東方西風遊戯 (もなかそば)
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第一章 風神録篇
プロローグ


 それを『昔』と表現するか否かは、人によって感覚が分かれる話だろう。

 その事件の当事者である双方にとっては人生の半分以上、ともすれば三分の二近くほど昔の話、即ち『大昔』になるのだろう。しかしその当事者の片割れ―――東風谷早苗という名の、とある神社の見習い風祝が仕える二柱の神々からすれば、つい先日の話と表現出来る。

 つまりは十年経つか経たぬかといった程度の過去の話だ。

 

 それは少女―――当時は幼女―――東風谷早苗にとって人生初の聖戦であり、宗教戦争だった。

 

「かみさまはいるもん! かなこさまも、すわこさまもわたしたちをみまもってくれてるもん!」

 

 始まりは些細な事だった。

 小学校に上がったばかりの早苗が、その教室で初めて出来た学友に自分の家の話をしたのだ。

 信仰の廃れた現代。霊感の特別強い彼女以外の人には見えないが、八坂神奈子と洩矢諏訪子という名の二柱の神々は彼女にとっては両親と同等に―――或いはそれ以上に敬愛すべき対象だった。

 嬉々として自分の家である神社とその信仰について語った早苗に、しかし学友である少年は致命的な一言を投げ付けてしまった。

 『へんなの。かみさまなんて、いるわけないじゃん』と。

 

 大事なものを、自身の信仰とその対象である神々を馬鹿にされた早苗は怒った。それはもう怒った。

 顔を真っ赤にして涙と鼻水を流しながら、早苗は激情の赴くままに少年の顔面に拳を叩き込んだ。

 明確な宣戦布告。彼女にとっての聖戦のスタートだった。

 

 この年齢では男女の別など、あってないような物である。すぐさま少年も怒鳴りながら反撃し、しかし早苗もやり返す。

 エスカレートする喧嘩。他の学友たちが騒ぎ始め、喧嘩の空気にアテられたのか泣き出す子供も出る始末。

 目端のきく何人かが先生を呼びに走り、何人かは止めようとするものの当事者双方の―――特に早苗の激怒ぶりに手が出せない。

 そして結局、学友の連絡により駆け付けた先生が両者を止めるまで、その彼女にとっての聖戦は続いたのだった。

 ちなみに彼女はそれを今でも自分の勝利だと言って憚らず、少年は今となってはそれについて嫌そうに顔を歪めるだけで。勝敗についての言及を避けている。

 

 

 そして東風谷早苗は本来明るい少女である。

 その日、そんな彼女が学校から家に帰り、風祝としての修行の間も俯いたままであった。

 更にはおやつの時間になっても『要らない』と言って、大好きな筈のクッキーに見向きもしなかった。 

 彼女の様子に慌てたのは両親もであるし、彼女を娘同然として見ていた二柱の神もだ。

 

「どうしたんだい、早苗。学校で何か嫌な事があったのかい? 悪い子にいじめられた?」

「ほら、クッキーもあるぞ。お茶もある。少し休憩しながら話をしようじゃないか」

 

 そして神々が信者に供え物を差し出すというそんな異常事態を経て、幼い風祝は漸くぽつりぽつりと事情を語り出す。

 つまりは学友である少年に言われた言葉と、その後の喧嘩だ。

 それを聞いた二柱の神はどこか寂しそうに苦笑し、早苗を強く抱きしめる。

 

「あのね、早苗。早苗が私達の為に怒ってくれたのは嬉しいけど、今の時代じゃそれは仕方ない事なんだよ。人間達は私の事も神奈子の事も忘れてる。その子供の言った事は、悲しいけど今の時代じゃある意味当たり前の認識なんだ」

「私達はそれが原因で早苗が喧嘩をして怪我をしたり、友達を嫌いになってしまう方が悲しいぞ。次からはもっと友達と仲良くしような」

 

 優しくそう言われて、彼女は諏訪子と神奈子の胸の中で泣き出してしまう。

 自分を想ってくれる神々の言葉が嬉しくて、でも彼女達の言い分が悲しくて、彼女達の今の立場をどうにもできない自分が悔しくて。

 結局その日、早苗は二柱の胸の中で泣き疲れて眠ってしまった。

 

 

 

 そんな彼女にとって予想外の事が起こったのは翌日。休日となる土曜日の朝の事だ。

 長い階段を上った先に立地し、交通の便が甚だ悪い守矢神社に、息を切らせながら一人の少年がやって来たのだ。

 箒を手に境内を掃除―――と、本人は思っていたが今にして思えば散らかしていただけだった気がする―――をしていた早苗は、参拝客かと思って挨拶をしようとしたところで固まった。

 それは彼女が人生初の聖戦を行い、散々殴り合った学友の少年だったのだ。

 

 何を言うべきか分からず固まる早苗に対して、先に動いたのは少年だった。

 彼は早苗の姿を見付けると駆け寄り、頭を下げたのだ。

 

「ごめん!」

「……え? あの……」

「あんなに怒るなんて、おもってなかった。さなえちゃんの大事なものをばかにしてごめん」

 

 舌っ足らずで言葉足らずだが、それ故に率直で精一杯の謝罪。

 自分の前で頭を下げ続ける少年は、その為にわざわざ休日の朝から神社の階段を上って来たのだろうか。

 そう考えて、早苗は改めて目の前の少年に向かい合う。

 彼の態度に、昨日の怒りは既に下火になってしまった。すぐさま許しても良いのだが、それもどことなく癪だ。下火と言うだけで、流石に未だ鎮火には至っていない。

 そして数秒考えた結果、早苗は手に持ったままだった箒を少年に差し出した。

 

「これ」

「……え?」

「神社のおそうじ、てつだって。わたしは許すけど、おそうじする事でかみさまにも許してもらわないと駄目なの!」

 

 両手を腰に当てて胸を逸らす。

 彼女なりに精一杯の威厳と怒りを表現したポーズ。

 そうして言われた言葉に、少年は生真面目な表情で頷いた。

 

 ―――そしてそれから小一時間ほど。

 予備の箒を持って来た早苗と、最初の箒を早苗から受け取った少年は二人で掃除―――という名の散らかす作業を終えていた。

 別に全然綺麗になっていないのだが、途中で様子を見に来た早苗の母が用意してくれた冷たい麦茶を手にして縁側に腰掛ける二人の顔には、やり切ったような充実感が見て取れた。

 

「……かみさま、許してくれるかなぁ」

「……どうだろ?」

 

 そして縁側で冷たい麦茶を飲みながら、少年がぼそりと呟く。

 横でその言葉を聞いた早苗は、ちらりと目線を誰も居ない『ように見える』本殿の方に向ける。

 縁側を見る事が出来る本殿の入り口には、彼女以外の誰にも見えない二柱の神が優しい笑顔で彼女と少年を見守っていた。

 

 途中から気付いて様子を見に来てくれていたのだが、彼女以外には父にも母にも見えない神々だ。

 彼女達に話しかけるような事をしては周囲からは変な子にしか見えない為、他の誰も居ない場所以外では彼女達に話しかけられない早苗である。

 本来であればどこででも話し掛け、笑いかけたいのだが、それが出来ないほどに―――周囲の殆どから認識されないほどに力を失っているのが彼女達二柱であった。

 

 だから早苗は、少年の言葉に対して直接神奈子と諏訪子に問いかけるような事はしなかった。

 次の言動もその後の展開を予想しての事ではなかったし、故にその後に待っていた展開は彼女にも少年にも、それこそ神々ですら思いもよらぬものだった。

 

「良い。許してつかわす」

「もうウチの早苗を泣かすなよー」

 

 神奈子が威厳を込めて、諏訪子が茶化すように少年に向けて言葉を投げる。

 それは少年に聞かせる為の物ではなく、早苗に対して『少年を許す』という意思表示をする為の言葉だ。

 

「あれ?」

 

 そう、故にそれは慮外の事態。

 早苗に投げた筈の言葉に、少年が確かに反応したのだ。

 きょろきょろと周囲を見回す。その動作に対して、驚きに目を剥いたのは早苗と、それ以上に二柱の神々だった。

 

「許すって、早苗ちゃんを泣かすなって聞こえた」

「……え?」

 

 二柱の神々は言葉も無く。

 早苗もどこか呆然と、その言葉を聞いて少年の顔を凝視する。

 きょとんとした年相応の顔は、きょろきょろと今の言葉の主を探して目線を彷徨わせていた。

 

 

 ――――これが始まりだったと、後に八坂神奈子は笑顔で語る。

 ――――あの頃は可愛かったと、後に洩矢諏訪子はにやけて語る。

 ――――あれが一つの転機だったと、後に東風谷早苗は苦笑で語る。

 ――――あれで俺は人生踏み外したと、後に少年―――西宮丈一は誇らしげに語る。

 

 東方西風遊戯、ともあれこれにて開幕に候。

 




 昔に小説家になろう様で連載させて頂いていた、東方Projectのオリ主ものです。
 様々な東方二次創作小説を見ている内に思わず腋上がって―――もとい湧き上がって来た妄想を形にしただけの小説です。
 ある意味テンプレ。

 オリ主は原作知識無し。チート能力も無し。才能の限界まで育って、正面決戦では3ボス相手が関の山です。3ボスでも勇儀姐さんとか絶対無理です。
 才能では神奈子様や諏訪子様曰く、平安の世にでも生まれていれば良い陰陽師になれたそうですが……曰く『千年に一人レベル』の安倍晴明とか、現代において神が見えるレベルの才能を持つ早苗とか、そもそも才能の面で言えば規格外過ぎる霊夢とかには敵いません。
 
 そんな感じで宜しければ、お付き合い願えれば幸いです。





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幻想入り

 さて、彼女と彼の最初の聖戦から十年近くが経過した。

 

 信仰が薄れ、最早守矢の神社の者にも早苗のような例外を除けば見えない程に力が衰えていた神奈子と諏訪子。その二柱は自分達の声を聞ける程の霊感を持つ相手が早苗以外に、それもこんな近くに居た事に喜んだ。

 彼女達自身がどうこうと言うより、彼女達の姿が見えるほどの飛び抜けた才能を持ち―――しかしそれ故に他の子供と比べて浮いていた早苗にとって、良い友人になると思ったのだろう。

 早苗もまた、自分にしか見えないと思っていた二柱の声を聞ける相手が出来たのが嬉しかったのか。積極的に西宮が守矢神社に来るように勧めた結果、西宮丈一は守矢神社に頻繁に出入りする少年時代を送る事となった。

 

 彼自身としても、神々という神秘に興味があったのもあるだろう。

 加えて些か複雑な家庭の事情も加わり、彼は小中学校、そして高校時代と毎日のように守矢神社に出入りする日々を送った。

 早苗の両親もまた、変わった所がある娘と仲の良い友達として、彼を積極的に歓迎した。

 諏訪子と神奈子も早苗の良き友人であり、自分達の声を聞ける西宮に対しては好意的であった。

 

 しかし十年近くの時が経過して今、聖戦当時からずっと変わらず早苗と西宮の仲は―――すこぶる悪かった。

 

「ったく、このぐらい自分でやれよ……わざわざ俺を呼ぶなよ、東風谷(こちや)

「むむ、その言葉は不敬ですよ西宮(にしみや)。神事を手伝わせて貰っているんだから信者として泣いて喜びなさい!」

 

 ある日の夕方、守矢神社の敷地にて。

 木の棒の先に白い紙をくくり付けた祭具である大幣(おおぬさ)を手にご立腹なのは、学校から帰って来たばかりで学生服姿の東風谷早苗である。

 ぷんすかという擬音が付きそうな様子で大幣を振り回して指示を出す先には、同じく学生服姿の西宮丈一が手際よく注連縄を神木にくくりつけて行く。

 

 ―――この十年近くで二人の容姿も随分と変わった。 

 

 早苗は緑のかかった髪を長く伸ばし、自らが仕える二柱を象徴する蛙と蛇の髪飾りを付けている。

 姿形は随分と女性らしくなってきたが、二柱に言わせると『まだまだお転婆』らしい。

 ただ、喋りさえしなければとびっきりの美少女ではあるので、最近は学内外の男子から告白されるなどの事も増えて来たようだ。

 

 一方の西宮は、やはり背が伸びたというのが最大の成長だろう。同年代に比して高い身長と、年齢にしては落ち着いた様子から、外見は早苗と同い年にしては幾分大人びて見える。が、実は早苗の方が2ヶ月ばかり生まれが早いのだが。

 ともあれ彼の外見を一言で言うと、長身で黒髪の糸目の少年だ。細められた糸目は一見して温厚そうだが、外見を裏切って彼自身の素の口はかなり悪い。

 当人曰く、早苗との言い争いで培われたスキルらしい。

 

 そもそもこの二人の関係たるや、早苗は例の一件以来西宮を『自分と一緒に二柱に仕える後輩』と見た上で先輩風を吹かしたがるが、西宮がそれに対して反発するの繰り返しだ。

 西宮はあの一件以後は二柱と交流を得るようになり、それを経て二柱を信仰するようになったが、早苗に対しては初対面が初対面だったせいか『守矢の風祝』ではなく『ワガママな学友』として扱っている気が強い。

 風祝として指示をしたがる早苗と、学友としての感覚で彼女と接している西宮だ。互いの感覚が噛み合わずに衝突するのはしょっちゅうであったし、それこそ小学校までは殴り合いも多発した。

 ちなみに基本的には早苗の全勝であった。後に非想天則なるものが出来た折には、神力でその身を強化していたとはいえ、妖怪や鬼と肉弾戦を演ずる風祝である。

 流石に霊力神力の御威光も殆ど無い喧嘩では単純な身体能力で劣るものの、格闘戦のセンスの方が並ではなかった。

 

 そして、その互いに反発しあう関係が破綻しなかったのは、守矢の二柱が喧嘩の度に仲裁するのもあるだろうが、やはり彼ら自身の性質が大きいだろう。

 神の存在を信じていなかったが、自分が軽い気持ちで相手が大事にしているものを蔑ろにしてしまったと気付いたが故、謝りに行かねばならないと思い神社に行く。その事例からも分かるように、西宮は口こそ悪いが根の部分では相手の痛みがわかるタイプだ。

 後述する家庭の事情も関わってくるのだが、些か斜に構えた面が強いが思慮もこの年齢にしては深く、大人びている。

 

 対する早苗は一見すると真面目で礼儀正しいが、思い込みが激しく暴走すればどこまでも走って行ってしまう暴走直情型だ。

 しかし暴走癖こそあるが、基本は優しく思いやりがあり真面目な性質の持ち主である。故に自分に非があって西宮を怒らせた時は、二柱に諭されて頭さえ冷えれば、自分の非を認める事が出来る。そして非さえ認めれば相手に謝る事が出来る人間だ。

 要は互いに何度喧嘩をしても相手を許せる間柄であり、性格だったのである。

 

 互いにぶつかり、非がある方がそれに気付いて謝り、謝られた側は許す。

 そしてまた暫くしたら、詰まらない事で喧嘩する。

 それこそ神奈子や諏訪子が呆れるほどに、早苗と西宮はそれを繰り返して来ていた。

 

「……ッと、これで良し。確認頼む、東風谷」

「ええ。―――うん、問題無さそうですね」

 

 そして十年近く繰り返して現在。

 神木に西宮が結んだ注連縄を早苗が確認し、OKを出した。

 最近になって一子相伝の秘儀を受け継ぎ、正式に守矢の風祝として認められた早苗。しかしやはり現代女子高生、力仕事は苦手分野であった。

 太く長い注連縄を持ち運び結び付けるような、こういった力仕事主体の神事は西宮がヘルプで呼ばれる事が多い。

 神事を部外者に手伝って貰って良いのかという葛藤も早苗の内には無いでもなかったが、その神である二柱直々に許可が出るにあたって、それ以降早苗は力仕事には積極的に西宮を呼び出すようになっていた。

 

 また、その関係が続く中で変わった事と言えば、彼らが互いに苗字で呼び合うようになった事か。

 本当に小さい頃は『早苗ちゃん』『丈一くん』と呼び合っていたのだが、いつの間にやら互いの呼び方は苗字となっていた。幼児期から少年期に移る間に発生した照れが原因だというのは、守矢の二柱の共通見解である。

 

「しっかし、どうしたんだこの注連縄。なんぞ新しい神事でもやるのか?」

「えぇと……神奈子様のご指示です」

 

 神木に巻いた注連縄を見ながら、巻いた当人である西宮が首を傾げる。

 神社を囲むように敷地に巻かれた注連縄は、これまで無かった新しい物だ。

 何の意味があるのかと問うた西宮に、早苗は僅かに口を濁す。

 

 西宮はそれに疑問を覚えたものの、神奈子の名前が出たので追求を取り止める。

 早苗が二柱に関して嘘を吐かない事は知っていたし、その程度には彼は声しか聞こえない二柱の神々を信頼していた。

 

「ふぅん。なら良いけど……お前また信仰得ようとして暴走して変な事するなよ?」

「失礼な! そんな事しません!」

「やりかねないから言ってるんだよ。小学校二年生の給食時間、放送室をジャックして参拝を要求する放送を流したお前を俺は生涯忘れん。お前はあの時英雄だった。負の方向で」

「いえいえあそこで先生に止められなければ成功してましたってアレ」

「するわけねぇだろっていうかなんで俺まで怒られたんだ。今にして思えば理不尽だなオイ」

「あー、すいません。あれ私が用意してた原稿の最後の方、連名にしてたんですよ。いや、仲間外れは可哀想かなーって……」

「全世界的に不要な心遣いをありがとう。十年来の疑問が解けたよありがた迷惑だこんちくしょう」

 

 そして余った注連縄を肩に担ぎ、西宮は先に立って守矢神社の本殿へ歩いて行く。

 丁々発止と口喧嘩ともじゃれ合いともつかないやりとりをしながら、早苗はその数歩後ろを付いて行く。

 

 故に西宮は分からなかった。

 いつものように軽いやりとりをしている早苗が、いつものような明るく感情豊かな表情ではなく、どこか痛みを堪えるような寂しげな表情を浮かべていた事を。

 

 ―――しかしその表情も一瞬。

 早苗は軽く頭を振って、前を歩く西宮に声をかけ直す。

 

「まぁその話題はそこで終わりとしまして。戻ったらお茶でも淹れますから、休んで行って下さい」

「ありがたく。ああ、そういや今日は親父さんに晩酌誘われてるんだよな。お前からも親父さんに言ってやってくれよ。俺はまだ未成年だって」

「お父さんは息子が欲しかったって言ってましたからね」

「その場合はお前が俺の姉か妹か。未来が見事なまでに絶望色だな」

「私が姉ですよ。誕生日私の方が2ヶ月早いんですから」

「そういやそうだ最悪だなオイ―――ま、実家よかマシだろうけどよ」

 

 “実家よりはマシ”。その言葉を何の感慨も無さそうに言い切った西宮に、早苗が僅かに言葉に詰まる。

 先述した通り、彼の家は些か複雑な家族事情がある。複雑というかある意味陳腐とも言えるが―――母が死に、父が再婚し、再婚相手と父とその間に生まれた子供にとって彼は邪魔者であるという、それだけだ。

 良くドラマなどで見る展開だと、十にもならぬ年で彼は早苗と二柱の前で苦笑しながら言い放った。その姿には家族に対する情は見えず、どこまでも自分が置かれた状況を客観視した上での諦観があった。

 

 邪魔とはいえど、積極的に排除されるわけではない。

 必要な物があれば買って貰えるし、殊更に暴力を振るわれるわけでもない。

 ただ家族との間に明確な壁があり、まるで同じ家に住んでいるだけの他人のような冷たい関係である。それだけだ。

 

「ぶっちゃけこっちの方が実家って感じがするわ。親父さんもお袋さんも良くしてくれるしなー」

「……言い切りますね」

「事実だしな」

 

 しかし、言い切って軽く笑う彼の表情に暗い影は見られない。

 既にそれならそれで仕方ないと、良くも悪くも前向きに割り切っている表情だった。

 

 ―――彼がそんな家庭環境でも、多少斜に構える程度の人格の歪みで済んでいたのは守矢神社の人々と神々のお陰だろう。

 

 幾度となくぶつかり合いながらも、最も腹を割って話せる友人である早苗。

 深い慈愛を持って早苗と西宮を見守ってくれた神奈子と諏訪子。

 そして両親との関係が冷め切っている彼にとって、まるでもう一組の両親であるかのように接してくれた早苗の父母。

 彼らの存在が無ければ、西宮丈一という人間はもっと暗く鬱屈し、歪んだ人格を持っていたに違いあるまい。

 

「西宮」

「ん?」

 

 そして、そんな西宮に対して早苗は不意に―――しかし、いつになく真面目な声で問いかける。

 

「私のお父さんとお母さんの事は、好きですか?」

「はぁ? 何をいきなり―――」

「答えて」

 

 唐突過ぎる質問に彼は困惑の声を返すが、その声を断ち切る早苗は真剣そのものだ。

 故に西宮は困惑しながらも、この質問が何らかの意味を持っていると直感する。それも早苗にとっては大事な意味が、だ。

 

「……好きだよ。俺にとっちゃウチの両親よりあの二人の方が両親らしいさ」

「そう。……良かった」

 

 そして彼女の問いかけと同じくらい真剣な声で返された言葉に、早苗は安堵の笑みを浮かべた。

 ―――これで懸念は無くなったと。

 そうとでも言うように、安心しきった笑みを浮かべたのだ。

 

「……東風谷?」

「さ、早く行きましょう。お父さんってば、もうお酒を用意して待ってるかも。西宮も未成年なんだから、断るときは断るようにして下さいね? お父さんが調子に乗らないように!」

 

 その様子に漠然と嫌な予感を覚えた西宮だが、早苗は彼の横を抜けて追い越し、神社へと歩いて行く。

 

「あ、おい……ったく、何だってんだよ」

 

 その様子に面を食らった西宮は、それ以上を追求する機会を失って彼女を追う。

 或いは西宮の霊感がもっと強ければ、二人の様子を離れて見守っていた二柱の神に気付いたかもしれない。

 しかし神事に関わり早苗の修行に付き合った結果、多少なりとも能力は磨かれたが―――彼の進歩よりも更に速い速度で信仰が薄れた二柱を見る事は、彼は未だ一度も出来ていない。

 故に彼は彼女達の姿に気付かず、神奈子と諏訪子は神社へ向かう早苗と西宮の背を見送り、二人の姿が完全に見えなくなったのを確認してから声を出す。

 

「……大丈夫そうだね。早苗が私達と一緒に幻想郷に行っても、丈一が居れば神社の方はどうにかなる」

「だが、諏訪子。本当にこれで良いのか?」

「なにさ神奈子。もうこの地での信仰は望みようが無い。だから幻想の世界に望みを賭けようと言ったのはアンタじゃないか」

「そういう意味ではない。早苗を連れて行く事、そして丈一には何も告げずに行く事だ」

「ああ……」

 

 幻想郷―――妖怪の賢者が創ったと言う、人と妖怪が共に生きる一種の理想郷。

 忘れ去られ幻想となった存在が辿り着く場所。数ヶ月前、彼女達はその妖怪の賢者から直々に、その地へ来ないかと勧誘を受けたのだ。

 

 妖怪の賢者は幻想郷内のパワーバランスを考えて。神奈子と諏訪子は失った信仰を取り戻す可能性を求めて。

 そのような意図と利害の一致から、彼女達はこの世界に見切りをつけて、胡散臭い妖怪の賢者の勧誘に乗って幻想郷へ向かう事としたのだが―――そこで彼女達にとって予想外が一つあった。

 

『お二柱(ふたり)が行くなら私も行きます!』

 

 と、別れを告げる心算で幻想入りを伝えたところ、彼女達の風祝である早苗が力強くそう宣言してしまったのだ。

 当初は慌てて早苗の説得を行った神奈子と諏訪子だが、早苗の熱意と覚悟にまずは諏訪子が、そしてやや遅れて神奈子が折れた。

 彼女達としては早苗には人間として幸せに生きて欲しかったのだが、そう説いた所で『私の幸せは私が決めます』と胸を張って言い切られてしまったのだ。もう何を言っても無駄。小学校にて放送ジャックまで行った信仰暴走機関車早苗さんは、彼女達には止められなかった。

 

 かくして早苗も幻想入りする彼女達について行く事になったのだが、そこで問題となるのが彼女の両親だ。

 彼らには認識できない神奈子と諏訪子はともかくとして、早苗が消えてしまう事は彼らにとっては絶大なショックだろう。

 或いは胡散臭い妖怪の賢者ならば何か良いフォローが出来るのかもしれないが、その事を妖怪の賢者に聞く前に早苗が告げたのが西宮の存在だ。

 

『西宮は私の両親にとって、もう一人の子供のような存在です。彼も私の両親を好いてくれていますし、神事の知識もある。私達が居なくなっても、彼が居ればきっと大丈夫でしょう』

 

 その言葉の中には信頼と申し訳なさと悲しみと、それ以外にも彼女が理解している物、理解していない物まで含めて多くの感情が含まれていた。

 彼を巻き込むつもりは無いというのが早苗の意見であり、結局は神奈子と諏訪子もそれに同意した形だ。

 後事を全て押し付ける形になるのは申し訳ないが、暴走傾向の早苗に比べて神力や霊力はともかくとして、世事には格段に長けている西宮だ。どうにかなるだろうというのが早苗の意見だった。

 

「……丈一にも、早苗にも悪い事をするね」

「そうだな。私は早苗が神社を継ぎ、丈一がその補佐。後は二人の子供が継いでいくかと想像を巡らせていたのだが」

「どうだろねぇ。五年十年先でも友人関係で丁々発止とやり合ってる気もするけどね、あの二人は。……あと十年放っておいたらどうなったかねぇ。ちょっと気になる所だけど、それが見られる可能性も無くなった……というか、私達が消しちゃったんだけどね」

「私達の都合でな。我儘なものだ」

「神様失格だね」

「神とは我儘な物だろう。とはいえ、信者にこの仕打ちだ。神失格は同感だな」

 

 諏訪子と神奈子は、早苗と西宮が去って行った神社の方角を見やり、苦笑というには苦すぎる表情を互いに浮かべた。

 ―――守矢神社が丸ごと幻想郷に入る、その数時間前の話だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 その夜遅く、早苗は自らと自らの両親が住む母屋を抜け出した。

 目的地は自身が仕える二柱の神が居る本殿。

 その周囲には西宮をこき使い―――もとい、西宮の協力を得て張り巡らせた注連縄がある。

 注連縄に囲まれた範囲を幻想郷に移動させる。神奈子と諏訪子と早苗による、外の世界(こちら)で起こす最後の奇跡だ。

 

 自らが生まれ育った家に深々と一礼する。

 母屋には両親と、そして子供の頃から一番長く深い付き合いをした友人である西宮が居るのだ。

 結局父の晩酌相手にされて、そのまま泊まらせられる事になったらしい。これなら自分が居なくても大丈夫だろうと、安堵と一抹の寂しさと共に、早苗は母屋に背を向けた。

 

「……良いんだね?」

「もう戻れないよ?」

「はい」

 

 そして本殿に待っていたのは、紺色の髪を持つ注連縄を背負った大人の女性―――軍神・八坂神奈子。

 その隣に座るのは、神奈子とは対照的に小柄な金髪の少女の容姿をした祟り神・洩矢諏訪子だ。

 最終確認とも言える両者の問いに、早苗はしっかりと頷いた。

 

「大丈夫です。私はお二人の風祝ですから」

「……そうか」

「ありがとう、早苗」

 

 早苗の言葉に神奈子が、そして諏訪子が頷く。

 ―――そして早苗が手にした大幣で印を切り、神奈子と諏訪子が自らに残った神力でそれを補助する。

 彼女達の全ての力を使って起こす奇跡。それはこの神社ごと、彼女達を幻想の世界へ飛ばす物だ。

 

 ―――そう、全ての力である。

 故に彼女達は気付かない。全ての力を注力しているが故に、気付かなかった。

 

「……東風谷の奴、様子がおかしかったんだよな。神奈子様と諏訪子様なら何か知ってるかもしれねーし……」

 

 家人が寝静まるのを待ち、神奈子と諏訪子に早苗の不自然な様子について聞く為に本殿へ出向こうとしていた西宮に、彼女達はまるで気付かない。

 彼が注連縄の範囲を越えて―――つまりは幻想郷に飛んでしまう範囲に入った事にも、彼女達は気付けない。

 

「―――行きます!!」

 

 そして早苗の声とともに奇跡が発動する。

 神社の周りが光に包まれ―――そして神社の本殿、注連縄に囲まれた範囲すべてが幻想郷へと転移する。

 早苗も、諏訪子も、神奈子も、神社も―――そして意図せず範囲内に踏み込んでいた西宮も。

 

 そして――――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「ようこそ幻想郷へ。そちらの巫女さんとははじめましてかしら? 私は八雲紫。幻想郷と外界を隔てる結界の管理などをしておりますわ」

「……風祝の東風谷早苗です。巫女ではありませんが、宜しくお願いします」

 

 ―――そして妖怪の山の頂上に神社が転移したとほぼ同時。

 神社の本殿、早苗達三名の前に空間の切れ目が出来、そこから一人の女性が姿を現した。

 

 リボンだらけのドレスに身を包み、豊かな金髪をロングにして、やはりあちこちリボンで纏めた金髪の佳人。同性である早苗が思わず感嘆の声をあげかけるような美女だ。

 しかし周囲に纏う空気は大層胡散臭く、それ故に早苗は二柱から聞いていた『胡散臭い妖怪に誘われた』という幻想入りの動機の原因が目の前の相手に依るものだと、数瞬置いて理解していた。

 それを裏付けるように、早苗以外の二柱と八雲紫が交わすやりとりは、親しげとまでは行かないが一定程度の面識のある相手同士のものだ。

 

「すまないね、八雲紫。これから世話になる」

「あーうー……良い空気だねここ。なんか昔の大和を思い出すよ」

「ふふ……気に入って頂けて何よりですわ。後は貴方達が望んでいた信仰を得られるかどうかは、それこそ貴方達次第。幻想郷は全てを受け入れますが、それはある意味でとてもとても残酷な事。ですが―――」

 

 軽く頭を下げて礼をする神奈子。周囲を見回してきょろきょろとしている諏訪子。

 その両者を胡散臭い視線で見ながらも、リボンの女は芝居のかかった調子で両手を広げ―――

 

「―――私は貴方達四人(・・)を歓迎しましょう。―――改めて、ようこそ幻想郷へ」

「「「四人?」」」

「あら、二人と二柱と呼んだ方が良いのかしら。それとも風祝さん、貴方は信仰を受ける現人神としての立場もあるみたいだから一人と三柱の方が正解?」

「……いえあの」

 

 その女性―――妖怪の賢者・八雲紫が語った言葉に場が凍りつく。

 早苗も諏訪子も神奈子も、別に呼び方に拘ったわけではない。単純に数がおかしいのだ。

 

「八雲紫。私のこの帽子は別に本体とかそういうのじゃないから、私と別に数える必要は無いよ? 時々勝手にハエとか捕食するけど」

「数えません。……え、っていうかその帽子そんな機能あるんですの? ゆかりん怖い」

 

 カエルの頭部を模した帽子を指さした諏訪子が一縷の望みを賭けて言った言葉に紫がドン引きし、

 

「ははは、馬鹿だなぁ八雲紫。算数は苦手か? 良ければ私が教えてやろうか」

「要りませんわ。私これでも数字には強い方ですから。というか、何なんですか貴方達?」

 

 神奈子が頬に汗を流しながら言った言葉に紫が怒るより先に困惑し、

 

「あの……まさかとは思いますけど」

「……だからどうしたのよ貴方達。何か変よ? それとも元からこうなの?」

 

 早苗が顔面蒼白で呟いた言葉に、慇懃な態度を取るのすら止めて紫は問いかけた。

 基本的に初対面かそれに近い相手には慇懃―――或いは慇懃無礼な八雲紫であったが、そんな彼女をして慇懃な態度を忘れさせる程に、目の前の三名は挙動不審だった。

 祟り神は頭を抱え、軍神は冷や汗を流し、現人神は顔面が蒼白である。果たして何があったのかと思う妖怪の賢者に対し、三名を代表して早苗が絞り出すように質問した。

 

「……あの、この場の三名以外にも誰か一緒に来ちゃってるんですか?」

「え? 何かそれなりの霊力纏った男の子が居たから、貴方達の関係者だと思って藍―――私の式神にそっちへ向かわせたんだけど」

「…………」

 

 思わず素の口調で質問に答えた紫に、しかし返って来たのは沈黙だった。

 祟り神が頭を抱えて地面に伏し、軍神が直立不動のまま滝のように冷や汗を流し、現人神の顔色は蒼白を通り越して生物学的に有り得ない色になっている。

 沈黙が重い。いや、それすら通り越して痛い。藍助けて何かこの人達怖いと、紫も内心で冷や汗を流す。

 

「……あの、本当にどうしたの―――」

「や………」

 

 沈黙に耐えかねて声をかけた紫。

 しかしそれを遮るように、土気色の顔色をした風祝が声を上げた。

 そして次の瞬間―――

 

「「「やっちゃったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」」」

「ひっ!?」

 

 軍神・祟り神・現人神がムンクの叫び宜しく絶叫する光景に、妖怪の賢者八雲紫は思わず悲鳴を上げてしまったのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「……コスプレですか? 良い尻尾ですね」

「は? えーと、うん、ありがとう?」

 

 そして同刻。

 本殿から少し離れた神社の敷地にて、九尾の狐である八雲藍が現状を全く把握していない西宮と間抜けな会話をしていた所だった。

 



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彼と彼女の事情説明

 守矢神社の幻想入りからおよそ一時間。

 妖怪の山のそこら中から神社のある山頂へと、『何が起こったのか』と天狗や河童が様子を見に来るも、それらを紫が結界で完全にシャットアウトした結果として、守矢神社の中には何者も立ち入る事が出来ない状況が作られていた。

 天狗などは妖怪の賢者が外から連れて来た神と何か陰謀でも企んでいるのか、などと激しく議論を戦わせながら状況を見守っている所だ。だが、それを聞けば当の妖怪の賢者―――八雲紫は乾いた笑みを浮かべるしかないだろう。

 今現在守矢神社の中で起こっているのは、紫と神による陰謀でもなんでもない。

 ただの人間による神様三柱(うち一柱、現人神なんで半分くらい人間)に対する、スーパーお説教タイムだった。

 

 この状況の始まりは一時間ほど前。

 事情をあんまり理解しないまま藍に連れられて本殿にやって来た西宮と、これまた事情をあんまり理解出来ていなかった藍。

 その状況未把握の二者が本殿で見たのは、ムンクの叫びみたいな勢いで絶叫する神×3と、その光景にビビる妖怪の賢者(涙目)だった。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。それは西宮の姿を神×3が視認した事で加速する。

 

「済まない丈一! 私達のせいで、私達のせいで!!」

「ごめんよ丈一ぃぃぃぃ!!」

「誰!? あんたら誰!? なんで涙流しながら抱き付いて来てんの!?」

 

 巻き込んでしまったという立場から、西宮に縋り付くようにして謝罪の言葉を叫ぶ神奈子と諏訪子。

 しかし思い返して欲しい。西宮の霊力では彼女達の声を聞く事は出来ても姿は見えなかったのだ。

 幻想の存在が集まるこの地に来た事で、ある程度は力を取り戻して視認可能になった二柱。彼女達の姿が初見である西宮もまた、見知らぬ美女と美少女に名前を呼ばれながら抱きつかれる状況に思う存分に混乱する。

 

 唯一事情を知っておりこの状況を収拾できそうな現人神は、受けたショックが神奈子と諏訪子以上だった様子で、四肢を地面について落ち込んだポーズから頭を地面に打ち付ける反復運動を開始していた。

 

 そして第三者、或いは傍観者的な立ち位置である八雲紫と八雲藍はというと、

 

「……藍」

「……なんでしょうか紫様」

「……私怖い。何この状況」

「……そこの二柱は紫様が呼んだんでしょう。私に言われても困りますよ」

 

 などと言いながら、壁際でその阿鼻叫喚を見守っていた。

 紫などは理解不能な奇行を繰り返す三柱に腰が引けている。正直言うと今すぐ帰りたいが、幻想郷を愛する彼女の心がこの場からの離脱を押し留めていた。

 結局その騒ぎは西宮が声と口調から相手が神奈子と諏訪子だと気付き、両者を宥めるまでの五分の長きに渡って続く事となった。

 

 そして神奈子と諏訪子が宥められて正気を取り戻し、地面に頭を打ち付ける反復運動を行っていた早苗も含めた三者で西宮に事情を説明―――した所で西宮が怒った。

 

「……成程。つまり俺を除け者にして三人楽しくキャッキャウフフとこの幻想郷に来る為の計画を練っていたと」

「いやあの、そんなキャッキャウフフとか楽しそうな要素は何処にも―――」

「少し黙って頂けますか諏訪子様」

「アイ・サー」

 

 温厚そうな糸目を見開き、額に青筋を浮かべてガンを飛ばす西宮。対する早苗も含めた三柱は、仁王立ちする西宮の前に正座する形だ。

 そして反論をしようとした諏訪子が即座に白旗を上げる。完全に力関係が今この時限定で何かおかしくなっていた。

 

「ぶっちゃけそれ自体はどうでも良いんですよね。それで諏訪子様と神奈子様が平和に暮らせるってんならむしろ歓迎なんですよ、ええ。でも何が腹立つって、完全に除け者にされた事が腹立ちますね」

「し、仕方なかろう。早苗も丈一も人間だ。早苗には幻想郷に私達を送る為に協力して貰わないといけないから事情を話しただけで、本来であれば―――」

「神奈子様、東風谷に話した時点で俺にも話して欲しかった―――って言うのは我儘なんでしょうね。能力的にも東風谷が上なのは分かるし、神奈子様と諏訪子様への縁で見ても東風谷は俺より上だ。東風谷の協力が無いと神奈子様達はここには来れなかった。俺はぶっちゃけ役には立たなかった。だからそこは俺の力不足。仕方ないって納得しましょう」

 

 溜息を吐きながら西宮が言った言葉に、諏訪子と神奈子がほっと息を吐く。

 とりあえず黙っていた事に関しては許されたと察したのだろう。残りの問題は巻き込んでしまった事だが、

 

「あ、巻き込まれた事に関してはどうでも良いです。むしろ良く巻き込んでくれました。俺だけ残されるとか冗談じゃなかったんで」

「……そ、そうか……」

「え、えーと……それじゃ丈一、私らどうすれば良い?」

「とりあえずそっちの美人さん二人と一緒に端で座ってて下さい。あ、御尊顔は初めて見ましたが御二柱(おふたり)も美人ですから安心して下さい」

「……うん、ついでみたいに言われても全く嬉しくないけどありがとう」

 

 すごすごと壁際に居る美人さん二人―――即ち八雲紫と八雲藍の所まで退避する諏訪子と神奈子。

 『お疲れ様です』『あ、どうも』と全く中身の無い挨拶をしながら、二柱は二人の横に座る。

 そして二柱が座ると同時、紫が器用に正座のまま『すすすす』と移動して二柱のすぐ近くまで近寄り、口を手前に居た諏訪子の耳元に寄せた。

 

「話を聞いてた所によると、あの少年は貴方達がここに来る時の予定には入っていなかったみたいですわね」

「うん。……早苗の同級生で西宮丈一。たまたま私達の声が聞ける程に霊力が高くて、色々あって私達の事も信仰してくれてたんだよね」

「外の世界でそれほどの霊力持ちは珍しいですわ。だから幻想郷に来た時に一緒に連れて来た信者かと思ったのですけど」

「確かに私が見た限りでも、ここ五十年くらいでは早苗を除けば丈一が一番その辺の素養は高かったかなぁ。何せ私らの声を聞けるのは、早苗を除けば丈一くらいしか居なかったわけだし。ただ、ここではどうなんだかは分からないけど」

「幻想郷においての基準で見れば、『結構優秀』といったレベルの霊力ですわ。鍛えれば結構な線には行けるかと」

 

 ぼそぼそと小声で話す祟り神と隙間妖怪。

 その二人の目線の先では、早苗が正座で西宮に向かい合っていた。

 

「さて東風谷。お前が一番腹立つんだよな、俺的に」

「………………」

「御二柱は良いさ、仕える相手だし、俺の霊力だと声を聞く程度が精々だ。幻想郷だっけ? ここに来るのに俺を置いて行くっつー判断も分からんでもない。けどお前にまで除け者にされたのは感情論的に腹立つわな」

「……話したら、絶対について来ようとするじゃないですか」

「当然だろ。向こうに未練は―――まぁ友人関係とお前ん家関係で無いでもないが、実家が実家だしな。あんまり無いし」

「貴方が居たから、私はお父さんとお母さんの心配をしないでこちらに来れると思ったのに!」

「そりゃお前、傲慢ってもんだろ。ウチとは違ってお前んとこの御両親はお前の事を大事に思ってる。俺じゃ代わりにゃならねぇよ」

「貴方だって今や似たような物ですよ! 貴方まで来てしまって、どうするんですか向こうの神社!」

「逆切れかよ!? つーか神社云々言うならお前、この転移で神社ごとこっちに飛ばしたんじゃねぇのか!? 向こうの神社は本殿無しで何をやらせるつもりだったんだ!?」

「………………………………………………………あ」

「かなり考えないと思考がそこに辿り着かないのかお前は!? ああもう相変わらず馬鹿だなぁお前はよォ!」

「馬鹿って言う方が馬鹿なんですよこの、このこのこの……ド馬鹿ぁぁぁぁっ!!」

「ンだとテメェこの信仰暴走機関車がァァァァァァ!?」

 

 そして責めるような西宮の言葉に反発、というか暴発する早苗。

 そこから始まる彼らにとってはいつもの―――ただし八雲家の二人からすれば非常に見苦しい―――言い争い。

 現人神と信者Aが口汚く罵り合うその様子を見ながら、横でドン引きの隙間妖怪を完全放置で諏訪子がそっと目元を拭う。

 

「ああ、早苗……こっちに来てもあんなに楽しそうな姿を見せてくれるなんて」

「あの、洩矢さん? アレ凄い激怒中に見えますけど。しかも逆切れで」

「諏訪子で良いよ。いや早苗は昔から真面目すぎて空回っちゃう子だったからね……こっちに来てもちゃんと友人が出来るかが不安だったんだよ。けど、丈一が来てくれたんならそれは心配無くなったなぁ、とね。……あ、でも向こうの神社どうしよ」

「……えぇと、では諏訪子さんと呼ばせて頂きますわ。っていうか諏訪子さん、なんか貴方のところの信者、現人神へ向けて物凄い勢いで中指立てて挑発キメてますけど。やだ、下品なハンドサイン。ゆかりん怖い」

「歳考えて下さい紫様」

 

 ぼそりと突っ込んだ藍の足元に隙間が開き、悲鳴と共に九尾の狐はその穴に落ちて行った。

 そんな彼女を一顧だにせず、紫は諏訪子とその横の神奈子に目を向ける。ちなみに神々も落ちて行った九尾を気にもかけずに、自分達の風祝と信者の元気なじゃれあい(神々主観)を見ながら満足げに笑っている辺り肝が太い。

 そして紫は神奈子と諏訪子に向けて口を開く。どうやら彼女は罵倒合戦を繰り広げる現人神と信者Aは意識的に気にしない事にしたようだ。彼女達に構っていては話が進まない事に気付いただけとも言う。

 

「……ん、ごほん。神奈子さん、諏訪子さん。私から一つ提案がありますわ。貴方達も知っての通り、私は外界とここを行き来出来る。故に向こうの神社とあそこの風祝の両親に対する何らかのケアを条件として提示し、その代わりに一つやって欲しい事があるのです」

「やって欲しい事?」

「なんだい? それは」

 

 そして居住まいを正した紫からの言葉に、諏訪子と神奈子も真剣な表情でそちらに向き直る。

 双方共に気付いたのだろう。彼女達を幻想郷に呼んだ八雲紫の目的が、これから語られる話の内容であることに。

 

「貴方達には幻想郷のルールに従い、異変を起こして欲しいのです。より正確には、異変という分かり易い形で力を示して欲しい。―――この妖怪の山の力を示し、パワーバランスを正す為に」

「つまり私達にこの妖怪の山とやらの勢力の一部になれと?」

「そうなりますわ。山の中で貴方達がどういう立場になるか―――山を統べる事になるかそれ以外かは任せます。とにかく外からの力であろうとも、この山にも今だ巨大な勢力がある事をここらで示すべきなのですわ。今の幻想郷では紅魔館や永遠亭―――外から来た勢力がパワーバランスの一角を担っておりますが、それに対して古参である妖怪の山の勢力がやや落ち目なのです」

 

 口元を隙間から出した扇子で隠しながら、紫は語る。

 それは境界の管理者として、幻想郷の現状を憂う本心だ。

 ここ最近―――スペルカードルールの制定以後に発生した異変を鑑みると、その発生順はまずは紅魔館、そして白玉楼と永遠亭という順となる。

 白玉楼―――の一件に関しては西行妖を咲かせようとした時は肝が冷えたが、白玉楼の主である幽々子は基本的には親紫側で、幻想郷においても古参だ。ここは良い。

 

 ただ問題となるのは紅魔館と永遠亭。

 両者ともにこの幻想郷を破壊するような真似はしないだろうが、言ってしまえば紫から見ればこの両者は外様だ。外から来た両者が異変を以て力を示し、古参である妖怪の山がノーアクションのままというのは好ましくない。

 ある程度の均衡は必要である―――そう考えて紫が勧誘したのが、外界で力を失いかけていた守矢の二柱だ。

 

 閉鎖的で自分達から異変を起こそうなどとはしない天狗に代わって、妖怪の山の中心となって異変を起こす。それが出来るだけの力と行動力を持った相手。そう考えて、紫は彼女達を選び―――彼女達は幻想郷に来る事を了承したのだ。

 

「―――成程。幻想郷内の均衡を保つために、私らに異変を起こして欲しいと」

「ええ。異変の詳細は任せますわ。余りにも問題があるようでしたら一声かけます」

 

 どこか好戦的ににやりと笑う神奈子に、紫は自分の見立てが間違っていなかったと確信する。

 外の世界では建御名方神と呼ばれる彼女は、かつては洩矢の地に攻め込み信仰を奪おうとした行動派の軍神だ。閉鎖的な天狗と違って、積極的に動いてくれるだろう。

 未だに神々への信仰/親交が残る幻想郷に来た事で、それなり以上に力は取り戻している。後は妖怪なり人間なりに更に明確に自分達を信仰させて行けば、往時の力を取り戻す事も難しくはあるまい。

 そんな神奈子の様子に、隣の諏訪子が苦笑する。

 

「神奈子はやる気みたいだね。それじゃ八雲紫、さっき言ってた幻想郷で異変を起こす為のルールとやらを教えて貰える?」

「ええ、勿論ですわ。それはスペルカードルールと言って、人間と妖怪、神々などが対等な立場で挑むそれはそれは美しい決闘法で―――」

「表に出なさい西宮! 私は風祝なの! 平信者の貴方より偉いの! それを思い知らせてやります!!」

「おいおいやる気か東風谷? ガキの頃ならいざ知らず、今となってまで喧嘩で俺に勝てるつもりかよ?」

「ええ、勝てますとも。この地に来てから全身に神力霊力が漲っていますからね。顔面ボコボコにして写メ撮って笑ってやります!」

「言ったなこのやろう! 泣いても知らねぇぞ!!」

 

 両手を広げ、芝居のかかったポーズでスペルカードルールについて語ろうとした紫。

 しかし横合いから一際強い声で罵声が聞こえて来た。

 どうやら沸点が西宮よりも幾らか低かった早苗が、遂に武力決闘を要求したらしい。対する西宮も、売られた喧嘩を三割増しで買い取って了承。

 両者は壁際で話し合う隙間と神などには目もくれず、ずかずかと本殿を出て表へ向かう。

 

 スパァンと小気味良い音と共に開け放たれる本殿の戸。

 神奈子と諏訪子、そして両手を広げたポーズのままの紫が見ている前で、早苗と西宮は本殿前の地面で互いに数歩離れた距離で向かい合う。

 両者同時にファイティングポーズ。情ケ無用の戦闘態勢。

 

「ルールは!」

「金的、目突き、その他急所攻撃の禁止! あと凶器攻撃も禁止!」

「ラウンド無制限!」

「「――――ファイッ!!」」

 

 そして格闘戦が始まった。

 宣言通りに顔面を中心に狙う容赦無用の早苗と、流石に少女相手に顔面やボディ狙いは不味いと思っているのか、一応は関節を取ろうと立ち回る西宮。

 流石にここまで見苦しい争いに発展したのは、神奈子や諏訪子の記憶を遡っても余り無い。

 

 やや呆然と風祝と信者による格闘戦を見て、ついでに飛び交う罵声を聞くでもなしに聞いている三名。

 その中で紫がぼそりと呟いた。

 

「……まぁ、アレに比べれば本当に美しく、穏当なルールですわ」

「うん、アレ以下を提示されたら流石に私も引くわー」

「正直それだったら、私も異変を起こすのを考え直すレベルだな」

 

 三者三様の酷評など露知らず、風祝と信者は格闘戦を繰り広げていた。

 早苗の宣言通り早くも顔面をボコボコにされながらも、しかし遂に西宮が早苗の腕を取る。

 

「っしゃ捕まえた! ここから関節極め―――」

「がぶぅっ!!」

「っづあああああ!? 噛んだ、この風祝噛みやがったァァァァァ!!?」

 

 噛まれて思わず手を離した西宮の顎に、腰を落とした早苗のショートアッパーが突き刺さる。

 ぐらりと身体が崩れかけた所に、身を翻しての追撃のソバット。

 こめかみを踵で撃ち抜かれて、西宮がどさりと地面に転がった。

 両手を掲げ勝利を叫ぶ風祝。その姿は御両親が見たら思わず泣いちゃいそうなくらい雄々しかった。

 

「……彼女達にも後でルールを教えましょう。異変の中であんな事をされたら、私はただ困るしかありませんわ」

「噛みつきは流石に引くわー。年頃の少女としてそれはどうよ早苗?」

「まぁ、有効性を考えると軍神としては分からんでもない戦術だったな。原始的にも程があるが」

 

 かくして雄叫びを上げる風祝を見ながら、二柱と隙間妖怪による異変に関する相談は進んでいく。

 この際に早苗に周辺事情の詳しい説明があれば後の悲劇は防げたのかもしれないが―――神奈子も諏訪子も、そして妖怪の賢者と呼ばれる紫ですらこの時は知る由もない。

 幻想郷のパワーバランスや状況などを詳しく聞かされないままスペルカードルールについてだけを聞かされた早苗が暴走し、博麗神社に喧嘩を売る暫し前の話。

 彼女達にとっての幻想入りは、こうして始まったのだった。

 



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布教の前に

 ひとしきり神社の中の状況が落ち着いたところで、ハイ解散明日から頑張りましょう―――とはならないのが、守矢神社の立場の難しいところだ。

 今の神社は外の世界からいきなり転移してきた状況にあり、妖怪の山に住まう先住者―――特に実質的に山を統治している天狗の混乱と警戒は想像に難くない。強硬派などは排除を叫び出すだろうことまで含め、目に見えている。

 

 しかし神社を呼び込んだ主犯である紫としては、ここで天狗に譲歩する心算はない。

 そもそも妖怪の山が紫の進言を聞き入れて異変を起こせばパワーバランスなどを気にする必要も無かったのに、彼らが何の動きも見せないがために、妖怪の山の力を増す為にわざわざ外の世界から神社と神々を引っ張って来る羽目になったのだ。

 故に彼女はやや皮肉を込めた物言いと共に天狗達と神社の間に立ち、守矢神社のこの地への居住と布教活動を認めさせた。

 

 境界の管理者にして妖怪の賢者、八雲紫。実質的な幻想郷の管理者である彼女の仲介と、加えて神奈子と諏訪子が幻想入りした事で復活した神力を見せつけた事が大きかったのだろう。

 天狗達は渋々ながら、神社がこの山頂に陣取る事と布教活動を行う事を認める事となった。

 

 ちなみに幻想入り初日の深夜、丑三つ時を過ぎるまで行われたその話し合いは神奈子、諏訪子、紫の3名が行っており、早苗は神社の奥でボコボコにした西宮相手に勝ち誇っていた。

 これは別段彼女がサボったわけではなく、神力霊力ならばまだしも交渉云々に関しては未熟な早苗を天狗達との交渉の場に出せば、交渉の際に付け入られる隙になりかねないという判断があったからだ。

 紫が仲介に立っている以上そうそう無いだろうが、天狗側から神奈子や諏訪子に暴言などが飛び出した場合にはこの風祝は激発しかねない。

 幻想郷ならばある程度話が纏まった後ならば笑い話で済むような事でも、ファーストコンタクトでやっては致命的だ。

 

 結果、早苗は勝負の結果にブーブー文句を垂れる西宮相手に勝ち誇りながら、『天狗ってどんなんだろう』という中身の無い雑談で時間を潰す事になった。

 どれぐらい中身が無いかと言うと―――

 

「ったく遠慮無く殴りやがって……。で、東風谷。お前天狗についてどれくらい知ってる?」

「衝撃無効。電撃弱点」

「誰が某悪魔を仲間にするRPGの話をしろっつった」

 

 ―――ご覧の有様であった。

 東京やら世界やらが景気良く滅ぶ某女神が転生するRPG。基本的にゲーマーな早苗は、当然のようにそれを好んで遊んでいた。

 ちなみに諏訪子と神奈子はシリーズ内で自分らが出てなかったり扱いが悪かったら拗ねた。

 

「天狗っつーのは山伏の格好をした妖怪の一種で、山神や山霊の一種とも考えられていた。大天狗、烏天狗或いは木葉天狗、あとは白狼天狗や鼻高天狗など多くの種類が伝わっているな。伝承では愛宕山の太郎坊なんかが有名か」

「愛宕さんの山ですか。まぁ確かにバインバインですが」

「それはまた別のゲームだ」

 

 そしてゲーマー早苗さんは艦隊なコレクションにも手を出していた。パンパカパーンな巨乳重巡洋艦を思い浮かべたらしき早苗の言葉に、西宮がツッコミを入れる。

 ちなみに言っている本人である早苗も、胸は大きい部類である。

 

 ともあれ斯様に中身の無い会話の裏で、天狗の長である天魔も出張ってきての緊張感溢れる交渉が行われていた幻想入り初日。

 それも終わってその翌日―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「凄い! 私飛んでますよ、見てくれてますか神奈子様、諏訪子様!」

 

 幻想入り2日目の朝。妖怪の山頂上、守矢神社にて少女の嬉しそうな声が響き渡っていた。

 現人神・東風谷早苗。人生初の飛行体験である。

 幻想郷に入る前は当然ながら空を飛ぶ事など出来なかった彼女だが、幻想郷に入った事で彼女が元々持っていた霊力・神力が強化された事と相まって飛行が可能となったのだ。

 それを地上、神社の縁側から眺めるのは彼女に飛び方を教えた諏訪子と神奈子、そして八雲紫の三名だ。

 

「いやぁ、流石早苗だよ。こうも早く飛行のコツを掴むなんて」

「八雲が言っていたスペルカードや弾幕勝負も、すぐに出来るようになるだろう。やはり私達の風祝だけの事はあるな」

「親馬鹿ですわね」

 

 脅威的と言って良い速さで神力や霊力の扱いを掴み、自由自在に空を飛ぶ早苗を見上げ、諏訪子と神奈子は感無量といった様子で頷いていた。

 そんな両者をジト目で見つつ、紫はぼそりと呟く。

 最もこの場に藍が居たならば、手塩にかけて育てた今代の博麗の巫女である霊夢を見る紫の目が、二柱が早苗を見る物と全く変わらない事を指摘しただろうが。

 

 ともあれ、紫は自分と同類(おやばか)である二柱を見ていたジト目をそのままスライド。

 神社の上空を飛び回る早苗とは対称的に、神社の本殿でメモ帳を手にしている少年に目を向ける。

 西宮丈一。頬に湿布を貼り付けた守矢神社の信者Aは、先程まで早苗と一緒に飛ぶ練習をしていたのだが、早苗ほどの才能は無いようだった。

 早苗が『浮く』のではなく『飛ぶ』の領域に足を踏み入れた所で、ようやっと『浮く』事が出来た程度だ。その辺りで練習に見切りをつけ、早苗の練習を諏訪子と神奈子に任せ、西宮自身は紫に幻想郷内の事について話を請うて来たのだ。

 今手にしているメモ帳は、その際に聞いた事がメモされているのだろう。

 

 西宮も決して才が無いわけではないと、紫は思う。外の世界で二柱の薫陶で多少の修行は積んでいたとはいえ、たかが一、二時間程度の練習で飛行術を覚えて『浮く』事が出来るようになっただけでも大したものだ。

 霊夢―――と比べるのは愚かだろう。歴代博麗の巫女の中でも頭二つは飛び抜けた鬼才の持ち主だ。驚嘆すべき才能を持つ東風谷早苗ですら、彼女に比べると非才となる。

 しかしその早苗とて、紫の見立てでは霊夢を除けば歴代博麗に比べても決して劣らない才がある。

 僅かな時間の練習で、既に自由自在に空を飛ぶ感覚を身に付けている。事によれば、弾の撃ち方さえ覚えればそのまま弾幕勝負に出しても良い動きをするだろう。

 

 要は隣に居る相手が規格外なだけで、西宮とて鍛えれば良い線までは行く筈なのだ。

 それが自分から練習を切り上げてしまったというのは、紫からすれば少々勿体無い。

 

「何であっちの子は練習止めちゃったのかしらね。あの風祝さんがあんまりにも才能があるから、拗ねちゃったのかしら? だとしたら愚かな話ですわ」

 

 目線を西宮に向けたまま呟いた言葉は、彼に向けた物ではない。

 音量的にそちらには届かない声で呟いたそれは、隣の諏訪子と神奈子に向けた物だ。

 しかし揶揄と、その裏に隠された『勿体無いんだからちゃんと指導してあげなさい』という意図を含んだ紫の言葉に、神奈子と諏訪子は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

 

「そんな子じゃないよ、丈一は。あれは早苗が舞い上がっちゃってる分、自分はそのフォローに回ろうって考えてるだけさ」

「早苗はなんというか、こう……生き様が香車だからな。良くも悪くも前進しか知らないような子だから、丈一はその分横を固める心算なんだろう。八雲紫、先程あいつがお前に聞いたのは幻想郷内の地理や情勢だろう?」

「ええ、その通りですわ」

「なら確定だ。早苗が布教活動を効率的に出来るように、あいつは幻想郷内での布教の際のアタリを付けてたのさ」

 

 早苗の事を語るのと同様に、誇らしげに胸を張って神奈子が語る言葉に、しかし紫は僅かに首を傾げる。

 目の前の軍神はそう言っているが、あの風祝と信者Aの間にそこまでの信頼関係があるのだろうか。紫脳内には彼らの関係は神々と賢者と狐をガン無視で殴り合いをしていた光景しか残っていない。

 ファーストコンタクトで見せたインパクトは偉大だった。

 

「……まぁ、本当かどうかはすぐに分かりますか。飛び方は問題無くなったみたいですし、私は彼女を人里まで案内して行きますわ。そこから先の布教活動には協力も妨害もしませんけど」

「いや、十分だ。助かったよ八雲紫」

「うん、いつかお礼はするよ」

「貴方達を呼んだのは私ですもの。これくらいは当然のアフターケアですわ」

 

 紫が口元を扇子で隠して嘯いた言葉に、神奈子と諏訪子は苦笑しながらもう一度だけ重ねて礼を言うと、空を飛んでいる早苗と本殿に居る西宮を各々呼んだ。

 早苗が気付いて高度を下げ、丈一がメモ帳とペンをポケットに仕舞って本殿から出て来る。

 

「お呼びですか、御二柱(おふたり)とも! もっと私の飛行技術を見たいんですか!? 良いですとも! この早苗、御二柱の風祝として恥ずかしくないスタイリッシュかつアクロバティックな飛行を―――」

「だったら俺まで呼ばれる道理は無いだろ。八雲様が帰るから見送りをしろとかそういう話では?」

 

 そして西宮の言葉に『そうなんですか?』とでも言うような目線を向けて来る早苗に対し、紫は口元を隠したまま微笑を返す。

 

「惜しい、中正解ですわ。送るのは貴方達ではなく私。送り先は人里まで。―――この幻想郷で最も多くの人間が集まる人間の里、最初の布教先としては最良でしょう」

「あっ、そうか。幾ら飛べても布教に行くのには人里の場所を知らないと駄目ですもんね」

「ええ。本来であればスキマ―――私の能力を使えば早いのですけど、それだと道が分からなくなりますから。初回サービスと言う事で、人里まで一緒に飛んで行ってあげましょう」

 

 韜晦した笑みを浮かべる紫が、天狗との交渉が終わった段階で帰らなかった理由がこれだ。

 彼女が呼び込んだ神社側に対するケアとして、人里の場所を教え案内する。必要なことではあろうが、式や式の式などに任せず自分で行う辺り、意外とこの賢者は世話好きなのかもしれない。

 

「ただ―――」

 

 しかしここで、紫は意図的に困ったような目線を西宮に向ける。

 浮く程度しか出来ない彼は一体どうする心算なのか。先の二柱の言葉を試す意味を込めた視線だ。

 

「御二柱は西宮君も呼んでましたが……浮く程度しか出来ないのに、飛んで行くのについて来れます?」

 

 二柱は彼を東風谷早苗の相方として認めているようであるが、果たして本当にそれに見合う器なのか。

 それを見極めるような、試すような妖怪の賢者の言葉。

 対して西宮は苦笑と共に覚えたての飛行術で宙に浮き、そのまま横に浮く早苗に手を差し出した。

 

「東風谷、頼む」

「あ、分かりました」

 

 短いやり取り。それで全てを了承したように、早苗が頷いて差し出された手を掴む。

 そのやり取りに首を傾げる紫に、早苗はにっこりと笑顔を返した。

 

「紫さん、大丈夫です。浮きさえしてくれれば速度に関しては私が引っ張って行きますから」

「早く布教活動を行うんだったら、俺が東風谷の速度に合わせられるようになるまで修行するよりこっちが手早いですからね」

「で、人里……って何があるんでしょう? とりあえず広場とかあれば分社立てれば良いですかね?」

「アホか。まずは稗田家っていう有力者の家に。次は人里を守護している上白沢って人の所に挨拶に行くのが無難だろうな。有力者に話を通しておけば色々やり易い」

「アホ言うな馬鹿。……まぁ、じゃあそれで。その辺りは任せます」

 

 そして僅かに目を見開く紫の前で繰り広げられるのは、まさに『打てば響く』やり取り、即ち今後に関する打ち合わせだ。

 

 早苗が飛行技術を覚えて移動手段を確保し、西宮が最低限の飛行―――というか浮き方だけを覚えて、早苗への負担を少なくする。

 浮き方も分からなければ、早苗が仮に西宮を連れて行く際は彼一人分の重量をずっと支えながら飛ぶ事になる。体力的に厳しかろう。

 しかし確かに、浮く事さえ出来るならばそれを引っ張って行くのはさしたる苦ではない。飛行術の初歩で浮きさえすれば、体重はほぼゼロ。風船を引っ張る程度の負担しか、早苗には掛かるまい。

 

 そして最低限の修行で早苗の負担を最大限減らし、次に西宮が取った行動は紫からの情報収集。

 これが無くては確かに人里での、そしてそれ以降の布教活動は手探りの形を取る物となり、効率は著しく落ちていただろう。

 

 二人が自然と取った分業によって、言われてみれば確かに非常に効率の良い形で布教活動の準備が整っていた。

 紫は先程一度西宮への評価を下げたが、こうして結果を見せられて見れば、成程確かに二柱の言は間違っていなかった。彼は自分の才覚を自覚した上で、拗ねるでもなく冷静に、最も効率良く布教活動が出来る選択をしたということだろう。

 些か暴走するきらいのある早苗の相方としては適切な人材と言える。

 

「……成程、確かにこれは私が見誤ってましたわ。謝罪しましょう、守矢の二柱」

「へへ~。早苗もそうだけど、丈一も私らの自慢の信者だからね」

 

 紫が微笑と共に諏訪子と神奈子に頭を下げ、諏訪子が胸を張ってそれに答える。

 神奈子もその横でどこか誇らしげに笑い、知らぬばかりの早苗と西宮は首を傾げるのみ。

 その両者に対して紫は『なんでもありませんわ』と首を振り、声をかける。

 

「それではそろそろ行きましょう。早苗さん、少々男女が逆な気もしますが、ちゃんと西宮君をエスコートしてついて来て下さいな」

「大丈夫です、昔っから基本的に私の方が西宮より強かったですから!」

「そうだな、お前は昔から人類というよりゴリラと言った方が正しい気がするレベルで強かったな」

「ふんっ!!」

「オごっ!?」

 

 余計な事を口走った西宮に対して、早苗が繋いだ手を引っ張る事で彼を引き寄せ、カウンター気味にボディーブローを叩き込んだ。

 『ぎゃあ』でも『痛い』でもないマジ悲鳴をあげて、西宮がポトンと地面に落ちてもがき苦しむ。

 

「……今の早苗さんなら霊力と神力で身体能力を強化すれば、ゴリラくらいなら倒せる気もしますわ」

「凄いね早苗、エイプキラーだよ!」

「嬉しくありません! 諏訪子様まで西宮みたいな事を言わないで下さい!!」

 

 諦観交じりの呆れた溜息を吐く紫の言葉に、諏訪子が目を輝かせる。

 早苗はそれを否定するものの、ダメージの深さに身悶える西宮を見ると否定し切れた物ではないと思う紫だった。

 

「……というか貴方も挑発するような事を言わなければ良いでしょうに」

「……や、八雲様。……お、お言葉ですが東風谷をからかうのは俺のライフワークの一種でして。……そ、それを怠ると最悪身体が内部から爆発します」

「どういう構造してるのよ貴方」

 

 悶絶しながらの西宮の返答に、呆れ果てた声で返すしか無い紫だった。

 



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霧雨魔理沙

 紫が先導し、それに続く形で早苗が飛び、早苗に引っ張られる形で西宮が飛ぶ。

 些か男女が逆転している感のある歪なフォーメーションでの三名の飛行は続く。

 ちなみに早苗は何故か外の世界時代から腋見せだった青と白の巫女服。西宮はジーンズにワイシャツ程度のラフな格好だ。そもそもその格好で転移に巻き込まれたので、彼の場合は他の服が無いのだが。

 紫曰く、その手の洋服は確かに多少は目立つが、幻想郷には外の世界からの品がしばしば流れ着く為に、洋服主体の人妖も多いから特に気にするほどでも無いとの事である。かく言う紫も、服装は和服ではなく洋風のドレスだ。

 

 また、西宮の手には外の世界のお菓子(高級羊羹)が入った包みが二つあった。稗田と上白沢という里の有力者に挨拶に行く為の手土産として、持って行くのを主張した彼が本殿の奥の棚にあった諏訪子のお菓子箱から奪取して来たものだ。

 自分で食べたかったらしい諏訪子は抵抗したが、挨拶回りを円滑に進めるのに手土産は必要と言う西宮の言葉に神奈子が同調。更には西宮に関しては不慮の事故で巻き込んだ負い目がある為、諏訪子が渋々引き下がった形となる。

 結果として諏訪子は拗ねて壁際に座り込んでいたが、そのうち復活すると判断して守矢組+紫は華麗に無視した。

 

「わぁ……凄い大自然ですね」

「空気も違うな。流石は幻想郷とでも言うべきかね」

 

 そして飛行初心者の早苗と西宮は、きょろきょろと好奇心丸出しで周囲の光景を目に焼き付けている。

 雄大な山、森、川。確かに都会とまでは言えなかったにしろ、現代社会の中で生きてきた彼らからすれば馴染みの薄い光景だろう。

 微笑ましいその様子に紫は苦笑。

 

「物珍しいのは分かるけど、道を覚えておきなさい。妖怪の山に戻る分には、山そのものが目印になるから良いけど……人間の里には高い建造物が無いからね」

「はい、紫さん!」

「お気遣いありがとうございます、八雲様」

 

 片や元気に、片や丁寧に返って来た素直な応答に、紫が重ねて苦笑する。

 内心で今代の博麗である霊夢もこれくらい素直だったらと思いながら、飛ぶ事暫し。

 紫が居るからか偶然か、ともあれ道中何事も無く人間の里に到着する。

 

 人里では妖怪は人間を襲わないという取り決めがされている為か、里には結界などは張られていない。その代わりに最低限の備えとして周囲を柵で覆われていて、その入り口には門衛らしき人間が立っていた。

 入り口前に降り立った早苗達は、紫を先頭にして門衛に挨拶をしてから里に入る。

 多くの家々が軒を連ねる人里。しかしそれは、外界から来た早苗と西宮からは馴染みの薄い街並みだった。

 

「映画のセットみたい……」

「見た感じ江戸末期……いや、明治時代初期程度って所か? 大正以降の匂いのする建物もあるから、一概にどうとは言えないけど」

「ふふっ、驚いてるみたいね。そうね、西宮君の言った通り、外界から忘れ去られた物が時々流れ込んで来る関係もあって、一概に外界で言う何時代とは言えない文化をしているわ」

「あっ、向こうに映画とかで見たのと同じような茶屋がある……西宮、食べて行きましょう!」

 

 街並みを見て初々しい反応を返す二人に対し、紫は口元を扇子で隠して満足げに笑う。

 特に早苗のはしゃぎようたるや相当な物で、巫女服に縫い付けてある内ポケットから可愛らしい蛙型の財布を取り出して中から万札を取り出し―――た所で、紫と西宮が動いた。

 二人は駆け出そうとした早苗の両手を左右から掴んで止める。

 

「待て」

「待ちなさい」

「うっ!? いや、その……信仰を集めるのも大事ですけど、腹が減っては戦は出来ぬという名言もありましてですね?」

「別に団子を食うくらい止めねぇよ。止めねぇけどさ、お前それ……」

「貴方、そのお金……」

 

 西宮が頭痛を堪えるように額を抑え、紫が戦慄混ざりに早苗を見る。

 早苗はその様子に何を勘違いしたのか誇らしげに胸を張り、

 

「幻想郷に来た後で困る事が無いように、貯金を下ろして持って来たんです。西宮、今日は奢って上げますよ」

 

 しかしその誇らしげな言葉に返って来たのは、戦慄を深めた紫の沈黙と、心底呆れ果てたような西宮の溜息だった。

 西宮はそのまま隣の紫に向き直り、

 

「……八雲様」

「……なにかしら?」

「……一縷の望みに賭けて聞きますが、この世界で外界の紙幣は使えますか?」

「……残念ながら。そうね、こちらの貨幣について説明してなかったわ。説明しなくても予想はつくと思ってたんだけど……」

 

 沈痛な二人の反応に焦ったのは当の早苗だ。

 お年玉でも貯金していたのだろう。バイトもしていなかった女子高生としては破格の資産である十枚近い諭吉さんを取り出し、焦った表情で紫に詰め寄る。

 

「そんな……! それじゃあ、この私の諭吉さん達は某世紀末救世主伝説における紙幣価値と同じ程度の価値しか無いんですか!?」

「……西宮君、通訳お願い」

「外の娯楽漫画の台詞で、『ヒャッハー、ケツを拭く紙にもなりゃしねぇー』って奴です」

「あながち間違ってないわね……」

 

 外界のサブカルチャーを引き合いに出しての早苗の言葉に、困惑した紫が西宮に通訳を要請。

 返された翻訳に紫が沈痛な同意を返す。

 それを聞いた早苗はプルプルと震えながら俯き、

 

「そ、それなら外に居た時にもっとお買い物をしていれば……。欲しかったプラモとか超合金ロボとか色々我慢したのに……」

「そこで服とかアクセサリとか言い出さない辺りがお前だよな」

「……女の子としてその趣味は珍しいわね……っていうか貴方、ことごとく私の予想を越えてくれるわ。概ね斜め下に」

 

 妖怪の賢者、そろそろ目の前の少女が自分の常識の範疇では捉えられない存在だと認識し始めていた。

 ついでに里の入り口でワイワイ騒いでいる妖怪の賢者+見慣れぬ人間×2という、この不思議な一行に周囲からの視線が集まりつつあった。

 これ以上騒いで居れば、口うるさい人里の守護役辺りが出て来かねない。別に悪い事をしているわけではないのだが、通行の邪魔ということで説教をしてくる可能性は大いにあるのだ。

 そして人里の守護者は閻魔の次に説教が長いと、幻想郷の中でひそかに評判な程の説教好きだ。どちらかと言えば、こういう場面で積極的に関わりたい手合いではない。

 そう判断した紫は溜息を吐きながら、里の中心部の方を指差した。

 

「向こうに霧雨道具店という大きな店があるわ。そこに外の世界の物を持って行けば、物によっては多少の値で換金してくれる筈よ。外の世界の物なら本当は魔法の森の近くの道具屋の方が専門なんだけど、ここからじゃ少し遠いし」

「……とりあえず今持って来てるボールペンでも売りますか。団子代にはなるでしょうし」

「そうね、使える状態で流れて来てる外の品は珍しいからそれなりの値にはなるでしょう。他には日用品なども切れたらそこで買うと良いわ。いつぞやの半獣―――人里の守護者は寺小屋か自宅か分からないから何とも言えないけど、稗田の当主は家に居る筈だから挨拶をしたいなら方向も同じ。とりあえず中心部へ向かえば間違いは無いわね」

「じゃあ、布教は東風谷に任せるか。秘術とか見せて人集めて勧誘するなら俺より東風谷が向いてるし、俺は換金と挨拶回りをしておく」

「団子はそれが終わってからですね」

 

 当座の小銭程度はくれてやっても良かったのだが、生憎と必要な物はその気になれば殆ど自力で入手可能な八雲紫だ。

 こまごまとした買い出しなども式神に任せている為、銭の持ち合わせが生憎無い。まぁこれまで十分世話を焼いたし、ここから先は地力で頑張って貰おう。

 そう判断して持ち物を買い取ってくれそうな場所を教えたところ、早苗と西宮はその情報を元に軽く相談し、そして二人同時に紫に向き直り頭を下げる。

 

「―――紫さん、何から何までありがとうございました!」

「八雲様、御恩は忘れません」

「……ふふっ、気にしなくて良いのに。私は私の目的があって守矢を支援してるんですもの。でも礼儀正しい子は幻想郷には少ないから、そういう対応をされると新鮮ね。それじゃあ二人とも、頑張りなさい」

 

 そう告げて、妖怪の賢者は足元に創ったスキマに消える。

 それを見た周囲の人々は、妖怪の賢者が連れて来た外来人辺りなのかとアタリを付け、自分の仕事に戻って行った。

 

「……さて、それじゃあここからが俺達の仕事か」

「そうですね、頑張りましょう。私は広場辺りで布教活動を開始しますから、西宮は予定通りに稗田家と上白沢さん……でしたっけ? そちらの方に挨拶回りをお願いします。後はボールペンの換金ですね。それが終わったら里の中央の方で落ち合いましょう」 

「了解。頼むぜ東風谷、頼りにさせて貰う」

 

 そして早苗と西宮は頷き合い、互いに行動を開始する。

 神々の庇護下にあった神社でもなく、ある意味で紫の保護下にあったここまでの道中とも違う。

 彼ら二人からすれば、幻想郷にて彼ら自身の手で生きて行く為の第一歩だ。

 

「信仰集めにはとりあえず奇跡を見せるって事で、手っ取り早く海とか湖とかその他色々割ればいいでしょうか?」

「マニュアルを書いて渡すから5分待て極限馬鹿」

 

 ……第一歩から踏み外しそうになっていた風祝が居たのは、それとして。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 色々と不安はあったものの、早苗に布教活動を任せた西宮は、まずは里の中心部にある稗田家に来ていた。

 しかし御阿礼の子と幻想郷縁起については紫から聞いていたものの、外の世界では高校生だった自分より若い少女が当代という事までは考えが至らなかった西宮である。

 当初は稗田の屋敷の入り口で屋敷の者に挨拶をして事情を話し、当主に取り次いでくれるように頼んだのだが―――少々待たされた後に許可をされ、案内された部屋に居たのは儚げな雰囲気を纏った少女。

 幻想郷の歴史や妖怪についての資料を纏めている家だと聞き、勝手に厳格そうな老人を想像していた西宮は見事に呆けた。

 

「―――お待たせして申し訳ありません、外来人の方。稗田家当主、稗田阿求と申します」

「……はぇ?」

 

 思わず間の抜けた声を漏らした西宮に対して、阿求はその様子が可笑しかったのかころころと楽しそうに笑った。

 

 ―――稗田阿求。肩口程度で切りそろえた赤紫の髪を持つ儚げな少女であり、稗田家の当代。

 ごく最近に最新の幻想郷縁起を編纂し終えた所で時間があったという彼女は、屋敷の者から外来人が訪ねて来たという話を聞いて二つ返事で会う事に決めたらしい。

 今はひとしきり最初の西宮の様子を笑った非礼を詫びた後に、彼が持って来た羊羹を茶菓子に彼の事情を聞いていた。

 

「成程。八雲紫が招いた外の神社の……」

「はい。かつての大和の時代には建御名方神と崇め奉られた八坂神奈子様、そして祟り神であるミシャグジ様の統括者であらせられる洩矢神、洩矢諏訪子様を祀らせて頂いております」

 

 ちなみに阿求は昔何か嫌な事でもあったのか妖精に対しては些か辛辣なものの、それ以外は基本的には大人しく礼儀正しい少女である。転生と記憶の引き継ぎという要素もあるのだろう。

 十代の半ばに届くかどうかも怪しい年齢でありながら、外見以上に大人びた雰囲気を纏って西宮に対応していた。

 対する西宮も早苗相手のぞんざいな対応が素の性格だが、必要であれば礼節に則った対応が出来る程度には世慣れしている。これは相方である早苗が暴走癖の持ち主であった為に培われたスキルだろう。

 

 結果としてこの両者の対話は、非常に穏当かつ礼儀正しい物となっていた。

 西宮が語る彼と神社の事情。そして妖怪の賢者である八雲紫がその手引きをした事について、阿求は手元の紙にすらすらと筆でメモを取って行く。

 

「外の世界では神々に対する信仰も失われて久しいのですね。嘆かわしい事です」

「私も昔は神を信じていなかったくらいですからね。当代の風祝相手に『神様なんて居るわけ無い』などと言って殴り合いの喧嘩になったのが信仰の切っ掛けでしたから」

「あら……ちなみに勝敗は?」

「……コメントを差し控えます」

「あら。ふふふ」

 

 そしてここで西宮、痛恨の失言。外向きの営業スマイルが解け、思わず仏頂面が表に出る。

 早苗相手の最初の聖戦の勝敗については、客観的に見てどうだったのかは別問題とした上でも、彼的に未だに負けを認めたくない事柄であった。

 

 ちなみにその表情を見た阿求の反応は、微笑ましい物を見るような微笑。口元を袖で隠して上品に笑う阿求に、西宮は羞恥に僅かに頬を染めてそっぽを向く。

 この辺り、やはり御阿礼の子の転生という事情もあって、外見年齢とは逆に阿求の方が精神的には年上らしい。

 

「まぁ今はその辺りは深くはお聞きしませんが、事情は分かりました。人里での布教活動は、里の人に迷惑をかけない範囲でしたら問題無いでしょう。慧音さん―――人里を守って下さっている上白沢慧音さんは今日は少々用事で竹林の方に出向いていますので、彼女には私から言付けしておきます」

「助かります。それではこちらの羊羹も上白沢さんにお渡ししておいて下さい。後日改めて御挨拶に伺います」

「分かりました、承りましょう」

 

 そして阿求は西宮が慧音への挨拶の為に持って来た羊羹(諏訪子秘蔵)の包みを受け取り、穏やかに微笑んだ。

 一瞬だけ物欲しそうな視線を羊羹に向けた事から察するに、西宮が持って来た外の世界の高級和菓子店の羊羹は、どうやら阿礼乙女の舌に合ったようだ。

 どうやら今代の御阿礼の子は甘党なようであった。

 

「……うちにはもうありませんが、八雲様なら同じものを入手できるかもしれませんよ?」

「あ……そんなんじゃありません、もう!」

 

 そして阿求の視線に気付いた西宮が少し意地の悪い笑みと共に言った言葉に、今度は阿求が羞恥に僅かに頬を染める。してやったりという笑顔を浮かべる西宮に、阿求が困った悪戯童を見るような視線で拗ねたように返した。

 とはいえ、はしたない事をしたという自覚があるのだろう。阿礼乙女は些かわざとらしい咳払いをして、話を本筋に引き戻す。

 

「ごほん。……えーと、稗田家が編纂している幻想郷縁起に、いずれその守矢神社の事を書かせて頂く事もあるでしょう。その際はまたお話を伺っても宜しいでしょうか?」

「はい。その折は神奈子様と諏訪子様ご自身の話を聞くのも良いかと思います」

「あとは現人神にして風祝であるという方にも話を聞いてみたいですね」

「……現人神という言葉に抱くイメージがブチ壊れて良いならば止めはしませんが」

「……はぁ。何だか良く分かりませんが」

 

 早苗についても当人に話を聞きたいと思った阿求だったが、西宮が遠い目をして呟いた言葉に首を傾げる。

 八雲紫を戦慄させた脅威の総天然風祝だ。現人神という言葉からイメージされるその幻想をブチ殺してくれることは請け合いだろう。

 

「ともあれまた伺う事もあるでしょう。その折は宜しくお願いします。本日はお忙しい中、突然の訪問に快く応じて頂きありがとうございました」

「いえ、こちらこそ御丁寧にありがとうございました」

 

 かくして守矢神社代表としてこの場に来た西宮と今代の御阿礼の子である阿求の初会談は終始和やかに終わった。

 当人達が社交辞令的に交わした再会の約束が果たされる事になるのは、当人達の予想よりも遥かに早い僅か数日後。

 総天然風祝・東風谷早苗が守矢神社の他メンバーや紫の思惑の斜め右上に飛び出して、博麗神社に宣戦布告をした事に端を発する異変の事後すぐとなる。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして西宮が稗田家を辞してすぐ。

 稗田家の近くにある大きな道具店―――看板に大きく霧雨道具店と書かれた店の前を訪れていた。

 成程、紫が日用品などが欲しければここにと推した理由が良く分かる。大きくしっかりした店は年季を感じさせる佇まいで、正しく老舗という雰囲気を醸し出していた。

 長く続いた店であると言うことは、それだけで信頼が置けるという意味にも繋がる。流石に幻想郷内の物事を知り編纂するのが仕事の稗田家とは違い、いきなり当主に面会などは出来まいが、いずれ神社の側から挨拶に来るべきかも知れない。

 

 そう考えている西宮の後頭部に、不意にコツンと何かが当たったのはその時だ。

 

「……ん?」

「おい、そこのアンタ。今後頭部に小石をぶつけられたアンタだ」

 

 何かと思って振り返った西宮の耳に、声を落としたソプラノボイスが入って来る。

 きょろきょろと見回すと、霧雨道具店からは死角になる家の影から手招きしている少女の姿があった。

 長い金髪に黒と白を基調としたエプロンドレス、そして魔女のような帽子と箒が印象的な快活そうな少女だ。年の頃は西宮や早苗とそう変わるまい。

 そして前後の言動から察するに、彼の後頭部にぶつかったのは小石で、それをぶつけたのは魔女風の少女―――と言う事だろう。

 

「糸目の兄さん。聞こえてるだろ? 悪いがちょっと来てくれないか」

「……いきなり何だ? 美人局や詐欺の類なら御免だぞ」

「違うっての。悪い、少し頼まれてくれ。兄さん今、霧雨道具店に入ろうとしてたろ?」

 

 露骨に身を隠している魔女(推定)からの呼び出しに、警戒しながらも西宮がそちらに近付く。

 無論そのまま路地裏に連れ込まれるような事があれば即時離脱する心算で、重心はやや後ろに傾けて逃走準備は完了だ。

 しかし少女も、自分が警戒されるような事をしている自覚はあるのだろう。バツが悪そうに帽子の上から頭を掻き、

 

「そう警戒してくれるなよ。私は怪しいもんじゃないぜ?」

「不審者ほどそう言うと俺は思うんだ」

「……あー、確かに道理だな。実際客観的に見りゃ今の私はかなり怪しいか。……訂正だ、怪しいけど悪い奴じゃないぜ。その証拠にまずは名乗ろう」

 

 そして少女は西宮に向けて笑みを向け、自分の名前を高らかに―――ただし霧雨道具店の方には聞こえない程度の声音で名乗る。

 

「私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ」

「……霧雨(・・)?」

「……ああ。私がここに隠れている理由もそれだ」

 

 そして西宮が鸚鵡返しに返した自分の苗字に苦笑し、少女―――霧雨魔理沙は霧雨(・・)道具店をちらりと見やる。

 

「実は私はあそこの家出娘でな。道具屋で換金したい品があるんだが、生憎私はあそこに入れない。アンタは里の人間じゃないように見えたし、道具屋に行くついでに私の分も換金して来てくれないか?」

 

 照れたようなバツが悪いような、そんな微苦笑を浮かべながら西宮を見上げる魔理沙。

 ―――これが幻想郷を代表する異変解決家の片割れ霧雨魔理沙と、守矢神社の平神職である西宮丈一の初遭遇だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 結局その後、少々悩んだものの西宮は魔理沙の頼みを了承した。

 理由としては幾つかあるが、彼女の家出少女という立場に対して両親との折り合いが悪かった彼自身の環境を重ね、心情的に協力したくなったからというのが最大の理由だろう。

 

「……念の為聞くけど、売りたい物って盗品とかじゃないよな?」

「違うぜ。まぁパチュリーの本とかは死ぬまで借りたりしてるけど、これは借り物でもないしな。流石に実家に借り物売りつけるのは気が引けるぜ」

「死ぬまで借りるってお前……」

 

