Steins;Gate 観測者の仮想世界 (アズマオウ)
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プロローグ

アズマオウです。

シュタゲとSAOのコラボ小説を書きました。よろしくお願いします。

設定はあらすじの通り、2012年からスタートです。もし2022年から始めてしまうとかなり時間がたってしまう上に、彼らの考え方とかも結構変わってきちゃうので、色々難しいのです。
まあとりあえずそういうことで。ほとんど文庫版と相違ないので。



 世界線変動率、またの名をダイバージェンスが1.048596であるこの世界線の名前は¨シュタインズゲート¨という。未来にディストピアも第3次世界大戦も起こらない、ただひとつの世界線。無数の世界線の記憶を保持できる¨リーディングシュタイナー¨を所持している孤独の観測者¨鳳凰院凶真¨こと¨岡部倫太郎¨は、大切な幼馴染み、¨椎名まゆり¨と心を通わせたツンデレ天才脳科学者¨牧瀬紅莉栖¨を救うため幾度もなくタイムリープを繰り返し、ついに二人とも生存するシュタインズゲート世界線へと到達した。

 その1年後、孤独の観測者をシュタインズゲートは一度拒み、0.000001%違うR世界線へと幽閉したが、牧瀬紅莉栖による過去改編によって岡部を救い出し、再びシュタインズゲート世界線へと戻ることができた。

 こうして孤独の観測者は役割を終えて、平穏な日々を過ごす。彼が守り抜いた仲間と共に、ちっぽけな建物にてかけがえのない思い出を築き続けている。

 

 だが、その一年後。岡部はまたもや、運命に裏切られ始める……。

 

 

 

***

 

 

 暑さが和らぎ、寒くなり始めた11月。俺ーーー岡部倫太郎は、秋葉原にあるおんぼろビル、大檜山ビルの二階に設立されている¨未来ガジェット研究所¨にてパソコンのマウスのホイールを回していた。今俺が見ているのは、大手掲示板サイト¨@ちゃんねる¨である。トップページには、新着スレッドが挙げられていて、エロ関係、アニメやゲーム関係、ニュース速報などがあるが俺は目もくれずに脳科学のスレッドを覗く。ただ、2011年あたりは、そんなにめぼしい話題はなかった。脳科学スレッドには基本現れるはずの¨栗ご飯とカメハメ波¨が現れなくなったと言うことから、どうでもいい話題しかないのである。

 ただ、最近は別だ。俺は¨ナーヴギアについて語るスレ98¨を開く。その中の最新の50レスをざっと見ていく。

 

 

 

892 名無しのアーガス [sage] 201211/6 11:43:48 ID:j7WisVoq0

 

 おまいらSAO買った?

 

893 名無しのアーガス [sage] 201211/6 11:44:57 ID:k3qalPfe0

 

>>892

売り切れたんごwwwww

 

894 名無しのアーガス [sage] 201211/6 11:49:19 ID:y5xdmQws0

 

つーかさ、マジでナーヴギアって何なの? 俺ファムコン世代だからよくわかんね

 

895 名無しのアーガス [sage] 201211/6 11:55:32 ID:k3qalPfe0

 

過去スレ見ろよks

 

896 名無しのアーガス [sage] 201211/6 11:59:21 ID:r3dfsQzw0

 

つhttp://kusomiso.tekunikku.com/tugihashonben/

 

アーガス本社のリンク先

口で説明すんのめんどい。

 

897 栗ご飯とカメハメ波 [sage] 201211/6 12:04:24 ID:b2xczKnp0

 

>>894

ナーヴギアと言うのは、夢のゲーム機。神経をシャットアップし、直接信号を脳に送り込むことによって、仮想空間にて現実と同じように振る舞える。

ま、簡単に言えば、全身麻酔状態で仮想空間にまるごとは入れちゃうっていうもの。

 

>>896

お前は正真正銘のホモだということが実証されたぞw

 

 

 

 やはりな、と俺は感じた。こういった脳科学に関するスレッドには必ず¨栗ご飯とカメハメ波¨がいるのだ。その人物は結構煽るのが得意なのだが、逆に煽られると弱い。まさに、¨牧瀬紅莉栖¨らしい。

 その先をホイールしてもめぼしい情報はなかった。俺はウィンドウを閉じて情報収集を止める。

 その直後、ノックが数回聞こえた。一瞬体を竦ませてしまうのはもはや条件反射といってもいい。何故なら俺は、襲撃者に、殺されかけたことが幾度もあるからだ。だから、ノックが聞こえる度に、襲われるのではないかという恐怖が生まれるのだが、ゆったりとしたそのリズムで誰が叩いているか分かる。俺は安心してドアの前まで向かい、鍵を開けた。

 

「あ、オカリン! トゥットゥルー!」

 

 ドアの前にたっていた少女が、奇妙な挨拶と共に声をかける。俺は入れというように、道を開けて招き入れた。

 フリルのある帽子を被り、薄い紺のジャンパーを来ている。その下も薄い紺のワンピースで、彼女は余りファッションには拘ってないようだ。目は大きく、幼さが全面的に強調されている。身長は俺よりもやや小さく、妹のような感じを覚える。

 少女は腕に下げられているビニール袋をテーブルに置き、中に入っているものを出す。入っていたのは、冷凍食品の¨ジューシーからあげナンバーワン¨と、バナナ、おでん缶の牛スジ味が3本という、余り健康に良さそうなものではないものだった。もちろんこれを食べるのは少女である。

 

「全く、お前も好きだな……毎日食べてて飽きないのか、まゆり」

 

 俺は少女ーーー椎名まゆりに呆れ声で言う。正直もう俺は飽き飽きしている。唐揚げはうんざりだ。

 だが、まゆりは屈託のない笑顔でうんと言った。

 

「だって、ジューシーからあげナンバーワン、美味しいからー」

「そうか、やはりまゆりは食いしん坊だな」

 

 俺の発言にまゆりは頬を膨らませて不平の声を漏らした。

 

「まゆしぃは食いしん坊じゃないよ~!」

 

 本来であれば女の子にそういった発言はNGだ。だが、まゆりと俺は幼馴染みだ。この程度の掛け合いなど、許せる間柄だ。因みにまゆりは自分のことをまゆしぃと呼ぶらしい。

 まゆりはそう言いながらもモグモグとバナナを食べている。矛盾している。我先へと食しているのはお前だろうが。

 

「説得力皆無だな……」

 

 まゆりは俺の突っ込みに対して満面の笑みでスルーし、あっという間にバナナを平らげてしまった。

 まゆりは、そういうやつなのだ。食いしん坊で能天気な発言を繰り返す。だが、俺はそれを短所だとは思っていない。むしろそれがまゆりなのだ。まゆりの屈託のない笑顔は、俺にとってはかけがえのないものだ。

 俺はこの笑顔を守るために戦ってきたんだ。数多の世界線漂流を通して、この笑顔を取り戻したんだ。今この世界線でバナナをもぐもぐと食べているまゆりを、見ることができるのだ。そう思うと、俺は心から良かったと思える。

 

「……どうしたの、オカリン?」

 

 まゆりはきょとんとしながら俺を見る。俺はどうやら見つめていたらしい。いかんいかん。

 

「いや、何でもない」

 

 俺はそう答えて、ポケットにある今時古い開閉式携帯を見る。メールは来ていない。それを確認してパチンと閉じると、まゆりが俺に尋ねてきた。

 

「ねえねえオカリン。今日って、クリスちゃんが帰ってくる日、だよね」

「いやそれは明日だぞ、まゆり」

 

 クリスちゃんと呼ばれた女性ーーー牧瀬紅莉栖の帰ってくる日を訂正した俺は、ふっと笑う。そう、明日は俺の恋人が帰ってくるのだ。無論今はアメリカに飛んでいて、なかなか会えないのだが、明日には彼女に会えるのだ。内心嬉しかった。

 

「そっかー。でも、会えるの楽しみだね、オカリン」

「ふ、ふん。楽しみと言うわけではないが……まあ、ラボメンとして歓迎はしてやろうではないか」

「オカリンはツンデレさんなのです」

 

 うるさいと俺はまゆりを黙らせる。だが、まゆりというのは可笑しな人間で、人の恋沙汰をにやにやと笑って干渉するのだ。まだ、俺の右腕のように罵倒してくれた方がいい。

 まゆりと些細な話をしていると、再びノックが聞こえた。今度は少しリズムが早く、力強い。

 

「はーい、今開けまーす!」

 

 俺もまゆりも誰が来たかすぐにわかった。まゆりがドアを開けると、一人の男が苦しそうな表情をしていた。両手には重そうな紙袋が下げられている。

 

「ふい~~……やっとついたお……」

 

 脱力した足取りでのろのろと研究所ことラボに入る。まあラボといっても、小さなサークルでしかなく、イカツイ実験器具とかが大量にあるわけではないのだが。

 男は太り気味の体をソファーに沈み込ませて、重そうな紙袋をどさっと床に置く。

 

「ダルくん、それなぁに?」

 

 まゆりが男ーーダルこと、橋田至に尋ねる。ダルは汗だくになった表情で答える。

 

「新作のエロゲと同人誌だお。ま、エロゲの方は四十八マンもびっくりするゲームだから期待してないけど」

「ダルくんはえっちだねえ~~。でも、四十八マンって誰だっけ?」

「かのクソゲーオブザイヤー大賞を受賞した四十八(仮)のアスキーアートだお。ま、ネタだお」

「なるほどねぇ」

 

 ダルは、アクティブな萌えオタクである。エロゲーや二次元アニメはおろか、3次元メイドに挙げ句の果てには機械にまで萌えを見出だすという、特殊な男だ。しかも、ハッキング能力も凄まじく、セキュリティが厳重に敷かれているSERNのハッキングにも成功したほどの腕の持ち主だ。まさに俺の右腕にふさわしい力を持っているが、そのせいでひどい目に遭ったのだった。

 また、ダルにはデリカシーがない。女子であるまゆりに向かって平気でエロゲーの話をするのだ。そしてそれに不快感を示さないまゆりもどこかずれている気がする。

 

「全く、ダルよ。何故たくさんゲームを買うのだ? しかも良質なゲームでもないはずだ」

「いやぁ……声優が神だから、買うしかないと思ったのだぜ。ま、さすがに四十八(仮)の様にはならんしょ」

「製作会社が違うからな……。ってそんなことはどうでもいい。ルカ子やフェイリスは見なかったか?」

 

 俺は話題を切り替え、ダルに質問した。ダルは早速さっきまで俺が使っていたパソコンを起動しながら答える。

 

「いや、見てないお」

「そうか、分かった」

 

 恐らく買ってきたエロゲーをやり始めるのであろう。俺は放っておいて冷蔵庫へと向かい、俺の愛用知的飲料であるドクトルペッパーことドクペを取り出した。ふたを開け、ぷしゅっと吹き出した炭酸が乾いた喉を刺激し、潤していく。多少薬品臭いが、それこそがこのドクペの魅力のひとつである。だが、残念ながらこの美味なる炭酸飲料の価値を理解してくれる人物は、俺とその恋人しかいない。

 俺がドクペを飲み干すと、またもやノックが響く。今度は控えめなノックだ。再びまゆりが出迎えにいく。

 すると、二人の女子、いや、男女がいた。

 

「キョーマ! こんにちニャンニャン!」

 

「おか……いえ、凶真さん、こんにちは」

 

「あー、フェリスちゃんにルカ君だ! ようこそいらっしゃいました!」

 

 まゆりに案内されて二人は入る。一人は、フェイリスこと秋葉留美穂で、猫耳を着用している。小柄で猫のような容姿をしていて、このラボの近くにあるメイド喫茶¨メイクイーンニャン×2¨の人気メイドとして働いている。

 一方は、ルカ子こと漆原るかである。すらっとした細い体に美しい黒髪、透き通るような瞳を持っていることから女そのものなのだが……だが男だ。顔は白く、無駄な肉がついていない。だが、男だ。巫女服が大変似合うことを知っている。だが、男だ。

 彼女、いや、彼は、柳原神社の主の息子でおとなしく、ばか正直だ。そのため、まゆりの趣味のひとつであるコスプレの対象にさせられたり、バカなカメラ小僧に対しても強く言えない。まゆりと同じで、庇護欲が掻き立てられる存在なのである。

 まゆりは二人に麦茶を差し出してルカ子に話しかけた。

 

「ルカ君、おでん缶食べる?」

「い、いやいいよ。僕さっき朝御飯食べたから……」

 

 ルカ子は少食である。まゆりが食いしん坊だというのもあるのだが、ルカ子はご飯をおかわりしないそうだ。

 

「あ、じゃあフェイリスが食べるニャン!」

「いいよ~~」

 

 フェイリスが割り込んできて、まゆりのおでん缶を貰う。フェイリスの家はかなり大きく、高層マンションに住んでいるほどのお嬢様だ。だというのにこんな安っぽいものを何故食べるのだと思うが、フェイリスはお嬢様だということをまるで意識していない。そこがフェイリスのいいところではある。

 そんなほのぼのした空気が流れるなか、ダンと強い音が響く。一同が振り向くとそこにはダルが憤怒の表情でパソコンをにらんでいた。

 

「ふざけんなお!! 何でバグが起こるんだお!! こんなの物売るってレベルじゃねえぞおい!!」

「五月蝿いぞダル。クソゲーだからといってラボメンを驚かせるな」

 

 俺はダルの元まで向かい、たしなめる。ダルはすまんおと謝り、エロゲーを止めてブラウザを開く。どうやら@ちゃんねるに批評を書き込むらしい。俺はやれやれとその場を去り、まだ残っているおでん缶を手に取った。

 

「まゆり、これ食べていいか?」

「いいよー」

 

 一応許可をとっておいて、缶を開ける。プラスチックのスプーンと共に掻き込み、濃いめのおでんを味わっていた。その時、ノックがまたもや響いた。こちらもまた控えめで、どこか遠慮がちだ。

 まゆりがてくてくとドアの前まで行き、出迎える。そこには、長身の女性がいた。

 

「あー、萌郁さんだ!」

「……こん、にちは……」

 

 まゆりの元気な声とは対称にか細い声で挨拶する。

 

「遅いぞ閃光の指圧師(シャイニング・フィンガー)! お前が最後だ」

「ごめん……なさい」

 

 俺に叱られた女性ーーー閃光の指圧師こと、桐生萌郁は、そそくさに部屋に入る。すらっとした長身と、豊満な胸、流れるようで、流れるような髪のおかげで美人といえるのだが、俺はどうしても警戒してしまう。何故なら、彼女はとある世界線で俺たちを裏切ったからだ。俺たちを襲い、まゆりを何度も殺したのである。無論そんな事実は俺しか覚えておらず、まゆりとこうして屈託なく話せている。まあ、もう彼女は俺たちを裏切ることはしない。ここは、平和が約束されたシュタインズゲートなのだから。

 俺は指圧師に抱いていた警戒心を解いて、歩み寄った。

 

「で、どうして遅れたのだ?」

 

 彼女はじっと俺の顔を見つめる。その後、ポケットをまさぐり、携帯を取り出した。パカッと乾いた音と共に携帯は開かれる。そしてーーー霞むほどの速度で指が動いた。

 数十秒後、俺の白衣のポケットの中でブーブーと曇った音が響いた。メールだと思い、それを取り出して確認する。

 

From:閃光の指圧師

Subject:ごめーん☆

本文:今日ね、ちょっと仕事が多くて遅れちゃったorz

ゴメンネ(ToT)

それはそうと、今日はなんのために呼び出したのかな? 私聞いてないんだけどなあ……?

でも、なんかすごく今日は気分いいんだ、だって久しぶりにラボに来られたし(*≧∀≦*)キャハッ!!

 

 数十秒でこれほどのメールを打てるというのだ。恐ろしい能力だ。俺はこれを、¨閃光の指圧師¨と名付けている。まあこの能力の習得には彼女の辛い過去があるため余り深く話せない。今さらメールと現実のキャラが違うところは突っ込まない。

 指圧師が来たところでラボラトリーメンバー、略してラボメンが勢揃いした。本来ならばあともう二人いるが、一人はまだ生まれていない。俺は、ふっと笑いながら全員に声をかけた。

 

「では、ラボメンが勢揃いしたところで、第2022回、円卓会議を開始する! 全員、円卓につけぃ!」

 

 俺は未来ガジェット研究所の恒例行事、円卓会議の開始を宣言した。ラボメン全員で話し合う貴重な情報交換の場なのである。

 

「円卓などないのでPCの前でいいすか?」

「全く、意識が足りんぞダル」

 

 俺は意識の足りない不届き者を注意するも、本人はテコでも動かないことくらいわかっている。

 

「では、これより円卓会議を開始する!! では、今回の議題はーーー」

「待つニャ凶真! 今ここで円卓会議を開いたら……奴等が動き出してしまうニャ!!」

「なぬっ……!?」

 

 ちっ、フェイリスめ……。

 彼女は重度の中二病であるゆえ、俺の台詞に己の妄想をぶちこむのである。俺の言葉はすべて真実だが、彼女の言うことは妄想なので、ブレーキが効かない。こうなればーーー。

 

「だがフェイリスよ。こうでもしないと、¨機関¨に対抗する術を考えられぬではないか。奴等はまだ動き出さないはず。それに動き出したところで、俺の右腕に秘められし力があれば問題はない」

「確かに凶真の力は絶大だニャ。でも、奴等は¨幻想殺し(イマジン・ブレイカー)¨の力を開発し始めているニャ。だからどんな力でも一瞬にしてーーー」

「ーーーというわけで今回の議題を発表する! それはズバリ……」

 

 乗って然り気無くやめさせようとした俺がバカだった。もうこれ以上付き合ってられるか。俺は無理矢理話を打ち切った。フェイリスがあれ? という表情を浮かべて俺を見つめるなか、静寂が流れる。そして、効果的だと思った瞬間に、俺は口を開いた。

 

「ーーー《ソードアート・オンライン》についてだ」

 

 その言葉を放った瞬間、皆はああと話を理解するそぶりを見せた。

 

「ああ、SAOっしょ? 世界初のVRMMORPGでナーヴギア対応ソフト」

 

 ダルが説明を加える。

 

「ねえねえ……げいあーるえもえもおーあーりぴーじー、って何かな?」

「ゲ、ゲイって……まゆりちゃん、VRMMORPGだよ。簡単に言えば、ネットゲームだよ」

「ほえーそうなんだー。まゆしぃは名前しか知らなかったのです」

「私、も……」

「フェイリスは一応知ってるニャン」

「まゆ氏、まさかの腐女子なん?」

「ええいまゆりに指圧師よ、何故名前しか知らんのだ!?」

 

 一部のラボメンの無知さに俺は厭きれ声をあげる。だが、これが未来ガジェット研究所の実態だ。何故なら、本当に科学に強い人間はダルと牧瀬紅莉栖と俺しかいないためである。しかも俺はせいぜい常識を知っている程度だ。他のメンバーは俺の知り合いだからという意味でラボメンにしたまでだ。無論、彼女らは大切な存在であり、替わりなどありえない。

 

「だってまゆしぃはゲームしないもん。オカリンだってほとんどゲームしないじゃん」

「まあな。だが、脳科学とかに関係するからな」

 

 そうまゆりに言っている間に再び携帯が鳴った。手に取ると、やはり指圧師からのメールだった。内容は『SAOについて詳しく教えて(・ω・`人)』だ。俺はため息をついた。

 

「では、SAOについて簡単に説明するぞ。さっきダルがいった通り、SAOは世界初のフルダイブRPGだ。全身がすっぽりとゲーム世界に入るんだ」

「えー! オカリンゲーム機に吸い込まれちゃうの?」

 

 まゆりの馬鹿げた発言をスルーしたいが、あらぬ誤解をされても困るので否定しておく。

 

「違う。神経をすべてシャットアウトして、直接脳に信号を送り込むことによって、仮想空間で自由に動き回れるようになるのだ。分かりやすく言えば、全身に強烈な麻酔をかけられた状態で夢の世界に行ける、ということだな」

 

 実際これは@ちゃんねるにて紅莉栖が書いていたレスのものを拝借したものだが、一応これがしっくり来る。

 

「よくわからないけど、すごそうなのです」

「そうだね、まゆりちゃん」

 

 まあまゆりに理解を期待しても無駄だということは知っている。

 

「ネトゲとしての質も高いらしいお。βテストの評判もよかったし。で、何で円卓会議のテーマがそれなん?」

 

 ダルが質問する。もっともな質問だ。俺は、ニヤリと笑い、ダルをビシッと指差した。

 

「よくぞ聞いたスーパーハカー。何故第5821回円卓会議のテーマをSAOに選んだのか、教えてやろう……」

「いや、回数間違ってる件について。それに僕スーパーハッカーだし」

 

 ダルの突っ込みを無視し、俺は全員を見回す。そして、高らかに叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「ラボメン全員で、そのゲームをやるためだ!!」

 

 

 

 

「……………………」

 

 沈黙した。そしてそれが、数秒間続く。俺は何故か恥ずかしく感じてきた。

 

「おい、なんか言わんか!?」

 

 俺は黙り込むラボメンたちを叱咤する。だが、返ってきたのはダルの指摘だった。

 

「いや、どう考えたって無理っしょ。だって、SAOはもうとっくに予約終了しているんだぜ? しかもナーヴギアは完売したし。オカリンがβテストに受かったけど、一台しかないし」

 

 ダルは視線を研究室へと向けた。研究室の埃っぽい棚の上に紫色のヘッドギアが置かれてある。あれは、俺が《SAO》のテストプレイ、通称βテストに参加した際に購入したものだが、俺しか当選しなかったため、一台しかない。

 だが、俺には秘策がある。

 

「ふ、そんなこともあろうかと、俺は秘密兵器を用意したのだ。そろそろ来るはずなのだが……」

「秘密兵器とか、中二病乙」

「黙れ! 俺は中二病ではない!!」

 

 まあ、実際秘策はあるのだが。俺はラボにある壁時計を睨む。

 その瞬間、ノック音が聞こえた。来たなと俺は確信し、まゆりにドアを開けるよう命じた。まゆりは開けまーすとドアを開けると、そこには配達員がいた。

 

「失礼します。えっと……岡部倫太郎さんのお宅でよろしいですか?」

「ああ。ダル、PCの近くの判子を取ってくれないか?」

「はいよ」

 

 ダルはポイッと判子を投げつける。危うく俺はキャッチし、配達員のもつ箱に印鑑を押す。

 

「ご苦労だった」

「じゃ、失礼しまーす」

 

 そういうと、配達員はそそくさに出ていった。バタンとドアがしまると、全員の興味がこの箱の荷物に集中した。

 

「凶真さん……これはなんですか?」

 

 箱の大きさはかなり大きく、両手で持ってもきついくらいだ。重量もあり、大人一人でも難しい。

 俺は、開ければ分かるさといい、ガムテープを剥がす。するとーーー。

 

「ナーヴギアとSAOのパッケージだお!! しかも、5つあるお!」

「すごい……でも、凶真さんこれどうやって?」

「さすが凶真ニャン!!」

「フゥーハハハ!! この鳳凰院凶真の力をもってすれば、この程度のことなど造作もーーー」

「あ、宛名がクリスちゃんだ!クリスちゃんがプレゼントしてくれたんだ!」

「あ、ホントだお」

 

 まゆりめ余計なことを……。

 俺はまゆりをじとっと見つめながらも、このナーヴギアの輸送をしてくれた紅莉栖に感謝していた。

 俺はラボメンと共にSAOをやりたいという旨を紅莉栖に話したことがある。すると紅莉栖は、アーガスとコネ持ってるからナーヴギアを譲って貰うよう頼んでみるという心強いレスポンスが返ってきたのだ。

 だから明日の紅莉栖の再会も、SAOですることになった。現実でも会いたいが、どうせならばと思った次第だ。

 

「ということで……これで全員がソードアート・オンラインを遊べるのだ! 紅莉栖はもう自分のがあるらしいから大丈夫だ。明日の紅莉栖との再会もそこで行う!」

 

 俺の宣言に皆が喜んだ。当然だ、もう遊べないと思っていたゲームが遊べるのだから。指圧師もカタカタと無表情でメールを打ち続けているが、恐らく指圧師のメールは歓喜の表現に溢れているだろう。

 

「やったニャ! フェイリスもSAOやりたかったのニャ! クーニャンには感謝しないとニャ!」

「そうだね、明日あったらクリスチャンにお礼言わなきゃね」

「凶真さん、ありがとうございます!」

「オカリンにしてはGJなのだぜ」

「してとはなんだしてとは」

 

 ダルの発言に突っかかりながらも、俺はその光景を何時しか目に焼き付けていた。皆がこうして平和に笑えている。この世界線は、素晴らしい世界線なのだ。皆の思いを犠牲にしてここまでたどり着いた世界線だが、これでいいんだ。誰も死なずにこうして笑い会えるのだから。きっと、これでいいんだと思う。きっと……。

 

 その後、明日の集合時間などを話して、解散とした。ラボの中がここまで熱狂的になったのは、初めてではないのかと言うくらい皆が楽しみにしていた。夜一人になったときでも、俺は充実した気持ちになっていた。

 

 

 2012年11月7日、日曜日、午後13:30。

 円卓会議から一日たった次の日の昼、俺はラボのソファーに横たわった。頭にヘッドギアを被り、電源を起動する。他のラボメンは自宅にてダイブするようだ。だからラボには俺一人しかいない。

 紅莉栖は今ごろ日本のどこにいるだろうと、ふと頭をよぎる。彼女は昨日の時点でもう日本へと来ていたはずだ。ということは今日ラボに来るのだろう。

 でも、これからまた彼女と会えるのだ。気にすることは、ない。

 重厚な起動音が鼓膜を揺らす。徐々に視界が暗くなっていく。そして、俺の口から言葉が発せられた。

 

「リンク・スタート!」

 

 ピシャァッと弾けるような光が視界を覆い、一瞬の加速感を覚える。そう、俺はこれから仮想世界へと誘われるのだ。現実とは大きくかけ離れていて、かつて圧倒的な興奮を覚えた場所に。虹色の光彩が走り、暗転する。数秒後。

 

 石畳の上に俺は立っていた。目を覚ますと、俺の手が見える。無精髭など一切生えていない綺麗すぎる手、革の防具を着用している己の姿、回りに広がる煉瓦造りの街並み。全てに見覚えがあった。

 

「ふふ……フフフ……フゥーハハハ!! 帰ってきたぞ! ついに帰ってきたのだっ! 鳳凰院凶真、ここに爆☆誕!!」

 

 高らかに俺は叫び、大いなる興奮と、向けられる冷ややかな視線を味わっていたのだった。

 

 

 この仮想世界に入り込んだことが、彼の運命を大きく変えることとなったのであったとは、知る由もなかった。孤独の観測者を、残酷なほどに振り回そうと、ゆっくりとなにかが動き始めていた。

 




いきなり一万字越えちゃったよ……。
ナーヴギア理論はまた詳しく説明できればと思います。
あと今回出てきた下らない用語の解説です。

・http://kusomiso.tekunikku.com/tugihashonben/
ホモサイト。出典は、未来ガジェット公式ホームページのblogに張られているURLから。主に伝説のホモ漫画、くそみそテクニックに関係するページだと思われる。

・四十八(仮)
2007年にクソゲーオブザイヤー(今年一番のクソゲーを決めるスレッド)を受賞したクソゲー。バグが多くシナリオもひどいことで有名。これを元にしたアスキーアート、四十八マンが誕生した。元ネタはPS2ソフトの四八(仮)。(本当にクソゲー)

・幻想殺し

某人気超能力アニメに登場した能力名。元ネタはもちろん、とある魔術の禁書目録の上条当麻の能力。

・ファミコム

1980年代に発売されたゲーム機。ハイパーマリオシリーズやリンクの伝説などが発売され世界的な大ヒットになった。元ネタは任天堂のファミリーコンピュータ。スーパーマリオシリーズやゼルダの伝説を売り出した。


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ソードアート・オンライン

アズマオウです。

早速感想評価ありがとうございます。頑張っていきます。

展開は少し遅めですが了承してください♪

では、どうぞ!


 2012年11月7日、13:30。《ソードアート・オンライン》正式サービスが開始され、俺はその時間ぴったりに、この世界へと降り立った。3ヶ月前初めてテストプレイヤーとしてダイブしてこの地に自身の体が降り立った瞬間を、俺は昨日のことのように覚えている。自分じゃない自分が俺の意思と共に動く。妙な感慨を覚える。

 俺は《始まりの街》をぐるりと見回す。煉瓦造りの街並み、革の防具を着けた美形男女の群れ、中世っぽいBGM。全てが、現実の秋葉原と全く異なっていた。一人の人間が全く違う自分へと成り代わり、その人物を演じているのだ。当然、見せる姿は現実とは違う。

 

 この《ソードアート・オンライン》、略してSAOの設定は中々におもしろい。舞台は100層からなる鉄の空飛ぶ城、アインクラッドであり、プレイヤーは第一層から順番にその層のボスを倒していき、次の層へと進む。これを繰り返して100層まで到達するのが主な目的だが、それ以外にも遊び方がある。プレイヤーはスキルを習得できるが、戦闘スキルのみならず料理、裁縫、釣りなど様々な生活スキルがある。つまり、この城にて生活もできるのだ。

 この圧倒的な自由度に惹かれた人間は多数いる。それを示す証拠として、ナーヴギアとSAOの完売という事実が存在する。そんな争奪戦を勝ち抜き、俺が今ここにいられるのは僥倖以外何ものでもない。

 

 俺は近くに噴水に腰かけた。先程俺は興奮の余り大声で叫んでしまったため、相変わらず周囲の向ける視線が痛いが、路傍の雑草ほどの人間の向ける視線など、気にかけることはない。

 ラボメンたちには、この場所を伝えているのでそろそろ来るはずなのだが。案の定、俺の姿を見た誰かが笑顔で駆け寄った。

 

「あれ? あなたはオカリンさんですか?」

 

 こんな話し方をするのは一人しかいない。俺は誰だか確信した。

 

「ああそうだ、まゆり」

 

 俺は顔を見上げていった。俺に話しかけた人物は、かなりかわいかった。だが、中身がまゆりだと知っている俺はときめきもしない。

 

「よかったー。オカリンじゃなかったら恥ずかしかったのです」

 

 まゆりはてへへと喜んでいた。

 まゆりのアバターの容姿は基本的には現実と変わらない。ただ、若干長身で顔も細目になっている。言うなれば、天然のダメダメ女子がモデルレベルの超絶美少女になったというところだろうか。中身は何にも変わっていないが。

 

「しかし、まゆりは分かりやすいな」

「うん。でもオカリンはそっくりさんなのです」

 

 俺はフッと笑い、そうだろうなと返す。

 俺の容姿も現実と余り変わらないようにしている。何故なら、そこまで俺の容姿が嫌いというわけではないからだ。別の自分になりたいとも思わない。俺は鳳凰院凶真として生きていたいだけだから、変える必要などないのだ。

 

 俺とまゆりが下らない話をしていると、一人の男が現れた。

 

「あれ?そこにいるのはオカリンと……まゆ氏?」

「ん? 誰だ貴様は?」

 

 俺は思わず問いただす。何故なら、見覚えのない人物だからだ。体型は余りに細く、容姿は端麗だ。何もかもが完璧すぎるイケメンだと思わせる人物など、ラボには存在しない。まあこの俺くらいか。

 どうでもいい自画自賛をしながら俺はじっとその男を見る。男は、やれやれというポーズを取った。

 

「呼び名でわかんねーのかよ。僕だよ、橋田だお」

「お前ダルか!? 全く気がつかなかったぞ!!」

「でもダル君……全然違う気がするのです」

「これがネトゲの醍醐味でござる」

 

 痩せてしまったダルはえっへんと胸を張る。どうやらこいつにも、ダイエット願望があるようだ。だったらまずこういってやろう。ジャンクフードを食うなと。

 

「ええい、だったらダルよ。ダイエットをしろ」

「してるお、ダイエットコーラを毎日飲んでるお」

「そんなんではだめだ、運動をしろ。まゆりを見てみろ。あいつは食いしん坊なのになぜ太らないかというと、毎日父とランニングをしているからだ!」

「まゆしぃは食いしん坊じゃないよ~!」

 

 まゆりにとっては聞き捨てならない言葉に反応したまゆりは俺に突っかかってきた。一瞬至近距離になるが、この天然女はまるで意識していないのだ。そこが手に負えない。俺はそっとまゆりを離すと、憎悪の視線で睨むダルを見てぎょっとする。

 

「……リア充爆発しろお」

「ま、待てダルよ! 別にいちゃいちゃしているわけではーーー」

「うるさいんだお!」

 

 ダルが暴れ始めた。自分にだって彼女がいるくせにと心中で思いながらも俺はため息をつくと、二人の女子が現れた。

 

「凶真、マユシィ! こんにちニャンニャン!」

「岡部くん……こんにちは……」

「あ、もしかしてフェリスちゃんに萌郁さん?」

「そうだニャ!」

「ねえ、椎名さん……そこの、岡部くんと争っているの……だれ?」

「ああ~えっとね、ダル君だよ~~」

「そうニャの? 全然違うのニャ!」

「私も……驚いた……」

 

 女性陣が話している間に俺はダルの暴走を止めて、新たに来たフェイリスと指圧師に向き直る。 フェイリスのアバターは本人とは余り変わらず、髪の色もピンクである。まあ容姿が変わらないのは彼女のメイドとしてのプライドなのだろうか。

 対して指圧師は、かなり変わっている。顔は凛々しく、戦場の申し子とまで言わせてしまうような強さが見えた。だが、ボソボソとか細い声で喋られては台無しである。

 

「おお、これはフェイリスたんに桐生氏ではござらぬか。しかし二人ともすっげえかわいいアバターだお」

「ありがとにゃん」

 

 ダルの誉め言葉にフェイリスは甘い声でお礼を言う。言われたダルはでれでれと気持ち悪い笑みを浮かべている。

 

「おいダルよ。貴様、彼女がいながらフェイリスにでれでれしているのか?」

「無論由季たんは大切だお。だが、やはりフェイリスたんもいいんだよね」

 

 先程も言ったがダルには彼女がいる。阿万音由季だ。彼女とはコミケで会い、それ以来交際を続けている。そしてーーーあと5年後には子供を授かるのだ。俺の世界線漂流を助けてくれた少女、阿万音鈴羽が生まれるのだ。だからダルの浮気は心配する必要はないのだが、どうしても見過ごせない。何が起こるかわからないのが、シュタインズゲート世界線だ。

 

「ダル君、浮気はダメなのです」

「ま、浮気なんてしないけどね」

 

 ダルはそういって噴水に座る。指圧師もその横に座り、二人してこの世界を堪能しているようだった。

 

「あの……すみません、あなたは岡部さん、ですか?」

 

 突然そばから声をかけられた。振り向くとそこには、女子がいた。気弱そうな目、今にも泣きそうな表情、女の子よりも女らしい奴。

 

「ルカ子よ。俺の名前は……鳳凰院凶真だ!」

「はぅ……すみません」

 

 俺の真名を間違えるとは、我が弟子としてどうなのだと思ったが、そこはどうでもいい。ルカ子のアバターは現実と変わらず可愛い容姿だ。しかも、この世界では女のようで。革のスカートを着用している。

 

「ねえねえルカ君、何で女の子なのかな?」

 

 まゆりがその質問をする。ルカ子は少し恥ずかしそうに答える。

 

「ボク、女の子って間違えられるから、いっそ女の子にしようかって……。それに何でだろう、女の子だった僕を思い浮かべちゃうんだよね……」

 

 その台詞を聞いた瞬間俺はドキッとする。一度、ルカ子が女の子になった世界線へと行き、実際にデートまでしたことがあるのだ。ルカ子はそのときに俺のことを好きだといった。だが俺はその思いを踏みにじってしまった。

 ルカ子はもうそのときのことを覚えていないが、誰しもが、リーディングシュタイナーを持っているのだ、思い出してしまうことだってある。まあ俺みたいに克明には覚えていないのだが。

 

「るか氏、ネカマ願望あったん?」

「ね、ねかま……ってなんですか? 橋田さん」

「ネトゲとかで男なのに女になったりする奴のことだお。まあるか氏はもはや女の子だから問題はあんまないけど」

 

 ダルの言葉にルカ子は黙ってしまった。その空気を入れ換えるべく俺は言葉を発する。

 

「さてと……これでほぼ全員が揃ったな。後は紅莉栖を待つだけだな」

「クリスちゃんか……まだかな~~」

 

 まゆりが噴水に座りながら足をパタパタと石畳に叩きつけると、指圧師が細い声で俺を呼んだ。

 

「岡部くん……あれ、牧瀬さんじゃない?」

「ん?」

 

 俺は指圧師の指差す方向を見る。そこには、長く輝いている赤の髪をした女性がいた。背は小柄で顔はやや幼い。だが、ひと目でわかった。あれは牧瀬紅莉栖だ。俺が恋している、牧瀬紅莉栖だ。

 

 紅莉栖はきょろきょろと回りを見渡している。どうやら俺たちを探しているようだが全く見つからないらしい。俺は紅莉栖に近づいた。

 紅莉栖もこちらが近づいてくることを悟って俺を見る。最初は警戒心が見えたがすぐに消え、俺の顔を見上げた。

 

「Hi」

 

 紅莉栖の短い挨拶を俺は目を閉じて聞く。

 

「久しぶりだな、クリスティーナ」

 

 俺は穏やかな声でわざとあだ名で呼んだ。案の定、紅莉栖は食い付いてきた。

 

「だから私はクリスティーナでもない。牧瀬紅莉栖だ」

 

 変わっていない。彼女は変わっていない。俺のつけたあだ名に反抗心を見せる彼女は、変わっていない。俺は微かに安心した。

 吊られた目は相手を寄せ付けない印象を与え、スラッとした体は研究者だと感づかせるものである。普段はツンツンしているが、根は優しいことを俺は知っている。

 俺は噴水にいるラボメンたちの元へ向かう。まゆりを始め、全員が紅莉栖との再会を喜んだ。まゆりは思いきり抱きつき、ダルは茶化し、フェイリス達は思いきり笑っている。俺はそれを遠くから眺めた。俺も紅莉栖と早く話したいと急かす気持ちが巻き起こる。だが、それは自重する。今はこの空気を、大切にしたい。ラボメンが心からの笑いを浮かべている瞬間を味わいたい。俺が守ってきたものを、ずっと見ていたい。

 俺は頃合いを見て皆に声をかける。

 

「では、ラボメンが揃ったところで、そろそろ¨オペレーション・ナイト¨を開始する!」

「ちょ、初耳な訳だが」

「相変わらず中二は治ってないのね……」

「ーーーこのオペレーション・ナイトの概要はズバリ……俺によるレクチャーである!」

 

 大袈裟すぎだっつーのとか、中二病などと言う言葉を無視し、俺は言葉を続ける。

 

「お前たちにこのゲームの魅力を教えてやるにはまず、戦闘だ! 剣でしか戦えない世界だが、臨場感を味わえるのだ。詳しくは、この鳳凰院凶真が教えてやろう」

 

「え~~まゆしぃはコスが欲しいのです」

「フェイリスはメイド服がいいのニャ」

「あるわけなかろうが!」

 

 場違いなことをほざいているバカ女どもに突っ込む。確かに裁縫スキルを極めれば自分で作って手に入れることは出来ないことはないが、今では絶対に無理だ。

 

「つーかさ、僕的にはもう少しこの始まりの街を楽しみたいんだが」

「同感ね。あんたは先にβテストでやってるからいいけど私たちはこの街すらよく知らないのよ」

「フェイリスもちょっと見てみたいのニャ」

 

 ぐっ……揃いも揃って俺に歯向かうとは……。

 ただ、ラボメンたちの意見ももっともだとも思う。俺はこの始まりの街を腐るほど見たが、彼女たちは一度も見ていないのだ。案内から先にしても問題はないだろう。別に魅力を伝える時間はたっぷりあるのだ。また俺たちは遊べるのだ。

 

「ええい、わかったわかった! いいだろう、この鳳凰院凶真がこの街の案内をプァーフェクトにこなしてみせようではないか」

「やったぁ~~!」

「……うれしい……」

「さすがオカリン、僕らにできないことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れるぅーー! 中二的な意味で」

「ええい黙れスーパーハカー! ほら、とっとといくぞお前たち!」

「ハカーじゃなくてハッカーな」

「さ、いきましょ皆」

 

 紅莉栖がそういうと俺は胸を大きく張って歩き始めた。ラボメンへの始まりの街の案内が始まった。現実世界にはない武器屋、道具屋、雑貨屋などや、大きな広場、見世物ステージなどがあり、ラボメンたちは歓声をあげていた。途中新参プレイヤーに話しかけられたり、リア充プレイヤーに遭遇してダルが暴走したりと色々あったが、俺は案内でよかったなと思ったのだった。ラボメンが喜ぶ顔が見られたのだから。

 

 

 

 

「あー楽しかったー!」

「結構歩いたけど、足は痛くないんですね……」

「この世界では痛覚はないからよ。疲労感はあるとは思うけど、少なくとも筋肉痛とは無縁の世界だわ」

「全ての感覚神経がシャットアウトされているからな」

「全部……本物、みたい……」

「凶真がおごってくれたサンドイッチ、美味しくて感動したニャ! それもこれも、クーニャンのお陰だニャン!」

「クリスちゃん、ナーヴギアをありがとね!」

「ああ、いや、別に大したことはしていないわよ。アーガスにいる知り合いに余ったの譲ってもらっただけだから……」

「ウェイウェイウェイ! フェイリスにまゆりよ、何故この俺に感謝をせんのだ!?」

「オカリンはあんま関係ない希ガス」

「関係あるだろダル! 俺はお前たちを案内したのだぞ!! おまけにお前たちの昼食まで買ってしまった始末だ!」

「じゃんけんに負けたからでしょ? それに恩着せがましいわよ。そういうんだから感謝もされないのよ」

「なぬっ!? 助手の癖に生意気な!!」

「だから私は助手じゃないといっておろうが!!」

 

 黄昏時。

 俺たちラボメンは、アインクラッド外周部分にて他愛ない会話を繰り広げていた。皆で同じ笑いを共有し、宝石のように煌めく記憶を積み上げていく。柵に腕をのせて俺は皆の笑う顔を飽きずに見つめ続けていた。まゆりが天然で可笑しなことをいって笑わせ、紅莉栖が時々@ちゃんねる語を交え、ダルがHENTAI発言をし、ルカ子は健気に話に応じ、フェイリスが場を盛り上げ、指圧師は微笑みながらその会話を楽しんでいる。俺は、幸せだ。仲間とこうして下らないことで一緒になれるのだから。

 胸に込み上げてくる感慨を飲み込み、俺は再び高らかに宣言する。

 

「では、これより、ラボへと帰還する! 戦士の狂乱をしようではないか!」

「ラボでのパーティーのことですねわかります」

「うんー! まゆしぃたくさん食べ物持ってくるね!」

「フェイリスもログアウトしたら急いでラボに戻るのニャ! 全速前進DAニャ!」

「ボクも参加していいんですか……?」

「当たり前だ! ラボメンは全員参加許可を与えている。指圧師、お前も来い」

「……あり、がとう」

「私も、参加していいのよね……岡部」

 

 紅莉栖の問いに俺は苦笑する。声のトーンを落とし、妹をあやすような口調で答えた。

 

「お前が来なくてどうするのだと言うのだ、クリスティーナ。お前の帰還祝いなのだぞ」

「そうなんだ……ありがとね」

 

 珍しく紅莉栖が素直だった。俺はドキッと来てしまった。憎まれ口でも言われるのかと思ったのだが。だからつい、どぎまぎした口調になった。

 

「お、お前がこうも素直なのは、少々やりにくいな」

「な……!? こ、このバカ岡部!!」

「何だと、この天才HENTAI少女!!」

「HENTAI言うな!!」

 

 わーわーと俺と紅莉栖が言い合っている間、ルカ子とまゆりが落ちようとしていた。ログアウトするには、指を揃えて右腕を降ってメインメニューを開き、ログアウトボタンを押すだけだ。それらの作業をしているところを見ながら俺は声をかけた。

 

「では、ラボで待っているぞまゆり、ルカ子」

「はい、お先に失礼します」

「じゃあねー!」

 

 二人は先程俺が案内している最中に教えたログアウト方法でログアウトしようとした。

 

 

 

 だが、俺たちは知らなかった。

 これが始まりだった。この瞬間から、孤独の観測者を、大きく振り回すこととなった。長きに渡る戦いが、魔眼の持ち主を巻き込んでいくこととなった。

 

 

 

 

 

 

「あれ、ログアウトボタンが……ないよ……?」

 

 

 

 まゆりが発したその言葉は、嘘のようにその場の空気を止め、不思議にも談笑に浸っていた他のラボメンたちの鼓膜をはっきりと揺らしていた。




さあ、いよいよ……開幕ですな。

用語解説

・全速前進DA!
人気カードバトル漫画、「遊戯女王」の登場人物、海馬瀬姫が発した台詞。よくニコニヤ動画や、Mewtubeのネタ動画とかの素材に使われる。ただし今は雷ネット翔の方が人気が高いため、余り流行っておらず、時代遅れネタともなりつつある。
元ネタは遊戯王の海馬瀬人から。


では、感想お気に入り登録などお待ちしております。


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チュートリアル

アズマオウです。
評価ありがとうございます。

内容はお察しの通りです。タグにはありませんが、原作と余り大きくは変えません。原作準拠と思っていただいていいです。

1万字越えしてしまいますが、どうぞ。どうしたら文字数カットできるだろうか。


「ログアウトボタンが……ないよ……?」

 

 まゆりの言葉が波紋のごとく広がっていく。他のラボメンたちは話すのを急にやめて、まゆりに視線が集中する。俺に言いがたい不安感がのし掛かってくる。もしかしたら何かが起こっているのかもしれないという直感が俺の心を曇らせていく。だが、無理矢理それを払うように笑い、まゆりに近づく。

 

「お前の目は節穴なのかまゆりよ。ログアウトボタンがないなどあり得ぬ」

 

 そっかそうだよねーと返してくれることを願いながら俺はいった。だが、答えたのはまゆりではなく、隣にいるルカ子だった。

 

「岡部さん……僕のところにもありません……」

「だから俺は岡部ではなく鳳凰院……いや、どうでもいいか……。ーーーそれは間違いないのか、ルカ子」

「はい……何度探しても見当たらないんです」

 

 二人して俺に嘘をついてこないことは俺がよく知っている。そのせいで俺をまとう不安感が溢れだしてくる。そんな馬鹿なと叫ぶ俺もいれば、ラボメンは嘘をつかないと冷酷に告げる俺もいる。だったら確かめるしか、ないだろう。

 俺はルカ子達に教えた手順でメニューを呼び出す。画面をスクロールさせ、ログアウトボタンのある場所へと繰る。

 だが、あるはずのログアウトボタンはきれいさっぱり消失していた。βテストの時はあったはずの、ログアウトボタンが無くなっていた。

 

「オカリン、あったー?」

 

 まゆりは身を突き出して問う。俺は目を閉じてゆっくりと首を横に振る。癪ではあったが、事実である以上嘘はつけない。

 

 ログアウトボタンが消えた、すなわちログアウトができない。この事が場の空気を一気に重くさせた。俺たちは今、この世界から自発的に出られないのだ。

 そんな中、口を開いたのはフェイリスにだった。

 

「これはきっとバグニャ! ログアウトボタンが突然消えてしまったのニャ! まあ、正式サービスが開始したからこんニャこともあるニャ」

 

 なるほどなと俺は思った。

 確かにバグならば納得はいく。これが仕様であるはずもない。恐らく一度に何万人もののユーザーがログインしたから、サーバーに負荷がかかり、ログアウトボタンが消失してしまったのだろう。初回生産本数が5万本だから、かなりの人間がログインしていると考えていい。

 だが、フェイリスの意見に疑問を抱くものもいた。ダルである。

 

「でもさフェイリスたん。そんなゴミサーバーなら漬け物石行きだお。高々何万人ログインしただけでぶっ壊れるとか、携帯ゲームのオンラインでもあり得ないっしょ」

「でもダルニャン。もしかしたらその強いサーバーを作れなかったとか、じゃないかニャ?」

 

 フェイリスは妖艶な表情を浮かべる。恐らくダルを落とそうというのだろう。だがーーーここでダルは惑わされなかった。

 

「だったら何の為のβテストだお? そういったサーバー強度を測るためのものじゃないのかお? βテストは好評だからサーバー面に関しては問題ないし、それに仮にこのサーバーがゴミだとしてもラグとか一切起こってないお。そんな漬け物サーバーだったらもう動くどころかこうして話すことすらままならないのだぜ、フェイリスたん」

 

 ダルに完全論破されたフェイリスは押し黙った。お色気すらダルが受け付けないとは、余程真剣にこの事態に考えているのだろう、ただ事では、ないと。

 

「……私もただのバグじゃないと思う」

 

 紅莉栖がダルの後に続く。

 

「橋田のいう通り、ログアウトボタンが消えてしまうバグが起こる程度のサーバーならもっとひどいものに仕上がっているはずだわ。でも、こうして私たちは平気でいられている。ということは恐らくーーー」

 

 紅莉栖は顔をしかめ、その先の言葉を出すべきかどうか躊躇っているようだった。こう言いたいのだろう、紅莉栖。

 

「ーーー仕様、だとでもいうのか?」

 

 紅莉栖ははっとこちらを見る。そして、厳しい表情で頷く。

 

「仕様って……どういうことですか、岡部さん?」

 

 呼び名を間違えているルカ子に訂正するよう求める気に今はなれず、そのまま俺は答える。

 

「文字通りだ。初めから……そうあるように、ログアウトボタンがなかったことになっている、ということだ」

 

 俺の言葉に全員が凍りつく。あくまで仮定だが、妙にリアリティがある。自分で俺はいっておいて、震え始めた。もしこれが本当なら、とんでもないことになる。

 

「ということは……つまり僕たちは、閉じ込められたってこと?」

 

 ダルは震えた声で俺に言う。俺はダルの視線から目をそらし、地面を睨む。ここで断定はできないが、栗栖とダルの言うことに俺は非常に納得してしまっている。こんなのがバグであるはずがない、その通りかもしれない。だが……だが……そう断定したくない。俺たちは自発的に脱出できないことを認めたくない。

 

「あくまで……仮定だ」

 

 俺のその言葉は余りに覇気がなく、頼りないものだった。ここで虚勢を張れれば、どんなにいいか。だが、誰もこの空気を壊してくれる奴がいない。

 

「ねえ……岡部くん……質問があるんだけど」

「ーーー何だ、指圧師」

 

 それまでずっと黙っていた指圧師が俺に問う。指圧師の瞳は不安でゆらゆらと揺れているのが分かる。

 

「頭から……ナーヴギアを剥がせば、いいと思うの……。そうすれば……ログアウトできる、はず」

 

 指圧師の意見はもっともだ。確かにそのゲーム機を取ってしまえば、問題はない。だが、それは不可能だった。

 その理由は、紅莉栖が答えた。

 

「桐生さん、確かにいいアイディアだけど無理よ。ナーヴギアは全身の神経をシャットアウトして直接脳に信号を送っているの。逆に言えば、ここで私たちがどうしようと、現実世界の私たちは動きもしないの。だから頭からナーヴギアを剥がせないわ」

 

 紅莉栖の説明に指圧師は黙る。全身は痙攣しており、認めたくないと叫ぼうと必死だ。だが、紅莉栖が天才的な頭脳の持ち主故に、十分に信じられてしまうのだ。

 

「ねえねえ、オカリン。他にどうやって、ロックアウトするの?」

「それを言うならログアウトだ。ーーー他にログアウトする方法は……」

 

 俺は過去に葬り去った記憶を掘り出していく。だがなにも浮かばなかった。ログアウトボタンを押すだけの方法しか、俺は知らなかった。

 

「凶真……あるのニャン?」

「いや……ない」

 

 俺は弱々しく、断言した。それを聞いたラボメンたちは、一斉に顔を俯かせる。一体俺たちに何が起こっているのだろうか。果てには、この未知の世界線にて何が、始まろうとしているのだろうか……?

 

 突然、俺の不安を霞めるように、重い響きのある鐘が空気を揺らした。全員の視線が、始まりの街にある大きな鐘へと集中する。

 

「な、なに……?」

 

 一瞬時間が凝固した気がした。ぴーんと張り詰めた意識と共にゆっくりと揺れる鐘を見つめた。引き伸ばされた時間のなか、俺は鐘の奥にある夕焼け空を見た。金色に光る空は、俺の目を射て、思わず目をつむる。瞬間、空を照らす光は燃えるように輝いて。

 

 

 世界の有り様を、変えていった。

 

 

 

「な、なんだよこれ!?」

 

 突然、ダルの叫びが聞こえたので俺は振り向く。すると、ダルの周囲に青の光の柱が伸びていた。これは、点と点を瞬時に移動できるシステム、《転移》だ。だが、何故だ? フィールドで転移ができるのは特殊なアイテムしかないが、そのアイテムは第一層では手に入らない。ということはこれはまさかーーー。

 光の柱はダルのみならず、まゆりや紅莉栖、指圧師やルカ子、それにフェイリスまでを巻き込んだ。やがて俺にも光の柱が差し、あっという間に視界が白く染まった。

 

 視界が色彩を取り戻す。するとそこには大勢の人間がいた。ここはたしか、始まりの街の大広間だ。近くにラボメンがいるのでかすかに安心したが、先程から嫌な予感がする。そうだ、ねばねばした気持ち悪いものが俺の元へと降りかかってくる感じだ。まゆりの死を何度も経験したときに味わったような、吐きそうになるほど嫌なものが込み上げてくる。

 

「おい、まだログアウトできねえのかよ」

「ふざけんな、GM出てこいよ!」

「早くしてくれよー……このあと約束があるんだから」

 

 俺たちよりも先にこの広場に転移させられたプレイヤーたちの不満は零れ始め、口々に文句をいっている。場の空気が徐々に重く張り詰めたものと化し、息をするのも辛い。

 そのせいか、誰とも知れない人の声が明瞭に聞こえた。

 

「おい……うえ……」

 

 俺は、どこかにいる男の言葉につられて上を見る。すると……空中の一点に赤の横長の六角形が点滅していた。目を凝らすと、《System announcememt》と表記されている。運営告知がようやく始まるということか。このおかしな状況を解決してくれるのを待っていた俺は、安堵の息を吐く。

 だが、その安堵に俺は疑いを持つ。赤の六角形は俺たちを覆う空で一瞬にして展開され、赤に染まってしまった。不安感を煽る演出だ。ホラーゲームでもないこの世界に、このような演出をするのは何故だ?

 それだけではなかった。六角形と六角形の隙間からどろりと粘性のある紅い液体が垂れ始めたのだ。やがて空中の一点でそれは止まり、ローブを羽織った人の形へと変形していく。

 

「一体……何が始まろうとしているの……?」

 

 紅莉栖が呆然と呟く。俺には答えられなかった。こんな酔狂な演出の先に待ち受けているものなど、想像できない。

 新たに姿をローブを羽織った男の顔は黒い靄にかかっており見えない。赤のローブに包まれた体はかなり巨大で、身長10メートルはあるだろう。だが、確かなのはあれはSAOのGM関係者であるということだ。

 

「なんだあれ?」

「GMか。やっと来たぜ……」

「顔ないよ?」

 

 周りのプレイヤーたちも騒ぎ始めた。突如現れた謎の男は黙して俺たちを見下ろしている。だが、しばらくしてその大男は大きな腕をそっと動かした。すると皆の声は嘘のように聞こえなくなった。

 

「プレイヤー諸君、私の世界へようこそ」

 

 低く抑揚の少ない声が大広間を満たす。私の世界、だと? 何を当たり前のことを。あなたはゲームマスターなのだから、それはもはや周知の事実だ。再びざわつき始め、男の台詞に失笑で返すものが多かった。

 俺も思わず失笑してしまった。笑わせやがって。こんな茶番はおしまいだ。俺は、上空に浮かぶ大男に侮蔑の視線を送った。

 だが、次の瞬間、俺の笑いは凍りついた。

 

「私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の存在だ」

 

 茅場晶彦。その単語は俺の脳に秘められている記憶を瞬時に貫き通した。

 この男は、ナーヴギアとSAOを作ったアーガス社のトップに座する男で僅か20代後半の若き天才物理量子力学者だ。紅莉栖など足元にも及ばないほどの頭脳を持ち、危険すぎるのではと思いたくなるくらいの独創的な考えを持つ。だからこのような世紀の大発明が出来たのだ。だが、何故この場に茅場晶彦が現れるのだ? 直々にこの異常事態を説明してくれるのか? でも、それにしては回りくどい。本来ならばすぐにでもサーバーを停止させ、強制ログアウトさせるのが筋だが、わざわざこんな場所に集める意味はなんなのだろうか?

 だが、そんな疑惑など次に続く言葉で消し飛んでしまった。

 

「プレイヤー諸君は既にログアウトボタンがメインメニューから消えていることに気が付いていると思う。しかしこれはゲームの不具合ではない。繰り返す、これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。即ち、自発的なログアウトは不可能になる」

 

「し、仕様だって……? ふざけてんのかよおい……!」

 

 隣に立つダルが怒りの唸り声をあげている。だが、俺も頭の奥では全く同じことを叫んでいた。今年のクソゲーオブザイヤーは間違いなくこのゲームだろう。

 

「オカリン……何かまゆしぃは嫌な予感がするのです……」

 

 そばにいたまゆりが俺に寄り添う。俺は無意識に彼女を抱き寄せ、安心させるよう努めた。

 だが、この男は、一人の少女の不安でさえ拒み続ける。平坦とした口調でとんでもない発言がまたもやでた。

 

「また、外部からの強制解除もあり得ない。もしそれが試みられた場合ーーー君たちプレイヤーの脳を高出力マイクロウェーブで脳を破壊し、生命活動を停止させる」

 

 しんと場が静まる。続いたのは、微かな失笑。この男のいうことはスケールが大きすぎる。この男はもしかしたら、よんどしーレベルの中二病かもしれない。だが、それは違うと内から叫んでいる俺がいる。それを否定すべく俺は紅莉栖の方を向いた。

 

「何を言い出すかと思えば……下らない。そんなもの夢物語だ。ゲーム機で人を殺めることができるなど、ありえん! そうだろ、紅莉栖!?」

 

 俺は半ば焦る気持ちで紅莉栖に同意を求めた。まるで、突きつけられた運命に醜く抗うようだった。

 紅莉栖は俺の顔から目をそらす。きつく口を締め、衝動に耐えているようだった。だが、俺はその紅莉栖の様子からも目を背けたかった。もし認めてしまったら……取り返しのつかないことが起きる。そう確信した。

 だが……紅莉栖は意を決して口を開いた。

 

「理論上は……可能よ」

 

 紅莉栖の言葉は、ナイフのように鋭く、氷のように冷たかった。俺たちラボメンを、いや、もしかしたら周辺のプレイヤーまでを巻き込み、微かに望みをかけていた何かが音をたてて壊れた。

 でも、俺という生き物は愚かだ。まだ抗おうとしている。俺は紅莉栖にその根拠を求めた。

 

「どうしてなんだ?」

「ナーヴギアには高出力のバッテリーが内蔵されているの。それさえあれば強力な電磁波を放出して、脳を高速振動させて蒸発させることなんて、オチャノコサイサイなの」

 

 つまり、死を呼ぶ電子レンジということだ。電子レンジはものを温める器具として知られているが、原理は熱風や火による温度の上昇というわけではない。電磁波を送り、対象物を高速振動させてその摩擦熱で温めているのである。この原理を応用すれば、人の脳を干上がらせることなど容易い。

 信じたくなかった。認めたくなかった。だが、紅莉栖の理論と、茅場の平坦な口調が認めろと強く叫ぶ。そして、凶器を突きつけていく。

 

「また、このゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。君たちプレイヤーのHPが0になった瞬間、君たちはこの世界から永久に消滅しーーー」

 

 今度は何をいうつもりだ?

 俺は口を戦慄かせながら、上空に浮かぶ茅場晶彦を見る。暗闇に覆われている茅場の顔面からは表情を読むことはできないが、一瞬ニヤリと酷い笑いを浮かべた気がした。ドキンと心臓がはね、俺は一歩後ずさる。じわじわと生まれる恐怖を味わいながら俺は茅場の続く言葉を、聞いた。

 

「現実世界の君たちの脳を破壊し、生命活動を停止させる」

 

 再び場は静まる。これは現実なのか、それともただの行きすぎた余興なのか。静聴しているプレイヤーはまだ判断しかねているようだった。

 

「諸君らが解放される条件はただひとつ。この城の頂である第100層の最終ボスを撃破すれることだ。見事達成できたらば、君たちのログアウトを保証しよう」

 

 その台詞を聞いたとき、ダルが怒りの声をあげた。

 

「む、無理に決まってんだろ!? βテストのときにはろくに上れなかったって聞いているお!!」

 

 βテストのとき、俺たちはたったの10層までしか到達できなかった。一体何年かけたら100層まで行けるのだろうか……。何故この男はこんなことをするのだ。何故この男は地位や名誉をかなぐり捨ててまでこんなことをするのだ。途方もない条件が課せられ、萎えかけたそのときだった。

 

「最後に君たちに、この事が現実であると感じられるよう、私からのプレゼントを与えた。メインメニューのアイテム欄にあるので、確認してくれたまえ」

 

 プレゼントだと?

 俺は反射的にウィンドウを呼び出し、アイテム欄を確認する。すると、《手鏡》がいつの間にか入っていた。不思議に思いながらそれをオブジェクト化し、手に取ってみる。何てことはない。リアルと余り変わらない俺の顔が映るだけだ。

 ーーーだが。

 突然、周囲のプレイヤーが悲鳴をあげた。振り向くと、周囲のプレイヤーを白い光で覆っている。一体これは……?

