短編集・こんなISは嫌だ! (ジベた)
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1年1組 篠ノ之先生

 正直なところ省略しておきたいが簡単に説明をしておく。

 

 俺、織斑一夏は高校受験の際に誤ってインフィニット・ストラトス、通称“IS(アイエス)”を動かしてしまった。

 ISというのは最先端の軍事兵器を過去の遺物にしたというパワードスーツということらしいけど、幾つか大きな問題を抱えている代物だ。そのうちの1つが『男性には扱えない』ということ。他にも『全部で467個しかない』という問題を抱えてるが今は捨て置く。

 つまり、俺は世界最強の兵器となり得るものを男性でただ一人扱えるなどという面倒な状況に追いやられてしまっているわけだ。

 当然、普通の生活は送れそうにない。ISの秘密を解き明かそうとしている連中にとっては俺の体は貴重なサンプルらしく、身の危険まで心配されるほどだ。高校も普通の学校には行けず、世界で唯一ISの操縦や整備について教えている“IS学園”に通うことを強いられ、渋々ながら受け入れることとなった。

 女子校であるIS学園に男が1人だけなんてな……

 

 以上が俺の境遇。もう諦めの境地に至ってるけど、女子のコミュニティの中に入っていった経験なんてないから大変息苦しい。入学式だけでなく、教室で席に着いてからもずっと俺は注目を集めてる。

 周囲の視線が刺すように痛い。まるで針の筵だ。

 誰だよ、俺の席を真ん中の一番前にした奴は! 窓際の一番後ろとかならまだ気が楽だったのに!

 

 副担任の頼りない山田先生が話を進めているけど全く耳に入ってきてなかった。気づいたらクラスメイトとなる女子が順番に自己紹介をしていってる。

 さて、俺は何を言うべきだろうか。でも望んで来たわけじゃないから何を言うにも乗り気じゃない。名前だけでいっか。

 などと考えていたら教室の前側の扉がガラッと勢いよく開いた。

 

「ハロー! 皆のアイドル、たば――」

 

 ビュンととてつもない速さで目の前を何かが横切っていった。声のようなものが聞こえた気がしたがドップラー効果でハッキリと聞き取れない。おまけに入り口と反対側、窓ガラスが人型にぶち抜かれていた。……どうやってくり抜くように割ったんだ?

 

「てへっ♪ 行き過ぎちゃった! メンゴメンゴ!」

 

 穴の空いた窓がカラカラと開けられると、外から人が顔を出す。突然やってきた暴風みたいな人を前にしてクラス全体が固まってしまった。自己紹介どころじゃない。その騒ぎはもちろんのこと、窓から身を乗り出しているのは本来ここに居るはずのない人物だった。

 

「とうっ!」

 

 かけ声と共に教壇へと降り立つ。ここはたしか3階で、窓の外に足場なんてなかったと思うのだが気にしたら負けだ。

 だって、束さんだもん……

 目元付近で横向きのピースサインを作り、キラッという効果音を鳴らしてウィンクをしてる人は俺の昔からの知り合いで、ISの開発者で、行方不明になってるはずの人だ。

 

「あ、あの……ど、どうしてここに?」

「ようし、自己紹介をするよ! 私は篠ノ之束……って言わなくても知ってるよね、いっくん?」

 

 おどおどしている山田先生をガン無視。束さんは俺を名指しで指名する。『いっくん』と呼んでるからたぶん偽物じゃない。ってかこの妙なハイテンションは他人が簡単に真似れるものじゃない。

 一応、俺の口から聞いておくべきか。山田先生の様子を見る限り、イレギュラーな事態であることは想像がつく。

 

「どうして束さんがここに?」

「簡単なことだよ! この束さんが直々にこのクラスの担任をしてあげようって試みなのさ!」

 

 束さんが宣言し終えると教室内がシーンと静まりかえる。まあ、騒いでるのが束さんだけだから、黙ってしまえば静かになるのも当たり前か。

 でも流石に沈黙を守っていられる状況ではなくなったようで、

 

「嘘ーっ!?」

 

 驚嘆の声が周囲から響く。にわかに騒々しくなった我がクラス。しかしそれを快く思わない人がいた。

 

「うるさい、黙れ」

 

 自称担任がドスの利いた声で呟く。さっきまでのハイテンションからの落差で背筋が凍ってしまったのか全員が口を噤む。俺ですらヒヤッとしたもん。山田先生が教室の隅にしゃがみこんでビクビクしてるけど俺は責めるつもりなんてない。

