同じパーツに、ウーノは数瞬口元を緩める。

が、ウーノは己に求められる役割が女性のそれではない事を自覚しており、故にすぐさま口を引き締める事となった。

気づいているのかいないのか、スカリエッティ。

 

「私はかつて、自由に作品を作る事を夢とし、魂の輝きを魅せる事のできる作品を作る事を信条としていた」

 

 頷くウーノ。

スカリエッティは、生命と工学を融合させた分野を得意とする研究者であった。

特に最近の功績としては、2つの大きな作品が存在する。

AMF——アンチ・マギリンクフィールドを発生させる魔導師殺しの機械、ガジェット。

AMF下でもフルパフォーマンスを発揮できる、人体の多くを機械で置換した、戦闘機人。

どちらも驚くべき作品ではあるが、曰くガジェットはスポンサーのご機嫌取りや戦力増加の為に作った物になるらしい。

真実にスカリエッティが作りたかったのは、戦闘機人。

戦闘の為に生み出された存在ながら、人間としての魂の輝きを宿す可能性を持つ存在。

その事をウーノは十分に承知していたが、故に疑問詞もまた沸いてくる。

 

「かつて、ですか?」

「あぁ。今はまだ違う。そして今だから分かるが、過去の感情も一部は勘違いしていた部分があったと分かったよ」

 

 言いつつ、スカリエッティは室内を歩き出した。

ポケットに手を突っ込み、白衣を翻らせながら、スカリエッティは靴裏で金属製の床を叩いていく。

 

「まず、私は造られた生命だ」

 

 ウーノは頷いた。

スカリエッティは古代文明アルハザードに存在した科学者からクローニングされた、無限の欲望と称される人造生命である。

研究者として他を逸した能力を持つのも、その為だ。

それ故にスカリエッティは創造主、管理局最高評議会に逆らう事はできない状況にあった。

そのためガジェットのような、心から作りたい訳ではない機械を作ったりする羽目になっている。

 

「それ故に私は自分が己の意思でこの場所に居る事を、証明できていない。研究も最高評議会の意思に従っているに過ぎず、私は時折自身の精神の存在を疑う事もあったよ」

 

 ウーノは視線をスカリエッティから外していないが、歩き続ける彼はウーノに背面を見せており、その表情はうかがい知れない。

どうにかその顔を見てみたい、という衝動を、ウーノは書類を掴む手に力を込めて阻止する。

それでも胸の奥が縮むように痛く、言葉がウーノの口から飛び出た。

 

「それは……!」

 

 言ってから、ウーノは己もまた精神の存在するかどうかが疑わしい戦闘機人である事に気づいた。

当然、説得力は無いに等しいだろう。

それでも言葉をひねり出そうとするウーノであったが、それを待たずにスカリエッティ。

 

「そのため私は己の意思の存在証明の為、最高評議会に反逆する事が可能だと、己に示さねばならなかった。それが元々の計画を起こす理由の一つだった事は、確かさ」

「……はい」

 

 そう言ってのけ、スカリエッティはその場でターン。

ウーノに欲望に満ちあふれた、いつもの狂気じみた笑顔を向ける。

その顔があまりにもいつも通りの物であったので、大丈夫だろうとウーノは思わず口元を緩めた。

そんな様子を知ってか知らずか、スカリエッティが続ける。

 

「だが、全ての前提は覆った」

「……え?」

 

 疑問詞。

目を丸くするウーノに、スカリエッティは笑みを薄め、何処か遠くを見る目で言ってみせた。

 

「Tが存在するからだ」

 

 言葉は、不思議と重くその空間に響き渡った。

臓腑を鷲掴みにされるような、それでいて全身を温い手でなで回されるような、不思議な感覚がウーノを襲う。

己を抱きしめながら、ウーノはスカリエッティの言葉を脳内で反芻した。

T。

確か、危険度S級の生体ロストロギアに指定された青年。

だがそれがどうしたのだ、と言う疑問が口をついて出るより早く、スカリエッティが続ける。

 

「最高評議会は10年前からTにご執心らしくってね。ついに私の所にもTの居場所を探る命令が来たのさ。彼についての情報と共にね。情報と言ってもたいした事は教えてもらえず、殆どは私自身で調べ直した物なのだが……」

 

 スカリエッティは、唐突にその場で一回転。

両手を広げ、白衣を翻らせた。

狂気の笑みを顔に、しかし瞳は何処までも暗く、底なし沼のような鬱々しさを奥に。

 

「私は、Tの正体に気づいたのだよ」

 

 声は、僅かに震えていた。

己の欲望の為ならば何者にも物怖じしない、スカリエッティがである。

その事実に目を見開くウーノを捨て置き、ゆっくりと俯きながらスカリエッティ。

 

「私の推測が正しければ、私はまず己の存在証明にTを必要とする事になる。しかしTは10年前より雲隠れしており、さらには空間転移までできるため、見つけるのは困難だ。だが、そんな彼が何故か表舞台に姿を現す事が、数回あった」

 

 一息。

視線を己の靴先にやったスカリエッティは、勢いよく面を上げた。

 

「高町なのは。フェイト・T・ハラオウン。八神はやて。この3人に関わる事件にだけ、彼は姿を現すのだよ」

「そういえば、確かにその3人はその事で、上層部からTを匿っているのでは、と詰問された事もあるそうですね」

「まぁ、そんな事実は無いだろうが、しかしTが3人の危機には駆けつける可能性が高いというのは確かさ」

 

 事実、8年前に高町なのはをターゲットとしたガジェットの試験動作は、Tに妨害されてしまっている。

となれば、とスカリエッティ。

 

「最高評議会は、Tを殺す為にその3人をTへの撒き餌として活用するつもりらしい。私を使って3人にピンチを演出する事でね」

「後ろ盾が足りない割に無茶な部隊だとは思っていましたが、そんな裏話があったのですか」

「まぁね。私はTを殺すつもりは無いのだが、撒き餌は私も必要だ。精々Tが見つかるまでは脳みそどもの思惑通りに踊ってやるとするさ」

 

 言いつつスカリエッティは、人体の設計図が映っているモニタへと視線をやった。

つられてウーノもそのモニタへと視線を。

そこには、一応人間の体をベースにしてはあるものの、それを逸脱した形をしたグロテスクな形状が示されている。

セイン以降の7体の改造案であった。

 

「今の私は作品への美学よりもTとの接触を優先せねばなるまいしね。自我発達が未熟なこの子達なら、強さのために多少人間の形を失っても、精神に異常をきたす事はないだろう」

「……そうですか」

 

 言ってから、ウーノは自分の言葉が随分冷たく響いた事に気づく。

思わず目を丸くし、口元を押さえてしまった。

同じく怪訝に思ったのだろう、訝しげにスカリエッティが視線を投げかけてくる。

 

「……妹達を改造するのには、反対かい?」

「いえ。全てはドクターの思うがままに」

 

 努めて冷静にウーノが言うと、スカリエッティは少なくとも表面上は納得してみせたようで、うんうんと頷いていた。

己の感情の揺れに、自身でさえ困惑しつつ、ウーノは続ける。

 

「では、ドクター。そろそろ次の用事に取りかかりたいと思いますので、失礼します」

「うむ、分かった」

 

 頷くスカリエッティを尻目に、ウーノは研究室を出た。

壁面をパイプや太いコードが埋め尽くした、暗い通路に入る。

己を制御できていない自分に、ウーノは思わず唇を噛みしめた。

歯で薄皮を破きつつ、曲がり角へ。

と同時、ウーノの胸に衝撃。

 

「わっ」

「きゃっ」

 

 たたらを踏む2人であったが、数歩で姿勢を戻し、互いの顔に視線をやった。

相手は赤髪の少女、ノーヴェであった。

ウーノは走ってきたであろうノーヴェの足音にも気づけなかった自分を恥じ、それから戦闘型であるノーヴェが己の足音に気づかなかった事に疑問詞を。

それを顔に出すこと無く、ウーノは口を開いた。

 

「あら、ごめんなさい。どうしたのかしら、ノーヴェ。こんな所で走って」

「あ、いや、その……」

 

 顔まで赤くし、ノーヴェは俯く。

どうしたのだろう、と思いつつも、ウーノは脳内にインプットされた姉妹の知識に従い、ノーヴェの頭に手をやった。

軽く撫でてやりつつ、優しげな声で告げる。

 

「言いづらい事なら、貴方が言えるようになったらでいいんだけれども」

 

 ますます恐縮したようで、耳まで真っ赤になるノーヴェ。

それでも辛抱強くウーノが待つと、ノーヴェは小さな声で呟いた。

 

「ドクターの次の改造案が凄い事になるって聞いて、その……ちょっと怖くなっちゃって」

「あら」

 

 ニコリと微笑むよう表情筋を作ったウーノに、ノーヴェは完全に俯いてしまう。

ウーノは、知識に則ってそんなノーヴェを抱きしめた。

体温と体温が重なり合う。

生暖かくて少し不快だな、と内心ウーノは思った。

 

「大丈夫よ、ドクターは自分の作品に誇りを持っている人。きっと悪い方向にはならない筈よ」

「……そう、かな」

 

 捨てられた子犬のような目で、ウーノを見上げるノーヴェ。

苛立ちを押さえながら、ウーノはノーヴェの頭を撫でてやった。

 

「そうよ。大丈夫、安心なさい」

「うん……」

 

 呟きつつ、ノーヴェはウーノの胸に顔を埋めた。

目を細めながらウーノはノーヴェを撫で、胸の奥に沸いて出てくる思いに僅かに歯噛みする。

自分が一体何に苛ついているのか、と思い、ウーノはすぐにその答えに思い至った。

 

 ——ウーノは、嫉妬しているのである。

 

 スカリエッティの手による改造により、後半ナンバーズ達はこれからこれまで以上の性能を有する事になる。

秘書型のウーノとはタイプが異なるのだが、それでもスカリエッティに自分より明らかに一段上の効用を与える事ができるのは確かだ。

改造で人間の形を失うのが何だ、ドクターの役に立てるのならば、私はそんな物は要らない。

そう思いはするものの、それでもウーノには解決策が思い浮かぶでもなく。

ウーノは結局、表情筋を操りながらノーヴェをあやす事しかできないのであった。

 

 

 

 

 



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その41:ジギタリス

一週間ほど失踪していました。
というのは、朝執筆を試してみた為です。
睡眠時間をやや削り、早寝早起きにして書いてみた結果、何故か睡眠時間が増えるという謎現象が起きたのでした。


 

 

 

「ただいま〜、ティアっ」

「おかえりなさい」

 

 スバルが勢いよく自室に現れると、気のない返事が返ってきた。

視線をやると、ティアナはどうやらクロスミラージュの分解清掃を行っているらしい。

邪魔しないように、と気をつけつつスバルは両手で持つトレイを自分の机へと持って行く。

カチャカチャと、トレイとその上の皿が触れあう音。

ティアナが一瞬視線をトレイにやり、それから呟いた。

 

「今日の夜食はサンドイッチ?」

「うんっ! ティアも……」

 

 と言ってから、スバルは躊躇する。

躊躇してから、自分が何故躊躇したのだろうかと疑問詞が脳裏に踊った。

理由を探して視線を右往左往させるが、何を見ても何も思いつかず、スバルは直立する事しかできない。

代わりに、スバルは胸の中がいっぱいになるのを感じた。

何かが喉まで上ってきて、その何かをはき出したくなる。

スバルは頭を振り、代わりにどうにか口を開き、言った。

 

「た、食べる?」

「いいわよ、別に。っていうか、そんな顔してまで私を誘わなくても大丈夫だってば」

 

 あきれ気味のティアナにそう言われて、スバルはほっと胸をなで下ろした。

それにしても、どんな顔をしていたのだろう、と鏡を覗き込むも、いつもの顔のままである。

仕方なしに片付けてあるテーブルの上にトレイを置き、コップと水もトレイの上に。

ナカジマ家のしきたりとして、両手を合わせて小さな声で、いただきます。

それからスバルはサンドイッチを食べはじめた。

 

 スバル・ナカジマは戦闘機人である。

生まれる前から機械で体を置換する事を想定されて設計された、半人造の人間である。

故に燃費が著しく悪く、大食いな傾向にある。

なので夜の軽い自主トレーニングのあと、軽食をとるのが望ましい体だ。

だが、スバルが夜食をとる頃には食堂の営業時間は終わってしまっている。

故に。

 

「えへへ、やっぱりTさんの料理、美味しいなぁ」

「確か、Tさんに特別に作って貰っているのよね」

「うんっ!」

 

 満面の笑みで頷き、スバルは瞳に過去を映した。

機動六課の食堂におけるコック長であるTは、凄まじい腕前の料理人である。

スバルが今まで食べた料理の中でも一番美味しい料理を作り、なおかつ料金は控えめ設定という恐るべし人間なのだ。

至極当然の展開として、すぐにスバルはTのファンになってしまった。

特にはやての許可を得て、Tから夜食を作ってもらえるようになってからは、尚更である。

スバル専用に作られた夜食はスバルの好みに合うよう作られており、普段の食堂の料理よりも更に美味しい事が多い。

 

「えへへ……」

 

 思わずにやけつつ、スバルは次々にサンドイッチを平らげていく。

半分ほどにさしかかった所で、スバルは不意に視線を感じ、面を上げた。

一瞬ティアナと視線が合うも、自然さを装って視線を避けられる。

 

「…………」

「…………」

 

 無言。

再びスバルは視線をサンドイッチにやり、口元へと持って行く。

大きく口を開けたところで停止、視線をティアナに。

慌てて視線を逸らすティアナ。

 

「…………」

「…………もしかして、Tさんが恋しいの?」

「違うわよっ!」

 

 叫ぶティアナに必死さを感じ、スバルはパートナーの可愛らしさに口元を緩める。

素直になれないティアナは、見ているだけでいじらしくて素敵だ。

それが自分よりもだと言うのに、劣等感すら沸いてこないから不思議な物である。

くすくすと笑いながら、スバル。

 

「くす、会いに行けばTさんもきっちり時間作ってくれるよ」

「……だからよ」

「だから?」

 

 呟くティアナに、スバルは首をかしげた。

決してスバルと視線を合わせようとしないティアナは、視線をクロスミラージュにやったまま、頬を赤くし小さな声で言う。

 

「Tさんが立派にコックをやっているのに、私はまだ六課に来て大した戦果あげれていない。なのにわざわざ時間をとって貰うのが、嫌なのよ」

「初戦果はあげたけど」

「まぁ……そうだけどさ」

 

 俯くティアナに、わからないでもない、とスバルは思う。

ティアナは初戦果の多くを、新型デバイスのクロスミラージュの性能におんぶにだっこだったと思っている節がある。

スバルとてマッハキャリバーが無ければ、初任務を成功できたかは怪しい所だと思っているぐらいだ。

そんな中途半端な成功しかあげていない状態で、ティアナはTと出会うのが嫌なのだろう。

何せティアナは……。

 

「そっか。Tさんはティアの恩人なんだもんね」

「……うん」

 

 呟くティアナ。

彼女は唯一の肉親の兄を、数年前に亡くした。

ティアナの兄は犯罪者との戦いに敗れて命を落とし、葬式では上官がその兄を無能と罵ったと言う。

ティアナは悔しさのあまり泣きながらその場から逃げ出し、そこでTと出会ったのだとか。

 

「Tさんはランスターの力を証明しようとする私を、諭そうとはしなかった。ただ、時々料理を作ってくれて、他愛ない……ちょっと変な話をしてくれるだけだった」

 

 言いつつ、ティアナの視線は窓の外へ。

星々の輝く夜空へと視線をやっている。

つられてスバルも視線を空にやり、ふと、なんだかTの目に似た光景だと思った。

夜空に浮かぶ星々のように、Tの瞳には生命の息吹を感じる何かが蠢いているかのようなのだ。

 

「でも、たったそれだけが、やたら嬉しくてね。兄さんの友達は全員管理局に入ろうとした私を引き留めたから、余計になのかな」

 

 呟くティアナは、スバルには見せないとても柔らかな笑みを浮かべている。

それを眺めていると、スバルはなんだかもやもやとした物が胸の中に生まれるのを感じた。

恐らく、パートナーであるティアナにこんな表情をさせるTに嫉妬しているのだろう。

スバルがそう結論づけたころ、ティアナはふと漏らした。

 

「そういえばスバル、あんたTさんの事、最初は苦手そうだったじゃない。あれって何でだったのかしら」

「へ? いやぁ、あれはその……」

 

 言われ、スバルは思わず身を小さくした。

スバルのTとの初対面は、陸士訓練校でティアナに差し入れに来たTとの鉢合わせである。

その時スバルはTに何とも得体の知れぬ恐怖を抱き、あわや不審者として通報しようとしたのであった。

恥ずかしさのあまり顔を赤く染めるスバルに、しかしティアナは何処か余裕なさげにスバルに視線をやるのみだ。

てっきりそこを追求されるかと思っていたスバルは、困惑しつつも口を開く。

 

「なんていうのかな、とても、とても怖かったのは覚えている。後で聞いたら、ギン姉も似たような感じを受けたって言ってたけど……」

 

 言いつつ、スバルは視線を己の機械仕掛けの拳へ。

あくまでもスバルの感覚によればだが、あの時Tに恐怖を感じ震えたのは、スバルの人間の部分よりも機械の部分の方が多かったかもしれない。

姉であるギンガも恐怖を覚えたという事から、その疑念は更に深まっている。

 

「でもね」

 

 ぎゅ、と拳を握りしめ、スバルは面を上げた。

ティアナに視線を、何故か小さく目を見開く彼女を見据え、言う。

 

「Tさん、なんていうか、とっても人のことを見通す力がある人じゃない」

 

 印象的なエピソードは、スバルが初めてTに夜食を作って貰った時の事だ。

スバルは、実は多少の好き嫌いのある人間である。

嫌いな食べ物も食べられるが、それでも内心顔をしかめながらの食事であり、あまり心地良い時間を過ごせる物ではない。

なのでスバルは、できる限り嫌いだと感じた食べ物は避けて食事をとる傾向にあった。

 

 そんなスバルに、Tはスバルの嫌いな羊肉を使った料理を出した。

当然、スバルは顔を引きつらせる事になる。

自身の体質を知るはやて課長の伝で用意してもらった夜食である、食べぬ選択肢はない。

よってスバルは、意を決してパクリと、ジンギスカンなる焼いた羊肉の薄切りを口にしたのだが。

 

「あれは美味しかったなぁ……」

 

 見事に臭みやクセを抑えられた羊肉はスバルの味覚にマッチしており、スバルは夢中になって夜食を平らげてしまった。

後にTの語る所によると、スバルが羊肉が苦手だったのは、偶々最初にクセの強すぎる羊肉を食べてしまった為、そのイメージを引きずっていたためなのだと言う。

事実、スバルはそれから羊肉に然程抵抗がなくなり余所で食べてみた所、普通に食べられるようになっていたのだ。

それを最初の数日スバルが食堂に通って注文するメニューから推測してしまったのだから、とんでもないコックである。

 

「それに好物だってすぐに見抜かれちゃうし」

 

 夜食に小さな手作りのアイスを付けられた時には、スバルは思わず感涙しかねないぐらいであった。

そうやってTの事を次々に喋っているうちに、スバルはふと思う。

スバルは自分を内気な人間だと思っていた。

自分の核心を中々人に話せない環境からか、スバルの幼女時代は内気を通り越して暗い性格であった。

恐がりで運動嫌いで消極的。

スバルはそんな性格を、なのはへの憧れでいくらか払拭できたと思っているが、それでも未だに残る部分はあると自覚している。

もし自分が明るい人間に見えるのだとすれば、その自覚がある故に克服しようと努力して明るくなろうと努めているからだ、と。

そんなスバルだから、もし口に出さずに自分を理解してもらえる事があると、嬉しくてたまらなくなってしまうのだ。

幼い頃の自分を認めてもらえたような気がして。

自分ですら肯定しきれていない自分を、肯定してもらえたような気がして。

 

「Tさん……」

 

 故に、スバルはぽつりとTの名を零した。

その声がどんな声だったのか、その自覚すら無く。

それを聞いたティアナがどんな目をしたのか、それを知る事すら無く。

えへへ、とスバルは笑みを浮かべ、残るサンドイッチを口に運び始めた。

 

 

 

 



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その42:眼球の月

忙しくなったり風邪を引いたりして、またもや更新に間が空きました。
が、更新です。


 

 

 

 夜空の星々が僅かな光を差す、静かな夜。

夜間照明に照らされた六課の一角、ティアナ・ランスターは全身から汗を垂らしながら、愛機クロスミラージュを構え訓練を続けていた。

橙色のツインテールを翻しつつ、汗で滑るグリップを握りしめ、荒い息をつきつつ二丁拳銃を構える。

次々と流れるように構えを取り、滴る汗を地面に落としつつも動きは止まらない。

疲れが甘い痺れとなって、ティアナから思考能力を奪っていく。

しかしそれは、むしろティアナの狙い通りと言うべき効能であった。

ティアナは、今は何も考えたくなかったのだ。

 

「……っ」

 

 歯を噛みしめる。

エナメル質が不快な擦れる音を残し、歯茎の筋肉が緊張するのが、ティアナ自身にも分かった。

ともすれば歯を噛み砕きかねない力に、ティアナは体を弛緩させ、ため息をつく。

吐く息の湿り気すらもが不快で、ティアナは僅かに目を細めた。

今のティアナは全身がささくれ立った神経のようで、何に対しても苛立ちを覚えざるを得なかったのだ。

心地よい筈の疲労感でさえ、ただの倦怠感としか認識できない。

 

 不意にティアナは、ふらりと背を六課の壁に寄せた。

火照った体の熱を、硬質なコンクリが奪っていく。

脳を思考から遠ざけていた熱が奪われ、ティアナは思い出したくなかった事実を思い出してしまう。

 

 先日、ティアナはホテル・アグスタなる高級ホテルにおける任務において、失敗をやらかした。

功を焦ったティアナは、相棒であるスバル・ナカジマに誤射をしてしまったのである。

幸い魔力弾は副隊長であるヴィータによって防がれたのだが、失敗である事には変わりない。

仲間を撃ちかねなかったという事実に、ティアナはショックを受けていた。

純粋にスバルを失いかねなかった事に対する衝撃。

功を焦って失敗してしまった自分への自信喪失。

それでも強くならねばならない現実。

 

 様々に心巡る感情の末に、ティアナはある事に気づいてしまった。

気づきたくなかった事実に、気づいてしまった。

それ故にティアナはその事実を忘れる為に、無茶な訓練を己に課していたのである。

再びその現実が脳裏で形になりつつあるのに、ティアナは機械的に限度を超えた訓練を再開しようとする。

その事実に気づいた時から、ティアナはずっと訓練と休憩とを繰り返していた。

その事実を脳裏から追い出すため、たったそれだけのために。

こんな単純な方法しか思いつかない事に自嘲しつつ、ティアナはコンクリに預けていた背を浮かし、同時に気づいた。

靴裏が地面を叩き、服が肌と擦れ、呼吸が空気を乱す。

気配。

誰かが近づいてきているのだが、それが誰だか分かるほど人間を止めていないティアナは、体ごと視線を気配の主にやる。

 

「こんばんは、ティアナちゃん」

「……Tさんっ!?」

 

 驚愕の声を上げ、思わずティアナは目を見開いた。

思わず視線をクロスミラージュにやると、小さな空間ディスプレイに現在時刻が表示される。

午後11時、Tは翌日の仕込みをやっている時間である。

視線を時刻とTとで行き来させるティアナに、苦笑しつつT。

 

「ちょっと働き過ぎだって、キッチンを追い出されちゃってね。夜食と紅茶を持って、散歩中。ティアナちゃんは、訓練なのかい?」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 緊張の余り裏返った声で返してから、ティアナは羞恥に赤面した。

思わずその場で座り込んで顔を覆いたくなるも、鋼の意思でどうにか持ちこたえる。

するとようやく、Tの言葉の内容に思考の矛先がたどり着いた。

夜食。

そういえば、ティアナは夕食を最後に水しか口にしていない。

思い出すと突然お腹が減ってきたような気がして、ティアナは思わず腹を押さえた。

同時、きゅぅう、と音。

思わずその場で俯いてしまうティアナを尻目に、苦笑しつつTが言った。

 

「もし良ければなんだけど、久しぶりに一緒に食事でもしないかい?」

「……はい」

 