 

「うわっ!?」

「な、なに……?」

「わわっ!?」

 

 ダルやまゆりたちにも同じ現象が起こっていた。そしてーーー俺にも光に包まれて、視界が一瞬ホワイトアウトした。

 

 数秒ほどで視界に色彩が戻り、全てが元通りにーーー。

 ならなかった。

 

「ダル……? 何でお前……?」

 

 俺は隣にいるダルをみる。ダルの容姿は、見慣れた巨体に変わった。いや、戻ったというべきか。俺は信じられない気持ちでクリスやまゆり、指圧師、ルカ子、フェイリスを見る。同じく、見慣れた容姿に戻っていた。当の本人たちも困惑している。一体何故なんだと。

 俺も不安になり、手鏡を覗き込む。するとーーー現実世界の、俺の顔がそこにあった。顎に生えている無精髭、歳の割りには老けている印象を持つ容姿、ひょろっとした、弱そうな骨格を持つ顔が見える。

 周囲のプレイヤーの状況も変わっていた。まず、男女比が大きく変わっている。女に成り済ました男の姿もあり、男性の方が圧倒的に多い。しかも美男美女の集団から不細工集団へと下がってしまった。ネトゲの世界から、一気にコミケに来たような感じだ。

 どうやら茅場の思惑は現実となったようだ。ここでようやく、こんな下らないことは現実だと認め始める者が出てきている。

 

「僕の顔がぁーーーー!! 僕の不細工な顔がぁーーーー!!!!」

 

 ダルが絶叫している。いつも能天気なまゆりもさすがに困惑し始めていた。

 

「ねえ……クリスチャン。どうしてまゆしぃたちの顔が現実の顔になっちゃったの?」

 

 まゆりの質問に紅莉栖は答える。

 

「それは……きっとナーヴギアを被ったときにスキャンされたからよ。それで顔のデータとかを取ったんでしょうね」

「でも……身長とか体格とかは、どうなんでしょうか……?」

 

 ルカ子が質問を付け加える。これには紅莉栖も困った。だが、俺はその答えを知っていた。

 

「ナーヴギアに接続する際、テストとして体をあちこちを触らせられたではないか。名前はたしか……キャリブレーションだったな、それで恐らく体格のデータを取ったんだろうな」

「でも……何でこんなことになっちゃったんだニャ?」

 

 フェイリスが怒りに耐えるような表情を浮かべた。俺は黙ってあの男を指差す。

 

「どうせ、すぐにわかるさ。あの男が教えてくれるだろう」

「僕の顔が……僕の……」

 

 俺の予想通り、茅場は言葉を発した。

 

「諸君は今、何故茅場晶彦はこんなことをしたのか、と思っていることだろう。身代金目的の監禁か、あるいは大量虐殺のためか。私の目的はそのどちらでもない。私の目的は、ただこの世界の鑑賞のみだ。そのために私はナーヴギア及び《ソードアート・オンライン》を作ったのだ。そして今、その目的は達成せしめられた」

 

 しんと場は音一つない。内なる衝動を発せずにいる。現実かどうかいまだにわかっていない人間はいるだろう。ラボメンの中にも、受け入れがたいとするものはいるだろう。

 

 でも、これは、現実だ。

 今この場で俺たちは死を突きつけられているんだ。そうーーー俺は街の外にいる、殺意を持つコンピュータを搭載した敵に殺される。瞬間、体は四散して現実世界の俺の脳を喰らい尽くす。リーディングシュタイナーにて引き継がれた記憶も、全て消される。仲間たちの思い出も無かったことになる。

 そう考えた瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。なんだよ、ふざけるなよ。荒い言葉が内から溢れ出てくるも、弱々しく消えていくだけだった。奴の見せる現実の前には、一人の大学生の男の声など、聞こえはしないのだ。例え、運命の神を欺いた男であっても。

 いや、もしかしたらこれは代償かもしれない。己のエゴのために、本来の運命をねじ曲げてこの未知なる世界線へと到達した、不遜な観測者に対する代償かもしれない。仮にこれが、俺だけに対する代償ならば、いくらでもうけよう。俺がラウンダーだった世界線でも俺は酷い目に遭ったのだ。これくらいどうってことはない。だが……皆を巻き込まないでほしい。皆まで俺の代償に付け加えないでほしい。俺一人が苦しむようにしてほしいーーー。

 

 待て。

 仲間を殺すことが、俺に対しての代償だとすればーーー。

 

 俺は、笑った。

 誰にも聞こえないような、微かな笑い。薄く、気味の悪い嗤いが込み上げてくる。もはや息だけで笑いながら俺はこういった。

 

 ふざけるな。

 

 お前がこの俺を殺すというならば受け入れてもいい。だが、仲間を巻き込んでいいわけじゃないだろう。俺が命がけで守ってきたラボメンをお前は平気で殺そうというのか? 俺を苦しめようと、平気で全員殺そうというのか。もし世界が、そういう意思を持つとしたら……俺はそれを否定する。騙し、欺き、破壊するまでだ。

 

 俺は、ラボメンを、お前の好き勝手なようにはさせないーーー。

 

 きっと俺は空を見上げ、茅場晶彦に笑う。いや、殺意を込めて、睨み笑ったのかもしれない。茅場顕彦は一瞬ちらっと此方をみたーーー気がした。

 

「では……以上で《ソードアート・オンライン》のチュートリアルを終了する。プレイヤーの諸君、健闘を祈る」

 

 短い激励の言葉を残し、茅場のアバターはスパークを起こして空へと消えていった。天蓋を包む赤い六角形も先程と同じように消滅していった。

 のどかなBGMが鼓膜を揺らし、現実離れした世界の光景が広がっていく。全てが元通りに戻った。その世界を支配するルールは、大きく異なってしまったが。

 俺は立ち上がり、息を吸った。これからまた、戦いが始まる。ラボメンのための戦いが。生き残るんだ。何としてでも。俺はそれをラボメンたちに伝えようと紅莉栖たちの方を向いたのだが。

 

「い……、いやっ!」

 

 ツインテールの少女の小さな悲鳴が聞こえる。それはたちまち、プレイヤーたちの心を刺激した。ようやく自分達はこの世界に囚われてしまったということを、自覚したのだった。 そうなれば当然ーーー。

 

 

「おいふざけんな!! 早くここから出せよ!!」

「帰してっ! 帰してよおおおおっっ!!」

「このあと約束があるんだ! 出してくれ!!」

「いやぁぁっ!! いやあぁぁぁっっ!!」

 

 場は騒然とし、パニック状態になった。人はごった返し、恐怖が伝播する。上空に消えた茅場晶彦に怒鳴りつけるもの、泣き叫ぶもの、暴れるもの、抱き合うものと様々だった。俺はラボメンをとりあえず外へ出そうと、紅莉栖に近寄ったのだが。

 

「いやあああああああっっ!!!!」

 

 聞き覚えのある声だった。これはまさか……!

 

「萌郁!!」

 

 俺はごった返す人混みを掻き分け、声の聞こえる場所へと行く。近くまで行くと、萌郁の姿が見えた。だが、萌郁はどうにか人混みから抜け出し、大広間を出ていってしまった。

 

「くそっ、紅莉栖! 聞こえるか!?」

 

 俺は後ろを振り向きながら、近くにいた紅莉栖に叫ぶ。

 

「え、ええなんとか!」

 

 こんな状況でも紅莉栖は冷静だった。流石は天才少女だ。俺は頼もしく思いながら叫んだ。

 

「最後に俺たちがいった場所へと皆を連れていってくれ! 俺は萌郁を連れてそこへ行く!!」

「分かったわ!」

 

 そう返事するや、紅莉栖は皆のもとへといった。俺は、紅莉栖の後ろ姿を見届けて、人ごみの中へとはいる。秋葉原のスクランブル交差点よりも酷い。俺が経験したなかで一番ではないのかというくらい混雑していた。無理もない。突然自分達は、死の籠へと放り込まれたのだから。

 息がつまるほどに苦しい空間をどうにか抜け出して、指圧師のいる場所へと走る。だが街中にはもう指圧師の姿はない。ということは……萌郁はフィールドにいる。

 

「くそったれが!!」

 

 俺は毒つきながら始まりの街から出てフィールドへとはいる。この辺のフィールド敵は弱い。だが、萌郁には戦闘の基本をまだ教えていない。子供がノコノコとジャングルには入るような行為だ。もし、萌郁がモンスターと遭遇したらーーー間違いなく死ぬ。

 それだけはあってはならない。仮に一度裏切った女とはいえ、ラボメンである以上、俺が守らないといけないんだ。俺は身が裂ける思いで走る。

 

「助けてっ!!」

 

 悲鳴が聞こえた。これは間違いなく萌郁だ。俺は剣をオブジェクト化し、背に装備する。その後走りながら抜き払った。

 萌郁の姿が見える。だが、その近くには、猪形の雑魚モンスター、《フレンジーボア》がいた。レベル1モンスターだが、案の定萌郁は武器すら持っていなかった。そんなプレイヤーでは、勝てない相手だ。しかも萌郁のHPも4割りほどにまで減ってしまっている。

 萌郁もこちらに気づいたようで、俺の名前を叫ぶ。だがフレンジーボアは、萌郁に容赦なく突進攻撃を浴びせた。萌郁は避けることもできず、HPを減らす。あと一撃食らえば、死ぬ量だ。そしてフレンジーボアは追撃を行う準備をしていた。フレンジーボアは、小さな蹄を蹴り、死にかけている萌郁を狙ったーーー。

 

「ブヒィッ!?」

 

 猪は悲鳴をあげた。俺の剣が猪を斬りつけた。猪はこちらを睨み付ける。よし、これでーーー。

 

「萌郁! 早く街へ戻って、最後に俺たちがいた場所へと行け!!」

 

 俺は大声で指示を出した。

 

「岡部……くんは……?」

「俺は大丈夫だ」

「でも……」

「早くしろ!!」

「わか……った……」

 

 萌郁はそれ以上俺に言うのをやめて、走り去った。俺は萌郁が無事に離脱できたことを確認した。

 猪は、せっかくの獲物を取られたことに怒りを抱いているーーーように見えた。だが、俺には知ったことではなかった。俺は剣の柄を握りしめ、地を蹴った。この世界で生き延びるための、最初の戦いだった。

 

 




用語解説です。

・クソゲーオブザイヤー
@ちゃんねるにおいて、年に一度のクソゲーを決めるスレのこと。略称KOTY。過去に四十八(仮)などもノミネートされている。
実在するスレッドで、クソゲー認定されたゲームはずっとネタにされる。

では、感想やお気に入りなどお待ちしております。


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円卓会議

アズマオウです。

オカリンの初戦闘ですが……うーんですね。ヘタレです。

では、どうぞ。


 風が俺の頬を打つ。一瞬ひんやりした感触が襲い、緊迫の糸をさらに張り詰めていく。このアインクラッドにおける気象設定は現実世界のそれと同じで、冬の気候となってる。そのため風は冷たく、空気も乾燥している、ように感じる。だからといって風邪を引くわけではない。

 どうでもいい思考をパッと切り捨て、視線を目の前にいる猪に向ける。猪は殺意を込めた目を俺に向けーーー地を蹴った。今俺と向き合っている猪の名前は《フレンジーボア》だ。だが、その辺にうろついているフレンジーボアよりかは若干違う。足の蹄の色が赤色のフレンジーボアは、少しだけ攻撃力が高いのだ。だが、知ったことではない。フレンジーボアの攻撃パターンは変わっていない。一直線の避けやすい突進を繰り返すだけだ。しかも、そのHP量もソードスキル―――この世界で言う必殺技―――を一発当てる程度で死ぬ量だ。だから楽勝で倒せる敵だ。βテストの時だってノーダメージで倒せたんだ。俺はニヤリと笑おうと、口の端をゆがめようとした。

 だが、笑えなかった。笑って余裕だと思いたいのに、笑えない。顔面がこわばっていき、体が震えはじめる。一体これは……?

 とりあえず、回避しよう。そう思い、足を動かしたのだが。

 

 ―――動かない……!?

 突然足が言うことを聞かなくなった。この世界にはすべての痛覚が遮断されているため、筋肉痛とは無縁だ。そもそもそこまで足を酷使したわけではない。だが、足は金縛りにあったかのように、動かない。おまけにガクガクと震えている始末だ。なぜこんなに怖がっているのだろうか。死ぬのが怖いのか? 降り注がれる殺意に恐怖しているのか?

 殺意に遭遇したときなどいくらでもある。未来ガジェット研究所のオーナーのミスターブラウンこと¨天王寺祐吾¨の一人娘の綯が俺を殺すと脅したこともあった。俺たちを襲撃したラウンダーたちもそうだった。紅莉栖の父親、¨ドクター中鉢¨が紅莉栖の首を絞めたときもそうだった。俺は様々な殺意を見てきた。それに恐怖しなかったときなど、一度もない。すべてが現実で起こったことだから。

 そう、この世界はすべてにおいて現実だ。本来のゲームの敵が抱く殺意は偽物で、余興として認識される程度だ。だが、この世界では違う。この世界では、俺という人間の命を、俺という存在を破壊しようとしているのだ。

 途端に俺は、体が硬直するのを感じた。動けない。足が震えている。動けと脳で命令しているのに、動かない。サッと顔から血の気が引いてきているのがわかる。

 

 ―――怖い、助けてくれ。

 

 俺は迫り来る猪を見る。躱そうとも、迎撃しようとも考えなかった。ただ、見ていた。

 ドスッと鈍い音と共に俺の体は猪の突進をもろに食らった。HPは2割方減ってしまった。

 痛みはない。死に近づいている実感はない。これは現実ではないのかもしれないと錯覚するほどに、現実感のないダメージ。

 吹っ飛ばされ、ドサッと地面に叩きつけられる。鈍い衝撃が体を貫くも、大したものではない。俺はノロノロと立ち上がり、剣を構える。だが、膨れ上がる恐怖感が消え去ることはなかった。

 俺は、浅い呼吸を繰り返しながら猪を見る。猪はまだ死なない俺をさらに追い詰めようと、蹄を蹴る。守らなきゃ、避けなきゃと思っても、震えて何も出来ない。俺は再び攻撃を食らった。

 どうやらクリティカルに入ったようで、一気に残り5割ほどになる。防御力が低い初期装備のせいでもあるが、それ以上に、俺の弱さが現れているのかもしれない。

 ―――そうだ、俺はただの中堅大学の生徒だ。異世界で暴れる剣士などではない。リーディングシュタイナーという特殊な力を持つ以外は、普通の人間と何も変わらない。本来ならば、俺は大学へと行き、ラボメンたちと駄弁って、一人思索に耽るだけのそんな平坦な毎日を過ごす男なのだ。ゲームとして成り立っていないこの世界での俺は剣士ということになっている。でも違うんだ。俺に剣士の資格などない。

 猪は再び地面を蹴る。俺はただ、その動きをみていた。もう俺には勝てない。こんな雑魚モンスターですら俺には勝てないんだ。俺はただのへたれだ。先程茅場に俺は戦うなどと宣言したが、あれは恐らく俺の何時もの厨二病の癖でやってしまったのだろう。あの怒りも、しょせんは若気の至りだ。自分は狂気のマッドサイエンティストだという錯覚にとらわれ続け、本当の自分を見失う。だからあんな法螺をふけたのだ。俺なんかに、仲間たちが守れる筈がなかったのだ―――。

 

 

 

 

 だが、その瞬間、脳裏に現れたのは。

 まゆりが穏やかな笑みを浮かべながら、息を引き取っている場面だった。頭には鋼鉄のヘッドギアが被せられている。周りにたっているのは俺しかおらず、ラボメンの皆も同じように寝ている。いや、死んでいる。何故かそこには、阿万音鈴羽の姿もあった。

 全員が、死んでいるのだ。俺の前で。全員が。

 この光景を、俺は見ることになるのか。

 だとしてもだ、弱い俺に対する、報いだとしたら受け入れるしかないのだろう……。

 

 

 

 

 

 ―――ふざけるな!!

 俺はいつしか叫んでいた。何の前触れもなく猪に叫んでいた。

 助けられるかなんてどうだっていいだろう? まゆりを死なせるなんて、俺には出来ない。俺はまゆりを守るんだ。まゆりだけじゃない。ダルも紅莉栖もフェイリスもルカ子も指圧師も、全員守るんだ!! それで俺が命を落としても構わない。俺が殺されるのも嫌だが……それ以上に―――。

 

 俺の腹に猪の頭が突き刺さる。HPは残り3割になり、赤くなった。だが、そんなことを意識などしていなかった。

 吹っ飛ばされた体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。

 

「……いてぇだろーが……」

 

 俺は低い声で唸る。だが、猪はそんな俺の様子など気にかけていない。プレイヤーに対しての反応のパターンの欠如ゆえだろう。だが―――知ったことじゃない。俺は殺意を込めた眼差しを猪に向けた。

 猪は怯むことなく俺に最後の突進をかける。距離はわずか10メートル。だが、それだけあれば、問題はない。俺は剣を腰に引き、タメをいれていく。たちまちライトブルーの光が剣を包み、キュィィィンと唸り始める。

 

「ブヒィッ!!」

 

 猪は鳴き声をあげて俺の腹をぶち抜かんと迫る。これを喰らえば俺の生命は粉々に消し飛ぶだろう。俗にいうゲームオーバーだ。だが、そうはいくものか。ラボメンたちの人生は、命は、俺が守るんだ。俺一人がゲームオーバーになっても、彼ら、彼女らだけは守り抜く。何故なら、俺は――――。

 

「俺は……狂気の、マッドサイエンティスト、鳳凰院、凶真だからだあぁぁぁっっ――――!!」

 

 絶叫をあげながら剣を前へと素早く突き出す。淡い青の光芒をまき散らしながら上方に弧を描いていく。そのまま、剣に全身の力を込めて斬り降ろした。

 片手剣剣技(ソードスキル)、《スラント》は、突進する猪の左わき腹を深々と切り裂いた。光の残滓が、くっきりと猪の脇腹に後を残し、猪は小さな目を見開き、空中に静止した。猪の横にあった横棒、HPゲージは空っぽになり、猪の体が霞みはじめる。瞬間、猪の体は金色に光る塵となって爆散した。

 ガラスの割れるような音が耳をつんざく。これがこの世界の死。ベータテストとは大きく変わってしまったこの世界では、もう二度と散ったものは戻ってこない。この猪の場合はシステムが別個体を生産してくれるため、生き返られると言っていいのだが、俺たちはそうはいかない。この死を俺は人の場合で見ることがあるのだろうか、もしかしたら俺の大切な人も―――。

 俺は首を降り、一瞬よぎった考えをふるい落す。そんなことは俺がさせない。それにこの世界線は、誰も死なない世界線だ。だから、きっと―――。

 

「……帰るか」

 

 俺は小さく呟くと、街へと足を向けてその場を去った。

 

 

 

***

 

 始まりの街の中へと入り、まゆりたちをさがす。その途中、悪魔のチュートリアルが行われた大広間を覗く。先程よりかは人は少なくなったが、いまだに大声をあげているものや暴れだしているもの、放心しているものなどがいた。俺はそれから目を逸らすように駆け出していく。待ち合わせ場所へと一刻も早く行かなくては。

 全速力でその場所へと向かい、駆け抜けていく。大広間以外に人は余りいない。もしかしたら近辺の宿などに引きこもってしまっているかもしれない。

 俺はどうにかアインクラッド外周部分へとたどり着く。すると、夕日に照らされたラボメンたちの姿があった。全員が顔を項垂れている。当然だ、何にも知らないままこの世界に放り込まれたのだ。無理もない。俺は大声で彼らを呼んだ。

 

「おーい、紅莉栖!! ダル!!」

 

 すると、ダルと紅莉栖はその声に反応した。ラボメンたちも一斉に振り向き、安堵の顔を見せる。

 

「 岡部!!」

「オカリン!」

 

 俺はすぐに彼らに近づき、膝に手を着く。かなり必死に走ったのは、久々だ。

 紅莉栖は俺に近寄り、俺に問う。

 

「大丈夫だったの?」

「ああ。それよりも萌郁は?」

「桐生さんなら大丈夫よ。無事に戻ったわ」

「そうか……」

 

 俺は息を整えて、萌郁を探し、歩み寄る。萌郁は顔を俯かせていた。俺はじっと見据えてーーー。

 

 

 パシンッ!

 

 

「……!?」

 

 ラボメン全員の息を詰めた音と、乾いた打撃音が重なって響いた。萌郁は一瞬瞳孔を開く。叩かれたことに驚いているのだろう。

 

「馬鹿野郎!!」

 

 俺は大声で怒鳴った。久しぶりに怒声をあげるなと俺は思ったが、収まることはない。俺は、怒りをそのままぶつけた。

 

「どれだけ心配したと思っているんだ!? お前が勝手に飛び出して、俺たちは心配したんだぞ!! 俺がいなかったらお前は……お前は……」

 

 死んでいたんだぞ。

 そう続くはずなのに、言えなかった。言ってはいけないと本能で思ったからだろう。俺は、荒げた感情をどうにか落ち着かせ、萌郁を見つめる。

 萌郁は項垂れながら、小さく弱々しい声で謝った。

 

「……ごめん、なさい」

「分かればいい。二度と軽率な行動はしないでくれ」

 

 こくっと萌郁は頷いた。萌郁も十分反省しているだろう。俺は許してやることにし、ラボメンたちに向き直った。

 

「では、これより円卓会議を始めたいと思う」

 

 何時もならば、ダルか紅莉栖が茶々を入れる。だが、今回はそんなことはなかった。そう、誰もこの状況ではふざけられない。空気の読めないまゆりでさえ何も言わないのだ。

 かくいう俺も、この状況を利用してふざけようというわけではない。真剣に、俺たちはどうすればいいかを話し合わなくてはならない。もはやただの雑談と化してしまっている円卓会議ではない、本当の意味での円卓会議を求められているのだ。

 

「今回の議題は……これから俺たちはどうすればいいか、だ」

 

 皆が黙って頷く。何時もこうであればいいのにと俺は思ってしまうが、そうでないのがこの未来ガジェット研究所の特徴なのだ。このような黙りこくる円卓会議は慣れない。

 

「何か意見のあるものは、手をあげて発言してくれ」

 

 しんと円卓は静まる。まあすぐに具体的なアイディアが浮かぶとは思えない。俺は、後ろにある柵に寄りかかり、意見が出るのを待った。

 すると、手が上がった。意外にも最初の発言者は、ルカ子だった。

 

「あの……この世界でHPが0になると、死んじゃうってのは、さっき岡部さんがいない間に牧瀬さんから説明していただいたんですが、だったら、この街に引きこもればいいんじゃないでしょうか? すごく長い間になっちゃいそうですけど、国が助けてくれたりすると思うんです……。それに絶対に死なないと思います」

 

 つまりルカ子は安全第一を主張するというわけか。確かにいい案だ。誰も死なないから安全に現実に帰ることが出来る。ほぼルカ子の意見で決定だろうと俺は思いながらも、一応他の意見を聞いた。

 

「ルカ子の意見に何かあるか?」

 

 俺の促しに、誰もなにも言わないーーーかと思いきや。

 ダルが手をあげた。

 

「ん? ダル、なんかあるか?」

 

 ルカ子の意見以外にも、何かあるのか? とダルの顔を覗く。ダルはいつもののっぺりした口調で話した。

 

「いやぁ、るか氏の意見もいいとは思うんだけどさ、僕的には無しだと思われる」

 

 ダルがそういった瞬間、みんながダルの顔をみる。特にルカ子や紅莉栖は疑問の色を隠せていなかった。俺はちらっとみて彼女らを抑えるとダルに促す。

 

「それで、どうしてそう思うんだ?」

 

 ダルはこほんと咳き込んで答える。

 

「僕は一応デスゲームものの映画やゲームとかは結構嗜んでいるんだよね。まあいろいろそれぞれ違ったりするけど、共通点もあるんだお。それは、誰しもがるか氏みたいに引きこもって終わるまで待とうと考えるやつがいること、本当の敵が人であること、そして、引きこもっているやつは騙されるって言うのはもはやお約束なんだお」

 

 皆が黙った。ダルの知識と経験は舌を巻くものだ。コミュニケーション能力は恐らくラボの中でトップクラスだろう。ダルの言葉に誰も言い返せない。

 だが、ここで発案者であるルカ子が口を出した。

 

「で、でも……それはゲームや映画の話であって、実際はそうじゃないって思うんですが……」

 

 反論の糸口としては適格だと思う。というか普通そう反論する。だが、ダルはすばやく返した。

 

「確かに、虚構と事実じゃ違うことがある。じゃあ逆に僕が聞くけど、るか氏はそれがわかるん? 僕は全くわからないお」

 

 ルカ子は言葉に詰まる。わかるわけがない。ルカ子はそう言った怖いものではなく、ほのぼのとした物語を好むのだから。

 

「分からなければ、たとえ現実と違ってもそれを判断材料の一つとすべきではないかと思われ。もちろんるか氏の言う通りフィクションだから大幅に変わっていてもおかしくはないけど」

 

 追い打ちをかけるようにダルは言葉を締めた。ルカ子は今にも泣きそうな顔をしていた。ここまで論破されては、誰だって落ち込む。気の弱いルカ子なら尚更だ。

 ついに涙を流したルカ子にまゆりが近寄った。

 

「ああ、ルカ君大丈夫? ダル君、少し言い過ぎだとまゆしぃは思うのです」

 

 まゆりに窘められたダルは首を縮めて反省の言葉をかけた。

 

「ああ、ごめんお。僕も少し気が立ってたからさ……ごめん」

 

 ダルが謝ったところで、俺は質問をした。

 

「ではダルよ。お前ならどうするのだ? 俺たちはどうすればいいと考える?」

 

 今頼れるのは、ダルしかいない。皆の視線がダルへと集中する。

 

「んーと、まあ、確かにむやみに身を投げるように危険な行為はしちゃいけないんだよね。かといって、身の安全のみを考えて引きこもったりするのもNGなんだよね。うまく利用されるだけだし。そこで生き残る法則があるんだお」

 

 ダルは一度言葉を切る。頭の中で話をまとめているのだろう。

 

「まずは、情報や知識を得ることだお。情報こそ命になってくるからね。だけどデマとかも回ったりするから、情報の識別能力も必要になってくる。次に、連帯。しっかりとした連帯関係があればそうそうと崩れることはないし、生き残るのに大きな力となるんだお。」

 

 なるほどと皆が頷く。理解力に乏しいまゆりでさえ、理解の頷きをする。確かに情報がなければ何も出来ないし、連帯がなければ、バラバラになってしまう。

 

「そういうことニャら、ギルドを作ればいいニャ! ダルニャンのいう連帯なら、これで完璧ニャン!」

「ギルドってなぁに? フェリスちゃん」

 

 その質問には俺が答えた。

 

「グループのことだ。ネットゲームではギルドというのだ。まあ、この未来ガジェット研究所のようなものだ」

 

「そっかー、ありがとオカリン」

「それで、ギルドは作れるのかしら?」

 

 紅莉栖が腕を組んで問う。だが、俺は首を横に振った。

 

「現時点では不可能だ。ギルドを組むには第3層のクエストをクリアする必要がある」

「じゃあ当分はどうすればいいんですか、岡部さん?」

「鳳凰院だ。ーーーまあ当分は何処かの宿を拠点として活動すべきだな」

 

 その際皆で貴重な初期金額を払うこととなるがと付け加えた。だが、文句を言うものはいなかった。

 

「じゃあ、その連帯に関してはそこで納めておくとして、情報はどうするの? 一応岡部がβテスターだから、しばらくは岡部の情報を頼りにしていくしかないけど、それ以降のことも考えておかないと」

 

 俺が知っているのは、第6層までだ。6層あたりで上をいくのが面倒になり、そこで留まったのだ。今にして思えば、もっと進めばよかったと思う。

 

「だったらこうすればいいんじゃないかなー? クリスちゃんとダル君を情報入手係にすればいいんだよー。二人とも頭いいからねー」

 

 まゆりのアイディアはなぜかこういうときになって役立つものだった。まゆりも決してバカではないとは知っていたが、心強いものだ。俺もその意見には賛成だ。

 

「確かにな。だが、他のラボメンはどうする?」

「んー……。ねえ、オカリン」

「何だ?」

 

 まゆりは人差し指を顎に添えながら言った。まゆりのたくさんある癖の一つだ。

 

「このSAOって、お料理やお裁縫って出来る?」

 

 突然訳のわからないことをと思ったが、そんなことはなかった。

 つまりまゆりは生産職をしようとしているのだ。確かに俺はまゆりには戦闘をしてほしくないと思っていた。うってつけだ。

 

「ああ、できる。まさかまゆりよ、生産職をするのか?」

「うん! まゆしぃに出来ることはお裁縫くらいだから」

「じゃあフェイリスはお料理をするニャン!」

「僕も、お料理なら……」

 

「私は……何をすればいいの……?」

 

 ルカ子とまゆりとフェイリスがやることを決めた中、指圧師だけが迷っていた。俺はかつての世界線の記憶から、戦闘職を勧めると言おうとした。彼女はラウンダーであるので、戦闘能力は非常に高い。だが、先程かなり恐怖して逃げだした身である以上、戦闘職を提案することはできないだろう。

 

「ふむ……ならば鍛冶とかはどうだ? 武器を作成する職業のことだが、別にセンスなど要らないのが特徴だ」

 

 それは料理や裁縫にも同じことは言える。SAOの生産スキルは別にセンスや腕前がなくとも、熟練度さえあれば相当いいものが作れるシステムになっている。逆に言えば、いくら現実で料理ができようとも、熟練度がなければ紅莉栖やまゆり並みの破壊力を持つ料理が出来上がってしまう。今のところ料理と裁縫は埋まっている。だから、指圧師に鍛冶を勧めたのである。

 指圧師は少し考えるように目を伏せたが、こくんと小さくうなずいた。

 

「……わか……った」

「よし。では、俺は戦闘職とする。俺たちの生活費くらいは稼げるからな」

 

 俺はそう宣言し、ラボメンたちを見回す。皆少し気が楽になっている。俺も気が楽になった。皆で話し合うことはかなりいいことだと言うことを実感させられた。

 

「じゃあまとめるわね。私と橋田が情報収集、まあつまり頭脳係ね。で、まゆりが裁縫、漆原さんとフェイリスさんは料理、桐生さんが鍛冶、で岡部が戦闘。でいいわよね?」

「ああ」

 

 紅莉栖が上手くまとめ、皆が頷く。俺は高らかに宣言した。

 

 

「では、これより未来ガジェット研究所は、生き残りを掛けた聖戦、名付けて¨サバイバル・ジハード¨に身を投ずる! 必ず生き残ってやるのだ!!」

 

 こんなときに中二病台詞でしか言えないのは残念だ。ダルや紅莉栖に茶化されても可笑しくない。だが今回ばかりは神妙な表情で受け止めていた。少し拍子抜けしつつも、頼もしく感じた。

 

「では、これで円卓会議を終了する。宿へと戻るぞ」

 

 ーーーそうだ。これからだ。俺は、俺たちは生き残るんだ……何故なら、これが……運命石の扉(シュタインズ・ゲート)の選択、だからだ。

 

 一人胸の中で支離滅裂な言葉を並べた俺は、遥か上で見下ろしているであろう茅場の姿を思い浮かべながら、宿へと向かうラボメンたちを照らす仮想の夕陽を睨み付けたのであった。




saoの二次創作って、なぜか皆雑魚でも怖がったりしてないんですよね。強いんでしょうね。でもオカリンは怖がるかなって思ったので、そうしました。ヘタレなんで。まあやるときはやるんですがね。

今回は用語解説はありません。思われが、思われる、という意味くらいか。

では、感想やお気に入りお待ちしております。



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攻略会議

アズマオウです。

活動報告にも書きましたが留年危機でした。ですが……乗り越えたああああ!!!

助かりました。これで執筆活動ができます。

では、どうぞ!


 SAO開始から一ヶ月で、5000人が死んだ。

 この事実ははっきり言うが信じられない。つまり5万人のうち、その十分の一の5000人がたった一ヶ月で死んでしまったのだ。単純計算でいけば、10ヶ月で全員が死んでしまうことになる。

 主な死因は、自殺である。茅場の宣告を信じずにいた者がありもしない持論を建てて、アインクラッド外周から飛び降り自殺したのである。気持ちはわかる。死ねば切り離されてもしかしたら現実へと戻れると思う気持ちは。実際に死んだやつが生きているかはわからない。でも、少なくともこのゲームを解放する人物が減ってしまったことには変わりはない。

 あとはモンスターとの戦闘だ。ポリゴンで作られたモンスターといえども、滲み出る殺意だけは隠せない。そのため恐怖し、為せぬがままに殺される。

 こうして5000人もののプレイヤーが退場していったのだった。この世界からのみの退場であったことを祈るだけである。

 だが、5000人の死亡者が出てしまった事実は皆の心を曇らせた。何故なら……未だに第一層を突破できていない中死にすぎたからである。このままでは、永遠にゲームクリアできないのではないか。そういった不安と絶望の声が始まりの街を包み込んだ。

 この状況を打破する一つの情報が舞い込んだ。

 第一層の小さな街、トールバーナにて初めての第一層の攻略会議が行われることである。

 

 

***

 

 

「はぁーい、ではそろそろ第一層の攻略会議、始めさせてもらおうかな」

 

 第一層の街、トールバーナの広間にて、一人の男が中央にてパンパンと手を叩きながら叫んだ。聴衆ーーーまたは、現時点でのトッププレイヤー、攻略組とも言えるーーーは彼を取り囲むようにして、彼の言葉を聞いている。そのなかには、スキンヘッドのプレイヤーもいて、ある種の恐怖を俺に植え付けたのは内緒の話である。

 その中に、俺と紅莉栖とダルがいた。

 何故俺たちがここにいるか。別に俺たちはこの世界を救おうなどという英雄じみた志は持ってはいない。ただ、気になっていることが俺にはある。そう、ベータテスターとそれ以外との確執だ。

 ベータテスターは、初めからこのゲームに関する知識を予め持っている。そのアドバンテージを活かしてスタートダッシュをかましたものが少なくなく、なんの情報も持っていないプレイヤーを置き去りにしていってしまった。それによってプレイヤーの差が激しくなったり、情報不足で死んでしまったものだっている。

 この場には、俺を含めたベータテスターも紛れていると予想できる。つまりーーーベータテスターに対する糾弾が起こる可能性があるのである。

 これにより、今後のベータテスターの立場も決められる。この第一層の攻略会議では、ボス攻略の進歩と同時に、ベータテスターの格付けも行われるというのだ。だから、この会議に出席し、ボス戦に挑む意味があるのである。

 一応俺と紅莉栖とダルは第一層のボスに挑めるくらいのレベルにはなっている。紅莉栖やダルは情報係ではあるが、強くなくては情報を集められないことから、彼らも戦闘職に就いている。レベルは当然俺の方が上だが、十分なものだ。

 

「俺の名前はディアベル、職業は……気持ち的にナイトやってます!」

 

 中央で檄を飛ばしている人物、ディアベルは明るい声で自己紹介をした。それを聞いていた聴衆は朗らかな笑い声をあげる。この攻略会議を開いたのも、このディアベルという男だった。

 彼の容姿は一言で言うならばイケメンだ。流れるようなウェーブのかかった爽やかな青髪、整った顔、ハキハキとした声は、まさにリーダーと呼ぶにふさわしい人物だ。このような人間は早々いないであろう。

 ただ……俺は何故か既視感を覚えていた。この、完璧なリーダーシップを張れるしゃべり方、青色の髪、ディアベルという名前に。そうだ、かつてどこかで……。

 記憶の発掘に耽っていると、ダルと紅莉栖の嫌味ったらしい声が聞こえた。

 

「同じリーダーでもディアベル氏の方が滑らないギャグを言ってない件について」

「同感ね。どっかの痛々しい中二病のリーダーさんとは、天と地ほどに違うわね」

 

 そこのピザオタと天才HENTAI少女が何か言っている。俺は反射的に言い返していた。

 

「黙れお前たち! あんなやつ、俺の右腕の力があれば……」

「はいはい中二乙」

「どっかのリーダー()がなんかいってるわね」

 

 うるさいと一喝した俺は周囲の痛々しい視線を貰い、首を縮める。ディアベルは俺の方をちらりと見て、声のトーンを落として新たなる情報を言った。雰囲気が変わったのを聴衆は察し、真剣な表情へとなる。

 

「昨日、俺たちのパーティーがボス部屋を見つけた」

 

 ディアベルの報告におおっとどよめきが起こる。今までボス部屋まで攻略したものがいなかった。1ヶ月かけて漸くマッピングが終了という事実に落胆しながらも、デスゲーム解放に向けての第一歩を踏み込んだことを認識する。

 

「俺たちはこの第一層のボスを倒し、第二層に到達して、始まりの街で待っている皆に伝えなくちゃならない! それが俺たちトッププレイヤーの義務だ。そうだろ、みんな!」

 

 ディアベルの演説に耳を傾けた聴衆は、それに対し惜しみ無い拍手を送る。中には口笛を吹き出すものまで現れた。彼のカリスマ性の高さが窺える一瞬だった。俺も認めざるを得ない。紅莉栖やダルも拍手を送っている以上、俺より上の人間だと認めなくてはならないだろう。

 敗北を喫した俺は若干恨みの籠った目線を送りつけ、ディアベルを見る。聴衆をなだめた彼は、両手を広げて叫んだ。

 

「ボスに挑むにはまず6人パーティー×8のレイドを組まなくてはならない。ということでまずは6人パーティを組んでくれ」

 

 ディアベルの指示が入ると、早速パーティー決めが始まった。俺は早速紅莉栖たちのもとへと向かい、彼らにパーティー申請をした。パーティーの組み方はすでに教えてある。すると、紅莉栖こと《Chris》、ダルこと《DaSH》がパーティーメンバーリストに浮かび上がった。他にもメンバーは必要だが、生憎近くにはもうパーティーを組み終えたプレイヤーしかいない。まあそれはそれで、ラボメンのみのパーティーでも良いのだが。

 

「栗御飯ではないのか、クリスティーナよ」

 

 俺はからかうようにいった。紅莉栖は厳しく冷たい視線で俺を照射する。

 

「あのコテハンを使うわけがないだろ」

「なるほど、確かに@ちゃんねらーだとばれてしまいかねないからな。仕方がないな」

「うるさい」

 

 紅莉栖は俺につかみかかってくる勢いで凄んできたので、俺はこれ以上言うのをやめた。

 ダルのアバター名もかなり不可解なものがある。俺はダルに尋ねた。

 

「ダルよ。なんだこのDaSHというのは?」

 

 ダルは、一瞬戸惑った顔をしながらも、俺の質問内容と意図を理解し、答えた。

 

「ああ、ツイぽで使用しているハンドルネームだお」

「なんか意味でもあるのか?」

「いや特にねぇよ。ただネトゲでリアルネームは不味いからっつーのがある。牧瀬氏も栗御飯にすればよかったと思われ」

「うっさい、橋田のHENTAI!」

 

「あの……良ければ俺たちと組んでくれませんか?」

 

 俺たちが口論していると、一人の少年の声が聞こえた。俺たちはぴたと話すのをやめ、そちらを振り向く。

 そこには、予想通り、少年の姿があった。そのとなりには、フードを被った人間もいた。

 少年の方の容姿は、ずいぶんと整っていて、女顔と一言で言える。肉はあまりなく、若干細めなところもまさに女らしさを出している。ただ、それを必死に覆い隠そうとしているのか、瞳は若干鋭くなっている。

 一方、赤いフードを来ている方の人間は、性別がよくわからない。ただ、全身から放たれる警戒のオーラは凄まじい。まるで、初対面の時の紅莉栖のようだ。女性か男性か分からないのでなおさら話しかけづらい。

 

「組むって、パーティーをか?」

「はい」

 

 少年の方が受け答えをする。俺は紅莉栖やダルをみて目線で意見を求めた。すると二人とも、別にいいよと首肯で返す。

 

「構わん。俺たちはあぶれものだからな。仲間になれ」

「助かる」

 

 少年は、俺のパーティ加入申請欄を見つめ、指をそっと突き出してYesを押した。瞬間、二人の名前が新たにパーティーメンバー表示に現れた。名前はーーー。

 

「《Kirito》に《Asuna》か。どっちがキリトで、どっちがアスナなんだ?」

 

 まあおおよそ予想はついているが、間違えては困るので聞いておく。

 

「俺がキリト、でこっちのフード被っているのがアスナだ」

 

 少年ーーーキリトの紹介を受けたフードの人間はなおもオーラを変えていない。むしろピクッと僅かに顔を動かしている。やはり見知らぬ男どもと一緒にいるのは嫌なのだろうか。

 だが、そんな嫌悪感を押し殺してフード人間はボソッと自己紹介をした。

 

「……アスナです、よろしく」

 

 声を聞いた瞬間、俺はやはりなと感じた。この人は女性だ。顔を隠したがるのも、わかる気がする。彼女は怯えているのだ。言い寄られたり、変な扱いを受けたり、差別を受けることを。俺は紅莉栖と彼女を重ね合わせてみる。余りに似ているため苦笑し掛けた。

 紅莉栖も彼女と自分が似ているという考えに至ったらしくーーー俺とは違うアプローチだとは思うがーーー親近感が湧いたようで、アスナに声をかけていた。

 

「よろしくねアスナさん。私はクリスよ」

 

 紅莉栖が自己紹介をしたので俺もそれに倣う。

 

「俺はキョウマだ。正しくは、鳳凰院凶真だがな」

「中二乙」

「うるさい! 大体お前の名前は何て呼べばいいのだ?」

 

 DaSHなぞ、俺たちもわからないが、俺たちはどうにかなる。だが初対面の二人はなんと呼べばいいかわからないだろう。

 

「ああ、これは¨ダル・ザ・スーパーハッカー¨の略だお」

「だお?」

 

 どうやらアスナは語尾に¨お¨をつけるしゃべり方を知らないらしい。まあ当然だ。@ちゃんねる自体を知らない人間などかなりいる。それは当然驚愕しても可笑しくないだろう。しかもダルは平気でそれを使うから困る。

 

「名前が長い! ダルでいい! それにねらー言葉を使うんじゃない!」

「ふひひ、さーせん。とりま僕はダル。よろしく」

 

 恐らく彼にいい印象を持つことは、キリトやアスナにはゲームクリアよりも不可能かもしれない。俺はそう思った。

 

 俺たちが下らない会話をしている途中、ディアベルはパンパンと手を叩いて注意を引く。俺たちは途端に口をつぐみ、ディアベルへと向き直った。

 

「よし、じゃあパーティーを組み終わったな。それじゃあ早速会議をーーー」

 

「ちょう待ってんかー!」

 

 突然、喧しい声がディアベルの言葉を遮った。皆の視線がその声の主に向けられる。容姿は逆光でよく見えない。体格は中くらいで、髪は剣山のごとく鋭く、逆立っている。背には片手剣が吊らされており、防具は継ぎ接ぎの金属鎧の軽装である。その片手剣は第一層で手に入る強力な武器、《アニールブレード》であることから、攻略する集団としてのステータスは充たしていると言えるだろう。無論俺もそれをいち早く入手している。

 闖入した男はディアベルの元へと向かい、聴衆へと顔を向けた。その顔は、誰かに怒りの感情をぶつけたいという、荒々しい感情に溢れていた。それが誰に対してなのかは、大体予想がつく。

 

「ワイはキバオウってもんや。ボスの攻略前に、言わせて貰いたいことがある。この中に、今まで死んだ5000人に詫びなアカン奴等がおるはずやで!」

 

 キバオウは、殺意に近い目付きをしながら聴衆を見回す。聴衆は若干不安げな顔をしながらも、何か悟っていた。

 ディアベルもキバオウの言葉の深い意味を理解したようで、キバオウに問う。

 

「キバオウさん、貴方の言っている¨奴等¨とはすなわち、元ベータテスターたちのことかな?」

 

 ディアベルが発した¨元ベータテスター¨という言葉にキバオウは深い憎しみを見せるようにそうやと叫ぶ。

 

「ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まった瞬間、初心者を置いて始まりの街を去ったんや! 旨い狩り場や旨いクエストを自分一人で独占して、どんどん強うなったんや! そのせいで情報不足になった初心者は、死んでいったんや! ベータ上がりどもが情報を独占しなければ、5000人も死なずにすんだんや! 今この場で、ベータ上がりどもは土下座して、アイテムやコル、情報など残らず吐き出して貰わんとーーーパーティーメンバーとして命を預けられんし、預かれん!!」

 

 キバオウの長ったらしい演説を聞いていた聴衆はしんと静まった。その中で、俺は一人葛藤していた。いや、衝動を抑えていたというべきか。

 

 ーーーなんなんだこいつは!? 元ベータテスター=人殺しだと!? 冗談にもほどがある……!!

 

 俺はそう叫びたかった。そして論破し、殴り倒してやりたかった。俺は、ラボメンたちを見捨てなかった。自分一人で勝手にいかなかった。だというのに、こいつはそれを否定するのか? 

 確かにそういったことをしてしまったプレイヤーだっていたかもしれない。そういうプレイヤーに糾弾するのは分かる。だが、そんなことをしていない人間まで批判の対象にするだと? ふざけるな。たかだかくじで当たった人間をさらしあげるつもりなのか? だとしたらこいつこそ攻略組の害悪だ。こんなことをしてはボス攻略も遅れてしまう。だから俺も何か言わなくてはーーー。

 俺が言葉を探している間にも、キバオウの目線は張り巡らされている。俺はキバオウから目をそらし、論を練っていたのだが。

 突然隣の席から、紅莉栖が立ち上がった。

 

「ちょっと良いかしら」

「なんや?」

 

 キバオウは威圧するように紅莉栖を見る。恐らく彼女をベータテスターだと睨んでいるのだろう。だが、紅莉栖はその程度の威圧では怯まないことくらい俺はわかっている。

 

「貴方はこういいたいのかしら? ベータテスターは人殺しだ。だからその責任として謝罪し、弁償しろってところ?」

 

 紅莉栖の物言いに少しキバオウはたじろぎながらも、そうやと肯定した。その隙を突くように紅莉栖は言葉を畳み掛ける。

 

「だとしたら、これはなんなのかしら?」

 

 紅莉栖はポケットから何かを取り出した。それは小さな本だった。ガイドブックといっても差し支えないだろう。表紙には、情報と書かれてある。これだけで、紅莉栖の言いたいことがわかった。

 

「この本はね、第一層で無料で配布されている本なのよ。あなたももらったでしょ?」

 

「もろたで。それがどうしたんや?」

 

「これ、ベータテスターが作ったのよ」

 

「そんな証拠がどこにあるんや! ベータテスターが作った証拠が!!」

 

 喚くキバオウに対し、表情一つ変えず紅莉栖は返す。肝はやはり据わっているのだろう。

 

「貴方、この本良く見てみなさいよ。裏表紙に小さく書かれているでしょう? ¨この本の情報は、ベータテストの時とは違う場合があります¨って。ということは、この本の情報はベータテストの時の情報、すなわちベータテスターが書いた本ということよ」

「ぐっ……女の癖に生意気やな……そこまでいうっちゅーことは、ジブンはベータテスターってことやろ!?」

 

 紅莉栖の論理展開に、キバオウはなにも言い返せなくなった。その挙げ句には、ありもしない根拠で紅莉栖を罵倒し始めている。ただ、紅莉栖は冷静に受け流し、更なるカウンターを浴びせた。

 

「どうしてその発想に行き着くのかしら? 貴方の思考回路は短絡的すぎるわ。まだ中二病を患っているバカを相手していた方がましね。ベータテスター取り締まっている俺TUEEE的なこと考えているって、どこの中学生よ」

「ワイは中学生なんかじゃないわい!!」

 

 これはもうだめだ。完全に踊らされている。ここで降参しておいた方が身のためだと俺は助言したいが、それはできないし、したくない。というか、この男を擁護する気にはなれない。

 

「あらそうごめんなさい。ま、とにかく適当な根拠を持ち出して論をたてるほど愚かなことはないわね。ま、貴方がまともな論理をたててきたらいつでも相手になってあげるわよ。ディアベルさんすみませんね、こんな長ったらしい話しちゃって」

 

 微かに笑った紅莉栖の言葉にディアベルは片頬をあげるだけしか出来なかった。キバオウは絶句し、項垂れてその場を離れた。完全論破された彼にとってかなりのトラウマとなるであろう。紅莉栖はにこやかに笑ってその場に座り、会議を続けてくださいと促した。

 

 その後、ボスの名前が¨イルファング・ザ・コボルトロード¨であること、取り巻きの¨ルインコボルト・センチネル¨が現れること、俺たちのパーティーはセンチネルを倒すこと、が伝えられて会議は終了した。

 

「ほら、岡部。帰るわよ」

「先にいっててくれ。ちょっと確かめたいことがあるんだ」

「そ、分かったわ。早く来なさいよね」

 

 紅莉栖はそういうと、さっさと帰っていってしまった。俺は背中を見送り、視線を広間へと戻す。

 ぞろぞろと他の攻略組のメンバーが帰っていく中、俺は座りながらディアベルの方を見ていた。この既視感は間違いない。この男を俺は昔見たのだ。話すらしたと思う。お前はまさか……。

 その視線に気づいたのかーーーディアベルは意味のあるような視線を俺に返したのだった。

 

 確信した俺は視線に導かれるように立ち上がり、ディアベルの元へと、歩み寄った。彼は今、他のパーティーメンバーと話を終えたところだ。ディアベルも俺に気づき、目線を合わせーーーにこやかに言った。

 

「久しぶりだな、キョウマ!」

「ああ、久しぶりだ。ディアベル」

 

 思い出した。俺に手を差し出して笑っているディアベルは俺の友であり、仲間であり……。

 

 

 

 ベータテスター、でもあった。俺と同じ、憎まれものであった。

 

 

 

 

 




用語解説です。

・DaSH……¨ダル・ザ・スーパーハッカー¨のイニシャル。ツイぽや@ちゃんねるで使われるコテハンである。
5pb製作のゲーム、¨ロボティクスノーツ¨にてこのハンドルネームが登場した。

・ツイぽ……世界中の友達(=フォロワー)に呟きを送ったりできるSNS。
元ネタはtwitter。

・5000人……web版での1ヶ月間の死亡者人数は、5000人である。ただ、さすがに死にすぎだと作者は思う。文庫版の1万人プレイヤーのうちの2000人の方がしっくり来る。



次回は、第一層の攻略前に色々なキャラの視点にそって書いていきます。

では、感想お気に入りお待ちしております。


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ボス戦前夜

アズマオウです!

ランキングに乗りました。皆様のお陰です。ありがとうございます。調子に乗らずに謙虚にいきます。

ではどうぞ! 最初はアスナ視点です。何故か、ね。


 攻略会議が終了した日の夜。トールバーナの町は賑わいを見せていた。明日行われることになったボス攻略に向けての前祝いや士気の向上として酒を飲んでいたり、友好を深めていたりと様々な時間を過ごすなか、アスナは一人路地裏のベンチに座り、食事を取っていた。食事といっても10コルで買える安い黒パン一個のみで恐ろしく不味い。パサパサした生地に、気持ち悪いとさえ思えるほどの固い食感をもつそれはもはやパンではないと思う。ただ、この狂った世界においては、食事など生きるためのツールでしかない。偽りの空腹感を満たすならば、これで充分だ。

 アスナは不味い味を覚悟しながらはむっとかじりつく。ああ、不味い。でも耐えるのだ。死んで燃え尽きるまで……耐えるのだ。このパンを食べ過ぎて死ぬというのも一興だが、末代までの恥だ。

 いや、それをいったらこのデスゲームにログインして無様に閉じ込められたことも、末代までの恥だ。アスナは人生において、もっとも愚かな行為をしてしまったのだ。

 何であんなことをしてしまったのだろう。何であのゲーム機に手を触れようと思ったのだろう。何で興味があるはずのなかったことに、手を出してしまったのだろう。何度だって自問自答した。でもーーー出てくる答えは無意味なものだった。何故なら、アスナの完璧な人生を壊されたことに、変わりはないからだ。

 

 アスナは学者の母と実業家の父の間に生まれた。アスナの家は一般的にエリートと呼ばれるものであり、当然その家の娘であるアスナは高学歴を強いられた。高学歴で大企業に勤めて立派な生活を送る人生のレールを3才から敷かれたアスナは言われるがままにそのレールをわたってきた。クラスではトップクラスの成績を維持し、中学受験にも合格し、順風満帆な人生を送っていたはずだった。ナーヴギアがなければ。

 アスナの兄は、仕事の関係でナーヴギアを手に入れてきた。本来ならば兄が使うナーヴギアだったが、生憎、いや、幸いというべきか兄は仕事で正式サービス開始日に使用できなかった。そのため、アスナはどういう訳かそれに手を出してしまいーーー誰も予想し得なかったデスゲームへと放り込まれた。

 デスゲーム宣告をされた直後から2週間、ずっとアスナは引きこもっていた。一日中泣き叫び、壁を叩き、死んだように固まっていた。アスナの脳内を占めていたのは、死ぬ可能性があるという恐怖、ではない。周りの視線だ。親、クラスメート、友達から向けられる憐れみと蔑視の視線を向けられることこそ、死以上の恐怖だった。それに怯えるしかアスナにできることは無かった。

 そうしているうちにいつしかある種の感情が高まってきた。どうせ人生詰んでいるなら、死のう。それも華々しく。ここでの垂れ死ぬより、戦って化け物に殺されて死のう。限界まで戦って、死ぬならば本能だ。愚かな自分にふさわしい末路だ。アスナの心に焔が灯るのを感じた。

 その日以来、アスナは必死にマニュアルを覚えて、武器を買って、技を修練し、成長していった。

 一ヶ月後には、トップ層の座に登り詰め、初めてのボス攻略に挑もうとしていた。

 

 

 

ーーーもう、いやだ……。

 

 アスナは置き去りにされた過去に涙しそうになる。だが、唇を噛んでそれをこらえる。泣いてはいけない。強く、強くなければ還ってきたときに、余計見下されるだけだ……。

 アスナはパンを無理やり引きちぎり、喉へと飲み込もうとした。やはり不味いーーー。

 

「それ、美味いよな」

 

 突然少年の声が聞こえた。この少年の声は聞き覚えがある。アスナはちらっと振り向くと、そこには攻略会議に出席していた少年、キリトがいた。彼の右手には、アスナと同じ黒パンが握られている。

 そういえば彼との出会いも初めてじゃない。アスナが迷宮区と呼ばれる、ボス部屋のあるダンジョンにて過酷なレベル上げを行っていたとき、彼が声をかけたのだった。攻略会議に誘ってくれたのも彼である。ただ、アスナは今は誰とも一緒にいたくない。

 

「となり、いいか?」

 

 キリトは穏やかな声で尋ねる。私は拒否をするつもりで無言のままでいた。ただ、キリトは反対の意味でとったようで、どすっとアスナの隣に座った。両者は微妙な距離を保っている。

 キリトはちらっとアスナを見て、パンをかじる。不快を示すような顔をするわけでもなく、なんの抵抗もなしにモグモグと頬張っている。彼の味覚がおかしいのか、アスナの味覚がおかしいのか少し興味があった。

 

「本気で美味しいと思っているの、それ?」

 

 やや怪訝そうな口調になってしまったが、キリトは気にせずにもちろんと返す。

 だが、アスナの言いたいことも理解しているようで若干苦笑しながら付け加える。

 

「まあ、ちょっと工夫はするけど……」

「工夫?」

 

 キリトはそういうと、ポケットから手のひらサイズの壺を取り出した。キリトは壺の蓋に手を触れると指の先が白く発光した。その後指をパンに近づけて、なぞる。すると……。

 

「クリーム……?」

「そ」

 

 キリトのパンに塗られた肌色のクリームは見たことのないものだった。現実世界ではそういったデザートを見たことはなくはないが、食べたことはない。キリトは手慣れたようにそれをがぶっとかぶりつき、うんうまいと若干頬を揚げて咀嚼した。

 

「そのパンに使ってみろよ」

 

 アスナは言われるがままにその壺に恐る恐る触れてみる。指は発光し、パンに塗るとやはりクリームが出てきた。その後砕け散ってしまったが。少年の味覚とアスナの味覚は一緒ではない、それどころか180度違うかもしれないので怖く感じる。だが、別に食べ物で死にはしない。覚悟を決めてアスナはそれにかぶりつく。

 瞬間、アスナの味覚は活性化した。実際は偽物の感覚なのだが、それすら意識させないほどの美味しさだった。ふんわりと広がるまろやかさと甘さ、嫌になるほどの固さすらも溶かしてしまうほどに掻き立てられる食欲、この世界では味わったことのない美味だった。

 アスナは夢中になって頬張った。そのせいで少年よりも先に食べ終わってしまった。先に食べ終わってしまった恥ずかしさをどうにか唾と共に飲み込んでちらっとキリトの方を向くが、キリトはそういったところはどうでもいいようだ。少し安心した。

 

「今のクリーム、1つ前の村で受けられる¨逆襲の雌牛¨っていうクエストで手に入るんだけど、やるならコツ、教えようか?」

 

 聞きたいと思った。あの絶品をもう一度味わいたい。それを食べて死ねるなら本望だ。

 だが、私はそれを拒んだ。

 

「……いい。別に美味しいものを食べるためにここまで来た訳じゃないもの」

「ふぅん……じゃあなんのために?」

 

 別に話したくない。というか馴れ馴れしい。

 そう思ったが、ご馳走させてもらった身なので強く言えず、正直に答えた。

 

「私が、私であるため。強くならなきゃ、いけないから。例え怪物に負けて死んでも、このゲームだけには負けたくないから……」

 

 キリトはアスナの話に何もコメントを返さずに黙って残りのクリームパンをかじる。聞いてないわけではないが、そっちから質問しておいてなにも言わないのは少し気持ち悪い。

 何も話さないならお礼だけいって帰ろう。そう思い、立ち上がった。

 

「……すまない」

 

 突然、穏やかだが、沈んでいる声が鼓膜を揺らした。思わずアスナは振り向くとキリトは俯いていた。

 なぜ謝るのと首をかしげる。キリトは目線だけをアスナに向けて答えた。

 

「こんな状況を作ったのも、俺のせいかもしれない……。そのせいで君たちを苦しめているんだ……」

 

 アスナは何をいっているのかさっぱりわからなかった。この状況を作ったのは彼ではない。茅場晶彦だ。5万人を監禁させ、ほくそ笑んでいることであろう狂気のサイエンティストがすべての元凶だ。何も彼が悪いわけではーーー。

 いや、違う。彼のいっているこの状況とは、もしかしたら……今日の会議のことかもしれない。そう、先にゲームを体験したベータテスターと、アスナのような初心者との差作り出した、と言いたいのだろう。

 アスナは糾弾する気は更々ない。差などどうでもいいからだ。だから口をつぐんだ。

 キリトは黙り混むアスナを見て軽く瞳を閉じて、無理やり笑みをつくって取り繕うように言葉を出した。

 

「って……こんな湿っぽい話してもしょうがないよな。とにかく明日頑張ろうぜ、アスナ」

「アスナ……?」

 

 アスナは驚いてキリトを見る。なぜこの少年は見ず知らずのアスナの名前を知っているのか。有名人でもない上に、キリトとはつい最近知り合った仲だ。

 キリトはアスナの訝しげな表情を見てミスをしたような顔をした。

 

「あ、ごめん呼び捨てにして。それとも呼び方間違えてたかな……?」

 

 ますます訳がわからない。呼び捨ても確かにおかしいと感じたが、それ以前の問題だ。

 

「そうじゃなくて……何で私の名前、知ってるの?」

「はい?」

 

 キリトは、何をいっているんだこの人はといいたげな顔をしている。だが、それはこっちの台詞だ。知らない人に自分の名前を呼ばれて不思議がらない人などいない。

 

「もしかしてあんた、パーティー組むの初めてか?」

 

 キリトの突然の質問にアスナは頷く。キリトは納得したようにふむと唸り、微かに笑った。

 

「視界の左上に4本のゲージがあるだろ。その上の辺りに、なにか書いてないか?」

 

 視界の左側へと目線をどうにか動かすと、確かに4本のゲージがあった。上から《Kyoma》、《DaSH》、《Chris》そしてーーー。

 

「K、i、r、i、t、o……キリトって書いてあるわね……」

「ああ、それであんたの名前が分かったんだ」

 

 ああ、別に変なことされた訳じゃなかったんだ……。

 そう思うと、笑いが込み上げてきた。今まで悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。キリトはそれにつられるように短く笑う。初めて、この世界でアスナは笑っていた。

 

「こんなところに書いてあったのね……つくづく呆れるわね」

「あんたはネットゲームがこれが初めてなのか?」

「あんたはやめて。アスナでいいわ。……そうよ、もともとゲームなんてやらなかったから」

「そっか……。とにかく、明日は頑張ろうな、アスナ」

「うん……じゃあ、お休みなさい。それと、ご馳走さま」

 

 それだけ会話するとアスナはその場を去った。ただ、いつしか心は冷たくなくなっていた。暖かく、すんなりと吸う空気が肺へと入っていき、足取りも早く感じた。

 

 

***

 

 トールバーナの噴水広場のベンチにて、俺はディアベルと杯を傾けていた。この世界で久しぶりに飲む酒はなかなかに美味い。無論実際にはアルコールは入っていないので酔うことはないはずだが、試したことはない。俺はちびちびとその酒に口をつける。

 対して、隣に座るディアベルはごくっと素晴らしい飲みっぷりを披露していた。ぷはあっとそれまでの疲れをまるごと吐き出すように叫ぶと俺の方を見て軽く頭を下げた。礼儀の面でも良くできている。

 

「よく飲むな、ディアベルよ」

「まあね。リアルじゃあまり飲まないけど、ここのお酒はノンアルコールだからね。キョウマこそちびちびとしか飲まないじゃないか」

「俺はそんなに好きではないからな」

 

 俺はリアルでは大学生で、一応成人しているので酒は飲めるが、そこまで好きではない。やはり俺はドクペが一番体に合う。次に好きなのは、マウンテンジューだ。そういえば、どこかの世界線では俺はドクペよりもマウンテンジューを好んでいたようだった。

 

「しかしキョウマ、君は知り合いとログインしていたんだね」

「まあな。リアルにてサークルをやっているのだが、そいつらを呼んだのだ」

「サークルか……懐かしいな。俺もやってたな。どんなサークルなんだい?」

 

 俺は暫し考える。一応ガジェット作りに励んでいるサークルとは言えるが、もはやただの溜まり場と言い換えられても仕方のない状態になっている。嘘をでっち上げてもいいのだが、この男は今や大切な友だ。嘘はつけない。

 

「ただの雑談サークルだ。だが、それなりに楽しいぞ」

「そっか……でも、君の知り合いのあの女性、スゴく頭が切れるね」

「クリスのことか。確かにな。ラボメン、いや、サークルメンバーには惜しい存在だよ」

 

 それは事実だ。紅莉栖はアメリカでの著名な科学者だ。こんなお遊びサークルなどに属するべき存在じゃない。ただ、紅莉栖に居てほしいと思う自分がいるため、中々にそれを言い出せない。

 思えば、彼女をこんな下らないゲームに巻き込んだのは俺のせいだ。俺があんなことを言わなければ、紅莉栖は人生を棒に降らずにすんだのだ。紅莉栖はこんなところでくたばってはいけないのだ。

 激しい後悔を抱えながらも俺はディアベルの顔を見る。この男は、やはりかっこいい。容姿だけではない。その意思だ。ベータテスターでありながら他の初心者たちを導いて戦っている。多分どのプレイヤーよりも立派なのかもしれない。彼のことを思うと、俺も戦わなくてはという気持ちになった。

 

「そうか……なあ、キョウマ」

「ん? 何だ?」

 

 ディアベルは突然顔を伏せた。なにか悩みごとでもあるのだろうか。

 

「俺たちはさ、やっぱり憎まれるのかな」

 

 憎まれる? どうしてだ? お前のようなやつが、どうしてだ?