 

「皆は自己紹介済んでるー?」

 

 クルリとその場でターンした束さんは人を平気で殺しそうな目つきから一転し、不気味なくらいの笑顔に切り替わる。どっちも作った顔なんだろうなぁ。

 さて、ここで勘違いしてはいけないことがある。束さんが言う()とはクラスを指す単語なんかじゃない。

 

「まだ途中で――」

「ああん?」

 

 俺の真後ろで答えようとした子がいたけど一睨みされて萎縮した。

 そう、束さんの言う皆とは特定の人物だけだ。今回の場合は俺ともう1人、束さんの妹である篠ノ之箒に向けてだろう。その箒は束さんが来ているというのに教壇の方へは頑なに顔を向けようとしていなかった。

 仕方ない。俺が束さんと皆との間を取り持つしかない。

 

「もう終わりました」

「あ、そうなの? 残念だなぁ。いっくんが何かポカをやらかすって信じてたのに」

 

 しれっと嘘をついておく。これで俺が中身のない自己紹介をする手間が省けた。机の下で小さくガッツポーズ。

 

「先生、織斑くんは嘘をついています」

「むむ! それは本当なの、箒ちゃん?」

 

 俺に恨みでもあるのか。いや、彼女のことだから曲がったことが嫌いなだけだろうな。昔と変わってなくて何よりだ。こんちくしょうめ。

 

「ま、いいや! 面倒くさいしー! じゃあ、早速授業に入り――」

 

 束さんの暴走を誰も止められないまま、スケジュールも無視して授業を始めようとしていた。

 そこへ――

 

「束ェ!」

 

 束さんの開けた窓から何者かが飛び込んでくる。ずいぶんと聞き覚えのある声だ。

 なんで千冬姉がここにいるんだろ? そして、なんで真剣なんて手に持ってるんだよ!

 やべぇ、千冬姉が一切容赦してない。束さんを斬り殺しかねない一撃だ。

 

「おっと。しばらくぶりだねぇ、ちーちゃん」

 

 でも束さんはポケットから取り出したスパナで華麗に受け流してる。頭脳面で天才と言われてるけど、昔は千冬姉と剣道で互角以上に渡り合ってたんだっけ。

 2人の攻防を俺は目で追えてない。教室、それも教壇という狭い戦場なのに周りに被害を出さず、キンッキンッと金属の激しくぶつかる音だけが響く。

 

「お、織斑先生……」

 

 山田先生が力なくぼやく。どうやら千冬姉が正規の担任らしい。千冬姉の職場を知らなかった俺としては普通なら驚くところなんだけど、全部束さんのインパクトに持ってかれてしまっている。

 すると山田先生が携帯を取り出してどこかへと連絡を取り始めた。収拾がつかないと判断して上に援軍でも要請してるんだろうか。全く、束さんはトラブルばかり持ち込んで――

 

「ええっ!? 篠ノ之博士をこのまま担任にするんですかぁ!?」

 

 ……まさかの情報がもたらされ、2人の超人は激しすぎる殺陣を止めた。

 とても満足げな束さんと筆舌に尽くしがたい困惑顔の千冬姉が同時に山田先生を見る。

 

「山田先生……それは上の決定なのか?」

「はい……篠ノ之博士の好きなようにやらせろと。あと、副担任に織斑先生をつけるって」

 

 千冬姉が真剣を鞘に納める。そしておもむろに頭を抱えた。

 

「バカだろ、アイツら……」

 

 心中お察しします。ついでにまだ気づいてないかもしれないけど役職を失った山田先生もお疲れさまです。

 教壇では勝ち誇った束さんがVサインをした。

 

「というわけで全員外に出ろー! まずは全員で殺し合ってもらうよー!」

 

 何がまずなのかさっぱりわからない。

 グラウンドにいくと全員分のISが用意されていた。全て新しく製造されたもの。

 この瞬間に『世界には467機のISしかない』という常識がぶっ壊れた。

 ついでに千冬姉の頭痛がピークに達してぶっ倒れた。

 わけもわからず、まだ名前も知らないクラスメイトたちとバトルロワイアル。

 金髪のお嬢様にめっちゃ撃たれたことしか覚えてない。

 だからこんな学園に来るの嫌だったんだよ……



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一夏な小生意気

 ISとは世界最強の兵器だ。現在の使用方法は競技であると言い張ってはいても、ISが実弾の飛び交う戦場を飛び回る代物であることは疑いようもない。それまでの兵器はISに勝てなかった。それだけが事実として残されている。

