自由の向こう側 (雲龍紙)
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必読 【!!Precautions!!】


※ここを読まずに素通りして痛い目を見たとしても、一切の苦情は受け付けません。


Ladies and gentlemen.
Attention, please.


【!!諸注意!!】

 

 

・こちらは『Pixivモバイル提供終了』を受けて、Pixivから移転作業中の作品群のひとつです。

 

・基本的に、何があっても許せる、流せる、躱せる、許容できる人向けです。

 

・クロスオーバーな二次創作です。

 

・単にクロスオーバーと書くと語弊がありそうです。いわゆる『多重クロス』に分類されると思います。あるいは『ごった煮』でしょうか。

 

・ついでに、いわゆる『群像劇』にも分類されます。たぶん。

 

・つまり、「こいつが主人公だ!」ってのはいません。悪しからず。

 

・「どうせやるなら、徹底的に遊ぼう!」と思った結果、原作の数がえらいことになりました。

 

・つまり、無数の原作があらゆる角度から複雑に絡まり合っています。

 

・お互いに影響し合っていたり侵食していたり相殺していたり……とにかく、世界観の違和感を最小限に抑えようとした結果、若干の捏造設定は入ります。

 

・もちろん、クロスオーバーというか多重クロスで世界融合した結果、化学変化を起こしているので、原作遵守では無いこともあります。悪しからず。

 

・原作を知らなければ……とりあえず、オリキャラだとでも思って読み進めれば、何とかなると思います。その後、原作が気になった方は原作へGO!!(但し、大半は既に完結済み作品である為、おそらく店頭には並んでいないと思われます。タイトルによっては既に絶版ですので、中古か電子書籍などでお探し下さいませ)

 

・『サージュ・コンチェルト』の世界観設定を『レギオス・ワールド』に流し込んだ世界観、というと大体の説明がつくような気がしなくもない。

 

・上記ので察せられる方もいらっしゃるかと思いますが、場合によっては専門用語が容赦なく使われます。でもそれが本当に必要か重要であれば、改めて誰か(キャラ)が判り易く説明してくれます。

 

・ケータイからの閲覧を念頭に置いているので、一話当たりの文量はさほど多くありません。

 

・今更ですが、腐海の臭気に耐性が無い方は、回れ右したほうが良いです。雲龍紙の周辺が腐女子多めなので、完全に毒されています。キスくらいまでなら、何の警告も無く普通にあると思ってください。(※獅子と猫のじゃれ合い、動物同士の毛繕い、くらいにしか認識していない場合が多々あります)

 

・一応、エロシーンのみは隔離します。

 

・以上の諸々を、本当に寛大なお心で許容できる人向けです。

 

・…………OKですか?

 

・本当に、大丈夫ですか?

 

 

 

 ……よろしい。ならば。

 

 

 

 

 




I welcome you!

Now let’s enjoy your 7-D life !!




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用語・設定に関するネタのメモ書き(※読まなくても問題は無い)


※これは、Pixivに投稿し始めた切っ掛けの、ネタメモです。
※ある意味、用語の資料集。
※いわゆる『キャラクター設定』では無い。
※大体、原作の用語を他の世界観でも違和感ないように置き換えて説明しているだけのような代物。
※但し、あくまでも初期のネタメモでしかないので、現在の世界観設定の説明用とは異なります。
※ネタメモ・設定と書いて、フラグと読みます。
※虚実入り混じっています。

結論1:この情報を鵜呑みにしたり、あてにしたりしてはいけません。

結論2:こんな世界観だが……大丈夫か?(←主にこれを目的にしている)

結論3:別に読まなくても問題は無い。




【壁の民】(原作:『進撃の巨人』)

 

 純粋な人類の末裔。基本的に壁の内側に籠っているので、『外』の事は忘れ去られて久しい。純粋な人間の血統なので肉体的に非常に弱く、文化・文明を失っているので攻撃力も弱い。但し、繁殖力は強いらしく、いまだに種を絶やしていないところを見ると、非常にしぶとい種でもあると思われる。

 

 基本的に巨人から身を守る為に壁の内側に引き籠っている為、『外』の種族たちのことも知らない。というか、唯一の人類の生き残りだと思っている。

 

 

【護森人】(原作CD:『ティンダーリアの種』)

 

 Ariaという種。古代名としてはニンフ、ドリアードなどが挙げられる。人間の姿かたちをしているが、死ぬとその身から一本の木と多くの草花を芽吹かせるという妖精種である。

 

 謳うことによって植物を操り、生き物たちを鎮め、傷を癒す力がある。攻撃能力はない。女神が与えたと伝わる大樹・ティンダーリアを護ることを使命とする種。森から出ることはない。

 

 同じく森に棲む【カムイの民】【守の民】という種族と懇意にしている。

 

 

【カムイの民】【ノア】(原作コミック:『KAMUI』(七海慎吾))

 

 異能の民。人間と神精妖魔の混血。人間の姿かたちと祖神に由来する異能を身に宿す巫者の一族を【ノア】、精霊の主柱である特定の神性存在をそのまま身に宿す者を【カムイ】と称する。その特性上、自然との親和性が高く、【護森人】との仲も良好。ちなみに【ノア】からすると【カムイ】は保護対象になる。これは神性存在が失われると、その力の欠片である小精霊たちも消滅し、結果として異能が発動しなくなるため。

 

 尤も、現在【カムイ】と称されるのは一人のみ。その一人が【パセカムイ】【オキクルミ】【ウェンカムイ】【キナコロカムイ】を身に宿すという、ハイスペックならぬ廃スペック状態。ほとんど眠っているが、いつの間にか一人で行動していたりするので、【ノア】の長たちが頭を抱えることもしばしば。

 

 【守の民】【狼呀の民】【詩紡ぎの民】とも親交があったりする。

 

 

【守の民】(原作ラノベ:『オペラシリーズ』(栗原ちひろ))

 

 『鳥の神の友』という巫者を中心とする、森を守る人間種。森に棲む他の民を護ることを自らの一族の使命としている。『鳥の神』や他の神精妖魔に好かれやすいらしく、その祝福・加護もあって戦闘能力は高い。森を愛するがゆえに、その森を育む【護森人】を慈しみ、【カムイ】を畏れ敬い、【ノア】を信頼する。【ノア】と混じって暮らす者も多く、【狼呀の民】や【流砂の民】と交易することもある。

 

 

【狼呀の民】(原作ゲーム:『GOD EATER BURST』他)

 

 祖は人体実験の末に開発された《GOD EATER》とされる。一応人間の姿かたちだが、神機と呼ばれる身の丈以上の武器を軽々と操り、アラガミや巨人を殲滅する程度の戦闘能力を有する。肉体性能のみ見るなら、間違いなく現在地上で最強の人間種族。但し、定期的に戦い、アラガミなどを喰らい続けなければ自らの身体を維持できない、という遺伝子欠陥を抱えてしまっている。

 

 広い活動範囲を持ち、支部は大陸に点在する。【流砂の民】と行動を共にすることも多い。他の種族とも基本的には友好であり、混血も多い。故に、まれに他の種族の体質やら異能やらを発現する者もいる。

 

 現在、極東支部に【カムイ】の体質と【詩紡ぎ】の力を持つG.E.が存在している。

 

 

 

【流砂の民】(原作ラノベ:『レギオスシリーズ』×原作コミック『EREMENTAR GERAD』他)

 

 12からなる自律型移動都市に棲む人間種族と【降魔】(古代名:武芸者)と【宝玉珠】(古代名:エディルレイド)と呼ばれる種族の末裔。

 

 移動する都市に棲むことで災獣(汚染獣、アラガミ、巨人など)から逃れた人々。G.E.が人体実験の末に人工的に生み出された種族なら、こちらの【降魔】は自然発生した種族。剄脈という第二の心臓から剄を発生させ、それによって身体や武器を強化し、時には剄そのものを放って攻撃する。

 

 12の都市は普段はバラバラに動いているが、大まかなルートは決まっている。それぞれの都市の名を持つ、最強の【降魔】がその都市を護っており、その【降魔】は【宝玉珠】と契約している。

 

 【宝玉珠】とはその身を契約者の武器に変化させることのできる妖精種。普段は人間の姿かたちをしているが、戦闘になれば契約者に応じてその身を強力な武器へ変える。また、謡うことで単独の能力発動も可能。それぞれに属性を持っており、それに準じた能力を操る。絶対数が少なく、大変に希少。身体のどこかに核石と呼ばれる宝石があり、それが第二の心臓だが、その美しさと希少性からかつて人間に乱獲された歴史を持つ。【降魔】と契約する者が多いのは、密猟者から自分たちを守ってもらっていた時代の名残。最近では自らの死後に核石を【狼呀の民】の神機の核にと譲る者もいる。ちなみに核石そのものにはなんの力も無いが、第二世代G.E.の中には同調現象を利用して核石を核に生前の武器の形を形成できる者も存在する。【宝玉珠】が【狼呀の民】に核石を譲るのは、これが主な理由である。

 

 都市群は常に移動しているため、様々な種族を繋ぐ懸け橋となっているが、その自覚はあんまりない。

 

 移動都市そのものはロストテクノロジーの塊だが、おそらくはG.E.の神機を巨大化したものであろう、といわれている。

 

 ちなみに、【降魔】が大量に発生するようになったのはG.E.が開発された後であり、その後の研究では『【降魔】は【人間】が滅亡の危機に陥った時代に大量に覚醒するように遺伝子に組み込まれている。人類が繁栄している時代にはその因子は冬眠状態となっていたと推察される』という趣旨の論文が発表された。そのため、G.E.と【降魔】の間にはちょっとした微妙な空気があったりするが、現在は比較的良好な関係。というか、G.E.の遺伝子欠陥の件もあいまって【降魔】が微妙に気を使ってしまっている場面が度々、見受けられるらしい。【詩紡ぎの民】と【セラの民】と共にG.E.の遺伝子欠陥を解消するべく共同研究をしている、という噂もある。

 

 作中においては『G.E.』の呼称は【狼呀】で統一。

 

 

【詩紡ぎの民】(原作ゲーム『Ar tonelicoシリーズ』)

 

 3本の塔と、それに付随する浮遊大陸に棲む民。【詩紡ぎ】と呼ばれる種族と【人間】に分けられる。

 

 【詩紡ぎ】は更に大きく分けると人造兵器レーヴァテイルを祖とする【詩謳い】、神精と人を唄で繋げた【月奏】、神性存在そのものである【星紡】となる。現在ではこれらの分類は研究・学問などの専門家しか使用していない。

 

 【詩紡ぎ】は名の通りヒュムノスと云われる詩を紡いで、奇跡を起こす。この奇跡とは詩魔法と呼ばれるが、古代においては列記とした科学に含まれており、厳密な意味においての魔法ではない。そしてこの魔法を実行するのは、実は詠唱者ではなく『塔』である。よって、『塔』の電波(厳密には電波ではないが)が届く範囲でしか効果は発揮できない。但し、【月奏】や【星紡】は『塔』に関係なく発動する。

 

 ちなみに『塔』はすでにロストテクノロジーの塊だが、別の方法に依れば発動可能であり、それが『塔』の代わりに、その土地を守る神性存在や精霊に祈るという方法。ただし、こちらの方は事前に面識を得ておく必要がある。ぶっちゃけ、詩を謳えればチート。衛星反射砲も撃てる。

 

 【詩紡ぎ】もG.E.と同じくいくつかの遺伝子欠陥を持っているため、我が身のように心を痛めていたが、【流砂の民】から共同研究を持ち掛けられて真っ先に飛び付いた、という噂がある。

 

 

 

【セラの民】(原作ラノベ:『詠使いシリーズ』×『氷結鏡界のエデン』)

 

 大陸の果てにある湖上の《天結宮》と呼ばれる塔に棲む民。【月奏】や【星紡】を祖に持つ人間種だが、人間のままで諸々の災獣に現在に至るまで抗い続けてきたことを顧みると、途轍もないことである。

 

 その偉業は湖に張り巡らされた『氷結鏡界』によるもの。災獣がこれに触れると瞬く間に凍り付き、砕け散るという性質を持っている。

 

 オーバーテクノロジーを今も保有しているが、災獣の駆除に直接役立てられるものは少ない模様。

 

 稀に立ち寄る【流砂の民】と交流があるくらいしか、『外』を知る術がない。

 

 【詠使い】と呼ばれる、『色』と『歌』によって望むものを招喚する者たちが存在する。

 




 特にあてにならないのは【流砂の民】のあたりですな。
 この頃はまだふわ~っとした設定しか無かったのに……民衆に流布している『常識』と、『真実』には乖離がありましたって感じですね。


あと。前書きで『結論3:別に読まなくても問題は無い』って書いたんだけど。
正直、これ読んで訳わかんない人は、本編読んでもたぶんちっとも面白く思えないんじゃないだろうか……。いや、どうだろう。う~ん。人による、か?

少なくとも、勢力図というか人間関係というかが複雑になるので、ストーリー上で置いていかれる可能性は充分に高い。と思う。
かと言って、別に登場人物個人について説明している訳じゃないから『キャラクター設定』って訳でもないと思うんですが……。

てか、用語解説って何処ですればいいのか。
活動報告? 後書きでもいいんですか?
『大地の心臓』とか『インターディメンド』とか『人間の寿命とテロメアの関係』とか。
……ダメだ。文量的に、レポート枠を作るしかない……。

さっそく心が折れそうです。



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yart ~邂逅~
【yart 01:yart yor en knawa ar ciel eetor】



 今から百年以上前、【巨人】という天敵の出現により絶滅寸前まで追い詰められた人類は、強固な壁を築くことで安息の領域を手に入れた。

 しかし、すべての人類が壁の中だけの世界に妥協したわけではない。

 調査兵団――――安息の領域から巨人の領域へと踏み出した者たちの組織である。





 

 

『私はイルゼ・ラングナー。第34回 壁外調査に参加。第二旅団最左翼を担当。帰還時、巨人に遭遇』

 

 呼吸がうるさい。

 走り続けた疲労と、人類の天敵である巨人に遭遇した極度の緊張で、乱れた呼吸がなかなか治まらない。

 

『所属班の仲間と馬も失い、故障した立体機動装置は放棄した。北を目指し走る』

 

 先ほど、一度だけ意思を通わせ、しかし他の巨人と同じように襲い掛かってきた巨人は今、3メートルほど離れて地に伏していた。

たぶん、もう、動くことはないだろう。

 

『巨人の支配する壁の外で 馬を失ったしまった。人の足では巨人から逃れられない。街への帰還、生存は絶望的』

 

 ――――その、はずだ。

 

 たとえ自分が死んでしまっても、いずれ誰かが見つけてくれれば、何かの役には立つかもしれないと、馬も武器も、立体機動装置も失った自分にできる、唯一の戦い――記録のメモにも、自分でそう書いたと記憶している。

 

『ただ…巨人に遭遇せず、壁まで辿り着くかも知れない。そう。今私がとるべき行動は恐怖にひれ伏すことではない。この状況も調査兵団を志願した時から覚悟していたものだ』

 

 ――――そうだ。壁外でたった独り、身一つになる状況は何度も想定したし、時にその恐怖と絶望は悪夢となって私を苛んだ。

 

 それでも。

 

『私は死をも恐れぬ人類の翼、調査兵団の一員。たとえ命を落とすことになっても、最後まで戦い抜く。武器は無いが、私は戦える。この紙に今を記し、今できることを全力でやる。私は屈しない』

 

 ――――私は、屈しない。

 

 改めて自らに誓い、そして巨人に遭遇した。

 

 6メートル級のその巨人は、すぐには私を食べようとしなかった。そればかりか、言葉を発した。「ユミルの民」「ユミル様」「よくぞ」と言ったのだ。

 その、思いもしなかった状況に、思わず私は存在を問い、所在を問い、目的を問うた。いずれの問いにも応えは返されず、そうして放った私の罵声に呼応するように、その巨人は私に襲い掛かり――――次の瞬間、頭部ごと巨人の弱点であるうなじは斬り飛ばされた。

 

 転がり落ちた頭部は、どこにも残っていない。斬り飛ばされたとほぼ同時に、『焼失』したからだ。

 

 そして、それを為したらしい青年は、私を見てゆっくりと首を傾げる。鳶色の髪が、僅かにそよいだ風に揺れた。

 その手には灼熱の溶けた鉄のような色彩の、見たこともない形状の刃が握られている。長い刀身と、僅かに反りのある鋭い片刃の、美しい火色の剣。服装は、私たち兵団の制服に似ていた。ただ、背にある紋章は『一角獣』でも『薔薇』でも、『翼』でも無い。何か――鋭い牙を持つ獣の頭部を抽象化した紋章であるらしかった。

 一通り認識し、確認する作業を終えると、相手も私の観察をしながら私が落ち着くのを待っていたらしい。視線が合うと、青年はへらりと笑った。朱い双眸が印象に残る。

 

「――――あっ、あなた、は」

 

「■■■■■■■」

 

 片手を挙げ、何かを言った。タイミングと動作、困ったような笑みを見れば、おそらくは『待て』という趣旨の言葉であると思われる。

 

「■■■■、■■■■■■■■■」

 

 青年が、再び何かを言う。だが、判らない。理解できない。

 たとえば、方言のように普段はあまり聞かない言葉でも、元々の言語は同じだから、聞き取るのには滅多に苦労しない。とりあえず、何を言っているのかはおおよそ理解できる。それは、無意識に自分の知っている単語に照らし合わせて、意味を測っているからだ。

 それが出来ないということは、そのままこの青年は私の与り知らない言葉を操っているということに他ならない。つまり、現時点では、言語そのものが違う、という可能性が高い。

 ありえない。人類は壁の内側にしかおらず、壁の中の言語は遥か昔に統一されている。

 ――――ふと。

 何かが意識に引っかかった。そうして『現状』に思い至る。

 

(――――ここは、『外』じゃないか!!)

 

 壁外は、巨人の領域。ならば、この青年は、『何』だ?

 

(……まさか……)

 

 人間と同じ大きさの『巨人』というのは、あり得るだろうか。

 

(――――それとも……壁の外で生き延びて、今も暮らしている人々がいる? そんな馬鹿な)

 

 だが、そう考えた方が、まだ安心できる。『これ』は巨人では無いのだと。

 

「あなたは……『何』なの?」

 

 青年は困ったように笑いながら、剣を持っていない方の手で頬を掻く。それはそうだ。伝わらないのは、さっきのやり取りで判っていたではないか。自嘲の笑みが零れる。じわり、と目が熱くなるのを自覚し、慌てて顔を伏せて溢れかけた雫を乱暴に袖で拭った。

 ザリ、と地を踏みしめる音がする。誘われるように顔を上げれば、腰が抜けて座り込んだままの私の目の前に膝を着き、視線の高さを合わせている青年の近さに思わず息を呑んだ。

 

「ユウ」

 

 一言、告げる。

 青年は手のひらを自らの胸に当て、もう一度同じ音を告げた。

 

「ユウ。ユウ・カンナギ」

 

 青年は、自分の胸に当てていた手で、今度は私を示す。

 

「――■■■?」

 

「――あっ……」

 

 ――――名前だ。彼は私に名乗り、そして私の名を訊いている。

 疑問など何もなく、ただそうだと確信した。

 

「わた、私は、イルゼ。――イルゼ・ラングナー」

 

「――イルゼ?」

 

 確認と思しき青年の声に、何度も頷き、肯定する。

 青年は、ふわりと輝くような笑顔を見せた。見る人の気持ちすら明るくさせるようなその笑顔に、私もつられて笑みを浮かべる。

 安堵したように青年は立ち上がり、私に手を差し伸べた。

 

 






 初めましての方は、はじめまして。雲龍紙と申します。
 Pixivから引っ越し? 分社? でマルチ投稿などというものに手を出しました。

 始まりましたが、ハーメルン投稿初心者で、使い勝手が良く解らない……。

 でも、『Pixivモバイル提供終了』まで時間が無いので、頑張ります。
 ケータイからの誤字チェックが出来なくなるのはツライんだ……。

 ……ん? サブタイの文字ですか?
 ヒュムノスという架空言語です。そのうち星語とか契絆想界詩とかも本編で出てきます。悪しからず。



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【yart 02:hymme rudje viega】



とりあえず、yart側の視点だけでも、今日中に終わらせる……!



 私は今、不可思議な青年・ユウに手を引かれて歩いている。森の中を東北に向かって歩いているのは、小梢の合間から時折見える太陽の位置から判っていた。

 

 幾度か遭遇した巨人は、森の中であるためか小型に分類されるものがほとんどで、それもユウが弱点を斬り飛ばして焼却することで対処していた。

 巨人遭遇から撃破までの流れるような一連の動きを何度も眺め、心配することを放棄した私は別におかしくはないと思う。同時にユウがそばにいる限りは巨人に対しても、もう恐怖を覚えそうにない。

 

 正直、巨人を前に臆することなく突っ込んでいき、一撃であっさりと斃すのはリヴァイ兵長くらいだろうと思っていた。凄すぎて、言葉にならない。

 

 太陽が沈んでいき、空が夕闇に包まれ始めた頃。ようやくユウは足を止め、「お疲れ様」とでも言うように私の肩を叩いた。

 

 ――――そして私は、本日何度目かの驚愕を体験することとなる。

 

 

【邂逅02:謳う紅の刃】

 

 

 白い月が、すぐ傍の泉を照らしていた。その夜の景色を眺めながら、キレイだな、と思う。同時に、現実逃避をしていることも理解していた。

 いや。正確には、現実逃避をしようとして、失敗している。

 原因は、手に持っている食べ物――肉だ。

 木の枝を削って作った即席の串に、適度な大きさに切ったウサギの肉を刺して連ね、それを目の前の焚き火で炙ったものだ。

 

 ――肉。

 

 何度見ても、どう見ても、肉。

 

 壁の中ではここしばらく、肉料理はあまり見かけていなかった。言わずもがな、シガンシナ区陥落に伴うウォール・マリアからの撤退による食糧危機が原因だ。

 壁の中では食べられなかった食べ物を、まさか壁の外で食べることが出来るとは。――保護区だとかの可能性は、いまは目を瞑っておく。第一、ここは壁の外なのだし。

 

 ちらり、とユウを窺う。焚き火を挟んで向こう側に座っているユウは、私の視線に気付くとまた微笑んだ。――――やはり、彼は私を安心させるために、微笑んでいるらしい。言葉が通じないので、手っ取り早く「害意は無い」ことを証明するには、微笑みかけるのが一番ではあるが、なんとも複雑な心境にはなる。

 が。

 それよりも気になるのは、少し離れた木の根元に座り込み、何やら乾燥した木の実や植物の根を砕いて粉末にしては分量を量って混ぜ合わせているらしい、黒髪の青年である。あまり見ない形の服は紅く、それで余計に目を引いた。

 その青年が、ちらりと私を一瞥する。切れ長の目は月の無い夜空のような色彩で、更にまるで切れ味の鋭い鋼の刃を思わせた。

 

「――あ、の……」

 

「さっさと食え。食事が終わったら傷を見てやる。明日になったら壁近くか、お前がいたであろう団体の近くまでは送ってやる」

 

 意訳すると、「お前の質問に答える気は無い」ということだろうか。

 

「カナギ。■■■■■■■■■■?」

 

 ユウが青年を窘めるように、何かを言う。青年は少し顔を顰めると、ふ、と嘆息した。

 改めて私に視線を向け、要点だけを伝える。

 

「――とりあえず、食いながらで聞いとけ。そこの阿呆が処置を手抜きしたせいで、冷めると硬くなる。適当にしゃべるから、質問は後で」

 

「は、はい!」

 

 どうやらこの青年は、私の言葉もユウの言葉も理解しているらしい。

 ユウのことは『不可思議』だと思うが、こちらの青年(たぶん、ユウより年上であると思われる)は『不審な』とか『怪しい』とか若干、マイナス要素を帯びる言葉とセットになりそうな気がする。

 

 そんな失礼なことを考えながら、手にしていた肉を口に運んだ。ひと切れを口の中に入れて噛みしめる。じゅわっと肉汁と共に肉の旨みが口の中に広がった。

 

 たぶん、私の顔はにやけていたに違いない。ほっとしたように笑ったユウと、僅かに視線を和らげた青年の反応で、どうやらほぼ確実に『子ども』扱いされているらしいと思い知った。

 ――いや。たぶん、本当に私の方が年下ではある、と思う、けど……

 なにか納得できない。

 

「そこの阿呆から聞いたが、イルゼ・ラングナー、で合っているか?」

 

「――はい。私はイルゼ・ラングナーです。第34回、壁外調査に参加。第二旅団最左翼を担当。帰還時、巨人に遭遇し、所属班の仲間と馬、故障した立体機動装置を失い、壁があるはずの北を目指していた時、遭遇した巨人から、ユウ・カンナギに助けられました」

 

 敬礼をして返答すると、ユウからは苦笑、青年からは溜息をもらった。

 

「――そうか。……ったく、どうしてこうも軍属に縁があるんだか……」

 

「■■■■■■■■■」

 

「煩い黙れこの阿呆。お前が筆頭だぞ。有能すぎていつ首を切られて存在抹消されるか判らん立場になりやがって」

 

「■■■■■■■、■■■■■■■■■■■、カナギ」

 

「どうせ第二世代特有の共鳴現象だか同調現象だかを駆使して、ニュアンスだけはしっかり把握してるだろう。いまさら言葉を合わせろとか、不毛だ。どうせ俺とお前とでも言語圏が違う」

 

「……■■■■■■■■?」

 

「とりあえず、そっちも後だ。――解ってるのに訊くな、鬱陶しい」

 

 一連の会話を眺めながら、肉を咀嚼する。ついでに突っ込みたい箇所が色々と出てきた訳だが、それも聞かなかったことにした。ちょっと『政治的な』匂いのする内容が含まれていたからだ。その部分に関しては、下手に関わるべきじゃない。

 

 青年は再び嘆息し、改めて私へ向き直った。

 

「俺は、カナギ・サンスイ。【守の民】の薬師で、そっちの神薙ユウは【狼呀の民】だ。お前の知識に合わせるなら、【守の民】は生産者で【狼呀の民】は兵団となるだろう。端的に言うなら、俺たちはお前たちの感覚で言う『壁の外』を生き延び、暮らしている一族だ。ちなみに、俺は壁の中の住人と薬草のやり取りの関係で個人的に交流があって、それでお前たちの使う言語も使える。だが、中と外は断絶して長い。故に、現状では言葉が通じる可能性は非常に低い」

 

 ――――今のところ、青年の話に破綻は無い。

 よく噛んだ肉を飲み込むと、ユウが水筒らしきものを差し出してきた。お礼を言って水筒を受け取り、口を付ける。ほんの微かに、さわやかな甘みが口の中に残った。初めての味わいに首を傾げる。

 

「――薫り水だ。茶の一種だとでも思っておけ。茶葉の代わりに薫りのいい植物で水出しする」

 

「おいしいです。ありがとうございます、ユウ」

 

 改めてお礼を言う。すると僅かに困ったように微笑み、青年を指し示した。どうやら、本当にニュアンスは伝わっているらしい。

 

(――いや。というか、これは……)

 

 そっと青年を窺えば、青年は小さく苦笑して肩をすくめて見せた。

 

「あの……もしかして、」

 

「確かに淹れたのは俺だが、そんなことはどうでもいい」

 

 やらかした。

 いや、だって。出会ってから今まで不機嫌な気配を払拭しきれていないこんな人が、あんな繊細な味わいのお茶を淹れるとか――いや、でも薬師とか言ってた気もするし、それなら納得も――いやいや、でもなんかイメージ的に似合わない。

 思わず硬直した私から視線を外し、青年は小さな擂り鉢などの道具を片付け始める。

 それでも、話を続けてくれる気はあるようだった。

 

「――俺たちも、普通は自分たちの生活圏から出ることは無い。色々と面倒だからな。俺みたいに個人的に動く奴なんかは、紛うことなく変わり者だ」

 

 ――――ちょっと待って欲しい。というか、突っ込みたい。

 主に、巨人の脅威はどうしているんだ、と。

 

 普通の人たちは自らの生活圏から出ない――これは私たちで言うところの『壁』の内側だろう、と思う。が、しかし。『個人的に動く』とは、どういうことだ。

 まさか、巨人の領域である『外』に、個人の都合で出歩いている、という事なのだろうか。私たち調査兵団のようにある程度まとまった人数がいるなら、理解できなくはない。だが。

 

 ――ひょい、と。

 

 視界に肉の串焼きが差し出される。差し出したユウはニコニコと笑っているが、そういえばこの人はリヴァイ兵長並みに凄かった。もしかすると、カナギと名乗る青年も同じくらい凄いのかもしれない。

 串焼きを受け取りながら、そんなことを考えてみる。だが、こう……自分たち兵士とは雰囲気が違いすぎて、よくわからない。

 

「今回は、『壁』が陥ちたと聞いて確認調査と薬草採集と、ついでに、探しものを兼ねて歩いていた」

 

 ――――たぶん。

 壁外調査ならぬ壁内調査はついでなんだろうな、と思わせる言い方だった。彼にとっての本命は薬草採集なのだろう。その部分でだけ、やけに瞳を輝かせていた。探し物については、よくわからない。うんざりしているような、焦っているような、どうでもいいような、そんな顔をしていた。

 

「――巨人とやらに関しては、とりあえず当面は問題ない。そこに少しばかり特殊ながら最高の【狼呀】がいるし、俺自身もまったく戦えない訳でもないし、調合したもので視界を奪うなり動きを奪うなりして逃げることくらいは出来る」

 

 つまり、『外』を出歩くための条件があるのは、彼らも自分たちと変わらないのだろう。だが、その基準が自分たちとはだいぶ違うような気がする。

 

「――こっちからお前に言えることは、これで全部だ。これ以上は、現状ではお互いに良くないだろう。たぶん、無いものねだりになりかねない」

 

 青年の言葉に、思考を止める。私自身、なんとなく同じことを考えていた。

 彼らが少人数で『外』を往けるのは、それに見合う実力と実績、そして『何か』があるのだろう。そしてその『何か』は、自分たちの与り知らないもので、もしかすると自分たちには永久に手にすることが出来ないものなのかもしれない。

 

(――たとえば、ユウと出逢ったあの時……)

 

 ユウは巨人の頭部を斬り飛ばし、同時にその頭部を『焼却』した。その原理も手段も、私には判らない。ただ、ユウが手にした刃で巨人を斬ると、奴らは確実に燃やされた。だから、ユウ自身かユウの剣に『何か』があるのだろう。

 思うことがない訳では無いが、それでも。それは恩人に詰め寄ってまで今すぐに問い質すことではないような気がする。ユウにとっては触れられたくない部分かも知れないし。

 自分自身で納得し、私はひとつ頷いた。

 

「わかりました。2人とも――本当に、ありがとうございます」

 

 言って、頭を下げる。

 ユウは微笑を、カナギは溜息を、それぞれ零したようだった。

 

 

 





 カナギさんは『オペラシリーズ』(栗原 ちひろ:著 角川ビーンズ文庫)出身です。オリキャラじゃないです。

 そもそもこのシリーズに、オリキャラなど入り込む余地は無い! いたとしたら……食い殺されるモブとか、くらいですかね……?

 そもそも何かしらのキャラに似てしまう程度のオリキャラなら、別にオリキャラじゃなくてもいいんじゃないだろうか……?

 とか思った結果が、増殖する原作数でしたとさ。



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【yart 03:soa wis li gurandus viega】


 どんどん行きましょう。
 戦闘シーン、ではあるのかな? 一応。


 

 

 気が付いたら、朝だった。

 

(――壁外なのによくこんな熟睡できたな、私……)

 

 自分で自分に突っ込みながら、周囲を見渡す。ふと、自分に外套が掛けられているのに気付いて、瞬いた。あの二人が掛けてくれたのだろうか。なんとなく、端々にある縫い取りなどの意匠からカナギの持ち物であるような気がするが――正直、彼が人に気を使うところなど、想像できない。

 

「――イルゼ?」

 

 この声は、ユウの方だ。振り返って姿を確認し、挨拶をする。

 

「おはようございます。――あの、これは?」

 

 笹に何匹かの小振りな魚を刺して泉から戻ってきたらしいユウに、とりあえず外套の主を訊いてみる。ついでに答えが判りやすくなるように、もう一度。今度は外套を指さしながら。

 

「これ、カナギ? ユウ?」

 

「カナギ」

 

 答えたユウは魚を置き、埋火になっていた焚き火を小さく起こす。昨日も使った串に魚を刺して焚き火の周りに立てながら、ふと気付いたようにこちらを振り向いた。その顔には悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。

 

「カナギ■■■■■■■■」

 

 何か言いながら、ユウは左手を広げて薬指の付け根に右手の指で環を描くように触れた。

 ――なんというか、非常に判りやすい気がするジェスチャーではある。しかし。何か納得できない。

 続いてユウはくすくす笑いながら、次に薬指と小指を立ててみせた。さっきよりは難易度が高いが、流れを汲めばおそらくこれは――!

 

「――カナギって、妻子持ちなんですか!?」

 

 思わず叫べば、ユウは楽しそうに笑う。そして今度はその小指だけを残し、右手で小指を示した後、最後に私を指した。

 呼吸が止まる。理解した。ユウはともかく、カナギが色々と気を使ってくれたのは、私が彼の子供にどこかしら似ているところがあった為であるらしい。

 カナギの外見から考えて、その子は本当にまだ子供だろう。そんな小さな子供に似ているだなんてと思い、思いっきり脱力する。

 すると、ユウがとんとん、と私の肩をつついた。顔を上げれば、ユウは悲しげな表情で首を振る。そうして、静かに薬指を折って小指だけを残した。

 

「――――あ、……」

 

 ――奥さんは、亡くなってるんだ。

 あまり触れない方がいいのかもしれない。少なくとも、無神経に「奥さんいるんですか?」とかは訊かない方がいいだろう。

 

「……歓談中、申し訳ないが」

 

 が、どうも決意は遅かったようである。

 曇天を背景に背負うのがとてもよく似合いそうな声色で、カナギの言葉が耳朶を打った。

 

「さっさと朝飯食って出発したいんだが、どうだろうか」

 

「はははははっ」

 

 軽やかな笑い声はユウのものだ。そのユウを睨み付け、それでもカナギは一拍おいて嘆息すると、それだけで見逃すことにしたようだった。

 

 

【邂逅03:其は我が護りの剣】

 

 

 

 

 カナギは、鳥を使うらしい。

 

 時折はさむ休憩中に、よく腕や肩に鳥を乗せている姿が目についた。しかも毎回、違う鳥である。

 どうやらその鳥たちによって巨人の行動ルートを割り出しているようだが、具体的にどうやって割り出しているのかまでは判らなかった。……判れば、今後の調査兵団の役にも立てただろうに。

 力強い羽ばたきの音を残して、カナギの腕から白い鳥が離れる。鴉に見えたが、白い鴉なんて聞いたことない。

 

「……まいった。どうやら進行方向に巨人の一群がいるらしい。およそ8体」

 

 あまりにも事務的に告げられた言葉に、耳に馴染むまでに時間がかかった。言葉が脳に染み込み、じわりと緊張と恐怖、焦燥が沸き起こる。だが、2人の平然とした態度が腑に落ちなかった。

 

「■■■■、■。■■■■■■■■■■■、■■■■■」

 

「……まぁ、妥当なところだな。最大で何分だ」

 

「――■■、■■?」

 

「わかった。2分は保たせる」

 

「え? ええ!?」

 

 まさか戦うつもりなんだろうか。なんか、それが当然という態度でいらっしゃるんですが。一度にたった2人で8体も相手にするとか、馬鹿ですか自殺志願者なんですか。

 あっさりと、実に淡々とやり取りを終えたらしい2人は、私を見て1人は微笑み、もう1人は肩をすくめた。カナギは私に近寄り、背負っていた籠を足元に置く。え。なにこの状況。

 

「ちょっと片付けるから、ここで荷物番な。危険だと感じたら逃げてくれていい。この群れの向こう、約1km先に、お前がはぐれた兵団がいる。休憩中のようだから、お前の足でも追いつけるかもしれない」

 

「え、あ、ちょっと」

 

「イルゼ」

 

 ぽん、と。ユウは私の頭を軽く撫で、優しい笑みを浮かべた。

 

「【――――Was yea ra khal warce yor.】」

 

 額に、やわらかい感触。ユウはくすくすと笑いながら離れていく。私は無意識に額に手をやり、思わず俯いた。

 

 いや。うん。

 

 からかわれたのは、わかっている。それはもう、あの笑い方からして確定的だ。たぶん、私が恐怖と緊張で固まりかけていたのを、ほぐそうとでも思ってのことだろう。だが、しかし。

 とりあえず、真っ赤になっているはずの顔は、あまり見られたくない。

 呆れたような溜息を吐いているカナギも、今は無視する。ていうか、第三者だったら私も「やれやれ」と溜息を吐いてにやにやと見守っていただろう。

当事者としてはどこまでも居た堪れないが。

 

「――――『あなたに加護を』」

 

 カナギの言葉に瞬き、おそるおそる顔を上げる。

 

「あの阿呆の言葉の意訳だ。効果は保証する。覚えておけば、少しは役に立つかもな。――具体例は、今からアレがやらかすから、見ていてもいいだろう。――僥倖だ。先に3体のみ、群れから離れてこちらに来ている。いずれも10メートル以下だ」

 

「それのどこが僥倖なのか判りませんっ!」

 

「いいから見てろ。残念ながらお前たち通常の人間種とは基本スペックが違うんだ」

 

 ――何か、意識に引っかかった。

 だが、それを検証する間もなく、のっそりと、巨人が木々の間から顔を覗かせる。一人離れたところに立っていたユウを見つけ、ゆっくりと緩慢な動きで腕を伸ばした。

 

「ユゥ…っ!」

 

 そばに立っていたカナギに口を塞がれ、声が詰まる。

 

「黙ってろ。【狼呀の民】は戦闘種族だ。本来奴らは一人でいた方が生存率も上がる」

 

 とん、と軽い動作で自らを掴もうとした巨人の腕に飛び乗ったユウは、口角に笑みを乗せ、手にしていた刃を抜いた。

 

「【――Was ki wa hymme.】」

――――――Wee zweie ra wearequewaie.

 

 ユウの声に重なるように、高く澄んだ少女の声が響く。彼の手にした刃から、僅かに燐光が生じたように見えた。

 だが、巨人は気にも留めずに改めてもう一方の手でユウを掴みに掛かった。その動きを一瞥して確認し、ユウは巨人の腕を駆け上る。あっさりと肩に到達し、自然な流れで首を刈り落とした。次の瞬間には更に姿を現した他の2体の巨人へと意識を向けている。倒れる巨人の反動を利用して木の枝に飛び移り、木々を渡って2体目の巨人の背後に回った。更にそのうなじに飛び移り、そのまま刃を振るってうなじを削ぎ落とす。

 

「【――Rre talam dauane re valwa cia, fernia flawr li warce sarla. 】」

――――――Was yea ra rippllys.

 

 ――歌!?

 複雑な、けれど流れるような音階の言葉に、それが歌であるということを知った。そしてその歌に呼応するかのように、ユウの刃に宿った燐光は輝きを増す。

まるで熔かした鉄のような、輝く色。

 ふとカナギを見て、思わず瞬く。彼は何か、とても大切なものを見るような眼差しで、ユウが振るう刃を見つめていた。

 

(――ひょっとして……)

 

 カナギの持っている刃も、同じ形状。ならば、もしかしたら、カナギの大切な人――例えば、亡くなったという奥さんの形見なのかもしれない。

 なら、ユウの声に重なる少女の声は、ひょっとしてカナギの奥さんの声なのだろうか。それならば、カナギの表情には納得ができる。自分の知識では原理などはわからないが、なんとなく、そうであればいいと思った。

 そんなことを考えている間に、3体目も斃したらしい。ユウは再び地面に立っていた。だが、その視線の先には4体の巨人が木々の間から見え隠れしている。

 

「【Omnis rippllys en vianchiel fau, yehar, hyear ! 】」

――――――Was yea ra grandus sos melenas yor !

 

 ユウの刃から、朱金の炎が溢れ出た。その炎は巨人に触れるとまるで生き物であるかのように巨人を包み込み、その形を溶かし尽した。この一瞬で2体が蒸発する。

 

 ――あと、2体。いや。

 数を数える。違う、2体じゃない。3体のはず。なら、あと1体は?

 

 一瞬、ユウがこちらへ目を向けるのが見えた。僅かに眼差しが揺らぎ、その直後には2体の巨人に真っ向から向かい合う形になる。まだ朱金の炎はユウの周りにうねるように舞っている。さきほどの効果が継続するなら、巨人はユウに触れることも出来ずに融解するだろう。

 だが何故か、振り返った一瞬で、安全性を度外視したように感じた。

 いつの間にか肩に回されていたカナギの手に、力がこもる。そして、そっと耳打ちされた。

 

「さわぐな、動くな、振り向くな。――いいな」

 

 あまりにも真剣で重い口調に、思わずこくこくと小さく何度も頷けば、抑えられた低い声で「いい子だ」と言われ、頭を撫でられた。ここでも子ども扱いですか。そうですよね、私、完全に役立たずどころか足手まといになってますよね。それくらい自覚してます。……私だって、兵士なのに。

 

 カナギが振り返り、走り去る気配。ついでユウの歌とはまた違った言葉がカナギの声で響いた。

 

「【――gou ih-rey-i gee-gu-ju-du zwee-i ; 】」

 

 途端に背後からものすごい風に煽られ、思わずたたらを踏む。

 

 ――――さわぐな。動くな。振り向くな。

 

 言われたことを反芻し、唇を噛む。

 悔しい。

 こんな。小さな子供のように守られるばかりで。

 あの厳しい訓練の日々は、何だったのかと。

 

 ――視界が滲むのは、悔しいからだ。

 

 袖で滲んだ視界を拭い、ユウを見る。

 

 ――今の自分にできる、精一杯は。

 

 彼の動き方を見て学び、盗める技術を盗むこと。

 彼は迫る巨人の腕を掻い潜り、地面から巨人の腕へ、次にもう一方の巨人の肩へと跳躍する。

 

(――高い。それに速い)

 

 よくよく考えれば、彼は立体機動装置など持っていない。にもかかわらず、まるで飛ぶように跳躍する。かなりの膂力だ。

 だが、それよりも。

 彼の動きは速かった。場合によってはずっと見ているにも拘らず、見失う。身体の反射能力が高い、というのもあるだろうが、それ以上に判断が早く、かつ迷いがない。まるで。

 

(――確信、しているかのような……)

 

 こういう相手にはこういうルートで攻め込み、こういう手順で狩れば最短最速で片付けられる、とあらかじめ知っているような、そんな動き方。

 

(――どれだけ、戦えば……)

 

 そんな境地に至れるのだろうか。

 

 足場にしている巨人のうなじを刈り、ユウは隣の巨人へ飛び移る。

 再び、ユウと少女の声で歌が聞こえた。

 

 

「【 soa wis li gurandus viega 】」

 ――――Rrha zweie ra… yehar, hyear !

 

 

 

 そして白い光焔が、視界を塗りつぶした。

 

 

 




 ユウとユウの剣とヒュムノスの関係については、後々。

 ページの切り替えができないのがここまで不便だとは思わなかった……。
 いや。慣れれば……慣れればいける! 大丈夫!!



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【yart 04:tasyue enne sos waath near en manafeeze faura. 】



 この話から、だいぶ一人称視点の書き方になりました。
 もはや懐かしい。



 

 

 目を庇っていた腕を、おそるおそる下げる。あまりにも強烈な光が治まった時、そこには巨人の影も形も、何も残ってはいなかった。

 

 

【邂逅04:孵り、羽ばたく小鳥への贈奏】

 

 

 

 

「…………」

 

 周囲を見る。やはり、どこにも巨人の残骸は無い。

 その事実に呆然としていると、背後からカナギの手が頭に置かれた。その感触に我に返る。

 

「――怪我は?」

 

「あ、ありません!」

 

 反射的に上官にするような敬礼をして応える。

 そうか、と言ってカナギはポンポンと私の頭を撫でた。

 

「えっと。――もう、動いてもいいんでしょうか」

 

「ん?――ああ。そこまで厳守しなくても良かったんだがな」

 

 ふっ、と小さく苦笑する気配にぱっと振り返り、苦笑というよりも呆れたような微笑であることに衝撃を受けた。

 なんか、目元が和らぐと、途端に10才くらい若く見えるんですが。

 さすがに10才は言い過ぎだとしても、通常モードよりは若く見えるのは確実だった。

 

「――カナギ」

 

 ユウの声に、思わず肩が跳ねた。

 正直、驚愕やら恐怖やら緊張やら安堵やら、とにかく色々な感情が入り乱れていて、とにかくいっぱいいっぱいなので、しばらくはユウを見たくない。

 

「カナギ。■■■?」

 

「問題無い。手当くらいは自分で――」

 

 ……ん? 手当?

 今、手当と言いましたか?

 

「――って、怪我してるんじゃないですかカナギさん!!」

 

 よく見れば、身体の影にして隠すようにしていたが、左手の甲を負傷していた。

 思わずその手首を掴み、じろりとカナギを睨む。

 

「……折れた木の枝が、掠っただけだ」

 

「四肢を失ったり命を落としたりはずっとマシですけど。でも放っておいたら傷口から身体が腐っていったり、熱を出して死んでしまったりするんですよ!?」

 

「あー……うん。わかったから。とりあえず、離れろ。な? 本来の人間種みたいにヤワじゃないし」

 

「それは突っ込んで良いところですか?」

 

 ここだ。

 この部分が、ユウの戦闘能力とか、壁の『外』のことに繋がる、重要なキーワードだ。

 

「――『残念ながらお前たち通常の人間種とは基本スペックが違うんだ』とも言ってました。そして今、『本来の人間種みたいにヤワじゃない』と言いました」

 

 この世界でこれを「どうゆうことだろう」と思うだけの人は間抜けだと思う。あるいは、相当にお目出度い人だろう。

 ――――この、人類が『天敵』に追い詰められた世界では。

 

「――――あなたたちは、『人間』ではないんですか」

 

 それは、『人類と巨人』という自らの常識である構図を、打ち崩すには十分すぎる言葉だった。

 

(それでも、自分に出来る精一杯を)

 

 ただ、恩人である彼らを傷付けるかもしれない事だけは、申し訳なく思う。だから、応えてもらえなくてもかまわなかった。

 

 カナギは視線を逸らさなかった。じっと私の瞳を覗き込むように視線を合わせている。むしろ私の方が視線を外したかった。

だが、ここで逸らせば何も応えてくれる気がしない。だから、意地でも逸らさない。睨み付けるようにして視線を合わせていると、横からくすくすと笑う声が聞こえた。

 ちらりとカナギが声の主――ユウを一瞥する。

 

「……◆◆◆、◆◆◆◆◆-◆◆◆-◆◆◆◆、◆◆◆◆◆◆◆◆」

 

「■■■■■■■■■■。■■■■、■■■■■■■」

 

「…………」

 

「■■■■■■■■■」

 

 いや。何言ってるんですか、2人とも。

 お願いだから私の解る言葉で――って、多分、どこまでなら話せるかとかの相談してるんですよね。それにしてはユウが一方的にカナギを微笑みながら圧倒しているようですが。

 やがてカナギは項垂れて嘆息し、ユウは私に向かって「いい仕事したぜ」と言わんばかりの笑顔でグッと親指を立ててみせた。

 ひょっとして、論破してくれたんでしょうか。わかりません。知らない言語なので、本当に。

 

「――そもそも、だ」

 

 え。教えてくれるんですか。非常に面倒臭そう且つ、うんざりしたような表情ですが。

 なんだかんだで誠実な人ですね。

 

「俺たちは一度も、お前に対して自分たちを人間に分類するような言葉で語ってはいなかった、と記憶している」

 

「――たしかに。言われてみれば……」

 

 【守の民】【狼呀の民】の他には『一族』とか『種族』とか言ってたような……?

 並べてみると、非常に不可解ではある。さらに確かユウに関しては『【狼呀の民】は戦闘種族だ』とも言っていたと思う。かなり妙な言い回しだ。

 

「ただ、【民】そのものは人間種族だ。【民】の内の半数、あるいは何割かが特殊な因子を保有し、そしてそれを発現させる者もいる。そういったものは普通の人間種とは別に考えられているから――というか、一緒くたにするとちょっと弊害が多くてな。だから、俺やユウを指して『普通の人間種だ』とは口が裂けても言えない」

 

「具体的には、どう違うんですか?」

 

「具体的には……それぞれの【民】によって『特殊な因子』というのは違う。だから一概には言えないが、【狼呀の民】の場合は……お前にわかりやすく例えると、『巨人に対抗するために自らの身体に巨人の核を埋め込み、強固な意志の力でもってそれを制御下に置き、その力を使って巨人から人々を守ろうとした一族の末裔』だと捉えるのが近い、かな。ちなみに、これを指して【狼呀】と云う。他には巨大な塔の上に住む、詩で魔法を使う民とか。あるいは移動する街に住む【流砂の民】の【降魔】とか」

 

 言いながらカナギは私の足元に置いたままだった籠を開け、水筒と軟膏、清潔そうな布を取り出す。それを見たユウは心得たように水筒を取り上げ、手当をかってでた。

 負傷した手をそっと取り、傷を洗って薬を塗り、丁寧に布を巻いて傷を保護する。

 ――――なんか。

 手際が良いうえ、やけに丁重に見えて思わず瞬いた。内心で首を傾げる。この、目上の人に対するような、感じはなんだろうか。

 

「俺たちの住処には『人間種』のほかに『妖精種』『精霊種』なんかが共生してるんだが、『壁の中』にはいないんだろう?」

 

「――おとぎ話だと思ってました」

 

「だろうな。あいつらは基本的に希少だし。――で、ユウをより正確に分類するなら『人間種【狼呀】』になる。俺の場合は『人間種【守人】』だな。ちなみに『特殊な因子』の大部分は人間と共生している神性存在――『妖精種』とか『精霊種』に由来する。お前たちと敵対する可能性を懸念しているなら、悪いが知らん」

 

「――イルゼ」

 

 カナギが治療の為に出したものを籠に片付けたらしいユウは、胸ポケットからメモ帳のような小さな本を取り出し、私に差し出した。褪せた紅い表紙には見たことのない文字と、壁の中で使われている文字が書かれている。

 

「――『Die schöne grausame Welt』?」

 

 ぱらり、と中を見る。

 そこにはやはり、見たことのない文字で何かが記されていた。だが、それぞれの一文と対応させるかのように、自分たちの文字も書かれている。

 翻訳、されているのだろう。ところどころに癖の異なる文章があるのを考慮すると、すべては手書きで尚且つ、複数人が記したものであることが窺い知れた。

 ふと著者の名前を探す。パラパラとページを捲れば、最後のページにそれと思しき署名があった。

 

 ――――G.Jäger

 

 顔を上げてユウを見る。これを私に見せて、なんだというのだろう。僅かに首を傾げてみれば、ユウは困ったように頬を掻いてから本を指さし、そして私を指し示す。

 なんとなく判ったが、これは間違っていてはまずい。確認の意を込めてカナギにも視線を向ければ、カナギは呆れたように溜息を吐いて、肩をすくめて見せた。

 

「――お前にやるそうだ。帰還したら読んでみろ。ただし、本当に信頼できる奴以外には見つかるなよ。色々な意味で『それ』は、お前たちにとって劇物に等しい」

 

 カナギの眼差しは真剣で、本当に私を心配してくれているのが伝わる。だから、ただ頷いた。

 

「――イルゼ、カナギ」

 

 呼びかけたユウは少し離れた先から、振り返ってこちらを見ている。その肩にはいつの間にか艶々と白く輝く小鳥が止まっていた。ひょっとしてあれも、カナギの鳥だろうか。

 

 その鳥を見つけたカナギは、今までで一番うんざりしたような顔で深く――本当に深く嘆息した。

 

「――ソラ。なんでお前まで」

 

 白い小鳥は首を傾げて、ピルピルと囀っている。肩に乗られているユウの顔には、ただ苦笑。

 ルルル、と鳴いた小鳥は軽く身づくろいすると、再び青い空へ飛び立っていった。見れば、抜けるような蒼穹で、白い鴉が一羽、旋回している。

 その鳥を追うようにユウは先に歩き始めていた。その背中を慌てて追いかけ、ちらりとカナギを振り返る。―― 一瞬、カナギの隣に、真っ白い人影が見えた気がした。

 だが、カナギは何もなかったかのように歩き出している。なら、きっと私の見間違いだろう。

 

 

 

 しばらく歩くと、明るい広葉樹の森から抜けた。

 1km先にいたという兵団は、巨人に応戦している間に離れてしまったらしい。

 途中、私が彼らに歌をねだると、カナギは音痴だから無理だと言って全部ユウにパスし、ユウはいくつかの歌を教えてくれた。

 壁の中では、歌はあまり聴かない。これは政府が無闇に歌うことを禁じているからだ。そう言えば、カナギは「それは不穏分子に歌で民を煽ったりさせない為だろう。逆に、軍歌や賛美歌なんかの類は禁止されていない筈だ」と教えてくれた。確かにその通りなので、そういうことなのだろう。

 

 広がる青空の下、草原を歩く。

 何故か巨人の姿は見えなかった。もしかするとカナギかユウのどちらかが、何かしたのかもしれない。

 不意に、先頭を歩いていたユウの足が止まった。

 カナギを呼び、遙かな地平を指して何かを確認し合っている。残念ながら、例によって私には判らない言葉でのやり取りのため、ニュアンスを察するしかない。

 

「――イルゼ、あそこに巨大樹の森がある」

 

「うん。目立つから、よくわかるけど」

 

「現在その森に、お前がはぐれた兵団がいる。――馬があれば、一人で帰れるか?」

 

 ここから森までの距離を目測する。そんなに離れていない。2㎞弱、だろうか。

 馬で駆ければ、それほど問題のある距離でもない。

 ひとつ頷き、答える。

 

「大丈夫。馬があれば」

 

 その答えにカナギは微笑し、なら、と言葉を続けた。

 

「――とびっきりの馬を貸してやろう。ただし、何も訊くな」

 

 途端、耳元で鳥がはばたく音がした。思わず耳を覆って振り向くと、すぐ傍に純白の馬が佇んでいる。

 

 ――どこから出した、とか。いつからいたんだ、とか。訊いてはいけない。とてつもなく気になるけど、同時になぜか、絶対に訊いてはいけない気がする。

 ただ、そっと周囲を見渡してみると、空を舞っていた白い鴉の姿が消えていた。

 

(――まさか、ね)

 

「乗れ。在るべき場所へ還ると良い」

 

 カナギに促され、鐙に足を掛けて見事な白馬に乗騎する。

 

「――――ありがとう。本当に、感謝してる」

 

 ――ユウに出逢わなけば、私は巨人に食われて死んでいた。

 

 それこそが、自分にとっての真実だ。思い返せば、本当に感謝してもしきれない。

 カナギに出逢わなければ、私はきっと『外』のことを何一つ知らずに、人生を終えただろう。

 

「いつか、借りは返す。――ううん。恩を返したいの。お礼がしたい。だから――」

 

「いらん。俺たちはお前を見捨てることも出来た。それをしなかったのは単に寝覚めが悪くなるからだ。お前が気にすることは何もない」

 

 往け、とカナギは馬の尻を叩く。馬は抗議の声を一声上げると、そのまま大地を蹴って走り出した。

 咄嗟に態勢を整え、振り返る。

 

 青い蒼い空を背景に、大きく手を振るユウと、腕を組んで見送るカナギの赤い服装が、脳裏に焼き付いた。

 

 ――嗚呼。

 

 壁の外の世界は、こんなにも広く、耀いていたのか。

 ――――なら、壁の無い世界だったなら、きっともっと、素晴らしかっただろう。

 

 視界が滲む。

 

 彼らは『外』で生きている。

 ならば、自分たちも『外』で生きられない筈が無い。

 

 奔る馬は、一陣の風と同化したかのように速い。

 これじゃ、ゆっくりと感傷に浸る暇も無いじゃないか。

 思わず笑みを零し、ぐいっと目から滲むものを拭い去る。

 

 

 視界の中、どんどん兵団の姿が近くなる。見知った姿を捜し、見つけた小柄な、けれども頼もしく思える兵長の姿を目がけて馬の速度を落とす。

 

 傍まで行って馬から飛び降り、力いっぱい敬礼した。

 

「――第34回壁外調査、第二旅団最左翼を担当、イルゼ・ラングナー!! 先日の巨人遭遇において兵団からはぐれておりましたが、只今をもって帰還いたしました!」

 

 

 ――――その声は高らかに、蒼穹に響き渡った。

 

 






 ちょっと休憩。
 だんだん、投稿の仕方に慣れてきたような、気がする。



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【viega 01:idesy, selena hymmnos art ar sasye】



※サブタイトルの頭に『viega』とあったら『GOD EATER』の神薙ユウ視点です。

※ちょっと、時系列が遡ります。




 

 

「これは強制だ。反論は認めん」

 

 上官からのありがたいその言葉でもって、自分の有給消化が確定した。

 

 

 

【viega 01:遺された残響詩】

 

 

 

 

〔――――幻想種、というモノが存在する。

 遙か太古の昔から極少数ながら存在し、そして400年ほど前からゆるやかに増殖した彼らは当時地上を謳歌していた人類の存在を脅かしたと云われる。

 地域――というよりも文化圏によって姿かたちも特性も、果ては性質まで違う彼らはまず、『人類と共生するもの』と『人類と敵対するもの』とに分かれた。そのうち後者は『人類に関心の無いもの』と『人類を喰らうもの』に分けられるようになる。

 ――そして約300年前。

 『人類を喰らうもの』は爆発的に増殖し、人類や他の幻想種、人類が築き上げてきたあらゆる文明の悉くを喰らい尽くした。これを指して、『災獣』という。

 

 災獣もやはり、文化圏ごとに性質や特性が異なった。

 中でも人類にとって『最悪の特性』を持っていたのが、『荒ぶる神』などという大層な呼称を与えられた【アラガミ】である。これは実に様々な形状の種類が存在するが、実のところは『自ら思考して、喰らう』という細胞――つまるところ、肉眼では捉えられないほどに極小の生物の群れである。

 【アラガミ】が喰らうのは人類だけではなかった。ありとあらゆる生物、有機物、果ては無機物まで喰らい尽くす。地上に人類か築いた文明の痕跡がほとんど残っていないのは、主にこの【アラガミ】のせいだった。お蔭で失われた技術の数々は『ロスト・テクノロジー』『オーバー・テクノロジー』扱いである。しかも喰らったそれらを自らの身体で再現してしまうのが、【アラガミ】と呼ばれるモノだった。

 

 ――――ならば、と最初の災禍を生き延びた人間は考える。

 

 その細胞を自分たちの身体に投与すれば、少なくとも【アラガミ】に対抗することはできるようになるのではないか、と。

 細かい研究過程は表には出せない。紛うことなく、人体実験であったからだ。

 結果として、『【アラガミ】と同じような特殊な因子を遺伝子に持つ新たな人類』は、完成した。それが自分たち【狼呀】の起源である、と云われる。――まぁ、実のところ欠陥だらけではあるのだが。

 まずは寿命。これは通常の人間種の半分にも満たない。次に体質。生命維持の為には定期的に【アラガミ】をはじめとする災獣を一定数、喰らわなければならない。ちにみに、この『捕食』は神機を通して行う。流石に奴らを直接摂取しようものなら、逆に奴らの細胞に食い尽くされるのが証明されていた。……〕

 

 ――と、強制的に与えられた休暇中、【狼呀の民】極東支部――通称・アナグラのロビーのソファで本(というよりは論文集)を読んでいたユウは、不意に感じた珍しい波動に顔を上げる。

 ざわり、と立ち話やら任務の確認を行っていた他の【狼呀】たちの気配が揺れた。視線を向ければ、エントランスから歩いてくる人影がふたつ。しかも、実に珍しいことに、【守の民】と【カムイの民】という、【狼呀】からするとれっきとした異種族である。しかも、だ。

 

(――どうして、【守人】と【天将】が一緒に?)

 

 どちらもそれぞれの【民】のトップに属する者である。万が一にも『何か』があれば、【民】も黙っていない。場合によっては人間種の間で戦争が起きるくらいには、高い地位のはずだ。

 カツ、と。高いヒールの音を立てて【天将】が立ち止る。長い薄桃色の髪が、ふわりと揺れた。そしてこちらを見て、優艶に微笑む。

 

 ――――ものすごく、嫌な予感がする。

 

「――カナギ。あの子がいいわ」

 

「そうか」

 

(――え。何ソレ?)

 

「ペイラー博士も、いいかしら?」

 

「もちろんだとも! こんな機会は滅多にないからね!! あ。希少なデータを採らせてくれるなら、ユウくんにも何か謝礼を出さなくちゃ。――『初恋ジュース』1年分とかでどうだい?」

 

 いや、『初恋ジュース』1年分とか何の冗談ですか止めてください割と真面目に。

 いやいや。そもそも、である。

 

「一体、俺に何の用なんですか」

 

 この博士は一見、非常に胡散臭い人ではあるが、実際には良い人だ。ちょっとした問題点もいくつかあるが基本的にはただのロマンチストな科学者で、このアナグラの支部長代理――いや、近々『代理』が取れるとか噂で聞いたような気もするけど。

 ただ、今はその『ちょっとした問題点』の方が前面に出ている。はっきり言って、逃げたい。

 が、その空気を察したのかはたまた偶然か、博士はがっしりと俺の両肩を掴み、満面の笑みで告げた。

 

「――ちょっと、彼らの護衛を頼むよ」

 

「俺は今、有給消化中です。ついでに神機も強制メンテという名の研究測定に借り出されたんで、出動できません」

 

「神機の心配はいらない。今回はこちらの【守人】から【核石】の貸与が受けられる。それがダメでも、君なら他の神機でも適応できるだろう」

 

 嗚呼。これは、ダメだ。

 完全に『研究』に傾いてしまっている。多分、なんだかんだで有給は取り消されるか、期間が延びるかするんだろう。

 もういいや、と思ってとりあえず両手を上げて降参した。

 

「わかりました。――とりあえず、同調可能かを確認したいので、【核石】を貸してください」

 

 歓喜で騒いでいる博士をどかして、【守人】に歩み寄る。彼は複雑そうな表情で、紐を通して首にかけていた小さな布の袋を開け、中から3㎝くらいの赤く透き通った宝石を取り出した。

 【核石】というのは、言ってしまえば自らの身体を武器化する【宝玉珠】といわれる妖精種の第二の心臓であり、魂であり、亡骸である。かつてはその美しさと希少性から、心無い人間によって乱獲されたという歴史があり、その為【宝玉珠】の大部分は人間を信用しない。

 だが、こういう持ち方をしているということは、もしかすると恋人か身内だったのかもしれない。確かに、自分の恋人を他の男に預けるとか、まったくもって面白くないだろう。複雑な表情も納得である。

 そっと差し出された【核石】を両手で受け取り、ほう、と息を吐いた。

 

「――きれいですね。夕焼けの空みたいだ」

 

「ふん。当たり前だ」

 

 腕を組んで睥睨してくる【守人】に思わず苦笑し、意識を【核石】に向けようとしたところで、【天将】がくすくす笑う声が耳をくすぐった。

 

「――そうね。当然でしょう。その子は【守の民】の『女神』だったのだもの」

 

 一瞬、耳を疑った。

 ついで様々な情報が脳裏を乱舞し――最終的に、思考を放り投げた。問い質しても答えが無いであろう疑問は、考えるだけ不毛である。少なくとも、今この状況では。

 

 ふ、と息を吐き、そっと【核石】を手のひらで包み込んで瞑目する。

 

 ――――自分たち【狼呀】にはいくつか【型】が存在する。

 【型】によって性能の方向性が異なり、中でも『第二世代型因子』を持つ【狼呀】は、『感応』『共鳴』『同調』などの方向に基本性能が特化していた。要は、『精神の干渉・共有』である。

 その能力を巧く使えば【核石】に遺された遺志と交感し、【核石】を残した【宝玉珠】が生前にとっていた武器の形を『思い出させる』ことが可能であり、そしてその形を大気中に休眠状態で漂っているとされる『オラクル細胞』――要は【アラガミ】の素――で『再現』することが出来る。

 ただし、【核石】との交感までは比較的簡単にできても、その先の段階は非常に難しいらしい。成功者はそこそこ珍しいと聞いている。――自分はあっさりやってしまっているようなので、何が難しいのかよく解らないが。

 

 【核石】の感触を感じて、ゆっくりと息を吸い、深く深く息を吐く。

 さて、と意識を向けた。

 瞬間。

 

――― kiafa hynne mea.

  私の声を聴いて

 

 まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃に、思わずたたらを踏み、唇を噛み締める。

 これは、まずい。

 

――― kiafa hynne mea.

  聞いて この声を

 

 語り掛けるまでもなく、向こうから強烈な意志をぶつけてくる。遺志ではなく、意志を、だ。

 これは、ちょっと特殊な事情を持つ自分じゃなかったら、あっさり倒れていただろう。というか多分、倒れてしまった方が楽だった。

 

――― Wee yea ra, Was zweie ra, Rrha granme ra

   あの日 私は護ると決めた

――― Was ki ra wearewuewie.

   謡い、冀う

――― Was granme ra hymme rudje mea xest dilete.

   この身に代えてでも 護りたいの

――― melenas ar yor.

   愛しています

 

(――これは……)

 

 最初にきっちりやった方が良いかもしれない。二度も三度も直撃をくらうのは流石に御免こうむりたいし。

 息を吐く。ゆっくりと呼吸を意識する。

 

「【――inna syec, tanta reglle, answa race, inna syec yor. 】」

(心奥 鎖した場所で、秘された螺子を巻き戻す。深く、深淵へと)

 

――― Was yea wa sync yos spheala inna cest, inna add, echrra en yehar.

   深く――深く深く 魂を共鳴させ 想いを解き放つ

 

「【Was ki wa fusya yor zi fwal der mea. 】」

(あなたを この両腕に包み)

「【Was yea wa aesye yor noi crown inna mea. 】」

(あなたの全てを 我が心の盞に受け入れよう)

 

――― “Was granme ra swant yora en melenas walasye.”

    愛する人々を救うのが 私の役目

――― Was ki ra repoear yor infel.

    あなたの想いに感謝します

 

 

 どろり、と手のひらの【核石】が溶けるような感触。一拍おいて『彼女』は朱金の輝きを零す、刀の姿を顕した。

 きらきらと煌く『彼女』は先ほどと打って変わって、今は静かにこの手に在る。

 

「――いやぁ、素晴らしい!!」

 

 博士の感極まった歓喜の叫びに、我に返った。

 周りを見れば、その場にいた【狼呀】たちもこちらに注目している。いや、派手なやり取りになってしまったのは認めるが、別にこんなに注目しなくても――いや、無理か。自分もギャラリーだったらガン見するな、うん。

 

 興奮しすぎて専門用語が並ぶ考察を口に出してしまっている博士は、この際無視しておく。

 

「――同調可能です。ご用件も受けられると思いますが、結局、内容は何ですか?」

 

 護衛、と博士は言っていたが、正直この二人にそれは必要無い。それだけの実力と事情がある。にもかかわらず、わざわざ想い人の形見を預けてまで【狼呀】を引っ張り出そうとしている。

 はっきり言って、きな臭い。

 対して、そう思われていることも自覚しているのか、【天将】は小さく苦笑した。【守人】は深く嘆息する。

 

 そして【天将】から告げられた言葉に、その場の空気は凍り付いた。

 

「――――【カムイ】が消えたの。探してちょうだい」

 

 




作業用BGMは中恵光城さんの『Cielo Azul』と『Epitaph』だった、と記憶しています。
Pixivに上げたのは2013年9月……古いwwww
思わず笑ってしまいました。はい。


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【viega 02:Rre bister diasee quesa na cyurio noglle ar dor 】



 サブタイトルに入る文字数を見て、目が点になりました。
 サブタイトルに100文字とか……論文用ですかね?




 

 

『――【カムイ】が、消えたの。探してちょうだい』

 

 そう言った【カムイの民】の【天将】は、しかし必要最低限のことを告げると彼らの領域である『北の頂』と呼ばれる険峻な山岳地帯へと帰って行った。

 自分たちの『守り神』である【カムイ】が消えた――行方不明であると言いながら、そんなんでいいのだろうかと思わないでもなかったが、自分の足で他の民に頼みに来るのを見る限り、気に掛けてはいるのだろう。少なくとも、他の動かなかった――あるいは動けなかったらしい【統帥】【地将】よりはマシである。

 いや。本当にどういう事情なのかは、判らないのだが。

 

 一度ロビーから自室に戻り、【狼呀】という呼称の元にもなったフェンリルの紋章を背負った制服へと着替える。行くのは『壁』の内側だと聞いた。任務先が通称【エデン】ならば、兵糧などの心配はしなくても良いだろう。本当に必要なのは『薬』くらいか。

 

 ――――さて。

 これから行くのは『壁』の内側、通称【エデン】である。

 話によれば、蒼い空と、瑞々しい草原。豊かな水と色とりどりの花々が咲き乱れている場所であるらしい。小鳥や蝶が明るい日差しの中を舞い、他の獣たちも伸び伸びと生きているとか。

 

「――うん。楽しみだ」

 

 首を巡らし、窓の外を見やる。

 そこにあるのは昏い曇天と、かつての人類が築いた栄光の痕跡、文明の残骸。食い散らかされ、倒壊した巨大なビル群の墓標のような影と、どこまでも広がる荒野と、遥か遠く北に見える山容のみ。

 

 ――『壁』の内側へ思いを馳せる。

 それはまるで、遠い日に人類が『楽園』に抱いた、憧憬に似ていた。

 

 

 

【viega 02:秩序亡き大地は昏く】

 

 

 

 荒れ果てた原野を抜け、遠目にも目立つ巨大な壁を目指す。半歩先を歩く青年に案内され、崩れた個所を見つけてようやく『壁の内側』へと足を踏み入れた時、世界の鮮やかさに思わず目を細めた。

 

 ――――空が、蒼い。

 

 遠く霞むような青さではなく、深く引き込まれるような蒼さ。流れる雲の白との対比がどこまでも美しい。薄雲の影から姿を表した陽光を浴びて、さらに世界は煌きだす。

 

 ほう、と息を吐いた。正直に、うらやましい、と思う。

 数分の間、そうやって眺めていると、視界の端に妙な影が映った。

 

「――【巨人】?」

 

「そう、分類するのが正しそうではあるが……あれ、どうやって二足歩行してるんだ?」

 

「そう言えば、そうだね。考えるだけ無駄なんだろうけど、突っ込みたくなるよね」

 

 人体を模したと思しき巨体だが、その体は幼児が粘土で作ったのかと思うほどにバランスが取れていない。顔が身体の半分ほどもあったり、手足が異常に細長かったり、逆に短かったりしている。どうしてあれで二足歩行が出来るのか。判る人がいたら小一時間ほどかけてでも解説してもらいたい。そもそも、あんな巨体では自重(じじゅう)で潰れるはずなのだが。

 

(……まぁ、災獣に常識を求めるだけ無駄だけど)

 

「――基本的に、災獣は群体が多いからなぁ」

 

 具体例としては、やはり【アラガミ】か。これが一番、科学的に分析されている。次点で【海淼天(カイビョウテン)】が守護する【蒼ノ塔】周辺に出現する【抗体】、【カムイ】の使神である【アタナン】あたりが『群体性個体』だと云われている。要は、『微細な生物のようなものが集まって個体を形作っている』ものだと思えばいい。故に、一度個体を倒しても、時間がたてば別の形となって復活する。

 

「……群体なら、コアを抜くなり破壊するなりしなきゃダメだよね」

 

「悪いが、俺のところではあのタイプとは交戦記録が無い」

 

「うん。【狼呀】にも無いと思うよ。データ収集からだね。帰ったら博士が喜びそうだ」

 

 とりあえず、データの無い災獣がうろうろしている領域を予防策も無しに長期間にわたって放浪するのは御免だ。

 

「――じゃ、ちょっと行ってくる。カナギは、」

 

「対人戦は問題無いが、アレに関しては判らん。……まぁ、いざとなればコイツがどうにでもするだろう」

 

 コイツ、といって肩に乗る白い小鳥を一瞥する。小鳥は応えるように首を傾げると、静かな声で問いかけた。

 

『――確かにわたしは、まだきみを失うつもりはありません。たとえ死んでも『練り直し』て生き返らせますが、死ぬ前に守られるのとどちらが良いですか?』

 

「死ぬ前に助けろ。うっかりは無しだ」

 

『もちろんそのつもりですが、きみはときどき、毒草を自分の身体で確かめてみたり、自殺まがいのことをするので』

 

「―――そっちは職業病だ。だいたい、死ぬような量は入れてない」

 

『それは承知しています。だから被虐趣味でもあるのかと』

 

「おい。あんまりふざけた事ぬかすと焼いて食うぞ」

 

『かまいませんよ。所詮、この小鳥の姿はわたしの欠片でしかありません』

 

「仲が良いね、2人とも」

 

 あまりに息の合った会話に、思わず笑みが零れる。なんというか、『熟年夫婦』という言葉が脳裏に浮かんでなかなか消えない。ひとしきり笑った後、小鳥に向かって恭しく頭を下げた。

 

「――では、【守の民】を守護する『鳥の神』よ。少々、席を外させていただきます」

 

『いってらっしゃい。神々を喰らう狼、フェンリルの裔、【狼呀】の子よ。あなたの道行きに言祝ぎを』

 

「ありがとうございます」

 

 『守り神』が他の民を言祝ぐのは、珍しい。いや。そもそも他の民の『守り神』を目にする機会自体が少ないのだが。そのうえ言祝ぎをもらえるとは、非常に貴重な体験であると言えた。

 

「――さて。起きてる?【ミリアン】」

 

 

 ―――Was yea wa rippllys.

 

 

 預けられたままの【核石】が熱を帯び、融解する。

 朱金の炎をまとって現れた火色の刀を手に振り返り、不貞腐れているような顔のカナギに一言。

 

「じゃ、行ってきます」

 

「――気を付けて」

 

 うんざりしたような溜息と共に贈られた言葉を背に、とりあえず手近な【巨人】にちょっかいを出しに走り出す。

 探知域の広い【アラガミ】ならば見つかる間合いに入っても、ただ西に向かって歩いているだけ。走りながら拾い上げた石を投げ、巨人の移動方向にある岩に当てて音を出す。これにも反応は見られない。

 

(聴覚が無いか、あるいは興味を惹かない音だったのか……)

 

 もう一つ石を拾い上げ、今度は巨人に向かって投げる。石は当たったが、やはり反応は無い。気にせず西に向かって進んでいる。

 

(……痛覚も無い? あるいは、触覚が無い?)

 

 皮膚が固いとかだと、ちょっと面倒だと思う。まぁ、面倒だと思うだけなのだが。

 ――――【巨人】まで、あと約10メートル。

 こちらは風上。【巨人】が通常の肉食の獣であれば、流石に嗅覚の探知範囲には入るだろう。だが、それにも反応する気配がない。

 聴覚、触覚、嗅覚は存在すら怪しいとなった。味覚はどうでもいいので、後は視覚である。

 

「ミリアン、火を」

 

 

 ―――Was yea wa chs fayra.

 

 

 刀から金色の炎が噴き出し、大地を奔り、巨人を逃さぬように円状に囲い込む。

 それでようやく巨人は歩みを止めた。ぐるりと周りを見渡し、こちらを見る。あくまでも行動を見るための囲いなので、こちら側は鎖されていない。巨人と目が合った。だが。

 その視線は最終的に自分ではなく、後方にいるカナギに向けられた。巨人は大きく笑みながら、地を揺らして再び歩き出す。どうやら目標をカナギに定めたらしい。

 

「――――ちょっと、待て」

 

 思わず苦笑が零れる。なんというか、災獣にここまでガン無視されたのは初めての経験だ。

 

(むしろ狙い撃ちされることの方が多いんだけど)

 

 それは、奴らにとって『自分』が危険な存在である、ということが解っているからだ。そりゃ、何度も何度も存在意義に等しい食事を『邪魔』されれば、目の敵にもするだろう。

 

 だが、今の問題はそこじゃない。この巨人は自分を見て、認識して、そして無視してカナギを選んだ。

 この選択基準を、出来れば知っておきたい。それがこいつらの生態やら習性に繋がるはずだ。

 

「――【守人】に何かあったら減俸じゃ済まないうえ、国際問題になるんだ」

 

 だから、と向かって来る巨人に向けて、笑みを送る。

 

「悪いけど、せめて役に立って死んでくれ」

 

 すれ違いざま、人間の足の健に当たるであろう部分に切り込み――刀を弾かれた。

 なるほど、硬い。だが、【スサノオ】という神の名を冠された【アラガミ】ほどでも無い。速さに至っては全ての【アラガミ】を下回る、と判断する。ただ巨体であるために足のコンパスが長いだけだ。

 

 ちらり、と巨人がこちらを見る。だが、やはりすぐに視線を逸らし、カナギへ向かおうとした。

 どうやら自分は、食料として失格だと判断されたらしい――とまで考え、ふとカナギと自分を比較して、そして理解した。

 つまり、【巨人】は身体が人間である者の方が、餌として好みであるらしい。

 その理屈なら、なるほど。【狼呀】は餌として失格だ。【狼呀】の身体は既に相当、『災獣』に近い。もしかすると【流砂の民】の【降魔】あたりも同じ判定を受けるかもしれない。

 そう考えると、少し笑えた。

 

「――――だが、それは実に愚かなことだ」

 

 目を細めて嗤う。『災獣』にとってもっとも危険な存在を、無視するとは。つくづく、神機が手に無いのが惜しまれる。別に今借り受けている【ミリアン】に不満がある訳では無いが、長年の相棒がこの手に在れば自分がこの【巨人】を喰らってやったのに、とは思う。

 

 

「【――mea wis viega. 】」

  我は一振りの剣

 

 

 ―――mean wis grandee.