 2人は六課隊舎の壁面近くに、肩と肩が触れかねない程の距離で腰を下ろす。

ティアナは久しく感じるTの体温の近さに頬が僅かに火照るのを感じたが、元々羞恥で赤くなっていたからか、Tには気づかれていない様子であった。

ティアナが大人しくしているうちにTはてきぱきと用意を終えてしまい、気づけばTにサンドイッチを手渡されていた。

 

 いただきます、と輪唱し、共にサンドイッチを口にする。

相変わらずTの作った食事は素晴らしく、ティアナは思わず頬を緩めた。

同時、ふとTはティアナに料理を作ってくれた時、何時もティアナ好みの味付けにしていた事を思い出す。

するとTが自身の為に作ったサンドイッチは、Tの好みの味付けなのではあるまいか。

そう思ったティアナは、何気ない様子を繕いながら脳をフル回転。

全力を賭してTの好みと思われる味を記憶し始める。

 

 Tの好みは、不可思議な味であった。

美味いのは確かだ。

しかし甘辛いような、苦いような、しょっぱいような、酸っぱいような、何とも表現しがたい独特の味である。

まるでつかみ所の無い味で、まるでTそのもののような味だな、とティアナは思った。

再現しづらい味であることに少し落ち込み、それからティアナは自分が何故落ち込んでいるのか小首をかしげるも、理由は分からない。

 

 ティアナは視線をTへ。

月明かりが青白く照らす、少年と青年の境目の相貌を見る。

不思議と言えば、Tの顔も不思議な顔であった。

何の変哲も無い顔のように思えるのだが、時折ティアナには昔からTは今と同じような顔をしており、出会った6年前であっても今の顔の方が似合うようにも思えるのだ。

まるで力尽くで嵌めたジグソーパズルで作った絵のような。

奇妙な感想だが、そんな雰囲気を持つのがTなのであった。

 

「誤射の事、聞いたよ。色々な人から聞かれて、もう疲れちゃってるかもしれないけれどね」

 

 びくり、とティアナは肩を震わせる。

顔を俯かせ、横目でTの表情を確認。

Tは慈愛に満ちた表情をしており、そこには慈しみ以外の感情は見当たらないようティアナには見える。

その事実に僅かな安堵を覚えると同時、ティアナは胸が締め付けられるような感覚を持った。

自分でもその感情に戸惑っているティアナに、続くTの声。

 

「まぁ、間違いは誰にでもあるものさ。ぼくなんて、この前白い子猫と雪見だいふくを間違えてね、頬張ろうとしたら猫パンチをくらって……」

「間違い……なんでしょうか」

 

 ぽつり、とティアナは零した。

言ってから、ティアナは自身の言葉の目を丸くする。

視線を慌ててTから逸らし、冗談だと口にしようとした。

でなければ、ティアナは気づいてしまうから。

心の奥底に潜んでいた答えに、気づいてしまうから。

だからそう口にしようとするティアナだが、口はパクパクと開け閉めされるだけで、意味のある音をはき出せない。

限界だった。

自分を誤魔化す、限界であった。

そんなティアナに、柔らかなTの声。

 

「間違いさ。君がスバルを撃とうとして撃ったなんて事は、あり得ない」

「でもっ!」

 

 思わず、ティアナは叫んだ。

Tの言葉はティアナに対する信頼に満ちており、ティアナがそんな事をするはずが無いと心の底から信じている言葉であった。

少なくとも、ティアナにとって簡単にそう受け取れる程に優しさに満ちた言葉だった。

だからこそ、その信頼を裏切っている可能性がティアナの心の中を蠢いているからこそ、ティアナは心の中が苦しくてたまらない。

胸が左右両端から思いっきり引っ張られていて、今にも中心から裂けてゆく音が聞こえそうなぐらいだった。

乳房の裏が引き裂かれるかのように痛く、頭の中は真っ白で、だからティアナは思ったままに叫ぶ。

 

「分からないんです。本当にただの誤射だったのか。それとも、私が……」

 

 思わずティアナは瞼を閉じた。

瞼の裏に描かれる、スバルの笑顔。

花弁の開くような笑顔だった。

華々しい何かが今にも生まれ、これからもっと素晴らしい物になる予感をさせるような笑顔。

自分よりもずっと純粋で、美しい物。

だから。

 

「スバルに嫉妬していたから撃ってしまったのか!」

 

 叫んでしまえば、もうそれで終わりだった。

ティアナが必死で考えまいとしていた現実は、もう避け得ない今となってティアナの脳裏に刻まれる。

ティアナは、喉奥がひくつくのを感じた。

胸からこみ上げてくる何かが喉を通り、眼窩にまで到達する。

思わず歯を噛みしめ、瞼に力を込めるも、熱い涙が目尻に浮き出した。

 

 駄目だ、とティアナは反射的に思う。

恩人で優しい人であるTの前で泣けば、慰めて貰えるのは当然のこと。

そう知っていてTの前で泣くのは、なんというか、非情に卑怯な事にティアナには思えるのだ。

ティアナは自分を嫌みな計算高さを持っていると思っているし、卑怯さはそれを助長する事のように思える。

それでは余計に敵わなくなってしまうのではなかろうか。

スバルに。

相棒に。

 

 ティアナは、スバルに劣等感を持っていた。

強さとしてもそうだが、人間性というべき部分においてもである。

ティアナは良くも悪くも計算高い人間で、プライドが高く、努力家だ。

対しスバルは素直で表裏が無く、プライドも低くは無いが相応の物で、努力家で天才型でもある。

相棒であり、常日頃はスバルをティアナが助ける形が多いが、実の所、精神的にはむしろティアナがスバルに依存している所があった。

日常のスバルがティアナに依存しているように見せているのは、本音半分、残りはティアナのプライドを察しティアナを立てて見せている所もあるのだろう。

 

 そんなスバルが、Tに淡い恋心を持ち始めた。

ティアナの恩人、兄代わりとまでは言わずとも、それに近い何かであるTに対しだ。

兄を亡くして以来、ティアナにとって一番大事な人が誰かと問われれば、Tだと答える。

無論比べる相手によっては揺れる部分もあるだろうが、それでも最終的にはTを推すだろう。

それが恋なのか憧憬なのか、ティアナにはまだ分からない。

けれどそんな相手に、ティアナより先にスバルが恋心を抱き始めたというのは、はっきり言ってショックだったのだ。

それ故に、自分が強さに対する焦りからではなく、嫉妬からスバルを撃とうとしてしまったのではないか、と思うぐらいには。

 

 ぽん、と体温がティアナの頭の上に。

冷えた外気に蝕まれたティアナにとって、人肌の温度は暖かくて、いっそう涙があふれ出してくるのを止められなくなる。

それでも、ティアナは目を開き視線をTにやった。

Tは少し困り顔の混じった、優しげな表情。

Tの手は頭上からゆっくりと降りていって、ティアナの頬に伝っていった。

親指を鼻筋に、人差し指を目尻に。

きゅ、と少しだけ力が籠もる。

一瞬Tは口元を左右非対称にし、すぐに緩めて笑顔を作った。

 

「大丈夫」

 

 声は、不思議な振動を伴ってティアナの心に響く。

あまりにもその声は不思議な響きなので、まるでこの世に存在しない幽霊の声のようだ、とティアナは思った。

 

「ティアナが嫉妬でスバルを撃ったなんて事は、ありえないよ」

 

 胸の内側に染み渡るような、Tの声。

ティアナは直感的に、その声が真実なのだと感じた。

全身の霊感という霊感全てが、それを疑いもせずに肯定する。

す、とティアナの心の内に沈んでいた重苦しい何かが取り去られたかのようだった。

さながら水の中から砂や泥を除いたかのように、胸の中が爽快になっていくのをティアナは感じる。

 

「ティアナは良い子だからね。だいじょーぶ、大丈夫」

 

 言って、Tはティアナの顔から手を離す。

再び頭をなで始め、ティアナは直後、弾かれるようにTに抱きついた。

 

「ぁ……う、ぁああ!」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」

 

 ゆっくりとTの掌がティアナの後頭部を撫でる。

残る片手は確りとティアナの背を支え、その力強さにティアナは元々赤くなっている頬を更に赤らめた。

先ほどまでとは比べものにならないほどの涙が、ティアナの両目からあふれ出る。

しかし、涙の意味は先ほどまでとは別物となっていた。

別物の涙が出なくなるまで、自分はTに抱きつき続けるだろう、とティアナは思う。

乳房をTの胸板に押しつけるようにし、首筋に顔を埋め、その背に両手を回した。

歯を折れそうなぐらいに強く噛みしめ、うなり声のようなみっともない声と涙を漏らす。

けれどティアナには、確信があった。

この人なら、そんな格好悪い自分も受け入れてくれる、という確信がだ。

 

「ぁぐ、う、うぅうう……」

「大丈夫大丈夫大丈夫……」

 

 しっかりとTの体温を感じながら、ティアナは思う。

泣き終わったら、まずはTさんに謝ろう。

スバルにも謝ろう。

スバルへの嫉妬を否定された今、ティアナの中にあった焦りもなんだか誰かに話せるような気がして。

だからなのはさんに会って、強さについて少し焦りがあった事を、正直に話そう。

 

 ティアナは未だに、自分がTをどう思っているのか分からなかった。

けれど、Tに抱きついている今、驚くぐらい安心できて、胸の切なさが満たされる事だけは確かで。

だからティアナは、後もう少しだけTの胸で泣き続ける事にする。

夜空の月が、不気味な波長の光で2人を照らしていた。

 

 

 

 

 




ちょっと書き方を変えてみました。
様子見しますが、多分今後は今話の書き方でいこうかな、と。
もう少しスピードよりクオリティを重視しようかな、という事です。


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その43:存在理由

 

 

 

 雲一つない蒼天の元、トーレは一人クラナガンの町中でベンチに腰掛けていた。

数多の視線を感じつつ、トーレは額に浮いた汗を拭う。

衆目の視線を強く集めるのは、何時もの事である。

というのも、トーレは外では戦闘用のボディスーツを片時も脱ぐこと無く生活している。

無論上に何も着ずにそれでは即座に捕まってしまうので、その上には常にくたびれたトレンチコートを着ていた。

季節は初夏。

辺りの人々は半袖の装いの季節である。

当然の如くトーレは視線を集める結果となるが、それは何時もの事なので特に奇異とは感じず、外に出る事とはかくも視線を集める物なのかと思っていた。

 

 ため息と共にトーレは頭を振る。

首の動きに連動して紫色の髪が揺れ、合間から金の瞳が覗き、その機械的な輝きを零していた。

トーレはスカリエッティの研究所に帰り戦闘訓練にあけくれたい衝動と戦いながら、再び視線を先ほどまでと同じ位置にやる。

小さな作動音と共に疑似眼球の補助機能が働き、視線の先の光景を拡大した。

 

 視線の先は、アイスクリーム屋の店先があり、3人の男女がそこに並んでいる。

うち2人の名前は、トーレもよく知る物であった。

スバル・ナカジマ。

ティアナ・ランスター。

トーレにとってライバルとも言える機動六課に所属する、フォワード陣の魔導師達である。

強敵を欲する戦闘狂であるトーレとしては、休暇とは言え激烈な訓練をしている2人の姿を所望していたのだが。

 

「…………はぁ」

 

 再びため息。

トーレの視線の先では、一人の男の両側に位置するスバルとティアナが、自分の持つアイスをスプーンで掬い、男に食べて貰おうと争っていた。

何のことは無い、男の取り合いである。

果てしなくどうでもいい光景に、トーレはさっさと今日六課と戦闘が行われる可能性のある廃棄区画へと脚を進めたくなってきた。

が、それも意味のある行動かと言えば微妙である。

憂鬱な心情を胸に、トーレは再びため息。

やることも無いので、視線を3人へやる。

 

 相も変わらず飽きずに男を取り合う2人と、2人の好意に気づいていないよう見える鈍感な男。

ラブコメディのドラマでも探せばいくらでも見つかるような光景で、現実に見るのは希だが、トーレの心を惹きつける光景では無かった。

トーレにとって興味あるのは、現実の戦闘のみである。

半目になってぼんやりと3人を眺めていると、スバルとティアナが急に顔つきを険しくした。

恐らく、逃げ出した聖王のクローンなり、レリックの入ったケースなり、その辺りが六課に見つかったのだろう。

男に謝りながら駆けていく2人を眺めながら、トーレは腰を浮かした。

 

「……で、どうするのだか」

 

 独り言。

更にため息を漏らしながら、それでもトーレは腰を下ろす事ができなかった。

向かうべき場所は戦場である。

トーレが最早必要とされていない場所である。

行くべきでは無い場所である。

トーレは己が戦場に向かうべきではない、と知っていた。

それは最早ただ、後ろを見る行為にしか過ぎないのだと。

 

 このまま座すべきだ、とトーレは考えた。

ここから動いた所で最早何の意味も無い。

トーレにできる事は、ボディスーツを捨てブラウスとスカートでも買い、市井に生きる誰かの嫁にでもなる事ぐらいだ。

けれど。

だけれども。

 

「…………っ」

 

 それでも、トーレの体はベンチから離れたままであった。

心ではいくらでも嘘をつける。

けれどこの機械仕掛けの身体だけは、嘘をつけなくて——。

そんな思いがトーレの脳裏を過ぎった辺りである。

トーレの視界に影が差した。

遅れて、言葉。

 

「どうかしましたか? お嬢さん。立てないなら手を貸せますけれど」

 

 重力に反するかのような、ふわふわとした、まるで背骨を抜き取られ撫でつけられたかのような声であった。

同時伸ばされた手を辿り、トーレは視線を声の主にやる。

声の主は、先ほどまでスバルとティアナに囲まれていた男性であった。

その髪も顔も不思議な印象を残す男性であったが、中でも特筆すべきはその目であろう。

例えば、剣と剣がぶつかれば火花が散る。

火花は光を放つので、当然火花は影を作るだろう。

男の瞳は、その火花の影を幾重にも重ねてできたような瞳であった。

 

 そこだけ天地が逆になったかのような、異様な存在感。

思わず硬直するトーレに、不審がられたのではとでも勘ぐったのだろう、男はにこりと微笑みを見せた。

まるで巨人が人間サイズの卓球をするような違和感に、トーレは顔をひくつかせる。

これ以上黙っていれば、見たくもない光景を見てしまう事になりかねない。

トーレは差し出された手を無視して完全に腰を上げ、無表情のままに言う。

 

「お気遣いありがとう。だが、見ての通り、少し嫌なことを思い出して硬直してしまっていただけさ」

 

 言ってトーレはベンチを回り込み、建物と建物の間へと身体を滑り込ませる。

廃棄区画への道筋を思い浮かべると同時、靴裏が石畳を叩く音がついてくる事に気づいた。

舌打ち、足を速めるトーレ。

しかしカツカツという足音も負けずについてくる。

停止、反転。

悪びれも無くトーレについてきている男に、トーレは呆れながら言う。

 

「何故ついてくる」

「行き先が一緒なだけさ」

「行き先は何処だ」

「コートさんの行く所」

「誰だそれは……」

「貴女ですけど」

 

 思わず身体を揺るがせてしまうトーレ。

歩いていれば確実にずっこけていた事だろう、などと思いつつ、ついついトーレは口走ってしまう。

 

「私はトーレ。トーレだ。他の名で私を呼ぶな」

「はい。ぼくの名前はTです」

 

 T。

案外何処にでもありそうな名前だな、と思いつつ、ついついトーレは続けて言った。

 

「そうか。T、おまえは何故私に着いてくるのだ?」

「コートに魅了されたからです」

「…………は?」

 

 疑問詞と共に目を丸くするトーレを尻目に、どことなく嬉しそうにTが告げる。

 

「夏に見るコートというだけでも見物です。四つ葉のクローバーだって幸運の印なんだ、初夏のコートは大幸運の印でもちょうど良いぐらいでしょう。加えてコートと言えば風になびく物だ。風に揺れて雨乞いの踊りをし、雨を降らす物だ。つまり貴女は、今日の快晴を祈りながら歩いている事になる。この——」

 

 言って、Tは空に視線を向けた。

雲一つ無く、雨の気配の欠片も無い空へと。

 

「真っ青な空の、何処に雨の心配があります? 無いでしょう。ならば貴女はものすごい雨女か、それともものすごい晴れ好きの晴れ教徒かになる。雨女はまず無いでしょう。貴女のコートからは雨の匂いがしないもの。つまり貴女は晴れ教徒。貴女のコートはお日様の力を全身に受け続けたコートという事になります」

 

 言われ、トーレはふと思い出す。

スカリエッティは、トーレのコートでも使用している洗濯乾燥機を自作しており、その洗濯乾燥機では太陽の成分をふんだんに込めたのだと言っていた。

太陽の成分と言っても、洗濯物を晴れの日に干した時の匂いは主にダニの死骸が天日干しされた匂いなので、それを再現しただけなのだそうだが。

 

「ぼくはなんだか月夜よりも太陽を見る方が好きなのです。なんでかっていうと、月はなんだかころころと顔を変えていて、気まぐれじゃあないですか。そこが嫌いなんですよね。太陽はそれに比べいつも丸いので、とても良い。そんな太陽風のコートを見たら、ついついついてきてしまいました。そんなコートを身体にぴったりとくっつけている貴女にも興味はありますけどね」

「……そうか」

 

 トーレは、何処か遠くを見やりながら思う。

こいつは間違いなく狂人だ。

スバル・ナカジマもティアナ・ランスターも、見る目がなさ過ぎである。

強敵となりかねなかった相手の微妙な部分を垣間見てしまい、トーレは果てしなくやる気が萎えていくのを感じた。

 

 もうTがどうなろうとどうでもいい。

ついてくるに任せ、気にせず廃棄区画を目指そう。

そう思い、トーレはため息と共に歩き出す。

当然の如く靴裏が道路を踏みしめる音がついてくるのに、トーレはなるべく何も考えないようにして歩みを止めない。

Tの意味不明な話に、適当な相槌を撃ちつつ歩いて行く。

 

「あ、電柱だ。昔は電柱に上れば太陽までたどり着けるんじゃあと思っていたんですよね。でも、地上を見下ろす事しかできなかった。地上が魚眼レンズを通したみたいに見えて、天から見下ろしてくる神様がいい気になっているのはよく分かりましたけどね」

「そうか」

「神様がいい気になっているっていうのはね、人を転生なんてさせるからなんですよ。輪廻転生輪廻転生、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、ありがたや、ありがたや。なのでぼくはいい気になっている神様をとてもよく拝んでいます。貴女はどうですか?」

「なるほどな」

「なるほど教ですか。あなたの信念はなるほどにあり、なるほど以外には無いのですね。なるほどと言えば納得だ、納得と言えば……」

「違う」

 

 気づけば、トーレは足を止め振り返って言っていた。

言ってから、この程度の戯れ言も聞き逃せない自分の余裕の無さに泣きたくなってくる。

それでも一度口を開けば、止まらなかった。

勝手に口唇が動き出し、胸の内に秘める物を吐き出し始める。

 

「私は、戦いを望んで生み出された。戦う為に調整された遺伝子から生まれ、戦う為の調整を受けながら育ち、戦う為に完成した戦闘機械だ。私はその事を、歓迎していた。私の魂までもが戦いに魅せられていたからだ」

「戦闘教の戦闘狂?」

「あぁ。生まれて初めて拳を振るった時には、感動で体中が沸き立ちそうだった。模擬戦をした時など、体中が熱くて仕方が無かった。命を賭けた戦いなど、涙すら零した物だよ」

 

 自然、トーレは己の拳が握りしめられるのを感じた。

吐く息一つ一つが熱く、胸の奥の熱量が漏れ出しているかのよう。

戦闘を思い出すだけでかつての激情が体中を暴れ回る。

それでも、トーレは吐息と共に激情をどうにか沈めた。

続ける。

 

「私は、戦闘に魅せられた。一瞬の思考の電磁パルスの違いが明暗を分ける緊張感。灼熱の心が燃やす人工筋肉の焦げ付く匂い。血潮が筋肉の圧力で強く吹き出す感覚。私は戦闘に全てを賭していたし、それ以外の事に魅力を感じる事などなかった」

「サブカルでは色んな趣味を持つと、色んな発想ができるみたいな話をよく聞くけど」

「それも確かな一面だ。しかし同時に、選択肢が増えすぎるという弱点がある。例えば結果的に同じ選択肢を選ぶとして、100の選択肢から選ぶのと、3の選択肢から選ぶのとでは、どちらが早い? 当然後者だ。戦闘のみに人生を賭す事が最善とは限らないが、意味があるのは確かさ」

「なるほどなるほど」

「そして……」

 

 関心するTに、トーレは得意気になって続きを語ろうとした。

同時、トーレのセンサーが魔力反応を察知する。

反応は地下。

機動六課のフォワードメンバーの戦闘が開始したのだ。

身近に戦闘が起き始めたと言う事実に、トーレはそのまま崩れ落ちそうになるぐらいの脱力感を味わう。

 

「トーレさん?」

 

 疑問詞に、トーレは背をコンクリの壁に預け、薄く笑った。

戦闘の事を熱く語るなど、かつてのトーレには思いつきもしない事であった。

口で語れる戦闘の魅力など大した物ではないし、そもそも戦闘の魅力を伝えたい相手など戦う相手以外に存在しない。

そして戦う相手には口先ではなく剣先で語るべきだ。

故にトーレが内心を吐露したのは、Tが最初なのである。

 

「そして私は、戦う理由をドクターの為としていた。私はドクターの為に戦う為に、ドクターによって作られた。故に私はドクターの為に戦ってきた。だが……、私は最早、必要ない存在なんだ」

「最新版に負けたって事?」

「そう、なるな……」

 

 スカリエッティが指名手配されたあの恐るべきTを必要とし、そのために美学を捨て設計しなおした、後期ナンバーズ。

人の形を捨てた彼女たちは、トーレを超える戦闘能力を手に入れた。

トーレも人の形を捨てた力を手に入れることをスカリエッティに望んだが、戦闘者として自我を固めつつあるトーレは精神に異常を来す可能性が高く、改造はしてもらえなかったのである。

故に戦闘しかできないのに弱いというトーレは、お払い箱となってしまったのだ。

 

「私はドクターの刃だ。だが、ドクターは最早私を必要としていない。私が刃を振るう理由はなくなってしまったのだ。なのに私は、無様に戦いの匂いを求め、戦装束で歩き回っている」

 

 己の情けなさに、トーレは己の内側からこみ上げてくる何かを感じた。

涙腺が刺激され、温度が顔面に集まってくる。

握る拳からは血が滴り、噛みしめた唇は破け血を滲ませていた。

全身にはぶるぶると震える程に力が込められており、人工筋肉が軋みをあげているのが聞こえる。

 

「私は、何のために生きているのだ? 私は、何をどうすればいいんだ!?」

 

 トーレは絶叫した。

耳の痛くなるような静謐。

心臓の鼓動さえ聞こえるような沈黙の中、静かにTはトーレを見つめてきた。

視線が合い、トーレは返ってこないと知りながらも、答えが返ってくるかもしれないという期待を込めてTを見つめる。

見つめ合う一瞬。

トーレは、確かにTの瞳の中で、一つの火花が浮き彫りになるのを見た、ような気がした。

 

「疑問なんですけど……」

 

 呟くT。

固唾をのんで見守るトーレに、Tはやや困惑して言った。

 

「何故トーレさんは、刃を振るうのに理由が必要なんですか?」

「……え?」

 

 トーレは、硬直した。

理由は必要だ、だって、だって、だって……。

だっての先が出ない事に驚愕するトーレに、Tが続ける。

 

「そりゃ、理由がある方が良い一面もあるのかもしれませんけど。トーレさんがさっき言っていたように、戦闘では選択肢の少なさも利益になる場面があるんですよね? なら、戦う為の理由も限りなく戦闘に近い物にして、つまり戦う為に戦う事にすれば、もっと選択肢が減って選択が早くなるんじゃあないですかね?」

 

 戦う為に戦う。

手段の目的化という通常愚かな行為とされる方法。

目から鱗が落ちるというのは、この事か。

トーレは、全身に震えが走るのを自覚した。

まるで視界からヴェールを一つ剥がしたかのような感覚。

 

「あ……」

 