 ISは女性にしか扱えない。世界が男と女で二分されて戦争になることなど考えにくいが、長く戦いの矢面に立ってきた男たちの面目が潰されたこともまた事実。

 ISがスポーツという枠に収まっているのも、もしかしたら世の中の男たちによるささやかな抵抗だったのかもしれない。

 

 なぜ篠ノ之束はISというものを作ったのか。

 なぜ完全無欠を自称する博士が「女性にしか扱えない」という欠陥を見逃したのか。

 あるいは欠陥など最初からなかったのかもしれない。

 だとしたらその目的とは何だろうか。

 今の世界が示しているのだとすれば、篠ノ之束は――

 

 

 世界にISが知れ渡っても一般人の生活が変化するとは限らない。

 ISにしか使われていない技術が生活に転用でもできれば交通事故による死亡件数がゼロになったりなどいいことがいくらでも考えられるが、そうはならない。

 なぜならISは女性にしか扱えない。IS以外でその技術が流用できるのならば、そもそもISが重要視される理由などないわけだ。

 世界はISがあっても多くの人にとっては影響がなかった。強いて言えば優秀な操縦者を国外に逃がさないために各国の政府が女性優遇の政策を打ち出し、男性にとって過ごしにくくなったことくらいである。

 

 そんな世界に織斑一夏はいる。彼は少しばかり人間関係が一般人とは呼べないが本人は至って一般的な男の子である。日々の生活も一般人のそれで、両親のいない彼は少しばかり他人よりも苦労が多いくらいだった。

 彼はもうすぐ義務教育を終える。志望校もとっくの昔に絞っており、藍越学園を受験することに決めていた。学費を出してくれている姉に少しでも楽をさせようと卒業後の就職率が高い高校を選んでいる。そのための勉強を十分にしてきた彼は試験に関しては余裕を見せていた。

 

 だがそれが良くなかった。

 

「ここはどこだ?」

 

 受験当日。受験会場までやってきたというのに一夏は道に迷ってしまった。受験会場だけあって人がごった返しているはずなのだが、今の彼の傍には人っ子1人いない。

 ……おかしい。案内板に従ってきたはずなのに。

 首を傾げる彼は失念している。この受験会場は藍越学園だけでなく他の高校の受験にも使われている。案内板に書かれていた学校名を気にせず突き進んだ上に、人が少なくてラッキーと思って移動した浅はかさが全ての元凶だった。

 

「まあ、適当に開けてみるか。大抵はそれで正解に当たるし、間違ってても教えてくれるはず」

 

 思考回路は行き当たりばったり。行動的だと言えば好感が持てるが今はポジティブに言うべき場面ではないだろう。

 幸い――とは言えないのだが彼が入室した部屋は受験会場だった。

 IS学園の受験会場である。もちろん一夏はその違いに気づかない。

 

「じゃ、次の人。そこに入って着替えてー」

 

 試験官の女性が顔も見ずに一夏を通す。一夏は着替えてと言われて怪訝な顔を浮かべたがこれもカンニング対策かと納得してその先へと進んだ。

 着替えは――女性用のスクール水着と思えるものしかなかった。

 ちゃんとした着替えがなかった試験官側の責任にすればいい。女性用の水着を着用する趣味のなかった一夏は誰かのいたずらだとして着替えずに先に進む。

 その先で彼は出会った。出会ってしまった。

 

「これって、IS?」

 

 IS学園の入学試験用に準備された本物のISがそこにある。

 その瞬間、一夏の頭から受験のことが消えた。

 

「……俺にも使えたらいいのにな」

 

 興味がなかったわけではない。仲の良かった幼馴染みの姉が開発したものは女性よりも男の子向けといえる代物だった。

 国家代表だった姉のように飛び回りたかった。その思いがなかったと言えば嘘になる。

 導かれるようにして一夏は打鉄に触れる。身近なようで遠かったものがどんなものか知りたかったのだ。

 

 すると頭に様々な情報が流れ込んでくる。

 

「なんだ、これ……?」

 

 情報の奔流が過ぎ去った後、気づけば目の前にあったはずのISを自分が装着していた。男には動かせないとされていたはずであるのに、不自由なく動かせている。

 

「じゃ、試験を始め――え!? あなた誰!?」

 