   我らは護る者

 

 

 音を上げて燃え立つ炎が、刀身に絡みつく。それを見て、理屈も何もなく、ただ斬れると確信する。自分の戦闘能力ならば、この巨人に後れを取ることは無い。ただこの刃を届ければいい。そうすれば対象が『災獣』である限り、【ミリアン】が斬ってくれる。『女神』とは、そういうものだ。

 

 大地を蹴り、態勢を低く走る。

 再び足の健を狙い、そうして今度こそ切り裂いた。一瞬、ひょっとすると重力の法則とか関係無いかもしれない、と考えが過ぎる。だが巨人は自重(じじゅう)を無視する割に、重力の法則には素直に従って倒れた。

 

「……ほんとに、何これ?」

 

 いや。重力の法則に従ってくれるなら、こちらとしても気にするべき項目が減るから、楽にはなるのだが。

 

「――まぁ、いいや。とりあえず、巨人さん?」

 

 倒れた巨人の顔面にまわり、感情の無い目を覗き込む。きちんと見えているのを確認して、ニッコリと笑いかけてみた。

 

 

「これからちょっと、俺につきあってもらうね」

 

 

 

 

 

 

 

 





 『神喰』+『Ar tonelico』×『KAMUI』+『歌劇』+『エレメンタル・ジェレイド』in『進撃』……とか当時に書いた気がする。
 うん。長い。

 いや、当時としては精いっぱい短く説明しようとしたら、こうなったのだけれど。現在書くと、もっと恐ろしく長くなりますね……ははは



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【viega 03:yart faura en knawa celetille ciel zash. 】

 

 

 

 日が暮れるまで何体かの巨人を捕まえては様々なアプローチをしたところ、とりあえず人と同じように強固な自我は持っていないように見えること、個体によって性能の差があるらしいこと、基本的に自分は食餌の対象にはならず、カナギの方に注目が行くこと、コアの有無までは確認できなかったが、弱点はうなじであり、弱点以外をいくら攻撃しても基本的にはいずれ再生して傷が塞がってしまうということが判明した。

 

 とりあえず、その間にカナギとやりとりした突っ込みはもはや数知れず、疲労感だけが残ったことも追加しておく。

 

 

 

【viega 03:美しき世界の痛み】

 

 

 

 壁の内側に侵入してから七日が過ぎた頃、遠くに馬を駆って移動する団体の影を見た。その一団の動向を探るようカナギが『鳥の神』に頼むのを横目に、左翼側が乱れているのを確認する。後続の方を確認すれば、何頭かの空馬が見えた。さらにその後ろに、比較的小型の巨人。

 

「――やっぱり、普通の人間の方を食べ物だと認識するのか」

 

「――まぁ、あなたも『普通の人間』とは言い難いしね。俺よりは肉体的に人間に近いってだけで。この距離で純人間種がいるならそっちに行くみたい」

 

「助けないのか?【狼呀】は『人間の守護者』なんだろう?」

 

「ちょっと皮肉入ってます? ――すでにあの距離が開いてて、かつ一団さんがあの速度を維持できるなら、追いつかれないから大丈夫。それより」

 

 ちらり、と一団が通り過ぎて来たらしい森に目を向ける。馬の死骸と人間の残骸らしきもの、それから数体の巨人が見えた。

 

「まだ生存者がいるかも。――どうします?」

 

「――そうか。…………往け。昨日の泉で待つ」

 

「了解」

 

 応えて、立っていた岩から跳び下りる。一応、護衛の対象でもあるのだが、本人が命じたのであれば、後で単独行動がばれても厳重注意くらいで済むだろう。……あれ。【守人】は【カムイ】と同じ立場のはずなのだが、その程度で済みそうな気がするのはどういう事だろう。ちょっと問題である気がする。

 それとも【カムイの民】が過保護なだけなのだろうか。はたまた、民の気性とか文化の違いなのだろうか。

 

 そうこう考えているうちに馬の死骸が散らばる地点にまで辿り着いた。食べられた訳では無く、単純に潰されたり骨が折れたりで絶命したらしい。

 散在する人間の四肢や頭部を眺め、逡巡する。だが、一瞬脳裏をよぎった事は後回しにすることにした。とりあえず傍に座り込んで『何か』を咀嚼していた巨人のうなじを抜刀と同時に削ぎ落とし、森を見る。小型の巨人が何かを追っていくのを確認し、再び駆け出した。

 

 実のところ、森を駆け回ったことは、あまり無い。そもそも、【狼呀】の領域には全てを喰らい尽くす【アラガミ】がいるのだから、むろん森も食事の対象である。だから、森というモノがこんなにも多くの小さな生命の気配を内包するモノだという事さえ、壁の内側に来るまで知らなかった。非常に、気配が読みづらい。

 その事実に思わず舌打ちし、『東北の樹海』に棲む【守の民】であるカナギならば苦労はしないのだろう、とも思う。

 生命たちの音に満ちている森では、自分の聴覚は音を拾い過ぎて当てにならない。視覚も微妙だ。森の中での視覚の使い方にまだ慣れていない。唯一、確実な判別が可能なのは嗅覚くらいだ。それをカナギに言えば、「なるほど。確かに狼の名に相応しい」と頷かれた。

 だがしかし、その『狼』すら、自分は映像や画像でしか知らない。ああ、くそ。知らないことが多すぎる。

 

 大気の匂いを吸い込み、人間の臭いを辿る。

 声が、聞こえた。

 高い声。罵声。

 見つけた人影と巨人の距離を見て、後先も考えず飛び掛かって巨人の首を刎ねる。【ミリアン】は意識せずともキレイに巨人の頭部をうなじごと焼き払ってくれた。

 とりあえず間に合ったことに息を吐き、ゆっくりと振り返る。

 

(――さて)

 

 ここから先のことを、まったく考えていなかったのだが、どうしようか。

 ついでに想定し忘れていたが、永い間『壁』を隔てて交流の無かった人種である。当然、『言葉』は通じないだろう。

 

(……とりあえず、出来るだけ刺激しない方向で)

 

 僅かに首を傾げて、反応を窺う。どうやら助けた相手は黒髪の女の子だったらしい。ついでに自分と同じような服装――つまりは軍服らしきものを着用している。

 ふと、視線が合った。意志の毅い澄んだ眼差しに、思わず仲間を思い出して気の抜けた笑みを浮かべる。

 

「――――■■、■■■、■」

 

「ちょっと待って」

 

 片手を挙げ、言葉を遮った。少女は怪訝そうに眉を寄せる。ただ、その動作と雰囲気でなんとか察してくれたようだった。

 

「やっぱり、言葉は通じてないか」

 

 どうしようか、と少し考える。が、なんかだんだん少女のまとう気配に険しいものというか、緊張、のようなものが滲みだしてきた。

 

「■■■■……■■■?」

 

 緊張と、不審が入り混じったような様子で、おそらくは何かを問いかけて来る少女に、まいったなぁ、と思いながら微笑み、頬を掻く。いくら話しても伝わらなければ恐怖しか与えないだろうし。多くの人間にとって未知のモノとは恐怖にしかならない。

 不意に、少女が袖で両目をこする。どうやら、相当に追い詰めてしまっているらしい。

 

(――ほんと、まいったなぁ)

 

 普段は殆ど足音なんか立てないが、今はあえて砂を鳴らして意識をこちらに向かせる。とりあえず、これで不意打ちにはならない筈だ。

 そっと少女の前に膝を着き、目線を出来るだけ近づける。顔を上げた少女はそれに驚いたのか、息を呑んだ。

 

「ユウ」

 

 一言、告げる。

 自分の手のひらを自らの胸に当て、もう一度同じ音を告げた。

 

「ユウ。ユウ・カンナギ」

 

 自分の胸に当てていた手を、今度は少女に向ける。

 

「――君は?」

 

「――■■……」

 

 名を告げ、そして問う。

 少女も意図を察してくれたようで、一拍後に慌てて声を詰まらせながらも、応えてくれた。

 

「■■、■■■■、イルゼ。――イルゼ・ラングナー」

 

「――イルゼ?」

 

 声に出して、確認する。

 少女は何度も頷き、肯定してくれた。それに安心させるように微笑み掛ければ、少女も僅かに笑みを零す。

 

(――大丈夫、かな?)

 

 とにかく最初の意思疎通は何とか出来た。なら、そう身構えることも無いだろう。

 そう思いながら、そっと少女に手を差し出した。

 

 

 






 とりあえず、今日は此処まで。


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【viega 04:faura sonwe, viega raklya】


 あっちの続きも書いていますが、今日中にあっちを投稿する目途が立てられなかったので、最低限こっちに1話だけでも……っ!

 



 

 少女の手を引き、森の中を歩く。

 微かに嗅覚を刺激するのは、目印代わりにカナギが遺してくれたらしい独特な香りのする花のものだ。彼は剣の腕もいいくせに薬師であると言っていた。そもそもそれ以前に【守人】の立場はどうしたと突っ込んでみたら、肩をすくめて「周りが勝手に言ってるだけだ」とのご返答だった。

 何度か巨人にも遭遇したが、ここ数日じっくり『研究』した甲斐あって梃子摺ることは無かった。それを間近で見ていたイルゼは驚愕に固まっていたが、そのうち緊張がほぐれて来たらしい。幾分か表情も柔らかくなってきていた。

 太陽が沈んでいき、空の色が複雑に変化していく。その様を楽しみながら、昨日休んだ泉までようやく戻ってきた。水の臭いが大気に混ざる。流石に疲れが溜まっているらしい少女に、労いの意を伝えるために軽く肩を叩いた。

 

 

 

【viega 04:小鳥は歌い、刃は哭く】

 

 

 

 じっと串焼きを見つめたまま硬直しているイルゼを眺め、思わず内心首を傾げる。

 ひょっとして肉は食べられないのかとも思ったが、表情やら視線やらを見る限りそれはなさそうだ。むしろ口の端から僅かに涎が零れている。その程度には肉も好物なのだろう。もしかしたら、単に高級品だったりするのかもしれない。

 ちなみにこの肉はカナギが薬草採集のついでに捕ってきたらしい。『肉』になる前の状態――というか、数日前に初めて見た時は非常に愛らしい愛玩動物にしか見えなかった。ウサギ、というらしい。生きた本物はやはり『壁の内側』に来て初めて見た。

 そしてカナギはあろうことか、触るのも見るのも初めてである自分に「捌け」と言った。

 確かに、何事も経験だとは思う。だが、初めての時は精神的に辛かった。こんな庇護欲をくすぐるような小動物を自分の手で捌くのは、本当に辛いものがあった。思い出してみると、2日間くらい鬱になっていたかもしれない。

 今晩のウサギも、カナギが捕ってきたものを自分が捌いた。順調に手馴れていく感覚に、何とも言えない複雑な心情になる。だが、食べなければ人は生きていけない。なんというか、その真理を刻み込まれたような気分だった。

 たぶん、カナギは狙ってやっている。いわゆる食育というやつではないだろうか。その効果を狙ってやっている気がする。その事実が余計に複雑な気分にさせた。

 

 ――さて、と思考を切り替える。

 

 自分の住処は【アラガミ】が食い荒らしまわっている領域である。よって実のところ、【狼呀の民】の間では肉は高級品――というよりは貴重品である。基本的に【トルキエ】という流民(るみん)か【守の民】との交易で得られる分しか、入ってこない。なので、肉を食べられるのは純粋に嬉しい。

 カナギから教わった種類の木の枝を削って串を作り、一口サイズに切った肉を刺し連ね、焚き火で炙る。この時、火に近づけ過ぎるとカナギに怒られたのも、そのうち良い思い出になるだろう。

 

 ふと、イルゼと目が合う。不安げな眼差しに微笑んで応えれば、僅かに眉を寄せられた。どうしたんだろう。――まぁ、今は言葉が通じるカナギに丸投げするしかないのだが。

 

 イルゼの視線が、少し離れて薬を調合しているカナギへ向かう。カナギも視線に気付いたのか、ちらりとイルゼを一瞥した。

 

「――■、■……」

 

『さっさと食え。食事が終わったら傷を見てやる。明日になったら壁近くか、お前がいたであろう団体の近くまでは送ってやる』

 

 じわり、と脇に置いたまま手で触れていた刀――【ミリアン】から熱が伝わる。同時にカナギの言葉が頭の中で勝手に変換された。――どうやら、カナギの言葉は通訳してくれるらしい。いや。この場合は言葉そのものというよりは思考に近いかもしれない。

 

 だが、まぁ。今の言葉ではちょっとイルゼが可哀想だ。絶対、誤解している。

 

「カナギ。ちゃんと説明してあげて?」

 

 そう言って窘めれば、カナギは眉を寄せて怪訝そうにこちらを見る。一度だけその視線が【ミリアン】を見て、状況を理解したのか溜息を吐いた。

 改めてイルゼに視線を向け、要点だけを伝える。

 

『――とりあえず、食いながらで聞いとけ。そこの阿呆が処置を手抜きしたせいで、冷めると硬くなる。適当にしゃべるから、質問は後で』

 

「■、■■!」

 

 ――いや、そんな当てつけのように言わなくても……って、実際に当てつけなのか。事実だけど。

 これでも上達してるんだから、文句があるなら自分で捌け、と言ってもいいだろうか。

 

 そんなことを考えながら、イルゼを見守る。串焼きを口に運び、おそるおそる肉に噛みついた。一切れを口の中に入れ、ふにゃりと笑う。それを見て思わず可愛いなぁ、と思いながら笑みが零れた。妹がいればこんな感じなのかもしれない。娘でもいいけど。

 

『そこの阿呆から聞いたが、イルゼ・ラングナー、で合っているか?』

 

「――■■。■■イルゼ・ラングナー」

 

 カナギの確認に、非常に長い返答を返す。最後の方で「ユウ・カンナギ」と自分の名前も入っていたので、おそらくは状況説明だったのだろう。――自分にはわからないが。

 もう少し語学も勉強しておくべきだったと、今更ながらに思って苦笑する。カナギは軍隊式の返答に辟易したのか、軽く嘆息していた。

 

『――そうか。……ったく、どうしてこうも軍属に縁があるんだか……』

 

「カナギ気にしすぎ」

 

『煩い黙れこの阿呆。お前が筆頭だぞ。有能すぎていつ首を切られて存在抹消されるか判らん立場になりやがって』

 

(うわ。なかなかに鋭い)

 

 確かに何度か潰し目的の任務を回されたことはあるけど、全部クリアしたし。あれ以上やると本当にあからさまになるから、多分もう何も出来ないと思うんだけど。

 具体的には『接触禁忌指定』の【アラガミ】堕天種の連戦ソロ討伐とか。あれは流石にやばいと思った。それ以上に「あ。これ、死ぬ」と思ったのはソロで【ヴァジュラ】4体同時討伐とかだったけど。

 

 とりあえず、心当たりがありすぎて何も言えないので、何も解らなかったフリをしてみる。

 

「ちょっと待って、出来れば言葉を合わせてよ、カナギ」

 

『はっ! どうせ第二世代特有の共鳴現象だか同調現象だかを駆使して、ニュアンスだけはしっかり把握してるだろう。いまさら言葉を合わせろとか、不毛だ。どうせ俺とお前とでも言語圏が違う』

 

 はい。そうですね。おっしゃる通りです。

 【ミリアン】のお蔭でだいたい把握してます。ありがとうございます。あなたの奥さんの【ミリアン】はとても優しいです。……あぁ、なるほど。これは嫉妬か。カナギは嫉妬していたのか。男の嫉妬は見苦しいと思う。だいたい【ミリアン】はカナギのことしか見てないし、考えてないんだけど。

 

(……考えてみたら、俺って邪魔だよなぁ)

 

 とりあえず、不毛な思考を振り払い、話の矛先を変える。

 

「……【カムイ】はどうするの?」

 

『とりあえず、そっちも後だ。――解ってるのに訊くな、鬱陶しい』

 

 うん。そうだよね。イルゼもつれてきちゃったし。【カムイ】を捜索するのも一時、お預けになりそう。正直、あの【カムイ】は戦闘能力が高い訳じゃないから、こんな災獣が闊歩する場所にいて大丈夫かと心配になるけど。

 

 カナギは何度目かの嘆息を零し、改めてイルゼを見た。

 

『俺は、カナギ・サンスイ。【守の民】だ。薬師でもある。――そっちの神薙ユウは【狼呀の民】だ。お前の知識に合わせるなら、【守の民】は生産者で【狼呀の民】は兵団となるだろう。端的に言うなら、俺たちはお前たちの感覚で言う『壁の外』を生き延び、暮らしている一族だ。ちなみに、俺は壁の中の住人と薬草のやり取りの関係で個人的に交流があって、それでお前たちの使う言語も使える。だが、中と外は断絶して長い。故に、現状では言葉が通じる可能性は非常に低い』

 

 ――まぁ、言えるのは本当にこのくらいか。

 色々な意味で、あんまり包み隠さずには話せないし。

 

 イルゼが肉を飲み込むタイミングを見計らい、水筒を差し出す。これにはカナギの淹れた薫り水が入っている。香りは、ジャスミン茶に近い。よって、リラックス効果が得られたりする。

 

『――薫り水だ。茶の一種だとでも思っておけ。茶葉の代わりに薫りのいい植物で水出しする』

 

「■■■■■■。■■■■■■■■■■、ユウ」

 

 笑顔と共に何かを言われ、おそらくはお礼を言われたんだろう、と判断する。

 が、この薫り水はカナギが淹れた訳で。ちらりとカナギの様子を窺うと、やはり少し面白くなさそうな顔をしていた。それに思わず苦笑し、そっとカナギを指し示しておく。

 するとイルゼも気付いたらしく、そっとカナギを窺った。

 カナギはイルゼの反応に小さく苦笑して肩をすくめる。

 

「■■……■■■■■、」

 

『確かに淹れたのは俺だが、そんなことはどうでもいい』

 

 ――嘘つけ。薫り水は実のところ、手間の掛かる嗜好品だ。水資源の問題が少なくない【狼呀の民】や【流砂の民】でこそ必需品のようになっているが、水資源の豊富な【守の民】や【カムイの民】にとってはただの手間暇掛かる嗜好品でしかない。

 その【守の民】が、わざわざ薫り水を淹れるというのは、それだけで結構な気遣いに分類される。その上、実は上手く入れるのは難しいのだ。

 

 調合用の道具を片付ける姿が、事情を知っている者からすると実に哀愁を誘う。

 

 だが、説明は最後までするらしい。

 このあたりは本当に誠実だと思う。

 

『――俺たちも、普通は自分たちの生活圏から出ることは無い。色々と面倒だからな。俺みたいに個人的に動く奴なんかは、紛うことなく変わり者だ』

 

(――――変わり者というか、カナギは【守人】だし)

 

 正直、【彼ら】は災獣相手なら、なんとでもできるだろう。何もどうにも出来ないのは、人間と敵対した時くらいしかないと思う。そんなことは滅多に無い筈だけど。

 

 ちらりと再び固まったらしいイルゼの様子を窺う。

 どうもぐるぐると考え込んでしまっているらしい。この状況下、一人で思い詰めても何もならないのだが。やっぱり若いなぁ、と思う。――――いや、決して自分が老いている訳では無いと思いたい。

 

 とりあえずイルゼの目前に、ひょいっと2本目の串焼きを差し出す。

 何故かまじまじと見られたが、しばらくすると受け取ってくれた。よかった、と内心で胸を撫で下ろす。

 

『今回は、『壁』が陥ちたと聞いて確認調査と薬草採集と、ついでに探しものを兼ねて歩いていた』

 

 今のところ、巧く情報の優先順位を入れ替えている。こういうのは苦手だと聞いていたのだが、どうやら思っていたほどでも無いらしい。

 

『巨人とやらに関しては、とりあえず当面は問題ない。そこに少しばかり特殊ながら最高の【狼呀】がいるし、俺自身もまったく戦えない訳でもないし、調合したもので視界を奪うなり動きを奪うなりして逃げることくらいは出来る』

 

 ――――それ、別に褒めてるつもりは、まったく無いんだろうな。

 

 どちらかというと完全に皮肉にしか聞こえない。自分が『特殊』なのは両親の遺伝の結果だから、何とも言えないのだが。ついでにその「最高の【狼呀】」というのは、実はニュアンス的には「最高(笑)」であって、これはウチの偉い人たちが使う時の皮肉とか嫌味とか、むしろ侮蔑に近い――のだが、どうやら本当に普通にそう思っているようである。

 こう……たぶん、カナギ自身には褒めているつもりはない。それでも評価してくれるのは、ありがたい、と思う。思うが、これは何とも面映ゆい。思わず視線を泳がせる。耳が赤くなっているような気がするが、押さえるような動きをするとばれるので動かない。

 

 悶々としている間に、イルゼの中で一区切りついたらしい。

 

「■■■■■■。■■■■――■■■、■■■■■■■■■■」

 

 何かを言って、イルゼは頭を下げた。

 

 それを受けて思わず笑む。なんとも微笑ましい、と思いながらカナギを見れば、彼は溜息を零したようだった。

 そのカナギの視線がこちらを向く。

 何かを察したのか、もの言いたげに顔を顰められ、慌てて顔を伏せた。あからさまだと自分でも思うが、今は余裕がない。

 

 顔を上げたイルゼが、僅かに首を傾げたのが視界の端に映った。

 

 

 

 





 一応、誤字脱字チェックはしているのですが、昨日の夜に変な個所で誤字しているのを発見!!……したのですが、ケータイから見ていたのと、殆ど寝ぼけていた為、どこにその誤字があったのか、判らなくなってしまいました……orz

 なんか、『か』と『が』を間違えてたのは、憶えているんですが……何処だったんだ、自分……。



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【viega 05:presia bexm dauan oure yasra. 】


Pixiv時代から地味に加筆修正。しれっと段落が増えています。
イルゼが寝ている間の話。
ヒュムノス回。




 

「――普通、拾ってきた動物の面倒は、拾ってきた当人がするものだ」

 

 眠り込んでしまったらしいイルゼに自らの外套を掛けてやりながら、そう言ったカナギはしかし、本気ではない様だった。

 

(というか、これはむしろ――……)

 

「それって、俺のこと?」

 

「飼い殺されるのが嫌なら、森は餓えた狼であろうと受け入れよう」

 

「……えっと。一応、考えておく」

 

「そうしろ。お前らに犬神なんかは似合わない」

 

 固有名詞などは一切出さなかったが、非常に良く判った。どうやら【守人】は相当に【狼呀】を気に掛けてくれているらしい。

 

「うん、ありがとう。――ちょっと、出掛けて来るね」

 

 腰を上げた自分を一瞥し、カナギは小さく息を吐いた。

 

「ついでに鎮魂歌でも贈ってやれ。得意だろう、【詩紡ぎの民】」

 

 その言葉に、思わずカナギをまじまじと眺める。元よりそのつもりではあったが、彼からそんな言葉を聞くとは思わなかった。

 ふっと笑みが滲み、目を細める。

 

「――あなたは、やさしいね」

 

 その瞬間、「うるさい」とでも言うように、焚火にくべようとしていた細枝を投げつけられ、慌てて逃げ出すように走り出した。

 

 

 

【viega 05:どうか、迎える夜明けが優しくあるように】

 

 

 

 月明かりの下、暗い森の中を駆ける。

 昼間にイルゼを見つけたあたりまで戻り、そこから生乾きの血の臭いを辿って歩いて、森の端に転がるいくつかの残骸に、吐息を零した。

 どうやらこの領域の災獣――【巨人】は、死体には目もくれないらしい。

 

「――君たちには、埋葬とか葬送の概念って、あるのかな……」

 

 死者を悼み、惜しむような文化は、あるのだろうか。

 そんなことを思いながら、足元に転がる頭に目を向ける。傍らに膝を着いて手を伸ばし、その恐怖と絶望に引きつり、見開いたままの目をそっと閉ざしてやった。

 

 ――――考えるに、この人たちは自分たち【狼呀】と同じような、『戦う』立場にあるのだろう。組織的に見れば、軍人であると思われる。あるいは、ニュアンス的には兵士かもしれない。

 なら、戦場で殉死した場合に備えてドッグタグを身に着けているか、あるいはそれに類する――たとえば徽章だとかに身に着けている人物の名前が彫られていたりするのが『外』での常識なのだが、どうだろう。

 正直、剥ぎ取り行為のようで気が進まないのだが、そうも言ってられない。

 

「……君たちだって、帰りたかっただろう?」

 

 転がる頭部を両手でそっと抱え上げ、少し離れたところにある胴体まで歩く。右肩から腕がごっそりと無くなっているが、位置と距離を計算しても、頭部から読み取った人種的な情報から見ても、おそらくは同じ人物だろう。本来頭があるべき位置に抱えた頭部を戻し、そっと目を伏せて黙祷する。

 それから衣服を検分し、どこにも名前や身分が判るモノが無いのを確認すると、思わず空を仰いで嘆息した。

 空にはどことなく蒼白い月が、夜空を照らしている。

 

 同じ作業を確認できる遺体の数だけこなした。正確な人数は判らない。胴体が残っていないこともあったし、手首だけ、あるいは足だけしか無いこともあった。

 そして、最終的に身分証明が出来るものは所持していない、あるいは存在しない、と結論する。ひょっとすると戸籍管理すら『壁の中』ではされていないのかもしれない。

 

「――戦場に出れば、帰れない、か」

 

 そもそも帰還そのものを期待されていないような、そんな気にさえなってしまう。

 

「……どうして、『外』に出て来ようとしたんだい?【エデンの子】」

 

 安全な鳥籠な中から、外敵しか存在しない筈の、『外』へ。

 風渡る緑の大地と蒼い空が見える世界から、昏く灰色の塵灰が吹き荒れる過去の残骸が散らばった世界へ。

 いかに飛ぶための翼をもっていたとしても、その鳥に鋭い爪も嘴も無いなら、鳥籠から出て天敵の多い外で暮らすのは難しいだろうに。

 

「……ま、ここで考えても仕方ないか。――ミリアン」

 

 呼び掛ければ応えるように、ポツポツと宙に金色の火が灯る。

 【狼呀の民】の【狼呀】に埋葬の習慣は無い。【狼呀】は人間らしい遺体を残さないからだ。【守の民】は土葬が一般的だと聞いてるし、【流砂の民】は火葬した後、砂漠地帯に吹く風に乗せて散骨する。【セラの民】は確か、湖の底に沈める水葬だったはずだ。

 

 

 ――― yor sonwe?

    うたう?

 

「うん。――ミリアンは、燃やしてあげてくれる?」

 

 ――― rippllys.

    わかった

 

 

 宙に浮いた灯火が揺らぎ、ひらりと蝶の形となった。大地に横たわる死者へひらひらと舞い降り、一気に燃え上がる。

 動物性のたんぱく質が燃える独特な臭いに少しだけ頬を歪め、それでも燃える炎を見つめていた。

 

 ――やがて火勢が弱まり、骨とも灰ともつかない白い塵が炎の熱に巻き上げられて夜空に舞い上がる。

 それを見て、そっと息を吐き、静かに唇を開いた。

 

 

Was ki ra selena sos yor ware fandel nuih.

 幾多重(いくたえ)の夜も あなたのために奏でよう

Was ki ra fowrlle anw la omnis near.

 すべての御魂を 癒せるように

 

 

 ちらちらと、足元の草花から小さな光が滲み、耀きながら宙に舞い上がる。舞い上がった光は空に向かいながら拡散し、やがて大気に融け入るように消えていった。どうやら『壁の内側』には小精霊も多く存在しているようである。

 それとも、【カムイ】が消えたことと関係があるのだろうか。

 

 

presia slep, yasra slep, diasee.

 ねむれ ねむれ 神の子よ

murfan anw fandel nuih, lyuma, werllrya.

 幾千、幾万の夜を 星を 涙を想い

murfan anw fandel lusye, frawr, fwillra.

 幾千、幾万の光を 花を 羽を希い

Was ki erra wearequewie.

 私は 謳い続けよう

 

 

 ふわりと肩に小さな白い光が舞い降りた。

 その色と、小さく囀る声で『鳥の神』だと判断する。何をするでもなく、何を言うでも無いという事は、どうやら単に聴きに来たらしい。

 まぁ、『鳥の神』のような神性を帯びた幻想種にとっては、こういった特殊な言語で綴られた言葉や歌こそが『主食』であるらしい。ちなみに、こういった神性存在が好む言語を総じてざっくりと『神性語』と呼ぶ。むろん個々の言語にそれぞれの名称が存在するが、特殊な状況下でない限りは基本的に『神性語』で通っている。きっちり分けるのは研究者くらいだろう。

 

 

rre fandel revm fountaina won dor.

 大地を満たす 幾千の夢

rre manafeeze lusye loss nnoi, en biron.

 芽吹く光が ひとつ ふたつと 潰えても

rre yeeel dyya fandel enne chs dor sabl.

 遠い日々が 幾多の祈りを 土に還しても

Was quel wa enne enne hymme.

 私は 祈り続けよう

 

 

 チリ、と。

 焼けるような微かな痛みが、背骨を伝って腰に奔った。視線を向ければ、小さな光のような小精霊たちがフワフワと集まっている。

 なんとなく、まったりしているような気配なので、小さく笑ってそのままにしておいた。――何故そんな場所に集まっているのかは分からないが、害は無いので放っておいて構わないだろう。

 

 

presia slep, yasra slep, diasee.

 ねむれ ねむれ 神の子よ

murfan anw fandel nuih, lyuma, werllrya.

 幾千、幾万の夜を 星を 涙を想い

murfan anw fandel lusye, frawr, fwillra.

 幾千、幾万の光を 花を 羽を希い

 

presia slep, yasra slep, diasee.

 ねむれ ねむれ 神の子よ

Was ki ra fowrlle anw la omnis near.

 すべての御魂を 癒せるように

Was ki ra fowrlle anw la omnis lamenza.

 すべての嘆きを 拭えるように

 

 

 ――同じフレーズの鎮魂歌を、何度か繰り返す。

 同じような死生観を持っているとは限らない。ひょっとすると、死んだらそれで終わり、という文化圏であるかもしれない。

 そもそも死を悼む慣習も無いかもしれない。

 

 ――それでも。

 

 

Was quel ra presia accrroad yasra slep, diasee.

 どうか やすらかに眠れるように

Was quel ra presia bexm dauan oure yasra.

 どうか 迎える夜明けが優しいものであるように

Wee ki wa tasyue tes gran dauan, presia yehah irs.

 新たな始まりの朝に どうか幸あらんことを

 

Presia, presia…

 どうか かくあらしめたまえ

 

 

 来世、生まれ変わった先の世界で。

 その幸福を望むのは、悪いことではないだろう。

 

 

 

 






ヒュムノス:『Ar tonelico』シリーズで使われる架空言語。単にヒュムノスと言う場合は、そのヒュムノス系言語(=さまざまな系列が存在する)で綴られた歌曲を指すことが多い。いわゆる他のRPGやファンタジーでいうところの、魔法呪文を構築するための言語。

なお、今回の構築言語は増幅塔(アルトネリコ)方式に依存(=主に中央正純律を中心に構築)しているものの、発動経路は月奏(つきかなで)方式であるつもりらしい。


Q:レーヴァテイル質に関する問題について。
A:アラガミさんってなんだっけ。





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【断章:O E wi nes xeo emne elah.】


どうしようかと思って、結局分けた箇所。なので短い。
あ。此処のタイトルはヒュムノスではありません。




 

「こんばんは」

 

 パチ、と目の前の焚き火が小さく爆ぜた。綺羅火が宙に舞い上がり、夜の闇に融ける。

 カナギは視線を上げ、焚き火の向こうに眠っているイルゼを確認してから背後の森の影に声を向けた。

 

「――【夜】か」

 

「そう。――はじめまして、【銀の守人】カナギ・サンスイ。自分は【真なる敗者の王】、【夜色の詠使い】、名前はシャオ」

 

「なんで【セラの民】がこんなところまで?」

 

「自分は放浪癖があって――いつもなら、そう答えるのだけど。今回は別。急ぐ必要があった。だから『名詠門』を出入りできる自分が来た」

 

 少年とも少女ともつかない【夜】の声がひそやかに届く。だが、その内容は不穏という言葉では済まないものがあった。

 

「――何があった?」

 

「ヴォルフシュテイン卿が出奔した」

 

「……は?」

 

 ヴォルフシュテイン卿とは【流砂の民】の最強の【降魔】のひとり――というか、12ある移動都市のひとつを統べる【降魔】だ。実質【流砂の民】のトップに属する。

 確かにそういう地位や身分のある人間が簡単に持ち場を離れるのは問題である。だが、その程度――『出奔』した程度でこの【夜】が動くことは無い。そもそも、この【夜】だって【セラの民】の重要人物である。放浪癖はあるらしいが、それでも他の民の問題に首を突っ込むことは無い。

 つまり、『出奔』に至るまでの経緯に問題があったので、【夜】まで動くことになったのだろう。

 

「――本当に、『何』があった?」

 

「ヴォルフシュテイン卿の【宝玉珠】が――いや。厳密に言ってしまうと、【天剣】が壊された。その大逆を犯した者は『【核石】を奪ったまま』都市外へ逃走。どうも、それを追って出奔したらしい。下手に止めると自らの都市を破壊しかねないほどだったらしいから、民も見逃したみたいだね」

 

 ――それは、『出奔』とは言わないと思う。

 だが、それ以上に問題なのは。

 

「……それ、他の民がしゃしゃり出ていいのか?」

 

「ここまでなら――反逆・内乱で話がつくんだけど」

 

「まだ続くのかよ」

 

「どうも、その大罪人は【エデン】に入り込んだみたいでね」

 

 【エデン】とはつまり、『壁の内側』のことだ。そこに逃げ込んだという事は、『壁の内側』の人間を巻き込もうとしているということ。『外』の事情を何一つ知らない人間を、だ。これは非常に厄介と言える。

 もしこの先、『外』と『内』とで交流を持つような流れが発生した時、お互いに良くない先入観を持つようになるだろうし、下手をすればファーストコンタクトが戦争になりかねない。

 

 ――――なるほど。こうなってしまっては、確かに。

 

「……他の民も出しゃばるしかない、か。こっちだって【カムイ】が消えて大変だってのに」

 

「西もね。実はいろいろとあるみたいなんだけど――――あ、」

 

 不意に【夜】は言葉を止め、じっと闇の静寂に耳を傾ける。

 しばらくそうしてから、じんわりと微笑んだ気配が伝わった。

 

「――きれいなうた」

 

「――――そうか」

 

 あいにくと自分の耳は唄を拾うのに特化していないので聴こえないが、詠と共に生きる【夜】には聴こえるのだろう。満足そうな気配が漂っている。

 

 

 

 その後もいくつかの情報を交換し、空が白み始める頃に【夜】は移動していった。

 もたらされた情報に頭を抱えながら、とりあえず顔を洗おうと泉へ降りる。

 

 そして戻って来た時にはイルゼの『――カナギって、妻子持ちなんですか!?』という叫びに、更に頭痛が酷くなったような気がした。

 

 

 ――あの悪童め。後で覚えてろ。

 

 





O E wi nes xeo emne elah
超訳:汝、夜色の詠使い

ヒュムノスほど融通の利く単語量は無いので……来讃歌(オラトリオ)はつらい。
あ。【夜】は日本語読みでも『シャオ』でもお好きな方で。


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【viega 06:rana dius bister diasee】


ユウ視点の戦闘シーンです。
今日中にこっちの視点を投稿し切ってしまいたいです。



 

 カナギは、よく鳥を使う。

 いや、実際には厳密にいうと使われているのは【守人】の方らしいのだが、とりあえずはどちらでも構わないだろう。どうやら昨日イルゼがはぐれた団体を鳥たちが交代で見張っているようなのだが、あいにくと自分は普通の鳥とは意思疎通が出来ないので、これもカナギに丸投げである。

 そのイルゼは鳥を使うカナギを珍しそうな目で眺めていた。

 確かに今カナギの腕に止まっているような、白い鴉は珍しいだろう。ついでに言うと、この白い鴉は厳密には鳥ではない。鳥ではないので自分も対話が可能である。

 どうも『誰か』が見ている『夢』であるらしい。以前話した時に、そう認識していると教えてくれた。夢の中で様々な地平線を、様々な視点で旅している、とのことである。『ここでは自分もただのローランさ!』とやけに楽しそうに言っていたので、呼び掛けるときには『ローラン』と呼んでいる。ちなみに『ローラン』とは彼の国の言葉で『旅人』というような意味であるらしい。

 彼はカナギに何かを伝えると力強く羽ばたき、木々の枝葉の間を縫って舞い上がる。それを見送り、カナギは振り返ってうんざりした様子で溜息を吐いた。

 

 

【viega 06:奔る獣神(けものがみ)の子】

 

 

『……まいった。どうやら進行方向に巨人の一群がいるらしい。およそ8体』

 

 その言葉に軽く肩をすくめて嘆息する。

 だが、イルゼの様子では『壁の内側』の民にとっては【巨人】の恐怖はとても大きいらしい。すでに顔に血の気が無い。

 

「カナギは、3。他は俺が倒して来るから、保たせてね」

 

『……まぁ、妥当なところだな。最大で何分だ』

 

「――2分、かな?」

 

『わかった。2分は保たせる』

 

「■? ■■!?」

 

 呆然としているらしいイルゼを見て微笑み、カナギは肩をすくめる。

 まぁ、実際8体なんて条件次第ではどうとでもなる訳で。内3体はしばらくカナギが翻弄してくれるとのことだし、実質的には5体を相手にしてから3体を相手にする流れになる。しかもその相手も性質上、一度にまとまって掛かって来ることは無いと踏んでいた。だいたい、(のろ)いし。

 

『ちょっと片付けるから、ここで荷物番な。危険だと感じたら逃げてくれていい。この群れの向こう、約1km先に、お前がはぐれた兵団がいる。休憩中のようだから、お前の足でも追いつけるかもしれない』

 

「■、■、■■■■」

 

 たぶん、ニュアンス的にはテンパった時に言う「ちょ、ちょっと待って」みたいなことを言っているんだろうと思う。自分たちは待ってあげてもいいんだけど、巨人のお客さんは待ってはくれないし。

 

(――よし)

 

 ごめんね、イルゼ。犬かなんかに舐められたとでも思ってくれ。

 

「イルゼ」

 

 ぽん、とイルゼの頭を軽く撫で、ふんわりと微笑む。

 

「【――――Was yea ra khal warce yor.】」

 

 

 あなたに加護を。

 そう言って、額に軽く口付ける。

 

 ――リーダー、あなたって人は…っ!!

 

 以前、同じ【狼呀】の仲間にも同じこと――あっちは半分くらい事故だったけど――をしたら真っ赤になって怒ってたなぁ、と思い出しながらくすくす笑う。

 

「……お前、夜道で刺されそうになったことは無いか」

 

「え? 【アラガミ】からはしょっちゅう刺されてるけど」

 

 特に【ハンニバル】の剣は避け損なうと確実に意識が飛ぶ。あの攻撃速度は本当に洒落になってない。あの巨体であの速度は反則だと、何度思っただろうか。

 あれに比べれば巨人はもはや、停止しているようにしか見えなくなるから不思議だ。

 

 そう応えればカナギからは溜息を頂戴した。

 

(――いや。カナギが言いたいことも、一応わかってるよ?)

 

「女の子をからかって遊ぶなってことだよね? からかってるつもりはないんだけど……うん。気を付ける」

 

 そう言ってカナギが【巨人】がいると言っていた方向に歩き進め、立ち止る。後方から再度、カナギの言葉が届いた。

 

『――僥倖だ。先に3体のみ、群れから離れてこちらに来ている。いずれも10メートル以下だ』

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■っ!」

 

『いいから見てろ。残念ながらお前たち通常の人間種とは基本スペックが違うんだ』

 

 ――うん。そもそも、こういう『災獣』に対抗するために作り上げられた種族だしね。

 戦う事こそが、存在意義。純粋な人間種を、戦う術を持たない者を守る為に存在するのが【狼呀】だ。

 

 ――だからこそ。

 

 

「――狩りを始めるぞ、【フェンリル】」

 

 

 ――――― zAAgg ttrw rA sss…

 

 

 自らの意識の遥か深淵から、微かな気泡のように応えが返る。

 それが何なのかは、自分は知らない。ただ、以前たまたま任務中に【カムイ】に会った時には『ウォセカムイ』と呼ばれたり、【夜】には『フェンリル』と呼ばれたりしたので、まぁ、たぶん、そういう事なんだろう。あまり詳しく訊いてみたことは無いが、正直、あまり聞きたいとも思えない。

 

 ――だが、まぁ。そういうことなら、仕方ないだろう。

 

 のっそりと、木々の間から巨人が顔を覗かせる。やっと自分を見つけたのか、腕を伸ばして来た。

 その動きを眺めて待ちながら、遅いなぁ、と思う。

 

「ユゥ…っ!」

 

『黙ってろ。【狼呀の民】は戦闘種族だ。本来奴らは一人でいた方が生存率も上がる』

 

 うん。そうなんだけどね。

 【アラガミ】相手だったり、【汚染獣】相手だったりしたら正直後方(うしろ)を気にしなくて済む分、ソロの方が楽ではあるんだけど。

 【コレ】が相手なら、関係ないと思う。

 

 伸びてくる腕に飛び乗り、思わず笑う。なんでこんな簡単に乗られるかな。

 手にする【ミリアン】に意識を向ける。すでに微かな熱を持っていて、じんわりと意思を伝えてきた。すらりと抜き放ち、詠い掛ける。

 

 

「【――Was ki wa hymme.】」

 ――――――Wee zweie ra wearequewaie.

     此処に謳う

 

 

 【ミリアン】が燐光を纏う。熔けた鉄のような、灼熱の色。

 

 巨人がもう一方の手を動かすのを一瞥し、足場にした腕を駆け上る。

 ――弱点は、うなじ。

 結局、そこしか見つけられていない訳だが、本当にそこしかないのだろうか。そんなことを考えながらいつものように一閃し、返す刃でもう一太刀入れ、確実にうなじだけを切り離しながら首を落とす。

 巨体が倒れるまでのタイムラグ。その間に次の目標を定め、倒れる巨人の反動を利用して近くの木の枝に飛び移る。木々を飛び移り、2体目の背後に回るとそのまま首に飛び乗り、刃を振るってうなじを削ぎ落とす。これも二太刀。

 

 

「【――Rre talam dauane re valwa cia, fernia flawr li warce sarla. 】」

 ――――――Was yea ra rippllys.

  東雲(しののめ)の ()つる散華に 契り籠ん

 

 

 生前、ミリアンが謡っていたらしい『同契の謳』を原型に、それを神性語へと紡ぎかえていく。この、一見余計なプロセスには、主に自分の方に問題があるためだった。

 元々ミリアンの本来の契約者はカナギであり、自分では無い。自分は遺された【核石】から生前のミリアンの想いを読み取って、それを『オラクル細胞』でもって再現しているだけに過ぎない。故に、最も『想い』を表しやすい神性語でもって【核石】と同調する、という手段をとっている。

 ミリアンが同じ神性語で返せるのは、彼女――【宝玉珠】が妖精種であることに起因する。つまりは、神霊――神性存在に近いからだ。

 

 突然走り寄ってきた3体目の巨人へ、2体目の巨人から飛び移る。宙で掴もうとした指を切り払い、伸ばされた腕を走って肩へ。そのままうなじを削いで飛び降りる。

 視線の先に、4体の巨人。

 

 

「【Omnis rippllys en vianchiel fau, yehar, hyear! 】」

 ――――――Was yea ra grandus sos melenas yor!

  天足(あまた)らしたる 言祝(ことほがい) 光の御世にぞ (うき)交わさん

 

     ――――― zaa gyA bO jaa…

 

 

 ミリアンから朱金の炎が溢れ出す。

 何やら横槍のような、支援のような意識が一瞬だけ入り込んだが、それはとりあえず放置することにした。経験上、『狼』は自分の邪魔をすることは無いと知っている。

 金炎を操り、比較的近くにいた2体をその炎で焼却した。実際には焼却しているように見えるだけで、これはミリアンがその身の炎で触れたものを『練り直し』て塵やら大気やらに分解しているらしい。

 どうもこの『練り直し』というのが【守の民】の秘技に当たるらしく、【狼呀】である自分には理解しようがない感覚であるらしい。よって、詳しいことは判らない。

 

 あと、2体。――いや。

 

 視界にいない、もう1体の気配を探る。

 

 振り返って、カナギと少女の背後に迫る巨人を見た。思わず顔が歪む。刹那、カナギと目が合い、彼が頷くのが見えた。――ならば。

 

 2体の巨人に向き直り、殺意を込めて睨み付ける。

 周囲をうねる金炎が、感情に反応するようにいっそう熱を帯びた。

 

 とりあえず、あれだ。

 油断というか、やる気のなかったさっきまでの自分を殴りたい。

 いや。少しばかり慎重になりすぎていただけだが。あまり女の子を怖がらせるのも良くないし、とか言い訳していた自分を切り刻みたい。

 

 ――さて、と思考を完全に切り替える。

 

 生き残る為に必要なのは、『災獣』を殺す力だ。方法は問わない。

 今まで戦ってきた戦場で集積した経験を元に、最も早くこの戦闘を終わらせる方法を組み立てる。

 幸い、巨人のほとんどは予測不能な行動はしない。食虫植物に似ている。

 

 後方で、カナギが走りだす気配。

自分とはまた違った言葉がカナギの声で響いた。

 

 

「【――gou ih-rey-i gee-gu-ju-du zwee-i ; 】」

   迫り来る 艱難を 払い給え

 

 

 背後から吹き抜けた風に、僅かだが血の臭いが混ざっていた。

 

「……っ」

 

 その事実に、思考を止める。

 ただ目の前のものに対処するだけでいい。それが一番、早く片付く。

 

 鈍い巨人の腕を掻い潜り、地面から巨人の腕へ、更にもう一方の巨人の肩へと跳躍する。そのまま巨人のうなじを抉り、隣の巨人へ飛び移る。

 

 ――止めは、まとめて一撃で。

 

 塵芥一切残さず。

 

 

「【 soa wis li gurandus viega 】」

 ―――Rrha zweie ra… yehar, hyear!

   我らは護りの剣である

 

 

 溢れた金色の炎は、その場に在ったすべての巨人の残骸をも焼き払い、熔かし尽した。

 

 




ヒュムノスは、意訳です。むしろ超訳、いや、ニュアンス訳?
なので、丁寧に訳すと訳されていない単語があったりなかったり。

なお、『この詩の想い』に該当するのは『オペラシリーズ』(栗原ちひろ:著/ビーンズ文庫)のラストシーンあたりです。




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【viega 07:tasyue enne sos waath near en manafeeze faura. 】

れんあいフラグ……?
そんなものは、建ってないですよ?



死亡フラグは乱立してますが。




 

 

 ――やってしまった……

 

 我に返った瞬間、【巨人】が跡形も残らなかったのを見て、思わず天を仰ぎ嘆息した。

 

「…………」

 

 周囲を見る。やはり、どこにも巨人の残骸は無い。

 その事実を再確認し、再び深く嘆息する。

 

 ――いや、それは別に問題無い。

 

 問題なのは、これは自分が少々――いや、結構、ただの【狼呀】から逸脱しているうえに【詩紡ぎ】とか【宝玉珠】とか【カムイ】だとかの相乗効果を効率的に運用して、もういっそ人外宣言した方がいいんじゃないかと思う程度のことをしでかしたことだ。

 

 正直、カナギだけなら気にしなかった。カナギも気にしないだろうから。

 気に掛かるのは、イルゼの反応である。

 『壁の内側』にいるのは基本的に純人間種だと思われている。つまり、【幻想種】など見たこと無い訳で。それはつまり、実物を見れば最初に警戒し、緊張し、未知を恐怖する、という事だった。

 ましてや、【巨人】などという災獣がれっきとした『人類の敵』認識されているところである。それは良いのだが、この単純な『人類v.s.人外』という構図を考慮すると、かなりの高確率で『人間ではない=人類の敵=排除しなければ』という三段論法が展開されるのが予測された。この最大のネックがゆえに、『壁の内側』と意図的な接触は避けられているというのが、『外』の事情である。

 

 何が言いたいのかというと、つまるところ自分が懼れたのはイルゼの反応だ。純人間種には不可能なことをやって見せてしまった。それに対する反応を知ることになるのを、忌避していた。

 

 恐れなら、いい。【狼呀の民】ですら、自分を恐れることもある。

 

(――いや。やっぱ、いやだな……)

 

 慣れてはいる。だが、やはり怖がられるのは、少し寂しい。

 だが同時に、怖がるのも無理はないと思っている。自分の目の前に、自分を殺せる力を持った何かがいれば、どういう風に接していたとしても、緊張も恐怖も拭い切れないだろう。

 人間は、恐怖を隣人には出来ないのだから。

 

 ひとつ息を吐き、頭を振って思考を切り替える。

 

 さっき風が起こった時、微かに血の臭いが混じっていた。つまり、カナギは負傷したという事だろう。早急に確認と、それから手当をしなければならない。主に、自分の首を守るためにも。

 

(――要人に怪我させるとか……減俸は確実か)

 

 むしろ減俸で済めばいいのだが、場合によっては軍法会議に突入である。下手をすると物理的な意味で首が飛ぶ。

 カナギの心配は、実はするだけ無駄なので、しない。彼は『鳥の神』に気に入られている限りは似非【不死者】である。つまり、怪我や寿命で死ぬことは無い。正確には、死んでも『練り直し』されて強制的に蘇生させられるのだとか。これは羨ましいような、しかし絶対に遠慮したいような、微妙なものだと思う。

 

「――カナギ」

 

 声を掛ける。イルゼの肩が跳ねるのを見て、ちょっと――自分で思っていた以上に精神的なダメージを負った。だが、それも今はとりあえず脇に置いておく。

 

「カナギ。怪我は?」

 

『問題無い。手当くらいは自分で――』

 

 いやいや。負傷したのは、その隠している左手だろう。

 手を負傷してるのに『自分で』ってのは、かなり難しいと思う。

 そう思いながら再度、口を開きかけたところで、イルゼが叫んだ。

 

「――■■、■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 イルゼは、がしっとカナギの左手を掴んで、じろりと睨む。

カナギは驚いたのか、返答までに少し間が空いた。

 

『……折れた木の枝が、掠っただけだ』

 

 うん。自分でも驚くと思う。なんか、すごくいろいろ言ってる。多分、純粋に心配してくれているんじゃないだろうか。

 

『あー……うん。わかったから。とりあえず、離れろ。な? 本来の人間種みたいにヤワじゃないし』

 

――あ。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■?」

 

 ――今のは、突っ込まれたんじゃないだろうか。

 イルゼは、自分たちから少しでも情報を読み取ろうと、ずっと観察してたし、結構しっかりしている。

 言葉の通じない自分と意思疎通をしようとした時にも、そうだった。

 理解しようとする姿勢を、崩さなかった。

 

 ――ああ、だからか。

 

 どうやら自分は、イルゼに期待しているらしい。

 

 ――どうか、失望させないで欲しい、と。

 

「――――■■■■■■、■■■■■■■■■■」

 

 イルゼはじっとカナギを見る。カナギも何故か応えず、イルゼを見返した。双方とも視線を合わせているが、見つめ合うというより睨み合っているような状況になっている。

 

 何故かそのことがおかしくて、思わず笑ってしまった。その声につられるように、カナギがチラリと一瞥を寄越す。イルゼはぽかんとした表情で瞬いていた。

 

 

「……馬鹿か、馬鹿なのかお前は。どうするんだよこれ」

 

「言葉選びを失敗したのは君でしょ。それにね、大丈夫じゃないかな」

 

「…………」

 

「少なくとも、俺は大丈夫」

 

 ――うん。イルゼなら。

 

 多分、大丈夫だろう。きっと、自分たちが恐れているようなことには、ならない。

 確信する材料なんか無いのに、そう思っていた。そうしてカナギに微笑み掛ける。

 しばらく無言で眺めていたカナギは、ふと項垂れて息を吐いた。それを見て思わず笑みを深めてイルゼに向けて親指を立ててみせた。

 イルゼはまだ途方に暮れたように、ぱちぱちと瞬いている。

 

『――そもそも、だ。俺たちは一度も、お前に対して自分たちを人間に分類するような言葉で語ってはいなかった、と記憶している』

 

 良かった。説明してあげてくれるらしい。

 

 しゃべりながらカナギはイルゼの足元に置いたままだった籠を開け、水筒と軟膏、清潔そうな布を取り出す。それを見て慌てて水筒を取り上げ、思わず一瞬カナギを睨んでしまった。手当くらい自分にさせて貰いたい。

 負傷した手をそっと取り、傷を洗って薬を塗り、丁寧に布を巻いて傷を保護する。

 さすがにこの作業は【アラガミ】との交戦の関係で、日常茶飯事だ。体に染みついている。だが、自分と違ってカナギは【守人】という名の要人だ。自分の時よりは丁寧な手当を心掛けた。

 

『俺たちの住処には『人間種』のほかに『妖精種』『精霊種』なんかが共生してるんだが、『壁の中』にはいないんだろう?』

 

「――■■■■■■■■■■■■」

 

『だろうな』

 

(――ああ、そうか。『壁の中』には純人間種しかいないんだっけ)

 

 それなら、アレを渡して反応を見てみるのも面白いかもしれない。

 

「――イルゼ」

 

 治療の為に出したものを籠に片付け、胸ポケットから取り出した文庫サイズの本をイルゼに差し出す。褪せた紅い表紙には壁の中で使われているらしい文字と、自分たちが使っている共通文字で『美シキ残酷ナ世界』と書かれていた。

 

「――『Die schöne grausame Welt』?」

 

 いくつかの【民】に伝わる各々の起源や伝承を記したもの。昔、何故か『外』に出て来た人がそれを書き、書き写したものを持ち帰ってこの原本は遺していったらしい。

 自分は知り合いの【護森人】から譲り受けた。なので、実のところ筆談であればもう少しスムーズな意思疎通も可能だったのだが、あいにくと紙もペンも持ち歩く習慣は無い。

 

『――お前にやるそうだ。帰還したら読んでみろ。ただし、本当に信頼できる奴以外には見つかるなよ。色々な意味で『それ』は、お前たちにとって劇物に等しい』

 

 ありがとう、カナギ。あげるってのは伝えられそうだけど、忠告までは無理だから感謝した。

 まだ少し硬いままのイルゼに背を向け、先に歩き出す。少し離れた先から、2人を呼んだ。

 

「――イルゼ、カナギ」

 

 足を止めて振り返り、微笑み掛ける。いつの間にか顕れていた『鳥の神』に思わず苦笑を零した。

 その鳥を見つけたカナギは、うんざりしたような顔で深く嘆息する。

 

『――ソラ。なんでお前まで』

 

『いいかげん、帰って来てください。きみがいないと暇なのです。出掛けるのなら、わたしにも一言あって良かったでしょう』

 

 白い小鳥は首を傾げて、ピルピルと囀っている。だが、しっかりとその内容が聞こえてしまっている身としては、ただ苦笑するしかない。カナギは微かに頬を引き攣らせている。

 

『まぁ、それについては、帰還した時にでもゆっくりじっくり話し合うことにしましょう。それより今は、『彼の方』が案内をかって出てくれていますので、あまりお待たせしてはいけませんよ』

 

 ルルル、と鳴いた小鳥は軽く身づくろいすると、再び青い空へ飛び立っていった。見れば、抜けるような蒼穹で、白い鴉が一羽、旋回している。

 とりあえず、その白い翼を追って先に歩くことにした。

 たぶん、カナギは少しばかり精神を立て直すのに時間がいるだろう。

 

 

 

【viega 07:還り、生きる小鳥への贈奏】

 

 

 

 しばらく歩くと、明るい広葉樹の森から抜けた。蒼穹からの日差しが眩しい。

 残念ながら、1km先にいたという兵団は巨人に応戦している間に離れてしまったようだった。だが、方向は解っているので、あまり気にはしていない。いざとなれば『壁』まで送ればいいだけだし。

 

 イルゼは自分の中で何かを振り切ったのか、あるいは開き直ったのか肚を決めたのか、自分にも今朝より親しげに近づいてきてくれた。カナギが通訳してくれたところによると、『歌を教えてくれ』ということらしい。さっきの戦闘中にも使ったし、たぶんあれを聴いてこんなことを言い出したんだろう。

 カナギは音痴だから無理とか言ってたが、実は怪しいと思う。彼の実年齢を考えて、『鳥の神』の『主食』を考えると、たとえ昔は音痴だったとしても、今現在もそうだとは限らないだろう、と思うのだが。

 

 広がる青空の下、草原を歩く。

 何故か巨人の姿は見えなかった。あの時のカナギの言霊が効いているのか、他の神性存在が遠ざけるよう細工してくれたのか、あるいはまったく別の要因があるのか。

 

 ふと、視界の彼方。

 馬影の群れを見つけて立ち止る。カナギを呼んで2kmほど先にある巨大な木々の森の影を指し示してみた。

 

「――あれ、そうじゃない?」

 

「……よく見つけたな。俺はもう少し近づかないと判らん。――が、方向的にも時間的にもあれだろう」

 

「じゃ、解説よろしく」

 

 にっこりと笑って丸投げする。

 カナギは呆れたような溜息を吐いてから、イルゼを呼んで巨大樹の森を示した。

 

『――イルゼ、あそこに巨大樹の森がある』

 

「■■。■■■■■、■■■■■■■」

 

『現在その森に、お前がはぐれた兵団がいる。――馬があれば、一人で帰れるか?』

 

 ここからおよそ2km弱。今のところ周辺に【巨人】の影も見えない。ならば、馬で駆け抜ければ無理のある距離でも無いはず。一人にするのも心配ではあるが、あの一団の元まで送ろうものなら間違い無く面倒なことになる。それはもう、いろいろな意味で。

 

 案の定、イルゼは少し考えると、しっかりと首肯した。

 

「■■■。■■■■■」

 

 その答えにカナギは微笑し、なら、と言葉を続ける。

 

『――とびっきりの馬を貸してやろう。ただし、何も訊くな』

 

 その言葉を待っていたかのように空から白い鴉が舞い降り、その姿を白馬へと変えた。

 ――うん。ローラン、君、本当に何者?

 いや、なんとなくは察してるんだけど。たぶん、誰かの『魂』だけがフラフラしているのだと思う。正直、危ないからやめた方が良いと思うんだけど。

 

 イルゼは周囲を見渡し、そして何かを察したらしい。ただ頷き、そして何も訊かなかった。

 カナギは馬の手綱を取り、イルゼに渡す。

 

『乗れ。在るべき場所へ還ると良い」

 

 イルゼは手綱を受け取ると鐙に足を掛け、慣れた動きで白馬に乗騎した。

 

「――――■■■■■。■■■、■■■■■■……」

 

 それは輝くような、眩しい笑顔だった。

 本当に、この【エデン】の蒼い空と太陽が似合うような、笑顔。

 

 ――この笑顔が、曇らなければいい、と祈った。

 

「■■■、■■■■■。――■■■。■■■■■■■。■■■■■■。■■■――」

 

『いらん。俺たちはお前を見捨てることも出来た。それをしなかったのは単に寝覚めが悪くなるからだ。お前が気にすることは何もない』

 

 往け、とカナギは馬の尻を叩く。『彼』は抗議の声を一声上げると、そのまま大地を蹴って走り出した。イルゼは慌てて態勢を整え、最後に振り返る。その姿に大きく手を振りながら、思わず苦笑した。

 

 

 輝いて見える大地を、白い馬影が駆け抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この楽園に、自分たちの居場所は存在しない。

 

 

 

 

 

 





この時の作業用BGMは、やっぱり中恵光城さんの『青い空、七色の虹』でした。
……明るい曲ではありません。ですが、暗い曲でもありません。
『悲しいまでに澄み切った青い空』という、本当にそんなイメージです。
「何て綺麗なんだろう」が最後の最後で「なんで、綺麗なんだろう…」になって涙腺決壊。

ヒュムノスの澪・焔あたりのCDが好きな人なら、楽曲にストーリーが込められていても気にしないだろうから、そういう人にはおすすめしたい。
……あ。そういえば『Prim Nosurge』とか『シャラノイア伝承』とかのコーラスもしてますね。

もちろん、ここでは終わりません。


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【間奏:鳥の神とlishe mihas lef Miqveqs】

 

 

 

 

 

 

Yem ole , saria quo ciel lef sic

夢、螺旋の彼方を降り

 

Yem orza , saria quo mofie olte

栄、悲劇の頂へと昇る

 

 

xeoi loar besti torn-l-kele

夜の風は冷たく 鋭く

 

zeon lef kamyu da goen uc zarabel lef nazarie Ies

罪色の涙は 記憶の筐を錆びつかせ

 

yupa jes loar sis neckt univa-o-sis defea quo somel mibbya

もはや帰ることのない風は 遥かなる彼方へと消えていく

 

 

『――あなたの詠は、すこし不穏に感じますね』

 

 ふわりと空から降りて来た小鳥は、ちょうど人の目線の高さで人の姿へと形を変えた。

 『鳥の神』を迎えた【夜】は黎色に揺らめく眸を細め、僅かに口元に笑みを乗せる。それを受けて『鳥の神』も静かに微笑んだ。

 『鳥の神』は、髪も睫毛も月のように白く、身に纏う衣服もすべて白い。だが白い衣服に縫い付けられた意匠には、カナギと共通のものが多く散りばめられている。それを見ればたとえ知り合いでなかったとしても、何らかのつながりはあるのだろう、と察せられる程度には似ている意匠だった。

 それもその筈で、その意匠は彼らの民の女たちが総出で業の限りを尽くして作り上げているものである。実のところ、刺繍のない場所を探すほうが大変な代物でもあった。

 それを知っている【夜】は、そういう民の心づくしを知っていて、それでもあっさりと見事な白い衣を地面につけて歩く『鳥の神』に、思わず小さく苦笑を零す。

 

「――あなたは、自分ではあまり謳わないね」

 

『カナギに言わせると、わたしは少し黙ったほうが良いようなのです。手慰みに絃を爪弾くことくらいはありますが……そういえば、あまり最近は謡っていませんね』

 

 ご所望でしたら、一曲歌いますが?

 にこやかにそう言われて、しかし【夜】は首を振った。

 

「そういうことなら、自分は遠慮する。正式なお祭りの日に行ってみるから、その時に聴かせて欲しいかな」

 

 そうですか、と『鳥の神』は頷き、次いで僅かに首を傾げて見せた。その仕草は、本当に小鳥の仕草に似ている。

 

『ところで――あなた。実は【カムイ】の行方を知っていたりしませんか?』

 

「知らないよ、本当に。――どちらかというと、自分が気にしているのはヴォルフシュテイン卿のほうなんだ。――このままだと、いろいろ大変なことになる気がして」

 

『行き先が判っているぶん、手は打ちやすそうですが』

 

「うん。――【カムイ】の彼は基本的に無茶とは無縁でしょう?」

 

 そう言ってから少し首を傾げ、違うかな、と呟く。

 

「必要な時には無茶もするけど、基本的に不要な時に無謀な無茶はしない、でしょう?」

 

『――ああ、なるほど。確かに。【カムイ】の彼は無茶など出来ませんね。主に体調的な理由で』

 

「だから、本当は【フェンリル】に手伝ってほしかったのだけど……」

 

 どうしたものかな、と困ったような笑みと共に、【夜】は僅かに首を傾げてみせた。

 

 

 

 





本日はここまで。
とりあえず、ここで邂逅編は終了。と、同時に次への下準備。


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すまう風招きの剣 ~序~
【前奏:hypes Loar】




新章、開始です。
ハーメルンに移すにあたって最大のネックがこの先です。
胃が痛い……。
全ての原作をタグに付けることは不可能です。ハイ。

この先は『レギオス』(『エレメンタル・ジェレイド』+『モノクローム・ファクター』+『翼の帰る処』)×(『神喰』+『アルトネリコ』+『歌劇』)×(『黄昏色の詠使い』+『氷結鏡界のエデン』)in『進撃の巨人』な感じです。
もはや原作を列挙すると、逆に意味が解りません。

……大丈夫です。一度には出ませんから。



 

 ―――― 共に来ますか。

 

 そう訊かれて、あの日の自分は差し出された手を取った。

 

 その人は、貧民街の端で死に掛けていた孤児の自分を引き取り、育ててくれた恩人だった。

 その人自身はとんでもない虚弱体質で、元気でいる方が珍しい人だった。どうやらそれで同情して拾ってくれたらしい。

 その人の為に、強くなろうと思った。強くなければ、何も守れないと知っていたから。

 彼自身はお世辞にも強いとは言えない――というか、弱いとすら言えないくらい脆弱だったから、自分が彼を守ろうと思った。

 

 彼が【王】になってしばらくして、彼を【王】に選んだ【天剣】が自分に問いかけた。

 

 ―――― 何の為に、強くなりたいのか、と。

 

 護る為に。

 一言で応えれば、【天剣】は軽く満足そうに微笑んだ。

 

 ―――― お前に、覚悟があるのなら。

 

 そう言われて、自分はあの時、躊躇いなく『彼』の手を掴んだ。

 

 

 

 ―――― それ なのに。

 

 

 

 あの時、どうして自分は2人の傍にいなかったのか。

 

 駆け付けて、扉を力任せに抉じ開けた先の光景が、脳裏に甦る。

 白い部屋に、赤と黒。

 床に広がった漆黒の髪と、紅い水溜まり。

 白を基調とした部屋で、その鮮やかな色彩の対比が、嫌でも目についた。

 

 

 

 ―――たぶん、正気に戻ったのは、宰相の声が届いたからだ。

 

 

「――様っ!! 陛下は無事です! 猊下もまだ生きておられます!!」

 

 

 気が付けば、周囲には倒れて呻きながら蹲っている叛逆者たちが10人ほどいた。

 うち、半数は【降魔】だ。もっとも、【降魔】で生きている者はいなかったが。どうやら処分してしまったらしい。

 ただ、これ以上、部屋を汚さないようにとは配慮していたのかもしれない。流血は殆どしていなかった。

 

 くるり、と視線を巡らせる。

 

 真っ青な顔で、それでも隣に立って自分の腕を掴んでいる宰相に、思わず瞬いた。自分でも、これは客観的に見て、相当にかなり勇敢な行動だと思うのだが。誰も正気を失った獣に、自分から近づこうとは思わないだろう。

 

 だが、ダメだ。

 

 

「――すみません。でも、【核石】が無いんです」

 

 その言葉に宰相も息を呑む。

 当たり前だ。この状況の中で【天剣】の【核石】が奪われた、など。都市の滅亡を宣告されたに等しい。

 

「最低限の権限移譲に必要な措置はすぐに全部やります。だから、行かせて下さい」

 

 

 宰相をじっと見詰める。

 彼は微かに息を吐くと、そっと腕を離して目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レギオス新暦276年。

 

 光浄都市ヴォルフシュテインにて『血ノ謡』によるテロが発生。

 【天剣】は当時臥せっていた【王】を庇い、【核石】を奪われ瀕死状態に陥る。

 駆け付けた【剣守】により、テロリストは捕縛されたが一部の叛逆者は逃亡に成功。

 

 【剣守】は必要な措置をすべて終えると、自ら叛逆者を追って自律型移動都市(レ ギ オ ス)領域より出奔した。

 

 

 

 




サブタイトル訳:『風の(おこ)り』

……この章、長いんだよなぁ。
というのも、当時、いつもの長文化の癖が発動した為、予定の倍の長さになったのですよ。途中で切って分ければよかった、と後々後悔したので、こちらでは一度真ん中あたりで分ける予定。
あ、いや。違う。たぶん3つですね!!



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【Loar 01:zarle deata werllra】



 出来るだけ解かりやすく話の順番を入れ替えているのですが、そうすると1話当たりの文字数が悲しいまでに減ってしまう……。
 まぁ、ケータイから閲覧することを想定しての文量なので、途中で開き直るまであまり長くは書いてないのですが。

 



 

 

 ――Rrha guwo ga stel naja gettra gyajlee anw dornpica

  汚れた人間が 木の実を盗んで逃げて行った

 

 ――Rrha i ga guatrz gyas !

  悪霊よ! 怒りを!!

 

 ――Rrha guwo ga stelled gettra gyajlee anw dornpica

  汚れた人間が 木の実を奪い合った

 

 ――Rrha i gagis guatrz gyas !

  悪霊よ! 怒りを

 

 

 

【Loar 01:断罪の雨は降り注ぐ】

 

 

 

 ――雨の中、彼女の歌が意識を撫でる。

 

 彼女は【天剣】の義理の妹で、自分にとっても妹のような、幼馴染のような、そんな関係だった。

 【天剣】である彼とどのような経緯で家族となったのかは詳しくは知らない。ただ、彼女は一度、【核石】を狙う密猟者によって自らの契約者を失っていた。

 だからこそ。

 

 

『――行くのなら、私を使って』

 

 

 そう言ってついてきた彼女に、返す言葉など無く。

 自分はいい。どれだけ血に塗れようと、そうするのが自分の、【剣守】の役割だったのだ。

 けど、彼女は。

 

(――もっと、優しい歌の方が、似合うのに……)

 

 あえて血に塗れる必要など、どこにもないのに。

 

(――ああ、でも)

 

 解る。理解できる。どうしようもないほどの憤怒と悲嘆も、自らの手が届かなかった遣る瀬無さも。

 だから、何も言えない。

 自分が抱えているものと同質の感情の嵐を前に、自分は何も言えなかった。それは、彼女も自分に対して思っているだろうことだから。そして自分は、それを知っていて無視している。だから、彼女に何を言う権利も無い。

 それでも。

 

「――レン、」

 

 彼女の、苦痛と憎悪に満ちた歌が、止まる。

 

「……何?」

 

 囁くような声と、額を撫でる冷たい手の感触に、安堵の息を吐いた。

 

「……僕は、いつものレンの歌の方が、好き」

 

 掠れる声で、呟くように、告げる。

 はっとしたような気配。そして彼女は風車小屋から雨の中へと飛び出してしまった。追いかけようとして、体を起こそうともがく。だが、寝返りをするのも儘ならないような体調では、どうしようもない。

 

 ――雨の音だけが、暗い部屋の中に沁みて来る。

 

 時間をかけて体を起こし、呼吸を整えていると彼女が慌てた様子で戻って来た。しかし、自分が体を起こしているのを見て、怒ったような、それでいて泣きそうな顔をする。

 

「――ごめん」

 

 その一言に彼女は首を振り、そっと肩を支えて改めて横たわらせた。

 

「……外に、人間がいるの。隠れる?」

 

「……――『壁』の……?」

 

「だと思う」

 

「……そう。なら、『中』まで、つれて行ってもらおうか……」

 

「……うん。わかった。あなたはちゃんと休んでて?」

 

「けど……」

 

「私は、あなたまで失いたくない」

 

 そう言って彼女は額にひとつ、口づけを落とした。

 一拍後には背を向け、勢いよく暗い風車小屋から雨の降る外へと飛び出していく。だが、どうも遅かったらしい。何人かでやって来た『お客さん』のうち、彼女を追っていったのはたった一人だった。

 

(――えっと……)

 

 とりあえずは、目の前の『お客さん』に集中しよう。うん。

 

 

 

 

 






 そして名前が出てきてませんが……え? あ、はい。いつもの事です。すみません。

 Loarは風という意味で、レイフォン視点のサブタイトルについています。
 そして、この作品内でのレイフォンは残念ながら明らかに原作よりハイスペックです。たぶん、養い親が違う人だからです。ハイ。





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【Arma 01:yart ware zarle.】


『viega』はユウ視点。
『Loar』はレイフォン視点。
『Arma』はリヴァイ兵長視点でございます。

ちなみに『すまう風招きの剣』は『かぜおき の つるぎ』と読みます。




 

 

 その日は、土砂降りの雨だった。

 

 ウォール・マリアが陥落してから、幾度目かの壁外調査。巨人どもに奪われたシガンシナ区までのルートを確保する為の遠征。その帰還中、一時休憩するために立ち寄った農村で、その人影は悄然と佇んでいた。

 最初は、見間違いかと思った。

 この領域は、もう生きた人間が生存している可能性は限りなくゼロに近い。巨人どもが闊歩しているせいだ。

 だが、現実にその人影は色褪せた外套を目深に被り、雨に打たれるままにじっと地面を見つめている。

 村から少し離れた小高い丘の上、いまだゆっくりと廻っている風車小屋の前だからこそ、とても目立った。気付いてしまえば、見逃すことはあり得ない。

 

 ――逃げ遅れか?

 

 と同時に不審に思う。もはや、生存者が見込める期間は遥か以前に過ぎ去っている。そもそも、ただの逃げ遅れなら、この調査兵団の影を見れば助けを求めて駆け寄ってくるだろう。だが、人影はただ雨に打たれて佇んだまま、自分からは動きそうにない。

 ふと、人影が首を巡らせた。

 視線が合う。垣間見えた容貌から、少女であると判断した。その事実――少女がこんな場所に独りでいるという事実に、思わず眉をひそめる。

 少女ははっとしたように肩を震わせ、そして慌てて隠れるように風車小屋の中へと駆け込んだ。

 

 同じものを眺めていたらしい、隣に立つエルヴィンに問う。

 

「――どうする」

 

 問えば、しばしの沈黙が返る。

 思案していることだけは確かだが、何を考えているのか判らない顔で顎に手を当てて数秒後。

 

「――ハンジと共に確認に行け。とりあえずは保護の方針だ」

 

「了解」

 

「それから、」

 

 ハンジに声を掛けようと踵を返した瞬間、続いた言葉に思わず足を止めた。

 

「イルゼ・ラングナーもつれて行け」

 

 その名に僅かに眉を寄せる。確か、3か月前の壁外調査で巨人に遭遇して兵団からはぐれ、それでもたった一人で翌日には兵団に生還した兵士の名だ。

 正直、ここでその名が上がる理由は見当もつかなかったが、時折イルゼ・ラングナーがエルヴィンに何かを報告している様子は見掛けている。おそらくは何らかの別命が与えられているのだろう、と推察していた。

 そして、今回の件もそれに類する可能性がある、とエルヴィンは考えたのだろう。

 

「――了解」

 

 ふと。

 

 機会があれば、イルゼ・ラングナーにどのようにすれば装備無しで生還できるのかを訊いてみるのも悪くない、と思った。

 

 

 

 

【Arma 01:雨中の邂逅】

 

 

 

 風車小屋の前に立ち、中の様子を窺う。

 響く雨音のせいで、中の音は拾えない。ただ、奥で何かが動く気配はあった。窓から中を覗こうにも厚手の布が掛けられていて、中を確認することも出来ない。

 思わず舌打ちし、扉に手を掛けようとした時。

 

 突然、勢いよく開かれた扉の内側から、先ほどの少女が飛び出して来た。その眼には僅かに涙が滲んでいる。

 

 一瞬驚いたらしい少女はしかし、自分の脇をすり抜けて雨の中を走り去ってしまった。その姿を慌ててイルゼ・ラングナーが追いかける。

 

「……えっと。どういう状況なんだろうね?」

 

 追いかけた方がいい?と訊いてきたハンジに低く、「いや」と返す。小屋の中には、まだ人影があった。

 暗い小屋の奥、薄汚れた床に薄い布を引いて横たわり、傍目にもぐったりとしている。

 

「――病人か」

 

 一団で逃げていて病気のせいで此処に置き去りにされたのか、それとも逃げている最中に病気で動けなくなったのか。そんな可能性はもはや限りなく低いだろうが、いずれにしても、こんな不衛生なところに残していく訳にもいかない。

 

「おい」

 

 驚かせて逃げられないように、慎重に足を運ぶ。逃げた猫を相手にしているような気分だった。

 一歩。ギシ、と床が軋む音が響く。

 それで気が付いたのか、横たわった人影が身を起そうと腕を動かすのが見えた。

 

「俺たちは調査兵団だ。お前たちを保護し、壁の内側まで送る用意がある」

 

「だから怖くないよ~?」

 

「お前は少し黙ってろ」

 

 背後で抗議の声を上げるハンジを無視し、横たわる人影に近づく。傍らに膝を着いたところで、それがまだ少年と云える域の年齢であることを知った。

 

 手を伸ばし、少年の額に触れる。

 やはり熱い。連日の雨でやられたのだろうか。ただの風邪なら良いが、伝染病だとまずい。

 

 焦点の合わない、茫洋とした蒼い目を見て、もう一度告げる。

 

「お前たちを保護する。――お前の名は?」

 

 少年の乾いた唇が僅かに動く。微かな吐息が零れ、しかし殆ど声にはならなかった。

 かろうじて読み取れたのは『レイン』。――信憑性には欠けるが、現状では仕方がない。

 

 敷いてある布ごと抱え、肩に担ぎあげる。

 

 キィ、と扉が軋む音に振り返れば、さっきの少女がじっとこちらを見ていた。その後ろには困ったような顔をしているイルゼ・ラングナーが見える。

 

「……その人を、助けてくれるの……?」

 

「薬はあるし、少なくとも壁の内側までは届けてやれる。――お前の名は?」

 

 少女はこちらを必要以上に警戒しているようだった。両手をきつく握りしめ、じっと睨むようにこちらを窺っている。

 

 雨の音が響く中、薄暗い小屋の中で、しばらく何も言わず向き合っていると、不意に少女は力を抜いて目を逸らした。

 

「――名前は?」

 

「……レン」

 

「――それだけか?」

 

 はっきり言って、少女の身なりは農民や狩猟民がするものでは無い。少なくとも、中級以上の階級の筈である。もっと言ってしまえば、上流階級の娘が『お忍び』で街に降りて来る時のような雰囲気に近い。

 

「――レヴェリー・メザーランス。……でも、長い名前、嫌いなの」

 

 案の定、しっかりとした名前を返した少女は、しかしその名を使うな、と遠回しに告げた。

 それについては深く訊くことはせず、気になっていることを問う。

 

「壁の内側までは面倒を見てやる。――その後は、あてはあるのか」

 

「……人を、探すわ。探している人がいるの。だから、気にしないで」

 

「――そうか。見つかると良いがな」

 

 こんな世界だ。とうに巨人に食われていたり、病気や怪我で死んでいるかも知れない。

 だというのに、少女はまるで生きているのを確信しているかのように、頷いた。

 

「そうね。――見つけるわ、絶対に」

 

 

 

 ――――雨は、いまだ降り止む気配すら見せず。

 

 遠くの空で、雷が鳴り響いた。

 

 

 

 






 文字数持ち直せた良かった。
 でも、なんだかんだで投稿初期の文字数、少ない気がする。
 いや。気のせいじゃなく少ないですね。

 Pixivで確認したら、大体2,000字~10,000字の間を行ったり来たりです。我ながら差がありすぎます。ちなみに、戦闘シーンは長文化する傾向です。



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【Arma 02:Fhyu yaha, grlanza won dor anw sabl vianchiel.】



 『Arma』というのは『牙』あるいは『牙を向く(者)』という意味です。
 これはセラフェノ系の言語です。ライトノベル作家の細音啓先生の作品群(主に『黄昏色の詠使い』『氷結鏡界のエデン』など)で使われる架空言語です。
 これもヒュムノス並に言語が分けられていまして……『セラフェノ音語』『セラフェノ真言』『巫女言語』『魔笛』と分けられています。もしかするとまた区分が増える予感。
 しかしながら、ヒュムノスのようにぱっと見て区別するのは至難の業……。

 


 

 

 

 ――― Ir ol thia , Tu o Ar ol vi ecla.

  夢の中で、貴方を何度も殺めましょう

 

 ――― Tu o ir ol dir.