 

「突然どうしたんだ?」

「いや、今日の攻略会議の時さ、キバオウさんが叫んだろ? ベータテスターは卑怯だと。憎いやつらだと」

「ああ、あのサボテン頭か。気にすることはないだろ、あいつのいっていることはくじ引きで当たったやつらは土下座しろってことなんだ。無茶苦茶だ」

 

 俺はそういったが、ディアベルは違うんだというように首を振る。

 

「確かにキバオウさんの意見は僕らから言わせれば間違っているよ。でもね、彼の言うことも理解できるんだ」

「ーーー何が言いたい?」

「要するにね、これからもベータテスターは、そうやって攻められ続けるんじゃないかって。このデスゲームに対する不満の捌け口にされるんじゃないかって思うんだ」

 

 なるほど、それも一理ある。人というのはバカなもので、日々のストレスを直接関係ないものに、難癖つけてぶつけてしまう習性がある。身近なもので言えばいじめだ。日々抱えている劣等感やストレスを弱そうなやつにぶつけて快楽を得ている。それと同じ現象が俺たちの身にも降りかかるかもしれないと、ディアベルは危惧しているのだ。

 

「なるほどな……確かにそれはあるかもしれん。だったらこうすればいい。お前がベータテスターだということを正直に吐くんだ」

「えっ!?」

 

 何故という表情でディアベルは俺を見る。自ら死にに行けと言っているようなものだとは自覚している。その上で俺は言っているのだ。

 

「十分に立派なことをしていて、皆からの信用も厚い、そんな奴がベータテスターだとしても、お前は憎むか?」

 

 ディアベルは、その瞬間俺の言わんとしたことを察した。そして首を横に振る。

 

「だろう? それはお前のことなんだ。だから、お前が打ち明ければ、きっとそんなことはなくなるさ」

「そうか……ありがとう、キョウマ。でも、それはボス攻略を終えたらでいいかい?」

「そうだな。それが一番だ」

 

 俺たちは笑い合い、再び杯を傾けた。

 

「死ぬなよ、キョウマ」

「お前こそな」

 

 俺たちは、空いた左手で握りあった。友として、共に生き残ることを誓った俺たちは、明日に向けてそれぞれのねぐらへと戻っていった。

 

 

***

 

 ラボメンたちが勢揃いしている宿に俺は帰還した。出迎えてくれたのは、ルカ子とフェイリスが作った料理と、指圧師手製の腕輪だった。明日生きて帰れるようにとの願いを込めたようだった。まゆりからは手製のシャツだったが、戦いでは流石に着られないので、私服として貰っておいた。

 ラボメンたちと話し終え、眠りにつこうと自室へと向かったのだが。

 俺のベッドがある部屋の前で紅莉栖が立っていた。俺は肩をすくめて近寄る。

 

「何をしているクリスティーナ。さっさと寝ろ」

 

 ここでいつもなら、俺のあだ名に文句をつけるのだが、紅莉栖はちらっとこっちを見ただけで何も言わなかった。これは何かあると思って改めて声をかけた。

 

「どうしたというのだ、紅莉栖」

「……ぃ」

 

 ぼそっと何かが聞こえたが、よく聞こえなかった。

 

「ん? 何といった?」

「……怖いのよ、悪い?」

 

 紅莉栖は上目使いで俺を見た。目は、涙で濡れている。からかいたくなった気持ちは消え失せ、俺は部屋のドアを開けた。

 

「入れ」

 

 俺が促すと、紅莉栖は黙って俺の寝室へと入った。部屋にはシングルベッドが二台あり、本来ならばダルと俺のものなのだが、俺のベッドに紅莉栖は腰かけていた。仕方なく俺はダルのベッドに腰かけることにする。

 

「……で、どうしたのだ、紅莉栖」

「分からないの。ただ……何となく怖くなっただけ」

「死ぬのがか……?」

「うん……」

「そうか……」

 

 俺は先程ディアベルと話していたときに考えたことを思い出した。紅莉栖を巻き込んだのは俺のせいだ。紅莉栖の将来をぶち壊したのも、俺のせいだ。今ここで怯えているのも、俺のせいだ。

 

「すまん……」

 

 俺は謝った。今は何故かためらいなくその言葉が出てきた。紅莉栖に対して、言おうと思っていた言葉が出てきた。嬉しくも感じたが、それ以上に、本当に申し訳ないと思う気持ちで一杯だった。

 俺の謝罪に対し、紅莉栖は苦笑で応えた。

 

「何であんたが謝るのよ? 悪いのは茅場よ」

「いや、違うんだ紅莉栖。お前は本来ならば、俺たちと関わっていい存在じゃない。お前は、優秀だ。だから俺たちみたいなバカなサークルに、お前はもったいない存在なんだ。だけど、紅莉栖はいてくれた。それは感謝している。でもーーーこのデスゲームに巻き込ませたのは、俺のせいだ。俺が、SAOに誘ったばかりに、お前をこんな風に怖がらせてしまったんだ」

 

 俺は昔から感じていた。この少女と出会って良かったのだろうか、彼女の人生を悪く変えてしまっているのではないか、俺と紅莉栖では釣り合わないのではないか、と。

 紅莉栖と俺では生きている世界が違う。俺は秋葉原でぐうたらと過ごす中二病の中堅大学生なのに対し、紅莉栖はその年にして世界に股をかける科学者だ。こんなところにいていいはずがないのだ。俺たちと、関わってはいけなかったのだ……。

 

「紅莉栖。次のボス戦には行くな」

「ーーーどうしてよ?」

 

 紅莉栖は濡れた声で問う。そして俺を見る。

 

「怖いのだろう。ならば行くな」

「おちょくっているのか? 怖いけど……私は」

「おちょくってなどいない!!」

 

 俺は思いきり叫んでしまった。紅莉栖はそういえば、男の大声が苦手だった。俺はすまんと短く謝る。

 

「紅莉栖。お前には生き残ってほしいのだ。お前をこんな場所まで巻き込んでしまったのは俺の責任だ。だから、生きていてほしい。そして、お前が望むならば……ラボメンを辞めても構わない」

「どうしてそんなことを言うの……?」

「お前は天才だ。こんな弱小サークルなどにいてはいけないんだ。だからお前を無事に返してーーー」

「ふざけないで」

 

 紅莉栖の鋭く、しかし震えている声が俺の話を遮る。紅莉栖の目は、ギラギラと燃えていた。

 

「確かに私はここにいちゃいけないかもしれない。でもね……私はラボが好き。個性的で楽しいラボが好き。まゆりも好き、橋田も好き、フェイリスさんも好き、桐生さんも好き、漆原さんも好き、そしてあんたのことも好き。だから離れたくない。このデスゲームは怖いわよそりゃ。でもね……あんたにそういわれる方が……よっぽど怖いわよ!!」

 

 紅莉栖は涙を撒き散らしながら叫ぶ。俺は、胸が痛むのを感じた。何て俺は酷いことをいったのだろう。紅莉栖を追い出そうとしていたのだ。ラボメンを追い出すなど、よくも思ったものだ。俺は最低な男だ。紅莉栖の気持ちを踏みにじった。許されることではない。

 

「すまない紅莉栖……許してくれ。俺がバカだった」

 

 俺は深く頭を下げた。地に頭をつけるほどに。紅莉栖はそんな俺を見て黙っていたが、やがて小さく、小振りな唇から呟かれた。

 

「ヤダ」

「え?」

 

 俺は紅莉栖を見上げた。紅莉栖は顔を背けながら、ぎこちなく言葉を続けた。

 

「あ、あんたの胸を、貸してくれるまで……許さないから」

「紅莉栖……それはどういうーーーうわっ!?」

 

 突然、紅莉栖が俺の胸へと飛び込んだ。突然のことに俺は戸惑い引き剥がそうか迷っていたが……胸に冷たく、しかし暖かい感触が伝った。

 俺は紅莉栖の鮮やかな赤色の髪の毛を見つめながら、紅莉栖を抱き寄せた。

 

「いいだろう紅莉栖……俺でよければ、泣け。泣き止むまで……そばにいてやる」

「……ありがと……。っ……うっ……、うう……」

 

 俺の胸で紅莉栖の嗚咽が籠って聞こえた。紅莉栖に酷いことを言ってしまったのを泣いているのか、死ぬことが怖いから泣いているのか、あるいは両方か。知る由はないが、俺のやるべきことは、紅莉栖の涙を受け止めるだけだった。

 明日は、生き残ろう。そう思い、俺はいっそう紅莉栖の抱く腕に力を込めた。

 

 

 

 




用語解説はありません。スラング入れられない話でしたからね。

何故先にアスナ視点で書いたかというと、アスナの名前を前回さりげなく紹介しましたが、アスナにとっては解せない訳ですよ。勝手に名前を知られてね。ですからそれを説明する意図を込めてそうしました。あとはアスナもこれからストーリーに絡む予定なので存在感を出すためにアスナ視点にしました。
では、感想、お気に入り等お待ちしております


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第一層ボス攻略戦・前編

アズマオウです。

ボス攻略です、ではどうぞ。

お気に入り250突破ありがとうございます!!


 攻略会議から一日たって午前十時になると、トールバーナにはすでにたくさんのプレイヤーが集まっていた。士気は高いようで、絶対に倒すという意思がギラギラと燃えたぎっているようだった。

 俺たちのパーティーも全員揃っていた。もちろん、昨日いかなくていいと言われた紅莉栖の姿もあった。紅莉栖の目は、かなりキツくなっており、まともに視線を合わせられない。

 

「何よ岡部、じろじろ人の顔を見て」

 

 そして追い討ちをかけられる始末である。隠し通してうやむやにするか、いっそう強い視線を浴びせられるかの二択を迫られた俺は迷うようにえーとを繰り返す。

 そのようすに呆れたのか、紅莉栖は表情を崩して苦笑した。

 

「別に起こってないわよ。何もそこまでビビらなくてもいいじゃない」

「そ、それもそうだな……。紅莉栖、昨日はすまん」

「いいわよべつに。あんたも色々悩んでいるってことがわかったし、私のことも分かってくれたようだし」

 

 昨日の夜、俺は紅莉栖にラボから抜けた方がいいかもしれないと提案した。そうしたら俺は烈火のごとく怒られた。その罰として紅莉栖の涙を受け止めたのだが……紅莉栖の奴は俺の胸の中で眠りに落ちてしまった。だから俺もそのまま寝たのだが、正直寝不足感が半端ない。座りながら寝たのだから、寝心地が悪いことこの上ない。だが、それはダルも同じだったようだ。

 

「ふぁ~眠ぃお……」

「そうだな……」

 

 俺が同意の頷きを返す。しかしダルは何故かこちらを睨んでいた。

 

「誰のせいだと思ってるんだよ。オカリンと牧瀬氏のせいだろうが」

「いや、何故かさっぱりわからん」

 

 ダルは露骨なため息で返して、いっそう声を荒げる。

 

「昨日オカリンと牧瀬氏、僕のベッドのところにいたんだろうが!! お陰で僕は1階の椅子で寝るはめになったんだお!! どうしてくれんだよ!!」

 

 そういえば、俺と紅莉栖が夜を明かした部屋は、俺とダルの部屋だった。これはダルに申し訳ないことをした。今度何か奢ってやるか。

 

「すまなかったなダル。失念していた。今度昼飯奢るから許してくれ」

「ま、別に気にしてないからいいんだけどさ。むしろ気にしているのは性的なものなんだけどな」

「馬鹿を言うな! そんなことするわけなかろうが!」

 

 俺は叫ぶも、この生粋のHENTAIは尚も続ける。

 

「え~そんなはずないっしょ? 二人きりの男女が夜にすることといったらあれしか……」

「黙れHENTAI!!」

「HENTAIじゃないお、HENTAI紳士だお」

 

 キリッと声をさりげなくかっこよくしようとしていたが、まるで意味がない。中身が最低だからだ。やれやれと思いながら、俺はキリトとアスナの方を振り向く。彼らは彼らで僅かだが会話しているようだった。二人が黙りこくって、俺たちラボメンだけが喋るような状況は余り好ましいものではない。一応暫定とはいえ、パーティーリーダーだ。キリトたちも率いて、戦わねばならない。俺は改めて気を引き閉めた。

 

 その後しばらくして6人パーティー×8のレイドと呼ばれるボス討伐隊は、ボス部屋のある迷宮区へと出発した。モンスターが殆どエンカウントしない森の中を通っていくルートでいくことになっている。

 森の中は案外明るかった。日の光が木々の隙間から入り込み、穏やかに地面を照らす。飛び交う小鳥たちの鳴き声が鼓膜を心地よく揺らし、透き通った空気がボス戦前の緊張して凝り固まった脳を解していく。

 俺は歩きながら、後ろを着いてきている他のパーティーメンバーたちに告げた。

 

「確認するぞ。俺たちあぶれもののG隊は取り巻きのルインコボルト・センチネルを相手するんだ。ダルと俺がソードスキルで跳ね上げるから、紅莉栖とキリトとアスナはその隙をついてスイッチしてくれ」

 

「了解だ」

「分かったお」

「理解したわ」

 

 紅莉栖とダルとキリトからは心強い返事が聞こえた。しかし、アスナだけは首をかしげた。意味が分からないようだ。

 紅莉栖もそれに気づいたようで、アスナに教えてあげた。

 

「スイッチっていうのは、そのままの意味で交代って意味よ。要は、誰かがソードスキルで敵の攻撃を弾いたあとに敵の隙をついて飛び出して攻撃する連携テクニックのことね。分かったかしら?」

「はい、ありがとうございます」

 

 アスナは理解したようだ。ただ、とりあえずアスナの前では、ネットゲーム独特の言い回しは避けた方が良さそうだなと感じた。

 ただ、最低限覚えてもらわなければいけない表現はある。まだ時間は長いので、教えることにした。

 アスナへのスラングレクチャーを行っている間にも迷宮区へと一行は入っていく。現れる敵は基本無視の方針で進んでいき、どうにかボス部屋へとたどり着く。

 ボス部屋の扉はぎちっと閉じられており、重厚な感じを思わせる。扉には化け物のレリーフがあり、緊張感に拍車をかけていく。

 皆のざわつきが大きくなったが、ディアベルの剣がボス部屋前の地面に突き刺さった瞬間、静かになる。続いて、ディアベルの声が、攻略組の面々に届く。

 

「聴いてくれ皆! 俺から言うことはたったひとつだ」

 

 ディアベルの頼もしい声と爽やかな笑顔はたちまちにプレイヤーをまとう緊張感を振り払った。やる気は十分だ。視線はディアベルに集められ、闘志があふれでている。

 ディアベルはそれをしっかりと受け止めてグッと拳を握ると、宣言した。

 

「勝とうぜ!」

 

 ディアベルの声に、皆は頼もしい声で応えた。士気が高まったところでディアベルは扉をそっと開いた。重々しいドアの音に再び緊張の糸がピンと張られる。表情も険しくなっていき、周囲に警戒の目線を張り巡らせる。

 ドアを開くとそこは果てしない闇だった。長く長く続く、廊下のようなステージにボスはいる。空気は冷えきっており、ますます不安感を煽られる。

 やがて、深い闇の奥から、爛々と何かが紅く光った。その紅い点はやがて上昇し、それに伴って左右にある松明がぼっぼっと燃え上がり、奥へ向かって数を増やしていく。奥には、爛々と目を光らせるボス、《イルファング・ザ・コボルトロード》が玉座から立ち上がっていた。

 2メートルは優に越える巨大な体躯、どたぷんと風船のように膨れ上がった腹、兎を醜くしたような顔面は、まさにベータテストの時に経験したボス戦に現れた奴と全く瓜二つだった。武器も変わっていない。奴の手に握られているのは、円盾と骨の斧だ。恐れることはない。前回と一緒なのだから。

 

「ゴルウウウウウウゥゥァァアアアアアアアアッッ!!!!」

 

 自分の玉座に無断で立ち入ったものたちに対する怒りの咆哮を俺たちに浴びせた。同時に、奴の前に3つの光の柱が現れた。そこから生み出されたのは、取り巻きのルインコボルト・センチネルだった。白い鎧に身を通し、右手には小さなこん棒が握られていた。身長は1メートルちょいだが、油断していると致命的なダメージを取る敵である。十分に留意して臨まなくてはならない。

 

 ボスとその取り巻きが出現し、取り巻きは俺たちへと駆けていった。それと同時に、ディアベルは叫んでいた。

 

「攻撃開始ぃっ!!」

 

 ディアベルの合図と共に、皆は鬨の声を挙げて駆け出した。ハンマー使いが率いるA隊が先に飛び出して、その後ろを、ミスターブラウンに似ているスキンヘッドの男が率いるB隊、ディアベル率いるC隊、両手剣使い率いるD隊、さらにその後ろをキバオウ率いるE隊、長柄使いのF隊、そしてあぶれ組のG隊が並走していく。

 作戦はこうだ。                             

 まず、A隊とB隊がボスのもとへと向かい、ボスの攻撃をブロック、あるいはF隊の長柄武器特有の阻害スキルを用いてボスや取り巻きの動きを乱れさせていき、出来た隙をついて火力部隊であるC隊、D隊がボスを集中攻撃する。取り巻きに関しては、E隊をメインに殲滅していき、あぶれ組のG隊が取りこぼしを倒していく、というものだ。

 中々にいい作戦だと思う。シンプルな分、穴も少なく戦いやすい。これならば、勝てる可能性は十分にある。

 早速作戦通り、A隊とB隊が、ボスの斧の一撃をブロックする。火花が飛び散るなか、果敢にC隊とD隊が突っ込んでいき、ボスにダメージを与えていった。

 

「A隊は前に出てボスの攻撃をブロック、B隊はその後もターゲットを取り続けろ!! そしてC隊D隊は大技でボスに攻撃するんだ!!」

 

 ディアベルのてきぱきとした指示にパーティーは応えた。ボスのHPは確実に減っていき、大した被害も出ていない。これはいい流れだ。

 

「E隊F隊G隊、センチネルをボスに近づけるな!」

 

「了解!」

 

 ディアベルの新たな指示に俺は応える。俺はまっすぐにセンチネルのもとへと飛び込み、ソードスキル《スラント》を繰り出した。最初の戦闘の時は俺は怖がってしまった。奴等が本気で俺たちを殺しに来ていると思うと体が動かなくなるのだ。だが、そうはいっていられない。紅莉栖やダルの命までかかっているこの戦いに、俺は負けるわけにはいかないからだ。

 センチネルのこん棒が光を帯びて振られる。俺はそれを狙って、ライトブルーに光る片手剣を振り上げた。激しい衝突音とノックバック、盛大に飛び散る火花の熱をゆっくりと感じながら、俺は後ろにいる紅莉栖へと叫んだ。

 

「紅莉栖! スイッチだ!!」

「分かったわ」

 

 俺に攻撃を弾かれたセンチネルはのけぞり、体勢を立て直すのに必死だ。その隙を、紅莉栖の右手に握られている短剣が突いた。

 だがセンチネルはそれでは倒れなかった。紅莉栖はさっと身を引いて距離を取り、センチネルの攻撃に備える。

 

「ダル! 弾け!!」

「オーキードーキー!」

 

 将来の娘の口癖を言いながら、ダルは両手剣を握りしめて飛び出していく。センチネルのこん棒はダルを殺そうと向かってくるが、ダルは怯まずに重そうな剣をブンと思いきり振り上げた。

 つんざくような金属音が周りを揺らし、先程よりも大きいノックバックをセンチネルに与えた。

 

「キリト氏、スイッチだお!!」

「分かった!!」

 

 後方にいたキリトがダッシュでセンチネルのもとまで行き、ソードスキル《バーチカル》を放った。踏み込みと共に垂直に剣が降られ、センチネルをポリゴンの粒子へと変えていった。

 

ーーーこいつ、中々の手練れだ。

 

 俺はキリトの戦闘を見て察した。

 キリトはソードスキルの使い方をよく知っている。ソードスキルの性質1つとして、威力のブーストがある。確かにモーションさえシステムに認識させれば発動し、それなりのダメージを与えられるのだが、実は裏技として、その威力を増加させる方法がある。それは足を踏み込み、腕の振りを加えて剣速を速くすることである。このテクニックを知っているか知らないかで随分と変わってくるのだが、キリトはそれを知っていて、それを実践していた。もしかしたらこいつは、ベータテスターなのかもしれない。だとしたら、頼もしい限りだ。

 俺はキリトの観察を止めて、G隊の皆に叫ぶ。

 

「よし、紅莉栖とアスナは右のセンチネルを、俺とダルとキリトが左を仕留める! いくぞ!」

 

「了解!!」

 

 その他メンバーのはっきりとした応対を耳にして、それぞれ散っていく。今のところは死者どころか、大ダメージを受けているプレイヤーはいない。ボスのHPもそろそろ瀕死の赤になることだろう。

 

 

ーーー頼む、このまま上手くいってくれよ……!

 

 俺は痛切にそう願いながら、地を蹴った。

 

 

 

***

 

 キリトはセンチネルを相手にしながらも、2つ感心していることがあった。

 1つはアスナの実力だった。アスナはネットゲーム用語ひとつ知らない初心者で、全く戦力にならないことが心配されていたが、それは杞憂だった。アスナの武器は細剣でしかも使うソードスキルが高速の一突きを繰り出す基本技の《リニアー》のみだが、その使い方が完璧だ。

 センチネルの弱点は喉の辺りでその辺りを狙えば高確率で一発で倒せる。しかし喉の辺りはかなり面積が狭く、常人ならばまず当たらないのだが、アスナはほぼ100%当てているのだ。そのお陰で威力の乏しいリニアーでも高威力を叩き出せるのである。

 また、リニアーを益々強力にさせているのは、圧倒的な剣速である。常人が使うリニアーなら俺は視認できるが、彼女の使うそれはまるで別世界だ。剣先が霞んで見えて、初見ではまず躱せない。もし彼女が生粋のゲーマーならば、恐らくぶっちぎりのトッププレイヤーだ。恐ろしい才能である。

 2つ目は、キョウマたちの連携である。リアルでも知り合いのようだが、彼らの意思疏通は相当なものだ。

 キョウマが主に指示を飛ばしているようだが、彼は後ろを振り返らずに指示をしている。そこに誰がいるのか、感覚で分かっているのだ。

 そして、クリスやダルもキョウマの指示を瞬時に理解し、的確に戦っていく。

 

「クリスティーナ! スイッチだ!!」

「だから私はクリスティーナでも助手でもないといっておろうが!!」

 

 しかも、このような余裕のある掛け声も出来ると言うのだからすごい。

 アスナの強さとキョウマたちのすさまじい連携により、センチネルはどんどん葬られていく。これならば、勝てる。

 

 やがて、ボスの体力がどんどん減っていき、ついに最後のゲージが赤くなると、ボスが激昂し始めた。あれは、ボス特有のバーサク状態であり、武器を変えたりステータスが上昇したりする。第一層のボスは、ベータテストの情報だと、前者のように斧からタルワールという曲刀に持ち替えて戦うのだが。

 

「グルウアァッ!!」

 

 短くボスは吠え、円盾と斧を遠くへと放り投げた。

 

「情報通りみたいやな」

 

 前線にいるキバオウがそう呟く。攻略会議の時にみたガイドブックにも、武器変更の可能性があると記述されていた。もちろん、タルワールに変わると書いてある。

 ボスは腰に下げられている獲物の柄に手をかけて抜き払った。鋭利で殺意の塊を濃縮したような、巨大で味気のない武器だ。先はV字で割れており、きらっと刃が光を反射する。獲物は曲がっておらず、ピンと直線を描いてーーー。

 

 瞬間、キリトの脳に電撃的な閃きが襲いかかった。何だこの感じは? 何だこの違和感は? 何だこの記憶の齟齬は……?

 前に視たときとは何かが違う。体格? 叫び声? 違う、武器だ!!

 あの直線を描く、美しくそれでいて圧倒的な冷たさが溢れだすそのデザインは……野太刀だ。ということはまさか……。

 キリトの推論が達する前に、後ろから誰かが叫んだ。ディアベルだ。

 

「下がれ、俺が出る!!」

 

 右手に握られている片手剣は黄色く発光している。恐らく最後に攻撃を決めるつもりだろうーーー。

 だが、キリトの意識はディアベルに向けられていなかった。ボスが握っている野太刀は曲刀ではなく、刀だ。ということは、使うソードスキルは、曲刀カテゴリーの技ではなくーーー。

 

 恐らく殆どの、いや、たった一人しか知らないスキル、《カタナ》スキルを使ってくる。

 ディアベルはそれに気づいておらず、雄叫びをあげながらボスへと迫る。 

 

「駄目だ、下がれ!! 全力で後ろに飛べ!!!!」

 

 キリトは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。だが、その声は虚しくーーーボスの放つソードスキルのサウンドエフェクトに掻き消されてしまった。

 ボスはばっと垂直に飛び上がり、体を捻る。野太刀に威力を溜めていき、深紅の光を湛えて、一気に降り下ろされた。その後、コボルトロードの巨体はぐるぐると水平に周り、ディアベルを切りつけた。

 軌道は水平、角度は360度の広範囲ソードスキル、《旋車》が発動したのである。

 

「ぐわぁっ!?」

 

 ディアベルは悲鳴を挙げて、地面へと倒れる。しかも、頭には黄色い光が漂っている。それは、《スタン》と呼ばれる状態異常であり、その名の通り、一定時間動けなくなる。

 これは不味い。俺は駆け出そうとした。しかし、ボスはそれを許さなかった。ボスの野太刀に新たな輝きが生まれたのである。あれはまさかーーー《浮舟》!?

 凶悪な輝きを秘めた刀は気絶しているディアベルを躊躇なく下から払い上げた。ディアベルの体は高く打ち上げられ、空を舞った。《浮舟》自体はただ打ち上げるだけのそんなに威力のある技ではない。が、この技は、スキルコンボに繋げられるというのが特徴だ。浮いているのであれば自由は取れない。まさに格好の的だ。

 ディアベルは、初見であるはずであろうスキルに対処しようと、空中で反撃のソードスキルを繰り出した。しかし、システムは惨いもので、彼の最後のチャンスすら受け付けなかった。空振りになった一撃でどうにもなるはずがなくーーーボスのソードスキル、《緋扇》の餌食となった。上、下、トドメの突き攻撃が全てクリーンヒットし、ディアベルのHPを削っていった。

 ディアベルの肢体は軽々と投げ飛ばされ、遥か遠くの床へと背をぶつけた。恐らく今彼の体には、恐ろしいほどの不快感が襲いかかっていることだろう。キリトは真っ先にディアベルのもとへと駆け出そうとしたが、その前にキョウマが駆け出していた。

 キリトは足を動かしながら、ボスを見る。ボスは吠え始め、プレイヤーを威嚇していく。指揮官のディアベルを軽々と吹き飛ばしたこと、まさかのパターン変更が起こったこと、楽勝ムードが壊されたことがプレイヤーたちの戦意を削り取っていき、動けなくなっている。

 俺は不安を振り払うように、キョウマの後を追った。

 

 

***

 

「ディアベル!!」

 

 俺は駆け出していき、ディアベルの元へと滑り込む。先程の連続技は震えるものがあった。ベータテストの時には見たことのないものだった。曲刀スキルでは見たことはない。だが、今はとにかくディアベルを死なせるわけにはいかない。俺は腰からポーションを取り出してディアベルの口へと運んでいく。

 ディアベルはかなりの衝撃を食らったようで、尚も呻き続けている。側にあるHPゲージはだんだんと減少していき、空になりつつある。ポーションを飲ませないとーーー死んでしまう。

 だが、ディアベルは俺のポーションを遮った。

 

「何故だ! 飲め、早く!!」

「キョウマ……すまない……俺の代わりに……」

 

 ディアベルはここで潔く死ぬつもりかもしれない。だが、それだけは止めてほしい。何故ならば、俺は人の死を何も美しいものだと思ってないからだ。まゆりや紅莉栖は俺の目の前で何度も死んでいった。もう俺は死は見たくない。例え、本人が潔く死にたいと思っても、願ってもだ。

 

「何をバカなことを言っている! 早く飲め!!」

 

 俺は手を払って無理矢理ポーションを口に入れさせた。すると、液体がディアベルの口の中に流れ込んでいき、ゲージの減りが止まる。ポーションは徐々に回復するという感じであるので、一気にフル回復というわけにはいかない。

 ポーションを飲み干したディアベルを起こすと、俺は怒鳴った。

 

「何故飲むのを拒んだんだ! 気持ちもわかるが……死に急ぐのだけは止めろ!!」

 

 俺の叫びにディアベルは生気をとられたように力が抜けていった。己がどれだけおろかな行為をしたか、ようやく理解したようだった。

 

「すまないキョウマ。俺が馬鹿だったよ。死んではいけないんだな」

「ああそうだ。お前がいなければ、もうこのゲームは終わりなんだぞ!」

「……分かったよキョウマ」

 

 ディアベルは、謝ると立ち上がり、剣を手に取った。そしてここでようやく、俺の後ろについてきたキリトにディアベルは声をかける。

 

「君の指示を聞くべきだったね。俺の勝手な行動で迷惑をかけたな、すまなかったね」

「いや、何となくそんな感じがしただけだ。変なスキルを使ってくるんじゃないかって」

 

 キリトはそういうが、恐らくあれは嘘だ。確信もなしにあんなことを大声で叫べやしない。恐らくキリトは、ベータテスターだろう。

 

「隠す必要はないぞ、キリトよ。お前はベータテスターだろう?」

「……やっぱばれるよな……」

 

 キリトは気まずそうな表情をする。恐らく糾弾されると思ったのだろう。だが、俺やディアベルにはそんな気はない。

 

「案ずるな。俺たちもベータテスターだ。お前の仲間だ」

 

 キリトは一瞬俺たちの顔を見て、拍子抜けしたような表情をした。

 

「そうだったのか……? しかしディアベルがベータテスターだというのは意外だ……」

「ああ、まあね。といっても、キリトは俺がベータテスターだってことは察してたんだろう?」

「まあ、最後に飛び出していったところで勘づいてはいたけど、まさかそうだとは思わなかったな。あんたがラストアタックボーナス狙ってたっていうのも意外だったさ」

 

 ラストアタックボーナスとは、ボスにトドメをさせたプレイヤーのみが取得できるボーナスのことで、レアアイテムが手に入るのだ。これを手に入れれば、ゲーム進行は大幅に楽になる。だからディアベルはなにも言わずに一人で突っ込んだのだ。俺も薄々は察していたのでそこに関しては糾弾する気はない。命知らずなところは非難するが。

 ディアベルは苦笑いをしながら頭をかいた。

 

「ラストアタックボーナス、狙ってたのばれちゃったか……。さて、それはともかくだ」

 

 キリトはボスの方を遠くから睨む。向こうでは指揮が乱れており、混乱状態だ。一刻も早く、整えなければ死者が出るかもしれない。

 

「どうするか、ディアベルよ」

 

 俺はディアベルに促した。ディアベルは顎に手を添えながら暫し考え、キリトに質問した。

 

「キリト、あれは本当に曲刀スキルではないのか?」

 

 キリトは首を黙って縦に降る。

 

「あれはカタナスキルだ。プレイヤーは今のところ使えない。一応第10層のモンスターも使えるんだけどな」

「そうか……分かった。とにかくキリト、君はボスの攻撃の軌道を皆にその都度伝えてくれ。回避優先で頼む!」

「分かった!」

 

 キリトはそう返事すると、前線へと戻っていった。残された俺とディアベルは、首を同時に降り、目だけで伝え合う。

 

 ーーーここからが本番だぞ、ディアベル。

 

 ーーーああ、ただのボス戦だけじゃない。俺たちベータテスターの運命もかかっているんだ。いくぞ、キョウマ!!

 

 疎通は十分。あとは、駆け出すだけだった。

 

 

 

 




ディアベルは生存にしました。というのは、やりやすいですし、友人をオカリンは見捨てませんから。オカリンがディアベルを生かしたんです。

用語解説はありません。

では、感想やお気に入りお待ちしております。


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第一層ボス攻略戦・後編

アズマオウです。

ボス戦攻略です。原作とは若干違った展開をたどります。

では、どうぞ!


 バーサク状態と化したコボルトロードは、それまでとは比べ物にならないくらいの猛威を奮っていた。初見であるカタナスキルを悪びれもなく披露し、攻略組を苦しめていく。しかもディアベルが一時撤退したことが事態をさらに悪くしており、士気の維持どころか、戦線崩壊を食い止められるか否かの問題になってきている。一刻も早く、建て直さなければ、もう戦うことはできなくなる。

 俺とディアベルは、全力疾走で前線へと向かった。だが、俺たちが見たのは、歯噛みしたくなるほどの惨状だった。

 ボスのソードスキルが出す深紅の光と、発生するサウンドエフェクトが場を包む中、パーティーはいつのまにかバラバラになってしまい、情けない悲鳴が飛び交っている。幸い死亡者は出てはいない上に先に飛び出していったキリトが前線にて奮戦しているためどうにか崩壊を免れているが、もはや時間の問題かもしれない。

 ディアベルと俺は駆け出していき、どうにかたどり着く。俺はディアベルに叫んだ。

 

「とりあえず、皆を後退させろ! その間に俺とキリトで時間を稼ぐ!」

「分かったキョウマ! 皆!一度建て直すから後ろにどうにか引くんだ!!」

 

 ディアベルが声を張り上げる。ようやく指揮官のディアベルが帰ってきたと分かると、他のレイドメンバーに活気が戻る。思考も落ち着いてきたようで、ボスの動きに対応して後退できるようになった。さすがはディアベルだ。皆を落ち着かせて、冷静な行動を行わせることに成功した。

 

「紅莉栖、ダル。お前たちも下がれっ」

 

 俺も彼らに指示をする。だがーーー彼らは首を縦に降らなかった。

 

「あんただけに戦わせるわけには、いかないわよ。私も付き合うわ」

「正直、オカリン一人じゃ不安でしょうがないし、何つーか、僕たちだけ何かしないわけにはいかんしょ」

 

 二人の心強い申し出を断ろうとは思った。でも……それは出来ない。俺のためを思って戦ってくれるならば、その意思をへし折ることなど出来るわけがない。俺は苦笑しながらも、頷いた。頼もしいラボメンに俺は感謝する。

 

「仕方のない奴らだ……行くぞ紅莉栖、ダル!!」

「ええ!」

「やってやるお!」

 

 俺は掛け声を挙げて地を蹴る。その後ろを紅莉栖とダルが駆けた。

 

「キリト! 一旦下がれ!!」

 

 俺は最前線にて剣を振るうキリトに叫んだ。キリトは分かったと背中越しに叫びながら、ボスにソードスキル《スラント》を放ち、奴の攻撃を弾くと、後ろへと大きく跳んだ。

 

「遅くなったな、しばらくは任せろ!!」

「分かった! とにかく奴の攻撃を防ぐか弾くかだけで構わない!!」

 

 キリトのアドバイスを俺は噛み締め、ボスへと接近する。その時には、俺がかつて感じていた恐怖などはなかった。むしろ今は、戦うことに前向きな気がする。モンスターの殺意も怖くない。向けられる凶器も怖くない。刃を突き刺すことに、一切の抵抗を覚えない。現実では考えられない感覚だ。

 だが、いまはそんなのはどうでもいい。今は勝って生き残ることが大事だ。怯えなければ、それはそれでいいのだ。おかしいと思うのは、終わってからでいい。俺は、一瞬抱いた思いを振り払うように剣を奴の太った腹に払う。片手剣ソードスキル《ホリゾンタル》が、奴の腹を横一文字に裂き、確実な量でHPが減少する。

 

「紅莉栖、スイッチ頼む!」

「分かったわ!」

 

 ホリゾンタルを打ち終えた俺はばっと地面を後ろに蹴り、紅莉栖へと場所をチェンジする。一応ソードスキルには硬直時間というシステムが存在するのだが、スラントやホリゾンタルのような単発技にはほぼ無縁の存在だ。攻撃したあとすぐに場所を譲って絶え間ない攻撃を浴びせられる。

 紅莉栖は短剣を握りしめ、発光させていく。短剣ソードスキル《ラビットバイト》。

 動物が獲物を仕留めるように素早く短剣が唸り、斬りつけた。ダメージはわずかだが、硬直時間が物凄く少なく、次のソードスキルにも繋げるのが利点だ。

 紅莉栖は、キッとボスを睨むと次なる光を溜めていく。あれは、恐らく短剣ソードスキル《ファッドエッジ》だ。

 

「やあっ!!」

 

 紅莉栖の短剣は黄色く光り、霞むほどの速度で疾走った。ズバズバッと短剣はボスの体を斬りつけ、美しいひし形を描いた。

 紅莉栖の勇姿は様になっている。揺れる紅の髪、敵を威圧するような怜悧な視線、的確な攻撃は、美しいものだった。俺は思わず、見とれてしまう。まだボスは倒していないのに。

 

「橋田、スイッチ!!」

 

 紅莉栖は凛とした声音でダルに指示をする。ダルは大振りな両手剣を振り上げながらボスへと肉薄する。

 とはいっても紅莉栖はボスの前から離れられていない。ファッドエッジは4連撃技で相当な硬直時間を強いられる。その間にボスが攻撃を挟み込むのは余裕で、現にコボルトロードは憤怒の表情で深紅に光る野太刀を紅莉栖へと降り下ろそうとしている。だから、ダルが仮に攻撃をいれても紅莉栖にボスのソードスキルが直撃してしまう。

 無論それが分からないダルじゃない。

 

「うおりゃあっ!!」

 

 ダルは、迫る一撃を強振でブレイクする。グンと振られた両手剣は弧を描き、ボスの野太刀と衝突し、激しい火花を散らす。そして、野太刀はわずかにぶれ、ダルは、若干横に弾かれた。

 通常ならば、ダルの方が威力に押し負け、吹っ飛ばされるであろう。だが、ダルは正面からボスの攻撃を受け止めず、威力の弱い側面を狙ったのである。だとしても威力はソードスキル補正のかかった野太刀に軍配が上がるも、それほど強いノックバックは食らわない。ということはすなわち、反撃の一撃を返せるということだ。

 ダルは剣を腰に引いて両手剣ソードスキル《アバランシュ》を発動させた。ダルの足は素早く地を離れていき、ノックバックで離された距離を一気に詰める。そしてオレンジに光る両手剣は上空に大きな弧を描いてそのままボスの腹をぶった斬った。

 

「オカリン、スイッチだお!!」

「分かった!」

 

 ダルは硬直が解けた瞬間に俺に叫ぶ。俺はばっと飛び出し、ダルと交代した。俺は奴がソードスキルを発動するのを見た。太刀は上方にあり、そこから降り下ろされる。俺は剣を上に掲げて、ブロックしようとした。

 

 が、太刀は降り下ろされたかと思うと突然U字を描くかのように、ぐるんと軌道を変えて、下から上へと切り上げられた。

 

「なっーーー!?」

 

 俺が気づいたときにはすでに遅く、もろに食らってしまった。俺の腹に縦一文字の斬跡がくっきりと刻み込まれ、吹っ飛ばされた。軽々と低く飛ぶ俺の体は後ろで待機していた紅莉栖に衝突し、悲鳴が聞こえる。そのまま俺と紅莉栖は床へと叩きつけられ、全身に不快なしびれを味わった。

 

「ぐっ……くそ……!」

 

 俺は不快感に耐えながらも自身の残りHPを確認する。残り4割ほどだ。先程までは、削りダメージなどで8割ほど残っていたHPが一気に4割に減ってしまった。相当なダメージ量だ。次食らったら恐らく死ぬ。

 俺は顔をあげる。すると、いつの間にか視界が暗くなっていた。何故だ? 灯りは消えてはいないはずだ。俺はじっと前方を見つめ続ける。すると、原因が分かった。暗いのは、ボスの影のせいだ。上を見上げると、コボルトロードは獰猛な笑みを浮かべて太刀を光らせていた。あれを食らったら俺は死ぬ。そこにいる紅莉栖も死ぬ。まずい、起き上がらなくては。俺は全身に力を込めて立ち上がろうとした。しかし、全身にまだ残る不快感がそれを邪魔する。

 

 ーーーくそ、動けよ! この臆病者が!!

 

 俺は唇を噛みながら俺の中に生まれてくる恐怖を殺していく。でも、それは消えることはなかった。俺も紅莉栖も死ぬという恐怖が俺の心を蝕み、筋肉を腐敗させていく。もう、力も入らない。

 血走った目でコボルトロードを俺は睨む。奴の右手に握られている太刀はなんの抵抗もなくぶんと俺たちの頭上へと降り下ろされた。もうだめだ。俺は目をつむろうとした。

 

 だが、その瞬間、一条の緑の光が頭上を貫いていく。直後、世界を揺らすほどの轟音が響いた。閉じかけた目で見たのはーーーとある男が斧でボスの野太刀を跳ね返していたところだった。

 助かったと瞬間的に察して体の硬直が解ける。俺は立ち上がって礼を言おうと近寄ったのだが。

 男の姿を見て足が再び固まった。

 がっちりとした筋肉と体格を持ち、スキンヘッドをしている。目はぎょろっと剥かれている。肌はわずかに茶色いが俺に直感では、ある人物が浮かび上がっていた。

 

 未来ガジェット研究所のオーナーであるミスターブラウンこと、天王寺祐吾。

 

 そう考えると、俺は自然に冷や汗が垂れてくる。ミスターブラウンには俺はさんざん殴られて、脅されまくっている。悪魔のような家賃支払い催促や理不尽な暴力はもはやトラウマといっても差し支えない。

 まさかあのアバターはミスターブラウンなのか? この世界でも俺は殴られるのか……。

 

 俺ががくがく震えながらも、動けずにいると、ミスターブラウン似の男はこっちを振り向いて、目を剥いた。ああ、俺は殺される。容姿は違うことは分かっているが、本能的にそう感じてしまう。

 だが、男はミスターブラウンとは天と地ほどの差があることを俺は思い知らされる。男は張りのあるバリトン声で俺たちに言い放つ。

 

「あんたらが回復するまで俺たちが支えるぜ!」

 

 ここでミスターブラウンならばこういうであろう。何してんだ岡部、とっとと働け、と。杞憂に終わってよかったと俺は一息ついた。

 

「かたじけないな。因みに、あなたの名前は……?」

「……俺の名前はエギルだ。さ、あんたらは引きな。いつまでもあんたらに壁役を任せられないぜ!」

 

 この世界のミスターブラウン……いや、ガチムチ男ことエギルに俺は頷き、紅莉栖やダルと共に撤退する。俺の場合、一度回復させないと不味い。

 後ろへと退避しながら紅莉栖がそっと呟いた。

 

「さっき助けてくれた人、店長さんによく似てるわね」

「禿同。一瞬僕も恐怖を覚えたお」

「やはりお前たちもそうだったか……」

 

 俺たちはよく怒られるため、人それぞれだが恐怖心を感じていたようだった。ただ、とにかくあのエギルは良い奴だと分かった。キレると怖そうだが。

 

 後方へと戻ると、ディアベルがそこで待機をしていた。もうほとんどのプレイヤーが回復を終えていたようだった。

 

「すまんディアベル! 撤退した!」

 

 俺の報告に、顔色を悪くせずに笑ってディアベルは応じた。

 

「大丈夫、B隊が壁に回った。ここからは一気に攻めるつもりだ」

 

 ディアベルはチャキッと剣を鳴らし、ボスを見据える。座り込んでポーションを飲んでいるものの体力が十分であることを確認するとディアベルは命じた。

 

「よし! 立てる者全員、突撃せよ!!」

 

 ディアベルは剣を突き出して叫び、全快になったプレイヤーは閧の声をあげて突撃する。

 だが、俺はわずかに疑問に思うことがあった。

 

「おい、ディアベル」

「なんだ?」

「お前、ボスの攻撃パターンを皆に教えたのか?」

 

 先程のカタナスキルの威力はディアベルや俺の命を一瞬にして奪いかねない強力なものだった。だが、その軌道について何のレクチャーも受けていなければ、全員死んでしまう。

 だが、ディアベルは首を横に振った。

 

「ッ! どうしてだ!?」

「だって、教える必要がない。前線には、未だにキリトがいる」

「……そういうことか……」

 

 俺はディアベルの意図を理解した。つまりディアベルはわざと攻撃パターンのレクチャーをキリトに行わせず、皆にボスへと向かわせないように仕向けて、キリトが確実にラストアタックボーナスを狙えるように図ったのである。そうだとしたらディアベルの奴は、つくづく勿体ない奴だと思う。何故なら、自分の狙っていたものをわざわざ譲るのだから。ボスの残り体力は1割もない。今から俺たちが駆け出しても、ラストアタックボーナスは狙えない。全ては、最前線で戦っているキリトにかかっているのだ。だけど恐らく、単なる優しさのみでそういうことをしたわけではないだろう。

 俺はポーションをぐいっと飲みながら、最前線での激闘を見届けていた。

 

 

***

 

 

 B隊は何とか壁を努めているが、その防御はぎこちない。無理もない。カタナスキルはまだまだ未知数な部分が多い上に威力が高いのだから。

 コボルトロードの何度も打ち付けられる野太刀に耐えしのぐB隊の盾はぐらつきながらも攻撃を防ぎ続けたが、ついにガードが破られてしまった。B隊のプレイヤーは宙に浮かされ、尻餅をつく。コボルトロードは舌なめずりをするようにニヤリと酷な笑いを浮かべ、飛び上がった。あれは攻撃範囲があまりにも広すぎる《旋車》だ。スタンをここで食らってしまえば、彼らは死んでしまう。

 キリトはB隊の後ろにて回復を行っていたが、ようやく全快した。その瞬間にキリトは地面を蹴りあげ、全速力で走る。剣を腰に引いてライトブルーの光を湛える。溜まったと思った瞬間、両足に力を込めて飛び上がった。光る剣を腰に担ぎ、真っ直ぐ空中に浮かぶコボルトロードへと突っ込む。奴は実に3メートル近く飛んでいる。普通に飛んでいていてはまずは届かない。キリトは思いと共に剣を上方に振り出し、上弦の軌跡を描いて片手剣突進ソードスキル《ソニックリープ》を放った。

 

「届けぇッーーーー!!」

 

 喉が裂けんばかりに咆哮しながら突進していく。勢いが加えられた俺の体はコボルトロードに肉薄し、脇腹を斬りつけた。キリトとコボルトロードの体は空中ですれ違い、落下していく。キリトはどうにか空いている左手で受け身を取り、落下ダメージを免れた。コボルトロードは巨体をなんの抵抗もなく落下させ、すさまじい音を轟かせる。

 奴の体力も風前の灯だ。これで終わらせようとキリトは地を蹴った。だが、その横には、フードを被ったアスナの姿があった。後ろに下がっていたと思っていたのだが。

 

「キリト、私もいくわ」

 

 駆けつけた細剣使いの小さく、しかし逞しい声が聞こえた。キリトは頼むと短く言うと、ばっと駆け出した。

 キリトとアスナが駆け出すと、コボルトロードは雄叫びをあげながら立ち上がった。迎え撃つというのなら、受けてたつ。

 コボルトロードはぶんと野太刀を振り回し、キリトたちを払おうとする。だが、それをキリトが弾き、アスナの《リニアー》が光芒を引いて鋭く貫く。僅かだがボスの体力と反応速度が減っていく。

 コボルトロードは反撃しようと再び太刀を引いて威力を溜める。だが、もうこれで終わりだ。キリトはアスナのリニアーと同時に溜め始めていたソードスキルを発動させた。片手剣2連撃ソードスキル《バーチカル・アーク》。

 

「せあぁっっ!!」

 

 キリトは剣を上段から思いきり斜め左に斬り下げる。ざくっと小気味悪い音が聞こえ、ダメージが加算される。その瞬間、キリトは剣を跳ね上げるように、逆に斬り上げた。まるでV字のような軌跡を描きながらボスの体を裂いていく。

 

「うおおあああああああっっーーーー!!」

 

 両手で剣を握りしめながら斜め左上へと剣は振られ、ボスの体力は削られていきーーー気のせいだろうか、ボスが憎たらしい笑みを浮かべてキリトを睨んで、その体を四散させた。

 

 

***

 

 

 俺は、キリトの雄叫びとともに、ボスの体がポリゴンの粒子と化すのを見ていた。キラキラと粒子が光輝いて宙を舞うなか、中々認識できなかった。この戦いが、終わったことを。だが、空中に《Congratulations!》という文字が浮かび上がった瞬間、わあっと全員が地面が震えるほどのボリュームで歓喜の声を上げた。ボス撃破に成功したことを喜ぶものもいれば、レベルアップ表示に拳を突き上げるもの、得たアイテムなどを見て一喜一憂するものと様々だったが、共通しているのは、この勝利を喜んでいるということだった。

 紅莉栖やダルもレベルアップし、それなりに喜んでいた。彼らはもともと戦闘職ではないため別に強くなりたいとは思っていないようだが、それでも勝利には喜んでいた。いや、生還出来たことを喜んでいると言い換えても良いかもしれない。一度はかなりヤバイ状況に陥ったのだからだ。

 結局ラストアタックボーナスをとれたのはキリトだった。キリトは疲弊した状態で俺を見た。顔にはしてやったりとか、嬉しいとかそういったものがない。俺はキリトに近寄り、声をかけた。

 

「よくやったな、キリトよ。お前の剣技は素晴らしかったぞ」

 

 ラストアタックボーナスをとられてしまったのは悔しいものがあったが、素直にすごいと思った。思い出してみれば、キリトはベータテスト中でも、最強格に位置していた。納得はいくラストアタックである。

 

「キョウマも中々だったぜ」

 

 キリトはそう返す。俺はフッと笑い、腰に手を当てる。

 

「それは光栄だな。じゃあ、俺はディアベルのもとへといく」

 

 俺はそういうと、一人立っているディアベルのもとへと向かった。彼は剣を突き立てて緊張で張り詰まった体をリラックスさせていた。

 

「ディアベル、お疲れ様」

「ああ、お疲れ様」

 

 ディアベルは爽やかな笑顔を俺に向けて挨拶した。こいつの笑顔は、疲れを吹き飛ばしてくれる。全くお前はすごい奴だ。俺はそう思った。

 

「終わったんだな……」

「ああ、終わったんだよ」

 

 俺たちはそう呟きながらも……次に行うべきことを考えていた。ベータテスターの地位を、変える戦いのことを。ベータテスターは皆と同じ存在だ。それを訴えなくてはならない。条件は揃っている。ベータテスターであるキリトがとどめをさし、ベータテスターであるディアベルが指揮を執った。これならば、ベータテスターが独善的な存在ではないことが証明できる。

 ディアベルは、にこりと笑いながら、パンパンと手を叩く。勝利に酔いしれているプレイヤー達は一斉にディアベルの方へと向き直り、静かになった。

 

「皆、お疲れさま! 本当によくやった! 死者も一人も出なかったし、無事にボスを撃破できた! ありがとう!!」

 

 ディアベルの言葉に皆が再びわあっと声をあげる。ディアベルの舌には驚かせてくれるものがある。ここまでのカリスマ性を持つ人間は、いない。俺ですら足元にも及ばない。

 喜びの奇声をあげるプレイヤー達をディアベルはなだめて、静かにさせて言った。

 

「さて、これから第二層へと行くんだけどその前に皆に話したいことがあるんだ。些細なことだけど、聞いてくれ」

 

 うんと一斉に聴衆は頷く。ディアベルは息を吸うと、若干陰りのある表情で告げた。

 

「実は俺、ベータテスターなんだ」

 

 ディアベルの口から発せられた言葉は聴衆の鼓膜を揺らし、大きく動揺させた。信じられないと言わんばかりの表情を皆が浮かべて、なかには怪訝そうな表情を浮かべているものすらある。キバオウ等は、豆鉄砲を食らったかのような顔をしている。

 

「でぃ、ディアベルさん。嘘でしょう? あなたがベータテスターだなんて、嘘でしょう?」

 

 ディアベルのパーティーにいた男がディアベルに歩み寄る。彼は相当ベータテスターに敵意を持っているようだ。しかしディアベルは表情一つ変えずに真実をいった。

 

「嘘じゃない。俺はベータテスターなんだ。今まで、隠しててごめんな」

「そうですか……。でも、じゃあなんで隠してたんですか……? ディアベルさんの言うことはみんな信じるのに」

 

 ディアベルは暫し考えるような素振りを見せ、答えた。

 

「すまない……俺がベータテスターだって知ったら動揺してボス戦に支障が出るんじゃないかって思ったんだ。だから伏せていたんだ。まあそれに、つるし上げられるのも怖かったしね」

 

 ディアベルの告白に皆が耳を傾ける。この調子だ。このままいけば、ベータテスターの迫害は収まる。

 

「皆がベータテスターである俺を排除するならばそれでも構わない。隠し事をしていたという名目で追い出すことだって出来るから。俺はそれを受け入れるつもりだ」

「そんな……俺たちはそんな風には思ってない。ディアベルさんはベータテスターだけど、ちゃんとビギナーである俺たちを率いてくれた。誰もディアベルさんを追い出したりなんかしません」

 

 ディアベルのパーティーメンバーがそういうと、他の奴等も黙って首肯する。

 

「そうか……ありがとう。じゃあさ、俺からのお願いなんだけど、他のベータテスター達に対しても、敵意を持つことなくやっていってほしいんだ。実際俺の知っているなかでベータテスターは他に2人いる。でも彼らはとってもよく頑張った。だから……俺に免じて彼らを糾弾しないでくれないか?」

 

 そのうちの一人はキリトだと、この場の皆が察していた。キリトは未知のスキルの軌道を知っていたので、一発でベータテスターだと判断されたのだろう。ディアベルは、そんなキリトを責めないでほしいと言っているのだ。

 ディアベルは全員の顔を眺める。視線はキバオウにも行き届くが、キバオウも何も言えなかった。事実キリトやディアベルが奮闘したお陰でボス攻略できたのだ。文句を言われる筋合いはない。

 

 ベータテスターは排除すべしと主張するキバオウは言葉につまったような顔をしていたが、やがて諦めたように息を吐いた。

 

「ええわ。ディアベルはんの言うことは事実やしな。ベータ上がりだからって、ぎゃあぎゃあ攻めるのはアカンやな。ワイも悪かった」

 

 ベータテスターアンチがついに屈した。ディアベルに楯突くものなどいないだろう。ただ、紅莉栖は若干不満げな表情だった。どうやら、完全論破した紅莉栖には楯突くくせに、ディアベルの前ではあっさりと白旗をあげたことに、不満を持っているようだった。まあ、こればかりは仕方がないとしか言えない。

 

「とにかくみんなありがとう。これからは、ベータテスターは惜しみ無く情報を提供し、攻略に役立てていき、他のみんなはベータテスターを毛嫌いせずにいこう。そうすれば、このゲームからの解放も早くなる! ここまで一ヶ月かかってしまったけど、次からはどんどんいこう! いいかな、皆!!」

 

 おうっと頼もしい叫びが響く。ディアベルはそれをしかと受け止め、よしと叫んだ。

 

「よし、ボス攻略戦を終了する。では、解散!!」

 

 ディアベルは笑顔で解散宣言を出した。

 第一層突破に掛かった日数は約一ヶ月、死者は5000人出てしまった。残る人数は4万5000人だが、この戦いの勝利によって、攻略組は微かな希望を持ち始めていた。このデスゲームはいつかクリアできるということを。

 俺はディアベルを見つめながらそう感じていた。皆とともに現実世界へと帰れる可能性がわずかに増えた気がしたのだった。

 

「じゃあ、帰ろうか。紅莉栖、ダル」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「ククク……これは素晴らしいですね……」

「まあな……流石はといったところだな」

 

 とある場所にて、二人の男が気味の悪い笑い声をあげていた。二人を囲むのは大きな機械と、パソコンのモニター、そして一台のナーヴギアだった。薄暗い空間のなか、一人の白衣の男はパチパチとパソコンのキーボードを乱打し、もう一人の男は重厚なレポート用紙をパラパラと捲っている。

 

「どうだ、成功したか」

 

 レポートを見ていた男が問う。

 

「待っててください、ショーさん。もうすぐです」

 

 カタカタとキーボードが打ち込まれ、次々に命令を発していく。数分後、キーボードを叩く音が止んだ。

 

「出来ましたよ。これで準備は完了です」

「よくやったぞ君。君の頭は茅場を越えるだろうな」

「いえいえ……これくらい造作もない。ショーさんの考えた理論も素晴らしいじゃないですか」

「……本当にこの理論はあっているのだろうか。人の尊厳を破壊してしまうことなどできるのか?」

「ええ、できますとも。ショーさんの理論と……牧瀬紅莉栖の論文があれば」

 

 パソコンに向き合っている男は舌を嘗め回し、もう一人の男をみる。その顔は醜悪だった。欲望に染まりきっており、とても人間の心を持った男ではない。もう一人の男はその人間性に恐怖しながらも、それを認め、彼へと近寄った。

 

「そうか。まあ、我々二人に出来ないことはないのだ。見ていろよ……あの男だけは絶対に許さんからな……」

「それももうすぐですよ。辛抱しましょう、いずれ我々の勝利が来ますからね……くっくっく……!」

「それもそうだな……!!」

 

 二人の男は肩を組み合って笑った。その笑いは、端から見れば吐き気を催すようなものだった。邪悪な研究に手を染めていることを自覚しながらも笑っていられるその精神は常軌を逸脱している。現にそう感じた研究員がいたのだが、彼らはなすすべもなく、作業を続けた。生け贄にはなりたくないのだ。

 孤独の観測者が到達した世界線は、僅かに……ごく僅かにずれ始めていくのであった。

 

 

 




さて、とりあえず書いていこうか。最後のが結構物語の重要なポイントになってきます。
なんの物語かはっきりさせないといけないですしおすし。

用語解説です。

・禿同

激しく同意するの略。


では、感想やお気に入りなどお待ちしております。ちょっと次回までに更新に間が空くかもしれません。クオリティを高くしたいので少し落ち着きたいなと思います。急いで書いてもいいことないので。

では。


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美少女コンテスト・前編

アズマオウです。

今回は息抜き回で、かなりゆったりした物語になっております。結構楽しみながらかいたので、満足です。

ちなみに時間は相当飛んでます。ご注意ください。なお、SAOキャラクターとの絡みはまだ未定です。

では、どうぞ。


 ここは、どこなんだ……?

 

 俺は、目を覚ます。朧気な眼をはっきりさせ、どうにか倦怠感を振り落とすと、何もない、白い空間が見えた。何だこれは……? 夢なのか、幻なのか……? 少なくともSAOにも現実世界にもこんな場所はないはずだ。

 自身の姿を見てみると、俺は白衣を羽織っていた。現実世界での、白衣をまとい弱小サークルで下らない発明を繰り返している自称マッドサイエンティストの俺だ。

 これは夢だろう。何故なら今俺がいる場所はSAOであり、現実世界ではないのだから。早く夢から覚めないだろうかと思いながら、ぼんやりとその空間の中で佇んでいた。

 

「…………べ……たろう……」

 

 すると声が、聞こえる。聞き覚えのある声だ。俺は周囲を見渡す。すると、そこにはジャージ姿の娘がいた。ジャージ姿の娘は厳しい表情でもう一度口を開く。

 

「岡部倫太郎、聞こえる?」

 

 快活で馴れ馴れしく、しかし他人行儀な喋り方をするのは一人しかいない。俺はその名前を呼んだ。

 

「鈴羽……? 鈴羽なのか!?」

 

 ジャージ姿の娘はうんと頷いた。やはりそうだ。間違いはなかった。俺の世界線漂流を幾度もなく助けてくれた若き戦士、阿万音鈴羽だった。でも、彼女が現れるはずはない。何故ならば、彼女はこの世界線で産まれていないからだ。これで確定した。これは夢であると。

 

「岡部倫太郎。伝えなきゃいけないことがあるんだ。この世界線は……狂い始めているんだ」

 

 何を言っているんだ。いや、鈴羽は変なことを言う癖があった。たまに、まゆり以上に常識ハズレなことを言うことがある。まあ彼女はそもそも常識を知らないだけなのだが。

 それとも…近くに彼女の言うことは真実なのか。牧瀬紅莉栖は敵だという発言もあながち間違いではなかった。無論彼女は仲間だったが、紅莉栖がSERNに囚われて人類の敵になり得た世界線もあったのだ。まあ、その前にタイムリープして無かったことにしてしまったのだが、ともかく彼女は嘘をつかない。

 ……何を真面目に考えているんだ? これは夢だ。夢なんだ。鈴羽のいうことはきっと俺が勝手に考えていることだ。俺の夢の中で何か言っているだけなんだ。真面目に考える必要はーーー。

 

「ーーーーーーっぐっっ!!?」

 

 突然、世界がぶれた。真っ白の空間に不気味な歪みが生じ、頭がぐわんぐわんと揺れていく。視界はスパークし始め、鈍器で思いきり殴られたような痛みが身体中を襲う。これはまさか俺のリーディングシュタイナーが発動したのか?

 でも、あり得ない! これは夢なんだ。夢の中でもリーディングシュタイナーは発動などしないと思っていたのに!

 揺らぎは収まり、スパークが弱まっていく。が、その歪みのなかに……鈴羽は消えていく。

 

「鈴羽!!」

 

 まるでその歪みが俺と鈴羽を隔てているようだった。俺は今も残る鈍痛を堪えながらも手を伸ばす。しかし、その手が届く前に……鈴羽は口で何かを言って、姿を消していった。

 

「岡部倫太郎……世界を……」

 

 鈴羽の掠れた声と共に白い空間は溶け崩れるように壊されていき、俺の体は暗闇へと放り投げられーーー。

 

 

「うわっ!?」

 

 ベッドにて目覚めたのだった。荒い息を整えながら俺は辺りを見渡す。すると、何てことはなかった。ここはSAO内の俺の自室だ。どうにか自室に戻れたと安堵しながらも、どうしてあんな夢を見てしまったのか、どうして夢の中でリーディングシュタイナーの感覚が作動したのか、思い当たる節はなかった。

 俺は視界に映るデジタル時計を見る。午前2時だ。途中で起きてしまったことに後味の悪さを覚えながら、俺はもう一度ベッドに横たわる。しかし意識は、先程の夢のせいで覚醒してしまい、気のせいか冷や汗がだらだらと垂れている。

 仕方なく俺は寝るのを諦めて、ベッドからゆっくりと出た。隣のベッドではダルがぐうぐうといびきをかいて寝ているが、起こさないよう注意してドアを開ける。

 部屋から出て、階段を降り、新しく出来たギルドホームのドアから外へと出る。夜風が舞い込んできて、気持ち悪い感触を払拭していく。

 

『この世界線は……狂い始めているんだ』

『岡部倫太郎……世界を……』

 

 鈴羽の言葉がフラッシュバックする。頭がちくっと痛くなる。あの意味はなんだったのだろうか。いくら夜風に当たっても嫌な感じは消えることはない。もし鈴羽の言葉が本当だとしたら……いったい俺の知らぬ間に何が起こっているのだろうか?

 夜空に光る星を眺めてすべてを忘れようとしたが、刃が冷たく俺の背を撫でるような気味の悪い感触が離れることはなかった。

 

 

***

 

 

「あ、オカリン、おはよー」

 

 朝8時になり、ようやく皆が起きてきた。一番にまゆりが起きてきて、一階にいる俺に挨拶をして来た。

 

「うむ、おはようまゆり。ふわぁ……眠いな……」

「あれ? オカリン眠いの?」

「まあな……昨日ちょっと夢見て起きたんだ」

「そうなんだー。どんな夢だったの?」

 

 まゆりはにっこりと聞いてくる。一応夢の内容ははっきりとは覚えているが、どう言葉にすればいいか分からない。俺は適当に流すことにした。

 

「よくは覚えていない。まあ、大したものではないだろう。皆はどうしたんだ?」

 

 話題を切り替えるとまゆりはうーんと顎に手を添えながら答えた。

 

「紅莉栖ちゃんは今シャワー浴びてるよ。ダル君はまだ寝てて、ルカ君とフェリスちゃんはお料理しているよ。萌郁さんも寝てるんじゃないかな……まゆしぃ起こしてくるよ」

「全くダルと指圧師は弛んでいるな。頼んだぞまゆり」

 

 はーいと言ってまゆりは階段を上がっていった。リビングに一人残された俺はぐるっと中を見回した。

 

 ここは、ギルド《未来ガジェット研究所》のギルドホームである。つい3ヵ月前に建てたホームであり、規模は小さ目だが、何せラボメンことギルメンがたったの7人しかいないので十分すぎるほどの大きさだ。部屋は有り余っているし、はしゃぎ回ることもできる。

 ギルド設立をしたのは2013年初頭だ。ギルドを設立するには第3層にある《ギルド結成クエスト》をクリアしなくてはならなかったので、ラボメン全員でどうにかクリアし、結成することが出来た。その後はギルドホーム設立のために金稼ぎを頑張って行った。まゆりが呉服店を開いて自身の手製の服を売ったり、ダルがとあるギャンブルで勝って稼いだりして、どうにか目標金額300,000コルを貯めることが出来た。ホームの大きさは20人分で、入ってみた感想として開口一番に語られたのは、なにしろ広すぎるというものだった。

 その後もそれぞれ好き勝手に活動し、時にはボス攻略に参加したりして、思い思いに過ごしていた。まさに、《未来ガジェット研究所》である。

 2014年2月初頭の今日も、未来ガジェット研究所の新たな一日が始まろうとしていた。

 

 

「キョウマーー! 朝御飯出来たニャーー!!」

 

 俺が物思いに耽っていると、エプロン姿のフェイリスの元気のよい声が聞こえた。俺ははっとして分かったとフェイリスに叫び返した。

 

「岡部……いえ、凶真さん、皆はまだですか?」

「もうすぐくるはずだがな。お、紅莉栖が来たな」

 

 ルカ子と話していると、紅莉栖が私服のラフな格好で来た。

 

「遅かったではないかじょぅしゅぅよぉ……貴様だけのうのうとシャワーとは、随分とセレセブのようだな」

 

 俺は挨拶がわりにからかってやると、案の定紅莉栖はムキになって返してきた。

 

「セレセブ言うな! 別にいいでしょ!? なんならあんただって使えばいいでしょ?」

「ふんっ! 俺は貴様のようなセレセブ生活は送らないのだ。というか貴様こそ、この世界では汗をかくことがないのに何故、シャワーを浴びるのだ?」

「習慣だからよ、何? 何か文句ある?」

「おのれ助手の分際で!」

「だから私は助手でもないといっとろうが!!」

 

 わーわーと俺と紅莉栖が騒いでいると、まゆりに起こされたダルと指圧師が眠気眼で降りてきた。

 

「朝から夫婦喧嘩乙。他所でやっててください」

「ふ、夫婦ちゃうわ!!」

「こんなやつと夫婦など、何を冗談をいっているのだスーパーハカーよ!」

 

 俺が叫ぶと、突然シャッター音が聞こえた。振り替えるとそこには、写真を撮ることができる記録結晶を持った萌郁が立っていた。

 

「勝手にとるな!!」

 

 俺が叫ぶと、萌郁はウィンドウを開いてすさまじい速度で表示されたホログラムキーボードを乱打していく。数秒後、俺の視界に新着メッセージがありますという通知が来ていた。俺はそれをクリックすると、萌郁からのメールが来ていた。

 

『ごめん(;>_<;)

 だって何か楽しそうだったんだもん! でも夫婦喧嘩っていいよね、恋人出来たことないから分かんないけど。ねえ岡部くんって、どうしてそんなにモテるの? 