 試験官が入ってきて一夏に気づく。やっちまったと思ったときにはもう遅い。この瞬間、一夏にはISを動かすことのできる唯一の男子という肩書きが生まれ――

 

「ぁ……」

 

 小さな呻き声を上げて試験官がその場に倒れる。一夏を見て気絶したのではない。背後にいる第三者の仕業である。

 

「ふーっ! あっぶなかった! 後少しで全世界に誤情報が流れるところだったよ!」

 

 機械仕掛けのウサ耳をつけた第三者による速すぎる手刀。もしISを装着していなかったら見えなかった。

 一夏にはその第三者に見覚えがある。彼女は現在、行方不明となっているはずの人であり、ISの開発者。

 

「束さん!?」

「ハロー、いっくん。元気してた?」

 

 とびきりの笑顔を見せる幼馴染みの姉の右手はピースサインを作る。その足下には先ほどの試験官が転がっている。

 

「あ、あの……その人、大丈夫なんですか?」

「命に別状はないよ。ただ起きてから多少の洗脳は受けてもらうことになるけど」

「せ、洗脳?」

「うん。ISを動かせる男なんて妄言をばらまかれちゃ困るんだよ」

 

 洗脳という物騒な発言が飛び出し、一夏は後ずさる。

 妄言などというが一夏がISを動かせていることは事実。親しかったはずの人の考えてることが読めない一夏は震えた声で尋ねる。

 

「俺、今、動かしてるんですけど……?」

「うん、そうだね。何でだろう? 束さんにもわからないんだ」

 

 ずいっと束が顔を寄せる。その右手はなぜかピースサインのまま。

 

「確かなことは……男は動かせないってこと」

「でも俺、動かしちゃってますよ!?」

「そう。おかしいよね。だからさ、いっくん――」

 

 唐突に束の声が低くなる。背筋が凍るほどの声を笑顔のまま発している彼女は、右手のピースサインを閉じたり開いたりした。

 

「切ろっか?」

「な、何を……?」

「“ナニ”をに決まってるじゃん」

 

 束の右手はピースサインなどではなかった。ハサミだった。

 

「あの、束さん? 辻褄合わせとして俺のナニを切ってもですね、女になるわけじゃなくて昔で言う宦官(かんがん)になるだけ――」

「大丈夫、その辺は抜かりないよ。束さんは中途半端が嫌いだからね。このよくわからない細胞――絶対に使ってはいけないと開発者(篠ノ之束)自らが戒めるほど絶大な異変を人体にもたらすことからST○P(ストップ)細胞と呼ばれてるコイツでいっくんは生まれ変わるんだよ!」

 

 束が左手に取り出したものは透明でぶよぶよした良くわからない物体X。

 

「その説明だけで怖い! 違う意味でも危ないし!」

「新しい世界へ連れてってあげる!」

「いやあああ!」

 

 その日、受験会場に悲鳴が響きわたった。

 

 

 時は過ぎて4月。

 春のIS学園に新入生が入学を果たす。

 そこには「俺は男だあああ!」と元気に駆け回る美少女、イチカちゃんの姿があった。



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柔らかソフトタッチ

 IS学園は多くの者にとって憧れの場所である。

 しかし何事にも例外は存在するもので望まぬままIS学園への入学を強制された者もいる。

 世界で唯一の男性操縦者である織斑一夏。彼は偶々ISを動かしてしまったことから急遽IS学園への入学が決定した。当然、その準備などできているはずもなく、IS学園に憧れもなかった彼はその境遇を煩わしいとすら思っていた。

 織斑一夏は特異ケースである。故に周囲の人間と心構えが違って当たり前だった。

 

「はぁ……」

 

 窓際の一番前の席に座る少女が2つ隣の席に座る一夏を物憂げに見つめて溜め息を漏らす。

 彼女の名前は篠ノ之箒。彼女もまた一夏と同じく望まぬままIS学園に入学させられた生徒である。

 理由は箒が篠ノ之束の妹であるから。

 表向きには身の安全を確保するためとなっているがそれだけではないと箒は考えている。国連のIS委員会を始めとする上層部は箒を人質にしているようなものだ。束に対する牽制にはなっていないがお偉いさんの気休めにはなっているのだろうと箒は勝手に納得している。

 

「どうした、箒? 元気無さそうだな」

 

