霧雨魔梨沙の幻想郷 (茶蕎麦)
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紅魔郷編
第一話


はじめまして。
ゆっくり書いていきますのでよろしくお願いします。


 あたし霧雨魔【梨】沙は稗田の家の阿求ちゃんと同じように記憶を持って転生したものである。

 魅魔様が言うには、正しくは事故で魂がくっついた憑依みたいなものらしいけれど、それでもあたしにとっては大差ないからと転生したのだと深い知り合いには簡単に説明している。

 子供の頃からあたしには大人の女の人の記憶があった。今はあまり思い出せないけれど、一般的な女性のものだったと思う。記憶は途中で途切れてしまっていたけれども、それは常識と生の希望をあたしに教えてくれた。

 もし、あたしに前世の記憶がなければどうなっていただろう。あの父親のところで死んでしまっていたのだろうか。きっと、そうなのだろうと思う。

 

 さて、あたしは今幻想郷という小さなセカイに住んでいる。小さい、とはいえども大らかに人間や神に妖怪や悪霊まで多種多様の在り方を否定せずに存在を許してくれる、そんな結界に囲まれたセカイに、だ。

 少々弱者にとっては残酷なところもあるけれど、外界だって大なり小なりそんなところはあった。だから、魔法使いなんてやっているあたしを受け入れてくれるだけ有難いものだと思っている。

 

 何しろこの幻想郷に来るようになる前、というのは酷いものだったのだ。そう、あたしは幻想入りの経験者で、つまりは外界で生れた人間だった。

 あたしは前世の記憶でしか母の姿を知らない。そして、優しい実父というのも遥か彼方の思い出でしか経験していなかった。

 現世の父親、というのは酷い親だった。あたしを置いて出ていった母のことを嫌い、その残滓であるあたしのことまで嫌っていたのか、ネグレクトなんて当たり前。むしろ放置してくれている間はましだったと思う。

 お腹を空かして動かないでいるあたしを邪魔だと蹴りあげたり、何かイライラすることがあると、あたしの赤い髪の毛を引っ張ったりした。おかげで今もあたしは髪の毛をあまり長く伸ばすというのには抵抗がある。

 これがおかしいとは前現世入り混じり始めた記憶の中で分っていた。だから、喋り歩くことが出来るくらいになっていたあたしは、一度お隣の家まで助けを求めに行ったことがある。

 しかし、汚い恰好をしたあたしのたどたどしい言葉よりも、外目だけは気を付けていた父の言葉のほうが信じるに値すると判断されたらしく……いや本当は関わるのが面倒だったのだろう。あたしの必死の訴えは見て見ぬふりをされた。

 

 それからあたしは、首に鎖を巻かれ錠前で鎖されて、繋がれるようになった。こうなってしまっては、前世の記憶なんて意味は無い。むしろ、他人への期待があっただけに絶望は深かった。

 トイレに繋がれたあたしは以降三メートルを生きる場所として過ごし、時折放り投げられるように置かれるコンビニ弁当を糧として生きるようになる。

 そのうち次第に鎖の重さで頭が上がらなくなり、あたしは這いずるように動くことも出来なくなっていって、死なないために生きることすら難しくなっていった。

 あたしは何回も死にたい、死にたいと思い、それでも餓鬼のように食べ物を探す。それは希望が残っていたがため。外に希望があることを知っていたがためにあたしは無気力になりきれずに、しぶとく生き続けた。それこそ、父親が呆れるほどに。

 

 でも、そんなにしても生きていたからだろう。ある時あたしはぴゅーっ、と落ちた。そうしてへたり込んだが霧雨店の前。

 神隠しにあったのか、それとも誰からも必要とされなかったあたしが自ずと幻想入りしたのかは未だに不明だ。でも、確かにあたしは霧雨の人達に助けられたのだった。

 

 聞かれた際に言ってしまった名前は捨てられなかったけれども、あたしの境遇に同情してくれた霧雨のお父さんは新しい苗字をくれた。

 

 そうして出来たのが霧雨魔梨沙。

 そして最初はいい子にしていたけれど、やがて出来損なってしまったのが今のあたしだ。

 

 妹、本当の彼らの子供が居るからいいといっても、魔道に踏み出して去っていったあたしを霧雨の人たちはどう思っているのだろう。帰って来いと彼らは言わない。妹は跡継ぎ扱いされるのが嫌なのか、耳にタコが出来るくらい言ってくるけれど。

 そういえば、妹も一時あたしに憧れて魔法使いになろうとしていたことがあった。流石に責任を感じたあたしが魔法の才能は【普通】程度しかないということを教えてそうなるのを止めさせたけれども。

 

「うふふ。でも、あの子には悪いことをしちゃったかもね」

 

 それでも、普通に魔法使いをやれることの出来るほどの才能を埋もれさせてしまったのはあたしの落ち度か。あたしの箒の後ろに乗って、しがみついていながらも空をとぶことを楽しんでいたあの子には、弾幕ごっこへの適正がありそうだった。

 彼女が努力家であることはあたしどころか周囲の誰もが知っていることだ。身内びいきがあるかもしれないが、妹が本気だったら魔法使いとして大成していた未来があったのかもしれない。

 だが、結局あの子はあたしの代りに家業を継ぐことを選んだ。それが現実である。

 

「そして、この異変を起した幻想。そいつはどうしてあげようかしら」

 

 眼下にはあたしがさっきまで薬草や魔法の触媒となる花を摘んでいた魔法の森が一望できる。そして、その深い緑まで薄く赤い霧に覆われているということもよく見えた。

 木々で隙間の少ない森でコレなのだ。人里と博麗神社の中間くらいにあるあたしの家なんて、一歩外に出たらすぐ道に迷ってしまいそうになるくらいの濃さの霧に包まれていた。

 一日二日、その程度ならばいい。でもこれ以上続けば人は惑うし草木は枯れる。幻想郷にとっていいことなんて何にもないのだ。

 

「あたしを救った幻想郷を守る、なーんてキャラじゃないけれど。でも、霊夢に任せるのも心配だものね」

 

 新しいルールが広まり席巻し始めているとはいえ、弾幕ごっこには危険がつきもの。それに年少の霊夢に任せるというのはどうだろう。

 あの子が強いことは知っているけれど、同じように修行不足であることも知っている。勘で動くような霊夢はいかにも危なっかしいところがあるのだ。

 保護者のような気でいるのはよくないけれど、それでも気になるものはどうしようもない。

 

「うーん。赤い館には、霊夢の様子を見てから、行きましょうか」

 

 思い出すと余計心配は募った。だから、先に姿を見てからにしようと、あたしはまず青臭い緑色が沢山詰まった風呂敷を自分の家の玄関に置いてから、また箒に座って飛び上がる。

 見上げてみると、杜に囲まれた高所にある博麗神社には未だあまり件の赤い霧は集まってはいない。それを確認してから、あたしは一直線に神社へと向った。

 

 

 

 

 

 

 博麗神社の少し脇の甘過ぎる巫女、博麗霊夢にとって、霧雨魔梨沙は出来の悪い姉のような存在だった。

 魔梨沙が悪い人間ではない、ということは知っている。彼女は霊夢が物心付く前から神社をうろつく酔狂な悪霊である魅魔に師事して魔法を学んでいた人間だ。

 顔も知らない母親よりも馴染みがある上、無茶な修行やお茶会とやらに付き合わされた経験からその中身もよく知っている。

 幻想郷の住人らしく茶目っ気が目立つが基本的には真面目で、鈍感な部分も多々あるが、一部人の機微に敏い部分があるというところまで霊夢には分っていた。

 

 そんな魔梨沙であるが、彼女は霊夢の知る限り表向きはともかく意外なほど近しくない人間に心を開くことのない性格のようだった。妖怪や妖怪みたいな人間にはそうでもないみたいだが。

 そこには魔梨沙の過去に発端があるようであったが、そんなことは霊夢にとってどうでもいいことだ。ましてや前世がどうのなんて真に興味がない。

 問題があるとすればその反面。一旦心を開くとやりすぎる、そんな性格が霊夢にとって面倒なものだった。アレコレ指図してくると思えば、どれこれ心配してみたり。反抗すればしつこく絡んでくる。

 愛情を確かめているつもりなのかしら、面倒くさい――と霊夢は何時もそれをむず痒く思い、時折それを魔梨沙の妹に愚痴るのだった。

 

 そして今回も、そんな魔梨沙の嫌いではない一面が霊夢の邪魔をする。

 霊夢が異変を感じて解決に乗り出そうとしたその時。魔梨沙は箒にまたがったまま鳥居をくぐり滑りこむようにして登場した。

 

「あ、霊夢。良かったー、まだ出発してなかったのねー」

「魔梨沙。何、あんたも異変を解決しに行くつもりなの?」

「そうね。あたし【一人】で行くつもりだわ」

 

 一人、という単語をことさら強調しながら魔梨沙は返事をした。その意味が分らない霊夢ではない。

 

「……邪魔するつもりね」

「ちがうわよー。あたしは足手まといを連れて行く趣味がないだけ」

「そう。分かったわ。ここで白黒つけておこうじゃない」

「どっちが足手まといか?」

「どっちが邪魔なのかよ!」

 

 言い、霊夢はさっと札をその手に取り出す。反応して、魔梨沙は先端に五芒星が付いた指揮棒のような魔法の杖を出した。

 年がら年中巫女服を着ている霊夢に言えたことではないが、普段から身に着けた紫色のローブと三角帽子といい魔梨沙は格好から入って魔法使いの道にどっぷりと漬かっているようである。

 次に霊夢は陰陽玉を周囲に展開していく。すると魔梨沙は対応するように四色のビットを展開した。

 

「いくわよ」

「はーい」

 

 宙に浮いた二人。そして霊夢の宣言に魔梨沙が応じたその直ぐ後に、大量の御札と霊弾と魔弾によって行われる弾幕ごっこが始まった。

 霊夢が放つ霊力の篭った御札は一部が魔梨沙に狙いを定めて正確にホーミングしてくる。そして、陰陽玉から出る霊弾は真っ直ぐ魔梨沙に向った。

 魔梨沙の宝石のようなビットは彼女の周囲を太陽の周囲を巡る惑星のように廻って御札を壊しながら周囲に魔弾を吐き出していく。また、魔梨沙が杖を振る度に出て来る魔弾は星の形をして周囲にばら撒かれた。

 そんな攻撃というには無駄の多い弾の競演は、赤と青と紫と白の軌跡を双方の眼に残して、広がっていく。

 空の空を埋める弾幕は、見るもの、そして戦うものを楽しませることを意識するかのように弾道を交わす。上下左右は力の光で埋まり、昼空は花火大会の夜空のように騒々しい。

 そんな弾道で出来た宙の迷路を飛び回る少女達の姿は、僅かずつ傷ついていく。

 

「中々やるわね、霊夢」

「魔梨沙こそ、私の御札が当たっているのによく堪えられるわね」

「霊力が爆発する前に離れているからねー。遠隔だから霊夢とそれの様子で分かるわ。慣れよ、慣れ」

「なるほど、ねっ」

「針は危ないわよー」

「つっ」

 

 霊夢も魔梨沙も会話の最中に手の緩めることはしないが、牽制として充分にそれは機能する。慣れ、だけで札に込めた力の隆起を感じ取れるなんてどれだけ【機微に敏い】ことか。

 自分の動きをも見抜かれていることを嫌った霊夢は懐から妖怪退治用の針を投げたが、そんな直線的な攻撃は容易く見切られ、逆に避ける動作に意識が行かなくなった分だけ弾幕を体にかすらせることとなった。

 何だかんだ何度も間近で力の爆発を受けて傷ついていた魔梨沙と、これでダメージは大体同じくらい。振り出しに戻ったような感がして、霊夢は更に苛立った。

 だからここで、切り札を切る。

 

「あーもう、これじゃあ埒が明かないわ! いくわよ、霊符「夢想封印」!」

「わ、これはちょっと、避けられないかー。じゃあ妹に発案してもらったこれを……魔符「スターダストレヴァリエ」!」

 

 霊夢がスペルカードを取り出し発動すると、慌てて魔梨沙もスペルカードを発動した。

 霊夢の周囲には大きく丸い色とりどりの光弾が、そして魔梨沙の周りにも負けじと星形の光弾が発生する。そして、一気に二つの力はぶつかり合う。

 

「くっ」

「えーい」

 

 やがて、拮抗の後に星が打ち勝った。相手に自動追尾する夢想封印よりも、一撃の威力を重視したスターダストレヴァリエがぶつかり合いで上回ったようだ。

 相殺したことで出来た空白に入れた霊夢も、続く残った昼に輝く星々に当たり、墜ちる。

 

「ぐう」

「よいしょっと、うふふ。重くなったわねー霊夢」

「……はぁ。何時と比べているのよ」

「そうね、ひと月くらい前かな。あたしが差し入れに来たときに、お腹を空かせて横になってたあなたを持ち上げた時は随分と軽く感じたわ」

「殴るわよ」

「怖い怖い。健康ってことでいいじゃないの」

 

 霊夢は地面に当たるその寸前に魔梨沙に掬われ抱っこの形に持ち上げられた。

 その際に霊夢は在りし日の昔を思い出したりしたが、魔梨沙は最近の肥立ちの方が気になったようである。

 しばらく互いに至近で見つめ合ってから、魔梨沙は霊夢をこわれものを扱うように静かに降ろした。

 

「……それで、私は足手まといだったかしら」

「あたしが思っていたよりも霊夢ったら成長していたみたいだし、邪魔はしないわ」

「そ。私は少し休んでから異変解決に向かうわ」

「なら、あたしもそうしようかしら」

 

 邪魔をしないならいいか、疲れた、と霊夢が神社に戻ろうとすると、魔梨沙も箒片手に付いてきた。

 霊夢は思う。心配性の魔梨沙のことだ。きっと、放っておけばずっと付いてくるに違いない。相変わらず実力はあるのだから気にせずにいればいいかとも思うが、それでも妹分として一言口出さずにはいられなかった。

 

「……足、引っ張らないでよね」

「うふふ、大丈夫。魔梨沙に任せて」

「はぁ」

 

 やる気満々な魔梨沙を見て、霊夢は嘆息する。

 まだまだこの姉貴分から認められることが出来ていないな、と思って。

 振り返れば、神社の足元に立ち込めていた紅い霧はもう視界全体へと広がりを見せていた。早く、体力を回復して元凶に対して向かわなければならないだろう。

 今日は疲れる一日になるな、と霊夢は予感した。

 

 



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第二話

 

 

 

 

 魔梨沙は霊夢にも特に語っていないが、実は彼女は異変らしき事態に何度か立ち向かったことがある。

 真っ赤な大学教授と戦ったり、何やら異世界の近くにいたフラワーマスターに挑んだり、魔法のメッカ魔界に行ってみたりと、実は魔梨沙は結構幻想的な体験をしていた。

 その全てに関わったのは、強い力を求めて行動したためである。実際にスペルカードルールもなかった当時の弾幕ごっこで、彼女の力は磨かれた。しかし、それでも魔梨沙は満足しない。

 

 じゃらり、という幻聴が耳に。顔を真っ直ぐ前に向けるための糧が全く足りていない。未だに見えない鎖が重く、彼女は飢えている。だから、魔梨沙は知らず必死に力を求めているのかもしれなかった。

 

 

 

「あーあー。体が冷えちゃった」

「温めてあげよっか?」

 

 紅霧の源を目指しての道中。無事に邪魔をして来た氷精チルノを倒した霊夢は、寒さにその身を震わした。

 その様と戦いをずっと後ろで見ていた魔梨沙は杖の先に火を点して霊夢に差し出そうとする。それは魔法で作った触れても火傷することもないまやかしの炎だ。

 

「いやよ。その火燃えないけれど熱いじゃない」

「ちぇっ」

 

 しかし、修行という名目でその火で炙られたこともある霊夢は拒否をした。

 熱感ばかりを刺激するその炎は拷問にも使えるシロモノだ。むしろ普通はその用途以外に使えないといってもいい。

 それを安全な熱源として使おうとする魔梨沙は少しズレていた。

 

「全く、そんな要らない手助けをするくらいなら、ちょっとは邪魔する妖精を退かしたりしてよ」

「えー。あたしあんまり弱い者いじめは好きじゃないんだけどー」

「私だって嫌いよ。でも、向うからやってくるんだから仕方ないじゃない」

「しょうがないわねー」

 

 面倒くさがる霊夢の要請に応じ、それまで妖精の張った弾幕を後方で避けるばかりであった魔梨沙も、少し前に出て杖から星形の弾幕を放って援護を始めた。

 霊夢のホーミング御札と違って、その軌道は直線的であるが、威力が高いその魔弾は的確にやってくる妖精たちの包囲網に穴を開ける。

 取りこぼしを霊夢がやっつけるといった形で殲滅していき、やがて二人が通った後には一体も元気な妖精は残らなくなった。

 

 そうして霧の湖の上を倒した妖精たちで汚しながら進むと、その先には元凶が潜んでいると分かり易い見た目の真っ赤な館が見て取れた。

 霊夢は知らないが、その名前は紅魔館。悪魔が住むと噂されている吸血鬼姉妹の棲家であった。

 

「何だか悪趣味な建物ね」

「あたしは赤いの嫌いじゃないけれど、ちょっとここまで全部だと目に良くないかなー」

 

 雑談する霊夢と魔梨沙。互いに力を合わせて戦っているためか余裕があり、最早雑魚敵などに二人の意識が向くことすらなくなっていた。

 

「好き勝手言ってくれるわね。そこが紅魔館の美しいところじゃない」

「あら、美鈴」

「なに、知り合いなの?」

 

 そして、門の近くに来た時に、会話を聞いていた門番が現れた。中華風の衣服に身を包んでいる彼女は紅美鈴。紅魔館の守りと花畑の世話を任されている妖怪である。

 そういう情報を、魔梨沙はすでに知っていた。

 

「そこの……魔梨沙とかいったかしら。その魔法使いとは知り合いね。以前中の様子を尋ねられたこともあったわ」

「入っちゃいけないっていうから、美鈴に聞いたのよ。いまいちよく解らなかったけれど。ねえ、霊夢だって湖の畔にこんな建物があったら気になるでしょ?」

「まあ、気持ちは分かるけど。でも、これから弾幕ごっこだっていうのに、気が抜けるわね……」

 

 暢気な二人の応答に、霊夢は眉根を寄せる。

 霊夢にとって、今回の異変はスペルカードルール浸透後初めての大きなものであるために、少なからず気を張らざるを得ないものであった。

 しかし魔梨沙はここへ来ても未だ通常通り。自分の経験不足が露呈しているようで、少し気分が悪くなった。

 

「それで私は紅白と紫、どっちと戦えばいいのかしら。両方共、っていうのは厳しそうね……」

「あたしが相手をするわ。その代り霊夢を通してちょうだい」

「むっ、何勝手に決めているのよ」

 

 ここもまた自分の出番だろうと思っていた霊夢は、出鼻をくじかれて、憤慨する。しかし美鈴は魔梨沙の提案に意外と乗り気であった。

 

「あー、私はそれでいいわよ。二人相手は面倒だし、そういえばお嬢様が博麗の巫女と会ってみたい、って少し前の夜の散歩の時に言っていたことがあったことを今思い出したわ」

「そう。ならちょうどいいわね。霊夢【頼んだ】わよ」

「……私抜きで話が進んだのは気に食わないけれど、仕様がないわね。じゃあ、先に行っているわ」

 

 姉貴分に頼まれた。それだけで気分がよくなる自分は単純だと思いながらも、霊夢は期待を裏切ることはできない。

 横を通る時に美鈴をひと睨みしてから、三面ボスと戦うことなくすり抜けて霊夢は先に進み紅魔館の中へと消えていった。

 その姿を目で追い、しかし体は魔梨沙の方へ向きながら美鈴は気になったことを質問する。

 

「どうしてあの子を先に行かせたのか、聞いてもいい?」

「うふふ。そうねえ、保護者が二人も居たら流石に霊夢も窮屈だろうから、かしら」

「なるほど……私が妖しい【気】配を感じたのも、そういうことなら納得ね」

「心配だけれど……あの妖怪が見てくれているならよっぽどのことは起きないでしょう」

 

 そう言って、魔梨沙は自分の服を引っ張りその色を眺めた。そして、過保護なのは自分だけではないのだと思い、苦笑いする。

 霊夢の背後の何にもない中空が裂けてそこから眼が覗いているということに気づいたのは少し前のこと。いくら術でそのことを分かりにくくしようとも、下手人は解っている。

 しかし、魔梨沙は何度となくやりあった経験から、スキマ越しに霊夢を見守っているだろう妖怪、八雲紫に対しては一定の信頼を置いていた。

 だから危険はなく、むしろ今は霊夢に不足気味な経験を積ませるいい機会なのだろうと、そう理解して送り出したのである。

 

「さて、それじゃあ、弾幕ごっこ、始めましょうか」

「いいわよ、かかってきなさい」

 

 やがて二人を中心として広がっていったのは、虹色の妖弾と紫と白の魔弾が交差する光景。それらは次第に広がり、宙を大いに彩っていく。

 鮮やかな弾幕を避ける、二人の姿も中々のもの。双方ともに赤い髪を乱しながら、空中をただ移動するだけでなく自分めがけて迫り来る弾幕を見事な体捌きで紙一重にて避けていく様は、曲芸を思わせる。

 こうして中華ドレス風に魔女風という対照的な姿の妖怪と人間との弾幕ごっこが始まった。

 

 

 

 

 

 

「美鈴、あなた弾幕ごっこは得意じゃないでしょ」

「あー、やっぱり分かちゃう?」

 

 花は美しくとも刺がなくては踏み散らかされてしまうことに抵抗することは出来ない。

 同様に、魔梨沙がまるで舞い散る花びらのような弾幕の隙間を踏破してその間を縫って魔弾を叩きつけることを美鈴が防ぐことは出来なかった。

 ボロボロになり始めたチャイナ服を気にしながら、美鈴は懐から最後のスペルカードを取り出す。その顔には、一度も相手にスペルカードを使わせられなかった苦渋よりも、諦観の念が色濃く現れている。

 

「弾幕は綺麗だけれど嫌らしさが足りないわ。まるで貴女みたいよ」

「あはは。こういう考えるのは苦手なのよねー。こっちの方が得意だから」

 

 そう言いながら、美鈴は自分に向けて飛んできた魔弾を蹴り砕いてみせた。魔梨沙はその際に一瞬表情が生き生きとしたものに変ったことに納得する。

 普段から門番をしているのだから魔梨沙は美鈴にある程度の強さを期待していたが、残念ながらそれは期待はずれであった。しかし他が得意で弾幕ごっこが不得意であるのであればそれも仕方がない。

 あくまでスペルカードルールを用いた弾幕ごっこは遊戯の域を出ないのだから、格闘戦闘が得手な相手にまでその上手を求めるのは酷なものだ。

 そう思い、魔梨沙は美鈴の放った時間稼ぎ用の弾幕を避けて通る。

 

「それじゃあ、これで最後。いくわ、彩符「極彩颱風」!」

「わー、綺麗ね」

 

 それは色彩の暴力、そして素直さを極めたような弾幕であった。まるで美鈴の方から降ってくるかのように、飛んでくるカラフルな弾幕は気ままにまとまり離れて空間に隙間を失くしていく。

 花びら状の弾幕は、風に飛ばされているみたいに、四方八方を動いて通る。美鈴の周囲はそれこそ溢れんばかりの色の競演を見せて、至近の魔梨沙もその美しさに満足感を覚えた。

 しかし、この弾幕にも道が見えないわけではない。規則的でない弾幕には濃い場所に薄い場所の両方が存在する。下がり密度の低い方に飛翔し体を滑りこませれば、回避は比較的に余裕となった。

 そも、わざわざ薄い場所を作った上で誘導して弾を当てるような小細工もなしに、弾幕慣れした魔梨沙を落とすことは難しいのである。

 

「えーい」

「くっ、やられた」

 

 スペルカードを展開できなくなる程の時間を待つまでもなく、隙間を縫った魔梨沙が魔法の杖を振り星形の魔弾を美鈴に浴びせかけて戦闘は終了した。

 バサリと紅の長髪が翻り、そしてその身を一回転して安定してから美鈴は地へと降り立つ。そうして、両の足でしっかりと立ち上がり仁王立ちになった。

 魔梨沙が道中にて出会った宵闇の妖怪や氷精と違い、負けた後でもその姿には未だ余裕が見える。

 なるほど確かに全力を出せていないのだと、宙に浮かんだまま魔梨沙は感じ取った。

 それを面白く無いと思った気持ちを彼女は素直に吐露する。

 

「うーん。これじゃ、お互い消化不足じゃないかしら。もし次やりあう時があったら貴女の得意な格闘も織り交ぜてやってみましょう」

「呆れた……わざわざその細腕で私の、妖怪の領分で戦おうだなんて、随分となめてくれたものね。お遊びに勝ったからって調子に乗っているの?」

 

 言葉を受けた美鈴は少しの苛立ちを見せた。そして威嚇するように鬼【気】を発する。気を使う程度の能力を持った美鈴の威は最早物理的な圧力を持っているかのように錯覚させるほどだ。

 並の人妖では空中に居ることも出来なくなって墜ちるほどに、それは重い。

 しかし過分な重圧を受けても、魔梨沙はただ柳に風でうふふと笑う。

 

「違うわよ。お遊びだからこそ、相手が本気を出せない状態で白黒つけたところで面白くないって思ったのよ。だって、あたしは貴女に期待をしちゃっているのだから」

「……あはは、分かったわ。そうね、死体でなくとも敗者にだって口はないはずだった。次は期待に応えて見せましょう」

 

 終始余裕を崩すことのない、そんな魔梨沙の様子を見て毒気を抜かれた美鈴は、意気を引っ込め、そう答えた。そもそもが、自分が過小に取られたという勘違いからの行き違い。

 決して、生涯かけて磨いてきたその格闘術が遊びと同列に扱われていたわけではないのだ。

 大人げない自分を反省して、美鈴は魔梨沙が紅魔館に入っていくのを見送ることに決めた。

 

「それじゃあまた」

「またねー」

 

 箒にまたがり空を往く紫色。その姿を目で追いながら、美鈴は本当に行かせてよかったのか、わずかに迷う。

 その身から感じられる気ほど得手ではないが、魔梨沙にずば抜けた魔力の多さを感じ取っていた。

 相手の力量の把握は門番についてから自然と身についた技能。しかし、その経験からしても、魔梨沙の底は把握出来なかった。

 

「まさか、パチュリー様と同じくらいの魔力だったりして……いや、人間の身でそれほどの力を持っていたとしたら正気でいられる筈がない、か」

 

 頭を振って、疑念は散らす。以前から知っている相手であるし、悪い相手ではないことは、会話でも判っている。嫌な気配もしない。

 ただ、何かが【気】になった。それだけのことである。

 そうして美鈴は紅魔館を背にして、再び門の守りに就いた。世話をしている花のためにも、内心この異変が早く終ってくれることを願いながら。

 

 

 



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第三話

 

 

 

 紫色の長髪がトレードマークである七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジにとって、紅魔館は家であった。ここ数年間でとみに広くなった、我が家である。

 最初、この建物は変わり者の吸血鬼の館といった印象だった。しかし百年もの時を経て、自分のための図書館、そして親友と過ごす箱、やがて我が愛しの棲家といった風にその認識は変化していったのである。

 そんな家の底の方、地下の大図書館にて、パチュリーはいつも通り読書に勤しんでいた。現在も彼女の親友である吸血鬼レミリア・スカーレットが紅い霧にて幻想郷に異変を起こし続けていることは知っている。

 むしろ、中々目当ての巫女が来ないために今日はレミリアが一段と気合を入れて紅霧を起こしているということすらパチュリーは知っていた。だがしかし、彼女は大図書館の中で動かない。

 それは別に親友に対する信頼があるからでも、自分に無関係と切り捨てているからでもなかった。ただ、余裕があるのである。そう、ルールがあるだけ以前彼女たちが幻想郷に来る時に起こした異変、俗に言われる吸血鬼異変の時と比べれば遥かに状況は温い。

 

「咲夜は、まあ侵入者の排除に当っているのかもしれないけれど、小悪魔ったら、遅いわね……」

 

 椅子と机、そしていっぱいの本。それだけで幸せになれる安上がりなのが魔女であるとパチュリーは思っているが、しかし彼女は嗜好の類を断つまで禁欲的ではない。

 故に、空になったティーカップを寂しく思い、本から目を離して従者にあたる存在を探したりもする。自分で淹れるには面倒でも、適当な時に美味しいそれを喉に流し込めることが出来ないと気分が悪くなる程度に、パチュリーは紅茶を愛飲していた。

 しかし、自分が探している姿は影も見当たらない。メイド長である人間、十六夜咲夜が居ないというのは有事における館内の掃除係でもあることからも理解できるが、この大図書館の司書を任せている小悪魔が居ないのは少し問題だ。

 読書向きの静かさを保ったままであったためにふらりと出て行くその姿を問題としていなかったが、戻ってくるのが気付けば随分と遅くなっている。

 求めていなかったために事務に力仕事が出来るおまけくらいの戦闘能力、弾幕展開能力の彼女が心配といえば心配だった。もっとも、そういう魔法も掛けていない今、わざわざ異変の主を無視して地下に来る侵入者というのは想像しがたいものではある。

 だが空になって不満を覚える紅茶と同じくらいには忠実な性格をした小悪魔を気に入っていたし、気にもなってはいた。

 

「はぁ……仕方がない。少しくらい我慢しましょうか」

 

 まあそのくらいならと、パチュリーはまだ動かない。

 結局、手元の本への興味と、面倒臭さが勝ったようだ。少し、口元をへの字にしながら、ちょいとパチュリーはナイトキャップを不満げに引っ張った。

 自分は淹れ方が下手。それに、勝手気ままでいたずら好きで練度の足りない妖精メイドたちに飲用するものを任せるのは問題外だし、それにそもそも彼女たちは異変にあてられて大半が地上や侵入者に向いちょっかいをかけに出かけている。

 だから仕方がないと、厚い革の装丁の本を再び覗き込んだ、その瞬間に。

 

「――パチュリー様、侵入者です!」

 

 図書館の扉が騒々しく開かれて、そこから飛び込むように小悪魔が現れた。彼女が大切にしていたその赤髪どころか全身をボロボロにした、そんな姿で。

 心配のとおりに酔狂な客がやって来たということを、ここでようやくパチュリーは知る。

 ただ、想像していた最悪よりも、やはりずっと温い小悪魔の姿が、どうしてだか胸に引っかかった。少し経ってから思っていた以上に自分の中で嗜好品の価値が高かったことに、パチュリーは気付く。

 

「すいません、私、弾幕ごっこに負けて、案内をさせられて……」

「そう……別に構わないわ。私が出迎えてあげる」

 

 パチュリーは立ち上がって、息を荒げる小悪魔の方へ歩み寄り、向って来る大きな魔力に対して少しだけ眉根を寄せた。

 

 

 

 

 

 

「中も大体紅いのね。ここまで徹底しているとそろそろ好感がもてるわー」

 

 紅魔館の中へと侵入を果たした魔梨沙を待っていたのは、外観との縮尺を間違えたかのような、赤くて広い廊下であった。

 その所々に転がっている巫女にやられただろう妖精メイドたちが色の調和を乱してはいるが、概ね単調でなく綺麗な内装だと魔梨沙は思う。

 前世らしき知識からぼんやりと覚えているために和風の建物ばかりの人里で過ごしていた魔梨沙にも洋風建築に対する驚きはないが、紅魔館がこれほど立派な洋館であることは知らず、彼女も内心舌を巻いていた。

 

「っと、驚いてばかりじゃ駄目ね。えー、霊夢はあっち。そして、一番強い力は……あら、地下?」

 

 魔梨沙は真っ先に帽子から取り出した星形のペンデュラムによりダウジングをして、霊夢の行き先を理解した。そして、次に同じくしてボスらしき力の強い反応を探してみると、それは僅かに迷ってからピンと地面を向いた。

 霊夢がここぞというときに勘を外さないことを魔梨沙は経験からよく知っている。そして、自分の占いの精度の高さも信じている。

 そう、知って信じているがゆえに不思議なことであった。霊夢が真っ直ぐにこの異変の元凶に向っているのは間違いなく、しかしそれよりも強い力の反応が一つあるというのにも確かであり。

 

「そうね……スペルカードルールがあるから霊夢が負けても大丈夫でしょう。まあ、勝つだろうけれど。ならこっちの反応は、あたしが抑えて、それで異変を終了とすればいいかしらね」

 

 不慮の事故死はあれども、基本的にスペルカードルールを守る以上は妖怪は人を殺せず、そもそも幻想郷で重要な役目を持つ巫女を殺そうする上等な妖怪なんて、この幻想郷ではそういないだろう。

 迷い魔梨沙はしばし逡巡するが、しかし彼女は強い力に対する興味が勝ったのか、今度は地下へと向かうための階段をダウジングで探し、そしてそこへ真っ直ぐに飛んで行く。

 

 赤い口を開いた階段を下り、直ぐ左右に広がった地下一階というべき空間を無視して、魔梨沙は力に導かれて地下深くへと向かう。道中の妖精メイド達の邪魔はそれほど酷くはない。

 すると、階段が失くなったその階に着いてから振り子は横へと方向を変えた。その先は魔梨沙の眼にもその先は迷いそうなくらいに入り組んでいることが理解できる。

 

「はぁ、まるでダンジョンね。ダウジングを習得しておいて良かったー」

 

 迷路のような道も、しかし導かれるままに進んでいけば直線と変わらずに行けるもの。星の導きに感謝しながら進んで、そうして魔梨沙は行き止まった。

 塞ぐように眼の前にあるのは、大きな扉。そこは魔法によって封じられている。大きな六芒星の魔法陣によって封印されているそれを魔梨沙が力づくで破壊するのは厳しそうだった。

 触れるのも躊躇われるほどの力で、綿密にその扉は保護されている。術式から鍵を発見しようにも、複雑過ぎて魔梨沙には難しいようだ。封印を突破するのに出来ても一日二日かかるようであっては、それは最早無理であるのと大差ない。

 

「うーん、邪魔な籠目模様ね。そう思わない? そこの悪魔ちゃん」

「なっ! 確かに一度もこっちを見ていないのに、どうして私を!」

 

 そう、扉の前で途方に暮れているように見えた魔梨沙。しかしその周囲を見る目は霊夢も認めざるをえないくらいに鋭くある。

 力を隠していた悪魔、わざわざ隠すほどに力があるともいえないが、それがこっそりと逃げようとしていたのを魔梨沙は先のダウジング同様にその【能力】を使って認めていた。

 

 驚いたのは、件の悪魔、契約により名前を預けているために小悪魔と呼ばれているそれである。

 小心な彼女は異変の影響で地下の封印が緩んでいないか気になり見に来て、迷いながらも辿り着き、それが確りと変わらずあることに安心していたところだった。

 そこに、大きな魔力を持った人間が来て、慌てて息を潜めて隠れ逃げようとしていたのに、見つかったのだ。力の弱い彼女は隠れんぼに慣れていて自信があったというのに、である。

 

「そんなことはどうでもいいじゃない。ただ、あたしは聞きたいの。ねえ、貴女はこれを開けられる人、知らないかしら? 封じた人、あるいは中のものを世話している人なら鍵を持っているんじゃないかとあたしは思っているんだけれど」

「……そこに何があるか、貴女は理解しているのですか?」

「すっごく大きな力があるわねー。危険極まりないわ。だから、それがどういうものか調べないと。さーて、鬼が出るか蛇が出るか」

「蛇なんかじゃありません。あの奥にいらっしゃるのは強大な吸血【鬼】ですよ。破壊の力を掌る、それはそれは恐ろしい悪魔です」

 

 恐れる瞳が、力の入って震える体が、魔梨沙に小悪魔の言葉に嘘がないことを教える。彼女が恐れる相手がこの奥にいるのは違いない。

 吸血鬼というだけで強さは保証されているようなもの。それに破壊の力が加わるとなれば、なるほどそれは恐怖に値する。

 そして魔梨沙にとって、前者なんてどうでも良かった。香ばしい加味、破壊の力という言葉の響き。それが力を欲する魔梨沙を昂らせる。

 

「破壊の力。へぇ……それは是非とも会いたいなぁ。うふふ――――ねえ、もう一度聞くけど、貴女はこれを開けられる鍵を持っている人を、知らない?」

「なっ!」

 

 胸の内で高鳴るそれは、最早興味ではあり得ない。心の底から溢れ出る執着心が、破壊の力を持つものを求める。それを手に入れるかどうかは後回し。ただ、力に惹かれて魔梨沙は赤い目の色を変える。

 魔梨沙の中で、枷が一つカタリと外れる音がした。それを知りながら、魔梨沙は抑えられない自分を開放し、そして気持ちに沿って溢れだした魔力を暴れさせたままにする。

 

 小悪魔が受けたのは、まるで怒涛のような魔力の流れ。魔のものであるからこそ、その力に対する畏怖は湧く。

 周囲の魔の色をを染め上げられた小悪魔は、急に現れた眼前の人間の恐ろしさに顔を青くする。しかし、ギリギリのところで彼女はこらえた。

 長い悪魔人生、小悪魔だって幾度かこれくらいの恐怖は経験している。それに、このくらいならパチュリーが本気で怒った時と【大して変わらない】のだ。それが人間から発されているという異常を忘れて、震えながら小悪魔は言う。

 

「お、脅しには屈しませんよ」

「あー、ごめんねー。脅かしちゃった? 違うのよ。力尽くとか、そんな気持ちは全くないから。ほら、連れて行ってくれるかどうか、コレで決めましょう?」

「弾幕ごっこ、ですか。……分かりました受けましょう」

 

 指の先に魔力で編み上げた紫色の弾を浮かべた魔梨沙を見て、小悪魔はしぶしぶ賛同した。それは、目の前の相手を打倒するのにそれ以外の方法が見当たらないためである。

 小悪魔は知らない。魔梨沙相手に弾幕ごっこで勝つこと。それこそが脳裏に浮かんでいた選択肢の中で何より困難な道であったことを。

 

 

 

 

 

 

「霧雨魔梨沙、ね。それで、こちらの事情も何も知らない関係のない貴女が、どうして地下の封印を抜けようと考えているのかしら?」

「もちろん異変の解決のためよ。あたしが感じた力の持ち主が解決に乗り出している巫女の邪魔になったら大変だって分かるから、異変に参加する意思があるかどうか確認するためにも会うことは必要かなって思ったの」

「嘘。貴女はフランドールの力に惹かれた羽虫。そんな風に理性的に考えているはずがないわ」

「うふふ。辛辣ねー。あたしが霊夢を心配していることも確かなことよ? まあ、破壊の力とやらをこの目で見たいというのは大きいけれど」

 

 だいたい紫色の二人の魔法使いは相対して、言葉をかわす。しかし、その二人の性格や気持ちは決して同じものではない。

 意図せずに喜色から溢れださせてしまう魔梨沙と違い、パチュリーが魔力を溢れさせているのは怒った際の自然なものである。

 互いの間では多量の魔力がぶつかり合い、交じり合うことはない。同等の力が押し合うことで空間が軋み、緊張が走っていく。

 体を休め身だしなみを整えておくようにとパチュリーに言われてこの場から逃げ出すように去った小悪魔などは、十分離れたはずであるのに怯え、震えている。

 

「ふぅ……あの子は狂気を抱えている。それに今日は満月。あの子の力も最高潮に達しているはず。ただの人間が近寄るのはそもそも危険すぎる。別に私としては貴女がどうなろうと構わないけれど、無闇にフランドールを刺激されるのは困るわ」

「なるほど。だからその子は篭っているのね。自分の力が怖いから」

「……そういえば、貴女は封印魔法を見ていたのね。そうよ、フランドールが本気であったらどんなに強く封印をしても意味を成さない。見た通りにあれは、主に外からの働きかけを封じているものよ。力のないものが自分に近寄らないように、とね」

 

 私とお嬢様以外はそのことを知らないけれど、とそう付け加えて黙したパチュリーの表情は硬い。彼女が現状に納得していないことは明らかである。

 しかしどうしようもないからと、パチュリーは落ち付いている今をかき乱すような要素を嫌う。それが自らがその背中を飾った相手、フランドール・スカーレットのことを思って行動しているわけでない者であっては、尚更会わせようとは思えない。

 

「健気な話ねー。でもあたしなら大丈夫。そう簡単にやられるほど弱くはないわ」

「そうね、相対してみれば分かる。人間にしては貴女は強いのでしょう。勘違いするのも仕方のないくらいに。そう……違うのよ。フランドールのありとあらゆるものを破壊する程度の能力は、体験して参考になるようなものでは決してない」

「うーん。忠告有難いけれど、あたしは疑り深いから、ちょっと実際に会うまで信じられないなー。ごめんね」

「はぁ……この、わからず屋」

 

 怒りといえども感情にまかせてしまうのは駄目なことであると考え対話を続けたパチュリーであったが、しかし被った鉄面皮は歪んでしまった。間違いないと感じておきながら初対面の相手の言葉を信じられない、魔梨沙のひび割れた小心が邪魔したために。

 土台、異変を起した相手と治めようとしている敵同士、不通は仕様がないことかもしれない。だが、目つきが険しくなりため息が漏れてしまうのは、眼の前の相手が気に食わないというその理由が大きかった。

 そろそろ、パチュリーも人の気も知らずにニコニコと笑い続けている少女にムカついていたのだ。

 

「いいわ。そんなに言うなら試してあげる。貴女がスペルカードも見たことのないあの子がきっと持ちかけるだろう本気の弾幕ごっこに、耐えられるかどうかを」

 

 しかし、勝手にしろとはいえない。これ以上フランドールに簡単に壊れてしまうようなおもちゃを与えてしまうのは情操教育上ごめんだと、パチュリーは自信作のスペルカードを三枚取り出して見せつける。

 

「うふふ。魔女の力というのも興味深いわー」

 

 対して、魔梨沙は笑みを深めて応答した。

 

 



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第四話

 

 

 

「月符「サイレントセレナ」」

「わ、いきなりねー」

 

 箒に座しながら空を往く魔梨沙と泰然と浮かぶパチュリー。そんな二人が離れて頃合いといった直ぐに、パチュリーはスペルカードを宣言した。

 今日は満月。月の力は頂点に近い。実の月は赤みを帯びているが、パチュリーが放つ月光を模した弾幕は薄青く広がっていく。

 まず月の雫、とでも言うべきであるような水色の魔弾が大量に生成されパチュリーから魔梨沙の方へと殺到していき。そして、両側面から連なった光を表すような長い弾幕が円に至ろうとするように迫り、避ける道を限定していった。

 パチュリーの力量を表すように魔弾の数は画面を埋め尽くしかねないくらいに多く、その数だけこのサイレントセレナの難易度は非常に高くなる。

 

「これはいやらしい、弾幕!」

「上手く避けるものね……」

 

 魔梨沙はまず前進することを止めて、下がりながら上下前後左右を把握しつつ、ビットと魔杖から魔弾を殺到させる。

 猪突猛進してくるだろうと予想していたパチュリーにとって魔梨沙のその選択は意外なことだった。これは前に出れば出るだけ苦しくなる、そんなスペルカードなのだから、それを見抜かれたようで彼女は少し驚く。

 そして、どうしようと僅かである隙間に箒を駆り、体を滑り込ませて行く魔梨沙にパチュリーは瞠目する。

 様子見をしたせいか、もう光線風の弾幕は左右から真っ直ぐ前にまで増えて回避路をほぼ失くすことに成功しているのに、それでも魔梨沙は僅かな光明を逃さない。

 小さな隙間を縫って杖を握った手を振り振り星形の魔弾を放ちながら、魔梨沙は左右に動くパチュリーの魔法の防御を抜いてスペルカードを終了させることに成功した。

 

「まずは、一枚!」

「くっ、日符「ロイヤルフレア」!」

 

 月が消えれば次には日が昇る。夜中であるためにその魔力は完全ではないが、しかし日光の威は強大なものがあった。

 パチュリーと魔梨沙の間に現れ始めた赤い魔弾のうちまず三つが円かにそれぞれの方向に進みながら、その道程に同色の魔弾を敷き詰めていく。

 この時点で既に魔梨沙の視界は赤い光でいっぱいになっているが、そして次に現れた数は五。それが中心から丸く渦を巻きながら魔弾を生成する。

 そして、出来上がった全ての弾が同じ速度で外側に向っていくことで、眼の前で交差が起きたり二重のようになったり、複雑に変化して敵対者である魔梨沙に襲いかかっていった。

 

「これは中々、面白い、弾幕じゃないっ」

「ロイヤルフレアでも駄目だというの!」

 

 だがしかし、ここでも魔梨沙は上手である。全体を見れば苛烈過ぎる日の弾幕を、自分に向かってくるものだけを注視することで冷静に隙間を見付けて、通り抜けていく。

 紅の弾幕に、赤い髪を掠めながらも、怖じることなく魔梨沙は宙にあり続ける。

 上下左右、激しく動いて隙を見ながらビットの力も借りて魔梨沙は高い火力を用い、パチュリーの守りを削っていった。

 

「これも、攻略よー」

「っ、なるほど言うだけはあるようね……」

 

 パチュリーは一つ息をしてから、攻撃の衝撃でズレたキャップを引っ張りかぶり直す。そして、衣服の端々を破かせてなお笑顔いっぱいの魔梨沙をジト目で見つめた。

 今日は喘息の調子がいい。全身の魔力の通りも悪くないし、それの行使も望み通り出来ている。そうであるというのに、相手は絶対に避けきれないだろうという自信をもって宣言したスペルカードをこうも踏破されてしまったのはどうしてか。

 それは単純に魔梨沙が弾幕ごっこというものに信じがたいほど長じているからだと、パチュリーは認めざるを得なかった。

 

 弾幕ごっこ、とはいえ体の間近を通るのは力の塊である。いくら遊技用と弱めていてもまともにぶつかれば、怪我の一つくらいはする。

 それを恐れず冷静に避けることも初心者には難しいというのに、魔梨沙は魔弾をその身に掠らせながら躱すことすら楽しんでいる様子であった。

 一体、魔梨沙がどれくらいの経験を積んでいるのか、パチュリーにも測れない。いや、普段から図書館から動かないが故に外のことに詳しくない彼女であるからこそ、魔梨沙を高めたレミリアが起したもの以外の異変など知りようもなかった。

 ましてやそんな魔梨沙の関わってきた異変における弾幕ごっこが、スペルカードルールもない命の危険の高いものであったということなんて、分かるはずもないのだ。

 

 

「でも、これだけでは魔梨沙、貴女が回避できない弾幕に対処できるかどうか分らない。今度は破壊の力に挑みたいという貴女の力を見せてみなさい。次は私も、手加減なしでいくわ。必死で来なさい」

「ふーん……分かった」

 

 確かに、弾幕ごっこでの実力はパチュリーの知っている誰よりもありそうだった。しかし、彼女が望む相手はフランドール。

 ルールも加減も知らないフランドールが誤って、回避不能の弾幕を張ってしまうようなことなんて、いかにもありえそうなことである。

 だからこそ、ルールに縛られて手加減するのはもう止めだ。手を抜いたことで半端者を通らせ殺させてしまうのは、フランドールのためにも、ついでに魔梨沙のためにもならない。

 

 どうして自分がこんな面倒をしなければならないのか、との苛立ちを感じながらもパチュリーは律儀に最後のスペルカードの準備を始めた。

 ここは大図書館。それも魔女のためのものであるからには、魔導書の類は幾らでもある。そして、その中でもそれぞれの方向に特化した五冊の魔導書が引っ張られて本棚からパチュリーの眼の前に導かれるまま浮かんでいく。

 

「いくわよ、火水木金土符「賢者の石」!」

 

 それぞれの魔導書に書かれ極められていたのは火、水、木、金、土の五行の力。それがパチュリーの持つ五大属性に日と月を加えた属性魔法を操る能力によって増幅されていく。

 そして出来たのはそれぞれの力の結晶。賢者の石と呼称されているそれは、本来のものと一緒ではないが五色がそれぞれの力を有しており、またどこかフランドールの背中の羽を彩る結晶とよく似ている。

 

「わあ、スゴい!」

 

 魔導書から顕れた五色の宝石は、火、水、木、金、土、それぞれの種類を形にした弾幕を放っていく。炎や水、果てはナイフ状、そんな魔力の塊が爆発的に増殖して、ランダムに向かってくるというのがこのスペルカードである。

 そして、今回の場合そこに篭められた力は本来のものより断然多く数も比較にならないほど。魔梨沙の眼前は完全に埋まり、パチュリーの姿を隠すほどの五色が眩しい。

 

 魔梨沙は避けようと試みるが、掠るだけで服は燃え貫かれ大きく切り裂かれてしまう。辛うじて路は見つかっても、そこに体を潜らせられるほどの間隙はなく、そして先は図ったかのように行き止まり。

 気づいても既に下がることなど出来ずに囲まれて、だから邪魔な前の弾幕を一つ退かそうとしても、それはしかし魔弾とビットを一点に集中させることでしか不可能だった。

 

 こちらの弾幕は届かない、だというのに、相手の弾幕は山ほどあふれている。そんな困難極まりなくなった状況に、思わず魔梨沙は掠めて飛んでいきそうになった三角帽子を掴んで笑みを深める。

 なるほどこれは、どうしようもないと。何もしなければあっという間に魔弾に触れて死んでしまう。しかしこれは模擬戦であるとパチュリーは言った。

 なら、本当の破壊の力はこれ以上にどうしようもなくて、恐ろしいのだろう。魔梨沙の笑みは深まりすぎて、口の端は頬まで釣り上がった。

 甘く見ていたのは間違いなく、だからこんなに損な役を買って出てくれたパチュリーに対して、魔梨沙は感謝すら覚える。なればこそ、この魔法を突破するのが自らの務めであると、考えた。

 

「――――きゃははっ、見せてあげるわ! これが、我が愛しの妹発案のスペルカード第二弾!」

 

 魔梨沙が掲げるそのスペルカードが誰によって考えだされたのか、魔弾が多すぎて姿を見ることすら叶わないパチュリーを含め、気にするものはこの場に誰もいない。

 自分が恋した力の形。恥ずかしげもなくそれを模した弾幕に名前をつけてくれた、ふわふわ金髪の妹の姿が魔梨沙には忘れられなくて、彼女は誰に向けるでもなく自らの妹を誇る。

 隙間とも言えない、木と土の弾幕をこじ開けたところ。そこで魔梨沙は己の魔力を急速に魔杖の先端にかき集めて圧縮する。それがあまりに速いのは、能力によって力を扱うことに慣れているためであったろうか。

 

「恋符「マスタースパーク」!」

 

 そして、弾幕にすらならない粗雑な力の集いは、しかしそれだけで圧倒的なものになった。

 もし、どこかのセカイでの妹が持つ火炉のように強力な増幅器があれば、それは山を消し飛ばして余りあるほどのものになったかもしれない。

 だが、昔から抜きん出た魔力を持った魔梨沙は心配されて護身具を渡されるような存在でなく、また、収集癖のない魔梨沙は緋緋色金で出来た剣など見つけたこともなく、故にこの場にはまあ上等な星の杖しかないのである。

 しかし、それで充分。爆弾のように五色の弾幕を散らしたそれは、星の先端から轟音とともに真っ直ぐ目の前を隠すほど太いレーザー状の光線を成した。

 それはそれは純粋で暴力的な力。もし弾幕はパワーだというのであれば、これを一目見ただけで魔梨沙は弾幕ごっこに長じていると断じられる。

 

「っ、駄目――」

 

 それほどであったから、すぐさまパチュリーは身を守ることを選択せざるを得ず。

 その力は五行も魔導書も吹き飛ばして、パチュリーに迫って、そして渾身の魔法の防御も破壊した。

 

「パチュリー様!」

「くぅー……あ、ごめんなさい!」

 

 最早弾幕ごっこどころではないミキサーの中のような殺人空間を遠くから見詰めていた小悪魔は、急に巻き起こった一条の光に、そしてそれによって落とされたパチュリーに驚きその元へ向かう。

 そして、強めにマスタースパークを放った魔梨沙は力の急激な喪失によって気を遠くさせて、パチュリーを助けあげるのに遅れた。

 

「……むきゅー」

 

 だが、果たして高所から落ち、ぽてんと床に転がったパチュリーは無事であった。

 最後の防御魔法には咄嗟に鏡のような効果を付与していたのか、その身はむしろ魔梨沙よりもきれいなものである。

 しかし、力を使い果たしたパチュリーの気は失われていて、これでは当分起きることはなさそうであった。

 

「やりすぎちゃったかしら?」

「本当ですよ! もうっ!」

 

 流石に喜色を弱め、反省する魔梨沙。

 本が散らばった室内を見渡しながら、小悪魔は力の差を忘れて、ぷんと怒った。

 

 

 

 



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第五話

 

 

 

 紅く大きな満月の下、紅魔館の屋外には落下していく吸血鬼とそれを見送りながら肩で息を吐く紅白巫女の姿があった。

 墜ちる中途で飛膜によって風を受けふわりと向きを変えテラスに足を付けて顔をあげた吸血鬼はレミリア・スカーレット。彼女は運命を操る程度の能力を持った今回の紅霧異変の主犯である。

 そして宙から降り立ち、その前で腰に手を当てながら偉そうにして、小さな吸血鬼と向き合っているのは異変解決に来た人間の片割れ、博麗霊夢だった。

 

「ふぅ。レミリア、だったかしら。弾幕ごっこは私の勝ち。これで異変はお終いね」

「ええ、負けを認めましょう、博麗の巫女。私は霧で幻想郷を覆うのを諦める。約束するわ」

「むっ、レミリア。私にもちゃんとした名前があるのよ」

「ふふふ。分かっているわ、霊夢。今夜は楽しかったわよ」

「……ふん」

 

 優雅に笑うレミリアに、霊夢は顔を背けた。それは刺々しくしている自分が何となく気恥ずかしくなったからである。

 短い時間に幾度と無く攻撃を交わした相手であるが、それでも疲れとボロボロにされた衣服以上の恨みはない。

 むしろ、向うはどうしてか霊夢にとって好意的ですらある。そんな相手に対してまで気を張っているのは少し馬鹿らしいと霊夢も思う。

 これも経験不足のせいかと、そう感じながら、そういえばと霊夢は思い出した。

 

「あー、魔梨沙のこと忘れていたわ。何してるのかしらね、アイツ」

「あら、そういえばもう一匹人間が居るはずだったわね。確か魔法使いなら同じ魔法使いであるパチュリーに止められる筈だったけれど」

「どうしてそんなことが分かるのよ」

「能力の応用、と言えばいいかしら。黒白の魔法使いなら、きっと無事よ」

「……レミリア、貴女は何を言っているの? 確かに魔法使いだけれど魔梨沙はどちらかと言えば紫色よ。それに別に私は魔梨沙の心配なんてしていないわ。最低でも魔梨沙は、レミリア、貴女よりも私よりも弾幕ごっこが上手いもの」

「……おかしいわね。どういうことかしら。私はそんな存在を知らない――――っ!」

 

 人間一匹。とはいえ自分が把握出来ている筈の運命が違っている。

 これはどういうことかとレミリアが訝しげに眉をひそめたその直ぐ後に、地の底から響くような震動が襲いかかった。

 何かと、考えるまでもない。今まで何度かあった妹の癇癪の余波、それを感じた経験と酷似していたのだから。これも今回の異変のために撚りあげて限界まで明確化させた運命の中になかったこと。思わずレミリアも慌ててしまう。

 

「咲夜!」

「――はい!」

「わっ」

 

 レミリアの呼び声に応えて、完全で瀟洒な従者、時を操るメイド長十六夜咲夜が銀髪を揺らして現れた。

 先ほど自分が倒したはずの相手が突如として目の前に出現したことに、霊夢は驚く。

 

「フランドールの様子を見てきて。そしていつもの様に気取られず直ぐに戻って私に知らせなさい!」

「畏まりました!」

「なに、何なのよこれ!」

 

 そして、再び目の前で消えるメイド。足元に感じる揺れと同じく、タネが解らず不明である。それが、霊夢を不安にさせた。

 そんな自分より事態に対応できていない霊夢を見て、妹に対する心配で頭がいっぱいであったレミリアにも、余裕が出る。思わず広げてしまった羽を畳みながら、レミリアは霊夢に諭すように説明を始めた。

 

「大丈夫よ、これは妹が暴れているだけ。そう、それだけの筈。咲夜には、さっきのメイドにはその調査に行かせたのよ。あの子は、そういうことに重宝する能力を持っているから……」

「暴れているだけって……異変とは関係ないの?」

「異変にあてられたのかもしれないけれど、これは貴女と関係ないわ。身内で何とかするべきことよ」

「そう……」

 

 身内、という言葉で思わず霊夢は魔梨沙のことを思った。先ほどレミリアが語ったことは的外れであったようだが、この館には他にも敵となる相手が居るようで、その最たるものが地下の妹とやらなのだろう。

 ならば、そちらの方に魔梨沙が挑んでいるということはないだろうか。自分の方に来なかったということは、任せてくれたというのはそういうことでは、と霊夢が考えた時。

 

「あらあら。何やら話がおかしな方向に向ってきてしまいましたわね」

 

 ぞっとするほどの妖気が霊夢の背後から急に沸き起こった。勢い良く振り返り、札を突きつける霊夢と、目つきを鋭くしてその一挙一動を見逃すまいとするレミリア。

 そんな二人の視線を受けながら涼しい顔をして、リボンで両端が結ばれたおぞましいスキマの上に座っているのは、境界の妖怪八雲紫。妖怪の賢者とも呼ばれる大妖怪である。

 

「どういうことよ、紫」

「さて、博麗の巫女が、スペルカードルールの下、今回の異変を解決した……これはいいでしょう。しかし、一方異変解決に来たもう一人の人間に対し、異変の首謀者の妹がルールを守らずに争っている……これはあまりいいとはいえませんわ」

「何だと?」

「お嬢様……どうやらそちらの方の仰るとおり、フランドール様と侵入者が弾幕ごっこをしているようです」

 

 霊夢とレミリアが紫の言葉に訝しげに応じていると、そこに額に汗をかきながら咲夜が現れて、補足した。

 

「馬鹿な、封印が……いやそれよりも、フランはスペルカードルールを知らない。教えていない。なら、今フランがやっている弾幕ごっこは……」

「相手が屈服するまで力いっぱい弾幕を展開させ続ける、そんな随分と簡単で粗野なお遊びのようですわね」

 

 指の先で宙を一撫で。すると紫の目の前にスキマが開き、そこで現在の戦いが中継される。紅だらけの中で、辛うじて紫色が垣間見える程度の光景。それに、霊夢とレミリアは息を呑む。

 

「待って。それって、魔梨沙がレミリアみたいにバカみたいな力と回復力があるやつの全力を相手しているってこと? そんなの、勝ち目がないじゃない」

「私としては外野の勝ち負けは気になりませんが、不慮の事故というわけでもないのにスペルカードルールの施行された中で死人が出ることは望ましく思えません。それがルールを守らない故の暴走であったとしても、こんなに早く前例が生れてはそこから綻んでいってしまう」

「拙いわね……」

 

 強い妖怪同士の決闘が幻想郷を揺るがすような事態になることを防ぐためだけではなく、人間と妖怪が対等に戦えるルールとしても通じると作成されたのが、スペルカードルール。

その中で、ルールを守らない妖怪の弾幕とはいえ人が死んだと聞けば、人間側が萎縮してスペルカードルールでの決闘を持ちかけなくなってしまうかもしれない。

 それは拙いことだがそれ以前に、霊夢にとっては今現在魔梨沙がそんな死線を潜っているというのが拙かった。あれでも身内なのである。死なれたら目覚めが悪い、というよりもそんなのは嫌だった。

 

「レミリア、地下まで案内して!」

「ええ、分かったわ。咲夜、貴女は先に!」

「はい!」

「それでは、私はここでもう少し様子を見ることに致しますわ」

 

 そうして霊夢、レミリア、咲夜の三者は三様に事態への思いを持って地下へと向かう。一人としてその手助けを必要としなかった、胡散臭い妖怪をテラスに置き去りにして。

 

 誰も気づかなかったが、幻想郷を愛する八雲紫が動かないというそのことが、事態の軽さを秘密裏に物語っていた。

 

 人と吸血鬼の戦い。それはどう考えても吸血鬼に軍配が上がるだろう。しかし、それが弾幕ごっこであるのなら、そしてその人間が霧雨魔梨沙であるのならば。そうならば、話は変わってくるのではないか。

 そう、何度もやりあった経験から紫は、魔梨沙の力を知っている。

 

「これで、万が一の保険はしてあげた。最悪はない。後はどれだけの力を見せるかよ、霧雨魔梨沙」

 

 そう言って、紫は魔梨沙の映るスキマを閉ざした。そうしてから、彼女は新たに開いたスキマの中に消えて、そして誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 部屋の中は退屈である。何より四角くて、空想で丸を作って行くたびに角が余って邪魔になる。しかし、何もないところを壊すことなんて出来ずに、そしてフランドールは部屋を大きな円かにすることまで考えられないためにふてくされる。

 だからベッドに倒れこみ、毛布に顔を埋めれば今度はキュインキュインと狂った音色が耳朶にて響く。

 しばし顔を埋めたままおしりを持ち上げてそのリズムに合わせて腰を揺らすフランドールだったが、不完全な背中の羽根を飾る宝石のような何かがカチリと合わさった音を耳にすることで、自らのはしたない格好を彼女は思い出した。

 

「わー、恥ずかしいー」

 

 ぽふんとベッドに座り直したフランドールは、誰も見ていないというのに赤くなった自分の頬を両手で覆ってこね回し始める。上に下に、顔を隠して。

 

「痛い」

 

 その際犬歯に指が引っかかって、その小さな指先に傷を作った。しかし、痛みに眉を顰めるフランドールの感覚に反して、見てみれば指の傷はふさがり残っているのは紅の丸い血液ばかり。

 ぺろりとそれを舐めとると、後にはただの子供の手が残ってしまう。そう、何もつかめない、子供の手のひらがそこに。

 

「あーあ。つまらないの」

 

 目から離すように手を伸ばし、大きく体を広げて、そのままベッドへとパタり。

 そこで、果たしてフランドールは正気に返った。別に、それまでの彼女が狂気に逸していたわけでもない。ただ、ガチャガチャと壊しているために崩れやすい、これが彼女の素なのであった。

 

 少しひねくれた少女のままに、四百余年も。感傷やら後悔やらが鬱陶しくて、何度もその性格を壊して崩してみたりしたけれども、それでも自然とその性格へ直ってしまい、本質は変わらない。

 だが、性格の急変は他には恐ろしげに映る。周りはフランドールに豹変してほしくない。けれども、彼女自身は変わりたかった。そう、時折狂気にやられて愛する全てを破壊したくなるような自分を捨て去りたいと、フランドールは何時でも思っている。

 しかし、壊れても何時かは直るもの。故に、性格を壊して世界の見方を変えたりするような逃避を繰り返していても、何時かは弱いフランドールに戻る。それはどうしようもないと、彼女の後ろで囁く誰かが嫌いだった。

 

「ちっちゃな手……」

 

 何時からか成長しなくなった体。それは、自分がもう変われないのではないかという不安の象徴のようなものである。

 だから、成長に期待するよりも、壊れて、それが素晴らしい欠片になることをフランドールは望んでしまう。それがおかしいと思えないのは、誰よりも彼女が壊すことが得意であるが故のことであった。

 ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。そんなものがあっては、我慢も稚気も、育たない。嫌になったら壊してしまえばいいと、何時だって心の後ろで誰かが言っている。

 

「ん……またあいつ? それともパチュリーかしら、よいしょ、どーん」

 

 そんな無気力に溺れていると、唐突に封印を何者かが抜けた様子をフランドールは感じた。

 それは果たして何時も同じ時間に来るお姉さんが珍しく時間を違えてきたのだろうか、それとも、魔法の師匠が、教本をどれだけ習熟したのか様子を見に来たのか。

 後者だったら拙いと、思わずフランドールは机の上で山になっていた魔導書を崩して、さも今まで読んでいたかのように装った。

 地下深く、耐震防音性に優れた封印の奥にずっといたフランドールは外で異変が起きていることも、向かってくるのがその正確なカタチを見たこともない人間であることも知らない分らない。

 

「お邪魔しまーす」

「誰?」

 

 だから、強い魔力を放つそれが、見知らぬ霧雨魔梨沙という人間であると知ったその時のフランドールの衝撃はいかほどのものだったか。

 立方形のパーソナルスペースに侵入してきたのは、紫色の衣服と帽子を身に付け、肩口で赤い髪を切りそろえた、まるで絵本で見た魔女のような姿の存在。

 しかしその存在には本物の魔女であるパチュリー以上の脆さが見えて、非常に壊しやすそうだと後ろの誰かとフランドールは揃って思った。

 

 そして、二人は少し疎通の取れ過ぎたチグハグな会話を始める。

 

「ひょっとして、人間?」

「そうよ。私は種族人間の魔法使い、霧雨魔梨沙と言うわ。さて、ひきこもりのシンデレラは、貴女?」

「人間なんて初めて見たわ。私はフランドール。灰かぶりなんかじゃなくて、燃え盛る炎色のフランドール・スカーレット」

「あら、それじゃあ燃え尽きるまでカボチャの馬車はお預けねー」

「そんなのネズミにでも齧らせておけばいいわ。綺麗なドレスもガラスの靴も王子様もいらない。ただ、私には時間切れまで踊ってくれるダンスの相手がいればいい」

「あら偶然ねー。あたし、弾と踊る遊びなら得意なんだけど」

「弾幕ごっこね、私も好きだわ。でも、新しいルールが出来たって聞いたんだけれどそれは知らないの」

「そんなの気にしないでいいわー。ただ思いっきり遊べばいいの。あたしは貴女の踊りを見に来たのだからね」

 

 大丈夫だとウィンクをする魔梨沙に、それを受けて歪な喜色を表し出すフランドール。

 遊べる。目の前の繊細でよく出来たおもちゃで遊ぶことが出来る。それは、常に暇を覚えているフランドールにとって愛するお姉さんと師が一緒にやって来てくれたくらいに嬉しい事。

 フランドールは狂気に任せて、自身に課したこれ以上壊さないという何時も破られるばかりの枷を叩き壊して頭の中の屑籠に捨てる。

 壊れてもいい。力いっぱい遊び尽くしたい。そんな思いがフランドールの内にある妖力と魔力を解き放たせる。

 

 それは、吸血鬼であるという以上にフランドール・スカーレットという妖怪であるからこそ凄まじいほどの量になった。あまりの大きさの妖力と魔力は自然とブレンドされていき、発するフランドールを酔わせて頬を紅く染めていく。

 妖力に魔力、そのどちらともが、魔梨沙の力を凌駕している上に、相乗効果で高め合って底が見えない。こんな力の余波を浴びた人間は最早笑うしかなく、そして実に楽しそうに、魔梨沙は笑んだ。

 それは、フランドールの力が期待を超えているが故のことだった。なるほどこれなら大した破壊を成せるだろうと、真似事でもその片鱗を掴みたいと思った魔梨沙はその力を恋しく思い【直視】する。

 

 互いの口角は、どうしようもなく、釣り上がった。

 

「あはは! どうなってもしらないよ、魔梨沙!」

「きゃはは! 力でどうにかなってしまうくらいのあたしなんて要らないから構わないわ、フランドール!」

 

 狂おしく求めあい笑いあった人間と吸血鬼の魔法使いは、弾かれたように空を飛んで離れ。互いにありったけの弾幕を放った。

 そして、あっという間に紫と白は、紅に染まる。

 

 

 

 



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第六話

 

 

 

 霧雨魔梨沙はある能力を持っている。

 おかげで魔梨沙は強いのであると断ぜれば楽なのであろうが、実際にはそんなことはない。彼女はただ、元来持っている魔法使いとしての才能を狂信的なまでの努力で育て上げ、実践にて魔法を弾幕に使うことに慣れただけの人間だ。

 まあ、そんな努力が報われる補佐として、彼女の【力を見つめる程度の能力】は役に立っている。それは様々な力の推移や種類を把握するだけの、弱い子供の時に得たトラウマを磨き上げて至った能力。

 だがそんなものしかないというのに、魔梨沙は大抵の人妖と渡り合えるくらいの力を持っている。それはどうやってか。

 魔梨沙は求めて必死に見定めて、後でそれを真似て力を会得する。そういったことをずっと続けていたのだ。そう、能力を使い努力の近道を通い続けて、彼女は人としては破格の力を持った。

 その根底には、力を欲する狂気がある。内にある暗い炎が未だに、幼い魔梨沙を焼いていた。魔梨沙はその痛みに抗うために力を求めて力に触れて、生きるために死と戯れグレイズし続けるのだった。

 

 

「あはははは! スゴい、よく避けられるね、魔梨沙!」

 

 しかし、そんな魔梨沙の必死な努力をあざ笑うかのように、フランドールの放つ通常弾幕は一発一発が破滅的なものである。今も、紅に緑色をした死神が、魔梨沙の傍を掠めていく。

 フランドールが努力をしなかったとは、言えない。身を消したり、四つの数に分身したりするなど、並大抵の魔法使いでは出来ないそんな魔法を習熟するためには相当の年月を要したものである。

 しかし、それも熱のこもったものではなく、永き時の合間を使って何とか理解し覚えたもの。とても、魔梨沙のように狂的な努力を重ねたりはしていない。

 何しろ生まれながらの強者に娯楽にならない努力は必要ないのだから。それくらい吸血鬼、人間の地力の差は大変なものなのである。種族の差を努力でどうこう出来るものか、果たして疑問だ。

 そして、いくら魔梨沙に才があろうとも、フランドールにだって溢れんばかりの才能に恵まれている。普通に考えれば、勝負にすら成り得ない。

 

「きゃははは! フランドールの力も、スゴいじゃない!」

 

 だが、魔梨沙も、そしてパチュリーですらそんなことは考えなかった。

 一歩間違えれば虐殺にしかならない、そんなフランドールの能力に引っぱられて破壊的になりすぎた弾幕に囲まれた中で、その冗談みたいな破壊力を身に掠めて確認しながら魔梨沙は笑う。

 それは楽しいからだった。あんまりなまでの力の差、それを見ることで力を求める心に火が点き疼いてたまらない。まるで恋するかのように瞳は釘付け、近づくために計算する頭は大いに回る。

 逆さまになっても、魔梨沙は懲りずに杖から魔弾を発した。そしてそれは当然のようにフランドールの前で彼女の魔弾によってかき消される。

 

 フランドールから発される魔弾は、四方八方に好き勝手な色と形をとって、纏まり見難くならない程度の距離を開けてばら撒かれている。まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのようなその光景には、しかし不細工な偏りがあったりはしない。

 それはフランドールが弾幕にある程度以上の美しさを求めているからだろう。充分ふざけた数ではあるが、先の賢者の石の弾幕と比べれば、相手の顔が見えるだけ遥かに薄い。

 だが、力任せに発されている分時間制限なんて無縁であるし、その一弾に詰まった力は必殺である。スペルカードを用いてもどれだけ相殺できるかどうか、分らない。

 それでも、魔梨沙は不敵に笑んで、グレイズしながらフランドールの能力に寄って破壊力をました弾幕の変化を観察する余裕すら見せる。

 

「お姉さまは貴女よりもっと速いけれど、そんなに上手に避けられないわ。人間って面白いのね、まるで浮かした羽毛みたいにつかまらない」

「この緊張感、あたしは幽香との弾幕ごっこを思い出すわ。あの時は一発でも当たれば再起不能程度に抑えてくれたみたいだけれど、フランドールの弾幕はリクエスト通りで強烈だわー」

 

 フランドールは、手を握りかけて、止めた。先程からそんな動作を繰り返している。

 それはフランドールの持つありとあらゆるものを破壊する程度の能力の真骨頂、相手の【目】という弱点を掌に集めて、それを潰すことによって対象の結び目を切り取ってしまったかのように破壊する、その予備動作だった。未だ、動作は完了しない。

 フランドールの狂気は血しぶきを上げる魔梨沙を見たいと言っているが、しかし真っ赤な両目は彼女の軽やかであったり苛烈であったりするその無軌道な動きに惹かれている。

 そして、弾幕を放つその意識だって、魔梨沙を中々落とせないということに焦れることがなかった。時折魔弾を紙一重で避けるその姿に、むしろひやりとした思いを抱き、当たって欲しくないという矛盾した思いすら起きる。

 人間は食べものの中に入っているだけのもの、という認識しかフランドールの中にはなかったが、しかし今は違う。最低でも、目の前で儚げに舞う魔梨沙という人間は大切にしてみたいと思える存在であった。

 

「あ、やっちゃった」

 

 しかし、極めて集中している魔梨沙と違って、フランドールの気は漫ろで。故に、誤った彼女は弾幕を壁のようにして集めて張って魔梨沙の前に迫らせてしまった。

 それは囲いのようで、どうやっても避けられないこの弾幕は美しくなく、そして必中となった魔弾は魔梨沙を容易く殺してしまうだろう。不得手なのか、防御の魔法を一切魔梨沙が使っていないのは、フランドールもよく見て知っている。

 だから思わず、きゅっと唇を噛み締めたが。

 

「もーう。やっちゃったじゃないわよ。恋符「マスタースパーク」!」

 

 しかし、一条の光線によってその檻は穴を開けられ、魔梨沙は隙間から顔を出して体をねじ込み抜け出した。そして、間髪入れずに彼女はまた弾幕を張る。

 今度の魔弾はマスタースパークで弾幕を開けた分だけよく届き、紫色の星はフランドールの眼前までたどり着いてから青色に巻き込まれて掻き消えた。

 

「くぅ……やっぱりこれじゃ当たらないかー」

「あははは! そんな必殺技を隠し持ってたなんて魔梨沙スゴい! なんだ――――これなら、目一杯やっても壊れないじゃない」

 

 弱々しく見える存在から放たれた窮鼠の一撃に、フランドールは目の色を変えた。あれを間近で当てられてしまえば、自分もただでは済まないだろう。

 しかし、そんなことより相手が選択肢を増やして、これ以上楽しませてくれるというのが大きかった。力づくもいけるのなら、もっと弾幕を増やして空をキラキラで埋めてもいいだろう。

 そう考えて、これからが本番と魔弾を更に浮べた時、魔梨沙が不敵に笑っているのが見えた。

 

「スペルカードは連発出来るものじゃないわよ。でもまあ、いいわ。そろそろあたしも分かってきたし、いくわよー」

「え、なに……わっ!」

 

 フランドールの驚きも仕方ないこと。そう、ついにフランドールの魔弾を貫き逆に破壊してから、星が彼女に届いて爆散したのだ。今までどうしてだか途中で霧散したり弾幕に阻まれて届かなかったりした、紫色の魔弾が、である。

 しかし、対する魔梨沙の表情には驚きも感動もなく、ただ喜色ばかりが表れていた。帽子はもう失われ、全身傷だらけの中で、曇り一つない赤い目がフランドールとその周囲の弾幕を見詰めている。

 

 魔梨沙も何の考えもなしに弾幕ごっこを挑んでみたわけではない。必死に避けている最中に、その弾幕を見て、記憶して、そして真似て放つようなことを繰り返していたのだ。もう何百回と繰り返し、そうしてやっと可能になった。

 相手が破壊力のある弾幕を張ってくるのであれば、自分も魔弾に破壊力を付けて対抗すればいい。一発に篭められた力よりも、何よりその方向性が恐ろしいのだから。

 そんな浅はかな考えが成功したのは、フランドールの弾幕が強力なのが能力固有の特徴であるわけではなくて、ただその能力に引きずられて破壊的になっているだけであるからだった。

 よく見た魔梨沙には、それが分かる。ならば、自分の弾幕も大体理解した方に向けて引っ張ってあげれば似たような味が出るに違いないと、衝撃が内臓に響くほどそれを味わって、再現が出来るようになった。そして、その先までも。

 

「ちょっと変な味付けのー、魔符「スターダストレヴァリエ」!」

「うわわっ!」

 

 相手が驚いている。それは隙だ。弾幕ごっこは隙間のゲーム。そこを見逃す魔梨沙ではない。

 破壊の風味の付いた星形の弾幕はここぞとばかりに展開されていき、ちょっとスパイシーな甘みを保ったまま、今までの光景が嘘のように魔弾に殺されることなく周囲に広がり逆に辺りの弾幕を消していく。

 フランドール本体の方にもそんな威力を持った弾幕が迫る。たまらず蝙蝠に変化してフランドールはその場から飛び退った。

 

「どうして突然、くぅっ!」

 

 そして、元の姿に戻って体勢を立て直そうとしたその瞬間に、体に大きな衝撃が走っていく。それは今まで問題としていなかったビットから発される白い弾が連続して当たったためである。

 その隙をまた縫って、破壊味をした紫の通常弾が迫ってくる。それをギリギリで避けて、フランドールは冷や汗を流す。あと少しで終っていた。それも遊んでいたはずの自分が負けて、である。

 

 魔梨沙の魔弾は本家本元のフランドールのものよりアレンジが加えられていて、影響されているだけのフランドールのものより破壊力の妙味を特化させているために、力で勝るフランドールの弾幕すらものともしない。

 その魔力が【非常に純粋】なものであるから偏らせるのは難しくなかった。そして歪なものほどよく他を傷つけるもの。あまりに刺激的過ぎる紫色は、強力な再生力にすら一時的に引っかき傷を付ける。

 そう、最早魔梨沙の弾幕は当たり続ければ吸血鬼ですらやられかねないものに変貌していた。

 

 弾幕ごっこらしく、これからはフランドールも弾を避けなければならない。しかし、ほとんどやったことのない彼女は、避けるというのが苦手だった。

 

「形勢逆転、ってやつねー」

「わっ、えい、きゃあー!」

 

 魔梨沙は誇らしげに豊かな胸を反らして星の杖を掲げ、その先端から円状に続けざま紫の星弾を放っていく。等間隔に広がる星々は遠くから見れば紫陽花に似ているが、近くのフランドールにとっては紫色をした津波のようなものである。

 もはや魔弾を放つことすら忘れて、それを下手くそに避けているフランドールは、大体笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ? 何よこれ。すっかり攻守逆転して、普通の弾幕ごっこみたいになってるじゃない……弾幕の力はちょっと異常だけれど」

 

 レミリアが封印の鍵を開け、その先の扉の横に居て静かに首を振る咲夜を訝しげに見送りながら、恐る恐る吸血鬼の妹の部屋に入った霊夢が見たものは、地下を揺るがすほど強烈な弾幕を張っている魔梨沙とそれを避けているフランドールの姿だった。

 先ほどスキマ越しで見た光景がまるで嘘みたいに、薄い弾幕の中、余裕なくフランドールは慌てて百面相をしながら避けに徹している。

 しかし、別に紫に化かされたというわけではないようで、中心にいる魔梨沙は額に汗どころか血まで流しているぼろぼろな姿を晒していた。

 

「また無茶をして……そんなに私が信用ならないのかしら。別に、魔梨沙がそこまで頑張らなくても異変は終っていたのに」

 

 そんな姿に見当違いにも劣等感が刺激されたのか、霊夢は思わずそんな勘違いをする。霊夢は未だに魔梨沙が狂的なまでに力を求めていることを知らない。

 だからただ、姉貴分の未だ遠い姿に、歯噛みするしかないのだ。

 

「ちょっとどきなさいよ、霊夢。見えない……わ、ってあら、これはどういうこと?」

 

 入り口でぼうと見詰める霊夢が邪魔となり、背の低いレミリアは二人の姿が見えなかったが、退かしてようやく先が見えた。

 近くに当たった星形の弾が大きな音を上げたことに少し驚き、レミリアはフランドールと魔梨沙を目に入れることで、更に大きく驚く。

 

「アレが……霧雨魔【理】沙?」

「そうよ、魔梨沙は今のところあいつしかいないわ」

 

 レミリアは、把握していた筈の運命が指の間からぽろぽろと零れていくのを感じた。目の前の現実が間違っているのか、或いは今まで想像していた運命のほうが外れてしまっていたのか。

 運命として掴んでいたマリサの姿はモノクロームな二色をして居たはず。しかし、目の前の魔梨沙の姿は紫色で、予想していたより全般的に大きい。

 

「困ったわね……」

 

 これでは、自分が必死に手繰り続けて待望していた運命と異なってしまう。人間一人分の違い、と切り捨てられれば楽であるが、それは理想ではフランドールを外へ連れ出してくれる相手で、現在進行形でフランドールに不明な影響を与え続けている相手だ。

 フランドールのために、レミリアは数奇なまでに運命に関与した。元々その結実に携わるのが外の人間であるというのは不安だったが、その憂慮が当たってしまったということになる。

 今も楽しげな様子の妹を見ていて悪い事態になってはいないと思えるが、段取りは無茶苦茶。これからどうなってしまうのかは、レミリアにも分からない。

 

「うあー、やられたー」

「フラン!」

 

 そう、スペルカードルールもなしでフランドールが倒されたことも、ルールがないから可能であるのに最後まで能力で相手を壊さなかったということも、目の前で起きていなければ、信じられなかった。

 しかし、墜ちてきた際に抱きとめた妹の温もりが、そして再生したが弾幕ごっこで服が破れたために触れる肌のさわりの良さが、この事態が現実であると教えてくれる。

 

「やったわよー霊夢……奇跡的に弾幕ごっこ中に真似ができたわ。うわー汗ビショビショ」

「違うわ魔梨沙! 拭ってるのそれ汗じゃなくて血よ!」

「……何か猛烈に眠いわ、悪いけど霊夢ちょっと倒れそうだから肩貸して」

「ちょっとそれ洒落にならないわよ、って重い!」

「重いってのは酷いわー」

「はぁ……あんたも言ったでしょ。まったく、しようがないわね」

 

 そして、まるでフランドールのように破壊的な弾幕を張っていた魔梨沙も、限界を迎えたのか、降りてくるなり霊夢に近寄りしなだれかかった。

 先ほど軽々と持ち上げられていただけに、霊夢も随分な体重差を感じたが、しかたないと、体に霊力を巡らして地力をあげ魔梨沙を背負う形で持ち上げる。

 そのまま二人はフランドールを抱くレミリアの方へと向かう。

 

「あれ、お姉さま……どうして」

「大きくなったものね、フラン」

「うふふ。私負けちゃったよ、お姉さま。悔しいなあ……」

 

 少しの間だけ目を閉じていたフランドールは、眼を開けるとまず気を失うほどのダメージを負ったが今は綺麗なお腹の方へと目を向け、気付けば間近にあったお姉さんの顔を見て、驚いた。

 そして、知らない間にレミリアに抱っこされていたことが嬉しかったのか、フランドールは穏やかに微笑む。そこには、口にした悔しさなんてまるでないようにも見える。

 

「あら、負けて悔しいなら、壊してしまえばいいじゃない」

「むっ、なに言ってんのよ、レミリア」

 

 霊夢は冗談と思って軽く反発したが、レミリアのその言葉は本心からのものであり、妹が紫色の魔法使いとの出会いでどれだけ変ったか、確かめるためのものでもある。

 

「ううん。そんなことはしない。だって、楽しかったもん」

 

 果たして、確かにフランドールは変化していた。

 ここで相手を壊してしまえば、楽しかった過去を否定することになる。心はひとつ。嫌になったら壊してしまえばいいと今も思うけれど、それでも好んでしまった事実は消せなくて。

 

「この思い出は壊したくないの」

 

 フランドールは、手を胸の前で組み合わせ、目を閉じて、そう言った。

 

 

 



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第七話

 

 

 

「うー。頭が痛いわー」

「全く、弾幕ごっことはいえフランドールに勝った人間が、酒気に負けて二日酔いに苦しんでいるなんてね」

「あたし、お酒にはよわいのー」

 

 紅魔館の地下、大図書館にて、霧雨魔梨沙とパチュリー・ノーレッジは向い合って話していた。

 といっても、パチュリーは何時もの通りに分厚い魔導書を開きながらチラリとへたれた相手を見て、魔梨沙は新調した紫色の魔女帽を抱きしめながら机に突っ伏し、上目遣いに余裕そうな魔女の姿を見ながらといった形である。対話、というには不真面目だ。

 本当ならば、顔をあげてもう少しまともに女子同士お話に興じていたかった。頭痛でそれが出来ないのも、慣れない酒席で一番にワインを飲まされたためだと思い、魔梨沙は更に強くムカつく色をした自分の帽子を抱きしめる。

 

 魔梨沙を二日酔いにさせたのは、紫が手引し霊夢とレミリアが乗った、異変解決後に残るもの、遺恨等を失くすための交流会代わりの宴会だった。

 お茶会のような落ち着いたものの方が好みであった魔梨沙であったが、結果無事であってもこの度の異変で半ば以上暴走していた彼女がこの宴に出席するのに否応はなく、渋々博麗神社の境内で開かれたそれに参加することになる。

 その際に、咲夜が昨日熟成させたというビンテージワインを、何故か紫とレミリアに乾杯の後一番に呑まされ、そのまま二人に頻りに促され注がれるまま喉に流す内に、魔梨沙は酔っ払ったのだ。

 気を失くす前に、妹をいじめた仕返しよ、という声を聞いたような気がしているが、まあそれは自業自得であるために気にしていない。問題は、魔梨沙が酒に弱いと知っているのに宴会を開いて酔い潰させるよう差し向けた紫である。

 お陰で醜態を晒す羽目になり、妹分である霊夢に介抱をされたということに、魔梨沙は怒っている。

 

 もっとも、無様を見せたおかげで、出席しなかったフランドール、そしてレミリアを除いた紅魔館陣が魔梨沙に抱いていた無用な警戒心を解くことに成功していることを知っているがために、魔梨沙の怒りはごく軽いものだが。

 

「酒に呑まれたほうが悪いわ」

「でも、あの場の空気を読んでいたら、呑まないわけにいかないじゃない。全く、紫は下戸の苦しみを知らないから困るわー。あれはアルハラよ、アルハラ」

「下戸の苦しみ……確かに、酔った貴女が巫女に絡んでいたのは見苦しかったわね。抱きついて大好きーだの守ってあげるーだの恥ずかしげもなく……」

「うあー、言わないでー!」

 

 パチュリーの言に、魔梨沙は耳を抑えてうずくまる。どうも、彼女の悪い地が酔いによって顕になってしまったらしく、宴会の場で子供のように無遠慮に霊夢を可愛がってしまったようなのだ。

 翌日つまりは今朝、霊夢にさんざん愚痴を言わされたことは記憶に新しく、昨日のことは魔梨沙にとって真新しい恥部となっていた。

 

 過剰に慌てる魔梨沙に滑稽味を感じたのか、パチュリーは本で口元を隠したままに薄く笑んだ。異変の時は面倒であったが、普段の魔梨沙は付き合いづらいわけではない。

 空気を読んで、喋ったり黙ったり、今みたいにおどけているかと思えば、真面目な顔も出来たりする。異変時にその内に力を欲する狂気を垣間見たパチュリーであったが、普段の魔梨沙はそれがまるで伺えないくらいに普通であった。

 酔っ払っていたので本人は覚えていないだろうが、この分なら宴会時に言っていた図書館から本を借りて読んでみたいという旨の話を現実にしてあげてもいいと、そう思うくらいには。

 

「それにしても、弾幕ごっこで出来た傷はそんなに綺麗に治せているのに、酒気の解毒も出来ないなんて、魔法使いとしても随分とアンバランスね」

「うーん。傷はちょうど異変前に薬草を摘んでいて、フレッシュなものがあったからごく簡単に治せたわ。ただ、毒に関することとかは教わっていないし学んでいないし、ちょっと苦手ねー」

「あら、魔梨沙には誰か教えてくれる人が居るの?」

 

 言って、それも当たり前かとパチュリーは思った。幻想郷では魔法の研究が進んでいるとはいえ、未だ少女といっていい年代の魔梨沙がこれだけの力を持っているのは異常であり、それこそ優れた師でもなければ説明出来ない。

 とはいえ、師がいるのならば尚更、研究に体に悪い代物ばかり使う魔法使いだからこそ解毒の魔法を早くに覚えさせて然るべきもののはずだ。その程度のことも教えなかった魔梨沙の先生とは何者か、パチュリーは少し気になった。

 

「あたしの師匠は魅魔様よー。亡霊で、魔法使いの大先輩なの。何だか博麗神社を祟っていたら祟り神みたいになって最近神霊としての性質も得たらしくて今は大体神社近くにいるわ。宴会の時に姿を見せなかったのは、そういえば意外ねー……」

「祟り神から神霊に簡単に変化するって、それは相当に古い霊ね……面白いわ。それに納得したわ、なるほど死霊だから生者の健康に関してルーズなのね」

「あ、霊夢には魅魔様が祭神になったってこと言わないでねー。あの子、魅魔様のことあまり好きじゃないみたいだから」

「心配しなくても、そんなこと言わないわ」

 

 巫女とこれといった関係もないし、とパチュリーは思いながら、魔梨沙の言葉を脳裏で反芻して、色々と納得した。

 魔梨沙は弱い人間なのに避けることに集中するためと魔法での防御を積極的にしなかったり解毒の知識がなかったりしたのは、教授したものが人間以外であったから、特に生きることに無頓着な亡霊であったからか、と。

 少しその魅魔とやらに興味がわいたが、向うが神社からあまり離れないように、自分も図書館から離れたくない。まあ、何時か機会があれば気にしてみようと、パチュリーはそんな風に結論づけた。

 

「まあ、口止め料代わりと言っては何だけれど、ええと……コレと、アレがちょうどいいかしら。まあ、この魔導書でも読んで少しは身の守り方も覚えておきなさい。貸してあげるから、ちゃんと読んで覚えて私に見せるのよ」

 

 そう言い気軽に、パチュリーは念動で沢山の本棚の中から初心者向けの魔導書を幾つか浮かせて引っ張り魔梨沙の目の前にドサリと置く。

 魔梨沙は目を丸くする。いくらひと目で分かるくらい初歩的であろうと、それらは伝手の少ない魔梨沙が渇望する、知識の結晶であった。

 

「え……いいの?」

「いいも何も、これは私の勝手な宿題。ここで魔梨沙、貴女の不勉強を正しておかないで死なれでもしたら少しだろうと後悔するからよ。実際書いてあることは大したものじゃないから、借りとも思わないで結構」

 

 パチュリーは、これもフランドールの先生をしている癖かしらね、と相手の不明を許せない自分を分析する。仏心を出したのだと欠片も考えない辺りが、彼女らしい。

 しかし、魔梨沙はコレがツンデレってやつねと考えながら、手放しに喜んだ。

 

「わーい。ありがとう。早くも物の貸し借りなんて、友達らしくなってきたわー」

「友達、ねえ……」

 

 ただの人間に懐くのが苦手な魔梨沙に友達は少なく、素直に嬉しがる。だが、まあ嫌いではないし将来的になって悪くはないとは思わなくもないが、今の段階でそう軽々と呼ばれては困るパチュリーだった。

 何より一の親友を自負するレミリアが嫉妬しかねないと、そう思って曖昧に苦笑いする。

 

「ふっ」

「うふふ」

 

 その笑顔を、自分を友達と認めてのものと考える魔梨沙。引き篭もりの魔女と、元外来人の魔法使い。ここに二人の感覚の違いが、よく出ていた。

 

 

 

 

 

 

「魔梨沙、待ったー?」

「うん? もう来たんだ、フランドール。本に集中していたから、全然気にならなかったわー」

 

 そして魔梨沙が輪に小悪魔を加えて駄弁ったり、焼いたクッキーを開けてみたり、借りた本に集中してみたりしていると、そこにフランドールがやって来た。

 そう、今日はフランドールが魔梨沙を招いたのだ。宴会の前にそれを聞いていたのだが、酔いにやられフランドールの起きている時間を聞きそびれた魔梨沙は昼ごろに訪れて、そして彼女の起きた夕暮れ時の今まで暇をつぶしていたのだった。

 地下に篭っているというから生活リズムが変でないか気にしていたが、フランドールは実に吸血鬼らしい早起きで、魔梨沙の内心の夜遅くなるのではないかという心配は杞憂に終って安心である。

 

「わー、そのクッキー美味しそう!」

「あたしが焼いたのよ、フランドールも食べてみて」

「やったー、もぐもぐ……あれ、何か普段食べてるのと味が違って……薄いのかな?」

「魔梨沙が焼いたのには血が入っていないわ。そのせいじゃないかしら?」

「あ、そっかー。でも美味しいよ、魔梨沙!」

「ありがとう。こんなものでも喜んでくれれば嬉しいわー」

 

 喜びあう魔梨沙とフランドール。魔梨沙が差し出した手を、フランドールはきゅっと掴んだ。そして、魔梨沙は少し震えているその手をぎゅっと握り、フランドールに満面の笑みを見せた。

 思わずフランドールは、はにかんで頬を赤らめていく。

 

「私も、魔梨沙が来てくれて嬉しい!」

 

 そう言って、彼女は真っ赤な顔をして魔梨沙の笑顔を真似た。

 

 そんなフランドールの姿のみを見た誰が、先日まで地下に閉じ篭もっていた狂気の吸血鬼だと思うだろう。そう、これは道中妖精メイドに道案内されていたがフランドールにとって実質四百九十五年生きて初めての、お出掛けである。

 生れて直ぐに安全のために地下に入れられ、やがて危険な力を持っていることが発覚して、そして狂気に壊れていることが分かれば外に出すことすらためらわれ、本人も外に出ることを怯えてずっと、ずっと。

 そのフランドールが狂気を受け入れるようになったのが、先日のこと。魔梨沙との弾幕ごっこを経て、全て壊したいと思う心を持ったまま、今を大事にしたいと思う気持ちを忘れずに、それを戦わせ続けて生きるという覚悟を得た。

 一度出来たならきっとずっと出来る、とそうフランドールが言った際の笑顔を彼女のお姉さんはきっと忘れないだろう。

 

 

「なるほど、まるで人間の少女のように純粋です」

 

 だが、そんな過程を知らないものにとっては、封印されていた恐ろしい吸血鬼が地下から出て来たというだけのことに映る。

 先ほどまで怖い魔梨沙と触れ合うことで安心を得ていた彼女も、流石に狂気の悪魔と何の準備もなく接触しようとは思えない。

 

「……今の妹様に狂気の兆候は見えませんね。もっとも、狂気というのがどういった種類のものかも知りませんが、これなら大丈夫でしょうか」

 

 そう、小悪魔は慎重であった。もう危なくないとパチュリーに言われていても怖くて、だから大量の魔力妖力を感じた時に、直ぐに彼女は物陰に隠れてしまう。

 だが遠目に見ても勘からいっても、危険はないように見えた。しかし、簡単に踏ん切りが付かないくらいには、小悪魔はフランドールの噂を真に受けて恐怖していたのである。もう少し、離れていようと彼女は思う。

 そんな、小心な悪魔の後ろに忍び寄る影があった。 

 

 改めて語るまでもないが、力のあまりない小悪魔は隠れんぼが得意である。しかし、そんな彼女よりも隠れんぼが得意な存在が、紅魔館には存在した。

 妹の名誉のために自分が地下へ封じたのだということにしたから、心配していることを誰にも分からないようにして、毎日地下に向かうこと数百年。

 そんな穏行の熟練者からみたら、小悪魔の隠れ方なんてまるで児戯であり、おかしなものであった。

 

「何してるのよ、貴女」

「え……ひぃっ!」

 

 そう、頭を低くしてお尻をこちらに突き出している姿が気になり、紅魔館の主、紅の悪魔レミリア・スカーレットが、一山幾らの小悪魔に後ろから話しかけてみたのだ。

 吸血鬼を恐れて見ていたら、後ろにも吸血鬼、それは小悪魔も驚くに決まっていた。

 

「あら、流石に驚き過ぎじゃないかしら?」

「お、お嬢様。どうしてこんな所に?」

「妹の様子を見るのがそんなにおかしなことかしら。そんなことより、今は小悪魔、でよかったわよね。貴女はどうしてこんなに離れた本棚の影に隠れているの?」

「あの、私も妹様の様子を確かめに……えっと、近くに寄るのは恐れ多いですし……」

「つまり、怖くて遠くから見てた、って訳ね。まあ、いいわ。あの子の門出、一緒に見守るのを許してあげましょう」

「はぁ……」

 

 恐れているのを怒られるのかと思えば、お咎め無し。それにレミリアはこんなにフランクな悪魔であったか、そう疑問に思う。

 だがそんな疑問は無視できるが、間借りしている家の当主の言を無視することは出来ず、そのままこっそり二人で観ることに。

 それなりに身長のある赤い長髪の小悪魔の下に、赤く多大な力を湛えたしかし体は小さいレミリアが陣取り、気配を消した両者は上下に並んで本棚の裏から顔を出して、フランドールを見つめ始めた。

 

「あら……」

 

 地下からフランドールのティーカップを持って来て紅茶を淹れに来たメイド長は、知らず二人の後ろに通りかかる。微笑ましい後ろ姿を見た咲夜は、邪魔をしないように時を止めて通りすぎていく。

 黙っていたが咲夜には、上から下から本棚から顔を出して団欒を見詰める悪魔たちが、まるで悪戯をしようと画策している姉妹のように映っていた。

 

 

 

 

 

 

 大図書館のテーブルに、座っているのは三人。影に隠れている二人が居ることを魔梨沙だけは知っているが、何か故ある行動だろうと考え、見逃している。

 三人のうちの一人、フランドールは先ほど先日の弾幕ごっこで奇跡的に壊れなかったマイカップを使って、血液の入っていない彼女にとっては珍しい味付けの紅茶を興味深げに頂いていた。

 二人目のパチュリーは、紅茶で喉を潤しながら、何やら装丁の新しい真白い本を魔導書に変えている最中のようで、淀みなくペンを走らせている。

 最後に残った魔梨沙は、カップを早々に空にして、暇を感じ始めていた。

 

「そういえば、フランドールの用事ってなあに?」

「あ、そうだ……えへへ。魔梨沙たちがそういうルールで弾幕ごっこやってるっていうからスペルカード、沢山作ったの。見て!」

「えースゴい、一、二、三……十枚も作ったの?」

 

 魔梨沙がフランドールに声を掛けると、彼女はポケットから弾幕の柄の付いたカードを十枚取り出す。

 その正体は、一枚一枚に力が篭められたスペルカードだった。僅かな日数で作られた、その枚数に驚いた魔梨沙だったが、フランドールは反して不思議そうに首を傾げる。

 

「そんなに多いかな。パチュリーはもっと作ってるよ?」

「まあ、ざっと二十枚以上は作ったかしら。無聊を慰めるために、コツコツ作っていたら、気づいたら溜まっていたわ」

「あー、あたしだけかしら、三枚しか作っていないの。霊夢も知らない間に結構増やしてたみたいだし……」

 

 皆、スペルカード、即ち弾幕ごっこでの花形的要素のバリエーションを増やしているようだ。この波に乗り遅れるのはあまり良くはない。

 だがしかし、魔梨沙は自分にスペルカード作りのセンスのないことを知っていた。

 

「三枚はちょっと少なくないかしら。遊びでやるにも直ぐ尽きちゃうわ」

「相手のを避け続けて攻撃加えながら相手のスペルカード全部破っても勝ちだし、あたしはあまり使う機会もないのよねー。それにネーミングセンスに自信がなくて……」

「呆れた。まあ、貴女なら避けるのは簡単なのでしょうけれど、自信がないっていうだけで茨の道を進むなんて。名前なんて適当でもいいじゃない」

「あたしも、魔法の力、とか妖怪の力、とか本気の力、とか適当に作っていたんだけど妹から駄目出し食らって全部改名されたのよ」

「それで自信なくしちゃったんだー。知らなかったけれど魔梨沙、妹が居るんだね」

「血が繋がっていないけれど、一人だけ居るわー。自慢の妹よ」

 

 本人は気づいていないのかもしれないが、妹のことを語る際に、明らかに魔梨沙の喜色は大きくなっている。そんな様子を見て、フランドールは魔梨沙の妹に興味をもつ。

 

「へぇ。どんな子なの?」

「ええとね、ふわっふわの金髪で、とにかく可愛くて明るくて、男の子みたいな言葉を使うのが……」

「あ、こらそこら辺で止めなさい。どうせキリがないわ。フランドール。魔梨沙は貴女のお姉さんと同じ類。きっと妹のことを一聴いたら百返ってくるわよ」

「うえー、お姉さまと一緒、それは確かに……」

 

 どこかからか、フラン、そんな……という声と何者かが足元から崩れ落ちる音が聞こえた気がしたが、皆気のせいとして無視をした。

 

「そんなことないわよー。伝えたい内容を吟味して話すことくらい出来るわ」

「本気の賢者の石の弾幕を浴びていた最中に、妹が考えたスペルカードだって大きな声で自慢をするような相手が、まともに妹の話を出来るとは思えないわよ」

「あー、聞こえていたんだ……」

「魔梨沙、そんなことしてたんだ……やっぱり聞くのは止めよう。金髪の明るい女の子っていう情報だけで色々想像できるし」

 

 これにはフランドールも少し引く。シスコンは充分間に合っているのだ。

 だがそのおかげで、一時間以上に渡る、魔梨沙の妹自慢は当分お蔵入りになった。

 

「残念だけど、まあ、いいわ。それで話を戻すけれど、フランドールのスペルカード、気になるから名前を教えてもらっていい? あたしの新しいスペルカードの名前の参考になるかもしれないし」

「いいよー。じゃあ、まずはこれ。禁忌「カゴメカゴメ」」

「かごめかごめ。たしか童謡の名前だったっけ?」

「そうよ。ふふふ。フランドールも意味深な名前を付けるわね」

「あたしが分かる中でも、籠目模様、か。うーん、確かに凝っているわね」

「内容も名前に合うように頑張ったんだよー、後で見せてあげる」

 

 それは楽しみねと、魔梨沙は反応し、どうせ調整していないそれはピーキーなものであると想像したパチュリーは我関せずと沈黙を貫いた。

 実際はそれでも十枚の彼女のスペルカードの中では簡単な方であり、ちゃんと避けられるものになるよう一番気を使って作られたものであるとは、パチュリーでも分からなかった。

 

「あのさ、十枚もあるんだから、内容被ったりしていない? あたしなんて三枚中二枚は同じ種類のスペルカードだよー」

「うわ、バリエーション本当にないんだね、魔梨沙……うーん、なるべくそういうのはなくしていたけど、私の禁忌「フォーオブアカインド」と秘弾「そして誰もいなくなるか?」は似た種類かな?」

「名前を聞く限り、だいぶ違いそうだけれど。フォーカードに、そして誰もいなくなった。数の上では四とゼロ……いや一かしら」

「でも、数が増減するという括りなら一緒だよ。私が四人に増えて、私がいなくなる。ほら、私という対象が変化する、というところが被っているのよ」

「なるほど、確かにそうね。しかし、また厄介なスペルカードを考えるものねえ……」

 

 四人に増えたフランドールが弾幕を放つというのも大変なことだが、敵が居なくなった空間に弾幕だけが展開されるというのも、強制的に展開時間の限界まで逃げ続けなければならなくなるから恐ろしい。

 パチュリーは弾幕の内容を半ば正確に想像して、閉口する。そして、誰もいなくなったという言葉に何か感じ入るものがあったのか、フランドールも押し黙る。

 少しの間、沈黙が場を支配した。

 フランドールが増減するということが想像できずに、話に付いて行けなくなっていた魔梨沙はその沈黙を嫌い、気になった言葉を持ち出し、話を続ける。

 

「えーと。そして誰もいなくなった、ってミステリーの本よね。確か、貸本屋で一度読んだことがあるわ……人が童話か童謡か何かを真似たように殺されていって、最後は……」

「自殺して終わり。首を吊って誰もいなくなる、って童謡と一緒」

「あら、フランドールは知らないのね。童謡には最後は結婚していなくなるパターンもあるそうよ」

「え、そうなの!」

「というよりも、そっちが本当なのではないかしら」

 

 驚きを露わにしたフランドールを見る、パチュリーの目は、いやに優しかった。

 芸術作品に創った本人の内面が表れてしまうようなことが往々にしてあるように、スペルカードであっても作り手の心が投影されているようなことがままある。

 「そして誰もいなくなるか?」という名前に表れていたのは、破壊の力を持つ自分の周りに誰もいなくなってしまうかもしれないという恐れと不安、そして僅かな希望。

 その希望は題名を借りた物語のバッドエンドな終わりに沿って、ほとんどないものとなっていたが、しかしパチュリーが提示したもう一つの可能性によって開けたように、フランドールは感じた。

 

 フランドールが本気を出せば直ぐ潰されてしまうのに、恐れず手を差し出して、強く握手してくれた魔梨沙、それに狂気にただ流されていた過去の自分を長い間見守り、時に導いてくれたレミリアに、パチュリー。

 そう、そんな人妖たちが周りにいて、どうして不幸な終わり方が出来るだろう。

 

「そっか、幸せになってもいいんだ」

 

 今まで台無しにしてきた全てが、今を無茶苦茶にさせて絶望させ、首を吊るように仕向けてくるけど、それでも狂気に負けずにいれば、何時か地下(クローズド・サークル)から幸せになって抜け出すことが出来るのかもしれない。

 背中の羽に翼膜はないから一息に風を掴んで飛び出すことは出来ない。けれども、闇に明るい宝石がそこには飾ってあるため手探りでなく歩いて行けるから、何時かは胸中の暗黒を抜け出せるだろう。