 私も恋人ほしいな(/▽\)♪

 男の人って何すれば喜ぶの? チョコとかあげたりすればいいの? 恥ずかしい格好すればいいかな? エッチなの好きそうだし。

 他にはーーー』

 

 俺は全部読むのを断念して閉じる。無論指圧師の質問に答える気もないし、そもそも前提が違う。俺はモテてなどいない。指圧師が答えを欲しがっているような目線を送るが、俺は断固拒否して席に座る。

 やがてまゆりが元気よく帰ってきて全員が揃った。一斉にいただきますと斉唱して目の前にある巨大サラダやトーストを手にとって頬張った。ルカ子とフェイリスの料理スキルもうなぎ登りに向上していって、とっても美味しい食事が毎日食べられる。この二人は将来いい妻、もしくはいい夫になるだろう。特にフェイリスは金持ちだから得しかしないだろう。

 

「ねえねえフェリスちゃん。なんかこんな企画があるんだけど」

 

 食事中、まゆりがウインナーを食べながらあるチラシをメインメニューから取り出した。そこには、¨第1回美少女コンテスト¨とかかれてあった。俺には無縁の話だと割りきって、目の前にある目玉焼きを箸で取ろうとしたのだが。

 

「それ知ってるニャン。ニャンか優勝すると、賞金がもらえるのニャ!」

 

 ぴくっと俺の耳が反応した。賞金、だと?

 現在俺たち《未来ガジェット研究所》の資金は底をつきかけている。これほどの豪華な朝食を用意できるのは、金があるからではなく、粗悪品しか使っていないからだ。無論ルカ子やフェイリスの料理スキルのお陰で美味しくなっているのだが、それも食べられなくなる日も近い。俺は食べるふりをしながらその話に耳を傾けていた。

 

「そうなん、フェイリスたん? だったらこの未来ガジェット研究所の女性陣全員で出るべきだと思われ」

「それが1チーム2人までって決まっているニャン。フェイリス的には、ルカニャンと萌ニャンでいくべきだと思うニャン!」

 

 フェイリスの提案にルカ子はおどおどしながら反対した。

 

「え、ええっ!? そんな、ボクは無理ですよ! それに男ですし……」

 

 確かにルカ子は男だ。だが、この容姿で女装すれば間違いなく美少女だ。俺はフムと考えた。

 

「何を考えているのよ、岡部」

 

 俺のとなりに座る紅莉栖が怪訝そうな表情で聞いてくる。俺がこうして考えていることを悟られるわけにはいかない。こうなったら、どうにかはぐらかすしかーーー。

 

「あ、そういうことか。あんた賞金狙ってるんでしょ?」

 

 ーーーバレた。あっさりバレた。

 

 俺は項垂れるとああそうだと吐いた。

 

「我がラボは資金難に陥っているからな、全力で優勝しなければ俺たちに未来はない」

「まあそれには同意するお。でもさ、出る人どうする? 僕的にはフェイリスたんを推すんだけど」

「ーーー投票で決めようと思う」

「投票?」

「ああ。皆で誰がコスプレ大会に出るか、目隠しで手をあげて多数決で決める。一人2回だけだぞ、手をあげるのは」

「なるほど、いい案ですね」

 

 ルカ子は俺の意見に賛同してくれた。さすがは我が弟子だ。俺は早速実行すべく指示を出した。

 

「では皆のもの、そこの机に顔を伏せ、適切だと思った人物二人に手をあげよ」

 

 俺の指示が行き通り、皆顔を伏せた。俺はまず一人目を読み上げた。

 

「ラボメンナンバー順にいくぞ。まずは、まゆりがいいと思うもの、手をあげよ」

 

 まゆりの推薦について問う。手をあげたのは、ルカ子だけだった。もしかしたら日々のコスプレの要請の恨みもこもっているのではないかと思ってしまう。ルカ子に限ってそれはないと信じたいが。

 とりあえずまゆりは終わりだ。次にいこう。

 

「次は紅莉栖だ。手をあげよ」

 

 紅莉栖の場合はコスプレ経験があるため、適任ではありそうだ。だが、思ったほど手をあげた人数は多くなかった。挙げたのはまゆり、ルカ子のみだった。理由は恐らく全員ただひとつ。ツンデレ天才科学者のコスプレが見たい。それだけだろう。無論俺もだ。

 

「次は指圧師だ。手をあげよ」

 

 萌郁のコスプレは見たことがない。奴はスタイルは良いのでまゆり辺りは手をあげると思う。が、俺の予想に反し、まゆりは手をあげなかった。あげていたのは指圧師とフェイリスのみだった。どうやらコスプレ願望があるようだ。後でまゆりに伝えておこう。プライバシー? 狂気のマッドサイエンティストがそんなことを気にするとでも?

 

「では、次にルカ子だ。手をあげよ」

 

 これはどのくらい上がるのだろうか。実際優勝するに当たっては欠かせない人物だと俺も思う。さあどうなるか。

 手をあげさせると、凄いのか、それともやはりなのか、ルカ子以外の全員があげていた。まあ俺も参加していたらあげていたことだろう。これで決まりだな。

 俺は声音を変えずに次へと移した。

 

「では次、フェイリスだ。手をあげよ」

 

 俺がそういった瞬間、ダルが音速とそう変わらない速度で手をあげた。まあこいつはフェイリス推しだし、そうでなければ後でダルに問い詰めようと思っていたが、杞憂に終わったようだ。その他にも、紅莉栖やフェイリスもあげていた。フェイリスは自己顕示欲の塊だからーーー少なくともフェイリス・ニャンニャンの時はーーーまあ上げるだろうとは予想していたが。

 

 これですべて終わった。もういいぞとラボメンたちに告げて、顔をあげさせる。

 

「では、結果を告げる。今回この血みどろの戦いを勝ち抜き、勝利をつかみとった戦乙女はーーー漆原るかと、フェイリスである!!」

 

「え?」

「やったニャ!!」

 

 ルカ子とフェイリスは、一斉に反応し、声をあげる。ルカ子はこの世の終わりが来た時のように顔を青ざめ、フェイリスは嬉しそうに飛び上がった。しかもルカ子の方が票が多かったため、なおさらかわいそうだ。だが、これも……。

 

「ルカ子よ、そう青ざめるでない。何故ならこれが、シュタインズゲートの選択だからだ」

「いや、何をいっているんだおまいは」

 

 ダルがすかさず突っ込むが、俺は無視した。

 

「やっぱルカ君がそうなるとまゆしぃは思ってたよ! だってかわいいもんね!」

「漆原さんは適任なんじゃないかしら?」

「私も……そう思う……」

「うは、フェイリスたんにるか氏とか僕得すぐるだろjk!」

「ルカニャンも一緒に頑張るニャ!!」

 

 ルカ子に対する賛辞の声が多い。観念するしかなさそうだ。ルカ子はすでに泣きそうになっている。どうしたものか。

 

「ルカ子よ、泣くでない。お前は、未来ガジェット研究所に貢献できるのだぞ。俺たちはもうすぐで飢え死にしてしまう。それを食い止められるのはお前とフェイリスだけなのだ! しかもフェイリスだけではダメだ、お前の秘められし力が必要なのだ! 頼む、やってくれないか」

 

 俺はそう説得する。紅莉栖からは、そんな説得じゃ無理だろと言われたがーーー純粋なルカ子を甘く見てほしくないものだ。ルカ子はプルプル震えながらも、答えた。

 

「は、恥ずかしいですけど……その、凶真さんのためだったら……や、やります!!」

「キターーーーーーー!! るか氏の出演実現とか、オカリンGJ過ぎるだろ!! 僕らにできないことをさらりとやってのけるとか、そこに痺れる憧れるーーー!!」

「フゥーハハハ!! 弟子の心を操るなど、造作もないことだ!!」

「調子乗るとすぐこうなるな岡部は……」

 

 俺は高笑いすると、まゆりの方を向いた。そして、高らかに叫ぶ。

 

「まゆりよ、ではお前にミッションを授ける。確かこの大会の開催は3日後で、服装は自由と書かれてあるな?」

「うん、そうだよ」

「ならばーーールカ子のコスプレ衣装の作成を命じる!!」

「え、ええっ!?」

 

 ルカ子が驚く。だが、もう遅いぞルカ子よ。まゆりのコス作りに対する情熱は激しいぞ。例え目の前にジューシー唐揚げナンバーワンがあろうとも、それを無視して……いや、まゆりならばどちらもやるか。

 とにかく、まゆりの情熱はすごいものがある。現に……。

 

「よぉーし、じゃあルカ君になに着せよっかな! 雷ネット翔関係かな? それともブラチューかな? それともプチキュアかな? うーん、まゆしぃは結構迷うのです!!」

「あ、あわわ……ま、まゆりちゃん……そんなに気張らなくても……。それにコスプレなんて……」

「だってせっかくルカ君にコスプレしてもらえるチャンスだよ! まゆしぃの能力すべてをつぎ込まなきゃいけないのです!」

 

 とこのように、暴走し始めるのである。こうなってしまっては、俺でも止められない。すまないルカ子よ。俺は心の中で謝った。

 

「さて、まずはスリーサイズを測るよー。ルカ君こっちこっち!」

「も、もうやめてぇーーーー!!」

 

 まゆりに更衣室へと引っ張られるルカ子の、可愛らしい断末魔が聞こえるが、俺は心を無にして聞いていた。脳内に、このフレーズを繰り返しながら。

 

 

 

「だが、男だ」

 

 

 




ルカ子のコスプレ何になるでしょうか?
では用語解説です。


・牧瀬紅莉栖のSERNへの寝返り

α世界線にて紅莉栖やダルやオカリンがラウンダーに拉致されて、紅莉栖は無理矢理タイムマシン開発に協力させられることになる。そして紅莉栖はその後事故で死ぬ。紅莉栖のせいでディストピアが完成してしまった。無論岡部のタイムリープによってそれは消滅したのだが。

・セレセブ

説明する必要があるかはわからないが、一応します。紅莉栖のあだ名のひとつ。セレブセブンティーンの略で意味はセレブな17才。ちなみに紅莉栖は18才である。岡部いわく語感こそ全て。

・プチキュア

女子向けの子供アニメ。美少女たちが変身して悪と戦う内容で、女児はおろか成人男性にまで人気を博している。元ネタはプリキュアである。

・リーディングシュタイナー

説明する必要はほぼ皆無かもしれないが重要なので説明します。常に変動する世界線の移動を感知でき、過去の世界線での記憶を引き継ぐことができる能力。ただし欠点があり、移動した世界線での記憶を覚えていないことである。その能力は全ての人間がわずかながらに発動しているのだが、岡部にはそれが一段と強く現れ、ほとんどの世界線変動を感知できるのである。


では、感想やお気に入りお待ちしております。


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美少女コンテスト・後編

アズマオウです。

前回のタイトルを変更しました。なんか違うなって思ったのでw
では、どうぞ!


 コスプレ大会こと、第一回美少女コンテスト当日が来た。会場は第32層の主街区の大広間であり、既に多くのーーー主に男性プレイヤーが占めているーーープレイヤーがちらほらと姿を見せていた。

 俺は主催者側の男性プレイヤーに俺は声をかけた。

 

「すまない、この二人を出場させたいんだが」

 

 男性プレイヤーはこちらを振り向くと、だらしなく頬を緩ませた。恐らくフェイリスやルカ子の可愛らしい容姿に見とれているのだろう。これはいい線いっているかもしれない。

 男性プレイヤーはにこやかに分かりましたと受け付けて、フェイリスたちを案内した。フェイリスは意気揚々と男性プレイヤーについていったが、ルカ子はがくがくと緊張して震えている。まあ、今回のコスプレは¨二人はプチキュア¨というかなり恥ずかしいものだから仕方があるまいが、ラボのためだと思って耐えてくれと俺は、哀れに連れていかれたルカ子に念じた。

 俺は二人を見届けると踵を返して後ろの方でで待っている他のラボメンたちに声をかけた。

 

「受付は終わったぞ」

「お疲れさま。さて、私たちも会場に行きましょう」

「そうだな」

 

 俺たちは観客受け付け口へと向かい、そこで受付を行った。この企画を立ち上げ、実行しているのはとある中堅ギルドらしい。なんでも、ギルド結成から数ヵ月がたった記念としてこの企画を立てたようだが、その真の目的は恐らく、この世界での美少女を決めて癒しをもらおうとでも言うのだろう。まあ不純と言えば不純だが、それも娯楽の一つなので否定はできない。俺たちは、チケットをもらい、空いている席に座る。

 

「ねえオカリン。この大会に出場するプレイヤーさんの人数は分かる?」

 

 まゆりの質問に俺は、受付している際に貰ったパンフレットを眺めながら答えた。

 

「パンフレットによると、合計で8組出場するらしい」

「そう……なんだ……」

「ありがとーオカリン。でも、ルカ君にフェリスちゃんというコンボなら無敵だと思うなー」

「それを言うならコンビよまゆり。でも確かに負けることはないわね」

「禿同。負けるとかマジあり得ない」

「あまりあいつらのハードルをあげるな。まあ確かに俺も勝利は確信しているのだがな」

 

 俺たちがそう話している間にも人は埋まり始めていた。だんだんと場は騒がしくなってきて、大会の開始を急かす声も聞こえてくる。手には記録結晶が握られており、恐らく撮影するつもりなのだろう。

 会場の期待が高まるなか、開始の時刻となった。中央の簡単なステージに、ルカ子達を案内した男がたち、大声を張り上げた。

 

「はーい、大変お待たせいたしました! ではこれより、ギルド《紳士たちの会議》による《第一回美少女コンテスト》を開催しまーす! 司会のビンビンです、よろしくお願いしまーす!」

 

 大会の開始を告げられると、観客は待ってましただの、キターだのと叫びまくった。拳を振り上げて喜ぶものもいれば、指笛を高らかに鳴らすものもいて、盛り上がりは最高潮だ。

 男はどうにかそれを沈めると、再び大声を出した。

 

「えー、ではルールを簡単に説明します。ここに8組の美少女たちが来ます。彼女たちにインタビューに答えてもらったり、特技を披露してもらい、その後皆さんに投票してもらいます。一番票の多かったグループが優勝です。それと投票用紙は、インスタントメッセージでお願いします。ビンビンのスペルはBinbinです。名前さえわかれば送れるので、それでお願いします。なお、1グループ2人までですので、個人名を書いていただいて構いません。それと最後にですが、写真撮影は可能としますが、接触は禁止します。では、早速始めましょう! では、最初の組、出てきてください」

 

 司会のクラインが裏方に顔を向けて声をかけると、二人組の女の子が現れた。たしかにかわいい。だが、衣装は普通の防具だ。まあ、清楚派には受ける顔かもしれないが、残念なことに食指が動いている連中は少なかった。ということから、特殊な性癖を持っている男が多いと言える。つまりーーー男の娘であるルカ子に勝機はある。仮にルカ子を女の子と勘違いしてしまったら、自己紹介の時に男だというように言っておいた。

 さらに恥を知らない、サービス精神満載のフェイリスもいる。この特殊な環境においては無敵の組み合わせだ。勝ちは、我が手中にある。

 俺は高笑いをしたくなる衝動を堪え、最初に出てきた二人組が退場するのを見た。次は誰だろうか気になったが、結果は大したことはなかった。粒揃いだが、隣に座るダルが全く興奮していないことから大物でもないのだろう。やはり最初と同じように退場していき、やや会場のボルテージも下がってきていた。

 さらに3番目も4番目も盛り上がらず、不満と怒りの感情が徐々にステージを包みつつあった。シャッター音もほとんど聞こえなくなり、帰り始めるものも出始めた。俺も帰ろうかなと思ってきたのだが。

 

 5番目に登場した女の子が姿を現した瞬間。会場は嘘のように盛り上がった。背は低く、容姿はやはり可愛くチャーミングだが、何より目を引いたのは、彼女の肩に乗っている小竜の存在だった。

 

「わっ、あの竜かわいいよ! 水色の皮膚につぶらな瞳……、あ、今鳴いた! きゅるるって……いいなぁ……まゆしぃも欲しいなあ……」

 

 まゆりは身を乗り出してその小竜を見る。どれだけ可愛いのか見てみたが、はっきりいってそうとは思えない。どうもまゆりの好きなマスコットキャラとかには共感できない。例えば現実世界におけるキャラクターのひとつである¨うーぱ¨。丸っこい熊の頭に手足が映えたもの、と思ってくれればいい。ラボにもうーぱのぬいぐるみがあるのだが、あれもまゆりが自宅から持ち込んだものである。最初は持って帰れといったのだが、まゆりがどうしてもといったので仕方なくラボに置いたのである。あとはゲロかえるんというものも過去にあったのだが、あれも全く共感できなかった。キモかわいいということで人気を博したのだが、正直俺に言わせれば、キモい以外何者でもなかった。

 ただ、事実として彼女に注目が集まっている。しかも有名なようで、彼女の名前らしきものを観客は叫んでいた。しりか、と聞こえるのだが、俺はその名をまるで知らない。

 

「ねえねえオカリン、ここってペットとか竜とかって飼えるのかな?」

 

 まゆりが俺に聞いてくる。だが、未だに攻略組を続けている俺ですら知らない。俺は知らないといって首を振る。まゆりは残念そうに顔を伏せた。

 だが、ダルが知っていたようだった。

 

「飼えないことはないお。小さなモンスターをテイムすれば、ね」

「ていむ……? ああ、飼い慣らすって意味かぁ」

「そうだお。まあ上手くいくかはわかんないし、あの女の子が唯一成功したって話だから。彼女は今じゃこういわれているよ。ビーストテイマーって」

「それ……私も聞いたこと、ある。名前はたしかーーー」 

 

 指圧師も反応した。もはや女の子よりも小竜の話に夢中だ。まあダルはフェイリス一筋だからあまり食指が動かないのだろう。意外だと思いつつ、やはりそうかとも思った。いったい俺はどっちなんだろうかと決められない自分に呆れる。

 指圧師が女の子の名前を言いかけたその瞬間、司会の男が、インタビューを開始した。

 

「はい、よく来てくれました! じゃあ名前を教えてください!」

 

 女の子は司会の男に向かってにっこりと笑いながら質問に答えた。その笑顔は遠くからでも眩しいほどよく見える。あどけない幼さと、地味に隠れている無意識な妖艶さが光り、司会の男は早速堕ちている。

 彼女の弾ける笑みと共に名前が放たれた。

 

「ええっと、私の名前はシリカです。この子はフェザーリドラのピナです。ほらピナ、みんなにご挨拶は?」

 

 どうやらあの竜の名前はフェザーリドラというらしい。雑魚モンスターですぐに狩れるお得なモンスターとして知られているが、特殊効果が厄介だ。だから俺はそいつには嫌な印象しかない。

 だが、フェザーリドラことピナはご主人にかなり忠実らしく、きゅるると鳴いてみせた。もうすっかりまゆりは夢中である。身を乗り出して目を輝かせながらいいないいなと連呼を煩いくらいにしている。紅莉栖もまんざらではなさそうだ。指圧師など、俺に『あのかわいい竜ほしいv(*´>ω<`*)v』などというメールを何通も送ってくる。俺には何故そう羨ましたがるのか、全くわからない。

 

「さすがビーストテイマーですね! では、特技を教えてください!」

「特技ですか……。特にないですが……強いていうならピナとの芸です」

 

 司会の質問への答えに皆おおっとどよめく。まさか飼い慣らすだけではなく芸まで仕込むとは。恐ろしくテイム技術が高いのか、それとも二人の友情が強いのか、それはわからないが、とにかくすごいと言わざるを得ない。

 

「そうですか! では早速披露してもらいましょう!」

 

 司会が促すとシリカはピナに声をかけた。ピナはきゅるっと短く答える。応えてくれたことを確認すると、シリカは叫んだ。

 

「ピナ、泡を出して!!」

 

 シリカはピナにそう命じた。すると、きちんと命令をきいてピナの小さな口から泡が飛び出された。あの泡は確か幻惑作用をもつ厄介なものだが、シャボン玉のように綺麗に宙へと浮いていく。厄介なイメージしかない俺にとっては、新鮮に感じた。

 続いてシリカは腰にある短剣を手にとって地面を蹴った。きゅいいんとサウンドエフェクトが響くと、剣は黄色く光り出した。

 

「やぁっ!」

 

 掛け声があがると、シリカの小さな体はばっと宙へと駆け上がり、ふわふわと浮く泡めがけて短剣を振るった。

 パンパン、パパパン!

 小気味いい破裂音がリズムよく響き、小さな飛沫がシリカの体を包み込んだ。それはまるで絹のベールのようで、一気に美しく見えた。たかがシャボン玉なのに、どうしてこうも魅力的に見えるのだろうか。ソードスキルと泡という一旦そこまですごくないように思える組み合わせでもこんな風に美しく魅せられるとは、なかなかだ。

 シリカが着地し、一礼すると拍手喝采の嵐が巻き起こった。彼女のパフォーマンスと容姿に惹かれた奴等は少なくないと見た。これは……厄介だ。あんなに人気を集めてしまうと、こちらの勝利は遠退いてしまう。

 だが、もう今さら何が出来るというわけではない。ルカ子やフェイリスの奮闘を祈るしかない。

 拍手を受けながらシリカたちは退場し、次の組へと移った。次がルカ子達ではなかったのはラッキーだと思う。何故ならシリカの後となると要求するレベルのハードルが高くなっているからだ。ルカ子達にはそのプレッシャーは背負えない。だから次がルカ子達でなくてよかった。

 次に出てきた組はまあまあよかったとは思うが、シリカを越えることはできず、さほど興味を向けられず退場していってしまった。7組目も同様の結果だった。

 次がルカ子達だった。会場の空気は既にシリカ優勝確定だろというムードが広がっている。6、7組目のようになってしまう可能性も少なくない。でも、それでもいい。彼女たちのせいじゃない。相手が悪かっただけだ。俺が頑張って金を稼げばいいんだ。

 半ば諦めながら俺はルカ子達が出てくるところを見つめた。冷めた反応が来るかと思ったのだが……。

 再び会場のボルテージは上がっていた。いや、俺たちも驚いていた。そんな馬鹿な。目を疑っていた。だって……彼女たちの服が違うから。無論、いい意味で。

 俺はコスプレ担当のまゆりに向き直った。

 

「おいまゆりよ! これはどういうことだ?」 

 

 俺はまゆりの肩をつかむとまゆりは一瞬ビックリした顔をしてその後いつもの能天気な喋りで答えた。

 

「これは、メイド服なのです」

「そんなことを聞いているのではない! どうして¨二人はプチキュア¨からメイド服に変わっているんだ?」

 

 ああ、そういうことかとまゆりは一人呟いて、笑顔で答えた。

 

「だってフェリスちゃんがそうしたいっていったんだもん。プチキュアコスもいいけどやっぱり着慣れているものがいいんだってー」

 

 そういうことだったのか。俺は納得しながら会場の様子を見る。どうやら男どもはメイドコスに興奮しているようだった。しかもあのメイド服は、現実世界における¨メイクイーンニャン×2¨のそれとそっくりだ。頭には猫耳のカチューシャ、白のエプロンと目を引く要素がぎっしりとつまった魅力的なメイド服をもう一度見られるとは、思っていなかった。隣にいるダルは興奮していて、気持ち悪いとさえ思えるほどに鼻息を荒くしていた。指圧師は記録結晶をたくさん使って連写するようにルカ子達を撮っている。この二人はもしかしたら気が合うかもしれない。

 司会の男がルカ子達に話しかけた。

 

「はい、よく来てくれました! 名前お願いします!」

 

 最初はルカ子に振られた。ルカ子は若干動揺しながらもインタビューに答える。

 

「あ、あの……僕はうるし……じゃなかった、ルカです」

「へえ、ルカちゃんっていうんだ! ボクっこなんだね」

「え、ええ……僕は男なので」

 

 その台詞を聞いた瞬間、会場が一瞬凍りついた。これは不味い流れか……? ルカ子に男だと言えといったのは誤算だったか……?

 

「え? その顔で……男?」

「は、はい……すいません……これでも男なんです」

 

 ああ、やばい。ルカ子が泣きそうになっている。くそ、俺がフォローをいれたいのだが観客の立場である以上何もできない。

 その時、フェイリスがにっこりと司会に笑いかけ、言った。

 

「ルカニャンは男の娘なんだニャン。それでもダメかニャン?」

 

 そういいながらフェイリスは司会の男に近寄って上目使いで聞いてきた。司会の男はたじたじだ。さすがはフェイリス、魅惑的に魅せて落とそうというのだな。これで落ちる男はかなり多い。

 

「だ、ダメではないですが……」

「だったら別にいいと思うニャン。それよりもフェイリスの自己紹介をさせて欲しいのニャ」

 

 司会の男は数多くの男の例に漏れず、堕ちていった。男はこくこくと頷いて自己紹介を促した。フェイリスは元気よい声で自己紹介を始めた。

 

「名前はフェイリスだニャ! よろしくニャ!!」

 

 メイドコスに猫耳、さらに猫の言葉というトリプルコンボを一度に味わった聴衆たちは一斉に狂喜した。恐ろしい。ここは、怖い。離れたいと俺は思った。

 

「はい、短い自己紹介ありがとうございます。じゃあ特技とかありますか? まずはフェイリスさん」

 

 フェイリスはちょっと考え込む。実際特技はあるのだが、会場を引き込む特技は彼女は恐らく持ってない。存在だけで引き込めると思う。それにーーールカ子の特技ですべてを決めるつもりでもあるから、無理にやる必要がないと俺は言っておいてある。

 

「フェイリスの特技は料理とか雷ネット翔だニャ。でも今ここでは出来ニャいからフェイリスはパスするニャ」

「そうですか……。ではルカさんは?」

 

 司会は残念そうに言うと、ルカ子にふった。

 

「は、はい。ええっと……剣技とかならできます」

 

 これは俺が言えと言った言葉だ。ルカ子も実はレベル上げをしていてようやくエクストラスキルである刀スキルを覚えたばかりだ。無論今は技は少ないが、攻略集団に入ってくれれば心強いだろう。

 

「それじゃあ、お願いします!」

 

 はいとルカ子は腰に下げてある刀を鞘から抜き払う。その際メイド服を脱ぎ捨てて、見慣れている巫女服へと変わっていた。本来着替えをする際はメインメニューから操作しなくてはならないが、ルカ子の場合は二重に着ていたため、問題ない。しかも簡単に脱ぎ捨てられるようまゆりは工夫したので早着替え出来る。ルカ子の男の娘としての可愛さと、凛々しさを表現するために俺とまゆりで頭を抱えて考えたのだ。

 

 ルカ子は刀を中段に構えると、素早く腰に引いて光をためる。その後、霞むほどの速度でそれは振られ、鮮やかな軌跡を描いてみせた。続くソードスキルの嵐でライトエフェクトが弾けていくなか、ルカ子の動きは激しくなっていき、光のオーラを纏い始める。穢れのない印象と、可愛らしい容姿、凛々しい雰囲気が見事に混ざり合い、会場の皆を引き込んでいく。ルカ子の出しているソードスキルは単発技が多く、硬直が少ない。だがそれだけに連続して発動できるので、光を残したまま放つことが出来るので演出的に大きな効果を生み出すのである。

 

「えいっ!」

 

 可愛げも凛々しさもある掛け声で足を踏み込み、刀単発ソードスキル《辻風》の素早い居合いが空を切り裂き、演舞を終了させた。度肝を抜くその空打ちの一撃に、一瞬の静寂が続きーーー地球を揺るがすほどの大喝采が巻き起こった。拍手は空気を揺らし、歓声は地面をびりびりと暴れさせる。ボルテージは最高に上がっていて、俺は勝利を確信した。ルカ子は恥ずかしがりやだが、やれば出来る奴だとは知っていた。それでもーーー嬉しかった。仮にこれで優勝できなかったとしても、ルカ子が頑張ってくれたことに俺は、とっても感動した。

 ルカ子は一礼して、にっこりと俺の方を見て笑った。俺も笑い返し、よく頑張ったと口の動きだけで伝えた。あとで、ちゃんと口で言おう。

 ルカ子達の出番が終わると、結果発表へと移った。

 

「では、今大会の優勝者を決めます! 優勝したのはーーー」

 

 

 

 

***

 

 

 日は落ちていき、夜になった。光を差すものは忽として消えていき、どうしてか静かな気持ちになっていく。俺もその例に漏れず、一人¨ラボ¨のソファーに座っていた。考え事をしているわけでもなければボーッとしているわけでもない。意識ははっきりしており、眠くもない。何をしたいという欲求も起きず、すべてが停止してしまったような感覚を覚えている。俺はどうしてこんな風になるのだろうか? しかも……何故か頭が痛い。もしかしたら脳が考えたくないと主張しているのだろうか? あまりに多すぎる辛い記憶が脳を圧迫しているのだろうか? たしか脳には容量があったはずだ。タイムリープによって得た記憶は21歳の俺には、あまりにも膨大すぎるのかもしれない。だからこうして考えるのを放棄しているのかもしれない。あるいは……無理矢理やめろと言われているのかもしれない。

 

 ーーー考えすぎだな。

 俺は考えていることを放棄している、ということを考えていることに矛盾を感じ、ふっと笑う。とりあえず寝てしまおう。そう思って寝室へと足を向けたのだが。

 玄関のドアが突然開いた。風の音がわずかに聞こえ、ピタリと俺の体は止まる。何だ? 誰だそこにいるのは? 俺はウィンドウを取り出して愛用の武器を取り出す。

 慎重に足を運びながら玄関へと近づく。するとやはりドアは空いており、夜空に輝く星空が覗かせている。俺はとりあえず上着をウィンドウから取り出して羽織り外に出る。未来ガジェット研究所は一応第16層の町の圏内の小さな一軒家に位置しており、別に危険はないのだがやはり怖いものは怖い。俺は慎重に進んでいく。

 歩いていくと、噴水広場へとたどり着く。するとそこに誰かが一人で座っていた。簡素な革防具に身を包んだ小柄な体格を持ち、女の子のような顔をしている奴といえば、一人しかいない。俺は歩みより、声をかけた。

 

「こんなところで何をしている、ルカ子」

 

 俺に気づいたのか、ルカ子は顔をあげた。驚いた表情をしている。一人でいるところを見られてしまってはそうなるのは当然だ。ルカ子は言いたくなさそうにもじもじとしている。

 

「ーーー眠れないのか?」

 

 もしかしたらと思って、俺は聞いた。するとルカ子は頭を小さく縦に降った。

 

「はい……いっつも怖い夢を見ちゃうんです。死んじゃう夢、お父さんに怒られる夢、です」

「そうか……だが今日は疲れただろ? 早く寝たほうが……」

 

 俺がそういって、部屋へと帰そうとしたときだった。

 

「岡部さん。僕、邪魔ですか?」

 

 ルカ子は突然俺の話を遮った。ルカ子の顔はかなり険しくなっている。邪魔だって? そんなわけがない。ルカ子だって大事なラボメンだ。邪魔なわけがない。むしろ、いなくてはいけない。俺は苦笑した。

 

「何を言うかと思えば……そんなわけがないーーー」

「岡部さんはそういうと思ってました。でも……本当は邪魔なんでしょう?」

 

 俺は再びそんなわけがないと言おうとした。しかし、ルカ子の視線が鋭くなった瞬間、俺は口を噤んでしまった。本気で言っているんだ、本気で悩んでいるんだ。

 

「僕は戦えないですし、料理しか出来ませんし、頭悪いですし、それに今日だって……優勝できず、準優勝でしたし……本当は、岡部さんの邪魔なんです。岡部さんは優しいから僕をラボメンにしてくれているけど、僕なんて……きっといなくていいと思っているに違いないんです。牧瀬さんや橋田さんやまゆりちゃんのほうが岡部さんにとっては大事ですから。僕なんて……要らないんです……」

 

 ルカ子の弾丸のような自虐発言を俺は黙って聞いていた。ルカ子は闇の部分を滅多に吐き出さない。それ故に、俺は気づいてやれなかった。ルカ子がここまで本気で悩み、苦しんでいるんだということを、知ってやれなかったんだ。恐らくSAOに入る前から感じていたことかもしれない。だとしたら……俺はバカ野郎だ。ラボメンの長として気づくべき部分を気づけないなど、失格だ。俺はぐっと拳を握りしめる。

 二人の間に静寂が流れる。冷えた空気が二人の微妙な空気をさらに冷やしていき、見えない壁を厚くしている。だが、痛い静寂を破ったのは、取り繕った笑顔から放たれた、ルカ子の震え声だった。

 

「って……そんなこと言っても岡部さんに迷惑ですよね。岡部さんは優しいですから。ぼくはその優しさに甘えている、最低な男なんです……。ごめんなさい。ーーーじゃあ僕はこれで」

「待て、ルカ子」

 

 俺は離れようとするルカ子の肩をつかんだ。その小さな肩はビクッと激しく痙攣し、緊張している。ルカ子はきっと怖がっている。俺のことを怖いと思っている。でも、離す気はない。

 

「お前が必要じゃないラボメンだと……? 冗談もほどほどにしろ、ルカ子!」

 

 俺は声音を厳しくしていった。ルカ子は怖いのは苦手だ。だからすぐに泣いてしまうであろう。でも……俺は優しくない。大事な仲間を守るためならば、阿修羅にでも俺は落ちても構わない。だからルカ子に厳しくするのも、躊躇わない。

 

「ルカ子、俺はお前を邪魔だと思っていないし、必要だ。友達であり、仲間であり、家族同然なんだよ! そんな人間を簡単に切り捨てられない、切り捨てたくない! ルカ子は……漆原るかは……! ラボメンナンバー006として……絶対にいなきゃいけないんだよっっ!! ……それを分かってくれ」

 

 俺は、激しく呼吸しながら、るかに怒鳴った。この、女の子のような男は、小さな背中に重いものを背負っていた。そんなもの気にするなと言う言葉では振り払えないほどにガッチリと取りついた、厄介なものだ。今の言葉でルカ子は完全に悩みが払拭できたとは到底思えない。あとはルカ子次第なんだろう。

 

 わずかな静寂が流れ、震える口で、ルカ子はこう言った。泣いては、いなかった。

 

 

 

 俺はこのとき気づかなかった。ルカ子の顔は、()()()呆気にとられていたということを。

 

 

 

「岡部さん……僕、なにかやっちゃったんですか……?」

 

 

 一瞬、訳がわからなかった。ルカ子は、何をいっているんだ? なぜ、そんな呆気にとられたような顔をしているんだ?

 

 

「え……?」

 

 

 何をやっちゃった、だって? ふざけているのか? でも、ルカ子に限ってそれはないはずーーー。

 

 思考が回らない。突然のルカ子の突拍子のない発言で、俺は混乱した。しかも、ルカ子は本気でいっているのだ。本気で、自分が何を言ったのか、覚えていないのだ。どういうことなんだ? 考えられるとしたら記憶喪失か……でも、まさかーーー。

 

 回らない思考を必死に動かして、どうにかルカ子の言葉の意味を探ろうとした。だが……。

 

 ーーーあ、あれ? 何故だ……? 意識が霞んでいく……?

 

 訳がわからなさそうに俺を見つめるルカ子の顔がぶれ始めていく。眠気に近いなにかが全身を包み込み、視界が徐々に暗くなっていく。なんだこれ? 一体何がどうなっているーーー?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づいたら、俺はベッドの上で起き上がっていた。ベッドの近くには、美少女コンテストで準優勝をしたという証拠であるメダルがおいてある。これは夢だったのか? 夢であると、思うのだが……どこか違う気がした。まるで脳に直接映像と五感を再生させられている感覚。夢であるようで、夢じゃない。

 

 

「一体……なんなんだよ?」

 

 

 俺の呟きが虚空へと浮かび上がり、力が抜けていく。あまりにもリアルすぎる夢を見たせいで気持ち悪い。そもそもこれは夢なのか? 夢であってほしい。

 俺は、激しくなる鼓動と不安の疼きをどうにか隅へとおしやり、再び横になった。するとすぐに、眠気が俺を襲い始めた。

 

 

 




最後はちょっとワケわからないと思いますが、詳細は後にわかります。一体ルカ子はどうなっているのか? いやあ、伏線回収できるか心配です。エンディングははっきりとしているんですがね。
では、感想やお気に入り登録、お待ちしております。


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仮想と現実の光と闇

アズマオウです。温泉旅行の回は正直納得いかないですし、魔が差したような内容だったので一度消して大幅改稿して挿入投稿しました。勝手なことをして申し訳ありません。物語の大筋は変わりませんので。

では、どうぞ。


「……成果はどうかね?」

 

 男が、薄暗い研究室にて画面を睨み付けながらキーボードを叩く研究員に訪ねた。研究員は疲れを押し殺した表情で、問題ないと人差し指と親指を合わせてOKサインを作る。それに満足した男は何も言わずにその場を離れ、もう一人の同志の元へと行く。

 

「どうでした、ショーさん?」

 

 同志はキーボードを打っていた手を休め、振り返る。男は先程の研究員と同じようにOKサインを送る。ニヤリと笑った同志の男は再び画面に向き直り、キーボードをゆっくり叩きながら口を開いた。

 

「これで、研究の第二段階に移れますね。仮実験の結果は成功していますから」

「ああ、しかしまだまだ小規模だ。これから大規模なものにしなくてはならない」

「そうですね……では、試しに……」

 

 同志の男は再び画面から目を離して振り返り、その後醜悪な笑みを浮かべてゆっくりと吐き出した。

 

「ここで実験してみましょうか……」

 

 ここ、を示す意味を瞬時に男は悟った。もしこれが他の、それも一般人ならばすぐに首を横に振るだろう。絶対にやってはいけないことなのだから、それが当然の選択だ。

 だが、男はもう人としての道を外れている。これまでの人生において蓄積された恨みや屈辱によって歪んできた心に、もう人としての良心や道理などは、欠片も残っていなかった。

 隣の同志も同じだ。天才にすべてを奪われ、尊厳を傷つけれられた。彼にももう、良心や道理などない。

 そんな彼らに、この実験を断る道など、あるはずもなかった。男は同じく醜悪に顔を歪ませて頭を降ったのだった。

 

「では、始めましょうか。収集をかけますね……」

 

 同志の男はマイクを手にとって、研究員を収集した。研究員たちは、二人のこれからする実験内容を知らないであろう。最も、高時給に釣られて18時間労働させられている研究員の思考回路はもはや働いていないに等しいので、察することすらままならないであろうが。

  研究員たちは健気に彼等のところに来た。男は満面の笑みを浮かべてゆっくりと言った。

 

「これから、この研究の第二段階へと移る。人類至上未だかつてたどり着いたことのない境地への新たな一歩を踏み出した。そこでだ、単刀直入に言おう……」

 

 研究員たちは息を呑んでその先の言葉を待つ。男は顔色一つ変えずに、彼らの”仕事”を告げた。

 

「君たちに、生け贄になってもらう」

 

 一瞬沈黙した。研究員たちの疲労困憊した顔に疑問の表情が募る。

 でもそれは、瞬時に恐怖の色へと塗り替えられた。

 

「ーーーッ!?」

 

 研究員たちのひきつった悲鳴が聞こえる。その原因は、彼らを突然包み込んだ透明な青のバリアだった。半円状のそれは研究員たちを閉じ込め、バチバチとスパークを放っている。研究員たちが出してくれとバリアを叩いているが、衝撃はすべて吸収されてしまい、脱出は叶わない。声も曇っているため、良く聞こえない。

 怒りと困惑と恐怖が混ざりあった複雑な表情を、二人の男たちはじっと眺めていた。彼らの目に移る人々はもはや、人の形をしたモルモット以外、何者でもなかった。

 男は、彼らから視線を離して側にある赤いボタンに手を触れた。瞬間、バリアに閉じ込められた研究員たちの顔が絶望に染まる。彼らがこれから何をされるのか、全てを察したのだ。

 それからはもうパニック状態だった。目に涙を浮かべ、バリアを叩き、神に祈り、憎悪の言葉らしきものを放つなど様々だったが、二人の男たちには響きもしなかった。彼らの胸中にあるのは、新たな境界へと踏み出す喜びだけだった。彼らに対する哀れみや、罪悪感など邪魔なだけなのである。

 

 そして、同志の男が哀れな人形の実験体を眺めながら、細い指で赤いボタンを強く押した。

 

 

「では、ご機嫌よう。モルモットたち」

 

 

 

 

 悪夢への、大きな一歩を密かに踏み込まれたのだった……。

 

 

 

 

***

 

 

 美少女コンテストの結果は準優勝と、あと一歩のところで勝利を逃した。しかし、準優勝者には、賞金10万コルが贈呈されたので、資金は確保できた。これで当分は飢えとは無縁である。俺達は歓喜のあまり、夜にパーティーを開いた。ご馳走がならび、酒を浴びるように飲みーーーこの世界で飲んでも現実の体にはアルコールは一ミリリットルも入っていないーーー鬱憤を吹き飛ばすように騒いだ。

 そして、その翌日の今日は、いつも通りの日常が、訪れた。皆で朝食を食べ、それぞれ別々の行動をとって一日を過ごすという、変則的なもので不変な日程をこなす。ダルはフェイリスが新しくオープンした、“メイクイーンニャン×2 inSAO”に直行し、フェイリスもそちらへと移動していた。ルカ子は昨日よく眠れなかったといって今も寝ており、指圧師は腕輪の製作に精を出していた。まゆりはというと、ギルドホームにてせっせと裁縫に取り組んでいた。まゆりも小さくあくびを漏らし、眠たそうに針を動かしている。きっと、昨日よく眠れなかったのだろう。そして俺は今、自室のベッドに座り、思索に耽っていた。

 そういえば実は俺も昨日はよく眠れなかった。昨日の夜、俺は奇妙な現象にあったせいでだ。ルカ子が外に出て、一人ポツンと座っていたところを見かけて、俺は声をかけた。その後ルカ子は呪縛を受けていたかのように負の感情を爆発させて、自虐的な言葉を吐いていたのだが、なぜかルカ子はそれを忘れてしまい、気づいたら俺はベッドにいた、という始末だ。これは普通に考えたら夢だ。夢以外あり得ない。でもなぜ俺はそれを現象と呼んでいるのか。何かが夢だと断定してはいけないと声高に叫んでいるためだ。

 夢というのは、前にも言ったと思うが、記憶や願望などから脳内で生成される幻だ。しかも、再現度は意外と高く、色や感覚、臨場感なども見事に現れてくる。だから頬を引っ張って痛ければ夢じゃないというのは真っ赤な嘘であるし、朝起きたはずなのに実は寝ていたという錯覚現象だって起こる。

 だが、そういった夢ならば、後々納得が行くものだ。よく考えればあり得ないものだと。感覚も完全に再現できていないのだから、違和感を感じてもいいはずだ。しかし、今回の件ではーーーリアリティーがありすぎるのである。ルカ子の悩みもこれ以上にないほど明瞭だった。表情も自然で、言葉がスッと入ってきたりしていた。何が言いたいか。夢にしては、はっきりとしすぎているのだ。現実と同じように、いや、全く同じように認識できてしまうのだ。

 でも、この現象は間違いなく俺のベッドの上で起こったものだ。ルカ子に朝食の時に尋ねたが、外にはでておらず、ふつうに寝ていたという。途中で起きてしまったらしいが。いずれにせよ、一体なんだったのだろうか……?

 

「全く分からない……どうしたものだ……」

 

 俺は四肢を投げ出してベッドに体を預けた。息を吐き、重たい頭に詰まっていた何かを吐き出す。朝御飯を食べているときも、ずっと考えていたが、何も浮かばない。

 天井を眺めているうちにだんだんと眠くなってきた。ぼうっと意識が霞始め、眠気が強引に俺を闇へと引きずり出そうとする。最初は抗おうとしたが、ダメだった。瞼は閉じていき、閉ざされた世界へと堕ちていくーーー。

 

 わけはなかった。

 

「岡部?」

 

 がチャッと小さな音が響く。続いて一人の人間が部屋に入り込み、静かに入り込む。誰か来たと思った俺はうっすらと目を開けて起き上がる。すると、見覚えのある紅の長髪が目に入った。眠気を圧し殺すような声を出して俺は呼び掛ける。

 

「どうしたのだ……クリスティーナ」

「……あんた、相当不機嫌だったから、何かあったんじゃないかって思ったのよ」

「不機嫌? 俺がか? 気のせいだろう」

 

 俺は即座に否定する。確かにイラついてはいたが、本当に少しだ。それに、紅莉栖たちを巻き込むわけにはいかない。

 ただ、流石は天才少女だ。俺の言葉に納得せず、疑いの目線を送りつける。

 

「気のせいじゃない。大体、あんた今日まゆりに話しかけられても曖昧に返すだけだったじゃない。それですぐに部屋に引きこもったでしょう? ……何かあったの?」

 

 紅莉栖の追及に俺は手も足も出なかった。朝は確かにずっと考え事をしていて、まゆりに話しかけられたことなんて忘れてしまっていた。そして早く一人になりたくて、部屋へとさっさと戻ってしまったことも、忘れていた。

 俺は迷う。この不可解な現象を解決してくれる可能性を紅莉栖は持っている。でも、この不可解な現象によって何か良からぬ事が起こりかねない可能性が無きにしもあらずだ。そう、未来ガジェット8号機の謎のゲル化現象を追い求めたから、皆を巻き込み、運命に翻弄された。こういったものに目を詰むって、無かったことにしてもいいのだ。でもーーーそれは無理そうだった。紅莉栖は好意で俺のためにこうして訪ねに来てくれるのだ。だから、それを無下にしてはならない。俺は観念することにした。俺は口を開き、すべてを話した。

 

「……昨夜のことだーーー」

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん……そんなことがあったのね。ただの夢、って可能性もなくはないけど」

「俺もそう思いたいが……あまりに生々しすぎるのだ。まるで自分がそこにいるような感覚になったんだ」

 

 一部始終を聞き終えた紅莉栖の感想を聞いた俺は、溜め息を吐いた。どう考えても、夢にしか思えない現象だ。誰もが夢なんじゃない? と言うに決まっていた。いや、紅莉栖は全面的に『夢です、本当にありがとうございました』とは言っていないだけまだましだろう。

 ただ、今回の紅莉栖はさほど関心を持っていなかった。というよりもお手上げだった。

 

「でもそれを証明する手段がない以上、夢だと思われても仕方がないわね。確かに夢には不明瞭な側面もあるし鮮明なはずはないけれど……それはあんたの主観よ。残念だけど、気のせいとしか言えないわね」

 

 八方塞がりだ。

 紅莉栖ですら分からない。だったらもう諦めるしかないだろう。

 それに紅莉栖の話を聞いていると、夢だったかもしれないとだんだん思ってきた。そう考えるとふと胸のつかえが消えた気がした。そうだ、何もなかったんだ。何も。俺は詰めていた息を吐くと、紅莉栖に向き直って言った。

 

「そうか……。分かった。この事は忘れることにしよう」

 

 それを聞いた紅莉栖は、ふっと笑った。忘れていいんだ。そんなことを考えている暇があったら、このゲームから一刻も早く出るために攻略について何かしたほうが賢明だろう。一つ落ち着いた俺はベッドに座り込む。途端に腹が減ってきた。恐らく緊張がほぐれたからだろう。俺は腹を押さえて苦笑した。紅莉栖もその仕草を理解し、同じく苦笑する。

 

「お腹すいたのね」

「朝飯をろくに食べていないからな……さて、外で適当に食べにでもいくか」

「私も行っていいかしら? ちょっと小腹がすいたのよ」

「いいだろう。俺の行き付けの店があるからそこに行こうではないか」

「それってどこなのかしら?」

「……それは、戦士たちの休息の地だ。故郷の味を懐かしみ、束の間の安息を得る男たちの巣窟ーーー」

「くだらない前置き要らないからさっさと言いなさいよ」

 

 おのれ……助手め……!

 俺は内心で、自分のイカシタ説明を潰した紅莉栖にイラッとするも、これはもはや日常茶飯事だ。この鳳凰院凶真の崇高なる思考にたどり着かない愚か者の言葉など、どうでもいい。俺は高らかに叫びながら紅莉栖に店の名前を言った。

 

「では告げよう……。ジハードを勝ち抜いた戦士たちだけが集うその場の名前はーーー"せっかくだから俺はこの牛丼屋を選ぶぜ"だ!!」

 

 俺は両腕を大きく頭上に広げながら高らかに叫んだ。我ながらかなり決まったと思う。ニヤッとほくそえみ、俺を見上げているであろう紅莉栖へと視線を下した。おそらく紅莉栖の目には、神々しい俺の姿が映っている。ならば当然、紅莉栖の視線は羨望にあふれているはず……!!

 

 

 ……そんなわけはなかった。俺が頂いたのは、なんともかわいそうな子を見る視線とあきれられたような溜め息だった。紅莉栖はだるそうな表情を浮かべて口を開いた。

 

「さっきまで萎えていて、回復したと思ったらこれですか……。つか、そのネーミングセンス、もしかしてあんたが考えたの?」

「ち、違うっ!! 俺じゃない! 本当にこういう名前なんだよ」

 

 ふーんと、興味なさげに鼻を鳴らす。

 

「でだ、よければ一緒に行かないか?」

 

 俺は普通に彼女を誘った。しかし、紅莉栖の耳にそれが届いた瞬間。

 肩を異常なほど跳ね上げて急に熟れたリンゴのように顔を赤くした。あたふたと体を動かせて、落ち着きがなくなっていた。

 

「お、おいどうしたんだ?」

 

 俺は目を見開いて紅莉栖に近寄る。しかしーーー紅莉栖は敏感に俺の接近に反応して口をせわしなく動かしてまくしたてた。

 

「な、ななななんであんたなんかと一緒に行かなくちゃいけないのよ!? そ、そもそも牛丼屋でしょ!? そんなのなんで行かなきゃいけないのよ!? つ、つーかそんなデスクリムズンの迷言をつけるような店に行ったら、あ、あんたの中二病が移っちゃうし!! べ、別にあんたと一緒に行きたいとかそんなんじゃないんだからね!! 一緒に行きたくなんてないから!! だ、だ大事なことなのでに、二回言いましたっ!」

 

 どうして紅莉栖というのはここまで必死になるのだろうか? @ちゃんねらーなのだから、冷静さを欠いてはいけないことくらい知っているはずなのに。というか、そんなに俺と行くのが嫌なのか? それともツンデレのテンプレ発言なのか?

 

「お、お前はそんなに俺と行きたくないのか? 行きたくないなら別にいいのだが?」

 

 とりあえずふつうの返答をする。探る気はないが、いったいどっちなのかはまるで分からない。こういう時、ダルのようなコミュニケーション能力があればいいなと思う。というか、あいつはどうやってコミュニケーション能力を得たのだろうか?

 俺の質問を聞いた紅莉栖はまたも動揺した。先ほどよりかはましになったが、少なくとも論を並べているときの紅莉栖に比べれば、全然落ち着いていない。

 

「あ、い、いやその……まあ、あんたがどうしても行きたいっていうのであれば行ってあげなくも……ないかな?」

 

 上から目線だなおい。

 そう突っ込んでやりたいが、この慌てふため様を見るといえなくなる。必死な人間に対して茶々は入れたくない。たとえそれがくだらないことだとしても、だ。

 もうすこし紅莉栖をからかうこともできそうだが、きりがないし、腹も減ってきた。俺はドアのほうへと向き、背中越しに紅莉栖に声をかけた。

 

「だったら来るか? どっちでもいいが、俺は先に行っているぞ」

 

 まあこれでついてこなければ来ない、ついてくれば来る。それでいい。まあ、紅莉栖の事だ、きっと来るであろう。俺はドアノブに手をかけようと、腕を伸ばした。

 だが。

 

「……?」

 

 違和感を感じた。ドアノブにではない。腕を伸ばそうにも思うように動かない。まるでワンテンポ動きが遅れているような、そんな感じだ。ナーヴギアの調子が悪いのか? 神経伝達に遅れが生じているのか? 

 いや、それだけじゃない。目の前のドアがなぜか波打っている。ドアはちゃんとした長方形のはずだ。しかし徐々にS字を描くように歪み始めてきた。目がおかしいのか? 俺は目をつむり、いったん視界を閉ざす。

 だが、目を開けても変わらなかった。それどころか、頭が重くなった気がする。嫌な予感がして、俺は額に手を当てた。

 熱い。どうしてだ? まさか風邪でもひいたのか? でも、この世界において病気を患うことなんてないはずだ。背筋が寒くなる。一体俺の仮想の体はどうなっているんだ?

 思考している間にも気持ち悪さとダルさは変わらない。どころか増すばかりだ。立つのも苦しい。節々が痛くなってきている。寒気もしてきた。これは本格的に風邪を拗らせたかもしれない。

 

「……岡部? 大丈夫?」

 

 いつまでもドアの前で突っ立っている俺に紅莉栖は苛立つように声をかけた。俺は紅莉栖に顔を向けようと首を捻り、口を開いた。

 

「……ああ、どうにかな」

 

 口ではそういうも、紅莉栖は疑いの目を向け続けた。俺はそれを無視し、ドアノブに手を伸ばしてこの部屋から出ようとした。とてもそんなことができる状態じゃないのではと内なる声が上がったが、ムキになっていたようで重い体を無理矢理に動かす。

 

 だが、それは叶わなかった。

 

 

「ーーーっ、ぅ……ぐぅぅううううぁぁああああああっ!!!!??」

 

 

 

 刹那のことだった。電気ショックを喰らったかのように、ピクッと体が反応した。

 俺の頭が、凄まじい痛みを訴え始めた。どくん、どくんと頭が鳴り響き、頭蓋骨が破裂しそうな勢いで脳が暴れている。脳を掻き毟りたいほどに脳がどうしようもなく膨張するように感じる。

 余りの痛さに俺は絶叫し、涙さえ流す。頭が痛い。いや、全身が痛すぎる。何も見えない。視界が赤くなっていく。傷もない、血もないはずなのに……全身を切り刻まれ、思いきり鈍器で殴られたレベルの痛みを感じている。中鉢博士にナイフを刺されたとき以上の痛みだ。でも……何故だ……!?

 突然大声を出した俺に驚愕して体を支える紅莉栖の顔が見えたが、やがて意識から閉め出された。もはやこの痛み以外に知覚できるものはなくなっていた。何故痛覚のないSAOで、痛みだすのか? その疑問の答えを必死に見つけようと激痛の中、脳を動かして考えた。でも、それは無理だった。激痛の炎は疑問すら焦がしていき、もう何も考えられなくなった。

 

 ーーー痛い……痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイ…………!!

 

 俺は本能に任せて、頭を必死に抑えて痛みを和らげようとするも、いっこうに状況はよくならない。まるで脳の中を棘つきの虫が暴れまわっているような、狂いたくなるような痛みが、延々と俺の体を襲い続ける。熱のだるさなど強烈な痛みの前では感じることなどなかった。

 

「ああっ…ああ、ぁぁぁあああああああああっっーーーー!!」

 

 紅莉栖は俺の肩を抑えて必死に声をかけるも、何を言っているかまるで分からなかった。助けてほしいと、救いの手を差しのべようとする言葉も、行動も思いつかない。この痛みしか、俺にはなかった。助けてくれ…ああ、この痛みをどうにかしてくれ……。

 

「あっ……ぅ……ぅぁぁああ……!」

 

 もはや叫び尽くしたようで俺の喉からは掠れた声しかでない。喉もイタイ。でも、叫べと本能が命令している。助けを求めようと、無様に喘ぎ続けている。しかし、もはや俺の意思など、通用しない。ああ、頭が灼けていく。消えていく。視界がぼやけていく。

 

 

 意識が、消えていく。

 

 

 

「岡部っ!!」

 

 

 

 ようやくはっきりと聞こえた紅莉栖の声を最後に、俺は、心地いい暗闇へと身を任せた。




用語解説です。

・せっかくだから、俺はこの牛丼屋を選ぶぜ。

 ネットスラング。
 伝説のクソゲーとされる”デスクリムズン”の登場人物が発した迷言『せっかくだから俺はこの赤い扉を選ぶぜ』をもじったものである。
 元ネタは”デスクリムゾン”の主人公、コンバット越前の発した上記と同じ台詞から。因みに作中に於いて扉は一つしかなく、ちっとも赤くない。


では、感想、お気に入りお待ちしております。


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紅莉栖の調査

アズマオウです。

ハワイからの投稿です(笑)
今回は紅莉栖による3人称です。最後に岡部の一人称かな。

では、どうぞ。今回は一応絡ませてあります。

一度改稿しました。


「こんにちは、ちょっと話いいかしら?」

 

 牧瀬紅莉栖は、とある人物に声をかけた。その人物は振り向くと、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「ドウカシタカナ? お客サンカ?」

 

 顔には髭のようなものがついていて、目はくりっと大きく、体躯は小さいその人物を見た紅莉栖はそうよと返す。

 

「あなたに教えてもらいたいことがあるの。情報屋のアルゴさん」

 

 紅莉栖は目の前の人物の名前を呼ぶ。情報屋のアルゴはニヤッと嬉しそうに口角を吊り上げ、独特のイントネーションを持つ喋り方で話す。

 

「ウェルカムダヨ! 価格は情報によるケド」

 

 紅莉栖はそれに同意して頭を降った。そして、口を開いた。

 

「SAOで、熱は出るのかしら?」

 

 フレーズが口から飛び出し、音の振動と共にアルゴの鼓膜へと直撃しーーー鼓膜などないがーーー脳に伝達されたその瞬間、アルゴは笑いを引っ込め、は? と呆けたような顔をしていた。

 

 

 何故紅莉栖がその問いを出したのか?