  それが私の救いになる

 

 

 

 帰還中、雨を避けるために張られた簡単な(ほろ)付きの荷駄から時折、少女の静かな歌声が漏れ聞こえていた。

 

 

 

【Arma 02:風、嗤う 地に這う砂の儚さを】

 

 

 

 珍しく1体の巨人とも遭遇しなかった帰還中、エルヴィンは拾った少女と何度か面談していた。その際、何故かイルゼ・ラングナーも同席していたが、詳細は聞かされていない。

 これはこれで珍しい状況だとも思ったが、エルヴィンは状況に応じて使う人間を変えることもある。ならば、この件に関しては自分よりもイルゼ・ラングナーの方が何らかの利があったのだろう。それに、巨人が関わるような話でも無い。ならば、自分が出る幕は無いだろう。

 

 ――そう、思っていた。

 

「リヴァイ」

 

 トロスト区へ帰還した後、呼び出された部屋にいたのはエルヴィンと、『あの』イルゼ・ラングナーだった。ただ、イルゼ・ラングナーは何やら部屋の隅の机で書類か何かの束と向き合い、時折うなったり頭を掻き毟ったりしている。

 その様は、いわゆる学舎において不出来な者を残らせて宿題をさせているような、そんな雰囲気だった。

 だが、エルヴィンは気にしていないのか、しばらくは放置するつもりらしい。あるいは最近は『こう』なのかもしれない。

 

 今はとりあえず、目の前の執務机に座るエルヴィンと向き合うことにする。

 

「帰還早々の呼び出しとはな。――何かあったか」

 

「あったといえばあった。――3か月前だ。そこの、イルゼ・ラングナーが壁外において装備無しの状態であるにも関わらず、生還した。それは知っているな」

 

「ああ。非常に運が良いことだと、一時期は調査兵団の中でもその話で持ちきりだった」

 

「彼女はその際に起きた正確なことを、上には報告しなかった。実際、ただ『運良く』生還できたというだけのことだ。上も詮索しなかった。――だが後日、彼女は私にだけ報告に来た」

 

 その言葉に、思わず眉を寄せる。

 それは、非常に『政治的な』話ではないだろうか。いや。『上に報告すれば政治的に利用されると判断した為に、報告できなかった』ということだろうか。この場合、『利用される』のが『何』あるいは『誰』なのかという部分でイルゼ・ラングナーという人間がどういう人間なのかが判る。それはつまり、『何を政治的利用から守ろうとしたのか』が判るからだ。

 だが、エルヴィンがいまだに彼女を手元に置いている事実を考えると、些細なことか、あるいは逆に重大すぎる故に手を出せないか、のどちらかである確率が高い。

 前者なら、いい。だが、自分が今、此処に呼び出されたという事は、だ。

 

「――――デカすぎる話か」

 

「そうだ」

 

 エルヴィンは重々しく頷き、軽く息を吐いた。

 

「人類の存続に関わる、非常に大きな話だ。正直に言って、事実であった場合は非常に面倒なことになる。最も危惧される最悪なシナリオは、人類同士の戦争による自滅だ」

 

「――冗談でも笑えねぇぞ。巨人どもに良いようにされてるってのに」

 

「まったくだ。――『彼ら』にその気は無い。予測出来ないのは、『我々』の方だ」

 

 その言い回しに、目を細める。一瞬、『彼ら』というのを『巨人』と受け取り、一瞬後に「そうでは無い」と判断する。

 

「……イルゼ・ラングナー」

 

「――――は、はいっ!?」

 

 何やら作業に集中していたらしいイルゼ・ラングナーに声を投げれば、彼女は慌てたように立ち上がって振り返り、敬礼した。

 

「今から俺の質問に答えろ。――3か月前のあの日、お前は巨人に追われていたはずだ。武器も立体機動装置も無い状態で、どうやって巨人から逃げることが出来た?」

 

「――逃げることは出来ませんでした。事実、食殺される寸前でしたが、自らを『壁の外で暮らす民』だと名乗る青年に助けられました。翌日、調査兵団の近くまで送ってくれたのも、その人です」

 

「――壁の外、だと?」

 

「はい。――事実かどうかは判りません。また、確認のしようもありませんが、彼はそう言いました」

 

 『壁の外』にいるのは巨人だ。人間では無い。

 なまじ人間がいたとして、その人間は巨人の脅威をどうやりすごしているのか。そして『民』と自称するからには、それなりの人数がいるはずだ。その『民』と称せるほどの人数を維持するのには防衛力が必須。――『壁』を持たないのなら、巨人の群れを撃退できるだけの力が必要となる。

 もし、人間として不可能とも思えるこの条件を満たしているのなら、それはそれで『巨人とはまた別の脅威』となる可能性があると言えた。

 

「そいつは、本当に人間か?」

 

「私にとってはただの恩人です。巨人では無いのは確実ですが、最後まで人間だとは言ってくれなかったので、彼にとっても思うところがあるのでは無いでしょうか。ちなみに『普通の人間種だとは口が裂けても言えないが、人類という括りになら入る』という趣旨のことを言っていました。戦闘能力なら……ちょっとだけ、巨人を憐れみそうになるくらいに高いです。とりあえず、リヴァイ兵長と同じことは出来るんじゃないかと。――――立体機動装置無しで」

 

 最後の最後に付いた言葉に思わず瞬き、聞き間違いであるかどうかを確認するべく、エルヴィンへと視線を向ける。エルヴィンも心なしか悲嘆するような顔をしていた。

 どうやら、聞き間違いではないらしい。

 

「正直、ただそれだけならついでに報告していたと思います。でも、――万が一、『我々』が『外の民』と敵対するようなことになった場合、『我々』は完封されると思いました。単に戦闘能力が云々ではなく、文化・文明の面において、彼らとの間には水準の差があるように感じましたので。――おそらく、我々よりはるかに人類同士の戦争に慣れています」

 

「――なぜ、人類同士の戦争という発想になった?」

 

「上の方々は、『外』には金銀財宝がたっぷりとあると知れば、途端にやる気を出してしまう方も多いと思います。そして、人間では無いならば人間の敵に違いない。巨人と同じだ、殺してしまえ、となる可能性が高い、と判断しました。――少なくとも、恩人が出来る限り遠ざかる時間くらいは稼いでみよう、と思った次第です」

 

 なるほど。上の肥え腐った連中よりも恩人を選んだという事らしい。だが、まぁ。俺自身が同じ状況に置かれれば、俺も同じ判断をしただろう。そしてもし、その恩人が壁まで送り届けに来ていたなら、どうなっていたか。――おそらくは捕えられ、『人類の為に』とか理由を付けて解剖でもされていた可能性が高い。

 

 ――――なるほど。この状況では、正解だ。

 

 『壁』に引き籠ってうだうだやっているうちは、そんな情報などあるだけ無駄――それどころか、余計な火種にしかならない。ならば、イルゼ・ラングナーの判断は正解だろう。

 

「……で、なんで俺にこの話が来た? 今更だろう」

 

「拾って来た少年少女が、『外』の民だからです」

 

 エルヴィンに訊くつもりで発した問いは、イルゼ・ラングナーによって答えられた。

 思わず顔を顰め、イルゼ・ラングナーを睨む。だが、イルゼ・ラングナーは思っていたよりも豪胆であったらしい。にこりと笑って応えた。

 

「実は、恩人と文通してまして。――その恩人から、近々ちょっと迷惑掛けるかもしれないから、ごめん、と言われました。詳しく訊くと、犯罪者と家出人を回収に来るとか来ないとか。しっかり説明すると長くなるから、それでとりあえず納得してくれ、といわれたので、これ以上の情報はありません」

 

「……文通とは、初耳だな」

 

 どうやらエルヴィンもこのことは聞いていなかったらしい。額に手をやり、頭を抱えている。

 

「ただの友人ですから。それに、文通の手段が不確実なので……」

 

「ちなみに、手段とは?」

 

「鳥に運んでもらいます」

 

 ほう。鳥か。人間以外は巨人にも食われない――訓練して馴らせば、危急時の連絡用に使えるのかもしれない。

 だが、それよりも今は。

 

「それより、なんであの子供が『外』の連中だと判断した?」

 

「手紙の名前と特徴、それから歌で判別しました。『外』の言語は『我々』と違うので。――――兵長も、解りませんでしたよね? 彼女の歌」

 

 言われて、帰還の道中に聴くともなしに聴いていた旋律を思い出す。だが、旋律はなんとなく思い出せても、何を言っていたのかは思い出せなかった。ただ、聴いたことの無い、静かでひそやかな旋律であったことは覚えている。

 

「文通ついでに色々な言葉を教えてもらいまして。言語的な特徴から、あれはラグクーア語であると判断しました。既に滅んだ古代の国の言葉だそうですが、彼曰く『ウタなら残る』と。もちろん、『壁の内側』には文献も見つかりませんでした。―― 一応、捜索は続行中ですが」

 

 ――なるほど。どうやら、イルゼ・ラングナーは『外』の情報に関して文献調査をしていたらしい。おそらくは、『恩人』から与えられた情報の真偽の判断材料と成り得るものを求めて。

 

 イルゼ・ラングナーの事情は分かった。

 ならば次は、その『外』から来た可能性のある2人をどうするかという問題だ。そう思ってエルヴィンを見る。エルヴィンはひとつ頷くと、口を開いた。

 

「2人はすでに街の中だ。――が、一応『目』をつけた。問題が起きればすぐに報せが来る」

 

「そうか」

 

 どうやらしばらくは泳がせる気であるらしい。下手に手を出すよりは、という判断だろう。あばよくば、『外』の情報が更に手に入らないか、という思惑もあるに違いない。

 

「……イルゼ・ラングナー」

 

「はい」

 

「お前はもう少し、情報をまとめて報告するように。――帰って良し」

 

「はい!失礼します!!」

 

 勢いよく敬礼し、踵を返して静かに退室したイルゼ・ラングナーを見送り、エルヴィンは溜息を吐いた。心境は、解らなくも無い。

 

「――まったく。我々は己の事すら儘ならないというのに……」

 

(――確かに、な)

 

 『外』の事情など今まで考えてもみなかったが、そもそも『壁』程度でも巨人から百年、身を守れたのだ。他にも方法があるのかもしれない。もしそうなら、『外』に他の人類がいたとしても、おかしくは無いのだろう。

 

 

 ――だが、『外』との接触は、まだ先になるはずだとも思った。

 

 

 

 






 ところで、細音啓先生も志方さんのファンだったりします。
 ……ヒュムノスの歌姫たちに『来讃歌』とか詠ってみて欲しい。心の底から。




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【kei 01:Fhyu nya, nanarta won dor anw sabl lusye.】



 『kei』は『雫』。

 流れ落ちた一滴は、水面に微かな波紋を描いて揺らす。




 

 

 壁外調査――――遠征から帰還した調査兵団には、報告書作成の期間として数日の休暇が与えられる。その為、トロスト区に自分の家を持つ者は自宅に帰る者もいた。自分もその一人である。

 

 両親は流行り病で亡くした。その両親から譲り受けたので実家と言えばそうなのだが、帰りを待つ者もいないなら、「実家」とは認識しづらい。

 今もトロスト区郊外にある自宅は、明りも無く静かに佇んでいる。

 

 ――――が。

 

 その自宅前の階段に座り、ぼんやりと空を見上げている人物が誰かを認識した時、私ことイルゼ・ラングナーは思いっ切り絶叫した。

 

 

 

【kei 01:風、誘う 地に舞う砂の煌めきを 】

 

 

 

「納得いかない」

 

 ぶすっとした表情で食卓に肘を着き、頬杖をついているイルゼの言葉に予想外の来客――ユウは小さく苦笑する。

 

「何が、納得いかないの?」

 

「……何が? 何がですって?」

 

 ぎっとユウを睨み付け、イルゼは更に機嫌が低下するのを自覚した。

 

「全部よ全部! まず、何で『此処』にいるのよ!」

 

「実は壁が作られた当時から抜け道は存在していてね。普段カナギが使っている道を使わせてもらった」

 

 そんなものがあったのか。非常に忌々しき問題である。だが、それ以上に私としては一応、これでもひとりの女として問わなければならないことがあったりするのだ。

 

「――なんで私の家を知ってるのよ!」

 

「それもカナギ経由で。彼は鳥に訊いたらしいけど」

 

 情報源が鳥とか。もう無理。これは仕方ない。一般人な自分には手に負えない。別に私は動物と仲良くしたり植物と意思疎通できたりするような、そんな特殊な能力なんて持っていないのだから。手の打ちようがない。

 

「というか、なんで言葉通じてるのよ!!」

 

「もちろん、勉強し直したからね」

 

 まさかのユウ自身の能力らしい。――いや、勉強したと言っているので、努力はしたのだろう。しかし、である。そもそも勉強できるほどの言語サンプルがあることが驚きである。

 

「……一番気に入らないのはっ!!」

 

 びしっとユウを指さし、ちょうど出来上がったらしい彼が運んでいる料理を見て本気で泣きそうになった。

 

「なんでそんなに料理が巧いのよ!?」

 

 女子として恥ずかしいうえ、非常に悔しい。むしろもう何処へなりと消えてしまいたい。

 ユウは少し首を傾げて、困ったように笑った。

 

「ちょっと壁内の食事事情を見るに見かねて……えっと……ダメだった?」

 

「…………ダメじゃ、ないわ……」

 

 兵士の基本食は豆のスープとパンである。基本的に食料が慢性的に不足しているからそうなのだが、まさか同じ材料でまったく違う料理を作ってもらえるとは思わなかった。非常に悔しいのだが。

 

「じゃあ、食べちゃおうか」

 

 出来たての料理を食卓に乗せ、他にサラダやスープも用意されている。ほかほかと立ち昇る湯気と食欲をそそる香りで、非常に美味しそうに見える。というか、本当に美味しいんだろうな。やはり悔しい。

 

「美味しそうではあるんだけど、これ何?」

 

「こういう麺を使った料理は『パスタ』って云われるよ。今回はトマトソースだね」

 

「ふ~ん」

 

 くそぅ。忌々しい食糧事情め。ひいては巨人め。

 最後に水を持ってきたユウを不貞腐れながら眺めていると、席に着いたユウは料理を前に両手を合わせ、静かに「いただきます」と言った。

 

 その行為の意味が解らず、思わず瞬く。

 ユウは視線に気付くとただ柔らかく微笑み、僅かに首を傾げてみせた。

 

「イルゼ。食べ方は、わかる?」

 

 いえ。そもそも麺料理って何、という勢いで知りません。

 そう答えれば、ユウは「そうだよね」と言って頷いた。そして器用にフォークをクルクルと回し、パスタを巻き取るとそれを持ち上げる。

 

「こういうパスタの場合は、こうやってまとめて食べる」

 

 先に食事を済ませちゃおうね、と言って笑うユウを睨み、初めて見るパスタを攻略しに掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想以上に美味しかった食事の片づけも終わり、イルゼは改めて向かい合って座るユウに溜息を吐く。彼にとっての本題は、ここからだ。気を引き締める。

 彼は僅かに目を伏せると、静かに口を開いた。

 

「レヴェリー・メザーランスって名前であってる?」

 

「女の子の方はあってる。男の子の方は結局、聞きそびれちゃったけど。――本人?」

 

「十代半ばで、その組み合わせで、その名前なら間違いないだろうね。――ガハルド・バレーンの方はどうだった?」

 

「そっちはあっさり見つかった。今は訓練兵として確かに壁内にいるわ」

 

「そう。――ごめんね、こんなこと頼んじゃって」

 

 こんなこと、とは密偵の真似事のことだろう。だが、別に無茶なことはしていないし、応えられる範囲のことにしか手を出していない。

 思わず軽く笑って、肩をすくめて見せた。

 

「別に、このくらいはお安い御用ってところだわ」

 

 だが、ユウは困ったように――いや、どちらかというと申し訳なさそうに微笑み、やはり静かに、淡々と告げる。

 

「うん。でもごめん。――つけてきてた人たちって、君の上官絡みで合ってるよね?」

 

 ――――うん。そんなこと知りませんが、何か?

 

 思わず笑顔のまま、呼吸を止めて硬直する。

 つけられてたんですか、私。ということは、ユウの存在がばれてるってことですね? 見つけた時、思いっ切り叫んじゃいましたし。

 知らぬ存ぜぬで押し通すしか……無理かな。無理ですよね知ってました。

 

(あぁぁああぁあぁ……どうすんの、私。てかどうなるの……)

 

 思わず机に突っ伏し、どうするべきかを思案する。

 不意に頭を撫でられる感触にチラリと目を向けた。ユウは柔らかく微笑んでいる。

 どうもユウは私をペットか何かと思っているのではないだろうか。というか、そうでなかったら逆に何だと思ってるのか気になりすぎる。

 

「イルゼ」

 

「……いま、自己嫌悪に浸ってるんで、もうちょっと待って下さい」

 

「えっと……あまり時間も無いから、出来れば早く立ち直ってほしいんだけど」

 

 そう言われてしまえば、立ち直るしかないではないか。色々な意味で時間がないのも事実ではあるのだし。

 のそりと身を起こし、改めてユウに向き直る。ユウは安堵したように笑った。

 

「明日とか、君の上官に会ってみても良いかな?」

 

 ――――とりあえず、ユウは絶対的に言葉が足りていないと思ったのは、決して間違っていないと思う。

 

 

 

 






 れんあいフラグなんてない。
 むしろ父娘です。きっとたぶん。

 ……いや。祖父と孫娘かも。




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【Arma 03:Fhyu yaha, hartes won fayra anw fwillra gyaje.】


サブタイトルが上手く訳せない……。
元々は『灰色名詠』を参考にしています。


 

 

―― rre zarle nha yor

 これはあなたが呼んだ雨

 

―― rre kapa ini en nozess omnis

 水は全てを清め、消し去るでしょう

 

 

 

 

 ―― Sef wa-o neg li qules Sef.

 

 

 

 今日も外は雨。昨夜一度は止んだが、また今朝から再び降り出した。

 

 

 

【Arma 03:風、嗤う 火に酔う塵の愚かさを】

 

 

 

 昨日に引き続きエルヴィンの執務室に呼び出されたリヴァイは、その窓辺に佇む青年に思わず眉をひそめた。

 その手前にはエルヴィンとイルゼ・ラングナーが向かい合って座り、質疑応答をしている。イルゼ・ラングナーもエルヴィンも時折、青年に視線を向けて動向を探っていた。

 青年は気にした様子もなく、窓から雨が降りしきる外を眺めている。

 

 ――時折、何かを(くちずさ)みながら。

 

「どういう状況だ、エルヴィン。――いや、」

 

 チラリと窓辺の青年を確認する。乾いた土色の髪に、珍しい赤い目。見慣れない紋章――おそらくは、何か鋭い牙をもつ獣を抽象化したもの――を背に負う兵服。見覚えはない。

 

「イルゼ・ラングナー。解答を要求する」

 

「はい!! 彼が昨日の文通相手の友人にして私の恩人であり、『外』の人です!」

 

「……そうか」

 

 なんとなく、そんな気はしていた。だが、流石に昨日の今日で見る事になるとは思わなかったのも事実だ。つかつかと無造作に歩み寄れば、青年の視線がゆっくりと窓の外から自分へと向けられる。

 

 ふと、赤い目と視線が合った。

 一拍。間をおいて、青年は淡く微笑む。何故か『花が咲くような』という表現を思い出した。

 

「……あなたが、イルゼが言ってた『リヴァイ兵長』?」

 

 すっと凭れていた壁から身を離し、青年は自然に態勢を整える。いわゆる「きをつけ」の姿勢だが、無駄に力まず、ゆったりと自然体だ。それを受けて、思わず眉間にしわを寄せる。

 

「――リヴァイだ。『中』の世間じゃ、これでも最強で通ってるらしい」

 

「そのようだね。――自分は『外』に暮らす民のひとつ、戦闘種族の【狼呀の民】に属する。組織としては、【狼呀】の極東支部元・第一部隊隊長、現・独立支援部隊『クレイドル』所属 兼 極東支部 支部長代理直轄 特設遊撃部隊 所属、ユウ・カンナギ――っていうのが、一番短いかな」

 

「――って、何その無駄に長いうえに偉そうな肩書き!?」

 

「……言って無かったっけ?」

 

「言ってません!!」

 

 こてん、と首を傾げたユウ・カンナギにイルゼ・ラングナーが吠える。

 しかしここで問題なのは、そんな偉そうな肩書きを持った奴が何をしに来たのか、ということだ。

 

「実際、結構これでも偉いんだよ?」

 

「嘘!? だってカナギはあなたに『有能すぎていつ存在ごと消されるかわかったもんじゃない』って言ってた!――これって、あなた自身はそんなに偉い立場ではないってことじゃないの!? 良いように使われる立場!!」

 

「……よく覚えてるね。それも事実だけど、偉いのも事実なんだよ? 少なくとも、現場では。極東支部の【狼呀】はある程度自由に使える立場だし」

 

「なんでそんな偉い人が此処にいるのよ!」

 

「俺が【狼呀】の中でも有能な方だから。――それに、下手すると君たちに物凄い迷惑を掛けそうだから、迷惑料の先払い、かな」

 

 意味が解らない、という顔をして睨むイルゼ・ラングナーに、青年は困ったような笑みを乗せる。

 

「――俺が受けている任務はね、『失敗したらその時点で俺を切り捨てて【狼呀の民】および『外』の民は一切手を引く』って流れなんだよ。むしろ、流れ的には俺に失敗してもらいたいくらいだと思う。そうすれば俺は殉職扱いで邪魔者を片付けられるって事で。まぁ、そっちは仲間にお願いしてきたから、俺はこっちに集中するけど」

 

「……なんで、笑っていられるのよ……」

 

 俯き、何かを堪えるように呟いたイルゼを見つめ、青年はそっとその頭を撫でた。その表情はやはり困ったような微笑を浮かべたまま。

 だが、このままでは話も進みそうにない。――いや。ある意味においては情報収集の役には立ったのだが。

 

「――それで、エルヴィン。俺を呼んだのはなんでだ」

 

「――ああ。家出人と犯罪者の確保を条件に、壁外調査の際の情報提供を確約された。とりあえずはこの話を受ける。リヴァイには訓練兵のところへ視察――と称しての、訓練兵に紛れているらしい犯罪者の確認に付き合ってもらいたい」

 

「その後は」

 

「お前の判断に任せる」

 

 エルヴィンとしても『現状』では上に報告する気は無いらしい。調査兵団のリヴァイによる訓練兵の視察――という事にしておけば、目立つのは俺で他はその影に隠すことが出来る。

 つまり、囮役を任されたという事だ。

 

「――了解だ、エルヴィン」

 

 改めて青年に向き直る。

 青年も視線に気付いたのか、向き直ってにこりと微笑んだ。

 

「名前はユウ・カンナギ。君たちには発音しづらいかも知れないから、そうだったらフェンリルでも良い。――あなたの事は、リヴァイって呼んでいいのかな?」

 

「――――好きにしろ」

 

「うん。わかった。『人類最強の兵士長』殿」

 

「………………」

 

 思わず、言葉を失って青年をまじまじと眺める。青年は何事も無かったかのように、にこにこと笑顔を浮かべたまま、こちらを見つめていた。それは先ほどの言葉が、こちらの聞き間違いかと思わせるような、屈託のない綺麗な笑顔で――だからこそ、数瞬遅れて逆に鳥肌が立った。

 こんな、綺麗な笑みで自分の腹の底を隠しおおせるような人間は、『壁』の中では見たことが無い。内心を読まれないようにする場合には無表情であることが最も多く、次に多いのは卑しい笑みだ。あとはさも自分が悲劇の主人公であるかのような主張を、悲壮な顔でするくらいか。

 

「……お前……」

 

 綺麗な笑顔だ。それはもう、完璧な作り物のように。

 滅多に見ることが出来ない『完璧な微笑み』をしばらく鑑賞し、最後に溜息を吐いて身を翻した。

 

「……リヴァイだ。そう呼べ」

 

「うん。ありがとう、リヴァイ」

 

 ふと。声に宿るニュアンスが微妙に変化したのを感じて、もう一度だけ視線を向ける。そこにはやはり笑顔で、しかし先ほどよりもあたたかみを感じられるような眼差しの青年が、機嫌の良い猫のように目を細めた姿があった。

 

 

 





ちょい足しver.です。
今日は此処まで。

おやすみなさいノシ



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【間奏:zette Isa Loar, O Arma.】


架空言語は好物です。
中でも多重録音な架空言語で奏でられる音楽とか、CD1枚で半年は浸っていられます。

でも、訳すときは戦々恐々です。
架空言語→日本語は無問題ですが、日本語→架空言語は……どうすれば微妙なニュアンスを伝えられるのか……。





 

 

 

――― O i xisa Artia forr seffis ?

 女神が与えた忘却は救いだったのでしょうか?

 

―――Ir nen zel tu, Ir zel Sef.

 愛しい光よ、私はそうは思わないのです

 

 

 

 出逢った『壁の中』の住人たちの世話になりながら辿り着いた街は、トロスト区というらしかった。

 なにかと面倒を見てくれた兵士たちに礼を言いながら、そっと離れる。熱は分けてもらった薬で下がっていた。だが、体力も下がっているはずなので、しばらくは無理できない。

 

 とりあえず、逃げた奴が潜んでもすぐには判らないであろう場所を考え、虱潰しに探してみようかと考えた矢先、彼女からしばらくはきちんと休むように、と宣告された。

 彼女曰く、風を使えばすぐに特定できる、と。

 

「いや。なら早く探して片付けよう」

 

「でも」

 

「相手が奴程度なら、レンもいるし問題無い。それより早く片付けて【核石】を取り戻して帰らないと。――手遅れになる前に」

 

 レギオス――自律型移動都市の【天剣】と呼ばれる彼らは、他の【宝玉珠】とは一線を画す存在だ。彼らの【核石】はそのまま彼ら自身の第二の心臓だが、【天剣】の【核石】は都市の心臓でもある。

 それを奪われた。厳密にはそっくりそのまま奪われたわけでは無く、【核石】のごく一部でしかないが、それでも奪われたことによって今、光浄都市ヴォルフシュテインは停止している。それは災獣が闊歩する大地で『障壁』が全壊し防御機構を全て失い、かつ気候制御などの全システムもシャットダウンしている状態である。

 たまたま珍しくも近くにいた他の都市に支援を頼んだが、それもあまり長期間は不味い。他の都市を道連れに滅びる気か、という話になってしまう。

 

 ――時間が経って焦りは募るが、少しは冷静になった。もう、個人の感情で行動する余地は本来無いのだと、思い出した。

 

「――レン。お願い」

 

 ―――― 何の為に、強くなりたいのか、と。

 あの日、【天剣】である彼にそう訊かれ、護る為に、と応えた。

 彼――劉黒(リュウコ)はそれを聞いて、軽く満足そうに微笑んだ。

 

 ―――― お前に、覚悟があるのなら。

 

 ―――― 個人的な感情を呑み込み、王を支え、民に仕える覚悟があるのなら。

 

 ―――― さあ、この【天剣】の手を取るが良い。

 

 そう言われて、自分はあの時、躊躇いなく『彼』の手を掴んだ。

 つかの間の追憶。その記憶を改めて胸に刻み込み、瞑目していた双眸を開く。――自分は、守るために【天剣】の手を取った。

 だからこそ。

 

 zette Isa Loar, O Arma.(だからこそ 風よ、牙を剥け)

 

「――レン。レヴェリー・メザーランス。どうか『私』に、君の力を貸してくれ」

 

 彼女に手を差し出す。

 彼女はしばらくその手を眺め、ふと苦笑すると小さく頷き、左手を重ねた。

 

「……仕方の無い【剣守】ね。でも、あの人の【剣守】としてはきっと丁度いいわ」

 

 

 

――― Tu o ar whit.

 これはあなたが呼んだ雨

 

――― Whit Sef Laq, rin Laq o nen zai.

 水は全てを清め、消し去るでしょう

 

――― Rin zai tu hasra lei o sinal ?

 ならば、最後に残ったものこそが真実なのでしょうか?

 

――― Esiary, whit sef agatia, tu mir ol ar…

 それとも、大地を潤したその先に…

 

 

 ざわり、と風が動いた。渦巻くように広がり、レンの長いアメジスト色の髪を翻す。

 

「――――見つけた」

 

「そう。――じゃ、最低限、此処の人たちに迷惑かけないような瞬間まで、待ってみようか」

 

 

 





 さてさて。
 Pixivから読んで下さっている皆様方はご存知のように、この後レイフォンvs神薙ユウという無茶がある訳ですが。
 え? ネタバレ?
 いや。えっと、すみません。
 勝敗?
 いやー……当時、ノートに戦場の状況から精神状態、各能力値などなど勝敗の要因になり得る要素を全部書き出してみたは良いものの、ぶっちゃけこの2人、戦うとなるとユウが苦戦する要素しかなくて涙目通り越して笑い出した記憶が……。

 あ。次の話には加筆があります。そのせいで今後加筆修正が必須になりますが、どちらかというとPixiv投稿時に『長文化の癖が発動しかかってる!!』って削った部分だったりします。まさか日の目を見ることになるとは……。
 もう最近は長文化の癖は諦めました。
 読む分には、短いより長いほうが嬉しいですし。はい。



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【反章:Deus, sia ?】


 加筆と言っていたな?
 あれは、嘘になった。申し訳ない。

 例によって癖が発動したので、1話分として投稿します。




 

 その日の訓練は、雨の中で立体機動装置を駆使し、巨大樹の森を抜ける時間を競うものだった。おそらくは立体機動装置の扱いに慣れさせる為の訓練なのだろう。

 

 いつものように始まった訓練は、しかしどこかいつもと違う空気を孕んでいた。

 

「おい、知ってるか。今日の視察……」

 

「ああ……なんでも、『人類最強』が視察に来てるんだろ……?」

 

 そんな声がひそひそと周囲から聞こえてきて、思わず口元を引き攣らせる。

 

(――貴様ら程度の物差しで『人類最強』だと? ハッ! 笑わせる)

 

 『壁の内側』の人間には自分たち【降魔】のような剄脈などなく、【狼呀】のような災獣と同質の力も無く、【詩紡ぎ】や他の民にあるような特異な能力も無い。

 そんな、自分からしたら一般人と同類でしかない連中が『人類最強』など、滑稽でしかなかった。

 

(……ん?)

 

 ざわり、と周囲の空気が揺れた。周りの訓練兵に倣って、視線を100メートルほど離れた柵の方へ向ける。雨に煙るなだらかな丘陵を背景に、2頭仕立ての馬車が止まるのが見えた。柵の向こうに止まった馬車から降りてきたのは、何処にでもいそうな背格好の青年。彼は馬車を降りてから黒い傘を差し、馬車の出入り口で掲げて次に降りてくる人物が濡れないように気遣っている。そして次に降りてきた身長の低い男を見て、周囲の訓練兵たちの空気が明らかに変わった。つまり、あの小さな男が『壁の内側』という場所で『人類最強』とか言われている人物なのだろう。

 だが。

 その『人類最強』と謳われる人物の付き人のような行動をしている、青年。その青年の背負う紋章に気付いた時、思わず自分は半歩、身を引いた。ぱしゃり、と足元の水が跳ね、その音に反応したかのようなタイミングで、こちらに背を向けていた青年がチラリと肩越しに振り返り、一瞥する。

 まずい、と思った瞬間、青年の赤い双眸と、視線が合った。合ってしまった。その瞬間、青年は僅かに目を細め、しかし何事も無かったかのように視線を巡らせて、傍らの男に何やら話しかける。

 それに面倒臭がりも鬱陶しげにもしていない様子を見ると、端から見れば単純に談笑しているように見えなくもない。事実、青年はふんわりと微笑んでいた。

 だが、その青年の背には、見間違いでは無くフェンリル――即ち、『神喰らいの餓えた巨狼』に由来する【狼呀】の紋章がある。しかも、その特徴的な獣の紋章を囲むのは、柔らかな小梢(こずえ)の紋。本来は鋭く荒々しい獣の紋章を、柔らかな小梢で幾分、穏やかな印象に変えている、その紋章は。

 

「……クレイドル、だと……っ?」

 

 【狼呀の民】で最も遭遇率が高く、しかしあまりの多忙ゆえに面識を得るのは難しい、『【狼呀】最高の特設部隊』と名高い独立支援部隊クレイドル。それに所属していることを示す紋章だったはずだ。かの民で有名な【狼呀】は、ほぼクレイドルに所属している、という話も聞いている。

 

(なぜ……そんな奴が……いや、)

 

 たしか、クレイドル所属の隊員は、基本的に丈の長い白い制服だったはずだ。戦場で目立つように、と。

 だが、いま見ているあの青年は、灰色とも緑色ともつかないグリーングレーの制服である。丈も長くは無い。そんな人物は――――いや、ひとりだけ。たったひとりだけ、いた。

 

(……まさか、)

 

 神薙ユウ。

 『最強の【狼呀】だと思う人物をひとりだけ挙げよと言われたら?』――――【狼呀の民】に投げたその問いに対して返されるのが、『極東支部の神薙ユウ』である。具体的な功績となると他の名前が挙がるが、【狼呀】の中でも伝説的な人物であることには違いない。

 そんな人物が、『壁の内側』にいる。しかも、わざわざ自分が潜んでいる訓練兵の視察に同行してくるなど。これは、どう考えてもおかしい。出来過ぎている。

 そもそも、【狼呀】が『壁の内側』にいること自体が、おかしいのだ。【狼呀】死亡時に高確率で発生する問題――アラガミ化のせいで、基本的に【狼呀】の行動範囲は自主規制されている。そして『壁の内側』は、原則【狼呀】の立ち入りは赦されていない筈である。

 それが、特例的に黙認される状況――――我ながら、心当たりがありすぎて、思わず口元を歪めた。

 そう。自分は叛逆に加担した一味なのだ。

 ならば――やはり、神薙ユウの狙いは、自分なのだろう。ただひとつ、自分が加担した叛逆に関しては、自律型移動都市の話だ。だというのに【降魔】ではなく、別種族の【狼呀】が動いた。この理由がわからず、腑に落ちない。

 おそらく、光浄都市ヴォルフシュテインの内部で荒れているのだろう、とは察せられる。情勢を立て直すのには時間が掛かる筈だ。そうなるように、【天剣】の『核石』を奪ってきたのだから。

 

(そして……だからこそ、【剣守】は動けない)

 

 【剣守(つるぎもり)】――――自律型移動都市において、各都市の中で最も強い【降魔】が選ばれる、栄光の座。どうも都市によって『最強』の解釈に幅があるらしいが、それでもいずれの都市の【剣守】も戦場において無双の強さを誇る。

 だが、ヴォルフシュテインの【剣守】に選ばれたのは、子供だった。しかも、元々は貧民街で【王】に拾われた身だという。

 ――なんだそれは。

【剣守】とは、『最強の【降魔】』の称号だ。そんな薄汚い子供なんぞに与えられて良い称号では無い。ふざけるな。

 ぎりっ、と強く拳を握りしめ、意識してゆっくりと呼吸し、自らを落ち着ける。雨避け代わりの外套のフードを目深に被り直し、他の訓練兵と同じように『人類最強』とやらに目を向けた。あまり他から逸脱した行動では、周りから怪しまれてしまう。それは、面倒だ。

 『人類最強』を見れば、当然、付き人の如く傘を差している青年の姿も視界に入る。朗らかな笑みを浮かべている青年を眺めれば、やはり口元が笑みに歪んだ。

 

(……ふん。おもしろい)

 

 【狼呀】は、人間を殺せない。

 これは、そういった規定があるとか、心情的にだとか、そういう話では無い。ごく単純に、そのままの意味だ。たとえ親兄弟の仇が目の前にいても、憎悪する相手だったとしても、【狼呀】は人間を殺せないらしい。それは【狼呀】の本能に刻み込まれているもので、当人たちにはどうにもできない種類の問題だと聞いていた。それゆえ、まずは対人戦に慣れていないとも。

 彼らの誇る速さも身体能力も、【降魔】である自分と遜色はないが、それでも――彼らに剄脈は無いのだ。彼らが得意とするところはあくまでも防衛戦であって、【降魔】ほどの戦闘能力は有していない。

 そこまで冷静に考え、慌てて口元を引き締めた。次の瞬間、教官から名を呼ばれ、ようやく順番が来たのかと吐息を零す。

 呼ばれた方へ向かいながら、ふと、『人類最強』とやらの隣で朗らかに笑う【狼呀】の青年が、苦痛に顔を歪める様を見てみたい衝動に駆られ――――思わず顔を顰めて、頭を振った。

 それは、余計な面倒を背負い込むことになるだけだろう。そう諌める理性のすぐ下で、しかし普段抑えに抑えた【降魔】の本能は、どうやって【狼呀】の青年で戯れようかと既に考え始めていた。

 

 

 





 ……どうしてこうなったのか。
 解答:自分の癖が原因。

 orz


 あと、【降魔】の本能は、いわゆる闘争本能。つまりは多かれ少なかれ戦闘狂の気がある。
 対する【狼呀】は生存本能と狩猟本能。勝てないと思ったら一時撤退がお約束。



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【Arma 04:Fhyu nha, hartes won fayra anw inferiare fwillra.】


 いつも…この時間帯、眠くなって困……る…zzz




 

 

 ――曇天の向こうで陽も沈んだ時間。

 

 水溜まりの水を飛ばしながらガラガラと駆ける馬車の中で、リヴァイは眉間に皺を寄せて向かいに座る青年――ユウを睨むように観察していた。

 

 

 

【Arma 04:風、誘う 火に恋う灰の愛しさを】

 

 

 

 初見から判っていたことではある。コイツは自然体に見えても隙が無かった。話し方や物腰からはふわふわしているようにも感じられるが、実際にはかなり鋭いうえ、頭も良く回る。つまりは今朝聞いた『肩書き』のすべては確実にそのまま『実力』で取ったものだろう。『兵士』なのか『指揮官』なのか、はたまた『参謀』タイプなのかまでは把握できないが、十中八九かなりの切れ者であるのは間違いない。

 その証左として、今のところ隙らしい隙は無かった。せいぜい見つけられたのは『見せるための隙』である。要は実際の戦闘ならば『罠』であり、会話であるならば『相手の警戒心を和らげる』類の戦術的なものだ。今朝ポロポロと零していた情報も『相手に聞かせて混乱させる』為のものだろう。いずれも初めて見聞きする情報であれば、情報過多で混乱する人間の方が多い。

 

 事実、イルゼ・ラングナーはその情報量に踊らされていたが――あれはあれで、ワザと乗っていたのではないか、とも考えられた。理由は全く不明だが。

 

「……それで、お前さんは何をそんなに熱心に見ている」

 

「街並み?っていうのかな。こう……普通の街並みって見たことなかったから」

 

 なかなか楽しいね、と言ってふわりと笑う。

 『普通の街並み』ってのはどういうことなのか。『外』にはこういう街は存在しないのか、非常に疑問ではある。

 だが、それよりも気を引いたのは。

 

「犯罪者を回収に向かう割に、得物も持参しないのか」

 

 昼間、わざわざ俺を隠れ蓑にしてまで確認に出向いた結果、やはり結果は『黒』だったらしい。向こうの視線が解かりやす過ぎるほど露骨に、自分の半歩後ろに立つコイツに向けられていた。他の訓練兵の視線が悉く自分に向けられる中、目立たないよう行動していたコイツに向けられる視線は極々僅かで、だからこそ逆に目立ったのだ。

 しかし、なんだって向こうはコイツが追手だと即座に判断できたのか。

 その点を訊いたところ、コイツは小さく笑って背中を見せた。正確には、背にある紋章を。……それは、あれか。つまり、最初に訓練兵側に背を向けて立っていたのは、それを見せて反応するかを試したのか。そしてあちらさんは、見事に罠に掛かったと。

 そんなやり取りを思い出しながら、武器について訊いてみる。すると、青年は少し困ったような微笑を浮かべて、小さく首を傾げて見せた。

 

「一応、あるよ? ただ、こんな市街地でというか……一般市民が多い『壁』の中で出すのも考えものかな、と。ついでにいうと、正直、回収に行く相手は素手でも問題無い筈だし。ただ、下手すると家出人2名と意見の相違でぶつかる可能性はあって、そうなると俺の能力でもかなり厳しいから、逃げるなり何なりは自己判断でよろしく」

 

 その言葉に、隣に座るイルゼ・ラングナーはぎょっとして固まったようだった。少しばかり大げさな反応に目を細める。

 

「……その反応は何だ、イルゼ・ラングナー」

 

「……兵長。この人、目の前で巨人を7体あっさり倒して消してます……」

 

「――――ほう」

 

 情報の真偽は判らないが、真実であれば相当な実力である。エルヴィンが聞いたら目の色を変えて口説きに掛かったかもしれない。

 

「立体機動装置を駆使して、ならば兵長も同じことが出来るかもしれませんが……この人、生身で装備は剣一本、正面から特攻してました……」

 

「いやいや、ちゃんと背後に回ったりはしてたよ! 攪乱したりしながら」

 

「でも正面から向かっていきました」

 

「それは向こうから歩いて来たんだから当然だよね!?」

 

「普通、調査兵団の人間でも巨人7体相手に真正面から特攻する奴はいない」

 

 思わず突っ込むとユウとやらは口元を押さえ、顔を逸らす。どうやらやっと本物の隙を曝したらしい。

 「あ~」とか「う~」とか言っているが、誤魔化されてやる気も無い。

 

「それで、イルゼ・ラングナー。コイツの戦闘能力はどうなんだ」

 

「とりあえず、兵長と同じ戦果はあげられると思います。方法や手段は異なるでしょうけど」

 

「……むしろ純人間種の人が【狼呀】の身体能力と並ぶってどういうこと、って言いたいよ俺は」

 

 ふと青年を見る。肩を落として項垂れている姿は、隙だらけに見えた。――この隙は、本当に本物に見える。

 

「その、【狼呀(ろうが)】というのは?」

 

 隙を見せたのだから、答えてもらおう。そう思いながら問えば、青年はチラリと赤い目を向けて微かに笑った。その反応に眉を寄せる。

 

「わざわざつつかなくても、訊かれれば答えるよ。――別に警戒してる訳じゃないから」

 

「――それで?」

 

「君たちを、『人類・純人間種・西洋人系』と分類したとしよう。そうすると【狼呀】の場合は『人類・旧人間種・狼呀』って感じになる。『純人間種』っていうのは『人為的な遺伝子操作を一切していない人種』って感じになるかな。逆に『旧人間種』っていうのは『人為的に遺伝子操作をし、その影響が後世まで及んだ人種』で、『新人間種』っていう場合は『人為的な遺伝子操作は行われなかったが、時代の環境に適応して遺伝子情報が一部変化した人種』って具合になる、かな?――『遺伝子』っていうのが判らないと、この話はそこでストップしちゃうんだけど」

 

「……なんとか判るが。遺伝子ってのは操作できるモノなのか」

 

「普通は無理だね。――自分たちの存亡がかかってなかったら絶対やらなかっただろうって言われているし。要は単純に危険なんだよね。実際にどんな弊害が出るのかは不明のままやっちゃった感じだし」

 

「それで、どんな弊害なんだ」

 

「短命になる。君たちの平均寿命の半分以下。個人差はあるけどね」

 

 笑って肩をすくめる青年を眺める。イルゼ・ラングナーは絶句していた。

ガラガラと、馬車の音がやけに響く。

 

「――俺はそういう【狼呀】なんだけど、家出人の一人は【降魔】って云ってね。これはさっきの『新人間種』なんだけど、これが『外』の人間種では最強なんだよ。単純な戦闘だったらまず間違いなく、勝ち目は無い」

 

 しかも、とユウは困ったような笑みを浮かべて続けた。

 

「彼、【降魔】の中でもトップクラス――というか、名実ともに最高ランクの【降魔】でね。さらに【宝玉珠】って云う――まぁ、『外』での最高ランクの武器と一緒で、攻撃範囲とかもう、考えるのも嫌になるくらいだし。【降魔】の彼は眼が良くて他人の技を盗むのに長けてるし、元々疾いし、攻撃範囲が超長距離から近接距離まで何でも御座れなうえ、一撃が重いし。それに風属性の最高ランク【宝玉珠】となんて組まれた日には――……」

 

 深く――本当に深く、ユウは溜息を吐いた。「もう嫌だ」というような心の声が聞こえるような気がしないでもない。俺だってそんな面倒臭すぎる任務は嫌だと思う。しかもコイツは上から『どうせなら本当に死んでしまえ』と思われていることも知っている。間違いなく、嫌気も差しているだろう。

 

 ――――いっそ、本当に口説いて勧誘してみるのも良い気がしてきた。

 

 ふと、ユウの目つきが変わった。さわり、と風が流れる。

 

「―――これだからあいつらは…っ!」

 

 ユウの心の底からの叫びと同時に、凄まじい衝撃が馬車を襲った。横転する馬車の中、とっさにイルゼの頭を抱き寄せて庇う。

 

 

「【―― ttrw rA sss 】」

 

 

 ユウが何かを告げると同時に、一瞬の浮遊感。そしてふわりと、叩き付けられる衝撃も無く、横転した馬車の中で宙から降ろされた。

 

 ざっと状況を確認し、イルゼを離す。しゃがんだまま頭上に来ている扉を見上げ、ついでユウを見やった。

 ユウは困ったような顔で頬を掻いている。

 

「――状況説明」

 

「多分、攻撃か探査の余波を喰らっただけ、じゃないかな?」

 

 言いながらユウは立ち上がり、扉を見上げたまま少し思案した後、再び何かを呟いた。

 

「【 Was wol gagis bansh dand 】」

 

 バシン、と音を立てて扉が弾け飛ぶ。なかなかにシュールな光景だが、とりあえず楽に脱出できるようになったので、今は良しとした。

 

 ユウは軽く跳躍し、出入り口の縁に手をかけて懸垂の要領であっさりと外へ出る。その後、中を覗き込んで首を傾げた。

 

「手は貸した方が良い?」

 

「……いらん。離れてろ」

 

 幸か不幸か、立体機動装置は持ち込んでいる。他の兵団のやつに見つかると少しばかり厄介ではあるが、これだけ立派な『事故』ならどうとでも言い訳も立つ。

 

「でも、それを使うまでの高さでもないよ? ガスとか勿体無くない?」

 

「…………」

 

 結局、立体機動装置の入ったケースを先に引き上げてもらい、その後、手を貸してもらった。

 

 突風に吹き飛ばされたものの、幸いにも軽傷ですんだ御者に横転した馬車は任せ、立体機動装置を身に着ける。

 

「――追撃が無いから、さっきのは探査だったんだろうね」

 

「おい。あれがただの探査だってのか」

 

「うん。――今から俺が相手にするのはね、さっきみたいな自然現象を攻撃手段として使って来る【宝玉珠】を手にした、最高位の【降魔】だよ」

 

 だから、危なくなったら避難してね、と微笑むユウに思わずまた眉間に皺を寄せた。

 

 

 

 

 

 





 ああ……ユウが勝てる要素皆無だったくせに、いざ書いてみたらそうは見えない状況になった話が近付いてくる……。

 加筆修正待った無し、ですね☆


 そして書き下ろし状態になるのか……orz




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【交錯:rre lamenza werllra dest memora sanctum.】


 この部分、Pixiv版では視点固定に失敗した部分です。
 今回は、一応、固定できた……はず。




 

 

 土砂降りの暗い夜道を、必死に駆けていく。

 叩きつけるような雨が鈍い痛みを伴って身体を濡らす。だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「くそ、くそっ」

 

 馬鹿な、と同時に何故、と思う。

 何故あのガキが、此処にいる。あんなガキでも一応は【剣守】だ。都市外に出ることなど、基本的に在り得ない。だからこそ、昼間に見た【狼呀】の青年を見て、あれが追手だと思ったのだ。

 だがしかし、夜になってあのガキが現れた。幽鬼の如く現れ、迷いなく振るわれた一撃を咄嗟に転がるようにして躱し、そうしてこの逃走劇が始まった。

 ひゅるり、と絡みつくような風が追ってくる。

 

「――――くそっ!」

 

 逃げなければ。あの化け物から。まさかこんなところまで、あのガキ自身が追って来るとは思わなかった。それとも、やはり怒り狂うままに自分を追って飛び出してきたのだろうか。

 息が弾む。視界は利かず、濡れた服が重く身体にまとわりつく。

 

「しんでたまるか……こんなところで、死んでたまるか…っ」

 

「ならばせめて、奪った【核石】と情報を置いていけ」

 

 雨の音とともに耳に滑り込んだ声に、思わずたたらを踏む。その一瞬で、冷たく光を弾く刃が首筋に添えられた。

 

「――なっ」

 

「ったく。なんだって、こんな三下にやられたんだ、ヴォルフシュテイン公は」

 

 ひらり、と視界の端に濡れた紅い衣が映る。その裾にある特徴的な文様で、【守の民】と知れた。

 

(――馬鹿な。何故、【守の民】まで『壁の内側』にいる!?)

 

 その疑問はしかし、次の瞬間には更なる驚愕に塗り替えられる。

 するり、と紅い衣が見えた方とは逆の視界の端で、闇が動いた。甘い夜露を含んだような、しっとりとした声が静かに鼓膜を震わせる。

 

「彼は【王】を庇ったんだよ。ただ、元々の性格が優しいのもあると思うけど」

 

「こういう場合は優しいとは言わない。甘いと言うんだ、【夜】」

 

「あなたは手厳しいね、カナギ」

 

 ふふ、と笑う闇と、溜息を吐く紅い衣の青年の声。その中にあった言葉に、思わず目を見張る。

 

(――――【夜】、と【守り人】……)

 

 では、この二人もまた、自分を追ってきた化け物とは別種の、化け物だ。

 驚愕が抜けた先、そこにあるのはもはや絶望以外の何ものでもなかった。此処から逃れたとしても、これだけの民が動いたという事は、もはや生き残ることは不可能だろう。その事実に、ガタガタと足が震える。

 そこへ、背後に風が渦巻くのを感じた。

 

(――もうダメだ……)

 

 絶望し、そのまま濡れた地面にへたり込む。

 ――――ぱしゃん、と水を弾く音が、背後から響いた。

 

「――その男の、引き渡しを要求します」

 

 まだ若い少年の声が、やけにはっきりと耳に届く。その言葉に、だがしかし紅い衣の男は牽制とも思える言葉を返した。

 

「すでにコイツは捕縛済みだ。今回の騒動の黒幕を聞き出す必要もある。――今のお前には渡せないな、ヴォルフシュテイン卿」

 

「どうせ大した情報なんか持ってませんよ。都市としても、【核石】の奪還が最優先事項です。――渡してください」

 

 ザァザァと、雨の音だけが響く。

 染み入るような沈黙の後、少年は微かに息を吐いた。

 

 ――――ぱしゃん、と。

 

 一瞬で間合いを詰めた少年の手が、首へ伸びてくる。が、それを阻むように振るわれた紅い男の刀に即座に飛び退いた。

 

 

―――Miqveqs : O E wi nes neoles veqlem. Chein jas lef Selah, hec omnis elah.

   ミクヴェクス:汝、夢見る蛇。セラの左身、移ろわざる者よ。

 

 

 闇に溶け込むような澄んだ声が詠を紡ぎ、その詠が巨大で透明な蛇体となって身を結ぶ。果たして雨であったのはどちらにとって幸運だったのか。雨は本来透明であったであろうその蛇体の輪郭を白く浮き彫りにさせた。

 それを見て、少年は眉をひそめる。

 

「――――【セラの民】?」

 

「そう。自分はシャオ。これはセラの『守り神』の一部。――【セラの民】としても、この人には訊きたいことがあるんだ。だから、渡せない。【核石】だけで諦めてくれない?」

 

「……訊きたいこと?」

 

 少年が、ふと殺気を収めて首を傾げた。あまりにもあどけない様子に、逆に肌が粟立つのを止められない。

 それに応じて、【夜】はゆったりと頷いた。

 

「うん。――おもに、今回の件の黒幕であろう、ある科学者に関して。直接動いたわけではなさそうではあるのだけど……」

 

 その、【夜】の言葉に、思わず呼吸が止まる。――確かに、自分たちにこの話を持ってきたのは、自身を研究者だと名乗っていた。そして、【天剣】から【核石】を奪えば、自律型移動都市は機能不全に陥るとも言っていて、事実、その通りになった。

 あの自称・研究者の情報を持っていれば、あっさりと殺されることは無いかも知れない。

 そう思って、視線を上げた、瞬間。年に不釣り合いな、凍てつくような冷徹な眼差しを向けてくるガキと、視線が合ってしまった。そして、悟る。

 どういう事情であれ、向こうは自分を生かすつもりなど、端から欠片も無いのだと。

 

「――――ふざけるな」

 

 再度、地を蹴って少年は低く駆ける。雨の飛沫で白く浮き上がる蛇体の隙間を掻い潜り、防御を抜けた。紅い青年が刀を構える。少年は微かに目を細めた。

 

 ――――敵うはずが無いと、知っているだろうに。

 

 その場の誰もが、そう思ったはずだ。あのガキの視線もそう言っていたし、【夜】個人には戦闘能力は無く、【守り人】では【降魔】の攻撃をまともに受けることは出来ない。

 

 だが、その刹那。

 

 

―――Mean Wis Viega.

  我らはただ一振りの剣

 

―――Was i ga heath chiess yor.

  その身に灼熱の口づけを

 

 

 金色の炎が紅い青年を護るように生じ広がり、とっさに目を庇う少年が見えた。

 

 

 

 

 一拍後、凄まじい風が吹き荒れた。

 

 

 




【交錯:嘆きの雨は、記憶の筺を錆びつかせ】

 修正したら、例の人の影がチラつきました。実は、Pixiv版で自重して削った記述です。
 
 ていうか、さりげなくカナギ頑張ってますね。レイフォンの速さにちゃんと反応してますよ。彼の戦闘シーンもそのうちきちんと書きたいですね。いや、普通の人間の戦い方ですけど。




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【viega 01:rre whou handeres yaha anw etealune jenhah.】


『終わらぬ惨劇を敗者が嗤う』




 

 

「――いやいや、何度もあれは無理だ」

 

「自分もそう思うよ。カナギもよく反応できたね」

 

「むしろなんで敵意満載の【降魔】――というよりヴォルフシュテイン卿の前に姿をさらして無事でいるのかを教えてください。ええ。この後の参考の為に是非とも」

 

 冷たい眼差しで【夜】と【守人】――シャオとカナギを睥睨し、ユウは腕を組んで背後の壁に寄り掛かる。一方、睨まれた2人はお互いに顔を見合わせて瞬き、同時に首を傾げた。

 

「なんか、予想よりは理性残ってたぞ?」

 

「そうだね。もっとこう、野生の獣のように飛び込んでくるかと思っていたのだけど。一応、対話にも応じてくれるだけの理性は残っていたね」

 

「その交渉は決裂していますよね? 俺、本気で死を覚悟しろってことですか? 勘弁して下さいよホントに。もっと言い回し的なものも考えようがあったと思うんですが」

 

 そう言って深く息を吐く。言いたいことはまだあるが、それよりも優先すべきことが多くあった。

 チラリとカナギによって抑え込まれている男へと視線を向ける。男は後ろで腕を捻じられ、背中からカナギに膝で圧し掛かられて地面に押し付けられているような状態だった。

 

(――なんか。カナギ、慣れてるなぁ……)

 

 何故こんなことに慣れているのか微妙に気になる。彼は【守の民】の要人――つまり、警護される側の人の筈なのだが。

 だが、今は時間が無い。その疑問も放置する。

 

「――とりあえず、死にたくなかったらさっさと吐こうか。まず【核石】は何処? ヴォルフシュテイン王暗殺未遂及びヴォルフシュテイン公からの【核石】強奪の経緯。後は今回の件は『血の謡』とどこまで関わりがあるのか。むしろ君たちだけで実行は不可能なんだから、黒幕は何処の組織?」

 

 ニコニコと。いっそ笑顔で男の正面にしゃがみ込み、指先で首筋をつつく。これくらいしないとストレスで胃がやばい。もちろん、現実逃避だと理解している。

 男は案の定、びくびくとしている。だが、なかなか口を割りそうにない。あるいはあまりの恐怖――いや、絶望感で何も考えられない状態なのかもしれない。冷静に考えられるなら、この男の状況はどう見ても詰んでいるのがわかるだろうし。

 ひとつ息を吐き、さっと立ち上がる。

 

「――では、時間稼ぎに行ってきます。何度も言いますが、時間稼ぎです。どんな方法でもいいので、【核石】と情報は確保して下さい。最悪、【核石】だけでも」

 

「わかってる」

 

 正直、この2人は詰問とか尋問とか拷問とか出来ないと思うのだが、現状で【降魔】を足止め出来るのが【狼呀】である自分しかいないので消去法で2人に任せるしかない。

 

 最後に男を一瞥し、外套のフードを被り直す。踵を返し、狭い路地裏から広い通りへと走り出た。

 少年――ヴォルフシュテイン卿が移動した気配は無い。先ほどの攻撃程度で怪我をするとも思えないので、おそらくは単に待っているのだろう。

 

 降り頻る雨は止むことは無く、吹く風はいよいよ強い。

 

 ふと視線を感じて空を仰ぐ。建物の屋根に、イルゼとリヴァイの影を見つけて少し複雑な心境になった。――『外』の厄介事を持ち込んでしまって、2人には申し訳ないと思う。

 

 ふわり、と柔らかな風が吹いた。

 視線を正面に戻す。少年の影を認め、互いの間合いに踏み込む前に足を止めた。

 

 少年は僅かに首を傾げ、静かに問う。

 

「――――あなたは、【詩紡ぎ】の人?」

 

「いえ、【狼呀】です。片親は【詩紡ぎ】でしたので、そっちの因子も持ってますが」

 

「……なるほど。今日は神機を持っていないみたいですが?」

 

 うん。なんか物凄く含みあるお言葉ですね。これは意訳すると『神機の無い【狼呀】に何が出来る』とかそんな感じの趣旨にも聞こえるんだけど。――どうなのかな。

 

「流石にアナグラからこんなに離れると神機のメンテとか影響とか洒落にならないくらい問題が盛り沢山になるので――今回は、【宝玉珠】をお借りしています」

 

 これは意訳すると『あんたにそんなこと心配される謂れはねぇんだよ』って具合に聞こえるかも。聞こえるように選んだんだけど。

 案の定、少年の眉が僅かに寄った。

 

「――レン」

 

 少年に呼ばれ、ふわりと風を纏って少女が降りて来る。どうやらリヴァイやイルゼ同様に近くの建物の上にいたらしい。

 少年は少女に手を差し伸ばし、少女はそっとその手を取った。

 

『 あえかなる夜へ 伽つむぎ 』

 

 

 ざわり、と風が動く。

 それを受けて自らもミリアンの【核石】を懐から取り出し、詠い掛けた。

 

 

「【―――Wee zweie wa hymme. 】」

――――Was yea ra wearequewaie en rippllys sos yor.

 

 

 ポツリ、とミリアンの紅い琥珀のような【核石】に熱と灯が燈る。その様子を見て、どことなく、今日は嬉しそうだな、と思った。

 

 

『 まなふたに栄ゆる おもしめし そまどろ包み いし明かし』

 

 

「【 frawr slep, kira lusye nuih. rre bister diasee quesa na cyurio noglle ar dor. 】」

  花睡る満天   秩序亡き大地は昏く

――――yart yor en knawa ar ciel eetor, infeliare yor

  愛しい鳥よ あなたに出逢い、私は世界の向こうを知った

 

 

 風が逆巻き、少年と少女を包むように吹き荒れる。

 手にしたミリアンからは斜陽色の炎が零れ、右腕ごと【核石】を包み込んだ。

 

 

『 我といましと 息の緒に 相生う性の 契り籠ん 』

 

 

 少女の姿が足元から解け、風と同化する。

 

 

「【 Rre Ar=dius akata, gyen fandel phantasmagoria en omnis rhaplanca. 】」

  ひとつの神話が数多の伝説と伝承を紡ぎ

――――Rre talam dauane re valwa cia, fernia flawr li warce sarla.

  東雲の夜明け 舞い上がる花々は祝福の証 いまこそ誓いを

 

 

 ミリアンの【核石】が解け、熔ける感触。

 周囲を躍る炎が、雨に鎮められることも無くいっそう激しく燃え上がる。

 

 

『 あからしま風を 纏いたり 』

 

 

 解けた少女の風が集い、少年の手に別の形を結び。

 自らの手には灼熱の火色に染まった刃が顕れた。

 

 

「【 idesy, selena hymmnos art ar sasye. 】」

  それは かつての少女が遺した詩

 

 

 一瞬の鎮魂歌。

 それは命を失い、なおも『護る為に』ならば力を貸してくれようとする、少女の為に。

 

 

『 甘ない 相具す うき交わさん 』

 

 

 少年を包んでいた風が弾ける。その手には翡翠の大剣。風を纏い、風を操る――最速を誇る風の【宝玉珠】が武器化した姿。

 

 ――正直、【狼呀】の速さでも追い切れるか……

 

 僅かな不安を噛み潰し、最後の詞を紡ぐ。

 

 

「【 Omnis rippllys en vianchiel fau, yehar, hyear ! 】」

――――Rrha yea erra grandus sos melenas yor.

  そして世界は謳い 美しき光の翼が降臨する

 

 

 

 ――――朱金を纏った斜陽の炎が、応えて周囲の風を圧し祓った。

 

 

 

 





 さて。これが問題も当時書いて頭を抱えたシーンでした。
 設定と状況的に、どう計算してもレイフォン>>神薙ユウな勝率であるはずなのに、絵的にも文章読んだ瞬間の印象的にも、レイフォン<<神薙ユウに見えてしまう、という謎仕様。
 だったんですが……だいぶ、マシになった、でしょうか。
 どうでしょう。むう。



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【viega 02:aiph, rre whou zwihander na irs tou Ar dor.】


『ならば、この世界に勝者は不在』





 少年は、顕れた火色の刃に僅かに目を細めた。

 

 ――陽光を纏う、火足(ひた)りの剣。あれは、【守の民】の『女神』ではなかっただろうか。

 

『――レイフォン』

 

「大丈夫。わかってるよ」

 

 レンは手加減しないだろう。自分も手加減する気は無い。

 『彼』相手ならば、多少は羽目を外さないと、こちらも危ない。

 

 

 ――雨が、身に沁みる。

 

 

 さぁ、と雨脚が僅かに弱まった。

 ほんの少しだけ瞑目する。

 

 一瞬後。

 

 開眼と同時に間合いを踏み越え、風を纏う刃を振るった。

 

 

 

【viega 02:ならば、この世界に勝者は不在】

 

 

 ――思えば、『人』と戦うのは、初めての経験であったような気がする。

 

 最初の踏み込みから続いた、肩、胴、腕、足と狙った、流れるような一連の連撃をどうにか受け流し、防ぎ、避け、飛び退いて凌ぎ切った時、ふとそんなことに思い至った。

 

 正直に言うなら、非常に、やりづらい。

 飛び退いて間合いを広げながら少年を確認し、思わず「げっ」と声を漏らした。

 

『――――(つこうまつ)る 青龍 』

 

 そっかー。間合いを広げると【宝玉珠】で最も迅くて鋭いとされる風属性の攻撃が来るのかー。

 などと一瞬、暢気に考えた。

 ただし、向こうは同調するための詠唱に時間が掛かるらしい。

 地面を蹴り、今度はこちらから仕掛けることにする。というより、遠距離で大技を喰らうよりは近接距離で小技のやり取りをした方がまだマシだ。少なくとも、油断さえしなければ一撃で動けなくなる、という事態にはならない。問題は集中力の持続時間だが、複数の大型【アラガミ】相手にソロで1時間以上粘るなんて状況もザラにある。

 

「――舐めるなよ、後輩」

 

 悠長に詠唱を完成させる時間なんてやるものか。

 

 

「【 ―――Fou ki ga heath chiess yor. 】」

    その身に灼熱の口づけを

 

 火色の刃から金炎が零れ、石畳を奔る。雨によってもたらされた水が急速に渇き、周辺に蒸気の幕となって漂った。

 視界を奪うのは、一瞬でいい。視覚から他の感覚での索敵に切り替える一瞬で。

 殺意もいらない。ただ切っ先で撫でるなり当てるなりすればいい。殺意を抱けば殺気が漏れる。それは致命的だ。居場所がばれてしまう。

 影を確認。足音は雨の音にかき消されているし、初めから出来うる限り殺している。

 

 ふわり、と。

 風が、水蒸気の煙幕を押し流す。

 

『――(はし)らせ 白々(しらじら)明けと 』

 

 視界が晴れ、視線がぶつかった。僅かに目を細める少年に微笑みかけ、刃を振るう。狙うのは呼吸器官系のいずれか。当たればいい。そこに当たれば、しばらくの間は詠唱を封じられる。

 

「――っ」

 

 高く鈍く、金属同士がぶつかり合った音が響いた。

 思わず苦笑する。――流石は【降魔】最高峰の一角。簡単にはいかないらしい。交差した刃を感じて一瞬後、力が拮抗する前にそのまま刃を滑らせて掛かる力の負荷から逃れた。少年がバランスを崩した瞬間を見計らって鳩尾に蹴撃を放つ。蹴り飛ばした少年を見ながら僅かに眉をひそめ、更に首を狙って刃を振るった。

 その軌道を風で曲げられ、とっさに飛び退る。一拍後には先ほどまで立っていた場所の石畳が鋭い鎌鼬で切り裂かれていた。

 

 ごほ、と咳き込んで立ち上がる少年を眺め、思わず嘆息する。

 

「――さっきの蹴り、避けたでしょ」

 

 少年はその言葉を受けて、こちらに目を向けた。

 じっと見つめてくる少年に、再び溜息を零す。

 

「さっき蹴った時、すごく軽かったからね。入ってないな、と。だから追撃をしたんだけど」

 

 流石にさせて貰えなかったね、と笑みを見せれば、少年は緩やかに瞬いた。

 

「……いえ。避け切れなかったので、浮いて軽減しました」

 

「ああ、なるほど。あれは俺も特攻で囮をやるときはよくするよ。同僚からは怒られるんだけど」

 

 ちゃんと防御はしてるんだけどねぇ、と言いながら笑う。その笑みを見て、少年は気まずそうに顔を逸らした。そんな少年の様子を見て、内心で安堵する。本当に予想していたよりも理性的である。

 

「それで、少年。俺は神薙ユウっていうんだけど、君の名前は? 称号じゃない方」

 

「…………レイフォン・アルセイフです」

 

「そう。それじゃ、レイフォン」

 

 ぽつ、ぽつ、と【ミリアン】に熱が灯り、綺羅の火が生まれる。刀身はさらに輝きを強くし、やがて雨にも圧されず炎を零し始めた。

 

「少し、話を聞いてもらおうか」

 

「……譲歩しろという話なら、」

 

「まさか。――君も一応は【剣守】で政治に絡むなら、本当は解っているだろう?」

 

 少年は僅かに顔を伏せて押し黙る。ただ、静かに剣を持ち直した。

 その様を眺めながら、穏やかに、少年にとっては冷酷な現実をひとつずつ挙げていく。

 

「――いま、此処にいるのは、【降魔】【狼呀】【セラ】【守】、それぞれの民だ。それから、さっきからこちらを観察している【エデン】――【壁】の民もいる。最低5つの民がいる訳だ」

 

『関係ないわ。私たちは――』

 

「レン」

 

 少女の声を、少年が静かに制した。その声に反して眼光は鋭く、こちらを睨み殺そうとでもしているようだ、と思う。

 

「そして、状況を軽く整理してみよう。【狼呀】【セラ】【守】は、【大罪人】である彼――ガハルド・バレーンから、ある組織の情報が欲しい、と思っている。対して、君たちは一刻も早く【核石】を奪還し、出来るならば自らの手で制裁を下したい。――合ってる?」

 

 少年の足がほんの微か――1mmほど動いた。軸足を動かし、重心を移動。無言の肯定。

 だが――若いな、と思う。それとも、『青い』と表現する方が近いだろうか。

 

「だが、本当にそれを実行したとしよう。――確実に、ヴォルフシュテインは窮地に立たされるぞ。他の民が欲する情報を『握り潰して処分した』として。代償は何だ。君たちの首か? 君たちたかが2人の首に、他の民が戦争回避するだけの価値を見出すとでも思っているのか?」

 

 元々、種族的に【狼呀】の戦闘能力では【降魔】には勝てない。同時に種族的なある事情によって【降魔】は【狼呀】を殺すことは出来ないが、これは別に戦闘不能にさせられない訳では無いので、今は考慮できるものでは無い。そもそも、種族間に絶対的なスペックの差があるのだから、【狼呀】が【降魔】に挑むのは無謀を通り越して自殺志願か、【狼呀】を殺せない【降魔】への遠回しな嫌がらせでしかない。

 

 ――――基本性能で上回れないなら、それを行使する意思を折るしかない。

 

 ヴォルフシュテインにも流石に戦争する意思は無い。だが、あの2人がこの場で強硬に意思を押し通せば、完全に『国際問題』であるのだと、それを叩き込む。

 だが。

 

(――まだ、弱いか?)

 

 はっきり言って、戦争を回避したいのは何処の民も同じなのだ。ならば、押し通しても戦争は回避される可能性に賭けることも出来る。しかも、現状では回避される可能性の方がまだ高い。

 

 案の定、少年は揺れている。

 外見からは揺れているようには一切見えないが、それでも行動しないところを見ると、迷っている。

 

(――もし、感情を優先するのなら……)

 

 また別のカードを切る必要がある。

 正直、こちらのカードは個人的に後々面倒にしかならないので、切りたくない。だが、感情的な【降魔】相手には非常に強力且つ確実な一手となるのは知っていた。

 

(――どのみち、一緒か……)

 

 この任務が成功し得なかった場合、自分がどうなる予定なのかを思案し、そっと息を吐く。後ろ暗いところを自分に知られているお偉方は嬉々として自分を『処分』するだろう。ついでに『戦争を回避出来なかった責任』とやらを捏造して押し付けてくれるかもしれない。いや、するだろう絶対。

 正直、そろそろ任務中に行方不明とか生死不明とかになって出奔した方が良い気がしている。

 

(――よし、決めた)

 

 おおいに気に入らない方法ではあるが、それでも本当に死ぬよりはマシである。というか、この選択肢の方が死ぬ確率が低いとは、此れ如何に。

 

 少年の目を見る。彼もどちらに賭けるか決めたらしい。じり、と走り出そうと身を低くしたのを見て、思わずわらった。【ミリアン】を握り直す。

 そして、少年が地を蹴ったと同時に、躊躇いなく刃を振るった。

 

 

 ―――― 一瞬、紅い飛沫が、視界を覆った。

 

 

 目の前に、少年が驚愕している姿。その姿を見て、賭けに勝ったことに思わず自嘲する。

 

「――なにを、」

 

 少年の目に、今までで一番明確な感情の色が弾けた。激しい怒り。

 

(――いや、たぶん、自分も同じことをされたら、こんな感じの反応をすると思うけど……)

 

「――何をしているんですか、あなたはっ!!」

 

 自分が自身の首筋に向けて振るった刃を、少年は自らの手で握りしめて止めていた。

 雨に混じり、鮮血が刃を伝って滴り落ちる。

 

「……ちょっと、世を儚んでみようか、とか?」

 

「――――巫山戯ないで下さいっ!!」

 

 うん。実は半分くらい冗談ではなかった気もするのだが、ここでそれを言う気は無い。

 

「――いや、ね。正直、まともにやり合っても勝てないし。でも君たちを止められなかった場合、俺は嬉々として『処分』される可能性の方が高くて。とりあえず、確実に君たちの気を引く方法といえば、」

 

 いわゆる『自害』くらいしか無かった訳で。

 

「俺たち【狼呀】は基本的に純人間種には逆らえないし、君たち【降魔】はなんでか【狼呀】を死なせまいとするからね。種族的な習性というか、本能というか」

 

 そういう訳で、と少年に自嘲を零す。

 

「――君たちに感情のまま行動されると、どのみち俺は『処分』確定だから。少しでも生き延びられる方に賭けてみたんだけど……どうなのかな?」

 

 ――君たちは俺を生かしてくれる? と耳元で囁くように問う。

 

「――――~~~~~~~っっ」

 

 少年は掴んでいた手で刃を払い、顔を歪めて睨んでくる。心なしか顔が赤いような気がするが、大丈夫だろうか。リヴァイやイルゼからは風邪をひいて動けなくなっていたところを拾った、と聞いているが、もしかするとぶり返しているのかも知れない。動きも【降魔】にしては少し鈍かったし。

 

『……レイフォン』

 

 少女の声に、少年は決まり悪そうに顔を伏せた。ふわり、と少女の姿が剣からヒトの形へと戻る。少女は泣きそうな顔で少年の顔を覗き込み、そしてやはり顔を伏せた。小さく「ごめんなさい」と呟いた少女の声が雨に紛れて耳に届く。

 

 どうやら、やっと譲歩してくれるらしい。

 やれやれ、と息を吐いた時――場の気配が、変わったのを感じた。

 

「――――ユウッ!!」

 

 叫んだのは、誰の声だったのか。とりあえず、名前で叫ぶとしたらカナギかイルゼだろうか。

 

(――ったく。なんでこの場には要人しかいないんだ……ッ)

 

 とりあえず、カナギは後で覚えてろ。隙を突かれたのか罪人が我に返ったのかは知らないが、逃がしやがって。

 

 振り向きざま、ヴォルフシュテインの2人を背に隠す。雨で見難い視界の中、カナギが押さえていたはずの男が走りながら勁技を放って来るのが見えた。破れかぶれの行動に見えなくもない。

 

「っミリアン!!」

 

 手にした刃の名を呼ぶ。自力での防御は間に合わない。応えた彼女は、放たれた衝勁の何割かを『ほどいて』消してくれた。

 

「――【フェンリル】…っ」

 

 倒れかけた自分を受け止め、少年は顔を歪める。そのまま自分を少女に預け、駆け出そうとした。その腕を掴み、引き留める。

 

「――――だ、め……」

 

「あなたは――っ……」

 

 悔しげに歯噛みする少年が目に映った。でも、ダメだ。状況は、多分変わったが、一番穏便に片付くのは、この状況ではカナギがケリをつけた時だ。

 

 ふ、と息を吐く。

 というか、カナギ曰く三下の【降魔】でこの攻撃威力なら、このヴォルフシュテイン卿とは本当にまともにやり合わなくてよかった、としか言いようが無い。

 逆巻く風の塊をぶつけられたような衝撃だったが、たぶん、鎌鼬的な部分もあったのだろう。結構な血が流れている感覚がある。

 

 ――本当に、本職にやられなくてよかった……

 

 

 そんな思考を最後に、霞む視界につられるように意識は深く沈んでいった。

 

 

 

 






 このユウはイライラすると口が悪くなります。その片鱗がちらほらと散見できます。
 そしてこんな場所で次回予告です。

 次回の更新は、月曜日ですね☆



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【Arma 05:miqvy O evoia arsei tearl dis elmaei I 】


『いま、世界のすべては敗者となれ』





「――原理は知りません。ただ、あれについて驚いたりしていないので、多分、『外』では良く知られているものなのでしょう」

 

 少年の周囲を風が逆巻き、ユウの周りを炎が躍った時、イルゼはそう告げた。その言葉に、思わず眉間に皺を寄せる。

 

 それからよく観察すれば、風や炎を動かす時には彼らは歌のようなものを口遊んでいた。だが、それはそういうものだと思ってしまえばいい。

 それ以上に衝撃だったのは、2人の『速さ』だった。いや、これが『立体機動装置』を付けての事なら、理解しやすい。だが、彼らは立体機動装置など付けてはいなかった。

 

(――なるほど。たしかに普通の人間には厳しい動きだ)

 

 目で追うだけなら、出来ないことも無い。だが、対応できるかというと、微妙ではある。要は視認して、頭がその情報を処理し、そして四肢へと動くよう指示を送る。この過程をどれだけ反射的に行えるか、あるいは無意識下で行えるか、という問題だ。たいていは頭が情報を処理する時に時間を取られる。その受け取った情報を『考えて』処理しようとするからだ。考えずに、反射的に処理する。これが出来なければ、あの速さにはついていけないだろう。あるいはもう、『認識する前』に動くしかない。

 

 少年が動き、間合いを詰める。

 まず肩を狙った突きはユウに刃を使って受け流された。流されながら軌道を変え、胴を薙ごうとする剣を、同じくユウは刃の軌道を変えて絡めとるように防ぐ。少年は搦め手を嫌がるように剣を引きながら腕を狙い、それを避けられると足を狙って再び大きく薙いだ。その薙ぎ払いをユウは後方に跳躍して凌ぐ。

 

『――――(つこうまつ)る 青龍 』

 

 その声に反応したように、やっと広げた間合いをユウは捨てて再び踏み込んだ。

 

 

「【 ―――Fou ki ga heath chiess yor. 】」

 

 

 ユウの刃から炎が迸り、周囲の水を蒸発させる。

 こんな真夜中の雨の中。視界はこれ以上なく悪い。だというのに、まだあの2人は視界が充分に利いているらしい。でなければ、さらに煙幕など張る必要はない。

 

(――なるほど。たしかに、化け物だ)

 

 

『――強り奔らせ 白々明けと 』

 

 

 視界が晴れる。刹那の後、高く鈍く、金属同士がぶつかり合った音が響いた。

 ユウは力が拮抗する前にそのまま刃を滑らせて掛かる力の負荷から逃れ、少年がバランスを崩した瞬間を見計らって鳩尾に蹴りを放つ。蹴り飛ばした少年を見ながら僅かに眉をひそめたようだった。そして更に首を狙って刃を振るう。が、その途中で後ろに飛び退った。見れば先ほどまで立っていた場所の石畳が鋭い刃物で切り裂かれたようになっている。

 

 小さく咳き込んで立ち上がる少年と嘆息するユウを眺め、顔を顰める。

 

 目では追えた。だが、おそらく2人はあれでも全力では無い。互いに何らかの駆け引きをしている。

 思わず、舌打ちが洩れた。

 

 

 

 

【Arma 05:いま、世界のすべては敗者となれ 】

 

 

 

 

「――――ユウッ!!」

 

 叫んだ声は、濡れた紅い衣を羽織った長身の男だった。殆ど同時に隣のイルゼが立体機動装置を駆使して下へ飛び降りる。

 

 その姿を視線で追い、ひとりの訓練兵の格好をした男が走って来た姿を認めた。眉を寄せる。その男は、走る身体に赤い輝きを纏っていた。人体が発光するなど聞いたことないぞ、と考えたのも一瞬。その光は男の拳に収束し、男は少年と話をつけたらしいユウに向かったまま、拳を振るってその光を地面に放った。紅い光の塊は波紋のように広がり、閃光となって拡散しながら石畳を剥がし、抉り、吹き飛ばす。

 

 あまりの光にかろうじて確認できたのは、少年と少女を庇って倒れるユウの姿だった。

 

 一拍後、閃光が治まると同時に周囲を見渡す。

 

 ユウは全身に裂傷を負い、血を流して倒れている。それを少年が抱き支え、少女が瞳を潤ませながらしきりに声を掛けているのが見えた。――どうやら、意識は無いらしい。

 

 なおも走って逃げようとする訓練兵に紛れていた男を追い、紅い衣の男が走っていくのを確認。イルゼは地面に降りてユウに走り寄っていた。

 

「――――チッ」

 

 舌打ちし、立体機動装置のアンカーを逃げる男の進行方向にある建物へ打ち出す。――イルゼがユウの方へ行くなら、自分が男の方を追うしかない。

 

 あっという間に男を追い越し、男の進路を塞ぐように通りに降り立った。とりあえず両手には刃を携えておく。

 男は驚いたようにたたらを踏み、視線を彷徨わせた。

 

「――ガハルド・バレーン」

 

 その男のすぐ後ろから、紅い男の良く徹る声が雨の間を縫って届く。

 

「――――っ」

 

「当初は、連盟基本協定によってレギオス領に強制送還する予定だったが、同連盟協定、外典・特殊律政に抵触した為、ここで処分する」

 

「――な、」

 

「知っているだろう。レギオスの【王】、【天剣】ときて【剣守】を害すれば完璧に国家反逆罪だ。情調酌量の余地など皆無。更に――ここから理解しがたいかもしれないが」

 

 スラリ、と男は細く鋭い刀身を鞘から抜き放つ。

 一瞬、冷たく鋭利な輝きが美しい、とさえ思えるような動作だった。

 

「――お前、【狼呀】はもちろん、【カムイの民】【守の民】【護森人】【詩紡ぎの民】と有力な民すべてに喧嘩を売ったぞ? 最後の最後で、な」

 

「――――は、」

 

「神薙ユウは【狼呀の民】だが、れっきとした【カムイ】だ。【詩紡ぎの民】としても希少な【月奏(ツキカナデ)】でもある。――【狼呀】としての立場は、言わずもがな、だ。正直、情報よりも戦争回避が優先なのは何処も一緒でな。という訳で、責任を取って貰おう。――――その首で」

 

「ば」

 

 ぱん、と妙に乾いた音が響き、男の首が飛んだ。鈍い音を立てて地面にぶつかり、ごろごろと転がる。

 男は顔を顰めながら死体に近付き、懐を探って小さな黒い石を取り出した。それをしばし見つめ、溜息を吐く。

 

 雨に流され広がった紅を気にも留めず、男はこちらに視線を向けた。次いで立ち上がり、深く頭を下げる。

 

「――騒がせたことを詫びる。申し訳ない。そして、協力を感謝する」

 

「――――それより、探し物は見付かったのか」

 

「ああ。問題無い訳では無いが、それでもこの件はこれで片付いた。問題はユウだ」

 

「……そうか」

 

 倒れたユウの、血に塗れて動かない姿が脳裏に甦る。それが今までの巨人との戦いで失って来た部下の姿と一瞬、重なった。思わず舌打ちし、手にしていた刃を腰に戻す。

 

 片付いた、というならそれでも構わない。だが、とりあえずひとつだけは訊いておきたかった。

 

「それで――こいつは、こっちで片付けた方がいいか」

 

 こいつ、と言って死体となった男――ガハルド・バレーンとか言ったやつを示す。

 紅い衣の男は逡巡の後、小さく首肯した。

 

「こいつは『壁の中』の兵団に紛れていたと聞いた。なら、お前たちに頼んでもいいか?」

 

「了解だ。――適当に処分しとく。雨の中の強盗でもなんでも通用するだろう」

 

 それから、と言いながら踵を返す。死体を見つけるのは、明日の朝でいい。

 

「部屋を貸してやる。ガキども連れてさっさと来い」

 

「へ?――ガキって……」

 

 その声に思わず振り返れば、男は妙な顔をして瞬いた。

 

「……あー……『外』のヤツの年齢は、まず外見じゃ測れないからな? 見た目だけなら、ガキでもいいんだろうけど。――ちなみに俺は、120歳超え」

 

 決まり悪そうに告げられた言葉に眉を寄せ、口を開きかけたところで、男はもう一度口を開いた。

 

「んで、ユウは見た目の年齢×2.5くらいが人間に換算した時の年齢な?」

 

 ユウの見た目はだいたい20代だ。ならば、人間年齢に換算すると40~50代であると、そういう事なのだろうか。ではあれか。『短命である』というのは、別の言い方をすると『老化速度が人間の倍くらいである』ということなのか。

 

「――――なんだ、それは」

 

「そうだな。――【狼呀】は『人として老いていく時間』を細胞の再生に回している、とも云えるんだよな。この辺は説明しだすと――専門用語が飛び交うから、ちょっと説明しにくい」

 

「……寿命を、圧縮している、ってことか?」

 

「ああ、そうだな。その理解で間違っていない。だいたい合ってる」

 

 ――なんだ、つまり。

 

「……よくわからん」

 

 

 とりあえず、こいつらは、見た目の年齢は当てにならないらしい、とだけ記憶しておくことにした。

 

 

 

 

 

 





 隙間時間万歳!!
(意訳:なんとか投稿だけする隙間時間はあったので、投稿させていただきました。次回投稿が月曜日とか嘘ついてしまって申し訳ありませんでした!)







