西方十勇士+α (紺南)
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第一章 東西交流戦
一話


9月17日改稿


――――ああ、強いなあ。

 

目の前の女の子から繰り出される拳を避けながら率直な感想。

自分と同じぐらいの年齢から繰り出される拳の重さ。

たぶん、俺らの年代で随一ぐらいだろう。

ぼんやり思って、一発カウンターを決める。

 

「ぐっ……。っまだだあ!!」

 

噂に何度も聞いたことがある川神院。

あまり興味もなかったが、実際来て見ると噂以上に凄かった。

 

俺と同年代でここまで強い奴がいて、周りに居るのもレベルの高い奴ばかり。

そこの所の爺みたく、人外クラスも居る所にはいるんだなと怖気すら覚えた。

 

少女の腹に掌打を当て、肉を切らして骨を断とうとするカウンターをガードしてそう思った。

 

「はっはっ! 嬉しいぞ! 私と同い年でここまで強い奴がいるとは!!」

 

何だか余裕綽綽な少女。自分が押され気味だというのにこの余裕。こいつ自分が負けるとは思ってないらしい。

俺としてはこの試合の終わりが見えているんだけど、まだ何か隠し玉でもあるんだろうか。

その疑問は、少女の次の発言で解決した。

 

「もっとだ! もっと楽しませろ!」

 

あ、こいつただ人のこと舐めてるだけだ。

今までこれだけ戦えるのは大人ぐらいしかいなかったんだろうが、それにしても舐められている。

 

さすがにこうまで言われてしまっては、多少の苛立ちを覚える。

この鼻っ柱を叩き折って終わりにしよう。

 

「電気は好きか?」

 

「なに……?」

 

一瞬呆けたその瞬間に電気を流し込む。ばちぃっと感電した音。

 

「がっ」

 

どうせすぐ回復するだろうから手加減は無し。瞬間回復とか言うらしい。どんな技だよ。

 

プスプスと煙が上がっている。だがそれもすぐにおさまった。

最初から効果は期待していない。それよりこの一秒にも満たない時間が欲しかった。

 

「淵源。怨言。炎幻」

 

適当に言霊で願掛け。あまり強くなくてもいいだろう。それでも恨みごと使ってるから十分強い。

気を性質変換させた炎で形作る、人間なんかよりずっと大きな巨人。自分を中心に広がる致死の領域。

核は俺。そんなに大きくはしない。道場燃えるから、上半身だけでいい。

量より質。圧縮して圧縮して作る。

 

「でーきた」

 

火の中でもわかる。パラパラと火の粉が舞い散る様は幻想的で綺麗な光景。

馬鹿みたいな量の気を使って作るこれは、それだけに最強の盾であり、最強の矛にもなる。

 

技名は『炎心』

 

巨人の動きは俺と連動してるから、髪を掻く動作をするとこいつも髪を掻く。

人間らしい動きが、シュールで面白い。

 

「呆けてる場合か?」

 

取りあえず、炎心出してから動きのない少女を殴る。

見た目に反して動きは俊敏。連動してると驚くほど速い。

 

道場の端まで吹っ飛んだ少女に追撃。消費する気を増やして左腕を伸ばし、捕まえる。

右腕に気を集中。他の防御が薄くなるが必殺の一撃にまで昇華する。

 

「終わりにしよう」

 

叩きこむ決め技。終わったと油断して、もう立ち上がらないと決めつけて、気が緩む。

視線を逸らし、隅の方でこの戦いを見ていた爺共に歩み寄ろうとして、

 

「がッ……!」

 

後頭部に衝撃。

同時に世界が反転して――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隙ありいいいいいいいい!!!!!」

 

「お」

 

回想から覚めれば目の前に剣。

太陽の光を反射しながら鈍く光る刃がえらい勢いで迫っていた。

 

咄嗟に手で受け止めて弾く。

その際に気の練りが甘かったのか、若干手が切れた。

自分の血を見るのは久しぶりのことで、少し動揺する。

 

剣を弾かれた男は「ちッ」と舌打ちを残してバックステップ。

十分に距離を取ったところで切っ先を向けて怒鳴ってきた。

 

「貴様随分余裕じゃないか! 決闘の最中に考え事とはなぁ!?」

 

「悪い。楽勝すぎて回想してた」

 

掌外沿をさすりさすり。

傷の礼も込めて煽ってみる。

案の定、奴は屈辱に満面朱を注いだ。

 

「いいだろう……! 今日と言う日を命日として貴様の身体に刻んでやる! 覚悟しろ!」

 

「はいはい」

 

ジグザグに接近する奴さん。

とりあえず震脚で揺さぶりつつ、こちらも接近。

 

揺れに対応できず、立ち止まって勢いのなくなった奴さんと違い、こちらは勢いたっぷりに衝突。

剣と拳がしのぎを削るも、勢いの差でこちらが押し勝つ。

 

腹部に蹴りが命中。

奴は勢いを殺すこともできず、まともに食らったようだ。

 

このまま連撃に繋げようとして、一歩踏み出す。

しかし奴がふらりと倒れそうになったのを目撃。

攻撃を止める。

 

「終わりにするか?」

 

「くッ……!」

 

悔しそうに唸る男。

キッと睨んでくる。同時に気の高まりを感じた。

 

「――――光龍!!」

 

「させるかバカめ」

 

速攻で顎にアッパー。

ちょっときつめに食らわせたため、奴は脳震盪を起こしその場に倒れ伏した。

それでも意識を刈り取るには少し足りなかったのか、立ち上がろうと生まれたての小鹿のようにプルプル震えている。

 

プっ。笑える。

まあ、もう戦えまい。

 

「ちょっと苦戦したら光龍覚醒に頼るのやめろバカもの」

 

「なにを……!!」

 

「どうせ使うなら最初から使え。溜めあるんだから、試合中にそんな隙見逃すはずないだろー」

 

ぺシぺシ頭を叩きつつ説く。

「ぐぐっ」と恥辱に塗れた顔。だけど反論は許さない。

だって事実だから。目の前で溜めようとするなんてなんておバカさん。

 

格下ならともかく、各上が見逃してくれるはずないのだ。

真剣勝負ならなおのこと。

 

その辺、きっちり脳表に刻みつけておこうと思い、「や-いやーい」と木魚のように叩く。

さながら俺はお坊さん。こいつはただの小道具。

 

格の違いが存在にまで影響してしまった。かわいそう、この小道具風情。

などと内心侮蔑していたら背後から殺気を感じた。

 

振り返ると中年顔の後輩が居た。

 

「工藤殿……」

 

「島か……」

 

島右近。一年下の後輩。

普段は冷静に物事を捉える奴だが、現状その掘り深い顔に浮かべるは憤怒。

本気で怒ってると言うのは伝わってきた。

 

「なにをなさっているのか」

 

「戦いの高揚感を拭おうと念仏でも諳んじようと思って、丁度いいところに木魚あったから……」

 

「冗談は聞きませぬ。御大将から離れていただきましょう」

 

くわっと眼力凄まじく距離を詰めてきた。

少し怖い。

 

「はいはい離れた離れた。そう怒るなよ。怖いだろ」

 

「某の威嚇ごときであなたが慄くとは思えませぬが……」

 

まあ、それはもうよいのです。

諦観を混ぜながらつづけた。

 

「館長がお呼びでした。館長室まで来いと」

 

「てめえで来いって言っておいて」

 

「某を伝令係にするのは止めてくだされ」

 

命令されると反発したくなるのはこのお年頃の特徴なんだよねーとお茶ラケてみる。

島はなんとも同意しかねると顔を顰められた。

 

「用件聞いてる?」

 

「なにも聞いてはおりませぬが……恐らくは交流戦のことかと」

 

「ははーん。出ろってことだな」

 

誰が出るかバカ。

 

呟く言葉は小声で。

万が一にでも館長の地獄耳に届いていたら面倒くさい。

館長権限で補修とか受けさせられそう。

 

「うんじゃまあ行ってくるわ。そいつの看護任せたぜー」

 

「言われるまでもなく」

 

二人を残してグラウンドから校舎へと向かう。

校舎に入る直前、振り返ってみると、熱心に慰めの言葉を掛ける島の姿があった。

 

そしてそれらを全て跳ねのける大将君。

遠巻きながら、いいコンビだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

「俺が来た」

 

「おおう。早えじゃねえか」

 

ここは館長室。

ノック三回のち扉を開けると、白いスーツを着たやくざみたいな奴がいた。

教育者とはとてもじゃないが思えないこのやくざこそが、天神館館長鍋島正その人である。

 

「まあ座れ。ゆっくり話そうぜ」

 

「そんなに話すことないんだけど」

 

言いつつ、ソファに腰かける。

館長室の備品だけあって、どこまでも沈む高級低反発ソファは、まるで底なし沼のように俺の尻を受け止めた。

離さないぞと言ってる気がする。

 

「さて、態々呼びつけた理由だが……東西交流戦出ないんだって?」

 

「出ねえよ。だって、ほら、受験とか……あるし……」

 

言葉が尻すぼみになってしまうのは自覚があるから。

今の所進学なんて考えもしていない。そう言う自覚が。

 

「ああ、そうだな。受験を盾にとられちゃ俺達教師は何も言えんわなあ。実際、そう言う理由で参加見送りの生徒もいることだしな」

 

「だが」と逆接。

もうこの時点で俺不参加ダメなんだなと察することが出来た。

 

「剣華のやつが出たがっててな。奴が出ると言うからにはお前さんにも出てもらわにゃ困る」

 

「俺はあいつの保護者じゃないぞ」

 

「似たようなもんだろう」

 

凶暴に笑う館長は、口元をニヒルに吊り上げた。

若いねえなんて言う呟きは、まっこと正鵠を外しまくっていた。

 

「残念ながら――――」なんて反論しようものなら話題は逸れに逸れて変な方向をひた走ってしまうことは火を見るより明らかなので、何も言わずにスルーする。

 

館長は笑みをそのままにがははと笑った。

 

「あいつを交流戦に出すには誰かが面倒見なきゃならん。俺は生徒の引率と運営の仕事があるから無理だ。かと言って他の教師じゃ力不足。そこでお前さんに白羽の矢が立ったと言う訳よ」

 

「……行くのはともかく、出る必要あるのか?」

 

「交流戦に出るなら交通費宿泊費の半分は学校から出るからな。出た方がお得だろう。出なけりゃ全額自腹で行ってもらう」

 

あれ、なんか俺すでに行くの決定みたいな言い方してる。

取りあえず、頭をフル回転して逆転の一手を探してみるが、中身のない詭弁モドキしか見つからなかった。

 

「川神ってのはあれだろ。人外多すぎて気で魔境が形成されてるとこだろ。そんなところに剣華行かせたら一発アウトじゃないのか」

 

「可能性は高いが、正直なところわからんと言うのが本音だ。あいつの体質は謎が多いからな。――――長年一緒に居たお前はどう思ってる?」

 

探る様に射抜く館長の目。

それから逃げるため、視線を逸らし天井を見上げる。

 

館長の言う通り、剣華の体質は表面上分からないことだらけだが、蓋を開けてみれば至極単純な仕組みだったりするので、実の所川神に行ってもそれほど影響はない。

交流戦に参加する前にどこかで気を抜いてやればどうにでもなるだろう。

 

話すたび、考えるたび解決していく問題。

一見山積みだったそれらは、実は舞台セットのごとく張りぼてで全く大したことがない。

それを確信をもって知っているのは俺だけだが、館長は俺の様子からまあ大丈夫だろうと楽観して考えて剣華の参加を決定するだろう。

剣華が参加するとなると俺も参加するしかなく――――。

 

――――ああ、これはもう参加する流れだ。

 

本流に合流した流れは止めようもなくただただ流れゆくのみ。

せき止めるなんてのは無駄な努力。

おういう時は諦めが肝心なのだ。

本心を言えば、まだ川神には行きたくなかったのだけれど仕方がない。

たぶんそう言う運命なのだ。

 

「――――よし分かった。剣華は俺に任せておけ」

 

「やってくれるのか?」

 

「ああ。交流戦中は剣華の面倒を一から十まで見てやるよ。元々ここに連れてきたのは俺だしな」

 

言い切って、大船に乗ったつもりで任せろと胸を張る。

館長は「そうかそうか」とニヤニヤ笑っていた。

 

なんでもかんでも色恋に結べたがるのは若者だけではなく目の前の爺もだ。

自身は枯れてるくせにどうしてそう言う話題好きなんだろうか。

 

「早速剣華に伝えに行ってやろう。……なにしてんだあいつ? 昼寝でもしてんのか」

 

気を探ると寮の一室に奴の気を見つけた。

部屋の中で微塵も動かないところを見ると寝ているんじゃないだろうか。

 

「じゃあもう行くぞ。ほかに用事はないのか?」

 

「ああ。もうない」

 

「そうか。じゃあな」

 

館長室を後にして寮に向かう。

女子寮にどうやって入るか。

その方法を考えながら、むかつく館長の鼻っ柱に届けと気合を込めて扉を叩き閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子寮。

男子禁制のそこに俺は侵入する。

気配を限界まで薄め、天井やら暗がりやらを這ったおかげもあり、通過する女子は皆俺のことに気が付かず、声一つ掛けられなかった。

さすが隠密を本分とする忍者直伝の技だ。今度鉢屋にエロ本差し入れるか。

 

そのまま這っていき、目的の部屋に到着。

音の出ないようゆっくりと襖を開ける。

 

「…………すー」

 

そこでは見た所年のわりに小さい少女が、肩程までの黒髪を畳の上に豪快に撒き散らし、タオルケットを被りながら昼寝をしていた。

寝巻は制服のスカートと、、おそらくセーラー服の下にはいていたであろうキャミソールだった。

 

人によっては「こんな見っともない格好で」なんて言うかもしれないが、私生活では基本的に男女問わずこんな感じだと思う。

とりあえず制服は脱げと言いたい。皺になるから。

 

「う……ん……」

 

俺が近くに来たせいか、なんとなく寝苦しそうな気配を察知して、彼女の枕元に置いてあった団扇をとりパタパタと仰ぐ。

一転して心地よく夢の世界に潜る少女。

 

橘剣華と言う名前の少女だが、なんともまあ無防備な寝顔である。

 

「交流戦行くから準備しとけよー」

 

「…………」

 

答えはあるはずもなく、彼女は夢の世界を満喫する。

俺は子を見守る親の心境で団扇を扇ぎ続ける。

 

暮れる夕陽が部屋に射す。

徐々に暗くなる室内で、少女の身体は最後まで赤く照らされていた。

 

 



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二話

神奈川県川神市。

川神学園があるそこは常に誰かしらの闘気が満ちているおかげか、自生する植物や動物に他では見られない特徴が山ほど見られる。

それもすべて川神さん家の川神さんのおかげである。川神さんまじぱねえっす。

 

そんな川神だが、我らが天神館のある福岡とはかなり距離が離れている。

であるからして移動には飛行機か新幹線しかないのだが、どこぞの石田鉄鋼のお坊ちゃんが、

 

『この俺に5時間もかけて川神にまで行けと言うのか!』

 

と不満を露わに怒りを発露させたので飛行機に決定した。どうせ値段はそんなに変わらん。数千円で二時間買ったと思えばいいんじゃないかね。

 

「そう思えば、まあ得したのか?」

 

「がっはっは。そうかもしれんな」

 

「うむ。時間は取り返しが効かぬ。大切に使うべきだ」

 

「ふん、この俺に5時間も窮屈な思いをさせるなど…………いや、待て。なぜお前がここにいる。そして長宗我部、鉢屋、貴様らも何を当然のように振舞っている」

 

客室乗務員さんにジュースを貰いつつ、横にいる野郎どもに飛行機で行くことのメリットを語ったら、同意されつつ疑問の言葉を投げかけられた。

 

「離陸間際でようやくか。お前もまだまだだな」

 

「誰が俺の質問に侮辱で返せと言った? 貴様ふざけているのか」

 

「このジュースは美味いなあ。お前も飲むか? いや、これもともとお前の分だけど」

 

「そうか。やはりふざけているな。……いいだろう」

 

「御大将。少し落ち着いて下さい」

 

どこか怒りの境地に達してしまった石田は、つい今までの怒気はどこへやら。冷気と殺気を纏い始めた。……一皮むけた、のか?

そしてフラフラと今にも席から立ち上がろうとしている所を島に制止される。

 

お前の剣は空港で、他の武器と一纏めにして渡したと言うのにどうやって俺に勝つつもりなのか。いくら一皮むけたと言っても無謀にもほどがある。本当に面白い奴だな。

 

「ふっ。美しければ全て許される」

 

「良い事言うね、毛利ちゃん」

 

「黙れ!!」

 

プッツンと激昂する石田。そしてついに席を立つ。

 

「だいたい貴様は三年だろうが! 三年生に与えられた席に座っていろ!」

 

「馬鹿言うんじゃない。俺は俺の好きな席に座る」

 

「何ぃ……?」

 

「この場所が近すぎず遠すぎず、いざとなればすぐ行動出来て丁度いいんだ」

 

「……何を言っている?」

 

「石田。お前はもっと人の話を聞いた方が良いぞ」

 

石田の無知っぷりに長宗我部が心からの忠告を投げかけるが、違うぞ長宗我部。石田は悪くないんだ。

こいつは俺がくれてやった模型に夢中だっただけだ。偶々その時に話したんだ。そういう策略だったんだ。

 

「工藤殿。元々そこは龍造寺の席だったはず。奴はどうしたのですか?」

 

「女の園に放してやった。泣いて喜んでたぞ?」

 

「まあ、確かにあ奴はそう言う性格ですが……」

 

「そんなことより大村、ネット見ようぜ。俺、太ももな」

 

「そういうことなら任せてくれ」

 

大村ヨシツグ。ネット関係ではこいつほど頼りになる奴はいない。ブックマークしていた数あるエロサイトの中から、迷わずに目的のものをクリックするその姿は何と心強いことか。

 

「あ、晴……。お前にはちょっと早いか?」

 

「ばかにするな。ぼくももう17だ」

 

大村を挟んで向こうにいる晴を気遣ったが、そんな必要はなかったようだ。

17と言ったら立派な男。むしろ気遣いなど失礼にあたってしまう。

だから、それ以上はもう何も言わずに無言のままに大村の方に寄った。

 

「これ何かどうだ? 俺は好きだが」

 

「うわあ……」

 

「うーむ。この演技っぽさがもう少し抜けてくれれば」

 

「ではこれは?」

 

「おお……」

 

「顔が好みじゃない」

 

「難しいな」

 

映像の女優よりも、顔を真っ赤にしている晴君が可愛すぎて辛い。

こいつは男だこいつは男だ。立派な男だ。

でも何かに目覚めそう。

 

「ではこ、ごほっごほっ!」

 

「あ、だいじょうぶ、ってだいじょうぶか……」

 

「本気なのか演技なのか分かんらね」

 

急に咳き込む大村に冷たい二人。

どうせいつもの演技だろうと危機感などありはしないが、しかしもしもということもあるのか。人間いつ病に倒れるか分からないからな。朝挨拶を交わした友人が夕方にはぽっくり、なんてこともある。

 

まあ、もしもの時は気の乱れで演技か本気か分かるから安心するがいい。それはそれで面倒だから、スルーしてしまう可能性も無きにしに非ずだが、多分大丈夫。安心しろ大村。

 

「はるはるにも良い刺激になったし、この辺でビデオ鑑賞は止めておくか」

 

「は、い、いや、しげきになんか!?」

 

「はるはるまじかわゆす」

 

顔を真っ赤にする晴の姿は、俺に「男でもいいんじゃない?」と自問させるには十分な威力を持っていた。

あかん。あかんで。男に目覚めてまう。

 

「いかん。このままだといかんぞ石田ァ!」

 

「……何故そこで俺に振る?」

 

「馬鹿者! エロに話がシフトした途端噛みつくのを止めたお前なら、この危機感分かるだろ!?」

 

「分かるかたわけめ!!」

 

再び激昂する御大将。良いね良いね。石田君いいよ。このいじり具合本当に最高。気も逸らせて一石二鳥じゃないか。けけけけけ。

いじられキャラが定着してきた石田の面白さに、ついつい笑いが零れてしまう。

 

「何と言う美しくない笑いだ」

 

「あの石田をここまでこけにするとはな。さすがの俺にも真似出来ないぜ」

 

「工藤殿。これ以上御大将をからかうのはお止めくだされ。さもなくば――――」

 

「おっけー! 止める止める! だから物騒な物しまおうぜ!」

 

島から本気の闘気と殺気が溢れだしたのでここらでやめとく。こんな所で戦うのは他の人に迷惑だし。

こ、怖くなんかねーし。こここ怖くねーし!

 

「悪い悪い。今度プラモデルやるから機嫌治せよ」

 

「ふん。そんなもので易々とこの俺が釣れると思っているのか」

 

「お前が欲しいの三つまでなら買ってやるよ」

 

「……………………いいだろう。俺は寛大な心を持つ男だ。貴様ごときのくだらないおふざけなど、笑って水に流してくれるわ」

 

どかっと、尊大に椅子に座りなおす石田を慈愛の眼で見つめる。ちょろい。

 

「島も悪かったな」

 

「そう思うなら自重してくだされ」

 

「前向きに善処しよう」

 

島が溜息を吐いた瞬間、体に掛かる圧力が変化した。殺気が減ったとかじゃなく、どうやら飛行機が動き出したことでの変化らしい。

何分待たされたことか。このままとっとと空港まで頼みますよ、飛行機さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

約三時間の空の旅を満喫して、空港に降り立った。そこで微妙に席が離れていた女子組の宇喜多、大友、尼子(姉)、剣華の四人と合流する。

 

「離陸するとき何やら闘気と殺気を感じたが、何かあったのか?」

 

「何もなかった」

 

大友の質問にするりと出る嘘。いや、嘘じゃないか。特別なことは何もなかったし。

 

「どうせ、いつも通り先輩が御大将をいじって島が怒ったんでしょ?」

 

「ハル、正解」

 

「ああ……。納得した」

 

察しの良い姉晴と理解の早い大友。話が早くて助かります。

 

「駄目だぞ先輩。島を怒らせたら」

 

「そうだね。唯でさえ島は苦労人なんだから、少しは気遣ってあげないと」

 

「ハルに言われたら仕方がない。島ー! 飲み物いるー? 宇喜多が奢ってくれるってー!」

 

「お? 別にええけど、後々返してもらうで。倍プッシュや」

 

「けち」

 

「いやいや。先輩やから遠慮するとか思わんといてや。誰やろうと取るもんは取る! それがウチのぽりしーや」

 

「お前は大友並に扱いずらいな」

 

「む。なぜそこで大友の名前が出たのだ?」

 

「だってお前、火力極振りバカだから」

 

戦闘でも役に立たないこと多いよねー、と同意を求めたらちょっと怒った大友に筒を向けられ、それから逃げるように石田の後ろに隠れ、島が間に入り、結局は巡り巡って毛利が矢尻に立った時、ようやくお目当ての人物というか引率者が現れた。

 

「おう。てめえら揃ってるか」

 

「おっそ」

 

「おそい」

 

「遅いで」

 

「遅いぞ」

 

「遅いね」

 

「遅い」

 

「遅いな」

 

「遅いわな」

 

「遅すぎますぞ」

 

「この俺を待たせるとは、万死に値する」

 

「この連帯感。美しい」

 

きらきらっと毛利が締めた。

 

「楽しそうで何よりだぜ」

 

全く堪えていない館長に、漢と言うものを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、龍造寺がいねえな」

 

先ほど館長が全員居るのを確認したのではなかったのかとつっこみたいが、どうせ笑って流されるに決まっている。

そう、細かいことは気にすんなとか言って済ませちゃうような人なのだ。このおっさん。

 

「ぬ、そう言えばそうだな」

 

「どうせまた女の子をナンパしに行ったんじゃない?」

 

辺りを探った鉢屋に、ハルがどうせいつものこととばかりに言う。確かにいつものことはいつものことだが、遠い地に来てまでやられたら迷惑の度合いがより大きい。

これは後でお仕置きです。

 

「鉢屋行ってこい」

 

「仕方がない」

 

さっと消えるはちやん。あの忍者がさっさと探してきてくれるだろう。

二人が合流するまでの間、少々口数が増えてきた剣華とコミュニケーションをはかる。

 

「剣華ちゃーん。元気ー?」

 

「元気」

 

「お、声出てるね」

 

「私はいつも変わらない」

 

「そうかい」

 

お前ほど変化のあるやつはいないと思う。内心でそう呟くが、もちろん言葉には出さない。機嫌損ねたら後が怖いし。

 

「どうだい調子は。交流戦終わるまで耐えられそうか」

 

「耐えろと言うのならいくらでも耐えるわ」

 

「別に耐えなくていいさ。発散させたいときに発散させればいい。あのおっさんが相手になってくれるそうだから」

 

「いや、お前がやれよ。そういう約束だっただろうが」

 

「おっさん。約束ってのは案外脆い物なんだぜ」

 

「脆くしてんのはてめえだろうが」

 

ぎゃいのぎゃいのと会話をする。関西の人は基本的に大きな声で喋るので結構うるさい。

しかし空港っていうのもアナウンスや足音とかでかなりうるさいので、周りの人に顔をしかめられる程度で済んでいる。

 

駄目じゃん。

 

「それで、結局どちらが相手をしてくれるの?」

 

「俺」

 

剣華の問いに即答。もちろん俺です。今までのおっさんとの言い争いはただの暇つぶし目的の遊びだから。

そんなことはおっさんももちろん分かっている。

 

「ああ。こいつが交流戦期間中お前についてる。安心して暴れられるぞ。何の遠慮もいらねえ、全力で戦え」

 

「さすがの俺も交流戦中に覚醒されたらフォローは難しいと思うの」

 

「……確かに下手したら反則負けだな」

 

何も考えてないのかこのおっさん。交流戦に学年の違う生徒が乱入したらその時点で終わりだろう。まあ後々何か対策考えておこうか。

うちの馬鹿共はとにかく、全く関係ない生徒が巻き込まれたら可哀想だしなー。

 

「二年生は二日目だっけ?」

 

「ああ。一年生が一日目。二年生が二日、三年生が三日目だ」

 

「じゃあそれまでに何か考えておこう」

 

すでに一つ案が浮かんでいるが、これはあちらさんに掛け合わないと駄目だろうし、着いてから話そう。

 

「喜べ、剣華。また俺を殺すチャンスが来るぞ」

 

「そうね」

 

不敵に笑う俺と、静かに微笑する剣華。

冗談で言ったつもりだったのだが、意外にも同意されてしまった。

 

え、剣華ちゃんって俺の事殺害対象にしか見てないの?

 

当たり前と言えば当たり前なのだが、もう少し何とかならんもんかと頭を悩ませる。

 

 

 

 

 

 

 

「おう、龍造寺。覚悟はいいか」

 

「ふっ。いくら先輩でも俺の性は変えられんよ。この龍造寺、いついかなる場合でも、例え地獄に叩き落されようとも女を口説くことはやめない。それが俺だ」

 

「さっき女の園に叩き込んだときは若干泣いてたくせに」

 

「あれは恐ろしい空間だった。なぜブスに限って肉食なんだ」

 

全く懲りていないようだった。

 

「てめえら、とっとと乗りやがれ」

 

館長が手配したバスに西方十勇士と剣華に俺が乗り込み、川神学園に向けて出発した。

 

「しかし、なぜ大友達だけ川神学園に行くのだ?」

 

「挨拶に行くんだよ」

 

「大友達だけでか?」

 

「東西交流戦に参加する生徒は天神館だけでも600人。さすがにこれだけの人数で川神学園には向かえん。だから、我々西方十勇士が代表して向かうのだ」

 

ハルの単純明快な答えと鉢屋の捕捉に大友がなるほどと頷いている。西方十勇士じゃないのも二人ほど混じっていますが、それにはノータッチなんですか?

 

「あっちに着いたら挨拶回りっすよ大友さん。一発どデカいの期待してます」

 

「む。それは大友の筒に、と言う事か?」

 

「お前それ以外に自慢できることあったっけ?」

 

「ないな!」

 

自覚しているだけましなのか。これだけ開き直れるのは凄い事だと思うが。

大砲馬鹿。火力極振り脳内火薬の異名は伊達ではないようだった。

 

「ははっは! 楽しみやなあ。こっちでもぎょうさん稼いでやるでえ!」

 

「宇喜多。某たちは敵として行くのだから、そう簡単に商売は出来ぬぞ」

 

「ふっ。そないなことうちには何の障害にならへん。川神にも金に困っとるのは仰山おるはずや。うちはそれに声かければええねん」

 

「商売根性たくましいな……」

 

大友、宇喜多はいつも通り。島も不遜としている石田の横で皆を気遣っている。

大村はパソコンをいじっているし、毛利は鏡に映る自分の顔を見て恍惚としていて、長宗我部はハル晴コンビに四国の良さを語り、鉢屋は忍者だからそもそも心配する必要がない。龍造寺は気絶してる。

 

飛行機で長時間移動した疲れは見えない。これから川神学園に行くと言うのに、それに対する緊張は欠片もない。

さてさて、これは頼りにしてもいいものか。

 

東西交流戦がどういう結果に終わるのか、垣間見えた気がした。



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三話

「着いたぜ、てめえら」

 

バスに乗って約一時間。別に道も混んでいなく、比較的快適な旅路の末に川神学園に到着した。

校門前でバスを降り、目の前の学園を眺める。

 

川神学園は、金あるんだろうなと思わせるぐらいに大きく、各施設が充実していそうな外見をしていた。つまりは天神館に似ている。

あそこも結構大きくて充実しているから。不況だ何だ言われているが、金もあるところにはある。こっちもあっちも私立だしな。

 

今は学校の内部には人の気配は数えるほどしか無く、ほぼ全ての学生が校庭に集合しているらしかった。気配を読むまでもなく、大勢のざわめきが校門にまで届いている。

あれ何人いるんだろう。少子化と言えども有名な学校なら1000人ぐらいいてもおかしくない。

しかし仮に1000人いるとして、そんな大勢の前に顔出しとかちょっとありえなくないだろうか。するならするってあらかじめ言えよ。俺そんな勇気ないから。

 

「おっと、少しばかり遅れちまったか。急ぐぞ」

 

勇気ねえつってんだろと突っ込む間もなく、ずいずい進むナベシマン。

さすが正義のやくざナベシマンさん。その堂々とした歩きぶりは他事務所に落とし前をつけさせに行くかの様な雰囲気が醸し出されている。

続く十勇士はその精鋭の部下1~10だろうか。若い衆連れてずいずい歩くのね、あの親分。

 

「晴はどうする? 行くか?」

 

「うーん……。ま、私は一応切り札だからね。バスで大人しくしてるよ」

 

そうか。切り札も大変だな。何か飲み物でも買って来てやろう。

 

少し先に行っている12人に追いつくため小走りで駆ける。

でも、部下はとにかく先頭の人と同じ種類の人間だと思われたくはなかったので、出来るだけ気配を消して、存在感を雲散させて、二~三歩距離を取った所で走るのを止めた。これぐらいの距離を維持して行きましょう。それでも写真なら丸わかりだろうが。

 

校門をくぐり、真っ直ぐに教師が集まっている方を目指す。

俺たちの存在に気づいた生徒から、ひそひそと内緒話がこぼれ始めた。

 

「ほっほっほ。どうやら来たようじゃな」

 

鬚の長い、お前100年ぐらい前からそんな外見なんだろと噂されている爺さんがそう言うと、それに釣られてほとんどの生徒が俺たちの方を振り向く。

気配消してるはずなのに俺と目が合ってるのが何人かいる。いや、川神院関係者はともかく、俺発見できてる奴はなんなのよ。どちらさん?

 

「遅れて悪いな師匠。ちょっと道が混んでてよ」

 

「ほっほ。構わんよ。丁度説明が終わったところじゃしな」

 

朝礼台に上がりながらさらりと出た嘘に驚愕。高速道路は快適で、降りてからここまでの道もそれほど混雑してはいなかった。

俺も大人になったらこういう風に、息をするように嘘を吐く人間になるのだろうか。まあ大人ってそう言うもんだよね。

 

「では皆の物、紹介するぞい。天神館館長 鍋島正じゃ」

 

「おう、よろしく」

 

大人とは何かという哲学的なことを考えているうちに自己紹介が始まった。

館長の挨拶に、がやがやと一層騒がしくなるざわめき。館長は中々有名人なのか、「あれが……」とか「壁を越えた」とか聞こえた。

 

しかし、壁を越えたって言っても昔はともかく今はこのおっさん老いてきてる上に鈍ってるから、武人としてはそこまで強くはないはずだ。もちろん、鍛え直せばまた強くはなるだろうけど。

そんなことを思っている間に、館長はマイクを持ち挨拶を始める。

 

「俺が今回、お前らの相手をする天神館の館長だ。今日は交流戦前の挨拶に来てやったぜ」

 

そう言って、後ろにいる俺たちを指し示す。それぞれ年功序列で一列に並んでおり、川神学園の生徒たちに見やすいよう配慮がなされている。

 

石田がふんぞりかえって皆より一歩前に出ていたり、龍造寺が女子の声援に笑顔で手を振っていたり、長宗我部が「鳴門金時をよろしく!」と宣伝していたり、まるで纏まりがない。年長者に至っては気配隠して消えてるしな。

 

「十勇士を始めとした天神館自慢の生徒たちだ。この交流戦では間違いなく主力になるだろうよ」

 

主力が二年生に集中し過ぎている現実。三年生は俺とあと日野とかいるけど、一年生とか影も形も見えないんですけど。やる気あんのか一年生。

 

「本当は一人一人紹介したかったんだが、残念なことに時間が押しててな。代表して十勇士で最も強い男に挨拶してもらうぜ」

 

当然の事とばかりに悠々と前に出る石田。建前上は確かにこいつでいいが、実はマスクかけてる奴の方が強いんだよな。

大村にアイコンタクト飛ばすと、鬱陶しそうに「ごほごほっ」とマスクの下で咳払い。ああ、そう。

つうか本当にそれで良いの? あいつやばいぜ。見るだけで分かる。調子に乗りすぎてる。

 

「紹介に預かった。天神館二年、石田三郎だ」

 

石田がマイクを受け取って喋り出すと川神の女子たちが色めき立った。まあ美形だし分からんでもないけど。大友とか宇喜多は白けた顔してるな。

 

「はっきり言おう、東の蛮族共よ。俺たちが貴様らに負けることなど有り得ない」

 

ぴたっと止まる女子の囁き声。「……あ?」と漏れる男たちの怒りの呟き。

館長はやれやれと呆れ、鉄心さんは若いって良いのぉとニヤニヤしている。

 

石田三郎。敵地ど真ん中でまさかの爆弾投下。

 

「今回、俺たちは貴様らと戦いに来たのではない。貴様らを完膚なきまでに叩きのめし、俺の名声を上げるために来たのだ。貴様らには俺の出世街道の敷石となってもらおう」

 

なおも続く爆弾の投下に、川神学園の男共が怒りでプルプル震えている。さっきまでキャーキャー言ってた女子たちも敵意の籠った眼で見てるし。

いつ誰が喧嘩吹っ掛けてきてもおかしくはない雰囲気だった。

敵地のど真ん中で大喧嘩って言うのも味があって大変よろしい。どうなるか知らんが見本を見せてやろう。

 

「剣華、あいつぶん殴っていいぞ」

 

「は?」

 

「こんなアウェイ空間で前哨戦とか冗談じゃないから、ぶん殴って止めて来い」

 

一人の刺客を放り込んでみる。橘姓の剣華ちゃん。

少し考え込んだ剣華はニヤリと笑って素早く翔けた。申し分のない速度だ。あれ大分溜まってるな。抜かないと。ま、見る奴が見れば、あの動きでこっちの実力は推し量れただろうさ。ちょっと過剰だけどな。

 

「俺はいずれは世界を総べる男。貴様らのような、東の軟弱な――――」

 

「死ね」

 

「ぬっ!?」

 

いきなりの後ろからの足払いに、石田は体勢を崩し、けれど素早く立て直す。

 

「貴様!?」

 

「ちっ」

 

舌打ちし、追撃を掛けようとする剣華を宇喜多が羽交い絞めにし、反撃に出ようと刀に手を掛けた石田を島が抑える。

 

「離せ島! 俺はあの女を斬らねばならん!!」

 

「御大将、落ち着いてくだされ!」

 

「馬鹿者!! 公衆の面前で足蹴にされたのだ。これが落ち着いていられるか!!」

 

「あんさんも気持ちわかるけど、落ち着きいや」

 

「私は最初から冷静」

 

「そないな風には見えんかったけどなあ」

 

「そもそも工藤がやれって」

 

「主犯そっちかい」

 

事態は内紛に発展した。原因を作ったのは俺とは言え、石田は沸点低すぎるし、剣華は隙あらば石田を殺そうとする。

ここから更に前哨戦に発展しうるとかワクワクするよな。俺も応援することにする。

 

「石田ー落ち着けー」

 

「うるさい! 貴様がこの女は差し向けたのか!? どういうつもりで俺を足蹴にさせた!!」

 

遠くから石田に注意してみたところ見抜かれていた。

おやおや、頭に血がのぼってると思えば案外冷静ですこと。でも冷静さを向ける方向が違う気もするな。いきなり刀抜いちゃってるしな。戦いでは役に立たない冷静さだ。

 

ヒートアップしていく御大将に溜息一つ。

見れば、川神の生徒たちは突然始まった喧嘩にほとんどが呆然としている。

しかし極々一部の生徒は俺たちの乱闘騒ぎを面白そうに見ている。

あー……それ以外でも出来る奴はきっちり分析してるな。鉄心さんに東西交流戦のこと聞いたの今さっきだろうに、よくそんな判断力発揮できるものだ。戦い好きな武士家系の性かもしれないが。

 

でもさすがにこれ以上一方的に見せるのはダメだろう。本番が面白くなくなっては元も子もない。

 

「石田ー。見られてるぞー。止めとけー。」

 

「元凶は黙っていろ! この小娘を地に伏せた後は貴様の番だ。首を洗って待っているがいい!」

 

「お前ならできるー。許す心がー。お前にもきっとある―。復讐なんてー。下らないことやめてー。明日に向けて生きるんだー。お前ならできるぅ」

 

「誰かその大馬鹿者の口をふさぐのだ! 石田の血管が破裂してしまう……!?」

 

「工藤殿! これ以上御大将を煽るのは止めてくだされっ!! 命に関わります!!」

 

そんなつもりは決してない。

 

「剣華ー?」

 

「丁度いい。ここで息の根止めてあげる。今すぐ死ね」

 

こっちもすでに聞いていない。

ここまで発展しているならもう何を言っても無駄だろう。

ガチバトルが勃発で、触発されて川神勢乱入が一番ダメージ少ないと思う。あっちは分析できるがこっちも分析できるからね。

となると川神勢を少し煽らなきゃいけないな。

 

さて、どう言おうか。いつもこいつらが言ってる東の蛮族とかでいいかな。そもそも意味わかんないけどな。何だよ蛮族って。

 

「喧嘩かぁ……。いいなぁ……。私も混ぜてくれるか?」

 

落ちてたマイクを拾ったところで一歩及ばず乱入者に先を越される。

これが普通の奴だったらよかったのに、普通じゃない奴来ちゃったよ。

 

声の方を見ると荒々しい闘気を隠すことなく、いつの間にか最前列に仁王立ち。

バトルジャンキーの毛を隠しもしていない。

 

「いいよなぁ? 態々他所の学校に来てあれだけ偉そうなことを言ったんだ。まさか逃げはしないだろう?」

 

ちっす武神さん。

ちょっとあなた戦闘力過多なんで、お帰り頂く方向でお願いできませんかね?

 

武神はうきうきわくわくと全身から滾る気を放出しながら今か今かと戦闘を心待ちにしている。

人の枠を超えた圧倒的な存在感を前に、石田も剣華もいつの間にか互いから目を離し武神を注視していた。

 

びりびりと空気が震え、自然と額から汗が噴き出す。

島が石田の前に出、庇うように槍を構える。宇喜多や大友、鉢屋や毛利までも戦闘態勢に入った。龍造寺は俺の背中に隠れている。お前よく俺見つけられたな。

 

いくら十勇士と言えども、一対一で武神に勝てると自惚れている訳ではない。複数で相手をしてようやく戦える程度の実力差がある。

もし今から十勇士全員で相手をして、それで何分保つことだろう?

勝つことなど絶望的だ。それでも勝負は時の運。やってみなくては分からない。

 

気力十分。武神にとってもここまで生きの良い相手は久しぶりだろう。

石田たちのことを考えたら、ここで武神と戦っておくのは悪いことじゃない。

でも交流戦を控えた今やることじゃないんだよなあ。

 

「てめえら! 何やってやがる!!」

 

「こら、やめんか! モモ!」

 

天神館、川神学園双方のトップによる喝は熱されていた空気を瞬時に冷やし、場を白けさせた。

 

「やる気十分なのはいいことだが、今日は挨拶に来たんだ。いきなりおっ始めようとしてんじゃねえよ」

 

「百代、少しは周りに気を配りなサイ、ここで戦いをはじめたらどれだけ犠牲が出ると思っているんダ」

 

さっきまで充満していた気は雲散し、学園崩壊の危機は去った。

その大体の原因になりえた武神も、ルー師範代に怒られてなんだかしょんぼりとしている。

 

「ちぇっ。せっかく学年の違う奴らとも思いっきり戦えるチャンスだったのになあ」

 

喧嘩に便乗しようとした思惑が外れて、至極残念そうな口ぶりだった。

別にいいけどさ。武神と思いっきり戦ったら全治一か月ぐらいの怪我負わせられるから、やっぱりタイミング悪いんだよな。あっちも怪我するなら考えるけど、どうせ一瞬で治るんでしょ?

 

「あー。……おい、お前ら十勇士の中に三年生はいるのか?」

 

「ふん。残念だが、この世代はほぼ二学年に強者が集中した黄金世代でな」

 

「なんだよー。ちぇー」

 

「だが、まあ。安心しろ。腐っても天神館だ。退屈するようなことにはならんさ」

 

含みのある石田の言葉を背後に一人で退場する。

それは日野か。それとも俺か。やっぱり俺だよな。武神に生半可じゃ歯が立たないし、あいつもどうせそこまでやる気ないもんな。

 

どっかに自販機はないかとキョロキョロしながら来た道を戻る。

隙見て学園の中に侵入しちゃってもいいな。どうせほとんどここにいるし。

 

「ん……。先輩はもう戻るのか?」

 

変なこと企んだ途端、目敏く大友に見つかってしまう。最近無駄に勘が鋭くなったなこいつ。

 

「自販機探して旅に出ようと思ってな。俺のことは気にすんなよ。なんなら高速走って追いつくから」

 

「宇喜多、大友は戻る。誰かが見張らねば恥をかかされそうだ」

 

「さよけ。ほな、うちも戻るわ。巻き込まれたら堪らんもん」

 

そうして、大友や宇喜多に続いて十勇士の面々もぞろぞろと朝礼台を降り後に続く。

未だに石田と一触即発だった剣華は隔離され俺の横に連れてこられた。チラッと振り返ると、鉢屋が瞬身の術を連発し川神学園の生徒を驚かせている。マーケティングか?

 

そして、その場に残ったのは鍋島館長一人のみ。

 

「おいおい……。勝手に行くなよ」

 

ぼやく館長の言葉に答える者もなく、結局川神学園の生徒たちに軽く非礼を詫びた後に急いで追いかけてきた。

 

「全く、てめえらは……」

 

「ぼやきなら石田に直接言ってくれ」

 

原因どうあれ、最初に馬鹿やらかしたのは石田なのだから、すべての責任は石田にあるはずだ。

暗に匂わせた言葉を長宗我部が目敏く聞き取り、石田へとスルーパスを放る。

 

「ほう……。だ、そうだが? 何か言うことはあるか?」

 

「俺は何も悪いことなど言ってはいない。全て事実だ」

 

「御大将……」

 

「何だ島? 何か言いたいことがありそうだな」

 

「はっはっ。言ったれ言ったれ。常日頃からお高く止まっとるうちらの大将にはいい薬や」

 

「だが、馬鹿に付ける薬はないとも言う。何を言っても無駄かもしれんな」

 

やっぱこんな所に自販機ねえよなあ。晴すまん。飲み物あげられないわ。ホテルのルームサービス活用してみるか。

 

後ろの喧騒と、重なる微妙な殺気を無視しつつ、一人でバスの中で待機している晴の元に急いだ。

 

六月四日、川神学園にて宣戦布告。

六月五日より東西交流戦開戦。

 

 



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四話

東西交流戦は最高のスタートで始まった。

初日の川神学園一年生 対 天神館一年生の戦いを天神館の圧勝で終わらせることが出来たのだ。

これには十勇士の大将もご満悦のご様子。

 

「ふん。やはり蛮族。大将が一人突出し、挙句の果てには名乗りの最中に狩られるとは。これは次も天神館の圧勝だな」

 

はっはっはっは! と高笑いする大将。そのあまりの上機嫌っぷりに付き人の島はこう漏らす。

 

「明日、何か悪いことが起こらなければいいのだが」

 

どうやら島としては自分の主とは反対に不吉な予感がするらしい。

負けるつもりなどさらさら持ち合わせてはいないが、それでも何か嫌な予感がするようだ。多分それ当たると思う。

 

一しきり大笑いした大将は、「さあ、もう寝るか」と島を付き従えて自分の部屋に戻って行く。

時計を見るとまだ日付すら変わっておらず、ちょっと早くないかとも思ったが、旅疲れもあるし明日は二年生の戦いがあるから念には念をと言う事か。

 

石田と島を見送った大友が呟く。

 

「まあ、大友は石田のように相手を見下すつもりはないのだが……」

 

「ああ。俺様も少々失望している。まさかこの程度だとはな」

 

それに長宗我部が同意した。

確かに今回の戦いはちょっと酷かった。途中までいい感じだったのに、大将が特攻してきてそれを潰してはい、終わりとは。

さすがに擁護のしようがない。むしろ誰かあのアホ止める奴居らんかったんかいと説教したくなる。

 

「……確かに今回は酷かったが、川神学園も主力は二学年に集中している。明日はもう少し手ごたえがあるだろう。ごほ、ごほっ」

 

「だといいがな」

 

「仮に多少手ごたえがあったにしても、あと一つ勝てば終わりであることは変わらん。俺が敵大将の首を獲れば、それで交流戦は我々の勝ちとなる。暗殺は忍者の得意中の得意分野。奴らに止める術があるとは思えん」

 

大村の援護を聞いてもあまり期待のない様子のハル。他の面々も同じ気持ちのようだし、鉢屋は敵大将の首を獲る気満々で言い放つ。

 

宇喜多もハルも、この戦いを見てやる気が出たかと言えばそうでもない。やはりどこかでこの程度かと思ってしまっている。

 

こちらの一年生が敵一年を圧倒し、それで十勇士の士気がこうも下がってしまうのは予想していなかった。

 

石田に関しては慢心の塊から化身にまでジョブチェンジしてしまったし、下手しなくても明日の戦いは残念なことになりそうだ。

 

もしこの慢心やら油断やらが相手の作戦の結果だったとしたら凄いと思う。

 

相手方は武神のおかげで白星一つ確定しているようなものだし、黒星一つ付けて白星を一つとりやすくなるならやらん手ではないのではないか。

一年生にわざと惨敗させて敵の油断を誘い、自分たちは一年生が負けたことで勝敗は自分たちに掛かっていると士気の向上と団結力のアップが見込める。

交流戦に自主参加するような奴が、まず勝気でないはずがない。また腕に覚えがあることと、昼の石田の挑発とが相まって士気の上昇はほぼ確定。

後はこちらが油断するかどうかだが、川神学園でのいざこざで性格やらなにやら見抜かれてしまっているので、十勇士最強は間違いなく油断してくれると判断する。

それだけでも十分だが、更にネットなり伝聞なりで他のメンバーの性格を把握できれば……。

 

なんて言うのは考え過ぎか。

 

「よし! 見るもんは見たし、この後はトランプでもやるか!」

 

「ていばんだな」

 

「俺様、四国では侍らせていた女たちとよくやっていたものよ。無論、負け知らずでな」

 

「羨ましい話だ」

 

「大友たちもやるか?」

 

「もちろんやるで。何か賭けるんやったら余計に参加するわ」

 

「絶対に賭けないよ。特にお金とかね。嫌だよ私」

 

「賭けは大友も反対だが、だからと言って何もないのも面白くない。代わりに何か罰ゲームでも設けるか」

 

「ほむほむならそう言うと思って、ほらここに」

 

罰ゲームが書かれた紙が無数に入っている箱を取り出す。

 

「……準備が良すぎるな」

 

「……なんだろうね。何か悪寒を感じるんだけど」

 

大友と晴からはあまりの用意周到さに絶賛のまなざしを向けられる。

 

「一応聞いておくけど、中身はまともだよね?」

 

「法に触れない程度には」

 

さすがにそこは自重。男同士なら自重なんかせずに殺す気で罰ゲームを考えるのだが、女子が入るとどうしても遠慮してしまう。

紳士にスマートに考えましたよ、ええ。こういうのは昔鍛えられたしな。

 

「と、いうことでやるぞー。最初はババ抜きなー。トップバッターはそこでうつらうつらしてる剣華ちゃん! お前折角いるんだからやってけ」

 

「……」

 

参加強制で、無言のまま配られたカードをのそのそと確認する剣華。小動物っぽくて萌え心をくすぐられるが、あれは恐らく擬態だ。

ペアになるカードを捨てて行き、捨て終わったところで俺の手札に手を伸ばしてきた。

 

「……」

 

取ったカードを確認。そして捨てられるペアカード。

いきなり揃うとは運が良い。

 

続いて俺のターン。左隣に居た晴から一枚もらう。

揃わない。

 

晴は大友から、大友はハルから、ハルは長宗我部から、長宗我部は大村から、大村は鉢屋から。

鉢屋は宇喜多から引くときに忍具を使ってずるしようとしたので、一発ど突いてきちんと引かせ、宇喜多が剣華からカードを引くことで一周した。

 

人数が多く一人に配られるカードが少ないから、もう二~三周もすれば上がる人が出てしまいそうだ。

とりあえず罰ゲームは避けたいので、ビリだけは勘弁願いたい。

 

剣華が一枚引く。

 

「……」

 

当然のように捨てられるペアカード。

欠伸されながら捨てられたジャックがなんとなく寂しそうだ。

 

続いて俺の番。晴がカードを一枚浅く持ち、これ取って下さいと無言で主張していた。

当然のことながら、ここで素直にそのカードをとるほど甘くはないので、何となく突き出ていたカードの左隣に手を掛けた。

そしてカードを引く最中、晴が悪役のごとく笑うのが目に映る。

まさかと思いながらカードを目にすると、そこにはjokerの文字が。

 

おっとやるねえ。

 

表情に悔しさが出てしまわないように気をつけながら、今引いたjokerがどの位置にあるのか分からなくなるように手札へ加える。

これで最もビリに近い男になってしまった。だが、まだこのjokerを剣華に押し付ければなんとでもなる。

想いを強く、巡り巡ってまたやってきた剣華のターン。これが最期の戦いだと眼力こめて臨む。

 

当の本人は眠気眼ですす、と手を動かしどのカードを取ろうか迷っている。

その動きに合わせて、指の下に常にjokerが来るように手を動かす。

 

「……」

 

ちょっとの間それを続けて、突然剣華がぴたりと動きを止めた。

どうしたのかと様子を伺えば、眠気眼にジト目が組み合わされた器用な目つきで俺を睨んでいた。

 

見つめ合い、睨まれて笑いかけて、十分にジト目を堪能した後、剣華が動きを再開する。

もちろん俺もそれに合わせてまたトランプを動かす。すると、

 

「はいはい。先輩はちょっと動かないでね」

 

晴に右腕を掴まれ、joker指下固定戦法を封じられた。

 

「おい晴」

 

「徹夜は嫌だよ」

 

「ま、そうね」

 

結構な真顔で言われた。遊びなのに遊ぶなって目が言っていた。

これ以上長引くのは晴的に嫌らしいので、小賢しい小細工は控えめで進行することにする。

 

「ほれ、選べ」

 

「これ」

 

「おめでとう」

 

一抜けおめでとうございます。

 

「ぬっ。やるな橘。だが、二番手は俺様だ」

 

二位は長宗我部。

 

「ぬっはっはは。これで上がりやぁ!」

 

三位は宇喜多。

四位は鉢屋。

続いて大友、ハル、大村と続き最後に残ったのが、

 

「じゃあ引くよ」

 

「どうぞ」

 

俺と晴。

緊張感など欠片もなく、どこかのんびりとした空気の中、

晴は宣言した後に迷いもせずにjokerではない方へ手を伸ばして――――。

 

「ちょっとたんま」

 

あ、こいつどっちがどっちか分かってるなと悟った俺は、問答無用のタイムを使い、カードを背中に隠して適当に混ぜる。

シャッフルを終えて、よっし。これでどうだ。さすがに分かんないだろと自信満々に眼前に突き出す。

 

「ふむ……」

 

晴は少し悩んで、カードのてっぺんを人差し指でそれぞれ一度ずつ叩いた。

 

「こっちかな」

 

掴んだのは向かって左側。確率は二分の一。50%の確率で罰ゲームだと言うのに、動きに淀みはなくあっさりとカードを抜き去る。

そして、俺の手元に残ったのはピエロが舌を出して笑っているjoker。

その不気味な顔が非常に憎たらしい。

 

「……うん、私の勝ち。で、先輩の罰ゲーム」

 

にっこり笑った晴が、この時ばかりは悪魔に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

罰ゲームを作った本人が罰ゲームを受けるとかそれほどつまらない展開もない。

何せどんな内容が書かれているのかほとんど網羅しているのだから、どんな物が来るのかというドキドキ感がない。

 

「だから新しく罰ゲーム作ろうぜ」

 

「いいからとっととひけ」

 

「へいへい」

 

にべもなく箱を渡される。

それに右腕を突っ込み、がさがさと紙を漁り何となくでその内の一枚を選んだ。

 

折りたたまれた紙を開き、内容を確認する。

 

ナンパ

 

たった三文字で簡略化された指示が憎い。

左隣の晴にそれを渡し、そのまま順々にこの場に居る全員が目を通す。

 

そんでもって揃って一言。

 

「ガンバ」

 

「うるせえな」

 

美形揃いの十勇士としては大して面白みのない罰ゲームなので、盛り上がることはない。

龍造寺を筆頭に毛利に長宗我部。その気になれば鉢屋、一生懸命頑張れば晴と、ナンパなんぞ楽勝な連中だ。

むしろこれ罰ゲームか? と首をひねってしまうぐらい難易度が低い。

 

俺もなんでこんなこと書いたんだろうか。深夜のテンションって怖いな。

 

「じゃあさっそくいってもらおうか」

 

ナンパが楽勝ではない、その数少ない例外のハルがドアを開けてスタんばった。見に来る気満々か。

 

「いや、待て。よく考えろ」

 

「なんだ。命乞いか? この程度で命乞いとは上級生らしくない。女に疎いと言うのなら俺様が手本を見せてやる」

 

長宗我部が立ち上がる。ちなみに、こいつはいつも上半身裸だ。でも四国に恋人はいるらしい。チクルぞ。

 

「ふっ。ナンパなど人心術に長けた忍にとっては容易い」

 

何故か鉢屋も長宗我部に続く。お前にいたっては童貞だろ。

 

「ナンパと聞いて駆けつけ――――ふごぉっ!?」

 

薔薇を咥えて廊下を駆けてきた龍造寺には一発入れておく。こいつがいると冗談が冗談にならない。一緒に朝帰りとか学校行事でやべえだろ。

 

「まあ待て。時計を見ろ。もうこんな時間だ」

 

俺の言葉に皆が時計を見る。既に12時近かった。

 

「こんな時間にナンパなどしてみろ。下手に成功したらお持ち帰りコースだぞ。罰ゲームで女を持ち帰るとかそんなの嫌だ。倫理に反してる」

 

「やる前から成功した時のことを考えているのはさすがと言うべきか」

 

「自信たっぷりなのだろうな」

 

そりゃあもう。なんせ言霊持ちだしね。

 

「だからここは妥協案だ。この場に居る人間をナンパするからそれで勘弁してくれ」

 

「……それはナンパか?」

 

「ちがうような……」

 

歴としたナンパだよ。違うと言うのならどこが違うのか言ってみろ。

屁理屈で有耶無耶にしてやる。

 

「もうなんでもいいのではないか? 先輩のしたいようにすればそれで」

 

「私もなんでもいいよ。正直面倒だし」

 

「いーや。あかん。罰ゲームは罰ゲームや。ナンパと言うからにはちゃんと外で――――」

 

「宇喜多、後で1000円貸してくれ。返却期限の一か月後ぐらいに返すから、よろしく」

 

「――――そうやなあ! 一応学校行事で来てるさかい! 学生らしい行動せんとあかんやろうなあ!」

 

「女子全員こう言ってるからこのメンバーの中からナンパするな」

 

「一人買収されたぞ」

 

「いつものことだ」

 

「うきたはこれだからなぁ」

 

やはり金で動く人間は信用できないな。金の切れ目が縁の切れ目だ。金あって良かった。

 

「じゃあハルに――――」

 

「待て」

 

「なんだ」

 

「男をナンパする男がこの世に居ると思うか?」

 

「場所によってはいると思う」

 

オカマバーなんかもあるぐらいだし。

世間一般的にも同性好きと言うのは認められつつある。だからと言って迎合するつもりもないのだが。

 

「確かに探せばいるだろう。だが先輩は普段から男をナンパするのか?」

 

「ハル限定ならいくらでもやるかもな」

 

「気持ちはわからんでもないが、ナンパするのは女限定で頼む」

 

「仕方ない」

 

若干嫌な顔したハルが見れたし、いいか。

女限定となると、この場にいる女は4人。さて……。

 

「……大友いってみるか」

 

「お」

 

名指しされた大友がベッドから跳ね上がる。

 

「いいぞ。これでも普段から男には声を掛けられるのだ。こっぴどく振って見せよう」

 

「おう」

 

なんだよ。振られるのかよ。嫌だなそれ。

 

「やっぱやめ。剣華にする」

 

「なに? 逃げるのか?」

 

「戦術的撤退でーす」

 

「ふん、弱腰め」

 

一言言って、大友はまたベッドに寝転がる。こっぴどく振れなくて残念だったの? ひどい奴。

さて肝心の剣華はと言うと、

 

「……」

 

枕を抱いてうつらうつらとしていた。こっくりこっくりとして時々はっと頭を上げるが、襲い掛かる睡魔には敵わず、またこっくりこっくりとしている。その繰り返し。

羽化しかけてんのかねこれ。成虫はどんな姿してるやら。

 

「聞いてたか?」

 

「…………………は?」

 

状況確認を済ませる。なんも聞いてねえなこいつ。

早くやってしまおう。

 

「明日デートしてくれ」

 

「……は?」

 

「明日デーとな」

 

「はあ」

 

「デート内容は明日行ってのお楽しみだ。じゃ、おやすみ」

 

「……寝る」

 

コテンと力尽き反応が無くなった。すやすやと寝息が聞こえる。

毛布を掛けていると、何とも言えない視線を感じた。

 

振り向くと微妙な表情の男衆。

 

「なんか、なあ?」

 

「ああ」

 

「そうだな」

 

言いたいことがあるらしい。なんだよ、はっきり言ってみろよ。そう眼で語る。

 

「いや、なんだ。あの……、睡姦……?」

 

人聞きが悪すぎる言葉が飛んできた。

でも、実際睡魔に襲われている所に便乗したので、何も言い返すことは出来ない。

 

「うるせえな。それより次だ次。最低一人は罰ゲーム受けてもらうからな」

 

男どもの眼をスルーしてゲーム続行。

その後、なんだかんだ盛り上がって二時間ほど続けた。

最終的に罰ゲームを受けたのは、途中参加の龍造寺と集中攻撃された長宗我部、俺が追い立てた晴となった。

 

 



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五話

東西交流戦二日目。

川神学園二年生 対 天神館二年生の戦いは天神館側の優勢で進められていた。

 

石田三郎を大将とし、側には島右近と長宗我部宗男、橘剣華が控えている。

前線では大友焔の大砲による広範囲爆撃。尼子晴とその親衛隊による連携のとれた攻撃。

宇喜多秀美による特攻。毛利元親による狙撃。大村ヨシツグによるネット攻撃。

 

それぞれが単発でとは言え、十勇士の名に劣らぬ威力を発揮する。

あちらも十勇士とは戦わないように配置された男子生徒たちが頑張っているようだが、如何せん戦闘能力に差があった。

おかげで戦闘が始まってから暫くして、兵の数で天神館が圧倒し始める。

 

だが、その連携の取れない単発攻撃が通用するのも、敵がこちらの情報を集め、隠していた主力を前線に送り込むまでだった。

大友焔にはマルギッテ・エーベルバッハと川神一子が。

尼子晴にはロリコンが。

毛利元親は椎名京。

大村ヨシツグには大串スグル。

宇喜多秀美は特攻しすぎて返り討ちに合う。

 

同じ土俵で、変態性で、相性の良し悪しで、次々と十勇士が敗北していく。

慢心はあっただろう。驕って、油断していたかもしれない。

 

これにより天神館側の兵たちの士気は下がる。逆に川神学園側はこの好機に、一度倒れた者までも一念発起し前線に復帰し始めた。

 

天神館優勢で進んでいたこの戦は、ここに来て川神学園が盛り返し始めている。

その状況を何とかしようと動いたのは二人。

鉢屋壱助と長宗我部宗男である。

 

鉢屋は上空、長宗我部は敵陣後方に広がる海から奇襲をかけた。

ただ惜しむべくはこの二人、またもやそれぞれ別々に奇襲をかけてしまったのだ。

この二人と特攻隊長の宇喜多が同時に敵陣へ突撃すれば、この状況も好転しえたかもしれないと思ってしまうのは結果論だろうか。

 

しかし鉢屋は同じく忍者である忍足あずみに返り討ちに合い、長宗我部もオイルを被ったところで、予め用意されていたライターで火を点けられた上に榊原小雪によって海に叩き落された。

 

この時点で西方十勇士で生き残っているのは石田三郎と島右近の二人だけ。

当初の勢いはどこへやら。完全に形勢は逆転した。

 

さすがに分が悪いと判断した石田は、本陣に攻めてきたクリスティアーネ・フリードリヒを橘剣華に足止めさせ、その間に島右近を引き連れタイムアップ狙いで隠れることにした。

 

「まったく……。まさかこの俺が無様に逃げ隠れすることになるとはな」

 

「相手が予想以上に手練れ揃いでした。こちらも最初から全力でかかるべきでしたな」

 

「ふん。今更失策を嘆いても遅い。その気になれば俺一人で奴らを相手取ることは可能だが、寿命を削ってまでやることとも思えん。ここは大人しく逃げに徹することにしよう」

 

「それが最善かと」

 

エアーポケットと呼ばれる、工場内に出来た見つけづらい空間でその時を待つ二人。

しかし途中、石田が「この場所は自分の様に狡い奴にしか見つけられない」と皮肉交じりに胸を張ったのが仇となったか、その言葉が預言であったかのように、男が一人現れる。

 

「見つけたぞ」

 

息も絶え絶えに、登場したその男は言うや否や笛を吹く。

辺りに響くその音色。何かの合図か。

 

「ほう。よくこの場所を見つけられたな」

 

「生憎俺も狡い男でね」

 

聞いていたのかと石田は舌打ちする。しかし見た限り男は一人。

こちらは島も含めて二人。負けるはずがない。

 

「それがしは西方十勇士が一人島 右近。お覚悟!」

 

振り下ろされる薙刀。しかしそれは横から伸びた刃に阻まれた。

 

「っとと。大和は討たせないわよ!」

 

駆けつけたのは川神一子。先ほどの笛の音を聞いて、一も二もなくやってきた。

 

「大和! こいつはあたしが相手をするわ! そっちは大丈夫?」

 

「任せておけ。回避には自信がある」

 

回避? と疑問符を浮かべた石田だったが、男の構えを見た瞬間その疑問は雲散した。

 

「貴様……。ド素人か……?」

 

男は答えず、ただその頬を伝る一筋の汗が全てを物語っていた。

内心で「やべ。ばれた」とか思っていても、表情には決して出さない。

少しでも回避できる可能性を上げたかった。

しかし、石田の表情が怒髪天を衝くそれになったことで、その儚い望みが叶いそうに無いことを悟る。

 

「舐め腐りおって!! この阿呆がァ!!」

 

いくら回避が得意と言っても、素人が石田の攻撃をそう易々と回避できるはずがない。

現に直江大和は迫る刃に対し、直前まで反応らしい反応を見せていなかった。

石田の一撃が直江大和の元へ届かなかったのは遥か後方より愛ある援護があったからだ。

 

「ぬ!?」

 

辛うじて、視界の隅にそれを捉えることが出来た石田は、当たる間際に大きく仰け反ることで回避した。

狙いを逸れた矢は石田の後方のパイプに当たる。

 

狙撃されたのだと実感し、冷や汗が背中を伝る前に、直江大和が反撃する。

 

「ほらよ!!」

 

「ちっ」

 

右足蹴りが石田の左膝に食いこむ。走る痛みに歯を食いしばる。

反撃も、二度は許さぬとぎりぎり届かない位置へ下がる石田に、直江大和は底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

ほれほれどうした? 西方十勇士ってそんなもんか? たいしたことないんだな!

 

そんな声が聞こえてくるようだ。

またもや怒髪天を衝き、挙句血管が切れそうになった石田は理性を失うまいと大きく息を吸い込んだ。

 

防御と引き換えに直江大和への攻撃は中断され、挙句の果てには反撃を許してしまったが、それは致し方ない。

今の一撃で狙撃手がどこに陣取っているのかが分かったのだ。

注意さえしていれば、また矢を射られても当たることなどあり得ない。

 

息を吐きながら、そう自分に言い聞かせる。

 

「くっくっく……」

 

怒りが一週回って、笑いが込み上げる。

突然笑い始めた石田三郎。直江大和は警戒を強める。

 

「この俺をここまで追い詰めるとは大した奴だ。褒美に、俺の本気を見せてやろう」

 

冷静になろうと言い聞かせて、結局は抑えきれない怒りに任せて本気を見せようとする。

寿命を削ってしまう技を使う程追い詰められた訳ではない。目の前にいるのは戦闘ド素人。狙撃手の居場所は割れており、島と川神一子の戦いは拮抗している。

自分なら、一分もあれば直江大和を地に伏すことができるだろう。

 

早くこの男を片付け島に加勢し場所を移さねばいけない。

いつ援軍があるか分からない。早く行動しなければいけない。

 

いくつもいくつも勝つために浮かび上がる考え。

だが、それももう石田にとってどうでもよかった。

まず先に、怒りに任せて目の前の男を切り伏せたい。この俺に蹴りを食らわせた非礼を償わせてやる。

理性を保とうとして、結局理性は彼方に消えた。

 

本気で戦闘ド素人を叩き討つ。

 

「光龍覚醒――――!!」

 

全身から金色の気が放たれ、髪も金色に変化し逆立つ。

直江大和は、相対する男の異様な変化に動揺する。

 

感じるプレッシャーが段違いに重くなった。

止まっていた冷や汗が再び背中を伝るのを感じる。

 

「ふん」

 

機械のごとき精密さで、眉間めがけて飛んできた矢を石田は悠々と回避する。

椎名京の狙撃はもう通用しない。効果があるとすれば矢の先端に爆弾を付けて射る爆矢ぐらいだろうが、直江大和が近くにいるためそれは出来ない。

 

「さて、東の。俺にこの技を使わせたこと褒めてやろう」

 

「ま、待て! なんだそれ! そんなのありかよ!?」

 

「西では女より男が強い! この程度の技能出来て当然だ!」

 

当然なはずあるか!

口から出たツッコミは石田の叫びで掻き消える。

 

「消えろ阿呆が!!」

 

大きく振りかぶられた剣を直江大和は凝視する。

躱せるはずが無いことは、武神の弟分としての長年の経験が告げていた。

それでも躱さなければいけない。痛い思いはしたくない。あれは絶対に痛い。

 

直江大和の頬が引き攣り、石田三郎の頬は喜色で吊り上がった。

乱入者が現れたのは、石田の鉄槌が下されようとしていたその時である。

 

ヘリから飛び降りた人影。

元々闘気で満ちていた工場に新たな闘気が一つ降り立つ。

 

「何奴……!?」

 

すぐ背後に出現した気配。警戒心露わに石田が振り返った。

 

「源義経 推参!」

 

振り向きざまに一閃。

 

「がっ……」

 

あまりに速い剣閃に反応できなかった石田がその場に膝をつく。

 

「くっ……!!」

 

「御大将!?」

 

「隙あり!」

 

「ちいっ!」

 

島右近が石田の元へ駆けだそうとして、川神一子が邪魔をした。

攻撃自体は何とか防ぐものの、島は完全に石田に気を取られてしまっている。

川神一子は石田の心配をしながら勝てるほど生易しい相手ではない。見る間に島は劣勢に陥った。

 

「それがしは御大将の元へ行かねばならん! 邪魔をするな!」

 

「今はあたしと戦ってる最中よ! 余計なこと考えてる余裕があるの!?」

 

島右近と川神一子が激闘を繰り広げる中、石田が苦痛に顔を歪めながら口を開いた。

 

「この強さ……。お前も武士の血を継ぐ者か」

 

「いや、義経は武士の血を引いているわけじゃない。義経は源義経そのものだ」

 

「……言っている意味が分からんな」

 

唇の端を吊り上げながら石田三郎は立ち上がる。

 

「た、立てるのか!?」

 

「当たり前だ。俺は天神館十勇士が大将。奇襲や不意打ち程度でこの俺を打ち崩せると侮るな。背負っている荷の重さが違う」

 

口では強がってもその足取りは不安定。

剣を構える姿にも力強さが欠けている。先ほどの義経の斬撃で受けたダメージは大きい。

 

「学友のため、義経も手加減するわけにもいかない。悪く思わないでくれ」

 

「当然だな。手加減などしてみろ。俺の剣がお前を貫くぞ」

 

義経と石田が睨みあい、直江大和が固唾を飲み見守る。

一瞬、全てが停止したように音が止み、次の瞬間には決着がついていた。

 

「…………」

 

倒れているのは石田三郎。立っているのは源義経。

 

 

 

東西交流戦 二日目 川神学園の勝利



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六話

東西交流戦三日目。

 

遠く、九鬼家管理の工場ほぼ中央辺り。

天神館の三年生たちが組体操の様に組み合い、巨人の様に合体しているのが見えた。

別に遊んでいる訳ではなく、人間が数百人集まって、群となり個々人とは比べようもない戦闘力を得られる技だ。

東西交流戦が決まってから、三年生総出で練習した妙技である。

 

本来なら200人までのはずの参加人数を特例で500人にまで増やし、加えて奥の手である妙技を序盤から披露しなくてはいけないほど戦力は偏っていた。

武神がいるだけで天神館の勝利は万に一つもない。二年生が敗れたと聞いて、一番落ち込んだのは、実は本人たちではなく三年生だ。

あの武神と戦わなくてはいけないという現実が彼ら彼女らを絶望の底に突き落とした。

 

なんとか士気を保ち、大声を上げながら妙技を繰り出したあいつらの気持ちはわからない。

でも、できれば手からビーム出すような人間とやり合いたくないと思うのは普通の人間からすれば当たり前のことだった。

 

「やあ、綺麗だねえ」

 

大将の日野が宙に続く光線を見ながらつぶやく。

その口調に緊張感はない。花火を見ているみたいなふわついた調子だった。

周りに居る奴らも日野の呟きに無言で頷いている。

「たーまやー」の掛け声がこれほど似つかわしくない場面もないだろう。

あそこの下らへん死屍累々だぜ。ちょっとこの双眼鏡で覗いてみろよ。コントみたいで笑えるから。

 

「ふはっ。知ってる顔が死体みたいに転がってる。ほんと結構面白いぞこれ」

 

あいつら、練習頑張ってたのに三分もたなかったなあ。努力の末路は路傍の石ころか。あー、かわいそかわいそ。

 

「性格わるいねえ……」

 

日野にドン引きされた。

こいつも結構悪いけどな。

 

「けど、死んじゃった人には悪いけど、まあ、予定通りだよね。面白いかどうかはともかく。作戦どうなってるかな」

 

「少しお待ちを」

 

日野の問いに、忠実なクラスメイトが携帯電話を取り出しどこかへ連絡する。

連絡は二~三言で済み、すぐに通話は終わった。

 

「予定通りです」

 

「ああ、そうなんだ。追撃誰来てるかな?」

 

「半分は弓兵です。あとはバラバラになって歩き回ってるようで」

 

「大将を探して移動中かな」

 

「間違いなくそうでしょう」

 

妙技を使った奴らが即殺され、武神が満足して下がった。

ここまでは事前の作戦通りに事が運んでいる。

後は残党たちが上手いこと奴らを引き連れてくれることを願いつつ各個撃破だ。

 

「おい、工藤。準備できたぞ。てめえいつまで双眼鏡覗いてやがる」

 

「狭い視界で見る景色は異世界みたいで素敵だなあって」

 

「知るかボケが」

 

武神が満足してすぐに下がってくれて本当に良かった。

 

500人中何人を妙技に使うかが最大のポイントだったのだ。

多分武神の事だから大体どれくらいの人数が生き残ってるかは気で把握しているはず。

その上で、「これぐらいならまあいいだろう」と妥協してくれる範囲を探るのが骨だった。

その答えが、今この場に居る70人になるのだが。

 

相手は無傷の200人。こちらは500人中確実に生き残れるのが70人。

戦場でこの差は如何ともしがたく、普通に考えて負けるのが当たり前だ。

 

その普通をこれからひっくり返そうと言うのだから生半可の気持ちではない。

 

「よーし。面白いもん見れたから、一番厄介な弓兵は俺がやるわ。元十勇士最有力候補の大内君は散らばってるのを一つ一つ潰してくれ」

 

「今度その肩書きつけたらまずお前から殺すぞ」

 

「弓部隊には護衛が付いてるらしいけど、スニーキングどうするの?」

 

「上から一人ずつ吊り上げて始末するから大丈夫だろ。対応されたらそれはそれで面白いし」

 

次々と決まっていく行動。あまり時間を掛けてはいられない。

こうしてる間に残党君たちは削られている。後の指揮は大将が携帯ですればいい。

 

「武神が動く前にどれくらい戦力を削れるかにかかってる。忍者のような行動を心掛けろよ」

 

「わかってる」

 

「武神がいなくとも、敵には骨法部と柔道部、水泳部の主将たちと実力者が残ってる。くれぐれも油断するなよ」

 

「わかってるって言ってんだろ。さっさと行け」

 

蹴りと共に、追い出されるように弓兵潰しを急かされた。

あまりしつこく言っても、全部わかってることなのだからうざったいだけだ。

それでもつい口うるさく言ってしまうのは親心のような物だろうか。

 

「んじゃ、まあ勝てるように頑張りますか」

 

パイプやら建物やらを飛び移り、弓兵部隊の元へ移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九鬼管理の工場施設中央。

そこには先ほど、武神のビームの犠牲となった者たちが死屍累々と転がっていた。

武神は既に自陣へと戻り、鼻唄など歌いながら久方ぶりの大技に機嫌を良くしている。

 

他の三年生たちにも緊張感など欠片もない。彼らの中で、東西交流戦は既に川神学園の勝利だという認識だった。

だから指揮を執る人間など居らず、残党狩りに出た者以外は思い思いのひと時を過ごしている。

 

携帯を使っているもの、友人と談笑しているもの、ぼうっと虚空を見つめているもの。

そもそも、彼らは勝利がほぼ決定している東西交流戦より、早朝に九鬼が発表したクローン達の方がよっぽど気になっている。

 

源義経、武蔵坊弁慶、葉桜清楚といった美女に那須与一といった美男子。

思春期の高校生たちにとって気にするなと言う方が気の毒になるほどの上玉たち。

 

だから、この緩慢とした雰囲気も仕方のない物だった。

 

「ふんふんふーん。はっやく清楚ちゃんに会いたいなあーっと」

 

武神こと川神百代もその一人。

 

「まったく武神ともあろうものが俗物的だな」

 

言霊遣い京極彦一も含め、皆が皆油断していた。

終わったものだと勘違いしていた。

 

それが天神館唯一の勝機だと言う事は、天神館三年生共通の認識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川神学園側の陣地から少し離れ、残党狩りに精を出していた矢場弓子筆頭の弓兵部隊。

少し天神館陣地寄り、奥まった場所にまで追撃の手を伸ばしていたのは油断によるためか。はたまた別の要因か。

 

深追いし過ぎていたことに気づきながら、護衛の存在もあって少しの無茶なら貫き通せるだろうと判断してしまっていた。

それが間違いだと言う事はすぐに分かる。

 

気づけば四方には糸が張り巡らされ、矢を射ろうとも糸が邪魔をして目標まで届かない。

頼りの護衛はいつのまにかはぐれてしまっていて、今この場に居るのは全員が弓兵。

どうにもこうにも、絶望的だった。

 

「周囲に気を配り、新手に注意するで候!」

 

しかし絶望的とは言っても、まだ負けたわけではない。

 

矢が飛ばないとは言っても、近距離なら話が別だ。

糸が張り巡らされているのだから、相手も自分たちを攻撃するには近づくしかない。

その時が千載一遇のチャンス。

 

微かな希望を抱き、弓を構える。

 

「案外しぶといね。その辺はさすが武士の家系か」

 

頭上、建物の上。

そこにいるのは一人の学生。

 

学ランを着ているから天神館の生徒なのは間違いない。

顔を見た覚えはないから、鍋島館長が紹介していた天神館選りすぐりの猛者と言うわけではないだろう。

 

「どうしたで候。攻撃しなければ勝つことなど出来ないで候」

 

一応の挑発。

しかし、その矢場弓子の言葉を聞いて、少年は「くっくっく」と肩を揺らし始めた。

自分の口調が原因だと言うことぐらい、すぐに分かった。

 

「いやあ、川神学園はどいつもこいつも面白いなあ」

 

目尻に浮かんだ涙を拭いながら少年は言った。

そのことで、弓子が口を開くことはなかった。

 

「ま、人材が豊富だという点では羨ましいねえ」

 

少年が大仰に右手を振るうと同時に、弓兵たちの体に糸が絡まる。

 

「な!?」

 

「交流戦が終わるまで気絶してなよ」

 

手足が縛られ自由が利かなくなり、首に糸が絡まる。

暴れるとそれに呼応するように、少しずつ締め付けが強くなり、酸欠と相まって意識が朦朧とし始めた。

逃れようと身をよじっても余計に糸が絡むだけ。かといって何もせずとも糸は締まる。

周りの後輩たちが一人ずつ倒れていき、最後に残ったのは主将である自分。

 

せめて一矢報いようと無理に体を動かし、弓を構え射る。

その矢が当たったのかどうか。矢場弓子は覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ない」

 

ラッキーパンチとでも言うのか、最後の最期に射られた矢は糸の間をすり抜け、自分の所にまで届いてしまっていた。

びくっと体を飛び上がらせながらも矢をキャッチできたのは運によるところが大きい。

仮に当たった所で、ではあるのだが、こんなことなら動けないぐらいがっちり拘束するんだったと考えながら大将に連絡する。

 

「もしもし大将ー?」

 

『あー、終わった?』

 

「全員寝た。ほかの奴らは?」

 

『骨法部の主将にちょっと手こずってるみたい』

 

「それ誰だっけ? 南条? ま、大丈夫でしょ。そっちは任せる。俺は他の奴を倒しに行くから」

 

『そう? それならよろしく』

 

通話を切り、気で各々の場所を確認する。

ここから近い場所に覚えのない気を確認。

 

こんどは一々糸を使わずに、上から急襲をしかけようと思い、跳んではるか上空へ。

一跳びで工場を見渡せる高度に達し、そのままの勢いで降下。襲撃する。

 

「あ――――」

 

「おやすみ」

 

倒れる川神学園生徒。

周りの人間に動揺が走るが、その中の一人が一喝することですぐに冷静さを取り戻した。

今の行動で、このグループのリーダーが誰なのかはすぐに分かるな。纏めてやるからあんまり関係ないけど。

 

「おやすみ、皆さん」

 

一斉にかかってきた生徒たち。強いことには強いのだろうけど、結局は無傷で全員倒せてしまっている辺り、やはり物足りない。

闘気すら扱えていなかった相手にそこまで求めるのは酷だと分かりながらも、やはりどこかで求めてしまう。

 

こういう時、武神の気持ちがよくわかる。戦える奴がいないというのは虚しい物だ。

だから、何だかんだ言ってこの展開は望んでいたものだったりする。

 

頭上から声がする。

 

「ちみい、うちの生徒たちに何をしてくれてるのかなァ?」

 

遠くから、凄いスピードでここまで一瞬でやってきた武神。

友人の気が小さくなったので、確認しに文字通り飛んでやってきたらしい。

 

「気づくの早すぎ」

 

「私の眼を掻い潜ろうたってそうは問屋が卸さない。百代ちゃんの目は高性能だからな。あんまり私を甘く見るなよ」

 

その自信はさすが武神。この分ではその大層な肩書も伊達ではないのだろう。

 

「ちょっと友達に電話したいんだけど、いいかな?」

 

「電話なら目が覚めた後で思う存分させてやろうじゃないか」

 

一度は眠らせてやると、宣戦布告に等しい言葉を受けて、連絡することは諦めた。

 

「ま、誘き出す手間が減ったと考えれば問題ない」

 

神に挑む名もなき一学生。

この光景を見ている奴らはどう思っているのだろう?