 光明を見出した瞳から、滴がぽとり。今更に、フランドールは気付く。そう、彼女は歪でも生きていたかったのだ。

 

「あ、れ?」

「あらあら」

 

 自分が涙していることを知らずに、フランドールは驚く。察した魔梨沙は席を立ち、静かに近寄りフランドールの涙をハンカチで拭う。

 

「っく、っく……うわーん!」

「よしよし」

 

 すると、後から後から、涙の滴が零れていく。そして息をするのも苦しくなるほど溢れだし、本格的にフランドールは泣き出した。

 わけも分からずえぐえぐと、しゃくり上げるフランドールを魔梨沙は服が汚れるのも構わず抱き締め背中を撫でさする。それは何時かの妹に、そして霊夢にも同じくしたことのある、慣れたことであった。

 指先に触れる羽の付け根が人との違いを感じさせるが、しかしそれでも同じように、魔梨沙はフランドールを慈しみ触れ続ける。

 

「う、うぅ……」

「うふふ。これが悪魔の妹、ねー」

「そうね。素直になれない悪魔の、発展途上な妹だわ」

 

 パチュリーが流し見たその先には、羨ましそうに魔梨沙とフランドールを見る親友の姿があった。レミリアがどちらの役になりたいのか、パチュリーにも分らない。きっと、本人にも分っていないのだろう、だからレミリアは声を上げない。

 どっちでもいいからと素直に混ざることのできないレミリアを思い、パチュリーはこっそりため息を吐いた。今夜泣きついてくるだろう親友をどう言葉を使って慰めようか、考えながら。

 もう、魔梨沙の真似でもしてあげればいいかしら、等と半ば投げやりになって。素直になれないのは魔女も一緒だった。

 

 

 

 



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日常①
第八話


 

 

 

 秋風が寒く吹き始めたその日、博麗神社でちょっとした騒ぎが起きた。それは霊夢にしたらよく神社に現われる二人が偶々顔を合わせたというだけに過ぎないが、本人たちにとっては一騒動であるようだ。

 山の紅葉を味わいながら魔梨沙と霊夢が縁側で一緒に茶を飲んでいると、そこに表の方からふわふわと現れた昼間の亡霊が、魅魔であった。

 とんがり帽子に緑色の瞳と長髪。そして内には溢れ出んばかりの魔力。その全てが魔梨沙の憧れである。目に入っただけでウズウズと落ち着かなくなった魔梨沙は、とうとう近くに寄ってきた魅魔に飛びついた。

 

「こんにちは、魅魔様!」

「元気そうだね、魔梨沙」

「うふふ。会いたかったー。魅魔様」

 

 抱き合いながら、再会を喜ぶ二人。魅魔も満更ではなさそうだが、魔梨沙はもう相手の感触しか分らないような様子である。

 もう親子には見えないが、仲の良い姉妹のようにも見える二人。そんな二人を先から冷めた眼で見ているのは霊夢だった。

 

「あんたたち、そんなに仲がいいのなら、一緒じゃなくても近くに暮らせばいいのに。分からないわねぇ……」

「あたしはもう独立しているから。だから偶に会う時くらい羽目をはずすのを許してほしいわー」

「それを私の目の前でやらないでよ、うっとうしい。魔梨沙の家ででも、毎日師弟ごっこしてればいいじゃない」

「酷いわ、霊夢ー……」

 

 ついつい、言葉に刺を入れてしまう霊夢。珍しく彼女が苛立っているのは明らかで、魔梨沙はパッと魅魔から離れて霊夢を見た。

 真摯な魔梨沙の視線を受けて、霊夢は思わず眉を寄せた顔を反らせる。構ってくれという子供の駄々を姉貴分に見られるというのは、恥ずかしい。

 だが、過去の経験から自己評価の極端に低い魔梨沙は霊夢の態度のその理由が分からずに、やはり魅魔が嫌いなのかと思って淋しい気持ちになった。

 そんな勘違いをしているということを察しながらも、霊夢は苛立ちを引っ込めない。それに確かに、会う度に魔梨沙の気持ちを根こそぎ持っていってしまう魅魔を霊夢は嫌っている。

 

「全く。ひがむのはよしなよ霊夢。あんただって、離れているから大事に思えるっていうこともあるって分かるだろう?」

「……ふん。あんたに言われても分からないわ」

「例えば例えば……そう、あたしが霊夢と一緒に住まないのだって、嫌いになって欲しくないからなの! そんな感じよ、霊夢。分かってー」

「はぁ……分らないって、そういうことじゃないんだけれど。もういいわ。で、そこの悪霊は何しに来たのかしら」

 

 混乱しているのかいやに必死に間抜けなことを言う魔梨沙の様子を見て、霊夢は毒気を抜かれてやる気をなくした。そして、改めて霊夢は魅魔の、足がなく幽霊の尾から体が生えているという奇異な全体を見る。

 改めて見ても、生気にあふれているというところ以外、魅魔はどこかで見たような幽霊らしい亡霊であり、逆に幻想郷では珍しいタイプの存在であった。

 

「私はこの神社を祟ることで生きてきたような存在だからねぇ。それを忘れても、時折ついつい足が向いてしまうのよ」

「あんた死んでいる上に足がないじゃない」

「死んでいることはどうしようも出来ないけれども、足はその気になりゃ、生やせるさ。ただ、飛んで進むのに足は飾りみたいなものだから、ついつい忘れてしまうのよ」

「あたしは二人でうどん作りをしていた時に、魅魔様の足を見たことがあるわよ。綺麗な人間の足だったわー」

「何であんたらそんなことしてるのよ。……ってもしかして、去年の暮れに魔梨沙が持って来たあのうどんの麺は」

「そうよー。あれを作った時の話よ。うどん、美味しかったでしょ?」

「うげー。悪霊が踏んだうどんなんてろくでもないもの、よく食べさせてくれたわねー、魔梨沙!」

「美味しく食べてたじゃないー」

「そういう問題じゃない!」

 

 魅魔がからかう間もなく、怒る霊夢に逃げだす魔梨沙。二人は魅魔の目の前で追いかけっこを始めた。

 

「ふふ。何時まで経っても変わらないね、この二人は」

 

 そんな修行時代と変わらない光景を見せられた魅魔は、笑って縁側に座る。そして、肘を逆手で支え、顎を手の甲に置いて頭を軽くしながら、観戦に入った。

 くるくるくると、二人は境内を走り回り、やがて途中で紅白が紫に差を付けられ始めて、そして二人は停まる。

 

「はぁ、はぁ……体力あるわね、魔梨沙。」

「うふふ。ごめんね霊夢ー」

 

 霊夢は天才的な運動能力を持っている。とはいえ、普段から鍛えていないためにスタミナはなく、その点修行好きな魔梨沙の持久力はかなりのもの。

 逃げる魔梨沙が逃げ切る形で、追いかけっこは終った。しかし、不完全燃焼な霊夢は負けを認められない。そう、知らず笑顔になっていた霊夢は、もう少し遊んでいたいのだった。

 

「はぁ。続きは弾幕ごっこで行きましょう。魔梨沙が負けたら、口直しに人里からうどんでも蕎麦でも買ってきてもらうわ」

「霊夢が負けたら?」

「私がちゃんとしたうどんを打ってあげる!」

 

 戯れに霊夢が投げた封魔針は、魔梨沙の差し出した二本の指で挟み取られて終わる。その程度の玩具が効かないというのはよく分かっていた。だから、これは開戦の合図のようなもの。

 霊夢はその場から浮かび、魔梨沙も箒を取ってこようか迷ったが、そのまま浮かんで二人は宙で対峙する。

 スペルカードは互いに一枚。それは、互いに一枚だけしか持っていない時から始めたための恒例。そして、紫の魔法使いと紅白の巫女はうどん、というどうでもいい理由で戦い始めた。

 

「……さっきの言葉は撤回しようか。二人とも、随分と腕を上げたもんだ」

 

 魅魔様が見ているからと、本気になって弾幕を張る魔梨沙に押されながらも、霊夢は勘を上手に用いて捌いていく。紫の星は力の篭った御札と正面から打つかり、マーブルの綺麗な光を見せた。

 輝く力は空間に派手な軌跡を残して青空に様々な模様を作る。宙を飛び回る二人の弾幕は以前に増して美しく、そして篭められた力は大妖怪にだって通じるだろう中々の質。

 未熟だった霊夢に黙って修行途中の魔梨沙と魔界に行ってきた時のことを魅魔は思い出す。あの時は楽しく戦えた。しかし、自分はこれほど美しく戦えていただろうかと、そう自問する。

 見苦しくなく戦え、勝敗を付けられる。なるほどその理念からして美しさに重点を置いたスペルカードルールは、見られること意識されることに意味がある妖かしのものにとって素晴らしい物なのだろう。

 

「さて、そうそう魔梨沙は負けないだろうし、霊夢は私の分のうどんを作ってくれるかしら」

 

 しかしそんなお空の考察よりも、空いたお腹が気になる魅魔。人間らしい亡霊である彼女は楽しみにものを食べる。

 愛弟子である魔梨沙の、こと自分を上回りかねない弾幕ごっこの強さを疑うことは出来ないから、霊夢が作るであろう、うどんをご相伴にあずかれるかが唯一不安だ。

 

 結果として、魔梨沙は足りない材料を買ってくるということで人里に向かい、霊夢は使えるものなら亡霊でも使うとそれが作ったものを嫌がった過去を忘れたかのように魅魔を手伝わせ、その場の全員でうどんを食べることになった。

 コシのある中々のうどんが出来たと上機嫌の霊夢に、魔梨沙と魅魔は苦笑い。だがしかし、その日の夕飯は、充実したものであった。

 

 

 

 

 

 

 遮る者のない満月の下、魅魔はその光を浴びることで力を増した自分を感じ、満足する。お腹も、力も膨れていれば、怖いものなど何もなく、実際に彼女の実力はこの幻想郷でも指折りのものである。

 恐れ怯むのは他人の道理。年季の入った亡霊である魅魔には、もう恐れるものなど殆ど無い。少ない一つであった陰陽玉、引いては博麗との関係も良好であり、性格も丸くなって、そんな風に変ってしまった今もそれほど悪くはないものと思える。

 

「でも、私も弱くなった」

 

 しかし、祟るだけの存在であったことから変ってしまった分だけ、弱点も変遷する。人の世に触れればそれだけ情が絡んで、まま邪魔するもの。

 そう、人間らしい亡霊は、他人の子である魔梨沙を我が子のように想ってしまっていた。独立させるなんて、遠ざけるための方便。本当は教え足りない触れ足りない。

 だが、亡霊である自分と共にいることが人間である魔梨沙にとっていい筈もないと、そこまで思って魔梨沙となるべく会わないようにしたのだ。

 

 だから、異変を起した紅魔館とやらとの宴会にも神棚の中に隠れて参加せずにいたし、魔梨沙が博麗神社を訪れる時も、顔を出すのは控えるようにしている。今日会ったのは、足が向いたからではなく止められないくらいに会いたくなったからである。

 その際触れて、小さいころと比べて随分と大きくなったという実感を受けた。それが、あまり良いばかりと思えないのは、自分が亡霊という寿命を超越した存在であるからか。

 悪霊なんかに懐いてくれた稀有な存在。魔梨沙が死んで欲しくないと、その死を看取りたくないと、切に思う。

 

 だから、早く人間を超えて種族魔法使いになってほしいと思うが、そう簡単にはいかないであろうということも知っていた。

 力に焦がれる本人に、横道に逸れた魔法の使い方を研究する気はないだろうし、教えるにも、捨食に捨虫の魔法を覚える前に魅魔は死んでいる。

 それに、本心を知るのが恐ろしいから聞いたことがないが、そもそも魔梨沙は人間のまま死にたいと思っているのかもしれない。今日の霊夢とのやりとりを見て、彼女が対等に霊夢とやりあえる人間であることを楽しんでいることはよく知れた。

 霊夢は魅魔を羨ましく思っているかもしれないが、魔梨沙と同じ時間を過ごせるということで魅魔も霊夢を羨ましく思っている。

 

「ふぅ。思い通りにはいかないものだねえ」

「あらあら。博麗神社の祟り神とあろう方が、何を悩んでいらっしゃるのでしょう」

「八雲紫か。なんでもないよ」

 

 そんな悩ましい空の散歩中に、八雲紫は現れた。フリルの沢山ついたドレスを、紫は風ではためかせている。スキマを座蒲団代わりにしてその上に座す彼女がどこから出て来たのかも分からなかったが、そんな八雲とは博麗神社との繋がりで縁深い。

 だから、少しも驚きもせずに、魅魔は紫に応じる。

 

「あら、つれない返事。祟りを畏れられて一部の民に崇められ、神霊と化すほどの亡霊ともなれば、口も重くなるものなのでしょうかね」

「そのことだけれどさ。本当に私なんかが祭神の真似事をしていいのかい? 一応、神社もそれなりに由緒あるものじゃなかったかしら?」

「ええ。社を守るだけの力を失くした神霊を崇めているより虚しいことはありません。むしろ魅魔、貴女が祭神の座に在る方が頼もしい」

「昔っから思っていたけど、八雲は私を私みたいなもの除けに使ってるよねぇ」

「うふふ。そんな事はありませんわ。昔から、博麗神社に必要であったのは、貴方以外に居るはずもない」

「そう。全部、想定通りってことなのね」

 

 そう、昔から博麗神社に関しては紫の掌の上にあった。魅魔もその内の一つでしかない。

 博麗神社に向かう悪意を一つして御しやすくするために、昔から魅魔以外の博麗を恨むものは尽く紫に潰されている。そして、魅魔もライバルは潰していた。だから、今博麗神社に直接的な恨みを持つものはいないだろう。

 魅魔が祭神になったからには、自社に向かう悪意を見逃すはずもなく、故に博麗神社は安泰である。

 

「まあ、八雲には感謝していることが幾つもある。神社は任せておきなさい」

「さて、何のことでしょう?」

「とぼけないでもいい。魔梨沙のことさ」

「霧雨魔梨沙。それこそ魅魔に比べたら、私があの子に何をしたでしょう」

「口にしたくないならそれでいいさ。でも、私は感謝をしている」

「……そう」

 

 魔梨沙の親代わりと自認するくらいであるから、魅魔は魔梨沙が幻想入りしたカラクリくらい分かっている。それに関する感謝が幾つか。

 まずは恐らくは次代博麗の巫女候補として、魔梨沙を幻想郷に入れてくれたこと。それに霊夢という適格者が見つかってからも、【古の魔力】を持つ魔梨沙を処分せずにいたことについて。

 この二つの判断がなければ、魅魔は魔梨沙と出会うことなく神社を祟る日々を続けていただろう。だから感謝をするのは当然であると、魅魔は思う。

 

 それに、紫も霊夢に対するほどではないが魔梨沙も気にかけているようで、何度もやりあった謎の妖怪として魔梨沙の口から紫の名前が出てきて、魅魔が大笑いしたこともある。

 どんな目的で近づいているにせよ、大方霊夢に対する役割か何かだろうが、それが振られている間は、魔梨沙の身の安全は保証されているようなもの。

 そういう意味でも、魅魔にとって駒を大事に扱うタイプの紫の存在はありがたかった。

 

「さて、私は言いたいことは大体言った。何かあるかい? なければ霊夢が寝静まるまでここいらを散歩しているつもりだがね」

「そうね……では、私がその散歩に付き合っても構わない? 長年の友と連れ歩くこと、それだけでも有意義な時間を過ごせるものだから」

「ああ、そういうのも悪くはないね」

 

 そう、胡散臭い大妖が人間のような本音を口にした、それに乗るのは悪くない。

 二人の性分を考えると、会話の花も大して咲かないわびしいものとなるだろうが、一人寂しくいくよりましだと魅魔は思う。

 その日、二人の妖怪と亡霊は周囲の妖怪などを怯えさせながら宙を行き、そして日が出る前に博麗神社へと帰った二者は、そのまま互いにあるべき場所へと消えていった。

 

 

 

 



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第九話

 

 

 

 冬が始まり、雪が降り出して幻想郷を白く染め始めた頃。霧の湖にて氷精チルノはその日、淡水に棲む人魚、わかさぎ姫と遊んでいた。

 遊びと言ってもやっているのは弾幕ごっこ。もちろん、戦うことも相手を傷つけることも苦手なわかさぎ姫に合わせて、スペルカードルール方式のものであった。

 

「あー、水の中に入るなんてずるい! 全然当たらないわ!」

「うふふ。私は半分魚だもの。水に浸かって当然。それならチルノ、貴方が空を飛ぶというのもずるいわ。中々当たらないじゃない」

「そっかー。えへへ。なら一緒ね!」

 

 水中と空での弾幕ごっこは上から下に妖弾が行き交うことで、成り立つ。わかさぎ姫が水中で踊ると、その側すれすれにチルノの氷弾が掠めていく。

 そして、ウロコ状の弾幕をわかさぎ姫が放つと、チルノは慣れた空を飛びゆくことで余裕を持って回避する。

 

「うーん。氷が増えて、避ける所が少なくなってきちゃったわ」

「へへーん。私の作戦よ。作戦」

「どうせ、偶然でしょうに。でもこれじゃ負けちゃいそう」

 

 氷弾を打ち込むことで所々水面に氷が張ってきたこと、それに弾幕ごっこに慣れているということもあり、概ねチルノが勝負で有利であった。

 しかし、弾幕ごっことはいえ妖怪と妖精の戦いで妖精の方に天秤が傾くことは珍しい。それは、わかさぎ姫が大した力を持たない大人しい妖怪であるということもあるが、チルノにもその要因があった。

 チルノは他の妖精たちの中に比べてみると、頭抜けて強い。それこそ妖精を超えて妖怪の範疇にまで入りかねない力を持っている。

 冷気を操る程度の能力も強力であり、ここ霧の湖ではそんなチルノは妖精たちの尊敬を集め、リーダー的な役割を負っていた。紅霧異変の際に霊夢の前に立ちはだかったこともチルノの記憶にはもうないが新しいものである。

 しかし、冬になって知り合いの妖精たちの内でも大人しくなるものが増え、そしてその他の妖精たちとは束になられても勝ってしまうほどの力量差があるために、しばらく弾幕ごっこで遊べなくて。

 そんな時に、暇そうにしていたわかさぎ姫と会い、戦いを挑んで欲求不満を解消していたのだった。

 

「一か八か……いくわよ、水符「テイルフィンスラップ」」

「あはは。そんな薄い弾幕当たらないよー」

「うーん。やっぱり難しいものね」

 

 時間が経って慣れていけば、もう少し濃い弾幕を作れるのだろうが、今のわかさぎ姫ではそれも難しい。

 二重に展開される速度の違う青いウロコ状の弾幕も、バラバラに散っていってしまえば避けるのも容易く。霊夢や咲夜に突っかかってはボロボロにされているチルノも、これには引っかからない。

 せっかくチルノに貰った白紙のスペルカードで作った弾幕であるが、チルノには通じず軽く避けられてしまった。

 

「ダメダメねっ。わかさぎ姫は私のスペルカードを見て勉強しなさい! 凍符「パーフェクトフリーズ」!」

「わっ、こっちにたくさん来て……あら停まった?」

「それだけじゃないわ。行くわよー」

「わあ! 停まっていた弾幕が動いて……あ、また弾幕が……いやー」

 

 そして、チルノは自分の弾幕を途中凍らせて一時停止させ進路を塞ぎ、少し経ってから動かして相手を慌てさせ、その隙に弾幕をまた向かわせて仕留めるというチルノらしからぬよく考えられたスペルカードを展開する。

 初見であり、そもそもこういった駆け引きに不得手なわかさぎ姫は、哀れチルノの術中にはまり、その身に妖弾を浴びせられることとなった。色とりどり五色の弾幕が散々に当たれば、いかに妖怪の身であっても音を上げざるを得ない。

 

「負けちゃったわー」

「やったー。私、妖怪相手にも勝ったわ! 最強ね!」

 

 勝ったチルノは湖に浮かぶ氷塊に乗りガッツポーズをして、負けたわかさぎ姫は、水面にその身を倒しぷかぷかと浮かばせる。

 対照的なその光景は、雲天の冷え冷えした目立つものはない湖の中でよく目立ち、その言葉一語一句は遠くまで響いた。

 

「最強ねー。まあ、妖精の中ではそうなんでしょうけど」

 

 最強。そんな魅力的な響きが耳に入ってきたから、行く先を変えて急行してみたら、そこには大した力を持った、だがしかし小さな妖精の姿。紅魔館帰りで魅力的な妖怪を見てきた魔梨沙にとってそれはがっかりなものだった。

 そんな突然飛んで来た紫色の魔法使いに、顔を向けるのは親子みたいに体格の違う水色髪の二人。一人は着物の裾を口元に当てて微笑んだが、残されたチルノは頭にハテナマークを浮かばせる。

 

「む、あんた……誰だっけ?」

「霧雨魔梨沙よ。貴女はチルノでしょ? ここを通ればよく出会うし、小さいころ遊んだ覚えがあるけれど、やっぱり妖精、忘れちゃったかー」

「あらあら、魔梨沙、久しぶり。知らない間に大きくなったわね」

「姫様じゃないの、久しぶりー。あれ、何かちょっとボロボロ……ひょっとして、チルノ、姫様をいじめてたのかしら?」

 

 チルノは喧嘩を売ってもあまり乗ってきてくれた例のない魔梨沙の名前を忘れているが、この三人は本来既知の間柄である。

 魅魔との修行の僅かな合間に水遊びができるからと寄って、チルノと鬼ごっこをしたり、わかさぎ姫の歌を聞いて一緒に歌ってみたり、そんなことをして遊んだ記憶が魔梨沙にはある。

 子供の頃に遊んでくれた妖怪たち、という括りで魔梨沙は二人を見ているためにどうしても戦いを挑んだり受けたりする気にはなれないが、それでも二人が仲違いしているというのなら別だ。

 勘違いをした魔梨沙は、お転婆なチルノがおっとりと優しいわかさぎ姫に何か悪戯をしかけてしまったのではないかと疑い、威圧的に魔力を放出した。

 

「わ、怒んないでよ。わかさぎ姫とは弾幕ごっこで遊んでたのよ」

「それで負けちゃったのー。ぐすん」

「姫様は、確かに争い事苦手だったものね。それなら仕方がないかー」

 

 しかし、そんなことはなく、二人は平和的に弾幕ごっこをしていただけなので、魔梨沙の意気はぷしゅんと萎んだ。

 魔梨沙個人的には優しいお姉さんのように思っているわかさぎ姫に勝って欲しかったが、ついてしまった勝ち負けについて外野がとやかく言うことは出来ない。

 姫様も妖精相手なんだからもっとてきとうに相手すればいいのに、と思いながら魔梨沙が箒に乗りながら更に近寄ると、チルノがその姿に何かを見付けて声を上げた。

 

「あー。よく見たら魔梨沙も結構ボロボロじゃない。誰かにやられて逃げ帰ってきたのね!」

「あら、本当。魔梨沙も私たちみたいに弾幕ごっこでもやって来たの?」

 

 そう、魔梨沙はその衣服を土で汚していたり、袖を破かせていたりした。それを見た二人が、自分たちのように弾幕ごっこで遊んでいたのではないかと思うのに無理はない。

 実際に、魔梨沙は紅魔館の門前で戦いに興じている。だがしかし、それはチルノとわかさぎ姫が考えているような平和なものではなかった。

 もっと原始的で一方的なものである。

 

「違うのよー。私はあの紅魔館の門番と……彼女妖怪で紅美鈴っていうんだけど、知っているかしら?」

「あー、美鈴ね。知ってる。私は時々美鈴に弾幕ごっこの相手してあげているわ!」

「私はあの紅い洋館は知っているけど、門番さんに会ったことはないわね。チルノ、お仕事をしている人にあまり迷惑を掛けちゃだめよ」

「えー」

「うふふ。まあ、美鈴も大概暇しているから大丈夫だと思うけど、まあそんな彼女と私は最近格闘で戦うことにハマってて」

「え? 魔梨沙が格闘? 相手は妖怪でしょ、大丈夫なの? その美鈴さんっていうのが私みたいじゃなければ大概強いんじゃないの?」

「強いも何も、格闘じゃ私の知る中で一番強いんじゃないかしらー。だから、まあ手加減してもらっても勝てなくて勝てなくて」

 

 ぽかんと口を開けて魔梨沙の言葉を咀嚼するわかさぎ姫。彼女の中の魔梨沙は未だに自分の隣で歌を聞いたり唱和したりするのが好きな元気な子供のままだった。

 それが妖怪相手に格闘をするなんて無茶をしているなんて、驚きである。

 確かに、先ほど垣間見せた膨大な魔力を持って肉体を強化すれば相当な戦闘に耐えられるのかもしれないが、それにしても目の前の魔女風の少女が殴り合いをするようには思えなかった。

 

「負けてるのに嬉しそうなんて、変なのー」

「むー。負けたって言ってもこれでも少しずつマトモに試合になっているのよ。最初は弾幕ごっこ主体でやってもあっさり負けちゃったくらいなんだもの。少しずつでも上達していくのは楽しいものだわー」

「ふーん。でもやっぱり負けたらつまらないわ。勝って兜の緒を締めよ、よ!」

「あら、チルノ、多分ことわざの使い方が違っているわ。それでは何言っているのか分からないわよ」

「ん? これって負けて喜んでいれば勝った時の喜びを忘れちゃうって意味じゃないの?」

「違うけど、間違ってないわね……」

 

 そう、チルノの言葉もチョイスはともかく中身は間違ってはいない。だが、魔梨沙も別に負けたくて負けている訳ではなかった。

 紅美鈴は、気を使う能力に長けているのも勿論、武術全般に非常に長けている。中華風の服装から伺える大陸のものであろう緩急の乗った拳が響くと思えば、日本風の柔によって投げられる等々。

 顔や急所を狙うのはやめてくれているとはいえ、幾ら修行で苦痛に慣れているとしても厳しく思えるほどの殴打蹴り投げは、力を見つめる程度の能力を持った魔梨沙ですら読みきれないもの。

 しかし能力を持った魔梨沙であるからこそ、そのモノマネ程度は出来て、最近やっと戦いのようになってきたと喜び始めたのである。

 

 だがしかし、チルノのおかげで、知らず内に負け続けた反動のフラストレーションをためているのに気付き、魔梨沙は言う。

 

「そうねー。次は弾幕ごっこで戦って、勝ちの喜びを思い出すことにしましょう!」

 

 哀れ、連勝街道を邁進中の美鈴に、黒星が付くことがここに決まった。

 ちなみに、シエスタしているよりもいいと、魔梨沙と模擬戦をすることに、美鈴本人は肯定的である。

 また、侵入者でもない相手と武を競い合うのは門番としては間違っているかもしれないが、双方の紅の髪が交差するその瞬間が刺激的で、窓から覗く雇い主である紅魔館の住人たちからの評判は良いものであるから特に問題にはならない。

 

「それにしても、魔梨沙は弾幕ごっこが得意なの?」

「きっと、姫様を満足させられるくらいには上手だと自負しているわ……わぷっ。あら、これは」

 

 話している間に、雲天は更に暗くなってきて、空からはふらりふらりと舞い散るものが。それが鼻に乗っかり魔梨沙は冷たさに慌てる。

 手に乗せてみたその六角形の結晶はきれいなもの。そう、雪が降ってきたのだった。

 

「わーい! 雪だー」

 

 これから来る寒さを予想し魔梨沙も、わかさぎ姫ですらも眉をひそめて天を仰ぐ中で、大喜びで動きまわり雪の結晶を手に載せているあたり、流石は氷の妖精。

 魔梨沙は身にしみ始めた寒気をチルノが近くにいるせいと思っていたが、実際は一体全体冷えてきているようだった。

 

「道理で寒いと思った。最近雪が多いし、もうすっかり冬ね」

「うーん。尾っぽが寒い。魚類には厳しい季節だわ」

「姫様は半分人間風でしょ……」

 

 呆れたように、魔梨沙はこぼす。そもそもわかさぎ姫は妖怪だ。人間よりは大分環境の変化に強いはずである。

 それは実際に凍えるほどの水温の淡水に浸かりながら普通に喋っていることからも伺えた。だがしかし、そうであっても寒いのは嫌なのだろう、降る速度を増してきた雪を見て、わかさぎ姫はため息を吐く。

 

「はぁ。でもまあ、これも毎年のことよね。楽しく遊んでるチルノはともかく、いくら魔法を覚えているとはいえ人間の魔梨沙は寒いでしょう。早く帰ったほうがいいわ」

「うん、分かった。久しぶりに話せて嬉しかったよ、姫様。それじゃあチルノも、姫様もじゃあねー」

 

 そして、手を振りながら空に浮き、旧知の二人と分かれて魔梨沙は家路につく。道中顔にへばりつく雪が邪魔で、やはり冬は活動する人間にとって厳しい季節だと思えた。

 帽子のつばを指先で下ろして雪から視界を確保し、空中での交通事故に気を付けながら、魔梨沙は冷えきっているだろうが外よりましであるだろう我が家へと向かう。

 

「あーあ。早く冬が終わればいいのに」

 

 そんな魔梨沙の言葉は虚しく響く。

 そう、この時はまさか、冬が春を脅かさん程に長くなるとは、誰も思っていなかった。

 

 

 

 



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妖々夢編
第十話


 

 

 

 あたし、霧雨魔梨沙には苦手なものが結構ある。

 結構、というのは多くて情けなく思われるかもしれないけれども仕方ない。色々なものに触れることで、苦手というのは増えていくものだから。そうあたしは思っている。

 まあ、そんな苦手なものの一つとして、寒さというものが挙げられる。これは前世ではどうだか覚えていないけれども、今世では冷え性気味なあたしにとっては厳しいもの。

 重ね着していても冷気はどこからともなく這入ってくるし、何より体を動かす気にならなくなるのが問題だ。動物の動を取られてしまえばただの物。そうなってしまえば、死んでいるのと大差なくてつまらない。

 向上するために動くのが私の信条だ。座して待っていては力が手に入るはずもない。もっとも、何もしないで手に入るものほど嬉しいものはないけれど。

 

 まあ、そんな寒さが蔓延る冬は、私は余り好きではない。一応、雪合戦とか鍋とか好きなものを包括しているから嫌いにはなっていないが、しかしこのままではそれも時間の問題だ。

 

「今年の冬は、長すぎるわねー」

 

 そう、異常気象か何なのか分からないが、暦の上ではもう春であるのに外は未だに冬で吹雪いている。雪かきももう何度もやりすぎて疲れて飽きた。けれども、積もるものは降ろさなければ家が倒れてなお面倒になる。

 今年だけでもう二回は屋根から転落しそうになった。飛べるために不注意になっていたのかもしれないが、飛べたためにそのまま雪に埋もれて死ぬことだけは避けられたのだから、とんとんだろう。

 皆が家に居るから妖怪退治の仕事は少なく、その代わりに雪かきの代行の仕事は大量に入って懐は寒くないが、そろそろ魔力で強化していても体が厳しい。

 

 真剣な話、こんな異常が続けば、田植えやその他の野菜作りが遅れて人里の人間も大変になってしまうだろう。そうでなくても、蓄えがなくなってきているらしく、雪下ろしの最中に老人らからどうにかならないかと相談を受けているくらいだ。

 だがしかし、いくら力がついてきたからとはいえ、自然に反逆するには力が足りないし、何より術が思いつかない。

 外の知識からハウス栽培とかどうかとか考えてみても、原理を知らない維持材料になにがかかるかも分からなければ何の意味もない。

 紫に聞けば何か名案が返ってくるかもしれないが、冬眠しているというちょっと信じられないことを式神の藍から聞いているから、その可能性もなく。

 まあ一部以外の里の人間のことはどうでもいいかと、とりあえず、毛布にくるまりながら囲炉裏に手を伸ばして温めてばかりいた、そんな時に。

 

「お邪魔しまーす、っと。姉ちゃん、今日表に出たか? 軒下に長いつららが伸びてたぜ」

「あー、ようこそ我が愛しの妹! どうしたのこんな寒い日に? 妖怪には会わなかった? 体は大丈夫?」

「相変わらず心配性だなー姉ちゃんは。大丈夫だよ。今日は用事があって姉ちゃん家に来たんだ」

 

 なんと、霧雨店で働いているはずの妹が、傘を差してあたしの家まで来てくれたのだ。

 相変わらず、男の子みたいな口調。だけれど本当は可愛らしいふわふわな金髪の長髪を一部三つ編みにしたお洒落さんで、今は熱を逃さないために着膨れしているけど、ツートンカラーな白黒の服を着て自己主張をするのに余念がない。

 この年にしては頭も良くて計算なんてもうあたしなんかより早く、もう妹だけで店は回るんじゃないかとお客さんに言われるような、そんな強い存在感もある。

 その性格も特徴的で、ちょっと気が強いところがあるけれど、柔軟で柳のように他人を受け止めるような性質も持っていたりしてとっても親しみやすい。

 総括して、とっても可愛い妹は人里の女子と男どもの憧れを集めているに違いない、そんな子だ。でも、本人にそれを直接言うと、顔を真っ赤にして否定する。それがあたしには解せない。

 

「また姉ちゃん変なこと考えてないか?」

「ううん。別に(妹のこと以外に)変なことは考えていないよ」

「ならいいか。じゃあ、姉ちゃんこれ見てくれよ。どう思う?」

 

 はっきりしている妹は、気にしないと決めたらそのまま話を進めて、あたしの方にガラスで出来た小瓶を投げてきた。

 それを慌てて受け取り、コルクの栓を開けて、中を見る。すると、そこに入っていたのは、桃色の花びら。それを掌に載せて、あたしは気づいたことを口にする。

 

「うん? 桜の花……なワケがないわね。これは、何というか、春の力? そんな感じがする」

「流石姉ちゃんだ、話が早い。何だか知らないが、霧雨店に売られた道具の中にそれが入っていてさ。いや、この寒さで桜の花びらなんておかしいだろ? なんか私でも力を感じる代物だったし、ちょうどやって来ていた香霖に見せてみたんだ」

「香霖堂のお兄さんね。彼はなんて?」

「いや、コレは春度といって、春らしさを集めた桜とは似て非なるものなんていうからさ。それに、なるほどコレを集めているものがいるから春が来ないのかなんて意味深なことを言って去っていくしで、気になって姉ちゃんとこに持って来たんだ」

「なるほどねー。コレが春らしさの塊、春度。この一枚がないだけで季節が変るとも思えない。でも幻想郷から春を奪いコレにして沢山集めている者がいる、としたら未だ冬であるのもうなずけるわー」

 

 春を奪うなんてどうすればいいか分からないから、それは仮定。

 でも、この花びらが桜でないのはあたしの目からしたら一目瞭然であり、春そのものを感じるというのは疑いようもなく、それに博識な香霖堂のお兄さんの言も含めて考えれば、答えは一つ。

 

「姉ちゃん。やっぱりこの長い冬は異変なのか?」

「そうねー。それで間違いないみたい……」

 

 そう、今回の異常気象は誰かが起したこと。それに気付くのが遅れたのは、あたしが元外の世界の人間であるために自然を絶対視し過ぎていて柔軟な発想を持てなかったせいでもあるだろう。

 春度が人里に届くくらいだ。昨日はゆっくりしていたが、もう同じく春度に気づいて霊夢が異変の犯人に向けて勘で動いていてもおかしくない。

 流石に今回は事態が大き過ぎる。相手がスペルカードルールを守るか分からないし、先行できずともせめて一緒に動かないと。

 そんな風に考えていると、妹は大きなため息を吐いた。

 

「はぁーあ。また私は蚊帳の外か。姉ちゃんや霊夢に話を聞くだけで何も出来ないなんて、むず痒いぜ」

「そんなことを言わないの。お姉ちゃんも霊夢も、危ないことをしてるんだからー。あたし達以外の皆はそんなことは気にせず安穏にしているのが一番なのよ。適材適所、ってやつね」

「やっぱ私じゃ、駄目なのか?」

「駄目よ。生兵法は怪我の元っていうけど、残念だけど貴女程度の力では、死んでしまうのが落ちだわ。だから、お姉ちゃんを信用して任せなさい」

「……分かった。頼んだよ姉ちゃん。霊夢も任せた」

「うんうん。任されたわー」

 

 笑顔で承諾するあたしだったけれど、内心は罪悪感で傷めつけられていた。妹に酷く残念そうな顔をさせてしまったのは、安全でいてほしいと才能を挫いたあたしのエゴのため。

 もしかしたら、あたしと霊夢と妹とで、異変解決へと向っていたような未来があったのかもしれない。でも、それをあたしは潰した。

 だからこそ、あたしは笑顔でいるしかない。心配されないよう、強くて敵わない姉として振舞うことで、そんなもしもを考えさせないようにさせる。それがあたしの精一杯の誠意。

 

「それじゃあ、帰りは送って行くわー」

「おっ。姉ちゃん、今日は後ろに乗せて行ってくれるのか?」

「勿論よー。ただ、ゆっくり行くわ。傘はしっかり脇に持ってね?」

「分かった」

 

 そして、あたしは妹を後ろに乗せて飛び立った。雪が縦横無尽に舞う中で、あたし達は寒さに震えながら、箒の上でひっしと掴まり合って一つになる。

 やがて、熱と鼓動を背後から感じながら、私は昔のことを思い出していた。

 

「あたしがいなかったら、どうなってたんだろう」

 

 ぽつりと、零したそれは、強い風が流してくれて、妹の耳には届かなかっただろうと、そう思う。

 霧雨のお父さんは最初の頃よくあたしにこう言っていた。魔梨沙かいい名前だな、実はもし俺たちに女の子供が生まれたら同じ名前を付けようかと思っていたんだ、と。

 姉妹に同じ名前をつける親などそういない。私が魔梨沙なせいで、妹のマリサは永遠に奪われた。それがどんな意味を持つかは分からないけれど、ただ、あたしが居たがために運命は変わってしまったのだと気付くのに、時間はかからなかった。

 

 だから、あたしは変わってしまった妹を、変えてしまったからこそ、守りたい。

 そのために、幻想郷を守ることが必要であるのなら、喜んで命をかけて守ろうと、あたしは思う。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……やっぱり吹雪いているわよね」

 

 ため息を吐き、開け放った扉を再び閉めようとする手から力を抜きながら、霊夢は現状に憂鬱を感じていた。

 それでも、先んじるに躊躇している暇はないと、一歩踏み出す。そうして、霊気で保護していても冷える肩を抱きながら、霊夢は魔梨沙に何も知らせず雪中に飛び出していった。

 

 

 勇んで吹雪の中に飛び込んでいった霊夢の、その行動の始まりはこうである。

 今回春の気配がするのに雪が一向に治まらずに霊夢もおかしいとは思っていた。

 だが、季節をどうこう出来そうな知り合いは冬眠中の筈であるために、今回はたまたまではないかと何故か疼く勘を無視して休むことを霊夢は選び続ける。

 しかし、それも今日で終わりだった。そう、動かざるをえない理由を見付けたがために。

 

「……何よコレ」

 

 霊夢は雪かきをしている中で、ピンク色の花びららしきものを見付け、驚いた。何しろこの吹雪の中に混じっていた花びらである。それは無視できず家の中に持って帰ってよく見ることにした。

 よく見ても、霊夢にはそれが桜の花びらにしか見えなかったが、それでも感覚から何らかの力がそれに篭っているのは分かる。

 これが封ぜられた春なのではないか、そういう答えに至ったのは勘と、何より幻想郷の者特有の柔軟な発想があった。

 

 存外、外の世界の人間は自然そのものに対する畏怖が大きい。神様のせいでもなく、妖怪のせいでも亡霊のせいでもなければ、それは自然に起ったもの。

 異常気象だろうが、自然のことだからどうしようもないと団体でどうあろうが個人ではそう諦めるのが常である。

 しかし、ここ幻想郷では、魑魅魍魎に溢れていて、春の妖精冬の妖怪なんていうものもいるくらいである。悪いことを、妖怪やら何やらのせいにすること。それは普通のことなのだ。

 そこに、霊夢の発達したインスピレーションが上手くかみ合わさり、春が奪われているのではないか、コレが奪われた春の一部だという考えに至ったのである。

 何しろ、桜の花は春らしさの象徴的なもの。故に、そう考え至ることも、無理ではなかったのだ。

 

「ちょっと魔梨沙に相談……したら、面倒なことになりそうね」

 

 そうして、この事態が異変だと独力で気付いた霊夢であったが、そのことを魔梨沙に相談しようと考えて、途端に脳内でその案を却下した。

 確かに力にはなってくれるだろう。だが、また紅霧異変の時のように無理をされては困ると霊夢は思った。あの時は魔梨沙が能力を最大限に発揮して何とかなったが、何とかなったがまた続くとは限らない。

 それにあの姉貴分は、未だに自分のことを子供のように扱っている。下手をしたら今回の異変は危ないと霊夢を差し置いて自分だけ解決に向かうかもしれなかった。

 そんな全てが杞憂であるのだが、魔梨沙の普段の言動が、霊夢を心配する、悪く言えば自分より下に見るものばかりであったために、信用されていない、だから見返してやると霊夢に思わせてしまうのも当然だったのかもしれない。

 

 

「あー、寒い寒い」

 

 そういった理由で、霊夢は一人で行動することを選んで、吹雪の中を邁進中である。先ほど何やら冷気の塊のような小さい妖精が邪魔して来たから問答無用で叩き落としたりしたが、それでも寒さは弱まらない。

 時折吹雪の中に例の桜の花弁が混じってきているので、進行方向に間違いはないだろうが、むしろ向かう先が冬の中心であるかのように、どんどんと寒くなってきている。

 とりあえず、取れるだけの花びらを陶器製の小瓶に入れて、御札で蓋をしていると、その先に白い人影が見えるようになった。

 

「この寒さの源はあんたね」

「そうだけどー。でも私がこの長い冬の犯人ではないわよ」

「知ってる」

 

 暢気に吹雪の中飛んでいたのは、レティ・ホワイトロック。長い寒波に調子を良くしている件の冬の妖怪である。

 寒気を操る程度の能力をもつレティは、しかしだからといって殊更何かをしているわけでもなく、ただ冬の寒さを楽しんでいるだけのようだった。

 

「ならどうして御札をむけるのー。私はただの通りすがりの一般妖怪よー」

「残念ね。私は異変の最中に出会った妖怪は皆倒すことにしているの。だからあんたは被害者Aよ!」

「はぁ。おちおち散歩も出来ないなんて、物騒な世の中だわー」

 

 辻斬り同然の巫女を前にして、レティは、冷静にスペルカードを掲げる。どうやら冬にしか現れないような雪女な彼女にも、スペルカードルールはしっかり浸透しているようで、考案者の一人である霊夢は口元を緩めた。

 そんな霊夢の姿を不気味に思ったレティは、早く終わらせようと、枚数を二枚に絞って始めることにする。

 

「ああ、面倒なことになったわー」

「私だって、こんな寒い中で妖怪退治なんて面倒よ」

 

 あまりやる気のない二人の弾幕ごっこは、白熱することもなく。レティの操る強い寒気によって弾幕が見辛くなったりもするが、少し離れればそれでも避けるのに難しいことはない。

 雪の中で更に白い弾幕を避け、紅白の弾幕をすり抜けさせて行くことで霊夢は相手に的確にダメージを与えることに成功していった。

 

「はぁー。寒符「リンガリングコールド」」

 

 そうして追い詰められスペルカードを発動させるレティであったが、実際問題巫女に勝てる気がこれっぽっちも起きずに、ただ彼女はこの戦いが早く終ってしまえばいいのにと、思う。

 その後できっと残り少なくなるだろう冬を充分に楽しまないと、とレティ・ホワイトロックは考える。彼女の周囲を舞う雪華は、あまりに儚いものだった。

 

 

 

 



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第十一話

 

 

 

 アリス・マーガトロイドは、魔界生まれで幻想郷在住の魔法使いである。そして、何より彼女が訪れる人里その他の場所では人形遣いとして有名であった。

 何しろ、アリスは普段から日常的に幾多の人形を操り、それに身の回りの世話をさせたり、戦わせてみたり、演劇させたりしている。

 人形のような容姿の少女が人形を生きているかのように操っているという、ひと目で忘れられないインパクトをもつアリスの姿は、器用な人形遣いとして認知され語られるのに充分なものであるから、おかげで魔法使いの腕はようとして知られていない。

 だが、本来アリスは魔界生まれであるだけに洗練された魔法を使う上、普段から錠をかけたグリモワールを手放さないことから分かるように、人形を用いない魔法を奥の手にしているくらいには通常の魔法の腕の方も達者なのである。

 そんな、七色の魔法使いとしてのアリスを知るものは、ここ幻想郷では余りに少ない。本来の強さを知るのは魔界にいたアリスと戦ったことのある四季のフラワーマスター風見幽香に魅魔、そして魔梨沙くらいのものだろう。

 その三人が言いふらしたりしない限り、アリスはずっと見た目だけ賑やかな妖怪と一部の口さがない人妖に言われ続けることになるのかもしれない。

 しかし、それを当のアリスはそれを良しとしている節がある。

 

 魔界に居た頃幻想郷から来た三者に攻めこまれた際に一度負けた後、幻想郷に訪れ今度は全力を出して戦い負けたが、その力を気に入られて魅魔や幽香に玩具にされた過去から、アリスは手の内を隠し本気を見せることなく負けることを覚えた。

 勿論、アリスは勝つことが嫌いなわけではなく、相手を負かすために戦うこともある。しかし、絶対に勝たなければいけないような、そんな自分を崖っぷちに追い込むような戦いは避けるようになっていた。

 もっとも、人形を操るばかりのアリスも存外強い存在である。ここ最近流行り始めたスペルカードルールの弾幕ごっこに、器用な彼女は上手く人形を組み込んで派手な弾幕を作り、手頃な妖怪と戦って勝ちを得たりしていた。

 

「しかし、考案者の一人には、及ばない、か。私の負けよ」

「……なんかあんた随分と引き際がいい妖怪ね。まあいいわ。私の勝ちだから、ここを通してもらうわ」

「ふぅ。それは構わないけれど、貴女はこの異変の首謀者の目星はついているのかしら?」

「分からないけど、それでいいわ。私は大体勘でこういう犯人とかを見付けられるから」

「随分とプリミティブな捜査をしているのね。巫女らしいといえばそうなのかしら」

「何とでも言えばいいわ。案ずるより産むが安しよ。とっととこの寒い冬を終わらすには、動くのが一番。温まるしね。それじゃあ行くわ」

「行ってらっしゃい」

 

 アリスは異変時特有の見敵必殺の精神を持った霊夢に出くわして、弾幕ごっこでこれに応戦することしばし。健闘はしたが、流石に弾幕なれした巫女には勝てず、彼女は負けて、素直に道を譲った。

 

「さて、人形たちは……大体大丈夫、か」

 

 紅白の後ろ姿を見送って、そうしてアリスはまず倒された人形たちの無事を確認する。魔法で出来た糸を使い集めたその全てに欠損もなく、汚れてはいるが、大概洗えばなんとかなるようなものだった。

 その内の一体の頭を撫でて土を落とし、魔力を通して動きを確認しながら、アリスは独りごちる。

 

「折角集めた春度、全部奪われちゃったわね。まあ、興味の解消ぐらいのために集めていたのだから、別にいいのだけれど……」

 

 そう、アリスが魔法の森の上空で浮いていたのは、飛んできた春度を、研究していたところだったからだ。動的な春の力を動力源にした場合に人形はどういう風になるのか、気になって風に運ばれるそれを集めていた。

 基礎を木で作った人形と春は五行思想でいえば相性がいいはずである。そう考えて収集していたが、一体の人形を動かすのに必要量が多すぎていて計画は最初から頓挫気味であった。

 そこに巫女の登場である。根こそぎ春度を取られたアリスは、まあ仕方ないかと諦めた。元より、彼女の目的である完全自律人形の作成からは離れた実験であったし、それにもし自律した人形が出来たとしても頭が春だったりしたら意味が無い。

 何より、自然の摂理を曲げてまでして得たいものはこれまでアリスにはなかった。だから、彼女は意見の合わない今回の異変の首謀者には興味もない。むしろさっき通った巫女の人間離れした強さや紅白に興味がわくくらいだ。

 その、交友関係についても。

 

「少し奇抜なデザインだけれど、今度は博麗の巫女を模した人形でも作ってみましょうか……あ、あの紫色は……やっぱり魔梨沙!」

「あらー。アリスじゃない。どうしたの、こんな吹雪いてる日……ってここはそれほどでもないのか。なるほど霊夢が向かっている方角は間違っていないのね」

「……そのペンデュラム私の方を指していない。魔梨沙は私に会いに来たわけじゃなくてあの巫女を探していたのね……あの紅白、もっと本気で邪魔してやれば良かったかしら」

「うん? 心配だから霊夢を探していたのは確かだけど、アリス最後になんて言ったの?」

「独り言よ。なんでもないわ」

「そっかー」

 

 アリスの言葉に魔梨沙は納得するが、アリスは納得行かない心持ちを胸に抱く。

 なるほど魔梨沙もあの巫女と同じように異変解決に来ているのだというのは言動から何となく分かる。しかしそんな非常時だと理解していても、自分よりも博麗霊夢が優先されているという事実に、アリスは耐えられない。

 こんな嫉妬心、下らないと思いつつも止められないのはどうしてか。それは、ここ幻想郷で魔梨沙がアリスにとって唯一といっていい友人であるからである。いや、彼女の中では最早家族といっていいくらいなのかもしれない。

 

 勿論、魔梨沙に友人が複数いるというのは知っていた。

 単身魔界から幻想郷に来たアリスを心配して最初の頃はよくよく魔梨沙が彼女の顔を見に来ていたし、それに紅茶が好きな二人は時折アリスの家にて二人だけでお茶会を開いて情報交換をしていたりもしたのだ。

 最初、アリスも巫女の姿を見て魔梨沙が時折語る霊夢とやらではないかと思ったが、彼女の口から出る霊夢はいい子で優しいという目の前の紅白とは異なるものであったために、博麗の巫女とは複数いるものだと誤解した。

 そのために、こっちは話題にものぼらない方ね、と軽く見ていたが、その実魔梨沙が心配していたのは彼女であり、未だに目の前のアリスより優先されている存在でもある。

 

「いや、なんでもない訳ないわよね」

「んー?」

 

 そう、なんて羨ましいのだろう。人が人を心配するのは当たり前。でも自分だって魔界の人であるのに、どうして魔梨沙は私だけを見てくれないのか。心配するなら、私も心配してくれなければいけないはずなのに。

 そんなアリスの心は、まるで生れた子に対抗して私にも構ってと親にすがる長子のようであった。

 

「ねえ、魔梨沙。私のグリモワール、前から読んでみたいと言っていたわよね。でも、貴女は内容を魔界人しか読めないからって渋々諦めていたけど……私が読んであげてもいいのよ?」

「え、本当? それはありがとう、アリスー。この異変が終わったら読み聞かせてちょうだいね」

「それは駄目。今日中、今直ぐじゃないと読ませてあげられないわ」

 

 アリスは魔梨沙が力を追い求めていることをよく知っている。そのためだけに魔界に来たことも、魔界の神、神綺に授けられたアリスのための魔導書に強く興味を示したことも、力が欲しいからと全部魔梨沙の口から聞いていた。

 ならば、魔界神が創ったこの究極といっていい魔導書は、再び魔梨沙の興味を引くいい餌になるに違いないとアリスは思う。期限を今日に定めれば、それこそ一日中アリスから目を離せなくなるだろうくらいには。

 何せ、異変解決は本来巫女の仕事らしいし、今回の異変の首謀者が幾ら強大だろうが、スペルカードルールさえ守られれば、何時か事態は終息するはず。だから、巫女に対する心配は杞憂だと魔梨沙も思っているはずなのだ。

 故に、選択の余地もないと、アリスは考えていた。しかし、現実は違っている。

 

「それじゃあ、霊夢に追いつけなくなっちゃうからだめねー。また今度。気が向いたらおねがい」

「えっ?」

 

 本心は、それこそ力への執念で焼き付いているはず。それなのに、魔梨沙は迷いなくそう言った。

 先の言葉通り、実際に霊夢が心配なところもあるが、信頼もあるためにそれは意外なほどに少ない。

 即答の原因は、約束があるからだった。妹とした些細な約束。霊夢を任した、任された。自分の命より大事な最愛の妹と約束したそれを破ることは、どんな好機を逃すことよりもしてはいけないことである。

 

 そんな約束、アリスは知らない。だから、アリスの脳裏は混乱する。

 何故そんなにあの巫女が大事なのか、孤独に疲れていた私を察し撫でてくれたあの手の暖かさは嘘だったのか、クッキーが甘過ぎると言ったら次にはそれを忘れずに控えてくれたあの気配りは何だったのか、そんなこんながグルグル回った。

 しかし、まるで人形のようなアリスの表情は歪まずに、その内心の痛苦は表れず。魔梨沙もこうも必死に自分が思われているなんて夢にも思えないために、提案はアリスの気まぐれだと処理してしまい。

 結果、魔梨沙はアリスから顔を背け星形の振り子を手にして、ダウジングを再開。そうして位置を探り霊夢の元へ飛び立とうとしたその時に、唐突にアリスは声を掛けた。

 

「待って、魔梨沙! 弾幕ごっこ、始めましょう?」

「ええー。アリス、あたし急いでいるんだけど……うわっ、危ないじゃないアリス」

 

 それは有無をいわさない実力行使。何時の間にか人形に囲まれていた魔梨沙は、そこから発された弾幕を寸でのところで避ける。

 

「待ちなさいって言っているでしょう。ほら、スペルカード。私が負けたらこれ以上邪魔はしないわ。その代わり、勝ったら魔梨沙は今日一日異変に関わるのは禁止よ」

「どうしてこんなことするのよー」

「どうしてもこうしてもないわよ。貴女の追いかけている巫女だって何の理由もなく私に襲いかかってきたわ。スペルカードは一枚にしてあげる。これなら時間もかからないし、いいでしょ?」

「しようがないわねー。アリス、遊んであげる」

 

 急な展開に、魔梨沙はアリスが自分と遊びたくなったのだと勘違い。元々出会った頃は自分よりも大分小さかったアリスを魔梨沙は、霊夢のように、妹分であるように感じてそう扱っている。

 だからまあ、ちょっとした駄々は、受け止めるのが姉貴分の役目と考えて、魔梨沙は笑んだ。

 

「ふふ。さあ、一緒に楽しみましょう」

 

 そんな向けられた笑みが、ちょっとだけ、アリスには嬉しかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 アリスは、そのスペルカードを宣言する前に、烈しい弾幕放出に耐えられる選ばれた八体の人形を自分の周りに、円を描くようにして控えさせる。

 本来ならば、その手順は魔法を使って召喚することで瞬時にして終わらせるべきものであるが、未だにこのスペルカードは未完成であるために、この部分は省略出来なかった。

 しかし、それでもこのスペルカードはアリスの持つ他の何よりも強力だと断言できる。彼女の本気を表すかのように、その弾幕は苛烈なものとなるだろう。

 

「いくわよ、「グランギニョル座の怪人」!」

 

 そう、それは演じられた悪夢を人形によって再現したもの。つまりは、恐怖すべき代物である。

 

 まずは、八体の人形一体ずつから二方向に桜色と赤色の二色の弾幕が生成され、人形自体が回ることによって、それらは交じり合い複雑な放物線を描いていく。

 単純に、八かける二の十六条の花弁状の弾幕による線が周囲に成って行くかと思えば、そうでもない。

 なんと、一定の距離になると、一部の弾幕は急にアリスの方へと角度浅く巻き戻り加速していくのだ。アリスの周囲はまるで万華鏡の中のようで、粒で出来たシンメトリーな形が宙に次々と顕になっていった。

 そして、アリスの周囲を彩った二色は巻き戻された桜色の分が今度は鋭角に外を向いて放出されていく。

 

「わ、これはかなりの……弾幕ねっ」

 

 つまり、魔梨沙からすると眼前を覆わんばかりの二色の弾幕が、斜めから、そして速度も角度も違う二種類の弾幕となって視界の両端から襲いかかってくるのである。

 眼前は最早花の嵐でその中に突っ込んでいく勇気はとても湧くものではない。その数の多さ、密度は弾幕慣れした魔梨沙であっても驚くものがあり、その上に等速で向かってくるのではないという不規則さが正確な目測の邪魔をしていく。

 そもそも、斜めから来る弾幕というのは視界の外から来るものがあるために単純に避けにくく、これほどの密度の弾幕であれば、弾幕上級者であっても斜めから来たからというだけで失敗する可能性がある。

 それほどの弾幕の嵐をその場で捌く魔梨沙はかなりの達者であるが、しかし、そんな彼女を驚かせる仕掛けが未だあった。

 

「まだまだ行くわよ……これで、どう!」

「くぅっ」

 

 そう、そんな悪夢めいた空間が弾幕の一瞬の途切れと共に終わろうとする、そんな間隙に、アリスの人形たちは赤に紫二色の鱗状弾幕を殺到させる。

 集い大量に纏まったそれはまるで三又の矛のような形となり、かなりの速度をもって中心の先端を魔梨沙に定めて真っ直ぐに伸びていく。

 魔梨沙は一瞬大きく避けようかとも思ったが、そうしてしまえば、未だわずかに残る花弁状の弾幕にぶつかってしまう上に、まず逃げるより先に他の三又の先端が魔梨沙に届いてしまうだろう。

 だから、その大量の赤紫の威圧感を無視して、真ん中の一発一発が自分に向かってくるのであれば少しずつ避けていけば全て避け切られるとの判断から、体に掠らせつつ少しずつ避けることを選んで、その大型弾幕の全てを避けきった。

 

「そんな!」

「危なかったー。判断を誤ったら終っていたわね」

 

 ほんの少しの間を挟んで、弾幕は続いていく。先と殆ど同様の、難しい弾幕が魔梨沙に迫る。しかし、もう二度目。魔梨沙はパターンを【見切って】いた。一度目は見に回っていたために、撃っていなかった弾幕を魔梨沙は張り始める。

 それは、スペルカードを使用したアリスの物量にはてんで及ばないが、通常弾としては強力な代物。昼間の星は真っ直ぐ流れて行き、悪夢を食い破る。

 上下左右僅かに動きまわりつつ体に魔弾を大いに掠めさせながら、冷静に紫の星形の魔弾を上手くアリスに当てていくことで、スペルカードを攻略することに魔梨沙は成功した。

 

「やったわ、あたしの勝ちねー」

「くっ、そんな、魔梨沙!」

 

 伸ばした手が届くことなく、アリスは地に落ちていく。実力全てを出したわけではないが必死に作った弾幕だったのだ。その後に相手の弾幕を受け過ぎれば防御どころか飛行の魔法すら使えなくなるのは仕方のない事である。

 

「おっと、危なーい」

 

 そこを逃さず、颯爽と魔梨沙はアリスをさらっていく。ぽてぽてと地面に落ちていく人形たちをも掬うのは手近の一体以外無理であったが、悔しいのか強く手を握って来る胸中のアリスは無事で、魔梨沙も安心である。

 アリスには少し端の擦れた服以外に何も損傷のないことを確認してから、魔梨沙は彼女を地面に下ろして立たせる。手が離れる時に、あっ、とアリスが名残惜しそうにしたのが魔梨沙には不思議だった。

 その手の中に、人形を押し付けて、向き合ってから魔梨沙は口を開く。

 

「それにしても、すごいスペルカードだったわ。あたしでもやられちゃいそうだったもの、きっとアリスもよく考えたのね。偉いわー」

「でも、勝てなかったから、意味が無いわ……」

「楽しいって、それが弾幕ごっこをする第一の意義だとあたしは思うの。あたしは楽しかった。アリスはどう?」

「それは、全力が出せて楽しくないわけないけれど……でも、魔梨沙は行ってしまうのでしょ?」

 

 久しぶりに全力を出せたのは、気持ちいい。しかし、そんな心地も既に曇っている。そう、魔梨沙は自分より巫女をとって行ってしまうのだから。

 胸の中の人形を掻き抱き、アリスは上目遣いで魔梨沙を見る。視線の先の赤目の少女は、実に嬉しそうに笑っていた。チクリ、と胸が痛む。

 

「うん。約束したからね」

「約、束。そう、先約だから気にかけているのね」

「まあ、そういうこと。今日は駄目でも明日、明後日にはきっと遊びに来るから、その時はよろしくねー」

「うん。分かったわ。約束したから」

 

 言葉の通り、魔梨沙は約束したのならそれを守ってくれるのだろう。なら、大切なものが誰かに取られて失くなってしまうようなこの焦燥感も、約束すれば安心だ。

 無理にそう考えても信じられないのは、既に一度先約によって、巫女に魔梨沙を取られているからだろう。それを、アリスはどんなに頑張っても解消出来なかった。

 だから、アリスが魔梨沙は自分よりも博麗の巫女の方を気に入っているのではないか、という猜疑心に囚われてしまうのも、仕方ないのかもしれない。

 もっとも、そんなことは実際にはなく、魔梨沙は妹の言葉を優先しているだけであるのだが、言葉にしなければ伝わらず。ただ、アリスは無理してついて行けもしない自分を、小心だと責める。

 

「じゃあねー」

「……さようなら」

 

 遠ざかる紫色の背中。アリスはその隣に、紅白の姿を幻視出来てしまい。今回の、異変を起した人物の気持ちを理解する。

 この日から、アリスは霊夢を嫌いになった。

 

 

 

 



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第十二話

 

 

 

 十六夜咲夜にとって、霧雨魔梨沙との関係は、ただの知り合いでしかない。いや、ただのというには複雑ではあるが、それでも個人の付き合いとしては決して深いものでないのは間違いなかった。

 自身の主人であるレミリアいわく、フランドールの運命を変えてくれた相手として、個人的にも恩義は感じているし、美鈴と格闘ごっこをして汗を流す姿も中々様になっていて、見た目も嫌いではないものだ。

 そして、話をしてみても、殊更奇妙なところはなく、パチュリーに言わせれば力に惹かれ過ぎているそうであるが、浅い会話ではそういった部分も見受けられない。

 個人的に気になる所はないために、良き隣人として、悪い仲にさえならなければいいなとは思っていたが、別に深い仲になろうとも考えてはいなかった。

 

 しかし、近頃は縁があって、少し知り合いという間柄では窮屈になってきている。

 きっかけは、暇を持て余したレミリアの気晴らしも含めた彼女の計画によって、咲夜が人里に珍しいものを買いに出かけた日のこと。

 ただのお使い。とはいえ、それは幻想郷の中では咲夜にとって初めてのことだった。

 

 本来なら、幻想郷の人間は人里との関わりなしに生きていくことは難しい。妖怪だって、種族独自の文化なしには満足に生活出来はしないのだ。しかし、咲夜、引いては紅魔館の面々は文化的な、それも西洋的な生活を満喫出来ている。

 それは、現在に至るまで、紅魔館にはパチュリーの魔法のお陰で外の世界とのルートが残されていたためだった。おかげで、幻想郷ではずっと閉じて生活することが出来ていたのである。

 しかし、先の異変で大きく紅魔館の存在を知られたからには、これから幻想郷自体と共存していくためにも、徐々に周囲との距離を近くしていかなければならないとレミリアは判断していた。

 その試金石として、咲夜と人里は選ばれ、お嬢様の気まぐれとして咲夜はそれを承ったのである。

 

 そんな、初めての人里との交流ではあるが、先立つものはお金とまずは換金をする必要が出た。そのため咲夜は宝石店にパチュリーが造った宝石を売りに行く。

 宝石店の店主は随分な美人さんが来たと、内心大喜びで咲夜を迎えた。婚期をむかえてもいるが店主には浮いた話もなく、専ら石が恋人だと言われてしまうような有り様であるが、それでも男。

 里ではあまり見ない洋装で銀のような清浄な美しさをした咲夜に、店主は一目で胸を打たれる心地であった。

 それからしばし、歓談とはいえない最低限の会話をして、いざ宝石の鑑定といった時にあたり、店主はつい、気になっていたどこから来たのかという問いを口にしてしまう。

 果たして、返って来た答えは紅魔館から、というもの。そこは今夏に何日も人里中を紅い霧で覆わせるという大きな異変を起した悪魔の城と、店主は認識していた。

 そんな大妖怪の居場所から来た人間なんていうのは解せない。ひょっとして囚われて遣わされているのかと問えば、いいえ、メイド長をやらせて頂いていますという頓狂な答えが返ってくる。

 ここで、店主は薄気味悪く思った。人に害を及ぼす妖怪と共に暮しているような人間なんていうのを想像できない彼には、次第に目の前の美しすぎる存在が、狐狸か異常者のように見えるようになってしまう。

 それでも商売を続けられれば大したものであったが、両親ともに逝去した独り者の彼には、守るものなど自分以外になく、大粒の宝石を前にして、恐れる店主は済まないが黙って帰ってくれと泣く泣く口にすることしか出来なかった。

 

「どうしましょう……」

 

 そんな男の内心など知らずに、表に出た咲夜は途方に暮れる。まさか、こんな買い物をする初歩の段階から躓くとは彼女も思っていなかった。

 紅魔館から来たと語ったことが失言であったのには気づいていたが、それだけで追い出されるとは、と咲夜は自分と人里の人間との温度差を感じる。

 そうして、少しの間ぼうっと立っていた所に、声がかけられた。

 

「ふーん。お前さんは、十六夜咲夜か?」

「そうだけれど……貴女は?」

「私はなんでもないぜ。でも困っているなら、付いて来な」

 

 咲夜は最初に、あら、可愛らしいという感想を持つ。声の主は、ふわふわの金髪で、モノクロームな白黒の洋服がよく似合う少女だった。少女は、店から出た咲夜の直ぐ後ろ、店の入り口のすぐ近くに立っている。

 その少女は、一方的に話しかけてきたと思うと、直ぐに踵を返して歩き出した。自分の名前が知られていること、それを訝しく思う咲夜だったが、しかし一々そんなことを気にするほど彼女は狭量ではなくむしろ鷹揚な方だった。

 困っているのは確かなことで、ならこの可愛らしい天の助けに導かれていくのも悪くないと、咲夜は少女の後を付いていく。

 

 少女の影を踏まない程度に離れて歩いていると、度々少女の名前を呼ぶ声に、咲夜は度々足を止められることとなった。通りの大人子供、様々な人に呼び止められる少女はどうやら有名人で人気者のようである。

 そして、咲夜のことを聞かれる度に、客だと答えるその様子から、どこかの商家の娘であるとも察せた。

 

「それで、元気な看板娘さんは、どこの店の人なのかしら」

「それは、見てのお楽しみってな。そして、ご覧のとおり、あそこに、私の店は建ってるぜ」

 

 少女が指さした先には、店に出入りする多くの人が見える。彼らが通っている店、それはどうやら道具屋のようであるが他の建物と比べても大きく見るからに立派なものだった。

 霧雨店、と看板に書かれたその大店は、咲夜からしても、妙に頼もしく見える。それはきっと、長年人里に建っていたその風格を感ぜられたからだろう。

 

「随分と大きな店ね……」

「へへっ。人里はあんなケチな店ばかりじゃないってところを見せてやるよ。霧雨店へようこそ!」

「あら。そういえば霧雨、っていうことは……」

「ああ。咲夜は姉ちゃんの知り合いなんだろ? 安くしとくし、高く買ってやるぜ?」

「それは助かるわ」

 

 こうして、咲夜は無事に買い物をすることが出来、更に人里での知己を得た。紅魔館にはない咲夜にとって珍しいもの、ということで買ってきた唐箕はレミリアに不評だったが。

 それから人里に関わることになった咲夜は、霧雨の末っ子を頼る場面が沢山出て来て、そして、そこに魔梨沙が関わることも多くあった。

 中々手の空かない妹の代わりに、魔梨沙が咲夜に人里、香霖堂などの案内したことも、一度や二度ではない。三人一緒にお茶を飲んだことすらあった。

 魔梨沙は人里で出来た初めての友人の姉でもあり、だからそろそろ知人ではなく友人と言ってもいいのではないかと、咲夜はそう思い始めている。もっとも、当の魔梨沙は、既に咲夜を友達の一人に数えていたが。

 

 そして、多く人里に通った実りの秋が過ぎ、冬を迎えて疎遠になって、それが何時まで経っても終わらないことに、咲夜は些か不満を覚える。

 一度も来たことのない一般人の妹は勿論、魔梨沙も中々紅魔館に来ることがなくなった。行こうと思えば、霧雨店にも人里と博麗神社の中間にある魔梨沙の家にも行けるが、共に炬燵に入り茶を啜るばかりの交流はどうかと思い、疎遠は続き。

 そんな長過ぎる冬が詰まらなくなったのは、魔梨沙とよく遊んでいた美鈴も一緒にお茶をしていたパチュリーもフランドールも、そしてそんな皆の姿を見るのが好きであったレミリアも同じだったのだろう。

 この長い冬を異変と断定していたレミリアに【何かおかしい】から気を付けなさいという言葉と共に送り出されて、咲夜は異変解決に出かけた。

 

 

 

 

 

 

 レミリアの指示した方角に飛んで行き、出て来る妖精や、やけにくたびれていた冬の妖怪などをナイフの錆にしていくと、何故か花びらが舞うようになってきたので、異変と関係あるのではと咲夜はそれをポケットに入れて集め始める。

 そして、迷い家で纏わり付いてきた猫を弾幕ごっこで下して、そのまま桜の花びらに導かれる内にどんどんと空高く咲夜は進んでいき、やがて最近一部が破かれた様子の大きな結界の所に着くにあたって、騒々しい霊に取り囲まれた。

 

「……幽明結界が破れている」

「目の前の人間がやったのかな? そんなに私たちの曲が聞きたかったのかしら」

「宴の前に、音慣らしをするのもいいわねー」

「貴方達は、何なのかしら?」

「……私たちは騒霊演奏隊。西行寺のお嬢様にお花見を盛り上げるためにと呼ばれたのよ」

「花見の席は先着順よ」

「私たちの優先席は渡さないわー」

「要らないわよ。でもなるほど、花見か……そのお嬢様とやらが主犯の可能性が高いわね」

 

 落ち着いた性格で黒い洋服の似合っているのが長女ルナサ・プリズムリバー、明るく、白と見えるくらいに薄い桃色の服を着ているのが次女メルラン・プリズムリバー、そしてお調子者で赤色の服がトレードマークの三女がリリカ・プリズムリバー。

 三体の騒霊、少女が生んだポルターガイスト、プリズムリバー三姉妹が咲夜の前に現れて、立ちふさがる。適当に会話をしながらも、咲夜を結界破壊の下手人と勘違いした三体は懲らしめるためにも少し、目の前の人間を驚かしてやろうと思っていた。

 そんな戦いの気配を感じながらも、咲夜は冷静に自分が犯人に近づいてきていることを理解する。神妙な顔をして呟く咲夜に向って、ルナサが一言。

 

「結界を破壊した現行犯は目の前にいる」

「メルラン姉さん、捕まえてー」

「はーい。頼まれたわー」

「誤認逮捕ね。まあ、いいわ。私も弾幕ごっこで捕まってやる気はさらさらない」

 

 会話の後、直ぐにルナサとリリカは下がり、メルランのみが前に出てきた。どうやら、三姉妹でも魔法に長じているメルランが咲夜の相手をするようである。

 三姉妹特有の、手足を使わずに楽器を演奏する程度の能力を使いながら、メルランは器用に弾幕を生成して、咲夜に投じていく。その中でも、ひょろひょろとうねって動く光線弾が、咲夜には厄介なものに感じた。

 それを何とかくぐり抜けると、次はレーザー状の弾幕に赤い魔弾を混ぜた弾幕が襲いかかってくる。思わず大きく避けてしまった咲夜であるが、それは咲夜の居た場所を基準としてばら撒かれた弾幕であり、本来ならば僅かに避けるだけで済むものであった。

 しかし一度動きすぎると、今度は逆に何処へ潜り込めばいいか分からなくなり。回避路を不明にさせてしまった咲夜は手札を切らざるを得なくなった。

 

「幻符「殺人ドール」」

「きゃっ」

 

 それは、歪めた空間に大量に収納していた銀のナイフをやたらめったら取り出し操り相手に投じるそんなスペルカード。弾幕も衣服も切り裂かれたメルランは、思わず小さな悲鳴を口にした。

 幽霊とは違うベクトルで、刃物は怖い。そんなことは当たり前だ。しかし、それを騒々しく暴れて認めないのが、彼女たちである。幽霊の恐ろしさを見せてやると、おどろおどろしい雰囲気を表すどころか楽しげに、またプリズムリバー三姉妹は集いだした。

 

「……メルランを虐めたわね」

「お返ししないと」

「恐怖は三倍にして返すのが私たち流よー」

「三人同時? まあ、いいわ。一遍にかかってきなさい」

 

「ちょっと待ってー」

「あら……魔梨沙?」

 

 三姉妹は三位一体ということで気兼ねなく、三対一を提案する。当然のようにそれを受諾した咲夜が、コンビネーションよく等間隔に飛び回り始めた彼女たちを睨んでいると、丁度そこに魔梨沙がやって来た。

 

「聞こえていたわよー。三人がかりはズルいわ。せめて、あたしを入れて三対二にして遊びましょう」

「別に、心配しないでも大丈夫よ。霊夢じゃないけれど、私だって子供じゃないのだから」

「咲夜がスタイル抜群の美人さんっていうことは知っているわ。でも、弾幕ごっこに関しては霊夢に敵わないくらいの腕でしかないっていうことも知っているんだから。無理は禁物よ」

「……はぁ。霊夢の気持ちがわかったような気がするわ」

 

 本来ならば、弾幕ごっこの第一人者、博麗霊夢を追い詰められる程の腕前であれば、十分に上手であるはずである。当然のことながら、それを咲夜は自負していたが、それを駄目だしするのが魔梨沙であっては話が別だ。

 咲夜はフランドールが張る圧倒的な弾幕を悠々と攻略していく魔梨沙の姿を何度も見ていた。それこそ、自分ではああは出来まいと思うくらいに、その曲芸的動作を繰り返し鑑賞して楽しんですらいたくらいだ。

 そんな、次元の違う弾幕巧者の言葉を無視することは、咲夜には出来ない。しかし、霊夢ごと心配される対象に見られているのには、内心業腹である。

 そして、なるほど自分はこの子となるべく対等でいたいのだと気付いた咲夜は、宴会で魔梨沙に撫ぜられる度に不機嫌になっていった霊夢の思いを少しは理解できたような気がした。

 

「……一人も二人も関係ない」

「むしろ遠慮せず本気を出せるってものね」

「私たちの本気はちょっと凄いわよー」

「わあ。プリズムリバー楽団の弾幕を浴びられるなんて、めったにない経験ね。ファン冥利に尽きるわー」

「暢気ねえ。まあ、頼もしいとも言えるのかしら」

「それじゃあ、いくわよ。騒符「ライブポルターガイスト -Lunatic-」……」

「っ! 咲夜、あたしの手を取って!」

「くっ、分かったわ」

 

 会話の途中まで、陽気に喋っていた魔梨沙であったが、そのスペルカードの展開を見て、相手の本気を感じ取り、即座に誘導するために咲夜の手を取り引っ張る。

 果たしてそれは正解であった。中央のメルランが音符状の弾を宙に並べたかと思うと、それは次第に鱗弾に変化して、魔梨沙と咲夜に向って伸びてきた。

 前回と同じく勢い良く来るそれを思い切り避けようとする咲夜であったが、魔梨沙に引き止められてそれは失敗に終わり、僅かに避けるだけに終わる。身体から魔力を溢れさせている魔梨沙に魔弾が掠め、バチバチと音がした。

 

「どうして、余裕を持って避けないの?」

「居る場所を狙ってきてくる場合はね、一度避けられた場合を考えて次々と来るのが多いのよ。少しずつ避けないと避ける隙間が失くなっちゃう。ほら、また来た!」

 

 魔梨沙の言葉のとおりに、緑色に、青色、様々な色の音符弾が並べられていき、そうして魔梨沙達狙いの鱗弾へ変化して殺到する。そして、手の空いているルナサとリリカは、紅い音符を並べてそこから紅い魔弾を発してゆっくりと広げていった。

 紙一重の鱗弾。そして、次第に寄ってくる眼前を覆わんばかりの魔弾。その恐ろしさに耐えながら、二人は負けじと弾幕を張って対抗していると、三姉妹が先に音を上げてスペルカードはお終いとなった。

 

「中々やるわね……」

「でもこれはどうかしら、騒葬「スティジャンリバーサイド -Lunatic-」!」

「今度は簡単にはいかせないわー」

 

 三体の合奏をBGMにして、魔梨沙たちの前で展開されたのは、ルナサが発する、黄色い米粒状の弾で出来た渦巻き。大量に生成される米粒弾はそれだけで脅威であるが、三姉妹は、そこにアレンジを加える。

 

「やっぱり、一筋縄じゃいかないかー」

「なんて、不規則なのっ」

 

 残ったリリカとメルランは、弾幕の中に飛び出して行き、そして手から身長の三倍ほど伸ばしたレーザー状の魔力を振ってそれに触れた米粒弾を針状に尖らし、更に渦巻いて飛んでいた弾幕の向かう向きを強制的に変えていく。

 緑、青、紫と次々に発される弾幕が、歪まされることで鋭角にも鈍角にも向かってくるその様は、正しく吹き荒れる色の竜巻のよう。真中で動かないルナサを狙いながら二人は避けるが、魔梨沙はともかく咲夜は続けられそうにない。

 だから、早々に見切りを付けて、残るスペルカードを使おうとすると、そこに待ったが掛けられた。

 

「待って。もう少し、ギリギリまで引き付けてから、スペルカードは使おう」

「もう少しって、くっ、どう避けていけばいいか、分からないわ」

「経験、がないなら気合。それでもう少し粘って。あたしが手本を見せるから」

 

 そう言って、魔梨沙は咲夜の前に出て、星の杖に力を込めるのを忘れずに、避け始める。気合、と一言で切り捨てているが、その実魔梨沙の眼は忙しく動いて、隙間を探っていた。

 流れを見ながら予測し、空く場所を探して先回り、そうしてその隙間の中で至近の針弾を避ける。そんなパターン予想を捨てた気合の入った動きで、なんと今度もスペルカードを使用しないで弾幕を中断させるに至った。

 

「ほら、出来たじゃない」

「付いていくのに、やっとだったけれど……確かに、言っていた通りだったわ。早計だったのね、私は」

「いや、本来ならあそこでスペルカードを全部使わせるのが私たちの狙いだった……」

「気合避けっていうのも馬鹿にできないものなのね」

「でもまだ、負けは認めないわー。これが最後よ。大合葬「霊車コンチェルトグロッソ怪」ー」

 

 スペルカードを宣言すると、三体は等間隔に集まり、中央に隙間を開けて回り始めた。すると、いかなる原理か、三姉妹の中心の隙間から、弾幕が生成されていく。

 大合奏をもじっただけはあり、連続して射出されるただの黄色い米粒弾の合間に、三枚重ねで次第に扇のように広がっていく赤い米粒弾が連携することで受ける者にとっては嫌なハーモニーが広がる。

 そしてまたプリズムリバー三姉妹は、その弾幕をアレンジして見るものを驚かせていく。彼女らの手から伸ばしたレーザーは、赤緑青の三原色をとって、プリズムの三角形を彷彿とさせる様子を見せながら、通る弾幕を曲げ、鋭くさせた。

 そして、三姉妹はくるくると弾幕を変形させて周回しながら今度は更に逆手でレーザーを伸ばす。その長大な剣のようなレーザーも当然弾幕を曲げていく。

 こうして、規則性を著しく失わせた針弾が、四方八方から襲い来る、そんな先程よりなお難しい弾幕が完成した。

 

「これは、気合でも難しいかな?」

「残念だけど、これ以上避けるのは、私には無理、ねっ」

「じゃあ、三姉妹まとめて、あたしが落としてあげる。いくわよー、恋符「マスタースパーク」!」

 

 そして、咲夜を守るためにここで初めて魔梨沙はスペルカードを使う。それは、三体を撃ち落とすのに、威力は十分。光が瞬いたかと思うと、既に三姉妹を覆うほどの太い光線が完成している。

 不規則も量も、知ったことかと、星から生み出されたマスタースパークはその力で弾幕を食い破って、三姉妹全員にダメージを与えた。

 

「うーん……」

「わあ」

「やられたー」

 

 すると、損傷が霊体の許容を越えたのか、眼を回しながら、三姉妹は雲が下に見えるほどの高所から文字通り落ちていく。

 マスタースパークを放った反動から動けない魔梨沙と、端から動く気のない咲夜は、雲の合間に消えていくその姿を見送った。

 

「……また、やっちゃった。まあ、幽霊が高さで死ぬなんてことはないだろうから、大丈夫かな? うーん。今回は大分絞ったんだけど、威力が強すぎるのかなー、コレ」

「はぁ。私は助かったからいいけれど魔梨沙、貴女はあいつらのファンだったのではないの?」

「そうだけど、ね。うふふ。後ろに咲夜がいるっていうことを考えていたら、そういうこと全部忘れちゃった。守らなきゃー、って」

「そう……ありがとう」

「うふふ。どういたしまして」

 

 また、守られた。それが嬉しくないことはない。だが、実力からいえば当然のそれが、どこか納得行かないのはどうしてだろう。

 笑顔の、細められた魔梨沙の赤い瞳は咲夜の方を向いているが、それは本当に真っ直ぐなのか。下に見られてはいやしないだろうかという疑念がわく。

 低く見られていたとして、別に悔しくはない。しかし、それは少し悲しいような気がした。

 ここでは給仕しなくていいと魔梨沙と妹と三人で、緑茶を飲み和菓子を摘んだ光景を咲夜は思い浮かべる。考える度、あの日の温かみが、冷えた体に力を沸かせるような気がして。

 

「なるほど、そういうことなのね」

「ん?」

 

 関係性を広げたいと、思いは溢れる。向うからなろうと提案された魔梨沙の妹の気持ちときっと同じで、これが友達になりたいということなのだろうと、咲夜は思う。

 もう、友達に成っていると思っている魔梨沙は、そんな初めての温かい思いを抱いてにこやかに微笑んだ咲夜を、不思議そうに見詰めていた。

 

 

 



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第十三話

 

 

 

 今年の冬は、酷く疲れるものであったと、銀髪のボブカットが特徴的な二刀を持つ庭師、魂魄妖夢は思う。

 春度を持ってやって来た紅白の巫女に負け、弾幕ごっこでもう二度目の撃墜を味わいながら、薄れる意識の中彼女は一連の流れを振り返った。

 

 妖夢は幻想郷の空高く、顕界(現世)とは結界で隔てられた冥界の白玉楼というお屋敷にて、西行寺家の庭師に警護役をやっている半人半霊である。今回の異変に関わる前、普段から彼女は修行に庭弄り、炊事掃除雑事に忙しい日々を送っていた。

 お餅にしっぽを付けたような霊ばかりが一時的に住む冥界には、人型の存在が少ない。

 妖夢が知っている限り、自分とそして同じ半人半霊であった祖父の、魂魄妖忌。そして、妖夢が仕える西行寺家の一人娘で亡霊の少女、西行寺幽々子その人を含めても三人しか冥界に人らしい影はなかった。父母の思い出は彼女にない。

 そして、以前から姿をくらましている妖忌を抜くと、最早二人以外に人手はなく、更に主を働かせる訳にはいかないから実質的に一人。大量に存在する幽霊に頼むにしても、力のある幽霊であったとしても物を動かすのが精一杯という有り様。

 だから、彼らに広大過ぎる庭や屋敷の掃除の大部分を任せることは出来ても、それ以外の屋敷に幽々子の世話をするのは、妖夢の役目であった。

 

 毎日目まぐるしく働き、余った時間を楼観剣と白楼剣を用いた剣術の修行にあてて励む日々。

 半人半霊という種族であるからこそ、庭の雑に伸びた木々を一刀両断出来て、家事をこなし続けても過労死することはないが、良くも悪くも真っ直ぐな性根の妖夢であるからこそ暇を貰わずとも働き続けることが出来るものである。

 そんなこともつゆ知らず、こんな忙しい暮らしが当たり前だと思っていた妖夢の生活は、冬に突然発された幽々子の提案によって、更に余裕のないものとなっていった。

 

「ねえ、妖夢。私はあの桜が満開になった姿が見てみたいの」

「西行妖のことですか。確かにあの咲かない桜の木は私も気になっていましたが……しかし幽々子様。確か、先代はあの桜は二度と咲くことはない、と言っていましたよ?」

「その通り、座していては決して咲くものではないのでしょうね。あの桜も」

「なら、起てばあれは咲くのでしょうか」

「そうね。妖夢がひと頑張りしてくれれば、きっとあの樹は花を付ける。私はそれが楽しみだわ」

「……分かりました幽々子様。私がどうすればいいのか、教えて下さい」

「うふふ。分かったわ。妖夢、貴女はこれから私が言う通りに動きなさい」

 

 二人きりで、巨大な幹の桜の木の前でした主従の会話。それが、始まりだった。

 翌日から、妖夢は西行寺の秘宝を持って吹雪に塗れながら幻想郷中を飛び回るようになる。日課の家事を最低限以外に放ったらかしに励んだその作業は、しかし確かに実を結ぶ。

 春、こと桜に関しての造詣の深さは幻想郷広しといえども西行寺家に勝るものはない。春の妖精も驚くだろうその旧い秘宝は、術をかけたその場に芽生え始めた春が一定の大きさになったら桜の花の形に変化させる、という効果を持っていた。

 そんな秘宝による術を幻想郷中にかけたことを殆どのものに知られなかったのは、妖夢にとって幸いだろう。そして知っても幽香や魅魔は問題にせず、天狗たちはむしろ冥界からの使者という見出しを用意して特ダネの予感に心踊らせていた。

 目の多い人里近くでは見つからないように良く気を付け、舞い始めたそれらを風下で受け取って、集めた春度を白玉楼へと運ぶ。それを続けていく内に、白玉楼自慢の桜並木が色づき始めていくのを見た妖夢はやる気を増していく。

 そうして、そろそろ暦の上ではとうに春を迎え、妖夢一人では幻想郷中の春を集めるのに限界を感じ始めていた頃。ようやく西行妖に蕾が付き始めたのだ。

 

 やっと手応えを感じた妖夢が春度を集めに向かおうとすると、道中長い石の階段の途中に紅白の姿が認められた。そう、異変を解決しに霊夢が、そのままでも通り抜けられるのに顕界と冥界の結界をわざわざ邪魔だと破ってやって来たのである。

 主幽々子からの厳命で、今回の異変中は侵入者にはスペルカードルールで応戦することとなっているために、妖夢は刀で斬りかかるのを止めて、相手が持っている春度を傷つけず奪うためにも霊弾を基本に使って戦うことにした。

 しかし敵である霊夢はひらりひらりと木の葉のように自然体に避けるので、まともにやってはこれっぽっちも当てられる気がしない。

 だから、スペルカードを使ったりし、刀で大玉弾幕をみじん切りにして向かわせるなどした奇手を交えて戦ったが、結果は敗北。何枚かスペルカードを使わせられたのがせめてもの慰めである。

 そうして、幽々子の方に向かった霊夢に次は警護役としての役目を果さんと再び追いすがってスペルカードを展開したのだが、当然のように日に二度目の敗北を味わい、疲れ果てた妖夢は気絶したのだった。

 

 

「……くー」

「ねえ貴女。大丈夫?」

「この子も霊夢にやられたのかしらー」

「う、あれ、ここは……」

 

 ブラックアウトした意識は次第に夢へと変化する。疲れ極まった妖夢は知らずに眠り始めていたのだ。しかし、そんな安寧の一時は僅かである。

 それは、異変の主犯に近づいているだろう霊夢の所に向って進んでいた咲夜と魔梨沙が、途中に妖夢を発見したからだった。

 ふよふよと隣に霊魂が浮かばせ刀を二本地面にとっ散らかせて地面に大の字になっている少女なんてものは、見るからに怪しい存在に思える。故に、二人が、特に魔梨沙が近寄り起こしてでも聞き込みをしたいと考えたのも自然なことだった。

 

「貴方達は……侵入者?」

「そう構えないでー。あたしは霊夢、紅白の目出度い格好をした巫女さんが通ったでしょ? あの子を追っかけに来ただけだから」

「私は異変を解決に来たのだけれど……」

「この調子だと、霊夢が先に解決しちゃうと思うわ」

「巫女……そうだ、幽々子様の元へ行かないと!」

 

 起き上がりに、魔女とメイドの姿を認めた妖夢は混乱して、さっと拾った刀を向ける。しかし、刃物を向けられた二人は暢気なもので、気にせずに対話を続けた。

 その際に出た言葉、巫女というものに妖夢の苦い記憶が呼び起こされる。そして、主に対する心配も爆発的に喚起され、彼女は納刀し直ぐ様飛び立とうとする。

 

「待った。今回の異変、さしずめ春雪異変ってところかしら。まあ、それの犯人は貴方達?」

「沢山の人が迷惑してるんだから、逃さないわよー」

「……しかたない、か。後ろから撃たれたらたまらないものね。そうよ。私が幻想郷から春を奪った犯人よ」

 

 しかし、いつの間に近づいていたのか、邪魔をするように咲夜が妖夢の前に立っていた。そして、後ろからはやや間延びしているが真剣な魔梨沙の声が届く。

 二人の声色に有無をいわさない雰囲気を感じた妖夢は、観念して自らの行いを自白する。元々、後ろ暗いことをやっていたという自覚のある彼女の口は重くない。

 

「どうして春を奪うなんてしたの?」

「簡単にいえば、私たちは幻想郷の春を使ってでも、咲かない桜の木を咲かせたかったの」

「うーん。シンデレラの後に今度は花咲かじいさん? それなら次は桃太郎にかぐや姫かしら」

「カチカチ山や子供たちが屠殺ごっこをした話みたいな異変が起きなければいいのだけれど」

「グロいのは嫌だわー」

「はぁ……何でお伽話の話になっているのかしら」

 

 生真面目な妖夢は、脱線し始めた話について行けなくなった。刀の柄を撫でながら、暢気な侵入者二人の前で、彼女はため息をつく。

 妖夢はこういう自分のペースを持っている相手は苦手である。自分の主のそういうところには慣れているからいいが、未知の相手にまで合わせることはできない。

 だから、意外な言葉に驚かされることになったのかもしれなかった。

 

「それにしても私たち、っていうことはやっぱり霊夢が向った幽々子様っていうのが主犯みたいねー。そうでしょ、そこの幽霊と繋がってる子」

「あ、あくまで実行犯は私よ! それに何故何も言っていないのに、半霊と私が繋がっているって分かったの?」

「魔梨沙はそういうのが直ぐ分かる能力を持っているらしいわ。それにしても、図星をつかれたくらいで慌てるなんて、貴女ちょっと未熟ね」

「む、剣の道の話ならまだしも、私の半分も生きていないただの人間に未熟と言われたくない!」

「まあまあ。完璧じゃないって可愛らしくていいことじゃない。それで話は変わるけど、結構幽霊な貴女は、春の戻し方を知っているの?」

「むー、さっきから幽霊幽霊ってそんなの半分だけなんだから……私の名前は魂魄妖夢よ。それで戻し方は知らないけれど、術はもう大体解けちゃったし、何もせずに放っておけば次第に春は戻るんじゃないかしら」

 

 三人の中で一番の年長者である妖夢は、しかし子供扱いされていることに気づけない。

 あくまで彼女は【少女】であるから、可愛らしいという言葉に怒るのは間違っているのかもしれないが、そんなおためごかしを真に受けてしまう辺り純粋すぎた。

 可愛いわこの子と、魔梨沙は内心思い魔梨沙は笑む。反してその純心を従順さの指標として高いものと見た咲夜は苦い顔をする。

 

「でも、貴女達は件の桜が咲くまで春を集めるのを止める気はない、と」

「まあ、そうだけれど。でも、あと一息なのよ。感じ取った巫女が集めていた分も含めると……そう、大体貴女達が持っているくらいの春できっと【満開】になるわ」

「あら、集めていて良かったー。なら、その桜をちゃっちゃと咲かして終りにしちゃいましょうか」

「それでいいの?」

「ここまで迷惑をかけられたんだからどうかとも思うけれど、これを持っていくだけで諦めてくれるなら一番じゃない。なにしろ、桜が咲いたくらいじゃあちょっとお酒が飲みたくなってしまうくらいで、誰も困りはしないでしょう」

「ありがとう! これで幽々子様の願いを叶えられるわ!」

「でも幻想郷中の春を集めでもしないと咲かない桜……少し気になるわね」

 

 そう、咲夜は憂いた。しかし、ポケット一杯の春度を持っていくだけの仕事をするのを疎うほど彼女は怠惰な存在ではない。

 ニコニコと笑顔を見せる妖夢を見て、まあ気にし過ぎかと思い、周囲の満開の桜を見ながら、幻想郷に春が戻る前に一度ここで花見をしてみるのもいいかもしれないと、咲夜は考えた。

 

 三人飛んで霊夢の決戦の現場に近寄っていく内に険しくなる、魔梨沙の眉根に気づかずに。

 

 

 

 

 

 

「よく避けるわねー。弾幕ごっこの試しに妖夢や紫と一緒に遊んだこともあるけれど、ただの人間があの子達に避けることで匹敵するどころか上回りかねないなんて、凄いわー」

「私で驚いていたら、魔梨沙に会えば腰を抜かすわね。あんたなんてまだまだよ。それにしても、あの紫と知り合いねー……」

「あら、知り合いどころか友人を名乗らせて貰っているわ。千年以上続く長年の友情よー」

「紫と友達なんて……あんな桜を咲かせようと考えることといい、変ったお嬢様ねっ」

 

 余裕たっぷりのように思える会話。しかし、二人は対峙し弾幕を交差させ合っている最中である。弾幕を避け、御札を投じながら、霊夢は弾幕の苛烈さに内心舌を巻く。

 薄青色の着物のような服を着て優雅に弾幕の中で踊る亡霊幽々子は、今も、幽曲「リポジトリ・オブ・ヒロカワ ‐亡霊‐」というスペルカードを発動させている。

 流石に異変の主犯、トリを飾る相手だけあって、余裕たっぷりなその様子は、さんざん寒い思いをして来た霊夢を苛立たせるのに十分なものだった。

 しかし、感情に任せて突貫するのは悪手である。パターン化されているが巧妙な方向へ真っ直ぐ広がり軌跡を残す黄色に水色の蝶のような形をした弾幕に、そして自分の方へと正確に向かいながら道中に蝶弾を残してくる青色と桃色のなんと邪魔なこと。

 ワインレッドの美しさと、蝶の羽ばたきの美しさの種類が違うように、以前強敵と感じたレミリアと決して遜色のない華麗な弾幕が今も霊夢の周囲を彩っていた。

 

「私もただ枯れ木に花を咲かすために異変を起したわけじゃないわー。ちょっと復活させてみたい人が居るのよ」

「亡霊が?」

「そう。死を操る程度の能力を持つ私がよ。……おっとっと。スペルカード破られちゃったわー」

「確か、これで最後よね。スペルカード一枚対一枚。丁度いい勝負になったわね」

「そうね、負けられないわー。じゃあいくわよ。桜符「完全なる墨染の桜 ‐亡我‐」」

「おっと……なるほど、凄いわねコレは」

 

 最初に大玉弾が広がることにより、その弾幕は開始する。目眩ましのように眼前を埋める、連なり丸く広がる大玉の間をくぐり抜けると、そこには咲かない桜の前で蝶に囲まれながら花びらを散らす幽々子の姿が霊夢には見えた。

 いや、それは本物の桜の花びらではない。桜色の花弁状の弾幕が舞い散るように、幽々子の周りから霊夢の方へと向っているのだ。それはかなりの物量をもって向かって来るのだが、幽々子は更に扇状に霊夢の左右に蝶状の霊弾を並べている。

 青色、桃色の順に創りだされたそれは、ひらひらと少しの間舞ったと思うと、斜めから霊夢の方に向って狂いなく真っ直ぐに向かって来た。その渦中に同形の蝶を生み出しながら、近寄る青を横に避けると、次は桃色がやってくる。

 そして、それを避けている間に、疎らに降ってくる花びらは既に近くに纏まっていた。思わず、近くのそれらに対して過敏に反応して大きく避ける霊夢であったが、再び斜めから襲い来る蝶が邪魔をし、避けた先でも花弁に囲まれて行き場を失う。

 恐らく、これくらいならば気合で避けてしまうのだろう姉貴分の姿を苦々しく思い浮かべながら、上手く行けばくぐり抜けられそうでも万が一ここで負けるわけにはいかない霊夢は最後のスペルカードをここで切った。

 

「霊符「夢想封印 散」!」

 

 それは、霊夢が得意にしているスペルカードの別形態。赤緑青の原色をした光弾が八方向にそれぞれ飛んでいき、周囲の弾幕や雑魚を散らす技である。殲滅性は高いものであるが、誘導性がないために一対一では使いにくいところがある。

 だが、それでも魔梨沙のスターダストレヴァリエと似た性能だと思えばこの場で使うに悪くはないものだ。その証拠に、周囲が自由になった霊夢は余裕をもったのか生き生きとし始め、ふわりふわりと何物も寄せ付けないように飛ぶようになった。

 それから後は、本来の動きで、引き付けて、そしてすり抜けるように間を通って避けていくというスタイルを使って霊夢は仮想の桜を攻略していく。

 

「これで、どう!」

「やられたわー」

 

 そうして、やがて御札を幾多の枚数浴びせられた幽々子は力尽き、墜ちていった。

 当然、といっては何だがそれでも余裕を残している幽々子は落ちる途中で方向を変え、そのままふわりと立とうと思い、しかし彼女は滑って転んでお尻を地面に強かに打ち付けてしまった。

 

「いたーい。うー、運動不足かしら」

「バチが当たったのね。随分と軽いけど。さあ、私の勝ちよ。幻想郷に春を戻してもらうわ」

「反応が冷たいわー。うう、泣きっ面に蜂ね。っと。あら、またお客さまがいらしたのね」

 

 幽々子は泣き真似をしながら手近の【樹】に手をついて、立ち上がる。そうして霊夢の方を向くと、自分の従者に魔女とメイドという珍妙な組み合わせをした集団が到着したところだった。

 魔梨沙に咲夜は、あまりに大きく威圧感のある蕾のついた桜の木に目を奪われ、妖夢はその下でその樹に手を向けている幽々子の姿を認め、思わず声を上げた。

 

「幽々子様! この二人が西行妖を咲かすのに協力してくれるみたいです!」

「あら、ありがたいわー」

「む、何勝手なことを。私はコイツから春を取り戻そうとしているのに、与えてどうすんのよ。あんたら私の努力を無に帰すつもり?」

「私もどうかと思うけれど、私たちで春度をどうしようもできないなら、願いを叶えてから積極的に春を戻して貰おうって、そう魔梨沙が…………魔梨沙?」

「――――残念だけど、さっきの約束は反故にさせてもらうわ」

 

 大きな桜の小さな蕾を真剣な眼で見上げながら、魔梨沙はぽつりとそう呟く。恐いほど平坦なその声色を聞いて、その場の全員に緊張が走る。

 妖夢はそっと刀の柄に手を置き、幽々子は未だ桜に触れている方の逆手で、口元を隠した。そんな様子を気にせずに、幽々子に向って視線を移してから魔梨沙は続ける。

 

「フランドールの封印をよく見たから分かるわ。霊夢や紫なら一目瞭然だろうけどその桜、結界で封印されている。そしてそれが今綻んでいるっていうことも分かるわ」

「良かったわー。私の睨んだ通りね。封印された誰かを復活させるために桜を満開にさせようとしていたことは当っていた」

「それは外れじゃないかしら。だって、この桜、封印に使うにしては禍々しすぎる。あたしにはむしろ、封印されているのが桜の木の方に思えるわ。ねえ……二つほど聞いていいかしら?」

「なに?」

「封印が緩んでいるからってどうして幽々子、貴女の手が桜の幹の中に【入れている】の? そしてどうしてその違和感にあたし以外誰も【気づいていない】のかしら?」

 

 その言葉に、誰もが幽々子の桜の表皮に置いてあるはずの手を見た。しかし、その手は封印された樹の中にずぷりと入り込んでいる。思わず、手を引き抜いた幽々子は、手を閉じ開き驚きに眼を丸くした。

 

「あら、本当ねー。霊体とはいえ、勝手に物を透過することなんてなかったのに。確かにおかしいわ。ねえ、妖夢気づいていた?」

「言われてみれば……気付きませんでした」

「貴女がその樹のそばにあるのはあまりに自然過ぎるわ。それはきっと――――わっ」

 

 魔梨沙が決定的な言葉を放つその時、びゅうと一陣とても強い風が吹いた。いや、それはただの風ではない。大樹が狂わした運命が、運んできたものである。

 それは、切っ掛け。そう、一風あっただけで全てが揃ってしまうくらいに、状況は整っていたのだ。

 

 その風は、砂塵で妖夢の目を塞ぎ、幽々子を桜の中へと押出し、咲夜のポケットの中を浚い、魔梨沙がとんがり帽子に仕込んだ内ポケットの中の、春度が入ったガラス瓶を帽子ごと地に落として叩き割った。

 唯一、霊夢だけが、直感によってその妖しい風を予期し、御札で【封印していた】小瓶を胸元に抱えて守り切っている。

 

「きゃあ」

「幽々子様!」

 

 出遅れた妖夢の手は、紙一重で届かない。幽々子はまるで吸い込まれるように、沢山の春度と一緒に西行妖の中へと消えていった。

 

 

 

 ――――反魂蝶 -九分咲-

 

 

 

 一瞬の間の後。まるで、スペルカードを宣言するような声が四人の耳に響いた。

 

 

 

 



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第十四話

 

 

 その殆どを開かせた桜の樹は、花びらを散らせながら大いに咲き誇る。元々大きなその威容は桜色に埋まることでより迫力を増しているようだった。

 いや、実際にその幹に篭められた力は薄くなった結界を越えて広がり始めている。封印のその殆どを解かれてしまった西行妖から、途方もない力が溢れ出て広がっていく。

 悪寒を感じた霊夢とそれに倣った咲夜はすぐに西行妖から離れた。そして、魔梨沙は突撃しようとする妖夢の襟首を引っ掴んで早々にその場から飛び去る。必然的に、四人は二人組に分かれてしまう。

 

「離して! 幽々子様が、幽々子様が中に!」

「今は機じゃないわ。冷静になって」

「今助けずに、何時助けるというの!」

「うふふ。分からないけど、それでも今無理すれば後の機会も逃してしまうわよー」

 

 力の高まりを感じた魔梨沙は、次第に締まりなくなる自らの口調を覚えた。高い力に焦がれそして出て来るのは緊張感を失った間延びした声と笑い声。しかし、そんな暢気が僅かに妖夢を冷静にさせた。

 それは、どこか余裕を持った魔梨沙が、少しだけ主幽々子に重なって見えたからである。

 

「……何か、策はあるの?」

「これから来るだろう弾幕が治まった後に、あたしと霊夢で結界を張り直すわ。そうすればアレも弱まるはず。その前後に、貴女がお姫様を引きずり出してあげればいいんじゃないかしら」

「今直ぐに結界を張り直すことは出来ないの?」

「やっている間に蜂の巣にされてしまうのがオチね……ほら、来るわよー」

「くっ!」

 

 何かが光った、と思ったその瞬間に魔梨沙と妖夢は反応してその場を離れた。すると、彼女たちが居た場所を桜色の太いレーザー状の多大な霊力が走って行く。

 レーザーはそれ一つだけではない。魔梨沙が確認出来ただけでも、西行妖の周囲に色違いの青色を含めてあと五本。明確な敵を定めていないのか分からないのか、全方位に向ってその弾幕は展開されている。

 

「流石に今ので墜ちたのは誰も居ないか……」

「油断しないで。ほら、見てみて綺麗よー」

「わっ」

 

 そして、全員がレーザーを避けたことを確認した妖夢が安心して少し気を緩めたその瞬間に、西行妖は本格的に弾幕を広げ始めた。妖夢が前を見て驚いたのは、その圧倒的な量の青に桜色の蝶の群れ。

 左右を太いレーザーに挟まれ移動を制限されている中でも、真っ直ぐ来るだけの蝶弾を避けられないとはいえない。だが、弾幕としてあまりに濃いそれには見るものを感動させ動きを止めさせるに十分なものがある。

 妖夢がバチバチと、グレイズしながらも避けることが出来たのは、偶然に他ならない。それだけ三百六十度を埋める蝶々は現と夢の境界を、更に言えば生と死の境を忘れさせる程の妖しい美しさに満ちていたのだ。

 

「ぼうっとしないで、っていうのは無理よね。仕方ないかー。妖夢、あたしの後ろに付きなさい」

「う、うん。分かったわ」

 

 果たして、見惚れていた妖夢を後ろに下げて、魔梨沙が前に出たのは正解だった。他人を気にしていられないほどの弾幕が先の青と桜色が途切れるその間断もなく一面に襲いかかってきたが故に。

 それは、産穢を象徴するような血のような色をした蝶。来る赤色をした四頭の蝶は、ある地点まで来た途端に一頭が四頭に増えながら左右へと散っていく。

 眼前で交差を見せるその弾幕は、唯でさえ避けにくい斜めからという要素とそのあまりの物量、速度から、最早魔梨沙と後ろでその隙のない動きの真似をしている妖夢以外にはただ避けるということすら叶わないほどである。