 トーレは、己の感覚が鋭敏化されてゆくのを感じた。

駄目だ、と何故か反射的に思うが、その間もなくトーレの鋭くなった感覚が目の前の男の何かを感じ取る。

トーレは、自分の脳細胞が黄緑色になるのを感じた。

何故黄緑色なのか、そもそも脳の色を何処で判別しているのか、何一つ分からないが、過程をすっ飛ばして結果だけが理解できてしまうのである。

このまま行けば、数秒後には唇の皮がぽろぽろと落ち、全てが風に乗って旅立つ事だろう。

唇の皮は重量が低いので上手く滑空でき、渡り鳥のように遠くまで飛んでゆくに違いない。

だが、何より恐ろしいのは、それら全てが心地よくすら感じる事であった。

Tの方へと一歩、近づきそうになって。

 

「……っ!」

 

 はじけ飛ぶように、トーレはTと距離を取った。

脳の色が肌色に戻るのを感じつつ、脳を揺らされたような吐き気と戦うトーレ。

そんなトーレを、不思議そうな目で眺め、Tは首をかしげた。

 

「どうしたんですか? トーレさん」

「お前は……お前は……!」

 

 トーレは、その精神全てで直感していた。

相対する男が次元世界で何と呼ばれ、恐れられる者なのか、理解していた。

A級ロストロギアを文字通り腹の中に持ち、理解不能な事柄を引き起こす謎の存在。

管理局の勇者を発狂させ、記憶を覗く魔導師を発狂させる、理解不能の存在。

 

「お前は、S級生体ロストロギア……Tだなっ!」

「はい、ぼくはTです」

 

 瞬間、トーレは目前の男から恐るべき禍々しさが発生するのを感じた。

いや、とトーレは思う。

確かに目の前の男は禍々しい。

相対しているだけでも怖気が立つ程の狂気に身を包んでおり、今にもTの周辺の空間が発狂してどうにかなってしまいそうなぐらいだ。

命という命全てを冒涜する気配を持ち、この場で殺さねばならないのでは、という気さえもする。

 

 しかし同時に、トーレの内側にはTを神々しく思う気持ちもあったのだ。

Tは、命の輝きに満ちた存在でもあった。

数えがたい、幾千万の命の火花の輝き。

ただただ大きいとしか知覚できず、規模の予測もできないほど強大な命の奔流。

Tの内側には、明らかにそういった何かが存在していた。

 

 目の前の男は何なのだ。

トーレは疑問に思うものの、すぐに頭を振り思考を止めた。

Tがどんな存在だろうと関係ない。

あるのはトーレがTに対し感じる恩義と、Tがスカリエッティの望む存在である事ぐらいだ。

故に。

 

「私は、戦う為に戦うという選択肢をお前に貰った。戦う為に戦うのであれば、お前は素晴らしい餌になるだろう。機動六課の隊長陣にドクターの双方から狙われるお前を手に入れれば、どちらとも戦う事ができる。だが……」

 

 言って、トーレは瞑目。

己の中に眠る殺意や闘志を押し込め、目を開く。

 

「ありがとう、T」

 

 不思議と通る声で言えたな、とトーレは思った。

意外そうに目を見開くTに、続けるトーレ。

 

「お前には恩義を感じている。例えお前が何であろうと、それは同じ事だ。故に私は、お前を一度は見逃そう。だが、次に会うときは……容赦しないぞ」

 

 言って、トーレはTに背を向け地面を蹴った。

飛行プログラムを走らせ空中へと踊り出す。

肩越しに振り返り、何故か手を振るTに苦笑しつつ、トーレはその場を飛び立った。

 

 空気分子をかき分ける感覚。

身体を包むように張ったバリアを、強風が撫でていく。

眼下の景色は太い絵筆で塗りたくったかのように流れてゆき、心地よい疲労感がトーレの内側へと広がっていった。

 

 戦う為に戦う。

本末転倒である。

愚者の物言いとしかできず、意味のある行動とはとても思えない。

客観的に見て人生を失敗する方針にしか見えず、誰も彼もが口を揃えてトーレを愚かだと言ってみせるだろう。

だがしかし。

トーレにとっては、それこそが胸の中に空いた穴にぴったりと合う答えであった。

例えどれだけ愚かな選択だろうと、それこそが己で選んだ選択肢なのだ。

Tの助言が無ければたどり着けなかった場所だと考えると、正直情けない選択肢の得かただが、それでも、である。

 

 トーレは無くしていた己の人生の意味を、手に入れる事ができた。

それが今までの物より強固であるかどうかは、まだ分からない。

けれどそれが大切な事だけは理解していて、だからトーレは片手を胸に当て、己の心を守るようにするのであった。

 

 

 

 

 



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その44:真実の足音

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは戦慄していた。

機動六課のフォワード陣の休日。

楽しくなる筈だったその日を、エリオとキャロが見つけた金髪の少女とレリックが変えた。

レリックを狙い現れる大量のガジェットに、フェイトはなのはと共に一先ず海上のガジェットを掃討しに行く事となった。

が、ガジェットは突然恐るべき数の幻影との混合部隊となる。

解析不能の幻影に、部隊長であるはやてが限定解除を申請、Sランクまで戻した魔力を用いて海上のガジェットを墜とした。

その間なのはとフェイトは、陽動と判断した海上のガジェットを無視し、保護した少女とレリックを保管しているヘリの護衛に向かう。

すると突如、廃棄区画の市街地で強大なエネルギーが発生。

阿吽の呼吸で防御に優れるなのはがヘリへ。

速度に優れるフェイトが犯人の逮捕へと赴いたのだが。

吐き気を催す最悪の光景に、思わずフェイトは漏らす。

 

「……お前は一体……」

「なぁに、ごく普通の女の子ですわん」

 

 ビルの屋上に立つのは2人の少女であった。

一人は茶髪に眼鏡の少女であり、青系統のボディスーツの上に白いケープを羽織っている。

言葉面はただからかっているかのような物言いだが、その奥には底知れぬ悪意が眠っているのをフェイトは感じ取っていた。

だが、何より、もう一人の少女。

否、これは最早少女と言って良い物だろうか。

 

 “それ”は最早、人間の姿を留めていなかった。

頭蓋と思わしき場所には一切の頭髪も眉も無く、額には数字の10がうっすらと刻まれているのが見て取れる。

それだけであった。

他には何も無かった。

眼鏡の少女に抱えられる少女は、いわば生首の状態。

切断面には太いネジのようなアタッチメントがあり、近くに転がっている使い捨てと思わしき砲台のようなボディにも、ちょうどそれと合いそうなアタッチメントがある。

つまり。

 

「あぁ、残念ですけれども、ディエチちゃんの使い捨てボディには何の情報も残されていませんわぁ。メモリーもISの動力源も、本体の方にしかありませんもの」

「まぁそうなんだけど、身体をぽんぽん壊すような砲撃は好きじゃないんだよ……」

 

 恍惚とした表情で、ディエチと呼ぶ喋る生首を撫でる眼鏡の少女。

その言葉の意味する所に、フェイトは歯を砕かんばかりに強く噛みしめる。

人間の首から上と下を分け、下のボディを取り替え可能にする、というのはそれほど奇抜なアイディアでは無い。

ただ、人間はその精神で自分の身体のおおよその形を記憶しているという。

これは今までどんな科学者でも覆せた事は無く、自分の身体では無いボディを繋がれても、実験体はそれを上手く動かせないどころか、発狂死する事すらあるとされている。

 

 だが、目の前に転がる使い捨てと思わしきボディは、人間の形をしていなかった。

逆間接の脚に砲台そのものの胴体が備え付けられており、それら全てが完全固定可能なようにジョイント部分には器具が備え付けられている。

その中の観測用カメラがあるべき所に生首とのアタッチメントがあり、生々しいぬらりとした粘液がそこに輝いて見えた。

つまり、ディエチと呼ばれた生首の少女は、最早人間の精神を逸脱しているという事の他ならない。

 

 怖気の走る光景に戦慄するフェイトが精神を立て直すより早く、ロングアーチから通信。

先ほどまで吐瀉物をまき散らす音ばかりだった六課からどうにか立て直したのだろう、オペレーターから悲鳴が上がる。

 

「ヘリは無事ですが、なのはさんが負傷しています! そんな、限定解除の申請は間に合っていた筈なのに!?」

「敵の砲撃は、なのはさんの全力防御より上だったって言うの……!?」

「地中から生首付きの鮫が泳いできた!? それでヴィータ副隊長が負傷!?」

 

 続く報告に思わずフェイトが意識を逸らすと殆ど同時、あざ笑うかのような声が響いた。

 

「くす、私の可愛い玩具達、楽しんでくれましたか?」

「クア姉のじゃなくて、ドクターのだけど……」

「黙らっしゃい。IS・シルバーカーテン」

 

 待て、とフェイトが手を伸ばすも、一歩遅い。

2人の体表に縦長の六角形のエフェクトが発生、機動六課を騙してみせた幻影が2人を覆う。

短く舌打ち。

いくらフェイトでも、見えない相手を複雑な市街地で追うのは至難の業である。

 

(はやて、行ける?)

(あぁ、フェイトちゃんは一旦離脱を!)

 

 脳裏にはなのはの負傷という言葉が踊っていたが、フェイトはそれを強引に無視。

その場から飛行魔法で離脱、一歩遅れてはやてが放った黒球が市街地の上空にたどり着く。

黒球は反動をつけるかの如く一瞬収縮した後、一気に拡大。

広域空間爆撃魔法、デアボリックエミッションが発動する。

 

 フェイトはそんな中、デアボリックエミッションの範囲外となる上空から、幾多のサーチャーを放っていた。

狩人の目でそれら全てを追い、流石に幻影を纏う余裕を無くした眼鏡の少女と生首とを見つける。

このままのペースであれば、ギリギリだがデアボリックエミッションから逃れられると判断。

即座に上空から彼女らを追って飛行移動を開始する。

黒球が効果を終えるのを確認すると同時、フェイトは愛機バルディッシュを構え、高速移動魔法を発動した。

 

「しまっ……」

 

 眼鏡の少女の悲鳴と共に、バルディッシュの黄金に輝く魔力刃が一閃。

死神の鎌の如く少女の意識を貫こうとした、その瞬間であった。

 

「IS発動、ライドインパルスっ!」

 

 紫閃。

認識外からの何かに、フェイトは反射的に防御魔法を発動する。

それと殆ど同時に線分と化した何者かがフェイトへと激突、防御魔法が悲鳴を上げる。

たまらず後退したフェイトを尻目に、紫の髪に金の瞳をした、これまた青いボディスーツを身に纏った女が両腕を構えてみせた。

 

「クアットロ、油断し過ぎだぞ」

「トーレ姉様!? た、助かりましたわぁ」

 

 ほっと胸をなで下ろすクアットロ。

それを細めた視線で見つめつつ、フェイトもまた油断無くバルディッシュを構える。

彼女らの名前は、古代ベルカ語で数字を意味する物で統一されているようだった。

すると最低でもディエチ……10人の敵が居る事になる。

フェイトが更なる介入者を頭の隅に置いていると、クアットロが疑問詞を。

 

「でも、トーレ姉様は今回の作戦には参加していなかったのでは?」

「確かにな。私のような旧タイプの戦闘型は、既にお払い箱だっただろうが……」

 

 肩をすくめるトーレに、クアットロは眼鏡を指で押し上げる。

生首だけのディエチは、冷たい瞳をトーレに向けていた。

2人の瞳には少なくない侮蔑が込められており、フェイトは彼女らも一枚岩では無い事に気づく。

それを利用できれば、現状を打破できる可能性はあるだろうか。

 

 緊張にフェイトは、うっすらと汗がにじみ出てくるのを感じた。

現状は、フェイトが圧倒的に不利な状況であった。

限定状態のフェイトではトーレに勝てるかは危うく、加えてクアットロの支援があれば敗北は目に見える。

ディエチという足手まといが辛うじて天秤を拮抗させているが、それも退路にボディが隠されていないという希望的観測が前提となっていた。

負傷者が出たというフォワード陣からの増援は期待できず、はやては限定解除の時間切れ。

加えて頼みのなのはは意識を失っているとロングアーチからの通信から知れる。

故に。

 

「やれやれ、どうにか間に合ったか」

「……増援か」

 

 凜とした声。

シスターシャッハに送り届けられた、シグナムの登場であった。

リミッター付きではあるものの、フェイトに比べ魔力量の依存する部分の少ない彼女は、現状ではフェイトよりも強力な戦力である。

 

 これならどうにか優勢に戦闘を運べるか。

僅かな安堵を内心に飲み込み、フェイトはバルディッシュを構えた。

トーレ達を挟んで反対側では、シグナムがレヴァンティンを構え、微細な溢れる魔力が火の粉を散らす。

対し、トーレは構えた四肢から紫光のフィンを発生。

クアットロが眼鏡に手をやり、眼鏡が光を反射した。

が、それを制するようにトーレ。

 

「クアットロ、今回はお前の力は必要ない」

「は? ポンコ……トーレ姉様、何を?」

 

 クアットロの疑問詞を捨て置き、トーレは宣言する。

 

「私は、ドクターの元から去るつもりだからな。これ以上、お前の力を借りる訳にはゆくまい」

「……はぁ!? 脳まで筋肉にでもなりましたか!?」

 

 驚愕するクアットロに、無言で目を細めるディエチ。

フェイトはあくまでも構えを崩さぬままに、呼びかけた。

 

「投降するのならば、悪いようにはしません。貴女を保護する用意も……」

「要らん。私は別に管理局に下るつもりも無いのでな」

「……どういうつもりだ?」

 

 訝しげに問うシグナムに、トーレは薄く微笑んだ。

怖気の走る笑みであった。

フェイトは背筋を得体の知れない物が過ぎるのを感じ、一瞬硬直してしまう。

遅れて悪寒が全身を蝕み、緊張にフェイトは汗を滲ませた。

腹腔の中に氷を突っ込まれたかのような気分であった。

じわじわと、染みこむように冷たさがフェイトの中で広がっていく。

どこか、既視感のある感覚。

記憶を探るフェイトを尻目に、トーレは言った。

 

「私は、Tに出会った」

 

 え、とフェイトは薄く呟いた。

一瞬の空白の後、すぐにその名前は10年前に出会った、あの忘れられない少年と結びつく。

T。

フェイトの初めての友達。

 

「馬鹿な、ドクターの探しているあのTと!?」

 

 フェイトが思わず自失した直後、クアットロが叫んだ。

その事実に意識を取り戻すと同時、フェイトは更なる事実に目を見開く。

そんな彼女らを捨て置き、トーレ。

 

「つい先ほど別れてな。現在の容姿もそうだが、居場所を追跡まではしていないが、特定できる情報も持っているぞ」

「……それを教えて貰える、って訳じゃあなさそうだね」

「あぁ。問いは私を刃で下してからにしろ」

 

 言ってトーレは、顔を左右非対称に歪めた。

肌を刺すような闘志が、フェイトを襲った。

こちらも燃えさかるような正当の闘志ではなく、臓腑が凍り付くような強烈な闘志であった。

怯えて縮こまりたくなる身体を必死で動かし、フェイトは構えをとる。

 

 六課として得たい情報は、スカリエッティの情報とTの情報である。

前者は当然として、後者は個人的にもそうだが、管理局員として当然に欲するべき情報だ。

故にこの場で最も優先して捉えるべきなのは、両方を知るトーレである。

彼女を相手にすれば、その間にクアットロに逃げられてしまう可能性もあり、しかもそれを補足する人員は容易にはひねり出せない。

が、リターンの大きさからフェイトはトーレを狙う事を意識し、念話でそれをシグナムにも伝える。

一瞬渋い顔をしたシグナムであったが、すぐに了承の意が返ってきた。

 

「……行くぞ! IS発動、ライドインパルスっ!」

 

 紫閃が走る。

予めスピードを予測できていたからか、フェイトは辛うじてトーレの動きをその目に捕らえる事に成功した。

トーレの武器は肘の光刃。

高速戦闘を得意とするフェイトの目ですら霞んでしか捉えられないという、冗談のような速度である。

フェイトは辛うじてバルディッシュの刃を軌道上に割り込ませる事に成功するも、敵の武器は両腕にある。

防御魔法を発動するにも時間が足りない。

が、フェイトの予想通り、トーレはすぐさま引いてクアットロの方まで後退。

クアットロを攻撃しようとしていたシグナムの蛇腹剣を弾く。

 

「……ち、早さではテスタロッサ以上か!」

 

 舌打ちするシグナムに、戻る蛇腹剣より早くトーレの光刃が襲いかかった。

シグナムは鞘で光刃を強く弾き、トーレの体勢を僅かに崩す。

軌道のずれたもう片方の光刃を身のこなしで避けるも、切り返しの刃は避け得ない。

が、そこに高速移動魔法でフェイトが割り込み。

強固なシールドでトーレの攻撃を阻むと同時、反転。

瞬く間にシールドを回り込んできたトーレの攻撃を弾くも、矢張り手が足りない。

遅れてシグナムの斬撃が助けに入らねば、墜とされていた所であった。

視界からは、既にクアットロ達の姿は消えているのが見て取れる。

トーレもそれを確認したのだろう、怖気の走る笑みを再び。

 

 瞬く間に、一合、十合、五十合。

魔力刃達の悲鳴が合唱となり、破裂する空気達が添えられる。

閃光と化した3人が激突を繰り返し、一段と強い激突の後、3人は距離を取った。

 

 強い。

それが偽らざるフェイトの感想であった。

事実トーレは3人の中で唯一呼吸を荒げておらず、その身体には少々埃がついただけで、傷は一つも無い。

対しフェイトとシグナムは身体のあちこちに小傷ができており、肩で息をしている状態であった。

 

(限定解除をしていれば、また違ったんだろうけれど……)

(無理だな。リミッターを外す際の一瞬の隙でさえ、奴の前では致命的だ)

 

 とは念話しつつも、フェイトとシグナムの2人がかりで近接戦闘をしてようやく押さえ込める相手というのは、異常である。

前衛後衛に分かれた瞬間墜とされる程に、トーレと2人では近接戦闘のレベルが違っていた。

このままでは、六課から増援が来るまでに負ける可能性すらある。

戦慄する2人に、しかしトーレは訝しげな顔。

 

「……何故、ここまでの差が? もしや、Tと関係が?」

「T? Tがどうしたって言うの?」

 

 フェイトの疑問詞に返すでもなく、トーレは思案してみせる。

時間が稼げるのは増援の可能性を増やせる為歓迎である、フェイトとシグナムは息を整えつつ待ってみせた。

すぐに目を細め、トーレは言った。

 

「すまんな、確かめねばならぬ事がある。この場は引かせてもらおう」

「ま、待……!」

 

 思わず手を伸ばすフェイトであったが、それを毛ほどにも気にせず、トーレはISを発動。

フェイトやシグナムですら追いつけない速度で彼方へと飛び立つ。

自ら戦いを挑み、優勢のうちに退くという意外性に2人は出遅れ、追いつく事は最早敵わない。

 

「ロングアーチ、追跡は……!」

(駄目です、ロストしました……)

 

 歯噛みするフェイト。

ロングアーチでさえ補足できない相手を探す力は、フェイトには存在しない。

久しく現れたTの情報が目の前から去って行ったのもショックだったが。

 

「ごめんシグナム、私の判断ミスだ。Tの情報まで欲張らなくても、クアットロの方を優先すれば良かった……」

「いや、トーレの強さは予想以上だった。結果は大して変わらんだろう」

「うん……」

 

 流石に消沈しつつも、フェイトは遠くトーレの去って行った方向に視線をやった。

予想だにしなかったTの情報に、フェイトは胸の中の感情にどう決着をつければいいのか分からない。

初めての友達である筈のT。

神のごとき存在かもしれないT。

10年の時はフェイトの中でTを観念的な存在にし、後者の感覚を大きくしていた。

だが、どうしてだろうか、前者の感覚もフェイトの心の中からは消えずに残っている。

それもまるで度々出会っているかのように、時々フェイトの胸にTの存在がわき上がってくるのだ。

 

「T……」

 

 彼の名前を呟く。

音の波は空気中に散っていき、空気の微細な振動とふれ合い弱まり、そしてついには音未満の物となって消え去った。

 

 

 

 

 




Q.要するに後期ナンバーズはどうなったの?
A.逆アンパンマンです。


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その45:不屈

 

 

 

「なのはママ〜、美味しいね〜!」

「うん、美味しいでしょ〜?」

 

 笑顔でヴィヴィオが告げるのに、なのはもまた笑顔になって答えた。

金髪オッドアイの少女は、なのはに切り分けてもらったハンバーグをフォークで差し、掲げている。

口元にはデミグラスソースがついており、苦笑しながらなのはは目を細めた。

ヴィヴィオは、先日の戦闘機人事件で見つかった人造魔導師と思わしき少女である。

聖王教会傘下の病院で保護されており、その様子を見に行ったなのはに懐き、母と呼ぶようになった。

現在は機動六課での保護対象となっており、特になのはとフェイトによく懐いている。

一度はフェイトの事も母と呼んだ事があったが、なのはとフェイトの間に流れるTに関する微妙な軋轢に気づいたのか、すぐにそれは止め、なのはのみを母と呼ぶようになった。

 

 なのはは、ヴィヴィオの口元をナプキンで拭いてやる。

するとヴィヴィオは目を細めながらくすぐったそうに身体を震わせ、それからなのはの方を向いてにこりと微笑んだ。

暖かい笑みだった。

なのはの胸の奥にかがり火のように小さな、それでも内側から身体を照らし出すのには十分な光が生まれる。

じんわりと体中を熱量が巡ってゆき、なのはは口元が溶け出すように緩むのを感じた。

ヴィヴィオはそれに安心したようで、すぐに食事に戻る。

 

 思えば、こんなに自然に笑えたのは何時ぶりだろう、となのはは思った。

高町なのはには、安息の地は無かった。

実家は父と母、兄と姉のペアに疎外感を感じ、どうしても姿を消したTの事を思い出してしまう。

それでなくとも、海鳴では何処を見てもアリサとすずかの事が思い出されてしまい、なのはの心に安息は無かった。

かといって、ミッドでは生まれ育った環境の違いか、心許せる友はできなかった。

フェイトとはやてとヴォルケンリッターにアースラクルー、彼ら彼女らにはなのはも開襟できる部分もあったが、同時に彼ら彼女らとはTに関する意見が違いすぎる。

全員が全員、Tが人間の範疇に収まる存在だとは思っていないのだ。

なのはにとってTは人生の支柱の一つであり、彼が人間であるという事実がなのはの支えだ。

それを揺るがす相手に心を開ききる事を、なのははどうしてもできていなかった。

 

「ねぇ、なのはママ」

「……なーに、ヴィヴィオ」

 

 心の中を過ぎる寂寥感を捨て置き、笑顔でなのは。

ヴィヴィオは一旦食器を置き、じっとなのはの目を見つめてくる。

子供特有の純真な瞳は愛おしい物だが、時々なのはの胸を抉るような輝きを持つ事があった。

今が、まさにそんな時だ。

乱れる心を押し込め、なのはは表情筋を固めながらヴィヴィオの言葉を待つ。

 

「お友達って、どうやって作ればいいのかな」

「え……」

 

 どきり、となのはの心臓が跳ねた。

何故その質問が、と混乱するも、すぐに答えらしきものは思い浮かぶ。

日中ヴィヴィオの面倒は、仕事のあるなのはに代わって寮母のアイナが見ている事が多い。

確かアイナによると、ヴィヴィオは子供向けのアニメをよく見ていると聞く。

当然友情を描いた作品もあり、そこから友達という言葉を導き出したのではあるまいか。

よもや同世代の友達を作れない環境にあるヴィヴィオに、それを自覚させるような真似をアイナがするはずもないのだし。

 

 小さく頭を振り、なのはは脳裏にこびり付いた思考を振り払う。

今重要なのは、縋るような目つきのヴィヴィオにどう答えるかだ。

 

「そうだね……」

 

 視線を宙に。

現在のなのはの友達と言えば、フェイトにはやて、ヴォルケンリッターにユーノ辺りだろうか。

と言っても、皆が皆Tに対する意見を違えており、それが皆との関係を微妙にしている。

フェイトとはやては言うまでもなく、ヴォルケンリッターもTに対し忌避感を持っているようであった。

ユーノに至ってはTの再誕がトラウマになっているらしく、Tを匂わすなのはの事を避けている節すらある。

他にもクロノやエイミィなど、知り合いは多く居るのだが、友達と言うよりは人生の先達という方が近いだろうか。

となると。

 

「……あれ?」

 

 もしや自分には、胸を張って友達と言える相手が一人も居ないのではあるまいか。

直視しがたい事実に、なのはは思わず口元をひくつかせた。

ならばと、過去に確実に友達だった相手として思い浮かぶのは、アリサとすずか。

すずかは既に亡くなっており、アリサはすずかの死以降一言も話していない。

ヴィヴィオに例として話すには、ためらいのある事柄である。

更に過去へと潜ると、初めての友達であるTに行き着く。

ここ10年会話した事すら無いのに、何故か胸の中に何時も新鮮にあり続ける友達。

T。

 

「私はどうやって作ったんだっけなぁ……」

 

 遠い目をし、なのははTとの出会いに思いをはせる。

なのはが幼い頃、なのはの父士郎は命の危機がある程の大けがを負った。

その煽りを受けて高町家からなのはに構う余裕が無くなり、なのははTと出会ったのである。

 

「出会いは、自分からって感じじゃあなくて、成り行きからだったなぁ」

 

 そしてなのはは、Tの家に預けられたのだ。

と思うと同時、なのはは思わず目を見開く。

 

「って、あれ? 私、たっちゃんの家に預けられた事が、ある?」

 

 誰も到達できなかった筈の、存在すらあやふやなTの家に?