 

嘲笑しているか、度胸だけは買われているか、最初から興味がないか。

今、こうして向き合っている限りではそれほど恐ろしくは思えない。

果たして、川神百代が今どのくらい強いのか。どれ、ちょっと味見といこうか。



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七話

「川神流無双正拳突き!」

 

「えいこらしょっ、と」

 

百代が放つのは大砲並みの威力を持つ拳。

それを避けるか捌くか、あるいは凌ぎきり、蹴りを顔面に向けて放つ。

だがそれは容易く防御され、そのまま右足を掴まれて投げ飛ばされた。

 

「あらよっと」

 

ごろごろと必要以上に転がって勢いを殺しつつ、糸を周囲に仕掛ける。

 

「はあ!!」

 

見えているはずだが、そんなものはお構いなしに突っ込む百代。

工藤は「やっべ」と慌てて立ち上がろうとするも、百代はそれよりも早く接敵し、拳を繰り出す。

 

「こりゃいかんわ」

 

接近された時点で切り捨てればよかっただろうに。自分が仕掛けた糸に執着して動きを阻害されたせいか、工藤は倒れたまま拳を避けるはめになっていた。

段々と速度と威力が上がっている殴りを必死に避ける。

避けられ、目標を外した拳は地面に突き刺さり、蜘蛛の巣上の罅をいれた。

 

「情けも容赦もなしかよ」

 

百代の両手両足、それから首に向かって周りのパイプや建物を経由させた糸を引っかけ、動きを無理やりに止めさせた。

しかし止められたのは一瞬。次の瞬間には全身を闘気で覆うことによって、体に巻き付く糸を弾けさせた。

 

糸は通じない。予想はしていたが、小道具は効果が薄いようだ。

一度使ってしまったから、次は一瞬でも動きを止めることは出来ないだろう。

 

しかし今は一瞬でも動きを止められたのならそれは僥倖で、その間に立ち上がり、距離を取ることが出来た。

 

「いいぞ。そこそこ出来るみたいだな。だが、まだ暇つぶしぐらいだ。これじゃあ十勇士たちの方がよっぽど楽しめそうだぞ」

 

「生憎と俺は十勇士じゃないんでね」

 

「らしいな。でも昔はそうだったんだろ」

 

「どっから情報仕入れてんの?」

 

「情報通の舎弟がいるんだ」

 

どこか誇らしげに胸を張る武神。

しかし舎弟と言う単語は一般人にしてみれば精神的に二~三歩距離を取らせる威力を持っていた。

工藤の引き攣った顔は気にせず、百代は言う。

 

「ま、石田が言っていた通り、退屈しなかっただけでも儲けもんかな。あんまり期待していなかったし」

 

「言ってくれるねえ」

 

会話をしながら張り巡らせた糸を再度武神の元へ殺到させる。

全身にに巻き付いたそれは、先ほどよりも強く多く武神の体を拘束した。

しかし、武神は焦るそぶりすら見せずに対処する。

 

「川神流奥義 炙り肉」

 

気を使って体の一部を炎に変化させる技。

それによって糸に燃え移った火は次々に糸から糸へと伝わり、張り巡らせた糸をあっという間に無力化させた。

 

「続いて、川神流奥義火達磨」

 

火に体を包まれながらの突進。両手をいっぱいに広げながら突っ込んでくる姿は悪魔のようだった。

一緒に火達磨になろうと言うことか。

 

「いや、それ怖すぎるだろ」

 

工藤はバッグステップでさらに距離を取ろうとする。

工場施設の上部に跳びあがり、手ごろなパイプを投げつけつつ色々と足止めに使う。

武神は施設上部へ駆けあがる途中でパイプを浴びさせられたが、全て拳で破壊した。

駆け上がった百代。工藤は既に隣の施設へ跳び移っており、二人は建物と建物の間、数mを挟んで再び相対した。

 

「さっきからぼうぼう燃えてんぞ。火災報知器なってもあれだし、消火したらどうだ」

 

「うーん……。そうするかなあ」

 

何故か素直に技を解く。見た所、武神には火傷や怪我は見当たらなかった。

火達磨と言う技は自滅技ではないようだ。

 

「作ってみたはいいが、予想以上に気を使うんだなこれ。モモちゃん驚いちゃった」

 

炙り肉の応用でたった今思いついた技を実践中に使ってみたと言う事らしい。

真剣勝負とかそう言う考えはないのかと工藤は訝しんで聞く。

 

「戦ってる最中に技の開発とか余裕あんな」

 

「そうだろう? 何せ対戦相手からほとんど闘気が感じられなくてな。暇つぶしにやってみた」

 

見事な円を描いたブーメランが工藤を貫く。

真剣勝負とか言う考えがないのは工藤の方だった。始めからほとんど闘気を表に出さず、武神相手に小道具で挑むその舐め腐った姿勢。

まさしく『余裕あんな』だ。

 

「私みたいなスロースターターなのかと思えば違うようだし。追い詰めれば本気出すのかとやってみてもそうじゃない。もう本当にモモちゃん怒っちゃうぞー」

 

川神学園一の美女が半目で工藤を睨む。

工藤はその眼を直視することなく、曖昧に笑って目を逸らした。ぽりぽりと頬を掻き、けれども百代の言葉を否定はしない。

 

「……まあいい。本気出さない相手と戦っても時間の無駄だしな。そろそろ終わりにしよう」

 

その言葉を受けて、工藤は逸らしていた眼を前に戻す。

川神百代がすぐ目の前にいた。

 

「はぁ!!」

 

工藤は咄嗟に、繰り出された右こぶしを腕を楯にすることで防御する。

だが、先ほどまでとは桁外れな威力を持ったその拳を防ぎきることは出来ずに防御ごと吹っ飛ばされた。

 

一度地面にバウンドし、崩された態勢を何とか整える。

しかし、前を向いても武神の姿はどこにもなく、辺りを探る暇も無く、気づけばすぐ後ろにいた。

 

「川神流無双正拳突き!!」

 

一番最初に繰り出された技は、けれど威力も速度も段違いに大きくなっていて、防御は意味を成さない。全ての拳が工藤に突き刺さる。

そして極めつけの最後の一撃は特に強い拳だった。それを顔面に受けた工藤は力なく地に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

 

百代はそれを一瞥して、ほとんど感じられなかった気が余計に小さくなったことを確認してその場を去る。

頭にあるのは、他で行われている戦闘に加勢するべきかどうか。残り時間も少ないことだしそうした方が良いだろうな。

そんなことを考えながら既に意識はその場になかった。

取りあえずは友人の矢場弓子を捜しにいこうと足に力を込めたとき、小さくなったはずの気は大きくなるのを感じた。

 

「よっと」

 

後ろから感じた気に振り向けば、軽々と立ち上がる工藤がいた。学ランに付いた土ぼこりを落しながら身体の調子を確認している。

確認し終えた後、百代と視線を合わせて薄らと笑いながら言う。

 

「まあ、大体分かった」

 

ビリビリと感じる、先ほどまでかけらも感じられなかった闘気に百代も笑った。

 

「そうだな。……やられっぱなしもなんだし、予定にはなかったけど、ちょっと本気で戦ってみようか」

 

本当は工藤にその気はなかった。まだ早い。そう思って、適当に往なすつもりだった。しかし、いざこの状況に陥ってみると、案外我慢などきかないものだ。

本気の本気で戦うつもりはない。つまみ食いぐらいでいい。その程度で、工藤はやり合うことにした。

 

百代も、予想だにしなかった強者の出現に笑いが止まらない。

感じられる闘気は相当なもので、もしかしたら壁を越えているかもしれない。

そんな相手とこんな所で戦えるなんて、まさに武人冥利に尽きると言うものだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

互いに隙なく、相手の動向を一挙一動観察する。

どちらかが最初に動いた時に戦いが始まる。

 

そしてまさに二人が動こうとした時に、それは聞こえた。

 

「あ」

 

「え」

 

ぱんっぱんっと遠くで花火の音が聞こえる。

いつだか誰かが説明していた。東西交流戦終了の合図。

 

え、ちょっとそんな……。これから面白く成る所なんだぞ、じじい。

 

まだあの花火の意味を掴み切れていないのか、百代が自らの祖父である学園長へそんな文句を内心で言っていた。

しかし、何度見てもあの花火は交流戦が終わった時に打ち上げられるものだった。

どちらが勝ったのかはわからない。だが今はそんなことよりも目の前の戦いが重要だった。

 

ふつふつと怒りが湧いてくる。

お預けを食らった獣が、ようやくご馳走にありつけると齧り付いた時に、そのご馳走すらお預けになってしまったような、そんな理不尽な怒りだ。

 

「そ、そんな……! 嘘だあぁ!!?」

 

遂に武神の悲鳴が木霊した。

工藤はそれに耳を塞ぎながら、先ほどまで表に出していた闘気が鳴りを潜める。

 

久々に熱くなったなあ、なんて思いながらもやっぱりどこか残念な気持ちもあった。

しかし武神と戦うのにこんな工場では盛り上がらないという思いもあったので、次は相応しい舞台でも用意してそこで思う存分戦おうか。

そう考え、欲求不満を抑え込むことにした。

 

「じゃあお疲れさーん」

 

どちらが勝ったのか、それを知りに工藤は自陣へと戻ろうとする。

去り際百代が制止してきたが、待っても決闘へのお誘いしか来ないだろうと無視した。

 

「またなあ」

 

トンッと軽くジャンプして陣地へ舞い戻る。

そこではほとんどの人間が寝かされていて、後方支援班がけが人の応急手当てに四苦八苦している。

そこにはぼろぼろの大内や、大将であった日野の姿があった。

 

これだけ見ても勝敗に何となくの予想はついたが、一応聞いてみることにした。

 

「やあ、勝った?」

 

わざと明るく問いかけてみて、大内はそっぽを向き、日野がへらっと笑う。

 

「負けたよ」

 

「まあ仕方ないな」

 

うんうん頷きながら適当に慰めの言葉でもかけようと二人に近づいた。

 

「皆頑張ったさ。そうだろう?」

 

その言葉に頷いてくれた人間が少数。何も反応を示さなかった人間が多数。

工藤のことを睨みつけた人間が一部いた。

 

その一部である大内に工藤は問いかける。

 

「なんだ? 一応聞いてやるが」

 

「……いや、なんでもない」

 

何か言おうとして、それをぐっと抑え込んだようだ。

何を言おうとしたのか、工藤は分かっていながら何も言わない。

ただ、菩薩のような笑みを浮かべて大内を見た。

 

大内はその顔を見るのが嫌だったのか、すぐに顔を逸らし、起き上がってどこかへ歩いて行った。

フラフラと覚束ない背中を工藤は見送る。

 

大内の姿が見えなくなったのを見計らって、日野が言った。

 

「惨敗だったよ。やっぱり強いねえ。川神学園」

 

「わかってたことだよな」

 

「うん。……あー、でもちょっと違うか」

 

「ん?」

 

「強かったのは、川神百代だったね。やっぱり、ああいう化け物は真面にやり合ったらダメだ。感想はそれだけだね」

 

怪我を負いながらも負けたことを悔しがり、次は負けないと意気を燃やす生徒たちの姿。

日野はそんな生徒たちを慈愛の表情で見つめていた。悟ったような顔だった。

工藤は踵を返してその場を後にする。

 

東西交流戦 川神学園勝利のアナウンスが工場地帯に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

後始末が終わり、ホテルに戻り自分の部屋に行くと、そこには十勇士が勢ぞろいしていた。

全員この部屋で中継を見ていたようだ。

 

工藤の顔を見た石田が嘲るような顔で一番に口を開く。

 

「ふん。手を抜いて戦に負けるとは滑稽だな」

 

「それお前が言えると思ってんの?」

 

石田の言葉は言った本人にも見事に突き刺さる物だった。

どっちが滑稽だろうかと真剣に問い返す。

 

「石田、先輩はあの武神と戦っていたのだ。あまり責められんぞ」

 

「あの化けもんを足止めしただけようやったわ」

 

大友と宇喜多は工藤を擁護したが、代わりに男たちの反応は冷ややかな物だった。

 

「だが、手を抜くにしてもこいつが始めから武神と戦っていれば勝てた可能性は高かっただろう。違うか?」

 

「まったくその通りだ。数の利があったと言うのに、なぜ400人倒れるのを待って行動したのか理解に苦しむ」

 

「ああ。その辺りの説明を求めようか」

 

石田と長宗我部が水を得た魚のように生き生きと責め立てる。

昨晩、工藤に散々負けたことを弄られた意趣返しだ。

 

むろん、工藤もそう易々とそんなものに応じはしない。

すぐさまハル晴コンビに助けを求めた。

 

「助けてハル晴! 石田と長宗我部が苛めてくる! ぶん殴ってもいいのかな!?」

 

「わっ、こっちくんなよ!」

 

ハルには素気無く拒絶され、残るは晴一人のみ。

当の晴はベッドの上で片足を抱き、真剣な表情で工藤の顔をじっと見ていた。

その眼を直視してしまった工藤はおちゃらけ様にもおちゃらけられず、真顔で視線を受け止めた。

 

「先輩はこれでいいの?」

 

「ん? なにが?」

 

「負けちゃったけど、それでいいの?」

 

「ああ。別にどうでも」

 

「そう」

 

質問への答えを聞き、晴は力なくベッドに倒れ込んだ。

 

負けたと言っても交流戦で負けただけ。劣勢ではあったものの川神百代との勝負はまだついていない。

そもそも今回の交流戦で勝つ気があったかと問われたら、即答で「ない」と答えるだろう。

川神百代と多対一とは言え戦った400人。

相手200人に対して遥かに劣る人数で、しかし勝つつもりで戦った70人。

どちらも得るところはあったはずだ。

 

十勇士たちの様に慢心などしていない。全力で、本気でぶつかった彼ら彼女らは今日の戦いを糧にして、また一つ階段を上るだろう。

今日の戦いの主役は自分ではなく他の499人だ。

自分が前線にしゃしゃり出て武神と戦い、その間に数で圧勝させるつもりはさらさらなかった。

最初に不利な戦況に追い込み、そこから知恵を絞り、連携して死ぬ気で、勝つ気で戦わせるつもりだったのだ。

もちろん、そのままではどう頑張っても負ける状況なので多少の力添えはした。

しかし最終的に勝敗を決めるのは生徒たちの努力と頑張りになるぐらいの力添えだ。

 

その結果として天神館が勝利すれば最高ではあったが、負けたからと言って悪い結果ということにはならない。

負けたことで反省するべき箇所が見え、連帯感が高まり、己の実力も見えた。いい結果の内だろう。

 

そのようなことを考え、工藤は今回の交流戦に臨んだが、そんなこと知りもしない者からは当然不満が出る。

先の大内もそうだし、名声に固執する石田なんかは特にそうだ。

 

他にも家柄の良い人間からは不平を言われるだろうなと予想していたが、晴に言われるのは予想外だった。

だから、晴に「お前はこの結果で満足しているのか」と問われ、工藤はちょっとだけ動揺した。

 

その動揺を知ってか知らずか、晴はベッドに寝っ転がりながら上を向き、腕で目を覆う。

そして聞かせるつもりはなかったのだろう。口がほとんど動かないぐらいの、普通なら絶対に聞こえることはない音量で言った。

 

「……でも、どうせならちゃんと戦って、勝ってほしかったよ」

 

……案外期待されていたんだな。

ちょっとだけ、本気で戦わなかったことを後悔した。



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第一章裏 √川神学園
八話


神奈川県川神市。

川神院を始めとした数々の観光名所が散在するこの街は、風光明媚な市として国内外にその名を轟かせている。

 

川神市にだけ自生する野草など独特な自然環境が有名だが、それよりも前述した川神院。

かつて武神として武の世界に君臨した男、川神 鉄心が運営する武道の総本山。

実は国外に轟く名声のほとんどが川神院に関することだったりする。

 

曰く、一人で一個師団壊滅させた。

曰く、手からビームを出す。

曰く、銃を撃ってもミサイル撃っても無傷。

 

一般人が聞けば冗談だろと笑い飛ばす逸話のほとんどが事実なのだから、川神院は手におえない。

何か奇想天外なことが起こっても、「原因は川神院です」と言われれば「なんだそうか」と納得してしまうぐらいには諦められていた。

そんな場所で師範代にまでなれれば人間やめてる証だ。

 

そんな証が欲しくて、世界の猛者らは川神院を目指す。

人間やめたくて、川神学院の門を叩く人間が大勢いる。必然的に門下生も多い。

 

来るもの拒まず、去る者追わず。

全員が全員人間やめている訳ではないが、それでもそこらの道場と比べれば、優秀な人材が数多く居る。

化け物を何人も排出したりもした。

それらは世界に誇る九鬼家従者部隊序列0番が保障している事実だ。

 

 

そんな川神院。

聞けば聞くほど耳をふさぎたくなるような逸話でいっぱいだが、実は恐ろしいことに、川神鉄心が運営しているのはそこだけではない。

 

川神市でも上位の偏差値に位置する進学校。

川神学園。

 

そこも川神鉄心が運営する学校なのだ。

校風は自由がモットー。ほかの学校との違いとしてSからFまでのランク付けがあり、競争力を煽る仕組み。

さらに最大の特色として決闘制度がある。

 

問題が起きたときに決闘を行い勝った方の意見を通す。

決闘と言っても、武力を競うだけが決闘ではないらしく、知力を競ったり運を競ったりもOK。

 

決闘を行う際は教師の監督が必須で、教師陣はどれもこれもが実力者。

滅多なことでは決闘中の事故は起こらない。

 

川神院の師範代クラスの実力者が教師として働いている川神学園だからこそできることだ。

 

さて、川神院と川神学園について簡単に説明し終えたところで、話は東西交流戦前にまで遡る。

具体的には、川神学園の朝会で学園長こと川神鉄心がいきなり東西交流戦について発表したところからだ。

 

「あー。あー。聞こえとるかの? 聞こえてる? ならばよし」

 

学園長が全校生徒を前にしてマイクのテストを行い、無事に稼働していることを確認。

そして眠たそうな生徒たちを目にして溜息を吐いた。

 

「やれやれ。春の陽気にやられとるの。気合の足らんもんが多い。これから儂、ちょっと重要なこと話すんじゃが、大丈夫?」

 

生徒たちからは特に反応がない。

空気を読めば「早く話せ糞爺」と言っていた。生徒たちは学園長を敬う気持ちを特には持ち合わせていない。それもまたこの学校の特色だ。

 

「ま、聞かん奴は聞かん奴で別によいじゃろう。来週、天神館と東西交流戦を行うことになったのじゃがな」

 

…………ん?

あれ、今なにか変なこと言わなかったか?

 

生徒たちの眠気が飛び始める。

 

「一学年につき参加人数は200人。強制ではなく、希望者のみじゃ。場所は九鬼家が提供してくれた工場。九鬼管理じゃから結構なんでもしていいのぉ。詳しいことはプリントを配るからそれを見ればよい。参加したいものは担任に言うように。人数制限もあるから早い者勝ちじゃ。それでは解散!」

 

…………………………は?

 

「おい、待てじじい」

 

「なんじゃモモ」

 

「もっときちんと説明していけ。突然すぎて意味わからんぞ」

 

「だって儂眠いんだもん」

 

「春の陽気にやられてるのお前だろうが!!」

 

百代と鉄心の言い合いの中、数秒遅れで生徒の中を動揺が走った。

 

交流戦? 天神館と?

天神館って学園長の愛弟子が運営するあの天神館?

まじで?

 

「うおおおおおおおおお!?」

 

「まじか! まじかよ?」

 

「私の実力を試せるのね!」

 

思い思い、好き勝手に声を上げ、熱を上げ、騒然とするグラウンド。

朝礼が終わってもその熱気は冷めやらず、クラスに戻ってもその話題で持ち切りだった。

 

「大和大和! 聞いた? 交流戦だって! あたし絶対に参加するわよ!」

 

「ワン子はそういうの好きだしな」

 

「大和も出ましょ?」

 

「うーん……」

 

2-F直江 大和と同クラスの川神一子。

一子は既に参加する気満々で、大和は今一乗り切れない様子だった。

そこに風間ファミリー男衆が集結する。

 

「何だよ大和ぉ、出ないのか? 俺は出るぜ!」

 

「俺様も同じく出る。これに燃えなきゃ男じゃねえ!」

 

「あっははは。みんな元気だねえ」

 

上から風間 翔一、島津岳人、師岡卓也。

前者二人は活動的、好奇心旺盛、運動が得意な二人。

対照的に卓也はアニメ好きのインドア派。彼も大和と同じく、それほど積極的に参加しようとする意欲はない。

 

「モロは出ないのか?」

 

「僕は戦闘とか得意じゃないしねえ。出るにしても後方支援係かなあ」

 

そうだよなあと大和は相槌を打ち、どうしたものかと思案する。

 

「大和は参謀として出ればいいんじゃない?」

 

「まあ、出るとしたらそれしかないんだけどな……」

 

ちょっと気がかりがあり、歯切れ悪く返事をする。

二年生で参謀と言ったら大和とあと一人、S組の葵 冬馬がいる。

もし彼が出るのなら自分がするべきことはほとんどなくなってしまうだろう。そして、恐らく冬馬は出る。九鬼英雄の唯一の友人として、彼をサポートするために参加するだろう。

そうなった時、果たして自分は出る必要があるのだろうか。

 

クラスを見渡せば意欲満々なのは一子や翔一、岳人のほかにクリスティアーネ・フリードリヒぐらいだ。

あとの人間は、まあ他の人―――特にS組―――がやってくれるだろうと短絡的な考えを見せている。

 

さて、どうしようかなと深く思案しようとした時に、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「大和くん」

 

「ん?」

 

振り返り、ドアの方を見てみれば、S組の葵冬馬が立っていた。

S組とF組は普段から諍いを起こすほどに仲が悪く、突然のS組の出現にF組の面々は何だなんだと冬馬を見ている。

 

「どうも」

 

「ああ。どうしたんだ?」

 

「いえ、ちょっとした確認です。……大和くんはもちろん参加しますよね」

 

主語はないが、普通に考えれば交流戦の事だと分かる。

 

「いや、どうしようかと考えてたところだ」

 

「そうなんですか。僕としては是非大和くんに参加してほしいのですが」

 

「俺が参加しても大した役には立てないぞ」

 

「何を言っているんですか、大和くん。貴方には貴方しかできないことがちゃんとあります」

 

手を握りながら、良い笑顔を近づけながら、「僕の側に居てください」とでも言いそうな雰囲気で冬馬が言った。

 

多分、自分が持っている人脈の事を言っているのだろう。

相手の事を探るのにはそれを使うのが一番手っ取り早い。そう言う意味では確かに役には立てる。

 

しかしそこまでだ。その後はほとんど役には立てないだろう。

自分が出来ることは冬馬が出来る。もっと言えば冬馬の方が出来る。

果たして、同じ能力を持った軍師が二人もいるだろうか。そう考えると今一乗り切れない。

 

「でもなあ……」

 

「気が乗らないのですか?」

 

「まあ……」

 

学年ごとの対抗戦。

三年生にはあの川神百代が居り、一勝は確定したような物。

 

二年生にしても一子やクリス、マルギッテにあずみなど、武に富んだ女の子たちが参加を表明している。

そしてそれを支援する冬馬に大将たる九鬼英雄。正直この面子では負ける方法を考える方が難しい。

 

"別に俺が出なくても"

 

そんな思いが大和の内を占める。早い話が面倒くさかった。

そんな心の内を見透かしたのか、冬馬はそこをぐさりと突いてくる。

 

「ふむ。どうやら、大和くんは天神館を甘く見ているようですね」

 

「え?」

 

甘く見ているつもりなどない。

なかったが、冬馬は有無を言わさない説得力を持って話し始めた。

 

「天神館は川神鉄心の愛弟子、鍋島 正が館長を務めています。愛弟子というからにはその能力も相応な物でしょう。加えて天神館には西方十勇士という、館長自らスカウトした、文武に優れた生徒で構成されるグループがあるそうです。特に、今の十勇士は全員が二年生。それぞれが西で名を轟かせている猛者だとか」

 

そこでふっと、思い出し笑いをしたように冬馬が微笑んだ。

 

「それだけならまだ何とかなりそうですが、英雄にいくつか信じられない話を聞きましてね。SとFの不和を気にして遠慮している余裕はなさそうなんです。大和くん、ぜひ君も交流戦に参加してください。川神学園の名誉のために」

 

勝つためには形振り構っていられない。

そう行動で示して、冬馬は大和に参加するように再度求めてきた。

 

葵冬馬がそこまで言う程の相手なのかと大和は唾を飲み、そして言う。

 

「そこまでお願いされて断っちゃ男が廃るな」

 

俺も男だと、大和は参加することに決めた。自動的に、椎名京と師岡卓也も参加することになる。

 

「そうと決めれば早速情報収集だ」

 

大和がぽちぽちと携帯を取り出しメールを打ち始める。得意の人脈を頼っての情報収集だ。

にっこりと満足そうに微笑む冬馬の横で、京が「ステキ!」と頬を染めた。

 

「ありがとうございます。これでだいぶ楽になりますね」

 

直江大和の参加を確実にすることで情報をいち早く得て、天下五弓の一人の椎名京の参加も確実なものにする。

それが葵冬馬の目的だ。

 

直江大和なら、今日中に十勇士について詳しい情報を得られるだろう。

それはつまり、明日以降を対策を講じる時間に使えるということだ。これは大きい。

ましてや、彼が参加すると決めたら椎名京も必ず参加するのだ。逆に言えば、大和が参加しなければ京も参加しないだろう。

優秀な狙撃手が居るか居ないかの差は非常に大きい。それだけで大和に参加してもらう意味がある。

無論、大和も冬馬の企みは分かっているだろうが、分かったうえでの了承だ。

『川神学園の名誉のため』という言葉が利いてくれた。本気で川神学園の負けを考えていなければ出てこない言葉だ。冬馬がどれだけそのことを危惧しているのか、大和も察したのだろう。

 

冬馬は一先ずは安心して、「近々、作戦会議を開く予定です。ぜひ参加してください」と言い、自分のクラスへ帰ろうとする。

しかし扉に手を掛けたところで風間翔一が呼び止めた。

 

「なぁなぁ」

 

「はい?」

 

「九鬼英雄が言ってた信じられないことってどんなこと?」

 

ただの興味本位だ。嘘も方便ですよと言われればそれで納得してしまう程度の興味しかない。

冬馬は答える前にちらっと時計を見る。もう次の授業が始まってしまう時間だった。

 

「……詳しく話すと長くなるので、簡単に言わせてもらいますと、『武神に匹敵する人間が天神館にいる』そうです」

 

返事は聞かずに廊下に出た。

SクラスとFクラスは廊下の端から端まで離れている。

歩いて授業が始まる前にクラスに着けるかは微妙な時刻だ。

 

次の授業は何だったかと考えて、学級担任でもある宇佐美 巨人の授業だったと思いだす。

彼ならば理由を説明すれば遅刻扱いにはならないだろうと、汗臭いのが苦手な冬馬は走ることはせず、ゆっくりと歩いて教室に向かった。

 

 



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九話

いつだかの後書きで書いた通り、今回の話は三話の川神側からの視点となります。
しかし完全焼き直しでも面白くないなと思い、セリフや描写をいじくってあります。
いじくりすぎて矛盾点が生まれていないか心配なぐらいいじりました。

過程は大きく変わりますが、行きつく先は同じなのでご心配なく。


学園長から突然の交流戦開催が告知されて一週間。

 

その間、大和は相手の情報を出来るだけ多く集めていた。主に西方十勇士と、それと九鬼英雄の言っていた『百代に匹敵する人間』について調べていた。

 

しかし西方十勇士の情報は容易く集まったのだが、後者に関してはいくら人伝に聞いてもそれらしい人間が出てこず、辛うじてこいつかなと当たりを付けた人間も、交流戦に参加を表明していなかった。

 

一応、確認として英雄とその従者に名前とその人物は参加しないことを告げたが、名前だけでははっきりしないと返され、挙句の果てには「写真とかねぇのかよ?」と無駄に凄まれるだけだった。

 

また、『百代に匹敵する人間』の噂が百代自身の耳にも入ったようで、ことあるごとに「そいつは誰なんだろうなあ、情報通の弟ぉ?」と遠まわしに早く調べろと圧を掛けられたのも大和を急かせた要因だった。

結局、英雄の言う人間が誰なのか特定できず、百代には可能性のある人間の名前と簡単なプロフィールとを一緒に教えることしかできなかった。

 

「大内、日野、工藤、佐々木ねえ……」

 

「その中でも工藤って言う人が元十勇士らしいから、その人が一番可能性高いと思う」

 

「でも"元"十勇士なんだろ。それはつまり現十勇士以下なんじゃないのか」

 

百代の返答に大和は言葉を詰まらせる。

 

十勇士の称号は決闘によって争われるらしく、元が付いていると言う事は現十勇士に決闘で負けたことに他ならない。

そして、現十勇士の中に百代に匹敵する人間は居らず、必然的にその人物は十勇士以下と言う事になってしまう。

 

大和が特定できない理由がそれだった。百代に匹敵するのに十勇士を賭けた決闘で負けている。

その矛盾する現実のおかげで、当たりはつけられても確信を持てないのだ。

 

「ただの噂かぁ」

 

百代はそう結論付けて、それ以後情報をねだることはしなくなった。

それでようやく一息つけると胸をなでおろした大和だったが、思わぬ所に伏兵が埋没していた。

 

「おう、奴さんの情報集まってるか」

 

たびたびFクラスに姿を現し、進捗を尋ねてくる忍足あずみである。

なぜそこまで必死に探っているのか、そんなに知りたいのなら従者部隊を動かせばいいじゃないかと、大和は訝しむ。

 

「あたしが知りたいのはあいつが交流戦に参加するかしないのかだ。ぶっちゃけ、それ以外はどうでもいい」

 

「なんでそんなに警戒してるんですか?」

 

警戒? 大和の言葉をあずみは鼻で嗤った

 

「あの野郎が参加を決めたら警戒はこんなもんじゃねえぜ。川神には今、英雄様や揚羽様それとあいつらがいるから、多分序列一桁勢ぞろいになるだろうよ」

 

ぞっとした。

世界に誇る九鬼従者部隊の最高クラスが川神市に集結すると言うのだ。

大和はその人たちの名前や顔を知らないが、それでも目の前のあずみを見ていれば大体の予想はつく。

 

こんな人間が後八人集まるのだ。

そうなった暁にはここは地獄にでもなるのではないか。そう思った。

 

「ま、あたしも従者部隊動かして調べてるが、今のとこ動きはねえみたいだな。……ああ、そうだ」

 

思い出したように、あずみが大和に一枚の写真を放る。それには男が一人写されていた。

 

「お前の調べ、当たってるぜ。学生の繋がりも案外馬鹿に出来ねえのな」

 

学ランを着た学生。近くに誰かいるのだろう、腕が見切れている。

それは上空から盗撮に近い形で撮られていたが、写っている学生の目はカメラに向けられていた。

写真の裏には黒のマジックで大きく『工藤 要監視』と書かれている。

 

「何か分かったらすぐあたしに報告しな」

 

言って、あずみは教室を出ていく。

大和はしばらくその写真を見ていたが、男の目に吸い込まれそうな感覚を覚え、裏返しに机に置いた。

 

「大和?」

 

「ん?」

 

「早く行かないと遅れちゃよ」

 

気づけば周りでは登校してきた生徒たちが移動を開始している。

そう言えば、今日の一時限目は朝礼だった。すっかり失念していた。

 

「誰もいない校内で熱い一時が過ごしたいと言うなら、私はそれでもかまわな――――」

 

「よっし、行くぞみんな」

 

何やら一人でくねくねと妄想を始めた京を無視し、大和は翔一や岳人を連れて校庭へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一週間前と同じくグラウンドに集まる生徒たち。

そしてこれまた一週間前と同じように学園長が朝礼台に立つ。しかし一週間前とは違い、今度はほとんどの生徒が集中して学園長の動向を注視していた。

 

「ほっほっ。皆、猛っているようじゃの。荒々しい闘気が肌に心地よいわ」

 

ご自慢の鬚を撫でながら、学園長は生徒を見渡す。

 

「さて、今日集まってもらったのは他でもない。明日から始まる東西交流戦についてじゃ」

 

生徒はどよめく。しかしそれもすぐに収まった。

それを見て、学園長は話を進める。

 

「うむ。実はの、これから天神館の生徒たちがここに来ることになっておる」

 

今度のざわめきが収まるには数分の時間を有した。

生徒たちが思い思いに言葉を発する間、学園長は何も言わずにニマニマとその様子を見ていた。

そして、リー師範代を始めとした教師が生徒たちを注意して、ようやくざわめきが収まる。

 

「来ると言っても全員ではない。さすがにここに600人以上は入りきらんのでのぉ。今回は中でも特に優れた生徒たち十数人が来ることになっておる」

 

堪らず生徒が声を上げた。

 

「先生! それって西方十勇士が来るってことですか!?」

 

「おそらくそうじゃろう。それに合わせて十勇士以外の優秀な生徒が数人じゃろうな。普通に考えて」

 

十勇士がこの目で見られると知り、生徒たちの私語には止めどがなくなった。

どんな人間なんだろうとか、可愛い子いるのかなとか、龍造寺君がこの目で見れるのきゃーとか。

末には担任が鞭を取り出すクラスまで出てきた。ちょっと公衆の面前でお痛した生徒がいたのだ。

 

「しかしそろそろ来てもいい頃なんじゃが、遅いのぉ。道でも混んどるのか?」

 

「いえ、ここまでは高速で来るはずですカラ、関係ないと思いますガ」

 

「まあ、鍋島は昔から時間にルーズじゃからの。気ままに待つ他あるまいて」

 

まだかまだかと生徒たちはそわそわして校門の方を見ている。

一分、二分が経過して、不意に一台のバスが止まった。

中から数人降りてくる。そしてとある人間が降りた瞬間、甲高い叫び声が木霊した。

 

「キャーッ!! あれ龍造寺君よ!! 私には分かるわ!!」

 

当然だろう。双眼鏡を持っているのだから。

双眼鏡が女子生徒の間を回し回し、覗いた女子は全員叫んだ。

 

そして白いスーツを着たやくざ風味な男を先頭に、どうどうと臆することなく歩いて向かってくる集団。

 

「どうやら、あの子もいるようですネ」

 

「うむ。久しいのぉ。……しかし何故気配を消しとるんじゃろう?」

 

「さあ」

 

ついに肉眼で龍造寺を捉えた女子生徒たちの興奮は今やコンサートの様に盛り上がっており、それを間近で浴びせられる男子生徒は元凶の、笑顔振りまく龍造寺へ怨念籠った眼を送る。

しかし龍造寺はそんなものゴミほどにしか思っていないのか、まったく意に介さず女子の手の甲へキスしていた。

 

ますます男子たちの憎悪は強くなる。

龍造寺の手の甲キスはいい加減にしろと長宗我部に蹴り飛ばされるまで続いた。

 

「遅れて悪いな師匠。ちょっと道が混んでてよ」

 

「ほっほ。構わんよ。丁度説明終わったところじゃ」

 

白スーツは朝礼台に上ったところで帽子を脱ぐ。

予想通りと言うか、帽子の下には厳つい顔があった。

何人かの気の弱い生徒がその顔を見て悲鳴とも取れる小さな声を発した。

 

「では皆の者、紹介するぞい。このやくざみたいなのが天神館館長 鍋島 正じゃ。柄は悪いが性格はそうでもない。安心して接するとよいじゃろう」

 

「どういう紹介だそりゃあ」

 

鍋島が呆れて物を言う。しかし学園長がそれに構うことはなかった。

鍋島は諦めて、生徒たちに向かって自己紹介した。

 

「おう、俺が天神館館長の鍋島正だ。よろしくな」

 

何人かの礼儀正しい生徒が挨拶を返したり会釈をする。

それと自分に闘気をぶつけてくる生徒の存在とで鍋島の機嫌は治った。

 

「何人か稽古をつけてえ奴もいるが、あんまり時間もないからサクッと紹介しちまうぞ」

 

鍋島が自らの後ろに立つ人間を指し示す。

ほとんどの人間には11人に見え、極々一部の生徒だけ12人だと認識する。そんなちぐはぐな状態での紹介が始まった。

 

「こいつらが天神館自慢の生徒たちだ。今回の交流戦で主力を務めるだろう。顔をよく見ておけ。特に三年生。不意を付かれないようにな」

 

「おうやめろごらあ」

 

幻の12人目が脅すような声を発した。それによってそいつの存在を認識した生徒が三人増える。

その内の一人である忍足あずみが声にならない声を漏らした。

 

「あっ、なぁ……!?」

 

「む。どうした、あずみ?」

 

「い、いえ、なんでもありません、英雄様ぁ!」

 

つい出てしまった素を主人である九鬼英雄に悟られないように必死に仮面を被り直す。

その内心では「なんでてめえがいんだこらぁ!!」などと非常に口汚く彼を罵っていた。

 

「本当は一人一人微に入り細を穿つまで紹介したかったんだが、さっきも言った通り時間が押しててな。しょうがねえから、代表して十勇士最強の男に挨拶してもらうぜ」

 

一人、横一列に並んだ中から前に出る。その男は腰に刀を差し、女子にモテそうな容貌をしていた。

つい今しがたまで龍造寺相手にきゃーきゃー言っていた女子生徒たちもほうっと甘い吐息を漏らす。

 

「紹介に預かった。天神館二年、十勇士最強の男、石田三郎だ」

 

その言葉にどことなく高慢ちきさを匂わせながら、はっきりと校庭の端まで届くような声で石田は喋る。

その容姿と堂々とした振舞いに、何人かの生徒から舌打ちが漏れた。

 

そんな自分に向けられる嫉妬や羨望の視線、女子たちの熱い目線など全てを嘲笑するかのように、石田は口の端を歪めながら次の言葉を発する。

 

「はっきり言おう、東の蛮族どもよ。俺が今日、この場に現れたのは貴様らと戦うためではない」

 

石田の敵意むき出しな言葉に川神学園の生徒たちは停止する。

 

「貴様ら軟弱な蛮族どもとこの俺とでは勝負にならん。貴様らには格の差を見せつけに来たのだ。東と西、どれほどの力の差があるのかをな」

 

あ?

そんな声が誰かの口から漏れる。

気の短い数人は既にぷるぷると拳を振るわせていた。

石田はそれすらも嘲ながら、続きの言葉を言う。

 

「そして一方的な虐殺を経た後、貴様らには俺の出世街道に敷き詰める敷石となってもらおう。この俺に踏まれるのだ。軟弱な蛮族にはお似合いの場所だろう?」

 

続いた挑発としか取れない挨拶に、もう我慢ならんと何人かの生徒がクラスの列から抜け出し、石田の元へと駆け出す。その顔はどれも怒りに満ちていた。

石田はそれを一刀の元に切り伏せ、力の差を理解させようとしたのだろう。刀に手を掛け、朝礼台を降りようと歩き出した。

 

しかし丁度三歩目が地に着いたとき、その足が背後から薙ぎ払われた。

 

がっくりと体勢を崩し倒れそうになった石田は、即座に薙ぎ払われたのとは違う足と上半身に力を込め、倒れるまでの若干の時間稼ぎとし、薙ぎ払われた足をそのまま半円を描くように移動させ背後の襲撃者と正面で相対した。

 

「貴様ぁ……、橘! 一体これは何の真似だ!?」

 

「ちっ」

 

怒鳴る様に問いかけられた言葉に橘剣華は応えずに舌打ち。もう一度、今度は骨を折ってやるという気迫を込め追撃に手刀を繰り出した。

石田も黙ってやられるはずなく腰の剣を抜こうとする。しかし双方が激突する前に他の十勇士が止めに入った。

 

「御大将! 落ち着いて下され!!」

 

「離せ島!! 奴から仕掛けたことだ! 俺を足蹴にした罪を償わせてくれる!!」

 

「御大将、ここは敵地です! これ以上醜態を敵に見せる訳にはいけません!!」

 

「そんなこと知った事ではない! 元々俺はあの女が気に食わなかったのだ、ここで手討ちにしようと何の問題もあるまい!!」

 

「なりません!!」

 

島に抑えられながらばたばたと暴れる石田。

一方、剣華の方は宇喜多の説得に言葉上はすんなりと応じている。

しかしその眼は油断なく石田を見据えており、隙あらば殺してやろうと考えていた。

その突然の争いを目の当たりにして、ルー師範代が狼狽える。

 

「が、学園長、止めに入らなくていいのですカ?」

 

「ちょっと面白そうじゃ。もう少し傍観してよう」

 

本気で面白そうにしながら観客になることにした川神学園の学園長。天神館の館長もそれに倣えとばかりにニヤニヤと笑っていた。

その二人に向かってどこからか止めてくれという視線が飛んでいたが、もちろん二人とも無視する。

 

そんな風に教師陣が温かく見守る中で石田が滅茶苦茶な言葉を叫ぶ。

 

「見ろ島! 奴は俺に殺気を向けている、俺も奴を殺す! 相思相愛だ邪魔をするな!」

 

十勇士内の諍いを見せられてしまい、石田を一発殴ろうと駆け出した生徒はもちろん、川神学園のほとんどの生徒は事態が呑み込めずに唖然としていた。

 

しかしその中ではただ一人だけ。

石田と剣華の闘気にあてられ、目の前で行われた喧嘩に我慢が効かなくなり欲望のままに動く川神百代以外は。

 

「喧嘩かぁ……。いいなあ……。私も混ぜてくれるか?」

 

言いながら、朝礼台のすぐ目の前に現れた百代からは、石田と剣華が発していた闘気など生ぬるい程の闘気が発せられていた。

その威圧感に、事態を傍観していた十勇士の面々はもちろんのこと、渦中の石田と剣華も、果ては川神学園側の武士娘すら警戒態勢に入った。

 

「いいよなあ? 態々敵陣で宣戦布告したんだ。まさかあれだけ偉そうな言っておいて逃げはしないだろう?」

 

場に闘気が満ち、一触即発な状況になる。誰も身じろぎ一つ、言葉一つ発しない。

十勇士と百代が互いに牽制しあい、隙を探り合い、いよいよ開戦かと思われたその時になって、ようやく今まで傍観していた教師陣が介入した。

 

「こら、モモ!」

 

「やめねえかてめらっ!!」

 

その一喝で張りつめていた緊張は解きほぐされた。

 

百代がシュンとした様子でルー師範代に怒られている後ろで、興が削がれたと剣をしまい、元いた場所に戻る石田。

剣華もおとなしく列の中に加わった。

 

「あー。おい石田、十勇士の中に三年生はいるのか?」

 

テンションがガタ落ちした百代が大して期待していない声音で石田に問う。

聞かれた石田は事実をそのまま口にした。

 

「残念だが、今の十勇士は全員が二年生のいわゆる黄金世代でな」

 

「そっかー。そうだよなあー」

 

予め直江大和から情報を聞かされていた百代はやっぱりかと元いた場所に戻ろうとする。

その背中に石田は言葉を投げかけた。

 

「しかし、まあ安心しろ。腐っても天神館だ。退屈するようなことにはならんさ」

 

振り返った百代に不敵な笑みを見せる石田。

百代がどう言う意味かと問う前に、十勇士の面々は退場していた。

先頭にはずっと気配を消していたあの男がおり、まるで十勇士が付き従っている様に見えた。

 

石田は先頭の男に目をやり、そしてニヤッと笑った。

 

「つまりそういうことだ」

 

石田も島を連れ、バスへと向かう。

 

「あー、色々とすまねえな。俺としてはお前らが奴らの慢心を打ち砕いてくれることを願ってるぜ」

 

最後に残った館長が石田に代わって謝罪し、敵らしくない一言を添えて退場した。

館長の姿が校門の外へ消えたのを見て、学園長が言う。

 

「どうじゃ。皆の者、やる気は出たかの?」

 

ざっと全校生徒を見渡して、

 

「聞くまでもなかったようじゃな。交流戦は明日の晩からじゃ。その怒りを力に変え、思う存分暴れるとよい」

 

その言葉で朝礼は終わりになった。

天神館側の挨拶で川神学園生徒の士気は上がり、絶対に負けられないと生徒の団結を一段と逞しい物にした。

 

そして百代は工藤にちょっとした期待を抱く。

 



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十話

天神館からの宣戦布告があった朝礼の直後。

九鬼英雄は忍足あずみから一つの報告を受けていた。

 

「あずみ、それは真か?」

 

「はい、確かにこの目で見ました」

 

「むぅ……。我の目には映らなかったが……」

 

「どうやら、限界まで気配を消していたようです。私も最初は分かりませんでした」

 

存在を確認できたのが、目の前に現れて声を発した時と言う事実には、九鬼従者部隊の№1として情けないと思うと同時に、そんなだから信用できねえんだよはげという罵りを抱く。

 

加えて、動向を探るために監視していたはずの対象が、知らず知らずの内に九鬼英雄に急接近し、そのことであずみに警報が来ていないと言う、つまるところ監視者が監視対象に撒かれているという事実をも指し示していた。

 

やっぱりあいつ殺した方がいいんじゃないかとあずみは上に進言する気持ちを固める。

 

「信用出来ないのであれば、確かF組の福本育郎が写真を撮っていたはずです。それを確認してもらえれば一目瞭然かと」

 

「いや、必要ない。我はあずみを信用している」

 

「あ、ありがとうございます! 光栄です!」

 

「何を言う。自らの従者を信用しない主がどこに居ようか」

 

余りの喜びにあずみは気絶してしまいそうになった。

しかし、傭兵仕込みの胆力と鍛え上げられた精神力で平然とした振舞を厳守する。

序列一番は伊達ではないのだ。

 

「それでどういたしますか?」

 

「ふむ……、そうだな……。確か奴は我より年が一つ上だったな」

 

「その通りです。現在18歳。天神館三年生です」

 

九鬼英雄は考える。

三年生と言う事は我らと直接対峙することはない。

対峙するとすればそれは川神百代とだ。今、士気を高め打倒十勇士に燃えている庶民たちにはなんら関係ない。

なればこそ、王たる我が庶民に対して下す結論は……。

 

「伝える必要はない。庶民には内緒にしておけ」

 

「よろしいのですか?」

 

「うむ。どちらにせよ、我らには勝つ以外の道は許されぬ。なれば庶民共には余計な心配を植え付けず、全力で決戦に臨めるようにするのが王たる我の務めよ」

 

「さすがです! 英雄様ぁ!!」

 

あずみが英雄を持ち上げ、ふっはっはっはと高笑いが響く。

まわりのSクラスの人間はその奇行について「また何かやってるな」程度にしか思っておらず、どんな会話をしているのか興味を持つ者はいなかった。

しかし、ただ一人例外がいた。

 

「何やら楽しそうな会話をしていますね」

 

「む、冬馬。聞いておったか」

 

「ええ少しだけ」

 

むむむとバツの悪そうな顔で英雄が唸る。

今しがた伝えないと決めたそれを自らが大声で周囲に撒き散らしていたからだ。

あずみが鬼のような顔で冬馬を睨みつける。

 

『てめえ、英雄様の気持ちを無碍にしやがって……。殺すぞ』

 

『貴女のような美しい女性に殺されるのならいつでも歓迎です』

 

それに魅力的な笑顔で応対して、話は先ほどまで二人が話していた内容に遡る。

 

「さて英雄。一週間前に聞いたあれですが」

 

「ああ、残念ながら全て本当だ。我は嘘を好かんからな」

 

「はい。そうでしょうとも」

 

冬馬はちらりとあずみに視線を送るが、返ってきたのは微かな肯定だった。

嘘じゃなくても、出来れば冗談であってほしかったのですがねと冬馬はため息を吐く。

 

「そして、先ほどまで話していた内容ですが」

 

「どうやら大方の予想を裏切り参加するようだ。まったく奴には困ったものよ」

 

「ええ。確かに裏切られました。大和くんの情報では不参加だったはずですから」

 

「直前で心変わりして参加することに決めたんでしょう。彼の行動を予測するのは至難の技ですから」

 

「うむ。何も変わっていないようだな」

 

どこか嬉し気に英雄は言うが、冬馬にしてみれば気まぐれでコロコロと心変わりする人間は天敵と言える相手だし、あずみにしても、監視に気づくのはいいが、気分でに監視者を振り回すような輩は御免こうむりたい相手だった。

 

「しかし奴が参加すると決めたとて我のやることに変わりはない。我は王、絶対に負けることは許されんのだからな」

 

「その通りです英雄様! 仮に彼が二年生として出場しても、不精このあずみが全力でもって彼を討ち倒す所存です!」

 

「良く言った! 一度負けた相手であっても決して臆することがない。それでこそ我が従者よ!」

 

「もちろんですとも英雄様ぁ!!」

 

「ふっはっはっはっはっはっはっ!!!」

 

英雄の高笑いがクラスのみならず学校全体に木霊する。

大体の人間はその声の正体が九鬼英雄だとすぐに見破り、気にしても無駄だと完全に意識の外へ締め出した。

 

「な、なななんでしょうこの笑い声はっ!?」

 

「いつものゴールデンボーイだぜまゆっちー」

 

ただ一人、明日に出陣を控え、格好いいところ見せれば友達出来るかなだとか、皆さんの役に立たなければとかぶつぶつぶつぶつ呟いていた黛 由紀江以外は。

 

「あー、幻聴が聞こえます……。不気味な高笑いが延々と……。もうだめかもしれません松風」

 

「しれませんじゃなくて完璧駄目だねこりゃ。明日もいいとこなしかなー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の晩。交流戦一日目が終わり、見事川神学園に黒星が付いた後のこと。

風間ファミリーは秘密基地に集合していた。

 

「ううっ。お役に立てなくて申し訳ありませんでした……」

 

「気にしないでまゆっち。仕方ないわよ、敵陣に着く前に大将が負けちゃったんだから」

 

濁濁と川の様に目から涙をこぼしながら黛由紀江は懺悔する。

 

お役に立てなくてごめんなさい足遅くてごめんなさい剣振るうのおそくてごめんなさいかんがえおそくてごめんなさい指示まちにんげんごめんなさいもっと早くうごけなくてごめんなさい剣聖のむすめでごめんなさい刀なんてもっててごめんなさい付喪神とともだちでごめんなさいじつはこれただのにんぎょうでいつものは私の一人しば――――。

 

延々と垂れ流されるネガティブな言葉の数々に、由紀江を励まし元気づけようとしていた川神一子も影響を受ける。

 

「そうよね私なんかが師範代になれるはずないわよねだって血違うしね胸見たら一目瞭然だものお姉さまみたいな完璧美人にあたしがなれるはずないのよみのほどしらずで勉強出来なくていっつも大和と京にめいわくかけて――――」

 

「ちょっと二人とも!? なんか口から呪詛流れてるんだけど!?」

 

「おいおい二人ともしっかししろって。嫌なことなんか気合で吹き飛ばしちまおうぜ」

 

むきっと自慢の筋肉を見せて何とかしようとする岳人。

しかしそれも二人の「この世界の全てを恨みます」の眼には無力だった。

というか本当にそれで何とかなると思っているから岳人は馬鹿なのだ。

 

「おおう……。まさかあの犬がここまで暗くなるとは」

 

「純粋すぎるのも玉に瑕って奴だね。影響受けやすいから。でも安心して大和! 私の思いは純粋だけど、誰も近づけないぐらい清く澄んでるから大丈夫、大和以外は!」

 

「お友達で」

 

初めて見る一子の落ち込んだ姿にクリスはどう声をかけてよいか分からず、右往左往と二人の周りを回り始めた。

ぐるぐるぐるぐるとクリスの足取りを追いながら、渦中の二人の目も回る。

 

「うー、どうしたら……。頑張れと声を掛ければいいのか……?」

 

「……」

 

「……」

 

「でも、それは最初に犬がやってたな。……そうだマルさんに相談しよう!」

 

懐から取り出した可愛らしい携帯。着信履歴をずらりと一つの番号が専有していた。

クリスは迷わずその番号へ電話を掛ける。

 

『もしもし』

 

「マルさん私だ」

 

『お嬢様!? どうなされたのです? 何か事件でも……?』

 

「そうだ事件なんだ、実はな――――」

 

『事件!? お、お嬢様大丈夫ですか!? 待っていてくださいすぐに助けに行きます!!』

 

「あ、おいマルさん? マルさーん!!」

 

ぶつりと電話は切れ、何度掛けなおしてもつながらない。

 

「どうしたんだ一体……? はっ! まさかマルさんの身に何か……?」

 

「似た者どうしですこと」

 

本人たちが聞いても皮肉には受け取らない皮肉を京はぼそりと呟いた。

むろん、それはそれどころではないクリスの耳には入らない。

 

「まずいぞ大和、マルさんと連絡が取れない! これは何か大変なことが起きているに違いない!!」

 

「ああ。大変なことならクリスの足元で起きてるよ」

 

「足元?」

 

見ると、そこには顔色を青白く変え、今にも嘔吐しそうな様子で倒れている一子と由紀恵の姿があった。

クリスは慌てて二人を抱え起こす。

 

「うわわっ!? 二人とも一体どうしたんだ!?」

 

「クリスが電話してる最中ずっと回ってるから、二人とも目を回しちゃったのさ」

 

呪詛を唱えながらクリスの足取りを追っていた二人は、いつまでも回ることを止めないクリスと我慢比べのような状況に陥り、そして天然ポンコツ美少女の頭上に栄冠は輝いた。

 

しかも図らずとも、クリスは一子と由紀恵だけではなく、ミイラ取りがミイラになってしまった岳人と卓也をもノックダウンしていた。

天然少女の恐ろしさを目の当たりにした大和と京である。

 

『お嬢様ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

『負けらんねえ!! 風になれ俺ええええええええええええ!!!!!!!!!!』

 

クリスとクッキーがバケツやビニール袋を用意する中、遠くから騒々しい声が聞こえてくる。

どうやらマルギッテと翔一が凄まじいデッドヒートを繰り広げながら近づいているようだ。

大和は翔一が持っているはずの寿司は無事だろうかと心配した。

 

「……なんだか今日は騒がしいね」

 

「ああ。そう――でもないな」

 

京の言葉に同意しかけて、けれど寸前で同意しなかった。

確かに騒がしいことには騒がしいが、それでも何か物足りない。

その物足りなさの正体を求めて、大和は後ろの棚を振り返る。

 

いつもなら百代が座っている棚の上。

そこには百代愛用の座布団が置いてあるだけで、本人はいない。

いつも暇さえあれば基地に来る百代は今日は来ていなかった。

 

昨日、天神館の宣戦布告を受けてから百代は少し大人しくなっていた。

一子によれば道場で精神鍛錬をしているらしい。

 

大和にとって百代が大人しくなることは嬉しいことなのだが、普段から散々弄られて、その痛みを身体が覚えてしまったようだ。

あの万力で締め付けられる感覚と背中に当たるたわわに実った胸の感触がちょとだけ恋しい。

 

一子を調教する立場であるはずの自分が、いつの間にか百代に調教されてしまっていた。

大和はかなり複雑な心境で、翔一とマルギッテが猛スピードで階段を昇ってくる音を聞いていた。

 

 

 



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十一話

東西交流戦二日目。

天神館二年生と川神学園二年生の対決は、当初は天神館側が優勢だったものの、時が経つに連れ川神学園が盛り返し、ついには大将の首を求めてクリス率いる部隊が敵本陣に襲撃するまでに形勢は逆転した。

 

「もうここまで攻め込まれたか……」

 

「御大将、ここは某が引き受けます。その間にお逃げください」

 

「馬鹿を言うな。お前は俺と共に来い。あの女の足止めは別の者にやらせる」

 

言って、石田は橘剣華に声をかける。

 

「橘、先日この俺を足蹴にした罪をここで償え。俺が安全な場所に移動するまでの囮となってな」

 

剣華は眉をひそめひどく嫌そうな顔をしたが、ここで戦っておかないともう戦えないだろうと考え、石田の言葉には応えず、クリスの前に舞い降りた。

 

「む。まずはお前が相手か」

 

クリスは油断なく細剣を構え、剣華を観察する。

確か交流戦の前日に鍋島館長が連れてきた優秀な生徒の一人で、マルギッテが気をつけるようにと自分に注意を促した人物だ。

 

先日の紹介の時、石田を相手に喧嘩を始めた人物でもある。

あの時に受けた印象通り、どこかピリピリとした空気が剣華から発せられていた。おまけに自分を見つめる眼光はひどく鋭い。

相当な手練れだと改めて理解する。

 

だがどれほど相手の実力が高かろうと、そんな物は関係ない。自分の目的は大将の首ただ一つ。

ここで臆し、警戒して戦いが長引いてしまうと大将に逃げられてしまうだろう。

 

短期決戦で終わらせる。

クリスは細剣を持ち直し名乗りを上げた。

 

「我が名はクリスティアーネ・フリードリヒ。いざ参る!」

 

己の出せる最高速度で接敵。そして突く。

胸に向けて放たれたそれを剣華は体を横にずらすことで躱す。

 

「はっ!」

 

クリスも最初から当たるとは思っていない。躱されてもすぐに次の突きを放つ。

しかし剣華も先ほどと同じようにそれを躱した。

 

突き、躱し。突き、躱し。突き躱す。

それが十回ほど繰り返されたところでクリスが一度距離を取った。

 

「ふぅ……」

 

少し上がった息を整える。

深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 

まさか受け止めるでもなく、あの距離で全て躱されるとは考えなかった。

思っていたよりもずっと強いのかもしれない。少なくとも自分よりもずっと。

 

クリスが呼吸を整えている間、剣華は攻めるような行動は起こさず、クリスの動向を観察していた。

一秒、二秒と間が空き、不意に剣華が言葉を放つ。

 

「これで、終わり?」

 

「ぐっ」

 

クリスは馬鹿にされたと思ったのだろう。

剣華の言葉が自分を見下していると、この程度の力量なのかと挑発されたと受け止めた。

それに乗らないクリスではない。

 

「まだまだぁ!!」

 

先ほどと同じように接近。突きを放つ。

まるで数分前に遡ったようなそれに、剣華は「またなの」と気分を害した。

この程度の相手に十勇士は壊滅したのかと、味方の力量すら見下し始めていた。

 

油断から意識が微かに目の前のクリスから離れる。

そして己の頬を掠った細剣によって、強制的に意識はまたクリスへと舞い戻った。

 

目で捉え切れない刺突が殺到する。

 

「はぁ!!」

 

躱しきることは困難になり、時に手で捌き、時に受けながら剣華は防御一辺倒に陥った。

クリスの持つ細剣は本物ではない。けれども当たれば痛い。

 

剣華の身体には青あざが目立ち始めた。

 

間合いを取らなければ――――。

 

そう思い、そうしようとしても、クリスは執拗に追跡する。

一歩離れれば一歩半近づき、三歩離れれば四歩近づく。蛇の様な執念で必殺の距離を保とうとする。

 

なるほど。これが川神学園。これが東の武士娘達。

最初から相手にとって不足はなかったのだ。

 

力量を見誤り、余裕だと勘違いし、今こうして天神館は負けかけている。

なんと愚かなことだろうか。なんと間抜けなことだろうか。

 

己の火力に頼りすぎ、油断したところを自滅させられたものがいるらしい。

戦力を見誤り、油断して待機していたら追い詰められたものがいるらしい。

一人で十分だと、単独で敵本陣に特攻してやられたものがいるらしい。3人ぐらい。

変態と出会って、生理的嫌悪から成すすべなくやられたものがいるらしい。可哀そう。

 

そんな愚か者たちに、私はなりたくない。

負けられない。負けたくない。

今日も負けた。あいつに負けた。憎たらしいあいつに。もう、負けられない。

負けられないと思えば思う程殺意が湧く。動力源。原動力。

少しの間の、一時的な発作。これならきっと負けはしない。

 

「ふふっ」

 

剣華の口から笑いが零れる。

クリスがそれを聞きとった。

 

自暴自棄にでもなったのかと、相手の様子をうかがう。

剣華の目とクリスの目が合った。

 

青い眼と黒い眼。

目が合った。めがあった。狂気の眼が、そこにはあった。

 

どす黒い、殺意に満ちたその眼は、クリスを見ていた。

剣華は右腕を動かす。緩慢に見えて恐ろしく早い右腕。

クリスも同じく、細剣を横薙ぎに振るった。

 

右腕と細剣がぶつかり火花が散る。鈍い音を立てて、耐えきれずに折れたのは細剣だった。

折られた剣先が宙を舞う。

 

折れた? 否。

 

クリスの持つ細剣。その先の切り口は恐ろしく滑らかなものだった。

折れたのならこうはなるまい。力負けしたのならもっとぼろぼろになるはずだ。

ひび割れ、破片が飛び散り、衝撃が走る。

しかし、手元の細剣にはひび一つ、破片一つなかった。

 

斬られたのだ。あの右腕に。

高だか肉体が武器を凌駕した。気を纏い、強化された剣をいとも容易く斬った。

そんなこと出来る人物をクリスは一人しか知らない。そして、目の前の人物はその人ではない。

彼女は名乗る。

 

「まだ、言ってなかった……、私の名前。ちゃんと、挨拶しないと……」

 

彼女は言う。

 

「『凶器』橘 剣華」

 

彼女は宣言する。

 

「あなたは、殺さない」

 

物騒な言葉を否定でもって、宣言した。

彼女の目には、すでに殺意がなく、纏う気も普通のものになっていた。

 

「きょうき……?」

 

凶器か、狂気か。

なんにせよ、武器を失った以上はこの場を離れなくてはいけない。

一度逃げなくてはいけない。勝てるわけがない。

 

それは先の一撃で十分に理解していた。

大和に知らせねばならない。

 

こんなのがいるなんて大和の情報にはなかった。

知っていたら何らかの対策を練っているはずだ。

 

しかし、度重なるS組との情報交換でも、彼女の名前は一度たりとも出てきていない。

最も警戒すべきは西方十勇士。その認識の元作戦は練られてきた。

予想外だ。これほどの実力を持っているとは。

 

クリスが離脱しようと腰をかがめ、力を溜める。

溜めるのに掛かった時間は一瞬。剣華がクリスに接敵するのにかかった時間はそれ以上に一瞬。

 

「殺さない。けれど逃がさないとは言ってない」

 

左腕が下から上へと薙がれる。

それはクリスには当たっていない。当たっていないが、クリスの身体は吹き飛んだ。

目的は左腕によって発生する衝撃波。

技と言って差し支えない。気で作られたそれ。

 

先ほどの右腕とは違い鋭さはない。故に命の危険もない。少なくとも即死はしない。

 

クリスは転がり、動けなくなった。

意識だけははっきりと、しかし身体に走った衝撃は痛みとなって襲い掛かる。

漏れる声は苦悶ばかりとなり、助け一つ呼ぶことが出来ない。

 

その時点で、クリスの完敗だった。

 

剣華はクリスのすぐ近くまで寄り、見下ろす。

地に伏せるクリスと無傷に立つ剣華。それは二人の実力差を如実に表していた。

 

暫し見つめ合った二人の繋がりは、剣華が視線を外したことで途切れる。

剣華の目の先にはクリスが率いていた川神学園の生徒たちがいた。

 

それらは交流戦に名乗りを上げるだけあって、一般人よりかは遥かに実力のある生徒たちであったが、中でも抜きんでていたクリスがあっさりと敗れたことで動揺が波のように広がっていた。

 

既に統制は取れていない。群であれば時間稼ぎぐらいは出来ただろうに、有象無象の個となってしまっては全滅も時間の問題だった。

 

剣華が一歩歩むたびに絶望が襲い、一人また一人と背中を向け逃げ出した。

それは剣華にとって都合の良いことであるので、逃げ出した生徒はそのまま放っておかれることとなる。

 

問題は、実力の差を知りながら、毅然とした態度で剣華に刃を向ける者たちだ。

 

腐っても武人なら、勝ち目のない戦であっても決して諦めることはない。

勝利に貪欲。戦の中、ほんの僅かな勝機が見えようものなら、それに食らいつき死ぬまで離れない。

そういう輩が、今この場では一番厄介だ。

 

そして、そんな厄介な者どもが見えるだけで十人近くいる。

その光景に笑うべきか残念がるべきか。

 

とりあえず、それについての結論は全て片付けてから出すこととしよう。

 

「おいで。優しく痛ぶってあげる」

 

図らずも、すでに表情にその答えが出ていたことに、その時の剣華は気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

交流戦が終わり、天神館の生徒たちは翌日の朝には九州へと帰ることになっていた。

翌朝、何だかんだあっても戦いの中でそれなりに互いのことを理解した川神学園の生徒たちは、見送りに駅まで来てくれていた。

 

「よう、負け組」

 

「……なんだこのゴリラは」

 

「はっはっは。そう怒るなよ負け組。俺様、お前のあの見事な負けっぷりを見て、今度から偉そうなこと言うのは控えることにしたんだ。お前のおかげだぜ、石田」

 

「ほう。どうやら死に急いでいるようだな」

 

岳人は嬉々として十勇士を煽る。

耐性のない総大将が真っ先に反応してメンチを切り合った。

 

島が仲介に入り、面白そうだと横から工藤が石田を挑発する。

 

「御大将……」

 

「まあ、あれだけ啖呵を切って、結局負けたんだ。諦めて受け入れようぜ、石田三郎改め負け犬小三郎」

 

「いいだろう。このゴリラは放っておいてまずは貴様だ。日頃の鬱憤を思い知るがいぃ!!」

 

ついに剣を抜いた石田。

襲い来る石田に対し、工藤は猫騙しで応戦する。

ビュンビュンと風を切る刃。パンッパンッと破裂する猫騙し。

勝負は伯仲した。してしまった。

 

それを周りの人間が――――川神、天神館の区別なく――――引き攣った表情で見つめ、それぞれ感想を溢す。

 

「わ、なにあれすごいわね」

 

「むむむ。常に相手の間合いに居ながら全て躱しているのか……。京、あれ見えるか?」

 

「見える。けどやろうとは思わない。無謀と言うか命知らずと言うか」

 

きちんと状況を見ることの出来る人間からは呆れられ、とある一名からはキラキラ光る熱いまなざしが送られる。

 

その目線に寒気を感じて身震いする工藤。

 

「さ、先輩もあんまり遊んでる時間ないよ」

 

綺麗な真剣白刃取りが決まったところを見計らって、ハルが止めに入った。

腕時計を見ると、言う通り出発の時間が近づいている。

 

さすがの石田も一旦矛を収める。工藤は「もう少しだなあ」と不完全燃焼気味だった。

他方、それほど離れていない場所で、川神学園のとあるハゲ頭が敏感に反応を示していた。

 

「な、なんだあれは……。なぜ俺の魂が鼓動を鳴らしている。尼子晴……。男じゃなかったのか――――!!??」

 

「わぉ。ハゲがいつにも増して気持ち悪いのだ」

 

「準のそれは今に始まった事じゃないでしょう」

 

そんなロリコニアの名誉国民は置いておいて、話はハルの近くへ戻る。

 

「……なんだろう。悪寒がするんだけど」

 

「凄い傑物がいるみたいだな。秘密ばらしたら愛でられるぞ」

 

「ぞっとする……」

 

話は戻る。

 

「んっと、じゃあまあ。川神学園の生徒の皆さん、ありがとうございました。今回は中々為になる行事だったと――――」

 

大人ぶって締めに入る工藤。

その微妙に慣れない口調に、天神館の生徒たちはからかい混じりに揶揄する。

 

「おい、貴様毒でも飲んだか」

 

「ここに、この私が認める最高に美しい水があるが?」

 

「もし本気でやばいなら俺様が担いで館長の所まで運ぼう」

 

「何の病気か調べないといけないな。任せてくれ、すぐにネットで調べる」

 

「しばき倒すぞおどれら」

 

どうにも締まらない空気が流れ、もうどうでもいいやと締めは石田に譲ることにした。

 

「ふん。いいか貴様ら。次に見える時、それが貴様らの命日だ。すでに俺達からは慢心が消え、己の腕を磨く決意に固く――――」

 

「ほほーん? 相手さん、あんなこと言ってますぜ軍師殿」

 

「ああ、どうやら実力の差をまだ理解できないみたいだな。馬鹿な奴らだ。――――姉さんお願いします!」

 

「ご指名いただきましたモモです。さあ、逆指名と行こうか工藤」

 

「もはや笑えばいいのかこれは」

 

猛獣から逃れるため、工藤は駅の中へ逃げようとする。

が、音速で腕を掴まれ迫られた。呪詛の様に「戦え戦え」言っている姿は酷く恐ろしい。ゾンビかお前は。

 

「ええい! 意味不明な加速を見せるな! そのうち相手してやるから諦めろよ!」

 

「その内やるなら今からでもいいじゃないか。いまやろう。すぐやろう」

 

「時間ねえんだよド阿呆!!」

 

出発時刻直前まで続く押し問答。

いつの間にか十勇士たちは駅構内に姿を消しており、残っているのは工藤だけになった。

 

「おおい時間が!? いい加減離せ闘気を纏うな切符が無駄になる!!」

 

「お前なら跳んで帰れるんじゃないか?」

 

「え。絶対やだよそれ。めんどいじゃん」

 

互いに気を使っての力比べ。

諸事情あり、あんまり本気出せない工藤と、余裕ありありの百代は、それでも五分五分の様そうを呈し非常に盛り上がりもしたが、やっている間も着々とタイムリミットは迫る。それと同時に武神の笑顔は深くなっていく。

 

そこでようやく川神学園側から助け船が入った。

 

「姉さん、さすがにまずいから」

 

「そうだぜモモ先輩。大人しくその腕離しとけって」

 

キャップはともかく、直江大和の言う事は聞くらしい。

口をすぼめながらでも素直に離してくれた。あれが噂の舎弟だろうか。

出来るなら最初からやっとけや。蹴りいれてくれる。

 

と、時計を覗き込んだモロが慌てて叫ぶ。

 

「ちょっ、あと一分ないよ!?」

 

「おっと。やっべ」

 

蹴りを中断し、間髪なく新幹線へ向かって全力疾走する工藤。

余裕なく汗をたらし、必死の形相での疾走は酷く無様で、「あいつ、全然気使わないんだもんなあ」と百代が退屈そうに呟いた。

 

ちなみに、念のため追いかけた大和いわく、ちゃんと間に合ったらしい。

 

 



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番外

こっそりと忘れていた分を投稿。


川神の大扇島。

そこにある九鬼財閥極東本部に、現在世間を騒がしている四人――――その内の三人の学生の姿があった。

 

そわそわ、そわそわと落ち着きなくテレビに齧りついている源義経。

その横でマイペースに川神水を飲み、中年のような吐息を漏らす武蔵坊弁慶。

そして、そんな二人に優しい瞳を向ける葉桜清楚。

 

偉人のクローン。

そんな肩書を持つ三人は、今は東西交流戦の結果に夢中だ。

 

武神がいるのだから心配ないと諭す清楚と弁慶。

それは分かっているがでもやっぱり心配だと不安を露わにする義経。

 

結果、夜遅くにも関わらず三人はテレビの前に集合した。

――――余談だが、クローン最後の一人は熟睡している。

 

「ダージリンティでございます」

 

仕えていた老執事はそう言って、カップを二つテーブルの上に置いた。

清楚と義経は礼を言う。弁慶は文句を垂れた。

 

「ちょっとクラウ爺ー。私の分がないんですけどー?」

 

「おや、いるのですか?」

 

「いらなーい」

 

だらしなく笑う弁慶にクラウディオはやれやれとため息をつく。

いくら川神水と言えど、少しは遠慮してほしい物だ。

 

 

「は、始まったぞ……!」

 

「お。ようやく肴にありつける」

 

弁慶がぐいっと煽る。

本日何杯目になるか分からないそれを見かねて清楚が注意した。

 

「弁慶ちゃん、いくら明日がお休みとは言ってもほどほどにしないとダメだよ?」

 

「へーい」

 

メッと人差し指を立てての注意は非常に可愛らしい物ではあったが、当の弁慶は適当な返事と共にお替わりを注いでいるので、まったく効いていないようだった。

清楚は頬をふくらませて不満げな顔をする。

 

「さ、さすが武神……。あの人数を一撃で倒すとは……」

 

ぷるぷる震えて拳を握る義経は子犬みたいで可愛い。

弁慶の杯が進む原因だった。

 

「今の義経じゃとてもじゃないが勝てない……」

 

「震える義経。悩む義経。かわいい義経。これを見ながらきゅうっと一杯。……あぁ、格別ぅ!」

 

「もう、弁慶ちゃん!!」

 

何だかんだ言いながら、それぞれ交流戦を楽しんでいるようだ。

ここに与一が居ればもう少し賑やかになったのだろうが、今でも十分過ぎるほど和やかな室内。

 

微笑ましい。

クラウディオは微笑んだ。

 

クローンとして生まれた彼女たちが、こうまで真っ直ぐに育ってくれたのは喜ばしいことだ。

皆いい子で、少々問題点はあるにしても、それは年頃の子供ならみんなが持っているもの。

このまま何事もなく育ってくれれば、将来は英雄の名に負けぬ逸材へと成長するだろう。

10年後が楽しみな、未来を担う若者たちである。

 

そんな風に、クラウディオが未来に思いを馳せている横で、ふと画面がうつり変わった。

天神館の生徒が変わった格好の少女に圧倒されていた画から、見覚えのある少年が武神と対峙している画に切り変わった。

 

それのおかげで、一瞬前まで賑やかだった室内はしんっと静まり返る。

 

クラウディオはテレビの中に映った男の子をまじまじと見た。

彼が今の彼女たちを見たら何と言うだろうか。

彼の性格を考え、恐らく苦言を呈するのではないだろうかとクラウディオは思った。

特に、与一の相も変らぬ思春期ゆえの病気を知ったら苦笑いするだろう。

 

手に汗をかきながら応援する義経。

一転し、真剣な目で画面を凝視する弁慶。

懐かしそうにじっと少年を見つめる清楚。

その瞳が一瞬赤く染まったのは恐らく気のせいではない。

 

クラウディオはこっそりと嘆息した。

やはりまだ会わせることは出来ないようだ。

 

姿を見ただけで触発されている。

これで直接彼の気を浴びたらどうなってしまうのか。想像に難くない。

 

――――出来ることなら、もう少しだけ大人しくしていてください

 

それはどちらか一方への願いなのか。それとも双方に言っているのか。

どちらにせよ、夜空に流れ星は瞬かなかった。



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第二章 橘剣華
十二話


当初の予定では、夏休みに風間ファミリーを天神館に招く展開だったのですが、文章量削減のため丸っとなかったことにし、9月から新展開どーん。


「そう言えば、知っていたか先輩。あの松永燕が川神学園に転入したらしいぞ」

 

「へえ」

 

東西交流戦から三か月あまり。いつの間にか夏休みも過ぎ新学期が始まっている。9月だと言うのに、まだまだ残暑は厳しい。

 

川釣り海釣りバーベキュー、花火も祭りもご無沙汰で、ここ最近忙しく過ごしていた反動もあり、久方ぶりの休日を隣にむさ苦しい男を連れて過ごす今日この頃。

 

多馬川の河川敷で釣竿を振り、釣れるかな釣れないかなとただ待つこの時間。

正しい休日の過ごし方かと問われれば、まあ胸は張れるかな。

 

「俺様もびっくりだ。天神館を蹴って京都の学校に通っていたはずだが、まさかこの時期に転校とはなぁ」

 

「ふうん。……そう言えばなんかゴタゴタ言ってたな。丁度いいじゃん。挑めば? わざわざ武神に固執しなくても、勝てそうなところ狙うのが賢いぜ。落ちた名声を上げたいだけなんだし」

 

「俺様もそう思って今朝挑みに行ったんだがな。断られた。まあ、関西の武士娘はどれも身持ちが堅いから仕方ない」

 

朝、食事の時間になっても見ないと思ってたら松永の所に行き、そんで断られていたと。

行動力に満ち満ちてる。あちらさんも迷惑だろう。大抵の店が開くのだって9時ぐらいだ。どうせだから10時ぐらいから行っとこうぜ。

 

「朝っぱらから迷惑な奴だな。もっとゆっくり過ごせないのかね――――おっと」

 

言ってる間に、釣竿に確かな手応えが来る。

お高めの魚肉ソーセージ付けた甲斐ありましたかね。

ソイヤソイヤと乱暴に竿を引き、それが魚じゃないと確信を得られた時点で思いっきり釣り上げる。

竿の先には女の子がかかっていた。

そこまでは予想通り。しかし予想に反して髪の色が茶髪だ。全体的にちんまい気もする。恰好はスク水か。

……あれ? この人だあれ?

 

もぎゅもぎゅとウインナーを頬張る女の子を見つめる。

それ思いっきり川の水に浸かってるよ。食べちゃって大丈夫? 危なくない?

 

そんなことを考えていると、不意に女の子と目が合った。

女の子はまじまじと俺の顔を見、ごくんと口の中の物を飲み込む。釣り糸にぶらさがって首を捻る。

「あー!」と声を上げた。

 

「交流戦で見た人だわ! あたし川神一子。川神学園二年生よ!」

 

「おや」

 

元気のいい挨拶。清々しい笑顔。この女の子は今の状況に何ら疑問を抱いている様子はない。

さすが川神だよなあ。釣りしてたら元気な女の子が釣れるなんて、そんな状況あるもんじゃないぜ。桃太郎もびっくりだよな。

 

上手いこと針を避けて食ってた川神一子は、針に刺さってる部分を未練がましく見た後、ウインナ―から口を離し岸に上ってきた。俺の持つ釣竿と釣り餌の入ったビニール袋を見る。

 

「釣りしてるの? でもここら辺の魚は高級な餌を使わないと中々食いついてくれないわよ。この餌を使うぐらいなら素潜りの方が獲れるわ」

 

「へえ、そうなんだ」

 

その姿は見る者の気分をよくする効果を持っているようで、大分俺の気分もよくなってきた。

なるほど。川神一子。こいつがねえ。その名前に聞き覚えがありまくる上に、生徒名簿にもあったかな。さてどうしたもんかね。

 

「お嬢さんこれお食べ」

 

「え、くれるの?」

 

魚肉ソーセージを差し出してみると、ヤッターと尻尾が幻視できる勢いで駆け寄ってくる。

ぐまぐま頬ばる姿は癒し一色。犬みたい。

しかし知らない人から食べ物を貰っちゃいけないと飼い主は躾けなかったようだ。

 

「よいしょ」

 

「んぐ?」

 

無防備な川神一子の頭をアイアンクローの要領で掴む。

不思議そうに見てくるのを安心してもらうため微笑む。

そんでもって吊り上げてから――――。

 

「リリース!」

 

川へぶん投げた。

「みぎゃー!?」と叫び声を上げながら川へ帰っていく。

桃太郎は桃と一緒に川に流されましたとさ。めでたしめでたし。

結構下流の方へ投げたからもう帰ってくることもなかろう。もし一周したらまた会おうぜ。

 

「次の餌は、と」

 

餌に魚肉ソーセージを使ったのが失敗だったのかもしれないな。

今度は普通のソーセージを使ってみるか。

 

「で、松永に断られてどうしたって?」

 

「あ、ああ……。断れた際に何故だか納豆をもらってな。これなんだが」

 

松永納豆と大きく書かれているそれは、最近関西で美味しいと評判の納豆で、スーパーなどでよく見かける様になったものだ。

 

小さく試供品と書かれている所を見るに、お近づきの印とかそう言うわけではなく、ただの宣伝のために渡したらしかった。

商売根性たくましいな。さすが関西武士娘。

 

「美味いのそれ?」

 

「分からんが、『お連れさんにも』ともう一パックもらっている。あとで食べよう」

 

「へえ。それはそれは」

 

長宗我部に連れが居る事を知っているのは、つまり俺の行動も筒抜けか。

まあ、松永個人が俺に注意を払っている訳でもないだろう。俺、あいつと接点ないし。

となると、まあ九鬼辺りが情報源かねえ。

 

ははーんと頭上の多馬大橋を見上げる。

 

先ほどから橋の上に知り合いがいるのは気づいていた。一向に近づいてくる気配はなく、遠くから見ているだけなので不思議だったのだが、監視してたのね。

接触避けて遠くから見守るだけとか、実にらしくない顔ぶれだ。片方、用事あるならとりあえず銃口向けてくる人だし。もう片方はギャグの採点してほしくてウズウズしてるのが目に浮かぶ。

接触しないよう上からきつく言われてるのかもしれない。

 

一人は表面フランク、中身トラウマ保存機。

もう一人は表面クール、中身繊細と中々に面倒くさい人たちだが、一応命令には忠実だろう。

命令の出所はマープルかヒュームかそのあたり。

 

「おい、かかってるぞ」

 

長宗我部の声で竿が引っ張られているのに気が付いた。

手応えはさっきと同じだ。この感じは人!

何故だか、然したる興奮も喜びも感じられないまま竿を上げる。

そこには先ほどとは違う女の人が、もがもがとソーセージに食らいついていた。

 

髪は銀髪。長い髪を後頭部で纏めているのは川神一子と一緒だ。

お目当ての人物。ようやく会えましたねの挨拶代わりに、そこら辺に転がっている小石を少しばかり力を込めてぶん投げてみた。

 

「いたっ!?」

 

小石はぶれることなくまっすぐにその人の額に当たる。そのせいで、女の人は条件反射に苦痛の声を漏らした。

同時に、ソーセージから口を離したことで重力に従い落下する。

 

水しぶきを上げて川底へ沈んだその人。

よく目を凝らしてみると、川底ですいすいと泳ぐ姿を確認できた。

 

さすがは元四天王最速。

あっという間に姿は見えなくなった。

しかし俺には分かっている。まだその辺にいる。

 

ちょっと待ってみると、十メートルほど川を上った向う岸に姿を現した。

逃げても無駄だと分かっているのだろう。川から上がったその人は砂利の上で正座になる。

ポタポタと水を滴らせながらじっと俯いていた。

 

気で強化した俺の眼は、しっかりと赤く染まった耳を捉えていた。

そのままじっと見つめていると、その人はちらっとこちら様子を伺ってきた。

 

「天衣ー! 飯行くかぁー!?」

 

「!?」

 

俺の呼びかけに、だっと逃げ出した天衣さん。

そのうしろ姿は可愛らしく、とてもじゃないが年上のお姉さんには見えなかった。

 

「かわいい」

 

「うむ」

 

「食い物なら釣れてくれるって分かったし、元気そうで安心した。じゃあ行くか」

 

「おう」

 

釣り道具をしまい、久方ぶりに知人と会って満足した俺は、長宗我部の用事を済ませるため、すぐそこに見える橋に行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長宗我部がそこら辺の女の子に聞きだした情報によると、この橋は変態大橋と言うらしい。

俺が知っている名前は多馬大橋なのでたぶん通称のはずだが、それにしても変な名前を付ける物である。

子供がふざけて付けた名前が定着したのだろうか。

 

そう思っていた時間は数分のみ。

ちょっと滞在してみると、これがまあぴったしの通称だった。

 

「ぐへへっ。ねえお嬢さん。ぼくのこれ見てくれる? どう思う? ねえ、ねえ!?」

 

橋に着くと同時にそんな声が聞こえてくる。次に聞こえてくるのは甲高い絶叫だ。

女の子の黄色い叫び。でも口とは裏腹に視線はとある一点をまじまじと。

 

……なんだここ。

 

「おい、見ろよあのおっさんの股間。まじちっせえんですけど。まじちっせえ。あれならまだチクワ入れた方がましだわ」

 

こんなことを言うガングロの妖怪もどきが女性である事実。

おいおい時代遅れにもほどがあるぞあの化粧。

まじでなんだここ。

 

そんな風に、現実を直視できないでいる間に長宗我部が動いた。

 

「おい」

 

「あ? なんだお前。男はお呼びじゃないんだよ。ぼくは今、我慢の限界に達した露出欲を――――」

 

「男の風上にも置けねえなあ。そんな粗末なもん見せびらかすなんてよお。男なら男らしく、堂々と愛しい人に見せびらかせってんだ!!」

 

長宗我部に頭を掴まれ、橋から落とされた痴漢はそのまま川に落下する。

死んだかな。てか死ねよと思って見ていると、ぷかぷかと尻だけが浮かんできた。

それはそのまま、どんぶらこどんぶらこと川下へ流れて行った。

 

…………不屈だなあ。

 

「まあ、とりあえずナイス長宗我部」

 

「おう。俺様、ああいう野郎は見過ごせない性質でなあ。男なら男らしくしろってんだ」

 

それは中々手厳しいのではないだろうか。あの男はある意味では男らしかったと言えるが、ある意味では非常に男らしくなかった。

これ以上は傷に塩を塗るようで可哀そうだから何も言わないが。

 

「で、ここで待ってれば来るのか?」

 

橋の上には見覚えのある制服を着た人たちがたくさん歩いており、川神学園の通学路になっていることは一目でわかる。

待ち人も、まあ来るのかな。

 

「ああ。俺様が調達した情報によれば、川神百代は毎日この道を通っているらしい。ここで張っていればいずれ来るはずだ」

 

「そうかあ」と生返事をし空を見上げる。

広がる青空と照り付ける太陽が眼に痛かった。

 

「今日も暑くなりそうだな」

 

Tシャツの襟もとをパタパタと煽りつつ、残暑の厳しさを実感する。

空を見上げれば、遠く入道雲がその存在感を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の上は日光を遮るものがない上にコンクリート一色なので暑すぎる。

こんな朝早くから汗だくになるのも嫌なので、俺一人だけ橋の下に避難した。

長宗我部は橋の真ん中で仁王立ちで待つと言う。こういう時、常に上半身裸の長宗我部が羨ましくなる。俺もなろうか。裸に。

 

真面目に検討してみて、だけどよくよく考えてみるとそれはないと気づく。

というか、たとえ上着だけでも裸なのは、完全に変態のそれではないだろうか。

慣れ過ぎていて気付かなかった。長宗我部は変態だ。よくよく考えなくても当たり前のことだった。

 

新しい発見を微妙な気持ちで受け止め、日陰で川の流れを見つめる。時おりコーラを呷ると、もうそれだけで一気に涼しくなる。

河川敷はコンクリートじゃないからそれもあるだろう。コンクリートから自然へってね。

 

「で、何の用ですか桐山さん」

 

「ばれてましたか」

 

執事服のイケメン優男が柱の裏からこっそりこっちを観察していた。

ドラマだったらこの後俺死体で見つかるんじゃないのこれ。まあ、知り合いだからフラグブレイクだ。

 

「お久しぶりですね工藤君。健康そうで何よりです」

 

「桐山さんもお変わりないようで」

 

「おや、分かりますか?」

 

ニコニコ笑顔を決して絶やさないところは昔と何も変わらない。

なら本質も何一つ変わっていやしないのだろう。

 

「マザコン」

 

「いやぁ、ありがとうございます」

 

うへぁと声が出た。

俺だったらマザコンって言われたら侮蔑って受け取るね。

間違っても褒め言葉にはならない。

 

「君は昔より背が伸びましたね」

 

「成長期なもんで」

 

「いいことです。良く食べて、良く遊んで、良く眠る。健康にはどれも大切なことですから。私の母も常々そう言っていました」

 

「全国津々浦々ほとんどのお母さんがそう言うと思いますよ」

 

「その中でも私の母ほど偉大で素晴らしい人はいません。よければ語りましょうか?」

 

「お母さん自慢は興味ないのでご用件をどうぞ」

 

「つれないですね。人との付き合いは大事だと母が言っていましたよ?」

 

「それも全国のお母さんが――――おい、無限ループするつもりか」

 

ツッコんだところで、ふふふと余裕の表情を崩しもしない。

そういうところが嫌われるんですよ。

 

「さて、君も気づいていると思いますが、現在我々は君を監視しています」

 

「理由をお聞かせ願いたい」

 

「君が何をするか分からないからです」

 

流れる川を見ながらコーラを呷る。

喉の奥で炭酸が弾け、胃にストンと流れ込む。

 

「私がここに来たのは、君の真意を確かめるためです」

 

「事情はご承知の通り。後は長宗我部のお手伝いです」

 

「ええ。そう聞いていますが、君は当たり前のように嘘をつくので、我々も当たり前のように君を疑わなくてはなりません」

 

「それ以外の理由は逐次ご連絡します」

 

「今教えていただけませんか」

 

「めんどいので、後でワードファイルに纏めてPDF化してお送りします」

 

「概要を口頭で結構です」

 

「この後川神学園に行きますよー」

 

残っていたコーラを飲み干して桐山さんを向く。

ニコニコ笑顔を保ってはいたが、その裏に真剣な表情が垣間見える。

よっしゃ。糞ムカつく余裕面崩してくれたわ。

 

「探ってるのはマープルですか?」

 

「はい。ミス・マープルは武士道プランの総責任者ですから、あなたのことは人一倍気にかけています。ちなみに私は現場責任者を任せられていまして、序列は42位まで上がりました」

 

「ご出世おめでとうございます」

 

「ありがとうございます。母もきっと喜んでくれるでしょう」

 

草葉の影でね。

 

「まあ、そうですね。一々マープルに心配されるのもなんですし、伝言頼まれてくれますか?」

 

「内容次第では喜んで伝えましょう。して、どのような?」

 

「ババアに聞く口はねえ、とっとと墓の下に消え失せろ」

 

「いくら私が気に入られているとは言え、さすがにクビになりかねませんね」

 

「それはそれでラッキー――――もとい忍びないので、やっぱり後で直接言いに行きます」

 

「ぜひそうしてください」

 

「……帝様名乗って空箱送ってやろうかな」

 

「好きにすればいいと思いますよ」

 

冗談を言い合っている間に時間はかなりすぎていた。

橋の影から移動する。

桐山さんはすぐ後ろをついてきた。ストーカーみたいで怖い。

 

『来たか川神百代!』

 

長宗我部の声が聞こえた。

ようやくお目当ての人物が現れたようだ。

 

「桐山さん、これから決闘するので立会お願いできますか?」

 

「もちろん構いません。ここで待機しています」

 

桐山さんの了承を得て、俺はその場から跳びあがる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たか川神百代。この俺、長宗我部宗男がお前に決闘を申し込む!」

 

欄干の上に着地した俺を待っていたのは、相変わらず上半身裸の長宗我部。

正面に対するのは10人ほどのグループ。先頭は川神百代。

 

「東西交流戦で受けた傷は思いのほか深くてなぁ。ここらで武神に打ち勝ち汚名返上と言う算段よ!」

 

「ほーう。私も随分軽く見られたものだ。そんな簡単に汚名返上できると思われているとは……。これはお仕置きが必要だな?」

 

売り言葉に買い言葉。古い言い方をするなら舌戦だ。

どっちもやる気満々なのだから、やる意味など正直に言ってない気もするのだが、武神の闘気が生き生きし始めたので大なり小なり効果はあるのだろう。

 

長宗我部の横に降り立った俺を見て、グループの大半が驚いた顔をした。唯一川神百代だけは好戦的な笑みを浮かべている。

川神百代は見た目凄く美人なのに、その笑顔が酷く邪悪なもので、こいつ大丈夫かなと密かに心配した。

 

「今日は良い日になりそうだ。対戦者が二人もいるとは!」

 

はて? 二人?