 

「霊夢、私の後ろに!」

「くっ、分かったわ!」

「もう、一々スペルカード宣言なんてしていられないけれど、最低限大技を行うことを魔梨沙達に伝えないのは拙いわね……インディスクリミネイト!」

 

 咄嗟に避けられないと判断した咲夜は、霊力の残り少ない霊夢に代わり力に余裕がある自分が盾になろうと霊夢の前に出て、文字通り無差別のように、歪にした空間から大量のナイフ掴み周囲に投じた。

 狙いも何もないかのごとく周囲に溢れたそのナイフ群は、咲夜たちの周囲の大量の紅い蝶を串刺しにしたが、しかし魔梨沙と妖夢の方へ飛ぶようなことはない。無差別的、ではあるがある程度の調整は咲夜に難しいことではないようだ。

 むしろ、その大部分は西行妖のその太い幹へと向っている。それは丁度赤い蝶が全て飛び去った時。誰もが動かぬ的に銀のナイフが刺さり、少なくともダメージを与えることを想像した。

 

「ナイフが刺さらない?」

「あれは途中で力を奪われている……というより【殺され】ているように見えるわねー」

 

 しかし、ナイフは途中で力を失い、木に当たってその場にポトリと落ちていく。その際の変化を魔梨沙は正確に看破している。

 そう、西行妖はただの桜ではない。歌聖と呼ばれた幽々子の父がその下で果てた後に、彼を慕う人間が後を追って死んでいき、やがてその人間たちの精気を吸って妖怪となり人を死に誘う能力を得た桜の木だった。

 奇しくも、いや傍に居たために当然のようにそうなってしまったのか、幽々子が持っていた死霊を操る程度の能力は死を操る程度の能力に変化してしまい、故に愛した桜と自分が人を殺すだけの存在になってしまったことを疎い彼女は自尽している。

 そんな西行妖と幽々子が共になっているのだ。近寄る弾幕が、届くまでに死んでしまうというというのも当然のことであったのかもしれない。

 次の弾幕を隠すかのように全方位に発された大玉弾の隙間を縫いながら、魔梨沙が力を込めて放った魔弾も、しかし途中で霧散する。

 

「そんな、ナイフも魔弾も効かないなんて……くっ、巫女が放った霊弾も御札も途中で【亡く】なっちゃった」

「やっぱり、死んでしまうことってつまらないわ。これじゃあ耐えるしか出来ない。何時まで続くか分からないというのに避け続けるのは酷だわー」

 

 生にしがみついたお陰で今があることをよく知っている魔梨沙は、蝶によって生を謳い表現して不完全でも蘇生の法を成しているこの弾幕を美しいものと思えた。

 しかし、死という絶対的な力によって守られている西行妖に対しては、ただただ疎ましく感じている。

 

 力が欲しいと魔梨沙の心は飢えて止まない。だからといって、欲しいのは相手を否定するだけのそんな力ではないのだ。

 弱い己を変えるために克己したいということと、相手を害したいばかりに力を求めるのは違う。壊れても直ることはあるが、死んでしまってはお終いだ。

 何時かの幽々子と同じように、自分を高めることもなく、邪魔者をただの骸に変えるだけの力なんて、魔梨沙は欲しく思わなかった。

 故に、ただ強いだけで学べることのない、咲いた枯れ木は邪魔なのだ。枯れ木に花を咲かせましょう。それは結構なことだ。でも、もっとマトモな木を選ぶことは出来なかったのかと、魔梨沙は思う。

 

 しかし、誰が何を思おうと、弾幕の展開速度は変わらない。再び青色と桜色から始まる弾幕の繰り返しが行われようとしていたが、そこではたと、霊夢は気付く。

 

「ねえ、何だかさっきより光線が増えていない?」

「そうね、さっきは六本。今回は八本ね。だとしたら次は十本で、その次は十二本かしら」

「ちょっと待ってよ。唯でさえ弾幕に慣れていないというのに、これ以上避ける幅が狭まったら……」

「私たちでは避ける隙間を見つけることすら困難になるかもしれないわね。……余り言いたくないけれどここは魔梨沙に任せたらどう? いや、そもそもこんな馬鹿げた弾幕に私たちがわざわざ付き合う必要があるのかしら」

「いやよ。巫女の責務を魔梨沙に押し付けるのは問題外だけど、逃げでもして幽々子を戻す機会を失ってしまうのも駄目だわ。あいつに春を戻させるって、私は決めてるんだから」

「……そう」

 

 これから難易度が更に上がりそうな弾幕の有り様を予想して、大きな傷はなくとも満身創痍に見える霊夢を心配する咲夜であったが、その言葉はむしろ霊夢の意気を焚きつけるだけに終った。

 気持ちだけが先行している、現実的な判断ではない、と幾つもの反論が思いつくが、蝶に囲まれながら隣の霊夢の顔を覗き見た咲夜はそんな下らない考えを口にすることを却下する。

 霊夢は追い詰められも、無理をしてもいない。ただ笑んで、目の前の弾幕を避けることを楽しんでいる。そんな姿に感じ入り、何かあったらそんな少女の無謀を守ろうと、おあつらえ向きの能力を持った咲夜は思う。

 未だ避けるに自信のない紅い蝶の群れに向いそれに渾身の力を使って潜り抜けながら、咲夜に霊夢は未だに前を向いていた。

 

「霊夢達も気持ちは切れていなさそうだけど、咲夜もあのペースで力を使っていると、そう長くは保たないかな」

「弾幕はむしろ激しさを増しているし……私だって魔梨沙、だったっけ、貴女が前に出てくれていなければ、既にやられて落とされていたわ」

「あたしは結構無茶な動きをしている自覚があるのだけれど、それを真似できる妖夢も実は凄いのではないかしら」

「そうかな?」

 

 止む暇のない弾幕の、その体が通るギリギリの隙間を通り抜けながら、しかし妖夢は魔梨沙という達者な回避の見本を参考にしているために、焦ることなく会話する余裕すらある。

 日々修行に家事に明け暮れている妖夢は慣れから自己の制動が抜群に上手い。そして瞬間的な動きならば幻想郷最速の天狗すら上回りかねないものを持っている。彼女は、魔梨沙の動作に後出しで付いていくことが出来る数少ない一人だった。

 

「そんな凄い妖夢に、質問があるわ」

「なに?」

「貴女が背負っているその刀、なまくらでも飾りでもないわよね?」

「勿論! 例えばこの楼観剣は一振りで幽霊十匹分の殺傷力を持っているし、白楼剣なんて……」

「うん。刀が凄いのは分かったわ。なら、妖夢……貴女はその刀で死を斬れる?」

「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、切れぬものなどほぼない――――幽々子様のためなら、斬ってみせるわ!」

「よく言ったわ! ならあたしも覚悟を決めましょう。よーし、その長刀の届く距離まで近づくわよー」

「わわっ!」

 

 止めどなく周囲に溢れる弾幕はまるで瀑布のよう。その合間をたゆたっていた魔梨沙と妖夢は荒波に流される笹の船のごとくであったが、会話が終わるか終わらないかの間に一転し、烈しく動いて遡行し始めた。

 川は上向きに辿るだけ急流になるもの。生れたばかりの蝶々は、直ぐ傍で変化し一体に展開する。それを先読みしていても、避ける間隙がなければ弾幕が身に掠める身体を痛めつけてくるのを止められない。

 対応しきれなくなった妖夢にも、そして前に出ている魔梨沙には殊更、余裕というものが失くなった。

 しかし、それは覚悟の上である。魔梨沙が勝負を急いだその理由は、今も引かずに赤と青の弾幕を発している霊夢とそれを支援している咲夜がこのある種の耐久弾幕に負けて、もう前を向けないくらいにボロボロにされてしまうことを想像したからだ。

 相変わらず過保護な魔梨沙はそんな妄想が現実になるのを許せずに、まず無理をするのは姉貴分である自分の方だと、長く生きているようである妖夢を巻き沿いにして突撃を始めたのである。

 

「痛っ、ここまで、ね」

「コレは……」

 

 そして、魔梨沙は間近で蝶の形になる前の青色の霊弾で頬に傷を作りながら、その目から見れば禍々しい空間、能力によって死に誘う影響が強く近寄るに限界の距離まで来るのに成功した。

 後ろにピタリと付いた妖夢も、目の前の木との隙間の異様さに気づいたようで、楼観剣を握る手に力を入れる。

 たしかに妖夢はコレを斬れると豪語した。しかし、コレが広がる場所はあまりに広くて曖昧だ。本来は桜の絶景がたまらないであろう近距離は、西行妖の持つ能力によって、散り灰になるだけの死地に変ってしまっている。

 妖夢は自分に問いかけた。雨ならば、もう斬れる。空気はもう少しで斬れそうだ。しかし、時を斬るにはまだまだ遠い。その程度の腕で、私はこの蔓延る死を斬ることが出来るのだろうか。

 

「そんなこと、斬れば、判る」

 

 妖夢の青い目が、大きく広がる。そう、迷っている暇などないし、迷いなんて簡単に斬り捨てられる代物だ。

 これは妖夢にとって遊びではなく、そして余分な力は邪魔である。故に、弾幕を広げたり自身に強化を施したりするような小細工なんて要りはしない。

 斬るというのは簡単であり奥深く、故に真実に至る道の一つであると妖夢は信じている。そう、斬って知ろう。死に誘う未練や同化欲求、その他諸々を。

 抜いたのは、その長さから妖夢以外に扱うことは難しい、切れ味鋭い楼観剣。ただ、これを振ればいい。技量さえ追いついていれば、それで全てが解決するのだから。

 固く決意し、妖夢は魔梨沙の前に出る。その瞳に、紅を映しながら。

 

「待って、未だ弾幕が……」

 

 そう、よりにもよって眼前に、避けられない位置に大玉の弾幕が残ったままなのである。魔梨沙であっても技を用いなければ弾ききれないその霊弾の威力は、無視するには難いものがあった。

 

 

「邪魔だ――――幽々子様を返せ!」

 

 しかし、そんなことは斬ることに関係ない。妖夢は弾幕ごと、死を斬り伏せた。

 

 

「うふふふ…………きゃははは! ありがとう! これなら、いけるわ!」

 

 目の前で起きたのは絶技、である。力を抜いた、小さな妖夢の身体から巻き起こったのは、一筋の剣閃。それは魔梨沙の欲するような力の篭ったものではないが、起した結果は今何より欲していたものであった。

 死は斬って捨てられて、もう目の前にはあれだけ邪魔をしていた弾幕もなく、ただ目を瞑りながらゆるりと納刀している妖夢一人が映っているだけ。

 そう、この隙間が欲しかった。準備はもう出来ている。後は、それを放つだけ。魔梨沙は、笑って、魔力を星の杖に集中させ、更に周囲を廻っていた宝玉のようなビットまで集めて、全てを妖夢の退いた先へと向ける。

 これから巻き起こす弾幕は掛け値なしに魔梨沙の全力。それは、光と思わず口から零れ出たその名とともに顕になった。

 

「――――ファイナル、スパーク!」

 

 巻き起こるのは、轟音とともに光り、その場の誰もの視界を奪うほど強烈で巨大なレーザー光線。ただの、マスタースパークの強化版、といえば簡単だ。

 しかし、その範囲に込められた力、魔力の変換効率においてまで全てが極められているそれは魔梨沙の切り札として考えられた一番の代物なのである。

 勿論、力を求めている魔梨沙らしく、全てが光るパワーとなって弾幕の体は殆ど成していない。しかし、その効果は絶大なものがあった。

 西行妖は、神の力に匹敵するとすら言われる境界を操る程度の能力を持つ妖怪八雲紫ですら、いかなる理由かどうしようもないと封印せざるを得なかった妖怪である。

 しかし、それが今魔梨沙の全力を直に浴びて、幹を揺らし、表皮を徐々に烟らせていた。

 桜は時に人の心を狂わすという。それが西行妖ほどのものになれば、運命すらも狂わしてしまうのかもしれない。もし狂った運命を打ち破れるとしたらそれは、定めになかったものだけ、だろう。

 そう、この場に魔【梨】沙が、妖夢と共に居るというのは、本来ならばありえることではない。そして、そんな事態が西行妖を脅かすのである。

 

 ピシリという音が辺りに響く。それは、桜の花の大部分を散らした西行妖の、その幹が割れる音であった。

 心地いい音色を聞いた魔梨沙の笑みは深まる。しかしその手から溢れる力は次第に弱まっていた。双方ともに、限界なのである。

 だが、魔梨沙の笑顔は変わらない。それは、大事な妹分がこの好機を逃すことがないということを分かっているからだ。

 

「霊夢!」

「分かっているわ。もう、結界は張ってる!」

 

 魔梨沙は教えるために霊夢と一緒に巫女の修行をしている中で、こと結界に関して圧倒的な適性の差が感じられたことを覚えている。当時は悔しがった、そんな霊夢の才が今は頼もしい。

 四方に置かれた御札は光り、封印は以前のものと重なって二重になって展開される。魔梨沙の砲撃で弱った西行妖は、これだけ雁字搦めになってしまえば最早他に影響を与えることすら叶わずに、ただ朽ちるまで永遠に封印されるがままとなるだろう。

 

「ふぁー……もうだめー」

「魔梨沙!」

 

 封印が上手く行ったことを確認した魔梨沙は、先のアリスのように力を使い果たしたがために、落ちていく。

 しかし、今回は近くに妖夢が、そして時間を止めながら移動できる咲夜がいたために、二人の手により魔梨沙は受け止められた。

 美しい銀髪が二人分、傍でしゃらりと流れる光景を綺麗と思いながら眺め、魔梨沙は気を失う。

 

「ちょっと、魔梨沙は大丈夫?」

「あちこち怪我しているけど、疲れて気絶しているだけね。妖夢、私は遠くから見ているしか出来なかったけれど、弾幕が悪い所に当たったということもなかったでしょう?」

「ええと……多分、大丈夫だと思うけど」

「はっきりしないわねえ」

「だって、後ろに居たんだもの。私だって避けるのに必死だったし、そう確かには……」

 

 

「あらあら、妖夢ったらもう仲良くなったのねー」

 

 最早ただの桜と変わらなくなった西行妖から出て来た幽々子は、自分の従者が赤髪の魔女を巫女とメイドと共に囲んで看ている姿を認めた。

 その距離が近いこと、それをいい兆候と思い、そしてそんな彼女の姿を再び見ることが出来るということに内心幽々子は感謝する。

 

「これは、償いとしても幻想郷に早く春を返してあげなければいけないわねー」

 

 西行妖から降ってきた最後の桜の花弁を掌に乗せながら、幽々子はそう独りごちた。

 

 

 

 

 



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第十五話

 

 

 

 じゃり、じゃりと箒が土を撫でる音がする。それは一つではない。あまり元気のない音色のものも含めて、合計五つ。そんな、地道な清掃の音が、白玉楼に響いていた。

 それは、異変を起した二人と、解決をしに来た三人が、共になってとても大きな桜から散った花びらを集めているためである。特徴的な服装の一団が箒を揺らす、珍妙な光景の発端は単純なもの。

 事の翌日、傷口に軟膏とガーゼを当てて包帯でぐるぐると処置された魔梨沙が気を取り戻してから幽々子が持ちだした提案、沢山の春を集めた西行妖の花びらを使えば早く幻想郷に春を戻せるから皆で集めましょう、というものに魔梨沙が先頭になって皆が乗ったからだった。

 咲夜が自らの能力によって早く済ませようとしたのを、幽々子と魔梨沙がここまで来たらせっかくだから苦労は皆で分ち合おうという旨の言葉を述べて止めたため、始めてから半刻は経とうとしているのに地面は未だ桜色が目立つ。

 

「あー、やっぱり面倒だわー。幾ら掃いても全然終わりが見えてこないなんて」

「幽々子、あんたが言い出したことでしょ。魔梨沙なんて怪我してるのに手伝っているのよ。本当に早く春を戻したいのなら、しっかりやりなさい」

「あたしにとってはこれくらい怪我に入らないんだけど……はいはい。分かったから、睨まないで霊夢。そうね、まあ無理しないでやりましょう。どうせ、今日一日皆でやっても終わらないかもしれないくらいの量だし」

「そうねー。毎年庭の桜の掃除は妖夢と幽霊たちに任せちゃっていたけれど、これもいい経験だわ。地道にやりましょうか」

 

 苦労を背負いたいという自分の言葉に後悔はないが、それでも慣れないことを始めた面倒から来る愚痴は止められなかった。しかし、無理して掃除を手伝ってくれる魔梨沙に無理をしないでいいと言われたら、流石に自らを恥じて身を正したくなるもの。

 周囲を巡る幽霊の一匹を可愛がりながら幽々子はやる気を取り戻して、バサバサと箒を操り始める。

 

「さっきから思っていたのだけれど、幽々子、貴女は掃き散らかしているわ。だから中々進まないのよ。そうね、霊夢辺りの真似をしたらどうかしら」

「あらそうなの。あまりこっちを見ていないと思っていたのだけれど、よく気づくわねー。流石はメイドさんってところかしら。やっぱりこういうことには慣れているの?」

「掃除には慣れているけど、そういえば庭の草木の世話は美鈴に任せっぱなしね。ましてや桜の花びらの片付けなんて、初めての経験じゃないかしら」

 

 そう言いながらも、掃き掃除をする咲夜は達者なものである。いや、むしろこの場において掃除が苦手な者など幽々子しかいないようだった。

 従者であり白玉楼の世話に慣れている妖夢はもちろん、暇な時に境内の掃除をしていて経験豊富な霊夢も、そして普段から箒を手放さない魔梨沙だって掃除のイロハを知っている。

 下手に掃いて花びらを浮かばせている幽々子は、桜色と遊んでいるようにも見えた。そんな姿を横から覗いていた霊夢は、彼女の最後の弾幕を思い出し、そして苦労させられた反魂蝶について考えを至らせる。

 

「そういえば、聞きそびれていたけど、幽々子がこの桜に吸い込まれてから始まったスペル……でいいのかしら。当たっても死にはしない程度の威力だったからそうだとして、あれはあんたがやったことなの?」

「そうねえ。西行妖の中に居た時は眠っていたけれど、夢に見たわ。そう、あれは【私】がやったこと。たとえそれが生き返ろうと足掻いていた蝶でも、私は私。皆には迷惑をかけちゃったわね」

「胡蝶の夢ねぇ。でも、あたしとしては、夢の中の蝶の羽ばたきの責任を人間が取る必要はないと思うけれど」

「うふふ。それで怪我した貴女が言うのなら、そうなのでしょうね。分かったわ、蝶の私なんて、もう忘れてしまいましょう」

「それがいいわー」

 

 竹箒の柄で口元を隠しながら、幽々子は笑む。つられるように、魔梨沙も口元を緩ませた。

 そして、妖夢と霊夢はその会話を理解できずに首を傾げて、咲夜は自分が分からなくても問題ないと黙って掃除を続ける。

 

 そんな風にして、時折喋ったり集中したりしていると、どこからともなく、ぐぅという音色が鳴った。いや、大きなそれが誰から発せられたのかというのは、四対の視線が教えてくれる。

 もう時間は早朝から昼になっているとはいえ、随分と騒がしい腹の虫に、幽々子はお腹を押さえて恥ずかしがった。

 

「あらやだ、私ったらはしたないわー。ごめんなさいね、我慢していたけれどお腹ペコペコで」

「幽々子様……はぁ。そうですね、そろそろお昼の時間でした。朝と同じく私が作るつもりだけれど、皆も食べるかしら?」

「太陽を見る限り丁度お昼みたいだし、それにそろそろ休みを取った方がいいとも思っていたし、皆お昼食べた方がいいわね。お願いするわー」

 

 偶然か否か、時刻は十二時丁度。朝から体を動かしていた皆も、魔梨沙の言葉に異見があるものはないようで、そのまま話は進む。

 気を利かせ先んじて皆の持っている箒を集め出しながら、咲夜は妖夢に提案をした。

 

「朝に皿を片付けた時にざっと見た感じでは私も手伝えそうだけれど、他人に台所を荒らされるのは嫌かしら?」

「ううん。そんなことはないわ。手伝ってくれるのならむしろ有難いかな」

「それなら私と霊夢も参戦するわ。うふふ。これでもあたしは味にうるさいのよー。お菓子作りと薬草の調剤で慣れているし、調味料の調整は大得意だわ」

「なんで私まで勝手に……全く、しようがないわね。こうなったら幽々子、貴女も道連れよ。全員で作ろうじゃないの」

「あらあら。面白くなってきたわね」

「うーん。台所に皆が入れる余裕があるかなー」

 

 頬をかきながら、妖夢は五人の人手でごったがえす台所を想像する。思い描く中では何とか入れそうであるが、そのまま作業するには流石に狭いために、外でやってもらう必要も出るなと、考える。

 しかし、何だかんだ何時も一人で料理しているばかりであるために、主を含めて皆でやるということには期待が大きく、喜色を隠せない妖夢であった。

 

 

「へぇ。夕飯に沢山の種類の天ぷらが出て来たことを考えると当然かもしれないけれど、中々冷蔵庫の中身は充実しているわね」

「雪を掘ったら出て来たわ。何? この、触手だらけの生き物」

「霊夢、それはイカよー。なま物だし悪くなるといけないからあまり触っちゃいけないわー」

 

 妖夢が霧の湖から切り出してきた氷で冷やされている冷蔵庫の中には春物の野菜がどっさりとあった。それどころか鶏卵も牛肉も、挙句の果てには海のない幻想郷では手に入らないはずのイカまで雪で冷凍保存されている。

 野菜に関しては、冥界でどこからか幽霊が取ってきた山菜や妖夢が栽培していたものであり、幻想郷由来で不自然ではないものだ。だが、妖怪みたいな生き物だと霊夢が触れているヤリイカや肉類に関しては別のルートからのものである。

 それがあるのは自由に幻想郷と外界を行き来できる八雲紫と西行寺幽々子が知己であり、幽々子の突飛なリクエストを受けて紫の式神八雲藍が度々食材を届けに来ているためだった。

 

「人里ではまだ冬物が主流なのに、凄いわねー」

「冥界のものはちょっと薄味気味だけど、旬だから美味しいわよー」

「あら、里芋があるの? 偶には和食を作ってみようかしら。里芋とイカを一緒に煮物にしてみるのもいいわね」

「あ、魔梨沙の好きなわかさぎもあるわよ」

「好きだけど……先日会ったことだし、何だか姫様を思い出しちゃうわね」

「おひつの中のご飯だけで足りるかしら……大丈夫ね」

 

 様々な見た目をした一行であるが、冷蔵庫の中を見ただけで、わいわいと騒ぎ始めるのは、一様に少女らしくあるのかもしれない。

 勝手が分からず、ただ後ろで笑んでいる幽々子を含めて、この場の空気に熱を感じて楽しんでいる。やがてそれぞれに動き、あまり協調性はないがしかし経験の少ない幽々子を蔑ろにしない程度には纏まって、料理を始めた。

 

 意外にも、大体においてつつがなく調理は進んでいく。焼くに煮るに揚げるに、コツを知っている彼女たちは、喋りながらもそうそう間違いを起こしはしない。

 まあ、咲夜や妖夢の包丁さばきが手品染みていたり、横着した魔梨沙が水を魔法で出そうとして黄色いネバネバした粘液を出すという問題を起こしたりはしたが、辺りには次第に香ばしい匂いが立ち込めるようになる。

 たんこぶ一つ怪我を増やした魔梨沙が反省して味付けに味見に精を出せば、後は見た目を整える段階になり。そこら辺の美意識は幽々子が長じていたようで、盛り付けの大体を彼女が担当した。

 

「これで全部?」

「そうね。これで出来上がりー」

 

 食卓を彩るのは、冷えているがもっちりとしたご飯に、カラッと揚がった塩味のわかさぎの唐揚げ。そして湯気を立てていい香りを広げる里芋とイカの煮物、さっぱりと大根おろしのかかった揚げ出し豆腐。

 後は良い色をした菜の花のおひたしに、具の根菜類が騒がしいお味噌汁。最後に、各々に香りのいい緑茶が配られた。

 ごはんは、大盛り。おかずはそれぞれ大皿に乗っかっており、豊かに小山を作っている。お味噌汁の器もこころなしか、大きい。座り、そんな様子を眺めた霊夢はポツリと溢した。

 

「……ちょっと、調子に乗って作りすぎちゃったわね」

「あたし、味見しすぎちゃったから、こんなに沢山食べきれるか分からないわー」

「大丈夫でしょう。私の見立てでは、幽々子が鍋の中に残った分も含めて大半を食べてしまう筈だわ」

「ちょっと、幽々子様をそんな大食漢みたいに……まあ、私の倍食べることもあるのは事実だけれど、そんなに食べる筈は……」

「あらあら、何時もは腹八分目も行かないで止めていたけど、今日はお腹いっぱい食べられそうね。お腹の虫とは当分さようならできそうだわー」

「ほらね」

「ええっ、そんな、本当ですか幽々子様ー」

 

 普段あの量で八分も満足できていなかったのですか、と驚く妖夢に向って、幽々子と咲夜は笑みを漏らす。二人とも本当のことを言っただけであるが、こうも素直に反応されるとそれはそれで愉快である。

 何時もからかわれがちな霊夢は自分を見るような気持ちで情けない表情の妖夢を見て、魔梨沙はただうふふと微笑んだ。

 

「って。あれ、何か聞こえない?」

「あら、この音楽は……」

「うるさいわねぇ。どこのちんどん屋がやって来たのかしら」

 

 そんな食前の一幕が終わろうかといった頃になり、外で春らしく明るい音楽が奏でられていることに気付くものが出てきたために、何事かと近くの霊夢は障子を開けた。

 すると、寄ってきたのは、黒色、薄桃色、赤色の人影。同色のとんがり帽子を被ったその三人組は、ルナサ、メルラン、リリカのプリズムリバー三姉妹。

 三人共に、昨日魔梨沙と咲夜の手によってやられて果たせなかった花見の盛り上げ役の、その埋め合わせをどうするか幽々子に相談しにやって来たのだった。

 

「あ、プリズムリバー三姉妹じゃない。昨日はごめんねー。」

「……別に、こちらから仕掛けた弾幕ごっこだから、負けても気にはしていない」

「ただ、そのせいで昨日予定していた花見での演奏が出来なくなっちゃったから、主催者のお嬢様に一言謝っておかないと思って」

「お昼時に来たのは、あわよくばご相伴に預かれればと思ってのことよー」

「あ、メルラン姉さん、それを言っちゃ駄目じゃない!」

「うふふー」

 

 冗談を言うメルランに、わざと来るのを遅らせて本当に一食を浮かすことを狙っていたリリカは慌てる。

 そんな末っ子の思わぬ小さな悪巧みに、メルランは笑顔になるのを隠せなかった。そんな彼女の気持ちがトランペットに乗ったのか、周囲には明るく和やかな空気が流れていく。

 

「あらあら、丁度いただきます、をする前だったから良かったわ。皆で食べましょう。それと、お花見の事に関しては、昨日は私の方もそれどころじゃなかったから気にしないでもいいわ」

「ご飯も頂けるなんて、それではますます私たちの気が済まない……」

「流石にサボタージュしてしまったことは反省しているし」

「何でも、は無理でも私たちに出来ることなら手伝うわー」

「じゃあ、こうしましょう。ご飯を食べたら貴女たちには昨日の代りに楽器じゃなくて竹箒を操ってもらうことにするわ」

「箒……?」

 

 そうして、その日白玉楼で昼ご飯を食べる人数は八人を数え、三姉妹の音楽により騒がしさをましたその食事は外に向かう全ての戸を開け放つことで花見の様相を呈するようにすらなっていった。

 流石に、これから作業があるために酒は出なかったが、皆お茶を味わい桜の続く遠景を楽しみつつ飯を食んでいたら、誰かさんが食べ過ぎてしまったのか、鍋の中どころか夜用に残しておいたおひつの中身も空になって消えてしまう。

 主が従者にたしなめられてから、この小さなお花見会はお開きとなり、そして幽霊用の箒も借りて八人で、桜の花びらを纏める作業に勤しむことになる。

 意外にも騒霊演奏隊の皆は物体を操るのが得意なためか掃除が上手であり、相変わらず桜と戯れているように見える幽々子とは比べ物にならないくらいの戦力になっていた。

 しかし、ルナサたちが気を利かせているつもりなのか常に楽器で音楽を響かせ続けるのはマイナスにもなり、霊夢が最中にうるさ過ぎるという旨の言葉を発したのは一度や二度ではない。

 そうして音楽に会話に騒がしいまま夜が来て、大体が一つどころに集まり桜色の山ができてからようやく掃除も終わりになった。

 

「今日は皆ありがとう。これで明日から幻想郷に春を返せるわー」

「幻想郷から春を奪った犯人が、言うような台詞じゃないけれど、まあいいわ。あーあ。疲れた」

「お疲れ様ー。さすがにあたしも少しくたびれたわ。しかし怪我ももう痛まないし、あの軟膏もよく効いたものね。後でどう作っているのか教えて欲しいくらいだわ」

「能力も使わずにこんなにゆっくりと掃除したのなんて久しぶりだから、いい骨休みになれたわ」

「皆と、特に幽々子様とお掃除を一緒出来たのは楽しかったわ。またこういう機会があればいいな」

「……霊力を使わない掃除もいい経験になったわ」

「美味しいご飯をご馳走になれたし、キーボードも沢山音楽を吐き出せたし、今日はいい日だったわ」

「お花も沢山見れて、いっぱいお話出来て良かったわ。それじゃあ皆、さようならー」

 

 そして手を振り浮かび上がるメルランを皮切りにして、三々五々皆それぞれの場所へと帰っていく。

 遠くへ行ってもひときわ目立つ、ゆっくりと遠ざかる紅白の姿を最後まで見送ってから、やがて幽々子と妖夢は二人きりになった。

 

「それじゃあ、妖夢。明日は早くから幻想郷の桜の木の下にこのたっぷりと春の篭った花びらを蒔くつもりだから、お夕飯も早くお願いねー」

「分かりました。幽々子様も中に入ってゆっくりとお休みください」

「わかったわー」

 

 そしてご飯を炊くことから始めるために妖夢は急いで屋敷の中に入り、幽々子は何故か西行妖の前に残ることで一人きりになる。

 懐から取り出した扇をバサリと開いて、そうして幽々子は絵柄と枯れ切った妖怪桜の境を覗き、そうして一言。

 

「今日は楽しかったわ、紫」

「それは何よりね、幽々子」

 

 宙に話しかけるその声に応じるかのようにスキマは開き、そうしてまた、二人きりになった。

 

 

 

 

 

 

 夜桜というには、桜色は近くに山になっている分しかないが、それでも千年以上も生きてきた大樹の下ともあれば、地べたに残る色合いだけでも満足できるもの。

 その西行妖に昨日起きたばかりの痛々しい亀裂を目にしながら紫は、幹に手をやりその凹凸を実感する。

 

「まさか、こんなにも早く、何も恐れずこの桜に触れられるようになるなんて、思いもしなかったわ」

「あら。紫でも昨日のことは想像できなかったのかしら」

「霧雨魔梨沙の働きは、私の想定の外を行っていたし、それに少し妖夢の実力を見くびっていたわ。まさか、二人で封印の解けかかった西行妖にここまでダメージを与えられるなんて。霊夢が二重目に掛けた封印結界も見事だわ」

「ふぅん。なら、私が春を集めるのも、それが無駄であることも、想定の範囲内であったわけね」

「そう、ね。黙っていてごめんなさい」

 

 しおらしく、紫は謝る。大半を眠っていた冬の間に起きた今回の事件ですら、結末以外彼女の想像の域を出ないものであり、つまりは親友が西行妖の封印に使われた自分をそれと知らず生き返らせようとしていたことすら予想出来たことだった。

 もし、幽々子が自己の亡骸を生き返らせることに成功していれば、まず亡骸の幽々子は千年の月日を一重に浴びることで直ぐに死に、亡霊としての幽々子も消滅していただろう。

 そんな、無駄で危険な行為の原因は、全てを知る紫が一部も喋らなかったことによっている。そこには、何も知らず、ずっと安らいで居て欲しいという願いもあったが、それが西行妖の魔力によって台無しになってしまうことも予期しうる事態であり。

 結局のところ、普段の幽々子があまりに幸せそうであるから、優柔不断にもそれを紫が言い出せなかったがために、今回の異変は起きたと言ってもいい。

 

「まあ、別にいいわ。紫が黙って悪事を行うのは何時ものことだし。気になるのは、まだ幻想郷は冬の筈なのにどうして今日、昨日も起きているのかってことね。何か西行妖に仕掛けをしていたの?」

「これが危険な代物だって散々分かっていたから、封印が解けかけるまで行ったら判るようにしていたのよ。見に来たら、妖夢はまるで妖忌みたいに死の概念を斬っちゃうし、霧雨魔梨沙は力押しで西行妖を打倒しちゃうし、驚いちゃったわ」

「前から言っていたわよね。霧雨魔梨沙という人間は運命に囚われていないから面白い、って。時折実力を確かめていたみたいだけれど、期待以上に育ったみたいねー」

「本当に西行妖を滅するつもりだったら、スパイシーな、とでも形容して破壊の吸血鬼から学び取った破壊力を引き出して消し飛ばしていたでしょうね。幽々子が中に居たから避けたのでしょうけど、どうしてあんなに危ない子になっちゃったのかしら」

「うふふ。今から紫が育てなおしてみればいいんじゃない?」

「まさか! そんなことをしたら魅魔に嫉妬されてしまうわ」

 

 今回の異変は、特に魔梨沙のために予想が変っている。本来ならば、封印を完全にするためにかかる人足にタイミングが揃うには何百年もかかると紫は考えていた。だがしかし、厄介な妖怪が居た場所には今や枯れ木が残るばかり。

 千年前には妖忌と共に何とか西行妖の封印をした紫であるが、完全封印を成すには結界の力は繊細過ぎていた。その時欲しかったのは西行妖本体を傷つけ弱められるようなもっと大雑把で強いばかりの力。

 それが当時にはなく、そしてそれは妖夢と霊夢を紫たちの代替にして昨日【偶々】揃ったのである。

 人間のくせに生粋の魔女と同等の純粋な魔力を持っていて、その力の扱いに並々ならぬ練度を誇る魔梨沙は、強者を真似ることで今や幻想郷でも随一の火力を誇るようになっていた。

 才能もあるが、それが十幾年によって育てられたものだと思うと、師匠である魅魔の手腕も大したものであると言わざるをえない。

 

「それにしても、要らないのなら、とこちらに引き込んだあの子がねぇ……」

 

 しかし、本当に、人間というのは少しの間に変ってしまうものだと紫は思う。紫が想起したのは、霧雨店の皆が何を言っても機械的な反応しか示さない幼き頃の魔梨沙。

 そんな傷ものの人間から才を見出し一時的に引き取り、余命僅かな自分の跡取りにと修行を課した先代巫女。そしてそんな魔梨沙に力に焦がれる内心を見付けて見事に横から掻っ攫った魅魔。

 二人の間で揺れたが結果的に魔道に踏み出しつつ、それでも幼き魔梨沙は懐いていた先代巫女の元に通い続けて、そして彼女が亡くなる数年前に拾った赤子と生れたばかりの妹に触れることで次第に感情を取り戻していった。

 その頃から紫は魔梨沙の存在を面白いとは思っていたが、ちょっかいを出すにつれて違和感を覚えるようにもなっていく。

 それは魔梨沙がまだ幼い霊夢の代わりにと、紫も想像したことがないような幻想郷の外の異世界や異界と関係した異変に関わることで顕著になっていった。

 

 その根本にある【鬼のよう】に純粋な魔力どころではない異常、それは魔梨沙がこちらの計算した運命を超えたところを己が道としているということである。何か不明な事態が起これば、そこで主役を張っているような、そんな存在。

 スペルカードルールを制定してから最近は落ち着いてきたと思っていたが、先の紅霧異変からまた、少なからずこうなる筈だという紫の目算が外れたところで相変わらず魔梨沙は活躍していた。

 それがいいのか悪いのか、紫にも不明だ。今のところ悪いようにはなっていないのでいいのだが、未知数と踊る魔梨沙は駒として扱うには非常に難しいところがあり、あまり目を離せないといったところ。

 聞く所によると、前世らしき記憶を持っているそうであるが、それが何を意味するのか紫には分からない。今度魅魔に細かいことを聞いてみようかしらと、そう考えたところで、隣で隠さずに披露している幽々子の意味深な笑みに気付いた。

 

「うふふ。紫ったら、本当に欲張りねぇ。普段から霊夢を気にしていているのに、魅魔っていう師匠がいる魔梨沙まで気にしてしまうなんて。気の多い子は嫌われるわよ」

「それなら私は幻想郷一の嫌われ者ね。何しろ私は強欲にも幻想郷全てを愛しているから」

「だから、その中心となる巫女と、把握しきれないところで中心となっている魔女を気にせずにはいられない。全体のために画策し続け、誰に認められなくてもいいと嘯きながら。全く、悲しい管理者の性ね」

「そうね……でも私は友人に恵まれたわ。そんな私の有り様を誰より知っている貴女に認められているおかげで、私は憂いなく【八雲紫】として生きて行ける」

「あまり無理はしないで欲しいけれどねー。うふふ」

 

 全ての苦心を理解しているかのような、包容力のある幽々子の笑顔。それによって、紫の中の働き続けている部分が和んだ気がした。

 無理にでも、八雲紫は幻想郷を維持するために働き続ける。しかし、友と語らう今ばかりは、その凝りが少しは取れたようであった。

 

「ああそうだ。そういえば幽明結界が霊夢のせいで一部壊れて緩んじゃっているのよねー。何とかならないかしら」

「それのことなら私に考えがあるのよ、それは……」

 

 しかし、そんな合間も僅かでなくては隙間にならない。紫がただ親愛に感じていたのは短かった。

 再び八雲紫は胡散臭さを身にまとい、浮かんだ笑みを隠す。そうして、再び彼女は悪巧みを始めるのだった。

 

 

 

 



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日常②
第十六話


 

 

 

 アリス・マーガトロイドは緊張していた。それは、今日魔梨沙が来るからというそれだけの理由ではなく、自身に不備があるかどうか恐れているというだけでもない。両方が混ざって、アリスは混乱しているのだった。

 着用している洋服のこのひらひらしたフリルが、頭を飾るカチューシャの違和感が、アリスの羞恥心を刺激する。水色を基調として白色が清潔感を演出するその衣服は、しかし特徴的なものだ。

 腰回りを覆うエプロンドレスに、頭部を飾るヘッドドレス、ホワイトブリム。そんな装飾が目立つ、いわゆるメイド服というものをアリスは着ていた。

 

 普段から人形じみていた顔は、緊張で余計に締まって、まるでメイド姿の美しいビスクドールのよう。悶々としているアリスはノックの音にも気づかないようで、そのままドアの前にて彫像のごとくに立ち続ける。

 この時間に家に来るということは伝えていた筈だと、戸を叩いている相手魔梨沙は、不思議に思った。気になった彼女は、何かあったのかと無作法を覚悟で鍵のかかっていない扉を開けて、中をのぞき込む。

 

「鍵は掛かっていないけど、何か作業中かしら。失礼するわね、アリス……」

「……おかえりなさいませ、ご主人様」

 

 そして、仏頂面で謎の歓迎の言葉を向けてくるメイドの姿を認めた魔梨沙は、顔を引っ込め黙って扉を閉めた。

 

「ま、待って魔梨沙!」

「わ、やっぱりあのメイドさんはアリスだった」

 

 すると、慌ててアリスが押し寄せ再び扉は勢い良く開けられる。魔梨沙は至近に寄ったアリスのメイド姿を見て、素直に驚く。

 羞恥に真っ赤な顔をしたアリスは、何時もの生き物離れした透明感を台無しにして表情をコロコロと変えながら言い訳を始めた。

 

「あ、あの、違うのよ。これはそう、タンスの空気を入れ替えていたら、以前魅魔に着せられたメイド服が出てきて。最近魔梨沙が紅魔館のメイドに熱を上げているみたいだから。それで私も……」

「なるほど、それで創作意欲を掻き立てられたから、今の身長に合わせたメイド服を作って、そしてあたしにお披露目するために着ているっていうわけねー」

「……そういうこと」

 

 アリスは魔梨沙が継いだ言葉に肯いたが、実情は少し違っている。

 以前、先の約束の通りにやって来た魔梨沙は、最近メイドさんと正式にお友達になったのよ、と口にして、その相手咲夜がいかにメイドとして優れていてまた可愛らしいかをアリスに説いた。

 黙って聞いていたが、そこでまた、魔梨沙の心を掴む咲夜に対抗心というものが芽生えて、私もメイドの真似事をさせられたこともあるのだからと、アリスは形から入り直し、自分も負けはしないのだと見せつけたくなったのだ。

 勿論、闘争心に燃えていたアリスは自身の迷走に気付かずに、それが親に他所の子が褒められた際の子供の癇癪と似たものと理解したのは、繕い終えたメイド服を試着して鏡を覗き込んだ時だった。そう、つい先刻のことである。

 

 とりあえずと、家の中に入り、二人はテーブルの向かい合わせに座った。そこからは何時もをなぞるかのようにアリスは人形を用いて紅茶の用意をし、魔梨沙は包みに入れたクッキーにスコーンを広げ始める。

 そして、少し桜の香りがする美味しいお茶を頂いてから、湿って滑りの良くなった口を開く。

 

「驚いたわー。でも、ご主人様、とかそういう遊びは好きな男の人相手にやるのよー」

「そんなことはないわ。魅魔にはやらされたし、元々女性に傅くことなんて珍しくもない仕事じゃない」

「あれ、そういうものだっけ。なんだか外の知識に毒されていたわ」

「だからって、魔梨沙相手にやることじゃなかったけれど。でも緊張していたら魅魔に教え込まれた言葉が勝手に口から出てきたのよ」

「……あたしの師匠が迷惑かけたわねー」

 

 ここ数年は丸くなったのか治まってきたが、魔梨沙の師、魅魔は人をからかうことが好きで相手の嫌がることを平気で行うことがあった。ましてや、その時は人の神経を逆撫ですることが大好きな風見幽香が共に行動していた頃。

 魔梨沙ですらストッパーにならず、幻想郷にやってきて究極の魔法とやらが書かれた魔導書を用い、三人一人ずつ相手して中々にいい勝負をして全員に負けた、アリスに対してのお仕置きは行われたのだった。

 まず魅魔は、魔法のメッカ出身で神、神綺に特別扱いされ少し高く伸びていた鼻を折るために、魔界で見た侍女の姿をアリスに取らせる。そして、魅魔は自分に対してご主人様と呼べと強制した。

 それはごっこ遊びに近いものとはいえ、魅魔の教育は中々スパルタであり、次第にアリスは魅魔をご主人様と呼ぶことに抵抗を失くしていく。

 もっとも、魅魔は直ぐに飽きて、というよりも魔梨沙にたしなめられたがために気を削がれたのか弄くるのをやめた。だが、名残としてその時のメイド服と、同様の服を着た際の反応は現存していたのだ。

 

 ちなみに魔梨沙は魔導書が読めないことを知り、一度に【見つめられた】分だけを得て渋々諦めたが、幽香はアリスが究極と口にするまでの魔法を学びとるために、なんと姿を透明にして魔界にまで付きまとっていたりする。

 別に、普段から魔法を使うわけでもないアリスを追い掛けて何か得るものがあったのかは不明だ。ただ、魔界から戻って以降幽香は主を務める夢幻館から出て幻想郷にて一人暮らしを始めているので、何かアリスを見つめた影響はあったのかもしれない。

 

「それにしても、あたしはいいけどよくアリスも魅魔様に幽香なんて大物を相手にしようと思えたわね。魔界で私達にやられた時に懲りなかったのは貴女だけよー」

「そうね……確かにあの時は母さんからこの本を貰ったばかりで舞い上がっていたのもあるけど、でも今思えば私と魔界で戦った時に魔梨沙は手加減していたじゃない。だから、勘違いしちゃったのよ」

「うふふ。だって、あの時は背伸びした子供にしか見えなかったんだもの。かわいいものだって、合わせてあげたのよ」

「全く、魔梨沙には敵わないわね。今だって、魔導書の魔法を使ったところで勝てるか分からない。ものまね得意な貴女は戦えば戦うだけ実力を上げていくしね。魔梨沙、フランドールだったかしら、彼女の力は完全にモノにしたの?」

「うん。火事場の何とかで弾幕ごっこの最中に真似できたのは奇跡だったけれど。今なら安定して魔力の大半を破壊的な風味に引っ張ることが出来るようになったわー」

 

 そう言って、魔梨沙は紅の星を指先から生み出す。その赤色から、非常に歪で不安定な力とそれによって生じるだろう多大な威力を読み取って、アリスは嘆息した。

 

「はぁ。何度考えても、普通はそんなこと出来る筈がないのだけれど。分からないわ……魔梨沙の魔力は純で綺麗だから、そういうのが原因なのかしらね。力を見つめる程度の能力だけじゃあ、説明がつくものじゃないから」

「ふーん。あたしは力が使えればどうでもいいのだけれど、弾幕の味ってどうなっているのか、遊びで妹と研究した経験が活きているっていうのは間違いないかもね。たとえばこれの味は、ちょっとアリスには辛過ぎるかもしれないわー」

「どうして貴女達姉妹は弾幕に味蕾を刺激することを求めていたのよ……でも、力の方向性を味付けで分類して決めるっていう発想は面白いのかもしれないわね」

 

 破壊力抜群の弾幕に舌を這わせることなんて出来はしないが、研究したという魔梨沙が言うからには辛味がするのだろう。或いは頑丈な人外ならば、魔梨沙が生み出した弾幕の味も楽しめるのかもしれない。

 美味しい美味しいと、魔梨沙が生み出した弾幕を食む幽香の姿を想像し、アリスは首を振ってそのあり得ない光景を頭から追い出した。

 

「あたしのことは、まあそこら辺でいいとして。アリスは最近どうなの? 前にえげつない弾幕をあたしに撃ってきたけど、最近はそういった研究をしていたの?」

「あの未完成の弾幕を考案したのは結構前ね。異変で魔梨沙が来た時には春度を調べていて、それで最近は……それこそ、メイド服にかかりきりだったわね」

「ああそうだ。言い忘れていたけれど、よく似合っているわよーアリス。膝まで隠した清楚なデザインが個人的に好きだわ。それに、とても手作りには思えない出来だし、やっぱり普段から人形作りをやっているだけはあるわね」

「……面と向かって褒められると、ちょっとむず痒いわ。でもありがとう、魔梨沙。縫製には自信があったけれど、自分に似合ったものかどうかといえば、首を傾げざるを得なくて」

 

 アリスはその場を立ち上がり一度くるりと回って、はにかんだ笑顔を見せる。魔梨沙はこの笑みを見せたら里の男なんてイチコロね、と思いながら弾ける金髪ショートボブと白いフリルが舞う水色のメイド服の可愛らしさにも眼が奪われた。

 少し色々と大きすぎる自分には似合わないだろうが、小柄なアリスには割合少女趣味な衣服はお似合いで。華飾気味なカチューシャとエプロンが邪魔をしているが、それを取った姿を浮かべれば、まるで不思議の国のアリスだ、とも魔梨沙は思った。

 

「まあ、今回メイド服を作ったことはいい経験になったわ。やっぱり私はもう少し細かいものを作ることが好きみたいね。それこそ、人形たちに持たせる槍とか内蔵する爆弾とか」

「物騒ねー。でも、アリスが人形作りに適正があるっていうのはよく分かるわ。だって、こんなにも貴女の作った人形は可愛らしいんだもの。まるで生きているみたいに」

 

 そう言って、魔梨沙は名前を付けられていないが、よくアリスの隣で見かける人形を撫でる。しかし、アリスは機械的に喜ぶその人形を少し羨ましく思いながらも、違う意見を言った。

 

「私なんてまだまだね。魔梨沙はその人形を生きているみたいって言うけれど、実際は自律して初めて生きているのと変わらなくなるのよ。そこまで行くのが私の当座の目標」

「そういえばアリスは、私は母さんみたいにゼロから生み出すことをしたいの、って昔言っていたわね。でもここまで精巧に作ることが出来るようになった努力を認められないのは駄目だわ。ほら、アリスは凄くて偉いわー」

「も、もうっ! 撫でないでよ、魔梨沙」

 

 茶化すように、笑顔で無遠慮に髪をかき混ぜる魔梨沙の手。それを、アリスは口ほどに嫌がりもせず、大人しく受け入れる。

 このように、親しい相手に情が確かに通っていることを確かめるかのごとく、人並み以上にスキンシップをする癖が魔梨沙にはあった。それは、魔梨沙の過去に原因があるとアリスだって知っている。

 アリスは何時だって魔梨沙が生みの親に否定された事を痛ましく思うし、件の父親をそれ以上に傷めつけてやりたいと思うが、しかし今はそれよりも優しく撫ぜるその手の温かみを感じることが重要だった。

 

 当然のように、アリスは生みの親である神綺に愛されていて、同じように撫ぜられたことだってある。しかし、魔界の神である神綺には、愛すべきものが殊更多かった。必然的に、触れ合う時間は少なくなってしまう。

 そのため、アリスが感じ取れた愛情は彼女にとって十分なものとは思えず、情に焦がれるアリスは大好きなお人形遊びをしてすらも、満足することは出来なかった。

 そこで、ただ何をせずとも貰える愛を諦めて、自分で手に入れようと考えられるような大人になればよかったのだろう。しかし、アリスは魔梨沙と出会ってしまった。触れ合い求められることで自己の必要性を確認するような、自己評価の低い彼女と。

 これも一種の割れ鍋に綴じ蓋と言えるのだろうか。ある種、二人は共依存しているような状態である。

 そのことを判じているのは、アリスだけ。でも、彼女は甘えてしまうのだ。ここ幻想郷では外様のアリスは、覚悟していても自然と孤独を感じてしまうから。

 

 

 

 

 

 

 そして、アリスが招くことで始まった二人きりのお茶会は、始まって二時間以上経ってから空に黒い雲が増えてきたことを理由にして、何の波瀾も起きることもなく終った。

 終始団欒の中で美味しいものを頂けてごきげんな魔梨沙に、幻想郷どころか魔界を含めても数少ない友達の中の特別が来た喜びを満悦したアリスがぶつかりあうことなんて考え難いから、それも当然のことだろうか。

 紫はともかく最近知り合いに同系色の魔法使いが増えたために少し困っているが、本来パーソナルカラーである紫色の風呂敷包みを帽子の中にしまい、魔梨沙は早々に帰り支度を済ませた。

 

「それじゃあ、アリス。あたしは行くわー。何か用事があったり、お茶会を開きたくなったりしたら、またお人形さんに手紙を持たせて寄越してね。直ぐに返事を返すから」

「分かったわ、魔梨沙。でも魔梨沙も何か用が出来たら私を呼んでね。来てもらうばかりじゃあ申し訳ないもの」

「あれ? アリスはあまり外に出たくはないんじゃなかったっけ」

「何年前の話よそれは……確かに昔は、幽香や魅魔みたいな奴と出くわしたくなかったし研究に集中したかったから外敵の少ない魔法の森から出なかったけれど、最近は人形劇をしに人里に行くこともあるわ」

「そうだったわねー。そういえば、人形劇を見た妹から感想を聞いていたわ。アリスの劇はまるで魔法みたいだぜ、って」

「褒め言葉なのよね、それ」

「私の妹は才能豊かだから、劇で人形を操るのに魔法を殆ど使っていないっていうことくらい分かっているんじゃないかしら。さて、っと。いよいよお空の雲行きも怪しくなってきたし、行くわ。さようならー」

「ええ、さようなら」

 

 アリスは外に出て、魔梨沙が箒の上に横座りしながら飛んでいく様を眺める。雲天の下、時折こちらに向い手を振り去っていくその姿を名残惜しく見つめ、アリスは紫の点が見えなくなってからも、しばらくはその方向を望み続けた。

 そうしていると、ぽつりぽつりと、空から雨が降り始める。これは大変と、我に返ったアリスは人形たちを使って、急いで洗濯物を取り込む。

 魔法の森の中でも比較的に日当たりの良い場所にあるアリスの家の目立たない一角に衣服は干してある。何着もある何時もの服を人形たちが届けてくれたのを見て、アリスは自分の格好を思い出した。

 

「メイド服を着たまま、私は何たそがれていたのかしら……」

 

 外で何時までも特殊な服を披露し続けていたことを恥ずかしく思ったアリスは、着替えるためにも乾いた洗濯物を手に家の中へ入る。そうして、外にでる前に命令を受けた人形たちが綺麗に洗った二つのカップを片付けている姿を見つけた。

 アリスはホワイトブリムを置き、いつものカチューシャを取り出しながら、そういえばこの服を着替えれば今日魔梨沙がここに居た痕跡はまるで残らなくなるなと思うが、しかしその手は止まらない。

 服を替える前に置いたローファーを片付け、編みこみブーツを装着して、何時ものアリスに戻った。凛とした表情を取り戻したその姿に、先程まで笑顔で過ごしていたメイドの面影はない。

 しかし、これでいいと、アリスは思う。弱い心を見せるのは魔梨沙の前だけ。一人で居る時まで魔梨沙の面影を追い掛けてしまえば、何も出来なくなってしまう。

 けれども、隠れたその弱い心は、今も騒胸中で騒いでいる。

 

 ――――ずっとそばに居て。どこにも行かないで、魔梨沙お姉ちゃん。

 

 そんな弱音を黙らすためにも、アリスは無表情で沈黙を貫き、何時もどおりに洗濯物を畳んでから、読みかけの魔導書に目を通し始めた。やがて、重い本心は沈んでアリスの中に溶けていく。

 大人しくなった内心を表すかのように止まりがちだった頁を捲る手は安定して進み出し、そして次第に紙が擦れる音は雨音に紛れていった。

 

 

 

 



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第十七話

 

 

 

 所は白玉楼に向かう階段。そこで八雲紫と博麗霊夢は向かい合っていた。いや、ただ二人は対面している訳ではない。その間には、無数の弾幕が行き交い、こと紫の張る弾幕は密に二人の隙間を支配している。

 桜舞い散る中で、紫の弾幕は水色に緑色の小さなクナイの形をとって広がっていた。そして水色に緑色それぞれが左右に曲線を描くことで交差が生じ、まるで寒色系の花のような図形が紫の周りに現れる。

 交差して狭まった隙間を何度も向けて来る弾幕は非常に難易度の高いものと思えるが、これがスペルカードを用意する合間の、牽制として放たれているだけのものであるということに、霊夢は戦慄せずにはいられない。

 御札を投じながら、霊夢は紫のぞっとするような妖艶な笑みを睨み、両脇に浮べた陰陽玉に力を込めた。

 

「くっ、相変わらず紫は人が嫌がるコツっていうのをよく分かっているわ。これなら咲夜の代わりに藍の相手をやっていればよかったかしら」

「飼い猫の敵討ちだって、勝手に私の式から離れて行動してしまうのだから藍にも困ったものね。指示通りにしていれば、霊夢を逃がすことなんてなかったのに。全く、面倒だわ」

「あんたも妖怪の賢者なんて呼ばれているんだから、面倒臭がらずもう少ししっかり働きなさいよ。それだから、何時までも幽明結界を直さないあんたに私が活を入れる羽目になるんだわ」

「壊した霊夢に言われたくないけれど、まあいいでしょう。前言は翻さない。先に取り決めた通り、霊夢、もし貴女が私に弾幕ごっこで勝つことが出来たら結界の修復を始めるわ」

「むむむ……」

 

 弾幕と一緒に軽口を投げ合っているが、しかし霊夢は自分の不利に気づいている。紫が提示したスペルカードは十一枚。霊夢も同様の枚数を用意していたが、予想以上に消費が激しく今は残り三枚である。

 しかし、紫は元気いっぱいで、ちょうど今五枚目のスペルカードに手をかけたところ。これから難易度を増していくだろうスペルカード群を前にして、霊夢の敗色は濃厚となっていた。

 

「それじゃあ、次に行きましょうか。罔両「八雲紫の神隠し」」

「っつ!」

 

 紫の名前を冠したそのスペルカードが始まるや否や、目の前を紫色のレーザーが通り、ダメージを与えられるほどそれに力が篭められる前に間一髪で霊夢は避ける。

 無論、そんなレーザーだけの生易しい弾幕を紫が張るわけもなく、次に殺到してくるのは赤い大玉弾で、大量の紫の中玉小玉がそれに追随し、そして回避の邪魔をするかのごとく周囲に広がる蝶々、それもまた紫色だ。

 そんな、中級妖怪の全力の弾幕の如くの、紫色の爆発は、しかしそれで全てではないだろうと霊夢は思い、避けながら発した紫を探す。しかし、桜吹雪の舞う中、その姿は見付けられず、霊夢は困惑した。

 

「紫はどこ?」

「ばぁ」

「なっ!」

 

 スキマを介して紫は突然眼前に現れる。そして、当然のように彼女は先と同様の弾幕を、今度は至近で爆発させた。眼前で咲き散るは赤い実を零す紫の花。こんなもの、事前に察しなくて、避けることなど出来るものだろうか。

 その暴力的な紫は、霊夢の周囲を覆い、あっという間に赤の大玉が彼女の身体に触れて、その身に能力を発揮できないほどのダメージを負わす。紅に弾かれる紅白は、ひらひらと、重力に引かれて地に向かう。

 そう、霊夢は負けて、墜落したのだった。

 

「くぅっ!」

 

 しかし、流石に霊夢も魔梨沙相手に負け慣れていない。頭が石段に触れる前に、気を取り戻して主に空を飛ぶ程度の能力を用いて体勢を立て直す。そして、自分が無様に負けてしまったことを痛感した。

 先ほどのスペルカードは、いわゆる初見殺しの要素を持っている。その軌跡もなしに移動出来る紫の能力を用い、目眩ましの弾幕により紫本人が神隠しされたかのように消え、そしてスキマから眼の前に現れ弾幕を放つ。

 同様のスペルカードは紫の式神八雲藍も持っており、その名も式輝「プリンセス天狐 -Illusion-」というもので、奇しくも同時刻に咲夜が沈んだ弾幕である。

 

「まんまとやられてしまったわね……」

 

 幾ら初見殺しと言えるような弾幕とはいえ、驚き圧倒され、初心者と同じように三枚ものスペルカードを抱えて落ちてしまった霊夢の気持ちは重い。

 まだ紫との、働くか働かないかの賭け事であるからこそ良かったが、もしこれが異変の最中であれば再チャレンジを余儀なくされ、或いは時間を与えた相手に異変の目的を完遂させてしまうかもしれなかった。

 そんなもしもを考えれば、流石に普段から暢気をしている霊夢でも反省せざるを得ない。

 

「霊夢、貴女は前半の結界弾幕にスペルカードを切り過ぎているわ。空気も区切れば捕まえられる。私を倒したかったらもう少し修行に励んで結界に精通することね」

「確かに。今の弾幕に夢想封印を使って無理に避けられていたとしても、後が続かないものね。はぁ。魔梨沙だったらどう避けていたのかしら」

 

 霊夢は、思わずここに居ない弾幕最上級者の姿を思う。慣れているから一度弾幕ごっこを始めれば善戦することも出来るが、根本的な回避能力において、魔梨沙は霊夢と比べても非常に高いものを持っていた。

 おそらく、この驚きばかりの弾幕など、にこやかに悠々と避けて、むしろ紫を驚かす結果に終わらすのだろう。

 

「霧雨魔梨沙……そういえば彼女は何処に居るのかしら? あの子が来るのなら、と私もそれなりの準備をして来たのだけれど」

「あいつならフランドール……レミリアの妹と遊びに出掛けているわ。幽々子に依頼されても断って、ね。理解できないけれど、魔梨沙は紫のすることなら大丈夫、って言っていたわ」

「随分と、信頼されたものねえ。好き勝手している私を放って、吸血鬼と人里で遊ぶなんて、あの子も変わり者だわ」

「私もそう思うけど……何で行く場所まで知っているのかしら。人里、なんて私一言も口にしていないわよね」

「人里で桜祭りが行われていることくらい知っているわ。どうせ、霧雨魔梨沙は吸血鬼を人と変わらず扱い連れて行く。彼女にとって人里の人間なんて一部以外有象無象。タガのない強大な悪魔を連れてきてどう思われるかなんて、鑑みない」

「どう考えても、場を覚まさせるような結果にしかならないわよねぇ。全く、今回はどうフォローすればいいのか、頭がいたいわ」

 

 本当に、頭痛をこらえているかのように、頭に手を当てる霊夢を見ながら、紫は姉貴分の評判を気にする彼女に人間らしさを覚える。

 空を飛ぶ程度の能力を持った霊夢、そんな彼女がずっと前より少し低空飛行になっているような。昔はもう少し何に対しても中立的な子であったような気がするが、魔梨沙に育てられあれだけ構われれば、変わりもするのだろうか。

 そう考え、そして次に変化したが根本的に歪んだ部分が直っていない魔梨沙の一部を思って、紫は口元を歪める。

 博麗の巫女に人間らしさを教えた魔梨沙の根本には、人間らしい心変わりを厭うに至る経験があった。だから、なるべく変わらないような奇妙な人間や妖怪を好むのだと、紫は察している。

 そして、私は好まれているのかしらと思い、瞬時にそんなどうでもいい疑問は振り払って、紫は胡散臭そうにこちらを見ている霊夢と対するのだった。

 

 

 

 

 

 

 人間の里、人里。そこはその名の通り、幻想郷にて一般の人が住むことの出来る、唯一と言ってもいい場所である。

 人里には妖怪が利用するような店舗もあり様々な妖怪が里を訪れるが、暴れるものは少ない。それは、人里で好き放題すればどうなるか、彼らも知っているからだ。

 妖怪退治を生業とする人間が居ること、そして何より妖怪の賢者による保護によって人は安全に暮らせていた。むしろ、人里の人間の一部は、夜は妖怪専用として店を開いたりしていて、持ちつ持たれつ共存しているような部分すらある。

 そして、人が集まり生きていれば祭り事は行われるもの。今回は、遅く来た春を祝うために、咲き誇る桜をただ見るだけでは味気ないと、祭り事にして盛り上げようと人々は画策していたようだ。

 里の外れの桜の木で囲まれた、催し事のために整備されている土地のため遊具はないが普段は子供がよく遊んでいる広場で、桜祭りは行われていた。

 

 祭りは盛況を見せている。狭い広場は人妖で埋まり、笛太鼓の音色はよく響き、屋台の売上も順調そのもの。一角に広がれたござの上では酒盛りが行われ、桜によじ登ろうとする子供を優しく妖怪がたしなめるような光景も目にする事が出来る。

 そんな、幻想郷の平和を凝縮したような祭りであったが、しかし一部ぽっかりと人混みに隙間を広げたところがあった。その中心には二人の人妖の姿がある。

 二人とは、竹箒を片手にスカスカの周囲を気にせず屋台を覗く魔梨沙と、周囲の空間を不思議に思いながら日傘とりんご飴をその両手に持って喜色と妖気を溢れさせているフランドールだった。

 彼女らの周囲に誰も近寄ることもなく、屋台の店主も眉をひそめるその理由は、フランドールが抑えきれていない妖気にある。

 本人たちは、そのことをどうでもいいと思っているが、フランドールは強大な悪魔吸血鬼。他種族に厭われるその有り様に力は妖気に表れており、フランドールと魔梨沙には気にならない程度ではあるが、それでも周囲を圧倒するほどに溢れ出しているのだ。

 

 そんな周りを気にしない魔梨沙と気になっているが一部隙間を空けるのが普通なのだと誤解し始めたフランドールは、妖気をまき散らしながら移動する。

 二人は金魚掬いのお店を冷やかしてから、少し歩いた先に奇妙なものを売っている屋台を発見した。

 そこにはカメラのような、マジックハンドのような、雑多なしかし幻想郷には珍しい機械的な代物が展示されている。物珍しさに、二人は近寄っていく。

 僅かだが客はいたが、気持ちの悪い気配を感じて振り向き、その源泉となる者の姿をおぞましい妖気越しに見ることで恐怖を感じ、蜘蛛の子を散らすように三々五々逃げ出していった。

 そして、空いた店に近寄って、魔梨沙は暢気に店主に声をかける。

 

「機械かー、外の世界を思い出すわ。あ、店主はにとりじゃない。元気してたー」

「ひゅいっ! ま、魔梨沙、その後ろにいるのは何なんだい……」

「私は吸血鬼のフランドール・スカーレットと言うわ。貴女も妖怪でしょ。なんていう種族?」

「わ、私は河童の河城にとり。吸血鬼か、道理で恐ろしい気配がすると思ったよ。それにスカーレットっていう事は、去年の紅霧異変の……」

「そうね。主犯であるレミリア・スカーレットは私の姉よ」

「なるほどねぇ……どうにも禍々しいのはお姉さん譲りなのかなあ。ほら、おかげで客が来ないで代りに人垣が出来ているよ」

「あら、本当ねー」

 

 さも、今気づいたかのように魔梨沙は答える。いや、周囲の人間の反応など気にしていなかった魔梨沙にとって、まじまじとその様子を見るのは確かに初めてのことではあった。

 周囲の視線に、異常なものを見る奇異と嫌悪の入り混じったものを感じ、しかし魔梨沙はどうでもいいと切り捨てる。

 

「うーん。気づかなかったわ」

「はぁ。相変わらず魔梨沙は人間らしくないねえ」

 

 にとりは魔梨沙のその鈍感さに呆れ、人に興味のある妖怪の自分と反して、ただの人に興味を持たない彼女の人間として珍しい有り様を面白がった。

 魔梨沙とにとりの関係は、玄武の沢で魔梨沙が魅魔とピクニックしている際に、好奇心から近寄ってきたにとりを魅魔が捕まえて、その際にエンジニアの河童には及ばないが機械の知識が少なくともあるということをにとりが知ってからのものである。

 以降時々偶然を装って会い、そしてちょっとにとりの持つ人間像から離れた存在である魔梨沙と関係をもつことをきっかけとして彼女は人見知りを克服し、こうして祭りで屋台を営むようにすらなっていたのだ。

 だから、他のテキ屋と違う理由で無碍にするわけにもいかず、取りあえず何か買ってもらおうと商品に手をのばそうとした時、不況の原因である吸血鬼が今更言葉を咀嚼しきったのか大いに焦り出して疑問を口にする。

 

「え……私、そんなにおかしいかな?」

 

 そう、フランドールは周囲の異常は自分に原因があったということに今更気づいて、困惑した。喜色は弱まり、溢れる妖気もこころなしか減る。

 それだけで、目をそらすことの出来なかった周りの人妖には安堵の色が広がっていくのだから、彼女の持つ力は恐ろしい物があった。

 フランドールは知っている妖怪がどれもこれも尋常でないという環境からそんな自身の力の異常さに気づけかった上に、そして人間の少女のような彼女の性根が、悪魔の自覚を薄くさせてしまっているのだ。

 また、魔梨沙に霊夢という規格外を基準としてしまっているフランドールは、他の人間が良くも悪くも繊細であることを知らない。

 故に、魔梨沙に目立たないように妖気は抑えてね、と言われた通りにしているというのに僅か抑えきれない分だけで悪目立ちしてしまう現実を理解できなかった。

 

 フランドールが首を傾げていると、何やら入り口の方から目立つものが来たようでざわざわとその方面が騒がしくなり始める。そしてそれは真っ直ぐに魔梨沙とフランドールとにとりを囲むように隙間を空けた空間に押し寄せて来た。

 その人物のために、人垣は割れる。現れたのは、銀色に青が混じる長髪に、立方体に屋根を付けて上に四角錐を乗せたような形をした青い帽子を被せている、上白沢慧音という女性だった。

 慧音は、半獣という人とも妖怪とも取れない身でありながら、人間の側に立ち人里の人間に慕われている存在である。彼女は祭りの和を無自覚に乱している輩が居ると人づてに耳にし、注意をしにきたのだ。

 

「すまないな、ちょっと退いてもらおうか……はぁ。片方は霧雨の娘と聞いていたが、やっぱり魔梨沙、君だったか」

「あら、慧音先生じゃない。あたしに何か用?」

「魔梨沙、というよりも問題があるのは後ろの妖怪、吸血鬼の方なんだが……まあいい。二人ともちょっと来てもらおうか」

「はーい。フランドールも行きましょう」

「……分かったわ」

「じゃあね、にとり」

「はいはい。今度は居たら人間の友達でも連れて来なよ」

 

 にとりに手を振り、魔梨沙とフランドールは、慧音の後を付いて祭りの場から去っていく。その際に、向けられる人々の視線の意味を理解し始めたフランドールは俯き言葉も少なくなっていった。

 フランドールの気持ちを察し、魔梨沙は先ほど空いたばかりの傘を持っていない方の手をギュッと握る。二人の接触部は、誰彼の注目を嫌というほど浴びたが、それでも解かれることはなかった。

 

 先導する慧音は誰も居ない場所を探し、やがて彼女の足は路地裏に入って直ぐの場所で落ち着いた。日当たりがあまり良くないこの場は、吸血鬼との会話にちょうどいい場でもあると彼女は思う。

 そう考え振り向いた先には、後ろ暗いものなどないと思っているのか平然とした顔をした魔梨沙と、怒られるのではないかと怯えているフランドールの姿があった。そんな対照的な二人を見て苦笑いを零しながら、改めて慧音は対話を試みる。

 

「自己紹介を忘れていたな。私は半獣の上白沢慧音という。まずは、会話の前にそうして妖気で威圧するのを止めてくれ。それだけのものを放たれると、普通の人間や私のような半端者は気分を悪くしてしまう」

「え? そんなつもりはないわ。私は魔法を使わない限り妖気を隠すのが苦手だけれど、今は頑張って殆ど妖気を抑えられていると思うのに……」

「なるほど。ほんの少しでコレくらい、ということは君という妖怪はそれほどの存在なのだな。魔梨沙、日傘をして羽根が生えているから吸血鬼とは思っていたが、ひょっとして彼女は君が解決したとされる紅霧異変の……」

「首謀者のレミリアではなくて、その妹のフランドール・スカーレットよ。後、解決したのは霊夢なんだけれど、どうして誰も信じてくれないのかしら?」

「そうか、恐らくは親譲りの才能なのだな。それと、幾つもの異変を解決したといわれる里一番の退魔師として名高い魔梨沙、君を差し置いて新米の博麗の巫女が異変を解決したというのはにわかに信じがたいものがある。私は信じても構わないが、普通の人間は遠くの巫女より身近の英雄の噂をとるだろうな」

「へぇー。やっぱり、魔梨沙って凄いんだね!」

「私なんて力任せに悪いことをする奴をやっつけているだけなのにー。術や技を使って体を張って頑張っている人の方が優れているって、どうして分からないのかしら。それに霊夢の力は本物よー」

「博麗の巫女の実力は知らないが、弾幕ごっこでもなしに、天狗を落とすことの出来る人間なんて君くらいのものだと思うが……おっと、話が逸れたな」

 

 コホンと咳をして、慧音は話を戻そうとする。彼女は寺子屋で先生をしており、その癖か謙遜している人間にはしっかりと褒めて丸を付けてあげたくなってしまうようだ。

 しかし、そのために、話が変わってしまうのは感心できないと、慧音は気を取り直した。

 

「別に、人里にも祭りにも妖怪が来るのは一向に構わない。現に、ああして許可を得て屋台を出している妖怪だって居るからな」

「にとりのことねー」

「しかし、その妖怪すらも怖れるような大妖怪には自覚を持って欲しいものだ。君が妖気を抑えられるのなら目くじらを立てることもなかったが、しかし今もひどく不吉なものが溢れている。だからといって今直ぐどうにかは出来ないのだろう?」

「魔法を使うと私自体が消えちゃうし、それは、ちょっと難しいかな」

「だから来るな、とは言いたくはないのだが、せめて自覚はしてくれないか。君の力は恐ろしいもので、少し溢れているだけでも他者が危険を感じてしまうくらいのものだと」

「うん……分かった。皆を怖がらせたくないし、私は帰るね。あはは……」

 

 久しぶりに、フランドールは壊れてしまいたいと思う。先ほどまで忘れていた、出かける前に姉が言った覚悟しておきなさいという言葉が彼女の頭を駆け巡る。

 そう、フランドールは覚悟が足りていなかった。和を壊してでも楽しむ覚悟も、潔く身を引く覚悟もなく、今も仕方ないのだからと渋々諦めている。そんな自分が情けないと、フランドールは思っていた。

 

 しかし、覚悟なんてとうに済んでいる人物がここに居る。彼女は、フランドールの隣でおかしなことを言うものだと笑っていた。

 

「うふふ。フランドール、帰るなんて気が早いわ。祭りをまだ半分も回っていないじゃない。楽しめる部分はもっと沢山あるわよー」

「え?」

「……魔梨沙、君は自分が何を言っているか分かっているのか? 皆の怯え様、分からなかったわけでもないだろう」

「だからどうしたというの? 私は今日、フランドールと遊びに来たのよ。そのことで、皆が楽しめなくなろうが、どうでもいいわ」

「むっ、君は人々が楽しみにしていた祭りに水を差すことを良しとするのか?」

「それでも、あたしは友達と一緒に遊ぶわ。何かあれば態度を変える人間のことなんて、一々気にしていられないもの」

「それが君の本音か……」

 

 苦々しい思いを胸に秘め、悲しい表情をして慧音は魔梨沙を見詰める。彼女は魔梨沙の過去を、持っている歴史を食べる程度の能力と関係なく大方知っていた。

 その過去に関わり慰めることの出来なかったことを、人のいい慧音は後悔している。そのために出来た歪みを見せられては、尚更。

 

 魔梨沙は名誉ある博麗の巫女と成る道から逸れて、博麗神社の悪霊と畏れられている魅魔と共に魔道に踏み外してしまった人間である。

 そんな魔梨沙は、魔法使いになった瞬間から期待から持ち上げられた分だけ扱いを急転落下させられ、幼い彼女は里の人間から悪口を表に陰に叩かれるようになって、同年代の子供に石を投じられた経験もしている。

 その魔道で培った力が妖怪退治において非常に有用であるということから、次第に扱いは変わっていったが、それでもそんな風に変わってしまう人間に呆れた魔梨沙は人に期待をかけるのを止めた。

 勿論、人間不信に至ったには、父親からの虐待の記憶が抜けないところにもある。強くなりたい、それは弱いと変化に抵抗出来ないから。そういう考えもあって、魔梨沙は妖怪みたいに何が起きても根本は変わらないだろう強い存在に惹かれるのだった。

 

 フランドールは少女らし過ぎていて、これから大きく変化していくのだろう予感があるが悪い風に変わらないとは信じているし、何より友達なのである。

 そんな思春期の友の前で自分が提案した意見を、人の目如きで軽々と変えるのは悪い手本ともなると魔梨沙の望むところではない。

 もっとも意地を張りすぎるのも良くないと知っているが、どっちつかずにならないためにも自分に甘い考えは捨てる。そのために、嫌いではない存在、慧音とぶつかることになろうとも、関係はなかった。

 

「それで、どう白黒つけましょうか。歴史のテストではとても勝負にならないし、ここは公平に弾幕ごっこで決めたいわ」

「それこそフェアじゃないと思うが、仕方がないか。では、場所を変えて……」

「駄目、喧嘩は止めて!」

「フランドール?」

「魔梨沙ありがとう。私のためにそこまでしようとしてくれて、本当に、ありがとう……でも、私はいいの。頑張って、妖気を抑えられるようにするから、その時にまた一緒に遊ぼう!」

 

 フランドールも姉と喧嘩をしたことはある。しかし、それが目の前で起きたのは初めてのことだ。曲がりなりにも自分のために、目の前の二人が争うということを、フランドールは涙目になってまで嫌がった。

 スンスンと、鼻をすすり始めたフランドールを見て、慧音と魔梨沙はバツの悪そうな顔をする。

 

「……だ、そうだが?」

「そう……貴女の気持ちは分かったわ、フランドール。ごめんなさいね、フランドールの意見をちゃんと聞かないで喧嘩しようとしちゃって」

「いいの。魔梨沙は私とお祭りを楽しみたかったから、慧音と争おうとまでしてくれたのでしょ? でももう私は十分お祭りは楽しんだし、今日はもうお家に帰って魔梨沙とお話できればそれでいいわ」

「分かったわ。後は紅魔館でお茶にしましょうか」

「うん。……それじゃあ、さようなら慧音」

「じゃあね、先生」

「ああ、さようなら、二人共……」

 

 フランドールは、紅の虹彩だけでなく白目も赤くしたその眼を擦り、その手を慧音に向けて振ってから魔梨沙と繋ぐ。それを少しも嫌がりも恐れもしない、魔梨沙の姿が、慧音には眩しく映る。

 だからだろうか、つい慧音の口は開いていた。

 

「……フランドール」

「なあに?」

「もう少し妖気のコントロールがしっかり出来るようになったら、祭り以外でも何時でも君を歓迎するよ。他の皆はどうか分からないが、最低でも、私はそうしよう」

「……ありがとう!」

 

 今泣いた烏がもう笑う、ではないが優しい言葉を受けたフランドールは笑顔になる。彼女のほころんだ顔には幼き者特有の稚気を感じ取れて、慧音も思わず口の端が緩んでいた。

 それは、掴んだ手を一緒に揺らしている魔梨沙も同様で、そんな三者の笑みは、別れてからも暫く続く。最低でもその顔を里の門番に見られて恥ずかしがるまで、二人は笑みを零している。

 

 そして紅魔館へ向って飛び立ってから、魔梨沙はふと、予定していたことを思い出した。

 

「そうだ、何時だかは決めていないけど、博麗神社であたしが主催するつもりの宴会にフランドールは出る? そこなら妖気なんて気にしない人妖ばかりだから、普通にしていても平気よ」

「うん。それなら……出たい」

 

 異変解決後の全てを水に流すための宴会、そこにフランドールも参加することが青空の中で決まる。くるりくるりと、傘を回して喜ぶフランドールを微笑ましく見て、魔梨沙はなるべく早く日取りを決定しようと考え出す。

 楽しみにしていたそれが何度も続いて、魔梨沙を悩まし醜態を晒させ続けるものとなるのだが、今彼女は暢気に箒の上に横座りしながら、楽しい酒宴を想像してばかりいた。

 

 

 

 



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萃夢想編
第十八話


 萃夢想編は今までと違う、少し実験的な描き方になるかもしれません。


 

 

 

 何かがおかしいと、気づいたのは何時の頃だっただろう。そもそも、最初からどこかおかしかったのかもしれない。何しろ、下戸のあたしが、宴会の主催を引き受けたことからして、変といえばそうだった。

 もっとも、他に先導するようなメンバーが居なかったからしかたなしに、といったところであるのだけれど、楽しかったからとはいえあたしが何回もそれを続けているのは妙なことだろう。

 自分で自分の行動がおかしいと気付いたのは、桜の花が散って木々が青くなり始めた二回目の宴会の時から。何らかの力によって誘導されているのを目の端で捉えながら、あたしは再び宴会をしようという旨の言葉を口にした。

 そこから更に数えて、もう何回目になるのだろう。すっかり衣代わりした緑の木々や月を眺めて酒を楽しむのも悪くはないけれど、それを夜な夜な一週間も経たずに繰り返すというのは何よりあたしの肝臓に悪い。

 腕が悪いのか、酒気の解毒の魔法の方は未だに不完全で、沈黙の臓器で処理しきれない分は二日酔いとなってあたしを苛む。

 それに、そもそも夜更かしは美容に良くないっていうことは分かっているというのに、誰かに誘導された口は勝手に動いてしまう。そう、こんな風に。

 

「それじゃ、また、三日後に集まりましょう。私もいいのが作れたから今度は皆、とっておきのお酒を用意して来て。沢山呑める子たちは、その時呑み比べをしてみるのもいいかもしれないわねー」

 

 何時も次回を切り出すタイミングはもっと早かったけれども、今回は大方の後片付けを終えるまでいってからあたしは皆に約束している。

 今日はへべれけにならずに、それなりに酒の喉通りを楽しんで宴は終えられた。きっと顔は赤いだろうけれど、先ほど撫でた霊夢がむくれているけど、あたしはそんなに酔ってはいないはず。

 そう、そのはずなのに、アリスは心配そうな顔をしてあたしを見てくる。

 

「魔梨沙今日はあまり呑んでいなかったけれど、大丈夫? 疲れていない? 貴女ったら、お酒に弱いっていうのにここ最近週に二回は宴会の幹事役をやっているじゃない。少しは休んだらどうかしら」

「大丈夫アリス、あたしは元気よー。それに、あたしみたいに音頭を取る人間がいないと、酒宴が締まらなくなってしまうわ」

「何時も魔梨沙は早々に潰れているじゃない……それに、ここに居るのは誰が号令をかけなくても勝手に宴会を始めて解散するような図太い面子ばかり。魔梨沙が必ずしも居なければならないわけじゃないと思うわ」

「そうかもしれないけれどねー。どうにもあたしが集める役をやらなければならないみたいなの。大気の一部がそう囁いているのよ」

「どういうことかしら? よく分からないわ」

 

 アリスが理解できないのも仕方のないこと。それはあたしにしか見て取れないような曖昧な力を持ってして、意識を【萃(あつ)める】方向に向けているのだ。

 分っていても、逃れられないのは能力に拠るものであるためか。なんて迷惑な力の使い方をしている存在だろう。あたしはそいつをとっちめるために、密かに計画を練っている。

 あたしの感覚がおかしくなければ、あたしの魔力と似たものを感じる、そんな妖気のようなものが広がっていて最近高まりつつあった。

 人妖を集めて何がしたいか分からないけれど、このまま黙っていれば油断した相手はいずれ尻尾を出すだろう。

 酒宴が好きなら酒好きの筈だから、いいお酒が萃まったら、ひょっこり顔を出してくる可能性もある。あたしは次回見つけ次第そこで、やっつけてやるつもりだった。

 

「大気が囁いている、ねえ。魔梨沙、あんたこの漂う妖気について何か知っているんじゃないでしょうね」

「さあ。ここには沢山の妖怪が居るから混じっちゃって分からないわ。霊夢だって、そうでしょ?」

「私では分からないけど魔梨沙はそういうのを判別できるはずじゃない。……なんだか怪しいわね」

 

 しかし、そろそろ皆宴会を覆う妖気について怪しいと思い始めているのか、代表して霊夢があたしに聞きに来る。あたしは白を切って何も分っていないよと霊夢と周囲の煙のような妖怪にアピールしたけれど、それは失敗。

 あたしをよく知る霊夢は反応を伺うために、ほんのり紅に染まったその端正な酒臭い顔をあたしに寄せてくる。それを愉快に思わなかったあたしはそっぽを向いた。そして、再び隠すためにも口を開く。

 

「あたしは何も知らないわー」

「やっぱり変ね。なんだか妖気にもどこか魔梨沙みたいな気配がするし、何か企んでいるんじゃないでしょうね」

「なに、博麗の巫女は魔梨沙の魔力とこの妖気の違いも分からないというの?」

「何よ、アリス。貴女には違いが判るというの?」

「呆れた。この中で誰より馴染んでいるというのにどうして判らないのかしら。混ざっていて確かに分かり難いけれど魔梨沙と比べてこの妖気は明らかに古臭いわ。どう考えても妖怪のものよ」

「むっ、言われてみればそんな気もするけど……でも、あたしの勘では魔梨沙が何か知っている気がするのよ」

「第六感に頼ってばかりいるから目の前のことを忘れてしまうんじゃない? 貴女には魔梨沙が悪巧みするような人間に見えるの?」

「隠れて勝手に危ないことをしそうだから言っているのよ」

「そんなの魔梨沙の勝手じゃない」

「あのねえ……あんたは、魔梨沙が毎回どんなに危険なことをしてるか分からないからそんなこと言えるのよ!」

「―――ストップ。心配してくれてありがとう、霊夢。でも今のところそんなに無理する気はないから、大丈夫よ」

 

 珍しく、霊夢が激し始めたから、あたしは待ったをかける。どうどう、と肌が出ている霊夢の両肩を掴んで、落ち着くまであたしは霊夢の黒い瞳を覗き続けた。

 そっと、霊夢にきつく当っていたアリスへ向くと、霊夢を見るその青い目に暗い影が見て取れて、あたしは困る。あたしの見立てではアリスと霊夢は相性が良いとしていたけれど、実際に会わせてみると、少しも合わない。

 どうにもあたしを挟んで、喧嘩腰になることが度々。幽々子にモテるわねーと言われたけれど、意味がわからない。仲良くなって欲しくて、二人は毎度宴会に誘っているのだけれど、むしろ仲は険悪になりつつある気がしている。

 

「何だか、あんたは気に喰わないわね」

「それは私も同感よ」

「むー」

 

 あたしへの疑念はどこへやら、ずいと前へ出て睨み合い始めた二人の傍で、あたしは頬を膨らます。妹分が仲違いするというのは気分が悪い。

 霊夢はお祓い棒を取り出し、アリスは人形を幾体か空に浮かべているが、何だか弾幕ごっこで決着を付ける空気ではなさそうだ。まるで、殴り合いでも始めそうな雰囲気で、口に溜めた息を吐き出しながら、あたしはどう止めようか考える。

 そこに、従者が働いているためやることがなくて暇なのかやって来た小さな人影が二つ。いや、それは人ではなくて吸血鬼であるけれど、あたしには大きな助けだった。

 

「全く、弾幕ごっこで白黒つけるならともかく、ただいがみ合うだけではつまらないわ。せっかくの酔いも覚めてしまいそう」

「そうだよ。あまり喧嘩はしてほしくないなあ」

「レミリアにフランドール。助かったわ。もっと言ってあげてー」

 

 ふんぞり返っているレミリアと、眉をひそめて嫌そうにしているフランドール。まるで、小さなお子様のような二人だけれど、秘める力は魑魅魍魎溢れるこの宴会の中でも屈指のもの。

 でも、力に頼らずともそんなスカーレット姉妹の可愛らしさに絆さられればいいなと思い、あたしは霊夢とアリスを見るが、しかし二人が互いを見る視線は鋭いままだった。

 

「……そうね。こういう時は弾幕ごっこで白黒つけましょうか」

「それがいいわね。一枚だと貴女が負けを認めないでしょうから、三枚でどう?」

「随分と嘗められたものね。一枚もいらないわよ。基本的な弾幕だけで、ぐうの音も出ないほどに負けさせてあげるんだから」

 

 そう言った二人は、何やら話し合ってから飛び上がって、地べたのあたし達に弾が行かない程度に浮かんでから、弾幕を放ち始める。

 人形から発射される七色の鱗弾は、霊夢の御札の結界によって防がれた。七色が弾けて、霊夢の周りで力の花火が起る。

 そして、仕返しとばかりに飛んでいった三個の陰陽玉は、人形達が形作る赤い三角の魔法陣に弾かれ、直ぐに霊夢のところへ戻った。霊夢が再び御札を取り出そうとするその隙に、アリスは鱗弾を前に集めて飛ばしながら近寄っていく。

 真っ直ぐに紅白の御札が投じられる、その間をグレイズして音を立てながら、アリスは手が届きそうなくらいに接近した。これは普通の弾幕ごっこにしては随分と間合いが狭くなったなと、思っていたら。

 

「良かった、何とか弾幕ごっこに収めてくれて……って、アリスが蹴った!」

 

 弾幕を縫って接近したアリスが行ったのは、足元に向けた、鋭い前蹴り。アリスを人形に頼らざるを得ない少女と思い込んでいた霊夢は、それをまともに食らう。固そうなブーツでのそのキックは霊力で身体を強化していても痛そうだ。

 あたしは、昔神綺が呟いた、そういえばアリスちゃんは立ち上がるのが早かったのよ、という言葉を思い出した。確かにスラリとしていて健康的な美脚である。しかし、その良さをこんなにも暴力的に発揮しなくてもいいと思うのに。

 反撃として霊夢はお祓い棒を叩きつけて、アリスは人形に持たせた槍で攻撃し始めた。これはいけないと止めに行こうと飛び出そうとした時、そこであたしは誰かに手を引かれて留まる。

 皿洗いを終えて来たからだろう、あたしを留めるその湿った手の持ち主は美鈴だった。

 

「待ちなさい、魔梨沙。あの二人は冷静よ。共に、過度の力で攻撃するのは避けている。そして防御も用意しているし、霊力に魔力に体を強化しているから、きっと万が一もないわ」

「……確かに大丈夫そうね。離れたら弾幕を張り始めたし、あたしと美鈴が最初にやっていた格闘戦闘ありの弾幕ごっこみたいなものかしら。でも、急にぶつかり合い始めたから、驚いちゃったわー」

「そうかしら。あたしは何時爆発するか気が気じゃなかったんだけれどねぇ」

 

 まあ、そんな気ぐらい操れるからどうということもなかったのだけれど、と笑いながら美鈴は言う。彼女が二人を見る視線は、じゃれあう猫を見ているようで穏やかだ。

 確かに、あたしから見ても力を弾幕にせずにぶつかる突端に篭めた、予備動作が大きめのその攻撃はまだ素人らしくて甘いもの。あの二人くらい上手に力を身体に巡らせていれば、よほどの場所に当たらない限り大事ないことだろう。

 少年漫画みたいに殴り合いの後に友情が芽生えてくれればいいのだけれど、と考えていると、パタパタと近くで興奮気味に羽ばたいている音が聞こえる。見ると、レミリアは二人の至近で火花散らす戦いを気に入ったようで、満面の笑みをしていた。

 

「あら。アレはいいわね。接近戦をしてもいいなら、何時も普通の弾幕ごっこでは苦汁をなめさせてくれる魔梨沙、貴女にも一杯食わすことが出来そう」

「吸血鬼の身体能力とか、相手をしたくないわー。幾ら美鈴と鍛えているとはいえ、目に留まらないんじゃ対処しようがないじゃない」

「貴女は能力持ちだし、霊夢には勘で対処されてしまいそうだけれど。まあ、機会があったらこういう遊びも面白そうだわ」

「うーん……私は普通の弾幕ごっこでいいかな」

「お嬢様は好きでやるようですし、フランお嬢様はそれでいいのですよ。無理をするのは我々に任せて、好きなようにして下さい」

「うん、分かった。美鈴!」

「……うふふ」

 

 次第に洗練されてきている夜空の二人の戦闘の才能に空恐ろしさを覚えながら、あたしは美鈴と共に笑顔をしているフランドールも目に入れる。

 宴会を続けているのは、多少はあたしの意志もあった。塞ぐ暇なく、フランドールも楽しんでくれているようでなによりだ。

 先日、外出に慣れたばかりのフランドールをいきなり人里に連れ出して、時期尚早にもそのままの自分が厭われる存在であるという自覚を持たせてしまったことは、記憶に新しいあたしの失敗。

 大らかで力ある人妖ばかりのこの酒席において、一々悪魔であることなんて気にされるようなことではないから、そのままゆっくりして傷を癒して欲しいとあたしは思う。

 

「……ああ! 笑っている場合じゃなかったわ。霊夢がアリスのキックでダウンしちゃった!」

「やったわ! 博麗の巫女を倒したわよ、魔梨沙!」

「それは見たら分かるから、誰か落ちてくる霊夢を拾ってあげてー」

 

 しかし、酔っぱらいが集う宴会場でゆっくりするのは難しく、服をボロボロにして実は結構酔っているアリスが喜色満面になっている中で、あたしはそれを半ば無視するような形で霊夢を掬いに落下点まで急ぐ。

 その途中、銀の煌めきが視界を一瞬通ったかと思うと、落ちてくる霊夢の姿はあっという間に掻き消えた。あたしがその銀色の軌跡を目線で追いかけると、そこには二刀を持った半人半霊少女の姿が見てとれる。

 

「あ、妖夢、霊夢を助けてくれたの、ありがとうー」

「……魔梨沙」

「なあに?」

 

 でも、うつむき加減の妖夢の眼をあたしはしっかりと見ていなかったのだろう。あたしは、後になってそのことを後悔する。

 

「本当に、魔梨沙がこの妖気に関係しているわけじゃないのね」

「あたしは知らないわー、っと。霊夢をどうもありがとう」

「……そう」

 

 霊夢に大きな怪我がないか気になって、疑念を孕んだ妖夢の視線に気づけなかったのは、あたしの失敗だった。もっとも、気づいていたとして、彼女の暴走を防げていたかどうかは分からないけれど。

 

「うふふ。何だか面白い展開になってきたわねー」

 

 ただ、遠くのほうで幽々子が笑んでいることには、気がついていた。

 

 

 

 

 

 

 魂魄妖夢は、祖父であり師である魂魄妖忌からこう教わっている。真実は眼では見えない、耳では聞こえない、斬って知るもの、と。

 

「そう、私には真実なんて見ても聞いても分からない。私に出来るのは、ただ斬るだけ……」

「なに? 上手く聞こえなかったわ。それで、妖夢。貴女はどうして私の家まで来たのかしら。魔法の森で迷った、という訳ではなさそうね。もっとも、幽霊なのだから何時でも迷っているのかもしれないけれど」

「幽霊なのは半分だけ! まあ、それはいいわ。私はアリス、貴女に弾幕ごっこで勝負を挑もうと思って来たのよ」

「博麗の巫女ではなくて?」

 

 突然の客、魂魄妖夢をもてなすために動き回る人形たちを横目で見ながら、アリスは不思議に思う。

 こうして、冥界から遠路はるばる森の我が家へとやって来たから歓迎してはいるが、しかし妖夢は最近宴会で知り合ったばかりの相手であり、からかうと愉快であるという程度しか分っていない存在だ。

 それと同程度か、或いは周囲をそれとなく見渡していた自分よりももっと、妖夢は私のことを知らないはずだとアリスは考えている。

 そんな、ただの知り合いの間柄といっていい妖夢が、何故制定者霊夢に強者魔梨沙をさしおいて自分と弾幕ごっこで戦おうとしているのか、アリスには不明だった。

 

「そう。宴会で今回の異変で一番に怪しい魔梨沙を庇っていた、貴女が犯人かどうか気になって」

「違う……と言っても聞き入れてくれそうにないわね。まあ、偶には連勝記録を伸ばすというのも悪くはないかしら」

「それで……ルールは宴会でやっていたあの格闘中心の弾幕ごっこでやらせてくれない?」

「ふうん……まあ、いいわ。その立派な刀も、使われなければかわいそうだしね」

 

 アリスはそう言って、椅子に座るに邪魔だからと立て掛けてある鞘に包まれた長刀と短刀の二振りを目にする。確か、斬れぬものなど殆ど無い、だったかしらと宴会でからかわれた妖夢が語ったその刀の謳い文句をアリスは思い出した。

 侍、武士道、腕に自信があるのねと考えたアリスは、しかし自分の中にある霊夢を倒したという自信があることを確認して、問題はないだろうと軽く見て了承する。相手が、死を斬るほどの剣士と知らず。

 

 そして二人は家を出て、アリスが普段洗濯物を干している裏手に回って戦う準備を始めた。アリスは何体かの人形を宙に浮かばせ、妖夢は刀を抜き放ち正眼に構える。

 多数が守るように宙を舞う周囲がきらびやかなアリスと違い、妖夢はただ地味に刀を握っているだけ、しかし、そのことの空恐ろしさを少しずつアリスは感じていた。人形たちの防御に真剣味が帯びる。

 

「……それじゃあ、始めるわよ」

「ええ、じゃあ、いくわ」

 

 それは、一瞬のこと。人形たちが放った、鱗状の弾幕に、レーザー。交差し七色がほぼ眼前を覆っているだろうその弾幕。それがあっという間に掻い潜られて、目の前には銀髪をたなびかせた妖夢の姿が。

 グレイズの音が遅れて聞こえてきそうなその速さを相手取っては、慌てる間もない。だからアリスのブレインは冷静に、防御を選択して妖夢の前に防御陣を敷いた。

 それは、先日巫女の猛攻に耐えた自慢の代物。しかしそれが、剣気というのだろうか、鋭いものを持っている妖夢を前にしたらあまりに頼りないものにアリスの眼には見えた。

 容易く脳裏に浮かんだ想像通りに、構えがブレたかと思うと紙のようにその防御は斬り捨てられていて、そして返す刀、なのだろうかアリスには認めることの出来なかったその一閃により彼女の身体は崩れ落ちる。

 

「なっ……」

 

 斬られた。それは間違いない。冷たいものが身体を通った気がした。だが、その身から赤色の鮮血が吹き出したりはしない。

 しかし、ただ袈裟懸けに熱を感じたアリスの身体は斜めに二つにされたと勘違いして、足元から糸を失ったマリオネットのごとくに倒れこむ。やがて、周囲に魔力の糸を斬られた人形を散らばらせながら、アリスは気を失った。

 

 妖夢はアリスが倒れ落ちる姿を見届け残心を解き、身を切らず【アリスそのもの】を斬った曇り一つない楼観剣を納刀して再び背負う。

 

「うーん……やっぱり、アリスは犯人じゃなかったか」

 

 そんな凄まじい剣の冴えを見せた妖夢は、あっけらかんとしているが、表情は浮かない。なんと、彼女は斬った際にある種の答えを手にしていたのだ。

 斬ること、それこそ全てを知る方法と妖夢は思い込んでいるが、その理由としては実際に斬って判ることが多過ぎるというのが挙げられる。アリスを斬っても漂う妖気は消えないし、斬り裂き確かめた中身からは嘘をついていないと察せた。

 だから、今回は外れだと、斬り捨てた妖夢は気を取り直してアリスと人形を出来るだけ担いで、アリスの家へと運んでいく。往復して、全てをベッドの上に片付けた妖夢は物音一つしない洋館を辞し、ポツリと溢した。

 

「それじゃあ、二番目に怪しい奴のところへ行こう」

 

 そして、舞台は紅魔館へと移る。

 

 

 

 



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第十九話

 

 

 

 その姿を最初に発見したのは、当然のことながら、門番をしている紅美鈴であった。穏行もしていない人影を見逃すほど彼女は暢気ではなく、むしろ門番として優秀な方である。

 しかし、美鈴は焦らず、むしろ迎えるために門から一歩前へと進んだ。空を飛んで、何やら傍に大きな霊魂を携えた人影なんていうものは幻想郷広しといえどもそう多くあるものではない。

 それが、魂魄妖夢という宴会で出会った知り合い、というよりも一時とはいえ武について語りあった若き友人と美鈴は捉えている半分人間であると知っている。だから、遊びに来てくれたのかと美鈴は笑みを浮かべて彼女を歓迎しようと考えていた。

 

「ん? 何か変ね……」

 

 しかし、美鈴は服のはためきが近くに見えるその前にその経験から妖夢の発している剣呑な気配に気づいて眉を寄せる。彼女が紅魔館の中の誰かへ何がしかの敵意を持っていることは瞬時に察せた。

 宙からふわりと降りてきた妖夢は、嫌に真っ直ぐな迷いない目をしている。

 まさか、昨日の宴会でお嬢様が散々にからかったその仕返しに来たわけじゃないわよね、と美鈴は思うが、どんな理由にせよ中に入れる前にそのフランドールを刺激しかねない程の強い意気を引っ込めて貰わないと、と美鈴は対話を試みた。

 

「こんにちは、妖夢。貴女が紅魔館に来訪するのは初めてね。今日は何しに来たの?」

「美鈴……こんにちは。そうね……私はレミリアを斬りに来たわ」

「穏やかではないわね……」

 

 単刀直入過ぎる、妖夢のあまりに物騒な物言いに、美鈴は二の句が継げられなくなる。冗談のような物言いであるが、彼女の瞳は変わらずまさしく真剣である。

 二人の間に何があったのか、ついに溜まっていたものが爆発してしまったのかと、思わず一瞬頭を抱えようとすら考えたが、そんな隙を見せるのは良くないと美鈴は顔を真っ直ぐ前に向けて拳を構えた。

 酒を交わした情もあるが、疑いようもなく敵であると認識したからには容赦しない。そんな風に、門番の紅美鈴は出来ていた。

 

「待って。私は異変を解決しに来たのよ」

「お嬢様を斬ることが、どうして起きもしていない異変の解決に繋がるというの?」

「美鈴だって、気づいているのでしょう? この幻想郷を覆いかねないほどの巨大な妖気を」

「ああ、これ自体は妖【気】ではないわよ。何かが核にあって、そこから妖気が出ている状態ね。……そうねえ、例えばこれは妖気を発するものが眼に見えないほど細分化して漂っていると考えることが出来るわ。妖霧みたいね」

 

 気を使う程度の能力。使えるのであればそれをよく知っている、ということが全てに通じるわけでもないが、こと美鈴に関していうのであればそれで当っていた。

 美鈴は、魔梨沙を静かに怒らしている今回の異変の主が、煙のようなものであり、つまり自分では手を出せないものと早々に察している。

 しかし、斬ることに固執するがあまり自分の見目した経験を信じられなくなってしまっている妖夢には、そんな美鈴の確信めいた断言を信じることが出来なかった。

 

「むぅ。そうなのかもしれない。でも、そうじゃないのかもしれない。やっぱり、斬らないと分からないわ」

「呆れた。斬らないと分からないからって、お嬢様を狙ったというの?」

「そういうことよ。似たような異変を起したことのあるレミリアが妖気と似た気配を持っている魔梨沙の次に怪しいもの。だから弾幕ごっこで斬って、本質を見極めようと思ったのよ」

「弾幕ごっこ……なんだ、遊びで撫で斬りして本音を出させて判別しようとしていたのね」

「違うわ。格闘ありの弾幕ごっこっていうのが有りみたいだから、本質だけを斬って真実を知ろうとしているのよ」

「本質だけ……そんな魔法みたいな腕前を妖夢は持っているというの。その特別な刀も関係しているのかしら。でも、それでももし、斬るものを違えて相手を殺してしまったらとか考えたりはしないの?」

「間違えてしまうかどうかも、斬ってみなければ分からないわ」

「……そう」

 

 内心は再び頭を抱えたい気分で一杯であるが、美鈴はなんとか妖夢の言葉を飲み込む。彼女が語るその内容は、お腹の中身が黒いか白いか確かめるために開腹したいです、と言っているのと大差ない。

 それが、痛くもなければ危険も後遺症もないからと、自身の腕前を疑わず軽々と行おうとする妖夢の軽率さには、呆れを通り越して空恐ろしさすら感じる。

 きっと【何か】あったのだろうと美鈴は思うが、まあ何にせよこんな辻斬りを通らせる訳にはいかない。

 拳を構え直した美鈴は、妖夢に向って、言う。

 

「それじゃあ、真剣でも格闘ありの弾幕ごっことやらでもスペルカードルールを放棄しても構わないから、かかって来なさい。私を倒さないと、何も斬れないわよ」

「スペルカードルールは守るわ。私は五枚、用意している」

「そう。私は一枚も用意していないけれど、通る気なら構わずに来なさい!」

「むっ……」

 

 そして、美鈴は鬼気を溢れさせて、妖夢を威嚇する。その迫力に思わず、妖夢は一歩下がった。しかし、恐れずに彼女は楼観剣のみを抜刀する。二刀流、とはいえ白楼剣は軽々と抜ける代物ではないのだ。

 直ぐに、戦いは始まる、と思いきや話はそう簡単に進まない。実戦経験の少ない妖夢でも分かる、美鈴のさして特別でない構えの、しかし隙の無さはまるで堅牢な壁のようである。

 じり、と妖夢は足の指の力だけで少しずつ近寄っていくが、むしろ寄れば寄るだけ打ち込むより捌かれて反撃される姿ばかりが想像できてしまう。美鈴が格闘戦で妖夢の上を行くのは明らかだ。

 

 剣道三倍段という言葉がある。それは、得物を持った剣道家に徒手空拳の流派では三倍もの段位の差がなければ相手にならないという剣を重く見る考え方だ。

 それも当然の判断だろう。拳には急所に当てる以外に必殺の方法は中々ないが、刀には多く血を流させる腱を斬るなど相手を無力化するやり方が多くある。それに加えて、攻撃力にリーチの差が明白だ。素人目に見ても、剣を持った者の方が強そうに見える。

 とはいえ、徒手空拳の身軽さは、剣を持つものにとっても脅威であり、リーチの長さは至近での取り回しの難しさも意味していて、また打蹴投組の全てを使える者の引き出しを探るのは困難だ。実力に差があれば、確かに空手の者にも勝機はあるのだろう。

 そして、妖夢と美鈴に三倍段といえるくらいの実力に差があるかといえば、才能よりも経験によるもので大きな違いを認めざるをえない。

 

 紅美鈴は昔からずっと、弱点も得意もない自分にできる事はこれしかないと、人から見出した武を真似し磨き鍛え続けていた。

 美鈴はその拳に頼りながら生きるために数多の妖怪と戦い、次に守るために迫り来る人妖と争い、数えきれない年月全てを生き延びてきた存在である。故に彼女は達人と呼ばれるような者達と比べても、頭ひとつ抜けた武勇を持っていた。

 そして、妖夢は八雲紫が見誤るほどに斬ることに関しての才を持っているが、美鈴も自分を無才としているにしてはあまりに鋭い才能を持っている。

 だから、妖夢の鍛えてきた四十年程の月日では太刀打ちできるものではない。ましてやその大半の鍛錬が師の存在もなく行われたもので、剣術を扱う程度の能力はあっても斬ること以外に未熟な状態であっては尚更のことであった。