恐るべき事実になのはは硬直するも、すぐに訝しげなヴィヴィオの目に自分を取り戻した。

事実を忘れないようレイジングハートにメモをさせ、すぐにTとの記憶に心の照準を合わせる。

 

「えーと、私の初めての友達なんだけど、彼はとっても気まぐれでね。その頃構ってもらいたがりだった私に、構ったり放ったり、色んな態度を取っていたんだ」

「え〜、それ酷いんじゃない?」

「酷いよねぇ」

 

 思わず苦笑。

当時必死で良い子になろうとしていたなのはは、構ってくれるTに依存し必死でTの後を追いかけていた。

だのにTと言えば気まぐれで、なのはは振り回されてばかり。

T風に言えば、Tは台風のような子供だったのだろう。

台風の目となるT自身は何でも無いけれど、周りの人は台風に巻き上げられ、何が何だか分からなくなってしまうのだ。

その上10年も行方をくらましてしまうし、これはもう、出会ったら拳骨の一発ぐらいはやってやらねば腹の虫が治まらないのである。

憤懣やるかたないなのはに、何故か不思議そうなヴィヴィオ。

 

「でも、なのはママとっても嬉しそう」

「そう……かな?」

 

 言われてなのはは、両手で顔の形を確認する。

どうやら眉は下がり、口は両端が引き上げられていた。

知らぬうちに、自分は笑顔になっていたらしい。

気恥ずかしいような、嬉しいような、何とも言えない気持ちになり、なのはは誤魔化すように薄く微笑んだ。

 

「こほん。それは兎も角、そんな人だったけれど、一緒に居るうちに仲良くなっていって……。この日から友達だって言う、はっきりした基準があった訳じゃあないけれど」

 

 思い出す。

気づけば半身のような相手だったTは、居るのが当たり前で、無くなるなんて想像もした事が無い相手だった。

10年前のあの日まで、Tの居ない日常なんて考えたことすら無かったのである。

郷愁の思いが胸の中に蘇るが、ヴィヴィオの欲する答えはこれではあるまい。

すぐに心を切り替え、微笑むなのは。

 

「だから、友達の作り方っていうのは、自然にできているものだ、としか言いようが無いかな」

「そうなんだ……」

「でもね」

 

 気落ちしたように言うヴィヴィオに、なのはは告げる。

ヴィヴィオは俯きかけた顔を上げ、なのはを見た。

視線が合う。

吸い込まれそうな目に、それでも負けずになのはは言った。

 

「その友達が言っていた、友達同士でやるおまじないは教えてあげられるよ」

 

 言って、なのはは手を差し出す。

正確にはフェイトを通してTが言っていたと聞いた、おまじないを伝える為に。

不思議そうに首をかしげてから、ヴィヴィオもまた手を差し出し、なのはの手を握った。

暖かな体温が交換され、なのはとヴィヴィオは握手をした。

 

「友達同士は、いつでもこうやって握手ができる。けれど、遠くに居る時はそうはいかないから……」

 

 言ってなのはは手を離し、胸に当てる。

真似するヴィヴィオを最後に、なのはは目を閉じ言った。

 

「心の中で、友達の名前を呼ぼう。そうすれば、心の中に握手が浮かぶ筈だよ」

「なのは、ママ」

 

 声を聞き届けてから、なのはが目を開くと、隣に座るヴィヴィオはみるみるうちに口元を緩ませてゆく。

思わずつられて頬が緩むなのはを尻目に、ヴィヴィオは目を開くと、満面の笑みで言った。

 

「凄い! 本当に握手が心の中に浮かんできた!」

「でしょ? 友達が出来たら、使ってみようね」

「うん! じゃあ、早くご飯食べて、お友達見つけに行こうっと!」

 

 言って食事を再開するヴィヴィオに、なのははまぶしい物を感じる。

ヴィヴィオは、まだ友達を手に入れていない。

しかしそれは同時に、まだ友達を失っていない事を意味するのだ。

友達を失い傷ついた自分に比べ、まだ何の傷もついていない少女がまぶしく、なのははまるで自分が汚れてしまったかのように思えてくる。

ネガティブになっているな、と思うも、咄嗟に自分を奮い立たせる方法は見つからない。

そういえば、となのはは今し方伝えた名前と握手のおまじないに思い当たる。

 

(たっちゃん……)

 

 なのはは、胸の上に手をやり、目を閉じ内心でTの名前を呟いた。

胸の内で、暫しTの名前は空虚に響く。

何の意味も無かったかと諦めがなのはを支配する寸前、山彦のように遅れて、なのはは胸の奥が暖まるのを感じた。

何時かの風景が、なのはの胸の中に蘇る。

なのはとフェイト、Tの3人で抱き合った、海鳴でのあの短いお別れの前の抱擁。

すとん、と胸に落ちるようにして、なのははある確信を抱いた。

 

 ——たっちゃんは友達だ。

 

 例え神だろうが魔王だろうが人間だろうが、関係なくTはなのはの友達なのだ。

今までどうしても心の底から思えなかったそれは、どうしてだろうか、ヴィヴィオに心を解きほぐされた今、すんなりと受け入れられた。

爆発的な炎が、なのはの胸の内からわき上がってくる。

全身が沸騰しそうなぐらい熱く、今すぐ身体を動かさなければ身体が燃えて灰になってしまうぐらい。

冷たい鉄の塊となっていた心の底に潜む何かは、気づけば溶け出し、鋼の意思を形作ろうとしていた。

 

 また、Tと共に生きたい。

灼熱の意思が、なのはの胸の奥で生まれつつあった。

幾多の人間を発狂させてきたTの正体は、おぞましい物であるに違いない。

けれどなのはは誓った。

なのはは、Tを助ける。

歩幅を合わせ、一緒に人生を歩む仲間としてみせる。

何からどうすればどうなるのかも分からず、暗闇の中を一歩一歩踏みしめながら歩く事しかできないけれど。

けれど心だけは折れないと、なのはは誓ったのである。

 

「なのは、ママ?」

「なーに? ヴィヴィオ」

 

 言って、なのはは食事を終えたヴィヴィオに口を拭ってやる。

くすぐったそうにしていたヴィヴィオは、口を拭われ終えると、訝しげに言った。

 

「何か、元気になってない?」

「そうかな?」

「うん、絶対そう!」

 

 自分のことのように嬉しそうに笑みを作るヴィヴィオに、なのはは目を細める。

ヴィヴィオの鋭さには内心舌を巻くが、同時、自分の決意が目に見えるほどに強烈である事に、誇りを抱いたのだ。

Tという精神の支柱を無くした10年前のなのはは、心の柱を細くしたままであった。

何時折れるか知れぬ心で、必死になって重い荷物を支えていかねばならなかったのだ。

そしてそれは、今でも変わらない。

心に不屈を誓っても、荷物の重さは変わらないのだ、辛い事に変わりは無い。

けれど、それでも前に進む事を認めてもらえるのならば。

これ以上に嬉しい事など、無いではないか。

 

 だからなのはは、口元を思いっきり緩めて。

満面の笑みを作った。

 

 

 

 *

 

 

 

 今此処に、不屈の心は成った。

生きる勇者の如き心は、正道の物語の主人公となりうる物である。

人の心を希望で染め、感動を作り出す存在である。

しかしこの物語は、正道の物語では無い。

邪道でも曲がり道でも、裏道でも横道でもありはしない。

何故ならこの物語は、ただただ狂気の物語であるが故に。

それ故に、なのはは、フェイトは、はやては、知る事となる。

この世界に隠された、狂気の法則を。

プレシアとアリサが見抜き、グレアムとすずかが知り、そして4人ともが狂気に陥った法則を。

 

 Tの、正体を。

 

 

 

 

 



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その46:夢幻転生1

表題回。


 

 

 

 雨の日であった。

暗い空は雲に覆われており、空に蓋がされているかのよう。

落ちる雨粒は大きく、床のコンクリを覆う水膜に当たり、無数の王冠を作っていた。

その際跳ねる雨粒は道行く人々の足首に届く程であり、通行人全てに平等に湿り気と不快感を与えている。

ただでさえ重苦しい天気の中、黒衣の女が3人、連れだって歩いていた。

なのはとフェイト、はやての3人である。

 

「……はは、なんてゆーか、現実感が無いわな」

 

 無言で返すなのはとフェイト。

乾いた笑みを浮かべるはやては、傘を傾けなのはとフェイトへ視線をやる。

2人は、真っ直ぐにはやての目を見返していた。

おや、とはやては内心意外に思う。

以前のなのはであれば視線を逸らしていた所だろうが、今はどうしたことだろうか、その瞳の奥に炎が宿ったかのような目で見返してきている。

なのはの変化を、しかし確認できたのが今とは、皮肉過ぎてはやては素直に喜ぶ事ができない。

はやては視線を前へ、呟くように言った。

 

「ヴェロッサ君が逝くなんてなぁ……」

 

 ヴェロッサ・アコース。

はやての兄貴分の一人であり、飄々とした性格の男。

お菓子作りが得意で、クロノと仲が良く、はやてをよく可愛がってくれた男。

何より、精神を覗く希少技能の持ち主。

そのヴェロッサが発狂死したという事実は、3人の中に共通した一つの答えを浮かばせる。

 

「たっくん……」

 

 はやての言葉に、なのはもフェイトも気休めなど言えなかった。

Tを巡る3人の立場は複雑だが、六課設立までは3人が仲違いするような事は起きていない。

何故なら、肝心のTが姿を現し3人が判断を違える事態が起きなかったからである。

しかしそれは、戦闘機人トーレの言葉が覆した。

Tは、今クラナガンに居る。

その言葉は既に管理局中に伝わっており、誰もが血眼になってTを探しているが、本人どころか痕跡すら見つかっていない。

虚言かという考えもあるが、トーレがスカリエッティの元を離れる事になった切っ掛けが何かあったと考えると、真実と考えた方が辻褄が合うのも事実。

故に局員はTがクラナガンに居ると考えて行動しており。

それは3人の道が違う方向に進み始める可能性を示唆していて。

そしてヴェロッサの死により、Tの存在は可能性を増した。

 

 3人は無言で歩き続けた。

はやてが今日だけは無駄な時間を使ってでも、歩いて帰りたいと言い、なのはとフェイトはそれに付き合い共に歩いている。

仕事が待っていると分かっていても、どうしても歩みは遅いままである。

はやては両隣を歩く2人の存在が鬱陶しく思えてくるが、Tは表向き危険なテロリストとして扱われている、はやてが単独で行動する事は許されていなかった。

ヴォルケンリッターが家族に弱味を見せられないはやてに気を遣い離れた今、なのはとフェイトと離れる訳にはいかない。

 

「失礼、少々よろしいでしょうか」

 

 機械のように生気の無い声であった。

はやてが歩みを停止、視線をやると、黒い傘を差した金髪の女性が立っている。

格好は本局の局員制服であり、慌て3人が敬礼をするのに、女性もまた返礼をする。

はやては脳内で女性の名前を検索するも、出てこない。

急な存在に警戒心を胸に持つ3人に、微笑みながら金髪の女性。

 

「初めまして、私は最高評議会秘書の、レヴィーナ・ガヤルドと申します」

「最高評議会の……!」

 

 10年前、グレアムに手を貸しTを抹殺せんとした部隊の関係者である。

思わずデバイスに手が伸びる3人に、余裕の表情でレヴィーナ。

 

「ふふふ、警戒するのも分かりますが、私たちがしたいのは情報の共有です。Tがクラナガンに居るようだと言うことで、幾つか貴方方に知っていて欲しい事がありましてね」

「……何を、ですか」

 

 刃のような固く鋭い声のなのはに、死神もかくやという冷たい視線のフェイト。

はやてもまた威圧を強くしようと思ったその瞬間、余裕を崩さぬレヴィーナが告げる。

 

「例えば、ヴェロッサ・アコースを殺したのは、Tでは無い事」

 

 思わず、はやては息を呑んだ。

音が左右で輪唱、なのはとフェイトも同様の事をした事が知れる。

そんな3人に、子供をあやすような柔らかな、しかし何故か生気の無い笑みで、レヴィーナ。

 

「例えば、ヴェロッサ・アコースはTの精神を覗いたのではなく、最高評議会議員の精神を覗き、Tの正体を知ったから発狂死した事」

「……つまり」

 

 はやては、乾いた声で呟いた。

つまり、レヴィーナが言いたい事と言うのは。

 

「最高評議会議員の方は、Tの正体を知っている。知って、それでもまだ発狂死していない。第九十七管理外世界のアリサ・バニングスと同様にね」

「……え」

「アリサ、が?」

 

 なのはとフェイトが思わずと言った様相で漏らすが、はやては辛うじて声を漏らすのを押さえ込む事ができた。

それもはやてに、アリサと直接の面識が無い為の余裕からなのだろうが。

しかしアリサが何かTに関する秘密を持っているとは思っていたが、そのまま見事正体に関する事だとは。

意外に思うはやてを含め、3人はあまりの事実に硬直し動けない。

そんな3人に向けて、レヴィーナは儚い笑みと共に言った。

 

「ついてきて下さいますか? 貴方方を、最高評議会議員のお三方が招いています」

 

 

 

 *

 

 

 

 暗い空間であった。

広い一室は多くの機材で満たされているらしく、冷却用ファンの甲高い音が聞こえる。

過密気味な機材達を冷やすためだろう、冷房も効いており、なのはは肌寒さに僅かに震えた。

暗く深い地下にまで潜った3人を待ち構えていたのは、厳重なセキュリティに守られた一室であった。

最高評議会議員が待っているとは思えない状況に、なのはを含め3人は警戒心を露わにする。

 

「此処で何をどうするんですか……?」

「失礼します」

「って、ちょっとっ!?」

 

 と言い残し、一人部屋の外へ消えるレヴィーナ。

慌てて手を伸ばすなのはを捨て置き、無情にも重い扉が閉まる重い音。

早まったか、となのはが後悔しそうになった、その瞬間である。

チチチ、と照明が明滅、すぐさま室内を照らす。

目を暗順応させていたなのはは、思わず目を閉じ両腕を眼前に翳した。

数秒、それから目を開くと、扉側に向いているなのはの両目に明るくなった室内が映る。

すぐさまなのはは左右を確認、振り向こうとした瞬間、両隣のフェイトとはやてが呟いた。

 

「……え?」

「あほ、な」

 

 呆けた声に、何事かと振り返るなのは。

その視界に、"それ"が入る。

なのはは一瞬、通っていた聖中の理科室前の廊下を思い出した。

理科室の隣には準備室があり、準備室の扉の横には棚が一つあったのだ。

その棚の中にはグロテスクな標本が多数並んでおり、中にはホルマリン漬けの脳でさえもあったのだった。

 

 脳味噌が3つ、浮いていた。

なのはは思いも寄らぬ事に、ぽかんと口を開けてしまう。

一拍おいてからそれらが得体の知れない液体で満たされたシリンダーの中に浮いており、様々なコードが付けられている事を認識。

一体何なのかと展開についていけないなのはの精神に、更なる衝撃が襲いかかる。

 

「初めまして、だな。Tに選ばれた3人よ」

「高町なのは、フェイト・テスタロッサ、八神はやて」

「純ミッドチルダ人が居ないのはやや口惜しいが、当然と言えば当然か」

 

 声は3種類。

全てそれぞれシリンダーの根元にあるスピーカーから発せられていた。

デジタル合成ではなくサンプリングされただろうそれは肉声に近いが、それでも僅かな電子ノイズが肉無き声である事を証明している。

すぐになのはは正体を知られずに喋りたい最高評議会議員による物かと思ったが、すぐに自身で否定した。

サンプリングした声を使えば正体が知られるリスクは増える、理屈が合わない。

 

「……初めまして。貴方達は一体? この部屋は?」

「電子音声だけで最高評議会議員です、なんて言われても、信じられへんなぁ」

「……ぁ」

 

 次々に声をあげるなのはとはやてに続き、声を震わせるフェイト。

首をかしげ、なのはは問う。

 

「どうしたの、フェイトちゃん」

「……あの脳、まだ生きている」

「え?」

 

 言葉を上手く噛み砕けず、首をかしげるなのは。

そんななのはを置き去りにするかのように、3脳が告げた。

 

「ほぉ、流石に執務官、この手の生命維持装置は見慣れた物か」

「そして夜天の主よ、姿なら既に見せている」

「肉声はそも肉が存在しない身だ、許せ」

「つまり、貴方達は……」

 

 絶句するフェイトに、シリンダーの根元にある機材が明滅。

サンプリングされた声が告げる。

 

「我々3人こそが時空管理局最高評議会議員」

「時空管理局の最上位の存在であり」

「そして……Tの正体を知る者だ」

 

 なのはは、思わず足下が崩れて行きかねない感覚をすら覚えた。

膝から力が抜けてゆき、ともすれば尻餅をついてしまいそうになるのを必死で耐える。

高町なのはは、今まで管理局に正義を感じたが故にそれに従っていた。

無論全てが納得のいく正義では無かったものの、それでも大局的に見れば管理局は正義の為の組織だと信じていた。

が、この3脳の言うことを信じるなら、管理局はこのおぞましい脳味噌達に作られた組織であり、なのはもまた彼らの手足であったのだ。

体中を駆け巡る生理的嫌悪感から、なのはは思わず叫ぶ。

 

「そんな……! 貴方達はそんなになってまで、何故生きようと……!」

「知れた事」

「正義の為だ」

「我らの命はただそれだけの為にあるのだから」

 

 微動だにせぬ声に、なのははその奥にある精神の強固さに気づき、返す声を失う。

続きフェイト。

 

「馬鹿な、こんなになってまで生きるのが正義なんですか!?」

「然り」

「脳の寿命は肉体の寿命よりも長い」

「なのに正義の為に働く期間を下らん感傷で減らすなど、次元世界への裏切りに等しい」

「狂ってる……!」

 

 フェイトがそう告げるのに、なのはも内心頷いた。

3脳の言葉に秘められた狂気は、Tとはまた違ったベクトルで怖気の走る物であった。

なのはが咄嗟に胸元のレイジングハートに手を伸ばすのに、それを制するようにはやて。

 

「待ち、なのはちゃん、フェイトちゃん。色々文句があるのは分かるけど、私たちが聞きに来たのはそんな事じゃあない」

「……っ」

 

 冷たい声に、なのはは我に返る。

あまりの事態に失念していたが、はやては兄同然だったヴェロッサを失い、そしてその真実を聞きにこの場に来たのだ。

はやては忽然とした雰囲気のまま、一歩踏み出し、告げた。

 

「貴方達の事は分かりました。けど、レヴィーナさんから聞いた私たちを招いた用事は、確かたっくんの事やったと思うんですが」

「然り」

「ではまず問おう」

「お前達はTの正体を何だと思っている?」

 

 言われ、なのはは胸に手を置き、一瞬瞼を閉じる。

ヴィヴィオとの暖かな関係が、なのはにTの正体が何であっても友達であると、そしてそう信じる事を可能にさせた。

Tは友達であり、故に信ずべき相手だ。

故になのはは、Tが発狂させてきた数々の人間も、少なくともTが故意にやった事では無いと信じている。

だから例えTの正体がおぞましい物でも受け入れる自信はあるのだが、それでも敢えて一つに絞るのならば。

 

「人間です」

「神様です」

「魔王です」

 

 なのは達の口から、続けて言葉が発せられる。

かつてと同じ内容であったが、その言葉に込められた気持ちは3人とも違っていた。

当然と言えば当然と言えよう、はやてなど直接Tの手による物では無いらしいが、ヴェロッサを失ったばかりだ。

フェイトもエリオとキャロとの関係で、何かしら心に影響があったに違いない。

そんな三者三様の言葉に、3脳。

 

「……驚いたな」

「3人ともがとは、予想外だ」

「故にTに選ばれたのだろうか」

 

 何が、となのはが問うよりも早く、次ぐ言葉。

 

「3人とも、正解だ」

「……えっと、どういう?」

「そのままだ」

 

 疑問詞に満ちたなのは達の脳内を予想していたのだろう、すぐに言葉が続く。

 

「Tは、この世界の創造神であり」

「この世界を滅ぼす魔王であり」

「この世界唯一の真の人間なのだ」

 

 一拍。

3脳の言葉が輪唱、この世界の真実を告げた。

 

「この世界は、Tの見ている夢なのだ」

 

 

 

 

 




感想欄で割と予想されてはいましたが、Tの正体はこんな感じです。
何故それが狂気に繋がるかについては、次回。


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その47:夢幻転生2

 

 

 

「この世界は、Tの見ている夢なのだ」

 

 絶句。

あまりにも壮大過ぎる言葉に、なのは達は声も出ない。

脳が理解を拒否する3人を前に、3脳は語り出す。

 

「この世界はTの見ている夢の中の世界」

「夢幻の中のあやふやな世界」

「Tが目を覚ませば消え去る泡沫の世界」

 

 3脳は語る。

この世界の成り立ちを。

 

「故に、この世界が誕生したのはTが自意識を持ってこの世界を見た瞬間」

「その瞬間、この世界は生まれた」

「それ以前に生まれた筈の全ては、世界誕生の瞬間に設定付きで生まれたに過ぎない」

「……え」

 

 漏れる声。

3人の誰の声なのか、それが自分の声なのかすらもなのはには分からない。

 

「もう少し分かりやすく説明するのに、貴様らに身近な人間を使って説明しよう」

「例えばギル・グレアム」

「闇の書によって信頼していた後輩を失った、人生の多くを次元世界の平定に使った男」

「グレアム、おじさん……」

 

 目を見開くはやてに、なのはは小さく歯を噛みしめた。

グレアムに持っていた信頼を裏切られた事は、未だにはやての奥に深く根付いている。

はやては滅多に弱音を漏らさない少女だったが、希に近しい人間に縋り付くような言葉を吐く事があった。

血を吐くようなにじみ出る言葉の数々を、なのはは今でも覚えている。

そんななのはの思いを無視して、3脳は言い放った。

 

「奴は、19年前に生まれた」

「……あ」

 

 ようやく理解が現実に追いつき、3人は小さく漏らす。

19年前。

Tの生誕。

世界が始まった日。

 

「生まれたその日に奴は多くの設定を持っていただけで、過去があった訳ではない」

「クライド・ハラオウンを後輩に持ち、失ったという設定を持って生まれただけ」

「次元世界の全てを救おうと戦い続けた感情も、闇の書を憎んでいる感情も、そう設定して生み出されたから持っていただけだ」

 

 再びの絶句。

なのはは、ようやくの事Tという存在の残酷さを思い知った。

つまり、グレアムにとってT生誕以前の出来事は、全てTが想像して設定しただけの情報であり、歴史ではなかったのだ。

戦い続けた事も、救った人が居た事も、使い魔との絆も、人を好きになった事も、人を嫌いになった事も。

全てTの妄想。

グレアムの人格が何一つ関与せずに作られた、残酷な設定。

そしてそれは。

 

「当然、それはグレアム一人に限らない」

「Tより年上の人間全てに適応される」

「生まれた瞬間から意識が連続的に継続しているのではなく、そういう設定付きの人間として発生したのだよ、彼らは」

「そん、な……」

 