 箒がボーッとしている間に授業が終わり一夏が箒の元へやってきていた。

 まだ4月に入って日が浅い。一夏からはまだ場違いな感覚が抜けておらず、必然的に顔馴染みである箒を頼ってくる。

 箒としてもISへの熱意にクラスメイトとのギャップがあるため溶け込めてはいないのだがそのような機微を一夏に察しろという方が無理というもの。

 ……どうせ一夏は女子という括りでしか見ていない。

 

「そ、そんなことはないぞ?」

 

 箒は無理をして笑みを作る。不器用すぎて頬がひきつっていた。

 一夏が真顔になる。失敗したなと箒は内心で後悔しているが作り笑いを隠さぬまま続けた。

 

「もう今日の授業は終わりだ。寮に戻るとしようか」

 

 そうして2人だけの帰り道。未だ一夏は天然記念物扱いになっていて廊下を歩いていても校舎の外に出ても注目の的であった。

 一夏への想いを胸に秘めている箒にとって彼の隣を歩くこと自体は嬉しい。しかし現在、悪目立ちをしているのも事実で、敵意が混ざっているのも視線に敏感な箒は察せてしまっていた。

 

「そういや、箒。ずっと気になってたんだけどさ」

「な、なんだ?」

「剣道はどうしたんだ? 部活とかやらないのか?」

 

 暗い顔をしていた箒へ明るい話題を振ったつもりだったのだろう。

 だがそれは藪蛇。箒の目は瞬時に鋭くなる。

 

「やれるわけがないだろう……」

 

 目つきとは裏腹に語尾は尻すぼんでいく。反射的に頭をガードしていた一夏はいつまでたっても衝撃が来ないことに困惑を隠せなかった。

 

「本当にどうしたんだ? 俺、何か悪いことしたか?」

 

 手が早い箒のこと。一夏が失礼な発言をする度に過激なツッコミが入っていたはず。だというのにIS学園で再会してから一度も箒は拳を振るっていない。

 本来ならばこれも成長だと受け入れるべきである。しかし良い方向であるにもかかわらず一夏は物足りなさを感じてしまっている。目の前にいるのは箒であるはずなのにまるで違う人間になってしまっているかのように錯覚し、勝手に孤独感を覚えて不安になっていた。

 一夏は思わず箒の両肩を掴んでしまう。抵抗はなかった。箒はただ黙って目を逸らす。目を合わせてくれないのにも構わず一夏は思いの丈を吐き出した。

 

「こんなの箒らしくない。俺の知ってる箒は少々過激だけど人一倍元気で明るい奴だった」

「人は変わるんだ、一夏。自らの意志のときもあれば、周囲の影響で変わることもある。この6年間、色々とあったのだ」

 

 一夏には箒の6年間を知る由もない。箒の名前があるかもしれないと思い、中学生剣道の大会を虱潰しにチェックしていたというのに一度も見かけなかった。

 自分の知っている彼女とはすっかり変わってしまっている。

 一夏には2つの道がある。

 今の彼女を受け入れること。もう一つは――

 

 一夏は箒の体を抱き寄せた。

 

「なっ――」

 

 大胆すぎるスキンシップに箒は瞬間的に頬を紅潮させる。

 対する一夏は困惑気味。これで今度こそ殴られると身構えていたが箒はすこぶる大人しい。

 もう取り返しがつかないのだろうか。いや、そんなことはない。

 面倒くさがりの一夏の内心に悔しさが募り、徐々にアクティブな思考が支配していく。

 思いついたことをそのまま口にした。

 

「いい匂いだ」

 

 恥ずかしさゲージが一気に振り切れた。箒の右手が思考の制御から抜け出して一夏の鳩尾めがけて拳を繰り出す。

 一夏はわかっていて受け入れる。少しばかりの変態の汚名を被っても、自分の知ってる箒の方が居心地が良い。その証明に正面から立ち向かう。

 しかし――

 

 

 ポヨン。

 

 

 珍妙な音が鳴るだけでちっとも痛くなかった。確かに箒の右手が鳩尾に入っているというのに柔らかすぎて逆に癒される新感触。

 衝撃を逃がすために箒から手を離していたというのに何もダメージがない。両手を上げた状態の一夏の頭上にはクエッションマークが立ち並ぶ。

 

「し、しまったああ!」

 

 箒は顔を覆い隠してその場にしゃがみ込む。人目もはばからず落ち込んでみせる彼女を前にして一夏はあたふたとするばかり。傍から見れば一夏が泣かせたようにも見えてしまっている。