 

「……これじゃあ、斬れない」

 

 接近戦で勝てる道理がない。ならば、霊力を用いて剣に力を纏わせてリーチを大きくしたり、半霊を人型にして二人で挑んだり、目にも留まらぬ速さで斬りかかればいいかと思えば、そう上手くはいかないであろうことも分かる。

 次に続かなければどんなに工夫を凝らしても奇手はそれ止まりだ。驚かすだけでは駄目で、百戦錬磨の美鈴相手ではそれすらも難しいだろう。

 ならば、どうすればいいか。それは魔梨沙や霊夢から聞いていた。

 

「美鈴貴女は弾幕ごっこが苦手、そう聞いているわ。本当かどうかは斬るまで分からないけれど、確かめさせてもらう!」

「くっ、やっぱりそう来ちゃうかー」

 

 美鈴の弾幕の虹色の美しさは評判であるが、その難易度の緩さも口の端からついでに登ることでそれなりに知られている。

 色とりどり様々に気を使うことは得意でも、それを宙に避けられないと錯覚させられるくらいに浮かべるには出力が足りない、といったところなのだろうか。

 妖夢は浮かび、力を込めて宙空を幾度も斬り、力が残った宙の切り口から白い鱗状の霊弾を多く発させて、地の美鈴を踊らせる。そして、続けるは半霊が発する青い大玉弾幕。たまらず、地べたを駆け回っていた美鈴も、空を飛び逃げ出した。

 青白く、どこかおどろおどろしくなった空に、負けじと美鈴は花を咲かせる。七色の米粒弾は、フラクタルな図形を生み出しながら、妖夢へと迫っていく。

 周囲に広がっていく七色はまるで向い来る虹のよう。なるほどこれは美しい弾幕だと妖夢も思うが、しかし密度がイマイチであるとも考えながら、彼女は悠々と避けていく。そしてもう一つ美鈴の弱点を妖夢は看破した。

 

「美鈴、貴女は空中での姿勢制御がなっていないのね」

「ここに来るまでずっと地に足を付けて生きていたせいね。どうにも妖夢みたいにふわふわ浮かびながら生きるのはやり難いわ」

「私がずっと浮いているのは半分だけ! でも、本当に美鈴は弾幕ごっこが苦手なんだ……」

 

 境界によって、外の世界は実体の世界そして幻の世界と分けられた幻想郷は、常識の縛りが緩く、元より常識はずれの妖怪や奇妙な人間などは気軽に重力から解き放たれることが可能である。

 しかし、比較的に来てからの時間が浅く、おまけにスペルカードルールが出来る前まで得意の武術を活かために地で戦うことが多かったために美鈴は飛ぶこと自体に慣れていない。

 だから、直近の弾幕に対しては見事な体捌きを見せるが、宙での移動は落ち着かないのだ。故に、直に自分に向けられた幅広の弾幕を完全に避けるのは難しく、大玉の影から出てきた白い鱗弾の行列をその身に掠めて美鈴は困り顔を作る。

 

「何時もと同じくジリ貧ね。でも、今回はルールが違う。このまま一矢報いることもなく負けるわけにはいかない!」

 

 そして、美鈴は宣言するつもりもないスペルカードなんていうポケットの中の紙切れなんてくしゃくしゃに握り潰してから、武という一枚のカードのみを持ってして、彼女は宙にて反撃に転じる。

 避けられないなら、相手まで退かしながら真っ直ぐ進んで行けばいい。そんな発想を現実にする美鈴の体術は非常に優れていた。虹色に視覚化するほど気を篭められた彼女の拳に足は、最小限の動作でもって、多く霊力の篭った妖夢の弾幕を逸らしていく。

 グレイズした際に起るはずのバチバチという力のせめぎ合う音すら鳴らさないほど滑らかに、なんと美鈴は彼女の身長ほどもある青い大玉弾幕すら無音で真横へと流していった。多いだけの白色など、円かに飛ばされ届く気配すらない。

 何も通じないのかとすら錯覚させられる、そんな無体なまでの圧倒的な技術。それを前にして、しかし全く諦めていないのか妖夢の青い目は美鈴の瞳の灰色がかった青色を確りと見つめていた。

 

「案の定、無理に近寄ってきたわね……そしてやはり単なる弾幕なら通用しない。でも、これならどう……いくわ。獄神剣「業風神閃斬」!」

「……なっ!」

 

 それは弾幕の突如の変貌。鱗弾に効き目がないからと妖夢は闇雲に大玉弾幕を放っているのかと思いきや、それは違った。一瞬、両者の時が遅くなったかのような緊張が走る。

 妖夢が動いたと思えば数多くの大玉に切れ目が走り、そしてそれらは斬られることで変化したのか赤や紫色の様々な破片となって美鈴に降り注いでいく。

 くるくると、上空から速度も不規則に落ちていくそれらは、遠目に見れば美しい宝石のシャワーのようであるが、しかし、それはルビーやアメジストよりも危険な力の塊である。

 その数の多さ、形のバラつきに対応するにはいかに美鈴といえども直ぐにはいかない。しかしその暇を待たず半霊は弾幕を生成し続けるし、ある程度纏まったら妖夢は一息に四閃の軌跡をもって弾幕をみじん切りにし続ける。

 苛烈な攻めと強固な守りの勝負。しかしそれは攻め続ける妖夢に軍配が上がったようだ。バチ、と防御を僅かに仕損じた音が耳に入った妖夢は、隙を逃さずそこでもう一枚のスペルカードを見せつけた。

 宣言の言葉も相手に届いているか否か分からないほどのその速度。余人には視認出来ないほどのスピードをもってして、妖夢は宙を駈ける。

 

「人鬼「未来永劫斬」! 」

 

 それは、天狗も認められないほどの瞬間に全てを終える技。最速で突撃を繰り返し、何度も斬りかかるというただそれだけのものであるが、それこそ全速力で振るわれた妖夢の剣速は最早美鈴の目に留まらぬ境地に至っている。

 それでも何度、棟や刃紋近くに手をあてて美鈴は刀を逸らすことが出来ただろう。それは、妖夢にも予想外の回数であったが、直ぐに限界が訪れる。

 

「斬った!」

「やられた、わね……」

 

 ただの一太刀。それが入り、美鈴に冷たい感触を味あわせた。しかし、驚愕すべきことに、美鈴の身体には刀傷が見当らない。この戦闘の中でまたしても、妖夢は他の何一つ斬ることはなく、鋭く本質のみを斬り裂いたのである。

 宙でグラリと美鈴の身体は傾ぐ。妖夢は肩で息をしながら、抱きしめるかのようにその身を受け止めた。いや、本当に妖夢はこの戦闘相手をきつく抱きしめたいとすら思っていた。

 それだけ、斬って理解した以上に、戦ってみて美鈴という妖怪そのものの強さとその真っ直ぐさを認められて、それが愛おしくてたまらなくなったのである。

 しかし、そんな寝込みを襲うような無作法は妖夢には出来なかった。宙から地に降り立った妖夢はそっと、壊れ物を扱うように優しく門柱にもたれかかせて、美鈴を寝かせる。

 

「やっと終った……っく」

 

 そしてようやく一息ついた妖夢だったが、襲ってきたあまりの疲労感に彼女の身体はどっと落ち込みそうになり、それを留めるために必死になった。

 妖夢は攻めるばかりで怪我一つしていないが、集中を続けた美鈴との戦いで体力と何より緊張した内面が大いに削られている。

 片膝をつき、深く息を吸い、それでも足りないと宙に救いを求め、妖夢は顔を上げ一息つく。

 

「ふぅ……ん? なっ!」

 

 それから少し経って、何やら唐突に天からパチパチという音がしたかと思うと、今度は凄まじい勢いで何者かが降ってきた。

 

「ふふ。こんにちは」

「レミリア!」

 

 妖夢は紺碧の目を張る。現れたそれは、ここ紅魔館に来た理由の全て。日傘を持った、小さなその影は紅霧異変の主犯にして紅魔館の主、レミリア・スカーレットであった。

 レミリアは至極嬉しそうな、まるで蕩けそうな表情をして、身を捩って傘を弄りながら言う。

 

「全て見ていたわ。中々見ることの出来ないような、素晴らしいショーだったわね」

 

 レミリアの紅い宝玉のような瞳には、戦いの全てが映っていた。美鈴の善戦に、妖夢の刀の鋭さに、その全てが彼女には蠱惑的に見えている。

 だから、嬉々が溢れて止められない。当然のように、小さいレミリアのその身に秘められた全ての力はつられて爆発的にその場に広まる。それはまるで、魔梨沙を笑ませたフランドールの如き力の奔流。

 ただ、それを受けた妖夢の反応は魔梨沙と違う。とてもその力の前で素直に笑うことは出来ずに、諦めに笑むことすら無理で、ただ表情を凍らせることしか出来なかった。

 

 これを、斬る。それは、なんの冗談だと、妖夢は一瞬でも思ってしまった。

 

 しかし、そんなことは認められない。斬ることは真実に至る道。なら、この大敵を斬ることにだって、きっと意味がある。

 

「くっ……」

「確か、貴女は私を斬ると豪語していたわね。……いいでしょう」

 

 未だ戦意の残った妖夢の立ち上がる姿を見届けたレミリアはそう言ってから、フランドールにも貸してあげた特別な日傘を投げ捨てる。じゅう、と彼女の身体は日に焼かれていく。ふつふつと、レミリアの身体から紅い靄が溢れだす。

 日光の下の吸血鬼。このままでは遠からず灰になるのが運命である。

 

「さあ、妖夢。私が日に焼かれて塵になる前に、見事私を斬り倒してみせなさい!」

 

 しかし、レミリアは胸を張って、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 

「もぐもぐ。うーん。この店のお団子はやっぱり美味しいわー」

 

 その時。珍しく二日酔いでダウンしなかった魔梨沙は、人里の茶屋で団子を買い、口いっぱいに頬張っていた。

 

 

 

 



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第二十話

 

 

 

 内にぐるぐると胸の内で回るような熱が燃えて仕方ない。そして、レミリアの顔は美酒によって酔ったかのように火照っていた。

 どうにも、通常の状態ではない。だから、こんなに馬鹿げたことをするのだろうと、レミリアの冷静な部分は自分を推察する。しかし、誇り高い紅の悪魔は前言を撤回する気はなく、むしろ日を浴びて塵となりつつあるその身を面白がった。

 

 テラスから望んでいた殆ど無傷で終った美鈴と妖夢の戦い。それがどうしてこの身を焦がす程に、面白かったのか。それは、両者が芸術的なまでに鍛えあげられた拳に剣の技術を駆使して戦っていたことがあるだろう。

 レミリアにとって必要もない武術など眼中になく、その道なんて興味のわかないものだった。しかし、そんな認識は美鈴という名の武の宝石を手にしてから変わって、レミリアは美鈴が魔梨沙とするような息をつかせぬ武の交わりを好むようになる。

 今回は、殊更その醍醐味を楽しめた。美鈴の防御の技術もそうだが、妖刀にその者の身体を【斬れないもの】と判じさせ、そして本質のみ綺麗に斬った妖夢の剣技も息を呑むほど美しいもの。だから、身が沸き立つのであるのだろう。

 

「力弱い存在。貴女達は、その小さな力を効果的に働かせる方を知っている。弱きことこそ、巧さの源泉。武は舞のように私を楽しませてくれる。そんな健気さが、私には愛おしいわ」

「むぅ」

 

 レミリアは、赤く染まった頬に触れて、その熱を確かめる。そして、彼女は自身と比べれば非力な半人半霊が向ける刀の切っ先についと視線を向けた。

 そう、純粋な力が足りないからこそいよいよ美しく磨かれる武。あまりに鋭く鍛えあげられたそれを、限界まで味わいたいと、生まれながらの強者であるレミリアは傲慢にもそう思う。

 そのために、自らの両手を空けさせ、相手の得手の場所である青空の下を選んだ。おかげで、身が焼け爛れようと、構いはしない。幾ら今無茶しようともそうならないと知っている、死など怖くもなかった。

 ただ、何もかもを投げ出して遊びたい。ああ、こんな気持は久しぶりだとレミリアは思う。

 

「レミリア。私は貴女がこの異変の犯人だと疑っている。だから私は貴女を……斬る」

「ええ、どうぞ。やれるものならね。スペルカードの枚数は……まあ、制限なしでやりましょう。――――貴女が私を斬るか、それとも貴女が私の前に崩れ落ちる、その瞬間まで必死でかかってきなさい」

「くっ!」

 

 妖夢はレミリアの言葉が終わるか終わらないかの間に、空気に糸がピンと張られたような気配を受け取った。それは強い緊張の糸である。僅かにでも動けばそれに触れて、途端にレミリアは弾かれるように動いて妖夢に一撃を食らわせることだろう。

 しかし、動かなければ相手は斬るまでもなく灰になる。どうしても斬りたい妖夢にとってそれは嫌なことであった。だから彼女はレミリアの初動の邪魔をするために動くと同時に弾幕を作り出して周囲に散らばらせる。

 一瞬にて妖夢の周囲に刻まれた六芒星からは白い鱗弾が溢れに溢れ、半霊もまた青い大玉弾幕を生成していく。それは全方位に向けた牽制というよりも最早仕留めるための弾幕。地上は青と白に染まった。

 

「随分と派手な第一波ね。ケンドーには確か、返す刀とやらもあるのでしょう。さあ次はどうするのかしら」

 

 しかし、フェイントもなくその程度の密度の弾幕で吸血鬼をどうにか出来るのであれば、誰も悪魔を恐れはしない。レミリアは容易く、人外の動体視力に速さをもって、妖夢の眼前へと寄っていた。

 余裕を保つレミリア。だが、その距離は妖夢のものである。踏み込む必要すらなくただ一閃、音にも迫る速度をもってして刀は振られた。

 

「斬った!」

「空を?」

「なにっ……ぐぅっ!」

 

 だがしかし、それほど鋭く振られた剣でもレミリアには届かない。むしろ愚直で正確過ぎるその刀の軌跡は、彼女にとっては見ずとも予測できるものであり、素早く一歩下がるだけで全てを回避出来た。

 そして、その一歩が後退ではなく足に力を溜めるためのものであったから、妖夢にとってはたまらない。振り切り再び正眼に構えようとしたその瞬間を逃さず、レミリアはタックルを繰り出した。

 それは幻想郷最速と呼ばれる天狗の速度に匹敵していて、お伽話で語られる剛力の鬼に近いものを持っている吸血鬼の一撃である。常なら必殺。当然、この程度で幕切れさせてはたまらないと考えるレミリアのものであるから、本気ではない。

 しかし、それでも腹部に強烈な衝突を受けた妖夢は吹き飛び転がり、地面にキスをしてから漸く止まった。

 

「ぐ、くぅ……」

 

 そして、妖夢が立ち上がり再び構えを取ることが出来たのは、普段の稽古の賜物だろうか。額と鼻先からは血が流れ、お腹は手を突き入れられてかき回されたかのように気持ちが悪い。

 しかし、それでも負けられないと妖夢は意地を張る。それは、今回の異変を解決したいからでも、斬って知りたいからでもなく、それ以前のもの。ただ、魂魄妖夢という少女の持つ矜持がその身を奮わせるのだ。

 

「よしよし。まだ折れていないわね。それじゃあ、これはどうかしら?」

 

 だが果たして、そんなちっぽけなプライドなどで夜の帝王に敵うものであるだろうか。レミリアは、開いた距離を弾幕で埋めるかのごとく、紅い蝙蝠に整形した魔弾を大量に発していた。

 飛び立つ暇も何もなく、痛みでおぼつかない足さばきをと刀を持ってして妖夢はその場でどうにか耐える。舞う翼膜に何度身を掠めさせて傷つけられたことだろう。狙いも何もなく物量で圧すように発されるその魔弾の群れは一向に止む気配がない。

 それでも光明があるとするのならば、時間と共に腹部の鈍痛と吐き気が治まってきたということか。楼観剣を握る手も力を取り戻し、瞳もどうにか定まってレミリアを望む。

 

「なっ」

 

 そして、妖夢は視線の先に絶望を見た。それは、紅き吸血鬼の妖力に魔力を凝縮させたような力の集結。紅い力はまるで槍のような形になってレミリアの手の中で輝く。

 そのような恐ろしいものをどうするのか。まさかと思った妖夢は来る弾幕がその身を傷つけるのを構わずにその場から逃げ出す。その判断は正解だった。逆手で見せつけるように向けられたカードも無視して、妖夢は跳んだ。

 

「神槍「スピア・ザ・グングニル」!」

 

 全ては一瞬のこと。レミリアの手から投じられたその槍は、寸分の狂いもなく、直前まで妖夢の居た空間を撃ちぬいた。再び転がる妖夢。そして止まって振り返った先では土煙が高く上がり、土が溶ける嫌な臭いがした。

 妖夢は思わず身を震わせる。明らかに、コレが当たれば妖夢は死んでいた。だから立ち上がり、妖夢は直ぐに文句を口にする。

 

「レミリア! このスペルカードはスペルカードルールに想定されている弾幕の威力を明らかに逸しているわ!」

「そうね。一歩間違えれば、間違いなく貴女は死んでいたでしょうね」

「なら――」

「でも、それは斬られることと一緒じゃないかしら。私はそれを理解して受けて立った。なら、貴女も半分だけの命を張って少しは私を楽しませるのが道理じゃない?」

 

 それは戯言。レミリアに命をかける気など更々ない。ただ彼女の気が乗ったため、ついグングニルと名づけた魔槍へ必殺にまで力を篭めてしまった、その言い訳を口にしただけである。

 

「この破壊が、斬ることと、同じ?」

 

 しかし、その言葉は妖夢の芯に届いた。土が蕩けるほどの破壊痕を覗いた彼女は、死を想起させられるその恐ろしさを理解する。

 そして視線を鋭く磨かれた刀に移してそこに秘められた殺傷力を思い、レミリアが放ったものと同類の恐怖を他人に課していたということに今更気付いて狼狽した。

 妖夢には無傷で相手を斬ることが出来る術がある。しかし、人に刀を向ける、その意味を彼女は忘れていたのだった。

 

「そうだ。私はどうして斬ろうと……」

 

 理想は心技体全てが揃っていること。しかし未熟な妖夢の心は遅れてやって来る。

 どうして自分は斬って、今回の異変全てを理解しようとしていたのか。斬る必要も理解する必要もさほどないというのに。自らの行いにそんな疑問が湧いて出て、楼観剣を持つ手を震わせる。

 

 これではまるで、何かに操られていたかのようではないかと、妖夢は気づいてしまった。

 

「あら、どうしたのかしら。今の貴女、隙だらけよ」

「くっ!」

 

 しかし、そのことを考えている間はない。ぶつぶつと呟いて反撃してこない相手を不思議に思い、自分から攻撃してみたレミリアが振ってきた魔力で出来た爪を、妖夢はほとんど反射的に斬り上げる。

 鈍い手の感覚によって、妖夢は我に返った。発端が自分の意志であるか怪しいとはいえ、しかし始めてしまったことの責任はとらねばならない。

 そう、今も紅い霧のように蒸発するその身を日光に晒してまで妖夢のその身から出る武を楽しみにしている、そんな吸血鬼に対して斬るとまで言ったのだ。

 そして、向うは斬るまでの技術を欲している。ならば、全力を持って斬ってみせよう。迷いは捨てて、ただ目の前の相手に対して本気で向かうことこそ礼儀である。

 

「はぁっ!」

「ふふっ、いいわね。妖夢、今までで一番いい目をしているわよ!」

 

 青い瞳は、紅き瞳と真っ直ぐ通じて、強い意気をぶつけていく。裂帛の気合とともに振られた一閃、それは受けたレミリアを後退させる。

 そして、妖夢の剣戟は加速し始めた。次第に激しさを増す妖夢の剣によって、理もなく空を掻き切るばかりのレミリアの魔爪はボロボロにされていく。

 元より、妖夢の瞬間的な速度は吸血鬼に及ぶもの。力の差は技術で埋めればいい。地力に途方も無い違いがあっても、斬ることに関して妖夢の才は途轍もないものがある。故に、妖夢は接近戦でレミリアを押せていた。

 

 紅と銀の乱舞。傍から見れば、その軌跡があまりに美しくみえるのかもしれない。妖夢は剣術の優れた型を用いながら、相手の次を読み、それを崩してでも合わせている。

 ただ速くて力があるだけの粗雑な自分に付き合ってくれるダンスパートナーに、レミリアは熱く蕩けるような視線を向けた。返ってくるのは、当然のように冷めた鋭い視線である。

 しかし、レミリアはその視線に満足して、口を歪ませながら、魔爪を振る手を速める。もっと、もっとと、武を引き出すための舞は激しさを増していく。だが、近づかんとする紅の全ては打ち払われていた。

 むしろ、息をつく間もない攻防の中で、妖夢の斬撃が迫ること数回。しかしその尽くをレミリアは紙一重で避けていた。その紙一枚あるかないかの距離が遠い。

 

「今っ!」

「あら、危ない」

 

 次第に、レミリアの武器である爪は削られ失くなっていく。妖夢もやっと追い詰めたと思い一歩踏み出したが、間一髪レミリアは後退することでその身を守った。

 

「はぁ、はぁ……」

「ふぅ。少しひやりとしたわね。でも、面白かったわ。充分に貴女の剣を楽しめた。……それでは、終わりにしましょうか」

 

 レミリアの身体は太陽に晒されたことで全身の表皮が赤くなり、身に溢れていた妖気も大分減っている。そろそろ遊びは終わりにしないと危なくなってくる頃合いだ。

 そうでなくても、近距離戦ばかりでは全力を出したことになれずにつまらない。近中長の全距離で戦えることこそ、レミリアの長所でもある。

 

 だから、羽根を広げてその場から飛び立とうとした、その瞬間。その首が斬り落とされることをレミリアは幻視した。

 

「はぁ。そうね。これで最後にするわ」

「……なるほど、まだまだ渾身が残っているようね。受けて立つわ」

 

 それは、疲労困憊に見える妖夢から放たれた剣気によるものである。飛ぶ隙なんて逃さない。その瞬間にかける強い集中された意識が届き、レミリアに斬られる自分の姿を思い起こさせたのである。

 刀が届かない距離まで逃げられたら斬れない。それは道理だ。だから、妖夢は逃がさないと、一撃に全てをかける。

 二人は、同じタイミングでスペルカードを掲げ、宣誓した。

 

「断迷剣「迷津慈航斬」!」

 

 それは、長大な刀を常用している妖夢であるからこそ使いこなせる大技。ただでさえ長い楼観剣に霊力を纏わせて巨大な剣とし、それにて相手を一刀両断する、言葉の意味通りの必殺技である。

 持ち上げた剣先は光る柱のようで、夜の王たるレミリアを脅かすものとなった。

 

「夜王「ドラキュラクレイドル」!」

 

 対するレミリアは、剣が届く前に距離を詰めて相手を倒すことを選んだようである。

 今度の突進は先ほどの体当たりなんて生易しいものではない。レミリアが身体を捻り回転しながら突撃するその技とも言えない特攻は、削岩機のように当たる全てを破壊する。

 

「はぁっ!」

「くっ!」

 

 青い閃光と、紅の竜巻は、すれ違うことなく正面からぶつかり合う。鋭く篭められた霊力と、縦横無尽に暴れる妖力は辺りに凄まじい衝突音を響かせた。

 そんな二つの必殺技はあっという間に周囲の景色を破壊し、土煙をもうもうと上げさせる。互い以外にはぶつかり合う姿すら望めないほどの高速の衝突は、果たしてどんな結果をもたらしたのだろうか。

 

 それは、煙が晴れた先にて倒れ伏した二つの影が教えてくれる。そう、相打ちであった。しかし、そのことは一つの事実を浮かび上がらせていた。

 

「斬った、わ」

 

 剣を支えにして起き上がった妖夢は一言、そう口にして口角を上げ、そして傷だらけの彼女は再び倒れ伏す。

 反して五体満足でプスプスと、煙を上げるレミリアは、まるで動かなかった。一撃必殺。双方ともに加減はしていたが、その比べ合いは妖夢に軍配が上がったようである。

 

 

「二人共無理をして……全く、私の気も知らずに双方笑顔で倒れているのだから困ったものね」

 

 日を浴び過ぎている主と、怪我をし過ぎている知り合いの介抱をするためにその場に瞬時にして現れたメイド、咲夜は二人の様子をざっと見てから、そう言った。

 

 

 

 

 

 

「うわ、子供がうじゃうじゃいるわー。無遠慮に近寄ってくるものねー……こら、あまり女の人の服を引っ張っちゃ駄目よー」

 

 そしてその時、魔梨沙は通りかかった寺子屋の前で子どもたちに囲まれ親しまれていて。それは親御さん達が子供に遠慮させるまで続いていく。

 

 

 

 



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第二十一話

 

 

 

 宴会当日。現在日は高く、夜中に予定しているそれまでまだまだ時間はあるが、言い出しっぺの魔梨沙は真面目にござを敷いたり霊夢と一緒に食べ物の吟味をしたりして、過ごしていた。

 いよいよ増している妖気が邪魔だなあと思いつつ野菜を洗いながら、魔梨沙は台所の窓の隙間から青い空を見上げる。雲ひとつない晴天は、しかしよく利く魔梨沙の眼には宙に溢れる力で曇ってすら見えた。

 相手は大した力の持ち主なのだろうなと思うが、幾ら魔梨沙でも純粋に大きいばかりの力を真似することは難しい。何か真似できるような理がある工夫された技を見せてくれればいいが、どうにも能力に頼って生きているような手合であるような気がする。

 しかし、散々弄んでくれた相手をやっつけるためには一戦交えなければならないだろう。画策したとはいえ、それが今日であるかどうか不明なのが困ったところだが。

 何時起きるかわからない得られるものの少ないだろう戦闘に、盛り上がりたらふく呑まされるだろう今日の宴会の翌日のことを思うと、魔梨沙も多少は憂鬱になる。

 ため息を吐いてから、少しばかり能力を持って見つめすぎた魔梨沙は、疲れた眼を少しばかり閉ざした。そして、一分も経たない間を空けてから再び空を望むと、そこには三つ、いや漂う霊魂を含めて四つの点が見つけられる。

 

「うふふ。組み合わせが珍しいけれど、もう来ちゃったのねー。奥でお酒を選んでいる霊夢の代わりに迎えないと」

 

 それが、咲夜と彼女に傘を差されているレミリアと妖夢であることを認めた魔梨沙は、水を張った木桶の中に野菜を置いてから、タオルで手を拭って表へと急ぐ。途中で魅魔が居るだろう神棚にお辞儀をしてから青空のもとへと魔梨沙は出た。

 外は日差しが強く、魔梨沙はこの暑い中でわざわざ来てくれた彼女たちに何か冷たいものでもてなさないと、と考えてぼうっとナイトキャップに包まれた紫色の髪に二人の銀髪が揺れる様が詳しく見えるまで眺めていると、向うから声を掛けられる。

 

「こんにちは、魔梨沙。宴会の用意はどう?」

「三人共こんにちはー。準備は万端、とはいかないけれど着々と進んでいるわよ、レミリア」

「あら、流石にまだ終わっていないのね。それじゃあ、咲夜を霊夢の手伝いに向かわせるわ」

「助かるわー。あたしと霊夢の和食ばかりのレパートリーじゃあ限界があって。洋食が得意な咲夜が台所に入ってくれるのは勉強にもなるしありがたいものね。それじゃあ、皆暑いでしょうし、とりあえず中に入りましょう?」

「待ちなさい、魔梨沙。貴女はこの場に残ってもらうわ」

「ん?」

 

 三人も友達が来てニコニコ笑顔だった魔梨沙は、細めたその目を開くことで、笑顔のレミリアとうつむく妖夢と、傘を主に渡して失礼するわねと横を通って行く咲夜の様子に初めて疑問を持った。

 何だか、ただ気が逸って訪れたにしては妙な空気だと思い、その源泉である妖夢を注視する。よくよく見てみれば、その細身の体の至る所に手当ての後があった。鼻先に膏薬で貼ってあるのだろう布片は可愛らしくも、痛々しい。

 妖夢が怪我をして落ち込んでいるのは、神社に来る前にレミリアとでも弾幕ごっこをして遊んで負けたからかしら、と魔梨沙は想像するが、それと自分がこの蒼天の元に残されることに、因果関係が見いだせずに首を傾げる。

 

「宴会前に、魔梨沙に確かめたいことがあるのよ。いや、正確にはあるらしい、といったところね」

「何かしら。この妖気との関係を聞きたいのなら、もううんざりよー。つい昨日、本当のことを言いなさいってうるさい霊夢を弾幕ごっこで下したばかりなんだから」

「そう、らしいわよ、妖夢」

「っ!」

「何、霊夢の次は妖夢なの?」

 

 終始楽しげなレミリアに声を掛けられても、顔を上げない妖夢を魔梨沙はいぶかしむ。自分のことであるのに、あまり関係のなさそうな吸血鬼に代弁させているあたりも彼女らしくないと思う。

 しかし、それも妖夢にとっては自然なことなのだった。レミリアへの申し訳のなさから流されるままに来てしまったが、恥ずべき過去の自分がやろうとしていたことを、続けさせられるのは苦痛である。

 

 レミリアとの弾幕ごっこともいえない戦闘を終えてから、気絶から覚めた妖夢は起きて直ぐにレミリアと美鈴に対して謝った。

 アリスに関しては一応の問答があったから後悔は少なく謝罪の必要性を感じなくとも、自分の暴走を教えてくれたレミリアと殆ど問答無用に襲いかかった美鈴に対して妖夢は多分に申し訳無さを感じる。

 そう、今回異変に惹かれるかのようにそれを解決するためと刀を抜いたことを妖夢は間違いだと認識していた。

 確かに異変は解決されるべきだ。しかし、それを解決するのがどうして自分一人でなければならないのか。それに、怪しい者だからといって、斬って真実を知ろうというのはあまりに短絡的過ぎる。

 しかし、ふと思い、それに囚われた。それには、西行妖の死に誘う能力を斬るという鮮烈過ぎる成功体験が、斬って知ってしまった最悪の同化欲求が、大きく関わっている。

 刀を握ると、忘れ得ぬ斬った味と、自分の元に引きずり込みたいという強い思いが蘇るのだ。それを我慢しながら訓練のために抜刀を繰り返し、出来たのは斬って知りたいという強い思い。

 未熟な妖夢は師の教えを曲解し、西行妖の残滓に操られるかのように辻斬りじみた行為をしてしまったのだ。

 

 その全てを察して、妖夢は俯き顔をあげられないくらいに後悔してしまっている。これでは皆に、特に主に顔向け出来ないと。

 しかし、きっとそんな妖夢の異常は知っていて間違えるのもまた一興と考えていたのだろう。妖夢を笑って送り出した幽々子の、今思えば幼子を見るような表情が彼女の脳裏に鮮明に映し出された。

 

「ま、いいわ。それじゃあ、弾幕ごっこ始めましょうか。妖夢の相手をするなら接近戦も可にした方がいいかしら。その方が面白そうだわー」

 

 まあ、そんな思いなど魔梨沙が知る訳もなく、暗い妖夢を喜ばせようと相手有利の弾幕ごっこを提案する。

 

「……いいの?」

 

 そこで、初めて妖夢は魔梨沙の顔を見上げた。魔梨沙の表情は微笑み。そして、その優しい目は、主幽々子のものを思い起こさせる。思わず、次の言葉に期待した。

 

「もちろん。何かを賭けるのならやっぱりスペルカードルールで決めた方がいいだろうし、何よりピリリと締まった【真剣】勝負は楽しいものだからねー」

 

 魔梨沙は、殊更真剣を強く言って、笑みを深める。おかげで、魔梨沙の言いたいことが妖夢にも分かった。疑われているというのに、魔梨沙は自分とのやり合いを楽しみにしている。

 真剣を向けられるということを、力を向けられることに慣れている魔梨沙が気にもしていないことは問題だが、その何も考えない暢気さには、感じ入るものがあった。

 弾幕ごっこを楽しむということ。それは、戦いとも言い切れない相手との勝負の時間を無駄と斬り捨てずに、受け入れることでもあるだろう。望まれた妖夢の口元はへの字から上向きに釣り上がる。

 

「あはは……そうね。分かった。それじゃあ、始めましょうか。この真剣をもって私は魔梨沙、貴女を斬る!」

「物騒ねー」

 

 

「ふぅ。これでやっと戦いが見られるわ」

 

 笑顔で向き合った二人を見て、レミリアは自分の為すべきことは成したと、日差しを避けるかのように軒下に行き、縁側に腰掛けて観戦の姿勢に入った。

 

 

 

 

 

 

 相対するは長大な刀を構える妖夢と、箒も星の杖も持たずに徒手空拳を遊ばせている魔梨沙。妖夢はともかく魔梨沙の姿はまるで、ぼうっと立って誰かを待っているだけの様。

 ふわりと風で揺れる紫色のケープを乗せたワンピースといい、魔梨沙は戦いに向いているような風ではないが、実際問題大した実力者であることを妖夢は知っている。しかし、身構えもしないその不真面目さを、妖夢は見咎めずにはいられなかった。

 

「む、何故構えないの、魔梨沙」

「別に武道を嗜んでいるわけではないから決まった構えなんてないのよねー。えっと、こうかしら?」

「それは剣を持った場合の、それも私の構えじゃない」

 

 魔梨沙が注意されて行ったのは、鏡写しのように正確に、妖夢を模した構えをとること。

 隙のある表面的なものではあるが、自分の構えをこうまで上手に真似られることに、妖夢は内心驚いていた。だが流石に戦闘の前に表情に表すような愚をおかしはしない。

 

「そう。なら、これが一番かしら」

「……美鈴の構えね」

 

 しかし、流石の妖夢もさっと手の位置を変えた魔梨沙の姿を見ればため息一つくらいつきたくなるもの。何とか我慢はしたが、それほどまでに魔梨沙が軽々と模した美鈴の戦闘の構えの完成度は高いものだった。

 美鈴の年月を感じる巌ほどの代物ではないが、その姿からは充分な堅牢さを感じさせられる。物真似が得意、と聞いてはいたが、まさかここまでとは妖夢も思っていなかった。

 だが、このくらいならば美鈴の時と違って、自分が斬り込む隙が有りそうだ。少しずつ、ジリジリと近寄っていくと、笑んでいる魔梨沙の姿が克明に見える。その肉体を強化している膨大な魔力も。

 

「うふふ。真正面から戦うばかりだと負けちゃいそうね。手数を増やすわー」

「それは、何時か見た魔梨沙の武器……でも何時もより多い?」

「これは、天儀「オーレリーズソーラーシステム」。遅れたけれどこれがスペルカードよー。そういえば決めるのを忘れていたけれど、あたしはこれ一枚だけで勝負するわ」

 

 魔梨沙はまるで魔法のように、帽子から入り口よりも大きな六つの球体を取り出し自分の周囲に浮かべ、さっとカードを見せてから、宣誓する。

 赤、青、緑、黄、紫、橙の美しく丸く研磨された宝石のようなそのビットは、魔梨沙を中心として名前の通り太陽系を示すかのごとく、その周囲を廻っていく。

 見惚れるような美しさはあるが、威圧感も何もないそれに、妖夢は脅威を感じない。しかし、質量がそれなりにありそうな上にそこから弾幕が放たれることを思うと厄介であるとは思う。これを掻い潜りながら、魔梨沙を斬るというのは難しそうだ。

 

「さて、妖夢貴女は死を斬れても――――星は斬れるかしら?」

「くっ!」

 

 そう考え警戒している内に、ある日に想像された太陽系は周囲に光をまき散らした。レーザーのような光線を、慌てて妖夢は避ける。

 それだけでなく、素早く体勢を立て直した妖夢は自分に向かう六条の光をグレイズしながら、突貫した。しかし、魔梨沙は少しも慌てずにその真っ直ぐな接近を受け入れて笑む。

 

「いらっしゃい」

「斬……れ、ない?」

 

 まずは一つと、丸くて硬いだけだろうと思ったビットを妖夢は斬ろうと試みたが、目測と違いそれは静かに自転していたがために刀剣の流れはするりと僅かに流されて、断つ寸でのところで斬ることが出来ずに宝玉の中に刀は嵌ってしまった。

 予想外のこと。それに驚かないでいられるほど妖夢は完熟してはいない。更には僅かに出来た間隙、それを逃すほど魔梨沙は暢気ではなかった。

 

「魔弾で歓迎するわ。ここまで近くから出る弾幕、避けられる?」

「うわっ!」

 

 そして、妖夢の眼前で紫の星が輝く。目の前でビットに魔梨沙の手から溢れだしたのは、外に向いた沢山の昼間に眩しい流れ星。

 多量で至近距離から来る弾幕を、妖夢が完全に避けることなど叶わない。顔と腕の周囲に当たるものだけをなんとか動かした刀で斬り払うことは出来たが、それ以外の部分には大いに当たり、妖夢の体勢は崩れる。

 腕は下がり、紫色が破裂して押された体は開く。もう、誰にも分かる隙が出来ていた。妖夢は自分の敗北を理解する。

 

「いくわよー、総攻撃!」

「くっ……ぐぅ」

 

 そして魔梨沙の指示通り、六つの宝玉の内、当たる寸前に斬り裂かれた青色以外の五つは妖夢に向い、その硬い円形の全体を強かに打ち付けることに成功した。

 手加減はされていたが、それでも先日から残ったものを含めたダメージは大きく、妖夢は気絶する。耐え切れずに仰向けに倒れ込みそうになったその身体を魔梨沙は受け止め、その軽さに仰天した。

 

「うわ、妖夢ったらちゃんと食べているのかしら。きっと刀を除いたら霊夢より軽いわー。ひょっとしたら食べるものの半分も半霊に取られちゃっているのかもしれないわね」

「決してその剣戟は軽くはないものなのにね。不思議だわ。それにしても魔梨沙、貴女は私を斬った剣士相手に随分と楽に勝ったものね」

「え? レミリアったら、妖夢に負けたの?」

 

 喋り、魔梨沙から妖夢を受け取るために歩みながら近寄るレミリアは、魔梨沙の質問によって渋面を作らせられる。

 あの楽しかった勝負は、痛み分けで終り、決して負けたわけではない。そう言いたかったが、しかし一度身体を通ったあの刀の冷たさを思い起こせば、そんな反発は虚しく萎む。

 

「……相打ち、だったけれども内容としては負けていたわね」

「妖夢強いわねー。あたしだって妖夢にあたし自身を狙われていたら危なかったわよ。でもあたしは魔法使いだし、基本的には自分が前に出ないで戦うからレミリアには楽勝に見えたのかもしれないわ」

「構えはフェイク、と。最初から本命はあのビットだったのね」

「流石に付け焼き刃の実力で妖夢相手に素手で勝てると思うほど馬鹿じゃないわー」

 

 格闘で負けっぱなしの魔梨沙には自信がなく、迷わずそう口にしたが、しかし実際には枷有りの美鈴とであってもそれなりにやりあえるという時点でその実力には確かなものがあった。

 だから、妖夢も中々に鍛えあげられたその拳法の実力を主とした敵と戦うことになると勘違いしたが、実際魔梨沙は言われたから構えただけで、端から拳で剣の相手をするという無謀を考えたことはない。

 レミリアも、そんな両者の狙いの食い違いを思えば考えていたよりもあっさりと魔梨沙が妖夢を下したことはおかしくないと思えた。だが、少し消化不足である。

 

「はぁ。まあ、呆気無く終ってしまったのは相性の問題かしらね。まだ、本命が残っていることだし、これでいいということにしておくわ」

「本命?」

 

 その妖夢の軽い身を揺らぎもせず確りと受け取ったレミリアは、半霊を引き連れながら、そう呟く。

 そう、レミリアはこれより続く運命から逆算して今日幻想郷を覆うほどの妖気を持った何者かが魔梨沙の運命に関わることを判じている。

 酒で釣れるかしらと考えていたとはいえ、まさか本当にこれから宴会といった頃合いに再び戦うことになる運命とは思わずに魔梨沙は首を傾げ、そうしてから自分が妖夢の介抱をしようとレミリアの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 太陽が傾ぎに傾ぎ、地平に落ち込もうとしている時間。博麗神社は黄昏時の橙色に覆われていた。

 逢魔が時の、全ての輪郭が闇に溶けるようになっていくその時刻に好んで、宴会に訪れる妖怪たちはやって来る。忙しなく、幹事をしている魔梨沙は来た人数を確認しながら場の準備をしつつ、調理場へと妖夢を遣いに走らせた。

 妖夢が頭にたんこぶを付けて走り回っているのは、魔梨沙が尋ねた怪我と単身挑んできた理由を、斬って知ろうと思ったからと馬鹿正直に話したからである。

 反省していることを加味しても、そんな物騒なことをすれば自分も危険になるのだからということを教えるために魔梨沙は小突いてから小間使いにして後悔を身にしみさせることを選んだのだった。

 

「あらー。妖夢を魔梨沙に取られちゃったわー」

「ゆ、幽々子様!」

 

 そんな新たな主従関係を見た、本来の主は眼を丸くして声を上げる。そして、釈明しようと近づく妖夢の裾を掴んで魔梨沙は邪魔をした。

 

「今日ばかりは自分の主だからって付いて行っちゃダメよ、妖夢ー。貴女には罰として私を補佐する仕事があるんだもの」

「分かっているわよ……そういうことで、申し訳ありません、幽々子様。先日から暇を頂いていましたが、今日もお世話をすることは出来そうにありません」

「私は別に構わないわよー。今回のことは妖夢にとってもいい勉強になっただろうし、妖夢のいない間に趣味になったばかりのお料理の腕も上げることも出来たし、ここ数日間はむしろ実りのあるものだったわ」

「後でまた一緒に料理をしたいわねー。それで、持ってきてくれた、とっておきのお酒はそれ?」

 

 桜柄の風呂敷に入って幽々子の手に下げられていたその瓶らしきものを魔梨沙は視線でさす。

 今日は、魔梨沙が前回の宴会の終りに言った言葉を皆覚えていたようで、それぞれとっておきのお酒を持ってやって来ていた。幽々子もその例に漏れず何か自慢のものを選んできたようである。

 

「これは紫から貰って冥界で熟成させたお酒よー。結構な間放っておいたものだけれど、まあ保存状態も悪くなかったし、不味くなってはないと思うわー」

「そう。妖夢、これは他のお酒と混ざらないように紙に書いたりして置いておいて。幽々子も、宴会場にはもうレミリアが場所を取っているけどできたら一緒にゆっくりしていってね」

「それじゃあ、置いて来るわね」

「妹さんは来ていないのかしら? まあてきとうに時間まで遊んでいるわー」

「よーし、次の参加者は誰かしら」

 

 幽雅に、幾匹かの幽霊を従わせながら歩いて行く幽々子と大きい半霊一匹引き連れてパタパタ走って行く妖夢を見送ってから、魔梨沙はまた分厚い帳面へと向き直った。

 今日は集まりが悪い方である。魔梨沙にかけられた以外はそれほど強くない萃(あつ)める能力による誘導よりも、私事等の用事が優先されたのだろう。

 何度も宴会を盛り上げてくれたプリズムリバー三姉妹の姿もライブのためになければ、後からパチュリーは美鈴と来るらしいがフランドールは姉の今日は止めておきなさいの一声でお留守番。

 時折来てはビクビクしながらお酒を舐めていた凶兆の黒猫橙の姿もまた目聡い魔梨沙であっても認められなかった。

 

「声を掛けた子達は大体もう来たし、今回は何時もと違う、飛び入り参加してくるような子に期待するしかないかー」

「あら。どうも期待をされているみたいね」

「紫も参加、と。藍は来ないの?」

「ええ。【次の機会】ではどうだか分からないけれど、今回はお留守番ね」

 

 突如として眼の前に開かれた妖しいスキマから現れた妖怪に対しての驚きも僅かにもなく、魔梨沙は冷静に帳面へと八雲紫の名前を書き連ねる。そして、意味深に発された次の機会という言葉に対しては少しばかり眉根を寄せた。

 だが、次回が来るまでにそんな一言が気にならないくらいに強くなっていればいいかと、その疑問を魔梨沙は流す。

 

「ふーん。でも、今まで来なかったのにどうして今日は呼ばれずとも来たの?」

「大方居場所を突き止められなかったのでしょうけれど、誘いなくては私もお邪魔する気にならなかった。でも、今日は特別に宴会へ参加したいと思ったのよ。ほら、とっておきの外の世界の吟醸酒よ。今回の趣旨にはあったものでしょう?」

「うわー、充分よ。どうして今日だとかどうしてとっておきを持ってくるよう言ったのを知っているのかとかも、どうでもいいわね。覚えている限り、外の世界の酒蔵のものは呑んだことはないわ。楽しみねー」

「喜んでくれて何より。でも、これからもっと喜ばしいことが起きるはずよ」

「それって。あら、あれは霊夢と……」

 

 スキマから取り出された綺麗にラッピングされた瓶を片手に、何だかんだ酒好きな魔梨沙は喜んでいると、ざわめきが耳に届いた。

 その方を向けば、そこには巫女らしき影と魔女のような幽霊のようなあやふやな形の影が見受けられる。後者の姿を認めた瞬間、魔梨沙のテンションは上がり、心は大いに弾む。

 

「やったー! 魅魔様も来てくれたの!」

「まあ、そろそろ愛弟子が根比べに負けるかもしれないと思ってね。なんだ、紫も来たのかい?」

「そろそろ貴女の堪忍袋の緒が切れるのではないかと思ってね」

「流石に察しがいいわ。そろそろお遊びに付き合わされている愛弟子が可愛そうだからね。ちょっとこの無法者には痛い目にあって貰うとするわ」

「過保護ねえ。いや、弟子を鬼の前に差し出すというのは、スパルタかしら」

「私の弟子が、鬼退治くらい出来ないわけがないわ」

「だそうよ、萃香。大した親ばかと思わない?」

「スイカ?」

 

 魅魔もそうであるが、訳知り顔の紫は宙空に向って声をかける。交わされた会話からそれは何者かの名前であるだろうと理解していたが、魔梨沙は言葉の響きからウリ科の果実を思い浮かべて、首を捻った。

 魔梨沙は変な名前だなあと、【魔】という文字が付いた珍しい自分の名を忘れてそんな感想を持つ。そして、そういえば宴会の面子も変わった名前ばかりねと思いながら、ゆっくりと近寄ってくる【一番に慣れ親しんだ】少女の名を口にする。

 

「霊夢、どうしたの?」

「魔梨沙。どうしたもこうしたもないわ。神社に不審者が隠れていたのだから、捕まえに来たのよ」

「あら。魅魔も今回の宴会に参加したくて現れたらしいわよ」

「魅魔が唐突に神棚から出てきたから追ってきたけれど紫まで……まあ、あんたは立派なのを持ってきたようだからいいか。けれど、参加するにしても魅魔は手ぶらじゃないの。今日は酒を持ってこないと駄目な筈よ」

「今日はお酒が必要なのかい? なら……ほら」

 

 その参加を嫌がって眉をひそめる霊夢に対して、魅魔は片手を広げ、その掌からにポンと音を立てて奇術のように煙を出してから酒瓶を取り出した。

 

「むっ」

「これで、今日の酒宴に参加する資格はあるかしら」

 

 そうして、ちょいと摘んで一升瓶を差し出す魅魔。霊夢は受け取った酒の様子を確かめてから、一言。

 

「随分といい酒ね……どこから持ち出してきたのよ」

「人里に居る私の信者から頂いてきたのよ。これはそいつのとっておきの酒、らしいわ」

「相変わらずろくなことをしない悪霊ね……でも、持ってきたのなら文句をいえないか」

 

 魅魔に酒を揺すられ涙目になったり、隠していた酒が失くなり顔を青くしたりしている人里の人間の姿を思い浮かべながら、しかし酒を持ってくればいいという旨の自分の前言を撤回することは出来ない霊夢は、唇を噛みながら魅魔を見送る。

 しかし、当の魅魔はそんな霊夢の心地なんてどこ吹く風といった様子。久しぶりに会う愛弟子を撫でて可愛がってから、恥ずかしがる魔梨沙を他所に、紫と向き合い言葉を交わす。

 

「それじゃあ私は魔法であいつを萃めるから、魔梨沙と二人で暴れても大丈夫そうな空間を見繕っておいてくれないかい?」

「随分と無茶なことを言うわねえ。でも――まあ、友人の珍しい頼みごとですもの、出来るだけ叶えて差し上げますわ」

「助かるわ」

「はい、これもお願い。萃める……ひょっとして、魅魔様はこの幻想郷中に広がった妖怪をどうにかできるの?」

 

 魔梨沙はやって来た妖夢に二本のお酒を任せながら、魅魔の実力ではなく行うその方法に疑問を持つ。或いは自分でも出来ることを間抜けにも思い浮かべることが出来なかったのかもしれないと、そう考えて。

 

「なあに、簡単なことよ。確か魔梨沙にも教えていたわよね。これからやるのはゴミ集めに使う、ただの集塵魔法よ。それを私が本気でやれば……」

「わぷっ」

「きゃっ、なによこれ!」

 

 しかし、それは間違いである。力が強いばかりの魔梨沙と違い、魅魔は魔法に深く通じている。

 故に、魔力でマーキングしたものに相似したものを萃めるというそれだけの魔法が、魅魔の手腕によれば能力によって幻想郷中の宙に散らばり疎らになった鬼を集める数少ない方法にまで高められてしまう。

 魅魔がどこからか取り出し掲げた、三日月を模したような杖を中心として引かれるような力が働き、魔梨沙や霊夢達のスカートがめくり上げられたりしたが、そんな副次的作用よりも大きく結果は現れた。

 

「……ほら、一丁上がり」

「あれ、ちっちゃい? それに……」

 

 そう、杖の先から徐々に形を成して現れたのは二本の角を携えた、しかし小さな少女の妖怪。魔梨沙はその妖怪に纏わりついている驚くべき濃密な妖気よりも、しかし少女の両手に付いている枷と鎖から目をそらすことが出来なくなる。

 だが、戒めをされたままの少女はそんな視線に興味はないのか、形を成したと思えば宙から落ち、どすんと尻もちをついてから、自分を呼び出した者を見た。

 

「何なのさ、魅魔ー。折角良さそうな酒が萃まっているみたいだからこっそりと味見をしてみようかと思ったのに」

「餌に釣られて大分こっちに寄って来ているのは分っていたから、萃め易かったわよ。さあ、鬼退治と洒落込もうかしら」

「えー。魅魔に、紫まで居るじゃないの。流石にこれじゃあ分が悪いなあ」

「何勘違いしているのよ。鬼退治は人の領分。そこにいる私の弟子が相手をするわ」

「ふうん?」

 

 そこで、妖怪少女、いやその正体は不羈奔放の鬼、小さな百鬼夜行、伊吹萃香は魅魔の白い指先を頼りに初めて自分を【同類】を見るような眼で見ている人物を眼に入れる。

 そうして、萃香はその自分持つ妖力にそっくりな魔力を湛えた紫色の魔法使いの全容を認めて、口元を歪めた。

 

「なるほど、元鬼子が鬼退治をするというのは面白い。こういうのは吉備津彦のお伽話を思い出すね」

 

 たしか桃太郎、といったかな、と呟いてから、こき使うのに欠片も罪悪感も持たなかった、成り損ないの少女と同じように【同類】を認めたような視線を交わした。

 

「それでは、二人共行ってらっしゃい」

「わあ」

「わー」

 

 ただ、視線が通じたのも少しだけ。問答無用に足元に空けられたスキマによって、二人共々足を取られて落ちていった。

 

 

 

 



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第二十二話

 

 

 日は地平に沈みかけ、地は紅の力ない陽光に溢れている、そんな時間になって斜光よりなお紅の洋館からふわりと出かける影が二つ。

 その内の一人、地下にて書を嗜むばかりいたためか、最近動かない大図書館という嬉しくもない二つ名を頂戴してしまったパチュリー・ノーレッジにはこんな弱い光彩であっても眩しいかのように目を細めて遠くを望む。

 いや、隣に控える従者紅美鈴は、実際は光で目が痛いという訳ではないと気がついている。

 何しろパチュリーの鋭く向けられた視線の先は、どこか古臭い妖気が幻想郷を覆いかねないほど発生している中心であり、これから酒宴に向かう予定の場所である博麗神社であったのだから。

 

「また今日は一段と妖気が濃いわね……そろそろ鬱陶しくなってきたわ」

「どうしますか? いっそのこと、魔梨沙達に任せずに私達でこの妙な妖怪退治をしてしまいます?」

「半霊の剣士に負けた貴女に背中を任せるというのは不安だし面倒だけれど、確かに幾つか方策はあるから、そうしてみるのも悪くはないわね」

 

 考えこむパチュリーを困ったような笑顔で見詰める美鈴。自分はもう気にしてはいないのだが、それでも得意を駆使した門番が負けたということは彼女にとっては大きなマイナスであったようであり、以前よりも多少扱いが悪くなったことを感じていた。

 しかし、机上に論理を積み重ねることで、確かな実力と自信を持った魔女のことを美鈴は嫌っていなく、むしろこの少し捻くれた少女のことを好いてすらいる。

 パチュリーなりの叱咤激励を受けて、もっと精進しなければと思いつつ、彼女が自分の言を受けて事を起こすのであれば、この小さな背中を命がけで守らなければと考えていた。

 だがしかし、そんな決意も無駄であったようで、暇をつぶす用にと持って来た魔導書に目を落としたパチュリーの表情はのんびりとしたものに戻っている。

 

「まあ、レミィがああ言うからには、今日は私が何をしなくともこの異変は終わるのでしょう。私達の出る幕はないわね」

「そうですか……ただ、フランお嬢様にお留守番を任せることになってしまったのは残念です」

「仕方がないわよ。今回の相手は少し大きすぎる。縮こまるか狂喜するかどうかは分からないけれど、まだ安定しているとは言い難いフランドールを、下手をしたらレミィよりも強い妖怪にいきなり会わせていい結果が得られるとは限らない」

「ですねえ。大海の水は少しばかり塩辛い。まだ、井の外が広いということを知るのは早過ぎるかもしれませんね」

 

 紅と紫の長く美しい後ろ髪を引かれながらも、止まることなく空を往く。元より速度を出すことが苦手な美鈴と、出来るなら常にゆっくりしたいパチュリーの、空を飛ぶスピードは苦もなく合った。

 慌てることなく神社へと向かう二つの影は次第に暗くなる。地平に沈んだ太陽の代わりに、天に満月がその様を強く見せようとするそんな時刻になってきていた。

 そんな中で、向かう神社で大きな魔法の発動を感じたパチュリーは、何事かとその中心に目を向け、そしてその魔法が及ぼし始めた影響を敏感に感じ取った美鈴は周囲に目を配らした。

 

「急に、妖気が晴れて来ましたね」

「……驚いたわ。私の考えた中で一番非効率的で成功率の低いやり方をわざわざ選ぶ者がいるなんて。それも……強引すぎるけれど、こんなにも見事に」

 

 あっけにとられたパチュリーは、能力を用いて疎になろうとしているモノを無理矢理に力業で萃めてしまった、その下手人に興味を持つ。

 魔法を使ったのが、基となる魔力で判断するに魔梨沙でないことは確かであるが、それでもどこかやり方に似た部分を感じ、そうして察する。

 

「魅魔、とやらの仕業かしら」

「よく魔梨沙が自慢していた亡霊の仕業ですか?」

「恐らくは、ね」

 

 一度は気にした魔梨沙の師匠。その姿を過小に空想したことはない。だが、流石に優れた魔法使いの様を思うにも限度というものがあった。

 単純な術式で起した成果に必要な莫大な力を想像すると、魅魔の魔力は自分どころか種族として非常に高いものを持つレミリアよりも強いとすら考えられる。

 美鈴がフランドールをたとえた井の中の蛙ではないが、自分や魔梨沙が星だとするとあれは月ではないかと、予想の遥か上を行くその力を見せつけられたパチュリーは、そっとため息を付いた。

 

「はぁ。なるほど力を欲する魔梨沙が師事を願うだけはあるのね」

 

 しかし、眩いほどの力を持っているからこそ普段は魔梨沙に対して身を引いているような部分があるのだろうとパチュリーは推理する。

 魔梨沙はアレに届きたいと思っているに違いない。だが、何も考えずに人が月を目指せば、届かず墜ちるのが当たり前。そう、それくらい魅魔の力は天の上を行っている。

 レミリアに願われたパチュリーが考え悩み、咲夜が部品を取り揃えても、月に届く乗り物は未だできていない。同じように、魅魔を目指して登る道は果てしなく険しいもの。それこそ、その位置にたどり着くというのは人間の独力では不可能だ。

 だから、魅魔は近くにいるだけで、魔梨沙が死ぬまで彼女の力を求める心を刺激し続けることになるだろう。魔梨沙に種族魔法使いになろうという気がなければ、心かき乱すその姿は人間には限りある大切な日常の邪魔とすらなる。

 故に、普段は隠れているのではないかと、パチュリーは大体合っている推察を終えた。

 

「私は彼女に学びたいとは思わないけれど、思っていたよりも弟子思いの師みたいね」

「そうですか。魔梨沙の拳法の師父を自称している私としては、一度くらいは杯を交わしてみたいと思っていたので、今回は機会としては丁度よさそうですね」

「そうかしら。話の中心となる人物がその場になければ、盛り上がりに欠けてしまうのではない?」

「あれ、さっきまで居た魔梨沙が……居ないですね」

「流石に目がいいわね。これだけ距離があると私では空間に手が加えられたことを感ぜられただけだったわ。今日も、あいつは無茶をするのね。今回は否応なしに、みたいだけれど」

 

 博麗神社までは未だ遠い道中にて、しかし魔女と門番はその場で目的地にて魔梨沙が噂に名高い境界の妖怪に何かされたことを理解する。

 そして、パチュリーは、大亡霊によって萃められて、大妖怪によって魔梨沙と共に隔離された何者かの末路を思い、口を歪めた。

 パチュリーの脳裏には戦いボロボロになった魔梨沙の姿があろうとも、負けて悔しがる姿はない。しばらく自分たちを悩ませてくれた謎の妖怪なんて、魔梨沙にやられてしまえばいのだと、そう考える。

 

「帰ってくるのが楽しみね」

「あはは……どう、なるのでしょうかね」

 

 隣の美鈴はそんな考えを察し苦笑いしながらも、少しだけ魔梨沙のことを心配していた。

 

 

 

 

 

 

 スキマから落ちた魔梨沙は両足で神社が映った奇妙な地面に降り立って、萃香は酔気にかまけて受け身もとらずに尻から地に落ち僅かに身体を弾ませる。

 瓢箪を片手にお尻をペタンと地面に付けたその様子は、その身の幼さを際立たせるが、けっこうな落下の衝撃も意に介さずその場に座する姿は異様でもあった。

 魔梨沙の赤い瞳に映った相手の姿の特徴的な部分は、頭に生える大きな角二つに、両手の枷にそこから伸びる鎖。そして、全体的に思っていたよりも小さな存在であったが、その身に溢れる妖気は想像以上のものである。

 未だに魔梨沙は幻想郷の常識に染まりきっていなく魅魔に紫が喋っていた話から考えても、なるほどこれはアレだと、軽々とその種族名を口にした。

 

「貴女は、吸血鬼とかじゃなくて、純粋な鬼ねー」

「おー。人間の中にも私達を覚えてくれていたのも居るんだねえ」

「えー。だって、鬼って英雄に退治されるものだってお伽話の中では有名よ?」

「うん? ……なーんだ、がっかりだよ。アンタが特別なだけか」

 

 ぱんぱんと、土埃を追い出すために衣服を叩き立ち上がりながら、渋い面をして萃香は魔梨沙に落胆の色を見せつける。

 そう、幻想郷では最早鬼という存在は忘れ去られた種族である。限られた誰彼の知識や形骸化した儀式には残っているが、まさかそれが幻想郷の地に再び現れると土着の人間は誰も思いもしていなかった。

 しかし、魔梨沙は別である。幻想郷で得た魔梨沙の知識にも、鬼は大結界騒動が起きた頃から姿を消しているというものがあったが、彼女には前世で得ていた絵本での知識があったために、まあふらりと現れることもあるのではないかとも考えていた。

 そんな特別性を、萃香は確かに見抜いている。

 

「鬼は外、しなくちゃねー。あ、でも本当にあんなお外に出しちゃったら可哀想かな」

「あんたは珍しい、外の世界の人間だったか。いやあ、ただの人間ではないことは分かっていたけれどねえ」

「あたしは魔法が使えるだけのただの人よ?」

「なに。勘だけどあんたも私と同じ、誕生を祝福されなかったクチだろう? 最初から優れていたか、劣っていたかどうかまでは分からないが、生まれたことから間違っていて、そうして捻くれて、鬼になる……あんたはその手前で踏み出さず残った人間だね」

「生まれたことが、間違い……」

 

 魔梨沙が思い出すのは、無力でただ殴られるだけだった自分。痛みに我を忘れるその際に、何度どうして幸せな記憶を持って生まれてきてしまったのかと、これさえ無ければ絶望すらせずに暴力に順応できたのにと、何度思ったことか。

 そして落ち着いてから、魅魔に魂が二つくっついていると言われて、まともに転生せず憑依するような形となった自分のせいで、幸せになったかもしれない赤ん坊の道を外させてしまったのではないかと苦悩した。

 あの時の鎖は切れて、ここにはない。しかし、心の中には残って、今もじゃりじゃりと音を立てている。その響きが、魔梨沙の口調を落ち込ませた。

 

「ああ――――あたしがぶたれたのは、あいつに似ていると愚痴を零す父親に年齢不相応な言葉を向けてからだった。髪を引っ張られるようになったのは、知らないはずの言葉で父親を罵ってからだったかもしれない」

「鬼子、とはいえ全部が全部鬼になるとは限らないが……よくそれで鬼にもならずに人間でいられたもんだ。人は世を恨んで鬼ともなる。しかしあんたは【異常に】理性が強かったのかね。魔の者にはなったが、鬼にはならなかった」

「恨みで変わってしまっても妖怪にはならず、人のままで力を、それも鬼と紙一重の近さの魔力を得たあたしが魔道に踏み出したのは、当たり前かー」

「鬼の魔力は純粋で変化に富んでいる。それこそ、代償を払えば大概の願いを叶えてしまうくらいね。まあ、違うんだからそこまで上手く行かなくとも魔法使いというのはあんたの天職だったろうね」

 

 最後に魔力を沢山篭めればちょっと使うには便利な道具の出来上がり、となるからってそういうのが得意な仲間が色々と面白いものを作っていたこともあったなあ、と萃香は紫の瓢箪から酒を一口飲んでからそう回顧する。

 ギリギリ人として残った魔梨沙を見て親近感が湧くのは、力の波動が限りなく鬼に近いためにそんな過去の仲間を思い出すからだろうか。

 自分の代わりに酒宴を開かせる役割を任せて困らせたのは、地の下に残してきた仲間を振り回している時と同じような感じがして、中々楽しかったなあと萃香は思う。

 

 少々口が軽くなるくらいに、親しげな鬼の姿を見て、魔梨沙は復讐心を鈍らせる。だが、それでも残った胸の奥のムカつきとか苛まれた頭痛の思い出とかが、魔梨沙に一歩を踏み出す力を与えた。

 

「でも、妖怪の貴女と違って、あたしは人の側。だから、これからするのは、妖怪退治。それも、酔っぱらいの鬼退治よー!」

「あんたに出来るかねえ? 私には中途半端な力を振るっている未熟者にしか見えないが、まあそれでも人として見たらかなりのものとは思うさ」

 

 言葉の途中にふわりと身体を浮かせたかと思うと、萃香はそのまま空高くに飛んで行く。そして、魔梨沙から見て天蓋近くに辿り着いたかと思うと、そこまで昇っていた満月に【触れる】。

 

「でも、それだけの力じゃあ鬼には足りない。さあ、哀れな鬼子よ、鬼に敗れて再び己が無力を思い知るがいい!」

 

 そして、萃香はいとも容易く天蓋に映る月を叩き割った。まるで、その程度に憧れるものなど大したものではないといわんばかりに。

 粉々に砕けた月からは、光が溢れて落ちていく。魔梨沙は光のシャワーを浴びながら、しかし無法な力を持つ者を恐れることなく、むしろ笑んで喜ぶ。

 

「うふふ。悪いことした子をたしなめるのに、力らはそんなに要らないわー」

 

 弾幕ごっこ出来るくらいの力があれば、それで相手を屈服させられるのだからと口にしながら、その瞳に力への憧憬を隠すことない魔梨沙は余裕を崩さなかった。

 

 

 

 

 

 

「中々やるねえ。私が幾ら初心者とはいえ、あんたらがやっていた殴り合い込みの弾幕ごっこでなら圧倒できると思っていたんだけれど、こりゃあとんだ計算外だ」

「当たると危険なちょっとLunaticな弾幕とはいえ、飛んでくる岩くらい避けられなければ話にならないわー」

「近寄ってちょくちょく拳をくらわせようとしても、ちっとも当たらないねえ」

「一発でも当たれば殆ど終わりの威力だもの。もう少し常識的に弱めてほしいわー」

「最大限手加減してこれさ、っと」

 

 しばらく魔梨沙が近寄ってくる萃香の一撃必殺な攻撃を避けながら星の杖から弾幕を放っていると、全く当たらないことにしびれを切らしたのか、萃香は何処で手に入れたのかスペルカードらしきものを取り出し、符の壱「投擲の天岩戸 -Lunatic-」と宣言をする。

 宙に浮かぶ萃香の片手に能力で萃まってくる岩の数々は、黒々と集いに集い、大質量となってから投じられた。正しく鬼の豪腕に拠るもので、避けたその後ろで地面が砕け抉れる音が何度も響く。

 こんなもの、当たればひとたまりもなく、本当にスペルカードルールを理解しているのか魔梨沙も疑問に思ったが、まあ弾幕の体をなしてはいるために受けて立つことに問題はない。

 問題はその後。投じた後に避けた際の隙を狙って近寄って来て、至近で振り回される拳のなんと危険なことか。

 幾ら美鈴に手ほどきを受けたといっても、魔梨沙では唸りを上げるその細腕に篭められた圧倒的な力を手で受けたり逸らせたりすることは出来ない。

 傍から見れば魔梨沙が悠々と全ての攻撃を避けているように思えるが、しかしそれは全ての攻撃が必殺に過ぎていて一撃で天秤が傾いてしまうから、渋々そうしているに過ぎなかった。

 何しろ、威力が高い筈の魔梨沙の弾幕を受けながらも殆ど意に介さずに、近寄ってくる化け物相手だ。これなら遠慮する必要はないかと、魔梨沙はその顎先を箒の柄を使ってかち上げた。

 

「ぐぇ。やるなあ。こんな技じゃ駄目だ」

 

 急所をやられて流石に堪えたのか、萃香は示していたスペルカードをくしゃりと握りつぶした。そして、懐から二枚目を取り出す。

 

「符の弐「坤軸の大鬼 -Lunatic-」。へへへ。これは面白いスペルカードだぞー」

「へぇ。どんなのかしら。あたしの上まで飛んできて……うわ、でっかくなっちゃった!」

「ほら、どーん……って外れちゃったかー」

「確かに珍しいやり方だけれど、直線的なのは変わらないから、ちょっと当たってあげることは出来ないわー」

 

 今度のスペルカードは、どう見積もっても子供程度の身長でしかない萃香が巨大化して天を支えるほどの大鬼という名に相応しいくらいになって、そうして空から飛び降りてくるというもの。

 その密と疎を操る程度の能力によって、巨体の実体はスカスカの身体であり当たっても大した被害はないだろうが、それでもインパクトは抜群である。流石の魔梨沙も驚き慌てて、その攻撃範囲外に避けた。

 

「びっくりしたけど、これには設置技が有効ねー」

「あいたっ! 随分と、ふざけてくれるじゃないかー」

 

 しかし、自身を弾幕に見立てて空から真っ直ぐに降ってくるばかりのこのスペルカードは、萃香の意に反してどうにも見掛け倒し的な部分が否めずに、慣れた魔梨沙は落ちてくるその位置に合わせて丸いビットを置いて転ばせるような真似まで始め出す。

 なめられているということに気付いた萃香はムッとし、今回のスペルカードはお気に入りなのかキチンと仕舞ってから、新しいスペルカードを取り出した。

 

「えーい、難しいのはここからだよ。符の参「追儺返しブラックホール -Lunatic-」!」

「えっ、ブラックホール知ってるの……ってうわあ!」

 

 疑問を解決するより先に、相手から何やら投じられた、それを避けるのは当たり前のことである。しかし、避けた力の固まりが後ろで炸裂して、ブラックホールのように成り強い引力を発揮させるとは魔梨沙も思わなかった。

 膝を落とし、つま先で地を噛むようにして耐えねば後方に吹き飛ばされそうである。実際に、抑えきれず吹き飛ばされた魔女帽子は引きこまれたその他の瓦礫の中に巻き込まれてグチャグチャになっていた。

 まるで手に掴まれているかのように髪が後ろに流されているそんな中でも、魔梨沙は必死に引力に寄せられて来る石や岩等を見事な体捌きで避けている。

 しかし、不自由な動きの中では躱すのに難く、グレイズの耳に音が煩わしい程に響いていく。魔梨沙といえども、その能力の恐るべき一端を発揮した萃香が、靴底が地に埋まるほど地面を踏んで駆けて来るのを邪魔することまで手が回らなかった。

 

「やっと、ちょこまか動く、厄介な足が止まったね!」

「くっ、儀符「オーレリーズ……」

「遅いよっ!」

 

 魔梨沙のか細いその身を守るように展開された、四色のビットは、全てが腕の一振りによって鎧袖一触に粉々に砕かれる。完全に魔力が篭められる前であった、とはいえ魔梨沙の一番の防御を破るその力は正に規格外のもの。

 至近の距離に入られて、そうしてその豪腕から来る一撃を避けることは最早叶わない。

 顎に向けられたのは、右手によるアッパーカット。魔梨沙は右拳に箒を振り下ろしたが折られ、しかしその犠牲により顔に迫った、その小さな手を僅か掠らせるまでに留めることに成功した。

 間一髪、ではあるが鬼の力は、ただ皮膚の一枚を持っていくだけでは済ませない。打ち上げられる拳と一緒に、魔梨沙は宙を舞った。

 

「あー……加減しようと思っていたけど、ちょっと興と力が乗りすぎていたね、死んでたらごめんよ」

 

 そして、ぐるぐると縦に回転しながら地面に頭から打ち付けられた魔梨沙を見ながら、追撃もせずに萃香はそう零す。

 強いと認めた相手に、本気をだすのは礼儀であると萃香は思っており、そして当然魔梨沙は彼女にとっても強者であった。

 しかし、今回は力比べではなく弾幕ごっこ。勝利だけでなく美しさをも求める戦いの中で、相手を殺す程の力なんてものはナンセンスである。

 口では、鬼退治等と言い合ったが、流石にその方法も忘れた現代人にそれが出来るとも思えず、紫から聞いてそして隠れて見て知ったスペルカードルールを順守して遊んでやろうと思っていたが、ムキになるくらい楽しみすぎたと、萃香も反省した。

 

「ぐっ……う」

 

 だが、萃香の予想に反して、勢い良く地に頭をぶつけ、二度身体を弾ませた魔梨沙は、生きていた。そして、その身を吸い込まれる前に、擬似ブラックホールが消えていたから、再起不能にまでは陥っていない。

 しかし、それは辛うじて、のことである。魔梨沙は死にかけていたし、もう下手すれば動けなくなりそうになっていた。防御の魔法はしていなかったが、身体に巡らせていた大量の魔力によって、全ての衝撃は骨にダメージを与えるほどには到達していない。

 そうであっても、間接や筋の損傷や内臓まで響いた痛みは尋常ではないものがある。様々な修行や実戦でボロボロにされたことはあるが、それにしてもただの暴力によってここまでに至ったのは何時振りか。

 

 そんなこと、よくよく覚えていて忘れることはできないものだ。幼き頃の無力感を、魔梨沙は常日頃から心の鎖につないで引きずっている。

 しかし、もう一つだけ、首元の幻の枷から繋いでいるものがあった。それは、鬼のような親を見て、決してああはなるまいと誓った思い出。そんな過去の内なる宣誓を、魔梨沙は再び握りしめる。

 

 そう【魔】梨沙は鬼ではなくそれに限りなく近い魔の人間。いくら暴力に目を奪われても、その一線だけは絶対に超えることはない。だから、彼女は魔の存在として、一歩前へと踏み出す。

 

「うふふふふ…………きゃははははは!」

 

 詰まり、やっと吐き出された息から繋がれたのは圧倒的な嬉々。そして、高鳴る鼓動に合わせて、魔梨沙の背中から大量の魔力が溢れだす。

 その色は紫を越えて暗くなり、やがてその暗闇には広がることで隙間が出来たのか、光る部分がちらほらと見えていく。しかしそれが、左右で紅い月や青い明星の形になっているのはどういった偶然か。

 そう、魔梨沙の背中から溢れだす魔力が夜空を映す黒い蝙蝠の羽の形をし始めたことの原理は、大体魔梨沙を理解していた筈の萃香ですら理解不能のものであった。

 

「なんだ、これ」

 

 人にして、まるで魔の極みの一種、悪魔のような姿になった魔梨沙の力は見るからに満身創痍であるというのに以前のものを超えている。

 血を流し、赤い髪を更に紅くしながら、まるで生まれたての赤ん坊のように、魔梨沙は暫く声を上げることを止めなかった。

 

「ははは…………悪魔「リトルデビル」」

 

 そして、それが止んだ時に、気を取り戻した魔梨沙は萃香に右掌を向けたと思えば、彼女はそこに一枚のカードを創り上げる。

 魔力によって織り上げられた擬似的なそのスペルカードには、広げられた羽の絵柄が見えた。それを握り消し、魔梨沙は背中の羽によって、飛び上がる。

 

「――――さあて、貴女は私の月を割れるかしら?」

 

 魔梨沙はそう言って、無残な満月が映る天蓋を指さしてから、偽の天が映った左羽の紅き三日月を指さし、口が裂けんばかりの笑顔で萃香を挑発した。

 

「やってやるさ」

 

 そんなの朝飯前さと、まるで不明な将来を語る人間を見たかのように、鬼も笑う。

 

 砕け、何時ものものより随分と大きく広がった満月の下、再び二者は、ぶつかりあった。

 

 

 

 




 旧作をよく知らない方には分からないかもしれませんが、リトルデビルは東方夢時空で魔理沙のBOSSアタックとして出ています。
 一応、完全オリジナルのスペルカードではありません。


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第二十三話

 

 

 

「あー。駄目ね。本気になって私の真似事を始めたのは面白いけれど、その前に萃香のあんなに雑な攻撃をグレイズさせるなんて、魔梨沙らしくない」

「あら、身体に掠めることすらいけないなんて、厳しいお師匠様ね」

「当たり前よ。あれでも魔梨沙は人の子。霊力魔力妖力根本は同じといえども、妖かしの力に触れて好影響があろうはずもない。だから、空を飛ぶときによくよく教えこんだのよ。一度全てから浮くのなら影響を受けないくらい全てから離れることだ、って」

「あらあら。博麗の飛行術の根幹の教えすら持ち出すなんて、よっぽどね。先の言葉も過保護故の厳しさだったというのなら、納得できるかしら。ねえ、霊夢?」

 

 幻想郷中の妖怪が天の月が砕けた影響を大なり小なり受ける中、どっしりと構えてスキマから戦いを鑑賞しているのは、青い衣服に黄色い太陽の柄が目立つ三角帽を被った魅魔に、中華の意匠が凝らされた紫色のドレスに身を包んだ八雲紫。

 大亡霊に大妖怪は、何事かと宴会予定場から出てくる妖怪たちを尻目に、会話を続けている。その際に、水を向けられた先の霊夢は、下がった頭だけ上がった紅いリボンを目立たせ、半ば俯いていた。

 

「っ、納得できるわけないじゃない。親代わりなんでしょ、魅魔は。あの一発だけで、魔梨沙がどれだけ傷ついたか判らないわけでもないのに……」

「頭の怪我は派手に見えるけれども、後に残るような傷もなく骨の一本も折れていない。五体満足充分よ。後は意識の線さえ凝らせば、立派に戦えるだろうね」

「なら、魔梨沙が戦えなくなったらどうするのよ」

「私が代わりに萃香の相手をするよ。霊夢、あんたが魔梨沙と同じように萃香と喧嘩出来るっていうのなら別だけれどね」

「それは、無理、ね……」

 

 霊夢は苦虫を噛み潰したかのような表情をしながら、噛みしめるようにして言う。そう、霊夢が真っ直ぐ魔梨沙の傷ついた姿を見ることが出来ないのは、無力感によるものである。

 スキマの入り口に勇んで飛び込んでいっても、それは果たして死に行こうとするようなものだ。今【現在】の博麗霊夢は、殴りかかってくる鬼を抑える術を持っていない。

 かといって、回避の技量も足りてはいなかった。そもそも接近戦で全てを避けることの出来る魔梨沙が異常なのだ。

 命をかけるような無理は絶対にしないとの魔梨沙とした約束が脳裏をよぎる。相手が軽々と破っているだけ、自分はそれを大事にしなければという気持ちがあった。

 空を飛べても、星は遠い。その能力によって異変がそれらしい形を持つことを抑えられているのを知らずに、霊夢の内心は臍を噛むような気持ちで一杯であった。

 

「はぁ、なによ、コレ……魔梨沙が、魔梨沙が、傷ついているじゃない!」

「アリス」

 

 そうして、立ち上がることの出来なかった霊夢と対照的に、砕月に嫌な予感を感じて絡んでいた妖夢を放って駆けてきたアリスは、棒立ちのままスキマの前にてその顔を真っ直ぐ向けて、思い切り歪める。

 次に、アリスは迷うことなくその手を伸ばした。

 

「あの小鬼……許さないっ!」

 

 現実を噛み締めた霊夢と違って、アリスは目の前の現実を認めない。魔梨沙が傷つきながらも弾幕ごっこという名の格闘を楽しんでいる様子が、彼女の眼の奥では怒りと赤髪に流れる血の赤で染まっている。

 魔梨沙が傷つけられたと、そればかりが目に入って他のすべての情報は些事と消えた。地力を上げるためになるべく頼らないでおこうとしていた究極の魔導書の封印解除すら、簡単なもの。

 あの頃と違って、もう詠唱は必要ない。グリモワールによって底上げされた力の奔流によって風が起き、やがてその全ては纏まりアリスが伸ばした手の先へと集まっていく。

 弾幕はブレインと主張する何時もの姿はどこへやら。ただ力任せに無理やり集めた魔力はあっという間に魔導書によって変換され大妖怪すら消し飛ばさんという程のものへと変貌した。

 

「あら。流石にそれを通すわけにはいかないわね」

「なっ!」

 

 勿論、そんな威力の魔弾は、弾幕ごっこでは認められない。目標を映していたスキマは閉じて、アリスは矛先を見失う。これでは、魔梨沙を傷めつけた相手を誅せないと、彼女は力を緩めず七色が眩しい莫大な魔力を紫に向ける。

 

「……貴女は八雲紫、でいいかしら。もう一度さっきのスキマ、開けてもらえる?」

「その物騒な魔法を解いて下さったら、幾らでも開けてさしあげますわ」

「私が言っているのはお願いじゃないわ、命令よ。さあ、究極の魔法をその身に味わいたくなければ、あの小鬼を私の前に差し出しなさい」

「うふふ。私も術師の端くれ。究極というのは興味深いですわね」

 

 アリスの意に反し、鬼やそれに準じるほどの妖怪であろうとも触れれば指先から蕩けていきそうな程の力を前にして、紫は微笑みながら余裕を崩さない。

 むしろ偶の運動に丁度いいと言わんばかりに対することに乗り気ですらある。一触即発、そんな空気が流れ始めた中、それを変えたのは霊夢であった。

 

「二人共、そこまでよ。紫は挑発して遊ぶのは止めて、アリスはそんなバカみたいな力を出すのは止めなさい」

「霊夢! 貴女なら分かるでしょう。魔梨沙が傷つけられたのよ、許しておけると思う?」

「私もムカつくわよ。でもねえ、あんたは気づいていないでしょうけど、魔梨沙は笑っているのよ。あれだけ怪我をしても相手を受け入れて、触れられたら終わりの鬼ごっこを続けている。それなのに、傍が慌てて邪魔になったらどうするの」

「魔梨沙があいつを受け入れて、いた?」

 

 霊夢の言葉を受けて、そういえば、とアリスは思い出す。魔梨沙の表情は少し歪んでいたが、笑顔ではなかったか。そして、弾幕ごっこを繰り広げていたのに間違いはない。

 異変で暴れる相手を遊んで鎮めて、そうして受け入れるためのもの、それが弾幕ごっこよ、と、そんな魔梨沙がよく口にしていた言葉を、アリスは今更記憶から引きずり出せた。

 そこに危険はないのと、当時のアリスは問うた。魔梨沙は、それも楽しんでしまえばいいのよ、と答えたことをアリスはよく覚えている。

 

「……そっか。魔梨沙らしいわ」

 

 一挙に、意気は萎えた。魔梨沙は自分の信を順守している。翻って、自分はどうだ。魔梨沙の喪失をただ恐れて、相手を消すための巨大な魔法を放とうという、下手をすれば驚かせ魔梨沙の不利になってしまうような行動を知らずに取っていた。

 それは恥ずかしいことだと、アリスも思い、直ぐ様発動寸前の魔法をキャンセルする。激しく浮いて沈む、そんな様子を黙って面白そうに見てから、ようやく魅魔は口を出した。

 

「さあ、喋っている内に霊夢が言うところの、鬼ごっこが終わっていてはつまらないわ。紫、また頼んだわよ」

「空間に映像を投影するくらい簡単に出来るというのに、弟子を直ぐ守れるように私に頼むなんて、本当に過保護……はい今度は、ギャラリーのためにも大きめに開いてあげたわよ」

「すまないねえ、紫」

 

 丁度、鳥居をスクリーン代わりのようにして、大きくスキマは開かれる。いち早く宴席を発ったアリスの後を追って来たレミリアや幽々子達、そして着いたばかりのパチュリー達が、大きく開いたそのスキマから戦闘を覗く。

 

「あら、丁度クライマックスっていうところかしら? それにしても随分と貧相な相手ね」

「あらー、今回の異変の下手人は鬼だったの。鬼退治なんて久しぶりに見るわー」

「……魔梨沙、随分とやられていますね」

「あのくらい、フランドールと戦闘した時と比べればまだまだのものよ。それにしても鬼か……想像していなかった相手ね」

 

 集まり、酒の一滴も入っていないのに騒ぐのは麗しき野次馬達。この一種の催しが人気を集めているのは、宴会の幹事を真面目に行い、その疲れを感じさせずに明るくふるまう魔梨沙の人柄によるものだろうか。

 しかし、その中で、鬼と戦っている人である魔梨沙を心配するものはあまりに少ない。そのことが、少しばかりアリスを寂しくさせる。

 

「魔梨沙、大丈夫かしら……」

「大丈夫よ」

 

 思わず心配を零すアリスの言葉に応じ、霊夢はここで顔を上げた。その表情は、無理にではあるが、笑みの形を作っている。

 

「怪我しても、相手をやっつけて終わり。それが何時ものパターンなんだから」

 

 そう、ここに集まったアリス以外の人妖達は、魔梨沙が異変やその後の難事に挑んで見事解決したことを知っていた。

 実力は充分。だから、大丈夫だと、それだけは自信を持って霊夢も言える。ただ、その隣に自分がいないことが不満なだけ。

 

「そう……」

 

 しかし、そんな実績を伝え聞くことしか出来なかったアリスは、胸の前で手を組み合わせ、人の気も知らずに笑顔で戦っている魔梨沙を見詰めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 二人の戦場、そこは今まるで、地獄の炎に包まれているかのようであった。

 伊吹萃香が地面に拳を叩きつけるのに呼応するように、魔梨沙の足元からは巨大な火炎弾のごとき鬼火が溢れだす。鬼火「超高密度燐禍術 -Lunatic-」と萃香が宣言してから、この火山の噴火を彷彿とさせるような熱が溢れる空間は生まれた。

 鬼が生み出したこの小焦熱地獄に汗をだくだくと流しながら歪んだ笑みを絶やさずにいるのは、霧雨魔梨沙。彼女は身に迫る熱を無視して焔の隙間を縫って飛び回っている。

 炎に照らされ目立つのはその背中の羽根に、照らされ暗さが際立つ紫色の衣装。飛んで火にいる夏の虫、ではないが巨大な蝙蝠のようにも見える少女は、危険を重々承知しながら接近し星の力によって火中の栗を拾う。

 

「この弾幕、熱くてたまらないわー」

「ああもう! どうして当たらないのさ! く、痛っ!」

 

 そう、杖から生まれるいよいよ力を増した紫色の星は、交差しながら萃香の逃走経路を巧みに塞ぎ、避けきれなかった彼女に手傷を負わす。

 魔梨沙を脅かしている地面を跳ねまわる炎の塊に触れてもダメージ一つない萃香であったが、不思議と悪魔の星には傷を付けられてしまう。おかしい、と思ってから、羽根が付いてから以降その弾幕の密度が上がっていることに、萃香は気づく。

 

「あれー。ひょっとしてさ、私の真似してる?」

「能力の真似は出来ていないけれど色々と参考にさせてもらったわー。力の効率的な萃め方とかね。まあ、悪魔を象って魔力を増幅させないとここまでいかないっていうのは難だわー」

「なるほどその羽根は魔を象徴化したものか……それにしても、そんなデカイの避けるのには邪魔にしかならないだろうに、掠りもしない」

 

 通常の考えからすると、それがなくても飛べるというのに、大きく羽を広げるというのは的を広くするのと同じようで不可解な行為である。

 勿論、それ自体には意味があった。妖かしにとって意味深い月の象徴三日月に、天の定めに逆らう天津甕星の金星、そして星々を含み全てを隠す夜の如き翼。それら全てが魔に通じるものである。そんなものを背負った魔のものに、益がないとは思えない。

 しかし、弾幕の威力より避けることの方が重要である弾幕ごっこにおいては翼の存在は普通ならば、むしろ邪魔となるだろう。だが、そんなことは関係ないといったように、魔梨沙はひらりひらりと舞い、羽ばたきは全ての妖弾を縫うように避ける。

 そも、防御を用意すらしない魔梨沙の弾幕ごっこは、常人のものとは前提条件からして違うのだ。墜とされれば負け、ではなくまともに当たれば負け。

 そんな気概で幾多の異変に挑んだ魔梨沙の自信と能力は図抜けていた。幾ら当たり判定が大きくなろうと、端から自分が動かせばまともに当たることはないのだから、と余裕の笑みすら見せる。

 何しろ、先に負ったダメージですらグレイズ越しに受けた強引なもの。本気になった魔梨沙に、一撃を喰らわせるというのは至難の業である。

 

「ここからはずっとあたしの番よー」

「いたたー、こうまで当たらないなんて、あんたは羽毛か何か……いや、それこそ空気かい」

「霊夢の方がもっとふわふわと避けるけれどねー」

 

 先に見せた地べたでの回避術も、確かに優れていたものであるが、そもそも重力に縛られたままというのは魔梨沙の性に合致しない。

 夜空に星が瞬くことが当たり前のことのように、魔梨沙が縦横無尽に空にあるのはあまりに自然なものであった。完成されたようにみえるその絵はそう簡単に、砕けはしないと、萃香も感じ取る。

 

 ならば、今度は趣向を変えよう。砕くために叩けば逃げるのなら、囲んで捕まえてしまえばいいのだと、密と疎を操る鬼は考えた。

 

「疎符「六里霧中 -Lunatic-」!」

「わっ……あれ、居ない?」

 

 星が展開する合間に、萃香がスペルカードを見せつけ、くいっと瓢箪から酒を一飲みしたかと思うと、その姿は霧へと変貌する。大量の煙のように広がった萃香は薄まり、魔梨沙の眼をもってしても見つからない。

 全体に霧は広がっていて、濃淡がある。嫌な予感を受けた魔梨沙は、その濃い部分から翼に風をはらませ、逃げ去った。すると、丁度萃香が居たその位置から、大玉弾幕が周囲に散らばっていく。

 三連続も連なり全面に広がる藍色は闇によく紛れ、更に視界を白く塞がれた中での回避というものは中々難しい。しかし、当然のように魔梨沙はするりと隙間を縫って避ける。

 

 ――まだ足りないか。

 

 何処からか響いた声が、魔梨沙の耳朶に響く。すると、僅かに霧の濃くなった二箇所から、数多くの青白い妖弾が発された。それは、魔梨沙を狙った単純なものであるが、全てが彼女の死角となるところから放たれたものである。

 霧に、薄蒼い炎のような弾幕は溶け込んでいて、勘でなんとか察知した魔梨沙もその目を集中していなければ、迫る力を見逃しかねない。だから目の前のことに注意して、魔梨沙は疎らになった萃香本体を見逃した。

 

「……やられたわー」

 

 霧は全体にますます濃くなって、すべてを覆う。釈迦の掌ほどではないが、ここまで完全に囲まれては劣勢であることは否めない。深い白色の中で、薄い青色が非常に邪魔だ。

 飛び回っても、薄くなってしまった萃香を見つけられず、鋭角な星々は空を切ってから地面へ落ちて突き刺さる。先ほどまでの力任せではなく、今度はよく考えられた代物であると魔梨沙も認めずにはいられない。

 対象の見当たらない空間での鬼ごっこは、まるで耐久弾幕のごとき様相を呈し始めた。このまま時間切れまで耐え続ければいいかとも魔梨沙は思うが、しかしより深度を増す霧中にて、自分に向けられる青色に、時折弾ける大玉を避け続けるのは至難の業だ。

 ならば、こちらからも仕掛けなければならないと、白中に消える紫の星弾を宙から下方にばらまいてから、魔梨沙は思い立った今が機であると、星の杖を掲げる。

 

「ほら、魅魔様ほどじゃないけれど、あたしだってゴミ掃除は得意なのよー」

「うおうっ」

 

 そう、魔梨沙は先ほど師より魅せつけられた力を真似して、強引に集塵魔法を仕掛けた。魔梨沙が沢山魔弾の直撃を与えた萃香に対して、魔力でのマーキングは済んでいる。

 余計なモノのないスッキリとした空間を好み、大の綺麗好きを自称する魔梨沙は、鬼に汚染された空間から自分の魔力で染めた部分に相似するもの全てを萃めていく。

 魅魔のように、幻想郷中に広がった全部を力尽くで、とはいかないがそれでもここら一帯の霧は大体が除去され、曖昧だった形は翼で強化された魔梨沙の力によって鬼の姿に纏まる。

 

「やっぱり無理に萃められる、この感覚は慣れないけど――ははっ、やっぱり、魅魔の真似をしたね!」

 

 だが、明確化した萃香の口は、端が歪んで弧を作っていた。そう、萃香は星が月に及ばないのも、しかしそれに憧れていることも察して理解していたのだ。

 だから、罠を張れた。既に、特定の位置へ集めるための魔法を使うことで動けないでいる魔梨沙へ向って、僅かに残った霧が弾幕を発している。

 しかし、連続して発されることで先端から全体が槍のような形となって来る妖弾を前にして、絶体絶命になっている魔梨沙、彼女も負けずに大きく笑っていた。

 

「きゃはは! 弾幕ごっこの基本は隙間探しと隙間作り。きっと、貴女ならこの間隙を逃すことなんてないと分っていたわ!」

「なっ」

 

 萃香の笑みを凍らせたのは、向かってくる幾条もの光線。それは全て、魔梨沙を囲み、守るようにして発揮され、全ての光が萃香に命中した。

 煌々とした力が立ち昇っているのは、墜ちたはずの星々から。切っ先が星形をした青色のそれは、まるで天から落ちるその軌跡を再現したかのように真っ直ぐなレーザー光線。

 

「ぎゃあ!」

 

 四方から魔梨沙を守る傘のように集い、星杖の先萃香の位置で束ねられたレーザービームは、寄る弾幕を破壊し、鬼を焦がすに至る力を発揮している。集塵魔法から逃げるまでもない、と余裕を持っていた萃香にその熱量は集中し、彼女に悲鳴を上げさせた。

 ここに至って初めての痛恨の一撃。酒呑の鬼は、人に謀られて墜ちるはめになった。

 

 そう、萃香が地から再び真っ直ぐ伸びるだけの弾幕を大量に浴びることになったのは、魔梨沙の計算通りである。

 本来ならばそれは宙で使う、避けられたその後に、背後から軌道を遡るレーザーと化し再び襲いかからせるという二段構えの星弾だった。

 しかし魔梨沙はそんな魔弾を巧妙に地に設置することによって、誰知らずレーザーを任意に一点に向けて射出可能な仕掛けを作っている。そして、彼女はその一点に星の杖を向けて萃香を集めたのだった。

 避ける側からしたらそれはつまり、レーザーによる沢山の自機狙い弾。簡単なそれを萃香が避けられなかったのは、自分の勝ちを確信していて油断したからだ。

 まさか、狂喜しているように見えた魔梨沙が攻防一体の計算をしているとは思わずに、集塵の位置指定のため動けない彼女に妖弾を向かわせることで終わりとした。しかし、レーザーに囲まれた魔梨沙は守られ宙にて無事である。

 反して、思わず青い光線を受け、数日前のレミリアのように焼けた肌を赤くしている萃香は、地に落ち膝から崩れ落ち荒く息を吐いていた。

 

 さて、これは拙いと萃香も思う。負けが眼の前にちらつき始めていた。だが、それは本来の鬼退治ならば彼女の死を意味している。

 まさかこうまでいいようにやられるとは思わず聞き流していたその言葉。しかし、打った全身に走っているだろう激痛を意に介さずに笑んでいる頭上の強者にやられるのであれば悪くない、と萃香は思い始めていた。

 全てが酔っ払って起こした遊びの一環であったことも忘れて、鬼は強き人を受け入れる。

 

「はは……やるじゃないか。このままじゃ本当に退治されてしまいそうだ。いや、今の世でそれも面白いか。どうだい、一つ鬼の首を上げてみたくはないかい?」

「そんな酔っ払って赤らんだ顔なんていらないわ。あたしの鬼退治は、貴女を負かしてから悔しがる顔を肴に酒を交わしてお終いよー」

「あははっ! 何だいそりゃあ。鬼退治の作法ってものがなっちゃいないね。しかし……それも悪くない」

 

 笑い、体の痛みを無視して起き上がってから、萃香は紫の瓢箪から少しばかり酒を口に含んだ。魔梨沙が語ったのは、喧嘩した後にそれを忘れて仲良くするという、夢想のような理想である。

 でも、酔狂な鬼である伊吹萃香は、夢想に漫ろだった気を萃めて認めた。鬼退治のように、攫い討たれてはい終わり、では確かに物足りなかった。

 萃香は百鬼夜行なんて代物ですら簡単に作れるが、その中に半端な人妖を容れることは出来ない。萃めても恐れて離れていく、それが力なき者の特徴だから。しかし、そんな現実を力づくで破壊しようとしている少女が一人。

 

「あたしに負ければ、皆同士。誰も貴女を怖がるものはない。さあ――――受け入れられるためのラストダンスを始めましょう?」

 

 人妖共に、気兼ねなく萃まる夢想。人間で魔女な魔梨沙は、それを成そうとしている。

 紅の瞳がぱちくりと、萃香を見詰めて誘惑するように瞬いた。それを強く見つめ返して、萃香は獰猛に笑む。

 

「有難い誘いだ。でも、私は鬼。恐れられるのが仕事であってね。意地を見せてあげるよ!」

 

 跳ねるように飛び、魔梨沙の眼前を越えてなお飛翔するするその小さき体からは、底知れないまでの妖気が溢れ出す。萃香はカードを掲げて、声を張りあげた。

 

「これが最後のスペルカードさ、「百万鬼夜行」!」

 

 そして先程までのもののように一発で仕留めるための暴力的な代物ではなく、近寄ることも出来ないように大量に力を並べた弾幕が発されていく。

 密と疎を操る鬼。彼女が弾幕ごっこという間隙の遊びが得意でないわけがない。魔梨沙と萃香の周囲は、あっという間に光りに包まれていった。

 

 

 

 

 

 

 最後に発されたのは誰の言葉か。誰も口を開かぬ沈黙の中で、ただ、霊夢の耳朶には、凄いわね、というレミリアがスキマの先に向けた賛辞が残っている。

 それほど、萃香が形作る弾幕は激しく、美しい代物であった。それは、今までの能力だよりの攻撃用のものではなく、伊吹萃香という妖怪が表現できる最高の美。

 鬼という種族、そして萃香自身の力量を思えば、それが素晴らしいものになるのは疑いようのないことだ。そこに、舞うようにすんでのところで全てを避けている魔梨沙を当て嵌めれば、その絵は更に際立った。

 

 輪状に周囲に広がっていくのは、月光のもとに青白き中玉弾幕。そして、三方に分かれて巡るように周囲を流れるは、霧のような白く曖昧な形状の妖弾。

 米粒状の青と赤の弾は、四方八方に発されて広がっていき、魔梨沙の左右の動きを制限する。それらの量が、眩いばかりに過分だった。

 しかし、重なり広がる光の推移は、様々な美しい形を見せてくれる。青と白の中で鮮烈な赤に、霧がぼかしの効果を与え、空の絵は深みを増す。そこに魔梨沙の羽ばたきの黒が混じることで、光は瞬いて鮮烈さを脳裏に焼きつかせる。

 

「はぁ……」

 

 思わず吐き出したことで、霊夢は先まで自分が息をするのを忘れていたことに気付く。そうして、眼前に心配すべき姉貴分が居ることすらも半ば無視して見つめていたことを思い出す。

 魔梨沙の周囲は白を基調とした妖弾の行列によって支配されていた。だが、渦中にて未だに魔梨沙は力に触れず。むしろその高難易度をあざ笑うかのように、萃香の周囲を巡っている。

 いや、魔梨沙も別段徒に廻っていた訳ではないようだ。時折、光りあふれる空間にごくごく僅かな合間を紫色の星が幾筋か流れて、中心にて弾幕を張る萃香に当たっていく。

 流星は、煌々とした空を傷つけず、むしろリズムよく飛んで行くため、霊夢に達人によって宙の絵に筆が足されているかのような錯覚すら覚えさせた。

 

 それほど綺麗な宙の戦いも、最初の数えきれない無数の爆発のような様体と比べれば落ち着いてきたようで、中心の二本角をした妖怪の、ぼろぼろな姿が見て取れるようになってくる。

 同時に、悠然と空を飛んでいたかのように見えた魔梨沙の白い肌に目立つ幾多の赤い擦過傷が霊夢の目に留まるようにもなった。

 

「そろそろ、お終い、か」

 

 誰かが口にしたその言葉は残念そうに響く。この場の皆が、祭りの花火を見上げるように、その戦いの推移を望んでいる。

 あれだけ心配していたアリスも、今は無謀とも思える光弾の迷路に立ち向かう魔梨沙の、映える翼が人外のようだがしかし頼もしい背中を見ていた。

 そう、スキマを覗いている誰もが予期しているのは、魔梨沙の勝利による異変の終焉。力が失くなってきたのか、そのスピードが落ちてきたことや、よく見れば星形弾幕の密度もさほどではなくなってきている等、彼女の敗北要素は散見できる。

 しかし、その表情を見比べれば、どちらが勝っているのか直ぐに分かる。疲労困憊の萃香と違い、ここに至ってむしろ魔梨沙の笑みは深くなっているのだった。

 弾幕の生成音に、グレイズの音が少なくなってきたためだろうか。きゃははは、という笑い声が霊夢の耳にまで届くようになってきた。

 そんな、甲高い響きを煩わしそうに聴きとった彼女の師の会話もまた一緒に。

 

「魔梨沙もアレがなければ、安心して見ていられるんだけれど」

「アレ、とは何か聞いてもいいかしら?」

「分かっている癖に。周りの奴らに分かり易いよう端的に言えば、弾幕ごっこを楽しみすぎる心よ。より深く味わいたいがために、徐々に魔弾を撃つ間隔を引き伸ばして相手の底力まで見ようとする。悪くいえば、猫が獲物を嬲るように、ね」

「確かに、私の奥の手、弾幕結界を三度目に避けきった時も、私を時間制限まで落とさずに調整しているような素振りを見せていたわ。……或いは今回、時間が萃香の味方をするかもしれないわね」

 

 それほど大きくない声も、大勢が魅入られている沈黙の中ではよく響く。何人が魅魔と紫の会話に、次の展開の期待を想起されたことだろう。レミリアなんて、宙に浮かびながら両の手で顔を包むように頬杖をついて、身を乗り出していたりする。

 だが、魔梨沙が不利になるだろうという予想を受け入れられないアリスは、そんな二人の会話に口を挟んだ。

 

「それでも、魔梨沙は負けないわ」

「しかし、ひと波乱くらいはあるかもしれないよ?」

「そんなこと……っ!」

 

 魅魔の応答の後、その言葉を裏付けるかのように、天の光は力を増した。

 時間制限は特に設けられていないが、それでも体力か妖力に限界がきたのだろう。ラストスパート、と再び萃香の周りの二色は先の勢いを取り戻し、それすら越えて宙に大きな花を咲かせた。

 いや、それは花どころか僅かな間隙を気にしなければ光る球体にすら見えてしまう。天蓋に残り形を取り戻してきた砕月を目に入れずにいると、夜空に生まれた新しい月と勘違いしかねないくらいに萃香の弾幕に隙間は殆ど見当たらなかった。

 勿論、不可能弾幕ではないために、一応の道筋はあるようで、魔梨沙はその中に存在することが出来ている。しかし、誰彼の目から見れば、まるで魔梨沙は光弾の海に浮かんでいるかのようだ。

 

 魔梨沙は、目の前を埋めかねない程の輝きを、乗り越えられるのだろうか。望む誰もが、そんな疑問の答えを待った。

 皆が期待と共に、それを抱いていたのは僅か。回答には、三連に繋がった星が導いてくれた。あるかないかの僅かな隙間を通って行った流星は、息も酒も絶え絶えの酒呑童子にぶつかり、激しい音を立てる。

 

「……くぅ」

「よいしょ、っと」

 

 そうして、墜ちた萃香は、魔梨沙に抱えられた。全身ボロボロの姿の鬼に、頭の血が止まった魔梨沙には傷が散見出来るだけ。

 この結果も当然といえば、そうなのだろう。鬼の首魁と比べても格上といえる、魔界の神とルール無用の弾幕ごっこをして勝ちを拾ったこともあるのが、魔梨沙である。その能力も相まって、回避力だけならば幻想郷に比肩するものなどいない。

 

「ふぅ」

 

 魔梨沙は、もう歪んでいるだけの満月を見上げて、ため息をついた。相手を落として、自分は弾幕を耐え切り、それはもう文句なしの勝ちである。だが、どうしてだか、彼女に笑顔はなかった。

 その答えは、魔梨沙の背後に広がっている。地に降り立ってから、魔梨沙はそれを指さし、横たわらせた萃香に言った。

 

「あたしの負けねー。ほら。月、砕かれちゃったもの」

 

 そう、魔梨沙の左羽の中央には、赤い三日月の代わりに、大きな穴がある。飛ぶのに支障はなく、それだけで墜ちることはなくとも、自分は口にした言葉を彼女は忘れていない。

 この月を割ってみせろ。そんな売り言葉は買われ、そして見事に萃香はそれを成していた。

 だから、自分は負けているのだと、魔梨沙は芯から思って、残念がっている。

 

 そんな姿を見た萃香は、落ちていた瓢箪を手に萃め、こんな人間の相手をするには素面ではやっていられないと、中身を口に含んだ。

 一口、嚥下してから、馬鹿正直な人間に対して大いに口を歪めて、萃香は応じる。

 

「いや、私の負けだよ。結局、星は落とせなかった」

 

 小さな鬼は、大敗を呑み込んだ。しかし、そこに苦々しいものはなく、むしろ清々しくすらあると、なにか言いたげな魔梨沙を無視し、笑みを深めて立ち上がった。

 そして、きょろきょろと辺りを見廻してから、直ぐに隙間を見つけて、その先の人妖達に質問をする。

 

「さて、せっかく負かしてもらったんだ。同じ境遇のもの同士、やけ酒といこうか。なあ、構わないだろう、そこの魑魅魍魎達?」

 

 

 返って来た答えは、そう悪いものばかりではなかった。

 

 

 

 そして、百鬼夜行の主は、僅かな人妖たちの中にて、満足する。

 それも当たり前のことだろうか。皆を萃めて、楽しく呑む。それを願って、異変を起こした彼女なのだから。

 

「弾幕ごっこで、鬼退治されるっていうのも、悪くはないねえ」

 

 スリルは減ってしまったけれど、と零しながらも、初めて鬼の伊吹萃香は幻想郷の現在を受け入れていた。

 

 

 

 



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第二十四話

 

 

 