 なのはは、崩れ落ちそうな自分を必死で堪えさせなければならなかった。

Tより年上の人間というのは、当然高町家の面々も含める。

恭也や美由紀はまだしも、士郎と桃子の、見ているだけで砂糖を吐きたくなるような関係でさえ、Tの妄想した設定に過ぎないのだ。

恐るべき想像に、なのはは目の前が暗くなりすらした。

咄嗟に口内をかみ切り、痛みでどうにか意識を継続させる。

必死で3脳の言葉を飲み込もうとしているなのはだったが、それにお構いなしとでも言わんばかりに3脳。

 

「最初にその事実に気づいたのは、ギル・グレアムだった」

「奴は低級ロストロギア・真実の鏡……、イエス・ノーで真実に反応する鏡に問うた」

「Tは神か、とな」

「それだけで真実は特定できないが、グレアムは直感で確信に至ったのだろう」

「それとも、それ以上の真実を知るのが怖かったのか」

「全てを知らず、自分の行いをただの神殺しに貶めたかったのだろうな」

 

 淡々と告げられる言葉に、なのはは息を呑む。

それであれば、グレアムがTの正体に気づいたのが、真実へたどり着く切っ掛け。

管理局の調査により、グレアムがTと最初に接触したのは、彼が当初の計画通りはやてごと闇の書を凍結封印する準備として。

直前に起きたTという不確定要素を確認する為の作業として、である。

つまりはやてが事件の切っ掛けの一つ。

そしてそれを言えば、Tが管理局に注目される原因はフェイトがTがジュエルシードを呑むのを止められなかったからとも言える。

同様に、幼なじみであったなのはが、この世で最もTの正体を悟る可能性の高かったなのはが、何にも気づけず、何もできなかったからでもあるが。

 

「Tと直接接していなかったからか、我々は真実の鏡を大量消費し、Tの正体をある程度まで絞る事ができた」

「ある日、我々の中に一つの想像が浮かんだ。証拠も無く、その想像は確信にさえ至った」

「真実の鏡への問いかけは、最早確認作業にしか過ぎなかったさ」

 

 付け足された言葉に、なのは達は立ち尽くす他無かった。

Tは、想像をはるかに超えて恐るべき存在であった。

神や魔王という言葉ですら温く、余りに大きな存在に、なのはは何も言うことができない。

そんななのはを尻目に、しかしはやてが半歩踏み出した。

震えながら、それでもこれだけの事実を前に動き出す事のできるはやてに、なのはが思わず目を剥く。

 

「……でも、一つだけ、穴があります」

「何だ」

「言ってみよ」

「想像できるがな」

「私たちは、自意識を持っています。夢の中の登場人物だと言うのに」

「……あ!」

 

 なのはは、思わず叫んだ。

なのはの反応にはやては微笑み、続ける。

 

「夢の中の登場人物に、意識がありますか? ありません。何故なら個人の妄想に人格などが生まれる筈が無いからです。けれど私たちは、明らかに自意識がある。最高評議会議員様に釈迦に説法も良い所ですが、我思う故に我あり、と言います。この世には不確かな事ばかり。疑えばどんな存在も本当に存在しているのか疑わしい。ですが、今疑っている自分の自意識だけは、今此処にある。その事実だけはこの不確かな世界で確かな真実。ですよね?」

「そっか、地球でいうデカルトだね」

「そや。それにそもそも、真実の鏡というロストロギアが真実を告げるメカニズムも、分かっていません。そも、本当に真実を告げているのか、莫大な演算器でしかなく、可能性が最も高い事実を言っているだけという可能性もあります。なのにこの世界がたっくん……Tの夢に過ぎないなんて理屈を持ち出すのは、ちょっと時期尚早過ぎませんか?」

 

 告げるはやての言葉に、あまりの事実の連鎖に思考を凍らせていたなのはは、なるほどと頷く。

全て納得の行く論理である。

確かにそう考えれば、この世界がTの見ている夢だという恐るべき事実は、ただの可能性に戻る。

故になのはも、同意する視線を3脳に向けた。

が、ふと視線をやると、フェイトは沈痛な表情で首を横に振る。

続けて、何処か落胆の空気が漂う言葉が、吐き出された。

 

「まず、自意識の問題に答えよう」

「そも、何故夢の中の登場人物に自意識があってはいけない?」

「あった所で、何一つ矛盾は無いではないか」

「あるのはただ、自分の居るこの世界が夢ではなく、今すぐ崩れる事は無いという安息のみ」

「あとは、これまで見てきた夢の中で、何千何万という自意識を持つ存在を生み出し、放置しているという罪の意識から逃れられる程度か」

「その考えは、ただのあやふやな常識を持ち出しているだけで、真実を決定づける証拠とはなり得ない」

「そんな……」

 

 なのはが失望の声を漏らすのに、しかし3脳は続ける。

 

「しかし、真実の鏡が全てを決定づける証拠にまではなり得ないのは、確かだ」

「が、それ以上に、我らには確信があるのだ」

「生理的とさえ言える直感が、我らにはある」

「……つまり、どういう事ですか?」

 

 問うはやてに、フェイトは視線を床に落とした。

か細い声で、フェイトが答える。

 

「……"当然"、という事ですね」

「然り」

 

 意味不明のやり取りに、なのはとはやては眉をひそめた。

それを察した3脳が、言葉を続ける。

 

「この世には、確たる自明の自然の定理、公理がある」

「数学的に言えば、平行線が決して交わらないように」

「1+1=2であるように」

「人間が設計された段階で持っている真実、直感霊感全てが当たり前に認識できる事実」

「それと同じレベルで、その事実に気づいた瞬間から、我々はこの世界がTの夢であると認識できてしまっているのだ」

「そも、お前達は本心から言えるのか? この世界が、Tの夢で無いなどと」

「そのぐらい……!」

 

 叫び、なのはは言おうとした。

この世界は、たっちゃんの夢なんかじゃない。

言葉面は、別におかしい言葉ではない。

論理的に考えて、何処も矛盾の無い言葉。

なのに何故だろうか、なのはにはその言葉が恐ろしく間違っているようにしか思えなかった。

太陽が西から昇り、何もかもに終わりが無く永遠で、物体が空に向かって落ちていくのが当然、とでも言うように。

"当然"の、自明の事実を否定しているかのように。

人間としての、否、生物としての直感全てが、この世界がTの見ている夢であると、そう感じ取っているかのように。

 

「……それでもっ」

 

 はやてが叫んだ。

震える程の力で両拳を握りしめ、絶叫する。

 

「人間の直感、全てが正解だったとは限らへん! それやったら、太陽は地球やミッドの周りを回っておって、世界は平らで、時間は絶対的なままやった筈や! いくら心からその事実を疑えへんでも! どんなに心が屈していても! それでも、それが真実やとは限らない筈や!」

 

 声は、恐ろしくむなしく響いたように、なのはには思えた。

確かに、はやての言う言葉は論理的に正しい。

しかしそれを補って余りあるほど、なのははこの世界がTの見ている夢だという事柄を疑えないのだ。

言葉面だけ、姿勢だけ疑う事はできても、それがとてつもなく薄っぺらく、表面だけの物に思えてしまうのだ。

あまりにも残酷な事実に、なのはが屈しそうにさえなった、その瞬間。

3脳は言った。

 

「そうだ」

「その通りだ」

「これは、ただの妄想なのだ」

 

 え、と3人は思わず呟く。

これまでの会話を全て覆す言葉に、目を瞬いた。

 

「我々は、この世界がTの夢であるという妄想を、否定しなければならない」

「そのための証拠として、私たちはTの殺害を考えた」

「この世界にたゆたうTは、Tの精神そのもの」

「そのTを殺せば、Tは夢を見る精神を失い、この世界は滅ぶ」

「故に、Tを殺してもこの世界が滅びなければ……」

「この世界は、Tの見る夢では無いのだ」

 

 3脳の主張の変化についてゆけず、呆然としたままでなのはは彼らの言葉を飲み込む。

確かに、理屈は通らないでも無い。

夢の中で殺されれば、基本的に夢は覚めるだろう。

幼年期に多いと言う何かに追われる夢、自分を害される夢などは、決定的な瞬間が訪れれば覚めると聞く。

ヴィヴィオの事で調べてあった知識からすれば、確かに3脳の言葉は理屈が通っている。

だが、しかし。

 

「でも、さっきまではあれだけこの世界がたっちゃんの夢だと言っていたのに、なんで……」

 

 と言って、同時なのはは目を見開く。

Tより年上の人間は設定付きで発生した、連続性の無い魂。

ならばこの3脳は。

 

「それでさえあれば、この世界は幻ではなかったと信じられるからだ!」

「19年前までの人生が、幻では無かったと信じられるからだ!」

「私たちが発生した瞬間から脳味噌だけの存在だったのではなく、私たちが確かに人間だったと、そう信じられるからだ!」

 

 魂を削るような悲鳴に、なのはは思わず息を呑む。

自分を人間だとすら信じられないという、想像を絶する境遇に、喉がからからに渇くのを感じた。

震える手で、なのはは思わず喪服の黒い生地を握る。

 

「そのために我々は、Tが最も興味を持っている3人、貴様ら3人を餌にした」

「ジェイル・スカリエッティ……あの天才相手ならば苦境に陥り、必ずやTが救援に訪れると」

「しかし、そもそもTはクラナガンに潜んでいた」

「そうなれば、貴様らがTを匿う可能性すらある」

「そうなった以上、貴様らが発狂する危険性を犯してでも、貴様らにTの真実を伝えねばならなかった」

「頼む……Tを殺してくれ」

 

 即答できず、なのは達は半歩後ずさる。

恐るべき狂気が、3脳から発せられていた。

覚えのある、プレシアやグレアムが発していた、そして何より、Tが発していたあの狂気が、である。

3脳は最早、狂いかけていた。

Tと直接会う事無くとも、脳だけになっても正義を掲げ続ける意思力があってさえも、発狂しかけていたのだ。

そんななのはらに拒絶の意を見たのだろうか、悲鳴をあげる3脳。

 

「例え、Tを殺した後私たちを殺してもいい!」

「だからせめて、私たちの人生が幻では無かったのだと証明してくれ!」

「この世界がTの見ている夢などという事が、ただの妄想だったのだと信じさせてくれ!」

 

 直後、排気音が響き渡る。

なのは達が思わず振り向くと、重厚な扉が開くと同時、鋭い何かが恐るべき速度で発射された。

咄嗟になのはらは自身を防御魔法で守るも、鋭い何かはなのはらを素通り。

がしゃん、と。

硝子の割れる音と共に、鋭い何かは3脳のシリンダーを貫いていた。

 

「……ぁ」

 

 乾いた声を漏らし、なのはは急ぎ攻撃の元を。

そこには、秘書である筈のレヴィーナが立っていた。

左右非対称な笑みに、両目からは涙を、その手からは爪が異常に伸びており、それが先の鋭い何かだったのだとなのはは悟る。

その耳には、盗聴器のイヤホンと思わしき物があった。

 

「……なんで、私はそんな事を知っちゃったのかしら」

「まさかっ」

 

 レヴィーナも真実を知ってしまったのか。

なのはが悟ると同時、レヴィーナの姿が揺らいだ。

金髪は霞んだ金色に、局員服は青紫色のナンバーズのボディースーツへ。

その瞳には機械の輝きを乗せ、伸びた爪を戻し、涙を掌で拭う。

 

「まさか、ジェイルの戦闘機人……!」

「姿を変え、潜り込んでいたのか……!」

「糞、変身のISだと……!」

 

 叫ぶ3脳にちらりと振り返ると、爪は脳に直撃はしていないが、割れた硝子の隙間から保護液が勢いよく漏れ出ている。

もう助からない。

その認識を3脳も持ったのだろう、恐慌した声で叫ぶ。

 

「馬鹿な……! 私たちは、このまま死ぬのか……!?」

「私たちの人生が幻で、ただのTの妄想であったのだと信じながら?」

「嫌だ……嫌だ−! 死にたくない−!」

 

 絶叫。

電子音声を響かせながら叫ぶ最高評議会議員の言葉に、なのはたちは一歩も動く事ができない。

そんななのはたちを尻目に、3脳のスピーカーには次々にノイズが混じっていく。

この世の物とは思えぬノイズが響き、一際高くなった直後、ぷつんと言う音と共にスピーカーが音を発さなくなった。

沈黙。

耳が痛くなるような静謐。

 

「私は……」

 

 元レヴィーナが、静寂を切り裂き言った。

ぐにゃり、と再びレヴィーナの姿が歪む。

咄嗟になのは達はデバイスをセットアップ、構えた。

そんななのはらに構うでもなく、元レヴィーナは言う。

 

「だぁれ?」

 

 元レヴィーナの顔が歪んだかと思うと、次の瞬間、彼女の顔は無くなっていた。

空洞になっていた。

顔面の顔のパーツがあるべき部分が空洞になっており、断面は肌色が覆っている。

それを見ると同時、なのははTの両親の顔を思い出した。

目前の元レヴィーナは、まさにTの両親そっくりの顔だったのである。

 

「この世界は夢? なんでそんな馬鹿げた言葉を納得できるの? 私は。でも、実際に納得できていて、それじゃあ本当にこの世界は夢? 私も? 皆も? 全て夢なの? ドクターも設定付きで生まれたTの妄想? じゃあそのドクターに作られた私は? 妄想の子供なの?」

 

 元レヴィーナの声は、空洞から生まれていた。

空気を震わせる事が無い筈の言葉が、それでも聞こえるという狂った現実に、なのはたちは顔を青くする。

狂っていた。

この空間は、狂っていた。

 

「あひ……あひゃ……」

 

 哄笑。

元レヴィーナは背を反り返させ、天を向き叫んだ。

 

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 

 精神を直接揺らすような、恐るべき声色。

暫く続くと思われたそれはいきなり途切れ、直後元レヴィーナはぱたりと倒れた。

なのはたちは呆然とそれを見やり、たたずむ他無い。

冷却ファンの駆動音だけが、その場で静かに響いていた。

 

 

 

 

 




次回、アリサ回。


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その48:夢幻転生3

 

 

 

 甘い香りのする部屋であった。

天井は高く面積も広い部屋なのだが、窓が一つも無く、何処か淀んだ空気がとどまっているようになのはは感じる。

ローテーブルを間に、アリサと向かい合ったソファに座った3人は、じっとアリサを見つめていた。

アリサは、パジャマ姿であった。

薄く軽い素材で出来たパジャマはボタンが半ば開いており、奇妙に色気ある鎖骨や、胸元の下着が垣間見える程。

気怠そうにアリサはテーブルの上のカップを手に、やや寝癖混じりの髪をかき上げ、紅茶を口にした。

音も無く紅茶を一口二口、口内を湿らせカップを戻す。

視線をなのはらへと順番にやり、それからアリサは口を開くのであった。

 

「なるほど、話は分かったわ」

 

 最高評議会議員の死から数日、なのは達は強引に休暇を取り、地球を訪れていた。

3脳の居た部屋は恐るべきセキュリティに守られており、その存在を知る者さえ殆ど居ない。

その僅かな知る者である伝説の三提督は、3脳の死を発表しないと決めた。

彼らの判断していた仕事を徐々に減らし、影響力を無くしてゆく事にしたのだ。

何せその存在からして違法性の高い存在である、下手に死を発表すれば重箱の隅をつつかれる可能性が高い。

闇は闇に葬られるべきだ、というのが三提督の考えである。

最も、なのはたちがTの情報をロックし隠蔽するのが間に合わなければ、彼らとて発狂してしまい、闇に葬られていたのだろうが。

 

 そして真実を知る者であるアリサに、なのはたちはこれまでの経緯を伝えた。

アリサは数分ほど考えを纏め、それからその気怠げな視線でなのはたちを見やる。

 

「3人とも、すずかとは関係のある人間だし、当然Tとも関係が深いし。あんた達には私の知る真実を伝える必要があるわね」

 

 言ってアリサは、手を組み前屈みになる。

自然上目遣いになり、服は重力に引かれ、なのはたちの視界には彼女の下着が露わになった。

うっすらと桃色がかった下着が、豊満に成長した彼女の胸部を覆っている。

僅かに火照った肌はほんのりと赤味がかっており、下着と綺麗なグラデーションを作っていた。

所々に浮いている汗粒が艶やかな肌を時折滑り、その肌の滑らかさを物語っている。

同性であるなのはでさえ頬を赤くする程の、妖艶さであった。

密かに戦慄するなのはに構うでもなく、アリサは言った。

 

「時系列順に話すわ。闇の書事件が終わって、たっちゃんが地球に戻ってきた頃から話すわよ」

「うん、数日アリサちゃんとすずかちゃんと一緒に居た時だね」

「えぇ。まぁ、気づいた細かい理由は要らないだろうし、省略するわ。兎に角結果として、私はたっちゃん……Tが創造神であり魔王であり、唯一の人間であると気づいた」

 

 言ってアリサは、遠い所を見る目になる。

小さなため息。

 

「私はすぐに、その事実が私を殺す毒になる事にも気づいた。保険はかけたけど、本当に怖かった。周りの人間の存在意義の喪失に加えて、何時Tが目を覚まして世界が滅ぶかも不明。世界が何時滅ぶか分からないっていうのは普通に生きていても同じ事だけれども、それを身近に感じ続けるっていうのは正直キツイわね」

「うん……。確かに、そっちの側面も強烈だよね」

 

 相づちを打つフェイトに、なのはも内心で同意する。

3脳は己の過去が設定である事に拘っていたが、Tとほぼ同時かそれ以降に生まれたなのは達にとって、より重要なのは何時世界が滅ぶか分からない事である。

アリサの言う通り世界が何時滅ぶかなんて人類の誰にも分からない事だ。

だが、あの気まぐれなTが世界を滅ぼすスイッチに指を置いており、いつでも押せる状況にあるというのは、心臓に悪すぎる。

しかも、スイッチを持っている事に無自覚だというのがそれに拍車をかけていた。

 

「そしてその恐怖に耐えられなかった私は、せめて一緒に恐怖に耐える人が欲しいと、すずかにTの真実を話した。Tの正体とこの世界の真実を」

「それじゃあすずかは……」

「えぇ。私がTの正体を教えたせいで、死んだ」

 

 血を吐くような表情できっぱりと言い切るアリサに、なのはは胸の奥が軋むのを感じる。

アリサのせいじゃあないと言いたかったなのはだったが、気休めにしかならない上に、そうなれば責任を転嫁されるのはTである。

未だTに対しどんな態度を取って良いのか混乱しているなのはは、迂闊にTに罪をかぶせられない。

それでも気遣いたいと言う気持ちだけは確かで、なのははアリサの為に何か言おうとしては、言葉が見つからずに口を閉じる事を繰り返す。

そんななのはを苦笑気味に見守り、続けるアリサ。

 

「すぐに私は、このままでは私も死んでしまう可能性が高い事に気づいたわ。かつての私は、自分の人生全てに誇りを持っていた。それはこの夢幻世界の社会では良いこととされているけれども、Tの正体を知った上で生き続けるには邪魔にしかならない。だから私は、生きる意欲を薄くする事で、それを逃れたわ。設定付きの人間の事を深刻に考えないよう、人への興味を減らし。何時世界が滅んでも良いよう、毎日心残りを作らない人生を設計してね」

「それじゃあ、アリサちゃんが引きこもっていたのは、すずかちゃんが死んだからじゃあなくて……」

「Tの正体を知ったから、と言えばいいのかしらね、この場合」

 

 勿論すずかの事も少なからずあったけれど。

そう続けるアリサに、なのは達は絶句する他無い。

単純にすずかの死にショックを受けた為引きこもったのだと思っていたアリサだが、そこまで計算し、生き残る為に引きこもっていたとは、完全に予想外であった。

Tの真実は、そうまでしなければ生き残れない程なのか。

ならば自分たちは、自覚なしに既に狂っているのではあるまいか。

様々な疑問が錯綜する3人を捨て置き、アリサは言う。

 

「それからはTの真実とすずかの死の真実を、引きこもったままという制約の中で探していったわ。色々手はあったからね、そこそこ真実に近いだろう事実は引っ張りだせたわよ」

 

 言って、アリサは背をソファに預け、足を組んだ。

掌を指しだし、指折り数える。

 

「Tの正体に気づいたのは、私が知る限り10人。プレシアさん、グレアムさん、私、すずか、3脳、あんた達3人。このうちグレアムさんと3脳、あんた達3人については省略するけど、残りの人間が何故Tの正体に気づいたのか、気づいてどうしたのかは、おおよそ憶測できている」

「え、母さんも!?」

 

 悲鳴を上げるフェイトに、アリサはこくりと頷いた。

金糸の髪が揺れ、怪しい照明をゆらりと反射する。

 

「順番に話すわよ。まずプレシアさんから。Tはあの瞳に映る意思の中に、この世界の全ての命を宿している。当然よね、Tはこの夢幻世界を夢みている張本人、全ての命はTの内側にも位置しているわ」

「そう……なの?」

 

 疑問詞。

なのはには今一、Tの内側に自分たちが存在するというイメージが沸かない。

それに苦笑気味に、アリサ。

 

「そうね、イメージしづらいでしょうけど、まぁとりあえずそう考えておいて頂戴。で、プレシアさんの愛していたアリシアは、設定だけで実はこの夢幻世界に存在した事は一度も無い。故にアリシアが実在している場所は、たった一つ……」

「まさか……」

「……Tの内側だけよ」

 

 なのはは思わず視線をフェイトへ。

ひゅ、とフェイトが息を呑み、同時に顔を真っ青にする。

つまり、それは。

 

「プレシアはTがアリシアを含む事に気づいて、それ故にTの事を愛していたのよ。実際、Tの事を神だと言っていたし。ただ、魔王にして唯一の人間である事にまで気づいていたかは、今となっては分からないけれどね」

「それじゃあ、母さんは……」

「Tそのものに惚れた訳じゃあない。今も昔も変わらず、アリシアを愛し続けていただけよ」

 

 フェイトは安心したような驚いたような、奇妙な表情を作った。

なのはは思わず彼女を支えようとすらするが、直後フェイトは、何故だろうか、うっすらと微笑んでみせる。

目を細め、口角をあげたその表情は、どうしてか少し不気味でさえもあった。

思わず手を伸ばすのを躊躇するなのはを捨て置き、アリサは続けて口を開く。

 

「続いてグレアムさんは省略だから、私になるか。私がTに気づいた理由は、詳細を話すとあんた達まで発狂する可能性があるから、保留で。ただ、補足する事実はあるわ」

「えっと……。っていうと?」

 

 アリサは紅茶のカップへ手を伸ばし、一口、二口。

喉を脈動させ、赤褐色の液体を嚥下する。

 

「Tは、この世界を夢だとは思っていない。けれど何となくは現実世界の記憶を持っている。で、Tの出した結論は、自分は転生したんだ、だそうよ」

「て、転生? 転生って、輪廻転生の転生?」

「えぇ」

 

 短く答えるアリサに、自信無さ気にフェイトが問うた。

 

「えっと、輪廻転生って、確か死んであの世に言った魂が、もう一度この世に生まれてくる、っていう考えだよね?」

「えぇ。Tの場合は、記憶を保持した転生だと思っていたようよ」

 

 いやいや、と思うなのはだったが、少しTの立場を想像する。

眠りに落ちたら赤ん坊になっており、眠りに落ちる以前の記憶を曖昧ながらも持っていて、成長を続けていくのだ。

なのはもそうなれば、転生を疑う事もあり得るだろう。

するとTの体験は、転生の夢を見ている、という事になる。

夢幻の転生。

夢幻転生。

納得の色を見せるなのはに、続けてアリサ。

 

「で、続いてすずか。まずあんた達3人に聞くけど、夜の一族って単語、知っているかしら?」

「いや、知らへんけど」

「私も知らないわよ」

 

 と、続けて首を横に振るはやてとフェイト。

しかしなのはは眉間に皺を寄せ、過去の記憶を掘り起こす。

 

「そういえば、お兄ちゃんがそんな単語を言っていたことも、あるような無いような……」

「そう、なのはなら知っているかもとは思っていたけどね。夜の一族っていうのはまぁ、いわゆる吸血鬼のような種族の事を指す言葉よ」

「……吸血鬼って?」

 

 疑問詞を呟くのは、フェイトである。

流石に地球出身では無いフェイトの知る所では無かったのだろう。

アリサは一つ頷くと、流暢にしゃべり出す。

 

「フィクションなんだけど、血を吸って生きる長寿の存在で、基本的に人類の敵とされているわ。夜の一族は別に人類の敵って訳じゃあないけどね。長命で人間離れした身体能力があって、個人によって種類は違うけど、超能力の類も持っているみたい。代わりに人間、特に異性の生き血を取らないと長生きできないみたいだけどね」