 死ぬまで借りると言うのは盗品とどこが違うのかと悩んだものの、他人の事情だという事もあるし、下手に突っ込むと藪蛇と判断。

 『あまり他人様に迷惑かけるなよ』と一言軽く釘を刺す程度に留めて、魔理沙が持って来ていた彼女が作ったらしい魔法のアイテム―――便利な日用品などだった―――を受け取り換金に行く西宮。

 

 神社側として人里の有力者に繋ぎを作っておきたい西宮としては不幸な事に、そして家出娘である魔理沙にとっては幸運な事に、道具店の店主―――即ち魔理沙の父は不在。

 マジックアイテムの出所について何か言われる事も無く、あっさりと換金は終了する。

 どうやらボールペン(外の世界価格税込63円)は『便利な筆の一種』と判断されたらしく、それなりの高値となった。

 

 外の世界の品を持ちこんで売ればそれだけで幻想郷では一財産を作れそうだが、流石にそれは幻想郷のバランスを崩しかねない行為である。

 そもそも安定して行き来する手段が西宮の知る限りでは八雲紫に頼るくらいしか無いし、幻想郷のバランスを崩しかねない行為に彼女が加担するとも思えない。

 

 欲をかかず、あんな品が高く売れたならそれだけで儲け物と思っておこう。

 そう判断した西宮が道具店から出ると、相変わらず道具店から死角になる位置から手招きをする魔理沙を発見。

 手招きに応じるようにそちらに向かい、彼の側は別に声を落とす必要も無いのだろうが、魔理沙に釣られるようにして声を落として報告を返す。

 

「売れたぞ、家出娘」

「おう、感謝するぜ見知らぬ人。それじゃ悪いが少し移動しよう。あんまり実家の前に長居はしたくないんでな」

「そして移動途中で路地裏を通ろうとした所で、俺は家出娘のボディーブローで気絶させられ身ぐるみを剥がされたのでした。ああ無常」

「お前はどんだけ私を信用してないんだ」

「冗談だ」

 

 軽口を叩く西宮に呆れたような突っ込みを返しながら、魔理沙は道具店から少し離れるようにして里を歩く。ちなみに阿求や紫の前では礼儀を弁えて対応していただけで、こうして軽口を吐いている方が西宮としては素に近い。

 そして着いた先は、奇しくも最初に早苗が諭吉さんを手に突撃しようとした茶屋だった。魔理沙が茶屋の椅子に腰かけた所で、西宮は魔理沙の持ち込んだマジックアイテムが売れた分の金を彼女に渡す。

 受け取った魔理沙は簡単に金額の確認をしつつ、唇を尖らせて西宮に苦言を呈した。

 

「まぁ私も最初に声をかけたシチュエーションが怪しかったのは認めるがな。ボディーブローって何だよボディーブローって。怪しく見られるのは百歩譲って許すが、そんなガサツに見えるか?」

「その男じみた言葉遣いを鑑みると割とガサツな気もするが。まぁボディーブロー程度俺からすればまだまだ有情だな。俺の幼馴染は八雲様公認で『エイプキラー』として認められたぞ。素手でゴリラくらいなら殺せるらしい」

「八雲様……ああ、紫か。里の人間には見えなかったが、お前さん紫が連れて来た外来人だな」

 

 そこまで聞いた所で得心がいったように魔理沙が頷き、そして首を傾げる。

 

「エイプって何だ? 外の世界の動物か何かか?」

「幻想郷には居ないのか。いや、居ても困るが。……こちら風に言ってしまえば化け猿の一種で、巨大な身体と強靭な身体能力を誇り、あと糞を投げる」

「それと素手で渡り合うか……お前の幼馴染ってスゲェな」

 

 魔理沙の脳内で、まだ見ぬ西宮の幼馴染が某世紀末救世主伝説的な巨漢になった。

 彼女の脳内では剛腕を振るう化け猿をそれを上回る剛腕で叩き潰す西宮の幼馴染が大暴れしている。脳内に浮かんだその光景に、豪胆な彼女にしては珍しく頬に冷や汗が一筋流れた。

 実際に戦ったわけでも無く、紫はあくまで神力と霊力で身体能力を強化すれば『理論上は可能』という程度の意味合いで口に出した程度なのだが、それは魔理沙には分からない。

 

 更に言うならば幻想郷に生息する非人間型の凶暴な妖怪を元にしたイメージの為、彼女脳内の『エイプ』は四本腕があったり鋭い牙で獲物を噛み千切ったりする凶獣(モンスター)となっている。

 しかし流石は異変解決の専門家。『まぁそういう奴も外界には極稀に居るのかもしれない』と思い、気を取り直して目線を茶屋のお品書きへと向け直す。

 

「まぁ何にせよ、ちょいと手間をかけさせてしまったわけだしな。茶と団子くらいなら奢るぜ? ここの団子は美味いんだ」

「気持ちと誘いは嬉しいが、後でその幼馴染と来る約束もあるんでな。先に食ったと聞けば拗ねるだろうし、悪いが気持ちだけ頂いておく」

「……その幼馴染とやらも幻想郷に来てるのか」

「ん? ああ。来てるぞ」

 

 顔色をさっと青くする魔理沙。彼女脳内では、まさかの世紀末覇王が幻想入りである。

 脳内に表示される映像は、巨大な黒い馬にまたがり幻想郷の大地を駆ける巨漢。決して膝など付かなそうな世紀末の覇者が我が物顔で幻想の地を駆け巡っていた。

 凄まじい光景だった。紫は何を考えてそんなもんを幻想入りさせたのかと、魔理沙は妖怪の賢者の正気を本気で疑った。

 完全に勘違いだった。

 

「ちなみに」

 

 そしてその勘違いにトドメを刺す言葉を、西宮が無自覚に呟いた。

 

「その幼馴染はウチの神社の巫女だ」

「ちょっと紫退治してくる」

 

 遂には血相を変えて、結局何の注文もせずに茶屋から飛び出していく魔理沙。

 彼女の脳内宇宙では腋見せ巫女服を纏った世紀末覇王の幻想入りの完成であった。西宮の説明不足と魔理沙の勘違い、そして二人の認識の相違から起こった悲劇はかくしてクライマックスを迎える事になる。

 正気を失っておかしなモノを幻想入りさせた(※魔理沙視点。勘違い)妖怪の賢者・八雲紫を叩き伏せて正気に戻す為、普通の魔法使い・霧雨魔理沙の決死の出陣であった。

 

「……お前と八雲様の間で何があったのかは知らないが、一度座っておきながら注文もせずに店を出るのはマナー悪くないか?」

「お前とその幼馴染の分の茶と団子代を先払いで出してやる! それで文句無いだろ!? えぇと……」

「ああ、名乗っていなかったっけか」

 

 既に箒に跨りながら、魔理沙がマジックアイテムの売り上げが入った巾着から、幾許かの小銭を数えもしないで西宮にトスする。

 それを受け取りながら、西宮は自分が名乗っていない事に気付いて頷きを返す。

 

「西宮丈一。守矢神社の信者だ。良ければウチの神社を信仰してくれよ、魔法使い」

「……なるべく御遠慮させて頂きたいぜ。じゃあな、西宮。幻想郷の為にも私はもう行く。縁があればまた会おう」

 

 本気で嫌そうな顔をしながら飛び去る魔理沙に、果たして何かそこまで信仰を嫌がられる要素があったかと首を傾げる西宮。

 結局この段階では魔理沙の勘違いは欠片も修正される事無く、やれ紫がトチ狂ったかと失礼な事を考えた魔理沙が、まずは紫の居場所の手掛かりを掴む為にと彼女の式の式の住居であるマヨヒガに特攻をかける事になる。

 そして都合良くたまたまそこで団欒していた八雲一家。そこに横合いから突っ込んで来て、『正気に戻れ紫! 何か辛い事でもあったのか!? 私でも他の誰かにでも相談すれば良かったのに!!』と涙ながらに叫ぶ普通の魔法使いという光景に、八雲一家がいたく混乱するのは数時間後。

 一緒になってマヨヒガに遊びに来ていた天衣無縫の亡霊こと西行寺幽々子が顛末を聞き、危うく成仏しそうなほど笑い転げる事になるエピソードの完成であった。

 

 悲劇/喜劇の種を無意識に撒いた西宮は数時間後に待ち受けるそんな運命など全く気付かず、普通の魔法使いへの布教失敗という彼主観で分かる唯一の事実を首を一つ振って頭から追い出して、茶屋の奥へと声をかける。

 店の前で注文もせずに騒いでいた魔理沙と西宮に対して、茶屋の店主と思しき男性が迷惑そうな視線を向けて来ていたが、

 

「すいません、連れが急用が出来たそうなんで帰ってしまいました。別の連れを連れてすぐに来ますので、代金を先払いさせて頂いても宜しいですか?」

「毎度あり! まぁ払って貰えるなら文句無いよ」

 

 西宮が彼的には迷惑料の意味もあって茶代の先払いを提案すると、茶屋の店主は一変してにこやかな笑みを浮かべて来た。

 銭の偉大さは幻想郷の外も中も変わらんなという俗な感想と共に苦笑し、店主に世話をかけて申し訳ない旨を伝えて一割ほど多く銭を渡す。

 幸いにして魔理沙は雑な勘定で西宮に茶代を放ったらしく、二人分どころか三人が茶と団子を頂いたとしてもお釣りがくるくらいの金額を貰っていたので、この程度の出費は痛くない。

 

「……さて、ウチの風祝様はどこに居ますかね……っと」

 

 恐らく先の打ち合わせ通り、里の中心部辺りで布教活動をしているのだろう。

 そう当たりをつけて、茶屋を出た西宮はそちらへと歩き出すのだった。

 



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薬売りと幻想ブン屋とわんこ

 さて、“普通の魔法使い”霧雨魔理沙の出陣から少し後。

 あの後西宮は風を操る奇跡を人々の前で見せて神奈子と諏訪子の神徳と御利益を説くと言う、西宮作成マニュアルに従った至極真っ当かつ穏当な布教活動をしていた早苗をあっさり発見した。

 どうやら神々への信仰/親交が深い幻想郷での布教活動は、外界での布教活動に比べて格段に色好い反応が返って来たらしく、現人神様は西宮が発見した段階から大層御機嫌で熱弁を振るっていた。

 

 その後布教活動がひと段落がついた所で声をかけ、合流。先の茶屋へ向かったのだが―――現在並んで座った茶屋の椅子の上で。

 布教活動に満足した後の東風谷早苗、今度は茶屋の甘味に御満悦のご様子だった。

 

「美味しかったー。御馳走様でした!」

「太れ。肥えろ。食い過ぎだ東風谷」

「甘い物は別腹ですよ西宮。あと肥えろ言うな」

 

 餡団子に醤油団子、餡蜜に何故か実験メニューとして茶屋の御品書きに並んでいた杏仁豆腐まで平らげた早苗に、西宮は揶揄するような笑みを口元に浮かべて毒を吐いている。

 ちなみに杏仁豆腐は湖を越えた先にある屋敷の門番が教えてくれたメニューらしい。外の世界で食べたコンビニ売りの杏仁豆腐の何倍も美味かった事は、西宮も認める所である。

 

「まぁお前が太る分には勝手だが」

「太りませんてば」

「そう思うのも勝手だが。成り行きで貰った茶代から完全に足が出たじゃねぇか」

「だから太りませんて。それに、良いじゃないですか。ボールペン、高く売れたんでしょう?」

「まぁな。当座の活動資金程度にはなるから、着替えが無いんで服程度は買っておきたい。後は―――薬だな」

「薬?」

「ああ」

 

 西宮は早苗の言葉に頷いて、懐からメモ帳を取りだした。

 紫から聞いた幻想郷内の簡単な地理と情勢が書かれたメモ帳だ。売ったのとは別のボールペンを取り出して、今聞いた『杏仁豆腐の作り方を教えてくれた門番』が居る屋敷は推定『紅魔館』と呼ばれる屋敷だろう旨を書き加えた。

 そして横に座る早苗に地図の表示されたページを示し、その紅魔館とは別の位置―――竹林の奥にある屋敷の図をペンで差す。

 

「神奈子様や諏訪子様と違って俺らは脆弱な人間だからな。それも幻想郷では風邪引いたから気軽に病院に……というわけにもいかないだろう。幸いにしてこの永遠亭なる所には名医が住んでいて、その名医の弟子が置き薬の販売を行っているって話だ。頼んで神社に置き薬を常備させて貰えたらと思ってる」

「まぁ確かに。備えあれば嬉しいなとも言いますしね」

「嬉しくてどうする、このゆとり世代」

「貴方同い年じゃないですか、このゆとり世代二号」

 

 丁々発止と会話のドッジボールを交わしながらも、しかし西宮が言った言葉には早苗も賛成らしい。

 布教活動が最優先だが、自分達が体調を崩しなどすればその布教活動に遅れが生じる。ならば故にこそ、先んじて憂いは潰しておくべきだろうという考えか。

 ともあれ早苗も西宮の言葉に頷き、同意の念を表明して腰を上げる。

 

「それじゃ、広場で一通り御二柱の神徳も説き終わりましたし……今日は後は買い物と、その永遠亭って所へ行ったら帰りますか」

「いや……一つ問題があってな。永遠亭の周囲にあるのは迷いの竹林っつって、入る人を惑わす不思議な竹林らしい。俺らが行って辿り着けるかどうか……」

「何でそんな場所に居を構えてるんですか、医者。不便極まりないでしょう」

「俺に言うなよ」

 

 困ったように言いながらも西宮も早苗を追って腰を上げ、『すいません、お勘定お願いします』と店の奥の店主に声をかける。

 

「困りましたね。永遠亭に行かないと薬は手に入らないんでしょうか?」

「おや。何ですか、お客さん。竹林のお医者様にご用事ですか?」

「え? はい。置き薬が欲しくて……」

 

 そして勘定の為に近付いて来た店主が、早苗の言葉を耳にして言葉を挟んで来る。

 勘定を先に終わらせると店主は事情を聞き、少し待っていて下さいと言い残して店の奥に消えて行った。

 何かあるのかと話しながら、西宮と早苗が待つ事少し。店主が『良かった良かった』と笑顔で二人の前に戻って来た。

 

「お客さん、運が良いですね。うちにも竹林のお医者様の置き薬があるんですが、その置き薬に書いてある集金スケジュールによると、お医者様のお弟子さんが置き薬の集金に来るのが丁度今日ですよ。もう少し待って頂ければ来るのではないかと思います」

「集金? えーと、どういう事でしょう?」

「置き薬ってのは薬箱を各家庭に置いておいて貰って、定期的に業者が回って使った分だけを集金・補充するってシステムなんだよ」

 

 置き薬というシステムを良く分かっていなかったらしい早苗の言葉に西宮が補足を入れる。

 その補足に店主が頷き、早苗と西宮に問いかける。

 

「どうでしょう? お二方……特にそちらのお嬢さんには随分食べて頂きましたしね。良ければお医者様のお弟子さんが来るまでお待ちになられますか?」

「良いんですか?」

「構いませんとも。その代わり、今後も御贔屓にお願いします」

「ええ、是非とも! それじゃあ店主さん、あの杏仁豆腐もう一つお願いします!」

 

 早苗の元気の良い宣言に、店主が『してやったり』という笑みを浮かべた。

 商売上手な事だと内心で思いながら、西宮はその笑みに対して苦笑。

 店主の提案は彼らとしても渡りに船だったし、こういう商人らしさは嫌いではないので特に悪感情は無い。しかしあっさりと商人の思惑に乗って追加注文をする早苗に対しては小さく苦言を呈す事にする。

 

「絶対に太るだろうな」

「太りませんってば」

 

 にやにやと笑みを浮かべながらの彼の言葉に、ぶすっと頬を膨らませた早苗がそっぽを向く。

 それを見た店主は『仲の宜しい事で』と西宮と早苗からすれば甚だ不本意な台詞を残し、注文された品を作りに奥に引っ込んで行った。

 

「……あー、じゃあ俺はその間に適当な服を買いに行って来るから、お前はここで待っててくれ。すぐ戻るけど、もし俺が居ない間に医者の弟子が来たら頼む」

「分かりました。あ、杏仁豆腐と……あとその他にも何か適当に食べれる分だけお金置いてって下さいよ」

「……まだ食う気か」

 

 その店主の背を見送った後、待ち時間の間に適当な所で服を買おうと西宮が席を立ち、早苗が食費を要求する。

 呆れながらも小銭を早苗に渡すと、西宮はその場を立ち去った。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして数十分後。

 里の服屋でごく適当に服を購入して来た西宮が店に戻ると、早苗の横には団子や杏仁豆腐の器が幾つも積まれていた。

 げんなりとする西宮が声をかけると、嬉しそうな笑みと共に早苗が振り返る。

 

「あ、西宮。間に合いましたね。今丁度そのお医者さんのお弟子さんが、店主さんの家の置き薬を確認に行ってる所です。私達の用事はそれが終わったら話を聞くとの事でしたよ」

「うわ、ギリギリセーフだったか」

「ええ。あと、そのお医者さんのお弟子さん―――鈴仙さんという方がですね。驚いた事にブレザー姿だったんですよ」

「ブレザー? ……って、外の世界の?」

「ええ。流石にウチの学校の制服とは少し違いましたけど」

「はぁ……そりゃまた、なんとも」

 

 早苗から聞いた言葉に、西宮が呆れたような感心したような微妙な声を上げる。

 彼が驚いた様子なのに気を良くしたのだろう。自分の事でも無いのに胸を張り、何故か誇らしげに早苗は追加情報を披露する。

 

「しかもウサ耳です。バニーちゃんですよ。凄いですね幻想郷」

「ウサ耳ブレザー医者見習いか……凄いな幻想郷」

 

 『幻想郷すげぇ』という線で合意する二人。

 そこに店の奥の方から話し声が聞こえて来る。片方は茶屋の店主の声。もう片方は西宮には聞き覚えが無く、早苗からすれば先程聞いたばかりの女性の声だ。

 

「はい。では確かに頂きました。それではまた一ヶ月後に伺います」

 

 二、三のやり取りの後にそう話を締めくくった女性―――西宮曰くウサ耳ブレザー医者見習いが、店の奥から早苗達の方に近付いて来る。

 長い紫銀色の髪と、何故かしおれたウサ耳、そしてブレザー姿の人物だ。本当に聞いていた通りの姿だった事に、西宮が僅かに表情に驚きを出し、対する早苗は何故か僅かに誇らしげにする。別に自分が凄いわけでもあるまいに。

 

「ごめんなさい、早苗さんでしたよね。お待たせしました……って、あれ? 隣の方は……」

「あ、すいません。コレ私の連れです。用事があって席を外してたんですけど今戻ってきまして」

「コレ言うな駄風祝。お時間を取らせて申し訳ありません、薬売りさん。外来人の西宮丈一と申します」

「あ、どうもご丁寧に。永遠亭で医者見習いをしております、鈴仙・優曇華院・イナバと申します」

 

 そして西宮と鈴仙、互いに自己紹介をざっくり済ませて一礼。半瞬遅れて鈴仙のウサ耳がへにょりと揺れる。

 ある程度礼節に則った対応をする者同士、外の世界の会社員辺りを彷彿とさせるやり取りだ。或いは名刺でも持たせたら、堂に入った名刺交換でもするかもしれない。

 

「はい! 同じく外の世界から来ました東風谷早苗です!」

「うん、さっき聞いた」

「俺は元から知ってる」

 

 そしてそんな2名の自己紹介を見て、なんとなく元気に名乗りをあげる東風谷早苗。

 ステレオでさらっとしたツッコミを入れた鈴仙と西宮は、特にそれ以上言及するでもなく話を進行させる。

 

「先に東風谷からある程度は話がされていたかもしれませんが、私達はこの度妖怪の山に越してきまして。住居に置き薬を頂きたいのでお話を伺いたいのですが宜しいでしょうか?」

 

 西宮の言葉を聞いたウサ耳ブレザー医者見習いは『妖怪の山に?』と疑問を表情に浮かべたが、彼女―――永遠亭の妖怪兎、鈴仙・優曇華院・イナバは元より他人の事情に深入りするタイプではない。むしろ他人とのコミュニケーションを苦手とするタイプだ。

 別に聞くような事でも無いかと気を取り直し、事務的に目の前の二人に対応を始める。

 

「場所が少々特殊ですので置き薬形式にするかどうかまでは確約できませんが……薬をお求めなら、師匠に話を通しておきます。欲しい薬の種類などでご希望はありますか?」

「私達、外から来たばかりなんですけど……薬の種類って外の世界と変わらないんですか?」

「師匠は凄いですからね。事によると外の世界で手に入らない薬もあると思いますよ」

 

 事務的ながら、師匠の事を話すときだけは自分の事のように誇らしげに語る鈴仙。

 さぞやその師匠を尊敬しているのだろうと思いながら、早苗と西宮は互いに顔を見合わせる。

 

「うーん……お互い持病持ちでもありませんしねぇ。うちの薬箱って何が入ってましたっけ。なんか印象に残ってる薬とかあります?」

「ボラギノール」

「ああ、お父さんの痔の……」

「痔? あ、座薬をお求めですか?」

「「断固として否定します」」

 

 基本的には健康であった東風谷一家。

 その大黒柱である早苗の父の唯一にして最大の持病の話題に何故か乗ってきた鈴仙に、早苗と西宮が完全にハモった否定を突き返す。

 『私が調合したのに……』と、少しだけしょんぼりとウサ耳を垂らす鈴仙だが、まだ10代の守矢神社組からすれば自分らが痔という評判はなんとしてでも避けたかった。

 

「座薬はともかく、特別欲しい薬ってのも無いよな。他の家庭と同じ感じで基本セットみたいなのがあれば――――あ、いや待て。外の世界に無い薬ってんなら、俺ずっと欲しかった薬がある」

「あ、奇遇ですね。そう言われてみれば私もずっと欲しかった薬があるんです」

 

 二人の言葉に鈴仙は『あれ? こいつら同棲してんの?』と僅かに好奇心を覚えるが、突っ込んだ事情を聞くのも憚れたので痔の話題と違って今度はスルーした。

 これが比較的常識的な感性と他人とのコミュニケーションが苦手な性格を持つ鈴仙だったからまだ良いものの、聞く相手によってはさぞや大変な事になっていたであろう。

 ともあれそんな彼女に対して、早苗と西宮は満面の笑顔で互いを指差しながら同時に言った。

 

「「こいつ(バカ)に付ける薬をください!」」

「扱っておりません」

 

 ああ、こいつら馬鹿だ。同レベルで馬鹿だ。

 鈴仙・優曇華院・イナバ。彼女がファーストコンタクトで東風谷早苗と西宮丈一に抱いた印象は、概ねそのような物だった。

 

 

      #   #   #   #   #   # 

 

 

 結局妖怪の山の頂上と場所は流石に鈴仙が置き薬の確認に行くのも一苦労である為、、『置き薬としてのシステムで運用するかは確約はできないけど、師匠に掛け合ってみる』と言う線で鈴仙と早苗・西宮は合意。

 後日鈴仙がまた人里に来る日にでも、師に掛け合った内容含め改めて話を詰める事で話は纏まった。

 

 そして布教の手応えが良かった事に満足し、余り遅くなる前に神社へ戻る事にした二人。

 ちなみに西宮は良い感じにボロボロであり、打撲箇所には早速試供品として鈴仙が提供してくれた湿布が張られていた。

 理由は単純。互いを馬鹿と笑顔で表現した上で、寸分の狂いも無く全く同時に『馬鹿に付ける薬』を求めた直後に、第何次とも知れない宗教戦争(物理)が勃発したのだ。

 

 同宗派同士の悲しき宗教戦争は、キリスト教のプロテスタントとカトリックの争いの歴史を―――全く想起させる事の無い単なる醜い痴話喧嘩として鈴仙と茶屋の主人に受け入れられた。

 その後周囲に出来たギャラリーのトトカルチョを受けながらも、関節を極めようとした西宮の腕を逆に早苗が極めた辺りで西宮がギブアップ。毎度の如く勝者は早苗と相成った。

 付き合い良く最後までギャラリーをしていた鈴仙に治療される西宮を背に、勝者として守矢神社の名を喧伝する早苗は布教者の鑑だったと言えよう。ちなみにトトカルチョの胴元として儲けていた茶屋の主人は商売人の鑑であった。

 

 ちなみにそんな騒ぎが終わった後、浮くしか出来ない西宮の手を早苗が握って二人一緒に妖怪の山に帰って行く光景を見ながら、鈴仙が『あいつらの関係って結局何なの……?』と真剣に悩んでいたのは別の話。

 

 ともあれ斯様に色々な事があった幻想入り二日目。

 早苗と彼女に腕を引かれた西宮は日が暮れる前に神社に帰りつくが、そこで神奈子や諏訪子と言葉を交わしていた見知らぬ少女二人と顔を合わせる事になる。

 

「あやややや? 彼らが先程仰っていた風祝さんと信者さんですか」

「ども、はじめまして。お邪魔してるッス」

 

 神社の本殿。そこで神奈子と諏訪子の二人に対面していたのは背中に漆黒の翼を生やしたワイシャツにプリーツスカートといった現代衣装の黒髪の少女と、こちらは和装の犬耳と犬尻尾を生やした銀髪の少女だ。

 銀髪犬耳はともかく、黒髪羽根付きの方は強い妖力を纏っているのが早苗や西宮にも感じられる。

 山に住む妖怪だろうかと考える早苗。それよりは一歩踏み込んで、山伏風の衣装からこれが天狗かと当たりをつけながらも会釈をする西宮。

 その彼らに対し慇懃な態度で―――ただし西宮などに言わせれば、値踏みするかのような視線を存分に乗せた慇懃無礼な態度で挨拶を返したのは黒髪の方の少女である。

 

「お初にお目にかかります。私、妖怪の山の烏天狗にして新聞記者。清く正しい射命丸こと、射命丸文と申します。文々。新聞と合わせてどうぞお引き立ての程を宜しくお願いします」

「白狼天狗の犬走椛ッス。宜しくお願いするッス」

 

 次いで銀髪の少女―――犬走椛もぺこりと頭を下げる。こちらは真っ直ぐな性格が前面に出ており、にこやかな表情で尻尾をパタパタ左右に振っている様子からは警戒心は見えない。

 どうにもチグハグなコンビであった。

 

「御丁寧にありがとうございます。風祝の東風谷早苗と申します」

「……守矢神社が信者、西宮丈一と申します。天狗様達におかれましては御機嫌麗しゅう」

 

 そんな彼女達に対して早苗は明るく笑顔で挨拶を返し、西宮は警戒心を殊更に表に出して腰の低い挨拶を返す。

 その様子に楽しそうに目を細めたのは射命丸だ。

 にぃ、と口元に嫌な笑みを浮かべる姿は、果たして彼女の値踏みが高かったのか低かったのか。

 

「―――成程。これはまた随分と面白そうな方々のようですね」

「ふはははー! 文さん文さん、天狗様とかなんかすごい扱い良いッスよやべぇ様付けとかボク偉くなった気がするッス! よぉし信者くん、上下関係を刻み込むためにまずはパン買っ」

「ふんッ!!」

「おフッ!?」

 

 そしてシリアスに口の端を僅かに上げたニヒルな笑みを浮かべた文の横で、椛が笑顔でシリアスブチ壊しの失言を吐こうとした所、文の右手が物凄い速度でブレると同時に打撃音が椛の脇腹辺りで炸裂する。

 キョトンとした表情の早苗と、憮然とした表情の神奈子。そして笑いを堪えている諏訪子と、呆れが顔に出た西宮。

 四者四様の視線を受けながらも崩れ落ちる椛の身体を支え、文は額の汗を拭う仕草を見せる。

 

「いやぁ、神罰ってあるんですね。八坂様と洩矢様の信者さんに暴言を吐こうとした馬鹿犬に罰が下ったのでしょう」

「……右フックが神罰か、斬新だな」

「はてさて、何の事やら」

 

 責めるような神奈子の言葉に羽扇で口元を隠しながら、文は飄々とした様子で立ち上がり、口から泡を吐いている椛の足を掴む。

 そのまま二柱と二人に一礼し、

 

「それでは色々と興味深いお話も聞けた事ですし、お暇しましょう。―――今現在、この神社の様子は山の妖怪中の注目の的です。身の振り方には御気を付け下さい」

「ああ、ああ。分かってるよ天狗。其方の忠言ありがたく思う」

 

 と、神奈子と互いにどこか非友好的な視線を交わしながら、ずるずると椛を引き摺って去って行く。

 本殿から外に出る際に段差から落ちた椛が頭部を地面に打ち、『へぐぅ』という偶蹄目系の悲鳴を上げたがガン無視。

 潔いまでの扱いのぞんざいぶりであった。

 

 そして文(+足を掴まれた椛)が妖怪の山、八合目辺りに位置する天狗の集落へと飛び去ったのを見送ってから神奈子が溜息を吐く。

 

「厄介な話だ。天狗は随分と私達が邪魔らしい。河童や他の八百万の神々の反応は悪くないのだがな」

「今のは偵察と警告の意味があったんだろうね。でも私は今の天狗……射命丸だっけ? あいつは嫌いじゃないね。取材の名目で乗り込んで来て私と神奈子から直接話を聞こうだなんて、八雲から聞いてた異変を起こそうともしない天狗達の中では、中々どうして肝が据わってるじゃないか」

 

 神奈子の溜息に対して諏訪子が楽しそうに笑い声を返す。

 そして本殿入り口に立ったままだった西宮と早苗に『まぁ座りなよ』と声をかけ、彼女はすたすたと社務所に入って行った。

 早苗と両親が生活していた母屋はこちらに来ていないが、本殿併設の社務所は神社本体と一緒に幻想入りして来ていた。

 客間や布団もある為、現在彼ら四人は適当にそちらで暮らしている現状だ。倉庫に使っている部屋などを片付けない限りはリビングなどは無い為、食事を本殿で取るのはどうにかならないのかと言う気もするが。

 

 ともあれ社務所に入って行った諏訪子は、程無く盆の上に湯気をあげるカップラーメンを四つ乗せて戻って来る。

 何を隠そうこのカップラーメン、幻想入りするにあたって神々と早苗が知恵を絞って『必要だろう』と大人買いして社務所に持ち込んでいた物だ。

 霊術なり神術なりで火でも起こして湯さえ沸かせれば食べられるので当座の食料としては悪くは無いが、食料より先に考える事があったのではと真剣に思う西宮だった。

 

 神奈子は知恵は回るし蛇を象徴とする神らしく狡猾だが、基本的に大雑把である。諏訪子は祟り神らしく本気で知恵を使えば悪辣とすら言える手腕を発揮するが、生活面などでは駄目駄目だ。早苗に至っては雑事雑務を西宮任せにしていた事もあり、生活面の手腕は米を洗剤で洗うレベルである。

 はっきり言ってしまえば、生活面に関する細々とした雑事が得意な人材が西宮以外に居ないのである。

 

「……本気で俺、ついて来て良かったわ……」

「なんだい丈一、唐突に」

「いや、ぶっちゃけ俺が居ないとこの神社、生活面の雑事に向いた人材が居ないなーと思いまして……って言うか何でカップ麺買い込んでて他何も用意してねぇんですか」

「そう言うな丈一。カップ麺は美味かろう」

「神奈子様、何で神様がそんなに美味そうにカップ麺食ってるんですか。っていうか何で食い慣れてるんですか」

「私がちょくちょく奉納してましたからねー」

「もう少し奉納するもん考えろよ。神様にカップ麺捧げる風祝なんて聞いた事ねぇよ」

 

 ずぞぞぞという音と共に、神社の本殿に車座に座った四名はカップ麺をかっ込む。

 そのうち三名が軍神、祟り神、現人神だとは誰も思うまい光景だった。

 

 ともあれ食事がカップ麺のみとはいえ、貴重な団欒の時間である。

 話題になったのはやはり二つ。神奈子と諏訪子が居残った神社側で見た妖怪の山側の反応と、早苗と西宮が行った人里での布教活動だ。

 

「妖怪の山は先にも言った通り、天狗以外は割と良い反応だ。ただ天狗に関しては、やはり山を統べて来たというプライドがあるのだろうな。反発しつつも八雲や私達の力があるから表立っては動いていない……と言う所か。先の天狗は非主流派と考えるべきだろう。というかアレが主流派なら、八雲が私達を呼ばんでも天狗が勝手に異変を起こしている筈だ」

「まぁね。基本的に強い相手には媚びへつらうんだよね、天狗って。そういう意味で敵情視察みたいな事をやってのけたあの天狗は割と変わり者だと思うよ。それに力も相当強い。韜晦しているけど、大天狗格の能力はあると見たね」

 

 山の方はやはり天狗の存在がネックになるか。神奈子と諏訪子は互いにそう結論付けつつも、先の射命丸という天狗に対して意見を交わしていた。

 

 その場に居る彼らのいずれも知らない事だが、その意見は概ね正解である。

 射命丸文。彼女は山でも古参の御歳千歳を越える大妖怪でありながらも、強い好奇心の赴くままに多くの人妖と接触を持っている、ある意味では閉鎖的な天狗社会における異端児だ。

 彼女に与えられた“里に最も近い天狗”という二つ名は、しかしある意味では“山から最も遠い天狗”という意味と表裏一体である。

 並の大天狗を軽く凌駕する実力を持ちながらも山の幹部という立場に興味を示さず、未だに新聞を作って自由勝手に飛び回る烏天狗という立場に甘んじている辺りからも、彼女の性格とスタンスが分かると言う物だろう。

 

 山の秩序を乱す事は無く山の一員としての役目はきっちりと果たして居るものの、その性格ゆえに上層部受けが悪いのが射命丸文だ。神奈子や諏訪子の推察は正解である。

 ちなみにプライドは高く他者を見下す傾向が強く狡猾だが、反面下の者に対しては見下しながらも面倒見は良いという不思議な性格なので、後輩受けは割と良い。

 

 些か御脳が花畑傾向があるものの、哨戒天狗としてはこの上無い能力である“千里先まで見通す程度の能力”を持つ犬走椛も、文に懐いている一人である。

 ちなみに御脳の花畑ぶりに関しては先の本殿での一件を見れば分かるだろう。御覧の有様である。

 

「大天狗や天魔といった天狗上層部は保守派で消極的敵対傾向。他は概ね友好的。ですが射命丸女史のようなイレギュラーに関しては不明という事ですね」

「そうなるな」

 

 御馳走様ですと箸とカップ麺を置いた西宮が言った言葉に、神奈子が頷きを返す。

 山に関しては以上だと付け加えながら彼女も箸とカップ麺を置いた所で、話を引き継ごうとしたのは早苗だ。が―――

 

「ずぞぞー」

「良いから食ってろ。俺が話す」

 

 まだ食べる方に忙しい彼女、麺を口に入れたままモゴモゴと口を動かすだけであった。

 二日前までは花の女子高生だった身としてそれはどうよという視線を三方から受けた早苗だが、怯んだ様子も無く西宮の言葉に頷いた。ある意味肝の据わり具合では彼女がこのメンバー中随一かもしれない。

 

「―――人里の方の感触は良好ですね。外と違って幻想が生きているこの世界、人々と神は伝え聞く大和の時代に似た、或いはそれ以上に距離の近い関係を持っています。お二人の力と神徳と御利益を説いて回れば、徐々に信仰を集めるのは可能だと思います」

「八雲が言ってた里の有力者の反応は?」

「稗田の当主の阿求様は大変良くして下さいました。上白沢様に関しては不在でしたので何とも。阿求様が言伝を引き受けて下さいましたが、明日にでも改めて挨拶に伺おうと思っております」

「そうか。そちらは任せる、丈一」

「御意に」

 

 一通り話し終え、神奈子の一任を受けた西宮が頭を下げる。

 フランクな諏訪子や信仰心こそ比類無いがどこか一本抜けている早苗が混ざる時と違い、この二人だけで真面目な会話をさせると非常に威厳のある神とその信徒っぽく見える。

 それ故に神奈子がこの類のやり取りを好んでいるのは、彼女だけの秘密である。この軍神、この手の神様っぽい威厳のあるやり取りが好きなのだ。

 

「私と諏訪子は明日もこの場に留まり、妖怪や他の神々と面識を得て交流を深める事にする。人里に関しては万事お前の思うようにするが良い。早苗は丈一の言葉を良く聞いて動くように」

「分かりました、神奈子様」

 

 神奈子から告げられた言葉に早苗も反発しない。

 しょっちゅうぶつかり合う彼女と西宮だが、それは早苗が西宮を信用していない事を意味しない。

 むしろ長年の付き合い故に、この手の事には西宮の方が自分よりも長けている事を、彼女はある意味誰よりも理解している。

 

 そして神奈子の指示に従い、翌日以降も彼らは人里を中心に信仰を広める為に活動する事になる。

 その布教活動は極めて順調に進み―――しかし物事とは得てして順調に行っている時こそ落とし穴がある物である。

 順調過ぎる(・・・・・)が故に、早苗がついつい領分を見誤り、自分が侵すべきではない領分―――博麗神社にちょっかいをかけるのは少し後の話である。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「うごご……何だったんスかね。何か急に右脇腹にフックを食らったような衝撃が走って意識が刈り取られたんスが」

「神罰ね。神前でその信者に対して不躾な物言いをしようとしたから罰でも当たったんでしょ」

「マジっスか。うわぁ怖い、神様怖い。信仰しようかなぁ」

「今は止めておきなさい。上が煩いわよ」

 

 同刻。

 神社を辞して天狗の里へ戻る途中で、息を吹き返した椛と文が言葉を交わしていた。

 夕刻を過ぎた時分。陽の光も落ちてきているが、幸い神社と里の延長線上には巨大な霊樹があるので、それを目印に飛べば分かり易い。

 そして語る内容は無論、先の神社で聞いた神々の話だ。

 

「八雲紫が彼女達を呼んだ。それは即ち、八雲紫が私達天狗だけでは妖怪の山は成り立たないと判断したと言う事。全く、上層部も素直に八雲の言う事を聞いてれば良かったのに……」

「文さんは賢者様の味方なんスか?」

「私は天狗の味方よ、椛。だからこそ―――天狗の力を保つ為にも八雲の提案を受けて異変を起こすべきだったと言ってるの。そうすれば天狗は自分達の力を幻想郷に示せる。八雲は幻想郷内のパワーバランスが取れる。WIN-WINの関係で万事丸く収まってた筈なのよ」

「もうちょい分かり易く頼むッス」

「つまり今の天狗は、舵取りを間違って危ない立場なのよ。このままじゃ外から来たあの神々の下に甘んじる事になりかねない……いえ、ここまで失策した以上それも已む得ないかもしれない。でもその中で可能な限り天狗の立場を高く保つためには……」

 

 ぶつぶつと呟きながら思考に没頭する文に、既に足首を掴まれているのではなく自力で飛行しながら椛は問いかける。

 

「あの神社の神様をやっつけて追い出すってのは駄目なんスか?」

「現実的じゃないわ。見たでしょ、あの神々。建御名方神と洩矢神。それも神々への信仰が色濃く残る幻想郷に来た事で、往時の力を取り戻しつつある。しかも八雲も今は向こうの味方。鬼……伊吹の萃香さんや西行寺の亡霊姫も、八雲が向こうに付くなら恐らく敵に回るわ」

「あー、言われてみれば。それに風祝でしたっけ。あの人も結構な霊力を感じたッスしねー」

 

 得心したと言う様子の椛の言葉に、文が苦笑する。

 頷きながらも、しかし出てきた言葉は否定の色が濃い物だ。

 

「まぁ確かに悪くはないけど、風祝はそこまで怖くないわ。人間としては破格だろうけど、博麗に比べれば大きく劣る。経験を積めばまだしも、今は同じ人間でも霧雨や十六夜にも二段も三段も劣るでしょうね。一対一ならスペルカード戦でも、スペルカードを用いない殺し合いでも私一人で倒し得る。どちらかって言うと私は隣に居た人間の方が面倒そうに感じたわね」

「そうッスか? そっちの子は霊力の感じから察するに、ボクより弱いくらいだったッスよ? 特に武芸を齧ってる様子も見受けられなかったッスし」

「―――椛。私達が、天狗が、妖怪が、そして神々が幻想に追いやられたのは誰の力?」

「………え? んーと……」

「人間よ。小賢しく知恵の回る外の世界の下等な人間が、その知恵を以てして私達幻想を追いやった。そして太古の大和では、人々はカガクという力を持たずとも私達のような妖怪を退治する力を持っていた」

 

 憎悪のような憧れのような、嫌悪のような恋慕のような。

 文が外の人間を語る時に浮かべた表情は斯様に非常に複雑な物であったが、椛にも分かった事が一つ。

 射命丸文は人間を下等と評しながらも、彼らが持つ知恵と力を決して侮ってはいない。

 そしてその彼女が西宮を評して曰く、

 

「あの子は私を見て警戒しながらも、あの場で私が隠さず出していた妖力に力の差を感じながらも、怯えは見せずに見返して来た。懐かしい目だったわ」

「懐かしいッスか?」

「ええ。あの目はね、椛。太古の大和で妖怪相手に一歩も引かずに戦った、諦めが悪く馬鹿で意地っ張りで―――そして妖怪にとって人間が最も愛おしかった時代の人々と同じ類の目よ」

 

 それは恐らく“境界の管理者”としての立場である紫とも、同じ“人間”である魔理沙とも、“月兎”である鈴仙とも違う。

 純粋に“妖怪”という―――それも大昔の人間を知る大妖怪という立場故にこそ出てきた、これまで幻想郷で西宮や早苗と遭遇した面々の中では、最も西宮丈一という個人を高く評価する言葉だった。




もみじもみもみ


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にじファン(小説家になろう)様では無かったエピソードの追加です


 人里の大工が端材から作ったと思しき長方形の木の板に、十本線が引かれている。

 平行線を縦に十。横に十。板が九×九=八十一の升目に区切られているものだ。

 そこにばらばらと、木製の“駒”がばら撒かれる。表と裏で書いてある文字が違うために必要以上に多種多様に見えるが、実際の種類は九種程度。

 四十二枚の駒が、盤面に散らばった。

 

「……って、四十二枚?」

「おう。なんだ(わっぱ)、小将棋は知らぬのか」

 

 幻想入り三日目、朝。

 西宮丈一は先日の茶屋の席にて、にやりと笑う着流し姿の老人相手と将棋盤を挟んで向き合っていた。

 老人とは言うものの、その外見はその言葉から想起される印象から随分とかけ離れている。鍛え込まれている肉体は巌のようであり、加齢による衰えなど欠片も見せていない。着流しから除く肌には、刀槍のものか爪牙のものか、幾つもの傷跡が見え隠れしている。

 背丈も高く、六尺に届く長身の西宮と並んでもそう遜色が無いか、むしろ老人の方が僅かに高いほど。ざんばらに切られ後ろで括られた灰色の髪は、元々色素の薄い髪色らしく、どこまでが白髪でどこまでが元の色なのかの区別が曖昧だ。

 口髭は剃られているが、顎鬚だけは丁寧に整えて伸ばしている。洒落者のつもりなのかもしれないが、ボロの着流しとざんばら髪は、洒落者というより主家の無い牢人という印象を見る者に与える。

 

 そう、牢人だ。浪人とは微妙に意味合いが違う。

 浪人とは戸籍に登録された地を離れて他国を流浪している者のことを意味し、身分を問わず全ての者が当て嵌まる。対して牢人とは、主家を去り放浪している武士階級にのみ当て嵌まる言葉だ。

 

 浪人と牢人の区別が曖昧になったのは慶安四(1651)年、由井正雪の乱こと慶安の変が起きた辺りからの事である。ちなみにその由井正雪の乱自体が、増えすぎて生活に困った牢人らの為の幕府転覆計画だったという。

 その辺りまで幕府は牢人に対して締め付け政策を取っていたが、その転覆計画に危機感を抱いたのか、由井正雪の乱の鎮圧後は幕府の対牢人政策は軟化していくことになる―――と、その辺りの事情については幻想郷が出来る前の事ではあるし、慧音辺りに聞けば詳しかろう。

 

 話が逸れたが、西宮が相対している老人が周囲に抱かせる印象は“牢人”。即ち武士階級だ。

 鍛えられた体格もそうだが、腰に差した長短二刀の簡素な刀が、この老人が単なる好々爺ではないことを証明していた。それが身体の一部のであるかのように馴染んでいる様から、飾りなどではないということも。

 

「―――外の世界では廃れたものです故。些か驚きましたが、なるほど、本将棋よりは軽いものですから、このような場での遊戯としては適当かと」

「知ってはいる、と。であれば殊更に説明の必要はあるまいな。どれ、指してみろ。先手は譲ってやるわい」

「では失礼して」

 

 今や外の世界で一般的に言われる“本将棋”より、敵味方ともに一枚多い駒を並べ。

 老人は崩した胡座に、人を食ったような笑みを浮かべ。対面する西宮は口調は真面目そうに、しかし態度としてはさほど気負わず、珍しそうに玉将の前に位置する“醉象”と書かれた駒を撫で。

 

「一手、ご指南願います」

「おぉ、打ってこい打ってこい。童の遊びには付き合ってやるのが大人の余裕だからなぁ」

「銭を巻き上げる気ィ満々ですけどね大人」

 

 一手の時間を定めるための砂時計と、互いにチップとして出している銭を横に置き。

 茶屋の奥で寝ている東風谷早苗を待つ間の時間潰しとして、西宮丈一の幻想入り後の初の戦は弾幕ではなく賭け将棋として開始していた。

 

 人里の守護者である上白沢慧音に会いに行く予定だった彼が、何をどうしてそういう状況になったのか。それには語ると長い事情が―――別に無いのだが、一応語らせていただこう。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そもそも事の起こりは、外の世界で失敗続きだった布教が幻想郷では実に好調な事が楽しくて仕方ない様子の早苗が遠因だ。

 二日目となる布教活動が楽しみで仕方なかった様子の早苗、深夜か早朝かも曖昧な刻限から西宮を叩き起こし、身支度もそこそこな彼の手を引っ掴んでは、悲鳴―――無論、西宮のものである―――のドップラー効果付きで人里へ出撃したのである。

 ちなみに本来であれば早苗にストップをかけれたはずの神々は、朝早すぎて普通に寝ていた。

 

 そして流石に朝早すぎて人通りがまばらな人里に到着した辺りで、早苗は気付いた。

 

「西宮……どうしましょう、神徳を説くべき人が居ません」

「いや今更かよ。今更そこかよ!」

 

 身長差を物ともせずに西宮を引き摺るようにしていた暴走機関車早苗さん。

 その言葉に、ワイシャツとジーンズ姿のラフな格好の西宮が思わず突っ込む。ちなみにこれは昨日人里の服屋で買ったものだ。

 昨日は何故明らかに外の世界らしき服装が売ってるのかと驚いたものだったが、魔法の森に住む人形遣いが資金稼ぎの為に時々外の世界の衣装を真似て縫っては売りに来るらしい。下手をすれば外で買った服よりも良質なそれは、外の洋服に慣れていた西宮としてはありがたい事である。

 

 閑話休題。

 戦慄したという様子の早苗に、西宮が繋がれっぱなしだった手を離しながら言葉を投げる。

 

「人は日中に活動するもんだ。まぁ外の世界に比べると、光源の問題もあるから朝早くて夜も早い傾向はあるだろうが……それにしたってこの時間は無ぇわ」

「今、何時くらいでしょうか」

「体感的なもんだが多分4時から5時。午前な」

 

 人里の目抜き通り。左右に蕎麦屋や団子屋、飲み屋肉屋八百屋道具屋などの店が立ち並ぶ大通りだが、太陽がようやく地平線から顔を出したばかりの時刻ではまだ人通りが少ない。

 閑散としているわけではない。それらの店の主人や丁稚達であろう人々が店の前で忙しそうに働いていたり、或いは痛飲していたのであろう酔漢が『もう閉めるから帰れ!』という声と共に飲み屋からよろよろと追い出されてきたりしている。

 が―――

 

「とりあえず今時間に活動している人は用事があって今時間から起きて活動しているか、或いは昨晩寝てないような人だろうからな。今からあの辺で神徳説いてみろ。邪魔だとか煩いとか言われて追い払われる方に晩飯賭けるぞ俺は」

「いえ、気合があればワンチャンス……」

「無い」

 

 断言する西宮の言葉に、早苗ががっくりと肩を落とす。

 しかし西宮の言う通り、正直今この状況で神徳を説いて信仰を求めたところで、却って邪険にされそうな時間帯だ。下手をすると付近の家や店からも、追加で五月蝿いという苦情が入りかねない。

 

「じゃあどうしましょう……? 一回神社に帰りますか?」

「それも面倒臭ぇな……片道で半刻程度はかかる道のりだし」

 

 そう言いながら、西宮が視線をきょろきょろと彷徨わせる。

 何を探しているのだろうと早苗がその視線を追い、追った先にあったのは昨日の茶屋。折しもその店の商売っ気の強い主人が、西宮と早苗を見つけてきょとんとした表情を浮かべたところだった。

 

「おはようございます、御主人。ちょっと悪いんですけど―――」

 

 そして西宮、軽く手を上げつつその茶屋の主人に近づいていき、こう問うた。

 

「―――ここ、厳密には何茶屋ですかね?」

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 一言に茶屋といっても、実は江戸時代辺りまではその業態は多種多様だった。

 現代日本人の間に一般的に根付いているイメージは「掛茶屋」、或いは「水茶屋」が最も近いだろう。街道沿いの休憩所であり、飲食を提供する営業形態だ。

 

 しかし人形浄瑠璃の作者として名高い近松門左衛門の心中物などで「茶屋」という単語が出た場合、それは概ね「色茶屋」と呼ばれる性風俗を売り物とする茶屋だ。これは言ってしまえば遊郭の業態の一つであり、茶屋が提供する場所で男女がなんかイヤーンでアハーンな事をする物である。

 茶葉を売るタイプの茶屋は葉茶屋。外の世界では料亭となり残っている物も多い、料理茶屋。或いは待ち合わせや会合の場所を提供する待合茶屋なども茶屋の一種だ。

 

 西宮が目をつけたのは、その内の待合茶屋としての業態について。つまりは金払えば休む場所貸してくれないか、という交渉であった。

 分類としては水茶屋としての領分が最も多い茶屋であるようだが、営業準備の邪魔にならないならばということで、茶屋の店主もそれを了承。部屋の一室を提供してくれたのだが、清潔な寝具まで複数部屋に用意されていたことまで察するに、或いは某歴史教師辺りにバレないように、こっそりと今で言うラブホテルにあたる『出会茶屋』としての営業もしているのかもしれない。

 

「……む」

 

 そして交渉を終え、早苗と一緒に部屋に入り。

 流石に朝早すぎて寝不足だったのか早苗も西宮も布団を各々勝手に敷いてさっさと一眠りし―――先に起きたのは西宮だった。

 

 窓の木戸を僅かに開け、差し込んでくる陽の光の角度から察するに、寝ていた時間は一刻程度だと推測。外の世界では起きだして学校―――の前に神社に早苗を迎えに向かう準備をしている頃合いだったか。気取らず言ってしまえば午前7時と、そんなところだろう。外の世界で馴染んだ生活サイクルは、そうそう抜けないものであるらしい。

 

 少し離して敷いた布団で、風祝の衣装のまま爆睡している相方に視線を向ける。

 守矢の風祝様は掛け布団を蹴飛ばし、お臍を出した格好で口元から涎を垂らしていた。

 

「相変わらず気持ちよさそうに寝てるなオイ」

 

 呆れたように―――しかし彼本人としては無自覚に優しげに―――笑って、蹴飛ばされて転がっている掛け布団を早苗の上に掛け直す。

 むずがるように身を捩る早苗だが、すぐにまた緩んだ寝顔に戻る。少しそれを眺めていたところで、飽きたのもあれば気恥ずかしくなったのもあり、前者が八で後者が二程度の心理的動きから、西宮は音を立てないように戸を開けて部屋を出る。

 

 廊下を少し歩けば、既に営業を開始している様子の茶屋の店の中だ。西宮に気付いた店主が視線と言葉を向けてくる。

 

「嫁御さんはどうしました?」

「まだ寝てます。っていうか、嫁じゃないの昨日の騒ぎで知ってるでしょう、御主人」

 

 からかうような言葉に、苦い表情で返す西宮。僅かに目を逸らす様子は、多分に照れも混ざっているようであった。

 そんな西宮の様子に楽しげに笑い、店主は一度奥に引っ込んでから、茶を一杯持ってくる。

 

「濃い目です。寝起きには丁度いいでしょう」

「ありがとうございます」

「無論宿泊料とは別料金ですが」

「いやいや、それならせめて注文するかどうかを聞いてください」

 

 西宮の突っ込みに対して『流石に冗談です』と笑う店主だが、既に幾人か入っている茶屋の客には、今の会話を聞いて『処置なし』とでもいうように肩を竦めている者も居る。

 或いは突っ込まなければマジ請求が来ていたのかもしれない。

 

 底知れぬ商売人魂に軽く戦慄する西宮だが、流石に早苗が起きてくるのを待つのに茶だけというのも不義理であるし口寂しいと思い、ついでに団子の注文をしようとお品書きを探して目を走らせ、何やらそれらしい板切れを席の横に発見。

 手を伸ばしてそれを取り、眺めてみるが―――

 

「……あれ、なんだこれ。将棋盤?」

「ああ、それ。娯楽用に置いているんですよ。お品書きはこちらです」

 

 安っぽい板切れで作られた将棋盤をしげしげと眺める西宮。

 その様子を見た店主が、将棋盤に隠れていて西宮からは見えていない位置にあったメニューを渡す。しかし渡された西宮はメニューを見ず、将棋盤に視線が固定されている。

 

「将棋に興味がお有りですか」

「多少は。真剣師の真似事も経験がありますね」

「おや」

 

 驚いた様子で店主が片眉を上げる。

 真剣師とは賭け将棋、賭け麻雀といったテーブルゲームの賭博によって生計を立てている者の事であり、日本でもいわゆる職業としての将棋指し、碁打ちなどが確立していない時代の棋客には真剣師もよく見られたという。

 現在の日本では賭け事が法律で禁じられており、この手も賭け事も以前ほどは盛んではないため真剣師はほとんど存在しないが、それこそ江戸時代辺りには賭け碁が盛んになり過ぎたために囲碁禁止令を出す藩もあったという。

 ちなみに現代でも、海外ではバックギャモンやチェスによる賭け試合は特に禁止されていないため、気軽に行われているのだが―――さておき。

 

 西宮の言う真剣師の真似事とは、無論彼が賭け将棋で生活費を稼いでいたとか言う話ではない。

 高校時代に人数不足で大会に出られない将棋部の助っ人を一試合ン百円で引き受けていたとか、中学時代の修学旅行中に部屋で行われた小銭を賭けての将棋大会で無双したりと、その程度だ。

 しかし軍神建御名方の祭祀(※見習い)でもある彼には、この手の戦術遊戯には一定の自負がある。故にこその、多少誇張した“真剣師”という名乗りになったのだろう。

 

「お若いのに将棋を嗜むので?」

「相応には」

 

 相応とは言いつつも、歳相応の稚気混じりの自信を表情と口調が物語っている。

 その様子に微笑ましさを感じ、金勘定抜きの苦笑を店主が浮かべた。

 

「あまり大金を賭けてのものは禁じられていますが、この店の支払い程度の額を賭けての物であれば賭け将棋や賭け碁も黙認されています。そういえば人形師さんなどは、以前にチェスで同じようなことをしていたことがありましたね」

「へぇ……」

 

 ちなみにその人形師、チェスは幻想郷では不人気だと気付くまでの一時間ばかり賭けチェスを楽しみにしながら茶屋の店先で挑戦者を待ったのだが、誰も来ないままに終わって結局紅魔館まで行ってそっちの魔女に相手して貰ったらしい。

 東洋文化主体の幻想郷、西洋文化に馴染みの深い人妖はそういう細かい部分で少し肩身が狭いらしい。

 

 閑話休題。

 賭け将棋と聞いて興味を持った様子の西宮に対し、店主が『さて、場代を貰えれば相手を紹介しても良いのだが』と内心で思考を開始した時、第三者の声が割り込んでくる。

 

「おう、なんじゃ童。賭け将棋に興味が有るのか」

「おや、ご老体」

「老体はやめい、店主」

 

 着流し姿の体格の良い老人が、人を食ったような笑みと共に顎鬚を撫ぜながら横合いに立っていた。いつの間に接近してきていたのか、西宮の顔に僅かに驚きが浮かぶ。

 しかしその反応を歯牙にもかけず、老人は西宮の対面へと無造作に胡座をかく。

 

「おう店主よ。儂のツケぁ今、幾らだった?」

「賭け将棋で賭けたりしたら、上白沢様が良い顔をしない額ですね」

「かぁ―――っ! あの牛娘も堅物よなぁ! 乳だけではなく頭も柔らかくせんかい!」

「そのような言葉が耳に入ったら頭突きが来ますよ?」

「オイ店主、この小僧の分と儂の分の団子を適当に。注文したんだから告げ口無しな」

 

 気安い様子で店主と丁々発止とやりとりをしている老人。腰に差した長短二刀は無骨な拵えであり、柄には滑り止めの布が巻かれている。

 実戦仕様、そういうことだろう。人里の守護者を『牛娘』などと呼んでおり、店主もセクハラ発言を咎める事はあってもその呼び方自体を咎める様子はない。つまりはこの、好意的な表現をするとファンキーな言動の老人はただの老人というわけではあるまい。

 

 しかし、老人の正体を見極めようとする西宮に対し、老人の反応はそれを歯牙にもかけない端的な物だった。

 

「おう、童。幾ら賭ける?」

「……それは、賭け将棋でということでしょうか」

「応よ。お前、八雲が連れ込んだ外来人よな。昨日は巫女だかなんだかという娘御が広場でハシャいでおったようだが」

「風祝です。厳密には巫女ではありません」

「おう、それよそれ! 似たような物だと思うのだがなぁ。爺には良く分からんわい」

 

 何が楽しいのかゲラゲラと笑う老人。

 どうしたものかと視線を横に向けると、店主は苦笑。つまりはこの老人としてはいつものノリであると、そういうことか。

 であれば言動に気になる部分も無くはないが、そこまで気にしても仕方あるまいと西宮は判断。或いは妖怪退治屋か土豪の隠居老人辺りかと当たりをつけ、しかし当たりをつけた思考を頭から意図的に追い出す。

 

 目線と思考を向けるは、眼前に置かれた九×九の盤面。

 その横に、人妖一人が人里で一晩好きに飲み食い出来る程度の額の銭をじゃらりと置く。

 音を聞いて視線を向け直してきた老人に対して正面から視線を返し、語る言葉は端的だ。

 

「一手の待ちは」

「そこまで厳密にやるもんでも無いからのぉ。常識の範疇で早打ち勝負。長考は三度までで、長考は一度につき五分まで。その五分は砂時計で測る。どうよ?」

「対局時計は無いのですね。であればまぁ、仕方ない」

 

 対局時計とは競技者の持ち時間や制限時間などを表示し、ゲームの時間管理を行なうために使用される特殊な時計だ。役割としては時計というよりタイマーに近く、片方の競技者の残り時間が減少している間はもう片方の競技者の時間は動かない。

 持ち時間制の対局将棋には必須の道具であるが、外の世界でもその原型が生まれたのが十九世紀の半ば以降のヨーロッパであったため、幻想郷にそれが無いのはある意味当然だろう。

 

 仕方ないなどと嘯きながら、気負うでもなくどこかふてぶてしく座り直し、将棋盤に向かい直す西宮。老人はそれをどこか楽しげに眺めていた。

 戦意十分と、そういうことで。勝負を吹っ掛けた老人側はその態度に満足したように笑みを深め、行儀の悪い胡座のまま、西宮が置いたのとは将棋盤を挟んで逆の位置に、ざっと同額程度の銭を置く。

 

「おうおう、やる気だの。おい店主、駒だ駒! 対局開始じゃ!」

「貸出料金と場代は掛け金の一割となります。あとご老体が勝ったらそれはツケの返済に回しますので」

 

 そして景気良く叫ばれた言葉に対し、事務的に―――ただし金の匂いに対して満面の笑顔で告げられた言葉に、機先を潰された老人と西宮はがくりと肩を落としながら掛け金の山から一割の銭を店主に渡したのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして話は冒頭に戻り―――西宮は強い異物感を感じる盤面を挟み、老人と対峙することになっていた。

 異物感というのは無論、盤面の中央手前、玉将の正面に位置する醉象が原因だ。

 醉象。現代の本将棋のみを知る者であれば聞き覚えの無い駒であろうが、醉象自体の歴史は古い。

 

 古くは鎌倉時代初期に成立したとされる事典である二中歴という書物に、平安時代に指されていたと思しき平安将棋、並びに平安大将棋についての記載がある他、山の天狗や河童が指している十五×十五の盤面で行う物は大将棋、或いは鎌倉大将棋と呼ばれるものであり、その名の通り鎌倉時代に指されていた記録が残っている。

 

 そこから盤面と駒を整理した十三×十三のものが中将棋であり、それ以外にも歴史の流れの中で十七×十七の大大将棋だの、実際に遊ばれた記録は無いが三十六×三十六というふざけた広さで行われる大局将棋なども、文献上は残っている。

 とにもかくにも、将棋とはおよそ千三百年ほどの長きに渡り遊ばれ続け、形の変わり続けてきた遊戯である。小将棋と呼ばれる現代の本将棋に近い九×九の盤面のものから、醉象を取り除いて現在の本将棋になったと考えられているのは十六世紀頃。

 一説によれば元禄年間に出版された歴史書によると天文年間(十六世紀序盤~半ば頃)に後奈良天皇が命じたものだともされているが、正確なところはわかっていない。

 

 ともあれ醉象という駒が将棋から取り除かれたのは、最近僅か四、五百年程度の間の事であり、醉象が入っていた時期のほうが将棋の歴史全体で見ると長いのである。

 或いは旧い妖怪であれば、醉象入りの盤面の方が慣れているという者も少なくないだろう。

 

 そしてこの醉象という駒はどういう駒か。

 動きとしては真後ろ以外の七方向に動ける、王将や玉将に近い自由度を持った駒であるのだが、最大の特徴はやはり成り駒になると“太子”となり、王将が取られても太子が残っていれば負けではなくなるということだ。

 王が取られても決定的な敗北ではなく、血筋が残っていれば立て直せる。そういうルールなのだろう。

 

 ちなみに小将棋に限らず中将棋、大将棋は“取った駒の再利用が出来ない”という点で本将棋と大きく異なっている。

 その辺りの歴史上の変遷も色々と理由や時期についての考察があるが、その辺りは又の機会に譲るとしたい。

 ともあれ取り駒の再利用が無いという点では、将棋のルールとしては本将棋に比してかなり簡略化、高速化のされた物だと言える。

 中将棋や大将棋だと、それでも盤面の大きさと駒の多さから本将棋より時間がかかったりするのだが、駒の数が本将棋とほぼ変わらない小将棋だとほぼ純粋な軽量化・簡易化に繋がっている。故にこその冒頭での西宮の『本将棋より軽い』発言に繋がるのだが。

 

 しかし西宮が感じる決定的な異物感は、不慣れな小将棋のルールもあるが、それ以上に醉象の位置だ。

 その位置は玉将の真正面であり、飛車が盤面の中央を抜けて向かって左側に布陣する為の障害となるのである。

 

「……振り飛車、中飛車は使えませんね」

 

 パチン。

 小気味良い音と共に一手が指される。

 

 振り飛車とは序盤で飛車を定位置から大きくもう片翼に移動させる戦法であり、外の世界では振り飛車の一種である四間飛車の使用率がプロ対局の二割以上を占めていた時期もあるくらいに一般的な戦法だ。

 逆に定位置かそれに近い位置に飛車を配置して運用するものを居飛車という。

 

「ほぉう? これはまた懐かしい戦法の名が出たな。しかし中飛車とはの」

 

 パチン。

 応じる一手に迷いは無いが、老人の口元には苦笑が浮かんでいる。

 

 中飛車とは居飛車でも振り飛車でもなく、玉や王の真ん前、ど真ん中に飛車を配する戦術だ。初心者がよく使う戦術であり、攻め気が強い手筋ではあるものの戦術としては脆く、かつては『下手の中飛車』という言葉もあったくらいである。

 ちなみに本将棋においては非常に古い戦術であり、徳川家臣の松平家忠の日記にも中飛車に関する記述が載せられている。

 

「こちらでは『下手の中飛車』のままかもしれませんけどね。外では色々と戦術が研究されていまして、中飛車といえど馬鹿には出来ませんよ。超急戦は俺の好みでもあることですし」

 

 パチン。パチン。

 

 ちなみに西宮の場合、外の世界で好んで用いていたのは中飛車だ。

 特に西宮が神奈子に将棋を教わり始めた頃に外の世界で全盛を迎えていた『ゴキゲン中飛車』なる戦術は非常に攻め気が強い超急戦型の物であり、彼自身の好みに合っていたので今でも良く使っている。新しい戦術だったので対応しきれず、師である神奈子が西宮に初敗北を喫したのもこの戦術だ。

 

「ふぅむ。では機会があれば見せて貰うとして―――それらの手筋が使えんと、必然居飛車となるが?」

 

 パチンパチンパチン。

 

「そも、居飛車も振り飛車も中飛車も、取った駒の再利用が出来ないって時点で本将棋のシステムは応用できませんからね。いっそ今から考えますよ」

 

 パチンパチンパチンパチン。

 

 会話を交わしながらも手の動きは止めず、両者はリズミカルに駒を動かして行く。

 初めて触れる駒を面白がるように、醉象を押し出していく西宮。序盤の盤面はやや西宮有利で進んでいく。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 パチン…………パチンパチン…………パチンパチン。

 

「……待った。長考を」

「どうぞ」

 

 中盤戦。盤面を睨みつけた老人が渋い顔で長考を申請する。

 西宮はぬるくなりかけの茶を啜りながら、それを了承した。

 

 老人は駒を触りながら、ああでもないこうでもないと策を練っているようである。

 茶のお代わり(※有料)を持ってきた店主が、『ああやっぱりか』という表情を浮かべていた。

 それを見た西宮、手持ち無沙汰ついでにそちらに話題を振ってみる。

 

「……店主さん、ご老体ってもしかして……」

「ええまぁ、下手の横好きという奴らしいですな。孫娘さんは将棋は好まないわ、元主君やその親友殿は強すぎて話にならないわとかで、よくここで賭け将棋の相手を探してるんですけど」

「聞こえとる聞こえとる! そこ、聞こえとるから!」

「ツケさえ完済してくれれば黙りますよ」

 

 呆れたような店主の声に、『ぐぬぬ』と声をあげて老人が盤面に向き直る。

 しかし小将棋には不慣れな西宮だが、盤面の有利は明らかだ。神奈子の薫陶を受けた西宮がこの手の遊戯に慣れているのもあるのだが、ぶっちゃけ老人が普通にヘタだった。

 

 駒の数自体はほぼ互角だが、西宮側は醉象が敵陣の中で太子に成り、飛車と角行といった大駒が未だ健在。しかし老人の方は太子と飛角が討ち死にしている有り様である。

 さて、ここからどう盛り返す気だろうと思って西宮が見ていると、老人はやおら力強い動作で自分の金将を掴み、

 

「ギュィィィィィン!!」

 

 なんか効果音を声で出しながら、斜めに三マス(・・・)移動させて西宮の飛車を討ち取った。

 

「って、おいおいおい待てェ!! 爺様、金将ってそういう駒じゃねぇから!?」

「これは金将ではない! これは冥界の御庭番……! その双剣は無双であり、他の駒よりずっと強い!」

「自分で言ってて恥ずかしくないんですかご老体」

 

 呆れたような店主が、流石に強権発動で止めるべきかと思い、西宮と老人を見比べる。

 その視線に気づいた西宮だが、店主からすれば意外にも、盤面と店主を見比べた彼は笑いを口元に滲ませて頷いた。

 

「そっちがその気なら別に良いですよ。続けましょう」

 

 寺小屋の子供が言い出すようなルール変更に対し、その楽しそうな様子はどういうことかと店主が訝しんだのも数秒。

 盤面を見た店主は、その盤面―――というより金将改め冥界の御庭番の位置を見て絶句した。

 

「同、桂馬」

 

 パチンと小気味良い音と共に、西宮が動かした桂馬が冥界の御庭番の位置に移動。

 

「ああああああああああ!?」

「御庭番、討ち取ったりィ!」

 

 冥界の御庭番、桂馬により討ち死に。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 パチン…………パチンパチン…………パチンパチン。

 

「……待った。長考を」

「おじいさん、さっき使ったでしょ」

 

 終盤。駒の数に目に見えて差がつき、隙間妖怪やら冥界の姫やらという名が付けられた桂馬やら醉象やらが無残に討ち死にしたところで。

 老人は既に長考の権利も使い切り、うんうん唸りながら盤面を眺めていた。

 

「ちなみに好き勝手変な駒を生み出してくれた分のペナルティは受けてもらいますからね。店主さん、何が良いでしょうか」

「こっちに儲けが入ってくる類のが良いですねぇ」

 

 まだ客が少ない時間帯なので、完全にギャラリーと化している店主が西宮と軽い調子で話している。

 それらを聞いて、老人は額に汗を滲ませたまま大仰に頷いた。

 

「……今日は日が悪いのでこの辺りで解散で。勝負は引き分けという事に……」

「「なるわけないだろ」」

 

 事実上の敗北宣言であった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「んー、よく寝た! あー、そろそろ良い時間ですかね布教活動するのに」

「おう、起きたか東風谷」

 

 そしてそれから更に一時間後。

 ぐっすり爆睡して目覚めすっきり。大きく伸びをしながら奥の部屋から茶店に出て来た早苗が見たのは、団子と茶を手にして茶店の席に座っている西宮だ。

 

「美味しそうな物食べてますね。一口ください! あ、店主さーん! 私にもお茶とお団子!」

「起き抜けでそれかよ。元気だなお前」

 

 小走りに西宮の横に来て、景気良く注文を飛ばす早苗。その眼前に、机の上を滑らせるようにして西宮は小さな木箱を差し出した。

 渡された側の早苗はひょいと軽い様子で箱を手に取ると、しげしげとその箱を観察する。桐箱とは言わないが、そこそこ高そうな木箱だ。

 

「なんですかこれ? お団子?」

「食い物から離れろ暴食巫女(グラットンモンスター)。お前確か昨晩辺り、ヘアーブラシ忘れたとか騒いでたろ。外の世界からこっちに持ってきてなかったって」

「ええ、まぁ。準備したつもりでも、いざ生活ってなると無い物も多いんですよ」

「そういうもんも徐々に揃えていかんとな。……で、それ。お前がぐーすか寝てる間に霧雨道具店ってとこで買ってきた(かんざし)

「え、簪?」

 

 僅かに驚いたような声をあげ、早苗は手早く箱を開ける。

 中にあったのは、早苗からすればやや大人びたデザインの高級そうな櫛だ。綺麗な飾り彫りがされ、漆で黒と紅に塗られている。

 あまり世事に長けているわけではない早苗からしても、それなりの高級品と分かる品である。ただし、事前に聞いていた『簪』という単語から想起される物とは違う物であったため、早苗は小さく小首をかしげた。

 

「……簪っていうか……櫛?」

「贈答品として櫛を贈る時は、忌み言葉として簪と言うものらしい。全然知らなかったが、霧雨道具店で買い物に来ていた他の客に教わった」

「へぇ。なんか縁起を担ぐものなんですかね」

 

 日本では古来、櫛は別れを招く呪力を持っているとされ、現代の日本人でも老人や信心深い人などは櫛を贈答品にしたり気軽に貸し借りするのを嫌がる人は少なくないと言う。

 ―――が、現代っ子の現人神はさほど気にした様子もなし。霧雨道具店でも未婚女性への贈り物ならばそれも良しと、何故か客として居たやたら力強く桃色髪にシニョンキャップの女性に背を押された西宮も、アドバイスに従って縁起の悪い事にしないように『簪』と呼んだ程度でそこまで気にした様子はない。

 

 どちらかというと、そういった縁起云々よりも貰った物そのものが大事だとでも言いたげに、早苗は簪改め櫛を丁寧に箱に戻し、胸に抱くようにして笑みを浮かべた。

 

「なんにせよ、ありがとうございます。大事にしますね、西宮」

「あんまそこは気にせず、ちゃんと使えよ。なに、どうせ活動資金には全く手を付けずに手に入ったアブク銭だからな」

 

 布教活動開始前。茶屋で寛ぐ二名は数日後に控える異変―――後に風神録異変と呼ばれるそれの存在も知らず、楽しそうに笑っていたのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――なお、翌日。

 冥界にて亡霊の姫君が来客に対応して曰く―――

 

「はぁ、将棋? また賭け将棋をしたのねぇ、妖忌。勝てた試しが無いんだから―――え、お金貸してくれ? いやいや妖忌、あのねぇ妖忌。私もあんまり口煩くは言いたくないけど、妖夢の教育に悪いんだからそういう事は控えて――――口答えしない。正座なさい」

 

 

 とにもかくにも、風神録異変の前段階である今は、守矢神社のみならず幻想郷は全土的に平和なようだった。




華扇ちゃんの言動についてはまたいずれ。宴会辺りで語って頂く予定です。



■オマケ:今段階での幻想郷の人々からの西宮への評価■

紫:招いた神のオマケ(早苗)のオマケ。賢しく礼儀正しいので、人間にしては出来る子。

魔理沙:おのれなんだあの勘違いは。いずれ復讐してやる。

文:大昔の人間を思い出させる目をした、面白い人間。

阿求:守矢神社という神社の信者の方。礼儀正しく話しやすいが、歳相応の部分もある。

妖忌:いずれ巻き上げられた分は取り返す。

椛:あーうん大丈夫ー大丈夫ー覚えてるッスよー。人里のー、えーと、農民の田吾作君。あの樅の木まだデカくなってんスか?