 鬼退治を終え、スキマから出てきた魔梨沙にかけられたのは、沢山の叱咤とおまけばかりの回復魔法だった。

 特に霊夢からの文句は止まらない。それは、最初はダメな部分を挙げていた魅魔も、取り成すよう動かなければならないくらいのものだった。

 さあ、そろそろ本腰を入れて回復させないと倒れるわよ、と魅魔が口にするまで霊夢は渋面をして口撃を続けている。

 そんなこんなは心配の裏返しであることは魔梨沙もよく分っていて、だからふらつく体を落ち着かせながらその話を黙って聞いていた。

 しかし、苦手な回復魔法をかけながら、一方的な言葉を聞いていたアリスは別の感想をもったようである。

 

「霊夢は、何も出来ないというのに、口ばっかり五月蠅いわね。魔法に集中出来ないでしょう」

「アリス……それは違うわ。何も出来なかったから、せめてこうして後で口を出しているのよ」

「魔梨沙だって分かっているだろうことを何度も何度も。貴女の言葉はためになっていないわ」

「何度言っても似たようなことをする、分からず屋相手だから、こんな面倒なことしなければならないんじゃない。次に私の知らないところで何かあったら、困るのよ」

「……それは、確かにそうね。魔梨沙、こんな無茶はもう止めなさいよ」

「わあ、アリスまで参加して私を責めるわー。魅魔様助けてー」

「はぁ。知らないわね。普段の自業自得よ」

 

 処置を受けている魔梨沙は動けず、助けを求めるが、にべもなく魅魔は魔梨沙を斬り捨てた。魔梨沙を鬼退治に向かわせた張本人である魅魔は、そんな火種を持った自分に飛び火してくるのを嫌ったのだ。

 そんなあ、という声に背を向けて、魅魔は緑色の長髪をたなびかせながら、近くにあるもう一つの騒がしさの中心へと歩んでいく。

 そこには、大きな二本の角を持った傷だらけの少女、萃香がレミリアと腕相撲をしている様子が見て取れた。ただ、鬼は片手を中央から動かさずに余裕な顔をし、吸血鬼はそれを両手で引っ張り必死に顔を赤くしているという点が特異であったが。

 

「ほーら、もっと力を篭めなよ。吸血【鬼】なんだろう? 少しは力を見せておくれよ」

「うーっ!」

「力尽きた私に合わせて妖力も魔力も使ってこない辺り公平だけれど、これくらいじゃ負けてあげられないね。……よっと」

「……くっ、悔しいけれど地力では歯がたたないみたいね。次は弾幕ごっこで勝負したいけど……今は無理かしら?」

「望むところだと言いたいけれど、もう妖力はスッカラカンさ。他には……そうだね、呑むのは自信があるかな」

「そう。なら、どっちが多くお酒を呑めるか勝負よ!」

 

 スカーレットデビルの所以たる少食さ程ではないが、レミリアはそれほど酒を呑めるタイプではない。しかし、力で自分に比肩するものが現れたその喜びから、彼女はそんなことを忘れて勝負を受ける。

 そんな二人の周囲には人集りが出来ていて、レミリアの方にはパチュリーに美鈴が、萃香の方には幽々子に紫に妖夢が寄っていた。一度、紫と目を合わしてから、魅魔は迷わず紅魔館メンバーの方へとふわふわ向かう。

 

「貴方達の主は随分と嬉しそうね」

「そうね。レミィったら好敵手が出来たとはしゃいじゃって。まあ、私達じゃあ力比べなんて夢のまた夢だし、姉妹で喧嘩の一つも出来ない質だから……確かに、真っ向に競える相手は希少なのよね」

「萃香の方も楽しそうだわ。元々、ああいう子供のような、と言ったら失礼かしら、まあ向こう見ずな性格を好む鬼だからねえ。確か、パチュリー・ノーレッジといったかしら。貴女はそういう相手はどう思うかい?」

「害がないのなら好きな方ね。私は探究心を大事にする昔ながらの魔女だけれど出不精だから、牽引力のあるような相手は良い刺激になっていいわ」

「そう。なら、暴走してばかりの私の弟子は友人としてはどうだい?」

「心配させられるのも、悪くはない、と言っておきましょうか」

 

 それぞれ、パチュリーは紫、魅魔は緑の長髪を風でたなびかせながら、二人は会話をする。視線の先には、巨大な盃で日本酒を三杯あおって赤くなった吸血鬼の顔があった。

 目を回しているその間抜けさに、パチュリーは忍び笑いを漏らしながら、頭の隅で魅魔がこうして話しかけてきた理由を推察する。

 口にした通りに、愛弟子の友人関係を探りにきたのなら分かり易いが、それだけでもないとは初対面のパチュリーにだって理解できた。

 一見しただけで胡散臭いと思える八雲紫ほどではないが、計り知れないところがあるこの亡霊が知り合いの居ないこちら側に来たという意味は何か、考え再び探りを入れる。

 

「それで、魅魔。貴女は今日のことをどれだけ予期していたのかしら?」

「全部、と言いたいところだけれど、大体だね。もうちょっと魔梨沙は苦戦すると思っていたし、もう少し萃香は無様な負け方をすると考えていたわよ」

 

 まさかああまで綺麗な弾幕を打ち上げてから散るなんて思わなかった、と続ける魅魔の顔には喜色が表れていて、どうしてだかパチュリーの視線はその口元の三日月に吸い寄せられていた。

 

「……それでも、今日この日に異変は解決を迎えると、貴女は予想していたわけですか?」

 

 それは、隣に控えていた美鈴が話を続けてくれるまでずっと、である。はっとしてから一度魅了の魔法をかけられたのではないかとまで思ったが、そうではないとパチュリーは頭を振って疑問符を捨てた。

 これはただ、魅魔の笑顔が度を越して魅力的であるだけなのだと、そんな驚くべき事実を認めて、パチュリーは二人の会話に聞き入る。

 

「まあね。それと、確かあんたは紅美鈴といったかい? 同じ魔梨沙の師匠同士、敬語は要らないわよ」

「……そうね、分かったわ。返事ついでに、もう一つ質問。魅魔、どうして貴女は魔梨沙を異変解決の駒へと選んだの? 霊夢でも格闘を禁止してスペルカードルールを順守させれば、それなりに戦えたでしょうに」

「それは私も気になったわね。まあ、いくら異変解決が本業の霊夢にだって、危険な橋を渡らせる理由もないだろうけど……代わりの魔梨沙には格闘有りという人間に不利になり過ぎるルールのまま鬼と戦わせた、その理由が不明だわ」

「ふふっ、それは単純な理由よ。私がやらせたかったのは、弾幕ごっこでも異変解決でもなく、鬼退治。形式は異なろうとも同等のことを成せるのは魔梨沙以外に【まだ】居なかった。それだけのことよ」

「なるほど……貴女は、鬼の居場所がここにあることを示したかったのね」

「ま、神棚から目を細めて眺めてみたら萃香がつまらなそうにしていたからね。旧知の仲だ。なんとかしてやろうと場を整えてあげたのよ」

 

 パチュリーの言葉に、魅魔は頷き答える。そう、彼女は萃香のために、愛弟子を危険に晒したのだ。もっとも、そこには強い信頼があったのだが。

 

 古くから人攫いと鬼退治によって、人と鬼の関係は成り立っていた。大概の鬼が人間から生まれたもの。だから、それが悪さであろうと人と関わろうとするのは当然だった。

 しかし、人間は鬼退治を真っ向から行うことなく卑劣に曲げて、応えるようになる。構ってもらいたくとも、返って来るのが卑怯なものであれば彼らもつまらなく、地の底へと棲家を変えていく。

 そして、恨みなどの理由で殺伐としたものになっても、親の注意を引きたくて悪戯する子のように人との関わりを大事にしていた、鬼達は消えた。しかし、今更になってどうしてだか地底世界からやって来た、酔狂な鬼が一匹。

 その鬼は、平和になりきった幻想郷に飽いていたが、それでも彼女なりに人妖を萃めて楽しんで。だが、そんな一人遊びは、傍から見れば寂しそうなものであり。

 故に、魅魔は古来と似たような遊びを出来る人間を見繕って、用意してあげたのだった。

 

 まあ、そんなこんな全部を口にするのは恥ずかしい。微笑ましいものを見るようなパチュリーと美鈴の視線を受け流しながら、魅魔もそろそろ辺りに充満してきた酒の匂いが気になってきた。

 

「……そろそろ素面じゃつまらなくなってきたね。宴会場に移動してから頂こうか。ほら、あんたたちも一緒にどうだい?」

 

 握って開かれた、その掌からは、まるで手品のようにグラスにコップが現れる。種も仕掛けもある、しかしそれは魔法によるものだ。

 もっとも、見事すぎて、パチュリーにですらどこからそれが出てきたのか判ぜなかったが。

 

「そうね、じゃああそこに転がっている私達の主を回収してから向かいましょうか」

「転がっている? ……わあ、お嬢様、大丈夫ですか!」

「はぁ……向こう見ず過ぎるのも考えものだわ」

「ふふっ、やっぱりこっちも面白いね」

 

 酒を瓶からラッパ飲みしている萃香の隣で、顔を真赤にして倒れ伏しているレミリアを見た美鈴は、いつの間にかその隣に居て介抱を始めようとしている咲夜も忘れ、顔色を変えてその身の下へと急ぐ。

 パチュリーはため息を吐くが、魅魔は反して笑っている。惨状に目をやったために、亡霊の魔女がそんな姿と零した言葉を、紫色の魔女は見逃してしまう。

 だから結局、魅魔が紅魔館のメンバーに寄ってきた理由、それが偶には違う面子で酒を飲みたいというものだったとは、パチュリーには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 青々とした、しかし今は満月に照らされた部分以外黒々と闇に紛れた葉を茂らせた木々に囲まれ、御座の上に座しているのは魑魅魍魎。それに紛れて人間が三人と半分だけ。

 その半分こそ、酒宴の最中を頼まれる通り酒を配りながらびゅんびゅんと動きまわっているが、大方は、落ち着いて酒の味を楽しんでいた。

 

 隠された目的は霧のような妖怪をおびき寄せることであったが、今日の酒盛りの本来の目的は、酒の呑み比べ。上等なものばかりを集めた酒類はてんでバラバラであるが、しかしその飲みやすさ、味わい、喉越し共に折り紙つきのもの。

 萃香が伊吹瓢から出したものは度が高すぎて呑めないものもチラホラ出たが、それでも一人増えて会話に花が咲き、つまみも美味とあれば、皆酒が進むことこの上なく。

 そんな中で、真っ先に魔梨沙が酔っぱらい気を失ってしまったのは、当然のことだったのかもしれない。

 

「うー……」

「あーあー。鬼の膝で寝るなんて、豪胆なものだねえ」

 

 だが、寄りかかって、倒れこんだ先が酒呑童子であることなんて、そうそうあることではないだろう。実際、酒浸りになって、魔梨沙が作った出汁巻き玉子を摘んでいた萃香は、そんな無防備すぎる人間に驚き戸惑った。

 そんな困った様子の萃香に近寄り声をかけるのは紫。彼女は、随分と酒を楽しんだ筈なのに、酔いなんてスキマに捨ててしまったのかと思ってしまうほど平然としていた。

 

「豪胆というよりも暢気。それが許されるのが、今の幻想郷よ」

「なるほどね。しかしさ、コレも受け入れるっていうのは……残酷でもあるねえ」

 

 萃香がそう言って、膝の魔梨沙を撫でる手はぎこちない。それは、目の前の代物が複雑すぎて触れたら壊れそうであると、思ってしまったからだ。

 鬼に勝つ、それは英雄といっていいだろう。実際に、魔梨沙の力は人間の枠を超えて強い。しかしその実体は非常に危ういものがある。

 力に焦がれる、それくらいよくあることだ。しかし、トラウマによって力が弱い自分を許せないがために、狂的なまでにそれを求めてしまうのは健全ではないだろう。

 人を超えているどころか力の天井が見えないくらいの強者が集まった幻想郷で、常に劣等感を刺激され続けている魔梨沙は、実際に何時潰れてしまってもおかしくない心理状態にある。

 いや、潰れるどころか壊れて鬼に成ってもおかしくないくらいの現状、魔梨沙を支えているのはか細い自縛だけ。しかし、それでも彼女は非常に人間的である。

 

「馬鹿正直で、仲間思い。私も好ましい人間だと思うさ。だが、危なっかしいよ。このまま受け入れ続けて下手をしたら、そんな美点も捨て去るくらいに壊れて、幻想郷に害をなす程の大妖になりかねない」

「それでも、今は歪で強力なだけの、人間。そんなもの一つ受け入れられないほど、この郷は狭量ではない。しかしもし仇なすほどに変わってしまったら……いや、そんなことはあり得ないわね」

「どうしてだい?」

「魅魔、それに今は貴女、萃香まで霧雨魔梨沙に注目している。状態が悪くなるのを見逃すほど、貴女達の目は鈍くはないでしょう?」

「そうだねえ……」

 

 朱塗りの箸にてパクリと、咲夜作のジャーマンポテトを口にしながら、萃香は思う。果たして、自分はこの奇妙な人間から目を離すことが出来るのだろうかと。

 横でどちらの持ってきた酒が美味いか喧嘩している巫女と人形遣いの姿を目に入れてから、膝元の赤い髪の毛を左の手で撫で付けてみたら、答えは、簡単に出た。

 

「ま、こいつが死ぬか妖怪化するまで、近くで様子を見るのも悪くはないか」

 

 面白そうだし、と付け加えながら口を歪ませた萃香の笑顔の質は、しかし普段のものとは違っている。それを見た紫は親心でもついたのかしら、と思う。

 だが、普段を知らないその他にとっては、一生分傍にいる、という意味の爆弾発言の方が衝撃的だった。

 盃を傾けながら黙って聞いていた魅魔は意味深に笑うだけだったが、偶々その言葉を耳に入れた霊夢にアリス、そして酔っぱらいながらも気に入った萃香をどう紅魔館に迎え入れようか考えていたレミリアは、大慌てである。

 

「何、あんた魔梨沙の後をついてまわる気なの?」

「そうだねえ。あんたのことも気になっているんだけどさ……ああ、そういやあんたら仲がいいし、二人一遍に見ることも出来るか。尚更、良さそうだ」

「貴女が魔梨沙に傷をつけたこと、私は忘れていないわよ」

「まあ、痕にも残らないだろうけど、その責任くらい取ってやるさ。危なっかしいこいつを、一度二度守ってやればそれはいいだろう?」

「……ねえ、貴女は私の館に来る気はないのかしら?」

「それも悪くはないが、まあ、ちょっと待っていなよ。妖怪同士、時間は有り余っているんだ。これからも酒宴はあるだろうし、一度も顔を合わせないなんてこともない。百年程度は直ぐさ」

 

 そして、次々にかけられる声に応じて、萃香は三人を諭していく。そうしながら、萃香は驚くほど本気である自分に気づいた。軽々と口にしたが、千年以上生きようとも、百年は決して短いものではない。

 しかし、鬼でなくとも自分に嘘をつくのは難しいもの。今回の件で今の幻想郷に受け入れられ受け入れることが出来た萃香は、内心随分と救われている。だから、次は自分がお節介を焼いてもいいのではないかと、彼女はそう思う。

 そうでなくとも、魔梨沙は繰り返される宴会の際にわざわざ幹事に指名し続けたお気に入り。鬼退治した人間が、宝の代わりに鬼を持って帰るというのも面白いのではと、ほろ酔い気分の萃香は考えたりもした。

 

「ま、隠れて見ていても能力でバレてしまうし、結局はこいつの了承次第だけどさ」

「うーん……あたしはこいつじゃないわー」

「そうだね、魔梨沙。よろしく頼むよ」

「ふわぁ、仲良くしましょうねー」

「……ふふっ、このこのー」

「うー、突っつかないでー」

 

 膝の上で身動ぎしてうわ言を漏らす魔梨沙の頬を、萃香は笑顔を深めて人差し指で優しく突き回す。

 ただの寝言で了承を取るほど、萃香は狡くも切羽詰まってもいない。けれども、半ば無意識ながらも受け入れてくれる、そんな言葉が嬉しかった。

 だから照れ隠しに、少しだけ触れて離れて、を魔梨沙がふてくされて無視しだすまで続けていく。

 

「私も目をつけられているのね……なんだか、面倒なことになってきたわ」

「魔梨沙に手を出したら承知しないんだから……」

「百年は長いわね……でもまあ、気が変わったら、何時でもいらっしゃい」

 

 人と鬼によるものとは思えないそんな微笑ましい光景を見ながら、二者のどちらかに執心している三人は向けた方すらてんでバラバラな言葉を発した。

 既に頬を緩ませている萃香にはそんな様もおかしくて、鬼はケラケラと笑う。

 

「あはは、久々だねえ。こんな気分は」

 

 星空を見て、明日が楽しみだと、萃香は思った。それは、手の届きそうなくらいの近くに、僅かな喜びが見えているからだろう。

 地の底に居た鬼には、星の光くらいの希望の方が眩しくなくていいのかもしれないと、萃香は考える。でも、星を落とさなくてよかったと、口には出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 博麗神社が喧騒と酒の匂いに包まれていた頃、迷いの竹林と呼ばれている地の奥深く、そこの住人は永遠亭と呼んでいる古風でありながら新築にも見える建物の中にて空を見上げるものが一人。

 彼女は銀糸のような髪を三つ編みにして赤と青の二色のツートンカラーが目を引く衣服に身を包んだ、知的な目をした美人である。

 そんな八意永琳という名の月人であり蓬莱人でもある女性が空に望んでいたのは月であった。そう、萃香によって砕かれた天蓋の満月が、元通りに戻るまでの全てを、永琳は観察していたのである。

 

「誰がやったかわからないけれども、天は砕かれた。しかしそれが大きな影響を与えることなく、静かに戻っていく。外の世界の科学力が砕月を観測できないほど劣っているとも思えないのに」

 

 胸元で腕を組んだ永琳が独りごちているのは、賢者である彼女以外でも考えつくだろう疑問。その答えを、既に永琳は持っている。

 

「やはり、幻想郷の地は、高度な結界に囲まれているようね。確りとした、月の民の手が届かないかもしれないくらいのもので」

 

 当然というべきか、いつの間にか迷いの竹林が含まれていた幻想郷自体が結界で囲まれているということには住人である永琳は気づいていた。

 それが論理的な結界であり、幻想郷と外の世界とを明確に分けているということは今回の件で確認出来たのだが、しかしそれだけで月の民、そして使者の目を欺けるかどうかは微妙なところ。

 そう、永琳は月人ではあるが、月の民を裏切ったまま地上に住むお尋ね者でもあった。

 

「まあ、殆ど大丈夫であっても万が一なんてあってはいけない。戦争が起るというのは眉唾ものだけれど……やはり計画は実行しましょうか」

 

 玉兎、月の兎には、月と地球ほど離れても波動により通信することが出来る特殊能力がある。

 永琳は、以前月面で敵前逃亡し幻想郷まで逃げてきたため保護した月の兎から、その能力により月の情勢が不穏であるという情報を手に入れ、それからその兎、鈴仙・優曇華院・イナバが徴兵されることを予測していた。

 鈴仙を強制的に引取りに月の使者が来ることは、主であるかぐや姫こと蓬莱山輝夜がそれらを殺してまで地上を選んだ過去から認められないと、そう決めたがために永琳は対処法を考えている。

 勿論、一玉兎のためだけではなく、指名手配されている自分たちが月の使者に芋づる式に露見することも恐れて、行われるのは大規模な計画だ。

 今までの追手の程度と能力から、自身に縁深い綿月の者が月の使者の長に就いていると予想できるために、見つかっても居を移す程の問題にならないと半ば確信していながらも、それはあくまで希望的観測と永琳は認めない。

 そのために取る手段は非常に大掛かりなものであり、大変面倒なものであるが、その行動から生じるだろう利益も悪くはないもの。

 

 そう、本来の満月を隠し、不完全な満月を浮かべる計画は、砕月を参考にしながらも、変更なく行われることだろう。

 用意を考えると秋ごろになるかしら、と零しながら永琳は何時もと同じく公平に光を振りまく満月に飽き、閉めたはずの障子扉へと振り返る。

 だが、開かれたそこには長い黒髪の麗しき美姫の姿があった。物音も気配もなく現れたその姿に、しかし驚くことなく永琳はその絶世の美女に向って声を掛ける。

 

「なにかしら、輝夜」

「決行に問題はないかどうか、永琳にちゃんと聞いておかないと、と思って」

「それなら、予定通りに行うつもりだけれど」

 

 女性は主、蓬莱山輝夜だった。しかし、誰の目のないこの場にあって、二人は主従関係であると思えないほどに気安い。それもその筈、永琳にとって輝夜は元教え子。普段から必要以上に謙譲も尊敬もすることはないのだ。

 そうやって会話する内に、喜ばしいことを聞けたためか、輝夜は美しい顔を綻ばせ、童女のように笑顔を作り始める。そして、笑い声をたてないままに、彼女は言葉を紡いだ。

 

「成功すれば、私達に月の民の手が届くことは無くなる。失敗したとしても、後々人に紛れ易くなるよう、幻想郷の支配者たる妖怪達に絞って力を示せて、結界の程度を知るために管理者との接触することを望める。永琳らしい狡猾な作戦だわ」

 

 永琳の脳裏には、もっと簡単な手段も列挙されているが、しかしその中でもここ幻想郷の流儀に合わせるのであれば、なるべく大げさな方がいいだろうと思われた。

 それこそ存亡に関わるほどの影響を与えれば、管理者も重い腰を上げるに違いない。ノックの音は大きいほうがいいだろう。交渉事で優位に立つために、相手を驚かせて平常を失わせることは常道だ。

 

「でも、異変とはいえなにか起こすというのは楽しみね。わくわくするわ。ずっと、いや少しだけ、暇をしていたから」

 

 永遠を生きる輝夜にとって、万年も一秒も大差ないが、それでも退屈の程度は随分と変わってくる。

 平和な日々だって、彼女は嫌いではない。だが、度々永遠の腐れ縁と行っているような、争い事だって好きなのだ。

 

「そうね。幻想郷中に、私達の力を知らしめて――――そして認めてもらうわ」

 

 そして、全てを予知しているかのように、永琳はそう結ぶ。月の賢者と呼ばれた彼女の想像を逸することなんてそうそうないことだろう。

 だから、全知のごとく振る舞っても、問題が起きることは殆ど無い。

 

 

 ただ、月人八意永琳は、地上人霧雨魔梨沙のことを知らなかった。それが唯一の誤算となるのである。

 

 

 

 



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日常③
第二十五話


 

 

 霧雨魔梨沙の家は、純和風の造りである。人里の大工に作らせたのだから、そうなるのも当たり前なのかもしれないが、和風建築に魔女が住むというのはミスマッチではあった。

 一人で住むのだからと、二階建てにすることにすら難色を示した魔梨沙だったが、それでも貰った代金の分と里に平和をもたらしてくれている礼という名目で大工たちが発奮したその家は何処を取っても見事な代物だ。

 思わず、出迎えるために家から出てきた魔梨沙に向って、萃香は褒める言葉を口にした。

 

「いやあ、いい家じゃないか」

「でも、一人じゃちょっと広すぎてねー」

 

 魔梨沙は立派だけど大きい分掃除が面倒、等と口にするが、これから一角を間借りする予定の萃香にとってはこの上ない好物件である。

 金はないが、能力はある萃香にとって、家賃代わりの掃除なんて朝飯前のこと。萃香は、これはいい木を使っているなーと、玄関柱に触れながら、愉快な人間を肴に酒を呑んでばかりの生活を夢見ていた。

 しかし、そんな夢想も続きはしない。魔梨沙の言葉で、萃香は奇妙な現実に帰る。

 

「あ、そうだ。ここは、神社と人里の中間くらいにあるでしょ?」

「そういやそうだね」

「近いからか、あたしに妖怪退治の依頼をするために、結構人が来るのよ。居ない時のためにポストが置いてあるけれど、それでも顔を合わせて話した方がいいって表で待っている人も多くて、相談事が重なった場合には列が出来ることもままあるわ」

「ああ、玄関先にあったあの赤いのがポストで、軒下に長い腰掛けがあったのはそのためか。じゃあ、私はそういう時に里人を脅かさないよう隠れていればいいんだね?」

「あ、それは平気よ。堂々としていていいわー。家に鬼を住まわすって既に言っておいたから」

「なんだって?」

 

 家の中に入り、自分の顔が映りそうなくらいに綺麗に磨かれた板張りの廊下を歩きながら話していると、なんだか話がおかしくなって来たために、萃香は話を聞き返した。

 

「いや、萃香が住むっていうことは里の代表とかの了承済みのことなのよ。だから、気にしないで普通に過ごしていいし、出来れば人が来た時にお茶を運んだりして欲しいって言いたかったんだけど」

「あ、いや、別に茶坊主みたいなことをするのくらいは構わないけれどさ。鬼を家に置くっていうこと、問題にはならなかったのかい?」

 

 いや、尋ねるまでもなく普通は問題になるに決まっていた。実力者が住んでいる上ここは人里に近いが故に、妖怪に追われた際等有事の逃げ場的な役割を担わされているだろうことを、萃香は見抜いている。

 公共の建物に近い安全のシンボル的なものだから立派に仕立てたと邪推したくはないが、上質な材木等をふんだんに使われた軽い地震程度で壊れなさそうな頑丈な家造りを見れば、そういう意味もあるだろうことは想像に難くはない。

 そんな場所に妖怪を、それも太古から人の天敵である鬼を住まわせるなど、本末転倒、あり得ないことである。

 

「そうね、最初は反対意見ばかりでうるさかったわー。けれども約束しちゃったし、あたしも頑張ったのよ?」

「魔梨沙の約束を守ること、正直なことは美徳と思うけどさ。鬼を受け入れるかどうかなんて問題、そりゃあ賛成は少ないだろう。相当ごたついたんじゃないかい?」

「むしろ、鬼みたいな大妖怪、私が目を光らせていなければ危ないでしょー、って言っておいたわ。確かに、年寄り共には睨まれたけれど、それも何時ものことよ」

 

 うふふと笑う魔梨沙。人間のことを気にしない彼女に、しかし萃香は気が気でない。

 鬼退治と称して卑怯なことをされたことのある萃香はよく知っている。人間は、裏切るもので騙すもの。もちろん全てが全てそうではないことは知っているが、集まると上等な頭が悪く働きやすいとは感じている。

 貴重な力を持った存在故村八分とはいかないだろうが、気に入った存在が自分のせいで何か不利益を被るのではないかというのは、少し捻くれているがどちらかと言えば誠実な萃香にとって、とても嫌なことだった。

 

「何かあったら私に言いなよ。力づくで解決できることだって、結構あるんだ」

「皆一応納得済みだから大丈夫よ。稗田の家の阿求ちゃんが、鬼は裏切りを嫌うって、皆に説明してくれたしね。そう、彼女の援護射撃が無かったら、流石に許しが出なかったかもしれないから、萃香も感謝しておいてねー」

「ああ、分かった。稗田……どっかで聞いたことがあるなぁ。まあいいや、そいつのことは覚えておくよ」

 

 魔理沙の人里での立ち位置が気になり始めた萃香であったが、自分が出張るのは最終手段で、人里で適当に散ってそこらの情報を探ろうと、そう考える。

 その行動が油揚げを買いに来ていた八雲の式にバレて、説教をされる事態になるのであるが、そんなことも知らず、自分の内心も分からずに、ただ萃香は魔梨沙のことを思っていた。

 

 部屋はそれなりに多くあったが、魔法道具の倉庫になってしまっているものもあったのでそれほど余っている訳でもなく、取り敢えず萃香には一階の日当たりの良いお座敷を与えられることが決まる。

 フランドールが来た時のため、ということで魔梨沙が人里の玩具屋に香霖堂にて買ってきたけん玉やバトルエンピツ的な玩具が部屋の片隅に纏めて置いてあったりしたが、他に物のない綺麗なもので、片付けるのにそう時間はかからなかった。

 魔梨沙はお昼ごはんを作ってくるわと居なくなり、萃香は借りた座敷に寝っ転がり酒を呑み始めたが、心地よい酔いにそよ風によって、次第に彼女のまぶたは重くなる。

 そして、好きそうだからということで、お肉を中心としたお昼を作ったと呼びに来た時。既に萃香は寝こけており、魔梨沙は彼女をそうっとしておくことを選んだ。

 

 

 

 

 

 

 眠った萃香をそのままにしておき、彼女の分には蝿帳を被せて、魔梨沙はお昼ごはんを頂いた。そうしてから、しばし暇を持て余すようになる。

 本当は、今日は予定を事前に消化して萃香のために空けた日であった。しかし、遊んだり話したりしようとしていた当人は、夢の中。

 修行でもしようかと、魔梨沙は思い、そしてそういえば萃香との戦いで駄目にしてから新調した箒の乗り心地を試していないことに気づく。

 自分で羽根を作って飛ぶのもいいけれど、やっぱり魔法使いといえば箒よね、と玄関に立てかけておいた庭箒を手にして、外に出た。

 

 梅雨明けしてから少し経った現在、本来ならば蒸し暑くて仕方ない、といった気候のはずであるが、今日においては違うようだ。

 青い木々がサラサラと音を立てて、風にたなびく。ゆったりとした風が、魔梨沙の頬を撫でて、涼を感じさせた。気持ちが良くて、ついつい魔梨沙も伸びをして感想を口にする。

 

「今日はいい風ねー。絶好の飛行日和だわ」

「その通りですね。実に気持ちいいものでした」

「あら、文じゃない」

「どうもこんにちは。射命丸文です、霧雨魔梨沙さん」

「こんにちは。何か用かしら。今日はどうしたの?」

 

 そんな中、大いに風を纏って眼の前に降り立って来たのは、頭襟に高下駄風の靴が特徴的な烏天狗、射命丸文。唯でさえ速度に優れた天狗の中でも幻想郷最速を誇るのが彼女である。

 しかし、そんな力ある妖怪の一面だけでなく文は主に妖怪向けの新聞記者としての面もある。敬語を喋っているのは、記者としてやっている時の癖であり、それを聞いた魔梨沙は自分から何かを聴きたいのだと察した。

 とはいえ、最近色々あったことで、疑問とされる心当たりが多すぎるために質問内容を予想することは出来ずに、ただ彼女は返事を待つ。

 

「いえ、今日はただ近くを通ったから【妖怪に最も近い人間】のところに顔を出そうかと思ったのですが、何やら懐かしい匂いがしまして、これは何かあったのではないかなーと伺ってみた次第です」

「懐かしい……ああ、萃香のことかしら。あまり喧伝するようなことでもないけれど、もう人里では周知されているみたいだし言っておいてもいいわね。そうね、あたしは今日から鬼と一緒に住むことになったの」

「ええと……鬼、ですか? いや、確かに紛らわしい貴女の匂いではなく本物のそれも強者の匂いがぷんぷんしていますが、吸血鬼ではなく、本物の鬼、ですか?」

「そうよー。文って確か長生きだから、伊吹萃香っていう名前も知っているんじゃない?」

「……酒呑童子、鬼の中でも最強の部類の方の名前じゃないですか。幻想郷にまだ居たのですか……というよりも、どうしてそれほどのお方が山でなくこんな小さな家に住むことになったのか。聴きたいことは山ほど出来ましたよ」

「お手柔らかにお願いねー」

 

 両肩にがっしりと置かれた手に、逃げられないことを察した魔梨沙は、ありのまま全てを話すことを選んだ。

 これでも文とは旧知の仲。魅魔との修行中に、独り立ちして以降も取材されたことは多くある。最近のものだと、プリズムリバー三姉妹ファン初の大集会という題名の記事で幽々子と共に話を聞かれたことがあった。

 そのため魔梨沙は警戒しないで言葉を選ばず喋っていたが、文は記者として独特の視点を持っていることを忘れていたために、深読みされたり曲解されたりした内容が彼女の手帳、文花帖に書き込まれていることに気付けない。

 後に出来た記事の見出しは、霧雨邸鬼に占拠される、というもので萃香が深謀をもって下ったと考察されている辺り、萃香も魔梨沙も苦笑いの内容だった。

 

 

 記者の興奮が中々覚めない取材の最中で、魔梨沙が弾幕ごっこで鬼退治をしたという話に至った辺りになって、急に文の表情は複雑な物になる。

 変貌に驚いた魔梨沙の前で、文は頭を振ってから尋ねるのを止め、自ら話し始めた。

 

「鬼退治ですか……そういえば貴女でしたね。霧雨店の悪評を広めた木っ端天狗を懲らしめたという魔法使いは」

「余りにうざったかったからやっつけたんだけれど、懲らしめられたのは偶々よー。あたしが撃った魔弾の先に丁度居たからあんなに速い相手を倒せたんだわ」

 

 文は、胡乱な表情をする。それも当然、彼女は魔梨沙が件の天狗を仕留めたところを目撃していた。

 目にも留まらぬ筈の速度の敵を、その鋭い瞳で追いかけて、逃走経路に魔弾の網を作り上げ、そうして逃げられなくなった相手に巨大な星をぶつけた一連の動きは作為的なもの。

 あれは、実力で上から叩きのめした、それ以外にないものだった。

 

「やれやれ。謙遜ですね、それは。本当は天狗をやっつけられたことを誇りにしている。アレが小僧であるから問題になりませんでしたが、本当は天狗に対するということは大変なことなのですよ?」

「知っているわー。でも、あたしが大変なのより恩人が大変であるほうが問題じゃない」

「なるほど泣かせる人間らしい美学ですね。まあ、私にも気持ちが分からないでもないですよ。しかし、そのために天狗を引き回し見世物にするなんて大胆に過ぎる」

 

 勿論、幻想郷に来て随分と経っているため、魔梨沙が天狗という集団の恐ろしさを知らないわけではない。だが眼の前に恩人達を馬鹿にする噂を立てた存在が挑発してきたら、自分の身の危険なんて無視して怒るもの当然。

 天狗の間でも暗黙の了解であった、霧雨魔梨沙には関わらないということを敢えて破った血気盛んな若い天狗に対して、魔梨沙はスペルカードルールも用いずに早々と墜とし、そして人里まで引きずっていった。

 最初のうちは暴れる元気もあったその若き天狗も、沈黙のまま魔力で引き上げられた剛力によって一里も引っ張られ続けていれば、罵詈雑言も尽きてその間息も切らず歩む人間に恐怖すら覚え始める。

 天狗装束を着た存在を引き摺りながら、目抜き通りを歩む魔梨沙は注目された。そして霧雨店の前で天狗にごめんなさいをさせた魔梨沙のことは、人里の者達の語り草に。それは人里に来ていた人外の口の端にも上り幻想郷中に伝わるものであった。

 

「あの天狗、そういえばどうなったのかしら」

「元々悪戯ばかりする問題児でしたからこれ幸いと山を追い出されて、今は麓に小屋を建てて暮らしています。貴女に復讐することを考えていないか期待して話を聴いてみたのですが、怯えて震えるばかり。全く、鼻の折れた天狗ほど情けないものはありませんね」

 

 体面を大事にする天狗は、面汚しを許さなかった。

 そして、同じく組織の面子に傷をつけた魔梨沙においても許してはいないのだが、非がどちらにあるのかは明らかであり、手を出すのは更に恥を上塗りするだけということで、天狗たちは静観し続けている。

 もっとも、それは能力から暗に殺すのも難しい魔梨沙と敵対した際に想定される被害が余りに割にあわないものであるから、ということもあるのだが。

 そんな天狗社会のしがらみも知らずに、自分が倒した天狗の末路を聞いた、強者魔梨沙の感想は、一つだけだった。

 

「そっか。まあ、弱いんだから仕方ないわねー」

「確かに……そうですが」

 

 自分もその言葉は当然とは思うが、あまりに人間らしくない返答であったために、文は話を続ける気を削がれた。

 

「……それでは私が話を逸らしてしまいましたが、先の話の続きをどうぞ」

 

 可哀想、という返答が欲しかったわけではないけれども、自業に悩んだりする姿を観察するつもりがこうも揺らがなくては、そこらの妖怪相手に会話しているのと大差ない。この話題は失敗だったと、文は話を戻す。

 少しずつ師匠に似てきているわねと思いつつ、再び筆に文の手は伸び、そうして、魔梨沙の語る口は回り始めた。

 

 

「えーと、こんなところかしら」

 

 帳面の文字が伸びていくことしばらく。やがて、涼やかな風が治まってきてから、取材は終わった。

 鮮やかな緑を眺めながら伸びをする魔梨沙を、文は感情のない目で見詰める。

 

「ありがとうございました……それでは、今日の取材のお礼として、一言警告を」

 

 文花帖を閉じてから、目を瞑って、少し。再び開かれた目には強い光が感じ取れた。

 既に、文の表情は険しいものに変っている。それは、普段のにこやかな記者のものではなく、山の天狗としての顔だった。

 

「貴女が天狗の関わらない場所で活躍するのは構わない。ただ、山に入るのだけは止めなさい。私達に攻撃の口実を与えることになるわ。貴女の真似する流れる星こそ、我らが天狗。本来ならば、物真似程度では敵わない差があることを理解することね」

 

 言葉の途中から、文の能力によって周囲に舞い起こっていた風は、強さを増して、あっという間に暴風の域に達する。そうして、警告が終わる、その瞬間に文はその風に乗って飛んでいった。

 その姿は、あっという間に青空の彼方へ溶けていく。辺りには優しくない風が吹き散らかり、魔梨沙の頬を叩くようにそれは通り過ぎて行った。

 吹き飛びそうになった帽子を押さえながら、魔梨沙はその力に怯えることなく一言口にする。

 

「文は優しいわねー」

 

 世の中ギブアンドテイクとはいえ、欲していない相手にも与えるとは律儀なことだ。そして、記者として培った視点なのかもしれないが、格下の存在にまで目をかけるような妖怪は、珍しい存在であると魔梨沙は思っている。

 とはいえ、お世辞にも性格がいいとはいえない文を優しいと形容するような者は珍しい。本人が聞くことがあれば、きっと愉快に顔を歪めることだろう。

 しかし、頓珍漢な言葉は風にバラバラにされて、届かなかった。故に、ただ感想は魔梨沙の豊かな胸に収まり、そして文の言葉になるだけ従おうと思わせている。

 

 だが、その忠告が長く活きることはなく、何年か後に二人は対峙することとなるのであるが、しかし、そんなことも予想もしていない今。魔梨沙は、箒をギュッと握って文と同じように空を飛ぼうと試みていた。

 

 

 

 



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第二十六話

 これは水着回……なのでしょうか。


 

 

 

 照りつける強い陽光に、湿度の高い空気が相まって、止まらぬ汗は長々と垂れて頬を伝う。幾ら帽子を被って日差しを避けていても、熱された地面と近くあればその身の温度は上がっていく。

 これはたまらないと、星柄の綺麗なガラス製で、しかし保温保冷機能は外の世界と同等の【魔法】瓶から塩味の利いた水を飲み込み、涼を取る。

 そうしてから、しばらく日向に突っ立っていた魔梨沙は、目の前の社殿の奥に向って声を上げた。

 

「霊夢、まだー?」

 

 夏空の下で、少しくたびれたその声は、虚しく響く。やがて返事は少し経ってから、紅白の目出度い姿と共に来た。

 

「遅れてごめんなさい。今用意が出来たわ」

 

 用意、とは言っても霊夢は水着か下着にタオルが入っているだろう大きめの巾着袋を持っているだけである。

 それを持ってくるだけで何分もかかるわけもなく、ならあれかと思い、霊夢のオープンな脇に覗く伸縮性の高そうな布地を見て確信する。

 

「その下に、水着を着て来たの?」

「そうよ。だって……着替えるところを見られたら恥ずかしいじゃない」

「あたしは、別に気にしないけれど」

「ちょっと……魔梨沙は気にしなさいよ。そんな目に毒な体をしてるんだから」

 

 霊夢はジロジロと、魔梨沙の全身を見詰めた。何時も紫のワンピースを着ているから分かり難いが、魔梨沙は随分とメリハリのある体をしている。

 それこそ、もう体は少女を越えて女性の、しかも発育著しいものの部類に入っているだろう。少女らしい控えめな霊夢のものとは比べ物にならないそれは、女性からは羨望、男性からは欲望の篭った視線を向けられるに違いなかった。

 しかし、当人はそんな自身の価値には興味ないようで、さらりと、霊夢には認められないことを口にする。

 

「あたしは向こうに行ってから着替えるつもりよ。霧の湖の畔なんて妖怪や釣りに来るお爺さん達が時々来るくらいで、どうせ誰もあたしなんて見ないわー」

「それでも、偶々里の若いのが来ていたりしたらどうするのよ。その手提げ袋の中に詰め込めるような小さなタオルじゃ全身隠せないじゃない」

「その時は、あっち向いていて貰うわ」

「はぁ……ちょっとこっち来なさい」

 

 霊夢は、男性の煩悩の醜悪さを知っている。人里にて物陰で男たちが喋っていたのを発見した霊夢は何事かと思いこっそり近づいたことがあった。

 果たして、彼らがしていたのが猥談であり、しかも対象となる人物が魔梨沙であるということは今より更に幼かった霊夢には受け入れられるものではなく、彼女は我慢できずに、大声を出して男たちを追いかけたことがある。

 思春期特有のものもあるのだろうが、そんな経験もあって、霊夢は幼い頃から見知っている森近霖之助以外の男性を信用していない。

 だから、このどこか危機感の欠ける姉貴分を守らなければと、思うのも当然だった。

 

「引っ張らないでー」

「問答無用。あんたの分のタオルも私が持ってくるわ。少しは魔梨沙も慎みってものを覚えなさい」

 

 仕様がないわね、と着替えさせるために霊夢は魔梨沙の手を引く。しかし、社殿の奥、母屋へと魔梨沙を引っ張っていく霊夢は、どことなく何時もより楽しそうだった。

 それもその筈修行漬けの魔梨沙には珍しいことだが今日霊夢は、霧の湖で一緒に遊ぼうと、誘われこれから大いに楽しむ予定なのである。

 昔のように二人きりではないことが不満であるが、それでも久しぶりに一緒のお出かけに、霊夢のテンションは間違いなく上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 さて、妖怪が多く水場は危険と認知されている幻想郷で独自に水着の発展があった訳がなく、外来のものを再現する技術もまた存在しない。

 しかし、さらしに褌や、下着にて、水泳を楽しむというのは少女の美意識に羞恥心が許さなかった。とはいえ、着衣水泳というのも泳ぎ難くて選択肢に上げられない。

 河童に頼めば簡単にそれらしい機能性ばかり充実した代物が得られるだろうが、今回彼女たちが欲したのはデザイン性も高いもの。

 材料さえ河童などから手に入れれば、先進的な魔界から来たアリスには両立した水着の制作も可能であるが、そうそう個人に沢山の量を頼むことは出来ない。

 そんな中で、今年博麗神社の宴会にて集まった経験のある人妖達が、それぞれ気に入った水着を手に入れることが出来たのは簡単なこと。

 それは、紅魔館組が皆の分をオーダーメイドさせて、外の世界から取り寄せたからだった。一応、それくらいならいいわ、という紫の許しも得ている。

 

「レミリア達に感謝ねー」

「そうね。こうも希望通りの品が届いたのは、むしろ怖いくらい。……それにしても、魔梨沙はやっぱり紫が似合うわね。普段と露出の差が著しいけれど、見えるところが引き締まっているからかしら、いやらしくなくて健康的」

「アリスも爽やかな水玉が可愛らしいわ。それに肌の白さと、素地の白が噛み合わさっていて、透明感が抜群ねー」

「ありがとう、魔梨沙」

 

 ここは霧の湖、朝霧が晴れた頃合いで夏の日差しが眩しい中で、魔梨沙とアリスは会話をしていた。

 アウトドア派の魔女である魔梨沙は、日焼けを気にせず、紫のビキニを堂々と着こなしている。

 一緒になってやって来たアリスと霊夢はフリル状の装飾を施されたワンピースの水着で、それぞれ青い水玉模様と赤いドットの柄が似合っている露出控えめのものを着用していた。

 どうしても目立つ魔梨沙に対して可愛らしさで差別化を計った形であるが、頼んだ水着が妙に被っている辺り、仲は悪い二人であるが、どうも根本では似たもの同士であるのかもしれない。

 しかし、アリスと霊夢の魔梨沙に対する距離は違った。方やアリスは目立つ樹の下に衣服を置いてからずっと魔梨沙の傍にいるが、霊夢は少し離れた位置をとって何やらもじもじとしている。

 

「霊夢も、恥ずかしがらないで寄ってくればどう。これから遊ぶんでしょ?」

「差がありすぎてあんたと並ぶと自分が情けなくなるのよね……まあ、そんなことは気にしてられないか。それで、アリスに対してはそんな感想だけれど、私の水着姿は……どんなもの?」

「そうねー。花状のフリルは可愛らしさを際立たたせているし、私の紫は自信ないけれど、やっぱり紅白は霊夢の色よね。黒髪と相まって神秘性を感じられて、より綺麗に見えるわ」

「そ……ありがとう」

 

 魔梨沙がアリスと霊夢に伝えた感想は本心からのものである。無邪気な笑顔が、如実にそれを教えてくれた。

 だから、先から少し顔を赤くしているアリスもそうだが、霊夢も照れて顔を俯かせている。二人共素直な方であるが、真っ直ぐな好意には弱いのだ。

 魔梨沙はそんな二人の様を見て、更に可愛らしいという思いを強めて笑みを深めて、そんな彼女たちを危険に晒さないよう抜け目なく辺りを注意していたりした。

 

「それにしても、水遊びは今夏二度目だけれど、やっぱり楽しみね。二人共、準備運動は欠かしちゃ駄目よー」

「分かっているわ。小さいころに教えてくれた変な体操をやればいいんでしょ?」

「ラジオ体操第一ねー。あたしはあれを一日も欠かしたことはないわよー」

「私も教わったわね……いちにいさんし、と。魔梨沙、一度目っていうのは妹さんと河童で遊んだっていう時のこと?」

「そうよー」

「よく尻子玉抜かれなかったわね……」

「そういうことするような子には注意していたから」

 

 日に白く眩い身体を念入りに動かしながら、少女達は会話をする。その様子を見ていた妖精は、奇妙な動きを始めた三人に驚き、目を白黒させていた。

 会話の通りに、魔梨沙は先日、妹と人里で偶々一緒になったにとりを連れて玄武の沢へ水遊びにいっている。

 最初は大人しく水と戯れて涼を取っていただけだった。だが、それは河童たちが持ってきた巨大水鉄砲によって様相を呈する。

 水鉄砲は水力だぜ、といわんばかりの大量の水弾を大いに味わった全員は、それはもう泳いだと変わらないくらいにびしょびしょに濡れてしまう。

 開発中の新型尻子器を試用しようとする河童を退けつつ、魔梨沙は妹と一緒ににとりとさようならをして、鬼の待つ家で着替えてから人里へ戻った。魔梨沙がぶかぶかの服を着た妹と霧雨店の前で名残惜しげに別れたのは、三日前のことである。

 

「それにしても、意外と集まらなかったわね。宴会の時に聞いた時には、もう少し来るかと思ったんだけれど……」

「私としてはあんたもいなければ都合が良かったけれど、まあ、確かに宴会と比べて集まりが悪いわね」

「霊夢、そんな悪口は言っちゃ駄目よー。まあ、確かに三人っていうのはちょっと少ないけれど、まあここにはチルノみたいな妖精も、姫様、わかさぎ姫だって居たりするし、これから増える可能性だってあるわ」

「まあ、大体用事があるみたいだから、希望的観測だと思うけれど。それにチルノにやって来られたら寒くて困るわよ」

「それもそうねー、わ、冷たい」

 

 チルノのことは嫌いではないために、遭遇を楽しみにしていた魔梨沙であったが、その冷気を操る程度の能力の強さを忘れていて、そういえばこんな姿で会って纏わりつかれでもしたら、風邪を引いてしまうわねと苦笑い。

 魔梨沙は水に足をつけながら、来ない者達のことを思う。水着を配ったものの、水泳施設は建設中で、今回は吸血鬼の苦手な流水がある日中の湖に、スカーレット姉妹は来られなかった。ならばお付きのものも、パチュリーも当然に。

 プリズムリバー三姉妹は、そもそも水泳に興味がないそうだが、更にはサマーライブに関する音合せ等に忙しいらしく、ファンの魔梨沙は邪魔をしたらいけないと深くは誘わなかった。ちなみに、ライブの最中に水着姿になることを計画しているらしい。

 幽々子は最初好感触であったが、メンバーがアリスと霊夢と三人だけしかまだ集まって居ないことを告げると、邪魔はしないわと妖夢を下がらせ自分も辞退した。冥界には涼を取る手段は沢山あるが、それにしても何か勘違いしているようである。

 中々捉まらない八雲家の中でも、橙は相変わらず宴会に顔を出していたので尋ねたが、水は嫌いっ、と逃げられてしまった。

 萃香は水着を大事に頂いたが、今回の水遊びには来ない。紅魔館にお呼ばれされている、その方を優先したようである。

 対策するような必要がないね、これくらいの熱さなんて気になるものじゃないよ、と言うのが焦熱地獄でも平気にしているだろう鬼の言葉だった。

 同じように、幽香も魅魔も、水着は物珍しげに貰っていたが、それを活かそうとまでは思わなかったようだ。

 

 そんなこんなで、三人ばかり。しかしそれでも水の冷たさに興奮し、それを手で掬ってかけあい全身濡れるまで楽しめば、中々に盛り上がるものである。

 ざぶんと、頭まで水に浸かった魔梨沙は鍛え上げた身体能力を用いて水の中で踊った。魚が逃げ惑う姿が中々に愉快で面白い。ちょっと身体についた脂肪が邪魔ね、と霊夢が聞けば怒りそうなことを考えながら、魔梨沙は遠泳を始める。

 それに付いていこうとするアリスを見ながら、霊夢はため息を付いて、涼み、貝を拾ってみたりしながら戻って来るのを待った。帰って来る頃には、都会派のアリスはへろへろになっていたが、魔梨沙はそんなアリスの隣で余裕の笑みをみせつける。

 

「うふふ。久々に泳ぐのは楽しいわー」

「アリスはそんなものでしょうけど、やっぱり魔梨沙は体力馬鹿ね。どう、水着で泳いだ気分は」

「昔は裸で泳いでいたけれど、やっぱり水着を着た方が、気分が出ていいわねー」

「はぁ、はぁ……なっ! 魔梨沙、そんなことをしていたの?」

「子供の頃の話だけれどねー。最近は霊夢や妹に止められてろくに泳げなかったわ。そういえば、妹とはよく一緒したけれど、霊夢とはあまり泳いだりはしなかったわねー」

「だって、裸、そうでなくてもさらしに下着だけ、なんて恥ずかしいもの」

「それは同感ね……魔梨沙も、少しは人の目を考えなさいよ」

「朝に私が言ったわ」

「そう……」

「ふー、気持ちいいわー」

 

 犬みたいに身体を振って、水気を取りながら全身の肉を揺らす魔梨沙を目に入れ、アリスは異性から見たら扇情的だろうその風景に過分な幼さを感じて言葉を継げられなくなった。

 あれは、霊夢が言ったこともつい先に自分が言ったことすらも聞いていないのは間違いないだろうと思える。人の目を気にしなさすぎる姉貴分に、二人の妹分は同じく意識して欲しいと考えた。何故なら、その身は二人にとって大事なものなのだから。

 しかし、当の魔梨沙は、そんな二人の気持ちが今ひとつわからない。何せ、魔梨沙は強さのためには自分の心身すら切り捨てるべきと考えていて、照れや恥ずかしさなんて、修行の初期段階で捨て去っていたのだから。

 だから、こんな贅肉ごときで大騒ぎしすぎね、と手の甲で胸を持ち上げて、はしたなくそれを離して弾ませる。ただ、そうすることで見つめてくる二人の視線の色が嫉妬の緑に変るのは面白いと、魔梨沙は思った。

 そして、何を思いついたのか、魔梨沙は悪い顔をする。

 

「まあ、持つものは持たざるものの気持ちなんて分からないものよー。……うふふ、怒ったかしら。捕まえたければ、追いかけて来なさい。そんなスッキリした身体しているんだから、泳ぐのは楽でしょ?」

「この、人があんたの身を心配しているのに、魔梨沙!」

「そう言うことはないんじゃないかしら、魔梨沙。ちょっと待ちなさい!」

 

 そして、二人で遊ぼうと思った魔梨沙は、挑発をしてから湖にドボンと飛び込み逃げた。珍しく調子に乗った魔梨沙を追いかけ、霊夢も、アリスすら疲労を忘れて追いかける。

 しかし、当然のように普段から運動不足のアリスは魔力でカバーしてすら追いつけず途中で脱落。そして、運動神経が天才的な霊夢は、魔梨沙直伝のクロールで何度も追いつきかけるが、しかしまるで後ろが見えているかのように魔梨沙はその手を躱す。

 こいつ、水中でも避けるのが得意なの、と驚愕しながら追いかけていく内に、霊夢もガス欠をして、逃げられる。疲れ、プカプカと水に仰向けに浮かぶアリスと霊夢。

 そして湖を一周し、わかさぎ姫に挨拶してチルノの不在を確認して来た魔梨沙が二人を回収して、この小さな騒動は終わった。

 

 

 

 

 

 

「あれ……着替えがないわね」

「はぁ、本当。どうしたのかしら」

「あー、これはイタズラ好きな妖精の仕業ねー。あたしが気付かなかったということは、あの子達がやったという可能性が濃厚だわ」

 

 あの後も、更に遊んだことで疲れてふらふらして頭を回せないでいる二人を、そろそろ昼で霧が出てくるからと引き連れて、ビーチサンダルをぺたぺたさせながら歩いて来た魔梨沙は周囲を見渡す。

 着替えも持ち物も、全て少し他の木々から離れていて目立つ木陰に置いていた筈である。そこにないとなれば、誰かが盗ったか隠したかしたということだろう。そんなイタズラ程度のことを起こすのは、人間か妖精くらい。

 そして、泳いだりしながらもちょくちょく辺りに何者かいないか確認していた魔梨沙の警戒をすり抜けて、そんなことが出来る存在は少ないもの。

 赤い瞳に力を込めて、よくよく見れば、小さな力が三つ集まっている。そこに向かって、魔梨沙は小さな星を投げた。

 

「ぽいっと」

「うわわわ」

「きゃあっ!」

「危ないっ」

 

 大きな音と光を発して、爆発する星。

 そして何もないはずの宙から現れたのは、妖精三匹。サニーミルク、ルナチャイルドに、スターサファイアの光の三妖精は三つの手提げ袋をそれぞれ抱えながら、魔弾の爆発のショックによって目を回している。

 

「あたしにはその能力は利き辛いって何度も忠告しているのに。やっぱりそこら辺は妖精なのね。ほら、アリス、霊夢。ちゃんと手提げは膨らんでいるわ。中身は隠されてなさそうよ」

「あ、こいつらよく神社の近くでイタズラ仕掛けてくる妖精じゃない」

「何、二人共この妖精達を知っているの?」

「幼い頃からの腐れ縁ねー。この子たちが霊夢にイタズラを仕掛けて、それをあたしが能力で見破るっていうのをずっと繰り返しているわ」

「能力で見破る……ということは、先みたいに隠れたり出来るような能力をこんな力のない妖精が持っているっていうこと?」

「そうよー」

 

 そう、大した能力を持たないものばかりの中で、彼女たちは実は破格の妖精である。しかし、見えず聞こえずとも、魔梨沙は力を見つめて相手を把握することが出来るために、彼女たちの力は殆ど意味を成さない。

 

「うーん……って魔梨沙さん!」

 

 茶髪で赤が印象的な洋服を着ていち早く光の衝撃から立ち直ったのは三妖精の中でもリーダー格、日の光の妖精サニーミルクである。

 先ほど姿がまるで見えなかったのは、光を屈折させる程度の能力によって光学迷彩のように姿を隠していたからだった。

 

「痛た、スターの言った通り、あれは魔梨沙さんだったのね……」

 

 そして、次に起き上がってきたのは、着痩せ気味な普段と違って実りを見せつけるその姿から魔梨沙とは違うのではと意見し撤退を遅くしていた、金髪縦ロールが特徴的な月の光の妖精ルナチャイルド。

 そんな三匹の相談がまるで魔梨沙達に届かなかったのは、彼女の持つ周りの音を消す能力によって三妖精の間に響く以上は消されていたためだった。

 

「……だから言ったじゃない、人間は直ぐに成長するって。それに、博麗の巫女と一緒にいる赤髪赤目の人間が魔梨沙さんじゃなければ誰だっていうのよ」

 

 まあ、最初誰のものか確認しないで隠そうと提案した私が悪いのだけれど、とポンポンと、おしりに付いた土を払いながら起き上がってきた、腰までの黒髪とリボンや衣服の青が特徴的な妖精は、星の光の妖精、スターサファイア。

 スターサファイアは動く物の気配を探る程度の能力を持っていて三匹の中でも智将的な役割を持っているが、今回は特に何も出来てはいない。

 

「で、どうするの、こいつら」

「そうねー、普段はお仕置きするところだけれど……今回は被害も特にないし……」

 

 今まで尻叩き等の罰を受けたこと思い出し、逃げたり暴れたりすることもなくただ怯えて集い固まる三匹の前で、魔梨沙は顎に手をあて考える。

 さて、今までは被害があった時にお仕置きしていたが、今回も説教をして開放するだけでいいだろうか。それだけでは何時もと変わらず、魔梨沙が居ない時を狙ってイタズラをすることに変わりないだろう。

 ならば、いいように使って働かせてやれば少しは懲りるのではと考えたが、別に妖精の手が必要なことなんて、と魔梨沙は考え至った時にはたと思いついたものがあった。

 自分に恥ずかしさを覚えろと語る彼女たちが、青空の下タオル一枚で身体を隠して着替えることに照れを感じないなんて事はありえないだろう。なら、今回サニーミルクに限ってはいいように利用してあげられると魔梨沙は考えた。

 

「それじゃあ、あたし達が着替えるところを隠してもらいましょうか。あたしはともかく、霊夢とアリスは恥ずかしいでしょ?」

「そうね……でも、こいつらちゃんと言うこと聞くのかしら」

「魔梨沙、実は周囲に丸見えだったなんて、私は嫌よ?」

「あ、あの。それぐらいで済ましてくれるなら、ちゃんとやりますよ!」

「三人分くらい隠せるわよね、サニー」

「も、勿論よ」

 

 今更そこら辺の妖怪よりも強い魔梨沙の恐ろしさを思い出した三妖精は、もうお尻ペンペンはごめんだと、能力を使うだけという簡単な魔梨沙の提案に乗っかろうと必死になる。

 そんな三匹を見るアリスに霊夢の視線は冷たいまま変わらなかったが、魔梨沙はにこりと笑って目を細めてその視線の熱を強めた。

 

「まあ、大丈夫。手を抜いて、力を緩めたらあたしは直ぐに分かるから。確りとよろしくねー」

「は、はいー」

 

 そうして、三匹から大小それぞれの手提げを取り戻した魔梨沙達は着替えを始める。ルナチャイルドにスターサファイアは、自発的にその手伝いをしようとしたが、むしろ少し邪魔になっていた。

 帽子を深く被って何時もの魔女に戻った魔梨沙は、気合を入れて能力を使ったために少し疲れの色を見せるサニーミルクを労う。

 

「じゃあね。それじゃあ、もうこんなことは止めるのよー」

「と、いうよりもなんであんたら私を付け狙うのよ……」

「同レベルに見られているんじゃない?」

 

 それぞれ夏用の衣服に着替えた三人は、強い陽光に炙られ直ぐに引いた汗が湧き出る前に、飛び立とうとした。しかし、そこで声がかけられる。

 

「あのー。魔梨沙さん達。泳いでいる時に素敵な服を着ていらっしゃいましたけど、あれは何処で手に入るものなのですか?」

「サニー。せっかく私達を放って去っていくというのに……」

「ルナの忠告も、もっともだけれど、でも、気になることは確かね。素材も河童の服みたいだったし、あれは人里で最新の水泳するための洋服だったりするのですか?」

「うふふ。そうねー、あの水着は確かに人が作ったものだけれど、ちょっと紹介するのは難しいわ。河童に頼んでみたらどう?」

「河童みたいな妖怪が妖精の相手をしてくれるわけないじゃないですか……」

「でも、吸血鬼はもっと相手にしないのよねー」

 

 吸血鬼、という言葉にビクリとする三匹を眺めながら、魔梨沙は少し思案した。何時も迷惑をかけてくる相手の望みを叶える必要なんてないが、でも興味が移ればイタズラをする回数が少なくなるかもしれないと考えられる。

 とはいえ、わざわざ河童やレミリアに頼みに行くのも面倒だと思って無理だと断ろうとする、そんな魔梨沙にしかし多少の申し訳無さが浮かんでいたのを見たアリスは、魔梨沙が何か言おうとするその前に、口を挟んだ。

 

「仕様がない。私が見繕ってあげるわ」

「そういえば、魔界からなら水着の一着や二着簡単に取り揃えられそうだけど、紫から輸出入を規制されているって言っていたのに大丈夫なの、アリス?」

「まあ、水着三着くらいなら。でも、妖精の水着なんて、河童から買ったあの材料から私が作った方が早そうね。まあ、人形に着ける水着の練習と思えば、それも悪いことではないかもしれないわ」

「あんたも変わり者ね。妖精に施しを与えても、何も返ってこないのに」

「妖精相手に見返りなんて期待していないわよ。ただ、そう……気が向いたからね」

「ふーん……」

 

 アリスは、自分に邪魔のならない範囲で頼られれば助けるが、普通は今回のように横から出てきて援助をしようとすることはない。

 ただ、今回は魔梨沙の表情が陰ることが気になってしまい、思わず手が出ただけ。それを察して、ついでに話が纏まって満足そうにニコニコしている魔梨沙の表情を見た霊夢は胡乱な表情をした。

 

「ありがとうございます! えっと、アリス、さん?」

「アリス・マーガトロイドよ。陽光の妖精さん。一番わかり易くて安心なのは……魔梨沙の家かしら。二、三日後に魔梨沙に渡しておくから、忘れていなかったらその後に受け取ればいいと思うわ」

「私、絶対に忘れません! 魔梨沙さんも、その時はよろしくお願いします!」

「そうね。あ、そうだ。あたしの代わりに鬼が出迎えするかもしれないけれど、別に取って食われたりはしないから、安心しておいてねー」

「お、鬼? そういえばルナが持ってきた新聞で見たような……あ、そうだ、アリスさん。水着、っていうのは色とか柄とかのリクエストは出来ます?」

「まあ、ある程度なら大丈夫よ」

「わぁ! それじゃあ、あの……」

 

 サニーミルクを筆頭に、三妖精はアリスの元へと集っていく。そうして、彼女らは口々に自分の希望を言い始める。それを一斉に頭に入れるアリスは大変であるが、雑多な入力にむしろインスピレーションを刺激されたりもした。

 霊夢はつまらなそうにあくびをし、そして魔梨沙は期せずしてアリスに親しくする者が増えて良かったと思い笑顔のまま三匹と二人を眺める。

 そしてそういえば、この三匹も自分たちと一緒で、赤系色、それに金髪に黒髪という組み合わせだと思いながら、魔法瓶を開けて一口呑んだ。

 同じく竹筒にて水を飲んでいる霊夢と一緒に、輪の外から慌てるアリスを眺めて、魔梨沙はふと思う。

 

「玄武の沢辺りでなら大丈夫だろうけど、ここら辺で遊ぶとチルノが束ねる妖精たちと鉢合わせしかねないわね。あの三匹が嫉妬されなければいいのだけれど」

 

 魔梨沙の想像通りに、絡まれた三妖精はチルノと仲違いをして、本来のものよりも早く妖精大戦争が始まったりもしたが、未来の変化には誰も気づくことなく。また、そんなことはどうでもいいことだった。

 ただ、三人と三匹は、霧が出始めた湖から離れ木陰に移動しながら、蒸し暑い夏を堪能する。魔梨沙にとっては、再び背筋を通い始めた汗が印象に残る、そんな一日だった。

 

 

 

 



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永夜抄編
第二十七話


 

 

 あたし、霧雨魔梨沙は、星が好きである。まず、大本の距離や大きさは違えども、夜を明るくしすぎないくらいに天を賑やかせているその有り様が素敵だ。

 色とりどりに、瞬いたりして、決して大きくないその存在は自己を主張する。それが集まる天の川なんて、ついつい見惚れてしまうほどのもの。

 そのように、小さな中でも、流れたり、爆発したりして、宇宙を彩り大いに美しくさせる、その姿は弾幕に通ずるものがあるとも思っている。

 だからだろうか。あたしは、教わった魅魔様の魔法をアレンジして、よくよく星を真似た。趣味を同じくする妹と一緒になって、弾幕の形を考えたのも、色褪せぬ思い出だ。

 真似るからには、天を眺める必要がある。あたしは、人並み以上に夜空を見てきた。季節や時刻を天に見る、そんなことは当たり前。どんな些細な変化も気づくことが出来ると、自負していた。

 

「そんなあたしにしたら、今回の異変は分かり易いわねー」

 

 空をいくら見ても全く変化がないというのは、それはもう、とてもおかしなこと。そう、時間が経とうと天が一向に動かないという異常事態がここに起きていたのだ。

 このままでは夜が永遠に続いてしまうことだろう。それに、おまけとばかりに、よく見れば月がちょっと欠けてまでいる。

 時を止められる知り合いは居るけれど、月を砕く知り合いも居るけれど、それでも普段から天を望んでいるあたしの知らない内に両方を成すというのは難しいことだろう。

 しかし、今回の異変を起こした相手は、難なくあたしを出しぬき、夜を永くして、どうしてだか月を弄った。

 ひょっとすると、あたしの知らない大妖怪の仕業だろうか。月も、夜も妖怪に縁深いものであるし、それは充分にありえることと思えた。

 

「なら、今回は霊夢の本業異変解決の邪魔を考えずとも、あたしの本業妖怪退治に連なる事件にもなりそうだから、先に動いてもいいかしら?」

 

 しかし、勝手に動くことは、流石に拙いのかもしれない。今回の相手は危険そうだという、そんな予感を抜きにしても。

 前々回の紅霧異変も、前回の春雪異変も、萃香の事件も人里では砕月異変として知られている。それらを解決したのが、まあ一つは合っているけれども、全部があたしとなっているのは困ったところ。

 あたしが説明することで何とか、その都度霊夢は異変解決の礼として金銭などを貰えている。けれども、それは完全に個人で解決したものではないと、ケチを付けられて充分なものではない。

 怒ってあたしは抗議したが、霊夢がそれでもいいと引いてしまってはどうしようもなく。だからあたしはちょくちょく霊夢に詫びを篭めて差し入れしたりして、飢えさせることなくしていた。

 今回も、砕月異変の時のように、まるきり全部があたしの手柄となっては霊夢が糊口を凌げない。とはいえ、あたしを救ってくれた幻想郷の異変を見逃すわけにもいかず。

 

「とりあえずは神社に行って、そうして話し合ってからにしましょうか」

 

 考えをまとめたあたしはそう、独りごちる。勘のいい霊夢のことであるから、既に解決へと向っているかもしれないが、まあ止まっている夜の中で寄り道しても些細な違いにしかならないだろう。

 そう思い、あたしは玄関前にて上げていた頭を戻して、近くに立てかけてあった竹箒を手に取る。

 宙に箒を浮かべ、さあそれに乗っていこうと思ったら、目の前に霧が萃まって、一匹の鬼の形になった。

 

「おお、流石だねぇ。もう異変に気づいているんだ」

「そうね、萃香。何だか夜が止まっているみたいなのよ。後は、満月が欠けて見えるのも妙だわー」

 

 つい先程まで見当たらなかった同居人に、あたしは端的に事態を説明する。

 酔っ払っているのは変わりないが、何時もと違って少し真剣味を感じられるその表情を見て、やはりこの異変は大変なものであると痛感できた。

 妖怪の星座にされている伊吹童子も恐れるような天の異常。普段よりも、気を張って掛かった方がいいと、あたしは理解する。

 

「そうだね……前者は、正直なところどうでもいいんだ。妖怪にとって、問題は後者だ。満月に異変が起きているのが問題さ。手伝ってやりたいくらいだけれど……異変解決は人間の仕事、だっけ?」

「そうねー。妖怪の力を借りた、ってなるとまた霊夢の査定に響きそうだし。まあ、依頼してくれるならそれに応えるよう努力するわ」

「そうかい。じゃあ、頼んだよ。今回は天に映る月を私が壊した時の比じゃない異変だ。本物の月を取り返してきておくれよ」

「承ったわー」

 

 そう言って、時は金なり、でも停まってしまったらその価値大暴落ねと思いながら、あたしは急いでその場を飛び立った。

 夜空に溶けたあたしは、風景をどんどんと置き去りにしていく。箒を新調してからどうしてだか飛行の調子が良い。いや、それは文の飛行を真似てからなのかもしれないけれど、どちらにせよ速度域が広がってきたことは歓迎である。

 そうして、魔法で弱めた筈の風を強く受けながら、自分でも驚くほど速く神社の赤を目に入れて、そうして呟いた。

 

「本物の月、ねー……」

 

 あっという間に風に流されていったその言葉は、宵闇に消える。しかし、口の中で転がした疑問はなかなか消化されることはない。

 一度、聞き流してしまったが、確かに萃香は本物の月を取り返せ、と言った。ならば、この空に浮かぶ傷ものの月は、偽物なのだろうか。また、本物の月を隠すとは、いかなる力を持ってのことなのだろう。

 まだ見ぬ下手人への期待は膨らみ、それが満ちて満月のようになった時、あたしの頭には一人の人物の姿が思い浮かんだ。

 

「魅魔様」

「やっぱり来たね、魔梨沙」

 

 満月、そして知る限り最強の人物。あたしが仰ぐそんな亡霊は、風を切って周囲の玉砂利を転がしながらあたしが止まった時に、神社の奥からふわりふわりとやって来た。

 青い三角帽に衣服が目立つその全体を覆う魔力は月光によって冴え冴えと輝いている。しかし、それでも完全ではないとあたしは知っていた。

 何時もの満月下における魅魔様は、更に畏怖を抱かせるような重みをその増しに増した魔力に持たせている。それを思うと、今日の魅魔様には、月光による影響が足りていないと考えられた。つまり、今昇っている月は【弱い】のだろう。

 

「霊夢はもう行ったよ。紫に連れて行かれてね」

「え? 紫なら、異変解決は人間に任せるって言いそうだけれど、自ら動いたの?」

「むしろ、こんな異変時を止めてでも今夜中に解決させると、息巻いていたね」

「なら、時が停まっているのが本来の異変ではなくて……あの偽物の月が問題なのね?」

「その通りよ。何者かが術を使って本物の月を隠している。通常では考えられないことよ……ひょっとすると、私でも危ない敵なのかもしれない」

 

 そう言って、月を睨む魅魔様の顔には、大いに敵愾心と危機感が表れていた。

 こうまで表情を複雑にしている魅魔様を見るのは久しぶりのこと。確か、最後は魔道に触れてからこの方話せる人が減ってしまったということを小さい頃のあたしがぼやいた時だったと思う。

 なるほどやはり、敵の力は強いのだろう。あたしでは、危ないどころか敵わないくらいに。しかし、そう知ったところで魅魔様について来て欲しいと思うほど怖気づくほどのものではない。

 

「大丈夫よ、魅魔様ー」

「どうして、そう言えるんだい?」

「だって、魅魔様でも危ない、といった【程度】の敵なのでしょう?」

「……そうだね」

 

 そう、その【程度】の力の持ち主を乗り越えた時に、あたしの力はどれだけ増していることだろう。あたしが為すべきことは、今出せる限界を超えて勝ればいいという、それだけのこと。

 口元が釣り上がるのが止められない。不安げにあたしを見る魅魔様に向って、あたしは胸を張って、宣言する。

 

「目標は、何時かは超えなければいけないもの。魅魔様でも難しいと言うのなら、大丈夫。あたしは今宵、魅魔様を超えるから」

「ふふっ……全く、可愛げのない弟子だこと。でも、それでこそ魔梨沙だ。そこまで口にするなら、見事この異変を解決してきなさい!」

 

 あたしの言葉に恐れを振りきった様子の魅魔様は、盛大にあたしの背中を叩いた。痛がるあたしを他所に、宙に浮かしておいた箒にあたしを乗せる。

 

「無事に帰って来るんだよ」

「きっと、強くなって帰ってくるわー」

 

 一撫でされてから、あたしは再び空を往く。やる気は満々。恐れるものなんて、要らないものを削りきって空っぽのあたしには何もなく。ただ無謀にも、恐るべき相手に単身挑む。

 あたしに出来るのは守破離の最初だけ。でも、そればかりは得意だから、強い人から教わろう。そして、幻想郷のためにも相手を破れたらいいな、と思わなくもない。

 

「とりあえずは、霊夢達を見つけないとねー」

 

 まあ、そんな取らぬ狸の皮算用なんて、後回し。まずは永遠と化した夜を取り戻さないといけない。

 妖怪にとっては今日中に解決しなければならないと焦るような異変みたいだけれど、それよりも停まっている夜のほうが、人間にとって有害だと思える。

 まだ見ぬ強敵よりも先に、時を止めているらしい紫をやっつけることが先だろう。そうあたしは考える。

 

「でも、こっちって、人里以外に何かあったかしら……まさかあの二人が聞き込みをする訳がないと思うのだけれど」

 

 魅魔様からこっちへ行きなさいとあたしの家、ひいては人里へ向かう方に行かされたことに、奇妙な感覚を覚えながらも、あたしは箒を駆り風となった。

 

 

 

 

 

 

「魔梨沙、今回も無茶を始めていなければいいけれど……」

 

 魔法の森を出て、霧雨邸に向かうために人形とともに宙を行きながらアリス・マーガトロイドは焦っている。それは、今回の異変の恐ろしさに、彼女が気づいているからだ。

 

「こうも簡単に夜を止められたのは、他にも時に働きかける力が複数あったからだけれど……考えられるだけで咲夜、紫、それだけ皆本気ということよね」

 

 そう、限定状況下においてのみ、であるがアリスはグリモワールに依る魔法によって、時を止めることが出来る。

 剣技の極みに時を斬るというものすらあるのであれば、究極の魔導書に時に関する文章がないということは考え難いもの。勿論魔法を使うものの手腕を試されるものであるが、アリスは一流といっていい魔法使い。

 解決する時を幾らでも稼げるよう夜は止めた。しかし、それでも満月を隠した下手人の手腕を思えば、その程度の即席の術なんて何時破られてしまうか分かったものではない。

 

「月を隠して偽物とすり替える、なんてどうすればいいのか。関連した能力持ちならまだ分かるけれど、そうでなく方法を一から考えられるような人物としたら……厄介極まるわね」

 

 今回の異変は、危険。それが、魔界人であるアリスにはよく分かる。今宵は満月による影響があまりに少ない。余程強力な存在でない限り、こんな不完全な満月では殆ど益がないだろう。

 それに頼っているもの、夜の妖怪等には、この異変は致命に近い。少し常人とは離れているばかりのアリスにだって違和感があるのだ。永く続けば妖怪が弱まり、それを認められずに彼らが暴れたりして幻想郷は荒れるに違いない。

 だから、こんな歪な月夜は一夜で終わらせる。そう考えたのが自分だけではないことに、アリスはほっとしていた。

 何せ、最近純粋な弾幕ごっこで勝ちを拾った覚えの少ないアリスには自信が欠けている。戦ってきた相手が悪いといえばそれまでだが、しかし今回目指す相手はより悪い相手なのかもしれないのだ。

 とはいえ時を操れる程の者が何人もかかれば、この異変も簡単に終わるに違いない。そう、アリスは思う。

 

「後は、魔梨沙が無茶しないように合流して見張らないと……きゃっ!」

 

 独り言を零し、魔梨沙と組んで放つことで威力を増す、とっておきの砲撃のアイディアも試してみようかしら、等と考えながらの夜間飛行。たとえ真っ直ぐ進んでいても、注意がそぞろでは危険を避けるのは難しい。

 それでも、アリスが勢い良く飛んできた足を身に掠らせる程度で済ます事が出来たのは、相手の力が確かでないためであった。

 

「あれー。人間、かと思ったら、違った?」

 

 急に現れ、飛び蹴りを放って来たのは、緑髪に触覚が特徴的なリグル・ナイトバグ。妖蟲、その中でも幻想郷ではありふれた存在の蛍が妖怪化した存在が彼女である。

 リグルの周囲にはこれでもかというくらいに蛍が集まり、黒いマントを羽織った彼女を朧に浮かび上がらせていた。半自動的に人形を働かせて異変に昂ぶる妖精を散らせていたアリスも、ちょっとした敵の襲来に、身構えてその姿を睨みつける。

 

「間違っていないわね。私は、生まれた場所が少し違うだけの人間よ」

「そこは夜も光に溢れていたりするのかしら。蛍に感動を覚えない人間なんて、珍しいわ」

「そうね。都会派とはいえ、周囲の明かりのせいで星も見えない夜は、少し寂しく感じられていたかもしれないわ」

「都会ってつまらないところねー。夜光は仄かに辺りを照らすくらいが一番なのに。私の弾幕で、それを痛感してみる?」

「お生憎様。私は今蛍見よりも星見がしたいの。……羽虫を散らすのは、やはり熱かしら」

 

 そう言って、アリスは開きっ放しの魔導書から、巨大な炎を球状に纏めて出現させた。圧倒的なその熱量に、リグルは呆気にとられる。

 一寸の虫にも五分の魂。しかし、所詮は小さき生き物の半分程度。それくらいで、本気になっているアリスを脅かすことなど出来はしない。

 

「ま、待って! スペルカードルール! スペルカードルールを忘れちゃ駄目よ!」

「……はぁ、面倒ね」

 

 しかし、そんな圧倒的な力量の差を覆すことの出来るルールの遊戯がここ幻想郷では広まっている。リグルは青い顔をしながら、アリスに向けて二枚のスペルカードを見せつけた。

 消極的ながらも同意したその際に、リグルがパッと笑顔になったのをアリスは見逃さない。最初から、彼女は弾幕ごっこをしたかったのだろう。

 リグルは、どうやら今回の異変に気づきもしないで、むしろ強大な妖怪が驚き戸惑い軽々と動けない今を楽しみ、遊びたがっているようだ。リズミカルに揺れる触覚が、何となくそれを察しさせた。

 

「魔梨沙と合流する前に、同じようなのが寄ってきたら困るわね……」

「むっ。無駄口を叩く余裕があるの?」

「だって、ねえ……」

 

 アリスがぼやいてしまうのも当然といえるのかもしれない。何せ、相手の弾幕が薄くて避けるのに容易いものなのである。

 展開し、僅か斜めから来る緑色と黄色の米粒弾は、離れていれば散らばり結果的に道ができた。その先が行き止まりならば、なるほど難しいものと取れるが、そういう訳もなく。

 苦し紛れに放たれた黄色い小玉弾の周りで、使い魔となる蟲たちが放つ小粒の弾幕の方が避け難いくらいである。

 何も考えずに発しているのではないかと疑える、そんな弾幕の最中で、アリスは人形にスペクトルミステリーと名付けたレーザーを発させて応戦した。

 すると、大して防御も用意していなかったリグルは早々に音を上げ、まずは一枚目のスペルカードを切る。

 

「くっ、ヤバいのに喧嘩売っちゃったー……灯符「ファイヤフライフェノメノン」!」

 

 リグルの周囲から一挙に、緑色と青緑色の光が散った。それは、先と同じく米粒弾であるが、今度は渦を巻くように周囲に展開されている。

 その弾幕は大量の蛍をイメージしたものか、周囲を行き来する緑系の光は、まるで生きているかのようであった。アリスも、これは中々に綺麗ねと思わずにはいられない。

 しかし、これも的確に狙ってくる使い魔の弾幕の方が危険といえばそうである。美しさと、難易度、その両方を取るのはリグルでなくても難しい。最初の頃の四苦八苦を思い出しながら、アリスはレーザーで相手を射抜いてスペルカードを終了させた。

 

「くっ、やっぱり駄目かー」

「まあ、これくらいならね」

 

 そうして、次のスペルカードの繋ぎのために、輪状に緑色の米粒弾を放つリグルにアリスは焦ることなく避けることを選ぶ。

 これまた、スピードも密度もない弾幕ではあるが、周囲で支援している蟲たちが、黄色の小玉弾を大いに零しているために、難なくとはいかなかった。

 

「二枚目、蠢符「リトルバグストーム」!」

 

 そして、二枚目のスペルカードが切られる。

 リグルの周囲に広がるは、まだ形を成していない光弾。それが次第に色と形を持ち、黄色に緑に、米粒状になってから、辺りに不規則のように散らばっていくのがそのスペルカードである。

 量は増して、斜めから来て交差を見せるその弾幕は、確かに嵐のような様体を見せていて、使い魔達が本体のような先ほどまでと比べれば、美しさに難易度が近くなっていると思われた。

 しかし、これまでの弾幕を総括して、難易度は普通くらいかしらと思っていたアリスを驚かす程にはいかない。

 

「奥の手を使うまでもないわね。さあ、そろそろ焦げた臭いがしてくる頃かしら」

「ううー」

 

 大して熱量を持たない蛍は、高温のレーザーに焼かれて墜ちる。しかし、加減が過ぎていたのか、蛍は直ぐに死んでしまわずに、墜ちる前に気を取り戻して再び浮き上がった。

 

「うーん。負けちゃった……」

「それじゃあ、先に行くわね」

「待って。もう一枚! これで最後! とっておきの最新作があるのよ。もしこれで貴女を倒せても私の負けでいいから!」

「仕方ないわね……」

 

 妖怪と対する場合には、相手の心を折るのが一番手っ取り早い倒し方である。そこまでやらないとしても、こうして再起させてしまったのはアリスのミスであった。

 まだやる気充分の相手を放っておいて、後ろから撃たれでもしたら、大変だ。更に魔梨沙に先行されることを覚悟しながら、アリスはリグルを再び目に入れる。

 

「これがラストスペルよ! 隠蟲「永夜蟄居」!」

「ラストスペル……くっ、とっておき、と言うだけはあるわね」

 

 周囲に渦を巻くように、光弾は展開し、そして米粒弾が広がっていく。緑と黄色のそれが、以前のものとはっきりと違うといえるのは、速度と量に差があるからである。

 何処が蟄居なのかしら、前のものよりよっぽど嵐という名称が似合うわね、とアリスが思うほどに左右から来る弾幕は激しく美しい。リグルの周囲は、多量の光で眩いくらいだ。

 更にはレーザーの射線に入らないようにフラフラと、リグルが左右に動くため、早々に終わらすのは中々難しかった。

 

 別に、相手を満足させるために、わざと負けてしまってもいいと、一瞬だけアリスは思う。この程度の相手に本気を見せるくらいならと、そう考えないこともない。

 しかし、それはただの気の迷いである。霊夢と競うことでアリスの中に最近育ち始めた負けん気は、そんな弱気を跳ね除けさせた。

 

「そう、この程度の弾幕で負けていては、魔梨沙の横に立つ資格なんてないわ」

 

 少しばかり、気が急いていたことをアリスは認め、そうしてから彼女は避けながら当てる、といった難易度の高い技術に挑戦を始める。

 元より人形を平行して動かす事ができるアリスであるから、充分な下地があったのだろう。アリスはリグルの前に合わせながら前後することで斜めの弾を避けつつ、相手にダメージを与えることに成功した。

 

「うーん……」

「じゃあね。今度こそお終いよ」

 

 アリスはリグルの全てのスペルカードを攻略しきって、勝ちを収める。再び墜ちていく光る羽虫になんて眼を向けず、アリスは一度見上げて星を望んだ。

 今回、確かに力を伸ばした実感がある。そこには間違いなく悦びがあったが、それに中毒になるほどではないと思う。憧れのあの人の気持ちを、真っ当な感性をしたアリスは理解が出来ない。

 そう、魔梨沙は歪んでいる。それは間違いない。普通は真っ直ぐ戻すべきなのだろう。だが、アリスは魔梨沙が正しくなって変わってしまうことをすら恐れてしまう。

 

 時は止まって欲しいし、永遠に変わらないで欲しい。そう、アリスは現状に満足してしまっている。

 

「今日の星は、変わらないから素敵ね」

 

 だから、アリスは満月の夜空を眺めて、そう思わずにいられなかった。そして我に返ったアリスは、再び魔梨沙を追うために、前へと飛び始める。

 異変解決は他に任せて、魔梨沙を傷つけないため止まらせるため、アリスは追い縋ろうと考えていた。魔梨沙が変わらないためなら、自分は重りになっても構わない、と彼女は思う。

 

 しかし、此度の異変で、アリスが魔梨沙の横に立つことはなかった。

 

 

 

 



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第二十八話

 

 

 

 上白沢慧音は、今回の異変に対して、過分とすらいえるほどの対策を講じている。

 不完全な月の下、不完全な力のままに、しかし慧音は人里を守るためにと奔走した。今回の異変の恐ろしさを主要な里の人間に説き、彼女は一夜だけならと人里を【なかったこと】にすることに賛同させられている。

 なかったことにする、それは白沢(はくたく)と人間のハーフである慧音が持つ歴史を食べる程度の能力に依るもであり、大概の存在には人里はないように見えて、襲うどころか触れさせることすら出来なくなっている筈だった。

 

「……それも、妖怪の賢者殿には通じていませんか」

「あら。……そうね、私だけでなく【本来の歴史】を知っているそれなりの妖怪には効き目が薄いでしょうね」

「むっ、何、あんたが里を消した下手人?」

 

 里が見当たらないと騒ぐ霊夢の隣で、道士服を着込んだ紫が落ち着いて【あるはずのないもの】を見ていたその姿。それを見た慧音は、迷いの竹林という、その名の通り妖精や地形のせいで人が入ればまず迷ってしまう場所へ向かう方から飛び出した。

 近寄って来る、少し衣服の乱れたその姿と言葉を認めた紫と霊夢の反応は大いに違う。紫は納得とともに安堵し、霊夢は疑問とともに敵愾心をむき出しにした。

 そんな二人の差異を眼にしながらも、慧音は真っ直ぐ紫のみを望む。それは、彼女が博麗の巫女を無視している訳でもなく、ただ妖怪の賢者という里を保護する一の存在に対して真っ先に事情を理解して貰わなければならないと、そう思ったからだ。

 

「ご察しの通り、僭越ながら、此度の異変から里を守るために、能力によって一時里を隠させて貰いました。しかし……スカーレット嬢にも見抜かれていた様子だったのはそういうことですか。私では敵わないような相手に効かないのでは……」

「まあ、だからといって無意味ではないでしょう。私が不在になるこの夜とはいえ、人里という妖怪にとって最も大事な場所を襲おうとするのは中小妖怪がいいところ。貴女とその能力で充分対処できる。それを知らないレミリアは、気になって様子を見に来たのでしょう」

「……何、つまりコイツは里を失くした訳じゃなくて、保護しているってわけなの?」

 

 今回も何時もどおりに問答無用に相手を落とそうとした霊夢であったが、しかしその相手は紫相手に下出に出て、どうにも互いに知己であるような様子も見せている。

 それに会話をよくよく聞いてみれば、目に見えない人里をまるであるかのように語り、そして青くて変な帽子を被った目の前の人間のようでちょっと違いそうな存在が、里を能力で守っているということも理解できた。

 それが分かった上で、手を出すのはただの阿呆である。霊夢は向けていた御札を仕舞い、返事を待った。

 

「その通りさ、博麗霊夢。簡単に言えば、私は人里を無かったように見せるための能力を持っている。それでこの不吉な夜に妖怪から人間を守ろうとしているのさ」

「ふーん。でも、あんた、それだけの力があるの? 紫は認めているみたいだけれど」

「あら、気づかない? 彼女、慧音は既にレミリアと弾幕ごっこをやった後よ」

 

 言われ、霊夢は目を細めて慧音の全体を眺め見る。月光の下よく見てみれば、長く美しい青いメッシュの入った銀髪は所々煤けており、また衣服にも異常が見受けられた。

 

「そういえば、服が破れたりしているわね。そんな前衛的なデザインの洋服を選ぶような性格には見えないし、やられたのね。でも、どうして様子を見に来たっていうレミリアとあんたが戦ったの?」

「スカーレット嬢が里を襲うようなポーズを見せたから、戦わざるを得なかった。しかし、今思えば私の力量を見極めようとしたのだろう。一応、矛を交えたけれども、この通り。無様に負けてしまったよ」

「無様、ねぇ……どこがよ。レミリアと遊んでそれくらいしかダメージを受けていないなんて、むしろ上等なものじゃない」

 

 レミリアのお気に入りである霊夢は、異変にお遊びに色々と付き合わされた経験から、彼女のことをよく知っている。邪気に溢れた子供のようであり、しかし守るかどうかはともかく節度を知っていて、大局を見つめられるような存在。

 そんなレミリアは、子供が羽虫の羽根を千切るに罪悪感なんて持たないように、向かってくる弱者に容赦がないところがある。だが、敗者であっても、力を認めたものに対しては、驚くほどに好意的だ。

 大事な玩具をわざと傷つけるような子供はいない。レミリアの性格を思うに、慧音は彼女に一目置かれるようなものを持っていて、そのために大事にされたということなのだろう。

 今はただの人間っぽいのに中々やるものね、と霊夢は思った。

 

「最低限備えをしておきたいために、出来れば私はここで争うということは避けたい。それに、スカーレット嬢にも教えたが、私はこの月の異変の主犯らしき人物に心当たりがある。ここは私に任せて賢者殿と博麗の巫女には、安心して先に向かって欲しい」

「先ほど出てきた方角からして、十中八九心当たりとは迷いの竹林に居るのでしょうけれど、どうして人里の守護者たる貴女がそんな人気のない場所に潜む者を知っているのかしら?」

「……賢者殿の問いとはいえ、それは少し答えにくいですね。密に語るには私が秘密にしておきたい個人のことも喋る必要が出てしまう。出来れば、それは偶然によるもの、ということで納得して欲しい」

「そう……」

「っ!」

 

 短い紫の返事が終わるか終わらないかの瞬間に、慧音の全身を途方も無いほどの重圧が襲う。

 紫は術一つ行わず、ただ片目を瞑り、一つの目を持って慧音を睥睨しているだけ。しかし、それだけのことで巻き起こるのは、怖気を催させる程の強い圧迫感。

 今回の異変を円満に解決したいがための、紫の追求。本気の威を受けた慧音はまるで蛇に睨まれた蛙のよう。格の違い、それは通常の存在同士であれば、こうして如実に現れるもの。

 けれども、その身に負う凄まじき重圧が刻々と増す中で、しかし慧音は最後まで音を上げることはなかった。

 

「ふぅ。まあ、取り敢えずはそれでいいでしょう。――それでは上白沢慧音。一時的にではありますが、今夜貴女に人里を任せます。必死に守りぬくように」

「……勿論。この一命を賭してでも、守護してみせます」

「まあ、スペルカードルールがあるんだから、あんたもそんなに気負わなくてもいいと思うけれど」

「それを守らないような者こそ、人里を襲うのよ。……あら、予想よりも速い到着ね」

「何? ……って、あれは!」

 

 紫が察し、霊夢が見つけたのは、高速に移動する、紫色の飛翔物体。それは、流れ星のように真っ直ぐ来て、大いに風を伴いながら、二人の前で停止する。

 現れたその人物は深く被っていた紫の三角帽を持ち上げて、その際に紅の髪が跳ね上がって視界の端に散らばるのを面白がった。

 見たこともない親よりも、親代わりの人間よりも、馴染みの深いその姿を目に入れた、霊夢は思わず大きな声でその名を呼ぶ。

 

「魔梨沙!」

「ふぅ。追いついた。さあ、夜を止めている妖怪と……その手伝いをしている人間退治よー」

 

 そして、霊夢は知らずに距離を取っている誰彼の中で、一番に親しい相手魔梨沙に、星の杖を向けられる。

 霊夢には、悪戯っぽく笑んでいる魔梨沙のその言葉が、少しの間信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

「私達を退治するって、どういうことよ。紫はともかく、私が意味もなく時を止めさせると思う?」

「思わないわー。きっと理由があるって考えているし、恐らくは目的不明だけれども影響絶大な今回の異変を絶対に完遂させないために天を止めたんじゃないかって想像してる」

「なら、魔梨沙、どうして君は二人を退治するなんて言うんだ。異変を見逃せないのは君も一緒だろう」

「それはその通りよー、先生」

 

 偽り月の眩しい夜の中、しかし闇に近い紫色をした魔梨沙の姿は少し闇に溶けているように、慧音には見えている。しかし、頭を振って魔梨沙の笑顔から邪なものを受け取らんとした。

 色々と危ういと思う部分があるが、慧音にとって、魔梨沙は心強い味方だ。そも、妖怪が起こした様々な問題を退治することで解決して、人里に多大な貢献を上げてきた、そんな人間を敵と思うはずがない。

 全面的に信頼しているがため、鬼と共に住むということを反対される魔梨沙に、それとなく助け舟を出したことだってある。

 だから、今回もフランドールの時のように、不通があって、魔梨沙が強情になっているのではと思っていた。

 

 しかし、それは違う。魔梨沙の内心の歪さを慧音は侮っていた。

 

「その杖はどうして……」

「だって、この明けぬ夜も異変でしょう? そこに悪意も善意も関係ないわ。等しく、愛しい【あたしの幻想郷】の邪魔なだけ」

「なっ!」

 

 慧音は、大きく開かれた赤い目の奥から、狂的なまでの信念を窺い知る。

 何にも動じない感情の揺蕩い。それは、慧音の歴史を食べる程度の能力に対するようなものであった。もし過程を消されても、感情は残る。慧音は、自身にはどうしようもないものを覗いて、動揺した。

 そう、魔梨沙は自身を助けてくれた幻想郷というものに対して、深い感謝の念を抱いている。どんな理屈を持ってこようとも、それを害するものは許さない。幼き頃からそのために、よく魔梨沙は動いていた。

 

「はぁ。魔梨沙はそういう奴よね」

 

 驚き続く言葉を発せないでいる慧音の横で、霊夢は溜息を漏らす。異変が二つあるなら、両方解決してしまえばいいという短絡的思考は、むしろ魔梨沙にとっては当たり前だと彼女は知っている。

 それだけの自信があるだろうし、何しろ魔梨沙は幼き年頃から霊夢に黙って異変解決に赴き、誰彼の予想を覆して数々の危機を解決してきた存在。

 霊夢はそこに力を求める心があったとは知らないが、間違いなく幻想郷というものに対する愛があると分かっている。

 故に、対することになるのは、不満があるが仕様がないことだと霊夢は思っていた。霊夢はお祓い棒を構え、横に陰陽玉を浮かせて、臨戦態勢を取る。

 

「……これで、いいのでしょうか」

「まあ、仕方がないわね。魔梨沙が言っていることは、一部以外間違っていない。出来れば霊夢に経験を積ませたかったけれど、より強いものが異変解決に乗り出すというのも悪くはないでしょう」

「やはり、博麗の巫女では魔梨沙に敵わない、と」

「弾幕ごっこでは間違いなく。だから、早く奥義を捉えて欲しいのだけれど、時期尚早なのかしらね」

 

 そして、宙にて一触即発、相対する二人を他所に、関われない外野は既に勝敗予想を済ませていた。魔梨沙の実績をよく知る慧音に、霊夢の修行不足をよく知る紫は、共に紅白の墜落を幻想し、紫の飛翔を予感する。

 静かな夜にて、そんな二人の言葉は、これから戦おうとする二人の耳にまでもよく響いた。

 

「うふふ。味方にまで好き勝手言われているわねー、霊夢」

「別に紫なんて味方でもなんでもないわよ。道中の雑魚散らしにだって一度も手を貸してくれなかった、ぐうたらの言うことなんて興味ないわ」

「でも奥義かー。あたしもちょっと見てみたいわー」

「どうせ、真似したいだけでしょう。でも、そうね――――実は七割方完成している私の奥義、弾幕風にして見せてあげてもいいわよ」

「本当?」

 

 魔梨沙は口元を大いに歪め、喜色を露わにする。まさか、奥義というものを少女といえる霊夢が使えるとは思わず。

 恐らくは、自身がしていた魔力を高める修行の間に、霊夢も似たようなことをしていたのだろうと魔梨沙は考える。

 もっとも、やっていたことが、能力の奥を引き出す、という魔梨沙にとってはとうにやり尽くしていた基本であったことは、この場では紫しか分かっていなかった。

 

 だが、また紫だけは霊夢の空を飛ぶ程度の能力の真髄に気づいている。扇子のもとに笑顔を隠し、紫は霊夢を視界の中央に置く。

 

「あら、それが本当ならばもしかしたらが、あり得るかもしれないわね。私は霊夢の勝ちに賭けるわ。それで霊夢が負けたら、私も今回の異変から全面的に手を引くことにしましょう」

「……ふぅん。連戦を覚悟していたんだけれど、あたしが勝ったら、素直に止めた夜を戻してくれるのね?」

「そうね。もし霊夢が負けたら、【私】は夜を弄るのを止めるわ」

「そうしたら、後は咲夜と……幽々子とアリスねー。後者は他が時を止めた力を利用しているように【見える】し、まあ咲夜を倒したら、この永くなり始めた夜も解けるかしら」

「随分とその目も進化したものね」

「夜空を見つめると、時計に七色に朧。そんなような力が絡んで夜を留めていると分かるわー」

 

 赤い瞳に映る世界は、様々な力が視覚化されて溢れている。常人なら狂気に陥ってしまうような風景の中で、しかし魔梨沙は常を失わない。もっとも、それは魔梨沙の常態こそが異常であるというだけかもしれないが。

 閉じて開いて、魔梨沙はその視線を何やら黙して力を高めている霊夢に向けて焦点を合わせる。しかし、よく利く魔梨沙の瞳であっても、どこか霊夢はブレて見えた。

 

「あれ? 何だか力が分かり難く……霊夢?」

「あんたよく私に天賦の才があるって言ってたわよね。採用させてもらったわ。行くわよ……「夢想天生」……」

「……完全に、見えなくなったわねー」

 

 そして、魔梨沙は霊夢を見失う。

 いや、それは本当にその姿が目に映らなくなったわけではない。それは霊夢の空を飛ぶ程度の能力によって、魔梨沙の能力が届かなくなったために、その霊力にその他の力が失せたように見受けられたのだ。

 しかしそれだけではなく、魔梨沙以外の誰彼の瞳にも霊夢の姿が薄れているようにも見える。

 そして、霊夢は己から全てを切り離すかのように、黒い瞳を閉じる。そのまま夢想に揺蕩っているかのように左右にふよふよ浮かぶ霊夢は、周囲に八つの陰陽玉を出現させた。

 

 弾幕を展開するのは構わない。しかし、その前に僅かにでもダメージを与えておかねば危険と感じた魔梨沙は左右の宝玉に、星の杖にと力を篭めて、解き放った。

 

「っ、やっぱり当たらない、わねー」

 

 塵のような白色を引き連れる紫の流星は、群れとなって霊夢に迫り、しかしそのまま霊夢の像に影響を与えることなく通り過ぎていく。

 魔力だけでなく、実体はどうかと、後を負わすように飛ばしていたビットも、霊夢をすり抜け返ってきた。

 

 これこそが、霊夢の天生、即ち天賦である。空を飛ぶということは、全てから浮くこと。

 それは時にフランドールや紫が行うように、身体、当たり判定を何らかの方法で隠しているという訳ではない。そう、霊夢は宙に浮き、その場でこの世の全てから距離を取っているのだ。

 その結果、この世の全ては霊夢に届くことがなくなってしまう。その割に、夢想に浸っている霊夢が放つ攻撃は届くのであるから、どうしようもない。

 無敵、という言葉が思わず魔梨沙の脳裏に浮かんでしまうくらいに究極の奥義である。

 

「でも、これくらいの技を破ってこそ本当の力よね」

 

 しかしそんな凄まじい防御の極みを体感しながらも、魔梨沙が諦めることなどない。攻撃の合間に展開された弾幕をまず避けきらねばと、彼女の瞳は周囲に向いた。

 陰陽玉が半自動的に広げている驚くべき量の御札は、既に八匹の紅の蛇のようになっている。それらは鎌首を魔梨沙の方へ向けて、その身が紫に変じたのを合図として一斉に襲い来る。

 自機狙いではあるが、正しく八方から襲い来る長大な弾幕を避けきるのは至難の業だ。魔梨沙といえども、その身に弾幕を掠らせるのを覚悟せざるを得なかった。

 そして、全てを避けきったその直ぐ後、目を移せばふらふらと宙を浮いている霊夢の周りには、もう同形の弾幕が先ほどとまた異なる位置に配置されている。

 その赤色が、霊力の変化によって紫に成り魔梨沙に食らいついてくるのは、直ぐのことだ。連続して、隙間なく弾幕を向かわせるのがこのスペルカードの特徴なのだろう。

 八方、それも毎回てんでバラバラに展開された位置から来たる美しい紫の御札の行列に、魔梨沙の衣服は傷つけられる。しかし、その集中力は健在で途切れることはなかった。

 

「七割の完成度で、コレ……でも、霊夢もそう永く展開し続けることは出来ないでしょうね」

 

 これだけの技を維持するには相当な力が要るだろうし、そもそも【あの】霊夢が全てから上手に距離を取ることを簡単に出来るだろうか。

 怒りながらも他人の都合に付き合ってくれる、そんな霊夢の姿が魔梨沙の眼に浮かんだ。そんな普段を思えば、全位置から距離を取るに霊夢はそれなりに無理をしているのではないかと想像できた。

 事実、あまりの御札の大群で見え難くなりながらも、霊夢の額からは一筋の汗が伝っている。ひょっとすれば、この止まった夜の中、奇しくも時間が解決してくれるのかもしれない。

 

「うふふ。でも、あたしは敢えて真っ向から破るけれどねー」

 

 しかし、それを魔梨沙は認めない。霊夢の周囲をぐるぐると回り、紫色の末端に同色の御札を大いに掠らせながら、その赤い目を光らせる。

 時間による風化。それを待てないのが恋である。そして、魔梨沙は霊夢の力を恋しく思う。

 勝ちの目に届かないならば、蓋をこじ開けてから吹き飛ばしてしまえばいい。そう、弾幕はパワー。

 

「きゃははははっ! 恋符「マスタースパーク」!」

 

 つれない少女に、恋の魔法は炸裂する。杖の先から、爆発的に力は溢れて濁流と化す。

 傍から見れば、勢いを増し続ける弾幕の渦中で、身動きの取れないくらいの大技を放つなど、まるで血迷ったかのように見えるだろう。

 勿論、そんな考えなしの行動ではなく、この一射によって魔梨沙は決めるつもりなのだ。

 

 

 そして当然のように、星を周囲に溢れさせながら真っ直ぐに伸びる太い光線は、霊夢に命中した。

 

 

「なっ」

 

 それが全ての届かぬ位相に存在する霊夢に直撃したのは、いかなるカラクリか。

 驚きの声も、僅かにしか出すことは出来ない。無防備に飛んでいた霊夢は、膨大な魔力が篭められた魔砲を正面から受け、墜落する。

 そして、落ちきる前に、白い手袋をつけた手がスキマから伸び、ボロボロになった霊夢を回収した。

 繋がったスキマからその少し焦げた紅白の姿を捕まえ、守るように抱えた紫は、目を白黒させながらまるで【魔法】みたいに無敵を打ち破った魔梨沙に声をかける。

 

「魔梨沙……貴女、何をやったの? 奥義……霊夢が名づけたところによると夢想天生。不完全とはいえあの状態になった霊夢に手を出せる存在なんてそうは居ない筈なのに」

「うふふ。簡単な話よー。霊夢が厄介な境界の先に浮いていたから、あたしはそれを透過させて全力を通しただけ」

「それは…………なるほど。貴女も博麗の巫女候補であったこと、忘れていたわ」

 

 紫は深慮してから、納得した。魔梨沙が照準を合わせられたその理由。それは、紫の言葉の通りに、魔梨沙が博麗の巫女の素養を持っていることにあった。

 実は、幻想郷のキーパーソンとも言える博麗の巫女に選ばれるのには、さほど特別な素地がある必要はない。なるべく妖怪退治や異変解決出来るだけの能力がある方がいいのだが、それは一番に欲されるものではないのだ。

 何よりも必要なのは、幻想郷と外の世界を分ける、博麗大結界を維持するのに足る存在であるかどうか。常識の結界、それを認識し管理できるだけの才を持つものが、巫女として選出される。

 そして、魔梨沙もその鋭い目から、一度見いだされたこともあった。幻想郷の未来を託すことの出来る子供だと。それくらいに発展途上だった、その【力を見つめる程度の能力】は、巫女としての将来を嘱望されるに相応しいものだった。

 

 魔梨沙は、先代巫女と共に修行したことがあり、また独自に技能を高めたこともあって、博麗の巫女としての能力も最低限持っている。

 霊夢ほどではないが結界に関する力もあれば、その気になれば御札を投げ飛ばして陰陽玉を操ることだって不可能ではない。更には、力の差異によって境界を見定める眼が彼女にはあった。

 故に、魔梨沙は博麗の巫女が外来人を元の世界に送り出すことが出来るのと似たように限定的に【境を無視して送り出すこと】が可能なのだ。

 

 そして何より、魔梨沙はこの世で一番博麗霊夢に好かれている。無理に開けようとも、元々二人の距離はそう遠いものではなかった。揺らいでいる境を一瞬だけ無視するのなんて、簡単なもの。

