川はただ流れていく (白猫文幸)
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 スラリンが旅立ってから一月が経った。

 

 俺は今日も妹弟たちの世話で大忙しだ。

 

 一番上の妹、スラルンは最近さらに愛らしくなったが、もういいトシだというのに花ばかり眺めてぼうっとしたり、ルンルンしたりしている。

 

 その下の弟、スラレンは元気すぎる。レンジャーごっこばかりでちっとも弟たちの面倒をみようとしない。

 

 その下の弟、スラロンは逆に大人しすぎる。引っ込みがち、というか、ほとんど引きこもりだ。ほとんどしゃべらないが、意外と下の面倒をみる。とは言え引きこもりなだけあって、積極的なわけではない。

 

 その下の弟、スラワン。ここからはまだチビだ。こいつは泣き虫で、わんわん泣いてばかりいる。

 

 そのまた下の弟、スラヲンは謎だ。俺にもこいつのことはよくわからない。生まれた時から不思議さ全開だった。先日は四時間もの間木の枝に挟まって身体が落ちるか落ちないかのギリギリで踏みとどまることをひたすら続けていた。

 

 末の弟、スラン。こいつは一番、スラリンに似ている。

 

「にいたん! スラランにいたん! ボク、きょうすっごいぼうけんしたんだよ!」

 

「にいたん! きょうね、みずたまりのふりして、ガスミンクたちをおどかしたんだよ!」

 

 いつも目をきらきらさせて、その日の冒険の話をする。俺に懐いてべったりだ。小さい頃のスラリンもそうだった。

 

「にいたん! ボクもいつか、スラリンにいたんみたいにたびにでたいな!」

 

 俺は思わず身体を伸ばし、スランの頭を叩いた。スランのツノが一度プルンとへこみ、また元に戻る。

 

「バカ! この世界は危ないことだらけなんだぞ! 冒険なんて危ないだろう! スラリンは、あいつはバカなんだ! お前はあんなスライムになっちゃだめだ!」

 

 弟たちを叱るのは辛い。子どもの夢をつぶすのは、自分も痛い。

 

 でも俺は、こいつらを守らなくちゃいけない。長男として。

 

「特にお前は方向音痴なんだから、旅なんて絶対に無理だ!」

 

 スラリンがあの人間たちに付いて旅に出てから、俺は怒ってばかりな気がする。

 

 

 

 

 俺は両親が山賊ウルフに殺されてからずっと、妹弟たちの面倒をみてきた。

 

 次男のスラリンは、遊んでばかりで全く面倒をみなかった。いや、少しはみたかも知れないが「遊んでやっていた」類のものだ。

 

 生きるのに必要なこと、例えば水場の探し方や、危険な魔物に出くわした時どうするか、人間に出会ったらどうするか、変なものを飲み込んでしまった時の対処法、身体の水分の節約法、身体の洗い方、流されずに川を渡る方法、ケガをした時どうするか、薬草の持ち方、そういう、いろんなことを教えたのは全て俺だ。

 

 俺は厳しくそれらを教えた。妹弟たちの身を案じてのことだ。こいつらが不慮の事故に巻き込まれて、両親のように命を落とさないように、不幸にならないように。

 

 スラリンは一緒に遊んでいただけだった。もちろん俺も遊んだ。でも、こいつらは俺よりあいつのほうに懐いた。

 

 ある日、スラリンは隠れ家の岩陰に帰ってくるなり言った。

 

「兄ちゃん! オレ、旅に出るよ!」

 

「えー、スラリン兄ちゃん、どこ行くの~?」

 

「ぼくもいくー!」

 

 弟たちは大騒ぎだ。

 

「スラリン、どうしたんだ突然? 何かあったのか?」

 

「兄ちゃん聞いてくれよ! 人間がオレを仲間にしてくれたんだよ。一緒に行こうって。冒険の旅をしてるんだってさ! すごいだろ!」

 

 目を輝かせるスラリン。ため息しか出ない俺。俺はできるだけ静かに言った。

 

「ダメだ。冒険なんて危険だ。俺たちはスライムなんだぞ? 冒険なんてできるわけない」

 