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人里にて

 さて、ひとしきり老人から金を巻き上げ、その金で女へのプレゼントを買うという、字面に直してみれば閻魔が飛んできて説教しそうな外道行為を終えた西宮であるが、此処から先は早苗とは別行動となる。

 布教活動については人里の広場などで早苗が行うとして、西宮は何かしら派手な奇跡やらありがたいお話やらが得意なタイプではない。自信たっぷりに笑顔で大きな声でハキハキ話す早苗の方が、術でも弁舌でも向いた話だ。

 そういう面で見ると、早苗の方が信仰者や布教者としての適性は高い。守矢神社の信者であり見習い神職と言える西宮だが、その適性は信仰者や神職とは別の方向に向いているというのは、神奈子と諏訪子の共通認識である。

 

 故にそちらは早苗に任せるとして、今日の彼の目標は二つ。

 人里の守護者である上白沢慧音への挨拶と、昨日神社の中を整理して気付いた足りない日用品などの買い足しだ。後者については幾分かは早苗の櫛を買う時に霧雨道具店に寄ったついでに買ってあり、人里からの帰り際に取りに行くまで預かってもらっている状態である。

 

 ちなみに日用品のみならず、意外と切羽詰まっているのが食料と調理器具である。なにせ守矢神社、現在の社務所にある調理設備はIHクッキングヒーターやら最新型の冷蔵庫やらとやたらと近代的であり、当然の如く給電が途絶えている現在では使い物にならない。幻想郷でも使用できる調理設備の入手が切に望まれる。

 食料に至ってはなお酷く、軽く三百を越えるカップラーメンが仕舞われているだけの状況だ。備蓄された大量のカップ麺を見た西宮が『こいつらいつの間にこれだけの事を』と戦慄するのと同時に、『これしか買ってねぇのかよ!?』と叫んだのは昨日の事であった。

 

 何にせよ買い物前の本題として、件の上白沢慧音女史の家に一度伺ってみるかと、里の中央へ向かって歩き始める西宮。

 しかし里の中央に何事も無く到着したところで、横合いから声をかけられる事になる。

 

「む、君は確か守矢神社の」

「あ、八雲様の所の……八雲藍様でしたか」

 

 物珍しそうに周囲を見ながら歩いていた西宮に声をかけてきたのは、豆腐屋の前で何やら買い物をしていた様子の八雲紫の式神―――西宮視点では早苗と喧嘩している間にいつの間にか居なくなっていた、美人の九尾さんだ。

 直接会話を交わしたのは互いに事情も把握していない間の僅かだが、神奈子と諏訪子から彼女の名は伝え聞いているので、西宮は名前を呼びつつ頭を下げる。

 

 彼からすれば、仕える神である神奈子と諏訪子に幻想入りという選択肢を与えてくれた紫は恩人だ。その式神である藍もまた、敬意を払うに足る相手だと判断していた。

 しかし頭を下げた彼に、藍は驚いた様子で瞠目する。その様子に西宮は、何かおかしな点でもあったかと首を傾げる。

 

「……何かありましたか?」

「ああ、いや、すまない。失礼な話だが、私が君に抱いている印象と少々そぐわなかったものでね。風祝相手の喧嘩と昨日の魔理沙の襲撃もあって、君はもう少し天衣無縫な少年だと思っていたのだが」

「東風谷との喧嘩はライフワークの一種なのでさて置きますが、魔理沙というと霧雨魔理沙ですか? 確かに昨日の別れ際に、八雲様を退治するとか息まいてましたが……」

「……ああ、その様子を見ると本当に勘違いとすれ違いの産物だったか……」

 

 本気で悩む彼の様子に、藍は疲れたように肩を落とす。

 魔理沙の襲撃―――それは一言で言えば以前の魔理沙と西宮の会話が原因による、藍の言う通りの感違いとすれ違いの産物だ。

 『世紀末巫女王伝説~守矢の拳~』とでも言うようなブツを紫が幻想入りさせたと勘違いした魔理沙が、紫を正気に戻す為に決死の覚悟でマヨヒガに乗り込んで行った件であった。

 

 折しも藍の式神の橙やら白玉楼から来た幽々子と妖夢の主従やらも一緒に団欒中だった八雲家、その襲撃にいたく混乱。

 突然の襲撃者を反射的に切り捨てようとする妖夢が相手が魔理沙である事に気付いて、慌てて刀を止めようとしたら止め切れずに襖を綺麗に真っ二つにしたり、驚いた橙が味噌汁を被って七転八倒したり、幽々子は何事も無かったかのように食事を続行しておかわりを要求したり、藍がそれらの三者への対応に苦慮したりと、八雲家は一時地獄絵図の様相を呈した。

 結局涙目で翻意を促す魔理沙を紫が宥めて事情を聞き、『エイプキラー巫女』を西宮から聞いた魔理沙が勘違いをしたという事が判明。

 

 ちなみにエイプを知らない妖夢と橙も、そんな恐ろしそうなモノを素手で引き千切る巫女が出たのかと戦慄に身を震わせたりしていたが、早苗を実際に見知っている藍と紫は余りの勘違いに脱力していた。また、幽々子は顛末を聞いた後に成仏しそうなくらい笑い転げていた。

 曰く、あの魔理沙が良いように騙されたのが面白くて仕方なかったらしい。正確には騙されたと言うよりも擦れ違いと勘違いの産物なのだが、それでも面白い事には変わりが無かった模様。付き合いの長い紫をして、『あれほど笑った幽々子を見たのはン十年ぶり』との事だった。

 ちなみに『年季入ってますね』という年齢を意識させる失言をした藍は、この辺でスキマに落とされた。

 

 魔理沙も魔理沙で、そんな勘違いをさせられた事に怒りと羞恥で顔を赤くしていた。

 あれは遠からず何かの報復措置があると考えて良いだろうと藍は判断している。

 

 ともあれそのエピソードの原因となった西宮に対して、藍は早苗と口汚い罵り合いをしている光景を見ていた事もあって大層フリーダムな人物という印象を受けていたのだった。

 しかし藍が魔理沙襲撃事件の顛末を伝えると、ひとしきり驚いた後で西宮は丁寧に頭を下げた。

 

「大変ご迷惑をおかけしました。そのような事態になったとは露知らず……。後日改めて謝罪に伺わせていただきます」

「いや、それには及ばないよ。君は存外、真面目だな」

 

 そして頭を下げられた藍の反応は、驚きと感心が等分程度だ。

 この手の事態に対して遠因が自分にある程度で頭を下げるような奴など幻想郷の主要勢力には希少である。紅魔館ならば美鈴が、永遠亭ならば鈴仙がワンチャンスあるだろうが、他は主従含め期待してはならない面々の多いこと多いこと。妖夢は事情に依るだろうが、短気な面がある娘なのでこれも安全牌とは言い難い。

 

 運命操ってハシャぎ回る吸血ロリータの率いる紅魔館の面々やら、求婚ブレイカーと宇宙ドクター率いる永遠亭の面々。加えて自分の主人やらその親友やら、そこの元御庭番の爺様やら、それらの人物を次々と思い浮かべた藍の眼がだんだん遠くなっていく。

 

「……まぁ魔理沙襲撃事件に関しては、気になるようなら紫様や魔理沙には会ったら謝罪すれば良いだろう。根深い話ではないさ。魔理沙から何か仕返しがあるかも知れないが、それにしたって笑い話だ。ただ、仮にも幼馴染の少女にエイプキラーなどという渾名を付けるのは感心しないな」

「八雲様公認ですよ? 幻想郷に来た事で神力・霊力が強まって、実際に出来るくらい強くなってるみたいですし。それに、ほら見て下さい俺のこの湿布。これ東風谷の仕業です」

「紫様から君達の間柄を聞いてはいたが、本当に殴り合ってるんだな……」

 

 呆れたように呟きながら、藍は店の奥から戻って来た豆腐屋の従業員から商品を受け取る。

 そのまま心なしか嬉しそうに買い物袋に入れたのは、二十枚近くにも及ぶ数の大判の油揚げだった。

 『ああ、狐って本当に油揚げが好きなんだ』と感心する西宮。その視線に気付いたのか、藍が視線を強くして、

 

「やらんぞ」

「要りませんて」

 

 油揚げの入った買い物袋を庇うように背後に隠す藍に対して、西宮は呆れが混ざった苦笑を返す。

 実際別に油揚げを食いたいわけでもない西宮である。むしろ昨日のカップ麺に入っていたので当分は要らない。

 

「……美味いぞ?」

「あげたくないんですか、それともあげたいんですか、どっちですか」

「決してやるつもりは無いが、そこまで興味なさげにされるとそれはそれで釈然としないのだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして―――自分が子供じみた事を言っていると気付いたのか、藍が小さく咳払いをして話題を変える。

 

「ん、ん。ああ、誤解するなよ。いつもいつもこんな数を買い込んでいるわけではない。紫様の命で、少しばかり結界の外に出るのでな。買い溜めというやつだ。油揚げはこの店のが一番美味いんだ」

「ああ、それはお時間を取らせて申し訳ありません。それでは藍様―――で良いですか? 八雲様だと賢者様の方と被りますし」

「ああ、構わないよ。すまんな、こっちも用は無かったんだ。見かけて挨拶をしただけでな」

「いえ、ご丁寧にありがとうございました。それでは藍様、失礼致します」

 

 そして藍は買い物を終えて帰る為、西宮は人里の守護者である慧音の家へ行く為にと、互いに別方向へ歩き出す。

 この邂逅によって、この段階で西宮が魔理沙による八雲家襲撃事件について知っていた事が意味を持つ事になるのは―――もう少し先の話である。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 さて、八雲藍と別れて程無くして西宮が到着したのは寺小屋だった。

 家に行ったら不在だったので里の人に聞くと、『慧音先生なら寺小屋だよ』との事だったので、歩いてやって来た西宮なのだが―――

 

「だれだー。しらないにーちゃん」

「めずらしいふくー。えいえい」

「はははガキ共いきなり随分な挨拶じゃねーかコノヤロウ」

 

 寺小屋とは里の子供に学問の基礎を教える為の場所である。

 そして今日は寺小屋で授業があり、即ち里の子供がわらわらと集まっている。

 結果としてそんな場所をノーアポイントメントで訪れた西宮は、寺小屋の前で子供たちに全力で絡まれていた。

 小さい子供が西宮の頭にまでよじ登り、服の裾が引っ張られ、木の枝でペシペシと叩かれる。実にフリーダムであった。

 

 年の頃としては外の世界で言う小学校程度の年代だろう。上は十代のごくごく序盤から、下は一桁の半ばを過ぎた程度の年齢まで。

 そんな好奇心旺盛な年齢の彼らからすれば、突然やって来た見知らぬ、それも珍しい服を着た男は興味を大いに引く対象だった。

 それも外の世界に居る部屋の中でゲームなどで遊んでいる子供達とは違い、幻想郷の子供は実にバイタリティ豊富であり、既に全力で西宮()遊び始めていた。

 

「痛い痛い髪引っ張るな頭の上のチビ! おい誰だ今ローキックくれたの! 木の枝で叩くのは止めろそこの! ―――叩かなければ良いって問題じゃねぇぇぇぇ! お前今鼻に突き刺そうとしたろ! 一年生ン時に学校の先生の鼻の穴に鉛筆を刺した東風谷と同レベルかお前は!!」

 

 寺小屋に入る事もまかりならず、しかし子供相手にあまり強行手段に出るわけにも行かず、完全な立ち往生である。

 べしべしびしばしと叩かれ遊ばれ、頭の上の子供には『すすめー!』などと命令される始末。

 

「ああもう、何が『すすめー!』だよ! 畜生、昔ロボットアニメを見た東風谷に似たような事をやられた記憶があるな……あの時は俺もあいつも殆ど体格変わらなかったから、潰れるかと思ったけど。しかも命令が『すすめー』じゃなくて『れっつこんばいん!』とか『おーぷんげっと!』とか大分無茶だったからそれに比べりゃ有情か……」

「こちやってなにー?」

「おいしい?」

「美味しくないぞ。コングパンチを必殺技とするエイプキラーだ。お前らも見たら逃げろよ。目を合わせたら食われる」

「こわーい」

「きゃー」

 

 適当に返す西宮に、周囲の子供たちはきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。

 そんなどうしようもない状況に対して、動きが出たのは寺小屋の奥からだ。

 

「お前ら何を騒いでいるんだ! もう授業が始まる時間だぞ!!」

 

 良く響く女性の声で、寺小屋の奥からの一喝。それに対して子供達はビクリと身を竦ませて、慌てて寺小屋の中に駆けこんで行った。

 ちなみに西宮の頭の上の子供は、『いそげー! けーねせいせーにおこられちゃう!』と、西宮の髪を引っ張りながら必死に前進を促していた。

 

「痛い痛い分かった分かった! すいませんお邪魔します!」

 

 別段抜け毛を気にする歳でもないが、流石に髪の毛を無駄に引っこ抜かれるのは御免被る。

 慌てて頭の上の子供の指示に従い寺小屋に駆け込んだ西宮を迎えたのは、

 

「……誰だ?」

 

 という先程の一喝と同じ声で、しかし先の一喝とは違い困惑した様子で告げられた言葉。

 そしてその言葉を言った当人である、弁当箱のような帽子を頭の上に乗せた長身銀髪の女性だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「待たせてすまない、君が守矢神社の西宮君だったか。阿求から話は聞いている」

「いえ、こちらこそ急な来訪で申し訳ありません。お忙しそうですし、日を改めた方が良いのでは……」

「なんの、構わんさ。昨日は阿求を経て随分と良い羊羹を頂いたからな。友人と一緒に美味しく食べさせて頂いたよ」

 

 結局その後、寺小屋の授業の最初の時間を自習とした慧音は、寺小屋の中の別室で西宮と向かい合っていた。

 言ってしまえば職員室のような役割をしている部屋で、机の上には慧音が作った寺小屋で使う教科書が整然と積まれている。

 その机の横で、慧音と西宮は椅子に座って向かい合っている形だ。

 

「散らかっていて済まない。どうか気にしないでくれ」

「いえ、お構いなく。急に来たのは私の方ですから」

「そう言ってくれると助かる。さて、阿求から内容は聞いているよ。人里で布教活動を行うに当たっての挨拶回りだったな。無論構わん、どんどんやってくれ」

 

 慧音が言った言葉に西宮が驚く。好感触―――どころの話ではない。積極的に推奨している気配すらある。

 加えて西宮からすれば、彼女の表情は何故か心なしか興奮しているように見えた。

 

「……上白沢様は建御名方神か洩矢神を信仰なさっているのですか?」

「慧音で構わんよ。里の皆もそう呼ぶ。―――そして、まぁ、そうだな。信仰は特にしていないが、歴史家として非常に興味がある。建御名方神と洩矢神、外界でこれまで現存していた太古の大和の時代の神々だ。歴史書にすらなっていない神話の時代の大和の歴史、彼女達が幻想郷に来た事で生きたその話を聞く事が可能になると言う事だろう!? これに歴史家として興奮しないでどうするというのか! ああいかんいかん満月でも無いのに角が出そうだ!!」

「満月!? 角!? ちょ、上白沢様―――じゃなくて慧音先生落ち着いて下さい!!?」

 

 ―――興奮の原因はすぐに知れた。

 どうやら歴史家でもある上白沢慧音、生きた外の歴史の証言者とも言える二柱の幻想入りにテンションが鰻登りであったらしい。

 頬を赤く染め、自らを抱くように両手を回し、キャーなどと黄色い声を上げる姿はまるで恋する乙女だ。

 ただし彼女の場合、恋の対象が歴史である。色気が無い事この上無い。

 

「……まぁ、認めて頂けるなら良いです。今はまだ来たばかりで忙しいですが、御二柱にも慧音先生が話を聞きたがっていた事を伝えておきましょう」

「ああ、是非とも頼む! 特に歴史の話を頼むと伝えておいてくれ! それと、まだ幻想郷に来たばかりで色々と不慣れな面もあるだろう。君と風祝の―――東風谷君だったか。困った事があればいつでも訪ねて来てくれ」

「ありがとうございます。何かあれば頼らせて頂く事があるかもしれません」

 

 歴史さえ絡まなければ、幻想郷でもトップを争うほどの常識人であり良識人である上白沢慧音。

 特に人間に対しての味方であろうと自らに任じている面もあってか、西宮と早苗に関して気にかけている部分もあるらしい彼女の言葉に、西宮は素直に感謝の念を言葉にする。

 そんな西宮に慧音は満足げに笑い、

 

「うむ、西宮君は礼儀が出来ているな。いつもいつも元気過ぎる子供ばかりを相手にしているせいもあって、君のような子の相手は新鮮だよ。君がこの調子なら、相方の東風谷君も安心して見ていられそうだ」

「あー……いや、東風谷は確かに真面目で根は善人なんですけど時々……というか割としょっちゅう常識の斜め上に飛び出すアホの子なので、期待しない方が」

「……そうなのか?」

 

 西宮が苦みしばった表情で返した言葉に、慧音がきょとんと首を傾げる。

 しかし西宮、その慧音の言葉に頷きを返し、

 

「昔っからあいつの暴走に付き合わされて来ましたからね。子供の頃など思い出すと、先程の寺小屋の子供達が大人しく見えますよ」

「ははっ、守矢の風祝は大層お転婆だったようだな」

「現在進行形でお転婆ですよ。今日だって早朝からまだ寝ている俺の部屋に侵入して来て叩き起こして『休んでいる暇はありませんよ西宮! 出撃です!』とかお前はどこの対地攻撃爆撃機の伝説的パイロットかと――――」

「……ちょっと待て」

「はい? ええと、何か?」

 

 愚痴に近いノリで西宮が言った言葉に、慧音が眉根を顰めて待ったをかける。

 眉根を顰めつつも僅かに頬を染めた微妙な表情の慧音に西宮は困惑。しかし慧音はそんな彼に構わず、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「……もしや君達は未婚の年頃の男女でありながら、同じ屋根の下で眠っているのか? な、なんというはしたない真似を……」

「え? まぁ、言われてみたらそうなりますけど、別にそんな色気のある話じゃ――――」

「問答無用」

 

 そして西宮の回答を聞いた慧音が頬の赤みを強くし、彼の両肩をがしりと掴んで身を反らせる。

 『え?』と疑問符を浮かべて西宮が身体を硬直させた次の瞬間――――

 

「不純異性交遊撲滅クラァァァァァァァッシュ!!!」

「ぎにゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!?」

 

 轟音と共に寺小屋名物・地獄のけーねヘッドバッドが炸裂する。

 折から響いた鐘でも鳴らしたかのような轟音に、寺小屋の生徒達は『あれ? もう授業終了の鐘がなる時間だっけ?』などと自習時間の終わりを嘆いていた。勘違いである。

 

 ―――人里の守護者、上白沢慧音。

 幻想郷でも屈指の常識人にして良識人だが、歴史狂いと男女関係に対する潔癖症が玉に瑕であった。

 




 システムについてよく理解していなかったのですが、評価やお気に入り登録の見方が徐々にわかってきました。
 評価、登録、感想等ありがとうございます。励みになります。


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風神録

 布教活動には西宮よりも早苗の方が向いている。

 それは彼ら二人が幻想郷に来てから確認した事実だった。

 

 外の世界では給食時間の放送ジャックなどのエクストリーム布教行為は逆効果になるばかりだったのだが、幻想郷においては神々の実在が確認されている以上、その神の神徳や力、御利益を見せるのに最も手っ取り早いのが、神々やその信徒が分かり易く何らかの能力を示す事だ。

 そういう意味で奇跡を起こす神力・霊力を持つ彼女の方が、里において信仰を集めるのに向いていたと言う事である。以前にも書いた通り、自信ありげにハキハキと話す彼女自身、元々演説などに向いている性向であったのもあるだろう。

 

 つまりは何が言いたいのかというと、要は未だ霊力の扱いが下手な西宮が人里について行った所で、出来るのは早苗のフォローが精々で余り戦力にならなかったのである。

 無論初手ではそのフォローこそが大切だったのだが、里の有力者への挨拶回りが終わった後ではフォロー役の仕事も減る。

 そして里に行く意味が微妙に薄れていた彼は、布教開始から数日が経ち安定したのを確認した上で、守矢神社に居残る事にした。

 

 最も早苗はそれが不満だったようで、『西宮、一緒に行ってくれないんですか?』だの『風祝である私の言う事が聞けないんですか!』だのと少々ゴネていたが、紫の要請もあって後々異変を起こす事が内定している守矢神社の一員として、弾幕を練習しておきたいと西宮が押し通した結果である。

 ちなみに神々はほのぼのとした様子でゴネる早苗を眺めていた。

 

「いやぁ、普段からぞんざいな扱いをしている割には甘えたがりだよねぇ、早苗」

「一度は外の神社の為に丈一を置いて行く事を決めた後、図らずも丈一までこっちに来てしまったからなぁ。その反動もあるんじゃないか?」

 

 そんな会話など知る由も無く、結局ぶーたれながらも早苗は布教に向かい、西宮は弾幕や飛行技術などの練習の為に神社に残ったのだが、その数時間後――――

 

「ほらほらほらぁ! どーしたどーしたその程度ッスかー!?」

「だぁあぁぁ! この駄犬調子乗りやがって!」

「誰が駄犬ッスか負け犬! しかもボクは犬じゃなくて狼ッス!」

 

 ―――場所は守矢神社の境内前。

 現在西宮は、何故か先日会った犬走椛相手に弾幕勝負を行っていた。

 それも割と一方的な勝負である。当然、椛有利でだ。

 辛うじて飛行術が形になってきたものの、慣れない様子でふらふらと飛行する西宮に対して、椛が『の』の字型に生成した弾幕を乱射している。西宮は守矢の御札や、霊力の扱い方を教えて貰って辛うじて出せるようになった弾幕で応戦するが、明らかに椛が圧倒的優勢であった。

 

 更に弾幕で弾幕を相殺し、或いは体捌きで辛うじてグレイズしても椛の攻勢は終わらない。

 白狼天狗は盾と剣を手にした外見通り、天狗の中でも近接寄りの能力を持つ種族だ。

 弾幕を辛うじて捌いた西宮に向けて一気に接近した椛が、訓練用の木刀で豪快に彼を弾き飛ばす。

 

「~~~っ! 格闘戦もアリかよ!?」

「先の宴会異変の時にはこっちが主体だったらしいッスね。まぁアクセントって事で―――っとォ!!」

 

 弾き飛ばされた先で辛うじて地面に着地した西宮を追い、急降下した椛が地を這うような低軌道から気合いの声と共に木刀を突き込んで来る。

 狙いは鳩尾。防御も回避も間に合わないままに、人体急所の一つを木刀で強打された西宮が打撃の勢いで地面に転がり悶絶する。

 

「ふはははー! I'm wiener!」

「winnerな。そっちだとウィンナーソーセージだぞ天狗。慣れない外来語を無理に使うな」

「似たようなもんッス。ファイトクラブと背徳ラブくらいの差ッスよ」

「大分違うぞ。というか貴様は外来語なんてどこで覚えたんだ」

「文さんの家って、魔法の森の近くにある外の世界の道具を扱ってる店で買って来た外の世界の本とかもあって面白いんスよね。意味殆どわかんないんスけど。―――っと、さて。西宮君大丈夫ッスかー?」

「……なんとか……」

 

 そして両手を上げて勝鬨を叫ぶ椛に対して、境内に胡坐をかいて戦いを眺めていた神奈子が突っ込みを入れる。

 対する椛は木刀を地面に突き立てからからと笑いながら、倒れた西宮に手を差し出し、西宮はふらつきながらもその手を取って立ち上がる。

 

 ―――さて、そもそも何故この神社を敵視している筈の天狗である椛が、こうして西宮の練習相手を務めているのか。

 その話は少々前に遡る。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 その日の朝、少しゴネた後に早苗が布教に出掛けた後で、守矢神社に対して天狗側から動きがあったのだ。

 元々が極めて強く守矢神社を警戒している天狗社会。特に上層部は妖怪の山を統べるのは自分達だと言うプライドが強いらしく、機さえあれば守矢神社の排除に動きかねない様子だ。

 

 しかし半面、守矢神社―――正確には諏訪子と神奈子に喧嘩を売る度胸は天狗には無いらしく、現状では静観して監視という事となっている。

 そしてその監視の役目も単調な作業であると同時に、守矢神社と言う天狗側からすれば極めて危険な要素に自分から近付く仕事だ。

 果たして誰がやるかとひとしきり揉めたところで、白羽の矢が立ったのが犬走椛である。

 

 椛自身が天狗社会ではやや浮いた存在である文について回っている立場というのもあり、要は一応哨戒天狗ではあるものの仕事が少なく、一時的に今の仕事を抜けても問題が少ない。

 何より椛の持っている『千里先まで見通す程度の能力』は気付かれずに監視をするには最適だと言う見方も、天狗側にはあったのだろう。

 が――――

 

「こんにちわー! おはようございまーっす! えーと、天狗の里で神社を監視する役目を申しつけられました犬走椛ッスー! こちらお土産の山菜ッス!」

「む、先日の白狼天狗か。……え、監視? これが?」

「うぃっす。外で監視すると寒いんで、お邪魔して良いッスか?」

「えーと……うむ、どうぞ。……あれ?」

 

 『取材の基本は挨拶と自己紹介』と射命丸に言われていた犬走椛、まさかの監視対象の家にお土産を手にご挨拶に上がるという前代未聞の大暴投。

 千里眼、全く意味を為さず。千里どころか手を伸ばせば届く距離での監視活動開始である。

 天狗上層部が知ったならば噴飯ものの惨事だった。

 

 そしてたまたま応対した神奈子、明け透けを通り越してどこか別のベクトルに差し掛かりつつある椛の言動に思わず呆然として頷いてしまったのが運の尽き。

 本殿に上がり込んで全力で寛ぐ椛の姿が次の瞬間にはそこにあった。

 

 『ああー、よく掃除された床ッスー。檜の香りッスー』などと言いながら尻尾を振り振り床をゴロゴロ転がる姿は、もはや自分の家はここだと言わんばかりのレベルでリラックスしていた。

 八坂神奈子、万を越える歳を神として過ごしながらも、ここまで神社本殿で寛ぐ部外者を見たのは初めてだった。

 

「……まぁ良く分からんが、軍神的に肝が太い奴は嫌いではない。天狗、昼餉を食べるか。チャーシューの入ったカップ麺があるぞ」

「食べるッスー!!」

 

 そしてその限界まで好意的に表現すれば『堂々としている』と取れなくもない姿が、何故か軍神である神奈子の御気に召したらしい。

 西宮の飛行訓練の為に少し神社から離れていた西宮本人と諏訪子が神社に戻って来た時に見たのは、差し向かいでカップ麺を啜る軍神と尻尾振りまくりの白狼天狗の姿だった。

 

「……何がどうなってるんだコレ」

「んー? 細かい事を気にしたらハゲるッスよ少年! しかしこの『かっぷめん』とやら、少し味が濃いッスけど美味いッスねー!!」

「お、話が分かるね白狼天狗。しかも食べ終わったスープをご飯にかける事で、お手軽にご飯が雑炊もどきになるというオマケ付きさ!」

「す、すげー! カップ麺マジすげーッス!! よっしゃ弁当に持って来たオニギリ入れてみるッス!」

 

 そして西宮が状況を把握し切れず頭を抱える横で、嬉々としてカップ麺の食べ方を指南する祟り神とそれに感銘を受ける白狼天狗。

 その彼女に『精進すればすぐにこの領域に至れるよ』と答えながら、自分の分のカップ麺を準備する諏訪子。彼女を畏敬の篭った視線で見つめる椛。

 

「ボク、今日から御二柱を信仰するッス……!!」

「カップ麺で!? 安いなオイあんたの信仰!!」

 

 カップ麺を啜る二柱を見ながらキラキラ輝く尊敬の眼差しで宣言する椛に、流石に堪え切れずに西宮は突っ込みを入れたのだった。

 

 

 そしてそんな寸劇から暫し後。

 本殿で食休み中の西宮+二柱+監視役という状況で、しかし監視など一切気にせずに諏訪子が西宮の練習の進展を神奈子に告げた。

 

「とりあえず、飛び方は一通りどうにかなったよ。霊弾の撃ち方も教えたから、後は応用と実践かな」

「実践か。……どうする丈一? 私と一戦してみるか?」

「神奈子様は手加減とか苦手そうなんで遠慮しておきます。何で最初から難易度がルナティックなんですか。もう少し難易度の低い相手で練習させて下さいよ」

 

 諏訪子の言葉を受け、神奈子が口元に手をやりつつ呟いた言葉に、西宮が両手を上げて降参のポーズで拒否を示す。

 それを受けた神奈子、別に自説に固執するでもなく『確かにそうか』と呟きながら意見を取り下げる。

 どうやら手加減が苦手だと言う自覚はあったらしい。しかし自説を取り下げたら取り下げたで、神奈子はどうしたものかと首を傾げる。

 

「しかし丈一、難易度の低い相手と言うが……諏訪子も私よりは多少は手加減が出来るが、ほぼ同等の実力の持ち主だ。早苗は今は布教で忙しい。そもそも私達は幻想入りしたばかりで知り合いも少ない。となるとそう簡単に難易度の低い相手など―――」

「ぷっはぁー! いやー御馳走様でしたー! 『かっぷめん』美味かったッスー!!」

 

 その瞬間、空気を読まずに高らかに告げられた御馳走様。

 二柱と一人の目線が集まった先に居たのは、カップ麺に弁当として持って来たオニギリを投入して作った雑炊もどきを食し終わり、頬にご飯粒を付けながら満足そうな笑顔で尻尾を振っている監視役だった。

 

「―――天狗」

「あい?」

「夕餉に好きなカップ麺を選ばせてやるから、我が信者の訓練に少し付き合え」

「チャーシュー入り、豚骨味で手を打つッス」

 

 そして神奈子が告げた言葉に食欲丸出しで―――しかし安い代価で椛が即答。

 その日から暫く、西宮の実践訓練の相手兼守矢神社の監視役として犬走椛が神社に出入りする事が決まった瞬間だった。

 ちなみに言動のイメージとは異なり、白狼天狗としての彼女の鍛え方は意外とスパルタであった。

 

 

 そして布教を終えてその日の夜に帰って来た早苗は、本殿でさも当然のようにカップ麺の器に顔面を突っ込むようにして食っている椛の姿に驚き、顛末を聞いて呆れながらも『西宮を宜しくお願いします』と椛に頭を下げた。

 自分の事で早苗が誰かに頭を下げた事に驚く西宮に対し、早苗は悪戯っ気のある笑みを浮かべ、

 

「だって西宮が早く一人前になってくれれば、また一緒に布教活動に行けるじゃないですか。人手も増えて万々歳ですよ」

「俺をこき使いたいだけかこの駄風祝」

「あらやだ。不甲斐ない信者に一人前になって欲しいと願う現人神兼風祝のありがたい言葉ですよ? もう少し敬ってくれても罰は当たりませんよ、西宮」

 

 茶目っ気のある笑みで言った早苗に対し、椛の訓練でそこはかとなくボロボロな西宮は憎まれ口を返す。

 そこから始まる丁々発止の掛け合いを神々は微笑みながら見守り―――その横で椛はカップ麺の残り汁を啜っていた。

 

「やべぇ美味ぇ。ボクが持って来た山菜の天ぷらも合うとか反則的ッス」

 

 とは、口の周りをベタベタにしながらの椛の言葉であった。

 完全に餌付けされた椛に射命丸が頭を抱えるのは後日の話である。

 そして――――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――あれ? こんな所に神社が……」

 

 そして椛が西宮の訓練相手を始めた日から、更に数日。

 早苗はその日、布教を終えて妖怪の山へ戻る途中で、見知らぬ神社を見付けていた。

 

 たまたまこの日にこの神社を発見した理由は特に無い。

 敢えて言うなら、少しいつもと違うルートで帰りたくなる程度の気分だった。それに尽きるだろう。

 

 しかし最近布教が上手く行っていた早苗は気が大きくなっていた。

 或いは相棒である西宮がついて来ていない事で、本人も気付かぬうちにフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。

 

「……随分と寂れているようですし、ここは一つこの神社を分社として使ってあげましょう。そうすればこの神社の参拝客も増えるし、私もより多くの信仰を得られる。御二柱や西宮にも褒めて貰えるでしょうし万々歳ですね!」

 

 そう言いながら、彼女は内ポケットから取り出した筆ペンでメモ用紙につらつらと一方的な宣告を書き立てると、それをその神社の本殿入り口にペタリと張り付けた。

 

「これで良し、と」

 

 満足げに頷き飛び去る早苗。

 彼女が残して行ったメモにはこう書かれていた。

 

『―――当方、山の上の神社の者なり。

 この神社、余りに寂れ見るに忍びないので、我が神社の分社とする』

 

 或いは西宮がついていれば、或いは早苗がもう少しこの神社についての情報を集めていれば、絶対に行わないであろう最悪の悪手。

 本人的には善意であったのだろうが、何の慰めにもなりはしないだろう。

 よりにもよって彼女は、八雲と並びこの幻想郷の管理者とされる“博麗”―――それも歴代博麗最強と呼ばれる当代の巫女、博麗霊夢に喧嘩を売ったのだ。

 

「……何よ、このフザけた宣言。山の上の神社? これは宣戦布告って事で良いのよね」

 

 翌朝になり起きて来た霊夢がそのメモ帳を見て守矢神社めがけて出撃する事を、未だ早苗は、そして守矢神社の面々も、この段階ではまだ知らなかった。

 

 

 

 かくして守矢の神社は幻想に入り、幻想の地にて調停を司る博麗と相対する。

 ――――東方西風遊戯・風神録篇。これにて開幕し候。

 




少し短めですが、ここで一区切り。
次から風神録篇の本番です。

その前に外の世界のエピソードを1つ、2つ挟む感じで。


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閑話其の壱:彼と彼女の学生生活

『閑話』とついているエピソードは、時系列順ではない一話完結型の話となります。
或いは外の世界の過去話だったり、或いは早苗や西宮の小さなエピソードだったり、或いは全く関係のない話だったり。


 これは守矢神社が幻想の存在となる前の話。

 つまりは東風谷早苗と西宮丈一が未だ普通の―――いや、かなり変わった高校生と少し変わった高校生だった頃の話である。

 彼らが新しい学び舎に入り、しかし大型連休に突入する前。平たく言ってしまえば、ピカピカの高校一年生の四月の話だ。

 

「西宮氏よ。C組の東風谷氏は美人だから告白など随分とされているようなのだが」

「もぐ……剛の者も居たもんだな」

 

 場所は学校。昼休みの教室にて、弁当を開いていた糸目の少年―――西宮丈一。

 彼は横で菓子パンを食べている友人からの言葉に、自作の肉詰めピーマンを咀嚼しながら生返事を返す。

 返事をしつつ、右手に持った箸で弁当を突きながらも、もう片方の手で持った新聞に目線は固定。新聞部が作成した学校新聞、その号外だ。一枚ペラに白黒で刷られたそれは、昼休み開始直後にご丁寧に各教室を回って数部ずつ新聞部が撒いていった物であり、興味を持った学生によって昼飯ついでに回し読みされている。

 

「『女子テニス部の練習を近距離ローアングルで激写してた第二写真部に、女子テニス部が放ったサーブが激突。コカーン直撃の一撃に黄色い悲鳴でコーカン度大変動☆』―――随分身体張ってるなオイ」

「西宮氏よ、自分思うのだが突っ込みどころはそれより関係者コメントとして掲載されている『気持ち良かった』ではないかね」

「どっちのコメントか書いてないが、加害者のもんだとしても被害者のもんだとしても多角的にヒドいコメントだな」

 

 恐らくは朝練中の不意の事故、或いは故意の事故なのだろうその内容に、西宮と友人の両者は割とどうでもよさそうに、実際心底どうでもいい感想を述べる。

 次はミニトマトを箸でつまみつつ、裏面を読むために号外を裏返す西宮。その様子を気にするでもなく、友人が最初の話を続行する。

 

「それでだね。幾多の精鋭が彼女の寵愛を得ようと告白を試みたものの、全て伝家の宝刀『ごめんなさい』で一刀両断にされたという話であるが。小耳に挟んだのだが西宮氏、東風谷氏とは幼馴染なのだろう? もしや東風谷氏がウォール・マリアばりの鉄壁防御を見せているのは君と付き合ってるからではないのかね」

「ウォール・マリアってアレ漫画の開始時点で破られてなかったっけ? まぁ幼馴染なのは事実だが、別段そういう浮いた話に発展した事は一度も無ぇぞ」

「であればウォール・コチヤで良かろう。で、それはそれとして、そうでないならば東風谷氏の好みなどは分かるかな?」

「なにお前、東風谷に気があんの?」

「いや。だがその情報は高く売れそうなので興味がある」

 

 何の事は無い、高校生にはありがちな惚れた何だの恋バナという奴だ。―――目的がその東風谷早苗に憧れる生徒に対する情報売却による利益だったとしても。

 しかも今話題に挙げられたのは、彼らが通っている高校にて一年生ながらも『美少女No.1(第一新聞部による四月調査による)』と評されている東風谷早苗。多少エキセントリックな性格をしているものの、他の追随を許さない美少女である。

 だが彼女は実家である神社の方に熱心であり、浮いた話が全く浮かばない高嶺の花。すわ攻略不可能かとも噂されている美少女だ。

 

 そんな彼女と西宮丈一が幼馴染だというのは、入学してから然程日が経っていない今は未だに学校内では然程知られていなかったらしい。

 そして西宮が友人と交わした会話に、聞こえていたらしい周囲の男子から反応の声が上がる。

 

「おいおいマジかよ西宮!? あの東風谷さんと!?」

「あー、そういや登下校一緒にしてるのは見たことある」

「ヒャッハー」

「喋らなければ美少女No.1の東風谷さんの話だとぉ!?」

「お前ら好きだなオイ、この手の話題」

 

 周囲の声を聞いた西宮は呆れた声。しかし実際、早苗の外見が綺麗だというのは認めるところではあるので、内心では呆れと納得がほぼ等分だ。

 浮世離れした雰囲気も、近くに居なければ『高嶺の花』と見ることも出来るのだろう。喋ると色々台無しなのだが。

 

「しっかし、東風谷の好みねぇ……」

 

 付き合いこそ長いが、お互いそういった話題で話をした記憶は殆ど無い。丁々発止とアホな事で喧嘩をしていた記憶の方が圧倒的に多いのだ。

 故に彼女の普段の言動から彼女の好みのタイプを想像しようとした西宮だが、出て来たキーワードはやはり『信仰』だ。

 

「……やっぱりあいつの今時珍しいレベルでの信仰っぷりを認めてくれる相手じゃねーの? まずは大前提で」

「東風谷さんってそんなに熱心なのか? 信仰宗教とか」

「信仰と宗教って繋げて読むと音的に大分危ない響きになるな。まぁ、あいつん家は新興どころか滅茶苦茶古いが。諏訪大戦とか建御名方神とか洩矢神とか、あいつと付き合いたいならその辺程度は抑えておいた方が良い」

 

 いつの間にか周囲に集まって来た男子生徒達に呆れた視線を向けながら、西宮はまずミニトマトを口に運び、空いた箸を教鞭のようにして右手に持つ。

 そして数秒。もぐもぐとミニトマトを咀嚼して飲み込んでから、周囲で待つ男子生徒に対し―――

 

「なぁ、再来月の体育祭で男子専用競技で『100m脱衣競争』ってあるんだけどこれ誰が出るんだよウチのクラス?」

「そこで号外の話題に戻るのか。流石だな西宮氏。―――良かろう、東風谷氏の話題さえ頂けるならば自分が責任持って脱ごうではないか」

「今じゃなくて良い。何故第一ボタンを外す」

 

 学生服に手をかけた友人を手で制し、号外から視線を外す。

 号外裏面に記載されている体育祭競技にある『走り脱衣』『飛び脱衣』などの頑なに脱衣オンリーな男子競技の一部から目を逸らしつつ、今度は早苗の話題に立ち戻りだ。

 しかし数秒、何から話すべきか首を傾げ―――

 

「まぁ古事記や日本書紀に出てくるような話題は飛ばすぞ。必要なら古文の先生にでも聞け。丁度中間テストの予習にもなるだろ」

「恋話から古文の予習に話が繋がるとは恐れいったな……」

「あいつの家が古い神社なんだから仕方ないだろ。つーか、あいつの私生活がだらしないの知れ渡ってきたら、そこまで人気は出なくなると思うんだがね。神社の掃除はしっかりする癖に自分の部屋は掃除出来なくて、お袋さんに怒られて大体泣き付いて来るんだ」

「西宮氏。それは君にか」

「まぁ、大体は」

 

 そして沈黙。西宮の言葉を咀嚼するように、周囲の男子生徒達が揃って沈黙。西宮は視線を号外に向け直す。

 数十秒。それだけの間を置いて、西宮がまたも体育祭の競技紹介の中に不審な競技名を発見した辺りで、友人が周囲の男子生徒を代表するかのように声をあげた。

 

「西宮氏。その台詞から察するに、君はよく東風谷氏の家にお邪魔するのか?」

「ん? まぁほぼ毎日だな。俺あいつの家の神社でバイトみたいな扱いになってるし。バイトっつか神職見習い?」

「ガッデム! 神は死んだ!!」

「それ仮にも神社で働いてる人間の前で言う言葉か」

 

 周囲の男子の一人が頭を抱えて天を仰ぎながら叫んだ言葉に、思わず西宮が突っ込む。

 しかし周囲の男子達からすれば彼の先の発言は捨て置ける物ではない。ガッデムと叫んで天井を仰ぎ見ていた男子が、ぐいんと音がしそうな動きで西宮に視線を向け直して再度叫ぶ。

 

「おま、それは少し家の中を探索すれば東風谷さんの嬉し恥ずかしい下着が置いてある脱衣場へのスニーキングミッションも可能だって事じゃないですかねぇ!? なにそれハレルヤ! 神は居た!」

「お前さっきの発言から舌の根も乾かぬ内に神再誕とか潔いな。つか発想がそこから入る辺り、立派に変態だなオイ」

「俺は変態じゃないよ! 例え変態だとしても変態と言う名の変態だよ!」

「自覚がある辺り本当に潔いよお前」

 

 友人は選ぶべきかとやや本気で悩みながら、しかし西宮はその友人(へんたい)を更にヒートアップさせる言葉を吐いてしまう。

 

「つーか下着なんぞ、あいつの場合脱衣場まで行かんでも部屋に脱ぎ捨ててるし」

 

 告げられた言葉に、反応は絶叫。

 

「うわああああそれ以上言うな! 女子に対する幻想壊れる!」

「西宮氏、君がそれの片付けをしているのか? そこまでいくといっそ羨ましくないな」

「ヒャッハー」

「なにその楽園(ぱらいそ)! すいません、入場料おいくらですか!?」

 

 喧々囂々。

 空前の盛り上がりの中で一人が西宮に向かって羨望の混ざった声をあげた。

 

「おま、どんだけ仲良いんだよ西宮!?」

「まぁ悪くはないとは思うが、同時にしょっちゅう喧嘩する間柄でもあるしなぁ……」

「それは俗に言うケンカップルの範疇ではないのかね西宮氏」

「いや今はどうでも良い! 重要な事じゃない! 重要なのは西宮、分かるだろう!? 部屋に転がっている東風谷さんの下着の色とデザインだ!」

「おい、まずは誰かこの馬鹿どうにかしろ。具体的にどうするかまでは言わなくて良い。そこまでこいつの行く末に興味無いから」

 

 一人だけ凄いテンションになってる友人がいたので、西宮と他の友人達は手を取り合って紳士的にその友人(へんたい)を排除した。

 掃除用具箱に封印された彼は皆から忘れ去られ、封印が解かれるのは放課後の事になるのだが、一切本筋とは関係無いのでその辺りは割愛する。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「早苗の弁当、美味しそうだねー」

 

 そして西宮の教室でそんな騒動が起こっているのと同刻。

 こちらは屋上で友人数名と昼食を食べていた早苗は、肉詰めピーマンを頬張っていた所で横合いから声をかけられた。

 横を見やると、西宮ほど人付き合いが如才ないわけではない早苗にとって、この新しい学び舎でのまだ数少ない友人と言える少女が、少し物欲しそうに早苗の弁当を覗き込んで来ていた。

 

「まぁ美味しいですけど。どうしたんですか、お弁当忘れたんですか?」

「お母さんが寝坊してさー。今日はコンビニのパンで我慢」

 

 ぶー、と唇を尖らせる友人の様子に、周囲の他の友人達から笑い声が上がる。

 そのうち一人が『私は自分で作ってるよ』とカミングアウトすると、周囲から上がったのは『すごーい』だの『私絶対無理ー』だのという歓声だ。

 そしてコンビニのパンを頬張っている友人が早苗に視線を向け、問いかけて来る。

 

「早苗って神社のお仕事で朝早く起きてるんでしょ? 早苗も自分で弁当作ってるの?」

「いいえ、早起きなのは事実ですけど料理は得意じゃなくて。いつも西宮に作って貰ってます」

 

 何気なく早苗が返した言葉に、周囲が固まる。

 早苗と友人をやっていると、一度は聞く名前。西宮―――西宮丈一。

 彼女達の同級生の男子生徒にして早苗の神社のアルバイトのような事をやっている少年、なのだが―――

 

「早苗、彼氏に弁当作って貰ってるの!?」

「幼馴染ですよ」

 

 周囲で湧きあがる黄色い声に、渋い顔をして早苗は返す。

 この場に居るのはいずれも年頃の少女達だ。こういう話題には殊更に敏感なのだが、早苗の表情は苦虫を数十匹纏めて噛み潰したように渋かった。

 その様子に周囲の少女達も盛り上がるのを止めて、『はて?』と首を傾げる。

 

「そーなの?」

「そーなんです。そもそも西宮は酷いんですよ? 見て下さいこのピーマン。私が嫌いだってのをずっと前から知ってるのに、健康に良いからとか言って入れ続けて来るんです。信者が風祝に対する態度としてはあり得ません。肉詰めにする工夫は認めますが」

 

 そう苦々しく言いながら、ピーマンの肉詰めを口に放り込む早苗。

 『んー美味しい』などと言ってる所、どうやら信者作のピーマンの肉詰めは風祝の舌に合ったようだ。

 彼氏の手料理というより、まるで母親が子供にピーマンを食わせる為の工夫だ。周囲の少女達のテンションが一段階下がる。

 

「じゃあ付き合ってるとかそういう話じゃないんだ?」

「そういう色気のあるお話ではないですね。むしろあの糸目、いっつも私を無下にて……」

「む、無下って……何があったの?」

 

 ぶつぶつと呪詛のように呟くその言葉に、腰が引けながらも周囲の友人が問いかける。

 その友人に対して早苗は大層ご立腹の様子で、箸の先にタコさんウィンナーを刺してぷんすかと語り始める。

 

「まず敬意が足りません。私は風祝で、西宮は神職見習いです。私の方が偉いのに……」

「風祝ってなんだっけ?」

「巫女の変異種じゃなかった? えーと、ほら。ザザミに対するギザミみたいな」

「普通の巫女は赤いからザザミで、風祝の衣装って青いらしいから早苗はギザミだね」

「モンスターで例えないで下さい」

 

 後にエイプキラーと例えられる少女、東風谷早苗。外の世界での例えはショウグンギザミ(モンスターハンター)であった。どうやら彼女は可愛さとは無縁な物に例えられる運命らしい。

 

「それにですね。この弁当の件で世話になってるからと、先日神奈子様と諏訪子様のアドバイスを受けて料理を作ってあげようとしたんですよ! なのに西宮の奴、全力で逃げたんですよ!? 幾らなんでも失礼でしょう!!」

「神奈子様と諏訪子様?」

「あ、え、えーと……ウチの神社の偉い人の名前です」

「ふーん」

 

 そして危うく自らが信仰する二柱である神奈子と諏訪子の名前を出した早苗だが、言い逃れに成功。

 自分にしか見えず、声も自分と西宮以外には聞こえない相手だ。迂闊に名を出すと変な子扱いされるのは幼少時に経験済みである。

 幸いにして神社云々には興味が無いらしい周囲の少女達はそこには突っ込まず、代わりに突っ込まれたのは別の点だった。

 

「早苗って料理できるの?」

「いいえ」

 

 素朴な疑問に対する返答は、『どうだ文句あるか』と言わんばかりに胸を張って笑顔で告げられた否定の言葉だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 一方の教室では、西宮から彼と早苗の日常を聞き出した男子生徒達が呆れ果てた様子で西宮を囲んでいた。

 当の西宮は喋りながらも弁当を完食し、意外と律儀に『御馳走様』と手を合わせてから弁当箱を鞄に仕舞い直している。

 

「―――話を整理しよう、西宮氏。君は放課後はほぼ毎日東風谷氏の神社で神職見習いとして働いている。東風谷の御両親との仲も良く、父君からはよく晩酌や将棋の相手に誘われる」

「うん」

「更に東風谷氏も君に対しては無防備で、下着が脱ぎ捨ててある部屋の掃除を任せられるレベル。それどころか君が部屋にいる状況で無防備にベッドで寝る」

「掃除や宿題を俺に押し付けてな」

 

 ふむ、と友人が深く頷く。

 その表情は呆れたような、乾いた笑いを浮かべたものだ。

 

「彼女が居ない世の男子高校生が聞いたら憤死しかねんね」

「オレ コロス。ニシミヤ オマエ コロス」

「憤死の前に俺を亡き者にしようとしてる奴も居るんだが」

「正当な怒りだ。諦め給え。君としては愚痴な部分もあるのだろうが、周囲からすれば一種の惚気話にしか聞こえないよ」

「さよけ」

 

 気のない返事の西宮に、がっくりと項垂れる友人達。

 西宮が語る早苗とのエピソードは、もはや周囲の友人達からすれば惚気にしか聞こえない。

 『リア充爆発しろ』だの『もげろ』だの『ヒャッハー……』だの『パルパルパル』だのといった声が周囲から聞こえてくるが、当の本人である西宮の心境は『知らんがな』である。

 

 しかしそんなどうしようもない空気の中、一人の友人(ゆうしゃ)が声を上げた。

 

「……色々エピソードは聞けたけどさ。結局西宮、お前は東風谷の事はどう思ってんだ?」

「あ? ……そうだな。放っておけない幼馴染だよ。危なっかしくて目は離せないし、恩も借りもある相手だ。――――ああ、それと」

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

Q.以下の文は「スクランブルエッグ」の作り方です。空欄を埋めなさい。

 

  1.( A )をボウルに割り、よくかき混ぜます。この時、箸で( B )を切る様に混ぜると、よく混ざります。

  2.薄く( C )をひいた( D )を熱します。蒼白い煙が消えたら再び( C )をひきます。

  3.( D )を弱火にかけ、1で作った物を入れて熱しながら混ぜます。

 

A.東風谷早苗さんの回答:

  A:ジャパニウム鉱石

  B:光子力エネルギー

  C:超合金ニューZ

  D:偉大なる勇者

 

先生(友人)からの一言:

  それで出来るのは「スクランブルダッシュ」です。

 

 

「……これは酷い」

「スクランブルダッシュって何?」

「古いロボットアニメのネタ。お兄ちゃんがそういうの好きだから私も分かるんだよねー」

 

 屋上も屋上で、ある意味教室以上の悲劇が広がっていた。

 料理が出来ないという早苗、果たしてどれくらい出来ないのかと友人が適当に出題した問題にこの回答である。スクランブルエッグを作るつもりが、出来るブツはスクランブルダッシュ。洩矢神とて予想できまい。

 しかし不正解を告げられた早苗は重々しい表情で頷き一つ。

 

「ふむ……意地が悪いですね。引っ掛け問題ですか」

「どこも引っ掛けるところ無いよね? 私の胸部くらい引っ掛かるところ無いよね? ―――誰の胸が(ウォール・マリア)だこの巨乳が!」

「すいません自分で言った言葉に自分でキレないでください」

 

 スレンダー(つるぺた)な友人が自虐入った突っ込みを入れ、自分でキレるという二段技を披露。

 それに律儀に突っ込みを入れつつ、早苗はぷすりと箸でタコさんウインナーを突き刺して鷹揚な頷きを一つ。

 

「まぁ待って下さい皆。今のは練習、ノーカウント、ワンモアチャンスという奴です」

「……いやもう、この回答見てるとチャンスとかそういう問題じゃない気もするんだけど……」

「いいえ、大丈夫です。私は出来ます! 早苗はやれば出来る子だって神奈子様と諏訪子様も言ってくれてました!!」

 

 そして『大丈夫なの?』という視線丸出しの友人たちの前で、早苗は雄々しく立ち上がり、タコさんウィンナーの刺さった箸を大幣代わりに九字を切る。

 

「―――建御名方神も洩矢神も御照覧あれ! ここに奇跡を! ―――風祝の早苗、参る!!」

 

 猛々しく吼える姿。しかしこんな事で、しかもタコさんウィンナーの刺さった箸を祭具に祈られても、建御名方神とか洩矢神も困るだけであろうと友人達(ギャラリー)は思う。

 しかもこの問題に答える程度で奇跡とかどれだけ料理が苦手なのか。戦慄すら混ざった様子で見る彼女達の前で、早苗が答えをその頭脳で弾き出した。

 

 

 

Q.以下の文は「スクランブルエッグ」の作り方です。空欄を埋めなさい。

 

  1.( A )をボウルに割り、よくかき混ぜます。この時、箸で( B )を切る様に混ぜると、よく混ざります。

  2.薄く( C )を引いた( D )を熱します。蒼白い煙が消えたら再び( C )を引きます。

  3.( D )を弱火にかけ、1で作った物を入れて熱しながら混ぜます。

 

A.東風谷早苗さんの回答:

  1.( 相手が右ストレートを放ったところを左掌で巻き取るように受け、すかさず相手の頭を引き込んで後頭部 )をボウルに割り、よくかき混ぜます。この時、箸で( 関節の接合 )を切る様に混ぜると、よく混ざります。

  2.薄く( 右足 )を引いた( 体重移動により相手のバランスを崩し、引き寄せるように相手の身体全体 )を熱します。蒼白い煙が消えたら再び( 右足 )を引きます。 

  3.( 体重移動により相手のバランスを崩し、引き寄せるように相手の身体全体 )を弱火にかけ、1で作った物を入れて熱しながら混ぜます。

 

 

 

 友人達はその時思った。

 『ああ、奇跡だ。負の方向で』――――と。

 そして負の奇跡を巻き起こした早苗当人は、『どうだ』と言わんばかりにこの歳にしては実り豊かな胸部を張っているが、何を誇る気か。

 この回答では既に風祝(かぜはふり)というより風屠(かぜほふり)である。

 

「……早苗、あんたはこの回答で何と戦う心算なのよ……」

「え? んーと……西宮と?」

「戦ってどうする。料理を作ってあげるんじゃなかったの? 何で西宮君を料理する方向に進んでるの!?」

「いやぁ、つい癖で」

 

 てへっと舌を出して、いけないいけないとでも言わんばかりの表情を見せる早苗。

 悪びれないのが彼女の長所であり短所である事を知っている友人達は諦めたように溜息を吐き、代表して一人が早苗に問いかけた。

 

「……もう料理は良いや。実際早苗はさ、西宮君のことどう思ってるの?」

「え? うーん、生意気で私に対して全く敬意を払わない、気が合うようで合わない幼馴染で喧嘩友達ですよ。――――ああ、それと」

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして奇しくも全く同時に。

 教室と屋上の二箇所で、西宮と早苗はお互いについての論評をこう締めくくった。

 

「―――あいつ、実は笑うと可愛いんだよな」

「―――いつも糸目ですけど、目を開くと実は格好良いんですよ」

 

 この瞬間がこの高校内で美少女No.1(新聞部調べ)である東風谷早苗が『攻略不可能』と断じられた瞬間であり、同時に早苗の友人達が生温かい笑顔で『コイツ駄目だ早くなんとかしないと』と判じた瞬間でもあり、遂に何かが吹っ切れた西宮の周囲の男子生徒達が満面の笑顔で一斉に西宮に上靴を投げ付け始めた瞬間でもあった。

 西宮丈一、思えば人生初の弾幕ごっこは友人達が投げ付ける上靴を避ける事だったと後に語る。

 

 ―――ともあれ。

 未だ幻想の地に入る前の、西宮丈一と東風谷早苗の学校生活。その一端だった。

 




■全くどうでもいい自分的メモ兼ねたお話■

▼西宮の友人
 リメイク前と違い、数名会話の仕方や話題で特徴づけ。
 リメイク前の通称がパンツ奉行だった彼は、やはりロッカーに詰められました。
 相変わらず名前をつけるつもりはありませんが、適度に良い空気吸いながら西宮とよくつるんでる連中です。

▼早苗の友人
 西宮の友人と同じく、会話や話題での特徴付け。貧乳さんが一人居ることが確定しましたが、自虐ネタで逆ギレという中々の会話的瞬発力を見せてくれました。


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人恋し現人神様

急激にユニークアクセス数が上がっておりますが何事でしょうか。
皆様本当にありがとうございます。待っていてくれたという方が存外に多くて、驚くやら申し訳ないやらありがたいやらで一杯一杯です。


「それでは行って参ります!」

「今日こそ一本取る……」

 

 博麗の巫女である博麗霊夢が、早苗の宣戦布告状を見て陰陽玉とお祓い棒を手にして博麗神社から出撃したのとほぼ同じ頃。その日も守矢神社では、最近繰り返された日常が始まろうとしていた。

 人里に向かう早苗が大幣を手に元気良く出発の挨拶をし、西宮は監視役兼訓練相手である椛相手に今日こそ一本取ると息巻きながら、風祝様も御用達の守矢神社特製の御札を手に策を練っていた。

 

 異変を起こす事が八雲との約定だが、それはもう少し神奈子と諏訪子が信仰を集め、力を取り戻してからになるだろう。

 それが守矢勢の判断であると同時に、彼女らを呼び込んだ紫の判断でもあった。

 力が整っていない状態で異変を起こされても『妖怪の山の力を示す』という紫の目的にはそぐわないので、それは当然と言えば当然の話である。流石に年単位の準備時間が必要な話ではないので、数ヶ月だけ待てばいい。

 

 その筈であった(・・・・・・・)

 その日、早苗が神社を出る前に、八雲紫がスキマを通って現れるまでは。

 

「随分と早く動いて頂けたようね。幻想入りから僅か数日で博麗神社に宣戦布告とは、相当な自信があると見て良いのかしら。流石は古の大和の時代より語り継がれし神々と言わせて頂きますわ」

 

 ずるりとスキマから出て来て、口元を扇子で隠しながら胡散臭く笑うスキマ妖怪。

 しかし彼女を迎え入れたのは、博麗神社に宣戦布告をして臨戦態勢で待ち受ける守矢神社―――などではなく、『何言ってんのコイツ』的な視線が四対であった。

 

「……八雲紫、何の話だ?」

「え? あの、神奈子さん? 貴方達、博麗神社に宣戦布告を―――」

「はぁ? いや、私も神奈子もまだ往時の力を完全に取り戻したとは言えないんだよ? まだあと最低でも一ヶ月は欲しいんだけど」

「……え? あの、霊夢が今朝がた凄い勢いで神社から出撃したって……それでたまたま霊夢を見かけた魔理沙も一緒に異変解決と息巻いてるみたいなんですけど」

 

 噛み合わない話。

 さも黒幕的なカリスマと共に登場した紫の前には、話の通じない守矢の二柱が困惑顔で首を傾げている。何事かと視線を向けて来た西宮も、その表情に浮かんでいるのは困惑だ。

 だが、紫が目にした最後の一人。守矢神社の風祝である東風谷早苗は顔色を蒼白にして、『神社って』や『まさか』などといった単語を呟いていた。

 ―――明らかに心当たりがある様子だ。

 

「……東風谷早苗」

「は、はいっ!」

 

 その様子に自然と紫の声が低くなる。

 理由は二つ。まず第一に、守矢神社を招き入れた件は紫にとってもかなりの大事業だった。

 幻想郷のバランスを憂う彼女がバランスを保つ為に行った大事業。それを破綻させかねない行動をしたと思しき早苗に対して寛容になろう筈もない。

 元々世話焼きの傾向のある彼女だが、しかし幻想郷に仇為す者に容赦はしない激情家としての一面もまた、八雲紫という妖怪だ。

 

 第二に博麗の巫女―――特に今代の博麗である霊夢は、紫が幼い頃から見守って来た娘のような存在である。

 元より初代の博麗と共に紫が幻想郷と外とを隔てる博麗大結界を作ってから、紫は全ての代の博麗と大なり小なり交友があった。しかしその紫をしても今代の霊夢は歴代最大の傑物であり、最も手のかかる教え子であり、最も可愛い娘だった。

 その彼女に『異変を起こす』という目的も関係無しに喧嘩を売った形となる早苗に対して紫の視線が鋭くなり、自然と身体から妖力が漏れる。

 しかしその彼女に対して、横合いから待ったがかかった。

 

「すまない、八雲。私達の監督不行き届きだ」

「私からも謝るよ。まずは少し落ち着いてくれないか」

「――――……そうね」

 

 神奈子と諏訪子が紫に声をかける。

 その声を聞き、境界の大妖怪の怒りも勢いを削がれる。息を吐き、早苗に向けていた鋭い視線を引っ込める。残ったのはいつも通りの胡散臭い表情だ。

 しかし早苗は先に向けられた視線と妖力―――即ち彼女がこれまで接して来た優しい『紫さん』ではなく、幻想郷を守る妖怪の賢者『八雲紫』としての姿の片鱗を見た事もあってか、目の端に涙を浮かべて蒼白なまま崩れ落ちそうになっている。

 

 無理もあるまい。霊力の素養こそ歴代博麗に匹敵するほどの物があるが、所詮は妖怪も神々も殆どが力を失った外の世界から来た少女だ。紫のような存在と本気で相対した事など無いのだろう。

 幾ら大きなポカをやらかしたからと言って、たかが数えで20も生きていないような童女に本気で怒りそうになるとは大人げ無かったか。紫が内心でそう考えていると、崩れ落ちかけた早苗を支えるように横に立つ姿が見えた。

 西宮だ。

 

「大丈夫だ、東風谷。落ち着いて深呼吸」

「……は、はい……」

 

 彼の指示通りに早苗は大きく息を吸い、吐く。

 その動作を数度繰り返し終わった所で、彼女は今度は怯える事無く―――いや、怯えながらも逃げはせず、真正面から大妖怪八雲紫の顔を見据えた。

 

「紫様、申し訳ありませんでした。恐らく私は取り返しのつかない事をしたのだと思います。―――今から私の思い当たる心当たりについてお話します。どうか……可能であればどうか、私のみの責任として、御二柱と西宮を責めないで下さい」

「―――良いわ、約束しましょう。言って御覧なさい」

 

 紫はその言葉に胡散臭く笑みを浮かべる。

 大妖怪の圧力に怯え、しかしそれでも逃げずに真正面から向かい合う。

 確かに未だ紫からすれば童女ではあるが、その心根は実に幻想郷に見合った物だ。紫からすれば心地良いと言っても良いだろう。

 

 どうせ紫が二柱を呼んだのだ。ならばその二柱に仕える多少早苗がミスをした所で、理由を聞く程度はしてやっても良いか。

 そう考えながら、紫は早苗に話を促した。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「……やっちゃったね」

「……やっちゃいましたわね」

 

 そしてぽつりぽつりと話し出す早苗の言葉を聞き終わった所で、諏訪子と紫が溜息を吐いた。

 意図せずとはいえ、博麗への明確な宣戦布告だ。

 今更霊夢が言い訳など聞く筈があるまい。何か言う前に弾幕が飛んで来るだろうとは紫の言だ。

 その言葉を聞き、早苗が悲壮な顔でその場に集まっている皆に告げる。

  

「やはり、私が責任を取って謝罪して来ます……。弾幕で撃たれようが何を言われようが、何をされても構いません! 私のせいで御二柱と西宮に迷惑をかけるわけには……」

「黙れ」

 

 それは全てを自分の責任として、この件を無かった事にしようという言葉。

 それに対して紫が、諏訪子が、神奈子が各々の理由から反論を口にしようとする。

 しかしそれらに先んじて真っ先に早苗の言を断ち切ったのは、紫でも諏訪子でも神奈子でもなく、早苗の横に立つ西宮だ。

 彼はいつも閉じ気味の糸目を見開き、睨むように早苗を見ている。

 

「お前が一人で責任取る? 何をされても良い? フザけんじゃねぇぞ、本気で言ってんのか」

「そっ……それ以外にこの件を収める手段があるんですか!? 誰かが責任を取らないといけないなら私が―――」

「良いからちょっと黙ってろ。―――八雲様、一つ提案があります」

「ふぅん? 言って御覧なさい」

 

 いつもは見せないその表情に怯みながらも反論する早苗。しかし西宮はそれを聞かずに彼女を押しのけ、二柱の横にいる紫に向き直り、頭を下げる。

 

 しかし、紫としては西宮に対しての興味は守矢組の中で最も薄い。神奈子と諏訪子が主であり、早苗が従。西宮はその従の従程度の認識だ。

 たかが人間と、どこかで低く見ている面もあるのだろう。以前のやり取りで評価は上方修正され、『人間にしては興味深い』程度には感じているが、逆に言ってしまえばその程度だ。

 特に戦闘能力に関しては、鍛えればある程度は物になるだろうが、現状では見るべき所は無い。異変において戦力になる事は無いだろう。

 

 それ故に紫は西宮が発言を求めた事に対して、非常時故にどこか投げ遣りに応答する。が―――

 

「この一件を以て異変と為し、我ら守矢神社一同で博麗の巫女を迎撃します。調停者たる博麗神社への宣戦布告は、強弁すれば異変と断じる事も出来るのでしょう?」

「―――」

 

 ―――だが、その告げられた言葉に対して、紫は僅かに驚きを顔に出す。

 考えなかったわけではない。むしろ、早苗の話を聞いた後に彼女が真っ先に思い浮かべた解決方法だ。驚きの内容は、彼女が然程重要視していなかった西宮の口からこの意見が出た事である。

 

「……確かに私も同じ事を考えていたわ。妖怪の山の力を示す為に後に異変を起こすのに、この段階で山の神社の風祝たる早苗さんが霊夢に降伏してしまうのは不味い。力を示すどころか却って侮られる原因になりかねなくなる。けれど良く考えたわね」

「八雲様が先にスキマでいらっしゃった時に現状を見て『異変を起こした』と言っておられましたので、この状況は強弁すれば異変と言える状態だと判断しました。ならば予定を繰り上げて、この状況を異変と称して、予定を前倒しして強行する事も出来ると思った次第です」

「良い判断だよ、丈一」

「ああ。早苗一人に責任を負わすなどしてたまるか」

 

 そして言葉を交わす紫と西宮の横で、諏訪子が跳ねるように立ち上がり、神奈子が拳と掌を打ち合わせる。

 神奈子はそのまま強気な笑みを口に浮かべ、紫に向けて声をかける。

 

「八雲紫、丈一の言う通り私達は早苗の宣戦布告を以て異変と為し、博麗の巫女を迎撃する。スペルカードルールに則った異変だ。問題あるまい?」

「ええ、その形式でやって頂き、妖怪の山の力を示す事が出来るならば私としては願ったり叶ったりですわ。―――ですが、力は大丈夫ですか?」

「まだ往時の全力にはやはり劣るな。だが、十分だ。幾ら話に聞く博麗やその相方の霧雨が相手と言えど、人の子一人や二人相手に力を示すならば存分に出来よう」

 

 嘘ではない。しかし本音でもあるまい。

 往時程の力は無いとはいえ、神奈子とて現状で既に天狗が喧嘩を売るのを控える程の神だ。現状の力でも、弾幕を用いた異変というルールの中で力を示すのは可能だろう。

 

 だがそれで確実かと言われれば不安も残る。神奈子は軍神。決して戦を軽視はしない。

 それが例え、スペルカードルールという決め事の中で行われる『異変』であろうとも、可能ならば万全で挑みたかったと言うのが本音だろう。万全を怠ったが故に万が一の筈の敗戦を喫した戦いというのを、彼女は軍神として幾度となく見て来たのだ。

 しかしそれでも、神奈子は現状での異変の開始。即ち開戦を選択する。

 

「そうだね。どの道ここで頭下げても、状況が良い方に転ぶわけでもないだろうし。それにね、早苗は私達の娘も同然だよ。娘に責任取らせて知らんぷりなんて、私は御免だね」

 

 けろけろと楽しそうに笑いながら、諏訪子も戦意を主張する。

 早苗も西宮も知らない事ではあるが、守矢の血族は元々が諏訪子の遠い遠い子孫だ。

 幾千もの世代を重ね薄れた血であるが、確かに血族。加えて娘同然と育てて来た早苗の為。予定の繰り上げ如きがどうしたと言うのか。

 故に諏訪子は戦意の赴くままに手の中に洩矢の鉄の輪を作り出し、それを弄びながら早苗に声をかける。

 

「だからさ、早苗。気にしなくて良いんだよ。私ら迷惑だなんて全然考えてない」

「私も諏訪子に同感だな。失敗したと思ったなら、反省して次に生かせばいい。早苗はそれが出来る子だ」

「諏訪子様、神奈子様……ごめん、なさ……ごめんなざい……」

「そういう時は『ありがとう』だよ」

「そう言う事だ」

「……っ、ひっく……えぐ……!」

 

 まるで恨む様子も無く、朗らかにとすら言って良い様子で笑う二柱。

 自分が愛されている事と、自分を愛してくれる二柱にこんなにも迷惑をかけてしまったと言う事が、彼女の涙腺を緩めてその頬に涙を伝わせていく。

 

 思えば外の世界に残してきてしまった両親も、この二柱と同じくらい自分を愛してくれていた。自分が急に居なくなった事で、彼らはどんなに心配しているだろうか。西宮が居るなら大丈夫かと思ったけど、彼までこちらに来てしまった。

 大丈夫なのだろうか。心配しているだろうか。心配だ。会いたい。

 

 悲しみ、嬉しさ、二柱への情、両親への情、望郷の念。

 それら全てがこの機に一度に溢れ出たかのようだった。

 座り込み童女のように泣き出す早苗。それを見る二柱は困ったように、しかし優しく彼女の頭を一度ずつ撫で、紫に視線を向け直す。

 

「八雲紫、そういう事情だ。迷惑をかける結果になったのは謝るが、その分私達が帳尻を合わせよう。だから早苗を責めないでやってくれ」

「分かりましたわ。―――貴方達を選んだのは間違いでは無かったようですね」

「ちょっと、それ皮肉?」

「いえ、ただの本音です。心からの、ね」

 

 了承の言葉の後に呟いた言葉に、諏訪子が怪訝そうな声で問うてくる。しかし胡散臭い笑みを浮かべながらも、紫のそれは紛れも無い本音だ。

 

 ―――八雲紫は幻想郷を愛している。

 それは彼女がこの幻想郷を創ったというのも大きな理由だが、人と妖怪が隣り合い、時に襲われ時に退治し、それでも互いに友人と言える関係を保っている―――この幻想の楽園の厳しくも不思議な温かさを、彼女が誰よりも愛しているからだ。

 人間を遥かに超える能力を持ちながらも、人間と同じか、或いはそれ以上に情が深い境界の大賢者。彼女にとって外の世界から呼び寄せた守矢神社の面々が見せた家族愛と呼べる物は、非常に好ましい物だった。

 

 ならば、故にこそ―――

 

「―――気が変わりましたわ。今回の異変、私は完全に傍観する心算でしたけど……少しだけ依怙贔屓をしてしまいましょう」

 

 ―――故にこそ、外では生きていけなくなった彼女達には、この幻想郷に根付いて欲しい。

 この異変の中で力を示し、確固たる信仰を勝ち得て欲しい。

 

「元より異変は当事者たちだけで起こす物ではありません。紅魔館の時も白玉楼の時も永遠亭の時もそう。或いはその辺をうろついていた者がたまたま巻き込まれたり、或いは何らかの目的を以て異変の解決に向かう者を妨害したり。それらまで含めて騒ぎを楽しむのが異変の雅というものですわ」

 

 紫は内心に芽生えたその感情のままに嬉しそうな笑みを浮かべ、手にした扇で線を引くようにして、自らの眼前にスキマを開く。

 そしてそこから転がり出た人影が二人。

 

「故に、私が立場上手を出せない現状では、少々派手さが足りません。妖怪の山の麓の方では、八百万の神々や河童などが慌てて霊夢と魔理沙を迎撃してくれるでしょう。ですがそれだけでは派手さに欠ける。この異変をせいぜい派手に優雅に美しく、後に御阿礼の子が編纂するであろう次の幻想郷縁起にて、他の異変に負けない……いえ、凌駕するほどに目立つ物にしてやる為に。――――ご協力下さいな、天狗のお二人」

「……いきなりですね、紫さん。自分に酔った言動と共に唐突な呼び出しありがとうございます」

「あれ? ここどこ? ボクは確か家を出た所で変なスキマに引き摺り込まれ……って、巫女さん泣いてるぅぅぅ!? だ、大丈夫ッスか!? ぽんぽん痛いッスか!?」

 

 スキマからまろび出て来たのは、守矢の面々からすれば見知った顔。

 天狗としては非主流派である烏天狗の射命丸文と、その後輩である犬走椛だった。

 椛が泣いている早苗に気付いて大慌てでそちらに駆けて行き、射命丸は周囲の状況―――戦意丸出しな様子の二柱と自分をわざわざ呼んだ紫を見て、ある程度の状況は察したようだ。

 口元を羽扇で隠しながら、にやりとした笑みを紫に向ける。

 

「―――先程協力して欲しいと仰いましたね、紫さん。謝礼として何が出せますか?」

「天狗の地位を」

 

 しかし紫が口に出した言葉は、射命丸の予想の上。

 韜晦した態度を維持できず、思わず口元が引き攣る射命丸に対して、紫は訥々と言葉を語る。

 

「現在、守矢神社は事情があって予定を前倒しして異変を起こしていますわ。ですが天狗の上層部はこの件に関して恐らく傍観する心算でしょう?」

「……ええ、間違いなく。―――愚かな事に」

「ええ、愚かですわ。そんな事をしては、この幻想郷において天狗の存在感が益々霞んで行く。どのような形でも良い、彼らは積極的にこの異変に関わるべきだと言うに」

 

 憂うような揶揄するような、どちらともつかない―――或いは当人も判断しかねているのかもしれない表情で紫が言った言葉に、しかし対する射命丸は無言。つまりは紫の言に対する消極的な肯定だ。

 その文に対して、紫はつらつらと言葉を続ける。

 

「―――故に射命丸文、貴方は『偶然』取材の帰りに山に侵入する巫女と魔法使いに会って、侵入者を迎撃すると言う『天狗社会の一員のとしての責務を果たす為已むを得ず』彼女達と戦う―――そんなストーリーは如何かしら? 手伝ってくれるならば、そのストーリーの証拠固めとアリバイ工作をこちらで持ちましょう」

「……その結果として天狗は力の一端を示し、その立場は守られる、か。良いでしょう」

 

 商談成立。

 そうとでも言うように、文はポケットに文花帳と羽根ペンを仕舞う。

 そうして守矢神社を出ざま、肩越しに紫に投げかけるのは新聞記者としての慇懃な言葉遣いではない。千年を生きた大妖怪、烏天狗の射命丸として旧知の大妖怪への言葉だ。

 

「乗ってあげるわ、八雲紫。清く正しい新聞記者としてじゃなく、天狗社会の一員として貴方の謀略に乗ってあげる。―――でも一つ聞かせて。こんなに早くに異変を起こしたって事は、何か手違いがあったんでしょ? その辻褄合わせの為に私に手を借りようだなんて、何で貴方はそこまでこの神社に肩入れをする事にしたの?」

「―――そうね。この神社が思いの外、温かく優しかったから……かしら」

「なら仕方ないわね。幻想郷を創った頃からずっと、貴方ってそういうのに弱かったし。椛はこのまま神社に置いて行くわ。貴方達の判断でコキ使って」

 

 呆れたようなその言葉を残し、射命丸は翼を広げて飛び立って行く。

 あとは適当なタイミングで適当に魔理沙と霊夢に勝負を挑み、適当に消耗させて適当に負けてくれるだろうと紫は判断。

 彼女は元来物事の機微には聡い相手だ。既にこの異変を守矢神社が主体となって起こしてしまった以上、天狗の彼女が必要以上に暴れる事は却って無粋だと分かっている。

 故に引き際を見計らって引いてくれるだろうと、紫は旧知の烏天狗への信頼を込めて思考を締めくくった。

 

 そして、交渉を終えた大妖怪二名から少し離れたところでは、また別の話が展開されている。

 

 地べたに座り込み、童女のように泣きじゃくる早苗。そして彼女の横に座り、泣きじゃくるその背を普段のやり取りからは想像できないほど優しく撫でる西宮。

 その西宮に向けて、早苗の周りを周回軌道でオロオロしながら回っていた椛が叫ぶ。

 

「ちょっ、巫女さんガン泣き!? 何したんスか西宮君! アレか!? 胸でも揉んだんスか!?」

「良い感じに脳味噌腐ってるな駄犬。俺じゃねぇから。良いから落ち着け、そこ座れ」

「だが断る! 女の子泣かせるなんて男の風上にも置けねぇッスよ!? それでもボクが戦い方を教えた生徒ッスか!!」

「だから俺じゃねぇっつってんだろ!?」

 

 椛の言葉に叫び返した西宮。

 やれ喧嘩かと思われたが、次の瞬間に彼の手を弱々しく引く手がある。

 泣きじゃくる早苗が、自分の横にいる彼の手を両手で掴んだのだ。

 

「ひっぐ……にし、みや……」

「……ンだよ、泣き虫。お前やんちゃな癖に昔っから泣き虫だったよな」

「……ぐす……えぅ……っぐ……悔、し……」

「……悔しいんだな。ここなら信仰が集められると調子に乗って舞い上がって、結局神奈子様と諏訪子様に負担かけた馬鹿な自分が悔しいんだな?」

 

 歯に衣着せない言葉。それは容赦の無い言動のようだが、しかしある意味では彼が一番対等の立場として早苗に向き合っているという証左だ。

 諏訪子や神奈子のように彼女を庇護すべき対象として見るのではなく、対等の相棒として見ているが故のその言葉に、早苗が涙を堪えながら大きく頷く。

 

「そうだな、俺も悔しい。こうなったのは人里の方での布教を担当していた俺とお前の責任だ。俺が途中から布教をお前に任せて疎かにし、その結果として起こった出来事でもある」

 

 だから、と。

 西宮は自分の手を掴んで泣きじゃくる少女の身体にもう片方の手を添え、抱き寄せる。

 抵抗もせずに泣き顔を自分の胸に埋める形となった早苗に、西宮は苦笑しながら言葉を紡ぐ。

 

「だから、もう少し泣いたら立ち直れ。射命丸さんが暴れた後、御二柱の前に俺達の出番だ。御二柱の負担を減らす為にも、失敗した分は俺達自身で取り返すぞ。――――良いな? 早苗(・・)

「――――……」

 

 そして告げられた言葉に、ぐすっと鼻を啜りながらも早苗は顔を上げる。

 ―――随分と聞いてなかった呼び方だ。思えば小学校の半ばくらいから、互いの呼び方を学友からからかわれるのが嫌で自然と苗字で呼び合うようになったのだった。

 先に呼び方を『東風谷』にしたのは西宮で、それが嫌で当てつけのように自分も『西宮』と呼ぶ事にしたのを思い出す。

 

「……うん」

 

 ずるいと思う。

 勝手に呼び名を変えて、今この時になって勝手に戻すのだ。

 だから自分も今だけはずるくなってやろうと、早苗は自分の幼馴染で相棒である少年に抱きすくめられているこの状況を満喫するように、彼に体重を預ける。

 

「……うん、丈一。頑張ろう!」

 

 そして涙が残る顔で、それでも精一杯の決意を込めて。

 後に幻想郷縁起に『風神録』と記されるこの異変に対し、東風谷早苗は自らの相棒と共に全力で臨む事を決めたのだった。

 

 

 



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烏天狗の射命丸

「山の上の神社からの宣戦布告ねぇ。そりゃ最近人里で布教活動してる連中だな」

「そう……うちの素敵な御賽銭箱にずっと何も入ってないのも、人外ばかりしか参拝客が来ないのも、そいつらの陰謀なのね」

「いや、それらは間違いなく山の上の連中が来る前からの事だから、流石に冤罪だと思う」

「良いのよ。私的裁判で奴らは全員有罪よ。罪状は―――全部」

「見た事も聞いた事も無い罪状だな。魔女裁判だってもう少し真っ当な罪状を告げるだろ。閻魔が聞いたら腰を抜かすぜ」

 

 一方、博麗神社を飛び立った霊夢は適当に勘の赴くまま異変の原因っぽい方向に飛び、それっぽい奴を撃ち落としていくという勘頼みの―――しかし何故か異常に正確な―――異変解決方法を実行しようとしていた。

 紅魔館の時は赤い霧が濃い方に、白玉楼の時は春度の流れてくる方向にというおおまかな指針はあった。しかし永遠亭の件に関しては、異変解決に向かった四組が何故ヒントも無いまま永遠亭のある方向に向かえたのかを聞かれれば、げに恐ろしきは巫女の勘と言うしかない。

 何のヒントも無かろうと正解に辿り着く。博麗の巫女の―――というより霊夢個人の恐るべき直観力である。

 

 幸い今回は宣戦布告状(霊夢視点)に『山の上』というヒントがあったので悩む余地は無い。

 この幻想郷で『山』と言えば、大抵は妖怪の山を意味する。

 或いは『山』が何かの隠語だった場合は分からないが、多分そういう事は無いと思うという勘の下で、霊夢は妖怪の山を目指していた。

 

 途中でどうやら山に珍しい薬草や山菜でも採りに行く心算だったらしい魔理沙と遭遇。

 まぁ見かけたんだしとりあえず撃ち落としてから話を聞けば良いやという、戦国時代真っ青(魔境九州除く)の先手必勝精神で先制攻撃を仕掛けようとした霊夢。しかし既に妖怪の山の麓に侵入していた為に、横合いから豊穣の神と紅葉の神が魔理沙と霊夢に弾幕で攻撃を仕掛けてきたため、成り行きで協力してこれを撃破。

 

 どうやら魔理沙は今回は敵じゃないらしいと判断した霊夢は彼女に事情を話し、魔理沙側は博麗神社に喧嘩を売る神社が現れるなんて異変だと息巻いて霊夢に同行を宣言。

 そして魔理沙が霊夢から事情を聞いて自らの推論を口にした――――というのが現在の状況だ。

 二人は妖怪の山から流れる川に沿うようなコースで山へと飛びつつ言葉を交わす。

 

「……つーか、山の上の神社なぁ。多分西宮の野郎もそこか」

「あら、知り合いでも居るの?」

「まぁな。半分が私の自爆とはいえ、半分は奴のせいで酷い勘違いをさせられてしまった相手だ。畜生今にして思えば何だよ世紀末巫女伝説~守矢の拳~って。アレを本気で想像して焦った私の心労を返せ」

「言ってる事の一割も分からないわ。まぁ別に良いけど」

 

 魔理沙が拳を握ってぷるぷると震えながら言った言葉に、興味無さげに―――というか実際興味無く霊夢が返す。

 彼女は『それに』と一拍置いた上で、やはり然程興味は無さそうに魔理沙に声を投げかける。

 

「別に知り合いが居ようと居まいと、どうせ貴方のやる事は変わらないでしょ?」

「まぁな。西宮が居ようが居まいが、異変だってんならブッ飛ばして解決するだけだぜ」

 

 そうして告げられた霊夢の言葉に、魔理沙が頷く。

 そう、元よりそこはさして重要じゃない。会えば重点的に狙う程度はするかもしれないが、別に彼がそこに居ようが居まいが目的は変わらない。

 異変ならばそれを解決する。紅い霧の異変から先、魔理沙と霊夢はそうやって、スペルカードルールの中を駆け抜けて来たのだ。

 

 そしてそんな彼女達の前に、一人の少女がくるくると飛んで来る。

 川沿いに佇んでいた緑の髪の少女が、何故か横回転しながら飛んで来たのだ。

 

「あら、人間じゃない。ここから先は妖怪の山。貴方達のような人間には厄いわよ」

「おっと、忠告感謝。けれど私達は山の上の神社に用があるんだ」

「見たとこ神力と厄の双方を取り込んでる……祟り神? いえ、厄神かしら。まぁ何でも良いわ。通したくないって言うなら―――弾幕で勝負よ!」

「元気な人間ねぇ。負けたら大人しく帰りなさいね?」

 

 そして緑の髪の少女―――厄神・鍵山雛の言葉に対し、魔理沙と霊夢が突破を宣言。

 雛もこれが幻想郷での決闘条件、スペルカードルールに基づいた物だと理解しているのだろう。

 苦笑しながらも両手を広げ、弾幕を放ち始める。

 

 ―――後に語られる風神録異変は、既に第二段階(ステージ)終盤へと状況が移っていた。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「駄犬、状況はどうだ?」

「そうッスね、負け犬」

「誰が負け犬だ犬ダッシュ椛」

「誰が犬ダッシュッスかウェスト宮。……んー、見た所山の麓でやり合ってるみたいッスね。今やり合ってるのは厄神様かな。……あ、やられた」

 

 そして守矢神社では、本殿の屋根の上に立った椛が目の上に手を翳して麓の方に視線を向けていた。

 “千里先まで見通す程度の能力”を持つ彼女の索敵能力は幻想郷内でも上位に入る物だ。純粋な視覚のみに限定すれば、幻想郷でも最上位とすら言えるだろう。

 そんな彼女は神社に居ながらにして霊夢と魔理沙の侵攻状況を確かめるモニター役として、横に立って状況を聞いて来る西宮に応じていた所だ。

 

 諏訪子と神奈子は霊夢や魔理沙を迎える準備をするため、神社の周囲に陣地を造りに向かった。

 御柱(オンバシラ)を突き立てて作る陣地は黒幕っぽく見せる為の演出であると同時に、神奈子と諏訪子の神力を増強する為の即席の祭壇だ。

 霊夢達がここに来る前に、二柱は迎撃の準備を済ませる心算でいるのだろう。

 

 早苗は一通り西宮の胸で泣き終わり、今は部屋に引っ込んでいる。

 どうせ迎撃に出るまでに時間があるなら、身支度を整えてからにしたいとの事だ。

 涙の痕が残った顔のまま迎撃に出るわけにもいかないだろうしと笑う彼女には、先程までの悲壮な様子は見受けられなかった。

 かと言って緩んだわけでもない。纏う雰囲気は、腹を据えたという表現が一番近いだろう。

 

 そして紫は待機。

 スキマを使えば直接間接を問わず色々な支援は可能なのだろうが、迂闊に彼女が動くと霊夢辺りにそれを悟られかねない。

 そうなってしまえばこの異変は『妖怪の山の神社が起こした物』から『八雲紫が山の神社と手を組んで起こした物』になってしまう。それはパワーバランスを考えて守矢を迎え入れた紫の意図にそぐわない。

 

 故に既に文と椛を呼ぶと言う手助けを行った以上、待機と傍観が彼女の仕事だ。少なくともスキマを使った手助けはこれ以上はあり得まい。

 先程までは西宮に請われて霊夢と魔理沙の情報を彼に伝えていたが、今は早苗の身支度を手伝うと言って胡散臭い笑顔のままふよふよと神社の中に浮遊して行った。

 

「川を遡って来てるッスね。河童辺りに引っ掛かってくれれば、もう少し時間が稼げるんスけど」

「河童ねぇ。幻想郷の河童ってどんな奴らなんだ?」

「外の世界で言う『えんじにあ』って奴ッスね。んーと、アレだ。先日幻想入りして来た外の世界の機械を修理しようとしたところ、銅線が足りなかったからとか言って蕎麦で代用しようとして爆発させたとか、そんな連中ッス」

「それエンジニアじゃねぇよ。変態技術者か只の馬鹿だよ」

「次回はお中元の余りのお素麺でやってみると言ってたんで、次は幾らか進歩するんじゃないッスかね?」

「中元って……」

「ちなみに二年前の」

「なんでまだ持ってるんだよそれ。っていうかなんで麺類に拘るんだよ。麺類と機械の融合にどういう学術的意義を見出してんだよ。素直に銅線用意しろよ」

「そこはボクらには分からない『えんじにあ』の拘りがあるんじゃないッスか?」

 

 突っ込む西宮の言葉を意にも介さず、椛は遠く山の麓―――霊夢と魔理沙が進撃してくる地点を眺めている。

 妖精などが霊夢と魔理沙に挑みかかってるのが見えるが、数秒ともたずに撃墜されていく。

 

「……強いッスねー。文さんは以前にも彼女達に関わった事があったって言ってたけど、ボク的には初見なんスよねあの二人。……ねー西宮君、ありゃマジ強いッスよ。ボクが戦っても絶対無理ッス。西宮君とかそのボクにも勝てないんだから、ぶっちゃけ論外ッスよ?」

「手はあるさ。博麗は本気でどうしようもないが、霧雨ならばまだやりようがある」

 

 その進撃を見ながら椛が投げかけて来る言葉に、しかし西宮は口の端を上げた笑いと共に応じて見せた。

 境内前に立つ彼の手に持たれているのは、下っ端哨戒天狗である椛が持っていた山の地図だ。

 まだ神社については書きこまれていない古い地図は、しかしこの山の地理に関して西宮に知恵を与えてくれる。

 

「昔、東風谷が『変な子』って言われて虐められてた時があってな。その時に報復行為目的で神奈子様に喧嘩の仕方を教わった事がある。あの人は軍神、戦う事にかけての知識は呆れるほどにあるからな。他では微妙に抜けてるが―――ともあれその件を切っ掛けに、喧嘩の立ち回りの仕方、つまりは戦術については多少齧った」

「あー、何か天狗の里でも座学でそれっぽい事を教えられた記憶があるッス。半日で全部忘れたけど」

「スゲーなお前の記憶力。ちょっとした衝撃でデータ飛びまくるファミコンソフト並だ。―――ともあれ、策はある。お前にボコボコにされた数日間で積んだ付け焼刃の戦闘経験と、霧雨と俺との間に出来ていた僅かな縁。そして藍様からその件の後で起こった事件についての顛末を聞いていた事と、八雲様から先程与えられた霧雨に関する情報がここで生きてくる」

 

 そして、『この地図が最後のピースだったな』などと笑いながら、西宮は椛に地図を返す。

 地図を受け取ってぞんざいにぐしゃぐしゃとポケットに仕舞いながら、椛は特に西宮の言葉に疑問を浮かべるでもなく視線を麓の方に向け直す。

 

「何やらややっこしい考えがあるみたいッスけど、知っても忘れるんで別に良いッス。―――お、どうやらにとりが見つかってなし崩しに弾幕を開始したみたいッス」

「にとり?」

「ボクの友達の河童ッス。……あ、光学迷彩壊れて涙目だ」

「……麺類で銅線の代用をしようとする割に、部分的には異常に高度な科学文明を持ってるなオイ」

 

 外の世界でも未だ実用化されていない河童脅威の技術力に、西宮が呻くように呟く。

 しかし別段弾幕勝負でそれが有効活用される事も無く、涙目で応戦するにとりは徐々に追い込まれていくが―――

 

「あ?」

「……どうした?」

「いえいえ。千両役者の到着ッス」

 

 椛の視界の隅に映った影。千里先を見通す彼女の目ですら、ともすれば捉えられない程の速度で霊夢と魔理沙がにとりと戦っている場所へ向かう黒い影の姿に、椛が嬉しそうに笑みを浮かべて尻尾を振る。

 

「やっちゃえ文さん! やっつけろーッス!!」

 

 目的を考えるとやっつけちゃ駄目な上に、そもそも聞こえる距離ではないのだが。それでも椛は両手を掲げ、声の限りに檄を飛ばす。

 直後―――西宮の目からも視認できる規模の竜巻が、山の麓で巻き起こった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 その一撃は、霊夢にとっても魔理沙にとってもにとりにとっても―――つまりはその戦場に居た全ての者にとっての予想外として顕現した。

 

「―――“旋符”・紅葉扇風ッ!!」

「っと」

「うわっ!? 何だこりゃ!?」

「っきゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 完全なる不意打ちで豪と音を立てて、三者を同時に巻き込むように出現する竜巻。

 持ち前の理不尽なまでの勘で事前に危機を察知した霊夢はある程度の余裕を持って、魔理沙は自慢の速度でギリギリながらもそれを回避する。

 代わりと言わんばかりに悲鳴のドップラー効果付きで、天空高くに河童が一名打ち上げられて行ったが―――霊夢も魔理沙も視線を既にそちらに向けていない。

 

 両者の目は既に今の竜巻を作り出した者―――高下駄の一本足のみで器用に木の枝の上に立ち、彼女達を睥睨して来ている烏天狗の少女、射命丸文に向けられていた。

 射命丸は取材用の笑顔ではなく、彼女本来のにやにやとした笑みを浮かべて場を見渡す。

 

「あやや……にとりが囮になってくれてる内にやれば、片方くらいにはそれなりにダメージを与えられるかと思ったんだけどね。反応が前に取材した時よりも良くなってるじゃない。流石人間、短命故に進歩の速度は比類無し、と」

「随分な挨拶ね、文。というかいつもの全く敬意を感じられない敬語はどうしたのよ?」

「アレは取材用。今は天狗の里に住まう天狗として、取材帰りに見かけた山への侵入者に攻撃を仕掛けただけ。だから敬語なんて使わないわ」

 

 そして霊夢の言葉に余裕たっぷりに紫と相談して決めた設定を返す姿は、いつもの慇懃無礼な新聞記者の物ではない。

 身に纏う妖力は千の齢を越えた大妖怪の物。更に言うなれば文は天狗の里でほぼ唯一外と関わり続け、場合によっては戦闘にも巻き込まれていた―――言ってしまえば天狗の里には極めて数少ない、『実戦を経験し続けた』天狗だ。

 妖力も大天狗格の物であるのみならず、戦闘経験も抜群に豊富。或いは単純な妖力の多寡ならともかく、総合的な戦闘能力ならば、射命丸文は天狗の長である天魔さえ除けば天狗の里で三指に入るだろう。

 

 慇懃無礼な新聞記者としての顔を捨て、そんな大妖怪としての片鱗を覗かせながらの文の言葉。それに応じたのは魔理沙だ。

 

「つまりアレか。『ここを通りたくば私を倒してから進むのだな!』って奴か」

「そうね、そうなるわ。異変ってだいたいそういう物だし」

 

 ―――それに、古い友人の頼みでもあるのだし。

 

 文は内心のみでそう呟く。

 たまに頼って来たと思えばそれは自分ではなく他人の為。しかも文に助力を頼むにあたって、天狗の立場に配慮する始末の、なんとも遠慮がちな友人であるが。

 その遠慮が、文としては些か不満である。

 

「―――若く美しく清く正しく頭脳明晰な私だからね。まぁ、あいつが腰が引けるのも分かるけど」

「はぁ? 何の話だオイ。……おい霊夢、天狗が目を開けたまま寝言言ってるぞ。どうすれば良い?」

「憐れんであげれば良いんじゃない?」

「貴方達も大概酷いわね……」

 

 仮にこの場に天空高く打ち上げられて飛んで行き、今はあられも無い格好で遠くの森の木に引っ掛かって気絶しているにとりが居れば、『あんたも同類だ!』と声高に叫んだであろう言葉を文が呟く。

 しかしこの場に彼女はおらず、従って誰も突っ込む事は無いまま、文は『あいつ』と気安く呼んだ古馴染みを思い出す。

 

 胡散臭い笑みを浮かべ、反則臭い能力を操る大妖怪。

 しかしその実、自らの式神を家族同然として扱い自らの苗字を分け与え、外の世界では生きていけない幻想の者達が最後に流れ着く場としてこの地を創った、文の知る限り最上級の御人好し。

 必要であればどこまでも冷酷になれるが、本質の部分で非常に甘く情に篤い。およそ妖怪らしくない、しかし文が知る限り最強の力を持つ優しき賢者。

 

 この騒がしくも穏やかで厳しくも優しい幻想の地を作り出した、境界に住まう優しき賢者―――八雲紫。

 その胡散臭い笑顔を思い浮かべ、文の口元に自然と笑みが浮かんだ。

 

「―――ま、頼られて素直に応じられない私も大概アレだけど」

 

 魔理沙と霊夢に聞かれない程の小さな声で呟いた言葉と共に、文の周囲に風が集まる。

 かつての取材の時とは違う、『新聞記者』としてではなく『大妖怪』としての文の力。

 肌に感じるビリビリとした圧力に、霊夢と魔理沙がその文に対して戦闘態勢を取る。

 

「だけど。―――だから。せっかく頼られた今だけは、十全以上の働きをしてあげましょう。私は友達思いだからね」

 

 射命丸文にとっての勝利条件は、ここで魔理沙と霊夢に勝つ事ではない。

 この二人―――特に霊夢相手では本気でやって勝てるかも実際の所は微妙だが、負けたとて彼女達に出直しを考えさせるほど消耗させては本末転倒。ある程度の余力を残した状態で、この二人には守矢神社組と対峙して貰わねばならない。

 

 その状態の霊夢と魔理沙と渡り合う事で、守矢神社は己の実力を幻想郷に示す事となり、それで紫の目的は完遂される。

 ならば彼女の―――射命丸文の役割は神々が準備を整えるまでの時間稼ぎをしつつ、霊夢と魔理沙にある程度の余力を残させながら、しかし多少の消耗はさせる事。

 

 故に彼女は本気を出してはならず、二人には本気を出して貰わねばならない。

 

「……さぁ、手加減してあげるから―――」

 

 そして羽扇を軽く振るうと、轟という音と共に彼女の周囲に強く強く風が絡みつく。

 先のように竜巻を飛ばすのではなく、自らの周囲に竜巻を纏う形を取った文が、叫びと共に突撃を開始した。

 