 それは昨日の夜まで遡る。

 昨日の夜、紅莉栖は岡部と軽い雑談をしていた。その休憩中岡部は熱を出し、激しい呻き声と共に倒れてしまった。すぐに紅莉栖はまゆりや橋田に連絡して岡部を寝かせたのだが、一向に良くなる様子はなく、一日たった今でもまだ意識を回復していない。その後のギルドホームは、静まり返ってしまい、居心地の悪いものになっていった。

 岡部が倒れた夜、紅莉栖は一晩中考えた。あの岡部の頭痛と熱と呻き声は、いったいどうしたら起こるのだろうか、と。でも、答えは浮かばなかった。何故なら、そもそも“起こり得ない現象”だからだ。

 紅莉栖は一度、フルダイブ技術に関する批判論文を書いたことがある。具体的な内容としては、高出力の電磁波を搭載するマシンでは、使用者を監禁できてしまう可能性も無きにしもあらずというものだが、補足として、痛覚や熱感覚などの自由な操作性によって拷問も可能になってしまうと書いた。つまり、熱などの感覚もやろうと思えば操作できるのだが、反論を返した茅場は、この世界では一切の痛覚や、熱などの病気症状などを感知することはできないように設定した。だから熱感覚を味わうことなど出来ない。絶対にだ。仮に現実世界で熱を感じたとしても、即ログアウトになるはずだ。これは、ナーヴギア肯定論者が証明したことなので間違いはない。だが岡部はまだアバターは消滅していない上に、息すらしている。つまりまだ、意識が回復できていないだけで、通常通りゲームの中にいるのだ。

 そういうわけだから、どう考えても答えは出るはずがなかった。こうなったら出てくる解の可能性は3つに絞られてくる。

 

1.ただの偶然、見間違い。

2.熱感覚は本当に存在する。

3.もしかしたら未知なる現象が起こっているかもしれない。

 

 1の可能性はほぼ0にちかい。何故ならこの目で見たからだ。岡部の演技だとは思えないし、もししていたとしても長年幼馴染みとして一緒にいるまゆりに見破られるはず。

 2は0にちかい、と言い切りたいが、正直不確かだ。理論的には証明できても、もしかしたら茅場が病気感覚も再現している可能性はある。検証の余地はありそうだ。

 3は分からない。検証しようにも難しい。だから一先ず後回しだ。出来ることからやらなくては……。

 そう思い、実行に移した。本当に病気感覚は存在するのか、それを知っている人物を探して聞き出せばいい。実際候補はいる。まずはラボきっての物知りである橋田に聞いてみた。しかし、橋田は分からんお、さーせんとだけしか言わなかった。

 紅莉栖にとってはそれしか候補がいなかった。そこで、橋田にこうも聞いた。他に物知りはいないかと。すると……。

 

『いるお。鼠のアルゴって奴だお。トップクラスの情報屋だからなんか知ってるかもしれんよ。ただし、プライバシーは平気でばらすから気を付けるべき』

 

 それに賭けるしかない。プライバシーなど平気で差し出す。紅莉栖は橋田から居場所などを聞き出し、アルゴがよくいる第50層へと向かって、今に至る。

 

 アルゴは呆けた顔で紅莉栖を見た。言っていることが信じられないようで、もう一度聞き返してきた。

 

「もう一回いってクレ」

「SAOに熱は出るのかしら? って言ったのよ」

 

 紅莉栖は声の調子を全く変えずにもう一度言う。アルゴは聞き間違いではないなと認め、咳払いをする。

 

「オホン……えーっとダナ、その、SAOには熱とかはないンダ……それは、常識だと思うンダナー」

 

 周知の理を述べたアルゴの言っていることは正しい。でも、それを覆しかねない現象が起こっているのだ。

 

「もちろん知っているわ。でもね、奇妙な現象が起こったのよ」

「ホホウ?」

 

 アルゴが興味ありげな感じを出した。橋田から言われたのだが、アルゴは情報に対する執着はすさまじいらしい。だから、もし教えてくれなかったらこういった言葉で釣ればいい。そう言われた。

 紅莉栖はアルゴに昨晩起こったことを説明した。一応岡部の苦しそうな寝顔等は証拠写真として取っておいてあるので、全くの嘘ではないと証明できたはずだ。

 案の定、アルゴは最初は疑いをかけていたが、証拠写真を見て、ようやくこちらの言うことを信じてもらえた。

 

「なるほどナ……ちょっと信じがたいけど、ホントなんダナ」

「わかってもらえて嬉しいわ。で、そういった情報はあるのかしら?」

 

 紅莉栖の問いにアルゴは肩を落とし、首を横に振った。

 

「残念ナガラ、俺っちは何も分からないよ。そもそも初耳ナンダ。こっちが情報料を払いたいくらいダヨ。ごめんナ」

 

 やはりだめか。もう一度振り出しに戻ってしまった。紅莉栖はそうですかと、がっかりした口調で返し、踵を返そうとしたのだが。

 

「あ、でもアイツなら何か知ってるかも知れないナ」

 

 アルゴに呼び止められた。しかも、餌つきで。紅莉栖は、アルゴの言うアイツが気になった。

 

「あいつって……誰のこと? よければ教えてもらってもいいかしら?」

「じゃあ500コルな。仮にも個人名を教えるんダカラ」

 

 紅莉栖としたことがうっかりしていた。アルゴは生業として情報屋を営んでいるため、お金を請求するのは当たり前だが、それをすっかり忘れていた。紅莉栖はたどたどしく応じてお金を支払った。

 

「毎度あり~。で、そいつの名前を教えてやるヨ」

 

 アルゴは若干ニヤついた表情で、紅莉栖を見た。紅莉栖は、耳を澄まして、その名前を聞く。

 

「血盟騎士団の団長、ヒースクリフだ」

 

 

 

***

 

「話はアルゴ君から聞いているよ、クリス君」

 

 第50層のとあるレストランの席にて紅莉栖とヒースクリフは会合した。穏やかで、どこか超然としている物腰だった。顔に無駄な肉は一切なく、切れ目の双眸には一種の冷徹さが宿る。こういう目をできる人物は相当いない。よほど自分に自信を持っている、あるいは隔絶していると確信している人物でないと出来ない。紅莉栖もそう言った人種と関わりを持っているため、分かる。

 隔絶しているのは事実だ。目の前に座り、セットのサラダを静かに咀嚼している目の前の男性プレイヤーは、大手攻略ギルド《血盟騎士団》の団長であり、且つ、現在は最強プレイヤーの地位を独占しているからだ。彼は《神聖剣》という、たった一人しか習得できないスキルの所持者であり、HPゲージがイエローに陥ったことがないという。しかも逃げ回っているわけではなく、最前線にて岡部の親友ーーー岡部のそれにしては勿体なさすぎるーーーディアベルとともにリーダーを努めているのだから驚きだ。

 また、その横には血盟騎士団副団長に就任したアスナがいた。アスナとは一度第一層にて共闘し、現在時たま攻略に参加している今でもそこそこ話す仲にはなっている。アスナもあれからずいぶん成長し、閃光のごとき速さで敵を仕留めることから、《閃光》とか、《攻略の鬼》等とも呼ばれている。ただ、岡部とは馬が合わないようで毎度毎度岡部と口論を交わしている。しかも岡部は質が悪く、煽りに煽ってくる。スルーしようとするが、進行妨害までする始末なので、アスナも不憫である。紅莉栖の場合はあしらいかたを知っているからいいが、知らない人間からすれば、邪気眼中二病のウザイ奴でしかない。

 紅莉栖はにこっと二人に笑いかけ、お手数お掛けしますと一言添えた。

 

「なに、構わない。アインクラッドにおいて不可思議な現象が起こっているとなると、血盟騎士団の団長としてしっかりと把握しておかなくてはならないからな。ああ、それとアスナ君もつれてきた。相席しても構わないだろうか」

「ええ、女性がいた方が気楽なので」

「それでは本題に入ろうか。それで……本当に起きたのか? 熱が出たというのは?」

「ええ本当よ。なんなら写真を見る?」

 

 紅莉栖はアイテム欄にある写真を取り出そうとしたがヒースクリフは制した。

 

「いや、確認したかっただけで疑っているわけではないよ。ーーーでは、まず単刀直入に言おう。こればかりはあり得ない現象だ。だから誰も知らないであろう。少なくとも……茅場晶彦以外にはね」

「やはり……そうよね」

 

 紅莉栖は瞼を落とし、ため息をつく。頼みの綱があっさりと降伏した。これではもう、駄目かもしれない。

 ヒースクリフはそんな紅莉栖を見て慌ててフォローを入れた。

 

「そう落ち込まなくてもいい。答えは見つかっていないだけで、考えることはできるはずだ」

「一晩中考えた。でも、全く分からなかった」

 

 ふむと、ヒースクリフは唸る。暫し目を閉じて、ゆっくりと再び目を開けると口を開く。

 

「なるほどな……ではとりあえずもう一度考え直すとしようか。まずはSAO世界における感覚についてさらっておこう」

「そうね。確か、ナーヴギアの構造は身体中の全ての神経をシャットアウトし、ナーヴギアから直接脳に感覚信号を送っているのよね?」

 

 紅莉栖の言葉にヒースクリフは黙って頷く。どうやら、彼はナーヴギアに、あるいは脳科学に少し興味があるのかもしれない。紅莉栖は、言いがたい興奮を覚え始め、若干テンションをあげて言葉を続けた。

 

「そうとなるとまず、病気感覚は直接脳に送られている、と考えるしかないってことになる。でも今私たちはナーヴギアを着用しているため、どう考えてもナーヴギアからでしか情報を受けることが出来ない。ということは、岡部は……いえ、キョウマはナーヴギアから熱情報を受け取ったということになるわね」

 

 岡部のことを、中二病ネームであるキョウマと呼ぶのは癪だったが、彼の本名を晒すわけにもいかないので仕方なくそう呼んだ。

 

「ふむ、被害者の名前はキョウマ君だったのか。彼は貴重な攻略組プレイヤーだからな、余計真剣にやらねばなるまいな」

 

 ヒースクリフはちらりとアスナの方を見るが、どこかアスナは複雑そうだった。というか、嫌そうな顔をしていた。当然かもしれない。この間の攻略会議の時は、アスナの仕切りに怒りを抱いた岡部がギャーギャーわめいて論戦になり、岡部がしょうもないスラングや悪口を喚き立ててアスナを退場させてしまった。あの時は確かにアスナの自分勝手なペースに紅莉栖は僅かながら不満を持っていたが、岡部も悪いとは感じた。

 ただ、アスナもどうにか意思力セービングを発動して、すぐにいつも通りの可愛らしい容姿へと戻った。言い忘れていたが、彼女はすでにフードをはずしている。

 

「キョウマはともかく、不可思議な現象が起こっているのはどうにかしたいですよね、団長」

 

 呼び捨てか……岡部相当嫌われているなあ……。

 内心紅莉栖は少し怖かった。日頃の恨みを、一応関係者である紅莉栖にぶつけられるのではと思ったからだ。ただ流石は副団長、そんなことは一切しなかった。

 首肯で同意の意を示したヒースクリフは紅莉栖の発言に対し、微笑みながら付け加えた。

 

「だが、実際は痛覚や病気などは一切搭載されていない。現実世界にて病気を起こした際にはすぐさまアバターが停止になる。しかし、強力な電磁波が放出されているため、不快感を感じることは一切ない。ましてや、今回のケースのように、頭痛など痛覚を起こす症状も通常ではあり得ない話だ」

 

 ヒースクリフ言うことは全くの正論だ。だから困っている。だから岡部の身に起きた謎を解明できないでいる。紅莉栖は黙って首を縦に降ると、ヒースクリフは指を2本たてて見せた。

 

「可能性としては2つある。一つ目は私たち人類のまだ知らない現象が起こっている。二つ目は本当に脳に熱感覚や痛覚を送られている。このどちらかであろう」

「痛覚や熱感覚とかが実装された、とかは?」

 

 紅莉栖の質問に対し、ヒースクリフははっきりと首を横に振る。

 

「それは断じてあり得ない。例えば、このサラダの卓上スパイスをたくさんかけてみる。すると現実世界ではどうなる?」

 

 3人分のサラダにそれぞれかけられている、黒い粒をまじまじと紅莉栖は見た。現実で言う黒胡椒にそっくりだ。

 

「辛くなる、わよね?」

「そうだろう。しかし、SAOにおいては辛くは感じず、喉が乾くなるだけだ。何故なら、辛いという感覚も痛覚だからだ。熱々のスープを飲んでも、熱くないのは熱という痛覚をシャットアウトしているからだ。現在私はたくさんスパイスをかけたが、辛くもなんとも感じない」

 

 確かに、スパイスをかけても全然辛くない。この時点で、痛覚は実装されていないことは明らかだ。となれば、ヒースクリフの示した二つの可能性に絞られてくる。

 

「先ず、一つ目はおいておこう。二つ目から検証だ。脳に直接感覚を送りつけている、という線だ」

「でも団長、それは難しいんじゃないでしょうか? だって私たちはナーヴギア以外には脳にデータを送ってもらえないんですよ?」

 

 ヒースクリフの言葉にアスナは反論した。それに対しヒースクリフはそれもそうだと一応肯定の意は示したが、返す言葉は十分にあるようで口を再び開く。

 

「しかし一旦その前提から離れてみるべきだ。ナーヴギア以外にも彼の脳に影響を与えている何かがあると仮定しておこう。その何かをXと置くが、そのXはナーヴギアのように脳に感覚を送りつけることが可能になるシステムを搭載している。だが、そんなものがあったかな……」

「現状では難しいわね……」

 

 紅莉栖は唸る。何故とヒースクリフが目線で問いかける。

 

「だって、ナーヴギア以外にそういったマシンはないもの。それに……仮に岡部の脳みそに直接電極を指すにしてもあれはヘッドギア型だから指せない。ただ、マシンが新たに開発されたと考えてもいいかもだけど」

 

 紅莉栖の論述に、ヒースクリフは苦笑した。

 

「脳に電極とか、怖いことをいうな。君は科学者か?」

 

 そんなまさかと答えようとした。だが、紅莉栖は息を詰まらせた。彼は冗談で言ったようには、思えなかったからだ。彼の顔には確信に満ちていた。錯覚などではない。疑問や謎の答えを切り開いた科学者の目だから、間違いない。紅莉栖が脳科学について詳しいことを見破っているのか。いや、もしかしたら……紅莉栖の本名すらも、見抜いているのか。背中に冷たいものが走る。正体を明かしたくはないが、恐らくばれている。

 

「まさか、ただちょっと脳の勉強をしてただけよ」

 

 ……正直に言わないことにした。確信に近い推測だが、大っぴらにする必要性は皆無だ。目の前の聖騎士はじっと鋭い目付きで紅莉栖を見つめたが、やがていつも通りの穏やかで冷淡な表情に戻し、それはすまなかったと詫びた。

 

「いや、あまりに詳しいのでつい、な。では、話を戻そう。新しいマシンが出来たと仮定するが、それは十分に可能なのか?」

「分からない……ただ、ナーヴギアの技術を流用して、というのならば可能かもしれないわね」

「なるほど……チューブ型とかにして彼の脳に直接感覚を送りつけることができれば、今回のケースは十分に有りうるものにはなりそうだ。ひとまずはそれで仮定しよう」

 

 そうねと紅莉栖は打ち切った。ここでいくら論じても結論が出るのは難しいのでそういうことにしておく。しかし、ここで疑問が浮かび上がってくる。

 

「でも……そうだとしたら誰かが故意にキョウマの脳に送りつけたってことになる。となれば、誰が何のためにしたのかが気になるわね」

 

 そうだなと、ヒースクリフは顔をしかめる。普段は無表情のはずなのに、若干感情を表した。何か関係することでもあるのだろうか……?

 紅莉栖が探りをいれるような目線を送った直後、NPCウェイターがメインの肉料理を運んできた。一先ずそこで中断し、それぞれの料理を食べる。味はまあまあだが、フェイリスさんや漆原さんの作るそれの方が美味しい。

 数十分後全員が食べ終わり、ヒースクリフはナフキンで口を丁寧に拭きながら口を開く。

 

「ともかく、目的も人物も分からない……正直見当がつかないな。こればかりはどうしようもない」

 

 やはりそうか。実は紅莉栖も同じ結論に達していた。痛みや熱感覚の謎はわかったーーーということにしておいたーーーが、WHO、WHYが全く分からない。それもそうだ。こちらが持っている情報は岡部が痛みで発狂したことだけなのだから。

 紅莉栖は立ち上がり、お礼をいった。

 

「今日はありがとう。感謝しています。お代は私が一括で払うわ。それじゃあここで」

「いや、こちらこそ楽しかったよ。またこのように話せたらいいと思うね。では」

 

 ヒースクリフは紳士的な笑みと共にドアを出る紅莉栖を見送った。ドアがしまり、二人が残されると、ヒースクリフは笑った。

 

「どうしたんですか、団長?」

 

 口数が少なかったアスナがヒースクリフに問う。それに対しヒースクリフはにやっと口角を上げた。

 

「君は気づいていたかな? あのクリスという人間がどういう人間か」

 

 ヒースクリフの言葉にアスナは首をかしげ、分かりませんと答えた。それもそうかとヒースクリフは漏らし、アスナに言った。

 

「彼女は恐らく牧瀬紅莉栖だ。天才とも呼ばれる女性科学者だ。聞いたことはあるかな?」

 

 牧瀬紅莉栖という名前を聞いた瞬間、アスナははっと息を吸い込み、ボリュームをわずかに大きくして、知っていますと叫んだ。

 

「母が学者で、よく“サイエンス誌”を定期講読しているんです」

「なるほどな……実は私もなんだ。アスナ君の家はかなりのお金持ちだな。サイエンス誌は結構高いものだ」

「団長こそお金持ちですよね」

 

 アスナの返しにふふっと微笑むだけだった。

 

「牧瀬紅莉栖の論文を読んだかな? あれはなかなか素晴らしいものだ」

「読みました! 面白かったですよね」

「うむ、時々中二病という特殊な病気に関する論文を発表したりとかな。それと傑作なのはーーー」

 

 レストラン内にて、牧瀬紅莉栖についての話が、二人の最強クラスプレイヤーの間で繰り広げられていることは、また別のお話である。

 

 

 

***

 

 

 光が、見えた。柔らかく、真っ白な光が。俺を蝕み続けた茨地獄に、光が差していく。光は棘を灼いていき、痛覚を消していく。傷だらけの体から嘘のように治り始め、楽になっていく。視界から茨が次々と消えていき、その先にあったのはーーー。

 

「……りん……かりん……、おかりん……オカリン!」

「ぅ……ぅうん……」

 

 声が聞こえる。親の次にたくさん聞いた声だ。俺はゆっくりと瞼を上げた。途端に眩しい光が入り込み、思わず目を閉じる。もう一度開けると、そこには……心配そうな顔をしているまゆりの顔があった。

 

「オカリン……やっと起きたんだね……」

「……まゆりよ……俺はどのくらい寝ていたんだ……?」

 

 まゆりは頬をわずかに膨らませながら答えた。

 

「丸一日と13時間、だよ……。でもオカリンが起きてよかったよ……」

 

 まゆりははにかんだ笑みを浮かべている。でも目には涙が浮かんでいる。ああ、これは怒られるな。俺は覚悟しながら、まゆりの頭に手を置いた。

 

「すまなかったな、まゆり……心配かけた」

 

 俺がそういうとーーー。

 

 ぎゅっ。

 

 体に柔らかい感触が押しつけられる。まゆりのふくよかな胸の感触が伝わり、どぎまぎする。まゆりは俺に飛び付いて、叫んだ。

 

「ホントだよ!! まゆしぃは……心配だったよ! ーーーオカリンが、このまま死んじゃうんじゃないかって……思ったんだからね!!」

 

 まゆりは泣きながら俺に怒っていた。俺はすまんと耳元で囁きながら、まゆりを力強く抱き締めた。今ここにいるのは俺とまゆりだけだ。だからこういうことができる。お互いもういい若者なのに、こういった恋人じみたことをして何とも思わないというのは不思議なものだという。でも、俺たちはそれでいいと思う。お互い、暖かい気持ちになれるのなら。

 余計な感慨を抱きつつ、俺は泣いているまゆりを離した。まゆりは、溢れ出る涙を拭い切り、しばらく下を向いていた。何をしているのだろうかと思ったが、すぐにまゆりはいつも通りの、明るく、幸せにさせてくれる天使のような笑顔を浮かべた。もう、大丈夫だ。まゆりは、いつも通りだ。俺は微笑みながら再びベッドに横になった。

 

「オカリンまた寝るの?」

 

 まゆりはにこやかに聞いてくる。さっきまで感情を露にしていたのに。案外まゆりという人物は大物かもしれない。

 

「寝るのではない。少し、考え事をしたいだけだ」

「ふーん、そっかー。じゃあまゆしぃがいたら邪魔になっちゃうからここから出るねー」

「分かった……色々すまないな」

 

 オカ舞いなくリンー、という意味不明な言葉を残してまゆりは部屋から出ていった。俺が考えるに、“オカリン”と“お構い無く”を無理矢理合わせたのだろう。そういえばまゆりはこういった造語を作って使うことをよくしている。例えば“オカえリン”は“オカリン”と“おかえり”を合わせている言葉だ。

 幼馴染みの奇妙な言動に苦笑しつつ、まゆりの後ろ姿を見送ると、俺は天井をにらんだ。

 俺は謎の痛みに襲われた。脳の中を針虫が暴れまわるような激痛と、現実世界における熱に近い倦怠感と気持ち悪さが同時に襲いかかってきたのだ。どのくらいかは分からないが、それがずっと続き、ついには失神してしまった。そして丸一日以上かけて漸く覚醒したのだ。

 

ーーーやれやれ……鳳凰院凶真とあろうものが、情けないな……。

 

 俺ははぁとため息をつく。他のラボメンに申し訳ないことをしてしまった。彼らの時間を俺の体調不良で壊してしまった。あとでみんなの前で謝ろうと俺は決めた。

 さてーーーこの痛みは一体何だったのだろうか? 実際に似たような痛みを経験したことはある。タイムリープの時だ。あの時俺のリーディングシュタイナーが発動し、相当な痛みを伴った。だが、リーディングシュタイナーが発動した際でもあそこまで痛くはなかった。思考もまだ出来ていた。だが今回の痛みはそれすら出来なかった。だから恐らくリーディングシュタイナーではないだろう。

 だったら何なのだろうか。“機関”? まさか、あれは架空の存在だ。ナーヴギア? でもどうやって?

 

「くそっ……」

 

 俺は頭を抱え、小さく唸る。今は痛まない。どうしてと思う気持ちが強く、イライラしてくる。

 その時、がチャッとドアノブがなった。誰が入ってきたのか俺はじっと入り口を見つめる。すると、そこには紅莉栖がいた。

 

「ーーーお目覚めのようね」

「いろいろ迷惑かけてすまん」

「……普通そういうわよね」

 

 紅莉栖はじろりと俺を一瞥してベッドに腰かけた。その後、真剣な声音で俺に言った。

 

「で、あの痛みについて思い当たることは?」

「一切ない。思い当たることなど何もないのだ」

「そう……」

 

 紅莉栖は、やっぱりねとぼそりとつぶやいた。何か知っているのか。

 

「おい、何か知っているのか?」

「知っているというか、岡部の痛みが何なのかということについて、手がかりが見つかっただけだけど」

「俺のためにわざわざか?」

 

 俺は素直に驚いて言った。しかし、紅莉栖は急に顔を赤くして、捲し立て始めた。

 

「ば、ばばばバカなの!? 死ぬの!? 私はただ単純に知りたかっただけ! だからアンタのためじゃないっ、アンタのためじゃないっ! ……っ、大事なことなので二回言いました」

 

 紅莉栖はぜえぜえと息を荒げながら長々と言いまくる。ツンデレ乙、と言ってやりたいがそれはやめておく。とりあえず今は教えてほしいからだ。彼女がつかんだものを。それに、彼女は必死だったのだ。俺のために、頑張ったのだ。俺がとやかく言う資格はない。

 

「紅莉栖、教えてくれ。お前は何が分かった?」

 

 紅莉栖は赤くした顔を元の冷静な表情に戻すと口を開く。

 

「ちょっと長くなりそうだけど……いいかしら?」

「構わない」

 

 じゃあと、紅莉栖は話し始めた。

 俺はさっきからずっと感じる不安感が背筋を滴るのを感じた。そう、何かよからぬことが起こるのではないかと言っている気がする。

 いけない。今は紅莉栖の話に集中せねば。体にまとわりつく悪寒を振り払い、耳目をたてて聞いた。

 

 




さて、ハワイから帰ってきたら頑張ろう、色々と。

では、感想、お気に入りなどお待ちしております。


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深い考察

アズマオウです。
ドラゴンボールの最新映画見ました。面白いです。たまにはあの作品のように設定だのなんだのめちゃくちゃにして、欲望まみれの小説でも書きたいですね。
って……何でドラゴンボールの話してんだろ……。更新遅れました、ではどうぞ!


 

 

 

 

「ーーーつまり、まだはっきりした事はわかっていないということだな」

 

 紅莉栖の報告を聞いた俺はそのように締め括った。紅莉栖も苦虫を潰したような顔をして、首肯し、付け加える。

 

「そうね。新しい、それもナーヴギアと同質なフルダイブマシンが開発されたっていう逃げの結論しか手が出ない。まあ、中にいる私たちでは、どうやっても解明できないから、そうするしかないわけだけれど」

 

 紅莉栖は溜め息と共に補足を閉じた。

 紅莉栖の説明によると、ナーヴギアの異常ではなく、何者かが故意に俺の脳にそのような感覚を送りつけたらしい。今すぐそいつを取っ捕まえて尋問したいが、誰であるのかは、中にいる俺たちでは特定不可能だ。スーパーハカーであるダルも、お手上げだろう。

 ただ、ナーヴギアと何かを繋いで感覚を送りつけるにしても疑問が残る。恐らく俺の本当の体は、秋葉原の病院のベッドに横たわっている。そして俺を運び出したのはきっとミスターブラウンだろう。ということから、俺の見舞いにこれるのは、両親とミスターブラウンだけだ。もしくはーーー。

 

「……ミスターブラウンの、関係者か」

「突然どうしたのよ、岡部」

 

 唐突に俺が呟いたので、紅莉栖は驚いた。短くすまんといって、訳を説明した。

 

「いや、もし故意に俺に何かをした奴がいるとすれば、の話だ」

「で、なんで店長さんが絡んでくるのよ」

「俺達は、今病院にいる。恐らくだが、俺たちの見舞いにこれるのは家族か、運び出したであろうミスターブラウンだけだ。だが、同伴という形ならば、他の奴だってここにこれるわけだ。だとしたら考えられるのは、ミスターブラウンとその関係者、だろうな」

 

 その関係者、というのも実は見当がついている。ラウンダーだ。このシュタインズゲート世界線に存在しているかは不明だが、可能性はぬぐえない。SERNのハッキングも止めたし、奴等に恨まれる理由はないにせよ、人間思わぬところで危険が迫っているものである。いい例として、まゆりの死がある。

 無論俺の居場所を突き止めて関係者を偽って何かをしたということもありうる。でも、だとしても解決にはならない。今は、真偽が怪しくても前提として加えなくてはいけない。

 

「関係者? ブラウン管の商売のお仲間とか? あり得ないわね。科学者でもあるまいし」

「……」

 

 ミスターブラウンの、SERNの素顔をお前は知っているのか?

 そう言いたいが、リーディングシュタイナーを発現させているのは俺だけだ。紅莉栖は、SERNをいまだに素晴らしい研究企業だと思っている。いくら紅莉栖が俺にリーディングシュタイナーを持っていると知っていても、俺の話を鼻っから信じないことだけはしなくても、この過去だけは、話したくない。鮮血が散り、涙を流しながら斃れていく彼女の友人の姿だけは。

 

「……でも、あんたのその関係者の話はありかもしれないわ」

「というと?」

「科学者よ。それも、私の」

 

 失念していた。紅莉栖は天才科学者だ。脳科学に関係する知識を持っている奴など、紅莉栖の周辺にごろごろいるだろう。だったら、紅莉栖の知人ですと偽って俺へと手を触れた可能性だってある。

 でも、疑問はあった。

 

「なるほどな。俺と紅莉栖が知り合いであることは、研究者たちには知られているのか?」

 

 紅莉栖は即座にまあねと答えた。俺は唸った。これで完全に詰まった。

 

 重たい空気が流れるなか、それをぶち破るように、大きなノック音が響く。少々荒々しいノックだ。誰だかは大方予想がつく。俺は勢いよくドアを開けた。

 

「何のようだスーパーハカー?」

「よく僕だってわかったな」

 

 間抜けな声と共に、部屋が巨体を招き入れた。ダルは部屋の中にどすどすと入り込むと俺のベッドに座り込んだ。みしっとヒビが入るような音がしたのは気のせいであってほしい。

 

「勝手に俺のベッドに座るな」

「オカリンと牧瀬氏が過ごした熱い夜の痕跡を探しているだけなのだぜ」

「な、何言ってんのよこのHENTAI!!」

 

 紅莉栖は赤らめながら叫んだが、俺にはそんなのはどうでもよかった。いや、どうでもよく感じるほどに、余裕がなくなっている、というべきかもしれない。

 

「お前は何しに来たんだ?」

 

 俺はダルに尋ねた。ダルは肩を落として右手を後頭部に回してボリボリと書きながら口を開く。

 

「いや昨日オカリンがさ、ぶっ倒れたじゃん。んで、ずっと部屋から出てこないからどうしたんかな、って思っただけだお。ま、それに二人でなんか難しそうな話してたし面白そうだったからさ」

「いや待て。部屋での会話は一切聞こえないわよ?」

「聞き耳スキルだ。あれを使えばドア越しでも声が聞こえるのだ」

 

 紅莉栖の疑問には、代わりに俺が答えた。紅莉栖はじろっとダルを睨み、今にも狩り殺そうとする勢いだったが、それから逃れるようにダルはあたふたとさせながら言い訳を言った。

 

「いや、オカリンずっと何やってんのかなとか思ってやってみただけで、別にやましい目的でやった訳じゃないお」

「他のラボメンにはやってないでしょうね?」

 

 殺意のこもった声音にダルはびびり、もちろんしていないおとブンブン頭を振った。因みに、俺はダルがこっそりとフェイリスの部屋にて盗聴していたことを知っている。ただ、死んでもらっては困るので黙っておこうか。いや、いっそ死んだ方がまともなやつになるかもしれない。

 いや、黙っておこう。あのHENTAI脳を治すには絶好の機会なのだが、今俺は壁にぶち当たっている。謎の不可解現象についてダルなら何か知っているかもしれない。 

 

 紅莉栖はなおも疑いの目をダルに向けていたが、やがて短く息を吐き捨てて追随を諦めた。

 

「……まあいいわ。で、話の続きだけどあんた全部聞いていたの?」

 

 紅莉栖の問いにダルは頭をかきながら唸る。

 

「うーん……僕熟練度低いからさ、はっきりとは聞こえないけど、何の話をしているかは分かったお。オカリンがぶっ倒れた原因のことだよね?」

 

 そうと、紅莉栖は短く首肯する。ダルはいつもの無気力な顔のまま続ける。

 

「それで牧瀬氏は……何だっけな、新しいマシンができて、それをオカリンに注入したとか、誰かが故意にやったとか、そういうこと言ってたよね?」

 

 紅莉栖は再び首を降る。するとダルは、ちょっと疑問ありげな表情をした。

 

「でもさ、新しいマシンじゃなくてもそれできるんじゃね? ナーヴギアの改造さえできれば、改造パッチとかを入れ込めば可能だお」

「ダルよ、改造とかすれば俺は死ぬぞ?」

 

 ナーヴギアを分解した瞬間、強烈な電磁波が俺の脳を蒸し焼きにしてしまうと、茅場がチュートリアルで言っていた。よって、改造パッチを埋め込むには分解しなくてはいけない。

 しかしダルは即座に返した。

 

「そりゃあ破壊すれば脳もチンだお。でも、ナーヴギアの接続部分のコードを利用すればいいんだお」

「コードだと? だが、たしか接続口は一つしかなかったはずだが」

 

 ダルは、はあと露骨なため息を吐いた。少しイラッとしたが顔には出さず、ダルの説明を待った。

 

「よく思い出してみなよ。茅場は10分間の停電ならば死なないって言ってたじゃん。バッテリーがあるからね。どういうことか分かる?」

「つまりコードを切っても、10分間なら動くってことね」

「そゆこと。ということはつまり、何らかの違法な機械をナーヴギアに接続してオカリンに痛覚をぶちこんだってこと。まあ確証はないけど、少なくとも現実性はあるお。痛覚を与えことなんてナーヴギアだって改造すれば出来なくはないらしいし、パッチくらいは余裕で作れる。僕だって材料さえあれば簡単にできるお。素人には無理だし、普通だったら意味ないものだからあんまり作られてないけど」

 

 俺は息を飲んだ。ダルの話を否定する気はない。反論する気もない。でも、こんなことが本当にやってのけるのだろうか。というか、本当にそんなことが出来るのか。余りにも話が大きすぎて、恐怖がわかない。今自分の話をされているのにも関わらず、他人事のようにしか思えない。

 

「……でも、一体誰がそんなことをしたのよ。岡部はバカだけど、恨まれるようなことをしたことはーーー」

 

 紅莉栖は途中で切った。続いて、顔を青ざめて一つのフレーズを、わななく口で発した。

 

「パパ……」

 

 俺は目を見開いた。ヒヤッとした冷寒が全身を覆う。ちらつくナイフの鋭さ、ドロッとした赤い血、燃えたぎる殺意。思い出したくもない過去の一つだ。

 パパ、つまり紅莉栖の父親であるドクター中鉢こと、牧瀬章一のあの光悦な表情は忘れない。

 確かに恨まれることはした。いや、したと思う。

 中鉢はイロモノ科学者とレッテルを張られているのに対し、紅莉栖は天才呼ばわりされている。それに腹をたてて、嫉妬した中鉢は紅莉栖を絞め殺そうとしたが、それを俺が止めて、挑発し、まんまと乗って俺の腹にナイフを刺した。そのせいで、奴は殺人未遂でロシアにて拘束されている。もしその事がきっかけで俺に何かしたというならば、それは完全な逆恨みだ。まさに、狂気のマッドサイエンティストだ。冗談抜きで、狂っている。

 

 俺は嫌な感触を追いやろうと腕で額をぬぐう。汗はない。でも、じめじめした感覚がこびりついているようだった。もし中鉢が俺のベッドの近くにて、凶刃を降り下ろしたらーーー俺はなすすべもなく死ぬ。

 そんなわけはない。中鉢は、まだロシアにいるはずだ。それに俺の居場所などわかるわけがない。そんなこと、あるわけないんだ。あるわけがないんだ……。

 

「パパ? それって誰ぞ?」

 

 中鉢の真の姿を知らないダルが問いかける。俺は紅莉栖をちらっと見て、教えてやれと促した。

 数秒後、ダルは心の底から驚いたような表情をした。

 

「え、それまじかよ……親子で差ありすぎだろ。にわかには信じられないっす」

 

 相応の反応だと思う。イロモノと天才では天と地ほどの落差がある。まあ紅莉栖の場合はファザコンが入っているからダルのコメントに若干不快感を示していたけれど。

 

「で、中鉢博士がオカリンに?」

「……余り考えたくないけど、可能性としてはあるわ」

 

 紅莉栖は遠慮せずに言い放った。別に心配りができていないとかの話じゃない。寧ろ隠すような言葉を使う方が失礼だと思っているのだろう。俺も、その方がありがたい。下手に隠されても、逆に傷ついてしまう。

 

「んまあ、入院してたときにオカリンに事情は聞いていたけど……それって単なる逆恨みじゃね?」

「まあね。だから気にしなくていいけど、一応候補にいれても、いいと思う……。私としては信じたくないけれど」

 

 紅莉栖の中で、父親として慕う気持ちと、可能性を追い求める探究心がせめぎあっている。中鉢は確かに怪しい。けれど、紅莉栖は信じている。人としての情は失ってないことを。

 

「まあ、娘の牧瀬氏がそういうんだし、そもそもロシアの拘束が解けるとも思えんし、可能性としては限りなく低いだろうけど。……臭うんだよなあ」

「…………」

 

 俺は何も口に出せない。俺の身に、得体の知れない何かが襲いかかっている。そう思うと、怖くなる。偶然だ、起こるはずないと反芻してもわだかまる不安感は消え去らない。早くこの世界から出て正体を確かめたい。何が起きているか知りたい。憶測じゃなくて、直接見たい。衝動が体内を暴れまわっている。このままでは破裂しそうだ。

 だめだ。俺はここから出られない。何をしたって無駄なんだ。俺は、苛立った。俺の近くに誰もいてほしくなかった。ああ、もう鬱陶しい……!

 

「悪いが、しばらく一人にしてくれないか……」

 

 しかしできるだけトーンを抑えた。仲間に当たっても何もならない。ダルと紅莉栖は俺を見て、疑うような目で見た。それがますます俺を苛立たせた。抑えろ、抑えるんだ……!!

 

「……分かったわ。橋田、行きましょ」

「分かったお」

 

 二人がドアへと足を向け、ガチャリと音を立てて部屋を出ていくと俺は、溜めていた息を吐いた。そして、ベッドに沈み込んだ。

 

(……一体、何がどうなってんだよ……)

 

 身の毛もよだつような現象が起こり続けている。もう勘弁してくれ。頭も疲れた。普通に過ごさせてくれ……。

 

 倒れ込んだ体の力を抜き、意識を沈ませて、俺は遠い世界へと眠り落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「岡部倫太郎」

 

 

 

 

 

 

 どこからか、声が聞こえる。俺は閉じていた目を開き、辺りを見渡した。何の装飾もない真っ白な場所。壁も空の蓋もない、限界を知らない世界。そこに俺一人が立っていた。そういえば、以前にもこんな空間に迷い込んだことがある。また同じ夢を見ているのか。それともデジャヴに過ぎないのか。

 

「誰かいるのか? いたら返事を……」

「岡部倫太郎、聞こえているかい?」

 

 俺の声に即座に反応した。声のする方へと振り向き、誰かを確かめようとしたが、見えなかった。声にはわずかなエコーがかかっていて、誰かを判別することはできない。ただ、間違いない。この空間には俺以外の誰かがいる。

 

「誰なんだ? そこにいるのは?」

 

 俺は声をあげて問いかける。しかし、声がこだますだけで、答えはない。その代わりに、声のトーンを落とし、俺に話しかける。

 

「岡部倫太郎。君は痛みに襲われたな?」

 

 何故それを知っているんだ? 見ず知らずのお前が?

 俺は背筋が寒くなるのを感じる。 不安が胸の中を覆い尽くす。そして、こんな感覚を以前も感じたことがあるような気がする。そうだ、SERNから謎の脅迫メールが送られたときだ。あの時は偶然だと割り切って気にしなかったが、実際に悲劇を経験した俺ならばわかる。間違いなく、何かがあると。それを探らなくては、俺に、いや、もしかしたら俺たちに何が起こるかもしれない。避けられるのならば、避けなくては。

 

「……何故お前が知っているんだ?」

 

 絞り出した俺の問いに謎の人物は即答した。

 

「そりゃあ、君の頭を覗いているからね」

 

 ……何?

 俺は顔をしかめる。頭を覗くだと? そんなことができるわけがない。頭、すなわち人の記憶や思考を読み取れることが出来る存在など誰一人としていない。SFの世界だけだ。俺は失笑を溢す。

 

「笑わせるな。現在では不可能な技術だ。中二病もほどほどにしておくんだな」

「お前が中二病なのだろう。鳳凰院凶真とかいったが、ダサいぞそれ」

 

 何を夢なのに俺はこんなに真面目に相手してあげているのだろう。俺は密かにさっさと夢から覚めてくれと願った。

 

「とにかく、デタラメはやめろ。俺の頭を覗くなど出来やしない」

 

 それだけ言い捨てて俺は目を閉じて再び眠りにつこうとした。こんな馬鹿馬鹿しい茶番には付き合ってられない。原因を探ろうにも、そもそもこれは絶対に夢だ。不可能なことは、不可能なんだ。

 しかし、俺は眠りにつけなかった。

 

「ーーーっ!?」

 

 突然のことだった。どくんと頭が鳴り響き、白に染まる視界が妙な光彩で彩られる。それが何度も続き、視界に何かの光景が作られていく。一枚の写真のようなものだった。それに写っていたものは……紅莉栖だった。それも、血塗れで倒れている彼女だった。

 

「なっ……!?」

 

 この光景は見覚えがある。2年前にβ世界線にて中鉢博士の講演会にまゆりと二人で行ったとき、人工衛星ーーー実はタイムマシンだがーーーが墜落、いや、不時着して駆けつけた際に偶然見つけたものだ。紅莉栖が血溜まりのなかで横たわり、ぐったりと倒れていたのを見た俺はすぐに逃げ出した覚えがある。だが、何故この記憶が蘇る?

 だが、頭の疼きは俺に考える暇すら与えない。再び大きな鼓動が打ちつけ、悲鳴を絞り出す。

 

「がぁっーーー!?」

 

 頭を必死に抑えて波打つ疼きを止めようと努力する。しかし、それは無駄な足掻きだった。再び写真のようなものが写る。見たくない。俺は反射的に目を閉じる。だが、瞼裏にも入り込み、俺を執拗に追い詰める。嫌でも写り込む光景は見たことがあった。電車の音が鼓膜に響き渡るなか、まゆりが線路へと体を踊らせて、その後、視界が赤に染まるという、思い出したくもない記憶が、また蘇ってきた。血の臭いが鮮明に思い起こされる。バラバラになったまゆりの疑惑に満ちた顔が見える。天王寺綯の生気を失った顔が見える。

 

「分かった? 岡部倫太郎。私が、君の記憶を見ることが出来ると?」

 

ーーー黙れ!

 

 俺は叫ぼうと喉に力を込める。だが、新たな痛みが体を蝕み始め、喉から声が出ることはなかった。今度浮かび上がってきた光景は、またもや見覚えのある光景だ。手紙が浮かび上がる。その文面には、びっしりとあるワンフレーズが埋め尽くされていた。『失敗した。失敗した。失敗した……』。その繰り返しの文章だった。それが、虫のように蠢き始め、俺に迫り来る。これは、鈴羽が自殺したときの手紙だ。何故……何故わかるんだ!? これらは、俺でしか知らない事実なんだぞ……!!

 

「何で知っているかはさっきいったな? 君は、脳を覗かれているんだよ」

「認めないぞ、俺は絶対に認めないぞ!!」

 

 俺は激しく首を振り、入り込む言葉を塞ぎ込む。でも、実際そうなのかもしれないと思い始めた。俺でしか知らない別の、すでに消滅した世界線の記憶を保持できて、且つ俺の身近にいた人物と言えば誰もいない。その記憶を第三者が保持できるすべがあるとすればーーー俺の記憶から盗むしかない。

 言葉を投げ掛けてくる謎の人物は、冷淡な声で撫でるように語りかける。

 

「とはいうけど、今君は認め始めているね。考えていることは全部筒抜けなんだ」

「黙れっ!!」

 

 俺は思いきり叫ぶ。しかし、内心では恐怖を覚えていた。俺の考えや記憶が筒抜けと考えるだけで……怖くてたまらない。悪い夢なら早く醒めてくれ。

 

「しかし……君はこれを夢だと思っているんだね。哀れな男だよ。確かにこんな非現実的な話は、普通はないけどいずれ分かるよ。その時に分かっても、もう遅いからね」

「どういうことだよ……なあ、答えろ!! お前は誰なんだよ!?」

 

 今だうずく頭を抑えながらどうにか叫ぶ。しかし、答えはなかった。代わりに、白い空間が黒に塗りつぶされるように壊れ始めていった。

 何が、どうなっているんだ……?

 がらがらと音をたてて崩れる白の壁は黒の空間に溶けて消え、闇は俺へと襲いかかっていく。

 

「では、いずれ会おう。岡部倫太郎」

 

 黒の波の果てから、謎の人物の声が響く。俺は追いかけようと足を踏み出すが、波は俺を容赦なく飲み込み、謎の人物と正反対の方向へと流し込みーーー。

 

 

 

 気がついたら、自分の部屋のベッドにいた。ガバッと跳ね起きた体は興奮していた。激しく肩を上下させながら息を整える。

 気分は落ち着いてきた。だが、吐き気がするほどの気持ち悪さが充満している。

 俺の身に起こる様々な不可思議現象。散々だ。

 どうして俺に起こるんだ? 

 どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだ? 

 どうして……俺の邪魔ばかりするんだ……!

 

 

 

「…………もう、いい加減にしてくれよっ……」

 

 

 

 夜中の寝室に響く俺の溜め息は、余りに虚しいものだった。

 

 




次回から一気に飛ばします。蛇足になってきたし、書きたい場面にさっさと移りたいからです。この辺が一番つまらなかったでしょうね。作品に動と静があるとするならば、私は動の方が書きやすいですね。止まっている、ゆっくり進行している静はどうも書きづらい。コツあったら是非教えていただけると助かります。

では、感想やお気に入りお待ちしております。
それと、androidやiOsで配信中のRPGゲーム「マシンナイト」を原作とした二次小説を新たに投稿しました。よろしければそちらもご覧ください。知らなくても設定がちゃんとかかれていますので。


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因縁のホワイトシャドー

さて、これからがひとまずの山、いや、山への道の最初となっていきます。
お気に入りが減少してきてへこみそうですが、頑張ります。
まあ、山場そのⅠが始まりますのでどうか待っていてください。ゆうてしばらくは原作沿いですがw

それでは投下します。あと今回ためしに、なんとなく文章をシュタゲっぽい感じにしてみました。わずかですが。


 月日は流れ、2014年10月になった。

 2月辺りから、異常現象などが起こり続け、俺の脳を覗いたなどという戯れ言を抜かす変な声も聞こえてくるようになった。熱に似た倦怠感や激しい痛みも現れ、疲れてくるようになった。

 だが、神が救ってくれたのか、今では普通に生活できる。それらの現象は3月になると嘘のように消え失せ、何も起こらなくなっていた。

 いつしか俺は、今までの出来事が偶然なんだと思い始めた。きっとあれは錯覚なんだと。何でもなかったんだと。紅莉栖たちの意見だってきっと考えすぎなんだと。

 俺は思っていた。

 

 でも、それは後に取り返しのつかないことへと繋がっていた。その間に悪魔が牙を磨いでいたことなど、思いもしなかった……。

 

 

 

***

 

 

「ん……んぅ……」

 

 朝日が昇り、窓から淡い光が差していく。心地いいまどろみが俺を閉じ込めていて、なかなか布団から脱出できずにいる。時刻は目をつむっていても表示されているので起きなければいけないというのは分かっている。でも、起きられない。

 半年以上前あたりから起こっていた異常な現象に妨げられた安らぎの時を取り戻せたことにいまだに安堵しているのか、それとも単に、人間の三大欲求に全力で従っているに過ぎないのか。

 と、その時だった。

 

「ハーイオカリーン~~!! おはよう!!」

 

 ガバッと音がした。同時に、俺を包む天国の布が消え去っていき、ヒヤッとした寒さが俺を新たに覆っていく。仕方がなく、俺は目を開けた。開く視界には、誰かがいた。

 俺はゆっくりと体を起こして誰がいるか確認した。そこにいるのは、まゆりだった。満面の笑みを浮かべながら布団を握っている。こいつがすべての元凶か……。

 

「ん……あぁ、おはよう……」

 

 俺は眠気眼でまゆりを見る。はっきりと見えないが、ずいぶんと元気そうだ。俺は毎回疑問に思う。なぜこいつは早く起きても眠そうにしていないんだ? 中学校の時にあいつは朝練があったのだが、眠そうな顔をしたことは一度もなかった。

 とりあえず起きることにしてベッドからはいずり出て下に降りていく。まゆりも俺の後ろについてくる。どうやら俺が最後だったらしい。ラボの長として自覚が足りないなとひとり苦笑しながら朝飯の場所へと向かうことにした。今日はどこかのカフェで外食することになっていると、まゆりから聞いた。

 下に降りると、俺とまゆり以外のラボメンがすでにそろっていて、それぞれ挨拶を交わして外へと出る。

 目的地のカフェは徒歩5分の距離で、何回か来たことはある。オープンな印象があって、窓は空いている。コーヒーのにおいが漂い、香ばしいパンの香りが鼻を刺激する。とは言うけれど、味はまあまあというレベルにとどまるもので、実用性だけが取り柄な店。俺はそう評価している。

 いつもの馴染んでいる端っこの大テーブルに陣取り、NPCウェイトレスにそれぞれ好みのセットを頼む。種類は10くらいあり、オーソドックスなサンドイッチセットや卵サンドとかはもちろん、お好み焼きサンドとか、マヨネーズサンドなど、人を選びそうな特殊なものまである。俺はなじみのある卵セットにした。

 ウェイトレスがかしこまりましたと静かに去っていくと、皆が談笑に浸り始めた。その中でダルが手に持っている新聞を開いて読み始めた(新聞とはいっても現実でいうPDFファイルみたいなもの)。隣に座る俺はダルに尋ねる。

 

「何か目新しい情報はないか?」

「ん? ああ、まあそんなにいいものはないお。せいぜい攻略情報が載っているとか、某有名な殺人ギルドの元メンバーが捕まったとかその程度の奴だけど既存の情報だから価値ないすわ。つか、閃光の虹エロ画像ないとか泣けてくるんですが」

 

 彼女持ちがそんなこと言うなよ。

 こいつのHENTAI思考には辟易させられる。まったくぶれないところだけはすごいとは思うけれどいい加減何股もかけるのは止めた方がいいと思う。

 

「二次元じゃあるまいし何を言っているんだお前は。彼女持ちだろうが」

「それはそれ。これはこれ。僕はフリーダムなんでね」

「由紀さんが泣いてるぞ……。ところでお前は今日出掛けるのか?」

「僕はまあこれから情報屋と約束あるけど、オカリン今日はどっかでかけるん?」

「ああ、今日は50層あたりで物色でもしようと思ってる。お前も誘おうとしたのだがな」

「ああ、《アルゲード》か。迷うなよ? 僕は迷子はお断りなのだぜ、美少女は別だけど」

 

 ダルは若干心配するように言った。

 アインクラッドの中間地点である第50層の主街区《アルゲード》は迷路のような街、いや、雑踏だ。正確に道を把握している人物はろくにいないだろう。俺も初めて来たときは迷子になったものだ。

 

「フン、この狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真が道に迷うなどあるはずないだろ。灰色の脳細胞を持つこの俺ならば、アルゲードの街など容易に移動できる」

「ハイハイ、マッドマッド」

 

 ダルに適当に流されて俺は食事に向きなおる。すると、目の前には静かにパンをかじっている指圧師がいた。ずいぶんと眠そうだった。頭は不安定に上下に揺れている。

 

「指圧師よ、ずいぶんと眠そうではないか?」

「……昨日寝るの遅かったから」

「どうしてだ?」

 

 指圧師はなおも眠そうに目を細めながらも、か細い声を絞り出すように答えた。

 

「武器、作ってたの。岡部君の……」

「お、俺のか?」

 

 間抜けな声が思わず出てしまった。指圧師はこくっとゆっくりうなずく。

 

「きっと……似合う、はず……。もうすぐ、完成……するから……」

「あんまり急がなくていいからな。疲れたならちゃんと休めよ」

 

 わかったと、小さい声で答えながらトーストを再びかじった。

 武器か……。

 俺は新たにできる武器について考えた。今使っている片手剣も悪くはないが、そろそろ更新したいとも考えていた。ありがたい話だ。近いうちに第74層の攻略会議も行われるため、グッドタイミングだろう。

 

 

 現在は2014年10月下旬。最前線は第74層。残る層は、26層。

 ゲーム開始から実に約2年が経とうとしていた。

 2年という歳月が与えた現状は、人々はデスゲームに対する恐怖心が薄れていき、それがいつしか普通になってきた、という事実だった。殺人ギルドだの、卑劣な殺人方法などはあったけれど、それらに対する記憶も薄れていった。情報が出回り、攻略も順調に進んでいるからであろう。人々はいつかは出られるという希望を捨てることなく、今日も安心して生きていける。だから、俺たちは普通にいられるのだ。

 けれど、この一か月は俺を、ラボメンを、SAOというゲームの運命を大きく動かすことになることを、知る由は一切なかった。

 そんな未来を予測できない人類の一人である俺は、卵サンドをかじった。

 

 

 

 

***

 

 

 朝食をとったあと、俺たちはそれぞれ別れた。ダルはアルゴとの約束があるとのことで最前線へと飛び、指圧師は武器製作のために自分専用の鍛冶屋へと籠り、フェイリスはメイクイーンに向かい、ルカ子はフィールドにてレベルあげ、紅莉栖は知り合いの女性プレイヤーと遊びにいくらしい。

 俺はダルに言った通り、50層にて物色している訳なのだがーーー。

 

「わぁー……すっごく混んでるね、オカリン」

 

 隣にまゆりがいた。

 

「……何故お前がここにいるんだ?」

「んー? だって今日はオカリンと出掛けたかったからー」

「とはいってもコスのグッズとかはここにはないぞ?」

 

 俺がふざけてそういうと、まゆりは嘘と云わんばかりに驚愕した。

 

「ええっ、そうなのオカリン!? そうだったら早く言ってよ……」

 

 ……あるわけないから言う必要がないと思ったのだ。

 そんな考えを持っているのはお前だけだ。

 が、一方でまゆりらしいとも思った。この極限状態であるはずのSAOの中でもまゆりは自我を揺るがすことはない。ここにはコスプレグッズなどがないのにも関わらず、コスプレについて聞いてくる。恐らくまゆりの心は、未だに遥か彼方に置き去りにしてきた現実世界にあるのだ。逆に言えば、俺たちはこの世界にすっかり馴染んできてしまった、といえる。

 

「じゃあオカリンは何しに来たの?」

 

 まゆりが尋ねる。俺はにやっと微笑み、大袈裟に叫ぶように答えた。いわゆる、鳳凰院凶真モードだ。

 

「まゆりよ、いい質問だ。アイザックニュートンと同等のIQを持つこの鳳凰院凶真がこの地に、アルゲードに降り立ったのはすなわち―――闇に隠されし秘宝(シークレット・トレジャー)を追い求めるためである! これは、世界を混沌へと導くために必要な行為なのだ」

「要するに、骨董品なんだね~」

 

 ……空気を読めこのお花畑女。

 俺は溜め息をつき、まゆりを見た。まゆりはえへへと無邪気に笑う。だから俺も文句を言う気にはなれなかった。

 こいつの笑顔には力があると本気で思っている。俺の《リーディング・シュタイナー》やフェイリスの《チェシャ猫の微笑(チェシャー・ブレイク)》のように、まゆりにも何かあるのではないかと思っている。証拠にも、あんなに非論理的な存在を嫌い、相手にしなかった紅莉栖が、まさに非論理の塊であるまゆりとかけがえのない友人関係になれたという実例がある。だから、彼女の笑顔には人を笑顔にさせ、邪心を追い払う性質があるのではないかと俺は思ったのだ。

 

「とにかくだ、俺は秘宝を探しに出掛けるが、俺の側にいろよ。何故ならお前は俺の人質だからな」

 

 そして、この街は馬鹿みたいに入り組んでいるからな。俺はその一言を暗に付け加えた。

 アルケードという街は、迷路のように幾つにも道が別れている。この街に来た人の殆どが迷子になった経験があり、煮え湯を飲まされたであろう。俺もその一人だ。

 まゆりはここに来たのが始めてだ。だから絶対迷ってしまう。俺は彼女の手を繋いだ。

 

「うん、わかったー」

「よし、ではいくぞ」

 

 俺はそういって歩き始めた。

 現在俺たちがいるところは転移門前の広場だ。そこから少し歩くと露店通りになる。ここでたまにお宝が眠っている場合がある。けれど見たところそんなにいいものが揃っているわけではなかったので何も買わずにその場を過ぎていった。まゆり曰く、コミマの午後みたいだね、だそうだ(人気グッズや人気作家、人気カップリングキャラの同人誌が売り切れている状態の中でお宝を探す状態らしい)。

 さらにそこから数分歩くと、小さな店がちらほらと構えてある商店街に着く。俺はとある店を目当てにここに来た。俺はまっすぐ足を向け、ドアノブを捻った。

 

「よぉ、いらっしゃい」

 

 軽快なベルの音と共に店主のバリトンボイスが飛んでくる。その度に俺は何故か戦慄してしまう。声と体格が似ているからだ、現実世界の未来ガジェット研究所のオーナーに。

 

「あれ、てんちょーさん? でも、なんか黒いよ? それにブラウン管は?」

「不思議なお客さんだな。確かに俺は店長だが、ブラウン管なんていう古臭いものには興味ねえな」

 

 ミスターブラウンが聞いたら殺されるか、いや、逆に返り討ちか? それとも凄まじいリアルファイトが起こるのか……? この場にミスターブラウンがいないのが残念だ。

 まゆりのフォローに回るため、俺はこの店長に説明した。

 

「ああ、こいつは俺の幼馴染みで、初めてこの街に来たんです、エギルさん。現実にあなたに似たブラウン管好きのオタクがいてそう言ってしまったんです」

 

 俺の必死の説明に、店長・エギルは大胆に笑った。器のでかさは絶対にエギルの方が上だ。

 

「で、あのミスターブラウンに似た人がエギルだ。以前攻略組として俺は一緒に戦ったんだ」

「へぇ~~そうなんだー! 強そうだねぇ」

「ありがとな。名前は何て言うんだ?」

「まゆしぃです」

「ま、まゆしぃ……だと? 変わった名前だな」

 

 エギルは若干驚いている。分からない気もしなくはない。まゆしぃなどという痛々しい名前は普通では聞かないからだ。俺は幼馴染みとしてすっかり慣れてきてしまったけれど、最初の方は恥ずかしくて、辞めさせようとしたがどうも上手くいかず諦めた次第だ。

 俺はごほんと咳き込んでウィンドウを呼び出す。エギルも俺へと視線を移し、目の色を変えた。あれは商売をする気の目だ。俺はウィンドウを繰りながら次々にアイテムをポップアップしていく。カエルの肉、布切れ、皮等が山積みにされていく様を、まゆりがほけーと見ている間に俺は予想金額を叩き出した。これらのアイテムは入手はできるが、そこまで落ちぶれた品ではないはず。だからせいぜい5000コル程度は稼げる。そう予想した。

 

「では、エギルよ。買い取りを頼む」

「攻略組で一度戦ったんだ、しっかり見てやるよ」

 

 エギルからの頼もしい言葉を聞いた俺は、少しはなれたところでまゆりと待つことにした。まゆりは俺の方を向いて口を開く。

 

「ねえねえオカリン。エギルさんとどうやって知り合ったの?」

「最初の第1層攻略の時だ。俺たちはあぶれ組だったけれどきちんと面倒を見てくれたんだ。そのお陰で俺たちは助かったわけだ。最も、本業は戦闘じゃなくて商売なのだがな」

「へぇ~~。いい人なんだね」

「少なくとも、ミスターブラウンよりはな」

 

 俺は苦笑しながら答えた。すると、エギルはふうと溜め息を吐いて、俺をカウンターに呼んだ。

 

「おう、終わったぜ」

「それで買い取り価格は……?」

 

 5000と俺は予想しているが、果たしてどうなるだろう。もしたくさん稼げたらあれの足しにでも―――。

 

「500コルだ」

「…………は?」

「 聞こえなかったみてえだな。500コルだ」

「いやいやいや」

 

 500コル……5000じゃなくて、500?

 いくらなんでもおかしいだろ。殆どが結構な額するやつなんだぞ……?

 

「いくらなんでも安すぎるでしょう? 第一この“剣士の布切れ”なんて相場一枚400コルなのに4枚あって500オーバーしてないってどういう―――」

 

 ここで俺の口は動きを止めた。何故なら凄みのある目で見られた、いや、睨まれたからだ。

 殺されると感じた俺は後退り、まゆりを促して店を出ようとした。

 

「また頼むぜ、キョウマ」

 

 もう二度と来るものか。

 恨みのこもった目線で獰猛に笑う店主を睨み、外へと出た。

 

 

 

***

 

 

「……やはり納得がいかんぞ!!」

 

 俺は店の外にて叫んだ。そのせいで周りのプレイヤーたちが一斉にこちらを振り返る。

 

「何が納得いかないの?」

 

 まゆりは手元にあるから揚げ―――に似た何か―――を食べながら尋ねる。

 

「さっきの店の買い取り金額だ。はっきり言うが、あれはミスターブラウンよりもケチだ。ずっと器が小さいぞ!!」

「そーなんだ。でも、オカリンが欲張りすぎなんじゃないかな?」

「これでも譲歩したほうだ」

 

 事実である。せめて1000はほしいところなのに。

 俺は先ほどのエギルとのやり取りにまったく納得がいっていなかった。まゆりと今広場にて軽い昼食をとっているが、俺は食べていない。買わなくてはならないものがあるから、節約しなくてはならないのだ。その目標金額に近づけようと先ほどエギルの店にていらないアイテムを売却したのだが、500ではまるで足しにならない。

 

「ねえねえオカリン、少し食べる?」

 

 まゆりは、小さな爪楊枝を差し出した。俺はかぶりを振っていらないと伝える。

 

「えー? でもおなかすいちゃうよ?」

「ラボにおやつはいくらでもある。それで我慢すればいい話だ。節約して、アイテムを買わねばならないからな」

 

 そういうと、まゆりは引き下がった。何かを察したような顔をして。

 

「それってクリスちゃんへのプレゼント?」

「何故分かったのだ……」

 

 完全に見破られた。本当に何度も思うが、妙なところでこいつは鋭いんだよな。

 まゆりはなおも笑顔を崩さずに答えた。

 

「まゆしぃはオカリンの人質だから、何でも分かるのです」

 

 まゆりはそういうと、唐揚げを口に入れた。人質といっても俺の考えた下らない設定だが、逆に俺がまゆりの人質なのではと思う。それほどまゆりは俺のことを熟知している。俺がまゆりのことを知っている以上に。

 俺は鼻で小さく笑い、まゆりの唐揚げが無事に喉を通ったタイミングを狙って言った。

 

「悪いが、もう一度戻るぞ。交渉再開だ」

「うーん、でもまゆしぃ的には難しいと思うけどなー」

「不可能を可能にするのが、狂気のマッドサイエンティストだ。俺にできないことなど、あるわけがないだろう」

 

 自信ありげに俺は言ったが、本当は自信のかけらもない。だが、それでも行かねばならない。

 俺たちは立ち上がり、先程の店へと戻ろうと歩き始めた。広場から狭い路地へと入ろうとしたその時だった。

 

「わわっ!?」

 

 まゆりが悲鳴をあげた。ドンと鈍い音が聞こえ、俺は振り向く。すると、まゆりが地面に倒れていた。

 

「おい、どうしたまゆりっ!?」

 

 俺はまゆりのもとへと近寄り、体を支える。まゆりは少し痛そうに俺を見て苦笑いする。

 恐らくまゆりは倒されたのだろう。俺は直感的に判断し、他所を向いた。すると、1つの人影が見えた。恐らくそいつが倒したのだろう。しかもすみませんの一言もない。俺は立ち上がり、腕をつかんだ。

 掴まれた人物は俺を見る。目があった。その瞬間、俺はドキッとする。まず顔があまりに細い。無駄な肉は一切取り除かれていて、双眸は冷徹なほどに細い。紅莉栖の普段の冷たい目線とはベクトルが違う怖さを覚えるほどに、細い。今にも睨み殺しそうな、そんな勢いだった。

 服装も変わっていた。白の長い裾のロングコートに灰色の長ズボン、さらに腰には装飾が派手な両手剣が帯びられている。これはまさか、血盟騎士団のメンバーか? しかし、あんなに薄気味悪い男なんて攻略のときに見たことはないのだが……。

 射抜かれそうな視線をどうにか受け止めながら俺は威圧するように声をかけた。

 

「そこの貴様、いたいけな少女にぶつかっておいて謝罪も何もないとはどういうつもりだ?」

 

 まあいくら怖い男でもぶつかったら謝るくらいの常識は持ち合わせているはずだ。証拠に紅莉栖がいる。そう思っていたのだが。

 

「ああ? うるっせえよ」

 

 予想外の反応が来た。

 悪いのはお前の方だろ。俺は反射的に言い返していた。

 

「何を苛立っているかは知らないが、まずは謝罪してもらおうか」

「だからなんでお前に謝罪しなきゃいけねえんだよ」

「誰も俺に謝罪しろとはいってない。そこでお前が倒した女に謝れと言っているのだ」

「はぁ!? ぶつかっておいて何で俺が謝るんだよ? 大体栄光ある血盟騎士団が通ったら、道を譲るのが常識だろうが」

 

 そんな常識があるのかよ。

 俺は頭が痛くなってきた。少なくともお前のような不幸面か人気者の閃光アスナに限る話だ。さっさと離れておくべきだった。

 

「下らん常識よりも世間一般に通ずる常識を身に付けるべきだな。自称栄光ある血盟騎士団員よ」

「何だと……? どうでもいい雑魚がふざけたこと抜かすな!! お前らは俺たちのような攻略ギルドのお陰で安全が保証されてんだよ!! だったら俺たちに敬意を示すのが普通だろ!!」

「少なくともお前のような奴に敬意を示したくはないな。第一この少女は攻略組ではないけれど俺は攻略組だ。その気になればお前たちのギルドの長にお前の不手際を告発することだって出来る。今のうちに止めておくんだな」

「ヤれるもんならヤってみろよ!! このバカが!!」

 

 やむを得ないと俺が思い、まゆりを引き連れて行こうとしたその時だった。

 

「止めろクラディール!!」

 

 路地の奥から一人の男が叫んだ。服装は絡んできた男と同じ血盟騎士団の制服をしている。一瞬だが、絡んだ男が舌打ちしたのが聞こえる。

 

「何だよ?」

 

 クラディールと呼ばれた男は、駆け寄った男に威圧するように睨み付けた。しかしまるで動じていない。俺は素直に凄いと思った。

 

「何だよじゃない。一般プレイヤーに絡むのは止めろ。団長に告発するぞクラディール」

「……チッ。分かったよ」

 

 クラディールは再び舌打ちをする。今度はわざとらしく大きくかます。そして俺をジロッと睨んで広場へと消えていった。

 俺はひとつ溜め息をつき、地べたにいるまゆりに手を伸ばした。

 

「大丈夫か?」

 

 俺が声をかけるとまゆりはにっこり笑ってうんと答える。俺の手を握り立ち上がったまゆりはえへへと微笑み、やがて手を離した。

 

「でもさっきの人少し怖かったね……」

 

 ちょっとひきつっていたけれど。

 

「あんな奴のことは気にするな。では行くぞ」

 

 そう言って俺はまゆりを促し、目的地へと向かった。

 最後に睨まれたときのあの憎悪に近い目つきのことを脳裏で思い浮かべながら……。

 

 

 

 




用語解説はありません。

さて、クラディールが登場しました。彼と迎える結末が、のちに少しだけ影響にします。

では、感想やお気に入り登録お待ちしております。


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虚実のエンターテイメント

今回は、キリトとヒースクリフとのデュエルです。なぜこんな話を書くかって?
状況整理といいますかね。それに、この話の山場において必要な御膳たての一部です。
最後までお付き合いください。
では、どうぞ。


 3日が過ぎた。

 

 

「ふぅ……大体こんな物か……」

 

 俺は剣を納めながら額をぬぐう。別に汗をかいているわけではないけれど、どこか気になるのが人としての生理的現象だ。背後を振り返ると、無数の雑魚モンスターがぐってりと地面に横たわっていて、ポリゴンの粒子と音を立てて化していく。ドロップアイテムが表示されたウィンドウが現れ、一瞥すると笑みを浮かべて隣にいる人物の肩を掴む。

 

「これでいいか、ルカ子よ」

 

 少女のように細い肩、整いすぎている顔立ちをした少年・ルカ子は穏やかに笑って頭を下げた。右手には刀が握られている。ちなみに指圧師が造り上げた代物である。

 

「はい、ありがとうございました。僕のためにわざわざお時間を割いていただいて……」

「気にすることはない。弟子の頼みを断るようでは、師匠として面目が立たないからな」

 

 俺は高笑いしながらこれまでの経緯を思い出す。

 まゆりと出掛けて三日が過ぎた今日、ルカ子からお願いされた。中間の第45層にてどうしてもクリアできないクエストがあるから、クリアしてほしいとのことだ。そこら辺で野良パーティーを組めばいいのだが、ルカ子は人一倍人見知りだ。そんなことはできない。だから師匠であるこの俺が協力したのである。

 正直攻略組最低クラスの俺にとってもここは楽勝にクリアできるものだったので、かなり生ぬるく経験値もろくに入らなかったが、いつかは攻略組を抜けてもいいかなとも考え始めている。現に紅莉栖やダルは第25層の戦いにて戦線から引いてしまっている。

 俺も第75層辺りで抜けようかなと考えていたとき、ルカ子が声をかけてきた。

 

「あの……」

「ん? どうしたのだルカ子よ?」

「これ、ドロップしたんですけど……」

 

 そういうとルカ子はおずおずとウィンドウを俺の方に見せ、アイテムを指す。名前は《武器職人の腕輪》。これは間違いなく職人業使うアイテムだ。

 

「ふむ、どうやら俺たちには不要の長物のようだな」

「ところがどうやら違うみたいです」

「何?」

 

 ルカ子は何も言わず、ウィンドウに手を触れてそのアイテムの詳細を見る。すると、テキストが表示された。俺は目を凝らして文字をおっていく。

 

「なになに……“このアイテムを指に装備することで効果は現れます。このアイテムは筋力パラメータが不足していても武器を持つことができます。只し、与えるダメージは半分になり、耐久値は100となります”……か」

 

 どうやらどんな武器でも手に持つことが可能になるアイテムらしい。けれど……正直微妙だ。何故なら威力が減少してしまう上に、耐久値が低すぎてすぐに折れてしまうからだ。使うタイミングは無いに等しい。

 

「うーん……何か微妙な気がします」

「奇遇だなルカ子よ。俺もだ」

「その……ごめんなさい」

「気にするな。そういえばまゆりが指輪を欲しがっていたからくれてやるか」

 

 まあまゆりならば絶対に武器を持たないからただの銀の指輪になる。だから別に渡しても問題ない。しかし、今更ながらまゆりが指輪を欲しがるなど、何か変わったことはあったのだろうか……? あいつは俺に似てお洒落とは無縁の存在なのに。

 

「いいですね岡部さん……じゃなかった、凶真さん」

「では今日はこの辺にして、戦士の休息といこうか」

「は、はい……」

 

 そういうと俺はポーチから転移結晶というワープアイテムを取り出した。青色に光るクリスタル状の鉱物だが、中々高価なので滅多には使わない。しかしもう歩いて帰るのも面倒くさいので使うことにした。

 

「転移!」

 

 クリスタルを天に掲げながら叫ぶ。すると、青い光が瞬く間に拡がり、俺たち二人を包む。そのまま意識とともに、ラボのある16層へと飛んで行った。

 一瞬のめまいの後、視界は回復しルカ子とともにラボに戻る。その最中にルカ子から話が振られた。

 

「あの、凶真さん。今日面白いことやるそうですよ?」

「面白いこと?」

 

 俺は聞き返す。今日は10月20日。誰かの誕生日でもないし、そもそもそんな話は聞いていない。聞いているニュースといえば、攻略組なしで第74層をクリアしたということと、新スキル・二刀流が披露されたことくらいだろう。ちなみに所有者はキリトというプレイヤーだ。

 キリトというプレイヤーは俺にも聞き覚えはある。というのも、最初に共闘している上に攻略組として何度も顔を合わせているからだ。その時はただのベータテスターでしかなくなったが、いつの間にかトップクラスの座に君臨している。今や最強と呼ばれる、血盟騎士団の団長のヒースクリフと肩を並べるほどだ。今回そんな奴が新スキルを開拓したというのだから俺はただただ驚くしかなくなった。世間では新しい、たった一人しか習得できないユニークスキルではないかと疑われている。

 閑話休題。

 ルカ子の面白い話題は、キリトと何か関係するのだろうか?