「それって、つまり……」

 

 話の流れに気づいたなのはに、アリサは断言してみせた。

 

「月村家は、夜の一族よ」

 

 言われ、なのはは思わず目を白黒させる。

が、言われてみれば思い当たる節が無い訳でもない。

すずかは魔力強化したフェイトに比類しうるぐらいの身体能力があり、加えて体育の授業で誰かが怪我した時など、血に過剰反応していた事があった気がする。

流石に10年前の事なので記憶も曖昧だけれど、と言いつつ告げるなのはに、アリサは頷いた。

 

「こう言っちゃ難だけど、よくこんな荒唐無稽な話を信じられるわね」

「う〜ん、完全に信じた訳じゃあないけど」

「荒唐無稽と言えば、Tの真実もそうだったし」

「まぁ、3割ぐらいしか信じられてないけどなぁ」

 

 なるほどね、と肩を竦め、続けるアリサ。

 

「で、すずかはその夜の一族である事で、凄い悩んでいたみたいなのよ。本人とはもう話せないから、忍さんとかからそれとなく聞いた感じからなんだけど……。でも、それなら納得いくわ」

「えっと、何が?」

「すずかが死を選んだ事よ」

 

 絶句。

思考が停止するなのはらに、気怠げな表情を僅かに顰め、アリサが言う。

 

「だって、夜の一族という設定は、Tの妄想に過ぎなかったのよ?」

「……あ」

 

 理解が追いつき、なのはは背筋が凍るような思いをした。

では、まさか、と信じたくないが故に思考を停止させようとするが、それよりも早くアリサが言葉を紡ぐ。

 

「自分が夜の一族に産まれたのも、姉が夜の一族として苦しんできた事も、全てTの妄想による物で、どうしようもない運命によるものでも何でも無かった。そしてすずかは、それからの一生、皆の生まれ持った不幸は全てTの気紛れで背負わされたものだと知って生きなければならない。勿論、それを秘密にしたままでね」

 

 言って、アリサは再び紅茶を口に。

その合間に、なのはは言われた言葉を頭の中で整理する。

確かに、重い事実ではある。

例えばなのはに関して言えば、父と兄と姉が受け継ぐ御神流の剣術はTの妄想だ。

当然その信念もTの妄想であり、その信念に従い父が大怪我をしたのもTの妄想のせい。

故になのはが幼い頃、良い子にならなくちゃと心に刻み込まれたのもTの妄想のせいであった。

最も、なのははその時Tと出会って寂しさは薄れたので、複雑な感情ではあるのだけれど。

それでも、思わずなのははぽつりと漏らす。

 

「でもそれは、誰にも相談せずに死んじゃう程の事だったの……?」

「……私も偉そうに講釈しているけれど、これはただの憶測よ。本当にそれだけの理由だったのか、それとも他に理由があったのかは分からないわ」

「他の理由……?」

 

 思わず反芻したなのはに、アリサは表情を陰らせた。

吐き捨てるように、小声で呟く。

 

「もしかしたらすずかは、Tの、たっちゃんの事が……」

 

 言って、アリサは瞼を閉じ頭を振った。

それからすぐに、今までの話題を押しやるかのように口を開く。

 

「さて、Tの正体への気づき方はもういいでしょう。次は私に対する質問タイムでどうかしら」

 

 言われ、なのはは何となくアリサが何を言おうとしていたのかを察し、故に話を流す為に頷いた。

それは両隣のフェイトとはやても同じである。

3人の首肯を受け、アリサが薄く微笑んだ。

そこになのはが手を上げ、質問する。

 

「はい、なのは」

「たっちゃんの驚異についてだけど、アリサちゃんの認識はどうなっているのかな」

 

 こくりと頷き、アリサは再び気怠い顔に。

両腕を開いてソファの上に置き、脚を組み替えた。

 

「Tの驚異は主に2つ。一つはT生誕以前に生まれた人の記憶が、Tの妄想による設定である事。一つはTが起きればこの世界が崩壊してしまうだろう事。この2つよ」

 

 ぴん、と指を2本立てるアリサ。

 

「前者はどうしようもない事だから、真実を隠蔽する他無い。今話したいのは後者、この世界が滅ぶのを阻止する事についてよ」

「それって、たっくん本人に言って夢から覚めないようにしてもらう訳にはいかへんのかな?」

 

 はやての言葉に、アリサは首を横に振る。

 

「それは最後の手段よ。自覚さえあれば恐らくTはこの夢幻世界で万能、もしかしたら夢から覚めないようにできるかもしれないけれど、その前に夢を自覚したせいで目が覚めてしまうかもしれない。そんな賭けは最後の最後、どうしようもない時にすべきよ」

「ま、そーなるか」

「で、世界の崩壊を阻止する方法については、Tに聞くしかない、と言う他ないわ」

「えぇ?」

 

 思わず顔をしかめるなのはたちに、涼しい顔でアリサが告げる。

 

「何せ、この夢幻世界と現実世界とでは、睡眠や夢のメカニズムが同じかどうかも分からないのよ? そして私たちは現実世界の情報はT経由でしか知る事はできない。だからTに自分は転生者であると信じさせながら、現実世界での真実を絞り出す他ないわ」

「あー、そう、なのかな?」

 

 疑問詞をあげるなのはに、アリサはやや目を鋭くした。

唇を舌で湿らせ、告げる。

 

「言っておくけど、現実世界はこの夢幻世界とまるで別物の可能性もあるのよ? Tは明らかに狂っているように見えるけれど、本当に狂っているのはどちらなのかすら、私たち夢幻世界の住人には判断できない。たとえば万有引力の法則ですら、本当は荒唐無稽なTの妄想理論に過ぎないのかもしれないわ」

「そんな訳……!」

「あるわ。この世界は妄想にしては恐ろしい程に理論的な世界だけれど、この夢幻世界においてでさえ、理論に説明がつくことは正当性に関与していない。理屈なんて頭の良い学者ならいくらでもひねり出せるしね。まぁ、重力が妄想とまではいかなくても、この世界がなんかの作品を元に作られた妄想かも、ぐらいは覚悟しておいたほうがいいわよ」

「何かの作品って……」

 

 と疑問詞を浮かべるなのは達に、アリサは冷笑した。

 

「Tと一番付き合いの長いなのはが魔法に出会ったのが少女時代だったんだし、『魔法少女リリカルなのは』なんてアニメでもあったのかもね」

「あのねぇ、アリサちゃん……」

 

 思わず顔をひくつかせるなのはに、苦笑気味のフェイトとはやて。

その表情を見て満足したのか、ニコリと微笑むと、アリサは続きを口にする。

 

「アニメは冗談だけど、あんた達3人は明らかに特別扱いされているわ。分かるでしょう? Tがこの夢幻世界で最も身近に居たのは、あんた達よ。特に、10年前の別れの後も、Tはあんた達とニアミスし続けている。加えて、あんた達は真実を知りながらも発狂の兆候が殆ど無いわ。それ故に、あんた達には何か、この袋小路の絶望を打破する可能性が秘められているのかもしれない」

「私、たちに……?」

 

 言われ、なのはは気づいた。

そういえば真実を知った中で、何の対策も無しに発狂を免れているのは、なのは達3人だけである。

唯一生き残ったアリサも、世捨て人のような生活をしなければ死んでいただろうと話していた。

となれば、矢張り自分たちはTにとって特別な存在であるらしい。

あの気紛れなTに、変わらず特別な存在があると言う事は違和感満載だが、事実はそう示していた。

 

「ま、私やすずかも特別な存在の一人だったのかもしれないけれど、すずかは逝ってしまったし、私は見ての通りドロップアウト組。正直言って、発狂せずにいるだけでももう限界よ。だから、情けないかもしれないし、無責任な事だけれど……」

 

 言って、アリサは脚を解き、身を乗り出した。

甘い香りが近くなり、うっすらと火照ったアリサの肌が距離を近くする。

妖艶な空気のまま、アリサは告げた。

 

「たっちゃんとこの世界の事は、あんた達3人に全て託すわ」

 

 

 

 

 



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その49:たった一つの冴えないやり方

 

 

 

 夜。

明かりの無い執務室で、はやては革張りのソファに足組みし腰掛けていた。

卓上の書類は全て処理済みであり、はやては頬杖をしながら、床につく片足で左右に椅子を振り子のように回している。

溜息。

足に軽く力を込め、椅子を回転させ、はやては硝子窓の向こうの夜景に目をやった。

機動六課の隊舎は海に面しており、はやての執務室からも常日頃海が見えている。

当然のごとくこの日もそうで、隊舎が発する光に照らされ、漆黒の海が僅かに明るく染まっていた。

はやてが虚ろな瞳でそれを見やっているとパチン、という音とともに照明が数度明滅。

執務室が明かりに照らされ、はやて視界は伸びた影法師が窓で途切れる光景となる。

 

「主、目を悪くしますよ」

「ん……。悪いなぁ、リィン」

 

 言ってはやては再びソファを回転させ、リィンフォースに目をやった。

彼女はいつもの、触れれば切れそうながらも、その奥に愛情を感じる表情をしていた。

愛おしい家族の姿に、自然はやての心が僅かに軽くなる。

しかし同時、僅かに暗い感情が沸き上がってくるのを押さえきれなかった。

 

 闇の書事件。

かの事件ではやてとヴォルケンリッターが生き残ったのは奇跡と言われた。

これまで例外なく主を呪い殺してきた闇の書が相手なのである、当然の評価といえよう。

しかし、詳細を調べるうちに、はやては奇跡が一つでは無いことに気づいた。

はやてが闇の書の暴走の中でも正気を保ち、闇の書にアクセスできたこと。

これだけでもはやてとヴォルケンリッターが生き残ることのできる奇跡だったのだが、それだけではリィンフォースが生き残ることは無かったのである。

リィンフォースが生き残ったのは、Tの存在が故であった。

Tのいっそ理不尽ともいえる、この夢幻世界を作り替える程の奇跡。

それがあってこそ、リィンフォースは生き残ることができたのである。

いわばリィンフォースは、はやてがTに借りがある生きた証明なのだ。

 

「……どうしました? 主はやて」

「なんでも……ううん、秘密や」

 

 はやては笑みを作り、立てた人差し指を唇の前に。

軽く装った筈の行動だったが、それでもにじみ出る苦悩は隠せなかったのだろう、リィンフォースは真一文字に口を結ぶ。

内側で悲痛さをかみ殺す様であった。

 

 はやては、Tについての真実を家族に伝えていなかった。

リィンフォースもヴォルケンリッターも、そもそもがプログラム体である。

元々設定付きで生まれたというのに、今更Tの妄想で設定付きで生まれたと知って、狂う事は無いだろう。

はやてが闇の書の主だった事がTの妄想による物だと知っても、耐えられるに違いない。

だがしかし、それでもはやてはTとこの世界の真実を伝えられなかった。

何故なら。

 

 ——八神はやては、Tを殺す気だからである。

 

 八神はやては、決して恵まれた幼少時代を送ってきた訳では無い。

幼い時分に両親を失い、施設では笑顔を覚えるまでは孤独に過ごした。

どんなにつらくとも笑顔を崩さない事をやっと覚えたと思えば、今度は両足の麻痺。

暗い物を押し隠して必死で笑顔を作っていたはやては、それなのに孤独に9歳の誕生日まで生きる事となったのである。

辛かった。

苦しかった。

このまま一生が過ぎるのかと思うと、ふと笑顔を作る力が途切れ、眠りに落ちるまで泣き続けた事とて両手で数え切れないほどある。

それでも家族と出会えたから、はやてはようやくこれまでの苦しさを正面から認める事ができるようになった。

 

 だが、しかしである。

はやてが三提督の目を盗み3脳の隠していたデータを覗き見た所、はやての両親を殺したのは最高評議会議員の判断による物であった。

ギル・グレアムにはやてを見つけさせ、闇の書ごと凍結封印をする計画に誘導する為である。

つまり、はやてが両親を失い施設に入ったのも、両足が麻痺したのも、やっと手に入れることができた家族も、全てはやてが闇の書の主であったが為。

そしてそれは当然、避け得ぬ運命などではなく。

Tの妄想により、はやては闇の書の主として生まれたきたのだ。

 

 ふざけるな、とはやては言いたかった。

認めている筈だった。

向き合えている筈だった。

苦しかった幼い時代を、はやてはどうにか受け入れる事ができている筈だった。

はやてが闇の書の主として生まれたのは避けられない運命であり、過去に拘らずに今を生きる事が大事だと、この10年で受け入れる事ができた筈だった。

 

 けれど、やっと受け入れた運命がただのTの妄想だと知って。

故にはやては、この世界がTの夢の世界だなどと、認める事ができなかった。

はやてにとって両親の仇であった3脳と同じ思考だというのは癪に障るが、それでもこみ上げてくる感情は止められないのだ。

 

 矛盾している事は、はやてにも分かっていた。

もしこの世界がTの妄想であるのならば、Tを殺す事は世界を滅ぼす行為である。

対し、もしこの世界がTの妄想ではないのならば、Tを殺す事は無実の生まれてから初めてできた親友を殺す事である。

Tを殺す事で解決する事は何も無く、Tを殺せば凄まじいデメリットが生じるだけだ。

 

 けれど、はやてはTの事を思うと殺意を抑えきれなかった。

理屈では無いのだ。

ただでさえTは、はやての初めての友達であったすずかを自殺させた要因であり、はやての兄代わりだったヴェロッサを発狂死させた要因である。

はやては、Tと直面して殺しにかからない自信が無かった。

だから。

それ故に。

 

「……ごめんな、リィン、本当に秘密なんよ」

「そう、ですか」

 

 はやては家族にTの真実を伝える訳にはいかなかった。

はやてが今の家族と出会えたのは、Tの妄想に寄る物である。

それなのにはやてがTを憎む事は、今の家族を否定する事に繋がりかねない。

それだけは、家族を裏切るような事だけは、はやてにはできなかった。

 

 故にはやては、一人密かにTへの殺意を育ててゆく事となるのであった。

 

 

 

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは、機嫌がよかった。

外から見てもそうなのだろう、会う人皆から何か良い事があったのか、と聞かれるぐらいで、よっぽど自分は幸せそうな顔をしているんだな、とフェイトは思う。

思いながらも食堂へたどり着き、今日のランチパスタを頼んで窓際の席へ。

時間帯的に空いている食堂で、フェイトは窓に時折視線をやりながら、ゆっくりと楽しんでパスタを口にする。

六課ができた頃はあまりの美味しさに無言で食べる事に集中してしまったが、今ではゆっくりと味わえるぐらいの慣れが出てきた。

しかし慣れてもそれはそれで美味しい物で、幸せを噛みしめるようにフェイトは食事を続ける。

そこにカツカツと、床板を叩く足音。

 

「む、テスタロッサ、相席を頼んでもいいか」

「あ、どうぞ、シグナム」

 

 言って、シグナムは和風定食を持ってフェイトの向かいに座った。

それからシグナムは怪訝そうな顔をしたものの、すぐに食事に向き合い、両手を合わせいただきます、と言って食べ始める。

一口食べて、すぐに口元を緩めて見せた。

 

「やはりここの食事は絶品だな。主も、よくここまでの腕前のコックを用意できたものだ」

「はい、同感です」

 

 と、料理への賛辞を口火に、2人は談笑を始める。

フォワード陣の訓練の事から他愛ない日常の話になり、そういえば、とシグナムが言った。

 

「そういえば、テスタロッサ。最近やたら機嫌が良いと聞くが、本当のようだな」

「えぇ、会う人皆に言われるんですよね。そんなに分かりやすいですか?」

「男でもできたのかと噂されていたぞ?」

「まさか」

 

 冗談交じりに言うシグナムに、苦笑するフェイト。

男ができたと言うのは少し違う。

対象は男だが、関係はできたというより気づいた物だし、色気のある話ではない。

その言葉を内心に止めおくフェイトに、シグナムが続ける。

 

「まぁそうだろうが、エリオが本気にして、変な男に騙されていないだろうか、心配していてな。普通逆だろうに」

「う……。心配かけちゃってますかね。今度時間が取れたら、エリオとお話しないと」

 

 なのは方式じゃなくてですけどね、と付け加えるフェイトに、シグナムが薄く笑った。

ふとフェイトは、その笑顔もまたTの妄想によって作られた物だと言う事実を思い出す。

フェイトにとって、この世界がTの夢であるという事実は歓迎すべき物であった。

なぜなら、この世界がもしTの夢であると言うのならば、プレシアもまたTの妄想によって生まれたという事だからだ。

つまり、この世に存在しなかったアリシアが、唯一Tの内にだけ存在していたのと同然だったように。

すでにこの世に存在しないプレシアは、今や唯一Tの内にだけ存在しているも同然なのだ。

Tはフェイトにとって、初めての友達であり、この世で最も大切だった母であり、自分のオリジナルである姉でさえあるのだ。

 

 その事実は、驚くほどフェイトにとっての救いとなっていた。

フェイトの持つアリシアの記憶は、母との絆は、全てT生誕以前の出来事である。

つまり全て、Tの妄想設定である。

ならばフェイトはルーツを無くした事を逆恨みし、Tに殺意を抱いてもいいと言うのに、何故かそうは思わなかった。

多分それ以上に、うれしかったのだろう、とフェイトは己を分析していた。

母がTの内側に存在している事が。

結局最後まで自分の事を見てくれなかった母相手に、まだ繋がりを持てるチャンスがある事が。

 

 ふと、フェイトは思考に耽っていた事に気づいた。

じっと見つめてくるフェイトに、シグナムが小首をかしげ、フェイトはなんでもない、と返す。

再び料理を口にする幸せな作業に戻り、シグナムと言葉を交わし始めた。

会話しつつも、マルチタスクでフェイトは思う。

先ほどフェイトはエリオを話をすると言ったが、これからエリオやキャロに世話を焼くことも少なくなるだろう。

なぜなら、フェイトはその身全てをTに向けて捧げるつもりであったからだ。

3脳がそうであったように、真実を知った人間全てに殺意を向けられるであろうT。

その彼を、この世の全てを敵に回してでも守ろうと心に誓ったからだ。

たとえなのはが相手であっても、はやてが相手であっても、エリオやキャロが相手でさえあっても。

Tの為なら、誰であろうと切るつもりがあったからだ。

当然、覚悟なんてできていないし、フェイトは実際に自分がそれをすれば泣き崩れてしまうだろうという事も分かっていた。

けれどそれでも、Tの事は。

T=母=姉の事は、それぐらいに大切で。

 

 ふとフェイトは、最後まで自分を見ようとしなかった母と母を求めた自分の関係が、今の自分とエリオとキャロとの関係に似ている事に気づいた。

Tの為に被保護者を見捨て、Tだけを見ようとする。

その母との類似性に、嬉しいとさえ思ってしまう自分は、なんだかもう病気みたいだな、とフェイトは思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が降りた光景に、僅かに紫色の光が混じっていた。

光は夜空を僅かに染めるだけで、世界は影と闇で満ちている。

そこに、亀の如き速度と重さで太陽が僅かに顔を出した。

朝焼けの強い光が、鮮烈な朱となって世界を染める。

海を。

機動六課の隊舎を。

そして高町なのはを。

 

「……もう、こんな時間かぁ」

 

 早起きして機動六課隊舎の屋上に立っていたなのはは、目を細めながら言った。

普段から朝は自己鍛錬の時間に充てているのだが、今日はどうしてだろうか、いつもより早く目が覚めたからか、そんな気にはなれなかった。

朝焼けをゆっくりと眺めながら、なのはは物思いに耽る。

 

 夢幻世界の真実は、未だになのはの心を強く揺さぶっていた。

3脳の言うこの真実が本当に確かならば、なのはどころか人類に救いは無い。

何時消えるか分からない世界で、自分たちの過去がTの妄想設定に寄る物だと思いながら生きていける程、人間は強く無い。

おそらく、アリサがそうしているように心を殺した生き方をするしか生き残る術はなく、そしてそんな生き方をする人間ばかりになれば社会は維持できなくなる。

その後は想像したくも無い無秩序が待っている事だろう。

 

 そしてTが真実を知ったとして、なのはたちに都合の良い行動をしてくれるとは限らない。

一体この世の誰が、起きれば消えてしまう夢の中の登場人物の言葉に、真摯に向き合ってくれるだろうか。

ただでさえなのはとてそれができるかどうか分からないというのに、夢のメカニズムは夢幻世界と現実世界とで違うかもしれないという。

Tが現実世界で何らかの犠牲を払わねばならない場合、恐らくは確実にTはなのはたちを無視して目覚める事を選択するだろう。

例え真実を知りながら発狂も諦観もしていないなのはたち3人が特別視されているとしても、それを覆す事まではできないと思われる。

 

 溜息をつきたくなる現実に、それでもなのははじっと朝焼けを見つめていた。

今日という1日が始まる合図に、心の奥底が照らされてゆくのを感じる。

 

「けど、まだ一つだけ、希望がある」

 

 なのはは、考える。

過去がTの妄想設定である事はどうしようもない。

こればかりは、そもそも当事者となれないなのはにとって解決する以前に、完全な認識を持つ事すら難しいだろう。

けれど、何時この世界が消滅するか分からない、という事だけは。

希望というのもおこがましい、ほんの僅かな救いだけはあるのだ、となのはは考える。

 

 元々、人はいずれ死ぬ。

全て無くなる。

人格も魂も何もかもが闇に還り、完全な無となる。

それでも、人は今を生きる事ができている。

それは恐らく、今この瞬間を生きる刹那的な心地よさからだけではない。

何かが自分を記録してくれて、それが何時までも伝えられてくれる、という事からでもあるのだとなのはは考えていた。

たとえば、なのはの教導は生徒に受け継がれる。

生徒はなのはの教導に影響を受けた生き方をし、それが誰かに引き継がれてゆく。

そうやってなのはの生き方は、薄れながらもなのはの想像がつかない程遙か未来まで受け継がれてゆく事だろう。

人は無に還るが、その影響は永く残っていく。

それが生きる者への救いだとなのはは考えており、その考えがなのはを教導隊に就かせていた。

 

 故になのはは、思うのだ。

例えTが目を覚ました瞬間にこの夢幻世界が消え去ったとしても、一つだけ現実世界に残る物がある。

Tである。

なのはの幼なじみで、一番の友達だった青年である。

その彼の記憶に残る事ができれば。

印象深い夢が時たまそうであるように、Tが現実世界に戻ってもなのはの事を覚えていてくれれば。

現実世界のTと関わった人々に、なのはの影響が受け継がれてゆくのならば。

その時、なのははせめて、満足な最後を迎える事だけはできるのではないだろうか。

そしてそれは、なのはだけの利益ではない。

なのはが関わり、影響を受けてきた星の数ほどの人々の歴史を伝えていく、バトンとなり得るのだ。

無論この夢幻世界全ての事を覚えておいて欲しいのが実情だが、さすがにそれは無理がある。

対しなのはたち3人はTにとって特別視されており、覚えておいてもらえる可能性は高いだろう。

それ故に。

 

 ——たっちゃんに、私の事を覚えておいて欲しい。

 

 奇しくもアリサが10年前に出した物と同じ答えが、なのはの胸に宿っていた。

それは救いと言うのには儚すぎたけれども。

それがなのはの出した、たった一つの冴えないやり方であった。

 

 

 

 

 

 

「——Tに、私の事を覚えておいてもらうのだよ!」

 

 叫ぶスカリエッティの言葉に、呆然とチンクは佇んでいた。

全身の力が抜けてゆき、思わずその場に膝をついてしまう。

涙すらぽろぽろと零れはじめ、全身がぶるぶると震え始めた。

体の奥底にある熱い何かが全身に伝い、体が沸騰しそうだった。

そんなチンクを尻目に、スカリエッティは白衣を翻し一回転。

左右非対称の笑みを作り、続けた。

 

「それが娘に美学に反した改造を施してまで、Tにとって最大の敵であろうとする理由さ」

「そんな、事の為に……」

 

 にやにやと見つめてくるスカリエッティに、歯を折れそうなぐらいに強く噛みしめ、チンクは呻く。

チンクは、Tがどのような存在か知らなかった。

危険度S級生体ロストロギアであり、幾多の人間を発狂させた恐るべき存在である事は知っているが、その程度である。

スカリエッティとTの間にどんな関係があるのかは分からないが、言葉面だけ聞けば、ただの同性愛者の一方的な妄想にしか聞こえない。

そんなことの為に妹たちは改造されていったのか、とチンクは怒りのあまり震える。

 