 だから魔梨沙は、下手に全てから浮くことで【何にも影響されない自分とそれ以外の世界との境界】を作ってしまった、霊夢との間隙を埋めるかのように魔光を迸らせることが出来たのである。

 

 紫は信じていた霊夢の強みが完全でないからとはいえ破られた敗北感、魔梨沙は恋しい技術を破れた満足感に浸ることで一時沈黙が降りた。

 やがて、二人の間に出来た空隙を破るようにして、蚊帳の外であった慧音は声が届く距離まで近寄り口を開く。

 

「私には弾幕ごっこの全てを理解することが出来なかったが、流石は英雄魔梨沙、といったところなのだろうな。……しかし、本当に賢者殿は魔梨沙に全てを任せるつもりなのですか?」

「……そうね、約束は守るわ。――――今宵の異変は霧雨魔梨沙に一任します。刻限は夜が明けるまで。貴女なら、それくらいで解決出来るでしょう?」

「勿論。任されたわー」

「それじゃあ、私は霊夢を寝かせてから方々に顔を出してきますわ。藍を向かわせるより私が出向いたほうが、相手方も納得するでしょう」

 

 そう言い、まずは天狗のところかしらと口に出しながら、紫は霊夢を抱えつつ自身の真下に作ったスキマの中へと入って消えていった。

 スキマの中の光景を、相変わらず綺麗な外の風景が映っているのねと思いながら、魔梨沙は消えていく神隠しの主犯を見送り、そうしてから、近くに来ていた慧音に向き直る。

 

「それで、月の犯人とレミリア達が向かった方は、迷いの竹林のどの辺りかしら」

「……っ。ああ。永くここを離れることは出来ないから、途中までは案内しよう」

 

 そして、魔梨沙が見せたのは止まらない嬉々により形作られる笑顔。

 魔梨沙の三日月のように綺麗に弧を描いた口元に、慧音はどうしてだか不吉なものを感じ、目を離すことが出来なかった。

 

 

 

 



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第二十九話

 

 

 

 迷いの竹林の中、永遠亭の近くを棲家とする妖怪兎達は、大いに騒いでいた。

 何時も飛んで跳ねて、時に餅をついたりする、そんな暢気な妖獣たちはそのよく伸びた感覚器によって、強力な妖怪と人間、そして恐ろしい幽霊と半分人間の存在をいち早く知り、怯えたり軽口を叩いたりして、非日常の到来を楽しむ。

 今日の永遠亭独自のイベントである例月祭はお休みということで、今彼女たちの大体は自由に遊んでいる。まあ、習慣から餅をこねているものもちらほらいて、その傍には幸運の素兎、因幡てゐがいた。

 すぐ近くで、そんな無意味な行動を取っている兎を見ながら、てゐは溜息を付いてから独り言を口走る。

 

「我が眷属ながら、情けない。偽の月の夜に満月に似せた団子を作ることが無意味だと分からないなんて。普段のものと違って薬も入っていないから摘んでも気が盛り上がることもないというのに。お師匠様の薬に中毒性があるわけもないし、習慣というのは考えるということを失くさせるから怖いね」

 

 ロップイヤーのように垂れた耳を弄ってから、てゐは出来立てほやほやの団子を他の兎達と同じように、つまみ食いした。薬の入っていない今日のものは何時ものものより味気ないなと思いながら、その細い喉で嚥下する。

 そう、てゐは、毎月行われていた例月祭がただの永遠亭のお祭り事ではないのを見抜いている数少ない人物であった。

 兎が毎月行っているのは、団子を沢山作り、それを偽の満月と見立てて、相対的に月の使者が来るのを遠ざけるための、作業。

 それが今宵行われないということは、もう偽の月は充分であるということに他ならなかった。

 

「お師匠様も、随分と大げさなことをするものだよ。おかげで異変に気づいて寄ってくる妖怪たちも大したものになってしまって困るね」

 

 そう、欠けた偽の月が今も空に浮いているのだから、天の満月を介して来る月の使者が来られる筈のないことは当然のこと。そして、満月に力を得る妖怪たちが今回の異変を解決しようとするのも当然のことで。

 自分が師と仰いでいる人物の持つ力の凄まじさに、呆れすら覚えているが、現在手一杯だろう彼女を頼りにしても助けてもらえる可能性は低く。

 そもそも永遠亭に人を寄せ付けないよう契約しているてゐは、異変の下手人たる上司を狙っているだろう相手の邪魔をしなければならず。しかし戦闘能力の低い彼女は、敵が最近知ったスペルカードルールを守ってくれることを祈ることしかできなかった。

 

 そんな不安だらけの夜の中、しかし中々敵となる者は姿を現さない。

 少し焦れながら、胸元に付けている人参の形を下げたネックレスを手にし、ふとてゐは夜空を見上げた。

 

「そういえば、さっきから星が動いていないね……やれやれ、本当にお師匠様も面倒な相手に喧嘩を売ったものだよ」

 

 両手を上げ、降参のポーズを取りながら、てゐは今回の異変に自分たちは端役にしかなれいないことを確信する。

 ここまで出来る力というものはてゐの想像を超えていて、もしかしたら師匠としている八意永琳ですら、苦戦は免れ得ないかもしれないとすら思えてならない。

 そう、未だに夜は停まっていた。

 

 

 

 

 

 

 偽りの月が地に届ける寒々とした月光の下で、従者と主人、その組み合わせの者同士はよく見える相手の顔を見つめ合う。

 難しい顔をして互いを睨みつけているのは、何時ぞや異変で戦ったレミリアと妖夢。反して暢気に周りを眺めたりしているのは、咲夜に幽々子。

 周囲に在るのは、斜面に生えた竹ばかり、かと思えば足元にはボロボロの一軒家もあった。幽々子はあそこには美味しいものはなさそうね、と思い、咲夜はあんなあばら屋に人なんて居ないだろうから思い切り暴れられるわねと考える。

 そう、二組が向かい合っているのは、どちらが異変解決をするに相応しいか、決める方法として弾幕ごっこをするため。

 先ほど共同で天を停めていた力の一つが抜けたようで、各々夜を止めるのに負担が増えたため、あまり時間はかけたくないと、双方が用意したスペルカードは二枚ずつ。

 まずは、従者通しが前に出て矛を交える、といった頃合いで動かない星空を紅の瞳で眺めながら、レミリアは言葉を投じた。

 

「それにしても、咲夜以外に時を止めることが出来る手合いがこれほど沢山いるなんてね。ココは本当に数奇な場所」

「正確には、私達は術を持って夜を遅らせているだけなんだけれど。紫は境界を弄るだけで夜を固定できるしずるいわー」

「しかし、恐らくはその八雲紫と霊夢が破られた。これはどういうことかと思う?」

「先行していないとすれば、そんなことを出来るのは魔梨沙くらいだわ。きっと何か勘違いしてるんじゃないかしら。月の異変に気付かずに、私達が夜を止めているのを問題としていたりして」

「ふん。そんなことはないと思っているだろうに。どうせ全てを知った上での魔梨沙の暴走だよ。あいつは直に力を見つめたいから、常に最前線に行きたがるし、恐れを捨てているから、負けることも間に合わないことも考えない。私達全部敵にしても、夜明けまでに全てを終わらせられると、身の程知らずにもそう思い上がっている。私は魔梨沙のそんなところが嫌いだよ」

「うふふ。それでも彼女はお気に入りの一。貴女、今お姉さんの顔をしているって気付いてる?」

「さてね……ほら、始まったよ」

 

 主人同士の語らいの合間に、戦いは合図もなく始まっている。咲夜と妖夢は銀髪を揺らしながら、ナイフと刀の銀色を煌めかせていた。

 相手の表情が見えるくらいに開いた距離を埋めるのは、咲夜が投じる数多の銀のナイフと妖夢が刀を振り切った軌跡を元になって出る霊弾が交じり合い互いを落としあう光景。

 突と斬の正面衝突は、互いが技量の近いもの同士であるためか、どちらかに天秤が傾く様子を中々見せない。しかし、どちらが不利かはよくよく見てみれば分かる。

 月の光を映すナイフは、白色の斬撃に当たり次々と落ちていくが、それらは地面に突き刺さる前に姿を消す。咲夜の投擲は千を超えていて人の目には無限のナイフを隠し持っているかのようにすら映ってしまう。

 実際咲夜は沢山の尖った銀色を歪めた空間に隠し持っているが、それだけでなく彼女は時間を操る程度の能力を使い、それらが汚れる前に拾っているのだ。

 オマケに停まった時で休んでもいるのか、一向に咲夜は疲れる様子を見せることなく激しい運動の中汗一つ流さない。種族柄体力で勝っている筈の妖夢ですらこの永く続き始めた弾幕の打ち合いにくたびれ始めているというのに、瀟洒な様子は崩れないのだ。

 僅か、霊力で出来た白い三日月の勢いに陰りが出てきたのを感じてから、妖夢は我慢勝負をこれ以上やっていられないと、弾けるように横へ飛んだ。

 妖夢はそこに追尾するように飛来してくるナイフを、魔梨沙の動きをトレースして西行妖の弾幕を避けたことを思い出しながら悠々と避け、そして一枚のスペルカードを見せつけた。

 

「それは、美鈴を斬った……」

「行くわ、人鬼「未来永劫斬」!」

 

 そう、それは格闘の最中に隙を見せた美鈴を斬り捨てた技。霊力で極限までブーストしたその速度を持ってして、四方八方から妖夢が斬りかかる。それだけのものが、破り難いものになっているのは位置取りと剣速に全てが極まっているからだろう。

 恐ろしい技である。だが、決して咲夜は迫る白刃をを恐れない。それは、妖夢が刀の力と技量によって相手を真っ二つに斬ることがないのを知っているというためだけでは無かった。

 咲夜は美鈴にどうして妖夢に負けたのか、と聞いたことがある。敗北を思い出すのに消沈もせず微笑みながら、美鈴は追いつかなかったからと答えた。

 あれは今まで見た中で二番目の速さですね、と零す美鈴に、咲夜はまた問いを向ける。なら、一位は何、と。すると、一瞬呆れたような顔をしてから、頭を振って真剣な表情に戻して美鈴は答えた。

 

「そう、『光よりも速く動ける咲夜さんより速いものなんてありませんよ』だったっけ」

 

 時計は止まり、周囲は満月の明るさから一転暗くなる。そう、もうここは全てが停止して動くものは咲夜だけの世界。

 妖夢の未来永劫斬はその名の通り、今どころか未来まで斬り裂かんとするその斬撃。特に最初の一閃は、停まった時にすら迫るものがあった。

 咲夜は頬に触れる冷たい感触を意識しながら、しかし傷ひとつない玉の肌から白磁の指先で刀身を退かし、そしてその場から妖夢の背後に移り、妖夢の首筋にナイフをピタリ。そして、時は動き出した。

 

「なっ! くっ、背後に……」

「空振りをした後の隙が大きすぎるわね。そのまま通り過ぎたのならば首元の一本のナイフ、肌を掠めるくらいで済んだ。私を相手するのなら【そういうもの】だと割り切りながらかかって来ないと。美鈴相手ならこう簡単にはいかないわよ?」

「動けない……こんな、あっという間に終わるなんて……」

「と、まあこれだけじゃあ私も面白くないし、お嬢様も面白く無いでしょう。今大人げなく能力を使ったのは何時ぞやに美鈴を負かした分のお返し。さあ、次が本当の勝敗を決める戦いよ」

 

 そう言い、咲夜はナイフを持った手を引っ込める。そうしてから、宙に幾本ものナイフの切っ先を妖夢に向けながら交じり合う曲線を描くように並べた。

 優雅な銀の波は威圧感を持たないが、それでも切っ先の鋭さを思えば余りに恐ろしく。そして、それらは咲夜がスペルカードをポケットから取り出してから、月光を反射しギラリと輝いた。

 

「貴女は一刀、私は無数。さて妖夢、貴女はこの弾幕を避けられるかしら? ――幻葬「夜霧の幻影殺人鬼」」

「……っ!」

 

 連なり流れる数多のナイフは、銀の軌跡となって美しく瞳に映る。だが、妖夢の瞳に映るのは、自身を襲う余りに大量のナイフ群であり、全てが一つ弾いてもその後ろに連続する刺突の行列であった。

 避ける、それは難しい。ナイフの誘導性能は非常に高く、全身を射抜かんとするようにそれらは襲い掛かってくる。そして、弾くというのも、キリがないがために難しくある。

 

「舐め、ないでよっ!」

 

 しかし、そのどちらかを取るかというと、妖夢は後者を選んだ。研ぎ澄ました一刀、それによって数多と切り結ぶというのは容易なことではない。だが、妖夢は自分の修練した時も、師の教えも信じていた。

 金属同士がぶつかり合ったことで起きる火花は、オレンジ色の花弁の如くに妖夢を彩りその五体の殆どの位置に花を咲かせる。妖夢の小さな身体は、夜闇に明るい彼岸花に埋もれて行く。

 

「お嬢様と引き分けた貴女を侮っていないわ。今回は、本気よ」

 

 そして、眩い光に気を削がれた妖夢は腕を掠める一本を見逃した事を発端として、次々にその全身へと銀色が突き刺さっていった。ハリネズミのようになった彼女は堪らず墜ちていく。

 

「あらー、やられちゃったわね。全身の傷は浅いけれど、ショックで妖夢ったら気絶しちゃってるわー」

 

 それを受け止めるは、桃色の髪を受け止めた衝撃で浮かせる主、西行寺幽々子。

 幽々子が一見したところナイフによる刺傷の全ては浅く急所から外れており、何やらポケットから紫色の傷薬らしきものが入った小瓶を持ってやって来るメイドの腕は手加減まで確かだと感じざるを得ない。

 

「それじゃあ、咲夜、貴女に妖夢を任せたわー」

 

 なら、看護の腕も間違いないだろう、経験の少ない自分は退きましょうと、幽々子は妖夢を一際太い竹に寄りかからせてから、手を広げて咲夜を歓迎する。

 

「あら。今は敵同士の筈だけれど、任せていいの? パチュリー様と魔梨沙共同制作の秘薬を負かした相手につけに来た私が言うのもおかしいかもしれないけれど」

「大丈夫だと信じているわー。それに、もしそれ以上妖夢を傷つけようとしたら【死に誘っちゃう】から平気よ」

「っ、そう……」

 

 扇で隠されたピンク色の唇から発せられたのは、本当の音色。蝶が一匹咲夜の横を通り過ぎていく。

 幽々子は瞬きもせずに赤い目で見つめて、じっと咲夜に恐ろしくなるような純な視線をしばらく向けてから、唐突にぷいとそれを逸らす。そして、視線は高い天にて羽根を大いに広げてふんぞり返っている小さな姿に向けられた。

 紅玉の如き瞳同士は、幽々子がその同等の高さに浮かんでいくことで、次第に真っ直ぐ向かい合うようになる。僅かな沈黙の後に、先に口を開いたのはレミリアだった。

 

「それで、どうするんだい? これで私達の一勝。あり得ないが、もし私が負けたとしても一勝一敗。どう足掻いても幽々子、貴女が勝ち越すというのはないわよ」

「妖夢も頑張ってくれたけれど仕方ないわー。私が二連勝するしかないわね。ちょっとくたびれそう」

「……ふぅん。もう私に勝った気になっているの、貴女は」

「あら。従者に負けた相手を気にするほど、私は細かい性格をしていないわ。ただ、蝙蝠も時計も不味そうね、って思うだけ」

「いいだろう……その大口叩いたこと、後悔してもらうよ!」

 

 怒髪天を突く、という言葉があるが、力を開放したレミリアの紫色をしたミディアムの髪はその魔力妖力の紅に染まって逆立つ。

 紅魔の主たる彼女は蝙蝠翼を大きく開き、スカーレットデビルの異名通りの威圧感をその小さな身から溢れさす。

 若いわねえと、その気合の入った姿を見ながら【少女】幽々子も今回はある程度以上本気を出そうと考え、背後に巨大な扇を現出させた。特殊な術式によって編み出されるそこにあるだけの扇は御所車の図柄が青と桜色のグラデーションに輝き眩く美しい。

 威力も特殊効果もない虚仮威しのような代物を大々的に開いて背負うのは、幽々子が弾幕ごっこに更なる優雅さを求めたため。

 舞い踊るには、相応しい場が必要である。そう、幽々子にとって、本気になれる弾幕の最中というのは最高の舞台。さあその弾幕で射てみせよとばかりに、彼女は自身を注目の的とする。

 

「それじゃ、まずは小手調べからね」

「ふん。早々に手の内は晒さないよ。最初は使い魔に任せるわ」

 

 幽々子はふよ、と桜色の人魂を両脇に浮かべ、レミリアは、前方に紅い四つの魔法陣を用意した。そして、次の瞬間二人の間に溢れるは蝶に蝙蝠の大群。

 羽ばたき、霊と魔の力を比べ消滅させ合うそのと桜色と紅色は、互いの眼前を赤系色のマーブルに染め上げている。しかし、徐々に紅は徐々に押されて後退を始める。幽々子の創りだす蝶の方が、量に勝るようであった。

 

「仕方ない。私も動きましょうか」

 

 そう言って、レミリアは魔力で出した紅の蝙蝠の合間に、紅き妖力によって染め上げられた矢状の妖弾を発して弾幕の密度を増させる。

 そうして出来上がるは、同等の力量による均衡。様相の異なる飛行体は時折ぶつかり合うその隙間を抜けて互いに襲いかかってくるが、纏まりもせず真っ直ぐ飛来するばかりのものを避けられないほど彼女たちは鈍重ではない。

 レミリアは吸血鬼の速力を持ってして余裕を持って避け、幽々子はその舞い踊るように幽雅な動作をもってして引き付けてから軽々避けていた。

 互いに、相手は幻想郷でも格の高い存在であるということは分かっていたが、それにしてもよく避けるものだと二人は同時に思う。好対象な二人は相手の動きに魅了され、次第に浮かぶのは更に弾幕を増やしてもそう美しく避けられるのかという疑問。

 それを解こうと、先に動いたのは幽々子であった。

 

「それじゃあ、まず私からいくわね。死蝶「華胥の永眠」ー」

 

 そして、幽々子は再び蝶を広げる。しかし今度は、大きさも色も、飛ばし方も違う。真っ直ぐ飛ばすだけで当たるはずもないのは、弾幕を交わして痛感した。そして元より、力勝負は好まない。

 より美しく、そして相手を惑わせる。それこそ、西行寺幽々子の弾幕。造作の細やかな蝶は、全方位に飛んで行き、交差しながら一定の距離を持って桜色から黄色に変じる。

 間近で見れば、その色の変化、グラデーションがあまりに美しく感ぜられるもの。先より大きくなり、消滅させるに辛い中、また軽々と壊すにはもったいない出来の弾幕がレミリアを包み込んだ。

 

「……これは、避け辛いわね」

 

 目を惹きつける美しさは、目測の邪魔にすらなる。更に、眩き黄色が羽根を忙しく動かしながら斜めに通過する中に囲まれ、レミリアの長所たるスピードは著しく制限された。

 ならばどうするか。力づくで破ってもいいが、それは面白く無いとレミリアは思う。なら、技術を持ってして抗う以外にない。

 そして、背中の飛膜をも駆使しながら、ふわりふわりとレミリアは交差弾の中を揺蕩い始める。思ったよりも、低速で飛び回るのは身を掠める弾幕の美しさも楽しめるために悪くないと彼女も思う。

 しかし、普段のレミリアらしからぬそんな回避法を見た幽々子は、素直に感想を口にした。

 

「うふふ。レミリア、今の貴女は霊夢……いや、まるで魔梨沙みたい。ひょっとして真似をしているの?」

「むっ……痛っ」

 

 知らず知らずのうちに頭に思い浮かべていたのは、紫衣を纏った紅き少女の姿。確かにあれは回避技術の極みを持っている。よく避けようと思い、真似してしまうのは仕方ないことだと、レミリアは仕方なく思う。

 だが他に、ちょっと異常なだけの人間に遊びとはいえ勝てた試しのないことをも思い出して、レミリアは僅かに心を乱した。

 動揺は往々にして隙を作るもの。僅かに避け損なった蝶はレミリアの身を傷つけ、痛みに思わず傾いだ矮躯は、そのまま蝶弾の最中へと入り込みそうになる。本来ならば、為す術なく弾幕の中に飲み込まれて終わりだろう。

 しかし、レミリアには未だ切っていないカードがある。鬼にも迫るその力、魔力妖力。それは、用意したスペルカードによく表れていた。

 

「くっ、紅魔「スカーレットデビル」!」

「わぁ」

 

 バッと手を広げたレミリアの身体からは、紅い力が爆発的に出していく。妖力魔力が互いに高め合った、その結果として出来る紅のオーラは全てを巻き込み破壊しながら死蝶すら消し飛ばして十字に広がる。

 しかし、所詮手を伸ばした延長線上の範囲内での破壊。射程距離はお世辞にも長いものではなかった。こんなスペルに、逃げる相手を巻き込んで倒すことなんて早々出来ることではない。

 だが避け続ける最中に、レミリアは大分幽々子に近寄ることが出来ていた。それが功を奏し、スカーレットデビルの射程範囲内に幽かな相手を容れることに成功する。

 

「うー……」

「はい。流石に幽霊は軽いわね」

 

 紅に焼かれた幽々子は気を失い、ボロボロの姿のまま幾多の人魂に支えられふわりふわり落ちていったが、地に落ちきる前にその姿は咲夜に受け止められた。

 そうしてスカーレットデビルに巻き込まれないように離された妖夢の横に、幽々子の身は安置される。

 

「口ほどにもない……とは言えないわね。私でなければ、やられていただろうし」

 

 見ている内にすやすやと眠り始めた亡霊の姿に、先程までの艷やかな姿は想起できない。それでも、自らの衣服の破れの大きさから、そんな相手によって危機に陥らせられていたことを思い出し、レミリアは表情を緩めることなく間抜けな姿を見詰める。

 

「華胥ねぇ……お嬢様は今日も充分お昼寝していましたから、そんな誘いに乗るはずなんてないのに」

 

 しかし、そんなお嬢様の隣に控えるメイドは、マイペースなものだった。咲夜は微笑んで、亡霊姫と吸血鬼を見比べ楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、どうしましょうこの建物」

「知らないねぇ。それに、こんな竹林の中の汚い家、もう誰も住んじゃいないだろうさ」

 

 誰も居ないからと殊更空高くから始めた訳でもない、弾幕ごっこ。そのため、竹やぶと廃墟だらけの地は射程距離に入っていしまっている。故に、レミリアの攻撃的なオーラは空から地面にまで届き、結果あばら屋を焼いていた。

 苔むした屋根は崩れ、一部の柱は突き出て端が灰になっている。また、全体こんがり焼けて、よくよく煙を上げていた。元々、難がありそうだったが、最早間違いなく人の住める場所ではない。

 

「私もそう思っていましたけれど、お嬢様、どうにもよく手入れされた生活用品が……」

「あー、私の家が!」

 

 何時取ってきたのか綺麗な皿を持った咲夜の姿を見て、そんな廃屋と思っていたその壊れた家がどうも使われていたようであるということに思わずレミリアが片眉を上げた、その瞬間に辺りに大きな声が轟いた。

 二人が振り返り、見たのは長い白髪に紅いもんぺのような袴姿が特徴的な少女が飛んでくる姿。それが焼け崩れた家の前でへたり込む姿を見て、咲夜は内心を察して思わず声を掛けた。

 

「貴女の家だったの、異変解決のためという事情があったとはいえ巻き込んでしまって、ごめんなさいね。日が昇ってから後に充分な謝罪謝礼はさせて貰いますわ」

「……あんたは?」

「私は十六夜咲夜。紅魔館のメイド、と言えば分かるかしら」

「はいはい。少し前に異変を起こした奴らの一人か。今度は解決側? まあどうでもいいか。はぁ……壊されたものは仕方ないわ。後で再建を手伝ってもらうよ」

「それは勿論。お嬢様の許可が降りるなら、その間の衣食住も全部保証しましょう……お嬢様?」

「咲夜、そいつから離れなさい」

 

 話をしていた中途にちょいと引っ張られ、咲夜はレミリアの後ろに隠される。勿論背が足りていないために、完全に隠せたとは言い難いが、それでもそれは明らかに守るための姿勢であった。

 そんな様を見て、白髪を弄りながら燃やされた家の主、藤原妹紅はレミリアに向かい合って話しかける。

 

「吸血鬼だっけ? 不死と聞くよ。もしかして、それで私のことが分かるのかな?」

「違う。私は運命を操る程度の能力を持っている。お前には途切れることのない運命しかない。……魔梨沙も似たようなものを何本か持っているけれど、全部が途方もなく続くのは初めて見たわ」

「魔梨沙、聞いたことがあるね。そういえば、近頃人里で名が売れている退魔師がそんな名前をしてたっけ。どうも聞いているよりも面白い相手みたいだけれど、まあそんなことなんて今はいいか」

 

 バサリと、持ち上げた長髪を広げ、妹紅は背中から炎を吹き上げさせた。それは羽根の形となり、火翼を持った彼女は宙に浮かんでレミリアを見下す。

 

「知られたからには、本気を出しても構うまい。見る限り、あんたが下手人だね。私の家の敵、取らせてもらうわよ」

「そうね。私が悪い。けれども素直に謝る悪魔なんて居ないわ。私に頭を下げさせられるものなら、やってみなさい!」

 

 そして、妹紅は重なったスペルカードを見せつけた。レミリアは妹紅の宣言を聞き取ってから、その場の誰よりも更に高く飛び上がった。それはまるで、墜ちることを想像していないかのように。

 反して、静かに怒りに燃える妹紅は軽く浮いただけで、応じはしない。彼女の場合は【何度も】高くまで浮かび上がるのが面倒であると思って、そのため紅の目を持つ二人の視線が合うことはないのである。

 

 

 

 

 

 

 魔梨沙が煙に気付いてその場に辿り着いた時、その場には五つの影があった。

 その中で立ち上がっているのは一つきり。その相手は、ボロを纏っているだけのように、傷だらけの衣服を着ていて、しかし月光の下無傷な白い肌を晒していた。

 飛んでくる魔梨沙に気付いたその人物、妹紅は面倒くさそうに振り向いて、分かり易い魔女姿を見つける。

 

「今度は、件の退魔師のお嬢ちゃんに見つかったか。見ての通り私は、壊された家と自衛のために戦っただけだよ。今日は厄日ね。永遠亭が気になったからって家を留守にしたのは間違いだったかな。結局門前払いだったし」

 

 鈴仙の奴頑なに入れてくれなかったなあ、と零しながら、彼女は【倒した】レミリアと咲夜を引きずって、幽冥の住人達の隣にドサリと置いた。

 そんな姿を、目を細めて見ながら、魔梨沙は確信を持ってとある言葉を口にする。

 

「なるほど、貴女みたいに【変わらない】力を持っている者相手だったら、レミリア達も負けてしまうわけねー」

「っ!」

 

 それに、驚きを隠せないのは妹紅だった。何しろ、今まで復活を見られずに不死であることを【人間】に知られた試しはなかったのだから。

 だが、しかし世界を常と異なる瞳で見つめている魔梨沙にとっては、力によって相手の特徴を把握するのは簡単なこと。彼女は妹紅が蓬莱人であり、不老不死の人間であることを内で永遠に凝っていそうな力を見ることによって看破していた。

 

「へぇ……あんたも分かるんだ。それじゃ、黙ってもらうためにも、ここで弾幕ごっこ、受けてもらおうか」

「仕方ないか。うふふ……永遠を早く倒さなければいけないなんて、あたしも大変ねー」

 

 掌から炎を吹き上げ、臨戦態勢に入った妹紅を魔梨沙は一瞥もせずに首を上げる。

 そうしてから、魔梨沙は空を見上げて苦笑い。そう、魔梨沙は天の鼓動の再開に気付いていた。夜を永遠としていた二組はここにて破れ、ゆっくりと、夜天は動き出し始めている。

 

 

 

 



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第三十話

 

 

 

 蓬莱人である藤原妹紅は、老いる事も死ぬ事もない程度の能力を持つ存在である。

 彼女も人の枠にあるため肉体を持っているが、それが滅びようともその生に関係はなく、蓬莱の薬を飲んで本体と成った魂によって幾らでも肉体を再構築させられるため、結果的に不死となっていた。当然、不変の魂の支配下にある肉は衰えることもない。

 

 不老不死、それは数多の人間が望んだ理想。紆余曲折ありながらも不老不死と成って千三百年は経っている妹紅であるが、しかし彼女は不死であるが故の苦痛ばかりをよくよく味わっていた。

 人は終わりがあることを知っているから活きていられる。しかし、妹紅には終わりなどない。膨大な時間の中楽しさなど刹那で、慣れによってそれも失われ、また幾ら辛くても悲しくても死ねないのだ。後悔も別れも少女のその身に降り積もる。

 また、変わらず終わらず、そんな存在が受けいられるコミュニティなどなかった。今は幻想郷に幾分かの可能性を見出しているが、切っ掛けのないために中々踏み出すことが出来ず。

 理解者は居ても、宿敵は居ても、生きる意味を見出すことが出来ないそんな只中、今夜妹紅は出会った。力を求め続けないと生きていられない、転生者霧雨魔梨沙という少女と。

 

 

 

 

 

 

「戦う前に訊いてもいいかしら。あたしは霧雨魔梨沙。貴女は何ていう名前?」

「やっぱり、退魔師のお嬢ちゃんで合っていたか。私は藤原妹紅っていうよ」

「ありがとう。それにしても妹紅、貴女は凄いわねー。レミリア、それだけでなく咲夜まで無力化するなんて。両方共一筋縄ではいかない相手よ」

「ごっこ遊びとはいえ、妖怪退治の内。年季が違うわよ。別に妖怪みたいな人間退治だって、苦手じゃない。まあ、中々の相手だったから、何度か死んでしまったけれどね」

 

 そう言って、妹紅はズタズタになった己の服をそれでも身体の大事な場所は隠せるよう引っ張って調整しながら、軽々と己の死を明かす。

 妹紅は、レミリアと咲夜と行った弾幕ごっこにおいて、力尽きそうになる度に何回も傷ついた肉体を消滅させてからまた再構成させ復活するという「リザレクション」を繰り返していた。

 その都度、不死とはいえ妹紅の肉体は死んだと同じになるために彼女の言は正しいが、しかし瀕した死を乗り越え続けるその心のなんと不屈なことか。

 創り出す不死鳥の如き弾幕のように、妹紅は能力だけでなく精神面でも折れず死ぬ事がないようであった。

 

「うふふ。殺しても死なない人物を相手するには、不慮の事故死なんてあり得ないから本気をだせていいわねー」

「ふぅん。……慧音に聞いた、里の英雄とやらは、中々愉快な性格をしているみたいね」

 

 英雄なんて照れるわーなんていうズレた返答をする魔梨沙は、死という言葉に何の感慨も抱いていない。幻想郷の住民は自分でしばしば感じ取れる死から身を守ってそれなりに親しんでいるが、魔梨沙は、そんなものに何度近寄った経験があることか。

 オマケに、魔梨沙は妹紅と違って一度真にそれを味わい消えるはずだった魂が幼子に混入してしまった類の存在。

 だから、魔梨沙にとって回避できてそれで本当に終わるか分からない死なんて真にどうでもいいこと。なってしまったらつまらないと、思うだけ。首元に幻視する渾身の力を持っても破ることの出来ない枷の方がよっぽど恐ろしかった。

 

 ざわざわと竹の葉がこすれ合う音の響く中、両者は低く浮かんだまま中々動かない。魔梨沙は焦げた地面を覗いてみたりして、いかにも隙だらけの様体であるが、そんなこと見せかけであるということは、百戦錬磨の妹紅にはよく理解できていた。

 注目すべきは、その誰とも違うような深く紅の瞳。月光によって映り込む筈の自分の姿がそこに見つからないことに、妹紅は気付いている。

 妹紅は似たような目をした手合に出会ったことがありその者は瞳術を使っていたが、きっと魔梨沙も同じように、世界を内にまで映し込ませることで周囲の瞳に映るはずの全てを見つめているのだろうと解していた。

 慧音から聞き及ぶ限りの活躍とその眼を見れば、弾幕ごっこは随分と得意でありそうである。さてどれから手札を切って勝利を収め、相手に自身を喧伝させるのを防ごうか妹紅が考えている合間に、魔梨沙はふと顔を上げて、彼女を【見つめ】た。

 

「その不変の力の形、魂のようにもに見えるわー。貴女はずっとそこに居るのね。でも、それじゃあ、殺しても死なないだけでなく、死にたくても死ねないのではないの?」

「そこまで分かるっていうのは凄いわね。まあ、私は不老不死だけれど、言うなれば老いる事も死ぬ事も【できない】能力を持っているとも取れる。こんなの、苦痛ばかりの力だよ。人と交わることなんて夢のまた夢」

「へぇ……でもあたしは永遠の力だって欲しいわー。恋する気持ちを抑えるのが難しい。でも、そんな不格好な形での永遠なんて、無理に抱きしめることはないかー」

 

 胸に手を当てながらそう言った魔梨沙は、ドキドキが治まるのを感じてから再び口を開き、手を広げてから、言葉を繋げる。

 

「死ぬことが出来なくなってしまうなんて、不自由が一つ増えるだけ。二度目の生の中、そんな力も孤独もあたしは欲さない。だって、あたしはただ、あたしを自由にしてくれる力が欲しいんだもの」

 

 妹紅に向けて、断言した魔梨沙は、笑みを浮かべた。眼は細められて口元は弧を描き、三日月の形となって。そんな歪みを見ていた妹紅の心にはざわめきが起きる。

 優しい笑みだ、ああ、コイツは私を哀れんでいる、と。その表情から憐憫の情に気付いたのだ。

 酷く、それが妹紅の癇に障った。

 

「そうだね……あんたは正しいよ、霧雨魔梨沙。人は人間で居るのが一番だ。そう、私は虚ろな生に繋げられた存在。生まれ生まれ生まれ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し……でもねぇ、本当の死を知らない私だって知っていることがあるわ」

 

 熱風が、ごうと辺りを包む。その源は背面に炎を現出させた妹紅だった。術によって膨大な熱量を自在に操る彼女は、根城としている妖怪も多数存在するここ迷いの竹林で並ぶ者のない強者である。

 憐れまれるべき、か弱い少女ではもうないのだ。積み重ねてきた苦難の年月が成長させてくれた内面を否定するような優しさを、妹紅は否定する。

 

「それは、一朝一夕で力が増すことはないということさ。十年足らずなんて自由を得るには短すぎる。不自由に千三百年も溜めに溜めた力との差、感じ取ってみるといい!」

 

 そう言って、ただの【少女】との違いを味わわせるべく、妹紅はレミリアと咲夜を下すのに使用した残りのスペルカード三枚から、特別な二枚を見せつけた。

 同じ蓬莱人である対輝夜用に頭を捻って考え創ったそのスペルカードの難易度は非常に高い代物と分かっていたが、それでも下すには丁度いいと、妹紅はためらいなくその内の一枚を切る。

 

「いくわよ、「蓬莱人形」!」

 

 それは、蓬莱の人の形、藤原妹紅の思い入れ深い、高難易度な弾幕。出現させた二つの魔法陣は、魔梨沙と妹紅を取り囲むように時計回りに動きながら、それぞれ赤と青の丸弾をその道程に敷き詰めていく。

 魔梨沙は、囲み終えたら一息にくるのかしらと思ったが、それは違う。魔法陣が一周の四分の一程度を並べたと思ったら、赤青のそれらは鎌首をもたげ魔梨沙に向かって襲い来る。

 奇しくもそれは、先ほど対峙した霊夢の夢想天生に似通っていた。八匹の蛇と比べれば、赤青の大蛇なんて、避けるに難くはない。しかし、二方向から来たる光る二色は中々に美しいものだと、魔梨沙は力に身を掠めながら思う。

 そして何度目かの蛇が襲った時、そろそろ反撃しようかと魔梨沙が杖を向けた際に妹紅は全方位に時期はずれの向日葵の花びらを散らす。

 

「わ、一気に避けにくくなったわねー。周囲も赤に青に飛んできた弾幕の残りに囲まれているし、これは早く落とすしかないかしら」

 

 ここで、対する魔梨沙の笑みは消えた。それを見て、黄色い花弁弾を発しながら妹紅は満足する。

 等間隔に、時期狙いの赤青よりも尚早く、黄色は花火のように何度も周囲に広がり辺りに美を広げていく。それを、長大な二匹の蛇に囲まれながら、避ける魔梨沙は大変である。

 周囲全てを見つめながら、赤や青に狭められた身近に道を見つけて、そこを埋めんとする黄色を避けて通って行く。そんな最中に、的確に妹紅へ向けて紫色をした流れ星を投じ続けられるのは、流石と言えるだろう。

 殊の外威力の高い、その星に一挙に体力を削られた妹紅が自身の限界を早々に感じ取ったことで、次の一手はためらいなく発される。

 

「くっ、避ける方もそうだけれど、弾幕の威力も大したものね。でも、私にはまだ少しだけ余裕があるわ。さあ、不死鳥の尾、味わいなさい!」

「わ、綺麗」

 

 そして、多数の弾幕の眩しさの中で、更に目を引くまるで尾羽根のようにも見える赤鱗弾の行列が迷いなく魔梨沙に襲いかかった。燃える尾を模したその弾幕は熱く、傍を掠めるだけでも集中を乱すに足る。

 未だ避けるパターンが掴めない中での、新しい弾幕の登場に、流石の魔梨沙といえども危機感を覚えずにいられず。

 これでも気合避けの可能な範疇とは思えたが、万が一にも一枚目で落とされるという情けないことには成りたくなかったがために、魔梨沙はスペルカードを切った。

 

「でも、美しさならあたしの星も負けてないわー。魔符「スターダストレヴァリエ」!」

 

 そう言った魔梨沙の周りに、三原色の星が弾ける。大きく、周囲の弾幕を吸い込んで消していくその力は、妹紅の展開した弾幕の檻を破って一帯に広がっていく。

 狙いもなく、全体に展開されたスターダストレヴァリエは、惜しくも妹紅に当たることは無かったが、その次に魔梨沙が続けて発した紫の流星は蓬莱の人の形に命中した。

 

「ぐっ、当たっても死なない、けれども墜ちる程度のダメージに抑えているわね、器用なことを……でも、死の近さに関係なく、私は再生できる……「リザレクション」!」

 

 復活の呪文を唱えた妹紅は、あっという間に炎に包まれる。その身は一時炎の中で消失したかのように見えた。しかし、彼女は防刃性能がないためにズタズタになっているが、耐火性に優れた服の中にて、再生する。

 先に星の爆発によって負った傷なんて、最早見て取ることなんてできない。明らかに完調な様子の妹紅を見て、一人で紅魔チームを破れた要因を察し、魔梨沙は呆れたように零した。

 

「貴女って今日だけで、こんてぃにゅ~を何回してるのかしらね。普通なら回復に時間が掛かるから何度も出来ないんだけれど、ずるいわー。まあ、あたしは何時もの~こんてぃにゅ~でやっているから関係はないんだけれど」

「急にそんな間延びした声を出してどうしたのかしら……まあ、いいわ。次が私の本命「インペリシャブルシューティング」!」

「あ、また燃えて……当たらない? 魂だけで弾幕を創るのね、器用だわー」

 

 再び全身が燃えたかと思うと再生は起こらずに、当てる対象物が焼失した中で弾幕ごっこは始まる。

 力を見つめている魔梨沙には妹紅の姿がはっきりと見えているが、実際はそこに魂があるだけ。通り抜けた、紫色の軌跡がそれを教えてくれる。

 

 さて、先んじて相手を落とすことの出来ないこの弾幕は耐久スペルのようだと魔梨沙も気付く。その次の瞬間、目の前で薄青色が迫ってきていた。

 全方位に発された米粒弾は通る隙間もなく埋まっているが、それは途中で停まる。流石に不可能弾幕ではないのね、と思いながらそこから少し離れると、円の形をしていたそれは歪みに歪み、先端を魔梨沙の方に向けてまるで花のように広がった。

 切っ先を寸でにて避け、魔梨沙は広がることで出来た隙間を見つけてこの弾幕の意図を察し、一挙に箒を駆って弾幕の最中へと突入する。その行動には勇気が要ったが、決して間違った選択ではなかった。

 米粒弾で出来た花は魔梨沙が中に入ったその後、円に形を戻してから直ぐに外へと散弾のように飛んで行き、あっという間に消えていった。

 

「危なかったー。何というか膨張と散りっぷりに、生の鼓動と死を感じる弾幕ね」

 

 そう、インペリシャブルシューティングは、弾幕の内へ入り込まねば一挙に難易度が跳ね上がる、そんな代物である。次には青と赤、それが二重丸のように広げられた。当然それらも、形を変じてその際に隙間を作っていく。

 勿論軽々と隙間を見逃す魔梨沙ではないが、その次の三重に重なった弾幕、そして更に次々と丸が生じて時間差で変じていくその形態の変異の際に出来る隙間探しの忙しさといったら、それはもう大変なものであった。

 隙間を移動し、色とりどりの花を渡る。生じるのも変容も美しければ、散華もまた綺麗なものであり、一貫してそれらは生と死の連続を示しているように、魔梨沙には思えてならない。

 そして五色の五重丸が二度展開され、花になった時の色が先と異なる風に工夫されていることを確認してから、魔梨沙は妹紅の姿を見つめた。

 魂の形ではあるが、その表情は固く、決して弾幕を楽しんでいるようには見えない。だが、それもむべなるかな。これほどの技巧の凝らされた弾幕を放つのにかかる負担は尋常なものではないだろう。

 

 ――そろそろ、仕留めないとねっ!

 

 魔梨沙が一分を数えた時に、妹紅はラストスパートをかけてきた。生まれるは、大量の蔓のように緑色をした米粒弾。円形をバラバラにしたようなそれらがくっついて一つの丸になろうとするその瞬間に、蔓は刺に変わった。

 刺傷を作られてはたまらないと、避ける魔梨沙は、次第に円の中心に、妹紅の眼前へと誘われる。そして、その直ぐ後に起きるのは、渦巻状に発された青い鱗弾。

 それは怒涛のように素早い魔梨沙の後退に迫る速度で来たったために、運よく隙間を見つけられなければ、撃墜は免れ得なかったことだろう。

 しかし、隙間を見つけてその先に進むというのは、今までの性質からいって、内に入り妹紅が創る次の弾幕に近寄るということ。そして、その次の弾幕は最後のものであり【トリ】に相応しいものだった。

 思わず、魔梨沙は笑みを漏らしてその弾幕を歓迎してしまう。それほどまでに、目の前で轟々と燃え盛る炎は美しく、圧倒的なものであったのだから。

 

「きゃはは! 凄いわっ。まるで不死鳥の羽根ね」

 

 そう、それは四方に向けられた鳳凰の翼の如き様相の燃え盛る大量の鱗弾。それらは広がり威容を見せつけたかと思うと、妹紅の元へと逆戻りしてから、渦を巻いて全方位へと散っていく。

 あまりに大量の火弾は、避ける魔梨沙の袖先どころかまつ毛の先まで容赦なく焦がす。辺りはまるで太陽の中のようで眩しく、通常であれば目を開けることなど出来ようもない。

 しかし、乾いた眼を凝らした魔梨沙は、火炎の中で道を見つけて突入し、そして肺腑を焦がされぬよう息を止めながら、その隙間を捉えきり、抜けることに成功した。

 

「けほ。あたしの勝ちだわー」

 ――ふぅ。そうだね。後一枚スペルカードはあるけれど、疲れてもう煙も出ない。私の負けだよ」

 

 向かい来る炎を越えたといのは即ち、再度妹紅の前に出るということ。業火の中、再び肉を持った妹紅と、魔梨沙は向い合って、対照的な表情を向け合う。

 疲れ倦んだ苦笑いと、喜色に溢れた満面の笑み。ただ、歪んだ口元と紅の瞳ばかりが一緒であった。しかし、それだけでなく、二人には似通ったところがあると、魔梨沙ばかりは知っている。

 

「これだけの弾幕を見せてくれたのだから願いを叶えてあげたいけれど、あたしが勝者だからあたしの好き勝手にするわ。ここには貴女みたいな存在が居ること、言いふらしてあげる」

「……ま、好きにしなさい。そうなったら、私は住処を変えるだけだから。廃墟になったばかりだ、ちょうどいいわね」

「もう、早とちりしないで欲しいわー」

 

 妹紅の眼が失望で染まり、それが背けられたことを嫌い、魔梨沙は早々に誤解を解こうと動く。

 そっぽを向いたその先に、魔梨沙は驚くべき速度で到達し、紅の視線を妹紅一点に向けた。真剣なその視線と思い込んだ考えを訂正する言葉を受けて、妹紅は魔梨沙を見つめ返す。

 

「どういうこと? 死なず生きず、こんな不自然な存在が許されるわけがない。誰が知ろうが、反応は変わらないでしょうに」

「死の果てにあるのがまた再びの生であるのなら、覚えていないだけで全ての人は貴女と同じかそれ以上に生と死を繰り返しているはず。生と死の繰り返しなんて普通のこと。更には、ここは人と幻想の距離が一番近い土地。受け容れられる余地は沢山あるわ」

「輪廻転生、か。死なない私にはあるかどうか一生分からないものね。でも、どうして霧雨魔梨沙、貴女はその輪に永劫入ることの出来ない私が受け容れられると思えるの?」

 

 疑問を投じられた魔梨沙はふと、何処かここでない遠くを見て、そして首元に手を向けて、それが喉に届く前に離した。そうして、少し経ってから、魔梨沙はぽつりぽつりと言葉を繋げていく。

 

「……転生は確かにあるわ。その証拠にあたしはその内の一回の記憶を持って生きている。そのために私は実の親にも受け容れられることはなかった」

「さっきの、二度目の生とやら……喩え話じゃなくて本当だというの?」

「そう。でもね、あたしが妹分にそれを明かしたら、それがどうしたの、お茶はまだ、って言われてね。その時に、他と違うことを知られることで再び否定されるのを恐れていたあたしが馬鹿みたいって気付いたのよ」

 

 あの時から、少しだけあたしは自由になることが出来るようになったわ、と魔梨沙は言う。薄く笑んだ、その表情は、過去の自分を哀れんでいるようにも見える。

 ここで妹紅は、先に感じた憐憫の情、その正体を理解した。

 

「ひょっとして……さっきの哀れみは、私を弱く見たわけじゃなく……」

「そう。自分で無理だと自縛している貴女が昔のあたしに重なって、可哀想に見えちゃったの。だから、お節介、焼きたくなっちゃった」

 

 風が一陣、竹林にざわめきが走る。知らず、妹紅は自分の胸を押さえていた。優しい笑みが、三日月が、どうしてだか魔的な魅力を放って幾度も停まった経験のある彼女の心の臓を高鳴らせる。

 

「――恐れないで。きっと、あたしを受け容れてくれた幻想郷は、貴女を受け入れてくれるわ」

「私は……」

 

 今更軽々と、孤独の覚悟を捨てる言葉を吐くことなんて出来やしない。しかし、頭は垂れそうになる。頷くように、妹紅の首は動こうとした。

 

 

 

「――――あら、駄目じゃない。それは私の大事な玩具。勝手に私の手から離れたところに持って行こうとしないで」

 

 

 

 それを邪魔するかのように、高くから透き通るような声が、響く。その音を聞いた妹紅は勢い良く頭を上げ、赫々と瞳に焔を灯した。

 空高くに在るのは、いと美しき人の形。和洋折衷な様子で袖にスカートの裾の余った上等なツーピースを着こなし、黒々とした長髪を広げ海月のように浮いている、そんな少女のことを、妹紅はよく知っていた。

 そう、恨み深く積もり捻れて解けなくなるほどによくよく。

 

「輝夜っ!」

 

 もう体力は残っていないが、それでもかき集めた力を溢れ出させて、妹紅は気炎を上げる。

 しかし、そんな努力はあまりに矮小なものと、輝夜と呼ばれた少女は口元を隠しながら微笑んで、魔力とも妖力とも神力とも異なり全てに似通った力を急速に広げていった。

 接近に気付くことの出来ない程度の存在だった少女が発するそのあまりの力の量に、蚊帳の外だった魔梨沙は思わず目を見張って驚く。

 これは最近出会った大物達と比べても、単純な力量は上だろう。ひょっとしたら、師匠魅魔と比較しても遜色ないどころか、余裕を見せる底知れなさを思うにその天井すら超えている可能性があった。

 だが、そんな驚きをさし置いて、つい口から出て来てしまう疑問は違うもの。それは、妹紅が口にした名前に端を発する。

 

「かぐや? ひょっとして、今は昔、竹取の翁というふ者ありけり、のあの?」

「ああ、そうだよ。間違いようもない。あいつはその輝夜さっ!」

 

 妹紅は目つき鋭く睨み、魔梨沙は目を丸くして驚く。そう、魔梨沙が名前から当てたように、蓬莱山輝夜は、お伽話、赫映(かぐや)姫の主人公その人である。

 輝夜の持つその美貌は、満ちきれない月の下で何よりも輝いているようにすら見えた。視線全てを迎えるよう手を広げた際に披露した破顔ですら、その珠玉に罅すら入れられない。

 

「ふふっ、永琳の想定も崩れることがあるのね。幻想郷の支配者たる妖怪達は倒され、残っているのは穢れた人間だけ。これでは私達の計画を止められる者なんて……」

「――――あら、月の異変はかぐや姫のせいだったの?」

「……へぇ。地上の民にしては、貴女、大したものね」

 

 しかし、その美しさの多分を魅せている烏の濡羽色の髪は、強き力の奔流によって、跳ね上げられた。そう、怒り溢れさせた魔梨沙の魔力が、一瞬だけ輝夜の力を上回ったのだ。

 真剣味を増した魔梨沙の視線は頭上の元月の民へと向かう。見下していた輝夜の茫洋とした焦点も、直ぐに合って、二人の視線は真っ直ぐに繋がった。

 

「妹紅、恨みがあるみたいだけれど、今回はあたしが代わりにやっつけてあげるわ」

「……やれやれ。私は何も分かっていなかったみたいだ。魔梨沙、あんたなら出来るだろう。輝夜にギャフンと言わせてやってくれ」

 

 そして、隣で見上げ合う二人の意思も繋がって、そうして託された願いを叶えるべく魔梨沙は動く。ゆっくりと、夜空に向かって魔梨沙は杖を向ける。

 しかし輝夜は宙に揺蕩ったまま動かずに。ただ、余裕を持って彼女は不敵に笑う。

 

 未だ、天辺に月は輝いている。

 

 

 

 

 



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第三十一話

 

 

 僅かに欠けているとはいえ明るい満月によって、互いの表情すらよく見える中で、蓬莱山輝夜と霧雨魔梨沙は自前の紅の瞳を持って見つめ合う。

 魔法使いのイメージそのままの魔梨沙の姿を、千年以上迷いの竹林から外に出ていない輝夜はその統一感から地上の民の流行りの衣装かしらと思い、そういえば紫は永琳の好きな二色が混ざった色ねともぼうっと考えた。

 魔梨沙は、昔の人は十二単を着ているイメージがあったけれど、流石にちょっと今風に変わっているのね、でも裾を引き摺り大事にしないのは変わらないのかしら、等と考え相手の隙を伺いながら、口を開く。

 

「そういえば、貴女も不老不死ねー。でも、妹紅とはちょっと違う感じがするわ。宇宙人だからかしらね」

「うふふ。今日この夜にわざわざ妹紅が来たというから、永琳の目を盗んで様子を見に来たら、正解だったわ。貴女みたいに面白い存在が居るなんて。実によく磨かれた、珍しい瞳と力を持っている」

 

 輝夜は、そう言って、周囲の全てが映り込んだ特殊な魔梨沙の瞳の奥を覗き込む。よくよく研磨され能力と化したその紅玉に、彼女は黒い炎を見つけてその美しさに感じ入る。

 地にて擦られた穢らわしさも、その結実が美麗であれば手に取るに邪魔になることもない。下で胡座をかき休んでいる妹紅が思わずムッとするくらいに、輝夜の表情は特別なものを見つけた悦びを溢れ出させていた。

 

「でも、輝夜、貴女が月を欠けさせた下手人なの? よく考えると違うとしたら無駄に時間を食ってしまうだけね。もう、夜を永遠に出来る存在なんて居ないし、早く倒さなければいけないわー」

「あら、月を欠けさせたのは、私の従者よ。もし私が負けたら、止めさせてもいいわ。それにしても永遠、ね。こんな感じかしら?」

「……随分と簡単に永遠の魔法を使えるのねー」

 

 輝夜が夜空に魔梨沙には不明な魔法陣を描いてから後、空は固まった。天は光の瞬きすらも停止していて、レミリア達が停めていた頃よりも、もっと静かな空となっている。

 それを驚く魔梨沙に、輝夜は薄い胸を反らして、誇った。

 

「私は、そんな能力を持っているから」

「そいつはそれだけじゃないよ。須臾……瞬間をも操ってその間に行動することだって出来るんだ!」

「妹紅……全く。ここぞという時に見せて、驚かそうと思っていたのに。まあ、そうね私は永遠と須臾を操る程度の能力を持っているわ」

「へえー。それは、強い力を持っているわね」

「っ、貴女もね……」

 

 突然の暴風に、輝夜も驚かされ、その眉は寄った。魔梨沙の鼓動に合わせて、強く高鳴る魔力が周囲にばら撒かれたのだ。

 おもわず恋しく見つめ始めた魔梨沙も、内心自分の力が増していることに驚いている。それが、自身の力が月人持つ力のあり方すら真似ることで更に純化して、溶けた氷のように容積を増して溢れだして来ているということに彼女は気づけない。

 輝夜は、一人間が持つには多すぎるその力量の不可解さに眉根を寄せていたが、まあ、分からなければ投げ出してしまえばいいという何時もの考えを持って、思わぬ好敵手を歓迎することにした。

 

「さて、誰にも解くことの出来なかった美しき難題、貴女には幾つ解けるかしら?」

「五つの難題だっけ? 仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠のなんとか。ええと、他にどんなものがあったかしら」

「うーん……それを知っている貴女に、旧い難題をそのまま出すなんて芸がないわね。そうね、丁度邪魔も入りそうだし、究極の難題、用意しておくわ」

「ん? あら、本当ねー」

「あ、輝夜様、やっぱりここに!」

 

 輝夜の言に少し待ってから、魔梨沙も接近する何者かに気づく。果たして、竹に遮られた奥から現れたのは、根本にボタンが付いた兎耳を付けた、制服のようなブレザーが特徴的な月の兎、玉兎、鈴仙・優曇華院・イナバであった。

 鈴仙は、師匠である八意永琳と、その主、蓬莱山輝夜に対して恩義から敬愛している。そのため、こうして輝夜を永遠亭へと戻すために遣わせられることも苦とせず、喜々として行っていた。

 そうして、永琳に言われた通りに旧妹紅の家近くにて輝夜を見つけ、何やら剣呑な様子の人間達を無視しながら、鈴仙は主へと声を掛ける。

 

「輝夜様、お師匠様が戻るようにと仰っています。輝夜様が居なければ、術は成功しないとのことで……」

「全く、永琳ったら過保護よね。本当は全て一人で出来るというのに、わざわざ私を立てて縛り付けようとする。まあ、別にいいけれど。直ぐに戻るわ。ただ、この場の収集は頼んだわよ、イナバ」

「っ、輝夜様!」

「ふーん。凄いわねー」

 

 鈴仙や魔梨沙達が見上げている最中、話が終わったその瞬間に、輝夜の姿は掻き消えた。予備動作もない、なるほどこれが須臾を操るということなのね、と魔梨沙は思う。

 

「えーっと……妹紅は分かるけれど、そこの貴女は、何?」

 

 そして、急に後を任された鈴仙は困ったものである。普段から輝夜といい勝負をしている妹紅、それに何やら嬉しそうに冗談みたいな力を吹き上げさせているそんな人間を努めて無視していたというのに、信じていた主の姿は既になく。

 ちょっと臆病な鈴仙は、既に半ば及び腰で声をかけた。

 

「あたしは、この夜の異変を解決しに動いている存在。要は貴方達の敵ね。全く輝夜ったら、夜を止めたまま行ってしまってー。これじゃあ、追っかけてやっつけるしかないじゃない」

「くっ。させない!」

 

 鈴仙は握りこぶしを縦にし、人差指と親指を真っ直ぐ伸ばす、そんな銃を模したような手を向けて、指先から銃弾状の弾幕を放つ。

 牽制の一発を魔梨沙は悠々と避けたが、鈴仙はそれだけでなく周囲に薄赤い銃弾を巡らし、円状にしてから投じてくる。

 魔梨沙は、少しばかり隙間が狭く惑わすように僅かに動こうとも、特に難しくもないその弾幕を避けながら、鈴仙の赤い目を直視して尚、あくびをする余裕を見せた。

 

「ふわぁ。流石に夜遅すぎて眠くなってきたわ。何だかちょっと奇妙な妖怪兎を相手にしている暇なんてないのだけれど」

「私の狂気を操る能力が、効いてない? いや、確かに効果はあるはずなのに……」

「焦がれて狂うことなんて、もう慣れっこよー。うーん……本来の夜明けの時間にもうあまり余裕はないし、誰か、代わってくれないかしら」

 

 感情の波長を乱されて狂気にまで変えられても、魔梨沙は暢気にバトンタッチ出来る誰かを欲している。何時もどおりに見えてしまうのは、言葉の通りに、狂気になんてもう慣れ親しんでいるため。

 弾幕は余裕を持って避けられ、能力も意味を成さない。鈴仙にとってそんな相手は始めてのこと。彼女の中にある怯える心は、益々膨れ上がっていった。

 スペルカードを取り出すのすら忘れて、彼女は闇雲に弾幕を張り始める。そして、そんな心に隙のあるような弾幕は、幾ら濃かろうとも魔梨沙の前では敵になりようもなかった。

 

「そんな、どうして……どうして何も通じないの!」

「……何だか鈴仙が不憫に思えてきたし、私が交代してあげてもいいんだけれど……」

「妹紅はもうガス欠じゃない。あたしが最後までやらなければいけないしら……ん?」

 

 そして、半ば狂乱し始めた兎を見つめながら、魔梨沙が星の杖に力を篭め始めた時、彼女は自身に近寄ってくる何者かの気配を感じ取る。

 現れたその少女の姿は霊夢ほどではないが、慣れ親しんだもの。後を追っていた、彼女はここでようやく追いつく。

 そう、アリス・マーガトロイドはこの日初めて魔梨沙の横に立とうとしていた。

 

「やっと追いついた、魔梨沙!」

「丁度いい所に! アリス、この兎さんの相手は【任せた】わー」

「え、魔梨沙?」

 

 しかし、追いつく間もなく、その背中は遠ざかっていく。ポカンと口を開けて弾幕を縫いながら去っていくその姿をアリスと鈴仙は見送る。妹紅は忍び笑いを漏らす。

 残された者達の中で、一番遅くに気を取り戻したのは鈴仙だった。彼女は急いで、もう見えない後ろ姿を追いかけるために、永遠亭へと飛び立とうとする。

 

「やられた! 追いつかないと……わっ!」

 

 すると、鈴仙の長く伸びたくしゃくしゃな耳に後方から飛来してきたレーザーが掠めた。痛みを覚える前に避けたから良かったものの、下手をしたら耳が大事になっていたと、鈴仙は相手を睨む。

 

「待ちなさい。貴女の相手はこの私よ」

 

 そこに居た相手は、まるで人形のような人形遣い。アリスは隣に人形を侍らせながら、魔導書を開いて、宙に仁王立ちしている。

 向かい合った赤と青、二人の視線は合う。当然のように、狂気を操る程度の能力はアリスに効いて、彼女を狂気に陥らせる、そのはずだった。

 

「うふふ。魔梨沙が私を頼ってくれるなんて初めて。簡単に穴に逃げ込ませはさせないわよ、兎さん」

「ああ、また能力が意味のない相手、かぁ……」

 

 激しい拍動に合った気持ちは正しく狂気。アリスは魔梨沙から送られた初めての任せるという言葉によって、既に狂おしいまでに狂喜している。

 魔道書の力に影響されて、七色に輝き始めた瞳は真っ直ぐに獲物を見つめ、逃しはしないと固く焦点は合わされていた。

 これは迂闊に後ろを見せられない、どうしようもないと腹をくくった鈴仙はしかしげんなりと、狂えるアリスと対面する。

 

 赤青の銃弾は、容易く七色に飲み込まれながら、諦めることなく何度も撃ち込まれた。

 

 

 

 

 

 

 因幡てゐが、霧雨魔梨沙の目の前に現れたのは、人を永遠亭に近づけさせないという約束を最低限守るためだけである。

 端から力量の差を感じていたてゐは、他の眷属を無為に傷つけさせることはないと、永遠亭へと向かう魔梨沙に単独で立ち塞がった。

 弾幕を放ちながら眼前に現れた、見た目ばかりは少女らしく可愛らしいロップイヤーな妖怪兎に、魔梨沙は邪険に散らしていた妖精と対応を変え、面白いものを見たかのように微笑んだ。

 

「誰だか知らないけれど、警告してあげようか。そっちに向かうととんでもない力を持った存在が待っている。今なら引き返せるよ」

「そう? それは楽しみねー。教えてくれてありがとう、兎さん」

「やれやれ。そんなに生き急ぐこともないだろうに。ここいらでゆっくりしなさいな。私の名前は因幡てゐ。そこらの兎とは一味違うよ」

「それは美味しそうね。……でも確かに、貴女からはちょっと魅魔様、つまり神様みたいな力も見えるわー」

「魑魅魍魎渦巻く中で、弾幕ごっこという遊戯で勝ち抜いたとしても、ここまで辿り着けたのは、その賢しい眼が関係しているのかね。証拠に、こうして撃ったところで掠りもしない」

 

 軽口を叩きながらも、てゐは動き回りながら、魔梨沙に向けて赤色の渦が変じて桜色をした米粒状の交差弾と成る弾幕、そして更には青色の渦が若葉色をした同様の交差弾と化す弾幕、そして更には赤か青の小玉弾を対象目掛けて軽く曲げて並べながら殺到させる弾幕、それら三種類を組み合わせて発していた。

 しかし、そんな工夫された避け辛いものであっても、こんなものは通常弾幕の範囲内ねと魔梨沙はものともしない。

 

「仕方ない。どうなるか分からないけれど、変化をつけてみようか」

「……わあ、効率的でどこか狡い。危ないわ。性格を感じられるような弾幕ねー」

 

 掠りもしないで隙間を通って、的確に月光に暗い流れ星を発してくる、そんな魔梨沙をこと弾幕ごっこでは格上だと断定したてゐは、発する弾幕を更に変化させて挑むことにした。

 周囲に生じさせ続けるは、赤と青の渦巻き。魔梨沙の目の前でてゐの姿を隠すくらいに量を増した米粒弾は、一定の時間をもってして色を変じさせながら一斉に魔梨沙の方へと向かっていく。

 多量が眼前で交差し、視界の端から尖った切っ先を持って来るその桜の花びらと瑞々しい葉は、魔梨沙を持ってして中々に無駄がない難しい弾幕と捉えられた。

 しかし、だからといって、わざわざ当たってその美しい様相を乱す理由もなく。流石にその身に掠らせもしたが、魔梨沙は星を更に飛ばしてダメージを与え、弾幕を中断させるに至る。

 

「さて、それではどうしようかな……」

 

 人間を幸運にする程度の能力を持つ因幡の素兎は、与えた幸運を持ってしても避けられない弾幕を持って、相手を優しく落としてあげようと考えていた。

 しかし、少しの幸運も必要とせず、幸運を受けた人間は実力を持って高難易度の弾幕を打ち破っている。これは、邪魔をするどころか敵に塩を送ったようなもので、さしものてゐといえども契約を思えば後悔を覚えざるを得ない。

 だが、自信があり、性格が色濃く現れたその弾幕だけで竹林の妖怪たちを下してきたてゐは、スペルカードなんて非常用の一枚しかもっていなかった。どうしようかと、彼女は一瞬葛藤したが、目の前の年若い少女のことを思えば直ぐに答えは出る。

 長生きしているてゐは魔梨沙の内面に、力を求める心を察していた。

 

「迷うことはない。今が非常時だ。……人の子をわざわざ修羅の道へ行かせることもないだろう。「エンシェントデューパー」」

 

 そう言い、てゐは軽々とスペルカードを切る。そして彼女は幼子を迎えるかのように、その手を開いた。

 てゐが広げた手の先には、強い力が集まり、赤い光を成す。そして、そのまま左右に力が伸びて赤いレーザー光線のような様相を呈した。

 それでは真正面には何も出来ず、まさか振り回すのではと思った魔梨沙であったが、奇っ怪にもそのレーザーは二つに割れて、真っ直ぐ前後に向く。つまり、魔梨沙の左右移動を制限するかのように、レーザーは二人の左右を走っているのだ。

 しかし、それでも上下前後の移動は自由である。勿論、ずる賢いてゐの弾幕がそれだけで終わるわけはなく、かなりの速度をもってして青い小玉弾による水しぶきかサメの背びれに見立てたかのように、直線でなく曲がって面を向けてくる弾幕が周囲に次々と展開して幻想郷にはない海面上へと誘わせていく。

 素早く辺りに広がっていく青を辛うじて避けていると、今度はレーザーの上を兎の跳ねる軌跡のように赤い米粒弾が並んでいることに魔梨沙は気付いた。

 それが二重三重、そして四重と並べられたとき、もしやと思った魔梨沙がてゐに近寄ろうとするその直前に、兎の軌跡は爆発する。

 いや、実際にボムのように破裂したわけではない。だが、それと錯覚する程の速度を持って爆ぜたかの如くに赤い米粒弾は空間に広がって様々に交差し魔梨沙に素早い回避を促した。

 

「これは……くっ、最初から近寄らなければいけなかったのね!」

 

 あまりに速すぎて血しぶきの様に映るそれを、避ける魔梨沙に最早余裕などない。しかし、彼女は気付いていた。事前にてゐの前に居れば、展開する前で避けるに易い青い小玉弾の回避に専念するだけで済んでいたという、そのことに。

 そうしていれば、きっと比較的容易く避けることの出来る良心的なスペルカードといえるだろう。しかし、どういう展開の仕方をするか不明な時点で近寄るわけにもいかず、初見はどうにも離れて見つめざるをえなかった。

 そのために、必死の回避は行われる。騙された、と魔梨沙は思う。しかし、騙された方も悪く、なるほどそのようにすれば力を入れすぎずとも容易く相手を下すことも可能なのだと、魔梨沙は強く再確認した。

 

「……きゃはは! なるほどこれも力の使い方の一つ。一つ学んだわ。――でも、強い力を賢く用いれば、どこまで相手を落とせるのかしらねっ!」

 

 最後に発した疑問は輝きを増した宙に解けて、答えは返ってこない。しかし、効率良く使うこと素晴らしき実感得て喜びに満ちている魔梨沙は嬉々によって限界を超える。

 凄まじい勢いで迫り来る弾幕を、鋭く見つめて隙間を捉え、最小限の回避を持って、辺りの赤青全てを置き去りに魔梨沙は前進した。

 

「アレを避けきるなんて……とんでもないね。弾幕があんたから逃げていくような錯覚すら覚えたよ」

「どういたしまして」

 

 そうして、向かい合ったは、至近距離。相変わらず、小玉弾は展開されているが、それだけを避けるというのは魔梨沙には難しいことではない。

 対面し、魔梨沙の服はボロボロで傷だらけの全身の中で宝石のように美しい瞳を見て、てゐは自身の推測に間違いがあったことを理解した。

 

「ああ、あんたは夢見る少女なんだね」

 

 そう、修羅ではない。これは、もっと純粋なものであると。それを理解したてゐは、向かい来る紫の大群の前で、笑みを漏らす。

 そして、流星によって、神性を持つ妖怪兎は墜とされた。

 

 

 

 

 

 

 無限に続いていそうな広く長い板張りの廊下の奥、そこには果てが望めないほど広大な異界が広がっていた。

 その空に鎮座するは、本物の満月。しかし、残酷なまでに青白い光で周囲を平等に照らすそれは、最早何時もの月とは程遠いものであった。

 忌まわしく狂おしいその月。そんな太古の本当の姿を知っている二人の蓬莱人は、過ぎたる月光の下にて、会話を交わす。

 

「――永琳、貴女には本気を出してもらうわ」

「……輝夜、本当にいいの?」

「あ、勿論事前に決めたとおりに、やるならスペルカードルールっていうので戦ってね。その中での本気ってこと」

 

 真剣な顔をしていると思えば、綻ばせて。興奮し、そうころころと表情を変える輝夜の近くで、八意永琳は渋面を作っている。

 それもそのはず、彼女は元月人。尊さにおいて、彼らの右に出るものはなく、そして八意永琳はその中でも最高の力と頭脳と歴史を持っていた。

 そんな永琳が本気に成ることなんて、まずないことである。何しろ、彼女は強い力を賢く使う者の代表のような存在。僅かな力で最高の結果を出す、それを恒常的に行いすぎて好んでいるどころか最早癖にすら成っている。

 

 そのことを知って尚、本気を出させようとする輝夜の気が、今ひとつ永琳には分からない。

 確かに、幻想郷にも強い存在が居るだろう。下手をすれば永琳であろうとも負けてしまうような、そんな者も居るかもしれない。

 しかし、只の人間にルールの上に制限されているとはいえ最中で本気を出すとは、そんなことは永琳にとっては最早大人げないを通り越して愚行にしか思えなかった。

 

「ルールがあるとはいえ、力を抑えても負けるようなことはそうそうないと思うのだけれど。それでも、輝夜。貴女は私に本気を出せと?」

「うふふ。今宵の貴女は従者ではなく、私が用意した最高の難題。むしろ、手を抜かれたら私の程度が疑われるわ」

 

 輝夜は笑う。月の賢者と呼ばれた彼女の、計算違いを面白がって。只の人間と、輝夜は永琳に教えたのだが、相手がそれだけでないというのは明白だ。

 そう、霧雨魔梨沙は輝夜に届きかねないほどの力を持った存在。輝夜と対等な存在の妹紅を既に下している、そんな少女。そんな情報を教えられず、しかし察してはいるのだろう永琳は、少し悩んでから、答えを出した。

 

「そう。そこまで言うのなら、いいでしょう。従者でもなく、賢者でもない。八意永琳の本気を魅せてあげるわ」

 

 編み込まれた銀の髪を後ろに流してから、そうして、賢者は重い腰を上げる。

 天は止まれども、時は止まらず流れ、やがて、魔梨沙と永琳の対面の時は自ずとやってくるだろう。

 夜明けの時間は直ぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 



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第三十二話

 

 

 

 永遠亭に侵入した魔梨沙は、沢山の妖精たちの歓迎を受け入れつつ、撃つ星弾のように真っ直ぐ先へと急いだ。

 そして、魔梨沙が今日のために空間が改造されていたのか長く一直線な廊下を進んでくと、正面を襖扉が邪魔をしたために、そこを開けて先へと進もうとする。入るなりその先に見えるのは暗闇。しかし魔梨沙にはある程度の先まで見えていた。

 赤き瞳に映る広大な廊下は長きことこの上なく、外観との違いをも紅魔館での経験からある程度想定していた魔梨沙であっても、最早驚きを通り越して呆れを覚えてしまうほどのものである。

 

「地球と月との距離って確か三十八万キロくらいだっだっけ? まあ、そこまで行かないだろうにしても遠いわねー……ん?」

 

 光源が見当たらない中、暗闇へといざ赴こうと思ったところで、魔梨沙の首元に下げていた星形のペンデュラムが、まるで持ち主のように力を求めて勝手に動き出した。

 それは、今まで通る中で無視してきた沢山の襖扉の内の一つに向けて反応を見せている。導きに従い最高速でその傍に向かった魔梨沙は、まじまじとその襖障子を見つめ、そこにさり気なくも力強い封印があったことを認めた。

 

「よく見たらこの扉には封印の跡があるわねー。更には内側から、破ったようなそんな様子が……輝夜がここに隠されてでもいたのかしら」

 

 封印された扉の先にお宝があるのは当たり前よね、と物欲の薄い魔梨沙はフランドールの宝石のような羽根を思い、半ばおどけながら水墨画のような技法で竹が描かれた襖を開け放つ。

 恐らくはその先に存在するであろう輝夜との対決を楽しみにして微笑み、透けるほど薄い襖から遠くに望める何だか古めかしい月を見上げながら、魔梨沙は異界であろうその空間に入り込んだ。

 

「なっ! ……くぅっ」

 

 途端、魔梨沙は自身が砂粒ほどの大きさに縮んでしまったことを幻視する。そして、余りの圧に、地べたに墜ちようとする身体を再浮上させることに必死になった。

 如何に創られた異なるセカイであろうともこうまで気圧に変化があるものか、ひょっとすると罠だったのかと考え、地面に衝突しようとするその寸前に全身に力を廻して、丸まり地に転がろうとする自身を克己する。

 地に足をつけ、もう一度浮かび上がるに必要とされた力はほぼ全開のもの。燃えるように熱を持って総身を流れる魔力を感じながら、視点を上げる事で魔梨沙はようやく自身を圧倒したその力の根源を察した。

 そう、見つけたのは、広い空間に充満する力。それは、一点に源を持つようにして広がって、周囲に圧力をかけている。

 

「……うふふ。とてつもない、この存在が輝夜の言う難題なのかしら。素敵ね」

 

 魔梨沙の光彩は大きく広がってから狭まり、集中していく。判じたその力は輝夜と似て非なるもの。天辺としていた魅魔ですら軽々と上回り、魔界の神である神綺が隠していた本気すら超えているその純な力の規模は、まるで巨星がそこにあるかのよう。

 果てしない年月によって純化されたのだろうそれは、空気のように自然と広がっているが、また経年を表すかのように他を圧するくらいに重くもある。

 広い空間を埋め尽くす、そんな多大な力。そんなものを確認した魔梨沙の笑みは止まらない。ニヤリニヤリと綻んだ口の端は持ち上がり、大きく弧を描いてから固まった。

 

「ああ、全力で挑まないと、きっとこの力は一端すら掴めないでしょう。楽しみねー」

 

 そして、魔梨沙は胸元で高鳴る喜色に合わせるかのように、テンポよくポンポンポンと、今日一日で大分汚れた紫の帽子の中から丸い四色のビットを取り出して周囲に浮かばす。

 左の手元には魔梨沙の力に耐えられる程度には上等な星の杖。右手には、強い力を指し示し続ける振り子を乗せて、準備は万端。

 後は、時代遅れのお月様に向かっていけばいいだろうと、魔梨沙は進んでいく。勿論、こんな場所に居られる妖精なんてなく、何に邪魔されることなく彼女は久しぶりの快適な飛行を楽しんだ。

 

「さーて、鬼が出るか蛇が出るか。鬼はもう結構見たから、次は蛇とか見てみたいわね」

 

 そう、魔梨沙は何一つ臆していない。驚くべき胆力を、笑顔で見せびらかせる彼女。弓術にも心得があり視力も卓越したものを持つ八意思兼神は、そんな姿を遠くから見ていた。

 

「きっとこの地上で誰よりも威圧されている、そんな状況を楽しんでいるなんて、輝夜の言葉よりずっと大物が来たみたいね」

 

 赤と青のツートンカラーで構成されたナース服のような衣装を纏い、月光を束ねたかのように美しい銀髪を持つ八意永琳は、紫の魔女姿と己が計算違いの元凶を認める。

 そして、永琳は何を思ったのか、片手に持った何も番えられていない弓を持ち上げ、その相手に向かってその弦を引く。

 すると途端に、周囲に充満した力が眩い形となって鏃のごとくに変化してから、次第に集う力はそれすら超過して永琳の手元で昏い赤色と青色の螺旋と変化し大いに力を輝かせる。

 

「何……アポ、ロ……っ!」

 

 急激に集いだしたあまりの力を見つけた魔梨沙の目の前に、何時投じられたのか一枚のスペルカードがひらり。その内容を見つめられたと思った時間は僅か。

 次の瞬間、遠くから放たれてあっという間に魔梨沙の周囲を囲んだのは、永琳の手元で溢れていた赤黒く青黒い、米粒弾。

 それらは、魔梨沙を囲む形で静止し、そうして淡く色を変じさせながら収縮を始める。

 

「天呪「アポロ13」」

 

 そんな涼やかな声が、魔梨沙の耳元に届いたような気がした。三百六十度、全てを赤青に覆われた光の檻の中で、その声は耳朶によく響く。

 

「これじゃあ、反撃も出来ないわね……」

 

 ようやく相手らしき姿が遠目に見えた、その時にもう弾幕は魔梨沙の周りを埋め尽くしている。つまり、魔梨沙は弾幕を敵へ届かせる暇も与えられなかったのだ。

 スペルカードで提示する弾幕、つまるところ必殺技は、本来そう遠くに発することが出来るはずがないために片方の弾幕が届かない範囲で展開されることなど想定されることはない。

 しかし、圧倒的な力によってそれは覆される。一方的で、これでは避けるばかりになるなと、そう思ったところ、しかし魔梨沙は自身に迫ってくる弾幕にパターンを見つけ、そして慌てる必要を感じなくなった。

 

「きゃはは! なーんだ。反撃する意味も避ける意味もない。試しているのね。これ、基準があたしじゃない」

 

 全てが等しく収縮して眩さと力が身体をジリジリと掠める中で、魔梨沙は空中にピタリと静止したまま、動かない。そう、魔梨沙は完全に球形へと広がった弾幕の収縮が、今自身の身体がある部分一点以外全てを通ることを解していた。

 つまり、魔梨沙が全く動じることさえなければ、安全である。しかし、唯一といっていいその間隙の狭きこと。グレイズの音楽は、ひっきりなしに魔梨沙の周囲で奏でられている。

 だが、一度間違えて触れてしまえば大怪我を負うだろうその力を身体に掠めて、頬に傷を作りながらも、死から遠い弾などその美しさを楽しむ他に価値はないと、魔梨沙は笑う。

 魔梨沙の周りを通り過ぎ、大いに開くは赤青の過分に美麗な力の花火。そのシンメトリックな流れを見つめながら、魔梨沙は、一挙に先へと進む。

 永琳まで届く間に二度、アポロの弓矢は放たれたが、一度見たものはそう効かないと早々に安全地帯を見つけ、魔梨沙はチリチリとその身が奏でる力の鬩ぎ合いの音を楽しむ余裕すら見せつけた。

 

 そして、更に近づくにつれて、スペルカードでなく牽制用の通常弾幕に切り替わったのか、弾幕の様相は変わっていったが、その厳しさはむしろ増しに増してきたようだ。

 カプセル状の見た目をした、淡い色の中型弾、その桜と藍の交差が魔梨沙の行く手を阻む。或いはこれは不可能弾幕でないかと思えてならない程に、その弾幕は濃く早く、周囲を埋め尽くしている。

 単純も極めればこれほど難易度は高くなるものなのだろうかと、そう実感させてくれるような密に過ぎる弾幕から幽かな道程を見つけて、先へ先へと魔梨沙は進む。

 

「ふぅ。やっと、届いた」

「こんばんは」

 

 月光を受けて輝く銀の束が揺れて、少しの高みから青い目が魔梨沙へ向く。二色により構成された複雑な美を抜けた先に、八意永琳は在った。

 それを見る人間誰もかもを狂わす、貴すぎる珠を背にして、この異界全てを圧するほどの力を溢れさせながら、永琳は油断なく真っ直ぐ魔梨沙を見つめる。魔梨沙は、その様を恋しく【見つめ】返した。青と赤、二つの瞳は視線で繋がる。

 

「こんばんは、月が綺麗ね。あたしは霧雨魔梨沙。貴女は?」

「そうね……色々と異名は持っているけれど、今は八意永琳という名の、輝夜が用意した難題ね」

「そう、貴女は永琳というの。あたしが破る難題、次の天辺はそんな名前なのね」

「ただの人間の身で私を破る……果たして貴女は正気なのかしら」

 

 永琳は首を動かし背後の月を見てから、再び魔梨沙を見直す。狂喜に満ちた魔梨沙の様子は、確かに正気から逸しているように見える。

 しかし、その瞳には人を狂気に至らせる満月なんて欠片も映っていなく、その中心にあるのは三つ編みと弓を抱いた美人。魔梨沙は、確かに永琳を見定めて、その言葉を発している。

 後は、自分の身の程を確かに弁えられているのかどうか、それが永琳には気になった。

 

「あたしにとって、狂気と正気に大差はないわ。どんな時だって、あたしは力に飢えているから」

「飢餓こそが力に変わるとでも? 残念ながら、貴女の力は上限を超えることなく微動だにしていないわ」

「そこは限度ではないわー。ただ、今届いているのがそこまで、っていうだけ。幾らだって、あたしは手を伸ばすわ。どれだけ遠くても、天辺の先に天はある」

「そう、現在の自身は把握しているのね。……なら尚更解せないわ。どう足掻いたところで貴女は人間。それこそ永遠の存在にでもなっていなければ、その指先を私に掠らせることも出来ないというのに」

 

 人間にしては、過分な程の力。永い過去の経験を遡っても、魔梨沙は英雄と呼ばれた幾多の者の中でも希少なほどの力を持っていると、永琳は思う。また、その力が古代によく見た、変じ様が幾らでもある無秩序な力であるというのも面白いとは感じていた。

 だが、魔梨沙が陶酔したようにいくら強がりを言ったところで、圧倒的な力の差の前では吹き飛ばないように凝るのが精々であるというのが、永琳の所見。

 これから行う制約の厳しい弾幕ごっこではどうだか分からないが、軽く問診したところでは永琳は魔梨沙という地上人は敵になるほどの存在ではないと見ている。

 

「うふふ。永遠? その程度の到達点にはこの身のまま通ってあげるわ」

「……人間が、永遠の存在になれると?」

 

 そんな上から目線が、魔梨沙にはたまらなく、不快だった。けれども、怪訝に眉を寄せた永琳の表情を見ながら彼女は笑う。

 今、魔梨沙は自分の中で温めてきた思いの発表会に恵まれた。それが、妄想の類であろうとも、夢を口にする悦びを、魔梨沙は感じずにいられない。

 

「力を得続ければ、永劫不滅の域に至る。永遠だって、力の形態の一。今あたしは足りていない、だけれど求めて歩き続ければ何時かはそこに届くでしょう」

 

 魔梨沙は何度も自分に言い聞かせた言葉を、淀むことなく言い切る。

 空いたお腹に詰めるもの。もしそこに、底がなければ無限に容れられる。鳴り響くぐうぐうという幻聴に捉えられながら、魔梨沙は力に飢えて無限に連なる先を求めていた。

 

「星を超えても世界を超えても、無限でも、永遠でも足りはしない。でも、大丈夫。あたしは何時か全てを超える」

「……そんなことは、無理よ」

「うふふ。不可能なんて、もう何度も超えてきたわ」

 

 赤い瞳は、果てのその先すら映す。人にして蓬莱の人の形を超えたモノになろうとしている魔梨沙は、完全に力に狂っていた。しかし、まだ壊れてはいない。

 

 それは、大言壮語。或いは、見果てぬ夢。幼子の妄想。もし、本気でそれに近づきたいのであれば、外道を持ってして人外の力を得るのが当たり前のことである。

 けれども、魔梨沙はそれを認めない。あくまで人間であろうと、一本の鎖で己を縛り付ける。力が欲しいと飢えながら、それでも糧にするものを選ぶ余裕があった。

 

 魔梨沙が力に狂いながらも人であることが出来るその理由。それは、簡単な言葉で片付けられた。

 

「不安はない。だって、あたしは、無力な自分を信じているから」

 

 そう、足りないのだ、ならまだ足せる。足掻いた手は空を掻く。それはまだ掴めていないということ。

 魔力は鬼のようだと言われることがままある。そういう風に既存と比較されることは鬱陶しいが、遠く届かないまでに力を伸ばせば誰も自分しか認めなくなるだろう。

 脆弱なこの人間という身。しかし、弱き部分にはまだまだ詰め込める余裕があった。限界には、まだまだ遠い。

 

「こんなにすぐ近くにある力の天井なんて、簡単に超えてみせる。何しろ、あたしが求めているのは果てなる星々なのだから」

 

 弱く小さなあの頃何度、檻のような家から出て、星を見たいと思ったことか。しかし、首に付けられた枷に、天井を覆う石膏ボードが邪魔をした。

 それが今はない。なんと自由なのだろう。何に縛られることなく空を飛び、魔梨沙は高らかに、笑った。

 

「きゃははは! 神の似姿は、全能の力にどこまで届くことが出来るのかしらね!」

 

 魔梨沙の語った言葉の全ては下らない妄想と切って捨ててられてもおかしくないものだ。しかし、永琳にはそれが出来ない。

 穢れを持つために、人には寿命が出来る。燃える太陽が永い間燃え続けられるのは、力となる燃料が充分であるだけでなく、穢れが少ないためでもあった。その定めを、力を増やすというだけで覆せるというのは考え難い。

 しかし、永琳はその知恵により創った蓬莱の薬によって、穢れを持った状態での不老不死を完成させている。

 知の極みによって、道理が曲がるのであれば、力の極みによってまた変化するものもあるのではないだろうか。全能も力に因するものであるのならば、或いは。

 喜色にまみれた魔梨沙の言葉には、そう思わせるだけの迫力が備わっていた。

 

「あながち、無謀と言い切るには、可能性に満ちているのかもしれないわね……」

 

 そもそも、月の民は世界が可能性で出来ていて、どんな物事でも起こり得ることを知っている。そして、強くそれを求めているものが可能性を引き寄せる場合があるのを永琳は多々眼にしていた。

 驕りは未だに胸元に。だがしかし、ここで永琳は魔梨沙の狂気を認めた。そう、相手は際限なく力を求める恐るべき脅威。

 そんなバケモノが自分より矮小である時点にて出会えた幸運に感謝しながら、永琳は対峙している敵と初めて向かい合う。

 そして、眼と眼が通じあい、互いの内を探り合ったその途端、爆発的な力の流れが魔梨沙から巻き起こった。

 

「くっ」

「きゃは――――見つけた」

 

 そう、一部でも思いが通じたから、見つけることが出来た。

 近き月光を受けて、きらめく瞳が映しているのは、永琳の力の源、膨大なる歴史。人類史を軽々と上回る、その蓄積された恐るべき年月に、魔梨沙は遠慮なく触れている。

 そして魔梨沙は見えた力に関係するものを片っ端から真似ることにて力を無理矢理に上げていた。

 当然のことながら、そんなものが人間という小さな皿に入りきるものではなく、次々と溜められずに漏れていってしまうし、そもそも受け容れることすら出来ずに器は壊れていく。

 高速に回転しても大量を処理しきれていない脳裏に映るのは激しい明滅。紅の目は充血して、端から血の涙が流れだし、苦痛に耐えるために噛み締めた奥歯にはひびが入って食い込んだ。

 しかし、全身を這いまわる激しい痛苦の中であっても、魔梨沙が力を求めることを止めることはない。掴めるのなら全身爆ぜてしまっても構わないと、彼女は笑みをさらに歪ませる。痛み、引いては死を恐れて引き返すような時期などとうの昔に逸していた。

 恨みという純粋な感情から生まれた魔力は偽物の歴史を帯びて希釈されますます無色透明になり、量を増して溢れていく。魔梨沙はそんな力の渦の中にて翻弄されながらも、満足そうに言葉を乗せる。

 

「まだまだ足りない、でも、天辺はちょっと晴れてきたかしら」

「力をどこまでも見つめる目に、無秩序な古代の力の両方を高精度に操っているとは……厄介ね」

 

 弧を描いている魔梨沙の口から出た音色は風とともに永琳に届き、弾んだ彼女の髪の奥の、その表情を曇らせた。

 ぶんぶんと腕を回してから、魔梨沙は定めて杖を向ける。少なからず彼女を戒めていた、永琳の力による圧は既に解け、宙で自由だ。なら力を真似るのはこれくらいで、後は何時もどおりにやればいいだろう。

 美を見つめながら、それを避けて、当てて、それを続けて異変解決。苦痛によって指先が震えていて、また心臓は危険水域まで高鳴っているが【幸運にも】魔梨沙の内のダメージは致命に至っていない。

 血涙を拭いながら、笑顔を作り直し。そうしてから魔梨沙は永琳が張ってきた弾幕に挑みかかる。

 向かって来るは術者の元で花となって広がり散らばる桜色の米粒弾に、自機狙いの数珠つなぎの青い中玉弾。連携して隙間を失くしてくるそれらを避け、交差の隙間に身体をねじ込みながら魔梨沙は永琳を覗く。

 季節外れの桜花に覆われた永琳は、魔梨沙と対照的に端正な顔を曇りに曇らせながらも、射抜くように赤い瞳を見つめ返している。

 

 赤と青の視線は混じりあって紫にならず、対のまま。そして二人は遊戯のルールに真剣になり、やがて停まった時を忘れる。

 

 

 

 



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第三十三話

 

 

 

 蓬莱山輝夜にとって、この永い夜は非常に刺激的だった。それこそ、永遠の魔法をかけて停めてしまいたいくらいに、素晴らしいものと思えてならないものだ。

 

 この夜の始まった頃はそれほどの感慨を抱いていなかったと輝夜は記憶している。来るかもしれない妖怪変化を楽しむ心は僅かで、名前とこじつけだけの術で空を弄る永琳の力への驚嘆も少なく。

 しかし、輝夜は永遠の術を解除した屋敷の中で動く事態を見送り出す。始めは永琳の表情の変化に、心動かされた。思わずどうしたのかと訊くと、夜が停まり出したと返される。

 輝夜が天を仰いで見れば、確かに幾つかの力によって夜空は不細工な形ながら永遠に近いものとなっていた。妖怪たちの力が時の域に届いている、そのことが永琳にとっては想定の範囲内でありながらも悪い予想と似通っていたようだ。

 永琳はそんな相手の自尊を、枷をつけたごっこ遊びでどれだけへし折ることが出来るか険のある表情で計算しながら、ひょっとしたら貴女の出番もあるかもしれないわね、と輝夜に伝えた。

 

 これには輝夜もつまらなそうにしていた顔を綻ばせざるを得ない。聞き及ぶに、ここ幻想郷ではその世界のバランスを壊さないよう異変を起こす側にもルールを守る必要があるそうだ。

 妖怪がどうなろうとどうでもいいと思う輝夜自身は幻想郷というものに対する帰属心はなく、その維持などあまり気にはしていないが、だがしかし、ルールに則ることには乗り気である。

 何時からかしばしば殺し合いを演じるようになっていた藤原妹紅が、今夜は優雅に負かしてやると少し前にやり方と意義を教えてくれた遊び、弾幕ごっこ。

 最近、随分と嵌り込んでしまったその遊戯で自分の持つ宝の表現を打ち上げ遠慮無く競わせることが出来る機会があるとなれば、それは非常に望ましいことである。

 

 そう思っていたが、永琳はここに来て、以前それとなく口にしていた策を持ち出す。彼女はこの日のために弄りに弄った永遠亭の無限に思えるほど沢山な襖扉の一つに月を隠した異界を繋げて、中に輝夜を隠したまま封印を施すという。

 そして輝夜が隠れている間に、自分が偽の月への経路にて囮になって惑わし、相手が夜を止めるその力尽きるまで歓待をすると。輝夜は、それじゃあ私が遊べないじゃないという言葉を、飲み込むことが出来なかった。

 しかし、姫が出てくるようなことは最悪の事態、そんなことはさせられないわ、と嘯く自分の従者には何か考えがあるのだろうと、そう思い輝夜は自由にさせることにする。隙を見て、自分も自由に動こうと企みながら。

 

 そして、封印の中で待っていた輝夜に機は訪れる。情報は、飼っていた玉兎の扉越しの報告によってもたらされた。

 内容は、妹紅が来たので追い返したという、それだけのもの。しかしその言葉は輝夜にとってこの場から抜け出す理由には充分である。

 玩具(ゆうじん)と遊ぶのに邪魔は要らない。輝夜ちゃん遊びましょ、と来たら、はあいと返すのが当たり前のこと。

 元より我儘から罪人に至った輝夜である。保護者の目を盗んだ深夜徘徊くらい、平気でしてしまう。強引に軽い封印を破った輝夜は、遊びに来たのだろう妹紅を求め、よく目の利くイナバから能力を用いてまでして逃げ出した。

 永遠亭内を探しまわる鈴仙を他所に、気配を隠しながら、輝夜はゆるりと妹紅宅へと向かう。竹の葉の擦れる音に聞き入りながら、見上げた赤い瞳は天を留める力がどんどんと弱まり、失われていく様を眺め続けた。

 そして、形もなくなったボロ屋の上空で、玩具が自分以外と美しく遊んでいるのを目撃して。

 やがて勝ちを収めた人間が、親しくはなくとも遊ぶのを楽しみにしている大切なモノを自分の元から解き放つような言葉を放つのまで認めてから、ついつい彼女は声をかけてしまったのだった。

 

「それからが、本当に面白かった。そして、今が最高潮。ああ、時は止められても、受ける心は変わってしまう。美しさはなんて儚いのかしら」

 

 輝夜は気配を隠しながら、魔梨沙と永琳の二人が展開する美しい弾幕の全てを望める遠距離にて絶景を慈しみ抱きしめた。その手が空を切ることを、彼女は虚しいとは思わない。

 計画が破られてしまうという危機感と、本気の永琳と渡り合える人間に出会えた感動。それは、もはや最初に抱いていた安心とは余りに異なる心境であった。そう、お転婆な輝夜は内心で平和を望んでいなかったのだ。

 

 輝夜のために、永琳は地上に月の民がやって来るのに必要な満月を隠す秘術、天文密葬法を用いて本当の満月を隠し、夜空には欠けた月を浮かばせた。こうすることで、普通には月の使者は普通に来られなくなる。

 ただ、そうしても横道が無いとはいえない。例えば、それこそ永琳の弟子で現月の使者の長たる綿月豊姫は、海と山を繋ぐという、要は量子的に見て可能性があるならばどんなことも起こりえるという理屈を利用した能力による移動を可能にしている。

 そんな豊姫が腰を上げた場合と、夢を使った移動等によって月から地上へ月の使者が来ることが考えられるが、しかし幻想郷に繋げるには玉兎からの報告くらいの情報では足りないだろう。

 それに、邪道であればあるほど、対処に容易いというのも、永琳の弁である。

 そも、戦争があるというのに一玉兎を連れ戻すのに常道以外という手間のかかる手段を取る筈もなく、また天文密葬法が成れば月へと向かう地上の民は、偽りのものへと迷うようになるために戦争そのものが起きることもなくなるだろう。

 だから、輝夜はこの計画が成就すれば以前と同じく平和が訪れると安心していた。何時もどおりでつまらないと思う、そんな自分を無視して。

 

 しかし、そんな望ましい全てをぶち壊しにしてくれるような可能性、それを輝夜は魔梨沙の中に見出した。

 ただの人間が及ばずとも永琳に匹敵し始めたというそんな異常を見て、輝夜は確信する。どうなるか分からないそんな不明を、永琳という明るすぎるものの隣で、密かに望んでいた自己を。

 別に破滅したいわけではない。だが、偶にはこんな不安定もいいではないだろうか。つまらない永遠よりも刻々と変化して先の見えない須臾こそ、輝夜の性に合っていた。

 

「ても、信じているわよ、永琳。頑張って」

 

 自分の最高の宝物。親代わりの家族。何時も澄ました顔の元教育係の困り顔を見ながら、輝夜には判らないこの夜の結末をより良いものに引き寄せるために、応援する。

 眩しい弾幕は闇夜にこそ映えるから夜は留めたままであるが、二人の対決がどう転ぼうと終われば永遠を解こうと輝夜は考えていた。

 そして、もしも永琳が負けてしまうようなら、大人しく白旗を揚げ、歪な月も正させるだろう。

 もう、輝夜自ら遊ぶ気は起きない。先程より更に広がり、煌々とした表現を更に深々と魅せつけてくる二人の弾幕合戦に、輝夜は満足し始めていたのだ。

 

「私が用意していた金閣寺の一枚天井ですら、薄くて温い。それだけでなく、私にですら理が透けて見えるほど緻密な弾幕。でも未だそれを避け続けられているなんて……霧雨魔梨沙とやらは何者なのかしら?」

 

 赤と青の表現の中、周囲を紫で歪ませて計算を狂わせながら我が道を行く、その有り様は【何かの間違い】のようにすら思えてしまう。

 それを正解ばかりを出し続ける永琳が、どう対応するか、輝夜には気になった。そして、彼女は魔梨沙自体にも興味を持つ。

 

 

 

 

 

 

 スペルカードに記すほどの弾幕が本気によるものであるのならば、一枚を取り出すその間隙を埋める弾幕は手を抜いた急造のものであるといってもいいかもしれない。

 しかし、永琳が一向にスペルカードを出さずに、上下左右球状に世界を埋めんばかりに広げる弾幕は、とても手抜きの代物とは思えないところがあった。

 周囲に広まるのは、力の海より現れてくる、蒼き珠。出来ては消えるその至玉が、永琳の発する赤い米粒弾の渦を避けることの邪魔をする。

 上下左右、どこかに抜け道はあった。だがしかし、その先には残った赤色や新たな青が待ち受ける。

 そのあまりに偶然にしては出来過ぎな出現するタイミングが、仕組まれたものであるというのは、弾幕慣れした魔梨沙には一目瞭然であった。

 もっとも、それを知覚と予想のみで上回ることは不可能に近い。永琳は、魔梨沙の動きの限界などとうに見切っているのだ。図抜けた回避力をもってしても、一気に二人の周囲の天を半球分も青く彩らせるその青色小玉弾は縫いきれない。

 理屈では不可能でないが実際問題避けられないのならば、どうすればいいのか。そんな難問は、流れ星が解決してくれた。杖を握った手を振り紫色を前方に散らす魔梨沙は、その赤い瞳をこれ以上無く凝らしている。

 

「うふふ。判らない問題なんて、塗りつぶして消してしまえばいいわー」

 

 害意に溢れた青色など、より深く暗い紫色で混濁させてその体を保てなくさせてしまえばいい。

 そう、魔梨沙は前兆を探知し、出現するだろう場所に割りこむようにして紫の力を飛び込ませることで、一部を発させることなく散らせることに成功していた。

 そして、少しでも隙間があれば、そこを道とするのが魔梨沙の手管。霊夢のように柔軟に、更には天狗のようなスピードを持ってして、魔梨沙は溢れさせた魔力にて宙に絵を描いた。

 

「相殺出来ないなら、出来る前の無防備な姿を狙う。けれども、言うは易し行うは難し。この力の海の中、余程力を見つめていなければ、そんなことは成せる筈もないのに……」

 

 永琳は、時折来る紫の星を魔法の骨だけを取り出したかのように無駄のない術の陣で防ぎながら、周囲をびゅんびゅんと飛び回る魔梨沙を見る目を鋭く尖らせる。

 紫の軌跡を両目で追いかける最中でも、永琳が弾幕を放出するのと現出させる速度は弱まることはない。彼女が形作っているのは普通に通るのは魔梨沙といえども百に一度は成功するかというくらいの難易度の、紅き花弁舞う蒼き珠の檻。

 指揮者はあまりにも上手だ。点描に振りかけられた紅い粒子は、全てが永琳の意図する通りに動き、既に魔梨沙が技術によって乱すことすら容れて美麗な体を成していた。

 

「夜中というのに目を細めればまるで、落ち葉舞う、秋の蒼穹を飛んでいるようねー」

 

 しかし、それでも弾幕が魔梨沙に当たることはない。もうとっくに売り切れの幸運などでは語れずに、運命という言葉ですら陳腐に思えるその必然的な回避は、永琳から見てもあまりに異常だった。

 だが、あり得ないとは言えない。この問題の最適解を出すのは、永琳にだって出来るのだから。それでも、目の前で展開されれ続けている弾幕から瞬時に導き出すのは、それこそ永琳に通じるものを持っていなければならない。

 当然、賢者の知略を解せるほど魔梨沙の頭の出来は良くはなく。しかし、磨きに磨かれたその能力は最高のものであった。対する二人の間に結ばれるは、赤と青の視線。

 

「恐ろしいわね……」

 

 赤が、自身の瞳の中にまで侵食してきたかのような感覚に、永琳は目を瞬かせる。それが錯覚ではないのは明確だ。

 永琳は、自身の【知力】すら見つめられていることに気付き、久方ぶりに怖気を実感する。恐らくは、それが波及する様が理屈でなく直に魔梨沙には見て取れているのだろう。彼女の持つ知の力が大きすぎるため、非常に解りやすく。

 まさか、己が智謀の深さが逆に利用されようとは、永琳は思いもしていなかった。驚きは大きく、そのためか様々に思いつく対処法の中に決定的なものは出て来ず。

 珍しく悩んでしまったその隙を縫って流れ星は白い弾を引き連れ飛来する。入念に激突時にちょうど二つ重なるように仕組まれたその五芒は、強固な防御陣に罅を入れて使い物にさせなくさせるには充分な威力を発揮した。

 考える暇など最早数瞬しかない。諦めた永琳は、対峙した時手に持ち暗に提示していたスペルカード二枚の内一枚をここで切る。

 

「くっ、秘術「天文密葬法」!」

 

 その弾幕は全方位に向かって、細かく暗い青色をした米粒弾が牽制を行うことで始まった。

 至近に居た魔梨沙はそこから退くが、すると、その隙を狙って永琳は手元から輝く星々のような使い魔を次々と生み出し、それを動かして逃げる魔梨沙の周囲全方位に配置させる。

 

「眩しいわー。月の光の中に居るみたい。なら、その中の黒点、あたしは瑕かしら」

 

 出来上がったのは逃げることの不可能な光の檻。使い魔に弾を撃ってみれば、ダメージに揺らめくから、なるほど時間をかければこの包囲網を抜けることは出来るだろう。それを、永琳が許せば、の話だが。

 当然、手隙の永琳が何もしないという事もなく、また空で弓引くその先に力を集めて今度は藍色の中玉弾を作り出し、それを弾いて魔梨沙に向けて飛ばす。

 藍が使い魔に触れるその瞬間に、この弾幕の真価は発揮された。なんと、何の変哲もなさそうなその弾は光の網を通りぬけながら、使い魔たちに力を与え、魔梨沙に向かっていく。

 そして与えられた力によって震えるほど使い魔の光が高まった途端に、青黒い弾幕が周囲に放たれた。魔梨沙は青い玉を軽々と避けたが、それが通った道程にある前後の使い魔がばら撒く暗い色の飛沫に四苦八苦させられる。

 蒼球の射出は、一度では終わらず、時間をおいて二度三度放たれた。その度に、赤色、桜色を基調とした暗い色が魔梨沙の周囲を彩る。

 動きを制限された中で、強制される回避。使い魔を破壊し逃げることに気を取られれば、気付かない内に弾幕に触れてしまうのがオチである。

 

「でも、これくらいじゃ駄目ね」

 

 バラマキは偶然的であり、先ほどの幕間の弾幕と違い、読まれることはないだろう。しかし、ただ多く隙間の薄いというだけの弾幕で、魔梨沙を墜とすことなど出来るものだろうか。

 

「うふふ、こんな不完全な月なんて直ぐにあたしが新月にしてあげる!」

 

 深まった、魔梨沙の笑顔が答えだった。なんと、あろうことか整然と並ぶ蛍のような使い魔を破壊することに集中しながら、彼女は細かい粒に丸い弾をひょいひょいと避けている。

 やがて、全ての使い魔を退治してから、魔梨沙は永琳に向かい直った。少し上の位置から、斜め下に青い目を見て。

 

「うーん……慣れていないと、永琳貴女でも実力を十分の一も発揮させることも出来ないのね。いいわ、その分ハンデをあげましょう。スペルカードは全部捨てる。そして、これからは弾幕を歪ませることもなく、全てを避けるとあたしは宣言するわ」

 

 そして、魔梨沙はビットを帽子の中に引っ込め、懐に持っていた、全てのカードを捨てた。ひらひらと、木の葉のように宙を舞う三枚を認めながら、永琳は表情を変える。

 作られたのは凄絶なまでの、真剣な表情。美人が歪ませたそれはあまりにキツいものであるが、魔梨沙は笑ってその変化を受け入れる。

 

「……これでも私には薬学の心得があるわ。ありとあらゆる薬を作ることだって、出来る」

「それは凄いわねー」

「でも、貴女に付ける薬はない。その曇った目も覚めるような弾幕を処方するしかないようね!」

 

 そうして、ここで永琳はようやく本当の意味で本気になった。異世界中に広まったその力は、荒れに荒れて周囲を乱す。

 揺れる空間の中で、それでも笑みを崩さない魔梨沙に、永琳は憎たらしさまで覚えた。

 永琳は普段から輝夜の世話をしている身である。下に見られることくらい、覚悟していた。しかし、力の全貌を見せた相手に見くびられるなど、許しがたいものだったのだ。

 本来なら、畏れられるのが当たり前。月人、神、それ以前に太古の人間としての矜持。それが永琳と並べては話にならないほど年下の少女に乱されて、揺らぐ。

 それを守るための戦いは、最早遊びではない。これは方法が限られているだけの、真剣勝負。見せつけたカードを持つ手には、力が篭もる。

 

「これで終わりよ……「天網蜘網捕蝶の法」!」

 