「―――本気でかかって来なさい!!」

 

 ―――かくて風神録異変は第四段階(ステージ)に突入する。

 

 




 射命丸の一番好きなセリフです。


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絶対の意地

 

 社務所にある早苗の部屋。便宜上早苗の部屋とは呼ぶが、早苗が外の世界で生活していた部屋は母屋にあったため、幻想郷には来ていない。

 ちなみに外の世界の早苗の部屋は、本棚にはアニメ雑誌やゲーム雑誌、本棚の上やタンスの上にごちゃごちゃとロボットフィギュアが飾られた雑然とした空気から、ベッドやフロアマットの女の子らしい色合いとデザインが無ければ、男子部屋と言って差し支えない様相だった。

 こちらで言う早苗の部屋は社務所の客間の一つだったものであり、畳張りの落ち着いた小さな和室だ。

 

「涙の痕は……消えましたね」

「うん、ちゃんと可愛いから心配しなくて良いわよ」

 

 そんな部屋で、身支度を整え終わった部屋の主が鏡台を覗き込んでいた。

 紫もその後ろから鏡を覗き、太鼓判を押す。目元に残る涙の痕を消す為に、早苗は彼女から借りた化粧品(しかも何故か外の世界の高級品)を用いたのだった。ついでに紫手ずから、簡単なナチュラルメイクを施すオマケ付きだ。

 くすくすと笑みを浮かべながらのその言葉に、早苗がはにかむような表情で肩越しに紫に振り返る。

 

「いやその、可愛いだなんて」

「あら? だって早苗さんはとても可愛らしいわよ。外の世界ではモテモテだったんじゃないの?」

「んー……結構告白とかはされましたけど、信仰を集める方が大事だからご遠慮してましたんで、良く分かりません」

「……あらそう」

「それに、一番身近に居た西宮にはそういう事一度も言われた事ありませんでしたから、自分の容姿について深く考えた事はあまりありませんでしたね」

「彼には今度、女心についてレクチャーしてあげる必要があるわね」

 

 やれやれとでも言いたげに、紫は部屋の入り口へと歩みより、戸を開ける。

 しかし自分は戸の横へ避け、その戸をくぐろうとはせずに穏やかに微笑んだ。

 

「ここから先は貴方一人でお行きなさい。私がする手伝いはここまで。貴方達が霊夢と魔理沙に敵うかどうかは分からないしけど、勝利を祈って貴方達を応援させて頂きますわ」

「はい。――――あの」

「ん?」

「紫さん、本当に申し訳ありませんでした!!」

 

 しかし早苗は戸をくぐる前に、紫に向き直ると思い切り頭を下げる。

 その様子に驚いたのは紫だ。彼女としては謝罪云々は先の話で終わったと思っていたのである。

 

「……頭を上げなさい。その話はもう終わった筈でしょう?」

「ですが……先程、神社の周囲に陣地を作りに行く前に、神奈子様と諏訪子様が仰っていました。紫さんにとっての博麗霊夢さんは、きっと御二柱にとっての私と西宮みたいな存在だって。私は紫さんにとっての大事な人に、無作法に喧嘩を売ってしまったんです。だからそれを聞いて、もう一度謝らなきゃと……」

「……ええ、確かに霊夢は私にとって、御二柱にとっての貴方達のような相手よ。確かにそれで一度、軽く頭に血が上ったのも事実。でも今は貴方を許す心算でいるわ。御二柱のおかげもあるし、貴方自身が好ましい人物であるのも理由の一つ。貴方の相棒である西宮君もね」

 

 くすくすと笑いながら、紫は笑みを浮かべる。

 相変わらず胡散臭いながらも、しかし自らの非を認めて重ねて謝る早苗に向ける視線はどこか優しい。

 

「だけど貴方が気にするというのなら―――そうね、この件が終わったら霊夢と普通に接してあげて貰えるかしら? 異変が終わってこの神社が幻想郷に受け入れられた後で、貴方や西宮君が霊夢の友人となってくれれば、それ以上に嬉しい事はありませんわ」

「分かりました。微力を―――いえ、総力を尽くします!」

「……いや、友人ってそんなに根性入れてなる物じゃないと思うんだけど」

「いえ、何事も全力を尽くすのが私の信条ですので。―――それでは行って参ります!!」

 

 気合の声と共に元気良く戸をくぐり、進んで行く早苗。その背を見ながら大丈夫かなぁという思いが紫の胸に去来するが、同時に大丈夫だろうという根拠の無い楽観も内心で浮かぶ。

 考え無しで無鉄砲。だが根の部分で自らの非を認められる強さと家族を想える優しさがあるこの少女。そして憎まれ口を叩きながらも彼女の横に立つ少年。

 ―――彼らならば多分大丈夫だろう。

 

 根拠の無い楽観、しかし矛盾するようだが根拠はある。

 つまりは彼女が根拠としているのは、根拠と呼べぬ程度の根拠。それは―――

 

「ン千年生きた女の勘ですわ。―――なんてね」

 

 くすりと笑ってそう『根拠』を呟き、彼女はゆったりとした動作で床に座る。

 手助けするだけの事はした。後は神々と、そして西宮と早苗の奮戦を祈っておこう。

 そう結論付けながら、彼女は早苗の背中を見送った。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――遅かったな、東風谷。こっちの準備は今しがた終わったぞ。これ以上遅れるようだったら呼びに行った所だ」

「文さんも今負けた所ッス。とはいっても大した怪我も無く、今は迂回ルートでこっちに戻ってこようとしてる所ッスね。神様達の準備は七、八割。も少し時間を稼ぐ必要があるかと。あとにとりはパンツ丸出しで樹に引っ掛かって気絶してるッス」

「会った事も無いその河童、エラく不憫な事になってるなオイ」

 

 そして社務所にある自室から出た早苗を迎えたのは、神社の敷地の外から戻って来た西宮と椛だった。

 何故外から戻って来たのかと言う疑問から、僅かに首を傾げる早苗。

 その様子に気付いたのだろう西宮が、『ああ』と納得したような呟きと共に話を始める。

 

「仕込みだよ。丁度今終わった所だ」

「ボクも手伝ったッス。褒めろ!」

「あ、えぇと……ありがとうございます?」

「褒められたッス! 感謝の気持ちは『かっぷめん』で良いッスよ!」

 

 西宮の横でバタバタと尻尾と両手を振って褒めろアピールをする椛に、早苗は良く分かっていないながらも礼を述べる。

 その全く分かっていない謝礼に気を良くした椛、露骨にお礼の品まで要求するが、やはり安かった。

 

「まぁそれくらいで良いなら、まだまだ備蓄はありますし……ところで西宮、作戦は決まってるんですか?」

「一応な。お前は顔に出るから特に説明はしないでおくぞ。全部終わったらネタばらししてやるから、その時に聞いて驚くなよ? いや、やっぱり驚け」

「どっちですか」

「聞いて驚くなと言うのが定型文だが、やっぱり驚いて欲しいという人情が混ざった」

「まぁ別に良いですけど。西宮がアホなのはいつもの事ですし」

「アホ言うな馬鹿東風谷」

 

 いつも通りの馬鹿な会話。どうやら完全に調子の戻ったと思しき早苗とのやり取りに、どこか嬉しげに口元に笑みを浮かべた西宮。

 ひとしきりいつものやり取りが終わったところで、西宮は横に立っている椛に向き直り、頭を下げる。

 

「椛、色々助かった。射命丸さんにも、戻ってきたら礼を言っておいてくれ。あの人が時間を稼いでくれたから、こちらの仕込みも出来た」

「了解ッス。……作戦実行の方は、ボクは手伝わなくて良いんスか?」

「策を考えると、むしろ俺と東風谷だけの方がやり易い。その気持ちだけ受け取っておくよ」

「手伝えばその貸しを盾にもっと『かっぷめん』を要求できると思ったのに……」

「お前潔いくらい馬鹿で、いっそ好感が持てるな」

 

 呆れながら、飛行術で浮上して高度を取る西宮。

 早苗もそれに続いて浮き上がる。

 

「迎撃場所とかは決めてるんですか?」

「ああ。まずは博麗と霧雨が来る前にそこまで移動するぞ」

「分かりました。―――それと……」

「ん?」

 

 地上では椛が両手を振りながら『頑張れー』と叫んでいる。

 そちらに軽く手を振ってから、目的地―――つまりは霊夢と魔理沙の想定侵攻ルート上に移動を開始する二人。

 そんな中、早苗が拗ねるような表情を西宮に向ける。

 

「……さっき一回だけ『早苗』って呼んだのに、もう『東風谷』に戻りましたね」

「あー……そんな風に呼んだか? 意識してたわけじゃないんだけどな」

「呼びました。私は忘れません」

 

 ぶすっとした表情になって、早苗は西宮を追い越すように速度を上げる。

 追い越された西宮は呆れたような目線を早苗に向けつつ、ぼそりと呟く。

 

「お前だって『丈一』とか呼んだだろ。お前にそう呼ばれるのが懐かし過ぎて、こっちこそ驚いたっつの」

「元は貴方が他の子にからかわれて、私の事を名前で呼ばなくなっちゃったんじゃないですか」

「お前だって俺の事を名前で呼ばなくなったろ」

「それは貴方が私の事を名前で呼ばなくなったからです」

 

 ふん、と顔を背ける早苗。

 機嫌を損ねた事を確信させるその動作に、西宮は溜息を吐く。

 これから巫女と魔法使いを迎撃するのにこれで大丈夫なのかと内心思う西宮だが、先行する早苗が顔はそっぽを向いたままで質問を投げかけて来た。

 

「作戦の詳細は聞きませんけど、一つ教えて下さい。勝算はどれくらいありますか?」

「まず異変の内容を考えると、どちらかには神奈子様と諏訪子様の所まで辿り着いて貰わないと困る。博麗は多分俺達の手には負えないから、狙いは霧雨。奴を神奈子様と諏訪子様の所まで行かせなくすれば目的達成で、成功の可能性は三割って所だな」

「ねぇ、それかなり低くないですか?」

「高いぜ。少なくとも幻想入りしたばかりの俺達が、異変解決の専門家相手に出し抜ける確率としちゃ破格だろ。―――それに三割ありゃクリーンナップは張れるさ。そう悪い賭けじゃない」

「私、野球はあんまり見ないんですけどね」

 

 西宮が告げた言葉に、早苗は小さく肩を竦める。

 

 ―――異変の目的は勝敗に関わらず、守矢神社の力を山の内外に示す事。

 故に霊夢か魔理沙―――可能ならば調停者である博麗の巫女に、神奈子と諏訪子の元まで辿り着いて貰わねばならない。それは大前提の一つだ。

 しかし先程神社を出る際に椛が言っていた、『神々の準備は七、八割』という事を考えるとこのまま通す訳にも行かない。

 

 つまり西宮と早苗に求められる役目も、先の射命丸に近い。

 『時間を稼ぎながら、可能ならば敵の力を削ぐ』というその目的。射命丸と違うのは、早苗と西宮には彼女のように手加減する余裕など無いだろうし、全力をぶつけても勝利はおろか、撤退に追い込む事すら逆立ちしても不可能だろうという点だ。

 

 ならば西宮の言う成功率三割に賭けてみるのも悪くは無いだろう。

 神奈子と諏訪子が力を示すだけならば博麗の巫女相手で十分。魔理沙まで行かせてしまうのは、未だ本調子とは言えない神々に余計な負担を与える事となる。

 故に彼女は、可能ならばここで追い返す。

 

「……分かりました。成功率三割に乗りましょう。大丈夫、必ず出来ます」

「その根拠の無い自信が出て来る不思議な方程式は何だよ。根拠無いだろ絶対」

「まさか。方程式と言うか、根拠はあります」

 

 早苗が西宮の方に振りかえり、くすりと笑う。

 それも先程までの拗ねた表情ではなく、むしろ相手を信頼し切った無垢な笑顔で。

 

「西宮はさっき、『失敗した分は俺達自身で取り返す』と言いました。貴方はあんな状況で嘘を吐くような人じゃない。私は貴方とその言葉を信じます」

「―――……っ反則だろ、それ」

「ふふっ」

 

 その笑顔に、今度は西宮が顔を逸らす。

 明らかに照れたその様子に、早苗がしてやったりとでも言うように含み笑いを漏らした。

 そしてひとしきり笑い終わった所で、飛行しながら早苗が西宮に近付き声をかける。

 開戦前の、最後の作戦会議だ。

 

「―――それじゃ、西宮。信頼してますから、その作戦を成功させる為に私が何をしたらいいのかを教えて下さい」

「……ああ。お前の役割は難しいが単純だ。それは――――」

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「勝った気がしねー。あいつまだ余力残してただろ絶対」

「良いじゃない。そうだとしても、私達も余力を残したまま進めたわけだもの」

 

 そして、程無くして。

 霊夢と魔理沙は妖怪の山の七合目辺りを飛行しながら、そのような言葉を交わしていた。

 眼下の山は鬱蒼と木々が茂っており、人の立ち入らない妖怪の山らしさを醸し出している。

 

 彼女達からすればどういうわけか、山に入れば煩いだろうと思われた天狗の姿も射命丸以外に見る事は無く、彼女相手に少々手こずったものの他にはさしたる問題も無くここまで来る事が出来た。

 最も、魔理沙はその射命丸戦に少々不満が残っているようだが。

 

「なーんか不完全燃焼なんだよなぁ。そろそろ目的の神社の関係者が来ても良い頃合いだろうし、次の相手はまだかよ」

「私は楽な方が良いんだけど」

 

 そのような会話を交わしながら飛ぶ二人。

 しかし次の瞬間、

 

「噂をすれば、ね」

「甘いぜ!」

 

 両者は全く同時に回避行動に入る。

 霊夢はゆるゆると流れるように、魔理沙は鋭く直線的に。

 全く質の違う動きながらも、両者は各々自分に飛んで来た弾幕を回避した。

 

 霊夢の勘に従って進んでいた彼女達の前方―――即ち神社の方角から飛んで来た弾幕。

 それは共に同種の御札を媒介とした物であり、しかし別の個人の放った物だった。

 

「ここから先は通しません、博麗の巫女! 私が相手です!」

「……誰よアンタ。その格好から察するに少し色が違うけど巫女? ……って言う事は、あのふざけた宣戦布告を出した神社の一員ね」

 

 霊夢の方へと荒削りながらも強い霊力で弾幕を放ったのは、青と白の風祝の衣装を身に纏った少女、東風谷早苗。

 大幣を手に高々と戦意を叫ぶ彼女に対して、霊夢は三白眼で睨みつけながらもお祓い棒を手に構える。

 

「よぉ、久しぶり……って程でも無いか? “普通の魔法使い”」

「そうだな。だが私としてはお前に少し用と恨みがあるぜ、西宮」

 

 そして魔理沙の方へと霊力は弱いながらも死角を突くような嫌らしい配置の弾幕を放ったのは、ジーンズとシャツに上着を羽織ったラフな格好の少年、西宮丈一。

 多少の因縁のある両者は、互いに好戦的な笑みを口元に浮かべて睨み合う。

 

 ―――奇しくも大きく迂回しながらも速度と地の利で大きく霊夢達に勝る射命丸が、守矢神社で待つ椛と紫の元に辿り着いたのと同時。

 風神録異変は第五段階(ステージ)に突入する。

 

 

 

「“秘術”・グレイソーマタージ!!」

 

 四者の中で真っ先に戦闘の口火を切ったのは早苗だった。

 弾幕をバラ撒きながら霊夢に突撃。その愚直な突撃に対して、霊夢は嫌そうな顔で距離を置こうとする。

 

「ああもう、近付いて来ないでよね」

 

 突撃した早苗から距離を置くように、霊夢はこれまで進んで来たルートからやや脇へそれる形で山中へ飛び込んで行った。

 博麗の戦い方は元々が結界を多用する、攻か防かと言われれば防の戦い方。加えて霊夢自体のスタンスが剛か柔かで言われれば完全な柔だ。

 初手からスペルを展開しながらの突撃に、彼女はそのスペルを避け、結界で受け流しつつ距離を取る事を選択した。

 

 これはある意味、早苗がそうさせたと言うよりも射命丸の功績と言えるだろう。

 『どちらかと言えば』防であるだけで、霊夢自身は攻撃能力とて相当な物だ。

 しかし彼女は目の前の相手を『それなりに出来る』と判断すると同時に、『普通にやっても負ける相手ではない』と直感していた。

 

 弾幕ルールの第一人者としての経験、そして彼女ならではの勘で導かれたそれは、完全な正解だ。早苗と霊夢の両者の戦力は、霊夢がスペルの一つも使わなかったとしても、万一にも早苗の勝利は無いという程の差だ。

 故に彼女は相手の能力を把握し切り―――だからこそ後退防御を選択させられてしまったのだ。

 理由は先にも言った通り、射命丸戦―――正確に言うならば、霊夢が射命丸相手に受けた消耗が原因である。

 

 彼女の乱入の直前まで戦っていた河童までは、霊夢にとっても魔理沙にとっても強敵と言える相手は居なかった。

 しかし射命丸は霊夢と魔理沙相手に一歩も引かぬ戦いを見せ、彼女達の双方に陰陽玉や退魔針などのアイテムの使用おろか、スペルカードまで使わせるという消耗を強いて来たのだ。

 

 ―――霊夢の勘では、目の前の巫女は黒幕ではない。

 とすればこの巫女の先にボスが待っている事となる。故にこれ以上の消耗を抑える為にも、彼女は時間をかけてでも消耗を抑える戦い方をせざるを得ない。

 故に事故の起きやすい近距離戦ではなく、見切りのし易い遠距離戦。

 誘導弾というどこに居ても相手を追尾する弾幕を多用する彼女にとっては、近距離よりも遠距離の方がやり易い為というのもある。

 近距離でもやってやれない事は無いが、近すぎると『誘導性』という弾幕の持ち味が殺されるのだ。

 

 故にこの場で彼女が選択するのは遠距離戦。

 安全に、確実に、面倒無く勝つ為に。

 しかし―――

 

「まだまだです! 逃がしませんよ――――“奇跡”・白昼の客星!!」

「ああもう、面倒臭いわねぇ……!!」

 

 ―――しかし、早苗はそれをさせまいと続けざまにスペルを放ちながら距離を詰める。

 故に霊夢は距離を取る。

 早苗は明らかにオーバーペースなスペルの連射だ。対する霊夢は引いて時間を稼ぎさえすれば、相手は長くは体力がもつまいという見方もあるのだろう。

 

 そして結果として、彼女達は魔理沙と西宮から大きく引き離される。

 ―――そう、西宮が早苗に授けた作戦通りに。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして西宮は魔理沙と対峙しながら、早苗が霊夢と共に飛び去って行くのを横目で見ていた。

 魔理沙も同様だが、こちらは初めて見る相手である早苗の能力を警戒していたので、迂闊に動こうとはしなかったというのが強いだろう。

 西宮の側は、まずは作戦通りに事が運んだ事に内心で胸を撫で下ろしている状態だ。

 

 彼が早苗に出していた指示は単純だ。

 『初手から全力を出して、博麗霊夢を引き離せ』。

 それは紫から聞いた博麗霊夢という少女の戦闘スタイルと性格、そして射命丸との戦いで予想される消耗などを計算した上での言葉だった。

 

 攻より防。剛より柔。そして無駄と面倒を嫌う怠惰者。

 ならば全力で弾幕を放ちながら突っ込んで来る相手に正面切って付き合う愚を犯さず、まずは距離を取るだろうと読んだ上の指示。霊夢自身が消耗しているなら尚更だ。

 

 そしてその読み通り霊夢は距離を取り―――つまりここから離れて行った。

 博麗の巫女相手に囮をやるという難易度の高い役目だったが、早苗はどうやらその役目を十全に果たしてくれているようである。

 遠くから聞こえる弾幕音に早苗の奮戦を感じながら、西宮は魔理沙に声をかける。

 

「さて、向こうは盛り上がってるみたいだし……こっちもそろそろ始めるか」

「おいおい西宮。本気で私相手にやり合う心算か? 見た感じお前、霊夢を引き付けてった青白巫女より弱いだろ。感じる霊力、飛行の慣れ、さっきの弾幕の威力。全てが青白以下だぜ?」

「その心算だよ、霧雨魔理沙。見た感じどころか事実としてその分析は正しい。―――けどな、生憎とこっちにも理由があるんだよ。神様の『神託』でもあるしな」

「ハッ、神託ねぇ」

 

 十間ほどの距離を置いて、妖怪の山の山中で対峙する西宮と魔理沙。

 しかし魔理沙は眼前の敵の言葉を鼻で笑う。

 神託に従う―――それは即ち、この場で戦う理由を他人任せにしている事に他ならない。

 

 同じ誰かに仕える立場でも、妖夢や咲夜や鈴仙は自分の意思で誰に言われるでもなく、主人を守る為に前に出て来ていた。それに比べると、この理由は些か興醒めだと魔理沙は思う。

 粋に華麗に美しく、人妖神霊が対等に決闘する(あそぶ)舞台。序盤戦で巻き込まれる程度ならまだしも、この終盤戦に踏み込んでくるのにその理由は、彼女の美学にはそぐわない。

 

「なんだそりゃ、そんな理由で私と弾幕()り合う心算かよ。そいつはちょいと粋じゃないぜ。弾幕ごっこの何たるかが分かってないな」

「仕方ねーだろ。……なぁ霧雨。俺が受けた神託ってな何だと思う?」

「あ? ……そうだな、神社を守れだの我に従えだの、そういうのじゃないのか? 私にゃ分からん感覚だが、神様直々にそう言われるってな信者としちゃ誉れなんだろ?」

「そりゃ俺にも理解できねーな。だいたい当時は神も仏も信じて無かった俺がいきなりそんな神託告げられて喜ぶかよ。そういうもんじゃねぇのさ、ウチの神様達が外の世界で今にも消えそうな有様で、最初に俺にくれた『神託』はよ」

 

 口の端を歪め、糸目を見開き好戦的に笑う西宮。

 両の袖口から飛び出した札がその手に握られ、ギラギラとした目が実力差を覆して勝機を掴む機を逃すまいと魔理沙を睨み付ける。

 

 それを見た彼女は半ば本能的に直感する。先程までの自分の物言いは間違いだ。

 こいつは言われるがままに勝負に踏み込んで来たわけではない。確固とした自分の意思でここに立っている。

 

 そう感じた瞬間、粋ではない理由で弾幕勝負に踏み込んで来た相手に醒めた筈だった興が、再度燃え上がるのを感じる。

 成り行きでブチのめした神様やら河童とも、手加減宣言をしながらかかって来た天狗とも違う。

 強い弱いの問題じゃない。―――面白い。

 霊力も弾幕慣れも弱いが、それでも本気で勝ちに来ている目だ。彼女はそういう目は嫌いじゃない。

 

「……随分とまぁノッてるみたいじゃないか、西宮。お前はこの先の神社に居る神様に何を言われたってんだ? 聞かせろよ、オフレコにしといてやる」

「『早苗を泣かすな』だとよ」

 

 そして西宮が苦笑交じりに告げた言葉に、魔理沙がぽかんと口を開けて硬直する。

 彼女からすれば、それは余りに慮外の言葉だ。

 神々が告げる神託としては余りに陳腐で、しかし故にこそ――――

 

「だったらよ、なぁオイ! ―――今にも消えそうな有様で、無鉄砲でガキ丸出しな風祝にしか姿を見られない分際で! それでもその風祝を想って告げられた言葉があって、更にその風祝がイイ女だってんなら、そりゃ叶えなきゃ男が廃るってモンだろうよ!!」

 

 ―――故にこそ、その陳腐な神託がこの男の軸だ。

 自分が傷つけて泣かせた少女を二度と泣かせるまいとする、下らなく陳腐な意地。

 西宮丈一は高らかに下らない、しかし彼にとって絶対の意地を叫ぶ。

 

 結局の所、この幻想郷での異変など、殆どが下らない意地や我儘のぶつかり合いだ。

 故にこそ―――そんな理由で立つ西宮の姿は、幻想郷の一員として相応しいものとして魔理沙の目に映った。

 

「―――良いね、痛快だ。理由があんまりにも私好み過ぎて笑えて来る。この恋色の魔法使いこと魔理沙さんをして、ちょっとばかり胸が震えたぜ。エイプキラーだの何だのフザけた呼び方しておいて、お前あの巫女大好きなんじゃねーかよ」

「正確には巫女じゃなくて風祝ってんだけどな。まぁお前と最初に会った時は面倒だから巫女って解説したけど」

「まぁ何でも良いさ。アレだ、理由は知らんが私らが行くとあの巫女……風祝だっけか? まぁ、そいつが泣くんだろ?」

「ああ。そもそもこの異変は割とあいつのミスで始まった側面が強い。だから自分のせいで神様や俺に迷惑かけたのが申し訳ないとかで、さっきはピーピー泣いていてな。……だから、これ以上あいつを泣かせない為にも、お前はここで退場願う」

「心地良いね。痛く痺れる。―――けど、異変解決は私のライフワークだ。こればっかりは譲れないな」

 

 互いに強気に笑む魔理沙と西宮の視線が交錯する。

 これ以上の言葉は不要。今は異変のど真ん中で、両者の意見は対立中。

 ならばこう言う時にどうすれば良いのかは、幻想郷の住人ならば皆分かっている。

 

「どっちの意見が通るかは――――」

「――――弾幕で決めるってなぁ!」

 

 そして両者は全く同時に弾幕を展開しながら、妖怪の山の中にての弾幕戦を開始した。

 

 




朗報:小説家になろうのパスワード再取得成功
あちらの活動報告にも書きました。当人です。



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決着

「椛、状況はどう?」

「そうッスねー……にとりはパンツ丸出しッス」

「そこはどうでも良いわ」

「あいッス」

 

 守矢神社の屋根の上にて、二人の天狗が会話を交わしていた。

 片方は守矢神社への待機を指示された犬走椛。そしてもう片方は、幻想郷最速とすら評される飛行速度(はやさ)で、迂回ルートを使いながらも霊夢達より早く神社に到着した射命丸であった。

 

 そして射命丸文、まさかの自分が吹っ飛ばした相手の行く末をスルー。

 未だにしましまパンツ丸出しで樹に引っ掛かっているにとりの存在は、彼女達の会話から秒で省かれた。

 

「……んー、早苗さんは善戦してるッスね。とは言っても、弾幕もスペカも飛行もどれもこれもオーバーペースに見えるッス。長時間はもたないッスよ」

「そちらは多分、引き付け役ね。霊夢はどうにもならないのは、風祝と信者のタッグにも分かってたでしょ。紫から話を聞いてたみたいだし。―――だとしたら、何か仕掛けるとしたら本命は魔理沙の方。椛、そっちは?」

「まぁ、作戦通りの展開ッスね」

「作戦通り?」

 

 神社の上にて椛は自身の能力である千里眼を用いて、射命丸の指示でこの場から早苗と西宮の各々の戦いをモニターしていた。

 その椛が返した西宮側の戦況についての言葉に、文が鸚鵡返しに聞き返す。

 対する椛は、『仕込み』を行った時に西宮から聞いていた言葉を思い出そうとして、

 

「やっべぇ七割忘れた」

「……凄いわ貴方の記憶力。良いから覚えてる事だけ言いなさい。あと現状」

「えーと、魔法使いさんの立場なら、弱っちい西宮君相手にスペカを放って一気に終わらせるような無駄遣いはしないだろうとか何とか。で、その予想通り、現状は追いまくられてるけど通常弾幕のみなんで、辛うじて逃げ回れてる所ッス。逃げながら向かう場所は―――地図で言うとここッスね」

「―――へぇ」

 

 思い出し切れなかった椛の言葉に、射命丸が頭痛を堪えるようにして返す。

 しかし椛が首を傾げながら返した断片的な台詞と、彼女のポケットから出された皺だらけの地図に示された目的地に、彼女の口元が笑みの形に歪んだ。

 

 元々が射命丸文は頭の回転がかなり早い妖怪だ。

 その言葉と椛が連れて行かれずに置いて行かれた事実から、ほぼ正確に西宮の意図を読み取っていた。

 

 椛を連れて行かなかった理由は、彼我の戦力差が縮まり過ぎた事で霊夢や魔理沙に本気を出させない(・・・・・)為。

 個々の戦闘能力はともかく、三対二という数的不利のある状況になったならば、流石に魔理沙や霊夢とてスペルの消耗を抑えたまま勝とうとは思うまい。

 

 妙な話だが圧倒的に不利な状況であるからこそ、西宮と早苗は辛うじて戦闘を継続出来ていた。

 遠からず負ける事が確定している相手に無駄にスペルを使う愚を魔理沙と霊夢が厭ったからであり、その結果として西宮は逃げ回り―――

 

「逃げ回った先には、面白い物があるわね。―――そこまで引き込む、か」

 

 ―――そう、これは誘い込みだ。

 窮鼠は猫を噛む為に、自らのフィールドに相手を誘い込む。

 ならば誘い込んだ先に待っているのは―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「どうしたどうした!? 大見得切ったってのに逃げ回るばかりかよ西宮!」

「言ってろ火力馬鹿が! 反撃して欲しけりゃもうちょい加減しやがれ!!」

「お前地味に滅茶苦茶言ってるなぁ!?」

 

 椛の見る先―――つまりは西宮と魔理沙の戦闘は一方的な展開だった。

 地上すれすれを飛び回る、否、正確に言うならば駆け回る(・・・・)西宮に対し、魔理沙が上空から一方的に攻撃を加えている。そんな状況だ。

 

「しかしお前、珍しい移動の仕方してるな」

「そうしねぇと避けれねーだろうが!!」

 

 上空からの魔理沙の声に怒鳴り返した西宮がやっているのは、弾幕勝負の定石である空中戦―――ではない。

 攻撃をほぼ放棄しているが故の、地面を転がるようにして逃げ回る地上戦だ。

 

 飛行術にもタイプがある。例えば風を操って自らを飛ばす物や、自らの身体を軽くさせて浮遊させる物が一般的だろうか。

 それ以外にもベクトル云々重力云々と色々あるが、先述の代表的な二つのうち前者は弾幕にも応用が効き、後者は体捌きの面で応用が効く。

 西宮が習得しているのは後者だ。

 

 結果として彼がこの戦闘で選択したのは、飛行術で自らの身体を軽くし、ギリギリの低空で飛行しつつ、要所要所で足を使って駆け回る事だった。

 加減速と方向転換を足で行うそれは、熟練した飛行技術を持つ相手から比べれば稚拙な技だ。少なくとも弾幕勝負に慣れ、飛行に習熟した人妖がそれをわざわざ行うメリットは無い。

 

 移動の自由度で見てもそうであるし、空中ならばグレイズすればどこかへ飛んで行くだけの至近弾が、対地攻撃として放たれた場合には地面で爆ぜ、弾幕自体の余波や飛散する飛礫などで却って危険だと言うデメリットもある。実際、西宮は直撃弾こそ無い物の既に余波や飛礫でボロボロだ。

 更には何も無い平原などならばまだしも、ここは障害物の多い山中だ。地上すれすれで戦うならば、岩なり木々なりに衝突する危険もある。

 

 しかし飛行に不慣れな西宮にとっては、不慣れな飛行を行うよりも加減速と方向転換が急角度で行えるこの移動方法は都合が良かった。

 少なくとも不慣れな飛行で空中戦を挑んでいれば、最初の十秒で落とされていただろう。

 

 魔理沙側としても、地上の敵を相手に戦うのは不慣れだというのは大きい。西宮にとっては移動上の障害物である木々や岩が、魔理沙にとっては射撃上の障害物になっているのだ。

 霧雨魔理沙の弾幕は威力こそ高いが、レーザー系とマジックミサイルという直進弾が主体。―――誘導弾系の物が無く、この手の射線妨害に極めて弱い。

 紫から聞いた魔理沙の戦闘スタイルから西宮が得た情報だ。

 

 元来であればスペルを使っていない状態とはいえ、魔理沙自身が元々非常に高い攻撃能力を持つ魔法使いである。

 霊夢が『柔』で『防』ならば、魔理沙は完全な『剛』で『攻』。正面切っての撃ち合いを最も得意とするタイプだ。付け焼刃の戦闘経験しか無い西宮が真っ向から相手をすれば、本来であれば相手にもならない事は請け合いだろう。

 そう考えた上での、魔理沙が不慣れな対地戦。

 加えて西宮自身が要所要所で御札や霊弾で相殺を狙い、或いは威力を削いでいる事まで含めて、彼我の実力差を考えれば脅威的な粘りと言える。

 

 そしてその脅威的な粘りを支えるのは、ひとえにその付け焼刃の戦闘経験(・・・・・・・・・)のおかげだった。

 たかが数日の攻防で劇的に戦闘能力が向上するわけではない。技術も体力も身に着くには圧倒的に時間が足りない。多少マシになり、幾らか慣れるのが精々だ。

 或いは霊夢や、そこまで行かなくとも早苗程の才能があれば話は違うのだろうが、生憎と西宮はそこまでの才は無い。

 

 だがその『多少マシになった』こそが、西宮を幾度も被弾から救っている。

 椛とて天狗。それも射命丸文に付き合ってあちこちに出向いている、見た目と言動にそぐわぬ実戦経験豊富な天狗だ。

 彼女相手に身に付けた技術が、僅かな差で西宮の敗北を押し留めている。

 

「もう少し……ッ!!」

 

 そしてギリギリで敗北を回避しながら、西宮は山中のある一箇所を目指していた。

 そこは山中にある巨木を目印として椛と『仕込み』をした場所。即ち、窮鼠が猫を噛む為のフィールドだ。

 

「いつまで追い駆けっこを続ける心算だよ! あんまり私は気の長い方じゃないんだぜ!?」

 

 上空から僅かに苛立ちを含んだ魔理沙の声が響く。

 この追い駆けっこは、どうやら彼女のお気には召さなかったらしい。

 魔理沙が遂に一切合財吹き飛ばすために上空からスペルを放とうかさえ考え始めた瞬間―――西宮はこの戦いが始まって初めて足を止めた。

 

「―――そりゃ悪かった。退屈させた礼だ」

 

 飛礫、泥、至近弾で上着はボロボロ。

 所々肌から血が滲み、肩で息をしている西宮が、しかし満身創痍で上空の魔理沙に攻撃的に歯を剥いた笑みを向ける。

 すぐ傍には樹齢千年を越えるであろう巨木。その巨木に寄りかかるようにして、西宮は懐から一枚のカードを取りだした。

 それを見た魔理沙が、嬉しそうな声で地上の西宮に向けて叫ぶ。

 

「スペルカード……! ハッ、やっとやる気になったかよ西宮!!」

「悪いな、ちょっと俺だけの力じゃ撃てないからよ。―――お前をここまでエスコートしてやる必要があったわけだ」

 

 そう言いながら、彼は片手にスペルカードを持ち、もう片方の手ですぐ傍の巨木に触れる。

 樹齢千年を越えて、既に霊樹(・・)となり自らが霊力を持っているその巨木に。

 その霊樹の周囲には、木々に紛れるように多くの御札。霊樹の霊力を引き出すための陣地であると、魔理沙はその魔法知識から直感的に判別した。

 ―――この場所まで釣り出された。その事に魔理沙の目が見開かれる。

 

「お前、最初から―――ッ!!」

 

 そして、その驚愕する魔理沙に向けて、西宮は高らかに自身のスペルカードの名を告げる。

 命名決闘法―――スペルカードルール、転じて弾幕ごっこというのは幻想郷では女の遊びなどと称されている。その要因は色々あろうが、その分析は後にして。

 ともあれそれでも今の幻想郷で異変を起こすならば、弾幕勝負は避けて通れない。

 ノリノリでスペルカードを考える早苗に急かされるように、そうであるならばと二枚だけ作ったスペルカードの、そのうち一枚。西宮にとっては紛れもない切り札だ。

 

「―――“禊祓”(みそぎはらえ)黄泉返り(よもつがえり)!!」

 

 黄泉返り(よもつがえり)

 ―――古事記曰く、かつて黄泉の国へとイザナミを連れ戻しに行ったイザナギが、しかし黄泉の住人と化したイザナミと黄泉の住人達に追いまくられて逃げ出した出来事だ。

 結局イザナギは大岩で黄泉の国への道を塞ぎ、その大岩を挟んでイザナミとイザナギは互いにこう告げた。

 

 『私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう』

 『それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう』

 

 それが人間の生死を現す始まりとなったとされているその逸話。

 語られた人の生死の如く、西宮の眼前に生まれた霊弾が消滅と再生を繰り返しながらも、徐々にその数を増やしていく。

 

 碧の単色のみという、美しさという概念においては些かセンスに欠ける弾幕であるが、その弾数は侮れない。このスペルのみで見るならば、それは西宮の地力で起こし得る事象を大きく超えている。

 であれば何がこれを起こしたかというと、西宮が霊力を借りている霊樹―――正確に言うならば、この場の霊地の力である。

 

 ―――霊地、という概念がある。龍脈と言い換えれば、紅魔館の門番辺りが詳しいだろう。パワースポットと言っても良い。

 とにかく霊的な強い力の『溜まり場』と思えば分かり易い。外の世界に残る樹齢幾千年などという霊樹の周辺などがそれに当たるだろう。

 その『溜まり場』で修行する事で強い力を得たり、その力を借りて何らかの呪いが行われたりといった例は枚挙に暇が無いだろう。

 或いは古来から怪奇が頻発していた場所は、何らかの霊地であった可能性があった―――などとは大和の地を古い時代から眺め続けて来た守矢の二柱の言葉だ。 

 

 そう、『怪奇が頻発していた場所』だ。となればこの妖怪の山も、その最たる地の一つであろう。

 加えて天狗は元々が修験者と関わりの深い妖怪。その修験者が篭る山々にも霊地は多かった。

 であれば、その天狗が住み怪奇が頻発している場所である妖怪の山、必ずや何らかの霊地がある筈と当たりを付け、西宮が椛に見せて貰った地図に書いてあったのがこの霊樹だ。

 

 後は魔理沙が来る前に大急ぎでこの樹が霊地である事を確認すると同時に、今神々が神社でやっているのと同様に、御札を使ってこの霊樹周辺に簡単に陣地を作っておいた。

 そこまで込み入った物を作る必要はない。要はここに来るまでに油断している魔理沙に向けて、霊樹の力を借りたスペルカードを全力で叩き込む。その為の下地さえできていれば良いのだ。

 結果、椛の手を借りた西宮は短時間でこの場の『仕込み』を完了。

 そして辛うじてここまで魔理沙を誘い込み、自らの力だけでは決して届かない筈の“普通の魔法使い”へ向け、霊樹の力を借りた渾身のスペルカードが放たれる。

 

 かくして一連のピースは重なり合い、一つの策へと昇華される。

 射命丸の手による魔理沙の消耗、椛の手による西宮への特訓、事前に出来ていた因縁、紫から得ていた魔理沙の情報、魔理沙自身の油断、この場の地理。何れが欠けても成り立たなかったであろう策が成った。

 

 神話に謳われた逸話の如く、霊弾は再生と消滅を繰り返しながらも数を増やし、遂には膨大な数を誇る弾幕となって魔理沙へと襲い掛かる。

 個々の威力は決して高くはない西宮の弾幕が、しかし霊樹の力を借りて、初めてここで魔理沙に届き得る牙となった。

 

「―――っ!!」

 

 回避は困難。

 油断と驚きが僅かに彼女の身体を硬直させ、迫り来る弾幕への回避の機を奪う。

 

 そして――――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――待っているのは、恐らく策。それも二重三重に考えられた……お見事だわ」

 

 そう呟く文は、しかし苦笑を浮かべて首を振る。

 嗚呼、上出来だ。持ち得る手札を全て生かした最上とすら言える。彼は大変良く頑張った。

 

 だが。

 だが、それでも―――

 

「―――それでも、たかが策の一つや二つでどうにかなるほど、霧雨魔理沙は甘くない。それで倒せるような相手ならば、彼女は博麗霊夢と共に幾つもの異変を解決するなんて出来なかったわ」

 

 ―――それでも、霧雨魔理沙には届かない。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――そして。

 

「“恋符”・マスタースパーク!!」

 

 回避を諦めた魔理沙が掲げたマジックアイテム――――ミニ八卦炉から放たれた魔砲が、練られた策と放たれた霊弾ごと、西宮丈一を飲み込んだ。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 遠くから聞こえて来た轟音とそちらで解放された巨大な魔砲に、博麗霊夢は彼女にしては珍しく僅かに目を見開いた。

 見覚えが無いわけではない。むしろかなり見慣れたスペルカードだ。或いは自分のスペルを除けば、最も目にする機会が多いスペルカードとも言えるだろう。

 

 『“恋符”・マスタースパーク』。

 霧雨魔理沙という少女の十八番にして代名詞にして切り札(・・・)

 彼女とて馬鹿ではない。これから先、恐らく神社に黒幕が待っていて、最低でももう一戦はあるのは分かっている筈。

 となると彼女がここで切り札を切った理由は、

 

「―――使わされた、か。やるわねアンタの相棒。雑魚に見えたのに、魔理沙に切り札一つ切らせるまで追い込んだなんて」

「……今のが何なのか、分かるんですか」

「マスタースパーク。魔理沙の代名詞で、切り札よ」

 

 呟いた霊夢に対し、正面方向から問いが投げかけられる。

 現在位置は空中。山中にて空に浮かび向かい合い、彼女に問いを投げかけて来るのは青白の風祝―――東風谷早苗だ。

 先程から霊夢と弾幕戦を行っていた彼女は、しかしこれまで霊夢相手に善戦した代償として、既に肩で息をするほど疲れ切っていた。

 

 とにかくスペルを連射し、霊力を惜しみなくつぎ込み、集中力も体力も何もかも全てを短期決戦の心算でねじ込んだ。

 故に博麗霊夢相手にこれまで戦えたのだが、既にそのいずれも限界。

 完全な詰み。そう言える状況でありながら、早苗は僅かに笑っていた。

 

「……向こうは西宮に任せました。私は西宮を信じます」

「そりゃまた随分な信頼ね。……けど、流石にあの霊力で魔理沙に勝てるとは思えないわよ」

「かもしれません。ですが、私には今更向こうに出来る事はありません。私にとっての今の問題は、貴方です」

 

 魔理沙の相手をしている西宮。彼に対して、今早苗が出来る事は何も無い。

 敢えて言うならば、信じる事か心配する事。彼女は前者を選んだ。

 

 その彼女が信じる相棒が、この戦いにあたって早苗に授けた策は一つ。

 全力を出して博麗の巫女を引き付ける事だけなのだが、その役目は既に終わったと考えて良いだろう。

 魔理沙と西宮の方でも大きな動きがあったし、そもそも早苗が限界だ。これ以上その役目を継続する事は出来ない。

 

 そして授けられた策とは別に、策ではない助言が一つだけ。

 『気になるようなら、引き付けついでにその巫女相手に言いたい事を言っちまえ』。

 それが西宮が作戦会議の終わり際、早苗に告げた言葉だった。

 

「……私が抱いてた博麗さんへの後ろめたさ、多分彼は分かってたんでしょうね」

 

 弾幕勝負故に距離を置いて対峙している霊夢には届かないような声音で、早苗は苦笑と共に呟く。

 この異変の原因となった自分の行動。今となってみれば、あれがとても軽率で、相手の立場を考えない行動だったと分かる。

 故にこそ彼女は八雲紫に謝罪をしたし、博麗神社の巫女である霊夢に対しても後ろめたさを覚えていた。

 

 それに気付いたからこそ、西宮は作戦会議の最後にあのような言葉を付け足したのだろう。

 そう思考し、その気遣いに応じる為にも、早苗は霊夢に向かって声を上げた。

 

「博麗さん!」

「うわ。……なによ、いきなり。降参?」

「いいえ、降参はしません。―――ですが、私は貴方に謝らないといけません」

「謝る……?」

 

 その言葉に霊夢がきょとんとした様子で首を傾げる。

 早苗が見る限りずっと何事にも興味無さげな表情をしていた彼女だが、それ故にこうして初めて見せたそれ以外の表情は、年頃の少女らしくとても可愛らしい物だった。

 早苗はその表情に、『ああ、紫さんが母親代わりとして世話を焼きたくなるのも分かるなぁ』という感想を内心で抱きつつも、

 

「貴方の神社に無作法な宣戦布告をしたのは私です」

「ああ、アレあんただったの?」

「ええ。幻想郷に来たばかりで舞い上がっていたが故の無作法、謝罪いたします。ですがあれが守矢神社の総意ではなく、私の独断であることは御理解下さい」

「……えと、何て言うか拍子抜けね。レミリアとか幽々子とか永琳と輝夜とか萃香とか、異変の原因となった連中って大抵もっと我儘と言うか、我の強い連中だったんだけど。解決した後ならまだしも、こんな真っ最中に謝られたのは初めてだわ」

「悪い事をしたら謝るのです。当然の事ですよ?」

 

 困惑した様子の霊夢に、早苗は苦笑しながら言葉を返す。

 『めっ』とでも言わんばかりのその言葉に、霊夢は更に困惑を深める。

 

「……まぁ、別に良いけど。いつまでも引き摺るのも面倒だし、実害ったら私が腹立ったくらいだし……神社を物理的に潰されでもしたら、話は別だっただろうけど」

「まさか! そんな危険な事をするわけないじゃないですか」

「そうよね。幾らなんでも博麗神社にそこまで明確に喧嘩売る奴なんて居ないわよね」

 

 例えが少し過激に過ぎたかと内心で思う霊夢と、小さく笑う早苗。

 この両者がこの会話を思い出すのは、後に天人が神社を破壊した後である。

 ともあれ元より必要以上の面倒を嫌う霊夢だ。早苗の言葉に、一瞬これでこの異変は解決かとお祓い棒を仕舞おうとするが―――次の瞬間、疑問に気付いて首を傾げる。

 

「……ねぇ、謝るならなんで最初に私と遭遇した時に謝らなかったの? それに降参しないって言ってたし」

「申し訳ありません、謝罪が遅れた事は重ねてお詫びします。―――ですが私達にも、私達の都合がある。貴方には是非とも、守矢神社まで来て私達の神社の神様と戦って頂きたいのです」

 

 そして、応じる早苗は大幣を構え直す。

 息は荒く、体力霊力共に枯渇寸前だ。

 しかし戦意を崩さない彼女に、霊夢は呆れたように溜息を吐いた。

 

「……訂正するわ。あんたもやっぱり、我儘で我が強い幻想郷の住人よ」

「褒め言葉ですね。ありがとうございます」

「褒めてないわよ。……まぁ面倒だけど、ここまで来たんだしね。その神社の神様の顔を拝むついでに、弾幕勝負をしたって殆ど変わらないか。ただし思惑に乗ってあげる代わりに、今度うちの神社の素敵なお賽銭箱に素敵な量のお賽銭を入れて行くこと」

「なんか賄賂みたいですね」

「物事を円滑に進めるには必要な事もあるわ」

 

 神社の巫女として言って良いのかどうか怪しい事を堂々と宣言する霊夢。

 彼女の言葉に、要求された側である早苗は『良いのだろうか』と少し迷いつつも頷いた。

 先方の神は知らないが、自分の所の神はその程度で怒るような度量の狭い神ではないと。

 

「分かりました。後日にでも西宮と二人で訪れさせて頂きます」

「だったらお賽銭は二人分で宜しく。――――で」

 

 言いながら霊夢はお祓い棒を構え直し、早苗に告げる。

 

「この先に居る神様と戦って欲しいってんなら、これはスペルカードを用いた異変として終わらせたいって事よね」

「ええ。だったらこの戦いも、話し合いではなくスペルカードルールに則った弾幕戦で終わらせるべきです」

 

 対する早苗も大幣を構え直し、枯渇寸前の体力と霊力を絞り出して弾幕を展開する。

 つまりはこれから両者が行おうとするのは、スペルカードルールに基づいた決着だ。

 応じるように、霊夢も博麗アミュレットと呼ばれる追尾弾を用いた弾幕を展開。

 その霊夢に早苗は、疲弊で額に汗を浮かべながらも笑顔で述べる。

 

「付き合ってくれてありがとうございます、霊夢さん。貴方に感謝を」

「感謝の心は現金で。いつもニコニコ、キャッシュでポン。博麗神社の今月の標語よ」

「終わった後のお賽銭ばかりに気を取られてると、私が勝っちゃうかもしれませんよ?」

「起きたまま寝言を言うなんて器用なやつね。寝ぼけてるみたいだし、いっそこのまま寝かしつけてやるわ。来なさい」

「ええ。それでは―――風祝の早苗、参りますッ!!」

 

 早苗が最後の体力と霊力で弾幕を放ちながらの突撃を敢行し、霊夢が弾幕と結界でそれに応じる。

 そしてその数十秒後。

 

「まぁ、来るなら早いうちにね。魔理沙とか他の連中と違って礼儀は出来てるみたいだから、お賽銭を入れに来たらお茶くらいなら出してあげるわ。出涸らしだけど」

 

 霊夢はその言葉を残しながら、その場を飛び去る。

 残されたのは満身創痍で地面に、しかしどこか楽しそうな笑みで倒れている早苗の姿だった。

 

 ―――かくて、この場は決着を迎える。

 一方―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「ったく、使わされたか。後で霊夢辺りに何を言われるか分かったもんじゃないぜ」

「……渾身の罠をスペルカード一枚でひっくり返した分際で良く言うぜ」

 

 早苗以上に満身創痍で転がっている西宮に、声をかけているのは魔理沙だ。

 霊樹の根元で大の字で倒れる彼は、元々の負傷に加えて魔理沙のマスタースパークを食らった事で見事なまでにボロボロだった。

 

 ともあれ憎まれ口を叩く西宮の様子に、放っておいても大丈夫そうだと判断した魔理沙は箒に跨って再度飛び直す。

 西宮の方も撃墜された―――即ちスペルカードルールに基づいた敗北である以上、これ以上何をする心算も無い。

 むしろこれ以上何かをしたら、それはスペルカードルールによる敗北を認めないというルール違反だ。最悪の場合、八雲や博麗が黙っていまい。それは西宮としても望むところではない。

 

「まぁ、なんだ。お前とお前の相棒に関して、悪いようにはしないぜ。お前のとこの、その酔狂な神託を出した神様もだ。異変が終わったら皆でその異変を肴に騒いで、水に流す。それも幻想郷の流儀だからな」

「ああ、そう言ってくれるとありがたい」

 

 そして魔理沙は倒れている西宮にそう声をかけ、西宮は返事をするのも億劫という様子で声を返す。

 そんな西宮の様子に魔理沙は肩を竦め、

 

「さて、霊夢と向かっていたルートとは違うが……神社は山の上だったな。だったらこのまま真っ直ぐ頂上に向かえば良いだろ」

 

 そう言いながら、当初のルートとは(・・・・・・・)違うルートで(・・・・・・)山を登る為に飛び去って行く。

 その様子を見送った西宮は魔理沙が飛び去ったのを確認してから、

 

「悪いな霧雨。勝負には負けたが、俺の勝ちだ(・・・・・)

 

 勝利を確信した笑みを浮かべ、意識を手放したのだった。

 




オリジナルのスペルカードというのは賛否両論ありそうですが、何も無しというのも見栄え的にどうかと思うのでリメイク前と変わらずで。
使用頻度は高くないどころか、あまり弾幕戦をする頻度が高くないキャラなので、どうにかお目こぼし願えると幸いです。


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神遊び

「状況はどう?」

「あ、紫」

「賢者様、チィーッス」

 

 霊夢と魔理沙が各々の相手を下し、この神社に向かい始めるとほぼ同時。

 紫が神社の中から浮遊して、屋根の上の文と椛の元へ飛んで来た。

 文はにやり笑いで彼女を迎え、椛は元気良く頭を下げる。

 そして椛は頭を上げ、今の紫の質問に答える為に再度千里眼を山へ向ける。

 

「残念ながら西宮君も早苗さんも、各々やられた所ッス。巫女さんも魔法使いさんも、もうすぐここに来るッスね」

「そう。御二柱の方は?」

「陣地の構築は終わったよ」

 

 椛が続けざまの紫の質問に答える前に、三者の頭上から声がする。

 鉄の輪を手に持った諏訪子が、ゆったりとした動きで神社の屋根に降り立つ所だった。

 降り立った諏訪子は、まず屋根の上に立つ三者に頭を下げる。

 

「ありがとう、三人とも。おかげでどうにか迎撃準備は完了した」

「いえいえ、私は何もしていませんわ」

「ボク、『かっぷめん』を要求するッス」

「一番働いたのは私だから、私も何か要求しようかしら」

 

 対する三人は各々の反応で、しかし三人ともが笑顔で諏訪子を迎える。少なからずこの異変に協力した身として、霊夢と魔理沙が来る前に神々の準備が完了したと言う事は好ましい事なのだ。

 しかしその三者のうち、真っ先に表情を引き締めたのは紫だ。

 

「聞いていたかもしれませんが、もうすぐ霊夢も魔理沙もここに来ますわ。御二柱ともに準備はよろしいですね?」

「うん、大丈夫。神奈子も私もいつでも行けるよ。神奈子はいつ来ても良いように、陣地の方で待機してる。私もこっちに少し様子見に来ただけで、すぐに向こうに戻るから。……あ、早苗と丈一は負けたみたいだけど、怪我は無い?」

「んー、少しはあるッスけど、すぐ治る程度ッスよ。心配する程のもんじゃないッス」

「西宮君は霊樹まで引き付けて、魔理沙にマスタースパークまで使わせたからね。名誉の負傷って事でしょ」

 

 そして観戦していた天狗二人の言葉に、安心したように諏訪子が『そっか』と笑みを浮かべた。

 だが、その天狗二人の言葉に急激な反応を見せたのは紫だ。

 

「霊樹? 霊樹って、山の七合目くらいにある大きな樹の事よね?」

「ん? ええ、そうよ。そこまで引き付けて霊樹の力を借りて弾幕を―――どうしたの?」

 

 はっとしたように文に質問をした紫が、文の言葉を聞いて震えだす。

 ぷるぷるとした震えは秒を追うごとに大きくなり、しまいには紫は声を殺して肩を震わせ笑い出した。

 

「ぷっ……くふっ、な、なるほど……いや、見事。見事よ。まさかそこまで粘るなんてね。諏訪子さん、ここには魔理沙は来ませんわ」

「何でよ? 目に涙を浮かべるくらい一人で笑ってないで、私達にも分かるように説明してくれない?」

「まぁ待ちなさい。ねぇ文、椛さん。魔理沙の西宮君との戦いの前後での動きを思い返してご覧なさい? 答えは自ずとそこにありますわ」

 

 胡散臭く紫が言った言葉に、言われた文と椛、そして横で話を聞いていた諏訪子も疑問符を顔に浮かべる。

 魔理沙は確かに西宮を弾幕勝負で完膚なきまでに撃破し、その場から真っ直ぐに神社へ向けて飛び立った。

 方向が間違っているわけではない。七合目まで来れば、あとは山の高い方へ向かうだけだ。そうそう間違える筈も無い―――とまで思考した所で、文が気付いた。

 彼女は驚いた表情で椛に向き直り、

 

「……椛」

「はい? なんッスか文さん」

「天狗の里って何合目にあったっけ」

「えーと、だいたい八合目くらいッス」

「場所は?」

「えーと、ここから真っ直ぐ霊樹に向かう途中――――あ」

 

 言われた言葉に椛も気付く。そして横で話を聞いていた諏訪子もほぼ同時に驚愕を表情に浮かべ、思わず声を大にして叫んだ。

 

「それって、天狗の里直撃ルートを通ってる!?」

「大正解ですわ。ええ、しかもこれ、仕掛けた本人がそこまで考えていたかは分からないけど―――天狗の立場を考えると、なかなか面白い事になるわよ」

 

 両者の言葉に口元を扇子で隠し、しかし笑いは隠しきれずにプルプル震えながら紫が返す。

 彼女は口元を隠したまま、

 

「天狗の里に魔理沙が突っ込んだ場合、流石に傍観を決め込んでいる天狗も無視はできない。或いは魔理沙の方から積極的に、黒幕へ至る障害として天狗に攻撃を仕掛けるかしら? ともあれ天狗側は強制的に霧雨魔理沙という異変解決のプロと戦う事になる」

 

 そう、それは以前文と紫が『天狗はそうすべきだった』と話した、異変解決の専門家と戦い、自らの力を幻想郷に示すという行為に他ならない。

 

「天狗達としては全く望んでない、寝耳に水の戦いでしょうけど……その結果として魔理沙を撃退すれば、『天狗侮るべからず』という声は確実に幻想郷内で上がるわ。無論、霊夢と相対する上に異変の主導者と見なされるこの神社には劣る事になるでしょう。けれどそれでも、文だけが力を示す事に比べると段違いに、天狗の名声は守られると言って良い」

「撃退できなかった場合はどうなるのさ、八雲紫?」

「天狗上層部は石頭の馬鹿の集合ですが、そこまで無能ではありませんわ。特に天狗の里を統べる天魔に関しては、文以上の実力者。既に消耗している魔理沙に負ける事は十中八九無いでしょう。そもそもやる気が無かっただけで、天狗達も望めば異変を起こせるだけの実力は確かにあったのですもの。加えて仮に負けても、魔理沙相手に十二分に戦う姿を見せれば、実力を示すには十分ですわ」

 

 故に彼らとしては望んでいない形なのかもしれないが、魔理沙が天狗の里に突っ込んだ場合は天狗は彼女を撃退し、その名を幻想郷に広める事が出来る。

 加えてこの戦いは、石頭で現状を見ようとしない天狗上層部にとっても良い薬となるだろう。

 幾ら石頭とはいえ、自分達の枕元まで弾幕勝負という新しい幻想郷の在り方を象徴する足音が迫ってくれば、現状への認識を変えずにはいられまい。

 

 重ねて言うが、霧雨魔理沙は異変解決の専門家。弾幕勝負におけるその戦闘力は、博麗霊夢にこそ劣るが幻想郷でも指折りと言って良い。

 流石に天魔ならば消耗している彼女の撃退は可能だろうが、逆に言えばそれは他の天狗による撃退は難しいとも言える。

 それほどの力を彼女は持っているのだ。

 

「天狗も今の幻想郷でスペルカードルールを破る事が、どのような意味を持っているか分からないわけでは無い。故に彼らはスペルカード戦で魔理沙と戦い、天狗の頭領である天魔は重い腰を上げ、彼女自らの力を示す事になる。そして同時に彼らは時代の波を実感する事になるでしょう」

「その場合、私が上層部に怒られそうな気もするんだけど。私が麓で二人と戦ったから、里に奴らが攻めて来たのだ~、とか言って」

「まさか。上層部には貴方を叱責するなんて出来ませんわ。何故なら幾ら天狗の里が危機感を持ったとしても、彼らだけでは今の幻想郷で有力者であり続けるのは難しい。今の幻想郷の有力者である紅魔館、白玉楼、永遠亭、そして新たにその列に加わるであろう守矢神社―――そのいずれとも、天狗は友好的な関係を築けていないもの。貴方やその後輩を除いて、ね」

「……成程」

 

 紫の言葉に文が納得の頷きを返す。

 今の幻想郷のルールを破る事は天狗には出来まい。行えばそれは、他の全ての人妖の怒りを買い、天狗そのものが幻想郷から排斥される原因になりかねない。

 

 そして天狗がこのルールの中で山での指導的な地位を保とうとするならば、既にこのルールの中で高い地位を築いている他の組織との繋がりが殆ど無いのは痛い。

 これまでスペルカードルールに馴染まず孤高を保とうとしていた事が完全に裏目に出ている。

 故にこそ、既に外との繋がりを多く持っている文、そして椛に対して、天狗上層部は強く出られない。

 

 存外に妙手だと、文は内心で思考する。

 守矢神社の神々は魔理沙相手に無駄な消耗を強いられる事が無くなり、天狗は自らの力を示しつつも危機意識を得、文と椛は天狗社会内での自らの立場が良くなる可能性が高い。

 三者三様、各々に得る物のある結果となる。まぁ天狗の里は多少被害を受けたり上層部内で内輪揉めや代替わりが発生する可能性もあるが、それは時代の移り変わりに必要な痛みだ。

 

 唯一、完全に利用される形になって割を食うのは魔理沙である。

 彼女に関しては後日何らかのフォローが必要かもしれないが、彼女自身がさばさばとした性格の持ち主であるし、組織ではなく個人であるが故にしがらみも少ない。

 珍しい魔法関係の本でも二、三冊見つくろって献上すれば、機嫌も治るだろう。そこは西宮の手が届かない範囲かもしれないので、文が請け負っても良い。

 

 となれば残る疑問は一つ。

 

「―――紫。西宮君はこれを狙ったと思う?」

「魔理沙を天狗の里に突っ込ませるところまではYES。まぁ、天狗の立場云々までは副次効果かもしれないし、そこに関しては私が他所に流す情報なんかで印象操作するというフォローが要るかもしれないけどね」

 

 妖怪の賢者は楽しそうに笑いながら、扇子を閉じて、その閉じた扇子で中空に線を引く。

 

「西宮君には最初から、弾幕では逆立ちしても勝ち目がないというのは伝えていたわ。如何に戦力を上手く使って、如何に上手く策を弄してもね。だから彼は弾幕での勝利ではなく、作戦目標の達成に目的を絞ったのでしょう。―――故に彼の作戦目標は、霊樹まで移動して、そこで魔理沙に負ける事」

 

 そこに引かれた線は妖力による結界を作り上げるが、それは防御の為ではない。結界上に描かれたのは、簡素な妖怪の山の地図だ。

 

 描かれているのは霊夢と魔理沙の当初の侵攻ルート、守矢神社、霊樹、天狗の里。そして侵攻ルート上に描かれた、饅頭のようにデフォルメされた霊夢と魔理沙の顔である。

 何故か見ている文と諏訪子の脳裏に、『ゆっくりしていってね!』などという幻聴が聞こえた。

 ちなみに椛は饅頭みたいな顔を見て、『美味そう』などと考えていた。

 

「まずは霊夢と魔理沙の予想侵攻ルート上で待ち受け、霊夢と魔理沙を引き離す。霊夢は策を弄するに当たって最悪の手合だからね。幾重にも策を弄しても、勘の一言でそれを回避される。恐らく西宮君にとっての天敵ですわ」

 

 言いながら、紫は結界上の地図に更に線を引く。

 霊夢が侵攻ルート上から逸れ、魔理沙のみがそこに残った。

 

「そして魔理沙を霊樹まで引き込む。これが最も難しい作業だったでしょうけど、西宮君はそれを達成。霊樹の元で全力で魔理沙と戦い、敗北する」

 

 魔理沙の顔が霊樹の元まで移動する。

 

「この作戦の肝は二つ。『霊樹まで移動する目的を、有利なフィールドに誘い込む為と誤認させる』ということと、『ここまでやったんだから、この後で更に何かあるわけが無い』と思わせること。そういう意味で、霊樹という存在は絶妙だった。魔理沙は恐らく、有利な戦場に引き込むと言う罠に嵌ったと思ったでしょう。強力な弾幕を霊樹を利用して放ったならば尚の事」

 

 そう、故に彼女は『その位置まで移動させ、そこで魔理沙に負けるのが目的だった』などとは露とも思わない。

 そこまでやった大がかりな罠が、よもや自分にその先に待っている本当の罠―――天狗の里直撃コースご招待への布石でしかないとは、まさに想像の埒外だろう。

 そもそも土地勘の無い魔理沙に対して、気付けと言う方が無理である。霊夢辺りならば勘で気付いたのかもしれないが。

 

「そして霊夢を引き離したのが、ここで再び生きて来る。魔理沙は霊夢ほどの神がかり的直感力は無いから、その霊樹の元から神社へ向かうとすればルートは一つ。真っ直ぐ山を登るのみ。魔理沙のような直線的な思考の持ち主なら尚更ね」

 

 霧雨魔理沙は決して頭の回転は悪くない。むしろかなり早い部類だろう。

 魔法という神秘を学び、研鑽する。それは決して頭の回転が鈍い人種には出来まい。魔法というのは頭脳を用いて覚える技術の結晶であるからだ。

 しかし魔理沙は同じ魔法使いであるパチュリーやアリスに比べ、頭の良し悪しではなく心理的傾向として、直線的な力押しを好む。

 

 そのような性向の持ち主であるからこそ、ほぼ確実に直行ルートを選ぶ筈だ。

 或いはこれが、それこそパチュリーやアリスであったならば、霊夢と合流しようとするか当初のルートに戻ろうとするかもしれない。しかし直線思考故に、魔理沙はそうは考えない。

 

 そして紫は結界を操作する。

 魔理沙の顔が神社へ真っ直ぐ向かおうとして―――しかし天狗の里に引っ掛かった。

 

「後は魔理沙は天狗の里に突っ込んでしまい、天狗達となし崩しに戦闘突入。結果として彼女は神社へ到着する事は出来なくなる……大枠としてはこんな物かしら」

「……考えたものね。でも紫、そんな策があるなら先に教えてくれても良かったんじゃない?」

「と、言いますと?」

「流石に西宮君が付け焼き刃で考えた作戦を、貴方が考えついてなかったなんてことは無いでしょう?」

「ええ、それは確かに」

 

 文が僅かに責めるように言った言葉に、紫が微笑と共に小さく頷く。

 妖怪の賢者、八雲紫。その異名の通り、彼女は保有する能力も絶大ではあるが、それ以上に知恵者として名が知れ渡っている人物だ。流石に十数年生きただけの人間に考えつくことを、彼女が思いつかなかったという事は無い。

 無い、が―――

 

「ですが私、それは全く不可能な策だと思ってましたわ。ねぇ文、椛さんには悪いけど彼女に百戦百敗するような人間が、魔理沙相手の引き付け役なんて完遂出来ると思う?」

「……思わないわね。実際にやったところを見るまでは」

「でしょう? だから私はこの作戦を思いついてはいても実行不可能な物と考えていた。であればこの結果は、実力以上の奮戦による一種の奇跡ですわ。よほど譲れない意地でもあったのかしらね」

 

 ―――或いは。

 “奇跡を起こす程度の能力”を持つ東風谷早苗。その未だ制御し切れていない能力も、西宮を後押ししていたのかもしれない。そういう意味ではこの結果は、早苗と西宮が互いに支えあって作った物だと言える。

 

 どこか楽しげに笑う紫の姿に、文と紫の会話を横で聞いていた諏訪子が優しい微笑を浮かべた。

 或いは彼女は、西宮の意地の出処を知っているのかもしれない。

 ちなみに同じく横で聞いていた椛は既に作戦内容理解の努力を放棄しており、今日の夕飯を考えていた。

 

 そして次の瞬間、山の途中―――八合目辺りで激烈な閃光と轟音が成り響く。

 本日二発目となる魔砲。即ち魔理沙の弾幕だ。

 

「あらあら。少し解説に時間を取られたかしら。向こうではもう始まっているようですわ」

 

 その音に紫は余裕たっぷりの胡散臭い笑みを浮かべ、文と椛は音がした方、つまりは天狗の里へと視線を向ける。

 とはいえ、流石に文の視力ではここからの視認は不可能だが。

 

「椛、状況はどうなってるの?」

「んー、今回の件に関して完全に傍観するつもりだったらしい天狗達が、慌てた様子で迎撃に飛び出してるッス。けど皆弾幕慣れしてないッスから、上手いこと纏められて、魔砲で纏めて薙ぎ払われたみたいッスね」

 

 そしてその文からの質問に椛が答える。

 その椛が不意に『あ』と驚きの声を口に出し、

 

「うわ、先日宴会のどさくさで文さんの尻を撫でた大天狗様の家が吹っ飛んだッス」

「ああまりささんなんてひどいことを。――――もっとやれー!!」

「ぷふっ! ちょっと、少しは隠しなさいよ」

 

 台詞の前半でおざなりに建前を。そして後者で高らかに本音を叫ぶ文に、横の紫が吹き出した。

 天狗の里の頭の固い上層部にさんざん苦労させられてきた文と紫としては、さぞや胸のすくような光景なのだろう。

 椛は―――苦労を苦労と認識していたどうかが怪しいので割愛する。

 

「丈一と早苗は良い仕事をしてくれたみたいだね」

 

 その様子に苦笑しながらも、諏訪子は神社の屋根を蹴って飛びあがる。

 目的地は神奈子が待っている陣地である。博麗の巫女が来る前に戻って、現状を神奈子に話しておくべきだろうと言う判断からだ。或いは自分達の信徒二人が上げた、予想を越える戦果について話したいからかもしれない。

 

「それじゃ、私は行くよ。三人とも、本当にありがとう。後で改めてお礼をさせて貰うよ」

「いえいえ、こんな痛快な物が見れただけでも十分ですよ」

「ボクはカップ麺を要求するッス」

「私としても目的がありましたから―――ぷふー!! 見て文、あの大天狗の頭!!」

「ぶはっ! ぶはははははは! アフロに、魔砲でやられて部分アフロに! いつも嫌味ばかりのあの大天狗様が!!」

 

 遂に隙間を開いて天狗の里の様子の観戦を始めた紫と、その隙間を通していけ好かない上司のとんでもない姿を見て爆笑する文。

 既に状況は終盤も終盤だ。今更隙間で観戦程度した所で、紫がこの件に最初から関わっていたなどと証明する事は誰にも出来ないだろう。

 何か言われたら『楽しそうだから隙間で見てただけ』と答えれば良い。紫の普段の姿は、その言葉に十分な説得力を与えるだけの胡散臭さがあるのだから。

 

 そして楽しそうな三名に苦笑して、諏訪子は急造の陣地で待っている神奈子の所へ戻るべく飛行を開始する。

 さて、この話を聞いたら神奈子はどんな顔をするだろうかと、にやにやと楽しそうに笑みながら。

 

 

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「うおぉ! 何だってんだこの天狗の群れは! くそうこいつら、どうあっても私を神社まで行かせないつもりだな? そうは問屋が卸さないぜ!!」

 

 そして魔理沙は隙間を使って観戦されている事など知る由も無く、天狗の里の中ほどまで切り込みながらも降り注ぐ弾幕を回避し、次々と反撃を放って行く。

 西宮相手では対地戦の不慣れと油断故にしてやられたが、その直後だからこそ彼女には油断も慢心も無い。ましてや現状は彼女が得意な空対空の弾幕戦だ。

 

 異変解決のプロとしての能力を如何無く発揮し、猛威を振るう霧雨魔理沙。

 対する天狗側は山の神社が博麗神社に宣戦布告をした事は知っていたが、まさか魔法使いが里に突っ込んで来るとは露とも思っていなかった為に、おっとり刀での参戦だ。

 加えて山の頂点に君臨している期間が長かった分、実戦経験の豊富な天狗は少ない。特に弾幕ごっこに関しては、男性天狗は一度もやったことが無い者すら多いのだ。

 

「そら吹っ飛べェ! 今度は二本の大盤振る舞いだ! “恋心”・ダブルスパーク!!」

 

 そして天狗達が二本の魔砲に巻き込まれ、纏めて吹っ飛んで行く。

 

 ―――かくして。

 

「どけどけぇ! 魔理沙さんのお通りだぁ!!」

 

 霧雨魔理沙、まさかの番外段階(エクストラステージ)突入。

 天狗の里での弾幕ごっこは、天狗達にとっては望ましくない事に、更に加熱して行く事となるのだった。

 

 

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 霊夢が勘に従って辿り着いた妖怪の山の山頂。

 そこは大きな湖に巨大な御柱が並び立ち、どこか神聖な雰囲気を持つ祭壇のような場所であった。

 

「……やれやれ、凄いわね。何よこの柱の山は」

 

 強力な神気を纏うその場所に、霊夢が思わず嘆息する。

 神がかり的勘を持つ彼女とは言え、まさかこれが突貫工事で作られた即席とは思わなかったようである。

 良く見ると幾つかの御柱は製作側の慌てを示すように微妙に傾いていたりするのだが、逆にそれがまるで神さびた古戦場のような雰囲気を醸し出しているから、世の中何が幸いするか分からない。

 

「出て来なさい、居るんでしょ?」

「―――我を呼ぶのはどこの人ぞ」

 

 そしてその神さびた古戦場(※即席)の中央にまで飛んだ霊夢の呼びかけに応じるように、一人の女性が御柱の上に現れる。

 注連縄を背負った深い青色の髪の女性。身に纏う強い神気は、明らかに高位の神の物だ。

 ―――八坂神奈子。かつて諏訪の地を侵略した軍神にして八百万の一柱なのだが、霊夢にはそれは分からない。分かるのは彼女の勘が告げる、『あ、なんかボスっぽい』という内容だけだ。

 

「アンタがこの神社の神様ね?」

「ああ。此度は失礼したね、博麗の巫女。八坂神奈子だ、見知り置け」

「おお偉そう。レミリアや幽々子、輝夜に萃香なんかを思い出すわ。やっぱり異変の黒幕ってのはこんな感じじゃないと」

 

 腕を組んで御柱の上から見下ろし告げる神奈子に、しかし霊夢はどこか安心したように呟いた。

 どうにも先の早苗の対応はこれまでの異変の中ではイレギュラーだったため、彼女としては些かペースを崩されていた面があったのだろう。

 

「まぁ何でも良いわ。神社への宣戦布告に関しては、アンタのところの風祝と話はついたしね。後はアンタをブチのめせば全部解決。アンタ達が奪った私の神社の参拝客も増えて万々歳よ!」

「随分と酷い濡れ衣だな。場所が場所だから、人間の参拝客など幻想郷に入ってから一度も来た覚えは無いぞ」

「うるさいわね。こっちだってここ数ヶ月真っ当な参拝客が来た覚えは無いのよ。誰かに八つ当たりでもしないとやってられないわ」

「話には聞いていたが、大概フリーダムだな博麗の巫女」

 

 霊夢の周囲に陰陽玉が展開される。数に限りがあるが故に、早苗戦では出しもしなかった切り札だ。

 これで最終と彼女の勘が告げている。故に彼女は手加減も出し惜しみもしない。早苗戦で消耗を避けたのは、ひとえにその先にもう一戦戦闘があると予見していたから。

 逆説、これが最後であれば霊夢が消耗を厭う道理はない。

 

 しかし対する神奈子も、自らの周囲に神気を纏った御柱を何本も浮かせた臨戦態勢。

 傲岸不遜に笑みすら浮かべて、腕を組んで仁王立つその姿は、まさしく大和の軍神。戦女神に相応しい威圧感だ。

 そしてその威圧感を湛えたまま、神奈子は霊夢に問いを投げる。

 

「博麗の巫女、早苗と戦ってみてどうだった?」

「なによいきなり? ……でもまぁ、そうね。悪い奴じゃ無かったわ。それにまだまだ伸びしろが大きそうだったから、次に戦うと面倒そうね」

「ははっ、そうかそうか、そうだろう! うちの早苗は多少暴走するのが玉に瑕だが、才はあるし性格も良いしでな」

「親馬鹿って奴ねぇ」

 

 呆れる霊夢は知らない。他ならぬ霊夢自身の事を八雲紫が語る時、まるで神奈子と同じような誇らしげな笑みと言葉で語っている事に。

 ともあれ霊夢の言葉に気を良くした神奈子が腕を掲げ、展開された御柱がそれに応じて霊夢の方へと向けられる。

 

「そう言うなよ博麗霊夢。娘同然と息子同然の二人が成長を見せてくれたんだ。なれば親代わりとして誇らずにはいられまいさ。それは神でも人でも変わらない。―――そして神を祀るのは巫女の仕事だろう? さぁ、祀って(あそんで)おくれよ博麗霊夢。神遊びを始めようじゃないか!」

「残念、私はあんたの巫女じゃないわ。楽園の素敵な巫女相手に遊ぼうってんだから、相応程度には粘って見せなさいよ、山の神!」

 

 申し合わせたように同時に動いた両者の間で、御柱と陰陽玉、霊弾とアミュレットが同時に炸裂する。

 乱れ飛ぶ弾幕、それに伴って吹き荒ぶ暴風。

 常人ならば回避はおろか、真っ当に視認できるか否かすらも怪しい速度と密度の弾幕がぶつかり合うそれは、例えるならば天災に等しい。

 迂闊に介入できるような物ではないし、そもそも迂闊に触れようものならば微塵に砕かれる威力と密度を持った弾幕。

 

 それはかつて吸血鬼が亡霊の姫が、月の姫が百鬼夜行が異変の最後で見せた弾幕に負けず劣らずの力と派手さ、そして美しさを持って妖怪の山の頂上で咲き乱れる。即ちこれが異変の最終幕だと、それを見ている何者に対しても平等に告げるように。

 かくて風神録異変最後の弾幕―――否、神遊びが開始された。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「いやぁ、壮観だねぇ」

 

 そして主戦場となっている神さびた古戦場(※即席)から離れ、神社の縁側。

 そこでは鉄の輪を仕舞った諏訪子が、上機嫌でその弾幕を眺めていた。

 神社の上からは文と椛、そして紫の歓声が聞こえてくる。先程までは天狗の里(エクストラステージ)の観戦をしていた彼女達だが、魔理沙がどうやら天狗の里から撤退したらしい今となっては、神奈子と霊夢の弾幕を眺めているようだ。

 

「まぁ、私の出番が無いのは少し不完全燃焼だけど、それはそれほどまでに丈一と早苗が上手くやったって事だから、不満は無いし」

 

 そもそも何故諏訪子が観戦に徹しているのかと言えば、神奈子に事情を説明した後で二人で決めた決めごとのせいだった。

 魔理沙と霊夢が来る場合は二対二で丁度良いが、霊夢のみが来るとなっては、まさか二柱で一人にかかるわけにはいくまい。神としての矜持の問題もあるし、力を示すならばやはり一対一(タイマン)であろうという理由もある。

 

 故に程無くやって来るであろう博麗霊夢に対して挑むのは、神奈子か諏訪子のどちらか片方。

 結果として軍神故にややバトルジャンキーの気のある神奈子に、諏訪子が役目を譲った形となる。

 とはいえ諏訪子としてもそれに異論は無い。

 

「なにせこっちも気になってたしね」

 

 視線を弾幕から神社の中へ向ける。

 社務所から持って来た布団を並べて、その上に寝かされているのは西宮と早苗だ。

 神奈子が迎撃に出るのが決まった時点で諏訪子は神社に戻り、天狗の里若手による『いけ好かない上司No.1』年間ランキング保持者であった大天狗が、カツラをスターダストレヴァリエで吹き飛ばされたという迷場面を見たせいで、腹筋が攣るほど笑っていた紫に頼んで隙間を通して二人を回収して貰ったのだ。

 

「……全く、人間は大きくなるのが早いもんだよ。つい先日までは私より小さい童だったのにね」

 

 寄り添うように眠っている二人は、しかし双方自分の役目をやり遂げた満足げな表情を浮かべていた。

 神奈子が上機嫌になる筈だと諏訪子は思う。

 この異変において、早苗と西宮は各々が自らに課した役割を全力で果たし切った。彼らは既に童ではなく、神奈子と諏訪子にとって自慢できる風祝と神職見習いだ。

 

「今はゆっくり休みな。起きたら全部上手くいってるからさ」

 

 諏訪子は母性を纏った笑みを浮かべながら、自らの血族の末である少女と、その相方の少年を見やる。

 そして神社の上から歓声が響くのは同時。

 霊夢と神奈子の弾幕戦が、更に華麗さを増し加熱を開始したのだ。

 ―――最終幕(クライマックス)だ。

 

「そんじゃま、神奈子が勝つにしろ負けるにしろそろそろっぽいしね。だとしたら最後の締めは、どっちにしろ私の仕事だ。―――行って来るよ、早苗、丈一」

 

 笑みを浮かべて諏訪子は神社の縁側を飛び立ち、神さびた古戦場へ向かっていく。

 そちらでは今まさに、この異変を締めくくるかのように、一際鮮烈で強烈な弾幕がぶつかり合う所だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 何発避けたか。何発凌いだか。何発防いだか。或いは何発食らったか。

 食らった回数は五指で数えられる回数を下回るが、他はいずれも百を下回るまい。

 博麗霊夢は肩で息をしながら、眼前の神を睨み付けていた。

 

 陰陽玉は既に全弾撃ち尽くしているし、お祓い棒は折れて吹っ飛んで行った。

 何故か巫女服と分離するデザインの袖は、片方だけ外れて飛んで行き、周囲に立ち並ぶ御柱の一つに引っ掛かって所在無さげに風に吹かれている。

 

 服や装備の被害もそうだが、数発食らったダメージも馬鹿にならない。撃墜こそされていないので弾幕ルール的にはセーフだが、撃墜は回避しても自らが受けたダメージは無視できないレベルの物だ。

 身体能力を霊力でありったけ強化した上で、結界で防いでも内臓に響く威力の弾幕。そしてそれを扱う本人の能力。いずれも博麗の巫女である霊夢をここまで追い込む程の実力の持ち主だ。

 

 眼前の神とて万能無限ではない。

 速度はレミリアが上だろう。技は幽々子が上だろう。耐久力ならば輝夜が上だろう。馬力ならば萃香が上回る。

 されどそれら全てのバランスとして見るならば、八坂神奈子はこれまで叩きのめして来た異変の首謀者の中でも最優の一角と霊夢は見た。

 

「やるな、博麗の巫女。……ここまでとは恐れ入る。人の身でここまで出来る奴など、あの平安の時代の鬼才・安倍晴明以外には初めて見たぞ」

「誰よそれ。知らない奴と比較されても嬉しくないわ」

 

 そして対する神奈子の消耗も、既に満身創痍と言って差し支えない。

 背負った注連縄は千切れ、途中で背負った御柱(オプション)は折れ、服も身体も傷だらけだ。

 

 しかし第三者がこの場に居たとして、双方ボロボロのこの両者を醜いと思う者などいないだろう。

 神と人との神遊び。互いに死力を尽くして戦う両者の姿は、傷だらけながらも何故か途方もなく美しく尊い印象を他者に与える。

 だがその神遊びもそろそろ終幕。双方疲労も武装も、目に見える負傷も見えない消耗も、そろそろ限界だ。

 

「楽しかったぞ、博麗の巫女。だがこの異変は私の勝ちで終わらせて貰う!」

「冗談じゃないわ。ここで負けたら紫や魔理沙に何を言われるか分かったもんじゃないからね!」

 

 故に両者が懐から取り出したスペルカードは恐らくこれが最後。

 なればこそ互いにそれを必殺と定めて、二人は最後のスペルカード宣言を高らかに叫ぶ。

 

「『風神様の神徳』!!」

「『“大結界”・博麗弾幕結界』!!」

 

 直後、この異変にて最大最高の二つの弾幕が激突する。

 放つ二人の姿が見えなくなるほどの弾の嵐は、まさしく弾の大瀑布と呼ぶに相応しい。

 そして――――

 

「―――見事」

「当然よ」

 

 両者の弾幕が消えた時、そこに見えたのは崩れ落ちるように地面に落ちて行く神奈子と、辛うじて自力で空を飛んでいる霊夢の姿だった。

 そして辛勝に霊夢が息を吐いたのも一瞬。

 

「って、ちょっと! 危ないわよ、危ないって!」

 

 霊夢が慌てて叫ぶ、その先に居るのは落下して行く神奈子だ。

 力の全てを使い果たしたどころか、意識すら失っているかもしれない。

 頭を下に落下して行く姿を見て霊夢が慌てる。落下していく先が湖ならば良いのだが、よりにもよって彼女が落ちていく先は湖の中に点在する岩の上だ。

 しかし限界寸前は霊夢も同様。飛んで行って拾い上げようにも、身体がその動きに追い付かない。

 

「ああもう、アンタに何かあったらあの青白巫女がどんな顔するかわかったもんじゃないでしょうが……!!」

 

 それでも神奈子へ向けて飛ぼうとした霊夢の脳裏に浮かんだのは、彼女に向けて自らの非を認めて頭を下げた酔狂な風祝だった。

 幾ら神とは言え、この高さから何の防御もなく、しかも堅い岩の上に頭から落ちてはただでは済むまい。

 ならばあの巫女はどんな顔をするか。

 思考のみが焦りを覚え、しかし身体はついて行かない。

 

「だあぁ、最後まで手間をかけさせるわねこの神社は……!!」

「そいつは済まないね、博麗の巫女」

 

 あわや神奈子が岩に激突かと思った刹那、霊夢の苛立ち交じりの叫びに応じるように少女の声がその場に響いた。

 落下した神奈子を受け止めながら霊夢の叫びに応じたのは、妙な形の帽子を被った少女。霊夢が知るならばレミリア辺りと外見年齢は近い。つまりは十代の前半がせいぜいの幼子の姿だ。

 そんな彼女が大人の女性である神奈子を受け止めた姿は些か不釣り合いだが、少女は意外にも危なげなくそれを為した。

 

「……誰よアンタ」

 

 そしてその少女を見た霊夢はげんなりとした表情で、しかし油断を一切見せずに問いかける。

 何故なら新たに現れたその少女も恐らく神。纏う神気は神奈子に匹敵するが、この少女の場合はどこか禍々しい厄のような物が微量だが混ざっていた。

 

「神……それも祟り神辺りかしら。ええい、これで終わりだと思ってたのに!」

「祟り神で正解。私は洩矢諏訪子、この神社で祀られている二柱のうちの片割れさ。神奈子の相方と思ってくれて良い。―――それに、これで終わりだと思っていたのも合っているよ」

 

 しかし警戒する霊夢に対して、諏訪子は神奈子を抱えたまま苦笑を浮かべる。

 力を示すと言う目的は十全に果たした。ならば満身創痍の巫女を打ち倒す事に、既に彼女は意味を見出さない。

 故に諏訪子は、怪訝そうな表情を浮かべる霊夢へ向けて宣言する。

 