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【Loar 02:Rrha quel gagis pitod viega geeow, linen en messe her manaf, yanje yanje.】

『永劫ただ鑓と共に誓い、語り、伝える定めなれば』





「――君も一応は【剣守】で政治に絡むなら、本当は解っているだろう?」

 

 

 ――――確かに、たぶん本当は解っていた。

 

 

「――いま、此処にいるのは、【降魔】【狼呀】【セラ】【守】、それぞれの民だ。それから、さっきからこちらを観察している【エデン】――【壁】の民もいる。最低5つの民がいる訳だ」

 

 

 言われて、改めて認識する。

 この状況で私情を優先するのは愚行だと。

 

 

「そして、状況を軽く整理してみよう。【狼呀】【セラ】【守】は、【大罪人】である彼――ガハルド・バレーンから、反体制組織の情報が欲しい、と思っている。対して、君たちは一刻も早く【核石】を奪還し、出来るならば自らの手で制裁を下したい。――合ってる?」

 

 

 けど、感情は理性を拒絶する。だから、否定も肯定もできなくて。

 

 

「だが、本当にそれを実行したとしよう。――確実に、ヴォルフシュテインは窮地に立たされるぞ。他の民が欲する情報を『握り潰して処分した』として。代償は何だ。君たちの首か? 君たちたかが2人の首に、他の民が戦争回避するだけの価値を見出すとでも思っているのか?」

 

 

 そこまで言われて、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 自分は確かにレギオスの【剣守】であり、これは【王】と【天剣】に次ぐ地位である。

 だが。

 同時に、それはレギオスの――【流砂の民】にのみ通じる権威であることも事実だった。

 故に、他の民からすれば、自分の――【剣守】の首など、大した価値は無い。

 

 それもまた、紛れもない事実で。

 けれど。

 どうしても、許せないのも、事実で。

 

 他の民が【流砂の民】の内実など知った事かというのなら。

 自分だって、そういう対応でも良いはずだ。

 そう、思ってしまった。

 

 走り出そうと低く身構えた瞬間、【狼呀】の彼が微かに嗤ったのが見えた。濡れた石畳を蹴ると同時に彼が手にする刃の軌道を読み、驚愕に目を瞠る。

 一寸の躊躇いも無く振るわれた刃をとっさに自らの手で握り止め、次の瞬間には激しい怒りと憤りのままに思わず叫んだ。

 

「――――何をしているんですか、あなたはっ!!」

 

 何をしている、巫山戯るな。違うだろう、そうじゃない筈だ。

 【狼呀】は、何よりも『生きる』ことに貪欲な一族の筈だ。

 こんな――こんな『賭け』なんかに自分の命を使うなど、しないだろう。

 

「――いや、ね。正直、まともにやり合っても勝てないし。でも君たちを止められなかった場合、俺は嬉々として『処分』される可能性の方が高くて。とりあえず、確実に君たちの気を引く方法といえば、」

 

 ――いわゆる『自害』くらいしか無かった訳で、などと。

 そんな、笑みさえ浮かべて、言わないで欲しい。それが自嘲の類なら、なおさらに。

 

「そういう訳で、君たちに感情のまま行動されると、どのみち俺は『処分』確定だから。少しでも生き延びられる方に賭けてみたんだけど……どうなのかな?」

 

 ――――君たちは俺を生かしてくれる? と耳元で囁くように問う。

 

「――――~~~~~~~っっ」

 

 思わず掴んでいた刃を払い、顔を歪めて睨む。心なしか顔が赤くなっているような気がするが、正直、気にする余裕はなかった。手で顔を覆おうとして、その手が血で濡れていることに今更ながら思い至る。

 

『……レイフォン』

 

 彼女の声に、思わず顔を伏せた。剣の柄を離せば、彼女がヒトの形に戻る気配が伝わる。彼女は気遣うような表情でこちらを覗き込み、そしてやはり顔を伏せて『ごめんなさい』と小さく告げた。

 

 

 ――――君たちは俺を生かしてくれる? など。

 

 

 あんな風に【狼呀】に訊かれれば、大抵の高位の【降魔】は応えるだろう。何故そうなのかは知らない。ただ、【降魔】の因子には、そんな風に刷り込まれているらしい。遠い祖先同士の契約が云々、とかは聞いたことがあるものの、正直ここまで明確に影響を受けるとは思っていなかった。

 

 

「――――ユウッ!!」

 

 

 内心、かなり動揺していたらしい。その叫びを聞くまで、場の気配が変わったことに気付いていなかった。

 顔を上げれば、自分たちの前には腕を広げて庇うような態勢の彼の背中。背にある【狼呀】のエンブレムが良く見える。その、向こうで。

 

 逃げた男が、【降魔】としての牙を剥いたのが解った。

 とっさに隣にいたレンを抱き寄せ、庇う。

 

「っミリアン!!」

 

 果たして呼ばれた『女神』は、放たれた衝勁の何割かを『ほどいて』消してくれた。

 

 だが。

 

「――【フェンリル】…っ」

 

 そのまま後ろに倒れ込んできた彼を受け止め、顔を歪める。

 ――紅い、紅い河。闇の黒。石畳の白っぽい色。雨。

 

(――ああ、駄目だ)

 

 思い出してしまう。重ねてしまう。――どうしても。

 

 彼をレンに預け、駆け出そうとした。その刹那に腕を掴まれ、思わず動きを止める。

 ぞっとした。――その掴む手の、あまりに儚い感触に。

 だめだと言い、緩慢に瞼を落とす。

 するり、と力が抜けて落ちる手をとっさに取り、握りしめた。

 

 

 ――――視界が歪んだのは、だめだと言った彼の言動が、故郷の彼らと似ていたからだ。

 

 

 

 

【Loar 02:Rrha quel gagis pitod viega geeow, linen en messe her manaf, yanje yanje. 】

 

 

 

 

「――ユウッ!!」

 

 その声で、我に返った。

 顔を上げれば、女の人が駆け寄ってくる。その顔を見て、思わず瞬いた。自分たちをこの街まで連れて来てくれた兵団の一人だったはずだが――どうやら彼の、『壁の中』の知り合いでもあったらしい。

 

 その人は自分が支える青年を見て息を呑み、歯噛みする。そして何かを振り払うかのように傍らに膝を着き、視線を走らせた。

 だが動揺し、思考が空転しているのも同時に察せられる。

 ふと。

 ひょっとして、負傷兵の応急処置には慣れていないのではないか、と思った。真偽は不明だが、なんとなく的外れではないような気もする。

 

「――レン、代わって」

 

 言いながら青年を代わりに支えてもらい、自由になった手で自分の外套を引き裂いた。同時に改めて青年の負傷具合を確認する。――幸い、単一で致命傷に至るほどの深すぎる傷は無い。致命的な急所になりうる部分も、どうにか避けている。だがこれは、あの男も曲がりなりにも【降魔】であった為だろうと考えた。あの状況下で急所だけは避けるなどという行動は流石に【狼呀】でも不可能だ。――【降魔】の中には無傷で済む者もいるが。

 

 目立って深い傷は右の大腿部、左肩の2ヶ所。他は細かい裂傷が数えきれないほどあるが、それは後に回す。裂いた布を大腿部の傷口にあてがい、傷口の上――心臓側に近い方できつく縛る。本来はただ傷口を布か何かで押さえて直接圧迫するだけで構わないのだが、流れる雨水の為、正確な出血量が把握できない。念の為に止血点――患部の心臓側にある動脈を骨に押付けるようにして動脈の血を止めて止血を早める方法――の方を採用しておく。

 こういった応急処置はレギオス同士で行われる疑似戦争で必要になることもある為、徹底して叩き込まれていた。

 

「――ヴォルフシュテイン卿」

 

 逃げた男を追って行った筈の【守人】が、微かな血の臭いを纏って戻って来た。――どうやら、殺されたらしい。本当に、愚かな男だ。【降魔】である限り決して勝てない【狼呀の民】に喧嘩を――戦争の口実を与えるなど。他の民である【守人】が早々に幕引きしなければ、どうなっていたことか。

 

 青年の傷口を押さえながら、ぼんやりと【守人】を見上げる。

 紅い衣を羽織る彼は、小さく息を吐いてその手に持ったものを差し出した。

 

 ――――煌く銀沙が散りばめられた様な、(くろ)い水晶の【核石】。

 

 それに血塗れの手を伸ばし、思い止まる。

 

(――――こんな、)

 

 こんな血塗れの手で、『彼』の魂に触れることなど――……

 

「……レギオスの一部は『塔』の機能を持っていると聞くが、レギオス・ヴォルフシュテインはどうだ」

 

 【守人】の静かな言葉に、思わず瞬く。

 確かにレギオス――自律型移動都市は、【狼呀】の神機を土台に【宝玉珠】の核石を都市の中枢に、そして内部には【翠ノ塔】の一部と同じ機能がある、と云われているが、具体的な資料は残っていない。ただ、【翠ノ塔】と同じようにして造られた、と云われている。

 そして、『塔の機能』と称するならば、ひとつだけだ。そして、それを行使出来る者こそが【天剣】であり【剣守】である。

 だから、行使は可能だ。【天剣】の核石も、【剣守】自身も、ここに在る。

 だが、なぜ今それを訊くのか。

 

「――――なぜ、今それを?」

 

「――レギオスの『眠り姫』経由【翠ノ塔】の『碧珠天』と【守の民】の『鳥の神』なら、前者の方が問題も少なそうだが、」

 

 その言葉で、理解した。【守人】が言いたいのは『魔法による治療法』についてだ。厳密にいえば『塔』の魔法は科学に分類されるらしいのだが、現在では詳細も失われているために『失われた技術』を指して『魔法』と称することがある。

 

 この話はつまり――――【狼呀】の青年の治療をダシに、『さっさと【核石】持って故郷へ帰れ』との言葉であると解釈して間違いないだろう。あるいは、『さっさと受け取れ。話はそれからだ』という趣旨であると受け取っても間違ってはいないと思う。

 

 言葉がかなり曖昧且つぼかされているのは『壁の中』だからだ。

 

「……どう、でしょうか。――――距離が、離れているので」

 

「――『距離』、ね。……関係あるか?」

 

 無い。

 実際のところ、距離は関係無い。なぜなら、レギオスの【核石】は、今ここに在るのだから。さらに言うなら、様々な要因があっていずれも『現実の距離は関係無い』ことに出来る。

 

 ふと、自らの手を見る。

 紅い色も、だいぶ雨で流れてしまっていた。

 

 ――――言い訳は出来ないぞ、と。

 

 いつだったか、【天剣】に言われた言葉が脳裏に甦る。彼は、両腕に花々を抱えて穏やかに微笑みながら、静かに自分に説いていた。あれは――そう。歴代の【剣守】の墓参だったはずだ。『彼』の手を取り、ヴォルフシュテインを護り継いできた、忘れられた英雄たちの墓。

 

 ――――私は『水』で、『光』である。

 

 水は映し、清め流すもの。光は照らし導くもの。故に誤魔化しは無い。言い訳も出来ないぞ、と。

 

「――――ああ、もうっ!」

 

 あの時自分は、暗に逃げることは許さない、と云われたのだ。そして、そんな彼の手を取ったのは、紛れもなく己自身である。

 

 【守人】の手から、彼の【核石】をやや乱暴に受け取った。

 そのまま立ち上がり、瞑目する。懐かしい【核石】の波動を感じながら呼吸を整え、詩を紡ごうと唇を開いた。

 

「――――悪いが、それは目立つから禁止な」

 

 ぽふ、と後ろから口を塞がれ、思わず瞠目する。目の前の【守人】が驚きに目を瞠って硬直しているのを見ると、それだけで『大物』が出現したらしいことは理解できた。

 

「あと、劉黒(リュウコ)が心配しすぎてちゃんと大人しくしてないから、ヤエトも頭を抱えてる。ひとまず帰って、しっかりと罰を受けて来い。もし、もう一度来るなら【夜】に言えば送ってくれる」

 

「――は、」

 

「ついでに、この【狼呀】は私が貰っておくから、安心すると良い」

 

 一瞬、思考が停止する。

 いま、この『大物』は妙なことを言わなかっただろうか。

 

 ほんの微かに、苦笑する気配。

 固まっているうちに周囲の空間が揺らぎ、耳元に低く囁かれる。

 

「――ヤエトと劉黒によろしく、ヴォルフシュテインの」

 

 とん、と背中を押された。歪んで揺らぐ景色の中でとっさに振り返った先、朱金に煌く双眸に軽く微笑まれて硬直する。

 

「――――お帰りなさい、ヴォルフシュテイン卿とメザーランス」

 

 一瞬後。

 まさしく瞬いた間に強制送還されたらしい。目の前には名詠光の残滓を纏った【夜】と、その背後に佇む【天剣】の姿。

 

「――兄さん…っ」

 

 隣で座り込んだままのレンの声は、掠れていた。彼は困ったように微笑みながら静かに歩み寄り、そっとレンの頭を撫でる。

 

「――――劉黒、」

 

 ヴォルフシュテインの【天剣】の名を呼び、握りしめていた【核石】を差し出した。劉黒は少し笑ってそれを両手で掬うようにして受け取る。【核石】はそのまま劉黒の手に沈むようにして身体の中へと消えた。

 それを見届け、息を吐く。

 

「――劉黒。ごめん」

 

「――――いや。お前に負担を掛けたのは私だ。謝るべきは私の方だろう」

 

「違う。――そうじゃ、無くて……」

 

 あの、自分たちを庇って倒れた、青年の姿が目に焼き付いて離れない。覚悟を決めようとした矢先、追い出されるような形になったのも、気に入らない。この、微妙な遣る瀬無さをどうしてくれよう。

 

「えっと、……投げ出して来てしまったことが、あって……」

 

 自分の感情を言葉にするのは、苦手だ。戦場での合理的な判断なら、こんなに迷うことも無いのに。

 

「だから――えっと、」

 

 思わず次の言葉に詰まり、そっと自らの【天剣】を上目づかいで窺う。

 

「――――家出、しても、良い……?」

 

 目を点にした劉黒は、一拍後に『お前の我儘は初めて聞いたな』と言って軽やかに笑った。

 

 




 次こそ、月曜のお昼過ぎになるでしょう。

(天気予報並みの精度の予告ですが)




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【間奏:O la Laspha, arsicie Wem lihit zo evoia Yem tis】

『傷つきし我が戈に託し、そなたの道を肯おう』





 イルゼによる『壁の内側』と『壁の外側』の民の考察。
 

※俯瞰視点持ちのひとりが出ます。害は無いよ! 狂言回しの役割だよ!





 目の前で滲むように消えた少年と少女を笑顔で見送り、その青年はゆっくりと石畳に横たわるユウに近付いて膝を着く。

 その姿に何か違和感を覚えながら、驚愕に固まっているらしいカナギにそっと声を掛けてみた。

 

「――あの……カナギ?」

 

 ゆっくりと、カナギの視線がこちらに向けられる。緩慢に瞬き、もう一度青年に向けられた時には、明らかな緊張と警戒が滲んでいた。

 

「――――なんで、あんたが此処にいる。【黄龍】殿」

 

「ん? 夜に頼まれたんだ。『【フェンリル】が負傷したから、治癒術が使えるひとを代わりに頼む』と。生憎と『治癒術が使えるひと』がいなかったので、私が来た。我ながら、私を捉まえられたのは僥倖だと思うぞ?」

 

 コウリュウ殿、ということは、名前はコウリュウ、でいいのだろうか。あまり聞いたことの無い音だから、正直良く判らない。

 そんなことより、青年に抱きかかえられたまま動かないユウを見て、思わず顔が歪む。だが、青年は私と視線が合うとふわりと笑った。その笑みは、ユウと初めて会った時に彼が見せていた笑みに似ていて――多分、見る人を安心させる為のものなのだろう、と思う。

 

 ふわり、と風も無いのに青年の黒髪が揺れた。そして、ふと違和感の正体を知る。

 

「――まぁ、この程度の傷。【狼呀】と【カムイ】の因子を持つなら、私の加護があれば一晩もすればとりあえずは回復しよう。流石に完治とまではいかないだろうが、さほど心配はいらない」

 

 薄ぼんやりと、青年は金の光を纏っていた。その光に弾かれるように、雨は彼に届いていない。

 

 ――これは、『何』。

 

 『ヒト』では無い。人間の形をした、まったく別の何か。

 

「――あなた、『何』……?」

 

 無意識に身構える私を見て、その何かはやはり穏やかに笑ってみせた。

 

「今は【カムイの民】に身を預けている。【降魔】と言っても通用するが、一応は【カムイ】だな。これでも最も古い神威のひとつだ。古すぎて民を失ったモノだよ。通称は【黄龍】だが、他にも【大地】やら【琥珀】やら【始まりの龍】やら……世界樹、龍樹、大地の龍脈、太極、力の顕性などと色々ある。もし、個人的な名を問うているなら、そうだな……」

 

 柔らかな金色の光を滲ませながら、青年は懐かしそうに目を細める。ほんの少しだけ、寂しそうに。

 

「――――ヒユウ、と。それがお前たちにとって一番、音にしやすいだろう」

 

 

 

 

【間奏:O la Laspha, arsicie Wem lihit zo evoia Yem tis】

 

 

 

 

「――前々から、訊いてみたいと思っていたんだが。好い機会だから訊いてみようか」

 

 黒髪金眸の青年が、ふと思いついたようにそんな言葉を口にした。

 

 調査兵団の宿舎の一画。本棟から少し離れたところにある、今は忘れ去られた小さな離れでのことだった。ユウの治療に当たっているカナギによって部屋から追い出された自分たちは、居間に当たる場所で青年が淹れたお茶を飲んでいる。もちろん、茶葉は『壁の中』では高級な嗜好品である。栽培地が無いからだ。そんな貴重なはずのお茶を青年はカナギの荷物から勝手に出していたが、それを一瞥したカナギは特に何も言うことなく、ユウを運び込んだ部屋に消えたのである。

 

 この、実に微妙な関係性は、一体何なのだろうとは思う。なんとなく『腐れ縁』的な匂いを感じるのだが、正確なところは解らない。というか、カナギからは『訊いてくれるな』という威圧感がダダ漏れだった。あまりこの青年に関しては触れて欲しくないらしい。

 

「お前たち『翼』の紋章を負う者は良く鳥籠から出て来るが、何故『外』に出て来る?」

 

 その言葉に、つらつらと考えていた思考が止まった。

 思わず顔を上げて壁に背を預けて佇む青年を見つめる。

 

 青年は、ただ静かにわらっていた。

 

「あいつらは元々『外』に生まれてその環境に適応して暮らす者たちだ。『外』を熟知する故に、それほど『外』であることに執着しない。むしろ――【狼呀】に限って言えば、お前たちを羨んでいるだろう」

 

 あるいは、と青年の形をした何かは続ける。

 

「恨んでいる、と言っても間違ってはいまい」

 

「――――なに、言って……」

 

「お前たちが『壁』の内に住み着いて、何年だ? 百年? 二百年? いいや、『どうせ史実など遺されてはいまい』? ――――もっとも、そうであった方が『外』の者たちにとっても都合が良かろう。故に、話してやる気は無いが」

 

 どうせ史実など遺されてはいない――――確かに、そうなのだと思う。

 

 ユウがくれた一冊の本。あの内容を事実とするなら、『外』の民は今自分が思っている数よりはるかに多い筈。しかし、同時にそれでは謎が浮き彫りになる。

 なぜ、『外』の民は『壁の中』に接触しなかったのか。あるいは、なぜ『壁の中』の民は『外』に残った民を忘れ去ったのか。

 ――――忘れてしまった方が。あるいは、無かったことにしてしまった方が、自分たちにとって都合が良かったからではないのか。

 

「長く、お前たちは『壁』という揺り籠の中に微睡んでいたが、その穏やかな午睡は本当に『壁』のみで得られたものか? であるならば、何故今更になって『壁』は破られた?」

 

 ――――まさか、という思いが去来する。

 

 壁外調査に乗り気では無い上層部。『壁』があるのだから安全だと、笑っていた人々。『壁』の向こう側には広い世界が広がっているのに、その益は計り知れないと知っているはずの上層部は、それでも【巨人】を理由に『壁』の内側に固執する。

 

(……上層部は、知っている?)

 

 『外』を知っていて、それでなお『壁』に固執するのか。――いや。『外』を、拒絶している?

 

(――――『壁』だけでは、【巨人】の脅威は、除けない)

 

 それは、奇しくもシガンシナ区陥落で証明されてしまっている。超大型巨人が、本当にアレ1体のみとも限らないのに。

 

 ――――では、『壁の外』には『壁』を護るための『何か』が、あったのでは?

 

(そう。たとえば、あっさりと【巨人】を打ち倒せる力を持った――……)

 

 脳裏に、3ヶ月前のことが甦る。【巨人】をいとも容易く下していたユウの姿。そして、つい先刻の戦いで『風』という自然現象を使っていた少年。一撃でユウを戦闘不能にした、紅い光のようなものを放っていた男。彼らが『外』にいるのなら、それだけで一定の防衛に使えるだろう。

 

(でも――それ、は……)

 

 もし、この考えが当たっていたとしよう。

 それはつまり、自分たちの祖先は『壁の外』に多くの人類を置き去りにして、自分たちだけ助かろうとした、という事に他ならない。それは、まるで『外に残った民』を生贄にでもするかのように。

 そうして『外』に残された人々も、別に死にたくて残った訳ではないだろう。だから、生き残る術を必死に模索したはずだ。そうして得た力が、ユウが使っていた『火』や少年が操っていた『風』、そしてあの男が放った『光』だったのでは?

 そしてもし、この推察が的を射たものであったなら。

 

(……『外』の人たちは、私たちを、恨んでる……?)

 

 そうであるならば――――あの時、『壁』が破られた事と『外の民』に、関係は、あるのだろうか。

 

(たとえば、『壁』の内側に住む私たちを恨んでいたのなら……?)

 

 その可能性は、ユウやカナギの言動を見る限り、非常に低いと思われる。それでも、そういう感情が全く無い、とも言いきれないのではないだろうか。

 事実、ユウと同じような身体能力と戦闘能力がある人たちなら、巨人を任意の場所へ誘導することも可能だろう。少なくとも、可能か不可能かのみを問うのなら、間違いなく可能と答えられる。

 

(それに……)

 

 もし、『壁』の内側の人々を憎む人たちがいたとするなら――――積極的に巨人をけしかけたりしなくても、見逃して素通りさせるくらいはするんじゃないだろうか。

 

 カタン、と。

 不意に響いた音に、思考の海から浮上する。見ればリヴァイ兵長がカップをテーブルに置いた音だったらしい。兵長は苛立ちと不機嫌さを隠そうともせず、青年の金眸を挑むように睨んでいた。

 それを受けてなお、青年は笑みを崩さない。ただ、再び同じ問いを口にした。

 

「――――お前たち『翼』の紋章を負う者は、何故『外』を望む?」

 

「……俺の部下も仲間も、大勢死んだ。その死を、『無意味な死だった』などと言わせねぇ為だ」

 

「なるほど。それで、お前は?」

 

 自分に視線が向けられ、思わず身体を固くする。まさか、自分にも訊いてくるとは思わなくて。

 だが、その答えなら――決まっている。

 

 顔を上げる。壁際に佇む『何か』に挑むように。口元に笑みさえ乗せて。

 

「私が『外』を目指すのは、【巨人】なんかの恐怖に屈したくないからよ。人は家畜なんかじゃないと証明する為。そしていつか、『外』にしか無い世界を、この目で見てみたい」

 

 なるほど、と言って、その青年はふわりと暖かい笑みを見せた。先ほどまでの、どこか冷たく硬質な微笑とは違って、今度の笑みは素直に『笑顔』と思える。

 

「――なるほど、お前たちは『人間』だ。安心しろ。決して家畜などでは無い。そこでもうひとつ、訊きたいことが出来た」

 

(――あ。なんだろう、この笑顔は。子供が新しい玩具を見つけた時のような、輝かしい笑顔なんですけど……)

 

 何か、拙い返答をしただろうか。――いや。結構、肯定的な言葉が返って来たし、大丈夫の筈――なのだが、この嫌な予感は一体何なのだろうか。

 

「今すぐ、すべての【巨人】を滅ぼしてやろうか?」

 

 ――――いま、この青年は何を言った?

 

 リヴァイ兵長が席を立つ音が、やけに重く響いた。

 一歩踏み出し、口を開く。

 

「てめぇ、」

 

 その声とほぼ同時に、扉が勢いよく開け放たれた。

 え、と思った時には、既に青年の胸ぐらを掴んでいるユウの姿が視界に入る。その後に続いて、慌てたようにカナギが入って来るのにも気が付いた。

 

「――――Are you trying to pick a fight ?」

 

 ――その、あまりにも低く、冷たく、重い声に、自分が言われた訳でもないのに思わず凍り付いてしまった。カナギが顔を顰めて伸ばした手を下ろす。

 

 

「Don’t cocky ! Kiss my ass !! It was too late to wish that. We are still fighting and They are struggling for freedom. Don't think you can make a fool out of me !」

 

「ユウちょっと待て! スラング! スラング混じってる!!」

 

今度こそ、カナギは手を伸ばしてユウの肩に触れた。同時に思わず瞬いてしまう。

 

(ちょっと待って下さいカナギさん。突っ込むところはそこなんですか。確かにユウがゴロツキのような発言をしているとしたら、それはそれでイメージ崩れるのでどうかとも思うけど)

 

 そう思うと同時に、どんなことを言ったんだろう、と考えてしまった。何を言ってるのかは不明だが、なんとなく戦闘中の歌ともまた違う言葉のような気がする。――『外』には一体いくつの言語があるのか。正直、不便ではないだろうか。

 

「Mind your own business ! piss me off…get lost !!」

 

 は、と荒く息を吐くユウは、何か相当、気に障ったらしい。そして多分、それは私や兵長が気に障った部分と同じであるような気がする。――仲間の死を、無駄だと断じるような提案をしてきたことが、癇に障ったのだと。

 

 しばらくユウを瞠目した目で見つめていた青年は、はぁー、と深く息を吐くと、胸ぐらを掴むユウの手をそっと外させる。

 

「――正直、」

 

 そのまま腕を捻じって後ろを向かせ、後頭部を手刀で打ってユウの意識を刈り取るとそのまま押し出すようにしてカナギに押し付けた。

 その、あまりに手馴れた、鮮やかな動作に思わず瞬く。

 

「我らも、お前たち【狼呀】にそれを言われるのが、一番こたえる」

 

 青年は苦笑し、カナギに押し付けたユウの髪を、一度だけそっと梳いた。

 カナギは何とも言えないような目で青年を睨むと、やがて諦めたように嘆息する。少しばかり乱暴にユウを抱え直し、静かに口を開いた。

 

「――あんた。そんなだから敬遠されるんだよ。もう少し、どうにかしようとは思わないのか」

 

「思わんな。これが民を亡くした私の役回りだろう」

 

「どこぞの堕天した蛇みたいだぞ」

 

「参考にさせて貰っている」

 

「――道化め」

 

「今の私にとっては正しく褒め言葉だ」

 

 チッと判りやすく舌打ちをしたカナギは視線を滑らせると、こちらに目を向けた。

 

「――――悪い、騒がせた。コイツはひねくれているから、半分は本心では無いと思ってくれて良い。どうせ、お前たちの反応が見たかっただけだろう」

 

 それより、とカナギは息を吐いてから続ける。

 

「水場と調理場を教えてくれ。多分、こいつ熱出してしばらくは動けなくなる」

 

「あ、はい!」

 

「それから、あんた――」

 

 慌てて席を立ったものの、カナギはそれから金眸の青年に目を向け一度口ごもると、今度は『外』の言葉で2,3言交わした。青年の目が僅かに冷たく細められる。

 ――――どうやら、今度は青年の気に入らないことを告げられたらしい。口元の笑みは消えていないが、目はもう完全に笑っていない。だが、別にカナギ自身の言動が気に障ったのではなく、カナギに告げられた情報が逆鱗に触れたようだった。

 くつくつと笑っているが、はっきり言って、かなり怖い。

 

「……なぁ、【守】よ。やはり私がこの【真神】を貰っても良いだろうか」

 

「それを言ったら、今度は喉を喰い千切られるぞ?」

 

「それもまた、一興だと思わんか」

 

「では言い方を変えよう。――それをしたら、泣きながら怒鳴られた挙句に牙を向いた後、自害される可能性が高いから、是非とも自重してくれ。こいつは実に狼らしく、仲間への愛情は深いんだ。いまさら自分だけ助かろうなんて考えないだろうよ」

 

「――やはりそうか。残念だ」

 

 青年は肩を竦め、一度だけ嘆息した。そして、ゆっくりと瞬く。話は終わったとばかりにそっと瞑目し、そしてその場の空気に溶け込むように姿を消した。

 僅かに金色の残光が煌き、やがてそれも消える。

 

「――――カナギ、」

 

「気にするだけ無駄だ。幽霊に遭ったとでも思えばいい。事実、あれは今を生きる人間じゃ無い。生きる人間じゃないから、『今』という時を生きる者には直接的な干渉は出来ない。――遠い過去の残光に過ぎない。遠い過去から、問いを投げるものだ。『今』を生きるなら、気にする必要はない」

 

 そう言って踵を返し、部屋を出る。ふと足を止めて振り返り、言葉を探すように少し視線を泳がせた。そして改めて兵長に目を向け、僅かに頭を下げる。

 

「……朋輩が、無神経なことを言った。申し訳ない」

 

「――――まったくだ。だが、それであんたが頭を下げる必要はない」

 

「……そうか。――では、宿を貸してくれて、感謝する。ありがとう」

 

「――チッ。さっさと病人を連れていけ」

 

「そうする。ありがとう」

 

「――――……」

 

 なんだろう、この、微妙すぎる空気は。なんというか、カナギは見た目に反してかなり素直というか、律儀というか、誠実というか。

 とりあえず、モヤッとしているらしい兵長から離れるべく、カナギの後を追ってそっと部屋を出た。

 

 ――――決して、とばっちりを食いたくなかった、という訳では無い。

 

 

 




 文字数が意外と多かった。あれ。増殖した? いつの間に……。

 例の英文(スラング入り)は……うん。
 「お前……ケンカ売ってんのか?」から始まり、「ふざけんじゃねぇぞ、この野郎! (中略)馬鹿にするのも大概にしろ!」などなどを言った後、最終的に「とっとと失せろ!」という感じの流れです。
 うん。日本語で書くと普通ですね。(中略)しちゃいましたけど。


 あ。ヒユウは緋勇さんです。黄色い人。神霊寄りです。黄龍殿です。



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すまう風招きの剣 ~破~
【転調:karla shan mihas, peg omni, peg elen, Hir qusi fo roo xin】




『血と絆、全て遥か未来(かなた)につなげるために』




※Arma(兵長)視点。





 

 

 ――――白む空を眺めながら、いつの間にかだいぶ小雨になっていたことを知った。

 

「……チッ」

 

 机の上に散らかった書類を片付け、保管用の引き出しに入れる。ソファーの上に畳んであった緑の地に『翼』の紋章をあしらった外套を羽織り、廊下へと出た。

 ふと、廊下の窓から裏庭を見下ろす。

 視線の先に、木陰に隠れるように佇む離れ小屋の窓からは、まだ明かりが洩れていた。どうやら、一晩中カナギとかいう男は起きていたらしい。あるいは、うたた寝でもしているのかもしれない。

 

『今すぐ、すべての【巨人】を滅ぼしてやろうか?』

 

 あの、金の眸の男が発した言葉について、考える。実際に、それが可能だとは思わない。だからこそ、今まで死んでいった仲間や部下を足蹴にするような発言が許せなかった。

 だが。

 もし万が一、それが可能であったとしよう。可能であった場合、何故、と思う。

 何故、出来るのならば、それをしない?

 興味が無いのか? それとも、俺たちが巨人に蹂躙されるのを見て観客気取りで眺めているのか?それとも、より優先順位が高いものが、他にあるのか?

 正直、あの男に関しては、どれも在り得そうだと思う。つまり、絶対的に信用ならない。

 

「――リヴァイ」

 

 後ろから声を掛けられ、ゆっくりと振り返る。

 

「――ずいぶん早いな、エルヴィン」

 

 相変わらず何を考えているか良く判らない顔で、エルヴィンは足早に近寄って来た。それを待ちかまえ、目を細める。――外套が濡れているということは、つい今し方ここに来たのだろう。

 

「問題か」

 

「問題だ。――――例の男の遺体が、消えた」

 

 昨夜、『外』の事情によって殺された男について、エルヴィンが知っていることには驚きは無い。どうせ密偵役の誰かが離れたところから見ていたのだろう。

 だが、その言葉が示す内容には、眉間に皺を寄せざるをえなかった。

 

「予定通りに今朝方になって発見する予定だったが、到着した時にはすでに無かったそうだ。――血痕ごと」

 

 その言葉が脳に馴染むまでに数秒。様々な可能性を考え、情報が足りないことに気付いて舌打ちした。

 

 

 

【転調:karla shan mihas, peg omni, peg elen, Hir qusi fo roo xin】

 

 

 

「あの男の死体が消えた」

 

 単刀直入に告げれば、長身の男は僅かに目を細めた。今は紅い上着を脱ぎ、暗色の部屋着のみになっている。その手は様々な薬品らしき粉末をごく微量ずつ量り分けては、幾つかの小鉢に入れて混ぜるという作業をしていたようだった。

 

「……どういうことだ?」

 

「どうもこうも無い。言葉の通りだ。今朝早く発見される予定だった男の死体が、現場から跡形もなく消失した。――あいつも『外』の奴なんだろう。同じく『外』の奴であるお前の意見が聞きたい」

 

「ありえない」

 

 きっぱりと。気持ちいいほど言い切った男はしかし、薬を調合していた手を止めて静かに窓の外へ視線を転じた。――何か、探るような眼差しで。

 窓の外は、未だ降り頻る霧状の雨で煙っている。

 

「――――『Tu o ar whit. 』」

 

「……なんだそれは」

 

 呟いた言葉に、覚えがあった。――たしか、ユウが口遊んでいた歌の中にも、同じ言葉があった気がする。

 

「古代語の一種だな。意味は『これはあなたが呼んだ雨』だったはずだ。――――ヴォルフシュテイン公の属性は光と、水。ヴォルフシュテイン卿が謳ってたのなら、まぁ、あり得ない事でも無い……か?」

 

 応えた言葉の後半は、どうも自問自答の類であるようだった。しばらく沈黙した男は、ふと我に返ったようにこちらに一瞥を向ける。交互に俺とエルヴィンを見やり、僅かに困惑したような、途方に暮れたような表情を見せた。

 どこから、どのように説明しようと考えて、『何か』に思い当たって困惑している、ように見える。

 

「……そう、だな。3日以内に片付ける。――これで、納得してくれないか?」

 

「それは、その方が『我々にとって』都合が良い、という事だろうか」

 

 エルヴィンの問いに、男は俯くように首肯した。その反応に、眉間に皺が増えたのを自覚する。そこは普通、逆だろう。本来は『自分たちにとって』都合が良いように持って行くところの筈だ。こいつらは馬鹿か。底抜けのお人好しか。

 

「それは些か、『我々』にとって都合が良すぎるとは思わないか?」

 

「だがこれは――こちらのミスだ」

 

「ならば、報告する義務があるのではないか?」

 

 正論だ。だからこそ、よく効いているらしい。しばし唇を噛んで逡巡した男は、それでもなお、首を振った。

 

「お前たちもこの件に関しては何も出来ない。――【流砂の民】の管轄だ。どうやらガハルド・バレーンは厄介なものに寄生されていた疑いがある」

 

「その、厄介なものとは?」

 

「――【流砂の民】から見た、お前たちにとっての巨人の奇行種にあたるモノだ。圧倒的な力で塵一つ残さず消し飛ばすくらいしか片付ける方法が無い。対処するなら、堅固な封印でもすればいいが、生憎とどちらも可能な者が今はご覧の通りに寝込んでいる」

 

 非常に、奇妙で解り難い言い回しだと思う。だが、これでこのお人好しな男が直接的な言葉を言わなかった理由を察することが出来た。

 どことなく、エイルヴィンの表情にも沈鬱なものが漂っている。

 

 

『お前たち『翼』の紋章を負う者は、何故『外』を望む?』

 

 

 あの男の問い。

 あの問の真実が、今の言葉でより明確になる。

 

「……――――なぁ、」

 

 この、自分たちが向かおうとしている道行きの先。当然、『自由』や『栄光』などといった、輝かしい希望が在る筈だと、思っていた。

 少なくとも、『外』には広く、美しい世界があるのだろう、と。

 

 だからこそ。

 

「――『外』に、巨人はいるのか」

 

 そう訊いてしまったのは、自分の弱さだと理解していた。

 男は黒銀の双眸を細め、だが、嘘偽り無く応えてくれる。この男は『そういう存在』なのだと、嫌でも理解させられた。

 

「いや。――【巨人】は、いない」

 

「……そうか」

 

 ――――それはつまり。

 

 『外』には、【巨人】以外の脅威が存在している、という宣告に等しかった。

 

 

 






 あ。章を弄り忘れていたので、今から弄ってきます!!




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【Arma 01:Ma num ga omnis rete van revm, van ieeya, idesy yeeel.】



『夢も望みも、全て遥か過去(うしろ)に捨ててきた』






 

 

 少し出掛ける、と言い残して出ていく男を見送り、思わず沈黙する。柔らかな雨音と、時計の秒針が時を刻む音だけが部屋に響く中、改めて『外』について考えてみた。

 

 目下、自分たちの敵は巨人である。

 これは自分たちを狭い『壁』の中に追いやった元凶であり、これを絶滅させる事が叶えば、人類は再び広い大地の上に繁栄できる。賛否は別として、『壁』の中ではそのように認識されている。

 

 だが、今回『外』を生き延びた民と知り合い、どうも事はそう簡単ではないらしい、ということが察せられた。

 

 『外』には、また別の外敵がいる。

 

 もし、あのガキが使った『風』などの自然現象を操る力が、その『外敵』に対抗するために備わったものだとしたら――――現状の自分たちでは、『外敵』に対抗するのは、かなり厳しいものがある。

 

『――長く、お前たちは『壁』という揺り籠の中に微睡んでいたが……』

 

 再び、金の目の男の言葉が脳裏をよぎり、目を細めた。

 なるほど。巨人以上に厄介な外敵が跋扈するのなら、『壁』はまさしく赤子を眠らせておく揺り籠に相違なく、また自分たちも揺り籠の中でぬくぬくと眠っていた赤子に違いない。

 

 そして、おそらくはあの男。『このことを踏まえたうえで』問い掛けたのだ。何故、『外』を目指す?と。

 

 答えたことに偽りは無い。だが、自分たちの常識がそのまま『外』でも常識であると、そう無意識に思い込んでいたことも事実である。

 

 つまり――今になってあの男の2つ目の問いの真実も、垣間見えた。

 『今すぐ、すべての【巨人】を滅ぼしてやろうか?』――――あれは、あの男には、正しく可能なことなのだろう。ただ、あの男にとっての『敵』は【巨人】ではないから、放置していたのだ。そして、機会があればあっさりと絶滅させることも可能なくらいには、あの男にとって【巨人】はどうとでもなる存在なのだろう。気に止める必要などないほどに。

 そして、あの男をこの世界を眺める『観客』のような立ち位置だと、仮定する。で、あれば、彼は自分たち人間の反応を――――突き進んだ先に在った絶望の風景を見た人間の反応を、見たかったのではないのか。その絶望に――――人間は打ち克てるのか、どうかを。もしかすると、克ってほしい、とさえ思いながら。

 普通、物語の『悪役』なんかは「人間の絶望するさまが見たい」とかほざいたりするが、あの男にはそんな俗っぽい、というか灰汁どい気配は無かった。ゆえに中庸な立場か、むしろ善に属すると思われる。

 そういう存在であるのなら、カナギの反応に嫌悪が混じっていないのも、ある意味では頷ける。『道化め』とも評していたことを考えても、あながち間違いではなさそうでもあった。

 

 ひとまず思考に区切りがついたところで、ソファーから腰を上げる。本棟に戻ろうとして、不意に、寝込んでいるはずのユウだけが此処に残されることに思い至った。

 ちなみに、イルゼ・ラングナーも流石に夜のうちに宿舎の自室に帰している。昼になれば来るだろうが、それまで熱を出しているらしい結構重傷な怪我人を独りにしておくのもどうかと、多少は思わなくもない。

 

「……エルヴィン」

 

「――そうだな。見舞いをしていくか」

 

 同じように思考に没頭していたらしいエルヴィンに声を掛け、とりあえずは隣の部屋で眠っているはずのユウのもとへ行くことにした。

 

 

 

【Arma 01:Ma num ga omnis rete van revm, van ieeya, idesy yeeel.】

 

 

 

 

 部屋のドアを開けると、奥の窓際に置かれた寝台の上で横たわったまま、ユウは窓に手を伸ばしていた。その動作に、思わず眉をひそめる。別に窓を開けようとしている訳では無く、本当にただ、手を翳しているだけに見えた。

 その動作も、ドアが開くと同時に自然に腕を下して無かったことにする。

 

「――思ったより元気そうだな」

 

 低く声を掛ければ身体を起こそうとする姿に軽く舌打ちし、とっさにユウの額を押さえて起き上がれないように押さえた。そうして思っていた以上に体温が高かったことに、再び舌打ちする。

 

「寝てろ、起きるな」

 

 でも、と掠れた声が耳に届いた。

 

「……何か、用があったんじゃ……」

 

「用は無い。ただの見舞いだ」

 

「――――ほんとうに?」

 

 熱に浮かされて揺れる紅い眸が、僅かに細められる。――――どうやら、笑ったらしい。一瞬、扇情的に見えて僅かに反応が遅れてしまった。そしてその動揺は、はっきりと伝わってしまったらしい。微かに苦笑らしきものを零される。――――こう、なんというか、実に不愉快だ。

 

「――エルヴィン」

 

 任せた、と言わんばかりに踵を返し、寝台の足元側に置かれていた椅子にどっかりと腰を落ち着ける。

エルヴィンは溜息と共に小さく苦笑し、改めてユウに向き直った。

 

「傷の具合は?」

 

「……正直、このくらいなら慣れている、から……逆に、良くわからない、かな」

 

 寝込んだのは久しぶり、と応えるユウは身体のいたることろに包帯が巻かれ、見ている側としては非常に痛々しい。自分たち調査兵団は、ある意味ではこういう姿の人間も見慣れているが、それでも手足を失い、命を落とした部下や仲間を彷彿とさせる姿は、やはり見ていて気持ちのいいものでは無い。

 

「――手を、どうかしたのか」

 

 思わず問いかけた言葉に、ユウはゆったりと瞬いた。きょとんとしている、ように見える。その様子に舌打ちし、もう一度口を開いた。

 

「さっき、手を伸ばしていただろう」

 

「……――――あぁ……」

 

 反応が遅いのは、やはり熱のせいなのだろう。ユウは何度か瞬き、視線を窓の外へと向けた。そしてどこか憧憬を込めた、焦がれるような――それでいて何かを諦めたような眼差しを見せる。

 

「……――そらが、きれいだなって……」

 

「雨だぞ?」

 

「……うん」

 

 窓の外は、薄く銀幕に煙るような雨だ。もちろん空も、薄曇りの曇天でしかない。これを『綺麗』と評する奴がいるとは思わなかった。大体の人間は憂鬱になりこそすれ、間違っても『綺麗』などとは思うまい。

 

「……雨って、こんな風にも、降るんだね。静かに、包み込むように……こんな優しい雨、知らなかった」

 

 雨を、『優しい』と。そう言ったことに、衝撃を受けた。

 ――だが、そう。

 たとえば、『嵐』という激しい豪雨しか知らないのなら、確かにこの柔らかな錦雨は『優しい』と言えるのかもしれない。

 

「……そうか、」

 

 ――――こんな灰色の世界でさえ『綺麗』だと言うコイツは、一体どんな世界を見て来たのだろう。

 

「……『外』では、降らねぇのか」

 

「こんなに優しい雨は、降らないね」

 

 ふふ、と柔く笑うユウは、ほんの少し瞑目した後、再び視線をこちらに向けた。

 

「――――【狼呀の民】の主な領域は、【荒野の最果て】と云われる旧時代の――人類が繁栄していた頃の時代の名残が遺跡として散在しているところだよ。極東にある。――黒い雲と、毒の雨に閉ざされた場所。だから、【狼呀の民】は『壁』の内側を指して【エデン】――楽園、と詠んだ」

 

 ――――ああ、それは。

 羨んだとしても、仕方がない。むしろ当然だと。そう、ようやく腑に落ちた。ひとり納得している横から、エルヴィンが口を開く。

 

「カナギから、【巨人】はいないと聞いたが――『何』がいるんだ?」

 

 その言葉に、ユウは微かに息を呑んだようだった。揺らめいていた紅い双眸に昏い色が混じる。

 

「我々にとっての、『巨人の奇行種のようなもの』と言えば、それはなんだ?」

 

「……【狼呀】の領域なら、【第一種接触禁忌指定のアラガミ】かな。【降魔】の領域なら、【汚染獣の老生体】で……なんで、そんなこと訊くの?」

 

 ――――やはり、熱で頭が回っていないらしい。

今まで懸命に包み隠していたのであろう情報を、あっさりと零している。しかもこれは、人間にとって、非常にありがたくない情報だ。だからこそ、言えなかったのであろう情報でもある。

 

「ああ。――実は今朝、発見する予定だったガハルド・バレーンの遺体が、現場から消えていてね。その旨をカナギに話したら、『厄介なものに寄生されていた疑いがある』と言っていて――『流砂の民から見た、お前たちにとっての巨人の奇行種にあたるモノだ』と」

 

 その言葉に、ユウは毛布を跳ね除けるようにして飛び起きた。

 

「――はなして、」

 

 飛び出そうとしたユウの腕をとっさに掴み、エルヴィンはやんわりと押しとどめる。

 

「そんな身体で、どうすると?」

 

 その通りだ、と内心でエルヴィンに同意する。こんな、怪我でボロボロのうえに熱でフラフラのクセして。

 話の流れからしてもおそらく、十中八九あの男を探そうとしているのだろうが、こんな状態では無理だろうに。身体も余計に悪くなる。

 

 ――――だが。

 

「関係無い」

 

 何の迷いも無く言い切ったユウに、流石のエルヴィンも一瞬、面食らったのが解った。思わず眉間にシワが寄る。

 

「――おい、ユウ」

 

「俺は【狼呀】だ。この身は純人間種を護る為に造られたモノ。純人間種の中に災獣が入り込んだというなら、それを探し出して排除する。何がなんでも、純人間種の安全は確保する。だから、」

 

 思わず、眉間のシワが深くなった。だが、それはユウの体調的な問題に関してでは無い。何か、ユウの言葉には違和感がある。そう――『純人間種を護る為に造られたもの』、『何がなんでも、純人間種の安全は確保する』だ。

 これは。コイツは、つまり――『純人間種の安全確保の為になら、自分の事なんてどうでもいい。それが純人間種を護る為に作られた【狼呀】として当然の義務であり、存在理由だ』と、そう言ったのだ。

 

 ふざけるな。いくらその為の組織だったとしても――と。そこまで思考し、不意に自らの勘違いの可能性に気付いて、僅かの間、呼吸が止まった。

 

 『純人間種を護る為に』――『組織された』のではなく、文字通り『つくられた』と。そういう、事なのだろうか。記憶を探る。――何か言っていなかったか。たとえば。

 

(……『人為的に』――遺伝子を、操作して……?)

 

 ――――では、操作された方の人間は、どんな扱いになる?

 

 ユウを見る。身体のあちこちに巻いた包帯に、僅かに赤い色が滲んでいた。急に動いたせいで傷口が開いたのだろう。だが、それを気に止める様子は無い。――慣れている、と言っていた。それは任務中に負う怪我なのだろうか。それであれば、まだいいと思うことにする。だが。

 

 この、使い潰される事を認識しながら、それを当然のように受け入れているような言動は、理解の範疇を越えている。

 同じようなことに思い至っているのだろう。エルヴィンの顔にも険がある。――――まぁ、若者が夢も希望も無くただ使い潰されていく過程を見せつけられるのは、非常に不愉快だろう。俺だってそうだ。せめて嘘でも構わないから、死にゆく部下や仲間の為には夢や希望はあることにしておきたい。だがコイツは、そんなものは無いと、現実を知り過ぎている。

 

「――ユウ。ちゃんと聞け」

 

 息を吐きながら立ち上がり、エルヴィンの隣、ユウの前に立つ。

 

「――お前、いま一人で立てるのか」

 

 コイツは今、止めるために回されたエルヴィンの腕に支えられて立っているような状態だ。抱え込まれている、と言っても良い。睨むように見つめれば僅かに怯み、だがそれでも頷いた。

 

「……そうか。なら、立て。――丁寧に諭してやろうかとも思ったが、気が変わった」

 

「リヴァイ、」

 

「エルヴィン。お前は何も言うな」

 

「……ほどほどにしてくれ、とだけ言わせてもらう」

 

「それはコイツ次第だ。――ドアの前にでも立っとけ」

 

 言った直後、ユウに向かって容赦なく拳を振るった。コイツは、甘い言葉には流されない。同時に、自分を使い潰されて当然のものである、と認識している。で、ある以上、言葉を尽くして『身体を労われ』と諭したところで無意味だろう。本当に止めたいのなら、力づくでないと聞き入れまい。

 

 とっさに半歩ずれて避けたのは流石だが、あいにくと本命は拳では無い。エルヴィンの腕から離れ、バランスを崩しながらも自力で立ったユウに、今度は足払いを仕掛けた。案の定、対応できずに倒れたユウの肩に足を乗せ、すぐには立ち上がれないようにする。視界の端で、エルヴィンがドアを塞ぐように移動して佇むのを確認した。

 

「――で? こんなざまで、どうするって?」

 

 ユウが微かに顔を顰める。だが、次の瞬間には両足を揃えて跳ね起きるようにして鋭い蹴りを放ってきた。――どうしたらあの態勢からの蹴りがそんなに鋭くなるのかを教えてもらいたい。思わず身を引いて足を退ける。

 立ち上がると同時に左足で回し蹴りをしてきたのを見て、本当に怪我を度外視いているらしい、と思い知らされた。――全体重を乗せたはずの軸足は、深い裂傷があったはずだ。そして思った通り、右の大腿部に巻かれた包帯に、鮮やかな赤が滲んでくる。

 その傷を代償にした蹴りは、だが予想通りに鋭さは半減していた。右腕で抱え込むようにして防ぎ、鳩尾に向けて拳を振るう。僅かにユウが前のめりになったところで、容赦なく蹴りを右肩に落とした。思わず膝をついたユウを見やり、今度は膝で右頬を蹴り飛ばす。

 床に倒れたユウの姿を見て、ふと息を吐いた。これで大人しくなってくれればいいが――そうはいかない気がしている。

 

「――おい。大人しく寝ろ」

 

 なおも体を起こそうと足掻き、腕を支えにしてゆっくりと立ち上がろうとしているユウに嘆息し、無防備な脇腹を思いっ切り蹴り上げてやった。

 再び床に転がり、噎せるユウの腕を掴んで寝台の上に放り投げる。それでも身を起こそうとするユウに苛立ち、両腕を拘束して覆い被さるように寝台に押し付けた。

 

「いい加減に、休め。今のお前じゃ犬死にだ。こんな風に痛めつけられて終わりだろう」

 

「―――っ……」

 

 不意に、ユウの身体から力が抜けた。喘鳴混じりの呼吸の中、時折嫌な咳が入る。正直、今の立ち回りで悪化しない訳がないが――――ふと。少々、この態勢でこんな状態のユウを眺めているのは非常に危険な気がした。色々な意味で。特に、第三者に見られると確実にあらぬ誤解を受ける態勢であるのは、客観的に見て確実であると判断せざるを得ない。

 

 そっと身体を退かし、立ち上がる。ぼんやりとしたユウの視線が追ってきたが――お前、こんなシチュエーションでそんなことをするな、と余程言ってやろうかと思った。多分、意識はしていないんだろうが、だからこそ拙いだろとも思う。

 

 のそり、と鈍い動きでユウは身を起こした。向かって来る気は、もう無いらしい。どうやら躾は効いたようだ。こちらに背を向けるのは、あれか。意地を張っているつもりか。――――いや。

 

 身体を折って激しく咳き込むユウに眉をひそめる。嫌な咳だ。喉の奥で何かが絡まった時のような。そこまで考えた時、錆びた臭いが鼻腔をかすめた。

 

「――おいっ!」

 

 思わずユウの肩を掴んで振り向かせ、乱暴に手首を掴む。口元を押さえていたのだろうその手は、見慣れた赤に染まっていた。

 容赦はしなかったが、きっちり手加減はしている。ここまで内蔵にダメージを与えるような威力では無かったはずだ。――だが。

 

 するり、と掴んでいない方の手で、ユウが頬に触れた感触で我に返る。

 

「――おどろかせて、ごめん、なさい……」

 

 また小さく咳き込み、それが治まるとユウは淡く微笑んだ。

 

「……あなたのせいじゃないから、だいじょうぶ」

 

 伝染る病気でも無い、と告げて、諦めたように息を吐く。

 

「――【狼呀】は短命だって、いったよね……?」

 

「……寿命だってのか?」

 

 問いには答えず、ユウはゆっくりと目を閉じた。とん、と自分の肩に頭を乗せて来る。

 

「――――ごめん……ねむい……」

 

「おい」

 

「――カナギに……きいて……」

 

 それきり意識を手放したらしいユウを叩き起こしたい衝動に駆られながら、血が滲んで赤くなった包帯を見て、とりあえず包帯を変えてからにしよう、と思った。

 

 

 

 






 Pixiv版では2話に分かれているのをひとつにまとめました。
 ちょうど兵長が兵長らしく躾をした話です。効果?――うん。無いんじゃないかな!

 フラグが乱立しておりますね。主に死亡フラグが。
 え、れんあいフラグ? それってなんですかね?





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【交錯:O pelma Loo nehhe, Hir yun da ora peg ilmei cele ende zorm】



『大いなる祝賛と礼節を謳ってその名を贈る』




※光浄都市ヴォルフシュテインでの話。


 

 レギオスの正式名称は自律型移動都市国家群である。文字通り、自律的に移動する都市ひとつ分の国家が12個、存在する。

 そしてその移動する都市の足元を追従するように、無数のキャラバンや移民が行動を共にしているが、これらは正確には都市国家の人民には数えられない。だが、何代にも渡って移動都市の足下で暮らしてきた彼らは、同時に都市の住民よりもそれぞれの都市の癖や性格、特性を理解していた。

 たとえば、キュアンティスは移動都市でありながら、ほとんど移動することは無い。災獣の襲撃が無ければ一箇所に留まったまま、眠っているかのようにじっとしている。

 それとは対照的に活発なのはギャバネストとクォルラフィンだ。この2都市は戦闘狂の気でもあるのか、常に自ら災獣の群れを追って突撃する。よって一年の半分はキャラバンも移民も寄り付かない。

 他の都市はそれほど極端な違いは無いが、それでも足元で暮らすキャラバンにだけ解る違いもある。

 ヴァルモンやスワッティスは、自らの足下にいる人間になど気に留めない。足下にいる人間が悪いとばかりにあっさりと踏み潰すこともある。そしてそれでも止まることなく進んでいく。

 逆に非常に気を使って、慎重に足を動かしてくれる都市もある。その代表例がヴォルフシュテインだった。この都市は余裕があればキャラバンや移民の動物が逃げないように足を動かして牽制してくれることすらある。女子供や老人が足の近くにいればなるべく動かないようにしてくれたりと、実に『優しい』都市だと云われていた。

 

 その都市が、3か月前に急に止まって以降、災獣の襲撃があっても動かない。災獣そのものは【降魔】や【宝玉珠】たちのお蔭で問題は無い。だが、これは異常だ。もし、――万が一、都市の核であるヴォルフシュテイン公に何かあったのならば、早々にこの領域から離脱しなければならない。動けない都市は見捨てなければ――自分たちが生きていけない。

 ――――だが、離れがたいのも事実だった。

 

 他のキャラバンが次々と去っていく中、自分が残ったのは個人的にヴォルフシュテイン公を見知っていたからだ。

 時折、城の者には内密に自らの足下に降りて来ては羊や馬と戯れていた。彼は名乗ったことは無かったが、それでも何十年も変わらない姿を見れば、察しはつく。

 自分は、此処で生涯を終えるのも悪くない。

 だが、――若い衆には去るように言わなければならないだろう。

 

 そう決意して視線を巡らせた矢先、視界の端で紅い衣が翻った。

 

 

 

【交錯:O pelma Loo nehhe, Hir yun da ora peg ilmei cele ende zorm】

 

 

 

「――珍しい客人ですね」

 

「第一声がそれか。――まぁいい。ヴォルフシュテイン卿を借りたい」

 

「仮にも玉座に在る者に対してその言葉使いは如何かと思うのですが」

 

「俺はそれが許される立場だ」

 

 王の執務室に入った先で目にしたやり取りが、これである。

 執務机に座しているのはこのヴォルフシュテインを統治する王。その向かい、机を挟んで立っているのは紅い衣をまとった【守人】だった。

 その【守人】と呼ばれる青年の後ろに肩身を狭そうにしているのは、――『壁の中の住人』ではなかっただろうか。確か、自分たちを庇って負傷した【狼呀】の青年の知人である筈。

 

「――――陛下」

 

 声を掛ければ、軽く息を吐いて視線が向けられる。紫紺の眼差しが向けられ、思わず顎を引いて姿勢を正した。

 

「――レイフォン。長くて一週間です。それ以上はこの都市の政治体系がもちません。良くて革命、悪くて廃棄です。――あなたはまだ、帰還していない。そういうことにしますので、そのようにして下さい」

 

「……え? あの、一週間って……長くないですか?」

 

「劉黒には無茶をしてもらうことにします。――といいますか、そういうデモンストレーションをしないと、流石にもちません」

 

 淡々と、事実だけを告げているようだが、かなり明け透けであるような気がする。そして何故、さりげなく自分が行くことが確定しているのだろう。

 王はチラリと【守人】を一瞥すると机の上で指を組み、そっと息を吐く。

 

「こちらに【守人】が直々に来た、ということは――それなりの事態になってしまった、ということではないかと愚考しますが、どうなのでしょう」

 

「……流石に賢王と名高いヴォルフシュテイン王。会話が2つ3つ抜けても核心を突くとは、素晴らしい」

 

「その慇懃無礼な言動は即刻辞めて下さい。鳥肌が立ちます」

 

「いや、それはアンタ――休んだ方が良いと思うぞ? もともと病弱で虚弱体質なんだし」

 

「この状況では休めません。――それで、具体的に何があったのですか」

 

「叛逆の大罪人、ガハルド・バレーンが【汚染獣】の老生体に寄生されていた疑いがある。――死体が、消えた」

 

 すっと、王の双眸が細められた。

 

「――『壁の中』で?」

 

「そうだ。――状況が不味すぎる。だから、下手な人選は出来ない」

 

(確かに……)

 

 これは、『壁の中』では片付けられない、という事情に由来する問題だ。【汚染獣】と呼ばれる災獣の正体は『ナノセルロイド』という――要は、かつて人工的につくられた機械である。超小型の細胞レベルの大きさであり、それが群体で集まり巨大な一個の生物の形を模しているに過ぎない。また、これと同じ性質をもつのが【アラガミ】である。こちらは人工物では無く、突如自然に発生したものだ。

 だが、いずれも群体である故に、絶対的な特性がある。それは『一度崩壊しても、時間を掛ければまた集合して一つの個体として復活する』というものだ。そしてこれこそが、『壁の中では処理できない理由』である。

 これは、外来種生物の原理と同じだ。【汚染獣】の天敵は自分たち【降魔】であり、【アラガミ】の天敵は【狼呀】である。だが、『壁の中』にこの天敵は存在しない。故に、一度『拡散』させれば、爆発的に増殖する。かつて、そうやって滅びた民があった。

 だからこそ、まだ奴らが汚染していない『壁の中』では、絶対に散らせない。

 他の民との、そういう協定である。

 

 可能かどうか、自問する。

 現在、奴が潜伏しているであろう街から、壁の外まで。――距離が、ありすぎる。まさか拘束して運ぶなど出来まい。

 だが、――手などいくらでも在る筈だ。多少、参戦するメンツによっては変わるだろうが、基本的に『距離』という概念を無視できる者たちは何人かいる。――人、と言って良いのかは、よくわからないのだが。

 

「……【守人】殿。あなたはどのようにして此処までいらっしゃったのです?」

 

「ソラが――『鳥の神』が『道』を作ってくれた」

 

「それは【汚染獣】も通せますか」

 

「ソラは『道』を作るだけだ。そこに入る意思が無ければ意味が無い。強制力を望むなら、まだ【夜】の名詠門の方がマシだ」

 

「――なるほど。しかし、【夜】は『塔』へ出掛けています」

 

「……いっそ、氷漬けにして運ぶか」

 

「選択肢の一つとしては、ありでしょうね」

 

 カタン、と王は立ち上がり、再びレイフォンに目を向ける。

 

「―― 一週間です。それを超えたら、迎えに行きます」

 

「え?」

 

 それは、別に脅しとかにはなってないような気が……。

 

「帰還する時には英雄扱いです。きっと凄まじい声援が飛んでくると思うので、頑張って下さい」

 

「――え!? ちょ、ヤエト!? 何する気」

 

 言い終わる前に足元に複雑な光の紋が生じた。これが『鳥の神』の『道』に通じる門なのだろう。その光に飲み込まれるように一瞬、意識が遠のく。それでも自らの王の声は、やけにしっかりと耳に届いた。

 

「すみませんね、レイフォン。これも政治です。――民には、『【天剣】を奪った反逆者たちを追って【剣守】は遠征中だ』と発表しておきます。帰還は凱旋である、と心得て下さい」

 

 

 

 

 

 




 そして取り残されたイルゼさん。きっと涙目です。



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【Arma 02:omnis rippllys, here na irs zeeth diviega oz mea.】

『万象は応え、もはや わたしの刃を戒めるものは、此処に無い』





 結局、日が暮れる時刻になってもカナギとかいう薬師は帰って来なかった。

 探してみようか、とも思わなくも無かったがどうもイルゼ・ラングナーをつれて行ったらしい。ならば、緊急時には調査兵団が知る方法で連絡が入るだろう。

 

 

 降り頻る雨は未だ止まず、再び雨脚を強めだした。

 

 

【Arma 02:万象は応え、もはや わたしの刃を戒めるものは、此処に無い】

 

 

 

「……それで、なんで貴様がいる」

 

 ユウの様子を見ようと部屋のドアを開けたところで、つい昨日の夜に消えたはずの男の姿を見止めて思わずそう突っ込んだ。

 それを受けて金の眸の男は、面白そうに口の端を上げて笑う。

 

「薬師に頼まれたものを持って来たのだが、その薬師が出掛けているようだ。どうしようかと考えていた時、お前が来た」

 

「……頼まれたもの?」

 

「延命剤」

 

 さらりと答えた男につかつかと歩み寄り、腕を組んで睨むように見上げる。男は不思議そうなきょとん、とした顔でこちらを見返した。

 

「よこせ」

 

「それは、構わんが……無理だと思うぞ?」

 

 言いながら懐から銀色のケースを取り出し、それを開いて見せる。幾つかの栓をされた小さな試験管と小型の注射器が2つ、丁寧に保管されていた。その中の、試験管の多さに思わず眉をひそめる。試験管の中の液体には、それぞれ色がついていた。ということは、すべて違うものなのだろう。

 

「これは、数ある延命剤の中でも、かなり扱いが難しい。本来は専属の主治医が被験者の容態を確認してから、その時の状態に相応しいものをその都度、調合する。――【守人】ならば問題無いと踏んだのだろうが、ド素人が触って良いものでも無い」

 

「……チッ」

 

 潔く自分にはどうにも出来ないことを認め、舌打ちして踵を返す。椅子に腰かけ、チラリと男を一瞥した。そして思わず眉間のシワを深くする。

 男はケースを元通りに懐にしまうとユウが横たわる寝台に腰かけ、そっと目元に掛かる前髪を払った。その仕種も眼差しも、『愛おしげな』と評するのが正しいと思わせる。

 だが、その眼差しは時折昏く翳った。

 

「――確かに、延命剤は必要なようだが……」

 

 どうするかな、という呟きには、どこか憂鬱そうな響きが混じる。それからこちらに視線を向けると数回瞬き、結局視線を外して嘆息した。

 

 ――――これは、おいコラどういうことだテメェ、とでも言う場面だろうか。とりあえず、非常に呆れられたというのは判る。だが、一体何に対してだ。

 

「――オイこら」

 

「併発している」

 

 ――この、抜群のタイミングは、狙っているのだろうか。

 しかもこちらが無視できない言葉で制されると、こっちが黙るしかない。非常に小憎らしい。

 

「……どういうことだ」

 

「――こいつは【狼呀の民】と【詩紡ぎの民】の因子を継いでいる。そしてこの通称『因子』と云われているモノは、既存の純人間種の遺伝子に寄生して上書き、あるいは破壊して成り代わるものだ。要は、突き詰めれば純人間種以外の人間種というのは遺伝子欠陥を抱えた者たちだ。そしてその欠陥は、民ごとに違う。――いや。結果は同じでも発生の過程が異なる為に、異なる民の因子を発現させた場合、その欠陥は併発する、というのがより正解に近いかな」

 

 それで、と男は再びユウの髪をそっと撫でる。何か、退役した老兵が、孫を慈しんでいるような、そんな光景のようだと感じた。

 

「私が持って来た延命剤が効くのは【狼呀】の因子に対してのみだ。【詩紡ぎ】の因子には効かない。というかそもそも、男性型でここまではっきりきっぱりと【詩紡ぎ】の因子が発現するのは、あまりにも例が無い。これは、あれか。やはり【狼呀】の因子とセットになったせいか」

 

「……何を言ってやがる」

 

「とりあえず、私が持って来た延命剤だけでは、助からん、ということだけ認識しておけ」

 

 あっけらかんと言い切った男に、思わず殺気がわいた。

 

「――だったら、必要な分を持ってきやがれ」

 

「それは既に、」

 

 言い掛け、男ははっとしたように顔を上げる。同時に俺を突き倒しながら振り返り、腰を落として低く身構えた。一瞬後、窓を突き破り、『何か』が部屋に飛び込んでくる。

 

 何故かユウでは無く俺を庇うような場所に立つ男に顔を顰めながら立ち上がり、『何か』に目を向けた。

 『何か』は、おそらく死体が消えていたガハルド・バレーン、なのだろう。だが、それはもはや人間の形では無かった。いや、かろうじて人間の形は残っているが、それはもはや残骸と言える程度でしかなく、これを見て元・人間だと思う者はいないだろう。

 

「……まるでミニチュアの【ウロボロス】みたいな格好だな。どこかで【アラガミ】の細胞でも拾ったか?」

 

 まるで小馬鹿にしたような声音で、しかしその視線は油断なく『何か』の様子を探っている。ザワザワと、『何か』の手足であるらしい触手が蠢いた。四方に広がる触手を束ねるのは人間の胴体。長く伸びた首の先端に、ガハルド・バレーンの頭部が繋がっている。

 その首の視線が、自らの足元に向かう。窓の桟から寝台に臥すユウを見つけて、笑い声らしきものを発した。ケタケタと可笑しくてたまらない、というように嗤う。

 

 触手を蠢かせ、寝台からユウを引きずり出すと、『何か』は御馳走を見つけた獣のように満足そうに目を細め、そして再び夜雨の中へと姿を消した。――――最後まで、こちらには一切目を向けないまま。

 

「――――おい」

 

「追うなよ。お前が行ったところでどうにもならん。――この件に関しては、私に期待されても街中では何も出来ん。私は【汚染獣】と相性が最悪なうえ、基本的に破壊する方向に特化しているからな」

 

 ちなみに、と息を吐いて男は続ける。

 

「あの状況で乱闘になると、かなりの高確率でお前が負傷していた。そして、そうなると【狼呀】であるあいつは、本気で怒り狂う。怒り狂うと無茶をする。――あとは頼むから察してくれ」

 

(――――なんだ、それは)

 

 ふざけるな、と思った。だが、それは何故か声にはならなかった。

 

 打ち破られた窓から、容赦なく雨風が吹き込んでくる。

 木片とガラスが散乱した部屋に、軋むドアの音がやけに重く響いた。

 

「――――どういう状況だ」

 

 戻って来たらしいカナギとかいう薬師は、うしろに先日のガキをつれていた。その視線は部屋の中を一巡りすると鋭い眼光を孕んで金の眸の男に向かう。

 

「おい、黄龍」

 

「お前らが追ってたあの男は、寄生されていたようだな。形状がミニチュア版の【ウロボロス】だったから、【汚染獣】なのか【アラガミ】なのかまでは確認できなかったが。【真神】を気に入ったらしい。――持って行かれた」

 

 言い終わると同時にカナギの後ろにいたガキが窓に駆け寄り、そのまま桟に足を掛け――

 

「おい。勝手な行動するなと言ったろうがクソガキ」

 

 そのまま、ガキは凍り付いた。おそるおそる振り返り、発言したカナギへと視線を向ける。そのカナギの顔には、あろうことか満面の笑みが貼り付いていた。――どうやら、怒りが臨界点を突破したらしい。

 

「ルールは解ってんだろうな」

 

「……協定の、範囲内で」

 

「そうだ。ついでに、ユウを持ってった、というのはどういう可能性がある?」

 

 その問いに、ちらりと一瞬、俺に視線が向けられる。逡巡の後、物凄く嫌そうな顔で答えた。

 

「――――通常ならば【汚染獣】【アラガミ】どちらも食糧扱いです。ただ――過去の【汚染獣】の記録の中には、巣に持ち帰る、という習性のある老生体は、持ち帰ったものを繁殖に使っていたらしいです」

 

「――――それは、あれか。良くハエに卵を植え付けられて、ウジの生餌にされるとか、そういうパターンか?」

 

「……そういうパターンもありましたね。ただ今回、【降魔】であるあの男に寄生していたので……最低なパターンで考えた方が、いいんじゃないでしょうか……」

 

「…………」

 

 部屋に、沈黙が降りる。流石に俺もこの話の内容を察せないほどガキでは無い。が、同時にこれは黙るしかない。

 その中で、金の眸の男が感情の抜けた声音で、厳命を下した。

 

「ヴォルフシュテイン卿。あんな異形擬きに【真神】を壊されるくらいなら、貴様に呉れてやる。奪い返せ。今回は全面的に協力してやる」

 

 もちろん、と金光の靄を零しながら、男は凄絶にわらう。

 

「別に【守人】でも【夜】でも構わん。ついでに人間、お前でもな」

 

 人間、と言いながらこちらを見た男は、次の瞬間には大気に融け込むように掻き消えた。

 

「……別に、お前のものでもないだろうが。――ヴォルフシュテイン卿」

 

「――何でしょう」

 

「とにかく、まずは街の外へ出せ。最悪でも『壁』の上だ。あとは、雷に気を付けろ」

 

 ずいぶんとオカンムリだったみたいだしな、と少し苦笑したカナギに、ヴォルフシュテインと呼ばれるガキは嘆息で応えてみせた。ちらりとこちらを一瞥し、そのままあっさりと身を翻して部屋から出ていく。その背を追いながら、どう声を掛けようか考えた矢先、向こうから声を投げてくる。

 

「――僕は、レイフォン・アルセイフといいます。ヴォルフシュテインは、僕が属する場所の名前です」

 

 あなたは何て呼べばいいですか、とガキ――改めレイフォンは言いながら廊下を進み、階段を降りる。ぽたぽたと、外套から雨の雫が滴り落ちていた。

 

「たしか――兵長、って呼ばれてましたよね?」

 

 それは、壁の外で拾い、トロスト区まで送ってやった時の話だろうか。まさか、熱を出してぶっ倒れていたガキが、ユウとあんな戦いを繰り広げるとは思ってもいなかったが。

 

「――リヴァイだ。それで、お前はレイフォンでいいのか」

 

「呼び難かったら、レインでも良いですよ。極東人と違って、名前に意味を持たせたりって文化はあまり無いので」

 

 階段を降り、廊下を抜けて居間の扉を開く。そこには、レイフォンと一緒にいた少女が椅子に座っていた。

 

「レン」

 

「ん」

 

 さらり、と藤色の髪が肩口から零れ落ちる。少女は立ち上がり、差し出された少年の手を取った。

 そのまま2人は玄関の戸を開け、雨の降り頻る外へ出る。

 

「――【黄龍】殿が全面協力してくれる。今回、力配分は考えなくていい」

 

「うん。わかった」

 

 少年は少し笑って、こつん、と少女の額に自らの額を軽く突き合わせた。少女は瞬き、そうしてふわりと笑う。――――なんだ、その『心は通じ合ってます』的なやり取りは。砂を吐きそうだ。

 

 

『 ―――(あか)る心 風を纏いて 契り籠ん 』

 

 

 ひゅるり、と少女の姿がほどけ、同時に翡翠の大剣へと編み直される。見るのは二度目になるが、なかなか幻想的な光景と云えた。

 だが。

 

「――奴の居場所は判るのか」

 

「大丈夫です。今も雨が降り、風が吹いていますから。第一、大地の神威である【黄龍】から逃れるなど、あの程度の輩に出来るわけがありません」

 

 では、失礼します、と言って少年は大剣を正眼に構える。その背に向かって思わず問い掛けた。

 

「その『しんい』ってのは、何なんだ」

 

 少しの間。逡巡の後に返された応えは、少年の吐息だった。

 

「……たぶん、あなた方の中に、こういった概念が残っている方は、もういないと思います。だから、その眼で見て、体感して、もう一度知りなおすなり、思い出すなりして下さい」

 

 そう言って、幾度目か聴くことになる歌を紡ぎ出す。

 

 

『 汝貴(なんぢ)とかくいめ結ばん 地の終えのさやけし 天のはら 颯々(さつさつ)の声 』

 

 ぶわり、と風が動いた。慌てて腰を落とし、突風に飛ばされないように踏ん張る。

 

『 汝貴とかくいめ紡がん などさは臆せにしか ゆめゆめ独り 臥すなき 』

 

 風は逆巻き、少年の大剣を中心に集まっているようだった。――いや。既に『風』ではなく『大気』と言い表した方が近いかもしれない。

 

『 かげ光り 満ちらん 地の終えのさやけし 天の海 颯々の声 かくいめ合わさん 』

 

『―――【東風の環(エウロス・ループ)】』

 

 放たれた風は、円状に一陣の風となって街の端まで一気に駆け抜けた。

 

 

 

 




 この後は、またお昼ごろに~ノシ




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【viega 01:iem, aulla irs pauwel gkgula.】


※R15指定。だと思います。
※前半と後半のギャップ・温度差に注意!
※腐向け。BLというと語弊があるので腐向けで。
※そういう訳なので、苦手な人は逃げて下さいね。


『いま、力の境は開かれて在る』




 

 とおく、遠く。深い意識の水底から、幽かな旋律が泡沫と共に浮き上がって来るような。

 

 ――ああ、これは。

 

 顔も知らない母が、自分に残してくれた、遠い母の故郷の旋律だ。誰に教えられるでもなく、本能的にそれを知っていた。遥か昔に詩で塔を造り、維持し、守り育んできた女神が謳う、塔を形作る為の―――今もなお、母の故郷を支える詩。

 

 そう認識した瞬間、ふっと意識が何処かへ引っ張られるのを感じた。軽く腕を引かれるような、そんな気安さで。思わず引かれるままに意識を向ければ、次の瞬間には広大な花畑の中にいた。

 

 広い蒼穹と、地平線まで広がる花々の世界。薄桃色や黄色、淡い青の色とりどりの花々が咲き乱れ、渡るそよ風に柔らかな薫りが漂う。

 その、中に。

 緑の髪の少女が、翡翠色の翅を揺らしながら謳っていた。時折、踊るようにくるりと身を翻せば、妖精のような翅も陽光を弾いてきらりと輝く。

 

 

Wee yea ra knawa pirtue anw murfanare.