 

「わ、悪い! ちょっとやりすぎた!」

「……一夏が謝ることじゃない」

「へ? でも俺、箒が嫌がることしただろ?」

「そ、それは別にいいのだ」

 

 一夏はひとまずの安堵を覚える。完全に嫌われたわけではなさそうだった。

 しかし逆にわけがわからない。一体、箒は何にショックを受けているのかと。

 心当たりは1つ。パンチが当たった瞬間の不思議な感触の正体だけが掴めていない。

 知らなくてはならない。そう覚悟を決めた一夏は敢えて踏み込むことにした。

 

「じゃあ、さっきの不思議なパンチの方か?」

「うぐっ――」

 

 狼狽が声に出ていた。おそらくは箒にとって知られたくない事実。

 変わってしまった原因が全てそこにある。ならば聞かなくてはならない。

 箒から話せないのならば、と一夏は思いつく可能性を挙げてみる。

 

「束さん、か」

「……そうだ。私の暴力は全て癒し系に変換されるそうだ」

「『どうやって?』なんて聞く意味はなさそうだ。束さんだし。でもどうして束さんが箒にそんなことをしたんだ?」

「一夏が……言ったから」

 

 小声でぼそぼそと呟く。聞き取れなかった一夏は「え? 何だって?」と聞き返した。

 するとムキになった箒は怒鳴るように繰り返す。

 

「一夏が『暴力キャラよりも癒し系キャラの方が好きだ』って言ったからだ!」

 

 当然のように一夏にはそんなことを言った覚えはない。そして言っていないという確信すら持っていない。自らの適当さ加減を後悔しても遅い。過去の一夏の発言をきっかけにして箒はマッドなとんちんかん博士によって摩訶不思議な能力をつけられてしまったのだった。

 剣道もできるはずがない。いくら華麗に面を決めようと竹の音でなく『ポヨン』と奇怪な音が鳴る。試合の緊張感などあるわけがなく、公式の大会になど出られるはずもない。

 

「……なんか、ごめんな。マジでごめん」

「謝るな。余計に惨めになる」

「直してもらえなかったのか?」

「こうなってしまってから一度も姉さんと連絡がつかない。きっと陰で笑っているのだろう」

 

 はははと乾いた笑いは箒の自虐。かなり気まずい空気が出来上がった。

 いたたまれなくなった一夏は何か喋らなくてはと苦心する。

 これ以上触れてやらないのが優しさだろうか。少なくとも一夏はそう考えなかった。

 

「俺はバカになんかしない。隠さずに最初から頼ってくれて良かったんだぜ?」

「出来るはずがない。私とお前は6年も会っていなかった。手紙のやりとりすら出来なかった」

「変わってるかもって思われてたのか……」

 

 一夏も人のことは言えない。箒が変わってしまったと思ったからこそ今の状況が出来上がっている。

 

「仕方ないだろう! お前は男だ。もしお前が襲ってきても私には抵抗する術がない。どれだけ拒絶してもはねのけられない。この事実を知られるのが怖かったんだ!」

 

 その恐怖を男である一夏が完全に理解することは出来ない。

 ただ、これだけは言っておかねばならなかった。

 

「俺にとって、箒のどんな暴力よりも『嫌い』の一言の方が怖いよ」

 

 物理的な拒絶はできなくても心は拒絶できる。

 一夏に最もダメージを与えるのはたった一言だけ。今の箒にも使える手段だ。

 

「だけどまあ、俺のことが怖いのには変わらないだろうな。千冬姉に部屋を変えてもらうよう頼んでみ――」

「ダメだっ!」

「そっか。俺としてもその方が気楽で嬉しいな」

 

 力強い言葉は彼女の素直な言葉の証。少なくとも嫌われていないと確信できた一夏は笑顔を見せる。

 隠し事がなくなった箒にも自然な笑みが浮かんだ。寮の部屋に戻る足取りは軽い。

 色々と望まぬ状況に放り込まれた2人だったが、このまま上手くやっていけそうだと、そう思えた。

 

 

 

 ここで一夏の携帯がメールの着信を告げた。

 差出人は不明。何の気なしにメールを開く。箒も横から画面を覗いていた。

 

【件名】束さんからの補足

【本文】箒ちゃんの『柔らかソフトタッチ』の感触は箒ちゃんのおっぱいと同期してるよ! まずは握手で試してみてね!