「守矢神社は博麗霊夢への敗北を認める。降参だよ、私達の負けだ」

「……アンタは弾幕()らないの?」

「そっちが消耗から回復したら、楽しそうだとは思うけどね。今この状態でやる意味を私は認めない」

「……回復した後も面倒そうだから嫌よ。魔理沙辺りに頼みなさい。……って言うか魔理沙、こっちに来てないの?」

「来てないよ。天狗の里に突入して大暴れして帰ってった」

「何やってんのよあいつは……」

 

 呆れ果てたという様子で言いながら、霊夢が神奈子を抱える諏訪子の元へ降りて来る。

 対する諏訪子は苦笑でそれを迎え、

 

「悪いね。今回は色々面倒をかけたと思うよ、博麗の巫女」

「霊夢よ。……そうね、悪いと思うなら―――」

 

 霊夢が言いながら、諏訪子に向けて手を掲げる。

 中指を親指にひっかけて、たわめるように力を溜め―――

 

「―――もっと早くその神様拾いに出て来なさいよ! らしくもなく焦ったじゃないの!!」

「ぎゃぴっ!?」

 

 放たれたのは博麗の巫女渾身のデコピン。

 それを額に食らった諏訪子は神らしくも少女らしくもない悲鳴と共に、神奈子を湖に取り落とした。慌てて蛙の神と博麗の巫女が軍神の回収作業に入ったのはその直後である。

 

 ―――ともあれ、後に風神録異変と呼ばれる異変はここで終わる。

 博麗の巫女、博麗霊夢が軍神・八坂神奈子をスペルカードルールの下で撃破した事により、守矢神社側が敗北を宣言した瞬間であった。

 

 




これで大きな区切りの一つとなりますので、次から更新速度が少し落ちます。
宴会部分は色々と加筆修正もあることですし。


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スペルカードルールと男性と

 何故スペルカードルールで起こす異変に出てくるのが女性ばかりなのか。
 何故力の強い妖怪に女性が多いのか。
 様々な二次創作を参考にしながら、その辺りの理由についての理由付けなどの話です。思い切り説明回。


 風神録異変の翌日。

 守矢神社の本殿に敷かれた布団に並んで寝かされていた早苗と西宮だが、先に起きたのは早苗の方だった。

 

「……んぅ……」

 

 異変の中で霊夢と戦った際の疲労が全身に残っており、身体の芯が重い。

 あれ、風邪でも引いたかなと頭の片隅で思いながら、隣から温かい体温が伝わってくるのが心地よく、そちらに身を擦りつけるようにして二度寝を―――

 

「―――………あ」

 

 ―――しようとしたところで、疲労で鈍る早苗の頭が、ようやく昨日の顛末を思い出した。

 

「ぁ……あああ! 弾幕、異変が、私!?」

 

 断片的な内容を叫んで飛び起き、本殿を飛び出していく早苗。その際になんか隣にあったものを踏んだようで、『ぐボッ!?』とかいう聞き苦しいマジ悲鳴が聞こえたが、慌てる早苗は無視。というより、耳に入ってすらいなかった。

 ちなみに東風谷早苗。身長は五尺五寸ほど。外の世界の食文化で育ったので、幻想郷の少女の中では比較的長身であり、体重も同世代の友人に羨まれる事があるレベルではあるが、不健康なほど軽くはない。

 つまりは何が言いたいかというと、隣に転がっていた誰かに合掌である。

 

 そして本殿を飛び出した早苗の目に映ったのは、境内の階段に腰掛けて話し合いを行っている二柱と紫、藍の姿だ。

 二柱の姿を見つけた早苗は脇目もふらず、両手を広げてそこに飛び込んだ。

 

「神奈子様ぁぁぁぁ! 諏訪子様ぁぁぁぁ! ご無事ですかぁぁぁぁ!!」

「おっと」

「うわっと」

「紫様パス」

「うきゃあ!?」

 

 そして人間弾幕(大弾一発)となって飛び込んできた早苗を、軍神と祟り神と、あと九尾の狐は要領よく回避。

 ミサイルよろしく飛び込んできた早苗を、何故か第三者の紫が意外と可愛らしい悲鳴と共に受け止めた。五十キロ台の早苗の突撃は相応の運動エネルギーを持っているのだが、そこは大妖怪。驚きはしたものの受け止め方に危なげはない。

 

「さ、早苗さん。目が覚めたのね?」

「はい! あれ、紫さん?」

「ええ、紫お姉さんですわ。……あの、御二柱。あなた達の管轄なんですからあなた達が受け止めてくださいよ」

 

 きょとんとした表情で腕の中から見上げてくる風祝に、紫は困ったような微笑を返す。

 ついでのように苦言を呈すが、言われた神々はどこふく風だ。

 

「すまんがまだ博麗戦の消耗が抜け切ってなくてな。それに早苗の感情表現は割りと直球で体当たりだから予想はついていたというのもある。回避運動は余裕を持って、だ」

「文字通り体当たり(物理)だけどね早苗の場合。もう、いつまでも子供じゃないんだから、自分の体格考えないと駄目だよ?」

「はぁい、ごめんなさい」

 

 てへっ、とでも言うような笑顔で謝罪し、紫から離れる早苗。

 相変わらず元気な風祝の様子に、紫は相好を崩し―――たところで、表情を引き締め直す。

 

「さて、丁度大筋でお話も纏まったことですし。早苗さんにも今回の異変の後始末についてお教えしましょう。貴方は大元の要因となった子だから、尚更ね」

「……はい」

「境界の管理者として、守矢神社に此度の異変の沙汰を言い渡します。守矢神社は異変の責任を取って―――」

 

 そして、表情を引き締めての紫の言葉に、早苗は思わず居住まいを正す。

 元々がこの異変の原因は早苗の暴走が原因だ。自分は途中で脱落してしまったが、果たして異変はどのような結末を迎えたのか。或いは何か禍根が残っていないか。

 不安そうに―――というかどこか悲壮な表情を浮かべる早苗に対し、紫は殊更に厳しい表情を浮かべ、その背後に藍も神妙な表情で控える。

 そして紫はその厳しい表情を崩さないまま―――告げた。

 

「―――宴会をしましょう」

「はい?」

 

 殊更に重々しく紫が言った言葉の内容に、早苗がぽかんとした様子で間抜けな声をあげる。

 元からこの紫の提案を知っていたらしい二柱が、早苗の反応に堪え切れずに噴き出した。藍は微笑だが、口元がピクピクしているので、意外とウケているようだ。紫も三者の笑いに釣られるように、口元を隠して上品に笑った。

 自分をからかうために殊更に重々しい空気を出していたのだと悟った早苗が、『もうっ!』と声をあげて怒った。

 

 その頃西宮はまだ悶絶していた。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――宴会。

 それは異変から一夜明けた守矢神社で、異変後に天狗側との折衝やら何やらに向かっていた紫が戻ってきてすぐに主張した内容だ。

 

 神奈子が十分な力を見せ、妖怪の山侮るべからずの認識が幻想郷に浸透し、天狗の面目も保たれたという十全以上の結果になるだろうという見通しが立ち、笑顔満面の紫。

 どうやら魔理沙を天狗の里に突っ込ませた西宮の作戦を奇貨に、天狗側とも有為な交渉を纏めることが出来たようだ。

 意外と天狗の頭領である天魔が乗り気だったというのも大きい。頭領という立場とプライドから拒否的な立場を示していたが、彼女個人としては美麗で華麗な弾幕ごっこ自体には憧れがあったのかもしれない。

 

 そして異変が終わったら宴会で騒ぐのが最近の流行で流儀とは、その紫の言。

 早苗が起きて来るまでに既に文と椛が動いており、今日中には文々。新聞の号外で宴会の告知が成されるそうだ。

 神々としても今後幻想郷に馴染んでいくために、幻想郷の各勢力に挨拶が出来るならば願っても居ない。そこで親交を深め、信仰が得られるようになれば万々歳だ。

 とはいえ幻想郷に慣れていない守矢勢としては、疑問もある。

 

「―――今日告知、開始明日。なぁ八雲紫よ、これで本当に十分に集まるのか?」

「あらあら、神奈子さん。幻想郷の住人をまだまだ分かっておりませんわね。ここの住人、宴会には目がありませんのよ」

 

 しかし守矢勢を代表して神奈子が言った言葉に、『もちろん私もね』と茶目っ気を出したウィンクを加えて紫は返答。

 

「うわキツ」

 

 そしてそのウィンクにこうコメントした九尾が、足元に開いたスキマに悲鳴とともに落ちていった。もはや紫に構って欲しくてわざと失言しているようにしか見えないとは、後に彼女を評しての諏訪子の弁である。

 

「躾がなっていなくて申し訳ありませんわ」

「いやまぁ、うん。まぁこういう愛情もアリなんじゃないかな……」

 

 満面の笑顔の紫に対して、諏訪子はこうコメントしておくに留め置いた。藍が紫を尊敬しているのは態度の端々から分かるし、紫が藍を信頼していることも、また分かる。

 であればこれも、彼女らの長い生を彩るスパイスめいたやりとりなのだろう。たぶん。

 

 ともあれ藍が脱落(自滅)したところで、入れ替わりに本殿の方からのろのろとした足音。ずるずると体調不良のゾンビのような動きで出て来たのは、無論西宮だ。

 

「東ぉぉぉ風ぃぃぃ谷ぁぁぁぁ……」

「あれ西宮? どうしたんですか、そんな辛そうに鳩尾を抑えて。怪我ですか? その、無理せずまだ寝ていたほうが……」

「寝てたところで鳩尾踏んづけて行きやがったのはお前だぁぁぁぁ!!」

 

 突っ込みとして叫ばれる雄叫び。しかしそこが限界だったようで、西宮は力なくその場に座り込む。

 

「あ、ダメだ。なんか今ので残存体力使い切った気がする。ああ御二柱、紫様、おはようございます。その様子ですと事後処理にも大きな問題は無さそうで」

「……ああうん、おはよう丈一」

 

 膝を抱えるようにしてその場に座り込む西宮に、なんとも言えない表情を返す諏訪子。しかしそれも数秒。頭を振って気分を切り替え、諏訪子は早苗と西宮に声をかける。

 

「よし。二人揃ったし、改めて礼を言うよ。良くやってくれたね、二人共。神奈子が博麗の巫女と戦い、奮戦しながらも敗北。これにより異変は成り、紫の目的も遂げられた。二人で霧雨魔理沙を追い返したのは大金星だよ」

「えへへ! ありがとうございます、諏訪子様」

「出来る事をやったまでですが鳩尾痛い」

「あー、西宮……気付いてなかったとはいえごめんなさい」

「早苗も大きくなったからなぁ。童の頃と違い、重さも馬鹿になるまい」

「神奈子様ぁ! 重さとか言わないでください!」

 

 諏訪子が改めて信者二人に礼を言ったはずが、そのまま割とグダグダで平和な空気に突入する守矢組。まぁ、つまりは異変を超えていつもの状態に落ち着いたということだろう。

 その様子を苦笑しながら眺めていた紫は、ふと思い出したように彼女にとって重要度の低い事柄を告げる。まるで雑談のように―――というか実際雑談のつもりで放たれた言葉。

 

「でも実際ここから見ていた椛さんの話だと、早苗さんの弾幕は綺麗なものだったという話ですわ。スペルカードルール初心者とは思えないとも言われていたし、いずれ見せて貰いたいかもね。西宮くんのは、見栄え的にどうかと思うとも言われてたけどね。いずれ霊弾に様々な色やパターンを付けられたら面白いかもしれませんわ」

 

 くすくすと笑いながら告げられた言葉に対し、

 

「……見栄えって、そんな重要ですかね?」

 

 しかし返された言葉は意外にも、スペルカードルール―――弾幕ごっこの本質を理解していない、きょとんとした素の声だった。

 その言葉に紫は僅かに眉をひそめる。

 

「……あら。スペルカードルールは撃ち合いであると同時に、その弾幕の美しさを競う物でもあるのよ? 見栄えというのは重要だわ」

「見栄えっていうのも個人の感覚なんで難しいんですよね……女性の間にはその辺り、同じものを綺麗だと思える共通認識みたいな感覚があるのかもしれませんけど」

 

 だが紫の言葉に返された声は、困惑したような西宮の声。

 懐から取り出したスペルカード―――“禊祓・黄泉還り”を見ながら、彼は思考を整理するように数秒の間を置いて言葉を続ける。

 

「……当てて撃ち落せば勝ち。その部分は分かりやすいんですけど、綺麗さってなるとどうしても……。俺のこのスペルにしろ、狙いはとにかく大量の弾を生成しての面制圧であり、幾何学的な模様とかそういうのはパターン化のし易さから避け易さに繋がるから邪魔、とか考えてたんですよ」

「その結果が単色の増殖型無秩序バラ撒き弾、か。……てっきり不慣れから見栄えに気を配る余裕が無かっただけかと思ったんだけど、そういうわけでもなしと」

「単色の弾をばら撒いた方が遠近感を多少狂わせられるかな程度の狙いはありました。色を変えるのも検討しましたが、上手く迷彩として本命の弾を当てる手段が思い浮かばなくて―――という発想自体が、多分スペルカードルールからはズレてるんでしょうけど」

 

 そうして言われた西宮の言葉に、紫の反応は深い溜息。

 その反応を見た西宮が味方を求めて左右を見るが、神奈子は苦笑、諏訪子は困ったような表情で、早苗は『むむむ』と唸りながら西宮のスペルカードを凝視している。彼女はどうすれば西宮の弾幕が綺麗な物になるか考えているのかもしれない。

 

 その三者を横目で見て、妖怪の賢者は困惑したように批難めいた言葉を告げる。

 しかしそれは、西宮個人に対するものではなく―――

 

「……男ってだいたいそうなのよね。だから女子供の遊びだなんて言うのよ、あいつらは」

 

 ―――意外にも可愛らしく『ぷぅ』と頬を膨らませた、非常に女性らしい感想だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――神でも妖怪でもそれ以外でも、力の強い人外には美しい女性が多い。

 それは自然淘汰の結果でもあるし、元々の発生からしてそうなり易いという傾向でもある。

 

 或いは人の信仰から生まれた存在故、或いは逆に信仰を得る為、人を惹きつけ魅了する為―――その他諸々の理由はともあれ、人外は人の理想としての美を高いレベルで調和させた姿になり易い。

 また、元が動物などから変じたものであれば元の性別に引き摺られるが、そうでない―――例えば性別の無い物から生まれた付喪神やらといったものは、何故か女性の比率が高い。或いはその辺り、人と関わらねば生きていけない存在として、人に好かれやすい姿で発生するようになっているのではないかという論説も、識者や賢者の間では存在する。

 そして同時に、生き延びる上でも美醜というのは存外に重要だ。いかにもな怪物相手ならば、人は逃げるか退治しようとするもの。しかし相手が美しい人型であれば、対話を試みる者も一定程度は生まれてくるし、退治に来たが思いとどまるという者もやはり一定数は生まれてくる。

 

 この一定程度というものの積み上げが、千年生きる気満々の長命種族だと馬鹿にならない。素の生存率として、いかにもな化外めいた外見の者よりも美しく人に近い者の方が高い理由だ。

 特に人間の生存圏が広くなってきた近世以降だと、人に近い外見の者ならば人に紛れて生きていけたというのも大きい。

 

 であれば元の発生段階で女性比率が高いとはいえ、別に女性ばかりが残る道理は無いのではないかとも思うかもしれないが、そこは男女の性質・気質の差が絡んでくる。

 幻想郷の中にわざわざ人里というものが作られている事からも分かる通り、人がいるからこそ妖怪は存在出来る。人と妖怪は切っては離せない。―――存外に、妖怪は人間の影響を強く受けている。

 そしてある種人間以上の高次生物である妖怪というものは、それだけにある意味では純粋だ。女性はその通り、人間の思い描く女性的な気質・性質に引き摺らる。男性は逆に、その通り男性的な気質・性質に引き摺られる。

 

 そしてこの場合の男性的な気質とは何か。

 誤解を恐れず言ってしまえば、良く言えば豪放磊落で決断的。悪く言えば好戦的で支配的。そういう部分が少なからず出るのが、男性型の妖怪の特徴である。無論、例外はあるが。

 そして近世以降になり人間の力が強くなってくると、そういう気質の強い妖怪から良く死んだ。そしてそういう気質の強い妖怪ほど、得てして力が強い。或いは逆に、力が強いからこそそういう気質に偏るのか。

 

 ともあれ結果として、良く生き良く残り、結果として長寿から強い力を手に入れる人外の割合は、女性の方が圧倒的に高くなる。

 今の幻想郷の人妖の中では高い能力を持つ男性の人外など極々少数派である。その少数派の紛うことなきトップである半人半妖の剣士の爺は支配的であるというより求道的であり、とにかく剣技を鍛えてたまに強い敵と戦えて稀に美人の尻を追い回せれば人生幸せというユカイ脳で生きていたところを、なんやかんやあって生前の西行寺幽々子の父親に拾われて紆余曲折の末に今に至るとかいう話だ。

 紫が生前の幽々子と知り合った時には妖忌は既に幽々子の付き人的な立場であったので、一度その辺りの知り合う前の事情を紫が聞こうとしたが、

 

『おう、あれなるは鎌倉の幕府が出来る前のご時世よな。あれは儂が賭け将棋で義清相手に互いに熾烈なイカサマ合戦をして互いに指摘しあって最終的に酒瓶で殴り合いを―――』

 

 語り出しからして幽々子の父である“歌聖”こと西行法師、俗名を佐藤義清という偉人のイメージが壊れそうだったのでその辺りで全力で止めた。

 紫が生前の幽々子と知り合った折に見た西行法師は、落ち着いた物腰で風雅を好むナイスミドルだったのだが―――いや、考えてみれば西行法師なる人物は出家をする際にすがりついて止めようとする娘を蹴倒して出家したという逸話もあるので、若いころは相当アレだったのかもしれない。

 そこまで考えたところで親友の父親のイメージが大分しっちゃかめっちゃかになってきたので、紫は思考を凍結してこの話題についての追求を永遠に取りやめる事を脳内議会で可決した。

 

 スキマを斬るとかいう斜め上の技量を持っていつつも、借金のカタに茶屋で皿洗いをさせられたりしている半人半霊。

 アレはなんかもう求道が行き過ぎて他のことが全面的にちゃらんぽらんな上に、斬る事だけなら誰にも譲らないとかいう不条理物体なので、紫としては半ば意図的に思考から弾いている。

 スペルカードルールの制定直後に超イキイキした顔で山でイガグリを拾い集め、孫娘に凄い勢いでイガグリを投擲してマジ泣きさせ、主君にマジ説教食らう自由人、いやさ自由半人半霊である。馬鹿の考え休むに似たりというが、馬鹿の事を考えることも休むに似たり、つまり無駄。

 魂魄妖忌という選ばれし馬鹿と知り合ってから、幸か不幸かそれなりに付き合いの多い紫が学んだ人生哲学であった。

 

 ―――話が逸れた。

 何にせよ、幻想郷で強い力を持つ人外に男性が少ないのは斯様な事情からだ。全体として男女比も大きく偏っている。これが人間社会だったならば生殖の問題もあり、百年も後には瓦解しているだろう男女比だ。まぁ、生命としてのサイクルが人間と違いすぎたり、そもそも自然発生的で“つがい”を必要としない種族も居たりするので、比較は全く無意味なのだが。

 ちなみに天狗のような人間から崇拝もされるタイプの人外は比較的男性比率がマシではあるが、それでもやはり大きく偏っている。

 

 幻想郷成立後の若年層(※妖怪基準)の男女比はマシにはなってきているが、やはり幻想郷のルール違反を行って“処分”される妖怪もまた、男性型の妖怪の方が多い。

 女性がトップに立って決めていることに、感情的な反発もあるのでしょうとは藍の弁だ。その辺りの機微に関しては、紫よりも傾城の白面九尾であった藍の方がよほど敏い。男女交際の経験の差である。

 

 ともあれ話が長くなったが、幻想郷の強者の女性比率が異常に高いのはこういう理由からだ。

 そして力を持つ人外の大半が女性であるということはどういう事か。

 それはつまり、今の幻想郷で行われているスペルカードルールは妖怪の賢者達や博麗の巫女が作成したものであり、そこに男の意見は殆ど加わっていないという事だ。

 つまり―――

 

「男性受け、悪いのよねぇ……」

 

 がっくりと肩を落とす八雲紫。綺麗で派手な命名決闘(スペルカード)ルールは女性には大好評を得て一気に広まったが、反面男性層からの支持が薄いのである。より正確に言うならば、見る分には好評なのだが自分でやろうとする風潮が薄いと言うべきか。

 力を持つ人妖神魔の多くが女性であるという事実から、幻想郷での何かしらの大きな事件、即ち異変はそのルールで行うというのが不文律であるが―――さて、ここで少しスペルカードルールの成立過程を見てみよう。

 

 幻想郷の歴史の話になるが、吸血鬼異変―――紅霧異変の前の、レミリアが幻想入りした直後に幻想郷征服作戦を謳いあげて暴れまわった異変―――後に定められたのがスペルカードルールだ。

 これは異変を引き起こしてもそれを決闘ルールに従って行い、一度敗れたら素直に引き下がって禍根を残さないという取り決めにより、幻想郷を幻想郷として維持するのに不可欠とされる『妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を退治する』という関係を、疑似的な決闘という形で保たれるようにするものである。

 いちいち本気の殺し合いでやっていたら幻想郷はあっという間に滅びてしまうだろうし、かといって完全な平和状態が続くと妖怪はその存在意義を失い弱体化、或いは最悪の場合は消えてしまうのである。その点、事前に取り決めた決闘ルールによる異変とその解決というルールは非常に良く出来ている。

 

 で、この取り決めの制定の際に定められた決闘方法は、あまり知られていない事だが実はスペルカードルールだけではない。今では異変といえばスペルカードルールか、あっても格闘込のその亜種―――宴会の異変の時に萃香がやっていたものだ―――でしかないが、一応他の方法もあることはあるのである。

 とはいえスペルカードルールによる弾幕の美しさと多様さが幻想郷で多数派である“女性”に大ウケしたため、他の決闘法はあまり使われていないのが現状だ。

 逆説、“あまり”使われていないというのは少しは使われているという事であり、そういうスペルカードルール以外のルールでの決闘の大半は男同士の決闘か、或いは少なくとも片方が男の場合の決闘である。

 

「なんでよもう……こんなに綺麗で可憐で美しいのにぃ」

「そうですよねぇ。西宮、そこのところどうなんですか? どこが気に入らないんですか!」

「丈一ぃ、そこんとこ私も聞かせて欲しいかも。別に撃ち合いが綺麗で困るもんなんてないじゃん。撃ち合いは撃ち合いで勝負は勝負なんだからさ。オマケに綺麗なら儲けモンじゃない」

 

 そしてがくりと肩を落とす妖怪の賢者に、味方についたのは現人神と祟り神だ。

 しかしその三者三様の言葉に、西宮はやや言葉を選ぶように数秒虚空を見てから、

 

「……男相手に綺麗とか美しいとか可憐とか、そういうのが褒め言葉になると思います?」

「まぁ綺麗だとは感じるかもしれないが、自分がそれをやるのは気恥ずかしいと、そういう話だろうな」

 

 言われた言葉に理解を示したのは神奈子だ。

 他の女性三名の批判めいた視線が飛んできたので、軍神は気まずそうに頬を掻く。

 

「誤解するな。過去から現在まで軍人やら戦士やらそういう職業の者は男性比が圧倒的に高い。そしてそういう職業の奴らほど、男性的な美意識を表に出しやすい。軍神としてそういう手合を多く見ていたから、男の感性についても『そういうもの』なんだろうなという漠然とした理解があるだけだ。私個人はスペルカードルールと、それを用いた弾幕ごっこが非常に気に入っている。綺麗系も良いが可愛い系の弾幕も研究したいな」

 

 そして軍神様は意外と少女趣味だった。

 『実はこういうのを考えたのだ』と藁半紙を懐から取り出したのだが、そこには少女趣味なハートマークを飛ばしまくるファンシーな弾幕案が描かれていた。

 死んだ目でそれを見る諏訪子の目の上に縦線が何本も浮かんでいるのが、第三者の目からは幻視される。祟り神の今の表情を一言で言うなら、『うわキツ』だろうか。もしくは『ないわー』でもいいかもしれない。

 諏訪子くらいの外見年齢ならばまだしも、長身で大人びた成人女性の姿をしている神奈子がハートビーム、或いはラブラブ光線とでもいうべき造形の弾幕を発射する光景は、いろんな意味で罪深いものになりそうである。 

 

「―――良いわね、神奈子さん」

 

 そして妖怪の賢者もやっぱり少女趣味だった。

 『発射ポーズはこう……いえ、こう!?』とか言いながら両手でハートマークを作る、大量のリボンで身を飾るという少女趣味衣装を装備している妖怪の大賢者。

 諏訪子の縦線が五割増しで増えた気がする。幸いにして後に彼女が言葉を選びながら説得した事により、『“L・O・V・E”LOVE†LOVE光線』なるスペルカード史上に残る黒歴史となるスペルが賢者や軍神のスペルとして世に出る事はなかった。土着神の頂点洩矢諏訪子、誰にも知られぬファインプレーである。

 

「まぁ俺に限らず男性心理ってあれじゃないですかね。『綺麗なのは分かるけど、自分でやるのは恥ずかしい』とか、『女の子がメインの遊びに混ざるのは恥ずかしい』とか、『やっぱりもっと無骨な方が趣味に合う』とかそういう感じなのでは?」

「うー……無骨ってどういうのがいいのよ」

武器無し射撃無し(ステゴロ)一対一(タイマン)ですかね?」

「野蛮ねぇ……」

 

 言われた言葉に紫ががっくり肩を落とす。

 守矢組は西宮を見て、

 

「……丈一って結構そういう泥臭いの好きだよねぇ。守矢神社は女所帯なのに」

「そもそも男という奴らは機能最優先で飾り気一切なしの物を『機能美』と言ってありがたがる傾向があるからな」

「その条件で私に勝てない癖にステゴロを持ち出すとか笑わせますね西宮」

「御二柱とそのオマケ、地味に酷評してませんかね俺を。特にオマケ、お前だよお前」

 

 三者三様の酷評に西宮が怯みながらも反論するが、女性陣はあまり取り合わない。

 『ああはいはい』みたいな雰囲気で発言を流し、話題を元に引き戻す。

 

「基本こういうデリカシー無くて野蛮なのが男性ですから、昨日の異変でも弾幕やってたのは殆ど女性だったんですね」

「そうね。ちなみに天狗の里でも女性天狗へのウケはそう悪くはなかったみたいだけど、あそこって全体としてプライドが高くて保守的って言うか……。興味はあるけど、みたいな雰囲気だったっていうか……」

「ああ、なんか分かります紫さん。お高く止まっているお嬢様学校のお嬢様達が、ゲーセンで音ゲーやってる普通校の女子高生を馬鹿にしつつも実は興味津々みたいな」

「……物凄い卑近な話に落とし込まれちゃったけど、あながちそういう認識で間違ってないわね。加えて天狗は比較的男女比がマシな妖怪で、しかも社会を作るタイプだから―――」

「ああ、女性陣はそういう興味はあるけど格好つけて表に出さないという反応で、男性陣は元々スペルカードルールに乗り気じゃなかったから、私達を呼び込んで異変を起こさせる必要があったってわけだね」

「……その裏で天魔はスペルカードを何枚も作っていて、魔理沙相手にノリノリで披露してたというんだから、脱力する他ありませんわ」

 

 ははは、と乾いた笑いを浮かべる妖怪の賢者。

 幻想郷の強者の例に漏れず女性妖怪な天狗の頭領は、魔理沙との弾幕勝負の中で10枚にも及ぶスペルカードを実にキラキラした目で披露していた。下級の天狗の中では友人同士でこっそりスペルカード戦の練習をしていた子も居たらしい。

 文や椛のようにガンガン外に出ていた天狗を例外としても、個人レベルでは天狗社会もスペルカードルールに対して好意を持っている者は居たようである。しかし、それならそれでもっと態度に出すか天狗主体で素直に異変を起こせと言いたい紫だった。

 まぁ、『時代の流れであるからして仕方ない。いやぁ残念じゃ仕方ない!』とか言いながら、天魔が魔理沙の襲撃と此度の異変を理由として、今の時代に迎合するような動きを見せようとしてくれているところが紫としては救いでもあるのだが。

 

「では八雲紫。今後は天狗の里は―――」

「ええ、神奈子さんのご想像通り。徐々に今の時代の流れに合わせ、天狗達もスペルカードを嗜むようになるでしょう。元々、個人レベルでスペルを作っていた子はそこそこ居たようですし、それが表面化した以上は、格好つけて孤高を保つ意味も無いでしょうしね」

「であれば宴会というのは、我々のみならず天狗が外に挨拶する機会ともなり得そうだな」

「なんだかんだプライドの高い子達ですから、天魔が来るかまでは分かりませんけどね。ともあれ―――」

 

 一言置き、紫が場を纏めるように言葉を紡ぐ。

 

「明日の宴会にて、改めてあなた達の存在を幻想郷の皆に知ってもらいましょう。みんな自分勝手で濃い連中だけど、きっと貴方達を歓迎してくれますわ」

「八雲様。お言葉ですがウチ調理器具もまだ電化製品系しか無いから、準備も何も出来ないのですが」

 

 妖怪の賢者が血相を変えて人里の道具屋にスキマから出現し、竈を中心とした台所用品一式の緊急納品を要求する十分前の話だった。




 説明ばかりで1万文字。自分の文章力のアレさが見えてきます。

 スペルカード以外の決闘方法も考案されたが、余り使われていないというのは忘れられがちな原作設定です。
 その中身は言及されていなかったはず……。

 天狗の頭領の天魔さんについては男性か女性かも明言されていなかったはずなので、西風遊戯では女性で行かせて頂いております。


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宴会(上)

 ―――宴会当日。

 夕方からの開催を告知された宴会であり、どうにか明治時代式の竈の扱いの基礎を急ピッチで教えられた西宮が、午前に買い出しに行き昼前に戻ってきた、丁度その頃。

 

「失礼、お邪魔するわね。貴方が新しく幻想郷に来た神? 私は蓬莱山輝夜、竹林の永遠亭の主と言えば分かるかしら?」

「え? え、あ、はい。申し訳ありません、俺―――じゃなくて私達はその信者です。すぐさま御二柱を呼んで参りますのでお待ちください、蓬莱山様」

 

 まさかの第一参加者の登場であった。

 外から戻ってきて境内で買い物袋を手にしていた西宮、長い黒髪に緋色のロングスカート姿のお人形さんのような美少女とエンカウント。

 開始予定時刻の四時間以上前から来る人妖が居るとは予想外だった彼は、大慌てで社務所に飛び込んで二柱を呼びに行く。それなりに取り繕ってはいるが、上位者を相手にする時の『私』ではなく素の『俺』を言いかけた辺りで、慌てぶりは見て取れる。

 それを目線で追いながら、輝夜は袖で口元を隠しながら鈴の鳴るような笑い声。

 

「ふふふ、慌てちゃって。可愛いわね。ねぇ、イナバもそう思わない?」

「私達が早く来過ぎたんですよぉ……私だって同じ立場だったらそうなります」

 

 背後に長い銀髪を三つ編みにした従者を従え、挨拶代わりにと人参と筍を持参した竹林の姫。

 ちなみにその人参と筍の入った籠を背負って、輝夜の言に控えめな苦言を呈しているのは鈴仙・優曇華院・イナバである。

 永遠亭に住んでいるらしき妖怪兎達を大勢連れてやって来た彼女達、一見すると土産を持参する辺り礼儀正しいように見えるが、開始予定時刻の四時間以上前に来る辺りで既に礼儀もクソもあったものではない。

 

 そして西宮が慌ただしく社務所に入っていってから二、三分後。

 敷地の一角に勝手に敷物を敷いた辺りで、神奈子と諏訪子が社務所からゆったりとした足取りでやってきた。

 

「やあ、待たせてすまんな。竹林の姫とその従者だったか。八坂神奈子だ、宜しく頼む」

「洩矢諏訪子だよ。悪いけどまだ開始前だから、こっちの準備は全然できてないんだよね」

「あらご丁寧に。さっきの可愛い信者さんには既に名乗ったけど、蓬莱山輝夜と申しますわ」

 

 フランクに挨拶をする神奈子と諏訪子に、上品に笑いながら輝夜が挨拶を返す。

 小さく、しかしその小さな動作に可憐さを滲ませながら一礼をした輝夜は、背後に控える永琳を横目で見る。

 以心伝心。輝夜の視線を受け、今度は永琳が一歩前に出て一礼。

 

「従者の八意永琳と申します、御二柱。永遠亭では対外的な事は概ね私が取り仕切っておりますので、ご用向きがあれば私か―――私の弟子の鈴仙・優曇華院・イナバへお願いします」

「ああ、宜しく頼む。そういえばそちらの―――鈴仙だったか。人里に行った時に、丈一と早苗が会ったという話だったな」

「あ、いえ、はい! その折はお薬が世話になりました! 今後共ご贔屓に、ありがとうございます!」

 

 そして所在なさげに籠を背負っていた鈴仙に話が飛んだところで、まさか組織のトップ同士の会話に自分が混ざるとは思っていなかった鈴仙、大慌てで怪しげな単語の繋がり方の返答。

 自分で言ってからテンパった解答をしていた事に気付いたのだろう。顔を赤くしてあわあわと慌てる鈴仙に、話していた輝夜永琳、神奈子諏訪子から四者四様に生暖かい視線。

 

「うどんげ、貴方はもう少しこういう状況にも慣れておくべきね。そのうち私の名代として動いてもらうこともあるのかもしれないんだから。……それと、ここの信者さん達に用事があったんじゃないの?」

「あ、はい、師匠! えぇと、神奈子様、諏訪子様、申し訳ありません。以前御二柱の信者の方々に頼まれていた置き薬なのですが、持参したので置かせて頂いて宜しいでしょうか?」

「ああ、それは手間をかけたね。そういった事は丈一に一任してるから、背負ってる人参や筍も合わせて置き場所は丈一に聞いてもらえるかな? 今は台所に居るはずだから」

「分かりました。えぇと、それではお邪魔しますっ!」

 

 諏訪子の返答に大きく頭を下げる鈴仙。一拍遅れてウサ耳がへにょりと揺れる。

 そして籠を背負って薬箱を持った重武装で、パタパタと社務所に駆け込んでいく。それを見送ってから、神奈子は永琳と輝夜に向き直り、困ったように頭を掻く。

 

「で、だ。せっかく足労して貰って悪いが、さっき諏訪子が言った通りまだ何も準備はできていないんだ。酒だけなら出せるが、料理はもう少し待って貰って構わないか?」

「お構い無く。こちらでも酒と料理は持参したから勝手に始めさせて貰うわ」

 

 そして神奈子の返答を聞き、気にすることはないとでも言うように笑った輝夜。妖怪兎達の方へ指示を出し、敷地の一角に張った敷き布の上に料理や酒を並べていく。

 考えようによっては結構な無礼だが、神奈子も諏訪子も祭りが大好きな大和の神だ。その手のノリは嫌いでは無いし、自分達で持って来たのを消費する分には文句は無い。

 まぁいいやと勝手な宴会スタートを事後了承。『まぁ一献』と永琳から酒を受け、神々側も返杯。そして乾杯。

 開始四時間前にして、早くも一角に宴会場が出来上がった。

 

 そして飲み始めて程無く、やって来たのは日傘を差した銀髪の従者と、紅い髪の大陸風の衣装を着た女性を引き連れた、紫がかった青髪を持つ幼い吸血鬼だった。

 

「ほう、貴様が霊夢と互角にやり合ったと言う神か。私はレミリア・スカーレット。湖畔の紅魔館を統べるヴラド・ツェペシェの末裔だ。宜しく頼む」

「お嬢様、ワインを開けてしまいましょう」

「あ、うん。甘口の奴でお願い、咲夜。私辛いの嫌だから。―――神々よ、出来れば此度の宴では、私の前に出す料理は辛子や山葵を抜くように」

 

 偉そうな挨拶の直後に甘口を所望する、カリスマとカリスマブレイクの境界を反復横跳びするかのような挨拶を見せた吸血ロリータ。

 楽しそうにその世話をする、恐らく人間であろう銀髪の従者という組み合わせ。そして従者が懐から銀時計を取り出し、次の瞬間にはどういう仕掛けか庭の一角に彼女達用のテーブルと椅子が設営されていた。

 常識では考えられないその事象に、二柱が驚きでその目を見開く。

 

「これは……驚いたな、時間操作か」

「くくく、古き大和の神々すら驚愕させるか。全く、私の従者は出来た従者だよ。―――あ、ねぇねぇ美鈴ー。クッキー持って来たでしょ、開けて良い? ふふ、それでは失礼する、神々よ。勝手に始めさせて貰うが、あちらで竹林の連中も先に始めている事だ。文句はあるまい? ―――あ、こらー! 私が行く前に始めてるんじゃないわよ!」

「別に構わんが吸血鬼。お前ちょっとカリスマを出すか引っ込めるかどっちかにしろ」

 

 一度の台詞の中でカリスマのオンオフを三度も切り替えるという離れ業を見せたレミリアに、呆れたような困ったような視線を向ける神奈子。

 その言葉にレミリアは口の端を上げた強気な笑みを浮かべる。

 

「ふっ、何を馬鹿な。私は常にカリスマたっぷりで大人の魅力マシマシな吸血鬼(ヴァンピーナ)だぞ?」

「……あぁ、何か分かった。お前は早苗と気が合いそうな気がする」

「ほう、霊夢と戦った巫女……いや、風祝だったか。未熟だが才はあると聞く。後で機会があれば話させて貰おう」

 

 そう言ったレミリアが従者―――十六夜咲夜と紅美鈴を引き連れて、咲夜が設営したテーブルへ歩いて行く。

 そこに永遠亭の住人達が声をかけ、そこからわいわいと交流が始まっている。

 既に宴会は盛り上がり始めていた。

 

「……これは不味いな。こちらの準備は済んでいないのに、早くも盛り上がっているぞ、あの辺り」

「いやまぁ今の対応見てたら、向こうもそんな事気にしなさそうだけどねぇ。いやはや、濃い連中が多いわ幻想郷。楽しそうだけどね」

 

 困惑する神奈子と、楽しそうにけろけろ笑う諏訪子。

 とはいえ彼女達とて、さほどの準備を考えていたわけではない。

 外界から持ち込んで来た酒の類と、多少のつまみと料理。そして幻想郷では珍しい珍味として、カップラーメンでも面白半分で出してみようかと考えてた程度だ。

 幸いにしてつまみや料理の材料自体は買い出しが間に合ったが、

 

「丈一も早苗も、まだ傷が癒えていまいに。準備の方は私達も手伝った方が良いのではないか?」

「だけど私ら、面通しの為にもここに居た方が良い気がするんだよねぇ。私ら代表だし、今さっきみたいに他の所からの連中が来たら挨拶しないと」

 

 そう困ったように会話を交わす二柱。

 神奈子も消耗はあったのだが、人間である二人よりも流石に治りは早い。風神録異変の終了から三十六時間以上が経過した今となっては、戦闘行為をするならともかく、普通に動く分には申し分ない程度には回復している。

 対して社務所の方で大慌てで料理に取り掛かっているであろう西宮と早苗は、弾幕勝負での負傷から未だに完全に回復したとは言い難い状態だ。

 加えて早苗は遺憾ながら料理では戦力になるまい。スクランブルエッグからスクランブルダッシュを現出させる負の方向の奇跡である。出来る事と言えば、精々西宮の傍に付けて細々とした些事を手伝わせる程度だ。

 

 客人を待たせるわけにもいかないが、急がせるのは気が咎める。とはいえ神社にはこれ以上の人員も居ない。

 さて参ったと二柱が思った所で、しかし予想外の方向から話は動く。

 

「すいません、御二柱様。台所と材料をお借りしても構いませんか?」

「む? ああ、鈴仙か。薬は置き終わったのか?」

「はい。あ、置き薬は置き終わりました。今後、二ヶ月に一度程度のペースで集金に伺わせていただきますので、宜しくお願い致します。……って、そうじゃなかった。あの、台所をお借りしたいのですが……」

 

 どうしたものかと思っていた二柱に横合いから声をかけて来たのは、ブレザー姿の妖怪兎―――より正確に言うならば、二柱は知らないが月兎―――である鈴仙だ。

 困ったような表情をして台所を借りる事を申し出た彼女に二柱は首を傾げ、

 

「料理でも作りたいのか? 私らは別に構わんが、丈一と早苗が今使っていた筈だが」

「申し訳ありませんが医者見習いとして、あの二人が怪我人だというのにガチの喧嘩を始めようとしていたので止めさせて頂きました。どうにも見ていられないので、私も手伝わせて頂きたいなと」

「それは……すまないね、鈴仙。迷惑をかけたみたいだ」

「いえ。……ですがあの二人、本当に協力して霊夢と魔理沙と戦ったんですか? なんか凄い勢いで罵声が飛び交って、ファイティングポーズで向かい合ってましたけど。『情ケ無用! 戦闘開始!』みたいなノリで」

「えーと……うん、ごめん」

 

 呆れたように言う鈴仙に、二柱は頭を下げるのみである。

 西宮丈一、そして東風谷早苗。彼らが互いに認め合う相棒関係なのは二柱には良く分かっている事実だが、何故それでも喧嘩が尽きないのかだけは彼女達をしても分からない謎であった。

 

「では御二柱の御了承も得られたんで、私は台所をお借りします。あ、持って来た人参と筍も使って良いですか? 使い慣れてるんで」

「ああ、構わんよ。それも含めて台所にある材料は全て使ってくれ。むしろすまない、迷惑をかける」

「お気になさらず。重篤な怪我こそ無いとはいえ、怪我人に料理をさせるわけにもいきませんしね」

 

 そう言いながら肩を竦める鈴仙。

 そんな彼女を遠くから見る、どこか誇らしげな竹林の医師の表情に気付いたのは、鈴仙当人ではなく諏訪子と神奈子の二柱だった。

 

「鈴仙は偉いね。良い医者になるよ」

「まだまだですよ。医術に関しては師匠からお叱りを受けてばかりです。ですが料理の腕は少し自信があるので、楽しみにしていて下さい」

 

 そして鈴仙が神社の奥に向かった所で、遠くからそのやり取りを眺めていた永琳が二柱の元に近付いて来た。

 くすくすと笑いながら、彼女は二柱に頭を下げる。

 

「すいません、不肖の弟子が御迷惑を」

「とんでもない。迷惑をかけたのはこちらの方だ、却って申し訳ないくらいだよ」

「ああ、諏訪子の言う通りだ。良いお弟子さんじゃないか」

「そうでしょう?」

 

 お互いに頭を下げあった所で、弟子を褒められておどけた様子で胸を張る永琳。

 三者は顔を見合わせて小さく笑った。

 

「幻想郷か。あんた達みたいな奴らが多いなら、本当に良い場所みたいだね」

「あら、私達が善良かは保証しかねますよ? ですが良い場所なのは事実ですね」

「来て良かった。そう言えるな」

 

 諏訪子と永琳、そして神奈子は和やかに笑い合う。

 どうやら守矢神社組と永遠亭は、互いに良い関係を築けそうだった。

 

 一方その頃。

 

「やーい子供舌! この日本酒の辛さの良さが分からないなんてまだまだお子ちゃまね、吸血鬼!」

「何を言うか求婚ブレイカー! 私は500の歳を重ねた偉大なる吸血鬼だぞ!」

「プフー! その程度で私と年齢を競おうなんて、ちゃんちゃらおかしいわ! その程度の数、私の年齢で割れば殆どゼロも一緒よ」

「ババア!」

「ぬわんですってぇぇぇぇぇぇ!!? 物凄い端的に抉りに来たわねこの吸血鬼!」

 

 某吸血鬼と某竹林の姫が、たかが二十年すら生きていない西宮と早苗の喧嘩と全く同レベルの煽り合いで盛り上がっていた。

 咲夜は唯一困ったように溜息を吐いていたが、美鈴や妖怪兎達はそれを肴に酒を開ける始末。

 開始予定時刻よりまだ三時間以上も前だと言うに、既に宴会場の一角では実に幻想郷の宴会らしいカオスが現出しつつあった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 そして鈴仙が早苗達を調理場から追い出して料理を作り始めて少し経過した頃―――具体的には某吸血ロリータと某求婚ブレイカーが遂に取っ組み合いの喧嘩になり、『咲夜! 懲らしめてあげなさい!』だの『永琳! 身分の差を教えてやるのよ!』だの従者に救援を請うた挙句、その従者二名から『はしゃぎ過ぎ』と説教されている頃。

 社務所の中にずるりと空間の裂け目が出来、そこから二名の女性と一人の少女が降り立った。

 

「到着、と。宴会は表でやってるのかしら」

「そうみたいね~。表の方から良い匂いがするわ~」

「……まだ開始時刻の一時間以上前なんですけど、やっぱりもう始めてるんですね」

 

 まず裂け目―――隙間から神社の廊下に降り立ったのは妖怪の賢者・八雲紫。

 その横に立つの薄水色の着物を纏った、おっとりとした雰囲気の桃色の髪の女性は、彼女の親友である白玉楼の亡霊の姫・西行寺幽々子。そしてその背後に溜息を吐きながら立つ二本の刀を背負った生真面目そうな銀髪の少女は、白玉楼の庭師である魂魄妖夢である。

 

 三者もまた既に神社の前で騒いでいる連中と同様に此度の宴会に参加する為、紫の隙間を使ってやって来たのである。

 紫がいきなり神社の中に出た理由として、まずは宴の主催者でもある二柱に挨拶して、幽々子と妖夢を紹介しておこうと考えたのがあるのだが、

 

「御二柱も表に居るみたいね。私達もそちらへ向かった方が良いかしら?」

「だから私は普通に表から入ろうって言ったんですよ……これじゃ不法侵入じゃないですか」

 

 紫の言葉に妖夢が溜息を吐く。

 幻想郷に数少ない常識人にして苦労人でもある彼女にとって、見知らぬお宅にいきなり侵入というのは少々気が咎める状況だったようだ。

 しかし幽々子はその声に着物の袖で口元を隠しながら上品に笑い、

 

「いやいや妖夢。不法侵入っていったって廊下じゃない。ギリギリセーフよ」

「絶対にアウトですよ。ああもう、住人の方に見つかったら何と言えば良いか……」

「御二柱は表のようだし、まぁ西宮君も早苗さんも話は分かるわ。そんなややこしい事にはならない筈―――」

 

 そして、紫のその言葉が途絶する。

 その原因は廊下に立っている彼女達のすぐ横の襖、その奥から聞こえて来た声だ。

 

『や、やぁん……! 西宮、どこ触ってるんですか! 痛い、痛いですって』

『つれない事言うなよ。俺とお前の仲じゃねーか? なぁ』

『あ、やぁ……あん! 痛い、痛いですってば!』

『すぐに良くなる。我慢しろ』

 

 沈黙が、廊下を支配した。

 紫と妖夢が顔を真っ赤にして俯き、幽々子が口元を隠したまま『にやぁ』としか表現しようがない邪悪な笑みを浮かべ、小声で呟いた。

 

「あらやだ。ややこしい事になってるわね~。まだ日も高いのに」

「な、なななななな……」

「あらら、紫ったら顔を真っ赤にしちゃって。初心ね~」

「は、はははっ、破廉恥な!」

「妖夢も負けじと顔が真っ赤で可愛いわ~。まぁ紫から話を聞く限りだと、そう悪くない仲だったみたいだしね~。あぁ、でも風祝さんは嫌がってるみたいかしら?」

 

 釣られるように紫と妖夢も、顔を真っ赤にしたまま小声で喋る。

 その努力が実ったのか、或いは幸か不幸か、襖の奥に気付かれた様子は無い。

 それを良い事に幽々子は音も無く襖に忍び寄り、襖を小さく開けて中を覗き込もうと―――

 

「って、何してるんですか幽々子様!?」

「いやいや妖夢。もし嫌がってる少女が手篭めにされそうな場面だとしたら、ここは颯爽と助けないとね?」

「絶対興味本位でしょう! デバガメ根性でしょう!?」

 

 小声で騒ぐという離れ業を披露する白玉楼主従。

 その後ろで紫は顔を真っ赤にして、両手で頬を抑えてオロオロしていた。

 妖怪の賢者・八雲紫。弱点は色事らしい。

 

 そしてそんなどうしようもない状況に、横から声。

 

「あれ? 貴方達、何してるの?」

 

 社務所の方から声をかけて来たのは、台所で料理をしていた鈴仙だ。

 ブレザーの上からエプロンを装備し、頭に付けた三角巾からぴょこんとへにょり耳が飛び出している。

 どうやら何かの用事があって台所からこちらに来たらしい彼女に対し、しかし紫は顔を真っ赤にしてイヤイヤしているだけで、会話が成立しない。

 代わりに返答したのは妖夢と幽々子だ。

 

「いやあの、鈴仙さん、この部屋で、その……」

「風祝さんと信者さんがね~……ほら、アレよアレ。男女の秘め事?」

「はぁ!? あいつら、私が料理引き受けてやったのに何やってんのよ!!」

 

 言うべき言葉を探して迷った妖夢と対照的に、直球で告げられた幽々子の言葉。

 それに鈴仙の眉がつり上がる。

 

 それもその筈。医者見習いである彼女、両者ともに怪我をした身で喧嘩をしていた早苗と西宮を見かねて料理を買って出て、その両者には置き薬の箱を渡して治療するように申しつけたばかりなのだ。

 だと言うに何をしているのかこいつらは、という怒りは正当な物だろう。

 そしてオロオロしている紫と妖夢、そしてどこか楽しそうな幽々子の横を通り抜け、鈴仙は躊躇なく襖に手をかけ、勢いよく開いた。

 

「人に仕事させて、なぁにを盛ってるかこのアホどもぉぉぉぉ!!!」

「はい?」

「た、助けて下さい鈴仙さん! 西宮が痛がる私に無理やり消毒液を塗ろうと!」

「そうしろってその鈴仙さんに言われただろ。ほら、消毒して傷薬塗ればすぐに良くなる(・・・・・・・)って」

「凄い楽しそうに迫って来たじゃないですかぁぁぁ! 西宮のドS! さですと!」

 

 そこに居たのは、消毒液の滴るガーゼを手に、どこか楽しそうに早苗ににじりよる西宮。そして彼から逃げるように鈴仙に飛びついて来た早苗だった。

 飛びつかれた鈴仙、一瞬驚いたものの状況をすぐに把握する。

 ―――つまりは『ああ、勘違いか』、と。

 

 いや、『あらあら、そういう事ね。残念残念』と嘯く幽々子の横で、紫と妖夢は沈黙。そして鈴仙は冷めた目でその両者を見つめる。

 早苗と西宮は状況を理解できず首を傾げるのみ。ニヤニヤ笑う幽々子と、冷たい目で見つめる鈴仙の前で、境界の賢者と庭師見習いは沈黙する。

 沈黙が重い。いや、痛い。

 

「……あんたら、そんな勘違いをするなんて……思春期ね。うん、恥ずかしい事じゃないわ。医者見習いとして保証するから、気にしないで」

「嫌ぁぁぁぁぁ! せめて笑ってよ、嘲ってよ!! そういう冷徹な反応が一番嫌ぁぁぁぁぁ!!」

「違うんです、私は、その、そういうんじゃないんです鈴仙さぁぁぁぁん!!」

 

 そして状況を理解できない早苗と西宮、そしてにやにやと楽しそうな幽々子の前で、狂乱した紫と妖夢が鈴仙に縋り付いたのだった。

 



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宴会(中)

宴会部分はさほど加筆せず、エピソードの追加という形になりそうです。


「じゃあ妖夢はとにかく材料を切ってって! 西宮は無理しない程度に、自分の作れる料理!」

「はい、分かりました鈴仙さん!」

「別に怪我ったって、料理くらいなら不都合そこまで無いんですけどね」

 

 守矢神社の社務所に作られた台所に立つのは陣頭指揮を取る鈴仙、そしてその補佐である妖夢と西宮だ。

 

 表の方では紅魔館、永遠亭、白玉楼+八雲一家という、幻想郷でも屈指の組織の長達が酒を酌み交わしている。恐らく二柱もそこに加わり、親交を深めている事だろう。

 加えてぽつぽつと他の幻想郷の住人、つまりは鬼だの騒霊だの七色人形遣いだの人里の守護者だの、或いは神奈子や諏訪子以外の八百万の神や、果ては妖怪の山の住人である河童や天狗まで来る始末だ。

 流石に天狗の長である天魔は来ていないが、射命丸が椛を含む若手を数人連れて飲みに来たのである。

 曰く、『天狗の里もこれからは徐々に外と交流を始めねばなりませんからね。まぁ手始めと言う事で』との事である。彼女は彼女なりの考えがあるのだろう。

 

 ともあれ先の騒動の後、紫が幽々子に宥められて肩を落としたまま表の宴会場に向かい、妖夢が『汚名挽回です!』と間違った言葉を叫びながら、鈴仙の手伝いを所望。

 そして客人にばかり働かせては守矢神社の恥と、結局消毒して薬を塗り終わった所で料理に復帰を宣言した西宮の三名は現在、そんな徐々に規模が大きくなる宴会に対応する為、料理とつまみの作成を行っている最中なのだ。

 

 一応参加者達が各々好き勝手に酒なりつまみなり持って来ているが、盛り上がってくればそれでは足りるまい。

 三者は大急ぎで料理に取り掛かる。その後ろで、

 

「鈴仙さん、私は何をすれば良いですか!?」

「その辺で穴掘ってそれを埋める作業を繰り返してて!!」

 

 初手から米を洗剤で洗おうとした早苗が、戦力外通告を受けて立っていた。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 一方、表の方ではそろそろ本来の開始時刻になろうという頃で―――しかし既に宴はかなりの盛り上がりを見せていた。

 神奈子や諏訪子も挨拶も兼ねて様々な人妖と酒を酌み交わし、応じる側も盃を高く掲げてそれに応える。

 どうやら提案者である紫の言う通り、この宴会は守矢神社が幻想郷に対して自らの存在を自己紹介する為、非常に効果的に働いているようだ。起こした異変を肴にこうして酒を飲みかわすのが、幻想郷の流儀なのだろう。

 

 ちなみに提案者にして功労者である八雲紫は、先の勘違いの件で落ち込んだ結果、神社の外壁に向かって三角座りをした挙句に壁に向かって愚痴を吐いていた。

 

「ふふふ……ええ、そうよ。悪い? 大妖怪ともあろうものがあんな恥ずかしい勘違いをして悪いの? 仕方ないじゃない、なんで消毒液を塗られるだけであんな艶っぽい声を出すのよ。ゆかりん乙女だもん、思春期だもん、勘違いしたって仕方無いじゃない……ねえ貴方もそう思うわよね?」

「咲夜ー、あのスキマは何をしてるの?」

「お嬢様、アレは人生の敗北者という奴です。余り直視しない方が良いですよ。視覚からスキマ菌が感染します。どうしても視界に入れる必要がある場合は、ガラスを通すか鏡の反射を使って視認しましょう」

 

 負のオーラを発しながら壁に話しかける様子たるや、はっきり言って誰も近寄りがたい威容、いや、異様であった。

 そしてそんな一部の例外を除いて宴が非常に盛り上がっている頃、

 

「……開始時刻はまだの筈なんだけど、何でもう始まってるのよ。しかも主賓である筈の私とかガン無視で」

「おーおー、盛り上がってるじゃないか。どれ、私も混ざらせて貰おうかな」

 

 ―――守矢神社とは別の意味での、この宴の主役。主賓である博麗霊夢の到着であった。

 横には一緒について来たのだろう。魔理沙も箒に跨って飛んできている。

 

「……って言うか魔理沙、アンタ天狗の里に突っ込んで大暴れして帰っただけじゃない。何で来たのよ」

「おいおい霊夢、宴会に私を呼ばないなんざ、おでんを食べに行って卵を頼まないようなもんだぜ?」

「私、おでんの卵ってモッサリしてて好きじゃないのよね。大根のが好き」

 

 などと会話をしながら宴会場に降り立った二人に、周囲の酔っ払いどもから歓迎の声が上がる。

 特にわざわざ立ち上がってそちらへ向かったのは、この神社の神の一柱である神奈子だ。

 

「すまないな、博麗。急な宴会だが楽しんで行ってくれ。怪我は大丈夫か?」

「なんとかね。飲んで騒ぐくらいなら問題無いでしょ」

「へぇ、アンタがこの神社の神様か。私は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだ。宜しくな」

「ああ、宜しく頼むよ霧雨。あと正確に言うならば、この神社で祀られているのは私だけではないのだが―――」

 

 ちらりと神奈子が視線を向けた先では、紅魔館組と一緒に酒を飲んでいる諏訪子の姿。

 より正確に言うならば、レミリアと諏訪子が互いに絡み酒を行っている状態である。

 この両者、互いに幻想郷の少女達の中でも特に外見年齢が低い部類なので、その二人が酒を酌み交わしていると中々に外界基準では背徳的な光景だ。

 

「祟り神ねぇ。あっちの大きい方の神は霊夢とやり合ったそうだけど、貴様は何もしていなかったそうじゃないか。外見も何と言うかチビっこいし……本当に凄い神なのか?」

「んだこらミシャグジ様舐めるなよ吸血ロリータ! チビっこいってんならアンタだってそうじゃないか!」

「な……! 何を言うかこの蛙娘! 私を見て分からんのか、この立ち昇る大人の色香が……!」

「乳臭さなら立ち昇ってるけどねぇ!」

「き、貴様言っちゃならん事を言ったなァァァァァ! そこまで言うなら貴様の実力、この気高き夜の女王、レミリア・スカーレットが測ってやろうではないか!!」

 

 そして売り言葉に買い言葉で、神社からやや離れた空へ飛んで行く二人。程無くして宴会場から少し離れた空に派手な弾幕が飛び交い始めた。

 神さびた古戦場(※即席)を舞台に、吸血ロリータVSケロケロロリータの対決である。酔っ払いどもが飛び交う弾幕を見て歓声を上げた。

 

「……まぁ、もう一人の神はあんな感じだ」

「あー、まぁ、元気で良いんじゃね? レミリアと正面切ってやり合えるなら相当なもんだ。そのうち私もお相手願いたいもんだぜ」

「まぁ私に面倒かけないなら何でも良いわ。それじゃ、宴会を楽しませて貰うわよ」

 

 困ったような神奈子の言葉に、魔理沙はからからと笑って、霊夢は興味が無さそうに答える。

 そうして挨拶を終えた霊夢と魔理沙が宴会場に入ると、神社の方から元気な声が宴会場に響き渡った。

 

「皆さーん、お料理の追加が出来ましたよー!!」

 

 そう言いながら神社の中から大きな皿と、そこに盛られた料理―――鈴仙が作った筍御飯や、筍と人参のピリ辛炒め。並びに西宮が作ったブルスケッタ、冷製パスタなど―――を持って来たのは東風谷早苗だ。

 縁側にテーブルを置き、そこに並べられた料理に宴会参加者達が群がって行く。

 ちなみに『追加が出来た』などと言いつつも、彼女は料理自体には一切貢献していない。

 

 ともあれ映画やゲームで良く見る生存者に群がるゾンビの如く、料理に群がる酔っ払いの群れ。

 その勢いをニコニコして眺めていた早苗だが、霊夢に気付くと小走りでそちらに近付いて行く。

 

「霊夢さん、来てくれたんですね!」

「タダ飯の機会は逃さないわよ、私は。……随分と宴会は盛り上がってるみたいね」

「ええ、皆さん気の良い人ばかりで……こんなに楽しんでくれると、もてなす側も嬉しいですね!」

「そう、それは良かったわね」

 

 繰り返すようであるが、彼女は料理には一切貢献していない。

 

「あ、そうだ。霊夢さん、異変が終わったら一つお願いしたい事があったんです」

「お願いしたい事? 面倒事じゃないでしょうね」

「えぇと、どう取るかは霊夢さん次第ですけど……」

 

 そして、にべもない霊夢の言葉に早苗が苦笑。

 しかしそれも一瞬で、彼女は咳払いと共に霊夢に向き直り、

 

「霊夢さん、私とお友達になって下さい!!」

「……え?」

 

 両手を胸の前で握って、精一杯叫ばれた言葉に、珍しく―――非常に珍しく、霊夢が驚きを完全に顔に出して硬直した。

 対する早苗はそのまま前進し、霊夢の手を握り締める。

 

「風祝と巫女という違いはありますけど、同じ神に仕える身として霊夢さんの戦いぶりに感動したんです! 人の身でありながら、あそこまで霊力神力を使いこなすなんて……いつか私も霊夢さんみたいになりたいんです!! それにあの短いやり取りでしたけど、霊夢さんは良い人だと思いましたし、是非とも私とお友達になってください!!」

「え、あの、ちょっと……」

「おぉ、こりゃ珍しいぜ。霊夢が慌てる姿だ」

 

 にやにやと笑った魔理沙が、横合いから『良いんじゃないか? 可愛い後輩が出来たみたいで』などとからかうような口調を霊夢に向ける。

 対する霊夢はあまりにも明け透けに好意を向けて来る早苗にたじたじであった。

 

 誤解の無いように言っておくが、元々博麗霊夢は他人に好かれ易い少女である。

 紫のように彼女を娘同然に想っている者も居るし、魔理沙やレミリアなどの彼女を大事な友人と考えている者も多い。

 ―――が、いかんせん幻想郷の人妖は割と素直じゃなかったり、持って回った言い回しを好んだりする。

 特に歳経た人外はその傾向が強く、加えて言うならば霊夢が好かれ易いのは魔理沙のような例外を除けば何故かそういう歳経た人外が多かった。魔理沙も素直に好意を表す方でもない。

 

 それが何を意味するかと言えば―――博麗の巫女という特殊な境遇も相まって、彼女は同世代の少女からこういった明け透けな好意を向けられる事に慣れていなかったのだ。

 博麗霊夢、珍しく驚いて腰が引けている。

 

「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ! いきなり友達になれって……」

「駄目、ですか……?」

「いやいや、酷い奴だなぁ霊夢は」

「ああもう、そんな目に見えて落ち込まないでよ!! ―――魔理沙、何笑ってるのよ!?」

 

 早苗を動物に例えるならば、間違いなく犬であろう。

 叱られて尻尾を垂れる犬のように、早苗は霊夢の言葉に落ち込んだ様子を見せる。

 そして笑う魔理沙に、怒る霊夢。

 やはり彼女はどこか育ての親同然である八雲紫に似た部分があるのだろうか。壁際で体育座りをしているスキマ妖怪同様、霊夢もどうやら早苗相手だとペースを崩される部分があるようだった。

 

 そしてそんな騒ぎになっている場所に、近付いて来る姿が一人。

 長い黒髪を持ち上品に笑う―――ただし先程までは品を投げ捨てた罵り合いをレミリアとしていた―――その女性の名を、蓬莱山輝夜。

 永遠亭の主にして、かの伝承に語られる『かぐや姫』。何人もの貴公子の求婚を断った求婚バスターである。

 

「随分と慌ててるわね、霊夢。貴方はこういう相手は苦手だったのかしら」

「輝夜、あんたねぇ……ややこしい時にわざわざ首突っ込んで来るんじゃないわよ」

「あら、別にややこしい事は無いじゃない。素直な後輩に懐かれて困るクールな先輩、テンプレよテンプレ」

 

 ころころと笑う月の姫に、霊夢は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 その横の早苗は急に乱入して来た輝夜に目を白黒させ、

 

「えぇと……」

「はじめまして、山の上の巫女。私は竹林の永遠亭の主、蓬莱山輝夜よ。イナバからも話は聞いていたわ」

「イナバ……あ、鈴仙さんですか。という事は、貴方が竹林のお医者様ですか?」

「それは私の従者の永琳のこと。私は姫だから……そうね、ペットを愛でるのが仕事かしら?」

「非生産階級って奴だな」

「優雅で良いじゃない」

 

 からかうような魔理沙の言葉に、輝夜が楽しそうに笑い声を上げた。

 先程までレミリアと煽り合いをしていたとは思えない泰然自若とした態度に、からかっても無駄かと判断した魔理沙が肩を竦める。

 

 そして霊夢は未だ憮然とした様子で輝夜を指し、

 

「ちなみにこいつ、実は外の世界でも物凄く有名人よ。『かぐや姫』って早苗も知ってるでしょ?」

「え? ええ。えーと、『今は昔―――』」

 

 思い出すように中空を見ながら、かぐや姫の伝承を呟き始める早苗。

 自分から早苗の興味が他所へ逸れた事で一息吐く霊夢に、自分の事を思い出した早苗がどんな反応をするか楽しみにしている輝夜、そして成り行きで見守っている魔理沙。

 その三者の前で早苗は、

 

「『―――竹取の翁というかぐや姫ありけり』」

「「ぶふっ!?」」

「ちょっと待てェェェェェェ!? お爺さん!? 私が竹取の翁!!?」

 

 竹取の翁とかぐや姫を組み合わせた、全く新しい昔話を展開した。

 まさかの竹取の翁=かぐや姫説。当の本人である輝夜が全力で突っ込みを入れ、横では魔理沙と霊夢が吹き出した。

 それを見て自分の間違いに気付いた早苗が、慌てたように訂正する。

 

「あ、えと、ごめんなさい。なんとなくの大筋は覚えてるんです。確かかぐや姫がスペースインベーダーだったんですよね」

「スペースインベーダー!? せめて宇宙人とか月人って言ってよ! 何その安っぽい光線銃とか持ってそうな単語!! 『光る、回る、音が出る!』みたいな!」

 

 ばたばたと腕を振り回して訂正を要求する輝夜に、早苗は困ったように首を傾げる。

 輝夜としても、なまじ早苗に悪意やからかいの意図が全く無いだけに、かなり対処に困るようであった。

 

「……どうよ。私がペース乱されるのも分かるでしょ?」

「凄いな。霊夢に続き輝夜まで手玉に取るか……」

 

 そしてそんな輝夜と早苗を見ながら溜息を吐く霊夢に、感心したように頷く魔理沙。

 彼女達に構わず、周囲の酔っぱらいの殆どは遠くに見えるロリータVSロリータの弾幕戦に歓声を上げている。

 数少ない例外は弟子を労おうと神社の中に足を向けた月の医師と、カップ麺を奪取する為にその医師にやや遅れて神社に向かった千里眼わんこ。そして未だに壁に話しかけている境界の賢者くらいのものであった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 一方、神社の台所では妖夢が必要な材料をほぼ切り終わり、皿にあけた所であった。

 それを見た鈴仙が満足げに頷き、

 

「良し。一通り材料は切り終わったみたいね。料理の方はあんまり大人数だと却ってやり難いし、妖夢は宴会の方を楽しんで来て」

「えっ。良いですよ、まだ手伝えますから」

「手伝って貰おうにも、スペース自体が手狭なのよ。ほら、そっちの主の世話もあるでしょ。こっちは大丈夫だからさ」

「うーん……確かに幽々子様を余り放っておくわけにも……。すいません、お言葉に甘えます」

 

 苦笑しながらも重ねて言う鈴仙の言葉に、妖夢が迷いながらも結局頷く。

 彼女は立ち去り際に残った二人に頭を下げ、台所から離れて表の宴会に向かっていく。

 残されたのは鈴仙と西宮だ。

 

「貴方もキツいようなら戻って休んでてくれても良いわよ。もし料理が不足したら不足したで、来てる連中で勝手にどうにかするでしょ。各々持ち込みもあるみたいだし」

「いや、客人に任せきりというわけにもいかんでしょう。流石に喧嘩さえしなければ、ドクターストップかけられる程の傷でもないでしょうしね」

「まぁね。って言うかなんでその怪我であんな喧嘩に発展したのよ……」

 

 呆れたように言う鈴仙。その様子には、彼女らしくもなく余り他者への壁が感じられない。

 それもその筈、先程の台所で喧嘩しようとしていた二人へのマジギレと、その後で調味料の場所を聞きに行った所でのスキマ+白玉楼主従の勘違いなどもあって、鈴仙は早苗と西宮に対する評価を『他人』から『手のかかる患者』へとランク変動させていたのだ。

 ……ランクアップかランクダウンかはその人の判断によるだろう。

 

 ともあれ、医者見習いとしては強い責任感を持つ彼女。

 どうやら西宮と早苗に関しては医者と患者として接する事で、逆に垣根が薄れたようである。

 妖夢に関しても以前の永夜異変の後で通院していた時に友人関係となったので、彼女は割と医者として付き合った相手には遠慮が無くフランクな性質なのかもしれない。

 いや―――

 

「大体ね。小さな怪我だからとか思ったら駄目なのよ。きちんと消毒しないと化膿する場合もあるし、そもそも貴方は感染症の恐ろしさという物がね……」

「いやあの、別に甘く見ていたわけじゃ……」

「良いから黙って聞きなさい。薬があるから大丈夫とか思っちゃ駄目なの。その薬を有効に使う為には個々人の日頃からの注意が大事で、究極的には薬は使わないに越した事が無いんだから。師匠の受け売りだけどね」

「えーと……はい」

 

 ―――フランクというか、それを通り越して世話焼きお姉さんへと変貌した鈴仙。

 延々と続く医療知識を交えた彼女の説教に対し、しかし原因が自分の方にあるのは分かっているので、素直に頷くしかない西宮。

 そして、彼女が医者を志す原因となった女性がその場に来たのはそんな時の事だ。

 

「だから、怪我をした時には最初の処置が重要で―――」

「うどんげ、ちょっと良いかしら?」

「あ、師匠? どうしたんですか?」

 

 宴会を抜け出して来た八意永琳、弟子を探しに台所に来たものの、並んで料理をしながら患者に説教を続ける弟子を見て苦笑しながら声をかける。

 振り返った弟子に対して、内心では微笑ましく想いながらも殊更に厳めしい顔を作り、

 

「言ってる事は正論だけど、余り言い過ぎても相手が意固地になったりして逆効果になる場合もあるわ。そこの彼はきちんと聞いてくれてるみたいだから良いけどね。説教も薬と同じ、用法容量は適切に。必要だったらガツンと言わなきゃいけないのは当然だけど」

「う……はい、ごめんなさい、師匠」

 

 そしてしゅんとしたように頭を下げる鈴仙。頭の上のウサ耳も、心なしか力無く萎れた。

 そんな彼女に対して援護射撃をしたのは、横に居た西宮だ。

 

「申し訳ありません、竹林のお医者様。元はと言えば俺が馬鹿な事をしたせいで鈴仙さんに説教をさせてしまったので、原因はこちら側なんですよ。むしろ内容としては非常に為になるものですから、ありがたいくらいです」

「あら、聞き分けの良い患者さんね。貴方みたいな人ばかりだったら助かるんだけど」

 

 言外に『だから、そう責めないで下さい』と告げられた言葉に、嬉しそうに永琳は頬に手を当てる。

 愛弟子である鈴仙が医者として患者に慕われているのだ。それが悪い気になろう筈が無い。

 

「まぁとにかく、怪我人の貴方も、うどんげも。今作っている分が終わったら料理は切り上げなさいな。場は結構温まってきて、料理の消費ペースも落ち着いてきたしね。あとは必要だったら必要に感じた人が色々持って来るだろうし、各々持ち込みもあるし、今作ってる分が終わったら貴方達も楽しむ側に回りなさい」

「あ、皆さん結構持ち込んでくれたんですね。分かりました、わざわざありがとうございます」

「……そうですね。患者が無理しないなら、私が手伝う理由も薄れますし」

 

 そして永琳の言葉に西宮と鈴仙が頷く。

 新たな闖入者が来たのは次の瞬間だ。

 

「ちわーッス! 西宮君西宮君、『かっぷめん』は無いんスかー!」

「出たな駄犬」

「誰が駄犬ッスか負け犬」

 

 永琳の後ろからぴょこんと顔を出したのは、永琳にやや遅れて宴会場を抜け出した椛だった。

 目的は―――先の台詞の通り、彼女がここ数日で嵌ったカップ麺である。

 宴会ついでにあれを食べられないかと思った彼女、直接調理場に交渉にやって来たのだ。

 

「まぁあるにはある。……そうだな、幻想郷だと珍味の一種だろうし、折角だからある程度放出しちまうか」

「おお、話が分かるッスね」

「ちょっと待ちなさいよ。カップ麺って外の世界のインスタント食品よね? 身体に悪いわよ」

 

 カップ麺ばかりあっても仕方ないと考える西宮、折角だから出してしまうかと思考し、椛がそれに嬉しそうに賛同する。

 その言葉に横から噛みついたのは鈴仙だ。対する椛は頬を膨らませ、それに反発する。

 

「ぶーぶー。兎さん頭が固いッスよ。たまの宴会だからそういう品が出たって良いじゃないッスかー」

「それにまぁ、身体に悪いからって捨てるよりは良いかと。むしろこういう場で消費させてくれるとありがたいですね。……こんなもん沢山抱え込んでても困るし」

「む……それは確かに。分かったわ。でも食べ過ぎないように」

 

 結局は椛と西宮の言葉を受けて、鈴仙も納得したのだろう。

 渋々と言った様子で頷く彼女に、しかし椛はぼそりと呟いた。

 

「なんかその辺口煩いと、おばーちゃん思い出すッス」

「誰がお婆ちゃんよ。言っておくけど私、幻想郷の住人じゃまだ若い方だと思うわよ」

「それ言うならボクもそうッスよ。まぁ流石に西宮君よりは上ッスけど」

「いや人間と比較すんなよ妖怪」

 

 椛の言葉に、先程とは逆に今度は鈴仙が反発。話題が西宮に飛び、しかし彼は呆れたように返すのみ。

 そしてそれらの会話を聞いていた月の頭脳は、ぼそりと呟いた。

 

「あら、じゃあ西宮君だったわね。貴方は私と同じくらいの歳かしら」

 

 永琳が放ったその爆弾発言(ざれごと)に、西宮と鈴仙は『それはない!』と突っ込みそうになるのを全霊を費やして踏みとどまった。

 実年齢にしては無理があり過ぎるし、外見年齢にしてももう五歳程度は上に見えるのである。

 付き合いが長く永琳の実年齢をある程度知っている鈴仙は特に突っ込みを入れたかったが、全霊の気合いで堪えた。

 

 恐らくは冗談なのだろうが、笑うべきか。スルーすべきか。それともまさか突っ込むべきなのか。

 攻略法の見えない『やごころ☆えーりん十七歳』の言葉に、二者が同様に凍りつく。或いは天真爛漫な早苗辺りならばさらりと切り返せるのかもしれないが、なまじ世慣れしている分、西宮と鈴仙は対応に困って硬直してしまう。

 

 その状況を救ったのは、まさかの犬走椛だった。

 

「あれ、そうだったんスか。じゃあお医者さんよりボクの方が年齢的に先輩ッスね!!」

 

 ―――訂正。更に状況をカオスに巻き込んだのは、やはり犬走椛だった。

 満面の笑みで告げられた言葉。それには一切の悪意も何も見えず、つまりは純粋に本気と書いてマジだった。

 西宮と鈴仙が硬直を通り越して停止し、余りに余りの発言にピタリと止まる。両者の頭脳は完全にオーバーフローする。

 そして二人があわや月の頭脳のお怒りかと覚悟を決めた瞬間、

 

「あら、うふふ……そうね、そうなるかしら。不束な後輩ですが、御鞭撻のほどよろしくお願いしますね、先輩」

「うんうん、良い返事ッス。山関係で困った事があったらボクに言うッスよ!」

 

 予想の斜め上に天元突破した椛の言葉が、却ってツボに嵌ったのだろうか。

 くすくすと笑いながら冗談めかして椛を『先輩』と呼ぶ永琳に、胸を叩いて請け負う誇らしげな椛。

 その様子が面白かったのだろう、永琳は更に楽しそうに、口元に手を当てて上品に笑う。

 

「ええ、お願いしますね先輩。ですがまずは、向こうで宴会を楽しみましょう。二人とも、今作ってる分が終わったらさっきも言ったように宴会を楽しみなさいね?」

「あ、そうッスね。西宮君、後でカップ麺持って来るんスよー。先輩命令ッス!!」

 

 そして椛に先導されるように去って行く月の頭脳。

 去り際に聞こえて来た、『あらやだ。私って本当にそれくらい若く見えるのかしら』という心底嬉しそうな呟きに対し、鈴仙と西宮は紳士的にスルーを決め込んだ。

 そして二人が去り、彼女達が来る前に火にかけていた鍋が沸騰を始めるまで硬直を続けてから、

 

「……鈴仙さん。実際あの人、お歳は……?」

「女性に歳を訪ねるのは止めた方が良いわよ。……まぁでも多分、私の百倍は軽く超えてると思う……」

 

 何とも言えない空気での会話。

 そして鍋が沸騰を通り越して吹き零れるに至って、ようやく二人はのろのろと料理を再開したのだった。

 

 

 ―――早苗相手にペースをかき回されて疲れた輝夜が、白狼天狗に酌をする永琳という有り得ない光景を見て仰天するのはもう少し後の話であった。

 




 後日、天狗の里に天魔が文と椛を呼んで曰く。
 
「不本意じゃが、これからは徐々に我ら天狗も外との交流を始めねばなるまい。スペルカードルールにも積極的に関わらねばなるまいいやぁ残念じゃなぁ!!」
「天魔様、少しは残念そうな顔をしてください。もっと頑張れるでしょう」
「なんじゃ文、口煩いのぉ。まぁとにかく、その先駆けとして文、犬走。そなたらの持つ人脈を、まずは教えて貰いたいのじゃ」
 
 その言葉に射命丸と椛は答えて曰く、

「そうですね、一応知人は広域に渡って居ます。何らかの口利きが出来るレベルの友人となると、八雲と守矢神社と言う所でしょうね。椛はどう?」
「守矢の巫女さんとは友達でー、神職見習いの西宮君はボクの弟子ッス。あと、竹林のお医者さんはボクの後輩ッス」
「えっ」
「えっ」

 予想の遥か斜め上にあった椛の人脈に、硬直する射命丸と天魔だった。


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宴会(下)

 西宮と鈴仙が最後の料理を終え、その料理を運び出した時―――既に宴会場は完全に出来上がっていた。

 あちこちで人妖が酒を酌み交わし、或いは騒ぎ、或いは潰れての無礼講である。

 ロリータ同士の弾幕バトルは引き分けに終わり、諏訪子は神奈子の隣で酒を飲んでおり、レミリアは霊夢や早苗、魔理沙の元でやはり酒を飲んでいる。両者ともに心なしかボロボロだが満足げではあった。

 

 その代わりと言うように、神さびた古戦場(※即席)では他の人妖による弾幕が展開されていた。

 先のレミリア・諏訪子戦に勝るとも劣らない絢爛豪華な弾幕。

 小柄な影が放つそれは『集束』と『拡散』を軸とした力押しの弾幕で、もう片方は手にした枝のような物から放つ虹色の弾幕で対抗しているように見える。

 共通するのはいずれも異変の首謀者クラスの実力者であると言う事だ。

 

 西宮からすれば初めて見る、幻想郷でも最上位に位置する者同士の弾幕戦。遠くに見えるそれに、思わず目を奪われる。

 料理の皿を手に持ったまま、彼は思わず足を止めてその弾幕に見入っていた。

 

「……すっげぇな」

「あれは鬼と……もう片方はウチの姫様ね。宴会ではよく誰かが弾幕やったりするのを肴に飲んだりもするのよ」

「鬼っつーと、まぁ日本妖怪の代表ですね。んじゃ、それと張り合う鈴仙さんのところの姫様って何って話になるんですが」

「……んー、かぐや姫って言って通じる?」

 

 困ったように鈴仙が告げた言葉に、西宮が数秒中空を見るようにして思考を巡らせ、

 

「昔々あるところに、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり」

「そうそれ」

「ちなみに東風谷に聞くとこの辺から話がワープ進化を開始する気もするんですよね。以前あいつ近所の子供相手に桃太郎を話す際に、『お爺さんは山へ人狩りに、お婆さんは川へ干拓に行きました』とか言ってたし」

「干拓って普通海よね。川でやるもんじゃないわよね。って言うかお婆さんがどうでも良くなるくらいに、お爺さんがアグレッシブというか世紀末よね」

「ヒャッハー奪え奪えーとでも言うようなお爺さんだったのでは」

「医者として言わせてもらえば、恐らくその老人には生涯介護は要らないわね。……姫様相手に変な昔話を披露しないと良いけど、あの風祝さん」

 

 時既に遅し。後のフェスティバル。アフター・ザ・カーニバル。平たく言えば後の祭りであった。

 よもや東風谷早苗が先んじてかぐや姫=竹取の翁という新説を語っていたとは夢にも思わない二人、会話しながらも料理を適当にテーブルに並べて行く。

 

「ウチの姫様って、実はその話に出て来る『かぐや姫』なのよ。あの弾幕はその伝承に出て来る難題を元にしてるのよ」

「……またブッ飛んだ話になったなぁ。神、妖怪、そしてかぐや姫ですか。何でもありだな幻想郷」

 

 呆れたような西宮の溜息と同時に、料理が並べ終わる。

 すぐさま目端が利き、なおかつまだ食べる気のある数名が集まってきた。

 

「あらあら、今度の追加は煮物とチーズフォンデュね~。兎さんは和食、そちらの信者さんは洋食派かしら」

「幽々子様、がっつかないで下さいよ、はしたない」

 

 真っ先に来たのは亡霊の姫、西行寺幽々子。

 その後ろからついて来た妖夢が呆れたように言うが、幽々子は構わず料理に手を出して御満悦だ。

 素手で煮物を摘まんで食べると言う無作法に、妖夢が後ろで渋い顔をしている。

 対する鈴仙と西宮は苦笑しながら、

 

「他の人の分まで食べないで下さいよ」

「まぁ、喜んで頂けたなら幸いですけど」

「ええ、美味しいわ~。私には妖夢の料理が一番だけど、やっぱりたまには違うタイプの料理を食べないとね~」

 

 さりげなく従者自慢を入れるその言葉に、褒められた妖夢が顔を赤くする。

 そんな従者を横目で見ながら幽々子は笑い、宴会場の二箇所を順に指差した。

 

「まぁ、貴方達もお疲れ様ね。永遠亭の薬師さんはあちら、風祝さんはあちらに居るわよ~。もう料理の追加は要らないだろうから、楽しんでらっしゃいな」

「ええ、ありがたく――――って、あの。何で師匠がカップ麺食べてる白狼天狗に酌をしてるんですか。何あのカオス。ぶっちゃけ力関係おかしいでしょう。横のてゐがドン引きってどういうレベルよアレ」

「薬師さん、若い子扱いされて舞い上がってるわね~。そういう意味で、白狼天狗の子は大した策士と言えるのかしら。いえ、策じゃなく総天然ね、あれは。無為無策が転じて賢者が如き結果を引き寄せる。そういう意味では、得がたい才の持ち主とも言えるけど」

 

 煮物を摘まんだ指を、ぺろりとどこか艶めいた動作で舐めながら、幽々子が飄々と笑う。

 対する鈴仙は、敬愛する師匠の突発的な奇行を見ながら嫌そうな顔だ。今から自分があのカオスに踏み込まねばならない事を考えたからだろう。

 或いは遠くで弾幕戦をしている輝夜も、あのカオスに巻き込まれるのを嫌がって弾幕戦に逃げたのかもしれない。

 

「……まぁ、嫌ですけど私は向こうに戻ります。西宮君、飲みすぎないように」

「了解です、ドクター鈴仙」

「宜しい」

 

 ドクターと呼ばれた鈴仙が、嬉しそうに、かつ僅かに照れたような笑みを浮かべて永遠亭のメンバー(+椛)が酒盛りをしている方へ戻って行く。

 それを見送ってから、西宮は白玉楼主従に一礼。

 

「それでは私もこれで失礼致します。西行寺様も魂魄さんも、どうか楽しんで行って下さい」

「本当に礼儀正しい子ね。相手に応じて使い分けている、要領の良い子と言うべきかしら」

 

 その一礼に対し、幽々子は僅かな笑みと共に言葉を返す。

 礼儀正しさを評価している一方で、しかしその口調と表情にはさして相手を褒めるような色は含まれていない。頭を下げていた西宮からは見えていないが、むしろ僅かに眉根を寄せる事で、否定的な感情すらその顔には浮かんでいる。

 

 そして西宮が早苗の方へ向かうのを待って放たれた言葉は、より明らかな否定要素を含んでいた。

 

「―――けど、その要領の良さが仇になる事もある。天狗や紫のように賢しさを美徳とする相手には好かれるでしょうが、反面それを小賢しいと断じる相手からの心象は悪くなるわ。そうね、幻想郷の上位者の中では、鬼や吸血鬼、あとは花畑の妖怪辺りが危ないかしら」

「……幽々子様、それ本人に言ってあげましょうよ」

「いやいや妖夢、別に私は賢しさが悪いとは言ってないわよ。今はまだ、言った所で混乱するだけでしょうし、賢者が幻想郷で疎まれているわけでもないしね~。でも賢しいのと小賢しいのは別で、彼は未だにその境界線上に立っているわ~」

 

 幽々子は呟きながらも、再度煮物を手で摘まむ。

 背後の妖夢が諦めたような溜息を吐いた。

 

「んー、美味し。……それで、えっとね~。小賢しさと賢さの境界は曖昧だけど、私はそれはどれだけ他者を利せるかによると思っているわ~。器の大小と言い換えても良いわね。―――自分を利する為だけに知恵を使う者は小賢しく、その過程で他者を想い得る器があれば賢者。故に賢者は慕われ、小賢しい者は嫌われる。……まぁ、私見だけどね~」

「その論で言うならば、天狗の里・射命丸さん達、そして自分が所属する守矢神社の三つを利する策を出した西宮さんは、賢者に該当するのではありませんか?」

「だから私も断定はしていないのよ~。言ったでしょ、『境界線上』なの。幻想郷基準で見れば些か過度なくらいに目上を立てる彼の言動は、ともすれば強者に媚びる姿勢になりかねない。外の世界にありがちな処世術で、そして彼自身もそういった事は必要な事と考えている節があるわ~。それを悪い考えとは言わないけど、行き過ぎれば信を失う。彼が守矢神社の外交交渉の窓口に成り得る立場だというのを考えると、それは好ましくないのよね~」