周りを見てもそれっぽいのはいない。武神の言葉が謎すぎる。

あいつはウキウキルンルン気分で闘気を脈動させた。それが向けられる先には俺がいる。ものの見事にズビシッと捉えている。

ああ、これ見事に勘違いしてるな。いやあ、俺やんないんすよーと現実を突きつける必要がある。でもどうせだから、直前で突きつけてテンション下げてもらおう。別にそんなことする意味はないが、その方が面白い。

 

「とりあえず下。立会人待ってるから」

 

河川敷に移動を願う。

「なに!? さすが先輩だ。手配が早いな!」と文句どころか称賛を浴びせかけ一目散に移動する長宗我部。

武神もその後を続き、慌てた様子でその背中に追いつく武神の仲間たち。俺は一歩遅れてその様子を眺めていた。

 

「姉さん、大丈夫なの?」

 

「なんだ。お前舎弟のくせに私があんなのに負けると思っているのか?」

 

いの一番に話しかけたのが噂の直江大和だろう。言われてみると確かに可愛い顔している。

 

「いや、長宗我部は大丈夫でしょ。そっちは気にしてないよ」

 

「なら何を心配してるんだ」

 

「それは……」

 

チラッと後ろを窺う直江君と目が合った。

すぐに前に向き直り、俺に聞こえないよう声を落して内緒話を続けた。まあ、聞こえるんだけど。

 

「あの工藤って人は大丈夫なの?」

 

「ああ……。正直よく分からん」

 

絶句した気配がここまで届く。

 

「わからんってマジかよモモ先輩!?」

 

「え!? モモ先輩負けるかもしれないの!?」

 

「お前らなあ!」

 

図体がデカくて色黒な男の子は島津岳人。逆に背は小さくて色白なのが師岡卓也。どっちも情報通りだな。

 

「私が負けるなんて、億が一そんなことありえると思っているのかあ!?」

 

武神はアイアンクローで二人を痛めつけている。

ギブギブと割と洒落にならない感じで悲鳴が上がった。

武神の攻撃に耐えれるだけ凄い。手加減はしているだろうけど。

 

「しかしモモ先輩。正直、私も分かりません。だからこそ油断は禁物かと」

 

「まゆっちが分からないって言うのは相当なんだぜー」

 

ストラップで一人二役を器用にこなすのが剣聖黛十一段の娘、黛由紀江。

……あー、噂通りで噂以上。実際に一人二役を見ると胸に来るものがある。強く生きろ。

 

「まゆっちでさえも? ふむ……。実は、自分はあまり強そうには見えないと言う印象なのだが……」

 

どう見ても外国人の金髪白人はクリスティアーネ・フリードリヒ。

ドイツ軍中将の愛娘。これはこれでめんどくさい。

 

「私はまゆっちの見立てもクリスの見立ても、ある意味どっちも正しいと思う」

 

んで、最後に天下五弓の椎名京。

このほかに風間翔一と川神一子もあわせて風間ファミリーと。

 

「どっちも正しいって?」

 

「いやあ、あくまで推測なんだけど」

 

直江大和の問いに椎名京は自信なさげに答える。

 

「たぶん、あえて自分の実力を隠してる。そんでもって、どっちにも見えるように小細工してるって感じなのかと。たぶん」

 

その言葉を受けて全員で俺を見てくる。

いや、さすがに露骨すぎるでしょ君たち。思わず答えちゃう。

 

「椎名京が正解」

 

「やたっ」

 

喜ぶ椎名京が直江大和にご褒美を要求してしなだれかかる。

その隣で「つうか普通に聞こえてたぞおい!?」と島津岳人が叫んだ。

あたぼうよと笑顔を振り向けながらファミリーに近づく。

 

「一つ聞かせてほしいな。どうしてわかった?」

 

「歩き方や目線の動きなどを総合して判断。どれだけ弱く見せようとしても、絶対手を抜けない部分もあるから」

 

「ほーう。目が良いんだねえ」

 

「弓使いは目が命ですから」

 

「さすが天下五弓だなあ」

 

やっぱり無理に騙そうとしても限界がある。思い込んでもらうのが一番って話だろう。

よし、新技開発に力入れよう。

 

そのままファミリーを追い抜いて桐山さんの元へ。

 

「遅かったですね」

 

「前を進んでた連中が作戦練りつつでトロトロ鈍かったんです。文句はあちらに」

 

桐山さんの皮肉を受け流して長宗我部の隣に移動する。

百代は既に対面の位置に着いていた。

いつの間にか、この決闘を見ようとたくさんの学生たちが押し寄せている。

河川敷だけではなく橋の上でもギャラリーはいた。

 

「ギャラリーがたっくさんだぜ」

 

「はっはっは!! これは倒しがいがあるな!!」

 

呑気に笑う長宗我部だが、勝率は0に等しい。

ここに居る誰も、長宗我部が勝つとは思っていないだろう。エンターテインメントとしか思ってはいない。

 

「ではこの決闘は、わたくし九鬼従者部隊序列42位、桐山鯉が審判を務めさせていただきます。正々堂々、遺恨の残らない戦いにしてください」

 

桐山さんの合図に従い決闘は始まる。

当たり前のように武神は先手を譲った。

 

「ぬるぬるにしてやろう、川神百代」

 

油を被り戦闘モードになった長宗我部を武神は嫌そうに見ていた。

ぬるぬるにはなりたくないらしい。

 

それに構わず、長宗我部は真っ直ぐに突っ込んでいく。

タフさでは定評のある長宗我部ではあるが、事武神相手にその選択はどう考えても悪手だった。

 

武神が何気なく拳を振ると、空を切った拳の先に拳圧が走り、無防備に走っていた長宗我部にクリーンヒットした。

かなりの威力を誇るそれをまともに受けた長宗我部は、無様に吹っ飛び川に沈んでいった。

衝撃で水しぶきが雨の様に降り注ぐ。暑い日には丁度いいが、ちょっと量が多い。手で払っておく。

 

「……判定は、言うまでもありませんね?」

 

確認してくる桐山さんに頷く。

やっぱり武神は強かった。それも圧倒的に。

 

おそらく気絶したであろう長宗我部救出のため、俺は川の上を歩く。

底で寝ていた長宗我部の首根っこを掴み岸にまで引っ張り上げた。

その身体はぬるぬるしていて凄く不快だった。川を湯に変えて油落してやろうか。

 

「さあ、前座は終わりだな」

 

心臓マッサージをし、長宗我部の口から水を噴き出させていると、背後でおもむろに拳を鳴らす音。

自然、俺の目線は桐山さんを捉えるが、あの人は「おやおや」と微笑んでいるだけだった。九鬼家として止めるつもりはないということだが、職務怠慢ではないのか九鬼従者部隊。

 

「よし、川神百代」

 

「お前とは交流戦の決着がまだだったからな。本気で戦える日を待っていたぞ」

 

「ああ、俺もだ」

 

「やろう!」

 

「よし!」

 

武神の闘気が臨戦態勢になる。長宗我部に向けてた時よりすげえ。

事実を告げるなら今を逃しては取り返しがつかない。

つまり今が最高の時だ!

 

「残念無理です戦いません」

 

「は?」

 

ぺこりとお辞儀する俺と呆然とする武神。闘気は急速に萎んでいく。

その傍ら、長宗我部が蘇生した。

「こ、ここは……?」記憶に障害がありそうだが、すぐに思い出すさ。お前負けたんだぜ。

 

「また今度だ」

 

長宗我部を肩に担ぎながらもう一度きっぱりと。

 

「え?」

 

「ん?」

 

「……や、やらないの?」

 

「やらないの」

 

「……真剣(まじ)?」

 

「真剣真剣」

 

「……」

 

うっそだろおぉぉォ!?

 

武神の雄たけび。

字面で見ると滅茶苦茶かっこいい。でも実際身に浴びると滅茶苦茶愉快。

武神の横を通り抜ける最中、どんまいと意思を込めてその肩をポンと叩いておいた。

こんな程度のことで滅茶苦茶動揺してるなあ。戦闘欲求のコントロールはできないようだ。

 

「ちょ、期待させるだけ期待させて……!」

 

「俺最初から長宗我部の付き添いだし。お前が勝手に勘違いしただけだ」

 

「くっ……。せ、せめて一回だけ! 一回だけやらせてくれればおさまりつくから! な? 一回だけならいいだろ? な?」

 

「童貞が懇願してるみてえ」

 

それが武神には結構ショックだった。

ガーンと効果音でも付きそうなほどのリアクション。

んー。こいつ思ったより効くなあ。

 

去り際に、ショックで一時停止してしまった武神を見、風間ファミリーの面々を見る。

俺の視線を受けて、腕に覚えのある者は全員身構えた。

あれ? 気は出してないんだけど?

 

「……」

 

「あの、なにか?」

 

代表してだろうか。

いつまでも見ている俺に直江大和君が訊ねてくる。

 

「んー……ま、いいや。君らには期待してる」

 

「え?」

 

「また後でなー」

 

言い捨てて、高くジャンプした。

多馬大橋の欄干に一度着地し、そこにいた奴らをチラリと横目で見る。

 

ここに来るとは思っていなかったのだろうか。刀を腰に下げたポニーテールが思わずと言った感じで「わっ!?」と声を発した。

その慌てようは、あまり変わってない気がする。

 

ほんの刹那の間、俺は四人を見つめ、護衛していたマイアミ育ちのギャングもどきに銃口を向けられたので、慌ててその場から跳び立つ。

 

三年ぶりに見た彼女たちは、皆すくすくと成長していたようで心から嬉しく思う。

特にあいつなんか、名は体を現すというのにぴったりな具合に成長していた。

昔からその片鱗はあったが、今ではもう蕾は完全に花咲いたようだった。

それを表すのに可憐の一言では収まらないだろう。妙な嬉しさを覚え、頬が緩むのを抑えきれない。

 

でも、と反駁する。

 

言葉にすればたかだか三年。

漢字にして二文字だが、実際の体感時間は酷く長かった。

 

その三年がどこまで俺と彼女の距離を遠ざけたのだろうと考えて、くだらない感傷に浸っていると我がことながら自嘲する。

 

頭を振り、余計なことは考えない様にして、今は素直に喜ぼう。

久しぶりに見た彼女たちの成長を喜んで、次の機会に期待しよう。

 

次が一体いつになるかは、まだ皆目見当つかないけれど。



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十三話

ようやくA5発売。
素晴らしいですね。私のお気に入りは旭さんです。


川神学園二年F組。

 

風間ファミリーの大多数が所属することから分かる通り、そこは変わり者の巣窟。

勉学の優秀さではなく強烈な個性。一に秀でた者が多く、S組とは別の意味で性質が悪い。

 

類友のS組と仲が悪く、なにかにつけては勝負をしかけ優劣を競っていた。

 

そんなF組に本日、転校生が現れた。

 

「諸君らの中には知っている者もいるだろうが」

 

今年度三度目になる転校生。

さすがにそう何度も繰り返されれば慣れてしまうものだが、本日の転校生はこれまた一味違った。

 

担任の小島梅子は、唖然とする生徒たちを半ば無視して紹介を始める。

 

「天神館からの転校生の橘剣華だ。みな、仲良くするように」

 

鋭く、冷たい目を見せる女子生徒。

艶のある黒髪は肩よりも少し長い。

 

元は天神館生徒だった橘剣華は、殺気にも似た気を撒き散らしながら自己紹介を始めた。

 

「橘剣華。限界が近くて、殺気だっているけど触れなければ大丈夫だから。よろしく」

 

その意味をきちんと理解できた人間はその場には居ない。

突然の元敵方の来訪にきちんと頭が働く人間は少ない。

 

疑問を抱いた生徒はいるも、それ以上は辿れない。

解きには程遠く、空気に流される。

 

「……驚いたな。天神館から転校生とは」

 

かつて、東西交流戦にて矛を交えたことのあるクリスは、吐息交じりにそう言った。

周囲の生徒もそれに同意する。

 

剣華は初対面の印象に反して、親切にもその疑問に答えた。

 

「前々から、川神学園に転校する話はあったの。でも、何かと障害が多くて。最近ようやく話が纏まったから」

 

小笠原千花が「障害?」と口に出す。

剣華は短く「九鬼」と答えた。

 

ほとんどが「あぁー」と納得した。

唯一、京と大和だけが「なぜ九鬼が障害になるんだ?」と疑問を持つも、二人はそれを声には出さず胸の内にしまってしまう。

二人の視界の隅で、空気の読めなさに定評のある子が、うきうきと立ち上がったからである。

 

「ふふん。どんな理由があれ、自分にとっては都合がいいぞ」

 

言いながら、クリスはワッペンを叩きつけた。

 

「勝負だ、橘剣華! 交流戦の借りを返してくれよう!」

 

手荒い歓迎。

自分の時にやられたそれを今度は自分がやるのだと、以前負けたことも相まって、気合十分に決闘を申し込む。

 

しかし、当の剣華はワッペンをじっと見て、それから困ったように口を開いた。

 

「これ、どうしても受けなきゃダメ?」

 

当然の様にF組の生徒たちは肯定する。

 

「これ受けなきゃ仲間にゃなれねえな」「決闘で分かりあえることもあるしー」「頑張って橘さん!」

 

好き勝手に述べられた言葉たち。

剣華は迷い、窓の外に視線を向けた。誰もいないグラウンドが眼に入る。

 

数秒それを眺める剣華。

そして諦めたように溜息を吐いた。

 

「……わかった」

 

声音は渋々と、しかしその表情は妙に引き攣っていた。

それは、傍目には笑わないように無理をしている様に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

F組の生徒たちは全員グラウンドに移動していた。

少し離れた場所で各々が見学している。

 

グラウンド中央には、剣華とクリスがほどほどの距離をもって睨みあっていた。

クリスはレプリカの細剣を持ち、剣華は素手。

その構図は東西交流戦を彷彿とさせた。

 

一方、F組が決闘を行うと校内放送で知った他クラスの生徒たちは、それぞれの教室からその様子を覗いている。

その中には川神百代や松永燕、葉桜清楚を始めとしたクローン組の姿もあった。

 

「どっちが勝つと思う?」その燕の質問に、百代ははっきりとは答えなかった。

ただ、「たぶんあっちだろう」とだけ答えた。

 

「立会人は私が行う。時間制限あり。勝敗はどちらかが気絶、あるいは戦闘続行不可能と私が判断するまで。命の危険がある場合も止めに入らせてもらう。いいな?」

 

小島梅子は鞭を取り出しながらそう言った。

その眼は主に剣華に注がれている。

 

クリス、剣華、両者ともに頷く。

 

「では、はじめ!!」

 

梅子がホイッスルの代わりに鞭をしならせ地面を叩いた。

瞬間、クリスが疾走する。

 

細剣を持った彼女の戦闘スタイルはフェンシングである。

ゆえに、攻撃方法は突きだけだ。正面直ぐに走り行き突く。

交流戦の時と寸分たがわぬ戦闘スタイルである。

 

状況によっては他の攻撃方法も使うだろうが、それでも今この瞬間において彼女が選択したのはそれであった。

三か月前と同じ。その常人では決して避けえない突きを、剣華は片手であっさりと捕まえた。

 

「え」

 

クリスの口の端から言葉が漏れた。

 

驚きでクリスの動きは完全に止まる。止まらざるを得ない。勢いは完全になくなった。

疾走分の速さと、細剣を突くのに使った全身の力。それらは全て、剣華の腕力一つで相殺された。

 

もう、細剣はピクリとも動かない。

 

「それは見飽きたの」

 

剣華はそう言って、細剣ごとクリスを遠くに放った。

放物線を描きながらクリスは10メートルほど投げ飛ばされた。

 

途中で体勢を整えられたので地面に激突こそしなかったが、立ち上がったクリスの顔色は悪い。

内心の衝撃は整理できていない。

 

いつの間にか頬を伝っていた汗。

表情は厳しく、余裕はとうにない。

 

交流戦の時も、剣華は強かった。

自分と同等か上。

あの時はそうだった。

しかし、今は剣華の方がはるかに上だ。

 

自分など及びもつかぬ強者であると、クリスは悟った。

 

だからと言って諦めることはしない。

この決闘が自分から挑んだものであるとか、負けたらF組の面子に関わるとか、そんなことは少しも考えていない。

 

ただ、武士娘とは総じて負けず嫌いなのだ。

やられっぱなしでいられるか。

 

クリスは今一度突撃する。

今度は馬鹿正直に真っ直ぐ行くのではなく、フェイントや歩幅の緩急を付けつつ、渾身の力で突いた。

 

剣華は躱す。

クリスの高速の突きをただ躱す。

クリスの攻撃は鋭く重い。一撃一撃に必殺の威力が込められている。

 

反して剣華は極めて脱力していた。

プラプラと腕を垂らし、動きに鋭さは微塵もない。

ただ緩慢に足を動かし移動している。

 

当たればただでは済むまい。

 

決して早くない動きで、クリスの突きを躱し続ける。

通常不可能なことを剣華はやってのけている。

どうやって?

 

クリスが攻撃する前に、剣華は回避している。

動きが完全に読まれている。

 

「くっ……」

 

最初剣華は見飽きたと言っていた。

それはつまり、クリスの動きを十分に知っていて十全に予測できると言う事。

 

三か月前、剣華に敗北してからクリスは鍛錬を怠ってはいない。

どころか一層努力した。間違いなくあの時より成長している。

だと言うのに、剣華は読み切っている。

三か月前からお前は何も変わっていないのだと言われている気がした。

 

「なめるなあああ!!!!」

 

怒り。

クリスの動きがより速く強くなった。

三か月前と同じだ。

 

そのせいで、クリスの視界が一瞬狭まった。

怒りで一瞬思考が途切れた。

 

気付けば剣華の姿を見失っていた。

誰もなく、何もない場所に空ぶった細剣。

 

おかげで行動は一拍遅れる。

 

「怒ることで戦闘力が上昇する。交流戦の時と同じね」

 

後ろから声がした。

振り返るより早く背中に衝撃。

息が詰まる。

 

続けざまに衝撃。

何回も何回も、掌打を浴びせられる。

 

十数に及ぶ掌打を受けて、クリスは倒れた。

敗北者を剣華が冷ややかに見下ろしていた。

 

「お嬢様ぁ!!!」

 

叫びつつ猛スピードでやってきたのはマルギッテ・エーベルバッハ。

クリスのお目付け役である。

 

決闘に敗れたクリスの身を案じて、クラスを飛び出しいの一番に駆けつけた。

その表情には、常の彼女には見られない動揺と焦りがあった。

 

「安心しろ、気絶しているだけだ。骨も折れていない。傷も打撲程度だな」

 

容体を確認していた梅子がマルギッテを安心させるように言った。

マルギッテはほっと胸をなでおろす。

 

クリスの無事が確認され、外野は息を撫で下ろすと共に剣華へと称賛の声を送った。

 

中身がどうあれ、クリスはまごうことなき猛者である。

それに勝ったのだ。嫌でも剣華への関心は高まろう。

特に、武人としては手合せを願いたいレベルの強さだ。

 

証明するように、周囲の人垣から一人の少女が躍り出る。

 

「次はあたしと勝負よ!」

 

川神一子。

クリスと同程度の力量の持ち主は、うずうずとした様子で勝負を挑んだ。

 

剣華は顔を上げ、一子を見る。

その剣華の表情を見て、外野の男連中がどよめいた。

 

頬を染め、息は荒い。

瞳は潤んで眉尻は下がっている。

何処か苦しそうで、それでいて切なそうな表情。

 

それは童貞には毒すぎる、色っぽく艶めかしい表情だった。

 

「え、ちょ、どうしたの?」

 

そんな表情を見て、一子は慌てて声を掛けた。

剣華は何でもないと首を振る。

 

何でもないわけないじゃない!

続く一子の言葉は、その場にへたりこんだ剣華には届いていない。

 

駆け寄ろうとした一子。

それを「近づくな!!」と梅子が制する。

 

一子は止まり、梅子は離れるように指示を出す。

戸惑い、一子が指示に従う前に異変は起きた。

 

「ふふ、ふふふ。あは、はは……。あはははははは!!!!!」

 

笑い声。

面白くて面白くて仕方がないと言う風に、突如剣華は笑いだす。

それに呆気にとられる暇もなく、剣華の身体からは濃密な闘気が溢れだした。

気は暴風となり周囲の人間を呑み込む。

 

最も近くにいた一子は吹き飛ばされぬ様に身を落し踏ん張った。

後頭部に纏めた髪が風にあおられ激しく靡く。

 

意識のないクリスには梅子が覆いかぶさり、その二人を庇うように前面にマルギッテが構えていた。

前が見えないほどの暴風は離れたF組の生徒たちにも及んでおり、彼らは一様に状況がつかめないでいた。

 

ようやく風が止んだとき、その原因たる剣華は静かに立っていた。

恍惚とした表情で空を仰いでいる。口元は弧を描いている。

 

「ああ……いっちゃった……」

 

ぶるりと身体を震わして、剣華は己の身体を抱いた。

 

彼女から感じられる気の総量は、暴風の前後で著しく変化しており、今は壁越えと同等の気を放出している。

その気を察知して、百代や燕、義経や弁慶。果ては九鬼従者部隊序列0番ヒューム・ヘルシングまでグラウンドに降り立った。

 

ほとんどが険しい表情をし、唯一百代だけが好戦的な表情で剣華を見ていた。

剣華はその幾多の視線を嬉しそうに受け止め、だらしない笑みを浮かべた後、覚束ない足取りで校門へと歩き始めた。

フラフラとその場を後にしようとした。

 

「よく……、わからないけど」

 

背を向け、学園から出て行こうとする剣華。

それを見て、一子は薙刀を構えた。

 

「今の橘さんを放っては置けないわ!」

 

斬りかかる。

前を向く剣華へと背後から。

 

技はなくただ強く当てるだけ。

無力な人間を気絶させるためだけの攻撃。

今の剣華は反撃も出来ないだろうと思ったからこその優しい一撃。

 

気付けば、その優しさは薙刀と共に真っ二つに斬られ、一子の身体は吹っ飛んでいた。

 

「つぅっ……!」

 

落下地点に先回りした百代が一子を受け止める。

苦痛に顔を歪める一子は、百代の顔を見ても何が起こったのか理解できていなかった。

 

「お、お姉さま……? なにが……」

 

「安心しろわんこ。私たちが止める」

 

今も剣華の歩みは止まっていない。

これは早く止める必要があると百代は判断した。

 

一子には見えなかったが、百代には見えていた。

手刀で薙刀を切り裂き、掌打で吹っ飛ばす。

特にあの手刀はまずい。

剣華がその気だったのなら、薙刀ごと一子の身体は真っ二つだったはずだ。

 

あれがどういう状態にしろ、放って置いたら惨事は免れまい。

さしあたり、燕と連携して意識を刈り取ることにする。

百代は燕にアイコンタクトを飛ばした。

燕は意図を察し頷く。

 

二人、脚に力を込め疾走しようとした時。

唐突に剣華が足を止めた。

 

見ると、いつの間にか剣華の眼前には人間が一人。

校門に来客が訪れていた。

 

「おお、何か大変なことになってるな」

 

校門から堂々と訪れるその人物。

この場に居る大体が知っていて、且つこの状況を意図的に作り出した人物。

 

「なーんかいいことあったかい、剣華?」

 

天神館の工藤は、横に長宗我部を引き連れ川神学園を来訪した。



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十四話

突然の工藤と長宗我部の登場に、百代と燕は動けないでいた。

彼らが朝の勝負以後、まだ川神市に居たのは知っていたが、まさかこのタイミングで川神学園に訪れるとは思ってもいなかった。

 

明らかに狙ってきたこのタイミング。

工藤は串団子片手に剣華を見ている。横の長宗我部は一心不乱に団子を食べていた。

その様子は茶化しに来たと思われても仕方がない。

 

「はは」

 

剣華がどう思ったのかは定かではない。

ほんの僅かに笑った彼女の内心が怒りかどうかなど知る由もない。

 

ただ、剣華は攻撃に移っていた。

先までの不安定な足取りが嘘のように、剣華は目を見張る速度で工藤の目の前に移動する。

 

殺気を撒き散らしながら、首を獲ろうと放たれた手刀は、しかし工藤の右手に防がれていた。

金属同士がぶつかり合う音がする。柔らかい人の肉は、気で鋼鉄の様に頑強になっていた。

 

数秒、せめぎ合いながら二人は見つめあう。

横でわれ関せずに団子を食べる長宗我部の姿が非常にシュールだ。

 

「どっこいせ」

 

言葉の軽さと裏腹に放たれた蹴りは、少女の柔らかくも鍛えられている腹筋に命中し、剣華は数メートル吹っ飛んだ。

 

何度か跳ね、土煙を撒き散らしながら猫の様に着地した剣華。

長宗我部が口の中の物を呑み込み叫ぶ。

 

「充電完了! いってくる!」

 

「いってらっしゃい」

 

オイルも被らず走り出した長宗我部。

工藤は団子を頬張りながらその勇士を見守っていた。

 

「はぁっ!!」

 

力自慢の長宗我部は応戦されそうになった所で、上手く両手を組み合い力比べに持っていく。

少々苦しそうな表情の剣華。しかし力比べは五分といったところ。

 

両者ともに歯ぎしり。

メンチを切り合い、ずるずると足が下がる。

 

譲らず、譲れず。

もう暫し、どちらかが疲労するまでこの攻防は続くかに見えた。

 

しかし、剣華の視線が僅かに逸れる。

目の前の長宗我部から、遥か向こうの工藤へと。

 

長宗我部はそれを好機だと見て取った。

伯仲する攻防戦の中に生まれた一筋の勝機。

 

あらん限りの力でこの均衡を打ち破り、勝利を掴み取ろうと勝負を仕掛ける。

 

「ふんッ……!!」

 

低い声が筋肉の膨張と共に口から漏れ出る。

長宗我部最大出力。

 

剣華はそれを受け止めることはせず逆に力を抜いた。

 

重心すら前に置き力を込めていた長宗我部は、突然のそれに対応できず前につんのめった。

足はたたらを踏み、表情は「しまった」と苦渋に満ちる。

 

剣華の左拳がみぞおちにクリーンヒットした。

 

「がッ!!」

 

肺の空気は押し出され、呼吸ができない。

腹部の痛みに、知らず知らずの内に前傾姿勢となる。

止めは、延髄へのかかと落しだ。

 

敗者の顔が地面に埋まる。

 

勝者は荒い息を整えながら、校門前に居る工藤の元へ。

徐々に縮まる二人の距離。

 

剣華は足を動かし工藤は口を動かす。

スタスタ、もぐもぐと二人は睨みあい見つめ合いながら近づく。

 

その距離が五メートルも縮まったところで投げ放たれた串が、第二ラウンド開始のゴングとなった。

 

初手は剣華。

手刀に乗せられた気は剣気。

右手の動きと共に放たれた気は、目標を切り裂くまでは止まらない。

地面には深い斬撃が跡となって残る。

 

しかし、工藤はそれを易々と躱した。

左斜め前へ走り出す。彼のすぐ右、紙一重の距離を斬撃が通り過ぎる。

 

壁を越えた同士の戦いだ。

数メートルの距離など一瞬にも満たない。

 

顔がくっつくまで近づく二人。

即座に剣華は左手で工藤の身体を切り裂こうとする。

同じく工藤も拳で応戦する。

 

全てを切り裂く剣華の手刀は、しかし工藤の拳を切り裂けない。

数十の応酬を経て、彼の拳には傷一つない。

一体どれ程の量の気を拳に纏わせているのか。

 

見極めようにも、すでに剣華にその余裕はなかった。

手刀を繰り出すにつれ、気の総量が少なくなっている。

入ってくる量と排出する量が全く釣り合っていない。

この後に及んで、工藤は発する気をセーブしている。

 

このままでは後数分で枯渇してしまうだろう。

 

一番初めのあの暴風で身体の気を解放し過ぎた。

我慢して我慢して我慢してのあの解放だ。

確かに気持ちよくはあったが、後のことを考えるのならもう少し自重するべきだった。

 

無意識の舌打ち。

女の子には少々はしたない行為。

 

勝つために次の一手は……。

 

「……仕方ない」

 

剣華は手刀の乱打を止め、一時距離を取る。

工藤が追撃してくることはない。立ち止まっている。

 

出会ったころからそうだ。

彼は剣華が何かしようとすると、それを止めることはなく観察に徹してしまう。

ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべて、「何してくんのかなー」と余裕の態度で迎え撃つのだ。

 

それが剣華にはむかついて仕方がない。

剣華にとって、今行っているのは死合いだ。

もし死んでも決して文句は言えない。

殺すか殺されるか、命を奪い合う戦いだ。

 

だと言うのに、いつも工藤は圧倒的強者の立場で先手を譲ってくる。

挙句の果てには大技を出す溜めを見守る始末。

 

ふざけるな。

何が死合だ。こんなのはただの指導だ。

私はお前に指導されるほど弱くない。お前より強い。

証明しよう。だから、

 

「死ねぇっ!!!」

 

右手に溜めた気。

それは、特に五本の指に集められていた。

隙だらけに大振りされた右腕は突風を巻き起こし、腕の延長上にある物は全て獣に襲われたが如く引き裂かれる。

 

建物はもちろん、大木も地面も空気すらすべて切り裂く。

そう言う技だった。

 

「ジェノサイド・チェーンソー!!」

 

その技は、突如乱入した金髪の老人の足蹴り一つで相殺される。

技同士がぶつかり合って衝撃波が生み出された。

 

竜巻の様な衝撃波は剣華どころかその遥か後ろまで到達する。

 

剣華はハッとして校舎を振り返った。

今の衝撃波は校舎まで及んでいるはず。

見学に外に出てきたクラスメイトがたくさんいる。

余波とは言え、常人があれを受けたらただでは済まない。

 

そう心配してのことだった。

しかし、心配は無用だった。

 

学園長の川神鉄心。

川神院師範代のルー。

他にも名の知らない強者たちが人と校舎を守っていた。

 

見るに、一般生徒は全員無事だ。

 

ほっと息を吐き、その場に座り込む。

既に剣華に闘気はなく、それに伴い士気もない。

完全に正気に戻っていた。

 

「何を安堵している、赤子」

 

しかしホッとしたのもつかの間。

怒りに満ちた声音が剣華の耳に届いた。

 

ばっと前を見ると金髪の老人が憤怒の眼で剣華を睨みつけている。

剣華は慄いた。

 

目の前の老人は九鬼従者部隊の0番。ヒューム・ヘルシング。

いわゆる、世界最強の武人だった。

 

そんな人物が殺意すら籠っている眼で剣華を睨んでいるのだ。

校舎には九鬼の御曹司と御令嬢がいる。

それを傷つけそうになったのだ。その眼から、やってしまったことの大きさが窺い知れる。

 

正気じゃなかったなど言い訳にもなるまい。

 

『殺される』

 

迫る死から逃れようと身体は勝手に動く。

無意識に足は力を込め、この場を離れようとしていた。

それを理性の力で制御した。

 

ガチガチと音を立てる歯を噛みしめ、顔を伏せる。

 

どうせ逃げ切れるわけがないのだ。

今の剣華は気を使い果たし一般人も同然。

最強の手にかかれば、そんな人間は赤子の手を捻るより容易く捕まってしまう。

逃げても逃げなくても結果は変わらない。

 

逃げた所でどうせ殺されるなら、もう無様に足掻く真似はすまい。

 

死ぬのは怖いし、やり残したこともたくさんある。

けれど、危害を加えてしまったのは事実だ。

赤の他人に、全く関係ない部外者に。

 

それは償わなければなるまい。

償うため潔く命を差し出そう。

 

俯いたまま、ぎゅっと目を閉じる。

カタカタと身体が震えているのが自分でも分かった。

 

一歩、ヒュームは剣華に近づく。

剣華の身体はその音に敏感に跳ねた。

 

ヒュームは目を細めた。

じっと険しい目つきで剣華を見る。

 

――――怯えている。だが、逃げる意思はない。

 

ヒュームは、そんな少女をそれ以上責め立てることはしなかった。

代わりに、少年を責め立てた。

 

「小僧、分かっているのだろうな?」

 

「ん、なにが?」

 

「契約違反だ」

 

九鬼帝と交わした契約。

それに違反したとヒュームは主張した。

しかし工藤は反論する。

 

「いやいや、誰にも危害加えてないだろうが」

 

「加える寸前で俺が止めた。止めきれなかったがな」

 

壁を越えた人間があれだけ気を溜めた末に放った技だ。

いくら最強と呼ばれるヒュームでも、余波まで全て受けきるのは不可能だった。

仮に工藤が何らかの方法であれを受け止めても、やはり余波で周囲に危険が及んだだろう。

 

そうヒュームは結論付けている。

 

だが、工藤は納得しない。

お前が無理でも俺は止めれた。

傲岸不遜にもそう言い始めたのだ。

 

「お前があれを受け止めきれただと? ふんっ。冗談も大概にしろ。貴様では受け止めきれん」

 

「何を根拠に言いやがりますかねえ、このおっさん」

 

「……ならば、受け止めてみろ」

 

ジェノサイド・チェーンソー!!

 

再び放たれる奥義。

工藤はそれを受け止めなかった。

寸前で躱した。

 

「お前、馬鹿だろっ!! 衝撃波の話してんだぞっ!!」

 

「技一つ受け止めての衝撃波だ。まあ、これしきも受け止めれんようでは、やはり無理だったと言わざるを得んな」

 

「ああん?」と工藤はイラッとした。

 

殴るか、このおっさん。

 

久方ぶりの喧嘩である。

ヒュームは存在自体が喧嘩上等のようだし、別に構うまい。

 

工藤は拳を振り上げた。

 

「お止めなさい、二人とも」

 

だが、振り上げられた拳はすぐに下ろされる。

二人の側に、九鬼家従者部隊序列三番クラウディオ・ネエロがやってきていた。

彼は、いつまでも言い争いを止めず、挙句に拳を交わらせようとする子供二人に苦言を呈しに来たのだ。

 

工藤はクラウディオの言う事は大体聞くし、ヒュームもまた同じ。

やれやれと吐かれる嘆息は、彼らの扱いに長けていることを表していた。

 

「久しぶりクラウ爺」

 

「お久しぶりでございます、工藤様」

 

工藤は背筋がむずがゆくなった。

様を付けて呼ばれることには慣れていない。

 

何とかならないかなその呼び方。

何ともなりません。

 

そんな会話が交わされる横で、ヒュームは従者部隊の桐山鯉から報告を受ける。

 

「ヒューム卿。確認しましたところ、負傷者はゼロです」

 

「そうか」

 

「もちろん、クリスティアーネ・フリードリヒ様を始め攻撃を仕掛けた人物は例外ではありますが。

 しかし、それ以外の生徒にはかすり傷一つありません。もう一度言わせていただきますが、負傷者はゼロです」

 

「……しつこいぞ桐山。報告が終わったのならとっとと失せろ」

 

桐山鯉は一礼してその場を立ち去った。

ニコニコと裏のありそうな笑顔は桐山の専売特許であった。

 

「さて、工藤様。先ほどの戦闘の件ですが」

 

「うん」

 

クラウディオが世間話もそこそこに、本題に入る。

 

「正直に申しまして、私もヒュームと同意見です」

 

「ほう」

 

工藤は頭を捻る。首を捻って、身体も捻る。

その眼はクラウディオから空へと上った。

「どうしようかなぁ」と呟いた。

 

剣華を見る。

いつも青白い顔をしている彼女だが、今はそれに増して青い。

 

気分が悪いと言う事ではないだろう。

ヒュームが怖かったのだろう。

 

そういうことなら大丈夫そうだ。

少しぐらいなら耐えられそうだ。

 

「よし分かった」

 

工藤の言葉に、クラウディオは意外そうな顔をした。

諦めるのか。眼がそう言っていた。

そんなわけはない。

 

「武神ー!」

 

遠く、蚊帳の外に置かれていた一団。

その中で暇そうにしていた川神百代。

いきなりの呼び掛けに、彼女は少し戸惑う。

 

「川神波撃ってー!」

 

「は……?」

 

続く言葉に、余計に困惑する。

突拍子もない。さすがの武神も、通りすがりの知人に奥義をぶっ放す趣味は持ち合わせていなかった。

仮にそんなことをすれば間違いなく鉄心の逆鱗に触れるだろう。

頼まれようとやるわけにはいかない。

 

工藤は、そんなこと知った事じゃないとばかりにcomecomeと、「ここ、ここー」と手を大きく振り合図を出す。

いつでも来いやと態度が物語っていた。

 

「え、何言ってんの? 彼」

 

百代の横で燕がドン引きしている。

どうしたものかと、百代は舎弟の大和に助けを求めた。

大和は続く騒乱に頭が付いて行っておらず使い物にならなかった。

 

「モモ、やってやりなさい」

 

助け舟は意外なところから出た。

鉄心が許可を出したのだ。

 

「……いいのか? じじい」

 

「構わんよ。思いっきりぶちかましてやんなさい」

 

こんな所で本気で川神波を撃ったらどうなるか考えていないのだろうか。

 

それとも、そんな事関係なくなるほど怒ってるのかと百代は思った。

撃っても被害は近くにいるヒュームが抑えてくれるだろうし、さっきの戦闘から工藤は壁越え確実だから死にはしないだろう。

それを考えればお仕置きには丁度いいとも言える。

学園内で無茶苦茶やったお仕置きかなと。

 

鉄心は一見好々爺ではあるが、怒るときは怒る。

特にエロ関係で。

まあ、今の表情は柔和な笑みで別段怒っていないのは明白だが。

 

そんな感じで、普段あまり使わない頭を使って己の行動を正当化したところで、

 

「じゃあ遠慮なく」

 

武神は構える。

先ほどの戦闘を見てずっとウズウズしていたのだ。

何やら思惑が渦巻いていて、それに利用されている感じはしないでもないが、どうだっていい。

この欲求不満が解消されるなら。

 

狙いは工藤。

気付けばヒューム達から少し距離を取っていた。

さっきから地面にへたりこんでいる剣華が不安そうに百代を見ている。

 

ひゃー、あの子やっぱ可愛いなあ。

あとでお近づきになろうっと。

 

場違いにもそんなことを考えた。

 

右手に溜めた気が目に見えるエネルギーとなって淡く光りはじめる。

臨界点に達したところで、拳を突き出す様にぶっ放した。

 

その技は端的に言ってビームである。

オレンジに輝く一筋の極太ビームが工藤に迫る。

 

工藤は一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。

彼の身体から闘気が湧き上がる。陽炎の様に空気がゆらゆらと立ち昇る。

周囲の温度が数度上がった感覚にみまわれた。

 

工藤は左手を突き出す。

迫る奥義に、彼がやったのはそれだけだった。

川神波と彼の左手が衝突した。

 

せめぎ合い、鍔迫り合い、競い合う。

彼の者を打ち破らんとする気持ちは百代にはなかった。

撃ってと言われたから撃っている。

ただそれだけだ。

スロースターターである彼女は、いきなり全力は出せない。

今襲い来ている奥義も、全力とは程遠い。

 

それが彼にとっては好都合だった。

 

工藤は川神波を握りつぶす。

余波が生まれないように、手のひらの中で衝撃さえも封じ込めて徹底的に押しつぶした。

 

奥義による轟音が消え、耳が痛いほどの静寂の中、工藤は満面の笑みで問いかける。

 

「なにか、言いたいことはあるか?」

 

クラウディオは微笑み、ヒュームはつまらなそうに鼻を鳴らす。

立ち昇る煙はすぐに収まった。

 

 



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十五話

お姉さんの面目躍如


川神学園の生徒たちは茫然と目の前の光景を見ていた。

 

決闘から始まり、暴風、決闘、また決闘。

そして九鬼家のあの厳つい執事が乱入したと思ったら、何故か武神が少年に奥義を放つ。

奥義によって巻き起こった土煙が晴れたら、そこには無傷で立っている少年。

 

激動する騒乱。

何が起こっているのか、部外者が推測出来ようはずもない。

ただただ目の前の光景を、不思議と疑惑と茫然の眼で見ていた。

 

「無事かー、剣華ー?」

 

視線を一身に受ける渦中の少年は、地べたに座る少女に近寄りながら気楽に言った。

左手はポケットの中に入れ、右手は身振りに使っている。

 

手のひらを天に、肩をすぼめながら頭を傾ける。

 

――――ド偉いことになっちゃった。

 

そんな内心。

剣華は呆れつつ、問いかけには頷いた。

 

「ならよし。じゃあとっとと説明しとくか」

 

何が起きたか、なぜ起きたか。

その説明。考えると気が重くなる。

 

――――やらなきゃよかった……。

 

しかし、やってしまった以上やらないわけにはいかない。

 

剣華は立ち上がろうとする。

だが立ち上がれなかった。

 

瞬息の内、ヒュームが彼女のすぐ隣に立っていた。

剣華は先ほどの瞳を思い出し、身が縮こまった。

蛇に睨まれた蛙の様に、動きたくても動けなくなった。

 

「小僧、今回だけは大目に見てやろう。だが、次はないぞ」

 

言い切って、剣華には目もくれずヒュームはいなくなった。

現れたときと同じように、立つ瀬を濁さずいつの間にか姿は消える。

 

クラウディオがゆったりと後を継いだ。

 

「工藤様。ヒュームの言った通り、今回のようなことはこれっきりにしていただきたい。次は、こうはいきませんので」

 

分かりやすい警告。

それも九鬼家従者部隊の一桁ナンバーからのものとなれば、効果は一入だ。

 

「ああ、了解了解。次はちゃんと前もって言っておくよ」

 

だと言うのに、工藤は少しずれた回答をする。

それは『またやるぞ』と暗に言ってるようであった。

クラウディオはもう何も言わない。

その微笑みに威圧感が増していた。

警告から脅しへと。

 

工藤は笑って受け流す。

 

二人。

笑って、笑って、眼だけは笑っていなかった。

刺々しい空気が二人の間を満たす。

沈黙の笑い合いが数秒続いた。

 

二人の様子をうかがっていた剣華が、その空気を縫いぽつりとつぶやく。

 

「……腰が抜けた」

 

刺々しい空気が雲散する。

紳士たるクラウディオが、工藤が何か言う前に声を掛けた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……まあ、はい」

 

覇気はない。自信もない。信憑性がない。

 

立とうとして、でも立てなくて。

困ったように眉根を寄せて、剣華は工藤に助けを求めた。

 

「立てない。立たせてほしい」

 

左腕を工藤に伸ばす。

Tシャツの裾を掴んだ。

 

工藤は胡乱気にその手を見る。

表情は困惑しているようでもあった。

なんでこんなことをするのかわからないと言う風にじっと見る。

 

やがて、工藤は右手で剣華の左腕を掴んだ。

その動きに丁寧さは欠片もない。

乱暴に、粗雑に立たせようとする。

 

剣華は導かれて、難なく立ち上がった。

 

「ありがとう」

 

一言礼を言って、校舎前に固まっている一段の元へと歩き始める。

 

その背を追う工藤に、クラウディオは苦言を呈した。

 

「レディは、丁重に扱うべきです」

 

「嘘吐くような奴にも?」

 

「貴方を心配してのことでしょう」

 

工藤は肩をすくめた。

心配される謂れはない。

 

 

 

 

 

校舎前では待ちくたびれた様子の生徒がたくさんいた。

燕は工藤たちを観察し、義経はハラハラと慌てふためき、弁慶与一は警戒する。

武神は、何故か浮き浮きしていた。

 

「さて、説明してもらえるじゃろうな?」

 

代表して鉄心が尋ねる。

その言葉は、教師と生徒とで齟齬を生じさせるものであった。

 

生徒たちは一から説明してほしいと思っている。

しかし鉄心は、なぜこのような事態を引き起こしたのかを問うている。

 

鉄心は剣華の体質のことを既に知っている。

教師たちにも通知は済んでいる。

 

編入手続きの際、工藤が大丈夫だと太鼓判を押した。他人に危害は加えないと。

ならばと鉄心も転入を許可し、協力を約束した。

 

剣華が川神にいる間の処置については、三人の間で話しが付いていた。

放課後にでも百代に話をするつもりだった。

一先ず、間違っても転入初日に発作を起こさぬようにしておく手はずだった。

 

にもかかわらず、このようなことが起きた。

しかも、鎮圧したのは偶々川神市にいた工藤自身だ。

 

"偶々"であるなど騙されるはずはない。

故意に起こしたと考えるのが普通だ。では、なぜなのか。

 

剣華は生来からの不器用さと口数の少なさとで、簡潔に答えた。

 

「認知と証明のため」

 

鉄心は眼を眇める。

無言で続きを促した。

 

「わたしの体質は、場合によっては危険極まりない物。そんな物を隠して転入するのはフェアじゃないと思った。新しいクラスの人たちにも、選択する権利がある」

 

認知とはすなわち、真の自分を知ってもらうこと。

 

「今日の暴走は、考えられる限りで最悪なものだった。溜めに溜めた気が一息に漏れ出た。

 完全に正気を失っていた。あれ以上は、ありえない。あれを見たうえで、判断してほしい」

 

――――わたしを歓迎するかどうか。

 

その場にいる人間は、全員険しい表情をした。

最悪の最悪、『あれ』を定期的にぶちかまされる。

命が危険に脅かされることが多々ある。

 

それをを許容できる人間はそうそういない。

 

重苦しい空気の中、燕が口を開く。

 

「ふぅん……。大体の事情は分かったよん。それじゃあ、もう一つの方。何を証明したかったの?」

 

「わたしがあの状態でも人に危害を加えることがないことを」

 

一同の視線が剣華に吹っ飛ばされた川神一子に向く。

彼女はすでにダメージから回復し、百代たちに混ざって話を聞いていた。

 

不憫そうに話を聞いていた一子は予期せず大勢の人間に見られ、照れる。

 

「彼女は無し。攻撃してきたから」

 

正当防衛と言うやつか。

一同は納得する。じゃあ長宗我部もなしだろう。

 

じゃあ……あれ? でもそれじゃあ……。

 

その場の全員が工藤を見た。

彼は長宗我部を地面から引っこ抜き、「水だ、飲めー!」と飲料水を振りかけていた。

 

「…………あいつも、除外」

 

剣華の眼が泳いでいる。

痛いところを突かれたようだ。

 

それを最も早く敏感に察知したのは鉄心。

きらりと眼が光る。

 

「除外と言うてものう……。はてさて……」

 

鉄心は鬚を触りながら難しそうに呟いた。

チラリと見えるその双眸には、悪戯心が浮かんでいた。

 

それに、話すまでは許さぬと言う好奇心故の固い決心が感じられて、剣華は観念する他なかった。

どの道、他の生徒たちも理由を告げられずに除外と言うだけでは納得できるはずもない。

 

「あいつには……その、調教されて……」

 

言ってみて、余りの羞恥に両頬を染め俯く剣華。

思春期の子供にとって、『調教』の単語が放つ卑猥さは耐え難いものがある。

 

同様の理由で、周囲の男どもは何やら感じるところがあったのか。

カメラで激写し、あるいは息を荒げる。

反対に、女衆は工藤に厳しい目を向けていた。

 

どこぞの一級ブリーダーだけが居心地悪そうに身を揺すった。

 

「具体的には!? どんなプレイを!?」

 

カメラを持った変態が声高らかに尋ねる。

その益体のない姿勢は、女子に「デリカシーがない」と嫌われるのには十分で。

しかし彼の勇士に惹起され、他の変態共も声を上げ始めた。

 

薄気味悪い視線を浴びて、剣華は身を縮こませながら言葉を紡いだ。

 

「…………何回も何回も、負かされて――――」

 

何に負けたんですか?

男どもは声もなく一心に思った。

 

「それで、いつの間にか身体に覚えさせられてて――――」

 

何を覚えさせられたんですか!?

もはや対面もなく身を乗り出す変態ども。

 

「正気を失くしたとき、思うの――――」

 

「なんて思うんですかぁ!?」

 

「――――殺したいって」

 

最後だけ、嫌でも印象に残るほどの低音だった。

眼も据わっていて、本気の殺意が籠っていると素人でも分かってしまう。

 

そのおかげで、身を乗り出していた大半の男どもは沈静化した。

数人の上級者だけ「ヤンデレ……、はあ、はぁ……」と手の施しようがなくなった。

 

軽蔑の視線と同情の視線が辺りを満たしたころ、ようやく渦中の人物がここまでやってくる。

 

「風評被害も甚だしいな」

 

そんな文句をぶら下げながら、工藤は剣華を取り巻く集団の中を割って入る。

女子からの軽蔑と、男子からの嫉妬の視線は、中々に攻撃的であった。

 

「まあ、お前らの考えてることは一片たりともやってないから安心しろよ」

 

「……ほんとにヤッてないのか?」

 

「ないんですよ、武神さん。おれも、あいつも、まだ、初物。生娘、生息子」

 

「ほーう?」と川神百代が真偽を伺う横で、松永燕がオホホと口を隠しながら笑っていた。

アイドルなんてやってる身の上で、そういう話題にはあまり入りたくないのか、少し心理的な距離を取っているように思えた。

 

工藤は、鬱陶しい周囲にそれ以上構うことなく、話しを進めることにした。

 

「んじゃ、こいつの危険性は分かったかな? 2F諸君」

 

2-Fの生徒たちは、工藤の言葉に現実を思い出す。

 

「さっきのお遊びを見て、剣華の危険性については十分に分かってもらえたと思う。そのうえで、どう思うだろうか。仲良くできるか、出来ないか。素直な気持ちを聞きたいなあ」

 

工藤の言葉に、ひそひそと声がし始めた。

「さっきの……」「仲良く」「できるかな?」「ええぇ、無理じゃないかなあ」

 

漏れ聞こえる声を聞くに、仲良くできると思っているのは少数派のようだ。

やはりさっきの決闘はまずかった。

 

壁越えと言う圧倒的な暴力を持つ人間が、力を持たない自分たちに、それを向けてくるかもしれない。

その恐怖は、どれだけ「安全だ」と説かれようと消えてしまう類のものではない。

川神百代と言う一つの非日常を日常的に見てきたからこそ、生徒たちの警戒心は一層強い。

 

「わ、わたしは――――!」

 

ひそひそと好き勝手に言うだけだった生徒たちの中で、一人声を高らかに上げた人物がいた。

工藤は、その人物を見て率直に言った。

 

「おや、かわいい」

 

「か、かわいいってお姉さんのことですか!?」

 

名を甘粕真与。

2-F委員長にしてマスコット的存在の、ちょっと背伸びをするお年頃の少女である。

 

「はっはっはっは」

 

「なんで頭撫でるんですか!?」

 

工藤は真与の頭を撫でる。

背の低い彼女の頭は、工藤にとってちょうどいい高さでそこにあった。

しかも、彼女の「子ども扱いしないでください! 私は皆のお姉さんなんですよ!」と言う主張は、工藤の琴線にクリティカルにヒットして、子供可愛がりしたくなる要因を水増ししていた。

 

工藤は子供が大好きなのである。

 

「それで、何かな。あ、飴とか食べる? ちょっと買ってくるけど――――」

 

「だから子ども扱いしないで下さいよ、もう!」

 

ぷんすか怒る真与は子供らしくてかわいい。

2-Fどころか、学園全体の総意である。

 

「そうじゃなくて、剣華ちゃんのことです!」

 

「ああ、そうだったそうだった。――――それで?」

 

工藤が真面目な表情に戻った。

ほんわかとした空気は雲散し、みな表情を引き締める。

工藤の手がうずうずと動いているのを剣華は見ていた。

 

「わたしは、剣華ちゃんと仲良くしたいと思ってます」

 

「へえ」

 

決して大きく言ったわけではないその言葉は、しんっと静まり返った周囲の空気を大きく震わせた。

工藤は面白そうな表情で理由を問う。

 

「さっきの見てたよね。あれ見てもそう思えるんだ?」

 

「見てました。だからこそ言えるんです。私は剣華ちゃんと仲良くしたいです!」

 

真与は剣華の眼を真正面から見据えて続ける。

 

「剣華ちゃんは、とっても不器用さんなんだと思います。本当はみんなと仲良くしたいのに、自分の体質のことで仲良くできない。傷つけてしまうかもしれない。だから、一番最初に自分の悪いところをうんっと見せつけて遠ざけるんです」

 

剣華は、真与のその眼に神聖な穢れの知らない純粋な部分を見て目を逸らす。

そうして俯いてしまった剣華に構わず、真与は言い募った。

 

「確かに、剣華ちゃんは一見して危ないように見えるかもしれません。

 さっきの決闘を見れば余計にそう思うでしょう。

 でも、私はこうしてピンピンしてます。攻撃したワン子ちゃんも、あちらの長宗我部さんもピンピンしてます。

 それが何よりの保障です! 剣華ちゃんは、私たちを攻撃したりしません!」

 

俯く剣華の顔は、耳まで赤い。

こうまで純粋且つ全幅の信頼を寄せられたのは、彼女のこれまでの人生を振り返ってもほとんどなかった。

だから、気恥ずかしさで顔を上げられない。

 

今、剣華が真与の顔を直視すればとても面白いことになりそうだと工藤はにやにや笑う。

 

「みなさんも、剣華ちゃんを信じてあげましょう!

 新しいクラスメイトを外側だけ見て仲良くしないだなんて、お姉さんは悲しいです!

 接して、関わって、それで判断するのはどうでしょうか。クラスメイトとして彼女の事を知ってからでも、決めるのは遅くないはずです!」

 

肩で息をする真与は、言いたいことは言い切ったと深く息を吸い込んで吐き出す。

それを聞いていたF組生たちは、しばらく何も言わずに真与を見つめていた。

 

どうするか、どうしたいか。

 

彼ら彼女らの頭の中は、回転に次ぐ回転で答えを導き出している。

いち早く答えを出したのは、真与の親友である小笠原千花だった。

 

「まったく、真与は……」

 

小さく呟かれた言葉。

その端に乗っているのは、しょうがないなあと言う諦めである。

 

「いいよ。あたしも乗ってあげる。一先ず答えは出さないで、普通に接することにしてあげる」

 

「千花ちゃん……!」

 

「まあ、よくよく考えれば真与の言う通り、橘さんあたしたちには何もしてないしね」

 

真与の満面の喜色に、千花は頬をかきながら言った。

 

――――何もしていないって言うけど、未遂に終わっただけできっちりやってたぞー。

 

空気を読む工藤その他は、それを胸の内に飲み込む。

 

そうして両人が友情を育むのを余所に、その二人を見ていた他の面々も肯定の意を見せ始めていた。

 

「まあ別の意味で危ない武神みたいな人もいるし」

 

「んー? 誰かな今言ったのは。川神バスター炸裂しちゃうぞ?」

 

そんな感じで、渋々ではあるが「まあ普通に接するのも吝かではない」と言う空気が多数派となったところで、この話の終結は決定した。

 

「しゃーねえ。仲良くするか。…………まあ可愛いしな」

 

「鼻の下伸ばしながら言っても、全然仕方なさそうに聞こえないよ」

 

「俺は最初っから仲良くしようと思ってたぜ。だって可愛いもん」

 

「ヨンパチは懲りねえなあ。――俺も良いぜ。面白そうだしな!」

 

次々に出る賛成意見に、反対意見を持つ人間は口を挟めなくなる。

仮にここでそれを言おうものなら、「空気読めよ」と同調圧力を一身に受けることになるだろう。

そんなもの意に介さない人間というのも勿論いるが、不幸なことにそう言った人たちは皆賛成側か、もしくは蚊帳の外に居る。

 

残念ながら、今この場で異論を挟める人間はこの場にはいなかった。

 

「話はまとまったようじゃな」

 

主要な人間が賛成を告げ、少し待ってそれ以外の人たちが何も言わないのを確認して、鉄心が割って入る。

 

「ふむ。わしの方からもみなによろしく頼む。面接してみた限り、どうにもこの子は寂しがりやなようじゃ。

 クラスメイト同士、仲良くしてくれると嬉しいのう」

 

「任された!」と部外者の百代が今日一番の大声で宣言する。

それに一子を始め風間ファミリーたちがツッコミんで和やかな空気になった。

 

一しきりその空気を堪能したところで、鉄心が述べる。

 

「なら、みな一先ずクラスに戻りなさい。ホームルームはとうに終わっておる。

 学生の本分は勉強じゃ。しっかり励みなさい。

 ――――そこの二人はこれからお説教じゃ。断りなく好き勝手やってくれたからのう」

 

「ビシビシ絞るヨ」

 

鉄心に言われ、生徒たちが校舎に戻ろうと踵を返し始める。

何人かは剣華に「あとでね」と声もかけている。

その言葉を受けながら、けれど剣華は全員を呼び止めた。

 

「待って」

 

集まる注目。

剣華は緊張で唾をのみ、胸の前で手を組み合わせた。

 

「えっと……。気に入らない人も、仲良くしたくないって人もいると思うけど、その……あの……」

 

ほとんど衝動で呼び止めてしまったがゆえ、出る言葉は纏まっておらず要領を得ない。

何が言いたいのかと幾人かが首を傾げた。

 

見かねて工藤が肘で剣華を突っつく。

 

――――そういう時はシンプルに言えば良い。

 

そのアドバイスに、こくりと頷いた剣華は皆に向き直って頭を下げた

 

「――よろしく、お願いします」

 

こうして、橘剣華怒涛の自己紹介は幕を下げた。




忘れていたわけではありませんが、クリスさんはマルさんに抱きかかえられて保健室に直行しています。
次話あたり、いつもの調子で出てくるかと思います。



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十六話

一時限目もすでに半ば。

剣華は説教を受け終えて廊下を歩いていた。

 

鉄心とルーに嫌と言う程絞られた後、共犯者の工藤は長宗我部と一緒にどこかへ消えてしまった。

市場調査が云々と言っていたので、共に四国の素晴らしさを喧伝しに行ったのだと思われる。

そんな二人に、遅まきながら「学校はどうしたのだろう」と疑問を抱きながら、剣華はクラスへと戻ろうとした。

 

来たばかりのせいで少々道を迷いながらうろうろと彷徨う。

大きく遠回りした末。

階段を上っている最中、階下から「見つけた!」と声を掛けられた。

そこには先ほど決闘で負かしたクリスが横にマルギッテを伴って立っていた。

剣華は彼女の顔を見て、衝動的に謝罪を口にした。

 

「ごめんなさい」

 

「うん? なぜ謝る?」

 

「なぜって――――」

 

――――負かしたから。

 

出そうになった言葉を飲み込む。

 

武を嗜む人間にそんなことを言ったら、間違いなく怒るであろうことは容易に想像できた。

武人には誇りと言うものがあるのだから、ルールにのっとった決闘での勝ち負けにしのごの言ってはいけない。

あろうことか、勝ってしまってごめんなさいとは決して口にしてはいけないことである。

 

誇りを傷つけると言う話ではない。

先に行った決闘と、真剣に戦った当事者を侮辱する言葉である。

だからその言葉は間違っていると、衝動を抑え込んで口を閉ざす。

 

とは言っても、剣華自身は謝罪しなければならないことをしたと思っている。

となると違う理由が必要なのだが、それが中々思いつかない。

考える間にもクリスは疑問符を浮かべた顔で剣華の言葉を待っている。

 

剣華は何と言ってよいか決めかねて、むにむにと唇を動かした。

見かねたマルギッテがクリスに説明する。

 

「お嬢様。橘剣華はお嬢様を気絶させた後、気を暴走させ正気を失いました。

 おそらく、その際にお嬢様を危険にさらしたことを謝罪しているのかと」

 

「暴走?」

 

驚くほど正確に剣華の内心を捉えた説明だった。

さすがは現役のドイツ軍人である。状況把握はお手の物だ。

剣華は素直に感服した。

 

「外気を溜め込んで、貯蔵量が限界をオーバーしたら気の放出を兼て暴れる。そういう体質なの」

 

「危険極まりないな。なぜそんな人間が学園に通えるのか、鉄心殿は何を考えているんだ」

 

「交渉は工藤がやってくれた」

 

その名前にマルギッテは不快感を露わにした。

意外に顔の広いあいつのことだから、またくだらない因縁でもあるのかと剣華は思った。

 

「よくわからないが、大変なんだな。自分に出来ることは何でも言ってくれ。力になるぞ」

 

「ありがとう」

 

クリスの笑顔が至極眩しい。

暴走した剣華の姿を直に見ていないからこその笑顔だと思うと悲しくなる。

 

「それはそうと、次は負けないぞ。もう二度も敗れてしまったからな。次は絶対に負けない」

 

瞳に炎を宿しながらクリスは言う。

二度も負けて、その内一度は完膚なきまでに圧倒されたと言うのに挫けないその心。

これもまた感服に値する物だった。

 

天神館に居た頃は石田が似た思いを抱いて工藤に挑戦していたことを思い出す。

最近ではそのくじけない心も半ばやけくそにうつり変わっていた。

やはり、こういう純な思いは見ていて気持ちの良い物だと再確認した。

 

「また負かしてあげる」

 

「望むところだ」

 

二人、好戦的に笑いながら、あるいは無表情に睨みあう。

好敵手の出現と敗北による向上心の増加。

 

人として、武人として、それは代えがたい財産である。

 

「でも今は気を出し切って弱くなってるから、簡単に負けちゃうかも」

 

「なに、そうなのか?」

 

頷く剣華にクリスはむむむと唸った。

彼女にしてみればすぐにでも再選を申し込みたいところだったのだが、弱ってると聞いては躊躇してしまう。

万全の相手に正面から正々堂々と挑むのが騎士たる彼女の矜持である。

弱っている相手に勝っても嬉しくもなんともないのだ。

 

「……仕方がない。まあどの道今挑んでも二の舞になるだけだしな」

 

鍛える時間が出来たと考えればそう悪いことでもないだろう。

そう納得することにした。

 

「お嬢様。時間の方が……」

 

「あ、そうだな。早くクラスに戻らないと」

 

言って、先を行くクリス。

マルギッテも追従しようとして、一人立ったままの剣華を振り返った。

 

「何をしている橘剣華。お前も早く歩きなさい」

 

「道が分からない」

 

「なら付いてくればいいだろう。お前とお嬢様はクラスも同じなのだから」

 

前を向き歩き始めるマルギッテ。

剣華は少し早足で二人の後を追った。

 

 

そのまま、剣華は二人に先導されてF組に戻った。

マルギッテはクラス前で分かれた。

別れ際、「また暴走しそうになったら気を放出して知らせなさい」と念を押しS組に戻って行く。

その時の獰猛そうな顔を見る限り、彼女も内心では剣華と戦いたいのだと推察できた。

 

「むう……」

 

「どうしたんだ?」

 

「入りづらい」

 

ドアガラスから中を除く剣華は、教卓で鬚の教師が何か話しているのを見つつ、どう入ったものかと思案する。

何人かは剣華の存在に気づき、チラチラとドアの方へ視線を向けている。

 

クリスが何をしているんだと剣華を押しのけて扉を開けた。

クラス中の注目が二人に集中する。

 

「おお。来たか」

 

「はい。クリスティアーネ・フリードリヒ、ただ今戻りました」

 

「取りあえずそれぞれ席に着け。橘の席はそこ。今おじさんがありがたい話してるところだから、質問やらなんやらは授業が終わってからにしてくれ」

 

「ええ? せっかく新しい仲間が戻って来たんだから、少しでも早く話したいじゃん」

 

「気持ちはわからなくないけどな。今は授業中。俺は教師。好き勝手に喋れとは言えない立場なのよね」

 

「ぶーぶー。鬚先生のケチー」

 

「ケチで結構。お前らも大人になれば分かるよ。社会人としての心構えとかな」

 

「知りたくねー。そんなの知るなら男の身体撮ってる方が万倍マシだぜ」

 

剣華は席に着く。

廊下側最後列。斜め後ろには掃除用具入れがあり、他の席に比べて聊か狭い場所である。

すぐ左横はクリスの席だった。

 

凛とした表情で黒板を見る彼女。その横顔を見るに、おそらく勉学にも精通しているのだろう。

自分も頑張らねばと内心で喝を入れた。

 

「さ、て。何の話してたかな……。ああ、そうだ選挙の話ね」

 

若者に限らず、選挙に行く人が少なくなっている。

選挙なんて無駄だと自分一人意思表示した所で無駄だと決めつけている人間が多数いる。

しかし、選挙に行かないと言う事は政治にかかわることを放棄したと言う意思表示に――――。

 

 

――――――――。

 

――――。

 

 

 

「――――――剣華ちゃん。剣華ちゃん!」

 

「……………………え、なに」

 

「なにじゃなくて。もう、寝てたんですか? ちゃんと授業聞かないとダメですよぉ!」

 

揺さぶられ、少々きつい声で叱責されて、剣華は急速に覚醒していく。

教室を見わたすと既に授業は終わっていて、今は次の授業のための準備時間である。

 

たかだか5分程度のその時間に、剣華の周りには生徒が大勢集まっていた。

前列に居る女の子たちはやれやれと言いたげに苦笑を浮かべている。

 

後方にいる男の子たちはカメラを持った男子を中心に興奮しているようであった。

はてなと剣華はそれに首を傾げる。

 

「次の授業は小島先生の授業だから、寝たら鞭でぶたれるよ。あたしらももう席に戻らないと」

 

小笠原千花の言葉を皮切りに集まっていた者たちは席に戻っていく。

「ぜっっったいに寝ないでくださいね!」と真与は強く念を押していった。

話したいことがあったのだろう。真与を始め残念そうにしている表情が目についた。

 

その顔ぶれに少々罪悪感を覚えながら、剣華は「鞭……」と呟いて隣のクリスを見やった。

 

そこには変わらずきりっとした表情のクリスが居たが、その目尻には微かに涙が浮かんでいる。

その斜め前の席に居る川神一子などは堂々と机を枕にして眠っていた。

他にもゲームをしている者、早すぎる食事をとっている者、下卑た笑顔を浮かべている男子たち。

たくさんいた。

 

「ぶたれるの……?」

 

呟いた言葉に、欠伸をしていたクリスは答えることが出来なかった。

 

 

 

 

結局、剣華は叩かれることはなかった。

コクリコクリと舟をこいで叱責される程度で済んだ。

 

本当に鞭でビシバシやられていた生徒もいたから、やらかす程度の問題なのだろうと思われた。

 

終わり際、小島は剣華の成績について振れ、「もし付いて来れそうになかったら直江に頼れ」と言い残していった。

 

「直江……」と教室を見わたすと、うわっと言いたげな男子生徒を一人見つけた。

どう見ても、あれが『直江』で間違いない。

 

担任直々の指名である。それ相応の能力は有しているはずだ。

親しい人間の一人もいないこの状況では、そう言う人には是が非にでも力を借りたいと、剣華は授業が終わってすぐ直江大和の元へ向かった。

 

「直江……?」

 

「あ、ああ。そうだけど……」

 

わき目もふらず真っ直ぐに自分の所に来た剣華に、直江大和はたじろいだ。

男子からは「またあいつか……!!」と怨嗟の念が向けられていた。

そして、とある女子に至っては警戒どころか刺し殺しかねない眼をしていた。

 

あれほどの警戒心は、いまだかつて見たことがない。

何を警戒しているのか。若干キャラが被っている所だろうかと大和は恐れしらずに考えた。

 

「わたしは勉強ができない。苦手」

 

「うん。それは授業態度を見てたら予想がつくよ」

 

「だから今のうちに言っておきたい。わたしに勉強を教えて欲しい」

 

ずいっと無表情ながら鬼気迫る雰囲気で大和にお願いする剣華。

そのなりふり構わぬ態度に少しばかり嫌な予感を覚える大和。

 

まさかと思うが、この転校生本当に勉強ができないんじゃないだろうか。

それこそワン子ばりに。

 

そう思ってしまうほど剣華の行動は切羽詰ったものだった。

大和はごくりと唾を飲み込む。

 

「先生にもああ言われたし、教えて欲しいって言うなら教えるけど――――」

 

「本当に?」

 

剣華は後ろ手に持っていた英語の教科書を前に出す。

口元を教科書で隠しながら、じっと期待の眼で見つめてきた。

 

――――え、今から?

 

大和は慌てる。

 

「今教えてる時間はないよ。中休みは5分しかないんだ」

 

「知ってる。でも、都合の良い時間でいいから教えて欲しい。お願いします」

 

ぺこりと頭を下げた剣華。 

つむじが座っている自分と同じぐらいの高さにある。

 

大和は頭を掻きながら答えた。

 

「今日の休み時間はどうかな? 丁度俺も暇だし」

 

「大丈夫。ありがとう」

 

丁度その時、次の授業担当の先生が教室に入ってきた。

剣華は早足で自分の席に戻る。

 

気のせいか大和にはその歩き方が少々弾んでいるように見える。

もしかしなくても、交流戦で持った印象とはだいぶ違う人物なのではないだろうか。

だとするなら翔一(キャップ)の言っていた面白そうと言う意味も分からなくはない。

 

とりあえず、後で大友さんに橘剣華について色々聞いておこうと心に決めた直江大和だった。

 

 

 

 

 

待ちに待った昼休み。

直江大和は集団の中心にいた。そこには本日の主役の橘剣華もいる。

 

剣華と話をしようとして集まった一団だが、昼休みも半ばが過ぎ、話が一段落したとたん剣華は大和の席の近くに移動していた。

約束の勉学の時間である。

 

周りにいたクラスメイトたちも面白そうだと剣華の後をついてきた。

結果、中心に大和と剣華を置き周囲をぐるりと取り囲む様に人が立つ形が出来た。

その一端を構成していた千花が尋ねる。

 

「橘さんってどれくらい勉強できるの?」

 

「出来ない」

 

剣華は即答した。

周囲は己の耳を疑い、大和は顔を引きつらせて先ほど届いたメールを思い出した。

つい数分前に大友から届いたメールには『橘は運動は出来るが勉強はからっきしだ』と書かれており、どうやら本当のことのようだと大和は嘆息する。

 

「え、橘さん勉強できないの? マジ!?」

 

「できない」

 

「うっそお! 全然見えない!」

 

小笠原千花が意外な共通点を発見し親近感を覚える。

近くで携帯を弄っていた羽黒黒子も過敏に反応した。

 

「なんか転入生がバカだって聞こえたんだけどー?」

 

「さすがにアンタと同程度のはずないでしょ。あっち行ってなさいよ」

 

「はんっ。勉強できないを自称する奴に限って実は頭良かったりする系。橘もテストで60点とか余裕っしょ?」

 

「とれない。とったことない」

 

「……マジで?」

 

言いながらも剣華は無表情に無抑揚に正面を見据えている。

果たしてこれが彼女なりの冗句か、はたまた真実か、判断に困る態度だ。

 

そんな感じで千花と黒子が判断に困っている空気を察して、剣華は言い添えた。

 

「わたしは十勇士じゃない。十勇士は文武両道じゃないとなれない。勉強できないからわたしはなれない」

 

一応納得できる説明だった。

たしかに交流戦での活躍を見るなら、剣華は十勇士と比べても遜色ないどころか一線を画しているように思える。

そんな剣華が十勇士じゃない理由が上記のそれなら理解は容易い。

 

問題は、どの程度のバカなのかだ。

 

「でも、転入試験は受けてるよね」

 

「受けてる。受かった。だからここにいる」

 

「じゃあそれなりには勉強できるわけだ」

 

まさかワン子レベルはないだろうと希望を託して同意を求めた。

剣華はわずかに視線を左に逸らして儚げに同意する。

 

「それ、なり……には……」

 

「ちょっと待って橘さん。今簡単なテスト問題作るから、それ解いてもらっていい?」

 

大和は大急ぎでノートに問題を書き込む。

冗談じゃない。これ以上問題児を増やして堪るかと凄みを感じさせる勢いだった。

 

約十五分後。

問題を解いた剣華は少々前かがみに俯いていた。

頭を抱える大和をチラチラと見る様は、無表情だが申し訳なさが醸されていた。

 

この様子から察することはいくらでも出来ようが、つまり結果は――――。

 

「ワン子と同レベル……」

 

そう言う事である。

周りに居た人たちもこの結果には顔を引きつらせていた。

そして一人また一人と大和に声援を送って去って行く。

 

唯一の良心は、大正義委員長こと甘粕真与だけである。

 

「がんばりましょうね、直江ちゃん!!」

 

自分も手伝うと、両手を握りしめ鼻息荒く意気込む委員長は確かに可愛い。

現実逃避にそんなことを考える大和であった。

 

 

 

 

剣華の勉強方法はまた後日考えることになって放課後。

昼休みに何故かやってこなかった百代が、放課後になってやってきた。

 

彼女は剣華を見るなり顔と声を決めて「お嬢さん、この後暇?」とナンパをし出す。

それは大和にとって親の顔より見た光景であり、大方以上に予想通りの行動だった。

それに対する剣華の対応も大体予想通りであった。

 

「暇じゃない。用事がある」

 

「じゃあ明日はどう? 明後日は? お姉さん楽しませちゃうよ」

 

出来の悪いホストの様である。

大和は呆れ半分に見守ることにした。

 

「…………今日、用事が終わった後なら」

 

「よっしゃ!」

 

渾身のガッツポーズ。

何故か喜び表現に大和の首に腕を回された。頬に当たる胸が何とも心地よい感触だ。

 

「じゃあこの後な! ……ところで用事って何?」

 

「工藤と会う」

 

ピタッと百代の動きが止まった。

それを怪訝に思い、大和は百代の表情を伺うように横目で見る。

 

その表情を見た瞬間、大和は目をそむけてしまった。

そこにあったのは、大和が今まで見たことのない捕食者の眼であった。

 

ギラギラと輝く光は、どこも映してはいない。

ただただ鋭利な瞳はここにはいない誰かに注がれていた。

 

その光を知ってか知らずか、剣華は問い尋ねる。

 

「……あなたも、行く?」

 

「いく」

 

言葉少なめに答える百代。

彼女からは隠しようのない高揚感が湧き出ていた。

 

散々焦らされたご馳走にようやく食らいつけるとでも言いたげな、そんな表情。

未だに解けない拘束をして、巻き込まれは確実なのだと、大和は本日何度目か分からない溜息を吐いた。




数か月後、テストを目前に学園寮を訪れる剣華。
そこには一子と共に大和と京(時々工藤)の勉強会に励む姿が――――!!


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十七話

剣華が向かった先は屋上だった。

川神学園の屋上は、一般の学校とは違い立ち入りを制限されていない。

そのため教師生徒の区別なくだれでも自由に出入りすることが出来た。

昼ご飯を屋上のベンチでとったり、黄昏たくなった時には夕陽を見ながらおかしなことを口走ったり。

大和自身も天気のいい日なんかは貯水タンクの上で昼寝に洒落込むこともある。

それぐらいフリーな屋上だった。

 

剣華が開いた扉の先は夕日に照らされていい感じの雰囲気の屋上。

与一がいたら魑魅魍魎がどうの言うだろう景色の中、工藤はいた。

 

彼はベンチに腰掛けて、黒髪ロングの生徒と何やら会話している様子だった。

 

「あの人相変わらず試練試練とやかましいの?」

 

「やかましくしているつもりはないけれど、理解され難いのは確かね。でもそれもみんな人のためにやってることなの。お父様は人が大好きだから」

 

「一言目に試練で二言目には君のため。胡散臭い宗教家みたいだなあ」

 

工藤の言い草に少女はにっこりと微笑む。

尊敬する父を悪し様に言われたので、表情と裏腹に結構怒っている。

ああいうのが一番怖いんだと百代は「おおぉ……」と怯む。

その情けない声で少女は三人に気づいた。

 

「あら、百代?」

 

「やあ、アキちゃん」

 

彼女の名前は最上旭。3-S所属で評議会議長と言う肩書を持っている。

 

百代と旭は学年が同じなので付き合いがあった。

入学して早々美人センサーと言う名の直感に従って百代がナンパしたのだ。

今ではいい友人である。

 

「それに直江大和と……ああ、噂の橘剣華ね」

 

「こんにちは最上先輩」

 

評議会議長ともあろう者と大和が知り合いでないはずがない。

大和は礼儀正しく挨拶し、剣華は軽く頭を下げた。

 

先ほどと違う意味でにっこりほほ笑む旭。

その視線は剣華に向けられている。

 

「朝の騒動は見ていたわ。学園長から話も聞いた。随分難儀な体質の様ね」

 

「…………まあ」

 

剣華は横目に細目で視線を合わせようとしない。

朝のことをぶり返されて体面が悪いのと、何となく最上旭と言う人間は剣華にとって苦手なタイプの様な気がした。

それをどう勘違いしたのか、旭は続ける。

 

「ふふっ。安心していいわ。あなたのことを処罰しようとは思ってないから」

 

「……え、処罰できるの?」

 

「ええ。評議会は強い権力を持ってるのよ。その議長ともなれば、生徒一人の問題行動を罰することはわけないわ」

 

「知らなかったの?」と小首をかしげる旭。

剣華の顔色がサーと青くなり、工藤をえらい勢いで睨みつけた。

工藤は「俺も今知った」と弁明。そんなの関係あるかと剣華の怒りは治まらない。

宥めるように旭が言った。

 

「大丈夫よ。あなたに罰を与えたりしないわ。だって、与えるとしたら実行犯より主犯でしょう?」

 

意味ありげな流し目は、「あ、鳥だー」と空を仰ぐ工藤に向けられる。

何となく状況を悟った剣華は胸をなでおろす。

頑張れと言う意味を込めて工藤の肩を二度叩いた。

 

「あの……最上先輩」

 

「何かしら?」

 

「工藤先輩と知り合いだったんですか?」

 

会話が一段落したとこで、大和が知りたかったことを尋ねる。

もし工藤と旭が知り合いだったら、工藤の交遊関係は予想以上に広いことになる。

仲良くしておいて損はないと思ったのだ。

 

そんな大和の打算は露ほども知らず、旭は「いいえ」と素直に答えた。

 

「彼と会うのは今日が初めてよ。父が彼の事を知っていて、よく話を聞くものだから挨拶しておこうと思ったの」

 

「そうなんですか」

 

大和の期待値が理不尽に少し下がった。

百代が思い出したように言う。

 

「アキちゃんのお父さんって九鬼で働いてるんだっけ?」

 

「ええ。自慢の父よ」

 

大和の期待値が勝手に上がる。

 

「工藤先輩、九鬼の人と関わりあるんですか?」

 

「んー。あー、あるよ」

 

話す間も、頑なに空を見続ける工藤。

まるでそうしていれば嫌なことが勝手に去ってくれると言わんばかりだ。

 

「金髪の不良老人とかね」

 

続く言葉に、剣華以外のその場の人間には1-S所属のあの方が思い出された。

蹴り技で大人げなく攻撃してくるあのお方である。

 

あれと……。

 

何となく、不憫に思ってしまう。

そんな中空気の読めない子が工藤の袖を引っ張った。

 

「あの人は?」

 

「どれ?」

 

「おでこにバッテンある人」

 

「……え、どれのこと――――あー……。九鬼帝か……」

 

その言葉で大和の期待値は限界突破した。

工藤のことを仲良くして恩を売るべき人材と認識した。

 

「でもあの人と知り合いでも全然嬉しくないんだよ。この前とか深海まで――――」

 

「工藤先輩、連絡先交換できますか?」

 

「いいよ」

 

話を遮ってのお願いだったが、簡単に応じてくれた。

大和の電話帳に一人追加される。

 

「なんかあったら電話していいよ。困った事とか」

 

「手におえないことがあったら連絡します」

 

「はいよー」そう気の抜けた返事の工藤は、「さて」と前置く。

ベンチの上で身体の向きを変え、百代に向き直った。

 

面倒くさそうに言う。

 

「話は昼に終わったはずだ。去れ」

 

「まあそう固いこと言うなよー」

 

何故か剣華に背後から抱き着く百代。

脅す様に低語する。

 

「この可愛い子ちゃんがどうなってもいいのか?」

 

「好きにしろ」

 

「やったー!」

 

本領発揮。

百代は剣華にちょっかいを掛けはじめた。

受ける剣華の表情は迷惑そうに眉が顰められている。

それでも抵抗せずに成すがままなのはどういう了見だろうかと大和は二人の組合いをガン見する。

 

力負けした剣華がベンチに押し倒されたところで、旭が腕時計を確認した。

 

「あら、もうこんな時間。用事があるから私は行くわね。――――あなたの罰についてはまた今度話しましょう」

 

「敷地内のごみ拾いくらいで勘弁してくれ」

 

「それはあなた次第よ」

 

まだ少し怒ってるようで、旭はそう言い残して屋上を去って行った。

それを見送る工藤は、片目を瞑って何事か考えている。

ひっそり「便利な技だなあ」と呟いた。

 

「直江君」

 

「はい?」

 

声を掛けられても、一挙一動を見逃さぬよう大和は視線を移さない。

 

「やっぱり面白い学校だね、ここは」

 

肩をすくめるだけで返事はしない。

ただ、内心ではしっかりと同意していた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえさん、落ち着いた?」

 

「満足」

 

言葉通り、満足そうにやりきった顔の百代。

その後ろで頬を染めた剣華が鼻息荒く立ちあがっていた。

 

流石の彼女も終盤は本気の抵抗を示していたが、それを最後まで貫き通すことは出来なかった。

少々乱れた制服に色気を感じられる。

大和がごくりと喉を鳴らした。

 

「じゃ、ほれ」

 

工藤が剣華に放る。

チャリンと金属音。鍵だった。

 

「…………?」

 

「家の鍵」

 

「家……」

 

「この前行ったろ」

 

「行った……」

 

そんなの知らないと、剣華の表情は雄弁に語っている。

思い出そうと額に皺を寄せて考え込む。

一分ほどの沈黙ののち、すっぱりと言いきった。

 

「覚えてない」

 

「うん」

 

工藤が立ち上がる。

 

「じゃ、行くか」

 

「家?」

 

「うん」

 

二人の会話に百代が食いついた。

 

「剣華ちゃんもしかして一人暮らしか?」

 

「そうだよ。こいつ今日から一人暮らし」

 

なぜか工藤が答える。

本人に一人暮らしの自覚がないため仕方がない。

剣華は今更ながらに事実を直視してプルプル震えていた。

 

「ごはん……」

 

「今日は作るけど明日からは自分で作るように」

 

「やだ……」

 

その顔は捨てられた子犬の様である。

精神年齢が一気に幼年にまで落ち込んでしまったようだ。

ちょっとだけ罪悪感。

 

「…………なんか悪いことしてるみたいだな」

 

「やーい、なーかせた!」

 

「泣いてないし武人泣かせに言われたくないんだよ」

 

「私だってそんなに泣かせてないぞ。三人に一人ぐらいだ」

 

武神と言われるだけあって、彼女は結構えげつないのだ。

もはや存在がチートとは的を射た言葉である。

 

「直江君、買い物していきたいんだけどいい店教えてくれない?」

 

「いいですよ。家はどのあたりですか?」

 

「近いよ。すぐそこ」

 

この辺りなら商店街だな。

そう考えながら、剣華と工藤の今までの言動を分析し気に入りそうな店をピックアップする。

 

いまいちわからない工藤はさて置いて、剣華は紹介しがいがありそうである。

服飾には興味がなさそうだから、ペットショップとか美味しい和菓子屋とかだろうか。

どうせだから色々紹介しておこうと思う大和。

 

頭の中でプランを練る最中、唐突にがしっと肩を抱かれる。顔を上げると百代だった。

 

「おい弟。なにか企んでるか?」

 

「何も企んでないよ」

 

「うそつけ!」

 

ぐりぐりと頭に拳骨を当てられる。

本気ではないものの、長い付き合いで遠慮がないためそれなりに痛い。

 

「いてててててっ。姉さん痛いって」

 

「お前は何も企むなよ。私が先に企んでるんだからな」

 

「は?」

 

何言ってるんだこの人。

真意を尋ねて百代を見るが、百代は意味深げにウインクするだけだった。

 

「姉さんなにを――――」

 

「さ、いくぞー! 剣華ちゃんのお家にゴー!」

 

「お前来るのか」

 

「行くに決まってるだろー。こんな可愛い子ちゃんを独り占めはさせないぞ」

 

「じゃあお前が今日の晩飯作ってくれ。俺帰るから」

 

「や、私は料理はあんまり……」

 

「お前家事全般ダメそうだよな。……ていうか夕飯食べてく?」

 

百代は答える気がないらしい。

少なくともこの場では。

 

大和は百代を追及するのを後回しにすることに決めた。

あとで絶対に話してもらおうと決意しながら。

 

 

 

 

 

 

 

すっかり夜も更けた夜の9時。

あの後、大和たち4人は商店街に向かい、そこでおすすめの店を一通り巡った後、剣華の家で夕食をご馳走になった。

 

意外にも工藤は料理が上手かった。

本人によれば家事は一通り出来るらしい。昔叩き込まれたと笑いながら言っていた。

 

殺風景な部屋の中心で黙々と料理を食べていた剣華。

彼女も風間ファミリー武士娘の例にもれず、結構な量を平らげていた。

見ている大和がお腹一杯になってしまう程の食いっぷりは一子を彷彿とさせた。

見た印象は京なのに、中身は一子と言うちぐはぐっぷりがどうにも可笑しくてたまらない一日であった。

 

「で、姉さん。何を企んでるの」

 

「お、その話か」

 

鼻唄なんか歌いそうなほど上機嫌な百代。

思い返せば今日は一日そうだった。何かあったのだろうか。

 

「決闘の約束取り付けたんだ」

 

「誰と?」

 

「工藤と」

 

「…………」

 

工藤と百代は交流戦で一度戦っている。

その時は工藤が本気で戦わず、百代にすれば不完全燃焼な戦いだったが、その時の鬱憤を晴らす日にちが決まっていたらしい。

それは上機嫌にもなるだろうと大和は納得した。

 

「でも条件があるんだよ」

 

「条件?」

 

「うん」

 

なんだろうか。

また本気で戦わないとか?

でもそれじゃあ姉さんが上機嫌になるわけがないし。

 

少し考える大和。

答えは見つからない。

 

「条件って何?」

 

「橘剣華の体質の改善」

 

「は?」

 

「それしないと本気で戦わないらしい。昼休みに言ってた」

 

昼休み。

百代が放課後になってようやく剣華に会いに来た理由がそれだった。

 

「改善って……そんなの無理じゃない?」

 

「どうだろうな。やってみないと分からない」

 

果たして、17年間改善できなかったものを今から改善できるだろうか。

いや、もしかしたら多少改善されてああなのかもしれないが、それにしたって今日で会ったばかりの人間が如何こうできる話ではないだろう。

 

「それ、頼まれたの?」

 

「うん……、いや。そういうわけじゃないんだけどな……」

 

歯切れが悪い。

どういう会話をしてそう言う結論に至ったのか、言って聞かすつもりはないようだ。

 

「まあ、何にせよ改善されないと戦わないって言うからさ。手伝えよ大和ー」

 

ぐいっと強引に肩を抱かれる。

そのせいでまた頬に豊満すぎる胸が当たるが、堪能する余裕はない。

 

どうして自分が手伝わねばいけないのか。

舎弟だからか。

 

すぐに自己解決した。

 

百代の我が儘はいつものことで、それに付き合わされるのもいつものことだ。

多分今回は自分だけでなくファミリー全員が付き合わされることになるだろう。

逃げ場などないのだ。

 

「…………姉さん、言っておくけど無理だと思う」

 

「やってみないとわからないだろ」

 

「まあ、そうだけど」

 

最後の最後に、とんでもないことを聞かされた。

百代の胸の中で吐いたため息は、その日吐いた中で最も大きいものだった。




長宗我部君は工藤君に送られて帰りました


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十八話前編

金曜集会。

風間ファミリーが週に一回、金曜日に秘密基地の廃ビルで行う定例行事である。

普段は風間ファミリー9人が適当に駄弁ったり騒いだりするだけの集会だが、今日は百代から一つの議題が出された。

 

『橘剣華の体質改善について』である。

 

この議題が出された時、椎名京と師岡卓也が脳裏に抱いたのは、メンバー増員への危機感であった。

ファミリーの中でも特に排他的な二人は、これ以上ファミリーが増えるのを歓迎していない。

 

「モモ先輩、橘さんをファミリーに加えるつもりなの?」

 

モロが聞く。

表面上は平静に、内心ではそれだけは止めてくれと切実な物を隠して。

実際、つい最近クリスと由紀江が加入したばかりで、その時もちょっとした論争はあったのだ。

もしまた剣華を加入させるとするならば、また似たようなことが起こり、今度は取り返しのつかない結果になるのではとそう危惧している。

 

百代はモロのその内心を分かっていて、わざと気楽な口調で答えた。

 

「そんなわけないだろー。今の所そういうことは考えてないさ」

 

モロと京は一先ず胸を撫で下ろした。

岳人が横から口を挟んだ。

 

「じゃあなんで橘のあれ改善しようとしてんだ? 今日会ったばかりの人に親切働くような、そんな優しい人じゃないだろ、モモ先輩は」

 

「どっちかって言うと鬼だよな」と最後に余計な一言。

しかし、普段登下校中の河原に積まれる犠牲者を知る面々としては、共感の一言だった。

 

「ちょっと改善したくなったんだよ。それはそれとして岳人は後でお仕置きな?」

 

失礼なことを言った岳人は仕置きが確定した。

岳人の悲鳴を横に、キャップが大和に尋ねる。

 

「なあ大和、モモ先輩はああ言ってるけど、実際は何があったんだ?」

 

「実は俺も知らないんだ。聞いても教えてくれない」

 

「大和が聞いて教えてくれないなら、誰が聞いても無理っぽいなー。まあ俺は面白ければ何でもいいけど」

 

であれば、これ以上理由を尋ねるのは無駄だ。

もっと建設的な会話をしなければいけない。

面白至上主義のキャップはともかくとして、モロと京に剣華の体質改善の助力をするというつもりはほとんどない。

大和自身もあまり気は進まないが、百代に手伝ってくれと言われれば跳ねのけるのはほぼ無理だろう。

この話題の方向性は、残りの面子の意思次第となる。

 

「ねえお姉さま。橘さんの体質改善ってどうやるつもりなの?」

 

「いや、私も見当一つ付いてない。だからみんなに知恵借りたくてな」

 

「俺様の筋肉で包んでみるとか?」

 

「お前後で市中引き廻し」

 

慈悲も無い。

しかしふざけた態度で見えにくいが、岳人はどうやら百代に協力的なようだ。

おそらく可愛い女の子に格好いいところ見せたいがためだろう。

ワン子は生粋のお人好しなのに加えシスコンなので、百代の提案に最初から協力的。

 

まだ意思表明していないのは由紀江とクリス。

スイーツを頬張っていたクリスが口を背一杯動かしながら聞き取れない言葉を発した。

 

「じびゅんは、ひょうりょくしゅるぞ」

 

「飲み込んでから喋りなよ」

 

ごくりと飲み込む。

 

「自分は協力するぞ。人助けは騎士の本分だ。困っている人がいるなら手を差し伸べなければな」

 

格好良いこと言ったと、胸を張るクリス。

普段小狡い手ばかり使う大和にとって、今の彼女はとてもまぶしく思えた。

口元に付着している生クリームがなければ直視に堪えなかっただろう。

 

「まゆっちは……まだ会ったことないんだっけ?」

 

「はあ……。私は学年が違いますし……騒動の際にお見かけしただけです」

 

加えて、彼女の人見知りな性格を鑑みれば、とてもじゃないが見ず知らずの人に会いにいくことは出来まい。

 

賛成4 反対2 保留1 無投票1

 

多数決で考えるなら、この時点で決まったようなものである。

残り一人。地味にまだ意見を述べてないキャップが口を開いた。

 

「モモ先輩はさ、あいつの体質改善してなにがしたいんだ?」

 

「うん? いや、私は工藤と戦いたいんだけどな」

 

モロが驚く。

 

「え、なんで工藤先輩と戦うのに橘さんの体質改善?」

 

「それがなあ……」

 

どう説明したものかと頭を悩ます百代。

「うーん」と唸り、手を組んで天井を見上げる。

 

返答に窮している。なかなか言葉が見つからない。

待ちわびてキャップが続けた。

 

「そもそも、橘は改善してほしいって言ったのか? 今日の印象だと、そういうこと言わなそうだけど」

 

「……そりゃ、言うだろ。あいつだってあの体質に困ってるはずなんだから、口に出さなくとも改善したいって思うはずだろ」

 

「はずってことは聞いてないんだろ? じゃあとりあえず本人の意思確認が大切じゃね? 話はその後でさ」

 

キャップにしては珍しく正論攻めだ。

百代も言葉が見つからず言いよどんでいる。

 

本来は本能の赴くままに行動する二人が、今はこうして意見を対立させている。

そのことにちょっとだけ不吉な予感を抱きつつ、「月曜日に意思を聞く」という結論でその場は落ち着いた。

 

 

 

 

 

金曜集会が終わって、それぞれ家路につく。

一子と百代は川神院へ。それ以外の面子は寮へと向けて。

 

キャップがバカみたいに走るのを岳人が追い、夜分遅くと言う事でクリスが注意する。本人が一番声が大きいのはご愛嬌。

モロと由紀江は苦笑いしていた。

 

それから数歩遅れて大和と京が歩いている。

他所から見れば夫婦のようによりそう京。

大和はいつものことだと気にしていない。

内心ほくそ笑む京。今も外堀から着々と攻略中だ。

 

「そう言えば京。ほとんど何も言ってなかったけど、お前は反対なの?」

 

「なにが?」

 

「橘さんの件」

 

「反対だよ」

 

京が大和の眼を見た。

その奥にある感情を大和は読み取れなかった。

 

「どうして?」

 

「そもそも助ける義理ないよね」

 

「それは……そうだけど……」

 

それを言われちゃ弱い。

会ったばかりの人間を助けようと思って、尚且つ行動できる人間はほとんどいない。

知り合いではクリスやワン子と言った人種ぐらいだ。

クリスは己の信ずる道がゆえ、ワン子は生来からのお人好しから。

本来であれば百代にそういう要素はないはずだが、今回は"戦うため"と言う百代最大の欲求が後押ししている。

 

「本人が助けを求めてるわけでもないのに、どうして自発的に助けなきゃいけないの? って思う訳でして」

 

――――なにより、

 

京の声音が幾分沈んだ。

 

「多分あの子助け求めてないよ」

 

「……どうして分かる?」

 

「私には分かるんだよ。同じだから」

 

何が同じなのか。

聞くまでもなく、彼女の境遇を考えればすぐに答えに辿り着く。

彼女と同じように、彼女も辛い思いをして過ごしてきたことは想像に難くない。

 

しかし大和は思ってしまった。

 

――――果たして同じなのか?