 

 一夏の行動は早かった。

 

「箒! 再会の握手をしよ――」

「ふざけるな、馬鹿者!」

 

 咄嗟に出たのは右手ストレート。見事に一夏の頬に命中する。

 ポヨン。

 殴られた一夏は幸せに包まれた。

 

「一夏なんて嫌いだあああ!」

 

 泣き叫んで箒は走り去る。彼女はこの日から鷹月さんの部屋に寝泊まりするようになったとさ。



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被虐の笑み

 ――ちょっとよろしくて?

 

 棘のある言い方で一夏の前に現れたのは金髪縦ドリルというアニメチックな髪型をした見るからにお嬢様なクラスメイトだった。

 自分が彼女に対して何をしたのか全く心当たりのない一夏は大変な事態に気づく。

 ――名前が全くわからない!

 そもそもクラスメイトという認識しかなかったのだった。

 知らないものは知らないのだから致し方ない。

 一夏は開き直ることにする。喧嘩腰な相手にはこの程度で十分だという考えもあってのことだ。

 

「誰?」

「わたくしを知らない? 入試主席にしてイギリス代表候補生であるこのセシリア・オルコットを知らないだなんて潜りですわね!」

 

 金髪お嬢様、セシリア・オルコットは最初からの攻撃的な姿勢を変えようとはしない。普通ならばムッと言い返すところであるし一夏も苛々を募らせ始めている。

 だけど1つ気になったことがあった。

 

「潜りって何?」

「『ある集団に一員と認められない人』を指す言葉ですわ。……えと、あの、あなた、日本人ですわよね? わたくしが日本語を指導するのは何かが間違っている気がします」

 

 お嬢様はご丁寧に注釈を入れた後で呆れてみせる。そこには攻撃的な意志は見られず、ただひたすらに憐れんでいた。

 

「悪かったな。日本人全てが辞書に載ってる単語を全部熟知してると思うなよ。ってかそんな奴は日本人どころか世界のどこにもいねえだろ!」

「え、そうなのですか?」

 

 本気で首を傾げてみせるセシリア。そこに悪意を感じ取れなかった一夏は自分とは住む世界が違うのだと思うしかない。

 

「君が凄い人だってのはわかった。で、俺に何の用なんだ?」

「あ、そうでしたわ!」

 

 話が逸れていたことを思い出したセシリアはポンと手を打つ。

 次の瞬間に目つきが豹変。キッときつく一夏を睨みつける。

 

「わたくしのような選ばれた人間と共に学ぶことができるのは奇跡。とても幸運なことだと理解していただける?」

「……とってもラッキーだ」

「気のない返事ですわね。これだから男性は……」

 

 やれやれとセシリアは大げさに肩をすくめる。

 一夏はというと面倒ごとが早く終わらないかなと現実逃避していた。

 世の中の男性の代表にされても困るだけだった。

 

「男性でISを操縦できると聞いていましたから少しは理知的な人を思い浮かべていましたが拍子抜けですわ」

「悪かったな、知的なキャラじゃなくて」

「まあ、わたくしは粗暴な方が好――土下座でもするのなら、このわたくしがISについて教えて差し上げてもよくってよ?」

 

 ……ん? 今、妙な発言が混ざってなかったか?

 てっきり女尊男卑な世の中を笠に着たステレオタイプな女子と一夏は思っていたがどうも様子がおかしい。

 一夏に対して攻撃的な言動をする合間合間に真逆な顔が垣間見えている。

 

「ちょっと待て。何か言いかけなかったか?」

「あらあら。耳まで悪いとは救いようがありませんわね」

 

 セシリアは認めないがハッキリと否定もしなかった。

 明らかに何かを隠している。そう悟った一夏は彼女の裏の顔を理解するまで迂闊なことを言えなくなった。

 ちょうどこのタイミングで予鈴が鳴り、鬼のような担任が姿を見せたことで一夏は解放された。

 

 

 直後の授業。教壇に立つ千冬は授業に入る前に臨時のホームルームを始める。

 内容は2週間後のクラス対抗戦に出る代表者の選考。クラス対抗と言っても代表者が1人出るだけというもので、まだクラスメイトのことを理解できていない状況では挙がる名前は限られるもの。

 

「織斑くんを推薦します!」

「私も!」

 

 唯一の男性操縦者である一夏ほど目立つ存在はない。立候補があろうがなかろうが他薦される可能性は高かった。もっとも、本人はその事実に直前まで気づいていなかったのであるが。

 