 

 そのまま指を舐め、幽々子は次にチーズフォンデュに目を付ける。

 小さく切られたフランスパンをチーズに浸し、嬉しそうに口に運び、

 

「もぐ……あら、洋酒に合いそうね~。―――ん、ごほん。まぁ、要はバランスよ~。霊夢や魔理沙と違い、彼は決して強くない。故にまずは他者に礼儀を以て話す姿勢は決して悪くないわ。何の力や裏付けも無いのに、いきなり慣れ慣れしく話す輩よりは好印象ね~。ただ、彼は良くも悪くも外の世界の感覚に染まり過ぎている」

「……それがつまり、彼に感じる『小賢しさ』ですか」

「ええ。そこから先、幻想郷で真に信頼を得るにはもっと別の何かが必要。つまりは彼はこの幻想郷の住人達から本当の意味で友誼を築き、信頼を勝ち得うるのか。一人や二人じゃなく、もっと大勢から―――つまりは幻想郷に受け入れられるのか。それが出来れば賢人となり得、出来なければ小才子で終わるでしょうね~」

「手厳しいですね」

「でも事実よ~」

 

 呟く幽々子の視線は宴会場の一角。

 風祝たる東風谷早苗が居る場所と、そこへ向かう西宮の後ろ姿を捉えている。

 

「さて、どうなるのかしらね~? 個人的にはどちらに転んでも面白い―――と言いたい所だけど、紫はこの神社を随分好いてるみたいだし……」

「幽々子様的にはどうですか?」

「保留ね。こんなすぐに結論なんか出せやしないわよ。ただ、悪い感じはしないわ~。少し無骨な軍神様も、幼そうに見えて割と腹黒い一面がありそうな祟り神様も、天真爛漫な風祝さんも、良くも悪くも賢しげな信者さんも」

 

 言って幽々子は、小さく笑う。

 紫は幻想郷のバランスを考えて、外の世界から神々を引き込んで来たそうだが―――随分とまた、信者二人まで含めて面白そうな連中を引き当てたものだと思いながら。

 そして彼女は背後に控える半人前の従者に声をかける。

 

「―――妖夢」

「はい」

「貴方の判断でこの神社に関わり、必要だと思えば東風谷さんと西宮君に手を貸してあげなさい。彼女達も幻想郷には色々不慣れだろうしね~」

「心得ました。ただ、その場合の幽々子様のお世話は……」

「白玉楼には他にもお手伝いの幽霊は居るから大丈夫よ~。別段こっちに付きっきりになれってわけでもないしね。要は気にかけておいてあげなさい程度の話でしかないわ~」

「そう言う事でしたら承知いたしました。……やはり先程の基準で言うならば、幽々子様は『賢者』ですね」

 

 『結局この神社の皆さんの事を考えてるんですから』と笑う妖夢に、しかし幽々子は頷かない。

 薄く笑うだけで答える幽々子は、先の基準で言うならば自分はあくまで『小賢しい』存在でしかないと考えている。

 何故ならば守矢神社の人々と妖夢が関わることの真の目的は、神社の手助けなどではなく―――

 

「―――結局のところ、そこと関わった事で可愛い妖夢の成長の糧になるのではないか。その目的なんですものね~」

「……え?」

「なんでもないわ~。それより妖夢、この煮物、味が染みてて美味しいわよ~。貴方も食べて御覧なさいな~」

 

 そして桜の姫は笑いながら、従者の口元に煮物を押し付ける。

 慌てて『自分で食べれます!』と騒ぐ彼女を見ながら、幽々子は思う。

 偉そうな事を言ってしまったが、自分こそが『小賢しい小才子』にしか過ぎないのだと。

 何故なら自分は、常に自分が本当に好きな人々の為に動き、その為に他を利用する事も辞さない悪い女なのだから―――そう内心で呟きながら。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「あ、西宮ー! 料理は終わったんですか?」

「一応な」

 

 そして幽々子と妖夢に見送られて早苗の元にやって来た西宮。

 彼に一番最初に気付いたのは、当の早苗であった。歩いて来る西宮に手を振る彼女の横には霊夢が座り、霊夢を挟んで早苗の逆隣にはレミリアが腰掛けている。

 霊夢を挟んでレミリアと早苗も楽しそうに歓談している辺り、割と相性は悪くないらしい。

 そして霊夢とは逆隣の早苗の横に座って、日本酒の入ったコップを傾けていた魔理沙が西宮に声をかけた。

 

「おう、西宮じゃないか。やってくれたなこの野郎、お前の作戦で私は天狗の里に突っ込まされたんだって? 覚えてやがれよ」

「明日までな。っていうか俺まだお前に撃たれた部分が痛むんだが。そっちこそ覚えてやがれよこの野郎」

「今晩までな」

 

 互いに言い合い、シニカルな笑みを浮かべ合う魔理沙と西宮。

 元々サバサバした性格の魔理沙だ。恨みを引き摺るつもりは無いようで、その笑いには悪意も敵意も見えない。そこは西宮も同様である。

 

 そして彼は早苗の横に座っている霊夢とその横のレミリアに向き直り、丁重に礼をする。

 

「……失礼致しました。博麗の巫女様、紅魔館のレミリア・スカーレット様とお見受けします」

「きもっ」

「西宮、どうしたんですか? 頭でも打ちましたか?」

「おいお前、私に対する態度と霊夢やレミリアに対する態度が違い過ぎるだろ!」

 

 対する反応は、概ね不評だった。

 幻想郷きっての重要人物である霊夢、並びに紅魔館の主であるレミリア。その両者が相手故に、まずは礼儀正しく頭を下げた西宮。結果はご覧の有様である。

 

 当の片割れである霊夢からは「きもっ」の三文字で全否定。早苗からは真剣な目で心配され、魔理沙からはブーイングだ。

 一連の反応を受けた西宮は、がっくりと肩を落としながら呟いた。

 

「……いや、殆ど初対面のよーなもんですし、かの『博麗の巫女』や『紅魔館の主』相手に失礼があったら不味いかと思ったんですがね……」

「早苗や魔理沙から聞いてた印象と違い過ぎるわよ」

「ちゅーか私相手には初対面からタメ口だったのはどうなるんだ、オイ」

 

 そして霊夢と魔理沙からの酷評に、西宮が顔を手で覆って天を仰ぐ。

 

「……どんな印象が話されてたんですか、博麗様。あと霧雨、お前は俺との初対面がどんな邂逅だったか忘れたとは言わせねぇぞ」

「様付けは要らないわよ。ぶっちゃけ慣れてないし。……あとまぁ、聞いてた内容は……口が悪くて頭が回るけど弱っちい奴?」

「殆ど忘れてたっつの、その後のエイプキラーの印象が強すぎて」

「ロクな事言われてませんな。あと霧雨、その話はそこでストップだ」

 

 『エイプキラーって何ですか?』とでも言わんばかりの顔を西宮と魔理沙に向けて来た早苗(エイプキラー)

 彼女からの追及を逸らす為に西宮は魔理沙を口止めし、魔理沙は貸しになるとでも考えたのか、肩を竦めてそれを了承した。

 ちなみに霊夢は元々、エイプキラー云々の話には興味が無かったのだろう。会話内容に興味を示した様子は無い。

 

 そして魔理沙が沈黙した事以上に、そのエイプキラーの話題を横から断ち切る声が響く。

 西宮が来てから今まで沈黙を保っていた紅魔館の主、レミリア・スカーレットだ。

 

「つまらんな」

 

 冷めた言葉と冷めた目が西宮に向けられる。

 唐突なその言葉と態度に困惑したのは、当の西宮と早苗、そして横で話を聞いていた魔理沙だ。

 その中で一番復帰と反応が一番早かったのは、レミリアとの付き合いが長い魔理沙である。

 

「どうしたんだよレミリア。さっきまでご機嫌に霊夢に抱きついてカリスマブレイクしてウザがられていたじゃないか。何だ、何か機嫌を損ねるような事でもあったのか?」

「機嫌を損ねる事? 決まっているだろう、そこの男だ」

 

 鼻を鳴らすような小馬鹿にした笑いと共に、レミリアは西宮を睨む。

 『見る』ではなく『睨む』視線は、軽い怒りと失望が混ざっていた。

 

「正直な、私は期待していたのだよ。早苗は興味深い奴だ。好ましいと言っても良い。未だ未熟でありながらも霊夢に正面から立ち向かう胆力、勝てぬまでも足止めを為す実力、そして飾らず正面から相手と向かい合う心根。いずれも私からすれば好ましいと言える」

 

 だが、と一拍を置き、レミリアは西宮を指し示す。

 

「その相棒という男がどのようなものかと思えば、私がここに来る前に外の世界で散々見て来た人種と同様の対応だ。露骨に強者に媚びるその姿勢、実にくだらん」

「おい、止めろよレミリア。確かに幻想郷じゃ少ない対応だが、別に礼儀正しいのが悪いわけじゃないだろ」

「かもな。だが咲夜は外の世界で、そういう強者に媚び、しかし弱者に強く出る人種のせいで紅魔館まで流れ着いたのだ。時間を操る能力以外は単なる幼子にしか過ぎなかった人間が、その能力のせいだけで吸血鬼の館にだ。その男の対応は、そういう人種を思い出させる」

「あんた意外と従者想いよね」

「うるさい黙れ。今ちょっと真面目な話をしてるんだ」

 

 霊夢が横から呟いた言葉に、レミリアが顔を赤くして反論を返す。

 そんな彼女に横から食ってかかったのは早苗だ。

 

「レミリアさん、訂正して下さい。西宮はそんな事はしません!」

「そうか? 言葉だけなら何とでも言える。或いはそいつがお前やその主である神に従っているのも、それが奴にとって都合が良いからに過ぎないかも知れんぞ?」

「違います。だって、外の世界では守矢神社への信仰も潰える寸前で、諏訪子様も神奈子様も殆どの力を失っておられました。私も霊力を使う事も空を飛ぶ事も出来ない、ただの小娘でしかなかったんです。だというのに西宮は私と一緒に御二柱の為に尽力してくれていました」

 

 レミリアに反論する早苗の言葉に熱が入る。

 自らの相棒を貶された事に、強い憤りを感じているのだろう。

 強い視線と共に身を乗り出すようにして語る早苗に、彼女とレミリアの間に挟まれる形になっている霊夢がのけぞった。

 

「私が失敗したら、一緒に謝ってくれました。私が変な子だと虐められていたら、私を守ってくれました。私が泣いている時には、泣き止むまで手を握っていてくれました! ―――外では空回ってばかりで何の取り柄も無かった私と、ずっと一緒に居てくれました!! 訂正して下さい、レミリアさん!」

 

 肩を怒らせ叫ばれたその言葉に、その話題の中身である西宮が照れを隠すように頭を掻く。彼の行動原理を知っている白黒魔法使いは、口の端を上げた笑みを浮かべながら、異変でしてやられた事に対する仕返しを込めて小声で一言。

 

「随分とまぁ、お互い様な関係だなお前ら」

「……何が言いたいんだよ、霧雨」

「別にィ? ただ、誰かさんが言ってた意地と同程度には、早苗も誰かさんの事が大事なんだなぁとな」

 

 対する西宮は、魔理沙と―――早苗から自分の顔が見えないようにそっぽを向く。

 一方、その早苗と言い合いをしていたレミリアは、早苗の叫びに一瞬だけきょとんとした表情を返した後、肩を竦めて『降参』とでも言うように両手を上げた。

 

「……分かった分かった、そこまで言うか。悪かったよ、確かに第一印象だけで悪く言い過ぎた。気高き夜の王のやるべき事では無かったな。外の世界での嫌な事を思い出して、少々頭に血が上っていたようだ。早苗にもそこの男にも謝罪しよう」

「っていうか私を挟んでそんな面倒そうな会話しないでよ。レミリア、あんた従者大事なのも良いけど初対面の相手に食ってかかるんじゃない。あと早苗、私に乗りかかるようにして惚気ないでってば」

 

 未だのけぞったポーズのままの博麗の巫女が言った言葉に、レミリアと早苗が『あっ』とでも言うような表情を浮かべ、慌てて初期位置に座り直す。

 その両者を見て霊夢は溜息を吐き、エビ反りに近かった体勢を元に戻してから、言われた当人ながらも横で魔理沙と何やら小声でやり取りをしていた西宮に向き直る。

 

「んで、言われた当人としてはどう? 今のは正直、レミリアが悪かったと思うけど」

「お構い無く。どうやらレミリア様の従者さんが外で色々あったみたいですしね。……つか、これが原因で関係こじれるのは嫌なんで、無かった事で」

「分かった、私に非がある。無かった事にしてくれるならば、それはそれで助かる。―――だが」

 

 そしてレミリアは自らの非を認める発言をしながらも、西宮を鋭い目で睨みつける。

 

「やはり私は外の人間は好かん。私達のような幻想の住人を追いやるのはまだ理解できる。だが同じ人間を排斥する思考は理解できん。―――早苗は外の人間のような雰囲気は薄いが、お前は外の雰囲気を未だに色濃く纏っている。良くも悪くもだ。それを好く者も居るし、私のように嫌う者も居る。それは覚えておけ」

「……みたいですね。気をつけます」

 

 そして睨まれた西宮は、賢しげな態度がレミリアの怒りに触れた事を自覚しているのだろう。

 崩した敬語で肩を竦めるように応じ、それを見たレミリアが鼻を鳴らす。

 

「ふん、やはり賢しげだな。だが、もう一つ謝罪だ。私の睨みに怯まなかった点は評価する。少なくとも、臆病者ではないようだ」

「だろーな。それにレミリア。こいつ賢しげなのは表面だけで、根っこの行動理念は馬鹿丸出しだぞ。今回の異変で私と対峙した時に切った啖呵がだなぁ―――」

「オフレコっつってたろ霧雨ェ!!?」

 

 横合いから魔理沙が言った言葉に、西宮が思わず叫んだ。

 それもその筈、魔理沙相手に今回の異変で西宮が切った啖呵―――それは即ち、かつて二柱と出会った時に受けた最初の神託であり、『早苗を泣かせない』という彼の行動の軸だ。

 異変でテンションが上がっていたとはいえ、自分を鼓舞する意味もあったとはいえ、迂闊に吼えるべきでは無かったと内心で思う西宮。

 しかし魔理沙は、これが先の異変で嵌められた反撃の好機とでも思ったのだろう。にやりと邪悪な笑みを浮かべてそれに返す。

 

「良いじゃないか、レミリア相手に誤解解いてやろうってんだ。むしろ感謝しろよ、なぁ西宮」

「何だ魔理沙。この男、何かそんな言うのを拒むほどの恥ずかしい理由で戦ってたのか?」

「ああ、それはだな……っと、ここで話すと煩そうだ。少し離れて話をしよう。―――安心しろ、西宮。流石に話題に出すのは今回が最初で最後だ。まぁ仕返しと思え」

「分かった。ではな、三人とも」

「ちょ、おま……待てェェェェェェ!!?」

 

 止める西宮に構わず、箒に跨って飛び去る魔理沙。そして魔理沙に追随するレミリア。

 流石に両者ともに射命丸には劣るが、幻想郷の中でもトップクラスの飛行速度を持つ二人だ。

 西宮が追い掛けようにも、その姿は瞬く間に遠くに離れて行ってしまった。間抜けに手を伸ばしたポーズのまま、がくりと項垂れる西宮である。

 

「なによ、なんか恥ずかしい理由でもあったの?」

「……何も聞かないで下さい、俺の心が折れます」

「あっそ」

 

 がっくりと肩を落とす西宮。

 一応聞いたものの、特に興味は無かったらしくあっさり引き下がった霊夢。

 その両者の横で、早苗が小さく首を傾げていた。

 

 いずれ彼女が西宮と魔理沙の会話内容を知る事があるのか否か。

 それは魔理沙の気分次第であった。

 



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宴会(終)

そういえば「もなかうどん」だととある同人サークル様と被るという指摘を受けたので、「もなかそば」になりました


 さて、レミリアと西宮や早苗の間に諍いこそ起こったものの、それはさしたる禍根を残さず終わった。

 それ以外には酔いどれ同士の喧嘩から弾幕ごっこへのコンボなどは何度か発生したものの、大きな問題は起こらずに宴会は進んみ、神奈子や諏訪子は多くの人妖と酒を酌み交わし、親交を得る事に成功していた。

 

 ちなみに来ている比率は少女や女性が多いが、河童や天狗や他の妖怪・八百万の神の中には男性もそれなりに含まれていた。そうでない場合―――即ち宴会場が外見上うら若き女性ばかりだった場合、西宮は宴会場に出る前に逃げ帰っていただろう。

 誰も好んでガールズトークオンリーのど真ん中に突っ込んで行こうとは思うまい。

 

 ともあれ、これは宴会だ。

 宴会である以上、主要な飲み物は酒である。

 そして宴会で消費される酒の基本は日本酒。つまりは平均度数15度前後の度数の強い酒だ。参考までに紅魔館組が持ち込んでいたワインも10%から15%程度なので、そちらを飲んだとしても多少はマシだがあまり度数的には変わらない。

 

「東風谷って酒に弱いですからね。間違っても日本酒とか飲ませないで下さい」

「へぇ」

 

 故に西宮は前もって早苗の横に座る霊夢に警告しておいた。

 東風谷早苗はいわゆる下戸だ。外の世界で父が戯れ半分で飲ませたビールを一缶も消費しないうちに酔っぱらう彼女、間違っても日本酒など飲ませられまい。

 

 しかし、先んじて警告しておいたのが間違いだった。

 

「うへへ~……じょういちー、飲んでまふか?」

「誰だァァァァ! こいつに酒飲ませた馬鹿はァァァァ!!」

 

 宴会の途中で抜け出し、厠に向かった西宮。

 しかし厠から戻った彼が見たのは、赤ら顔で彼に絡んで来る風祝の姿だった。

 

 そして西宮の叫びを聞いた霊夢が小さく頷き、

 

「ごめん、酒に弱いって言うからどんくらいのもんか試してみようと、酒入ったコップ渡したらこんなんなったわ」

「試すな! 俺は何のためにあんたに警告したんだ!?」

「うんまぁコップ半分辺りで私もヤバいと思って止めたから……っていうか、あんたも話し方が崩れて来たわね。まぁそっちの方が気楽でいいけど」

 

 叫ぶ西宮。しかし霊夢相手に力押しで詰め寄った所で柳に風だ。

 『それじゃあ面倒事は任せる』とでも言いたげに、軽く席を立つ博麗の巫女(しょあくのこんげん)

 

「んじゃ私、適当に誰か他の奴と飲んで来るから後よろしく。……あれ? 紫じゃない、あいつ壁に向かって体育座りして何やってるの?」

「おぉぉぉぉい! 全放置ですか!? この酔っ払い放置して俺に押し付けて行くの!?」

「元々あんたの管轄のようなもんでしょ。頑張りなさい」

 

 そしてふよふよと浮いて紫の方へ向かう霊夢。

 行かせるまいと西宮が慌てて手を伸ばすが、

 

「うへへー……にゃんか気分がいいれすねぇ」

「掴むなぁぁぁぁ! あ、クソ、完全に逃げられた! 博麗、博麗ちょっとお前無視すんな!!」

 

 既に敬語も完全に抜けた罵声を飛ばす西宮だが、腰に抱きつくようにして彼をホールドする早苗が彼の霊夢への追走、或いは離脱を許さなかった。

 その手しているコップから、霊夢の言葉通り残り半分程度になっていた酒がダバァと地面にぶちまけられる。大変勿体のない話であるが、今の西宮にそこまで気遣う余裕はない。

 

「……急性アル中―――とまで行く飲酒量じゃないよな。度数と分量で換算すると、親父さんがビール半缶飲ませた時と似たようなもんか。状態的にもそれと同じ程度に見えるし。……いざとなったら鈴仙さんやそのお師匠様に頼むか。鈴仙さんのお師匠様は相当な名医だって聞くし、どうにかなる……よな?」

 

 内心で霊夢に向かって中指を立てながら、呻くように呟く。

 無論永琳は名医どころか不死の妙薬まで作り得るレベルの医師であるのだが、流石に彼はそこまでは知らないので、彼女への信頼も疑問形である。

 

 ともあれ逃げた霊夢に内心で悪罵を向けながらも、腰に抱きついて来ている早苗が少々暑苦しいので引き剥がす事にする西宮。

 剥がされた早苗は『うへー』という些か少女としてどうかと思う声と共に、力の抜けた笑みを浮かべている。

 

「……お前普段からアホ面晒して生きてるのに、今は更に三割増しでアホ面だな」

「だれがアホ面でふか!」

「ううむ、反撃も力が無いし。どうしたエイプキラー、必殺のコングパンチは何処行った」

 

 腕をぐるぐる振り回してパンチして来る早苗に対し、その頭を掴んで押しのける事で対処する。

 早苗は幻想郷の少女にしては長身の部類に入るが、外の世界基準で言えば女子平均よりは上といった程度だ。対する西宮は現代男子高校生にしてもそれなりの長身だ。リーチが違う。

 結果として頭を抑えられれば、早苗の腕は西宮に届かなくなる。

 

 少し知恵を絞ればもっと攻撃手段がある気もするのだが、どうやら現状の酔いどれ早苗さんには攻撃手段変更という概念は無いらしい。

 頭を抑えられながらぶんぶんと腕を振り回す御姿。これが現人神と言われて信じる人は少数派だろう。

 

「……もうこれ、社務所の布団に放り込んだ方が良いんじゃねーかなぁ。普段から残念な奴が、酔っぱらっていつも以上に残念になってるよ」

「あやや、風祝さんは潰れるのがお早い事で。もしかして酒が駄目な人でしたか?」

 

 そしてその駄風祝(だぜはふり)と化した早苗の頭を掴んで押しのけている彼に、横合いから声がかかる。

 一本足の高下駄に、烏の濡れ羽色の漆黒の髪。文花帖という表紙が付いた取材メモを胸ポケットに入れたまま歩いて来るのは、烏天狗の新聞記者にて今回の一連の事件の功労者の一人でもある射命丸文だ。

 横合いから声をかけて来た彼女に西宮は視線を向け、頷き、

 

「ええ、こいつ所謂下戸でして。ついでに言うと外の世界では二十歳未満の飲酒は違法なんですよね。俺がこいつの親父さんの晩酌相手をしてたのも、実は違法です」

「なっ!? なんという悪法……! 外の世界はそこまで腐り切っていたのですか……!」

 

 驚愕し、身を震わせる射命丸。恐らく本人的には義憤なのだろう。天狗は鬼ほどではないが酒好きで知られる妖怪であり、彼女もその例外ではないらしい。そんな彼女には二十歳未満の飲酒を禁ずる法律など、信じられない悪法だったようだ。

 胸ポケットから文花帖を取り出し、羽ペンで何事かを書き綴り始める。特集でも組む心算なのだろうか。

 西宮の内心では、これでこの反応をするならば、かつてアメリカで行われた禁酒法についての話をしたら彼女がどんな反応をするのかという興味が湧く。流石に今は早苗が眼前で腕を振り回している状況をどうにかする方が先決なので、放置したが。

 

 ちなみに禁酒法ことボルステッド法、より正確に言うならば国家禁酒法と呼ばれる法律自体は文の言う通り史上稀に見る悪法であるのだが、“この法律が施行されるほど社会が腐っていた”というより、誤解を恐れずに言えば“この法律によって社会が腐敗した”とでも言うべき現象が発生している。

 無課税の密造酒を造り売るマフィアの資金力・影響力が激増し、酒絡みの犯罪も激増し、闇酒場に通う善良な一般市民だった方々も激増した。

 事程左様に酒というのは人類の文化の横を歩み続けていた存在であり、締め付ければ諦めるというものでもないのである。

 

「分かりますよ、西宮さん。外の世界は悪しき帝国が酒を独占する為にそのような法を作り、民衆は酒を求めるレジスタンスとなっているんですね……!!」

「………えぇと、まぁ、御想像にお任せします」

 

 そして射命丸の勘違いを、敢えて訂正まではしない西宮である。

 内心で彼女がこの問題について書く記事がどうなるのかに興味があったからであった。

 

 ともあれ熱くなっていた事に気付いたのだろう、射命丸がそこで咳払いを挟む。

 

「失礼しました。……西宮さんはその悪法の中で敢然と酒を嗜む正義の体現者だったんですね」

「別にそんな大層なもんでもありませんでしたが。こいつの親父さんと飲む程度で、ここまで大規模な宴会も初めてですしね。……飲みながら将棋とかも良くやった物です」

「将棋ですか。河童のにとりと、その親友であるウチの椛が良く対戦してますね。確か先日は―――椛の桂馬が命を賭けた特攻戦術で自爆を敢行。愛する香車への最後の台詞を呟きながら、敵の角と金を巻き添えに閃光の中に消えたとか。結果的に桂馬に仕込まれていた炸薬のせいで、盤面壊れてドローゲームだったそうですが」

「色々おかしいですよね。絶対それ色々おかしいですよね」

「椛とにとりですよ? おかしくならないわけがないじゃないですか。マップ兵器が将棋に搭載される魔改造ルールですよ、彼女たち以外には理解不能です」

 

 胸を張って射命丸が言った言葉に、西宮が早苗を抑えていない方の手で軽く自らの顔を覆った。

 川城にとりという河童については彼は知らなかったが、椛の親友という時点で色々とお察しである。

 

「……じょういちは、お父さんと良くのんでましたよね」

 

 そして西宮に頭を抑えられていた早苗が、彼と射命丸の会話を聞いてぽつりと呟く。

 いつの間にか腕を振り回すのを止めて、俯きがちに呟かれた言葉。

 俯いたまま、瞳にじわりと涙が浮かぶ。

 

「お父さん、お母さん、げんきかなぁ……」

「あ……すまん、無神経な会話だった」

 

 酒の力もあるのだろう。外の家族を思い出してぐすぐすとしゃくり上げる彼女に、西宮は困ったように言葉を返す。

 射命丸は溜息を吐いて、西宮の背を後ろから押した。

 

「うわ!?」

「ほら、謝るより先に慰め方があるでしょ。女の子の扱いについて分かってないわね」

 

 記者ではなく個人としての口調で呟かれた言葉を受けながら、押された西宮はたたらを踏みながら僅かに前進。しゃくり上げる早苗と至近距離で向かい合う事になる。

 早苗はそのまま何も言わず、彼の服を掴み、胸に顔を埋めるようにしてぐずり始めた。

 

「……あー……俺が泣かしてりゃ世話無ぇよ、ったく」

「泣かせた自覚があるなら、泣き止むまで付き合ってあげなさいよ」

 

 ぐずる早苗の背中を撫でる西宮に、呆れたように言う射命丸。

 しかし彼女の言とは裏腹に、背中を撫でられて安心したのか、早苗の身体からすぐにくにゃりと力が抜ける。

 慌てて支える西宮の胸で、早苗はすぅすぅと寝息を立てていた。

 

「……寝ましたが」

「あら無防備」

 

 涙の痕が残る寝顔を見ながら、残った二人は言葉を交わす。

 このまま放置するわけにもいかないので、西宮は早苗の背と膝裏に手を回し、抱き上げた。

 

「射命丸さん、神社の社務所に続く扉開けて貰えません?」

「ええ、分かりました。―――すいません、風祝さんが寝ちゃったので寝室に放り込んできますねー!」

 

 射命丸が宴会の中心部の方へ声をあげる。

 聞いているのかどうか怪しい酔っ払い達の声がそれに応じるが、少なくとも諏訪子と神奈子という責任者二人はこちらを見て頷いていたので、途中退席も問題あるまいと二人は判断。

 射命丸が先行して戸を開け、早苗を抱きかかえた西宮がそれに続く。

 

 そして神社に入り、入って来た戸を閉めた辺りで射命丸が呟いた。

 

「―――貴方達は外の世界に家族を残して来たの?」

「そうなりますね。以前御二柱に話を聞いた時に、どの辺まで事情を理解していますか?」

「貴方達の外での事情にはその時は興味無かったからね。早苗さんが風祝で、貴方が平信者にして神職見習い。二人して御二柱について来たって事くらいしか」

 

 大荷物(さなえ)を運ぶ西宮のペースに合わせるようにして、並んで歩きながら射命丸が眠る早苗の頬をつつく。

 早苗は一瞬寝苦しそうに眉を顰めるが、目覚める様子は無い。

 それを確認した上で、西宮は内心で思考を整理する。

 

 レミリアは彼が外の世界の空気を色濃く纏っていると言い、早苗はその空気が薄いと言っていた。

 しかし外への未練はその逆だ。早苗が色濃く、西宮は薄い。

 そもそも早苗は外に残した両親を忘れて生きられるほど、情が薄い人間ではない。

 幻想郷に来てからの狂騒のような毎日で押し流されていたが、心のどこかで引っ掛かっていたのだろう。

 

 故に外の話題、特に家族の話は早苗が居れば出来るまい。

 外の話題は彼女の心に郷愁を引き起こす。先の会話で迂闊にも西宮が口に出し、彼女を泣かせてしまったように。

 

 だが深く寝入っている今ならば問題無いと西宮は判断。

 話す相手を選ぶ内容ではあるが、横を歩く烏天狗は信頼できる。―――いや、信頼したいという気持ちも西宮の中にはあった。

 

 八雲紫が多くの天狗の中から彼女を呼び、彼女に請い、彼女はそれに応じた。

 つまりはこの神社の為に骨を折ってくれた八雲紫が信頼している人物であると同時に、彼女自身もこの神社の為に尽力してくれたのだ。

 無論各々の目的はあったのだろうが、それでも彼女達が行った行為に対して守矢側が恩を感じないで良いという理屈にはなるまい。

 

 それらが西宮が彼女を信頼したいと思った所以だ。

 或いは彼自身、誰かに話を聞いて貰いたいという意図も無自覚に持っていたのかもしれない。

 

「正確に言うならば、御二柱は俺も東風谷も連れて来る心算は無かったようです。ただ、東風谷に関しては外の世界からこちらへ来る過程で力を借りる必要があったため、御二柱は東風谷にだけ事情を語って協力を求めた」

 

 角を曲がり、足を止める。

 射命丸がその動きから察して、西宮が足を止めたすぐ横の襖を開けた。

 

「しかし東風谷は、幼い頃から自身の両親と同様に慕っていた御二柱を、力を失いかけている御二柱だけで幻想の地に送り出すのを良しとしなかった。故に自分もついて行くと宣言し―――後事、つまりは奴の家族と外の神社については俺に託す心算だったそうです」

「だけど、貴方はここに来てるわよね?」

「それが事故だったんです。御二柱とこいつが幻想郷に来る為、外の世界で最後と呼べる奇跡を行使した瞬間―――俺は偶然、その範囲内に踏み込んでしまっていた」

 

 襖の奥にあったのは、早苗の部屋だ。

 パジャマと下着が敷きっぱなしの布団の上に脱ぎ捨てられているのを見て、西宮と射命丸が双方共に顔を顰める。

 

「結果として俺までこっちに来てしまい、逆に向こうの神社は―――東風谷の両親は、俺も東風谷も居ない状態で残されてしまった」

「だからこの子は外の世界の御両親が心配ってわけね」

「恐らくは」

 

 射命丸が下着とパジャマを拾い集め、丁寧に畳んで部屋の隅に置く。

 この辺り、彼女は意外と几帳面なようだ。

 そして西宮はそれで空いた布団の上に、早苗を寝かせた。

 

「その件については八雲様が、守矢神社が異変を起こす際の交換条件として、『外の世界に残された神社と東風谷の両親へのケア』を出して下さいました。しかし異変において逆に八雲様や射命丸さんにも迷惑をかける結果になった以上、その条件をこちらから再度お願いしても良いのかどうか……」

「貴方、この子―――早苗ちゃんは大事?」

「ええ」

「だったら頼めば良いじゃない。私や紫への迷惑よりも、この子の事を優先しなさいよ」

 

 そして両者は、眠る早苗を見るようにその横に座る。

 西宮は正座、射命丸は足を崩した女の子座り。

 両者ともに会話を継続しながら、しかし互いの顔は見ずに早苗の寝顔を眺めている。

 

「外面の関係もあるから、あんまり気軽に外の世界と繋ぎを取ることはできないでしょうね。余り気軽にこの子の為に外と行き来してしまうと、『こいつばかりずるい』という意見も出かねないから。でも、あの御人好しなら無碍にはしない筈よ。元はと言えばあいつが御二柱を誘わなければ、貴方もこの子も幻想郷に来る事は無かっただろうしね。あいつの責任よ、責任」

 

 寝顔を見て小さく笑いながら、そこまで言った所で不意に何かに気付いたように射命丸が横目で視線を西宮に向ける。

 

「そういえば、貴方の家族は?」

「…………東風谷の家が俺の家族のようなもんでしたね」

「―――そう」

 

 僅かな沈黙の後、心なしか強い語調で言われた言葉。

 それに対し、射命丸は追求せずに言葉を噤んだ。

 西宮は思わず強い口調で言ってしまった言葉に、しかし恐らくそこに含まれた負の感情を分かっていて追求を止めた彼女に感謝する。

 

「この子を見てると信じられないわ。何でこの子、貴方を置いて行こうとしたのかしら。どう見ても、お互い憎からず思っているじゃない。それが恋慕か友誼か家族の情かは、私には分からない―――いえ、多分貴方達も分かっていないんだろうけど」

「そうですね、実際どうなんでしょうか?」

 

 そして詩歌でも歌うかのような口調で、どこか期待するように告げられた言葉に、しかし西宮は照れるでも怒るでもなく、静かに首を傾げる。

 

「まぁ、友誼はあります。家族の情も確実にあります。加えてライバル関係みたいな物も互いに持ってますし、恋慕も―――こいつが、早苗が目の前から消える可能性があったって突き付けられて実感しましたけど、やっぱり、あります」

「あら意外。最後の部分、自覚はあるんだ」

「薄い自覚ですけどね」

 

 苦笑する西宮に対し、射命丸も僅かに笑いを返して早苗を見やる。

 目の端に涙の痕を残す風祝は、布団の上で安らかな寝息を立てていた。

 

「多分この子も似たような物よ。千年生きた女の勘だけどね」

「下手な根拠よりも説得力があって怖いですね。―――それで、早苗が俺を置いて行った理由ですけど」

「何か推測でも?」

「推測というか、こいつは御二柱と同じくらい御両親が好きだったってだけですよ。だから御二柱の方は自分が行き、俺の自意識過剰で無ければ相棒と呼べる程度には信頼してくれていた俺に、後事を託そうとした」

「成程、自分の感情は全て無視して―――か。損な子ね」

「ええ」

 

 ともすれば、半身とも言える存在を欠いたままこちらへ来た彼女は、早い段階で精神的に潰れていた可能性すらある。

 そう危惧しながら呟く射命丸に対し、頷いた西宮が早苗の目の端に浮かぶ涙の痕を指で拭う。

 むずがるように早苗が身じろぎした。

 

「―――ですが、だからこそ。俺はこいつを放っておけないんだと思います」

「おぉ熱い熱い……とでも言うべきかしらね。あんまりにも熱いんで、焼き鳥になる前に退散しましょう」

 

 その両者の姿を見た射命丸が、いつもの韜晦するような口調で言いながら立ち上がる。

 音も立てずに身を翻し、襖を開けてそれを潜り、去り際に彼女は肩越しに西宮に笑いかけた。

 

「レミリアには絡まれてたみたいだけど。確かに貴方は思考や行動に外の世界の色が濃く、それを嫌う者もこの地には多い。私も貴方が持つ要素がそれだけならば、決して貴方を好ましいとは思わなかったでしょうね。―――だけど反面、根の部分で妖怪相手にすら怯まずに、弱いながらも持てる力の限りを尽くそうとする姿は、遥か昔の大和の人間を思い出させる姿でもある。そう、私達妖怪を退治てくれようと来た、愚かしくも愛おしい人間を」

「……褒めているんですか?」

「褒めているのよ。好ましいと、愛おしいとすら言って良い。あぁ、別に惚れた腫れたって意味じゃないわよ? ―――ん、もしかしたら期待した?」

「無いとは言いませんけどね。美人にそう言われて悪い気はしません」

「あら、ありがとう。御世辞でも嬉しいけど、浮気はダメよ? ……って、話が逸れたわね」

 

 肩越しに振り向いたまま咳払いを一つして、

 

「―――故に、私は今回少しだけ世話を焼いてあげる。紫に後で話を振っておいてあげるし、会話次第じゃ早苗ちゃんの御両親へのケアを急ぐようにけしかけても良い」

「……それは」

 

 破格だ。故に西宮は思わず口ごもる。

 射命丸文は好ましい人種であるとこれまでの会話で感じていた西宮だが、しかし半面非常に計算高い相手であるとも見ている。故に悩む。果たして素直に受けて良いのかと。

 しかしそんな彼に対し、しかし彼女は笑って曰く、

 

「乙女の涙は条理と計算を覆すのが必定よ。泣いてる女の子とそれを助けたい男の子が居たら、横から世話を焼いてあげるのも年長者の権利ってものでしょ」

「―――申し訳ありません。そして、感謝いたします」

「宜しい」

 

 その言葉を最後に、射命丸はそのまま襖の向こうに消えて行った。

 それを見送った西宮が思うのは、今の部分で悩んでしまう辺り、確かに自身は外の世界のレミリアが嫌うような人種に近い面があると言う事。それは今後、幻想郷で生きようと思うならば優先的に直さねばならない点だろう。

 そして―――

 

「役者が違った、か」

 

 椛が先輩と慕う烏天狗が、自分が思っていたよりもずっと懐の深い人物だと言う事。

 自分も要精進かと苦笑しながら、寝ている早苗の髪を撫でる。

 

 しかしそんな西宮へ向けて、襖の向こう―――恐らく少し進んだ廊下の先から、烏天狗が声を張り上げて来た。

 

「あっ、そうだ。早苗ちゃんと行くとこまで行ったら特集組むから教えてね! 何なら今襲っても、私の新聞的には全然OKだから」

「最後に落とさないで下さい!!」

 

 ―――しかし結局のところ、彼女の根っこは自由奔放でゴシップ好きな烏天狗なのかもしれなかった。

 



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東方西風遊戯

 結論から言うと、八雲紫もまた西宮とは役者が違ったと言ってしまって良いだろう。

 彼女は西宮が気にしていた今回の異変において被った迷惑など露ほども気にする事無く、既に外の守矢神社に対する対処を始めていたのだ。

 

「まぁ正確には異変が始まるもっと前からだけど―――黙っていたのは申し訳ありませんでしたわ。射命丸から聞いたけど、早苗さんがそこまで気にしていたなんてね」

 

 と、言うのは宴会の翌朝、守矢神社を改めて訪れた紫の言葉だ。

 守矢神社の本殿にて守矢勢と向かい合うように座り、彼女の訪問を受けて集まった守矢の住人である二柱と二人を前に頭を下げる。

 それを受けて二柱もまた紫に、そして早苗に頭を下げる。

 

「いや、すまない。私達も目先の事に手一杯で、そちらに気を回す余裕が無かった。―――いや、言い訳にしかならんな。早苗の内心に気付くべきは、私達であるべきだったろうに」

「力を取り戻して浮かれてたのかもねぇ。ごめんよ、早苗」

「そんな……御二柱も紫さんも、気にしないで下さい。私がそう振る舞ってただけなんですから……」

「御三方が下手を打ったというより、今回に限っては東風谷が上手く内心を外に見せなかった、というべきかも知れませんね」

 

 そして早苗の言葉を補強するように西宮が肩を竦め、しかし一瞬後には表情を正して紫に向き直る。

 彼がこの会談用に全員分用意した最高級の玉露に、横の早苗が気持ちを落ち着けるように口を付けた。

 

「それで―――大変申し訳ありませんが、八雲様。早速ですが外の現状はどうなっているか伺っても宜しいですか?」

「ええ、勿論ですわ。平たく言えば―――」

 

 そして早苗が茶を口に含んだ直後、紫が満面の笑みと共に言葉の水素爆弾(ツァーリ・ボンバー)を投下する。

 

「こちらに飛んだ筈の神社は向こうでは現存しており、早苗さんと西宮君は駆け落ちした事になっております」

「ぶふぅ!?」

 

 次の瞬間、早苗が口に含んだ玉露は緑色の噴霧と化し、レスラーの毒霧もかくやという勢いで八雲紫の顔面に襲い掛かった。

 西宮は正座の状態から前に崩れ落ちるように、形容し難いポーズを晒す。

 頭が机にぶつかった時、『ゴン』という大変良い音が響き渡った。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「ごめんなさい! 本っ当に申し訳ありませんでした紫さん!」

「い、いえ……大丈夫よ、うん」

 

 数分後。

 玉露まみれになった紫の顔を蛙と蛇の絵の付いたハンカチで拭きながら、早苗は全力で頭を下げていた。

 紫側も非が無いわけではない。面白い反応が返ってくるだろうと言う理由で結論から伝えたのがこの結果と考えると、早苗が茶を口に含む前に言うべきだったとも言えるだろう。

 いや、まさか花の女子高生が悪役レスラーのように口からジェット噴射をカマすという事態がそもそも想定外だったか。ともあれ―――

 

「八雲様、何がどうなってそんな話になったかをお教え願えますか? 願えますね?」

 

 正座のまま眉間に皺をよせて、西宮が紫ににじり寄る。

 対する紫は頬をヒクつかせ、こちらも器用に正座のまま後退しながら頷き、

 

「え、ええ。勿論よ。だから落ち着きなさい? いいえ、落ち着いて」

「大丈夫です紫様。俺は今、かつてポンペイを粉砕したヴェスヴィオ火山の火砕流と同じくらい冷静です」

「例えの意図が良く分からないけど、混乱しているのと落ち着いていないのだけは伝わって来たわ……というかね、神社に関しては藍に頑張って貰ったのよ」

 

 詰め寄る西宮の顔の前に指を一本立てて制し、紫は語る。

 残った片手で隙間から扇子を取り出し、それで口元を隠してにやりと笑う姿は、胡散臭い隙間妖怪そのものだ。

 

「―――そもそも、何故先の異変の中で私は式神である藍を使わなかったと思う? それこそ、異変が終わるまでこちらに顔すら出させずに。まぁ、霊夢や魔理沙に私の関与を知られたくないというのはあったけど、それ以上に藍は外の世界で一つ仕事をさせていたの。狐らしく―――ね」

「……あぁ、なるほど! 化かしたわけだね」

「その通りですわ」

 

 そして守矢勢の中で、真っ先に納得したように頷いたのは諏訪子だ。

 他の三名は困惑の表情を浮かべ、諏訪子と紫を交互に見る。

 頷いた拍子に落ちそうになった奇抜なデザインの帽子を手で押さえながら、彼女は紫の解説を引き継ぐように語り出す。

 

「要はさ。こっちに持って来ちゃった神社を幻術とかで『ある』ように見せかけているんじゃないの? その間に、偽の守矢神社を作り上げるとかかな。後は偽神社が完成した後に、幻術で作った神社と偽の神社を入れ換えれば、神社の消失に関しては誤魔化しが効くんじゃない? 幻術って言ったら狐の十八番でしょ」

「中正解ですわ。流石に入れ換える心算の神社を一から作るのは骨が折れますので、外の世界の廃棄された神社を元に改造中ですわね。―――藍が」

「何でも藍様ですか。大丈夫ですかそれ」

 

 式任せな紫に、流石に西宮が突っ込みを入れる。

 しかし紫はどこ吹く風で、

 

「大丈夫よ。あの子はかつては大陸で人間騙して傾国の悪女を二、三回やらかした挙句、流石に向こうに居られなくなって、日本に来た後も似たような事をやって殺生石に封じられた筋金入りよ? 騙しは御手の物。最近は随分丸くなったけど、昔はそりゃもうお転婆だったわよ」

「今凄く知りたくもない歴史の隠された事実を知った気がします。中国史と日本史的な意味で」

「殺生石? 何でしたっけそれ。なんか三丁目の田島さんの御婆さんが、強盗相手に投げ付けて危うく息の根止めそうになった漬物石でしたっけ」

「殺生するのに使う石って意味じゃないからな。つか、御歳八十で漬物石投擲とか、あの婆さん絶対介護要らんな」

「なにそれこわい。ゆかりんこわい」

 

 仮に外の世界に出ても、三丁目の田島さんとやらには絶対に近付かないようにしよう。そう決意した境界の賢者だった。

 

 ともあれ話の筋は単純だ。

 まず外で事件に対するケアをするに当たって最大の問題になるのは、『神社が消失した』という事。

 西宮と早苗が行方不明になった程度ならば、二、三日程度は家出程度の言い訳で誤魔化せる。しかし神社はそうはいかない。確実に大騒ぎだ。

 

 故に紫は真っ先に藍を派遣し、神社が『在る』という幻をその場に訪れた人間に見せる為の結界を張った。視覚のみならず触角まで騙す特別製だ。

 幻想入り二日目に西宮が人里で藍と遭遇した段階で、実はその処置は既に終わっていたと言うのだから、藍の有能さが伺い知れる。

 

「ん、ごほん。それでまぁ、神社に対するケアはそれで良いとして、次は貴方達の友人など―――つまりは貴方達二人を知る人達へのケアなんだけど」

「ああ、何か凄い説を浸透させてくれたそうですね、八雲様」

「本当ですよ。私と西宮が駆け落ちだなんて」

 

 呆れたように言う西宮と早苗。彼らは外の世界では行方不明扱いになるだろう。

 しかし彼らに対しての一般人の反応だが―――これに関しては紫も藍も予想外の結論が、既に外の世界の彼らの友人の間で囁かれていたのだ。

 それは即ち―――

 

「私も藍も、殆ど何もしていないわよ?」

「え?」

「へ?」

「貴方達二人が同時に行方不明ってだけで、既に貴方達の友人の間で駆け落ち説が圧倒的な支持を集めてたし」

「……何故にッ!?」

「ど、どうしてですか!?」

「いや、何故って言われても私は貴方達の外の世界での言動とか知らないし……」

 

 ―――即ち、駆け落ち説。

 神社に対するケアは初日に藍が行った為、『西宮と早苗がいきなり行方不明になった』とだけしか認識されなくなった守矢神社の幻想入り。

 それは即ち、駆け落ちとして周囲の人々に受け入れられていたのだ。

 

 これに関しては、彼ら二人の自業自得と言うしかあるまい。

 登下校は一緒。西宮は早苗の実家である神社に入り浸り。弁当は二人分西宮が用意する。早苗から西宮への無防備な対応。西宮から早苗への時々見せる優しさ。

 彼らと付き合いのある学友達や御近所さん達が駆け落ち説を唱えるのも無理もあるまい。

 藍と紫がやったのは、その噂を補強するような証拠を二、三用意した程度だ。

 

「まぁとにかくそんな感じで、外の世界での神社と貴方達に関する扱いは概ねそうなってるわ。一般人相手には、ね」

「―――となると、例外が居るわけだ」

 

 そして胡散臭い笑みを浮かべながらの紫の言葉に、神奈子がどこか神妙に頷きながら呟いた。

 対する紫は早苗に目線を送り、ゆっくりと頷きを返す。

 

「ええ、その通りですわ八坂さん。早苗さんの御両親には、真実を伝えてあります」

「……っ!!」

 

 紫の言葉に早苗の身体がビクリと震える。

 それを横目で見ながら、西宮が呟いた。

 

「親不孝をした自覚はあるみてーだな」

「……ええ」

 

 その言葉にはオブラートに包むような婉曲さは無い。

 ある意味そういう面では、彼は彼女に甘くは無い。失敗は失敗として認めた上で、そこから先へ進むフォローをするのが早苗の相棒としての彼の在り方だ。

 対する早苗の返答は、彼女らしくなく静かだった。

 

「紫さん……お父さんとお母さんは、なんて言ってましたか?」

「そうねぇ。物凄く心配していたわよ? あとまぁ、実際に力を使って見せたのが大きいだろうけど―――私の言と、私達のような幻想の存在を信じてくれた。その度量は、流石に貴方の親で、西宮君の親同然の存在ね」

 

 胡散臭い笑みを浮かべたまま、紫が扇子を持った手を水平に伸ばす。

 扇子の軌道に沿うように、空間に線が引かれ―――そこにありとあらゆる物理法則を無視して、空間が『開く』。

 無数の瞳を内包する謎の空間、『隙間』。それを操作する事が隙間妖怪と呼ばれる彼女の能力であり、その能力は彼女以外の何者も為し得ない事を可能とする物でもある。

 

「まぁ、そこから先は―――」

 

 ―――そう。

 幻想郷で唯一、彼女だけが幻想郷の外と中とを容易く往来する事を可能とさせる。

 それは彼女自身であろうとも、他の誰か(・・・・)であろうとも。

 

「―――本人達で話し合ってみたら?」

「……え?」

 

 そして、『してやったり』とでもいうような満面の笑みで告げられた言葉と共に、隙間の中から出て来たのは一組の中年の男女。

 神職らしき服装をした男性と、彼に寄り添うように立っている女性。

 彼らを見た早苗は呆然とした声を発し、対する二人は隙間から出るや否や、早苗の姿を見て感極まったように声を上擦らせる。

 

「早苗……!」

「早苗、良かった……」

 

 そしてその言葉を―――自らを呼ぶ両親の声を聞いた早苗は、呆然とした表情からくしゃりと顔を歪ませる。

 堪えるように唇を噛み締め、しかし堪え切れずに瞳に涙が浮かび、零れて行く。

 その背を、不意に後ろから諏訪子が押した。

 

「行ってきな、早苗」

「あ……」

 

 押された早苗が座っていた状態から、のろのろと前に進みながら立ち上がる。

 同じように彼女の両親も、ゆっくりと彼女へ向けて歩き始めた。

 一息に駆け寄らないのは、まるでこれが夢か幻か―――それこそ幻想ではないかと疑っているからか。

 

 しかしそれも数秒。

 そう遠くもない距離を両者は詰め終わり、早苗とその両親の手が互いに触れ合った瞬間、

 

「―――お父さん、お母さんっ!!」

「早苗!!」

「ごめんね、ごめんね早苗……!」

 

 三人は弾かれたように抱き合い、涙を零しながら再会を喜び合う。

 紫は音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、二柱と西宮に目配せ。それを受けた三名も、各々苦笑したり肩を竦めたり、あるいは貰い泣きをしそうになりながら席を立つ。

 ちなみに順に諏訪子、西宮、神奈子であった。

 

 そして紫とその三名は抱き合う家族を残し、本殿を出る。

 すぐさまぐすっと鼻を啜って、神奈子が紫の手を取って頭を下げた。

 

「すまない、八雲……! ここまでして貰うとは、お前には返しきれない程の恩が出来た……!」

「大した事ではありません、とは言いませんわ。幻想郷の存在を外に知られたくない以上、外の人間に幻想郷の存在を知らせるのは好ましくありませんからね。早苗さんの御両親に関しても、本当はここまでする心算はありませんでした」

「記憶の境界でも操って、早苗の事を忘れさせる心算だった?」

「ええ、その辺りが落とし所だと思っていましたわ。ですが流石、守矢の神主とその妻と言うべきかしら。記憶を消す前に一度、早苗さんの親がどのような人か話してみたかった。故に私は彼らの前に隙間を使って現れたのですが―――」

 

 その時の事を思い出して、紫は小さく笑う。

 突如現れた不気味な力を使う謎の人物相手に、守矢神社の神主夫妻がまず聞いたのは『お前は誰だ』でも『何をしに来た』でもない。『早苗と丈一を知っているか』である。

 恐らく早苗と西宮が行方不明になって程無くのタイミングで現れた紫に、事件との何らかの関連性を感じ取ったのだろうが―――だとしても、怪しいどころの騒ぎではない相手にいきなりそれだ。肝の太さは流石に早苗の両親である。

 

 そして娘と息子同然の相手を何よりも想うその対応は、紫にとって好ましい物だった。

 故に彼女は彼らに事情を説明し、自らの存在と幻想郷、そして早苗と西宮がそこに居る事実を語って聞かせた。

 かくて東風谷夫妻は事情を聞き終わり、紫に告げる。

 『自分達は親として失格である』、と。

 

 目を丸くする紫に対し、彼らが告げた事は『早苗が幼い頃に語った二柱の存在を、子供の絵空事と決めつけ、笑い飛ばしてしまった』という事実だった。

 或いは自分達がそれを信じる努力をしていれば、早苗は幻想郷に行く前に自分達に相談を持ちかけてくれたのではないか。

 或いは自分達が早苗の様子に気付いていれば。或いは自分達がもっと真剣に彼女に向かい合っていれば。

 

 東風谷夫妻が語った内容はそのような後悔であり、故に彼らは紫に懇願した。

 ―――早苗に会わせて欲しい、と。

 

「―――なんというか、情にほだされたのかもしれませんね。無論、外の世界で幻想郷の存在を話さないようにする事など、幾つも条件は付けましたわ。藍が得意な妖術で、幻想郷について話を出来ないように強制をかける事も条件の内。そこまですれば、まぁ彼ら自身の人柄も信用に値する物に思えましたし、幻想郷の存在が外に漏れるとは考えられないでしょう」

 

 無論それは面倒な事である。

 紫からすれば、さっさと記憶の境界を弄ってしまうのが一番手っ取り早い。

 だが、その面倒を享受しても早苗と両親を再会させてあげても良いかと、紫は思ってしまった。

 

 彼らは紫や幻想郷という、幻想の存在を認めた。

 二柱について幻想郷に行くという娘の決断をも、紫から事情を聞いた上で認めていた。

 しかし娘に対して真剣に向き合いきれなかった自分達を、娘の事情を察しきれなかった自分達を、娘が幻想郷に行く前に気付けなかった自分達を、ただ悔やんでいた。

 

 結局のところ、そんな彼らと―――そして幻想郷で両親を想って泣いた早苗の姿を見て、情にほだされた。

 この件に関する紫の行動理由は、そこに集約されるのだろう。

 

「……八雲。後で私達も、早苗の両親と話す機会を貰えるか?」

「ええ。丸一日程度は許しましょう。流石にそれ以上の滞在は、幻想郷の管理者として許せませんけどね。―――それに、今回は特別サービス。あんまりこのような事を繰り返していては、他への示しが付きません。それは分かった上でお願いします」

「分かってるよ。ただ、早苗を巻き込んだのは私達の事情だからね。やっぱり一度、両親に謝っておくのが筋でしょ」

「まぁ確かに、そうですわね。でもそこら辺は貴方達に任せますわ。私は明日のこの時間にでも、もう一度やって来ます。その時に東風谷夫妻を境界の外へお返ししますが―――」

 

 ちらりと紫が西宮に目を向ける。

 

「―――自らの意思で来た早苗さんはともかく、西宮君は事故で巻き込まれたような物。望むならば、ついでに外の世界にお帰ししても構わないわ。無論、その場合は東風谷夫妻と同じ程度の処置は取らせて貰うけど」

「東風谷はこっちに残るんでしょう?」

「ええ。彼女は自分の意思でこちらに来るのを選んだ。そうである以上、そう易々と向こうに帰すわけにはいかない。境界の管理者としての、それはルールよ」

「成程。―――ならば俺の返答は決まっているような物でしょう」

「そうね。愚問だったかしら」

 

 西宮の返答に対し、紫は小さく笑ってそれに応じる。

 そのまま自らの眼前に境界を開き、彼女は西宮達の眼前から去って行った。

 それを見送り、諏訪子が呟く。

 

「大きな借りが出来ちゃったねぇ」

「そうだな。或いはそこまで計算の上なのかもしれないが、だとしてもこれは大きな借りだ。そうそう返し切れないほどに、な」

 

 本殿の中から漏れ聞こえる会話は、早苗と両親が互いに詫び合っている事を伝えて来る。

 早苗は自らの短慮と親不孝を。両親は自分達が早苗を理解し切れていなかった事を。

 それを聞きながら、彼らは足を社務所に向けた。

 

「まぁ、まずは親子水入らずで話させてあげましょう。俺や御二柱が東風谷の御両親に話をするのはその後で」

「私らなら、まずは『誰だお前ら』とか言われそうだけどね。向こうじゃ見えてなかったし」

「俺が言いましたよね、それ。あの時は本当に失礼しました。しかしぶっちゃけ誰かと思いました、マジで」

「まぁ流石に、今回はあの時と比べて事情の説明が出来ている分は楽だろう。丈一の事は完全突発事故だったしな……」

 

 思い出して苦笑する三人。

 そして―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――では、皆様。これが最後ですので、心残りの無いようにお願いしますわ」

 

 そして、翌日―――守矢神社の境内。

 そう宣言する紫が開いた隙間の前に、東風谷夫妻と早苗、そして西宮と二柱が立っていた。

 東風谷夫妻と、幻想郷の守矢神社に残る者達の別れの時だ。

 

 昨日は多くの事を話したと、西宮は思う。

 神奈子と諏訪子は早苗を連れて来てしまった事を夫妻に詫び、しかし夫妻も神を祀る身でありながら神に気付きすらしなかった自らの不甲斐なさを詫びた。

 

 西宮自身は夫妻から、娘をくれぐれも宜しく頼むと念を押された。

 まるで娘を嫁に出す両親である。否、或いは本人達は殆どその心算だったのかもしれない。外では駆け落ち説が流れている事でもあるし。

 早苗の父は晩酌相手にして将棋の相手でもあった西宮が居なくなる事を残念がっても居た。

 『娘と息子が一度に離れて行くのは寂しいものだ』という言葉に、不覚にも涙腺が緩みかけたのは彼だけの秘密である。

 

 早苗と両親は一番長く語り合い、そして昨晩は三人そろって同じ布団で語り明かしていた。

 そして今、或いはこれが今生の別れである可能性が高いのも気付いているのだろう。

 

「お父さん、お母さん……今まで本当にありがとう」

 

 隙間に入らんとする両親に、早苗は涙を堪えながら、必死に笑みを向けていた。

 これが今生の別れになるなら、故にこそ笑顔で。

 それが彼女が出した結論のようだ。

 

「不甲斐ない神で済まなかった。早苗の事は任せてくれ」

「早苗に不自由させないよう、私達も頑張るからさ」

 

 二柱は夫妻へと安心させるように言葉をかけている。

 無論それは言葉だけの物ではなく、紛れもない本音で本気だろう。

 彼女達にとっても早苗は娘のようなものなのだから。

 

「今まで本当にありがとうございました。―――俺にとっては貴方達が本当の両親のようなものでした」

 

 そして西宮は、夫妻へ深々と頭を下げた。

 それら一連の言葉を受け、夫妻は二柱へ重ねて()息子(・・)を頼むと頭を下げ、早苗と西宮を最後にもう一度だけ強く抱きしめ―――そして別れの言葉と共に、外の世界へと続く隙間へ入って行き、程無くしてその隙間が消え去った。

 

「……う、あぁ……ぐっ……うう……!!」

「あぁ、クソ……行っちまったか」

 

 そこが限界だったのだろう。早苗が嗚咽と共に涙を流し、崩れ落ちる。

 西宮もその横でごしごしと袖で目を拭い、空を見上げる。

 

「……諏訪子。私達は本当に、神失格かもしれんな」

「ああ、全くだよ。自分らを信じてくれた信者、その親子の間を割くなんて神様失格どころの騒ぎじゃない。だけど、だからこそ……幻想郷でのこれからの生活で、あの二人にこっちに来て良かったと思わせるほどに幸せにしてやろうじゃないか」

 

 二柱がその二人の姿を見て、これからの幻想郷での暮らしへ決意を新たにする。

 そして―――

 

「―――ええ。八坂神奈子さん、洩矢諏訪子さん。東風谷早苗さん、西宮丈一君。幻想郷は貴方達を受け入れましょう」

 

 ―――そして守矢一家のその姿を、優しく微笑みながら見守る賢者がそう告げる。

 両手を広げ、温かく微笑み、境界を司る優しき賢者は宣言する。

 まるでこれが始まりだとでも言うように。

 

「改めまして、忘れ去られし者達が集う地へようこそいらっしゃいました。私は境界の管理者として貴方達を歓迎しましょう。さぁ―――」

 

 そう。これにて開幕(プロローグ)終幕(おわり)

 

「―――ようこそ幻想の地へ。幻想郷は全てを受け入れますわ」

 

 ―――東方西風遊戯。正しくこれより、開幕し候。

 



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第二章 日常編(風~緋)
愉快過ぎる忘れ傘


 後に風神録異変と語られる異変―――より正確に言うならば、異変というよりも守矢神社が博麗神社に吹っ掛けた喧嘩が終了し、数日が経過した。

 早苗と西宮は各々が布教活動をしたり、それぞれに出来た友人と交友関係を深めたりといった日々を送る中、とある一つの事件に遭遇する。

 

 それは一人の少女が守矢神社を訪れた事が始まりだった。

 

「うぅ……おなか空いたよぅ」

 

 へろへろと力無い様子で浮遊しながら守矢神社へ向かうは、水色の髪とオッドアイ、そして紫色の大きな唐傘を持つ一人の少女だ。

 ただし、持っている唐傘はただの唐傘ではなく、無論それを持つ少女もただの少女ではない。

 唐傘に付属しているのは一つ目と口、そしてべろんと飛び出す長い舌。その唐傘を持つこの少女、名を多々良小傘と言い、いわゆる付喪神の一種―――『からかさお化け』であった。

 

 そして人を食う妖怪ではないものの、人を驚かす妖怪ではある彼女。

 人食い妖怪が人を食べて腹を満たすように、彼女は人を驚かす事で空腹を満たすという特性を持っていた。

 便利であろう。食料要らずであろう。しかし彼女はここしばらく、人の驚きではなく山で拾った木の実を齧る事で空腹を紛らわせていた。

 

 それもその筈。彼女は致命的なまでに人を驚かすのが下手な妖怪であった。

 大昔ならば良いかもしれない。しかし現代、それも妖怪が平然と闊歩するこの幻想郷で、昼間に真正面から近付いて『うらめしや~! おどろけ~!』と元気に叫ぶ少女に驚く輩が、果たしてどれほどいるであろうか? 正直言うと昔でもあんまり居なかった。

 

 故に彼女は随分と長い事、人間を驚かして腹を満たした事は無い。

 驚かそうとした人間に何故か食料を恵まれたり、特に御老人などには人気が高い小傘であるが、そうやって人に頼ってばかりでは仮にも妖怪としての矜持が廃る。

 なればこそ、彼女は今日もこうして人を驚かそうと努力を続けているのだ。

 努力の前に『無駄な』という三文字を幻視する者も多かろうが。

 

「……山の上の神社には、外から来たばかりの人間がいるって聞いたし……きっと驚いてくれる筈。わちき頑張れっ!!」

 

 えいえいおーと拳を振り上げ、小傘は未だに先の魔理沙による天狗の里襲撃事件の被害から復旧が終わっておらず、警備がザルな妖怪の山を上って行くのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 その日も山の頂上の守矢神社では、弾幕戦が繰り広げられていた。

 

「少しかマシになったッスねぇ。でもまだまだ! 無駄無駄無駄無駄ァって所ッス!!」

「くっそ、この駄犬が……!」

 

 神社の前で()り合っているのは二つの影。

 『の』の字に形成された弾幕をバラ撒きながら接近する椛と、近接しようとする彼女を突き離そうと霊弾で抵抗する西宮だ。

 弾幕ごっこは主に女性が嗜むものであるのだが、昨今の異変解決方法が弾幕ごっこ主体となっている以上、守矢神社という幻想郷のパワーバランスの一角を担う立場の組織に所属する者としては腕は磨いておかねばなるまいという判断からの修行である。

 

 尚、似たような理由で弾幕ごっこの修行を義務付けられた一部の男性天狗連中と『美しい弾幕ってなんだよ』やら『俺らみたいな野郎が美しいとかって誰得だよ』とかいう愚痴を言い合えるようになったのは、西宮の立場としては非常に嬉しい話であった。

 誰だって女の園に一人というのは気後れするものである。そう考えると外のマンガやゲームで女性のコミュニティに単独で降り立った主人公というのは本気で偉大だったと思う西宮だった。

 

 そして椛との勝負で互いに放つ弾幕の数比は、椛が八とすれば西宮は二がせいぜいだ。それが即ち、両者の間に存在する純然たる馬力(パワー)の差でもある。

 これでも来た当初に比べれば随分抗戦出来るようになったのだが、それでも勝負の天秤は常に椛の方に傾いている。

 魔理沙を相手にした時と違い、『勝負に負けても大局的に勝てばいい』とかいう話ではなく、純粋な訓練だ。変に策を巡らす余裕も意味も無い分、勝負は純然たる地力の勝負。

 そこでは未だ、西宮が椛に勝てる目は存在していない。

 

 結局弾幕に気を取られて西宮が椛の姿を見失った次の瞬間に、彼女は弾幕の影に隠れて地を這うような超低空から懐に飛び込み、

 

「必殺ぅ! 天狗剣Vの字斬りッス!!」

「げぶはっ!?」

 

 訓練用の木刀を、早苗から借りた漫画を見て覚えた技名を叫びつつ容赦の欠片も無く西宮の身体に叩き込んだ事で、この日の訓練は終了と相成った。

 今日の分の布教活動を終えて帰って来ていて、縁側で戦闘を眺めていた早苗が手を上げて宣言する。

 

「勝負あり! 勝者椛さん!」

「あいあーむ あ ちゃんぴょーん! ……ん?」

「どうかしましたか?」

 

 そして両手を上げ、発音がおかしい外来語を叫ぶ山の千里眼(テレグノシス)

 しかしその喜びの動作が不意に止まる。

 鳩尾を強打されてのたうち回る西宮の苦悶の声をBGMに、早苗の疑問の声を聞きながら椛は麓の方角を向いて目を細める。

 

「勝負に気を取られて気付いてなかったッスけど、誰かがこっちに向かって来てるッスね。紫色のでっかい傘を持った女の子ッス。もう随分近いッスよ」

「女の子? 参拝客の人かなぁ」

 

 椛の言葉に早苗が小さく首を傾げながら、西宮の苦悶の声をBGMに思考する。

 果たして人里で布教活動をした時にそのような少女は居ただろうか。

 或いは二柱が妖怪の山付近で勧誘した信者かもしれない。

 

 そしてそうやって彼女が思考していると、確かに椛が言う通り大きな唐傘を手にした少女が、変にふらふらとした飛び方で守矢神社の前に西宮の苦悶の声をBGMに到着した。

 そのまま彼女はふらふらと早苗に近付いて来て、

 

「う、うらめしや~! 妖怪だぞー、おどろけー!!」

 

 顔を真っ赤にして必死な様子で両手を掲げ、威嚇のようなポーズと共にそう告げたのだった。

 

 『なにこれかわいい』。

 東風谷早苗、多々良小傘と初遭遇時の第一印象はそれであった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「……成程。人を驚かす妖怪なのに、なかなか人を脅かせないと」

「難儀なもんッスね~」

「うぅ……幻想入りしたばかりの外の人間にすら驚いて貰えないなんて、わちきって駄目な子なんだ。……あ、この雑炊美味しい」

「お前らその会話の前に俺に言う事あるよな? ガチ放置した挙句に強制復活させてメシ作らせた俺に対して何か言う事あるよな?」

 

 そして数十分後。

 西宮も含めて彼ら四人は、神社の縁側で並んでいた。

 小傘の前には西宮が作った雑炊があり、彼女は会話をしながらぱくぱくとそれを食べている。

 

 早苗が驚かないと気付き、空きっ腹を抱えて泣きそうになってしまった小傘を見て、椛と早苗が慌てて西宮を叩き起こして対処をさせようとしたのが始まりだ。

 鳩尾が痛いままに左右の手を掴まれて、NASAに連行されるリトルグレイのような感じで小傘の前に引っ立てられた西宮。

 

 早苗曰く、『な、何かお困りだったら守矢神社の代表として話を聞きましょう! ―――西宮が!!』である。

 事情を理解する努力すらせず、全力で解決を瀕死の相方に投げた早苗の姿は、いっそ神々しいまでに潔かった。

 

 そしてぐすぐすとぐずりながら小傘が言った、『おなか空いた』の言葉を聞き、西宮がふらふらしながら昨日の夕飯の余りで雑炊を作って提供。今に至る。

 ちなみにその過程で彼は小傘に事情を問い、左右の椛と早苗も含めて、彼らは小傘の名前と悩みを聞くに至った次第である。

 

「そうッスね……西宮君」

「おう」

 

 そして『お前ら俺に何か言う事あるだろ』アピールをする西宮に、椛が向き直って一言。

 

「ボクの分は無いんスか?」

「帰れよ駄犬。むしろ家に帰るんじゃなくて土に還れ」

 

 西宮は中指を立てたハンドサインでそれに応じ、椛は何か間違ったかと首を傾げる。

 そんな心温まる言葉の弾幕を聞きながら、早苗はふと思いついた事を小傘に聞いていた。

 

「小傘さん」

「……なに? この雑炊はわちきのだよ?」

「いえ、そうじゃなくて。―――もし私が貴方の悩みを解決する事が出来たなら、貴方は守矢神社を信仰して下さいますか?」

「え……」

 

 そして言われた言葉に小傘が雑炊を食べながら思考する。

 数秒の思考を経て『雑炊が美味しい』という結論に至った小傘、力強く頷いて、

 

「この雑炊美味しいね」

「そうでしょう? 西宮の料理は絶品ですよ」

「お前ら放置しておいたら光の速さで脱線を始めるな」

 

 いきなり話をすっ飛ばした小傘と、即座に流されかけた早苗。その二人に横合いから西宮の突っ込みが入る。

 彼は大きくこれ見よがしに溜息を吐き、

 

「多々良だったか。見ての通りウチは神社で、しかも外から来たばかりで信仰を集めている真っ最中だ。こいつはお前の手助けをする事で信仰を集めたいらしい」

「手助けって……わちきでも人を驚かせるようになるの?」

「生憎そこまでは保証しかねる。俺はそこの駄犬にボコられた挙句に料理まで作らされたんで、体力的に限界なんでとりあえず休みたいから手助けはしかねるが……」

「西宮、貴方は外道ですか! こんな可愛らしい子の悩みを聞いておきながら、寝るのを優先で放置するなんて―――」

「手伝っても良いけど、その場合俺は今日の夕飯を作るのを放棄するからな」

「―――小傘さん、西宮は疲れているので今は休ませてあげましょう。大丈夫、私が貴方の力になります!」

 

 胸を叩いて請け負う早苗。

 直前までの西宮との会話を見ていると、間違っても頼もしくは映らないであろうその姿が、しかし―――

 

「さ、早苗……! わちきの為に、ありがとう……!」

 

 しかし、天然系唐傘お化けである多々良小傘には、どういう脳内化学反応の結果かは知らないが、とても頼もしそうに見えた模様である。

 拳を胸の前で握って早苗を見つめるその視線は、まるで神を見るような視線だった。

 いや、早苗は一応現人神なので間違っては居ないのだが。

 

「ふっ、早苗さんだけに良いカッコはさせないッスよ……。ぶっちゃけ今、魔理沙さんの襲撃の影響で山の警備隊が実質機能してないッスからね。ボクも今は暇ッスから、手を貸すッス」

「椛さん、貴方は……貴方こそ天狗の鑑です!」

「ふふ、そんなに褒められると照れるッスよ」

「あ、ありがとう! 二人とも、本当にありがとう……!!」

「いける……このメンバーならやれる! 友情、努力、勝利……今なら負ける気がしません! もう何も怖くない!!」

 

 そして明らかに暇つぶしの為に手を貸す事を宣言する椛。

 早苗と小傘はそんな駄犬の手を握り、感激もあらわに叫ぶ三馬鹿娘。

 

 そんな三人を見ながら―――

 

「とりあえず夕飯時には全員戻ってこいよ。人数分作っておくから」

 

 ―――西宮は既に突っ込みの努力を放棄し、椛との模擬戦でダメージを受けた身体を癒す為に自室に戻って眠りに向かうのだった。

 或いはこの時、彼がもう少し真剣に事態を受け止めていれば―――後にあのような悲劇は起こらなかったのかも知れない。

 

 多々良小傘改造計画。

 彼女が人を驚かせるようになる為に、早苗、椛、小傘の三馬鹿娘の出陣であった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「まず認めなくてはいけないのは、小傘さんには単独で状況を打破する程の戦力が無いという事です。戦術論の話になりますが、戦力的に劣る状況で目的を達するには奇襲と罠なのです」

「うん。良く分からないけど早苗って頭良いんだね」

 

 トリオ・DE・馬鹿もとい早苗、小傘、椛の三人は神社の縁側に腰掛け、西宮が寝る前に置いて行ってくれたお茶と煎餅を肴に作戦会議を開いていた。

 司会進行役は早苗。外の世界でPC版三国志をやらせたところ、まさかの袁術に敗北する曹操という奇跡を披露した、常識に囚われない戦術家である彼女の見識に期待が集まる。

 分からない人の為に平易に例えると雑魚妖精に敗北する霊夢でも想像して貰えれば分かり易かろう。或いはドラキーに敗北する魔王バラモスか。

 

 ちなみにその手のゲームは性格が出る。

 他の守矢勢がやった場合は、西宮は内政を重視して自領土の内政値をマックスまで上げて黄金楽土を築き上げ、神奈子は軍勢を整えモンゴル騎馬民族の如き侵略国家を作り出し、諏訪子は謀略戦で他の国を陥れる有様であった。

 

 そして奇跡の軍略家、東風谷早苗。彼女が思い出したのはゲームをしながらの自らの相棒と、仕える軍神の会話である。

 

『聞け、丈一。本来であれば敵より圧倒的な大軍を擁し、装備と兵站を整え、指揮を系統立て、情報を十分に集めた上で戦うのが常道である。しかしそれが出来ぬならば、罠と奇襲が少ない戦力で目的を達成する為の有効な手段になると心得よ』

『神奈子様ってRPGやらせると、確実にレベルを上げまくってから戦うタイプですよね』

『軍神に負けは許されん。勝てる状況を作り出してから戦うのが仕事である』

 

 重々しく頷く神奈子の前で、しかし西宮がコントローラーを握っているゲームは三国志ではなく早苗が持っていたスパロボだった。

 あのゲームに限って言えば戦争に重要なのは神奈子が言ったような事よりも、気合と勇気と愛と友情である。精神論は物理を凌駕するのだ。

 

 閑話休題(それはともかく)

 早苗は奇襲と罠という言葉を思い出しながら、自らの所見を眼前の二人に述べた。

 

「―――つまりは、相手を驚かすという事も奇襲と罠に尽きると思われます。奇襲も罠も相手の裏を突いたら勝ちだって西宮と神奈子様も言ってました」

「あー、あの二人だったら言いそうッスね。んじゃ具体案は?」

「私に考えられる罠と言えば、落とし穴の底に竹槍を置くくらいですが……」

「や、止めようよ! 驚く前に死んじゃうよ!!」

 

 物騒極まりない早苗の言葉に、流石に小傘が慌てた様子で訂正を要求する。

 その言葉に椛も頷き、

 

「竹槍には糞尿をまぶしておくと、傷口の治療が難しくなって殺傷性が上がるッスよ」

「追求するのはそこじゃないよ! 意外性を考えようよ!!」

「じゃあ竹槍抜いて糞尿残して、落とし穴の底に糞尿を敷き詰める感じでどうですか?」

「それ、単なる肥溜じゃないかな……」

 

 話題の約半分が糞尿まみれの最悪のガールズトークに突っ込みながら小傘は考える。

 糞尿と竹槍はともかくとして、一理はあると。

 正面から勝負を挑むばかりが戦術ではない。奇襲―――そう、正面から声をかける以外にも脅かす手段はあるのではないか。

 

 そう、時代は意外性。まさに目から鱗である。

 忘れ傘の付喪神、多々良小傘。この結論に辿り着くまで、妖怪としての発生から軽く百年程度を必要としていた。

 

「殺傷性は可能な限りパージするとして、意外性を重視するのは良いかも」

「ではその方向で。後は小傘さん、今時『うらめしやー』は無いですよ。些か古典的に過ぎると言わざるを得ません。古典を否定するわけではありませんが、時代は常に先へと進む潮流のような物。過去の常識に拘り過ぎてはいけませんよ?」

「う……じゃあ早苗、どんな掛け声が良いと思う?」

「そうですね……新たな必殺の脅かし方を考えるにあたって、必殺技ならば愛を叫ぶのは必須でしょう。とりあえずアモーレと叫んでおけば」

「アモーレ……!!」

 

 イタリア語で『愛』を意味する単語を力強く呟く純和製の唐傘お化け。

 既にこの時点で大分どうしようもない予感がする光景だが、そこに椛が更に一石を投じる。

 

「ボクは古典を大事にしたいッスねー。折角小傘さんは唐傘お化けなんスから、古典を大事にしたワビサビも欲しい所ッス」

「じゃあ実際の驚かし方の古典という事で、こんにゃくでも使いますか」

「それだよ……!」

「流石ッス、早苗さん! その発想力……!」

 

 お化け屋敷の古典、こんにゃく。

 相手の首筋にぴとりとくっつける事で、敵の驚愕の感情を引き出す魔法のアイテムである。

 食べると美味しい。

 

「あっ。でも、わちきは昔こんにゃくで人間を驚かそうとしたけど上手くいかなかったよ?」

「使い方次第ですよ。古典的にこんにゃくをペタリと付けて驚かそうとするから上手くいかないのです。そう、古典であるこんにゃくを用いて、新たなる地平の開闢を目指すのです」

「具体的には」

「全力でぶつければ相手驚くんじゃないですかね?」

「それッス!」

「その発想は無かったよ! それならきっと相手も驚くね!」

 

 確かに驚くだろうが、その使用法でこんにゃくである必要性はあるのか。

 そのような真っ当な突っ込みをする人材は、現在社務所の奥でブッ倒れるように眠りに落ちていた。

 かくしてアモーレの雄叫びと共にこんにゃくをぶつけて来る、全く新しい唐傘お化けの誕生である。

 境界の賢者や月の医師ですら想像の埒外であろう生命体が、今ここに生まれたのだ。

 

 トリオ・DE・バカはやり遂げたような表情で互いに頷き合い、

 

「じゃあ早速、こんにゃくを相手にぶつける特訓を開始しないといけないッスね」

「そうだね。弾幕とはわけが違って、手で投げる必要性があるから……上手くいくかなぁ」

「大丈夫ですよ、私が教えます。私、学校―――こちらで言う所の寺小屋で行われたソフトボール大会で、一年C組を優勝に導いた女です。―――全弾デッドボールで敵チームが居なくなったため、繰り上げ優勝って感じでしたが」

 

 当てるのは得意なんですよねー、などと笑う早苗。

 未だに彼らが居なくなった高校で語り継がれる、『東風谷七伝説』の一つである『曲がる死球』である。

 逃げるバッターを追尾するカーブ、フォーク、シンカーなどなど。狙ってもこうはいくまいという精度と角度を以て存分に人体急所に突き刺さるボールは、翌年以降の女子球技大会からソフトボールの項目を消し去るだけの破壊力を持っていた。

 

 そしてそんな早苗に残りの二名は尊敬の目を向ける。

 

「早苗! わちきはこの神社に来て、早苗と椛に相談して本当に良かったよ……! 絶対この神社を信仰するから!!」

「恐るべしは守矢の巫女って所ッスね……ふっ、このボクともあろうものが、心の底から感動してしまうとは……」

「ふふ、大したことはありません」

 

 ぽよんと胸を張る早苗。ちなみに胸部戦闘力では早苗>椛>小傘である。

 しかしそうして胸を張る早苗に対して、小傘がしょぼんとした様子で呟いた。

 

「……あ、でも……食べ物を粗末にしちゃいけないって、昔言われた事があるよ」

「あー……確かに食べ物を使い捨ての投げ武器にするのは不味いかもしれませんか」

「ボクに考えがあるッス」

 

 浮上した新たな問題に、どうしたものかと悩む小傘と早苗。

 そこに椛が手を掲げる。

 彼女は『私に考えがある』という台詞が失敗フラグであるどこぞの司令官のように、自信ありげに声を上げた。

 

「紐ででも手元と繋いで、回収可能にしとけばいいんじゃないッスかね?」

「「それだっ!!」」

 

 かくて方向性を完全に決めた三人は行動を開始する。

 文の家の氷室から勝手にこんにゃくを拝借し、河童のにとりの手を借りてこんにゃくと小傘の手元を結ぶ強靭なワイヤーを用意し、椛がコネを持つ竹林の天才医師からこんにゃくの腐敗を防ぐための防腐剤を仕入れ、早苗の指導の元で大昔のスポ根漫画もかくやというノリで小傘がこんにゃく投擲の練習をする。

 

 そしてその一週間後―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――その日、上白沢慧音は人里と竹林を結ぶ道を歩いていた。

 時刻は黄昏を過ぎうす暗くなって来た夜道を、灯りの入った提灯を片手に足早に人里へ向かう。

 

「いかんな、遅くなってしまったか」

 

 彼女は今、竹林にある友人―――藤原妹紅という少女の家に行って来た帰りであった。

 本来であれば日が落ちる前に人里に帰る心算であったが、生憎と話しこんだ結果、少々予定の時刻をオーバーしてしまったようである。

 しかし彼女に焦りは無い。元より半人半獣、正確に言うなれば半ばが神獣の血を引いている彼女は、それなり以上に腕が立つし、夜目も利く。野良妖怪程度に襲われた所で怖くは無い。

 

 故に彼女は、道行く先に佇む妖怪少女の事もさして気にはしなかった。

 紫色の大きな唐傘を持った妖怪―――正確に言うならば付喪神。

 人里にて人を驚かそうと頑張っていたものの、結局成功せずに泣いて帰るような無害な少女だった筈だと慧音の優秀な頭脳は記憶している。

 

「やぁ。確か人里でたまに見る付喪神だったな。また人里で人を驚かすのに失敗したのか?」

「―――ううん。今からわちきは貴方を驚かすの。覚悟して貰うよ、人里の守護者」

「……なんだと?」

 

 そして距離が近づいた所で、慧音は自分から少女―――多々良小傘に声をかけた。

 しかし返ってきたのは爛々と輝く戦意の瞳

 慧音へ向き直った小傘の表情は決意に燃え、明確な戦意を伝えて来ていた。

 

 どういう心算かと、慧音は内心で首を傾げる。

 目の前の少女は決して好戦的な妖怪ではない。むしろ臆病で、尚且つ他人を脅かそうと頑張るが、それ以上の危害を加える事を積極的に嫌がるような人物だった筈だ。

 

 だが彼女も妖怪。

 何か思う所があったのかと、慧音は内心で小傘への警戒ランクを一段階上げる。

 距離を保ったまま、いつでも動けるような半身の姿勢を取り、彼女は小傘に向かい合った。

 

「……何の心算かは知らんが、それは私と戦う心算だという事で良いのか?」

「うん。―――人里の守護者、つまりは人里で一番厄介な貴方を驚かす事で、わちきはきっと人を脅かす唐傘お化けとして真に生まれ変われるんだ……!!」

 

 そして小傘が懐から取り出したスペルカードを宣言する。

 

「“傘符”こんにゃく特急ナイトカーニバル!!」

「……は?」

 

 そして湖畔の吸血鬼もかくやという狂った命名のスペルカードを叫ぶと同時。

 小傘は弾幕を放つでもなく、一本足から高々と振りかぶり、

 

「アモーレ!!」

 

 愛を叫びながらその手に握ったこんにゃくを全力で投擲した。

 

 ―――さて。

 多々良小傘は華奢な少女であるが、妖怪である。

 そして妖怪は総じて単純な身体能力ならば人間よりも遥か格上だ。霊力や魔力で強化すれば人間でも一時的にその身体能力を手に入れる事は出来るが、この場合の問題は小傘が一般的な外の世界の人間よりも高い身体能力を持っていた事。

 

 それがどういう事を意味するかというと、つまりは豪快なオーバースローから放たれた長方形のこんにゃくは、風を切る轟音と共に外の世界で言うプロ野球選手が放つストレート並の速度で慧音の顔面に迫ったのだ。

 

「ン何ィィィィィ!!?」

 

 しかし慧音もまた、半分は人外。

 顔面に迫ったこんにゃくを、投げられたブツが慮外の物体であったが故に一瞬硬直したが、辛うじて回避する。

 これが弾幕であればもう少し余裕を持って回避したのだろうが、流石にこんにゃくが弾幕ごっこで投げられるとは、知識と歴史の半獣を以てしても予想外であった。

 

 そしてこんにゃくの全力投擲自体が予想外ならば、続く事象もまた予想の埒外。

 辛うじて回避に成功した彼女の目線の先で、こんにゃくを投げた小傘が何かを全力で引き絞るような動作をした次の瞬間、風切り音と共に慧音の後頭部に湿った柔らかい何かが高速でぶつかる強烈な衝撃が走ったのだ。

 

「なん、だと……!?」

 

 ボクシングで言うラビットパンチ。後頭部を直撃する衝撃で脳が揺らされ、慧音の身体がぐらりと傾ぐ。

 その瞬間、時刻が時刻の薄暗闇故に見え辛かった物――――慧音の顔の横を走る、こんにゃくに繋がったワイヤーが目に入る。

 

 ―――避けられた直後にこんにゃくに繋がるワイヤーを全力で引き寄せて、慧音の後頭部にこんにゃくを直撃させた。

 くらくらと揺れ、暗闇に落ちて行く意識の中―――慧音はその事実に驚愕していた。

 

 別に弾幕勝負に使う弾幕の規定は無い。

 それこそ陰陽玉から霊弾、レーザー、果ては投石ですら弾幕として認められるだろう。

 しかしだからと言ってこんにゃくを投げ、更にそれをワイヤーで繋いで疑似的に誘導弾にするとは、完全に思考の埒外。斜め上だ。

 

 ―――というか。

 

「何故、こんにゃく……」

 

 その言葉を最後に、上白沢慧音の意識は闇に沈んだ。

 そして―――

 