 

「はい、そうなんです。なんでも今日の午後に、75層の《コリニア》という町で決闘が行われるらしいんです」

「決闘だと? 世界の命運を賭けた男たち同士による戦いだな?」

「え、ええっと……よ、よくは分かりませんが、とにかくやるそうです」

 

 だとしたらなぜこの鳳凰院凶真を呼ばないのだ!!

 俺はきつく歯ぎしりをする。世界の命運を賭けた戦いならば、俺を呼ぶしかなかろう。まったく、何を考えているのだ。

 

「なるほどな……で、だれが戦うのだ?」

「ええっと……」

 

 ルカ子は顎に手を添えて思い出そうと必死だ。そのしぐさが何ともかわいらしい。だが、男だ。

 そんなルカ子の努力が叶ったのか、パッと顔を輝かせて答えた。

 

「思い出しました! 確か、キリトっていう人と、ヒースクリフという人ですね」

「ふむ、まさに頂上決戦だな……世界の命運がかかっている。できればこの俺も参戦したいところだがな」

 

 この二人は強い。

 まず両者ともにユニークスキルを持っている。キリトはつい最近発覚した二刀流、ヒースクリフは神聖剣を持っているが、情報屋の考察によると、どっちもどっちだという。二刀流は単純に攻撃回数が増加し、とめどないラッシュによってごり押ししていくのに対し、神聖剣は守り抜いてその隙を突いていくというバランスの取れた戦いを展開する。キリトが守りを押しきってしまえば勝ちだし、守り終えた後で攻撃したらヒースクリフの勝ちが決まる。

 要はお互いの力量次第、ということ。

 どういう経緯でこんな催しが開かれたかは知らないけれど、興味が沸いてきた。

 ということで俺とルカ子は行くことに決め、早速決闘場へと向かった。ほかのラボメンたちにも一応メールを入れたが、来るのはまゆりだけだった。

 まゆりは後から来るとのことで、しばらくはルカ子とぶらぶらすることに決めた。

 すでに75層の街《コリニア》は人が集まっていて、喧噪にあふれていた。露店もいくつか展開され、見世物なども盛んに行われていた。

 

「わぁ……すごい賑わいですね……」

「そうだな……そういえば前に俺とルカ子とまゆりで行った隅田川の花火大会の時もこんな感じだったよな」

「ああ……そういえばそうでしたね。あの時は楽しかったです」

 

 現実世界での光景にふと重ねてしまう。まゆりとルカ子が浴衣を着てきてよく似合っていたのと、まゆりが屋台の食べ物を食い尽くしていたのはよく覚えている。あとは、屋台のおじさんに二股をかけられているのだと疑惑をかけられたことくらいだろうか。無論否定した。

 不意になつかしく感じた。服装や着用品は隅田川の花火大会の時とは似つかないものだが、似ている。結局のところ人は何も変わっていないのだ。こんな異常状態にもかかわらず、お祭り騒ぎになれる。慣れという者は怖い。

 

「なあ、ルカ子はこの世界から逃げたいと思うか?」

「え?」

「元の世界に帰りたいと、今でも思っているか?」

 

 ルカ子は目を広げて俺を見る。

 俺は気になった。この世界に皆は本気で逃げたいと思っているのだろうか。元の世界へと戻ろうと今も思っているのだろうか。俺だって、どっちかわからない。帰りたいと思う部分もあれば、いつまでもここにいたいという思いもある。

 だから不安になった。

 

「ええと……僕は帰りたいです。お父さんとか、待ってるし」

「……そうだな、お父上は元気だろうか気になるな」

「岡部さんは……どう思ってますか?」

「…………」

 

 俺は黙るしかなかった。答えは見つからない。

 どっちなんだろう。ルカ子のいうとおり、家族も心配だ。ミスターブラウンにも久しく会っていないし、家賃も上げられそうで困る。

 けれど、この世界と、現実世界とではどう違うのか?

 ……本質的には何も違わないのでは?

 ラボメンがいて、俺がいて、命があって。

 俺に必要な全ては、もう全部揃っているんじゃないか?

 だとしたら、永遠にこの世界にいても、なんら問題はない。

 ……本当にそうか? 俺はこの世界での永住を望んでいるのか?

 もしくは、もう脱出なんてどうでもいいと思っているのだろうか。

 分からない。この場では、答えを出せそうにない。

 

「岡部さんは……帰りたいとは思わないんですか?」

 

 ルカ子はおずおずと言う。俺は、どう答えるべきだろうか。

 

「……分からない。どうしたいか、わからないんだ……」

 

 それしか、思いつかなかった。

 

「そうですか……すみません」

「謝ることはない」

 

 そう言って、俺達は黙り込んだ。

 痛いほどの沈黙が二人を隔てる。この感覚は、以前にも味わった。

 ルカ子が女だった世界線にいた時、俺達はかりそめの恋人関係になったのだが、話す話題が見つからず、痛い沈黙以外何もなかった。

 またこうなるのか。何とかしたかった。

 けれど、俺には何も出来ない。口を開き、喉を震わせて言葉を発した瞬間、すぐに何かが壊れそうな気がして、動けなかった。そんな訳は無いと何度も言い聞かせてはいるけれど。

 そんな時だった。

 

「オーイオカリン、ルカ君ー!」

 

 脳天気な声が聞こえる。俺は振り返る。そこには、フェイリスを連れて元気良く手を振りながら駆け寄るまゆりの姿があった。俺達二人を包む沈黙は呆気なく破壊され、ルカ子の顔に笑顔が戻る。少し、悔しくもあった。

 

「遅かったでは無いかまゆりよ」

「ゴメンねー、露店のから揚げを食べてたら遅くなっちゃったのです。ね、フェリスちゃん」

「クレープもなかなかだったニャ。ルカニャンは何か食べたかニャ?」

「いえ……あまりお腹は減っていないので」

「えー? 男の子だから食べなきゃダメだよ? オカリンもあんまり食べないけど」

「お前の基準で比べるな食いしん坊」

「まゆしぃは食いしん坊じゃないよー」

 

 まゆりの台詞を無視し、俺はコホンと咳込んだ。

 

「では、そろそろ向かうとしようか」

「ついに、ついに決戦かニャ!?」

「うむ、この戦いの結末を俺は見なくてはならんからな。奴らに眠る魔神共を封じ込まねば世界は、奴らの思いのままになってしまう!!」

 

 俺が高らかに告げると、フェイリスは大きく飛び下がり、身構える。そして震える唇で言葉を発した。

 

「で、でもどうするのニャ!? 奴らの秘められし力は絶大で世界なんて一瞬で吹き飛ばせるほどの力を持っているニャ。そのせいで……フェイリスの兄は……」

「……」

 

 なわけあるか。

 お前のアニキはこの世界にいないし、第一一人っ子。バレバレの嘘だ。

 

「だからフェイリスは、兄の仇を討つべく―――」

「では行くとするか」

「フニャ?」

 

 厨二病思想に浸るフェイリスを華麗にスルーし、ルカ子とまゆりを促した。

 今は、まだ考えなくてもいいよな。

 俺は先ほどまでの迷いを振り払うように、頭を軽く振って、彼女たちの先頭を歩いた。

 

 

 数十分後、俺たち一行は決闘場へと着いた。すでに席は一杯になりつつあったがどうにか4人分は確保できた。飲み物を買い(すべて俺の奢りだ)、込み合う観客席を縫うように進み、どうにか座ると、揃って息を吐いた。

 

「す、すごく混んでましたね……」

「ああ……コミケよりも混んでいたな……」

「そうだねー……去年のコミケもすごかったよねー」

「フ、フニャ……」

 

 全員が意気消沈していた。あれほどまでに人がごった返すなんてほとんど経験しない。いつもハイテンションなフェイリスですら、嘘みたいに萎れている。まゆりにプレゼントを渡すのは今度にしよう。

 人が混むのにも理由がある。今回は注目すべき戦いだからだ。俺のような攻略組はもちろん、まゆりやフェイリスといった低レベルプレイヤー、情報屋、商人など様々な人間が人目見ようと必死にこの場所に集うことになれば、混むのは避けられない。

 観客席はすでに賑わいを見せており、つまみや飲み物を片手に談笑に浸っていたり、くだらない前座を始めたりしている。まるでお祭りだ。

 けれど……俺は疑問を感じていた。

 なぜ、あの二人が突然戦うことになったのだろうか。

 憎み合う因縁を持っているわけでもないし、ライバルとして張り合うそぶりもない。何か事情があるのだろうか。

 考え込む俺の隣に、二人組が現れた。男だ。俺はふと視線を上にあげた。すると―――。

 

「よお、久しぶりだな」

「おう、キョウマじゃねえか」

 

 二人とも見覚えのある顔だった。しかももう一人はつい3日ほど前に会話した覚えがあるスキンヘッドのケチ男だ。

 一人はひょろっと細長く、頭に悪趣味なバンダナを巻いている。確か名前は、クラインといったはずだ。彼は攻略組に属していて、中々腕の立つ奴だ。もう一人は、エギルだ。

 

「何しに来たのだ?」

「何しに来たって……そりゃあキリトの試合見に来たに決まってんだろ」

 

 エギルが呆れたように答える。

 

「そうかならば話が早い……エギルよ。頼むからもっと買取価格をあげて欲しいのだが」

 

 俺はジト目でエギルを睨む。しかし全く怯まず―――。

 

「そいつは無理な相談だな」

 

 と、バッサリ切られた。ケチなところは変わる気配もないようだ。

 

「それはそうと、オメェ一人できたのか?」

 

 クラインが俺に聞く。クラインとはあまり話していないのだが、どうも気さくな奴のようで、分け隔てなく話している。案外そういうところは嫌いじゃない。

 

「いや、4人で来た。俺から左3人は全員連れだ」

「んなっ……!?」

 

 クラインが唖然とした表情で俺の隣を見る。尋常な視線で見つめられたまゆりたちは気づき、二人のムサイ男二人を見つめた。

 

「あ、岡部さんのお知り合いですか? こんにちは」

「あ、エギルさんだ、トゥットゥルー!」

「おっ、まゆしぃ……さんだったけか」

「コンニチニャンニャン」

 

 そして―――。

 

「ちょ……テメェ!! 女子ばっかじゃねえかよ!! 羨ましいなこのやろ!!」

 

 すぐにクラインに締め付けられた。見事に腕が首に巻き付いている。苦しかったので腕を無理矢理剥がし、クラインの顔を見る。既に、滂沱の如く顔から涙が溢れている。クラインは非リア充ということか。因みに女子と男子の数はイーブンだということは黙っておく。在らぬところで興奮されても困るからだ。疑っているわけではないけれど。

 ただ……ここに連れてきている女子は、男の娘に猫耳メイドにお花畑女と相当個性的だからクラインの好みがある確率は低いだろう。

 

「なんつーか、キリトを見てる気分だぜ……」

「何?」

 

 締め付けを解いたクラインがふと呟く。

 

「キリトはまさか、フラグ建築士だと言いたいのか?」

「ああそうだよ!! お前のようにな」

「いや待て、俺は別にモテてなど……」

 

 そこで俺は言葉を呑んだ。クラインから尋常ならざる殺気を覚えたからだ。それは、はっきりいってダルがかつて見せたそれとは比べ物にならないものだった。

 空気を変えなくては殺されそうだ。俺は咳き込んで話題を変えた。

 

「ところで……キリトは何故今日戦うんだ?」

「ん? ああ、キリの字ね。そいつは……俺もよくわからねえ」

 

 クラインは殺気を解いて答える。

 やはりか。

 クラインはキリトと友人関係にあると聞いているから、ひょっとしたら知っているのかもしれないと思ったのだが。

 知らないのならば仕方がない。そう割り切ることにする。

 

「そういやさ……3日ほど前にだな」

 

 エギルが話題を変えた。

 

「何かあるのか、ドケチ商人」

「気が変わった。そこの決闘場に突き落とすことにする」

「是非教えてください」

 

 怖っ……!!

 どこまでもミスターブラウンだ……。

 

「3日ほど前だな。お前たちがうちに来る前の話だが、……妙な奴に絡まれたんだよ」

 

 3日ほど前、といえばエギルに有り得ない裁定結果を突きつけられた日だ。

 しかし、ソロで有名なキリトが人気者のアスナとパーティーを組んでいるとは。クラインの言う通り、本当にフラグ建築士かもしれない。何故なら、アスナは男とはほとんど一緒にいようとはしないから。

 けれども俺がもっとも気になったのは、"妙な奴"だ。

 

「妙な奴だと?」

「正確には俺じゃなくてキリトなんだけどな。何でもアスナの護衛だってよ。血盟騎士団のユニフォームを来ていて、相当顔が細く、病気してるような奴だったな。名前は確か……クラディールって云う奴だった」

 

 ……クラディール?

 俺は脳の中で記憶を探る。聞き覚えがある単語。それに、病的な程に痩せ細っている顔。

 

 

 

『はぁ!? ぶつかっておいて何で俺が謝るんだよ? 大体栄光ある血盟騎士団が通ったら、道を譲るのが常識だろうが』

 

『何だと……? どうでもいい雑魚がふざけたこと抜かすな!! お前らは俺たちのような攻略ギルドのお陰で安全が保証されてんだよ!! だったら俺たちに敬意を示すのが普通だろ!!』

 

『ヤれるもんならヤってみろよ!! このバカが!!』

 

 

 数々の暴言がリフレインする。

 思い出した。まゆりにぶつかって謝ろうともしないバカだったな。しかし驚いた。あんな奴がアスナの護衛をやっているとは。

 

「ん? お前知ってるようだな」

「……ああ、ちょうどその日に絡まれたからな」

 

 エギルは俺の表情の変化にあざとく気づいたようだ。そこのところもミスターブラウンによく似ている。

 

「あー、なるほどな。あいつなんかキリトに対してすげえ敵意むき出しにしてたから、結構ヤバいやつだとは思ってたけど……無関係のお前にまで当たるとはな」

「つまり八つ当たり、ということか?」

「そういうこった」

 

 俺は呆れてものも言えなかった。

 

「まあ、そうやって市民に雁つけている割には、キリトにデュエルでぼこぼこにされて終わったらしいけどな」

 

 エギルは朗らかに笑う。威勢だけのはったり野郎、ということだろう。

 たしかに、俺とまゆりが絡まれた時も仲間に咎められるなり、すぐに引き上げてしまったしな。

 俺とエギルが話している間、隣に座るまゆりが肩をたたいてきた。

 

「あっ、オカリンオカリン! もう始まるよ」

 

 まゆりに促されて俺は決闘場を見る。すると、いつの間にか二人の人間が数メートルの距離を取って対峙しているのが見えた。左にいるのが、キリト。右にいるのがヒースクリフだろう。

 遠目からでよくわからないが、キリトが黒一色、ヒースクリフが白と赤の紅白色に装備が統一されている。こだわりでもあるのだろうかとつい思ってしまう。

 いったいこの二人には何があるのだろうか。傍目からではまるで読み取れない。ただ、余興試合ではないことだけは分かる。会場は沸いているけれど。これから戦う二人の剣士たちの空気は、極限にまで冷え切っていた。研ぎ澄まされていた。それが手に取るように感じられるのだ。

 俺はこの二人の戦いを冗談で世界の運命を分けると言った。けれどそれは冗談でも何でもないかもしれない。世界線を変えるだの、そう言ったレベルではないにせよ―――余興以上の意味を持つ、とても重要な戦いかもしれない。そう思えてたまらない。

 気づくと体が熱くなっていた。興奮しているのか。意識が二人の挙動へと向けられ、周りの声援があまりよく聞こえなくなる。

 ふと、右側の白の騎士、ヒースクリフが唇を動かした。とても小さな動き。何を言っているかはまるで分らない。そもそも俺に読唇術は使えないのだが。

 それに応じるようにキリトも唇を動かす。こちらは少し大きな動き。やはり何と言っているかはわからない。

 さらにヒースクリフが返す。

 そしてそこで途絶えた。数秒後にはすでに決闘場の上空に、デュエルウィンドウが表示された。その瞬間会場がどよめく。

 けれど、それはすぐに静まって。

 世界が止まるようで。

 上空に映るデジタル数字のカウントだけがしっかりと動いていて。

 空気の揺れすら感知できるほど、張り詰めていて。

 カウントが、5秒を切る。

 胸の鼓動と共に残りの秒数が刻まれていく。

 4……3……2……1……。

 

 軽快な音が響く。それと合致するように。

 キリトが飛び出していった。

 




シュタゲ0早く発売しろおおおおおおお!!!!!!

感想など待ってます。


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享楽と消失のコリュージョン

シュタゲの小説がない……ない……。

アマゾンで買おう。

では、どうぞ。


 キリトは、カウントダウン開始直後に真っすぐヒースクリフへと突っ込んだ。低い姿勢からものすごいスピードで迫るのが見える。キリトは二刀流を最初から使うつもりで、両手に一本ずつ剣を握っている。右手から繰り出される小出しの一撃ですら、はっきり言うが、俺では避けられないだろう。

 しかし、ヒースクリフは自信の得意の武器である大きな十字盾を素早く構え、的確にガードする。

 その瞬間から、戦闘は開始した。場の空気がそう伝えている。

 受け止められたキリトは動揺することなく、左の剣を振るう。そこに間をいれずに右の剣を突き立てる。キリトの怒濤のラッシュがヒースクリフを襲う。

 しかし何というスピードだろうか。これほどの腕前ならば、前の世界線で俺たちを襲ったラウンダーだって蹴散らせるかもしれないと思い付くほどに。まず常人ならば為す術もなく斬られる。

 けれど、ヒースクリフはしっかりと受け止めていた。しかも苦し紛れではなく、余裕で受け止めている。キリトの剣の動きを読み、確実に防いでいく。

 次元が違う。俺はそう思った。

 これほどまでに強い奴等がごろごろいて、俺と同じ攻略組とは……。俺がこんな人たちと一緒の立場にたてているなんて……。

 キリトの猛攻はまだ続く。けれどここで変化があった。突然、キリトがばっと下がったのだ。俺は目を凝らす。どうやら頭上に二本の剣を交差しながら掲げている。まさか、この一瞬でヒースクリフは反撃したというのか……!?

 

「ほへぇー……まゆしぃには何が起こっているのかサッパリなのです」

「そ、そうだね。二人とも速いね……僕には無理だよ……」

「これは中々の実力者ニャ……まさかこれが、奴等の最終兵器だとでも云うのかニャ……!?」

 

 ラボメンガールズは口々に感想を溢す。隣に座るエギルとクラインも唖然としてその戦闘を見守っていた。

 まるでバトル漫画を見ている気分だ。俺は息を呑んで固唾を見守る。

 今度は、ヒースクリフが動く。大きな盾を前方に構えながらキリトへと突進する。キリトは迎え撃とうと構えているのが見える。恐らく守りつつ突進して剣による一撃を与えるつもりだろう。

 だがーーー予測は大きく外れた。

 

「た、盾を使いやがった!!」

 

 エギルが大声で叫ぶ。見ると、キリトは大きく吹っ飛ばされていた。ヒースクリフが突き出しているのは剣でなく、盾。まさかあれでぶっ叩いたのか……?

 

「あ、あれは……聖盾攻撃(ホーリーシールド・ナックル)!! そんなはず無いニャ、あれはフェイリスにしか使用できない奥義だったのに……」

「……」

 

 中二病に走るフェイリスはスルーしておき、俺は試合の動向を眺める。

 キリトは再びヒースクリフに飛びかかり、剣を振るう。ヒースクリフは盾を固く構えて攻撃を全て防いでいく。金属の衝突音が響き、火花が散っていく。遠目からでも、それがよくわかる。いかに、この二人の戦いが白熱していて、高次元のものへと達していることを。

 再びキリトの攻撃が弾かれ、ヒースクリフのカウンターが迫ってくるも何とか防ぐ。ある程度距離が出来、再び振り出しに戻る。

 けれど、再び飛びかかることはしなかった。二本の剣を交差させ、じっとその場にとどまる。すると、それらが黄色の光を帯び始めていく。あれは、ソードスキルだ。けれど二刀流のソードスキルなんて俺は知らない。

 気づくと、キリトは光を讃えながら地を蹴っていた。地面にくっついてしまうのではと思うほどにかなり低い姿勢だった。

 その勢いを殺すことなく、キリトは左の剣を下から上へと振り上げられた。黄色い光はヒースクリフの盾を救い上げるように起動を描く。あれで盾を弾いて、守りを崩そうとしているのか。もしこの一撃が決まれば……キリトは恐らく勝つであろう。そのまま一撃決めて終わりだ。このデュエルは、一撃決着であるので、一撃強攻撃を決めればそれで勝ちだ。

 けれど、そう簡単にはいかなかった。ヒースクリフは盾を外側に逸らし、起動をずらしたのである。キリトはヒースクリフの右側を抜けていき、不発に終わってしまう。

 突進の勢いを必死に殺し、キリトはヒースクリフに向き直る。

 また何かを話している。けれど、今度は微かに聞こえた。

 

「素晴らしい反応速度だな……」

「そっちこそ、速すぎるぜ……」

 

 互いに笑い合う。二人の剣士たちはまるで本気を出していないようだった。つまりーーーまだまだ力は発揮できる。観客の俺たちをさらに楽しませてくれる。

 そう、全員が無意識に悟った瞬間。

 

「わああああああああっっ!!!!」

 

 会場の熱気が、一気に膨れ上がった。さっきまでは静かに戦いを見守っていたのに。

 いつの間にか、興奮の渦がこの決闘場を襲っていた。

 

「すごいよ、すごいよオカリン!!」

「ああ……!!」

 

 俺も興奮していた。これほどまでに高次元な戦闘は、アニメ以外に見たことがない。

 何もかもを忘れるほどに、俺は夢中になっていた。

 さあ―――次はなんだ?

 客の期待に応えるように、二人の剣士は再び飛び出した。霞むほどの速度で剣と盾がぶつかり合い、剣が剣をはじいていく。恐ろしいくらいだ。体が震えるほどに、速い。

 会場の熱はますます高まっていく。剣劇の激しさに比例するように、ドンドン盛り上がっている。

 ここでキリトが変化を見せた。両手の剣が蒼く輝き始めたのである。おそらくあれは―――二刀流ソードスキル。

 

「いよいよおでましか……《スターバーストストリーム》」

 

 ふと、クラインが呟いた。何だそれは?

 

「クライン、スターバーストストリームとは何だ?」

「二刀流ソードスキルだ。16連撃らしいぜ。あの技でボスを倒したんだ」

「マジかよ……」

 

 俺は思わず声に漏れる。あれが、ボスのHPを全て削りきる技だと? そんな技を使ったら、相手は死ぬかもしれない。

 

「ひ、必殺技かニャ!? そんなはずはないニャ! フェイリスの猫耳センサーには反応しなかったというのに!!」

 

 ここでフェイリスの厨二病属性が火をあげた。無視するのが一番だが、今日はそういう気分になれなかった。楽しみたくなった。先程はスルーしたけど、今は応えてあげようとおもった。

 

「ならば……この俺も右腕の封印を解かねばなるまい……。ただ、これだけはしたくなかった。このアインクラッドが焦土に包まれてしまう……!!」

「でも……キリトニャンの力はあまりに強大ニャ! 凶真の力でも足りないニャ!! こうニャったら……四神を呼び覚ますしか……」

「なっ……正気かフェイリス!! 奴等の封印を解いてみろ、それこそ阿修羅と化してしまうぞ!!」

「それでも……それでも……世界がキリトニャンの思い通りになるくらいニャら……!!」

「何いってんだお嬢ちゃん……こういうの、厨二病って言うんだぜ」

 

 クラインが、冷静に告げた。しかも相当あきれている。けれど、俺たちは満足していた。久々にやった痛々しい厨二病トークは、いいものだった。滅茶苦茶な設定を無理やり捩じ込み、それっぽく見せるという、外から見たら滑稽そのものだし、俺もフェイリスのペースにはまるでついていけないのだが……それでも楽しかった。昔に、現実世界に戻ったような気分になれた。ラボでこんな会話をしょっちゅう交わし、楽しい思い出の一ページに記していく。それだけで、幸せなんだ。

 厨二病トークを終えた頃には、キリトは猛然とヒースクリフに斬りかかっていた。閃光を撒き散らしながら、堅い盾に剣をぶつけていく。衝撃が音と共に余波としてこっちに伝わってきている。それは綺麗だけど荒々しい嵐、というべきだろう。蒼の光はまるで星屑だ。夜空に流れ落ちる流星群のように、儚くて美しい。けれど、星屑が散る度に、凄まじいほどの爆発が起こる。全力で撃ち込まれる一撃は、あらゆる壁さえ壊すほどに強い。そして速い。

 ただ、ここでもヒースクリフは的確にガードしていた。まるでどこに来るかを予め分かっているように見えるほどに正確だった。初見の筈なのに、ここまでガードされるとは、奴も相当な剣士だ。

 もしかしたら背水の逆転劇のようなことが起こるのではないか。息を呑む戦闘を見守る先にーーー。

 

「あっ……!?」

 

 今のはルカ子だ。ただ、ルカ子が思わず声をあげた理由は分かっている。ついに守りを破ったのだ。キリトの二刀が。

 

「……っ!!」

 

 ヒースクリフの盾は大きく後ろに飛ばされ、懐ががら空きになった。しかも、まだキリトのソードスキルは終了していない。これは、キリトの勝ちだーーー!!

 キリトの剣がヒースクリフの胸を捉える。このデュエルは何度も言うが初撃決着だ。一度でもクリーンヒットさせれば問題ない。だから、この一撃が決まれば終了だ。

 ああ、これで楽しい時間は終わりか。俺は嬉しくもあり、残念でもあった。

 俺は最後の瞬間をしかと見ようと目を凝らした。

 

 だが。

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

 展開は、突然変わった。

 キリトの攻撃が、防がれたのである。盾が前にいつの間にか構えられており、キリトの剣を阻んだのだ。

 驚きのあまり、俺は呆然と口を開けた。決まると思っていた一撃が、決まらなかった。キリトのミスでもなく、ヒースクリフのとっさの判断と速度。これが、勝敗を分けた。

 弾かれたキリトは大きな隙を作ってしまう。それを彼が見逃すはずもなく……躊躇なく彼の胴体に剣を突き刺した。

 冷徹なほどに突き立てられた一太刀は、静かに、冷たく試合の結果を告げた。

 ヒースクリフWIN。その文字が空中に表示されたとき。

 

「わああああああああっっ!!!!」

 

 会場は再び歓声に包まれた。名勝負に対する喝采が惜しみ無く二人に降り注がれる。俺も拍手を送った。

 けれどーーー場にいる二人の行動は酷く冷めていた。ヒースクリフはすぐに控え室に戻り、キリトは呆然とヒースクリフの後ろ姿を見つめるだけだ。

 そこは少し疑問に思った。けれど、俺にはわからないことだ。そう割りきって、もう一度盛大な拍手を送った。

 

 

 

 

「はぁ……凄かったねぇ」

 

 まゆりが伸びをしながらにこやかに笑う。今俺たちは帰っている最中だ。

 

「ああ、そうだな……あそこまでの次元となると本当に人間か疑うレベルだな」

 

 今、俺はまゆりと二人である。フェイリスはメイクイーンニャン×2inSAOに向かっていき、ルカ子は指圧師に用があると言ってとっとと帰っていってしまい、クラインやエギル達もどこかの飲み場に向かってしまったので俺とまゆりだけになったというわけだ。

 

「まゆしぃはまるで見えなかったのです。もしかして本当に剣道とかやってたのかな……?」

「分からん。剣道なんて体育でやっただけだからな」

「オカリン剣道ふざけててよく先生に怒られてたよね~。秘奥義¨らしんばん¨だっけ?」

「¨螺旋斬¨だ。しかしなぜまゆりが知っている? はっ……、さては貴様……¨機関¨の内通者か!? おのれ機関め……俺の人質にまで手をかけるとは、許せん!!」

「違うよぉ~~職員室にいったらオカリンが先生にこっぴどく怒られてたのを見たんだよ~」

「……あの先生は怖かったが、今となってはどうってことはないな」

「店長さんの方が怖いもんね~」

「ば、バカをいえ!! あんなガチムチ親父など、怖くもなんともないわ!!」

 

 他愛ない会話が絶え間なく続く。 昔話、厨二病、現実世界。こんな下らない話ができるのは、何でなんだろうな。

 やっぱり俺は還りたいのか。還りたいから、懐かしい話を延々としているんだろう。

 今は、どうでもいいな。

 いずれ終わりがくるんだ。そのときまで、みんなと、笑い合えればいいんだ。

 

「……どうしたの、オカリン?」

「いや、何でもない。さ、帰ろう」

 

 久々に手を繋ごうか。紅莉栖には悪いけど。

 俺はまゆりに向かって手を差しのべた。けれど……。

 

「まゆり?」

 

 まゆりは手を握らなかった。それにもじもじとしている。もしかして、恥ずかしがっているのか? でも、今さらそんなことを遠慮する仲じゃない。

 

「どうしたのだ? 握りたくないのならいいが」

「違うの。ええっとね……」

 

 やけに速いレスポンスだ。何かあるのだろうか。俺は伸ばした手を下げてまゆりに歩み寄った。まゆりはものすごく不安そうな顔をしていた。

 

「何かあったのか?」

「うん……まゆしぃの思い違いかもしれないけど」

「言ってみろ」

 

 俺が促すと、まゆりは細々と告白した。

 

「なんか、ここ最近付けられている気がするんだ……」

「なに?」

 

 付けられているだと? ストーカーされているだと?

 しかし、何故まゆりなんだ? 別にまゆりは危険な人物でもないし、攻略組とかじゃないから有名人でもない。疑問が次々とわいてくる。

 

「いつ頃だ?」

「昨日辺りからなんだ……まゆしぃがお買い物しようと外に出たら、何か気配がしたの」

「心当たりは?」

「ないよ……」

 

 俺はため息をつく。まゆりは決して恨みを買うような人間じゃない。そんなまゆりをストーキングして何かをしようとするなんて考えがたい。でも、事実まゆりはそう感じているのだ。

 試しに俺は《索敵》スキルを発動した。もしストーキングしていれば、これでわかるはずだ。

 しかし、反応はなかった。隠蔽している様子はなかった。

 

「何もないか……」

「そっか……やっぱりまゆしぃの思い違いかもしれないね。さ、帰ろ?」

 

 まゆりはそう言うとにっこりと笑顔を向けて俺の手をつかむ。

 そうだ、気のせいだ。この世界では第六感何てものはない。なにもないんだ。

 俺は手を握り返して、帰ろうとした。

 

「ち、ちょっといいですか?」

 

 背後から誰かに声をかけられた。振り向くと、そこには白衣の騎士が立っていた。恐らく血盟騎士団だろうが顔はいかにも正常で、クラディールの様に病んでいる訳じゃない。でも、どこかがおかしい。何の用だろうか。

 

「何だ?」

「ちょっと話したいことがあるんです」

「悪いな。俺たちはこれから帰るつもりだ」

 

 面倒くさそうだ。俺はまゆりの手を引いて帰ろうとした。彼の表情は何かに怯えているように見える。俺にか? それとも他の誰かに?

 

「ああ、いや、あなたは強そうに見えたから……その……レベル上げのコツとかを教えていただければ……時間はとらせません」

「……俺じゃなくてもいいはずだ。キリトやヒースクリフでもーーー」

「次元が違うんです。貴方にしか頼めない……このままじゃ俺、血盟騎士団追い出されちゃうんです……お願いです。アドバイスを下さいっ」

 

 そういって男は頭を深く下げた。それに対し、俺はなにも言葉を返せなかった。

 この男は見るからに怪しい。急にアドバイスやら助言やらを俺に求めてくるだろうか。俺を攻略組と見込んでの話だろうか。どうすればいいんだ……?

 俺はまゆりを見た。まゆりは優しい笑みを絶やさずに、俺にこう言った。

 

「助けてあげればいいんじゃないかな? 困っている人には何かしてあげないと」

「……そうだな」

 

 まゆりに言われて、迷いが切れた。変に疑う必要なんてない。どうせ暇ならば、手伝ってやればいい。それだけの話だ。

 

「いいだろう。少しだけだぞ」

「あ、ありがとうございます……助かったぁ」

「なぁ、そんなに嬉しいか」

「え、ええまあ」

 

 疑念は到底ぬぐえそうにはない。でも、俺はまゆりを信じることにした。

 

「まゆり、お前は先にラボに帰っていてくれ」

「はーい、じゃあ待っているねー」

 

 そういって、まゆりはてくてくと行ってしまった。見えなくなるまで見届けると、俺はため息をつきながら彼に向き直った。

 

 

 

 

 結局3時間近くも話をしてしまった。たどたどしかったけれどたくさん話をされてこうなってしまった次第だ。

 彼と別れて俺は帰路に再び着き、ラボ(という名のギルドハウス)まで戻った。玄関に入り、自室に向かおうとしたのだが。

 

「岡部っ! まゆりは見なかった!?」

 

 紅莉栖が目の前に現れ、声を飛ばした。紅莉栖の声はかなり切羽詰まっていた。顔も緊迫している。何かあったのか?

 

「まゆりは見ていないが。というか、帰ってきたんじゃないのか?」

「帰ってきてないわよ!! ここにいないのよ!!」

「何っ……!?」

 

 まゆりが帰ってきてない? そんな馬鹿な。アイツはラボに戻っていた筈なのに。寄り道でもしているのか。

 試しに俺はまゆりにメールを送ってみた。しかし、いくら待っても返信は来なかった。気づいていないのか……。

 

「どういうことなんだ……寄り道でもしているのか」

「でも、3時間もかかるはずがないし、まゆりはそんなに出歩きはしないわ……」

「そうだよな……寄り道だけはするなと、きつく言っておいてあるから、それはないか」

 

 まゆりが俺の言いつけを破る可能性も無くはないが、それは限りなくゼロに近い。基本的にはいい子だから、俺の側からは離れない。でも、メールも寄越さないということから、何かあったのだろうか……。

 嫌な予感がする。まゆりは、一体どうしてしまったのだろうか? 危険な目に遭わされているといっても、否定できない。

 ふと、俺の脳裏におぞましい光景が浮かび上がった。

 

「……っ!!?」

 

 吐き気が込み上げる。頭がガンガン鳴り響く。俺はとっさに頭を押さえた。けれど、瞼裏こびりついて離れない。それは一面赤だった。額から、血を流してたおれているまゆりの姿だった。ラウンダーに無慈悲に殺された、少女だった。

 まさか、まゆりはまたこんな目に遭わされるのか……? また世界から命を狙われるのか……? 

 

「……ふざけるな」

「岡部?」

 

 俺は床を蹴って、ラボを飛び出した。紅莉栖が後ろから呼び掛けるも、無視した。

 足を大きく動かして速く走る。空気を貪るように呼吸する。この世界に酸素はないけれど、息が切れる感覚はある。それでも俺は疲労感を押し退けてただ走る。

 

「まゆりっ!! まゆりーーっ!! っ、はぁ……はぁ、まゆりっ……!!」

 

 大声で人質の名前を呼ぶ。途中声が途切れそうになるも、叫び続ける。死なれたら困るのだ。人質として、仲間として、幼馴染みとして、大切な人として。

 もう、あんな思いはさせたくない。その思いだけが俺を走らせていた。

 と、その時だった。突然メールが届いたのである。

 俺は立ち止まり、喘ぎながらもメールを開封する。差出人は不明。不審に思いながらも俺はメールの本文を読んでいく。

 

『キョウマへ

 

 お前の仲間のマユシィは、俺が預かっている。人質が殺されたくなかったら、15分以内に第52層の渓谷にこい。そこで待ってるからな。

 

クラディールより』

 

 

「なっ……!?」

 

 俺は一読し、震えた。そしてぎりっと歯を軋らせる。怒りで全身が燃えそうだ。まゆりは、拉致されたのだ。あの、顔面が病んでそうで、どこか不審だった男、クラディールによって。

 何故まゆりなんだ?

 何故拉致したんだ?

 お前は何がしたいんだ?

 俺はメールを閉じて、地面を蹴った。

 

「待っていろよ……まゆり……!! クラディールっ……!!」




久々の用語解説です。

背水の逆転劇……絶望的な状況にて逆転し、勝利を納めること。元ネタは「ストリートファイター 3rd edition」の公式大会にて、梅原大吾というプロゲーマーがHPがほとんどない中、高等テクニックを駆使して逆転し、勝利を納めた戦いから。

まゆりがさらわれました。この一連の出来事は重要ですね。
では、感想等お待ちしております。


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収束事象のセンテンス

センテンスとは、宣告という意味です。

クラディールと決着がつきます。


 急いで転移門まで向かい、52層へと転移する。そのあと、急いで渓谷まで向かう。途中で初めて、転移結晶を使えばよかったと思った。そうすればもっと早くここまでたどり着けたのに。落ち着いていない証拠だ。心の中で舌打ちする。

 足を限界まで動かし、敏捷値をフルに活用して目的の場所に向かった。モンスターもいたが、すべて無視した。相手している暇はない。そういえば、指圧師が初めの日にダンジョンに向かってしまった時もそうだった。こうやって、死に物狂いで走った。まさか、もう一度こんなことが起こるだなんて。

 もし、まゆりに何かあったら、もう俺にやり直しの旅はできない。つまり、確定してしまう。だから、絶対助けなければ。

 

「生きていてくれ……まゆり……」

 

 俺は祈るように呟きながら走った。

 暫くすると、一本道から景色が広がっていく。そしてそこには、人影があった。間違いない、クラディールとまゆりだ。俺は最後のラストスパートをかけた。

 

「まゆりっ!!」

 

 俺は人質の名前を呼んだ。すると―――。

 

「お、オカリン!!」

 

 返事は聞こえた。生きている。俺は安堵の息を吐こうとしたが。

 まゆりの首もとで光る、ぎらっとした輝きを見て。

 すぐに俺は息を呑みこんだ。

 

「お、お前……!!」

 

 そう、まゆりはクラディールの人質へとなってしまったのである。刃はまゆりの首もとにあてがられていて、少しでも動かせばまゆりの命は消し飛んでしまうほどの距離だ。まゆりはHPが低いから、すぐに死んでしまうだろう。

 俺はクラディールを睨む。まゆりを押さえつけている男の顔は、ニヤつていて、醜くて、狂気に満ちていた。してやったりと、言わんばかりに。

 

「まゆりを……返せよ」

 

 俺は低く、どすの利いた声で脅す。しかし、まるで怯んでいる様子はなかった。むしろ、楽しんですらいた。

 

「誰が返すかよ……。お前を、殺すまではなぁ……」

「何……?」

「お前は、絶対許さねえ」

 

 殺す? 俺を?

 何を言っているか、すぐにわからなかった。

 

「どういうことだ? 悪いが、お前の恨みを買った覚えはないぞ」

「なんだとぉっ!?」

 

 その瞬間、クラディールは持っていた剣を地面に突き立てた。顔はものすごく険しくゆがめられ、怒りを顕わにした。俺は少しぞっとした。

 

「お前はな……俺にぶつかった。そして説教したんだぞ!!」

「……はぁ?」

 

 おいおい、なんだそれは。しょうもなさすぎる。俺は思わず笑いそうになった。

 

「はぁ? じゃねえよ。お前は、一丁前に俺に説教してんだぞ? 弱いくせに。そのせいで俺はひどくムカついてんだよ。つか、よけいムカついたっていうべきか……うっぜえことがこの前にあったしな」

「つまりは、八つ当たりっていうことか」

「そうともいうし、そうとも言わねえけど、とにかくムカついたんだよ。だからよぉ……殺してやる」

 

 なんだよそれは。

 俺は絶句する。続いて、怒りがこみ上げる。

 

「お前は、たったそれだけで……まゆりを誘拐したのかよ!!」

「たったそれだけだとっ!!?」

 

 クラディールはふざけるなと云わんばかりに怒鳴る。だが、それこそ逆切れというものだ。俺もかっと頭が熱くなる。

 

「そうだろうが!! お前は、腹いせに突っかかってきただけだ!! それで俺たちを憎むなんて、ふざけた脳みそを持っているようだな!!」

「うるっせえよ!! それ以上喋んな、この女の首が飛ぶぞ」

「……っ」

 

 まゆりを盾にされると黙るしかなかった。今すぐこの男を殴りたい。この男からまゆりを助けたい。なのに……動けない。

 

(まゆりを助けなくてはいけないのに……動けないなんて……!)

 

 俺はぎりっと歯を軋る。クラディールは面白そうにそれを見る。

 

「許さんぞ……今すぐまゆりを離せ!!」

「やだね。さあて、そろそろ始めようかな。出てこい!」

 

 出てこい、と言うことは誰かいるのか? 奴の味方の可能性が高い。一体何をさせるのだろうか。俺は物陰に視線を向ける。

 

「……」

 

 無言のまま、姿を現したのは―――。

 先ほど俺に話しかけ、レクチャーしてくれと頼み込んだやつだった。申し訳なさそうな顔をしながらクラディールに近づいていく。

 

「お、お前は……」

「ごめんなさい、キョウマさん……」

 

 奴は必死に謝っている。だが、何が起こっているか良く分かっていない俺には、その謝罪の意味すら分からない。クラディールは、にやっと口角を吊り上げながら奴に何かをいった。奴は肩を激しく痙攣させていたが、しぶしぶ首を降った。

 どうやら話が終わったらしく、奴は俺に近づいてくる。手に、剣を持ちながら。

 

「……!」

 

 このとき俺は、全てを察した。彼は、奴は俺を殺すつもりなんだ。奴は、クラディールのグルなんだ。

 奴は俺の目の前で立ち止まり、 下を俯いた。まだ、葛藤しているのだろうか。殺人鬼に堕ちるか、抗うか。俺はそれを眺めるしかできなかった。逃げてもよかったけれど、逃げたらまゆりが死ぬ。だから、ここにいるしか俺に選択肢はなかった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい母さん……キョウカ……」

 

 奴は呪文のように何かをボソボソと呟く。そして―――雄叫びをあげながら、俺の腹に剣を突き立てた。

 

「っ……」

 

 痛みはない。ただ、不快な痺れが全身に伝わるような感覚がじわじわと襲いかかる。例えるなら、足の痺れが全身に行き届くような感じだ。二年前の7月28日に味わったあのナイフの冷たさと痛さとは比べものにならない。だから、実際何かが刺さっているという違和感しかない。

 

「おいおい、なんだよその反応はよ!?」

 

 クラディールが、狂ったように笑いながら大声を張り上げる。俺はきっと奴を睨む。自らが作り上げた舞台装置にまんまとはまった俺を嘲笑っているのだ。それでいて、俺が命乞いをするのを待っているのだろう。なんて残忍で、最低なのだろう。はっきり言うが、俺が今まで会った人間よりも屑だ。

 

「オカリンッ!!」

 

 まゆりが泣き叫ぶ声が聞こえる。きっとあいつのことだから自分の心配よりも俺がHPを削られていることに胸を痛めているのだろう。そう思うとますますみじめになってくる。まゆりを守れないなんて……俺はなんて弱いんだ。

 

「くそったれ……」

 

 俺が毒づく間にも徐々にHPは減っていっている。俺を刺している奴は涙を流している。今こいつを突き飛ばして、クラディールにとびかかってもいいが、まゆりがその間に殺されてしまう。

 

「おいおい、ここで何かしねえと死んじまうぜ?」

「貴様……卑怯だぞ!!」

「何とでもいえよ、アホが」

 

 俺は減っていくHPを見つめる。イエローを切ったところだ。死ぬのはもはや時間の問題になってきている。俺は息をのむ。

 死ぬのか? 

 俺は? 

 この世界線では、シュタイズゲートは、たったいま俺の死を望んでいるのか? それともまゆりなのか? 一応β世界線では死なないことにはなっている。しかし、シュタインズゲートは不確定要素の多い世界線だ。だから、俺は今この瞬間に死ぬ可能性も否定できない。まゆりも然りだ。

 

「さあ、何かしてくれよ……でないと死んじまうぞ、本当になぁ」

「オカリーン!!!! やだよぉ……死んじゃやだよぉ……!!」

 

 ついに、レッドゾーンへと突入した。危険を知らせるアラームがけたましく響く。視界が赤く染まり始める。このままだったら、俺は死ぬ。まゆりも、助けられずに死ぬ。もしくは、好きなようにされる。

 どうすればいい?

 このまま特攻してまゆりも救う可能性に賭けるか、おとなしく死を選ぶか。ただ、どっちを選んでもまゆりが死ぬ可能性は高い。つまり、俺も死ぬか、まゆりだけ死ぬかの選択だ。

 時間はあまりない。二つに一つ。

 何を考えているんだ?

 一つしかないだろ。まゆりを助けるんだろ? 俺の大切な幼馴染を救えるならそれに賭けるしかない。

 俺は刺している男に向かって殴りかかろうとこぶしを握りしめた。

 が―――。

 

「ごめんなさいクラディールさん!! も、もう俺には無理だ!! か、勘弁してくれぇ!!」

 

 突然男は俺の体から剣を抜いた。体中をまとっていた不快感が嘘のように消えていき、HPゲージの減りも止まる。男は剣を抜くと、たちまちしゃがみこんでしまった。

 

「な、なんだと!? 怖じ気ついたか!?」

「す、すいません、無理です!!」

 

 俺はまじまじと自分の腹を見た。くっきりとした傷が残っていて、血のような赤い欠片がふわふわと宙に流れていく。続いて残りHPを見る。残りは、たったの1だった。なぜこのタイミングで? 何故、こうも都合良く奴は剣を離したのか?

 ()()()()、だと?

 そうだ。俺は、都合良く生きている。残り1で突然剣を抜くなど、あり得ない。あり得るとしたら奇跡か、それとも―――。

 

「俺の死は、世界が望んでいないということか……」

 

 世界線上で起こる出来事は、結局はアトラクトフィールドの収束によって確定してしまう。形はどうであれ、世界が、世界線が俺の死を望んでいないなら、俺は死なないんだ。つまり―――俺は不死身だ。

 俺はポーチにある回復ポーションを飲まずに、困惑しているクラディールに向かって体当たりした。マウンドポジションはとれた。クラディールの手足を押さえ、身動きがとれないようにする。

 

「がっ……しまったっ!!」

「捕まえたぞ……逃げるんだまゆり!!」

「で、でもオカリンは!? もう死んじゃいそうだよ!?」

「いいから俺の言うことを聞いてくれ!!」

 

 俺は必死に叫ぶ。だが、まゆりは離れようとはしない。それどころか、クラディールに近づいていき。

 

「―――!?」

 

 クラディールの面食らった顔が見えた。視線は、横にそれている。俺は目だけを動かしてみる。すると、まゆりがクラディールのポーチを漁っていた。小さな手には、ピックが握りしめられていた。

 

「オカリンは、殺させないよ」

「ちっ……このメス豚がぁっ!!」

 

 俺は命拾いした。まゆりが抜いてくれなかったら、ポーチから取られて刺されていたであろう。

 いや―――。

 その言い方は間違っている。正確には……¨世界に俺は助けられている¨と言えよう。

 

「くそっ……だったら殴り殺してでも……」

「無駄だ」

 

 なおも足掻くクラディールに俺は静かに告げた。すると、嘘のように俺の瞳を覗き込み……不思議そうに顔をしかめた。

 

「何が無駄なんだよ?」

「貴様じゃ、俺を殺せないんだ。絶対にな」

「んなもん、やってみなけりゃ……!」

 

 クラディールは吐き捨てるように尚も力を入れて暴れる。だが、無駄な足掻きだ。

 

「無駄なんだよ。お前がどう足掻こうと、俺が死なないのは、¨確定¨しているんだから」

「い……意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ!! お前は死ぬんだよっ! このクラディール様によって、殺されるんだよ!!」

 

 クラディールは否定する。微かに乾いた笑いを浮かべながら。

 

「いや、確定しているのさ。先ほどだって、お前が差せって命令した奴は俺を殺す寸前で止めたんだ」

「はっ、あれはあいつが腰抜けだっただけだ」

「……HPは残り1だった」

 

 俺は静かに告げる。クラディールの表情が一瞬強張る。だが、すぐに嘲笑するように鼻を鳴らす。

 

「そ、そいつは偶然だ! たまたまそうだっただけだ」

「それにしては、都合よすぎるとは思わないか?」

「う、うるっせえよ!! 何一丁前に語ってんだよ糞が!!」

「糞はお前だぞ……何の罪のない女の子を人質に取りやがって……!!」

 

 クラディールは俺から視線を逸らす。何かを見ているようだ。そして、その方向へと声を張り上げた。

 

「おい、おまえ!! この男を殺せっ!! じゃねえと、お前も殺すぞ!!」

 

 俺はそちらをちらっと見る。男は震えていた。一度はクラディールに逆らったとはいえ、やはり怖いのだろう。

 男は意を決したように剣を握る。クラディールは安心したように微笑んだ。勝ちは確定した。そう言いたいのだろう。

 男は剣を振りかざす。その矛先は―――。

 

 クラディールに向けられた。

 

「なっ……!? テメェ!!」

「僕は……俺はお前を……許さない……絶対に……!!」

「じょ、冗談だろ! 止めろよ!!」

 

 その会話を聞いて確信した。俺は少なくとも、今日は死なない。まゆりはどうだか分からないけれど、俺は死なずに……。

 クラディールが、死ぬんだ。

 

「……言っただろう。俺の死は有り得ない。世界に否定されているんだ。世界に、俺の死は否定されているんだ」

「なっ……訳分かんねぇんだよ!! ふざけんなよ!! 殺すぞ……!!」

「殺ってみろよ。そんな暇があるならな」

「何……?」

 

 クラディールは目を見開く。その時だった。

 ざしゅっと生々しい音がした。クラディールの目がさらに血走る。足が刺されたのだ、仲間に。世界の、仲間に。

 

「がっ……早く抜けよ糞野郎!! でないと殺すぞぉ!!」

「クラディール……僕の恋人を殺しておいて、命乞いとはな!! 絶対に許さない……!! 仇に利用された人間の気持ちを、思いしれよ糞野郎!!」

 

 目に見えてクラディールのHPが減少していく。クラディールは、さらに暴れるも、俺が離さない。殺人に加担する気はないけれど、今暴れさせるわけにはいかない。それに……俺が今ここで手を離したところで、奴はきっと死ぬだろう。だから押さえる。殺すためではなく、世界に従うためだ。

 何て残酷な考えだろうか。神でも気取っているつもりか。俺は自嘲気味に笑う。

 

「くそっ……笑ってんじゃねえよゴミが!!」

 

 クラディールは俺に憎まれ口を吐く。けれど俺は笑うのを止めなかった。滑稽だからだ。クラディールの無様な姿もそうだが……それ以上に観測者という神を気取っている自分が、可笑しくて仕方がなかった。

 やがて、クラディールのHPはレッドゾーンにまで到達する。クラディールは尚も激しく体を揺らして抜け出そうとする。

 

「た、頼む! 助けてくれ……俺は、俺は死にたくねえ!!」

 

 クラディールは泣き叫び始めた。人を殺そうとしたくせに、自分は死にたくないのか。何てわがままなんだこの男は。俺は手首を握る手に力を込める。

 

「黙れよ……お前は死ぬんだよ。それは世界の意思だ。誰にも、逆らえないんだ」

「でたらめいってないで助けてくれよ! も、もうあんたらの前には現れないっ! だから……だから……」

「そいつは無理な相談だ。別に俺がここでお前を離しても、結果は変わらないだろう。それに、俺はこの手を離すことはない」

 

 今俺は人を殺そうとしている。その事実を必死に否定しようと言葉を重ねる。でも、それは単なる悪あがき。俺もこいつと同じように、世界の意思によって人を¨殺す¨んだ。正当化しようとも思わない。俺が人を殺す事実は、変わらない。罪を背負うことだって、変わらない。

 だから俺は、真実を告げることにした。

 

「何故なら、俺がここで、お前を殺すからだよ。"世界の意思"によってな」

 

 冷酷に告げた。

 何の脚色もなく、ストレートに告げた。

 

「世界の意思って……何だよ……? お前は、何者なんだよ……?」

 

 震えた声で、聞いてくる。

 俺は、ニヤリと笑って。仮面を被って。世界の敵と見なされている存在に向かって、一言を添えた。

 

「俺の名前は……鳳凰院凶真。混沌を望み、世界の支配構造を変革する男。それと同時に……世界の、観測者だ」

「……へっ、中二病もいいところだ、糞野郎……」

 

 捨て台詞を吐き終えて、クラディールのHPは0になった。やはり確定していたんだ、奴が死ぬことは。俺は、まるで問題の答えを眺めるように、奴の死を観測した。

 クラディールの体は徐々に霞んでいき、次第に形を保てなくなる。まるで粒子が圧迫に耐えられないと訴えるように体は膨張していきーーー四散した。

 キラキラと欠片が宙へと飛んでいく。それは美しくて、儚くて。

 俺は静かに見つめることしか、出来なかった。

 

「はぁ……はぁ……は、ははは……や、やった、あの糞野郎はもう、死んだんだ……!!」

 

 俺の近くで、男がぶつぶつと呟いている。

 

「やったぁー!! 俺はとうとうやったんだ!! 殺したんだ、殺したんだぁ!! ひひ…ヒヒヒヒヒ……ハーッハッハッハァーー!!!!」

 

 狂った笑いを浮かべている男は俺には目もくれない。恐らく彼は、クラディールに利用されたのだろう。まゆりを、さらうために。つまりは、彼もまた俺と同じ立場だ。だから、責められる謂れはないだろう。そして、死者を蔑んでいる行為についても、否定できる資格はないだろう。

 俺は背を向け、遠くで見ていたまゆりのもとへといく。

 

「オカリン……」

 

 まゆりは泣きそうな声で俺を呼ぶ。俺は、たまらず抱き締めていた。

 

「良かった……良かった……生きてて、まゆりが生きてて、良かった……!」

「怖かったよぉ……怖かったよぉ!!」

 

 俺達は共に泣き合った。涙を余すこと無く流し、互いに強く抱き締め合った。久しく感じていなかった温もりを、今ここでまた生み出せる。それがどんなに幸せか、思い知った。この暖かさは偽物だけど、それでもいい。 そんな理屈、どうでもいい。今は、まゆりを救えたことに喜ぶべきだ。

 

「まゆり……お前は俺の人質だ。勝手に死ぬことは許さない。……仮に、世界がお前を否定しようと、俺たちは、俺は味方だ」

「うん……うん……」

 

 俺の言葉も、まゆりはただ泣きながら頷くだけだった。

 しばらくすると、まゆりは涙を流し尽くしてしまったのか、泣き声を出さなくなった。代わりに鼻を啜る音が頻繁に聞こえるが。

 

「あのね、オカリン……ごめんなさい。まゆしぃ、迷惑かけちゃったね」

「気にするな。お前は何も悪くないんだ。それに、迷惑でもなんでもない」

 

 俺は微笑んでまゆりの肩に手を置く。しかし、まゆりは珍しく顔をあげずに明るい表情を見せない。

 

「まゆしぃは、弱いし、いっつもみんなの迷惑しかかけてないよ。まゆしぃも悪いところは……」

「それでもお前は仲間だ。突き放すなんてことはしない。助けを求めるなら、いつでも助けてやる。だから、お前はこのままでいてくれ」

「……うん」

 

 まゆりはこくっと胸の前で頷いた。俺は頭を撫でて、抱擁を解いた。

 

「よし、帰るぞ」

 

 俺は早速ポーチから転移結晶を取り出して、まゆりを近くに寄せた。

 

「転移!!」

 

 俺の発声コマンドをしっかりと読み取り、転移結晶は第16層まで俺たち二人を飛ばしてくれた。まゆりは、安心そうな顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 




原作とは違う死に方を遂げています。日にちも違います。それにも理由があります。

次からは、終盤に近づいていきます。


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死闘前夜のコミュニケーション

コミュニケーション(意味深)


「えー、それでは第75層ボス攻略の攻略会議を始める。血盟騎士団の副団長は欠席のため、私フレッドが担当させていただく。どうぞよろしく」

 

 攻略ギルド、血盟騎士団の本部には重々しい空気が流れていた。攻略会議の最中だからだ。まゆりを助けてから約2週間がたったこの11月6日。戦士たちが厳しい表情で会議に臨んでいた。俺も、気を抜くわけにはいかなかった。少しでも抜いたら、押し潰されてしまうほどに、この空気は重くて冷たかった。ボス攻略のせいだけじゃない。新たにもたらされた情報が拍車をかけていた。

 偵察隊が全滅したのだ。

 通常、ボス攻略に挑む前に偵察隊を送り込み、ボスの姿、技、攻撃パターン等を見極めてこちらに情報を送り込むことになっている。偵察隊に選ばれるのは、防御力の高いプレイヤーばかりで、並大抵では死なない構成になっている。しかも準備を怠ることはなく、安全に安全を重ねての偵察だった。

 だが、この有り様だ。偵察隊は全滅して、何一つ収穫のない結果を招いてしまった。その事実は情報屋に伝わり、新聞などのメディアにて攻略組の失態等と広められた。

 だからここにいるプレイヤーのほとんどはその事実を知っている。ここまで重い空気を作り出しているのは、この事実のせいだ。

 偵察隊が全滅するほどの破壊力を持つボスに対し、勝てるのか? 生き残れるのか? そんな不安が靄のように心に覆い被さっていった。

 

「諸君らも知っているように、偵察隊は全滅した。どうやらボス部屋の扉は一度閉まったら二度と開くことはない仕様らしい。転移結晶も使えないことから脱出手段はまずないと思っていい」

 

 俺は息を呑む。同時に理不尽にも思えた。もしそうだとしたら、生きるか死ぬかしかなくなる。死んだら終わりの戦いに、そんなえげつないルールを課すなんてどうかしている。

 

「それ以外の情報は……ない。完全に手探り状態だ」

 

 司会のフレッドの声は消え入るようだった。それが俺たちの不安を煽ってくる。

 その後、痛々しい沈黙が訪れた。誰も口を開けようとせず、ただ黙る。帰りたい。純粋にそう思った時だった。

 

「……黙っていてもなにも始まらないよ。俺たちは、選ばれたものなんだから」

 

 唐突に声が聞こえた。全員が振り向くと、青髪のディアベルがいた。彼が発言したのだろうか。

 ディアベルは皆の視線に動じず、きっぱりといい放った。

 

「いいか、確かに今回はキツい戦いだ。犠牲者だって出てしまうかもしれない。でも……それでも戦わなくちゃいけない。今までもそうだったろう? 情報が少ない中、突撃して勝ってきたじゃないか。だったら、今回の戦いを止める理由はなくなるんじゃないか。そうだろ?」

 

 舌を巻くほどの論述だ。皆がこくっと頷く。確かに言う通りだ。攻略組は、どんな危険があろうとも下で待っているプレイヤーたちのために戦わなくてはならない。

 俺は嫌だとは、言えない空気になってしまった。正直このままだったら俺は辞めると言いかけていたのだから、素直にディアベルの言葉に頷くことはできなかった。正論だが……正論なのだが、俺は死にたくない。この世界線で俺の死期はどこかわからない。だからこそ怖いのだ。

 でも、どうしようもなかった。このまま会議は終わり解散となって帰る最中にも、戦おうか、迷い続けていた。

 

 

 

 ラボに戻ると、まゆりがリビングにてぐったりとしていた。テーブルを見ると、布素材が散乱していることから、裁縫をしていたのだと思われる。まゆりは暇さえあれば裁縫をする。今日は何を作っていたのだろうか。

 

「どうしたのだまゆり」

「ん……あ、オカリン……。まゆしぃちょっとお裁縫やり過ぎちゃって……」

「やれやれ、ほどほどにしておけよ。しかしこんなに縫ってどうするのだ?」

「それはねー、冬近いでしょ? だから皆の分のあったかいお洋服作ってたの」

 

 えっへへーと、無邪気な笑みを浮かべて完成した服をすっと俺に見せる。無地の肌色のセーターで地味な印象はあるけれど、とても暖かそうだ。

 

「あとどれくらいで終わるのだ?」

「んーっと、あとダル君の分と萌郁さんの分かな。おっきいからねぇー二人とも」

「そうだな……。俺に手伝えることはないか?」

「大丈夫だよまゆしぃ一人でも。それにオカリンはスキル0だから何も出来ないよ」

「確かにそうだが……あまり無理するなよ」

「うんっ。オカリンはどうするの?」

「しばらくここにいる。やることがないからな」

 

 特にこれといって何をするか考えていなかったので、少し離れたところでまゆりの裁縫を見ることにした。まゆりはそれに気づき、にっこりと笑って裁縫を続けた。

 静かな時間が流れた。裁縫とはこれほどまでに静かなもので、針を通す音すら聞こえやしない。でも、それはそれで心地よかった。俺はぼんやりとまゆりの踊るような手を見つめ、まゆりは優しい笑みを浮かべながら美しい縫い目を作る。その空間は、今朝にあった攻略会議の重苦しい気分を消してくれるほどに、暖かかった。いつしか俺は瞼が重くなり、睡魔が襲いかかってくる。そのまま寝てしまおうかと無意識に俺の瞳は閉じていきーーー。

 

「あっーーー!!」

 

 俺の睡魔は、まゆりの突然の叫びによって吹き飛ばされた。まゆりは目を大きく見開いて、困ったような顔をしていた。

 

「どうしたのだ……そんな大声を出して、何があった?」

「あのね……ポケットを取り付けたいんだけどね……ハサミが壊れちゃって……」

 