「そういうと思ったよ。でもね、兄ちゃん、俺は行くよ。確かにオレたちは弱っちいスライムさ。でも、そんなスライムがどこまでやれるか試したいんだ!」

 

「バカ! 死んだらどうする! っていうか、スライムなんかすぐ死んじまうんだぞ!」

 

「なんて言われようと、俺はあの人と一緒に行くんだ!」

 

「あの人って……人間なんか信用できるわけないだろ! からかわれてるんだよ!」

 

「いいや、あの人は信用できる。兄ちゃんだって会ってみればわかるさ」

 

「ふん、会うなんてとんでもない! ふんづけられて、下手すりゃ切られたり刺されたりして、殺されちまう! スラリン、バカなことはやめるんだ!」

 

 俺は気が付くと大きな声で叫んでいた。妹も弟たちもすすり泣いてしまっている。スラリン、お前のせいだ。

 

「にーたん、いってらっちゃい」

 

 スランだけが、ニコニコとスラリンにツノを振っていた。

 

「おう、スラン、スララン兄ちゃんの言うことをよく聞いていいこにしてろよ。帰ってきたら、すっごい冒険の話いっぱい聞かせてやるからな!」

 

「うん!」

 

「スララン兄ちゃん、ごめん。じゃあな、みんな! 行ってきます!」

 

 そう言って、スラリンは一気に岩陰を飛び出して行った。最後まで勝手なことばかり言いやがって。まだまだ文句を言ってやりたくて、俺も飛び出して追いかけた。少し走って、俺は止まった。

 

 紫ターバンとマントを纏った人間の男と、エメラルド色の髪にボロボロの服を着た人間の男がスラリンを迎えていた。傍らには生意気に馬車まである。

 

 紫のマントの人間は両膝を地面につき、スラリンと熱心に何か、何か楽しそうに話している。だが、ふと俺と目が合った。スラリンのやつが何か言ったのだろうか。その人間は、俺を見て、笑った。

 

 危険だ。おそらく、危険なはずだ。だってあいつは、人間だもの。

 

 俺は警戒しつつ、そいつを睨んだ。あいつは微笑んでいるんじゃない。脆弱な俺たちスライムをバカにして、嘲笑しているのだ。

 

 そいつは立ち上がり、こともあろうに俺に近づいてきた。俺の身体の真ん中あたりがドキンと跳ねた。こいつはまさか、俺のことを……。

 

 俺は全力で逃げた。後ろを振り返る暇はない。人間が本気で追って来れば、すぐに追いつかれてしまう。そして下手を打てば、隠れ家も見つかって、妹弟たちも全滅だ。必死に茂みに隠れながら、俺は逃げた。

 

 

 

 

 それから三年ほど経った。

 

 突然訪れたドラキーによって、スラリンの死亡を知った。

 

 そのドラキーも友達が死んで、はるか遠くのグランバニアまで葬式に行ってきたらしい。聞けば、その友達とやらも人間に付いて行ったらしい。そして、一年も経たないうちに、グランバニア近くの塔で死んだそうだ。スラリンも同じ日に、その塔で死んだらしい。

 

 あいつは本当にバカだ。人間に付いて行って、二年も経たずにまんまと死んでしまった。

 

「いいやつだったんだけどにゃ~。あの時、もっとちゃんと止めておけば良かったにゃ~」

 

 ドラキーも後悔していた。もちろん俺もだ。

 

 妹弟たちも悲しむだろう。でも、折りをみて話さねばならない。

 

「でも、変な感じだったにゃ~。その葬式は人間たちがやってたのにゃ。ボキは人間の言葉はわからんから、近くにいた腐った死体に通訳してもらったにゃ~。そしたら、三年くらい前になんか事件があって、大変で、落ち着いたから葬式したんだそうにゃ」

 

「よくわからんな」

 

「まあ、腐ってるヤツの話だからにゃ~。でも人間たちもわんわん泣いてて、本当に変な光景だったにゃ」

 

 ドラキーが行ってしまった後も、俺はその場に佇んでいた。夕日が身体をオレンジに染めて、まるでスライムべスになった気分だ。自分からはよく見えないけど。

 

「スラリンのバカ野郎……」

 

 夕日の中なら、涙もオレンジに見えるのだろうか。

 

 

 

 それから六年ほど経った。

 