 永琳が宣言したと同時に、魔梨沙の周囲には再び青色の弾が浮かび上がった。いや、それは永琳の周りまで、更には空間の全方位に創り出されたようである。

 あまりに夥しい青色をした星々は、天蓋を彩る宇宙より綺羅びやかに力を魅せて、そしてお互いに干渉し始めた。

 点と点は、結ばれる。力の青い線によって区切られた、宙は捕虫網の中のような様体すら見せ始めた。

 光点が無数であれば、光条は最早無限にすら思えてしまう。魔梨沙という蝶を捉えるために張った永琳の蜘蛛糸は、周囲を切り裂き区分し、著しくその動きを制限していく。

 

「なるほど、これは制限型の弾幕の究極ね……」

 

 赤い髪を揺らしながら、魔梨沙は隙間を探る。しかし、潜り込めたその間隙から逃れるのは不可能であることが判り、彼女も覚悟を決めざるを得ない。

 そう、これから来るであろう弾幕を、身動ぎするだけで服の端が焦げるような僅かな空間において避けること、それを認めて。

 果たして、限りなく続くこの空間の全てを人間大に区切るだけの力など、如何程のものか。全てに手抜きなど許されないピンと張られた力の渦中で、魔梨沙も永琳のその力を下方に見ていたことを自覚する。

 十分の一も出せずとも、これなら充分なのだろう。そう魔梨沙は頭の中で理解を転がす。なるほど果てのない最強の力。全てにおいて優れた永琳は、きっとバベルの塔のように自信を募らせていて、それにきっと自分は触れたのだ。

 虎の尾、龍の逆鱗、その程度の表現では下らない。比肩絶無の存在の怒りを向けられた魔梨沙は、そのために一瞬緊張した表情をしかし再び綻ばせて、笑った。

 

「きゃはは! いいわ。力で押さえて来るのなら、あたしも力でそれを破ってみせましょう。回避力、能力、それでも足りないのなら――――より魅力的に」

 

 永琳はその言葉を無視して、線の中心光れる弾に力を送り分裂させ、今度は上下に同型の球状の力を移動させる。その様はまるで、蜘蛛の巣を縫っていく、雨粒。逆しまに昇っていくものもあるために、美しさ脅威ともにそれどころではない。

 これを避けるのも、もしかしたら不可能ではないかもしれない。しかし、どれほど無様を晒せばこんな弾幕を避けられるのか。

 隅にて、衣服に身体に傷をつけながら、身体をくねらせ、逃げる。そんな情けない行動を取らなければ、殆ど身動きの取れない中で上から下から自分に向いくる自身と同じくらいの大きさの球を避けられる筈もない。

 まあ、そんな様を見れば溜飲を下げられるかと思い、眩しすぎる力に満ちた弾幕の中で、魔梨沙の姿を探す。

 

「は?」

 

 その姿を見つけた永琳は、驚きから開いた口を塞ぐことは出来なかった。それは、彼女にとってほとんど初めてのことであったが、そんな無様についての感慨も抱くことは出来ない。

 青く区切られた虚空は移ろって、僅かな時間を置いて形を変え直ぐに張り直されるレーザー光線の中で、魔梨沙は確と浮いている。手を広げその目を爛々と輝かせ、グレイズ音に包まれながらも、その背をピンと伸ばして。

 そして、魔梨沙は、青に照らされ、一角から一角に移りながら踊る。明らかに非効率、でもどうしてだか当たらない。

 隙間は僅か、そこで避けるには身体を捻らせ頭を下げなければならなかった。しかし、流れるように行われたその様は、まるで無様とは程遠い美麗なもの。

 威力の高い球が迫る。それを魔梨沙は包み込むように抱きしめ、服を焦がしながらも、自らの隙間に容れ、そして離した。

 力を込め、無理に形作られた網の中、魔梨沙の形はあまりに緊張がない自然であり。全体から見て正しく彼女は【バグ】。可憐な蝶だ。

 薄青い世界の中で、魔梨沙は、まるで森羅万象【全てから浮いている】ようだった。

 

「あっ……」

 

 美しいものなど永琳は見慣れている。しかし、久方ぶりの未知のものに、彼女の目は惹きつけられてしまう。至上の難問、その回答があまりに魅力的だった。

 そう、博麗の奥義を自分なりに取り込んで発揮した魔梨沙の姿、様々な圧力すらなかったように距離を置くその有り様には一目置かざるをえないものがある。

 見惚れて、動かないでいたことに気付いたのは、その身に強い衝撃が走ってから。気づかない間に迫っていた紫の魔力弾が、永琳を天から墜とす。

 久々の感覚に、知らず伸ばしたその手。逆さに墜ちていくのであるから、それは地に向かう。再び飛び上がるのも忘れ、握った掌は空を掻く、その筈だった。

 

「ふぅ。まさか、永琳が負ける所を目にすることが出来るなんて、長生きはするものねー」

「輝夜……」

 

 華奢な腕が、力強く永琳の身体を持ち上げる。永琳のその手を握り返したのは、輝夜だった。

 どこか虚ろな表情の従者を目にして、輝夜は溜息を一つ。そして、彼女は魔梨沙のように表情を綻ばせた。

 

「やっぱり弾幕ごっこって素敵ね。最終的により美しく戦えた者が勝ちを収めるから納得できる」

「……そうね」

「おまけに、徒に傷つけ合うわけじゃないから、遺恨も起きない。たとえば、永琳貴女がもし一度でも殺されていたら、私はそうした相手を永遠に許せないでしょうし」

 

 まあ、蓬莱人の死なんて須臾に忘れてしまうかもしれないけれどね、と戯けながら輝夜は近寄って来る魔梨沙を眺め見る。

 近づくにつれて、余裕たっぷりに思えたその姿がまるきり健全ではないことが、よく見て取れた。服は傷ついているし、全身傷んでいる。しかし、その全てが擦過した痕でしかないことが、魔梨沙の非凡さをよく表していた。

 しかし、頬に腕に露出する赤い傷口は痛いのだろう。お腹の部分の布地が消し飛んでしまったことを涼と向けた手が臍に触れたことで解しながら、笑顔から一変、魔梨沙は顰め面を見せる。

 

「夜風で痛いしお腹が冷えちゃうわー。それで、次は輝夜? 貴女のお母さんみたいな人、永琳はとても強かったわよー」

「ふふふ。永琳がお母さん? 保護者、という意味なら間違っていないけれど、全然似てはいないでしょうに、面白いことを言うわね」

「あれ、違うの? 妹紅と違って永遠を呑み込んでいる二人、よく似ていると思ったのだけれど」

 

 魔梨沙が首を傾げるのを見て、蓬莱人の主従はまた少し驚かされた。呆ける輝夜の隣で、早々に気を取り戻した永琳は嬉しそうに微笑む。

 

「やれやれ……せめて、姉妹と言って欲しかったわね。でも、文句を言う資格もない。負けた私は、大人しく術を解くわ……輝夜、いいえ、姫様はどうします?」

「そうね――――霧雨魔梨沙、貴女は私の最高の難題を見事解いてみせた。私も負けを認めるわ。ご褒美をあげたいところだけれど、何がいいかしら?」

「それじゃあ、止めた夜を戻して……いるのねー。なら、そう。先ほど何だか焼け焦げた家があったじゃない。異変解決を優先しちゃったけど、出来たらそこで倒されていた子たちを介抱してあげたいの。ここの軒下でもいいから貸してほしいわ」

「あの、纏めて置かれていた幽霊に妖怪に人間達? 種族が違うというのに、随分と親しくしているのね」

「友達だもの。当たり前だわー」

「そう……」

 

 躊躇いなく、魔梨沙は笑顔で、人と妖怪共にある奇妙な者達を友という。本来なら対立しあう者同士が手を組み合うことを良しとするなんて、おかしなことだ。

 或いはそれが、ここ幻想郷のスタンダードだというのだろうか。輝夜には、どうしてだかそれが酷く羨ましく思った。

 

「……なら、貴女は私とも友達になれるの?」

 

 だから、ついつい輝夜は魔梨沙に訊いてしまう。思わず表情に出たのは、僅かな驚きと不安。そんな気持ちを受け取って、魔梨沙はふわりと笑った。

 この場で誰よりも年若い少女は、永遠の少女達を受け容れ、美しく表情を歪めさせる。改めて、笑顔が一番に似合う子だな、と輝夜は感じた。

 

「うふふ。勿論よー。異変はもう過去のこと。今から、お友達になりましょう。勿論、永琳もね」

 

 止まった夜は魔法が解けてからすぐ自然によって修正されて、早回しのように星は廻り夜明けはやって来る。幻想郷の空と同期させているこの異世界の空にも、同様に太陽が昇った。

 美しい朝焼けの中、逆光によって紫色の姿は黒く隠れる。しかし、その表情が変わっていないというのは、火を見るよりも明らかだった。

 恐らく、魔梨沙には、眩しさに目を細めた自分の姿はよく見えているだろう。輝夜は、永琳の手を引き、応えるために、これ以上ないくらいに上等な笑顔を作る。

 

 輝夜にとって、この永い一夜は、非常に心地よく、胸満たされるものだった。何しろ、蓬莱の薬をあげてつなぎ留めてしまいたいくらいに素敵な、新しい友人が出来たのだから。

 

 

 

 



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第三十四話

 

 

 

「ふぅ。これでお終いですね……」

「お疲れ様ー。イナバ? それとも優曇華? 鈴仙の方がいいかしら?」

「ええと、魔梨沙様……出来るなら私のことは鈴仙と呼んで下さい」

「分かったわー。これからは鈴仙って呼ぶから、あたしのことも様付けは止めてそのまま呼んで。敬語も止めてくれると助かるわー」

「いえ、輝夜様とお師匠様のご友人に、敬語を使わない訳には……」

「どうせこれから一杯出来るんだから、一々尊敬していてはキリがないわよー。それに、あたしは鈴仙ともお友達になりたいわ」

「っ、そう、ですか……」

 

 魔梨沙の目の前で、長い耳が動揺を表すかのようにくねと、曲がる。月から逃げて、未だ幻想郷で同種を見たことのない鈴仙は孤独な玉兎。

 臆病なために口には出せないが心の内には人間なんて、という思いもある。しかし魔梨沙の温かい言葉自体には感じるものがあった。

 ここ博麗神社の食品庫に永遠亭から持ち込んだ食料等の中で、永琳に一番大事にしなさいと言われた何やら古く酒臭い瓶を安置しながら、鈴仙は隣の魔梨沙の波長をこっそりと感じ取り、それが正気のものであることに気恥ずかしさを覚える。

 戯れ言、ではない。目的も分からないが、それでもこの人間は自分に興味を持っているのだと鈴仙は、理解した。頬が僅かに熱を持ったことを感じる。

 

 そこに、妖獣らしく大きな俵を幾つも持ち上げながら、垂れ下がった兎耳を持ち人参のペンダントを首にかけた少女が現れ、二人の間の微妙な空気を無視して荷物を置いてから、愚痴を溢す。

 

「それにしても、どうして私達二人だけでこんな大荷物を運ばなければいけなかったのだろうねえ。魔梨沙が手伝いを買って出てくれなかったら、往復するようだったよ」

「てゐ。お師匠様の考えだから、きっと何か深い意味があるのよ」

「かもしれないね。でも、いくらやっても解らなかろうと、考えない理由にはならないもんさ」

「それはそうだけれど……」

「まあ、そうして遊んでいる暇もないか。疑問は訊くのが一番。お師匠様のお友達な魔梨沙は何か知っていたりするかい?」

「うん? そうねー。多分、あたしが、永遠亭で興味のある存在として貴女達のことを口にしていたからじゃないかしら。残念だけれど、他の雑多な妖怪兎達は気にならなくて」

「なんだ、そのために私達は貧乏クジを引かされたのかぁ」

「うふふ。宴会料理は腕を奮ってあげるし、貴女達にとっては珍しいだろうお酒もあったりするから大丈夫。今日来たのは大当たりよー」

 

 魔梨沙の言葉にそれは楽しみだねぇ、と返すてゐを鈴仙は横目に見ながら、この妖怪兎はどうして異常な力を持つ人間へと無遠慮に近寄ることが出来るのかと思う。

 天津神が数多存在する月の都に生まれた玉兎である鈴仙でも、純粋に力だけでここまで高いものを持つ存在は中々見たことがなかった。見たとしても、それは頭を垂れて下から覗く程度。

 それほどの実力者が、フレンドリーであることや人間でしかないことということが余りに不可解で、鈴仙にとっては不気味にすら映る。

 高圧的だったり胡散臭かったりした方が、まだ付き合うに易い。それは、頭を下げていれば自分に感情が向くことがないと理解できるからだ。しかし、真っ直ぐに見つめられては無視することは鈴仙には怖くて出来ない。

 何れ、自分も魔梨沙の熱い視線に応じることになるのだろうかと鈴仙も考えるが、小心な彼女は強者達の中心に居る少女にそこまで近づきたいとは未だ思えなかった。

 

「そういえば、今日の宴会には鈴仙が看てあげた吸血鬼や幽霊も来るんだって?」

「そうよー。紅魔館からも、白玉楼からも、永遠亭からも、集まってもらうわ。異変の後片付けのせいで今になっちゃったけれど、関係者全員で酒を交わすことで、少しでも後腐れがなくなるように、っていうのが宴会の趣旨ねー」

「聞くに、そいつらは幻想郷の力関係の代表的な一角らしいじゃないか。それだけの魑魅魍魎相手に鶴の一声を発して、そのかすがいになっているのがあくまで人間っていうのは面白いね」

「何だか今日の宴会を怪しんでいる連中も居るみたいだけれど、あたしはただお友達を集めただけだわー」

「……何、それじゃあ、私も友達ってこと?」

「妹紅」

 

 兎の聴力、そして能力によって倉庫に踏み入ってくる人物が誰かは判っていたが、鈴仙は思わず赤い上等な風呂敷包みを持った白髪の少女の名前を口に出す。

 その相手は、敬愛する姫様と顔を合わす度、飽きずに喧嘩を繰り返す問題児。そんな粗暴な少女を酒の席に呼ぶなんて聞いていない、と鈴仙は妹紅に気を取られている魔梨沙を睨む。

 そうしてから、よく考えたらそんな強気な態度でこの強力な少女に逆に睨まれてでもしたらたまらないと、鈴仙は慌てて視線を落とし、不満げな表情を作るに留めた。

 

「そうなれたらいいなー、って呼んでもらったのだけれど。迷惑だったかしら」

「いや、輝夜が宿を借りている紅魔館に乗り込んできて私まで誘ったのには面食らったけれどさ。まあ、旨い酒が呑めるならいいわよ。別に……あんたのこと、嫌いじゃないしさ。ホラ」

「それは嬉しいわー。えっと、これは……わあ、立派なタケノコを用意してくれたのねー」

「何も用意しないでただ頂くだけっていうのは流石に気が引けてね。それと、鈴仙……そんな不満そうな顔しなくても、流石に宴会で喧嘩することはないわ。離れて、のんびりと呑むから」

「そんなことしなくても、この機会に仲直りしてしまえばいいじゃない」

「っ……はぁ」

 

 きっと迷いの竹林で掘ったばかりなのだろうタケノコを持ち上げ付着した湿った土で手を汚しながら、魔梨沙は邪気なく嬉しそうな顔のまま和解を提案する。

 そんな考えなしな言葉を受け、一瞬だけ不快な表情をした妹紅だったが、しかし何も知らない相手に怒っても仕方がないと、ため息を付いから、改めて口を開いた。

 

「……あのねえ、私はずっと昔、それこそ千年は下らない昔から輝夜を恨み続けていたのよ。そう簡単に、仲直り、っていう訳にもいかない」

「そうらしいねえ。魔梨沙、あんたなら少しはこの子の気持ちが判るんじゃないかい?」

「そうねー……」

 

 いつの間にか隣に来ていたてゐに言われて、浮かれていた魔梨沙は冷水を浴びたように表情を消し、さっと感じ入って悩む。

 黙ってそんな魔梨沙の様を見ている鈴仙は、彼女が恨みを根源として力を得たことを知らない。だが、鈴仙は妹紅が輝夜のことを深く嫌っていることは分かっていた。

 てゐの言った通りに、少しでもその気持ちが分かるのならば、苦笑いと共に諦めることだろう。鈴仙は、そう考えた。

 

「うふふ」

 

 しかし、そんな思いに反して、魔梨沙は気まずい雰囲気の中、とても楽しそうに笑む。誰かが息を呑む音が聞こえる。斜光も遠い薄暗がりの中、どうしてだかその笑顔が鈴仙にははっきりと見えた。

 

「恨まなければ生きてはいけない。そんな自縛はとても強いものって、あたしも知っている。それでも、あたしは諦めないわー」

 

 そのために恨み募らすことになった弱い自分を払拭するために、ただひたすらに力を求める魔法使いの少女は、首元に感じる枷がきっと一生取れないだろうことを認めない。

 そして、妹紅の周囲に幻視できる、鎖の重みを理解しながらも、魔梨沙はそれがどうしたのかと、笑い飛ばす。

 

「たとえ一歩でも、頑張って貰いましょうか。うふふ。あたしが、手助けしてあげるから」

 

 どれだけ短い歩み寄りであっても、一歩は一歩と認めよう。それが大変なことだと理解はできるから。

 難さを推し量れるというくらいで遠慮して、手を取り合って幸せになれる望ましい未来から離れさせてしまうのは、勿体ないと魔梨沙は考える。

 

 

 

 

 

 

 そろそろ去っていった夏の暑さを寂しく思い始めるような、九月末頃。杜の木々の紅葉も始まり、ひらひらと落ちていく赤々と燃え盛る一葉を肴に、夜な夜な神社に集まった人妖達は酒を交わす。

 天を望んで見れば何時もと変わらぬ月があり、その安心感からか下戸以外の者の呑む早さが心なしか上がっているような、そうでもないような。まあ、どちらにせよ先の異変、人里の人間曰く長暮異変の解決を喜ぶ妖怪ばかりがその場に多く見受けられた。

 そして、境内に広くござをたっぷりと敷かれたその真ん中に、何故か間仕切りが一つ。描かれた満月にすすきの絵がそれはそれは美しい屏風は、別段観賞用に置かれているという訳ではない。それは、二人の蓬莱人が喧々囂々と交わることを防ぐため。

 その境を背にして反対に分かれているのは、あの夜からも変わらない輝夜率いる永遠亭組に、間借りしている内に面々と仲良くなった妹紅を中心とした紅魔館組。

 残りの人妖達は離れて、その二組を行ったり来たりうろちょろしている魔梨沙を面白がっていた。

 

「今日は随分と忙しいわね、魔梨沙。銀屏風を挟んで競うように呼ばれて、右往左往。どちらかに腰を据えることは出来ないの?」

「紫、それは無理ねー。だって両方ともお友達だから、請われたら行かなきゃ。……はいはい輝夜、それはロールキャベツよ。中に入っているのは牛さんと豚さんの合挽き肉ね」

「両方、ね……背を向けあっている二人がそれほど気になるのかしら。また貴女は、余計なお世話を焼いているのね」

「まあ、遺恨を消化するという今回の宴会の目的には合っていると思っているわー……おっと、フランドール、急に飛びつかないで」

「えへへー、魔梨沙もこっちでお酒を呑もうよ。無くなっても萃香が沢山出してくれるって!」

「酒臭いわー。もう、顔を赤くして日本酒の瓶なんか持って。フランドールったら、神の血以外もいけたのね」

 

 脇にくっ付いてニコニコと笑うフランドールの頭をゴシゴシと撫でながら、魔梨沙は喧騒の中で微笑む。元々、騒がしいのが得意ではない性ではあったが、慣れによって皆に囲まれている現況も受け容れられた。

 同じように、深い恨みですら対峙し続ければどうしようもなく時が解決してしまうもの。背中合わせで触れ合いもしない低刺激。しかし、最初はこれくらいが丁度いいと、魔梨沙は思い、距離だけを近づけた。

 

「慧音。妹紅はちゃんと呑んでる?」

「心配無用さ。もう何杯目だろう。これまで嗜む程度しか杯を交わしていなかったが、いやはや妹紅殿は私なぞより余程うわばみなのだな」

「慧音!」

「うふふ。それならいいわー。あたしの分も楽しんで呑んでくれると嬉しいわね。うん? 輝夜ったらどうしたの?」

「ほら、魔梨沙も呑みなさいよ。乾杯してから一口しか呑んでいないじゃない」

「あたし下戸だからペースを……むぐっ!」

「全く呑めないってことはないって聞いているわよ。いいから、ちゃんと酒席を楽しみなさいよ」

「ぷはー。やったわね、輝夜!」

 

 そのために、妹紅の眉根が寄ってしまうのはどうしようもないことだが、魔梨沙は険が少しでも優しくなるように動き。また、勝手にセッティングしたのだから勝手にさせてもらうと異変の反省も見せずに縦横無尽に振る舞う輝夜の面倒を見た。

 それがただのご機嫌取りではないことは、魔梨沙の楽しげな表情で明らかだ。

 

「全く、魔梨沙も分かってやっているのかしら。一番異変で苦労しただろうあいつがあんな風に一所懸命にしているところを見たら、傍は受け容れざるを得なくなってしまうってことを」

 

 異変解決の功労者である魔梨沙が、そんな風に気を遣っている様を見ていた霊夢は、そう溢す。

 途中でドロップアウトした自分にはよく分からないが、それでも戦ったらしい相手の事情の間で魔梨沙は笑っていて。そこまで当事者が入れ込むならば、他所の人間が文句をつける事なんて出来やしないと、霊夢は思う。

 だが、同時に霊夢にとって姉貴分がせっかくの宴会であるというのに、自分以外にかまけているというのは、いただけないことだった。

 霊夢は、少し前まで、皆呑んでいるけれど成人前で本当に平気かしらと、妙に心配されながらサシで飲んでいたことを思い出し、その時の楽しさと今の寂しさの違いを思い、珍しく表情を歪ませる。しかし彼女は頭を振って、直ぐに何時もの無表情に戻す。

 

「……いけないわね。唯でさえ奥義を失敗したというのに、こんなに寄っかかってしまうのは。まるで子供みたいだわ」

「ん……別に、いいんじゃないかい」

「萃香」

「つまりは成長途中。焦る気も分かるけれど、ゆっくりすることだね」

 

 独り言は、赤ら顔の鬼に、拾われる。そして、優しく返された。しかし、それが何故かあまり霊夢には嬉しくない。

 

「鬼のあんたに分かるのかしら」

「霊夢だって碌な出自に育ちじゃないだろう。本当なら、あんただって鬼になってもおかしくなかった。それでも曲がらず能力に引かれて全てから距離をとるようにもならなかったのは、きっと保護者が良かったんだろうね」

「……だから?」

「安心しなってことだよ。焦らなくても、立派なお姉さんは居なくならないさ。そうそう一人にしてはくれないよ」

「霊夢ー。台所に大陸っぽい瓶に入ったお酒が置いてあるから、取ってきてくれない? 中身は今回の異変の詫びにって、永遠亭の皆が用意した古酒らしいから、試飲しながら一緒に配って回りましょう」

「ホラ」

「……仕方ないわね」

 

 何時もならば、霊夢は使われることは心底面倒に思う物臭である。しかし、まるで見計らったかのように丁度いいタイミングでの誘いに、思わず彼女の口角は上がった。

 重い腰を上げて見てみれば、様々な容姿格好種族が一人の人間を中心として集っている様がよく分かる。魔梨沙の右手に吸血鬼の妹がへばり付いているかと思えば、何と反対側では輝夜が真似するように手を引っ張っていた。

 レミリアに永琳は従者を引き連れながら微笑ましそうにその姿を見つめ、妹紅ですら明るい魔梨沙に惹かれて輝夜の直ぐ近くまで寄っている。食べ物に気を取られている亡霊姫はともかく、更に離れて策謀巡らす印象の紫だって輪に入っていた。

 

「そういえば、アイツ、どうしたのかしらね」

 

 そんな中に認められないのは、きっと誰よりも魔梨沙の近くに居たいと思っているだろう人形師の姿。魔梨沙が、今夜アリスは都合悪いって、と残念そうにしていたのを覚えているが、彼女が優先した用事とは何か、霊夢は想像出来ない。

 まあ、むしろ仲が悪い方のあいつのことなんてどうでもいいかと、笑い声から背を向けて、きっと上等だろう酒を求め、霊夢は社殿へ向って足を早めた。

 

 

 

 

 

 

 所変わって、ここは魔法の森の、アリス邸。魔法の灯火によって夜中であっても明るい室内には、魔界人に亡霊に妖怪の姿があった。

 博麗神社の酒飛び交う宴会と違い、ここで行われているのは静かなお茶会。紅茶を飲みながら、月に森に人形に、何より会話を楽しむ筈のその会合には、しかし沈黙が降りたまま。

 家の主たるアリスは、旧知の二人、しかし苦手な相手達に対して茶で口を湿らせながら様子を見ていて。そして、魅魔と幽香は、そんな彼女を見て楽しんでいるようだった。

 我が家にいながら居心地の悪さを覚えたアリスは先約を破っても宴会に行けば良かったと思いながら、口を開く。

 

「幽香。この急なお茶会、わざわざ今日を指定したのは、嫌がらせか何かかしら?」

「勿論」

「はぁ……やっぱりね」

 

 果たして、フラワーマスター風見幽香から返ってきたのは優しくない一言。サディスティックな微笑みを受けて、アリスは溜め息を抑えられなかった。

 一応、アリスは友人のつもりではあるが、幽香は関係を深めようとも少しも優しくならない。むしろ、時間とともに、扱いを悪くして来るような、そんな様子すらあった。彼女にとってはまるで苛めがコミュニケーションなのではないかと、疑えてしまう。

 

「全く、気安いことだね。じゃあ、私も単刀直入に幽香に聞こうか。この会を開いた目的ってなんだい?」

 

 気を削がれたアリスが黙ったのを見て、代わりに質問をしたのは魅魔。月夜に増した魔力を惜しげもなく見せびらかしながら、彼女は緑色の長髪を掻き上げた。

 魔梨沙ほどではないが強い力に惹かれる幽香は、しかしそんな魅魔を目に入れながらも一切そそられた様子を見せない。それは、既に特定の者に興味の焦点を合わせているからだった。

 白く細い指先でカップの縁を一周なぞってから、幽香は答えを口にする。

 

「来年の春辺りに、異変を起こそうと思うの」

 

 爆弾発言に一瞬、場に緊張が走る。しかし幽香が同時に浮かべたまるで邪気のないように見える笑顔に毒気を抜かれた二人は、肩の力を抜く。

 

「……来年、といったら確か六十年に一度のアレがある年だね」

「そう。その中で私が能力を使ったら、きっと魔梨沙に霊夢それ以外も全てが私の仕業と簡単に誤解するでしょうね。見るからに増した力と、聞くからに深まった技、そして最近表に出てきた実力者達を一度に味わえる機会なんて、そうはないから楽しみだわ」

「アレ、っていうのは知らないけれど、幽香が今の魔梨沙と戦いたくなるのは分からないでもないわね。でも、どうしてそのことを私と魅魔に伝えるの?」

 

 ちょこちょこと空になって暇となった茶器を片付ける人形の一体を捕まえ可愛がる幽香を、アリスは怪訝に見る。まさか、彼女が友人に迷惑をかけるからと事前に了承をとるような殊勝な心がけを持っているわけがない。

 ならば、この場にどんな意味があるのか、アリスは疑問に思わずにいられなかった。

 

「貴女達二人には、魔梨沙の側に付かないでいて欲しいのよ。私の味方をされても困るけれど」

「邪魔になるから?」

「そんなこと問題にしないわ。実際は貴女達の力はもう見飽きているから、ね」

 

 このお茶会よりつまらない時間で限られた春の日を浪費したくはないのよ、と幽香は続ける。そして、デコピンをして、彼女は手元の人形を転ばせた。

 

「呆れた。まさか七色全てのパターンを見た気になっているなんて」

「芸がない挑発だけれど……乗ってあげようか。偶には私も身体を動かさないとねえ」

 

 幽香の言葉に、逆にやる気にアリスと魅魔の心には火がつく。椅子から立ち上がった二人は、魔導書を持ち、杖を掲げ、臨戦態勢になっていた。

 

「うふふ。いいわ、貴女達は新しい力の実験台にしてあげる」

 

 反して、座しながら何の用意もせずに幽香は嗤う。目論見通りだと、その内で滾る力を遊ばせながら。

 

 その夜、太い二つの光条が天に伸び、消えた。

 

 

 

 



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日常④
第三十五話


 

 

 山風冷たく吐息も地面も白く染まる、幻想郷の冬。寒さ深まる中で、更には夜の帳が下りた今となっては、外にて騒ぐものなどねぐらのない妖怪妖精くらいのもの。

 人里離れようがそうでなかろうが、大衆の集まる居酒屋などでない限り、人々は家屋の中にて硬く扉を閉ざして暖を取りながら団欒を楽しんでいる。

 そんな師走の二十四日夜。幻想郷の外では騒々しくイルミネーションや紅白が目に入るそんな日も、しかし文化が渡来し損ねていれば誰に意識されることもない。

 ここはクリスマスという言葉を知っているものすら少数派な隔絶された隠れ里。欧州の方からやって来た紅魔館の住人や、現し世も見つめる境界の妖怪や、外来本も扱う貸本屋等は理解していたが、それを皆と広く楽しもうとすることはなく。

 だから、世間は年明けに向けて動いているが、それでも降誕祭の日を祝う振りをして騒ごうとする個人が居ないこともない。

 そう魔梨沙はただ一人前世の慣習を引き摺って、今年もイブとクリスマスを家族で過ごす日と定めて特別に暮らそうとしていた。

 

 

「来たわよー、霊夢」

「いらっしゃい、魔梨沙。今年も来たのね。……また、大きな白い袋を持って」

「霊夢、私も居るぞ」

「妹同伴というのも、毎度のことね。あんまり、長く開けてると寒くなっちゃうから、早く入ってきてよ」

「はーい。雪、大分へばりついているわねー」

「姉ちゃんの方が前に出ていた分、真っ白じゃないか。これじゃあ、色のバランスが悪いぜ」

「ありがとうー」

 

 ちらほら降っていてお手製のサンタ帽子等に付いた雪を、魔梨沙達は博麗神社の母屋としての玄関にて姉妹揃って落としあう。

 ニコニコと笑顔の長女に、少々気恥ずかしげな次女。そんな少女二人の仲睦まじい光景を、霊夢は見つめる。何となく間に割って入れないまま疎外感を覚えながら、しかし本当なら二人は他人同士であった筈なのに、不思議なものだと思う。

 そう、まさかこの姉妹の血が繋がっていないとは、にわかには信じがたいところだ。それくらいに、魔梨沙には霧雨の苗字が似合っている。

 だが、もし魔梨沙が落ちたのが博麗神社であったのならば。彼女は博麗の二文字が似合う、自分の姉になっていたのだろうか。そう思うことを女々しいと考えながら、霊夢は紅白の帽子を抱く魔梨沙を離れて見ていた。

 

「で、霊夢。寒い中来た客に、熱いお茶のもてなしはないのか?」

「出涸らしでいいのなら勝手にどうぞ。お代は表の立派な木箱に入れてちょうだい」

「もうちゃりん、ちゃりんと入れておいたわ。それでいいかしら?」

「結構よ」

「全く、姉ちゃんは霊夢に甘いよな。もしかしないでも、ここの賽銭って九割方は姉ちゃんが入れたもんじゃないか?」

「失礼ね。八割くらいよ」

「やれやれ……前訊いた時よりも一割増えちまってるじゃないか。それじゃあ、失礼するぞ」

「お邪魔しまーす」

「いらっしゃい」

 

 背を向けながら、お座なりに歓迎の文句を口にした霊夢は、真っ先に置炬燵へと足を入れて暖を取り出す。

 霊夢は魔梨沙が扉を閉めるのを確認してからこたつ板に顎を乗せて、足元からじんわりと感じる熱をどてらを確りと羽織り直しつつ再び取り込み始めた。

 そんなやる気のない姿に金髪の少女は、おさげを気にしてから忍び笑いを漏らす。相変わらずのマイペース。しかし、彼女は霊夢がなんだかんだ今日を楽しみにしていたことを知っている。

 仕方がないわね、と言いながら白い上等な袋の中を漁る魔梨沙の立てるゴソゴソとした音に霊夢が耳を傾けていることすら、親友であるからにはよく理解していた。

 

「じゃじゃーん! 早速あたしからのクリスマスプレゼントよ。霊夢にはこれでやる気を出してもらいましょう」

「ふーん、中身は何かしら……どれどれ」

「あ、せっかく綺麗に包装したのに、見もせずビリビリに破かないでー」

 

 紫色の包装用紙で成されたラッピングを霊夢は遠慮無く破き捨て、そして中から紙箱を取り出し、開ける。

 すると、誂えたのだとひと目で分かるような触りの良い布地が一枚。紅に白が模様を作るそれは、広げてみると中々に大きく、端にはボンボンが付いた紐があった。

 

「……何コレ?」

「それは時折あたしがしているような、ケープよ。被って首元で留めると暖かいわー。どてらを着て表に出るよりオシャレでいいかと思って作って貰ったの」

「私が今しているのと色違いだな。霊夢が赤で、私が青か。去年のプレゼントもそうだったけれど、姉ちゃんは、私等をセットにするのが好きだな」

「二人共あたしの可愛い大事な妹分だからねー」

「よく、素面でそんなことを口にできるものね」

「全くだ」

「可愛げがない子たちだわー」

 

 つれないことを言う二人だが、彼女達が気を良くしているというのは意外と分かり易い。口の端が下がらずにむしろ僅かに上がっているのがその証左だ。

 それに気付かない魔梨沙が最後に入り、三人は揃って炬燵で丸くなった。びゅうびゅうと吹く北風は存外中に入って来ることはなかったが、それでも気温は随分寒くある。

 

「うう、寒い寒い。やっぱり冬は苦手だわー。でも、南半球にでも行かなければ、サンタさんにプレゼント貰えるのは冬しかないから、楽しみではないとも言えないのよね」

「そういえば私、魔梨沙が言うサンタクロース、っていうのを見たことがないのよね。何やら私の枕元でコソコソしている紫色の影は見たことあるけれど」

「ま、幾ら姉ちゃんでも霊夢の勘をすり抜けられるわけないからなぁ……」

「それはそれは、あたしが寝ぼけて彷徨っていた姿じゃない! サンタさんは居るのよー!」

 

 だからといって、このまま徒に時を過ぎさせるのは得策ではないと、魔梨沙は口を閉ざさず会話を繋げた。

 今日一日博麗神社に泊まってから翌日は霧雨店に行き、その夜にサンタクロースの真似をして子供っぽい知り合いにプレゼントを夜な夜な配る予定の魔梨沙に、彼女が求める団欒の聖夜は今日ばかり。

 故に、真に家族の居ない霊夢に今くらいは温かみを覚えて欲しいと、魔梨沙は努めて明るく振る舞う。

 

「そういえば、姉ちゃんがサンタクロースのことを紅白の爺さんって言っていたから、最初は霊夢のことをお人好し爺の孫か何かと思っていたな」

「あんたが初対面からやたらと気安かったのは、そんな理由だったのね……」

「まあ、子供に夜中プレゼントを上げて回るような変人なんて居るはずがないって理解してから、そんな勘違いも直ぐに失くなったが」

「少しでも信じていたのが意外だわ」

「うーん……この子たち、信じてくれないわー。大人になるって悲しいことなのね」

 

 サンタクロースは、優しく構ってくれる身内の延長線上にある優しいばかりの理想の他人。今世親を信じた覚えのない魔梨沙が、それの存在を認めたことなど一度もなかった。

 かといって、大事な妹分達が、滅私の善人の可能性を信じられない大人になってしまうのは、寂しいもの。

 しかし、時の流れは止まらない。瞳は乾く。無情にも、少女達は変化していく。

 

 

 そう、【少女】のままに。

 

 

「嘘を何時迄も信じていられるかっての。まあ、香霖が間違いないって言っていたからには、明日がクリスマスっていうのは本当みたいだけれどな」

「アリスは家族と過ごす日、ってあんたが毎度言ってるからきっと魔界に帰ったのでしょうけど、そういえば萃香はどうしたの?」

「なんだか地底にそれっぽい知り合いがいるからそこへ行ったらしいわー。後で紹介したいって言っていたから、楽しみね」

「萃香の一族ね……それって、ほぼ間違いなく鬼じゃない」

「あたしは鬼退治も結構気に入っているから」

「だから良いっていうのか? まあ、私は酔っぱらいの姿しか見ていないから分からないが、結構姉ちゃんも相手をするのに苦労したそうじゃないか」

「あれからちょっと、力をつけたから、平気よー」

「……無茶は止めなさいって私、言ったわよね」

「あ、怒らないで、霊夢ー」

 

 しかしそんな幻想的な不自然には未だ誰も気づかず。いや、それはひょっとしたら境界の妖怪も元月の賢者ですらも察することが出来ない事態であるのかもしれなかった。

 だから、何の問題もなく時は流れ。ただ、イブの夜はわいわいがやがやと、過ぎていった。

 

 

「あれ? 昨日は確かに誰の気配も感じなかったのに……プレゼントが置いてあるわね」

 

 そして、朝になって枕元に置かれていた箱を、霊夢は不思議に思う。

 

 

 

 

 

 

「やれやれ。霊夢の勘から逃れながら枕元に物を置くっていうのは大変だというのに、面倒なことを頼む弟子だよ」

「うふふ。仕方がないわー。本物のサンタさんじゃなければ、その代わりの適任っていうのは魅魔様しかいないんだもの」

 

 クリスマスの夜も更け、そろそろ時計の針が上方で纏まろうとしている頃に、何とかバレることなくプレゼントを大体配り終え、空を往く魔梨沙の隣にいつの間にか亡霊がふわり。

 それが魅魔であると瞬時に察して喜色を露わにした魔梨沙は、愚痴を受け流して笑顔のまま。そんな愛弟子を見て、使われた師匠は溜め息を一つ。

 そう、実は霊夢達が寝静まってから、魔梨沙はコッソリと神棚に願っていたのだった。枕元に立つのは亡霊の得意。そして、年季の入った亡霊であり大した魔法使いでもある魅魔であるならば、霊夢を驚かすことなど簡単だろうと考えて。

 勿論不可能ではなかったが、しかし霊夢の勘というのも人智、鬼謀を越えた所にあったりする。安請け合いをして苦労した魅魔は、流石に一言愚痴ることを止められなかったようだった。

 

「それで、ちゃんと言ったものは用意してあるのだろうね」

「勿論よ。でも、本当にこんなものでいいの?」

「なあに、弟子に解らなくても、師匠には解ることなんて沢山あるものさ。この式の価値だって、魔梨沙には解らなくても仕方がない」

「ふーん」

 

 魔梨沙は、魅魔に文字がびっしりと敷き詰められていた一枚の紙をペラリと渡す。書かれていたのは数式のようであり、また魔術的で不明に思える難読文だった。

 力を見つめる程度の能力に頼りきっている魔梨沙に、この式の内容は解らない。しかし、どういうことが描かれているかは知っている。

 

「コレを書いた賢者っていうのは……やっぱりとんでもないね」

「輝夜にプレゼントを上げるから教えてって永琳に言ったら二つ返事で五分も掛からず書いてくれたものだけれど、それはそんなに価値があるの?」

「勿論だよ。この【満月を永遠にする】方法っていうのは面白い。ラグランジュ点を使わずに、魔的な要素を用いていながらここまで簡潔に認めるなんて、並大抵の頭脳の持ち主じゃないよ」

「魅魔様は本当に、満月が好きねー」

 

 魔梨沙はのんびりと感想を言うが、実際問題月の満ち欠けによって力を変える魅魔が、最高の力を維持することの出来る方法を手にしてしまったというのは大変な事態である。

 もし、それを魅魔が使ってしまえば、月に関する妖怪たちも影響を受けて、確実に大規模な異変が起きてしまうのが間違いないくらいには。

 しかし、魔梨沙は疑いもしない。軽挙を行ったのは、それを魅魔がしないということを確信しているからこそ、である。

 

「まあ、確かにひと月くらいはお月様がずっと丸い顔でこっちを見てくれるというのも悪くはないわよね。永遠、ってなると飽きちゃうけれど」

「もし、私がこの方を使おうとしたら、魔梨沙は止めるかい?」

「魅魔様が、使うわけないじゃない。だってもう、そんな魅魔様じゃないもの」

「……そう、思うんだね」

 

 そう、最早魅魔は驕っていない。何時か神だと自称していて、実際神霊になっても、いつしか高く見上げた視線は落ちている。

 誰かと一緒になりたいというのは、その者と視線を合わせたいというのと同じ。魔梨沙のために人の間に目を下ろした魅魔は、今更力ばかりを求めない。

 弟子に力負けしそうになっている今も、しかし焦らずその背を見守る余裕があった。それは、以前になかったものだったが、魅魔はその変化に迎合している自分をよく認識している。

 

 つまるところ、今が良い。だから、このままでいいと、魅魔はそう思っている。

 そんな内心を、魔梨沙は見抜いていた。

 

「まあ、これは私の切り札として取っておくよ。ちょっと式を弄くれば、月の力を借りて私の力を増させる面白い手段になりそうだ」

「あたしにはそれ、意味ないのかしら?」

「只の人間には意味が無いね。だからといって、今すぐ変わる気もないんだろう?」

「そうね。まだまだ可能性を詰め込めるという魅力的な体を捨てる気にはなれないし……それに」

「それに?」

 

 天は曇り潤まずに、空いて月光をひけらかす。たっぷり光を浴びて、ほのかに輝く魅魔に対し、魔梨沙の身体は照っているばかり。

 箒にまたがり空を飛んでいても、魔梨沙はあくまで人間。弱くて、脆く、だから力を詰め込み幾らでも強くなれた。

 しかし、そのための合理ばかりと考えていたが、どうにもそれだけではないようで。そういえば、人間に固執する理由の大本を、魔梨沙の口から訊いたことはなかったと、魅魔は思った。

 

「お姉ちゃんが人間を辞めちゃうと、妹の肩身が狭くなっちゃいそうだから」

「ぷっ……面白いわ。やっぱりあんたはそのままでいいね」

 

 魔梨沙は、少しずれた紅白キャップをかぶり直しながら、魅魔にそう言った。

 師に嘘をつくような悪い弟子ではない。だからそれは間違いではなく本心であり、相変わらずシスコンを拗らせていて死ぬまで変わらないだろう様を、魅魔は笑って認める。

 きっと、最後に一つだけ大きな袋に残した手作りペンギンの人形は、その大切な妹に向けたものなのだろう。

 異常なまでに求めている力より、尚必要とされている妹が少しばかり羨ましいと思わないでもない。しかし、その位置に自分が来てしまえば、大事にされすぎこうして隣で笑えない。

 だから、やっぱりこのままでいいのだと魅魔は思う。

 

「さあて、後ひと踏ん張り。人里、そして人が多い霧雨店に忍び込むのは大変そうねー」

「フランドールの寝所に侵入した時に見たけれど、魔梨沙はどうも盗人になれそうなくらいに隠形が得意だねえ。そんな才能があるってことは初めて知ったよ」

「そうでもないわ。プロのレミリアと比べたら、赤子みたいなものよー」

「あいつも別に、好きで上手くなったわけでもないだろうに……」

 

 聖夜に雪よ降るな。月光の下、変わらぬ寒空を堪能したいから。

 そして、愛する弟子が変わらず近くにあればいい。そんな切なる願いは、幻想的な夜空に消えた。

 

 

 

 




 何とかクリスマスに間に合った……でしょうか。


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第三十六話

 

 

 

 夜闇の中に星々は輝く。吸い込まれるように暗い背景は、遠い星の光を際立たせて、疎らな美しい点描を生む。天球はまるで光と闇が、夜空のキャンバスの中で彩りを競い合っているかのようだ。

 しかし、実際は数えきれないほどの星々の輝きが闇に食まれていて、人の目まで光届かせる星は数えきれるほどに僅かなもの。

 落ち着いた夜は暗い空なくしてはありえないとはいえ、見つけられることのない星々の存在を考えると、深く黒い空白もどこか寂しく思えるものである。もっとも、限られているからこそ、星の輝きは美しいものであるのだが。

 

 そんな闇の中からずっと昔の光を覗く空を、鮮烈な光と青色で忘れた昼下がり。しかし蒼穹の下、博麗神社の杜には夜を思わせる闇色が宙に広がっていた。

 暗くなり過ぎていて傍目からは非常に分かりづらく、本人たちですら目視確認は難しいが、その中心付近に要るのは魔梨沙と、宵闇の妖怪ルーミア。

 昼にて光届かぬ寂しき空を作り出しているのは、魔梨沙ではなく闇を操る程度の能力を持つ、ルーミアである。

 自分の周囲に、更には放つ弾幕を暗闇に隠しながら、ルーミアは魔梨沙と対峙していた。今【現在】の彼女はそれほど力がないために、煌々と輝く魔梨沙の星を掻き消すことまでは出来ないが、目眩ましとして能力は十分に機能している。

 

「うーん。やっぱりルーミアの能力は厄介ねー」

 

 闇から迸ってくる青いレーザー光線を紙一重で避けながら、魔梨沙はルーミアの力を鬱陶しがった。情報の一切を遮断する闇というものには、魔梨沙の力を見つめる程度の能力をもってしても克つことが難しい。

 普段と違い、目視確認出来ないままに暗中模索をしながら、青い閃光に絡みつくように展開される薄緑色の小玉弾のパターンを読んでいく。霊夢と遊ぶ時のように能力を使わないでいてくれたらイージーな弾幕なのにと、魔梨沙は思う。

 しかし、弾幕ごっこにて自己を表現することは流行りどころか最早当たり前のことであり、ならばそのために能力を使うことは自然なこと。仲の良い相手ならば、尚更遠慮はなく。

 魔梨沙の能力ですら届かない闇の中でも目が利く訳がないルーミアが、照準を確認するためひょこひょこと闇から相手を覗く姿はユーモラスであり可愛らしく、そこにタイミングを合わせられ頭に白い弾幕をぶつけて痛がる間抜けな姿は実に彼女らしい。

 

「痛た……やったなー、魔梨沙。いくよ、闇符「ダークサイドオブザムーン」ー」

「むっ、そのスペルカードはルーミアの十八番じゃない」

 

 闇の中からルーミアがこそりと腕を出し示したスペルカードは、彼女のお気に入りで魔梨沙にとって慣れ親しんだもの。

 潜むルーミアが発したのだろう紅白の弾は、眼前の暗がりから飛び出してきて魔梨沙に迫る。坂で転がした砂利石のように散らばる赤と白は、それぞれ大きさが異なるために直ぐに距離感を掴むのは難しい。

 されども、避けるに躊躇う暇もなく、次には月を模したのだろう黄色い中玉弾がルーミアから円かに広がっていく。一帯の如法暗夜、ダークサイドから顔を出す月は紅白な兵を引き連れて悠々と展開した。

 間近で炸裂したのと変わらない弾幕は集中しなければ避けるに難く、更に疎らな闇の中で上手に隠れるルーミアが確認のため顔を出す間は僅か。魔梨沙の星弾ですら命中率は低く、必然的にスペルカードの展開時間は伸びていく。

 

「出力は大したことのないものだから避けられるけれど、質の悪い弾幕よねー。本当に、月の裏ってこんなに嫌らしい場所なのかしら? 眉唾ものねー」

 

 しかし慣れている分だけの余裕がある魔梨沙は、確かそこら辺から来たみたいだし永琳にでも訊いてみようかしら、と溢しながら赤と黄色の間を縫う。

 過去の大体を記憶喪失気味なルーミアが、何故か覚えている月の裏側での光景。それを表したのがこのスペルカードであると、半信半疑ながら魔梨沙は聞いている。

 或いは古い妖怪や阿求などから月に関する逸話を聞いていれば、魔梨沙もルーミアが月に行ったことがあるという言葉を信じられたかもしれない。しかし、昔々のことはお伽話くらいしか興味のない魔梨沙は月面戦争の事を誰からも聞いていないのだった。

 だから、特別に思えない弾幕など、蹴散らかすのに何の躊躇いも起きることなく。紫の流星の幾つかは闇の中で目立ち、そして中心のルーミアを墜とすことに成功した。

 

「うーん。やられたー」

「それにしては元気じゃない。大概ルーミアも頑丈よねー。あたし、結構強めに撃ってるんだけれどなあ」

「そーなのかー」

 

 しかし、宙にて両手を広げたまま、地面に近づいたと分かるやいなや直ぐ様上下に一回転して平常に戻ったルーミアの表情は笑顔。ニコニコと、彼女は魔梨沙と対している。

 そこそこの妖怪くらいでは消し飛んでしまう程の攻撃を受けもびくともしない、力弱い妖怪というのは異常そのもの。所以を知らなければ思わず身構えてしまうだろうが、魔梨沙は自然にルーミアを受け入れている。

 

「まあ、ちょっと痛いけれど、魔梨沙の弾幕にはもう慣れてるもの」

「そこら辺は大妖怪なままなのねー……」

 

 掻痒感があるのか、弾幕が強かにぶつかった頭部を掻きながら、ルーミアは何でもないかのように答えた。

 魔梨沙はその指先を辿り、ルーミアの頭部にリボンの如く結ばれた赤い紙を見つめる。そうしてから視線を下げ、ルーミアの笑みを複雑な思いを持って眺めるのだった。

 

 

 

 ルーミアのボブな金髪を彩る赤き髪飾りのような部分は御札である。それは、博麗謹製のもの。その御札を付けて強大な力を封印したのは、先代の巫女だった。

 ルールもろくに無い当時の戦闘にて当時極めつけの大妖怪であったルーミアを退治したという事実は、巫女の力が確かなものであったことを示している。しかし、彼女はそのために多大な代償を支払うこととなった。

 戦闘の際に付けられたのは、小さな黒点。日に日にそれは大きくなっていった。

 暗い闇から目覚めなければ死ぬばかり。職務に忠実であった先代の彼女は、本体を撃退出来ても自身に這いよる暗黒に対してはどうすることも出来ずに最期は闇に染まった。

 既に終わっていたがために、魔梨沙はもうあったことを変えることの出来ない自分の力の無さを痛感した、そんな過去の出来事。そう、ルーミアこそ魔梨沙の恩人である先代巫女の仇である。

 

「それで、魔梨沙ー。次はなにをして遊ぶ?」

「……ちょっとくたびれたわー」

「えー」

 

 しかし、ルーミアは魔梨沙に酷く懐いていた。思わず、気が削がれてしまうくらいに。

 力と共に記憶まで封印されたルーミアは、まるでインプリンティングされたかのように新しい記憶の始まりから眼前に居た先代巫女を親のように慕い。

 自分と同じように先代巫女の後を追う魔梨沙とも次第に仲良くなり。そして、ルーミアは先代の巫女の最期を魔梨沙と霊夢と一緒に涙とともに見送ったのである。

 先代巫女の亡き今、博麗神社にルーミアが現れることは殆ど失くなった。しかし、それでも忘れられないのだろう、彼女は神社の周辺に目的もなく、よく漂っていて。

 だから、紅霧異変の際に、ルーミアが真っ先に霊夢と戦うことになったのも、二人の弾幕ごっこに魔梨沙が手を出さなかったのも、当然といえばそうなのだろう。

 

「まあ、ルーミアがあたしの家付近に来てくれたら、その時には一緒にお茶しましょう」

「わーい。約束だよー」

 

 ルーミアが浮かべるのは何も知らない者特有の、無邪気な笑顔。それに、笑顔を返すことが出来て、魔梨沙は内心ほっとする。

 あまり近寄りすぎては笑みすらも憎く思えてしまうかもしれない。だから、妹分とも敵ともつかない、強いて言うならば友達という距離が二人には相応しいと魔梨沙は考えている。

 

「約束は守るわー。だから貴女もその子を離してね」

「はーい」

 

 そして、何も友達二人は今回遊ぶためだけに弾幕ごっこをしていたわけではない。

 事前の約束通りに、弾幕ごっこで負けたルーミアは魔法の闇で拘束していた【子供】を、開放した。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあまたねー」

「またねー。そうそう、あたしの仕事が増えるから、ルーミアもあまり人を食べたら駄目よ」

「うーん……それは無理ー」

「ちょっとでも考えてくれただけ、有り難いと思ったほうがいいのかしらねー」

 

 横から獲物を奪われた形になるルーミアは、それでも笑顔で魔梨沙と別れる。彼女は見た目通りに子供のような性格であるが、意外と割り切ることが出来る性質だった。

 手を振りその姿を見送ってから、魔梨沙は捕まっていたとても幼い少女の方を見る。戒めから解かれても、少しも起き上がっていないその様子から、どうやら少女は腰を抜かしているようだった。

 そして、園児の制服、スモックとは違う可愛らしい洋服を認めて、遠目で見た通りにやはりこの子は外の世界の人間なのだと理解する。

 そんな外の世界の少女は助けられたというのに、怯え、震えていた。それもその筈、彼女から見れば魔梨沙は、謎の力で捕まえてきた誘拐犯と談笑していた人物である。

 更には外では決して見られない、空を飛び、杖から変な光を発していた魔女のような姿をした存在。不明なそれに無遠慮に見つめられて、少女は瞳に涙を溜めていた。

 

「それで貴女、大丈夫?」

「……っ!」

「ん? 貴女、何か変な力を持っているわねー」

 

 何となく、魔梨沙は自身に働き掛ける某かの力を感じた。しかし、まだ本格的に花咲く前の蕾程度でしかないその力は、恒常的に魔力を身体に通して常人より強靭になっている魔梨沙に影響を及ぼすことは叶わない。

 だが、魔梨沙の心に、興味という感情を宿らせることには、成功していた。

 

「こ、この人にも、効かない……」

「今回はいいけれど、あまりそれ、人に向けたら駄目よー」

「ひ、人?」

「傷つくわー。あたしはこれでも人間よー」

 

 ルーミアのように両の手を広げながら、魔梨沙は弁解する。しかし、箒にまたがり身体を宙に浮かせたままのその言葉は、真剣味を持って少女に届くことはない。

 あ、空を飛べる人間って普通じゃなかったわね、と気付いてから魔梨沙は朽葉を踏みしめ近寄ったが、怯える少女の背は中々幅広な樹の幹から離れなかった。

 仕方ない、と魔梨沙は落涙する手前の一定の距離より近づかないよう注意して、優しく声を掛ける。

 

「随分とルーミアは貴女を怖がらせたのね。全く。あたしのお友達がゴメンねー」

「とも、だち……」

「そうよー。けれども、あたしは貴女に意地悪する気はないわー。あたしは、貴女を元の場所に帰してあげようと思っているの。お母さんやお父さん、恋しいでしょー?」

「お母さん、お父さん……うっ、うぅ……」

「……そうそう。泣くと落ち着くわよー」

 

 泣かせる気はなくとも、そうなるだろうと予想していた魔梨沙は、少女が俯き涙を零すことを受け容れ、そうしてから無遠慮に近寄った。

 

「ほら、寒かったでしょう?」

「……ぅ、うぇえん」

 

 暴れる感情に任せている少女は接近に気づかず、ただ、自分の身体に温かい何かが巻かれたことに気付いてから、顔を上げる。

 そこには、優しく作ったのだろう、笑顔があって。自分の身体には、その笑顔の持ち主が肩まわりに掛けていた紫色のケープがかかっていることに気付く。

 未だ春になってもいないそんな季節、更には温暖化の影響も遠く寒い郷の杜の中にて歩き回ることで汗だくになり、そうしてからバケモノみたいな少女に捕まりすっかり冷えてしまった身体。

 それが、今は暖かい。この温かみが、目の前の魔女から贈られたものであることを理解して、安心を覚えたのか、少女の涙は更に溢れる。

 魔梨沙は、片手で上下する小さな身体を抱き、逆手の人差し指から熱を出すばかりの燃えない炎を発し、少女がこれ以上冷えないように努めた。

 

 

 

「……ごめんなさい」

「どうしたの?」

 

 時間とともに遠慮は減り接触は増え、少女は後ろから抱かれるようになり、魔梨沙の指先に揺れる炎をぼうっと見つめながら、呟く。涙はもう治まったようで、瞼の防波堤を越えるほどにその目は湿潤していない。

 魔梨沙は震えも治まったことを肌で感じながら、少女の短すぎる言葉の意味を尋ねた。

 

「怖がっちゃったから」

「そんなの気にしなくていいのよ。小さいのに偉いわねー」

「もう、五つだもん」

「あたしは……そういえばいくつだったかしらー。まあ、貴女よりは年上で大っきいから、怖がられたくらいで一々気にしたりはしないわ」

 

 あれ、と口にしてから魔梨沙は首をひねる。話には納得を見せたが、何歳か分からないの、と少女から思わず零れた疑問に対して魔梨沙は上手く答えを返せない。

 一つ二つと数えていくとどんどん思考に曇りが出てきて不明になっていく。しかし、これは紫か魅魔様の仕業かしら、と魔梨沙はそんな不明を一度棚に上げて、疑問をそこに忘れた。

 

「うーん。まあ年を数えるなんてこと、ブルーになるばかりだから、止めておくわー。それで、貴女を親御さんの所に送るためにも、ちょっと場所を変えないといけないの。これから、この箒に乗って神社にまで飛んで行くけど、暴れたりはしないでね」

「……危なくない?」

「あたしがギュッと抱きしめているから、大丈夫よー」

 

 魔梨沙は抱きしめたまま少女を持ち上げ、念動で浮かした箒に跨る。そうして、ゆるりと浮かんでから、青空へ向った。

 

「行くわよー」

「わっ」

 

 闇が晴れた空は青く澄み渡っており、果ての地平に乗っかった雲は陽光を浴びて白く柔らかに形を変える。そんな普通は見上げるばかりの世界を不安定にも地に足をつけずに真っ直ぐ望むのが、空を飛ぶということである。

 視点が変われば、世界も変わるもの。付いて行けずに恐れることだっておかしくないが、むしろ天辺に少しだけ近づいたことを面白がったのか、魔梨沙の手の中で少女の落ち込んでいた頬は綻んだ。

 魔梨沙は、外の人間の割に少女は自分の妹のように空中を往く才能がありそうだと思った。何だか奇妙な力を持っていることだし、将来的には自由自在に空を飛べるようになるかもしれない、とまで夢想する。

 そして、その力は何かと問おうと思えば、その前に少女の方から疑問を呈された。

 

「どうやってお空を飛んでいるの?」

「うーん。それは難しい問いねー。この世界には常識に囚われないような深秘があるの。まず、それを曝く。そうしてそれを身に付ければ、気づけば世界から浮いてしまうものよー」

「しんぴを、あばく……しんぴ……」

 

 魔梨沙の言葉は、何やら少女の琴線に触れたようで、二度三度、少女の口の中で解けるまで転がされる。

 怖がらないように低速で飛び続ける魔梨沙は、益々自分に興味を持った様子の少女が更に問いかけてくるのを、微笑ましく見守った。

 

「さっきの、黒いのを私に出してきた人、って何だったの?」

「信じなくてもいいけれど、あの子は妖怪なの。だから貴女を怖がらせたのよ」

「貴女はようかいとお友達なんだよね……」

「そうよー」

「そう……」

 

 妖怪、というものがどういうものか理解はしていないが、少女も魔梨沙が【違うもの】と仲良くしていることを何となく察する。

 少しの間を置き、言い難そうにしながら、少女は今日あったばかりの自分に近い力を持つ人物に秘密を曝け出す。

 

「あのね。私、友達、居ないの」

 

 そうして少女は自分から精一杯離したところにて指を立てる。

 すると、魔梨沙の真似をしたのか、小さな指先から炎がちろり。しかし、その炎は触れたら焼ける、魔梨沙の魔的なものとは似て非なるものあった。

 

「私と同じ子なんて、一人もいないんだもの」

「似たようなあたしがなってあげるー、なんていうのは無責任よね。あたしと貴女は、住む世界が違うもの」

 

 行き来出来たらいいのにねー、と続けながらも、魔梨沙はその可能性をこれっぽっちも望んでいない。

 幻想郷という世界を愛する魔梨沙は、反して外の世界を嫌っており、その二つが通じることなど考えられなかった。

 けれども、どちらの世界にも通じるものはあるだろうと、イレギュラーで出会った別れるばかりの間柄であっても、一期一会の縁を大事にしてあげようと優しく少女に言葉をかける。

 

「友達、っていうのは気づけば出来ているものだと思うわ。家族だけでなく、好きな人達の間は心地良いものよ。きっと、貴女にも自分に合った隙間があるわー。そこを見つけるまでは、一人でいることを恥ずかしいと思わないことね」

「一人を、恥ずかしいと思わない……」

 

 再び、繰り返す少女。

 こんな一度の会話が少女に深く根付き、その人格形成に影響することを知らず、魔梨沙は優しくその茶色がかった髪の毛を撫でた。

 

 

 

「霊夢どこー……あっ、そういえば霊夢は人里に買い物に行くっていっていたわねー。それじゃあ、あたしが最後までこの子の面倒見なければいけないかしら」

 

 そっと掴んできた小さな掌を離さず握り返し、手を繋ぎながら、魔梨沙は目的地博麗神社で紅白の姿を探していたが、しばらくしてその不在に気付く。

 なら仕方ないと、もう一人の妹に身分は譲り渡したが、未だに錆びつかせてはいない巫女の力を使うことを魔梨沙は決意した。

 鳥居の前まで少女を連れて、そうしてから、帽子の中から星の杖を取り出す。

 

「久しぶりだから、あまり自信はないけれど……うん。こうして、こう」

「何をしてるの?」

「時間切れがあるから、ここみたいに安全な場所で何もしなくても貴女は元に戻れるけど、あまり親御さん達を困らせるのも駄目だし。だから、あたしが元の場所に貴女を戻してあげる」

 

 魔梨沙は、随分と【適当】に杖の先端の星を動かし、宙に五芒星等の形を描く。次第に様々な図形は繋がって意味を持って光り始め。

 

 そして魔梨沙は宙に【スキマ】を作った。

 

 リボンでデコレーションされてもいないそれは八雲紫などから見たら、不格好なものであるかもしれないが、しかし鳥居の先が別空間に変じたことを理解した少女は飛び上がるくらいに驚く。

 

「な、何これ?」

「これはスキマ。世界のそういう作用が働くから、きっとこのスキマを潜れば元いた所に帰れる筈よー」

「本当?」

「本当よ、ええと。そういえば、貴女の名前を聞いていなかったわねー。あたしは、霧雨魔梨沙。貴女のお名前は?」

「私は菫子。宇佐見菫子っていうの」

「菫子ちゃん。いい名前ねー。それじゃあ、さようなら。夢か何かと思って、あたしのことは忘れてね」

「え? えっと……」

 

 そう言い、笑顔で手を振り魔梨沙は少女、菫子を送り出す。聡明な彼女は言葉からこれが今生の別れとなりかねないこと理解し、後ろ髪を引かれながらも魔梨沙の方を見ながらスキマへ一歩踏み出した。

 少しずつ、躊躇いながらも菫子は近づいて行き、そしてスキマへ触れるその前に、彼女は思いを込めて言葉を紡ぐ。

 

「あの、あの……またね、魔梨沙さん! ありがとう。私、忘れないから!」

 

 ばいばいで、二人は別れた。

 

「うーん……」

 

 スキマも菫子も失せた静寂の中で、魔梨沙は伸びをして多少の感傷を誤魔化す。

 また会う日まで。そんな言葉を信じられるほど、両者を隔てる壁は薄くはない。それを魔梨沙はよく知っている。

 しかし、魔梨沙がすっかり菫子のことを忘れ去った後になって、その約束は果たされるのだった。

 

 

「あ、あの力がどういうものか聞くのも、忘れてたわー」

 

 未来のことなど知らず分からず。ただ、魔梨沙は菫子の超能力についてだけ、僅かに未練を残した。

 

 

 

 



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花映塚編
第三十七話


 

 

「花に三春の約ありというけれど……夏秋冬の分まで咲くのは行き過ぎだわー。やっぱりコレは、幽香の仕業かしら」

 

 春が来て、幻想郷は正に花盛り。しかしそれも随分と過剰過ぎるものがあった。

 桜が咲くのはいいだろう。満開のそれらは、風に揺られ宙にて春色をそよがせ目を楽しませてくれる。だがしかし、その付近で梅に向日葵に秋桜まで一緒に花開いていてしまっては、春の風情も何もない。

 我が霧雨邸の庭の奥、つまりは今のあたしの足元では、種を植えておいた秋の七草桔梗の花が咲き誇っている。それも満開。あたしの視界の全ての花々は違えること無く存分に、香り高く開花を競っている。

 そう、先日まで種であったような草木ですら、今や一気に育ち、大きく蕾を付けてから、一斉に花開いていた。

 そんなことは異常であり、異変。皆きっと大慌てになっていることだろう。でも、下手人が想像できるあたしにの心は落ち着いていて、斑のない桔梗色を愛でる余裕すらあった。

 

「散るまでが花、ねぇ。幽香ったら、花を操る【程度】の能力を持っているって言っていたけれど……どうやら変に謙遜した自己申告をしていたみたいねー」

 

 そう、これが幽香の仕業だとしたら彼女は、花どころか草木に種の状態すら操っているということになる。花に至るまでの成長すら自在であるというのならば、その能力は花を操るばかりという説明だけでは足りなさ過ぎた。

 まあ、花、つまりは種子植物の繁殖を司れるのならば、それに従属する成長段階は支配していて当たり前なのかもしれないけれど、それにしても影響絶大な能力だ。

 

「まるで幻想郷全体が花畑であるみたい。どこもかしこも季節を無視して色取り取りに包まれているなんて、景色が華飾に過ぎてしまっているわー」

 

 あたしだって、女の子であるからには花が嫌いということはない。けれども、鮮やかな色に囲まれ過ぎていては、一輪を楽しむ前に目が疲れてしまうというもの。

 芳しい香りも、うるさくて正直なところ鬱陶しい。桜の花くらい微細なものばかりであれば、鼻も花もきっと楽であるのだろうけれど。

 そういえば、神社の桜は見事だった。雑多な花を差し置いて、フレーム代わりの鳥居の紅がちゃんと桜色を際立たせていたと思う。

 今日は確認のために、無人の神社で多種多様のお花見をしてきて、何時もとあまり変わらない魔法の森で安心してから、帰った私は庭にて考えを纏めた。それで出た結論は、やはりこれは幽香が起こした異変であるというもの。

 そう思う理由は、空に沢山浮かんでいる。そう、地べたの花に目を取られがちであるけれど、空を見てみれば、白い魂が尾を引いて群れを成していた。

 

「うん。幽霊が一杯。以前みたいに悪霊ばかり、っていう訳でもないみたいだけれど、コレはどうしてもあの時の異変を思い出しちゃうわねー」

 

 きっと行き場がないのだろう。群れとなった幽霊は、春空を白く染めている。これと似た光景は、もう何年前だろうか、霊夢が未熟であった過去にて見た覚えがある。

 ずっと前、その時遊びに来ていた神社に溢れたのは、悪霊その他。それらは、裏の方角から大量に現れた。

 そんな異変を仕向けてきたのは、幽香。幻想郷近くに異界を見つけて、そこに住み始めた彼女が行った一風変わった引越しの挨拶がそれだったのだ。

 そうと知らずに異変を成すだけの力に惹かれて向かい、結果あたしはあんなにも魅力的な妖怪と知り合うことが出来た。

 

「うふふ。あたしから見てもよく分からないあの妖怪と、その力を早くに味わうことが出来たのは僥倖だったわー」

 

 あたしの能力で把握するに、妖怪の範疇にありながらも妖精にも神にもごく近いという、そんな不明な存在が、幽香だ。その身に溢れんばかりの力は、全ての境をよく分からなくさせていた。

 まあ、多少変であっても幽香は幻想郷でも最強クラスの妖怪とされる存在。だからあたしが夢中になってしまったのも、仕方のないことだろう。

 力、という単純な言葉の響きであたしが思い起こすのは、未だに長髪だった頃の幽香の姿のみ。それは、魔界神に逢おうが永琳を知ろうが変わることはない。

 

 あたしの中の弾幕ごっこという概念を覆したのは、視界に溢れる光の海。力は、素直に発揮されても美しい。あたしはそれを幽香に教わった。

 スペルカードルール未施行のあの日に幽香が戯れに放ったのは、マスタースパークですら生温く、ファイナルと名付けたそれでも未だ届かない、眩い力の輝き。

 レーザー状、だったのかはあまりの光量であったが故に認められなかったため、正直な所今でもよく分からない。まあ辛うじて避けられたからには、規模が圧倒的であろうとも方位は限られていたのだろう。

 だがしかし、物真似を続けていても、何時まで経ってもそれに届きはしない。つい何時も幻視してしまう、首元から伸びる鎖の姿をすら一時消し去ってしまったほどのインパクト。

 星をも殺さんと迫る圧倒的な光線。今でも思えば胸のときめきは収まらない。そう、あたしはあの光に恋を覚えたのだ。

 

「初恋は実らない。ならば、何度目かのあたしの恋心は実るのかしら。まだまだ及ばない辺り、微妙なところねー」

 

 掌の中で力を光らせながら、あたしはそう口にした。あの強い光に肩を並べるのは、何時になることか。星の光では、あの太陽の如き光に届かないのかと、そう思ってあたしは天を見上げた。

 そんなあたしの真昼の星見の邪魔をするのは、青白くて冥界で見るのとはどこか違う種類の幽霊の群れ。しかし、よく見ても、差異がどこにあるか分からない。

 何が変わっているのか確かめるために、浮かんで、近くのそれに触れてみる。すると、ひんやりとした普段の感触があった。

 本来ならば、日差しが暖かい春の頃。しかし、幽霊たちのせいで、あたしの周囲は陽気の中でも少し肌寒いくらいだ。思わず身震いしてから再び空を見ると、天上で何やら赤いものがふらふらしているのに気付く。

 日光を背にしてこちらへ来る、とんがり帽子と周囲のキーボードが特徴的な彼女は、リリカ・プリズムリバー。騒霊だけあって、独りでに動くそのキーボードの音楽はうるさいものだけれど、あたしは結構好きだった。

 更に高度を上げてから近寄って、帽子の天辺に流れ星がデザインされていることを再確認してから、あたしはリリカに声を掛ける。

 

「こんにちは、リリカ。一人でどうしたの?」

「うーん? 見覚えがあるけど、貴女は、なんだっけ?」

「あたしはプリズムリバー楽団のファンの一人よー」

 

 掃除を一緒したりプライベートにて弾幕ごっこで打ちのめしたりしたこともあったというのに覚えてもらえていない。それに、あたしは少し残念な思いをしながらも、まあコンサートでも宴会でも遠くから節度を守って鑑賞している自分も悪いと考える。

 ファンと聞いたことで、気を緩めたのか、リリカは体の力を抜いてから、あたしに微笑んだ。

 

「そう。ファンにならサービスで教えてあげてもいいかな。私は、今日ソロで音ネタを探しているのよ」

「へぇ。いい音が見つかるといいわねー。次のコンサートがぐんと楽しみになるもの」

 

 確か、リリカは幻想の音を演奏する程度の能力を持っていた筈。そも幻想郷には、そういった音がひしめいているから、その中にはリリカが見つけたこともないものがあるのかもしれない。

 亡くなった演奏家の素晴らしい音楽とかを何処かで拾ってくれたら嬉しいな、と思いつつ、もう二、三面白いのを手にしているわと言うリリカの口ぶりにあたしは期待を増させる。

 言葉を続けて交わした後に会話を切って、あたしがじゃあねと言う前に、赤い背中は去ろうとした。しかし、そういえば丁度いい機会だとあたしは彼女に問いかける。

 

「あ、待って。貴女はこの時期基本的には冥界に居るのよね。こっちはこんな感じだけれど、向こうは今どうなっているの?」

「そうねー。大体こっちと同じ。何だか四季を忘れてしまったみたいに、色んな花が咲いていたわ。音は違うけれども幽霊が沢山なところも一緒」

「そうなんだー」

「あ、そういえば、西行寺のお嬢様が、それに驚いて辺りをウロウロしていたわ。花を一々見て周っていたけれど……あの様子じゃあ、当分の間私達が花見にお呼ばれするっていうのもなさそうねー」

「ふぅん。コレって幽々子もびっくりするような異変なんだ」

 

 あたしは、少し驚いた。普段から超然としている幽々子が取り乱すというのは、伝聞である以上にそもそも想像しにくいものだ。

 それほどに不明な異変であるのならば、或いは幽香の仕業ではないのかもしれない。でも、これでも巫女の端くれに引っかかっているからにはそこそこの精度を誇るあたしの勘は、幽香が怪しいと告げている。

 空気を読んで、上手に隠れている過保護なお姉さん二人のことを話さないままに、リリカとじゃあねで別れてからもしばらく悩んで、あたしは答えを出した。

 

「うーん。まあ、空振りでも構わないか。一先ずは、幽香だとして異変に当たりましょう。霊夢も動いているみたいだし、あたしは霊夢の知らない幽香が居る可能性のある場所……あの【世界】をまずは探ってみるべきかしら」

 

 そう一度決めれば、後は行うだけで、早いもの。そこまで幽香の力を覚えこませていないために、広い幻想郷の中、ダウンジングで探すというのは難しい。

 ならば、足を用いて探索しようと、大分仲良くなって来た箒を呼び寄せてからそれに乗り、あたしは霊夢の居ない彼女の住居の方へと飛行する。

 弾幕のように空を埋め尽くす霊(たま)の間を縫って、あたしはノンストップで快晴なのに白が目立つ宙を行く。やがて、朱塗りの門の上を行き、神社を眼下に望んでから、尚スピードを上げて通り過ぎた。

 そして、簡単に行き来出来ないように強く結界で封じているために、それと意識できるものすら限定されている博麗神社の【裏山】へと、あたしは飛んだ。

 

 

 

 

 

 

「今回、道中にその他の妖怪は出てこないのねー」

 

 飛ばされないように、紫の魔女帽を深く被り直しながら、魔梨沙は思わず道中の感想を口に出した。

 以前と変わらずに、要所を守っている妖怪は居たが、それ以外の辺りをうろつく雑多なもの以外の知恵ある妖怪達が魔梨沙にちょっかいを出すようなことはない。

 それもそのはず、発展途上であった以前と比べ、力を増しに増している、そんな魔梨沙にわざわざ寄ってくるような存在は幻想郷とは一味違う異界【夢幻世界】産まれであろうと希少なのだ。

 

「くるみに、エリー。皆元気であることは分かったけれど、幽香の存在は影形もないわねー。エリー達もしばらく来ていないって言っていたし、やっぱりこっちは外れかしら」

 

 博麗神社裏山の中にある夢幻世界の入り口、湖の門番をしているくるみに、夢幻世界と現実世界の境目にある、その名も【夢幻館】と呼ばれる現在魔梨沙が侵入している建物の、これまた門番をしているエリー。

 その二体の妖怪と軽口を交わしながら撃破を終えた魔梨沙は、前回みたいに或いはこっちに居るのではと考えていた幽香の痕跡すら捕捉出来ずに困り始める。

 門から堂々突入した屋敷の中を探して行ったり来たり。そうしていると、黄色い服のちょっと目立つ妖精が邪魔をしてきたりした。

 

「ん? そういえば、前も貴女居たわねー。随分と驚かされた覚えがあるもの」

 

 現れるなり妖精が放散してきた大きめの黄色、細かい白の弾幕はチェックな空間を水玉模様に彩る。遠目から見れば、少女が花束を広げたかのようにも映るだろうか。ランダムな弾道は入り混じって、避けるルートを著しく狭まらせた。

 量に速さ、タイミング共に中々な弾幕であり、それに夢幻世界ではスペルカードルールが浸透していないが故に当たれば怪我ではすまない威力の弾幕。

 しかし、過去能力をもって二度見つめていたというのもあるのだろう。その密度も威力すら問題にせず、魔梨沙は掠ることすらなく寄って、至近からの弾幕で妖精を墜とした。

 魔梨沙は、煙を上げ確かに重力に引かれていくその様子を一瞥してから、視界に多分に広がる赤チェックを気にしだす。

 

「この館も紅魔館みたいに赤いといえばそうだけれど、あたしにはチェック柄の印象が強いのよねー」

 

 奥は異世界に近いというだけあって、ちょっと幽雅なものになっていくのだけれど、と魔梨沙は続けて零した。

 魔梨沙の言に伴った、というわけでもないのだろうが、最近訪れた様々な屋敷と比べても頭一つ抜けて巨大な夢幻館の、その様体は進むに連れて変化を見せる。

 まずは外の宇宙的な暗がりを壁面が映して、そこに流星を表すかのように大きな青白い星の光が通りすぎることで距離の広さを示し、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 途中途中にチェックの絨毯が敷かれているが、その色は周囲に合わせたかのように深く青い。

 プラネタリウムか何かの中の様に無機的な、こんな館の奥の方を住処とする妖怪なんて変わっているなと、魔梨沙は思わずにはいられなかった。

 

「それにしても、よく考えてみると、夢幻世界って結構統一感があるのねー。二色の交差した点は新たな色。そんな感じの変な妖怪が多い風に」

 

 魔梨沙は道中にて今ひとつ正体がよく分からない、不思議な妖怪達を下していく。雑魚敵、とでも言うような者達だからそうなのか、と思えば別にそうではないことに魔梨沙は気付いた。

 魔梨沙が撃破した二人、まずくるみは吸血鬼みたいな吸血少女であったし、エリーもどこか死神のような、そうでもないような妖怪だ。幽香も同様、境界が不明な幻想的な妖怪であるに違いはなく。

 この異界には、夢幻姉妹を代表としてそこら辺曖昧な存在がよく集まっているな、と魔梨沙は思う。

 

「あら、騒がしいと思ったら、貴女? 久しぶりね」

 

 そんなこんなを考えていたためか、それこそこの世界の代表的な存在が出てきてしまった。感じとったあまりの力に、魔梨沙は、思わず目を丸くする。

 世界の持ち主であるからだろう、多分に神性をその身に含んだ、しかし見た目に特徴的な部分は一切なくまるで人間のような、そんな悪魔。

 強いていうならば、まるで金の髪をしたメイドのようであると形容が出来るだろうか。ここ夢幻世界の主的な役割であるためにむしろ傅かれる方であるから、身を包むメイド服はきっとイミテーションなのだろう。

 夢幻の世界に昇る二つの月。双子姉妹の、その片割れが魔梨沙の前に現れた。

 

「ええと、貴女は夢月、だったかしら」

 

 夢月は、魔梨沙が初めて出会ったメイド型の生き物である。そういえばこの子に会ってから、一時異変毎に連続してメイドっぽい知り合いが増えたようなことがあったと、彼女は思い出す。

 そして、前回見た時に随分と仲の良い様子であった夢月の姉、幻月のことを思い出して魔梨沙は辺りを探ったが、それらしい力を感知することはできなかった。

 

「今日は、背中の羽根が可愛らしい、あのお姉さんはどうしたの?」

「さあ。私がここ夢幻館の管理をしているのは姉さんには関係ないことだから、同じように好きにしていると思うわ。世界の様子を見ているとかならいいけれど、きっと今は何処かで遊んでいるんじゃないかしら」

「そうなの。助かったわー。流石に、幻月からも不法侵入の罪を問われたら、困るもの」

 

 散々、魔梨沙が墜とした妖怪で掃除中の館内を散々に汚したためか、それとも友と姉との居場所を穢されたためか、夢月は少しおかんむりな様子。

 そんな怒れる三日月の姿が一つきりであることに、魔梨沙は素直にホッとしていた。

 二体一の弾幕ごっこというのも面白みがあるが、しかしいかに弾幕ごっこが得意な魔梨沙も夢幻姉妹の二人を一遍に相手をするのは無理だと理解しているのだ。

 

「年単位で放って置かれていると思い込んで荒れているのを覚悟していたから、館内が綺麗でびっくりしたわ。こんな広い家の清掃、ご苦労様ねー」

「友達に頼まれたのだもの、少しの苦労は仕方ないわ」

「でも頼まれたまま、っていうことはここの主は未だ不在っていうことかしら」

「そうね。後は……侵入者に対しては手加減なしで撃退して欲しいともお願いされているの。これでも私は悪魔。約束は守るわ!」

「わっ」

 

 夢月が気を入れた途端、魔梨沙の四色のビットから発されるものと同種、威力はそれ以上の恐ろしい粒弾が周囲にばら撒かれる。細かく散るそれを魔梨沙が下がって避けたがために二人の間隙は大きく広がった。

 その距離を埋めるために魔梨沙は紫の流星を迸らせる。しかし、その星々は、支配下に在る空間を弄くることで可能となる短距離ワープを夢月が行ったことで全弾回避された。

 移動先である魔梨沙の背後、本来ならば目の届かない位置にて、タイムラグもなしに夢月は青白い中玉弾を周囲に大量に広げる。そして魔梨沙が完全に振り向く時間も許さずに夢月はまた瞬間移動を繰り返す。

 再度取った後ろにて、次に広げたのは揺れ動きながら全方位に広がる煌めきの十字。そして、それだけでなく周囲の色が映り込む針弾を、その中心を魔梨沙へと正確に定めながら扇状に、また無数に発した。

 

「くぅっ、弾幕にも回避にも隙がないわ。間断なくワープ出来る相手って厄介ねー」

 

 魔梨沙の周囲で、発された位置の異なる弾幕は交差どころか四方八方から集って交じり合う。青白黄色は、魔梨沙を潰さんばかりに集結して襲い来る。

 本気になって魔梨沙は避けるが、命を守ることに必死で衣服に妖弾を掠めて大いに裾を破らせてしまうことまで防ぐのは出来なかった。

 そして、時を待たずに死角を移動する夢月に弾を当てることすら難儀する。勘とその能力によって先読みすることで、移動し続ける夢月の防御に負担をかけさせ続けることは出来るが、一気に破ることは難しい。

 だから、魔梨沙の持つ能力と技能の高さを知っている夢月が、弾幕に特定パターンを作らずランダムに、先の十字や中玉を広げ続けることを止められなかった。

 

「私は、貴女が笑えているのに困っているわ。倒すための攻撃だというのに、全く当たらないなんてどういうことかしら」

「うふふ。パターンも混じってしまえば分からない。それはそれは難しくなるものだけれど、ちょいと粗雑な弾幕に当たってあげるつもりはないわー」

 

 美しさばかりを求めたものではない、実戦で使えるように相手を陥れるための工夫が成された弾幕。八方からくる様々な形の光弾は、特に距離感を狂わすのに長けていた。

 勿論、少女が創りあげたものであるから、機能美以外にもある程度以上の美しさが保持されているが、華美なものではなく威力避け難さに比べれば後回しなものである。

 そんな、優れていようとも魅せるよりも打倒が目的の弾幕に当たることで、ごちゃごちゃとして見える全体を更に歪ませて見難くする気は更々無いと、魔梨沙は普段よりも意気を増して当たった。

 魔梨沙はちょっと色のパターンが少なめね、と口元を弧にしつつ思いながらも、当たれば死に直結する弾幕を掠りもしないように集中して避けていく。

 赤い瞳は真っ直ぐに。全方位から死の緊張感を受けながら、それだけの弾幕を維持する夢月の力を、魔梨沙は下方から見上げていた。

 

「どの弾に篭められた力であろうと必殺のもの。やっぱり、夢月もスペルカードルールを知らないかー。まあ、ここは幻想郷じゃないから、ルールを守る必要もないといえばそうだけれど」

「察するに、やり過ぎから人間を守るルールかしら? まあ、もし、そんなルールがあっても私がそれに則ることはないわね」

「どうして?」

「前にも言ったわよね、私は人間の命なんてなんとも思っていないって! もうちまちまと攻撃するのは止め。本気を出してあげる!」

 

 宣言の通りに、魔梨沙の星弾が夢月の防御を破る前に、小手調べの弾幕は唐突に止んだ。相手の気迫を感じ取り、魔梨沙は攻撃の手を緩める。その本気とやらを存分に味わいたいがために。

 夢月は、魔梨沙の前まで降りてきてから目を瞑り、腕を前で交差しながら力を高める。そして、数瞬の瞑想によって力が最高に高まった瞬間に、その弾幕は発された。

 

 

 果たして、今行われているのは本当に弾幕【ごっこ】なのであろうか。そう、疑問を持ってししまうくらいに、その弾の連なりは相手を容れる気持ちに欠けていた。

 

 

「きゃはは! 確かに、まるで容赦がないわねっ!」

 

 大小の白色の散華。弾幕による高速の飛沫を避けることは魔梨沙にとっては難しいことではない。しかし、そんなものは開始前の目眩まし。

 恐ろしさは、次いでやって来る。いや、その弾幕は先に発された速き小玉弾をすら追い越して、交差しながら大量に撒き散らされて宙に数多の花輪を広げる。そして、魔梨沙はあっという間に散華する白き花に閉じこめられた。

 魔梨沙の眼ですら、辛うじて把握できる程高速にあたり一面に広がる針状弾幕は、くねって隙間なく周囲に点線を広げる小粒弾を連れながら、交差にズレを見せつつ円形に展開している。

 その速度の疾きことこの上なく、また多きことに並ぶものなど僅か。てゐの奥の手「エンシェントデューパー」の飛沫すら遅く思えるほどに、そして萃香の「百万鬼夜行」に匹敵するほどに大輪である。

 常人には掠ることすら許されない。いくら得意であろうとも、宙に長く居ることは不可能なくらいに高速で力任せなその弾幕は、スペルカードルールの中ではナンセンスであるが、なんでもありの夢幻世界においては最適解であるのかもしれない。

 

 こんな狂気の弾幕。対するに、通常ならば爆弾じみた高威力の必殺技を相手にまで発して、急いで墜とすという対策をとるだろう。

 しかし、魔梨沙は大真面目に何とか目に映る間隙をグレイズしつつ通りながら、控えめな威力の紫星を向かせるに留まっている。そうしている理由は、別段深いものではない。

 それは、どんなに力を篭めても、それが相手に届くことがないということを知っているから、だった。

 

「早くやっつけたいけど……でもあたしは知っているわ。夢月、貴女は一定以上の力を遮断するバリアーを常に張っているっていうことをっ」

「本当に、困った相手。焦って無駄な隙を作ってくれればいいのに。創っている私にですら隙間が分からない弾幕を、ここまで縫えるなんて」

「きゃははっ! これが、貴女にとってどうでもいい、人間の命がけよ!」

「……なるほど、幻想郷の妖怪達が大事にするわけね」

 

 星の光は、未だ太陽にも三日月にすらも及ばない。しかし、その輝きは宇宙をどれほど魅せてくれるだろう。眩いばかりの光線よりも、瞬く星光の方が、闇を明かすための探究心を刺激するもの。

 まるで白き満月のように、弾で彩られた宙空。そんな空間に紫色の流星が軌跡を描く姿に、誰もが目を奪われてしまう。光弾に埋もれる点、魔梨沙の回避はそれほど不明で魅力的であった。

 自分以外に宙に在るものを認めないと、凶悪な弾幕を放つ夢月であっても、目を逸らすことは出来ずに、誰よりも近い距離から魔梨沙を見つめる。

 

 最速最密の掛け値なしに、本気の弾幕。無駄な遊び心など、そこに入る隙間もない。

 しかし、目の前でそれを笑顔で楽しんでいる少女の姿を認めて、自分の弾幕にもっと面白みをもたせていたら相手の避けるパターンも増えて美しみが増したのかもしれないと思う。

 そういえば、自分の奥義でもあるコレに、名前一つ付けていない。考えれば考える程、自分が創造しているものが物足りなく感じられた。

 そう、夢月は広げる創作物、自己表現があまりに無骨で余裕のない代物であること、それを認められなくなっていったのだ。ならば、その中で活き活きと輝く魔梨沙の方は眩しく思え。

 無粋にも、苛立ちに任せ力ずくでそれを殺めようとしている事自体、正しいと考えられなくなる。力を弱めようかと、一瞬だけ気持ちは彷徨う。

 

 そして、迷いは隙。そこに付け入ることの出来ない魔梨沙ではなく。

 

「……うぐ~」

「――ふぅ。危なかったわー」

 

 一重にダメージを与えるために、突貫した魔梨沙は、夢月の眼前で星を散らし。多段に当たった魔弾はメイド服をボロボロにして、夢幻の悪魔を墜とすに至った。

 過去を遡っても類を見ないくらいに傷だらけになっていた魔梨沙には、流石に夢月が重力に引かれるのを止めるだけの余裕はない。

 一息だけついて、墜ちた下を見てからまた、再び上を見上げた。そして、微笑む。

 

「それじゃあ、あたしの勝ち。夢月の様子を見るのは貴女に任せるわ、幻月」

「……よく分からないけれど、夢月ったら魔梨沙に負けたのね」

 

 少女が背負う天使のように白い羽根が、魔梨沙には煌めいて見えた。金糸の髪が翼に当たって翻る様は、神々しさを演出する。事実、彼女は夢幻世界で突出して崇められるばかりの存在だ。

 そう、魔梨沙の頭上に空間の揺らぎと共に現れたのは最凶の悪魔、夢月の姉、幻月だった。

 夢月の危機を感じて移動してきた彼女は、喜色満面の魔梨沙を睨みつけ、負けたというのにどこか満足気な表情で気を失っている妹の様を見てから、溜息を吐く。

 

「はぁ。そうね……今回は、任されていないからいいわ。見逃してあげる」

「助かるわー」

 

 そして、悪魔と魔法使いは交錯することなく思い思いの方へと別れ。妹思いの姉は、紫の背中を一瞥もせずに、地べたへと降りた。

 手をかざし、様子の全てを看た幻月は、十分に加減されているそのダメージの小ささにほっと一息。手ずから掃除を【させられていた】疲れもあってか、すうすうと眠り出した夢月の金毛乱れた髪を、彼女は撫で付け。

 

「そう、私が何をしなくても、幽香なら。きっと、仇を討ってくれるに違いないわ」

 

 そして、幻月は懐から幻想の香り漂うマリーゴールドの花を取り出して、そっと夢月の手に握らせた。

 

 

 

 




 夢月の最後の弾幕は、一応オリジナルではなく、彼女の発狂時の代物を描いたつもりだったりします。


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第三十八話

 

 

 

 魔梨沙が夢幻館から戻り、自宅で傷ついた身体を薬草と休息で回復させていた、その頃。

 幻想郷の空遥か高く。何故か一部破られたまま未だに直されていない幽明結界の前にて、多量の幽霊が溢れていた。

 その中心にて、踊っている少女が一人。彼女の着物の薄青は風になびく桜色の髪を美しくみせている。周囲の霊は彼女の所作一つ一つを無視することは出来ずに、頭を垂れるように周囲を巡っていた。

 天にて舞い、幽玄をこの世に表している、そんな人物は、西行寺幽々子その人である。普段ろくに動かぬ運動不足な彼女はしかし、異変時の今には大いに動かざるを得ないようだった

 

「うーん。こっちが本当の能力ではないから、全てを操るというのは難しいわー」

 

 生前に生者を死に誘うまでに発展した、その下敷きである死霊を操る程度の能力を用いて、幽々子は周囲の霊を繰る。扇を一振り、すると沢山の霊が尾を引いて清流泳ぐ川魚の群れのように宙を流れた。

 やがて、数多の霊は中途にて半分ずつに分かれて幽明結界の先に幻想郷の地へとそれぞれ向かっていく。上下に流れていく薄青色は、尾により表わされる流れによって宙に浮かぶ滝にすら思えた。

 舞いながらも真剣な幽々子の瞳によって二つの流れを形作る一つ一つの霊は確と種類ごとに分化していく。どうやら選別されて居場所を振り分けられているような、そんな様子。

 常人に二種類の霊の違いは分からないが、幽冥楼閣の亡霊少女として数多の霊魂に触れている幽々子には明確に判別できるのだろう。そう、裁きを受けているものとそうでないものの違いなど、日頃から片方ばかりでもよく見ていなければ分からない。

 

「本来拠り所になるはずの花が全て能力に支配されていて行き場がなくなってしまったとはいえ、はるばる冥界にまで居場所を探しに来てしまうなんて。外の子たちの安定志向振りにも困ったものだわー」

 

 それにしても、白玉楼のそこかしこに混じっていたのを残さずここまで引き連れて来るのは大変だったわー、とげんなりした様子で幽々子は続けて独り言ちた。

 そう、今現在幻想郷の天を埋め、空高く冥界にまで溢れだして既存のものと混じっていたのは、此度生じた大結界の緩みに乗じて幻想郷に這入って来たのであろう、外の世界の魂達。

 死を予知することすらできずに死んでしまった沢山の無念の魂は、三途の川にて並んで大人しくは出来なくて、身体代わりに魂の質を表す相性のいい植物、花に憑依することも無理であれば、幽霊として幻想郷を彷徨う以外なかった。

 

「それにしても、外では何が起きているのか……いけないわ。これはただの未練ね」

 

 頭を振って幽々子は続けるのを止めたが、愛国者でもある彼女が自国に起った危機を憂うのは当然のことだろう。

 多くが無念の内に亡くなったということは、外では何か大勢が死に至るような、地震に戦争、何らかの事態が起こったに違いないのだ。悼ましいその事実に、のほほんとして見える幽々子とて思うところがないわけでもなかった。

 しかし、それが既に袂を分かった外の世界のことであるからには、関わる資格も術もなく。だからまあ、六十年に一度起きるこの大量の死に対しては深く入らずに、幻想郷の住人らしくはるばる来たった霊を受け入れることにした。

 地へと向かう幽霊達の殆どに下されるだろう無情な裁きの行方を知りながら、しかし残酷にも幽々子は笑って手を振り見送る。そう、彼女は冷然として彼らの断罪を望む。

 

「幽々子様ー。人魂灯を持ってきました!」

「あら、妖夢ったら丁度いい頃合いに来てくれたわー。少し経ったら火を点けるから、そうしたら私が幻想郷に還した幽霊達を、もう冥界に行かないように出来るだけ一箇所に集めておいてねー」

 

 幽々子が黙って眼下の波打つ幾多の尾びれを望んでいると、幽明結界の隙間から馴染みの少女が現れた。

 二刀を帯びて鉄色の髪をたなびかせながら幽々子に寄っていく少女は魂魄妖夢。彼女は真昼に行灯を片手に宙を行く。

 幽々子が人魂灯とやらを持ってきた妖夢を大いに歓迎した理由。それは、その灯には全体では能力でも操りきれない量の幽霊を、一定の範囲に限れども灯りに向けて集める力があるからだ。

 そして、また妖夢は半霊を持つ、幽霊の一。誰彼の能力に頼らずとも、彼女なら人と同じく同種集う幽霊の性質を用いて先導したりコミュニケートしたりすることすら可能だった。

 そんな道具と半人半霊が一緒に働けば、きっと、幻想郷中に溢れた幽霊を一つどころに留めておくことが出来るだろう。幽々子は目論見の成就を確信し、扇を口元に持っていく。

 

「分かりました……集めさせるのは無名の丘辺りが相応しいでしょうか。行ってきますね。幽々子様は、この後はどうなさいますか?」

「今日はもう、十分に働いたもの。もう手隙の私は、ちょっとお花と遊んでくるわー」

「はぁ、そうですか。まあ、こうして見ると幻想郷の花も一様に咲いているみたいですし、じっくり見て回るだけで面白いのかもしれませんね」

 

 一人納得した妖夢はそれでは、と無数の色で煩すぎる地へと降りていく。あっという間に小さくなったその姿を見届けてから、幽々子は口を開いた。

 

「妖夢の言う通り、花見もいいわね。でも、ただ愛でるというだけでは勿体無いわ」

 

 手折るのもまた、花の楽しみの一つ。そう続けて幽々子は確かに笑んだ。

 

 

 

「いやあ、ここ以外はどこもかしこも騒がしくて仕方ないね。人里も山も、今回の異変で大わらわだ」

 

 霧雨邸の屋根の上。それなりに傾斜のある不安定な場所に靄は萃まり、やがて小さな妖怪の体を成す。

 現れたのは大妖怪、鬼。足元の建物に住処を移したことを知られて久しい伊吹萃香は、寝室にて寝息を立て始めた魔梨沙の邪魔にならないように、小ぶりの声で独りごちる。

 お祭り事が大好きな性分である萃香は、多種多様に花見を楽しめ人が何事かと動きまわる今回の異変を、きざはしから喜び楽しんでいた一人だ。

 目新しくはないが、再生すら思わせる賑わい振りは、古い妖怪であるからこそ面白く思えるものかもしれない。天狗たちの動きがあまり活発でないことは萃香には不思議にすら感じられる。

 勿論、長生きな萃香は定期的に同様の事が起こるのだということを直に紫から聞くことで知っていた。だが、事細かに思い出せる前回と比べても、どこか新鮮味を覚えるのはどうしてか。

 

「うん? そういや、前とはちょっと違うかな」

 

 妖怪にとって、百年くらいは長いものではない。しかし、六十年というのは特別な忘却の時間。誰もかもが過去の記憶を不確かにしていく中で、しかし彼女は上手く纏まらない筈の記憶を【萃め】て覚えていた。

 だから、些細な違いに気づいて驚くことが可能なのだ。そして大きな差異は、数多天に流れていた。

 

「そうだ。幽霊が多過ぎる」

 

 グビリと紫色の瓢箪をあおってから、萃香は空に答えを見つける。そう、たとえ三途の死神が彼岸へ渡すのをサボっていたりして溢れた霊によって辺り全体が開花しているにしては、空を薄青く埋める魂はあまりにも多すぎた。

 丁度六十年前の今日に自身が紫に質問をしたその内容を、萃香は記憶を萃めて凝らして思い出す。

 まず、どうしてこんなに四季折々の花が咲くような事態になったのかという質問をした。その答えは確か、結界を越えてやってきた外の世界の無縁の幽霊が死んだと思いたくないから自分に合った花に憑依して咲かしたため、だったと萃香は思う。

 どうしてそれが花なのか、幽霊が入り込むなんて結界は大丈夫なのか、等と疑問に思うがまあそのことも六十年前に一度尋ねて答えに納得した覚えはあるために再び誰かに訊く気にはなれない。

 しかし、そんな多くの回答を知れた過去の記憶をひっくり返しても、どうして周期的に起こる異変であるはずなのに、今回は霊の数が飛び抜けているのかは解らなかった。

 今回は余程人死が多かったのか、結界の緩みが大きいのか、或いは、と考えを巡らしながら萃香は能力を発揮する。

 菊を一輪その手に萃めて、その香りを楽しんでから、萃香は目を凝らし、そこに在るはずのものが無いことを発見した。そして、辺りを見回してから全ての花に無いことを確認する。

 

「どの花にも霊が宿っていないね。花はただ四季関係なく咲いただけだ。何かの能力で……っていうことは今回の異変はあの花の妖怪の仕業かなぁ」

「貴女もその結論に至りましたか!」

「ん? あんたは確か射命丸、だったっけ?」

「はい。清く正しい射命丸文です」

「どこから聞いていたのか、全く、天狗は耳が早いもんだね」

 

 風が一つ。萃香にはさして大きく感じられなかったそれに乗って知覚外から瞬間移動の如くの速さで現れたのは、鴉天狗のジャーナリスト射命丸文である。

 宴会で一度酒を交わした程度の仲の相手の突然の訪問を萃香は面倒臭がる。しかし、あからさまなそんな様子も睡眠中の魔梨沙のことも全く気にしないで、文は大きめな声で会話を続けた。

 

「先から風に聞いていました。流石は鬼の四天王といったところでしょうか。私以外の天狗の殆どはこの真実に気付いていませんよ。検証力が足りないというか、はたまた記憶力の低下を嘆くべきか……」

「あんたらほど気付き易い位置にいるのは他に無いのにね。他の天狗どもは物の整理が苦手なのか、或いは過去の資料を振り返るのを面倒臭がる物臭ばかりなのか。まあ、きっと変化に鈍感なだけだろうけど」

「そうですねー。今回と前回の異変の違いなんて、写真を見比べれば一目瞭然なのに、検証する者の少ないこと。嘆かわしいことです」

「ま、私だって能力が無ければ気付かないままさ。しかし……」

 

 文と適当な話をしながら、萃香は幽香の姿を思い浮かべる。最後に会ったのは随分と昔とはいえ抜群に強かった、その力を想起して口元を獰猛に歪めながら。

 そんな鬼の気を惹かせる程の大妖怪が、こんな自然現象と紛らわしい異変を起こした理由はなんだろうと萃香は思った。

 

「そんな違いが分かる方を、彼女は求めているのでしょうね」

「そうだねえ……」

 

 きっと異変の度に暴れるような小物が目的ではないだろう。狙いは、前回の異変に生まれていなかった人妖か、もしくは六十年前との違いを覚えていられる大妖怪か。

 魔梨沙に霊夢を除けば後者の可能性が高いということは、強者との戦いを好む幽香の性格から想像できた。そして、その範疇に自分がピタリと収まっているということも分かっている。

 異変解決の人間の片割れは今お休み中。なら、その隙間に自分が遊んでも構うまいと萃香は思う。

 

「よしっ、呼ばれているなら、行ってみよう」

「そうですか……いってらっしゃい」

 

 ふわりと浮かび上がって、右左にゆらゆらと揺れながらも萃香は真っ直ぐ飛んで行く。その小さな姿を、ファインダー越しに赤い瞳が見つめている。

 取材のためにと、何時ものように煩くつきまとうことなく、文は萃香を見送った。そう、楽しそうにしている鬼の邪魔をすることなど、とても天狗には出来やしないのである。

 ただパシャリと、文は萃香の勇姿を写真に留めた。

 

 

 

 歪に生えに生えて迷妄を誘う竹林。普段ならば青緑色で占められた迷いの竹林には、今や六十年に一度咲くと言われる珍しき竹の花が惜しげもなく咲き誇って、老竹色に乱れをもたらしている。

 そんな竹の間を驚き飛び跳ねずに、焦り飛び回っている兎は鈴仙・優曇華院・イナバ。

 昔から彼女は迷いの森に鎮座する永遠亭を居にしていたが、最近外の人里等と医を持って交流を持ち始めた亭の代表として働いており、昨日は泊まりで病人の看護に当っていた。

 そのため、人家にて色鮮やかな外の異変に驚かされた鈴仙は里内で聞き取り自分なりに調査をして、結論を持たないまま情報を保持し、安心できる答えを欲して、自宅と言える永遠亭に師匠永琳を求めて急いで帰る途中なのである。

 

「やっぱり、竹の花がこんなに永遠亭の近くまで一様に咲くなんて、ありえない……この辺りはまだ永遠の魔法の影響が残っている筈だから、余程の力が加えられなければ変化なんて起き得ないというのに」

 

 咲くはずのない花が開くという異常は、何処まで向かおうとも鈴仙の瞳の端についてまわる。最初は花が咲く程度など、と心のざわめきを無視していたが、こうも続くとそうも言っていられなくなった。

 大規模な異変、それも永遠は解いたとはいえ、強大な力を持つ元月人二人の影響下にある場まにまで影響を及ぼすほどのものともあれば、その下手人の力は鈴仙の想像のつくものではなくて危機感を覚える。

 そうでなくとも、不在の間に永琳や輝夜の二人に何らかの危害が加えられたために、安定が乱れているということだって考えられた。

 だから、鈴仙は焦って飛行し、頬肘などを竹の葉によって傷つけられながら、痛みも礼儀も無視して挨拶もなしに永遠亭内に突貫するように帰還した。

 

「お師匠様、輝夜様! ご無事ですか?」

「っ、はぁ……」

「お師匠様!」

 

 長暮異変に際して広げられて異界と繋がっていた屋敷内も、今は住みやすい大きさに整えられている。だから、さして大声でなくても住民には届くのであろうが、焦燥を募らせた鈴仙には声量を絞るなんていうことは出来なかった。

 故に、帰宅を予期してわざわざ迎えに来ていた永琳が耳を抑えるはめになるのである。しかし、ペットのおいたなんて一々咎めていられないと、溜息一つ吐いてから歪んだ眉根は正された。

 

「全く。心配しすぎよ、鈴仙。ただいまは?」

「あ、はい。ただいま帰りました」

「おかえりなさい」

 

 永琳は落ち着かせるのが先決と、ゆったりと挨拶を交わす。すると、鈴仙の狂気の瞳にも落ち着きが見えてきた。

 

「す、すみません。どうにも里の人間達の動揺にあてられてしまって……それに、異変が永遠亭付近まで影響していることにまた驚いて……」

「まあ、私達のことを想ってのことだから、小言を口にすることはしない。代わりに私は貴女に助言をあげましょう。そう、この異変は見ての通りに花が咲くばかりのものだから、危険は薄いわ。まず安心して一息つきなさい」

「そう、ですか。……私は影響力の強さ、そればかりに目が行って視野狭窄に陥っていたのかもしれません」

「まあ、臆病な貴女なら、怯えるのも仕方がないとは思うけれど。でも、これくらいの力なら驚くほどのものではないわ」

 

 詠唱もなく永琳が掌に魔法陣のようなものを創ってから、腕を一振り。それだけで周囲の空間から過剰な木気が消え去り、無数の花は枯れ落ちた。

 竹の花が朽ちて土に紛れて消え去るのを認めてから、鈴仙はようやく眼前の存在が自身では計り知れない所に居るということを再確認する。そして、頭を垂れた。

 