 まゆりは手元を見せる。すると僅かにだが光の粒子が散っていた。おそらくこれは、耐久値の切れた時に起こる破散現象だ。まゆりが一度もメンテナンスをしていなかったからだろう。

 

「他のハサミはないのか?」

「うん……あとはポケットだけなのに……」

「替えのハサミを買ってくればいいではないか」

「うーん……このハサミ紅莉栖ちゃんから貰ったからどこにいけばあるか知らないんだよね……」

「そうか……。あっ」

 

 俺は思い付いて小さく声をあげた。あることをひらめいたのだ。

 

「ナイフとかを使えばいいんじゃないのか? ハサミがなくても、切れればいいんだろ?」

「まゆしぃ的にはハサミがいいんだけど、ないから仕方ないね。オカリンナイフある?」

「ああ、要らないナイフなら何本かあるぞ。これなんかどうだ?」

 

 俺はメニューウィンドウから《ドラゴンダガー》という名の短剣を取り出してまゆりに差し出す。まゆりはそれを受け取り、早速布を裁とうと刃を突き立てるのだが。

 

「あれ? 全然切れないよ?」

 

 まゆりは短剣を使って布を切ろうと必死だが、剣は全く動いてくれない。それどころか……。

 

「な、なんか重いよ…… !!」

 

 まゆりは苦しそうに呻きながら両手でナイフを持ち上げている。しかし、ナイフはまるで地面に貼り付くようにピタリとも動かない。端から見たら珍妙な光景だ。ただ、この世界では珍しい話じゃない。

 武器を持つには、筋力要求値なるものが必要で、満たしていないと満足に振り回したり、使うことができない。足りなければ武器を持ち上げたり、運んだりすることはできるが、切ったり戦闘に使うことは出来ないのだ。

 まゆりは未だにレベル1であるので筋力パラメータは絶望的に低い。つまり俺の渡した、レアでそこそこ強いナイフなど持てるはずがないということだ。

 

「ふぅ……ま、まゆしぃには無理だよぉ……」

「うーむ……お前でも持てるナイフなど持っていないしなあ……」

 

 俺がそのナイフを持って布を裁っても良いのだが、俺はまゆりほど器用ではないから出来はひどいことになりそうだ。何か手段はないのか。

とそこで俺はあるアイディアが浮かんだ。物は試しだ。あれを使ってみるか。

 俺はメニューウィンドウを開き、あるアイテムを探す。

 

「あった」

 

 俺はそのアイテムをクリックして取り出す。

 

「オカリン、これは指輪……?」

「いかにもだ。はめてみるがいい」

 

 まゆりは言われるがままに指輪を中指にはめた。結婚指輪かと突っ込みたくなったがこの際無視である。俺はまゆりにプロポーズした訳じゃない。まあこんな質素な指輪などではとても結婚には切り出せないが。

 

「そのままナイフを握ってみろ」

「わかったー。うんしょっとぉ……わぁ!!」

 

 まゆりが掴んだナイフは軽々と持ち上がり、自由に扱えるようになった。この指輪は《武器商人の指輪》といい、相手に与えるダメージが半減してしまう代わりにどんな武器でも持てるようになるという能力を付与できるのだが、まさかこんなところで役に立つとは思ってもいなかった。

 これで力のないまゆりでもナイフを使うことができ、裁縫が楽になるのである。

 俺はこの指輪についてまゆりに説明すると、まゆりは嬉しそうにありがとうとお礼をいってくれた。

 

「でも、びっくりしたよ~。オカリンいきなり指輪渡すんだもん、プロポーズかと思っちゃったのです」

「人質の癖にそのようなことを言うでない。ただ、この鳳凰院凶真が授けたその指輪は人質としての働きを労うためのものだ。大切に扱うのだぞ」

「? よくわかんないけどありがとー」

 

 まゆりらしい返答が返ってきて俺は頷くとその場を離れた。まゆりはきっと裁縫に集中するだろう。邪魔しては悪いので退散させてもらう。

 つもりだったが。

 

「オカリン、セーター忘れてるよ」

「え?」

 

 セーター。ああ、そういえばまゆりが作ってくれたんだっけ。貰い損ねるところだったな。俺はくるっと足の向きを戻して取りに戻ろうとした。まゆりのそばに置いてある灰色のセーター。きっとこれだろう、手を伸ばして取ろうとーー。

 まゆりの小さな手が、妨害するように俺の腕を掴んだ。俺は驚いてまゆりを見た。表情は、真剣で……穏やかだ。まさか……。

 

「オカリン、何かあったの? 不安なの?」

「っ…………」

 

 全く、変なところで鋭いやつだよ。俺は呆れる。同時に、謎の安心感が沸いてきた。やはり何かにすがりたいと思っていたのだろう。

 

「何かあったら、まゆしぃに話してほしいなあ……」

 

 俺は話すべきか迷った。でも、話しても別に何の問題もないと判断する。前みたいにまゆりが死ぬとか死なないとかの問題はないのだ。だったら、話しておくべきだ。

 俺はまゆりに今日の75層の攻略会議について話した。まゆりは途中よくわからなさそうに首をかしげていたが、どうにか説明しきれた。死ぬかもしれないという恐怖だけは、伏せた。

 

「ーーーということだ」

「……そっか。ねえオカリン」

「なんだ?」

 

 話を聞き終えたまゆりが質問をする。

 

「嫌だったら、やめてもいいのかな。攻略組」

「……駄目だろうな。少なくとも今回は皆が死を覚悟しているんだ、俺だけ逃げ出せる雰囲気じゃない」

「そうだよね……。うーん、まゆしぃにできることはなにかないかな……」

 

 まゆりはうーんと考え込んでいる。まゆりには関係ないことだが、それでも自分のことのように考えてくれる。それがまゆりだ。まゆりの優しさだ。俺はそれに何度も救われている。

 まゆりが考え込んでいるところを俺は手で制し、首を振った。

 

「気持ちだけでいい。少し気が楽になったよ。ありがとな」

 

 まゆりはじっと俺を見つめた。そして……いつものほんわかとした笑みを再び浮かべて。

 

「……良かった良かった。まゆしぃはオカリンが元気ならそれでいいのです」

 

 まゆりはそういうと裁縫に再び取りかかった。まゆりの動く手は先程よりも穏やかで楽しそうに見えた。俺はありがとうと一言だけ言って、邪魔にならないようにその場から去った。

 

 

 

***

 

 

 まゆりに励まされたのはもう何度目になるだろうか。数えきれないほどの回数には絶対になっているはずだ。何だかんだで俺は人に助けられている。ダルも、フェイリスも、ルカ子も、指圧師も、まだ生まれていない鈴羽だって、みんな俺を助けてくれた。

 そして、俺にとってかけがえのない存在には、何度も救ってもらった。心が折れそうなとき、壊れそうなとき。時間の超越によって朽ち果てた心を、天才的な知能を駆使して癒してくれた、少女。俺が恋い焦がれ、今でも尊敬しているひとつ下の少女。もう少女といえない年齢なのだがな。

 俺は明日もしかしたら死ぬかもしれない。その死の戦いに身を投じることは先程まで恐れていた。でも今は不思議と勇気が湧いてくる。まゆりの、言葉のお陰だ。

 でも、それで死なないとは限らない。だから……紅莉栖に会っておきたかった。今までは別にそんなことをしてこなかった。生きて帰れると思っていたから。でも、帰ってこれない確率の方が今回は高い。もし紅莉栖に会わずに死んでしまったら、俺はきっと死に切れないだろう。

 そんなわけで俺は紅莉栖を探しているのだが、まだラボには帰ってきていないようだ。メールを送ってみると第一層にいるようなので、俺は転移門でそこに向かう。

 その後紅莉栖に指定された場所まで歩いて向かう。第一層に来たのはずいぶん久しぶりだ。ここは始まりの場所。2年前、デスゲームが始まり、万人を恐怖の底へと落とした宣告が行われた場所。

 俺はいまだに感心している。よく俺たちはここまで生き残れたなと。引きこもらずに生き残っていく道を選んだ俺たちは、死のリスクが高いはずなのに。運が助けてくれたのか、アトラクトフィールドの収束によって死が約束されていないか。

 俺は歩きながら周囲を見渡す。人の気配はかつてに比べたら少なくなっている。ちらほらと人がいるくらいで、NPC商人が忙しそうにしているようには見えない。恐らく、2年前に引きこもることを選択して僅かなお金を切り崩して生活しているのだろう。俺たちも、2年前次第ではこうなっていたのかもしれない。

 ふと、後ろから物音がした。俺は振り向くと、そこには黒の分厚い鎧を纏った人間が数名いた。ファンタジー世界の寡黙な騎士っぽくて、荘厳な印象を思わせた。軍は解散したとニュースで聞いたが、町の警備、治安維持は相変わらずやっているようである。最近までやっていた恐喝やカツアゲ等の下劣な行為を、平気でやっていたときよりかは遥かに良くなった方だ。

 俺は目的の場所へと足を速める。しばらくすると市街地から抜けていき、大きな石碑みたいなのが見えてきた。そこにひとつの人影が見えた。俺はそこにいる人物の正体を確信して声をかけた。

 

「クリスティーナか。随分と厳かなところにいるんだな」

「ティーナ付けんな。……まあ別にいいでしょ」

 

 紅莉栖は石碑に寄りかかるようにして俺をじっと見つめている。紅莉栖の表情はやや重い。どうしたのだろうと疑問に思ったが、すぐに察した。

 ここは生命の碑。ベータテストの時は、死んだときの蘇生ポイントで苦笑いする場所だった。けれど今は、涙を流す場所だ。何故ならここはプレイヤーたちの墓とも言えるものだから。といっても、死んだものは全プレイヤーの名前リストから横線を引かれるという、あまりに無感情で簡素な印を頂くのみだ。ゲームマスターにとっては、人の死など些細なことだとでも言いたいのだろうか。マッドサイエンティストの鏡だよ全く。

 

「墓参りか?」

「ええ。知り合いが今日亡くなったって聞いたから」

「お前に知り合いがいたとはな。少し驚いたぞ」

「失礼ね。これだけ長い月日過ごしていれば何人かは出来るわよ」

 

 紅莉栖は視線を再び石碑に戻す。俺もついつい石碑を見る。自分の名前があるかを確認しようとしている俺に、苦笑せざるを得ない。無論俺の名前には横線は引かれていない。生きている。いや、生かされているのだ。

 次に俺は、ある男の名前を探す。クラディールだ。名前はアルファベットのため、音だけではすぐに探すことは出来ないが、頭文字を予想してなんとか探した。すると、クラディールに非常によく似たスペルがあり。無慈悲に横線が引かれていた。俺は胸が少し痛んだ。

 

「あんたも、せっかくここに来たんだから、墓参りくらいしていきなさい」

「……そうする」

 

 俺は手を合わせ、目を閉じた。狂っていた奴の冥福を祈るのは嫌だったが、それでもプレイヤーだ。俺たちと同じ被害者だ。それに、奴の殺害にも関わったのだ。無視するのは違う。厳密には俺が手をかけたわけではないけれど、その事実を忘れてはならない。

 祈り終え、目を開けた俺は紅莉栖に向き直る。紅莉栖はいつもの冷めた表情で俺を見て、ボソッと言った。

 

「で、話したいことって何?」

 

 ただ会いたかった、と言えるわけがない。だから少し返答に困った。明日死ぬかもしれないと言っても変に思われるだけだ。俺は口角を釣り上げ、無理矢理顔を解す。

 

「フ、フンッ。貴様の惨めな姿を見て笑ってやろうと思っただけだ」

「あっそ……。明日死ぬかもしれないって考えているあんたにしては苦し紛れね」

 

 読まれていたか。

 

「誰がそんなまやかしを流したのだ……。まさか、イリュージョン・コンダクターが紅莉栖の脳に……」

「あんたのスケジュールと顔を見ればわかることよ。そして成ってない中二病。あんたらしくないわ」

「…………」

「どうせ、ビビっているから私にでも会いに来たとか、そういうことでしょ?」

 

 すべてお見通しだったか。さすがは天才少女、舐めていた。俺は図星を当てられて、黙ることしか出来ない。

 

「ま、別にいいけどね。寧ろ一人で思い悩んで欲しくない。話せる範囲で……私にぶちまけたらどう?」

「…………ふっ。全くお前にはいつも助けられるよ」

「いつも?」

 

 おっと、紅莉栖には前のことなんて覚えていないんだった。俺は慌てて修正する。

 

「いや、前の世界線での話だ。お前はいつも俺を助けてくれた。お前は、いつまでも俺の味方なんだなって、嬉しく感じるよ」

「……あんたは変なところで素直ね。ちょっとやりにくいな」

「それはどういう意味だ……?」

「そのまんまよ」

 

 これ以上は話してくれそうにないのでこの辺で切り上げる。俺のなかで、ある決心もついていたというのもあるからでもある。紅莉栖と話していると、勇気がもらえるのだ。

 俺は紅莉栖を見つめる。高鳴る鼓動をどうにか抑え、噛みそうになる舌をどうにか落ち着かせて、喉に出掛けている言葉を出した。

 

「紅莉栖……俺は次生き残ってこれるか、分からない」

 

 言いたくない言葉だ。今まで、自分の生死についての話題は仲間の前では絶対に避けてきた。恐怖や不安を与えてしまうからだ。でも……紅莉栖にだけは俺は伝えたかった。まゆりにも伝えようか迷ったけれど、あの笑顔を曇らせたくないという俺のエゴでそれは止められた。紅莉栖は、俺の言葉に対して冷静に受け止めてくれると思っているから、きっと何かためになることを言ってくれると思うから。遠慮のないことばで、道を記してくれるから、俺ははっきりと伝えた。

 紅莉栖は、じっと俺を見て考え込むように顔を伏せる。恐らく、次という言葉が示すものが何か分かっている。

 

「だから…もし俺が帰ってこなかったとしても……無茶だけはしないでほしい。必ず生き残ってほしいんだ。皆に、紅莉栖に。ーーーそれだけを伝えたかったんだ。せめて、お前だけにはそれを伝えなくてはと思っていたから……」

 

 これで、言い残すことはない。言い残すことは……ない。

 いや、ある。あるけれど……それを言うべきではない気がする。何故なら、決意が揺らいでしまうから。死ぬかもしれない危険な戦いに身を投じる意思が、薄れてしまうだろうから。

 俺は紅莉栖の瞳を見る。気丈な目だ。冷静さは失われていない。

 分かった、そうする。

 このフレーズを出すだけでいい。それで俺は、覚悟を決められーーー。

 

 

 ぎゅっ……。

 

 

「えっ……?」

 

 胸に、温もりが生まれて俺は思わず声を漏らす。華奢な体が俺の胸に密着している。抱き止めるわけでもなく、突き放すわけでもなく。俺は、ただそこに立つだけしか出来なかった。

 

「あんたは……バカよ」

 

 紅莉栖は、濡れた声を出す。肩は震え、俺の服を握りしめている小さな両手は、離すまいと必死になっている。俺はどうすればいいかわからなかった。抱きしめるべきなのだろうが、今それをやっていいのか、わからなかった。

 

「あんたはずっと一人で苦しんでいる。あんたはいっつも一人で考え込んで我慢している。明日死ぬかもしれないってずっと怯えている。だから……バカよっ。……本当にバカよっ!! それで……他の皆には何も言わないつもりなの? ふざけないでよ……あんたが死んで何もないと思ったら、大間違いよ!! それを分かっているの……?」

 

 紅莉栖の言葉は重く突き刺さった。仲間には俺は何も言わなかった。心配させたくないという、俺の勝手なエゴによって。俺は仲間のことが大切だ。でも、本当は違う。大切ならば、真実を伝えるべきなんだ。仲間を傷つけたくないと思う気持ちは、ただの自己満足、強がりだ。

 でも、俺には真実をいう勇気はどうしても沸き上がらない。まゆりが心配そうに見つめる、瞳。ダルの冷静なアドバイス。ルカ子の泣きそうな声。フェイリスの空元気。指圧師の慰め。これがどうしようもなく怖い。そして、情けなく感じる。仲間のことを信頼していない訳じゃない。でも……泣き言は言いたくない。プライドがあるんだ、俺にだって。なのに紅莉栖は、俺にプライドを捨てろとまでいう。俺には、それが出来そうにない。口でそれを言うわけにもいかず、俺は紅莉栖を強く抱き締めた。

 

「紅莉栖……俺は弱い人間だ」

「…………」

 

 紅莉栖は何も言わない。俺はもっと強く抱き締める。

 

「だから、仲間に打ち明けるのが怖い。弱い自分をもうこれ以上見せたくない。皆に情けないところを見られたくない。まゆりの笑顔を……余計なことで曇らせたくない」

「だからあんたは何も言わない。随分と、傲慢ね」

「分かっている……。最低な糞野郎だよ。でも……俺はラボメンに常に笑っていて欲しいんだ。俺が死んだときはきっと悲しんでくれるだろうけど、情けない言葉を遺言にしたくないんだ」

「ーーーじゃあ、なぜ私には打ち明けた?」

 

 紅莉栖は俺の瞳を見る。涙に濡れてはいたが、瞳の中はしっかりと俺を捉えている。俺は目を細め語りかけるような口調で答えた。

 

「よくは分からない……でも、お前ならば言ってもいいかなって思ったんだ。俺の弱さを受け入れてくれる人、弱さを見せても俺が傷つかない人だと思ったんだ」

「説明がアバウトな件について」

「……要するにだ。お前は、何でも話せる相手だと思ったんだ」

「……なるほどね。私はただのアドバイザー?」

 

 紅莉栖はにやっと笑いながら憎まれ口を言う。俺は、そういうところが好きだ。紅莉栖の正直なところ、何にも怖じけずに突き進めるところ。それでいて、何処かに脆さがあるところ。

 俺は正直に今、紅莉栖がほしいと思った。肉体的にも、精神的にも。紅莉栖の近くにいたい。紅莉栖のそばにいたい。紅莉栖と話したい。紅莉栖と……。

 

「紅莉栖」

「何?」

 

 俺は無意識に名前を呼んでいた。紅莉栖は頬を若干染めている。俺は可愛いと感じていながら。

 

「この戦いでもし俺が生き残れたら……結婚して欲しいんだ。ここでも……現実でも」

 

 俺は言い切った。自分の望みを。欲望を。

 何でこんなことを言い出したんだろうか。よく分からない。でも……俺は紅莉栖が欲しかった。紅莉栖にこの想いを伝えなくては、後悔するんじゃないかって感じていたんだ。だから言った。俺は紅莉栖と結婚したい。彼女を愛している。

 紅莉栖は目を大きく開き、俺を見つめる。そして俺の胸に顔を埋めた。愛らしい。天才少女の中に隠されている少女の部分が現れている。俺は嬉しく感じた。

 

「紅莉栖の返事を……聞かせてほしい」

 

 俺は優しく言った。紅莉栖は泣いている。俺の胸が妙に水っぽく、暖かいから。

 

「泣くほど、嫌なのか?」

 

 俺は心配になって聞いてみた。が、紅莉栖はブンブンと首を振って否定する。

 

「ちがう……嬉しくて、ね……ヘタレのあんたからプロポーズされて、嬉しいなって……」

「……ヘタレは余計だぞ」

「あら、事実じゃない」

 

 そんな軽口をお互いに叩きあう。紅莉栖の顔が俺を見ていて。俺の顔が紅莉栖を捉えていて。

 俺は無意識に紅莉栖の唇に自分のそれを押し当てていた。不馴れなキス。恋人になってから3年も経っているのに、お互いもう成人なのに。まるでお互いを傷つけることを避けるような、遠慮がちのキス。

 俺は嫌気が差してくる。何故俺はここで止まるのか。何故俺は怯えているのか。それが、俺の情けなさじゃないのか。だから俺は、ダメ人間なんだ。仲間に弱いところを見せたくないという、見せかけの強さを振りかざして何になるんだ。それでは、ダメなんだ。

 

「ーーー!?」

 

 決意を込めるように、俺はさらに唇を押し付ける。激しく、それでいて優しく紅莉栖のそれを味わう。紅莉栖の全てをそっと食べるように舌を忍び込ませる。口腔を舐め回し、唾液を飲み込む。仮想のものとは思えないほどの、リアリティのある感触。これは、堪らない。

 ああ、そうか。俺はやはり死ねないんだ。紅莉栖という存在がいる限り。紅莉栖を愛している限り。紅莉栖が、生きる勇気を与えてくれる限り。

 俺は一度唇を離し、紅莉栖の目を見る。紅莉栖の目は恥じらいで揺らいでいる。けれど……決意のある赤い表情だった。

 

「紅莉栖……」

「優しく……してね……?」

 

 そこから先。

 俺たちは何も考えずに愛し合った。始まりの町にて……俺たちの仲は再び始まったのである。

 

 

 

 

***

 

 

 翌日になった。ボス戦当日の朝、ラボの前で俺は皆に出迎えられた。皆は俺がこれからいく場所を、待ち構えているかもしれない運命のことを知っている。だけど皆笑顔だった。信頼されているのだろう。それだけで俺は嬉しかった。

 

「オカリン……そろそろいかなきゃ不味くね?」

「そうだな」

「オカリン……死んじゃやだよ?」

 

 まゆりが心配そうに声をかける。俺は安心させようと近寄って頭を撫でる。

 

「俺は死なない。人質をおいて死ぬわけにはいかないからな」

「キョウマ、頑張ってニャ! 生き残ったら……フェイリスの手料理食べさせてあげるニャ!!」

 

 その台詞に俺は少しぎょっとして紅莉栖を見るが、紅莉栖は一切の不快感を出さず、笑ってくれた。俺はフェイリスに向き直って頷いた。

 

「分かった。楽しみにしているぞ。ダルにも作ってくれよ?」

「んー分かったニャ。キョウマの頼みとあらば何でも聞くニャ」

「岡部さん……その……昨日まゆりちゃんとお守り作ったんです。ど、どうぞ……」

 

 ルカ子がおずおずと俺にお守りを差し出す。小さな布に包まれた神様が、俺の手元にある。俺は強い想いと共にぎゅっと握りしめた。

 

「フム……清心斬魔流のお守りか。巫女のお前が作ってくれたのだから心強い。感謝するぞ」

「は、はい……ありがとうございます。おかべ……いえ、凶真さん」

 

 わざと中二病の口調で答える。その方がいいと思ったからという、それだけの理由で。

 

「岡部くん……私からも、これ」

「ん……?」

 

 指圧師が声をかける。しかし、指圧師の手元には、何もない。指圧師の手がゆっくりと降り下ろされ、メインメニューを呼び出す。そして数秒後、アイテムがオブジェクト化される光が見えた。この縦長に伸びる形状のアイテムは……。

 

「これは……剣か!?」

「そう……岡部くんのために、作ったの。前にも言ったと思うけど……」

 

 そういえば作ってくれていた。それがようやく完成したのだろう。俺は高まる胸を押さえながら、指圧師の作ってくれた剣をまじまじと見る。刀身はやや太めの威力重視タイプで、柄は長い。片手剣において限りなく扱いやすく、パワーのあるものに仕上がっているといえるだろう。現在使っている剣も気に入っているが、この剣もすごくいい。俺は暫し考え、もとある剣をウィンドウにしまった。代わりに、指圧師の剣を背に納める。これが俺の愛剣と胸を張りたいから。

 

「ありがとう指圧師。こいつで戦ってくる」

「がんばって……岡部くん。死なないで」

 

 指圧師の激励を受けると俺はちらっと紅莉栖を見た。紅莉栖は腕を組ながら微笑んでいるだけだ。言葉を交わす気はないようだ。俺は安心する。紅莉栖は信じてくれていることに。

 俺は背を向けて歩き始めた。仲間たちの応援の言葉が聞こえる。俺は手を上げてそれに答えた。

 天に掲げられた俺の右手に、煌めくものがあった。仮想の日の光が指輪に反射し、その場を照らしていく。俺は、体に力が入った気がした。

 

「……頼んだぞ、相棒」

 

 手を下ろし、俺はそっと指輪に語りかけた。同じものを着けている恋人に伝わることを願いながら。




アインクラッド編もあと2話くらいで終わっちゃうなあ……。なんか短かった気がする。


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単純真理のデモンストレーション

「皆、聞いてくれ。この戦いは本当に辛いものになる。犠牲者が出ないとは言い切れない。それだけ恐ろしい戦いなんだ。でも、僕たちは引くわけにはいかないんだ」

 

 第75層の迷宮区のボス部屋の扉の前にて、ディアベルが話をする。俺たち攻略組は真剣な眼差しをディアベルに向けながら聞く。俺も、拳をグッと握りしめながら、覚悟を決める。

 

「下の層にいるプレイヤーが、解放を待っているんだ。だから……勝とう。勝って、この世界から出るんだ!! 俺たちは攻略組だ、だったらそれを果たす義務がある。そうだろう!?」

 

 ディアベルの熱い言葉に、心強い返事が幾度も飛び交う。ディアベルはそれを軽くなだめながら、剣を引き抜く。

 

「よし……準備はいいな? ヒースクリフからは何か言うことはあるかい?」

 

 ディアベルの横に立つヒースクリフは目を閉じて話を聞いていたが、首を縦に降った。

 

「一つだけ話があるんだ。最も、たいした話じゃないがね」

 

 ヒースクリフは扉の真ん中まで移動し、十字剣を地面に突き立てて声をあげる。

 

「先程ディアベル君から頼もしい鼓舞を受け、士気も十分に上がっていることだろう。私からはボス戦の対処法を改めて確認させてもらう」

 

 ヒースクリフは目を細めて、無機質な表情を保ち続ける。落ち着きすぎているとは思うが、それが逆に頼もしい。

 

「まず、敵の行動パターンを見極めて私たち血盟騎士団が攻撃を防ぐ。その隙を他のプレイヤーが突く。これだけしかないが、重要なことだ。特にキリトくん」

 

 ヒースクリフはちらっと奥の方にいるキリトに視線を移した。キリトはしばらく前線に出ていなかった。何故なら血盟騎士団副団長のアスナと結婚して遥か下の層で結婚生活を送っていたからだ。その情報が来たのはつい昨日の夜だ。しかし俺には理解できない。あんな淡白で冷淡な女の何処に惹かれたのだろうか。

 キリトのとなりにはアスナがいる。どうやら夫婦揃って戦闘に参加するようだ。これほどまでに豪胆なカップルはいないのではとついつい苦笑をしてしまう。

 

「君の二刀でどれだけダメージを削れるか。これが勝敗を分けると言っても過言じゃない。キリトくんをいかに活かすか。これが重要になることを頭にいれておいてくれ」

 

 キリトのエクストラスキルの強さはあの決闘で十分に思い知っている。何とか攻撃を躱し、キリトの攻撃に繋げる。これが唯一の勝利への道筋だ。

 全員が頷いたのを確認したヒースクリフは、ボス部屋の扉をそっと手のひらで押す。ぎぃっと重々しい開閉音が響き、緊張でバクバク鳴っている心臓の動きを加速させる。ドアが完全に開き、ボス部屋を奥まで見渡せるまでになった。中は暗闇そのもので、光を拒むようにすら思える。今回のボスはただ者じゃないと教えてくれそうだ。

 

「突撃ーー!!」

 

 ヒースクリフは息をのみ、叫んだ。全員が内に宿る恐怖を打ち消すように絶叫しながら部屋に雪崩れ込む。俺もそれに続いて全力で駆け出した。

 部屋の中央とおぼしきところまで来たところで俺たちは立ち止まる。ボスが見当たらない。部屋の視界は良いとは言えず、若干暗い。外から見たときよりは明るいと言えるが、戦うのに不便な場所というのは変わらない。

 ボスの姿が見当たらないという事態に皆が困惑する。キョロキョロと辺りを見回して探すが気配はない。何処かに隠れているのか。俺は目を凝らして場所を特定しようとした。

 ふと微かな音が鼓膜を揺らした。

 カサカサ……カサカサ……。

 何かが動く音。ちょうどムカデ系のモンスターが歩行するときの音に似ている。一体どこからだ? まさかボスは俺たちを見ているんじゃないか? 襲うタイミングを見計らっているのでは?

 俺の連鎖する不安の感情を根こそぎ凪ぎ払うように、アスナの叫びがボス部屋に響いた。

 

「上よっ!!」

 

 その声に皆が一斉に反応し、上を見る。すると、天井の上に何かがいた。かなり大きい。それは天井の上をカサカサと這い回り、俺たちを見つめている。大きな頭部は骨でできており、ちょうど人間の頭蓋骨によく似ている。目は血のように赤く、小さな戦士たちを捉えている。足はムカデのように何十本も生えていて、二本の手には鋭く光る鎌が設えてある。あれは間違いなくボスだ。

 

「ガアアアアアアアアーーーーーーッ!!!!」

 

 大地を揺らすほどの雄叫びをあげながら5本のHPゲージと名前が出現する。《The skull Reeper》。骸骨の狩り手、という意味だろうか。これはヤバイ。生きて帰れなくても可笑しくないレベルだぞ……!!

 ボスは恐怖を抱く俺たちをじっと眺める。そしてニヤリと笑った気がしたーーーと思うと……。

 

「固まるな、散れっ!!」

 

 突然ヒースクリフの叫びが俺を現実に引き戻す。見ると、ボスの巨体がまっすぐこちらに落ちてくるではないか!! こんなのに押し潰されたら死んでしまう。俺は一目散にその場から離れ、ボス部屋の端まで全力で走った。

 どうにか命からがら逃げ延びた俺は、中央を見る。ボスはいまだに地についていない。何とか全員逃げ切ったか。

 いや、逃げ切っていなかった。3人ほどまだ、落下地点にいる。何をしているんだ……!?

 

「早くこっちに来い!!」

 

 キリトの叫び声が部屋にこだまし、ようやく3人は動き始めた。しかしおぼつかない様子だ。このままでは、間に合わない……!

 間に合ってくれという俺たちの祈りは意図も容易く砕かれた。ボスが地に降り立ち、大きく地面がぐらついて土煙が舞う中。

 二本の鎌が素早く、空を斬り裂いた。煙は割れ、ボスの邪悪な眼を覗かせる。その時、ある現象が起こったのを俺たちは、凝視した。

 

 3人のプレイヤーが一瞬の内に胴体を真っ二つに裂かれて宙に舞い。HPが0になって簡素なポリゴンの粒子と化していくのを。

 

 パリン。硝子が割れるときに起こる、儚い音。開始数秒で、この音を、死亡宣告を受けるプレイヤーがいたなんて。しかもただのプレイヤーじゃない。このゲームにてトップクラスのプレイヤーたちの3人が一撃で死んだのだ。

 なんという攻撃力。

 なんという強さ。

 すぐに死亡者が出現。

 俺たちに絶望を与えるのに、十分すぎる材料が一瞬にして揃ってしまい。

 

「う、うわああああああっっーーーー!!」

 

 誰かが絶叫しながらボスから離れる。その声が波のように周囲のプレイヤーの恐怖心を揺らし、彼らも逃げ出し始める。

 だが、現実は不条理だ。恐慌し死に怯えるものほど、神は拒む。

 

「あ、開かねえぞ!! 出せ、出してくれよぉ!! し、死にたくねえ……!!」

 

 男はシステムによって閉じられているドアをどんどんと力強く叩いている。そう、俺たちはもう逃げられない。勝つか、全滅するか。どちらかしかないのである。

 

「クソが……!」

 

 俺はボスをにらむ。近づくことすらままならない。無数の足が蠢いていて、一瞬で狩り取られそうだ。二本の鎌は近くにいるプレイヤーを容赦なく切り裂き、散らせていく。このままでは犠牲者が増えてしまう。そしていずれは俺も……。

 

「うわああっっ!! た、助けてくれぇ……!」

 

 悲鳴がまた聞こえる。助けたい。助けたいけれど、動けない。俺は目をつむり、死の瞬間から逃げようとした。

 が、彼は生きていた。パリンという、破裂音が聞こえなかったためだ。俺はそっと目を開けて何が起きたか確認する。すると、ディアベルが庇っていた。剣を振り上げてボスの鎌を受け止めている。これでどうにか助かった。

 しかしディアベルの剣がギリギリと悲鳴をあげている。鎌が重いのだろう。このままではやられるのも時間の問題だ。俺は息を思いきり吸って駆け出した。

 ボスはディアベルを殺そうと鎌に全力を込めている。ディアベルは目を閉じて最後の力を振り絞る。そこへ……俺の剣が光を帯びて鎌へとぶつかった。

 

「ギィアッ!?」

 

 鎌を弾き飛ばされたボスは短く悲鳴をあげた。何とか攻撃をしのげた。

 

「キョウマ!! 助かったよ」

「何とかなったな……」

 

 俺はそう答えながらも目線をもうひとつの鎌へと移す。鎌が捉えているのは腰を抜かしているプレイヤーだ。このままそこにいれば串刺しにされてゲームオーバーだ。だが俺は動けない。ディアベルと支えるのが限界だ。

 その刹那、一つの影が釜とプレイヤーの間を遮った。ガァンと甲高い金属音が響き、鎌が弾き飛ばされる。そこにいるのは……ヒースクリフだった。巨大な十字盾を掲げて剣で応戦する最強の騎士。あれほどの一撃を一人で食い止めるとは……。

 だがこれで安心した。これならば、勝機はある。ディアベルもそれを察したようで、大声をあげる。

 

「いいか皆、ボスの攻撃は俺とキョウマ、ヒースクリフで食い止める!! 皆は側面から攻撃してくれっ!!」

 

 ディアベルの声はボスの奇声すら上回るほどの声量だった。それゆえに皆の怯えきった心に鞭が打たれたようで、士気を取り戻した。それを目で確認した俺たちはこくりと同時に頷いた。

 再び、鎌が降り下ろされる。俺たちもそれに合わせ、対空ソードスキルを放つ。素早く上に振り上げられた二つの剣は鎌とぶつかる。同時に金属音が鳴り、大きく鎌を飛ばす。これならばいける……!

 

「キョウマ……まだいけるかい……?」

「当たり前だ……俺には心強い味方がもう一人いるからな……」

 

 俺は指にある輪をちらりと見ながら言う。これさえあれば、俺は何度でも立ち上がれる。例えくじけそうになっても……必ず助けてくれる。勇気をくれる。

 俺はきっとボスをにらむ。ボスも俺たちを裂き殺そうと躍起になる。だがここで死ぬわけにはいかない。

 

「うおおおぉぉっっーーーー!!」

「はぁぁっっーーーー!!」

 

 腹の底から叫びながら、俺たちは鎌目掛けて地面を蹴った。

 

 

 

 

***

 

 

 

 ラボには、今は誰もいない。ただ一人の少女を除いて。少女は焦点を失った目で、部屋をふらふらと彷徨いている。ただ目的地は決まっているようで、ラボの倉庫に向かっているようだ。

 アイテムが収容されている箱形のオブジェクトに触る。すると、パスワード認証が出てきた。ただ、少女はそのパスワードを知っていた。このラボの一員だから。

 少女はその中から回廊結晶というアイテムを取り出した。これは任意の地点を記録し、その場所に瞬間移動できるゲートを生成できるという、高性能なものだ。希少度は高く、プレイヤー間で高価で取引されているほどのレアアイテムだ。

 少女はそれを掴み、倉庫の箱を閉じる。そしてラボを出て、立ち止まり。

 

「コリドー……オープン」

 

 一言、発動コマンドを呟く。すると、黒く染まった穴が、空気を穿つように現れた。少女は躊躇なく中に足を踏み入れ、その先にある場所へと消えていった。

 回廊結晶は、場所を設定すれば何処でも行けるという優れものアイテムだ。すなわち行ったことの無い場所だって行ける。

 少女の設定先は、第75層のボス部屋前。つまり……トップクラスの剣士たちが、死に物狂いで戦っている場所だ。

 

 

 

 

***

 

 あれからどれくらいたっただろうか。

 俺とディアベル、そしてヒースクリフがどうにか攻撃を凌ぎ、他のプレイヤーたちが全力を奮ってボスのHPを全損させたのはどれくらい前だったか覚えていない。数秒前かもしれないし、数年前かもしれない。それくらいに、俺の神経は疲弊していた。

 俺は大の字になりながら天井を見つめた。床はひんやりとしていて昂った体を冷やすにはちょうどいい。しばらく立ち上がれそうにないな……。

 場は静まっている。ボスが倒されたというのに。しかしそれも当然と言える。圧倒的な破壊力をもつボスを相手にして疲れないわけがないのだ。俺とディアベルだって何度もくじけかけた。近くでプレイヤーの断末魔が聞こえたりもした。その度に萎えかけていくのだ。だから今回勝ったのは、奇跡以外の何物でもない。誰も勝利を喜ばない。喜べない。自身の傷もそうだが、死傷者が想像できないほどの数字になっていることが推測できてしまうという事実から、歓喜することが出来ない。

 

「なぁ……何人死んだ?」

 

 静寂を破ったのは、攻略に参加していたクラインの声だった。声は掠れていて生気はない。友人のキリトはアスナの背にもたれ掛かりながら、死者数を確認する。そして一瞬目を見開き、絶望の色を帯びた声で答えた。

 

「……14人死んだ」

 

 14人だと?

 過去の戦いでもこの死者数はまれだ。最大級だ。もしかしたら最大の死者数かもしれない。死んだのか? 本当に? 14人も? 俺には信じることはできない。だが嫌でも認めざるを得ないだろう。

 これからどうすればいいんだろう。元々攻略組は人数が少ないのだ。その内の14人が一気に失われてしまった。となれば……ラストの第100層は最悪一人ということになりかねない。そうなったら、アインクラッドの攻略は不可能に等しい。つまり俺たちは帰れないのだ。ボスを倒す剣士が現れない限り、希望はない。俺たちが全滅するのも、あり得ない話じゃないのだから。

 誰もがそう絶望し、悲観に暮れているーーーー。

 

 その時だった。

 

 地面を蹴る音が聞こえた。はっと俺は顔をあげてそちらを見る。すると……キリトが突然ヒースクリフへと駆け出していくではないか。しかも、右手には剣が握られている。まさか殺すつもりか? 気でも狂ってしまったのか?

 やめろと口にしようとしたが、キリトの動きが速すぎて間に合わなかった。ヒースクリフも慌てて反応するが、キリトの剣がそれを読んでいたようで、盾を躱す。そして彼の鋭利な顔面にペールブルーの光を纏った剣が突き刺さるーーー。

 

 そうは、ならなかった。

 

 キリトの剣は、止まっている。顔に突き刺さる直前で、制止している。まるで剣がピタリと時間を止めてしまったかのようで。必殺の威力をもつ剣が、嘘のように阻まれている。

 ヒースクリフを守る物の正体。それは、紫色の表示だった。キリトの剣尖はプルプルと震えている。一体何が起こっているんだと、目を凝らした。

 《Immortal Object(破壊不可能オブジェクト)》。

 それが答えだった。

 通常では、NPCや建物につけられる属性で、こちらがいくら攻撃しても破壊できないことを示すものだ。だから一般プレイヤーがそれを発動させることはできない。はずなのに。

 まさかキリトは、それを試したくて、攻撃したのか……? 最初から奴が一般とは違う存在だと疑って。

 

「キリトくん、何をーーー」

 

 キリトの攻撃が阻まれるや、アスナが駆け出す。キリトの不遜な行いに関して一言言おうと思ったのだろう。けれど、その口から言葉を発することはなかった。あの紫色を見てしまったから。

 いつのまにか、全員の視線がヒースクリフに移っていた。その中で、すべての元凶である紫色の表示は、虚空の中に消えていった。

 

「これは、どういうことですか……団長?」

 

 アスナが恐る恐る尋ねる。きっともうこの場にいる全員が答えを察していることだろうが。

 それに対し何も返さないヒースクリフの代わりに、キリトが落ち着いた声で答えた。

 

「これが伝説の正体だ。この男のHPは黄色にならないように設定されていたのさ。破壊不可能オブジェクト、不死属性を持つのはNPCと管理者以外存在しない。でも、このゲームには管理者はいない。ただ一人を除いて」

 

 キリトはヒースクリフを見る。その目は、確信に満ちている。ヒースクリフは、自身が糾弾されているのにも関わらず、動揺もたじろぎもせずただじっと話を聞いている。

 キリトはヒースクリフから視線を外し、ボス部屋の天井を眺める。

 

「ずっと前から気になっていたんだ。あいつは何処から俺たちを見ていたのかってな。でも、俺は単純な心理を忘れていたよ」

 

 再びキリトはヒースクリフに顔を向ける。まるで宣告を下すように、犯人を言い当てるように目を細め、言い放った。

 

「¨他人のやっているRPGを眺めているほどつまらないものは無い゛。……そうだろ、茅場晶彦」

 

 その名が放たれた瞬間、場が騒然とした。

 茅場晶彦。俺たちをこの死のデスゲームに放り込んだ全ての元凶。その名を聞くだけで憎しみが溢れてくるほどに、忌むべき存在。

 そんな奴が、俺たちと共にいた……だと?

 一緒に戦っていただと……?

 俺たちを、眺めていただと……?

 そうだ……何かが変だったんだ。あいつは、規格外の強さを持っていたし、今回のボスの防御だって比類無いものだった。そして何より……足掻いていなかった。絶対的安心を持っていたんだ。もうすでに知っているから。死なないことは確定しているから。

 俺たちは、最初から踊らされていたのか……!

 頭の中が熱くなってくる。殴りたくなる。味方として存在していたヒースクリフが壊され、茅場晶彦が現れた。味方が一瞬にして敵に変わる。怒りが沸々と沸き上がる。無情だ、理不尽だ。

 

「なぜ気づいたのか、参考程度にまで教えてもらえるかな?」

 

 ヒースクリフはキリトに笑いながら尋ねる。冷たい笑みだったが、この状況でも笑えるなんてどんな心の持ち主なんだ。それとも、もう心は死んでいるのか。

 

「おかしいと思ったのは、あのデュエルの時だ。あの一瞬だけ、あんたあまりにも速すぎたよ」

「やはりそうか。あれは痛恨事だった。余りにも君が速かったものでついシステムアシストを使ってしまったよ」

 

 あの決闘とは、恐らく俺とルカ子とまゆりとフェイリスと見に行った、キリトとヒースクリフの戦いのことだろう。あの戦いでそんなことが起こっていたとは。俺にはわからない次元かもしれない。

 ヒースクリフは、いや茅場は、キリトから視線を外して両腕を広げながら宣った。

 

「確かに私が茅場晶彦だ。付け加えれば、このアインクラッドの最終ボスだ」

 

 なっーーー!?

 全員が驚きで目を剥いた瞬間だった。まさか、茅場晶彦が最終ボスだとは思いもしなかったからだ。中には膝をつくものもいる。絶望を覚えたのだろう。俺も、もう絶望しかけている。逃げたい。帰りたい。こんなのは聞いていない。

 

「貴様……俺たちの希望を……忠誠を……よくも……よくもっ……!!」

 

 後ろから声が聞こえる。はっと振り返ると、斧を震わせながら茅場をにらむ血盟騎士団の男がいた。ぎろっと茅場を見据えてーーー。

 

「よくもーーー!!!!」

 

 男は飛び上がって斧を振り降ろす。だが……茅場の方が反応が早かった。通常ではあり得ない左手を降ってウィンドウを呼び出し。

 男は空中で嘘のように落下した。糸を失った操り人形のように力なく地面に這いつくばっている。まさか麻痺を食らったのか。

 と、思考を巡らせている間にも、俺も動けなくなっていた。体に力が入らず、起き上がることもままならない。気づけば、キリト以外全員が、麻痺を食らって動けなくなっていた。

 

「この場で全員を殺して、隠蔽するつもりか?」

 

 キリトが怒りを孕んだ声で問う。だがヒースクリフは余裕のある声で首を横に振りながら答える。

 

「まさか、そんな理不尽な真似はしないさ。邪魔されては困るのでね」

 

 茅場は更なる追い討ちをかけるように平然とした顔で言葉を続ける。

 

「本来なら第95層にて正体を明かそうと考えていたのだが予定が狂ってしまった。キリトくんはこの世界で最大の不確定因子だとは睨んでいたが、ここまでとは思わなかった。二刀流スキルを与えたのも、最大の反応速度を持つからだ」

 

 仮にもし、ヒースクリフの正体が看破されていなかったら俺たちはこの上ない絶望を味わうことになるだろう。手のひら返しのタイミングとしては最高だ。そういう意味では、キリトに感謝しなくては。

 

「こうなってしまったら致し方ない。私は最終層の《紅玉宮》にて君たちの訪れを待つとするよ。私の育ててきた血盟騎士団を放棄するのは惜しいが……なぁに、君たちなら90層のボスを突破できるはずだ。ーーーだが、その前に」

 

 ヒースクリフは含みのある声で会話を切る。自身の右手に握られている剣をキリトに向け、静かに告げた。

 

「君には、私の正体を看破した報酬を与えなくてはな。今この場で私とデュエルをし、勝ったら全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。無論不死属性は解除する。どうだ、いい条件だとは思わないか?」

 

 なるほど……そのために全員を麻痺にさせたのか。

 つまりヒースクリフは、キリトを殺す気なんだ。不確定因子にこれ以上邪魔されたくないから。ここは引くべきだ。

 確かにログアウトできるかもしれない。でも、その可能性は低いとしか言えない。何故なら、相手はゲームマスター、つまり神だ。神に抗うなんて不可能に等しいんだ。俺だって、運命の神にどれだけ抗っても、駄目だった。神を欺くことしかできなかった。

 だから引くべきだ。

 

「キリトくん、あなたを排除する気だわ。ここは引きましょう」

 

 アスナも同意見のようでキリトに撤退を促す。キリトは一瞬顔を俯かせ、考え込んだ。

 だが、キリトの選んだ答えは否だった。

 

「いいだろう……決着をつけよう」

「キリトくんっ!」

 

 アスナが悲痛な声をあげてキリトに迫る。しかしキリトはヒースクリフを睨んで、剣を突きつけるだけ。闘うという、確固たる意思の現れだ。

 キリトの考えは愚策だ。ゲームマスターに勝てる見込みなど、有りはしないのだから。ただ、こうとも言える。自身の感情に愚直なのだ。茅場を本気で憎み、この世界からの脱出を本心から望む。その想いが、彼に剣を握らせたと言えよう。

 

「ごめんな。でもここで逃げるわけにはいかないんだ」

 

 キリトは安心させるように、優しい笑みをアスナに向ける。アスナの顔はさっきまで興奮して真っ赤に染まっていたが、やがて信頼の笑みを浮かべていた。

 

「死ぬつもりじゃ、無いんだよね……?」

「ああ。必ず勝ってこの世界を終わらせる」

「分かった。信じてる」

 

 そういうとアスナはもう引き留めるのを止め、キリトはアスナのもとを離れた。

 

「キリトーっ!!」

「やめろっ、キリト……!!」

 

 キリトが茅場と対峙すると、エギルとクラインの叫びが聞こえた。キリトは立ち止まり、二人の方を見て右手の剣を軽くあげて答える。

 

「エギル、サポートサンキューな。知ってたぜ、お前の店の売り上げ、全部中層プレイヤーの育成につぎ込んでたこと」

 

 キリトの言葉に、エギルは何も言うわけではなく口をパクパクと開閉させていた。しかしあのドケチ商人がそんなことをしていたとは意外だ。

 続いてキリトは、クラインの方を見る。少し憂いを持ったその表情に、何かあるのか。

 

「……クライン。あのとき置いていって悪かった。お前と一緒にいけばよかった。ごめんな……」

 

 俺には、何のことかは分からない。けれど二人にしかないものがあるのだろう。

 クラインはキリトの謝罪の言葉を聞いてわなわなと体を震わせて、涙を流した。やがてどうにか自由が効くのであろう両腕を地面に叩きつけて泣き叫んだ。

 

「バカヤロウッ!! 今更そんなことで謝ってんじゃねえよ!! 許さねえからなっ! 向こうで飯ひとつでも奢んねえと、絶対許さねえからなっ!!」

「ああ、分かった。向こう側でな」

 

 キリトは笑いながら答えた。それ以上は、キリトは会話をすることはなく茅場に再び向き合う。いよいよ、始まるのか……。

 

「茅場、一つだけ頼みがある」

「何かな?」

「簡単に負けるつもりはないが、もし俺が負けたときアスナを……しばらくでいい、自殺させないようにしてほしい」

「キリトくんダメだよ……そんなの……そんなのないよーーーー!!!!」

 

 アスナの悲痛な叫びが耳を貫く。俺は見ていられず、顔を背ける。キリトは、死を覚悟している。負けることも考えている。俺には見ていられない。遺されたもののやりきれなさを、悔しさを、大切な人を失った悲しみを知っているから。アスナはこの苦しみを、死なずに味合わなくてはいけないのか。何て酷なんだ。キリトは、分かっていないんだ。

 空気が緊迫する。ビリビリと震える。二人の剣士が再び対峙する。俺たちは、それを見ているしか出来ない。全ての結果は、運命は、この二人に委ねられているのだ。

 キリトはスッと腰を落として二刀を構える。茅場は盾と十字剣を持っているだけだ。構えと言えるものじゃない。それだけの余裕があるということの証明。これこそが、神と一般人の違い。

 どくどくと激しく鼓動を打つ心臓をどうにか押さえながら……俺は死闘の始まりを見届けた。キリトの、限界まで抑え込まれた理性を解き放つような……静かな叫びと共に。

 

「ーーー殺すッッ!!」

 

 



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虚心有影のエンドワールド

SAO、終結。


「殺すッッ!!」

 

 吐息と共に吐かれたその言葉はキリトの殺意を示した。霞むほどの速度でキリトは飛び出し、茅場の盾へと鋭い一撃を浴びせる。それが、戦いの開始の合図だった。

 キンッキンッと荒く重い攻撃が次々と茅場に降り注がれる。しかし彼は冷静にそれを弾き、余裕の表情すら見せている。空気が揺れるほどの威力を持つキリトの一撃一撃を全て難なく弾き返すとは、かなりの腕達者だ。決してゲームマスターだからというだけではなく、茅場晶彦という人間本来の戦闘スキルもそこに反映されていると言えよう。

 キリトは勇ましく叫びながら二刀を振り回す。目にも止まらぬその攻撃は盾を躱してもおかしくない。でも、躱せていない。攻撃が一発も当たらないのだ。そして……彼もまた、完璧なタイミングでキリトに剣を入れる。

 ここで俺は気づいた。奴は誘っているんだ。キリトが一番やってはいけないことをやらせようと、焦らせているんだ。だから防御に徹底し、隙あらば攻撃するという、ストレスのたまらせる戦い方をしているんだ。

 茅場は恐ろしい男だ。これまでに1万2千人弱の人間が死んでいる。殺している。にも拘らず涼しい顔をしながら戦っているのだ。非情。冷徹。そんな言葉じゃ形容できないような、態度。心がないというべきだ。だとしたらもう奴は人ではなく、怪物だ。今キリトは、そんな奴を相手にして戦っているんだ……!

 

「うおおおおっっ!!」

 

 キリトは吠えるように叫びあげ、果敢に茅場に挑む。嵐のような攻撃が再び襲いかかるも、難なく防いでしまう。これでは、茅場の思い通りだ。

 茅場はキリトの攻撃を弾きながら、剣を突き入れた。素早く、それでいて的確すぎる一撃がキリトの頬を掠める。その直後だった。

 

「よせーーー」

 

 俺の言葉は空しく、ソードスキルの発生サウンドエフェクトによって掻き消されてしまった。キリトの二刀が蒼く光り、茅場に向けられる。だがーーー茅場の顔が濃いブルーに照らされながら醜悪に歪んだその時。全員がキリトのミスに気づいた。

 キリトはソードスキルを使ってしまった。ソードスキルは、茅場晶彦が一から設計した必殺技だ。つまり、茅場には軌道が読めてしまい、通用しない。しかも厄介なところは硬直時間が設けられているところだ。全てブロックされ、動けないところに攻撃を加えられたら……キリトは死ぬ。

 キリトは吠えながら、二刀流のソードスキルを放った。盾にぶつかる衝撃の大きさから、最大級の技だと推測できる。だがそういった技ほど硬直が大きい。このままでいけばキリトの敗けだ。俺は見ていられず目をきつく閉じた。

 ガンガン、ガガンガン!!

 怒濤のごとく巻き起こる剣風に対し、茅場は作業をしているように弾き返し、威力を殺している。全て熟知しているのだ、どうすればこの技を完全無効化出来るか。やはり神に逆らうことは出来ないんだ……!!

 

「うおおあああああああっっーーー!!」

 

 キリトの心からの叫びが、ボス部屋に響き渡る。恐らくこれが最後の攻撃だ。本人だってもう無理だってわかっている。それでも望みを繋げるようにキリトは叫ぶ。

 だが、それは金属の悲鳴によって打ち砕かれた。盾に衝突した左の剣は、綺麗に割れて虚空に舞っていった。キリトの目が焦点を失い、硬直時間を課せられる。勝利を確信した茅場は、本性を現すような歪んだ笑いを浮かべながら剣を掲げた。邪悪な印象を与えるクリムゾンレッドの輝きを湛えた十字剣がまっすぐ振り下ろされる。神が下す裁定は死。これほどまでに確定したものはない。俺たちは、キリトの死の瞬間を見ているだけしか、できなかった。

 

 

 

 

 

 この時、誰も気づかなかったという。

 

 

 ボス部屋のドアが開き、ひょこひょこと迷い込んだ少女の存在を。鎧などはなく、ただのワンピースを着ていて、どう見ても戦闘向きには見えないあどけない少女。

 虚ろな表情を浮かべ、体を引きずるように歩いていくその様はまるでゾンビだ。その虚ろな目が映し出しているのは。

 蒼い光を放ちながら激しい戦いを繰り広げている二人の剣士と、這いつくばっている一人の青年。

 少女は走る。

 己が命ずままに。脳がささやく。殺せと。

 茅場晶彦を殺せと。

 

 

 

 

 

「さらばだ、キリトくん」

 

 茅場のソードスキルが発動し、キリトに振り下ろされる。このまま当たれば間違いなく死ぬ。声も出せない。止めろとも言えない。見て、いられない。

 俺は目をきつくつむり、顔を背けた。キリトが消える瞬間は、人の消える瞬間はみたくない。その本能が俺を必死に逃がした。逃げたことにはならないけれど。

 茅場の剣がキリトの体を切り裂く、その瞬間の訪れが過ぎるのを願いながら俺は視界をシャットアウトする。

 

 

 

 ザクッ……!!

 

 

 刺さる音がした。剣によって体が傷つけられたことを示す、ありふれたサウンドエフェクト。キリトが刺された。殺された。俺は確信した。

 

 この時までは。

 

「がはっ……!?」

 

 若い奴が発する、透き通った声ではなく、渋い悲鳴が鼓膜を揺らす。キリトのものじゃない。でも、一体誰が……。

 ーーーまさか!?

 

 俺はある確信を得て、目を開ける。するとーーー。

 

 

 

 茅場が刺されていた。後ろから、茅場の体を大きな剣が貫いていた。目は大きく見開かれ、口をパクパクと開閉させていた。

 

「……!?」

 

 だが、茅場の言葉は形にならず。

 HPは0になっていき、爆散した。星屑のように儚く、美しかった。ゲームマスターも、こうして散っていくのか。呆気ないものだ。

 キリトがやってくれたのか。俺は、よくやったと労おうとキリトを見たのだが。

 キリトの視線は、茅場のいた場所にあった。表情は、驚きの一色だ。いや、恐怖に似た者も感じる。一体それはなんだ? 俺もそこを見る。

 キラキラと未だに宙に舞う、光の残滓が纏うのは、少女だった。フリルのついた帽子にワンピースとこの場にはそぐわない格好。右手にはさらに似合わないごつい剣が握られている。まさか彼女がやったのか? でも、どうしてその格好なんだ?

 

 何で、俺のよく知っている格好なんだよ?

 

 

 俺は体が震えた。宙に舞うポリゴンの粒子がイライラさせるほどに彼女を隠す。俺は目を凝らしてその先を見つめる。でも……見れば見るほど俺が先程から抱いている答えは、確かなものになっていく。でも、分からない。何で、何でこうなるんだ?

 俺は肘を起こし、立ち上がる。もう麻痺はなおっていた。ぐらぐら揺れる足をどうにか押さえ、一歩を踏み出す。少女までの距離がすごく遠く見える。手を伸ばす。届かない。茅場を構成していたポリゴンが隔てるように、少女は俺を拒む。

 俺は立ち止まり。

 がくがく震える声で、少女を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でお前がここにいるんだ……まゆり?」

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 ポリゴンの塵の壁は取っ払われて。

 少女の全体が見えていく。

 まゆりだ。間違いなく、まゆりだった。でもなんでここにーーー。

 

 

 俺の疑問が彼女に届く前に、ログアウト可能な知らせが届き。

 歓喜の声も上がらぬままに、俺たちはこの世界から消え去っていた。




観測者の戦い、始まる。


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閉鎖現実のディソシエーション

ディソシエーションは解離という意味です。久々の投稿です。ここしばらくは、鬱展開になります。わんちゃんR-18レベルかもしれんw


『2ヶ月前に終結したSAO事件についてお伝えします。首謀者の茅場晶彦の行方は未だ分からず、現在捜索中です。死亡者は11139人と過去最大級の被害を出したこの事件の本当の終結は、いつになるのでしょうか?』

 

 古臭いブラウン管に映っているニュースキャスターがコメンテーターに質問をする。

 

『茅場晶彦の潜伏先は不明とされておりますが、彼の元恋人の神代凛子に警察が事情調査をしているという情報を聞きました』

 

『そうですか……早く捕まるといいですね』

 

 小さな冷蔵庫にあるドクペを取り、ゆっくりと喉に流し込みながらニュースを聞く。2年以上も味わっていなかったこの独特の苦味と甘味が最高だ。誰もいないラボに一人いるこの寂しさが少し和らいでいく。

 いつも着ている白衣からはみ出す白い腕を見る。痛々しいほどに細い。少しでも力を加えてやればポッキリと折れてしまいそうなほどに、脆く見える。これではルカ子の事は言えなくなってしまうな。

 小さく苦笑し、ドクペをゴミ箱に入れると、再び視線をブラウン管に戻す。

 

『それと、SAOから未だに帰還していないプレイヤーがまだ2000人近くいるとのことですが、一体どういうことなのでしょうか?』

 

『こちらについては詳細は不明です。茅場の陰謀だと囁かれておりますが、その辺はあくまで仮説でーーー』

 

 近くにあったビット粒子砲を手にとって電源を切る。記念すべき未来ガジェット第一号で、テレビの電源のON/OFFを格好よく出来るという代物だ。もっとも、チャンネルの切り替えや音量の調節機能は備わっていないが。

 ソファーに座り、息を吐く。見上げると、ボロい天井が目に移る。そばにはうーぱのぬいぐるみが鎮座しており、テーブルには紅莉栖がよく読んだ洋書が積まれてある。ラボのパソコンデスクには、ダルが溜めていたエロゲーがばらまかれており、開発室には未来ガジェットがたくさん散らかっている。

 

「帰ってきたんだな……」

 

 俺は一言呟いた。2年たっても、変わらないこの場所の風景は、懐かしくて、可笑しくて、恨めしくて堪らなかった。あの世界にも、ラボはあったけれどやはりこっちのラボの方が落ち着く。もう、俺の家のようなものだったから。

 少し眠くなってきたな。俺はソファーに横たわり、まゆりのうーぱのぬいぐるみを枕にして目を閉じる。するとあっという間に睡魔が侵入してきて意識が遠ざかっていきーーー。

 

「オーイ、オカリンー」

 

 だが来客者によってそれは阻まれた。俺は目を開けて無理矢理起き上がる。誰が入ってきたか確認しようと、目を擦るとそこには巨体が見えた。オカリンという呼び名とその膨れ上がった身体を見て俺は判別した。

 

「ああ、ダルか」

 

「ああ、寝るとこだったん? 起こしてサーセン」

 

「いや、別に構わないがな。どうしたんだ、昼間からラボに来て」

 

「いやぁ……今日新作アニメの同人誌を買いにいこうとしたけどまだ空いてなくて……暇だからここに来たっつー訳」

 

「そうか……それにしても、お前随分痩せたな」

 

「まあ二年も寝たきりじゃそうなるわ」

 

 ダルの体型は見違えるほどに痩せている。ぶっくりと膨れて飛び出している腹は谷ができてしまうのではと思わせるほどに凹み、ぶよぶよな輪郭を描いていた顔も余分な部分を切り取られたように細くなっている。足だって、俺と同じくらいに削られている。中身は変わっていないが。

 

「そういえば、病院には行った?」

 

「いや、まだだ。これから行こうと思っていた」

 

「そっか。牧瀬氏によろしくな」

 

 おうと答え、俺は上着を羽織る。白衣だけでかつては外に出ていたが、その気力はない。靴を履き、ドアを開けて外に出た。

 

「はぁ……」

 

 自然とため息が出る。空気が白く変化する。虚しい。すごく、寂しい。

 ゆっくりと階段を降りていく。ポケットに手を突っ込んで歩いているとどこか落ち着く。

 階段を下り終えていくと、日差しが俺を射る。思わず手で顔をかばう。そのまま病院の方向に足を向けて歩き始めた。

 何故俺が病院に行くのかというと、深い意味はない。昏睡状態にある紅莉栖の見舞いだ。

 紅莉栖は、SAOから帰ってきても目覚めることはなかった。他のラボメンは問題なく現実に戻ってこれたのに、紅莉栖だけこの世界に帰ってこない。

 ダルと共にどうしてこうなったのか模索した。けれど原因は不明だった。とうとう俺たちは諦めて、紅莉栖の見舞いに行くくらいになった。

 実際紅莉栖以外にもこうして帰ってこられないプレイヤーはいるようで、2000人はまだ目覚めていないそうだ。今日もこうして、紅莉栖の元へといく。無駄だと、分かってはいるけれど。

 紅莉栖のいる病院は昭和通りの辺りにある。そのためには一度、駅を抜けなくてはならない。かなり歩くことになるが、もう慣れている。

 

「ラジ館も、変わっていないな……」

 

 俺は、電気街口の辺りにある世界のラジオ館の横を通る。2年前と全く変わらない。しかもとなりの電気屋では、ナーヴギアの後継機、アミュスフィアと呼ばれるものが販売されている。事件の爪痕を、必死に隠そうとしているのだろう。だから、SAO事件について報道するのも希になってきた。今朝のニュースも数分で終わってしまい、もはや世間から、強引に忘れ去られようとしている。

 無理もないのは分かっている。1万人以上の死者を出して、2000人以上の未帰還者がいるのは、日本にとって大打撃もいいところで日本という国そのものの信用すら危うくなっている。隠したくなるのも、終わらせたくなるのも無理はない。

 だが、紅莉栖が帰ってきていない。紅莉栖が帰ってきていないんだ。世間から、その事実さえ忘れられようとしているんだ。だとしたら、何と残酷だろうか。助けを求めているのに、その手を握ってもらえないその苦しみは、耐えがたいものだ。

 だからせめて、俺がその手を握り続ける。俺一人じゃどうしようもないけれど、握り続ける。出来ることがなくても、だ。

 一人そう誓っていると、足が重くなっていく。もう何度この距離を往復したとはいえ、やはり足腰はなれていない。とりあえず少し休もうと、近くにある自動販売機へと向かう。ドクペを飲もうとしたが、その自動販売機にはなかった。昔はあったはずなのに、撤去されたのかもしれない。落胆の溜め息を隠せず、俺は素直に麦茶を買った。

 自動販売機にもたれ掛かり、麦茶を飲んでいると、不思議な感覚に襲われる。見慣れたはずの秋葉原が、見慣れないのだ。当然のことだろう、二年もいなかったのだから。

 だけどそれだけじゃない。何と言うのだろうか、遅れている気がするのだ。駅を行き交う人間たちは、仮想世界などとは無縁に生きることが出来ているため、その時間軸にしっかりと足がついている。だが、俺はそうではない気がする。二年ものの歳月を、現実じゃない場所で生きてきて、ようやくこちらに戻ってこれた。秋葉の町はあまり変わったところはないけれど、何と言うか馴染めない。ついていけない。どこか違う場所に思える。秋葉に似た、どこかという認識がずっと離れない。

 ダルだってそうだ。あいつが同人誌の雑誌の購入時間を間違えるわけがない。言い過ぎかもしれないが、あいつも、俺と同じように時間に取り残された存在なのだ。

 そんな俺が、どうやってこの町で生きていけばいいのだろうか。答えのない問いを考えながら、麦茶をちびちびと飲むことしか、俺にはできない。

 そんなとき、誰かが俺に、声をかけてきた。

 

「あ、岡部さん……?」

 

 俺は麦茶のペットボトルを口からはなして、その人物を見る。学ランを着ていて、体がすごく細い。顔は女のようにきれいで、馴染みがある。間違いない、漆原るかだ。

 

「ルカ子か。久し振りだな、学校か」

 

「はい。今日は授業が早く終わったので、それで帰るところなんです。岡部さんは?」

 

「俺は、紅莉栖の見舞いにいこうと思ってな」

 

「牧瀬さん、大丈夫なんでしょうか……」

 

「分からない。ただ、それしか俺にできることは、ない」

 

 そう答えて、暫し黙る。ふと俺は、あることに疑問を持った。まゆりがルカ子と一緒でないことだ。まゆりとルカ子は同じ学校のはず。仲が良いので一緒に登下校をしているのだと思っていたのだが。

 

「今日は、まゆりは一緒じゃないのか?」

 

 とりあえず聞いてみる。すると、ルカ子は悩むような顔をして答えた。

 

「まゆりちゃん、今日学校に来ていないんです。今日からSAOにいた人たちの登校日なんですけど……」

 

「なんだと?」

 

 まゆりが来ていないのか。そういえば、あいつはラボにも来ていない。ということはずっと家にいるということなのだろうか。

 

「だから、帰りにまゆりちゃんの家に行くので、岡部さんもご一緒にと思ったんですが」

 

 ルカ子が躊躇いがちに話す。俺が紅莉栖の見舞いに行くといったから遠慮しているのだ。ただ、俺も気が変わった。

 

「いや、俺もいく」

 

「え?」

 

 ルカ子はわずかに驚いた。

 

「まゆりが学校を休むなんてほとんどなかったからな。それに……個人的にも聞きたいことがあるしな」

 

「そうですか……じゃあ、紅莉栖さんのお見舞いは?」

 

「紅莉栖の見舞いは遅くなっても問題あるまい。きっと起きていないだろうしな」

 

「そうですか。じゃあいきましょう、岡部さん」

 

 ルカ子と俺は秋葉原の改札へと向かい、山手線に乗る。ルカ子の学校は秋葉原から離れたところにあるのだが、どうしてルカ子が一度最寄り駅の秋葉原によったのかと聞くと、荷物を置いていきたかったからだそうだ。俺と一緒でなければ重い荷物を背負うことはなかった。申し訳無く思い、俺がルカ子の荷物を持つと言った。最初は遠慮していたが、弟子に負担はかけられんと言って黙らせた。

 まゆりがすむのは池袋。割りと近いので直ぐ着いてしまう。電車のつり革に捕まりながら、ルカ子がおずおずと口を開いた。

 

「あの、僕最近ラボに行けなかったんですけど……」

 

 確かにSAOからログアウト出来て以来、ルカ子に会ってはいない。だが、仕方のないことだと割りきっていた。

 

「気にするな。元の生活に戻るのに忙しかったのだろう? ならば仕方のないことだ。ここ最近でラボに来たのはダルしかいないしな。俺だって、本当につい最近からラボに来るようになったんだ」

 

「そうだったんですか……」

 

「ああ。足が痛くて動けなかったからな。アキバどころか池袋駅まですら無理だったよ」

 

 ルカ子と話をしていると、あっという間に池袋までついた。ホームを降りて、改札を抜けてバスに乗る。今でもまゆりの家までの道のりを覚えている。不思議と、どうでもいいことは覚えているものだ。もうまゆりの家など、行っていないというのに。

 バスに乗って数分たち、まゆりの家の近くにつく。バスを降りて少し歩き、まゆりの家の門にたつ。ここは、変わっていない。スタンダードな家で、いかにも一般家庭な感じのする場所だ。

 

「ここがまゆりちゃんのお家ですか……始めてきました」

 

「まあな。俺もここに来たのはいつ以来だろうか……」

 

 近くにあるインターホンを押して、応答を待つ。軽快なサウンドと共に、声がスピーカーから聞こえる。

 

「はい、どちら様ですか?」

 

 膨らみのある女性の声だ。少し変わってしまったけれど、間違いない。まゆりのお母さんだ。懐かしく感じて、俺は内心嬉しかった。

 

「岡部です。岡部倫太郎です」

 

「おかべ……岡部倫太郎……って、輪太君!?」

 

「え、ええそうですが……」

 

「やだ輪太君久しぶり!! どうぞ上がって上がって!!」

 

 お母さんはようやく俺のことを思い出したようだ。俺はおばさんから輪太君と呼ばれている。理由は大したことはない。まだ俺が鳳凰院凶真を名乗る前、まゆりが俺のことをそう呼んでいたからだ。その呼び名は今聞いても恥ずかしい。

 しばらくたたないうちにドアの解錠音がすると、まゆりのお母さんが出迎えてくれた。容姿はまゆりによく似ていてこの親ありにしてこの子ありと言えるくらいだ。ちなみに性格も非常によく似ている。

 

「輪太君久しぶりねぇ……大きくなったわね」

 

「お久しぶりですおばさん」

 

「本当にねぇ……最後に来たのはいつかしらね? ーーーおや、その子は?」

 

 まゆり母が訝しげにとなりのルカ子を見る。ルカ子はもじもじとしてしまっている。だから俺が代わりに紹介した。

 

「ああ、彼はまゆりの友達でクラスメートの漆原るかです。プリントを届けに来たそうです」

 

「う、漆原るかです。よろしくお願いします」

 

「か、彼……? 女の子じゃないの輪太君?」

 

「え、ええ彼は男です。女に見えて男です」

 

 まあこれはルカ子に一生付きまとう問題であろう。まゆり母はへぇと不思議そうに呟いたが、疑うのをやめたようで俺たちを家に入れてくれた。やれやれ、そういうところもまゆりらしい。

 リビングに通され、お茶を出されるとまゆり母は饒舌に話していた。内心辟易としながらも話し相手になってあげて、ようやく一段落ついたところで本題に入るべく、俺は口を出した。

 

「あ、あの……ひとつ聞きたいのですが、きょうまゆりはいるんですか?」

 

 そういえば、今日家でまゆりを見ていない。というかそもそも変だ。俺がこの家に来たということは、少なくともまゆりに用があるということはわかるはずだ。であるのに、まゆり母はまゆりを呼ぶどころか身の上話しかしない。まゆりに、何かあったのか……?