 妖精は人の愛を知りました

 

Wee apea ra warma, en yehar lusye der crannidale yor.

 それはとても温かく、分かち合うことで美しい光を放ちました

 

Was zweie ra ferda pirtue sarla, sos ridalnae infel yor.

 妖精は謳うと決めました 自分に愛をくれたかけがえのない人のために

 

Was ki ra crushue ee arka dia, fandel murfanare cenjue pauwel.

 偉大なる大樹を紡ぎます 数多の想いを力に変えて

 

 

 その可憐さに見入っていると、ふと琥珀色の目と視線が合った。キラキラと目を輝かせて近寄って来る。

 

「わあ! ここに人が来るのは久しぶり!! あれ、でも――あなたは男の子なんだね。男の子のレーヴァテイルは初めて見たよ!」

 

 ――レーヴァテイル、というのは確か、【詩紡ぎ】の古い名称だったはずだ。そして、その名称が出てくるということは、この少女は相当――長生きの筈である。

 そこまで考えて、はたと気付いた。この少女は、もしかすると。

 

「……【碧珠天】?」

 

「うん! 外の人たちはそう呼ぶね。私はフレリア」

 

 やはり、母の故郷――【翠ノ塔】の女神であらせられるらしい。

 まさか、こんなに無邪気で可憐な女神だとは思っていなかった。だが、同時に納得する。こんな女神だから、今もなお、塔の世界を紡ぎ続けていられるのだろう。

 

 あのね、と今度は心配そうな顔になって告げる。

 

「この塔は私だから、私の処にいる子たちは、わかるの。――でも、あなたは、此処にはいない」

 

 そっと差し伸べられた手が、優しく頬を撫でた。

 

「きっと、すごく遠くから、来ちゃったんだね。――でも、こんなに遠く、身体から心を離しちゃ、ダメだよ。あなたもレーヴァテイルだから、ちゃんと『此処』に繋がってる。だから、安心して?」

 

 独りじゃないよ、という女神の言葉が、何故かとても心に沁みた。

 

 

 

【viega 01:iem, aulla irs pauwel gkgula.】

 

 

 

 ――――土砂降りの雨が、肌を打つ。その感覚で、ほんの僅かに、意識が浮上した。

 

 僅かに目を開く。霞む視界に、ある意味では見慣れたものが映った気がした。

 人間の形を、無くしたもの。

 【狼呀】は人間としての遺体を残さない。それは大半が任務中に喰われるか――【アラガミ化】して、こんな風になるからだ。

 自分たち【狼呀】の、行きつく先が、そこにいた。

 

(――カナギたち、は……)

 

 どうしたのだろう。

 雨に打たれている、ということは、ここは外か。そして目の前には災獣がいる。ということは、自分は連れ出されたのだろう。いわゆる、『お持ち帰り』というやつなのだろうか。

 

(……というか、この状況は――ほんとに何……)

 

 目の前の災獣は少なくとも、すぐに自分を食べるつもりは無いような雰囲気で――――囮とか、人質とか、そういうことなのだろうか。そうであるなら、それでいい。最悪なパターンはこの災獣に食われることだ。

 自分は【狼呀】と【詩紡ぎ】の因子を保有している。災獣に食われるということは、この因子の情報を渡してしまうということ。そしてそれは、今後の近い将来において人類が不利になる要因になり得る。【アラガミ】と【汚染獣】は、その情報を取り込んで自分たちで再現してしまうのだから。

 

(――どう、すれば……)

 

 思考が鈍い。身体は鉛のように重く、思うように動かせない。

 はっ、と息を吐く。我ながら、ずいぶん熱っぽいな、と思った。下手すると肺炎か何かで死ぬんじゃないだろうか。

 災獣が動く気配がした。閉じかけていた瞼に力を込めて、無理やり目を開く。災獣――ガハルド・バレーンの顔が目の前に在った。喜悦に歪む顔の双眸には、劣情が宿っている。

 

(――あ。これヤバい、かも……)

 

 ガハルド・バレーンの顔が下りて来る。――ぬらり、とも、ざらり、ともつかない生暖かい感触が首筋を撫ぜていった。想定していなかった状況に思考が真っ白になる。一拍遅れて、ぞわりと鳥肌が立った。

 

(――実際のところ、因子の情報を得るだけなら……)

 

 ただ食べる以外にも、方法はある訳で。最も確実なのは体液の採取である。が、流石にそれは遠慮したい。というか、こう、自分にはこんな特殊な形状をした相手とのプレイなんて趣味は多分無い。

 ザワザワと、四肢から幾本にも枝分かれした触手が蠢き、両腕を拘束する。

 

(――どのみち、動けないから意味ないと思うんだけど……)

 

 というかコイツは、まさか自分の意識が戻るのを待ってでもいたのだろうか。――何のために。自分が意識を失っている間、いくらでも自由に出来たはず。文字通り食べ尽くすことも、犯し尽すことも出来ただろう。――何故、それをせずに待っていた?

 

 考えろ。動けないなら、考えるしかない。

 

 そろり、と触手が動き、こめかみ、眼、耳、顎、首、心臓、肺、脇の下、と身体をなぞっていく。いずれも人体の急所に当たる。顔を見れば、眸に嗜虐的な色を覗かせて嗤っていた。――大人しくしていなければ、殺す、ということらしい。あるいは、実際的な意味で食われるのと、性的な意味で喰われるのと、どちらがいいか選ばせてやる、というつもりなのかもしれない。

 

 ――なるほど。つまり、コイツはそうとう、【降魔】である部分が残っているらしい。ならば。

 

 僅かに隠し切れない怯えをチラつかせながら、唇を噛んで睨み付ける。そうしてから、無意識のうちに強張らせていた全身の力をそっと抜けば、男の顔は愉しげに哂った。

 

 ――幸か不幸か。自らを囮に、あるいは手札に駆け引きするのは、慣れている。

 

 【降魔】である部分が多く残るなら、【狼呀】の中でも【詩紡ぎ】の因子を持ち、かつ【カムイ】でもある自分は、相当に珍しい、またとない甘美な美酒にでも見えるだろう。ならば、それこそを利用させてもらう。

 

 男の顔が、再び近づいてくる。

 諦めて受け入れるように瞑目すれば、唇に熱く湿ったものが触れた。ぬらぬらと唇を舐めるそれを迎え入れるように、僅かに口を開く。途端に貪るような激しさに変わった口付けの合間に荒く息を吐きながら、薄い寝間着の袖口や裾から容易く侵入してくる触手に朦朧とする意識を向けた。

 

「――っ、…ね、ぇ……」

 

 激しい口付けと、執拗に全身を撫でまわされる感覚の中、喘ぐように掠れた声を出す。一瞬、拘束が僅かに緩んだ隙に片手を持ち上げ、そっと男の頬を撫でた。そのまま近くの触手を手に絡め取り、自らの口元に導いて何度か口づける。男からは、戸惑ったような気配。

 その反応に、潤んだ目を向け、熱に浮かされて喘ぐ中、呟くように告げる。

 

「――あなた、ひとりで……たのしむ、つもり……?――ガハルド」

 

 最後に、熱を孕んだ焦がれる眸に情欲の色を浮かべ、艶然と微笑んでやった。

 

 

 

 






 一応、念の為、フォローしときます。
 ユウは3割演技ですからね? あとの7割は体調不良。潤んだ目とか熱は体調不良が原因なので、ある意味演技では無いのです。

 さて。今回のヒュムノスは『Hymmnos Chronicle』という二次創作ヒュムノスアルバムに収録されている『EXEC_VISIONDANCE_SOCKET/.』という曲からお借りしました。
 もう、曲がね……優しくてあたたかくて、可愛らしくて……聴いた瞬間、「フレリアが、フレリアがいる!!」って……!!
 そんな感じになったのも、良い思い出です。

 あれからもう、2年ですか……年が過ぎるのは、早いですね……。




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【viega 02:hyear, pauwee, dius bister diasee.】




『さあ、力溢るる落とし子よ』



※まだちょっとR15臭があります。が、前回分に比べるとユウの思考のせいでいろいろ台無し。
※しかし油断するとレイフォン×ユウっぽい風味の何かに横からぶん殴られます、はい。
※腐向けではあるけど、BLかと訊かれたら首をひねる感じです。LOVEと言える成分は今のところ存在していません。

※と言う訳で、苦手な方はブラウザバック!!





 

 駆け抜けた風が触れた情報の中から、災獣の波動を探し出す。

 一瞬、感じ取ったその気配の許には、ただの【狼呀】とするには少し独特な気配もあった。他の【狼呀】よりも昏く、重々しく、そして冷たく鋭い気配。

 

「――見つけました」

 

 それだけ告げて、雨の中を走り出す。一拍遅れて追って来る気配を後ろに感じながら、片手を懐に入れて錬金鋼を取り出して勁を流した。

 

「――【restoration(レストレーション)】」

 

 青い輝きと共に剣の柄のみが現れる。正確には剣の柄と、そこから連なる、幾千、幾億とも知れない極細の鋼糸。それを向かう先に見える尖塔に向けて伸ばし、固定して跳躍しながら柄に巻き取るような要領で勁を操作すれば、走るよりも確実に速く距離を稼げる。

 原理はともかく、やっていることは『壁』の中の立体機動装置とやらとさほど変わらないので万が一、見咎められてもどうにかなるだろう。

 

 塔の上に立ち、視線を巡らせる。

 

 眼下に広がる、暗い雨夜の街。反応を掴んだあたりを見渡し、民家の隙間に忘れられたように一本の樹と花々が咲いている場所が目についた。その樹は朧に金色の燐光を発している。流石は【黄龍】――――いにしえの昔には『中央の大地を統べるもの』と云われた神獣の名を冠する存在だと、脳裏をかすめた。

 

 強まる雨脚の中、遠雷が近付いてくる音がする。

 

「――急がないと、こっちまで撃たれそうだね」

 

『レイフォンっ!!』

 

「わかってる。――『見えてる』よ」

 

 冷やりとした笑みを口の端に乗せれば、レンはそっと口を噤んだ。

 

「あれは、見せつけてるつもりなのかな。そうだとしたら、ちょっとどころじゃなく頭の可哀想な、救いようの無い、愚昧で憐れな男だったのだと思うことにする」

 

 あれはどんなに弱っていようと【狼呀】だ。気を抜き、油断し、隙を見せれば――確実に、首を喰い千切られるだろうに。

 

 ―――さて。

 

 今から、あの男をどのようにして消し去ってやろうか。

 

 

 

 

【viega 02:hyear, pauwee, dius bister diasee.】

 

 

 

 

 

 艶然と微笑んでやった後、再び圧し掛かって来た男を時折、微かに恥じ入るような、あるいは怯えるような仕種でもってさり気なく牽制しつつ、そっと周囲の気配を探る。

 この男――もとい災獣は気付いていないようだが、周辺には雨だというのに金砂のような光が舞っていた。いや、気付かせないように自分に意識を向けさせているのだが。

 

 ――この光景には、見覚えがある。小さな柔らかい微光。これは小精霊だ。

 

 誰も詩など謳っていない以上、これは近くに大精霊以上の神霊がいるのだと判断する。というか、見事にこの一画にしか姿を見せていない以上、目印役になっているのだろう。

 

 冷たい雨のせいか、思考はだいぶ明瞭になっていた。だが、この状況で熱を失うとか、逆に生命が危ういと自分でも思う。

 せめて、もうちょっと動ける時だったなら、と思うも、それは顔にも態度にも出さない。いま曝していいのは、この男に『自分の手管によって乱れて媚態を曝しかけているのを、必死に堪えようとしている』と思わせて満足させるような反応だけだ。――でも、それもそろそろ精神的にも勿論だが、純粋に体力的にもキツイので、助けてもらいたい。

 この小精霊たちの反応的にも、大物が近くにいる筈なのだが。ついでに確実に気付いているだろう、とも思う。というか、そもそも気付かない筈が無い。

 

 ふと、微かに雨脚が弱まった。同時にふわりと風が流れる。

 

 一撃必殺――とするには、自分が邪魔か。あとついでに、ここは『壁の中』である。協定上、ここでコイツを散らしてしまう訳にもいくまい。

 

(――仕方無い、か……)

 

 ものすごく、気が進まない。が、毒を喰らわば皿までと云う。この弱った身体でどこまでオラクル細胞の活性化に耐えられるかわかったものでは無いが、まずは少しの間でいい。戦闘時のように動けなければどうにも出来ない。そして幸か不幸か、自分は【狼呀】であり、コイツは災獣だ。

 災獣とは即ち、【狼呀】の『捕食対象』である。

 

「……っは、」

 

 思わず、という風に喘ぐような声を漏らし、相手の気を引く。よがっているかのように身を捩り、両腕を人間の形が残っている男の背中へと力なく伸ばした。そのまま上体を起こし、熱に浮かされているように男の名を呼ぶ。

 

「――――ガハルド」

 

 ザワザワと、触手が落ち着かなげに揺れる。だが、ここまでくれば、まぁ、成功だろう。というか、成功じゃなかったら流石に精神的に死ぬ。羞恥心と云うか、黒歴史的なアレで。

 

 舌で災獣と化している首を舐め上げ、一瞬、男が硬直した反応に思わずほくそ笑んだ。そうして甘えて、ねだるように、言葉を紡ぐ。

 

「――あなたのいのちを、わけてくれる?」

 

 口を開ける。首に噛みつき、僅かに喰い千切る。男の災獣が叫び声を発するのを聞きながら、僅かな血肉を無理やり飲み下した。――気持ち悪い。喉の奥を滑り落ちる感触も、それをする自分自身もどうしようもなく気持ち悪いが、この状況下、少しでも生存率を上げるなら、これしかない。

 

 ぞわり、と身体の奥で眠りかけていた細胞が活性化するのを感じる。一瞬でいい。この災獣から距離を取れるだけの時間と力を。

 

BURST(バースト)

 

 その声と同時に、【アラガミ】の素であり、【狼呀】を【狼呀】在らしめるオラクル細胞が活性化して力が身体にいきわたる。たぶん、この感覚は【降魔】の使う勁に似ているんじゃないだろうか。

 

 災獣が正気に戻るより前に触手を振り払い、低く跳躍して後退する。更に軽く跳んで近くの民家の軒先を掴み、懸垂の要領で屋根の上に飛び乗った。

 あとは、あれか。ついでに餌役でもしろとでも言うのだろうか、くそったれめ。

 

 周囲を見渡し、一番近い壁を探す。眼下に災獣となった男が追って来るのが見えた。

 

「……っ、本当に、クソッたれな職場だな」

 

 かつて『ようこそ、クソッたれな職場へ』と言った親友を思い出しながら一人呟き、屋根の上を走り出す。――おそらく、身体が動くのは1分弱。それまでに『壁』に届くかどうかは微妙な距離。だが、距離を稼ぐことは出来る。

 幸い、後ろの災獣も【降魔】を取り込んでいる。ならば、【狼呀】の自分とつかず離れずの距離を保ちながらも、ついて来るだろう。――幸い、と言って良いのかは良く判らないが。

 

 不意に、視界の端に自分と追走する影を捉えた。その影は風を操り、ふわりと自分の横に屋根を飛び移って来る。その姿を見て、思わず足を止めた。

 

「――――ここは、『遅い』と文句を言ってもいい場面だろうか」

 

「すみません。さすがにあそこまで密着されていると、手が出しづらくて」

 

 そう返した少年は、失礼します、と言うとごく自然に自分の後頭部に手を添えて、軽く引き寄せるようにして屈ませる。そして柔らかく口付けてきた。あっけにとられていると口腔に舌先で何か――硬いものを押し込まれる。

 その独特な匂いには、覚えがあった。カナギの作る丸薬の一種だったはずだ。甘いユリの花のような匂い。とりあえずそれを嚥下し、少年の手が後頭部から離れるのを待ってから身を離す。

 

「――【守人】に確実に飲ませろ、と言われました。解熱剤ではあるそうですが、少し強力なので、何度も服薬するのは勧めない、だそうです」

 

 ――つまり、何度も服薬するような羽目になるなよ、ということだろうか。

 何とも言えない心境で黙っていると、災獣の叫びが再び響いた。視線を向ければ、怒り心頭、といった様子でこちらを睨んでいる。

 

「……なるほど」

 

 小さく少年――ヴォルフシュテイン卿が呟く声が耳に届いた。

 

「――失礼します、【フェンリル】」

 

 軽く言って、そのまま自分を片腕で抱き上げる。そのまま肩で担ぎ、再び風と――おそらくは鋼糸を使いながら、壁を目指して走り出した。

 

「――え、あの!?」

 

「体重差云々に関しては、勁で身体を強化してるので問題ありません。というか、あなたは同年代の人と比べたら軽いんじゃないでしょうか。身長差云々についても、ヤエト――ウチの陛下で慣れてるので平気です」

 

 それとも、お姫様抱っこの方が良かったですか?とのんびりと訊かれて、思わず脱力した自分は決して悪くない、と思う。

 

 

 

 

 

 






 この後書きの欄を前にして、早くも30分が過ぎました。
 もはや何を書けばいいのか……。

 ここら辺のBGMはなんだっただろうか……もう、思い出せない……。




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【Loar 01:echrra, sonwe ciel oz hymmnos.】



『歌う世界の祈りよ響け』



※前半兵長視点で後半はレイフォン視点です。





 

 

 

 どういった原理かは知らないが、立体機動装置を使う時と似たような動きで少年は屋根から屋根へと飛び移り、実にあっさりと目的の人影を見つけたようだった。――もうずいぶん距離があって、雨の中では非常に見づらいが。少年の横にもう1人分の人影を見つけて、とりあえずは安堵する。

 

 ――それはそうと。何やら非常にタイミングが良い気がするのだが。少年が足を止めた尖塔から再び舞い降り、そしてその先の屋根にユウが現れるまでの時間的なタイミングが。

 

「――まぁ、相手に対する一定以上の理解と能力に対する信用があれば、こうなるだろう」

 

 とん、と軽い音を立ててすぐ隣に足を着いた金の眸の男を胡乱げに見やれば、男は軽く苦笑したようだった。男はやはり、雨の中だというのに濡れていない。代わりに、淡く金色の光を纏っている。

 

「――生きているのならば、立たねばならない」

 

 その言葉に、思わず眉をひそめた。

 

「立てるのならば、動けるだろう。動けるならば、まだ走れる」

 

 何やら、男の口から、この男らしくない言葉が紡がれる。いや。これはこの男と云うより、むしろ――。

 

「走れるならば、戦える」

 

「……ユウか」

 

「あの子、というよりは【狼呀】だな。中でもあの子は無駄に勇猛果敢だが、生存本能も強い。何より【狼呀】であるならば、たとえ死すとも敵に手酷い一撃を加えてからだ。――おや」

 

 男の声に愉しげな色が混じる。改めてユウと少年の方を見れば、ごく自然に二つの影が重なるのが見えた。思わずこめかみが痙攣する。

 

 ――――あのマセガキは、見せつけているつもりか。次に目撃する羽目になったら削いでやる。

 別に、そういう嗜好は、個人の自由だろう。各々勝手にやっていればいい。だが、それでもだ。時と場所は考えろ、とだけは言わせてもらいたい。

 

「いやぁ、若いな。なかなかに懐かしい気分になる。――結局お前はどうするんだ? ヒトの子よ。実は興味を引くモノを横から盗られそうで気が気じゃないとかだったりするんじゃないのか?」

 

 その言葉に視線を戻せば、男は実に愉しげな笑みを浮かべていた。思わず眉間にシワを寄せ、――――次の瞬間に蹴りが出たのは、至極真っ当な反応だと思う。

 

 

 

【Loar 01:echrra, sonwe ciel oz hymmnos.】

 

 

 

 鋼糸と風を使いながら屋根の上を走り、飛び移る。肩に担いだ相手は何やら脱力していたが、まぁ、怪我と発熱と寿命で衰弱しているうえに雨の中で『あんなこと』まであったのだから、仕方ないだろう、と考えた。

 追って来る災獣と距離を離し過ぎないよう、時折振り返って剣閃や風を使ってちょっかいを掛けながら、ふと思い当たって口を開く。

 

「――【フェンリル】。あなたの名前について訊きたいことが、」

 

「うん。ここは、『人に名を訊く時は自分から名乗れ』って返すべき?」

 

「え。でも、知ってますよね?」

 

「――――極東ではね、『情報として知っている』というのと『名乗ってもらう』っていうのは意味が違うんだよ。言い方を変えれば、『名乗る』という行為は『自分はこういう存在なので、以後見知りおいて下さい』『是非とも、自分の事はこのように認識して下さい』あるいは『自分の事はこのように呼んで下さい』って表明する行為なんだよ、ヴォルフシュテイン卿」

 

 そこを踏まえたうえで、と青年が息を吐く。

 

「君自身からの『正式な』名乗りが無い以上、俺個人は本来、あなたを【ヴォルフシュテイン卿】と呼ぶしかないのだけど」

 

「――――レイフォンです。レイフォン・アルセイフ。呼び難かったら、レインでも良いです」

 

 言ってから、内心で首を傾げる。この名乗りは、先ほどと変わらない。しかし、自分は『極東における正式な名乗り方』というものは知らなかった。少し考えて、ふと思い出したことを告げてみる。

 

「あ。――あと、極東風の名前を貰ったことがありますね。そちらは」

 

「そっちはダメ。絶対聞かない。そもそもそれ、たぶん、『他人に明かしてはいけない名前』の類でしょう」

 

 穏やかながらもぴしゃりと言い切った言葉に、思わずその名前を貰った時のことを思い返してみた。

 ――――柔らかな檜皮色の髪に、蒼銀の眸。珍しく起きていたキュアンティスの【天剣】である彼は、どんな風に言っていたか。

 

『――世の中には、名を使う呪術を使う者もいるから、ひとつの名前は絶対に明かしてはいけない。もし明かすのなら……何かひとつ、掛け替えの無いものの証として、捧げる覚悟で』

 

「……確かに、釘を刺された記憶がありますね」

 

 そう。そしてヴォルフシュテインの王であるヤエトに教えようとしたら、ヤエトは痛む頭を堪えるかのように額に手を当て、深く嘆息したのだ。――曰く、それはそう安直に差し出すものでは無い、と。

 以来、誰にも教えていない。

 そもそも、普段使うことがないから、基本的に忘れている。何かの折にふと思い出して自分自身で反芻するくらいしか無い。

 

「――それで、僕は名乗りましたけど」

 

 極東での正式な名乗り方は、申し訳ないけど知りません。

 改めて正直に告げれば、青年は再び軽く息を吐いた後、それもそうかと頷いた。

 

「神薙ユウ。――ユウが名前。でも一応、【フェンリル】でも【真神】でも【ウォセカムイ】でも反応はするけど……今、本式の礼がとれないから、とりあえずこれで勘弁して」

 

「わかりました。ではユウに、訊きたいことがあったんですが――着いてしまったので、またの機会にします。レンもありがとう」

 

『ううん』

 

 とん、と50メートルもの巨大な壁の上に立ち、災獣の男が登って来るのを待つ。

 

 【狼呀】の青年をそっと降ろせば、青年――ユウはそのまま頽れるように膝を折り、両手を着いた。呼吸は荒く、寒いのか身体を震わせている。とりあえず自分が羽織っていた外套を脱ぎ、ユウへ被せた。

 もともと怪我人であり病人だ。これ以上、戦闘の補佐とか頼むのは無理だろう。【詩紡ぎ】としてなら可能だろうが、こんな状態の人に何かさせるなんて流石に自分には出来ない。――出来るならやれ、という人も何人か知ってはいるが。

 

「……レン、頼んでいい?」

 

『わかった』

 

 ひゅるり、と翡翠の大剣がほどけて少女の形へと戻る。レンはユウの傍に膝を着くと、そっと横から肩を支えた。ユウもそれに気づき、レンに優しく微笑む。

 

「――ありがとう」

 

 ふるふる、と首を振るレンにユウを任せ、自身は反逆者ガハルド・バレーンの成れの果てとなった災獣に目を向ける。時間をくれてやった甲斐もあって、50メートルの壁は登りきれたらしい。

 

「――【restoration】」

 

 鋼糸として復元していた錬金鋼を、剣の形へと変える。そのまま一歩、足を動かしたところで後ろから声が掛かった。

 

「――待って、」

 

「病人は大人しく退っていてください」

 

 とっさに返した声は、我ながら冷ややかだったような気がする。戦闘時には冷酷になっている、とは良く言われるが、まさかこんなところで実感するとは思わなかった。

 だが、流石に【狼呀】である青年はこの程度では怯まないらしい。僅かな間があって、おそらくは最初に言うつもりだったであろう言葉からは、譲歩した内容を告げる。

 

「――なら、退いたところから支援させてもらう」

 

「――――わかりました。お願いします」

 

 互いに互いの状況を測り、能力を把握したうえで譲歩し合った形だ。これ以上に譲歩を迫れば、逆に無視されるだろう。そう思いながら今度こそ、ゆっくりと災獣に向かう。

 

 不意に、雷が頭上で閃いた。ついで轟きが大気を揺らす。

 

 ――――【黄龍】の仕業だ。まさか自分落ちることは無いだろうが、少々、居心地が悪い。というか、心臓に悪い。

 

「……長引くと、本当に撃たれそうだな」

 

 それに応えるように、龍が喉を鳴らす音が天に響く。

 

「――さて」

 

 青い剣を携え、災獣を見やる。奇声を発したソレを眺め、かすかに腰を落として重心を変えた。背後からは微かに神性語による旋律が流れて来る。どんな力を発揮するモノなのかは今のところ不明だが、彼が自分の邪魔になるようなことをすることは、あり得ない。そう確信できる程度には、彼の戦闘能力は信用している。

 

「そろそろ、溜まったツケを払ってもらおうか」

 

 そう、不敵に笑んで見せて駆け出し、剣を大きく振り上げた。

 

 

 






 実は、Pixiv版で直し損ねていることに気付いたものの、長らく放置していた話。
 『名乗り』っていうのは、本来、名前を教えるだけではないのだけど、時間と体調と文化の違いで断念した、という話。
 極東の名乗りというか、要は『漢字』の名前だと発生するアレです。

 ちなみに、カナギだと「カナギ・サンスイ。水根の山にて、神を薙ぐ者」となります。つまり『神薙・山水』というのが本来の文字ですね。ただ、『山水』というのは所謂、出身地やら出身部族を示す名前なので、苗字と言う訳では無いです。



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【viega 03:Was yea ra chs Hymmnos mea.】



『私は詩になる。至上の喜びに包まれながら』



※兵長視点でレンとの短い会話と、ユウ視点。


 

 

 

 ようやく壁の上に追いついた時には、既に戦闘が始まっていた。

 正直、あんな触手だらけの化け物との戦い方など知らないので、そちらは慣れているらしいガキに丸投げする。代わりに雨の中で座り込んでいるユウの姿を見つけ、そちらに向かった。近づくにつれて、何か、良く判らない音を口遊んでいることに気付き、眉をひそめる。

 

(……まさか、おかしくなってんじゃねぇだろうな……)

 

 昔、エルヴィンに引っ張り出されるより前にいた場所の路地裏や物陰には、よく『そういう目』に合って正気を失くしている者の姿を見かけることもあった。

 

「――――おい、ユウ」

 

「静かにして」

 

 言い放ったのは、ユウに背中からしがみ付くようにして抱き付いている少女だった。ユウは軽く俯き、瞑目したまま何かを口遊み続けている。

 

「いま、集中してるから、邪魔しないで」

 

「……そうか」

 

 どうやら、危惧した状況にはなっていないらしい。それは良かった。

 だが。

 

「――お前は、なんで抱き付いてやがる」

 

 思わずそう訊けば、少女は僅かに首を傾げてさも当然とばかりに返す。

 

「だって、この子、冷えてるもの。こうしてれば、少しは温かいでしょう?」

 

「……お前は、誰に対してもそんな態度なのか」

 

 まったくもって他意はなさそうな少女の態度に、思わずそんなことを訊いてから、微妙に後悔した。なんだこれは。こんなことを聞いてどうするつもりだ、何を考えているんだ俺は。

 

 少女はゆっくりと瞬くと、意外にも冷ややかに嗤って応えた。

 

「私が大切なのは劉黒とレイフォンなの。だから、2人が好きな人は、大事にするわ。だって、そうしないと2人は悲しむもの。――でも、貴方たち純人間種は嫌い」

 

 少し、予想を外れた言葉に、思わず息を呑む。じっと少女を見つめれば、やはり冷ややかな微笑で少し続けた。

 

「……嫌いよ。私たちを狩り尽くして、劉黒たちを縛り付けて、そして全てを忘れおおせた。貴方たちなんか嫌い。大嫌い。いっそ――――滅んでしまえばいいのに」

 

 

 

【viega 03:Was yea ra chs Hymmnos mea.】

 

 

 

 ――――深く深く、意識を深い水底へと向ける。深く昏く、彼我の境界さえやがてぼやけ、揺らぎ、滲み、融けて消えゆくような深さまで。

 

 遠く幽かに、翠の女神の詩が聴こえて来る。

 軽やかに優しく、深い慈しみに溢れた、可憐な歌声が。

 

 ――【翠ノ塔】で生まれ育ったものは、須く翠の女神の祝福と慈愛を受けているという。祝福とは即ち生まれる事、慈愛とは即ち存続する事であると。

 あの塔の世界は翠の女神がその想い一つで紡ぎ上げる世界。そこに生まれ、存在を許されるなら、即ち女神の祝福と慈愛を受けている、と。

 

 そして母は、そこで生まれ育った。その母から受け継いだ【詩紡ぎ】の因子とは、つまりそのまま翠の女神の祝福と慈愛である。

 聴こえる詩は血筋と同じだ。この血筋の源流、その遠い祖神、翠の女神と繋がる幽かな証といえるのだと。

 

 

Was yea ra enclone marta infel anw arka.

 母の愛が大樹を包み込む

Was touwaka ra tasye pirtue anw fandel infel.

 妖精も数多の愛を捧げます

 

 

 八代の先に臨む ややも続く 新芽の吹々きに

 ゆくゆく実はたわわに ここに豊穣の地を築かん

 闇に陽にと左足 右足と 規律(リズム)を刻み

 厄なき破魔の光 ここに導く 我が舞い詩

 

 

 

 来る 来る 雲穿つ 緑の塔が空へと

 九つ 子兼ねの その果てにさえ佇む

 

 

Was yea ra enclone pirtyue sphilar anw arka.

 妖精の心が大樹を包み込む

Was touwaka ra tasyue anw inferiare sarla.

 私は親愛なる詩を捧げます

 

 

 なんて優しく、温かい。

 

 けれど。

 

 自分が生まれたのは、【狼呀】の領域だ。遥か塔の上にある天上の楽園ではなく、廃退した遺跡に囲まれた曇天と毒の雨に支配される荒野である。

 そこに神は存在しない。

 【狼呀】とは旧名称を【フェンリル】――即ち、『神喰らいの餓えた巨狼』と云う。

 何故なら、喰らわなければ、生き残れなかったからだ。八百万の神々を(なぞら)え、名を与えられた【荒神(アラガミ)】に。

 

 だからこそ。

 自分が謳えるのは、慰める言葉でも、癒せる想いでも無い。

 

 愛するものを救うより、ただこの身を盾にすることを。

 愛しいものを抱きしめるより、ただ剣を携えることを。

 ただ何かを愛するよりも、それを脅かす脅威を排する事こそを選んだ。

 

 護る為に。

 

 僅かに意識を女神の詩から逸らす。その間際、少女の姿をした女神が微笑んだような気がした。そっと手を動かし、何処かを指し示す。――――遙か塔の天上から、地上を移動する都市へ。

 

 ―――かつて、自律型移動都市が建造される時、【翠ノ塔】から『何か』を贈られたという話がある。

 

 ひょっとして、それを示しているのだろうか。

 【翠ノ塔】にだけ伝えられたものであるなら――それは、おそらく『新約パスタリエ』と呼ばれる神性語を処理する詩魔法サーバーのはずだ。

 だが、詩魔法サーバーはもはや過去の遺物。完全にブラックボックス化している以上、いわゆる『オーパーツ』とすら言われるロスト・テクノロジーの塊である。下手に干渉すると戻れなくなる可能性がある以上、結構不味い気がする。

 

 ふわり、と翅を揺らして女神が目の前に現れた。そっと両手で澄んだ蒼い輝きを差し出して来る。

 女神に促されて手を伸ばし、そっと輝きに触れた瞬間、じんわりと誰かの想いが流れ込んできた。それで、この輝きが誰かの『想い』が生んだ残滓なのだと理解する。

 

(――二人分……?)

 

 感じるのは、詩だ。ついで、清澄なまでに純粋でひたむきな願いと、その向こうに僅かに滲む、絶望に立ち向かおうとして破れた、悲壮な希望の残滓。

 深い、澪の蒼。

 この蒼は、涙の色だ。

 

 ――――涙に彩られた希望への祈りを継承する、詩。

 

 これを謳え、と言うのだろうか。確かに用途は『同調』とか『結線』とかであるようだが、はっきり言って、この悲壮なまでの決意でもって謳われたらしい詩である。その程度では済まないだろう。

 

(―――ん? ああ、そうか)

 

 これを謳え、ではなく、【第二世代型狼呀】の因子を使って『この想い』に同調し、『この想い』を通じて詩魔法サーバーにアクセスして【詩紡ぎ】の因子を使って謳え、ということらしい。

 確かに、それなら色々とセーフティネットもあるから危険度はだいぶ低いと思う。

 

 

 改めて、蒼い輝きに意識を向ける。

 ――――清澄な水のような、透き通るほどに純粋な、想い。

 

 世界を、故郷を救いたい、と。民を救い、導き、そして理想郷を紡ぎたい、と。

 どんな困難にも挫けない、やり遂げてみせる。だからどうか、私に力を。

 

 

 光満ちあふれ、大地覆う緑――かくも美しき憧憬よ。

 

 

xU rre xthos a.u.k YAMetafalica/.

 それは貴方が望んだ“理想郷”

 

 

 遙か遠き日に 貴方の描いた

 理想を受け継ぎ 未来へ繋ぐため

 

xU rre ylviiyna YAhalun nUyUgUtU ut mea/.

 貴方の切なる願いが 私に流れ込む

xU rre xthos cUmUlU neyxin/.

 深い憂いと共に

 

 

 私に力を   ――何が故に?

 人々に希望を ――誰が為に?

 この世界を  ――願い?

 救う為に   ――望む?

 どうか認めて

 

 

 そんな想いの残滓と同調し、いいな、と少しだけ羨んだ。

 たとえそれが羨望であっても、僅かでも共感すれば、同調は呼吸するように出来る。

 

 目を瞑れば、再び彼我の境界が曖昧になる感覚。ただ、そっと女神に頬を撫でられたのがわかった。

 

 

 ―――― yehar, hyear ! rasse, rasse !

 

 

 その声に押されるように、精神の奥深くから浮上した先、現実で眸を開く。

 視界の先で、レイフォンが青い剣で災獣を牽制しつつ、様子を窺っている姿が見えた。未だ切断などの攻撃には転じていない。――そもそも、此処で奴を散らせられない以上、そんな攻撃は禁じ手となっている。有効な攻撃は、一気に細胞までも焼き尽くすくらいか。

 

(――なら……)

 

 膝を立て、力を込める。ゆっくりと立ち上がり、曇天に奔る雷を振り仰いだ。

 遠く、女神に託された詩を通じて、どこかと――おそらくは地上の詩魔法サーバーと幽かに繋がっているのを感じる。

 地上の詩は、はやり女神の塔とは違ってどこか昏く、荒んでいる気配がした。それにどこか安堵して――その事実に、思わず苦笑を零す。

 

 

 

wYIwjOnc z.z.x. ale/.

 望み亡き音が木霊する

 

cYIzO sarla dOzYI du zodaw/.

 死を殺す詩を、我に

 

 

 

 嗚呼、と改めて思う。

 やはり、【フェンリル】である自分には、『神殺しの詩』が相応なのだろう、と。

 

 

 

 

 

 





『Was yae ra chs Hymmnos mea.』
 ヒュムノス好きにはお馴染みの文句。元々は「指切り」や「痛いの痛いの飛んでけー」的なおまじない要素の強い文句であるとのこと。

 が。それが詩として組み込まれていた場合、正直『おまじない』なんて可愛らしいものじゃなくなると思う。
 詩魔法使用時に『私は(至高の喜びに包まれながら)詩になる』とか……つまり、『全身全霊の一撃』とか『この命に代えても!』とか、そういう意味になりませんかね、この言葉っていう空恐ろしさを感じる言葉でもあると思うのです。はい。




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【Loar 02:xE rre qoga tErLYIm/.】


『目覚める審判の刻』





 

 不意に口遊むのを止めたユウは、ゆっくりと立ち上がり、2、3歩進んで立ち止った。視線の先にはあのガキと、化け物に成り下がった男の姿。

 

「――おい、ユウ」

 

 思わず手を伸ばそうと足を踏み出せば、少女がユウとの間に立ち塞がった。

 

「あなたは、本当の詩を聴いたことある?」

 

 その言葉に眉をひそめる。今はそんな問答をしている場合では無い。

 

「あなたたちが本当は何を恐れ、『壁』なんかの中に籠ったのか、本当に知らないの?」

 

「……なんだ、それは」

 

「――あなたたち純人間種は、生まれながらに何らかの力を持つことは無かった」

 

 だからこそ、と少女の姿をした何かは語る。

 

「あなたたちは私の同胞を狩り尽くし、多くの神霊たちを捉えて閉じ込め、災いなす獣たちを屠る為に自らの代わりの生餌を作った。そうして『壁』の中に逃げ込んで、ずっと隠れて過ごして――挙句の果てに、忘れましたというのね」

 

「――何の話だ」

 

「別に構わないわ。忘れたなら、思い出して。知らないというなら、思い知ればいい。ねぇ、【狼呀】の彼は、あなたたちに親切だったでしょう? あなたたちの先祖が、そういう風に造ったのよ? 決して純人間種に逆らわない、けれど災獣をあっさりと屠れる力を持つ、奴隷として」

 

 でも、と少女は呟く。その視線は自分では無く、どこか遠くへ向けられていた。

 遥かな昔日を追憶するように。

 

「――あなたたちは、身体はもちろん、精神も弱かった。どんなに従順な奴隷でも、自らを殺せる力を持つ者が隣にいることに耐えられなかったのね。あなたたちは恐怖を隣人には出来ないもの」

 

 少女の視線が、戻って来る。そうして冷ややかに嗤ってみせた。

 

「――あなたの先祖たちが恐れたものを、もう一度その眼に焼き付けておきなさい」

 

 くるり、と少女が背を向ける。同じようにユウを見れば、彼は天を仰ぎ、そして何故か少し苦笑したようだった。

 

 

 

wYIwjOnc z.z.x. ale/.

 望み亡き音が木霊する

 

cYIzO sarla dOzYI du zodaw/.

 死を殺す詩を、我に

 

 

 

 一瞬、それがヒトの声だとは気付けなかった。ましてや、ユウの声だとは。

 

 空を奔る雷鳴のごとく響いた声は低く、あまりに重々しく、そして冷たかった。空から雨と共に地上に降り注ぐ、音。音量が凄いという訳では無い。ただ、音が響いてくる方向がおかしい。ユウの口が動き、何かを唱えると同時に曇天から雷の間を縫うように同じ言葉が降って来る。

 

 やがてその音の連なりは旋律と化し、それが歌であるのだと理解させられた。

 

 だが、何が起きているのか――あるいは、何をしようとしているのかが、判らない。

 ふと、少女が再びこちらを見てわらったのが見えた。

 

「――これは、【詩紡ぎの民】に伝わる、詩魔法。遠い昔には、これで世界を滅ぼしたこともあったらしいわ。中でもこれはたぶん、『神殺しの詩』ね」

 

 

 

【Loar 02:xE rre qoga tErLYIm/.】

 

 

 

 ――【詩紡ぎ】の詩を響かせるのは、過去に存在した人類の純粋な技術力によるものだ。

 世界に3本存在する【Ar tonelico】と呼ばれた『塔』と、地上を往く移動都市という『基地』、そして遙か天上に輝く『衛星』と呼ばれるものによって【詩紡ぎ】の詩は世界に響く、と。

 そう伝え聞いてはいたが、実際にその場に居合わせると、その凄まじさが身に沁みる。

 原理を理解していれば、感激はしても驚くには値しないのだろう。必要な条件を知っていれば、驚き、畏怖することはあっても、無闇に恐怖したりはしない。だが、何も知らない者がこの場に居合わせたら、恐れ戦くには充分すぎる光景なんだろうな、と思う。

 

 

 

xA sorr aAuk vUa pupe elle LYEsiance/.

 それは、嘗て理想郷から零れ落ちた一滴

 

xU rre aUuk handeres zetsfy arhou, zz y.m.q. Akatalfa_YAMetafalica/.

 絶望に破れ、実らなかった希望の詩の残滓

 

 

 

 実のところ、現代において地上で【詩紡ぎ】の詩を聴ける機会は皆無と言って良い。『塔』の上に住む【詩紡ぎの民】は、滅多に地上に降りて来ないからだ。正直、出来ればちゃんと聴きたいのだが――神性語を嫌う【汚染獣】はいっそう激しく暴れているので、それも出来そうにない。

 

(――というか、癇癪起こした子供みたいだなぁ……)

 

 さっきまではそこそこ上手くガハルド・バレーンの【降魔】としての身体能力とか使っていたようだが、ユウの神性語による詠唱を聞いてから完全に逃げ腰である。尤も、それは【降魔】の知識から、あの神性語が『新約パスタリエ』と呼ばれるもので、どういった方向に特化しているのかを察したからなのだろう。

 数ある神性語の中で最も速く、そして使い方によっては最も強力な力を持つのが、この言語だ。それを正式な形で謳いなぞるなら――少々、たかが一体の【汚染獣】相手には過分であるような気がする。

 

 

 

xU rre jLYAwLYEeh raklya loss,

 蒼き神子に託された涙は枯れ果て

 

xU rre zz tapa wAsLYE tie varda/.

 もう樹に与える水はどこにもない

 

 

 

 だが、ここはまだ『壁』の中だ。流石にもっとも外側に在る『壁』までは距離がありすぎる。誘導しようにも逃げられる可能性も高い。現に今も距離を取って逃げようとする災獣を、剣を使って牽制してはいたが――正直、気を遣うのにも飽きてきた。

 

 

 

xE rre ar Aarhou_endia, wAsA gAwOfOrLYU tie stel gyajlee/.

 最後の希望を奪った罪人に鉄槌を

 

 

 

「――【restoration】」

 

 再度、錬金鋼を剣の形から鋼糸へと変える。勁を流して強化し、とりあえず触手が届かないあたりで拘束する。逃れようと足掻くガハルド・バレーンに冷笑と共に口を開いた。

 

「希少な【詩紡ぎ】からの、あなたへの詩です。ちゃんと聴くのが礼儀というものでしょう?」

 

 ガハルドの気配だけは察知できるように意識を向けながら、佇むユウの方にそっと向き直る。雨の中、幽かな蒼い光の粒子を身に纏う姿に、少し心配になった。ちょっと、深く潜り過ぎてないだろうか。

 

 

 

xE rre qoga tErLYIm/.

 目覚める審判の刻

 

 

 

 ユウの閉じられていた眼が、ゆっくりと開く。

 それを見て、反射的に手にした錬金鋼ごと災獣と化した男を壁から放り投げた。もちろん、街とは反対側へ。

 

 

 

Xc = xU rre der arhou zz rLYAw.eh

 希望によって救われないなら

 

 -> xN rre Acia_balduo mYInOgNeh dn ee zz arhou/.

 我らは更なる絶望で天蓋を塗り替える

 

 

 

 詠唱が終息すると同時に、天から光の鉄槌が中空で逃げ場のない災獣に降り下ろされた。

 

 

 

 

 

 






 新約パスタリエいやっほぉぉぉぉぉ!!
 という訳の分からない精神状態で、書いていた記憶があります。はい。
 たぶん、『新約パスタリエ』と云われる、この一見訳わかんない構文のヒュムノスが、一番使い勝手が良いです。単語の流用も、新造単語もやりやすい。
 ただし、発音は難しい。『ぜ れ くぉが てりぇいむ』とかはまだ優しいです。
 それでも『星語』よりは遙かにマシだという、『星語』の無茶振り具合よ……orz




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【Loar 03: xU rre Alyuma_arhou zUzLYIx/.】



『星は堕ちたり』





 

 

 ――空から、巨大な光の柱が降り下ろされ、大地に突き刺さった。

 

 それは、遠目で見たなら、ただの落雷だと思われただろう。だが、間近で見る事になった自分には、それが下った瞬間、落雷以上に凄まじいエネルギーの塊であると思い知った。

 それが炎や雷のように自然に拡散することなく、集束されたまま一点に降り注いだとなれば、その破壊力は想像を絶するだろう。

 しかも、その巨大なエネルギーの塊は正確に標的を撃ち、そして灼き尽くすと一瞬後には何事も無かったかのように消失した。――街の連中は、正しく『雷が落ちた』くらいにしか思わないだろう。事実、雷雨は激しくなる一方で、弱まる気配は無い。――まるで、そういう風に舞台を(あつら)えたかのように。

 

 巨人は、厄介だと思う。ただ、巨人に対して恐怖を抱くことは長らくなかった。だが。

 

(――これは、何だ)

 

 天からの裁きを、個人の意思ひとつで地上に落とすというのか。そんな馬鹿な。

 

「――空を征く鳥も、嵐の中では飛べないのよ」

 

 少女の言葉に、我に返る。思わず睨み付ければ、少女は微かに自嘲するような皮肉気な笑みを浮かべていた。

 

「おとなしく鳥籠の中にいればよかったのに。そうであれば、飛べない代わりに、翼を失うことも無かったでしょう。――美しい夢も夢のまま、美しいままであったのに」

 

「――――俺たちが目指す先には、夢も自由も美しさも無いと?」

 

「……それは知らないわ」

 

 不安定、というよりは、気まぐれ、と言うのだろうか、この少女は。激しい情を気まぐれに見せる様は、まさしく『風』の性に相応しいと思う。

 

「わたしは、あなたが何を見て『美しい』と思うのかなんて、知らないもの。それはきっと、人によって違うものだわ。――わたしは、劉黒とレイフォンが幸せだと思えるのなら、そう在れる場所こそを『美しい』と思うもの」

 

 それは、親しい者が失われることなく、笑いながら何気ない日常を送れる平穏な場所、ということだろうか。そうであるならば、――――ああ、たしかに。

 

「……ふん。たしかに、それは悪くないな」

 

 失った部下も仲間も、きっとそんな世界が欲しかったのだろう。『鳥籠』の中の仮初めのものでは無く、自分たちが勝ち取ったうえでの、もっと広い世界で。

 

「……俺たちが『壁』から出れば、お前たちとぶつかるか?」

 

「さっきのあれを見て、どう思ったの?」

 

「戦ったら負けるどころか、滅ぼされそうだな。先祖の恨み辛みと相俟(あいま)って、とっくにそうなることが決まってそうだ」

 

「可能性としては、高いわね。ポイントは、逃げて隠れた精神的に弱すぎる先祖を持つあなたたちが、どこまで不戦を貫けるか、というところかしら? それが出来た純人間種は、それぞれの民と寄り添って今も『外』である程度、繁栄してる。――ついでに言っておくと、あなたたちの先祖を一番恨んでる……というか軽蔑してるのは、『外』に残った純人間種ね」

 

「…………それは、『中』と『外』の人間同士での争いの可能性が高い、ということか」

 

「――聖書の時代から、人間は兄弟同士で殺し合うモノなのよ。でも、今の時代では結局のところ、『壁の中』にまともな外交が出来る人間がいない、ということが問題なのじゃないかしら? そもそも、『上』の人たちは、する気も無いのでしょう? まずは革命でもしたら?」

 

 少女の言葉の内、理解できたのは後半だけだった。前半に関しては『がいこう』というのが判らないが、これはおそらく、『他の集団との交渉や折衝』であると推測する。『せいしょ』とやらは完全にお手上げだ。

 だが、言いたいことはだいたい把握した。

 要は、『上』の連中には『壁の中』から出る気は無いだろう。万が一、出てくるとしたら、それは武力をもっての遠征扱いになる。そうなれば『外』の連中は自己防衛として、また今後の禍根の芽を摘むためにも『壁の中』の連中を滅ぼすだろう。それを避けるために交渉や折衝が出来る人材が、今の『壁の中』の情勢では育たないのだから、『外』を目指すより先に革命でもしたらどうだ、と。

 

 ――改めて考えると、非常に、途轍もなく、果てしなく、面倒臭い。

 

「……とりあえず、そういう政治的な話は、エルヴィンに回してくれ」

 

「あら。こういう話は幹部では無く、一兵卒にするから意味を持つのよ」

 

「…………」

 

 つまり、『これ』も駆け引きの一つ、あるいは布石である、ということか。思わず顔を顰めれば、少女はふわりと微笑んで見せた。

 

 

 

【Loar 03:xU rre Alyuma_arhou zUzLYIx/.】

 

 

 

 

 光が墜ちたと同時、災獣がどうなったかなどは見なくても知っていた。同じような光景なら、故郷の都市にいる時にも何度か目にしている。というより、故郷で自分と劉黒が使う力と同じものだった。だからこそ、発動した光が届く直前に、標的を錬金鋼ごと壁の外へ放り捨てたのだから。

 

「……これは、どっちだ?」

 

 『基地』代わりの移動都市を経由して、というのは間違いない。いくつか見知った波動が混じっていたように思う。

 だが、光は地上からでは無く、空から墜ちて来た。ということは、稼働したサーバーは高所に在る。つまり、『衛星』か『塔』そのものが稼働したことになるが――自律型移動都市と違って凄まじい威力になる詩のデータを無数に所有するがゆえに、セキュリティは筆舌にし難いほどだったはずだ。

 つまり、一介の【詩紡ぎ】が『衛星』や『塔』を稼働させることは不可能である。詩魔法を使用するたびに認可申請して、それが通らなければ発動しない、と聞いたことがある。

 

「――『新約パスタリエ』なら、『衛星』か」

 

 『新約パスタリエ』では『塔』は稼働しない。――が、『衛星』を介して『塔』に干渉することは不可能では無い。

 

「――――いや。そもそも、なんで」

 

 より正確に表わすのなら、神薙ユウは【詩紡ぎ】の因子は保有しているが、【詩紡ぎ】では無く、【月奏】に分類されるはずである。何故ならば、『男性型の【詩紡ぎ】は存在しえない』からだ。

 そして『塔』や『衛星』という詩魔法サーバーと詩で繋がれるのは【詩紡ぎ】のみ。

 

 だが今回、おそらくは『衛星』が稼働している。どういったプロセスを経たのかは不明だが、とにかく稼働してしまった以上、【詩紡ぎ】と分類できるだろう。

 

 ちょっと、自分で考えて混乱してきたので、とりあえずこの疑問は脇に置いておくことにする。第一、いずれにせよ自分の行動に変更は無い。

 ただ、やはり後で考える必要はあるだろう、とは思う。場合によっては、現状の各勢力のパワーバランスを崩しかねない以上、非常に政治的な存在になる可能性が高い。

 政治的な思索は苦手なので、正直、ヤエトに泣きつきたい心境だった。

 

『――放っておけない、放っておいて貰えないのなら、敵対は回避しなさい。あと、信用できるかどうかはどうでも良いので、使えると思った者は、手の届く範囲に留めておくように』

 

 というのが、ヤエトが昔語ってくれた有り難いお言葉である。以来、出来る限り沿うようにしている訳だが、はっきり言って苦手なのだ。だから基本的には放っておいて貰っている。

 ――が、どうも【狼呀】の彼は、自分の方が放っておけないらしい。

 

 軽く嘆息し、改めてユウの方を見る。雨の中佇む彼は、既に蒼い微光を纏っていない。不意に、ぼんやりとした紅い眸と目が合った。

 

「――っ」

 

 とっさに駆け寄り、案の定倒れかけたユウを支える。正直、【狼呀】の他者の為なら己を顧みない性質はどうにかならないのか、と思う。何度か【狼呀】と共同で掃討戦をやったことはあるが、はっきり言ってかなり心臓に悪い。

 具体的に挙げるなら、体調が悪くても決して人に覚らせないし、あっさりと災獣の前に身を躍らせて囮役を買って出るし、限界が近いのを自覚しながら無理をしてぶっ倒れる。本当に、どうにかしてもらいたい。おかげで自分ばっかり慣れてしまった。今ではそういう【狼呀】の隠し事はだいたい見破れる。

 

「――――ごめん、」

 

「何でしたら、寝てても良いですよ。ちゃんと運びます。病人の看護はウチの陛下で慣れているので安心して下さい。夜伽(よとぎ)も慣れてますし」

 

「…………えっと、看病の方だよね?」

 

「当たり前です。――という返答と、ご想像にお任せしますという返答、どちらがいいですか?」

 

「いや、むしろなんで『当たり前です』って返してくれないの!?」

 

「それはもちろん、反応が面白そうだったからです」

 

「……ひょっとして俺、からかわれてる?」

 

「からかうだなんて、そんな。ちょっとした意趣返しですよ」

 

「なんの!?」

 

 それには小さく笑って応え、ひょい、と行きと同じように肩に担ぐ。意外と意識もしっかりしているようで安心した。

 

「――――【黄龍】殿」

 

 呼べば、ふわりと大気から滲むようにして現れる姿に、とりあえず言うだけ言ってみる。

 

「すみませんが、送って下さい」

 

「いや、私のこの移動方法はお前たちにはちょっと」

 

「送って下さい」

 

「…………、」

 

「まさか、【黄龍】ともあろう御方が、たかが人間の1人や2人、安全に通せない、などと言う訳がありませんね?」

 

 男は金の双眸を眇めて、こちらをじっと眺めている。笑顔でその視線に立ち向かうこと数秒、男はゆったりと瞬いた。

 

「――名は?」

 

 ここでそれを問われるのならば、ひょっとして極東風のあの名前だろうか。他者に教えるのは厳禁だと云われている、名前。

 

「……たぶん、キュアンティスの【天剣】――氷花の君に頂きましたが」

 

「ならば、良し」

 

 どうやら、名を訊かれた訳では無かったらしい。その名を持っているかどうか、あるいは知っているかどうかが肝要である、と。

 

「では、言葉通りに送るとしよう、ヒトの仔よ」

 

 ぶわり、と風が沸き起こった。とっさに顔を庇い、しばらくして風が治まってからもう一度前を見る。

 そして、言葉を失った。

 

『誤って我が逆鱗に触れることがなければ、だがな』

 

 艶やかな白金の鱗。黄金の鬣に斜陽色の双眸。頭部から後ろに枝分かれしながら伸びる角は滑らかな真珠を思わせた。ごく単純に、美しいと思う。

 

 ―――巨大な龍神の姿が、そこにあった。

 

 

 

 





 『夜伽』という言葉には、主に2つの意味があります。
 ひとつは、夜通しの看病。
 もうひとつは、……うん。おそらく皆さんもご存知のR18な方です。

Q:なんでユウはヒュムノスが謳えるんですか?
A:言語的な意味ならば、単純にユウの趣味のひとつだからです。システム的な意味ならば、いわゆる偏食因子のせいです。

Q:黄龍さんは、え? マジで龍?
A:黄龍は黄龍です。もうだいぶ人間的な部分は……残ってないんじゃないかなぁ。




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【間奏:Rrha yea ra yorra zenva gkgula.】



『境を越えよ』





 

 

 

 いつものように訓練を終え、食堂から宿舎へ向かう途中、ふと雷が奔る曇天を見上げた。

 目に入ったモノに瞬き、思わず足を止める。

 雲間を泳ぐように進む、巨大な金の蛇のようなモノ。

 

「――――すごい、」

 

 隣を歩いていたエレンとアルミンが振り返る。

 

「ミカサ?」

 

 エレンは不思議そうに瞬き、アルミンは曇天と私を見比べ、首を傾げた。

 

「ひょっとして、また何かいるの?」

 

 2人は、私が小さなころから『よくわからない何か』を見ていると知っていた。自分でも『何』を見ているのかわからない。だが、大抵それは自分たちには無害で、自由気ままに周囲に漂っていることが多かった。

 だが、今回ほどに大きなものは、初めて見る。

 

「金色の、すごく大きな蛇みたい。空を泳いでる」

 

 いいものを見た、と言って再び足を動かす。慌てたようについて来る2人の足音を聞きながら、胸の奥が僅かに温かくなった。

 

 

 

 

【間奏:Rrha yea ra yorra zenva gkgula.】

 

 

 

 

 目を閉じろ、と云われて、怪訝な眼差しを向ければ、いいから閉じろ、と更に言い重ねられた。

 

「良いというまで開けないでね。開けたら死ぬわよ」

 

 さらりと言われ、とりあえず言うとおりにする。腕を引かれるまま歩き、立ち止ったところで足の裏に感じる感触は硬い壁でも、土の感触でもなかった。それよりは少し柔らかいような――巨人の上に立った時に近い、だがだいぶ冷たい感触だと思う。

 頬を、緩やかに風が撫でていく感触。これは――船に乗っているような感覚に近い。

 

「――あなたは今、とても古い幻想種の背に乗せてもらっているわ。でも、きっと今のあなたには見えないから、開けちゃだめよ。開ければ真っ逆さまに落ちることになるわ」

 

「…………もしや、空を飛んでるのか」

 

 言葉の内容と、風が頬を撫でる感触から、そう問いかける。少女が隣で小さく笑う気配がした。

 

「そうね。空を泳いでる、というほうが近いかしら。とっても優雅にね」

 

 もうすぐ着くわ、と言って少女に手を引かれる。不意に足元の感触が消え、だが墜落する気配は無い。ぶわり、と地面から湧き上がるような風の塊に、持ち上げられるような感覚の後、そっと大地の上に降り立ったようだった。

 

「――もういいわよ」

 

 するり、と少女の手が離れる。

 目を瞬き周囲を見れば、調査兵団の宿舎の庭に立っていた。その事実につい溜息が出る。

 

 『壁』に籠っている間に失われたものは、どれほどあるのだろう。

 

 そんな考えが()ぎった瞬間、ユウを担いで離れ小屋に戻る少年を見て、更に息を吐いた。扉へと先に歩み寄り、ドアを開いてやる。

 少年は瞬いた後、「ありがとうございます」と返した。

 ――――素直だな、と思う。コイツもカナギとやらも、基本的には素直である。故に、騙されそうになるが、こいつらは間違いなく政治的な言動に慣れている、相当な狸だ。

 

 ふと。そういえば、カナギとかいう男は、どうしたのだろう。

 小屋を覗けば、大きめの桶にわざわざ湯を溜めている姿が目についた。

 

「――レンは女だから、部屋に用意しておいた。野郎どもは此処で着替えろ。濡れたままで上がろうなんてするなよ? だが、ユウ。お前は先にこっちだ」

 

 有無を言わせぬ『主治医』の言葉に、ユウは少年に降ろされると素直に呼ばれた方へ歩いていく。カナギはいつの間にか金の眸の男から渡されていたらしい銀色のケースを開けてテーブルに置くと、椅子を引いてそこにユウを座らせた。

 カナギが手にした薬品を見て、ユウは思わず苦笑する。

 

「……どうやって調達したの」

 

「ああ。――龍殿にとってきて貰った」

 

「だから、どうやって?」

 

 ちらり、とユウの視線が玄関から最後に入って来た男に向かう。男は軽く肩をすくめて見せた。

 

「お前の直属の上は非常に快く渡してくれたぞ?――多少、腹に据えかねるモノがあったようだし、今頃は掃除でもしているんじゃないのか?」

 

「……へぇ。迷惑掛けちゃったかぁ」

 

「しばらくは行方不明になっている方が良いだろうな、あの状況は」

 

「――うわぁ……引っ掻き回してくれちゃった訳ですね?」

 

 僅かに困ったように笑うユウだが、その身体は力なく椅子の背もたれに寄り掛かっている。男とユウが話している間に、ユウの首筋に触れたり瞳孔の様子を見たり口を開けさせて喉を覗いたりと色々していたカナギは、嘆息するとそっと離れた。

 レイフォンは着替えが用意されているのを確認してからさっさと上着を脱いで、手拭いを湯に浸して絞っては雨に濡れて冷えた体を拭っている。少女はいつの間にか奥に行ってしまったらしい。

 

 カナギに視線を戻す。彼は薬品を配合すると注射器に移し、ユウの右手を取ると慣れた手つきで注射を打った。そしてそれを片付けると、小鍋で煮詰めていたらしい薬らしきものをカップに注いでユウに手渡す。

 ユウは嫌そうな顔をしながらもそれを受け取り、匂いを嗅いでやはり顔を顰めた。

 

「……不味そう」

 

「薬湯だからな」

 

 しれっと応えたカナギに溜息を吐き、ユウは恐る恐るカップに口を付ける。たしかに、漂って来る匂いはかなり独特で、自分から飲みたいとは間違っても思わない。

 それを飲み終わるのを待っていたのか、再びカナギはユウに近付き、全部飲んだのを確認するとカップを取り上げて水を張った盥に入れる。

 

「――さて、ユウ。ここから問診に入る。決して包み隠さず答えるように」

 

 淡々と告げられた言葉に思わず視線を泳がせたらしいユウは、それでも最後には苦笑して頷いた。

 

「単刀直入に訊こう。【月奏】と【詩紡ぎ】、どっちだ?」

 

「……いや、もう……そう訊いて来るってことは察してるんじゃないの?」

 

「まぁな。流石に『神殺しの詩』は派手過ぎだ。――それで、インストールポイントはどこだ?」

 

「……意味わかってて訊いてる?」

 

「はぐらかすな。とりあえずは、有無だけでも聞きたい」

 

「…………あるよ」

 

「発現したのは?」

 

「………………つい最近。【狼呀】の領域を離れてから、なんかおかしいとは思ってたんだけど……」

 

 謳うと小精霊にまとわりつかれるし、とユウは溜息を零す。それを聞いて、カナギは思わずといった様子で米神を押さえた。

 

「……伝聞通り、触られるのはもちろん、見られるどころか、どこにあるか知られるのも嫌なんだな?」

 

「……………………君の問診がセクハラにしか聞こえないくらいには」

 

「了解した。――ここに【夜】が『塔』から持ってきてくれたダイキリティーがあるわけだが、」

 

 徐々に口を閉ざす時間が長くなるユウの様子に眉間に皺を寄せながら、とりあえずは動向を見守ることにする。一度言葉を切ったカナギは、ふと息を吐くと懐から水晶のようなものを出すとテーブルの上に置いた。

 

「――どうする?」

 

「…………自分で……」

 

「本当に、大丈夫か?」

 

「……………………………」

 

 カナギは黙り込んで俯くユウに小さく嘆息し、もう一度その水晶を手に取ろうとしたところで、横から少年が手に取った。しげしげとその水晶を眺め、ふと笑むとひょいっとユウを抱え上げる。

 

「――え、ちょっ!?」

 

「そういえば、黄龍殿に『あんな化外に壊されるくらいなら貴様に呉れてやる』と言われていたんでした」

 

「は!?」

 

「まぁ、それは冗談として。――引っ掻き回すだけしてアフター・ケアをする気の無い神霊と、そもそも立場的にアフター・ケア出来ない人たちは黙っていて下さいね?」

 

 にっこりと晴れやかな笑顔を最年少から送られ、男は腹を抱えて笑い出し、カナギは実に複雑そうな顔をして嘆息すると、そっと顔を逸らした。

 

「あー……んじゃ、頼むわ……」

 

「はい、頼まれなくとも。――ところで、連れて帰って良いですか?」

 

「……一時避難なら、問題無いんじゃないか?」

 

「なるほど。参考にさせていただきます」

 

「ちょ、カナギもレイフォンも何の話してるわけ!? ってか龍殿も笑ってないで助けて下さい!!」

 

 何故か半泣きになっているユウを見送りながら、男は手を振って応える。

 

「残念だが、ここはむしろ黙って見送るのが、お前の為だな」

 

「――り、リヴァイっ!!」

 

「悪いが、状況が解っていない。説明を求める」

 

「……ただ、延命剤投与をヴォルフシュテイン卿がするってだけの話だ」

 

 カナギからの説明は、実に簡潔だった。腑に落ちない反応ややり取りは多々あったが、それでも延命剤投与であるなら、まぁ、止めるべきではないだろう。

 

「ユウ、注射を嫌がる子供みたいだぞ」

 

「――――――っ!!」

 

「ヴォルフシュテイン卿、部屋は階段上って廊下の突き当たりの角部屋な」

 

「ありがとうございます、カナギ」

 

 ややぐったりしたようなユウを抱えたまま、少年は居間から出ていく。残されたカナギはカップや鍋を片付けだし、馬鹿笑いしていた男は意識から外れた瞬間に姿を消していた。

 

「また、昼間に来る」

 

「……まぁ、その方が良いだろうな」

 

 その言い回しに眉をひそめれば、カナギは誤魔化すように苦笑する。

 

「――昼頃に来れば、料理も出そう」

 

「わかった。エルヴィンも連れて来る」

 

 食事をしよう、ということは、話をしよう、ということだ。ついでに政治的な意味での話だろう。ならば、自分よりはエルヴィンがいた方が良い。

 そう考えながら、ドアを開けて外に出る。宿舎の自室を目指してゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 






※ご存知の方はご存知ですね。『アルトネリコ』で『レーヴァテイルの延命剤』といえば、「これ何てエロゲ?」って感じで有名なイベントシーンです。
※そういう訳なので、とりあえず隔離部屋ならぬ隔離シリーズを作って、そちらに放り込んで封印させていただきます。




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すまう風招きの剣 ~急~
【転調:xE rre fs hYEmNmrA du dauan/.】



『そよ風は夜明けを謳う』








 ――朝、目が覚めると雨は止んでいた。

 

 カーテンを引き、蒼い空と遠くにそびえる壁を見やる。窓近くに在る木々の枝葉から、囀りながら小鳥が2羽、飛び立った。

 

 

 

【転調:xE rre fs hYEmNmrA du dauan/.】

 

 

 

 昨夜の言葉通り、正午を過ぎたあたりで離れ小屋へ向かう。

 途中、執務室から出て来たエルヴィンを呼び止め、事情を話せばあっさりと頷いて同行することになった。

 扉を開き、居間へ向かえば食欲をそそる香りが漂って来る。これは――焼きたての、パンの匂いだ。

 

 居間と厨房が一緒になった作りの部屋に顔を出せば、まず目についたのは少女が出来た料理を居間のテーブルに運んでいる姿。次に厨房で何かを煮込んでいるらしいカナギと、何かを刻んでいる少年――レイフォンの姿だった。

 ユウの姿は見えないが、まぁ、負傷して発熱したうえ、更に化け物に攫われ――と色々あったのだから、寝込んでいるのだろう。

 

「……野郎どもが作ってんのか」

 

「ずいぶんな御挨拶ね。――こんにちは。エルヴィン調査兵団団長、リヴァイ兵士長。私はレン。【宝玉珠】と呼ばれる妖精種。私は人間種じゃないから、そのことでいちいち驚かないでね」

 

 エルヴィンに向けて、レンと名乗る少女はぺこりと頭を下げる。

 

「……妖精?」

 

「うん、妖精種。――【宝玉珠】は、名の通り鉱石に宿った、人の形と武器の形を併せ持つ妖精種」

 

「……では、どのように接すればいいのかな? 普通の人と同じように扱うのは、気分を害するのか?」

 

 エルヴィンの言葉に、少女は僅かに首を傾げた。そうして淡く微笑する。

 

「――あなたは、いいひとね。私たちは、自分たちに対する態度で、目の前の人間がどういう種類の人間なのか見てるから、やりやすい態度でいいわ」

 

「では、普通の女の子として接しよう」

 

 エルヴィンも微笑し、そっと少女の頭に手を伸ばした。少女は逃げずに黙って受け入れる。そっと頭を撫でれば、心地よさそうに目を細めた。

 

「――レン」

 

 呼ばれ、少女は軽やかにレイフォンの傍に戻る。レイフォンはこちらを見ると目を伏せて目礼した。

 

「――これも運んで。あと、お茶も淹れてくれる?」

 

「今日は何?」

 

「お客様がいるから、アッサムで。ミルクも用意しておくといいかも」

 

「了解」

 

 そう言って少女は渡された小鉢のサラダをテーブルに運び、そっと椅子を引いてこちらに微笑み掛ける。

 

「――お客様。どうぞ、お掛け下さい」

 

 最初にエルヴィンを案内し、次に自分の為に椅子を引いて席に着かせた。少女が厨房側に戻るのを眺めながら、ふともう一人増えているのに気が付いた。いつの間にか向かいの席に座り、ずいぶんとくつろいだ様子で頬杖をついている。だが、非常に眠そうだった。

 

「……結局、てめぇは何なんだ」

 

 金の眸の男は、昨夜までと違って見たことの無い服を着ている。何枚か重ねた布を、硬めの布で作られた幅広の紐を使って腰のあたりで結び、ベルト代わりにして留めている。色彩は深い藍と黒。今まで気付かなかったが、どうやら髪も長く、腰まであったらしい。首筋あたりで紅い紐を使って適当に束ねていた。男は眠そうに目を瞬かせながら、つとエルヴィンに目を向ける。

 そう言えば、コイツはエルヴィンの前には姿を現してはいなかったような、気がする。エルヴィンに目を向ければ、しみじみと男を見やり、観察しているようだった。男のほうも、観察されていても特に気にする様子は無い。

 

「――失礼だが、貴殿は?」

 

「……通例では、我らに名を問うは愚挙だとされているのだがな。まぁ、仕方ないか。――この身に与えられた人の名は、緋勇だ。詠み方が解らなければ、リューグで構わぬよ、ヒトの仔よ」

 

「――では、ヒユウ殿」

 

 その名でエルヴィンが呼べば、男は金の双眸を細めて笑った。何か、懐かしいモノでも眺めるような眼差しで。

 

「……お前は名乗らぬのか? ヒトの仔よ」

 

「これは失礼。――エルヴィン・スミスと申します。ヒユウ殿、貴殿も妖精ですか?」

 

「否」

 

 一言で切って捨てた男――ヒユウは、そうしてから苦笑した。

 

「――つまり、貴殿も人間では無い、と?」

 

「いや。この身は人間だ。少なくとも女体を通じて生まれた以上、半分は人間だと思う。――が、かなり長生きでな。千を超えたあたりで、年を数えるのは飽きた。――人間らしい精神を維持するのは、この時間は永過ぎる……」

 

 ふと、ヒユウは遠くを見るような眼差しで窓の外を眺め、そうしてまた苦笑した。

 

「――【黄龍】殿は、非常に人間と親しい方です。余程のことがない限り、人間を滅ぼす側には回らないので、その点は安心して下さい」

 

 その言葉と共に、レイフォンが料理を盛った皿を手に入って来る。手際良く置かれていく皿には、鶏肉のソテーが乗っていた。思わず眉間にシワが寄る。

 肉は、貴重品である。しかも、甘い匂いのするソースが掛かっている。これは、柑橘系の匂いだ。オレンジ、だろうか。

 エルヴィンも隣でしみじみと眺めている。そうして、最後に運ばれてきた白いスープと平たいパンに苦笑した。

 

「――これは、貴族並みのご馳走だな」

 

 その言葉に、つと外組の全員の視線がレイフォンへ向かう。レイフォンはただ静かに苦笑した。

 少女が運んできた紅茶の芳醇な香りに瞬き、並べられた料理を見て、深く考えるのは止めよう、と思考を切り替える。――エルヴィンは『貴族並み』と言っていたが、この料理の数々の料理方法によっては『王宮並み』になるかもしれない。

 全員が席に着き、ヒユウとカナギは料理を前に両手を合わせ、静かに『いただきます』と言った。思わずレイフォンを見れば、レイフォンとレンは両手を組んで軽く数秒瞑目する。小さく何事かを呟き、そうしてからようやく料理に手を伸ばした。

 ――感謝か祈りか。何に対してかは判らないが、そういう風習なのだろう、と理解する。

 

 ふと。そういえば、レイフォンは『ヴォルフシュテイン卿』と呼ばれていた。それに『貴族並み』という言葉で周りから視線を向けられ、苦笑を零している。――つまり。

 

「レイフォンよ。これはお前の故郷では、どの程度の料理なんだ」

 

「昼食でこのレベルなら、少し余裕のある中流家庭から質素を旨とする王族まで、と言ったところですか。ちなみに、貴族は金を貯め込み過ぎると王宮に没収されて経済を回すために色々なところにばら撒かれるので、王族の食事よりも豪勢になることが多いです」

 

「……お前さんも、貴族か」

 

「貴族ですけど、一代貴族です。功績いかんによっては存続させることも可能ですが、今のところその気はありません」

 

「功績なら既にあるじゃないか、『傭兵団』とか」

 

「ああ、あれってお前だったのか、管理者」

 

 しれっと告げたヒユウの言葉に、カナギが驚いたようにレイフォンへ目を向ける。その横から、レンは更に淡々と述べた。

 

「発案して、創設して、運営してるのはレイフォンよ。というか、流石に当時ただの十歳で【剣守】になった子供なんて、誰も認める訳ないじゃない。早急に箔を付けなきゃ、政争に巻き込まれて自滅するわよ」

 

「……黒幕は?」

 

「陛下。……でも、陛下は『良い案があればやってみなさい』ってだけだったわ。すごいスパルタね」

 

 レイフォンは何も言わず、静かにパンをちぎって口に運んでいる。

 ――――なんだろう。この、和やかではあるが、胃が痛くなりそうな内容の会話は。とりあえず、こんな会話に参加したくないので、自分も妙に白く平たいパンをちぎって口に入れる。いつも食べているパンとは違う、妙にもっちりした食感だった。塩が使われているのか、僅かに味がする。

 

「――ナァン、という無発酵のパンです。保存しやすいので、調査の時などにいかがでしょう」

 

 ――――甘かった。どうやら、既に戦いは開始されているらしい。

 にこりと微笑んだレイフォンを思わず睨み、エルヴィンに目配せする。

 

「……なるほど。是非、レシピを教えてもらいたい」

 

 受けて立つ、と言外に告げたエルヴィンもまた、獰猛な気配を潜ませて笑ってみせた。

 

 

 





 当時『目指せ飯テロ!』を目標に、自分が食べたいメニューを書きました。

 ところで、原作で食糧難というわりに、配給されているのは白パンである気がするのですが……どういうことなの。え、もしかしてほんとに白パンなの? ライ麦じゃないの?