 

と。

 

 

 

 

一方、寮へ帰るメンバーと途中で分かれた一子と百代。

道を歩く二人の距離は、仲の良い姉妹と言う事もあって非常に近い。

肩と肩が触れ合うギリギリの距離を保ち、二人は歩いていた。

 

「お姉さま?」

 

「…………うん?」

 

集会以降、沈みがちな百代を一子は心配する。

表情に出やすい妹の顔を見て、心配するなと百代は一子の頭を撫でた。

 

気持ちよさそうに表情を崩す一子。

まるで犬みたいな彼女に百代は癒される。

 

「ちょっと考え事してただけだ」

 

「考え事?」

 

「うん。考え事」

 

百代は思い出していた。

昼休みに工藤に会い、決闘を申し込んだときのことを。

 

あの時、百代は工藤の考えを聞いていた。

どうして剣華の体質が改善されないと戦わないのか。

 

答えは単純に、剣華が庇護対象だから。

剣華の体質は特に工藤の気に反応するように調整されていると言う。

 

ゆえに工藤は日頃できる限り気を抑えて生活していて、もし気を解放すればそれは剣華の暴走とイコールに繋がってしまう。

庇護対象が暴走することを前提にしなければ本気を出せないのだ。

剣華には出来る限り暴走してほしくはないし、工藤自身自分の欲望を満たすために暴走させるつもりはないと。

 

百代はその話を聞いて納得した。

交流戦で本気を出さなかったのも剣華が近くにいたからだ。

 

納得した百代は、しかし戦いたいと言う欲求を我慢できず、ならば私が改善させてやると言ってしまった。

だから今日ファミリーの力を借りようと話に出したのだが――――。

 

「…………」

 

「……お姉さま?」

 

今考えてみれば、どうして「なら私が改善させる!」と言ってしまったのか。

そもそも、どうして私がそんなことをしなければいけないのか。

たしかに工藤とは戦ってみたいし、それが叶うなら願っても無いことだが、だからと言って自分から苦労を背負う程百代は好い性格していない。

 

どちらかと言うと物臭な方であり、

 

工藤と戦える→よっしゃあ!→でも剣華治してね→怠っ……。 

 

となるのが普通だ。

考えれば考えるほど、あの時の自分の行動は後で考えればおかしいものである。

そもそも、気を解放したら剣華が暴走するならば、気を感じ取れないぐらい遠くで決闘すればいいだけの話ではないのか。

 

どうにも私は工藤に上手いこと乗せられた気がしてならない。

工藤にはどうしても百代との決闘前に剣華の体質改善のワンクッションを挟まなければいけない事情があり、そのために何らかの手段で百代の意思を誘導したのならば――――。

 

「――――お姉さま!!」

 

「とっ?」

 

気が付けば目の前は道路。クラクションを鳴らしつつ、車が走りすぎて行った。

 

「危ないところだったわ。もう少しで車がぺちゃんこになる所だったもの」

 

「ああ……。また爺に叱られるところだった」

 

冷や汗をかく。

修理費にお年玉没収とかバイト代接収は勘弁してほしい。

ただでさえ小遣いがないのだ。

教育の一環だそうだが、うら若き乙女に小遣いなしはあまりに辛すぎる。

 

だから工事現場で鉄骨5本担いで空を飛ぶ美女の都市伝説が生まれるのだ。

正確には5本ではなく10本だと言うのに。

 

「ありがとうな、ワン子」

 

「……お姉さま」

 

お礼の意味もかねて、また撫でる。

今度は一子も表情を崩さず、じっと心配そうに見つめてきた。

いくらなんでも考え込みすぎだ。

妹に心配されるのは姉として失格だなと内心己を 咤し、気持ちを切り替える。

 

工藤がどういう思惑を持っていようと関係ない。

私は私がしたいと思うことをしよう。

あいつの考えは、今度会った時に殴って聞けばいいのだから。

 

楽観的に、大胆に、おおざっぱに。川神百代とはそう言う人間である。

ようやくらしい表情になった百代に、一子は安堵の笑みを浮かべる。

 

二人は歩く。

仲のいい姉妹は、今日も今日とて仲がいい。

そのことを近隣住民に知らしめながら。



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十八話後編

週が明けての月曜日。時刻は早くも昼。

土日の週末に、まさか登校などするはずの無い百代。

だからこそ、剣華と会うには月曜日を待たなければいけなかった。

 

登校して午前中の授業を全て居眠りで捌き、目覚まし代わりの終礼の鐘が耳に優しい。

ざわざわと喧騒を取り戻した教室の真ん中で、「うーん……」大きく伸びをして身体のコリをほぐす。

「昼休みで候」とおかしな語尾と弁当を引っ提げて、弓子が机をくっつけてきた。

 

「おおー……」

 

寝ぼけて頭が回らない。

だというのにしっかりとパンを取り出して、もそもそ食べ始めるのは食欲の成せる技か。

条件反射というのは偉大だ。

 

そうこうする間に、「おほほほ」と怪しい笑みを浮かべて燕がやってくる。

その手にあるのはもちろん納豆。

試供品のそれをカチャカチャかき混ぜて、「はい。モモちゃんあーん」と手ずから食べさせている。

 

未だぼーっとどこか遠くを見ていた百代は、口元に差し出された箸に、半ば無意識に口を開けていた。

調教は順調だ。その内、納豆がなくては満足できない体になるだろう。

燕は内心ほくそ笑んだ。

 

しばらくそうやって、食べて食べさせて、平穏な時間が過ぎ去って、昼休みも半ばに差し掛かった頃、ぽつりと燕が思い出したように言った。

 

「そう言えば、モモちゃん。何か用事があるって言ってなかったっけ?」

 

「む……。言われてみれば、朝何か言っていた気が……」

 

二人が頭を悩ます横で「ふえ?」としょぼしょぼ眼の百代が声を出す。

眠気で定まらない焦点。少しの間、思うように働かない頭を働かせて、ようやく「あーーーーー!!」と思い出した。

剣華の所に行かなくては。

 

「ちょっと剣華ちゃんに会ってくる」

 

勢いよく立ち上がった百代はそれだけを言い捨てて、教室を走り去った。

残された二人。呆気にとられる弓子。対する燕は2パック目の納豆を取り出してかき混ぜる。

 

「はい。あーん」

 

「え?」

 

百代の次は弓子。

もちろん、一口でも食べてもらうまであきらめない。

そして一口食べたのなら全部食べてもらう。

「むふふ」と笑う表情の奥、腹黒い性格が垣間見える。

 

松永納豆の美味さを喧伝するのに、今日も今日とて、どこまでも余念がない燕であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速百代は2-Fへ向かった。

きゃーきゃーと後輩の女子に黄色い声援を向けられつつ、階段を飛び降りて、おすそわけのパンを貰って、人のごった返す廊下をスルスルと駆ける。

 

途中、「危ないから走っちゃダメだヨ!」とルー師範代に注意され、「ごめんなさい! 急いでるんで!」とそれも全く意に介さない。

そうして勝手知る我が家のように2-Fに入った。

 

「よっす剣華ちゃん! 遊びに来たよ!」

 

後方の扉を入れば、丁度扉を入ってすぐ目の前に剣華の席はある。

剣華はどこで買ったのか、大きなフランスパンをモゴモゴと食べていた。

 

「んぐ?」

 

突然開いた扉。百代の視線を受けて、一拍見つめあった二人だが、やがて剣華はモグモグとパンを食べ進める。

もっきゅもっきゅとリスのように口をふくらませる剣華に、百代の食指があらぬ方向に動いてしまいそうになった。

我慢だ我慢。己に言い聞かせて、とりあえず剣華の座ってる席に強引に合い席する。

 

狭そうにしながらも半分退けてくれる剣華。

百代は剣華の肩に腕を回して、顎を撫でる。

 

その間、剣華は死んだ目で全然違う方向を見ていた。

 

「どう、お嬢さん。この後デートでも?」

 

前も似たようなことあったなあ。

剣華はフランスパンを両手で抱えて、内心そう思った。

 

「はあ……」

 

「ん?」

 

返答は肯定とも否定ともつかないどっちつかずのものだった。

教室の反対側で、しっかり二人を見ていた大和が「それじゃダメだ橘さん!」と内心声を上げたが、巻き込まれるのが嫌なので、絶対に声に出したりはしない。しっかりしてるやつだ。

 

徐々に百代の顔が近づいてくる間、意地でも目を合わせまいと剣華は黒板の方を見ている。

それをじれったく思って、百代は顎を持ち上げて強引に自分を向かせようとした。

 

「……お」

 

つい声が出た剣華。

よく見ると、その頬は若干紅潮している。

 

百代は非常に顔がいい。

遠目から見たら髪の長いイケメンに見えるぐらいに容姿が優れている。

そんなイケメンの顔が極間近に急接近したのだ。

ちょっと動揺するぐらい普通のことなのだが、それが百代には付け入る隙に見えた。

端的に言えばOKサインだ。押せ押せドンドン。百代は経験でそれを知っている。

 

「ふふふ」

 

怪しい笑みを浮かべる百代。

剣華は後ろに下がって距離を取ろうとしたが、既に椅子を限界一杯まで詰めている。

身体を反らしても、少しも距離を取ることができなかった。

 

ぐいぐいと接近する百代に、剣華の出来ることと言ったらフランスパンを構えることだけだ。

武器にもならない。

 

「……ど、どうぞ」

 

苦し紛れにフランスパンを差し出した。

百代はチラッとフランスパンを見たかと思うと、獰猛な肉食獣のごとく一瞬で噛みちぎる。

 

もしゃもしゃもしゃもしゃ、ごっくん。

 

咀嚼して呑み込むまで間、一瞬たりとも剣華から視線が外れることはない。

完全にロックオンされている。これはもうダメかもしれない。

 

半ば覚悟を決めた。

けれど最後の抵抗に、生唾を飲み込んで震える声で言ってみた。

 

「……デートはしない」

 

「――――なんだしないのか」

 

剣華の言葉に寂しそうな表情を浮かべた百代。

胸がつぶれるぐらい接近していた距離が一気に離れる。

あれだけ肉食獣の眼光をしていたのに、こんなに呆気なく危機を脱してしまった。

 

落差が飲み込めず、未だバクバクと早鐘を打つ心臓を落ち着けていると、遠くで我関せず見ていた大和が安全を確認して近づいてきた。

 

「姉さん、ナンパしにきたわけじゃないでしょ?」

 

「そうだったそうだった」

 

大和の言葉を受けて、またもや百代が急接近してくる。

さっきは身体全体をくっつけてきたが、今度はキスするんじゃないかと思うぐらい顔を近づけてきた。

心臓の落ち着く暇がない。一難去ってまた一難か。

 

「剣華ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

 

「なに?」

 

「その体質のこと」

 

どうやら真剣な話題らしい。

剣華は居ずまいを正そうとして、すぐ近くに百代がいる状況で、もぞもぞと小さく動くことしか出来なかった。

 

「体質……」

 

「そう。その体質、治したくないか?」

 

「……」

 

剣華は目を細めた。

どうして百代がそんなことを言うのだろう。

一体どういう目的で?

何か裏があるのではないかと怪しんだ。

 

百代も剣華の雰囲気が変わって、緊張を含んだものになったことは感じ取っていた。

 

「実はな――――」

 

下手に隠すより素直に言った方がいいだろうと、百代は一から説明する。

工藤と戦いたいこと。戦うのに条件を付けられたこと。

それが剣華の体質の改善であったこと。

隠すことなくすべて。

 

「で、どうだ? 治したくないか? 私が手伝うぞ。ついでに大和も」

 

剣華は無言で無表情に百代の話を聞いていた。

百代の無邪気な瞳を見つめるその眼はどこか濁っている気がする。

 

大和は一つの椅子に二人の人間が座っているその光景を固唾をのんで見守った。

 

「……工藤が」

 

「ん?」

 

それはただ唇を動かしたぐらいの声音で、未だキスするんじゃないかと言う超至近距離に居た百代はよく聞こえないと首を傾げた。

 

「工藤が、あなたに手伝えって言ったの?」

 

「……いや、直接そう言ったわけじゃない」

 

会話を誘導され、最終的にその言質を引き出された。

工藤がはっきりと手伝ってくれと声に出したわけじゃない。

 

暗に含んだ返答に剣華の回答は早かった。

 

「なら、いい」

 

はっきりとした拒絶に百代は目を丸くした。

まさか断られるとは夢にも思わなかったに違いない。

 

ぽかんと口を開けて呆ける様は、大和から見ても中々珍しい表情だった。

 

百代が呆けてる間に、剣華はフランスパンを齧った。

もぐもぐと目の前の百代ではなく、教室の反対側――――窓の外を眺めながら咀嚼する。

 

その態度は話の終わりを告げている。

しかし本当にこれで終わるはずはない。

そもそも、剣華が言葉足らずな人物であることはすでにみんなが知っている。

 

「……え、なんで?」

 

ようやく復活した百代が搾る様に尋ねた。

剣華は口の中のパンを飲み下してその問いに答える。

 

「たぶんそれは保険」

 

「は?」

 

何を言っているのか百代には分からなかった。

すぐ傍に立つ大和が興味深そうに剣華の話を聞いている。

 

「私がここに転校したのは工藤がそうさせたから。天神館に入学したのもそう。私の意思ではない」

 

剣華の視線は変わらず窓を見ている。

辛うじて見える表情はいつもとなんら変わりない気がした。

 

「工藤は、自分の都合で他人を操る。あなたも操られた」

 

一切の抑揚なく剣華は指摘する。

その声音は平坦だからこそ気圧される。

冗談や嘘とは対極の位置にあった。

 

「それは誘導ではなく暗示。……気が付いてた?」

 

もはや百代は何も言わない。

彼女自身、工藤に誘導された自覚はあった。

それを重く見つめることはせず、いつも通り軽い考えで流してしまった。

なにせ百代は"武神"なのだから、誘導に気が付いてもより深く考えるということをしなかった。

口が上手い。その程度の認識だった。

 

思い返すと、その誘導にすら気が付いたのは金曜集会が終わって、モロやキャップに不自然さを指摘されたからだ。

つまり、それまでの数日間、百代は無自覚に暗示にかかりっぱなしだった。

それも、誘導ではなく暗示だと気が付いたのは剣華に暗示だと指摘された、たった今なのだ。

 

「……」

 

ぞくっと悪寒が走る。

今更になって、百代の心に警戒心が湧き上がった。

本当なら誘導に気が付いた時に抱いてよかった感情。

抱けなかったのは、暗示にかかっていたからに他ならない。

 

「気を付けて。あいつに関わると碌なことにならない」

 

剣華は横目に、百代ではなく大和を見た。

大和は深刻な表情で、声も出ない百代を不安そうに見つめていた。

 

「あなたは工藤に操られただけの人。そんな人の力を借りたくはない。自分で何とかする」

 

モグモグと残りのフランスパンを食べ始める。

そんな剣華を大和はどこか畏れるような表情で見つめた。

 

顔を俯かせた百代がフラフラと立ち上がる。

百代が離れたことで、剣華は幾分胸を撫で下ろしたようだった。

 

「ねえさん……?」恐る恐る大和が声をかける。

百代の反応はない。しかしその口元は小刻みに動き何か言葉を発している。

 

「私が暗示に気が付かなった……?」

「油断していたか? そもそもどうやって暗示をかけた?」

「……全部あいつの掌の上か」

 

大和の耳にはそう聞こえた。

やがて小刻みに震えだした肩。

その震えは悪寒ばかりが原因ではない。

湧き上がる闘気が示していた。

 

剣華がピクッと反応し、大和の髪が吹き上がる。

 

「ふふ、ふふふっ……」

 

爆発直前だ。

大和は予感した。

彼女の身体から有り得ないほどの圧力を感じたのは、その直後。

 

「ふっはははははははっ!! はははははははははっ――――!!!」

 

湧き上がった莫大な闘気は学園全体を飲み込み、鉄心やルー、ヒュームと言った強者たちを招き寄せた。

それぞれが百代に闘気を解放した理由を聞いたり、収めるよう注意する中、それらの言葉をまるで無視した百代が唸るような口調で低語した。

 

「工藤――――!!」

 

獰猛な獣のように、どこまでも好戦的な表情。

その敵意はここではなく、遠くにいる一人に向けられていた。

 

百代が工藤をただの対戦相手ではなく、敵として再認識した。

次に戦う時、お互いの間に油断はないだろう。

 

これも工藤の思惑の内なのだろうか。

それは本人にしか分からないことだ。

 

 

 




そんなわけはない


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十九話

月あくる朝。10月の1日。

いよいよ残暑も抜け去り肌寒い季節。

早朝の気温は秋と言って差し支えなく、日の昇る時間も遅くなっている。

 

剣華は一人、暖かい布団の中で目を覚ました。

ふわふわと朧げな意識のまま部屋の中を見渡した。ベッド横の小棚が目に映る。

ピンクのベッドサイドランプの横に目覚まし時計が置かれていて、段々と焦点があってくる。

 

6:29分。

 

後1分でタイマーが作動し、剣華を起こそうとけたたましいアラームが鳴り響くだろう。

それを嫌に思ってスイッチを切ってやろうと手を伸ばす。

ぎりぎり届かない位置に置かれた時計には手が届かない。

 

意地でも布団から出てやるものかと身体を針のように伸ばす。

あと少し。あと少し。

指先が時計の淵に掠る。

 

届いた!

 

内心で言い知れない達成感が生まれた。

それと同時、既に限界一杯に乗り出していた身体は、秤が傾くとの同じように、支えを無くしてベッドから転がり落ちる。

 

棚に指を強打して、敷かれたカーペットに顔から落ちる。

カーペットは少し埃っぽい香りがした。

 

頭上でアラームが鳴り響く。

起床予定時刻。目は覚めている。

 

剣華は顔を上げた。

不機嫌に眉を寄せながら、帰ってきたら掃除しようと、そう思った。

 

 

 

 

 

朝食は出来るだけ簡単に。

短い一人暮らしで培われた、朝の少ない時間を有意義に過ごす要点だ。

 

最悪白米と味噌汁と納豆があればそれでいい。

 

納豆だけは何故だかたくさんある。大体が貰い物だ。

消費期限に気をつけて食べなければいけないが正直助かる。

 

今日は昨日の夕飯の残りがあったのでそれをレンジで温めた。

オムライス。

 

なんとなく作ってみたそれは、塩胡椒を入れすぎたせいか少々塩辛く、ケチャップを使いすぎたせいか味が濃い。

すぐに飽きがくる味付けになっている。

 

しかも、卵は昨日丸々一パック使い切っていた。

パリパリに焼きすぎた卵が冷蔵庫の中にいくつも残っている。

 

お弁当に利用できないかと暫く冷蔵庫の前で考え込むが、精々がおやつにしかならないと結論してアジしおを用意することにした。

 

お弁当の具材は冷凍食品が主だ。

ハンバーグは欠かせない。

後は適当に野菜とあと揚げ物。

 

出来たお弁当はハンバーグと揚げ物で7割茶色だ。

野菜の鮮やかな色彩が目に眩しい。

 

本来は彩や栄養も考えた方がいいらしいが、冷凍食品を使っているのに彩も栄養も何もないだろうと身も蓋も無いことを剣華は思った。

転校してから、女の子としてそれはダメと幾度となく言われたものだ。

女の子は見た目が命。少しでも見栄を張らなきゃとクラスメイトに説教を受けるのは日常茶飯事となっている。

 

そういう一般的な女の子が心掛けなければいけない気遣いに疎い剣華としては、いくら懇切丁寧に説かれようとも中々改心する気が起きない。

 

その辺り、工藤や長宗我部、それと島、毛利らなら上手くやるだろうに。

元々普通と縁遠い場所に身をやつしていたのだから仕方ないと自分を慰めた。

どうせ全て無駄なのだしと正当化も果たして、弁当箱に白米を詰め込む。

ぎゅっぎゅっとこれでもかと押し込んだ1段目。茶色い冷凍食品を主に詰め込んだ2段目。

 

剣華のお弁当が完成した。

 

朝ごはんを食べ終わり、食器は流しで浸しておく。

鏡の前で最低限の身だしなみを整える。

 

寝癖が付いている訳でもないし櫛はいらない、と思うのだが結局クラスメイトに櫛を入れられることになるのだから少しは入れておく。

なんでも櫛を入れないと髪がぼさぼさになっているらしい。

 

そうだろうかと鏡の自分と睨めっこ。

言われてみれば少し髪が立っているかもしれない。

しかしそれもほんの少しだ。

 

わざわざ直すほどの物でもない。

けれど一般的女の子は直さずにはいられないようで、ことあるごとに口やかましく櫛を手に迫ってくる。

 

そういうものなんだと今では剣華も成すがままだ。

これが普通。自分が異常。

 

そういうことらしい。

今度天神館の大友と尼子に教えてやろう。

恐らく大友は驚くはずだ。「そうなのか!?」とか言って。

尼子はどうだろう。「なんでそんなことも知らないの……」と呆れるかもしれない。

 

少なくとも、私は知らなかった。

何故と聞かれてもだって普通じゃないから。

そうとしか言えない。

 

そうこうしてる間に家を出る時間になった。

バックにお弁当と授業道具を乱雑に入れる。

 

鍵は持った。戸締りは大丈夫。

ガスの元栓は別に閉めなくていいや。

 

玄関でローファーを履き扉を開ける。

鳥の囀りと共に朝日が目に染みる。

吹く風はやはり肌寒い。

扉を閉めて鍵を掛ける。

 

「いってきます」は言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

息を吐けば白くなるだろうか。

そんなことを思ってしきりに息を吐いていたら後ろから遠慮気味に声を掛けられた。

 

「えっと……。橘さん、おはよう……?」

 

「おはよう」

 

振り向けば源義経が欠伸に目尻を濡らす武蔵坊弁慶を伴って歩いてきた。

もう一人の従僕の那須与一が遥か後方にやさぐれたように歩いている。

 

「なにをしているんだ?」

 

「白くなるかと思って」

 

「……なにが?」

 

「息」

 

言って、はーと息を吐く。

しかし出てくるのは透明な水蒸気ばかりで一向に白くなる気配はない。

 

「息が、白くなる……」

 

義経は興味深げに剣華の口元に注目していた。

キラキラと輝く瞳は赤子の様に真っ直ぐで、無性にその期待に応えたくなる。

 

目いっぱい息を吸い込んで、そして大きく吐く。

けれど、やっぱり息は白くならない。

 

まだ気温が高すぎる。

誰か低くしてくれないだろうか。

そうすれば期待の籠った眼差しを向けてくる女の子をさらに喜ばせることが出来るのに。

 

なぜこの場に工藤はいないのか。

あいつなら、一も二も三もなく、赤子の手をひねるより簡単に零下まで気温を下げることが出来るのに。

 

いや、別に工藤じゃなくてもいいのだ。

気温を下げることが出来そうな人物。例えば武神とか、川神鉄心とかヒューム・ヘルシングとか。

 

そういう強者がどこかこのあたりを歩いていないかと探すが、生憎と歩いているのは川神学園の一般生徒やスーツを着た大人ばかり。

とてもじゃないが「気温を下げろ」と要望を告げて「はいわかりました!」とやってくれそうにはない。

 

さてではどうするか。

答えは一つだ。

 

「あなたもやってみて」

 

「え、よ、義経も……?」

 

「白くなるかもしれない」

 

どういう理論でそうなるかは分からないが、一人より二人の方が確率は高そうだと剣華は考えた。

しかし悲しいかな。元が0のものをどれだけかけても割っても足しても引いたところで結局は0である。

確率は高校一年生で習うのだったか。

 

「ふぅー」

 

「ふぅー」

 

義経と剣華は並んで息を吐く。

画的にはなぜか吹き付けるように吐いているが、口を窄める二人の様子は、眺める弁慶には好評だった。

 

「もう一度。ふぅー」

 

「ふぅー」

 

「ふぅー!」

 

「ふぅー!」

 

繰り返し繰り返し、同じことを強弱つけながらやり続ける。

ようやく追いついた与一が、この光景に狼狽えていた。

 

「な、なんだこれは……?」

 

「んふふ。ああ、主は可愛いなぁ」

 

暫く、このやり取りは続く。

動揺から立ち直った与一がはっとして時計を見やった。

 

「おいおいまずいぞ! 遅刻寸前だ!」

 

「なぜもっと早く言わないのか、このダメ従者は」

 

「うっせえ! 何でもかんでも俺に押し付けんな!」

 

取りあえず四人は走った。

腕時計を見た与一が現状を報告し、それを受けた弁慶が与一の失態を叱責する。

当然のことながら与一は責任逃れに走った。

心優しい主人は己の失態だと従者を庇う。

 

「あわわ……! 義経がもっと気を配っていれば……!」

 

「夢中になりすぎた。どうしよう」

 

とりあえず走っていた剣華は時計を見ながら素早く計算する。

ここから学校までの距離。かかる時間。遅刻か否か。

結論は全然間に合わない。

 

「もう無理。諦めよ?」

 

「ううぅ……。皆の手本にならなければいけないのに……」

 

「失敗の一度や二度誰でもあるから」

 

慰める剣華と落ち込む義経。

二人とも当事者なのに反応は全く二分されている。

性格の差が顕著に現れていた。

 

「橘の言う通りだ。失敗の一度や二度、誰でもある」

 

「そうそう」

 

「もうどうせ間に合わないんだしさ。主も肩ひじ張らずに胸張って遅刻しましたって言っとけばいいんだよ」

 

「そうそう」

 

従者二人の慰め兼自己正当化に、それでも義経は陰鬱そうに俯いている。

そこまで遅刻がショックなのか。

気持ちは分からんでもないが、だからと言ってそこまで落ち込むことでもないだろうに。

 

剣華は無感情に義経を見つめ、なんとなく彼女の後頭部のポニーに心魅かれた。

ぐわしっと鷲掴みにする。

義経の身体がピクンと跳ねた。

 

「ああ!?」

 

引っ張ったり曲げたり回したり。

傍若無人の限りを尽くす剣華に、義経は俯きがちだった顔を上げ必死に抵抗する。

最終的に己の毛先でくすぐられ始めた辺りで弁慶が仲裁に入った。

 

「な、なにをするんだ!?」

 

「うじうじ鬱陶しかったから」

 

「えぇ!?」

 

次いで、端的に言う。

 

「損」

 

「な、なにが?」

 

「うじうじ考えるのが」

 

義経は「うっ」と言葉に詰まった。

以前誰かに同じことを言われたことがあるのだろう。

「でも……」とか「だって……」と要領を得ず言い返そうとする。

 

「失敗も成功も所詮は経験。どっちも次に生かせないと無意味になる」

 

いつもと違って、どこか説得力のある声色で剣華は述べる。

普段は眠そうに細められているジト眼には、今ばかりは力が感じられた。

 

「失敗できる内は失敗した方がいい。

 出来るか出来ないかじゃなく、絶対に何が何でも失敗できないなんてことは世の中結構たくさんある。

 その時のために、成功も失敗も合せて経験。そう考えた方がいい」

 

「絶対に失敗できないこと……」神妙に、義経は繰り返した。

 

まだ経験したことはない。

絶対に、何が何でも成功させねばならないと思ったことはない。

そんな経験は、いかにクローンと言えどもまだない。

 

剣華は一般論を口にしているのか、それとも己の経験を言って聞かせているのか。

義経は迷わず後者だと思った。

 

彼女の過去を義経は知らない。

まだそれほど仲良くなったわけではないし、そもそも知り合ってさほど経っていない。

 

それがどんな経験なのか、義経は聞きたくなった。

でも実際に聞こうとすると二の足を踏む自分がいる。

 

やはり突然それを尋ねるのは不躾だろうか。失礼じゃないだろうか。

そう考えている間に、主の心中を察したのかは定かでないが、弁慶が代わりに問い尋ねた。

 

「橘は、そういうことあるんだ? その……絶対に失敗したくなかったこと」

 

剣華は直ぐには答えず空を見上げた。

そよぐ風は冷たく、吸った空気は喉に突き刺さる。

それでも、吐いた息は白くはならない。

 

それを見届けて剣華は声を発した。

 

「あったよ」

 

――――少なくともあの時は、そう思ってた。

 

臍を噛むように苦々しく、昨日の出来事のように鮮烈に、彼女の言葉は宙に消えていった。




この後ヒュームさんに滅茶苦茶叱られた


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二十話

「はぁっ!!」

 

「――――っ!!」

 

手を交差して防いだはずの拳は、ガードなど関係ないと言うように力づくで振りぬかれた。

そのあまりの威力と重さに身体は浮いてしまう。

気が付けば二、三メートル吹っ飛んでいるのだから理不尽極まれりだ。

さすがは武神の異名を冠しているだけのことはある。

 

「いい表情になってきたじゃないか、剣華ちゃん!!」

 

「…………」

 

土ぼこり舞う中、川神百代は獰猛に笑いながらのたまった。

言われる剣華自身に"いい表情"の自覚はない。

しかし段々と意識がおぼろげになっていることは確かだった。

 

ビリビリと痺れる腕。

その痺れは少し力を込めれば一瞬で治った。

拳を握る。まだまだ戦える。余裕がある。

そう思うのはこの場に漂う闘気のおかげかもしれない。

 

くらくらと酔ってしまいそうなほどの濃密な闘気。

意識することもなく、ただ立っているだけで周囲の外気は勝手に私の中に入ってくる。

ここに一日いたらおかしくなってしまいそうだ。

 

いや、もうすでに半ばおかしくはなっているのだけど。

 

「――――ぁは」

 

身体に溜まった闘気の解放。

やっぱりこれは気持ちよく、そしてもっと気持ちよくさせてくれる敵が目の前にいる。

跳びかかろう。跳びかかって、跳びかかって、襲い掛かって、殴って、蹴って、斬って。

赤い、紅い、あかい、アカイ。アカイ。アカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカ。

 

血チちちちちちちっちチチチチチチチチチチチチチチチチチチ――――。

 

――――あぁ、おいしソウ。

 

 

 

 

 

「やはり強いですね、彼女ハ」

 

「うむ。百代ほどではないが、才気に満ちておる。それだけに惜しいのう」

 

遠巻きに、百代と剣華の戦いを見守るのは川神院の師範代ルーと総代の鉄心。

二人は眼前の決闘を見てそうこぼした。

 

剣華の斬撃が百代の身体の至る所を切り裂き、瞬間回復ですぐに治癒する。

飛び散った血潮は地面を赤く染め、その跡は彼女らの戦いの凄まじさを物語っていた。

 

片方は正気をなくし、獣のような雄たけびをあげて無数の剣戟を纏い舞わせる。

片方は襲い掛かる死に笑顔を浮かべて嬉しそうに迎え撃つ。

 

およそ人同士の戦いとは思えない。

血生臭さと泥臭さに塗れた戦いを、しかし二人は止めることなく傍観している。

 

「あれを操れれば、歴史に名を残す武道家になれるでしょうニ」

 

「このままだと別の意味で歴史に名を残しそうで、わし心配」

 

鉄心は眉を八の字にして心配そうに剣華を見ている。

当の本人は、ついに攻勢に出た百代に殴り飛ばされ、しかし痛みなど知らぬと猛然と反撃に移っていた。

 

「…………しかし総代。あれは……」

 

「お、ようやっとルーも気づいたか。うむ。川神流……かすかに見えるのう」

 

ルーは信じられないと閉口する。

しかし目の前で繰り広げられる剣華の動きからは、節々に川神流の名残が垣間見えた。

 

「川神流は門外不出の武道でス。一体誰が――――?」

 

「考えられるのは鍋島か、はたまた釈迦堂か……。しかし釈迦堂とあの子は接点がなかろう。

 となると鍋島かのう。厳重注意じゃな」

 

剣華の体捌きは川神流の動きを他の武術に取り入れた動きであり、もはやその原型は留めていない。

そこから元祖の癖を見抜くのは至難の技だ。ゆえに鉄心は消去法で鍋島が一番疑わしいと決めつけた。

 

「まったく……。まさか門生以外に川神流を教えるとハ……」

 

「ほっほっほ。まあそう重く考えることはないぞルー。

 確かに門外不出じゃが、過去川神流が流出したこともないわけではない」

 

「そうなのですカ?」

 

「うむ。大昔に一度、決闘中に技を盗まれたことがあった。あれは驚いた。

 まさか見ただけで自分のものにするとは……」

 

「それは例外中の例外なのでハ……?」

 

昔を思い出して、懐かしみ笑う鉄心。聞いて呆れるルー。

 

「なんと言ったかのう……。確か梁山泊百八星の一人じゃった。梁山泊の名はお主なら聞いたことぐらいあるじゃろう」

 

「ありますとモ。そうですか。梁山泊にそのような……」

 

中国奥地に拠点を持ち、裏家業に傭兵を営む戦闘集団。

中国を生まれ故郷にするルーにとって、その一団の恐ろしさは武道家として、あるいはただの一般市民として心に突き刺さっている。

川神院師範代となった今でも抜けきることはない。

それだけ精鋭ぞろいの集団である。

 

「ほっほっほ。まあ裏仕事ばかりしておる連中じゃ。そうそう出会うこともあるまいて。儂のようにあっちからやってこない限りはの」

 

「……総代、あまり不吉なことは言わないでくださイ。本当に来そうでス」

 

その末尾は、丁度の決闘の決着と重なって、派手に地面に叩きつけられた剣華とそれに伴う轟音、衝撃波のおかげで誰の耳にも届くことなく、ただ不吉な予感を言霊にだけ残して消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――また、負けた。

 

剣華は汗と血に濡れた道着を脱ぎ捨てながら一人ごちた。

 

決闘終了後、簡単な手当てを受けた剣華は、百代の厚意で川神院の風呂場を使わせてもらえることになった。

汗だくのまま帰路につくのは嫌だろうと言う善意と、隙あらば乱入してやろうと言うスケベ心がないまぜになった好意だ。

恐らく、ここでいう好意とは好意的な悪意の略称であることは間違いない。

 

そんな醜い欲望のことなど知る由もない剣華は、呑気に脱いだブラジャーを目元でプラプラ掲げていた。

水色のそれに一見して汚れは見当たらない。

しかし多少くたびれているように見えるのは激しい運動の後だからか、はたまた年代物だからか。

 

この分では遠くないうちにダメになってしまいそうで、今が買い替え時である。

まあどうせだから色気も何もないスポーツブラにするとか、いっそノーブラにすると言う手もある。

どうせそこまで揺れないし。

 

有難くもなんともない女ならではの悩みだ。

どうするか。今考えても埒は明かず、脱いだ下着を籠の中に放り投げる。

シャンプーやコンディショナーなど、百代から借りた洗面用具一式をもって浴室へ入った。

 

浴室は川神院生が同時に入浴できるようずいぶん大きく作られていて、さながら旅館の大浴場のようだ。

いくつもあるシャワーヘッドの内適当な物の前に座り、鏡に映る自分の身体を凝視する。

腕を中心に痛々しい打撲痕が白い身体に映えていた。

 

今日の決闘で、川神に越してきてから通算で二回目の武神との本気の決闘だ。

流石は武神と言うべきで、二回とも剣華が敗北していた。

 

当初は優秀な回復役がいなくなってしまうから傷跡が残るだろうなと覚悟していたのだが、二回目の決闘を終えて、今のところそれらしいものは見当たらない。

百代の攻撃手段が主に素手というのが幸いしている。

今でこそ青黒いあざが多数身体に残っているがこれも明日には消えているだろうし、後々まで残る様な傷は皆無と言って良い。

この調子だと、たぶん手加減もしてくれているんだろう。

 

そこまで考えて、罪悪感がふつふつと湧きたってきた。

 

剣華の攻撃法は斬撃を主体とした格闘だ。

瞬間回復という反則技を持っている百代でも、果たして傷跡を残さず治癒できるのか不安に思える。

 

川神百代と言う人間は、美人でイケメンでスタイル良くて髪が長くて強いと言う、これでもかと神に贔屓された存在だ。

 

そんな、いわば神のお気に入りを自分如きが傷物にしたかもしれないという思いは、まるで高値の花を摘み取ってしまったような自責の念となって押し寄せて来る。

 

今までは殺してもいい相手、もしくは殺しても死なないような奴とばかり戦ってきただけに、百代と言う純粋且つ善性な人間に殺気を向けるのはやはり気が咎めるのだ。

かと言って他に暴走を食い止める有効な手立てもない。

 

百代も喜んで請け負ったのだから別に悩む必要もないという悪魔と、でもやっぱり攻撃するのは悪いよと言う天使が頭の中でメンチを切り合う。

 

一触即発の空気の中、先に手を出したのは天使で悪魔は正当防衛の大義名分高らかに反撃し始めた。

戦いは拮抗している。

 

がんばれーと心の中で応援しながら、冷たい水を頭から被る。

思考はクリアになり天使と悪魔は水に流され排水溝へと堕ちて行った。

罪悪感と自責の念も一緒に消えていった。儚いものだ。

 

ボディーソープを泡立てて身体を擦る。

気分よく鼻唄交じりのその作業。

脱衣所でコソコソと動く気配に気づかなかった。

 

「けんかちゃーん!」

 

浴室の扉を開きながら現れたのは百代。

彼女は一糸まとわぬ姿で堂々と浴室へ入ってくる。

 

惜しげなく晒す素肌。

豊満なバストは一歩ごとに揺れに揺れ、その動きは剣華の瞼の裏に強く根付いた。

目を閉じれば暗闇の向こうにリフレインする。

 

すごいと女ながらに感動する。

胸ってあんなに大きくなるんだと。

 

胸をぷるんぷるんさせながら、百代は剣華の隣に腰かけた。

 

「私も入るぞ。洗いっこしよう」

 

「……」

 

そう言われてなお剣華の目は百代の胸元に固定されている。

百代は「ん?」と不思議がる。

 

知らず知らず、剣華の手は動いていた。

ムニリと柔らかい感触に包まれる。

 

「……」

 

「お……?」

 

ムニムニと揉む。

掌が埋まるほどの大きさと柔らかさ。

バストサイズ91とはここまでのものなのかと驚愕する。

無意識に揉む手に力が籠った。

 

「け、剣華ちゃん?」

 

当然のことながら、揉まれる当の本人は困惑していた。

まさかいきなり胸をもんでくるとは普通思ってもみない。

 

百代も18歳の女の子で。

この年頃の女の子は既に子とは言えぬ成熟した身体つきをしているわけで。

こう熱心に揉まれると変な気分になってしまうわけで。

 

「んっ……」と変な声が漏れてしまう。

 

剣華はその声を聞いてぴたりと動きを止めた。

一心不乱に夢中になっていたのが正気に戻る。

「やばい」と思考が停止した。

 

剣華は同性愛者ではない。

今、百代の胸を熱心に揉んでいたのは持たざる物への強い関心があったからだ。

 

しかし揉まれた本人にそんなことは関係ない。

この一か月少々の短い付き合いで、百代と言う人格は大体把握出来た。

その上で「やばい」と思った。

 

がしっと強靭な力で肩を掴まれる。

 

「――――これは誘ってるってことでいいんだよな?」

 

「ちがう……っ!!」

 

否定の言葉を百代は聞いていない。

力づくでタイルの上に押し倒された。

べちんと鈍い音が浴場に響いた。背中が痛い。

 

はあはあと荒い呼吸。

胸が大きく上下して頬は朱に染まっている。

本当に同性愛者だったとは……。

 

剣華は頬を引きつらせて、足で蛇口をひねった。

シャワーヘッドから不意打ちの水責めが百代に襲い掛かる。

 

「ひゃぁっ!?」

 

可愛らしい悲鳴。

押さえ付けていた力が緩み、剣華は百代の下から脱出した。

全開になったシャワーヘッドを片手に攻勢へと打って出る。

 

「ちょ、つめたっ!? 冷たい!」

 

「…………」

 

「やめろ! タンマタンマ!!」

 

無言で責め立てる剣華。

冷水に怯む百代。

 

もうしばらくこの形勢は続き、シャワーの音と女二人の楽しそうな声が浴室の外まで鳴り響く。

外から帰ってきた一子が「お姉さま楽しそう」と呟き、スケベ爺が中の状況を想像する。

 

二人の入浴は一子が止めに入るまで、約一時間を費やした。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜遅く「送っていこうか」と言う百代のイケメンボイスを固辞して、剣華は夜道を歩いている。

夜空には星はあまり見えない。三日月だけが今唯一見えるお星さまだった。

こう言う所は編入前も後も変わらない。

天神館のある福岡でも星はあまり見えなかった。

日本に来てから満足に星一つ見えないことを剣華は不満に思っていた。

 

――――昔はもっと綺麗な景色が広がっていたのに。

 

澄んだ空気を肺一杯に吸い込む。

喉元まで込み上げていた不満も一緒に飲み込んで、携帯を取り出した。

 

工藤へのメール。

 

『今日百代と決闘をした』

 

そんな感じの文章を打った。

送信。

 

返信が来るかと暫く画面を見つめていたが、数分たって返信がない事を知ると携帯をしまい込む。

常々マメで大体すぐに返信する工藤だが、時折連絡の取れなくなる時期がある。

今がその時期なのかは不明だが、まあそうなのだろうと何となしに決めつけた。

 

暗闇にひとりぼっち三日月だけが輝く夜空。

それをもう一度だけ仰ぎ見て、家へ向けて小走りに駆け出した。

 



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二十一話

おひさしぶりーふ


弱きものが死に、強きものが生き残る。

血生臭さが鼻にこびりつき、降りすさぶ雨は赤く染まっている。

そう言う世界で、少女は生きてきた。

物心ついた時からずっとそれが当たり前で、現状を疑問に思うことはなく、疑念を抱かず、ただひたすらに少女は赤い世界を生き抜いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

少女は人が死ぬのを見たことがある。

 

目の前で親しい人間が殺されるのを見たことがある。

 

その手で人を殺したことがある。

 

悪いことだとは思わない。

やらなければこっちがやられていた。

殺さなければ自分以外の誰かが殺されていたかもしれない。

仲間が、友が、家族が、殺されていたかもしれない。

 

人を殺すことを悪いことだとは少女はこれっぽっちも思っちゃいない。

 

弱いから死んで強いから生き残るのだと、少女は育ての親に教えてもらった。

 

間違っても"敵を"憎んじゃいけない。

憎しみは刃を鋭くするけども、視野が狭くなるから結果早死にしてしまう。

永く生きたいなら誰よりも強くなりなさい。

 

そう教えて死んでいった。

 

 

 

 

 

少女は強くなった。

同期の誰よりも強くなった。

次世代筆頭と呼ばれるまでに強く、理不尽と言われるまでに強く。

しかし、それ以上に少女は強く成ろうとした。

取り憑かれたように武器を振るい、修羅の様に敵を殺し、師も家族も全てを置き去りにして少女は強く成ろうとした。

 

病的なまでに強さにこだわったのは、自分が弱いと自覚していたからだ。

強いように見せて、実は弱いことを少女は知っていた。

強くないと生きられない。そう教えられたから、少女は強くあろうとした。

心の弱さを虚飾の強さで覆って、誰にも知られまいとした。

そうやって窮屈に生きてきた。

仮面の下の本心を誰にも知られまいとして、時に弱さが零れ出そうになる。

自分の弱さを誰かに知ってほしいと思う心こそ弱さだと知っていたはずなのに。

誰かに知ってほしいと、気づいてほしいと心の奥底で願うことをとめることができなかった。

 

そうして後戻りできなくなったとき、よりにもよってそれをはっきりと指摘したのは、自分を負かした"敵"だった。

 

「弱いな、お前」

 

地に伏せった自分。

無傷で見下ろす敵。

 

戦う前から力量差は歴然だと分かっていた。

敵うはずのない敵に挑んでしまったのは、それもまた弱さのせいか。

 

血が滲むぐらい唇をかみしめる。

死にたくないと心の底から思った。

 

地面を引っかきながら、何とか立とうとする。

身体は麻痺して言うことを聞かない。

生まれたての小鹿の様に両足が地を滑る。

 

死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

三度心の中で繰り返した。

受け入れようと努力した。

弱いから死ぬのだと、そう教えられてきたはずだ。覚悟していたはずだ。

けれど死が間近に迫って、簡単に受け入れられるはずもない。

 

生きたい。生きたい。生き延びたい。

 

どんな辱めを受けようとも、どんな恥辱に塗れようとも。

ただ生きたい。

 

しかし、少女にはもう術は残されていなかった。

抵抗する力は失われ、口を開いても漏れる声は意味を持たない。

それでもどうにか本能のままに生きようとする少女に、"敵"は近づく。

 

何をされるのか。

想像し身体を堅くした彼女に、意外にも少年は手を差し伸べてきた。

 

「立てるか?」

 

呆気にとられる少女。

憐れみに微笑む少年。

 

『誰よりも強ければ、誰よりも多く殺して、誰よりも永く生きられる』

 

そう教えられた少女はこの日、一つ学んだ。

 

「……別に殺さないよ。だって俺はお前らより強いからな」

 

誰よりも強ければ、誰も殺さずに済む。

そんな傲慢極まりないことを、少女はこの日ようやく学ぶことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は朝から妙に落ち着きがなかった。

家に居る間、ベッドで寝ていても朝食を作っていても、登校中でさえ落ち着きなくそわそわと辺りを見回した。

目に映る景色。過ぎ去る人々。特別変わったところはなく、気のせいかと思い学園へと向かう足を速める。

 

それでも5分と経ぬうちにもう一度辺りを見回した。

そんなことを4度も繰り返し、剣華は学園に辿り着いた。

 

学園に入り、下駄箱でも踊り場でも廊下でも、落ち着きを取り戻すことはない。

教室に着き椅子に座り、やけに硬く感じられる椅子に腰かける。

鞄から教科書等を取り出す途中、何度も臀部の位置を調整し、終わってなお気が付けば窓の外をぼうっと眺めているその姿は、クラスメイトたちにすれば初めて見る奇行で、おそらく天神館の生徒ですら見たことのない姿だった。

 

どうかしたのかと尋ねる委員長に剣華は首を傾げ「わからない」と答える。

その原因不明の落ち着きのなさに、病気じゃないのかと声が挙がりすらした。

しかし剣華の体調は万全そのもので、今はいい具合に闘気が溜まっており、おそらく工藤と戦ってもそこそこはもつだろうほどだった。

 

では何が原因でこんなに落ち着きがないのか。

それを集まった各々が好き勝手に推測を口にする中、時針が進むにつれ余計に心が乱されるのを剣華は自覚する。

 

この違和感の正体はなんだろうか。この胸騒ぎの正体は。

どうしてこんなにも落ち着かないのか。

 

思い返せば、三年前に一度。二年前にも一度似たような経験をしていた。

あの日も、あの日も、朝からこんな感じで落ち着かなかったことを覚えている。

何があったかと言うと嫌なことがあったと答えるだろう。

その両方に"あいつ"が関わっていることを考えるとあまりいい思い出でもない。

 

ポケットの中の携帯は先のメール送信以降、未だ鳴っていなかった。

そろそろ返事があっていい頃だ。しかし現実にまだ返信はない。

これの意味するところを想像して、少しだけ嫌な予想が脳裏をよぎる。

 

あいつは今何を考えてるのか。

それを推測すらたてられない現状、考えても意味はないと思いなおす。

私に出来るのは、この先に待ち受けているかもしれない苦難に身構えることだけだと、剣華はスピーカーから流れるチャイムを聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「本日もまた、転入生がいる」

 

ショートホームルームが始まって早々、小島はクラスに向けてそう告げた。

「え? また?」という大勢の反応は今年度に入り三度の編入あるいは転入生。その内二度がこのF組に振り分けられていたからである。

クローンが転入したS組はともかく、他のA~Eにももう少し配慮してやれよと、言葉はなくとも誰もが思っていた。

 

「ちょっとさすがに多すぎませんか、せんせー!」

 

遠まわしの非難。

そのブーイングに対し小島は「静粛に!!」と逆切れ気味に鞭をしならせた。

ビシリと強く打たれた床。ワックスが微かに剥げる。

 

「そういう苦情は学園長に言うように」と渋面で生徒たちに述べる小島はまごうこと無き中間管理職者であった。

社会人の艱難辛苦を身をもって生徒に教示するその姿勢は先生の鑑と言って相違なく、数人の勉学優秀な察しの良い生徒たちは心の中で労わりの言葉を投げかけた。

 

「では、紹介する。入ってこい」

 

小島は剣呑な声音そのままに扉の向こうに投げかけた。

気配は三人分。その内の一つが緊張したように揺れ動いた。

 

僅かの間を経て扉が開く。

 

先頭には黒い長髪の少女が立っていた。

一目見て、美人と言ってよい彼女に男子は色めき立つ。

 

その背後には比べて少し背の低い女の子が続く。

茶色い髪を両サイドで輪を作るように結んでいる。

活発そうな表情でクラスの生徒たちを興味深げに見回していた。

 

最後の一人は他の二人に比べ幾分雰囲気が異なっていた。

神秘的と言うか不思議と言うかは人によって異なるが、例えるなら椎名京のような雰囲気を醸し出している。

その少女は水色の毛髪を揺らし、一度クラスを見回した後は興味なさげな表情になった。

眠そうに瞼を細める。

 

「順に林冲、史進、楊志だ。中国の梁山泊と言う場所からやってきた」

 

梁山泊。

歴史に興味がある人間なら知っている人もいるだろうが、特に有名なのは水滸伝に登場する好漢108人のことだろうか。

梁山泊百八星と言われる108人の好漢たちを描いた小説であるが、今壇上に立つ少女三人はその好漢に勝るとも劣らない武人であることは足運びで分かった。

一子、クリス両名が反応する。

 

「何でも、川神学園の名は海外に広く知られているそうだ。噂を聞きつけ、是非とも学園で切磋琢磨し己の武を極めたいとこの度転入を希望してきた」

 

史進が小島の言葉をう受け好戦的に笑いながら頷いた。

活発そうな見た目に違わず、戦いたがりのようだ。

 

「では林冲から自己紹介をしてもらおうか」

 

「はい」

 

林冲は生真面目そうな面持ちで生徒たちを見回す。

中でも大和のことは興味深げに数秒見つめていた。

その奇異な視線に「ん?」と大和は気づき、なんだろうかと首を傾げる。

大和が不思議がっている間に林冲は視線を逸らした。

 

「『豹子頭』林冲だ。先ほど小島先生から話があった通り、学園のみんなとは切磋琢磨し自分の力を高めながら過ごしたいと思っている」

 

そこで一度言葉を切り、大きく息を吸い込む。

林冲の目に決意の色が混ざった。意を決したように言葉を放つ。

 

「実はこの学園に転入したのには他にも目的がある。一つは直江大和。私たちはお前に興味がある」

 

「うえ!?」

 

思いがけない言葉に、大和の口から変な声が出た。

内容を理解できず、茫然と林冲を見返していると突き刺すような視線を感じる。

ゆっくりとそちらに顔を向けた。

 

「またか……」

「またなのか……」

「殺すしかないのか……」

「取りあえずギルティ」

 

弁慶、剣華と続いて三人目。

今学期三度目となる転入生との仲良しフラグに男子の嫉妬が降り注ぐ。

特にすさまじいのは岳人とヨンパチの二人だ。

嫉妬と殺意とで充血した瞳は夢に見そうな威力を誇っていた。

 

「そしてもう一つ」

 

林冲は構うことなく、言葉を続けた。

その眼は既に大和から離れ、全く違う人物に注がれていた。

 

「橘剣華――――いや、『大刀』関勝。おまえを迎えに来た」

 

クラス全員が剣華を振り返った。

決意の炎揺らめく瞳の先には、冷水の如き表情で林冲を見返す剣華の姿があった。

 

彼女はただじっと林冲を見つめている。

林冲も決意に燃えながら剣華を見つめる。

 

二人、何も語らず。

静まり返った教室に秒針の音が響き渡った。




剣華が勉強できないのは外国人だったからと言う事実
国語とか日本史とかわかるわけねえだろっていう


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二十二話

剣華と工藤の付き合いは、長いように見えて実は短い。

まだ出会って数年で、彼女と彼が初めて顔を合わせたのはおよその4~5年前だ。

 

とある九鬼主催のパーティに梁山泊の一員として出席した剣華が、九鬼帝の護衛として会場にいた工藤を見たのが、彼と剣華の――梁山泊との始まりだった。

 

 

 

 

 

 

当時そのパーティに護衛兼使用人として配属されていたのは新米の従者ばかりで、率直に言ってしまえば全体のレベルは鼻で笑われるほど低かった。

護衛に要求されるのは単純な武力はもちろん怪しい人間を見つける洞察力もそうだが、一番大事なのは安全を確保すること。

何か合った時にいち早く反応し、即座に場の安全と護衛対象の安全を確保することである。

いくら優秀な人間でも予期せぬ事態に即座に応対することは難しい。

経験があって初めて人の体は動くのである。知識があろうと体力があろうと脳が動かなければ意味がない。

 

そう言う意味では会場に居る新米の従者たちは見るからに経験不足で、初めての大仕事なのか緊張に身体が強張ってしまいまったく頼りがいがない。

 

――――いざという時は梁山泊になんとかしてもらいましょう。

 

それを言ったのはとある国の要人だった。このパーティーには大勢の上流階級が出席しており、梁山泊もその伝手で招かれていた。

 

一人が発した嘲笑は瞬く間に会場全体に伝播していき、空気はねっとりとした悪意に満ちていく。

まったく九鬼はこの程度なのかと、百八星の一人が口を滑らせたのを剣華はよく覚えている。

耳をすませば似たような嘲りが方々から聞こえていた。

 

躍進中の大企業。敵は多く、粗探しには余念がない。最悪それはねつ造してもいい。大事なのは印象だ。九鬼ならばあるいはと思わせた時点で悪意は容易く根を張るのだ。

そうしたい人間にとって、その日のパーティーはこれ以上なく好都合な出来事だった。

 

ヒューム、クラウディオの双璧はおろか、従者部隊の古強者は誰一人会場にいない。

働いている従者はどれもこれも新人ばかり。

「案外、九鬼もこれで終わるかもしれないな」と、この後の荒事を予期して誰かが嘲笑う。

 

いよいよ招待客が集い、あとは主催者を待つだけとなる。

それから、ややあって扉が開く。

 

「やあ皆さん、楽しんでいただけているかな?」

 

現れたのは楽しげな声。それは主催者である九鬼帝のものだった。

それに応じる者はなく、どころか場は一瞬にして沈黙で満ちる。

聞えるのは扉の開いた残響と入場してくる者たちの靴音だけ。

 

――――なんだ、あれ……。

 

誰かがそう言った気がした。

無意識に震える身体を剣華は自覚する。その場のほとんどの者がそうだった。

唐突に覚えた感情は本能的な恐怖。危険だと言う直感がその場の誰しもに働きかける。

威圧されていると理解できた人間がどれほどいるだろうか。

きちんと理解できたのは梁山泊をはじめ腕に覚えのある者だけである。すべからく、護衛に限られる。

 

だが、例えそれが分からずとも本能が訴えかけている。決して侮ってはいけないと。

そのために来賓たちの九鬼に対する侮りは完全に消え去った。

九鬼帝はそれを認めると口角を吊り上げ厭らしく笑う。

そうして悠々と歩を進めるのだ。

己の背後にその原因である従者を付き従えて。

 

この従者こそ、当時従者部隊に所属していた工藤である。

 

当時の彼は自重と言う言葉を知らず、気を抑えると言うこともせず、ただそこに居ただけだったが、そこにいると言うたったそれだけのことで多少腕に覚えのある人間は皆彼を畏怖した。

 

当時にして既に壁越え。

それでもまだまだ伸びしろの余る彼は、丁度その頃が一番の成長期だったと言って差し支えない。

 

そんな彼が己の武をひけらかすように、その場の誰も手の届かない絶対的な強さを見せつけていたのは、最も単純な抑止力としての効果を狙ったのだろうが、効果はてき面だった。

 

余計なことを考えてはならないと、誰もが直感で理解した。

何か少しでも良からぬことを仕出かそうものなら即座に潰される。

 

そう思わせるだけの威圧感。

一軒朗らかな会場に似つかわしくないプレッシャー。

それは全て一人の少年から発せられている。

例え彼がまだまだ若い半人前の従者と言う事実があっても、"もしかしたら"と可能性を考えてしまえばもう動けない。それを考えさせるだけの武力を彼は持っていた。

 

結局、その日のパーティは全く何事もなく、敢えて言うならば九鬼帝の描いた筋書き通りに安穏無事に閉会した。

 

 

 

 

 

 

――――それから二年が過ぎて。

 

中国奥地の秘境。

深山幽谷と言うような、人里離れすぎた仙境。

そこに梁山泊の本拠地はある。

 

その二年の間に世代交代が進み、梁山泊は若い女ばかりとなっていた。

特に百八星は全員が女性となり、それが影響してか傭兵としての需要が激増していた。

 

その日は彼女たちの約半数が出払っていた。

任務に出ている者以外は拠点で身体を休ませる。もしくは鍛錬を積む。

壁越えの人間こそ少ないが、すでにそれにほど近い武芸を持つ者は多数存在している。

 

例えば林冲。それを追いかけるように史進が。

遠距離となれば花栄がずば抜けている。

他にも一癖二癖ある曲者揃い。

 

そんな、言わば川神院の様な武の総本山に"彼"はやってきた。

 

それに予兆はなかった。

誰も気づいたものはなく、まったく突然に、一つの大きすぎる闘気が梁山泊の門前で発せられた。

 

爆音が辺りに響く。その音は梁山泊に居た人間全ての耳に届いた。

何事かと辺りを見れば、門の辺りから土煙が起こっている。

 

寝ていた者、鍛錬していた者、雑務をこなしていた者。

聞いた人間の内、動ける者はすぐさま動き出した。

 

よもや梁山泊が襲撃されるなど思いもせず、仮に襲撃されたとするならさては曹一族か。

そのように頭を働かせつつ、百八星の内数名が頭領の元へ走る。それ以外は全員が門前へ駆けた。

 

門を警備していた者は当然いる。

だが門が破壊されるまで警告はなかった。

 

爆音はその一度のみ。今は何も聞こえてはこない。

戦闘音はおろか襲撃を示す警笛すらない。ならば、警備の人間はすでにやられたのだろう。

 

覚悟を決めなければならない。

知らぬうちに戦争は始まっていた。

 

駆けつける者たちが合流を重ね、ようやく門が見えるところまでやってきた。

人が出入りするのには不向きな、威を示すための、大きな鉄門が吹き飛ばされたように内側に転がっていた。土煙はとっくに止んでいる。

 

門の前に人影が一つだけあった。

悠々と歩いてくるそれは、男で、まだ幼くて、尋常ならざる闘気を身に纏っていた。

 

それを浴びて、知らず知らずのうちに百八星たちはその身をこわばらせた。

数々の死地を潜り抜けてきた彼女たちにとっても、今目の前にしている馬鹿でかい闘気は感じたことの無い大きさだった。

 

まるで噂に聞く武神のような、世界最強の称号を持っているかのような、そんな闘気。

 

慄いて、彼女たちが動けないでいるうちに少年は門をくぐり、数歩内へ踏み込んでいる。

そこまで来て、ようやく動けたのが一人。林冲だ。

 

「取り押さえろ!!」

 

後で思い返せば、まったくふざけた指示だと反省する。

よもやあれに向かって取り押さえろなどと冗談にもならない。

 

想像していた襲撃者とは似ても似つかない風体に動揺していたのだろうか。

あるいは、少年はただの囮で本命は他にいると、そう思ってしまったのかもしれない。

 

とにかく、林冲はそう指示を飛ばした。

それが間違いであったことはすぐに気が付かされた。

 

一寸にも満たない間に、百八星たちは倒れていく。

 

その中には武松がいたし、史進も花栄もいた。

成すすべなくやられる仲間たち。

信じられない光景が走馬灯のようにゆっくりと流れていく。

とにかく何をする間もなく、ただ味方の倒れる姿を見ていたのが林冲である。

 

仲間たちの倒れる姿を見て、ルオの姿が脳裏にちらつく。

子供の頃、自分のせいで死んでしまった友人。

その時のトラウマを刺激された林冲は、ほとんど自暴自棄になりながら少年へと斬りかかった。

もちろん、そんな状態で立ち向かって歯が立つわけもなく。

 

容易く槍先を捌かれ、腹に殴打を一撃。

それだけで林冲は痛みに呻き、身体は崩れ動けなくなる。林冲の細い躯体を奥義もかくやの闘気が貫いて行った。

 

少年はうずくまる林冲を冷たく見下ろしていた。

林冲は浅く呼吸を繰り返し、痛みを和らげようと必死だった。

 

やがて少年は先へと足を踏み出す。

向かう先は梁山泊の中枢。

 

頭領や非武装の人間も多く住まうエリア。

それを考え、今になって、林冲は事の重大さを改めて理解し始めた。

 

自分たち百八星は梁山泊最強集団。

わたしが敗れれば、それは梁山泊の敗北を意味する。

 

(……守らなきゃ)

 

絶対に。何があっても。

また、あの時の様に。

誰かを失いたくはない。

守るって決めたんだから。

 

「まっ……て……」

 

槍を杖代わりに無理矢理立ち上がろうとする。

今や腹に受けた鈍痛が全身に広がっているようだった。

ズキズキと頭までが痛い。ふとすれば視界が眩み倒れそうになる。

 

「おまえは……これ以上、進ませない……」

 

ようやく出た言葉は息も絶え絶えに、明らかに無理をしている。

槍を構えなきゃいけないと頭では分かっていても、身体は鈍く力は入らない。

だと言うのに、いくら呼吸してもまるで足りないとばかり肺だけが活発に動いている。

戦うことなど出来ないと誰もが、自分自身でも分かっていた。

 

もはや少年は林冲のことを見てすらいなかった。

ここまで満身創痍な人間は警戒することすら値しないと言っている様に、視線は林冲を飛び越し背後の門を見つめている。

 

そこに何があるのか林冲には分からなかったが、しかし考える前に限界が訪れる。

 

崩れるように前に倒れる林冲。

彼女の身体が地面に打ち付けられる前に、誰かの腕が支えてくれた。

 

ぼやける視界の隅で水色の髪がチラつく。

それがいったい誰なのか分からなかったが、頭上から聞こえた声は聞き覚えのある声で、今その声が聞けたことに、心の底から安堵する。

 

「やあ林冲。この貸しはパンツ三枚分ぐらいかな。もっと高く吹っ掛けてもいいよね」

 

飄々とおちゃらけた言葉。

内容は半ばマジである。

 

「楊、志……?」

 

「うん、そう。さあちょっとあっち行こうか。ここは随分と酸素が薄いからね」

 

酸素……。

ああ、そうか。この苦しさは酸欠だったのか。

先ほどから続いている頭痛もそれでなのか。

これもあの襲撃者がやったことなのか。

 

納得し、考えながら、肩を貸され引きずられる。

 

「……ダメだ、ほかの皆が……」

 

「まあ、ほら。そこはすぐ援軍来るからそっちにお任せしよう。今は早く離れないといけない」

 

「でも……」

 

「林冲。仲間が倒されて怒ってるのは君だけじゃあないんだよ」

 

そこで初めて、林冲は見た。

襲撃してきた少年と自分との間に立つ少女を。

 

少女は林冲を守る様に背を見せて、その顔はまっすぐ少年を見つめている。

彼女の身から高まる闘気は、ここの所の不調が嘘のようにその身から噴き出していた。

 

相対する少年の純粋な闘気と彼女の怒気混じりの闘気が濃密に絡み合い、周囲の重力が強くなったのではと錯覚してしまいそうになる。

壁越え同士が対するとここまで空気が変わるのだと、林冲は寡聞にして知らなかった。

 

「……関勝」

 

その声で関勝が僅かに振り向いた。

林冲が無事であることを認めた彼女はわずかに微笑み、目の前の襲撃者に向き直る。

そして名乗った。

 

「『大刀』関勝」

 

「…………」

 

襲撃者は最初答えなかった。

門の向こう、外からやってくる援軍を見て、拠点内部からやってくる援軍を見て、挟撃されることを悟る。

それでも彼の闘志は聊かもくじけず、漂う闘気はその苛烈さを増す。

彼の身体を帯電する電気が、開戦の合図だった。

 

「――――」

 

獰猛に笑いながらの名乗りは、周囲を無差別に襲う電撃と同時で、残念ながら林冲はおろか関勝すらその名前を聞き取ることは出来なかった。

 

 



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二十三話

橘剣華が元梁山泊の一員で、その名を『大刀』関勝と言う。

そのことをルーは昼食を取りに訪れた学食で生徒たちに聞いた。

聞いた瞬間には卵焼き定食をテーブルの上に放り出し、学園長室に駆け込んでいた。

「総代!!」と今しがた聞いたことを鉄心に伝える。

 

無言で聞いていた鉄心はエロ本を引き出しにしまいながら言った。

 

「なんじゃ。血相変えて駆け込んで来たと思ったらそんなことか。そんなんとうの昔に知っとるわい」

 

「はイぃ!?」

 

全く何も知らなかったルーは声を裏返して叫んでしまう。

よもやそんな大事なことを何も知らされていないとは。

鉄心を問い質す口調には聊か異常に熱がこもってしまった。

 

「わたし聞いてませんヨ、総代!」

 

「昔のことじゃし言う必要なくね?」

 

「少なくとも今、学園中でその話題が持ち切りですヨ!!」

 

「おお、若者は噂が好きじゃからのう。儂が若い頃もそうじゃった。そう、あれは血生臭い戦場ですら――――」

 

「総代の話は長いので結構でス!」

 

「せっかちじゃのう。折角人が人生の何たるかを言って聞かせようとしたのに」

 

「今はそれよりも大事な話をしてるんでス!」

 

そんな調子でようやくルーの語気が落ち着いたころ、鉄心は昔の事を思い出しつつツラツラ話し始める。

 

「一年ぐらい前じゃ。突然"あの子"に連れられて剣華ちゃんが儂の所へやってきた。聞けば相談があると言う。まあそれが戸籍の相談だったんじゃが」

 

「戸籍……ですカ?」

 

「うむ。剣華ちゃんは中国で生まれ育った。中国の梁山泊で。物心つく前から闇稼業に身をやつしていたあの子は戸籍も国籍も持っておらんかったのじゃ。可哀そうな話じゃろ? 丁度その頃闇を抜けた剣華ちゃんは学校に行きたがってのう。しかし戸籍の無い人間が学校に通うのは難しかろうと言う事で、儂はちょっと……ちちんぷいぷいしてあの子に戸籍を――――」

 

「総代……まさか……」

 

「と言うのはさすがに冗談じゃ」

 

してやったりと呑気に茶を啜る鉄心を、ルーは今まさに犯罪を目の当たりにしたと言う目で見た。

 

「本当ですカ?」と物問いた気な瞳が鉄心を貫く。

 

「前途洋々の若者に道を踏み外すような真似させるわけないじゃろ」と鉄心は真顔でのたまう。

 

普段からの信用の無さは、いくら真剣な雰囲気を取り繕ったところで早々取り戻せるはずもなかった。

 

「戸籍が無くとも学校には通えるからのう。私立ならなおさらじゃ。だから儂はあの子に川神学園への入学を勧めた。無論、ある程度の学力がある前提じゃが」

 

「なるほど……。だから総代は色々ご存知だったんですネ。しかし、結局は天神館に入学したんでしょウ?」

 

「そうじゃ。儂としてはウェルカムだったのじゃがの。最後は鍋島にとられてしもうた」

 

至極残念そうに鉄心は呟いた。

もし剣華が川神学園に入学すれば工藤が引っ付いてくるかもしれなかった。

それを考えると鍋島も必死だったのだろう。

 

「しかし以前に断っておきながらどうして今になっテ……」

 

「それはあの子とその友人たちの問題じゃ。儂らは見守るしかなかろう」

 

何やら他にも色々知っているらしき鉄心はただそれだけを言って、懐から新しいグラビアを取り出し読み始めた。

 

昼休みとは言え学び舎で煩悩に塗れる学園長。

その教育者らしからぬ様を見てルーは溜息を吐く。

 

クローンに始まり九鬼の暴力執事や松永燕、果ては梁山泊とあまりに立て続いたイベントにルーの疲労も相当蓄積していた。

しかしだからこそ教育者たる自分がしっかりせねばと一念発起する様子を鉄心は雑誌の影からこっそり覗いている。

 

(まだまだ若いのう)

 

齢百を超える生き字引は、齢四十を迎えるルーをそう評した。

人生適当でいいのよ、と長い月日を生きたがゆえの達観は、生粋の生真面目堅物が身に着けるにはまだもう少しかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

2-Sに武松。1-Sに公孫勝。

2-Fに林冲、史進、楊志。

 

計5人の梁山泊が川神学園に編入した。

 

そのことを、剣華は林冲の口から今聞いたばかりだ。

二人は他に史進と楊志を引き連れて、屋上のベンチで昼食を共にしていた。

 

「その弁当お前が作ったのか?」

 

「うん」

 

史進が剣華の弁当箱を覗き込みながら怪訝そうに問う。

青い弁当箱にぎっしりと冷凍食品などが詰めこまれているその弁当は、とてもじゃないが剣華の昔を知る史進には想像できない物だった。

 

「へえ。わっちはてっきり、誰かに作らせてるのかと思ったぜ」

 

その言いように、剣華はむっと気を悪くした。

失礼な。これは私が作ってるんだ。

そんな感じに抗弁した。

 

「へいへい。ああー、しっかしあの関勝が料理ねえ? 似合わねえなあ。すっかり剣鈍ってるんじゃないのかあ?」

 

「……さあ」

 

分かりやすい挑発だった。

それに乗るのもやぶさかではなかったが、今は腹ごしらえの方が大事だと剣華は弁当をかっ込む。

 

目論見が崩れ「ちぇっ」と舌打ちした史進の横で興味深げに弁当を見る楊志。

 

「これはこれは味気ない弁当だねえ。こっちは林冲の作ったキャラ弁ってやつだよぉ。よかったら関勝もどう?」

 

楊志の目には悪戯心が浮かんでいた。

その眼を見て言わんとするところを悟った剣華。

 

「いただきます」

 

「あっ!」

 

すかさず林冲の弁当からウインナーを一つかすめ取る。

取ったのは赤いタコさんウインナーである。

 

「ウインナー……」としょんぼりする林冲を、楊志はにんまりと見て、剣華はウインナーの美味さに舌鼓を打っていた。

 

そんな四人の様子を扉の向こうから盗み見する二人。

2-Fの甘粕真与と小笠原千花である。

 

他にも様子を見たがっていたクラスメイトも居たのだが、今はクラスで大和のモテイベント発生のためそっちに注意を割かれていた。

 

「橘さん、大丈夫そうですね」

 

「うん。なんか拍子抜けって感じだけどね」

 

最初の自己紹介時、剣呑な雰囲気で半ば剣華を睨んでいた林冲は今はおかずをとられて涙目になっている。

すわ喧嘩勃発かと警戒していた分、その親し気な態度には気が抜けてしまった。

 

「でも、ホントなんですね。橘さんが梁山泊って言う場所で傭兵をしていたと言うのは」

 

「…………」

 

平和な世界に生きていると、どうしても想像しづらいことだが、剣華は確かに人を殺したことがあるし、殺人を稼業とする者たちがこの世界にはたくさんいる。

 

彼女と自分たちの違いと言えば、それこそ生まれ育った環境以外にないが、それでも同年代の、一見何の変哲もない女の子が人を殺したことがあると言う現実はそうそう受け止めることは出来ない。

 

真与と千花は何を言っていいか分からず、互いの顔を見て沈黙した。

人殺しは悪いことだと教えられて、しかし剣華を悪人だとは思えなかった。

心の中で生じる矛盾を、二人は飲み込むことができずに、ただ耳を澄ますことしかできない。

 

そんな彼女たちの思いは露しらず、扉の向こうで弁当箱を片付けた林冲は真剣な表情で切り出した。

 

「関勝。さっきも言ったが、梁山泊に戻ってこないか。みんなお前のことを待ってる」

 

直ぐには答えず、剣華は史進を見て楊志を見た。

二人とも仕方ないなあと言わんばかりに微笑を浮かべている。

その笑みが自分ではなく林冲に向けられていることに、いくら鈍い剣華でも気づいていた。

 

「林冲。私の今の名前は――――」

 

「知っている。しかし、私にとってお前は関勝だ。あの日からずっと関勝以外の何物でもない。だってお前は仲間だから」

 

剣華は空を見上げた。

この数年で、何か困ったことがあるときに空を見上げる癖が彼女にはついていた。

それは事あるごとに空を見上げていた誰かの影響だったかもしれない。

 

剣華は林冲たちを正面から見据えた。

 

「正直に答えて。頭領は私のことを何と言っているの?」

 

「そりゃあ当然怒ってるよ。人の話聞かずに消えたんだもの。誰だって怒るよね」

 

「でもまあ、今ならわっちらが庇ってやってもいいぜ。貸しだけどな」

 

「……そう」

 

剣華は眼を閉じ瞑目した。

帰るなら今だと三人は決断を迫っていた。

 

「関勝……」

 

林冲の懇願するような声が聞こえる。

その声に酷く胸が痛んだ。ふとすれば帰りたいと思っている自分がいることに気づく。

天神館でも川神学園でも癒えることの無かった寂しさは、元を辿れば梁山泊への郷愁だった。

 

「私は――――」

 

今頷けばもうこんな思いをせずに済む。

しかしそれでは何も解決しない。

どうして梁山泊を出たのか、出なければ行けなかったのか。

気のコントロールもままならない私に、梁山泊で居場所などない。

頷いてしまえば、結局また同じことを繰り返すだけだ。

 

「――――林冲、史進、楊志、ありがとう。……ごめんなさい」

 

剣華は首を横に振った。

まだ自分にはやることがある。そう言った。

 

史進と楊志は、分かっていたとばかりに溜息を吐いた。

次いでしょうがないなとばかりに笑う。

ただ、林冲だけが傷ついたような、ショックを受けたような顔で剣華にすがりついた。

 

「どうして? なんで?」

 

その瞼には涙が溜まっている。

今にも泣き出しそうな顔。

これを見る度に、剣華は昔を懐かしく思い、同時に申し訳なくも思う。

 

しかし、剣華の言う言葉は決まっていた。

 

「ごめんなさい」

 

「……ッ!!」

 

二度続けられて、いよいよ林冲の頬を一筋涙が伝った。

剣華はほとんど反射で、零れた涙を指で拭った。

 

「林冲」

 

正面から見つめあう。

林冲の瞳からは止めどなく涙が零れている。

 

「私にはやることがある」

 

「……」

 

林冲は何も言わずに聞いていた。

剣華はその先の言葉を口にするのに一瞬躊躇した。

叶うはずのない夢だと心のどこかで諦めていた。ぬるま湯が心地よくて、今の関係に胡坐をかいていたのを認めよう。

しかし、未だにこんな自分を仲間だと言ってくれた彼女たちに言わないことなど出来るはずがなかった。

 

「私はあいつに勝ちたい」

 

それが誰なのか、林冲たちには言わずとも知れた。

剣華が負けた相手など数える程しかいないし、何よりもこれほどの激情はただ一人にしか露わにしていない。

 

林冲は目を見開き、史進は口笛を吹いた。

ただ楊志だけが無言で剣華を見つめていた。

 

「実力差は分かってる。今まで、そもそも相手にもされてない。でも、だからって諦めることは出来ない」

 

もはや剣華は林冲を見ていなかった。

その眼は林冲を飛び越え、ここにはいない誰かを空目していた。

 

「殺すつもりで勝ちに行く。そうじゃないと私は先には進めない。それだけのために私はここにいる」

 

かつて剣華は何も言わずにいなくなった。

言えるはずなどなかった。どれだけ無謀な言葉かは自分が良く分かっている。

 

それを今ようやく言えた。

少し遅かったかもしれないけど、それでもようやく言葉に出来た。

 

覚悟はとっくに出来ていた。

今はそのための武器を磨いている。

 

「勝つ。絶対に」

 

既に数えきれないほど地べたに這いつくばり、十分すぎるほど苦汁をなめた。

負ける度に空を仰ぎ見てきた。

 

いつかは、いつかはと何度思っただろうか。

繰り返すたび、決意は薄っぺらくなっていた。

負ける度に、思いも言葉も少しずつ削り取られていた。

いつの間にか惰性で挑んでいた。

 

もう時間がないのかもしれない。

だからこそ、林冲たちはここにいるのだ。

私がここにいるのと同じように。

 

猶予が定められた。

いい加減結果を出せとそう言われている気がする。

 

勝たなきゃいけない。絶対に何が何でも。

 

「勝たなきゃ……。じゃないと、私は強くなれない……」

 

――――何も守れない。

 

呟いた言葉は虚空に消えた。

林冲たちは何も言わなかった。

 

予鈴の鐘の音が聞こえる。

青い空に、チャイムの音が静かに響く。

 

四人の間を冷えた空気が通り過ぎて行った。



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幕間

川神のとあるビル。

傍目には何の変哲もない普通のビル。

そこは今、九鬼財閥の目すら欺いて曹一族が拠点として使っていた。

 

各フロアには曹一族の傭兵が各々自分の仕事に精を出している。

その一室、大量の本が積まれた特徴的な部屋。

曹一族の武術師範"史文恭"が一人やることもないからと読書に勤しんでいた。

 

傍らに仕える女が、もの言いたげに史文恭をのぞき見ている。

何度か声を掛けようと半ばで躊躇して、やがてようやく決心のついた女は、緊張で上ずった声をあげた。

 

「あの……史文恭さん」

 

「なんだ?」

 

まるで声をかけてくるのを待っていたように、本から目を上げずとも、即座に史文恭は答えた。

 

「ここでこんなにゆっくりしていていいんですか? 報告では梁山泊が直江大和に接触したと……」

 

「らしいな」

 

言いいながらページをめくる。

なお変わらないその調子に、多少感情的な女は気色ばんだように声を荒げた。

 

「万が一に直江大和が梁山泊にとられるようなことがあればどうするんです?」

 

「……」

 

その言葉で、ようやく史文恭は本から目を離した。

横目に女を睨みつける。獰猛すぎるその瞳は、常人であればそれだけで狂いかねない殺気を纏っていた。

女は数歩後ずさりし身をすくませる。

 

しかしその眼に反して、史文恭の声音は平静そのものだった。

 

「その心配はない。奴らは今関勝に夢中だ。直江大和は二の次だろう」

 

「……『大刀』関勝。まさか川神に居るとは思いませんでしたが」

 

「ああ、しかもよりにもよって直江大和の近くにいた。何者かの意思を感じずにはいられんな」

 

史文恭らがここに居る理由は直江大和にある。

彼が武士娘の扱いに異常なまでに長ける人物だと聞き、その真相を確かめにやってきた。

 

その情報を知らせ導いた張本人、通称"M"

正体不明のその人物。Mというだけでふざけた奴だ。

よもやそいつが関勝を直江大和の側に置いたとは考えにくいが……。

 

「可能性があるとするなら噂の保護者か……」

 

話だけなら史文恭も聞いたことがある。

九鬼に喧嘩を売り、梁山泊に喧嘩を売り、かの世界最強と引き分けたことすらあると。

 

あくまで噂は噂。

しかし今回の任務の邪魔にならないとも限らない。

注意が必要だ。

 

「九鬼の目がある以上、そうそうは動けん。しばらく様子見する。幸い、梁山泊の連中は仲間ごっこで忙しいようだ。機会はあるだろう」

 

史文恭は本に目を戻した。

このように既に方針は決定している。

 

もう何を言ってもこれが覆ることはない。

女は不精不精ながら頷き、部屋を後にしようと史文恭に背を向けた。

そうしてドアノブに手を伸ばした時、目の前のドアから、小さなノックが聞こえてきた。

 

誰かが報告にでも来たのだろう。

女は扉が開くのを予見し、一歩横にずれる。

しかし予想に反して扉は開かない。

 

「なんだ?」と疑問に思ったのもつかの間。

部屋の中心から「下がれ」と史文恭の低い命令が耳に届いた。

 

ほとんど条件反射で女は後ろに飛び退いている。

史文恭は本を置いて扉を睨んでいた。

 

ギギギとゆっくり扉が開く。

扉の向こうには見たことの無い風貌の少年が一人立っていた。

少年はまるで物見遊山に訪れたと言わんばかりにきょろきょろと室内を見回している。

 

史文恭が愉快そうに口角を吊り上げた。

 

「これはこれは。珍客だな」

 

その目がギョロリと動き少年を射抜く。

本人の意思とは無関係に動いている様に見えるその瞳。

少年は顔色一つ変えず言った。

 

「そう睨むなよ。怖い目だな。お前が史文恭か?」

 

「睨んだつもりはない。言う通り、私が史文恭だが。……貴様は工藤だな」

 

工藤は答えず、ただ微笑んだ。

女が驚愕に目を見開く。

 

「馬鹿な。九州に居るはずのお前がなぜここにいる!?」

 

大声で、半ば以上取り乱した声を工藤は取り合わなかった。

 

関勝が川神に居るというだけで、その保護者であり且つ悪名高い工藤は監視対象となっている。

決して失敗は許されない任務なのだ。不確定事項は出来るだけ排除するのが常道である。

工藤と言う存在は不確定事項の最たるもので、何か動きがあれば、つまり川神に向う素振りを見せれば、すぐにその報告がなされているはずだ。

 

工藤を監視していたのは、曹一族の中でも特に腕の立つ者たち。

そう易々と後れを取るはずがない。

 

憤然と自信をもって思う女の内心とは裏腹に、工藤は煩わし気に肩をすくめた。

 

「俺を見張ってた奴なら、今頃深海だぜ。探してみると良い。運が良ければ骨ぐらい見つかるかもしれない」

 

「――――」

 

一瞬何を言われたのか分からなかった。理解するのと同時に、女は工藤に跳びかかっていた。

それを工藤は予想していた。

彼我の実力差は圧倒的だった。加えて理性をかなぐり捨てた武人ごとき赤子の腕を捻るより容易く、工藤は地面に打ち倒した。

 

「冗談だよ。そう怒るな」

 

なにをされたか女は見えていなかった。

ただ、気づけば背中をしたたかに打ち付けられている。

その衝撃で一瞬息が出来なくなった。次の瞬間には肺の空気が追し出された。

腹に受けた掌打はそれほど重いものではなかったが、追撃の雷撃で意識が刈り取られた。

 

一連の動き全て眺めていた史文恭の目は工藤の左腕に注視されている。

バチリと雷撃の名残が見えた。

 

「どいつもこいつも強いなぁ」

 

工藤はそう呟いた。

軽い口調だったが、言った本人にしてみれば素直な称賛だった。しかし残念ながら言われた側には聞こえていない。

史文恭は部下への賛辞に口角を吊り上げる。皮肉にしか聞こえないと言うのが理由だった。

 

「あまり部下で遊ばないでもらえるか」

 

「遊んでるわけじゃない。ただ、曹一族って言うのはどいつもこいつも向かってくるだろう。仕方ないから相手してるだけだ」

 

ここに来るまでにこれを何度繰り返したことか。

一対一ならともかく、多対一の時はもっと過激な手段でもって制圧するほかなかった。

あまり時間をかけるようではそれだけ騒ぎも大きくなる。

九鬼に見つからぬよう、なるたけ闘気を節制する必要すらある現状、ここまで来るのはかなりの重労働だったというのが本音である。

 

「それで、わざわざ私の仲間を皆殺しにしてまで、どういう用件だ?」

 

「だから冗談だよ。だーれも殺しちゃいない。みんな健やかに寝てる。本当さ」

 

「疑わしいな」

 

「お前と一緒にするな。史文恭」

 

工藤の口調がにわかに強くなった。

史文恭は心当たりを思い浮かべて肩をすくめる。

 

「ふん。傭兵に人殺しを咎めるのか? だとするならお門違いなことだ」

 

「知ってるよ。だから今まで何もしなかっただろう」

 

「今まではな。それで? 何の用件だ」

 

史文恭は改めて椅子に深く腰かけた。

工藤はすぐには口を開かず、ぐるりと室内を見回して積み重なった本に目を留める。

微かに目を細め、その場に立ったままで切り出した。

 

「俺の用件は一つだけだ。直江大和のことだが」

 

「ああ、我々の主目的だな」

 

なぜそれを知っているのかと史文恭は聞かなかった。

最早ここまで来ればMと工藤が何らかの繋がりがあるのは火を見るより明らかだった。

工藤は顔を歪め大きく息を吐いた。

 

「そう。主目的。まったく面倒なことになってるな。よりによって」

 

その溜息に史文恭は眉根を吊り上げる。

Mと工藤は完全な協力関係というわけではないらしい。

情報を受け渡されただけなのか、それとも……?