 いや、何かはあった。

 二か月前、まゆりは不可思議な行動を取った。俺が攻略組として第75層に赴いたとき、ヒースクリフが正体を現した。ヒースクリフの解放するという言葉に乗ったキリトは戦い、負けてしまったが、とどめをさされる直前……まゆりが奴の体に剣を突き立てたのだ。そもそもまゆりは、剣なんて持てるほどの力を持っていないはずなのに。もしかして、それと関係しているのかもしれない。

 まゆり母は考え込むような表情をする。案の定というべきか、そうではないのか。やがて、さっきとはうってかわって暗い口調で話し始めた。

 

「……まゆりはね、ずっと家にいるの。それも、自分の部屋にね」

 

「つまり、引きこもっているんですか……?」

 

「ええ……部屋にいたきりなにもしないの。トイレにいったり、お風呂に入るくらいね。ご飯もほとんど食べないし。一応お医者さんにはわざわざ通っていただいて、容態を見ていただいているんですけど……精神疾患の疑いがあるらしくて。そういえば、さっきも来てくださったの」

 

 相当深刻な状況だ。この状況は、前にもあった気がする。まゆりのおばあちゃんが死んだ時だ。まゆりのおばあちゃんが亡くなったとき、まゆりは墓で心神喪失状態になったように、動かなかった。家に戻ってもろくに物を食べられず、学校にもいけなかった。まさに、今のまゆりみたいだった。

 

「それは、何時からですか……?」

 

「あの変なゲームから帰ってきたあとからよ」

 

「なるほど……」

 

「なにか心当たりになること、知らない?」

 

 まゆり母は悲しそうな顔で俺に聞く。隠しておこうか迷ったが、まゆりのお母さんだ。知るべきことだろう。俺はまゆりに起こった出来事を話した。

 まゆり母はビックリした表情を浮かべた。だが、俺の言うことは信じてくれたようだ。

 

「そんなことが……でも、あの子は人を殺すような子じゃないわ。それは、信じてくれるわよね、輪太君」

 

「もちろんです。まゆりは、そんなことをする奴じゃないことはわかっています。だからこそ……話を聞きたいんです」

 

 もしかしたら、あの事について気を病んでいるかもしれないという憶測は正しいのかもしれない。ただ、疑問に残るところがある。まず、あれは本当にまゆりだったのか。まゆりだったとしたら、どうしてあの場所に行けたんだ? どうしてあの場所にいく手段を知っていたんだ? どうして、奴を刺したのだろうか……。あれは、まゆりの意思だったのか……。

 まずは、確かめなければ。

 

「……まゆりに、会いに行ってもいいですか?」

 

「いいけど、まゆりきっと出てこないわよ」

 

「構いません。ただちょっと、あいつと話をしたいだけなんです」

 

「そう……分かったわ。私はここで待ってるわ。そろそろ昼御飯作らなきゃいけないし。それに……輪太君の方が、話を聞いてくれそうだしね」

 

「…………そうですか。分かりました。いくぞ、ルカ子」

 

「あ、はい」

 

 これまでずっと黙っていたルカ子を引き連れて、まゆりの部屋まで向かう。まゆりの部屋には何度も入ったことはある。本人がかわいいと認めたぬいぐるみがたくさん飾ってある部屋だというのは覚えている。今はどうだかは分からないが。

 まゆりの部屋につく。゙まゆしぃの部屋゙と書かれた掛札がある。きっとこれだろう。俺はノックをしようと、拳を軽く握る。だが……その寸前で俺はやめた。

 

 

 

「どうしたら……どうしたらいいの……まゆしぃは……どうしたらいいの……気持ち悪いよぉ……酷いよぉ……」

 

 

 

 まゆりの声が、ドア越しに聞こえる。ルカ子がどうしたんですかと聞くが、しっと黙らせる。まゆりは、泣いている。声を潜めて、泣いている。どこか嫌な予感がする。

 

「助けてよ……もういやだよ、誰も……誰も信じられないよ……」

 

 ノックをして、話をしよう。そう思い、再び拳を構えるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で、まゆしぃがお母さんにならなきゃいけないの……?」

 

 

 

 

 

 

 

 え……?

 

 

 いま、何て言った? お母さん? それってまさか……!!

 

 

 

 ……おいおい冗談だろ?

 まゆりの戯れ事だろ? 

 

 

 

 でも……まゆりは嘘はつかない。もし、真実だとしたら……!!

 嫌な予感が増幅し、頭のなかを駆け巡る。まさかそんなことが……。女としての尊厳を、汚す行為があったとでも言うのか……?

 

「くそったれが……!」

 

 俺は毒を吐くように、拳を強くドアに叩きつける。まゆりのうわずった悲鳴が上がる。

 

「おい、開けろまゆり! おい、おい!!」

 

 俺の声なんて、慣れ親しんでいるはずだからきっと開けてくれるだろう。そう思っていたが……。

 

「だ、誰!? 嫌!! 来ないでほしいのです!! もう、許してほしいのです!!」

 

 何を言っているんだ……? やっぱり、俺の予感は当たってしまっているのか……!?

 

「まゆりちゃん開けて!! 僕だよ、漆原るかだよ!!」

 

 ルカ子が声一杯に叫ぶ。だが、聞こえるのはまゆりの拒絶の声。パニックになっている。仕方がない、近所迷惑だが、大声を出すしかない。

 

「まゆり!!!! 俺だ、岡部だ!! 岡部倫太郎、いや……鳳凰院、凶真だッッ!!!!」

 

 ドアすら破るほどの音量で叫んだ。すると、まゆりのその悲しそうな声は途切れた。そして、か細い声が聞こえた。相当震えている。怯えているのだろうか。

 

「その声は……オカリン? それに……ルカくん?」

 

「ああ……だから開けてくれ」

 

 俺の言葉に返事はしなかった。代わりにドアの解錠音が鳴り、ガチャとドアが開く。俺たちはその中に入る。

 まゆりの部屋はほとんど変わっていなかった。ぬいぐるみの数が少なくなったくらいで全体的には変化はない。あるとすれば……出迎えてくれるまゆりの笑顔が、ないことだ。服はしわくちゃで、涙のあとが光っている。

 

「いらっしゃい、オカリン。ルカくん」

 

「あ、うん……まゆりちゃん今日、学校に来なかったね。はい、今日のプリント」

 

「ああ、ありがとね、ルカくん」

 

 まゆりは笑顔を浮かべてプリントを受けとる。しかし、ぎこちない。無理して笑顔を作っている。俺は、胸がいたんだ。まゆりは、傷ついているんだ。トゥットゥルーを言わないのが、何よりの証拠だ。

 

「久し振りだな……。なあ、まゆり、会ったばかりで悪いが聞くぞ。何があった?」

 

 本当はここで他愛のない話がしたい。だが、それが許されない状況にあるのかもしれない。俺は険しい表情を向けて、まゆりを見た。

 

「…………」

 

 まゆりは黙る。それは言いたくないのかもしれない。このまま粘るべきだ。今のまゆりに供述を強要することはできない。

 痛い沈黙が流れるなか、俺は目をふとそらす。すると、あるものが気になった。カーペットのシミだ。しかもかなり濃い。飲み物でも溢したのか? 

 いや、それはない。何故ならまゆりはほとんど飲食をしていないからだ。それに朝御飯の時間からもうかなり経っているから、何かを溢したという訳ではない。

 

「岡部さん……?」

 

 ルカ子が訝しげに尋ねる。俺が突然シミを嗅ぎ始めたからだろう。俺は嫌な予測をもとに、臭いを嗅いでいく。もし、俺が想像する臭いだとしたら……最悪だ。

 

「っ!?」

 

 鼻につく臭いがする。鼻孔を深く刺激し、不快感を覚える。だが、どこか慣れしたんでいる臭いだ。思春期の男子ならば必ずと言っていいほど放出をする、生命の源の臭いに近い。もっと具体的に言うならば……イカ臭いものだ。

 ……まさか、そんな馬鹿な……。

 背筋が寒くなる。視界がぶれていく。頭が沸騰し始める。まゆりが恐らく遭ったであろう出来事はーーー。

 

 

『何で、まゆしぃがお母さんにならなきゃ行けないの……?』

 

 

 

 

「っーーーまゆり!! お前まさか……まさか……」

 

 俺はとっさにまゆりの肩を掴んで叫んだ。まゆりは、俺から視線をそらし、涙を溜める。

 

 その瞬間、全てを察した。まゆりは、奪われたのだ。処女を。女としての尊厳を、汚されたのだ。

 

 

 

「……ふざけるなッッ!!」

 

 床を思いきり叩き、怒鳴り散らす。許せない。許さない。何でまゆりにこんなひどいことをっ……!?

 憎悪が頭をぐるぐると回る。視界が赤く染まる。頭が真っ白に焦げていく。俺は、まゆりの顔面に向かって叫んだ。

 

「誰がこんなことをしたんだ!? 言え、誰がやったんだ!!!!」

 

「…………分からないのです」

 

「分からないだと!? 冗談はやめろ!!」

 

「名字しか分からないのです」

 

「それでいい、教えろ!!」

 

 まゆりは、躊躇っていたが、悲しそうな表情で告げた。

 

 

 

 

 

 

「須郷って人なのです……」

 

 

 

 

 

「須郷……そいつなんだな……。わかった。話を聞いてきてやる」

 

 俺は立ち上がり、ドアノブに手をかけて、外に出る。ルカ子もあわてて俺についてきた。

 

「ルカ子、お前はまゆりのお母さんにまゆりに何が起こったのか伝えろ。そして須郷という奴の情報を聞き出せ!!」

 

「は、はい……でも、岡部さん。僕には何があったか……」

 

「分からないのか!? ーーー強姦されたんだよ。その須郷とかいう奴にな!!」

 

「ご、ごごご強姦って……!? そんな……酷いです……」

 

「ああ、俺だって嫌だ!! 畜生、何でこんなことに……!! とにかく俺は警察に通報してラボに戻ってラボメンにこの事態を伝える。頼んだぞルカ子!!」

 

 まゆりのあの謎の行動についてはよくわからなかった。だが、そんなまゆりに漬け込んで卑劣なことをするとは……許せない。あいつの幼馴染みとして、兄同然の俺として、許さない。

 何故こんなことになっているのだ? SAOに戻って、すべてが元通りになるはずだったのに。まゆりが引きこもった理由とは、もしかして……。

 そうだ、一日で孕むなんてありえない。ずっと前から、須郷とかというやつと接していたんだ。無理矢理されたんだ……!! まゆりが引きこもった理由はただ一つ、男に汚されたからだ。ならばあのSAOの出来事は何だったのか? そこまでは分からないが、今考えることじゃない。今は、まゆりを汚した奴を探すだけだ。

 

「お邪魔しました!!」

 

 勢いよく外へ出た俺は、早速ラボメンたちに一斉にメールを送る。内容は無論ぼかしている。ラボメンは女子が多いためだ。

 その後警察にも伝えて、未来ガジェット研究所へと向かう。電車に乗っている間にも、須郷という男を調べていたが、当然なにも出てこない。下の名前が分からないからだ。

 その時、ブーブーとメールが鳴る。急いで開くと、ルカ子からのメールだった。

 

『岡部さんへ

 

名前は、須郷伸之という人らしいです。れっきとした精神医療を経営していて、資格も持っているそうです。あと、まゆりちゃんのお母さんは、知らなかったようです……』

 

 須郷伸之、か。聞いたことはない。とりあえずググってみるしかあるまい。まゆり母が気づかないのは仕方がない。きっと猿ぐつわでもされたのだろう。

 須郷伸之と検索すると、それなりにページが出てきた。だが……精神医療なんていう表記は、どこにもなかった。ためしに゙須郷伸之 精神科゙とやってみても無駄だった。やはり嘘をついていたのだ。

 

「む? もう秋葉原か……」

 

 携帯画面を見ていて気がつかなかった。歩きながら携帯をするのは危ないので、一旦画面を閉じる。調べものの続きはラボだ。そこで徹底的に突き詰めてやる。俺は、逸るような気持ちで、ホームからラボへと走っていった。

 

 

 

 

 

 だが……俺は知らなかった。気づくはずもなかった。

 これは、単なる序章にすぎないということを。これから始まる、過酷で無意味な、仮想と現実、そして時間が混ざり合う戦いが始まろうとしていることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実はこれだけではないのだよ……。


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壮絶執念のリユニオン

更新遅れました。
鬱というか衝撃を覚えますw


「ダル……何か新しい情報はなかったか?」

 

「んー、まあ一応ね。プロフィールぐらいしかないけど」

 

 未来ガジェット研究所のパソコンで、ダルが検索サイトにある単語をかけていた。ダルはここで昼寝をしていたが、まゆりのことを伝えたら憤怒の表情で起き上がり、パソコンをパパっと打った。その他にもメールでラボメンを収集したので、桐生萌郁、フェイリスもこの場にいる。萌郁はメールで怒りを示す絵文字を多用し、フェイリスはメイクイーンで働いていたのに抜け出してくれた。全く頼もしい者共だ。

 

「ダルニャン、その、須郷伸之って人はどういう人かは分かったのニャ?」

 

 須郷伸之。これが、今俺たちが検索をしている単語だ。精神医療の専門家と名乗ってまゆりに接近し、一線を越えた男だ。その男に痛い目に遭わせるために、ダルに今調べてもらっている。ダルは自称変態紳士故、そういった愛の無い行為は許せないようで終始鼻息を荒げてキーボードを乱打している。

 

「一応わかったことはあるお。まずね、須郷伸之が精神医療の専門家何て嘘っぱちだお。むしろVR技術を専門としているらしいお。勤務企業はレクトというところで、まあ素粒子物理学の応用とかそういうもんじゃね?」

 

「嘘っぱちだと……? だが、まゆりの母はれっきとした医者だといっていた……」

 

「捏造でもしたんじゃね? それもきっとコネを使ってだと思われ。普通そういうのは偽造できないからね。ま、素人にはわからんけど」

 

 パソコンを打ちながら平然と言い放つ。つまり奴は、身分を偽ってまゆりに接近したわけか。

 だが、それではおかしい。なら何故まゆりを狙ったのだ? 何故まゆりを狙う意味があるのだというのだ? 単なる性欲か? いや、まゆりを付け狙うなんて可能性が低すぎる。

 とにかく今は、レクトに須郷のしたことを告発した方がいい。証人はいるのだ、全く問題はない。

 

「レクトに問い合わせてみよう。警察には通報しているから、きっと話を聞いてくれるだろう」

 

 俺はそう提案した。だが、指圧師が手をあげる。意見があるので、述べるように促す。

 

「問い合わせたところで……無視されると思う。それに……警察がそういうの、やってくれると、思う。警察にはもう……言ったの?」

 

「むっ……確かに、そうだな。確かに俺はもうすでに警察には通報している。意味のない行動はすべきではないな」

 

 本社に問い合わせたところで無駄なのは当たり前だ。いたずら電話だと思われてしまうし、まだ確証も得られていないのだ。とにかく警察に須郷を探してもらい、話を聞くしかない。まゆりがすでに性犯罪を受けているのだ、捜査しないはずがない。つまり、今の俺たちでは決定的な打撃を奴に与えるのは不可能だ。

 だが、俺たちだって出来ることはあるはずだ。少しでも情報を集めようと、黙々と須郷のことについて調べた。

 

 

 だが、それから一時間ほどしても全く情報は集まらなかった。SNSとかもくまなく探したが、見つかる気配はなく、レクトの社員だということ以外は何も判明しなかった。

 

「ダメニャァ……全く見つからないニャ……」

 

「流石に疲れたお……大体須郷という人間の情報が少なすぎだっつーの……。ま、研究者のプライベートなんて、本当に超有名の、それも組織の頭とかノーベル賞クラスじゃねえと分かんないけど」

 

「…………」

 

 確かにダルの言う通り、新しい情報はない。須郷の開発しているシステムや商品についての情報は多いが、須郷本人のそれは見当たらない。一応須郷の開発品も見たが、ナーヴギアのセキュリティ強化版のVRゲーム機、アミュスフィアや新しいゲーム、《アルヴヘイム・オンライン》というもので、須郷そのものの情報はなく、使えそうなものではない。

 俺は携帯のインターネット機能を閉じ、ため息をつきながら全員に声をかける。

 

「仕方がない。とりあえずこれで一旦止めておこう。夜ももう近いし、そろそろ帰るべきだ。今日はわざわざ来てくれて助かった。ありがとう」

 

「気にすることはないニャン。マユシィのためなら、ううん、キョウマのためなら何でもやるニャ」

 

「なん……だと……!? オカリンテメェ……フェイリスたんにそんなリア充セリフを言わせるとは……」

 

「くだらんことを言うのは止めろダル。別にそういう意味ではないしな。ルカ子、指圧師、帰っていいぞ。ご苦労だった」

 

「お疲れ様……」

 

「はい、お疲れさまです。岡部さんはまだ帰らないんですか?」

 

「ああ、もう少し俺はここにいる。まだ須郷のことについても調べたいしな」

 

「そうですか……じゃあ僕たちは帰りますね」

 

「気を付けてな」

 

 俺以外の4人は口々に別れの挨拶を告げると、ラボから出ていった。全員がいなくなると、俺はため息をつく。

 

「……なぜ、こんなことで集まらなくてはならなかったのだろうか……」

 

 俺はソファーに沈み込み、うーぱのぬいぐるみを見ながら呟く。

 本当ならば、ここにまゆりがいて、紅莉栖がいて、パソコンの近くにダルがいて、フェイリスがいて、ルカ子がいて、指圧師がいて……鈴羽もいて。

 わいわい騒ぐはずだった。全てが、元通りになるはずだった。

 でも、今はまゆりがいなくて、紅莉栖もいない。そして、顔を暗くさせながら集まっている。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。どうして、こんな暗いことで集まらなくてはならなかったのだろうか。それが、悔しくてたまらない。

 

「はぁ……」

 

 二度目のため息を漏らし、携帯を開く。とりあえず、須郷について調べなくては。

 

ーーーその時だった。

 

 ブー、ブー。

 

 携帯が震えた。咄嗟のことに驚いて落としてしまいそうになる。俺の携帯が鳴ったのだ。メールが届いたのだろう。誰からだろうと気になり、送信者の名前を見る。

 その瞬間、俺は目を見開いた。

 

「牧瀬……紅莉栖……ーーー紅莉栖!?」

 

 俺は思わず叫んでいた。手が震える。驚きのあまり、しばらく動けなかった。

 紅莉栖は今まで昏睡状態だった。SAOがクリアされて以来、一度も意識を取り戻すことはなかったのに、今こうして俺にメールを送ってくれた。ということはーーー目覚めたのだろう。彼女は今、意識を覚醒させて現実世界の光を見ているのだろう。

 待ちわびた瞬間が訪れた。何ヵ月も待って、漸くその時が来たのだ。

 俺は震える手をどうにか押さえながら、メールの内容を見る。

 

『From:助手

Title:無題

Subject:お久しぶりです。今さっき、意識が戻った。

話したいことがあるから、今すぐ来て。あんたと同じ病院にいるから』

 

「……やけに少ない文量だな」

 

 少し不満げに呟いてみるが、メールをもらえただけでもよしとする。しかし話とは何だろうか。もしかしたらーーー将来の話か。

 もし、その手の話ならば考えてもいいかもしれない。俺も紅莉栖ももう成人で、結婚できる年だ。紅莉栖は科学者としてお金を稼いでいるし、俺も何だかんだいってバイトをしたり、親父の店を次ぐことも考えている。正直就職活動はしたはしたのだが、どれも失敗に終わってしまったのだ。しかも俺は二年ものの歳月をSAOで費やしてしまった。今さら就職など、できるはずもない。とにかく紅莉栖と結ばれることもそろそろ視野に入れてもいいだろう。あの世界で紅莉栖は、プロポーズを受け入れたのだから。

 だけど、一方で迷いがある。まゆりのことを考えねばならないからだ。まゆりは俺の大切な幼馴染みで、そんな彼女が陵辱されたのだ。放っておける状況ではない。

 ただ、こう考えることも出来る。まゆりのことを話し、紅莉栖に助けを求められる。紅莉栖は頭がいいから、何かアイディアをもらえるだろう。それに彼女はまゆりの親友だ。きっと力になってくれる。

 プロポーズのことは、後で考えるべきだ。今は、目の前の問題を解決し、まゆりに笑顔を取り戻させなくては。

 俺は紅莉栖に『今からいく』とだけ返信し、支度を始めた。ジャンパーを羽織り、ドアを開けると冷気が体に入り込んでくる。そういえば今は冬だから、寒いのは当たり前だ。思わずブルッと震えてしまうが、どうにかこらえて病院まで向かう。

 病院は、秋葉原駅を抜けて昭和通り口から向かうのだが、結構時間はかかる。ただ、交通機関を使うほどでもないので我慢する。

 もう夜も近いだけあって、空も暗い。ノンアクティブなオタクたちはさっさと駅に向かっていて、道は混雑し始めている。俺もそれに溶け込むように歩みを進めていく。

 駅を抜けると混雑が緩和されていき、一息つく余裕が生まれる。揉まれた体を解しながら病院へと向かう。

 数分後に、病院が見えてきて、エントランスから入る。薬品の臭い、ひっそりとした空気、そしてそれを裂くような咳。外の世界ではあり得ない光景だ。けれど、もう病院には何度も行っているため、もはや気にすることはない。

 俺はまっすぐカウンターへと向かい、ナースに話しかける。

 

「済まないが、牧瀬紅莉栖の面会に来たので、面会カードを貰えないですか」

「ご家族の方ですか?」

「いえ……恋人です」

「そうですか。ではこちらをどうぞ。お部屋は分かりますか?」

「ええ。ありがとうございます」

 

 俺はカードを受け取り、カウンターを去る。病室はもう何度も行っているため場所は聞かずともわかる。

 エレベーターに乗り、紅莉栖のいる4階のボタンを押す。数秒後にドアが開くと、俺は逸る気持ちで飛び出ていき、早足になりながらも病室を目指した。

 漸く会える。漸く紅莉栖に、再会できる。俺が待ちわびたこのときが、ついに来たのだ。

 病室へと近づくにつれ、早く会いたいという気持ちが膨らんでいく。走れ、走れと体が命じてくるが、病院ゆえにそれは抑えている。だが、もう限界に近い。あともうすぐだというのに、遠く感じてしまう。

 それでもどうにか歩を進めていくと……紅莉栖の病室についた。俺は高鳴る胸を落ち着かせるために、息を吸う。もう何度もここに来ているというのに。

 俺はわずかに震える手で首に下げたカードを紅莉栖の部屋の認証コードに翳す。するとピッと静かな電子音と共にドアが開く。あまりに静かだったので突然開いたことに驚いてしまった。全く、何度も来ているのに。

 俺は意を決して中に入る。部屋は清潔感に満ちたものとなっており、壁は白でおおわれている。ゴミなどは一切落ちておらず、とても綺麗だという印象を受けた。俺はとりあえず、紅莉栖が寝ているであろうベッドへと向かう。

 紅莉栖が目覚めていなかったらどうしようか?

 ふと、そんな迷いが浮かんでくる。メールだって送られたというのに。

 でも、そう思わざるを得ないのだ。俺は、何度ここに来たことか分かるまい。ほぼ毎日だ。毎日、紅莉栖の目覚めを信じてここに来ている。そのたびに無力感に襲われるのだ、俺にはただこうして見舞いに来ることしか出来ないことを、否応なく思い知らされるのだ。もし、今までと同じように紅莉栖が起きていなかったら? その時はもう、耐えられる自信がない。

 結果はできることならば見たくはない。だが、もうここまで来てしまったのだ。それに、紅莉栖が待っているかもしれない。なら、いかないという選択肢はないだろう。

 俺は意思を固めて足を踏み入れる。するとーーー。

 

 俺は、絶景を見た。待ち焦がれた光景を、見ていた。

 純白のベッドから、一人の女が起き上がるという、日常的な光景。光輝くどころか、色褪せてすら見えるだろう。俺以外の人間には。

 俺には、女神が目の前で微笑んでくれるかのような、素晴らしい瞬間にしか思えなかった。一人の女は、俺に気づくと……不器用な笑いを浮かべて、微かに笑った。

 ーーーそれが俺への決定打だった。

 ホロリと、目から滴が垂れ落ち、病院の床を僅かに濡らす。だが、それに反して俺の心は激しく燃え上がっていた。

 紅莉栖は、目覚めた。生きて、帰ってきてくれた。

 俺は、衝き動かされるように足で床を思いきり蹴り、紅莉栖へと抱きついた。

 

「う、うわっ……!」

 

 紅莉栖が驚きながら短く悲鳴をあげてベッドに倒れる。結果的に押し倒してしまうことになったが、それでも構わなかった。今すぐにでも、紅莉栖にキスをしたいくらいだった。

 

「紅莉栖……」

 

「……アンタにしては大胆ね、鳳凰院さん」

 

「……お前がここに戻ってきてくれて、本当に嬉しかったから、ついな」

 

 俺は紅莉栖の痩せ細った体をそっと抱き締める。あまりに痩せ細ってしまっているので痛々しくも感じてしまったけれど、それでもいい。紅莉栖がここにいれば、また一緒にいられるのだから。

 

「何泣いてんのよ……バカ」

 

「余計なお世話だ……助手風情が俺に生意気な口を叩くとはな」

 

「助手って言うな」

 

 軽口を叩きながら、俺はゆっくり唇を近づける。二人の唇は、磁石のように引き寄せられ、ぴたと重なりあった。

 それが世界の運命なのかもしれない。俺と紅莉栖は、切っても切れない間柄かもしれない。だからまた会えた。だからまた、紅莉栖は俺のもとへと来てくれた。

 久々に濃厚なキスをする二人の頬には、一筋に光る涙の跡がくっきりと残っていた。

 

 

 

***

 

 

「……で、大事な話とはなんだ?」

 

 キスを終え、ベッドから離れている椅子に座ると、俺は紅莉栖に問う。紅莉栖は俺が病院が来る前にメールを送ったのだ。大事な話があるから来て、というメールを。恐らく、俺と紅莉栖の関係を一歩先へと導くものになるであろう、大事な話があると思っていたのだが。

 紅莉栖はややとろけた表情で俺を見つめる。何のことか解らない様子だ。恐らく俺とのキスで惚けてしまっているのだろう。俺のキスのテクニックが向上したのならば喜ぶところだが、そんなのは大事ではない。俺は黙って携帯の受信ボックスを見せる。

 紅莉栖が覗き込み内容を把握すると、ああと呟きながら思い出す様子を見せた。そして、顔を赤くさせていく。やはりーーーこの手の話なのだろう。

 そう悟った瞬間、俺は胸が高鳴っていく。漸く、紅莉栖と結ばれるのだ。

 紅莉栖はわななく唇を開き、俺に語りかける。

 

「あ、あのね……その、岡部。だ、大事な話って言うのはね……」

 

 緊張しているんだな。俺だってもう、恥ずかしすぎて死にそうだ。そんな彼女に対し、声をかけてやりたいけれど、止めておく。きっと彼女は、自分で言いたいだろうから。

 

「その、わ、私の助手になって欲しいの!! そ、それも……ずっと、一生。ど、どうかしら……?」

 

 またずいぶんな湾曲表現だ。科学者らしいよ、全く。

 ーーーだからこそ、好きだ。

 俺は自然に頬が緩む。緊張も溶けていく。今なら、言えそうだ。本当の気持ちが。

 喉を震わせて、俺は口を開く。紅莉栖に愛を伝えるために。

 

「紅莉栖ーーー」

 

 

 

 

 だが、その言葉は阻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目じゃないか紅莉栖……勝手に物事を進めてしまっては」

 

 

 

 

 

 

 唐突に俺の耳に言葉が届いた。紅莉栖を、呼んでいるようだった。誰だろうか。

 ーーーいや、知っている。この声は、俺は知っている。でも、そんな馬鹿な……!!

 顔を見なくても伝わる醜悪な笑いを浮かべて、紅莉栖と呼び捨てにする奴と言えば、アイツしかいない。でも……あの男がここに現れるはずはないのだ。ロシアに亡命したあの男は、その後警察に捕まってしまい、牢獄に送られたのだ。

 紅莉栖の父親である、中鉢博士は。いや、牧瀬章一は。

 俺は、恐る恐る振り向く。するとそこには小柄な男が、俺の脳内で思い浮かべたあの気味の悪い笑みを浮かべながら立っていた。ああ、間違いない。アイツは、インチキ臭がプンプンする腐った男、ドクター中鉢だ。

 だけど何故だ、何故ここにいる? どうして、お前がここに?

 目の前にいる小柄な男は、俺の迷いを面白がるかのように、さらに口を歪ませる。

 

「駄目じゃないか紅莉栖よ。そういう大事な話は、父親であるこの私にも相談しなくては、なぁ」

 

「ぱ、パパ……何でここに……?」

 

 紅莉栖も動揺していて、震えた声で父親に問う。中鉢は醜い表情一つ変えずに口を開く。

 

「何故って、当然じゃないのかね? 娘がようやく目覚めたのだ、こうして見舞いに来るのは親として当たり前だろう? まあそれよりもだ、良い話を持ってきたんだ」

 

「質問に答えてよパパ! 何でパパは、その、刑務所から出られたの? まだ刑期は終わってないはずじゃ……」

 

 そうだ、中鉢の刑期はかなり長いものであり、少なくとも2年少々で釈放されるわけがない。中鉢のやったことは殺傷と殺人未遂であるからだ。さらに学者の間でも、牧瀬紅莉栖の論文を盗用しようとしたことがばれてしまい、もはや地に落ちてしまっている。

 だがそんな中鉢がどうして病室にノコノコと来ているのだろうか。

 中鉢は紅莉栖をじっと見つめ、ニヤリと笑った。鬼気迫るものがあったのか、紅莉栖は俺の影に隠れる。

 

「お前たちに復讐をするためだ。そのために、私は地の底から舞い上がってきたのだよ……それを見せてやろう!!」

 

 中鉢は嗤いながら、入り口を指で指す。視線をそちらに寄せるとーーー。

 

 荒々しく静寂を破る足音が刻む複雑なリズムが、床を鳴らすのが聞こえた。複数人が、こちらに向かってきているのか?

 俺は嫌な予感がして咄嗟に振り向く。誰かが、この部屋に入ってくるーーー!

 病院内だというのに、バタバタと乱暴にこちらへと走っていき、部屋へと雪崩れ込む。一体何者なんだ。

 いや、一つだけわかることはある。こいつらは中鉢の傭兵だ。でも、中鉢にそんな力はあるのか? そんな金が一体何処に……?

 解らないことだらけで困惑した俺は、乱入した奴等の武器を確認する。

 ナイフ、拳銃、スタンガン。今この病室に現れた奴等は武器を持っていた。目的はーーー恐らく拘束、あるいは殺傷のどれかだ。

 しかし、戦意はあまり感じられず、目に光はないように思える。それにガタイはそこまで良いとは言えない。それこそ、学者然としている感じだ。しかも無駄に力んでいるため、倒そうと思えば倒せるだろう。ただ、筋力が落ちた俺に、SAOで鍛えた仮初めの戦闘スキルが通用するだろうか。

 ーーーいや、通用するしないじゃない。やらなくてはいけないんだ。もう、大切な人を失いたくはないから。

 忘れもしない。全てが音を立てて崩れたあの瞬間を。一発の銃弾が、俺の全てを変えていった、恐怖の瞬間を。

 だけどもう、あんなようにはさせない。俺だって少しは、強くなったのだ。俺は息を吸って心を落ち着かせて、中鉢に問う。

 

「一体何をするつもりだ……?」

 

「先ずは、ここで拘束させてもらおうか。やれ」

 

 中鉢は冷淡に傭兵たちに命令した。傭兵は短く頭を下げて、無言で俺の懐に入り込む。傭兵の腕は突き出された。その手には、スタンガンが握られていた。

 速度はそこまで速くない。俺はどうにか躱し手首を掴んだ。その手の甲を壁に叩きつけて男のスタンガンを床に落とす。俺はそれを拾い上げて奪い返そうとする男の脇腹にスタンガンを命中させた。男がダウンしたのを確認すると俺は紅莉栖にスタンガンを手渡した。

 

 

「紅莉栖、こいつを持っていろ。護身用にな」

 

「で、でも岡部の分は!?」

 

「俺はどうにか奪い取るさ」

 

 そういい、俺はスタンガンを持っている男に姿勢を低くして突っ込んだ。この手のことは、SAOで経験済みだ。SAOで武器を失ったとき、武器を持っているモンスターから良く奪い取ったから、どう動けば良いか理解している。姿勢を低くして相手の手首めがけて手を伸ばせばいい。しかも、相手はそこまで強くなかった。少なくとも2年前に戦った、SERNの刺客のラウンダーの方が強かった。

 俺の突進に、スタンガンを持っている奴は反応しきれず、無様に喰らい、落としてしまう。俺はそれを拾い上げて再び電撃を浴びせる。

 俺は前方を睨む。ナイフ、拳銃を持った奴等はただただ棒立ちになっている。それはそうだろう。どんなに音を消そうとしても発砲音は聞こえてしまうし、ナイフで切ってしまえば血の処理が面倒になる。また、ここまで大それたことをしているのだから恐らく防犯カメラは切っているであろうが、他の入院患者の目にもつくので警察を呼ばれてもおかしくない。そうなれば不都合だ。だから、俺に反撃をするにはスタンガンでしか不可能である。だが、見た感じもうスタンガンを持つ奴は一人もいない。俺がスタンガンを奪われない限りは、負けることはないだろう。

 あとは、紅莉栖にナースコールを押させて警察を呼んでもらえば全ては解決する。俺は振り向いて、紅莉栖に指示しようとした。

 

「紅莉栖、そこのナースコールを押してーーー」

 

 

 

 

 ビリッ!!

 

 

 

 

 

「っう……!!」

 

 

 

 

 俺の言葉は、最後まで言いきれなかった。何故なら、全身に強い衝撃を味わったからだ。痛み、というよりかは痺れが強い。ということは、スタンガンを喰らったというのか? だが、一体誰に……? だけど、スタンガンは合計二つ。一つは俺で、もう一つは……。

 

 

 

 

 

 

「何故だ……紅莉栖……」

 

 

 

 

 

 掠れた声で、俺は紅莉栖に問う。だけれども、紅莉栖は答えなかった。ただただ、光を失った目で、俺を見つめるだけだった。その紅莉栖の手には、スタンガンが握られていた。

 ドアの辺りには……新たな人影が、現れていた。

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふ……良くやってくれたぞ、須郷君」

 

「いえいえ、とんでもないですよショーさん。全ては計画通りです。このスイッチが間に合ってよかったですよ」

 

「思った以上にやり手だったからな。まあいい。とにかく連れていくぞ」

 

 霞む意識の中、いつのまにか現れた男と中鉢の会話を俺は聞いていた。須郷? しょーさん? スイッチ? 計画?

 俺は必死に考える。このキーワードの意味することは、なんであろうかと。

 だけれども、スタンガンでやられた体ではもう思考が回らず、色彩が失われ始めていく。もう、会話を聞くこともままならない。体が持ち上げられる感覚がしたが、これから自分がどうなるのか想像がつかないまま、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で伏線回収ができればと思います。
そして、この世界で起ころうとしている出来事も、書ければと思います。


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因果改悪のリユニオン

更新遅れました!!本当にすみません!!
小説執筆に手を振れていませんでした!!
申し訳ありません!!

久しぶりでいろいろ変わってるかもしれませんが、頑張ります。

……シュタゲ0は全クリしました。


「っ……」

 

 ぼんやりと、視界が戻ってくる。音はまだはっきりと聴こえてこない。俺はどのくらいこうして意識を失っていたのだろうか。

 俺はどうにか目を開けて、辺りを見渡す。寂れている重機や工具などが適当に放置されている。若干油臭いのは、恐らくここが廃工場だからだろうか。

 

「…………」

 

 俺は背後を見る。両手首が鎖で縛られていた。足も同じように拘束されている。拘束を解こうともがくも、両手両足使えない状況ではどうすることもできなかった。だが、なぜ俺はこうして縛られてるのか。

 いや、それは分かっている。

 紅莉栖だ。スタンガンを持った紅莉栖が、俺に襲いかかったのだ。紅莉栖は何の躊躇いもなく、言葉もなく、俺を攻撃した。

 そして……奴等が最後に残した、あの会話の意味は何だったのか。俺は言葉の端切れを引っ張り出す。

 計画通り? スイッチ? ショーさん? 須郷君……?

 4つの単語を並べあげてみる。まず、最後に中鉢が声をかけたのは、須郷で間違いないだろう。須郷は中鉢のことをショーさんと呼んでいたから、恐らくあの二人は組んでいる。計画通りということはこの襲撃もあらかじめ仕組まれたものだと思われる。俺を襲ったあの傭兵たちは強くなかったから臨時かと思ったが、そうでもないようだ。

 そして……スイッチだ。何のスイッチだ? なぜスイッチが関わってくるーー。

 待て、奴等はこういった。

 このスイッチが間に合ってよかった、と。

 つまり……スイッチで状況を逆転させたということになる。言い換えれば、そのスイッチが、奴等の危機を救ったことになる。逆転の瞬間と言えば、あの場面しかない。

 紅莉栖が俺に、スタンガンを当てた瞬間だ。

 なら、紅莉栖はなぜ、俺に攻撃したんだ。

 と、その時コツコツと音が響いた。思考を止め、体をこわばらせる。誰かが来る。

 俺の予想は正しく、高級そうな革靴が見えた。俺は顔をあげ、誰か確かめる。

 

「やぁ、お目覚めのようだね」

 

 なめらかで、でもどこか気持ち悪い声が鼓膜を揺らす。こいつは、須郷伸之だ。その後ろには、数人の傭兵―――しかも病院の傭兵とは明らかに戦闘力が違う―――、そして中鉢博士までいる。俺は奴らを睨み付ける。

 

「……紅莉栖はどこだ?」

 

 この場にいない紅莉栖の場所を聞く。須郷はニコッと笑った。その笑みは、営業用のスマイルではなかった。いや、表面上は、穏やかで、よい印象を与えるものであろう。

 だが、感じた。奴が下をのぞかせて俺のことを下品に笑う姿を。可笑しくてたまらないのだろう、こんな状況に陥った俺の事が。

 俺は悔しくて、歯噛みする。須郷はそれを見てククッと喉をわずかにならす。それがなお、俺を腹立たせた。

 

「答えろっ!! 須郷!!」

「やれやれ、少しおとなしくできないのか……な?」

 

 俺の怒声に須郷は、芝居がかった両手をあげるポーズとため息、そして鳩尾に入り込んだ乱暴な一発の蹴りだった。ドスッと鈍い音が響き、息が詰まる。

 

「うっ……」

 

 俺はバランスを崩し、床に倒れ込む。痛みはなおも引かず、ただ鳩尾のあたりを這い回っている。痛みを和らげようとくねくねと両足を曲げるも、効果はなかった。まるで横転した芋虫が必死に起こそうと体を一生懸命くねらせようとしているかのようだった。

 そんな俺に、須郷の足蹴りがまたも加えられる。二度、三度、四度。何とか防ごうと体を丸めたが、奴の革靴は先が長いためか、すぐに届いてしまう。体が震え、鈍い衝撃が体を貫く。そのたびに須郷をはじめとしたほかの人間が下品な笑い声をあげる。睨み付ける余裕もなく、ただただ暴力を受け入れるしかなかった。

 

「がはっ……」

 

 もう一度鳩尾に入る。再び息が詰まる。ため込んでいた息が急に吐き出され、喘ぐ。もうすでに限界だった。

 

「ふふ、無様だな……。そろそろ楽にしてやるぞ」

 

 中鉢が残忍な笑みを浮かべながらポケットから何かを取り出した。拳銃かと思い身をこわばらせるが、出てきたのは何かのスイッチだった。拳銃でないということにホッとしつつも、それが一体何なのであるか気になった。

 まて、スイッチだと?

 もしかしてあれは……病室で使われた奴じゃないのか? あのスイッチのせいで紅莉栖は俺に攻撃してきた―――。

 突如、身も凍るような推測が思い浮かんだ。あのスイッチを押してから、紅莉栖は不可解な行動をした。あいつは誰よりも論理的な奴だ、だからあんな行動をするはずがない。となればあいつは、何かされた、それも、洗脳レベルの事をされたと考えるべきだ。もし俺の考えが正しければ、俺は―――洗脳されてしまう。もしかしてこれは、命を奪われるよりもやばいことなんじゃ……!

 だが、その時にはすでに俺は何人かの傭兵に体を抑えられ、何かをかぶせられた。この堅い感触は、ナーブギアだ。重厚に響く軌道音が鼓膜を揺らし、心の警鐘が鳴り響いている。これはやばい。なんとか逃れないと……!!

 しかし、拘束されているので振りほどけない。中鉢がニヤッと笑いながらスイッチを押す指に力を込めていく―――

 

 パシュッ!!

 

 突如、小気味いい音が小さく響き渡った。明らかに音が押さえられている。俺はそれが何の音かすぐにわかった。銃声だ。サイレンサーをつけて最小限音が漏れないようにしているようだ。

 どこからか放たれた銃弾はまっすぐ中鉢の握るスイッチに当たった。スイッチの面積はせいぜい手のひらから少しはみ出る程度だ。その面積の小ささにもかかわらず正確に当てるとは、かなりの技量である。

 

「なっ――!?」

 

 スイッチはばちっっとスパークをあげて故障してしまい、中鉢は上方にある金網の高架通路を見ながら舌打ちをする。俺も中鉢たちが見る方向へと首を上げ、誰かを確かめる。

 明かりはついていないため、はっきりとは見えない。ただ、高架通路にいる侵入者はたった一人ということは分かる。

 

「奴のようですね……撃退しろ!!」

 

 須郷が素早く傭兵たちに支持を下すと、彼らはマシンガンを腰から取り出して、高架通路に向けて発砲した。嵐のように吹き荒れる銃弾は高架通路に命中し火花を散らせる。しかし侵入者はまるで憶する様子もなく素早く押下通路を駆け抜ける。

 

「何やってる!? さっさと奴を殺せ!!」

 

 須郷の怒鳴り声が倉庫の中で響くも、傭兵たちは動きをとらえられないでいた。侵入者の動きは一切の無駄がなく、広い視野で戦局を見ているため、マシンガンの動きがある程度予想出来るのだ。

 傭兵たちはなおもマシンガンを乱射し続けるが、ここで一人が不覚にも弾切れを起こしてしまった。リロードすべく腰から替え玉を取り出す。

 しかしそれは戦場において致命的な隙であった。

 

「ふっ!!」

 

 侵入者は躊躇なく高架通路から飛び降りて着地した後まっすぐに傭兵たちへと駆けていく。何人かが銃で応じるが俊敏な動きで躱しながら接近していき、侵入者の拳打が顎に強く当たった。

 

「がっ!?」

 

 侵入者は空いた懐に二、三発拳をたたき込み締めに蹴り飛ばす。その間わずか数秒である。そのあまりの強さに他の兵たちは動揺し、反応が遅くなっていく。侵入者は好機到来といわんばかりにさらに速度を速めて次の目標との距離を縮め、肘打ちを浴びせる。鳩尾に当たったようで、傭兵は悶絶して倒れてしまった。

 

「くっ、相手は一人だ! 囲めば問題ない!!」

 

 だがさすがというのかなんというか、相手はプロの傭兵だ。すぐに態勢を整え、侵入者を取り囲んでいく。侵入者もこの包囲を突破するのはさすがに厳しいらしく、立ち止まってあたりを見回している。

 

「よし、動きは止まった!! 撃て!!」

 

 リーダーと思わしき男が冷徹に叫ぶと全員が自動小銃を構える。侵入者は一か八かの突撃を図ろうと前傾姿勢になった。

 が、事態は予想外を極めていく。

 

「ぎゃあああああっっ!!?」

 

 突如、取り囲んでいた一人が悲鳴を上げた。辺りに血しぶきが飛び散り、その男はゆっくりと倒れる。見るとその男の背中には、一筋の生々しい軌跡が描かれていて、皮膚が爛れていた。ナイフとかで切られたのか? だが、ナイフで一閃されたからといって絶命に至るはずがない。ならいったいどうして?

 俺を含めた全員が倒れた男の後ろを見た。

 そこには一人の人間が立っていた。腰には銃とナイフ、右手には――青く光る棒のようなものが下げられている。突如現れた何者かはゆっくりと歩き始め、微かに漏れる光にその姿をさらけ出した。意外に華奢な体格で、顔はフードに覆われていて分からない。そして黒のコートを羽織っている。彼が握っているものは、筒状のものであり、どうやらそこから光る棒が出ているようだ。所謂光剣という奴だろうか。だがそんなものはこの2012年には……。

 

「な、なんだお前は!?」

 

 傭兵の一人が吠え、自動小銃を黒ずくめの男に向けた。その距離はわずか10メートルほどだ。この距離で打たれたら間違いなく彼は死ぬ。だが、黒ずくめの男は死の危険を理解していないのかわからないが、微動だにして動こうとしない。

 

「死ねっ!!」

 

 その態度に腹が立ったのか傭兵は小銃のトリガーを引いた。小気味いい音が連続して放たれ、男に向かって銃弾が何発も放たれる。

 だが男は冷静な挙動で光剣を勢いよく縦に降る。それは見事銃弾に命中し、弾いていく。

 

――銃弾を斬っただと!?

 

 銃弾を斬ることなんて考えなくても不可能だって分かる。極小の弾丸に正確に、且つタイミングよく剣を降り下ろさないといけないが、そんなものは人間では到底不可能だからだ。だが、目の前の男はそれをやってのけた。いったいどれだけの戦闘訓練を積めばここまでのレベルになるのか……。

 銃弾を叩き斬った男に対し、雨のように銃弾が放たれている。だが男はそれに対して臆することなく次々と銃弾を捉え、剣を振り続ける。そして男は一発も外すことなく銃弾を斬り続けた。まるで弾道がもうすでに分かっているかのような振舞いだ。昔見たSF大作スパークウォーズの主人公がこんな風に敵の弾丸を斬り裂いていったがまさか現実でこんな場面に遭遇するとは思わなかった。

 射撃が終わり、男が光剣を下ろすと傭兵は震え上がった。それはそうだ。銃弾をすべて斬ってしまうような男なんて、ただの化け物だ。

 

「そ、そんなばかな……奴は本当に人間か……!?」

 

 中鉢に至っては足をがくがくと揺らし、顔面に汗を滴続けている。俺も今すぐに逃げたい気分だ。

 

「ああ、人間さ。それとあんたたちがこれから何をするか、もう分かっているんだ。悪いが、斬らせてもらう」

 

「な、なに……!? お前は誰なんだ!?」

 

 須郷が怯えた表情で問う。だがフードの男はフッと笑うだけで答えない。代わりに光剣を構え、前傾姿勢で迫った。

 

「ひ、ひぃ!?」

 

 須郷が上擦った悲鳴をあげ、逃げようとするも男の俊足からは逃れられず、服の端を掴まれる。抵抗する須郷に男が一太刀浴びせようと剣を突き出した。

 が、銃声が再び響く。男は須郷を離し、咄嗟に光剣を振って弾いた。銃声が男に向けられたのを俺が理解したのは弾いたあとだった。またもう一人現れたのか?

 

「やっぱりそう簡単にはいかないか……」

 

 男がそうぼやくと銃声のした方へと駆けていった。その際、ちらっと最初の侵入者を見たのを俺は見逃さなかった。

 最初の侵入者は包囲網を敷いていた傭兵たちをあっという間に倒す。先程の男の強さを知って震えていたため、簡単に突破できたのだろう。その後真っ直ぐ俺の方へと向かい、ナイフを取り出して俺を縛っていた縄を切った。

 

「立てるか?」

 

 侵入者は限りなく小さな、しかしはっきりとした声で俺に問う。まだ須郷たちによる攻撃の痛みは残ってはいるが黙って頷いた。

 侵入者は良しというように俺を立たせ、黙って指を指す。そこには分厚い扉があった。

 

「あそこまで行くよ。今あの男が奴等を引き付けているからその隙に逃げる」

 

「ま、待て! お前たちは何者なんだ?」

 

「質問は後だ! 今はとにかく脱出するぞ!!」

 

 鋭い声で俺を黙らせると、侵入者は俺の腕を引いて走っていく。横を見ると男が光剣を構えて何者かと戦闘している。男の相手は、ヘルメットとライダースーツに身をまとっている人だ。胸が張っているから女と推測できるが、男の剣を弾き返すほどの剣技をやり過ごしている。相当な戦闘訓練を受けているのは確かだ。ここは本当に日本なのだろうか……。

 いや、今俺の腕を引いて走っていく奴も、よく見たら細いし、胸に小さな張りがあった。あの喋り方に戦闘訓練のある女と言えば萌郁があたるが、アイツは巨乳だしそもそもこの世界線では分からないがSERNのラウンダーだ。俺を助けに来ることなんてあり得ない。となれば……。

 

「手を離して!!」

 

 女は鋭く俺に命じた。目の前には鍵がかけられている、堅そうなドアがある。俺は素直に手を離した。

 女は数歩下がって精神を統一するように息を吐く。

 

「フッ!!」

 

 女は渾身の力を込めて目の前の固いドアを蹴り破った。すさまじい破壊音が響き、俺は内心ばくばくだった。何者かが薄々分かっているだけ、余計怖い。

 

「行くよ!!」

 

 呆然としている俺を呼び、光差すドアの外へ出る。俺もそれに続いて外に出た。

 

「まだ気を抜かないで! 安全なところへ行くまではね」

 

 女は俺の腕を再び手に取ると走り始めた。すでに俺の息は乱れ、足はもつれかけているが捕まったら死んでしまうのは分かっていたので全力で走った。

 日はまだ空に浮かんでいたがもうじき暮れそうである。空気も冷たく、そろそろ体力の限界が近づいていく。

 数分後、近くの公園にたどり着いた。女はそこで足を止め、俺をベンチに座らせた。急に体の力が抜け、苦しくなる。俺の許容範囲を越えて走っていたのだから体が悲鳴をあげるのは当然だろう。女は俺の息が整うの待ち、それから腰にある水筒を俺に差し出した。

 

「あ、ありがとう……」

 

 俺は水筒の中身を一気に飲んだ。中身はただの水だがそれすらも今は天国の料理のように思えた。

 

「落ち着いたか?」

 

「ああ……大分な……」

 

 俺は息を吐き、水筒を彼女に返す。

 

「岡部倫太郎。きっとお前には聞きたいことが山ほどあるだろうがまずはあたしの話を聞いてくれ」

 

 女は俺を呼び捨てで呼び、先に釘を刺した。俺は頷き、彼女の話を聞く。

 

「あたしの名前は阿万音鈴羽。2036年から来たタイムトラベラーだ」

 

「…………やはりか」

 

 彼女が名乗った名前は俺の記憶に強く残っている。あらゆる世界線で戦い続ける、ダルの未来の娘だ。俺たちが逃避行を続けているときも俺は彼女が鈴羽だと予想していたが見事に的中した。だがなぜ彼女が過去に来たのだ? 

 いや、言うまでもない。未来になにか良からぬことが起こるからだ。

 

「須郷と中鉢による邪悪な研究が成功し、2036年には奴等が築き上げた巨大な権力国家がディストピアが形成してしまう。あたしはそれを変えに来たんだ」

 

「…………」

 

 奴等がディストピアを形成してしまうのはにわかには信じられない。須郷はともかく中鉢は犯罪者だ。そんな奴が権力を得られるはずがない。だが、鈴羽がこうして未来から来たのだから間違いはないのだろうが。

 

「未来の父さんはこう言ってた。まず2012年のオカリンおじさんを洗脳から救うこと、そして奴等の計画を破壊することが未来を変えるために必要なことだって」

 

「俺が……洗脳……」

 

 洗脳という言葉を聞いて俺ははっとした。俺はあと少しで洗脳されるところだったのだ。ダルの言葉によれば、未来の俺は奴等に洗脳されてしまっているということだ。奴等は本当に洗脳技術を習得していたのか……。

 

「もしかして、紅莉栖は洗脳されてしまったのか……?」

 

 俺は、胸に抱いていた恐れを吐き出した。鈴羽は一瞬目を見開いたが、厳しい表情で首を縦に降る。

 

「うん……牧瀬紅莉栖は、奴らに囚われて洗脳され、ディストピアを作る要因の一つになったんだ」

 

 やはりか……!!

 俺は怒りで頭が真っ白になりそうだった。紅莉栖は奴らの思うがままにされてしまったのか。そして紅莉栖は暗黒に満ちた未来を形成しようとしている。俺は絶望でその場から倒れてしまいかけた。

 

「大丈夫……?」

 

「あ、ああ……すまない」

 

 鈴羽の気づかいに俺は礼を述べた。

 だがなぜこんな未来へと変わってしまったのか。シュタインズゲート世界線は確かに不確定ではある。だが、紅莉栖とまゆりを救い、第三次世界大戦を回避した先が奴等によるディストピアになるのはおかしい。いくらなんでもおかしい。

 それとも、シュタインズゲート世界線ではないのだろうか……?

 

「なあ鈴羽。ひとつ聞きたいんだ。ここは……シュタインズゲート世界線か?」

 

 俺の質問に対し、鈴羽はゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、違うよ。ここはシュタインズゲート世界線とはかけ離れた世界線だ。未来の洗脳された君が奴らに提供したデータを盗んだんだけどそれによると、世界線変動率は……9%台だそうだ」

 

「9%!? どうしてそんなに変化したんだ!?」

 

 シュタインズゲート世界線の世界線変動率は1%台のはず。だが一気に8%も変わってしまっている。いったいどう転べばこんな世界線に到達するのだ……。

 

「《ソードアート・オンライン》が、いや、《世界初のVRマシン》が発売されたからさ。君達が別の世界線で、タイムマシンを開発したのと同じように、大きな出来事が起こると世界線はいくつかに分裂するんだ」

 

 そういえば奴等は俺を洗脳しようとしたとき、ナーヴギアを被せた。ナーヴギアがディストピアへと繋がるひとつの要因になるということだ。

 しかしここで新たな疑問が生まれた。世界線が大幅に変動したなら、何故リーディングシュタイナーが発動しないのか? 何故SAOとナーヴギアが発売されたとき、またはβテストを受けたとき等で発動しなかったのか。

 いや、リーディングシュタイナーは発動はしていた。美少女コンテストに出る前に、俺は夢の中で、鈴羽に出会い、その時にあの感覚が来たのだ。

 そうだ、あの時は何だったのか。急に鈴羽は俺にこう言ったんだ。

 

『岡部倫太郎。伝えなきゃいけないことがあるんだ。この世界線は……狂い始めているんだ』

『岡部倫太郎……世界を……』

 

 今その言葉は現実となりつつある。まゆりは須郷に乱暴され、紅莉栖は洗脳されてしまった。そして未来では須郷と中鉢によるディストピアが形成される。もしかして、これはただの夢でもない――?

 俺は鈴羽にそのことを聞こうと口を開いた。だが――

 

「っ……誰か来る!! 伏せて!!」

 

 鈴羽が無理やり俺の頭を抑えてベンチの下へと潜らせる。まさかさっきの追手か? 俺は全身を強張らせてベンチの下から覗き込む。

 

「動くなっ!! 何者だ!?」

 

 どうやら誰かが現れたようで鈴羽の鋭い声が飛ぶ。だが――

 

「俺だよ俺。全く味方に銃を向けるとはひどいやつだな」

 

 低く、それでいて柔らかい声がおどけた調子で小さく聞こえる。だが鈴羽はそれでも警戒を解かない。

 

「合言葉を言え。君に萌え萌え」

 

「……それ言わなきゃダメか?」

 

「当たり前だ。あたしだって言わせたくはないが」

 

「だったらいいじゃんか……ばっきゅんきゅん」

 

「……岡部倫太郎、もういいぞ」

 

 俺は言われたとおりにベンチの下から這い出る。すると鈴羽の近くに一人の男が立っていた。

 ……誰だ?

 俺は姿をまじまじと見る。フード付きの黒いコートを羽織っており腰には二本の筒と拳銃、そしてナイフが携帯されている。そういえばこの男は俺を助け出してくれた奴にそっくりだ。

 

「誰だ、その男は?」

 

 俺は鈴羽に聞く。だが鈴羽に変わってその男が答えた。

 

「ああそうか、まだこの時代のアンタには自己紹介はしてなかったな。もっとも、初めてリアルで会った時のアンタは相当ひどかったけど」

 

 この時代? 引っかかる表現だ……。

 

「名前は何だ?」

 

 俺の質問に、口元を緩ませるとフードに手をかけて脱いだ。始めて露わになるその顔を見た俺は、狼狽した。

 

「……!!」

 

 顔は中性的な印象を与え、女と間違えそうなほどに繊細だ。体格も華奢で鈴羽とそう変わらない。そして全体的に黒を基調としていて、武器が剣主体である。

 俺はこういう奴をどこかで見たことがある。SAOの中でだ。《黒の剣士》と呼ばれ、最強クラスの実力を誇る二刀流剣士を思わせるものが、あるのだ……!!

 素顔を見せ、再び不敵に笑うと、自己紹介をした。

 

「俺の名前はキリト、いや、桐ヶ谷和人。2036年から来た、タイムトラベラーだ」

 

 

 

 




伏線全てを一話で回収はしません。次でも回収していきます。それと0の内容もできるだけ取り入れようかと思っています。ちなみに今回も地味に0の内容も入れています。君に萌え萌えバッキュンキュンはプレイしていればああなるほどってなるかもしれませんw 
……しなくてもわかるかw


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