 白パン→現在、自分たちが普通に食べている小麦粉のパン。やわらか。

 黒パン→現代で言うライ麦パン。小麦の収穫できない土地でもライ麦は収穫できる為、白パンよりランクが下だとされていた歴史がある。つまり庶民や貧乏人の食べ物。ついでに、小麦粉でも嵩増しの為にふすまごと粉に挽いたものもある。かたい。ぼそぼそする。

 さて。実際はどっちなのか。







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【Arma 01:xE rre sEsAwLYE fau/.】



『鳥たちのお喋り』


 

 

 まずは一合、打ち合ったらしいエルヴィンとレイフォンはしばらく互いの反応を窺い、そして殆ど同時に苦笑してみせた。

 

「――まずは、食事をどうぞ。せっかくですし、僕としても久しぶりに普通の料理を堪能したいので」

 

「そうか。では、お言葉に甘えてこちらも堪能させてもらおう」

 

 互いに、矛を収める気配。それを受けて、ようやく柑橘系のソースが掛かった肉を一切れ、フォークに刺して口に運ぶ。――爽やかな酸味と甘味、肉の臭みは無く、柔らかな歯ごたえと共に旨みが凝縮された肉汁が口の中に溢れた。――美味い、と思う。文句無しに美味い。

 だが、だからこそ問題だ。これを『少し余裕のある中流家庭から』食べられるという、民衆にある余裕が、そのままこの『壁の中』との差として歴然と存在することになる。その『差』こそが問題なのだ。

 チラリ、とレイフォンを見やる。少年は言葉通り料理を堪能しているらしい。ゆっくりと味わいながら、しかし時折レンやカナギの話に応じていた。これは、ひょっとすると『料理』を堪能しているのではなく、『食卓』を堪能しているのかもしれない。

 

 ふと、気になって疑問を口にしてみた。

 

「――レイフォンよ。お前、普段はどんな食事をしてるんだ?」

 

「……ええと。見た目は、豪勢ですね。陛下よりも」

 

 困ったような微笑しながら、微妙すぎる返答をしたレイフォンに、思わず眉間のシワが深くなる。それを眺めていたレンが、具体的な答えを告げてくれた。

 

「一代貴族だから、基本的に食卓に1人ね。あとは給仕が2人くらい背後に控えているけど。――見た目は豪勢だけど、何度も毒見するから冷めきってるし、毒見してる筈なのに毒入りと変わらないし。本人は慣れちゃってるから、毒入りでも食べてるけど」

 

「……あの毒は、致死量じゃないよ。単なる嫌がらせ。――犯人は特定できてるから、今回の一件で潰せると思うよ? 僕がこれ以上持ち上げられたら、騒動起こしてくれる筈だし」

 

「それでも、2日は寝込んだじゃない」

 

「ちょっと運が悪かったというか、耐性付けてなかった毒だったから。――今は、もう大丈夫だよ?」

 

「……お前ら、それはこんな食事時にする話じゃねぇだろ」

 

 というか、そうか。レイフォンは貴族で、しかも係累の無い、家系的には終わっている一族のくせに取り立てられたせいで他の貴族から目の敵にされ、毒まで盛られるような生活をしているらしい。

 

「ところで、一代貴族、というのは?」

 

 エルヴィンの問いに、レイフォンはきょとん、と瞬くと、ああ、と言って苦笑する。そうして予想していた内容とはいささか異なる答えが返された。

 

「――『こちら』には、無いんですね。一代貴族、というのは――要は、何らかの働きによって地位を与えなければならなくなった、しかし貴族では無い。しかし一族ごと貴族にするには色々と障りがある、という場合に当人だけ貴族にして地位を与える、というものです。僕の場合は【ヴォルフシュテイン卿】となる際に、一代貴族という肩書も与えられました。――そもそも家族がいない孤児だった、というのもありますけど」

 

「……それで、功績しだいで存続も云々、という話だったのか」

 

「はい。功績があって、それが王に『惜しい』と思われるものであるなら、家名を継がせることも可能となります。――まあ、僕は【降魔】なので弱肉強食といいますか、より強い者が上に立って当然、という考え方が根底にある種族のお蔭で、どちらかと言うと縁組み攻撃の方が大変ですけど」

 

「――夜の花は、一度受け取っても夜明け前には返すのよ?」

 

「出来うる限り受け取った状態のまま、返してるよ」

 

 しれっとしたレンの言葉に、苦笑しながらも何の感慨もなく返すレイフォンの会話に、思わず動きが止まった。いや、これは――『夜の花』を受け取って、夜明け前には返す、というのは明らかに『夜、寝室に送り込まれた女性とは朝まで共にすることなく対応しろ』ということだろう。それに対してレイフォンは『送り込まれた時の状態のまま、返している』というのは……こう、とにかくエルヴィンが言うなら違和感など無いが、この少年が言うと酷く違和感がある。

 が、次に放たれたレンの言葉には手に持ったパンを落としそうになった。

 

「ふうん?――まぁ、花では無く剣や鞘を愛でるのは別に構わないわ」

 

「――レン。劉黒や君がいるのに、他の剣に目移りする訳ないよ」

 

 ――こいつ、天然か。天然なのか。妙に甘ったるい声と微笑みだ。それを向けられたレンは、思わず、と言う風に頬をさっと染める。だが、フイ、と顔をそむけた。なんだ、このピンク色のぽわぽわした空気は。なんというか、こう――うぜぇ、と言いたくなる。

 とにかくそれらを堪えて黙ってスープを口に運ぶ。とろみのある白いスープにはキノコや芋の欠片が目についた。口に入れれば、まろやかなクリームとチーズのような味わいで、素直に美味い、と思う。

 だが、レンが発した言葉に噴き出しそうになった。

 

「――――花と違って、剣は身を守ることに繋がるのだから、構わないのよ? あと、出来れば鞘は早く見つけて頂戴。この際、贈り物でなければどんな鞘でも構わないわ」

 

 ――もしや、これは。ひょっとすると夜の寝室に送り込まれるというのは、女だけではないのだろうか。そしてそれは公然の秘密なのだろうか。むしろなんか、秘密ですらないのだろうか。出来れば、この辺の常識の差異は教えておいてもらいたい。こっちの何気ない行動が求婚だったとかした場合、泣くに泣けない。

 

「……ひとつ、気になるのだが」

 

 エルヴィンの言葉に、レイフォンは視線を向けて来る。

 

「何か?」

 

「――婚姻制度とかは、どうなっているのかと。今の話を聞いて、思ったのでね」

 

 ――流石に直接的には訊けなかったらしい。だが、これで言及する事にはなるだろう。

 レイフォンは軽く微笑み、紅茶を口に含むと少し考えるように視線を伏せた。

 

「――まず、これは【民】によって違うので、これから僕が口にするのは【流砂の民】の場合です。【流砂の民】とは、【降魔】と【宝玉珠】と純人間種、あとはごく少数の他の民によって構成されています。このうち、【宝玉珠】は原則的に人間種とは繁殖方法が異なるので、そういう関係にはなりません。純人間種は普通に異性と恋愛して結婚する場合が多いようですね。問題は【降魔】ですが――」

 

「制度的には、一定以上の実力と権力がある【降魔】は一夫多妻が認められているわ。むしろ、奨励されているわね。――まぁ、一夫多妻というか、あくまでも実力と権力のある【降魔】が、他の【降魔】や民を囲うことは、あまり問題視されないわね。男女の別なく」

 

「……つまり?」

 

「実力と権力がある【降魔】が女の場合、その女性は優秀な血を残すべく子作りに励むのなら、何人男を囲っても構わない。そうして義務を果たすのなら、同性を囲っても別に良い、ってこと。もちろん、【降魔】として優秀な男性は言わずもがな。つまりは、優秀な血を残せるなら、それで構わないってことね」

 

 結局、殆どをレンに説明され、レイフォンは視線を泳がせて苦笑した。どうやら、真実であるらしい。

 

「……そういう訳で、ヴォルフシュテイン卿よ」

 

 ちらり、と相変わらずどこか眠そうな雰囲気で、しかし何かを面白がるようにヒユウはレイフォンに意地悪く笑い掛けた。

 

「――【真神】は、どうだった?」

 

「ユウなら、しばらく休ませないとダメですよ。延命剤を投与したとはいえ、元々負傷したうえで発熱して、それでも一瞬とはいえ戦闘したり、詩を謳ったりとかなり無茶したんですから」

 

「むしろお前ら、そんな話したいなら食事の後でやれ。龍殿、あんたも焚きつけるな」

 

 カナギの言葉に、思わず息を吐く。

 

 ――――正直、誰かの正論にこれほど感謝した経験は、あまり無いな、と思った。

 

 

 

 






 サブタイトルを悩みに悩んだ結果、なんか可愛らしくなってしまいました。
 架空言語には日常単語が足りない。




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【Arma 02:xN rre slep doodu s.s.w. futare/.】



『微睡む大地は未来を告げる』





 

 

 

 一部、穏やかとも和やかとも言い難い食事が終われば、食後に出されたのは、独特な香りのする茶だった。どうやら茶葉では無く、香草を用いているらしい。鼻を抜けるようなすっきりとした香りが特徴的だった。

 

「……悪くない」

 

 思わずそう呟けば、この茶を淹れたらしいカナギは微かに微笑んだようだった。

 

 

【Arma 02:xN rre slep doodu s.s.w. futare/.】

 

 

「――それで、実際のところ、君たちは『外』でどのくらいの地位にいる?」

 

 口火を切ったのは、エルヴィンだった。

 そもそも、これを把握しなければ、まともな取引も駆け引きも出来ない。無論、向こうもそれは解っているのだろう。ただやんわりと淡く微笑した。

 

「この中で、最も権力があるのは【ヴォルフシュテイン卿】――自律型移動都市レギオスのひとつ、光浄都市ヴォルフシュテインの【剣守】である私、レイフォン・アルセイフです」

 

「――つるぎもり、とは?」

 

「――自律型移動都市において防衛機構を掌握しています。王の片腕、ですね。具体的には、王の身辺警護から、王城の警備、市街地の治安維持や都市外の索敵等々――要は、軍を掌握するトップですね」

 

 その言葉に、思わずまじまじとレイフォンを見やる。その視線を受けて、このガキはにこりと笑ってみせた。――気を悪くするでも無く、ここで笑えるのは結構な器だと思う。しかも、だ。

 

「……お前、いくつだ?」

 

「15歳ですね。まぁ、今年で16になりますけど。―― 一応言っときますと、実力ですよ? 【流砂の民】は基本的に実力主義ですから。……それでも、流石に10歳でこの要職に就かせるのは相当なスパルタである、と思います。我が王ながら」

 

 つまり、既に5年の政治経験がある、と。――末恐ろしい、としか言いようが無い。

 そっと香茶を口元に運ぶ。落ち着く香りに、ああ、この為のこの茶なのか、と理解した。精神を落ち着かせる効能でもあるのだろう。この瞬間、非常に効果を実感した。

 

 レイフォンも香茶を口に含み、そっと微笑う。そうして、ちらりと隣に座るカナギへ視線を向けた。

 

「――彼は、【守の民】において『鳥の神の友』と云われるモノです。厳密な意味で人類視点には立てないので、人間社会には原則不介入です。が、格は【王】などよりも上に在ります。権力はありませんが、それでも彼の存在や言葉を無視する民はないでしょう。――尤も、」

 

 つい、と視線は食事が終わった後、窓辺のソファーで寛いでいるヒユウへと向けられる。

 

「彼の【黄龍】殿に比べれば、なんてことはありませんが。――そもそも、系図的には別格扱いなので。ただ、権威はあってもそれを振るうことは禁忌なので、何かすることは滅多に無い、と聞いています。とりあえず、慣れるまではあまり意識しなくてよろしいかと」

 

「――それは、無視しとけってことか?」

 

 思わずそう問えば、レイフォンは微かに苦笑した。

 

「いいえ。――今のところは、無闇にあなた方から近づく必要は無い、ということです。『触らぬ神に崇り無し』という諺もありまして、神霊、神威に下手に近付くと、障りが出ます。彼らに人間の善悪は通用しません。ただ、在るがままに存在するだけです」

 

「……どちらかと言うと、好きにさせとけって感じか」

 

「どちらかと言うと、そうですね」

 

 それで、とレイフォンはカナギとは反対側の席に座るレンに柔らかい眼差しを向ける。レンもそれを受けて穏やかにほんわりと微笑み返した。――だから、お前らはそれを見せつけているのか、と言いたい。

 

「――レンは、……僕の家族ですね。公式の場では、僕の武器扱いですけど」

 

 僅かに申し訳なさそうに、悔しげに目を伏せるレイフォンの頬に手を伸ばし、レンは優しく微笑む。

 

「――気にしないでね。私は、あなたの武器で在れることが誇りなのよ。それに、家族だなんて思ってくれて、本当に嬉しいの。だから、そんな顔しないで?」

 

「レン……」

 

 ――ご馳走様。これ以外に何も言えない。

 

「……なんか、すまん」

 

 苦笑するカナギと目が合い、そう言われた。いや、別に謝罪が欲しい訳では無いが。それでも、この空気はどうにかならないのか、と思う。砂を吐きそうだ。

 

「――いや、なかなかに微笑ましいと思うぞ?」

 

 言葉通りに微笑ましげに眺めるエルヴィンに思わず息を吐き、そっと視線を会話に入ってこないヒユウの方へ向ける。彼は窓の外に顔を向け、ぼんやりとしているように見えた。

 

「それで、レイフォン」

 

 エルヴィンの発した声に、鋭いものが混じる。それを受けて、しかしゆったりと余裕を見せるようにレイフォンは視線を戻した。互いの視線が交わり、相手の出方を窺っている。

 

「――君と口約束を交わしたとしよう。しかし、それは確実に履行されるのだろうか」

 

 エルヴィンの問いに、レイフォンは笑って迎え撃つ。

 

「――その言葉は、そのままお返しいたします。と、言いたいところですが、この際それはどうでもいい。9割がたこちらが損する取引ではありますが、それでもそれは承知の上です。損得よりも、優先するモノが、我らには在りますので。――口約束でも、契約でも、同盟でも。私と交わしたモノであるなら、必ず【流砂の民】は履行するよう、レギオス同士の統合協議においても通しましょう」

 

 予想以上に断固とした言葉に、思わずエルヴィンと共に押し黙る。

 ――今、レイフォンは『レギオス同士の統合協議』と言った。つまり、レギオス――確か自律型移動都市と言ったか――は複数存在し、通常は統合協議とやらで【流砂の民】としての総意、あるいは方針を固めるのだろう。それに通す、とレイフォンは言った。だが、集団の意思を統一するのは、難しい。ましてや権力者同士の協議など、足の引っ張り合い、牽制のし合い以外のなにものでもないだろう。

 

「……たとえば、我が調査兵団は、極秘裏に交易や『外』の情報が欲しい、と言ったなら?」

 

「――極秘裏に、ですか。まぁ、『壁の中』の意思を統一するのは無理でしょうしね。――構いませんよ。その程度なら、すんなり通ります」

 

「では、巨人の調査・駆逐にご協力願いたい、とした場合は?」

 

「通します」

 

「…………通るのか?」

 

「通せる通せないでは無く、通します、と言いました」

 

 ――その言葉に、自らの勘違いを思い知らされた。

 このガキは、『調査兵団団長』が望む程度のモノであれば、協議で通す、と言っているのだ。まさかエルヴィンであっても、『調査兵団団長』という肩書が持つ権限を大きく逸脱するものは相手に望めない。責任を負えないからだ。

 ふふ、とレイフォンは上品に笑って香茶を口に含む。

 

「――その代り、『外』に辿り着くまでに、もっと出世して下さい。そして『外』に辿り着いたら、出来うる限り穏便に友好を結んでくれると、個人的には嬉しいです」

 

 さしあたっては、とレイフォンは続けた。カチャリ、とカップが小さな音を立てて机に戻される。

 

「――あなたの部下を何人か、『外』に連れ出してみましょう。見聞することは多い筈です」

 

「……我々に、不利益が無いように思うのだが?」

 

「あなたが出世できなければ、きっと戦争になりますね。――戦争になれば、今のままでは『外』に一方的に蹂躙されます。具体的には、リヴァイ兵長がお察しできるかと」

 

「心当たりが多すぎるぞ。――ユウが撃ったヤツとか」

 

「あれは【詩紡ぎの民】の詩魔法、と呼ばれる科学技術です。空から雷を降らせたり、天候を操ったり、大地を揺らしたりなど、お望みであれば天災のフルコースも実演できると思いますが。――ですが、あれは基本的には使われませんね」

 

 ひとつ、懸念が減った。だが、『基本的には』だ。例外もあるのだろう。

 だが、不利益は無い、と思う。技術だというなら、その技術を盗めばいい。技術自体が無理なら、回避する方法や防御する方法を学べばいいのだから。

 怪訝な眼差しのまま、レイフォンを見る。少年は、ほんの僅かに目を細めて笑ったようだった。

 

「――こっちの懐に招いて恩を売れば、少しは戦争を回避しようとしてくれるでしょう? 戦争開始、となっても実際に戦うのは末端の兵士たちです。その兵士たちが戦いを回避しようとしてくれれば、こちらとしても無駄な殺生をせずにすみます」

 

「――リヴァイ」

 

「確かに、こいつらとは戦わねぇ方がいいだろう。まともにやりあっても、局所的に勝利できたとしても、全体じゃ負ける。そんな感じになるだろうな。しかも、巨人より性質が悪いぞ絶対」

 

「……まぁ、人間の方が、性質が悪いのは確かだ」

 

 そう言ってエルヴィンは軽く苦笑する。レイフォンに手を差し出せば、少年も応えて手を握った。

 

「――では、派遣する兵士はこちらで選んでいいのかな?」

 

「お任せします。――しっかり出世して下さいね」

 

「――困ったな。かなりの大仕事になる」

 

 冗談のように笑ったエルヴィンに応えるように微笑んだレイフォンはしかし、何か言う前にふと視線をヒユウへと向けた。その視線につられてエルヴィンもヒユウへ目を向ける。

 ソファーで寛いでいたはずのヒユウは立ち上がり、窓の外、はるか遠くの一点を凝視するような眼差しをしていた。そうしてやや重く、口を開く。

 

「……ひとつ、忠告を。――エルヴィン」

 

 ふ、と息を吐きながら、ヒユウが振り返る。僅かに朱を孕んだ金の眸が、やけに印象に残った。

 

「――三度目に壁が壊れた時、訪れる闇夜を怖れてはいけない。無論、警戒は必要だが、必要以上に恐れてはならない」

 

「……三度目だと?」

 

「一度目で嚆矢は放たれた。二度目で運命が垣間見えるが、三度目で一度、すべての希望を失うだろう。だが――光は、闇の中でこそ輝くものだ。希望を望むのならば、絶望の中で足掻くしかない」

 

 その言葉に、思わず眉をひそめる。こういった、謎掛けのような問答は好みじゃない。だが、エルヴィンは少し違った感想を持ったようだった。腕を組み、顎を撫でながら問い掛ける。

 

「――ヒユウ殿は、予言者でもあるのか?」

 

「ヒトの歴史は繰り返しだ。長く在れば、似たような場面に時折でくわす。――私にはもう、自分が今どこにいて、誰と話しているのかはっきりとは判っていない。過去の記憶を見ているのか、未来を夢に見ているのか。……ただ、かつてあったことと、これからあることを告げているだけだ」

 

 だが、と言ってヒユウは苦笑した。ひどく人間臭い、自嘲といえる笑みの類。

 

「これは、こちら側の都合。お前たちには関わり無きことだ、ヒトの仔よ。――適当に聞き流せば良い。ただ、珍しく久々に忠告した故、出来れば胸に留め置いておくといいだろう」

 

 その程度の価値はあると、自負している。

 

 そう言ってヒユウはカナギへ目を向けた。カナギは立ち上がり、静かに歩み寄って跪く。

 

「――神薙(カナギ)。『鳥の神の友』――【守人】よ」

 

「はっ」

 

「――昨夜までは雨でだいぶ和らいでいたが、ここは私には五月蝿い。しばらく眠るゆえ、同胞に訊かれたなら、そう応えよ」

 

「――畏まりまして御座います」

 

 言葉と共に組んだ両手を持ち上げ、頭を垂れる。それを見届けると、ヒユウの姿は金砂のような光となって崩れ、大気に融け入るように消えていった。

 

 

 

 






 Pixiv版で、明らかに前後の話と比較して閲覧率と評価が高い話。
 ……え。なにこれ。良いの?
 むしろコレ投稿するとき、「こういうのやっちゃって良いのかなぁ……?」とか思いながら投稿したので、予想に反して好評で「……え?」ってなりました。
 そして今もなお、理由が分からないです。解せぬ。

 あ。レイフォンに腹黒の気があるのは、育て親の影響です。はい。



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【幻奏:won-nh-tah-ren n=mou-uia;】



『目覚めよ』


※カナギ視点。入れるかどうしようか散々迷って入れておいた話。





 

 

 金砂のようにほつれ、崩れて消えていく【黄龍】を見送り、顔を上げる。

 自分は親友のお蔭でだいぶ『あっち側』に存在が近くなっているので、ともすれば相手にされない人類と違って、ある程度はきちんと対応しなければならない。

 だが、神霊にしては随分と人間臭さが残っている【黄龍】が相手で良かった、と思った。あんまりにも人間臭いので対応を忘れ掛けていたが、まさか言霊・音霊・真名による強制を享けるとは思わなかった。しかも、それでいて伏礼ではなく跪礼という略式――神霊の一柱であるくせに、妙に気を使われている、気がする。

 

 膝を払いながら立ち上がり、そっと息を吐く。この、モヤモヤとした心境を唯一、理解してくれそうな少年――ヴォルフシュテイン卿に向き直った。

 

「……俺、いま微妙な気の使われ方をした気がするんだけど……」

 

 少年は軽く首を傾げ逡巡した後、おそらくですが、と前置いたうえで口を開く。

 

「あなたに気を使ったのではなく、あなたを所有する『鳥の神』に気を使ったのでは?」

 

「…………あー、そっちか。なるほどね、うん……」

 

 ――――自分は『鳥の神』の眷属である。

 事実は置いておいて、とりあえず、神霊にはそのように認識されているらしい。つまり、【黄龍】は自らの眷属では無く、『鳥の神』の眷属を強制服従させるにあたって、それなりの配慮をした、ということらしい。

 ちなみに、『鳥の神』と云う言葉は形を示したモノであって、『鳥を統べる神』という意味では無い。正確に表わすのなら、『鳥の姿を纏う神』である。性質は『ヒトの願いを叶えるもの』であり、その正体は『振動。波動。あるいは拡散し続ける光』というものであるらしい。

 

『黄龍よりは永遠で在れますが、単純に力勝負をしたら負けますね。本質的に消滅はあり得ないので、負けても消える訳ではありませんが。――ああ、黄龍は特殊な存在法則をとっているので、あれは消滅しますよ? 現に岩も風化してやがて砂となり、塵となっていくでしょう? 同じ理屈であの方も摩耗していきますからね。そういう意味でも【生きている】と言えるでしょう。生物に近い在りようを選択している訳です』

 

 などというような神霊に関わる話を滔々と語り続けていた一昼夜もあったが、――――待て。

 

 今、ここで思い出せた自分を褒めてやりたい。ついでに運命とやらに感謝しても良い。

 

 黄龍の言動を、思い返す。

 世界が滅びへ向かうきっかけは、いつも小さなものだ。彼ら神霊は、それを伝える警鐘である。不審な綻びは、いたるところに在っただろう。思い返せば――ほら。

 そもそも、何故、自分たちの許に現れたのか。

 ――自分とユウの名に原因がある。自らの民を失った神霊は、自らの言を伝えるためにこそ、『神薙』――即ち『カンナギ』の許へ降りたのだろう。尤も、そこで自分の用事を後回しにするのだから、相当に気を使ってくれている。はっきり言って、神霊らしくない。神霊はもっとこう、唯我独尊と云うか、我が道を突っ走っていくモノの筈なのだ。あるいは、単に壮絶な時差ボケなのかも知れないが。

 

「……カナギ?」

 

 てとてと、と歩いて来て袖を引っ張る少女――レンを思わず見つめ、一拍後にようやく理解した。どうやら、考え込んでしまっていたらしい。

 一度息を吐き、そっと少女の頭を撫でる。そうしてから観察するような眼差しを向けているレイフォンに向き直り、目礼した。

 

「――神勅にて、退席を御許し頂きます」

 

「――ご随意に、だったかな?」

 

 少し苦笑しながら答えたレイフォンに僅かに首肯し、そっと息を吐く。

 レイフォンの返しには問題無い。【流砂の民】は直接的には神霊と通じる機会は無いから、対応をよく知らないのも仕方がないで通る。

 だが、神霊と共に生きることを選択している【守の民】としては、この対応を誤る訳にはいかないのだ。

 不思議そうな眼差しを向ける壁の内側の住人2人に軽く頭を下げ、素早く居間から退室する。

 

 ――【黄龍】は、同胞に訊かれれば、と言った。

 だが、神霊がヒトに問う、などということはない。ならばこれは、『伝えよ』という命令である。

 

 そっと天井を見上げ、今は眠っているはずのユウの容態を想い、思わず嘆息した。

 

 

 

 

【幻奏:won-nh-tah-ren n=mou-uia;】

 

 

 

 ギィ、と扉が軋み、微かな音を立てて閉じられる。

 

 一度息を吐いてゆっくりと呼吸し、整息。そうしてから顔を上げれば、寝台の上に横たわるユウの姿が目に付いた。

 

 ――――さて。

 

 ここからだ。

 ここから、手順を一手でも間違えれば、かなり痛い目を見る事になるだろう。

 

 寝台に歩み寄り、眠っているユウの容態を観察する。

 少し顔色は悪いが、呼吸も乱れてはいない。今朝飲ませた薬が効いたらしい。【狼呀】に効かなかったらどうしようかとも思ったが、それは杞憂に終わって良かった。

 そっと額に手を置き、まだ僅かに高い熱に思わず目を伏せる。少し、罪悪感が首を擡げた。

 

 一瞬、このまま目が覚めてくれれば、タイミングが悪かったということにしてしまえるのに、と思う。

 

 

 用があるのは、ユウでは無い。

 ユウを仮宿にして、深く眠っているはずの神霊である。

 

 だが、気が進まない。

 ――――気は、進まない。だが。

 

「……    、」

 

 すまない、と音にすることなく、唇だけで形作った。

 左手をユウの額に置いたまま、ゆるやかに目を瞑り、そっと息を吐く。

 

 

 

―― Wor ga Dew.

 我は守人

Wor ga zx-in Shen-liah, Mimuwe Yao eld Wega-ru i-ni.

 森羅に重なり、眠る汝貴を迎え入れる

 

 

 

 ちらりとユウに目をやり、様子を窺う。特に変化は見られない。――もうどちらでもいいので、出来れば早く起きて貰いたい。元々音痴で歌うのは苦手なのだ。それもソラとの生活が長いおかげでだいぶ矯正されたが、苦手なことに変わりはない。

 

 

 

――Presia rippllys, bister Dia.

 応え給えや 獣の王よ

 

Rre bister diasee quesa na cyurio noglle ar dor,

 汝貴の神子が駆ける秩序亡き大地は昏く

 

Den dest phantasmagoria en rhaplanca ides.

 在りし楽園は朽ち、恵みの大樹は枯れた

 

frawr slep, quive kira lusye nuih,

 花も睡る 星亡き氷空の下

 

Presia cexm Dyea.

 いざや神よ 降り臨め

 

 

 

「『――――随分、上達したようだ』」

 

 その声は、ユウの口から発せられる。だが、普段のユウの声とは全く違う、昏く、重みのある声だった。

 だが、知っている。

 この声の主に用があったからこそ、ここで呼んだのだし、そもそも【カムイの民】の【天将】がユウを選んで指名したのは、ユウ自身が依代であったからだ。――おそらく、ユウ自身は気付いていないか、さほど重要視していないのだろうが。

 

 そっと左手を引き、溜息を吐く。その途端、朱金の双眸と目が合った。黄の色を帯びるのは陽属、あるいは大地に属するモノだ。――【黄龍】とも、近いだろう。

 

「『――祀りも無しに呼ばれるとは思わなんだぞ、小さき光の』」

 

「……直答を、」

 

「『許す。――龍が眠ったか』」

 

 問い、というよりも確認に近い声に、頭を垂れる。

 

「……煩いので、しばらく眠る、と。同胞に訊かれたなら、そう応えよと」

 

「『――――あれほどの神威も、その様か。龍が墜ちれば後は一気に崩れる。名も無き我如きに構う暇など無かろうに』」

 

 その言葉には、一体どう応えろと。応えようが無い切り方をしないで欲しいと思う。切実に。

 

「……龍の他に、お目覚めの方は」

 

「『鎖も楔も無く起きていたのは黄龍のみ。他は存在を維持する為に特定の民と繋がったか、自ら囚われたか、或いは眠りについた。――ふむ。では、ひとつだけ助言をやろう』」

 

 ユウの身体を動かし、軽く首を傾げて困ったように微笑んだ神霊は、そうして難題を吹っ掛けた。

 

「『とにかく、まずは『壁』から出よ。長くここに在れば我らは囚われよう。偶然か作為的にかは知らぬが、結界と同様の効能がある。――ではな』」

 

 ふ、とユウとはだいぶ印象の異なる笑みを残し、再び神霊は眠りについたらしい。瞼を閉ざしたユウを見つめ、思わず頭を抱えて息を吐く。

 

「…………面倒臭い、」

 

 とりあえず、ユウの体調がある程度でも回復したら、いったん『壁』から出る。それから対策を練ったうえで、改めて行動する。でないと貴重な神霊を封じられる可能性が出て来た。

 

「――というか、まさか」

 

 行方不明となっている【カムイ】も、実は眠ってしまっているのではないだろうか。万が一にもその原因が『壁』であった場合、おそらく【カムイの民】は総出で『壁』を破壊しに来るだろう。普段あの民は山岳地帯に籠っているが、いざともなればそれくらいやってのける。

 

「…………さっさと見つけて帰ろう、うん」

 

 結局、それが一番平和的な解決だろう。少なくとも、自分にとっては。

 

 

 

 

 





 サブタイトルは契絆想界詩です。なんか、契絆想界詩も何となく組み方が解かってきました。あれだ。こいつは構文じゃなく、単語が複雑なだけだったんだ、と。
 あとは、星語さえどうにか解析できれば……っ!!

 でもあれ、厳密には言語じゃないしなぁ……orz



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【Arma 03:rre fwal hymme anw ee fhyu.】


『翼は風を謳う』





 

 ほろほろと崩れるように金砂となって消えていくヒユウを眺めながら、その前に跪くカナギに衝撃を受けていた。

 壁の中には、跪く、頭を下げる、という習慣は無い。せいぜい、王族に対する時のみくらいだろう。上官に対しても、敬礼はするが頭は下げない。

 

 そのせいか、目の前のやり取りは非常に神聖な儀式に見えた。

 

 

 

【Arma 03:rre fwal hymme anw ee fhyu.】

 

 

 

 三ヶ月。

 それが、ヴォルフシュテイン卿と交わした調査期間だった。ただし、このうちの殆どは移動時間にとられる。実際の滞在期間は長くても半月だろう、と云われた。

 

「……まぁ、今回は諸事情があって、途中で裏技を使いますけど」

 

 軽く苦笑と共に言われたが、その内容は教えてもらえていない。――まぁ、こちら側には言えない、あるいは伝えようの無い方法なのだろう。たとえば、ヒユウが使っていたような移動方法だとか。

 

 エルヴィンは壁内に残るらしい。流石に3ヶ月も音信不通になるのは無理だと、そう言っていた。それに、自分がいればある程度の不都合は誤魔化せると。

 

 送り込まれる面々も、かなり絞られた。次の壁外調査に紛れて出発し、途中で選出した者だけが分かれて本当の『外』へ向かう。ついでにカナギからは決まり悪そうな顔で言われていたことがあった。

 

「……ヴォルフシュテインに、イルゼを置いて来てしまった。申し訳ない」

 

 どのタイミングだ、と思ったが、理解した。

 あの、ユウが化け物に攫われた日の昼間だ。たしかに、それ以降、イルゼ・ラングナーの姿を見ないと思っていたら、まさかそんなところにいようとは。というか、その時には一体どんな移動手段をとったのだろうか。――正攻法ではないのは察するが、それはあまり乱用していいものでも無いのではないか、とも思う。

 

 ユウとカナギはまだしばらく壁の中に残るらしい。主にユウの体調のせいだ。延命剤は投与したものの、それまでに無理をし過ぎていた為に熱を出して寝込むこと2日。主治医と化したカナギによってまだ数日安静にするように、というお達しが出たようである。

 その際、レイフォンが笑顔で『今度迎えに行きますね』とか言っていたが、――深く突っ込むのは止めにした。こいつらは妙な言動でこっちが混乱するのを見て楽しんでいる節があると知った為だ。それを教えてくれたのはカナギである。

 ちなみに、【狼呀】と【降魔】の距離感が近いのは普通のことなので、それ自体に深い意味は欠片も存在しない、とも教えられた。種族同士の相性とか、共生関係にあるとか、そういう話であるらしい。つまり、個人の努力ではどうにもならないレベルなので、慣れろ、と。

 

 そんなことを横目で眺めつつ、壁外調査の準備をすること5日。そうしてトロスト区から出発し、ひたすらシガンシナ区を目指し、走り続ける。シガンシナ区に入り、巨人どもを片付けながら最も外側に在る壁へと登った。

 

 最南端の壁の上。

 

 そこが、レイフォンに指定された場所である。

 ちなみにレイフォンもレンと共に同じように調査兵団に紛れてやってきたので、別に待ち合わせという訳では無い。

 

「――リヴァイ兵長」

 

 傍らに立つレイフォンに声を掛けられ、静かに顔を向ける。レイフォンは街を見下ろし、戦う兵士たちを眼下に見渡してから、こちらに深い色の眼差しを向け、そっとひそやかに問い掛けた。

 

「あなたは、あなたを信じ、ついて来る人間を、切り捨てることが出来るひとですか?」

 

 ――――何の問いだ。

 だが、そう思った反面、既に答えは察していた。

 おそらく、何かを――俺の意思だとか生き方だとか、そういうものを訊いているのだろう。

 

「――――俺は、背負うと決めている」

 

「省略した前半部分の方を聞きたいのですが――まぁ、いいでしょう。あなたは政治には向かない、紛うことなく、英雄として立てる人だ。どちらかと言うとダークヒーローっぽいですが」

 

「何が言いたいのかハッキリしろ」

 

「失礼。――英雄というのは、どこまでも孤独です。何故ならば、化け物と呼んで差し支えない力を持つ者が、人間に都合が良い方向性をもってその力を揮った場合に『英雄』と呼ばれるのですから。必要とされるうちはまだいいでしょうが、不要となれば、どうでしょうね。――――過去、そのような末路を辿った英雄は、存外多いものです」

 

 レイフォンは懐から剣の柄のようなものを取り出す。青い石のようなモノ。

 

「――これは、錬金鋼と言います。【降魔】のみが扱える武器です。これに勁を流し、復元鍵語を発することで武器の形にします。――――【restoration】」

 

 柄のような青い石――錬金鋼とか言うらしい――が蒼い光を孕んで融解するように伸び、剣の形となって再び固まった。一瞬、レイフォンの身体から薄青い陽炎のようなものが立ち昇った気がするが、気のせいだろうか。

 いや。それよりも、いま気にするべきは。

 

「――おい、まさか」

 

「もし貴方が残す人たちを気にするのなら、巨人だけは排除して行こうと思います。憂いを絶つために」

 

 いかがでしょう、と笑顔で言われ、思わず押し黙る。

 ――――正直、自分としては同じ土俵にいない人間に自分たちの役目を奪われるようで、あまりいい気分にはならない、という心境に近い。

 だが。

 それで、少しでも死傷者が減り、脅威が減るのなら、合理的に考えてこんなプライドはいらないのではないか、と思う瞬間があるのも事実だった。

 沈黙し、逡巡する。

 その様子を見ていたらしいレイフォンは、あろうことか軽やかに笑ってみせた。

 

「――その葛藤を、忘れてはいけませんよ。しかし、人を率いる立場にあるのなら、その葛藤を曝してもいけません」

 

「…………孤高であれ、とかって話をしたいのか?」

 

「まさか。――――僕と貴方は同じ土俵にいない。それを知りながら、貴方もエルヴィン団長も、僕たちに丸投げしたりはしなかった。きっと、本能的に感じていたのでしょう。それをして、巨人という脅威を取り除いても、今度は僕たち『外』の人間こそが貴方たちにとっての巨人に成り代わるだけであろうと」

 

 苦笑しながら告げられた言葉に、思わず深く嘆息した。

 空を仰げば、いつも通りに蒼く、広い。

 

「……お前らが、俺たちに気を使い過ぎているほど、使っているのが良くわかった」

 

 それはもう、神経質なほどに。慎重に、細心の注意を払って、考え考え、言葉も態度も選びながら、まるで何かに怯えるようにしながら、接してきているのだと。

 こいつらは、たぶん――優しいのだと。

 

「確かに、お前の言ったようなことも考えた。だが、それでも今の内地よりお前たちに丸投げした方が、一般市民にとっても俺たち兵士にとっても、最小の被害・損害ですむだろう、とも考えた。――迷ったのは、お前たちが巨人に代わる脅威となるかどうかじゃねぇ。それをしたら、俺たちは何かに屈したまま、二度と自分の足で立ち上がることが出来なくなるような気がしたからだ」

 

 隣に立つレイフォンの目を見て、しっかりと告げる。

 

「――俺たち『調査兵団』は、家畜の安寧を良しとしない。何故なら、俺たちが望むのは安寧では無く、自由の翼で羽ばたける大空と、広大な世界だからだ。――そして、お前たちは『外』から吹いてきた、願っても無い恰好の『風』だ。その『風』に乗れば、俺たちはもっと高く飛べるだろう?」

 

 その為にこそ、俺たちが、お前を利用するのだと。

 決して、お前らが危惧することは、起こらないのだと。

 万が一、その危惧が現実になろうと、それをお前たちが気に病む必要など無いのだと。

 そう、意思を込めて蒼い空のような双眸を見つめる。それを受けて、レイフォンはゆっくりと口角を上げて微笑んだ。――たぶん、こっちがレイフォン本来の笑みなのだろう。少し陰のある、けれどじんわりとした温もりを感じるような、木漏れ日のような微笑み方。

 幼いままではいられなかった、子供の微笑。

 

「――――訂正します。貴方は『英雄』では無い。良くも悪くも」

 

 どこか泣きだしそうな笑みでレイフォンは手にした剣を大きく振り払い、そうして眼下の街並み、戦う兵士、巨人を見渡す。

 

「きっと貴方は『銀の勇者』と云うほうが、よく似合う」

 

 そう言ってから苦笑を零し、そしてレイフォンは50メートルの壁上から一段降りるような気安さで、止める間もなく宙に一歩、足を踏み出した。

 

 

 

 





 デモンストレーションの幕開け。
 ちなみに、『銀の勇者』は白泉社の花とゆめコミックスから出ていたタイトル。全5巻で完結済み。というか、絶版のはず。



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【Arma 04:xO rre sarla oz rudje rawah/.】


『紅い華の詩』



 ……先に叫ばせて下さい。
 胃が痛ぇぇえええええええええええええええ!!

 ……失礼しました。
 はい。祝☆第一回地雷投入の回です。あれだけ躊躇っていたにも拘らず、「もうどうにでもなーれ☆」とか徹夜テンションというかとりあえずランナーズハイ☆なテンションは危険極まりないですねほんとにもう!!

 …………重ね重ね、失礼いたしました。





 

 

 一段降りるような気安さで50メートルもの壁上から飛び降りたレイフォンを見送り、思わず呼吸を止めて一拍、慌てて眼下にレイフォンの姿を探す。

 

 無事ではあるだろう。とんでもない間抜けでなければ。そして案の定、見つけた姿は兵士を捕まえた巨人の腕を切り落としたところだった。どうやら顔を見せる気は無いらしい。外套のフードを目深(まぶか)に被っている。

 

 その姿を見てとりあえず息を吐き、数歩後ろに佇んでいるレンに目を向けた。何故か、少女はここに残っている。

 

「お前は行かないのか」

 

「行かないわ。――もうすぐデモンストレーションが始まるのだもの。民衆の為に。そうでしょう?」

 

 最後の問いと同時に、空気から滲み出るようにして見知らぬ人影が顕れた。

 

 

 

【Arma 04:xO rre sarla rudje rawah/.】

 

 

 

 一瞬、ヒユウかとも思ったが、色彩を見てすぐに違うと判断する。

 紅蓮の髪に、夕陽のような赤い眸。煤けたように黒い肌に、白い襤褸布のような衣を纏っている。

 ふわり、と。音も無く降り立った男は何度か瞬くと、つい、とレンに視線を向けた。

 

「――メザーランス。ヴォルフシュテイン卿は」

 

「中で災獣相手に遊んでいるわ」

 

「……そうか。なら、丁度いい」

 

 そう言ってから、男はこちらにも視線を向ける。だが一瞥し、眼を細めただけですぐに視線を逸らした。街を見渡し、足元の壊れた門を見る。

 

「……一時的にだが、」

 

 男が声のみを向けて、問いかけて来た。

 

「閉ざして構わないか」

 

「――具体的には?」

 

「災獣は通れないが、人間は通過できる。見た目には何も無い。ただ『運良くしばらくの間、災獣がやって来ない』というように見えるかな」

 

「その心は?」

 

「単なるデモンストレーションの一環だ。民衆に解りやすく、単純明快にしたい。その為の舞台作りだ。――三ヶ月は維持しよう。この期間は、俺からの返礼だ」

 

 つまり、壁内に残る連中の安全も、ある程度は保証してくれる、と。

 

「――至れり尽くせりだな」

 

 思わず皮肉げに呟けば、男は少し振り向いて肩越しに視線を寄越した。

 

「返礼だと言った。これに関しては我が王からは渋い顔をされたくらいだ。非公式にヴォルフシュテイン王からは頭を下げられた。それに関しても我が王は頭を抱えたがな」

 

 ―――― 一瞬、言っている意味が解らなかった。が、次の瞬間には理解する。

 どうやらコイツは、ヴォルフシュテインの関係者では無いらしい。

 

「待て。お前は何処の――」

 

「サーヴォレイドだ。……少し離れていろ」

 

 ひたり、と歩いた足の音で、男が裸足であることに気付いた。というか、色々と言いたい格好である。身嗜みくらいはきちんとするのが常識だろう。

 思わず眉をひそめ、睨むように見つめた先で、男はそっと息を吐き、天を仰いだ。

 

 

『―― sYAnAsA ut Legions_SARWOLAID ag tYAhNkAtA du ahjeas /. 』

  レギオス・サーヴォレイドと同期し、承認を求める

 

 

 ぞわり、と。

 大気が動いた、ような気がした。

 何か、圧倒的な質量を持つモノが傍で動いたような、そんな感覚。だが、あたりを見渡しても何も無い。遥かな稜線、あるいは地平線まで見渡せる景色が広がっているだけ。

 

 

『 Zarathustra =>lAnNc.aA Lgions=SARWOLAID ag jLYNzAt cenjue hymme li hymmnos /. 』

ツァラトゥストラからレギオス・サーヴォレイドに接触。現行システムの書き換えを実行

 

 

 視線を男に戻し、ついでレンに目を向ける。レンは僅かに首を傾げた後、ややあって頷いた。

 

「――これは、『ヒュムノス』と呼ばれる言語。神性語のひとつね。――神霊は、神性語と音律で他の神霊とコミュニケーションをとるの。単語ひとつに込められる情報量がとても多いから、情報処理が追いつかない人間種が殆どなのだけど、その神霊同士のコミュニケーション方法を疑似成立させる為に作られたのが『ヒュムノス』だと云われているわ。――今では、古代の技術を使うために謳われることが殆どね」

 

「――これは、ユウが撃ったやつと同じなのか?」

 

「同じ技術を使用しているけれど、あのひとはユウとは違うわ。だって、あのひとは都市だもの」

 

「……とし?」

 

 思わず再び男を見やり、つま先から頭まで眺め、異色ではあるものの人間の形であることを確認する。後方から、小さく少女が笑う声が聞こえた。

 

「あのひとは残紅都市サーヴォレイドの意識体、とでも言えばわかるかしら。それでも理解が及ばないのなら、移動する都市の操縦者だとか、あるいは砲台の砲手だとか、そういう風に認識すればいいわ」

 

「……なんとか、理解した」

 

「来るわよ」

 

 その言葉に思わず胡乱げにレンを見る。風と戯れる少女は心底楽しそうに、軽やかに笑ってみせた。

 

「一介の【詩紡ぎ】とは比較にならない。存分に畏れ、伏すと良いわ」

 

 

『 Was ki wa enter_HYMMNOS/1x01 >> yehar Legions=SARWOLAID en xest Infel=Phira E05 > pat Zarathustra = ZzzIII YEE XIXA. 』

「(変数)ヒュムノス」をサーヴォレイドに入力。

 インフェル・ピラ イプシロン伍号機を経由、ツァラトゥストラへ解放せよ

 

 

 何かを唱える男の声が途絶えた、その一瞬の空隙。

 

「――構えて」

 

 軽やかに笑う少女が告げて、一拍。

 

 世界が、音に震えた。

 

 

EeeE bIIImMyyY Zam sbiiy yEm I EIE I EEY EE III EI YAaaAIIYA !!

 

 

 高々に謳われた最初のそれは、何故か慟哭であるように聞こえた。翼をもがれた鳥のような、あるいは罅割れた硝子のような、悲痛な叫び。

 それでいて――なおも、あたたかい。温もりの残滓が溶けた、黄昏のように。

 

 

xU rre wAwAjEnNcU dius sphaela sarla /.

 聴こえる■■の詩

 

xU rre kLYAvUn.rA Dyea hynne /.

 抗う■の聲

 

 

 突然降り注いだ声とも音ともつかない旋律に、眼下の兵士たちが狼狽えるのが見えた。エルヴィンの指揮で即座に持ち直しているようだが、動揺は拭えない。――自分は二度目と云うことと、すぐ傍にタイミングを告げてくれるレンがいるので混乱は無いが、エルヴィンは初めての筈だ。流石、としか言いようが無い。

 若干の混乱の中で、独りだけで鮮やかに巨人を狩り続ける影がひとつ。――確認するまでも無く、レイフォンだろう。他は少なくとも2、3人で斃している。

 

 

Rre echrra li mun en omnis ruy, rre chs 0 en 1 syec zaarn.

 其れは無にして全の■、0にして1の海

 

Ma zweie wa xest anw ciel.

 私は世界を■■する

 

xU rre sphaela cUzA zz raudl ciellenne /.

 ■■を形亡き■■へと変換する

 

Ma num wa cexm gatyunla.

 そして私は ■われた場所に立つ

 

 

 キシ、と氷が軋むような音が、唄に混じって耳に届いた。音源を捜し、足元の壁に開いた穴――かつては扉のあった場所からであるのに気付く。

 キシ、キシ、と断続的に続く微かな音は、だが徐々に大きくなっているようだった。

 

 

rre rudje kapa shwep en nille werllra.

 涙に似た■は甘く

 

van famfa - xO rre zess zLYAzYAxLYE /.- ware shellan.

 羽ばたいても - ■ってあげる - 硝子の中

 

 

 10メートル級の巨人が、その空間を通過しようとしていた。だが、何かに抵抗されているかのように、動きが鈍い。――例えるなら、向かい風に煽られているような。

 

 

hyear reen, rre teyys hymme spiritum.

 さあ 耳を澄ませ 魂が遺した響きに

 

 

 男は歌いながらその巨人を一瞥し、軽く片腕を振って見せた。一拍遅れて、ごとん、という音と共に巨人の首が地面に落ちる。

 あまりにも呆気ない結末に思わず瞠目し、男と巨人を交互に見た。

 男は、相変わらず歌い続けている。何事も無かったかのように。まるで、邪魔なものを排除しただけだと言わんばかりの態度。――いや、まさしく、その程度の認識なのだろう。

 

 

xU rre wOwAjEnNcU dius hynne /.

 聴こえるのは 神の■

 

xLAY rre lEnNcAaU arcursye fwillra /.

 繋ぐのは ■の欠片

 

 

 くい、と軽く袖を引かれ、レンを見る。レンは軽く微笑むと今し方、巨人が首を落とした門を指さした。

 

「――たぶん、あのひとの力なら、貴方も目視できるわ」

 

 何を、と思ったところで、男の詩が終端を迎える気配。とりあえず、質疑応答は後にしようと目を向けた先。

 

 

―― xO rre pakz du manaf cAzO dand /.

 我は生命を隔てる扉となる

 

 

 詩の終奏と共に、門があった空間を埋め尽くすかのように光の線が奔った。複雑な文様を光跡で描き、宙に図や文字らしきものが顕れる。数秒で消えたそれらは、しかし確実に何らかの効果を齎したのだろう。

 新たに入り込もうとする巨人は、その空間に足を踏み入れた瞬間、鋭い刃で断ち切られたかのように首を落とした。

 

「……何をした?」

 

「一時的に俺の領域とした。俺が許すもの以外は、通過できない」

 

 ゆったりと瞬き、男は吐息を零して向き直る。サラサラと、紅蓮の髪が風に揺れた。

 

「――――無理に通過しようとすれば、斬首だ」

 

「……人間はどうなんだ?」

 

 確認の意味を込めて、とりあえず訊いておく。この男は『俺が許すもの以外』と言った。つまり、実際の判定は『人間かどうか』ではなく、『巨人かどうか』でもない。『この男が許可するかどうか』という、完全に個人の任意である。

 案の定、少し言葉を選んだらしい男は腕を組み、顎に手をやって考える素振りを見せた。

 

「……――――とりあえず、今現在、壁の内側にいる人間については問題無い。『外』の人間については設定していないから反応しないし、問題は災獣が人間に化けている場合だが、これに反応すると面倒事になるから今回は見逃すようにした。とにかく、現状で反応するのは巨人などの災獣だけだ」

 

「――そうか」

 

 もっとも、それを信用できるかというと、また別の問題なのだが。

 そんな風に考えながら、再び眼下にレイフォンの姿を探そうとした、その矢先。

 外套を翻す音を立てて、レイフォンが壁上に戻って来た。降りて行った時とは違い、だいぶ血糊や砂埃といった汚れが目立つ。

 というか、この姿はわざとなのだろうか。彼の戦闘能力を顧みれば、この短時間でここまで薄汚れることは無い筈だ。であるならば、やはりわざとなのだろう。

 ――長い旅の中で、戦い続けて草臥(くたび)れたような。おそらくは、見る者にそのような印象を与えるための。

 

「――――レン」

 

 手にした錬金鋼を何の感慨も無く手放し、感情の窺えない声で少女を呼ぶ。カツン、と足元に落とした錬金鋼は色褪せ、細かい亀裂が走っていた。

 静かに歩み寄ったレンの頭に手を伸ばし、レイフォンはそっと藤色の髪を梳く。その髪をひと房すくい上げ、口付けを贈り、そっと囁くような声で命じた。

 

「――私に、剣を」

 

「……そんな顔しないで。あなたの役に立てて、嬉しいのよ?」

 

 軽く苦笑し、少女はヒトの形をほどいて風を纏う大剣へと姿を変える。陽光の下で見るその大剣は、緑青(ろくしょう)に煌き、宝剣と呼ぶ方が相応しいと感じた。

 

「――サーヴォレイド公、……」

 

「領域は閉じた。これ以上は増えない。仕上げはわかるな?――民が望む英雄譚の一幕を演じて魅せろ」

 

「…………ご助力、感謝いたします」

 

 僅かに首肯し、そして身を翻したレイフォンは再び壁上から身を躍らせた。

 

 

 

 

 





 …………実は、ハーメルン版『自由の向こう側』だと、ほんとに此処にしか出て来ないんですけど、タグ付けなくてもいいですかね?ダメですか?あ、はい。ルールがありますもんね、仕方ないですね、大丈夫ですよ。え?SAN値ですか?別に気にしないでください。順調に削られていってますが、無問題です。順調なので大丈夫です。

 もう、もう……っ

Rrha paks ga !!

 …………。

 ……うん。少し落ち着きました。
 今回の楽曲紹介です。
 参考楽曲は『隻眼のエデン』と『Recordare』に収録されてる『METACORTEX』と『空想活劇』収録の『silence』です。ヒュムノス化した歌詞の参考にさせて頂きました。
 いくつか諸事情により、ヒュムノサーバーに存在しない単語がありますが、それはヒュムノスとは別の架空言語から引っ張って来た単語であるか、創作した単語です。該当単語が無かったか、語感が合わなかったか、ニュアンスが違うかしたやつですね。

 どれなのかが分かった人は、間違いなくヒュムノスクラスタだと思います。





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【Loar 01:fhyu porter viega】



『風纏う剣』





 

 ふわり、と風に包まれる感覚。

 思わず笑みを零せば、レンが不思議そうな声を向けた。

 

『……なに?』

 

「うん。――レンがいた方が、戦いやすいなって」

 

 言いながら剣を横薙ぎに振るい、目の前にいた巨人のうなじを削ぎ落とす。一閃で可能なのは、レンの持つ風を操る能力が大きい。なんというか――手間は省けるので楽ではある。

 だが、それに乗りかかるつもりは無い。

 戦場を確認する。高い尖塔に立ち、視界に入る巨人の数は10体。正確には小型のものも含めればそれ以上になるだろう。

 既にある程度の露払いは済んでいる。もう少ししたら、仕上げに入っても良いだろう。

 だが――――それでは、少し弱い気がする。

 

「……レン。もしかして、ヴォルフシュテインの距離って」

 

『もしかしなくても、近いわ。――サーヴォレイド公が此処にいるのだから、わかるでしょう?』

 

 そう。ステルス系のシステムで『何もない』ように見せているが、実のところは壁のすぐ外にはサーヴォレイドが来ている。違う都市とはいえ【剣守】である自分にしてみれば、あの無数の【降魔】や【宝玉珠】たちの気配は間違えようがない。

 そもそも、向こうは物見遊山気分でこちらを眺めているのだから、気付くなと言う方が無理なのだ。

 

「……視線が痛い」

 

『それだけ期待されている、と言うことね』

 

「期待しているのは英雄譚であって、俺じゃないよ」

 

『それでも、『あの』【剣守】が壁の中の人々を怯えさせないように、実力をセーブしたうえで戦ってる最中にアクシデントが発生。どうしようもなくて、一瞬の逡巡の後、迷いを振り切って実力を発揮。影のある微笑と共に退場――――ほら、民衆が好みそうな悲劇の英雄の完成よ』

 

「――うわぁ……」

 

 いや。まさしくそんな感じの筋書ではあるのだが。

 

『距離があっても、あなたの勁自体は感知されているだろうし。その強弱と移動の仕方で戦場状態も把握されていると思うわ。――第一、派手なことをしないと、『3ヶ月も出奔した』という事実につり合わないのよ』

 

「うん。――結局、それなんだよね……」

 

 【降魔】の中でも最強の一角とされている『あの』【剣守】が、『自らの都市を3ヶ月も離れて追跡したうえで、ようやく追い詰めた』という状況でなければならないのだ。

 だが、追い詰めるべき相手など既に無い。そのあたりの『役者』も用意はされていると思う。先ほどからチラチラと、妙な勁の残滓があることには気が付いていた。

 これは、まずは『潜伏している【敵】を探し出せ』ということだろう。それも巨人を掃除しつつ、兵士を手助けしつつも、彼らには出来る限り関わらないようにしながら。

 

「……こんな難易度が高い任務は久々だね」

 

『あら。――でもそれを鮮やかにこなしてみせるのがレイフォンでしょう? ヴォルフシュテイン卿?』

 

 そうだね、と応えて笑う。

 正直――――楽しめそうだ、と思ったことも否定できないのだから。

 

 

 

【Loar 01:fhyu porter viega】

 

 

 

 巨人を掃討しつつ、目的の気配の主を探す。そしてその相手はいとも容易く見つけることが出来た。

 屋根の上に立ち、他の兵士に指示を出しているエルヴィンが立つ場所からほど近い、尖塔の影。

 その影に佇む人物を確認してから、ふわりとエルヴィンの隣に降り立つ。

 傍にいた兵士が騒ぎ出す前に、気付いたエルヴィンから歩み寄ってくれた。

 

「――助力、感謝する」

 

「いえ。――そういうお約束でしたし」

 

 改めて外套のフードを深く被り直し、微かに苦笑する。

 エルヴィンもそれに軽く笑み、しかし全身の汚れ具合を見て僅かに眼光を強めた。

 

「――しかし、ずいぶんと働かせてしまったようだ」

 

「これは気にしないで下さい。こちらも、本調子とは言い難いので」

 

 言いかけ、そして『敵』が動く気配。しかも狙いは自分では無い。咄嗟にエルヴィンの腕を引いて自分と場所を入れ替える。首目がけて飛んできた鋼糸に腕を出して庇い、引かれる前に手にしたレンの剣で断ち切った。そのまま『敵』を追おうとして、一瞬迷う。

 

「――――レン」

 

 剣を手放し、ヒトの形へと戻ったレンを残して屋根を跳び移る。――レンがいれば、再度エルヴィンに迷惑を掛けることは無いだろう。

 背後でエルヴィンが引き留める声を聞いた気がするが、その辺はレンがどうにかしてくれる。

 

(――さて、)

 

 武器は無い。

 だが、自分は【剣守】にまで登った【降魔】である。

 全身に勁を流し、さらに溢れる勁を練り上げ、純度と密度を上げていく。いつも手にする錬金鋼の剣が、今もこの手に在るようなイメージで勁を形作れば、そこにはイメージ通りの剣の形となった勁の塊があった。

 これを見せた時、他の【剣守】には呆れられ、次いで大爆笑されたのだ。

 どうも自分の持つ勁量は、他の【剣守】からしても抜きん出ている化け物であるらしい。そして、そんな量の勁を全身で受け止め、かつ誘導してくれているのは【天剣】である。そうでなければ、自分の勁量はいつ暴発してもおかしくないものなのだ。

 故に――今のこの行動は、自分を知る者からすれば、はっきりと『自暴自棄』や『怒り狂っている』状態だと目に映るだろう。

 もしかすると、近くにいるサーヴォレイドの【剣守】が【天剣】とセットで出撃してくるかもしれない。

 

 ――――だが、悪いがその介入は許さない。

 

 それをさせると、サーヴォレイドに対する借りが洒落にならなくなるのだ。本当に。

 

 建物の影に見つけた人影を確認し、その人影の後方20メートルほど向こうにいる巨人に向かって溜め込み、剣を模った勁ごと投げつけるようにして放つ。

 

 剣を模った勁は巨人に触れると、凄まじい爆発と共に爆風となって街中を駆け抜けた。

 

 数瞬後、建物の影に入ってそれをやり過ごしたらしい『敵』に視線を向け、僅かに目礼すれば嘆息と共に建物の影から影へと移動し、あっさりと姿を隠す。

 

 とりあえず、今ので『ヴォルフシュテイン卿が3ヶ月掛けて追って来た反逆者は死亡した』で通るだろう。

 では、次こそ仕上げだ。

 

 ふと。

 

 再び別の巨人が歩いて来るのを見つけた。その視線が通りひとつ向こうにある尖塔の影に固定されているのを見て、咄嗟に走り出す。

 案の定、その尖塔の影にある2つの人影を認め、それに手を伸ばす巨人に舌打ちする。兵士らしき人影は巨人に気付いているものの、動かない。――どうやら、1人は足を負傷しているらしい。

 走りながら勁を練り上げ、先ほどと同じ要領で勁に形を与える。異なるのは、形。剣では僅かに間に合わない。イメージするのは剣では無く、弓。

 一度立ち止まり、手に顕れた弓を引く。同じく勁で作った矢を番え、足の腱に狙いを定めて放った。同時に再び走り出し、弓を剣の形へと変える。――正直、これは使うのに神経を使うから、あまり長時間は使いたくない。武器が無い時には重宝するが、利点と言えばそれくらいだ。

 

 矢を受けた巨人は片足の腱を傷付けられたことでバランスを崩し、尖塔に向かって倒れる。先ほどの爆風を受けて脆くなっていたらしい尖塔は、巨人を支えられずにあっさりと崩落し始めた。

 

「――――っ……!!」

 

 練り上げた勁の剣を手放し拡散させる。瓦礫の雨が降り注ぐ中、空いた両手で2人の兵士を無理やり抱え上げて高く跳躍した。活勁で膂力を強化しているお蔭で、特に苦も無く向かいの建物の屋根へと着地する。

 抱えた兵士を降ろそうと身を屈めれば、微かな音を立てて紅い雫が滴り落ちた。こめかみを通り、頬を伝ったらしいその血に、どうやら瓦礫で運悪く頭部を負傷したらしいことを知る。降ろした2人の内、少女の方は意識もはっきりしているらしく、しきりと謝罪と礼を述べていた。

 だが正直、今はそれに応じる余裕が無い。

 

(――本当に、運悪いなぁ……)

 

 頭がくらくらするし、視界も眩む。頭を打ったのだから当然と言えばそうなのだが、はっきり言って運が無い。――まぁ、凱旋後に倒れてしまえば、真実味も増すだろうか。

 

 ふらり、と足を踏み出し、兵士から距離を取る。背後から慌てて引き留めるような声が聞こえたが、重ねて言うが余裕が無い。何より、これ以上延ばすとタイミング的におかしくなる。

 

 ――あくまでもこれは、【流砂の民】に見せるための、デモンストレーションなのだから。

 

 

「――sYAnAsA ut EREMENTAR=GERAD _WOLFSHTEIN ag tAhAkAtA du ahjeas/. 」

 ヴォルフシュテインと同調し、承認を求める

 

 

『―――――― wAwUjEnNcU ag ahjeas/. 』

 承認完了 共鳴開始

 

 

 壁の向こう、姿を隠すサーヴォレイドの更に向こうから、自らの都市の応えが空に響いた。その懐かしさに思わず微笑みを零し、遙か地平を見晴るかして左手を差し伸べる。

 

 

「―― Legions_WOLFSHTEIN parge EREMENTAR=GERAD_WOLFSHTEIN ag yAzLYEtN nha/. 」

 レギオスから【天剣】を此処へ召喚する

 

 

『―――― ahjeas ag jAzAtN /. Tasyue rawah hLYAmYAmErLYE manaf/. 』

 承認しました 実行します     謳う命の花を捧げなさい

 

 

 応えが響いた瞬間、視界は極光に塗り潰された。

 

 

 

 

 






 さて。
 次はヒュムノスをどうにか組み直さなければ……。




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【Loar 02:xA rre vega hYAmNmErA lusye ayulsa/.】



『此処に永久の光を謳う』





 

 

『――――sYAnAsA ut EREMENTAR=GERAD _WOLFSHTEIN ag tAhAkAtA du ahjeas/. 』

  ヴォルフシュテインと同調し、承認を求める

 

 

 遠く異国の地から届いた声に、閉ざしていた瞼をそっと開いた。

 

 自律型移動都市――レギオス・ヴォルフシュテインの地下深く、駆動機関が立てる音のみが僅かな振動となって床を揺らし、薄く湛えられた水が微かに波打つ。

 

 本来は闇に鎖されたように暗い部屋で薄らとでも視界が利くのは、床に幾何学的な文様を描いて填め込まれた唄石が仄かな輝きを発している為だ。線と線が複雑に交差し、絡まり、並行して描かれたそれは、知る者が見れば一見で魔法陣のようだと云うだろう。事実、半分は魔術的な術式であり、もう半分はかつてあった高度文明が生んだ科学的な式でもあった。そして、この場においては純粋に動力の回路でもある。

 

 

【―― wAwUjEnNcU ag ahjeas/. 】

  承認完了 共鳴開始

 

『 Legions_WOLFSHTEIN parge EREMENTAR=GERAD_WOLFSHTEIN ag yAzLYEtN nha/. 』

 レギオスから【天剣】を此処へ召喚する

 

 

「――――え、」

 

 思わず、声を零した。

 原則的に、自分たち【天剣】は都市から離れることは出来ない。都市の意識としての役割が与えられているのだから、当然だ。正確には、都市の外周から3kmほどなら離れることも可能だし、もしそこに他の都市を経由するならば、距離を延ばすことも可能ではある。

 だが、それをするには煩雑な承認手続きが必要なうえ、要請した側が負担を負う――というよりも、都市の動力源に等しい【天剣】の代わりに動力を提供しなければならない。この動力とはレイフォンの場合なら勁か生命力か、あるいは詩魔法サーバー法式に則って想力――想いの力である。いずれにせよ、リスクの方が高い。

 にも拘らず、自らの【剣守】は【天剣】の召喚を要請した。

 

 

【―― ahjeas ag jAzAtN /. Tasyue rawah hLYAmYAmErLYE manaf/. 】

  承認しました 実行します  謳う命の花を捧げなさい

 

 

 そして都市のシステムはあっさりと承認した。しかし、やはり規定通りに代替動力を要求している。

 ――――だが。

 ふと、自らの【剣守】が、小さく微笑んだ気がした。

 

「――レイフォン……」

 

 思わず嘆息し目を瞑り、顔を伏せて逡巡する。

 だがすぐに苦笑して顔を上げた。答えなど、初めから判りきっている。

 

「……本当に、お前は時々、無茶をする。だが、それが悪いとは思わない。――――希みを謳え。私はそれに応えよう」

 

 その声に応じるように、床に描かれた式陣が輝きを強くした。

 

 

 

 

【Loar 02:xA rre vega hYAmNmErA lusye ayulsa/.】

 

 

 

 

 

『―― ahjeas ag jAzAtN /. Tasyue rawah hLYAmYAmErLYE manaf/. 』

  承認しました 実行します  謳う命の花を捧げなさい

 

 

 返る応えと共に、視界に光り輝く式陣が無数に展開される。

 

(――これ、他の人には見えてるのかな?)

 

 巨大な式陣は【剣守】になる前にも、何度か都市の上空に展開された瞬間を見たことがあった。だから、そういった莫大な力を要求されるような巨大なものについては、万人に見えるのだと思う。

 だが、こういったひとつひとつはさほど大きくは無い、消費導力も少ない式陣についてはどうなのだろう、と考えることがある。

 わざわざ確認するような事でもないので、実は聞いたことは無いのだが。ただ、個人差があるような反応は何度か見ているので、そういうことなのだろう。

 

 とりあえず、この無数の式陣を望む結果を得られる配置に動かさなければならないし、その為には一部を編み直したりしなければならない。そしてその作業を大幅に短縮することが可能なのが、謳うことだった。

 そもそも、歌というのは多大な情報が複雑に絡み合って出来ている。単純に考えても一度の動作で『旋律』という情報と『言葉』という情報が互いを補足し合いながら展開するのだ。しかも旋律も言葉も、更に『言葉としての意味』と『音に込められるニュアンス』という要素に分けられる。これだけで単純に計算しても4倍ほど情報処理の効率が上がる。これを使おうと考えた人は間違いなく天才だと云われただろう。――あるいは、旧時代には当たり前の技術だったのだろうか。

 

 一度息を吐き、とりあえず謳うことにして自分の勁脈に意識を向ける。――この瞬間、自分の勁量が同胞の中でも異常だと云われるほどのものであることに感謝した。お蔭で誰にも、何にも犠牲を強いずに済む。

 

 

「―― xA rre vega hYAmNmErA lusye ayulsa, yanje, yeeel, ag etealune/. 」

  此処に永久の光を謳う  遠く 遥く いつまでも

 

 

 言葉と同時に、練り、留め、溜め込んだ勁をいっきに解き放った。

 特に方向性を持たせた訳でもない、ただ撒き散らしたに等しい勁は波紋のように周囲に広がり、街の上空を静かに覆ってゆく。

 

 ――――都市の意識である【天剣】を都市外に呼び出す方法は、意外にも多いと先達であるサーヴォレイドの【剣守】から聞いていた。それに、自律型移動都市としての機能を殆ど稼働させていない状況であるならば、実は煩雑な手続きはいらないのではないかと踏んでいる。

 要は、問題なのは『自律型移動都市を稼働させるエネルギー』なのだ。ならば、自律型移動都市を一時的に停止させてしまえばいい。実際、ここしばらくヴォルフシュテインは停止状態だったのだから、いま再び停止状態になろうが今更である。ついでに、先達の【剣守】から聞きかじった方法でも試してみよう。ぶっつけ本番なのはいつもの事だ。まずいと思ったら即座にキャンセルすればいい。

 

 

「xA rre jAzAtN cenjue hymme li hymmnos/. 」

  現行システムの書き換えを実行

 

『―― ahjeas /. jAzAtN cenjue hymme li hymmnos/. 』

  承認しました 現行システムの書き換えを実行します

 

「xA rre vega tArAmA nille Legions_sphaela/. 」

  此処にレギオス独界を疑似展開

 

『 Legions_WOLFSHTEIN = > lAnNcAaA EREMENTAR=GERAD_WOLFSHTEIN/. 』

  レギオス・ヴォルフシュテインから【天剣】ヴォルフシュテインへ接触

 

「xA rre Legions_WOLFSHTEIN parge EREMENTAR=GERAD ag yAzLYEtN nha/.」

  レギオス・ヴォルフシュテインから【天剣】を切り離し、召喚する

 

『 jAzNtU zz lAnNcUaA/. 』

 切り離しを実行します

 

 

 空を割るように、七色の揺らめき――オーロラが顕れた。

 差し出した左手の先に、頭上の極光から雪のように舞い落ちて来た光の粒子が集う。やがて人間と同じサイズにまでなったその光の中から、一人の青年が顕れた。

 気軽に一歩踏み出したように現れた青年の背後で、光が閉じるように消える。当たり前にレイフォンの手を取っていた青年は軽く微笑み、しかし何処かあきれた様子で溜息を零した。

 駆け抜けた一陣の風に、青年の長い黒銀の髪が翻る。

 

「――まったく。我が守ながら、あきれた勁量だ」

 

「その勁量を受け止めて平然とするあなたには言われたくないよ、劉黒」

 

「――そうか」

 

 ひとしきり笑いを堪えると満足したのか、すい、と左手を持ち上げ、青年は軽く手の甲に口付けた。

 珍しいな、と思う。【天剣】である彼が、こう、儀式以外で口付けと云うか、祝福を贈るのは珍しい。もしかすると、本当に心配させてしまったのかもしれない。

 というか、心配するべきなのは、こっちだと思う。

 

「――――劉黒は身体、もう大丈夫?」

 

「特に支障は無い。――大丈夫だから出て来たんだ。心配するな」

 

 それより、と劉黒は笑う。どこか幸せそうに日向ぼっこしている猫を思わせた。

 

「我が守よ。お前の希みは?」

 

「この場の災獣の一掃を」

 

 ふふ、と目を細めて【天剣】はわらう。

 ならば、と彼は詠うように続けた。

 

「共に謳い、叶えよう。――――災獣を屠る、その為に。我らは残り、響き渡ることを選んだのだから」

 

 

 

 






 視点が違うと、各キャラの持つ情報に差異があるのが浮き彫りになります。それで混乱させてしまったら申し訳ない、と思いながらも、もうどうしようもない。


 今回の架空言語は『新約パスタリエ』のみです。
 最速ヒュムノス。システム処理なら『新約パスタリエ』が最速です。が、特定のサーバーでしか使えないのが難点といえば難点。まぁ、この言語はサーバー処理前提の言語なので、致し方無し。


 あと、劉黒さんは神霊としては……実はあんまり強くないです(爆)



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【Loar 03:xLYE rre lusye zarle zess d.n/.】


『光は踊るように降り注ぐ』





 

 

「――望むのならば、その望みを謳い上げよ。それが魂からの渇望ならば、必ず叶う」

 

 呟かれた言葉に、思わず隣の男を見た。紅い髪を風に揺らしながら、男はレイフォンがいるであろうあたりを見つめている。

 

「……旧時代の言葉だ。旧世界は祈りや願いを込めた詩によって成り立っていた時代がある」

 

 まぁ、応える神霊も多かっただろう、と呟き、ふと視線をこちらに向けた。

 

「――見てみるか?」

 

「見る?」

 

 何を、と言い続けようとしたところで、男の足下から光跡が広がった。やけに複雑な紋様が連なる図形――あるいは、紋章のような光。

 

「――見えるか?」

 

 相変わらず主語を欠いた言葉に思わず胡乱げな目を向け――男の向こう、蒼穹に広がった複雑な光跡の紋様に目と言葉を奪われた。

 七色に移り変わり、揺らめくそれは、シガンシナ区の上空を覆うほどに広大で、しかも細かい。

 

「――あれは式だ。3割は化学式に準じている。あとは旋律式とプログラミング――機械言語と、数式と魔術式と言ったところか。まぁ、あそこまで巨大なモノは、人間には扱い切れないのが普通だ」

 

「…………つまり、計算式、ということか?」

 

「一言で片付ければ、そうだ。ついでにアレを発現・維持・発動させるのには相当のエネルギーが必要となる。まったく……ヴォルフシュテインも良くやる」

 

 最後の言葉は心底からだったのだろう。深く嘆息し、男は再び沈黙した。

 

 

 

 

【Loar 03:xLYE rre lusye zarle zess d.n/.】

 

 

 

 

「【――極光(ひかり)() 架け継ぐ深宙(ミソラ)に 契り籠ん】」

 

 ほろり、と劉黒の姿が崩れるように光の粒子となり、別の形となって再び集束する。

 現れたのはレンのような大剣では無く、細身の片刃。刀身に波打つ波紋が微かに光を虹色に反射する。

 カタナ、と呼ばれる剣。

 自分が修めた武術がカタナを扱う流派だったから劉黒にもこの形を取ってもらっているが、劉黒自身は防御術式に特化している。――もっとも、どうやら戦闘行為に苦手意識を持っているだけで、戦闘自体が苦手である訳では無いらしい。

 

『――いつもの通り、私が術式主導で良いのか?』

 

「俺じゃ劉黒みたいに正確な式は組めないよ。とりあえず、いつも通り勁量と目の前の敵には集中するから、術式はよろしく。――勁が足りなければ、」

 

 途中で言葉を切り、目の前を通り過ぎようとする巨人の首を刈る。

 とりあえず、劉黒の術式が発動するまで露払いしつつ待てばいい。巨人を斬撃で斃せるかどうかは二の次で、足止めさえ叶えばそれで良かった。

 

「――――最悪、ヴォルフシュテインに残ってる部下たちが用意してくれる」

 

『ふむ。――ああ、レイフォン。王から伝言だ。「あなたの事だから忘れていそうなのでもう一度言います。帰還は凱旋です。対応するための心の準備は済ませておくように」だそうだ』

 

「…………そうだったね、そういえば」

 

 忘れていたというより、考えないようにしていた訳だが。

 本当に、苦手なのだ。というか疲れる。精神的疲労が半端無い。あれか。都市入口から王宮までパレード状態になるのか。それは、心の底から嫌だ。

 

(――劉黒。俺、たぶん王宮まで辿り着いたら倒れるから。王宮までは頑張るけど、それ以上はもう無理だから)

 

 そう思ったが、絶対に顔にも態度にも出さない。出せば最後、もっと面倒なことになる。具体的にいえば、倒れるタイミングを失うことになりかねない。それは、ちょっと遠慮したい。退場できないということは、その後ほかの貴族や有力者からの無駄な面談が入るということに他ならず、普段なら受けても良いが、こっちは先ほどの負傷が痛むのだから出来れば遠慮しておきたい。

 

「――とりあえず、それもいつも通りだね。なんとか乗り切るから、乗り切ったらあとはよろしく」

 

 応えは聞かずに走り出した。助走をつけて跳躍し、眼下の通りにいた小型の巨人を2体、まとめて勁の斬撃でもって一閃で圧し潰す。

 微かに呆れたように息を吐く気配。一拍後、気を取り直したのか、劉黒が意識を切り替えたのがわかった。

 

 

―――― sawul fffam tecasa sssy

 感じる あなたの哀しみを

 

sawrb fffam tecasa sssy

 感じる 世界の哀しみを

 

 

 劉黒の謳う詩を聴きながらも走る足は止めず、目についた巨人に足止め目的の一撃を加えて通り過ぎる。先ほどレンを残した場所に戻り、右手を差し出しながら叫んだ。

 

「――レン!!」

 

 エルヴィンの隣で佇んでいたレンは微笑み、とん、と軽く屋根を蹴って風に乗り、ふわりと両手を差し出した右手に添えて舞い降りる。

 

 

YIx tIirs fawEE LAas tIi lex hyummnos

 光よ 聖なる力よ 我が詩を以って 護りと成せ

 

sss illm baars meevax yearh leee

 それだけが 私にできる唯一のこと

 

 

「――【天剣】の術式って、相変わらず大掛かりね」

 

「それは構わない。勁は足りるから。――それより、レン。力をかして」

 

「呆れた。――――でも、風くらいなら、いつでも使うわ」

 

「助かる。少しの間、巨人の動きを止めたい。頼む」

 

 しょうがない子ね、と言ってレンは笑う。

ざわり、と風が周りを逆巻き、大気が渦巻くのがわかった。

 

 

SAax tIirs fawEE LAas tIi raYEE

 我が心の聖なる願いよ 護りとなりて全てを救いたまえ

 

SAax tIirs fawEE XAarS tIi VaYEE

 全てを護りて 生なる喜びを与えたまえ

 

TiS tEna Yto tAA tII na Stu TTTT

 光よ 弱き心に力を 全てを祓う聖なる力を 全てを救う愛の力を与えたまえ

 

 

 

 耳を澄まし、劉黒の詩に合わせて口遊む。

 レンも心得たように笑み、合わせるように唱えた。

 

「【――Was ki erra faja yuez.】」

貴方と共に歩みましょう

 

「【Was granme erra chs sos yor.】」

そのために私は在る

 

 

「【――fam-ne wa-fen-ny rei-yah-ea; 】」

遥か世界まで届くように…

 

 

 轟、と音を立ててレンを中心に大気が渦巻いた。

 何人かの兵士が飛ばされていたが、肉体的な心配はしない。間違ってでも死なせたりすれば、確実に劉黒が塞ぎ込むからだ。劉黒がそうなることが判っているのから、とりあえずレンは風を操って飛ばされた兵士も怪我などしないようにするだろう。――飛ばされた精神的なショックとかは、どうにも出来ないが。

 とりあえず、この風圧では巨人もまともには動けないようで、ひとまずは安心する。これ以上、不用意な犠牲は出さなくてすむだろう。

 思わず息を吐いたところで、ズキズキと痛みを訴える頭を軽く押さえた。レンから物言いたげな視線が向けられるが、今はこれに関して問答する時では無い。小さく微笑み、言外に心配するな、と伝える。

 

 

YIx tIirs fawEE LAas tIi raYEE

 光よ 聖なる力よ 護りとなりて全てを救いたまえ

 

SAax tIirs fawEE XAarS tIi VaYEE

 全てを護りて 生なる喜びを与えたまえ

 

E I eeeiiio cet tetyio I yA hyea

 大いなる聖なる力 全てを包む愛の力

 

E I eeeiiio cet tetyio I Yyy AAA

 邪は打ち消され 光は万物を満たす

 

 

 頭上の空で、雲が吹き払われ、大きくひとつの式陣が展開された。街ひとつ覆うほど巨大なそれに、思わず安堵の息を吐く。

 ここまでくれば、とりあえず問題無く発動するはずだ。

 

 

Xa iEi AaaA IYA

 大いなる愛が 満ち溢れるよう

 

 

 上空の陣とは別に、地上にも無数に大小様々な陣が展開される。ざっと見ただけでも50程だろうか。そして発動するモノを察しているだけに、その展開した陣の数がそのまま巨人の数であることも知っていた。

 上空の陣がエネルギー砲の砲口だとすれば、地上の陣は標的を定める照準のようなもの。この照準を合わせるために、レンに風を操ってもらい、巨人の動きを封じたのだから。

 

「……まぁ、まだ個別に狙うだけマシだよね」

 

 思わず呟いた言葉に、レンは小さく首を傾けた。

 

「――それ、2年前の疑似戦争のこと?」

 

「うん、それ。――あの時は完全に人狙いじゃなくて都市を潰しに掛かったから。あれに比べれば可愛いものだと思うんだけど……」

 

 どうかな、と言ってみた自分に、レンは首を振って嘆息してみせる。――いや、実のところ自分でも五十歩百歩だと思うんだけど。

 

「――都市全域を間合いとするなら、それはもうどんな内容でも変わらないと思う」

 

 うん。知ってた。わかってる。――本当に。だからこそ、【剣守】は同胞であるはずの【降魔】の中でも畏敬の対象なんだから。

 

 

Zan stimyni ipy EiE

 神よ慈悲を 弱きものを赦し 正しき光の下へ

 

 

 頭上の陣がいっそう強く七色に輝いた。2年前と違って狙いを固定化しているから、たぶん、矢が降ってくるような発動の仕方をするのだろう。

 

 

yerh zecta ferx cafeb maarb itt sss

 愛しい世界を守りたい

 

SAax tIirs fawEE rAE StIyn raYEE !!

 想いに宿りし我が使命よ 全てを解き放て!