 チンクの妹たちは、スカリエッティの事を信じていた。

彼女たちはトーレのように兵器としての生き方に準じていた子ばかりではなく、むしろ人間的な生き方にどこか憧れている子も多かった。

そしてそんな子たちがスカリエッティの元で戦う理由は、彼が父親だからであった。

スカリエッティが己を作ってくれた事に恩を感じていたからであった。

具体的に改造後を教えられないままに改造への同意を求められ、それを承諾したのも、彼を信頼していたからなのだ。

なのに、スカリエッティは。

 

「そんな、くだらない理由で……!」

 

 灼熱の思考に踊らされ、チンクは叫ぶ。

チンクの妹たちは、その精神をも改造されていた。

感情の薄かったオットーたちのような妹は影響が薄いが、ウェンディたちのような快活な子は強い影響を受けている。

記憶の混濁、前触れの無い躁鬱の切り替え、虚ろな表情の多さ。

今は大量の薬剤を用いてどうにか正気を保っている所で、チンクの目にはあと半年持つかも分からないぐらいに酷い状態だった。

 

 にやにやとした笑みを続けるスカリエッティをこれ以上前にしていると、チンクは自分を抑え切れそうに無かった。

念のためにと武装は解除されており、室内には静かな目でこちらを監視するウーノが居る。

彼女が自己改造を望んでいたのはチンクも聞き及んでおり、彼女の戦闘能力が無いままだと考えるのは愚の骨頂。

ここで反旗を翻すのは、得策では無い。

沸騰した思考をどうにか押さえきり、チンクは勢いよくこの場を走り去る。

背後から響く、スカリエッティの哄笑から逃れんばかりに。

 

 

 

 

 



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その50:交錯

 

 

 

 夜の帳は既に落ちていた。

紺色の空に星々は無く、重苦しい雲が覆っている。

それを更に、業火に照らされる煙が上書きしていた。

そんな中、空に浮かぶ影が5つ。

その一つであるザフィーラは、人型となりみなぎる緊張に僅かに体を堅くしていた。

 

 初めにあったのは、地上本部が襲撃を受けているという連絡であった。

鉄壁と思われた防御システムがソフトダウンさせられ、ガジェットと戦闘機人に侵入を許してしまったのだ。

デバイスを持てないまま地上本部の公開意見陳述会に参加していた隊長陣が心配だったが、その後フォワード陣がデバイスを届けたと言う。

一安心と言いたい所であったが、機人たちは恐るべき性能を誇っていた。

デバイスが届いてすぐにリミッターを解除された隊長陣を、彼女たちは完璧に押さえてみせたのだ。

機人限定で言えば一進一退であったが、ガジェットと地上の局員では局員がの分が悪すぎる。

加えて同時、機動六課にもまたガジェットを率いて戦闘機人が襲撃してきていた。

いや、その姿は機人と言っていいのか、ザフィーラには分からない。

 

「貴様らは……機人、なのか?」

 

 ザフィーラは思わず視線を、一人だけ人間の形をしている銀髪の少女へ。

沈痛な面持ちで、ゆっくりと少女が答える。

 

「あぁ、正真正銘。私はチンク。丸いのがオットーで、剣を持っているのがディードだ」

 

 やはり、とザフィーラは眼を細めた。

オットーと呼ばれたのは、一見新型のガジェットと見分けのつかない存在であった。

鋼鉄で覆われた球は、表面に一つ緑色の宝珠がある以外、なんの継ぎ目も無い完全な球体であった。

恐ろしい程に球に近い存在で、何よりおぞましかった。

理性では、ザフィーラもそれがただの球なのだと分かっている。

なのに見ているだけで背筋に怖気が走り、理性が乱れ、頭の中がパンクしそうになってしまうのだ。

明らかに球体は人間知性が受け取れる情報の限界を超えていた。

ザフィーラが直接対峙しながらもまだ狂気に囚われていないのも、彼がプログラム体だからだろう。

隣のシャマルとて歴戦の勇士だというのに、その顔は青ざめ体は微細に震えていた。

 

 対しディードと呼ばれた方は、まだ人の形を残している。

こちらはカチューシャをつけた茶色いロングヘアーの少女で、少なくとも首から上の存在はすぐに見つけられた。

ただおぞましい事に、ディードのボディには腕が6本あり、更に下半身が尻尾のようになっているのであった。

こちらもまた、背筋が凍り付くような恐るべき存在であった。

腕は一本一本が人間の物と遜色ない作りなのだが、何故か見ているだけで吐き気を催すおぞましさがあった。

まるで人間の腕を裏返らせたかのような存在感に、ザフィーラは歯を噛みしめる。

加えて尻尾の方は更に胃がひっくり返りそうになる光景であった。

尻尾はオットーの球に似ており、こちらも継ぎ目一つ無く、それでいて生き物のように自在に動いている。

固体と液体の中間のような物質でできているとしか思えぬそれは、見ているだけで脳が犯されるような気分になり、ザフィーラはこみ上げてくる吐き気と戦わねばならなかった。

 

 まるでそこだけ空間が発狂しているかのような光景であった。

一言も喋らないオットーとディード。

そんな2人に、眉を下げて眼を細め、チンクはどこか寂しげに告げる。

 

「かつてはこの子たちも人型のボディで調整を繰り返してきた。けれどいつからだろうな、ドクターは妹たちを改造し、今のような冒涜的なボディに適応できる精神に作り替えた。その目的は、Tの為だそうだ」

 

 言って、チンクは無手のまま飛行。

身構えるザフィーラたちの間に降り立つと同時、目を見開き、宣言する。

 

「私は……もう、ドクターについていけない。せめて今以上におぞましい存在にならないうちに、妹たちよ、お前たちを……必ず止める! 止めて必ず、お前たちを"人間"に戻してみせる!」

 

 なんと天晴れな宣言か、と思わずザフィーラは目を見開いた。

オットーとディードという狂った存在を前に、しかしチンクの言葉は何処までも人間的であった。

妹たちとの絆のため、狂った親の元を離れ、人間を追い求める。

この狂った空間において、チンクの言葉は黄金のように貴重で、太陽のように輝かしいようにさえザフィーラは思えた。

同時、彼は今まで自分が目前の狂気に硬直していた事に気づく。

ザフィーラは微細に震えていたシャマルよりも狂気的存在に怯え、震える事すらできていなかったのだ。

僅かに作った拳を握りしめる。

ゆっくりと呼吸をし、酸素を体内に巡らせた。

 

「ヴォルケンリッターよ、私に助力させてはくれまいか」

「構わん」

「えぇ、喜んで」

 

 2人の歓迎の声に、チンクは僅かに驚き、そして微笑んだ。

柔らかな笑みをすぐに戦士の顔に変え、視線をオットーとディードへ。

すると、瞬きをする以外微動だにしていなかったディードが、口を動かした。

 

「潜在的敵性存在が完全な敵性存在へ。戦闘可能な敵性存在は3。排除を開始する」

 

 閃光。

咄嗟にザフィーラが張った防御魔法に、ディードの閃光剣が激突し火花を散らす。

が、それも瞬きほどの時間に過ぎない。

一瞬で防御魔法は圧壊、咄嗟に回避行動をとったザフィーラの残像を、複雑な軌道を描く3つの剣が刻んでゆく。

同時にチンクの放った鉄の楔が、幾重にも分かれた緑の光線と接触し、爆発。

オットーの放った光線が相殺された。

 

「これで1存在を排除終了する」

 

 音速の交錯の中、ディード唇の動きがそう告げる。

残る3つの閃光剣は突きを放った。

後退は間に合わず、避ける動きは人体構造上不可能、支援型のシャマルは高速過ぎる展開にまだついていけていない。

死の予感がザフィーラの脳裏を過ぎった、その瞬間である。

紫閃。

ザフィーラは衝撃波に吹き飛ばされる。

 

「くっ!?」

 

 悲鳴とともに飛行魔法を強く発動、姿勢を安定させるザフィーラ。

続けて彼が見た物は、一人の戦闘機人が肘の光刃で巧妙に6本の閃光剣を押さえている所であった。

 

「久しいな、ディード。以前会ったのは調整中だったか?」

「……敵性存在が1体追加。対象は捕獲優先」

「やれやれ、やはりドクターはTの情報を欲しがっているようだな」

 

 鼻で笑う女性の名はトーレ。

かつてフェイトとシグナムの2人がかりでさえ圧倒された、超戦闘力を持つ人型戦闘機人である。

鍔迫り合いになっている2人の姿がぶれたかと思うと、次の瞬間ディードとトーレは大きく離れた位置に居た。

余裕そうな表情のトーレを見るまでもなく、攻撃が始まった後に遠距離から割り込み、かつ6本の武器を2つの武器で押さえたトーレが優勢だろうとザフィーラは分析する。

肩をすくめるトーレ。

 

「トーレ姉様、貴方は……!」

「聞かれる前に言っておくが、私は管理局と共闘する気は無いぞ。何、良い闘争の場になると思って来てみたが、なかなか私好みの状況だ」

「……三つ巴、か」

 

 ザフィーラが呟くのに、チンクが唇を噛みしめ、それでも視線は敵から離さない。

何にせよ、このままでは為す術も無く負けていただろう事を考えると、幸運に違いは無いだろう。

内心で呟き、ザフィーラは拳を構える。

支援魔法の類いを完成させ、発動寸前までいったシャマルは、今度こそ戦力として申し分ない。

明らかに一番弱い勢力となる六課側だが、三つ巴となれば、勝つまではできなくとも時間稼ぎはできるだろう。

せめて非戦闘員の避難までは、耐えてみせる。

悲壮な決意とともに、ザフィーラは息を吸い込んだ。

吐気。

閃光が激突する。

 

 

 

 

 

 

 紫閃。

超音速の光刃にトーレの肘の刃が接触、トーレの超膂力により一瞬で均衡は破れる。

跳ね上げられた光刃は他の刃をビリヤードのように巻き込み弾き、空いた隙間に光刃をねじ込む隙ができるも、無視してトーレは後退。

直後オットーの空間魔法がトーレの残像を閉じ込め、同時に放たれた12条の緑の光線を、鋼鉄の爆刃が迎撃した。

瞬き程の間、トーレの視界からディードが消える。

次の瞬間、甲高い音が響いた。

それを聞き取るが早いかトーレは高速移動、シャマルとその前で強化された防御魔法を張るザフィーラに、横から蹴りを放つ。

助けるつもりの一撃である。

着撃の瞬間に階段を上るようにしてトーレは直角制動、残るディードの光刃を避けつつ自分はディードに垂直に回転。

遠心力の籠もる斬撃を上空から放つ。

 

「——っ!」

 

 無言の悲鳴を上げるディード。

その重ね合わされた6本の光刃は、しかしトーレの片肘の光刃と拮抗している。

ディードの6本の腕の膂力を合わせても、トーレの片腕の膂力にすら及んでいないのだ。

圧倒的な身体能力の差であった。

歯軋りするディードは超速度で後退、その残像をザフィーラの鋼の軛が貫いてゆく。

その合間を縫うようにトーレはディードへ接近。

反射的にだろう、放たれた甘い斬撃を避けて踏み込もうとして、トーレの背筋に悪寒が走った。

閃光。

トーレの頬に灼熱が走り、十分な距離が取れた事を確認した上でトーレは頬に指を這わせる。

血が滲んでいた。

 

「……なるほど、ディード。貴様の6本の腕の関節は、関節限界を無視して逆側にも回るのか。隠していたという事はもっと致命的な場面を狙っていたのだろうが、押されていて思わず、と言った所だろうな」

「…………」

 

 無言でツインブレイズを構え直すディード。

それを無視し、トーレは視線をオットーへ。

 

「オットーの方は、特殊隔離結界の高速発動か? 外から内へは攻撃が通るが、内から外は攻撃が通らない類いか。同時発動でレイストームも打てるようだな」

「…………」

 

 口の場所すら分からないオットーは、緑の宝珠を明滅。

トーレは口元を左右非対称に歪めつつ、現状を分析する。

 

 3勢力の強さは、大まかに言ってトーレが改造機人2人と互角かやや上、それから大きく落ちて六課勢となっている。

六課メンバーはザフィーラは基礎能力が不足、シャマルは支援魔法でザフィーラの能力不足を補っているものの、超高速戦闘に判断がついていけず支援魔法のタイミングが今一だ。

チンクは辛うじてSランク魔導師レベルの戦闘能力があるのだが、彼女の空戦機能は後付けである故、空戦経験が足りていない。

対しトーレは、スペックでも経験でもディードを圧倒し、恐らくは改造機人と1対2の状況であっても互角以上に戦えると見ている。

六課と三つ巴という特殊状況だが、状況を利用すれば負ける相手ではなかった。

 

 だが、そもそもトーレの目的は、実を言うと戦闘では無かった。

Tが出てくるまでの時間稼ぎである。

トーレは、すぐに六課に負けられては困る理由があったのだ。

そも、トーレの目的であるTに防御力があるのかどうかすらも不明なのである。

あまり建物を損傷されると、無いとは思うが、Tが巻き込まれて死んでしまう可能性がある。

かといって、いかにトーレとは言え万全の状態の六課に単身挑めば、Tを手にし聞きたい事を聞くまでに敗北し、捕まってしまうだろう。

故にこのタイミングでしか、トーレがTと確実に接触する事は不可能だった。

そして流石にトーレとはいえ、この戦場をすり抜けるような事は適わない。

加えて、トーレには不思議と確信があった。

Tが。

あの恐ろしくおぞましい存在が再び表舞台に姿を現すのは、今日この日しか無い、と。

 

 六課隊舎の入り口を中間に挟んで対峙し、数分。

睨み合いが続いている所に、子供らしい高い声が響いた。

 

「目的の子……、捕まえてきたよ」

「ママ……怖いよぉ……」

「ヴィヴィオ!?」

 

 シャマルが悲鳴を上げるのを聞きつつ、トーレは口元を緩める。

来たのだ。

Tが現れるべき、その瞬間が、来たのだ。

あの男であれば、この瞬間に必ず現れるに違いあるまい。

期待に胸が膨らみ、あふれんばかりの喜びに、自然トーレは口元を歪めた。

 

「……ひひっ」

 

 奇っ怪な音が喉奥から小さく響き、いけないいけない、とトーレは片手を顔にやり、手で強引に笑みを修正する。

口角を左右対称に戻し、見開かれていた瞼を少し下ろし、膨らんでいた鼻腔を少し押さえた。

 

「行こう、ガリュー」

 

 そうこうしているうちに、現れたルーテシアが飛行魔法を発動させ、その場を飛び立ち改造機人の方へと飛んでいこうとする。

それを押さえようとするも、ディードの牽制で動けない六課陣。

極限の時間に、その男はゆらりと六課隊舎の入り口から表れた。

 

「あぁ君、ちょっと待ってくれないかい」

 

 男は煤まみれたコック姿の青年であった。

高いのか低いのか耳朶に届いていても判別できない声を漏らし、ルーテシアの方へと近づいてくる。

思わず悲鳴をあげるシャマル。

 

「何を言っているんですか!? 逃げてください、貴方はただのコックでしょう?」

「いやでも、ヴィヴィオちゃんは六課の子だろう? 避難するなら一緒に行かないと」

「状況が分かっていないのか!? 早く逃げろ!」

 

 怒号が飛び交う中、ルーテシアは思わず、と行った様相でヴィヴィオを手放した。

悲鳴を上げながらヴィヴィオはコックの背後に回り込み、ぎゅ、と彼のズボンを捕まえる。

それに困り顔で、コック。

 

「あぁほら、アイナさんがそこに居るから。君は先に一緒に避難しな」

「う、うん! ありがとう!」

 

 歓声をあげて走り去るヴィヴィオに、何故かルーテシアもガリューも何も出来ない。

ただただ、彼女は震えながらコックを指さすばかりであった。

疑問に思ったのだろう、ディードが冷たい声を吐き出す。

 

「ルーテシア、何故……」

「貴方は」

 

 それをかき消すようにルーテシア。

震える声で、コック姿の青年へと告げた。

 

「貴方は……誰?」

 

 青年は、微笑んだ。

微笑んだと分かっているのに、トーレにはその顔がどうやって微笑んだのか分からなかった。

微笑んだというのなら口元を緩め眼を細めたのだろうが、その一つ一つのパーツの動きを捉える事ができなかったのだ。

奇妙な感覚に、しかしトーレは震えながら押さえきれず、再び歪んだ笑みを浮かべて。

それに答えるかのように、コック姿の青年は言った。

 

「こんにちは。ぼくはTです」

 

 全ては解き放たれた。

トーレの視界の端でオットーは緑の光線を発射し、12条の光線はすぐに翻り自身へと命中、爆発する。

ばらばらになった球体の中からは、女性の頭蓋と思わしき残滓が焦げていた。

ディードは超音速の剣裁きで6本の光刃を首へと差し込み、入り口と出口で計12本の光刃がディードの首から生える。

そのままディードは休むこと無く刃を跳ね上げ、ディードの頭蓋は12分割された西瓜のようになり、すぐに分かたれて中身を零しながら落下した。

ルーテシアは咄嗟の判断でガリューを送還するも、直後自分で自分の首を絞め始める。

血管に極まったのだろう、すぐに気絶し、そのままその場で倒れた。

 

「う、ぐ……」

 

 対しザフィーラとシャマルは、プログラム体である事が良好に働いたのだろうか、滝のような汗を流し失禁し泣きだし微動だにできないものの、意識を保っている。

チンクも無改造の戦闘機人だった事が関与したのか、辛うじて意識だけは保ち、反射的に自身を貫こうとした鋼鉄の刃をぎりぎりの所で押さえる事に成功していた。

 

「……Tよ」

 

 今やコックのT=S級生体ロストロギアのTという図式は明らかであった。

そんな中、トーレは一人狂気の様相をしながらも、Tの側へと降り立つ。

ふわり、と柔らかな着地を見せ、凶相のままにトーレは言った。

 

「言った筈だな、次に会う時は容赦しないぞ、と」

「……うん、そうだね」

 

 哀しげな顔を浮かべるT。

同時、Tから発せられる狂気が弱まり、息一つできていなかった六課陣がようやく呼吸を開始する。

肩で息をしつつ、ザフィーラ。

 

「まさか……T、お前がTだったのか!?」

「いや、意味分からないんだけど……」

「Tに同意しなければならないのは遺憾だが、私もそう思うぞ。もう少し落ち着け」

 

 溜息をつきながらトーレはTに近づき、軽くTの足を刈る。

回転するTの膝裏と背に手を、所謂お姫様抱っこをしてみせた。

 

「といっても、落ち着く前にTは私が攫わせてもらうがな。おいT、落ちたくなければ私の首に手を回せ」

「……ぼくはお姫様抱っこされるより、したかったんだけどなぁ。特に亀を相手にやってみたかった」

「それはさぞかし、ただ持ち上げたのと区別し辛いだろうな……」

 

 言いつつトーレは地面を飛び立ち、六課陣と相対する位置にまで高度を上げる。

緊張がザフィーラたち3人を包んだ。

トーレと3人の戦闘能力の差は圧倒的である、Tというデッドウェイトがあっても勝てる見込みは薄い。

そんな雰囲気を無視し、トーレは狂気に滲んだ瞳を3人に向け、言い放った。

 

「チンク、ドクターから私につけてある筈の発信器の周波数は聞いているな? 今からそれをオンにする。ドクターも私を追ってくるだろうからな、ドクターとケリをつけたければ、六課の者どもと追ってくるがいい」

「な!? 何を……!?」

「私に未だ姉妹の縁を感じているのなら、そうしてくれ。決して単身では来るな」

 

 トーレは、疑問に満ちたチンクと視線を交わす。

数瞬。

チンクはすぐさまその瞳に強固な意志を取り戻した。

 

「……恩に着る」

「何、少し時間が欲しいのと、ドクターと六課の両方を敵にして戦ってみたいだけだ。気にする必要も無い」

「それでも、ありがとう、姉様」

 

 頭を下げるチンクに小さく肩をすくめ、トーレはその場を飛び去る。

その場には、頭を下げた姿勢のままのチンクに呆然としたザフィーラとシャマル、そして気絶したルーテシアと2つの死体だけが残された。

 

 

 

 

 



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その51:問答

 

 

 

「……え?」

 

 動揺は波のように広がっていった。

声から一泊、意味を理解したスバルの瞳から色が抜け落ちる。

隣のティアナも同様で、2人して膝の力が抜け落ち崩れ落ちそうになるのを、互いに触れ合い辛うじて堪え忍ぶ。

2人ほどでは無いが、エリオとキャロも食堂の名コックとして親しんでいたのだろう、ショックの色は隠せないようであった。

さほど接点の無いギンガの表情は、スバルとティアナの事を気にする成分の方が多いようだ。

 

「その……、それは確実な情報なんです、よね?」

「うん。ティアナが疑いたくなるのも分かるけど、事実だよ。六課でコックとして働いていたTは、S級生体ロストロギア保持者のTと同一人物。そして今、スカリエッティの元を離れた戦闘機人トーレに連れ去られている。トーレの目的は過去の言動からの類推だと、スカリエッティ陣営と管理局との戦闘と、それによる戦闘欲求の解消だね」

 

 流れるように言いつつ、なのはは詳しく話す事のできない自分に苛立ちを覚える。

目前の2人は、まだTをTというアルファベット一文字で指し示しているという現状にすら気づけていない。

どころか、Tがなのはの幼なじみであるということも、狂気的な話に繋がるという事から2人を含めたフォワード陣には伝わっていないのだ。

先ほどのフェイトとはやてとの対話で、Tに関する狂気はフォワード陣にも秘密にする事となった。

当然と言えば当然の帰結なのだが、それでもなのはは胸の奥が燻るのを押さえきれない。

何故なら。

 

「……なら、私たちにできる事は、Tさんを助ける事、ですよねっ」

 

 握り拳を作り、勇ましく顔の前に持ってくるスバル。

その拳は震えたままであり、残る片手はティアナと繋いだままで、表情も上手く笑顔を作り切れておらず、笑みになりきれない歪みを残すだけ。

 

「そして、信じる事。Tさんが例えS級生体ロストロギア保持者だろうと、それには何か理由がある筈。管理局はその理由を見捨てる程、冷酷な組織じゃあない。ですよねっ」

 

 応じて、ティアナ。

兄を管理局に侮辱された過去がありながらもそう言ってのけ、希望に辛うじて捕まっているその表情は、今にも崩れ落ちそうであった。

2人の瞳は、明らかにTに対する一つの心で充ち満ちていた。

恋であった。

 

 なのはに恋の経験は無いが、これまで働いてきた中で恋を経験する仲間は山ほど居た。

恐らく恋とは素敵な物なんだろう、となのはは類推する。

仲間達は誰もが恋で人間的に磨かれ、心を鷲掴みにされるような経験を経て、素敵な人間になっていった。

それでなくとも世間では恋愛がやたらと重視されており、ワンシーズンのドラマたちで恋愛要素のあるドラマを一つも見かけない事など無いだろう。

その恋を、スバルとティアナは明らかにTへと向けていた。

 

 恐ろしく残酷な光景であった。

Tというどうしようもないあの表現すらし難い存在、恐るべき、としか言いようのない存在に対しての、恋である。

一体この世の誰が言えよう。

貴方が恋をしている相手はこの世の創造神にして魔王にして唯一の人間。

この夢幻世界を夢見る主であり、何時貴方を含めたこの世から目覚め、この世全てを消し去ってしまうのかどうかすら分からない。

そして貴方はTの夢の登場人物に過ぎず、夢の主たるTと対等になる事は恐らく永遠に無い、などと。

そも、その事実を悟ってしまえば2人は発狂してしまう可能性が高く、言うという仮定すら無意味なのだが。

 

 なのはは、歯噛みしようとする自身を強引に心の奥に封印し、仮面の笑顔を浮かべた。

口元を緩め、まるで正解を言ってのけた生徒に向けるかのような微笑みで、2人の頭を撫でてみせる。

 

「よくできましたっ。2人とも、諦めるのはまだ早いもんねっ」

 