 スラルンは花を眺めるのに夢中になりすぎて、クックルーの接近に気が付かなかった。花もろともついばまれて死んだ。

 

 スラレンは立派に成長して、さっさとメスとどこかへ行った。

 

 スラロンは引きこもりすぎて、干からびて死んだ。

 

 スラワンは泣きすぎて、干からびて死んだ。

 

 スラヲンは行動が謎すぎて、放っておいたらいなくなっていた。

 

 そして末っ子のスランは、やはり止めても聞かずに旅に出てしまった。あいつは方向音痴で、決して南に行ってはいけないと言ったのに、北と間違えて南へ行ってしまい、山賊ウルフに殺された。

 

 そして俺は一人になった。

 

 気が付けばずいぶん年を取っていて、昔みたいに素早く動けなくなっている。

 

 日々が無為に過ぎていく。

 

 ただ生きている。

 

 岩陰に身をひそめ、時々水分補給のために水場に行き、眠る。その繰り返しだ。だが決してヒマではない。常に緊張して、周囲に気を配っている。危険から身を守らないと、スライムなどすぐに死んでしまうのだから。

 

 水場に行くのも命がけなのだ。先日はうっかりブラウニーの木づちにつまづいて怒られた。ガスミンクのガスがにおったらすぐにその場を離れなければならない。

 

 まさに今、俺は水場に向かっている。スライムの足では二十分ほどかかるが、穴場だ。

 

 だがその日は運が悪かった。

 

 ちょうど近くに、人間の群れがいた。生意気に馬車まで連れている。俺は茂みに隠れて様子をみた。

 

 大きな人間が二人と小さな人間が二人。それに、なんだあれは。

 

 スライムナイトがいる。あの大きな獣はキラーパンサーか? 踊る宝石までいるじゃないか!

 

 どういうことだ。なぜ魔物が人間たちと一緒にいる?

 

 俺は少しだけ近づいてみた。自分が信じられなかった。危険すぎる。本能は逃げろと言っている。だが、さっきから身体の真ん中へんが、ドキドキして止まらないんだ。

 

 近づくと、人間の姿が少しはっきりした。三人は金色の髪をしている。そして、一番大きな人間は、紫のターバンを巻いていた。

 

 あいつだ!

 

 スラリンのかたきだ!

 

 あいつがスラリンを死なせた。あいつのせいでスラリンが旅立った。

 

 あいつのせいで……俺はずっとこの場所で、妹弟たちの面倒を一人でみる羽目になった。

 

「許せない」

 

 思わず声が出てしまった。

 

 その声にまずキラーパンサーが気づき、そして人間たちも気づいた。

 

 俺は逃げなかった。

 

 人間たちがゆっくりと近づいてくる。魔物たちはその場にとどまっている。

 

 ドキドキが強くなる。

 

 俺は逃げない。

 

 このままここにいれば、人間が近づいてきて、そして……俺を……。

 

「スラリン?」

 

 紫のターバンの人間が言った。

 

「スラリンなのか?」

 

「えっ? スラリンって、あの?」

 

 小さな人間が驚きの声を上げる。どうやらメスのようだ。

 

「いや、スラリンじゃない。スラリンのはずがない……」

 

 そうして、その人間たちは、悲しげに俺を見た。

 

 なぜなのか、自分でもわからなかったが、その瞬間、俺は逃げ出していた。ドキドキはいまだに続いているが、締め付けられるように苦しい。

 

 橋を越え、草原をひた走った。

 

 走っても走っても、同じような草原と山しかない。締め付けられる苦しみはおさまらない。

 

 何日も走った。人間たちの町を一つ越えた。森の中も山の中も走り続けた。

 

 そして、川に出た。

 

 俺の身体はもう水分がギリギリまで減って、とても小さくなっていた。

このまま、干からびて死ぬのも悪くないかもしれない。

 

 川のせせらぎを見つめながら、俺は思った。

 

 

 水はただひたすらに流れていく。

 

 雲はただひたすらに流れていく。

 

 風はただひたすらに流れていく。

 

 大地はだたひたすらにそこにある。

 

 木々はただひたすらに立っている。

 

 川の水は、ただひたすらに流れていた。

 

 喉がゴクリと鳴った。



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