 

 式陣は弾けるように砕け、そして案の定、砕けた欠片が光の矢となって、地上の式陣に囚われた巨人に雨の如く降り注いだ。

 

 

 

 

 





 今回は大部分を『EXEC_FLIP_ARPHAGE/.』から引用しました。イメージが近すぎて……どうやっても新たに自力で紡ぐことが出来なかった、という敗北宣言をさせて頂きます。

 それにしても、この歌詞……星語なのか律史前月読なのか。いや。たぶん律史前寄りではあるのは解かるんですが、むしろ志方さんの律史前がこれだけ……?それで検証しづらいのだろうか……。律史前月読といえばシモツキンこと霜月はるかさんの印象が強いですし。

 どなたか、星語と律史前月読の解析方法を教えてください。え?ひたすら歌詞と資料集と睨めっこ? ですよねー……。星語構築のセンスが欲しい今日この頃。




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【隠章:rre rana walasye anw sabl gatyunla.】



『砂漠を流れる民』




※『将国のアルタイル』投入。
※自律型移動都市の足元を移動して暮らす民の視点。





 

 金髪の少年が王宮から戻って来たのを見て、レギオスの足下で生活するキャラバンや流民、騎馬の民は揃って仕事の手を休め、少年の顔を窺った。

 

 少年は軽く笑うと、おそらくは同胞が危惧しているモノを払拭する為に口を開く。

 

「ヴォルフシュテイン王から正式な依頼です」

 

 さわり、と同胞たちの空気が揺れる。今まで極秘裏に依頼を受けることはあったが、正式な依頼となると、滅多に無い。

 キャラバンの代表者が何か言いたげに口を開きかけたが、生憎とある意味で『正式な依頼』以上に厄介なものも預かっているのだ。

 

「併せて、同じ内容をサーヴォレイド王から『お願い』されました。――いえ、まぁ……実際には『頼めないか?』という言い方でしたけれど」

 

 正直、ヴォルフシュテイン王の人となりとか性格的には、『正式に依頼』するのは意外でも無ければ、衝撃的な事でも無い。周りのごくごく一部の腐敗した貴族どもが何か言ったとしても、しれっと躱したり流したり、反撃したり出来る人物なので、特に問題は無い。単純に、レギオスの足下に暮らす民に正式な依頼をするのが『レギオスの王としては』破格的に珍しい、という程度である。わざわざ自分たちに依頼などしなくても、基本的に自分たちで解決できるのだから当然だろう。

 だが、しかし。

 流石にサーヴォレイド王の『お願い』を受けることになるとは思わなかった。

 というか第一、何故サーヴォレイド王がヴォルフシュテイン王の執務室で歓談しているのか。今更ながら思い返しても胃が痛くなる。不意打ちと云うより奇襲を受けたような心境だ。

 

 正直、ヴォルフシュテイン王の第一印象で最も多いのが『地味』であろうと思われる。それは外見もそうだし、立ち振舞いや言葉の端々からもそういう印象を受け取るだろう。――まぁ、『地味』であるだけで、決して油断できない人物でもあるが。

 対して、サーヴォレイド王は老若男女、誰がどこからどう見ても、確実に『いい男』だと認識される容姿である。それがどんな感情を伴うモノかはさて置き、とりあえず第一印象としては『背が高い』『精悍な顔立ち』『少しキケンな香りがする』『飄々としているが油断ならない』等々の評価を受けるだろう。

 そんなサーヴォレイド王からの『お願い』は、なぜか非常に断り辛い。

 精悍な顔にどこか愛嬌のある笑みを浮かべ、軽く首を傾げて『頼めないか?』と。言ってしまえばただこれだけのことではあるが、何故か、本当に断り難い。

 つまり、サーヴォレイド王は老若男女関わらず、大抵の人には『非常に魅力的』に見えるということである。それは人間としての器量であったり、政治能力だったりと色々だが、一般的に広く知られている話のひとつは『サーヴォレイド王はそこらの【降魔】よりも強い』というものだ。

 事実、非常に強い。勁脈は無いのだから純人間種なのは間違いないのだが、純人間種としては破格的に強い。好戦的な性格ではないし、どちらかというと地雷さえ踏まなければ穏やか――というか、厭世的な雰囲気すら漂わせる人物ではあるが、自ら災獣を退けた、などという逸話も伝わっている。

 それについてサーヴォレイドの【天剣】と【剣守】が頭を抱えている、という話が流れた時期もあり、丁度その時期に何度か他の都市と接触している時間が延びていたので間違ってはいないのだろう。おそらく、他の同胞に愚痴っていたに違いない、ということになっていた。

 

 そこまでで一度思考を切り、ふと息を吐いて周りに集まって来たそれぞれの代表者を見て軽く苦笑してみせた。

 

「――正式な依頼と言っても、難しいことではありません。『遠征中のヴォルフシュテイン卿を迎えに行って拾って帰って来てください』だそうです」

 

「……そんな投げ遣りな言い方だったのか?」

 

「はい。まさしく、言ったままです。政務に忙殺されかけていらっしゃいましたので、本当に投げ遣りに言われました。――『ヴォルフシュテイン卿が帰還しないと倒れられないので、いい加減こちらから回収に行きます』だそうです」

 

 倒れるのが前提なのか、という呟きは笑顔で黙殺させてもらった。ヴォルフシュテイン王が非常に病弱かつ虚弱体質で健康でいる時の方が珍しいのは、周知の事実である。

 

「――そういう訳ですので、」

 

 自分の視線を受けて、少し離れたところでこちらを窺っていた愛馬がトコトコと寄って来た。手綱を取り、ひらりと飛び乗って同胞に笑み掛ける。

 

「トルキエ隊はお借りします。此処はヴォルフシュテインの足下ですし、対災獣戦が起きることは無いでしょう。――総員、移動準備を」

 

 バサリ、と大きな羽音を立てて、犬鷲が肩に舞い降りた。その嘴を撫でて構ってやりながら、小さくほくそ笑む。

 迎えに行くヴォルフシュテイン卿とは、公式の場で何度か、非公式の場では何度も顔を合わせたことがあった。公式の場では怜悧に見えたが、非公式の場では穏やかに微笑んでいるような人物である。

 

「……さて、これで借りが返せるといいのですが」

 

 肩に乗せた相棒が、相槌を打つように小さく鳴いた。

 

 

 

 






 そろそろ分岐点が近付いてきました。秒読みです。
 ただ、どこで切り替えるかまだ決めかねております。

 ……いっそ、問題の一章分はこっちに出さないという選択も……。




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【Arma 05:wi shellan tes eetor】



『この世界の向こう側へ』



※サブタイトルは意訳万歳。




 

 

 ふわり、と光の粒子となって崩れる片刃の剣が、新たに黒髪の男の姿となって顕れる。

 その男は紅玉のような瞳を細めると、静かに佇んでいた紅蓮の髪の青年に微笑み掛けた。

 

「――すまない、迷惑を掛け」

 

「本当にそう思うのならば自重しろと、これを言わせるのは何度目だこのうつけ」

 

「いや、あの」

 

「だいたい事の顛末はずっと『視て』いたが、なんだあれは。なにをどうすればあんな三下以下の人間に後れをとれる? だから間抜けと言われるんだ。ついでに無駄に甘い」

 

 淡々と、滔々と表情を動かさないどころか視線を向ける事すらも無く、しばらく扱き下ろしていた青年はふと男を見やる。男は困ったように頬を掻いた後、ふわりと微笑んだ。それを受けて、思わず青年も口を噤む。

 

「それでも、手を貸してくれただろう?――ありがとう」

 

「…………次は無いからな。本当に」

 

「解っている。――使えないと思えば、すげ替えてくれて構わない。その前に一言告げてくれれば禅譲もしよう」

 

「お前がしっかりやればすむ話だろうが」

 

 なんだか良く判らないが、とりあえずは青年の言い分の方が正しいような気がする。そう思いながら眺めていると、男と目が合った。

 すい、と進み出た男は微笑み、口を開く。

 

「――私は劉黒(リュウコ)という。ヴォルフシュテインの【天剣】だ。今回の件では大変に迷惑を掛けた。申し訳ないと同時に、感謝している。ありがとう」

 

 頓着なく礼を述べ、にこにこと笑う男をしばらく眺めてから、思わずレイフォンへ視線を向けた。レイフォンは軽く苦笑すると、僅かに首を傾げて見せる。

 

「――このひとは、こういうひとです」

 

「こいつが、さっきのアレをやったんだな?」

 

 さっきのアレ、とは言わずもがな。巨人を一掃したアレのことである。故に実のところ、かなり警戒はしていたし、今もしている。

 だが正直、これが素の性格であるのなら――――なんというか、とてつもなく人が良い分類になる。はっきり言って、警戒するのがばかばかしい、とさえ言えるだろう。――かといって本当に警戒しないのならば、それはただの間抜けであるうえ馬鹿であるわけだが。

 対峙する相手は、牙を持っている。それを隠す意図は無い。それは隠すほどのものでは無いと認識しているか、そもそも隠す意味が無いか、である。

 

 それは現状、どちらであっても関係ない。――こちらが確認しなければならないことは、ただ一つ。

 

「――――あんたは、アレを人間に向かって撃つことは可能なのか」

 

「……可能か不可能かの2択であるなら、可能だと言わざるを得ない」

 

 僅かな沈黙の後、含みはあるものの、自らに不利なはずの返答をした男に思わず瞬く。いくつか仮定を挙げてから、確認の為に再び口を開いた。

 

「――まず、あんたは人間では無い。レイフォンたちから掻い摘んで聞いた話を整理して考えるに、あんたは『都市を動かす』ための特殊な【宝玉珠】であり、【神霊】である」

 

 一瞬にも満たない刹那、男が呼吸を止めた。表情こそ目立った動きは無かったが、その視線が一瞬だけ移動する。移動した先を確認すれば、レイフォンが感情の窺えない眼差しを男に向けていた。表面上は笑みを浮かべているが――腹の底が読めない。

 そこまで確認して、とりあえず話を続ける。

 

「あんたはさっきのアレを人間相手にも撃つことは可能だと云ったが、それにはおそらく、条件があり、その条件を現在の『壁の内側』の人間が満たすことは無い」

 

「……否。確かに条件はある。だが、その条件を満たすことは難しいだけで、やろうと思えば可能だろう。我らに対し敵対する言動をとったと、我らが認識すれば条件は満たされる」

 

「具体的には?」

 

「…………端的に言ってしまえば、これには個体差があるので一概には言えない。ただ、普遍的な該当事項は協定にまとめられている。まぁ、もっとも判りやすい一例は、侵略行為だろうな」

 

「――――迎えが見えた。刻限だ」

 

 紅蓮の髪の青年が零した言葉に、思わず青年が視線を向けている方角へ同じく視線を投げる。

 遠く草原に、土煙が立ち昇っているのが見えた。

 

「……迎え?」

 

「レギオスの足下にはキャラバン――商隊や流民、遊牧民が暮らしている。中でもヴォルフシュテインは面倒見がいいから、他より大所帯だ。そのうちの一隊だな。都市民との仲も悪くないし――どうやら、直接王命を下されたようだな。王旗も見える」

 

 青年の言葉を一通り聞いたレイフォンは、深く嘆息し、口を開く。

 

「……もう少し、舞台袖で休めるかと思っていたのに」

 

「たぶん、休ませてもらえるだろう。あれはトルキエだ。協定によってあれ以上は『壁』に近付けないから、あそこまでは頑張れ」

 

 ひらひらと手を振り、青年はさっさと身を隠すように大気に滲むようにして消えた。事実、面倒事になる前に隠れたのだろう。

 ――――結局、あの青年は名乗らなかった訳だが、今になってワザとなのかどうかが気になった。

 

「――劉黒」

 

 レイフォンがそっと男に手を差し伸べる。男は申し訳なさそうに眉尻を下げ、小さく微笑むとその手を取り、改めて武器の形へと戻る。今度は鞘に収まった状態で。

 

「レン、お願い」

 

 鞘に収まったままの剣をレンに手渡し、レイフォンは外套のフードを深く被り直すとレンを抱き上げ、再三、50メートルの壁から軽く飛び降りた。

 

 ――――流石に、もう何も言うまい。

 

 とりあえず自分も立体機動装置を駆使しつつ飛び降り、地面に着地する。

 すでに待機していたらしい調査兵団から引き抜かれた面子を確認し、自分も用意されていた馬に飛び乗る。それとほとんど同じタイミングで馬を走らせ始めたレイフォンを追い、思わず溜息を吐いた。ちらりと後ろを見遣り、戸惑いながらも慌ててついて来る班員を確認する。流石に完全に『壁』の外へ出る瞬間には動揺したようだが、それでもついて来ているのは足音と気配で判った。――言い聞かせるよりは実物を見せた方が早い、ということでほとんど何も教えずにつれて来たようなものだったので、『外』にまできちんとついてきたことにとりあえずは息を吐く。

 レイフォンと馬を並べ、声を掛けようとしてフードの一部が色濃く染まっているのを見て、思わず舌打ちした。それが聴こえたのか、レイフォンは口元に軽く笑みを浮かべる。

 

「――流石にばれますか」

 

「お前、それは流石にマズイだろうが」

 

「頭部は流石にマズイですね。一個人であれば、さっさと倒れてしまいたいところですが、生憎と僕は一個人では無いので、ここで倒れる訳にも、休む訳にもいきません」

 

「――おい」

 

「死にはしませんよ。その線だけは見極めているつもりです。というより、ここで死ぬのは倒れるよりマズイですから。――とりあえず、予想通りの人物が迎えてくれれば少しは休めますので、あの旗の許まではこのままです」

 

「……ヴォルフシュテインとやらには、まともな大人がいないのか」

 

 再び舌打ちし、思わず毒づけば、レイフォンは軽く鼻で笑った。――これは、実は珍しい反応である気がする。

 

「――【剣守】はその都市にいる【降魔】で最強の者が背負う地位です。それだけは決して揺るがない。故に、僕がこの地位にいるのは、ヴォルフシュテインには僕以上に強い【降魔】、ひいては人類は存在しないということです」

 

 それは――【剣守】を攻略すれば、あとはどうとでもなる、と言うことでもあるのだろうか。いや。そんなはずはないだろう。もしそうであるなら、【剣守】自身が率先して身を危険に曝すことは無いはずだ。

 

 思考に沈んだ数瞬で、馬の歩調が緩んだのが伝わる。顔を上げれば――主に弓と剣を装備した百人ほどと思しき兵団が整列しているのが見えた。その中からひとり――大きな鳥を肩に乗せた金髪の少年が進み出る。

 

「――――御帰還、ひと先ずお慶び申し上げます。ヴォルフシュテイン卿 レイフォン・アルセイフ閣下」

 

 肚の読めない笑みと共に出迎えた少年に、レイフォンは思わず、と言うように軽く苦笑してから、もっともらしく鷹揚に応えてみせた。

 

「……出迎え、感謝します。トルキエ将軍が(いち)、トゥグリル・マフムート・パジャ」

 

 

 

 






 『一』という漢数字が、横書きだと絶望的なまでに使えない……。
 『二人』『三人』は漢数字も使えるけれど、『一人』だけは使えない。同じ理由でたとえ熟語であったとしても、『一』は使えないので『ひと』『いち』ってひらくしかなくて……でもひらくと格好がつかない文があったりして、たまに涙目になります。

 まぁ、元々『縦書きは漢数字。横書きはアラビア数字』と小学校で習ってますけどね!でも『数値』ならアラビア数字でいいけど、『言葉』としての数字はアラビア数字じゃないでしょう。でも『一』は横書きじゃ使えない。『――』とかとごっちゃになるからね!

 ……今のところ、読み易いようにしているつもりですが、どこか失敗していたら教えてくださいませm(_ _)m



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【Arma 06:rre grlanza viega. Loar kis toge. fwai ciol-ny;】



(つるぎ)舞い、風(きた)り、鳥は()つ』






 

 

 

「――マフムート将軍。彼は、今回の件で我々に手を貸してくれた人です。しばらくお客人として歓待いたしますので、そのつもりでお願いします」

 

「……リヴァイだ。調査兵団に所属している。こいつらは俺の部下だ」

 

 レイフォンに紹介され、とりあえずそう告げる。マフムートと呼ばれた金髪の少年はにこやかな笑みを見せるが――――腹の底は読めない。

 

「どうぞマフムートとお呼び下さい。――これからしばらく、荒野を駆けます。リヴァイ様方はお好きにどうぞ。離れすぎなければ自由にしていただいて結構です。――我々の任務は、ヴォルフシュテイン卿レイフォン・アルセイフ閣下を光浄都市ヴォルフシュテインの王宮まで、生かして送り届けることですので」

 

「……あの、その少し不穏な言い方は、何なのかな」

 

 思わず、といった風に問い掛けたレイフォンの口元には、引き攣った笑みが浮かんでいる。どうやら、問い掛けてはいるものの、実のところ答えは察しているらしい。

 そして、その期待に応えるように、マフムートはニッコリと笑ってみせた。

 

「もちろん、忙殺されかけていらっしゃるヴォルフシュテイン国王陛下の言伝のままで御座います。『これ以上、私の仕事を増やさないで下さい。死体は葬儀のためには必要ですが、それ以上に国葬には色々と雑事が付きまとうのです。なので、死んで帰ってくるのは許しません。叩き起こして末世まで呪います。貴方の我が儘は貴重過ぎるので許しましたが、これ以上は私が死にますので、生きて帰還するように。私は死体に用はありません』――だそうです」

 

「うん。――いつも通り死に掛けてるみたいだね」

 

「はい。いつものように死に掛けていらっしゃいます」

 

 そう言って、しばらく無言になった。笑顔の応酬。傍から見ていると面白いような、怖いような、妙なやり取りではある。

 

 やがて、レイフォンは息を吐くと、すとん、と馬を降りた。どうやら、今の笑顔の応酬でレイフォンが譲らざるを得なかったらしい。

 マフムートはふわりと微笑み、さり気なくレイフォンを支えると今度はこっちに向けて笑い掛けた。

 

「――レイフォン様は馬車での移動となります。皆様方は、お好きなように。――ただ、はぐれると大変危険ですので、出来るだけ馬車の近くか、いっそ馬車に乗って頂いても結構です」

 

 

 

【Arma 06:rre grlanza viega. Loar kis toge. fwai ciol-ny;】

 

 

 

「ねぇねぇリヴァイ!! これってどういうこと!?」

 

「あー……うるせーぞ、ハンジ」

 

 ここまで来る間、やけに静かだと思っていたが、どうもそれはこいつなりに感激のあまりぶっ飛んでいたせいらしい。ハンジは目をキラキラさせて周りの兵士やその装備、馬の様子を眺めている。

 

「だってリヴァイ!! ここは『外』なんだよ!? 壁の『外』!! なのに人間がいっぱい! ――人間だよね!!? まさか巨人だったりなんてことは!!」

 

「黙れ。とりあえず俺とエルヴィンの知り合いは『人類の括りになら入る』とか言ってたぞ」

 

「――それって、すっごく含みのある言葉だよ?」

 

「……俺たちが認識している『巨人』には含まれないそうだ」

 

「たいして含みの割合変わってないよ!?」

 

「我々は人間ですよ。――レイフォン様は【降魔】であらせられますので、『人類』の括りには入っても、『人間』という括りには入らない御方ですが」

 

 幌馬車にレイフォンを送り届けたらしいマフムートは、さっと馬に跨るとこちらを一瞥する。

 

「団体で長くひとつ処に留まるのは危険です。すぐに移動を開始できますか?」

 

「ああ。『外』の勝手はわからねぇからな。とりあえずは必死に学ばせてもらう」

 

 その応えにひとつ頷き、マフムートは不敵に笑ってみせた。――やはり、こいつも相当な腹黒狸であるらしい。このくらいの年の子供が、こんな表情をする。それは、決して平穏な場所ではありえない。

 

「よろしい。ならば、ついておいでなさい。――進軍開始!」

 

 叫んだ訳では無いが、良く透る声だった。その一声で百人ほどの兵団が整然と動き出す。並足から徐々に速さを上げ、駆け足ほどの速度を保って一団として動く兵団にマフムートは更に号令を下した。

 

展開(ドルマク)!!」

 

 兵団は駆けながら陣を変え、自分たちが壁外調査をしている時と同じような形状になる。ただ違うのは、ほとんど広がらず、固まっている、という点だろうか。

 

「――広がらねぇのか」

 

 思わず問い掛けた言葉に、マフムートは僅かに瞬いたようだった。一拍後、思い至ったように「ああ」といって笑う。

 

「索敵は別の手段があります。これは何よりも我々が生き延びる事を第一とした陣ですので。――言ってしまえば、索敵の必要は無いのです。これだけ群れれば、匂いで確実に釣れますから。故に、確実に群れを守れる方法をとります」

 

 こんな風に、とマフムートは上を見上げた。

 

「――ごらんなさい」

 

 言われて空を振り仰いだ、その、先。

 抜けるような蒼穹を背景に、長大な影がひとつ、ゆったりと身をうねらせ、蒼穹を泳いでいた。

 薄い皮膜を張った蝙蝠のような翼が4枚、時折風に煽られて羽ばたく。

 

「……なんだ、あれは」

 

「汚染獣です。老生2期、といったところでしょうか。我々の天敵、災獣――災いの獣たちのひとつです。好物は人間」

 

「……笑えねぇぞ」

 

 流石にあの巨躯で好物が人間、などとは笑えない。あれは全長およそ100メートル近くある。こんな一団、ひとたまりもないだろう。

 

 だが、マフムートは小さく笑ってみせた。

 

「的が大きいのは、楽ではありますね。外すことはあり得ない」

 

 その言葉に思わず眉を寄せる。自分たちはそれなりに巨人と戦っている訳だが、『的が大きければ、外すことはあり得ない』などということは無い。何故なら、相手も自分も常に動いているからだ。

 そういう訝しむ気配を感じたのか、金髪の少年は不敵に、どこか傲慢とも云えるような笑みで応える。

 

「――――外されるのは、困るのです。我々人間は、災獣に対する有効な一撃を有していない。故に、こと戦場においては、戦える種族の指示に従います。それが一番、生還率が高いと証明されていますから。無茶苦茶な、理不尽極まりない指示でない限り、それが一番確実に生き残れます。――今回の指示は、指定された場所まで駆け抜けて来い、とのことですので、やることは単純です」

 

「つまり、餌になっておびき寄せろと?」

 

 しかり、と言って笑みを深める少年に思わず言葉を失った。

 普通、「お前ら囮やれ」と云われて「はい。わかりました」と答える人間はあまりお目に掛かれない。しかも、こいつは別に死を覚悟している訳では無い。いや、可能性としては考慮し、それを受け入れているのだろう。だが、根本的には『此処で死ぬことなどあり得ない』としている。

 一瞬、狂っているのかとさえ思い、まじまじと見詰めてしまった。

 マフムートの方はどうもそれを察したらしい。軽く苦笑し、肩をすくめて見せる。

 

「――人間を餌に釣っているのだから、外して困るのは『彼ら』の方です。まぁ、仮に外したとしても我々に被害はあり得ず、あの汚染獣は確実に屠られますので、気にせず我々について来てください。――もうじき岩の砂漠に掛かります。そこからなら、レギオスの全容も見えるでしょう」

 

 ――――ゴオォォン、と。

 身体の奥にまで響くような低い音が、空から降り注いだ。正確には、空を泳ぐ怪物から。

 見上げれば、ゆったりとした動きで空の高所から地上に向かって降りて来る。それは優雅とさえ云える動きで、思わず束の間見入ってしまった。

 

「――さて、」

 

 隣を駆けるマフムートの声で、我に返る。金髪の少年はこちらを一瞥すると、軽く笑みを浮かべて声を上げた。

 ――叫ぶ訳でもなく、良く透る声。

 

「全軍、砂漠まで全力で駆け抜けよ! 標的を【剣守】まで誘導する!」

 

 応える声があちこちで上がり、馬を駆って速度を上げる。周囲の景色は草の生える草地が減り、転がる大小の岩が目につくようになっていた。空から降りて来る怪物の影が徐々に大きく、鮮明になって自分たちを覆っていく。

 壁の内側から連れて来た連中が、何とか取り乱さずにいるのは間違いなく周囲の人間が冷静だからだろう。彼ら『外』の人間は淡々と自分の役目をこなそうとしている。取り乱すことも無く、かと言って諦めている訳でも無い。

 彼らは、『自分たちは此処では死なない』と――言うなれば、ただ確信している。

 

「――マフムート将軍(パジャ)! 前方に!!」

 

 言われて前方を見渡し、人影を見つけた。大きな岩の上に、外套を翻して佇立する影。――空の怪物に対するには、あまりに小さいと思わざるをえない。

 だが、金髪の少年将軍は口元に笑みを浮かべて、喜色に弾む声で叫んだ。

 

「――――サーヴォレイド卿!! お願い致します!」

 

 それだけ叫んで、減速しないままに駆け抜ける。人影が佇む巨石の脇を抜ける瞬間、佇む影の声が耳朶を打った。

 

「――いちいち気にすんな」

 

 一瞬垣間見えた口元には、微かな苦笑。だがそれも、一瞬後には遙か後方に通り過ぎた。

 馬を駆けさせながら、その遙か後方の気配を探る。

 

 一拍後、凄まじい轟音と怪物の叫び声が大地に響き渡った。一瞬遅れて地響きが伝わってくる。

 

「……あれを相手に、戦えるのか」

 

 しかも、たった一人で。

 

「――だから、【剣守】となったのです」

 

 独り言に等しい呟きを拾われたらしい。金髪の少年将軍はちらりと複雑な表情で、それでも微笑んで見せた。

 

「――あれを単独で屠れること。それが【剣守】の条件のひとつですから」

 

「ってことは、レイフォンも出来るんだな」

 

「一番危うげなく屠れるのが、ヴォルフシュテイン卿ですね。――かの方は、【剣守】の中でも異常な勁量をお持ちですから」

 

 不穏な言い方をする。――正確には、不穏な含みのある言い方、だろうか。

 

「今はそれよりも、前を見ていなさい。あの丘陵を越えれば、レギオスが見えます」

 

「……移動に時間が掛かるんじゃなかったのか」

 

 レイフォンと話し合った時に告げられた移動時間と、大幅に食い違う。

 だが、少年は鮮やかに笑ってみせた。

 

「はい。――普段はもっと離れていますので、時間もかかります。ですが、今は『緊急事態』ということで壁に近付いていたのです。向こうから近づいてきていましたので、時間も大幅に短縮されました」

 

 これは、あれか。「深く突っ込むな」という類の笑みか。

 解りやすい牽制で助かる。この場合は『緊急事態』とかいうのには触れてくれるな、という事だろう。必要に感じたら、後日レイフォンに訊けばいいし、そうでなくても必要であればレイフォンから伝えてくれるだろう。そういう意味では信用できる。

 

 緩やかな丘陵を登るにつれ、自然と馬は速度を落としていく。そうして丘の上まで来ると、馬は何かに怯えるように足を止めた。

 

「――――、……」

 

 風の渡る荒野の中にひとつ、忽然と姿を見せるそれは、遠目でも都市であるのは良く解った。

 中央に聳え立つ城を支えるように家々が並び、まるでひとつの山のように見えなくもない。

 

(――でかい、……)

 

 第一印象は、ひたすらにそれだった。

 シガンシナ区よりも、確実に大きい。都市部は、中央のみだ。そこだけなら、シガンシナ区より小さいだろう。だが、中央の都市部の周りには、広大な緑が広がっている。――おそらくあれは、生産地区だ。それは、あの都市住民が生きていけるほどの食糧を自前で賄っているということだ。

 

 そんな広大な大地が、動いている。

 

 それも車輪で動いているのではない。昆虫のように脚を無数に持ち、それを動かして移動している。

 

 ――――自律型移動都市(レギオス)

 

(なるほど、これは――)

 

「…………エルヴィン。俺たちは少しばかり早まったかもな……」

 

 ふふ、と。

 何故か、例の子供らしくない上品な微笑で、してやったりと笑うレイフォンの姿が、脳裏をよぎった。

 

 

 

 






 この章のタイトルには、いくつかの意味がありました。……といっても、それも結構前の事なので、思い出すのに少々苦労しますが。

『すまう風招きの剣』
 このタイトルの、『すまう』という部分がいくつかの掛詞になっています。
 『争う』『清む』『澄む』などを意図していたと記憶しています。そして『風招きの剣』のほうも、まぁ、外組の誰でも辻褄は合うように仕込んでいました。なので、本当に章タイトル自体の意味が、『序』『破』『急』で変化しています。




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外典:ほがう芙蓉の風戯え
【stig01:xU rre kLYAvUnYErA dius fwillra/.】




『抗う神の欠片』


 お久しぶりで御座います。

 約半年、ここからどう繋げるかウンウン唸っていた訳ですが……分けるのもわかりづらいし、かと言って続けると『原作:進撃の巨人』を裏切る内容の章ではある訳で……どうしたものか……と悩み続けて半年……。

 半年、です。

 いい加減にしろよ、と自分で突っ込みました。
 所詮はデジタル……最悪、後で編集が利く。ここはもう、玉砕承知で突撃しとけ。どうせ『進撃』の原作に追いつくのには1年の間があるんだ。どうにでもなるだろ!! この章までならまだ兵長もちょくちょく出るし!!
 ――といういささかならず投げ遣り感が凄まじい心理状況の下、投稿を再開いたします。はい。
 あ。無論、引き続きPixiv版から加筆修正してお届けいたします。はい。

 ……長らく放置状態になっておりまして、申し訳ありませんでしたああああああああ!!(土下座)





 光浄都市ヴォルフシュテインの王宮の最上階にあるのは、王の居室では無く【剣守】の居室だった。

 無論、他の都市はだいたい王の居室となっている。そうでなければ代替わりの無い【天剣】の部屋であって、【剣守】の部屋であることは珍しい。

 だが、この都市の場合は、理由を知ればほぼ全員が納得した。

 

 ――今代のヴォルフシュテイン王は、生まれついての虚弱体質で病弱。身体が弱く、故に体力などは絶無である、と。

 

 最上階に行くには、階段しかない。

 だが、そんな長い階段を毎朝毎晩、上り下りする体力など、どこにもない。

 そう淡々と、滔々と力説したらしい現ヴォルフシュテイン王は、最後に「数日で死ぬ自信があります」と結び、結局それで現在まで王の居室は執務室と同じ階層に落ち着いたらしい。

 

 お役御免となった最上階の部屋は、しかし本来ならば王か天剣の居室である。天剣は「どうせ自分は地下と執務室、せいぜい書庫くらいしか使わない」と言って辞退。だが、ただ放っておくのは維持費が勿体無い、という実に経済的な理由でもって王と天剣は残る【剣守】を放り込んだ。

 

 ちなみに、表向きの理由は『【剣守】の術式によってレギオスの索敵能力向上の為』とか御大層なものである。決して『維持費が勿体無い』とか現実的な理由を民に見聞きさせて、夢や憧れを打ち砕いてはいけない。

 ――しかし、ヴォルフシュテインの【剣守】の凄いところは、表向きの理由を実際に実行してしまったことである。これには他の都市の【剣守】も愕然としていた。つまり、いくら【剣守】であっても、そんな芸当は出来ないらしい。

 

「――戦闘中とか、瞬間的になら問題無いぞ? ただ、都市を薄く覆うように勁を常時展開させ続けるなんてのは、――ぶっちゃけそれ、【天剣】の領分だろ?」

 

 あいつまだガキだし、ちょーっと心配になるよなぁ、と実に珍しく複雑な笑みと共にそう言ったのは、サーヴォレイドの【剣守】だ。

 

 ――まぁ、あれもあれで、大概だと思うが。

 

 それで、何故こんな回想をしていたのかと言えば、目の前にいるヴォルフシュテイン王のせいだ。

 ここは彼が王として立つ都市なので、それは別に良い。

 だがここは――王宮の最上階である。

 ちらり、と周囲を一瞥し、ちょっと頭を抱えたくなっただけ――もっと言うなら、事実を反芻して現実逃避をしたかっただけだ。

 周辺に人影は無い。つまり、この超絶虚弱体質な王様は、1人の供も付けずに自身にとっては自殺行為に等しい階段を上って来たという事になる。それはもう、周囲を確認するまでも無く、彼自身の顔色を見れば明らかだ。だからこれは、確認という名の現実逃避である。だがしかし、確認すべきものは無くなった。

 

 思わず深く――深く、溜息を吐いて、痛むこめかみを押さえながらゆったりとヴォルフシュテイン王に近付く。

 

「――陛下。おひとりでこんなところに来られては、貴方の部下が本気で泣きますよ」

 

 バルコニーから城下を眺めていたらしい彼は、緩慢な動きで顔を上げてこちらに目を向ける。その動作と顔色で、熱があるのは確定した。

 だが――彼にとっては熱があるのは日常茶飯事であるらしい。つまり、どうしようもなく、慣れている。

 

「……あなたに陛下、と呼ばれるのは、どうなのでしょう。サーヴォレイド王」

 

「俺は元々ならず者だったんで、どうも他の陛下方を名前で呼ぶのは、ね」

 

「――『あの』サーヴォレイドの王として立っていられるのです。私などより、よほど器量もおありでしょう」

 

 その言葉には肩をすくめて応えておく。とりあえず近くにあった簡素な椅子を掴み、バルコニーに立つヴォルフシュテイン王の隣に置いた。――簡素具合が、非常にヴォルフシュテインの【剣守】らしい。

 

「とりあえず、座りなさい。いつ倒れるか、倒れた時に転落するんじゃないかと、見ている方が不安になります」

 

 しばらく何かを逡巡したらしいヴォルフシュテイン王は、しかしゆっくりとその椅子に腰を下ろした。ついでに羽織っていた上着を脱いで、相手の細い肩に掛けておく。思わず、という風に振り仰いだ王は瞬き、視線を眼下の街並みに戻すと静かに礼を述べた。

 その眼差しは徐々に街並みを離れ、レギオスの外へと向かっていく。

 

 ――遠く微かに、土煙が舞っているのが見えた。

 

「お。ようやく帰ってきましたね」

 

「本当にあの一団にいるのかは、まだ解りません。あの子は確かにまだ子供ですが、それでも【剣守】なのですから」

 

 そういって一度口を噤むと、ヴォルフシュテイン王はゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。

 

「――御身と、御身の都市のご協力に、心から感謝いたします。サーヴォレイド王ケリー陛下」

 

「そうかい」

 

 正直、色々な思惑が絡んでいるのは、お互いに承知の上である。その上で、こう筋を通して来るヴォルフシュテイン王も、かなりの器量の持ち主だと思う。――本人は、軽く否定しそうだが。

 

 頭を上げ、姿勢を正すヴォルフシュテインの王は、脆弱な身体からは程遠い毅い眼差しで笑ってみせた。さらり、と黒髪を揺らして羽織らせた上着を丁重な仕種で差し出して返そうとする。

 

「――彼らは彼らの戦場で役割を果たしてくれています。だから、私も私の戦場で戦わねばなりません」

 

 軽く肩をすくめて応え、上着を手に取る。それを改めて相手に被せて、とりあえず腕を掴んで歩きだした。

 

「――あの、」

 

「今にも倒れそうな陛下を1人で見送る? 万が一にも何かあれば、俺がヴォルフシュテイン都市民をバックにつけたあんたの【剣守】に刺されます。とりあえず、最低でも階段を降り切って侍従に引き渡すまでは付き合わせて貰いますよ」

 

 なまじ、そこそこ戦えることが知れ渡ってしまっている身なので、ここで身体が弱いことで有名なヴォルフシュテイン王を1人にしたとかバレたら――にっこりと笑って都市ごと潰すような一撃を放って来る最年少の【剣守】を思い浮かべて、思わず身を震わせた。本気で洒落にならない。

 

「――ああ。確かにレイフォンなら、あり得ますね」

 

「でしょう?――まったく、ひでぇ冗談だ」

 

 

 

【stig 01:xU rre kLYAvUnYErA dius fwillra/. 】

 

 

 

「おーおー。久々のデカブツだ」

 

 ひときわ大きな巨石の上に佇み、彼方を臨む青年は思わず笑みを零す。荒れた大地を渡る風が、音を立てて外套を翻した。

 

「――楽しそうだな」

 

 誰もいない筈の背後から声が掛かり、青年は軽く溜息と共に肩をすくめる。

 ちらりと視線を肩越しに向ければ、予想通りの姿を見て思わず改めて嘆息した。

 

「来なくていいって言ったろ」

 

「来るな、とは言われていない」

 

「あー……確かに、言ってなかったか」

 

 自分の小さな失態にこめかみを押さえ、しかしすぐに思考を切り替える。改めて背後に現れた自らの【天剣】に目を遣り、にやりと不敵に笑い掛けた。

 

「こういう時、やっぱオレの【天剣】がお前で良かったと、心底思うわ」

 

 その言葉に夕焼け時の空を映したような瞳を瞬かせ、サーヴォレイドの【天剣】は僅かに首を傾けた。紅蓮の髪が風にそよぎ、風に散る紅葉を連想させる。

 

「――オレはあの戦闘狂とまではいかないが、戦うのはそれなりに好きだ。それも相手は斃し甲斐のあるやつであればあるほど燃える。――けど、【天剣】の中には戦えないやつもいるだろう? そう考えると、お前が戦える【天剣】で良かったと、心底思うわけ。多少、乱雑に扱っても壊れないし」

 

「……俺は、出来れば平穏な日常に浸っていたかった……叶うならば、永遠に」

 

 その一言は、酷く渇いて聴こえた。思わず目を細めて無言で視線を交わす。だが、沈黙が耐え難かったのか、【天剣】は緩慢に瞬くと顔を伏せた。その反応に思わずこっそりと息を吐く。

 

 いつも、この話題になると【天剣】は口を閉ざす。あるいは饒舌に語って話題を逸らす。いい加減、そろそろ短くない付き合いなのだから、腹を割ってもらいたいと思うのだが。

 

 ――まだ、その時期では無い、と。

 

 おそらくは、そういう事なのだろう。

 信頼関係っぽいのは、そこそこ築けていると自負している。何せ、『来なくていい』と言ったにも拘らず自分からやって来るくらいだ。心配――というと少し違う気がするが、気には掛けているのだろうと思う。

 

「ま、どっちにしろあのデカブツを斃してからだな」

 

 そう言って手を差し出せば、再び緩やかに瞬かれた。――その反応はアレか。もしかしなくても、手を出すつもりは全く無かったとか、そういうことか。

 

「……お前サ、此処にいるんだから、手伝えよ」

 

「来なくていいと言ったその口で、そう言うか」

 

「来なくていいつってんのに来たのはお前だろ? だったら黙って手を貸せ」

 

 しばらく黙り込んだ後、【天剣】はもう一度、深く溜息を吐いた。差し出した手に、そっと手を乗せる。その手を軽く握って引き寄せてから、改めて標的との彼我の距離を目算した。

 

「んー。結構、速いな。アラガミといい勝負かね」

 

「馬で逃れられるなら、荒神よりは劣るだろう」

 

「あー、じゃあ、単にデカいだけか」

 

 あまりに大きいがゆえに、どうやら遠近感が若干麻痺してしまったらしい。これはちょっと修正しないと不味いな、と思う。

 

 やがて標的を惹き付けて駆けて来る一団の顔が判別できる距離になった時、改めて【天剣】に目を向けた。軽く不敵に笑って言葉を掛ける。

 

「――じゃあ、頼むわ」

 

「――――……、」

 

 一瞬何かを言い掛けて、だが諦めたように嘆息だけを落とした。軽く息を吸い、そっと囁くように短い旋律を零す。

 

 

QuelI->{

  EX[rala]->EX[slepir]->{tez};

 

}am{

Cls(gsh f rala){

EX[rilfa-ea]};

 

} ->ExeC-> {RW} ;

 

 時よ 止まれ

 我が魂の願いの残滓 成さ就め給え

 

 

「――【fam-ne wa-fen-ny rei-yah-ea;】」

  遥か世界にまで 届くように

 

 

 

 【天剣】の姿が、深緋の光となって熔けるように形を変える。一拍後には深紅の燐光を纏う双剣の形となって両手に収まっていた。

 どうも、あまり機嫌はよろしくないらしい。普段より纏う燐光は翳りを帯びている。

 

 だが、まぁ、別に構わない。

 

 改めて視線を戻せば、だいぶ一団は近付いていた。もう30秒もせずに通過するだろう。そう考えて待ち受けていると、馬蹄を響かせて通り過ぎる瞬間、思わぬ声が投げ掛けられた。

 

「――――サーヴォレイド卿!! お願い致します!」

 

「――いちいち気にすんな」

 

 思わず苦笑と共に応えを返し、岩を蹴って跳躍する。――確か、あれはトルキエのマフムート将軍だったな、と思いながら汚染獣の頭に着地し、そのまま右目に向かって双剣を薙いだ。

 

 

 

 

 




QuelI->{
  EX[rala]->EX[slepir]->{tez};

}am{
Cls(gsh f rala){
EX[rilfa-ea]};

} ->ExeC-> {RW} ;

 時よ 止まれ
 我が魂の願いの残滓 成さ就め給え


【fam-ne wa-fen-ny rei-yah-ea;】
 遥か世界にまで 届くように


 みなさんご存知、架空言語ですね!!
 ある意味でもの凄いネタバレを含んでいるので詳細は語りませんが。

 『REON-4213』と『契絆想界詩』です。但し、足りない単語は他の架空言語から拝借してたりします。なので、直訳にはなってないので悪しからず。しかも、実際のところ文法に自信があるかと言われたら……『成さ就め給え』の【ea】が要るのか要らないのか判らない、としか……っ!! ……正直、なくても成り立つ気はしています。ハイ。




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【Arma:01 Rre Loar hymme en Via omnis.】

『風は謳い、万象を揺り起こす』


 昨日の今日でコッソリ投稿……。

 サブタイトルの【Via】のみヒュムノスでは無かったと記憶しています……セラフェノだった、ような……。
 あ。いえ、【Loar】もセラフェノですね!





 一撃。二撃。

 迫る牙を避けるついでに、口腔に三撃目。

 

 目を瞑り、大気を伝わってくる勁の波動から、戦う人の状況を把握する。

 あの人――サーヴォレイド卿は、実を言うと見た目の年齢に反してかなりの古参だ。だから、戦力的な意味ではあまり心配していない。

 だが、同じ【剣守】の中では異質なほど勁量が少ない、という人だった。だから勁技の大技は使えず、従って単純に討伐に時間が掛かる。ただ、その為に純粋な戦闘技術――勁に頼らない戦闘ならば、ちょっと敵わないかも知れないと思っていた。そういう意味では、非常に尊敬している。

 ただ、独特な人なので距離感が掴みづらい。そのせいで、出来れば自分からは近付きたくない、とも思わざるを得ない人でもあった。

 だが、今回はそうも言っていられない。

 

「……レイフォン?」

 

 緩やかに減速していた馬車が、静かに止まったのを感じて目を開く。心配そうな眼差しを向けているレンに柔らかく微笑み、そっと髪を撫でた。滑らかな指通りを堪能していると、幌馬車の出入り口が開けられる。

 見れば、犬鷲を肩に乗せた金髪のマフムート将軍が入って来るところだった。視線が合えば、鮮やかに笑みを浮かべられる。

 

「――少々、待ちます」

 

「サーヴォレイド卿を?」

 

「ええ。正確には、それに託(かこつ)けて少々時間を稼ごうかと。――少しくらいは、休めましたか?」

 

 その言葉に曖昧に微笑んで応え、微かに息を吐いた。近付いてきたマフムートは目の前に膝を着いて目線を合わせ、微かに苦笑する。

 

「――あなたが『壁の中』から連れて来た方々は、どういうつもりで連れて来たのです?」

 

 ――うん。確かに、それは教えておかないと障りが出るかな。

 

「――協力してくれたから、御礼に『外』を見せようかと思って。それから、将来、戦争回避、不穏分子の炙り出し、変革への試金石ってところかな?」

 

「それは――あの方々もお気の毒に。こんな素で腹黒な謀略家に扮する天邪鬼に使われるなんて」

 

「それは、笑いを堪えながらいう事じゃないと思うよ?」

 

「これは失礼。――あなたがあまりにも素直じゃないので。普通に友好的な親善交流だと仰ればいいのに」

 

「うん。――でも、表立っては不可能だから。少なくとも、今はまだ」

 

 これだけ長期間に渡って都市を不在にしていて、帰還してからも更に騒動が起こることが確約されているも同然な状態で、果たしてまともに『壁の中』から来た人々の面倒を直接みられるかというと、どう考えても無理だとしか答えようが無い。

 というか、普通に安全を保障できないのだ。主に政治的な意味で。

 

「これから、ヴォルフシュテインは荒れる。ただ、これで終わらせるから――これに関しては案じる必要は無い。『彼ら』を招待した手前、時間も掛けられないし。――でも、正面から招くと……」

 

「――まぁ、いらない招待や歓迎を受けますね。了解しました。こっそりとお連れします。――代わりに、せいぜい派手に目立って下さい」

 

「わぁ……やっぱ、そうなるかぁ……」

 

 まぁ、目立つのは最初から確定していたことだったから、それは構わない。問題は、どんな目立ち方なら、まだマシか、というところか。

 歓迎してくれているのは、解る。帰還を喜んでくれるのは、自分としてもやぶさかでは無い。

 だが――今回は、あまり民衆の期待に沿うことが出来ないのだ。

 何より、自分はやることやったら、倒れる予定である。で、あるならば。

 

「――お祭り気分に水を差すのは、あまり好きじゃないんだけどなぁ……」

 

 思わずそう呟けば、マフムートとレンは僅かに首を傾げて、眼を瞬かせた。

 

 

 

【Arma:01 Rre Loar hymme en Via omnis.】

 

 

 

 丘の上でしばらく休むことになったらしく、マフムートが率いる一団は馬で駆けていた時よりもどこか緩んだ空気を漂わせていた。中には望遠鏡や双眼鏡を取り出し、遙か後方で行われている怪物――汚染獣とか云うらしい――とサーヴォレイドという移動都市の【剣守】の戦闘を眺めている者までいる始末だった。

 もっとも、自分も双眼鏡を拝借して、それを眺めている訳だが。

 

「……あれも巨人みたいにすごく軽いのかな」

 

 ポツリと呟いたハンジを一瞥する。

 

「――単純に考えて、あの大きさに相応の重量があるなら、その重さを支えるための筋力もすごい訳で。それをものともせずに蹴ったり殴ったりで軌道を逸らせるなら、――あの人、人間じゃないよね」

 

 いっそしみじみと零したハンジに「そうか」と言って返した。ふと背後で人々が割れるような気配を感じて振り返る。

 その先に幌馬車から出て来たらしいレイフォンの姿を見つけ、思わず眉根を寄せた。

 目が合うと軽く微笑み、静かに歩み寄って来る。

 その外套は相変わらず血と土埃に薄汚れたまま。しかも頭部の怪我も一切手当も何もしていないらしい。思わず責めるような眼差しを向けるが、気にせずふわりと笑っている。――お前、本当にいい加減にしろと声を大にして言いたい。ガキがそこまで気張るなと。

 

「――そろそろ、出発します」

 

 口を開こうとした矢先、柔らかくレイフォンに先を制されて口を噤む。

 

「帰還したら僕は倒れますので、しばらくヴォルフシュテインはごたつきます。――マフムートか、サーヴォレイド卿に案内してもらえますので、そのつもりでお願いいたします」

 

「……3ヶ月も出奔してたトップが、帰還後すぐに倒れて意識不明――となれば、不穏分子やら今回の黒幕やらが好機とみて動き出す、か」

 

 そこを一網打尽にするつもりなのだろう。つまり、レイフォンの都市はこれから荒れる。

 だが。

 

「――お前、どうするつもりだ」

 

「さて。……一応、問題は無い筈なんですが」

 

 こいつは都市の防衛機構を統括する、と言っていた。つまり、都市の警備やら要人の警護やらも、すべては本来ならこいつが采配するのだろう。そんな軍事的なトップが倒れた場合、普通は命令系統に支障が出る。

 よって、今回の『倒れる』というのは、釣りのはず。そういう特大の餌で釣っても、釣りだと判断されない状況下である今だからこそ、実行できる手段に過ぎない。

 つまり、こいつが倒れるのは『演技』のはずだ。そうでなければならない。

 ――だが。

 

「……お前、俺らを雇えるか」

 

 その言葉に部下がぎょっとしてこちらを見たのが解った。マフムートの部下たちは少し遠巻きに、興味深そうに眺めている。だが、レイフォンは――思わずと云う風に笑みを深めた後、次いで苦笑した。

 

「そんな風に察しが良いうえに優秀だと、本当に部下に欲しくなりますね」

 

「冗談じゃねぇぞ」

 

「解っています。――ですが、よろしいのですか?」

 

 苦笑したまま小さく頷いたレイフォンは、静かな眼差しを向けて来た。――こう、こっちの懸念と思惑を看破したうえで、その提案を呑む準備はあるが、それで良いのか、と訊いて来るのは素直に称賛に値する。嫌でも内地の連中との落差を感じずにはいられない。

 というか――固辞しなかったという事は、それなりに手が足りていないのが実情なのだろう。ならば、部下の身の安全のためにも、二重三重の意味で確実な保身に利用させてもらう。

 

「ここまで来て、お前に何かあったら寝覚めが悪いだろうが」

 

「――――わかりました」

 

 ふと息を吐き、レイフォンは何処か温度を感じられない硬質な笑みを唇に乗せた。――本当に、そういうのは子供がするような表情では無い、と思う。

 

「――閣下。どうぞ」

 

 するり、と現れたマフムートは手に幅広い盆のようなものの上に、紙とペンを乗せて運んできた。レイフォンは当然のようにペンをとり、紙に何かをさらさらと綴っていく。最後に署名をし、その紙を筒状に丸めて封蝋をしたものを差し出した。

 

「――ヴォルフシュテイン王 ヤエト陛下にお目通り叶うのは、早くても私が倒れた後です。なので証明書代わりにお持ちください。陛下にお目通りの際、この書状をお渡しくだされば――悪くて黙認、良ければ身元を保証してもらえます。――まぁ、保険ですね」

 

 それを受け取りながらも、思わず睨む。それで意図が伝わったのか、レイフォンは困ったような微笑を浮かべた。

 

「――マフムート将軍」

 

 レイフォンの呼び掛けに軽く肩をすくめ、マフムートは筆記用具を近くにいた部下に渡して片付けるように指示した後、自らの首に掛けていた小さな袋を取り出し、中から指環を通した紐を引っ張り出した。

 一度それをしみじみと眺めると、息を吐いて隣に立つレイフォンにちらりと視線を向ける。

 

「……まぁ、私が持っていたところで、もう使うことも無いでしょうし?」

 

 いささか棘も含みもふんだんに滲む言葉に、レイフォンは思わず視線を逸らした。そうして申し訳なさそうに口を開く。

 

「……ごめん、なさい。――でも、あの……一段落したら、お返しするので……その、」

 

 ここまで言いよどむレイフォンというのは、実はあまりお目に掛かれないような気がする。少なくとも、ここまであからさまに言葉を選んでいるのは、初めて見た。

 そんなレイフォンに再び肩をすくめて見せ、マフムートは手にした指環を持って近付いて来る。訝しげに見ていると、それを差し出して来た。

 

 古い、緻密な細工が施された、燻し銀の指環。

 細工の中央には控えめな大きさの青い宝石が填め込まれている。それを見て、思わずマフムートの兵団が掲げている旗のひとつと細工の紋章を見比べた。

 指環の細工は、交差する剣と槍を囲む茨。その中央には狼らしき獣の姿。青い宝石は獣の額部分に填め込まれている。

 この細工と全く同じものが、兵団の掲げる旗にも描かれている。それも、もっとも高い位置で翻っている旗に。

 つまり――これは、もしかしなくてもヴォルフシュテインという都市を表わす紋章であり、ひいては王あるいは王に極近しい者にのみ使うことを許される類のモノの筈である。

 

「――――おい。これは嫌がらせか」

 

「まさか。――でも、意味を察せるならば、重畳です」

 

 思わず突っ込んだ言葉に、レイフォンが苦笑で返す気配。改めて視線を向ければ、やはりここ数日で見慣れた笑みが浮かんでいた。

 

「――それは、後見に僕がいる、という証です。王宮内でもある程度は自由に歩き回れる権限付きなので、しばらく持っていて下さい。何故マフムート将軍が持っていたのかは、秘密です」

 

 ――まぁ、十中八九機密事項だろうが。

 とりあえずは有り難く受け取ることにして、マフムートの手から指環の形をした通行手形を取る。

 

「何か騒動に巻き込まれて所属を問われたら、ヴォルフシュテイン卿の【本】だと答えて下さい。――それで解放されなければ、相手は僕の『敵』です。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」

 

「……好きにして良いんだな?」

 

「はい。どうぞお好きなように。――マフムート将軍、そのように手配を」

 

「かしこまりました。――では、お客人がた」

 

 にこりと笑顔を浮かべ、マフムートは有無を言わせぬモノを漂わせながら恭しく幌馬車を示しながら言葉を続けた。

 

「大変申し訳ありませんが、まずは都市に着くまでに着替えて頂いた後、簡単に皆様の役どころをご説明させて頂きますので、そのつもりでお願いいたします」

 

 

 

 




 トルキスの戦闘シーンを入れようと思ったけど、それを入れるとまた投稿がいつになるか判らなくなるので、サクサク進むことにしました。はい。

 どうせ、この後に戦闘シーンもありますし。はい。



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【Arma 02:rre fwal famfa tou fhyu.】


『風に羽ばたく翼』


 そういえば、説明したような、していないような。
 サブタイトルの頭……【Arma】とか【stig】とかですね。これは『誰視点』なのかをメモしています。但し、以前はサブタイトルの前は短かったので考慮してなかったのですが、最近は結構、偽りアリな感じに……orz

 とりあえず、この章で多いのは

【stig】のトルキス視点
【Arma】のリヴァイ兵長視点

 ……あれ? もしかして2つだけ……?
 いや……あれ?

 


 

 

「これで――終わりっと」

 

 汚染獣の脳天に止めの一撃を突き刺し、断末魔を聞き流しながら肩を回しつつ遠くからこちらを窺っている兵団に視線を向けた。

 

「あいつらも物好きだよなぁ。さっさと帰ればいいのに」

 

「――おそらく、休ませているんだろう」

 

 ふわり、と紅い光となって両手の剣が崩れるように零れ、再び紅蓮の髪をもつ青年の姿となって顕れる。――何だかんだで付き合ってくれるこいつも大概だと思うが。だからこそ、「あいつら『も』」という言い回しだった訳で。

 

「ん? 休ませて――って、ひょっとしてレイフォン?」

 

 思わぬ情報に問い返せば、自分の天剣は小さく頷いた。

 その応えに思わず瞬く。

 

「……マジで? ちょ、負傷したのか?」

 

 『あの』ヴォルフシュテイン卿を休ませる、という事は、そういう事で間違いない。すれ違った時に姿が無いな、とは思ったが、まさか本当に休んでいたとは思わなかった。

 

「――ヴォルフシュテインは、基本的に運には見放されている」

 

「あー……うん。否定はしねぇけど、」

 

 ヴォルフシュテインは基本的に不運である。諸々を顧みた時、そうとしか思えないので、そういう風に認識されている。つまり、今回も不運であったと。

 

「――偶々、災獣に襲われ掛けている者を見つけて災獣を撃退。その結果、災獣が倒れ込んだ方向にあった建物が崩れ、降り注ぐ瓦礫の中に取り残された2人を救出。結果として、頭部を負傷」

 

「…………うん。それは、運が悪かったな」

 

 この運の無さがヴォルフシュテインである。むしろ不運の女神に愛でられているのかもしれない。

 思わず深く嘆息して、一度頭を振る。思考を切り替え、天剣に向き直って不敵に笑いかけた。

 

「用は済んだ。帰ってイイぜ」

 

「――お前は?」

 

「オレ? ――ちょっとレイフォンで遊んでからにする」

 

 ちらり、と天剣に一瞥される。ただ眺めるような視線だが、同時に探るような気配もあった。信用無いなーと思う。いや。もしかすると別の意味で信用されているのかも知れない。

 

「……ヴォルフシュテイン卿が負傷しているからな」

 

 読まれた。核心には触れないが、それでもこういう言い方をするのならば、完全に読まれているだろう。軽く肩をすくめて返答にする。

 

「お前まで付き合う必要は無いだろ。第一、お前はザーヴォレイドの【天剣】だろうが。王サマだってこっちに来てるのに」

 

「――都市には『女王』が残っている」

 

 その一言で、心の底から納得した。あの燃えるような紅蓮の髪の『女王』と呼ばれる王妃がいるなら、何も問題は無い。

 

「――それから、ヴォルフシュテインとは、少しばかり話がある」

 

 それはあれか。いわゆる『O・HA・NA・SHI』というヤツか。それは非常に面白いかもしれない。いや、絶対に面白いし、楽しいだろう。その時には是非とも混ぜてもらうことにする。

 

「んじゃ、一緒に行くか。――夜刀」

 

 普段はあまり呼ばない名を呼べば、天剣は思わずといった様子で瞬いた。そんな反応に僅かに苦笑し、手を差し伸べる。

 

「ほら。――導け。お前が俺の天剣だろう」

 

 束の間、何かを憶い返したらしい天剣は、微かに吐息を零すとその手を取った。

 

 

 

【Arma 02:rre fwal famfa tou fhyu.】

 

 

 

 

 マフムートとレイフォンに促されて幌馬車の中に連れて行かれ、渡されたのはやけに刺繍の多い服だった。その刺繍による装飾を見て、ユウと共に壁の中に残っているはずのカナギを思い出す。複雑で特徴的な刺繍は、カナギが着ていた服にもあった。

 窺うようにマフムートを見れば、にこにことした顔で答える。

 

「これは【守の民】の服です。――我々のことを殆ど何も知らなくても、怪しまれない出身なのが【守の民】なので、こちらをご用意しました」

 

「……立ち位置は?」

 

「まず、【守の民】は大陸の東北に位置する樹海に棲む民です。大半は狩猟採集が主な生活をしています。『何処から来たのか』と云われたなら、だいたいは『東』か『北』からと答えれば納得されます。――で、表向きは【巡礼者】という事にしておいて下さい。それで大抵は穏便に済みます」

 

「巡礼者?」

 

「ひとり、あるいは少数で荒野を渡り歩き、自らの信仰する神を探し求める者、あるいは真理を求める者、くらいの認識でよろしいかと。――世界の真実を探す者たち、と言った方が理解しやすいでしょうか?」

 

 なるほど。それならば、どこで何を訊きまわってもおかしくは無い設定ではある。

 だが、マフムートは『表向き』と言った。なら、当然この後は『裏向き』に続くのだろう。

 

「――で、裏向きは?」

 

「話が早くて助かります。――『同業者』と『権力者』に対しては、お渡しした指環をご提示ください。大体はしたり顔して粛々と従ってもらえます。レイフォン閣下直属の隠密部隊である証なので、所有者を妨げることは、レイフォン閣下を妨げることと同意である、と見做されています。まぁ……本物かどうかを見極める為の試験をさり気なく課せられることもありますが、あなたなら大丈夫でしょう」

 

 どうやら、そうとう、かなり、ずいぶんと奮発されたらしい。

 だが、そうなると少しどころかかなり気になってくるのは、そんな指環をマフムートが所持していた経緯である。思わずマフムートを見つめれば、彼は軽く苦笑してみせた。

 

「――以前、レイフォン閣下に助けていただきまして」

 

 それだけで話題を逸らされ、マフムートは細々とした情報やら武器やらを渡して来る。立体機動装置も持ち歩く分にはあまり問題無いが、緊急時以外で着用するのはお勧めできないと言われた。ついでに『緊急時』というのは『王・公・卿が危機に陥っている時』と『都市が危機に曝されている時』であるらしい。

 とりあえず着替えながら他の注意点などを聞かされていると、馬車の外で大勢の気配が揺れ、次いで僅かに殺気立った。

 幌の隙間から僅かに垣間見えた刃物の閃きに、咄嗟に外へ飛び出してすぐ傍にいたレイフォンの首根っこを掴んで無理やりその場から退かし、反射的に抜いたナイフを逆手に持って頭上から切りかかって来た男の剣戟を防いで蹴りを放つ。それを後方に跳んで避けた男は、軽く口笛を吹いて剣を鞘に納めた。

 

「――あれ?」

 

 一拍遅れたレイフォンの声に、ずいぶんと暢気な調子の声だというのが咄嗟に出て来た感想だった。だが、それは同時に警戒していなかったか、警戒できないほどに調子が悪いという事だ。

 ナイフを握り直し、数歩先の男を睨みつける。

 

「――挨拶にしちゃあ、ふざけてねぇか」

 

「あァ? そいつならこれくらい余裕でどうにでも出来るだろ? お前さんは過保護だな」

 

 思わず口をついて出た悪態にそう応えた男は、片手を挙げると不敵な笑みと共にレイフォンに声を投げた。

 

「――よう、久しぶり」

 

「……お久しぶりです。でもなんでそんなに爽やかっぽい言動なんですか。正直、似合わないので引きます」

 

「お前、珍しくやらかしたんだって?」

 

「死んでくださいとは立場上言えないので、今すぐ消えて下さい。それか黙れ」

 

 鮮やかな笑顔と共に毒を吐いたレイフォンの言葉に耳を疑い、思わず背に庇ったレイフォンをまじまじと眺める。

 男の方は軽く肩をすくめると、大げさに首を振って嘆いてみせた。

 

「せっかく、あれこれ便宜を図ってやったってのに……」

 

「……あなたに対するお礼は、『今度試合しましょうね』ってことで良いですか」

 

「――へぇ?」

 

 男は目を細めて口角に笑みを刷くと、悠然と歩み寄る。とりあえず、害意は無いようなので黙って見ていると、男はレイフォンの頭を撫でながら楽しげに囁いた。

 

「その言葉、忘れんなよ?」

 

「……いちいち近付くの止めて下さい」

 

 これは、何と言うか。あまり見ない相手を警戒している猫のようだ、と思う。こう、悪い相手では無いのは判っているが、それでも緊張はする、という条件反射のようなものだろうか。

 ぱしん、と撫でる手を払うレイフォンの表情が年相応の少年のもので、思わず微かに安堵の息を吐いた。本人的には不機嫌ではありそうだが、そういう表情も出来るなら、思っていたほど心配してやる必要も無いだろう。

 だが、だとするとやはり最初の警戒度の低さは、非常によろしくない。ついでに周りのマフムートの部下たちも未だ微かに殺気立っている。かなり強くこの男を警戒しているらしい。

 

 ふとレイフォンの視線がこちらを向き、その視線を追うように男もこちらを見遣る。

 男は不敵に笑うとレイフォンを見下ろして問い掛けた。

 

「……で? 見ない顔があるケド?」

 

「彼らは『壁の中』の人たちです。今回の件にご協力頂いた返礼に、お連れしました。ただ、このまま僕が連れて行くと確実に巻き込んでしまうので……頼んで良いですか、トルキス兄さん」

 

「……――――レイフォン、あのな?」

 

 思わずしゃがみ込み、顔を覆って頭を抱えたらしい男は、それでも気を取り直すとレイフォンに呆れたような視線を向ける。

 だが、言葉はレイフォンに制されて続かなかった。

 

「以前、倒れる前に一応頼ってみろ、とトルキス兄さんに云われたので、頼って良いですか? 御礼に、今年は真面目に個人戦をしてみようかと」

 

 深く溜息を吐いた男は立ち上がると、レイフォンの頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜるようにいささか乱暴に撫でまわす。思わずバランスを崩して踏鞴(たたら)を踏んだレイフォンは、しかし今度は窺うように男を見上げていた。

 

「……あー、引き受けてやるから、お前は自分の都市に集中しろ。いいな?」

 

 客観的に見て、今のところこの男は強いて言うなら『特定の相手に対して喧嘩っ早い』あるいは『戦闘狂の気がある』になるが、それ以外はあまり問題も無いように見える。だが、マフムートの部下たちは警戒を解いていない。これはレイフォンの時には警戒どころかむしろ慕っているような気配さえあったことを考えると、別に【剣守】だとか【降魔の民】だとかは関係無いように思う。

 

 だが、同時に汚染獣から逃れる際にすれ違った時には、信頼しているようにも見えた。それらを考えていくと、どうも『あの男がレイフォンに近付くこと』を警戒しているように思う。そこまで考えて、そっとマフムートに疑問の視線を向けてみた。

 

 マフムートはその意を汲み取ってくれたらしく、軽く苦笑して幌馬車から降りて来ると小さく手招きする。それに気付いてさり気なくレイフォンの傍から離れれば、目敏くそれに気付いた男が不敵に嗤うのが見えた。思わずその表情に眉根を寄せる。

 

「――おい、将軍」

 

「彼はサーヴォレイド卿トルキス閣下」

 

 それは今までの会話から拾って理解していた。思わず顔を顰めてマフムートを見れば、彼はシニカルな笑みを見せて続ける。

 

 

「王殺しの都市サーヴォレイドを知らしめた御方です」

 

 

 





【トルキス・ベラフォルト】

・原作は『マザーキーパー』。
・但し、原作の状況とこのシリーズの状況の差異により、少々性格が丸くなっている。……らしい。
・ここでは【残紅都市サーヴォレイド】の【剣守】。しかし、いろいろと曰く付きである模様……。



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【stig 02:Syast Spiritum Sanctum 】


『集う魂の箱舟』


 今回はちょっと長め(※当社比)です。
 今更ですが、『外典』と括られている話は、『壁』の『外』に主軸を置いた話となっております。ご了承ください。



 

 

 馬を駆り、荒野を駈ける。

 

 近付くほどに、自律型移動都市と教えられたソレは、かつての人類が誇っていた文明を見せつけるように、凄まじい大きさを誇っていた。既に視界に収まる大きさでは無くなっているというのに、まだ足下にも辿り着かない。

 

 だが、レイフォンが50メートルの壁の高さに躊躇いも何もなかった理由も、これを見れば納得せざるを得なかった。50メートルどころでは無い。地上から外壁の底までの高さだけで百メートルはある。そして、その上にあるのは複雑な機械などの層であろうことは想像できる。要は、この超巨大な都市を動かすための機関部分だ。そして更にその上に地上と同じ環境を整えられるだけの土が敷かれ、木々が生い茂り、水路も整えられている。そうしてようやく、その地上に転落防止用の壁であり、索敵用の歩哨が設置されているようだった。

 

 はっきり言おう。

 

 現状、『壁の中』の人間にはこれを真似て作るどころか、構造を理解する事すら難しいだろう。それこそ、『これは大いなる神の御業である!!』と喧伝してしまった方が――いや、喧伝してまわる必要すらなく、そのように理解されるに違いない。

 

 だが――だからこそ、この技術の一部、片鱗であっても持ち帰ることが出来たなら、それは人類にとって大きな利益になる筈だった。

 

 

 ようやく、巨大な都市の足下に動く群れの影を見つけた。どうやら馬や羊が疎らに散って草を食んでいるらしい。そして、それを見守る何人かの人影。

 

 人影はこちらを認識すると1人が都市の方へ駆け出し、何人かがこちらへ――正確にはマフムートへ向かって駆けて来る。彼は大きな猛禽を連れているので、遠目からでも目立っていた。おそらくはそれを目印にしているのだろう。

 

 マフムートが駆けて来た者と言葉を交わしているのを見て、ふと重要なことに気が付いた。思わず動きごと思考も固まったと言って良い。

 

 

 ――――イルゼ・ラングナーは、最初は言葉が通じなかった、と言っていなかったか。

 

 

 それを思い出したのは、マフムートと彼の許へやって来た人物の言葉のやり取りが、理解できないどころか聞き取れなかったからだった。

 

 いや、注意深く聞けば、聞き取れる単語も文章もところどころにはある。だが、理解できない単語も多くあることに衝撃を受けた。

 

「――どうしました?」

 

「……レイフォン」

 

 いつの間にか停止していたらしい幌馬車から降りて来たレイフォンに声を掛けられ、思わず押し黙る。単純に、言語が違う場合どうすればいいのかという事を、どのように訊けばいいのか判らなかった。

 

 第一、 レイフォンとは問題無く意思疎通が出来ている。

 

「……イルゼが、『外』とは言葉が違うと言っていたが、」

 

「――ええ、違いますね。ですが、ほとんどの流砂の民はドイツ語圏なので問題はないかと」

 

「……あ?」

 

「あ……えぇっと、つまり、流砂の民の基本言語は『壁の中』の方々と同じです。もっとも、レギオスで暮らす以上、一箇所の文化圏に定住することは無いので、商談や交流の為に基本言語の他にいくつか覚えるのが常識になっていますけど」

 

 でも流砂の民に関しては、言語的な問題はほとんどないでしょう、と言って困ったように笑ったレイフォンを眺めながら、それは少なくとも多少の齟齬は生じると思っておけ、という事だろうかと口をつぐむ羽目になった。

 

 

 

【stig 02:Syast Spiritum Sanctum 】

 

 

 

 ヴォルフシュテインの足下に一団が着いたのは陽がだいぶ傾き、朱金の斜陽が荒野を撫でる黄昏の頃だった。欠伸を堪えつつ凝り固まった身体を伸ばし、先に馬車から降りて行ったレイフォンを追って自らも降りる。あたりを見回せば、比較的近くで『壁の中』から連れて来たという男と話をしているようだった。

 

 『壁の中』から連れて来た、という件に関しては真偽の判定のしようがないので気にしていない。というより、気に掛けたところでどうにもならない。とりあえず確定的なのは『彼らは自らが属していた領域以外のことには知識すら乏しい』という事だ。とにかく、レギオス――自律型移動都市や【流砂の民】のあれこれに関しては不案内であり、まったくの素人である、という事だけは確からしい。

 

 本来、そういう身元不明者を受け入れることは、あり得ない。巡礼者という者もいるが、あれは実のところ身元ははっきりしているし、それぞれに後見がついている。だからこそ、検問のフリーパスが通用するだけだ。今回はヴォルフシュテイン卿の間諜――要はスパイという扱いにしてしまうようだが、それにしたって本来は色々と面倒がある。

 だが、今危惧しているのは『招かれざる客』の方だ。

 

 レイフォン自身は、その可能性には思い至っているだろう。あれで政治の中枢に棲む海千山千の狐狸妖怪じみた連中とも渡り合っていたりしたのだから、権力大事な人間が『邪魔者』を片付ける為にどう動くかくらいは大体解っている。――まぁ、今は小物しか残っていなかったような気がするが。

 

 問題は、ヴォルフシュテインの天剣の方だ。あの天剣は基本的に人間の悪意には疎い。頭の回転は速いし、察しも良い筈なのだが――なぜか人間の悪意に関してのみ、非常に鈍い。安穏と生きてきた訳でもあるまいに、非常に理解しがたいことではあるが、それも今はどうにも出来ないので脇に置いておく。とりあえず、ヴォルフシュテインの天剣は『そういう局面においては役に立たない』とだけ意識の端に留意していればいい。

 

「――トルキス、」

 

「あー……お前は結構、警戒心強いのにな?」

 

 いつの間にか自分の後ろに顕現していた自らの天剣にそう愚痴れば、彼は微かに眉をひそめて訝しげな視線を向けて来る。それを受けて改めて苦笑し、口を開いた。

 

「ひと口に天剣って言っても、色々なんだな、と。巷では『自律型移動都市を制御する疑似人格プログラム』だとか言われてたりするのにな? ――まぁ、本当にそうなら、色々と突っ込みどころが満載になる訳だが。端的に言って、お前みたいに人間臭い奴とヴォルフシュテインみたいに人間臭く無い奴とがいるし。――これに理由はあるのかな、と少しばかり考えたりするワケ」

 

 この天剣は、ひどく人間臭い。今でこそ表面上は淡々としていて、ともすれば冷徹に見えなくもないが、初めてコイツを見つけた時には、それはそれは凄まじく激しい感情を撒き散らしていたのだ。そしてそれは、酷く人間臭い慟哭と憤激が綯い交ぜになった悲憤だった。

 それ自体は自分にとってはどちらかと言うと好印象に属するモノだった。嫌悪感など微塵も無かった。その激情はおそらくは大切な何かを奪われ、そして喪った故のモノだと、理解も共感も及ぶ範囲だった。

 理解できなかったのは――おそらくはレギオス・サーヴォレイドの天剣、即ち都市そのものであろうその存在に対する、人間側の仕打ちだ。

 

 ――故に、自分は王族もサーヴォレイドの政治中枢にいた連中もすべて、殺した。

 

 そして、だからこそサーヴォレイドの天剣は、自分を選んだ。

 

 当時の人間たちは恐れ戦いたことだろう。何せ、自らの都市が選んだのは、自分たちの王やその一族、要人たちを虐殺して廻り、皆殺しにした大叛逆者だったのだから。

 まぁ、天剣からすれば、そもそも選択肢など無かっただろう、と一蹴しそうだが。

 

「――――かつて人間だったものと、最初からヒトとは遠いものの違いだろう」

 

 感慨に耽っていたため、その言葉に反応が遅れた。理解が遅れたと言っても良い。

 というより、そもそもその点についての返答が返って来るとは思っていなかった。決して短いとは言えなくなった付き合いの中で、幾度と無く発しては無言で返された類の問いである。今回もいつもの流れで訊いてはみたが、返答を期待していた訳では無いのだ。

 慌てて振り返り、何かを言おうとして言うべき言葉が見つからずに、口をつぐむ。

 天剣――夜刀は静かに視線を交わすと、緩慢に瞬いた。血涙に染められたような双眸が微かに揺らぎ、斜陽に引き伸ばされた自らの影に視線を落とす。この時間帯だけは都市の下にも陽の光が差し込んで影が浮かび上がるが、夜刀はこの時間帯になると何処か一人になれるところで遠くを眺めていることが多かった。

 たぶん、あの果ての無い悲憤と、この時間帯の行動の理由は非常に近いところにあるのだろう、とは思う。だからこそ、迂闊に踏み込む訳にもいかずに逡巡してしまう。

 

「――ヴォルフシュテインは元々神霊として生じた。俺は……まぁ、一応、人間として生きていた。だから、お前が感じている齟齬は、あながち間違いでも無い」

 

 だから、と夜刀は吐息を吐いて小さく呟いた。

 

「お前が危惧していることは、俺も考えていた。それに対する好悪は別として、手段として選ぶ者がいるだろうという事くらいは、考えも及ぶ程度には俺は人間に近しい」

 

 生来、神霊であったヴォルフシュテインには無理だろうが、と言って口を噤む。

 

「――これは、あれか? 長年の苦労が少しは報われた瞬間か?」

 

「……何を言っている」

 

「いやだって、お前――ハリネズミの如く警戒心の塊だったお前が、ほんの微かばかりとはいえ歩み寄る気配を滲ませてくれるとは……こう、感無量、的な?」

 

「……茶化す気なら、もういい」

 

 深い嘆息と共に姿を消そうとする夜刀の手を慌てて取り、思わず息を吐いて軽く苦笑した。

 

「待てよ。別に茶化してないから。――お前、都市のハッキングって出来る?」

 

「……出来なくはないが、」

 

 言葉を選ぶように言いよどんだ相手の肩をぽんぽんと叩き、うんうんと何度も頷いて深く同意する。

 

「うん。だいたい解る。こういうのってプロテクトとか互換性とか色々あるもんな。――全統括システムとかは別にいい。てか内部まで侵入しなくていい。都市の表層、追跡とか隔壁操作とか、そういうのでいい。ただ、内部にウィルスがあった場合は――」

 

「……ヴォルフシュテインは、もっと悪意にも敏くなるべきだと思った」

 

「いや、流石にウィルス感知したら、キレてくれると思いたいんだが」

 

「――どうだかな」

 

 やはり、この天剣は察しが良い。皆まで言わずとも察して理解してしまう。僅かに口元に笑みを浮かべて視線だけで先を促せば、どこか「やれやれ」とでも言いたげに嘆息して言葉を続けた。

 

「――三ヶ月だ。その間、光浄都市は本当に最低限の機能しか動いていなかった。連中にとっては、これ以上なく絶好の機会だったはずだ。しかも、厄介なヴォルフシュテイン卿は負傷して戻って来る」

 

 つまり、現状で最も危険なのはレイフォンなのだ。【剣守】さえ押さえれば、『都市を制御できる人間』はいなくなる。【天剣】はそれだけでは『都市を動かすだけの動力源』に過ぎない。【王】は人間社会をまわす為に用意されているものなので、都市を破壊することが目的なら無視できる。

 

 多くの人間が誤解し、そしてその方が防衛上において都合が良かった為に訂正されなかったモノがこれだ。――【天剣】は都市を動かす者。【王】は人々を導く者。【剣守】とは人間と【天剣】――即ち都市とを繋げる為に用意された依代である。故に【剣守】を失った場合、人間は都市に干渉する一切の術を失う。だからこそ、わざわざ高い地位を与えられ、他の降魔や人間に守られる理由付けをされているのだから。

 だが、そんなことはレイフォンも承知しているはず。

 

 そこまで考え、ふとレイフォンの年齢と性格、ヴォルフシュテインの天剣の性格を顧みて――思わず頬を引き攣らせた。

 

 ――知らないかもしれない。

 

 そもそも、自分がこれを知ったのは、自分の天剣が『元人間の神格持ち』であるせいだ。厳密にいうと違うらしいのだが、面倒なのでとりあえずはこの認識でいいらしい。そしてキュアンティスの天剣に会い、気になったことがあって他の天剣にも片っ端から会いに行ったことがある。表向きは『王殺しの釈明』という形ではあったが、それで疑問は確信に変わった。

 レギオスの天剣とは、比較的人間と懇意にしていた神霊、あるいは自らが人間であった記憶を持つ神格持ちである。

 それがなんで天剣としてレギオスにいるのかまでは解らないが、――まぁ、災獣が現れた事と、無関係ではないのだろう。

 

「――なぁ、オレはお前たちが神格なのは知ってる訳なんだけど……考えてみればお前から聞いたのついさっきだし、これって普通は天剣も教えないのか?」

 

「レギオスの民は神格とは縁遠い。伝えたところで、それがどういう意味を持つのかを思い至ることは無いだろう」

 

「つまり、教えないワケね……」

 

「伝えたところで意味が無い。――が、ヴォルフシュテインの王は過去視の恩寵――異能持ちだ。必要であれば既に知っているだろう」

 

「――あの王サマ、転んでもただじゃ起きないタイプだし……王サマの采配に期待しつつ、オレらも準備しますかねぇ」

 

「ケリーを迎えに行くのにかこつけて、な」

 

 その言い方に思わず噴き出し、腹を抱えて笑う。実を言うと、ケリーと夜刀を引き合わせたのは自分である。サーヴォレイドは王が不在の期間が永く、それは夜刀が人間に対して幻滅していたからだ。が、それでは都市としてまわらない。どうにかこうにか説き伏せてみれば、自分が見込んだ人間をつれて来ることになってしまっていた。

 

 ――――あの時は、本当にまいった。

 

 結果的には上手くいったようだが、下手をすると都市がひとつ減っていただろう。

 

「まぁ、ジャスミンとダイアナにケリーを返さないとな。――そういうワケで」

 

 レイフォンがマフムートと共に離れていくのを見送り、ゆっくりと『壁の中』から来たという男へと歩み寄る。

 こちらが近付くのに気付いた男からは警戒している視線を向けられたが、それは気にせず笑い掛けてみた。

 

「――よぉ、お疲れさん」

 

 

 

 








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【Arma 03: WOLFSHTEIN】


『光浄都市ヴォルフシュテイン』

 何故か、長くなった話……トルキスによるリヴァイの都市内観光、みたいな感じです。
 序盤は。


 最後はキナ臭いですが。





 

 

「――よぉ、お疲れさん」

 

 

 そう言って近付いてきた男に思わず眉を寄せて視線を向ける。だが男の方は意に介さず、静かに歩み寄って来た。それに違和感を覚え――ふと気付く。

 この男は、どうやら足音を殺す癖があるらしい。気配を殺している訳では無いが、普通の人間は足音を殺された時点で接近には気付けないだろう。――暗殺者とか間諜上がりにはありがちな癖だが。

 だが、とりあえず今この瞬間は危害を加えるような意思は無いらしい。というか、なんとなくだが、サーヴォレイドの天剣とやらが傍にいる間は、そういう、血を見るようなことはしないような気がした。事実、移動中も休憩中も、自分に話し掛けて来た今も、意識だけはサーヴォレイドの天剣に向けている。それは、完全に護衛の役割だ。第一に天剣、第二に自分、第三に同業者――今はレイフォンで、自分たちはその他くらいに分類されていそうな気さえする。そのくらいには、注意も向けられていない。

 

 

「――何の用だ」

 

 

 だが、話し掛けられたのなら、仕方がない。一応、形だけでも応答する。

 男はワザとらしく肩をすくめて見せると、チラリとレイフォンの背中を一瞥し、軽く嘆息した。

 

 