 

「いま、お前らに剣華の近くをウロチョロされるのは迷惑なんだ。手を引け」

 

「我々も生半可の覚悟で任務に当たっている訳ではない。特に、今回の任務は曹一族の生末を左右しうる。引けと言われてすんなり引くと思うか?」

 

直江大和に、武士娘を管理する資質があるならば、それを手にすることは曹一族の未来のため絶対必要なことだった。

体調管理。言ってしまえばそれだけのことが、組織を纏める上でどれだけ重要か。

 

史文恭の身体から僅かに闘気が湧き上がる。

九鬼の従者部隊が守るこの街で不用意に闘気を発すればどうなるか、分からぬ史文恭ではない。

しかしそれを理解したそのうえで、かくなる上は戦いすら辞さぬと覚悟を露わにした。

 

工藤は一度瞑目した。史文恭の答えは、想像していた返答の内で最悪の答えだった。

参ったと天を仰ぎたくなる。

 

別に闇の住人を見下している訳ではない。傭兵稼業を侮っているつもりもない。

どちらにも知り合いがいる。

それがどんな仕事なのか、どんなに厳しく辛いものなのか。身と知識に叩き込まれた。

 

ただ、分かってはいるけども、それでも言わずにはいられない。

これですんなり引いてくれるなら、それが一番の結果だった。

この余計な労力は、これこそが試練なのかもしれない。

 

嘆息し目を開けた工藤は、その瞳に不気味な色を帯びさせながら淡々と言葉を紡ぐ。

 

「近々、武芸者によるトーナメントが開かれるのは知ってるか?」

 

突拍子の無い脱線に、史文恭はわずかに動揺した。

 

「……いや、初耳だな」

 

「若獅子戦と言うらしい」

 

「それがどうした?」

 

「終わるまで大人しくしていろ」

 

多少の譲歩。

期限を定めて、その間は何もするなと。

先ほどの要求よりは呑み込めるだろう。

しかし……。

 

「なぜ我々がお前の要求を呑まねばならない?」

 

曹一族には血の報復と言う掟がある。

たとえ何者であろうと、邪魔する者はその親類縁者に至るまで死至らしめると。

 

工藤は、おそらくその掟を知っている。

それを知って、なおこのようなことが出来る肝の太さには感服の一言に尽きるが、いかに工藤と言えども己の目の届かぬ所まで守り切れるはずはない。

お前にも親がいるし大勢の親族もいる。その中には幼い子供だって混ざっている。死に目に会うには早すぎると思わないか?

 

そう史文恭は脅しをかけた。

正直に言って効果はあまり期待していない。

事実、工藤の表情はほんのわずか翳ることすらなかった。

 

「呑むのなら、俺は一切お前の仕事には関与しない。呑まないなら、全力で邪魔をする。どころか曹一族を滅すまでしよう」

 

変わらぬ口調は感情の一欠けらも浮かんでいない。

まるで何も聞かなかったように、平然と言う。

 

史文恭はついに目の前の少年がそら恐ろしくなった。

全ての親類縁者を守り切る自信があるのか、それとも切り捨てるつもりなのか。

どちらにせよ尋常な精神ではない。

 

「その若獅子戦と言うのはいつだ?」

 

「12月25日だそうだ。本当か嘘かは九鬼か川神院に聞け」

 

「九鬼?」

 

「九鬼協賛だってよ」

 

約二か月。

妥協できるラインとしてはギリギリ、どころか聊か長い。

梁山泊のこともある。九鬼のこともある。

もし途中なにか変化が起こっても直江大和には手が出せない。

例えば、梁山泊が直江大和を連れ帰りでもしたら、任務はそこで失敗だ。

仮にそうなって、それでもなお直江大和を求めたとき、間違いなく梁山泊と全面的に敵対することになる。

それはもはや戦争と言い換えてもいいかもしれない。

 

そこまでする価値があるのかどうか。

そもそも、それを見極めるために史文恭はここいるのだ。

 

梁山泊が仲間ごっこをどれだけ続けてくれるのか。

全てはそれに掛かっている。

 

史文恭は黙考した。

結論が出たとき、つい零れた問いはあくまで確認の意味合いしかなかった。

 

「……曹一族を敵に回す覚悟がお前にあるのか?」

 

「俺を誰だと思ってる」

 

九鬼と梁山泊に喧嘩を売った男。

史文恭を見つめる瞳は、その噂が決して噂ではないと史文恭に悟らせた。

 

この男なら、他の全てを投げ打つことも厭わないかもしれない。

家族が殺されても、親族が殺されても。

何を顧みることもなく、ただひたすらに喉笛を噛みちぎらんと向かってくる。

猛進する猪のような姿は、なるほど。脅威だ。

 

脅威と言う言葉を反芻し、遅まきながら史文恭は気づいた。

いつの間にか、脅す立場から脅される立場になっている。

 

全てを失い、自暴自棄になった人間はどんな奴でも危険極まりないが、目の前のこいつもその類かもしれない。

これも奪うことを営みとした者の宿命か。

そう思うと抑えがたい愉悦が腹の中で湧き上がった。

 

「二か月、我々は直江大和に手を出さない。しかしそれ以降は好きにさせてもらう」

 

「その約束が守られれば、俺はお前らの仕事は関知しない。直江大和を攫おうも、梁山泊と殺し合うも好きにしろ」

 

「約束か?」

 

「そう。約束だ」

 

「ふっ」と史文恭は鼻で笑った。工藤も笑った。

お互い思っていた。何を馬鹿なことを。

 

口約束など信じる価値もない。

口ではどうだって言える。出来もしないことを約束し、平気で虚を撒き散らす。

欲望の赴くままに掌を返し、二枚舌を扱う。

人間とはそう言う生き物だと、他ならぬ人の歴史が証明している。

 

だから、事ここに至っては、もし工藤がこの約束を破ったその時、この男の全てを奪ってやろうと史文恭は心に決めた。

嘘には報復があるべきで、それは唯一無二の死が相応しい。

それが史文恭が身をやつす世界の掟だった。

 

「じゃあなぁ」

 

そんな風に剣呑な雰囲気で、お互いが心の奥底で舌を出し合った後、用済みとばかり工藤は背を向けた。

その背中は見るからに隙だらけだ。誘っているようにも見える。

 

今ならやれるか?

馬鹿な考えが脳裏に浮かぶ。

するはずがない。考えただけだ。

 

だが、工藤は自分の背中越しにこんなことを言うのだ。

 

「お前とはあんまりやりたくないな。お前、俺に勝っちゃいそうだし」

 

理解するよりも速く、堪えがたい欲望が史文恭を包んだ。

 

――――今なら勝てる。こいつは私の足元にも及ばない。殺せ。今なら簡単にやれる。

 

その感情は、降って湧いたように、突然史文恭の心を満たした。

自身から揺らめく闘気はただただ鋭利に、刺すような威圧感を放ち始めていた。

気を抜けばとっくに跳びかかっていただろう。

 

御すのに、理性を総動員しなければいけなかった。

欲を出せば死ぬことすらある家業が幸いした。

欲望に突き動かされそうになることは、ままあることだった。

しかしここまで強烈な物は生まれてこの方記憶にない。

 

一人悪戦苦闘する。落ち着くのには少しの時間が必要だった。

理性を手放すまいと苦心している間に、気付けば工藤の気配はなくなっていた。

 

項垂れながら大きく息を吸い込む

肺は空気を必要としている。しかしどれだけ吸っても吸い足りない。

苛立ちから、強引に垂れる汗を手の甲で拭う。

荒い息はそれだけ消耗したことを示していた。

 

大きく肩を上下させながら、事態の把握に努める。

 

――――最後のあれは、恐らく攻撃だった。

 

予兆はなかった。闘気すら感じなかった。

しかしそうとしか思えない。

 

無理矢理に攻撃させられそうになった。

工藤如き大したことはないと油断させ誘われた。

工藤の技の一つに言霊があるのは知っている。

言霊とはつまり暗示のことだ。それがあんなにも攻撃的になると言うのか。受けて見て、もはや催眠に近いとすら感じる。

 

もし誘いに乗っていたら、工藤は正当防衛という大義を得たことになる。全力で気を奮っていただろう。

最悪史文恭は打ち倒され、このビルに居る全員が九鬼に身柄を拘束されていた。

そうなれば、約束など守る守らないの話ではない。

 

「……ふっ、なにが"勝っちゃいそう"だ」

 

戦うなら万全の準備が必要だ。

出来ることならやらないほうがいい。

戦わずしてその楔を打ち込まれた。

直接的な戦闘力など微塵も見せていない。だと言うのに。

 

「厄介な小童だ、まったく」

 

約束した途端に攻撃を仕掛けてきた。

これを理由に奴の家族を殺すことも出来るというのに。

まるで意に介してない。

九鬼と言う障害があるから何とか思い留まっているだけで、本当なら力づくで曹一族を排除したいのだろう。

 

まるで狂犬。

なるほど。九鬼が苦労するのも分かると言うものだ。

手綱など握れたものか。いかに世界に名だたる従者部隊と言えどあんなもの教育しきれるものではない。

 

出来ることなら二度と関わりたくはないが、後もう一波乱はあると自身の勘は告げている。

 

「チッ……」

 

零れた舌打ちには、深い疲れが刻まれていた。

それは彼と関わる誰しもが味わう感情だった。

 

 



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第三章 若獅子戦
二十四話


2-Fに編入した林冲に史進、楊志。

実はその他に2-Sには武松。さらに1-Sに公孫勝と言う女の子が編入したのを、大和は身をもって思い知らされた。

 

武松と共に現れて早々「うちら、直江大和に興味あるから」と公孫勝の一言。

もし、これが普通の女の子に言われたのなら、大和は喜んだだろう。

外見は澄ましながらも内心はガッツポーズで雄たけびを上げていただろう。

 

しかしそれを言ったのがよりにもよって公孫勝。

梁山泊と言うだけではない。小学生なのだ。見た目が。どう見ても。

 

おかげでみんなからはロリコン扱いされた。

初対面だということを説明しても、小学生には興味ないと主張しても、嫉妬に狂う飢えた男どもは聞きやしない。

「ロリコンロリコン」の大喝采は、大和の名誉をこれでもかと抉り、女子たちの白い眼は大和の築き上げてきたものを崩すのに十分な威力を持っていた。

 

目の前が真っ暗になった大和は、その場で四つん這いに膝をついた。

絶望に沈む大和。その肩を誰かが優しく叩いた。

 

「大和がロリコンでも気にしない……。そう、私は大和を愛してるから!」

 

その言葉がその時ばかりは心に染みた。

誰かと思って顔を上げる。

神の御慈悲かと思ったら京の励ましだった。

これも篭絡のための策略かと思うと素直に縋りつけなかった。

 

「ロリコニアへようこそ」

 

ハゲのその言葉が傷口に染みる。

仲間扱いは心外である。その慈悲深い仏の眼差しは止めろ。仏像みたいな頭しやがって。

 

「紋様には近づくなよ」と忍足あずみの言葉はもはや致命傷だった。

机に突っ伏して動けない。

大和を励まそうと近寄ってきたワン子は笛で遠ざけた。

岳人を除くファミリーたちは不憫そうに大和を見ていたが、今はそっとしておこうと常識あるモロの言葉でそっとされている。

それが今ばかりはありがたい。

 

「はあ……」

 

つい零れた溜息。

空は青い。浮かぶ雲は白く自由にどこまでも漂っている気がする。

天高く浮かぶ太陽が、先ほど見た禿頭と重なって無性にイラついた。

「ようこそ、同士。歓迎するぜ」うぜえ。

 

ポケットの中の携帯が振動する。

出る気もないが一応名前だけでも確認する。

大友焔からだった。

 

「……」

 

このタイミングで、大友さんか……。

彼女の容姿を想像する。

……あれ、ロリじゃね?

 

変な方向に向かいそうだった思考。慌てて頭を振った。

 

ロリじゃないロリじゃない。彼女はあれでもれっきとした高校生!

確かに平均的な高校生より小柄だ。言動も花火に拘っている辺り何だか子供っぽい。

でも彼女の年齢は16歳。高校二年生。ロリじゃない。

そもそも、ロリだからとかそんな変態極まりない動機で連絡先を交換したのではない。

西にも交友関係を広めようとして、いわば打算で交換したのだ。

俺は決してロリコンじゃない。

 

ひとり自問自答。

もし他者がこれを聞いたなら、そのあまりの必死さに思わず言うだろう。

やっぱロリコンじゃねえか。

 

そんな事をしている間も携帯は鳴り続けている。

もう一分ほどなり続けているのではないか。

 

やけに粘るな。

大和は突っ伏した姿勢のまま、通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

 

『む……直江か?』

 

耳に届いた声にほんの僅かに違和感を感じた。

 

「そうだけど……どうかした?」

 

『むー……』

 

尋ねれば、何だか酷く言葉に詰まっている。

焔とはときどき――――剣華がらみで――――連絡を交わすが、ここまではっきりしない彼女は初めてだ。

何でもかんでもはっきり言う彼女にしてみれば珍しい。

なんだかただ事ではない雰囲気を感じて、大和は顔を上げる。

 

『どうかしたというか、何というか……。ええいまどろっこしいな。実はな、今先輩が隣にいるのだが』

 

「先輩?」

 

先輩と言うのが誰のことなのか、大和は瞬時に結びつかなかった。

もしかして、とあの人物を思い浮かべるのと焔が答えを言うのはほとんど同時だった。

 

『工藤先輩だ』

 

「あー……。うん。それで?」

 

『先輩が直江と話したいと――――』

 

途端に、電話の向こうでごちゃごちゃと騒々しい音が聞えた。

 

『なにをする!?』と焔の悲鳴に近い声。

『うわわ、何やってんの?』と誰とも知れない声が遠くの方から聞こえた。

 

そして静寂。耳を澄ませても何も聞こえない。

何があったのだろうか。「大友さん?」と呼びかけようとした瞬間、別の声が聞こえた。

 

『直江君。ちょっと黙っててくれ』

 

「――――」

 

出そうとした声は出ない。

自分の意思とは関係なく、声が出ない。

 

こんなことは初めてだ。

パニックになって、大和は大きく息を吸った。

吐くついでに発声しようとするも、声は一欠けらすらも出なかった。

 

――――失語症。

 

脳内に浮かんだ単語。

頭の中が真っ白になる。

 

これってどういう病気だ?

確か精神的な原因で発症する病気だ。

ロリコン扱いされたのがそんなに堪えていたのか?

どうすればいい?。

とりあえず病院だ。病院に行って診てもらおう。

それで治らなかったらどうする?

学校には今まで通り通えるのか? 卒業して就職できるのか?

 

そんな感じに、将来のことを一通りシミュレートしたところで、携帯から聞こえてきた声にはっと我に返る。

 

『やあ、ごめんごめん。ちょっと焔の馬鹿野郎がおかしなことをしようとしたもんで……』

 

『おかしなこととはなんだ! そもそも先輩が可笑しな注文を付けるから悪いのだ!』

 

『まあまあ、ほむほむ。先輩がおかしいのは慣れっこでしょ? そんなに怒らないの』

 

三者三様の声が聞こえた。

一人は工藤で、一人は焔だ。最後の声の主だけが分からない。

でも、もしかして尼子晴ではないかと大和は思った。

 

『うるさい。今通話中。あっち行け。しっしっ』

 

『むーーーーー!!!!!』

 

電話の向こうで、焔の声が遠ざかっていく。

やれやれと溜息を吐く雰囲気が伝わってきた。

 

『直江くん? ごめんね。ちょっと君に用事があってさー』

 

「……」

 

大和は答えようとしたが、しかし答えられなかった。

今のやり取りで瞬間忘れていたが、失語症を発症していたのだった。

 

『あれ、直江くん? 聞こえてる?』

 

「……」

 

聞えてる。でも返事が出来ない。声が出ないのだ。

一回通話を切ってメールでやり取りを、なんて大和が考えたとき、電話の向こうで得心行ったような声が聞こえた。

 

『あ、そうだ。もう喋っていいよ』

 

「……は?」

 

その一言で、大和は自分の身体の中で何かが変わるのを感じた。

直前まで鎖で拘束されていたのが解き放たれたような解放感。

声を出そうとしてみれば、その通りに声が出る。

 

「えっと……」

 

『おっけおっけ。声出るね? それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど』

 

「はあ……」

 

自分の身体の異変を呑み込めないまま、工藤は話を進める。

 

『この電話で、俺の名前出さないで欲しいんだよね』

 

「はい? くど――――」

 

『黙ろうか』

 

工藤先輩の名前をですか?

そう言おうとして、またもや大和は声が出せなくなった。

さすがに二度も続けてこうなれば、原因に見当もつく。

この人がやっているのだ。

 

『俺の名前を出すのはまずいんだ。だから出さない様に』

 

「……」

 

大和は懸命に頷いた。

それはもう首が取れるのではないかと思うぐらい。

しかし悲しいかな。電話越しでは大和のその努力も伝わらない。

 

伝わるはずはないのだが、次に工藤が口を開いたとき何故か半笑いだった。

 

『じゃあ、うん。喋っていいよ』

 

「……あ、あー。……出た」

 

喋っていいよと言われる前からずっと「あー」と言い続けていた。

やはり工藤の言葉を契機に声が出るようになった。

原因はこいつだ。それははっきりした。

 

「えっと……まあ、それじゃあ」

 

言葉を選び選び、絶対に工藤と言う単語を出さない様に。

それどころか連想すらさせないように大和は慎重に言葉を紡ぐ。

そのせいか出てきた言葉は何だか要領を得なかった。

 

「どういうことですか?」

 

『梁山泊来てるでしょ。そっち』

 

予想していなかったわけではないが、いざストレートに梁山泊の名前が出ると、咄嗟に大和は言葉に詰まってしまう。

 

『理由、聞いてるかなあ』

 

大和が固まっていることぐらいわかっているだろうに、それを全く気にすることなく独り言のように工藤は続けた。

 

『あいつらは君に盧俊義の資格を見たらしい。あ、これも口に出さないでね』

 

「……」

 

言っちゃダメなこと多すぎるだろ。

もはや相槌ぐらいでしか返事できない。

何か言えばそれがNGワードに引っかかりそうだ。

 

『盧俊義って言うのが108星の上から2番目のことで、なんか他の108星の健康やら体調やら管理するらしいよ』

 

えらく適当な説明だ。

口調からも興味の無さが伺える。

 

「それを、俺が?」

 

『本決まりじゃないけどね。その素質がありそうだって、見極めるために林冲たちが派遣された』

 

「はあ……」

 

林冲たちはそんなことは言っていなかったが、「興味がある」と言う言葉の真意がそれなら、彼女たちの言動をも納得できる。

さすがの大和も、初対面の相手に続けざまに告白されるほどモテるわけではないし、それを自覚してすらいる。

でも、真実を聞かされてがっかりするのは別問題だ。

男心と言うのも女心に引けを取らないぐらい複雑なのだ。分かってほしい。

 

『正直梁山泊はどうでもいいんだよ。あいつら穏健派だし。問題なのが曹一族っていう他の傭兵集団がいて……。あ、これも言っちゃダメだけど』

 

「……その他のがどうしたんですか?」

 

『今、君を見張ってる』

 

咄嗟に大和は窓の外を見た。

さっき見た雲がずいぶん遠くにある。

見える範囲、建物の屋上や窓に目を走らせるが、不審な人影は見つけられなかった。

 

『……いま窓の外見たでしょ?』

 

「見ますよそりゃあ。いきなりそんなこと言われたら。……え、冗談とかじゃないんですか?」

 

『実際梁山泊が編入してきてるのに? 林冲たちが君にどういうアクション起こしたのか知らないけど、それでもおかしな関わり方されたんじゃないの?』

 

出会い頭に告白まがいなことされました。

結果ロリコン扱いされました。

 

臍を噛むように大和は言った。

 

『へえ……』

 

工藤の反応は微妙なものだった。

正直笑われてもよさそうなものだが、神妙な反応だ。

何か含みがある気がする。

 

『曹一族は九鬼に気取られないように動いてる。君じゃ見つけられない。見つけたとしてもどうにもできないし、しちゃダメだ。大人しく見張られておきなさい』

 

「これマジ話ですか?」

 

『まじまじ。だから窓の外あんま見るなよ』

 

そう言われても……。

チラチラと窓の外を気にしてしまう。

何の変哲もないいつも通りの光景。

だがこんな話を聞かされると、この風景のどこかからか異質な気配を感じるような気がする。

 

『この話が本当かどうかは、林冲にでも……一番は楊志かな。聞くといい。剣華は知らないだろ。あいつだし』

 

「はあ……」

 

『それで曹一族なんだけど――――』

 

「あの、待ってください」

 

『なに?』

 

「どうしてこんな話をするんですか?」

 

『うん?』

 

怪訝そうな声。

大和は慎重に言葉を選びながら、工藤を問いただした。

 

「俺にこんなことを話す理由は何ですか? 正直……関係ないでしょ? 嘘か本当かもわからないし……。なんかメリットあるんですか?」

 

『あるよ』

 

即答だった。

 

『まあ話を聞け』

 

これ以上口を挟むなと強い口調で――――先ほどより随分柔らかいが――――大和は静聴することを強制された。

 

『さっきも言った通り、真偽は梁山泊に聞くと良い。なんなら俺の名前出してもいいよ。場所は選んでね。

 で、曹一族なんだけど、あいつらも目的は一緒。だけどずっと過激だ。血の報復とか言って邪魔をしてきた者には一切容赦しないんだ。無関係の家族まで報復する。例えば、もし君が島津岳人を頼って、彼が曹一族を妨害したら、本人だけじゃなく島津麗子まで殺される。だから、君は今回のことで友人を頼っちゃいけない』

 

工藤に強制されているのとは別の理由で言葉が出なかった。

たぶん今自分の顔色は青くなっているだろう。

 

そう自覚できるぐらいサッと血の気が引くのが分かった。

しかし心の中でそんなの大したこと無いと思ってる自分もいる。

 

「……姉さんなら」

 

ぽつりと呟いた言葉は、川神院ならと言う意味でもある。

 

本人は武神と呼ばれるほどの実力を持ち、祖父は武の総本山川神院の総帥。

かつて世界最強とまで呼ばれた偉人だ。

そうじゃなくても川神院には人の道を外れた猛者が集っている。

いかに曹一族と言ってもさすがに手出しは出来まい。

 

そう思っての、藁にもすがりたい気持ちでの呟きだったが、工藤の返答は静かな物だった。

 

『止めておいた方がいい』

 

「でも、川神院ですよ……。だれが喧嘩売るんですか?」

 

『俺なら制圧できる』

 

耳を疑った。

 

「……無理だ」

 

『できる。鉄心さんは老いてるし、川神百代は隙だらけだ。入念に準備してなら、落とせる』

 

『しないけどね』と冗談めかして工藤は笑う。

しかし一瞬前の口調はどこまでも本気で、もしかしてこの人なら本当にやるんじゃないかと疑ってしまうほど真剣そのものだった。

 

『頼るなら梁山泊にするといい』

 

「は? 梁山泊?」

 

『あいつら穏健派だから』

 

カラカラと調子よく笑う工藤。

そこに込められた含みは本人たちにしか分かるまい。

 

どういうことなのか。問いただす前に昼休み終了のチャイムが鳴った。

次の授業が始まるまであと5分。

キンコンカンコーンと甲高い音は、電話の向こうの工藤にも届いたらしい。

 

『時間切れ。これ以上は本人たちに聞いて』

 

「ちょっと待ってください!」

 

勝手に掛けてきて、勝手に切り上げにかかる工藤。

そのマイペースさにたまらず大和は声を荒げた。

 

電話の向こうからは変わらずマイペースに『言い忘れてた』と声がする。

 

『そうそう。あいつらクリスマス終わるまでは動かないよ。若獅子戦終わるまでは動かないって約束させといたから。だからそれまでに梁山泊と仲良くなることだね』

 

「クリスマス? 若獅子戦? いや、待ってください!」

 

『もし動いたら俺に連絡ちょうだい。それじゃあ』それを最後にぶつりと通話が切れる。

 

「嘘だろ」と画面を見るも、やっぱり通話は切れている。

慌てて掛け直すも電源が切られていた。工藤本人の携帯も同様である。

 

「なんなんだあの人!?」

 

大友へメールを送る。

工藤と話がしたいという内容である。

天神館で連絡先を知っているのは大友と工藤だけだ。

本人に連絡が付かない以上、大友を頼るしかないのだが、先ほどのやり取りを振り返るとどうにも不安が残る。

 

まさか本当にこれで終わりじゃないだろうな……。

待っても待っても来ない返事にその不安は募っていく。

 

聞きたいことは山ほどある。

そもそも工藤は、大和にこの話をするメリットについて何も言わなかった。

誤魔化されたのか、単純に時間が足りなかったのか。

どっちにせよ話をしなければ。

 

授業中ずっと携帯を確認していた。

もはや先生にばれても知るものかとなりふり構わず。

だというのに返事は来ない。

 

待てども待てども返信は来なかった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

電話を切った途端、周囲の喧騒が耳にうるさい。

そう言えば、ここは学校だ。

今更そんなことを思い出して苦笑する。

 

「大友ー」

 

大声で読んだ名前に、周囲の人間がびくっと反応した。

そんなに怖がらなくてもと内心思うのだが、2年生にしてみれば3年生は怖い生き物なのかもしれない。

しれない、とあくまで可能性の話なのは、俺にそんな経験はないからで、思い返しても年上に恐怖を感じた記憶はない。

あるのは怒りばかりだった。ろくな環境じゃなかったな。

 

教室の反対側からぷんすかと怒りながら大友はやってきた。

その隣には尼子晴――――双子の姉の方、がついている。

 

「話し終わったから返すわー」

 

放りなげた携帯を大友は慌ててキャッチする。

 

「壊れたらどうするのだ!」その文句は無視して、欠伸をしながら教室を後にしようとした。

「うがああああ!!!」と地団駄に続いて、晴が何だか面白そうな口調で尋ねてくる。

 

「ね、今度は何企んでるの?」

 

ため口で、先輩に対する言葉遣いではないが、俺もそんなことは気にしない。

なにせ俺自身、還暦過ぎた老人を爺呼ばわりして、なんならぶん殴りに行くほどの非常識な奴だ。

非常識だと自覚しているだけマシだろう。

この開き直りはあずみさんが聞いたら怒るだろうなあ、と他人事のように思う。

 

「なんにも。むしろ尻拭いだな」

 

「誰の?」

 

「……俺の、かなあ」

 

「なにそれ」と晴は愉快そうに笑っている。

その後ろで「どうして電源が切れているのだ?」と電源を入れなおす焔。

とっとと逃げよう。

 

「じゃ、俺はしばらく学校サボるから。館長に適当言っといてくれ」

 

「卒業できないよ。私たちとまた三年生やる?」

 

「それもいいかもなあ」と早足に教室を去る。

怪訝そうに見送る晴の視線。

電源を入れたらしい大友が大声で呼び止めてきたので、俺は走る。

 

気勢を上げて追いかけてきた大友。

かなり必死な形相だ。関西の武士娘は面子を気にするからいけない。

少しぐらい勝手気ままに生きればいいのに。

 

折角だし、ここのところ嫌なことばかりだったから、少し楽しもうか。

とりあえず鬼ごっこだな。

 

そう思って、グラウンドに向かって駆ける。

 

 



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二十五話

結局、放課後になるまで大友から連絡はなかった。

こちらから幾度となくメールを打ち、電話をしたのにもかかわらずである。

この分では工藤に話を聞くことは出来そうにない。

もはや大和に選択肢は残されていなかった。

 

帰り際のショートホームルームが終わり、各々が堅苦しい勉強からの解放を喜んでいる中、大和は一人、梁山泊の動向をうかがっていた。

 

大和のクラスに居る三人の梁山泊。

最近すっかり感覚が麻痺してしまっているが、見れば見るほどレベルの高さを実感する。

 

岳人が鼻を伸ばし、モロが見惚れ、ヨンパチがシャッターを連打するぐらいだ。

この一年ですっかり見慣れてしまった光景でもある。

 

三人の中で一番話かけやすそうなのは、見たところ林冲か史進だ。

史進の方が武士娘たちに気安い返答をしている分、輪をかけて話しかけやすいかもしれない。

林冲は素っ気ないところはあるが、話しければ返事をしてくれるし、案外ノリも良い。

どことなく壁を感じるのは、単純にこういうコミュニティに慣れてないだけなのだろう。

 

話を聞くなら早い方がいい。

梁山泊がどこに住んでいるのか分からない。一度見失ってしまえば、今日中に話を聞くのが難しくなる。

しかし工藤の言葉が脳裏をよぎって、大和は中々腰を浮かせることができないでいた。

 

『林冲……一番は楊志かな』

 

楊志。よりにもよって。

そんな気持ち。

 

大和が知っている梁山泊の中でも一番声をかけにくいのが彼女だ。

その性格は一目見ただけでは神秘的とか不思議系に分類されて、何をしていても表情はほとんど変わらず、話し方は淡々としている。

 

正直とっつきにくい。

実際、彼女に果敢にアタックした男子がいたが、ほとんど相手にしてもらえず返り討ちにあっていた。

 

話しかけるだけで結構勇気がいる。

そんな彼女に彼女ら自身の目的を聞くのは躊躇された。

けれど、もし工藤を信じるなら林冲ではいけない理由があるはずで、他の名前すら出なかった三人はそもそも論外であるという可能性もある。

 

行くべきか行かざるべきか。

いや、行かねばならないのだが誰に行くべきか。

 

こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。

話しかけるなら今この瞬間を置いて他にない。

大和は覚悟を決めて立ち上がった。

 

いま、梁山泊の三人は剣華の席に集まっている。

漏れ聞える声によると、他の二人と合流しようとしているらしい。

 

「校門で?」

 

「公孫勝は私たちが行かないと……」

 

「あいつほんっと動かないからな。武松に連れて来させれば?」

 

そんな話。

聞きながら、大和はゆっくりと四人に近づく。

ドキドキと心臓の音が耳にうるさい。

落ち着け落ち着けと自分を叱咤した。

 

大和が緊張を和らげるために人知れず深呼吸をしていると、何を察知したのかは定かではないが、剣華が大和を振り向いた。

 

振り向いた剣華は内心思う。「おや? なんか来てる」

 

剣華自身、大和が深刻な顔で近づいてくるから見ただけなのだが、考え事や心配事など不安渦巻く大和にとってはそうとは受け取れなかった。

自然と大和は足を止める。じっと二人は見つめあった。

 

タラッと大和の頬を汗が伝る。

 

その全てを見透かすような瞳に射竦められる。

自分の胸の内を知っているような眼に、大和は本当に身を貫かれているような、空恐ろしい気持ちになった。

剣華は「何してるんだろ?」とじぃっと大和を見つめた。はっきり逆効果だった。

 

そんな二人の様子に史進が気付いた。

呆れたように苦笑する。

その苦笑に釣られて「ん?」と林冲が横を見た。

 

傍らで、楊志がふと思い出したように「そう言えば……」と呟く。

 

「今日は用事があるから、再会イベントは私ぬきでやってね」

 

「用事?」

 

何の前触れもなく突然言った楊志に、林冲が疑問を呈する。

 

「用事とは?」

 

「そりゃあ、もちろん。あれだよぉ」

 

「どれ?」

 

ふひひと下品に笑う。

 

「わたしの趣味、忘れたとは言わせないよぉ、林冲?」

 

「ま、まさか……?」

 

「……そう。あれってそれさあ! パンツのことだよ!!」

 

その趣味を誇りこそすれ隠すことなどない。

間違った誇りを掲げて胸を張る楊志。

全てを察した林冲は顔を青くして制止した。

青面獣顔負けの真っ青具合だった。

 

「ま、まてやめろ! 円滑な任務遂行のためにも校内で問題を起こすのは……!!」

 

「大丈夫。安心して。今日は下見だけだから」

 

「ちっとも安心できない!?」

 

林冲が必死に食い止めようとしても、ヒエラルキーの低さから楊志の暴走を止めることができない。

言葉を尽くせば尽くすほど、「じゃあ林冲のパンツくれるの?」と可笑しな方向に話はシフトする。

もうどうやっても林冲は勝てないのだ。そういう関係が出来上がっている。

 

「ううぅ……。パンツあげれば止めてくれるの?」

 

「考えとく」

 

眼に涙を浮かべて、林冲はキョロキョロと当たりを見回した。

すぐ近くに大和が立っていた。

 

「うっ……」と呻いた林冲。

剣華が大和の目を塞ぎ「急いで」と急かす。

 

「助かる……」

 

「え、な、なにっ?」

 

大和は剣華の掌の温度を感じながら声を上げた。

何も答えてくれない剣華。暗闇の向こうで、僅かに聞こえた衣擦れの音。

「まさか……!?」大和の胸の鼓動が別の意味で高鳴る。

これを落ち着けるなんてとんでもない。

逸る気持ちだけを我慢する。

 

爆発の時を今か今かと待ち詫びていた。

 

「ご開帳」

 

解放されて最初に目に飛び込んだのは、剣華のいつも通りの表情だ。

視線を横についっと逸らすと、頬を染めた林冲が黒い下着を手に持っていた。

横目に大和を気にして、恥じらう姿は可憐の一言では収まらない。

 

――――うおおおおおおぉぉぉぉ!!!!

 

その雄たけびを抑えるのに苦労した。

寸でのところで何とか我慢できた。

 

「うひょおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」

 

代わりに楊志が叫んだ。

彼女は我慢など知らない。

歓喜の声は、もちろん廊下まで届くほど大きい。

 

林冲が人差し指を立てて静かにとジャスチャーした。

思う存分叫び満足した楊志が我に返って

 

「まあ今日は林冲のパンツはいらないや。それよりも下見だね、下見」

 

「ええぇ!? せっかく脱いだのにっ!?」

 

教室にほとんど人が残っていないからと大胆なことをするものだ。

大和は林冲の黒い下着を目に焼き付ける。

 

「じゃあ、脱いだんなら一応貰っておこう」

 

目にも止まらぬ速さで林冲の手からパンツを強奪する。

楊志は顔をパンツに押し付け思いっきり匂いを嗅いだ。深呼吸だ。

 

林冲は恥部の匂いを嗅がれる恥ずかしさのあまり顔を覆った。

 

「すーっ、はーっ……。いいよ林冲。これだよ。これが林冲の匂いだ」

 

「……もう、殺してくれ」

 

パンツに顔を埋めて深呼吸を繰り返す楊志。

全てを諦めた林冲が傭兵にあるまじき言葉をつぶやく。

 

堪能した楊志は澄んだ瞳をしていた。

本来足が出る場所から覗く瞳に満足の二文字が浮かんでいる。

 

「ふう……。じゃあ私は行くねえ。――――止めてくれるな」

 

パンツを頭から被った変態スタイルで楊志は教室から出て行こうとする。

その前に立ち塞がる史進。

 

「止めねえけど、それだけは止めろ」

 

指さすのは頭にかぶっているパンツだ。

こんな姿を見られれば、梁山泊についてあらぬ噂が立ってしまう。

変態だとかなんだとか。

いや、まあ事実なのだが。

 

「はいはい」

 

物わかりよく楊志はパンツを脱ぎ、大事そうに畳んでポケットにしまった。

「ううぅ……」と無念そうに林冲がパンツの行方を見ていた。

 

「じゃあ私は行くよ」

 

スキップを踏みながら楊志は教室を出て行った。

あとに残された面々は疲労の溜息を吐く。

 

「行ってしまった……」嘆く林冲を背にして、剣華が大和の袖を掴んだ。

 

「何か用?」

 

あっ……。

 

「ごめん、橘さんじゃなくて……」

 

「え?」

 

「急ぐからっ!」

 

ようやく当初の目的を思い出した大和は慌てて楊志の後を追う。

剣華は訳が分からず目を白黒させている。

林冲と史進が走り去る大和の背中を見つめていた。

直前までのふざけた空気は雲散している。

傭兵らしい冷酷無比な表情で、二人は大和を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室を出た直後、楊志の背中はどこにもなかった。

早くも見失ってしまった。嘆く暇はない。

まだ遠くには行っていないはずだ。

下見すると言っていた。何の下見かもはや言われなくても分かっている。

 

――――運動部だ!

 

ならば部室や女子更衣室へ行くのが正解だろうと、それらが立ち並ぶ方向へ駆けだした。

 

走って廊下を進むうちに生徒の姿は疎らになっていく。

進んでも進んでも、一向に楊志の姿は見えてこない。

 

……間違ったか?

 

その疑念に捕らわれかけ、曲がり角を曲がった時、窓からグラウンドを眺める楊志を見つけた。

 

「はあっ、はあ……」

 

呼吸を整えながら楊志に近づく。

最初に何と言おうとしていたのか、もう忘れてしまった。

じっと黄昏る様に彼方を見つめる楊志。

腐っても美少女だ。様になっていた。

 

何か言わないといけないという気持ちとずっと彼女を見ていたいという気持ち。

相反する気持ちが大和の胸中を満たした。

 

唾を飲み込んで楊志の傍らに立ったとき、いち早く口を開いたのは楊志の方だった。

 

「ここは可愛い子が多いねぇ」

 

遠くグラウンドで運動する陸上部やサッカー部、野球部。

大和の目では性別を判断するので精いっぱいだったが、楊志の目にはくっきりと顔立ちまで映っているらしい。

 

その一人一人値踏みするように目は絶えず動いている。

やがて満足した楊志が大和を見た。

グラウンドを見ていたのと同じ、値踏みするような眼だ。

 

「それで、何の用かな?」

 

「……話があるんだ」

 

大和の中で、自分は推し量られているのだと言う確信にも似た気持ちが沸き起こる。

工藤に聞いたからだけではない、この目を見ると自然とそう思ってしまう。

人を探る様な目。何か裏がある。そう思わせる目だ。

 

「君たちは俺に興味があるって言ってただろ?」

 

「ああ、言ったねえ。林冲が」

 

その言い方はまるで、私は興味ないよと言っているようだ。

 

「昼休みに武松と公孫勝も来たんだ。公孫勝が言ってた。『うちら、直江大和に興味あるから』って」

 

楊志の眉が微かに動いた気がする。

あくまで気がするだけで、本当に動いたかは分からない。

 

京と言う無表情の権化と長年接した経験をもってしても、楊志の感情の変化を読み取ることができない。

腹の探り合いは得策ではない。直球で勝負するしかない。

 

「興味って具体的にどんな興味?」

 

「……」

 

楊志の探るような目に厳しさが増した。

 

「それが用事?」

 

「いや、まあどうかな」

 

曖昧に返事をする。

工藤と言う単語は出来る限り出したくなかった。

直前に口止めされていたというのもあるが、何故だか嫌な予感がする。

名を出すなら場所を選べと言う忠告が胸に深く突き刺さっていた。

 

「……私たち全員、直江大和に気があるって言ったら信じる?」

 

「信じない」

 

「だよね」

 

楊志は嘆息した。

 

「知らない方がいいこともある。知るにしても知るべき時って言うのがある。今はそれで満足するべきだね」

 

「……」

 

遠まわしでも何でもなく、明快にはぐらかされた。

これが直球に対する返礼だとしたなら正直好感が持てるが、今はそれどころではない。

 

――――だからもうそれ知っちゃったかもしれないんだよ。

 

内心の叫びは強く握られた拳に現れていた。

この年頃には珍しく、その堪えがたい衝動を言葉にしないだけの自制を大和は持っていた。

周囲の関係を円滑に進め、自分の利益を得るための努力は、こんなところで役に立っている。

 

しかし衝動を耐えるにも限界は近い。

直前に工藤に振り回された分、堪忍袋の緒も短くなっている。

 

「一応言っておくと、興味があるって言うのは嘘じゃない。それだけは本当だよ」

 

聞きたいのはそれじゃない。

そんなことは知りたくもない。

本当に知りたいことがあるのに、楊志は話してくれそうにない。

 

何かを言おうとして押し黙った。

頭の中で工藤の言葉が繰り返される。

『場所を選べ』その言葉の真意を、未だ測りかねていた。

 

黙りこくって考える大和を楊志はじっと見つめている。

 

「話、終わりかな?」

 

「……」

 

また、この目だ。

 

人を測る目。

ずっとこの目で大和を見ている。

あるいは挑発してるのかもしれない。

そうと思うと、彼女の態度にもある程度納得できた。

そんな意図は欠片もなく素である可能性も否定しきれないが。

 

どちらにせよ、今の大和にはあまり重要ではなかった。

堪忍袋の緒はとっくに弾け飛んでいる。

 

――――ああ、いいぜ。やってやるよ。

 

売られた喧嘩は買ってやる。

だてに武神に鍛えられてない。

やられっぱなしで舐められるなんて、武神の舎弟が聞いてあきれる。

 

その意気込みが大和の顔に現れた。

それを見た楊志は少し表情を変え、面白そうに目を細めた。

 

お手並み拝見。

その内心が大和にも手にとる様に伝わった。

 

ただ、まあ……。

楊志の度肝を抜いてやると意気込んだはいいが、大したことはできない。

 

いかに頭脳派の大和と言えど、こうも情報が少なければ出来ることはたかが知れている。

ただ一つ出来ることも、他人の褌で相撲を取っているようで良い気がしない。

ふがいないと思う。

 

だけれど、今はこれしか出来ない。

力不足を嘆くのは後にしよう。それよりも……。

 

大和は気持ちを整えた。

何を言うのか、とっくに決まっている。

そのただ一言を大和は言った。

 

「おれ、盧俊義にはならないから」

 

瞬間、時間が停止したような気がした。

 

何を言ったのか理解できず、ポカンとする楊志。

初めて鉄面皮が剥がれた。

それが見られただけで、大和は胸がすく思いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――唯一の懸念は、禁止ワードをこんなところで言ってしまったことだ。

場所を選べと言われていたのに。

 

……まあ何とかなるよな。

そもそも場所を選べと言っていたのは名前の方だし。

ここひと気ないから大丈夫だろ。

 

分かっているくせに、そんな言い訳染みたことを思い、そっと窓の外を見る。

先ほどまで晴れ広がっていた青い空の向こうに薄く曇天が広がっていた。

 

……雨が降りそうだ。



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二十六話

場所を移そうと言う楊志の提案で、大和は彼女を連れてだらけ部の部室に足を運んだ。

 

そこはひと気の少ない場所にある。人に邪魔をされたくない話をするには持って来いの場所だ。

元々は茶道部か何かの部室に使われていたのか、襖があり畳が敷かれていて、座るにしても寝っ転がるにしても暖かい。

 

手際よく、情報通の大和が見つけたその場所を、大和を含めた三人がだらけ部と称して使っていた。

一人になりたい時やサボりたい時、横になりたい時などに都合がいい。

最近では使用率がモリモリ上がっていて、ふと思い立って顔を見せれば大体誰かが横になっている。

 

その三人の中に先生がいるのが幸運だった。今のところお叱りを受けたことはない。

恐らく大多数の先生は存在すら知らないだろう。

 

訪れたそこには、案の定部員の一人である弁慶が川神水を傾けており、楊志を連れた大和を見て目を丸くする。

 

「おー? なんだこの色男ぉ。早速転入生に手なんか出しちゃってぇ」

 

「噂通りかあ?」と顔を赤くして絡む姿はまるで中年オヤジの様だ。

美味そうに裂きイカを食べ、川神水をコップ半分も飲み干す。

ぷはーっとじじくさい息を吐いた。

うぃーと意味不明な言語を喋り、「ほら大和も飲めい」と川神水を進める姿勢にアルハラの素質を垣間見た。

 

「弁慶。これから大事な話をするんだ。悪いけど、少し出ててくれないか?」

 

「んんー?」

 

冗談だと思ったのか、弁慶は口をつぼめ不満を露わにする。

そうまでして、大和の顔には微笑みすら浮かんではいない。

 

大和の真剣な表情を見て、弁慶の表情から戯れが消える。

赤らんでいた頬は色を失くした。

 

そのすぐ後ろに居た楊志を見て目を細め、向き直って尋ねた。

 

「私も居た方がいいんじゃない?」

 

「ありがとう。でも大丈夫」

 

安心させるような微笑み。

しかしその眼は笑っていない。

 

弁慶は少し考えて立ち上がる。

手には川神水の一升瓶を持っている。

 

「すぐ外にいるからさ、何かあったら呼びなよ」

 

「ありがとう」

 

繰り返しの礼に弁慶は苦笑した。

楊志の横を通り過ぎ、出際に一度ぐいっとコップを傾けて、襖の向こうに消えて行った。

 

大和は畳の上に正座する。

直前まで弁慶が使っていた座布団は、何故だか使うのは悪い気がして横にどけた。

 

楊志は弁慶の背を追って襖を見ていたが、大和の呼び掛けに振り向いて、同じように対面に正座した。

 

「君の要望通り、誰にも邪魔されない場所だけど」

 

楊志はゆっくり頭を回して部屋の中を見ている。

何もない部屋だ。

座布団と弁慶の置いて行ったつまみ。

それ以外に何もなく、窓の内側には障子の貼られたさっしがあって、入ってくる光を和らげている。

 

「盗み聞きは……」

 

「弁慶はそんなことしない」

 

入口を見ながら言った楊志の懸念は、大和が即座に否定した。

付き合いは短いが、二人の間にはこの部室で積み上げた関係がある。

時間の多寡で、信頼関係の深さが決まる訳ではないことを大和は知っていた。

 

「そう」

 

素っ気なく言って、楊志は大和を見た。

先ほど廊下で見せた呆けた顔は鉄面皮の奥に隠されてしまった。

どころか、戦場に赴くような真剣な眼をしている。

眠気で気の抜けた眼は面影もない。

 

勝ったつもりでいたが、どうやら楊志にとって本番はこれからの様だ。

気を引き締める必要がありそうだと、大和は心の中で喝を入れた。

その調子に先手を打とうと、大和が口を開いたのを楊志は手で制した。

 

「まず、質問に答える前に、私の質問に答えてほしい」

 

それが無理なら話はしないと楊志は強気に出た。

大和はそれを飲む他ない。

 

盧俊義爆弾投下で主導権を握ったつもりだったが、甘かったらしい。

さすがは傭兵。伊達に経験を積んでいないということだろうか。

 

「私が聞きたいのは一つだけ。どこで、誰に、盧俊義のことを聞いたのかな?」

 

楊志は睥睨する。

殺気にも似た威圧感を感じて、大和は腕に鳥肌が立った。

 

嘘はダメだ。いま、楊志が何を考えているのか分からない。

今になって、京と楊志の決定的な違いに気が付いた。

不思議系、神秘系の属性に加えて、楊志からは不気味な雰囲気が感じられる。

何を考えているか分からないということは、何をするか分からないということに通ずる。

それは傭兵稼業ゆえの手段を選ばない所に関係しているのかもしれない。

 

もしかしたら、ほとんどないと分かっていても、本気で大和を殺すことを考えているのかもしれない。

そう思うとこれ以上詭弁を弄するのは憚られた。

 

生唾を飲み込み、慎重に口を開く。

何を言う前に、まず確認を。

 

「工藤先輩って知ってる?」

 

「…………」

 

楊志は何も言わない。

じっと大和を見つめている。

それだけで気圧される。

 

地雷を踏んでしまったかもしれない。そう思うと途端に取り返しのつかないことをした気がした。

大和は答えを待つのを止め、続きを言おうとする。

 

それより一瞬早く、唐突に、楊志は力が抜けたようにガクンと俯いた。

手で額を抑え、頭を抱えるような体勢になっている。

 

「うわぁ……」

 

見えないところから声が聞えてくる。

まさかこんな反応が返ってくるとは思わず、大和は「え?」と困惑してしまった。

鉄面皮を剥がしたぞと喜んでから、10分と経っていない。

工藤の名前一つで、表情どころかこんなリアクションを見られるとは思わなかった。

効果的過ぎるだろ。あの人の名前。

 

大和が楊志のつむじを見つめて数分と経ってようやく、頭を抱えていた楊志は顔を上げた。

 

「続けて」

 

「あ、ああ……」

 

本当に続けて良いのか疑問に思ったが、しかし続けてと言うからには続けないわけにはいかない。

 

大和は簡単に説明した。

工藤からの連絡で、梁山泊と曹一族が川神市に来たこと。その狙いが自分にあって、理由は梁山泊の言う所の盧俊義の素質であること。

 

至極明瞭な説明だ。

 

楊志は居ずまいを正し、黙って大和の話を聞いていた。

やがて大和が全て話し終わったとき、考えるように遠くを見ている。

 

大和は逸る気持ちを抑えて、今度こそ楊志の言葉を待った。

 

「その話に嘘はないよ」

 

呟くように聞こえた楊志の言葉。

考える前に、大和は問い返していた。

 

「つまり?」

 

楊志は遠くを見るのを止めて大和を見た。

 

「私たちの目的は直江大和の護衛。そして勧誘。後者は出来るなら、だけどね」

 

「護衛?」

 

それは初耳だ。

 

「曹一族に盧俊義の資格を持つ者を奪われるのは、私たち梁山泊としては避けたいんだよ。今の力関係を崩しかねない。だから護衛。曹一族から」

 

ピンと来ない。

工藤が言うには、盧俊義とはたかだか体調管理をする役目のはずだ。

 

梁山泊と曹一族。

詳しくは知らないが、周囲の反応を見ると、よっぽど大きな組織なのだろうと思う。

それが、たった一人の能力で力関係が変化するものだろうか。

 

「あいつは、なんて伝えたのかなあ……」

 

眉を顰める大和を見て、楊志はぼやいた。

 

「傭兵にとって、コンディション管理は凄く重要なことだよ。なにせ、命に関わるからね」

 

理屈としては理解できる。アニメやラノベでそんな展開を見たことがある。

 

死が身近な世界では、ほんの僅かな差が死に直結するというやつだろう。

それは体調だったり、気持ちだったり、あるいは運もそうかもしれない。

人間は理不尽な理由で簡単に死ぬから、考えうる要素を最高の状態に整える、ということだろう。

 

理解は出来た。しかし一向に実感がわいてこない。

小学生の時、遠くで戦争があって、それで沢山の人が死んでいると教えられた時の気持ちに近い。

可哀そうだなとは思うけど、それをどうにかしようとは思わない。切迫した状況だと思えない。

当事者にとっては、これ以上なく切迫していることは想像に難くないのに。

 

これが平和ボケと言うやつだろうか。

もしくは、自分が超重要人物かもしれないということを、理性が拒否しているのかもしれない。

 

どちらにせよ、一朝一夕で呑み込める話ではなかった。

「はあ……」と上の空の返事に、楊志は苦笑した。

 

「おやおや。……まあ、今は分からなくてもいいかな」

 

言葉の後半はあまりに小さくて大和には聞こえなかった。

「え、なに?」と聞いた言葉は当然の様に無視される。

 

「それで、聞きたいことって、なに?」

 

鉄面皮を被りなおした楊志の目に、先ほどまでの攻撃的な色は消えている。

他愛もない会話を交わすかのように楊志は気楽な調子に戻っていた。

 

大和は黙考して、今聞いたことを整理する。

 

梁山泊。

曹一族。

盧俊義の資格。

血の報復。

護衛。

 

工藤の言うことは事実だった。

自分が狙われる理由も知った。

曹一族は力づくでも仲間にするつもりだ。

楊志たちはそうならないように護衛してくれるという。

曹一族に盧俊義の素質を持つ者を渡したくないから。

 

しかし分からない。

 

「曹一族は無理矢理でも俺を連れ帰るつもりなんだろ。君たちは、どうしてそうしないんだ?」

 

わざわざ自ら護衛を差し向けて、貴重な労力をつぎ込むのなら、曹一族のように拘束して洗脳なり何なりすればいい。

そうすれば受け手に回り後手を踏むなんて状況は回避できる。

終わりの見えない護衛任務を選ばずとも、そっちの方がずっと合理的なはずだ。

 

「……」

 

楊志は一瞬大和を見つめた。

視線をわずかに逸らしてすぐに大和へ向き直る。

 

「傭兵をやってるといろんなことがある」

 

過去のことを思い出しているのか、どこかしみじみした口調だった。

 

「こんな商売、どこで恨み買うか分からないし。川神院を敵に回す可能性は少しでも見逃せない。あんなのに目を付けられるのは真っ平だ。そんなわけで、懐柔策」

 

「懐柔策……」

 

「そっちから来てくれるなら、それに越したことはないってわけだよ」

 

暴力で分からせるのではなく、言葉で分かりあおうということだ。

話して、知って、信用させて、最後には抱き込む。

酷く遠回りだがその分堅実な方法。

洗脳ではなく、大和自身の意思によって梁山泊に加わるなら、百代はもちろん京でさえも異論を挟みはしないだろう。

……京はむしろ追いかけて来そうで怖いのだが。

 

「ま、お前が今そんなこと気にしても仕方がないよ。どうせ候補でしかない」

 

きっぱりと告げる楊志の言葉は、事実だが手厳しい。

盧俊義の素質があるのかないのか、それを探るためにも来てるんだったなと大和は思い出した。

 

「曹一族に比べれば、君たちの方がましってことか」

 

工藤が言っていた。

『あいつら穏健派だから』と。

その意味がようやく大和は理解できた。

梁山泊に頼れと言った真意も。

何のことはない。本当に梁山泊以外頼れないのだ。この状況では。

 

「君たちの目的は分かった。……その上で、なんだけど」

 

大和は言い辛そうに言葉を続ける。

 

「今の話を聞いても、やっぱり俺は、君たちの仲間になりたいとは思わない」

 

多少の申し訳なさを持ちつつ、断固として大和は言う。

聞かれない限り、自分から言う必要もなさそうだったが、正直に話してくれたお礼と言うか、こう言うことはハッキリさせておいた方が良さそうだと思った。

これで諦めてくれればその方がありがたい。

 

楊志は嘆息する。

 

「……だから出来る限り隠しておきたかったんだよ。普通、こんなこと聞かされて喜ぶ奴なんていないから」

 

懐柔するにしても、最初から構えられては難易度が上がるんだと楊志はぼやいた。

なんだか悪いことをした気がするが、大和自身はなにも悪くないことに気づいて、その気持ちを追い出す。

こんなことでは、早々情が移って懐柔されそうだ。

理屈は分かっても感情は別に動くから、まったく人間って厄介だ。

 

久方ぶりに、大和の思考が与一に寄った傍らで、楊志が呟いた。

 

「あいつも余計なことしてくれたよ。まったく」

 

心の底から憎らしそうな口調だった。

あの人が関わった途端、楊志の無表情が剥がれ落ちている。

一体どんな仲なんだろうと気になって、一つ看過できない疑問がふっと湧いて出た。

 

「あの人、どうやってこのこと知ったんだろう……?」

 

「んー?」

 

口に出したつもりはなかったが、無意識に零れていた。

それにすら気づかず、大和の思考は深く深く潜り込む。

考えれば考える程、可能性は絞られてある方向に導かれていく。

 

あれ?

 

大和は思った。

 

もしかして、あの人が――――。

 

結論に達しかけた瞬間、楊志の言葉が耳に届いた。

 

「私たちに、この情報を持ってきたのは『M』って名乗ってた」

 

はっと我に返る。

 

「……M?」

 

「実際来たのは代理人だよ」

 

正体は分からないと楊志は遠まわしに言っている。

M……。どうだろうか。あの人の趣味嗜好は分からない。

けれど、なんとなく。もしあの人が偽名を名乗るなら何らかの繋がりを使う気がする。

 

例えば、イニシャルとか。

下の名前は何というのだろう……。

 

考え込む大和を楊志は怜悧な眼で見ている。

尋ねられた問いに、大和は現実に帰還した。

 

「話は、終わりかな」

 

頷く。

これ以上は後で考えることにした。

おそらく、いくら考えても確かな答えは出ないことは分かっていた。

 

「そう。……直江大和。お前がわたしたちの仲間にならないと言っても、わたしたちのやることに変わりはない。曹一族からお前を守る」

 

「ありがとう」

 

心の底から大和は言った。

顔は喜びで綻んでいる。

最初はどうなるかと思ったが、結果的に言えば、悪い方向には進まなかった。

 

楊志はおもむろに立ち上がる。

背を向けて出口へと歩き始めた。

大和は少し面食らって、慌てて腰を浮かせる。

 

そうこうしている間に楊志は扉を開けていた。

「終わったよ」その言葉は、いつの間にか外に待機していた林冲たちに向けられていた。

 

「そうか」

 

林冲、史進の二人と、それに挟まれるように弁慶が廊下にたむろしている。

酷く居心地の悪そうな弁慶は、大和の顔を見て安堵の表情を見せた。

 

「で? なんの話だったんだ?」

 

史進が両手を頭の後ろで組み、壁に背を預けながら尋ねる。

口笛でも吹きそうな上機嫌な様子だ。

 

林冲が頬を染めて恥ずかしそうに言葉を足した。

 

「その……史進は告白に違いないと言っていたんだが……」

 

つまるところ、大和の用事について、各自好き勝手に考察していたらしい。

わざわざ後をつけて話が終わるのを待つあたり、よほど興味津々なようだ。

 

「んー……」

 

楊志は言葉に詰まった。大和も同様だ。

弁慶がいる。九鬼のクローン。

盧俊義のことを教えるわけにはいかなかった。

 

四人の視線が集中し、それに気づいた弁慶は眉を吊り上げる。

 

「……また除け者?」

 

弁慶はいよいよ頬を膨らませる。

はっきりと、私不機嫌ですと主張するのは彼女の良いところだと大和は思う。

弁慶も大和のことを気にしてここに居てくれたのだし、その親切には報いなければと思う。

そうじゃなくてもギブアンドテイクだ。

とは言っても、本当のことを教えるわけにはいかないので、別のところで報いることになるのだが。

 

「弁慶」

 

「……なに?」

 

「実は最近、四国の長宗我部と連絡先交換して、四国の名産を送ってくれるって言うんだ。広告ついでだけど。それで、何か食べたいものある?」

 

「……」

 

明らかな物釣りに、弁慶は眼差し鋭く大和を見つめた。

大和は眼で謝罪の意を伝える。

 

「除け者だぁ」

 

「ごめん」

 

「つーん」

 

ぷいっと顔をそらされた。

困ったなと頬を掻く大和。側で二人の様子を林冲がハラハラ見守っていた。

 

「ちょっとした事情があるんだよ」

 

「それ、どんな事情かな? 興味あるなあ。私」

 

「それは言えない」

 

へえー。ほーう?

 

重い相槌。

険悪な雰囲気に、林冲は今にも泣き出しそうにしている。

 

「大和が転校生をターゲットにして口説いてるーって噂があるよ」

 

「まったくの事実無根」

 

一体誰がそんな噂ばらまいてるんだと、大和は憤懣やるかたない。

それを見て、弁慶の険が少しだけ和らいだ。

 

「証明できる?」

 

「証明は出来ない。けど信じてほしい」

 

浅からぬ仲じゃないかと、口で言わずとも眼で主張する。

「まあねえ」と弁慶は相槌を打った。

 

大和を見つめる眼にもはや怒りはない。

短い沈黙の後に、弁慶は言った。

 

「……じゃあ、とびっきり美味しいもので手を打とうかな」

 

「いつものよりも?」

 

「いつも以上に」

 

まずかったら承知しないよーと、普段の調子に戻った弁慶。

大和はほっと息を吐いた。

 

いつも以上に、と言うのは随分な難題だが、それで弁慶の機嫌が直るというなら安いものだ。

大和の快諾を受けて、弁慶はニヤッと笑う。

それで険悪な雰囲気は完全に雲散した。

弁慶は軽快な気配のまま口を開いた。

 

「でも、実際噂されても仕方ないと思うけど」

 

「は?」

 

「私は見ての通りだし、義経とも仲がいい。与一に至っては学校で一番気が合うんじゃないの?」

 

橘とも蜜月重ねてるみたいだし。

 

顔の前に一升瓶を掲げる弁慶。

たっぷり入った液体の向こうで、大和の顔がぼやけている。

 

大和は困惑した様子で反論した。

 

「弁慶とは部活仲間だから、仲良くするのは当たり前だろ。義経は俺だけじゃない。みんなと仲良いじゃないか。与一は……。まあ、気が合うけどさ」

 

現役の中二病と先達。

毒を食らわば皿までである。過去の黒歴史はもはや取り返しはつかないのだ。

 

「橘さんとは勉強で――――」と続ける大和を弁慶は遮る。

 

「ほら、そういうとこ」

 

「え」

 

「そうやって必死に弁解してると何だか怪しい」

 

苦虫を噛み潰したような表情の大和。

どないせーちゅうねん。

内心のツッコミは飲み込んだ。

 

その表情を見て、弁慶はにやにやと笑っている。

余計に大和の顔は歪んだ。

 

とにかく、そんなつもりは欠片もないからと答えるにとどまる。

実際、本当に、まったく、神に誓って、転校生を口説いてなんかいないのだから、そう言うしかないのである。

 

「ま、私は大和を信じてるけど。転校生が来るたび、いの一番に親しくなってたら、そう噂されても仕方がないよねってことだよ。しかもちゃっかり告白までされてるし」

 

もうそこまで噂になってるのか。

心無い罵倒に心痛めている間に、随分流布されたようだ。

 

林冲の頬が染まるのを横目に、大和は頭を抱えそうになった。

 

「よっ。色男」

 

「……ありがとう」

 

これは弁慶なりの忠告だろうか。

あんまりやってると睨まれるぞと。もうとっくに手遅れな気がする。

 

「じゃ、今日は帰ろうかな。お邪魔虫みたいだし」

 

「あ、いや、そんなことは全然」

 

なぜか、林冲が引き留めるように言う。

話題の名残で、その顔はまだ若干赤い。

 

引き留められた弁慶は意外そうな顔をした。

 

「じゃあ私いてもいいの?」

 

「それは……。いや、いてもらって構わないのだが、話を聞かれるのは困るというか……」

 

弁慶は苦笑する。

ならいないほうがいい。

 

「じゃ、大和。つまみ楽しみにしてる」

 

「任せてくれ」

 

一升瓶を手に去っていく弁慶。

それを見送る一同。

 

見えなくなった所で、楊志が言った。

 

「話は中で」

 

楊志の言葉に従って林冲たちは部屋に入っていく。

大和も続こうとして、何となく部屋の入り口を見上げた。

 

馴染みのある変哲の無い扉だ。ドアプレートには何も書かれていない。

この外見から、中の和風感を察するのは土台無理な話だろう。

 

大和は視線を下に戻す。

また説明することになる。盧俊義のことや工藤のことを。

今日はやけに疲れる一日だ。

 

一度溜息を吐いて、喝を入れる。

今日何度目の喝かはわからない。

でもこれで最後になればいいと思う。少なくとも、今日の喝はこれで終わりであってほしい。

 

中から林冲の感嘆の声が聞こえる。

史進の口笛も聞こえた。

 

茶室に感動しているらしい。

大和は微笑んで中に入る。とりあえず、そのリアクションが見たかった。

 

 



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二十七話

ゴールデンウィーク素敵


「あーん」

 

「あー」

 

食堂で遠巻きに見られる三人は、周囲の目などお構いなしに仲良くやっていた。

剣華が持ってきた饅頭を武松に与え、武松はそれを一口に半分ほど齧って、もぐもぐと頬をふくらます。

 

じっと見ているとリスみたいだ。

剣華は口が空くのを待ちながら思った。

 

「あーん」

 

「あー」

 

すぐ隣で公孫勝がバカを見る目で二人を見ている。

ちゅーとストローで紙パックのジュースを啜っていた。

「公孫勝も食べる?」と食べかけの饅頭を差し出して、「いらない」と素っ気なく断られる。

「そっかー」剣華は最後の一欠けらを武松の口に放り込んだ。

 

「はやくかえりたいー。げーむやりたいー。新作ゲームー」

 

「入雲竜。任務を忘れるな」

 

はて。任務とは?

首を傾げる剣華は、いまだに任務の内容を知らない。

 

「その辺は遠目に観察させとけばいいじゃん。どっちにせよ九鬼の監視がきつすぎてそんな動けないよ」

 

「それでももしものことがある。すぐに駆けつけられる場所に居る必要がある」

 

梁山泊と曹一族が川神に入ってから、大半の構成員に九鬼の監視が付けられた。

身を隠すことなく川神学園に編入した林冲たちはもちろん、身を隠して川神にやってきた者も、大半が監視されている。

 

さすがは九鬼と言うべきか、どうやら日頃の歩き方や姿勢と言った身のこなしで、傭兵か否か判断しているようだ。

監視が付けられていないのは武術を修めていない僅かなサポート要員だけだが、この任務においてそれらが単独で役に立つわけもない。

早々特定されてしまうだろう。もちろん、もしものことを考え監視外の駒は残すつもりだが。

 

「直江大和が学園にいる以上、我々が帰る訳にはいかない」

 

「はーっ……。ブショーは頭固いなあ。リンたちいるから平気だってば」

 

駄々をこね続ける公孫勝から目を離し、武松は剣華を見た。

剣華は次武松に何を食べさせようかとコンビニの袋を漁っている。

 

「わからない。何があるかは」

 

次プリンなんかどう?

剣華の言葉に、武松は全力でうなずいた。

 

封を解く剣華の横で、公孫勝はまた溜息を吐いた。

 

「リンたちなにやってんのかなー……」

 

武松も剣華も答えない。

直江大和と何か話しているらしい。

どんなことを話しているのかは当人たちにしかわからないが、予感があった。

 

空気がどろっとしていて、何とも薄気味悪い感じがする。

嫌な予感。ただしそれほど致命的ではない。

勘と呼ぶ次元で、二人は揃って理解していた。

これはたぶんあいつが関わってる。

 

それを言葉にすることはなく、ふたりは目を逸らした。

プリン食べよう。

剣華がスプーンを構えて武松が口を開ける。

 

ちゅーっとジュースを啜る音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

グラウンドまで走って来てどれだけ経っただろう。

体感ではそれほど経ってはいない。

しかし大友の息の荒れ具合を見るに結構経ってる気がする。

 

土ぼこり舞う中太陽を見上げる。

日はまだ高い。

そう言えば今昼休みじゃなかったっけ?

 

「へーい。どしたー。息切れてんぞー」

 

「うるっさいわぁ!!」

 

適当な挑発に対して、精一杯怒鳴り返されながら大友の拳は空を切る。

紙一重で避けた拳は少し髪にあたったらしい。

 

あらま、と反撃するふりをして半歩踏み出すと、大友はすぐに間合いから遠ざかった。

手を伸ばしても届かない距離。蹴りでもギリギリ。

表情はこわばって、なんか凄い怖がってる。

そのせいであと一歩が踏み込めてない。

惜しいなあと思うが、本職はストライカーではないから仕方ない部分もある。

 

「へーい。へーい。へーい」

 

拳と蹴り。

蹴りの方がリーチが長いから、大友もちょこちょこ打ってる。

受けるか躱すかするたびにパンツが見えてしまう。

 

いつもスパッツ履いてたと思ったが、今日のこれはなんだろう。

トレーニングパンツとかそう言う類の見せパンなのか。色気ないなあ。

 

「よいしょっと」

 

ぴょんと後ろに跳んで距離を取り、大友はそれを追ってこなかった。

上がった息を整えてる間、仁王立ちして観察する。

悔しさに歪んでいる顔は「筒があれば……」と内心思っていそうな顔だった。

筒があれば……あったところでどうだというのか。

もっと善戦出来たのかな。

 

筒があったところで何も変わらないと断言できるが。

というか久しぶりに筒なしでやりたいから長引かせてるだけで、筒があったらうるさいし壊れるしでとっくに決着つけに行ってる。

 

「筒がないとこんなもんか」

 

内心とは裏腹に挑発を続ける。

俺は手足だけでなく口も達者だ。

決闘の時はだいたい口を開いて戦っている。

いっそ攻撃より口撃のほうが多いくらいだ。

口も武器だし。でも最近武器の性能を見つめなおす機会があって、ちょっと控えようかとも思ってる。

 

「ふっふ……。口ばかり達者の先輩には分からないかもしれんが……」

 

「なあに?」

 

「我が秘策成れり!」

 

「んー」

 

あー、これ秘策なんだぁと何とも微妙な表情になる。

直後、背後頭上から飛来した剣戟を手刀で迎撃して、なんか来たと内心思った。

 

「ふははは!!」

 

高笑い。振り向くまでもなく、分かる。あいつまた笑ってる。

 

「卑怯者……」ぼそっと呟いた言葉は、特に聞かせる意図はなかった。しかし聞こえたらしい。

 

「卑怯だと? 何とでも言え、勝てばいい!!」

 

そう言い募ったのはもちろん御大将石田三郎。

ゆらりと剣を構える姿は堂に入っている。

これを見て十勇士を馬鹿にする奴もそうそういないだろうが、直前の勝てばいいを聞いたら馬鹿にする奴は出てくる気がする。

現に俺は指さして小悪党と罵った。

 

「大友殿!」

 

俺と石田が舌戦するのを尻目に、前方では大友の筒を抱えた島が駆けつけていた。

 

「すまん、島」

 

「なに。これしきのこと」

 

いつ応援を呼んでいたのか。追いかけっこしてる最中ならいつでも呼べそうではある。

 

砲口がこちらを向く。横で島も槍を構えた。

臨戦態勢が敷かれた中で頬をかいて状況を確認する。

前方には島と大友。それぞれ前・後衛。

後方には石田。前衛だが、まだ光龍覚醒は使ってないらしい。

 

「勝負はこれから?」

 

「むしろ結末が見えたな!」

 

背後の石田。

こいつの調子に乗る癖はいつ治るのだろうか。

せっかく背後取ったのだから、最高の一撃を放てばよかったのに。

いや、こっそり背後取ってることは気づいていたけども。

 

眼を眇めた。

最初は鬼ごっこだったのが、援軍が入り武器を手にしたことで当初の目的はどこかに行ってしまった。

ただの決闘になっている。まあそれでもいいけど。

 

「お情けで十勇士になれた奴が偉そうだな」

 

「黙れっ」

 

少しの挑発で石田はすぐに怒る。

この沸点の低さは弱点と言って差し支えない。

 

「御大将!」

 

島の諌める声に石田は多少冷静になったようだ。

 

「いつもの手です。乗ってはいけません」

 

「……そうだな。ああ、そうだとも。いつもの卑怯な手だ」

 

渋面を作った石田はギリッと歯を食いしばる。

バチッと漏れ出た闘気が電気を放電した。怒気を抑えきれていない。

 

「ううむ……。石田に前衛を任せるのはそこはかとない不安が……」

 

気持ちはわかる。無勝だしな。

 

「いま百連敗ぐらいか?」

 

「もっといっているのでは?」

 

「そこ、うるさいぞ」

 

ちょっと口調が落ち着いたな。

よかったよかった。

 

「じゃ、残り短い時間だけど楽しんでやろう」

 

「ほざけ!」

 

前後から同時に島と石田が襲い来る。

島の槍の方がリーチ長い分少し早い。

 

顔狙いの突きを躱す。

 

「ふっ!」

 

石田の剣は斜め横に薙がれた。

躱すには上半身を反らすかいっそ跳ぶかの二択。

 

一対一なら跳んで回し蹴り食らわすのもありだった。

しかしこの間も島が連撃に続けようと構えている。

跳ぶのは悪手。

 

身体を思いっきり反らして躱した。

 

「ぬんっ」

 

上から下へ抉る様な槍払い。

体勢が整ってないから無理しないと避けれない。

両腕をクロスさせて防御。

 

力を受け止めきれず地面に倒された。

 

「もらったぁ!」

 

石田の容赦ない唐竹切り。

これも防御。ていうかこれ闘気無かったら余裕で死ねるかも。

 

気合を入れたおかげで鋼鉄同士がぶつかる音がする。拮抗する腕と剣。

叩きつけられた力で、ずんっと身体が埋まる感触。

 

石田が忌々しそうに舌打ちしている。

一拍あって聞こえてくる声。

 

「国崩しでりゃあああああ!!!!!」

 

そう言えばいたな。

石田と島はとっくに離脱している。

俺も離脱しようとして、身体が地面に埋まっていて一瞬行動が遅れる。

致命的だった。

 

ドンッ!

 

衝撃と爆音。視界が煙に塞がれる。

何発も続けて着弾しているらしく、見えないそこかしこで爆発している。

 

ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 

衝撃で身体が揺れてる。

火薬の匂いで鼻が利かない。

相手の動きを探るには気配を読むしかないが、すでに二人とも攻撃に移っていた。

 

花火が止んですぐ、煙の向こうから一突き。

 

「お覚悟!」

 

「やってから言うのは凄くいいぞ」

 

とは言え、島では力不足。

火薬に頼る大友も同じだ。

俺にダメージ受けさせるには石田しかいないが。

 

槍の穂先を掴んで、島の腹に一発打ち込む。

崩れ落ちる島。煙の向こうで、雷光が輝く。

 

「――――光龍覚醒」

 

「やるのかそれ」

 

最初からやっとけは置いといて、未熟すぎて命すら縮む技を使った気概は買おう。

掴んでいた槍を捨てて一騎打ちに持ち込もうとする。

意に反して動かない足。

島が俺の足に縋り付いていた。

 

「逃がしませぬ」

 

「あー……」

 

こいつどうしようか。

蹴って捨てて良いのか。

力加減はどれぐらいだろう。考えた分判断が遅れる。

 

「国崩しでりゃあ!」

 

「は?」

 

さすがに驚いた。声の方を向く。

空中ジャンプで空に居る大友。砲身はしっかりこっちを向いていた。

石田はまだ遠いから当たらないが、どう考えても島は巻き添えを食らう。

そういう作戦?

 

いざとなれば吹き飛ばしてやろうと腰を落として構える。

大友が放った砲弾は俺をあざ笑うように、わずかに俺たちを逸れて、俺の背後に着弾した。

 

余波を背中に受けながら、俺自身が盾になって島は被害を受けていないことを知る。

 

「終わりだ」

 

石田がすぐ目の前にいる。

光龍覚醒した石田は壁越えにほど近い。

ちょっと目を離すとすぐ見失う。

 

余波を受けている身体は動きを制限されている。

下半身は島に縋られて動かせない。

 

なるほど。

 

「やるじゃん」

 

気を放出して石田と島を吹っ飛ばしつつ余波を相殺。

少し遠くにいる大友はデコビンで気弾を飛ばして制圧。

島は腹への一撃が大きくて動けてない。

唯一残った石田は受け身を取った直後を狙って、超速で背後を取って一撃。

唐竹のお返しに上から拳を叩きつける。

 

「ごふッ!?」

 

地面に倒れた石田の髪が黒に戻る。

 

決闘終了。

勝者俺。終わってみれば呆気ない。でも結構苦戦した。

舐めプしたせいだけど。

 

「封印してた闘気使わせるとかやるじゃん」

 

「……」

 

聞いていたのは唯一島だけ。

立ち上がろうと呻きながら石田を気にしている。

大友も含めて気絶してるだけだから安心しろ。

 

「ヴィクトリー」

 

弱い者いじめした結果が勝利と言うだけで感慨もへったくれもない。

十勇士の内三人いてこれだ。

あと一人、大村がいれば少しは違っただろうか?

でもあいつもまだ壁越えてないしな。

 

全員がかりで、勝率1%あれば万々歳か?

 

壁越えてないとどうしてもそんなことになる。

壁越え相手にはただ数揃えても意味ないしな。

 

「んー……」

 

戦力にならない尼子姉弟に精神的動揺誘われたらもうちょっと勝率上がりそうではある。

弟が姉のふりして近寄ってきたら気持ち悪くてやってられないし、姉が変なこと言って来たら固まる自信はある。

まあ、VS西方十勇士とか卒業間近の今またあるかないか微妙だしな。

 

「動けるか?」

 

「……情けないことに、少し休まねば」

 

おっけおっけ。じゃあ運んでやるとしよう。

 

「寮と保健室どっちがいいよ」

 

「これしきの怪我、わざわざ診られるまでもありませぬ」

 

そうかい。強がりの様で不安な言い方だ。

さすがに数日流動食しか食えなくなるほど強く入れてないから大丈夫のはずだが。

 

「俺が治すか?」

 

「……結構」

 

あっそ。

武士の情けとかそんな気持ちで受けとっとけとは思うがね。

 

「じゃ、運ぶか」

 

大友と石田に手をかざす。

その行動に、何をしているのかと島は眉を顰めた。

まあ見てろとジェスチャーして意識を集中させる。

 

ビリッと空気に満ちる闘気が形作られる感覚。

経験で分かる。

 

「いけるな」

 

言葉と共に二人がふわっと宙に浮かんだ。

初めての試みは無事成功。ダメだったら素直に手で運ぶつもりだったが、成功したならちょっと楽が出来る。

問題はこれが他人にはどう見えているかということだが。

 

「これは……」

 

「新技。ていうか組み合わせ」

 

島は珍し気に大友と石田を観察している。

その眼はそこにある物を捉えられていない。

成功?

 

「もはや超能力の域ですな」

 

「お前が知覚出来てないだけだけどな」

 

むう……。

唸る島は普段険しい眉間をより険しくして二人を見ている。

見ようと思って見えるのかこれ。

 

「まあ、ほれ」

 

同じ要領で島も持ち上げる。

む、と驚いた声を上げた後、何かに気づいた様子の島。

俺を凝視していた。

 

「これは……火の巨人ですか?」

 

「ん。見たことあるっけ?」

 

「は……。いえ……」

 

まあ見たことあるなしは置いておいて、島の言う通り、浮かんでるんじゃなくただ持ち上げてるだけ。

なので本来なら驚かれることもないのだが、直に触れるまで視認できていなかったのは面白いな。

 

「なぜ、見えなかったのです?」

 

「しらね。そう言う技だからじゃねーの」

 

胡乱気な島。

言葉足らずは剣華が移ったかもしれない。

 

「こういう技使ってるやつがいたから真似しただけだよ。効果は似てても、中身全然別物かもな」

 

「…………」

 

島は天を仰いだ。

世の不条理を嘆いているようだ。

 

まあ、確かに才能って言うのは残酷だが、こんなことでそんな態度取ってたらこの先身がもたないぞ。

 

「島、世界ってのは広くてな。技を一目見て完コピする奴もいれば、とんでもない集中力で学習して練度上げたうえで返してくる人もいるんだぞ」

 

「某が身を置いている世界の険しさが改めて思い知らされました」

 

そうだろうそうだろうと頷く。

変に広いんだよこの世界。上には上がいると言うか、上に居る奴らのレベルが頭おかしいから。

 

「で、保健室と寮どっちがいい」

 

「では……寮でお願いできますか」

 

「もしダメっぽかったら館長に見て貰え。俺暫くいないから」

 

島はまた怪訝そうに問うてきた。

 

「どこへ?」

 

「川神」

 

「なにをしに」

 

なんて答えるのがベストだろうか。

空を見て考える。

浮かんだ答えは我ながら酷いものだった。

 

「遊びに、だ」

 

 




そう言えば、24話の後半工藤君一人称部分を改変してあります
他にも改変してるところがチラホラあったり、実は1話こっそり増やしたりしてます
増やした1話は、目次見ればすぐわかると思いますが十八話後編です
百代ちゃんの剣華ちゃん救出提案話の顛末を完全に忘れていたので書いときました

以上です


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二十八話

コンビニのビニール袋がすっかり空になった頃になって、ようやく林冲たちが大和を連れて食堂にやってきた。

離れた場所からでも分かるほど、陰気な雰囲気を背負った四人に武松と剣華は目を丸くする。

 

影を背負った様子の林冲と酷く疲弊している楊志、史進。

さらにその後ろでは大和が怯えた目で林冲を見ている。

 

これはただ事ではないと武松が立ち上がった。

 

「どうした?」

 

「いや……」

 

史進が言葉に詰まる。

チラッと林冲を横目に見た。

 

「リンが……」

 

「林冲?」

 

それ以上先を言葉にすることは憚られたらしく、口を閉ざしてしまう。

楊志がかるーい調子で引き継いだ。

 

「林冲の怒りは冷めやらずってことだよ」

 

要領を得ない楊志の言葉に剣華が小首を傾げ、武松が目を伏せた。

「なになに?」と公孫勝が近寄ってくる。

 

「どったん?」

 

誰も何も言わなかったからか、直接林冲に尋ねている。

それは勇気があるのかただただ鈍感なのか。

少なくとも甘やかされていることは間違いない。

 

「……なんでもない」

 

「はっはーん」

 

何やら得心行ったように公孫勝は破顔する。

 

「甘いものが欲しかったのか? 残念だったね、もうないよ」

 

「べつにいらない」

 

ぶすっとした表情でつっけんどんに言う林冲。

傍から見れば、不貞腐れているように見えなくもない。

 

「そんなに欲しかったのか。コンビニ行けばまだあるからたくさん買おう。なんならホテルの売店でも」

 

「いらないって言ってる」

 

いよいよ不機嫌さを滲ませて公孫勝を睨みつける。

公孫勝はびくっとたじろぎ涙目になった。

 

「な、なんだよぉ……」

 

「ほれマサル。今のリンに構うな」

 

普段仲の悪い二人が庇い合う。

素敵な光景だが、林冲の苛立ちは治まらなかった。

 

「関勝」

 

「……なに?」

 

射殺すような眼。関勝と呼ぶなと思ったが、言える空気ではなかった。

 

剣華は自問自答した。

知らないうちに、林冲をここまで怒らせるようなことをしただろうか。

いや、しまくったけど、ここまでのことは覚えにない。

温厚な林冲がここまで激怒しているのだから、それはよほどのことのはずだ。

訓練時代、腹ペコの林冲から夕飯を強奪し、それでもさめざめ泣いていたぐらい温厚なのだ。

 

その林冲がここまで怒っている。ただごとではないだろう。

 

「工藤が、我々の任務に関わっている」

 

「へえ」

 

工藤と言う単語に憎しみの全てが込められている。

なんだ、私に怒ってたわけじゃないのか。

じゃあもう何でもいいや。

 

「我々がここに来た理由は知っているだろう?」

 

「知らないけど」

 

束の間、怒りを忘れきょとんとした表情。

林冲は武松を見た。武松は無言で首を振っている。

 

公孫勝を見た。

何かを問いかける前に「こいつはダメだ」と思い出したらしい。

 

「そ、そうか……。まだ教えてなかったっけ? あれ……?」

 

狼狽える林冲が助けを求めて周りを見る。

皆一様に首を振るばかりだった。

 

「あれ?」もう一回、林冲は言う。

 

そもそも元梁山泊とは言え、今の剣華はただの一学生だ。

そんな人間に任務内容を教えて良いものなのか。

 

誰もその疑問を抱いていそうにない。仕方がないから剣華自身がそこを聞く。

 

「わたし、梁山泊抜けてるけど……」

 

「問題ない。お前は私たちの仲間だ」

 

即答。

さすがは林冲。仲間に対しては何を憚ることもない。

全幅の信頼と強い依存心が為せる業だ。

 

それが今の剣華には重く、釘を刺されているように錯覚する。

何か言わねばと焦るほど深くまで打ち込まれてしまう。

結果、何も言うことはできない。

 

「…………」

 

「まったくしょうがないなあ……」

 

固まる剣華に、見かねた楊志が助け舟を出した。

 

「剣華、耳を貸して」

 

「……変なことしない?」

 

「今回は変なことしないよ」

 

それならと剣華は耳を貸した。

ごしょごしょと内緒話を吹きこまれる。

 

ふんふん聞いていた剣華は、聞き終わった後大和を見る。

その眼にはありったけの同情が浮かんでいた。

 

「直江大和」

 

「なにかな?」

 

大和は泰然と問い返す。

その健気な態度に、思わず剣華は目を逸らした。

痛ましいものから目を逸らす様に。

 

「ごめんなさい。あなた死んじゃうかも……」

 

「そこまで!?」

 

大体の事情は把握した。

林冲がああまで不機嫌なのは工藤が関わっているからだろう。

まさかまだ一寸たりとも怒りが冷めていないとは剣華も思っていなかった。

しかし当事者である工藤はそれに気づいていたようで、話し相手にあえて林冲を避け楊志を指定したようだ。

剣華の知らないところでちょっかいをかけ続けていた疑惑が深まってしまった。

 

しかし……。

 

「盧俊義?」

 

「……らしいけど」

 

大和は納得いっていない様に渋々頷く。

その隣で、武松と公孫勝が「どういうことよ?」と大和が盧俊義について知っている理由を林冲に求めていた。

 

あえて三人の喧騒から目を逸らし、剣華は大和を爪先から頭頂部までよくよく観察している。

今まではただの学生としてしか見てこなかったが、盧俊義としてはどうなのか。

見極めようと目を細める。

 

体形は中肉中背。顔は悪くない。

筋肉のつき方は一般の範囲内だが、決して細いわけではない。むしろ鍛えてる方だろう。

卓越しているのはその頭脳で、交流戦の時は剣華含む天神館の二年生を翻弄し、あまつさえ自分自身も前線に出、石田を相手に時間稼ぎまでした。

肝っ玉の大きさは剣華も認めるところであるし、武神に磨かれた回避力には定評がある。

 

……おや、案外評価が高い?

剣華は今一度自己の直江大和への評価を精査する。

 

面倒見が良く紳士的。初対面の人とでもすぐに打ち解けられる人当たりの良さ。

その性格もあってか交友関係はとても広いが、それはある種打算からくるものでもある。

一見冷静沈着に見えるが、交流戦の働きを見て分かるように、熱い部分もある。

自分の信じる物を否定されたり、仲間や家族を蔑ろにされたりするとそれが出るのかもしれない。

負けず嫌いの一面もそれを推している。

 

結論――――よさげ。

 

ここ二カ月かけて見極めた大和の人柄は、調査の価値ありと判断を下した。

しかし剣華はこれを林冲たちに告げることはしない。

 

楊志が興味深そうに剣華を見ているのは、直江大和の素質について剣華の意見を聞きたいのだろう。

それを指針にしてこれからの直江大和への対応を決めるに違いない。

 

それを分かっていて、あえて無視する。

剣華は梁山泊の任務に深入りするつもりはなかった。

今となっては剣華はただの一学生で、いくら脛に傷を持つと言えどこの九鬼のひざ元でまた傭兵の活動に与するわけにはいかなかった。

 

転入当初に大問題を起こしておいて普通に学生生活送れているだけで奇跡なのだ。

わざわざ自分から厄介ごとに首を突っ込もうとする勇気は、あの世界最強に目を付けられた時点で失せた。

 

「災難」

 

そう言うわけで、観察の結果を一言で片づけた剣華。

しかしそうは問屋が卸さぬと近づいてくる二人。

 

「おーい関勝。お前もわっちらと同類だろ?」

 

「元同僚なんだから、その繋がりは大事にしたいよねえ」

 

史進と楊志が情報を求めて迫ってくる。

剣華は努めて無視し、思考は別のところへ飛ぶ。

 

工藤のことである。

大和の話しによると、盧俊義のことを告げられた上に、どうやら曹一族の足止めまでしてくれてるらしい。

 

明らかにこの件に関わっているが、どれくらい関わっているのか。

工藤が何の損得もなく、大和を不憫に思って手助けしている可能性はあるだろうか。

剣華が世話になっていることを考えれば、あることにはありそうだが決定的じゃない。

気まぐれでやりそうだし、気まぐれでやらなさそうだ。

 

もっと重要な問題は、この情報をどこから仕入れてきたのかだが……。

曹一族からではない。もし曹一族に情報を貰ってるなら、恩を仇で返す真似はしないだろう、たぶん。しないんじゃないかな……しないだろう……。あー、するかもしれないな……。

梁山泊は……頭領の一存で喋ってる可能性はある。しかしそれなら林冲たちに知らせてしかるべきだ。

 

最後の可能性。Mからは?