「や、やった! この人凄く驚いてたよ! やった、わちきやったんだ! わちきでも人を驚かせるんだー!!」

 

 ―――この瞬間、多々良小傘は『アモーレと叫びながらこんにゃくを投げて直撃させれば人は驚く』という勝利の方程式を確信した。

 後に更にこんにゃく投擲を極めて猛威を振るう、『アモーレからかさこんにゃくお化け』多々良小傘の誕生の瞬間だった。

 

 或いは西宮が寝ずに話に付き合っていれば、こうはならなかったのかもしれない。

 東風谷早苗―――“奇跡を起こす程度の能力”を持つ、山の上の巫女。

 彼女の能力が巻き起こした、傍迷惑な負の方向の奇跡であった。

 




 アモーレ。
 小傘まさかのワープ進化。きっと星蓮船では弾幕の中にこんにゃくが混ざって飛んできます。
 
 ちなみに予想外過ぎて硬直してしまっただけで、本気でやり合えば慧音VS小傘は九割以上が慧音の勝ちです。満月なら十割。


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河童と携帯電話

「河童が好きかもしれないわね、そういうの」

「……この携帯ですか? 型落ちですけど」

「こっちじゃ十分に凄い技術の固まりよ」

「河童とか光学迷彩まで作ってるのに、なんで携帯が珍重されるのかが分からねぇ……」

 

 話の始まりは、神社の社務所で家計簿を付けていた西宮からであった。

 正確にはその作業を襖を開けたままやっていたので、廊下を通りかかった射命丸が、西宮が置きっぱなしにしていた携帯電話を見かけたのが始まりだった。

 殆ど着の身着のままで幻想入りした西宮丈一。数少ない私物の一つがこの携帯電話であった。

 とはいえとっくに充電が切れた以上、完全なる無用の長物と化しているのだが。

 

「んじゃー河童にでもあげた方が喜ばれますかね。社務所に置きっぱなしの機械類、可能なら動かせるようにしたいですし。そもそもこの携帯は仮に充電出来たとしても、大したモン入ってませんから。アプリも何も入れてない上に、学友からのメールもロクな内容無いしなぁ」

「めぇる? ……ああ、その小箱でやり取りできる手紙の事よね? 私が来た件とかまで含めて、そういう道具があれば便利なんだけど」

 

 やれやれと肩を竦める射命丸。

 明らかに新聞記者モードではない口調からも分かる通り、彼女が今回ここに来たのは記者としてではなく天狗としての仕事の為である。

 山の妖怪以外の守矢神社の信者が、妖怪の山の山頂にある神社に参拝に来た場合の対応についてだ。

 

 今後スペルカードルールにも同調する路線で行くのは決めたが、やはりなるべく山に他所者を入れたくない天狗と、参拝者は欲しい守矢。結局交渉は天狗VS神々という、幻想入り初日に近い構図で行われた。

 知恵で見れば諏訪子や神奈子にも認められる西宮だが、力は弱く経験も浅い。老練な天狗上層部に対する交渉は向いた役ではないと判断され、そちらの対応には関わっていなかった。

 

 ちなみに今回射命丸が来たのは、纏まった交渉内容を元に天狗の里で作成された契約書類を渡しに来ただけである。

 先の一件で発言力は上がったが、天狗の中では未だ非主流派である彼女。流石に山の方向性を決めるような大型交渉には関わっていなかったらしい。本人自身、関わろうとする性向ではないのもあるだろう。

 

「まぁ、そういうやり取りではメールは便利ですね。送るのは一瞬ですし、文章としても保存される。―――あ、お聞きしますが交渉内容はどうなりました?」

「参拝用のルートを作って、そこから外れたら容赦なく排除。ただし、参拝ルートを通る限りは天狗や他の山の妖怪は参拝者に手出しをしないって所ね。まぁこんなもんでしょ」

 

 肩を竦めて言う射命丸には、特に悪感情も感じられない。

 天狗の里側からは苦い譲歩と見られているのだろうが、彼女自身は先の異変の結果を見るに、必要な変化と断じている―――とでも言う所か。

 

「まぁ、射命丸さんにそう言って頂けたならば助かります。所でこの携帯なんですけど、河童に持って行けば幾許かの貸しにはなりますかね? そうでなくとも、河童との繋がりは持っておきたいので」

「ん? まぁ喜んでくれるとは思うわ。けど良いの? 友人からの、何だっけ。『めぇる』も入ってるんじゃないの?」

「まぁ、ロクでもない話ばっかりしてましたけどね。それはそれで楽しい思い出ではありました―――ペットボトルロケットによる生徒指導室狙撃計画とか」

「何か良く分からないけど、物騒な話なのは直感で察したわ。何やってんのよあんたら」

「いえまぁ、色々と」

 

 肩を竦める西宮丈一。外の世界にて、セクハラやらパワハラやら何やらで生徒の評判が最悪だった生徒指導の教師に対して、各クラスの代表で共謀して西宮を参謀長として行われた一大反攻作戦だった。

 文化祭の出し物として行われたペットボトルロケットを利用し、生徒指導室に撃ち込むその作戦。

 責任分散の目的で発射をたまたま来賓で来ていたお偉いさんにやらせ、尚且つ片付けの為に生徒が生徒指導室内に入る事で『何故か』その教師のセクハラの証拠物件が見つかるという、中々に大掛かりな策謀―――もとい、不幸な事件であった。

 

「平たく言ってしまえば……そうですね。天狗の里で例えると、立場を利用して女の子に卑猥な事をしようとする大天狗様の家に、事故に見せかけて天魔様の手で弾幕ブチ込まれるように誘導して、片付けという名目で押し入って失脚の証拠物件を押収するような」

「その作戦貰った」

「……えぇと、詳しくは聞かないでおきます」

 

 口の端を上げてにやりと笑う射命丸に、西宮がそっと目を逸らした。

 そしてその二週間後、とある大天狗が天狗の里内部で失脚する騒動が発生する事となるのだが、西宮はそんな事については全く知らない。知らないのだ。知らないってば。

 ともあれ西宮は気を取り直して笑みを浮かべ、

 

「まぁ色々と思い出はありますけど、この携帯に入っているのが全てではありません。それにこのままでは、どの道中身に入ってる思い出を見れもしませんし、河童の所に持って行くという選択自体は悪くないかと」

「成程ね。……うーん、良い作戦を教えて貰った礼として、紹介くらいはしてあげますか」

「……その作戦を何に使うのかは俺の前では言わないで下さいね。巻き込まれたくないんで」

「はいはい。……作戦に使うのは十尺玉で良いかな。天魔様辺りの行動が何かのきっかけとなって奴の家で炸裂するように色々と練らないと。彼奴の誅殺なら、天狗や河童でも沢山協力してくれる女の子居るだろうし」

「何そのテロ。どういう名目で十尺玉を用意するんですか」

「昨今の天狗の緩みぶりを考え、避難訓練とかどう? 十尺玉地上爆破避難訓練。花火と避難訓練を組み合わせた全く新しい出し物なんだけど、花火の保管中にうっかり天魔様が着火させてドカンとか。よしこの方向性で行こう」

 

 まさかの十尺玉地上爆破避難訓練フラグである。

 余程恨みを買っているのだろうか。いきなり家に十尺玉を叩き込まれ、その惨状から生き残っても恐らくセクハラの証拠が出て来て失脚するのであろうその天狗には、西宮も流石に同情を禁じ得なかった。

 

 ともあれそんな会話の後、西宮は射命丸が知っている河童の住処を紹介して貰い、翌日の朝からその河童の元へと出向いて行く事になった。

 手土産は分解して貰っても構わない携帯電話。そして念の為、紹介があるとはいえ失礼にならないように、人里で買い置きして置いた煎餅である。

 

 

 

 そして翌日。

 そうしてその河童の家を訪れた西宮の前に広がっていた光景は―――

 

「へぐぅ……」

「……死んでるぅゥゥゥゥゥ!!?」

 

 『河城にとりの機械工房』と書かれた、河の支流の先にある庵。

 その前で壊れた人形のようなポーズで地面に転がる、作業着のような服を着てリュックサックを背負った河童の少女―――河城にとりの姿だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 結論から言うと、当然だがにとりは死んでいなかった。

 

「やー、助かったよ盟友。いやいや、研究に夢中になっちゃっててね。三日くらい食事してなかったから、なんか家の外に出た途端にクラッって来てさー」

「はぁ……まぁとりあえず、これでも食って落ち着いて下さい」

 

 どうやら機械弄りに夢中になっていたらしいにとり。

 寝食を削って没頭していたのは良いが、ちょっと気分転換に家を出た瞬間に疲労と空腹でぶっ倒れてしまったらしい。

 

 あの後慌てた西宮が助け起こして事情を聞き、今は彼女の家の一室にて、ベッドに寝かされたにとりに西宮が勝手に台所を使って作ったお粥を差し出している状況だ。

 差し出された梅粥に、にとりは頬を綻ばせる。

 

「おぉ! ありがとう盟友、気が利くね。良いお嫁さんになれるよ」

「……まず俺は男なので嫁に行くのはまず無理です。あと、台所が中々悲惨な有様でしたので、河童殿自身もお嫁に行けるように料理修業などを積むべきかと」

「ありゃ、こりゃ一本取られたね」

 

 西宮が皮肉を返すも、にとりは快活に笑うのみ。

 元より彼女は多少臆病な面はあるが、明るく好奇心の強い気性の持ち主だ。明るさと臆病さは矛盾せずに同居するものである。

 

 そして美味そうに梅粥をかき込むにとりに、西宮は溜息。

 河童に繋ぎを作る目的での訪問であったのだが、それは成功したのかどうなのか。

 少なくとも研究の為に三日断食を決行するような相手だ。迂闊に携帯を渡したならば、今度はもう一度倒れるまで研究を続行しかねない。

 仕方ないから携帯を渡すのは取り止めて、とりあえずは顔の繋ぎと、後々に外の道具を提供する用意があると告げる程度で良いだろうと、内心で思考を取りまとめる。

 

「さて、河童殿」

「にとりで良いよ、盟友。私は河城にとり。敬語も要らない。私別に偉くないしね」

「……ではにとりと。俺は西宮丈一、知ってるかもしれないけど山の上の神社の人間だ」

「あぁ、うん。話には聞いてるよ。天狗様は色々大慌てみたいだね」

 

 あの時は私もエラい目にあったなぁと、一瞬だけにとりがハイライトの消えた瞳で遠くを見る。

 同時に西宮も、『にとり』という名前を異変の前後に聞き及んでいた事を思い出していた。

 

「……あー……お前さんそういえば、異変の折に」

「……うん。巫女と魔法使いに襲われて文さんに吹っ飛ばされて、パンツ丸出しで木の枝に引っかかる羽目になった。六時間くらい」

「異変の原因だった神社の者として、心から謝罪します」

 

 流石に(実年齢はともかくとして外見は)年若い少女には過酷な事件だったと判断した西宮が、即座に土下座の勢いで頭を下げた。

 パンツ丸出しで六時間とか、厳しいにも程があった。

 

 しかしここが会話の切り込み所か。

 そう判断して、お粥を啜るにとりに向けて西宮は重ねて言葉をかける。

 

「その面の謝罪も含めて、まぁ河童に面を通しておきたい。今後も同じ山の住人になる事だし、技術職相手に繋がりがあって困る事は無いしな」

「ふーむ? あ、盟友……えと、丈一で良いかな? 丈一がここに来たのって、その辺が目当て?」

「ああ。まぁその為の手土産があるっちゃあるんだが、今この状況で渡すのは俺の倫理観の問題もあるんで止めておく。……所で盟友って何だ?」

「河童は人間を昔から見守って来たのさ。影ながらこっそりと、ずっとね。だから河童は人間を盟友だと思ってる」

「へぇ……」

 

 胸を張るにとりだが、西宮は内心で『それってストーカーじゃね?』などと身も蓋も無い思考をしていた。

 ともあれそこは置くとしても、技術職との繋がりは西宮としても本当に悪くない。

 

 西宮丈一、東風谷早苗の二名は完全な現代っ子だ。部分的に高い文化レベルが流入しているとはいえ、基本は明治期レベルの幻想郷の文化に辟易する事もある。

 特に顕著なのが、家電製品の有無だ。

 

 テレビなどの娯楽用品は無視するにしても、現代では当然の如く家にある洗濯機、給湯器、冷蔵庫などが、こちらの世界には存在しない。

 そして洗濯機と給湯器、冷蔵庫を含め、外の世界時代に社務所に置かれていた幾つかの電化製品は、完全沈黙状態で幻想郷にまで持ち込まれているのだ。

 毎日の家事を担当する身としては、可能ならば使えるようにしたい。使えないなら使えないで、あっても邪魔なので早々に処分したいのが西宮の考えだ。

 

「では盟友にとり。少し機械関係で河童のお前さんに聞きたい事があったんだが、大丈夫か?」

「ん、特に問題は無いよ」

「OK。実は山の神社には外の世界から持ち込まれた機械が幾つかあるわけだが、幻想郷では使えないんでな。可能ならばそれを使えるようにしたい。或いは無理なら無理で、相応の対価で引き取って貰いたい」

「外の機械? ……完品でかい!? 壊れかけとか、バラでとか、古い奴とかなら時々魔法の森近くの古道具屋に売ってるって話だけど……」

 

 反応は上々。

 食いついて来たにとりに、西宮は笑みを浮かべて、

 

「完品だ。それに加えて、冷蔵庫に至っては前のが壊れて、外の世界で最新のに買い替えたばかりだったからなー……その辺の管理は概ね俺の仕事だったし」

「最新式……!!」

「仕切り板を外せば人が入れるくらいの大きさだが、開発チームの間で中に入って涼むのが流行って危うく凍死者が出そうになり、人が入ると軽快にオクラホマミキサーの警告音を鳴らしてくれる謎機能が付与されている点まで含めて色々と新し過ぎるがな」

「いや、素晴らしい。素晴らしいよ。その開発チームの気持ちは私にはよく分かる。それじゃあ早速その機械類を―――」

「はいストップ」

 

 うんうんと頷いたにとりが素早くベッドから立ち上が―――ろうとした所で、西宮の手が肩を抑えて、立ち上がるのを止めた。

 止められたにとりは不満そうな表情だ。

 

「何するのさ丈一。私に機械類を見て欲しくて来たんじゃなかったの?」

「その心算だったんだが、ぶっ倒れるまで研究してた直後の奴にそんなもん見せてみろ。またぶっ倒れるまで続けるに決まってるからな。とりあえず一日ゆっくり休んで貰って、話はそれからだ」

「……むぅ」

 

 言われて頬を膨らませるにとりは、まるで西宮よりも二、三歳下の少女のようだ。

 少なくとも年上の妖怪には見えまい。

 可愛らしく頬を膨らませて拗ねる河童を、西宮は微笑ましげに見やる。まるで大好きな新作ゲームをお預けされた女子中学生だ。、

 

「まぁギブ・アンド・テイクだ。俺としても調べてる最中に倒れられたら面倒だし、ある程度体調を復帰してから来て貰いたい」

「拷問だよー……調べたい機械があるのが分かってるのに足止めとか」

「そう言うなよ。ちゃんと休んでから来てくれるなら、ボーナスを上げても良い」

「ボーナス?」

「神社にある機械は神社の所有だけど、それとは別に俺が個人で持ってる機械があってな。体調を整えてから来てくれるならば、そっちは完全に研究用として進呈しよう」

「マジで!?」

 

 そして自身の携帯電話を研究用として提供する事に決定した西宮。

 その言葉を聞いたにとりは目を輝かせて、

 

「だったらこうしちゃいられないや! 今日はしっかり休んで、明日にでも神社に行けばいいんだよね?」

「ああ。神社の風祝と御二柱には俺から話を通しておく」

「おっけー。それじゃ丈一、私は寝るからお粥の食器は片付けてってね」

「……良い根性してるな、お前」

 

 図々しい要求に半眼で返す西宮だが、にとりは言われた通り身体を休ませようと、既に布団を被ってしまっている。

 程無く聞こえて来た寝息に彼は溜息を吐き、

 

「……まぁ、ついでだ。今日の予定は何も無かったし、軽く片付けでもしてやりますか」

 

 散らかった台所などの片づけをする事に決め、その部屋を後にしたのだった。

 

 ―――それを機に神社にこまめに出入りするようになったにとり。

 彼女の話を聞き、二柱が紫と共謀して山のエネルギー革命などという事を考えだすのは、しばし先の話である。

 それよりも先に出て来た変化は、どちらかと言えば早苗と西宮に大きな影響を及ぼした。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 その変化とは、先述の通り河城にとりがその後、頻繁に神社に出入りするようになった事である。

 当初の彼女は社務所の機械類をキラキラとした目で眺めており、それらを調べられる喜びに天に上らんばかりであったが、今は流石に大分落ち着いている。

 最新式―――つまりは色々と難しい機械の詰まっているオクラホマミキサー機能付きの冷蔵庫を後回し(メインディッシュ)に、今は他の機械の分析調査を行っている段階だ。

 

 元々出入りが多かった椛とは親友と呼べる間柄であったし、早苗とも随分仲が良くなったらしい。

 時々機械に夢中になって帰りが遅くなると、早苗の部屋に泊まってガールズトークに花を咲かせているようだ。

 そして西宮の携帯電話は彼女用の研究資料として提供されたのだが―――

 

「おーい、丈一。この『ケイタイデンワ』だっけ? 少しだけだけど復旧できたよー」

「マジでか!? すげぇな河童」

「いや、以前魔法の森近くの古道具屋で売ってた『デンチ』っていう外の世界の道具を繋いで、電力を少し供給してみただけなんだけどね。まぁ一回動いてる状態を見た方が私としても今後いろいろやり易いから」

 

 そして彼女が神社に出入りするようになってから一週間後の夕方。

 西宮と早苗が休憩がてら縁側で並んで茶を啜っていると、にとりが携帯を手に飛んで来た。

 それを聞いた早苗が目を丸くし、

 

「え、携帯使えるようになったんですか? メールや通話もできます?」

「いや、基地局も何も無いから無理だろ」

「ちぇっ。また寝る前に西宮に電話をかける事が出来るようになると思ったのにー」

「お前携帯買ったばかりの時に毎晩のように俺にかけて来て、電話代で御両親にめっちゃ説教食らったの覚えてるか?」

「覚えてますよ。だから無料通話が出来るような契約に変えたんじゃないですか」

「ところでさ、丈一。ん―――ごほんごほん」

 

 ところで。

 西宮が射命丸に言っていたのは誇張でも韜晦でもなんでもない。

 本当に友人との「ロクでもない話」がメールとして多くやり取りされており、携帯の復旧作業をしたにとりはそれを目にする機会があったというだけの事。

 故に彼女は殊更に咳払いをし、早苗の後ろに隠れるようにして僅かに頬を赤く染めながら、責めるようなジト目と共に言葉の爆弾を投下した。

 

「―――丈一のメールの中にあった、『研修旅行女湯遠隔望遠作戦』っていったい何?」

「……あ」

「へぇ……」

 

 結局西宮と早苗は行く事もなく幻想郷に来たのだが、高校の研修旅行の折に女湯を覗く作戦を彼の友人が立て、西宮に作戦面での助力を請うメールを送って来ていたのだ。

 削除されずに残っていたそれをにとりが発見してしまい、それを今この場で口に出してしまった。

 話にすればそれだけなのだが、効果は覿面であった。

 

 西宮が転がるようにして早苗から距離を取り、早苗は西宮の頭が一瞬前まであった場所を狙ってノーモーションからの掌底を叩き込む。

 

「あっぶね……!!」

「チッ……避けましたか」

 

 そして冷や汗を流しながら立ち上がる西宮へ、早苗は口の端を上げた笑みを向ける。

 無論それは親愛の情から来た物などではない。笑みとは本来攻撃的な物とどこかの誰かが言っていたように、早苗のこの笑みもまた攻撃的な意図で作られたものである。そもそも目が笑っていない。

 

「……西宮。私、ちょっと貴方にお話をしなければいけないようです」

「待て、落ち着け東風谷。これは罠だ。俺にそんなメールを送って来やがったパンツ奉行(※渾名)の罠だ」

「でも丈一、このメールの返信で早苗が入ってない時間ならって事で協力と参加を了承してるよね? わー、エロいんだぁ」

「河童ァァァァァァァ!!」

 

 携帯電話を操作しながら自分を売ったにとりに対して、西宮が叫びをあげる。まぁにとりも少女である以上、覗きをする相手は無条件に敵なのであろうが。

 対する早苗は笑顔のまま、

 

「……西宮、選んで下さい。Please select die or dead.」

「何で英語!? それどっちにしろ死んでるよね!?」

「―――問答無用!!」

 

 そして始まる弾幕ごっこ。

 西宮が逃げ、早苗が追う。

 それを見送る形となった元凶(にとり)はその様子に呆れたような表情を浮かべ、

 

「……覗くほど見たいんだったら、早苗の見せて貰えば?」

 

 そうぼそりと呟いて肩を竦めた。

 後に天狗の里で十尺玉が炸裂して、大天狗が罷免される一週間ほど前。

 そして地底と地上の間で起こる『地霊殿異変』に向けた、最も広義の意味での『始まり』が起こった頃の話であった。



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閑話其の弐:彼と彼女と父の病

にじファン連載当時、西風遊戯についてレビューされているのを発見したのですが、レビュー者の人が『レビュー詐欺』と言われているのを見かねて思わず思い付いた短編の改訂版です。
ちなみにレビュー詐欺と言っても『地の文』を『痔の文』と誤記した結果、『おい、その小説痔の話無いじゃないか』と弄られていると言った感じでしたが。
ともあれ、そんな彼がレビュー詐欺と呼ばれる状況を払拭する為に思い付きで書いた外の世界時代の話です。もう2年以上経過していますが、彼(彼女)の快癒を願います。


 ―――病とは、残酷な物だ。

 それは容易く人の一生を捻じ曲げ、歪め、砕き、そして奪っていく。

 地底に封じられた、忌まれた妖怪―――その中に病を操る土蜘蛛が混ざっていた事も、むべなるかなと言うべきだろう。

 病とは人が幻想の存在を忘れ、駆逐した現代においてすら、人にとっては越えられない壁となって立ち塞がり続ける不倶戴天の敵なのだから。

 

「……まさか、お前の親父さんがな」

「ええ……」

 

 高校からの帰り道。

 幻想郷に行く事より遡って、一年以上の昔。彼らが高校に入ってから、まだ然程の時間も経っていない初夏の道だ。既に花を落としきった桜が、街路樹としてアスファルトの道の左右で青々とした葉を繁らせている。

 幻想郷時代よりも少しだけ幼い西宮と早苗は、双方ともに沈痛な表情で、そのアスファルトの道を歩いていた。

 

「あんなに……あんなに、健康そうだったのにな」

「言い出せなかったそうですよ。私達やお母さんに心配かけたくないから、って」

 

 いつもとは違う道を歩く二人は、顔を伏せたままぽつりぽつりと言葉を交わす。

 内容は早苗の父―――守矢神社で神職をしている彼が患っていた病。それに関する話が、学校で授業を受けていた早苗と西宮にメールで届けられたのが先程の話だ。

 そして今、西宮と早苗はそのメールでの指示に従い、ある場所にやって来ていた。

 

 『総合薬局』―――そう書かれた看板があるここは、様々な薬品を取り扱うドラッグストアだ。

 どの看板と、入り口置かれた全く可愛くないこの薬局独自のマスコット人形を前にして、二人は沈痛な表情のまま足を止める。

 ぽつりと、早苗が万感を込めて言葉を発した。

 

「……痔のお薬を買ってこいって、どんな顔をして買えば良いんでしょう」

「俺らが使うとは思われたくないよな……」

 

 守矢神社神職にして早苗のパパ上様であらせられる東風谷氏。

 痔を悪化させ、娘とその相棒に薬を買いに走らせた夏の午後だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 痔とは肛門部周辺の静脈が圧迫され、血液の流れが滞ること等によって発生する疾患の総称である。

 直立二足歩行する生物、即ちヒト固有の病気であり―――いや、もしかしたら同じく直立二足歩行している妖怪とか神々とかにも発生するのかもしれないが―――他の動物はまずなる事は無いとされている病気だ。

 特に座り仕事が多い漫画家などには、職業病の一種として認識される事もあるという。

 ―――と、痔というのは大筋でそういった病気だ。

 

 神職は漫画家ほど座り仕事が多いわけではないが、守矢神社の事務仕事は主に早苗の父の担当だ。

 硬い椅子に座っての事務作業は、思いの外早苗の父の尻に負担をかけていたらしい。

 西宮、今度クッションでも早苗のパパ上にプレゼントしようと思う傍らで、自分は絶対に事務仕事をする時はクッションを尻に敷こうと心に決めた。

 

 そして十代も半ばの年頃の少年少女にとって、『地元の薬局で痔の薬を買う』というのは中々にハイレベルな罰ゲームだった。

 ドラッグストアのおばちゃんパート店員などは何を勘違いしたのか、『若いうちからお尻とかアブノーマルなプレイに走るからこうなるのよ』などという見当違いのアドバイスまでくれたくらいだ。

 『そういうのじゃない』と反論しても、『大丈夫、おばちゃん分かってるわよ』などと確実に分かっていない優しい笑顔で頷かれるだけだった。

 そんな羞恥プレイを経て、どうにか痔の薬を買って来た早苗と西宮だが―――

 

「……で、買って来たら買って来たで既に居ないとか、ねーよな普通」

「思ったより酷かったみたいで、我慢できずに病院行ったら即手術モノだったらしいですよ。だからといって許しませんけど。絶対に許しませんけど」

 

 ―――その恥ずかしい思いをした二人の努力を完全に嘲笑うように。

 痔の薬を買って来た西宮と早苗を待っていたのは尻を抑えてのたうち回る早苗父ではなく、『パパが入院する事になったので付き添って来ます。夕飯は勝手に何か作って食べて下さい』という早苗母の書き置きだった。

 どうやら早苗の言葉通り、予想以上に痔が悪化していたらしい早苗父。娘と相棒の帰宅を待ち切れずに病院に駆け込んだ所、医師から即時手術を言い渡されたらしい。

 

 買って来た薬をちゃぶ台の上に投げ出し、神社の裏にある早苗の自宅のリビングにて、そのちゃぶ台の上にあった書き置きを見た早苗と西宮は互いに愚痴を零していた。

 西宮は愚痴を言いながらも冷蔵庫の前に移動し、中にあった材料から何が作れるか思考しながら、ちゃぶ台の前に座る早苗に声をかける。

 

「当分は大きな神事は無いから良いとして、それでも最悪の場合は本家に渡りつけて代理出来る人を寄越して貰う事になるかもしれん。ま、その辺りの処理についてはおばさんと相談して詰めるし、必要なら事務的話なら俺がやるが」

「お願いします。後は本殿にいらっしゃる諏訪子様と神奈子様にも説明した方が良いですかね?」

「諏訪子様の場合、腹抱えて笑いそうだけどな……」

 

 守矢神社は御柱祭で有名な諏訪大社の分家筋に当たる。

 社そのものが重要文化財に指定されている諏訪大社に比べると随分と社としての格が落ちるが、本家と分家の仲は決して悪くは無い。分家の当主である早苗の父が緊急入院という事になれば、神事の代行が出来る人材を寄越してくれるだろう。

 

 早苗や西宮は神事についての知識はあるし、そもそもが祀っている神である神奈子や諏訪子の信任を得ている身であるのだが、生憎と昨今の神社では神職として仕事をするには免許が必要であり、早苗も西宮もその免許を未だ取得していない。神事の代行をするのは、対外的に色々不味いのだ。

 西宮などはこのまま神社の手伝いを続けていけば、将来的に宮司の補佐である禰宜(ねぎ)となる可能性が高い事などもあり、将来的には神職の資格が取れる神道系の大学へ進学したがっている―――のだが、それがまるっきり意味を為さなくなるのは、これより一年と少し後。神社が幻想入りした後の話である。

 

 ちなみに本来であれば、諏訪大社は御柱祭を筆頭とした神事からも分かるように、建御名方神やミシャグジ神を祭る神社の正当にして本家である。

 何故本家である諏訪大社ではなく、分家である守矢神社に建御名方神やミシャグジ神が一緒になって住んでいるのかという点については、以前西宮が神奈子と諏訪子に問うた事がある疑問だ。

 話せる事情も話せぬ事情も色々あったというのが神奈子と諏訪子の言い分であったのだが、彼女らが話せぬというならば追求しないという程度には西宮は二柱の神を信用していたので、真相の深い部分はその両者のみぞ知るという状態である。

 

 ともあれ、勝手知ったる他人の家。

 冷蔵庫の中からホールトマトの余りを入れていたタッパーを取り出し、西宮はさっさと台所に入って行く。

 

「ま、その前に晩飯だわな。パスタで良いよな?」

「西宮の料理なら何でも好きですよ、私」

「さよか」

 

 台所からの西宮の言葉に、ちゃぶ台前に座ったままの早苗が『にへら』と気の抜けた笑みを浮かべながら、嬉しそうに返す。

 対する西宮としても、いつもの遣り取りに特に感慨は抱かず、肩を竦めてトマトソースを作り、パスタの調理を始めるのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 結論から言えば、食事の後に西宮が早苗母の許可を取った上で諏訪大社に連絡を入れた結果、早苗父が入院によってあけた穴は本家の禰宜が来て埋めてくれる事となった。

 本家では禰宜―――即ち宮司の補佐をしている人物らしいが、免許としては県社の宮司を務められる正階という位階まで取得しているそうだ。村社、郷社に分類され、正階の一つ下の資格である権正階があれば宮司になれる守矢神社に派遣される人物としては、まぁ必要十分と言えるだろう。

 

 そしてそれらの事情を含めて、西宮と早苗が食後に神社本殿へ行き二柱へ報告すると、本殿で並んで正座する西宮と早苗の前で、胡坐をかいた神奈子は重々しく頷きながら呟いた。

 

「……道理で。最近やたらと尻を気にしている筈だ」

「うひゃひゃひゃひゃ! じ、痔かぁ……あー、私は分からないけどキッツいみたいだねー」

 

 その横で諏訪子が腹を抑えて笑っているが、生憎と西宮からは見えていない。

 早苗からは見えているのだが、早苗は諏訪子が笑うのを咎めるでもなく、むしろ自身も頬を膨らませて父を非難する。

 

「酷いんですよ、お父さんったら。私と西宮に『帰りにボラギ●ール買って来い』ってメールを入れたくせに、帰って来た時には我慢できずに病院行って緊急手術なんですから」

「俺らドラッグストアのおばさんに凄い誤解を受けたからな。……ともあれ神奈子様、諏訪子様。そのような事情で、暫し諏訪大社の本家から代理の宮司の方がいらっしゃいます。事情が事情ですので、ご容赦を」

「あぁ、構わんよ丈一。どうせお前と早苗以外は、私達の声すら聞けんのだ。そう気を遣う必要は無いから、お前らがやり易いようにやれば良いさ」

 

 敬意はあるながらも、どこかフレンドリーに神奈子と諏訪子に声をかける早苗。

 横の西宮はそれとは対称的に、自分達人間の都合で神事を行う人間が変わるという点に関して、神奈子と諏訪子に深く頭を下げる。

 彼からは神奈子と諏訪子の姿は見えず、声だけしか聞こえない筈なのだが、こういう場面では見えている早苗よりも見えていない西宮の方が、神を祀る神職らしい立ち振る舞いだ。

 場合によってはある程度フランクになる場合もあるので、公私の使い分けが早苗より明確であるという事なのだろう。それが相手次第では必ずしも良い方向に働くわけではないと分かるのは、幻想入り後にレミリア・スカーレットと邂逅してからの事となる。

 

 ともあれそんな西宮に対し、神奈子は鷹揚に手を振って許しを伝える。

 ただし、その内容は『諏訪大社の人間だろうと、誰も自分達の事など覚えていない』という自嘲交じりの物だったが。

 そんな神奈子の言葉に、場の空気が僅かに重くなる。発言した軍神は思わず『しまった』とでも言いたげな表情を顔に浮かべた。

 

 それを横目で見たのだろう。諏訪子が小さく溜息を吐き、思い出したとでもいうように話題を変える。

 

「そういやさー。神事で思い出したけど、丈一と早苗は人間の間の決まり事で神事はまだ出来ないってのに、二人の友達が神社にやって来た事あったじゃん。お祓い希望だったっけ。あれはどうなったの?」

「……あー」

 

 そして彼女が振ったその話題に、西宮が呆れたような困ったような、総じて言えば乾いた笑みを顔に浮かべる。

 何の事は無い、彼らが高校に入学した直後の話だ。

 早苗の実家が神社だと聞いた彼らのクラスの友人が、神社にやって来た事があったのだ。

 

『御祓いしてくれないか』

 

 そんな言葉と共に境内の掃除をしていた西宮に必死の表情を向けたのは―――早苗達のクラスメイトである学生、通称パンツ奉行だった。

 何やら最近何をするにしても身体の一部が痛いと言っていた彼。

 諏訪子は本殿から、境内で彼からの事情を聞く西宮を見ていたのだが―――

 

「あれ、結局御祓いとかそういうのが必要な話じゃなかったんですよ」

「あぁ、やっぱり。なんか悪いものに憑かれてるとか、そういうのが見えなかったからねぇ。じゃあいったいなんだったんだろうって気になってたのさ」

「そんな事があったんですか? 私、聞いてないんですけど」

「まぁ、敢えて言うような話でも無かったしなぁ……」

 

 正面から―――西宮本人からは見えていないが―――諏訪子が、横から早苗が興味津々といった様子で見て来るのを感じ、西宮は居心地悪そうに肩を竦め、内心でパンツ奉行に謝罪しながら、慎重に言葉を選んで口を開く。

 

「……要は病気だったんですよ、あいつ」

「病気? パンツ奉行でしたら最近は元気そうに女子剣道部の防具の着替え覗く計画立ててた所をバレて吊るされて罰金食らって『ありがとうござます!』とか叫んでましたけど」

「そうかそうか、あいつそろそろくたばってくれねぇかな。―――で、だ。あー……その病気なんだけど」

 

 困ったように一度首を振り、西宮は溜息を吐き、

 

「痔だったみたいです。東風谷の親父さんほど重症じゃなかったみたいですが」

 

 その言葉に諏訪子が噴き出し、早苗が目を丸くし、神奈子が口元を抑えて笑いを堪えた。

 ―――早苗の口から女子剣道部に対し、『奴と対峙した時は尻を狙え』という容赦の欠片も無いアドバイスが伝えられる三日前の話である。

 また、そのアドバイスの更に三日後に、懲りずに女子剣道部の更衣室を覗く計画を同志と立てていたパンツ奉行だったが……その計画がバレて女子剣道部のエースの突き技を尻に食らい―――結果として悪化した痔で入院し、入院先の病院で早苗のパパンと同室となるとかいう全くどうでも良い奇跡が発生したのだが、本当にどうでも良い話なので割愛する。

 

 ともあれ、かなりアレな話だが。

 これもまた外の世界でも守矢神社の日常の一部なのだった―――。




▼追加しようとしてやめた日常系エピソード▼

・妖夢と早苗と刀剣乱舞
 オチ無しヤマ無しで刀にまつわる面白い歴史話題を語るだけの薀蓄話になりそうな気配しかしなかったので。
 歌仙兼定の由来とか中々狂っています。あと、燭台切光忠。
 戦国時代の武将の方々は石とか瓶とか木とか竹とか人とか斬ったり貫いたりブチまけたり色々しないと気が済まないユカイな方々です。たまに碁盤とか斬る強者も居ます。




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湖畔の紅魔館に悪魔の群れが!(前編)

題名は『重巡洋艦の村にオークの群れが!』 くらいの雰囲気でお読みください


 図書とは知識の塊である。

 

「おーい盟友。盟友丈一やーい。悪いけど少しばかり、使いぱしりを頼まれてくれないかな?」

「俺が? まぁ良いけど、どこに何の用でだ? にとり」

 

 そこに内包された先人の知識は、人や妖怪が何かを為す時に大きな助けとなるだろう。

 少なくとも無からの試行錯誤に比べ、格段に段階を飛ばせることは間違いない。

 

「紅魔館にさ、大図書館があるんだよ。そこで工学関係の本があれば……ほら、電気機械を動かすための水力発電についての話、こないだしたじゃん? でも丈一や早苗の知識だと、水車作る程度が関の山だったじゃん。そこから何がどうなって電気になるかとかはさっぱりだったでしょ」

「一応俺の場合、抵抗とか色々までは言えるんで東風谷よりは少しかマシだけどな。そこだけは主張しておく」

「まぁそうなんだけどさ。五十歩百歩だよね。この知識だけで水力発電しろって言われたら、流石に河童のにとりさんでもお手上げだよ」

 

 故にこの時、河城にとりが選んだのは先人の知識に頼る事だった。

 紅魔館にあるという大図書館。そこにならば技術的な側面から自分のやろうとしている事―――当座の機械を動かし得る電力を得る為に、まず試みようとしている水力発電―――の為の情報を集める為、西宮にそこへの出向を願ったのだ。

 

 だが西宮としては、紅魔館は余り相性が良い場所とは思えない。

 当主であるレミリアと些少ながらも諍いがあったのが最大の要因だ。

 

「……つーか五十歩百歩って言うなら、俺じゃなくて東風谷行かせればいいじゃねーか」

「本を借りて来れればそれでも良いんだけど、持ち出し禁止だった場合を考えるとね。丈一、早苗に『専門書を読んで、必要な情報を吟味し、メモして持ち帰る』って作業が出来ると思う?」

「すまん俺が悪かった」

 

 しかしレミリアに気に入られていた早苗を送り込むという案は、この段階で完全に却下と相成った。

 にとりも友人相手に地味に酷い。技術職である分、その辺に関しては現実的なようだ。

 

「参考までにお前さんの親友である椛は?」

「ある意味早苗より酷く、途中で全く別の方向に走り出すと思うな。水車建設や水力発電についての資料を求める筈が、明日からできるブートキャンプとかについて調べて来ても私は驚かない」

 

 そして親友相手の評価はもっと辛かった。

 或いは実体験に基づいた評価かもしれない。

 

 お互い斜め上の思考形態を持つ極上の天然を相棒・親友として持つ関係だ。

 互いにその辺の苦労で感じる所でもあったのか、同時に『お前も大変だな』とでも言うような視線を交わして溜息を吐く。

 両者の差は、にとりの方は技術面が絡めば暴走して、椛以上の大惨事を引き起こすという事くらいか。将棋盤爆破事件は西宮も射命丸から聞いており、記憶に新しい。

 

「まぁ何にせよ、俺以外に適材が居ないってのは分かった。まさか射命丸さんや御二柱に頼むわけにもいかんしな」

「そだね。私はこれでも人見知りする方だから……ここは頼むよ、丈一」

「へーい」

 

 ―――かくして。

 湖畔の紅魔館。そう呼ばれる館に向けて西宮丈一が出向く事になったのは、そろそろ幻想入りから三週間余りが経過しようという頃。

 天狗の里にて大天狗が一名罷免される直前の出来事だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 紅魔館―――レミリア・スカーレットが統べる館であり、スペルカードルールの導入後に最も早く異変を起こした勢力でもある。

 運命を操る吸血鬼、全ての物を破壊する能力を持つ妹吸血鬼。七曜を統べる魔女に、時を操るメイド。東洋武術とその流れを汲む()を使う門番に、魔女の使い魔である小悪魔、更には多くの妖精メイドを擁するここは、幻想郷でも有数の勢力の一つと言えるだろう。

 

 その中の魔女と使い魔が棲む図書館を目的に神社を出た西宮。

 自分がレミリアに好かれていない事も鑑みて、事によれば多少面倒な交渉になる可能性もあると考えての出立だった。

 

 だが世の中はままならぬ物。

 相応の苦難を覚悟して出立した西宮は、しかし最悪の予想を越える事態に遭遇していた。

 

「ふはははー! ここはサイキョーの妖精であるアタイの縄張りだー! えーと、ここを通りたくば……なんだっけ、大ちゃん」

「え!? 知らないよ、決めごととか何も無かったでしょ……」

「えーと、うーんと、それじゃあ……」

 

 そう、まさかの現地到着前のトラブルである。が、これに関しては西宮の読みが甘かったと言えるだろう。

 そもそも紅魔館は、またの名を“湖畔の館”などとも呼ばれ、妖精が多く生息する霧の湖に面した立地をしている。

 その霧の湖についての対策を何も考えずに来た西宮の方が、この場合迂闊と言えば迂闊だ。

 

 そして現在、霧の湖の上を飛ぶ彼の前に居るのは、二人一組の妖精だ。

 背中に氷の翼を生やした十歳程度の外見の青髪の少女と、その横でおろおろしている透明な羽根を生やした緑の髪の少女。

 紅魔館に向かおうとした西宮の前に、恐らく妨害の意図で飛び出して来た二人の妖精なのだが―――

 

「えーと、アレだよ。ここを通りたくば、西の塔に居る賢者オゲレツから二つに折れた勇者の剣の片割れを貰って来て、伝説の鍛冶屋の元を訪ねて家出した息子を探してあげて、勇者の剣を修理して貰え!」

「難易度たけーなオイ。っていうか賢者の名前もう少し考えろよ」

 

 何が誇らしいのかビシッと指を指して来る青髪少女に呆れ顔を向ける西宮。

 しかし彼に対して応じたのは、青髪ではなくその影に隠れるようにして浮遊している緑髪の少女だ。

 

「すいません……私達、霧の湖付近に住んでる妖精なんですけど……。貴方が飛んでるのを発見したチルノちゃんが少しテンション上がっちゃったみたいで……」

「ああいや、御丁寧にどうも。って、チルノ……? 氷精チルノか!!」

「ふっ、アタイの名前も知られるようになったわね。流石はサイキョーのアタイ」

「まぁな。幻想郷縁起は見せて貰ってるし」

 

 そして緑髪の妖精の言葉から、西宮は眼前の少女の正体を確信する。

 西宮は元々この手の情報収集には熱心な方だ。自身の力量が然程ではないのも弁えている。故に幻想郷内で危険な場所・危険な人妖を書き記している幻想郷縁起を、人里に出向いた時に阿求に頼んで見せて貰っていたのだ。

 阿求側も自身が書いた物が役立つならと、喜んで西宮を迎え入れた。

 ちなみにその喜びの約半分が、西宮がまた外界のお菓子を持って行った事に依るものだというのは、阿求当人だけの秘密であった。

 

 ともあれチルノという名前の眼前の妖精に関しては、西宮は幻想郷縁起からその知識だけは既に得ていた。

 頭が少々残念ながらも、妖精としては破格―――異常とすら言って良い程の力を持つ妖精。行動範囲も妖精離れして広く、実は西宮が直接目にしていなかっただけで先の宴会にもやって来ていた。

 しかしその力に対して、彼女と遭遇した時の対処方法として幻想郷縁起に書かれていたのは、何かしらのなぞなぞ等の問題を出して注意を逸らせばいいという単純な物だった。

 

「それじゃ、最強の妖精に聞くぞ」

「あ、やっぱりそうなるんですね……」

 

 故に西宮が選択するのは、マニュアルに従った出題とその後の逃走。

 チルノの隣の緑髪の妖精が、『またか』とでも言うような呆れと安堵の混ざった表情を見せた。妖精にしては珍しく気弱で常識的らしい彼女。チルノが他者に無駄に喧嘩をふっかけるよりは、してやられる形でも穏便に終わればそれが一番とでも考えているのだろう。

 だが、しかし。

 

「あ! アタイも知ってる! あんた確か、山の上の神社の奴よね? ブンブンの新聞で見た! あのさあのさ―――」

「……ん?」

 

 なぞなぞ出題前にチルノの側が奇跡的に西宮の事を思い出す。

 そして彼女は西宮が出題するなぞなぞを脳内で纏めていた僅かな隙に、子供らしく単純に疑問を口にした。

 

「―――もう巫女とチューしたの?」

「……へ?」

「んーとね。ブンブンの新聞で、巫女とアンタがチューでもしないものかって話がねー」

「射命丸さぁぁぁぁぁぁん!?」

 

 なぞなぞを出そうとしていた西宮の動きが止まる。

 守矢神社に届けられる紙面からは意図的に省かれていた、文々。新聞の最近の特集。

 若い(※外見的な話であり、年齢4桁以上含む)女の子大好きな恋バナとして希望的観測混じりで綴られているそれは、西宮と早苗の関係の進展を期待している内容だ。

 許可無くなんつー内容書いてんだあの人という意味を込め、西宮が絶叫する。

 

「ねぇねぇ。どうなの? ねぇねぇ」

「いや、ちょ、それっていったいどんな内容が―――」

「あ、でもそういえばその前に、この湖を通りたければごっこしてるんだった。よぉし、この湖を通りたければアタイを倒してから通るが良いー!」

「いや、こんな言葉の大型爆弾(リトルボーイ)投下しといていきなりそっちに立ち返るのかよ!? ちょ、待て、お前それどんな内容が―――」

 

 そしてその混乱により出題と離脱のタイミングを失った西宮の前で、チルノがポケットからスペルカードを取り出した。

 

「それじゃ、行くよ! アタイが勝ったらあんたを子分にしてやる!」

「あ!? おま、誰も弾幕するなんて言ってな―――話を聞けェェェ!?」

 

 ―――スペルカードルール。

 幻想郷では最も一般的な決闘方法(あそびかた)にて一方的に叩き付けられた挑戦により、両者は湖上で対峙する事と相成ったのだった。

 

「あー……こうなっちゃったか。……がーんばれー。二人とも怪我しないでねー」

 

 ……要領よく離れて応援を開始した大妖精をギャラリーとして。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 さて、西宮が紅魔館に向かっている頃―――正確には紅魔館に向かう途中に霧の湖でチルノに絡まれている頃。

 彼の相棒であるところの東風谷早苗は人里で分社の建設に勤しんでいた。

 守矢神社の信仰が広まった結果、人里に分社を建設してくれないかという意見が、人里の側から出た結果である。嬉々として里に来た早苗は、早速里の広場に守矢の分社を建設していた。

 

 小さい頃からプラモデル作成を趣味としており、それが長じてこういう工作めいた作業は好きな現人神。持ち込んだ材料を使って小さな社を作り上げ、何故か服本体とは分離するデザインである袖で額の汗を拭って一仕事終えた笑顔である。

 それを見て横で広場に設置された長椅子(ベンチ)に腰掛けながら見学していた阿求が、くすくすと笑いながら早苗に冷えた水の入ったコップを差しだした。

 

「お疲れ様です。これ、よければどうぞ」

「わぁ、ありがとうございます。……私も苦手じゃないですが、こういう作業って本当は西宮の方が上手いんですけどね。あんにゃろう今日はにとりさんの用事で出掛けるとかで」

「西宮さんですか。先日も幻想郷縁起を読みにいらしてましたけど……お二人は幼馴染なんですよね?」

「ええ、そうですよ?」

 

 作業が終わり、一息ついた早苗も阿求が座るベンチへ移動する。

 コップの中の水を一息で飲み干し、『ぷはぁ!』と親父臭い声を上げ、

 

「付き合い自体はそろそろ十年ですね。……あ、十年越えたかな?」

「成程。……しかし今回の異変を幻想郷縁起に書こうにも、お二人に関する情報はかなり錯綜しているんですよね。正確にはお二人の間柄に関する情報が、ですけど」

「今回の件も書かれるんですか?」

「ええ。守矢神社は間違いなく幻想郷のパワーバランスの一角を担う事になる立場にありますからね。その神社が表舞台に立ったあの異変については、当然知る限りを書き記しておくべきでしょう。それで最近は可能な限り多くの人に、あの異変―――そうですね、風神録異変とでも名付けましょうか」

「今決めるんですか」

「割とそんな物ですよ。異変の名称は分かり易ければ特に制約もありませんしね。―――ともあれ、その風神録異変について多くの人妖に聞いてはいるのですが、貴方達の間柄に関しては意見がバラバラなのです」

 

 溜息を吐いて、阿求は横に座る早苗を見やる。

 幻想郷縁起―――それは幻想郷に住まう人々が安全に暮らせるようにと書かれている、歴史書にして注意書きだ。

 幻想郷の危険な場所、危険な相手について記して注意を促すのと同時に、幻想郷で起こった大きな異変についても調査の上で記されることになる。

 当然、今回の風神録異変も調査対象だ。

 

 結果、異変の経緯やその目的、そして神社に住まう神々と信者達の人となりについてはある程度の情報が既に阿求の元に集まっていた。

 人里によく来る早苗と、稗田家に丁重に挨拶に来ていた西宮に関しては、実際に会った事もあるから尚更だ。

 

 しかしその過程で阿求を悩ませたのが、その二名の間柄である。

 人によっては『最悪に仲が悪いように見えた』という人も居たし、かと言って人によっては『バカップル、或いはケンカップル』と呼ぶ人も居る。阿求も購読している文々。新聞を書いている文は後者で、人里で宗教戦争(物理)をしているのを見た里の人間からの評価は前者だ。

 果たしてどちらが正しいのか。稗田の当主として幻想郷縁起に正しい情報を記すという理由が四割。その四割で建前をコーティングし、残り六割は乙女らしき恋話(コイバナ)への好奇心で、阿求は早苗に問いかける。

 

「実際のところ、お二人はどのような関係なのですか?」

「そりゃ私も興味があるな」

 

 そして同時に、()から二人に声がかかる。

 見上げた二人の目に映ったのは、白と黒のエプロンドレスのような衣装に身を包んだ白黒の魔女―――霧雨魔理沙だ。

 箒に跨り飛んでいる彼女が、頭上から声をかけて来たのだ。

 

「魔理沙さん、こんにちは。どうしたんですか?」

「んや、何か見慣れないもんが広場に作られていて、その横で見知った顔が話し合ってるもんだからな。何の話をしてるのかと思って近寄ってみたら、また面白い話をしてるじゃないか。聞かせろよ、早苗。実際どうなんだ?」

「……うーん……相棒、という表現が一番しっくり来ると思います。毎日のように喧嘩もしますけど」

 

 しかし阿求に続いて魔理沙にも同様に問われながら、早苗は困ったように眉根に皺を寄せるのみ。

 嘘や照れから来る誤魔化しではない。ただ西宮との間の関係を表現する明確な定義を、これまで考えて来なかったという事だろう。

 故に続いて悩みながら語られたのは関係の定義というより、現状に対する再確認だ。

 

「仲は……悪いのかな? 悪くないと思いたいですけど。……今日も出かける前にお弁当作ってくれましたし」

「……思いのほか、家庭的ですね」

「早苗が出来ないから俺が出来るようになったとかボヤいてたけどな」

「私だってやればできるんですよ。やらないだけです」

 

 阿求と魔理沙の言葉に少し拗ねたように早苗が言いながら、分社建設用の道具と一緒に持ってきていた鞄から弁当箱を取り出した。

 どこか慧音の帽子に似たデザインのそれを開けると、中はチキンライスとハンバーグを軸とした彩り豊かな洋風弁当だ。

 ちなみにやれば出来るという言葉は完全に誇張であり、早苗は宴会において初手から洗剤で米を洗おうとしては料理運び役だけをやらされる事になったりする残念な料理力しか持っていない

 

「あら美味しそう」

「あげませんよ。西宮のお弁当は私のです」

「あーはいはい。……その反応見るに、お前は西宮の事は嫌ってないんだな」

「そりゃまぁ。嫌いだったら、こんなに長く組んでませんよ。……なんですかそのにやにや笑い」

 

 物欲しげに指を咥えて弁当をガン見する阿求から、弁当を庇うようにする早苗。その様子を見ながら魔理沙が笑う。

 彼女としては風神録異変の折に西宮という少年の「軸」を彼自身の口から聞いていたのもあり、その相棒である早苗側の感情に興味があったのだろう。

 にやにやとした笑みは非常に楽しそうであり、それを見た早苗が不本意そうに頬を膨らませる。

 

「外の世界に居た時にも、そういう笑いをする友達と似たような話をした記憶があります。私達に何を期待してるんですか、貴方達は」

「何って、そりゃ、なぁ?」

「私に振るんですか。私は幻想郷縁起の編纂者として、必要な情報を得たいだけですよ」

「阿求お前そりゃ卑怯だろ」

「最初に私に振ったのは魔理沙さんじゃないですか」

 

 責任の押し付け合いを開始する阿求と魔理沙。

 その醜い争いを横目で見ながら、早苗はぽつりと呟くように、本人すら意識せずに言葉を零した。

 

「……どうであろうと、私は西宮が居てくれてほっとしているんです」

「……早苗?」

「あ、ごめんなさい。……いえ、関係を無理に定義しなくても、私はあいつが居てくれて助かってるんだという、それだけです。友人とか、相棒とか、その……仮に恋人とか。そういう定義のあるなしに関わらず、私はあいつが居てくれて嬉しいんです」

 

 呟きに反応した魔理沙に、早苗は苦笑しながら言葉を続ける。

 

「本当は外の世界に居て貰って、外の神社と私の両親を頼む筈だったんですけどね。色々あって、外の両親と神社の心配も無くなって、そしたらやっぱりあいつが居てくれて良かったなぁって思うんです。私が色々と好きに動けるのは、あいつが後ろで支えてくれてるって安心感があるからですし」

「ほほう。ほうほう。早苗さんもっと詳しく」

「先日の異変の時にも、私が責任を感じていた時に背中を押してくれたのは西宮でした。……結局魔理沙さん相手に取った作戦を考えたのもあいつでしたね」

「あの時はしてやられたよなぁ」

「でも、不安になる時もあるんですよね。私はほら、今言った通り頼ってばかりで……私から何か返せたことってあるのかなー、って」

 

 本人としては色恋沙汰の話という意図はないのだろう。

 苦笑しながら語る早苗の表情に、その手の話題ゆえの高揚や照れは見受けられない。

 どちらかと言えば聞いている阿求の方がドキドキと胸を高鳴らせており、魔理沙は内心で『ああ、こいつらやっぱり似た者同士かも』という結論をほぼ確定していた。

 

「……まぁ、私から西宮への感情と言えば、こんな感じでしょうかね。阿求さんや魔理沙さんが望んでるような、色恋沙汰の甘い関係ってわけじゃなくて申し訳ないんですけど」

「あぁ、本気で言ってる辺りお前凄いよ……お前の方は無自覚なんだな」

「へ?」

 

 乾いた笑いを浮かべる魔理沙。

 そして阿求は良い笑顔でベンチから立ち上がった。

 

「大変ためになる話が聞けました、ありがとうございます」

「あ、いえ。少しでも幻想郷縁起のお役に立てたなら嬉しいんですが……役に立ったんですか?」

「ええ、個人的には。それでは気分が乗ってるうちに幻想郷縁起の編纂を始めますので、これにて!」

 

 早苗と魔理沙に一礼し、鼻歌を歌いながら自宅への道を歩き始める阿求。

 それを見送りながら、白黒は青白へ投げ遣りに言葉を放った。

 

「……私は知らないからな」

「へ? 何がですか?」

「幻想郷縁起に何を書かれてもってことだ。……警告はしたぞ」

 

 ―――幻想郷縁起。

 それは稗田家代々から伝わる知識から作り上げられた、知識と知恵の結晶である。

 唯一の難点は、割と編纂者の主観が強く混入している事だろう。

 

 後に脳内の乙女回路を暴走させた阿求が、早苗と西宮の関係について割と有る事無い事を想像で書いてしまい、早苗にとっちめられる―――。

 後にいう『稗田・東風谷の乱』の序章であった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「ぶぇっくし!!」

「あ、大丈夫ですか? こっちに来て焚き火に当たって下さい。今温かいお茶も淹れますね」

「……お願いします」

 

 そしてそんな人里の会話から、およそ一時間後。

 話題の当事者であった西宮は霧の湖にて人生の敗者(まけいぬ)へと華麗なクラスチェンジを遂げ、湖畔にて大妖精が熾した焚き火に当たっていた。

 友達が迷惑をかけたとでも思っているのだろう。大妖精は甲斐甲斐しく西宮の世話を焼いている。

 

 ―――悪くは無かった。本来の勝率を語るならば、そう言えるだろう。

 チルノは確かに妖精としては破格の能力を持っているが、妖精という種族の平均値自体が人間よりも更に低いのだ。チルノの弾幕勝負での実力もまた、幻想郷内で見ると決して高い方ではない。西宮の身近に居る相手で言えば、椛の方が上だろう。

 早苗には遠く及ばないまでも、優秀な妖怪退治屋になり得る素養を持つと八雲紫からも評されている西宮ならば、自身の未熟を差し引いても先の異変とその後に積んだ経験まで含めて考えれば、弾幕勝負で3,4割程度の勝率は確保できるはずの相手だったのだ。

 

「やはりアタイの弾幕は最強だったわね……まさかこんな心理効果があるなんて、このアタイの目をしても見切れなかったわ」

「くっそ、騙された……あんな、あんな馬鹿な弾幕に……」

 

 しかし終わってみれば、焚き火から離れて無傷で胸を張るチルノと焚き火の前で凍えている西宮という、完全にチルノの圧勝と呼べる結果となっていた。

 その原因は一つ。チルノが放った必勝の弾幕と、それに対する西宮の対応だ。

 

 彼女の代名詞とも言える『アイシクルフォール-easy-』。

 それは左右に放った氷弾を中央に向けて集束させるような形で飛ばすスペルカードなのだが―――その実態は何故か眼前ががら空きの安全地帯となる、何を考えて作ったのか小一時間かけて聞きたいスペルなのである。

 

 だが、それを見た西宮の思考は少し違った。

 

「絶対さー、あの正面の安全地帯は罠だと思ったんだよ。あそこに飛び込んだ瞬間、重ねて弾幕が飛んで来ると思ってたんだよ。クソ、ありもしねぇ罠を警戒し過ぎた……」

 

 がくりと落ち込む西宮はその言葉の通り、その露骨すぎる安全地帯を、露骨すぎるが故に罠と判断してしまった。

 結果として安全地帯を危険と判断してしまった西宮は、安全地帯に入らないよう(・・・・・・)注意しながら弾幕勝負に挑み、一瞬安全地帯に入りそうになって慌てて危険地帯に離脱しようとして撃墜されたのだ。

 そして霧の湖に墜落した彼を慌てて大妖精が拾い、今に至る。

 

「西宮さんでしたっけ。……考えすぎちゃいましたね」

「恥ずかしくて死ねるレベルでな」

 

 会話しながら濡れた服の裾を絞り、水を落とす。

 霧の湖は透明度が高く、そのまま飲めそうな質である事が幸いか。生活汚水などで汚染された外の湖だった場合、大分辛い事になっていただろう。精神的に。

 

「チルノと……大妖精だったよな。お前ら普段から、この湖を通る相手に喧嘩売ってるのか?」

「え? いや別に。今日はたまたま」

「いつもは友達と遊んだり、色々ですね。……以前私もチルノちゃんも、ここを通って紅魔館に行こうとした巫女さんに撃墜されて痛い目を見てますし、普段はあんまりこういう事はしてません。―――あ、お茶淹れましたよ」

「どうも。……はぁ、俺が運悪かっただけって事かよコンチクショウ」

 

 溜息を吐いた西宮が、大妖精から受け取ったお茶に手を付ける。

 恐らく花を使ったのであろう、香味の強い茶だが、しかし中々に彼好みの味だった。

 

「……美味い」

「気に入って頂けたようで何よりです。まぁ、ご迷惑をおかけしたお詫びですね」

「ふっ、流石大ちゃん。子分への慰労も欠かさないなんて。子分、大ちゃんに感謝しなさいよ。あとアタイにも!」

「はっはっは。あんまり舐めた口利いてると泣かすぞ親分」

 

 焚き火を囲んで笑顔のまま言葉を交わす親分(チルノ)子分(にしみや)

 苦笑しながら大妖精が、こちらは冷やしたお茶をチルノに渡し、西宮に目を向ける。

 

「ここを通るって事は、西宮さんもそのいつぞやの巫女さんと同じく紅魔館に御用事ですか?」

「ああ。正確には紅魔館にあるっていう図書館にだな」

「……うーん」

 

 そして西宮の用事・目的を聞いた大妖精が困ったように首を傾げ、

 

「今日は止めておいた方が良いんじゃないかと思います」

「……湖渡ってる途中でケチがついたからか?」

「それに関しては本当にごめんなさい。でも、そうじゃなくて」

 

 思い出すように大妖精は目を瞑る。

 数秒の間を置き、何かあるのかといぶかしむ西宮に対して、彼女は告げた。

 

「―――今、紅魔館は非常警戒態勢にある。先程門番の美鈴さんがそう言っていたんです」

 

 ―――それは事態の混迷を告げる言葉だった。

 

 



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湖畔の紅魔館に悪魔の群れが!(後編)

恐らく改訂後最も変わった要素の一つ、『フランの性格』。
二次でよく見る幼い性格ではなく、書籍版文花帖でレミリアを『あいつ』呼ばわりしたりしている比較的理性的で冷静なタイプになっております。
まぁ理性的とはいえ、タガが外れると怖いのでしょうけど。


 「紅い」。それがその館を目にした時に何よりも先に来る第一印象である。

 次点で「デカい」というのが、西宮丈一が湖畔の紅魔館を見た時の感想だ。

 

「へー、あれが紅魔館か。この距離からでも分かるデカさと紅さだな」

「そうよ! 凄いでしょ!」

「何でチルノちゃんが偉そうにしてるのか、私分からないよ」

 

 先の敗北から暫し後。

 チルノと大妖精によって成り行きで案内されながら、西宮は湖に沿うようなルートを飛び、紅魔館に到着していた。より正確には、紅魔館を視認可能な位置に到着したというべきか。

 

 先導するチルノ、ほぼ横並びで追従する西宮、やや遅れて大妖精という並びで飛ぶ三名の視線の先には紅魔館。

 そして―――

 

「……あれ? なんか紅魔館の前に何か無いか?」

「あれは……テントみたいですね。その周りに大勢のメイド妖精が居ます。紅魔館の住人の皆さんじゃないでしょうか?」

 

 ―――紅魔館の前には難民キャンプよろしく多くのテントが張られ、その周囲には多数の妖精メイド達がたむろしていた。

 いや、正確には妖精メイドの数が多いだけで、妖精メイドじゃない者も見受けられる。

 西宮の知っている限りではレミリアらしき小柄な影と、その横に日傘を持って立つ十六夜咲夜。

 そして宝石のような羽根を持つ金髪の少女が、レミリアと寄り添うようにして日傘の影に隠れて日光を凌いでいる。

 その近くには中国の人民服に近い衣装を着た長い赤髪の女性、そして紫色の髪にローブとパジャマの中間のような衣服を着た小柄な少女、司書服を纏い悪魔の羽根を持つ赤毛の女性などが集まっている。

 

「……知らん顔が多いな。レミリア様は話した事があるし、十六夜さんも宴会の中で見たことはあるけど」

「私達はある程度は知ってますけど……珍しいなぁ。紅霧異変の後から多少は出歩くようになったって聞いていたけど、フランさんがこんな昼間から外に出てるなんて」

「フラン?」

「フランドール・スカーレットさん。レミリアさんの妹様で、キラキラした羽根を持った女の子です。ほら、レミリアさんの横に居る子」

「あぁ、幻想郷縁起で見たけど……かなり怖い子なんじゃないのか?」

「情緒不安定だったって話ですけど、紅霧異変後は大分落ち着いているみたいですし……私が知る限りではむしろ理性的な方ですよ」

 

 フランドール・スカーレット。悪魔の妹とも呼ばれ、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』という、こと『破壊力』の一点で見れば幻想郷でも一、二を争う程の能力を持つ少女である。

 紅霧異変までは紅魔館の地下で過ごしていたが、異変を機に外の世界に興味を持って、最近は少しずつながら出歩くようになったという。

 噂では紅霧異変事態がレミリアがフランに外の世界に興味を持たせ、精神的な成長を促す為に仕組んだ異変という噂もあるが―――それについては本人含め、関係者全員が肯定も否定もしていないため、断言は憚られる。

 

 ただ二つ確かなのは、レミリアがフランを溺愛している事。

 そして情緒不安定だったらしいフランが紅霧異変後は随分と落ち着き、紅魔館から外に出るようになり始めたという事だ。

 

 ともあれそんな彼女達の元へ、西宮と妖精二人は降りて行く。

 途中で彼らに気付いたのだろう。日傘の影でレミリアが嫌そうな顔を見せ、その横のフランがうんざりしたようなジト目でそちらを見やる。

 そのレミリアの元へ降りた西宮は慇懃に一礼し、

 

「御機嫌麗しゅう、レミリアお嬢様」

「これが麗しく見えるならお前の目は節穴だな。抉ってやろうか?」

「社交辞令ですよ。察して下さい」

 

 そのやり取りに周囲の面々も敵ではないと判断したのだろう。

 チャイナドレスの女性―――紅美鈴は目線だけで咲夜に『誰?』と尋ね、咲夜が小声で応答している。美鈴は宴会の場で西宮を目にする機会が無かったらしい。

 紫髪の少女、パチュリー・ノーレッジは無関心。その横の小悪魔は、こてんと首を傾げている。

 そしてレミリアの横のフランはというと半眼のジト眼で西宮とレミリアの間で視線を往復させ、何かを納得したように頷き、

 

「ああ……貴方が噂に聞いてた山の上の巫女の相棒さん? 大変ね、こいつにこんな毛嫌いされちゃって。咲夜が大事なのは分かるけど、過剰なのよこいつは」

「フラン……もう少し姉に向かって尊敬の気持ちを表してもいいのよ? 具体的には言葉遣いとか」

「この状況を考えたら、敬う気持ちも吹き飛ぶわ。……何が悲しくて真っ昼間から日傘の下で三角座りしてないといけないのよ。吸血鬼が昼間っからお外で三角座り。これ健康的なの? 不健康なの? ねぇ、レミリアお姉様?」

「ぐむむ……」

 

 何やら現状に苛立っているらしいフランに、口では勝てないらしいレミリアが押し黙る。

 ちなみにその間に、西宮と一緒に来ていたチルノと大妖精は妖精メイドの群れの中に混ざっていた。どうやら彼女たちの妖精仲間も何人もここで働いているらしい。

 ともあれレミリアが黙ったのを確認したところで、両者のやり取りを聞くでもなしに聞いていた西宮に対してフランドールが顔を向ける。

 

「―――そういえば自己紹介してなかったわね。フランドール・スカーレット。そっちの益体無しの妹をしているわ」

「どうもご丁寧に。西宮丈一と申します、フランドール様」

「あら丁重。なるほど、確かに世慣れた対応ね」

 

 そこまで言ったところで興味を失ったのだろう。フランは西宮から視線を外し、日傘の影の小さなスペースで日に当たらないよう身を縮める作業に立ち戻る。

 それを横目で見てから、レミリアが西宮を睨みつけ―――つつも、フランからの口撃が怖いのか心なしか小声で言葉を向ける。

 

「おい誰に断ってフランにコナかけてるんだ殺すぞ。お前には早苗が居るだろうが。泣かせないように頑張るんだろう?」

「挨拶しただけでこれですか、レミリア様。つーかやっぱ霧雨から聞いてたのかコンチクショウ」

 

 ガクリと肩を落とす西宮に、レミリアは勝ち誇った表情を向ける。

 横で話を聞いていたフランや咲夜にも理解不能なやり取り。両者は互いに顔を見合わせる。

 しかし実態は何の事は無い、魔理沙が風神録異変の中で聞いた西宮の言葉をレミリアに伝えただけの事である。

 そしてにやにやと笑いながら、レミリアは更に西宮を追い込みにかかる。

 

「早苗を放っておいて良いのか? あれほどの器量良しだ。人里の人間どもも黙っていまい」

「良いんですよ、あいつは性格残念だから大抵の男はその後逃げて行きますし。……つか、この話題止めませんかレミリア様。俺の負けで良いですから」

「ふふふ、そうかそうか私の勝ちだな。……あれ、勝ったら何か良い事あるんだっけ?」

「レミリア様のカリスマが大変上がりました」

「やったー!」

 

 適当極まりない西宮の賞賛に両手を挙げてレミリアが喜ぶ。

 咲夜は嬉しそうなレミリアの様子に顔を綻ばせているが、フランや美鈴は少し可哀そうな物を見る目でレミリアを見ており、パチュリーに至っては視線すら向けていなかった。

 

「―――ところで」

 

 そして、周囲の反応を一通り見た所で、西宮は最大の疑問を口にする。

 即ち今のこの状況そのものについて、だ。

 

「今はまだ昼だと言うのに、吸血鬼のお二人まで含めて皆さんここで何をなさっているんですか?

「えぇと、それは……」

 

 その言葉に言い淀んだのは美鈴だ。

 レミリアと西宮のやり取りを黙って聞いていた彼女だが、困ったように進み出て西宮に一礼する。

 

「っと、すいません。私は紅魔館の門番、紅美鈴と申します。西宮さんですね、以後お見知りおきを」

「あ、はい。紅さん……で宜しいですか?」

「そっちは呼ばれ慣れていないので美鈴でお願いします」

 

 苦笑した美鈴だが、すぐに表情を引き締める。

 横目で見るのは紅魔館の門――――否、その先にある紅魔館そのものだ。

 

「今、この紅魔館は未曽有の危機に立たされています。強大な敵が館内に侵入し、辛うじて一人も欠ける事無く脱出できましたが……ここから先どうしようかと悩んでいた所でして」

「ちょっと美鈴、こいつにそんな事を教えなくても良いじゃない」

「しかしお嬢様。西宮さんは外の世界の方なのでしょう? 私達が知らない良い解決策を持っているかもしれないじゃないですか」

「本当ですか!?」

 

 事情を説明しようとする美鈴に対し、嫌そうな顔をしてレミリアが止めようとする。

 しかし反論をする美鈴の言葉に、激しい反応を見せたのは日傘を持っていた咲夜だ。叫びながら日傘を放り出して、西宮の両手を握る有様である。

 慌ててフランが日傘をキャッチして、彼女とレミリアは事無きを得た。流石に即死はしないものの、吸血鬼が日光を浴びるととても痛いのである。

 だが咲夜は自分が引き起こしかけた大惨事に気付きもせずに、

 

「貴方はあの悪魔を退治する方法を知っているのですか!?」

「あの悪魔ってどの悪魔ですか!? というかメイドさん必死すぎます近い近い! レミリア様こっち睨まないで! 俺から近付いてるわけじゃないから!!」

 

 身を押し付ける程の勢いで迫る咲夜に、彼女を従者として溺愛しているレミリアが鋭い視線を西宮に向ける。

 無論彼が言う通り、思い切り冤罪である。この場合責められるべきは、身を押し付けるようにしている咲夜であろう。

 冷静で瀟洒な彼女らしくない振る舞いに、周囲の皆が―――これまで無関心であったパチュリーまでもが何事かと視線を向ける。

 しかし咲夜はそれらの視線に気付かず、必死の形相で西宮に縋り付く。

 

「お願いします、どうか紅魔館を、私達を助けて下さい……!!」

「あの、全然話が見えないんですけど……誰か冷静な方、説明お願いします」

「……いやその、出たんですよ」

「出たって何がですか、美鈴さん?」

 

 そして困り果てた西宮へと、美鈴が再度説明の言葉を向ける。

 さて、どう説明した物かと彼女が困ったように視線を彷徨わせた刹那―――

 

「っきゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 妖精メイドの絹を裂くような少女の悲鳴が、屋敷の方から聞こえて来た。

 その場の全員が視線を向けた先、テントの周辺―――その中でも紅魔館に近い場所から、慌てて妖精メイド達が逃げ出すのが見えた。

 何事かと思った西宮の目に映ったのは、屋敷から出て来てテントに向かって飛んで来る一匹の黒光りする掌より小さいサイズの蟲―――

 

「―――って、ゴキブリ?」

「いやぁぁぁぁぁ!!?」

 

 西宮が『それ』の名前を口に出した瞬間、咲夜が絶叫と共に逃げ出した。時を止めるのも忘れての完全な敗走である。

 レミリアは青い顔で、しかしフランとゴキブリの間に立ち塞がるようにして両手を広げる。フランドールは思わずと言った様子で、そのレミリアの服の裾を両手で掴んで身を寄せる。

 パチュリーは自分と小悪魔の周囲にガチで魔法の障壁を張り、妖精メイドの中に混ざって大妖精も慌てて逃げ出し―――そんな中で、動いたのは三人。

 

「てい」

「ちょいな」

「ほいっと」

 

 西宮がゴキブリに手を向けて軽く霊弾を発射し、それを避けて飛んだゴキブリをチルノが能力で氷漬けにし、氷漬けになったゴキブリを美鈴が軽く蹴りで弾き飛ばしたのだ。

 あっさりと撃退された『悪魔』に、周囲で怯えていた面々が『もう大丈夫なのか』とでも言うような視線を向けて来る。

 それらの視線を受け、チルノは胸を張り、西宮と美鈴が溜息を吐いた。

 

「あたいったらサイキョーね!」

「……あの、美鈴さん。もしかしてこのゴキブリが屋敷から皆さんが退去した原因ですか?」

「ええ。……妖精メイドが何かの卵だと思って持ち込んで孵化させようとしたのが、ゴキブリの卵だったらしくて」

「うわぁ……」

 

 事情(だいさんじ)を聞いた西宮の表情が嫌そうな物になる。

 どうやら紅魔館の面々は黒光りする油虫に嫌悪感を隠せない面々ばかりだったらしく、この結果と相成ったようだ。

 

「とりあえずレミリア様、日傘、日傘。日光当たってますけど痛くないんですか?」

「え? ……あだだだだっ!? ちょ、これお肌荒れるのよぉ!?」

「わわ、お嬢様今お助けしますから!」

 

 どうやら吸血鬼は日傘があれば野外OKで、日光に当たっても短時間なら肌荒れ程度で済むくらいには頑丈らしい。或いはスカーレット姉妹が頭抜けて強力な吸血鬼なだけなのかもしれないが。

 七転八倒するレミリアとその後ろで日光の痛みに顔を顰めるフランドールを見て、慌てて美鈴が転がっていた日傘を拾って両者の上に掲げる。

 それで人心地ついたとでもいうように、レミリアが長い溜息を吐き、半べそで背後の妹に向き直る。

 

「フラン……なんで日傘投げ捨てたのよぉ」

「え、なんでって―――ぁ」

 

 そして両手で姉の服の裾を掴み、自分を守るように仁王立ちした姉の影に隠れる形になっていたフランドールが慌てた様子で手を離す。

 頬が一気に赤くなり、威嚇するようにレミリアを睨みつける。

 

「……お礼なんて言わないから」

「何の話よ? むしろ日傘投げてごめんなさいしなさいよぉ……あーもー、肌荒れしちゃう」

 

 当然のように妹を守るような行動を取った姉と、思わずといった様子で姉に頼る姿を見せてしまった妹。

 しかしそれを恥じて威嚇する妹に対し、姉の方は半泣きで日傘を投げ捨てた事を責めるのみだ。

 

 どうやら姉の方には妹を守ろうと動いたことは、まるで意識に無いらしい。

 無意識―――というより、そうするのがあまりにも当然なのだろう。妹の前に盾となって立ちふさがったことが、彼女の意識の中には当然過ぎる行動として位置づけられており、別に何か口に出すべきような内容として定義されていないらしい。

 

 レミリアのそんな様子を見てフランドールの頬が更に真っ赤に染まり、俯いてから小さく一言。

 

「…………ごめん。………………あと、やっぱりありがと」

「はぁ、なんだかよくわからないけど、どういたしまして?」

 

 意地を張るのをやめて礼を言うフランドールと、全く礼を言われるような覚えがない―――と、本人としては思っているらしい―――レミリア。

 見ていた西宮としては、先のやり取り含めてこの吸血鬼姉妹の関係性の本質をそこに見た気がした。……原因がゴキブリという辺りが、なんとも言い難いが。

 

「……なんていうか、良いお姉さんですねレミリア様」

「なんだかよくわからないけど、お前に褒められると鳥肌が立つ」

 

 そして西宮の言葉にレミリアが嫌そうに身を震わせ、フランドールが顔を赤くして更に俯く。

 どうやら悪魔の妹は、西宮から見た自分達がどういう関係性に見えたのかをある程度察しているらしい。

 その様子を内心で微笑ましく思いつつも、それ以上に呆れを表情に出して西宮は言葉を続ける。向ける先は頬を赤くして俯く妹吸血鬼ではなく、姉の方だ。

 

「……つーか、たかがゴキブリじゃないですか。多少気持ち悪くても危険は然程無いじゃないですか。何でほぼ全滅なんですか。もう少し対処できる人は居るでしょうに」

「無理よ! あれが羽根を広げて顔面めがけて飛んで来る恐怖って言ったら……」

「弾幕よりマシでしょうが」

「一回慌てて弾幕で迎撃したら、慣性の法則で残骸が顔に飛んで来て『べちょっ』ってなったのよ! 私はもう二度とゴキブリとなんて戦わない!!」

「……私も能力で破壊したら色々飛び散って……う、思い出したら気分が……」

 

 吸血鬼姉が恐怖体験を語り、妹吸血鬼は赤く染まった顔を僅かに青くさせる。

 

「ごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいやだやだやだ」

 

 少し離れた場所で完全で瀟洒なメイド長が、レースのパンティ丸出しで地面にしゃがみ込んで、完全も瀟洒も投げ捨てる勢いで頭を抱えて許しを請うている。

 

「……私も嫌よ?」

「パチュリー様、実は虫とか駄目ですよね。クールそうな対応してますけど、さっきの障壁とか思わず引くくらいにガチでしたし」

「小悪魔、余計な事を言わないの」

 

 図書館組も戦力にならないらしい。

 ゴキブリ相手に真っ当な対処能力を持つのは、紅魔館の住人では美鈴だけ。

 その美鈴は頭を掻きながら苦笑する。

 

「と、いう状況でして。まぁ非常事態というか何というか……」

「あー……理解しました」

 

 平和な―――ただし概ねの紅魔館住人にとっては深刻な―――事情に溜息を吐く西宮。

 脳内で考え得る対処法を検討しつつ、目線を向けるのはレミリアに対してだ。

 見られたレミリアが何事かと首を傾げるのに対して、彼は苦笑交じりに言葉を投げる。

 

「確かに美鈴さんの言う通り、案はあります」

「本当か!?」

「ええ。ただし、紅魔館の大きさが大きさです。多少永遠亭に借りを作る可能性もありますが」

「……詳しく説明して貰おうか。可否はそれから考える」

「外の世界の道具で、こういう虫対策のがあるんですよね。家屋全体を殺虫する強烈な奴なんですが、通常の一軒家で使う奴しか無いので量が足りません。薬剤関係の物となるので、永遠亭に持って行けば複製して貰えるのではないかと」

「確かにあのスペース薬師ならば、サンプルさえあれば鼻歌交じりにやってのけるだろうが……ううむ」

 

 懊悩するレミリア。どうやら西宮の言葉に光を見出しつつも、紅魔館の主として他所に借りを作る事を厭っているようだ。

 しかしそれも数秒。パンツ丸出しで震える従者と、このままでは本だけ持って家を出て行きかねない親友と、怯える妹と、自分が虫に感じる恐怖心。これらの要素を勘案して、レミリアは西宮へと嫌そうな視線を向け直した。

 

「……分かった、案があるならそれで頼もう。それで何が望みだ?」

「おや、永遠亭に対してではなく俺にですか」

「どうせここに来たのも何か目的があっての事だろう」

「良くお分かりで」

 

 彼女としては永遠亭に対するのと同様に、西宮へも借りを作りたくないのだろう。彼に関しては外の世界の匂いが濃い人間と断じているから尚更だ。

 なるべく早くに借りを完済しておきたい。その意図が見え隠れする質問に、しかし彼は大して悪感情も抱かずに頷きを返す。

 

 少なくともレミリア・スカーレットは陰湿な性質の持ち主ではない。

 嫌いなら嫌いと真正面から告げる、良くも悪くも直線的な性向の持ち主だ。裏でこそこそ動かれるより余程好感が持てる。

 

「図書館の入館許可と、可能ならば持ち出し許可を」

「それは私の領分では無いな……パチェ、どう?」

「物に依るわ。……何の本を探しているの?」

 

 そして話を振られたパチュリーが、西宮へと視線を向ける。

 眠そうな半眼で上目遣いに見るそれは、人によれば睨まれているようにも感じるだろう。

 しかし彼女にとってはそれが普通の視線である事は、多少なりとも付き合いのある相手ならば誰もが知っている。

 ―――つまりは知らない西宮は睨まれているのかと思い僅かに怯んだわけだが、それを見て溜飲を下げたらしいレミリアが喉を鳴らすような笑い声を上げた。

 

「くくく……そう構えるな。あれがパチェの普通の視線だ。別に睨んでいるわけではない」

「……うるさいわね、レミィ」

「あー……失礼しました。えーと、パチェ様で宜しいのでしょうか」

「パチェは愛称。それで私を呼んで良いのはレミィだけよ。……私はパチュリー・ノーレッジ。魔法使いね」

「あぁ、そういえば幻想郷縁起でお名前を拝見したことがありました。それは重ね重ね失礼しました、ノーレッジ様」

「以後気を付けてくれれば別に良いわ。……それで、西宮丈一だったかしら。何の本を探しているの?」

「実は―――」

 

 西宮はにとりから頼まれ、技術関連の書物を探している事を説明した。

 それを聞いたパチュリーは横の小悪魔に確認を取り、些少ながらそれに関連すると思われる蔵書がある事を自分と小悪魔の両方の記憶から照らし合わせ、、西宮へと返事を返す。

 

「魔導書とかなら持ち出しは許可しなかったけど、それなら良いわ。屋敷の中に蔓延っている黒い悪魔をどうにかしてくれるなら、今後も入館と……魔法に関わらない本の貸し出しは許可してあげる」

「随分と譲歩したわね、パチェ」

「レミィには寝て起きたら眼前に黒い悪魔が居た恐怖は分からないわ……」

 

 どうやら彼女も彼女で色々あったらしい。無表情に近い表情ながらも、頬には一筋の汗が流れている。

 ともあれ目的達成の為の約束を得られた西宮は満足げに頷いた。

 

「交渉は成立ですね。それでは一旦神社に戻って、その後に一度永遠亭に向かいます。暫しお待たせしますが、ご容赦を」

「ああ、パチェがこれだけ譲歩したのだからな。それに見合うように、なるべく早く頼む」

「後は……美鈴さん、下準備として食料類は外に運び出しておいて貰えますか? その中にゴキブリが混ざってないかは確認を……必要ならばチルノに一度凍らせて貰って下さい。凍らせれば中にゴキブリが混ざっていたとしても、流石に死にます」

「分かりました。……ねぇチルノ、飴ちゃんあげるから少し手伝って貰って良い?」

「良いよー。あ、でも大ちゃんの分も頂戴」

 

 最強の妖精は値崩れレベルの格安報酬で手伝いに同意した。

 余りの安さに横で見ていたパチュリーが溜息を吐く。

 

「……所で、どんな手段を用いるんですか?」

「私も気になるわね」

 

 そして作戦実行の為に紅魔館前のキャンプ地を飛び立とうとした西宮にかけられた、美鈴とレミリアの声。

 それに応じるように、彼女達以外の面々も気になるらしく、周囲から視線が向けられる。

 それらの視線を受けながら、西宮は少しだけ得意げに笑って告げた。

 

「―――バルサンです」

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 バルサンという道具がある。

 くん煙剤と呼ばれるタイプの殺虫剤であり、殺虫成分の強い煙を噴き上げ、それを部屋の隅々まで行き渡らせる事によって虫を退治するという物だ。

 

 外の世界では良く使われる道具であり、それは守矢神社でも例外ではなかった。

 早苗はゴキブリを見かけたら伝家の宝刀―――という名の丸めた新聞紙―――で撃墜する程度には平気なのだが、いかんせん彼女の父親が虫が駄目な人だったため、よくバルサンのお世話になっていたのだ。

 社務所の棚にも2,3の在庫があったのを確認していた西宮、それを永遠亭に持ち込んで紅魔館で使う分だけ複製して貰う心算である。

 

「帰ったぞー」

「おー、盟友。どうだった?」

「交渉は成立したけど、少しゴタゴタしててな。図書館に入れるようになるまで最悪数日かかるから、適当に機械でも弄りながら待っててくれ」

 

 そして紅魔館から帰還して神社の敷地に着地した西宮に、縁側で携帯電話を分解改造していたにとりが声をかけてくる。

 それに軽く応じながら社務所に入り、棚にあったバルサンを全部持って行こうとした所で、早苗の部屋から声が聞こえて来た。どうやら人里での今日の布教を終えた早苗は、既に帰ってきているようだ。

 

「良いですか小傘さん。『うらめしやー』が時代遅れになったように、『アモーレ』もまたいずれ時代の波に飲まれていくでしょう。それを防ぐためには、アモーレに続く新たな言葉を今のうちから考えておくことです」

「なるほど! 早苗って凄いね。今から先を見据えてるんだ」

「ふふふ、幾ら本当のこととはいえ、そんなに褒められると照れますね。……さて、それではアモーレはイタリア語ですので、次は英語を勉強してみましょうか。……一緒に英語の勉強を……いえ、トゥギャザーに英語のスタディーをするのです」

「と、トゥギャザーに英語のスタディー!?」

「イエス。小傘さんにマイセルフの英語フォースをティーチしてあげます!」

 

 そして西宮は何も聞かなかった事にしてその場を通り過ぎた。

 誰だって見えている地雷を自分から踏みには行きたくないのである。

 いや、彼の友人であるパンツ奉行などは、外の世界で『見えている地雷』と呼ばれるゲームへ向けて嬉々として特攻するクソゲーマイスターであったが。

 

「さて、チルノと美鈴さんが向こうの準備を整えてくれてる間に出来るかね」

 

 バルサンは殺虫成分をバラ撒く関係上、食料や食器、人が口に入れる物などを置いたまま行うのは好ましくない。

 故にその辺りに対する対応を虫が平気な二人に頼んで来たのだが、果たしてその間に西宮の用事が終わるのかどうか。

 