「……流石はお師匠様。頼もしい限りです」

「さあ、昨日は働いて今日は気を揉んで、とあれば流石に疲れたでしょう。鈴仙、奥で一休みしなさい……因みにこれは、命令よ」

「はい。分かりました。有難うございます、お師匠様!」

 

 確かに気を取り直したのか、静かに廊下の先へと消える鈴仙。忙しなく兎耳を揺らすその姿を見送ってから、永琳は安心しきった彼女の笑顔を思い、再び辺りを見回す。

 

「鈴仙には、ああ言ったけれど、確かにこの木行を操る力は度を越しているところがあるわね……」

 

 そうして、永琳が見上げるは花を落とした竹が、再び花を付け始める様子。未だに能力に縛られている若竹は、無理に枯らそうとも際限なく花を咲かせるようだ。その異様には、さしもの永琳ですらも驚きを隠せないものがある。

 これだけ強力に生物を縛り、更には鈴仙の様子から最低でも人里までは射程に容れているほど広範囲な能力。

 想像するに、恐らくこの能力の持ち主は花に縁を持った存在であるのだろうが、だとしてもあり得ないと首を振りたくなるくらいに強力でもあるだろう。

 

「魔梨沙が口にしていた花の妖怪、風見幽香。好戦的というのと異界の主という情報だけでは少し不安ね……」

 

 幻想郷に花が満ちるのは、三精、四季、五行をかけたものと同数である六十年に一度に起きる自然現象に酷似している。だが、そうではないとは霊に溢れすぎた空を見上げれば一目瞭然。

 しかし、それが六十年という特別な期間によって普通は忘れ去られてしまうのだ。だからこのように幽香が能力によって自然を歪めているのは、些細な違いですら記憶できる一定以上の実力者を釣ろうとしているためではないか、とまで永琳は察知している。

 勿論、自分が獲物の一つであることまで察しているが、そんなことはどうでも良かった。そう、【あの夜】から変わったが故に、一つの心配が胸を過ぎってしまうのである。

 

「魔梨沙でも、本当に大丈夫かしら」

 

 不死不滅の存在である自分なんて、どうでもいい。しかし、ただの人でありながら異変解決を楽しむ友人のことは心配だ。何しろアレは、喜んで危険に飛び込む悪癖があるのだから。

 そも、親しんでからこの方、永琳は魔梨沙を気に病んでばかりいた。前世の記憶から考案したという無茶苦茶なトレーニングに、自らを顧みない無私のような働き。

 常日頃から無理を続け、死に親しみ続けている魔梨沙の生活を聞き、永琳は久方ぶりに頭を押さえて、苦言をこれでもかと呈した。

 それでも一向に無理はしないと頷かない魔梨沙に、永琳は呆れるばかり。仕方なく引いて、指先一つでも残せていれば生き返らせてあげられるからちゃんと帰ってきなさいよ、とは言ったが、彼女がどこまでその言葉を大事にしているかは分からない。

 正直なところ、永琳はずっと不安だ。だって、目に付く所に無理やり縛り付けたり、蓬莱の薬をこっそり投与したりしたくなってしまうくらいには、魔梨沙を気に入っているのだから。

 

「……割れ物ではないと言われたけれど、それでも失くしたくはないのよ」

 

 遠ざかって久しかった死の恐ろしさ。それを今更感じて、怯える自分は滑稽だとは思うが、永琳は笑わない。

 死を感じることは、地上の民として暮らすための、大きな一歩。そして、それに抗おうとすることすら、自然なことであると分かっている。

 策謀など、無用。無理して上等な頭で考える必要もない。心に聞けばいいのだ。そうすれば簡単に答えは出るのだから。

 一度しか命のない者に任せるよりも、無限にコンティニュー出来る自分が矢面に立てばいい。そう、決断するには、心に根付いた友情が大きく作用している。

 

「先に異界に向ったとすれば、まだ魔梨沙が元凶とぶつかり合うには猶予がある。そうね、今回くらいは、その間に私が異変を解決してあげましょう」

 

 そして、衝動に任せ、すぐに帰るからと永琳は、輝夜に黙ってふらりと家を出た。

 

 

「うふふ。美味しいわね、このお菓子」

「あの……本当に、お師匠様を呼ばないでよろしかったのでしょうか?」

「いいのいいの。どうせ、永琳も勝手にしているんだから」

 

 永琳のそんな思いを知ってか知らずか、輝夜は鈴仙が人里で減らした薬の代わりに多く持ってきていた里人手製の和菓子を二人分頬張って喜ぶ。

 後はイナバ達の分ねと笑う輝夜は、意外と過保護な永琳が、魔梨沙のために動くであろうことを知っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「信じられないわね……」

「現実は何時だって貴女の目の前に広がっているわよ。ほら、再確認したらどう?」

「私にはその目が疑わしいとすら思えるわ」

 

 メイドと妖怪の二者が空を飛び、弾幕を幽霊だらけの空に散らばらせているのは、太陽の畑。その名の由来とされる、太陽を象徴する植物向日葵が春の陽射しの中で咲き誇っている。

 そんな黄色い絨毯を眼下に置いた宙にてメイド、十六夜咲夜は大いに困惑していた。それは、妖怪、それも極めつけの大妖怪風見幽香に自分の弾幕が全く通用しないがために。

 今も間断なく投じられた青い柄のナイフ群が、あまりにゆったりとした動きで回避される。それは、魔梨沙という回避力の極限の存在を見知っていても、驚きを隠せない程のものだ。

 何しろ、ナイフは上下左右に散らばらせており、かつ大量である。その上、近くで異変に暴れる妖精達が弾幕を放ち、幽霊が回避路を塞いで邪魔さえしていた。

 いかに避けるのが上手であろうとも、普通は辺りを注視しつつ動きを都度変えながら挑まなければいけない筈なのだ。

 

「貴女の目は確かじゃないかしら。うふふ……確かに瑕のない綺麗な青色よ」

「くっ!」

 

 しかし、ただ一輪の幽香という花は美麗な様態のまま不変。咲夜の瞳を覗き込める程に近づき、そして攻撃すらせずに離れていく。

 咲夜が苛立ちに任せて張った弾幕なんて、僅かな身動ぎによって明後日の方へと飛んで行くようにすら映った。

 ナイフの直線は、幽香の曲線と衝突することがない。ひらりひらりと、全てを避ける。

 その様は正しく花鳥風月。怒濤の攻撃の中で唯一の美しき自然体。

 

「魔梨沙とは全く違う避け方……けれどもきっと同じ位階の回避力」

「ふぅん……魔梨沙、ね」

 

 それは、線で縫って弾の美しさを楽しむような動きではない。僅かにそよぎながら届かぬ力全てを無為に帰す、そんな動作。

 しかし、その最低限の回避の何と恐ろしいことか。影響及ばぬ全ての弾幕は切って捨てられているがために、何もかもが届かないのではと錯覚させられる。それが続けば錯覚は確信へと徐々に変化していく。

 相手が手を抜き、弾幕を発してすらいないという事態すら、そんな胸中の変化を助長していた。明確な力の差は、恐れすら生み出す。それに必死に抵抗するためにナイフを投じながら、無力を感じ続けることで鈍っていく様はさぞ愉快に映るだろう。

 そして、幽香は変わらずに、ずっと酷薄に笑んでいた。

 

「そういえば魔梨沙が言っていたわね。時を止めることの出来るメイドさんが居るって」

「全く魔梨沙ったら口が軽い。個人情報が筒抜けじゃない」

「あの子ったら、嫌に私を信用しているのよね。まあ、それはいいわ」

 

 しかし、ここにて俯き幽香は笑みを消す。そして、今度向けるは無表情。美しい、その顔が常のように喜色に歪んでいないということが、どうしてだか咲夜には非常に恐ろしいと思えた。

 

 

「なら、やっぱり貴女は時間を操る【程度】の能力を持っているだけの只の人間でしかないのね。ちょっとおかしなメイド風情に歯向かわれるだなんて、私も随分と、舐められたもの」

「っ!」

 

 

 幽香のほんの少しの苛立ちが、多量の妖気とともに溢れ、咲夜の胸を鷲掴みにする。僅かに発せられた怒気の奥底に感ぜられたのは、純粋で圧倒的な、力。

 それが最強であるとういう自負。実践にて磨かれすぎたプライド。それらが、遊戯のルール内でのあるとはいえ多少特異な人間なんかで届くものと勘違いされたことで、怒りとともに顕になった。

 

「魔梨沙に負けたことで、皆に勘違いをさせてしまったのかしら。一敗したところで、私は幻想郷最強よ?」

 

 そう、最強であるのならば、土が付こうがどう枷を付けられようとも最強なのだ。それを、知っているのは幽香本人ばかりなのが不満といえばそうである。

 さて、周囲がそれほど無知であるのならば、ここで魅せつけるのも一興かと、幽香は思った。今回起こした異変は、台頭してきた強者を楽しむためのものであったが、奇妙な弱者を踏みにじることで力を示す結果に繋がってもまあ悪く無いだろう。

 別に、雑魚が戯れてきても構わない。ただ、届くかもしれないと無遠慮にもベタベタと触れられるのは、幽香にとっても我慢ならないことであったのだ。

 

「貴女程度の相手なら、わざわざ弾幕を創るまでもない。私の花を操る【程度】の能力で十分に対処出来る」

「勝手に見誤っていなさい。貴女が言うところの時間を操る【程度】の能力。その真価、魅せつけてあげるわ!」

 

 ふらりふらりと避けに避けたその終着点。太陽の畑の端も端。雑草ばかりで向日葵一輪咲いていない不毛の地にて、僅かに浮かびながら幽香と咲夜は相対す。

 セミロングな緑と銀の長髪は、交わした言葉の終わりに静と動に分かたれる。動いたのは、咲夜。それをただ受け止めているのは、幽香だった。

 

「時符「プライベートヴィジョン」!」

 

 止まった時の中にて、咲夜は四方八方を動いて回る。相手の周囲に巡らすは、赤い柄をした銀のナイフ。本来それは二重に囲んで広がり難しい回避を促すスペルカードであるが、その程度で幽香に当てることなど無理であることは自明。

 ならば、数を増やして欺瞞しよう。それだけでなく、三重に五重に、そうして更には色を足して尚美しく。

 咲かすは、赤青が入り混じった銀の花。その未来像は、咲夜が時を動かすまで彼女のものである。

 咲夜が自身を立脚させている、この【程度】と言われた能力。それを十全に発揮することが出来るならば、不可能弾幕なんてきっと簡単に出来てしまうことだろう。

 しかし、一応の回避路は創っていた。もっともそれを通るには、一目散に逃げることを選ばなければならない。そんな無様を、果たして幽香は許せるだろうか。

 

 咲夜は唾を一つ飲み込む。そして、時は動き出す。

 

「あら。これは確かに避けられないわね。私も力を使いましょう」

「えっ」

 

 辺りの無理を認めた幽香が手を振るなり、キン、という音が当たりに響いた。それは、雑草から急成長した花が下からナイフを突き上げた音である。

 大量の目眩ましのものではなく当てるための本命、要所に配置されたナイフの全てが能力によって何もない筈のところから咲いた花によって散らされた。

 

 もう後は、避けずともいい。ただ、花を咲かせ、その場に居るだけで、幽香は咲夜の渾身の弾幕を打ち破った。

 

 もし、これがナイフでなく、妖弾、霊弾のように、特殊な力の篭められたものであれば生える花など逆に弾かれて終わっただろう。

 しかし、現実は無情であった。それが能力以外の特別を持っていない、人間の限界であるといえばそうである。

 が、それ以前に草木が銀のナイフを逆に刈り取った、そんな事態はここ幻想郷では中々起こり得ることではない。パチュリーに才能はなけれども対する場合にと魔法などの属性の相性を教わっている咲夜の衝撃は如何ほどか。

 

「木行、それも花程度で金行の銀のナイフに打ち克つ、ですって……」

「金剋木。しかし、五行の不利も、私には関係がない。そもそも、貴女では力が足りなさ過ぎるわ」

 

 幽香は、相手の圧倒的な有利をすら、覆す程の力を持つ。それは明らかだ。しかし、見せた力は、全体の一端でしかない。それだけで、弱者を寄せ付けないほど、その力を利かすことも出来るという事実。

 もし、仮に幽香が本気の力を十分に活かしたらどうなるか。きっと、スペルカードルールの上でも遊戯にすら成り得ないだろう。

 だから、十分に手加減して遊ばれたのだ。咲夜は久方ぶりに、自分の無謀を悟る。

 

「……そもそも相手になっていなかったのね。私の負けだわ」

 

 幽香は笑って、月見草を手折った。

 

 

 

 幽霊のせいで薄曇りな空の下、しかし透けてくる陽光を浴び、向日葵達は輝いていた。

 地に足をつけ大いに咲き誇る全てを満足気に望みながら、風見幽香は日傘を一回しして、微笑む。

 もう、先ほどのお遊びも去っていったメイドの姿も、記憶に残ってすらいない。自分の力で歪に咲いたものとはいえ、美しい花々を愛でることに、既に意識は向かっていた。

 全てに親しみが湧き、気はそこに寄りかかる。だから、なのだろう。近くに来るまでその魅力的な力を見逃していたのは。

 ふと、見上げて望んだのは、紅白の巫女姿。偉そうに腰に手をあてふんぞり返っているその少女は噂を見聞きし、知っていたが、初めて出会う。

 思わぬ、しかし望んだ邂逅。だから、口の端を持ち上げ、幽香は黙しながらも大いに歓迎した。

 

「あんたが、風見幽香ね」

 

 此度は、霧雨魔梨沙よりも先に、博麗霊夢が異変の元凶に辿り着いた。

 

 

 

 

 




 ちょっと、魔梨沙はお休みです。


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第三十九話

 

 

 

 博麗霊夢は自分の持つ能力のことをよく、空を飛ぶ能力ね、と口にしている。それは何処までも正しい事実であるが、それだけでなく、彼女は博麗の巫女としての能力も確りと修めていた。

 空を飛んで陰陽玉を操り、御札と針を持ってして弾幕戦を行う。脇が甘いところを最期まで気にしていたが、それでも先代巫女が皆伝を認めるくらいには、霊夢は達者な存在である。

 弾幕ごっこでは後塵を拝しているが、古式に則った妖怪退治の腕では魔法に拘る魔梨沙を上回っているのに違いなく、人里でも異変解決はともかく、難しい妖怪関係の事件があったら霊夢にお鉢が回ってくることも多々あった。

 しかし、そんな中でも霊夢には決して回されることのない仕事がある。それは、風見幽香に関する諸々。そこには、幽香に対する里人の畏怖と、一度異変にて彼女を退治したという魔梨沙の判断に所以があった。

 

「あの妖怪、ちょっと強すぎるわー。あたしは相性が良かったからいいけれど、霊夢だったら下手をしたら再起不能にされてたと思うの。それこそ、【歴代の巫女】の一部みたいに。霊夢はまだ、手出し厳禁ということにしておいてねー」

 

 そんな言葉があったのか無かったのかは、里のお偉いさん方しか知りようがない。だが、現実に、主に幽香が持つ最強という称号を気に入らない小人共に絡まれることでしばしば起きる問題において、その解決をするのは魔梨沙の役目となっていた。

 それは、スペルカードルールが浸透しきった今であっても、変わることはない。だから、霊夢は風見幽香という存在を伝聞でしか知らず。

 こうして、霊夢が幽香の前に立つことが出来たのは、その無知に依っていたのかもしれない。

 

 

 

 風一つ。それによって一様に頭を傾げさせる春に咲いた夏の花を認めながら、幽香は空から降りてきた霊夢を見た。

 まず、赤白際立つその衣服が目を引いたが、力篭められた巫女と同色の陰陽玉を八つも使役しているところ等はそれ以上で、幽香にとってすら驚きのものである。

 

「あら。その二色をそんなに沢山使えるというのは凄いわ。聞いていた以上に、貴女は博麗の巫女としての完成度が高いみたいね」

「ふん。これくらい、私にとっては片手間よ。そんなことより、今回の花が溢れている異変、あんたのせいなんでしょ? 風見幽香は魔梨沙から花を咲かせる妖怪だと聞いているし……そうでなくても、何となくあんたが犯人のような気がするわ」

「シャーマンとしての本能も高く備えている、と。これは少し楽しみね」

 

 なるほどと、日傘を遊ばせながら喜びを見せる幽香に、霊夢は強者の匂いを嗅ぎ取って眉をひそめた。

 霊夢は魔梨沙に対抗心があるために、異変を早く解決することに関してやる気を見せるが、しかしその内容が険しくあることまでは望んでいない。

 根っから霊夢は面倒くさがりだ。楽して実を取る方策を好んでいて、魔梨沙のように困難を楽しむような気は更々なかった。もっとも、自分が制定したスペルカードルールに基づいた弾幕ごっこが嫌いなわけではない。

 まあ、より弾幕ごっこを楽しめる相手だと思えばいいかと、霊夢は無理に考えることにした。

 

「反応から、間違いないと思うけれど、一応言質を取るわ。風見幽香、あんたが今回の異変の犯人でいいのね?」

「ええ、そうよ。博麗の巫女」

「むっ、私は博麗霊夢よ。あんたを地にひれ伏させる名前なんだから、覚えておきなさい!」

「魔梨沙の話は聞き流していたから覚えていなかったけれど、今代の巫女は霊夢、というのね。そういえば、先代は何と言ったかしら? 避けられていた節があるから、分からないわ」

「いいから、ちゃんと私を見なさいよ!」

 

 相手のマイペース振りに苛立ち、思わず霊夢はその手に持っていた御札を投じる。目に止まらぬ、といった程ではないがかなりの速度で向かった赤い一枚は、しかし音も立てずに動いた幽香を掠めることすら出来なかった。

 予備動作の確認どころか殆どこちらを望んでいなかったというのに、この回避力。面倒くさい相手だと、霊夢は内心げんなりしながら宙に浮く。

 追うように幽香も飛んで、向日葵畑の空にて二人。青空にて、結構赤い二人は大いに目立った。

 外の世界の幽霊たちは、空を飛ぶ存在が物珍しいのかまとわり付くように周囲で蠢く。異変にあてられた妖精達も、目標物が見つかったからか、妖弾を投じて来たりした。

 しかし、そんな雑魚達相手には慌てず騒がず。二人は互いだけ見て、最小限の動作で自分に向けられた攻撃などを避けていく。

 相手のその達者な様に、お互いに少しばかり驚きを見せる。そして、幽香は嬉しそうに笑み、霊夢は嫌そうに眉をひそめた。

 

「メイドと違い、見ずとも全体を望めている……益々楽しみね。ひょっとしたら、私もスペルカードを使う機会があるかもしれないわ」

「後で言い訳されても困るから、忠告しておくわ。変にスペルカードを大事にしていると、抱え落ちするわよ?」

「そうなったら、ただ弱かったというだけのことよ。私は強いから、そんなことはあり得ないのだけれど」

「私が言うのもどうかと思わないでもないけれど、魔梨沙に負けてる癖して、随分と自信があるのね」

「あの子ったら本当に口が軽いのね。もしかして、私に勝てたことがよっぽど嬉しかったのかしら?」

「知らないわ。ただ、一番強かった相手、と聞けばあんたの名前が出てくるのよ」

 

 霊夢は、声に不満げな色を載せている。それは、口にした魔梨沙の表情を思い起こしたためか。ひょっとすると、姉貴分の一番に、自分がいないがための不機嫌なのかもしれない。

 難しい弾幕、工夫されたスペルカード。縦横無尽に飛び回る魔梨沙が味わった多種多様を天秤にかけることは出来ない。それに、弾幕の創造力だけでごっこ遊びの腕が決まるわけでもなかった。

 だから、順位付けするとするならば、回避力も含めたそのバランス。そして、その全てが飛び抜けていた相手がいたら、迷わず推すのが当然のことだろう。

 そう、風見幽香こそ、最強と。

 

「あの子も分かってはいるのね。そう――私は魔梨沙の最強。霊夢、貴女程度で私に届くと思って?」

 

 実は、幽香は別に自身を誇示することが趣味ではない。ならば今こうして片目を瞑りながら最強と嘯くのは何故か。

 それは幽香の内にある大妖怪の水準を軽々と超えた力が、作用している。その全ては、明らかに逸して知らず彼女を頂点に誘って他を下に見せる。

 そう、ただ幽香は事実を語るのが苦ではないだけなのだった。

 

「全く。どいつもこいつも私を差し置いて、順位付けして。いいわ。ちょっと本気を出してあげる」

 

 しかし、そんな言葉を霊夢は認められない。魔梨沙の一番は私だと、発奮する。二枚のスペルカードを取り出して披露し、そうして本格的に御札を投じ、弾幕ごっこを開始させた。

 静かに笑って応じる幽香の手は空である。そして、そのまま彼女は宙に花束を創って渡す。白い花冠に黄色い管状花。

 白い花が二つでひと束。それを連続して放つのが、幽香の基本的な弾幕のようだ。花びらの一枚一枚までもを美麗に創り上げられた数々。避けるに容易い直線的に狙ってくるそれらに篭められた力を覗いた霊夢は、瞠目する。

 

「なによ、それ……一発でも当たれば怪我しちゃうじゃない。重ねられた力が過剰だわ」

「ふふ。ならばこのくらい、当たらなければいいのではなくて? ひょっとしたら、自信がないのかしら」

「上等。この程度の弾幕に負けるようなら、博麗の巫女失格よ」

 

 そして、霊夢は幽香の挑発にまんまと乗っかり、橋渡すように真っ直ぐ白で埋められた最短距離を避けて、迂回しながら紅の御札を相手に投げつけていく。

 大量の赤と白は、寸でで横に避ける目標から僅かに外れて、青空に斜線を描いた。避けながら二人は右周りに回って行き、やがて先に相手が居た位置にまで着いてから、一斉にその動作を変えていく。

 花は急激に増えて放射状に散っていき、花束を突き出されたかのように霊夢の逃げ場を狭める。御札は相手に自動追尾する種類のものが混じり、幽香の近くで次々と爆音を響かせた。

 

「いいわね。ちゃんと裂かれた空を恐れず飛べている。流石は魔梨沙自慢の妹分ね」

「効いていない……というよりも、当たってない? どうなっているのよ……」

「こう見えて、私は曲芸も得意なのよ」

 

 しかし、そんな騒がしい空にて互いは傷つかない。大いに妖精は墜ちていくが、それに目もくれず、幽香と霊夢は相手の飛行を見つめる。

 ゆっくりと、そしてひらひらと。舞っているかの如くの美しき回避は二人似ているものがあった。だがしかし、その実全く種類の異なるものであると、霊夢は認める。

 爆風の中、散るように飛ぶ幽香に垣間見えるのは、余裕。それは、力を込めて弾の間に出来た空を飛んでいる霊夢とは違う。

 美しくあるように飛んでいるだろう幽香の所作には無駄がある。けれども絶対に命中する筈の弾が彼女にダメージを与えることはない。それが、霊夢には不思議にすら思えた。

 

 霊夢が使役する御札のバリエーション、追尾するタイプのものは霊夢が相手目掛けて遠隔で動かしている訳ではない。命令された通りに力に向かって自動に行くものだ。

 それが身に迫ることは避けられない。だから、本来ならば何らかの障壁で受け止めるのが基本的な対処。魔梨沙のように、力の隆起を計ることで炸裂を事前に察知してその瞬間だけ身体を離すという方法など、普通は採れるものではない。

 しかし、風見幽香は平然とそれを成す。そこには、力に対して敏な部分が透けて見えて、益々霊夢の眉根は険しくなった。

 何しろ、そのような相手には、ろくに勝った覚えがないのだから。

 

「困ったわ。全然違うけれど、どこか魔梨沙と似てるわね、あんた」

「……そうね。認めたくはないけれど、その指摘は正しいのかもしれない。あの子を見ていると、昔を思い出して、少し苛々してしまうことがあるのよね」

「そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど……まあいいわ。いくわよ、霊符「博麗幻影」!」

 

 思わぬ独白を受けて霊夢は鼻白むが、しかし効果がない攻撃などもう止めだと、手始めに一枚スペルカードを提示した。

 まず生み出されたのは、霊力によって創り出された霊夢の幻影。それがお祓い棒を振り上げた時に、激しい弾幕は始まる。

 都合二人分の霊夢によって張られた赤い御札の群れは、僅かな隙間しか残さないまま二箇所から三重に広がり周囲を埋め尽くしていく。お目出度い色合いに包まれながらも、それに包まれた途端に起きるのは、厄日のような忙しさ。

 二つの放射が重なり交差を多分に作るがために、隙間探しの難易度は非常に高い。だがそこは幽香、難なく道を見つけて慌てずそこを通う。

 もっとも、抜けられることは霊夢も読んでいたのだろう。丁度二人の彼女がそこに向けて放った弾があった。それらは、一時青空を円状に広がった白き御札の群れ。数多の白は十分に広がってから、二頭の蛇と化して幽香に向かう。

 

「あらあら。これは中々大変ね」

「っ、やっぱりここまでは避けるか……でも、そのくらいは織り込み済みよ! これで、どう?」

 

 まあ幽香が、蛇程度に驚くこともなく。過多なほどにその身を巡る妖気がグレイズの音を奏でるのを聞きながら、隙間を探すその目鋭く、しかし微笑んで彼女は高難度を楽しむ。

 そんな笑みに苛立つ一人の霊夢が直接向けたのは連なる赤粒弾。そして、もう一人の霊夢が放ったのは白粒と赤粒が弧を描いて広がり所定の位置で交わる弾幕。

 更には霊夢の周りにあった八つの陰陽玉が力を篭められたことによって大きさを増し、大玉弾としてランダムに宙を転がっていった。

 紅白が入り混じった空は、まるで慶事の宇宙。複雑に発せられた二色は、先読みを拒絶して、瞳に煩く主張し近くの隙間を忘れさせる。

 

「ふふふ。これは、本気で避けないといけないわね」

「くっ!」

 

 まるで弾幕が月光に狂わされているかのように、入り混じりその行方を不明にさせた、凄まじき難易度。これは、下手をしたら避ける事に失敗するだろう。

 僅か、体が緊張するのを感じる。しかし、だからこそ幽香は笑うのだった。

 それは、必死に弾幕を張る霊夢をあざ笑い、そしてなにより自身の弱さを笑い飛ばすため。魔梨沙の狂笑とは異なるものである。しかし、その笑みはまた霊夢の琴線に触れた。

 

 もう、霊夢の弾幕は幽香の身に迫り、掠めた後に辺りで散華している。決して、勝つのは不可能ではない。打倒できる相手だ。

 幽香の創る花弁など、二重の弾の渦中に掻き消されて届きもしない。圧し続ければ、或いは。それを信じられないのは、激しくうねる胸中の波に拠っていた。

 耐えられなくなり、霊夢は手を下ろしてから、幻影を消す。途端、届くようになった白い花を避けながら、ポツリと彼女は呟いた。

 

「これじゃ、駄目ね……」

「とても楽しい弾幕だったのに、どうして止めてしまったの?」

「このままじゃ勝てないと感じたからよ。無駄だと、思ってしまったの。だったら、次を試す方がいいでしょう?」

「そう。ふふ……先に自分の中の幻影に負けては駄目よ?」

「分かっているわよ!」

 

 霊夢はつい、怒りを顕にする。それは、内心見透かされた事実を察し、しかし恥ずかしさからそれを否定したいがために。

 相手に姉貴分の姿を見つけて、そして勝気を失ってしまったというのは、どうにも正しい事とは思えない。それでも、微笑みに無理を覚えてしまったら、気が萎えてしまうもの。

 絶対強者の幻影が重なった時、心の底で負けを認めてしまった自分が情けないと、霊夢は思った。

 

「なら、もう絶対に負けない自信があるスペルカードで勝負すればいい! これでお終いよ「夢想天生」!」

 

 そして霊夢は目を見開いたままに、その場にあって全てから遠ざかる。他人から見れば、それはまるで彼女が急に薄くなったかのよう。

 霊夢は、この時点であらゆるものから遠ざかり、あらゆるものから影響を受けることはない。魔梨沙に使った以前のものより遥かに向上したその業に、幽香は思わず瞠目する。

 

「あらあら霊夢、貴女ったら本当に面白いわね……」

 

 それは奥義、極みに類するもの。過去、博麗の巫女に飽きるほどちょっかいをかけていた幽香ですら、ここまで美しく発展させた大元の業をも知らない。

 それもそのはず、無敵の状態を維持するのは、神であっても難しいもの。人であっては言わずもがな。戦闘で使うには、その難易度はあまりに高すぎた。

 しかし、霊夢は全てに距離を取りながらも、陰陽玉を操り弾幕を現出させている。またその弾幕の美しき事。幽香も思わず惚れ込んでしまう程には、向かってくる御札の蛇の紫色をした交差は綺麗である。

 遠くなった霊夢の周りを巡る、変色した陰陽玉の白黒赤紫の四色もまた、見事なグラデーションとなって魅せていた。

 

 試しに幽香は花を贈る。しかし、それは届かず彼方にて散っていった。それも当然のことだろう。

 魔梨沙と霊夢は非常に近しい。だが幽香からしたら、今日見知ったばかりの霊夢は遠すぎる。間を空けられた今、最早目の前にあっても見失ってしまう程の距離が出来ていた。

 今回霊夢は境界によって隔てた訳ではなく、ただ無限に距離を取ったばかり。それによって完成するは他と関わることのない無敵。本来ならば、届かない相手を倒すことなど出来ようもない。

 だが、虚ろとはいえ姿を望めるのならば、大体の方位は分かる。無限の道を踏破するも、一歩から。接触したいならば、そこに向かって真っ直ぐ進めばいい。そう、攻略方法はただ一つ。

 

「貴女の完璧な業に対するは、スペルカードに記すにも憚られる、未だ不完全な光線。しかしこれだけで、貴女を墜としてあげる」

 

 無敵を敵に回すのは、最強の役目。天が相手ならば届くまで手を伸ばせ。そして、幽香は空の手の中に力を篭める。掌の中では幻想郷中の妖怪達のものを集めても敵わないであろう妖力に魔力が混じり合い、更にそれらすら呑み込む力が注がれていく。

 やがて、発光し極大すら超えるまでに膨れ上がった力は霊夢以外の辺りの全てを震え上がらせてから、合図もなく放たれた。

 

 調節された光は真っ直ぐ進む。この世になき目標に対しても、直線的に。これは弾幕ごっこ。人を殺めてしまうほどの力は篭められない。でも、力なくして無敵は倒せるのか。それは否、である。

 無限の概念すら打ちのめすくらいの力が要った。その上での不殺さずこそ美しい。果たしてそれを成すだけの力の発露など可能なのだろうか。そんなこと、たとえ地に堕ちた月の賢者であっても無理であるだろう。

 だが、風見幽香はこの世で最も力に長じている。ならば、決してそれも不可能事ではないのだろう。

 幽香は深く笑む。夢幻の力よ今ここに。幻想郷で唯一枯れない花は、無敵を打倒するという幻想を現実化する。

 

「――ぐうっ!」

 

 そう、極光すら醜く見えるほどの眩さを操り、ただ刹那、幽香は霊夢を焼き墜とした。

 奇しくも、それは魔梨沙と同じように。しかし、此度において、霊夢は助け上げられることもなく見逃される。

 一瞬で大分煤けた霊夢は真っ直ぐ墜ちて、向日葵達の間にて弾み、そうして気を失った。

 

「中々楽しい時間だったわ。でも、恋しく思うほどではない。まだまだ満足には程遠いわね」

 

 汚れ一つない日傘を閉じ、幽香は何処からか飛んできた多種の花びらを額に乗っけて伸びている霊夢に顔を向けながら独白する。

 気絶しているものに向ける言葉などなく。だから、続けたそれは現況を語っただけであるのだろうか。

 

「異変解決に励んだ博麗の巫女は倒れ――未だ、私の異変は終わらない」

 

 乱れた服を正しながら、幽香は呟く。その際に歪んだ表情は酷く美しい笑み。

 周りには向日葵以外に見惚れるものなくともその表情が止む事はない。

 それはまた一つ自分の下に向かってくる気配に極上のものを感じた、それだけの理由ではないのだろう。

 

「さあ、魔梨沙、貴女は私をどう墜とすのかしら?」

 

 誰知らず、少しの間だけ変わった幽香の表情は、まるで恋する乙女のようだった。

 

 

 

 

 



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第四十話

 

 

 

 花が開いて薫り飛ばせば、人に霊だけではなく、虫達も大わらわに飛び回るもの。彼らはぶんぶんと、自分達を上回る数の多色に目を奪われながら花弁の間を行ったり来たりして蜜を頂く。

 そして、その身にどっしりと様々な花粉を纏った状態で、一輪から飛び立とうとした一匹は、しかし羽を動かすこと叶わずその場で五分の魂を失わせた。

 そんな哀れな蜂の死を上から覗き込んで重々受けとりながら、しかし笑みを崩さずに低空にて浮かんでいる少女が一人。彼女の周囲には、空を青く埋めている幽霊たちよりも幾分温度の低い幽霊がまとわり付いている。

 普通の人ならば、肌寒くて身動き一つ取れないはず。しかし、低温の中で生き生きと、少女は死した魂魄のみで出来たその身を翻し、一つ舞い踊る。幽雅に宙でステップを踏む彼女の所作の後には、幻想的な桜色の蝶が生まれて広がっていった。

 

「ふふ。少し能力のタガが外れてしまったみたいね。久しぶりに鬼退治と洒落込んだものだから、ついつい気持ちが昂ぶってしまったみたい」

「やれ、随分とおっかない亡霊だねぇ。拳骨ひとつくれるために、死んでしまうなんて、割に合わないにも程がある。こりゃ遠距離戦が一番だ」

「そこまで強く死を操ってはいなかったから、蟲より重い魂ならそっちに引っ張られることはないわ。それに、これからはちゃんと戒めるから安心よー」

「そうかい、本当にあんたが能力を開放しないというのなら安心だ。イマイチ信用出来ないが。もっとも、もしもが怖かったら鬼なんてやっちゃいられないが……けれども、流石に馬鹿正直にその弾幕の中に突っ込んでくほど無謀にはなれないね」

「あら残念」

 

 弾幕として調整され誘うことなき死蝶の舞う空にて、しかし力あるその弾幕美に覆われてはたまるまいと、双角の少女は隙間を探って行ったり来たり。

 亡霊の少女、西行寺幽々子が扇子を広げて舞う度に広がる桜色と赤色の二色の蝶々は動きこそ直線的であるが、あまりに多量だ。また全景春色に染めて尚余りあるその羽ばたきは、鬼の少女、伊吹萃香ですらも難儀する揺らぎを備えていた。

 確かに道はあって、通れるだろう。しかし、それは蝶の羽によってあまりに不定に塞がれてしまうのだ。魔梨沙でもなければ、幽香でもない萃香にただでその迷路は縫えず、仕方なく彼女は己が力でその美に対抗することにした。

 

「幽霊に死蝶に鬼火。何とも縁起の悪いので溢れた空になったもんだ」

「その中で鬼火だけは仲間外れね。だってこれだけ、とっても熱いわー」

 

 萃香は掌中にて高熱を帯びる程に集めた力を投げ、それを空の適当な場所にて散じさせる。途端、柊黐の実のように数多く宙に結実するは、鬼火による赤い炎状弾幕。

 一定の距離にて弾けるそれは、幽々子の冷めた弾幕を、炎熱を持ってして食んで路上に穴を開けた。顕になった隙間、それを埋めんと幽々子も頑張るが、しかし鬼の力で起こされた炎に対抗するには余程の無理が必要なもの。

 美しさに重きを置いている幽々子には力任せを上手に調理することは出来ずに接近を許し、そしてその身に僅かに鬼火を掠めたことで劣勢を認めた。

 これは危ないと、幽々子は一枚のスペルカードを示す。

 

「目的が小鬼じゃないから本当はこの一枚は切りたくはなかったのだけれど、これでもないと貴女は打倒できないでしょうから仕方ないわねー。……いくわ、「死蝶浮月」」

「うおうっ」

 

 萃香が驚くのも無理のないこと。幽々子がスペルカードを仕舞ったと同時に扇から舞い起こさせたのは、辺りを覆わんばかりの大量の蝶。死を想起するほどの霊力で創られたソレは、黄、緑、青の三色毎に分かれて円状に彼女の周囲を隙間なく巡る。

 まず、攻撃の隙すらない色の煩いその様体から萃香は離れて様子を見た。そして、それは正解である。突貫していたらどうなっていたか。それは、墜ちていく辺りの妖精たちが教えてくれた。

 五つの色とりどりな彼女たちを射程に収め、ダメージを与えたのは、幽々子が背後にて舞台を整えるがために広げた扇面の如き美麗な的と時を同じくして展開した、全方位に向けたレーザー光線。

 太めのそれを萃香は容易く避けるが、青きその光条の夥しき数この上なく。そのために左右の動きを封じられた彼女に向けて、更に弾幕が展開されていく。

 

「これは、拙いね」

 

 萃香の口は、獰猛に歪んだ。それは、勢い良く散華する蝶々に、追随してくる大玉弾幕を目の前にして、大きな危機を覚えたからだ。

 青い大玉弾幕は、等間隔で周囲に広がっていく邪魔なものであったが、まだ慌てる程ではない。問題は、大玉と光線によって狭められた空間の中で回避を促す、向かい来る蝶の量と速さである。

 量は加減など一切されていないと思えるもの。速さも、音より遅けれども、目に留まらない程でなかろうとも、萃香が回避可能な限界に近い。

 一度目は半ば偶然に助けられながらも避けられた。しかし、これは同じ展開を何度も繰り返す弾幕に違いない。こんなもの、魔梨沙でもなければただ避けるのは無理じゃないかと、萃香は懐からスペルカードを取り出し、対抗するように宣言をした。

 

「やれ、これは私も本気をぶつけるしかないか。いくぞー、地獄「煉獄吐息」!」

 

 弾幕の合間に、ふぅっと萃香が周囲に息を吹きかけると、そこから火炎が現れた。それはただの鬼火ではない。周囲がぼやけるほどの、恐るべき熱量を持つその焔は、赤どころではなく青色に燃え広がる。

 同色の丸い炎弾を多数孕みながら、青い炎は周囲をなめていく。火は、レーザーを焼き殺すことは出来ないし、大玉も相殺仕切れないが、それでも数多の蝶々を燃やすことに成功する。

 萃香の狙いとしてはおまけとして、続き左右に交差をしながら展開して向かう炎弾が幽々子を焼く、そのはずだった。

 

「な、当たらない?」

「うふふ。今日の私はちょっと本気よー」

 

 しかし、燃え盛る炎熱の中で、幽々子は変わらず舞い踊っている。壮麗な扇の的を背にして、しかし背後のそれが穴だらけになろうとも彼女は一向に弾幕を受けずに宙にあり続けた。

 幽雅を表すに、舞踊が容易いのは知っての通り。そして、宙にて美しくあることこそ、弾幕ごっこでの勝利の秘訣。

 近く行われたプリズムリバー三姉妹のライブの会場で、同じファンとして仲良くした魔梨沙から教わった、回避の方法。それを見事に昇華して、幽々子は宙の熱い隙間で陽炎のように揺らぐ。

 辺り構わず吐き出される鬼の吐息などに、当たってたまるものかと珍しく意気を示した幽々子は、従える蝶が萃香に力失わせるまで取り付き、爆散するまでの様を見届けた。

 

「くっ、やられたー」

「うふふ、鬼退治、成功ねー」

 

 残念そうに墜ちる萃香と対象的に、幽々子は、久しぶりの勝ちを喜ぶ。その身に纏う着物には僅かな乱れも傷もなく、今回の大勝には余裕があったと見て取れる。

 菜の花の黄色に呑み込まれた鬼を見届けて、幽々子は戯れに外の世界の幽霊の一人を可愛がってから、口の中で感慨を転がす。

 

「パートナーと踊るみたいに弾幕と適切な距離を取るようにすればいい、っていう魔梨沙の助言は大当たりね。やっぱり分からなかったら人に聞いてみるものだわー」

 

 その程度の助言で上達してしまうということは、自身に余程の適正があったというのに気付かず、幽々子は魔梨沙が居そうな方向に向かって適当に感謝をする。

 そうしてから、次に意識を遠くから響く音に変えて、煩い方角を向く。するとその先には、先程まで幽々子達が張っていたものよりも尚密で難易度が高いだろう弾幕が美麗に展開されていた。

 

「うふふ。あっちでも盛り上がっているみたいだし、今日はちょっとしたお祭り騒ぎねー」

 

 必死に相手を打倒しようとしている弾幕の主とそこに対峙しているものを想像し、幽々子は一笑。

 しかし、そっちが自分の目的の方に合致しなければ、興味はそこまで。散華の音色を後ろにして、幽々子は太陽の畑へと向かう。ふわふわとその周囲を漂う幽霊たちを外の世界のものまでついでに引き連れて、彼女は幽香の下へと向かい。

 そして、幽々子と霊達のせいで引き起こされた結構な寒さに、向日葵を愛でていた幽香は、眉をひそめることになる。

 

 

 

 

 

 

「あら、こんにちは」

「こんにちは」

 

 それは互いに意外な邂逅。二対の蒼眼は見定めあって、ぱちくりと瞬く。

 魔梨沙を想って空を行き、異変解決へと赴いていた八意永琳がばったりと遭遇したのは、左右不揃いな緑髪以外にも特徴的な部分が多々ある偉そうな少女。

 彼女は意匠として紅白のリボンを巡らせ紺の役人らしき衣服で身を包んで、おまけとばかりに悔悟の棒までその手に持っていた。知恵者八意永琳でなくとも、幻想郷に居るのならばその少女が何者かは分かるだろう。

 

「貴女がこの辺りの閻魔様なのかしら?」

「ええ、そうです。私は四季映姫・ヤマザナドゥ。罪深き、月の賢者。まさか今日この時貴女と出会うとは思いませんでした」

「私も貴女のことは考えの内に入っていなかったわ」

 

 永琳は内心で溜息をつく。閻魔は持つ鏡、浄玻璃の鏡によって過去の行い全てを照らすという。幻想郷の閻魔は公明正大との話であるが、それは罪人たる自分達を決して許しはしないであろうということでもある。

 正直な所、永琳とて出会いたい相手ではなかった。竹林に引きこもっていたとはいえ、一度も面識がなかったことは、その証左。

 迷いの竹林などその能力で楽に踏破出来る映姫が、会いたく(説教したく)とも会えなかったのは、永琳が死神など地獄のもの避けを施していたからだった。

 だが、こうして出会ったからには仕方がない。相手をせざるを得ないだろう。永琳は、少し違う位相に在る映姫を見つめる。

 

「それで、四季映姫、貴女がしたいのはお説教かしら? それとも弾幕ごっこ?」

「……輪廻することも解脱することも永劫なく、哀れにも現世をさまよい続ける魂。それは肥大化しすぎた知恵の齎した悲劇でしょうか。その手の穢れすら容れて、生を成すという業の深さ。不老不死とは、本来机上の空論であるべきでした」

 

 永琳の言葉を無視し、至極残念そうにして、映姫は独演会を始めた。

 その勝手と否定の内容に思わず、永琳の表情に険が生まれる。しかし、それは映姫が続けた理解の言葉によって、解けた。

 そう、四季映姫は、蓬莱の薬による永遠のからくりまでも判っている。それはその上での、一言だった。

 

「肉体精神合一し確立したアートマン。本来私が否定するべき存在ですが、しかし確かに貴女は目の前に存在する」

 

 我としてあるアートマンに対して、釈迦は五蘊を持ち出しアナートマン、無我こそ正しいと説いている。しかし、八意永琳に無常はなく。故に、彼女の強固なアートマンを仏教の閻魔天である四季映姫・ヤマザナドゥですら否定することは出来なかった。

 しかし、無理なブラフマン(原理)からの脱却が正しいことでないということは、映姫には理解できる。それを分かっていながら呑み込んでいるのが眼前の相手。彼女は黒として、上から永琳を望んだ。

 

「間違っていないというだけの満点。それが正しくないということを知っていながら、貴女はその知恵で自分を欺瞞し続け、きっと永遠を生きることが出来るのでしょう。摂理を頭脳で捻じ曲げ続けて。そう、貴女は少し敏すぎる」

「……耳が痛いわね」

 

 百点満点の回答の裏の悪。それを理解しつつも、他の選択肢を見ながら楽を選択するような度量が永琳にはある。

 不老不死は間違い。そんなこと、永琳は考えるまでもなく分かっている。しかし、知恵の赴くままに行った。欲するばかりではなく、静止しようとする心も当時はあったが、彼女はそれを黙らしたのだ。

 それ以外にも永琳は現在の幸せのために、多々愚かを理解しながら行っている。誰に言われずとも、彼女は自分が罪人であるのは違いないと認めていた。

 

 だから、永琳は永遠を呑み込んでいても、少なからず生きるのが辛いのである。それを、映姫は鏡を覗くまでもなく見通す。

 

「裁かれずして、清算されぬ罪などない。彼岸に来ることは無くとも、こうして私と出会えたのですから、少しであっても貴女は裁かれるべきでしょう。転生なくても不朽の生を良くするために、貴女は断罪されなくてはならない」

「確かに、そうするべきなのでしょうね。しかし、それは後回し。私には今やるべきことがある。罪の重さに潰されている暇などない!」

 

 しかし、痛みなど慣れたもの。むしろ、それを普段から和らげてくれている友人のためにと、永琳は発奮する。

 それだけで、花散る世界は一気に光舞う世界に変貌した。赤青二色で構成される弾幕の中に、映姫は閉じ込められる。

 また両手を開いた永琳から溢れる力は無双のもの。普通ならば、それだけで屈しそうになるものであるが、どこ吹く風と、閻魔は力づくなど一向に気にしない。

 ただ映姫は硬い表情で、永琳の意気を跳ね除け、啖呵を切った。

 

「悔悟なき者の善行ほど、的を外すものはありません。大事を明日に忘れて今を生きることの愚かしさを貴女は知っている筈です。さあ、私に出会った運命を受け入れ、反省するといい!」

 

 そして、永琳と映姫はぶつかる。共に幻想郷でも最上位の存在。しかし、その力の差は大きく。

 それでも、弾幕の中で四季映姫は曲がらず折れない。

 

 

 

「ふぅ……貴女の力は極東、東方においては最強に値するものですね」

 

 服はボロボロ、汗を流し疲労で息を荒げながら、映姫は永琳の魔力とも霊力ともとれない力をそう評価した。

 ただの力量だけでも、映姫の知る限りにおいて比類ない。それを非常に工夫して永琳は行うのだ。なるほど、これでは霧雨魔梨沙以外にろくに負けたことがないはずだと、映姫は納得する。

 だが、力の差が諦める理由にはならないものだ。幾枚かのスペルカードを踏破しつつも、相手に一撃たりとて食らわせることが出来なかった無力感を淡々と処理しながら、彼女は一枚のスペルカードを大事にしている。

 

「四季映姫、貴女はお硬い割に随分と遊戯に精通しているみたいね」

 

 そんな映姫の上手さに目を見張り、しかし永琳はそれを不思議にも思う。

 どう考えても、映姫が弾幕ごっこで遊んだことは一度や二度ではない。確かに、傷つけずに相手を熨す方法として、スペルカードルールの下行われる弾幕ごっこは優れている。とはいえ、本来なら彼女の得意な舌戦で叩きのめすばかりでも別に良いはずだ。

 傷など素知らぬ位置に居る上に立場から、映姫が敵対者に要らぬ加減をするような性質ではないというのはよく分かる。そんな彼女が弾幕ごっこを気に入っている理由は、何か。

 

「これでも私は弾幕ごっこ(幻想郷)を愛していますから」

「……そう」

 

 永琳の疑念を裏付けるように、映姫は楽しそうに笑う。やはりこうして戦っているのは、倒すだけが目的ではかった。

 地獄の最高裁判長、映姫も少女である。白黒分けた世界の中で、色づくものもあるだろう。愛するものだって当然あって、それを受け入れることは、好むところだったのだ。

 

 映姫は弾幕ごっこに幻想郷を見ている。いや、それがこの世界の中心となっていることを見抜いているのだ。故に、愛さざるを得ない。

 何せ、この仕組みなくして自分は存在しないのであるから。勿論、それだけでなく、弾幕の美しさを喜んでいる部分もある。特に難易度上がると見目にも素晴らしく。その中により長く居られることなど、望むところだった。

 スペルカードに示されたものでも何でもない、水色に黄緑色のカプセルの交差に苦しめられ、避けた先にある青黒い粒弾に傷つけられながらも、それでも映姫は楽しみを持って全てと対峙している。

 

「ただ弾幕を展開するだけでは無理そうね……次にいくわ。秘薬「仙香玉兎」」

 

 その様に魔梨沙との類似を見つけながらも、あくまで映姫とは他人であるとして、永琳は淡々とスペルカードを切った。しかし、その内心には動揺がある。

 意外な思い。それが、永琳の指揮の手を僅かに鈍らせていた。世界を多数の黄色いレーザー光線で区分し閉じ込めた中で回避を強制させるという、永琳の得意な制限型スペル。映姫にはそこに僅かに重ならぬ隙間が見て取れた。

 これが罠でないとしたら明らかな勝機だ。そして、このチャンスが白黒で分けるならば白に繋がるであろうことは白黒はっきりつける能力を持つ映姫には理解できた。

 

「今ですね! 私もいきます。審判「ラストジャッジメント」!」

 

 レーザーの線と線の間。映姫が這入ることで目一杯なその隙間にて彼女は自分の力が相手の力とせめぎ合って奏でる音を聞く。

 危うい道を通りながら、久方ぶりの間違いを正すために永琳が送った緑色をした大玉弾幕を前にしても、焦らず騒がず、ここで初めて映姫はスペルカードを提示する。

 それからの展開を望んで、思わず永琳は呟かざるを得なかった。

 

「……考えたわね」

 

 溢れた花弁弾と悔悟の棒を模した弾幕に包まれ、スペルカードの展開から直ぐに映姫の姿は掻き消えた。辺りは相殺の光眩しく、確かに予測するには難い状況。

 勿論、永琳のよく利く頭脳に依れば、次の一手の判断は楽である。上手にも大玉弾幕の影にでも隠れているのか、或いは逆手を取ってその場に留まり機を狙っているのか。

 無数の防御に回避の策その全てを少しの間保留にしてから、永琳は全体への対処の方法を見つけようとした。そう、間断さえ許されれば驚き一つなく、彼女は映姫を処理できるはずだった。

 

「いいえ、もう何も考え工夫しませんよ。だからこそ、今回は私が白を頂きます」

「なっ」

 

 最速の考えよりも、決断後の無慮の方が結論出すのに尚早い。そう、優れたものの可能性を先に探る永琳の癖を逆手に取って、隙を伺う最中に考えていた、最も愚かであり得ないと考えられる下策を映姫は躊躇なく行ったのだった。

 それは、力で優る永琳相手への力押し。左右に三本ずつ赤青の光条を溢れさせながら、真っ直ぐに映姫は全力を飛ばす。辺りは一瞬、紫色の閃光で染まった。

 発揮するにつれ魔梨沙のマスタースパークを想起させる程太くなった力あるその光線は、しかし盾のように永琳を守る緑の大玉を貫通しきれない。バチバチと届かぬ力溢れさせ、光は縮んでいく。

 それは予想出来たこと。映姫にですら、判っていた事態である。

 

 力づくでは四季映姫・ヤマザナドゥは八意永琳には勝てず、勿論頭脳でも優れない。それを知り、尚勝とうとするのは本来無謀である。

 だが、映姫には心理戦という土俵が残されていた。誰より心に触れてきた閻魔である彼女は、機微の判断に予測が誰よりも得意なのである。

 そう、もう映姫は充分自分を魅せつけられた。驚きによって、永琳の目はもう他へと届かない。それが、これまでで一番の隙。そう、狙い外れて過ぎ去った筈の模型弾の行方など、彼女の頭には無かったのだった。

 

「やはり力が足りな……くっ!」

 

 だから、用意する間もなく、永琳はその身に弾幕を受けざるを得ない。赤く弱い一弾は、しかし永琳の防御を驚きに揺らがす。

 そう、永琳はまさか閻魔が永琳の背後に揺らぐ一匹の幽霊を狙ってスペルカードを展開し、攻撃されると弾幕を返してくる幽霊のその性質を利用して、隙を作ろうとしていたとは思えなかったのだ。

 勿論、レーザーは届かぬこと織り込み済みのフェイク。考えなしに、早撃ちし力を篭められたのは、そのため。そして、動揺を期待していたが故に、映姫が次の行動に移るのは早い。

 

「偽物ですが、悔悟の棒の痛みを味わいなさい!」

「っくぅ!」

 

 弾幕の合間を縫って、永琳の直ぐ前に現れた映姫は、模型弾幕をこれでもかと言わんばかりに眼前で展開した。避けることは不可能。防御も、時既に遅かった。

 だから、永琳は負ける。私が白で貴女が黒、といわんばかりの見下げる視線を受けながら、彼女は口惜しそうに墜ちて、気を失う。

 

「ふぅ……今までにない難敵でした。流石は八意思兼命の弾幕。休憩時に遊んでいた小町や是非曲直の皆を相手した時の白熱すら霞んでしまいますね」

 

 服も随分と傷んでしまいましたと、証の殆どが取れたボロを纏っている自分の姿を映姫は裾を引っ張って確かめた。

 露出好きではない映姫は早く着替えたいと思うが、それでも此度の異変の全容確認という目的の重要度を思えば、恥は捨てて動かざるをえない。

 

「それでは……っと、これはひょっとして……」

 

 だから、残念ながら腕で肌を隠してこのまま空を行こうと思っていたその時。大きな力が自分に近寄ってきたことを感じ取り、映姫は恐らく再び往くことの邪魔となるであろうその相手の方を嫌々向く。

 薄々、その者の正体に感づきながら見てみれば、それはやっぱり彼女だった。何度か弾幕ごっこで対戦し、負かされ続けている、少女の姿がその目の青に映る。

 

「ええと。永琳が倒れていてそして……あら、映姫様じゃない! 永琳との弾幕ごっこは楽しかった?」

 

 そう、流星のように颯爽と現れたのは、箒にまたがり赤髪棚引かせる紫の魔女。ニコニコとしたその微笑みには邪悪なものを感じないが、タイミングが悪すぎた。

 小さな溜息を吐くのを禁じ得ない。とんでもない強者の後に続いてまたとびきりの強者。まるで誰かが映姫への嫌がらせのために二人を送ったかのようだ。

 思わず誰かの悪意すら幻視し、でも能力によって誰も彼も白であることはよく分かってしまって、思わず映姫は自分の愚かさを笑う。

 

「ふふ。ええ、とても楽しいものでしたよ……ただ、とても疲れるものでもありましたが」

「永琳ったら、とっても強いからねー。映姫様もよく勝てたと思うわ。あたしも手合わせ願いたくなっちゃう」

「正直な所、連戦は勘弁願いたいものですが、相手が魔梨沙、貴女であるなら別でしょう」

「そう?」

 

 帽子を取ってから左右に小首を傾げる魔梨沙を、今度こそ映姫は小憎たらしく思う。説教をその度忘れられて、もう何度目になるだろうか。

 自分を大事にしろという言葉を、一向に魔梨沙は遵守しない。そのくせ鳥頭でもないだろうに、幾ら叱った所で毎度毎度会えば逃げるどころか挨拶しに寄って来る。不思議な事だ。

 そう、説教煩い自分を学ばずに、毎回人懐こい笑顔で近寄ってくる魔梨沙を、これっぽっちも映姫は理解できない。暖簾に腕押し、どうにも自分の無力さを感じさせてくる相手であって、映姫は苦手意識を覚えざるを得なかった。

 とはいえ、こんな自分を好きでいてくれる魔梨沙を、嫌いは出来ない。見捨てる気なんて、更々なく。だからこそ、今回こそ駄目なところを直してもらうために、映姫は本気を出そうと思う。

 

「そうです。私は今日こそ貴女を正しましょう。貴女の得意とする弾幕ごっこで勝ち、一度くらいは人の話をちゃんと聞いてもらいます!」

 

 恐らく魔梨沙はまともに人の話を聞いていないのだと、映姫は考えている。それは、閻魔の自分でなくとも業腹なことだと彼女は思う。

 弾幕ごっこでの勝ちの目は薄い。それに既に舌戦ですら苦労してしまうだろうくらいに、随分と損耗している。だからといって、想って繰る言葉を相手に届かせようとすることを映姫が止めることはない。

 一度弾幕ごっこ常勝というアイデンティティを奪ってあげれば、今度こそ表情硬くし自分をまともに見つめてくれるだろうか。

 そう考えながら、映姫は擦り傷だらけのその身を誇らしげに逸して、白黒で言えば真っ黒くろけな魔梨沙を鋭く睨んだ。

 

 

 

 



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第四十一話

 随分と遅くなってしまいました……申し訳ありません。


 

 

 魂魄集えば、その霊気は冷気を周囲に及ぼし凍えさせる。花吹雪は、その名前のまま鮮やかにも寒く。そんな、あまりに冷たい春の空は、一条の光線にて解けて温まる。

 辺りは包まれ、余裕はあっとう間に消されていく。いたずらにそれが振り回されないのは、幽かな微笑みを甚振るためか。

 力の塊である太き、光。魔梨沙の本気の一閃すら、あまりに矮小であると言わんばかりのその威力は、しかし風見幽香の表面フレアでしかない。

 熱を孕んだ眩き薄青は、怒涛となって数多の命を一回休みにしていく。その直ぐ隣の数多の光熱感じる場にて、掠っただけで身体に酷くダメージを与えられた西行寺幽々子は思わず零した。

 

「あらあら……これは強力ねー。貴女ったら、ひょっとして私を殺してしまうつもりだった?」

「そんなつまらないことはしないわ」

「なら、どうしてこんなに……きゃあ!」

 

 疑問が解ける前に、幽々子の姿は花色に溶ける。美麗ながらも高威力の散華を身近に受けた彼女は、思わず表情に険を浮かべた。それを見て、幽香は笑う。

 そう、艶やかな幽霊の無様を面白がり、意地悪な妖怪は不規則な弾を持って弄ぶ。難易度は最高でなくとも、注意をしなければいけないその弾幕に入ってしまっては、さしもの幽々子も余裕を失う。会話も漫ろになってしまうのは、幽香がそれを望んでいるため。

 当たり前が覚束ないことこそ、大人の恥。それを楽しむ自分が子供のようであるということすら楽しんで、幽香は己の嗜虐心を慰める。

 冷気に霊気は、生花の敵。幽香はそれを引き連れて来た相手を満足に歓迎してあげない。お迎えを望んだ訳ではないのだと、大きく咲き誇る。

 

「死に近いものを滅ぼしたところで、つまらない。けれども、滅亡から逃げようとする本能は利用してあげる。さあ、はしたなく惑うのよ」

「着物の裾が……やったわねー」

「彼岸に逃げ込む隙も貴女にはあげないわ。私にたっぷりと弄ばれて恨めしく思いなさい、不埒の亡霊」

「ふふ。たとえ負かされたところで私の余裕は奪えない。死と親しみ続けた絶望に遊ぶ境地を知りなさい、繁栄の妖怪」

 

 これは、対象。互いが誇るのは、生者の理の両端。暖色に寒色が入り交じって点が彩る曲線美を空に表す。

 花に蝶。幽玄を広げるにこの上ない組み合わせは、しかし激しく対しあった。

 両者は、認め合ってはいる。だが、共にあることばかりはあってはいけないことと理解していた。だから、疾く相手を墜とそうと発奮する。

 薫る全てを、手を広げて抱きしめて傲慢にも幽香は笑った。強者の余裕をじっとり見つめて、幽々子も口元を隠す。

 掠りの音色は激しく、青空に、生と死が混じり合う。

 

 

 

 

 

 

 春の風光を下に置いて、四季映姫・ヤマザナドゥと霧雨魔梨沙は向かい合っていた。

 花々は、その最盛で固定されている。惹かれるほどの力はないが、しかし尽く美しい全てを見下げて喜びながら、魔梨沙は肩で息をしている映姫に向けて口を開く。

 

「そういえば、映姫様って、その昔はお地蔵様だったって聞いたわ。でも同じ出自というのに、成美とは力が大違い。閻魔様ともなると凄いのねー」

「ふぅ、お話をして私に体力の回復の暇を与えるつもりですね……いいでしょう。そうですね。私は彼女と違って魔道に向かず仏道にて成就したもの。仏法より自ずと、大きな役割を与えられたのです。隙間にて力を広げるばかりのものより強力になりがちなのは当然でしょう」

「正道と邪道の違いかー。あたしと霊夢みたいな関係かしらね?」

「貴女達の場合は、少し違いますね」

 

 身だしなみを気にしながら、映姫は親しげな様子の魔梨沙に向かい合う。一息毎に、違う位相にある彼女の身は回復し力が漲っていく。罪を一刀両断するに、必要となるのは果たしてどれほどか。

 その上限をわくわくと期待しながら、魔梨沙は小さな裁判長を見つめる。自然、映姫の少しうんざりとした表情も彼女の目に入った。

 

「貴女達は、白と黒の関係ではありません。適正に役割へと向かったのです。法をその魔にて歪める貴女と、飛ぶが故に境界を知る博麗の巫女。互いが別の道を進むのは自然なことでした」

「あたしが魔道を進んだことは間違っていなかったっていうこと?」

「そうですね……そもそもが間違っていたのですから、そうなってしまったのも当然の帰結だったのでしょう」

 

 魔道。仏道どころか常道からも大きく外れた、無色を己の力として世界と対するそんな茨道を魔梨沙は進んでいる。白黒な服に身を包んでいなくとも、明らかにそこで汚れた彼女は黒。過ち続ける少女を、閻魔たる四季映姫は非難するべきだろう。

 けれども、真意を受け取り損ねて傷ついた少女を虐めるためにその舌鋒があるわけではない。そもそも、それこそ生まれたことが間違いなのだと再び思い込んで落ち込む魔梨沙を前にして、映姫は目を瞑った。

 そして、思い起こすは、喜怒哀楽少ないままにしかし深い絶望から、硝子のような瞳で自分を見上げて、どうして前のあたしを誰も裁いてくれなかったの、と眼前で涙を零した幼き日の魔梨沙の姿。

 自身の動揺と、相手の幼気さから伝えきれなかったあの日の思いを、映姫はここで理解してもらおうと決意した。

 

「やっぱり、あたしが魔梨沙であることは、間違えていたのかな」

「いいえ。貴女の始まりは不自然でしたが、私は貴女の生まれを決して否定しません」

「え?」

 

 以前と違って悲しみをその面一杯に表わしている魔梨沙を見ながら、映姫は力一杯にそう断言する。それを不思議に思う魔梨沙を眺めながら、個として欲ある自分の不出来を微笑んで彼女は認めた。

 そうして、輪廻転生をどうしてか受けなかった我を持つ魔梨沙を、自分なんかに懐いてくれる稀有な子供を映姫は我が子のように愛する。青い花びらが一つ頬に張り付いて、落ちた。

 

「貴女は我々の裁きからすらも漏れた特異な存在。そして、魂を乗っ取られた哀れな少女でもあります。……両方に、救いの余地はありました。それが叶わなかったことは、法の不備故でしょう。一旦を担う私はそれを悲しむことがあります。しかし、だからこそ、私は魔梨沙、貴女を決して見放すことはない」

「映姫様……」

「違おうとも、人として生まれたのです。それは、祝福されるべきでしょう。幾ら灰をかぶろうと、魔梨沙、貴女が生まれたことは白です」

「ありがとう、映姫様! 大好き!」

「むぎゅ。……有り難いことですが、魔梨沙、私が言いたいことはそれだけではありません。最後まで人の言うことを聞きなさい!」

「はーい!」

 

 きっと、間違っている。自分が黒いことを言ってしまっていることを、映姫は能力を使わずとも判ぜられていた。しかし、それでも抱擁の中で彼女は一切その言葉を後悔しない。

 何故ならこれは、楽園の最高裁判長たるヤマザナドゥではなく、映姫という少女が偉そうに口にした思いというそれだけの言の葉だから。そもそも今は公でなくお忍びの場。少し恥ずかしい本音を口にしたとしても構わないだろう。

 そう、赤い顔をしながら映姫は考えながら、少し離れて魔梨沙のためになるような言葉を更に吐き出していく。

 

「こほん。魔道に進むこと、それは勿論正道ではありません。それでも、力に目を晦ませながらも貴女は人を選んでいる。ならば、幾らでも改悛の余地はあると思っています」

「あたしは、変わらないわー」

「……そうですね。きっと、貴女は誰の言を得ようが歪んだままなのでしょう。けれども、私はそれを決して認めません。貴女を人並みの幸せで満足して貰うまでは」

 

 閻魔、とはいえ好き嫌いがないわけではない。また、映姫は孤独を喜ぶ趣味はなかった。都度忘れるとはいえ説教――思う言葉――を喜び、ましてや自分を好きでいてくれる。そんな相手を果たして嫌いになれるだろうか。

 結論として、四季映姫は、そんな魔梨沙が大好きだった。個としては、是非とも幸せになって欲しいとそう思う。ヤマザナドゥとしてはどうにも柳に風なその様は苦手であるけれども、それでも是非とも変わって欲しいとは思っていた。

 そう、親心のようなものをこっそり隠している映姫は、魔梨沙が説教で幸せになれる程度の存在である小さな人間であって欲しいと考えている。

 

「どこまでも自分を認められないからこそ、力を求め続ける。霧雨魔梨沙という少女は承認欲求の塊、といってもいいでしょう。そう、貴女は少し求め過ぎる」

「求めなくては、つまらないと思うけれど」

「欲界の常とはいえども、いかにも見境ない。他力は貴女以外の人の物。それを、貴女は忘れて始めている。茫洋に受け容れ続けても、貴女は何にもなることは出来ませんよ? それこそ、貴女が求める霧雨マリサには、決して代われない」

「……そう、かな」

 

 それは核心。力を求め続けて、少女は何に成りたかったのか。そんなこと、多くを知り上から見ていれば自ずと判ることだった。

 魔梨沙は代わりをしている自覚がある。偶に這入り込んで、居座ってしまった異物。マリサを騙る何者か。それが、自己評価だった。

 だが、そんなのは嫌なのである。ここ幻想郷の中心にて、魔梨沙は誰にも認めてもらえるものに成りたかったのだ。力無ければまた酷い目に遭わされると急き立てる喉元に従い、実力をもって席を得ようとしていた。

 しかし、もとより存在しないもの代替と化そうとするならば、それこそ無尽に伸びなければならなかったのである。だから、魔梨沙は無理をしていた。

 それは、映姫には認められないくらいに黒いこと。哀れんで、彼女は言葉を贈る。

 

「そもそも、成り代わってしまったのだという自責は途方もない的外れでしょう。この世に霧雨マリサは一人だけ。貴女はそのままでも、霧雨魔梨沙でいいのです」

「映姫様がそう言ってくれるのはとっても嬉しいわ。でも……それでも苦しいの」

「……忌み呪われて縛された、貴女の苦しみを私の言葉で癒すことは出来ないということは、判っています。それでも、私は向かい合います。――そして貴女は、向けられた数多の瞳の色を理解し、自分を愛すると良い!」

 

 転生によって混濁していて、本当の主人公ではなくとも、それでも貴女は居ていいのだと、確信してもらうまで映姫は伝えたい。この愛を向けるのは一人だけ。そう、霧雨魔梨沙だけであると、元地蔵菩薩は贔屓を思う。

 故に、ぶつかるまでのコミュニケーションを取ることを、映姫は躊躇わない。一度押したのだ、もう引くことはないだろう。唐変木は、押し倒すまでしなければ相手の気持ちが解らないものなのだから。私の心を弾にして見事当ててみせよう。

 

「よし、行きますよ!」

 

 そんな風に、情で混濁した心をしかし映姫は力づくで整理した。彼女は、自らの手で両の頬を叩き、赤より高熱な青の瞳を輝かす。そして敵わなくとも、お尻をひっぱたいたくらいのダメージは与えてあげようと意気を燃やした。

 愛する子におしりペンペン。それは一度はやってみたかったシチュエーションである。黒く映姫は微笑んだ。

 

「うう、何だか映姫様が怖い……」

 

 そして、ここで初めて明確に向けられた愛情を恐れた魔梨沙は、弾幕ごっこに及び腰になる。

 しかし、それでも愛は止まらない。笏を握りしめて自分に向かう少女に、魔梨沙はこわごわ相対した。

 

 

 

 四季映姫・ヤマザナドゥは弾幕ごっこの粋を知っている。それは、コミュニケーション。

 スペルカードルールで規制された弾幕ごっこは、心象を交わし合い、そして理解するための言葉代わりの闘争。それを好むのが美しきものを秘め、直接の恥ずかしさを知る女子ばかりであるのは、当然の帰結であったのかも知れない。

 勿論、これは理想の用途。否定のための手段として使われる場合だってある。だが、それでも映姫は信じているのだ。白黒で決まらない、情懐の世界の可能性を。

 

「綺麗で調子も工夫されている……ですが、魔梨沙の弾幕はどこか色の多さに欠けるところがありますね」

「うふふ。あたしったら、色々を生み出すことも出来なくはないのだけれど、好きな色を大事にしてしまうのよねー」

「やはり、そうですか……」

 

 映姫の全力、スペルカードで提示した審判「十王裁判」の弾幕の中で踊りながら魔梨沙はそう答えた。それを、少し彼女は残念に思う。

 全てを気に入ることはない。だが、それでも視野が狭くあって良いことはないのだ。好き以外見向きもしない、そんな魔梨沙の性格は、その形成からして物哀しい。

 十人十色。立ち位置だけでもこれだけ様々であることを示す、映姫の弾幕を笑顔で綺麗と目に入れながらも、少女は変わらない。放射され宙を別ける米粒と中玉弾幕の赤を受け止めることなく、自由自在に魔梨沙は飛び回る。

 

 霧雨魔梨沙は全てを楽しみ、しかし止まることはない。強く、それに過ぎている。ついつい映姫は歪な子供を、そこに垣間見てしまう。

 それでも、抱き留められない。もどかしい思いを湛えながら天駆ける映姫の防御は、紫色の五芒の突端に揺らされる。

 

「きゃ……相変わらず、数は少なくとも随分と一撃が重い、ですね」

「うふふ。あたしは量より質ってやっているの」

「数多の魔梨沙の窮地を、この威力が助けてきたのでしょう。さしずめ廻天之力、といったところでしょうか……」

「どういう意味かしら?」

「簡単に説明すれば、不利すら覆す力のこと、です」

 

 五番の十王たる閻魔を表す後光のように映姫から流れ出る光線に逆らわずに飛びながら、魔梨沙はその四文字熟語に感じ入ってにんまりと笑む。

 力は好きで、それを用いた言葉が自分の標になったのは嬉しい。でも、通常弾幕に込められた幽かばかりでそれを頂くのはいかにも大げさであるようにも思えた。

 だから魔梨沙は、十王裁判の弾幕が終わったその後、深めた笑みと共に、実力の一端を見せつけようとスペルカードを披露する。

 

「いい言葉ねー。でも、流星ひとつで変わるものは大したものではないと思うの。映姫様は、あたしの本当の廻天の力を見てみたい?」

「そうですね……出来れば、比べあってみたいところです」

 

 対する映姫も、カードを持ち上げてから片方だけ口を歪めて笑みを作った。それはしかし、自嘲に近い。

 勿論、判っている。力業を対抗させたところで、幻想郷最強と比肩する相手に自分が勝てるはずもないということなんて。

 だが、それでも映姫は真っ直ぐに向かい合いたかったのだ。勝ち負けなんて、大した問題ではない。そんなことよりも、伝えたいことがあった。

 

 星の先に集まる魔力、そして純に力の光と化した全力の用意を前に、映姫は悔悟の棒を向ける。みしりと重みを伝えるそれを落とすことなく、そうして彼女も力の全てを発揮した。

 

「恋符「マスタースパーク」!」

「行きます……審判「ギルティ・オワ・ノットギルティ」!」

 

 そして衝突するは光に、光。両者の力は美しく輝く。

 前に前に、極光を溢れさせる魔梨沙のスパークに対して、映姫の力は収束不足か周囲に赤青二色を漏らしながらも紫色の光線となって対抗している。

 映姫の光はその小さな身に用意された立場に従った、凄まじい力。紫の光は並大抵の者どころか幻想郷の上澄みの人外ですら吹き飛ばしかねない程のものだった。

 

「きゃはは! 凄い、凄い……けれど、足りないわ!」

 

 だが、相手は霧雨魔梨沙。狂喜する彼女は、火力において最早権能に近いものを持つ。即ち、それは最強の権利の行使に等しい。

 正しく一撃必殺。溢れる光は、どうしようもなく高まって、映姫の光を気安く覆う。そして、全てが呑まれようとしたその時に、少女の身から更に力が溢れ出した。

 

「それは、そうでしょう。そっちが全力と、誰が言いましたか!」

「きゃはっ、凄い!」

 

 そして、四季映姫の魔梨沙よりも純粋な力は、周囲を二色に断っていく。膨大なそれらのせいで、魔梨沙の魔力は届かなくなった。

 黒か白か、ではない。モノトーンに分かれてしまえば、鮮やかに染まれないだろう。それは、いかにもつまらないと、変ずるは赤に青。しかし全てを別けるその二つが大きく丸く次々と、周囲に広がっていく。

 つまり、丸い弾が両端の色に全てを染めていくのだ。罪か無罪か、自分を思えと言わんばかりに。

 

 力を放ち続けることで、魔梨沙の動きは鈍っている。だから、向かい来る大玉弾を気楽に避けるというのは難しい。

 だから、掠めさせる。僅かな防御に薄皮一枚なんて幾らでも持っていけばいいのだ。しかし負けはしない。そんな意地を張りながら、魔梨沙は怒涛を通り越した後珠に囲まれた中で垣間見た映姫の思いを知る。

 

「くっ」

「映姫、様……」

 

 魔梨沙にとって、弾幕ごっこは遊びである。幻想郷のために負けられない、遊戯だ。だから、命なんて軽く賭けてしまう。

 だが、映姫にとっては、違う。弾幕ごっこは、触れ合うための指先の一つ。今までいくら口で伝えようとも無理だったこと。それを今度こそ伝える、それに映姫はそれこそ本気で命を掛けた。

 死力を尽くしている映姫は、存在の象徴すら光と化させ、魔梨沙と向き合う。閻魔の証を取っ払ってしまった中で力みに苦しむ彼女は正に、少女だった。そんな彼女は、目を開き、諭すように言う。

 

「無罪有罪、知ったことではありません。私で良かったら、貴女を幾らでも受け止めます……だから、これ以上頑張らないで……私は心配なのです」

「どうして、映姫様は、あたしにここまで……」

「未だ判らないのですかっ。魔梨沙が好きだからに、決まっているでしょう!」

「わわ」

 

 そして、表現装飾取っ払って、弁舌真っ直ぐに、映姫は好意を伝える。結果、魔梨沙は真っ赤に紅潮して慌てた。

 

「あ」

「あ……」

 

 そして、手元を狂わせてしまった魔梨沙はマスタースパークの角度を少し変えさせてしまう。結果、ものの見事に、振れた力の光は映姫を呑み込むこととなった。

 極光は殺す性質を極力失わせたものであり、大きく相手を損ねることはないが、それでも力使い果たした少女を倒すには十分なもの。

 愛を受け取り損ねて、魔梨沙は落ちていく少女の姿をぽかんと見送る。

 

 

 

「好き……本当に?」

 

 照れ屋さんの少女たちの中で、真っ当にその言葉を送ってくれたのは稚気溢れる者たちばかり。よく考えたら、自分なんて好かれるはずがないのだと思い込んでいた魔梨沙の心は、漣だつ。

 

「あたしは、愛されていいの?」

 

 喉を一筋、なぞる。途端、少女は首元に、締まる幻覚を感じた。

 

 

 

 



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第四十二話

 今回は旧作要素多めです!


 

 

 そのあやかしの魔力は幻想を逸する。広がった白熱は、最早太陽球に届く。立ち昇った力をたちどころに呑み込むに、天空では足りない。

 故に、死蝶ですら、あまりの力に溺れて消え入った。死を帯びてすら消え入らない精密な偽花の群れに溢れた空には、お化けが這入る余地もない。

 そう、強すぎる光線が自然消滅を否定したがために残していった光点を幽々子が避けた際に、弾幕に触れて墜ちてしまったのも、当然の帰結であったのだろう。

 

「うーん……蝶が嫌う華もあるのねー……」

 

 この世が泡のようなものだとしたら、きっと飛散するその瞬間こそが美しい。桜色の少女は、背後に広げた力を散らして墜ちていく。

 それはそれは、綺麗なボロボロ、桜の花の散る趣き。慕い、落下を優しくしてくれる幽霊の渦巻きを含め、それは幽玄を表していた。

 しかし、強靭無比な一輪は、それを一つ笑い、見下げて答える。

 

「ふふ。蝶は造花を花と知れない。故に近づくこともないでしょう。けれどもそれはずっと咲き続ける花である……そう、私のように」

 

 そう、花が最強であるという不自然。それを幻想はあまりに当然のように受け容れる。鬼の角よりも尖った頂点。そこに咲く花こそ、風見幽香。

 少女は、一番の高みから敢えて、下を向く。そして、笑うのだった。

 ああ、無様だと。

 

「高みから見渡す光景は素晴らしい。そう思うのも嘘ではないでしょう。けれどもそれとは別に、見下げる全てを小さく思うのも本当。全く、蟻をよく感じるには潰すしかないのが、つまらないわね」

 

 幽香の位。それは、種族の断崖絶壁すら小粒に思えるほどの高み。遙か下の生き物などに、感じるものすら殆どないくらいに、彼女は違っていた。

 幽香にとって、その他大勢は、小虫に等しい無力。その程度相手に彼女が感じるには、散々に痛めて潰して中身を見るしか、方法はなかった。

 そしてああ、やっぱりこの程度なのだと、あざ笑うのが常である。

 

「はあ。こんなつまらないモノたち、虐めてやるしか、ないじゃない」

 

 風見幽香が味わい続けているのは、最強が故の孤独。並ぶものない究極が温まる術などそうはなかった。

 挨拶、ただ視線が通い合うだけでは隣人を感じるに足りない。酷く痛めつけた結果、強く睨めつけられるくらいでなければ、それがそこに有ることすら実感できない有様である。

 矮小の中で腐らずに生きていくには、そんな努力が要るのだった。

 

 しかし、もしかしたら、他を楽しむための、違う方法もあるのかもしれない。だが、この風見幽香は虐める以外に他と触れ合うやり方を知らなかったのだった。

 虐め、倒し、やがて彼女は遠くを見つめて、止まった。

 

「でも――さて魔梨沙、貴女は違ったわよね?」

 

 そして、花は風を待つ。

 重い頭振り仰ぎ見るに足る、流星が孕む怒涛の嵐を。

 

 

 

 

 

 

 それは、つまらないから世界を乱してみた、ただ何時もより引っかく先を広げた際のこと。その時幽香は悪霊、化け化け達を脅してけしかけ、方方の異世界に迷惑をかけて睨まれることで実感を楽しんでいた。

 千客万来。訪れに訪れるは、八雲紫に神綺にヘカーティア・ラピスラズリ等の異界の持ち主の錚々たる面子。久方ぶりに運動をすることになったその楽しい中、しかしそれも続けば就寝時間は当然のようにやって来る。

 存外酔狂な妖怪であるところの幽香は、睡眠を楽しむ。就寝準備の片手間に神々をあしらってから、光線一条払って静かにさせてからお休みなさい。

 

「ぐう」

 

 やがて、全てを恐々とさせた、そんな少女も夢の中に。ピンクのナイトキャップにネグリジェ姿の彼女は意外なほどに愛らしい。

 誰がどう見ても、隙だらけ。けれども、風見幽香の強さを知るものは、誰一人たりとて彼女の睡眠の邪魔をしようとは思わなかった。仕返しがあまりに恐ろしいから。

 しかし、ある時恐れを知らない人間が唯一人、世界を越えてやって来る。そう、未熟であった頃の霧雨魔梨沙が、異変を解決にと夢幻館へと訪れたのだった。

 散々にチェックな部屋模様を荒らした魔梨沙は、騒々しく幽香の枕元へと降り立つ。そうして、にんまりと微笑んだ。そう、見通せないまでの最強の力に惹かれて。

 

「うふふ。凄いわー。貴女は誰?」

「もう、うるさいなぁ……こんな時間に……」

「こんばんは。いいえ、おはようの方が良かったかしら?」

「おやすみ……」

 

 法外者でもなければ、ここまでたどり着くのに、吸血少女のくるみや死神モドキのエリー等の門番と相対しているのが普通。

 幽香の枕元にまで到れるというのは、相当に難易度の高いもの。故に、幽香は期待を持って目を開いたが、なんだ人間かと再び目を閉ざすこととなった。

 どうにも夢幻世界の妖怪達は、どうにも人の要素が強い。故にこの子供はただ自ら手を汚したくない彼女らに見逃されたのだろうと思い違いをして。

 

「うふふ。眠らないで?」

 

 しかし、霧雨魔梨沙は、見逃してしまえる程の低い存在ではない。彼女は殆なんでもありの異界での戦闘にて光弾を操りここまで押し通った、人間。

 その力の片鱗が、前髪をそよがせる。興味に、幽香の瞳は開く。本気の赤でない寝ぼけ眼の緑ではあるが、この時確かに彼女は魔梨沙を見つめていた。

 

「……で?」

「本当はあたし、出来れば、悪霊をそこら中に寄越すのを止めて欲しいって言いに来たのだけれど……」

「けれど?」

「きゃはは! あたし、貴女の力に恋しちゃった! 貴女を倒して、その力を私のものにしたいの!」

 

 魔理沙の唐突な告白に、幽香は眉をひそめる。最強の力を嫌うのは、経験からよく分かるものだった。だがしかし、それを受け容れ、恋すら覚えるとは。

 あまつさえ、奪いたいとまで言う。情熱的に細められた瞳に湯気が出そうなまでに紅潮した頬。これはどうにも数寄物だ。

 もっとも、ここまで変態なほうが幽香にとって分かりやすくもあったのだが。

 

「ふふ」

 

 要は、自分は今襲われているのだ。ならば、抵抗するべきなのだろう。

 こんなの、どれだけ久しいことか。思わず幽香は微笑んで言った。

 

「人間が生意気ね。長生きしたければ、おとなしくしていた方がいいかと思うわ」

「足掻かないのは死ぬのと同じ。あたしは何時か霧雨マリサになるためにも、力を求めるわ!」

 

 その啖呵に魅力は足りない。末期のものと知らずに幽香の前で思い語られる中でも、変わるために挑むというのはあり来たりとすらいえた。

 だが、そこに篭められた熱意といったらどうだろう。それを手に出来なければ今直ぐに死んでもいいと言わんばかりの必死ぶり。正しくそれこそ生きる人間らしさ。

 燃え盛る瞳に、自分に向けられた恋情に嘘がないと、幽香は知った。だから、ついつい彼女も()()なってしまう。

 

「そう。よく分からないけれど、そんなに行き急ぐのなら……私の前で力尽きて死ぬと良いわ、人間!」

 

 紅い人間に釣られて、幽香の瞳も紅潮する。果たして眠気は何処に行ってしまったのだろう。彼女は限り有る人間程度に、本気になった。

 

 

 

「きゃはははは!」

「甘く見ていたわ……」

 

 最強無比の全力にあおられて、大妖怪程度の力が、木の葉のように、空を舞う。

 互いのスケールの差は、最早太陽光に挑む光の粒一つ。しかし、それが仕留めきれない、潰せない。

 幽香は魔梨沙の回避力に、困惑していた。

 

 幽香が傘を向ける度に、魔梨沙の周囲で力の光が飛散する。その白は人など無限に殺せる威力を持っていて、また白熱していた。

 それが、美しく互い違いに巡るのだ。辛うじて人が光弾を受けずに済んだとしても、とても、その影響までもを避けることなど叶わない。

 命など容易く奪う、妖怪の本気。スペルカードルールに守られてもいない人間など、あっという間に消し炭になるのがオチの筈だった。

 

「きゃはは! どう隙間に入っても力に灼かれるのだったら、()()しかないわね!」

 

 しかし、霧雨魔梨沙はおびただしい白点の広がりの中で、元気に笑う。そう、それは盗み見して学び取った夢想天生の真似事を持ってして。

 流石に、本家本元のように圧倒的な力すべての影響からは脱せない。けれども、予熱くらいからは自由になっていた。

 詰まる所、今現在狂笑する魔梨沙はその周囲の高熱の影響から浮けてはいるが、その実一度でも弾幕に触れることでもあったら死んでしまうのだ。だがそれも翻すと、彼女が数多の光弾を避けさえすれば、生を続けられるということだった。

 弾幕の隙間ポケットに入り、魔梨沙は笑い続ける。

 

「無敵……ではない。あまりにも不安定な回避かしら。そんなもの、何時まで続くのかしら?」

「何時までも! 私が想いを成就させるまで!」

 

 幽香は、恐怖に親しむ不可解な存在を前に、冷静に相手の強みを測った。

 これも当てれば、倒せる。ただそれだけの今までどおりだった。しかし、当たらない。力の点では物足りず、相手を真似て星の形象やひまわりの花弁を仕立ててみたところで、魔梨沙は辛うじて避けることを続ける。

 頬を掠めた、服が抉れた、帽子が飛んだ、箒が折れた。それでも、笑みは止まらない。天翔ける流星は、かき消えることがなかった。

 

「きゃはははは!」

「くっ、その笑い声、耳障りねっ」

 

 ならば、よりランダムに、そして速さを加える。広げた桃色日傘を向けて、そこに流した力を耐えきれずに崩壊しつつ有る住処一帯にばら撒いた。

 傘の円かを利用して、針状弾、粒弾は図柄のようになって広がっていく。それは止まらぬ花びら、飛散する雨粒。発している幽香には見えないその全てが、対象には殊更美しいものに映る。

 だから魔梨沙は、絶望的な物量の前で笑みを深めた。

 

「きゃはは! 綺麗ね!」

 

 そんな美麗の中で、誰が汚く散ってあげるものか。女の子には、意地がある。そう思って、対する魔梨沙の動きは踊りとなった。

 光は魔梨沙に向けるライトアップ。熱の歪みは特殊効果。見つめる者の瞬きですら、カメラのシャッター。

 リズムを曲線で射抜く少女は、果たしてどれだけの心を動かすものだろうか。きっと、その美しさは最強にだって届くのだ。

 

「なんて……無様なの」

 

 風見幽香とて、少女。だから、ただ力尽くでそんなに綺麗を表してくれている彼女を穢そうとしている自分が、一等無粋に感じられてしまうのも仕方のないことだったのだろう。

 それでも、今更止められはしない。生輝かす美麗の前で、醜くも殺傷のための光弾を放ち続けて打ち勝たなければ、最強ではいられない。

 最強でなくなってしまうこと。それこそが幽香にとって一番に嫌なことだった。だから、頭を働かせる。それが自然、パターンを増やして避ける相手を尚輝かせることに繋がることを忘れて。

 

「全てを埋め尽くす光、だと発するまでに効果外に逃げられる。なら、力を太い線にして……」

 

 幽香は思う。これでも、無駄かもしれない。なら、少しでも美しくしよう。

 全ての色を混ぜて極光に。幾ら求めても届かぬ色を創り出す。そうして、折れぬ心を折るのだ。だから、この業に名前がないつまらなさに唾を吐きたくなる心地を覚えながらも、幽香は彼女なりに最強を形作った。

 それは、すべてを無に消す光線。閃光にしては、あまりに眩い太い力の流れだった。

 

「行くわっ!」

 

 思わず出た声に応じて、最強は発される。それは辺りの光を呑み込みながら、強烈な輝く直線と化す。

 纏う粒子ですら、魔梨沙を幾度も殺傷するに足りた。無限を走破するに足る、究極。そんな光を目にして。

 

「ああ、良いわね、それ! きゃはははは!」

 

 魔梨沙は笑った。

 

 †。

 

 その手にその光集める装置は何時の間に握られていたのだろう。あまりに幻想から離れた未来的なそれは、並行世界のテクノロジーの産物。

 それを見たものがフィクションを知るならばきっとこう形容するだろう。

 

 †††。

 

 光線銃と。

 

 ††††††。

 

「使わせてもらうわ、教授!」

 

 岡崎夢美。それは、数多の†を背負った教授と言われる人物。恐らく魔梨沙が持っているその小さな銃は、彼女謹製なのだろう。最強無比に、その最高の知能は勝るのか。

 当然、勝てる筈もない。だが、それでも魔梨沙は貴女をしあわせにしてあげると夢美が渡してくれたこの光線銃を、信じるのだった。

 

 ††††††††††††††††††!

 

「――マスター、スパーク!」

 

 そして、今こそ願いは叶う。魔梨沙が発した光は最強を真似して学んで、そして誰よりも真っ直ぐな彼女の意を汲んで、飛び抜けた。

 

「きゃはははは――――」

 

 閃光。崩壊。

 ぎちりという音。手元で、未知の可能性は壊れていく。それでも、夢美が残した、魔梨沙への愛は、最強に打ち勝った。

 

「つっ!」

 

 そうして、見事に最強を打ち砕かれた、幽香は落ちる、墜ちる、堕ちていく。その目に涙を浮かべ。

 自分には隠しているものが未だ沢山ある。もっと、力は発揮出来たかもしれない。でも、判るのだ。きっと、羽開いて二人と分かれても同じことだったろう。

 足りない。最強に至って、果たして何が足りないというのか。

 

「ああ、なるほどね」

 

 地に打つかる前に、見上げてそうして風見幽香は理解する。

 勝者、霧雨魔梨沙の笑顔によって。

 

「綺麗」

 

 

 そうして、魔梨沙は幽香の心を折った。

 

 

 

 

 

 

「最後に貴女が私を求めてくるなんて、なんて嬉しいこと。今日はとても素晴らしい一日ね」

「判るの。流石は幽香ね」

「ええ、貴女相手なら」

 

 振り返らずとも、判る。魔梨沙の少し困惑した様子を、逸した存在である幽香は感じ取っていた。

 そうして、振り返ってより理解する。その愛らしさを。何年経っても相変わらずの美しさまでも。ああ、なんて愛おしいのだろうか。

 幽香のその感情を知らずに、笑って、魔梨沙は返す。

 

「うふふ。それにしても、何時だって素晴らしいことばかりじゃないわ。花に嵐の例えもあるみたいよー」

「月に叢雲花に風。さよならだけが人生と誰かが言ったそうね」

「こっちにも伝わっているのね。名訳だわー」

「――――しかし、再び三千世界に華は咲く。さあ、この一期一会を楽しみましょうか」

 

 その時、風見幽香の瞳は真紅に染まる。

 さあ、今度こそ、勝とう。最強の比べ合いではなく、美しさの比べ合いにて、恋する相手を乗り越える。

 

「ふふ」

 

 留まらず、何度でも美しく。それこそ、花の生き方なのだから。

 

 

 



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第四十三話

 今回は旧作どころか西方要素まで混じっています……どうなのでしょう?


 

 その実力、まるで人でなしのようであるが、しかしその実霧雨魔梨沙は、魔法使いを気取った、ただの人間の少女である。

 

 当然、人であるからには無理はきき辛い。優れた術にて補っているが、それでもベースはあくまで人の子。疲れを感じれば眠るし、手を伸ばしたところで届かない場所だって数多あった。

 敵わないは、知っている。恐さだって、分かっていた。空に挑戦する無意味さだって、きっと理解しているのだろう。

 

 けれども、今この時、彼女はそんな頭でっかちな分別を捨てて、発奮した。

 

 無様に目を逸らされることなく、紅い彼女の瞳の中で花より可憐にずっとあれ。

 風見幽香が合図もなく展開し始めた弾幕はごっこ遊びの域を疾く超して、そうして太陽を向日葵と化させる程に、輝いた。

 その日輪の威力を華として、総ては散り散りに辺りに拡がる。誕生を模すばかりではなく、散華の美まで克明に。干渉し合い迷路を作る旭光は、避けるその様を照らす。その舞台で輝きより光れと、酷にも求めてくるかのように。

 

「うふふ。やってあげようじゃない!」

 

 だが、魔梨沙が臆すことは決してない。

 相手は最強。それに対して何引け目を覚えることなく、美しく踊れ。前よりもずっと上達したステップで惑わし、流れ星の速さを味方につけて、奇跡の軌跡を見せつける。

 やがて、青を燃やし尽くした焦天の中で全てを置き去りにし、そうして白光の瞬きに照らされた魔梨沙は。

 

「きゃははは!」

 

 心底楽しそうに、恋しい力の中で笑った。

 その能力で本物を直に【視た】ことで真に迫った夢想の物真似に、実在ぶれさせながら。

 

「ああ、やっぱり……貴女は可愛いわね」

 

 そしてきらきらと、輝きを呑み込んだ禍々しい愛を向けられ、向かい合う幽香もまた、口元を凶悪に歪める。

 幽香は遠い彼女を手の平に乗せて支配の素振りを見せてから、そっと花弁の如くに指先で少女を包む。

 大切に、大切に。何しろあれは、ただ一人、自分に対応して真っ直ぐに認めてくれる存在であるのだから。

 

「でも、無理」

 

 けれども、そんな優しさは、【最強たる】幽香の性に合致しない。思い切って遠景をぎゅっと握りつぶしてから、そうして最強の妖怪は両の手を広げた。

 それだけで、弾の群れは開闢を見せ、光遠ざかった中心の彼女は一挙に暗くなる。

 

「好きだけれど、壊してしまう」

 

 昼の陰りに心を染めて、風見幽香は一転、酷く辛そうな表情になった。

 好きだから強く触れたくて、堪らない。けれども、自分の本当の力では相手を撫でることすら破壊に繋がると、彼女は知っている。

 熱くなるほど触れ合いたいのに、それは出来ない。相手の血でしか温もれない、そんなことはあまりにつまらないというのに。

 

「ごめんなさいね」

 

 はにかみ。それでも、風見幽香は愛に本気となった。孤高の位置から一歩も出ずに。

 捕まらない相手を掴まえるために、隠していた以前の名残、二色の四翼を溢れさせて。

 やがてこぼれ落ちるは、最強の発端。ただ一輪の、異常。成長にて世界を刺し貫いた、究極の可憐。

 天変地異に自然は震え、魔梨沙の瞳はその最強の力を見るために、朱色に輝いた。

 

 

 

 幽香は強者と相まみえることが好きである。そして、結果打ち倒すこともまずまず好みではあった。

 しかし、別段幽香は、勝者であるという当たり前に拘泥はしていない。ただ、戦った結果に、勝ち星ばかりが輝いてしまうから、それを望んでいるかのように思われてしまうのである。

 もっとも、本人は最も強くあり続けるということにだけは気にしていた。それは、高い崖に登りすぎたがために、墜ちる際の痛苦を知らず恐れているがためのこと。

 少女らしく当たり前に、痛みに怯えて生きる。風見幽香は決して、強いばかりの生き物ではなかった。

 そして、最強が故に、無敵というのはつまらない。ただ一輪の花が孤独に冷える、その所以はそこにあった。不明な有象無象を足下に敷いた天辺にて、幽香は寂しさを知る。

 

 とはいえ、昔、それこそ太古とも呼べる頃から幽香が絶対的な存在であったかといえば、そんなことはない。むしろ、彼女は人間の如くに誕生してからしばらくは弱々しく、そして風に吹かれて幽かに漂っていた。

 群を抜いてことさら見目麗しく、しかしそれだけ。彼女は太陽にはてんで及ばない、ただの自然の欠片でしかない。その羽根も体躯も、正しいほどに小さかった。

 

 そう、果たして、フラワーマスター風見幽香が、元はお花の妖精であったということなど、誰が信じるのだろう。

 

 自然の力が今よりもずっと強かった昔々。しかし、それでも妖精は大したものではない。頭の悪い小さなもの達は、よくよく大きなものによって台無しにされて、一回休みにされていた。

 だが、当たり前にそこにある自然なものであるからこそ、彼女達は弱肉強食の中でも存在まで失われることなく暢気に暮らしていく。

 妖精たちの中でも比較的に【悪戯心】旺盛だった幽香は、生き死にのやり取りと無関係なことをいいことに、仲間に他にとちょっかい出すことを繰り返し続ける。

 次第に己に枷がない特異を考えることもなく触れ合いを続け、そうして知らずに枠を超えていく。奇しくも、魔梨沙に出会うまで負け一つ知ることなく、彼女は笑顔で他をくじき続けていく。

 やがて次第に幽香は妖怪に届き、そうして更に変質を重ねて、今現在の風見幽香と相成った。その本質、何一つ変わることなく。

 

 そう彼女は【いたずら】にも、他を刺激することを好む。とてつもなく力の増した幽香の実感を得たいがための強めの刺激は、最早いじめと同じ。それでも、彼女は好んで他と触れ合おうとする。

 それが日課と嘯きながら。

 

 それは勿論嘘である。ただ、昔々の群体から離れたひとりぼっちの今、他が気になって仕方ないというだけなのだった。

 少し前に館を作って家族のような関係を形作っても、崇められるばかりでつまらなかった。そして、今も魔梨沙以外には恐れられているばかり。

 風見幽香は、下らないものばかりの幻想郷の全てが好きで、もっと嫌いだ。虐めたい。けれどもそれは、詰まるところ無関心にはなり得ないということでもある。むしろ、もっと、と思わないこともなかった。

 

 そう、本当のところ風見幽香は、幻想郷――みんな――を愛したい。

 

 

 

「うう、やっぱり幽香は強いわー」

「そういう貴女こそ、美しい」

「幽香も大概だけれどねえ……」

 

 互いが本気になってしばし、けれども魔梨沙も幽香も、共に宙にある。

 疲労こそ感じさせないが、避けに徹した汗に塗れた魔法少女の前で、窮屈な遊戯の中にてそれでも無敵に近いこの相手だけ殺すことさえないという程度の必殺を繰り出し続ける花の頂点には、いささかの疲れもない。

 二人は駆け抜ける動とそよぐ静の、あまりに異なる回避にて空に居続けた。まるでこれは、変わるからこその美しさと、変わらないからこその美しさの、戦い。

 魔梨沙の瞳に映る、美しさの最奥はどこまでも幽香だった。

 

「さて」

「あれ、チャンス……どうかしたの?」

 

 しかし、ここに来て、幽香は相手に向けた手を下ろす。

 弾の干渉に欠け続けて届かない星に、力強くも空振り続ける花。そんな、空のキャンバスを染め続けたその縦横の飛び交いは、片方が休んだことで大いに趨勢を変じる。

 疑問を呈する口と違い、ここぞと言わんばかりに大きな星を魔梨沙は投じた。その弾道をねじ込ませ、数多の墜ちた欠片同士を惹かせあい、そうして魔女はカードを呈してその攻撃方法の名前を叫ぶ。

 

「まあ、いいかな。いくわよー。悪魔「リトルデビル」!」

 

 流れ星は尾を引く。しかし、これはその逆。道程に星光が遡るという、軌跡な奇跡。ダークマターを彷彿とさせる宇宙の翼を羽ばたかせ、魔梨沙はこれまでの道筋を迷路と見立てた光線の檻を創り出す。

 地から舞い上がる数多の紫光。思兼神の叡智の力をを真似し、完全に意図して創られたその網の中で花は身じろぎ一つ、取れなくなった。

 しかし、その手に一枚のカードを持ち出すことに成功していた幽香は、未だ笑顔である。

 

「流石は魔梨沙。スペルカード一つ取り出す間の隙でこうも王手を取られるとは……さて、やはりこれを出さなければいけないわね……」

 

 それは、無常の未来のために残しておこうとしていたスペルカード。しかし、愛する人の子の前にてそんな勿体ぶったことは出来なかった。

 この世のおどろおどろしさをこそ、フロリゲンと換えてしまおう。むしろ、一切合切に根を伸ばしてしまえばいい。しかし、全てが花の養分であるのならば、何よりも美しくなければならないのか。

 それは翼広げ、鬼悪魔と通じた人間の綺麗を、否定すること。幽香の花貌はここに来て初めて、悔しさに歪む。

 

 

「「幻想郷」」

 

「なっ」

 

 

 一言で、魔梨沙の渾身の一手は崩壊した。幽香の想いに天は枯れ、霊と弾は塵と化す。緑の力は全てを消し、光すらどうしようもなく、自壊していく。

 最強を捕まえておける、檻など果たしてどこに。それは、最低でも魔梨沙の手では無理だった。

 

 花妖は何とも自由に、そっと傘を一振り。それだけで幽香の周囲にはラフレシアよりも大きくで桜よりも可憐な花が一杯に咲き、それは散り散りになって何より威力ある花びらを零す。

 瞬時に放たれた花型の妖弾のその密度は尋常ではなく、魔梨沙は慌てて範囲外へと逃げた。

 

 しかし、逃げた最中に魔梨沙は溢す。こんなもの、要は、緊急回避用のボム。その筈であるのに。

 

「……これが、幽香の幻想郷なの?」

 

 近寄る弾や霊を否定して、そうしてただ花ばかりが咲き誇る世界。そんな最中に一人苦渋を呑み込む、少女の寂しい心象の表現から離れていかざるを得ない自分に、魔梨沙は歯噛みせざるを得ない。

 道がなければ、避けられない。背を向けるのは、不可能弾幕を踏破するための、一次避難のため。そんなことは、重々解っているというのに。

 

「……ううん!」

 

 発し、否定のために、頭を振る。そして、奥歯に更に力を加えて恐怖を噛み殺す。そうして、魔梨沙は途端に踵を返した。

 そして、少女は花束の中に、突っ込む。

 

「な」

「貴女には、あたしが、居る!」

 

 孤独は嫌だ。そんなの、魔梨沙はよく知っている。一人ぼっちで救われなかった。あの日々に、誰かの手がどれだけ欲しかったことか。

 辛かった、苦しかった、救われたかった。なら、あの日の自分の願いのためにも、手を伸ばさなければ。愛されない、どこか戯けた幻想に愛を。

 

 そう、霧雨魔梨沙は幻想郷――みんな――を、愛したい。

 

 当然、その中には、幽香も居た。そして、真っ直ぐ目の前に、幽香が。

 なら、躊躇なんていらない。ありったけを、ぶつける。何時の日からか纏わりつくようになっていた七剣星の、七曜の星の心よりの加護をすら掴んでそれを一つに纏めてかざす。

 そうして、懐から滑り落ちた、一枚のスペルカードの名前を魔梨沙は口にする。彼女は手の中で、始まりの力を爆発させた。

 

「――――。貴女を、一人になんて、させてあげないからっ、「ギャラクシー」!」

 

 それは、創世の力に似通う。北斗七星は重ならない。しかし、それがもしも一つであった時があるとするならば、それは。

 銀河誕生の力を防御に回し、そうして魔梨沙は幽香の幻想郷へと押し入る。

 

 なぞらえの呪は、収斂と進化は、どうしてはじまりから彼女は彼女と対等だったのか。そんな謎めいた全ては、魔梨沙にとって、どうでもいいことだった。

 

 何より真っ直ぐ、そしてあの日の光線のように煌めく思いを孕んで。魔梨沙は流星となった。

 散る定めを持った模型の花々全てを早々に、散華させて。そして、霧雨魔梨沙という弾丸は、風見幽香に着弾する。

 

「そん、なっ!」

「えーい!」

 

 瞬き一つ。その合間に魔梨沙と幽香は重なり合う。色とりどりの数えきれない程の花びらが幻想を表す中で、二人はどうしようもなく柔らかにぶつかっていた。

 着弾した魔梨沙は、そのままひっしと幽香に抱きつく。その温もりを振り払おうと、幽香はその身を捩る。

 

「くっ、離れなさい!」

「嫌。離さないんだから!」

 

 駄々に、駄々。くっつき合った二人はまるで子供のように、感情を顕にした。

 そこに、美しさを競っていた少女の面影はない。片方はただ唐突の温かさに怯え、片方は最強とされたその身の小ささの感に寂しさを覚えて想いを爆発させていたのだから。

 

 落ちつかない。こんなに、世界は温かかったっけ。分からない。どうして、この子がそんなに私を気にするのか。それが恋の熱病のため、と言われれば納得してしまうかもしれないくらいに、魔梨沙の瞳は濡れている。

 そんな風に幽香は考え、頬を染めながらも目を逸らして問い質した。

 

「どうして、身を挺すの?」

 

 そんな愚問に、答えは一つきりしかない。

 

 

「好きだから」

 

 

 真摯に、星光の少女は、応えた。赤く朱く、二人は繋がる。

 

「ふふ……はは。なーんだ。私も、愛されていたのね」

 

 

 これ以上無い愛を受けて、もう強がる意味はない。果たして最強なんて、最も緊張していたものに対する称号でしかないのだろうか。

 緩んだ幽香は柔和そのもの。もう、遊びだろうとも戦う気なんて、なれない。

 

「あはは」

 

 そうして、魔梨沙は言葉ひとつで、幽香を墜とした。

 

 

 

 宵に散る予定の花の園にて、つながった二つのてのひら。もしそれが解かれても、繋がりがなくなることはきっとないだろう。

 

 異変によって、狂いに狂った、フェノロジー。その中でただ一つ間違いのないものがあったのだとするならば、それは。

 

 花は何時か咲く、ということだけなのだろう。

 

 

 



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