Mと工藤が繋がってる可能性があるなら、むしろより考えなくてはいけないことがある。

つまり、Mが単なる実行犯の可能性である。

その場合当然ながら主犯が別にいて……つまるところ。

 

「工藤がこれやった?」

 

確認するような呟きに世界は動きを失くした。

史進と楊志は嬉々とした表情を止め、林冲の方を恐る恐る見る。

 

武松と公孫勝の二人に長々説明していた林冲だが、突然説明を止め無表情で剣華を見ていた。

唇だけ動かして聞いてくる。

 

「工藤……?」

 

「何も言ってない」

 

剣華は即座に否定した。

名前を出すだけでまずいのか。

以前はそれほどではなかったのにどういうことだ。

 

あいつやっぱりあの後もちょっかいかけ続けたんじゃないだろうな。

それならいっそ殺されればいいのに。

 

溜息を吐く。いまあいつのことを考えるのは無駄でしかない。

どうせその内嬉々としてやってくるだろう。

 

「……若獅子戦ってほんとかな?」

 

「ん……いやそれはわからない。少なくとも今の所そう言う物の告知はされていないはずだ」

 

話題を逸らしたおかげで、幾分か林冲の雰囲気が中和された。

皆、これ幸いとその話題に乗っかる。

 

「毎年何かしらあるって話は聞いてるけど、もし本当にあるって言うんならわっちも出てえわ。もしかしたら強い奴と戦えるかもしれないし。なあ武松」

 

「……確かに腕が鳴りはする。しかし――――」

 

武松はチラッと大和を見る。

 

「無理だろう」

 

「やっぱそうかなあ」

 

史進は露骨に残念そうな溜息を吐いた。

 

「任務が優先だ。大会に出る必要はない」

 

「偶には息抜きも必要だろ? マサルみたいにさ」

 

「九紋龍はいつも息抜きしてる」

 

「……なに、うちに飛び火した? いいよやってやろうじゃん。それ言ったらブショーだっていっつも甘いもの食べて息抜きしてるし、自分だけ真面目ぶるとかないわー」

 

「あれは食事だ。息抜きではない」

 

「いや、食事に甘いものは食わないだろ」

 

徐々に話はエスカレートしていく。

一旦話を逸らすために俎上に載せられた話題が、これほど熱を帯びるとは剣華も思っていなかった。

突然仲間はずれにされた大和も困惑している。あの顔は帰っていいかなと思っている顔だ。

まだ帰られると困る。

 

「まあまあ三人とも。ここは林冲の意見を聞いてみようよ。一応私たちのリーダーだしねえ」

 

「一応じゃなく、きちんとリーダーなんだが……」

 

林冲は自分の扱いに一つぼやいて、次の瞬間には毅然とした態度で断言した。

 

「梁山泊が若獅子戦に参加することはない。私たちの手の内を大勢の人間に晒すことになる。それはできない」

 

「だ、そうだよ」

 

「ちぇー」

 

ぶーと唇を尖らせる史進。

「だめだぞ」と林冲が念を押して渋々頷いた。

 

「当初の予定は随分狂ってしまったが、我々の任務に変わりはない。直江大和を守る」

 

「うん……よろしく頼むよ」

 

ここに至っては大和も腹をくくっているのか、そう言って飄々然としていた。

史進が口笛を吹く。武松と楊志は黙って大和を観察していた。

 

「出来れば梁山泊に来てもらいたいし、その方が守りやすくもなるんだけど……」

 

「それはないなあ」

 

「……まあ、無理強いはしない。お前の意思次第だ」

 

話が一段落して、雰囲気は完全に穏やかなものになった。

一時、林冲が怒り狂ってどうなるかと思ったがなるようになるものだ。

 

ようやく大和は胸のつっかえが取れた気分で笑った。

梁山泊の連中も近寄りがたいが話してみれば面白い人ばかりだ。

狙われている事実を無視すれば、案外交遊を深めてもいいのではと思わせるぐらいには。

 

「むずかしい話おわったー? 帰っていいー? てかもう帰るー」 

 

「おい、公孫勝」

 

「ゲームやりたいんだよー」

 

一人真剣味の欠片も感じられない公孫勝に「全くお前は」と林冲はぷりぷり怒った。

いつものことなので、誰も気にしてはいない。

 

武松が懐から何かを取り出して大和に手渡した。

 

「これを渡しておく」

 

「これは?」

 

「ブザーだ。何かあった時に鳴らせばすぐに駆けつける」

 

まあ、早々吹くような事態もならないとは思うが。

そう言って鋭い目つきで周囲を探るように視線を巡らせた。

 

「私たちは常にお前を見張っている。とは言え、四六時中側にいるわけにはいかない。九鬼の監視があるし、お前にもプライベートがある。そこまで深入りしようとは思わない。今のところは」

 

さらっと末尾に付け足された言葉がそこはかとなく不安にさせる。

その内、四六時中近くで警護されることになるのだろうか。

 

大和は手の中のそれを握りしめて、出来れば鳴らすことがないようにと強く願った。

 

「これから状況はどう転ぶか分からない。油断はしないが、直江自身も注意してほしい」

 

「分かってるよ」

 

「いや、わかってない」

 

思いがけない強い否定に大和は鼻白んだ。

ずいっと顔を近づけた武松は、大和を見つめながら小さな声で言った。

 

「私たちだけではなく、曹一族に九鬼までいる。なによりあいつも……。混沌としている。何があってもおかしくない。だから注意してほしい。十分以上に」

 

「……わかった」

 

ここまで恐れられるなんて、あの人は何をやったのだろう。

百代と同じように人外の領域にいる人だし、今更どんな話が出てきても驚くことはないと思うが。

 

大和は武松を見つめ返し、厳かに頷いた。人外のハチャメチャっぷりは身に染みてわかっている。

百代が殊更酷いのだと思ってた時期もあるが、最近ではその考えも見直されてきた。

それは主に鉄心やヒュームのせいであるのだが、よく考えれば工藤もその一端を担っていることを思い出して気持ちが落ち込んだ。

 

もしあの人が全て仕組んでいるなら、最悪正面切ってやりあうことになる。

それは気心の知れた百代を相手にするよりずっと恐ろしいことだ。

何をするのか、何を考えているのか分からない相手に大和は成す術がない。

 

出来れば味方でいてほしいよなあ……。

大和は携帯電話を取り出して、未だに返信がないのを確認して溜息を吐いた。

その可能性は随分低いだろう。



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二十九話

ようやく一日が終わりを告げた。

一人土手を歩く大和の目には、ビルの合間を沈み行く太陽が何とも物寂しく感じる。

茜色に染まった空を感傷と共に眺め、今日と言う日を思い返していた。

 

人生で最も過酷な一日だったと言えるだろう。乗り越えられたのは日頃の行いが良かったからに違いない。

しかし、そうは言ってもまだ山場を一つ越えただけだ。この先に連なる巨峰を考えると不安に押しつぶされそうになる。

油断すると涙が零れそうだ。ぐっとこらえ顔を俯かせる。

 

ふと、河川敷の砂利道にタイヤを引き摺った跡が残っているのに気がついた。

世間では、今日と言う日とて普段と何も変わらない日常が流れている。

ふとすれば忘れかけていた当たり前のことを思い出し、しかしながら心身の疲弊はどうにもならず、大和は沈む夕日を背にして身体を引き摺るように寮へと戻った。

 

「ただいまー」

 

何とか帰宅して玄関を開けたとき、そこに一足の見覚えのない靴があった。

男物のスニーカーだ。かなり履き古した感じで、誰かが新しく買ったと言う物ではなさそうだ。

 

誰かお客さんかなと思う。

靴を見る限り源さんもキャップも居ない。

京は部活で、クリスはマルギッテと買い物だと聞いている。

まゆっちもいないようだ。最近出来たと聞く友達と遊んでいるのだろうか。

 

リビングの方から軽い駆動音が聞こえてきた。

扉を開けて紫色の物体が姿を見せる。

 

「帰ったな大和」

 

「ああ、ただいま」

 

クッキーがいつもの卵みたいなフォルムから戦闘用の第二形態に移行していた。

機械とは言え、一見人型のフォルムから滲み出ている警戒心に大和は首を傾げる。

加えてその手に抜き身のサーベルが握られているのはあまりに物々しくないか。

 

せめて室内ではそれしまえ。

指摘しようとサーベルを指さす。それを制するようにクッキーは告げた。

 

「お客さんだ」

 

「え、おれに?」

 

「ああ」

 

誰だろうなあ。

何か約束していただろうか。

考えても心当たりはない。本当に誰だろう。

 

「誰?」

 

「私も知らん。だが学生証を提示してもらった」

 

クッキーも知らないということは川神学園の学生ではないのだろうか。

一応、クッキーのメモリにはその辺りも入っているはずだ。

元々は九鬼英雄がワン子にプレゼントとして送ったものが、巡り巡ってここにいるのだから。

 

「最近物騒なことが多いからな。つい第二形態になったが……少しやり過ぎたかもしれん」

 

「なにしたの」

 

「突きつけただけだ。ぷすっと」

 

「刺さってんじゃねえか」

 

これは謝らなきゃいけない。

うちのペットがご迷惑をおかけしました。

 

大和はクッキーから学生証を受け取る。

見たことの無い物だった。川神学園のとは違う。

他所の学校はこんな感じなのかと少し感心して名前を見る。

天神館の三年生、工藤祐一郎と書いてあった。

 

工藤……。

頭が真っ白になった。

 

「――――どういうことだ!!」

 

「お?」

 

リビングの扉を勢いよく開けたら椅子に座って茶を飲んでる工藤がいた。

びっくりした表情で大和を振り返っている。

 

「どういうことですか!?」

 

「え、なに……?」

 

「なんでいるんです!」

 

一向に携帯に繋がらず、捕縛を依頼した大友からも何の返信もない。

返信がないならこれはやられただろうと冥福を祈っていたのに、家に帰れば本人がいた。

意味が分からない。

 

「携帯にも出ないのに!!」

 

「そっちの方がハラハラして面白かったろ?」

 

「そんな面白さは求めてねえ!!」

 

つい敬語が抜ける。

それに気づいてまず落ち着こうと息を整えた。

 

工藤が愉快気な顔をして、テーブルの上に置いてあったビニール袋を差し出した。

 

「これ、お土産」

 

「ああ……どうも……」

 

中は激辛唐辛子せんべいでいっぱいだった。

このチョイスからしてツッコミたいが、スルーするのが賢明だろう。

このせんべいは京の茶菓子に消えるだろうし何も問題はない。

 

「それで、どういうことですか?」

 

「遊びに来たよ」

 

「そっちじゃなくて」

 

工藤の真向いに座ってクッキーからコーラを貰う。

ぷしゅっと炭酸の抜ける小気味良い音が響いた。

酷使した喉を炭酸が駆け抜ける。美味い。

ぷはーっと爺くさい声が出た。

 

「ふーっ。……昼に電話かけてきたでしょ。それですよ」

 

「林冲たちのことだろ? 言った通りだよ。……え、まだ聞いてないの?」

 

「聞きましたけど……」

 

聞いたことは確かなので、大和は不承不承頷く。

 

「でも、色々言葉足らずでしたよ。林冲なんかあなたの名前出したらいきなり怒るし」

 

「うわぁ……」

 

工藤は顔を歪めた。まだ怒ってるのかと呟きが漏れる。

あんなに怒るなら最初に言っとけと大和は声を荒げそうになるのを必死に抑えた。

 

「曹一族のことは本当なのかとか、なんであなたがそんなこと知ってるのかとか、ひょっとしてMなんじゃないかとか、色々聞きたいことがあるんです。ここに居るなら教えてくれますよね?」

 

「とりあえず、Mっていうのが性癖の話じゃないのは知ってるなあ」

 

工藤の茶化す様な口調に大和の堪忍袋もいよいよ限界を迎えつつある。

ただでさえ今日は色々あったのだ。性質の悪い冗談に付き合える体力は残ってない。

 

どうやって口を割らせようか。大和が一計を案じ始めたのを察した工藤は、降参と言うように両手を挙げた。

 

「まあ俺も話をしに来たんだし、喧嘩するつもりはないんだ。順番に答えていこうか」

 

「ならキリキリ話してください」

 

「はいはい」

 

じゃあまず一つ目。

工藤は人差し指を立てる。

 

「曹一族のことは一応本当。ちょっと面と向かって脅してきたから。まああっちが約束守るかどうかは知らないけど」

 

「脅した……?」

 

「脅しちゃった」

 

あっけらかんと犯罪紛いな告白をされて大和はドン引きした。

その手法を知りたいような知りたくないような、知らない方がいいような複雑な気持ちになった。

 

「で、二つ目。はっきり言って俺はMじゃない。実はMは俺の知り合いなんだ」

 

「……じゃあ、その人から話を聞いたってことですか?」

 

「いや、俺がやってくれって頼んだ」

 

「やっぱりてめえ主犯かよ!!」

 

ついに堪忍袋の緒が切れて、一発殴ってやろうと詰め寄った。

 

「待て待て。言い訳聞いてくれ」

 

「姉さんに突き出してやる!」

 

「何で武神? まあ待てって」

 

大和は工藤が自分の腕を掴んだところまでは覚えている。

だがその後どうやったのか、気が付けば床に倒れていた。

座る工藤の足元で天井を見上げる形で仰向けになっていた。

痛みもなく、本当に気がついたらこの形になっていた。

訳が分からず呆然とする中、遅れてクッキーの「大和!」と言う声が聞こえた。

見ればサーベルを工藤に突きつけている。

 

「これは言い訳だけど」

 

工藤は突きつけられるサーベルを意に介することなく、淡々と大和を見下げて話を続けた。

 

「俺がやってくれって頼んだのは梁山泊のことで、曹一族のことは知らなかったんだ」

 

立ち上がろうと身動きした大和の額に人差し指が置かれた。

それだけで大和は動くことができない。話を聞けと工藤の目は言っていた。

 

「曹一族とかそんな奴らのこと知らないし、コネもない。だから調べてみてびっくりした。こいつらやべえって」

 

「……」

 

「でもやっちゃったもんは仕方ないし、なら最低限フォローしとこうと思って、とりあえずクリスマスまで安全の約束してきたよ。ごめんね」

 

最後には拝むように謝られた。

しかし誠意が全く感じられない。口調の軽さもあるだろうし、何かほかに隠してることがあるだろうと疑ってるのもあった。

 

人差し指から解放されて、大和はその場に胡坐を組む。そしてはっきりと言ってやった。

 

「まったく信じられないんですが」

 

「そうだろうと思って、少し考えて来た。直接Mに聞けば信じられるかな?」

 

答えを待つこともなく、工藤は携帯を取り出してどこかに電話を掛け出した。

 

「あーどうも。ご無沙汰です」

 

『――――』

 

「え? いやあ。あなたが余計なことしてくれたおかげであっちこっち走り回ってますよ。ええ、あなたのせいで」

 

『――――』

 

「やっすい試練ならやらない方がましだと思うんですがね。いや、紫陽花の匂いとか知らんし」

 

『――――』

 

「ああ、はいはい。気が向いたらで。ええ、俺あいつ嫌いなんで。それより今回の曹一族のことが俺の本意じゃないって誤解といてもらえます? 今本人目の前にいるんで」

 

電話向こうの声は聞こえなかった。

工藤の表情は終始顰められていて、あまり親しい仲ではないように思える。

 

工藤が差し出した電話を受け取り一度画面を見る。

通話相手の名前は最上幽斎と書かれていた。

 

「もしもし」

 

『こんにちは。初めましてだね。私は最上幽斎。Mと言った方が話は早いかな?』

 

「直江大和です」

 

最上……。

その苗字には凄く心当たりがあった。

知り合いの評議会議長と同じ苗字だ。

 

「ひょっとして最上先輩の――――」

 

『娘を知っているのかい? いや、自慢の娘だよ』

 

やっぱりそうだった。

この人は最上旭の父親だ。変なところで繋がるものだ。

 

『娘がお世話になっているようだね』

 

「いえ、逆に俺がお世話になってるぐらいで」

 

大和と旭の間にはほとんど接点がない。

だからこれは社交辞令だった。それを知ってか知らずか、幽斎は心の底から嬉しそうに笑っている。

 

『だとしたらよかった。僕は君に試練を与えることができたみたいだね』

 

「試練? 何のことですか?」

 

『魂の試練だよ。これを乗り越えると人は成長するんだ。私は人の成長を見るのが好きでね。恩返しの一面もある』

 

「はあ……」

 

ひょっとして、これは真面目に話したらいけない類の人なのでは?

何となく察してきた大和。チラッと工藤を見るも、にこっと微笑まれた。その顔には諦観が浮かんでいる。

 

『本当は工藤君への試練のつもりだったんだが、期せずして君への試練になったようだ』

 

「その口ぶりだとあなたが主犯のように聞こえますが」

 

『半分その通り。梁山泊のことは工藤君に頼まれた。曹一族は僕の独断だ』

 

「どうしてそんなことを? おかげで余計な危険に晒されて凄く迷惑してます」

 

『本当は彼に試練を与えたかったんだ。残念ながら少し足りなかったようで、君への試練になってしまったけど』

 

「……」

 

この人はいったい何様なんだろう。

試練だとか成長だとか。余計なお世話だ。

こう見えて俺は武神の舎弟だぞ。毎日が試練みたいなものだ。

 

『理解されないのは慣れてるよ。ただ分かってほしい。僕は君たちのことを何より考えて、誰よりも愛してる。君たちが成長できると信じてるんだ。今回の試練も頑張って乗り越えてほしいな』

 

「……」

 

さすがに言葉を継げなかった。

悪意の欠片もない語り草と、電話越しにも伝わる狂気。

言いたいことは山ほどあったのに、その狂気を身に浴びて、これ以上何を話せばいいのか。

強烈な個性は周りに掃いて捨てる程いるが、本当に頭逝っちゃってる類の人間への耐性はないに等しいと自覚してしまった。

 

「変わろうか」

 

大和の状況を察して工藤が申し出る。その言葉に大和は甘えた。

電話を受け取った後、工藤は幽斎と二言三言会話して、

 

「じゃ、その内試練吹っ掛けますんで楽しみにしててください」

 

と通話を切った。

その後の僅かな沈黙は大和に考える時間を与えるものだった。

 

「俺の言いたいことは分かってくれただろうか」

 

「あんな人に頼み事する方がどうかしてる」

 

「ぐうの音もない」

 

乾いた笑いで頭を掻くこの人に文句を言うことは簡単だろうが、それで解決するわけでもなく、言った分だけ疲れるだけだ。

帰ってきた時点ではまさかこれ以上疲れるはずもないと思っていたのに、今はそれ以上の疲れが押し寄せている。

疲れと言うか脱力感や無力感からくる諦めに近い。

この世界にあんなのがいるとは思わなかった。

 

「ま、あの人への仕返しには直江君にも手伝ってもらうよ。その内するつもりだから」

 

「遠慮します。関わりたくありません」

 

「スカッとするぜ」

 

「また面倒ごとに巻き込むつもりでしょう」

 

工藤はうーんと困ったように頬を掻いた。

それから確認のように尋ねる。

 

「そう言えば、君は義経とは親しい?」

 

「なんですか急に……。義経ともそこそこ仲良くしてますが、弁慶や与一の方が交遊ありますけど」

 

「そっか。わかったわかった」

 

一転機嫌良さそうに頷く工藤。

その様子には嫌な予感を感じざるを得ない。

 

「じゃ、俺はそろそろ帰る。頑張って」

 

「は? いや、まだ話したいことが……」

 

「疲れたでしょ。電話してくれれば出るから」

 

フリフリ電話を振って工藤は玄関の方へ向かう。

それならまあいいやと大和は疲れからほとんど考えず、工藤を引き留めることはしなかった。

 

「あ、そうだ。剣華に一つ伝言頼まれてくれるかな?」

 

「はあ」

 

扉のところで振り向いた工藤は胡散臭い笑みでそんなことを言っている。

自分で言えやと大和は思ったものの、今やそれを言うのも億劫で渋々と頷いた。

 

「若獅子戦で決着つけようって伝えておいて」

 

「……は?」

 

「若獅子戦で決着つけよう」

 

二度同じことを言った。

大和は頭の中でそれを何度も反芻する。

ああ、そう言えばそんなのもあったなあ……。

 

「……本当にあるんですか。と言うか出るんですか」

 

「うん」

 

工藤は軽い調子で頷いて、「じゃあよろしくね」と手を振って扉の向こうに消えてしまった。

若獅子戦ってクリスマスにあるんだよなあと閉まった扉を見つめて数瞬。

 

「いや、やっぱりちょっと待ってください!」

 

すぐさま扉を開けた大和の目の先に工藤の姿はなく、まるで幻のように忽然と消えていた。

 

「……クッキー、ドア開いたか?」

 

「その音はしなかったな」

 

「全部俺の幻覚だったらむしろ嬉しいんだけど」

 

「なんなら映像を再生することもできるが?」

 

「いや、いい」

 

気遣うクッキーに一人にさせてくれと言って、覚束ない足取りで自分の部屋に向かう。

襖を閉めてバッグを投げ捨て、ペットのヤドカリに布をかけ準備万端。

それから恥も外聞もなく畳の上に身を投げた。

 

「何なんだよぉ! 本当にぃ、もぉうっ!!」

 

ゴロゴロと転がり誰に聞かれる心配もせずに一人心赴くまま愚痴を吐き捨てる。

今日一日余りに多くのことがあった。

梁山泊のこと剣華のこと。盧俊義の資格や曹一族。全ての主犯工藤の登場に、まだまだ企む工藤。

 

「もうダメだぁ……っ。助けてくれえヤドン、カリン……」

 

布団に顔を埋めて泣き言を漏らす大和の声を、ペットのヤドカリ二匹、それから部屋の前に待機するクッキーと帰ってきたまゆっちが聞いていた。

 




三か月前は今話はシリアスでいくつもりでしたが、時間が空いたのともう一つの方の影響でギャグに寄りました
それと若獅子戦について、28話と24話を修正しました
たぶん「おや?」と思った方も居たと思いますので、ご報告までに


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三十話

夜の街は何とも淫靡な気配がする。

昼間は一挙手一投足見張ってくれているお天道様がいなくなって、ここぞとばかりに影者が不埒に及んでいる気がするからだろうか。

繁華街なんか特にそうだ。酒と女と金。人の醜い部分が凝縮された場所では、裏で何が行われているか分からない。

ネオンの明かりだけが街を照らし、ちょっと道を外れれば暗闇が大部分を占めている。

その裏表が想像をかき立てる。闇の中には何があるのだろう? そんなことを考え、思わず手を伸ばしたくなる。

 

「そこんところどう思います? あずみさん」

 

「少なくともこの街は安全だよ」

 

立ち入り禁止のビルの屋上で街を眺めていた。

ビルの合間を通る大通りでは車のライトが列をなして流れている。信号機の三色の灯火が絶え間なく変わっていた。

眼下に広がる移り変わりを、何をするでもなく眺めていた。

その最中、背後に現れた気配は都合よく知っている人だった。この人で良かったと思う反面、リーさんにも会いたかったなと思う。

 

「紋様とクローン組が暮らすってんで大掃除したからな。今世界で一番闇の少ない場所だろう」

 

「元々日本は安全なほうだけどな」と皮肉なのか褒め言葉なのかわからない感想を頂いた。

やはり元傭兵にはこの国の空気は温く感じるだろうか。

銃なんか一般に出回ってないし、殺人だって他国に比べれば少ない。犯罪率は世界ランキング一桁と言う平和っぷりだ。護衛と言ったって気を張るだけ張って、実際やることは少ない。

 

「で、暇なんですか?」

 

「序列一位舐めてんのか。お前のせいで余計な仕事が増えてんだよ馬鹿野郎」

 

「それはそれは」

 

足を一本宙へ投げ出しぷらぷらと揺らす。

ここは風が強い。一つ間違えれば落ちてしまいかねない。しかし、落ちたからと言って傷一つ付かないだろうとは思うのだが。今度一度試してみようか。

 

「で、何の用だよ。こちとら忙しいんだ。ふざけた用件ならぶっ殺す」

 

「何の用ってそっちが勝手に来たんじゃないですか」

 

「わざわざ見つけさせといてよく言うぜ」

 

ついさっき、30分ほど前だろうか。

従者部隊と思われる奴がこっちを探ってきていた。

なんの目的があってこんなところを探ったのかは知らない。

虫の知らせでもあったのかもしれないが、隠れるつもりもなかったのでされるがままにしておいた。

 

「そもそもだけどよ。『これから川神に向かいます』って一言連絡入れれば許されるとでも思ってんのか? お前のせいで今この街がどんな具合になってんのか分かってんのか?」

 

「俺は行きたいところに来ただけですが。移動の自由さえないんですか」

 

「ない」

 

酷い話もあったものだ。根本的な部分で九鬼は俺を人扱いしてないのではないだろうか。

いや、元をたどれば負けた俺が悪いのか?

しかしだからと言って人権侵害はないだろう。

 

「あずみさん。30分待ちぼうけしましたよ。たるんでるんじゃないですか。また襲撃しましょうか?」

 

「やってみろ。今度という今度はぶっ殺してやる」

 

「ちょっと。物騒ですよ」

 

あずみさんは悪どい笑顔を浮かべている。積年の恨みが籠っているのか、非情に腹黒い顔だった。

このまま会話を続ければどんな極悪非道が炸裂するか分かった物じゃない。

物騒な方向から舵を切り、楽しめる会話を目指して「いつぶりですか?」と水を向ける。

 

「つい最近会った気がするな」

 

「あれ、帝様強襲したときいましたっけ?」

 

「ヒュームとクラウディオいない時狙ってきやがってふざけんなって思った」

 

「それは偶々ですよ」

 

「どうだか」

 

そこでまた強く風が吹いて会話が途切れた。

視界の隅で赤いランプが点滅している。

バタバタとエプロンの靡く音が聞えてきた。

 

「じゃあ本題ですけど」

 

「おう」

 

「梁山泊と曹一族の目的知りたいですか?」

 

「あ?」

 

「知りたいですよね。教えてあげますよ」

 

沈黙。

背中を向けているからあずみさんの顔は見えない。

俺の提案を訝しく思って、表情も歪んでいるのだろうと想像はつく。

 

「それで、その見返りに何要求するつもりだ?」

 

「特に何も。情報は渡すんで後は好きにしてください」

 

「はっ。大盤振る舞いじゃねえか」

 

「滅多にないですよ。再会の記念にどうですか」

 

「ただより高いもんはないな」

 

ボールの蹴り合い。腹の探り合い。

相手の真意が掴めないまま飛びつく愚を、この人は知っている。

しかし、いまボールはあずみさんの元にある。それをどうするかは不透明だが、俺はゴールポストを動かす気はなかった。

 

「……なにさせたいんだ?」

 

「それは、そっちが決めることです」

 

「ふざけんな」

 

イラついた口調で、「チッ」と舌打ちが聞こえてきた。

 

「青二才が。一丁前に情報戦のつもりか? 痛い目見るぞ」

 

「こわいこわい」

 

煽ってるつもりは毛頭なかったが、あずみさんの気が盛り上がり限界点を突破しそうだったので、正直に話すこととにした。最初から隠すつもりもなかった。ゴールポストの前にキーパーなんていなかった。

 

「話は簡単ですよ。ちょっとしくったので尻拭いに協力してください」

 

「なんであたいがそんなことしなきゃいけないんだ?」

 

さっきまで切れ気味だったのに、ちょっと弱みを見せたらすぐ機嫌は上向きになった。

元上司とは言え、これほど性向の分かりやすい人も居ない。

分かりやすくSだ。九鬼ってSばかりなんだよな。

 

「いや、あずみさんに協力してほしいわけじゃないんですよ。俺の狙いは英雄様なんで」

 

「あ?」

 

ジャキッと刃物を構える音。

英雄様第一主義も変わってないか。ほんとう、心の底から心酔してるな。

 

「英雄様をどうこうしようって話じゃないです。むしろ英雄様にどうこうしてほしいって話なんで」

 

「意味わかんねえぞ」

 

「まあ、詳しい話をするとですね。あいつらの狙いは直江大和です」

 

少し間が空いた。

記憶を探っているのだろうか。

やがて、確認するようにオウム返しに繰り返してくる。

 

「直江? F組のか」

 

「確かそうですね。川神一子の友達の直江大和くん」

 

「……そういうことかよ」

 

あずみさんは得心言ったような口調で呟いた。

今の言葉で大体察したらしい。さすが序列一位やってるだけある。頭の回転が早い早い。

 

「詳しく話せ」

 

「その気になってくれて嬉しい限り」

 

「御託に付き合ってる暇ねえんだよ。とっとと吐け」

 

「はい」

 

それから10分ほどかけて、大体のことを喋った。

話していないのはMの正体だけだ。

あの人には俺がお灸をすえると決めたので、九鬼に喋って色々露見するとその機会が失われてしまうのだ。それは実に惜しい。

 

「直江大和を洗脳ねえ……。確かに一番手っ取り早いかもしれねえな」

 

「仮にそうなったら面倒くさいですよね。確実に川神一子は悲しみますから」

 

「ちっ」

 

忌々しそうな舌打ち。怖い顔で睨んでくる。

このあずみさんの反応は当然として、懸念はあるのでそれを確認する。

 

「英雄様に報告しないって手もあるんじゃないですか?」

 

「それはねえよ。隠し立てするつもりはない。英雄様にもきちんと報告して、指示を仰ぐ。ま、十中八九お前の狙い通りになるだろうがな」

 

諦観と尊敬とが入り混じった顔であずみさんはそう言った。

「そうでなきゃ英雄様じゃねえ」とでも言いたげだ。恋する乙女って年じゃないだろうに、その顔はどう見ても恋する乙女だった。

 

「じゃあ俺の代わりに護衛お願いしますね」

 

「川神一子が悲しむのを英雄様が見逃されるはずがないからな。そうなるか」

 

「だけど」と言葉が重ねられる。

 

「だからっていつまでも続けらんねえぞ」

 

「タイムリミットは?」

 

「英雄様が告白されるまでだ」

 

最長でも一年半ってところだろうか。

卒業までには区切りをつけるだろうから、恐らくそんなところだろう。

 

「その言い方じゃ玉砕で決定してるみたいですが」

 

「分は悪いだろ」

 

表情を曇らせ、言い難いことを絞り出すような声音だった。

 

「女のあたいから見ても、はっきりそう思うよ。脈はねえってな」

 

いつだか魚肉ソーセージで釣った少女を思い出す。

水しぶきの中で笑顔が輝いていた。天真爛漫だった。元気いっぱいで、側にいるだけで世界も輝くのだろう。

それはある意味で英雄様に似ている気もする。

しかしだからと言って二人の波長が合うわけでもなさそうだ。

あの二人の組み合わせは想像できない。目の前のこの人と言い、恋は時に残酷な結末に結びつく。

 

「それ自分にも言ってるんですか?」

 

「……」

 

あずみさんは答えなかった。

目の前に広がる夜景を見つめている。

その目は冷酷なほど冷たく、見る物全てを射抜いている。

感情を押し殺しているのか。表情から内心は伺えない。だからこそ、それは答えでしかなかった。

 

「お前、しばらくこの街にいるのか」

 

「どうでしょう。まあ姿は消しますんで、用があったらよんでください」

 

「どうやって」

 

「帝チャンネルがあるでしょ」

 

あずみさんの顔が引きつった。

まさか俺一人に連絡を付けるために九鬼帝の手を煩わせることも出来ない。

実質俺に連絡するのは不可能ということだ。

 

「若獅子戦はどうするつもりだ? 連絡行ってるはずだろ」

 

「出ますよ」

 

「ってことは、川神百代と戦うのか?」

 

「さあ? それは何とも。先にけじめつけないといけないんでね」

 

ふんと鼻を鳴らされる。

 

「損な性格してやがるな」

 

「お互い様ですね。もう三十路でしょう」

 

「あたいは一生英雄様にお仕えするって決めたんだ」

 

「損ですよ」

 

「知ってる」

 

こうしてる内に、大通りを流れる光の帯は徐々に少なくなっていた。

時間はもう遅い。ビルの明かりはほとんど消えている。たまに電気のついてるフロアを見つけて気の毒になった。

繁華街だけが変わらず明るい。眠らない街。そんな言葉を思い出した。

 

「紋様も、いいお歳だ。そろそろ専属を決められる。結婚は少し早いがな」

 

「紋様よりまず揚羽様でしょう。あの人誰かいい人いないんですか」

 

「縁談は引っ切り無しに来てるが、全部断られてる。揚羽様なりに思うところがあるんだろう」

 

「人に歴史ありですか。初恋は引き摺りますからね」

 

「まったくだ」

 

お互い思い当たる節があるから、人のことをあまりとやかく言えない。

帝様はやきもきしてそうだが、強く言って素直に聞くような人じゃない。なんせ実の娘だ。帝様自身、普段からどれだけ周囲の人間をやきもきさせているのか。それを考えるとざまあ見ろと言ってやりたくなる。

子は親の背中を見て育つんだ。

 

「お前、進路決まってないんだろ。戻ってくる気はないのか」

 

「散々ご奉仕したのに、まだ仕えろって? 鬼ですか」

 

「今度はちゃんと給料が出る。お前の才能を生かすには格好の職場だと思うけどな」

 

昔務めていた時は労働ではなく無料奉仕活動だった。

賃金が出ないからと、南に東に西から北へと随分あっちこっちを回ったものだ。

おかげで出会いもあって、辛いこともあった。それも今となっては懐かしい。

 

しかし無料奉仕とは言えど腐っても大企業。最終的には結構もらった。

それも絶賛目減りしてるけど。

 

「今は目の前のことしか考えてません。何より社会の奴隷になるのは二度とごめんです」

 

「首輪着けてやろうって言ってんだぜ」

 

「ご冗談を。誰が御すんですか? こんな狂犬」

 

「自覚があるなら治せ」

 

肩を竦める。

九鬼で過ごした三年間で少しは治まった自覚があった。

飴と鞭で人を使うのが上手い人が多かった。その人たちを参考に世渡りの仕方を学んだつもりだ。

けれど、もしかしたら狂犬病自体はそのままに、ただ小賢しくなっただけなのかもしれない。

 

ここで言い合っても意味がないと思ったのだろう。

「まあいい」とあずみさんの方から矛を収めた。

 

「あたいはもう行くぜ。話は通しておいてやる。感謝しとけ」

 

「英雄様にサンキューって言っておいてください」

 

「地面に額擦りつけるなら伝えてやるよ」

 

それに対する俺の返事を聞かず、あずみさんはあっという間に消えた。

さすがに忍者は移動させたら速いな。

 

俺も立ち上がる。これで一通り対処は済んだだろう。

とりあえず、今考え付く限りやることはやった。後はその日を待つだけだ。

肝心要が他人任せなのが気に食わないが、人事を尽くして天命を待つとはこのことなのかもしれない。

 

空を見上げる。

昼日中、空を覆っていた雲はどこにもない。

けれども月は見えなかった。今日は新月だった。

 

新月なら、願えば叶うのだろうか。

そんなことを考えながら、闇の中に手を伸ばす。

 



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三十一話

草原で、剣華は大の字で寝転がっていた。

大きく息を吸えば冷えた空気と一緒に土の匂いが鼻腔を満たす。

空はいい天気だった。穏やかな陽気が降り注いで、耳をすませば小鳥のさえずりと葉鳴りの音が耳を打つ。

近くに民家の一つもないからか空気が澄んでいる。

だからというわけではないが、いくら空気を吸っても吸い足りない。荒い息を整えようと胸は休みなく上下に揺れて、肺は次から次へと酸素を求めた。

額から汗が垂れて、不快感を抱く。目を細めて空を見上げた。

 

頭上に広がる青い空。その真っ只中を白い雲が優雅ともいえる速さで去っていく。

雲は、どれだけ遅くとも気が付けば遠くにいる。

それに比べて、なんだろうなと思った。

なんなんだろうな。私は。

 

「引き分けだな」

 

かたわらでそう告げたのは武松だ。

少し離れたところで「ちくしょー」と悔しそうな声が聞こえてくる。

剣華は上半身を起こした。支えにした左腕が痺れている。

史進の棒術は脅威だった。幾多の技を繰りだし、そのすべてが必殺技と呼べるほどに洗練されていた。

受け止めた左腕が回復するまでもう少しかかりそうだ。一年前よりも確実にレベルアップしている。それが嬉しくもあり悲しくもあった。

 

「勝つ気満々だったのにー」

 

「引き分けただけでも大金星ではないか」

 

「勝ちたかった」

 

ゆっくり史進が身体を起こす。

お互い力尽きて地べたに倒れていた。

決定打はなかった。終始拮抗していた。

 

「強かったよ。史進」

 

「そうかよ」

 

史進は不貞腐れて唇を尖らせている。

そしてはっきりと言った。

 

「お前は弱くなったな」

 

「……そうだね」

 

剣華は自嘲気味に笑う。

怒ることではない。本当のことだ。剣華自身自覚していることでもある。

史進は不満げに剣華をねめつけている。その目を直視することが苦しかった。

 

「さて、どうする。私とも戦うか?」

 

武松が手首の装備を弄りながら聞いてきた。

武松のスタイルは徒手空拳である。史進のように武器は持たない。

剣華は自分の左腕を振る。回復にはもう少しかかりそうだった。

 

「あとにしよう」

 

「そうか」

 

武松は淡々と頷く。

その頭上でトンビが円を描いて飛んでいた。甲高い、笛を鳴らしたような鳴き声が空に響き渡る。

それを見上げながら、剣華は思いをはせた。

どうしてわざわざ川神から離れて、こんなひと気のないこんな場所まで来たのだったか。

全ては史進と剣華が手合せするためだった。反対する林冲を無視してここまでやってきて、結果、二人は引き分けた。

その結果を想像していなかったわけじゃない。しかし苦しい現実だ。

己の努力不足を突きつけられるようだった。

 

「相変わらず、異能のコントロールは出来ないのか?」

 

「できない。途中危なかったね」

 

「史進の異能で消していなかったら危なかったな」

 

戦闘中は終始史進が異能を使っていたので、気を取り込むことはなかった。

もしそれがなかったらかなりギリギリだったに違いない。

そろそろ、川神院に行く時期だ。

 

「今の私はこんな感じ。一年以上進歩がなくて恥ずかしい限りだけど。それで、どう思う?」

 

「無理だろ。ムリムリ」

 

史進が言った。

武松は考えた上でゆっくり首を横に振る。

満場一致で、工藤に勝つのは無理という判断だった。

 

「あいつの強さはわっちらも知ってる。昔も無理だったのに、むしろ弱くなってるお前じゃ、ぜってえ無理だわ」

 

史進の言葉は容赦がないが、事実を突いていた。

勝てるはずがない。このままでは。絶対に。

 

剣華は考え込む。

昨夜のことである。大和から連絡があった。

『若獅子戦で決着をつけよう』と工藤からの伝言。

その時が来たと剣華は思った。

最早一刻の猶予もない。今の自分の状況を確認するために、二人を連れ出し模擬戦を行った。

結果は散々だった。自分は何も成長していなかった。分かっていたことだが、いざ目の当りにしたら言葉も出ない。

暴走しなければ足元にも及ばない。しかし暴走させれば勝てない。

暴走してしまった剣華は理性の無い獣に過ぎない。愚直で直線的。駆け引きなど出来るわけがない。人に勝つには人でなければいけない。

 

「豹子頭ではないが、梁山泊に戻ると言う手段もある」

 

「うん……」

 

梁山泊に戻り、一線を退いて、異能のコントロールに専念するというのも手だ。

しかし、過去与えられていたその選択肢を剣華は選ばなかった。選ばず梁山泊を出ることを選んだ。

何も言わずに梁山泊を出た身で、今更それを選べるはずもない。どの面さげて頼めると言うのだろう。

 

「……」

 

剣華は武松を見た。次いで史進を。

二人とも何かを期待しているようだった。

林冲ほどではないが、梁山泊の面々は皆仲間思いだ。それを剣華はよく知っている。

 

二人の視線を受けて、顔を俯かせる。

直前の思考を投げ捨てる。言い訳だと心中で吐き出した。

 

本当は、選んでもいいのだ。プライドだとか体裁が悪いだとか、選ばない言い訳に過ぎない。

自分がどうして梁山泊を出たのか。懐かしさや寂しさを抱きながらそれでも戻らない理由。

迷惑をかけるわけにはいかない? 過去の過ちを繰り返すわけにはいかない?

それも立派な理由だ。けれどそれが全てではない。

 

心の奥底でとっくに分かっていることだった。ただ認めるのが怖い。言葉にする勇気がない。

これほど思われているのに、応えられない自分はどれほど醜いのだろう。

 

「……武松」

 

武松の透き通った目に貫かれ、剣華は思わず拳を握りしめた。

 

「なんだ?」

 

「……やろうか」

 

結局、口からこぼれ出たのは、意図したものとかけ離れた言葉だった。

それで史進が飛び起き、離れた場所に退避する。

武松は無表情に剣華を見ていたが、やがて頷いた。

 

「わかった」

 

無手で構えた武松の身体が火に包まれた。武松の異能は火を操る異能だ。

対する剣華は自分の異能が暴走する気配を感じた。武松から湧き出る闘気が、剣華の内の獣を刺激している。

抑えられていた反動だろうか。まだ限界まで余裕はあるはずなのに。

歯を食いしばる。整えたはずの呼吸がにわかに荒くなった。

 

平気だ。平気。

この程度苦でもない。今までいくらでもあったことだ。

剣華も構え、二人は睨みあう。

 

「行くぞ」

 

そう言って、武松は向かってきた。

剣華は内から湧き出る獣を必死に押さえ付けながら武松を迎え打つ。

 

猪のように突っ込んできていた武松は、その勢いのまま攻撃するかと思いきや、突然急ブレーキをかけ意表をついた。

その身体から噴き出した炎で剣華の視界が覆われる。炎の向こうから突き出された拳を剣華は紙一重で躱し、カウンターを打った。

それは武松の顔を掠り、同時に武松を守っていた火を打ち抜く。

武松は体勢を崩し、それを追撃しようとして気が付いた。振りぬいた拳に粘っこく纏わりつく炎。こうしている間にもじわじわと熱さを増している。

こんなことが出来るようになったのかと剣華は驚き、よくよく見る暇もなくその場を飛び退いた。一瞬前までいた地面から火の柱が噴き出している。

 

史進と同じく、武松も決して怠けていたわけではない。一年間己のを磨き続けていた武松は、剣華の知る武松とは一味も二味も違っていた。

 

火の柱は噴火のように止むことがない。火の粉の飛び散る光景はいっそ幻想的だった。その影からなおも攻勢を緩めない武松を捉えて、一滴の汗が頬を垂れる。

手の甲でそれを拭いながら思わず笑う。「火は熱い」なんてことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川神院からはいつも通り修行僧たちの威勢の良い掛け声が聞こえてきている。

道着を着た体格の良い男たちが、師範代であるルーの指導を受けて拳を突き出し、蹴りを放っている。

 

「さあ、もう百本だヨ!」

 

川神院の稽古は苛烈だ。

来る者拒まず、去る者追わず。

連日多くの人間が門を叩き、その内半数以上が三日と持たずに去っていく。

川神院の方針として、まずは基礎を徹底的に教えられる。ただひたすらに基礎。基礎を積んで身体を作る。基礎こそもっとも重要なのだと憚ることはない。

基礎鍛錬は地道で長く険しい。それを乗り越え、川神流までたどり着けるのは極一握りの人間だけだ。

 

「ほらそこ、休まなイ! 君だけもう百本!」

 

楽して強くなりたいだとか、女にモテたいだとか。邪な動機を持つ者ほどすぐに消える。

今、この場に残っているのは強くなることの辛さや難しさを知り、それでもなお諦めずに鍛錬を続けている者だけだ。

そこまでして芽が出るのはさらに一握り。

この場にいる大多数の人間はいずれ武から身を退き、一般人として社会に溶け込んでいくだろう。

鉄心や百代、ルーと言った壁を越えた者たちのように、一生涯を武に捧げられるのは特別な才能を持つ人間にしか許されない。

 

それを知ってか知らずか、ここにいる人間は自分が特別かどうかなど関係なく、わき目を振らず武の道を邁進し、ただひたむきに己の身体を鍛えている。

その姿を綺麗だと言う人もいるだろうし、無意味な行いだと嘲笑う人間も居るだろう。

果たして、門の向こうからその光景を覗いている人物はどちらなのか。橘剣華は無表情に修行僧たちを見つめていた。

 

「……」

 

その目は修行僧たちの一挙手一投足を追っている。

剣華は史進と武松と分かれてまっすぐここにやってきていた。

目的は川神百代だった。連絡の一つもせずにやってきたが、気を読む限り百代はいないようで無駄足だった。また明日にでも出直そうと踵を返す。

 

門に背を向け長い階段を下りる途中、階段下からこちらへ向かってくる顔を見つけ足を止めた。

 

「およ?」

 

あちらも剣華を見つけ、手を振りながら近づいてくる。

 

「剣華ちゃん。奇遇だねえ。どうかしたの? こんなところで」

 

「べつに」

 

松永燕だった。

素っ気ない剣華の返答にふーんと伺うような目で剣華を観察している。

やがて「あ」と何か思いついて腰のポーチを探り始めた。

 

「もしかして、納豆が欲しくなっちゃったとか」

 

「いっぱいあるから、いらない」

 

「いくらあってもいいものだよ。消費期限が切れないうちはね」

 

押し付けられた納豆の小パックを手に持って、「はあ」と若干諦め気味に返事をする。

冷蔵庫に入れておけば長持ちするだろうか。家に置いてある山を思い出す。

 

「ところで、川神院にモモちゃんいた?」

 

「いなかった」

 

「ありゃ。それは困ったな。まあ約束してたわけじゃないけど」

 

眉尻を下げて川神院を見つめる燕を、剣華はなんとなく見ていた。

川神百代にどんな用事があったのだろう。

詮索するつもりはないが、気になるのは人の性だ。

豊かな想像力を働かせる剣華。燕は視線を剣華に戻すと人好きのする笑顔で問いかける。

 

「ひょっとして剣華ちゃんもモモちゃんに用事だった?」

 

「まあ」

 

「うーん。モモちゃんモテるなあ。さすが武神」

 

悩む素振りを見せる燕。

剣華にしてみれば、松永燕という少女も負けず劣らず美少女だ。さすがはアイドルをしているだけはある。

引き締まった体にスラッと伸びる足。プロポーションの良さでは負けず劣らず。しかし胸の大きさで百代に軍配が上がる。強さといい容姿といい、あれは存在が別格すぎる。そのせいで何となく近寄りがたくなっている百代に比べれば、アイドルをしていて存在を身近に感じられる燕の方が良いと言う人間もいるだろう。結局は人によりけりということだが。

 

じっと燕の端正な顔を見つめる剣華に、燕はほんの僅かに声音を変えて訊ねた。

 

「モモちゃんへの用事ってひょっとしてあれかな。異能の暴走」

 

「……まあ」

 

「うんうん。モモちゃんは基本約束破らないし、約束してたわけじゃないんだよね。だとしたらあれかな。どこかで誰かと戦って、闘気が溜まっちゃったとかかな」

 

「……」

 

かく言う剣華は燕のことをあまり得意とはしていない。

よく納豆をくれる点で言えば良い人だとは思うし感謝しているのだが、それ以上に自分の行動や考えを見透かす様なところがあまり好きになれなかった。誰かに似ている。浮かんだ顔は悪どい目つきで高笑いしていた。

 

実際、剣華が川神院を訪れた理由は史進や武松との戦闘で闘気が溜まってしまい、早めに抜いておこうと思ったからだった。燕の推測ズバリである。

それ自体急を要するほどでもないが、約束している日にちまではもたないだろう。

だから、思い立ったが吉日ということで訓練ついでに川神院を訪れたのだった。

 

「良ければ、私が相手しようか?」

 

「なにを?」

 

燕の提案を剣華は思わず尋ね返していた。

 

「剣華ちゃんの遊び相手。私でも務まると思うよ」

 

「必要ない」

 

何をふざけたことを言っているのだろう。納豆の粘りが頭にまで達したのだろうか。お気の毒だ。

 

「いやん。取り付く島もない。でもねえ……。結構本気。私こう見えて強いから」

 

強いアイドルは嫌い?

燕はウインクしながら言った。

その言動はふざけているようにしか思えなかった。

 

「危険」

 

「知ってるよん。工藤君に殺気向けてたもんね」

 

「……」

 

なら、なぜ?

剣華はいよいよわけがわからなくなった。

このまま無言のうちに帰ってしまおうかと現実逃避しそうになる。

 

真意を探ろうと燕の顔を見つめ、その目の奥に真剣な光を見て取る。

一歩後ずさった剣華。対して燕は首を傾げている。

本格的に逃げようとした。

その時だった。

 

「話は聞かせてもらったぞい」

 

突然聞えてきた声は圧倒的なプレッシャーを伴っていた。どうして今まで気が付かなかったのか不思議なほどの存在感。

川神院総代、武神・川神鉄心が二人のすぐそばに立っていた。

 

「ほっほっほ。二人とも百代に用が合って来たんじゃな? じゃがすまんのう。百代は今ランニングじゃ。ちょっくら嵐山まで走らせとる」

 

京都出身の燕は顔をひきつらせた。

一方剣華は嵐山がどこにあるのか知らず、何とも思わなかった。遠いんだなと感想を抱いただけだった。

 

「夕方には戻ってくると思うがのう。それまで待ってもらうのもなんじゃ。良ければわしが相手をしよう」

 

「え、学園長が?」

 

「うむ」

 

立派な鬚を撫でながら、鉄心は好々爺然とした風体を崩さなかった。

燕が表面だけは遠慮しながら、若干興奮した気配を隠せないでいる。剣華はそれを物珍し気に横目で見た。

 

剣華は知らない。

何を隠そう鉄心は『元』世界最強で、かつては武神とさえ呼ばれた最強クラスの一角だった。百代を二代目武神とするなら、鉄心は元祖武神なのだ。もちろんその強さは折り紙付きだ。

一線を引いて長らく経つというのに、未だその武名は根強く残っているほどの強さ。

そんな人物が指導してくれると言うのだ。武人にとっては、これ以上ない誉れであることに間違いはない。

 

「いいんですか? 迷惑じゃないですか?」

 

「そんなことは全然ありゃあせんよ。まあ、正直言うと儂がちょっと身体を動かしたいんじゃ。可愛い女子(おなご)が相手をしてくれるなら、わが生涯一片の悔いなしじゃ。もういつでも死ねる」

 

「あらあら……死んじゃったらモモちゃんに怒られちゃうねん」

 

「でもま、いっか」と鉄心の言葉を燕は軽く流した。

話は半ばまとまっていた。だと言うのに、門から聞えてきた声はそれを全てひっくり返しそうな調子を伴っていた。

 

「何をしているんですカ、総代!」

 

ルーが早足に三人の元へ駆けよってくる。

声音は厳しく、その顔にははっきりと非難の色が浮かんでいた。

 

「そんなに闘気を滾らせテ……。何があったんですカ?」

 

「なーに。これからちょこっと若い者と遊ぶんじゃよ。ルーもどうじゃ? 良い刺激になるぞ」

 

「それはいいですガ……」

 

ルーは燕を見て、剣華を見た。

特に剣華を見る顔は困っているように見えた。

 

「川神市に許可は取ったんですカ?」

 

鉄心の眉が八の字になる。痛いところ突かれたと表情が言っていた。

 

「とっとらんよ」

 

「じゃあダメでス」

 

「申請したら一か月はかかるじゃろ。ただの指導じゃし、めんどくさくね?」

 

「ただの指導で終わりますカ? 決まりは決まりでしょウ」

 

頑固一徹のルーは約束事を曲げるつもりはなく、それを知っている鉄心はやれやれと溜息を吐いた。

見守っていた燕は、何だかよく分からないがご破算になりそうな状況を察して落胆を隠せなかった。

やんわりルーに抗議する。しかし聞く耳を持たれない。

 

「どうしてもだめですか?」

 

「ダメだヨ。総代が本気を出せば、下手をすれば町が火の海になル。市の安全保障上、認められなイ」

 

燕は頬を膨らませた。

「またとない機会なのに」と文句を垂れる。

 

「すまないネ」

 

「むー」

 

「代わりと言ってはなんだけど、良ければ私が相手をしよウ。十分務まると思うヨ」

 

鉄心に及ばないと言ってもルーも壁越えの実力者。

何やら事情があるようだし、それでいいのではと傍で聞く剣華は思った。

しかし燕の頬を膨らんだままだ。

 

「私だと不満かナ?」

 

「……川神院の師範代を甘く見るつもりはないんですけど――――」

 

燕の目に暗い光が宿った。いつも開いているのか閉じているのか分からないルーの目がそうと分かるほどはっきりと開く。

見つめあう二人の間でビリビリと空気が振動するのは、闘気がぶつかり合っているからだ。

 

「ルー先生は、工藤君より強いですか?」

 

「む……」

 

しばらくの沈黙。

その質問には剣華自身興味があった。なにせ、認めたくないことだが、剣華は工藤の底を知らない。何度となく戦ったが、本気のほの字すら出していたのか怪しい。

けれど、もしかしたらルーはそれを知っているのかもしれない。もし人づてとは言え知ることが出来るなら、それは打倒工藤に大いに役立つだろう。

二人の傍らで剣華は期待に胸を高鳴らせて返答を待つ。

 

「ここで彼の名前が出るのは、何か事情があるんだネ。あえてそれは聞かないヨ。……そしてどちらが強いかという質問だけど、その答えは『分からない』ダ」

 

「……分からない?」

 

「うん。わからない」

 

その軽い口調に、場の空気は気が抜けたように一気に和らいだ。

ルーはあっけらかんと続ける。

 

「私が彼と最後に手合せしたのは数年前。その時点では私の方が強かった。けれど今も私の方が強いかと言うと、分からないとしか言いようがないネ。何せ彼は闘気を隠していル。それもかなり巧みニ。あれじゃあ実力を推し量るのは至難だヨ」

 

「……ですよねえ」

 

そう言われれば当然の返答に、燕は「あはは」と誤魔化す様に笑う。

「柄にもなく熱くなっちゃったなあ」と照れを隠していた。

 

「気持ちは分かるヨ。本気ではないとはいえ、あの子は百代の川神波を握り潰しタ。もし出来るなら私も手合せ願いたいネ」

 

「あははっ。……私は全然願いたくないんだけどなあ」

 

ぼそっと呟かれた言葉はルーには届いていなかった。

代わりに剣華の物問いた気な視線。燕は「なんでもないよ」とビジネススマイルを浮かべる。

 

「それじゃあルー師範代。学園長の代わりにご指導お願いしますっ」

 

「うん。門下生じゃないからって優しくはしないヨ。ビシバシいくからネ」

 

「望むところ!」

 

一見いつもの調子に戻った燕が、ルーに連れられて川神院へと向かう。

それを見送る鉄心は「なんじゃ……つまらんのう……」とぼやいてその後に続いた。

剣華はどうしようかと一考して、三人を追いかけることにした。

百代は夕方には帰ってくるらしいから、その時にまた訪れればいいのだが、正直出直すのは面倒だった。

何より燕がルーに稽古を付けてもらうと言う。二人の稽古を見て、工藤攻略のヒントでも掴めればと思った。

気の溜まり具合を考えても、二人の戦いを間近で見るのは問題ないだろう。

 

剣華は川神院の門をくぐって三人の背中を追いかけた。




川神院の説明ところでなんか書いた覚えあるなと見直したら、八話で似たようなこと書いてました。
三年前かぁと時の流れに驚くばかりです。


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三十二話

燕とルーが相対するのを、剣華は稽古場の端で眺めていた。

どちらともに徒手空拳。ルーの一本足で立つ独特な構えは一見して川神流とは思えない。いっそ中国拳法と言われれば納得できてしまうような風変わりようだ。

対する燕は、腰を落として左腕を突き出し、右腕を腋の下に引くオーソドックスな構えだった。

燕に武術の師匠は居らず、ほとんど独学だと聞いていたが、その構えを見るに相当研究したのではないだろうか。少なくとも努力は惜しまなかったようだ。

 

二人の様子を剣華は膝を抱えながら見、そのすぐ横には鉄心が立っている。鉄心は朗らかに微笑みながら二人の戦いを見物していた。

 

剣華がちらと鉄心を横目に見上げる。

武神。最強。川神院。学園長。

様々な単語が脳裏に浮かび、明瞭な言葉にならず消えて行った。

くしゃみが出そうで出ない時のような、微妙な気持ちで視線を元に戻す。

 

二人の戦いが始まった。

燕の洗練された技の数々を、ルーは貫禄の感じられる身のこなしで捌く。燕がいささか苦しそうな表情を浮かべているのに比べ、ルーは飄々としていた。

経験の差か、どこか稽古染みた雰囲気がある。いや、事実稽古なのだろう。燕がどうだか分からないが、ルーはそのつもりのようだ。

 

「……学園長」

 

「なんじゃ?」

 

声をかけても鉄心は二人から視線を外さない。

剣華も倣って同じようにした。

 

「若獅子戦があるって聞いた……聞きました」

 

「おお、耳が早いのう。そうじゃ。正式な告知はまだじゃが、12月25日に行う。ちょっとしたクリスマスプレゼントじゃな」

 

「そう、ですか」

 

「武人にとってはこれ以上ない贈り物じゃ。儂、さながらサンタさん」

 

満更でもなさそうな表情を剣華は無視した。

 

「出場資格ってある……んですか?」

 

「全世界から25歳以下の選手を集う。もちろんお主も資格があるぞい。どうするんじゃ?」

 

剣華は頭上を見上げる。

多少の緊張を帯びた面持で口を開いた。

 

「出たい」

 

「うむ。ならば出なさい」

 

「……いいの?」

 

「構わんよ」

 

あまりにあっさり許可されたものだから、剣華は思わず聞き返した。しかし返事は変わらなかった。

 

「構わん構わん。ただし、出るからにはルールに従って貰うぞい。あくまで大会じゃから人死には無しじゃ。若い芽を潰しとうない。故意でも偶然でも、審判が危険と判断した時はすぐに止める。その場合、殺しそうになった方が失格ということになるかのう」

 

鉄心は目を眇めて剣華を見る。

その目は力強く問いかけていた。

 

『出来るか?』

 

剣華は頷く。

つまり、剣華が異能を暴走させた時点で失格ということだ。

暴走しないのであれば好きにしろと言っている。

甘い処置だ。剣華は重ねて訊ねた。

 

「でも、九鬼の誰か……義経とかが出場するんじゃ……?」

 

「うむ。あるやもしれん」

 

厳かに頷く鉄心。「しかし」と顎鬚を撫でながら続ける。

 

「大事なのは、これが大会だと言うことじゃ。出場する人間の肩書が、試合の結果や出場資格に影響することはない。公平で公正がモットーの大会じゃからのう。裏の人間……それこそ暗殺者が出場したいと言うなら、喜んで迎えようぞ」

 

「……どう考えても危ない」

 

「ほっほっほ。何も危ないことなどない。安心しなさい。儂がおるんじゃから」

 

剣華は鉄心に疑うような目を向ける。

この老人が強いと言うのは知っている。初めてこの人と会った時、工藤から「俺より強い」と紹介されたのを覚えている。その時は畏怖の目で見たかもしれない。自分のことだからよくわからないが。

あれから何年経っただろうか。学園に転入して、幾ばくかの月日が流れ、抱いた印象はエロ爺で固定された。

百代が何度も「エロ爺」と呼んでいたのもある。風呂を借りたとき、脱衣所のすぐ外で頬を染めて立っていたこともあった。剣華と百代の入浴に聞き耳を立てていたらしい。それはどう考えてもエロ爺だった。

 

鉄心は目じりを下げて燕を見ている。一挙手一投足観察するように。

大きく動くたびにスカートの下のスパッツがチラと見えた。

鉄心の目に下心を感じるのは、そういう固定観念があるからだろうか。

 

「……私は、勝ちたい」

 

「出場する選手は、誰も彼もが優勝を目指しておる。生半可ではないぞ」

 

「優勝なんかどうでもいい」

 

意図せず強い口調だった。

拳を握りしめて床を睨む。歯を噛みしめる。

発する闘気が揺れる。蜃気楼のようにゆらゆらと。

 

「私は工藤に勝ちたい。他のやつはどうでもいい。あいつに、勝たないといけない」

 

「ふむ……それで?」

 

先を促す言葉に、剣華は一瞬戸惑った。

 

「勝つ。勝って、それで――――」

 

言葉は続かなかった。

喉元まで出かかった。しかし冷や水を浴びせられたようだった。胸に抱いていた熱い思いが、急速に萎んでいく。

勝った先を想像して、そこにある自分の姿を思い出して、握りしめた拳から力が抜けていく。

 

「……」

 

「なるほど」

 

何も言わない剣華を見て、鉄心は一人頷いた。

一瞬前までの好々爺は、今は学び舎の学長としての顔を見せていた。

 

「なぜ勝ちたいんじゃ」

 

「なぜって……」

 

「勝ってどうするんじゃ」

 

その質問の答えを、すぐには言葉に出来なかった。

息を整えてつばを飲み込む。とても喉が渇いてることに、いま気がついた。

 

「勝たないと、いけないから」

 

「なぜ?」

 

「……勝つことに意味がある。それが私の生きる術だから」

 

「ならば、勝ったその先には何があるんじゃ」

 

二度目の閉口だった。

なんとか絞り出した声は震えていた。

 

「勝った先は……また勝たないといけない」

 

「勝って、勝って。その先には?」

 

「勝ち続ける。それしか、ない。それ以外に道はない」

 

「なるほどのう……」

 

鉄心は二度三度と頷く。自分の中で何か納得のいく物が見つかったようだ。

話す二人の目の前では、戦いは佳境に差し掛かっている。二人の意識は一瞬それを捉えて、すぐに横にいる人間に戻された。

 

「ようわかった。不憫なものじゃ」

 

「……私は、不憫なんかじゃ――――」

 

剣華の反論を、鉄心は遮った。

 

「お主に限った事ではないが、あまり考えすぎてはならんぞ。毒じゃ。悩むぐらいなら、気の向くまま突っ走るのが一番じゃよ。若いうちはのう」

 

「……」

 

「さて、終わったようじゃ」

 

稽古場の真ん中で、ルーと燕が礼をしていた。

全身から汗を噴き出している燕が肩で息をして剣華たちの元へ歩いてくる。

 

「どうじゃ、ルー」

 

「凄い才能ですヨ。今一歩決定打には欠けますが、技の豊富さと緻密さは頭一つ抜けていまス」

 

「ほっほっ。そうじゃろうとも。稽古でなければお主も危うかったのう」

 

べた褒めな二人をよそに、燕はドサッと無造作に剣華の横に腰かけた。

稽古が終わったばかりだからか何だか剣呑な雰囲気を感じる。剣華は少し横に身体をずらした。

 

「……」

 

「……」

 

妙な空気が流れた。

チラチラと燕の横顔を伺う剣華。燕は汗を拭っている。

 

「ん? なあに?」

 

「いや、別に……なんでも……」

 

普段笑顔ばかり浮かべている燕が真剣な表情をしているだけなのだが、なんだかそれが怖い。

その内心を誤魔化す返事に、燕は「ふーん」とどうでもよさそうな相槌を打った後、猫のような目をして距離を詰めてきた。

 

「ね、ね。どうだった? 私、強かったかな?」

 

「強い」

 

素直な答えに、にんまりと燕は笑った。

 

「じゃあ、強さの秘訣、知りたい?」

 

「教えて」

 

即答する。頭の片隅に変な既視感があったが、そんなこと気にする剣華ではなかった。

それで「よしきた」と燕がどこからともなく取り出したのはやっぱり納豆。

右手に小粒。右手に大粒。準備は整っていた。

 

「これが私の強さの秘訣。栄養満点松永納豆。これ食べたら剣華ちゃんもきっと強くなれるよ。小粒と大粒どっちがお好み?」

 

「……小」

 

「はい小粒」

 

掌に置かれた納豆を見て溜息を吐く。期待させるだけ期待させてこれである。

本当にこれを食べるだけで強くなれるなら、とっくに世界最強になっているだろう。

今まで何度かこんなことがあった気がした。ひょっとして自分はちょろいのかと少し思わなくもない。

燕は剣華のじとっとした睨みなど素知らぬ顔で受け流し、鼻唄なんかを唄い始める。

 

「ねばねば~」

 

聞き覚えのあるリズムだった。どうも持ち歌らしい。

いつだか昼休みのラジオにゲストで呼ばれた時に流していたのを思い出す。清々しいほどの宣伝っぷりだった。

 

ルーが燕にスポーツドリンクを手渡し、一気に半分ほど飲みこんだ。

一息ついた後、ペットボトルを振り中の液体が揺れるのを見つめている。

 

「ね、剣華ちゃん」

 

「なに?」

 

「工藤君ってさ、多分強いよね」

 

「まあ……」

 

言葉にするのも癪で、肯定するのはもはや怒りすら覚えることだったが、認めざるを得ない事実だった。

 

「モモちゃんとどっちが強いかな」

 

「……わからない」

 

「そっか」

 

再びペットボトルを傾ける。

「ま、どっちの方が強くても」そんな呟きが聞こえ、剣華は燕をじっと見た。

 

「剣華ちゃんは若獅子戦出るの?」

 

「出る」

 

脈絡のない問いに即答した。

もはや剣華の腹は決まっていた。

工藤がその先で待っていると言うならば出ないわけにはいかない。

 

「ふーん。ちなみに私は出ないよ」

 

「そう」

 

興味なく頷く。

誰が出場しようとしまいと、剣華にとってさほど重要なことではなかった。

 

「出ないけど、だからと言って諦めたわけでもないんだよねえ」

 

「……?」

 

ニヤッと厭らしい笑顔を浮かべる燕に、剣華はタジタジと距離を置こうとする。

それを許さず、ぐいっと顔を近づける燕は子供のように目を輝かせていた。

 

「ねえ剣華ちゃん。私に協力させてくれないかな?」

 

「なにを」

 

「工藤君を倒したいんだよね?」

 

つばを飲み込んだ。

その通りだ。しかしそのことを燕に話したことはない。若獅子戦に出る理由がそこにあるなど一切喋ってはいない。そもそも、この女は若獅子戦のことをどこで知ったのだろう。

 

湧き上がる疑問や恐れを胸の奥を押し隠し、お前には関係の無い話だと気丈な態度で拒絶する。しかし燕は全く意に介さない。

 

「今のままだと、工藤君には勝てない」

 

「……」

 

「大会まであと二か月ちょっと。それまでに工藤君より強くならないといけない」

 

単純な事実の羅列は、剣華の胸中の不安をこれでもかと抉ってくる。

このままでは工藤に勝てない。そんなことは分かっている。だから、何とかしなければならない。

しかし、何とかと言っても一体どうすればいい? どうすれば勝てる? 何年も出来なかったことをたった二か月で。

 

「あ、ごめんね。別に剣華ちゃんの事情に深入りするつもりはないの。ただ、私も工藤君を倒したいだけ」

 

だからそんなに怖い顔しないでと優しく笑いかける顔の裏に、悪どい企みがあることに剣華は気が付いた。

しかし、燕の言葉に小さな魅力を覚えたのも確かだった。

半分逃げの姿勢ながらも気が付けば耳を傾け、話を聞く体勢になっていた。

 

「弟子入りなんて大げさな物じゃなくて――――私もまだまだ未熟だし――――本当にただの協力関係。工藤君の情報を私が分析して、弱点を探る。私そう言うの大得意だから、新しい発見があると思うよ。それに武術に関しても、何か力になれることがあるかもしれない。どっちにせよ腕に覚えのある人と競い合うのが一番上達が早いしね」

 

こと戦いにおいて、剣華は本能のままに叩くタイプであり、頭を使うことは少ない。

今まで、工藤に挑むのに策を練ったことはある。しかし成功した試しがない。それは剣華の考える策が稚拙だったのが一番の理由だろう。

その上で、剣華と正反対に知恵でもって戦う燕の協力が得られれば、これはもう鬼に金棒ではないか。

 

「どうかな? 私たち気が合うんじゃないかな?」

 

「……かもしれない」

 

気、というよりは利害の一致だが、少なくとも二人は協力関係を結ぶ理由はあった。

それによって得られる利益は二人にとって喉から手が出るほど欲しいものである。

剣華は工藤に勝つため。

燕は野望の障害を取り除くため。

二人は手を結んだ。

 

そんな二人の様子を、少し離れた所からルーと鉄心が見ていた。

 

「総代……何やら松永燕が企んでいるようですガ……」

 

「うむ。面白そうな話をしとるのう」

 

「……止めなくていいんですカ?」

 

「別にいけないことしとるわけでもなし。必要ないじゃろ」

 

「そうでしょうカ……」

 

ルーは納得できないと言う表情をしている。確かに、あの二人は何も悪いことなどしていない。

しかし今後のことを考えれば、今の内に一言注意しておきたいと考えている顔だ。万が一にでも二人が道を踏み外しはしないかと心配なのだろう。元々、ルーは剣華のことを人一倍警戒しながらも心配していた。

 

「もしや釈迦堂のようナ……」

 

釈迦堂刑部。かつて川神院師範代でありながら、ルーと考えを異にし最後には破門された男。自分など遥かに越える才能を持ちながらなぜああなってしまったのか。口惜しさに苦い思いが去来する。

鉄心は、ルーのそんな優しさとお節介さを内心で好ましく思いながら首を振った。

 

「ルーや。何も腕っぷしだけが力ではなかろう。頭を使うことも力の内じゃ。武に頼るでなく、智によって目的を達することが出来るなら、それもまた立派な強さというものじゃて」

 

「それは分かりますガ」

 

「何が正しく何が間違っているかなど、押し付けるのは決まり事だけで十分じゃ」

 

何も心配などしていないと、鉄心は柔和な表情を崩さない。

 

「若者を心配する気持ちはわかる。儂らみんな来た道じゃ。守りたくなるじゃろう。しかし、過保護過ぎても人は育たん。お節介は人をダメにする。厳しすぎるぐらいが丁度いいんじゃ。今はただ見守っていようぞ」

 

不承不承ながらも、ルーは頷いて二人を見やった。

未だにコソコソと何か話し込んでいる二人を見て、一抹の不安を覚える。

しかし総代がこういうなら、今しばらく見守っていようと心の不安に蓋をして、二人の元へ歩み寄って行った。

 

 



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三十三話

剣華が松永燕と協力関係を結んでから数日。

若獅子戦の開催が日本のみならず世界に向けて告知された。

わざわざ特番を設けてまで行った告知を、各テレビ局がこぞって取り上げている。

 

参加資格は25歳以下の男女。

11月に予選を行い、その一か月後の12月25日に本戦が行われる。

優勝賞品は現物での豪華な品々。九鬼財閥での重役待遇確約証文。さらにはエキシビジョンマッチで武神・川神百代と戦う権利。

 

魅力的なそれらに、全世界からひっきりなしに参加希望者が集まっている。

もちろん、それは川神学園でも同じことだった。

 

喧々諤々と一年生から三年生まで。

一日中その話題で持ちきりだった。

大和の周りでも早速参加を表明する者がいる。

一子、クリス、翔一、岳人。

一先ずその四人が即行で参加を決めた。

 

「ワン子とクリスはともかく、キャップと岳人は無謀じゃないか?」

 

「まあ、確かにな」

 

教室で大和がそう言う。純粋に友人を心配してのことだった。

先ほど、若獅子戦開催の発表と同時にクローン三人、――――義経、弁慶、与一の出場も一緒に告知されていた。

正直あの三人に翔一と岳人では歯が立たないだろう。

義経と弁慶は言わずもがな、与一ですら弓の腕は京に勝るとも劣らない腕前である。

いくらリング上の戦いとは言え、たかだか一生徒に過ぎない二人では勝つことは難しい。

翔一もそれを分かっていて頷いた。

 

「だけど、こんな滅多にない機会見逃してちゃ男じゃねえだろ。勝てるか負けるかはともかくとして、折角だから楽しく行こうぜ」

 

「そうだぜ大和。女ばかりが強いこの時代。優勝は無理にしても、多少活躍すれば注目も集まる。そうすれば全国から俺様の筋肉に魅了された美人なお姉さん方からファンレターがくるかも……!」

 

それぞれ思惑はあるようだが、参加の意思は固かった。

そこまで言うならもう何も言うまいと大和もそれ以上は止めない。

 

「それより大和。他に出場決めてるの誰いるんだ?」

 

「いや、他にはまだ……」

 

「おいおい軍師殿。さっきから熱心に携帯弄ってんだ。少しは情報集まってんだろ? 聞かせろよ」

 

「そう言ってもな……」

 

まだ告知からそう経っていない。

出るか出ないか、迷ってる者が大半だろう。

予め決まっていた義経たちはともかく、他に出る人間と言えば……。

 

「ああ、橘さんは出るらしい」

 

「橘が?」

 

三人が剣華の方を見る。

林冲と何か話し込んでいた剣華は三人の視線に気づき首を傾げた。

岳人がでへっと鼻の下を伸ばす。

 

「それと工藤先輩も」

 

「工藤先輩っつうと、天神館の?」

 

「おいおい、あれ出てくるのかよ」

 

三人の脳裏に浮かんだのは、百代の川神波を握りつぶした光景。

ヒュームと睨みあい、クラウディオと一触即発の空気になったあの男。

 

「ワン子やクリスでもきついのに、あの人まで出てくるってなると、なおさら優勝は厳しいな」

 

「まあなあ……」

 

一子やクリスであってもあれに勝つのは難しいだろう。

勝てるとしたら百代や燕のような人間止めてる人たちぐらいだ。

 

「そう言えば、燕先輩はどうよ?」

 

「いや、その辺の情報はまだ」

 

入ってないと言おうとした大和の代わりに、別の人間が答えた。

 

「燕は出ない」

 

剣華が三人のすぐ近くまでやってきていた。

隣には林冲もいる。

 

「まじで? 燕先輩出ないの?」

 

「出ない」

 

どこからの情報だろうと大和は不思議に思った。

その内心を読み取ったように、「燕から聞いた」と剣華は補足する。

 

「これは朗報と捉えるか悲報と捉えるか……」

 

「ん? どういうこと?」

 

「だってよ、燕先輩と試合であたったら合法的に色々触れるんだぜ? ひょっとしたら弾みで胸触っちゃったりとか……。そのチャンスがなくなったのは悲しいだろ」

 

性欲で動きすぎだろと大和は思った。武道にスケベ心を持ち出すなんてけしからん。

案の定、その欲望は女子からの受けは最悪らしく、聞いていた林冲が顔を顰めている。

後で百代にきっちり〆といてもらうかと心のメモ帳に記録しておく。

 

「林冲たちは出ねえの? 若獅子戦」

 

翔一が林冲に聞いていた。純粋に興味からのようだ。

林冲は首を横に振って否定した。

 

「私たちは出ない。仕事がある。そちらを優先しなければ」

 

「仕事って?」

 

「……」

 

翔一の問いかけは成り行き上当然のもので、そこに行き着くようにしてしまったのは明らかに林冲の失言だった。

何と答えたら良いか、林冲は言葉に詰まって剣華に助けを求める。けれど剣華は努めて無視した。

まさか無視されるとは思ってもみず、あわあわとパニックになる林冲。傍から見て、その林冲を前に剣華と大和が沈黙を貫き一切関わろうとしないのはいっそ不自然だった。

 

「まあ無理には聞かねえけどよ。あんまり川神で好き勝手やると九鬼の人たちがおっかねえぞ」

 

翔一のその言葉に、林冲はあからさまに安堵の吐息を放つ。

 

「重々承知している。ご忠告感謝する」

 

どこか距離を感じる言葉に翔一は苦笑した。

 

梁山泊の面々が編入してきて幾日が過ぎた。

その間、幾人もの生徒が彼女たちとお近づきなろうと声をかけたが、誰も目立った成果を上げられず、現在真面な親交があるのは剣華と大和の二人だけだ。

 

剣華は元々梁山泊の一員だったと言うから除くにしても、大和と林冲たちの間にこんなに早く親交が出来ると言うのは、翔一を始め風間ファミリーの人間にとっては意外なことだった。

思い返せば、林冲は編入初日に「大和が気になる」と言う趣旨の発言をしている。林冲に限らず、梁山泊の面々は見目麗しい少女だ。そんな彼女らにそんなことを言われて、大和とて何も感じないはずはないだろうが、見るからに甘い香りを放つ餌に不用意に飛びつくほど愚かでもない。

かつて中二病を極めたがゆえの、詐欺師は笑顔と共にやってくると言う価値観が彼にはあるのだ。

だと言うのに、今回大和はさほど間も置かずに林冲たちと交友を深め始めた。餌に飛びついてしまった形だ。

これは長年躾けを行っていた姐貴分である百代としては面白くない。そんな簡単に尻尾を振るよう育てた覚えはないと怒り心頭だった。

 

一体どういうことだろうかと大和を除いた風間ファミリーは緊急で集会を開いた。

長い議論の末、何か自分たちの知らないことがあったのではないかと考え、大和自身が何も言ってこないのであれば、しばらくは注意して見守ろうと言う結論に至っている。

 

翔一の目から見ても、最近の大和の様子は少しおかしい。

必要以上に周囲に注意を払い、ふとすれば何かに怯えているような目をしている。

それに応じて、風間ファミリーと一緒にいる時間が少なくなったような気がする。

 

力になれることならば力になってやりたい。

翔一に限らず、ファミリーの面々は大和には色々と借りがある。

しかし、大和自身が何も言ってこないことを考えると、こちらから踏み込むべきではないのではと言う京やモロの意見が脳裏に浮かぶ。

もしこれが岳人や一子だったならば無理やりにでも聞き出していただろう。そう言う意味で、心と身体が直通しているタイプは分かりやすくていい。

しかし、実際こうなっているのは我らが軍師の直江大和だ。

武神の舎弟として散々に鍛えられた大和である。助けが必要となればすぐにでもファミリーに頼ってくるだろう。仲間なのだ。例えどんなことであろうと、必要があればそうするだろうし、そうしてくれると信じている。頼ってこないということは、まだその時ではないのだろう。なら待つしかない。

 

とは言え、そう理解していても感情はままならない。翔一は複雑な心境で林冲と大和を見つめる。岳人も同じ気持ちなのか、気が付けば無言で二人のことを見ていた。

別に何か探ろうとしているのではない。ただ見ていた。

その二人の目に、林冲を始めとした梁山泊はもちろん、大和自身気が付いている。けれど何も言わない。言うべきではないと思っているから。

 

いつの間にか場は沈黙していた。

微妙な空気が流れている。

 

その空気を払拭しようと、大和が口を開き何かを言いかけた。

それを遮るように、剣華と林冲が突然廊下の方を振り向く。

二人そろって閉まっている扉を凝視した。

 

なんだ?

剣華たちの異常な顔色に触発されて、大和たちも扉を見つめた。

じっと見ていると気が付く。その向こうから漂う威圧感に。

誰かがごくりとつばを飲み込み、扉が開いた。

 

「我、降臨である!」

 

そんな言葉と共に入ってきたのは、大仰な言葉と尊大な態度とは裏腹な、ちんちくりんな子供だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少しだけ遡って、場は1-Sである。

そこにはとても高校生とは思えない体躯の生徒がいた。

光り輝く銀髪は足まで届き、学園指定の制服ではなく和服を着、手には軍配団扇。上着に陣羽織を羽織ると言う中々に目立つ格好。

その名を九鬼紋白。九鬼財閥統帥九鬼帝の次女である高貴なお嬢様。川神学園の1-Sに所属する立派な高校生であった。

彼女は今、傍らに護衛のヒューム・ヘルシング――――同じく1-S。明らかに老け顔――――を置き、若獅子戦開催の報に対するクラスの反応を観察していた。

 

「うむ。話題一色。どこを見てもその話しかしておらん。中々良い発表になったのではないか?」

 

「そうでしょうとも。そうでなければわざわざ番組を一つ作らせはしません」

 

「ふっはっは! 宣伝効果は抜群である!」

 

世界から出場選手を募る必要があるため、若獅子戦の発表は大々的に行われた。

世界的に注目されているクローンと言う餌を使ってまで、九鬼は世界の注目を集めたのである。

 

「ふむ。しかし義経たちを参加させる件、よくマープルは許可したものだ。難色は示さなかったか?」

 

「はい。いくつか小言は言っていたようですが、マープルもおおよそ賛成したようです。義経たちの実力を世界に示すには絶好の機会ですし」

 

「そうか。交流戦の映像だけではちと足りぬか」

 

「新鮮な話題の提供という一面もあるでしょう」

 

二人はクラスの反応に満足して廊下に出た。

廊下にたむろする生徒はいずれも興奮した様子で話している。聞くまでもなく若獅子戦の話である。

ちょこっと他クラスを覗けば、どのクラスでも同じ表情で同じ話題を口にしている。

大いに学校中を駆け巡っているこの結果に、紋白は大層満足した。

 

後ろに控えるヒュームは少しだけ声を落とし口を開く。

 

「そう言えば、例の依頼。松永燕の件ですが」

 

「ん」

 

「やはりまだ準備が足りないようですな」

 

「……そうか」

 

満面の笑みを浮かべていた紋白の顔に影が差す。

 

「松永燕には少し酷な依頼をしてしまったな……」

 

「申し訳ありません。この期に及んで奴が出てくるとは、私としても予想外でした。あれはとっくに腐り切ったものとばかり思っていましたので」

 

ヒュームの言い様に紋白は困ったように微笑んだ。

「よい」と答える口調には懐かしさや嬉しさが籠っている。

 

「腐っていなかったのは素直に嬉しいことだ。ただ、タイミングが少し悪かったな」

 

「依頼の内容を変えることもお考えになられては? 現状の依頼が達成困難とは言え、松永燕は有用な人材です。手元に置いておいて損はないでしょう」

 

「そうだな。考えておこう」

 

それでその話題については切り替えたのか、紋白は団扇で口元を隠すようにして笑った。

 

「しかし燕には悪いが、我には願ったりかなったりの展開だ。我が念願、叶うやも知れぬ」

 

「残念ですが、そうとも限りません」

 

「む……」

 

ヒュームの否定に紋白は不機嫌そうに目を細める。

 

「あずみの聞き出したところでは、奴の今回の狙いはあくまでも橘剣華。川神百代については積極的に挑もうと言うつもりはないようです」

 

「むう……そうなのか……」

 

団扇で額をぺちぺちと叩く仕草を、ヒュームは優しく止めさせる。

紋白はそれを意に介さず、不満たらたらな表情で廊下の先を睨んだ。

そこに誰も居なかったのは幸いだろう。

もし誰かいたのなら、紋白――――と、その隣のヒューム――――に目を付けられたと泣いて詫びかねなかった。

 

「橘剣華。元々梁山泊の傭兵だったのだな。いっそのこと九鬼に引き抜けないだろうか」

 

「止めておいたほうがよろしいかと」

 

丁寧ながらきっぱりと断言した後、ヒュームは理由を述べる。

 

「あれはもはや傭兵でも無ければ武人でもないただの赤子。九鬼にスカウトするほどの人材ではありません」

 

「お前がそこまで言うのは相当だな……。しかし腕は確かなのだろう?」

 

「武人とは心技体の三つが揃って始めて武人なのです。いくら腕が立とうとも、あの赤子には心が圧倒的に足りない。力だけの赤子など獣以下。目をかける価値すらありません」

 

そんなものかと紋白は頷く。

ヒュームの意見は分かった。しかしそれはあくまで一意見でしかない。

実際どうするかはその目で見て決める必要がある。

 

「ふむ。丁度よいな。では、ヒューム。2-Fに行くぞ!」

 

「かしこまりました」

 

ずんずんと進む二人。ひと気の多い廊下だと言うのに、紋白の歩みは一切ぶれなかった。

我が道、阻めるものならば阻んでみよと言わんばかりの堂々たる進軍っぷりに、道中の生徒たちは無意識のうちに道を開けていた。

 

廊下の真ん中を突き進む紋白の背中。

まだ小さい。しかし大きくなった。

年のせいだろうか。ヒュームは昔のことを思い出す。

 

王たる者、民を従え、民を導かなくてはならない。

そこに迷いなどあってはならない。ただ堂々と道を示し、先陣を切り突き進む。その姿を見て、民は自らの歩むべき道を見つけ、その背に続くだろう。

 

それこそが王たる器なのだと、いつかヒュームは述べ、それを鼻で笑った少年がいた。

その時のことを思い出し、ヒュームは不機嫌に鼻を鳴らす。あの時は確か制裁を加えたのだ。そして、それは間違っていなかった。紋白の背を見て確信する。

 

ヒュームが過去の記憶に浸っている間に、二人は2-Fに着いていた。

紋白が扉に手をかけ、勢いをつけて開け放つ。

クラス中の注目を集める中、然したる緊張もなく紋白は言った。

 

「我、降臨である!」

 

その背は紛れもなく王の器である。

だからこそ、ヒュームはあの時怒ったのだ。

 

『あいつはただの悪戯友達だよ』

 

恐れ多くも、そんなことを言う少年に。









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三十四話

「我、降臨である!」

 

その宣言と一緒に九鬼紋白は2-Fに入ってきた。

後ろに控えるヒューム・ヘルシングが普段のそれよりほんの僅かに刺々しい威圧感を漂わせている。

今すぐにでも襲い掛かってきそうな獰猛な気配に、林冲と剣華が身構える。

 

何の毒気の無い紋白を蚊帳の外に置き、ヒュームと二人が睨みあう。

その三人の緊迫感にクラス中が動きを止めた。

何事か起きそうな物騒な雰囲気が教室を漂い始める。

 

ドタドタと慌ただしい足音が廊下から響き武松が駆けつけた。

離れた所にいても察知できるほど、ヒュームの気は荒い。この分ではもうじき楊志と史進も来るだろう。

いかに世界最強とは言え5人も居れば――――。

 

「ふん。赤子共が。何人いようと話にならんな」

 

林冲の考えを見透かしたように、ヒュームはそんなことを呟く。

この状況でそんなことを言うのは、戦闘の意思があるとしか思えない。

梁山泊としては九鬼と事を荒立てるつもりはなかった。しかしあちらから仕掛けてくるとなれば話は別だ。

 

「ヒューム・ヘルシング……私たちに一体何の用だ?」

 

「なに、ちょっとしたスキンシップだ。九鬼家の執事として、世界最強として、梁山泊の実力を知っておきたいのでな」

 

その言い方では逃がすつもりはなさそうだ。

戦闘は避けられそうにない。

林冲は横目で扉付近にいた武松を見る。武松は頷き、僅かに立ち位置を変えた。死角から襲い掛かれる位置だ。

 

完全な臨戦態勢。

世界最強が相手と言えど、向かってくる敵ならば怖気づくことはしない。容赦はない。

 

「ふっふっふ。いいぞ。そうでなくては。それでこそ若者というものだ――――」

 

「こら、ヒュームっ!」

 

その一言で三人の間を走っていた闘気が雲散する。

叱責されたヒュームは「むぅ……」とバツが悪そうな顔をする。

 

「あまり林冲たちをいじめるでない!」

 

「……失礼。つい武人の血が騒ぎまして」

 

「まったく。お前は強そうな人間を見るといつもそうだな……」

 

紋白は呆れ気味に溜息を吐き林冲たちに向き直る。

てくてくと無造作に近づかれ、林冲は思わず後ずさった。

 

「すまぬな。許してやってくれ。事あるごとに喧嘩を売るのが好きなだけで悪い奴ではないのだ」

 

なんと迷惑千万な執事だろうか。

世界最強に事あるごとに喧嘩を売られては気の休まることがない。

ある意味では最強として正しい姿なのかもしれないが、一般常識に照らせば逮捕案件である。

 

「さて、林冲に武松だな。九鬼紋白である。同じ学び舎に通う者として挨拶に来たぞ!」

 

「それは、ご丁寧にどうも」

 

ぺこりと会釈する林冲。

武松は仁王立ちで未だにヒュームを警戒していた。

当のヒュームは涼しい顔で紋白の背中に控えている。

 

「お前達の仲間である公孫勝とは同じクラスだ! 是非とも仲良くしたいと思っている!」

 

「が、頑張ってくれ……」

 

仲良くしたいとは言うが、この暑苦しさは公孫勝の最も苦手とするタイプではないだろうか。

人生如何に楽に生きて行けるかをモットーにしているのが公孫勝だ。

紋白のような努力をいとわぬ人間は、公孫勝にとって側にいられるだけでも鬱陶しく思うに違いない。

 

「うむ! 今のところつれなくされているがな! ふっははは!」

 

笑顔で元気に屈託のない笑み。

一見明るく悪意などまるで感じないのだが、何だか責められている気がしてしまう。保護者的な責任について。

傭兵などやっていると子供特有の純粋無垢さとは縁遠くなってしまうからだろうか。

こういう人間に限って裏があると思ってしまう。

 

「で、お前が橘剣華か」

 

「……」

 

青白い顔でヒュームを凝視している剣華。

紋白の言葉を一顧だにもしないのはそれだけヒュームを恐れているからだ。

ニヤリとヒュームが笑えば、びくっと肩を跳び上がらせる。

 

「なるほどなあ……」

 

剣華の周りをぐるぐると回りながら、紋白はその様子をつぶさに観察している。

やがて観察を終え、剣華の真正面に立つと両手を腰に当てて仁王立ちになった。

 

「お前に夢はあるか?」

 

「……え?」

 

突拍子の無い問いかけに剣華は困惑した。

 

「野望はあるか? 願望はあるか? 未来の展望はあるか?」

 

「なにを……」

 

「今のお前は迷子の子供のようだ。恐れ、怖がり、自分の気持ちを素直に表に出せていない」

 

「……」

 

紋白の真っ直ぐ剣華を貫いている。

たかだか一分足らず観察された程度で自分の内心を推し量ったつもりのようだ。

それは違うと否定するのは簡単だった。しかし声を出そうにも出てこない。喉の奥が震え意味の無い単語が漏れるばかりだった。

圧倒されている。目の前の年端もいかぬ少女に。

 

「分かるぞ。我も一昔前はそうだった。だからこそ言えるのだ。

 自分を見つめ、自分の心を受け入れろ。何がしたいのか。何をしたくないのか。

 それでやりたいことが見つかったのなら我のところへ来るがいい。見つからなくても来るがいい! 九鬼はいつだってお前を歓迎するぞ!」

 

スッと差し出された名刺。

紋白の名前と電話番号が書かれている。

小さい手に名刺の大きさは不釣り合いだった。

 

自信に満ちながらあどけない笑顔。

それを見ると剣華は何も言えなくなってしまう。

ただ名刺を受け取って、後ろに控えているヒュームがこっそり溜息を吐いた。

 

「うむ。次で用件は最後だ。――――直江大和!」

 

「はい!?」

 

まさか自分に振られるとは思ってもみなかった大和は声を裏返した。

誤魔化すためにごほんと咳払い。

 

「安心するがいい! 我はお前に受けた恩は忘れておらぬ!」

 

「はあ……?」

 

恩?