 2人の成長が嬉しいという、演技の笑みを表情に貼り付けるなのは。

スバルとティアナは顔を綻ばせ、ようやく青ざめていた頬にも赤みが戻る。

生気を取り戻した2人の表情は瑞々しい程に活力に溢れており、なのはは彼女たちの尊さを再確認した。

なのはの教導を最も親身に受け継いだ2人は、なのはにとって最も可愛い生徒であった。

無論今は仲間と言って差し支えの無い力を持っているのだが、それでもなのはにとって、同時に彼女たちが生徒である事に変わりは無い。

そんな2人の表情に、なのはは自分の心の奥底からも、熱い物がこみ上げてくるのを感じた。

自分が卑劣な事をしているという自覚を飛び越え、2人の心がなのはの胸の奥に飛び込んでくるのだ。

 

 そうだ、自分も諦めちゃいけない、となのはは思う。

何もTが記憶に残すのはなのはである必要性は無い。

なのはが特別扱いされている事から記憶に残りやすいだろうと思っただけで、例えスバルかティアナであっても何も問題は無いのだ。

だから——、2人の心が通じ、どちらかがTと付き合う事になり、その娘の事がTの心に残る。

せめて、この世界の未来はそんな未来であって欲しい。

儚すぎる未来を胸に、なのははゆっくりと眼を細めた。

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 出発前のヘリ整備の為に生まれた、僅かな空き時間。

ギンガが気晴らしに散歩をしていると、飲料自販機の前のソファに、一つの影を見つかった。

長い銀髪に小柄な体躯を包む、ナンバーズ特有の青いボディスーツと羽織ったコート。

戦闘機人、チンクである。

足音に気づいたのだろう、チンクはギンガを一瞥、軽く会釈をして手元の缶コーヒーに視線を戻す。

その顔にあった陰りが気になり、ギンガはチンクの前で歩みを停止。

軽くのぞき込みつつ言う。

 

「ちょっと隣、いいかしら」

「あぁ、構わない」

 

 肯定の意に、ギンガは体を回転させ、すとりとソファに腰を下ろした。

視線をチンクへ、彼女の全貌を眺める。

光を反射し輝くような銀嶺の髪に、体躯は小柄でほっそりしていて、強く抱きしめてしまえば壊れてしまいそうなぐらい。

その顔は妖精のように愛らしいが、つけてある眼帯が彼女が愛らしいだけの存在ではない事を示唆している。

詳しい事は聞いていないが、チンクはSランク魔導師にさえ勝利した経歴があると言う。

その戦力を鑑みて、はやて部隊長は強引にスカリエッティとの決戦に連れて行くつもりなのだとまで聞いた。

が、見れば手元にある缶コーヒーはやたらと甘い物で、自販機に無糖が減糖が並んでいた事を考えると、わざわざ甘い物を選んだのだろう。

しかも見ていると、まるで小動物のような仕草でコーヒーをちびちびと飲んでいる。

自分を遙かに超える戦士でありながらこんなにも愛らしい少女。

どう接すればいいのか暫時迷うも、ギンガは口を開く。

 

「その……ナンバーズの子達の事、心配?」

「……まぁな」

 

 言ってチンクは缶コーヒーを飲み干し、隣のゴミ箱に捨てた。

アルミニウムが激突する音階。

続けてチンクは指組みし、その上にあごを乗せて言う。

 

「妹たちは、全員ドクターに改造されてしまった。人間の尊厳を捨てた姿にな。私は当時、黙って見ていたんだ」

「黙って?」

「あぁ。妹たちが全員改造を受け入れていたからと言って、な。妹たちは言っていたよ、内容は知らないけど、ドクターのやる事なら間違いは無い。しょうもない事かもしれないけれど、ドクターは親みたいなもんだし、付き合ってあげるって、な」

 

 遠くを見つめるチンクに、ギンガは口を挟めなかった。

既に六課の戦闘メンバーの前で、チンクはスカリエッティの目的を言っている。

己のことをTに覚えてもらう事。

意味不明なそんな内容の為に、後期ナンバーズ達は改造されたのであった。

加えて言えば、チンクは未だ受け入れ切れていないのか話していないが、オットーとディードは既に死んでいるのだ。

胸が縮んでゆくような思いに、ギンガは思わず歯を噛みしめた。

思わず、声が飛び出す。

 

「その……、スカリエッティは貴方にとっても親だったんでしょ? だったら信じちゃうのは当たり前の事で、貴方が悪いなんて事ないわよ」

「かも、しれないな。でもな、私は……」

 

 言って、チンクは指組みを解き、掌を眼前に。

震える掌を見つめていたかと思うと、ぐっと握りしめる。

 

「あの子達の、お姉ちゃんなんだよ」

 

 血が滲むような言葉であった。

歯は噛みしめられ、手は力が入り震えるほど、瞳には大きすぎる程の意思が込められている。

 

「だから私は、何も諦めてはいけない。絶対に、妹たちを……、せめて残る5人は、必ず人間に戻してやらねばならないんだ。絶対に、な」

 

 決意と共に語られる言葉は、何処か危うさを滲ませていた。

ギンガは直感する。

この子は、全てをなげうってでもナンバーズの子達を人間に戻すだろう。

残る人生の全てを捧げてさえ。

恐らくは、事件が解決された後、自身を実験体として捧げてさえも。

 

 駄目だ、とギンガは思った。

目の前の姉として頑張る少女を、そんなに残酷な道へと進ませてはならない。

引き留めようと声をかけようとした所で、だが、とギンガの胸を迷いが過ぎる。

一般局員でしかない自分が、出会って1日も経っていない戦闘機人の少女に、一体何を言えるのだろうか。

守ってみせる? どうやって?

ナンバーズを人間に戻してみせる? どうやって?

そも、目の前の少女は誰かの情けを受け取れるような器用な性格をしているのだろうか?

 

 煩悶するギンガの脳裏を、しかし一つの事実が過ぎった。

母クイント。

一局員に過ぎなかった身で、ギンガとスバルを引き取ってくれた人。

父ゲンヤ。

母に力を貸し、ギンガとスバルを守り続けてきてくれた人。

 

「それは、貴方がナンバーズのお姉ちゃんだから?」

「……え?」

 

 気づけばギンガは立ち上がり、チンクの前で腰を下ろしていた。

視線を合わせ、瞬きをするチンクの瞳を見つめ続ける。

 

「そうだ、私は、お姉ちゃんだからな」

「そういう貴方は今、15歳だったっけ?」

「そうなる」

 

 短い応答を終え、ギンガは両手を差し出し、チンクの両手をとって見せた。

僅かに震えるも、されるがままにするチンク。

そんな彼女に、ギンガはできる限りの微笑みを浮かべ、告げる。

 

「じゃあ私の方が、貴方よりお姉ちゃんだね」

「……っ」

 

 息をのむ音。

見開く瞳から決して目をそらさず、ギンガ。

 

「だから私も、出来ることは少ないかもしれないけれど、貴方の悩みぐらいは聞いてあげられる。こうやって、手を繋ぐ事ぐらいはしてみせる。だから、お願いだから無茶はしないでくれる?」

「あのな、私たちは出会ったばかりで……」

「うん。知っている事は、少ないね」

 

 反論を言うチンクは、何処か焦った様子でもあった。

まるで欲しい物を貰っても、遠慮から素直に受け取れない子供のようだ、とギンガは思う。

その姿が愛おしく、抱きしめてやりたい衝動にすら駆られた。

 

「貴方が、自分の妹たちをとても大切に思っている事。六課の事を守ってくれた事。素直で良い子な事。それだけ知っていても、お姉ちゃんになりたい、って思うのに不足かな?」

「…………」

 

 チンクは俯き、何かに耐えるように歯を噛みしめる。

大丈夫だろうか。

自分の気持ちは受け入れられただろうか。

浮かび上がってくる不安を心の奥に押し込め、ギンガは笑顔のままじっとチンクを見つめて待つ。

しばらく経つと、チンクは面を上げた。

眼を僅かに潤ませ、緩んだ口元を開け、かすれた小声で言う。

 

「……あり、がとう」

 

 ギンガは、思わずチンクを抱きしめた。

ほっそりとした体躯から暖かな熱が伝わり、ギンガの体を触れ合い、混じり合う。

ギンガは、ゆっくりとチンクの手が動くのを感じた。

ぎこちない動きでチンクの手はギンガの背に回され、少し弱いぐらいの戸惑いがちな力で抱きついてくる。

 

 チンクの手がギンガを抱きしめる力は次第に強くなってゆき、やがてギンガのそれと同じぐらいになる頃。

六課の隊舎内放送で、ヘリの修理が終わった事が告げられる。

出撃の時間であった。

 

 

 

 

 



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その52:口答

 

 

 

 雨が染み込み変色したコンクリ群。

所々剥げた道路の塗装。

むき出しになった鉄骨。

世紀末のような光景なのに、空はどうしてか、不思議なほどに綺麗に澄み渡った青であった。

 

 青空を、幾つもの光線が交錯する。

激突、魔力が弾き合う甲高い音が幾重にも重なり響いた。

魔力煙が所々にできており、爆音達の死骸のように漂っている。

戦場であった。

スカリエッティ謹製の戦闘機人と機動六課の魔導師たちとの戦いである。

 

 ナンバーズは1,4,6,7,9,10,11の7人。

うち1番ウーノは最後期の首アタッチメント搭載型であり、最もスペックが高い。

後方支援に徹している4番クアットロは、唯一の首アタッチメント非採用型だが、その役割故に差ほど大きな影響は無いと言える。

ゼストとアギトは地上本部へと襲撃に行っており、六課はTの対処の為にそれを見過ごした形となっていた。

 

 機動六課は、フォワード陣にギンガ・ナカジマ、隊長陣にチンクで、ユニゾンしているリィンフォースを抜いて10名となる。

数で勝るも、隊長陣とチンクでようやく改造ナンバーズと互角程度。

フォワード陣にギンガの5名でどうにか改造ナンバーズ1体とクアットロを相手にしているが、劣勢には違いない。

 

 それをどうにか危うい均衡で成り立たせているのは、トーレの存在であった。

恐らくTに"強い"という指向性のある役割を後付けでもされたのだろう、青紫の薄いオーラを纏った彼女は、圧倒的な強さである。

本気となった彼女は今度こそ六課も積極的に狙っており、スカリエッティの目で見るに、その戦闘能力は魔導師換算でSS+と言った所か。

彼女の存在でかき乱された戦場が、辛うじて六課を劣勢から遠ざけているのが現状である。

とはいえナンバーズも開発が途中からの方向転換があったので、経験値が足りていない、六課の逆転の目はまだまだあるか。

最も、それも今すぐとはゆくまい。

そう判断し、スカリエッティは視線を下ろし、目の前に経つ青年に視線をやった。

 

「…………?」

 

 首をかしげる青年。

T。

この世の希望と絶望の全ての源。

 

 スカリエッティは、少しだけTの顔を見た後、頭の中がねじ曲げられそうな悪寒を感じた。

すぐに視界に入れながらも視線も意識も集中させない、という状況にシフトし、どうにか脳髄に這いずり上がってくる狂気をたたき落とす。

スカリエッティは意識して顔を強く歪ませ、演出的に言った。

 

「さて、承知しているだろうが、まずは私の話を聞いていただきたい」

「はぁ、いいですよ」

 

 背筋を多脚生物が音を立て歩いているような、奇妙な感覚。

生理的嫌悪感に近いそれをかみ殺し、スカリエッティはともすれば弱気にさえなりそうな自分をたたき落とし、言う。

 

「面白い人生とは、それほど言えないかもしれないがね……」

 

 苦笑交じりに、スカリエッティは回想に意識を沈ませてゆく。

Tの正体に関連する事は曖昧に崩し、スカリエッティはゆっくりと話し始めた。

 

 ジェイル・スカリエッティは培養槽の中で生まれた。

生まれた瞬間から彼は完成された知性を持っており、生まれた瞬間から彼は夢を持っていた。

生命操作技術の完成、という夢をだ。

彼の優れた知性は、それが最高評議会によって与えられた物であろう事を知覚していた。

加えて同じような知性ベースのアルハザードの遺児——アンリミテッド・デザイア——が他にも存在し、彼らには他の名前と夢が与えられ、それぞれの研究を行っている事さえも知覚していたのだ。

そして失敗し肉体的衰えが来た個体は、殺処分され、同じ名前と夢を持った新たな個体が製造される。

ジェイル・スカリエッティは、生まれた時から代替の利く存在であった。

そしてそれを知覚し、理解してしまう知性の持ち主であった。

 

 故にだろうか、それとも他になにか理由があったのか。

スカリエッティは、アンリミテッド・デザイアの中でも特に自己顕示欲を強く持つよう成長してきた。

強い欲望は強い力を示す。

故にだろうか、スカリエッティはアンリミテッド・デザイアの中で最も優秀な研究成果を上げていった。

研究以外にも興味を示す個体は珍しかったらしく、最高評議会でもどう扱うべきか悩んだそうだが、その成果に人格問題を黙認する程だったと言う。

 

 スカリエッティは、自己顕示欲こそ己の真理だと考えるようになった。

同じ知性を持つ存在の中で、唯一自分だけが強い自己顕示欲を持つ。

それはスカリエッティにとって救いであり、存在理由でさえあった。

よってスカリエッティは、最高評議会の指示通りの研究を続けつつも、密かに彼らに反逆する計画を立て始める。

全てから自由になり、世界に自分の技術とそれによる兵器・戦果を知らしめる。

それが彼の目標であり、人生の意味であった。

彼はそれを、「不遇な技術者達の恨みの一撃」と幾度か称した。

そこには僅かながら、同族達への同情なのか共感なのかよく分からない感情も混じっていたのかもしれない。

 

 そんな彼の研究に転機が訪れたのは、10年前の事である。

次元世界に、Tが広く名を知らしめた年であった。

彼の存在を知るに、スカリエッティはすぐさま彼について細かく調べ、彼の正体に気づいた。

彼はこの夢幻世界の神にして魔王にして唯一の人間。

この世界は彼の見る夢に過ぎないという、真実に。

 

 流石のスカリエッティも、動揺を隠せない事実であった。

何せスカリエッティは当然のごとくTより年上である、それまでの己はただのTの妄想設定という事になる。

何がスカリエッティにその事実を乗り越えさせたのかは分からない。

幼少期から自己の唯一性の揺らぎに直面していた為なのかもしれないが、何にせよスカリエッティはその事実に立ち向かい始めた。

 

 そして得た答えは、Tに直接伝える事はないものの、言わずもがなである。

現実世界に唯一繋がる人間、Tの記憶に残る事。

スカリエッティは折れた心をつなぎ合わせ、方向転換を始めた。

 

 スカリエッティは、死に物狂いでTの情報を集めた。

なのはとフェイト、はやてを特別扱いしている事に気づいた後、彼女たちの敵となりピンチを演出する事でTをおびき寄せようと考える事になる。

最高評議会と利害が一致された計画は実施され、途中で最高評議会議員が死ぬというハプニングがあったものの、その分計画が盛大になっただけ。

 

 そしてスカリエッティは、断腸の思いで愛娘達を改造する事を決めた。

そも、スカリエッティの夢は生命操作技術の完成である。

兵器として有用であるのはその不随物に過ぎず、故に現在のような生命としての完全性が薄まっているナンバーズなど、無粋の一言だ。

だが、夢も何も、全てはTに覚えて貰わねば泡沫となって消えてしまう儚き物に過ぎない。

故にスカリエッティは、娘達に感じていた自分なりの愛情も捨て去り、私欲の権化となって娘達を改造した。

 

 結果、旧型のトーレの離脱というハプニングはあったが、計画は順調に進んできた。

聖王ヴィヴィオを連れ去るのは失敗し、ゆりかごは無用の長物と化したが、代わりに目的のTがおびき出されてきた。

改造ナンバーズは発狂死してしまったものの、嬉しい事にトーレがTを連れ出してくれたため、こうやって待ちわびた機会はやってきたのである。

自らの事を語り聞かせる、この機会が。

 

「あぁ、私はこの瞬間を心待ちにしていたよ。くくく、経験が無いので分からないが、恋愛感情にも似た感情だろうかね。告白の時を待ちわびていたのに、その瞬間がいざ来ると、怖くなってくる」

「はぁ……?」

 

 スカリエッティの意図を掴みかねているのだろう、首をかしげるT。

それを尻目に、スカリエッティは空に視線を。

改造ナンバーズらしき人外の影は残り4つ、クアットロは姿が見えないので不明。

トーレらしき青紫のオーラは健在だ。

対し機動六課はフォワード陣が既に墜ちており、チンクも姿が見えないが、隊長陣はまだ欠けていない模様である。

そろそろ、制限時間か。

これでナンバーズが勝利すればいいのだが、いわばTという神に見守られているなのは・フェイト・はやての3人が負けるとはとうてい思えない。

とはいえ、スカリエッティの欲望は、最悪の敵としてTの記憶に残る事。

それには勝利は必要条件では無いのだ。

 

「くっくっく……、私はこの瞬間の為に、全てを賭してきたよ。材料どもを切り刻み、生きたまま次々に臓腑をホルマリン漬けにしていった事があった。生首だけで生かした後に自分の体が切り刻まれていくのを見せて、反応を観察した事もあったよ。あぁ、楽しかった。楽しかったとも。あの知的好奇心が満足してゆく感覚は、素晴らしかった」

 

 全て事実である。

とはいえ、別にスカリエッティはその程度の事で邪悪を語れるとは思っていない。

恐らく社会通念に照らし合わせてみれば邪悪なのだろう、と判断し、Tにスカリエッティという巨悪を演出する為に話しているだけだ。

 

「あぁ、けれど私は、その結晶である愛娘達をも改造した。脳をいじり、記憶転写技術の応用で人格を限定的ながら改変し、首から上だけで生命活動を行えるよう調整をし。私の誇りだった生命技術の結晶を台無しにしてまで、私は強い機人に拘った。機動六課を効率的に制する為に。T、君をおびき寄せる為に!」

 

 叫びつつ、スカリエッティはその場で白衣を翻す。

風を孕み浮く白衣が降りるよりも早く、顔を歪ませ、歓喜に満ちた笑みと共に叫んだ。

 

「さぁ、T、私を記憶に刻みつけるがいい!」

 

 Tは首をかしげ、言った。

 

「その前にそもそも、貴方のお名前は何と言うのでしょうか」

 

 ピタリと。

スカリエッティは凍り付いたかのように動きを止め、鈍い動きで喝采していた両手を下げる。

信じられない台詞に思考すらも冷凍され、その冷気にでも触れたかのように、体が震え始めた。

 

「……待て。いや、私は、ジェイル・スカリエッティだ」

「はぁ。ジェイル・スカリエッティさん。初めまして」

 

 ぺこりと頭を下げるTに、スカリエッティは思わず自身を抱きしめた。

折れそうになる膝をどうにか立たせながら、震え声で続ける。

 

「馬鹿な、六課に居ながらにして、私の事を知らなかったのか? まさかそんなはずは……。いや、それでも、私は君の幼なじみ達の敵だぞ!」

「ふーん、そうなんですか」

「生命と社会の天敵、そして知識を追い求める為に悪魔に魂を売った科学者だっ!」

「はぁ、そうなんですか」

 

 気のない返事。

死を超える極限の恐怖に、スカリエッティはついに膝をつき、開いた両手を縋り付くかのように伸ばした。

目から熱い物がこぼれ落ち、がくがくと震える口でどうにか言葉を紡ぐ。

 

「私を……、私を記憶したまえ!」

「すいません、貴方にはあまり興味が無いので……」

 

 スカリエッティは、目を見開いた。

腰が落ち、脱力して両手が地面にぶら下がる。

俯く様は、頭蓋がまるで今にも落ちそうな程。

髪の毛でTの視線を遮るような形になったまま、スカリエッティは呟いた。

 

「はは……、終わり……なのか? いや……」

 

 一つだけ、スカリエッティの頭の中にTの中に印象に残る可能性があった。

その可能性は低い上に危険性も高いが、今のまま、ただの名前の知らない犯罪者として捕まるぐらいならば。

歯を折れんばかりに噛みしめ、スカリエッティは必死の形相でTを仰ぎ見た。

涙をこぼしながら顔に万力を込め、叫ぶ。

 

「君の、いや、この世界の正体はっ!」

 

 Tの顔に僅かな興味。

夢の中で今お前が見ているのが夢だと告げる相手は、さぞかし印象に残ると信じて。

スカリエッティは、叫んだ。

 

「この世界は……T、君の見ている夢だっ!」

 

 咆哮。

Tの色が、ゆっくりと理解の色に染まってゆく。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、はやてはちょうどTを殺せる位置に居た。

殺せるタイミングに居た。

 

 座標指定変更だけすればTを含めて空間ごと大規模魔法で殺傷できるし、恐らくタイミング的にも間に合う位置。

加えてリィンフォースは現在ヴィータとユニゾンしており、彼女の戸惑いが魔法を遅らせる可能性も無い。

フェイトがそれに気づき止めようとしているし、一瞬で攻撃を切り替えた彼女のバルディッシュがはやてに向かっているが、恐らくはやてが魔法を放つ方が先。

殺傷設定の切っ先ははやての首をたやすく切断するだろうが、脳が機能をなくす前に魔法がTに命中する可能性は十分にある。

 

 だからはやては、杖をTに向けようとして。

しかし、咄嗟にそれができなかった。

 

「……え?」

 

 圧縮された時間の中、はやては刹那そう呟いた。

信じられなかった。

あれほど憎くて仕方が無い相手なのに、いざTを殺せる段になると、はやてはTを殺す事ができなかったのである。

その事実に、はやての目から涙が一滴、こぼれ落ちる、その瞬間。

桃色の光がTに突き刺さると同時、Tが口を開き、呟いて——。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、フェイトははやてを殺傷し魔法を阻止できる位置に居た。

Tを救える位置に居た。

 

 はやての魔法は完成寸前だった上、大規模な空間爆撃である、Tを防御で救うのは不可能。

ならば魔法が発動してからTが死ぬまでにはやてを殺し、魔法がTを殺傷する前に、魔法が使い手の死で威力を失うのを期待するしかない。

そして魔法が発動後にその構成を失うには、術者の気絶ではなく死が必要である。

雷速の判断でフェイトは発動寸前だった高速移動魔法の移動先をはやての目前に変更し、殺傷設定に切り替わったバルディッシュの刃と共に空中を駆け抜ける。

 

 そしてフェイトははやてを殺そうとして。

しかしはやては、Tを殺そうとしなかった。

 

「……あ」

 

 圧縮された時間の中、フェイトは刹那そう呟いた。

咄嗟に魔法を全て中止、慣性ではやてに突っ込んではしまうだろうが、即座に攻撃を止める事に成功。

風圧が肌を押す感覚と共に、フェイトは目の横に水滴の感触を感じ取った。

フェイトは、泣いているのだ。

あれほどTの為なら誰でも殺せると、そう信じていた筈なのに、いざ親友を殺さずに済んだら、フェイトは泣いていたのである。

これでははやてが本当にTを殺そうとしていた時、果たしてフェイトは最後まで殺傷設定を維持できたかどうか。

フェイトの目尻から涙が一滴、横に飛び出し背後の中空へと消えようとした、その瞬間。

桃色の光がTに突き刺さると同時、Tが口を開き、呟いて——。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、なのははTを砲撃できる位置に居た。

Tを撃てる位置に居た。

 

 スカリエッティが口走っている流れから、Tへ真実が口にされる展開である事は分かる。

しかし、それはどうしようもなく遅かった。

改造ナンバーズとの熾烈な戦いは、なのはがスカリエッティに向けられる注意力を限界まで下げておりいたのだ。

故に今からなのはが叫んだとしても、スカリエッティの言葉がTに届き、Tが夢を自覚する方が先だ。

なのはが己の事を覚えておいて欲しいと、自分の気持ち全てをぶつけるには、言葉では間に合わない。

 

 その瞬間、なのはは反射的にディバインバスターをTに向けて非殺傷設定で撃っていた。

なのはにとって、魔法は誰かと心を通わせる為の物であった。

かつてフェイトと心通わせる時に、そうであったように。

教導において、生徒達に百の言葉より一の魔法の方が多くの気持ちを伝えられる、と信じていた時があったように。

なのはの体には、魔法でぶつかりあう事は気持ちでわかり合う事に繋がる、と刻まれていたのだ。

故に、言葉が届かない一瞬にTに語りかける術は一つしか無く。

故に桃色の光線は、Tへと伸びてゆく。

 

 ディバインバスターがTに命中すると同時に、Tが呟く声が、なのはの耳朶にうっすらと届いた。

 

「そうか……」

 

 いつもと違い、