「どんなにしっかりしてても、あいつまだ子供なんだよなぁ……こう、オトナの一番汚いところも見知ってはいても、理解はしていないから、見ててハラハラすんの。けどまぁ、それをフォローすんのがまわりの大人の役目ってもんでな?」

 

「……一応、同意しておこうか」

 

「よし。――なら、お前さんは俺と一緒に潜入な」

 

「…………は?」

 

 

 満面の笑みで告げた男に、思わずそう返してしまったのは、別におかしくは無いと思いたい。

 

 

 

【Arma 03:光浄都市】

 

 

 

 レイフォンとレン、マフムートを見送った後、トルキスと名乗ったサーヴォレイドの【剣守】は実にあっさりと裏口――おそらくは、都市の機関部整備などで使われているのであろう場所から、宣言通りに『潜入』してみせた。ちなみに、レイフォンたちはきちんと正面の正規ルート――外壁の外側から地上に伸びる非常になだらかな階段とも坂道ともつかない道から帰還している。

 対するトルキスが使ったのは、巨大な脚に設けられている整備通路を利用して都市の底から潜り込む方法だった。

 

 

「……確かに、『潜入』だな……」

 

「正式な訪問じゃなけりゃ、王サマ連中も使う手段だし問題ねぇよ。――レギオスってのは、基本的には鎖された空間だからな。検問も厳しい。正面から行ったんじゃ、地位があるやつはまず間違いなく騒ぎになる。――けど、そんなんじゃ息抜きも出来ねぇからな。第一、どんなルートを使おうが、都市の意識である【天剣】には筒抜けだし」

 

 

 カツン、カツン、と歩を進めるたびに金属で出来た狭い通路に足音が響く。左右には剥き出しのパイプやらコードやらが張り巡らされ、何処からか低く、ごうんごうんと何かが動いている音が床や壁を伝わって来ていた。――正しく、巨大な機械の内部に入り込んでいるのだと、嫌でも実感せざるを得ない。

 

 

「――トルキス、」

 

「ん?――おっと、あったあった」

 

 

 サーヴォレイドの天剣が声を掛け、トルキスが歩みを止める。同じように足を止めれば、トルキスの視線の先には壁と一体化している扉のようなものが見えた。形状的に押したり引いたりするタイプのものでは無い、ということだけは察せられるが、だとすると――城門のように上から吊り下げられていたりするのだろうか。

 

 

「んー……夜刀、パスは?」

 

「お前、此処が他の都市だと忘れてないか?」

 

「それは知らないのか、読めないのか、突破できないのか、どれだ?」

 

「……Fou guwo ga exec bansh syec dand elle Zarathustra. 」

 

 

 傍から見ても投げ遣りな口調と態度で紡がれた言葉に、だが扉は反応した。やや荒々しく左右にスライドして開いた扉を眺めつつトルキスが息を吐けば、その天剣は更に機嫌が低下したらしく、顔を逸らす。

 その様子に軽く肩をすくめて見せ、トルキスは再び歩き出した。それに続いてしばらく歩いていくと、背後で自然に扉が閉まる音が耳に届く。――本当に機械が自動で動かしているらしい。

 

 

「――今のは、暗号か何かか」

 

「ん~? まぁ、暗号と言うか合言葉? けど、今の文をお前やオレが使っても、エラー……弾かれて終わりだぜ?」

 

「……合言葉なんだろう?」

 

 

 思わず問い掛ければ、前を歩くトルキスは肩越しに一瞥をよこし、僅かに嗤う。

 

 

「――まず、さっきの扉をさっきの合言葉で開けられるのは、そいつだけ。個体識別コード……まぁ、管理番号みたいなモンか。それを使ってたからな。ちなみに、この個体識別コードは詐称不可で、それはその個体識別コードを持つ対象の詳細な生体情報があらかじめ登録されているから。ちなみに今のは声紋――要は声で照合したらしい」

 

「……つまり、名前を名乗って、その名前を持つ本人かどうかを声で判別して、間違いなく本人だったから通された、ということか?」

 

「まぁ、だいたいそんなカンジ」

 

 

 ――これは、予想をはるかに超える技術だ。理解しづらいが、その本人かどうかの確認作業もおそらくは機械で行っているのだろう。先ほどの、言葉を発してから扉が開くまでの時間を考慮すると恐るべき速度だ。

 

「そんでさ、」

 

 

 いきなり男の方から声を掛けられて、思わず瞬く。

 

 

「――オレがレジスタンス活動なりクーデターするなら、今日が絶好の機会だと思うんだよ。もちろん、罠である可能性も濃厚なんだが、それでもこの機会を逃すとこれ以上の好機なんて絶対に来ないと解っているから、行動するしか無いワケだ」

 

「……また、ずいぶんと不穏だな。流石は『王殺し』とでも言っておこうか」

 

「うん? あー……誰に聞いたのかは知らないけど、その認識は、たぶん語弊があるからな。てか、オレの場合は特殊な例過ぎて有名になっただけだぞ。たぶん後にも先にも無いだろ。――って、それはどうでも良くてだな? 【天剣】は攻略済み、【王】は病弱でどうとでもなる。残る厄介な【剣守】は、本日めでたくも負傷して帰還、と。――ならば、この【剣守】を確実に潰す一手は?」

 

 

 言われ、考える。同時に、それが今の状況なのかと理解した。

 

 

「……【王】を人質に脅迫する――だと、弱いのか」

 

 

 人質を取ってレイフォンの前に現れるのは、もう自殺行為だろう。なら、誰かを人質にするのではなく、――殺すつもりで、一撃を放つ。

 その時、レイフォンはまず相手を庇う。それは『壁』から出てくる直前の掃討中にエルヴィンを庇ったり他の兵士を庇ったりしていたから、間違いないだろう。レイフォンは、まずとっさの時には自分を身代りにして庇うタイプだ。

 つまり、それが【剣守】を確実に潰す一手となる。

 そう答えれば、トルキスは深い溜息と共に首肯した。

 

 

「その通りだ。――人質など生温い。【剣守】は単独でレギオスを陥落させる程度の力を持つ。そんな相手に人質など取ってみろ。マジ切れした【剣守】に瞬殺されておしまいだ。――オレでもそうする」

 

「――だが、そう簡単に【王】を殺そうとするものか?」

 

 

 どんな王でも、絶対的な権力を持つ象徴として王がいるからこそ、そのお零れに与かることも可能なのだ。だからこそ、逆に王に危害を加えるのは考え難い。

 このトルキスという男は『王殺し』という認識をされているようだが、そもそもそういう認識をされるという事は、翻って通常は『王殺し』などという叛逆は起きない、という事の筈だ。

 

 

「レイフォンの危惧は、そこ止まりだろうな。単純な権力に関わるあれこれの謀略。――だが今回、それだけじゃすまない可能性がある。杞憂ならいいが、もしそっちが『出て来た』としてもアンタは大丈夫だろうし――アンタはレイフォンが動けなくなった時の保険な。もし、レイフォンが本当に動けなくなったら、そっちを頼む。【王】の方は……今回は護衛がいるから心配ないし」

 

「……つまり、自分を片付ける為だけに【王】にまで手を掛けるヤツはいないだろう、とレイフォンは考えている。要は、気を抜いていると言い換えても良い。――が、そこに付け込んでくる奴らがいて、だがそいつらは今回動くかどうかが良く解らない。だから、あらかじめ何かがあっても対処できるように、布陣だけはしておく、ということか?」

 

「その通りだ。――それでいいな、夜刀」

 

 

 そう言ってトルキスは狭い通路の突き当りにあった扉の前で足を止め、サーヴォレイドの天剣に向き直る。

 

 

「――人間と同じで、いくら考えても、俺はこの身体ひとつしかない。考えられるだけの状況の全てに手をまわせるほど、オレは手札も駒も持ってない。――レイフォンみたいに勁量が多い訳でも無いし、イージナスのヤツみたいに協力者も多い訳でも無い。そんでもって、策謀が得意な訳でも無い。――最低限、最悪のシナリオだけは回避するってラインを死守することしか出来ない。それで、いいな」

 

「――それでいい。これ以上は、お前に何も望まない」

 

 

 微かに首肯し、言い切った天剣の表情には、だが何か翳りがあった。それにトルキスは軽く困ったように苦笑すると、手を伸ばして天剣の頭を撫でてから身を翻し、扉を開けて先へ進む。

 その背を視線で追い、ふと歩き出そうとしない天剣に声を掛けようとして、その幽かな呟きを聴いてしまった。

 

 

「――望めるわけが、無いだろう……」

 

 

 思わず動きを止めれば、その隙に天剣も静かに歩き出す。その様子を見送りつつそっと息を吐き、静かに後を追った。――――本当に、『外』にも色々あるらしい。

 おそらくはトルキスの『王殺し』に関することだろう。どうやら、そのことについてサーヴォレイドの天剣は少なからず感じているものがあるらしい。ただそれは怒りではなく、別の感情であるのは雰囲気で察せられた。――後悔、に近い何か。

 

 

「そろそろ外に出る。眩暈、立ち眩みに気を付けとけ、リヴァイ」

 

「……そろそろ日も暮れる頃だろうが」

 

「それもそうか。んじゃ、人酔いに注意な」

 

 

 先を歩くトルキスから言われ、思わず眉間にシワを寄せる。――日も暮れる時間に、そんな人が大勢出歩くのか。

 

 カン、カンと音を立てて階段を上っていくトルキスには緊張は見受けられない。つまり、人が大勢出歩いているという状況は別におかしなものでは無く、また予想は可能な範囲である、という事であるらしい。

 階段を上りきると、トルキスと天剣が簡素なドアの前で待っていた。にやりと笑って口を開く。

 

 

「ようこそ、【流砂の民】の領域――通称、レギオスへ」

 

 

 ギィ、と軋む音を立てて開かれたドアの先には、無数の灯火が輝いていた。

 

 

「……大通りか?」

 

「あァ。もう少し歩いて王宮前の広場まで行く。――オレがやるなら確実に狙えるトコロにするし」

 

 

 ドアを閉めながら応えるトルキスの言葉を聞くともなしに聞きながら、周囲を見渡して思わず溜息を吐く。

 周囲の人々は、おそらくは中流から上流階級までいるのだろう。まぁ、上流階級とはいっても、いわゆる『お忍び』だと思うが。――大半は中流で、知り合いと酒を飲み交わしたり、露店で買ったらしいものを飲み食いしながら歩いている。酒場らしき店からは時折大きな笑い声が漏れ聞こえ、別の店先では楽器を演奏している者に合わせて踊り出す客がいたかと思えば、その周りの客たちも声を合わせて歌い出す。

 だが、そのどこにも『内地』にあるような、どこか退廃的な享楽の気配は無かった。

 ぼんやりと享楽に耽って酒に溺れているのではなく、目に見える者たちは心から楽しんでいるようだった。陽気に、快く楽しんでいる。鬱々とした空気は無く、賑やかで華やかだった。

 

 

「――英雄が帰還したからな。いわゆる、『お祭り騒ぎ』ってやつだ。この辺はお上品な感じだし、まだ静かな方だな」

 

「……どこから驚けばいいのか解らない」

 

 

 真っ先に目に入ったのは、人々の様子だった。しかし、足元の石畳は完璧に整備され、街のいたる所に張り巡らされた水路や噴水の中には、水の中であるにも拘らず光が踊っている。何より、陽は暮れて夜になっているというのに、街は温かい光に包まれているようだった。

 

 

「街の様子は、【天剣】の性質によって結構、違いが出る。光浄都市ヴォルフシュテインは、名の通り光と水に包まれた都市だ。中でも夜景は格別とされる。一生に一度は訪れたい都市ランキング不動の1位を取り続けて――」

 

「待て。なんだそのランキングとかいうのは?」

 

 

 前半はなるほど、と思いながら聞いていたが、後半は一体何なんだ。思わずトルキスの言葉を遮って顔を顰めれば、トルキスは笑いながら肩をすくめる。さっさと歩き出した背中を追い、はぐれないよう慌てて自らも足を動かした。――ここで迷ったら、本当にどうすればいいのか判らない。

 

 

「何って――都市民たちの娯楽? 情報雑誌とか観光雑誌に載ってるような解説。ちなみにウチのサーヴォレイドは近年まで名前も挙がらなかったんだが、ここ数年はちゃんと上位に入ってる。王サマと奥さんのお蔭だな。どちらかというと、就職したいって方向みたいだけど。クーア財閥万歳」

 

「街の様子は【天剣】の性質によって違う、とついさっき言わなかったか」

 

「風光明媚な四季折々の景色があなたの心をとらえた時、あなたは終の棲家にこの都市を選ぶことでしょう――的なキャッチコピーはあったな。実際、のどかで時間の感覚とか曖昧になるし。若者向けじゃなくて、自分の時間を満喫できるような奴が行きたがる都市だな。寺社仏閣巡りが好きなやつ向け――って言っても判らねぇか」

 

「それはつまり、田舎だということか?」

 

「いやいや。仮にも『都市国家』だぜ? 都市部は賑やかだよ。城下町って感じ――って、これでも判らねぇよなぁ……落ち着くし、静かなところも賑やかなところもあってメリハリもあるし、オレは結構、好きなんだけど」

 

 

 そう言ってトルキスは足を止める。見れば、どうやら本当に王宮の目と鼻の先にまで来ていたらしい。広場の中央には大きな噴水があり、その噴水の向こう、50メートルほど先には王宮の扉が開かれているのが見えた。警備の数は予想していたよりも少なく、だが全体的に質が良いと判断する。

 

 

「――って、オイ」

 

 

 トルキスは気負うことも無く解放された門を通り、王宮の敷地内に足を踏み入れた。それに慌てて駆け寄っていき、思わず問い掛ける。

 

 

「入っていいモノなのか?」

 

「ヴォルフシュテインの王宮は観光目的で一画が解放されている。表の庭も解放されているから、普通に出入りが可能だな。――生垣とか噴水の配置の関係で気付きにくいだろうが、普通に一般人もいるだろう?」

 

 

 言われて周囲を注意深く見渡せば、確かにひっそりとはしているものの、人影はちらほらしている。

 だが、これでは警備はかなりし難いだろう。

 それを言えば、トルキスは軽く鼻で笑ってみせた。

 

 

「――そもそも、警備をする必要が無いんだよ、本来は。ヴォルフシュテインの王サマは民衆に大人気だし――むしろ身体の弱い陛下の為に!って見舞いの品が届けられるのは日常茶飯事だし、レイフォンだって【剣守】の中じゃ珍しいくらいに貴族・一般市民・果ては流民まで幅広く支持されてるし、【天剣】は【天剣】でふらっと街中とか農地とかに現れて民といつの間にか交流しているし。――果たしてそんな連中に、反旗を翻そうなんて気を起こす民がいるか? いるとしたら、結果として仕事を肩代わりする羽目になってる宰相か直属の部下くらいだろ。そんでそいつらは、王サマたちに心酔している筆頭だ。――まぁ、単なる愚物はここじゃ生き残れないしな」

 

「……なるほど。そもそも、単純に施政に不満を持つ不穏分子は発生しないのか」

 

「発生する余地なんて、何処にあるよ? 自分の仕事以上に仕事をこなしつつ、かと言って完璧人間では無く、そこそこ頻繁に倒れたり、何もないところで躓いたり、抜けているところがあったりするんだぞ? 民としては『心配』の方が先に来るんじゃね? 主に生活能力の方で」

 

 

 少し、想像してみる。――仕事は出来るくせに、何もないところで転んだりして、思わずそれに手を差し伸べればほわほわとした笑みを返して来るレイフォンを思い浮かべてみて――ああ、と心の奥底から納得した。これは、ちょっと手を貸して世話を焼いてやらないと、いろいろ気掛かりすぎて心配になる。

 

 

「――だから、本当に暗殺騒動まで起こすような奴は、都市内では限られるんだよ。オレが気にしてんのは別口で、たぶんお前がそれに巻き込まれることは無い。だから連れて来たんだし」

 

 

 思わず怪訝な眼差しを向けた時、トルキスが再び足を止めたのと門の方でわぁっと歓声が湧き上がったのは殆ど同時だった。

 その歓声を合図にしたかのように、王宮の中から何人かの人影が出て来る。

 

 

「――あれがヴォルフシュテインの王サマだ」

 

 

 そう言ってトルキスが視線で示したのは、王宮入口に続く階段の上に佇む長身痩躯の青年だった。衣装は黒を基調としたものでまとめられている。――王と云うともっと派手な、たとえば金とか赤とか、あるいは聖なるもののイメージが強い白だとかを身に纏うモノだと思っていたが、そういう訳でも無いらしい。――まぁ、あの布地の滑らかな輝きを見れば、素材自体が良いものであるのは察しが付くが。

 ふと、その王様の背後にある柱の陰に佇む男がトルキスを見ているのに気付き、眉をひそめる。

 

 

「――知り合いか?」

 

「ん? ウチの王サマ」

 

 

 へらりと笑ってひらひらと手を振るトルキスに何処か呆れたように息を吐き、それでも柱の陰に立つ男はひらりと手を振り返す。

 どうやら、警戒する必要は無いらしい。――色々と突っ込みたくはあるが、それは今後の機会に取っておくことにする。

 歓声が近付いて来る。ただ、妙だと思ったのは、湧き上がった歓声がそのまま続くことは無く一瞬後には鎮まり、ひそひそとさざめくような声に変わっていくことだった。

 

 

「あー……徹底的にやる気か、あいつ」

 

 

 トルキスの呟いた言葉に訝しむ視線を送れば、トルキスは思わず、という風に目元を手で覆って考え込んでいる。代わりに、その横にいた天剣がそっと教えてくれた。

 

 

「普段は、もっと笑顔を振りまいて手を振ったりしている。それは、そういう行為が民衆を安心させる為に行われるものだからだ。だから、どんなに体調が悪かろうと、笑顔で手を振らなければならない。――が、今回はそれをしないらしい。半分は黒幕への『それが出来ないほどに、余裕が無い』というポーズだろうが……」

 

 

 不意に人波の間から、レイフォンの姿が垣間見えた。連れの少女に支えられるようにして、ゆっくりと王宮へ――王の許へと歩を進めている。土埃と黒い染みで薄汚れた外套とその歩き方。そして何よりも時折ほんの微かな音を立てて石畳に滴り落ちる、点々と続く濃い雫の痕――血痕に、人々の間から気楽な宴のような気配が払拭されていく。

 

 王宮の正面にある噴水を迂回し、階段の下まで辿り着くと静かに片膝を着いて跪き、頭を垂れる。

 

 数瞬、噴水の水音だけが、その場を支配した。

 

 

「――面を上げなさい」

 

 

 低く滑らかな声が、周囲に沁み込むように響く。マフムートの時は良く透る声だと思ったが、このヴォルフシュテイン王の声はどちらかというと静かな声だ。けれど、沁み込むような深みがある。

 その王が二の句をつごうとした時、トルキスが動いたのと、柱の陰にいた男が動いたのは殆ど同時だった。

 

 

「伏せろっ!」

 

 

 トルキスが民衆を押しのけて向おうとする先、木々の影から銃口を向ける男の姿を見つけ、思わず舌打ちする。とっさにレイフォンの許へ走り出した。だが、――間に合うはずもない。

 

 

 ――――乾いた銃声が、響き渡った。

 

 

 

 





【光浄都市ヴォルフシュテイン】

自律型移動都市
【都市名】光浄都市ヴォルフシュテイン
【都市コード】WOLFSHTEIN_LAGUZ= LEGIONS
【都市の型】円壌型
【基礎製造コード】LAGUZ= LEGIONS:03

詩魔法サーバー
【型番】Infel=Phira:E03
【サーバーコード】
JUKLIZDA_Infel=Phira: E03_FEHU_Infel=Phira00
【使用者上限数(登録ユーザー上限)】1万人
【対応言語】新約パスタリエ、アルトネリコ依存各ヒュムノス、REON-4213、ラグクーア語
(神霊により対応言語疑似拡張。アル・シエラ、律史前月読、契絆想界詩)
【影響範囲】通常時は都市外10km(設計上の最高値は都市外およそ100km)

大地の心臓
【個体名称】Asiann_lyuma
【アドレスコード】Asiann_lyuma=hymme_FEHU_Infel=Phira:E.03
【核の色・形】白い光。形状は通常の【大地の心臓】。
【波動概略】ME-XA-YIR
【波動周波数】2.98×10^18Hz


【天剣コード】Ray-fane_GRANDEE_WOLFSHTEIN
【真名(まな)】劉黒
【性別・外見年齢】男性型・20代半ば
【身長・体重】184cm・68kg
【暫定属性要素】光、氷、境界、守護、白
【神格名】光の調律者、光の王
【神格レベル】10…clear
【神性レベル】100…clear
【総合値ランク】S


※神格レベル……人類における神格としての認知度に依存。0でない限り許容する。
※神性レベル……世界に対する影響度に依存。波動純度の数値。高ければ高いほど(以下、文字が塗り潰されていて判読不可)



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【stig 03:o-ra dur-la kie-kaya cla-diar cla-tiah ; 】

『疾く 強く、誰よりも 狂おしく、力の限り』


 先日、なかなかに愉快な評価コメントを頂きました。
 あまりにも面白かったので、そのうち『何が』『どう』面白かったのか、皆様にもお伝えしようと思います!!

 ……思い出すだけで腹筋ツライです(笑)




 

 ――乾いた音が響いた時、世界が暗転した。

 

 

 だが、別に自分が撃たれた訳では無い。それは、経験上、良く知っている。

 暗闇の空間をただ駆ける。遠近感も距離感も存在しない、ただ真っ黒な世界。

 

 ――だが、こうなる事は予期していた。だからこそ、裏口から潜入したのだし、目指す場所までの距離は目測で歩数として数えていた。

 

 ここが何なのかは知らない。だが、どういう場所なのかは知っている。

 

 

「――――【restoration】」

 

 

 腰に提げた剣帯から錬金鋼を手に取り、復元させる。間に合わせとして持ち歩いているだけの、ありきたりな剣。

 人によるだろうが、基本性能は錬金鋼よりも【宝玉珠】、【宝玉珠】よりも【天剣】というのが通説であり、その通りだと思っている。だが、【宝玉珠】は自我を持つ以上、相性というモノが存在しているし、【天剣】は基本的に自らの都市が危機に陥った場合にしか、その力を揮わない。故にほとんどの【剣守】は時間をかけて調整した専用の錬金鋼を所持している。

 

 だが、自分はそんなものは持っていない。それは色々な事情がある為だが、何よりも大きいのは自分の【天剣】が戦闘時になると「使え」とでもいうように出て来るせいだった。サーヴォレイドから遠く離れた【セラの民】の領域にまで現れた時には、流石に怒鳴りつけて説教したが――果たして効果があったのかは微妙である。ついでに【セラの民】の『守り神』のひとつであるミクヴェクスとは心なしか仲睦まじく見えたが、理由を聴けば『性質が近しい』とのご回答だった。今思えば、あれは『神霊的な性質』のことだったのだろう。

 

 

「――トルキス」

 

 

 ――だから、まぁ。

 予想しなかった、訳では無い。

 

 足を止める。予想しなかった訳では無いが、それでも思わず片手で目元を覆って現状に溜息を吐く。

 

 

「――ホント、頼むから。ここは自重に自重を重ねてほしかった……」

 

 

 この空間は、意思の無いものを融かし、意志が強く力無い者を唆し、毅い意志と強い力を持つ者に牙を向く。故に、神性存在はこの空間を忌避する。いずれは打ち払うとしても、それは今では無い。万が一にでも呑み込まれれば、それこそ残る同胞たちを今度こそ滅びに追いやる原因になりかねない。そういう事なのだと、ミクヴェクスや『鳥の神』から聞いていた。

 

 もう一度深く息を吐き、振り返って細い腕を掴んで引き寄せる。驚いたように息を呑み、瞠目した紅い双眸と、風に散った紅葉を連想する髪が印象に残る天剣を抱き寄せ、もう片方の手に握る剣で目の前の空間を薙ぎ払うようにして斬る。微かな手ごたえと、ガラスが割れたような音と共に何かの動物を模ったと思しき仮面が、ひらりと闇の中を舞って地に落ちた。

 

 

「――――また貴様か」

 

 

 ザワリ、と闇が動き、凝(こご)り、落ちた仮面が浮き上がる。人の目線と同じ高さにまで浮き上がった仮面がそのまま横に移動すれば、後ろから同じ面が現れた。同じようにして増殖していく仮面を冷ややかに眺めながら、小声で低く、自らの天剣に問う。

 

 

「――怪我は?」

 

「無い。……すまない」

 

「そう思うなら、次からはホントに自重してくれ」

 

 

 思わず安堵の息を吐き、右手の剣の感触を確かめる。ここでは意志無きものは存在できない。だからこそ、常に意識しておく必要がある。あって当然だと思い込んでいれば、足下をすくわれる。「あって当然」ではなく、「ここに在るのは、これだ」と確信する。

 

 

「――忌々しい」

 

 

 じわり、と仮面の下に人間の姿が現れる。周囲に浮かぶ仮面と同じだけの数の人影は、だがどれもすべて同じものだった。寸分の狂いも無く。

 

 

「忌々しい。絡繰り仕掛けの傀儡が」

「忌々しい。あと一息であったものを」

「だが」

「だが」

「此度こそは」

「天与の剣、天への扉を鎖す鍵を」

 

「黙れ」

 

 

 天剣の紅い髪をそっと梳き、安心させる為にぽんぽんと背中を叩く。

 正直、ひとりだったなら、どうにでも出来た。罅や綻びを見つけて、あるいは作ってしまえば、そこから帰還は可能だった。

 だが、この【天剣】――強い神威が在っては、悪目立ちしてしまう。こそこそと帰還することは出来なくなった。かくなる上は、無数に湧いて出て来るこの仮面どもを相手にしつつ、帰還できそうな綻びを見つけなければならない。――ちょっとどころか、かなり骨が折れる。

 

 

「……トルキス、」

 

 

 静かな声が、耳に届いた。――言いそうなことは予想がついているが。

 

 

「俺の責任だから、自分でどうにかする。お前は先に――」

 

「それは死亡フラグってヤツでな。お前の場合は単に死ぬより悲惨なことになりそうだから、余計に却下」

 

 

 正直、同じ【剣守】なら「じゃ、よろしく」と言って先に行っただろう。【狼呀の民】あたりも「なら、頼んだ」と言ったと思う。奴らにとっては、この空間は単なる狩場にしかならないだろうし。カナギとか『夜』あたりでも逡巡はしただろうが「ん~……じゃ、いざとなったら逃げるんだぞ」と言って残したかもしれない。

 

 だが、神性存在とか神霊とか所謂『神格持ち』は、この空間とは相性が悪い。明確な理由までは知らないが、とにかく最悪の相性である。ゆえに、ここで戦わせるわけにもいかない。

 

 

「それにな」

 

 

 不満そうな表情をみせる天剣に笑い掛け、左腕に座らせるようにして抱え上げる。とっさに落ちないように首の後ろに腕をまわして来た天剣の反応をくつくつと笑いながら、右手の剣を改めて握りしめた。

 

 

「お前はオレの天剣だろう?」

 

「……何か、否定したくなる言い回しだな」

 

「そこで否定すんなよ。さすがにちょっとへこむぞ?」

 

「……否定はしていない。だが、なんとなく否定したくなる」

 

「まぁまぁ。――お前はオレの天剣なんだから、お前はオレのモンだろう?」

 

「やっぱり、否定したい」

 

「せめて最後まで言わせろ」

 

 

 げんなりとした様子で投げ遣りに先を促す天剣に、思わず肩を震わせて笑う。やはり、この天剣は本来、なかなかに面白い性格だと思う。最近はからかったりすると、稀にこういう元来の性格が垣間見れて結構、愉快な気分になる事も多くなった。

 

 

「――オレは自分のモノを他人に呉れてやるほど、慈悲深くはねぇんだよ。ましてや、それが人類の仇敵なら尚更だ」

 

 

 すい、と手にした剣先を正面の『敵』に向ける。

 

 

「オレはサーヴォレイドの【剣守】。残紅都市の天剣の守り手だ。天与の剣も、天への鍵も呉れてやるものか」

 

 

 獣を模した仮面の者たちが一斉に動き、剣帯から錬金鋼を取り出し、復元した。一糸乱れぬ動きで同時に全く同じ構えを取り、刃を向ける。

 それを眺めながら、嗤ってみせた。――戦略的撤退も何もない。退けないのだから、戦うしかない。戦って勝ち残ることでしか、何も得られないし、守ることも出来ない。

 選択する事すらも。

 

 

「かかって来いよ、狼面衆。――蹴散らしてやる」

 

 

 

 

【stig 03:o-ra dur-la kie-kaya cla-diar cla-tiah ; 】

  疾く 強く、誰よりも 狂おしく、力の限り

 

 

 

 

「――――愚かな」

「愚かな」

「我等は無限の槍」

「彷徨う凡百の魂」

「我等は」

 

 

「ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさと掛かって来い。それとも、無限の~とか言ってもやっぱ消滅する可能性は怖いのか?」

 

「――――」

 

 

 無言。そして、やはり動かない。

 

 これでほんの僅かばかりの期待は潰えた。その事実に思わず溜息を吐く。

 

 

「……トルキス?」

 

「あー……。こいつらの狙いは、時間稼ぎなんだよ。ついでにサーヴォレイドの厄介な剣守を潰せれば重畳。さらに神格持ちが堕ちれば僥倖――ってトコじゃねぇの?」

 

「……時間稼ぎ?」

 

「そうそう。――流石に、オレから動くと一斉に襲い掛かってくるだろうし。オレ一人だけだったら無茶な特攻でもやってやれないことは無いけど、今それをすると思いっ切りお前の意思に反しそうだし」

 

 

 さすがに此処まで明確に『こいつら』が動いたのだから、他の【天剣】や他の神格持ちも気付くだろう。正直、『こいつら』は人類の仇敵と言って差し支えないが、同時に相対し、争っているのは『神格持ち』――特に自律型移動都市の【天剣】という役に納まっている『神格持ち』である。ぶっちゃけ、ほとんどの人間たちはこの争いには関知していない。というより、そもそも感知できないようになっているらしい。

 

 ……さて。それはそれで、オレとしては別に構わない。ただ、王様たちにバレたら、それはそれはおっそろしいことになると思うが、それは解ってるのか、と突っ込んでみたこともあった。サーヴォレイドの場合は王サマより奥さんの方が怖いだろうが、ヴォルフシュテインの王様は普段は静かでもキレるとマジで怖い。基本的に、レギオスの十二王たちは良い王様連中である。ただ、だからこそ踏み越えてはならない一線というべきものが明確に存在し、【天剣】が現在進行形でしている『隠し事』は確実に王様連中の逆鱗に触れるか、地雷を踏み抜くかするぞ、と。――まぁ、何人かの王様にはすでにバレているんだろうなぁと思いながら、真っ青になって硬直している夜刀を眺めて愉しんでいたりした訳だが。

 

 閑話休題。

 

 何やら夜刀は悶々と考え込んでいるし、狼面衆どもは動く様子が無いし――と考えたところで、ふと耳が痛いほどの静寂の向こうから、幽かな音が聞こえた気がした。

 だが、他の連中は気付いていないらしい。――まぁ、この中で身体の性能が一番高いのはオレだろうし、それはいい。ただ、それが聞き覚えのある声だったことには単純に驚いた。

 

 

「――夜刀」

 

 

 低く、呟くように小さく声を掛ける。この声に応じて、夜刀は視線だけをこちらに向けた。

 

 

「世の中には役割ってものがある。お前は自分の役割を果たせばいい。――その力は、ここで揮うモノじゃない筈だ」

 

 

 血に染まったような色の眼差しが揺れる。やはり無理を通そうと考えていたらしい。釘を刺しておいて良かった。こんなくだらない足止め程度で、病み臥し、痩せ衰えた奴に戦わせるなど言語道断だ。とりあえず、きちんと掴って落ちないように気を付けておいて貰えれば、それでいい。

 

 だが、どうも不安というか、不信というか、そんな感じの疑念が眼差しに見え隠れしている。実力を疑われることは、例の件を目の当たりにしている以上はあり得ない。だが、かと言って狼面衆には何の感慨も向けていないので、やっぱりこの疑念は自分に向けられているのだろう。――ふむ。

 

 という訳で、自分と夜刀の立場を入れ替えて考えてみる。

 

 ――――何故あの時、自分を助けてくれたのか。

 ――――自分の存在は、コイツから自由を奪ってしまったのではないか。

 

 大体このあたりだろうか。だとすれば、これは重症だ。きちんと話をしてやらないと、こいつは自己嫌悪で憤死しかねない。あまりのんびりする訳にもいかないが、一点だけははっきり言っておかないと支障が出るような気がする。

 夜刀、ともう一度呼べば、相手は僅かに眉根を寄せて眼を細めた。それに思わず苦笑を零す。目は口ほどに物を言う、と云うのは本当だなと思った。

 

 

「オレがサーヴォレイドに留まっているのは、間違いなくオレの意思だ。だから、お前もいちいち気にするな」

 

 

 意表を突かれて瞬いた夜刀に言い聞かせるように、言葉を重ねる。

 

 

「――あの時、見なかったことにしてお前を見捨てることも、お前に手を伸ばして助けることも、等しく選択肢としてオレの中にあって、それで結果としてお前に手を伸ばしたのはオレ自身の選択と意志だ。だから、それによって生じたオレの不利益は、すべてオレ自身の責任だ。心配してくれるのは嬉しいが、お前が気に病むことじゃない。てか、勝手に気に病むくらいならオレに訊けばいいだろ」

 

「…………お前の言葉は、俺に都合が良すぎる」

 

「だから信じきれない、と。――よし。これについては後でゆっくりじっくり話し合おうか。理路整然とした理詰めバージョンと直感的な感情論バージョンがあるからどっちから聞きたいかくらいは考えとけよ」

 

「え、ちょ」

 

 

 また何かを言い掛けた夜刀をしっかりと抱え直し、にやりと笑ってみせる。

 

 

「往く先を示せ。切り拓くのはオレがやる。だからお前は、道を牽け」

 

 

 そういう役割のはずだ。元々、【天剣】と【剣守】はそういう関係だったはず。――たとえ時間とそれぞれの想いが、それを歪ませてしまったとしても。

 

 

「――聲が聴こえるな?」

 

 

 囁くように告げれば、夜刀は一拍だけ耳を澄ませるように緩やかに瞬き、小さく頷いた。

 

 

「たぶん、向こうも探してるだろうから、応えてやれ。後のことは気にするな」

 

 

 応えは聞かずに、剣の感触をもう一度だけ確かめる。

 夜刀はゆっくりと整息し、そして短い詩を紡ぎ出した。

 

 

「―― koh ih=ef veln-iz; som sie-na-eq ih=ba-fawy-ir; 」

 

 

 悲憤と慟哭が色濃く滲む、涙に濡れて震えるような旋律。

 自分には判らない言語を選択したところを見ると、あまり聞かれたくない本音でも綴ったのだろうか。

 

 ――だが、今は。

 

 旋律が奏でられたと同時に一斉に動きだそうとした『敵』の気配を感じ取り、自分から走り出す。

 目の前に立っていた邪魔な敵を切り倒し、そのまま突き進む。前へ。ただ前へ。襲い掛かって来る狼面衆の剣戟を手にした剣で防ぎ、受け流し、斬り返して薙ぎ払い、槍衾の闇を駆け抜けた。

 

 

 

 




「―― koh ih=ef veln-iz; som sie-na-eq ih=ba-fawy-ir; 」
(心が張り裂けそう……目の前の光景が私を打ちのめす)

 こちらは契絆想界詩です。
 かなり古い言語なので、トルキスも即座には解読できませんでした。
 そもそも、人類用の言語では無いですしね!!



―――――
――――



 ところで、頂いた評価コメントを紹介するのって、規約違反になったりするんですかねぇ……?

 あとで確認しておきましょう。


 あ。【投票数:1】ではあったんですが、ある事情により、ある点においては感謝しているので(笑) 個人的にはむしろお礼メッセを送りたい。でもなんか、逆上されるかスルーされる気がしてるので、どうしたもんかな、とw

 とりあえず、この方のお蔭でようやく【調整平均】が表示されるようになったので、その点に関してはありがとうございます!!



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【stig 04:Lor be se Gillisu feo olfey cori ende olte 】



『見送る者の、始にして頂』

 こちらはセラフェノ音語より。





 

 

 目の前の敵を切り裂き、息を吐く間も無く走る。

 

 技量は問題無い。対処できる範囲だ。体力も問題無い。この身体にそんなものは設定されていない。何故、完璧主義者のあいつが設定しなかったかなどは知らないが、たぶん別のところで完璧主義を発揮していたのだろう。そう、たとえば、『どれだけ人間の感情表現を再現できるか』とか『肉体が精神に引きずられる状態』だとか、そういう部分で発揮していたのかも知れない。

 現にいま、真面目に困った状況なのは、『精神』のほうだ。

 こんな暗闇の何もない空間で、ひたすら走りながら目前の敵を切り伏せ、襲って来る敵を振り払い、薙ぎ払いしているだけの、『終わりの見えない状況』に精神的な疲労が蓄積されるのは、ごく当然のことで。しかも肉体が精神的疲労に引きずられるのも、ごく当たり前の事だといえる。

 はっきり言って、流石に疲れた、というのが正直なところだった。

 だが、身体は反射的に襲って来る『敵』に対応し、的確に致命傷を負わせている。――元々、本当に生きているのかどうかは知らないが。

 

「――なぁ、夜刀」

 

 呼び掛けながら剣を振りかぶって来る一人の狼面衆の首を刎ねて斃し、ふと気付く。

 そう言えば、自分からこの天剣に声を掛けるのは、実は滅多に無い気がする。必要な時は大体、天剣の方から声を掛けて来るし、用がある時も同様だ。そして、特別に用がある訳でも無い時にも、声を掛けて来るのは基本的に天剣――夜刀の方からで。

 元々、自分が天剣の名をあまり呼ばないことは自覚していたが、そもそも、自分から声を掛けることが少なかったかもしれない事実に思い当たり、思わず動きが鈍る。

 その一瞬を突かれたのは流石に偶然だろう。自分では無く夜刀に向かって放たれた剣閃を、剣を握る右腕で防ぐ。金属がぶつかり合う鈍い音が響き、夜刀が息を呑む気配を感じながら、肉薄してきた狼面衆を右足で蹴り飛ばした。

 

 

 

 

【stig 04:Lor be se Gillisu feo olfey cori ende olte 】

 見送る者の、始にして頂

 

 

 

「トルキス…ッ、」

 

「暴れんな。――大丈夫だから」

 

 多少、皮膚は傷ついたが痛みは無い。

 というか、脳に直接、痛みの信号を送りつけるかでもしない限り、この身体は痛みを感じない。その分、自分で常に身体の状態をチェックしていなければならないが。気が付いたら首だけになってたとかいう状況にでもなったら笑えない。――もっとも、それが出来る奴はかなり限られているが。

 

 

「――止まったな」

「止まった」

「止まった」

 

 そう。一瞬の不覚で、足を止めてしまった。

 そして、そうなれば狼面衆に再び完全に囲まれてしまう。だからこそ、走り続けていたというのに。

 思わず自分の不甲斐なさに嘆息し、周囲に目線を走らせる。ざっと30体を数えたところで、数の把握は諦めた。そもそも、こいつらに数は意味を成さない。文字通り、無限に湧き続けるのだから。

 

 

「ここまでだ」

「ここまでだ。絡繰りよ」

「逃げ場は無い」

「これ以上の好機は無い。故にここで」

「分不相応な絡繰り人形は退場するが良い」

 

 向けられる言葉をとりあえず聞いているフリで左から右へと聞き流し、どうするかな、と考える。

 正直、自分が出来ることの範囲内に、打開策は無い。オレ自身には界を渡る能力は無いし、こう、空間自体を切ったり繋げたりとか、そんな力も無い。というか、自分は『【降魔】の身体構造を再現したサイボーグ』でしかないのが実情だ。そんな都合の良い特殊能力なんて発現しないだろう。

 ――いや。例外があった。【セラの民】には機神と呼ばれるアンドロイドが数体、存在する。特定の神性存在から加護を与えられたアンドロイドだ。

 つまり、特定の神性存在ならば、特定の条件を満たした者に生物・無機物を問わず、加護――つまり、なんらかの特殊能力を与えることが出来るのだろう。だが、おそらくはこの場合、特定の神性存在というのは『元から神性存在として生じた』タイプの連中であって、『人間から神格の領域にまで至った』タイプでは無い、とも思われる。

 根拠は単純で、散在する民の伝承・伝説・神話・逸話を紐解いて実在する神性存在に照らし合わせて考え、分類した結果だ。何せ神性存在の実物にまで逢って話をしているのだから、それほど見当違いでも無いだろう。

 

「――出来損ないの裏切り者よ」

 

 少しばかり耳に痛い言葉が入り込んできた。

 別にその言葉自体がどう、という訳でも無いが。ただ、あまり人に知られたいとは思えない話であるだけで。ついでに、夜刀には特に知られて欲しくないな、と思っていただけで。こう――信頼がどうとか言う以前に、物凄く拗ねられるか怒られるかしそうで。

 

「――――トルキス」

 

「……はい、」

 

「降ろせ」

 

 静かな、そして低い声が、夜刀から発せられた。思わず息を呑み、そっと降ろしてから嘆息して天を仰ぐ。――この空間に、広い蒼穹なんか見えないが。

 

「詳しい話は、後でじっくりするとして、だ」

 

 ゆったりと、静かな声が響く。妙に寒い気がするのは、きっと気のせいじゃないんだろうな、と思いながら、同じく静かな威圧感に圧倒されて動けなくなったらしい狼面衆を見渡した。今なら突破できるかもしれない。――――この天剣の怒りを、無視する勇気があれば。

 

「――黙って聞いていれば、ごちゃごちゃと。言うに事欠いて『出来損ない』だと? よくも斯様な戯言を、私の前で口に出来たものだな」

 

 ――え。反応したのソコ?

 などとは、間違っても口に出さない。

 理由? そんなもの――これ以上、不用意に夜刀の逆鱗に触れないためだ。突っ込んでしまえば、高確率でオレに対しても怒りの矛先を向けて来る。

 

「そもそも――」

 

 夜刀がこちらに視線を向けてきた。苛立たしそうに、すぅっと目を細める。

 やっぱ美人だと怒ってる姿も綺麗だな。眼福眼福。――これは現実逃避だと理解しているが、ちょっとあまり直撃は受けたくない。

 

「お前も、何故、言わせておく? この、取るに足らない塵芥どもは、お前を貶しているんだぞ」

 

 ……うん?

 思わず瞬き、まじまじと夜刀を見つめる。――今の言葉を解釈すると、こう……え。いやいや、まさか。

 

「いや。別にどーでもいいヤツにどう評価されようと、どうでも良くね?」

 

「それは同感だ。――だが、こいつらはお前を『出来損ない』だの『絡繰り人形』だの『分不相応』だの言ってくれたんだぞ」

 

「…………なぁ、」

 

 苛烈な眼差しで睨んでくる夜刀を眺めつつ、思わず頬を掻く。重大にすれ違ってるような気がする点をハッキリさせるために、再び口を開いた。

 

「ひょっとしてオレ、それなりに多少は大事に思われてんの?」

 

「…………」

 

 夜刀の眼差しが、凍り付いた。同時に表情が抜け落ちる。そのまま背を向けて一歩を踏み出した夜刀を慌てて袖を掴んで引き留め、しかし言うべき言葉が思い浮かばずに視線を泳がせた。

 

「あー……いや。その、な? なんつーか、意外っていうか」

 

 悪気は無い。それはもう、まったく無い。というか、むしろ、こいつは人間を嫌ってると思ってた。だから、必要以上にこちらから絡もうとはしなかった訳で。

 

「えっと……理由が、解らないんだが」

 

 本当に。言ってしまえば、この一言に尽きる。

 嫌われているならば理解できる。そっちの理由は、見当もつく。だが、嫌われていないどころか、一応多少は気に掛けてくれているらしい。しかし、その理由は見当もつかない。

 

 ――ん? いや、待てよ?

 ひょっとして、見方を変えれば、ありかも知れない。こう、前提条件が違うというか。

 

「……ひょっとしてお前、オレが無条件でお前を助けた、とか思ってるか?」

 

「――――いけないか」

 

「いやいや。いけなくはない。けどな? オレはオレで目的があって、それに合致したから助けたんだよ。ついでだ、ついで。そんなんで感謝されたり、恩義感じたりされても居心地悪いだろうが」

 

「お前の事情など知った事か」

 

 ――はい?

 

「俺は――誰かの助けを必要としていた。この、砕けた力のひと欠片程度では、出来ることなどたかが知れている。誰かの手が必要だった。現状を動かすために、自分以外の手が」

 

 凍えるような冷たい声で、淡々と言葉が紡がれる。

 

「――――誰でも良かった」

 

 だが、その言葉は何故か、懺悔のようで。

 

「誰でも良い――そんな馬鹿げた声に応えてくれた馬鹿は、お前だけだった。それに感謝して何が悪い」

 

「悪いとは思わない、けど……」

 

 不意に、夜刀の紅い眼差しが揺れた。ざわりと空間が揺らぎ、威圧感が増す。

 

 ――あ、やべ。完全に怒らせた。

 

「――そうか。そうだろうとも。だが、今はそんなことはどうでもいい。ただ、これだけは言っておく。――ああ、だが、そのまま言っても通じないようだから、お前にも理解しやすく噛み砕いて言ってやろう」

 

 軽く鼻で笑って、口元に嘲笑を浮かべる。――が、無論の事、眼は笑っていない。

 正直、やっぱ美人だなぁとか、今日はよくしゃべるなぁとか、そんなことが脳裏に浮かぶが――解っている。これは、現実逃避の一種か、むしろ現実を直視しないことで精神の安寧を得ようとしている無意識の行為に他ならない。

 

「――お前は、俺の【剣守】だろう。ならば、この程度の塵に侮られることなど、俺が許さない」

 

 いっそ清々しいほどに、傲慢な言葉。

 だが、そうだ。『かつて人間だった神格持ち』など、そういうモノ。自らの覇をもって他を支配する。そして、――そんなことは、どうでもいい。

 自分もずっと夜刀に対して遠慮している部分があったが、どうも夜刀も長らくオレに対して遠慮していたらしい。そして今、その遠慮を切り捨てた。

 思わず嘆息し、そうして笑う。

 

「―― Yes, My lord. 」

 

 芝居がかった所作で一礼してみせれば、夜刀は呆れたように息を吐いた。

 

 

―――――





 肩が痛くて、PCツライ……です……(泣)

 てか、マジで痛すぎて首肩動かせない……。どうしよう。整体にまた通うべきなのか……?




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【stig 05:elmei xaln was teo uc yahe clar 】


【elmei xaln was teo uc yahe clar 】
 『全ての扉に言葉の鍵を』


 前回同様、セラフェノ系の言語です。




 …………あ。
 此処まで来てしまったという事は……そのうち、『神留る夢』の方も引っ張って来ないといけませんね……。う~ん……。ここでも構成が……(悩)





 

 

 手にした剣を軽く振って肩に担ぐ。

 

「で?」

 

 遠慮を切り捨てたらしい夜刀に合わせて、とりあえずは自分も遠慮はしないことにした。意識を切り替え、改めて確認する。

 

「お前に、この状況を打開する手はあるか?」

 

「伝手ならあるな。――手が無い訳でも無いが、あまり分がいい賭けにはならんだろう。正直、人類保全計画には途中からの強制参加だったから、あまり詳しいことは聞いてないし、ゼロ領域についても良く判らない」

 

「……なんか、すげぇ壮大な単語が出て来たな」

 

「今は関係ない。……いや、問題はゼロ領域――この空間そのものではなく、オーロラ粒子の方か。幸い、俺は元々覇道の神格。よって影響自体は相殺されるが――相互作用、という部分においては問題がありそうだ。あるいは、相乗効果」

 

「あー……結論は?」

 

「……お前がいるなら、無茶できない、と言ったところか」

 

「――――そうきたか……」

 

 どうやら、ここで一番の足枷は一応人類に分類されるオレであったらしい。思わず嘆息し、肩をすくめる。

 

「……んじゃ、離れても平気なんだな?」

 

「――それが、俺への気遣いなら、不要だ。だいたい、こいつらも俺が欲しいのであって、別に殺そうとは思っていない。排除したいとは思ってるかもしれないがな」

 

「それは、具体的にどう違う?」

 

「――味方につけるか、精神を縛って封じ、人形にする。あるいは理性を失わせて狂わせ、禍津神に堕とす。それらが達成できない時、どこか別の空間に押し込んで封印する。消滅させるのは、現状ではどう足掻いても不可能だし、ただ消滅させるのは惜しい――――よって、現段階で消滅を狙って殺しに来ることは在り得ない」

 

 ――物凄く、離れるのが心配である。

 

 というか、その状況は、もしかしなくてもオレがコイツを見つけた時の状況ではないだろうか。だとすると、あの時、あの状況の裏では、こいつらも糸を引いていたということだろうか。

 そうであるならば――手を抜く理由も、退く必要も感じない。だが、同時にこいつら――【狼面衆】だけでは、不可能であっただろう、とも思う。つまり、更なる黒幕は他にいるという事だ。

 

「有効だと断言できる策は無いが、伝手ならある」

 

 繰り返す夜刀の言葉に、思わず胡乱げに瞬く。改めて夜刀を見遣れば、彼は軽く肩をすくめて見せた。

 

「とりあえずは、時間稼ぎだな。――本来は得意分野なんだが、ゼロ領域で流出する訳にもいかない。よって、さっきまでと対処方法は変わらない。……が、待つだけでも時間はかかるだろうし、こちらからも詠んでみるか」

 

「……とりあえず、オレは戦ってればいいのか? この数相手にお前を守りながらってのは、だいぶ骨が折れるんだけど」

 

「――出来ないのか?」

 

 ただ単純に訊き返してきた夜刀は、きょとん、というような顔をしていた。――非常に、珍しい。それに、こう……下手に挑発されるよりも、だいぶ効果があると思う。

 

 深く息を吐き、軽く首を振って夜刀より3歩、前に出た。

 

 

「――【restoration:02】」

 

 

 流す勁を微調整して、手にしていた剣を身の丈ほどもある片刃の大剣へと変える。もう一度、ぐるりと周りを見渡し、目前の敵に跳び掛かった。

 

 

 

 

 

【stig 05:elmei xaln was teo uc yahe clar 】

 全ての扉に言葉の鍵を

 

 

 

 

 

 目前に迫った狼面衆の首を飛ばし、そのまま右から躍り掛かって来た3人の狼面衆をまとめて薙ぎ払う。遠心力を利用して背後に振り返りつつ大剣を引き戻し、振り下ろされる白刃を防いだ。

 

 一瞬の拮抗。

 

 それを軽く嗤って力任せに弾き返す。ついでに首を狙って回し蹴りを当てれば、骨の折れる音と感触が伝わった。

 一通り近付いてきた奴らを斃したのを確認し、軽く息を吐いて夜刀の方へ振り返る。

 

 

Ulma Ivis sheon rien-c-soa

 黄昏の鐘を鳴らしましょう

 

 

 滑らかな旋律が聴覚を撫でた。視界の先で紅蓮の髪が炎のように揺れ、不用意に間合いに入ったらしい狼面衆が地に頽れるようにして沈む。

 

 ――そういや、あいつ……

 

「……あれでも、武神なんだっけか……」

 

 出逢いのせいで、どうにも過保護になっている自覚はあるのだが。それでも、武器を持った複数相手に徒手空拳で立ち回るというのは、出来れば止めてもらいたい。こっちの心臓に悪い。――機械仕掛けの心臓だが。精神衛生上、好ましくない。

 しかも、だ。

 

 

kui-chen-uia zen-yy-nr noh-iar-ne kyu-la-du;

 砕けた星の 欠片を集めて…

jen-fa-uia zen-yy-nr nay-nei-ne sye-iy-du;

 砕けた命の 色を重ねて…

mao-uia zen-yy-nr rei-ne uru-du;

 砕けた心の よすがを辿って…

 

 

 歌いながら、というのは……こう、なんというか、相手が居た堪れないような気持ちになる。同時に、本当に【剣守】なんか必要だったのか、とも思ってしまう。

 

 ――いや。ほんと、なんで【剣守】なんかいるんだろう。

 

 『表向き』の理由だけなら、納得できるのだ。要は、都市の核でもある【天剣】を最も的確に扱えるであろう人物が【剣守】となる、という話であるだけなのだし。だが、実際の『裏事情』を微妙に見知っている自分としては、こう――色々と突っ込みたい、気がする。

 とりあえず、討ち洩らしが夜刀の方へ向かう分には、対応できるようなのであまり気にしないことにした。

 

 

wa-fen-du pe-wez-iz-chai;

 世界を繋ごう

 

 

 ――――不意に、空間の気配が変わった。

 

「馬鹿な」

「馬鹿な」

「何故」

「何故」

「何故だ」

 

 口々に騒ぎ出した狼面衆の1人を、とりあえず大剣で叩き潰して悠然とあたりを見渡す。

 ふと。

 虚空を仰げば、遥かな天上の闇を引き裂いて、一条の天河が横たわっていた。空間自体も、さっきまでよりはるかに広くなったような感覚を受ける。

 夜刀は――ここに在る『神格持ち』は神性語でもって『世界を繋ごう』と謳った。つまりこの現象は、その一言に集約される。

 神霊が神性語で謳い上げれば、奇跡が起きる――というのは、何処の伝承だったか。『奇跡』と称するにはいくらか語弊があるものの、まぁ、間違ってはいない。良く『詩魔法サーバー』の効果と混同している者もいるが、『奇跡』を模倣したのは『詩魔法』の方だ。

 

 

wa-fen, tes, ye-ra jec, aru-yan, gin-wa-fen;

 空間 時間 可能性 融合 多元

a-z wa-fen-du chef-in yan=koh wa-fen-du refu;

 全ての世界を越える波動こそが この世界を救う

 

 

 さて。

 夜刀は、『よんでみるか』と言っていた。『呼ぶ』なのか『詠む』なのかまでは把握できなかったが、序詞がセラフェノ系言語だったことを考えると、おそらくは後者。【セラの民】の領域で名詠式と称される――いわゆる、召喚魔法のアレンジだろう。

 厳密には、『伝手がある』といっていたから、【セラの民】の領域を守護する神霊を呼ぶつもりなのかもしれない。何故か仲も良いみたいだし。

 

「――おっと、」

 

 状況を把握したらしい狼面衆がいっせいに走り出す。正面から向かって来た狼面衆を3人の胴を同時に薙ぎ払い、左側を通り過ぎようとした奴には鳩尾に肘を入れ、少し遅れて向かってきた奴は右足で蹴り飛ばした。同時に左袖に隠し持っていたナイフを数本取り出し、夜刀に迫る何人かの後頭部を狙って投擲する。

 結果は確認せずに再び振り返って適当に一閃し、追撃する狼面衆を牽制しながら夜刀の傍まで低く跳び退った。

 

「あー、……やっぱこいつら苦手」

 

 思わず小さく零せば、ふっと夜刀が笑う気配が背後でした。……あれ。普通に笑うのは、とてつもなく珍しい気がする。いや。それとも、あれか。実は俺だけが知らないとか、見ていないとか、そういう事だったりするんだろうか。それはそれで――自分が情けない。

 

 

fam-ne wa-fen-ny rei-yah-ea;

 遥かな世界にまで 届くように…

 

 

 闇を引き裂いた天の川から、天蓋を翻し、取り外すかのように夜の宙が広がった。蒼い黎明色のオーロラが揺らめく。

 その天上から降り注ぐかのように、夜刀への返歌が返って来た。

 

 

Isa da boema foton doremren

 さあ 生まれ落ちた子よ 

De peil, Ee dewl nec Zsary

 だいじょうぶ、泣かないで

Se wi lisya Sem memori

 わたしの歌を 聴かせてあげる

 

 

 予想していたよりも、はるかに幼く、軽やかで可憐な歌声。

 

 

En Zec pheno tis clar lu hem Eec shez,

 わたしの名前とわたしの歌が、あなたの翼にそっと触れ

ende cela sohit fel Zec nazal

 あなたの想いを祝福します

 

 

 ――まさか。

 

 

「――『世界の境界を超える』ということに慣れている知り合いがいるからな。向こうも見つけてくれたみたいだし、もう済むだろう」

 

「いや……いや。確かに、『名詠式』=『召喚魔法』=『界渡し』なんだろうけどな!?」

 

 この歌声の主は――色々と反則であると思う。こう――雑魚戦に創世神の一柱を引っ張り出すのは、どうなんだと声を大にして叫びたい。

 

 

C/ erch mihhiy, evoia valen tis ria elmei Ema.

 さあ 幾千にも織りなす 全ての意思に捧げる祈りの道となれ

 

 

 遥かな天上、宙に流れる天の川が揺らぎ、うねり、圧倒的な白い神威として突き刺さるように降り注いだ。

 

 

 






 ちなみに、Pixiv版で読んでた方には、「……あれ?」と思った方もいるでしょう。「なんか、抜けてない?」と。
 はい。一話分、抜いてあります。Armaの方ですね。ただ、これは後々でまとめる予定なので、削減した訳ではありません。
 ご安心ください。





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【stig 06:夢見る蛇 -Miqveqs-】


 【Miqveqs】ミクヴェクス――意訳するなら、『夢見る蛇』あるいは『ただそこに佇立するもの』。不変性の蛇。セラの左身。移ろわざる者。




 

O ric ole wi, pile noi myizis egic

 夢、理想の空隙へ沈み

O ric shel wi, cross Kyel solit lef Miqis I

 願、現世の孤独へ帰る

 

 

 一滴の雫のようにその旋律は紡がれ、一面の闇の中、白く輝く波紋となって広がっていく。

 透明な涙にも似た詠に闇はざわめき、戸惑うようにじわりと謳い手の周囲に仮面がいくつも出現した。

 

「――【夜】よ」

「真なる敗者の王よ」

「音を紗る者よ」

「空白の名詠者よ」

 

 狼面衆の声に応じるようにシャオは微笑み、しかし詠を紡ぎ続ける。

 

 

clar dackt, mihas r-madel, elmei valen lihit vel yulis

 歌潰え、絆は絶たれ、祈りの一切空虚を望み

Sera, Sew ele slin Kyel cielis cley

 そしてまた わたしも彼方の地へ旅立とう

 

 

「邪魔をするか」

 

 

xeoi loar kis flan-l-keen, Uhw kis hiz tinny lef riris ende Zarah

 夜の風は冷たく、鋭く それは約束と福音の物語

 

 

「敗者の王と冠する貴様が敗者を邪魔するか」

 

 

kamis wire r-gorn uc nazarie rei

 罪色の雨は 記憶の筐を錆びつかせ

yupa hiz loar nec cross-Ye-yulis noi missis ciel

 もはや帰ることのない風は 遥かなる彼方へ消えていく

 

 

「忌々しい」

「忌々しい」

「我等の行く手を阻むのならば」

 

 狼面衆が一糸乱れぬ動きで錬金鋼を抜き、復元させた剣を構える。

 それを見守るような眼差しで眺めるシャオは、未だ微笑みを浮かべたまま。その様はどこか、殉教する聖者を連想させる。

 攻撃の意思も、撃退の意思も示さず、ただ全てを受け入れるような眼差しで、ただ詠い続ける。その行為こそが、狼面衆を無意識に躊躇させていた。

 攻撃すれば、甘んじてそれを受けるような。そんな姿を予感させる。

 では、こちらに引き込めばどうか? ――――それも、受け入れるような気がする。

 わからない。

 だが、そう。

 わからないのだから、不確定要素を排除する為に、その芽は摘まなければなるまい。

 総意を定め、摘み取る意思を明確にする。剣を片手に走り出し、肉薄する。

 

 

O hepne Sec yahe,

 眠れよ我が身

ria ole fert et dackt stery

 全て千々に潰えた夢のため

 

 

 近付く無数の刃を前に、それでも【夜】は微笑んだまま。

 緩慢に瞼を下ろし、瞑目する。

 

 

O iden Sec virse,

 沈めよ我が詩

ria elmei valen

 全て一切の祈りのために

 

 

 軽く両腕を広げて佇む姿は、迷い児を抱擁しようとする慈母像にも似ていた。

 

 

O kills Sec haul,

 凍れよ我が灯

ria mihas r-madel zayxus

 全て永劫に絶たれし絆のために

 

 

 無防備な【夜】に向けて剣を振り下ろした瞬間。

 高く澄んだ硬い音と共に、剣が弾き返された。

 

「――あまり、調子に乗るなよ狼面衆」

 

 精緻な刺繍が施された鮮やかな深緋の衣が、眼前で翻る。

 

「大人しく時が来るまで待っていればいいものを。――自ら救済の手を取らないことを選んだのだから、せめて黙って見届けろ。それが嫌なら、慈悲深い神霊が手を差し伸べた時に素直に手を取れ。それ以外で手を出すな、干渉するな、何より邪魔するな。お前らがこの世界を恨むのは、そもそもお門違いなんだよッ!」

 

 そう言って『鳥の神』の使いである【守人】は動きの止まった狼面衆を手にした刀で切り伏せた。流血は無い。ただ、再び闇の中へと溶けるように霧散する。

 

 

wi mille-l-pelma pheno

 さあ 生まれ落ちた子よ

wi E kiss hiz qelno, nifit elmei iden

 見届けなさい 世界の全てが沈んでも

ria-ia sophia, Sew ele dia Kyel ririsis laphia

 それでもなお、約束の丘へと私は歩く

 

 

 紡がれる詠が、終わりを迎える気配。

 ふわり、と。

 大気が動き、風が流れた。

 詠と共に足下に広がる波紋が、白く透明な輝きを増す。

 

 

 

 

O sia Sophit, Riris ele, Selah pheno sia-s Orbie Riris

 全ての約束された子供たちのために

 

 

 

 

 圧倒的な白い神威が、空間を突き破って顕現した。

 

 

 

 

 

【stig 06:夢見る蛇 -Miqveqs-】

 

 

 

 

 ――――そもそも、いわゆる神霊という存在は、殆ど人前に現れることは無い。そういう『いと貴き神聖な存在』は、軽々しく人助けだとか、人の世に干渉するとか、そういうことは基本的にしないのが不文律である。

 ――が。

 同時に、それをあっさりと破って好き勝手するのも、神霊の性である。故に、現在まで生き延びた人類の大半は神霊たちを畏れ、敬うことで、その些細で――しかし人類にとっては絶大な加護や庇護に与かっているのだ。

 つまり、何が言いたいのかというと。

 

「……なんかオレ、すげぇ場違いじゃね?」

 

「……言いたいことはわかる」

 

「いや。アンタも向こう組だろ」

 

 『向こう』と言って、いわゆる『神様』たち+αが和やかに話している方を指させば、隣に佇む【守の民】の青年――に見える『鳥の神』の巫覡(かんなぎ)は嫌そうに顔をしかめた。

 

「――俺はソラのせいで不老不死なだけだぞ。しかも不老不死というよりはただの不老で、『死んだら練り直して蘇らせますね』って感じだし。これって脅されてないか?」

 

「いやいや、それが『神』ってやつの愛情表現っていうか――こう、色々と人間基準だとぶっ飛んでんだよなぁ……」

 

 しみじみと今まで出逢った神霊たちを思い返しつつ、深く嘆息する。――まぁ、人類を守ってくれている連中である。基本的には人間臭いが、稀にある価値観や視点のズレを、どうしても理解できない人間が悲嘆する場面も何度か見た。

 そもそも、生きる時間も世界の見え方もまったく違う次元の存在が、何故こうも人間臭いのかを考えれば、人間にそんな些細なズレを悲嘆する権利なんか既に無いと思うのだが。自らの本質を歪めてまで、人類を守ろうとしてくれている相手に、大変失礼な話だと思う。

 

『――それは仕方ありません。根本的に、わたしたちとあなたたちは異なるのだから』

 

 するり、と約10メートルくらいはありそうな白い大蛇の形をした神霊が、横から現れた。何年か前にも逢っているが、その時はこんなサイズでは無く――とまで考えて、思わず息を吐く。サイズなんか突っ込むだけ無意味だ。

 

「――アンタが動いて良かったのか? ミクヴェクス」

 

 言いながら手を伸ばし、白い大蛇の滑らかな額を撫でた。それに応えるように、ふふふ、と女性的で柔らかな笑い声が響く。

 

『我らが母に頼まれたのです。良いも悪いもありません。――セラは、彼の方をとても案じていますから。そして、我らもまた、彼の方に感謝しています』

 

 ――『彼の方』というのが夜刀の事であるのは、知っている。ただの同胞、というには妙に【セラの民】の『守り神』たちは夜刀に敬意をもって接しているが、具体的にどういう知り合いなのかまでは、訊いたことがなかった。だいたい、【セラの民】の領域は遠く、北西の果てにある湖の畔である。いくつかのレギオスは時折その付近を通ることもあるが、基本的には特定のレギオス以外は近付かない。

 ――その特定のレギオスのひとつが、サーヴォレイドである訳なのだが。

 

「……ところで、ここは?」

 

 さっきまでいた空間――狼面衆によって引きずり込まれた場所とは違って、ここはどこまでも白い世界だった。目の前にいる大蛇――ミクヴェクスと同じ色。

 

『ここは、『わたし』という『世界』の中です』

 

「……もうちょっと具体的に。今の状況が知りたい」

 

 たぶん、神霊同士の会話であれば、それだけでも通じるんだろう。だが自分は一応、人間である。もっと具体的な情報が欲しい。

 そう伝えれば、ミクヴェクスは小首を傾げるようにして、こちらを見返して来た。

 

『――あなた方を保護するのに、もっとも確実かつ安全な方法を用いたのです。それが、ゼロ領域とは別の世界に移動させること。ゼロ領域そのものは、ただ世界と世界の狭間に出来た空間ですから、さほど問題もありませんが、そこに漂うオーロラ粒子という物質は大半のものにとって有害です。特に、あれがあると、わたしたちは自らの力を制御しにくくなるのです。わたしは性質上まだマシですが、彼の方にとっては下手に動けなくなる。――なので、わたしの名詠者と『守人』と、そしてあなた方お二人を『わたし』が呑み込むことで、ゼロ領域から『わたし』の世界へと隔離しました』

 

「……その説明、かなり翻訳が入ってるか?」

 

『――はい。翻訳が入っていることが前提ですね。解りやすい言葉を使いましたので、実のところ、語弊があることが前提です。あなたも、だいぶわたしたちとの距離感が掴めているようですね。彼の方が選んだのも納得です』

 

 それは、褒めているんだろうか。――褒めているんだろうな、たぶん。少なくとも、そのつもりなんだろう。

 ちらりと夜刀へ視線を向ければ、どうやら『鳥の神』の話を聞いているらしい。面倒臭そうにしながらも時折、相槌を打っているのが見えた。【夜】も柔らかい微笑と共に話を聞いている。

 

「……アンタんとこの神サマは、おしゃべりだな」

 

 端から見ていても良く判る、あのマシンガントーク。別に激しい勢いがある訳では無いが、滔々と淡々と、滑らかにしゃべり続けている。

 それを眺めて、隣に立つカナギは居心地悪そうに視線を泳がせた。

 

「……なんか、スマン……」

 

 その反応で、どうやらあの神は『自重』というモノを覚えないらしいことを知ってしまった。おそらく長い年月の間で、おしゃべり癖を矯正しようとして何度となく失敗してきたのだろう。……正直、本来はとてつもなく奔放な神霊相手に、この巫覡はよく頑張ったと思う。

 

「――それはそうと、ミクヴェクス」

 

『なにか?』

 

「オレはここから、どう帰ればいい?」

 

 ミクヴェクスは再び小首を傾げると、そっと窺うようにおしゃべり中の『鳥の神』と【夜】へ目を向けた。そうして、申し訳なさそうに項垂れる。

 

『――ここから名詠門を開くのならば、シャオに。道を作るのならば、『鳥の神』に』

 

 ――――つまり、どちらにせよ『鳥の神』がおしゃべりをやめるまでは、どうにもならないということらしい。思わず恨みがましく『鳥の神』の巫覡であるカナギへ視線を向ける。

 カナギは視線を逸らすと、もう一度、今度は噛みしめるように言葉を紡いだ。

 

「……本当に、スマン」

 

 

 






 書いたりチェックしたりしていると思うのですが、やはり神話が絡むストーリーでは、蛇の神性は強いなぁ、と。

 本当に……蛇の神格が非常に多い気がしています、はい。偏らせる気はなかったんですが……偏らざるを得なかった……。




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【Arma 04:weak vinan, en na fhyu nuih.】


『月(しろ)く、風凪ぐ夜』


 分岐した兵長視点。
 時系列が若干前後しているので、判りづらいかも知れません。
 が、間に入れても今度は話の流れが掴みにくくなるという仕様。




 

 ――ふわり、と。

 

 隣にいたレイフォンに柔らかく抱きしめられ、続いて響き渡った乾いた音に、周りの時間が止まったような気がした。

 

『 ――大丈夫か……?レン 』

 

 あの時、『彼』はそう言って、震える私を強く抱きしめてくれた。雪に白く染まった視界の中で、『彼』が流す命の色だけが鮮やかで。

『彼』は最期まで私に笑い掛けてくれていて。

 

「……レン、」

 

 おそるおそる、彼の背中に腕を回し――掌が、ぬるりとした感触に濡れた。

 ――嗚呼。きっとこの手は、あの時と同じ色に染まっている。

 

「レン……ごめん」

 

 なぜ、あやまるの。

 あなたは悪くない。

 ずるり、と頽れる彼を抱き支えたまま、引きずられるようにして膝を着く。彼の服を染めていく赫に、目の前が滲んだ。

 

「……レン……」

 

 そっと息を吐くように名前を呼ばれ、冷たい指先に頬を撫でられた。

 

「……けが、は……?」

 

 ふるふる、と首を振る。

 それで安心したように息を吐き、『彼』と同じように彼は微笑んだ。

 

「……ごめん、ね……」

 

 そうしてまた、謝罪の言葉を口にした。

 やめて。あやまらないで。

 あなたが悪いんじゃない。

 そう口にしようとして、彼が心から困ったように笑っているのに気付いた。

 

「……それでも、後を…………どうか、」

 

 その言葉で、ようやく遠い記憶から『今』に引き戻された。今、ここで倒れたのは、遠い『彼』では無い。2人で自由気儘に世界を旅していた『彼』では無く、光浄都市ヴォルフシュテインの【剣守】。ヴォルフシュテイン卿という立場にあるひと。

 

 ――何よりも、都市の安全と存続を優先しなければならない、ひと。

 

 『彼』を失った時は、『彼』を想って慟哭できた。

 そして今、このひとを想うのなら、ただ泣き叫ぶことなど許されない。

 視界を歪ませていた涙を乱暴に拭い、倒れた彼に頷いて見せる。微笑みさえ浮かべて。

 

「……あやまらないで。大丈夫よ。まかせておいて」

 

 ――悲鳴を上げる心など、気にしない。あなたはちゃんと気付いてくれているから。

 

「その代わり、今度は私の我が儘もきいてくれる?」

 

 微かに笑みを滲ませ、レイフォンは小さく頷いた。先ほどよりも深く安堵の息を吐き、ゆるやかに瞼を下ろす。

 

 するり、と。

 

 微かな感触を残して、頬に触れていた彼の手が滑り落ちた。

 

 

 

 

【Arma 04:weak vinan, en na fhyu nuih.】

 

 

 

 乾いた音が響いた。それは、聞き慣れた音によく似ていて、舌打ちする。

 すぐ隣の少女を自らを盾にして庇い、崩れ落ちるレイフォンを視界に入れて、人を掻き分けながら進んだ。――この瞬間だけ、立体機動装置を身に着けていないことに歯噛みする。

 どうにか駆け寄った先で、意識を失ったらしいレイフォンの傍らに膝を着いて口元に手を翳して呼吸を確かめた。ひと先ずはまだ生きていることにひっそりと安堵の息を吐く。

 だが、今日の負傷を振り返ると、さすがに出血量が危うい。

 

「――閣下…っ!!」

 

 水を打ったように静まり返っていた民衆から、ようやく悲鳴のような声が響いた。それを端に、民衆の気配が大きく揺れる。

 ――混乱が起きるのは、好ましくない。

 思わず眉をひそめ、舌打ちする。混乱する前に手を打とうと口を開きかけた時――

 

「動くな」

 

 静かに耳に沁み込む声が、その場を抑え込んだ。

 コツ、コツ、とゆっくりとした足取りで、近付いて来る。顔を上げれば、黒衣の王と目が合った。

 

「静かに。衛兵の指示に従うように。それから、医官と部屋の用意を」

 

 その指示で、弾かれたように王宮の中に駆け戻る侍従と民衆を誘導しだす衛兵をそれぞれ見て確認し、その王はレイフォンが抱えていたらしい刀剣を持ち上げる。――たしか、【天剣】と呼ばれていた青年の、変身した形だったはずだ。

 

「私は【天剣】を『シンの間』へ戻さなければなりません。メザーランスはヴォルフシュテイン卿を頼みます」

 

「――はい。謹んで拝命いたします」

 

 思っていたよりもしっかりとした返事を返した少女に思わず感心する。その一瞬を読み取られたらしい。王の視線が再びこちらに戻ってきた。

 

「――あなたは、」

 

 言い掛けて、すっと目を細められる。その視線は、首に提げた指環を確認していた。レイフォンがマフムートに頼み、そして渡された、紋章付きの指環。――さて、何を言われるのか。

 

「――御到着早々、御目汚しを失礼いたしました」

 

 まず発せられたのは、その言葉だった。どういうことだ。耳聡い連中がさりげなく視線を寄越したのを感じ、思わず顔を顰める。

 

「詳しい話は、また後ほど。今はレイフォンを頼みます。メザーランスが案内しますので」

 

 ――なるほど。とりあえず、『深読みしたければ勝手にしてろ』という考えの下での発言だったらしい。むろん、俺に対してでは無く、他の連中に対して、だ。

 要するに、この王はひと言ふた言で俺の後ろに『王が一応でも気を使う相手』がいると、耳聡い連中に対して言外に告げたことになる。そしてこの『言外』に含ませたことによって、『その事実を公にするつもりは無い』ということも同時に伝えた。

 しかし、実際には別にそんな事実は無い。故に知っている者からすれば『勝手に深読みしてろ』ということになる。

 

 ――強かだ。ある程度は予想していたが、思っていた以上に。

 

 もし『内地』のお偉い連中が言い掛かりに近い絡み方をしてきたとしても、相手にされないか片手であしらわれるに違いない。……気が向けば片手間に相手をしてもらえるかも知れないが。

 その王は一度だけ周囲を見渡すと、緩やかに瞬いた。次いで静かに背を向け、王宮へと引き返す。その途中で先ほど「伏せろ」と叫んだ長身の男――トルキスの言によるとサーヴォレイドの王であるらしい――に近付き、僅かに目礼して短いやり取りを交わすと今度こそ王宮の中へと消えた。長身の男も軽く肩をすくめてから、静かに後を追って王宮の中へ戻る。

 それを視界の端で確認しながらレイフォンを担ぎ上げ、隣の少女を視線で促した。

 

「……こっち」

 

 一歩を踏み出した少女はしかし、思わず、といった様子で動きを止める。その視線の先を見れば、納得すると同時に、思わず閉口する羽目になった。

 

「――時間が惜しい。道を開くから、通れ」

 

 金糸の刺繍を施された鮮やかな深緋(こきひ)の衣を纏う、黒髪の青年。肩に乗せた白い小鳥は光を弾いて幽かに銀色に輝いている。

 

「……なんで居る?」

 

 ユウと共に、壁の中に残っているはずだ――と思うと同時に、きっと特殊すぎる方法でも用いたのだろう、とすでに察していた。判らないのは方法では無く、理由だ。

 深く溜息を吐いた青年――カナギはしびれを切らせたように歩み寄り、肩に乗っていた小鳥が飛び立つ。

 

「方法を訊いてるなら、今から実体験させてやる。理由を訊いてるなら、ユウに頼まれたのと、大物が掛かったから」

 

「……なんだそれは」

 

「問答は後で。――ソラ」

 

 パサ、と音がして頭の上に小さな温もりと重みが落ちて来た。――いや、たぶん『降りた』と言う方が適切ではあるのだろう。だが何か、からかわれているような気がする。

 チチチ、と囀る小鳥に、カナギは顔を顰めた。ひとつ息を吐き、小さく頷く。

 

「わかってる。それに、お前の時みたいに馬鹿正直にやられたりはしない」

 

 ピュイ、と鳴き返した小鳥は小さな羽音を立てて再び飛び立った。

 ――直後、目の前の空間に亀裂が走る。とっさに一歩身を引くと、とん、と軽く背中を押される感覚。

 

 

『――目を瞑りなさい。手を出せば、風の姫が導いてくれるでしょう。あの晩、黄龍殿の背でそうしたように』

 

 

 その言葉に、そういえば同じようなことがあったな、と思い返した。まだひと月すら過ぎていないのに、かなり昔のことであるような錯覚を覚える。

 

 

 するり、とレイフォンを担ぎ上げている腕に、少女の細い指が絡み付いた。そして、少女は躊躇いなく一歩を踏み出す。慌てて眼を閉じ、導かれるままに歩いていくと、ふと空気が変わったのが解った。

 何かの花のような香りが鼻腔をかすめ、それと同時に少女の手の感触が離れる。

 

「もういいわ」

 

 少女に促され、閉じていた瞼を開く。

 月明かりに照らされた、蒼い影の落ちる花々が咲き乱れる庭園。まず目に飛び込んできたのは、その風景だった。物憂げな表情で天に祈りを捧げる少女の像を中心に抱く、白い花を基調とした庭園に風が吹き、花弁と香りが空間に広がる。

 視線を転じれば、少し歩いた先で少女が佇んで待っていた。その小道の先には、屋敷の中へ続くらしい渡り廊下が見える。

 

「――ここは?」

 

「市街地から少し離れた郊外にある小離宮のひとつ。今はレイフォンに下賜されたから、レイフォンの(やしき)といっても間違ってないわ。ここはその裏庭。レイフォンの部屋はこっちよ」

 

 そう言って少女は背を向けて歩き出す。――やはり、落ち着いて見えても焦っているのだろう。それは自分もさほど変わらない。ただ、幸いというべきか、撃たれた傷も急所は外れていた。少女の反応的にも、無闇に焦る必要はなさそうだと判断しているに過ぎない。

 

 ふと、もう一度振り返り、庭園を見渡す。

 

 ――月明かりの下、蒼い影に彩られた花園の中、祈る少女像の前。

 闇色の髪を風に遊ばせて、佇む夜色の少女が見えた。

 

 不意に現れた、としか言いようの無い唐突さでそこに佇んでいた少女は、視線が合うと茫洋と瞬き――そして見つけた時と同じ唐突さで、掻き消える。

 

 皓々と輝く月が、やけに大きく見えた。

 

 

 






 今から思うと入れなくても良かったかな、と思う話だけれど、最後の最後でレギオスの『眠り姫』が出てくるし、最初のレンの部分もザックリ切る予定だったけど、今後の『ある可能性』の為の仕込みだったのを思い出して、結局そのままに。

 次の話は確実に加筆修正が入るので、ちょっと遅くなります。




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