思い出せるのはクローン組の歓迎会の件だ。

義経たちが転入してきた当初、九鬼を頼らず歓迎会の用意をしたいと紋白に相談されていた。

大和は尽力し見事に歓迎会を成功させたのだが、そのことを言っているのだろうか。

 

「川神にいる限り、お前の身柄は九鬼が保証するっ! 何人足りとて手出しはさせぬ! 安心するがいい!」

 

「え」

 

何を言われるかと内心びくびくだったにもかかわらず、予想外の言葉に大和の心が色めき立つ。それと同時にやばいと声がした。

なんで九鬼がそれを知っているのか。事情如何では曹一族がどう行動するか分からない。

 

「もちろん。お前の意思が優先だがな。どこかの組織に所属したいと言うならそうするがいい。今なら九鬼もお前を歓迎するぞ」

 

「いやいやいや、ちょっと待って」

 

「む?」

 

差し出された名刺を受け取りつつ、大和は声を荒げた。

さすがに急展開すぎる。

周りの目を気にし、声を落して訊ねる。

 

「どうして紋様がそのこと知ってんですか?」

 

「九鬼は川神市全体に根を張っている。義経たちのことがあるのでな。曹一族と梁山泊の動向は逐一把握しているぞ」

 

こそこそと内緒話をする二人。もちろんヒュームには聞こえている。

牽制ついでに、にやぁとおぞましい笑顔のヒュームに林冲が息を呑んだ。

対面していない武松ですら冷や汗をかいている。

監視されていることは知っていた。だがこうも直接伝えられるとどうにも具合が悪い。

 

「それでも、目的まではわからないんじゃ?」

 

「裏は裏。闇は闇だ。影でコソコソするのが得意な奴がいるのだ」

 

あ、これはもしかしてあれだろうか。

裏で工藤先輩が手を回してくれたのだろうか。

明言はされなかったがその可能性が高い。

だとするなら、何かと胡散臭い人物ではあるが、大和を巻き込んだことに責任を感じているのは本当らしい。

 

「安心しろ赤子。我らの監視網の中で一人とは言え行方不明者を出しては九鬼の名折れなのだ。それが如何に取るに足らぬ赤子とは言えな」

 

一々癪に障るヒュームだが、取るに足らぬと言うのは半ば嘘だった。

そもそも先の歓迎会の一件で彼の直江大和に対する評価は『ましな赤子』程度になっている。言い方はどうあれ高評価だ。

加えて、今日に至るまでに義経、弁慶、与一と親交を築いている。弁慶に至っては将来どうなるかと言うほどの親しい仲だ。もっとも親しい友人と言って差し支えない。

もはや大和は九鬼にとっても捨て置ける人材ではなくなっていた。まだ大和個人の能力に不明な点はあれど、早めに唾をつけておこうと言う紋白の判断は悪くない。

 

「そういうことだ。ちなみに、九鬼に入社するならば全力で守るぞ」

 

「……」

 

大和は絶句した。

人生の岐路に立たされている。その実感がより強く彼の胸に去来していた。

九鬼は大企業である。もし仮に九鬼に入社ということになれば父の景清は大喜びするに違いない。

 

自分の力をこれほど求められることは今までなかった。

ある意味でモテ期である。ずっと椎名京にモテているくせに更なる波が到来していた。

浮足立つ心を何とか抑えて、大和は出来る限り平静な声を意識した。

 

「……すぐには決められない」

 

「当然だな。まだ学生生活は一年半ある。ゆっくり考えるがいい。ただ、九鬼に入るなら早い方がいいぞ。学歴ではなく実力主義なのだ。大学で学んだことが九鬼でも使えるとは限らぬ」

 

「わかった」

 

紋白は満足そうに頷いた。

一仕事やり終えたと達成感に満ち満ちている。

「では戻るか」紋白が言ってすぐ、廊下で聞き慣れた高笑いが響いた。

 

「我降臨である!!」

 

一言一句紋白と同じことを言いながらの登場は、もちろん九鬼英雄。全身を黄金で包み、傲岸不遜な素振りで堂々と2-Fに侵入してくる。

すぐ傍に専属従者の忍足あずみが控えていて、「きゃるーん」と頭の痛くなるぶりっ子ぶりを発揮していた。

 

「ふはは! やはり紋であったか!!」

 

「兄上!!」

 

駆け寄る紋白。慈愛でもって迎える英雄。

二人は半分血の繋がった兄妹であった。

 

「兄上。申し訳ありません。挨拶もせずに」

 

「よいよい。わざわざ顔を見せに来ずとも、こうして我の方から出向こうではないか。それが兄の甲斐性と言う物よ」

 

優しく大きく頭を撫でられ、紋白はくすぐったそうに微笑んでいる。

 

「それでどうしたのだ。若獅子戦について何か不備でも見つかったか?」

 

「いえ、直江大和の件です」

 

「む。そうだったか」

 

英雄は大和を向く。

大和は考え事をしてる最中だったが、視線が集まっていることに気づくとすぐに我に返った。

 

「ふむ。紋から大体のことを聞いたのだろうが、我ら九鬼は貴様を守ることにした」

 

「それは……何というか、ありがとう」

 

「礼は良い。何もお前のためだけではない」

 

英雄はカッと目を見開き拳を握った。多くの衆目が見つめる中で宣言する。してしまう。

 

「我が最愛の人、一子殿のためでもある! 不本意だが一子殿は貴様とは浅からぬ仲! 貴様の身に何かあれば悲しまれるのは必定!! 我は悲しみに暮れる一子殿を見たくないっ!!」

 

なるほど。

英雄が大和のために何かしてくれるところは想像できない。

だがそれがワン子のためであるならば納得できる。

 

「それでも礼は言わせてもらうぜ英雄。ワン子の飼い主としてな」

 

「ふん……。どこまでも気に食わん奴だ」

 

飼い主と言う単語が好きな人にかかっているのは胸糞悪くなる思いだった。

「一つ言っておく」不愉快に顰めた表情の英雄は腕を組みつつ大和に告げる。

 

「いかに九鬼の力が絶大とは言え、あまり長いことはもたんと考えろ。我もそう長く時間が残されているわけではない。いずれこの気持ちに決着を付けねばならぬ。むろん、叶わぬ恋などと諦めるつもりは毛頭ないがな」

 

「わかってる」

 

英雄の言葉は単純な警告だった。

九鬼の庇護がいつまでもあると思うなと言うことだ。

大和はその忠告をありがたく思いながら、こうして英雄と何の憚りもなく話していることに奇妙な感情を抱いていた。

 

英雄に限らずF組とS組は仲が悪い。

それは一年生の頃から続く習慣の様なもので、その理由自体S組の連中が頻繁に見下してくると言う実に根の深いものなのだが、だからと言ってイコールで英雄自身が悪い奴かと言うとそう単純な話でもない。

 

考え方や立場の違いから反目してしまうのは人の歴史の常だ。

毛嫌いしつつ、いざ接してみれば案外いい奴だと言うのは交流戦を終えた今ではF組全員が分かっている。

もちろん鼻につく言動は変わりないし、不愉快だと思う所は数多くある。しかしそれは人間なら大なり小なりあることだ。

英雄だからという理由だけでそれを許容できないのは器の小ささを露呈させているに過ぎない。そしてそれはS組にも言えること。

 

「ありがとうな。英雄」

 

「よせ。虫唾が走るわ」

 

交流戦を経てもなお両者の関係は変わらなかった。ならばこれからも変わることはないだろう。

認めるところは認めているし、認められないところは何処まで行っても認めれないが、いざとなれば手を取り合うことに否やはない。

だからこそ今まで通りでいいのだろう。

 

「紋、また後で会おうぞ。行くぞあずみ!」

 

「はいです英雄様ぁ!」

 

英雄はクラスを去っていく。

去り際に忍足あずみがチラと大和を振り向いたが、何も言うことはなかった。

それに倣うように紋白もヒュームを連れて自分のクラスへ戻る。

残ったのは嵐が過ぎ去った後の静寂。それと大和に突き刺さる幾重にも重なる無遠慮な視線だけだ。

 

「直江大和」

 

真っ先に声をかけたのは林冲。

責めるような険しい眼差しが大和に突き立てられた。

 

「話したのか?」

 

「話してない。たぶん工藤先輩だと思う」

 

二人が話をできたのはそれだけだ。

その直後に、「直江っちすっご!」と千花が叫んだから。

 

「九鬼からスカウトされるなんてまじうらやまなんですけど!」

 

「すごいですねえ、直江くん」

 

千花の言葉に真与が同意する。

それからヨンパチやスグルと言った何も知らぬ生徒が大和を取り囲んだ。

 

ある程度事情を知っている生徒は輪の外でその様子を見守る。

武松が物言いたげに林冲に近づいてくる。

林冲は首を振って答え、輪には混ざらず林冲のことを見ていた翔一を見た。

 

「なあ、林冲」

 

「なんだろうか」

 

「大和のことで聞きたいことがあんだけどよ」

 

「すまないが、何も話せることはない」

 

「そっか」

 

あっさりと引き下がる翔一を林冲が視界の端で追いかける。

翔一は円の中心で主に男子連中に弄られている大和を見つめていた。

 

「事情はぜんぜん知らねえけど、九鬼が守るってのは余程のことだろ。でも逆に九鬼が守ってくれるなら安心って気もするんだよな」

 

「……」

 

林冲は何も言わない。翔一も林冲が何かを言うのに期待はしていなかった。

離れていくその背中を見送り林冲は呟く。

 

「……工藤」

 

その名前に剣華が反応する。

剣華の胸中では先ほど紋白に投げかけられた問いがぐるぐると巡っていた。

 

『夢はあるか?』

 

答えられたはずだった。

工藤を倒す。今はそれ以外の答えはない。

なのに揺れたのはなぜだろうか。

 

「早急に皆と話す必要がある。工藤が九鬼に何か吹き込んだ可能性が高い。対処しなければ」

 

「そうか」

 

林冲と武松の会話が聞こえてくる。

切羽詰った林冲とは裏腹に、相変わらず武松は口数が少ない。

呼ばずともすぐに皆来るだろうと冷静に物事を分析する点は頼もしさを感じる。

剣華は二人から意識を逸らし、自分の考えに没頭した。

 

「夢……」

 

将来のこと。

つまり、工藤を倒した後のこと。

あまり考えないようにしていた。考えたくなかった。

先日鉄心に指摘され、今日は紋白にまで言及された。

紋白に至っては自分の心に素直になれと具体的な助言まで残している。

 

分かっているのだ。そんなことは。

分かっているからこそ余計なことは考えたくない。

今、私のすべきことは一つだけだ。

 

「工藤を倒す」

 

その後のことは倒してから考えればいい。

きっとそれが正しいはずだと自分に言い聞かせ、剣華は大和を取り囲む輪を見つめた。

 

 



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三十五話

すでに昼を過ぎて小学生ならば下校を始めている頃だった。

人気の少ない道を二つの影が走っている。

一つは金色の影。名をステイシー・コナー。その手には銃器を抱えて、すれ違う人が思わず振り返る異様さだ。

もう一つは黒い影。冷たい印象を受けるその人は名前を李静初(リージンチュー)と言う。

二人はメイド服に身を包んで、頂点を越えた太陽の下を一目散に駆けていた。

川神学園の校門前に不審な人物がいると報告を受けたためである。

 

「ったく、ファックだぜ」

 

「口が悪いですよステイシー」

 

本来ならば真っ先に駆けつけるべきクローン計画の現場責任者である桐山鯉は、間の悪いことに板垣竜兵を更生させるべく街に出ていた。

到着するのに時間がかかると連絡を受けた二人は、安全最優先ということで駆り出されたのだ。

すでに走り始めて数分が経つが、そのことに未だステイシーは納得がいかない。

 

「桐山のやつ、くそめんどいことさせやがって」

 

「仕方がありません。実際、彼が向かうよりも私たちの方が早い。桐山が到着するまでに何かあれば目も当てられない」

 

理にかなったリーの説明を受けてもステイシーは納得しない。

いつもならもっと素直に受け入れるのだが、今は単純に桐山鯉と言う人間が気に入らないと言う理由一つで子供のように聞き分けが悪くなっていた。

元々アメリカで不良娘をしていただけのことはあり、理屈よりも感情を優先させる点がスイテシーの欠点だった。

逆に感情表現が下手くそな点がリーの欠点であり、二人合わせれば丁度いいと上司のゾズマが皮肉を言った回数は数えきれない。

 

「学園にはヒュームの爺もいるだろ」

 

「今日はクラウ爺がいらっしゃらないのです。紋様の身が最優先。不審者がいるからこそ、ヒューム様は動けません」

 

「ちっ。普段偉そうなこと言ってるくせに……」

 

ぶつぶつと文句を垂れるステイシー。

リー自身も慣れたもので一々相手はせずに軽くあしらい、精々そのブロンドを視界の端に留めておくぐらいだ。

元々傭兵だったステイシーを九鬼に引き抜いたのはヒュームである。だから、なんだかんだ目を付けられしごかれまくっている分、ヒュームへの当たりが強い。

こうやって、かの零番に対して陰口をたたくクソ度胸も認められているのだろう。どこで聞かれているか分からないと言うのにその勇気は称賛に値する。

 

「着きますよ」

 

「わかってる」

 

校門を視界に収め、リーの一言でステイシーは切り替えた。

スッと細められた目が校門の前で佇む影を捉える。

短く問うた。

 

「あれか」

 

「そのようです」

 

ステイシーが両手に持つ銃器のコッキングレバーを引く。

リーも身体中に隠した暗器をいつでも抜けるように準備した。

一目見て分かったのだ。その不審者の危険度が。

 

「そこのお前」

 

「ん?」

 

銃を突き付けながら、いささか緊張をはらんだステイシーの声。

すぐ隣のリーも油断なく不審者を見据えている。

 

不審者は本を読んでいた。容姿は明らかに日本人ではない。銀髪で眼鏡をかけている。

しかし特筆すべきはその髪色ではなく目だった。

一般人とはかけ離れた瞳は見たものすべてに恐怖を抱かせる。

目が合うだけで背筋が凍る。リーは元暗殺者でステイシー元傭兵だった。しかしこの威圧感は経験したことがない。

数々の修羅場を潜った二人ですら、背中を冷たい物が伝るの抑えれなかった。

 

――――あれが龍眼。

 

事前に知っていなければどれだけ取り乱したか。

二人の胸中は一致した。

 

「なんだ。九鬼のメイド部隊か。物騒だな。そんな物を抱えて」

 

「何言ってやがる。ここがどこだかわかってんのか」

 

「……川神学園と書いてある」

 

正門の銘板に目を向ける不審者は、その片手間に呼んでいた本を腰のポーチにしまう。

一連の動きを注視していたリーがステイシーの後を継いだ。

 

「ここで何をしているのか、それをお聞きしているのですが?」

 

「知人を待っている」

 

「知人とは?」

 

「見ず知らずの人間に、そこまで言う必要があるのか?」

 

せせら笑うような調子に短気なステイシーが「んだとぉ?」と気炎を上げる。

一歩踏み出したところで、リーの押しとどめる視線を受け、なんとかこらえた。

 

「ご存知かとは思うのですが、この学園には英雄のクローンが通っています。何かと狙われることのある子たちです。素性不明な不審者を野放しには出来ません」

 

「そうか。ご苦労なことだな」

 

「舐めてんのか? お前」

 

ついにステイシーが我慢の限界を迎えたようで、不審者に向けてがなった。

 

「お前曹一族の史文恭だろ。調べはついてんだぞ!」

 

「なんだそこまで知っているのか。なら話は早い」

 

史文恭は親指で学園を指さしながら、

 

「梁山泊の知り合いを待っている。話がしたくてな」

 

「では、義経たちが目的ではないと?」

 

「クローンを狙えなどと雇われた覚えはないな」

 

「けっ。それ証明できんのかよ」

 

吐き捨てたステイシーに史文恭は挑発するように笑った。

 

「ではどうする? 拘束でもするか? 何の罪も犯していない一般人にそんなことが出来るか?」

 

「てめえは傭兵だろうがっ」

 

「今はプライベートだ。武器の一つ持っていないが?」

 

「そのようですね」

 

どうしたものか。

依然としてキレまくっているステイシーは置いておき、リーは現状の把握に勤しんでいた。

 

曹一族の目的は既に判明している。直江大和だ。

曹一族が強引な手法でもって直江大和を我が物にしようとしていることは、すでに従者部隊全体に共有されていた。

しかしながらそれを理由に曹一族を拘束できるわけではない。証拠がないからだ。

言質すらない現状では、それは飽くまで憶測でしかなく、それを理由に曹一族を拘束することはできない。

他の理由を探したところでやはり拘束は出来ない。

なにせ曹一族はまだ川神市で何もしていない。誰に危害を加えたわけでも、誰の権利を侵害したわけでもない。ただ根を張っているだけだ。

 

今対面している史文恭も手に武器はなく、他の曹一族が動いている気配もない。

一人でここにいるだけ。その理由も同業者であり知人である梁山泊に会い来たと納得できるものである。

 

この状況で九鬼が出来ることは何もない。

九鬼は正義の味方ではない。国や警察ほどの強権を持っている訳でもない。

あくまで一企業。他人の権利を侵害する権利などあろうはずがない。

 

打つ手なし。さて困った。

不審者を前に成すすべがないとは。嫌がらせに警察でも呼んでみるか?

 

悩むリー。その横ではステイシーがヒートアップを重ねている。

感情赴くままにがなり散らすステイシーがリーほど深く現状を認識しているはずもなく、いつ発砲してもおかしくないほど乗せられてしまっている。

純粋な武力はともかく、口の上手さはあちらが数段上のようだ。

今ステイシーに発砲されると面倒になる。かと言ってすごすごと退却できるわけもない。

 

……他に手段はないだろう。

後手に回っていることを自覚しながら、リーは史文恭に言った。

 

「しかし、あなたが傭兵であることに変わりない。念のため監視させていただきます」

 

「好きにすると良い」

 

史文恭は読みかけの本を取り出して読み始めた。

リーはステイシーの首根っこを掴み少し離れた場所で史文恭を見張ることにする。

 

「おい、リー! なんだって監視なんだよ! ぶちのめさせろっ!」

 

「物騒なことを言わないでください。学園の敷地内に入ったわけでもない彼女を攻撃するわけにはいかないでしょう」

 

「そんなん知るかぁ!!」

 

もうすぐ桐山も来る。

時間が経てば経つほどこちらは防備を固め、史文恭は行動を起こしづらくなる。

まさか万全の体制の中で行動するほど愚かではないはずだ。

 

こうして観察しても、その腹に一物あるとは思えない。

恐らく梁山泊を訪ねてきたというのは本当なのだろう。

とは言え、こちらも万が一に備え警戒を怠るわけにはいかない。

ステイシーを宥めながらというのは中々に骨の折れる仕事ではあるが、やってできないことはないだろう。

以前はステイシーの他にやたら手のかかる後輩がいた。その時のことを思えば何の問題もない。

 

そこまで考え、ふと思い出す。

 

……そう言えば、今こうして曹一族を警戒しているのも、彼が失敗したせいでしたね。

 

彼が九鬼を離れ三年ほどが過ぎているというのに、相も変わらず苦労をかけられている。なんとも手のかかる後輩だ。

苦労と言う言葉とは裏腹に懐かしさを覚え、リーは思わず微笑んだ。

それをステイシーに見咎められ「何笑ってんだ」とネチっと突かれてしまった。

 

「何でもありませんよ」

 

遠くでチャイムの音が響く。

間もなく生徒が下校してくる。正念場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校門前にいる異質な組み合わせは、下校する生徒たちの目をこれでもかと惹いた。

片やメイド姿の美女コンビ。片や美人だけど目がおっかな過ぎる人。

さしもの川神学園の生徒ですら、この組み合わせに声を掛けようという恐れしらずはいなかった。

 

「……来たか」

 

自分に向けられる視線などお構いなしに本に集中していた史文恭は、遠くから見覚えのある一団がやってきたのを見ると本をしまい校門の正面へと移動した。

リーとステイシーもそれに合わせて立ち位置を変える。

 

ゆっくりと歩いている一団は史文恭を見つけると進むのを止め、まさかと言う顔で史文恭を凝視した。

 

「史文恭っ!?」

 

叫びにも近い声を上げたのは林冲だった。

間髪入れず炎を身に纏う武松と武器を構える楊志と史進。

公孫勝が武松の背中に退避して、大和が梁山泊メンバーの豹変っぷりに着いて行けず目を白黒させる。

突然の臨戦態勢の中で、剣華だけは何をするでもなく静かに史文恭を見ていた。

 

「久しぶりだな林冲。少し髪が伸びたか?」

 

「史文恭……なぜお前がここに居る?」

 

「少し用があってな。ついでにお前たちの顔を見ておこうと思ったのさ」

 

「ふざけるな! どの口で言っている!?」

 

林冲たちの敵意を受けて、史文恭はふっと笑いながら歩を進める。

 

「おいおいつれないことを言うなよ。私とお前の仲じゃないか」

 

悠々と進むその足は学園の敷地の境目ギリギリで止まった。

「ちっ」とステイシーが舌を打つ。もう少しで大義名分出来たのによと心の底から悔しそうだった。

 

「どうするリン。わっちら全員がかりなら確実に仕留めきれるぜ」

 

「ま、あんまりお勧めしないけどねえ」

 

喧嘩っ早い史進は既にやる気だ。

続けて言った楊志はここでの戦闘の危険性をほのめかしている。

 

九鬼の監視下で、なおかつ川神学園。

史文恭を排除できるメリットは大きいが、その分リスクも巨大。

ここでやる価値が果たしてあるのかどうか。

林冲は表情を歪ませ判断に迷っていた。助けを求め、ちらと剣華を見る。剣華は何も言わなかった。

 

「相変わらず血の気の多い奴らだ……。こんな所で事を荒立てる気はない。ただ挨拶に来ただけなのでな」

 

その目が林冲を外れて大和を捉える。

事の成り行きを静観していた大和は、いざその視線を身に受けて身を縮こまらせた。

 

なんだあの目……。

 

常人とは明らかに違うその目は、発せられる目力だけで射殺されそうなほど恐ろしかった。

漫画的な表現で言えば人を殺してそうな目。

傭兵なのだからそう言う経験もあるのだろうが、しかし剣華や林冲たちと比べてあまりにも異色だった。

 

「初めまして直江大和。曹一族の師範代史文恭だ。お見知りおきを」

 

「……初めまして。直江大和です」

 

つっかえることもないスムーズな返答に史文恭は意外と言う顔をした。

 

「あまり動じないな。この目が怖くないのか?」

 

自分で自分の目を指さす史文恭。

まじまじと直視して、大和はごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「正直むっちゃ怖いですけど、姉さんに比べたら100倍マシです」

 

「ほう。なるほど。確かにこんな目は彼の武神とは比べるべくもない」

 

くっくっくと喉の奥で笑い、「いい度胸だ。その素質、見極める価値はありそうだな」

 

史文恭の放ったその一言で周囲の緊張感が増した。

 

「史文恭。お前の好きにはさせない。直江大和は私が守る」

 

「ああ。お前ならそう言うと思っていた。だが、決めるのは直江大和だ」

 

「なんだと?」

 

疑問を抱く林冲を無視し、史文恭は大和に問いかける。

 

「直江大和。曹一族に来る気はないか?」

 

「なっ!?」

 

まさかあの史文恭が強硬な手段ではなく真っ当な勧誘で来るとは思ってもみず、林冲は呆気にとられた。

 

「女、金、名誉。我らなら全て与えられるぞ。特に女は選び放題だ。今代の曹一族はほとんどが女。それも代替わりしたばかりだから若い者ばかり。年下から年上まで揃っている。どうだ? 魅力的だろう?」

 

まさかそんな手段で来ようとは。

林冲が大和を振り返る。

史文恭の甘言で明らかに心動かされた大和は「選び放題……」と深刻な表情で呟いた。

このまま史文恭に言わせていては取られかねないと、慌てて林冲も言葉をかけた。

 

「な、直江大和! 梁山泊も女ばかりだ。少なくとも108星は全員女で、もし梁山泊に来てくれるのなら、みんながお前を歓迎する」

 

「くっ……!」

 

握った拳が震えている。歯を噛みしめ、誘惑に耐えている。

なんだか知らないが、このまま押せば行けそうな気がした。

 

「もし梁山泊に来てくれるなら、お前には108星のコンディション管理をしてもらうことになると思う。誰かひとりをひいきしたりはダメだから……は、ハーレムみたいな感じになるかもしれない」

 

「ハーレムっ!?」

 

それはまさに男の夢。

一夫一婦制の日本では夢見ることしか許されないユートピア。

まさか夢でしか見たことがないそこに手が届くというのか……。

 

がしがしと頭を掻く。

大和とて日本男児。夢に恋い焦がれないはずがない。

 

しかし、これが罠であることも分かっていた。

どれだけ心魅かれる提案であろうと、一時の性欲に突き動かされて将来を決めるのは愚かな選択だと理性で判断する。

震える声を絞り出し断腸の思いで言った。

 

「い、行かない……」

 

「ほう? いいのか? 酒池肉林だぞ?」

 

「しゅ……!?」

 

本当に血の涙を流しているんじゃないかと思った。

握りしめた拳から血が流れている。

大和の中の悪魔が囁く。

 

――――you やっちゃいなYO

 

くうぅ……!!

悪魔よ、俺はお前の甘言には惑わされないっ!

 

「俺は行きません!!」

 

決死の思いで放った言葉は校庭に響き渡った。

ここに至るまで、当然のことながら注目を集めていたのだが、大和の宣言にがやがやと噂する声は加速する。

 

「ど、どっちに?」

 

「曹一族にも梁山泊にも、俺は行きません!!」

 

林冲が残念そうな顔をする。もう少し押せば落とせる気がしていただけに、一度掴んだ宝が掌からこぼれ落ちた気分だった。

しかし曹一族にもいかないというのだから、一先ずは現状維持である。

最悪曹一族の手に渡らなければそれでいい。

 

「ふっ。そう言うのなら仕方がない。ここは大人しく引き下がろう。脈がないというわけではなさそうだしな」

 

史文恭が肩をすくめる。大和の反応は確かな手応えがあった。ここで無理に勧誘し心証を悪くする意味はない。なにより今はあまり急ぐ必要がないのだ。いずれ時機は来る。

 

何事もなく終わりそうな雰囲気に、史進が「ちぇ」と残念そうな顔をした。

ギョロッと史文恭の目が大和から外れて史進を飛び越え、隣にいた剣華を捉える。

 

「貴様が『大刀』・関勝か?」

 

「……」

 

無言を貫く剣華を、史文恭は興味深く眺める。

その問いかけはあくまで念のための確認であったから、わざわざ答えてもらう必要もなかった。

 

「先代の関勝には世話になった。秘蔵の後継ぎだと言うから楽しみにしていたのだがな。こっちの世界に戻ってこないのか?」

 

「……あなたには関係ない」

 

「ふっ……。そうか」

 

愉快そうな顔で「またな」と踵を返す史文恭。

10歩と歩かぬうちにその姿がサッと消える。

 

「追跡する」

 

武松が史進と楊志を連れて史文恭を追いかけた。

曹一族の隠れ家を突き止める目論見だった。

 

「なんだぁ? なんか意外と面白そうな流れだな」

 

「面白そうかはともかく、少なくともこの場での衝突は回避できたようで何よりです。曹一族は性急にことを進めるつもりはないようですね。まあ、何はともあれ報告を」

 

一連の会話を傍観していたリーとステイシーはそう言って、史文恭と同様に何処かへ消えてしまった。

場の人数が減り、妙に寂しい風が吹いている。

 

「あれが曹一族か……。俺の心をここまで揺さぶるなんて、恐ろしい敵だ」

 

大和が額の汗を拭い、史文恭の脅威を実感する横で公孫勝がジトっとした目で睨む。

 

「こんなこと言ってるけどさ、こいつ結構チョロイんじゃないの?」

 

「……そんな気がしてきた」

 

昔の鬼畜ゲーの方が難しそうだと公孫勝なりの評価が下され、林冲も多少先が見えてきたとほっと胸をなでおろす。

如何に任務とは言え、無期限の護衛任務は出来る限り避けたいのが本音だった。

大和自身こんな感じなら近々結論が出るかもしれない。

もし任務が早く終わってくれるなら、その時は関勝の件に集中できる。

 

林冲はこの任務を通じて何が何でも剣華を連れ帰るつもりだった。

剣華の思いは聞いている。成し遂げるまで帰らないというのなら成し遂げてもらうしかない。そのための協力は一切惜しまない。

 

剣華が梁山泊を離れてから、林冲は剣華のことを考え続けてきた。いつか戻ってくると信じその時を待ち続けた。

離れ離れなんて嫌だった。大事な大事な友達だから。帰ってきてほしい。何でもする。どんなことでも。

その覚悟が林冲にはあった。

 

しかし当の剣華は林冲の心の内など知りもせず、二人の会話はまるで無視して史文恭が去った方向をじっと見つめていた。

その顔はいつもの無表情ではあったが、纏う雰囲気がいつもと違った。

それに気づいた林冲が遠慮がちに声をかける。

 

「関勝……平気か?」

 

「問題ない。先に帰る」

 

林冲は無意識のうちに手を伸ばしていた。

引き止めようとしてか、それとも励まそうとでも思ったのか。

何か言おうとして口を開きかけた。しかし、剣華の気持ちをを思えば思うほど、林冲はかつての友であるルオのことを思い出してしまった。自分を庇い一人で逝ってしまった少女のことを。

 

ルオが死んだ時のことを思い出すと、未だに言い知れない喪失感と共に胸が引き裂かれたような痛みに襲われる。大切な人を失った痛みは何年経っても和らぐことはない。

きっと、剣華も同じような痛みを味わっているに違いない。

結局、林冲は何も言うことができず、遠ざかる背中を見送ることしかできなかった。

 

呑気な声が聞こえてくる。

 

「ゲームしたいぃ……」

 

「何のゲームやってんの?」

 

「モンハン」

 

「俺もやってるぜ」

 

背中で交わされる緊張感の欠片もない会話。

ゲームの内容で盛り上がる二人。すでに打ち解け始めている。

少し驚き、まあ公孫勝ならと納得もする。

梁山泊の中で一番ちょろいのが公孫勝だ。頭を撫でるだけで懐いてくるちょろさ。

いくらなんでもこれで盧俊義の素質ありということにはならないだろう。

 

予想外の九鬼家の横やり。

曹一族の対応の変化。

これに工藤と言う不確定要素まで加わる。

 

頭の痛くなる問題がてんてこ盛りで、現場の裁量を越えてしまっている。早く本部に指示を仰がねばならない。

個人的には史文恭と関勝が接触してしまったことが気がかりだが、関勝は強い。あの様子ならとりあえず平気だろう。まずは任務に専念せねば

 

剣華の背中を一瞥して、林冲は帰途へとつく。

梁山泊が拠点として借りている駅前のホテルまで。

少し不安だったから大和も一緒に来てもらうことにして。

 



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三十六話

人里離れた森の中。

鳥が囀り、風が吹いては草木がざわめく。

人の手が加えられていない地面は傾斜が多く、倒木や折れた枝などで人の通れる道などない。鬱蒼と生えている木々が光を通さず、辺りからは常に湿った臭いがする。

 

耳をすませば、夏頃あれだけ盛んに鳴いていた蝉の声はどこからも聞こえず、代わりにコオロギの涼やかな音色が聞こえてきた。

木々の葉にはわずかに紅く色づいているものが見られ、季節の移り変わりを予感させる。

 

そんな大自然の中、おおよそ人の気配など感じられない場所から、場違いにもほどがある肉を打つ音が響いていた。

 

木々の開けた場所で、赤いジャージを着た剣華が燕に滅多打ちにされている。

嵐のように降り注ぐ拳を両腕で必死に防いでいたが、たまに防御をすり抜けられ、一発貰う。

それは百代に比べれば威力こそないが、何発も食らうなら重い軽いは関係の無い話。

一発一発がどれだけ弱くても急所に当たれば耐えられるはずもない。

 

「せいやっ!」

 

威勢の良い掛け声と共に側頭部に向けて蹴りが放たれた。

ガードした左腕がビリビリと痺れ、しばらくの間使い物にならなくなる。

「しまった……」と、剣華は内心で纏わせる気の分量を間違ったことに焦る。

気を節制できるような相手ではないととっくの昔に知っていたのに、何たる失態か。

 

剣華が己の無様に動揺している間も燕の猛攻は止まらない。

反撃を警戒して一旦離れていた距離が、瞬きの間に詰まっている。

顔面に打たれた正拳突きを剣華は紙一重で躱す。

ぴっと頬を掠った感触に冷や汗をかく。

 

なんとか反撃の機会を得ようと目を凝らすも、燕は巧みな連撃でその隙を見つけさせてくれなかった。

個別に見れば一つ一つの攻撃は脅威ではない。しかしこれがいつまでも続くとその危険性はぐんと上がる。

ただただ攻撃を防ぐだけの自分が、サンドバッグになってしまった気分になる。

このままズタボロにされるまで殴られ続けるのだろうか。流石にそんな悲惨な未来は御免こうむる。

 

「隙が無いなら気合で何とかしろ」と無茶苦茶な言葉を思い出す。

その助言に従って、溜まっている闘気を無理やり捻りだし、剣戟に変えて発散。

剣華を中心にして無差別な攻撃は、かまいたちでも通ったような切れ込みを周囲に刻んだ。

 

「ちょっ!?」

 

燕は慌てて退いた。

だが無差別故に全ての軌道は読み切れなかった。いくつか掠って小さな切り傷が出来る。

 

その傷を見て、剣華の胸がちくりと痛んだ。

……まあ、あの程度なら唾をつけておけば治る。今度はこっちの番。

 

剣華が反撃する。まずは手刀で。

3~4メートル離れた場所から縦に振り下ろされた攻撃を燕は横に躱す。間髪入れずに土ぼこりが舞い、直前まで自分の居た地面が深く刻まれているのに慄いた。

あのままあそこにいれば真っ二つだった。危ない危ない。

 

追撃は横薙ぎの手刀。

大振りだから躱しやすい。目いっぱい身体を反らす。空気が切り裂かれる音を耳元に感じ、メキメキと木が倒れる音を聞いた。

 

――――やっぱり、距離を置いたら分が悪いねん。

 

状況判断は的確だった。遠距離ではノータイムで即死攻撃が相次いで襲ってくる。

大振りで躱しやすいとはいえ、そんな危険な橋を渡る意味はない。

勝つためには、というか万が一にも死なないためには近づくしかない。

 

燕はすぐさま攻めへと転じたが、剣華はそれを読んでいた。

気の放出。先ほどの線での無差別攻撃とは違い、今度は面で。

ドゴォッと空気の塊をぶつけられたような衝撃。

 

「むっ!」

 

直前で察知できたおかげで両腕をクロスさせてダメージを軽減していた。

その攻撃自体、威力はそもそも小さいようだ。だがわずかな間でも足は確実に止まる。

倒すのではなく、足止め用の小技だ。

 

――――んん、小癪っ!

 

今の一瞬で、剣華と燕の距離は離れていた。

させじと詰めにかかる燕。また同じ攻撃をしてきても、今度は見切れる。ギリギリで躱せる自信があった。

 

だが予想とは裏腹に、剣華は掌を開いたまま両腕を広げる。

迎え入れるような姿勢。しかしその両手の指先にとんでもない量の闘気が溜まっていた。

 

燕の脳裏に浮かぶ。いつか、川神学園で工藤相手に使った荒業。

世界最強ヒューム・ヘルシングが相殺してもなお、校舎まで衝撃波が届いたあれ。

 

――――か、躱せるかな……?

 

迷いが行動に表れる。

足元が揺れて進路がぶれる。

躱すか詰めるかどっちつかずになった。

 

刹那の間、二人は見つめあう。

剣華は無表情。何を思っているのか分からない。まさか殺そうとしている訳ではあるまい。

 

走る燕。溜める剣華。

剣華の顔を凝視して燕は悟った。

 

――――あの顔はやる……!

 

瞬間、思いっきりスライディング。

それを追うようにして、剣華は自分の身体を抱き締めるように腕を閉じた。

指がなぞった軌跡。その延長線上の物がスパスパ斬れていく。

岩、木、地面。

ありとあらゆるものが斬られ、獣の爪痕に似た傷跡は、地面の底はるか奥深くまで続いていた。

燕は身体を地面に寝かせた体勢で、背後の惨状に頬を引きつらせていた。

 

使えるなら使えとは言った。

剣華の手札と実力を測るための模擬戦である。出し惜しみなどされては意味がない。

とは言え、想像していたよりもちょっと洒落になっていないのも確かだった。

 

こんなものを学園で放つとか。

とてもじゃないが対人様の技じゃない。

必ず殺してやると根深い殺意を感じる。

 

――――これは……ちょっと、まずいねん。

 

剣華の技の中では一番威力が高いのがこの技らしいが、さすがにこんなものを大会では使えない。

使おうとした瞬間、審判団に袋叩きにされる。ぼっこぼこにされた上で念入りにぼっこぼこにされる。致し方ない。封印やむなしである。

 

燕が予想以上の威力を目の当たりにし冷や汗をかく目の前で、どさっと剣華が膝から崩れ落ちる。

直前まで鉄面皮よろしく無表情だったというのに、今は顔色は青白く、肩で息をして額には幾筋もの汗が伝っていた。

 

コスパ度外視の必殺技。どれだけ気を溜めていようと連続では打てない。

使ったらそこで戦闘不能。分かりやすいが、使いどころは限られている。

 

「取りあえず、大会でこの技は使わないでね。反則取られて終わっちゃいそうだから」

 

「……わかった」

 

顔を真っ青にした剣華はその場に蹲ってしまう。

「おえ……」と微かに嗚咽が聞こえる。燕は聞かなかったことにした。

 

二人は、ここ数日川神から離れてこうした模擬戦闘を繰り返していた。

剣華の実力を知るためと言う建前があり、本当のところ、工藤の情報を集めるのに難儀していると言う事情があったが、それはまだ剣華には気づかれていない。

 

あれだけ大見栄切った手前、燕にも体裁がある。まさか映像一つ碌に手に入らないなどとは易々言えない。

天神館の誰かにコネでもあったら話は早かったのだが、残念ながら川神学園に来るまでは京都の学校に通っていた燕にそう言う便利なものはなかった。

 

――――大和くんにお願いしてみよっかな。

 

普段ちょっかいを掛けている可愛い後輩を思い浮かべる。

反応が可愛くて弄りがいのある、けどたまに頼りになる後輩。

百代を刺激するためと言うだけでもなく、今では本気でお気に入りになってしまった。

話をする理由が出来たというだけでなんだか嬉しい。そんなものなくてもちょっかいはかけるけど。

 

燕がそんなことを考えている間も剣華は蹲ったままだった。

大事ないと分かっていても、ピクリとも動かないと少し心配になる。

 

「大丈夫? 剣華ちゃん」

 

「……」

 

顔を上げた剣華の顔色は少し良くなっていた。

周囲に漂う闘気を吸収しているおかげで回復も早い。

長期戦に有利な異能だ。しかしルールに縛られた大会でその真価を発揮するのは難しいかもしれない。

リングから出たら失格とか、戦わずに逃げ回ってはダメとか、そんなルールがあるに決まっている。時間稼ぎに死んだふりなんて以ての外だ。

 

「どうすればいいんだろうね……」

 

何度も何度も戦っている内に、剣華はムラが大きいタイプなんだと分かってきた。

程よく闘気が溜まってるときは、動きは俊敏で技にキレがある。

溜まりすぎている場合は速度と技のキレはさらに上がるが、攻撃は単調で直截的。

逆に全然溜まってなければキレも速度も何もかもが低調。

しかも精神状態も微妙に関係してくるようだ。

策を練るにあたって、まずはそこを考慮しなければいけない。

 

「そう言えば、曹一族の人が来たって聞いたけど、剣華ちゃん平気なの?」

 

「私には関係ない。平気」

 

すっかり回復した剣華はそっけなく答えて、その場でごろんと横になった。

空を見つめたまま動かなくなる。

汚れるのも構わず寝っ転がれるのはさすが野生児だねと燕は妙なところで感心した。

 

天を向く目は一点を見つめ動かない。

イメージトレーニングでもしているんだろうか。

もしそうなら是非とも私も加わりたい。あの頭の中には工藤の動きが細部までインプットされているに違いないのだから。

あーあ、早く記憶のクラウド化されないかなあ。

 

燕は到底無理なことを思う。現実逃避の一環だった。

 

工藤の戦い方がまるで分からない現状、出来るのは剣華の実力の底上げだけ。

しかしそれだけでは勝てないだろうとは思っている。

燕の目から見ても、彼我の実力差が圧倒的なのだ。

 

学園で見せた無茶苦茶な行動から、工藤が壁越えであることは間違いない。

剣華も弱くはないのだが、如何せん異能の暴走が足を引っ張っている。それがなければ壁を越えていそうなのに。

 

今出来ることは少ない。

だから少しでもこの時間を無駄にしないために、まずは燕自身が剣華の人と成りから戦い方、長所や短所まで理解しなければいけない。

その上で光明を見出す。ないのなら作る。策を練る。勝つための策を。

 

こうしている間に今まで繰り広げた模擬戦を思い出してみる。

剣華の癖や偏り。弱点。

自分なら突くだろう部分を列挙。修正。

 

それ自体も必要なことではあるのだが如何せん優先順位は低い。

ただ弱点をなくすだけでは勝てやしないのだから。

 

弱点をなくしても負けづらくなるだけで、勝ちやすくはならない。

勝ちやすくするためには長所を伸ばす必要がある。強みをより強くし、隙をついて打ち倒す。そうしなければ格上には勝てない。取れる方法はなんでも使わなければいけない。手段を選んではいられない。自分がそうするように、剣華にもそうしてもらわなければいけいない。

 

無意識の内に力が籠る。当初考えていたよりも、燕はこの一件を重く考え始めていた。

最初は工藤に先を越されないための協力関係だった。

だが、いつの間にか剣華に自分を重ねていた。そして工藤を百代に重ねている。

そうすることで一つのシミュレーションが形作られていた。

つまるところ、いつか自分が百代と戦う時のためのリハーサルである。

 

燕は紋白から依頼を受けている。川神百代に勝てと言う無理難題を。

難題だと分かっていてそれでも受けた。それはひとえに家族のためであった。家名を上げることで、父に愛想をつかした母が帰って来ると信じていた。以前のように家族団欒を三人で過ごしたい。年頃の少女らしい理由だった。

 

そのために燕は川神学園にやってきた。

他の誰でもない父が作った平蜘蛛を使い、自分が武神を倒したとなればこれ以上ない功名である。松永の名は世界の裏側まで轟くであろう。

何が何でも成さねばならぬ。そのための前哨戦。燕はこの一戦をそう捉えていた。

 

前哨戦だと考えると思った以上に熱が入る。

鍛え上げた集中力がいかんなく発揮され、剣華の動きが一挙手一投足思い出せた。

 

剣華の動きを思い出すにあたり、以前から気にかかっていたことがある。

今も思い出してみて、やはり違和感があった。

例えば直前の模擬戦で使った闘気をぶつけるだけの技。

 

意図は分かる。足を止めさせるための技だ。

しかしそれを剣華が使うというのが燕には解せなかった。

 

剣華の武人としての趣向は百代寄りだ。

搦め手よりも直接的な戦い方を好む。距離を置きたいなら、相手の動きを止めるのではなく、自分がより速く動くみたいな感じで。

今まで剣華が使った技を見ても、ああいうただ次に繋げるための攻撃は異彩を放っている。

性格に合っていない。人を観察することに一家言ある燕としては看過できない違和感だった。

 

――――たぶん誰かの戦い方を真似してるんだよね……。

 

その誰かとは十中八九工藤だろう。

雛鳥が親鳥の動きを真似するように。剣華は工藤の技や動きをコピーしている。

 

剣華自身は決して頭を使って戦うタイプではないから、状況によってぱっと思いついた技を使っているのだろう。

それがたまたま工藤の技と言うだけで、本人はその自覚がないのかもしれない。

無意識の内にそうなるまで、一体どれだけ戦ったのだろうか。

そして一度たりとも勝てていない。

 

「……」

 

燕は携帯を操作しメールを打った。

直江大和へ、『お姉さんからのお願い。ご褒美もあるよん』と銘打って。

ボタンを押しながら「そーしんっ」と甘ったるい声を溢したが、その目は一切笑っていない。

 

「さ、もう一本やろっか」

 

「……」

 

携帯を置いて立ち上がる。

時間が惜しい。今のままでは勝てる確率ははっきり言って高くない。

逸る燕とは裏腹に剣華はのろのろと立ち上がる。

 

距離を置き、構えて睨みあう二人。

ビリビリと空気が震え、ハラリと一枚木の葉が舞った。

直後、「いくよっ」と威勢のいい掛け声が辺りに響く。

 

剣華と燕は、こうして若獅子戦に向け着実に準備を進めていた。



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三十七話

後半長くなりました


土曜日だった。

その日、直江大和は午前9時の三十分前に駅前にいた。

おろしたての服を着て、普段より二十分も長く鏡の前に立ったおかげで髪のセットは完璧だ。

服のコーディネートに至っては京から『GOOD』の太鼓判を貰っている。もはや己の出で立ちに疑いの余地はない。

 

駅前の雑踏は休日だからか私服姿の若者がほとんどである。

喧騒に耳を傾ければ、賑やかで姦しい声が所かまわず聞こえてくる。

これだけ人がいるのなら中には知り合いもいるかもしれない。しかし今の大和にはそんなことを気にかける余裕はなかった。

 

そわそわと周囲の様子を気にして、しきりに腕時計を見る。

思い煩うかのように息を吐き、かと思えば突然凛々しい顔つきになる。

今か今かと視線を惑わせている辺り、何かを待っているようだった。

 

そんな様子を、少し離れた所から武松と公孫勝が見ていた。

 

「あれはデートだね。間違いない」

 

「そうなのか」

 

二人はカフェのテーブル席から大和のことを見ている。

ひじ掛けにもたれて涅槃仏の様な体勢でありながら、慧眼にも看破した公孫勝が厭らしい笑みで「邪魔してやろうか?」と姦計を巡らせていた。

対面する武松は大和の恋路にあまり興味もなく、ミラクルジャンボデラックスパフェとか言う常識を疑う物を食している。

色とりどりのフルーツと生クリームがたっぷり乗ったそれは、2リットルのペットボトルほどの大きさもあった。

作る方はもちろん食べる方も正気ではないだろう。本来なら四~五人で食べるはずのそれを一人で食べ進める武松を、公孫勝は「こんなんよく食うよ」と呆れた目で見ている。

 

「さあて、誰とデートかなあ。これはきっちり観察しないといかんよねえ」

 

「……」

 

ともすれば馬に蹴られるのではないかと言う程の野次馬根性をさらけ出す公孫勝。

無言の内に既に半分ほどを平らげている武松。

朝も早く、店内に客はこの二人だけだったが、店の奥から店主らしき人物がうっとりした顔を覗かせているのはホラー映画のワンシーンのようにも見える。

公孫勝の耳に誰とも知れぬ「いい……」と呟く声が聞こえた。自然と頬が引きつる。

 

「……武松。それ早く食べろよ。なんかここやべえよ」

 

「まって」

 

「まてないー」

 

「まって」

 

「はーやーくー」

 

武松の横に移動してその服を引っ張って急かす。

その様は駄々をこねる子供のようで、武松も慣れているからあまり相手にしない。

しかしながら、それが微笑ましい子供の我が儘だと思えない人間も一定数いるようだった。

 

「ああ……あの子も、いい……」

 

ぞわわと悪寒が走る。

 

「ほら見ろ。なんかロックオンされた!」

 

余程パフェに集中したいのか、公孫勝の嘆き混じりの声を半ば鬱陶しそうにしながら、武松はチラリと店主を見た。

 

「敵意は感じない」

 

「悪意は?」

 

「知らない」

 

ギャーギャーと本格的に騒ぎ始める公孫勝。

武松はパフェばかりに目を奪われ、公孫勝のことを努めて無視する。

店主は店の奥から二人のことをねっとり見つめていた。ただただ見つめるだけで、近づくことすらなかったが、それが余計に公孫勝には恐ろしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9時の五分前になった。

約束の時間までもう間もなくである。

大和はなるたけ背筋を伸ばし、少しでもいい男に見えるようになけなしの努力を始めた。

 

引っ切り無しに人が行き過ぎる中、ある方向から人のどよめきが聞えたような気がする。

そちらの方向を見ると、満面の笑顔の燕が手を挙げながら大和の方へ駆け寄ってきている。

人の往来は変わらずだったが、燕の姿はこれだけの人がいてもひときわ目立っていた。

 

「お待たせー」

 

私服を見るのは初めてだった。

ボトムスはジーンズを履き、トップスは花びらのようなフリルが付いた黄色いブラウス。

いつもより少し背が高く見えるのは、踵の高いサンダルの様な靴を履いているためだった。

当然のことながらよく似合っている。

もう少し時期がずれていれば薄手の衣服も見れたのかもしれない。そう思うと口惜しさが募るが、目の前の格好がダメということではない。むしろ良い。とてもいい。

 

「今来たところです」

 

「まだ何も聞いてないんだけど」

 

気持ちが逸りすぎて先手を打ってしまっていた。

燕は大和の格好をじろじろと見つめる。

「ふむふむ」と人差し指を顎に当ててさえいる。

よくよく観察されたその上で「似合ってるよ」と微笑みながら言われて、大和の胸はときめかずにはいられなかった。

 

「そうですか?」

 

「うん。普段制服ばっかり見てるから、私服姿はやっぱり新鮮だね」

 

「燕先輩も似合ってます」

 

「ありがと」

 

華が開くような笑顔だった。

もう死んでもいい。世迷言だが半ば本気で考えた。

 

「じゃ、今日はどうしよっか?」

 

「行きたいところとかあります?」

 

「んー……。一応あるけどね。でも大和くん。考えてきたんじゃない?」

 

「お見通しですか」

 

頭を掻く。

今、大和の脳内には全身全霊で考えたデートコースがある。

いくつものプランに分かれ、状況によって柔軟に予定を変えることが出来る優れもの。

 

「じゃあ大和くんのエスコートにお任せっ」

 

言いながら、燕は腕を組んできた。

ふわっと良い匂いが漂い、腕には胸の感触が伝わる。

顔がだらしなく緩みそうになって、鋼の理性で堅持した。

 

「電車に乗りましょう。切符は買ってあります」

 

大和自身は気が付いていなかったが、口調が上擦っている。

緊張すまい緊張すまいと意識して、むしろ逆効果になっていた。

それを聞く燕がにんまり笑みを深める。

良い日になりそうだと両者ともに思っていた。

 

大和は燕に一つ頼みごとをされていた。

工藤の戦っている所。その映像をどうにか入手したい。

天神館の誰かに頼んでくれないかと。

 

快く引き受けた。

燕に貸しが出来る。それだけでその頼みを聞く理由は十分だった。

 

大友にメールを打つ。

返事は早い。

 

『あるぞ』

 

とんとん拍子に話は進んでいく。

映像はいくつかあって、それぞれメールで送れる容量ではないらしい。

そうなるとネット上でやりとりすることになるのだが、セキュリティのことを考えると忌避感が働いた。

これが自分の映像なら好きに出来るのだが、他人の映像をやりとりするのだから、もし流出でもしたらと良くない方面に考えてしまう。

だから、土日を利用してこちらへやってくると言う大友焔の言葉は、大和にとっては喜ぶべきものだったが、九州からわざわざ遠く神奈川までご足労願うのはあまりに申し訳ない。

 

『なあに。気にするな。丁度用事があるのだ。直江くんにも手伝ってもらいたい』

 

そう言うわけで、大友焔が川神にやってくる。

到着予定は午後。もちろん大和は迎えるつもりだ。故郷の良い場所を案内するつもりもある。

そのことを燕に伝えたら「じゃあ私も」と一緒に迎えたいと申し出てくれた。

断る理由はない。ただ「ついでにデートしよっか」と言う提案は、大和にとって望外の喜びであったことを隠すことはできないだろう。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

闇から光に出た。

大仰な言葉が自然と胸の内に湧き昇る。

何てことはない。暗い場所から明るい場所に出た。ただそれだけのことだったが、閉塞感からの解放は思った以上に晴れ晴れとした気分にさせてくれる。

 

隠形と言うのは忍者が用いる術だったか。どちらかと言うと呪術の気がする。なら京都の方だ。

どっちが元でもスニーキングミッションに代わりはない。

意味不明なほど厳重な警備を掻い潜り、足音一つ鳴らさぬよう気をつけながら進んだ。残念なことにそこまでして得られたのは微々たるものだったが、その分達成感はすさまじく、今足音を響かせ歩けているのはかなり気持ちが良い。

不思議なことにある程度往来があるはずのトンネルは、今この時に置いては誰の姿もない。これもまた時の運だろうか。

 

トンネルを抜けた先には地上へ向かうエレベーターが待っている。

大扇島へと至るための唯一の道だ。監視カメラを始めセキュリティ面は万全を期している。だがあると分かっていれば抜けられる程度の物でしかない。あえて今それをする理由はないけれど、それすら封じる程の手間はここには加えられていない。加わっているのは地下の方だった。

 

結局トラブルの一つもなく外へ抜け、一歩踏み出した途端、潮の香りが胸いっぱいに広がる。

海が近い。そもそもこの人工島は海の真ん中に作られている。目の前には九鬼極東本部と言う馬鹿でかいビルがそびえ立つ。自然豊かではあるがあれで景観を台無しにしている。

小さな人工島にあんなに大きな物があるのは心配だ。具体的には地震とか。

九鬼のことだからしっかり対策はしてあるのだろうけど。液状化にはどういう対策をしたのだろう。ヒュームが地下100メートルまで水分を蒸発させたとかだろうか。ありえそうな話だ。

 

さて、どこにいるのか。

人を探して辺りを見る。周囲には人の数が多くあったが、目的の人はいない。

人の数は観光スポットでもあるから当たり前のことだろう。最近はなんでもあの建物に三度願えば叶うと言う都市伝説まであるようで、一層多くなっている。どうせ願うなら流れ星か月にでもしておけと思うが、一過性な流行にそんなことを言っても意味がない。あんなものに願うなど個人的には願い下げぐらいに考えておく。

 

しかし、こうもカップルやらが多いと言うことは近くにあの人はいないのだろう。

あの人が出歩くと、警備やらなんやらで周囲の人間は追い立てられる。

だとすると建物の中か。取りあえずの見当をつけ歩き出し、ポケットの中で携帯が震えた。

ご依頼人かと思って携帯を取り出す。残念ながら予想は外れ、着信は直江君からだった。

 

携帯を揺らして考える。

あまり時間はないが、彼のことに関しては優先度が高い。そもそもいつでも連絡しろ的なことを言った気がする。

待ち人には多少待ってもらうことにして、電話を取ることにした。

 

「はい」

 

『あ、でた』

 

出て早々意外だと言う調子の挨拶が来た。

出ないことを見越していたらしい。

さて。そんなに信用がないのか。やってきたことを考えるとさもありなん。

 

「んー。なんかあったの?」

 

『いえ。何度か電話したんですが、出なかったので。もう出てくれないのかと』

 

「電波の届かないところにいたんだよ」

 

嘘じゃない。

ついさっきまで地下深くに潜っていた。

携帯の電波は届かなかっただろう。

 

『そうなんですか。じゃあちょっと代わりますね』

 

「誰に?」

 

『大友さんに』

 

その時の俺はきっと苦々しい顔をしていたに違いない。

実際切ろうかどうかかなり迷った。

しかし直江君が大友に代わるということは、きっとあいつは川神に居る。

なら今逃げても後回しにするだけで根本的な意味はない。ならここで受けて立とうと、電話向こうの雑音に耳を傾けていた。

 

『もしもし?』

 

大友の声がする。

 

「おお、どうした大友。ひょっとして川神に――――」

 

『どうしたもこうしたもあるかぁ――――!!!!』

 

鼓膜が破れるかという程の絶叫。

電話越しにここまで出来るのはある種才能のような気がする。

向こう側の声音はこちらの比ではないだろう。花火の音とどっちが凄いかな。

 

『授業も受けずに何を油を売っているのだッ!! 早く福岡にもどれぃ!!』

 

「いやあ。油売ってるわけじゃないんだけど」

 

『言い訳無用!!』

 

あー。これ話になんないわ。

早々真面に相手することを諦め、適当に返事をしてあしらい始めた。

大友は頭に血が上って俺のおざなり感には気づいていない。

これでは石田のことを笑えない。あるいはこの二年で毒されてしまったのか。

 

『ふーっ、ふーっ』

 

荒い呼吸が聞こえてくる。

多少頭も冷えたのだろう。そこからまた絶叫が響くことはなかった。

 

『ほむ。満足した? 代わって』

 

『む……』

 

会話が聞こえる。

大友一人で川神くんだりまで来たわけではないようだ。仲の良いことだ。

 

『久しぶり。先輩』

 

「おお。ハルハル。おひさ」

 

この声は姉の方のハルだ。

弟のハルはもうちょっと幼い感じの声音。

比べて姉は少し利発っぽい。少しの差ではあるけれど。

 

『さて。私たちは今どこにいるでしょーか?』

 

「川神」

 

『正解! というわけで先輩を連れ戻しに来たよ』

 

「そりゃまたご苦労だな」

 

『他人事だね』そう言う尼子の後ろで大友の声が聞こえる。『他人ごとではないぞっ』

 

すぐ近くで聞き耳を立てているようだ。

もしかしたらスピーカーにしているのかもしれない。

だとしたらこの会話は筒抜けか? もともと俺の携帯は盗聴されている恐れがあるからあまり変わらないけど。

 

「そんで? 館長からお達しでもあったか?」

 

『安心して。館長は放っとけって言ってたよ』

 

「そりゃよかった。川神であのおっさんと喧嘩してらんないからな」

 

あの人も最近は鍛え直して全盛期に近い実力だ。

一回負かすととんでもない速度で強くなるのは壁越え連中のお約束になっている。

 

『でも出席日数がやばいことに変わりないけどね。そこで私たちが連れ戻しに来たってわけ。先輩その辺忘れているような気がしてね』

 

『感謝せい』

 

尼子のいらぬお節介には苦笑が浮かぶ。

大友のやけに横柄な物言いにはイラッとする。

だがどちらも俺の出席日数を心配してここまで来てくれたのだから、感謝の気持ちを持って素直に言うことにした。

 

「大きなお世話だ」

 

『んなっ!?』

 

『あはは』

 

反応は二極化している。

もちろん前者は大友で後者は尼子。

またしても気炎上げる大友に付き合う義理はなかった。

 

「二人ともこの後は観光か? 美味いラーメン屋ならたぶん直江君が知ってるよ。観光楽しんでな」

 

『無視するな!』

 

大友は少し人目を気にするべきだ。

駅前だろうそこは。そんなところで何を騒いでいるんだ。

 

「ああ、それと。俺のデータが欲しいのなら、俺に言ってくれればいつでも渡せるぜって松永に言っといて。用意はあるから」

 

そんじゃよろしく。

電話を切って電源を落とす。

途端静かになって僅かに寂しさを感じる。

 

久しぶりに話した後輩コンビだったが、折り悪くこれ以上時間をかけられない。

あの二人は週明けには帰るのだろうから、きちんと話す時間は若獅子戦までありそうにない。

だが大友は随分怒っていた。関係の悪化を見過ごせるほど安い間柄ではない。コーラをダンボールで送れば機嫌治してくれるだろうか。

 

携帯をポケットに入れて気づく。静かだ。

さざ波の音。鳥の鳴き声。葉擦れの囁き。

それ以外に何もない。ありえないとは言わない。だが驚いた。

周囲からひと気がなくなっていた。

あれほどいた人間が、少し気を逸らした合間に神隠しのように。

誰かがやったのは間違いないが気づかなかった。

遠くに意識を逸らしていたから。油断していたから。言い訳にもならないな。

 

ため息を吐いて真剣に周囲を探ると、潮風デッキで風に吹かれながら座る男が一人だけいた。

時間はとっくに夕方だがまだ日は高く昇っている。黄昏ると言うには少し早い。単純に日本の空気を楽しんでいるのだろう。

 

「お待たせしましたか」

 

「おう。待った待った。三分待ったぜ」

 

特徴的な銀髪と額に残る十字の傷跡。

高そうなスーツなのに胸元を着崩している。

顔立ちは大人のそれだが、実年齢よりだいぶ若く見える。こう見えて子供三人――――一人は成人して――――いるのだから、相応の年齢だ。

名前を九鬼帝。九鬼揚羽、九鬼英雄、九鬼紋白の実の父親で、九鬼財閥統帥。

 

「そうですか。お忙しいのに申し訳ないですね」

 

「ふん。俺もなんだかんだ忙しい。この三分でざっと一億くらいか。どう落とし前つける?」

 

口調はいつも通り軽薄だが、具体的な数字を出すあたり、怒っているのか茶化しているのか。判断に困る。

 

「なんですかそれ。何かありましたか」

 

「ああ。いや、待つのはいいんだが、この三分があればもう少し局とイチャイチャ出来たかと思うと少し怒りが湧いてな」

 

「へえ。愛妻家ですね」

 

「お前が言うとどうにも嫌味に聞こえるな」

 

言った切り会話は途切れ、海に目を向ける。

心地のいい風が吹いている。この人はこうやって日本の空気を堪能するのが好きらしい。凪よこいと思っても都合よく来てくれるものではない。何も邪魔するものなく時間はゆっくり過ぎていく。

 

「いい風だ。やっぱ日本は落ち着くな」

 

帝様がじっくり堪能する間、側で待機する。

背筋を伸ばし、油断なく周囲を探り、微動だにしない。邪魔にならないよう気配も薄めた。

ああ。昔の癖が残っている。

 

「で、一億どうする?」

 

「しつこいですね」

 

「隙を見せれば徹底的に突かれるのが大人の世界だ」

 

「怖い怖い」

 

さて、どうするか。

本気で言ってるわけじゃないのは分かってる。

用意が出来るまでの暇つぶしだろう。

この人の好きそうな言葉を返すか。素直に返答するか。九鬼を去った身分で一体どこまで考えているのだろうか。馬鹿らしい。

 

「では貸しと相殺で」

 

「ん? 何か貸しがあったか?」

 

「前に、深海で」

 

「ああ」

 

得心いったと破顔する。

そしてすぐに不思議そうな顔になった。

 

「だが、ありゃあ金はちゃんと払っただろ?」

 

「あれっぽっちじゃ足りませんよ。深海1万メートルからの脱出劇なんて、契約書には書いてませんでした」

 

「おかげで中々ないスリルだった。確かにもう少し金払い良くしてもよかったな」

 

他愛の無い会話が続く。

昔からこの人との距離感はこんな感じに落ち着いている。

馬鹿な大人であると同時に尊敬できる部分も確かにある。だけどそれは決して言葉には言い表さない。出したら調子に乗るだろう。そうなったらクソむかつく。だから一生こんな感じかもしれない。

 

会話の隙を縫って気配が近づいてくる。

 

「帝様準備が整いました」

 

「おお。早いな」

 

やってきたのは燕尾服を着た黒人。名をゾズマ・ベルフェゴール。従者部隊序列4位の実力者。

俺にとってはヒューム枠、つまり糞爺枠に入っている。一応昔の上司。

 

「ゾズマさん。アフリカどうしたんすか」

 

「最近川神が何かと物騒でね。私も召集されたんだよ。しばらく留まる予定だ」

 

「大変ですねえ」

 

「一番物騒な奴が目の前にいることを思うと頭が痛いがね」

 

「日本の頭痛薬は半分優しさで出来てるのが効能良いらしいっすよ。買ってきましょうか」

 

「結構。九鬼印が一番効く」

 

この会話で何が衝撃かと言うと、ゾズマが頭痛薬を飲むことが一番衝撃的だった。

あるいは愛社精神からくるただの冗句かもしれない。

この人のギャグがピクリとも笑えないのはリーさんに通ずる。

 

「おいゾズマ。やっぱり愛妻家としては一分一秒でも妻との時間を大事にしたいって思うのは何より大切なことだと思うが、お前はどう思う?」

 

「同感です。その時間を邪魔するような輩は爆破して構わないと思いますね」

 

「だってよ。はっは」

 

まだその話題引っ張る気かよ。

 

「俺には妻がいないからその気持ちはわかりませんが、さっきの電話は後輩からでしてね。先輩風吹かせたい気持ちを察してもらいたいものです」

 

「その後輩は女か?」

 

「男。途中から女です」

 

「なら許す」

 

至極真面目な顔で頷いた帝様はニヤリと厭らしく口元を歪ませる。

 

「出会いは大切だぜ。大事にしろよ。社会に出たら誰彼構わず打算で寄ってくるからな。自由に恋愛できるのは学生までだ。出来ることなら学生の内に女をゲットするのが望ましい」

 

それは金持ち限定な気がする。

宝くじ当たった途端、銀行員から投資の話を聞かされるようなもんだろう。ほんとクソ。

ま、こういう話は適当に乗っかっておいて問題ない。よいしょよいしょって上げておく。

 

「身につまされるお言葉だ。帝様は良い伴侶を得られているから」

 

「そうだろ。なにせ局は最高の女だ。俺はつくづくラッキーだった」

 

「そのくせ移り気も多いときた。確かリーさんも狙ってるんでしたね。いい加減にしろよ糞親父」

 

「おいおいそれは内緒にしとけって言ったろ」

 

「愛妻家として、聞き逃せませんな」

 

すかさず横やりを挟んできたゾズマ。俺の暴言については不問に付されたようである。

帝様は一見いつもの糞むかつくニヒル顔だったが、それが精一杯の強がりである証に頬が痙攣していた。

 

「俺は局一筋だ。信用できないか?」

 

「前科がありますからね」

 

「二度と紋白泣かすな」

 

「おっと……そうだった……」

 

最近入社した若者ならともかく、古くからの社員は誤魔化せない。

新人の中には帝様を必要以上に美化する奴がいてもおかしくないが、その幻想も早々崩れることだろう。

 

「帝様には今まで以上に局様を愛していただくこととして、お早く移動をお願いします」

 

「おーけー。あー……藪蛇だった……」

 

先頭にゾズマ。真ん中に帝様を置いて、殿を俺が続く。

豪華絢爛なエレベーターに乗り込み上に向かう。

 

「聞いていると思うがね。工藤祐一郎。お前にはこれから帝様の護衛についてもらう」

 

「契約書には目を通してますよ」

 

「なら大丈夫だな。念を押すが、最優先は帝様の身の安全。あらゆる手段をもってお守りすること」

 

「今回は潜水艦の時見たく運悪く故障なんてこともないとは思うがな。任せたぜ」

 

肩をすくめる。

正直今回の依頼は深海に比べれば万倍簡単だと言う気持ちだ。

あの時はとんでもない水圧に押しつぶされないよう浮上しなければいけなかった。今回は最悪死なない程度に落下すればそれで済む。

 

「あの時はさすがに肝が冷えました。やはりヒュームをつかせるべきだったと」

 

「結果として五体満足で生きて戻れたんだから、十分役に立ったと思うけどな」

 

「ええ。その実績を買ったからこその今回の依頼です。深海1万メートルに比べれば衛星軌道からの生還など赤子の手を捻る様なものでしょう」

 

軽く言ってくれるゾズマに対し、帝様は声を潜めて訊ねてくる。

 

「……と、ゾズマは言っているが?」

 

「どうせ待っていれば地球に落ちますからね。最悪でも放射線と落下の衝撃に気を配るだけですから」

 

「まったくお前たちは頼りがいがありすぎるな」

 

帝様はやれやれと首を振る。

常識的にはありえない話だが、壁越えと言うのはそう言うものだ。今更言うまでもない。

 

「しかし今回は試作ロケットの最終試験です。万が一にも故障はありえません。あるとするならヒューマンエラーですが、統帥が同乗するということで通常以上のチェックが入っています。正直帝様がわざわざ乗られる必要もないのですが?」

 

帝様の我が儘が働いた今回の一件は、なぜか俺が駆り出されている。

宇宙の彼方に放り出されても無傷で帰還できると言う条件が厳しいのは分かるのだが、わざわざ俺に声がかかる理由は不明だ。

九鬼にはヒュームがいるし、なんならこのゾズマでもそれは可能だろう。というか従者部隊の序列一桁はあずみさんを除いて全員出来るはずだ。

 

「なあに。たまには宇宙旅行も悪くねえ。それにこういう危険を伴うやつは一番偉い奴が身をもって安全を確認して行かねえとな。後に続く奴が安心できないだろ?」

 

「一理ありますが、ならば揚羽様でも良かったのではないかと。あの方ならば何があっても単身生還できます」

 

「むしろ小十郎が死にかねんな。ま、あいつだって最近は中々忙しい。後は単純に俺が宇宙に行きたいってだけだ」

 

「ふっ……帝様の我が儘にも困ったものだ……」

 

あえて聞こえるよう言ったゾズマに、帝様は悪びれもせず笑みを浮かべている。

そうこうする間に、エレベーターは最上階に止まった。

屋上にプロペラを回転させたヘリコプターが待機している。

 

「後は任せたぞ」

 

「給料分は働きます」

 

乗り込む俺にゾズマはニヒルに笑った。

 

「給料分以上に働けば、帝様や私の覚え愛でたく重宝される――――そう言う考えはないのか?」

 

「労働搾取を重宝と言い換えたところでまったくありえない話です」

 

「まったくいけ好かないな、お前は」

 

ヘリが飛び立つ。

極東本部が遠ざかり、ゾズマの姿はすぐに見えなくなった。

この調子では何分もかからずに川神から出るだろう。

 

対面に座る帝様は調子良さそうに眼前の景色を眺めている。

ヘリの中はエンジン音が大きくて会話しにくいが、聞きとる分にはどれだけ小さくても問題もない。俺が少し声を大きくすれば成り立つ。

 

「宇宙には何のために行くんですか?」

 

「そこに山があるから登るのと同じで、頭の上に宇宙が広がってるなら当然行くしかねえだろ」

 

答えになっていない。

納得できないと肩をすくめる。帝様は笑って言葉を重ねた。

 

「ぶっちゃけて言うとただの浪漫だ」

 

「浪漫は行動原理になりえますか」

 

「なるなる。俺は俺のしたいようにしてきた。で、ここまできた」

 

欲望一つで世界一の財閥を作り上げた手腕には敬服する。

爺共で言う所の英雄だと認めることに否やはない。この人はそう呼ばれるだけのことをやってのけてきた。

 

「つってもお前も似たようなもんだろ」

 

「これでも大分ブレーキかかってますが」

 

「好きな時にブレーキ踏んで、好きな時にアクセル踏みこめるようになれば一人前だ」

 

そんなもんだろうか。

ブレーキとアクセルの使い分けは中々難しそうだ。

間違って両方踏めばスリップしてしまう。今まさにスリップしかけている気もする。

 

「ま、お前はまだ若いからな。ゆっくり学べ。……なんなら九鬼に来るか? 手取り足取り教えてやるぞ」

 

「願い下げです」

 

「ふん……ま、いいさ。気張れよ若人。大人たちを唸らせるぐらいにな」

 

ヘリは飛ぶ。

どこに向かっているのかはわからない。

ただ俺たちの目的地は宇宙だ。それだけ知っていれば十分だろう。

そこに浪漫など全く持って感じはしないけれど。

 



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三十八話

このところ林冲と言い争うことが多くなった。

剣華は振り返り思う。

 

梁山泊に居た頃、誰かと争うことなどほとんどなかった。

人との関わりは薄く、日々を鍛錬に明け暮れ、時たま命じられるままに任務に同行し、何を考えることもなく敵を屠った。

故郷に帰れば労をねぎらわれ、また鍛錬の日々である。

若くして百八星に選ばれた剣華を慕う人間は多く、口喧嘩をしようと言う人間は一部を除きいない。むしろどうしたらそこまで強くなれるのかと教えを請いに来る人間にむず痒さを感じる始末であった。

育ての母が生涯現役を有言実行してしまったから遅れただけで、本来なら最も早く星を継いだのは剣華のはずである。

 

然るのちに天勇星を継ぎ、過去に増して人との接触は減った。

宋江を始め幾人としか言葉を交わさず、喋ったところで口から出る言葉は意味のない相槌かYESのみ。その様はまるで機械のようだと剣華は改めて思う。

公孫勝のような趣味はなく、武松や史進のように戦いに魅入られることもない。楊志のように耽るものすらなかった。

ただ食べて寝る。

それ以外は自然に浸かった。

深山幽谷。雄大な自然の中に身をやつし、その自由気ままな空気の中で癒される。

人の世に出ることを義務とすら感じていたあの頃は、自分は死んでいるも同然だったのだ。

 

比べて今はどうだろうか。趣味はない。殺し合いには嫌悪すら覚える。耽るほどの出会いは依然としてない。

それだけ見ればあの頃とさして変わっていない。だが明確に変わっているものもある。それが何なのか詳らかにしようなどとは毛ほども思いはしないけれど、それが良いことであるのは感覚で理解していた。

 

そのように過去を振り返る剣華。

過去に飛んでいた意識を引き戻そうと言うように、あまりに近すぎる距離から声がかけられる。林冲である。

 

「お前を守るためなら何でもする。どんなことでも聞きいれる。私を頼ってくれ」

 

ソファに座った剣華の隣。身を乗り出す林冲は目と鼻の先にいる。

我に返った途端の一言。――――重い。

 

正直に言って邪魔であった。ごく自然に吐息がかかるこの距離感は絶対おかしい。

だが下手に邪険にするわけにもいかず、げんなりとした気分を深く息を吐くことで軽くする。それでなお吐き切れるものではなかったが、気分は幾分マシになった。

 

チェイサーから注いだ水でのどを潤す。上下する喉を林冲がまじまじ見ていた。

妙な居心地の悪さを感じる。こんなにも良い部屋なのに。

林冲たちが拠点に使っているホテルは最上階。リッチな場所である。5人で使っているから部屋が広い。

職人が惜しみなく技を使い、居心地のいい空間を作ったはずである。にも関わらず、これほどまで尻の据わりが悪いのは林冲のせいだ。もはや自分はこの水のためにここに居ると言って過言はない。逆に言えばこの水以外にこの部屋に良い所はない。水はただ美味い。

 

ふうと息を吐き、林冲を見る。

幼い頃、教えを請いに来た少女がその恩を返すと言うように隣にいる。

そのことに思う所がないでもなかったが、剣華の口からはお決まりの返事が出た。

 

「別にいい」

 

「なんで!?」

 

「燕がいる」

 

コップを傾ける剣華の隣で今にも泣きだしそうな林冲は、唇を噛みしめ低く問う。

 

「私じゃダメなのか……? 私だって、お前のためになら――――!!」

 

「重い」

 

「おもっ!?」

 

泣きながら自分を使えと迫る林冲を剣華ははいはいと躱し、やがて泣き疲れた林冲は眠る。

子供かこいつは。吐き捨てた言葉を口には出さず、代わりに林冲の頬を打った。

うーんと魘され寝返りを打つ。ぺちぺちと何度か続ける。起きない林冲はうーんと唸る。いい気味だ。

ある程度満足した所でお姫様だっこでベッドまで運ぶ。健やかな寝顔を見せる林冲に布団をかけてやる。

こうやって無事この日の争いは終わりを告げた。

 

「懐かれてるねえ。林冲に」

 

隣の部屋からやってきたのは楊志。

真面目な口調だがその頭にはパンツを被っている。純白のパンツだ。今日は誰のパンツだろう。

お気に入りは林冲のはずだから林冲のパンツだろうか。

いや、待てよ。確か楊志には無駄なこだわりがあって、パンツを被るなら脱ぎたてが一番と憚らないはず。

ならばあのパンツは脱ぎたてか。そんでもって今ベッドに眠る林冲はノーパンか。

 

確かめる気にはならなかった。

同性の股間を見て滾るような性癖は持ち合わせていない。

至ってノーマルを自負している。

 

「……」

 

「なにかな?」

 

「いや……」

 

楊志の変態性は言及するだけ無駄である。スルーするのが賢明と言う物だ。

この水飲んだら帰ろう。

コップを傾ける剣華の対面に楊志は座る。

 

「すー……。はぁ……」

 

いつの間にか手に黒のパンツを持ち、あまつさえキメる楊志の変態っぷりに水が喉を通らない。

やむなくコップを置く。

楊志の鼻息と林冲の寝息。それと壁時計が時を刻む音。それだけしか聞こえないこの部屋には、剣華を含めた三人しかいない。

 

公孫勝と武松は直江大和の護衛についている。

武松がスイーツばっか食って困ると公孫勝から泣き言付きで連絡が入っていた。

当の直江大和はデートだそうだ。自然と甘い店が多くなるそうで武松の琴線が刺激されまくっている。そう言えば燕も今日はデートだと言っていた。

 

史進は川神院に出向いている。なんでも川神一子に決闘を申し込まれたらしい。

川神に来てからしばらく欲求不満が募っていた史進には願ってもないこと。我が意を得たとばかりに喜び勇んで飛び出して行った。

今頃は川神院に着いているはずだ。川神一子のみならず屈強な修行僧たちとも武を競い合っているだろう。運が良ければ、ルー師範代が稽古をつけてくれるかもしれない。かつて剣華にそうしてくれたように。

 

「林冲は、頼ってほしいんだよ」

 

「知ってる」

 

「なら、頼ってあげなよ」

 

剣華は答えない。

構わず楊志は続けた。

 

「確かに林冲がお前のことを見る目はちょっと行き過ぎてる所はあるけどねえ」

 

「私はレズじゃない」

 

「いやいや。そういうことじゃなくてさ」

 

分かっていて剣華は言った。楊志は茶化すなよと手を振った。

この会話の行き着く先が想像できる。昔感じたむず痒さと同じものが剣華の心をくすぐった。あれから何年経ったのだろうか。

 

「林冲は――――ファンはダメな子供だったからねえ」

 

あえて昔の名を告げる楊志。自然と剣華も過去に思いを巡らせた。

 

まだ誰も星を継いでいなかった頃。誰もが幼く未熟で、世界はおろか自分のことすら何も分かっていなかった頃。林冲は正しく無能だった。

それは誹りではなく事実として、林冲は異能を持ち合わせていなかったのだ。

異能は生まれ持った才能。当然持たない者もいる。持っていて発現しない者もいる。あるいは自分のようにコントロールできない者も。

林冲が今持っている異能は、死んでしまった同期から授けられたものだった。

 

「どこまで行っても、神童に憧れてるのさ。元々優しかったところでルオが死んで。守ることに固執するようになって。守れなかったことで拍車がかかった。今目の前で守れなかった関勝が困ってる。是が非でも力になりたいって思って不思議じゃないよねえ」

 

失敗を乗り越えるのに、林冲は真面目すぎた。

ルオの死も剣華の隠遁も、林冲には何の責任もない。

だと言うのに、自分がもっとしっかりしていれば守れたのだと自責の念に苛まれているのは、もはや何の罰であろうか。そこから救うことなど誰にもできないのではなかろうか。

 

そこが林冲の良い所であるし、悪い所でもある。周りがしっかり手綱を握れば、悪い方に転がることはあまりない。

今林冲が暴走気味なのは、手綱を握らなければけない人間がそれを手放しているからだ。

 

「適度なガス抜きすらしないのは罪悪感? それとも、他に頼れない理由でもあるのかな?」

 

「……」

 

楊志の口調は平坦である。

ともすれば問い質しているようにも聞こえるが、パンツを被りパンツを握りしめるその姿から真剣味は感じられない。

剣華は卓上のコップを見つめる。結露した雫が一粒、跡を残しながらテーブルまで伝った。

 

「帰る」

 

突然の宣言に楊志は面食らったようだった。

気にも留めずに立ち上がる剣華。出て行こうと言う直前で呼び止めてくる。

 

「関勝」

 

剣華は立ち止まり、ただ振り向きはせず言葉を待つ。

 

「もしあいつが来なかったらどうなってたかな」

 

主語が曖昧だったが二人には通じた。

その問いの答えは考えるまでもなかった。

 

「私はここにいない」

 

部屋を出る。

背中に楊志の声が聞こえる。

 

「それには答えてくれるんだねえ」

 

閉じた扉の向こうに答える術を、剣華は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルのロビーに出た剣華は足元を見て歩いていた。

無意識の内にぶつかりそうな気配だけ掬い上げ、進路を変えて歩いている。

ロビーを半ばほど過ぎた時、受付から聞き覚えのある声が聞え、思わず足を止めた。

向いた先には二人の少女。片方がとんでもない物を担いでいて、なおかつそれには見覚えがあった。

凝視する剣華を目前に、用件を済ませたらしい二人が振り向き、揃って同じように固まった。

 

「む」

 

「あれ」

 

一言ずつ声を上げたのは大友焔と尼子晴。

剣華が天神館に通っていた頃の同級生である。

 

「こんなところで会うとは奇遇だな」

 

背中に大きな筒を二つ担ぐ大友焔。そこにいるだけで妙な圧迫感があり周囲の人間は自然大友を避けている。

比べて尼子は着の身着のままと言う感じであり、この奇妙な組み合わせは奇異な視線を集めていた。

 

「……どうしてここに?」

 

「うむ。観光だ!」

 

腰に手を当て胸を張る。

なぜそんなに威張るのか。

天神館にいた頃から不思議であった。こういう性格なのだと今では勝手に思っている。

 

「他にも用事はあったんだけどね。どうせダメ元って感じだったから」

 

尼子の捕捉は要領を得ない。

はてなと首を傾げる剣華に、それ以上付け足すことはないと尼子は何も言わない。

 

「橘こそこんなところでなにをしているのだ? ホテル住まいなのか? 豪勢だな!」

 

「違う」

 

知り合いに会いに来たと告げる剣華に、ふーんと相槌を打つ二人。

あまり興味もないのだろう。それ以上深入りもなかった。

 

「大友たちはここに泊まるつもりだったのだがな。川神院で面倒を見ていただけるということでキャンセルしたところだ」

 

「川神院?」

 

「さっきちょこっと観光にね。やけに強い挑戦者がいて盛り上がったんだよ。流れで泊まらせてもらえることになったんだ」

 

「鉄心殿のご好意だぞ」

 

やけに強い挑戦者とは恐らく史進のことだろう。

聞けば大友は手合せしたらしい。残念ながら負けたそうだが、馬があったとのこと。

特に言及する素振りを見せない辺り、史進は梁山泊とは名乗らなかったのだろうか。

 

「そう」

 

「橘もここにはもう長いだろう。美味いラーメン屋を知っているか?」

 

「ほむ。さっき食べたでしょ」

 

窘める尼子に大友は三食三杯ラーメンと言うのも乙ではないかと言っている。

尼子は勘弁してよと嘆いていた。川神に来てまでラーメン三食は悲しかろう。

何よりラーメンは福岡でこそ名物である。わざわざ遠く川神くんだりやって来て、故郷の名物を食べる理由は何もない。

 

「知らない」

 

「そうか。残念だ」

 

「ほむ。そろそろ行かないと」

 

「おっと。人を待たせているのだったな。では橘また会おうではないか」

 

それを最後に二人は出口へと去って行く。

雑踏の中に消える二人を見送った剣華にとっては思いがけない再会であった。

あの二人が観光に来ていることを工藤は知っているのだろうか。

ふと思ったがどうでもいいと思い直し頭を振る。必要とあらばあちらから接触しているだろう。

そもそもスルーしている可能性も高い。剣華の再三に渡るコールには一切応じなかったのだから。

 

剣華も止めていた足を進め帰途につく。

明日は燕と鍛錬の日である。疲れを残して臨むことは避けたい。

怪しい笑顔で「楽しみにしててね」と言っていたから、何か嬉しいことがあったのだろう。

工藤の弱点が見つかったとかそんな――――。

 

「……あ、そっか」

 

そこまで考えてはたと気づく。

点と点が線でつながり、頭の中を閃きが駆け巡る。

あの二人が川神に居る理由と燕の意味ありげな態度。

 

なるほど。

あの二人の訪問は燕の工藤対策の一環か。映像かあるいは情報を引き出したに違いない。

だとするなら、工藤はこの件には関与してこない。いくらあいつでも、自分を打倒するための準備活動にまで出張ってくるはずがない。

あいつはそう言う奴なのだ。好きに準備させ、好きに策を練らせ、いざ戦えば正面から打ち砕いてくる。それこそが上に立つ者の仕事とばかりに。

 

なんにせよ、あの二人の目的がそういうことなら、剣華にとってはもうどうでもいいことだ。

あの様子では接触しようとして出来なかったのだろう。

ならば自分は目の前の戦いに意識を集中することとしよう。

好きに準備させ、策を練らせ、その上ですべてを打ち砕いてくる。そんな相手に挑む戦いを。

 

剣華は一度うんと伸びをして歩き始めた。

不思議と軽やかな足取りであった。

 

夕日の沈もうとしている空には宵の明星がある。また一日が終わる。こうする間にも時は刻一刻と流れて行く。

あとどれほどの時間が残されているのか。

過去を思えば一月などすぐである。嫌だと思っても来てしまうだろう。

 

剣華は未来に思いをはせる。

過去ばかり見た今日の締めには丁度いい。

何より今は黄昏時。現と夢幻との境が曖昧になる時刻だと言う。

ならば多少夢見た所で罰は当たるまい。

 

そう言う心づもりで思い描いた未来は、何故だか分からないが悲惨な物しか浮かばなかった。あまりに幸先が悪いので剣華は胸に秘することに決めた。

 




直江大和君のデート模様や川神院での会話、川神一子ちゃんのことなど、書きたいことはあるのですが、ばっさりカットしていくことにします。
次回は多分ようやくあれです。その前に番外挟むかもしれませんが。


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三十九話

番外は挫折した


時は11月。

若獅子戦開催が公布されて約一月。

いつの間にか季節はすっかり秋になり山々は紅く染まった。吹き付ける風は肌寒さが増している。

しかしその場に集まる人間は興奮と期待で胸を膨らませ、寒さなど感じてはいなかった。

 

――――若獅子戦予選。その初日である。

 

選手にとっては一か月以上の準備期間が与えられ、各々が万全を尽くし備えてきた。

 

『運命は来るべくして来る。来たのなら立ち向かえばいい』

 

その言葉通り、まさしく来るべくして来た。その地に集った全ての武人はそう思っている。

誰も彼もが己の敗北など考えてすらいない。この力を見せる機会が来るべくして来た。今日を境に自分は世界に羽ばたくだろう。

根拠は何かと問われれば拳と答え、負けることは考えないのかと問われれば、おかしなことを聞くものだと首を横に振る。

溢れんばかりの傲慢さ。求めるのは勝利のみ。武人とはこうあるべきだ。世界最強はそう溢した。

 

世界から自信家が集った若獅子戦。

予選はA~Fまで六つのグループにわけられた。

予選会場にはドームが二つ用意され、A~Fまで順番に割り当てられる。予選が全て終わるまで計三日。

事前に対戦表が参加者全員に配られ、ネットでもアナウンスされた。

 

初日はAグループとBグループの予選が行われる。

戦いはトーナメント形式で進められ、シード権などはない。

どれだけ実績や名声があったとしても優遇されることはなく、決勝まで進んだ二人が本戦に出場できるルールである。

 

寒空の下各会場に人が押し寄せた。

チケットは全て予約制になっている。当日券などはないが、それでも朝早くから人が詰めかけていた。その混雑ぶりは大規模なコンサート以上の物であった。

高まる熱気。観客の目は何かを期待している。現代に蘇った英雄。決闘。どちらも簡単に見られることではない。

 

その日は天気が良いのが幸いした。それほど厚着にならなくとも、これだけ人が集まれば自然と暖かくなる。

今か今かと戦いの始まりを待つ人の群れの大きさは注目度に比している。人が多ければトラブルをも起きやすい。

そうしたことに備え、警察や警備員も動員されたが、集う人々は何も日本人ばかりではない。世界各国に大々的に宣伝したおかげもあり、様々な人種が多種多様な言語を携えてやってきている。警察や民間の警備員だけでは手に余る。それを見越し、各施設に九鬼家の従者部隊が配置されていた。何より九鬼家がこうなるように仕向けたのだから、そうすることは当然とも言えた。

 

A予選会場には審判としてクラウディオ・ネエロと川神鉄心が。B予選会場にはヒューム・ヘルシングとルー・イーがそれぞれ控えている。リング場で何が起ころうとも対処できるよう万全な態勢である。よもやこの人物らを前に不埒な行為に及ぼうとする人間もそうはいないだろうが、この他にも会場の至る所で九鬼は目を光らせていた。

 

それぞれの会場のリングの中央でクラウディオ及びヒュームが、公明正大なジャッジを行うことを主・九鬼帝に誓い、いよいよ予選は幕を開ける。

 

A予選において、最大の注目選手は義経である。

義経は4人いるクローンの代表的な人物として紹介されてきた。

弁慶と与一は義経の従者として紹介され、残り一人葉桜清楚に関しては九鬼は情報を開示することを拒んでいる。必然的にクローンの顔役として義経の名は広まっていた。

 

その理由の他にも、彼女は日本人が抱いている武士としての要素を数多く持っていた。

日本の武士を彷彿とさせるような凛とした佇まい。長い黒髪を後頭部で一纏めにしている。腰に刀を携える姿はまさしく武士娘。

外国人は彼女をサムライと呼び、その呼び名とは裏腹に年頃の可愛らしい少女が刀を持つ姿に興奮を隠せない様子であった。

グローバル化された世界に日本の萌え文化が広まって久しいが、アンダーグラウンドに留まっていたそれに一躍脚光が浴びせられた瞬間である。

 

義経一回戦の対戦者はロシア人である。

2メートル近い長身に鍛え抜かれた体つき。幼子の胴体ほども太い腕には自動小銃を持ち、足のホルダーにはナイフをしまっている。顔つきからして貫禄に溢れていた。対峙する義経の幼さが場違いに思えるほどである。

ひょっとして彼は軍人ではなかろうか。観客は誰しもそう思った。だとするなら義経は負けるかもしれない。いや、そもそも戦うことすら可哀そうだ。言葉にはしないまでも妙な緊張感が会場を漂い始める。

 

当のロシア人もまた微妙な面持ちでリングに立っていた。

有名なクローンと戦えることを光栄にこそ思う。しかし義経はあくまで日本の偉人。目の前の礼儀正しい少女が大昔に日本で活躍したサムライのクローンだと言われても実感が伴わなかった。

何より義経は酷く緊張している様子。ムリもない。これほどの大舞台は大人ですら逃げ出したくなる。

投げかけられる歓声に逐一反応し右往左往する姿は見ていて可愛らしく、同時に可哀そうでもあった。日本人らしいと言えばそれまでだが、目の前の少女のそれは少々度が過ぎているようにも思えた。

あの小さな身体に背負わされている重圧はいかほどのものか。華奢な身体でどれだけ受け止めれるものか。いくら珍しいクローンと言ったって、所詮は女の子じゃないか。まったく日本人は。HENTAI文化はネットの中だけにすべきだ。

 

ロシア人は手に持つ自動小銃――――AKをそっと撫でる。

義経の活躍を楽しみにしている観客には残念だろうが、この少女には一回戦で退場してもらうとしよう。

 

彼は何も義経をただの一般人と決めつけ嘗めてかかっている訳ではない。

6月に公開された東西交流戦の映像には目を通している。その映像の終盤で目の前の少女が刀を持った少年を一太刀で切り伏せたことも知っている。

義経の腰に差された刀。まさしくあれで、義経は己の武を世界に披露し、自分がクローンである事実を激烈な印象と共に世界に知らしめたのだ。

 

あのニュースを見て心踊らさない人間はいないだろう。

サムライと言う単語を何度も耳にした。かく言う自分もその一人である。

 

しかしそう思っていてなおロシア人は自分が負けることはありえないと結論する。

理由は簡単である。なぜならば自分は銃を持っている。そして義経が持っているのは刀だ。義経をサムライたらしめるその刀こそが、自分が決して負けない理由なのだ。

 

この大会において刀が刃引きされているのと同じように、銃もまた火薬の量を少なくし、銃弾はゴム弾しか使えない。だがそんなことは些細なことだ。いくら火薬の量を少なくしたところで、それでなお弾速は人の反射神経を超えている。

一発や二発なら銃口の向きで躱せるかもしれない。だが三発、四発、五発と延々続く弾丸は躱しきれるものではない。

もしそんなことが出来るのなら、それは人間技ではない。怪物の所業だ。怪物の――――。

 

彼はそっと周囲に目を配った。

義経と自分の間に立ち、開始の時刻を待っているのは第一審判クラウディオ・ネエロ。リングの外で朗らかな表情でこちらを見ているのは第二審判川神鉄心。

川神鉄心……。その名前を呟くと、彼の頭の中でこの大会に出場することになった契機がありありと思い出された。

 

――――人間を越えた怪物がこの世界にいる。

 

始まりはその荒唐無稽とも思える一言だった。

兵士の間で実しやかに囁かれる噂。眉唾ものだと思っていた。しかし聞いたのは部隊長の口からである。

それは一体誰のことか。訊ねる彼の頭にはドイツの猟犬、マルギッテ・エーベルヴァッハが浮かんでいた。

ドイツ軍の誇る猛将。彼女とその部隊が成した功績は、漏れ聞こえるだけでも信じられない物ばかりである。

 

彼自身、彼女をお目にかかったことがある。目の当たりにしたその武勇たるやまさしく怪物の名にふさわしい。彼女ならそう呼ばれてもおかしくはない。

だが違った。隊長は言う。怪物の名前は川神鉄心。川神院の長。世に言う武神。

 

名を口にしただけなのに、まるでおぞましい物を見たかの様に、真っ青な顔の部隊長は今まで見たことがないほど弱弱しく、頼りなかった。

それは酒の席での話である。ひょっとして悪酔いしただけかもしれない。そう思い、後日川神鉄心の名を口にした時、部隊長は再び顔を青ざめさせた。

 

彼は衝撃を受けた。あれほど熟練の兵士が荒唐無稽な噂を信じていると? まさかそんなはずはない。

疑念を抱いた彼は聞いて歩く。同期の連中は皆鼻で笑った。だが不思議なことに、軍の上層部ほどこの噂を信じているフシがある。

 

嘘だと笑う同期。本当だと言う上司。

疑念が募る。嘘か真か分からない。理性は嘘だと言っている。だが本能の奥底で獣が叫んだ。

悶々とする気持ちを忘れるために、彼は任務に従事する。だが忘れることは出来なかった。日に日に真実を知りたいと欲求は強くなった。

 

若獅子戦の噂が飛び込んできたのはそんなときである。

疑念を解消するには絶好の機会だった。こうなれば直接行って確かめる他あるまい。

彼にとって若獅子戦に参加した理由は優勝などではなく、怪物の正体を突き止めることだった。

 

そこに川神鉄心がいる。

今この銃を彼に向けて撃てば疑念は晴れるだろう。

だがもし彼がただの老人なら怪我をさせてしまう。当たり所が悪ければ死んでしまうかもしれない。しかし疑念が晴れるのなら――――。

 

彼は誘惑と戦った。

そして打ち勝った。彼を惑わせる誘惑は一つではなかった。サムライと戦える。それもまた抗いがたい誘惑だったのだ。

 

クラウディオが告げる。

 

「時間です」

 

コッキングレバーを引きセーフティを解除した。澱みなく滑らかな動作で銃口を義経に向ける。

照準器の向こうに見える義経はやはり緊張していた。だがその顔に恐怖は微塵も浮かんでいない。

この少女は銃を向けられた経験があるのだろうか。この小さな穴からどれほどのスピードで鉄の塊が飛び出すのか理解しているんだろうか。

例え理解していなくとも、彼に容赦するつもりはまったくない。これは戦いなのだから。

それにもし理解していないのなら、自分がここで勝つことが彼女を救うことになる。子供がボロボロになる姿は見たくない。怪我を負わせるにしても最小限に留める。選手全員がそう思っているとは限らないのだ。

 

「それでは」

 

指を引き金にかける。

照準器の向こうに見据える義経は目を閉じ大きく深呼吸をしている。

何度かそれを繰り返した末に開いた目は、鋭く冷たく凍えるほどの冷気を伴っている。それに射抜かれた瞬間、彼の身を恐怖が襲った。

 

「はじめっ」

 

クラウディオが合図を言い切る前に、ロシア人は発砲していた。

義経はそれを居合いで斬り裂く。

ばかなっ……!?