「……流石にあの難民キャンプで何日も生活をさせるような事はしたくねーな。ちょっと急ぐか」

 

 そして西宮はバルサンの複製化を目指し、一路永遠亭へと足を向けたのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「全く、面倒事ね……こりゃ私も紅魔館の図書館に入る許可を貰わないと、流石に割に合わないわ」

「医学書目当てですか?」

「そっちも無いでもないけど、医学関係に関しては多分こっちのが紅魔館より充実してると思うわ。師匠っていう最高の教師も居るしね。どちらかというと、月関係の書物目当てかな」

 

 そして西宮が神社を飛び立ってから更に二、三時間後。

 日も沈みかけた黄昏時に、西宮は鈴仙と連れ立って紅魔館へと飛んでいた。

 両者が持つのは大きな風呂敷。西宮が永遠亭に持ち込んだバルサンの薬剤を解析し、僅か数十分で永琳が処方してくれた簡易型バルサンセットだ。

 

 曰く、『御免なさいね。珍しい物だったから、ついついじっくり調べちゃって処方が遅くなったわ』との事。

 どうやら月にはその手の害虫は生息しておらず、それゆえにこの手の殺虫剤が生まれる事も無かったのだろう。

 しかし僅か数十分で解析・処方を終えて遅いとは何事か。西宮、図らずして永琳の底知れない能力の一端を感じた時だった。

 

 ちなみに永琳は薬は専門だが、工学的な事は―――恐らく出来ない事はないだろうが―――専門外なので、バルサンの缶の機構の再現は早々に諦められた。

 薬剤を現地で容器に叩き込んで反応させ、煙が出る前に速攻で避難という原始的な手法が採用される事と相成っている。

 

 そして使う対象はただでさえ大きい上に、内部が咲夜の能力によって拡張されている紅魔館だ。

 その為、永琳が処方した薬の量はかなり多く、平たく言えば西宮一人では持ち切れない量になったため、鈴仙も彼に同行する事になった―――というのが現状だ。

 

「師匠も何で私にこんな仕事を命じたのかなぁ」

「永遠亭としても紅魔館に貸しを作っておくのは悪くないと判断したんじゃないですかね」

「あー、政治的判断って奴? 私そういうの駄目なのよね」

「或いは自分の弟子に経験を積ませたかったとか」

「……ゴキブリ退治の経験と医者って関係あるの?」

 

 鈴仙は不満たらたらという様子で頬を膨らませながら飛んでいる。

 医者を目指して勉強しているだけあって、基本的には理知的な彼女のそんな珍しい様子に、西宮の口から思わず笑い声が漏れた。

 それに対して横を飛ぶ鈴仙が睨むような目を向けて来たので、やや慌てて西宮は話題を変える。

 

「ところで鈴仙さんは虫とか平気なんですか? このバルサン設置する段になって、実は駄目ですと言われても困るんですが」

「まぁ普通って所じゃない? いきなり飛んで来たら驚くけど、悲鳴上げて逃げ出す程じゃないわ」

「それは重畳。頼りにさせて貰います」

 

 最悪のパターンはこのまま鈴仙を連れて行って、鈴仙も虫が駄目だという事だろう。その場合、バルサンの設置において戦力となるのは実質的に美鈴と西宮だけになる。

 チルノも虫は平気だが、彼女に危険な薬剤の扱いを任せたいと思う者はそう多くはあるまい。大惨事への一本道に成り得るバッドエンドへの特急券である。

 

 一応一番の最適解として、咲夜に時を止めて設置作業を行って貰えばと思わなくもないが、紅魔館で最もゴキブリを怖がっていたのは彼女であった。

 最悪の場合は時が止まった中でゴキブリを見た瞬間『きゅう』と可愛らしい悲鳴と共に気絶しかねない。

 

「しかしゴキブリで大騒ぎって事を考えると、幻想郷って平和ですよね」

「そうは言うけどね。あの手の病原菌を媒介にする生き物は医者見習いとしては馬鹿にならないんだけどね。マラリアだって蚊が媒介でしょ?」

「……成程、確かに」

「そういった意味で、ゴキブリ大発生は私としても放っておけないわけよ。……面倒だけどね」

 

 そんな会話をしながら飛ぶ事暫し。

 二人の目線の先に紅魔館と、その前にあるキャンプ地が見えてくる。

 相変わらず陣幕か難民キャンプよろしく張られたテントの周辺に、わらわらと妖精メイドが群がっている状態だ。

 中に混ざってレミリアや美鈴、チルノの姿も確認出来る。

 

「……ホントに難民キャンプ状態ね」

「あれ、何人か居ねぇ。テントの中か? ……まぁ何にせよ、あのまま何日も待たせるのも気が引けますしね。永琳さんが早急に処方してくれて、本当に助かりました」

「まぁそれは確かに。それじゃ、実際に設置をするのは美鈴と私と貴方よね。美鈴に説明お願い。私はレミリアに注意事項を説明して来るから」

「あいさ」

 

 飛びながら役割分担を決め、西宮は上空から見えた美鈴の元に、鈴仙はレミリアの元へ飛んで行く。

 気付いたレミリアが鈴仙に対応を開始するのを遠目に見ながら、西宮は美鈴の横へ降り立った。

 

「どうも、美鈴さん。お待たせしました」

「いえいえ。その様子だと永遠亭で薬は出して貰えたようですね」

「一応は。実際に仕掛けるのは俺と美鈴さんと鈴仙さんになると思います。本来であれば時間を止められるという十六夜さんが適任なんでしょうが……」

「……勘弁してあげてください。咲夜さんが一番あの手の虫が苦手なので」

「ですよね。なら、俺らが地道にやるしかない、と」

 

 果たしてどこまで苦手なのか。

 この問題に関して言えば完全と瀟洒を投げ捨てているメイド長に溜息が止まらない西宮だった。

 

「っていうかその十六夜さん含め、結構居ない人がいますね。テントの中ですか?」

「いえ……妹様とパチュリー様、そして咲夜さんと小悪魔ちゃんは、大ちゃんの家に集団疎開しています」

「集団疎開て。……つか妖精ってそんな大勢訪れられる家とか持ってるもんなんですか」

「光の三妖精とか大ちゃんとか、持ってる人は持ってるみたいですね。まぁ珍しい部類でしょうけど」

 

 どうやらレミリアを除き、紅魔館の住人は殆ど避難したらしい。居ても役に立たないどころか、却って邪魔なので西宮的には別に良いのだが。

 例外は意外と冷静だった小悪魔くらいだろうか。

 

「ちなみにレミリア様はなんで残ってるんですか?」

「部外者相手に当主である自分が弱味を見せたら舐められるからだそうですよ。それに、部下に嫌な事を押し付けるのに安全な場所に逃げるのが嫌だとも」

「……へぇ」

 

 美鈴の言葉を聞き、西宮は鈴仙から説明を受けているレミリアに視線を向ける。

 几帳面な鈴仙から化学薬品についての詳細な説明をしているようだが―――

 

「……ああ、もう。小難しいな。とりあえず奴らを殲滅する効果があるなら私はそれで良いよ」

「あのねぇ? 自分の屋敷で使うもんでしょ! どんな化学薬品でどのような効能があってどのような成分なのかくらい覚えておきなさいよ!」

「覚えた覚えた。だからもう良いだろう」

「……じゃあ言ってみなさい。バルサン(これ)は何と何を反応させるの?」

「……決して引かぬ志と、一歩を引ける余裕」

「どこをどう考えても反物質じゃない!」

 

 きゃんきゃんと声を上げる鈴仙に対し、煩そうにあしらおうとするレミリア。

 その様子を見ながら門番と平信者の二人は苦笑する。

 

「あれでも良い主君なんですよ。ちょっと子供っぽいですけどね」

「楽しそうな職場で何よりですよ。―――さて、それじゃあこっちも説明を開始しますか」

 

 そして西宮は美鈴へとバルサンの使い方の説明を開始する。

 その向こうで鈴仙が覚える気の無いレミリア相手にきゃんきゃんと説教を続けていた。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「……紅魔館が燃えている……。悪は滅んだのね、流石あたい」

「燃えてねぇよ。ただの煙だよ。お前何もしてねぇよ親分」

「でも実際、凄い光景ねコレ……」

 

 数時間後、夜半になった紅魔館の前。

 意外とバイタリティのあるメイド妖精たちがどこからか切り出してきた木材で組み上げたキャンプファイアーの灯りに照らされながら、チルノと西宮、そしてレミリアは煙を上げる紅魔館を眺めていた。

 

 無論西宮が突っ込んだ通り、燃えているわけではない。

 内部に充満したバルサンの煙が漏れ出て来ているだけ―――なのだが、『これでもか、これでもか、えいえい』というくらい大量のバルサンを投入したが為に傍目にはかなりの煙が紅魔館から噴き上がっているように見える。

 

 まるで『長く苦しい戦いだった……』とでも言いたげに腕を組みながら仁王立ちで紅魔館を眺めるチルノ。

 ちなみに彼女はバルサン設置の間は警戒要員として外に残っていた為、仕事らしい仕事はしていなかった。

 どちらかと言うと長く苦しい戦いだったのは西宮と美鈴と鈴仙である。

 

「……奇襲の如く頭上から降って来た時には驚いたなぁ」

「止めろ想像させるなぁ!!」

 

 その西宮が呟いた言葉に、横のレミリアが耳を抑えてしゃがみガードする。

 だが何にせよ、この分ならば今日中に浄化は完了するだろう。中で朽ちているだろう黒い悪魔の遺体の処理、並びにバルサンの薬剤が気になるようならば雑巾がけなどの対応は必要かもしれないが、最大の問題は終わったと言って良い。

 

 鈴仙などは少し遠くで、全然説明を聞く気が無かったレミリアについての愚痴を美鈴に漏らしている。

 とはいえ外の世界からバルサンを持ちこんだ西宮も鈴仙ほどの知識を持って運用していたわけではなく、これに関してはレミリアが注意事項を聞く義務を怠ったのが半分、鈴仙が過度に細かい所まで説明しようとしたのが半分と言えるだろう。

 

「にとりももう家に帰ってるだろうし、俺の用事は明日以降で良いかもしれませんね。つーか疲れた。この状態から本とか探したくない」

「ああ、帰れ帰れ。私も何が悲しくてお前と一緒に並んで煙を吐く紅魔館を眺めてるのかと、500年に及ぶ人生に疑問を抱いてた所だ」

「そうですか吸血ロリータ。500年生きてる割にゴキブリは駄目なんですね」

「うるさい黙れ。たかが二十年も生きていない分際であれが平気な人間の方が私からすれば分からん」

 

 そして嫌そうな表情をしたレミリアがちょこんと地面に座り込み、なんとなく西宮もその横に座る。

 やや一方的に非友好的関係の両者だが、流石にこの状況から無駄に諍いを起こす気力はレミリアの方にも無いらしい。投げやりな口調で、聞かせるでもなく横の西宮に言葉を投げる。

 

「あれだな。なんかもういっそ開き直って全て投げ捨てて、『ふふふ燃えておるわ』とか言いながら高いワインでも開けて悪役笑いでもしてたい気分だ」

「ワインならありませんが、缶ジュース―――外の世界の飲み物ならありますよ。東風谷が商店街の福引でたくさん当てて飲み切れないやつ、バルサンの近くに保管しっぱなしだったのをついでに持ってきましたので良ければどうぞ」

「ふむ? 貴様にしては気が利く貢物だな。よろしい、受け取ってやろう。……これはどう開けるんだ?」

「ああ、それはそこのプルタブを―――そう、引っ張って。で、そこの開け口から飲むんです。まともに買ったらそこそこのワイン一瓶くらいの価格がする超高級100%ジュースですので、心して飲んでください」

 

 カシュッと軽い音を立て、西宮がレミリアに投げ渡した小さなスチール缶の蓋が開く。

 その機構を興味深げに観察していたレミリアだが、すぐさま興味はその中身に移ったのだろう。両手で行儀よく包んだジュース缶を口元に持っていきつつ、

 

「外の物価は分からんが、ちょっとした高級品のようだな。であれば喉も乾いている事だ。借りには思わん貢物としてならば飲んでやる」

「ええ、ホント高級品ですんで心してくださいその100%ジュース―――」

 

 一口、ぐいっと。

 

「―――ウニ味」

「ブフォアッ!!」

 

 気高き夜の女王が口から山吹色の塩漬け卵巣が噴出された。

 それをすぐ横で見た西宮は「うわ」と声を上げ、

 

「なにしてんですか勿体無い。最高級のバフンウニですよそれ」

「ゲホゴッ……ガハッ! お、おま……何を考えてそれを飲用にしようとした……!?」

「いや、そのメーカーその前は牛タンで似たようなことやってたんで、俺としてはいつものノリかなぁと。―――あ、塩加減は如何でした?」

「飲めば飲むだけ水が欲しくなるわッ!! もしくは白米だなこれはッ!?」

「―――ふむ」

 

 涙目でゲホゴホと咽るレミリアを見た西宮は小さく頷き、言葉を返す。

 

「霧雨から聞いた、俺が先の異変で戦った理由というのを絶対に他所に漏らさないと誓って頂けるならば、ここにミネラルウォーターのボトルが」

「貴様最初から最後まで確信犯だったな馬鹿野郎ッ!?」

「ねーねーレミリア、アタイもそれ一口飲んでいいー?」

 

 ―――割とどうしようもないこんなやりとりを経て。

 レミリアから他言無用の約束と従来の二割増しの敵意を勝ち取った西宮は、図書館への入場権を得ることになり、河城にとりによる水力発電の開発はこれを機に加速することになる。

 

 しかしそれより前に、天狗の里にて一つの事件が発生する。

 大天狗一名を含む複数の男性天狗が罷免され、山を去ることになる―――天狗社会の移り変わりを象徴する事件。八雲紫や守矢の神々も巻き込んだそれに、西宮丈一はかなり中心に近い位置で巻き込まれることになるのだった―――。

 



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番外:幻想郷縁起のとあるページ + α

オマケもオマケ、超オマケです。
西宮の幻想郷縁起でのページ&某ゲーム風にキャラクターのステータス、解説を文章化してみる程度の試み。

注意書きをご覧の上で、一種のお遊びと思ってご覧ください。
また、元ネタとなった某ゲームとは数字が同じでも内実が違います。例えば向こうで『筋力:8』だった場合でも、こちらの『筋力:8』とは同じ数字でも同じ強さというわけではないという事です。あくまで表記の仕方で参考にしただけですね。
……明言しておかないと面倒なのよねこういうの!


賢しい平神職

西宮丈一 Joichi Nishimiya

 

職業         神職見習い(*1)

能力         無し

危険度        極低

人間友好度      高

住んでいる場所  守矢神社

 

 

   ♢ ♢ ♢

 

 

 外の世界から幻想郷に来た守矢神社の神職見習い。

 どうやら正確には来る予定は無かったらしいが、偶発的ミスで神社の神々が連れて来てしまったらしい。(*2)

 本人は帰る意思は無いらしく、神社の一員としてよくあちこちに出向いている。

 

 神社においては山の中の事は神々が、山の外の事は彼と風祝がというように役割分担されているようで、主に山の外への対外折衝は彼が担当している。

 風祝の東風谷早苗とは仲が良いやら悪いやら、周囲の人々はその関係に多くの注目を払っている。(*3)

 

 

 § 性格 §

 

 

 幻想郷には珍しい程に礼儀正しく目上を立てるが、地の部分は口が悪く他者をからかう事を好む。(*4)

 また、妖怪の賢者や竹林の薬師には劣るものの、人間にしてはかなりの切れ者である。風神録異変では“あの”霧雨魔理沙を出し抜き、脱落させるという快挙を為した。

 

 良くも悪くも賢しい性格であり、本人の力は然程強くない事と相まって、『小賢しい』と評される事もある。(*5)

 賢しさを美徳とする相手には受けがいいが、そうでない相手には受けが悪い。

 肝は座っているという話であり、妖怪や神々相手にも物怖じはしない。

 

 

 § 能力 §

 

 

 幻想郷縁起に書かれる人妖としては非常に珍しく、能力らしい能力は無い。

 妖怪の賢者や他の智者に聞いても無いとの証言だったので、隠しているという事も無く、本当に固有の能力は無いのだろう。

 とはいえ、幻想郷における能力は自己申請であるので、実際には彼同様に固有の能力を持ってない様子の人妖も多いのだが。(*6)

 

 敢えて言うならば良く回る頭が武器か。

 巫女や風祝には劣るが人間にしては基礎霊力が高く、良い妖怪退治屋になれる可能性はある。(*7)

 

 

 § 日常 §

 

 

 基本的には神社の雑務をこなしているので、あちこちに出向いている事が多い。

 ただ、神社の家事については彼が取り仕切っているので、夕方にでも行けば会う事は出来るだろう。

 攻撃的な性格ではないので、用事があれば順を追って話せば聞いてくれる筈だ。

 人里に買い物に来る事も多いので、里で見かけた人も多いだろう。(*8)

 

 風祝が料理が駄目な分得意になったと言うだけあって、料理の腕はかなりの物。

 紅魔館のメイドには劣るが、それでも家庭料理としてはかなりの水準を保っているらしい。(*9)

 

 

 § 外来人 §

 

 外の世界からやって来た人間は、殆どの場合妖怪に食われるか、再び外の世界に戻ってしまう。

 そのため、彼のように事故的な理由で幻想郷に入り、定住した例は少ない。その上で順応を始めている貴重な人間である。

 

 風祝もそうだったが、彼らのような若い外の人間は外の世界の技術や知識にはそこまで詳しくない。

 寺小屋での成績は良かったとのことだが、河童が使っているような道具の原理は皆目検討がつかないようなものが殆どなようだ。

 本人は風祝よりマシを主張しているが、名前だけは分かるとかそのレベルでは、正直どっちもどっちである。(*10)

 

 § 対策 §

 

 人間なので、遭遇時の対策などは特に必要ない。必要十分に対応していれば、それなりに人当たりの良い対応をしてくれるだろう。

 直接的な戦闘能力も並の人間よりは上であるが、下級妖怪とどっこいか程度である。とはいえ、戦闘慣れして修行を積んできたらどうなるか分からないが。

 とはいえ実際のところ相方である風祝よりはひねくれた性格な部分があるが、弾幕ごっこにも積極的ではなく、普通に対応する分には彼と争う事になる可能性は低いだろう。

 

 

 § 風祝との関係 §

 

 どうやら外の世界時代から、十年来の幼馴染であったらしい。

 事あるごとに喧嘩をする光景が見られるので一見すると非常に仲が悪いが、その実互いに憎からず思っているのではないかというのが大勢の意見だ。(*11)

 文々。新聞では彼らの関係についての特集を組んでおり、こういった話が大好きな少女達を中心に飛躍的に部数を伸ばしている。(*12)

 

 基本的には暴走気味の風祝を彼が止めるといった事が多いようだが、風祝曰く『西宮が居るから私は安心して突っ走れるんです』との事なので、彼の存在自体が彼女の暴走を後押ししている側面が強い気がする。(*13)

 また、風祝側も彼を全面的に信頼しており、異変の折などは彼の指示を受けて動いていたようだ。

 ただし彼女側は頼ってばかりだという事にコンプレックスがあるらしく、聞き取り調査中に筆者はどうすれば彼に何かを返せるのかという甘酸っぱい相談を受けた。(*14)

 

 総じて言えば幻想郷の少女達の格好の娯楽であり、今後のさらなる進展が望まれる。(*15)

 

 

 

(*1)『あるばいと』と言うらしい。丁稚奉公のような物だったのだろうか。

(*2)当人は巻き込まれて良かったと語っている。

(*3)当然私もである。

(*4)私は見た事が無い。一度見てみたい気もする。

(*5)吸血鬼や鬼など、強さを至上とする種族からの評判。

(*6)例えばからかさお化けは『人間を驚かせる程度の能力』を自称しているが、実際に驚かす事が出来るわけではない。

(*7)でもまだまだ下級妖怪と張れるかどうかといった程度。

(*8)巫女や魔法使いと違って、ちゃんとした社会生活を送っている。

(*9)外の世界の料理も作ってくれるらしい。

(*10)アンペアとかワット数とかはなんぞや。詳しい理屈を聞いたら言葉に詰まっていた。

(*11)私含む。

(*12)私も購読を始めた。

(*13)でも頼られている彼もまんざらでない様子である。

(*14)接吻でもしてあげれば良いのではないだろうか。

(*15)当然私も望んでいる。

 

 

 

 

■=======================================■

 

 

 

※※注意※※

 このデータはあくまで『東方西風遊戯』内での物であり、独自解釈・オリジナル要素が含まれている事をご了承ください。

 また、このデータが閲覧者様のイメージと違う可能性があります。そこはあくまで『東方西風遊戯』内での設定である事をご了承ください。

 各ステータスの最大値は10。最低値は0です。それと、これらのステータスは現在時点のものです。

 

▼東方西風遊戯・等級項目▼

 

 

■東風谷早苗 初伝■

身長:五尺五寸 体重:十四貫三斥

異能:奇跡を起こす程度の能力

 

■能力評価■

 

筋力:■■■■■■

体力:■■■■

気力:■■■■

術力:■■■■■■

技術:■■■

速力:■■■■■

異能:■■■■

 

■基本情報■

 

 守矢神社の幻想郷移転に伴ってついて来た、風祝にして現人神。

 外の世界に於いて信仰を失いかけていた神々を目視する事が可能なほどの霊力を有していた麒麟児であり、霊力・身体能力共に総じて高い能力を持つ一種の天才。

 しかし天才ゆえのエキセントリックな部分があり、外の世界では神社の信仰を集めることはできていなかった。

 

 高い霊力・神力を元にした術を軸として、それを用いた身体能力の強化まで含めると、妖怪との直接戦闘が可能な程の能力を持っている。

 これは当然外の世界においては人間の範疇を越えた能力であり、幻想郷でもこの領域で戦える『人間』は非常に少数。エイプキラーという言葉も強ち冗談ではなく、霊力・神力で身体能力を強化した早苗ならば、ゴリラと殴り合いをして打倒する事も可能だろう。

 

 霊夢や魔理沙、咲夜といった他の異変解決に関わる人間に比して特化した基礎能力は無いが、それらの総合的な水準は比較的バランス良く纏まっている。また、筋力と術力にやや優れている関係上、馬力はかなり高い部類に入る。

 ただし基礎能力はともかく、それを扱う技術では三者に比べて一本も二本も劣る。センスはあるが実戦経験に劣るというのが正直なところだろう。

 またここ一番の気力・精神面でやや劣る。逆境に弱いというほどではないが、土壇場の底力にやや欠けるのだ。

 

 彼女自身、基本的には強い意志力を持ってはいるのだが、風神録異変で紫の睨みに竦み上がってしまった事などから鑑みても、やはり同じ人間でも昔から多くの人妖に関わって来た魔理沙・霊夢・咲夜などに比べると、土壇場での肝の据わりが一段劣るという事だろう。

 もっともこれは単独行動時のみに見える弱さであり、そこを補い得る『誰か』が傍に居る場合は格上相手にも十二分に戦える勝負強さを発揮する。

 風神録異変で霊夢相手に挑んだ際に見せた粘りからも分かる通り、そういう状況になればむしろ逆境に強く、土壇場で底力を発揮する性となる。

 また彼女個人の精神面としても、風神録異変を経てこれから成長していくであろう。

 

 ちなみに西宮よりも二ヶ月ばかり誕生日が早いという裏設定が連載当初からあったのだが、それが有効活用された事は未だ無く、今後も有効活用されるか否かは全く分からない。

 

■技能情報■

 

 系統としては霊夢と同様の符や術を使ったタイプであり、霊夢同様に格闘戦もそれなり以上にこなす事が出来る。

 また、風祝として守矢の二柱の力を借りた神術も得意であり、戦術の幅は非常に広い。

 それらの技能は全て諏訪子と神奈子が仕込んだ技術であり、同時に早苗自身のセンスによってある程度改変・昇華されている物もある。

 尚、これらの技能は外の世界での修業はしていたものの実戦経験が不足しており、現在では霊夢・魔理沙・咲夜といった面々には総合力で頭二つほど劣っている未完の器。

 しかしそれゆえ、幻想郷で揉まれる事によって更なる成長を遂げる余地は大いに残っている。

 

 このように総じて戦闘技能や霊術・神術の扱いには非常に高い適性と能力を持っているが、反面生活面では非常に駄目な子。世間一般とのズレが酷い。

 特に料理・洗濯・掃除と言った一般的な家事や事務仕事などは総じて苦手であり、相棒に任せきりな部分が多い。

 知識面に関してはそれ以上に頼りにならず、『お前それ何と何が悪魔合体した挙句に合体事故を起こした』と聞きたくなる知識を自信満々に披露する事も。

 

 尚、幻想郷では何の役に立つのかは不明だが、一部ゲームがやたら上手い。

 

■異能情報■

 

 “奇跡を起こす程度の能力”という、使いこなせば幻想郷でも屈指のポテンシャルを持つであろう能力を持っている。起こり得る可能性が僅かでもあるならば、どれほど極小の可能性だろうと引き寄せ得る能力―――と言えば、その能力が本来秘める規格外さが分かるだろう。

 しかしそれ自体が非常に応用範囲が広い分曖昧な能力であり、彼女自身その能力を使いこなせているとは言い難い。現状では少し運が良い程度が精々であり、奇跡も狙って起こせるような物ではなく、余りにも可能性が極小過ぎる奇跡は根本的に起こせない。

 将来的にどうかは分からないが、現状では名前負けと言うのが正直なところだ。

 レミリアの“運命を操る程度の能力”とは似て非なる関係である。

 

 どちらかと言えば現状の彼女は『どうしてこうなった』と周囲の人々が頭を抱えるような『負の奇跡』を頻発する傾向にあり、実害は無いものの様々な面白おかしいトラブルを発生させている。

 時に幻想郷の常識にすら囚われない言動まで含めて、大妖怪をも煙に巻いてしまった実績は伊達ではないだろう。

 まぁ、当人は煙に巻く意図など無く、むしろ常に真正面から相手に向かい合う性質の持ち主なのだが。

 

 スペルカードは神術の発展形や世界各国に伝わる神々の奇跡を模した物が主体だが、何故モーゼの開海が上空からの唐竹割りチョップになったのかだけは、二柱含めて周囲全ての人妖が首を傾げる怪奇である。

 

 

#####################

 

 

■西宮丈一 初伝■

身長:六尺 体重:十八貫五斥

異能:無し

 

■能力評価■

 

筋力:■■

体力:■■

気力:■■■■■■■

術力:■■

技力:■■■

速力:■■

異能:

 

■基本情報■

 

 守矢神社の幻想郷移転に伴ってついて来た神職見習い。大抵の事は水準以上にこなせる器用さがある半面、あくまでもそれらの能力が常識の範疇を越えられない器用貧乏。

 霊力の素養自体は外の世界に於いては非凡と語られていたものの、幻想郷という神魔人妖が混ざり合う地においては『そこそこ優秀な人間』という枠を越えられない。

 符や霊術・神術を頼りにするタイプには、早苗や霊夢といういわゆる天才に分類される人間が居る為、どう足掻いても彼女達から見れば格段に劣る能力しか持ち得なく、同じタイプである為にどこをどう切り取っても負けている。

 かと言って他のタイプに転向しても、思考力と応用力が高いためある程度までは行けるだろうが大成するほどの才能は無い。

 そういう面で、特筆すべき能力・才覚は持っていないと言える。

 

 能力も全体として非力であり、早苗の風祝としての修行に付き合っていた事と、幼い頃から口頭指示とはいえ諏訪子と神奈子の二柱から修業を付けられていた事という二つのアドバンテージを以てしても、あくまで鍛錬した人間の域を出ない。

 術師としての才能はあるらしいが天才ではなく、あくまで『けっこう優秀』と言ったところ。加えて幻想郷に入って来たばかりでの、いわゆる経験不足・実戦不足が透けて見える。

 基礎的な身体能力・術力などにおいては、下級妖怪と張り合うのが精々だろう。それでも幻想入りしたばかりの人間にしてはかなり頑張っていると言えるだろうが。

 

 反面気力の面では人間という範疇においては図抜けており、精神的には非常にタフ。柔軟性も高く、幻想郷という未知の領域に踏み込んだ割に早期から馴染んでいた事も、これと無関係ではない。

 総じて逆境に強く、諦めが悪く、自分が弱い事には納得しながらも知恵と意地で最後まで足掻く事を止めないタイプ。

 これを是とするか否とするかは評価が別れる所だろうが、これが彼が幻想郷にて戦う為の唯一の手札である事は間違いない。

 

 固有の能力に関しては一切持っておらず、そこも彼が持ち得る手札が少ない点に繋がっているだろう。

 総じて言えば精神的には非常にタフでしぶといが、それ以外の面はバランス良く弱いと言える。

 

■技能情報■

 

 系統としては霊夢や早苗と同様の、符や術を主体とした戦い方をするタイプ。非想天則期の早苗や霊夢と同様、近接戦もそれなりにこなす事が出来る。

 しかしタイプが同じだけで強度・完成度では比べるべくもなく、霊術・体術の両面から見ても、技術でも純粋な能力の強度でも早苗や霊夢には勝ち得ない。そういった面で、戦闘向きではないとも言える。

 

 反面生活面の技術は高く、神社の家事・雑務に関してはほぼ全てを西宮が受け持っている。

 十六夜咲夜のような完全無欠さは無いが、総じてこの若さにして一般的な主婦の練度には達していると言えるだろう。

 特に料理が得意であり、幻想郷には数少ない洋食のレパートリーを多く持つ人物。神社住まいの癖に和食より洋食が好みで得意であるのだが、反面幻想郷の洋食分野においては十六夜咲夜という絶対的な上位者が居るので、この分野においても誰かの下に甘んじているという点は変わらない。

 

 外の世界の知識・知恵に関しては相応程度の物を持っているが、総じて『一般的な学生レベル』~『少し齧った学生レベル』の域を越えていない。

 例えば携帯電話の使い方は割と詳しく知っているが、作り方は知らない。そんなレベルであり、外の世界の知識を用いて積極的に何かを行える程の能力は無い。

 

 唯一特筆すべきは戦術面。

 これに関しては高い素養と神奈子という軍神からの薫陶がある為、幻想郷においてもかなりの水準を保っている。

 紫や永琳、藍や幽々子等といった幻想郷の知性トップ勢には劣るものの、同条件で同等の兵力を用いた戦闘の指示を出させたならば、かなりの上位に食い込む可能性を秘めている。実は将棋も強い。

 

 しかし弾幕ごっこをはじめとした個人戦が主体の幻想郷においては使い難い才能・能力であり、本質的には神職よりも軍師・軍将といった職に向く、一種の軍才にこそ長けている。

 ある意味では個人戦に長けた早苗とは対極ながらも、『軍神』である神奈子に仕える神職らしい才とも言えるだろう。

 

■異能情報■

 

 ここに分類される能力は保有していない。

 

 

 

 

 

 

 




次の更新は少し間が空きます。
まぁ、長くて1週間程度でしょうけども。書き溜め分じゃないのでお許し下さい。なんか次、少し話の流れを変えてはたての話になりそうな予感。


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念写天狗との出会い

天狗の里イベントとはたての話を纏めたら、なんかこうなりました。
ちょっと短めで7000文字弱。っていうか、一週間後とかいう投稿予告は何だったのか。

大天狗様の出番はこれからだ!


 ―――風神録異変。

 阿礼乙女によりそう名付けられ、幻想郷の歴史に記録されることとなったその異変を機にして、天狗の里にも大きな変化が起きた。天狗の頭領である天魔が、

 

「かぁーっ! 誇り高い天狗だからスペルカードなんていう新しい物には反対なんじゃけどなぁーっ! かぁーっ! でも時代の流れには逆らえないわーっ! 誇り高いんじゃけどなぁーっ! 由緒正しいんじゃけどなぁーっ! あーでも時代の流れなら仕方ないわーっ! かぁーっ! 仕方ないわーっ!」

 

 という発言をして某スキマ妖怪やら某最速天狗やらに白い目で見られながらも、積極的にスペルカードルールに迎合する姿勢を見せたのである。

 結果として天狗の里には、やや遅れてスペルカードルールの大ブームが発生。『興味はあったけど……』というようなスタンスだった多くの女性天狗達が、我も我もとスペルカードを作り始めたのである。

 

 天狗の作る新聞の中では比較的まっとうな新聞であるがゆえ、にゴシップ好きの天狗社会では不評であり、主に天狗社会の外部に多くの読者を抱えていた文々。新聞。それが、弾幕に関する特集を組んだと同時に天狗内でも爆発的に部数を増やしたのもこの時期だ。

 

 しかし実際のところ、射命丸文の文々。新聞とてそこまで殊勝な新聞というわけではない。

 森の近くの霖之助さんこと、某古道具屋の店主からの評価は『無闇に情報を詰め込み過ぎている大天狗の新聞「鞍馬諧報」と比較し、文々。新聞には考察の余地がある』というもので、内容な真実性については評価していない。むしろ、『考察すれば真実が見えてくるかもしれない』的なコメントから察するに、逆説として真実がそのまま書かれているわけではないと言っているようなものである。

 阿礼乙女からの評価は『一回辺りの記事が少ないので情報収集にはあまり役に立たないと考えており、アンニュイな午後を送りたい妖怪や人間が紅茶片手に眺めるような新聞』というものだ。

 言ってしまえば、軽く目を通せるスポーツ新聞やタブロイド紙のような評価である。

 

 大事件より日常の小さな事件を好み、それを面白おかしく書き立てる。

 比較的天狗の新聞にしてはまっとうとはいえ、文々。新聞の基本スタンスはそのようなものであり、文自身もそういうゴシップ記事を作ることを楽しんでいた。

 故に―――

 

「……部数は上がったけど、なんか違う気がする……」

 

 天狗の里にある樹上に造られたログハウスのような形状の自宅、そこの執筆用のデスクに向かい合いながら、例の大天狗誅殺作戦と平行して記事を書いていた射命丸は、多くの弾幕についての写真と解説が載せられた文々。新聞に首をかしげた。

 もっと、こう―――『紅魔館炎上――――――か!?』とでもいうように、日常の事件を面白おかしく書き立てる方が文好みの新聞になるのである。

 ちなみに最後の『か!?』文字だけ小さくするのが文の流儀。一応、嘘は書かないのだ。まぁ、文本人が嘘だと思ってないが、事実とは違うことを報道してしまう事はあるのだが。

 

「あ、そういえば椛が見たって言ってた紅魔館から夜間に上がっていたという煙は、多分不審火だと思うのでその方向で記事を書こうっと」

 

 ……その程度の信頼度である。お察し願いたい。

 

 ともあれ、『部数は取れるが、なんか違う』という結論に至った射命丸文は、ここで少し考える。

 天狗の里にスペルカードルールを広める。その為には新聞に弾幕特集を載せるというのは、彼女の旧い友人である八雲紫の意図に沿うものであるし、天狗の幻想郷での今後の立場を考えても悪くない手だ。

 しかしどうにも、文自身でやるのは記事の趣味が合わないようである。どうしても他に手がなければ紫への配慮もあるし文自身でやるしかないのだが、他に代打が居るならそちらに押し付けたい。

 

 しかし現在のところ、天狗の里で射命丸文ほどに山の外に詳しく、ひいては山の外で行われてきた弾幕ごっこの情報や写真を持っている者は居ない。故に他の新聞に弾幕記事を書かせようとする場合、文からの情報提供は必須になる―――のだが。

 鞍馬会報宜しく、天狗の里で著名な新聞というのは、文々。新聞が可愛く見える程のゴシップの塊であり、某森近氏の言葉を借りるならば『情報を詰め込むだけ詰め込んで、ボリュームがあるように見せかけている』というものだ。

 正直なところ文好みではないし、そこに売れる記事のタネを譲り渡すというのも面白くない。それに、自分の新聞より格上の新聞に塩を送るというのも、今後の新聞大会での順位などを考えるとやりたくない。

 

「となると―――ああ、あの子が居たか。あの子の能力なら上手くすれば私以上にやってくれるだろうし―――」

 

 そして数秒。

 思考を経て、思いついたように顔を上げた文は、困ったような―――本人は気付いていないが、妹を見守る姉のような優しい笑みを浮かべる。

 

「―――ちょっとは外に出て揉まれればいいのよ。やれば出来る子なんだから。ね、はたて?」

 

 そして射命丸文は執筆を中断して家を出て、烏の濡羽色の羽根を広げて外へと飛び立つ。

 引き篭もりの友人が外に触れる切っ掛けになるように、折角だから誰かを巻き込もうかなどと考えながら。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 文が思い立ってから数時間後。天狗の里のはずれにて、飛行速度がさほど早くない西宮に合わせるようにして、射命丸文は目的地に向けて飛んでいた。

 やや身体を前に傾けた直立姿勢で、翼は数秒に一度羽撃かせる程度の飛行だ。最高速度を全力疾走と表現した場合、通常の巡航速度を軽い駆け足とするならば、今の速度は牛歩というところだろう。文としては却って疲れる飛び方なのだが、

 

「……早苗さんがやってたみたいに、手を握って飛ぶってのもねぇ。私もほら、未婚の乙女だしぃ? そういう風にしてくれることを女の子の側から望むという事って、割とどういう事なのか自覚してる? してる?」

「家でメシ作ってるところを拉致して随分なノリですね、脳の血管切れてませんか射命丸さん」

「大丈夫、私基本菜食が多いから血液サラサラだと思うし。外で言う欧米主体の食文化は血液ドロドロにして脳溢血とかの可能性上げるっていうから気をつけなさいね? ダメよ、食生活は考えないと」

「……俺、なんで昼間っから拉致られて食生活についての説教食らってんだろうなぁ」

 

 手を握って引っ張り速度を稼ぐ。恋仲でもない男性相手のそれを非常時で躊躇う程にお子ちゃまじみた感性はしていないのだが、何も無い平常時からするのを躊躇う程度には射命丸文の感性は少女的だ。

 西宮からすれば十分な巡航速度で―――文視点では牛歩のような速度で飛びながら、烏天狗は少年をからかうような調子で言葉を続ける。

 

「ごめんごめん。本当は早苗さんも一緒に連れて来たかったんだけど、人里で布教活動でしょ? 貴方達の関係って部分的に男女逆転してるわよねぇ。ああいや、男が外に出て女は家事ってのは旧い感性かしら。幻想郷だと単純な力関係は逆転してるしね」

「……こっちに来たことで力関係の逆転はより強くなりましたしね。弾幕も、格闘も、それらを含めた総合的な戦闘も、東風谷の方が俺より強い。そして恐らく、その差は埋まらないどころか、これからどんどん広がるでしょう。才能の差もありますし、何よりあいつはスペルカードルールを楽しんでる」

 

 好きこそものの上手なれ、という言葉がある。

 物事を楽しむ事を不真面目だと捉える人も世の中には居るが、義務感で物事を行っている者と、好きで行っている者。どちらの上達が早いかは言うまでもない。才能が等価ならば、前者よりも後者のほうが伸びが早い。

 そしてスペルカードルールに対しての感性は、西宮が前者で早苗が後者だ。

 恐らく早苗はこれから強くなる。西宮よりも、もっとずっと。

 

 つまりは自分は東風谷早苗に勝てないし、これからもそうだろうと。

 そんな彼自身の判断にして真実をどこか淡々とした様子で言う西宮に、文はからかうような調子を止めて言葉を向ける。

 

「……あー、ごめん。気にしてた?」

「気にしてないわけではないですね。正直、あいつより強くなりたいという感情はあります。男の安いプライドってやつですね。嫉妬心もあるし、まぁ色々黒い感情はありますよ? 俺、まだ二十年も生きていない人間ですから」

 

 東風谷早苗に対して抱く想いがプラスの感情のみではないことを明かし、しかし西宮は苦笑とともに頭を振り、『でも』と否定の言葉を入れる。

 

「あいつ、家に帰るといつも笑顔で『ただいま』って言うんですよね」

「――――――」

「『おかえり』って返すと、もうホント更に笑顔になって。朝はもちろん、『いってきます』と『いってらっしゃい』で。……どっちが強いだの、どっちが外に出てるだの、そういうのよりも。そうやって互いに言える事の方が大事なんじゃないかと……まぁ、朝に夕にとあいつ見てると、そう思うわけで」

「じゃあ強くなったりとか、そういうのに拘りはないの?」

「ありますけど、それは早苗と比べるべきものじゃなくて。あいつより強いかで考えるんじゃなくて、なんて言うか―――」

「どれだけあの子の力になれるか?」

「さて、そこまで殊勝なものじゃないかもしれませんけど。……まぁ、あいつは今後は異変とかあれば突っ込んで解決する側になるでしょうし、その時に留守番オンリーみたいな事にはなりたくないですね」

 

 言ってから一息吐き、そして一拍置いて西宮が慌てたように文を振り返る。

 振り向いた先には眉尻を下げた優しげな、しかしニヤニヤとした笑みを浮かべる天狗がおり、

 

「…………今の、記事にしないでもらえます? されたら俺が死にます。死因は多分、自己嫌悪とかで」

「嫌悪すること無いじゃない。貴方のそれはいい考えだと思うわよ。どっちが強い弱いより、朝な夕なにちゃんと『行ってきます』と『いってらっしゃい』、『ただいま』と『おかえり』を言えること。それが大事、か。プライドばかりの上層部に聞かせてあげたいわ」

「いやほんと勘弁して下さい。ただでさえ霧雨や、あと稗田様にもなんか早苗との関係を楽しむような感じで見られてるんですから。……あ、あー……話題変えますけど、恐らく射命丸さんが嫌いそうな感じの上層部の大天狗様でしたら、先日ウチに来ましたよ、俺に会いに」

 

 露骨な話題変更。

 しかし言われた文は、笑みから表情を変えて眉をひそめた表情だ。

 

「貴方に? ……大天狗様……どの大天狗様かしら?」

「名前も名乗りもしませんでしたけど、長い顎鬚をたくわえた男性の方でした。年齢的には壮年という感じで……」

「……あいつか」

 

 そして眉を潜めた表情が、更に嫌悪に歪んで吐き捨てるような言葉になる。

 その反応に疑問を顔に浮かべた西宮に、文は内心の黒い感情を吐き出すように一息吐き、

 

「あー、ごめんなさい。まぁ評判悪い大天狗様なのよ、その人は。男受けはそこまで悪くないんだけど、女性からは物凄いね。宴会の度に尻とか太腿とか、最悪の場合乳とか触ってくるからって」

「あー……もしかして噂のセクハラ大天狗様ですか? それにしては意外ですね。なにやら真面目にスペルカードルールについて調べている感じでしたし。……高圧的ではありましたが」

「調べているって、どんな?」

「今、天狗の里ではスペルカードルールに馴染むために、天魔様が率先して色々やってるんですよね? その結果、男にもスペルカードルールを恥ずかしくない程度に出来るようになっておけとかいう通達が来たとかで……先の異変でスペルカードを使っていた俺に、『そもそもどういう風なコンセプトでカードを作ればいいのだ』とかで」

 

 えぇと、と間をとってから、西宮はその会話を思い出す。

 どうやら女に聞くのはプライドが許さなかったようであり、恥を忍んでという様子で近場の男性でスペルカードを持っている西宮に聞きに来たようであるのだが、

 

「―――面制圧用と点突破用に用途を分け、弾幕の色は単色による遠近感の掴み辛さを狙うというコンセプトを話したら怒られました」

「あ、うん。初めて大天狗様に同意するわ。それは美麗さを競う要素もあるスペルカード向けのコンセプトじゃないからね西宮くん」

 

 射命丸文、非常に珍しく大嫌いな大天狗の意見に全面的に賛同した。

 どうにも西宮丈一という少年も、その辺りの機微に疎い面がある。というよりその辺りの感性は、ストップかけた大天狗の方がまだマシそうだ。

 

「まぁそれも突っ込まれまして、結局話にならんとか言って帰っちゃいましたけどね大天狗様。射命丸さん的にはどう考えますか? スペルカードのコンセプト」

「んー……別にそんな難しく考えないでも良いと思うわよ。貴方が綺麗だと思うものを形にするくらいのつもりでやれば良いの」

「綺麗と思うもの、ですか」

 

 飛行しながら西宮が首を傾げ、それを見た文は更にアドバイスを言い募ろうとしてやめた。

 あまり言い過ぎては弾幕から彼自身の思考から生み出されたオリジナリティを奪う事に繋がるだろうし、何より、

 

「―――とりあえず、目的地に着きましたし。その話はまた後日」

 

 彼女が目的地としていた、天狗の里のはずれにある小さなログハウス。

 花果子念報という新聞を発行する烏天狗、姫海棠はたての住居に到着したのである。

 

 彼女視点での牛歩速度から更に速度を落とし、ゆるやかに降下。スカートが捲れ上がらないように手で抑え、文はログハウスの玄関前に着地する。

 やや遅れて西宮も着地。こちらは如才なく、玄関に取り付けられたデフォルトされた犬を模したノッカーから、文が尋ねた相手が若い女性天狗だろうと当たりをつけていた。

 

「はーたーてー。起きてるー?」

「起きてるて。もう昼過ぎですよ、流石に……」

「あの子、宵っ張りの引き篭もりだからねぇ。この時間に寝てる事もたまにあるのよ。……はーたーてー! ちょっとコラ、起きなさい! あんた向けの話があるんだから!」

 

 そしてノッカーを使ってコンコンと―――いや、コンコンコンコンココココココと連音でノック音を響かせながら、文はログハウスの中へ声をかける。

 そのはた迷惑な数十秒の連射音の後で、戸の内側で何かが動く気配がして、

 

「うるっさいわね文! なんなのよ、もう。来るなら前もって連絡、を―――」

 

 バン、と乱暴にドアを開き―――ちなみに文は中に気配を感じてすぐに戸から離れたので、戸にブチ当たるような無様はおかしていない―――出て来たのは若い天狗。

 いや、妖怪は見た目が若かろうと実年齢が高いこともあるので一概にどうとは言えないが、年の頃は16,7程度。外の世界で言う高校生頃であり、それこそどこか今時の女子高生を思わせる空気を纏った少女だ。髪の色が綺麗な茶髪なのもそれに拍車をかけている。

 まぁ茶髪と言っても如何にも『染めました』という色合いではなく、自然な栗色ではあるのだが。その栗色の髪の長さはセミロングといったところだろう。寝ぐせのついた髪はそのままに、あちらこちらにぴょんぴょん跳ねている。

 

 さほど長身ではなく、幻想郷基準では長身の部類に入る早苗と比べると低い。一本下駄を抜かせば、文よりやや低いといったところだろう。文が五尺程度で幻想郷(このせかい)の女性の平均身長とそう変わらないことを考えれば、小柄な部類だ。

 ちなみに幻想郷の文化の基本は明治期だが、食文化をはじめとした一部文化は外の世界のものが適宜流入してきているので、男女の平均身長というものは明治期(147、8cm程度)よりは高く、平成期(157、8cm程度)よりは低いというラインに落ち着いている。

 ともあれやや小柄ではあるものの、スレンダーな射命丸文とは逆に栗毛の天狗は肉感的なボディの持ち主だ。辛うじて頂きが隠れた状態でワイシャツに包まれた胸部は、いわゆる巨乳の部類でありしっかりとした存在感を持って揺れている。ショーツに包まれた尻も肉感的であり、軽く食い込んだショーツが作る曲線が色気を滲み出している。

 

 つまり、どういうことかというと。

 栗毛の天狗こと姫海棠はたて、てっきり馴染みの友人がソロで訪れたとばかり思っており、寝巻き代わりのワイシャツと、あとはショーツのみというあられもない格好で玄関に登場したのである。

 

 絶句するはたて。硬直し―――しかし視線ははたての胸に引き寄せられている西宮。『あ、やべ』という顔をした射命丸。

 三者三様の沈黙は数秒であり、西宮が克己心と意志力で高校生男子の健全な本能をねじ伏せて視線を明後日に逸らした辺りで、錆びた体調不良のブリキ人形のような動きで姫海棠はたてが扉を閉める。

 

 直後、『きゃあ』ではなく『ぎゃあ』というべき声音で、大きな悲鳴が響き渡った。

 数秒遅れて山のどこかから、山彦によるものと思しき『ぎゃあ』というガ行基本の叫びが返される中で、

 

「……眼福だった?」

「……否定はしません」

 

 どうしたものかというような半笑いを浮かべた射命丸と、そっぽを向きながらも顔が赤い西宮が、中身の無い会話を交わしていたのだった。

 




 そういえば、阿求や霖之助からの文々。新聞への評価は原作設定です。
 文々。新聞の紙面については『出鱈目だらけ』と原作や書籍版の作中で色々言われていますが、同時に霖之助、阿求、はたてなどはその紙面について一定の評価を下していますので、こんなかんじで。

 ちなみに花果子念報は文々。新聞以上に真面目で堅苦しい、教訓的な文章の多い物だそうです。
 とはいえはたての原作発言にはイエロージャーナリズムっぽいものもあるのですが、多分原作に出てる天狗の中で一番真面目な紙面を作ってるのは彼女だと思います。


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姫海棠はたての練習取材(上)

「あああもうお嫁に行けないぃぃぃ!!」

 

 数十分後、西宮と射命丸ははたての部屋に招き入れられていた。洋風のシックな木製テーブルと、これまたシックな木製のチェア。洋装の向きが強い部屋の中で、三者はテーブルのうち三辺に座って向かい合っている。

 なぜ数十分の長きにわたる時間が必要だったのかというと、ドアに鍵をかけて籠城戦の構えを見せたはたてに対して文が根気強く説得を行い、西宮ともども家に上がらせて貰う為の説得をするのにかかった時間だ。

 射命丸曰く『誠意ある説得』だが、寝顔写真の流布を引き合いに出すのは説得ではなくて脅迫なのではないかと西宮は思った。肌色分の多い美少女の下着姿を見た彼は彼で、動揺を落ち着けるのに軽く精神統一などしていたので敢えて突っ込むことはなかったが。

 

 そして半べそで胸を庇うように自身を抱きしめ、威嚇するように吠えるのは姫海棠はたて。先ほどまでのような寝起きの格好ではなく、短袖ブラウスに黒と紫の市松模様のスカートを履き、髪は紫のリボンでツインテールに結ばれている。

 

「あーじゃあ西宮くんに責任とって娶って―――ダメね早苗さんが居るし。ああ、西宮くん。このダメな子が姫海棠はたて。私の友人で、まぁ主流派から外れた烏天狗ね」

「余計なお世話よぉ……うぅ、せめてブラしてから出ればよかった……」

「大丈夫よ、頂上は隠れてたから。で、はたて。さっきの光景を頭から追い出そうとして、家の前で座って瞑想する不審者やってたこの子は西宮丈一くん。山の上の神社の信者ね」

 

 その言葉に西宮は頷き、

 

「自己紹介ではなく他己紹介とでも言うべき情報で、『ダメな子』とか『不審者』とかかなりアッパー入った言葉選びですね射命丸さん」

「身内向けのノリなんだから多少アチョー入ってても許しなさいよ。ねぇ、そうでしょうはたて?」

 

 問われた言葉にはたても頷き、

 

「西宮くんだったっけ。うん、神社の話は新聞では見たけどはじめまして。それで、この馬鹿に対する対応としてはどういう人権無視がいいと思う?」

「そうですね。コラ画像とかどうでしょうか。こう―――射命丸さんの写真の頭部と、男性天狗の脱ぎ姿の胴体を合神させるような」

「良いわねそれ。号外としてブチまけましょう」

「ひ、ヒドい人たちねアンタたち!? 相手の気持ちとか考えたこと無いの!?」

「「アンタが言うなァ―――――っ!!?」」

 

 三者三様、立ち、叫び、一息、座り。

 

「……開幕いきなり不毛な方向に向けてF1カー宜しくスタートダッシュ切りましたねこの会話」

「F1カーという例えはよく分からないけど、スタートダッシュどころかフライングした気がするわ。慣れてくると素が出て来たわね西宮くん」

「フライング? 文、なに? 会話が飛ぶ(フライする)の?」

「ああ、外の陸上競技の話とかされても、外の本とか見る機会が無い子には分からないわよね。あながち間違ってない気もするけど……えぇと、それで、なんだっけ」

 

 文はテーブルに視線を巡らせる。

 叫んだ分だけ喉を湿らせる茶などが欲しいが、生憎とここの家主は無精者だ。茶が欲しければ自分で淹れるしかないので、文は立って叫んで座った直後ながら、もう一度立ち上がる。

 

「とりあえずはたて、飲み物淹れるわ。水瓶の水、ちゃんと新しいわよね?」

「ああうん、それは今朝井戸から汲んだやつだから大丈夫だけど。私、紅茶ね」

「すいません俺コーヒーで」

「いきなり人の手間を増やそうとしないで貰えるかしらこの二名。番茶で良いわよね」

 

 えー、という二重奏を背中で無視しながらキッチンに向かい、後で火を付け直す時の事を考えて火種が残されていた竈に手際よく能力で風を送り込んで火を熾す。

 『風を操る程度の能力』というのが、幻想郷縁起に記された射命丸文の能力だ。しかし実際のところ天狗と風は近しい存在であり、風を操る事は天狗であればだいたい誰でも出来る事である。

 であれば文のその能力表記が虚偽であるかと言われると、そうでもない。他の誰より―――この一事にかけては天魔以上に上手く、繊細に、豪快に、つまりは自由自在に風を操れるのが射命丸文だ。天狗ならば誰でも出来る事柄である風操に対し、経験と鍛錬もあるが生まれ持った才覚が図抜けている。

 故にこその『風を操る程度の能力』。故にこその幻想郷最速。それが射命丸文である。

 

 ちなみに日常生活にも便利な能力であり、竈の火を熾すときとかは繊細な操作により非常に上手く着火できる。慣れていない術者がやると風が強すぎて火を消してしまったり、最悪部屋中に灰をブチまけたりするのである。

 そしてそちらには殆ど意識も向けずに器用に風を操りながら、射命丸はリビングに居る二人に向けて肩越しに振り向いて声をかける。

 

「茶の準備をしながら話すけどね。はたて、あんたに頼みたいことがあって来たのよ。私の新聞の最新号、見たでしょ?」

「なんで私があんたの新聞を見てるなんて思うのよ。なにそれ自意識過剰?」

「あんたが私の対抗記者(スポイラー)だからよ。こっちだってあんたの新聞、全部チェックしてるのよ? それとも、ライバルだと思ってるのは私だけだったのかしら」

「…………いや、まぁ、そりゃ…………全部読んでるけどさ」

 

 文の言葉に、はたてはきまり悪そうに俯くようにして目線をそらす。

 射命丸の視線が竈と薬缶(ヤカン)に向いていて、はたての頬が赤いのを見ていないことだけが幸いだった。殆ど見知らぬ少年には面白そうにその様子を観察されているのだが、はたてにそれに気付く余裕はない。

 

 姫海棠はたてにとって、文はライバル視している相手ではあるが、それと同時に目標としている存在でもある。

 天狗ならではのゴシップ紙めいた側面はあるが、はたては文の新聞を『不思議な魅力がある』ものとして認めており、その魅力の根源を確かめようと彼女の後を追跡調査したこともあるくらいなのだ。

 その文からこうも認められているというのは、はたてとしては面映いものがある。

 しかし顔を赤くして俯くはたてではなく薬缶に目を向けている文の言葉は止まらない。

 

「貴方、前に言ってたわよね? 『人間が記事まで読むような新聞を作ってみせる』って。天狗の新聞はね、基本として内向きの―――つまりは天狗向けの新聞なのよ。身内で回し読むためのものなの。外に購読者の多い私ですら、天狗に読んで貰う“ついでに”外の皆にも読んで貰うくらいの気持ちなのよ。最初から外に読んで貰う前提で物を考えてる異端者は貴方くらい」

 

 薬缶と火に問題がないことを確認し、勝手知ったる我が家とでも言うべき迷いの無さで、戸棚から急須と湯呑を用意する。

 そうしながらも続ける言葉は姫海棠はたてに対するものだが、天狗の新聞の基本スタンスについての言葉は西宮に聞かせる意図もあるのだろう。

 

「今、天狗の里には時代の流れとも言うべきスペルカードルールの波が押し寄せて来ている。私の新聞でやった弾幕の特集もその一環ね。だけど正直、私は日常の些細な出来事を書き立てるほうが好みで、こういう派手な事はそこまで好みじゃない。まぁ、他にやる人が居なければ、誰かがやらなければいけない事だし引き続き私がやるけど―――」

 

 茶の入った缶を棚から出し、中を見て嫌そうな顔で一瞬動きを止める。

 どうやら中身が切れていたか―――いや、ゴミ箱に向けて缶を逆さにして振っている様子から見るに、中でカビでも生えていたようだ。茶葉が湿気って癒着した結果、一塊になった塊がゴミ箱に落ちた。

 そして別の茶を探しながら、

 

「―――弾幕の記事となると、それは天狗のみに向けたものではなく、もっと幻想郷全体に向けたものとなるべきで。それをやるなら、私より貴方の方が上手くやれる。そう思ったから、私は貴方に頼みに来たのよ、はたて。……あと、お茶っ葉は時々様子を見なさい」

「いや、番茶は普段飲まないから……じゃなくて」

 

 えぇと、と口ごもりながら、はたては文に言われた内容を頭の中で整理する。

 射命丸文が自分の新聞に対する思想を認めて、頼み事に来た。

 それはつまり―――

 

「私、今もしかして人生の勝者……!? 文、文! 私が貴方よりも上になっても友達で居てあげるから安心してね!?」

「思考をトばさないで貰いたいわね。飛距離どれくらいよその思考のトばしっぷりは」

「どこに飛んでってるのかが見えないんで測定不能で良いんじゃないですかね」

「だって文から頼み事されるなんて珍しくて……わ、私ったらどうすればいいの!?」

「まずは落ち着いて深呼吸して可能ならば心停止とかどう? すごい落ち着いて思考も止まるわよ」

「うわぁ急激に醒めたわ今。さらっと殺しにかからないで貰えないかしらね文」

 

 射命丸文当人と、あと対面に座る手持ち無沙汰な様子の西宮の言葉を受け、はたては我に返る。

 確かに少し早まったかと思いつつ、思考を再整理。

 

「―――それはつまり、協力要請よね。私の新聞に対するスタンスから、弾幕についての記事を書いて広めるには私の方が適任だと思ってくれたと。で、天狗の里の外に向けても発行すべきって事は、これを奇貨としてこれまでスペルカードルールに馴染んでいなかった天狗が、こんなにスペルカードルールに興味持って馴染もうとしてるんですよと外にアピールするためでもある」

「ええ。自分達の弾幕が紹介された記事となると、山の外の人達も興味を持って買ってくれるでしょうからね。そこから、天狗の今後の立場についての布石が打てれば良いと思っているの。その為には多分、貴方の方が適任だから」

「でも私、正直外へのツテとか全然無いし、弾幕についての写真や情報も無いから―――」

「―――そこは私が提供する、と。そういう話になるわ。貴方なら念写もあるから、写真の選択肢は私が渡す以上に増えるかもだけどね」

 

 ―――『念写をする程度の能力』。

 姫海棠はたての能力であるそれは、文の『風を操る能力』のような“最もそれに長けた存在である”という主張とも、多々良小傘の『人間を驚かせる程度の能力』という“ただの自己申告”とも違う、他に真似できる者の居ない、正真正銘の固有の能力だ。

 

 キーワードを設定し、思い念じて写真を撮れば、それに関連する写真が写し出される。

 望んだ写真が必ずしも出るわけではなく安定性には欠けるものの、諜報能力として考えればかなり怖い類の能力だ。戦闘への応用は殆ど利かないだろうが、情報戦においては相当なアドバンテージを発生させ得る。

 とはいえ、姫海棠はたてがこの能力を使いこなせるくらいの歳になった頃には、天狗の山はもうそういう諜報戦やらが必要な血なまぐさい状況ではなくなっており、専ら家を出ずに記事用の写真を作る為の能力になってしまっているのが現状だが。

 

 ―――そう。

 家から出ずに記事を作れるからと、姫海棠はたては出不精な引き篭もりだ。

 だから射命丸文はにこりと笑って振り向き、そんな歳の離れた友人に向けて笑顔で告げた。

 

「まぁ当然、貴方自身で取材に行ってもらう必要もあるだろうけどね」

「え? ……は、はぁ!? なんで私がそんなことしないといけないのよ!? 必要な情報があれば、文がくれるんじゃないの!?」

「貴方の新聞を外に売り出すという意味もあるんだから、記事にする相手への挨拶と面通しは必要でしょ。大丈夫、一人で行けなんて言わずに案内役を用意したから」

「あ、そこで俺が同行させられていた意味が出てくるんですね……」

 

 ぼんやりと部屋を見回しながら、木箱の中に丁寧に整理された文々。新聞のバックナンバーを発見していた西宮が会話に加わる。

 彼の言葉に文が頷き、

 

「まぁね。引き篭もり万歳なはたてにソロであちこち出向かせるのは難易度高すぎるだろうし、かといって私が付いて行ったら私メインではたてはオマケみたいに見られるわよ。実態はどうあれ、外からの目としてね。それは面通しと挨拶としてどうよってわけで」

「う……私だって烏天狗なんだし、そんなこと……」

「実績ってものがなければそんなもんよ。―――で、そうなってくると私以外の誰かを随行させるべき、という話になるんだけど。椛は駄目。なんか絶対明後日の方向に脱線する。にとりも山の外へツテとか無い子だから駄目。他の天狗は記事のネタを取られそうだから駄目」

 

 指折り数えて候補を潰していき、そして三本目の指を折ったところで射命丸は西宮に視線を送る。

 

「そんなわけで候補として浮かんだのは、山の上の神社の半分くらい神様なのと、そのオマケの平信者さん。彼らなら立場的に幻想郷の新規の大勢力の従者ポジだし、幻想郷では新参だけど既にあちこちに顔が利く」

「ついでにそこと天狗の仲が悪くないですよとアピールできると尚良し、って感じですか」

「まぁね。でも、そっちにとっても悪い話じゃないと思うけど」

 

 裏に隠した意図をさらりと認めた文に対し、西宮はその提案を吟味する。

 

 ―――天狗が書く弾幕に関する記事の取材に、西宮や早苗が同行する。

 それは守矢神社がスペルカードルール、ひいてはそれにより成立する今の秩序に対して好意的だというアピールにもなるし、対外的に顔を広める事にも繋がるだろう。それに天狗側との友好関係というものも、築いておくに越したことはない。

 

 そこまで考え、結論として西宮は首を縦に振る。

 

「同行する前に神奈子様と諏訪子様に報告をした上での形で良ければ、俺としては協力させて頂きます。明日以降ならば早苗も連れて行けると思いますが」

「OKOK、十分よ。これでこっちの了解は取れたし―――はたて、あんたはどう?」

「………」

 

 そして姫海棠はたての側も、射命丸から言われた言葉を吟味する。

 以前、はたては文の新聞の魅力の秘密を探ったことがあった。結論として浮かんだ魅力の根源は、『記事とする対象と向かい合う事』だ。

 

 山の外の様々な取材対象のもとに出向き、話を聞き、観察し、時には弾幕を交わし合う。

 そうして見聞きした情報は、他の新聞には無い“生きた”情報として文の新聞に独自の色を与えていた。そしてそれは同時に、引き篭もりの烏天狗である姫海棠はたてからは最も遠い魅力だ。

 

 だが、

 

「……やるわ」

 

 姫海棠はたてには、夢がある。

 天狗の新聞を天狗の中だけで完結したものではなく、人間や他の多くの妖怪たちにも読んで貰えるものにしたいという夢が。

 

 射命丸文の文々。新聞はその先駆けと言えるが、それでもまだ足りないとはたての想いは告げている。

 もっと、ずっと、多くの人に読んで欲しい。

 書き物を生業とする者ならば誰でも持つであろう欲であり、はたてはその欲に天狗の誰よりも忠実だった。

 

「それでもっと多くの人間に、妖怪に、神様に―――沢山の読者に読んで貰えるようになるなら、やってやろうじゃない」

 

 ―――今は芽が出ていなくても。

 そういう若さと情熱が世を動かす風になると、射命丸文は知っている。

 

 自分には無い熱であるし、自分にはできない事でもある。それをやるには射命丸文は良くも悪くも利口過ぎる。

 だからこそ射命丸文は、力でも年齢でも格でもずっと下の筈の姫海棠はたてを目にかけ、友として遇し、そして何よりライバルであると認めているのだ。

 

「貴方ならそう言ってくれると思っていたわ、はたて。でも―――」

 

 でも。

 

「もっと多くの人に見てもらうなら、我に返る前に新聞の端っこでやってる連載小説はやめた方がいいと思うんだけど。よりによって二次創作を新聞でとか」

「なんでよ? ちょっと源氏物語を現代風に訳して再構成してるだけじゃない」

「源氏物語の登場人物は名前や技名に闇とか魔とかあまつさえ†とか入らないし、『我が右腕のうずきたる、いとをかし』とか言わないわ。あとで人生最大の汚点になる前に終了しときなさいマジで」

 

 新聞の隅っこでやっている連載小説のセンスは、少しどうかと思う文だった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――成程な。天狗も中々考えているわけだ」

「ああわかります神奈子様。やはり†ではなく☆とか欲しいですよね技名には」

「違う早苗、そこじゃない。ほら、シチュー食べてなさい」

 

 その晩、夕餉の席で西宮からの報告を受けた神奈子は、良く煮込まれたビーフシチューに舌鼓を打ちながら、報告の内容に頷いた。ちなみにシチュー食べてなさいと言われた早苗は、素直にシチューにスプーンを突っ込んで大きな肉は入ってないかと探し始める。

 ちなみに社務所の一室を改装して居間としたその部屋は、四人が囲んで座れる大きさの卓袱台が設置されており、座布団を敷いてその周囲をぐるりと囲んで座るのが守矢一家の食事風景だ。

 

 部屋や家具が和風であるが、食事担当の西宮の趣味で料理は洋食が多い。より正確に言うならば洋食好きな早苗の味覚に合わせて、西宮が良く洋食を作るからというべきか。

 ハンバーグやパスタ、シチューなどが好みの現人神は、食の好みが中々に現代っ子である。

 

「こちらもこちらで動きがあってな。天魔から来賓としての参加を打診されたのだが、天狗によるスペルカードの発表会のようなものを天狗の里でやるらしい。派手好きな天狗らしいことだ」

「とはいえ、丈一から言われた射命丸の意図と同様に、天魔側もスペルカードルールに積極的に馴染むつもりであるということを対外的にアピールする意図もあるんだろうね。今後の天狗の立場とか考えてさ。そういう点、打算的な天狗らしいよ」

 

 派手好きと評価した神奈子と、打算的と評価した諏訪子。

 しかし両者ともにその意図するところは一致しているようで、互いに視線を合わせて頷き合う。

 

「来賓としてならば出席すべきだろうな。射命丸の提案に対する丈一の判断と同様だ。私達がスペルカードルールに基づく今の幻想郷の秩序に好意的であると示せるし、天狗との関係改善になるならば損はない」

「こっちに来た時はゴタゴタしたけど、御近所さんと反目しあってても良い事無いしねぇ。打算込だろうと向こうが歩み寄ってきたならこっちも乗るべきでしょ」

「であれば、こちらも射命丸さんの意図に乗る形で、姫海棠さんの取材に協力する形にすべきですね。東風谷はどうします?」

「任せる。丈一と早苗で相談して決めなさい」

「御意に」

 

 そして神奈子からの全権委任に、西宮は頭を垂れて返事を返す。

 頭を上げ、視線を向けるのはシチューの中から大きな牛肉を発見して喜んでいる現人神だ。

 

「つーわけだ、東風谷。明日は朝から天狗の里行って、姫海棠さんっていう烏天狗と一緒に取材協力といきたいんだが、そっちの仕事は大丈夫か?」

「あ、私ですか? ……んー、そうですね。人里での布教はノルマとかがあるわけでもありませんし、分社も作り終わってますから別に毎日行く義務があるわけでもありませんから……うん、大丈夫です」

「OKだ。お前は初めて会う相手だから、失礼が無いようにな」

「分かってますよぉ、もう」

 

 半裸目撃という失礼以前の問題のファーストコンタクトをした自分を棚に上げ、西宮は早苗に口頭で注意を伝える。

 注意された早苗は『ぷう』と頬を膨らませ、小さく拗ねて見せていた。

 それを横目で見ながら、西宮はふと思い出したことを諏訪子に問いかけた。

 

「そういえばそのスペルカード発表会って、いつどこでやるんですか?」

「数日後に天狗の里でって言ってたけど……大きな広場で、ああ、避難訓練も一緒にやるとかなんとか言ってたかな」

 

 来る時が来たか。

 西宮、その避難訓練で使われるだろう十尺玉と、それをブチ込まれると思しき大天狗に思いを馳せる今日このごろだった。

 

 




 はたてが人間にも記事を読まれる新聞を作ると主張しているのは原作通りです。
 割とその辺りの説明が長くなってしまって話が進まないなど。


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閑話其の参:彼と彼女とクレープ屋さん + 小ネタ集

 今回は閑話になります

 ちょこっと外の世界の話(4000文字程度)
 幻想郷でどこかで起こったけど短編にするまでもない小さなエピソードを3つほど(合計2000文字程度)

 文字数の関係上、一本に纏めてお送りします


■閑話 彼と彼女とクレープ屋さんと■

 

 外の世界時代の守矢神社において、家事全般・それに伴う設備関係全般に関する決定権を持っているのは、早苗の母であった。

 これは大抵の世帯でそうであろう。家の中の事、特に家事に関しては男女平等が叫ばれる現代においても、女性の立場が圧倒的に強い。

 外でブイブイ言わせている大企業の重役であるお父さんが、休日には『掃除の邪魔だから出てけ』と掃除機持った嫁さんに追い出されるような物である。

 

 しかし守矢神社の場合、決定権一位は早苗の母であるも、第二位に関しては他と事情が違った。

 守矢神社における家事全般の決定権第二位を持つのは、何故か神社の住人ですらない西宮丈一だったのだ。

 

「―――と、いうわけでおばさんに頼まれたんで、神社の社務所に設置するエアコン買いに行くぞ」

「……何でその用件のメールが私の携帯じゃなくて西宮の携帯に入るんでしょう……?」

「家事に関する信頼度の差だな」

 

 そしてその結果、早苗の母から全権委任を受けた西宮丈一は、高校一年のとある秋の日の学校帰りに家電量販店へ向かう事となった。

 やや着崩した学校指定の制服の西宮の横で、女子の学校指定ブレザーをきっちりと着た早苗が釈然としない様子で首を傾げている。

 

 しかし十年来の付き合いから、早苗の母は既に家事全般に関しては浮世離れした実の娘より、現実的でかつ器用な娘の相棒を頼る事になっていた。

 そもそもが西宮の料理や家事の師匠が早苗の母である。

 

 幼い頃から守矢神社に通い詰める中で、諏訪子や神奈子を祀る本殿をもっとしっかりと掃除したくて早苗の母に効率的な掃除の方法を聞いたのが始まりだった。

 余談だが、その時には諏訪子と神奈子が感動の余りに涙を流したとか流していないとか。ちなみに早苗は本殿や境内の掃除のコツは覚えたが、今でも部屋の掃除とかは苦手だ。料理とかはもっと苦手である。スクランブルエッグからスクランブルダッシュを作り出す、負の方向の奇跡の巫女だ。

 

 ともあれその件を切っ掛けに家事全般に関して早苗の母から手ほどきを受けた西宮を、師である早苗の母は全面的に信頼していた。

 その結果、今回家電製品の買い替えにあたって、全権委任役として家電量販店に向かう事になった西宮である。

 早苗はその横でぶーたれた表情で、学生鞄を手に歩いている。

 

「私だって色々選びたいのに……。某社の最新型全天候エアコンとか、広告で見て欲しくなってたんですよ。冷房、暖房、爆熱(ゴッドフィンガー)永久凍土(エターナルフォースブリザード)、湿気取りなどの基本機能に加えて、簡易型AIによる『お任せ』という完全ランダムによる突発的空調機能。素敵だと思いません?」

「それって確か、本当にお任せ過ぎて冬に冷房ガンガンかけたり夏場にヒーター爆熱させたりするアホ機能だろ。勢いだけで開発部が付けた機能がオミットされないまま製品化されてしまったってのが丸見えだぞ」

「いやいや、その自分勝手さがまるで生きてるようだとかで、ペットを飼えない家庭の方や一人暮らしの方に好評なんだとか」

「電化製品に人格を見出してどうする。今回は燃費が良くて安い商品を探すのが目的だからな。余り変な事するなよ」

 

 トンデモな家電製品を欲しがる早苗の言葉に、呆れたように西宮が溜息を吐く。

 とはいえ、別段雰囲気が悪いわけでもない。この二人が買い物に行くと、概ねこんな感じの会話がいつだろうと交わされるのだ。

 目的から逸れて変な物を買おうとする早苗と、ブレーキ役の西宮という構図である。

 

 ―――かなり後の話となるのだが、幻想入りした後もそれは変わらない。

 早苗の母が、諏訪子が、神奈子が早苗に財布を握らせない理由であった。

 しかし当の早苗は納得いかないようで、『ぷんぷん』とでも擬音が付きそうな顔で、

 

「ぷんぷん!」

 

 マジで言った。

 女子高生がする動作としては如何な物かと、横の西宮が顔を抑えて天を仰ぐ。

 

「……家電量販店での用事が終わったら、クレープ奢ってやるから。駅前に出来たクレープ屋、行きたいって言ってたろ」

「良いんですかっ!? やったぁ!」

 

 そして食い物で一瞬で機嫌が直る。にっこにこ笑顔で学生鞄をブンブンと振り回す十六歳児。

 安定のチョロさである。横を歩く西宮が、『コイツ食い物に釣られて誘拐されたりしねーだろうな』と不安になるレベルだ。

 

「西宮は何を食べますか? 私、アイスとかカスタードとか生クリームとか全部盛りの奴にするつもりですけど」

「俺の金だから遠慮しろよ馬鹿。……そうだな、チョコクリーム辺りで良いか」

「一口食べさせて下さいよぅ。私のも一口あげますから」

「お前それで毎回大口開けて思い切り食うからな……」

 

 肩を竦め、しかし言葉とは裏腹に嫌そうな様子はまるで無い西宮が歩いて行き、その後ろを小走りに早苗が追う。

 何の事は無い、いつもの光景。

 幻想入りする前の彼らにとっての外の世界の日常の一コマである――――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ――――筈だった。

 

 女心と秋の空。秋の天気は変わり易い。

 西宮と早苗が会話を交わしていた段階では綺麗な秋晴れだった空は、彼らが家電量販店で買い物を済ませて配達を頼み終わった段階で、『これでもか、これでもか、えいえい』と言わんばかりの豪雨に姿を変えていた。

 

 生憎と天気予報が『大雨注意報』を出したのは昼過ぎの話。

 早苗と西宮が学校に向かった段階で、傘を用意しろというのは酷な話であった。

 天気予報をしてもイマイチ予測しきれなかった、女心もびっくりの変わりようを見せる秋の天気である。

 

「……あーあー、どーすんだコレ。傘無ぇよ」

「西宮、気合いで突破しましょう。ここからクレープ屋まで走れば10分とかかりません」

「帰る事を考えろよ。何でこの天気でクレープ優先なんだよ。どんだけ食いたいんだよお前」

 

 家電量販店の中から、二人は窓越しに外の天気を眺めている。

 夕方の家電量販店は、彼らのように学校や仕事の帰りに寄ったまま大雨に見舞われた人々が多く見受けられた。

 

 売り物のテレビから流れているニュースを見ると、この急な豪雨で浸水した建物などについての話題が出ていた。

 地方局のニュースが映しているのは早苗と西宮にとっては見覚えのある学校であり、

 

『―――◎×市立第一高校では、浸水に対して生徒達が独自にポンプ排水、土嚢を築く、バケツリレー、泳ぐ、飲むなどの対策を取っており―――』

「……浸水か。こりゃ学校、明日は休みかねぇ?」

「だったら良いんですけどね」

「まーな」

 

 興味なさげな西宮の言葉に、早苗が返し、彼もまたそれを否定する事無く頷いた。

 彼らは学生である以上二、守矢神社の風祝と神職見習いだ。彼らにとって、学校もまぁ大切な日常ではあるが、守矢神社関係の事柄の方が優先度が高い。

 その神社に関しては高台の上にある立地だ。浸水の心配はあるまい。

 土砂災害などに関しては―――神の加護に期待しよう。

 

「とりあえずおばさんにメール打っておくぞ。天候見て行動するから、いつ帰れるかは分からないってな」

「まぁ神社も開店休業でしょうけどね、この天気だと」

 

 やや型落ちの携帯電話―――後に河童のにとりの手に渡るそれで早苗の母にメールを打つ西宮。

 その横で、早苗は見るとも無しに地方局のニュースを見続けていた。

 水泳部の連中が増水したプールで楽しそうに泳いでいる、彼らの高校のニュースは既に終わりだ。

 続いて画面に映っているのは、最近連日続いている駅周辺の商店街の店の紹介で―――

 

「……あ」

「どうした? メールはもう打ったが、何かおばさんに伝えておく事でもあったか?」

「西宮、大変です! 今テレビでやってたんですけど、件のクレープ屋の営業時間が! 閉店時間まであと30分くらいしかありませんよ!!」

「あー、じゃあ諦めろ。傘も無いしこの天気だし、明日以降にでもするんだな」

 

 この世の終わりとでも言いたげな顔で主張する彼女に対し、やれやれとでも言いたげに窓の外を見ている西宮。

 やる気の見られないその彼の腕を、しかし早苗はガシリと掴む。

 

「……おい?」

「西宮、駄目なんです。私、もう耐えられません。我慢できないんです」

 

 胡乱げに早苗を見る西宮に対し、彼女は西宮を掴んでいない方の手を胸の前で握り、切なげに頬を赤らめ主張する。

 これがベッドの上などであればR-18突入へのフラグとなる台詞なのだろうが、ここは家電量販店であり、尚且つ言っている当人が極上の天然である東風谷早苗その人だ。間違っても、そのように色気のある話ではない。

 

 その証拠に彼女は良く育った胸の前で手を握ったまま、西宮へと熱く主張する。

 

「私は―――私の舌と胃はもうクレープを食べるモードに入ってるんです! 今更お預けなんて我慢出来ると思いますか!?」

「俺が知るか!? そんなに食いたければ向かいのコンビニでクレープアイスでも買って食え!」

「いいえ、我慢できません。自分のクレープを食べ、西宮のクレープを一口頂く所までが今日の私の予定であり、その履行は絶対です。守矢の風祝としての神託です」

「ンな俗な神託があるかっていうか神託を私用で使うな阿呆!?」

 

 そして真っ当な突っ込みは当然の如く聞きいれられず。

 

「軍神、建御名方命を祀る風祝、東風谷早苗の名に於いて! 突撃です、西宮! クレープ屋の閉店まであと30分! うぉぉぉぉぉおおおおお!!」

「ちょ、ま、うぉわぁぁぁぁぁぁああ!?」

 

 西宮の手を引いたまま家電量販店を飛び出した東風谷早苗は、そのまま雨の中を突破してクレープ屋へと走り出す。

 猛々しく突撃を吼えるその姿はまさに軍神に仕える風祝として相応しい物だったが、年頃の女子高生としてはちょっと不適切なくらい雄々しかった。

 

 そして結局びしょ濡れになりながらも目的地にたどり着き、自らが注文した全部盛りのクレープを食べ、西宮の分のクレープも美味しそうに一口頂戴した早苗は翌日―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「……せ、折角学校が休みなのに、こんな、こんな……!!」

「雨の中走り回った上に、殊更冷たいアイス入りのクレープなんか食うからそうなるんだよ。ほら、口開けろ。お粥出来たぞ」

 

 ―――学校が休校となり、多くの学生がトんだりハねたり大ハシャぎする中。

 東風谷早苗は前日のヤンチャっぷりが祟り、見事に風邪を引いて寝込んでいた。

 熱を出して布団の中で寝込んでいる早苗の横で、西宮は呆れ顔で世話を焼き、それを見た神々が人知れず苦笑をする。

 

 ―――これもまた、外の世界でも守矢神社の日常の一部なのだった。

 

 

 

 

■==========『以下、小ネタ集』===========■

 

 

 

 

◆永遠亭のヒエラルキー◆

 

 ある日、永遠亭の主である蓬莱山輝夜が、たまたま用事で永遠亭に来ていた西宮を捕まえて茶飲み話に付き合わせていたところで、ふと困ったように呟いた。

 

「うちって私がトップだけど、実質的には永琳が取り仕切ってるのよ。でも永琳ってば律儀だから、私を立てようと色々と苦心してたりするのよね」

「天才―――と伺ってますけど、俺からは接点殆ど無いんですよねあの人。っていうか最初に得た印象が強すぎて天才と言うより別の印象が」

「あら? 貴方は永琳にどんな印象を持ったのかしら」

 

 恐らくは鈴仙辺りに頼んでいたのであろう、永遠亭の特産物である筍と人参の入った風呂敷を横に置いた西宮に、輝夜は興味ありげに視線を向ける。

 口元を隠して上品に笑う輝夜に対し、西宮は真顔で告げた。

 

「駄犬の後輩」

「ぶはっ!?」

 

 そういや永琳、何を血迷ったのかあの犬の後輩を自称していたか。

 『私ってばそんなに若く見えるのね』と物凄く嬉しそうにしていた月の天才を思い出し、輝夜は優雅も上品も投げ打って思い切り噴き出したのだった。

 

 

◆料理と血筋◆

 

『そういえば、神奈子様は料理がお得意ですけど、諏訪子様は全然駄目ですよね』

 

 ある日の守矢神社の食卓で、雑談の流れから西宮が諏訪子にそう告げた晩。

 当の西宮と早苗が寝静まった後、本殿で差し向かいに酒を飲みながら、諏訪子は神奈子に愚痴を言っていた。

 

「私はさぁ……なんというか、こう、『女は料理出来るべき』っていう既成概念が嫌いなのよ」

「そこは分かるが、それを料理を出来ない言い訳にするのは如何な物かと思うぞ。……早苗が料理出来ないのも、まさかお前の血筋なんじゃないだろうな、諏訪子」

 

 呆れたような神奈子の言葉に、諏訪子は嫌そうな視線を投げ返す。

 手元の酒をぐいっと煽り、

 

「そりゃ無いよ。確かに守矢の祭祀は私の家系だけど、その中にはちゃんと料理出来る奴だって沢山いるじゃん」

「隔世遺伝とか」

「どんだけ離れてるのさ。……あぁでも、あれは確かに隔世遺伝かも。私からじゃないけどね」

 

 ふと思い出したように諏訪子が告げた言葉に、神奈子はこてんと首を傾げる。

 『意外と可愛らしい動作するよなコイツ』などと思いつつも、諏訪子は首を傾げた神奈子に向けて苦笑しつつ、

 

「早苗の母の父、私とは一切関係無い人間なんだけどね。神奈子は聞いてなかったかもしれないけど、どこぞの食品会社で開発やってたらしいのよ。そこからの隔世遺伝って可能性はあるかも」

「食品会社で開発というが、それは料理が出来る部類の人間なんじゃないのか?」

「いやー……」

 

 決まり悪げに頬を掻いて、諏訪子は眼前の神奈子に対して苦笑する。

 

「開発内容が『スパークリングおでん缶』とか『スポーツお汁粉レモン味』とかでも?」

「間違いなくそこからの遺伝だな」

 

 余りの黒歴史っぷりに歴史から抹消され忘れ去られたそれらのレシピが、後に香霖堂で発見されるのはまた別の話である。

 

 

◆洋食派と和食派◆

 

「そういえば紅霧異変の時に、魔理沙さんは和食派だと言っていたんですよ」

「見た目が西洋人みたいなだけに、ギャップが凄いですね」

 

 ある日の大図書館。

 以前のゴキブリ事件の際に、図書館の立ち入りと貸出許可を得ていた西宮は、本の返却ついでに小悪魔と軽く雑談を交わしていた。

 図書館の主人であるパチュリーは我関せずと奥で本を読んでいる。彼女は基本的に来客に関しては、自分の邪魔になる相手か興味がある相手である場合以外はノータッチだ。

 

 西宮の場合はさしてパチュリーの興味を引く相手でもないし、彼女の読書を邪魔する手合いでもない。

 以前パチュリーから出された条件通りに魔術に関わらない範囲の本を、至極常識的に返却しに来ただけの話であり、その場合の対応は概ね小悪魔の領分となる。

 

「ギャップと言うなら西宮さんも相当ですよ。これ、全部洋食関係の本ですよね」

「あー……まぁ確かに」

 

 そして小悪魔と西宮の会話内容は、小悪魔の手元にある返却された本。

 それらは全て料理書であり、尚且つ小悪魔の言葉通り、いわゆる洋食に分類される本だった。

 ギャップと言う小悪魔の言葉に西宮は頷き、苦笑する。

 

「神社の見習い神職が洋食派っていうのはギャップありますよね」

「まぁ外の世界では珍しくないのかもしれませんけど。何か理由でもあったんですか?」

「あー……何だったかなぁ」

 

 洋食派である理由を問われた西宮は、本のページをぱらぱらと捲りながら思考を巡らせる。

 味は確かに洋食が好きだが、それは自分で作るのがその系統が多いから慣らされた物ではないかと言うのが彼自身の分析だ。

 となれば原因はもっと前――――

 

「……あ」

「何かあったんですか?」

「東風谷の奴がガキの頃、ハンバーグ大好きだったんですよね。それで―――」

「そうですかリア充爆発して下さい」

 

 そして原因に辿り着いた西宮に対し、小悪魔は笑顔で言葉を断ち切りつつも、彼にこの話題を聞いた事を後悔したのだった。

 

 

 

 

 




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しごと いそがし かゆ うま


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