 

目の前の信じられない現実を受け止める暇もなく二発目を放つ。

銃弾は義経の額に狙い定められていた。しかし返す刃で弾かれる。義経は駆けだした。

 

迫りくる義経に向け、ロシア人は発砲を続けた。

三発、四発、五発目。

全て躱された。義経はその弾丸が全て額を狙っていることを見抜き、左右に身体を揺することで最小限の動きで躱した。

六発目は撃たなかった。間に合わない。速すぎる……!

 

彼は小銃を捨てながらナイフを抜いた。迫る義経に反撃しようと腰を落とし順手に構える。

白兵戦になるなどと欠片も考えていなかった。甘かった。理解していなかったのは自分の方だ。

現状、肉体的にはともかく、精神的には追い詰められている。

浅く呼吸を繰り返す。動揺を鎮め、反撃の機を探る。来るなら来い。返り討ちだッ!

 

勢いそのまま向かってくるであろうと言う彼の予測を嘲笑うように、義経は直前で大きく踏み込み身体を沈める。かと思うと、さらに加速する。

完全に虚をつかれてしまった。まさかここからさらに速くなるとは!

迫る義経の首にナイフを振ろうとした時には、既に義経は斬り終えていた。

 

上から下へ順に三斬。

まずナイフを持った手首を打ち、流れて腰を、最後に足を打つ。一瞬の出来事である。

彼の手から離れたナイフがリングを転がり甲高い音を鳴らす。

束の間唖然とし、すぐに激痛が走り立っていられなくなった。うずくまる彼をクラウディオが見る。

骨が折れている。戦闘続行は不可能だった。

 

「勝者、源義経!」

 

観客にとっても瞬く間の出来事であった。

始めと合図されてから何秒も経っていない。

銃を持った屈強な男に、華奢な体格の義経が勝った。

信じられない。だが現実そうなった。会場は大興奮に包まれた。

 

うずくまり痛みに堪える彼に、義経が心配で声をかける。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

おろおろと取り乱す様は、事件現場に居合わせた女子高生のようだ。

だが彼は覚えている。開始の合図がされる直前、この身を包んだ感覚。あれは間違いなく殺気だった。

戦場でしか感じたことの無い殺気をこの小さな女の子が発し、ついには自分の手首を折ったのだ。

銃弾を斬り、弾き、躱し、目にも止まらぬ速度で駆け抜け切り刻んだ。これを怪物と言わずに何という。

 

――――いましたよ隊長。怪物が。

 

きっとこれを見ているだろう上司に向けて心の中で言う。

この映像を見て青ざめているだろうか。怪物は川神鉄心の他にもいる。考えたくないことだろう。

 

――――こんなに小さな女の子でも、俺なんか赤子の手を捻るようなもんですな。でもちょっと怪物って言うには可愛すぎますか。

 

自分を心配してくれる少女に向けてふっと笑みを溢す彼。

それを見て義経はほっと胸をなでおろす。

やっぱり可愛すぎる。これは憎めん。恐ろしくもなんともない。むしろもっと近くにいたい。

運ばれてきた担架を見て、もう少し遅れてくれば良かったのにと嘆いてしまう。

担架に運ばれ意識が遠のく。彼の瞼には最後までサムライと呼ばれた少女の顔が浮かんでいた。

 

そこから先、義経は然したる強敵とも当たらず順調に勝ち進んだ。

危なげなく準決勝に勝ち、無事に本戦出場を決める。

 

そして決勝の舞台で義経と相対したのは川神一子であった。

準決勝、一子は島右近と三十分に及ぶ激しい戦いで辛くも勝利を収めていた。

 

最後はこの二人による決勝戦である。

だが当初の規定通り、二人は戦わずリング上で顔を合わせるに留まった。

生放送などで見ている視聴者へ本戦出場者を披露する目的もあった。

 

観客たちの大歓声飛び交う中、Aグループ予選は無事幕を下ろした。

 



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四十話

Bグループ予選。その目玉は弁慶だった。

義経に比べ、色気があると言う理由で彼女への歓声は義経より野太い物が多い。マスコット的可愛さのある義経と大人の色気に溢れる弁慶。男子の人気は二分されていた。

当の弁慶、準決勝で西方十勇士の宇喜多秀美を制し決勝へ。力自慢同士の戦いであった。だが弁慶の腕力は百代に匹敵すると言われる。宇喜多も十勇士に数えられる実力者であるが、怪物並みの怪力が相手では分が悪い。そう言う意味で、戦う前から勝敗は決していたと言えよう。

 

もう一人、決勝に進出したのはマルギッテ・エーベルヴァッハ。

決勝の歓声の中、不敵に笑うマルギッテの目は弁慶に注がれている。弁慶が転入した当初、マルギッテは弁慶に戦いを挑み力比べで負けている。本戦で戦うのが楽しみですとマルギッテは獰猛な犬のように笑う。

猟犬の異名を持つマルギッテ。壁を超えることは叶わずとも、壁の上に立つ猛者である。真面にやり合えば弁慶でも勝てるかどうか。

「うわ、めんどくさ……」優勝賞品目当ての弁慶にとっては甚だ戦いたくない相手であった。

 

二日目。C予選は那須与一。

彼は予選開始前には既にやる気がなかった。なんなら前日から面倒くせえと呟き、その度に弁慶とヒュームに折檻されていた。本戦に出場できなければさらにきついお仕置きが待っていると脅されすらした。

だが、いざ予選が始まってもそのやる気のなさは変わることなく、むしろ態度で雄弁に語っている。それを見た弁慶により、勝っても負けてもお仕置きは決定してしまう。

しかしながら対戦者をことごとく屠った弓の威力。同じ天下五弓の椎名京をして威力と飛距離では敵わないと言わしめる腕前。英雄のクローンとして名に恥じぬ戦いぶりであった。なんの問題もなく本戦に出場できていただろう。

――――準決勝で橘剣華と当たりさえしなければ。

 

 

 

 

 

 

 

与一は待っていた。相手が痺れを切らし突っ込んでくるのを。

引き絞った弓。弦を握る右手には既に感覚がない。

だが意地でもこの手を放すことはない。放せばその時点で敗北が決まる。

分かっていた。如何に与一と言えど、この距離で剣華を相手にするのはあまりに分が悪い。

もし本気で勝つ気なら最善策は奇襲だろう。あるいはもう少し離れていれば打つ手はあった。

 

与一は心の内で嘆く。現実は無情だ。

今剣華は数メートルしかなはれていない。一矢放てば新しく矢をつがえる暇なく接近される距離。

外したら負ける。負けたら弁慶とヒュームにお仕置きだ。絶対に負けられない戦い。以前剣華が言っていたそれは、与一にとってまさしくこの瞬間訪れていた。

 

「おい、橘」

 

「なに?」

 

与一の限界が近い。奥義を放つために気を溜めているが、いつまでも溜めてはいられない。

それを知ってか知らずか一向に向かってこない剣華。

与一は何とかしてこの状況を打破しなくてはならなかった。

 

「向かってこないのは俺が怖いからか?」

 

「ぜんぜん」

 

「へッ。怖いんだろ。この俺の奥義が」

 

挑発して向かってきてくれればこっちのもん。

その考えで与一は挑発を繰り返したが、剣華は眉を顰めるばかり。

終いには溜息を吐かれた。

 

「挑発? へたくそだね」

 

「……」

 

見え透いた挑発。そんなのに乗る訳がない。

剣華は首をフリフリ否定した。

挙句、あっさり前言撤回する。

 

「いいよ乗ってあげる」

 

その足がわずかに後ろに下がる。――――来る。

予感通り、剣華は突っ込んできた。

 

「――――」

 

狙いを定める。

心を沈め、技を研ぎ澄ませる。

この距離なら外さない。与一は己の技に絶対の自信があった。

生意気で面倒くさがりで、中二病。だが弓だけは誰にも負けない。負けたくない。

すっかりひねくれた与一にも隠された熱い思いがある。

 

一方、向かってくる剣華にも躱す自信があった。

その理由は単純である。私はもっと速いものを見てきた。

どれだけ弓が達者でも、所詮は弓だろう?

弓よりも銃よりも速いものをお前は知っているか? 私は知っている。

 

二人の距離は縮まる。その時が来る。

 

「竜神王咆吼破!」

 

与一の奥義の一つ。

その速さ故どれだけ離れていようと必中の矢は、相応の威力を兼ね備え、当たればどのような達人であろうと一たまりもない。余人にはその軌跡は雷のように見えた。

 

迫りくるそれを剣華は鋭敏に研ぎ澄まされた感覚で感知し、周囲を漂わせていた闘気で一刀両断する。

真っ二つに裂かれた矢が落ちるよりも前、与一がピクリとも動けないでいる内に、与一の喉元に貫手が添えられた。

目前の剣華は冷たい目で要求する。

 

――――棄権しろ。

 

「こ、降参だ」

 

クラウディオが剣華の勝利を宣言する。

注目選手の一角が落とされた。それもほとんど無名の橘剣華に。

観客のざわめきなどお構いなしに退場する剣華の背中を見つめ、鉄心は「ふむ」と頷いた。

 

そうこうする間に、決勝まで進んだのは橘剣華と板垣天使。

大歓声のエンジェルコールにぶちギレ、天使が観客に殴りこんだのが、今大会予選において最大のアクシデントであった。

 

D予選においてはクリスティアーネ・フリードリヒ、石田三郎がそれぞれ勝ち進んだ。

白の良く似合うクリス。戦う姿は見る者の目を惹きつけ、活発艶麗な姿を惜しみなく曝け出す。結果つけられた戦乙女のあだ名は騎士道を邁進する彼女にはいささか不満なようだった。

石田三郎は同じく眉目秀麗。だがクリスと違い荒々しさを感じる戦い様は多くの女性の心を穿った。長宗我部に鉢屋と容赦なく西方十勇士を狩ったことも拍車をかけている。

試合後、両者共にネットで人気が爆発したようだ。

 

三日目。

E予選決勝の大舞台には黛由紀江。そして風間翔一。

歓声に手を振り、子供っぽくはしゃぐ翔一に、由紀江は素直な称賛を送った。

 

「御見それしました……」

 

「サンキューまゆっち。ま、運が良かったかな」

 

予選の対戦表を思い出す。

名の知れた選手はいなかった。キャップの言う通り運は良かったのだろう。

だが決して容易くもなかったのだ。翔一の服の下は包帯でぐるぐる巻きだ。今元気に動き回っているが、それすら辛いに違いない。

準々決勝で戦った拳法使い。拳法とは名ばかりで、あれは明らかに殺人術だった。

死なない程度に半殺しにされ、ダウンを取られてなお不屈の闘志で立ち上がった翔一。

最後は正面から殴り合いになり、翔一が競り勝った。相手の敗因は、翔一を素人だと侮った事だろう。翔一は百代に唯一認められた男である。どれだけ殴られても決してファミリーのリーダーを譲らなかった彼の根性を、対戦者は知らなかったのだ。

 

とは言っても、準決勝は怪我を押しての戦いだった。

勝ち目はないと思われたが、持っている男はやはり違う。

対戦者は腹痛で棄権。不戦勝だった。

すっかり判官贔屓に包まれていた観客からは拍手万雷。一躍ヒーローである。もしかしたら相手はこの空気を察して逃げたのかもしれない。

そのせいですっかり影の薄くなった由紀江だが、クラウディオや鉄心は見ていた。

研ぎ澄まされた闘気。冴え渡る剣技。橘天衣を倒したと言う噂に嘘はない。その実力は壁を越えている。

由紀江の知らないところで、武道四天王の一角。その有力候補に抜擢されていた。

 

Eグループはこの通り、下馬評を覆し大盛り上がりを見せている。

そしてFグループはと言うと、こちらもやはり波乱に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実を言うと、若獅子戦開催に当たりいくつかの批判があった。

もっとも多かったのは、暴力を肯定するのかというものだ。

暴力を見世物にし金を稼ぐなんて野蛮極まりない。即刻中止しろと。

その批判自体はいくらでも予測できたことである。九鬼家としてもテンプレートな解答を用意し受け流してきた。

しかし、予選の組み合わせが発表されてから別方向からの批判を受けるようになってしまった。

メッシ、イスマイル、ミスマ、セルゲイと言った世界に名だたる優勝候補がFグループに固まってしまっていたのである。逆に義経や弁慶、与一は綺麗に分かれていた。

九鬼が恣意的に組み合わせを決めたのではと疑われても仕方がない状況だった。

 

実際九鬼従者部隊の会議でも議題にのぼった。

世間から批判を受けるのも何だから、もう一度やり直したらどうかと。あずみは内心舌打ちした。

昨今、九鬼では若手中心の組織作りが行われている。その煽りを受け、あずみも序列一位を任じられているのだが、この会議も若手だけが出席するものだった。集まった従者たちは中でも選りすぐりである。にも関わらず、肯定する意見が多くあった。なぜこうも流されやすいのだろう。

胆力が足りないのか批判を極度に恐れているのか。世間の顔色を気にしすぎる点は、あずみとしても以前より気にかかっていた。

「批判されるのが嫌だからやり直すのか? そんなの本末転倒だろうがボケ!」とあずみが一喝し、リーやステイシー、桐山がそれに賛同したこともあり、結局手を加えずに発表されたのだが、懸念通り批判が続出した。

それ見たことかと我が物顔を何度か見た。癪に障る。この程度の批判ぐらい受け止めて見せろや若造が。あずみの短気がこれでもかと発揮され、しばらくその若手は地獄を見たと言う。

 

「ま、それも今日までだ」

 

あずみは呟いた。九鬼が操作したとか言う批判だか噂だかも今日で陰りを見せるだろう。

優勝候補だか何だか知らないが、そいつに勝てるもんなら勝ってみろ。

その瞬間九鬼が囲い込みに行く。薔薇色の将来は間違いない。保証したって良い。なんなら全財産賭けるぜ?

 

「む、何か言ったか? あずみ」

 

「いいえなにもっ☆」

 

「そうか。……む、来たぞ!」

 

ビップ席に座る英雄は、リングに出てきた選手を見て思わず立ち上がっていた。

あずみは英雄が子供のように興奮している様子にときめきながら、心の中でエールを送る。

 

――――ガタガタうるせえ奴ら早く黙らせろ。お前の十八番だろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽の子・メッシ。

広く世界に知られている格闘家である。

年はまだ若く、伸びしろもあわせて将来を有望視されている。

現時点で、若獅子戦に出場を決めた瞬間から優勝候補と言われるほどの実力であり、実績も十分だった。

 

そんな彼の一回戦の相手は日本の学生。実力はまったくの未知数。名前を調べても何も出てこなかった。少なくとも大会で優勝した経験は無いようだ。

 

熱心に柔軟体操する少年を見て、メッシは力量を測りかねていた。油断ならぬことは分かる。だが実際どれほどのものか。かつて百代に一撃で敗北したあの日から、メッシは鍛錬を積み、その実力をさらに伸ばしていた。

積み重なった経験や元の才覚は、今や相手の実力をある程度測れるほどに高まっている。

 

だが、この少年は見抜けない。

川神百代のように恐怖で身体がすくむほどではない。

義経のように武者震いがするわけでもない。

ならば弱者か? ……否。

メッシの勘はそれを即座に否定した。

間違いなく強い。だが分からない。測れない。

今までにない経験だ。強者は皆、自分の強さを誇示する。強ければ強いほど如実になる。ある種挑戦者に対する礼儀みたいなものだ。その点、この少年は……。

 

「二人とも準備はいいネ?」

 

ルーが二人を促す。

メッシは無言で頷いた。

少年は「うーい」と気の抜けた返事をする。

 

「では――――」

 

メッシは身体中の気を集める。

座禅を組んだ姿勢で空に浮かんだ。明らかな攻撃の予備動作だが、ルールに抵触してはいない。言うなれば銃を向けたり刀を抜くのと同じことだ。

 

「レディ・ゴー!」

 

そして合図と共に空高く飛ぶ。

高く高く、どこまでも高く。太陽を背に、高高度からの急降下。その一撃は巨岩を割り、地を裂き、神に届く蹴りである。

川神百代を倒すため、昇華させた技。鎧袖一触初見で崩された技を、さらに強く、さらに速く、さらに高度に。

とっておきの切り札を、まさか一回戦から繰り出すことになるとは思わなかった。だが用心に越したことはない。誇りに思え、私に倒されることを!

 

「キエエエエエエエエエエェェェェイィッ!!!!!!!!」

 

絶叫が会場に木霊する。

急降下するメッシの目に、顔の前に手をかざす少年が映る。

太陽を背にしているから目が潰されているのだ。決まった!

 

メッシの確信。

それはいよいよ蹴りが届こうと言う刹那、瓦解する。

横からの衝撃は、メッシの喜色満面の顔を苦悶の表情に歪ませ、吹っ飛ぶことを余儀なくされる。

きりもみ状に回転し、何度かリングの上を弾み、リングから落ちたところでようやく止まる。――――ピクリとも動かない。

 

「リングアウト!」

 

ルーは律儀に宣告して確認に向かったが、近づくまでもなく勝敗は見えていた。

すでに仕事を放棄したヒュームは「ふん……」と鼻を鳴らす。

 

「鍛錬は続けていたようだな」

 

ヒュームの目には刹那の攻防が良く見えていた。

メッシの攻撃が当たる直前、少年――――工藤はカウンターで蹴りを放っていた。

それは高高度から落下してきたメッシより速く、鋭く、強かった。

 

メッシもまさか目の前の若造がそれほど強いとは思っていなかったのだろう。

初撃に最強技を放つのは良い判断だったが、油断が過ぎたな。

 

ヒュームは訳知り顔で獰猛に笑う。

工藤はそんなヒュームにしっしっと手を振った。

 

「試合中に審判が話しかけてくんな」

 

「だが甘い。あの程度の赤子、俺なら空に逃がすことなく一秒で片づけていた」

 

「すみませーん。審判が邪魔してきまーす!」

 

メッシの容体を確認しているルーが「ちょっと、仕事してくださいネ!」と怒り、ヒュームはまだ確認を終えてもいないと言うのに勝手に宣言した。

 

「メッシ戦闘不能! 勝者、工藤祐一郎!」

 

「気絶確認ぐらい待てや。いい加減殺すぞ爺」

 

「知れたこと。俺にかかれば気の揺らぎで判別できる。わざわざ確認するまでもない」

 

「そんなんこの場の三人誰でも出来るんだよ。わざわざ確認する必要性を考えろよ。……ルー師範代、あの審判クビにした方がいいっすよまじで」

 

「んー。私一人じゃちょっと偏っちゃうからネ。だいたいこの人はいつもこんな感じだヨ。君も慣れた方がいいネ」

 

「こんな私情ましましな審判いてたまるか……。おい、試合中に喧嘩売って来ねえだろうな? したら殺すぞ」

 

「ふっ。弱い赤子ほどよく吠える……」

 

「ルー師範代、ちょっと目をつぶっていただいて。大丈夫すぐ終わります。なんなら一秒かかりません」

 

「はいはい、二人とも子供じゃないんだから喧嘩しないでヨー」

 

三人のやり取りを尻目に、メッシ一回戦敗退の報は世界を駆け巡った。

その一大ニュースに埋もれ、九鬼が予選の組み合わせを操作したと言う噂は加速度的に薄らぐことになる。

あずみはしめしめと悪どく笑った。



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四十一話

お知らせです。
十二話を加筆修正しました。
展開自体はさほど変わりなく、以前より気にかかっていた部分を修正するついでの加筆です。
全体的に工藤君の意地の悪さが強調されました。
この加筆で矛盾点等ありましたら、感想などでお知らせください。


順調に勝ち進んでいる。

試合を終えた直後、選手控室にて工藤は一人思う。

 

すでに試合も大半を消化した。残すは数試合。この調子だと日が暮れるまでに終わるだろう。

最初は溢れんばかりに人の往来があった控室も、今はすっかり閑散としている。敗者は医務室か、あるいは自分の足で帰って行った。もう自分以外には誰もいない。

自動販売機の小さな駆動音、扉の外から微かに聞こえる人のざわめき。

一人だけ外界から隔絶されてしまったような気分に陥りかけたのを、スポーツ飲料でのどを潤すことで紛らわす。

次の試合までまだ少し時間がある。やることがないからこんなことを考えるのだ。暇つぶしもかねて、ここまでの道のりを振り返ってみた。

 

準々決勝まで来た。順調な道のりだった。この間然したる強敵はいなかった。

ネット界隈で激戦区とも評されたFグループ。しかし蓋を開けてみればこんなものである。

下馬評では優勝候補がたくさんいた。その内何人かと当たったが、すべて蹴り一撃。

まあ、こんなものだろう。ある程度予測された結果だ。

飲み干したペットボトルをゴミ箱に投げいれる。上手いこと入った。間の抜けた軽い音が聞える。

 

それから椅子に座って溜息を吐く。今の自分の気持ちを率直に表に出すならば、つまらないの一言だった。

世界中から強者が募ったはずの大会で、ここまで本戦に出場を決めた面子を見るとそのほとんどと面識がある。

何という狭い世界か。自分の周りだけで世界が完結しているなどと、おこがましいことは思わないし思いたくもない。だがこの結果を目の当たりにしては少々の悲観を抱かざるを得ない。

九鬼家の爺共のどうでもいい諦観が移ってしまったか。ここ最近は依頼を受けることが多かった。しかし影響を受けるほど高尚なものでもないはずだが。

そもそも優勝したくてこの大会に出たわけではない。どこぞの武神様のように強者との出会いを求めている訳でもなかった。

これはもう致し方ないことだと割り切る他ないのだ。

 

壁に張られている対戦表を見る。

勝ち残っている選手の名前を指でなぞった。この内、あと二人倒さなければならない。

剣華は無事に本戦への出場を決めた。

与一と当たると知ったときは心配したが、さすがに杞憂だった。弓使いを相手にあの距離では話にならなかった。

あとは本戦の組み合わせ次第だ。できれば一回戦で当たってくれれば嬉しい。組み合わせはAIで自動で行われるらしい。そこにちょっと小細工できればいいのだが。

 

工藤は少し真面目に悪だくみを始める。

機械には明るくないのが難点だ。協力者が必要になる。

九鬼で内部工作に勤しめる人間に心当たりは一人しかいないが、もうあの人になにか頼ることはないだろう。となると他に思い当たる人間はいない。この時点で悪だくみは計画倒れに等しい。考えるだけ無駄か。

 

扉の外から一際大きく歓声が聞こえる。

前の試合が終わったようだ。

 

準々決勝。ここを勝って次を勝てば本戦決定。

さて、相手は誰だったか。

対戦表に目を向ける。確か、板垣――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

準々決勝の相手は板垣竜兵。

180ほどの長身。鍛えているようだが、肌はやけに色白い。

指輪やネックレスなど貴金属をジャラジャラさせて、頭の上にはサングラスをかけている。

彼は一目見てヤンキーだった。こんなのがここまで勝ち進めるとは、よほど喧嘩が強いに違いない。武術の心得はあるのだろうか。

少なくともそんじょそこらの不良とは一線を画すことは、一目見て分かった。わずかにだが、闘気を纏っている。

 

「よう」

 

リングの中央で向かい合ったところ、竜兵は工藤に気安く話しかけてきた。

大会の最中、それも対戦の直前ではかなり珍しいことだ。

工藤は少し考えて返事はしなかった。

別にどう応えようと何ら問題もないのだが、あえてしなかったのはその必要性を感じなかったからだ。

 

「無視かよ……。まあ、いい」

 

鼻で笑った竜兵は緩慢な動作でジャケットのジッパーを下ろす。

脱いだ下には誰しもの予想通り筋骨隆々の身体があった。左腕に走る入れ墨はアウトローの証である。

 

11月なのにタンクトップ一枚は明らかに寒い。

工藤は秋風に吹かれる竜兵を憐れんで眉を寄せた。ついでに学生服の襟も寄せて身を縮ませた。

当の竜平はそんな工藤を捕食者のような目で見ている。

二人の歯車は絶妙に食い違っていた。どちらも自分こそが格上だと思っている。これから行われるのは試合とも呼べぬものだ。一方はそれを喧嘩と呼び、一方は軽い運動とでも呼ぶのだろう。どちらが正しいかはこれからわかる。

 

「前の試合見てたぜ。随分強そうじゃねえか」

 

「……」

 

「俺は自分のことを強いって思ってるやつを屈服させるのが好きなんだよ。コテンパンにぶっ潰して慰めんのが得意でな。……この後、時間空いてるか?」

 

「……」

 

「無視すんなよ」

 

「……」

 

竜兵は舌打ちした。

工藤はどこまで行っても何も言わなかった。

嘗めてんのかと竜兵は忌々しく睨む。工藤は無表情で視線を返した。そこには不気味なほど感情の起伏がない。

睨み、見つめ、わずかばかり時が過ぎる。

ルー師範代が始まりを告げた。

 

「では、始めるヨ」

 

竜兵の構えは素人臭さが漂っている。握った拳に応じて腕の筋肉が膨らむのを、工藤はただ見ていた。

 

「Fグループ予選準々決勝、レディ、ゴー!!」

 

先手を取ったのは竜兵だ。苛立ちをぶつけるように突っ込んでいく。

ご自慢の右ストレート。いけ好かない対戦者の顔面に叩き込もうと突進する。

工藤は振りかぶられた拳を見、当たる寸前に一歩下がった。

後先考えない大振りである。外せば体はガラ空きだ。そこに蹴りを叩き込めばいい。

 

読み通り、竜兵の拳は空を切った。

変に玄人染みたステップのせいか、工藤が予想したよりも拳は大きく伸びたが、結局紙一重で避けている。

 

ぶんと風を切る拳を見送って、さあ蹴ろうと工藤は重心を片足に移す。

その最中、ニヤリと笑う竜兵の顔が見えた。

 

「おらぁっ!!」

 

直後、竜兵は両足に力を込めてタックルをかます。

空ぶった体勢のまま、肩を起点に身体全体で工藤にぶつかりに行く。

 

180センチの巨漢。それも筋肉の塊による突撃に、さすがの工藤もたたらを踏んだ。

追撃は密着した状態でのエルボー。渾身の力で打ち込んだ。

ガードはなかった。真面に入った。手応えはありすぎるほどある。

 

――――こりゃあ決まったか?

 

ここまで工藤の油断につけ込んだ猛攻。全て板垣家の保護者もどきである釈迦堂刑部の入れ知恵であった。

「お前じゃぜってえ勝てねえよ」と断言され、「やってみなきゃわかんねえだろっ」と反発し、最後は姉の言葉に従う形で渋々聞きいれたが、おかげで面白いぐらい上手くいった。それだけ嘗められていたというわけだが、おかげで今大会で初めて工藤に攻撃を決められてもいる。

 

――――次は……左だな。

 

釈迦堂が具体的に教えたのはここまで。後は完全にアドリブだ。

勢いを途切れさせるなと言う指示の元、次は左腕でぶん殴ろうと決める。

だがここで一つ、竜兵のミスである。

 

釈迦堂の言い分では、どう攻撃してやろうかなどと考える暇はない。息切れてなお猛攻を仕掛ける必要があった。それでようやく1000回に1回、もしかしたら勝てるかもしれない。そう言った。

だと言うのに、竜兵はそれを聞いていなかった。あるいはあまりに上手くいったため慢心したか。

どちらにせよ、ほんの一瞬の間も開けずに攻撃を続けるか、もしくはいったん距離を取るべきだったのだ。

なぜなら――――。

 

「なんだ、終わりか?」

 

――――竜兵の攻撃はまるで効いていないのだから。

 

その声が聞えた直後、竜兵の腹に膝がめり込んだ。

口いっぱいに酸っぱいものがこみ上げてくる。膝をつきそうになるのを必死に堪えた。

次いで、額に掌打。

たった一撃で竜兵は仰向けのままリングの端まで吹っ飛ばされた。

 

「ちっくしょう……」

 

一瞬で形勢が逆転した。

無様に空を見上げる自分。あまりに不格好で思わず悪態が漏れる。

視界が回っている。立とうにもすぐには立ち上がれない。頭を揺さぶられた。この分ではダウンでカウントを取られる。10カウントまでに立てばいいし立てるだろうが、地面に倒されたのは屈辱だった。

 

竜兵は喉元まで込み上げていた物を怒りと共に飲み下す。

今は束の間回復する時間が欲しい。

そのために身動ぎひとつせず、ダウンと言う屈辱に塗れることを許容した。

沸騰寸前の怒りは大事に育てよう。怒りはドーピングであり推進剤にもなる。これを爆発させる時が工藤を倒す時である。この屈辱は100倍にして返す。

 

その様子を眺める工藤。竜兵の思考を読み取ったわけではなかったが、すぐさま立ち上がれるだけの余力があることは感じ取っていた。ゆえに、竜兵がルールにのっとって態勢を立て直そうとするのを見過ごすのは、何となく憚られた。

 

どうせカウントをとったところで、ギリギリ立ち上がるのは目に見えている。攻撃はしたがそれも軽く打っただけだ。もしそれで終わりなら拍子抜けもいいところだが、嬉しいことに竜兵の目の闘志は依然ぐらぐらと煮えたぎっている。

この状況でむざむざ見逃がすのはなんか違う気がする。見逃したくない。戦う気あるなら追撃したっていいじゃないか。

しかし規則ではダウンした相手への攻撃は禁止されている。だがまだルー師範代はダウンを宣告していない。ならばルー師範代が動く前に追撃すればいいのでは? よし。

 

「さっさと起き上がらないと踏みつぶすぞ」

 

いつの間にか傍らに立つ工藤が、持ち上げた足で顔を踏みつけようとする。

頭が揺れてるなどと言っていられない。竜兵は慌てて起き上がった。距離を取ろうとリングの上を転がり、途中背中を強打されリングの外に叩きだされそうになる。

 

「ちくしょうがっ!!」

 

リングを拳で叩き、リングアウト寸前で押し留まった。

顔を上げると、悠々歩く工藤が手を伸ばせば届く距離で立ち止まったところだった。

 

「けっ。趣味の悪い野郎だ。弄り殺そうってか? あぁ?」

 

「いや? 今まで戦った中じゃあんたは一番強い。それだけだよ」

 

「……なんだ話せるじゃねえか。てっきり根暗野郎かと思ったぜ」

 

「俺にとっては言葉も武器なんだ。可哀そうだろう? 試合前から弱っちゃうのは」

 

「いや、意味わかんねえわ」

 

竜兵は立ち上がり工藤を睨む。

うっすら笑う工藤に怖気が走るのを止められない。

すでに背中はこれでもかと冷や汗をかいている。

 

――――つえぇ……。たしかに、こりゃあ俺じゃ厳しいか。

 

元より釈迦堂の言葉を疑うつもりはなかった。姉妹が尊敬する武の師匠なのだ。その実力は竜兵も認めるところである。

だが、戦う前からそうだと言われ認められるほど聞き分けがよくはなかった。無頼を自負する彼は、むしろそう言われることでやる気を出すタイプだった。

勝つ気満々でリングに上がった。対峙してもその気持ちは変わらず、攻めている最中は大したことないとすら思った。一転反撃を食らって、ようやくわかった。絶対勝てない。

 

「なるほどなあ……お前滅茶苦茶強えな」

 

「ありがとう。で?」

 

「ああ……俄然やる気出てきたわ」

 

パキッと拳を鳴らす。

竜兵は自分の置かれている状況をきちんと把握していた。

一歩下がればリングアウト。即失格ではなくカウントを取られるが、一度落ちれば二度と戻って来れそうにない。目の前の男はそんな甘いこと許しはしないだろう。

かと言って、前方には大きすぎる壁。断崖絶壁すぎてほとんど行き止まりと言って良い。

これを乗り越えなければ勝利はないが、天辺すら見えない。乗り越えられるはずがない。竜兵は工藤と当たった時点でほぼ詰んでいたのだ。

 

この状況を正しく認識している竜兵は、それでいてなお意気軒昂。

むしろ気力は先ほどより充溢している。工藤はいささか感心しながら一つだけ訊ねてみる。

 

「棄権したっていいんだぜ」

 

「棄権? は、御免だな。俺は無頼よ。負けを認めちゃそこで死ぬ。生き残るにはただ一つお前をぶっ殺すのみ」

 

「お前にそれが出来るって?」

 

「出来る出来ないじゃねえ。するんだよ」

 

「なるほど」

 

手を伸ばせば届く距離である。

固く握った拳を振り上げ、力を溜める。工藤は涼しい顔をしている。気に入らねえ。そのすまし顔も、俺ごときどうとでも出来るって自信も、こいつの全てが気に入らねえ。こいつは俺が叩き潰す。今、この場で。

 

今にも殴りかかりそうな竜兵を前に、工藤は最後に訊ねた。

 

「名前なんだっけ?」

 

「……板垣竜兵。覚えておけ。お前をぶっ殺すダブルドラゴンの片割れだ」

 

拳が放たれた。

先ほどよりも大振りで、それでいて鋭い一撃だった。

その拳の鋭さに工藤は目を見張った。実に素晴らしい。武道の心得はないだろうに、よくぞここまで上りつめた。

工藤は心の中で率直な称賛を送り、それはそれとして、当初の予定通りカウンターで蹴りを放つ。

拳が届く前に爪先で竜兵の顎を蹴り上げた。手ごたえは十分以上。死なない程度に手加減している。

ガクッと竜兵の身体から力が抜け、その場に倒れた。

 

即座にルーが駆け寄るが最早勝敗は明らかだ。

戦いの余韻に浸りつつ、意識は違うことに向けられる。直前の会話で気になることが一つあった。

 

「ダブルドラゴン……」

 

呟いた声は観客の悲鳴に掻き消された。

工藤は倒れた竜兵を見、それから観客席に目を向けた。

「ぎゃーっ!!!??? リュウーーー!?」と一際うるさい集団がいる。

一人は本戦出場を決めた板垣天使。騒いでいるのは主にこいつだ。もう一人はB予選でマルギッテに敗れた板垣亜巳。その棒術はなぜか川神流であったが、見事な棒捌きであった。敗れはしたが惜しい戦いだった。三人目は、現在工藤と同じくF予選を勝ち抜いている板垣辰子。

もし、次の試合で辰子が勝てば、二人は準決勝で戦うことになる。その実力は、工藤から見てもはっきりとは分からない。

 

工藤を見つめる辰子。辰子はどこかむっとした顔をしている。

苗字からして家族のはずだ。弟か兄か知らないが、家族を倒されたとあればその反応ももっともである。

 

工藤はもう一度竜兵を見やる。

以前、鉄心からこんな話を聞いた。

100年ほど前から、強い女は東に生まれ、強い男は西に生まれる。そんな傾向があると言う話だ。

 

もちろんあくまで傾向の話であるから、東に強い男がいても不思議じゃないし、西に強い女がいてもおかしいことなど何もない。丁度松永燕が西の強い女ということになる。

だが、そう言う傾向があると言うのもまた事実。そのことを思えば、嫌が応にも期待は高まる。

 

――――板垣辰子。お前はこの男よりも強いか?

 

板垣竜兵は強かった。さすがに今までで一番強いと言うのは嘘だが、二~三番手には入る。

これより強いと言うのなら、もう何も言うことはない。存分に戦おう。

 

ルーの勝利宣言を聞きながら、工藤は期待が高まるのを自覚する。

これではヒュームも百代も笑えない。だが仕方ない。武人の性である。

あと一つ。さて。楽しめるかな?




試合後、ルー先生に厳重注意を受ける工藤君


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四十二話

Fグループ予選準決勝。

勝てば本戦出場決定と言う大一番。

ドームの中、歓声が雨霰と降り注ぐ。

その熱量は通常の武道大会とは一線を画していた。

 

ここに至るまでに目ぼしい有力選手はすべて敗退していた。

当初観客が期待していたのは、優勝候補たちによるしのぎを削る決闘である。

だが蓋を開ければまるで違う。全ての選手は鎧袖一触叩き潰された。

 

――――工藤祐一郎。

 

聞いたこともない名前だ。武道家マニアであっても彼のことはなにも知らない。

彗星のように現れ、他の追随を許さぬ圧倒的な力を見せつけた。

試合数が進むごとに、観客は彼が勝つのが当たり前だと思い始めた。

素人目でも明らかだ。彼が今大会で未だ本気を見せていないことは。

 

期待の新星と対峙するのは同じく新星、板垣辰子。

女性にしては長身。見るべきは豊かな胸周り。それ以外は華奢だが、彼女もまたその細腕で優勝候補の一角を屠っている。

審判のルーですら一目見て強いと判断するほど。潜在的な能力は簡単に壁を越えて行くだろう。

ゆえに惜しいと思った。ここまでの彼女の立ち回りを見れば、武道の心得がないことは一目瞭然なのだから。この大会が終わったらスカウトしてもいいかもしれない。そう思うほどにルーは彼女のことを高く評価している。

 

「さて、いよいよだネ」

 

しかし、いかに彼女が逸材でも今はともかく審判の仕事である。

スカウトの件は一旦頭の隅に追いやり二人に問いかける。

 

「ここまで来たからには、二人とも悔いのない試合をするんだヨ」

 

「はい」

 

「……」

 

工藤は頷き辰子は答えない。

気分でも悪いのかと訝しむが、緊張している様子ではない。その目は一心に工藤を見ている。

相対する工藤は愉快そうにしていた。工藤も分かっている。目の前の少女がとんでもない逸材だということに。

 

「いいかい、くれぐれも頼むヨ」

 

「なにがですか」

 

「君なら分かっているはずだネ?」

 

工藤は肩をすくめる。

彼が若い芽をつぶすような真似を好まないのは知っているが、一応念のため釘を刺しておいた。

場合によってはやりかねない。その疑念がある。

 

「さあ、始めるヨ」

 

いよいよその時が来る。

だと言うのに、二人は構えなかった。工藤はここまで全試合構えていない。

大体の場合で後手に回り、攻撃してきたところをカウンターで倒すのが定番となっている。それだけ余裕があるということだが、工藤のそう言う態度をルーは少し残念に思っていた。

 

「準備はいいネ? いくヨ。――――レディ、ゴー!」

 

開始の合図と共に辰子が疾風のように駆け抜けた。

ルーは完全に虚をつかれてしまう。今までの試合のどれよりも速い。自分ですら気を抜けば反応できないほどに。

 

速攻を仕掛けた辰子は目と鼻の先まで近づいて、工藤を掴もうと左腕を伸ばしてくる。

何が狙いだろうと工藤はその動きを観察する。しかし本当にただ伸ばしただけのようだ。掴むだけかと工藤は拍子抜けした。

 

正直に言って、その動きはとても単調。速さに目を瞑れば小さな子供が手を伸ばすのと大差ない。何より工藤にはその程度の速さは意味がない。

 

「はいよっと」

 

伸ばされた腕を逆に掴み、がら空きの側頭部に蹴りを叩き込む。思ったよりも手応えがあった。重い。石を蹴ったような感覚。足を振り切ることが出来ない。思いのほか体幹がしっかりしているようだ。

 

「どっこいせぃッ!」

 

しかし必殺でこそないが威力は十分乗っている。途中からさらに力を加えた。

人体から鳴ってはいけない重たい音が響き、辰子はふらりと揺れた。けれど足元はしっかりしている。倒れるほどではないのだろう。脳震盪ぐらい起こしてもいいはずだが、これはもしかしてあまり効いてないか?

 

辰子の様子をつぶさに観察しながら、工藤は辰子の手を放さないままでいた。これさえ握っていれば相手は離れようにも離れられない。互いが互いの間合いの内だ。攻撃を誘発することにもつながるだろう。

 

辰子は一歩二歩よろけ、歯を食いしばりギンッと工藤を睨んだ。その目に憎悪がぐつぐつと煮えている。前の試合で弟をぼこぼこにされた恨みである。常人なら思わず動きを止めていただろう。だが工藤は意に介さず、鬱陶しいとばかりその額に蹴りを打ち込む。

 

「ほれ、どうした。睨む余裕あんのか?」

 

「うぅ……がぁ!!」

 

一瞬怯み、だが果敢に立ち向かう。

相も変わらず左腕は掴まれたまま。振りほどこうにも振りほどけない。だから右腕を伸ばす。愚直なまでの姿勢である。掴むことが出来れば何とかなる。そう言っているようだった。

 

怪力自慢なのだろう。どれほどのものか興味があるが、馬鹿正直に食らうほど愚かではない。

工藤は迫る前腕を蹴り上げた。辰子は痛みで顔を歪め、一瞬動きが止まる。

その隙を見逃さず、ついには掴んでいた腕を離し、回し蹴りを放つ。

 

今度は振り切った。辰子は耐え切れず横向けに吹っ飛んだ。

投げ出された身体は受け身すらとれないまま地面に倒れた。

耐久力とパワーには目を見張る物があるが、それ以外は素人そのものだと工藤は思う。

 

「うぅ……」

 

苦悶の声を漏らす辰子。

ルーは大事ないと判断したようだ。立つ気があるならば立てるだろうと。

問題は気力である。工藤の攻撃にすっかり心が折れたならば止めてやるのが優しさだ。ルーはカウントを開始した。

 

「ダウン! ワン……ツ―……」

 

カウントを聞きながら、黙って辰子を見つめる工藤。一連の攻防で彼が抱いたのは違和感だった。

がむしゃらに突っ込んできたのは良い。ひたすら掴みかかろうとしたのも長所を考えれば納得できる。だがなぜ防御しない? 一番初めの蹴り。二回目の額蹴り。三度目の回し蹴り。すべてガードしようと思えばできたのではないか? 受け身すらとらないのはどういう理由だ?

 

膨らむ疑念に、目の前の少女は答えてくれない。

これで終わりならそれでもいい。スッキリしないが、そもそも目的は本戦に出場することなのだから。

 

工藤はルーのカウントに集中する。

ファイブ……シックス……セブン……。

 

「辰ッ!!」

 

その声は観客席から聞こえてきた。

予想以上に近い場所から聞こえてきた。見ればほど近い場所。

落下防止用に設置された欄干から身を乗り出しながら、板垣亜巳は辰子に言い放つ。

 

「本気でやりなッ!」

 

そう言った直後に亜巳は警備員に羽交い絞めにされた。

「気安く触るんじゃないよ!」と逆切れしながら、工藤に勝ち誇るような笑みを見せた。

訝しみながら亜巳が連れて行かれるのを見つめる。

リングの中央から莫大な量の闘気が噴き出したのはその直後。

 

「こ、これは……!?」

 

「ほう」

 

ルーとヒュームがそれぞれ驚く。

 

この時、川神市に集う壁越えの実力は全員がこの闘気を感知した。

ある者はありえないと呟き、ある者は驚愕に空を仰いだ。

かつて武神と呼ばれた川神鉄心は鬚を撫でながら彼方を見やる。

 

「……ま、ヒューム居るし大丈夫じゃろ」

 

遠く離れた達人にすら存在を知らしめたその闘気は、ドーム内全ての視線を集めた。武道家や観客の区別すらなく釘づけにする。素人目で見ても異常なほどの闘気が、板垣辰子から噴き出していた。

 

ゆったりと立ち上がる辰子にルーが息を呑む。

――――ここまでとは……!

 

潜在能力だけではない。まさかすでに壁を越えていたとは。

まさしく原石。何一つ練磨されていない状態でこれほどの存在感。磨けばどれほど光り輝くことだろう!

 

驚愕を隠せないルーを尻目に、ヒュームもまた思わぬ強者の出現に喜びを隠せなかった。

出来ることなら、この俺自ら戦いたい。動きは素人。無駄が多い。だが、手合せする価値がある。世界最強にそう思わせるほどの圧倒的闘気。うずく身体を抑えるのに苦労する。

 

「リュウちゃんを……」

 

獣の様な低い唸り声。

理性が吹っ飛んでいると言われても疑う者はいないだろう。そんな声だった。

 

「リュウちゃんをォ……!」

 

なおも溢れ出る闘気はコントロール出来ていないようだ。

ただ腕に集めることは出来ている。それ自体はおそらく無意識だろうと工藤は当たりをつける。だからこそ、目いっぱい集まっているあの腕は一切手加減なしに違いない。普通に捕まったら卵みたいに割られるかもしれない。

 

「リュウちゃんを傷つけたなぁァ!!」

 

咆哮と共に駆け出した。当然だが速度は先ほどより速い。

取りあえず、工藤はさっきより鋭くカウンターを打つ。

辰子は顔を狙った蹴りに反応し、今度はきっちり腕でガードする。しかし防御されたならそれごと打ち抜けばいいだけのこと。

 

突如重圧の増した蹴りを受け止めきれなかった辰子は横に吹っ飛んだ。土煙を巻き上げながらリングを外れ、壁に当たってようやく止まる。

ズルズルと崩れ落ちる姿は痛ましさすらある。しかし闘気は微塵も減っていない。まだまだ元気である。割と本気で打ち込んだ工藤にとっては嬉しい知らせだった。この分では手加減無用で戦える。

 

「突っ込むことしか出来ないのか? お前」

 

取りあえずそう言っておいたのは、工藤なりの助言のつもりであった。

 

 

 

 

 

 

 

それから二度、辰子は突っ込み工藤は迎撃した。

計三度の攻防で分かったことは二つ。繰り返すごとに辰子の動きはキレを増しており底が知れない。そして工藤の攻撃はあまり効いてないということだった。

 

特に三度目の蹴りはなんの手加減なく本気で打ち込んだ。しかも相手方の勢いが多少なりとも加わるカウンターである。だが、結果ほとんど効き目なしと言うのは、工藤にとっても予想外であった。

 

実力の分析に努める工藤の目の前で、三度リングに上がる辰子は今までの攻防で多少頭が冷えたようで、がむしゃらな突撃は一旦止んだ。

 

束の間平和が訪れたリングの上で、工藤は頭を捻る。

 

――――どうしたもんかね。

 

空を仰ぎ見ても答えは浮かばない。

本気で打ち込んで効果がないとは思わなかった。一方、相手の攻撃力は未知数だ。

一度捕まれば、もしかしたらそれだけで終わりかもしれない。

 

そうやってつい弱気に考えてしまった自分自身に苦笑する。

肌に感じる闘気は壁を越えている。耐久力は群を抜き、まだ見ぬ腕力は考えるだに恐ろしい。

予選でここまでの強敵と見えるとは、運が良いのか悪いのか……。いや、きっと良いのだろう。

 

苦笑している間に平和な時間は終わった。

辰子は捕まえることを諦めたらしく殴りかかってくる。

 

腰の入ったパンチは多少覚えがあるように思うが、武道家のそれには遠く及ばない。

荒削りの原石だ。どこまでの素質を秘めているのか、回避しつつそれを見極めることのなんと甘美なことよ。

 

激しい攻防を繰り広げる中、工藤はすでに一撃で倒すことを諦めていた。どれだけ打っても効かぬ以上、そうせざるを得ないわけだが、代わりに足に細かく打撃を集中させる。

相手の攻撃力がどれほどのものか想像すらできない。一撃食らって様子見などと余裕を持てる闘気ではない。自然と攻撃は速さに重きを置き、身体は後ずさり気味になった。

 

そうなると辰子が前のめりになるのは分かり切った事だった。

 

「はあぁっ!」

 

組み合わされた両拳が鉄槌のように振り下ろされる。

衝撃と轟音。土ぼこりが舞う。

攻撃の後、リングは凹み、砕けて、跡形もなかった。

 

――――ダイナミックですこと。

 

観客のざわめきが工藤の耳にまで届く。

 

段々と辰子の攻撃から容赦がなくなっている。

不良殺法とでもいうのだろうか。決まった型もなく子供の喧嘩のように力任せに繰り出される蹴りや拳。そのどれもが当たったらただではすまない威力だった。

 

自由にのびのび戦わせてしまっている。

一発食らえば吹っ飛ばされていたのと打って変わり、工藤がコンスタントに当てるようになった。辰子にとって警戒する必要が薄れたのが一因だ。

溜めの隙も、攻撃後の硬直も、工藤の攻撃が脅威ではないのなら何の遠慮もなく攻めることができ、防御を気にする必要はないのだから。

 

とは言え、どれほど気にしなくて済むとは言えど、小さなダメージは着実に蓄積している。

攻撃を当てるのが先か。蓄積したダメージが限界を超えるのが先か。勝負の行方はさながら我慢比べになっていた。

 

――――まあ、7割ってところか。

 

心の隅で導き出した結論。勝率7割。そんなところだった。

最低7割の確率で勝つ。相手は舞台を削り飛ばすほどの腕力。しかし大振り故に躱すのは容易だ。

このまま足を攻撃し続ければ、いずれ板垣辰子は立つこともままならなくなるだろう。そこに達する確率が7割。十分だろうか。

いや、そんなことはない。

 

――――7割……7割かよ。なんだそれ。

 

最初はほぼ10割の確率で勝てると思っていた。

辰子の実力がイレギュラーだったとはいえ、裏を返せば3割の確率で負けてしまう。

工藤から見ればその動きは赤子同然。才能だけの人間に、10回戦えば3回負ける。なんと情けない。

 

そもそもなぜ負ける?

手加減しているからだ。いつまで手の内を隠すつもりか。

今闘気を節制したところで、本戦では否応なく本気で戦わなくてはいけない。

今まで決勝に進出した面々を思い出す。

 

義経。弁慶。黛。石田。川神。フリードリヒ。マルギッテ。そして剣華。

強い人間を挙げればこれだけいる。その内脅威と思える人間は二人だけだが、戦うことになれば手加減にも限度がある。少なくとも闘気を節制出来る相手は数えるほどしかいない。

 

つまり、余裕ぶっていられるのも今の内だけだ。

余裕綽々で予選を抜けたところで、一か月後には本気で戦うことになるのに、一体何をやっているのだろう。

 

「はッ……」

 

自嘲が漏れる。

そうだよな。意味ねえよな。馬鹿なことやってたよ俺。

こんだけ強いのに、本気で戦わずに7割で勝つとか、そんなの失礼だよな。10割勝てるんだから、普通そうするよな。

おーけーおーけー。俺が間違ってた。

よし。じゃあ、本気でやろう。

 

工藤が唐突に動きを止める。

辰子はその顔に拳を叩き込んだ。衝撃波が走った。

観客は息を呑み、審判はただ見守っていた。

 

「――――なるほど?」

 

辰子の拳を受けて、吹っ飛びもせずその場にとどまる工藤。

辰子でさえ一瞬動きを止めた。工藤は不敵に笑って辰子に告げる。

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

工藤の身体から気が放出され突風が吹き荒れる。

溢れ出した闘気はドームを包み空を覆った。

武の心得のない大半の観客でさえ、目に見えない何かが肌を突き刺す感覚を覚えた。

 

規模で言えば辰子と同程度。しかし練磨された闘気は見る者すべてに死の予感を与える。冷酷無比な冷たい闘気だった。

 

拳を振りかぶった工藤に一拍遅れ、辰子も拳を振り上げた。

二人の拳がぶつかる。込められた闘気の凄まじさは衝撃波となって周囲を破壊する。

拮抗は一瞬。次の瞬間には辰子は吹っ飛ばされていた。大砲のような重たい音が響き、リングは粉々になる。

 

二度、三度と辰子の体がバウンドし壁にあたって止まる。ずるずると崩れ落ちた後、指一本動かさない様子を見て、ルー、ヒューム共に試合の終わりを悟った。

 

「勝者、工藤!」

 

ヒュームが宣言する。だが歓声は起こらない。しんっと静まり返ったドームに空しく反響するだけだった。

 

ヒュームは工藤に視線を注いでいる。そこにはいつもの人を見下す態度はなく、強い警戒心が滲んでいた。

腐っていると思っていた人間が未だにこれほどの闘気を有している。しかも戦えば勝つか負けるか分からない。ギリギリの戦いになるだろう。世界最強の自分が、そう判断している。これほどの脅威は他にない。

ヒュームは工藤への警戒度を上げる。計画の修正が必要だった。

そしてそれはルーも同じである。それどころかドーム内の観客は程度の差こそあれ、皆一様に工藤を危険視していた。

それほどに工藤の闘気は冷たく、殺伐としていた。

 

――――この闘気……一体どんな経験を積めばこれほどになるのカ……。

 

闘気を抑え、一人去り行く工藤の背中を見ながら、ルーは使命感に駆られていた。

君が闇に落ちると言うなら、その時は命を賭して止めよう。かつて止められなかった友の姿をその背に被せながら、覚悟を滲ませる。

 

かくして、若獅子戦の予選は終わりを告げた。それは同時に波乱の幕上げであった。

本戦は一か月後。それぞれがそれぞれの思惑を抱えて迎えるそれは、一体何が起こるか想像すらつかない。さしもの九鬼でも、川上院であっても同じことだ。

しかし見る価値はある。一月後の若獅子戦本戦。波乱の予感が人々の胸を駆け抜ける――――。

 



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幕間

『あなたへのお仕置きが決まったわ』

 

始まりはその言葉だった。

 

その日は知らない番号から繰り返し電話がかかってきた。朝の早い時間から始まり、直近一時間で三件。全て同じ番号からだ。急ぎの用件と察するには十分な頻度だった。

見覚えのない番号など無視に限る。電話というものが出来てからこっち世間の常識だが、立場上無視すればあとでどうなるか分からないと言うジレンマがあった。

 

出ても出なくても大抵の場合は嫌なことが起こる。

最近の例を出すと「深海まで共をせい」とか言われる。じゃあ出なかったらどうなるかと言うと、高笑いと共にヘリコプターがやって来る。どっちが嫌かと言うと、ヘリコプターが来る方が嫌だったから電話に出た。その結果、お仕置きが決まっていた。

 

電話をかけてきたのは最上旭。最上幽斎の娘。養女。木曾の女。

川神学園に剣華を放り込んだ時に挨拶こそしたが、連絡先の交換まではしなかった。どうしてこの番号を知っているのかと問い詰める。

 

『お父様に教えてもらったわ』

 

「えー」

 

知らないところで俺の番号が拡散されていることに慄いた。対する最上は当たり前と言わんばかりの反応。電話越しに、微かにしてやったりという雰囲気を感じ取る。

 

どうしてか、最上は俺の鼻を明かすことに快感を覚えているらしい。多分幽斎さんを貶したことへの意趣返しだろう。

言霊遣いとしては、会話の主導権が向こうにあると言う状況は歯がゆくて仕方がない。どうにか取り返せないかと逡巡する間に、最上の猛攻が始まった。

 

『ところで話は変わるけど、お仕置きと聞くと少しエッチな想像をしちゃうのは私だけかしら』

 

「うわあ……」

 

そのたった一文で敗北を察する。

これはもうダメな気がした。何がダメって頭がダメだ。最上の頭がまじでおかしい。

まあしかし俺も男なので、会話の行く末に興味があったから乗ってみる。怖いもの見たさと言うやつだ。

 

「性癖マゾなら垂涎ものじゃねえの」

 

『あなたもそうなの?』

 

「悪いけど、俺はまだ反抗期を脱してない純粋無垢なお年頃でね」

 

そんな風に、だらだらと無駄話に興じた。

会話の内容は主に男の性欲について。互いに高校三年生のお年頃。そりゃあ性欲なんて腐るほどあるだろうが、一度しか会ったことのない、大して知りもしない異性を相手にエッチな話題に興じるのは意味不明すぎる。

なぜこんな会話をしているのかと電話の最中何度も思った。

 

「天神館の特待生は寮住まいだよ。みんな同じ部屋で寝泊まりしてる」

 

『みんな同じ部屋? 淫らなのね』

 

「言葉が足りなかった。男女は別」

 

『がっかりだわ』

 

十分ぐらいそんな話をしていた。

我慢強い方を自負しているが、そろそろ止め時だ。これ以上は耐えられない。俺の中の常識が悲鳴を上げている。

 

「で、いい加減話を戻すけどなんの用?」

 

『あなたにお仕置きがしたいの』

 

先ほどとずいぶん言い方が違った。たぶん性欲が言葉を捻じ曲げたのだろう。頭がおかしい。

 

「どっちかと言うとお仕置きはされるよりもやりたい派でね」

 

『素敵だわ』

 

墓穴を掘ったかもしれない。

 

「冗談はさておき、あれだろ。剣華の一件の罰とかだろ?」

 

『隠さなくてもいいのよ。人は皆度し難い欲望を持っているものだから。かくいう私もその一人』

 

「お前と一緒にするなマゾ」

 

『あんっ』

 

一緒くたにされた拒絶反応が強めに出て、ついつい語気が荒くなった。そして電話越しに聞こえてきた艶めかしい吐息。

テレフォンセックスなるものの存在を思い出す。今までそれの何が面白いのかと歯牙にもかけなかったが、場合によってはそれなりに面白いのかもしれないと考えなおした。

でもやっぱり直接触れ合う方が楽しいと思う。

 

「で、どんな罰だって?」

 

『川神山のごみ掃除と学園長は仰ってたわ。次の休日にこちらに来てくれる?』

 

「わかった」

 

用件はそれだけだった。

その気になれば一分とかからず終わるのに、すでに十分以上を費やしている。

何のために費やしたかと言うとエロ話のためだった。時間の無駄でしかなかった。

 

「満足したか? 切るぞ」

 

一体何に満足したのか。あえてそこに言及しなかったのは腰が引けたからだ。これ以上こいつと話したくない。

俺が女性に抱いてる理想像と言うか、一般的な女はこんな開けっ広げにエロトークはしないと言う認識からかけ離れすぎていて、そのくせ本人は非常に魅力的な女性であると言うのがなんかもう無理だった。

 

『もう切るの?』

 

「他に話すことないだろ」

 

『そう……。分かったわ。私もそろそろお風呂から出るから』

 

絶句する。

ざばりと電話の向こうで湯から出る音がした。

 

『思わぬ長湯だったけど、とても気持ちのいいひと時だったわ』

 

吐息混じりの声を聞く。全身全霊を振り絞って平静を取り繕った。

 

「いい湯だったか?」

 

『とっても』

 

そりゃよかった。

 

『次はもっと過激な話をしましょう』

 

「次なんかねえよ」

 

『残念』

 

もう二度とかけてこないでくれと電話を切る。

携帯を投げ捨て、畳の上で伸びをする。電話をしただけなのにひどく疲れた。変態を相手にするのは体力を使う。

 

「これで影が薄いって何の冗談だよ……」

 

最上旭の川神学園での評価は影の薄い美人と言うものだった。

それは全て存在感を抑えつける技のせいなのは知っていたが、たった一度の電話ですらこの存在感だ。まったくいい性格してる。

あの親にしてこの娘あり。血は繋がっていないらしいが、そんなの大した問題ではないのだろう。

 

「次の休みに川神学園かぁ……」

 

頭のメモに予定を組んで寝っ転がる。

面倒だなあと言う気持ちが強かったが、鉄心さんが呼んでいるなら行かないわけにはいかない。

これが最上が呼んでいるだけだったなら高確率でパックレた。それぐらい嫌な相手だった。

 

 

 

 

 

多馬川のせせらぎを眺め、多馬大橋で変態を探し、川神特有の植物を摘んで歩いた。

商店街で甘味を食し、義経フェア開催中の本屋を物色し、たまにいる九鬼従者部隊に手を振った。

そんなこんなで約束の時間に川神学園についた。私服姿で正面から校門をくぐったところで警備員に呼び止められもせず、手回しの良さに感心する。

そして玄関口の前に最上旭の姿を見つけ一気に嫌な気分になった。

 

「うーす」

 

「こんにちは。時間ぴったりね」

 

最上が手首の腕時計を見ながら言った。意外だわと感心している最上に、そりゃそうだと肩をすくめる。

 

「鉄心さんが呼んでるなら遅れらんないし」

 

「真面目なのね」

 

「そうでもない」

 

ただ恩があるだけだ。恩があるから言うことを聞く。それがないなら聞く保証はない。九鬼が絡んでくるなら多分聞かないだろう。その時の気分にもよるが、そんな気がする。

 

「で、肝心の鉄心さんどこ?」

 

「もうすぐいらっしゃるわ。学園長はここで待てと仰っていたから」

 

「待てか。まあ犬扱いされるのは慣れてるよ」

 

言った後に後悔した。それはちょっとした軽口と言うか誓って他意はなかったのだが、最上は瞳を輝かせて俺を見た。

 

「奇遇ね。私も犬のように扱われるのに憧れてるのよ」

 

「お前の犬と俺の犬は全然意味が違うから、一緒にしないでくれる?」

 

「照れなくてもいいのに」

 

「お前の目は節穴か?」

 

やはりこの女はどうしようもなく手遅れらしい。

ここまで性欲を開けっ広げにしている女は中々いない。どう扱えばいいか悩む。俺の男心は下心を叫んでいるが、それ以上に理性が拒んでいた。

すでに主導権はあちらにあって、取り返す気力は湧いてこない。現在進行形で手玉に取られている。いやだなーと思う大半の理由はそれだった。

 

「休みの日にわざわざ出迎えご苦労さん」

 

「評議会の仕事があるから、そのついでよ。大したことではないわ」

 

「三年生なのに、まだ評議会なんてやってんの? 大変だな」

 

「もう少し。生徒会が交代するまではね」

 

どうでもいい会話で暇を潰す。

鉄心さんが遅い。早く来てくれと内心叫びつつ、おくびにも出さないよう注意する。出したらその瞬間突っつかれそう。怖い。

 

「そう言えば、今晩一緒に夕飯でもどうかしら。お父様が話したいことがあるらしいのよ」

 

「……あー」

 

多分例のお願いの話だろう。梁山泊を川神学園に編入させる件。

最上がそれを知っているかはともかくとして、誘われたことに対しては嫌ですとは言えない。いうなれば仕事の話だ。仕事に感情は関係ない。例え変態が相手であってもだ。

 

「じゃあどっかレストランでも予約するか……」

 

気が進まないながらも一応前向きに考える。

川神の地理には明るくない。どこが美味くて不味いかなんて全く知らない。だからネットで検索してよさそうなところを探して……いや、面倒くさいから幽斎さんに丸投げしようかな。

そんなことを考えていた俺にとって、続く最上の言葉は非常に都合が良かった。

 

「場所はこちらでセッティングするわ」

 

「じゃあ頼む」

 

それで終わり。

 

丁度その時に鉄心さんの気配を見つけたので、早く来てーと気を送る。

答えるように鉄心さんの気が揺れ、一瞬で近くまで移動した。

 

「待たせたのう」

 

突然現れた鉄心さんに最上が驚いていた。

 

「時間過ぎてますよ」

 

「ほっほっほ。すまんのう」

 

朗らかに笑う鉄心さんに反省の色はない。直前まで鉄心さんの気配は川神山にあった。

一体何をしていたのやら。ひょっとしてごみでもばら撒いていたのかもしれない。いくら俺への罰とはいえ、そんな性格の悪いことしてほしくないが。

 

「旭ちゃんもわざわざ手を煩わせてすまんかった。色々と忙しいじゃろうに」

 

「いいえ学園長。私も彼に用がありましたから」

 

それじゃあまた後でと最上は去っていく。てっきり最上も一緒に来ると思っていたが違ったらしい。電話で済むことを伝えるために俺を出迎えたのか。実はあいつ暇なんじゃないのか。

 

そんな思いで最上の背中を見つめていた俺に、鉄心さんが茶々を入れる。

 

「良い子じゃのう。特にあの艶のある黒髪がちゃーみんぐじゃ」

 

「見た目あれでも中身は変態ですよあいつ」

 

「ますます気に入ったわい」

 

ぽっと頬を赤らめている鉄心さんから少し距離を取る。

どうやら鉄心さんは黒髪が好きらしい。思い出せば、この学園の体操服がブルマーなのも趣味の一つだったはず。楽に100歳越えてるくせにまだまだお盛んなようだ。長生きの秘訣だろうかと逆に感心してしまう。

 

「さて、祐一郎や。今日のことは旭ちゃんから聞いておるかのう」

 

「川神山のごみ拾いだって聞いてます」

 

それで、と非常に気乗りしなかったが、気になっていた点を問い質す。

 

「本当にごみなんてあるんですか? あの山に」

 

鉄心さんは出来のいい生徒を見るような目で微笑んだ。

 

「行けば分かるが、ほとんどないと言って良いじゃろう」

 

「でしょうね」

 

川神山は日本有数の霊山だ。

山そのものが立ち入り禁止になっており、鉄心さんの許可がなければ立ち入ることは出来ない。

日常的に川神院の修行僧たちがランニングしているらしいが、それ以外には数えるほどしか許可は下りないと言う。

そんな山に、鉄心さんの目を盗んでごみなんて捨てようものならどうなるか。考えるだに恐ろしい。

 

「夏休みの間に肝試しを行った。川神学園の生徒が十人ばかし山に入ったからのう。少しはあるやもしれん」

 

「それを探すんですか?」

 

「いや」

 

鉄心さんは首を振る。

 

「そんなことでお主の時間を割かせるのはいささか心苦しい。ここに呼んだ本当の理由は、見てほしいものがあるからじゃ」

 

「なんです?」

 

「幽霊じゃよ」

 

俺の顔を窺う鉄心さんはどことなく楽し気だった。嘘だろとかそういう反応を期待しているのかもしれない。

まあしかし幽霊に怖がる年頃でもないし、俺の反応は至って冷めていた。

 

「いいですよ。行きましょうか」

 

鉄心さんはがっかりした様子で「こっちじゃ」と先導した。その後に続いて川神山に向かう。

 

 

 

 

 

山を登る。

俺や鉄心さんなら頂上まで一秒かからずに行けるが、今は一歩一歩ゆっくり歩いている。

周囲に人の気配はない。代わりに獣や虫の気配があちらこちらにある。鉄心さんの言う幽霊らしきものはどこにも見えない。

 

山に登り始めてからと言う物、鉄心さんは途端に無口になった。

老体とは思えない軽やかな動きで急斜面を登っていく鉄心さんについて、俺もぴょんぴょんと登っていく。

獣道ですらない場所を行く鉄心さんは、まるで遭難者を探すようにあっちこっちを蛇行しながら進んでいた。

 

「いないですねえ、幽霊」

 

「もうそろそろじゃて」

 

さいですかと返事をする。

そうは言ってもまだまだ日は高く昇っている。幽霊と言えば丑三つ時と相場が決まっている。夜に出直すべきじゃないかなあとぼんやり思った時、意識の片隅に人の気配を感じた。

 

「鉄心さん」

 

一瞬、ちらっとだが服の切れ端のような物が見えた。

しかし視線を向けるとそんなものはどこにもない。捉えたはずの気配も忽然と消えていた。

 

「あっちに今誰か――――」

 

いましたよ、と視線を前に戻せば、鉄心さんの姿が消えていた。

気を抜いたつもりはない。いつ何が起こってもいいように警戒はしていた。だと言うのに鉄心さんはどこにもいない。

 

してやられたなと言う気持ちで気配を探る。しかし鉄心さんの気配はどこにもなかった。それどころか、どれだけ長距離を探しても人ひとり見つからない。

 

「うーん……?」

 

これはどうやら鉄心さんが消えたと言うより、俺が移動したと言う方が正しいようだ。つまるところは神隠し。

そのことを察して、キョロキョロと周りを見て、久しぶりに、少しだけ、ワクワクした。

 

ワクワクしないわけがない。高校生になってからというもの、向かうところ敵なしだった。大体のことは掌の上で、予想外のことが起きても力づくで何とか出来た。

しかし今は俺の手に余ることが起きている。何が起こっているのかまるで分からない。だからワクワクしている。これから何が起きるか分からない状況が楽しく思えた。

 

「どうしようかな」

 

ちょっと考えて、とりあえず歩き回ることにした。歩けば何かしら変化があるだろうと安易な考えで。

 

予想に反して、期待した変化はすぐに訪れた。

あちらこちらで人の気配が現れてはすぐに消える。一瞬人影を見たかと思うと、瞬きの間に掻き消える。

ひょっとして幻覚でも見せられているのかと、気を放出してみたがそれらしき手ごたえは何もない。だから多分幽霊だろう。そう思っておく。

 

どうしたものかと頭を捻る。そもそもここはどこなのか。

山にはいるのは分かる。しかし周囲の状況から川神山ではないのが分かった。川神特有の植物が一つも見当たらない。

 

神隠しにあったと言うなら、人っ子一人いないのも納得ではあるが、場所の見当が付かないのは少しまずい。

帰れるどうかと言う現実的な問題がある。

 

とりあえず、何もしないわけにもいかないので歩き回る。

それで事態が好転する保証はないけれど、遭難したわけでもないので歩き回らない理由もない。

助けを待つつもりはさらさらなく、自分の力で助かるつもりでいた。その気になれば周囲を焦土にすることだって出来る。する意味がないからしないだろうけど。

 

点滅する電灯のように、人の気配が在っては消え、在っては消えを繰り返す。それが酷く鬱陶しい。

目と鼻の先で懐中電灯のスイッチを連打されている気分。いやーうざったい。

 

いよいよ我慢も限界に達し、真面目に考えることにした。

その場しのぎの状況判断ではなく、根本的な解決を目指して考える。

 

鉄心さんが言っていた。幽霊を見せたいと。

幽霊らしき者はいる。周りにたっくさんいる。ただし姿を見ることが出来ない。いると思った次の瞬間には消えている。

 

もしあれが本当に幽霊なら、幽霊じゃなくても、存在しているのなら消えるのはあり得ないのではないか。

見えなくなっているだけだ。存在を認識できなくなっている。

一瞬だけアンテナが合って、次の瞬間にはアンテナが外れている。そう考えた。

 

一瞬だけアンテナが合うのなら、ずっと合わせることも出来るはずだ。

ちょっと集中してみる。そこにあるものを見えるようにするだけだ。何も難しくない。簡単なことだ。

 

自分自身に言い聞かせ、自分の中の何かを変えようとする。

何がアンテナなのか分からない。どうすればいいかなんて見当もつかない。けれど出来る。その自信がある。

 

一つずつ試していく。自分の中にあるはずのアンテナを探し、目に付いたものから調整していく。

カメラのピントを合わせるように、焦点の合う位置を探していく。

 

集中力には自信がある。精神鍛錬なんて呆れるほどやった。だから、どれだけの時間そうしていたかなんて覚えてもいない。

 

ようやく見つけたアンテナは、自分でも驚くほど身近にあった。アンテナを操作すれば、今まで存在すら知らなかった扉が開き、新しい世界が顔を覗かせる。

 

気付けば、すぐ近くに人がいた。

古い胴着に身を包んだ年配の男性が、同じような年齢の老人と向かい合っている。

俺の手がその人の体に触れることなく空を掴んだ。二人は俺のことなど気にも留めず、拳を交えた。

 

その他にも周囲には大勢の人間がいる。俺の存在に気づくことなく、触ることも出来ず、意思疎通は図れない。そしてその人たちは総じて戦っていた。目の前の敵とがむしゃらに戦っている。

 

達成感が身を包む。

同じだけの疲労感を覚えて手ごろな木の根に腰を下ろした。いつの間にか川神山に戻っていたらしく、近くに鉄心さんの気配を感じ、山のふもとにはたくさんの人の気配がある。

 

これだけ近いなら直に鉄心さんの方から来るだろうと思い、相変わらず戦ってばかりいる幽霊たちを眺めて待つことにした。

 

 

 

 

 

日が傾いて西日が差す。

いつの間にか空は茜色に染まり、少しずつ藍色に変わっていた。

背後で人の気配がして、振り向くと鉄心さんが立っていた。

 

「探したぞい」

 

「どうも」

 

鉄心さんは腹あたりまで伸びた長い髭を撫でながら、困り顔で俺を見ていた。

視界の隅で見たことのない技を繰り出す幽霊に気を取られ、注意が逸れる。俺の様子に気づいた鉄心さんは視線を辿って目を眇めた。

 

「何が見える?」

 

「幽霊」

 

「そうか」

 

鉄心さんには見えないらしい。俺には見えている。なぜだろう。京都の生まれだからだろうか。そう言えば、親戚で幽霊が見えると言う子供がいた。誰も本気にしなかったが、もしかしたら本当に見えていたのかもしれない。

 

「あれはなんでしょう」

 

説明を求めて鉄心さんに聞く。

 

「修羅道を知っておるか」

 

「阿修羅なら知ってますよ」

 

「阿修羅道とも言うのう」

 

鉄心さんの口から出てきたのは、ゲームなどでよく聞く単語だった。

 

「修羅道とは、争いの絶えることのない死後の世界の一つじゃ。一般に言う地獄ではないが、同じとする者もいる」

 

どっこいせと俺の横に腰を下ろした鉄心さんは、俺の見ているものを見ようと目を凝らした。しかしその視線は惑いっぱなしで、一か所に定まることがない。

 

「死してなお、力を求める者の行きつく先がそこじゃ。生涯を武に捧げ、魂すらも捧げた者たちの末路じゃ」

 

鉄心さんの言葉には同情や哀れみが多分に含まれていた。思わず訊ねる。

 

「それは悪いことですか」

 

「それは人によるじゃろうて。お主はどう思う。良いことじゃと思うか」

 

「どうでしょうね」

 

明言は避けた。鉄心さんはついに見ることを諦めたらしい。

眉を八の字に寄せ、困ったような口調で言う。

 

「何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しと言う。儂は好ましくないと思う。あくまでも儂は、じゃが」

 

「そう思うんだったら、孫に教えてやったらどうです。少しは戦闘衝動消えるんじゃないですか」

 

「百代には見えんじゃろう。儂にも見えん。あの子は幽霊が大の苦手じゃ。信じもしないと思う」

 

鉄心さんは溜息を吐いた。

何に対する溜息か。孫の情けない姿でも思い出したのだろうか。

 

「お主なら見えると思うた。川神学園にも言霊を扱う者はおるが、お主のそれは少し異なっているように思うた。ただの勘じゃったが、やはり見えたのう……」

 

よっこいせと鉄心さんが立ち上がる。

帰ろうと踵を返したその背中に、まだ話は終わってないと問いかける。

 

「これを俺に見せた理由は何です?」

 

「……」

 

「わざわざこんなものを見せて、俺にどうしてほしいんですか?」

 

「理由はない。ただ見せようと思うた。それだけじゃよ」

 

その言葉は、自分で考えろと突き放しているような気がした。

鉄心さんには何度もお世話になったからわかる。何事においても、鉄心さんには鉄心さんなりの理想があった。曲がりなりにも教育者なのだから、子供に望むところは特に多いはずだ。

それが今回に限っては言葉少なく、何も言わないと言うことは、つまりそう言うことなのだと自分なりに解釈する。

 

「鉄心さん」

 

「ん?」

 

「ありがとうございます」

 

「礼には及ばん。お主に教えることも少なくなった。これで最後じゃ」

 

いささか寂しそうな口調が胸を衝く。

再び歩き出すその背中に向け、「ありがとうございます」ともう一度礼を言った。

 

鉄心さんはこれで最後だと言った。もう教えることは何もないと。

つまり、鉄心さんにとって俺は一人前なのだ。今日のこれはその儀式なのだろう。俺が川神院に弟子入りしていれば免許皆伝なり何なり出来たのだろうが、そういう訳ではないからこういうことになった。

 

幽霊の存在は今日まで信じて来なかったが、死後の世界があることを知り、幽霊もいるところにはいるのだと知った。

だからどうしたと言う話ではある。知ったところで何が変わるのかと。

それを考えろと言うのが鉄心さんの最後の課題だった。同時に、これからは俺を子供ではなく一人前の大人として扱うと言う宣言だった。

 

修羅の道を行く先人たちを知り、この期に及んで自分の力の一端を垣間見た。正直武道家として天辺は見えたと思っていた俺だが、まだまだ強くなれると確信する。

 

どうしようかと束の間考え、今はどうでもいいと思い直して鉄心さんを追いかける。

考えるのは背負っているものを下ろした後でいいだろう。人生は長い。考える時間はたくさんある。そう思った。




38話の後に書こうと思って挫折した幕間です
特に本編には関わらない内容ですがようやく書けました


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