「お、俺!? ちょっと待て! 俺はそんなのやらな――」

「全くですわ! そのような選出は認められません!」

 

 一夏が抗議の声を上げると約1名から同調の声も上がる。

 それはもちろんセシリア。

 先ほどまで良くわからない因縁を付けてきていた相手ではあったが、今は頼もしい味方のように感じられる。

 

「皆さん、ご自身のこれまでの努力を思い返してください。このIS学園に入るまで、決して楽な道のりを歩んできたわけではないでしょう? ですがそこにいる男はわたくしたちの経験してきた努力とは無縁ですわ。その男を代表とする価値があるのか、もう一度良く考え直してください」

 

 セシリアの訴えに首を横に振る者はいない。勢いよく一夏を推薦していたクラスメイトでさえ自分の軽率な言動を後悔し始めていた。

 そんなクラスの雰囲気の変化を感じ取った一夏はセシリアに感謝の視線を送る。しかしセシリアの話にはまだ続きがあった。

 

「日本は男だけでなく女子も愚かなようですわね。いえ、これも男が居るからこその混乱でしょう。やはり男など害悪以外の何者でもありませんわ」

 

 セシリアの発言は徹底して『一夏が悪い』としている。一夏がIS乗りとして何も努力していないことは事実であるため、言ってること自体は間違っていないと一夏も感じている。しかし、望まぬ場所に無理矢理連れてこられたという背景すらも無視した彼女にいい加減我慢ができなくなってきていた。

 

「……そっちこそ男から見れば十分害悪だって」

 

 ついつい本音が漏れる。静かだった教室内のこと。当たり前のようにセシリアにも届いてしまっていた。彼女は激昂する。

 

「物足りませんわ!」

 

 ……ベクトルが明後日すぎる。

 クラスの誰もが何を言っているのか理解できていなかった。周りの静寂にセシリア本人はつい漏らした自分の本音を誤魔化そうとオホンと咳を挟む。

 

「今のはわたくしへの侮辱と受け取ってよろしいかしら?」

「先に言ったのはそっちだろ?」

 

 今更一夏は否定しない。少しばかりセシリアの怒るポイントがズレていることを感じつつも喧嘩に乗った。

 

「決闘ですわ!」

「ああ、いいぜ! 受けて立ってやる!」

 

 こうして一夏とセシリアは1対1の試合をすることとなった。

 なお、そのときのセシリアはなぜか満面の笑みだったという。

 

 

 試合当日。専用機である白式を得た一夏はアリーナの中央でセシリアと対峙する。

 

「逃げずに来たことだけは褒めて上げてもよくてよ」

「結構だ。お前に褒められるために来たわけじゃないし」

「では何のために?」

「もちろんお前を倒しに来た」

 

 一夏は身の程知らずとも受け取れる宣言をした。

 すると何故かセシリアは恍惚とした表情を浮かべる。

 

「セシリア? 大丈夫か?」

 

 頭が、と言いたいのだけは堪える。

 一夏の声かけで我に返ったセシリアは「もちろんですわ」と何もなかったかのように答えるだけ。

 試合開始。セシリアには欠片も遠慮がなかった。開幕直後の先制射撃が一夏に直撃する。

 

「無様に踊りなさい!」

「くそっ! どうして射撃武器がないんだよ!」

「猿でも使えるようにという製作者の配慮でしょう。お似合いですわ」

「バカにしやがってェ!」

 

 これ以降、一方的な展開が続く。

 セシリアは4基のビットを一夏の周囲に配置して射撃を繰り返すだけで本人は全く動かない。正しくは動けない。ビットの操作中は無防備であった。

 一夏はというと避けることが精一杯でセシリアの攻撃を加えにいくだけの余裕がない。

 

 30分経ってから一夏は気づいた。

 先にビットから壊せばいいんじゃね、と。

 

 言うは易し、行うは難しというが方針転換してからの一夏は呆気なくビットの1つを切り裂いた。

 BTビットを1つ1つ破壊して残りは1つとなる。もう本体に直接しかけにいっても問題がない。一夏の注意がセシリア本人に向いた。

 

 何故か彼女は頬を赤らめて胸を両手で隠している。

 

「そうやってわたくしの装備を少しずつ剥いでいく気ですわね!?」

「え、何その言い草!? しかも心なしか喜んでる!?」

「これが男の本性……最悪ですわね!」

「だからやられ始めた方が生き生きしてるのは何で!?」

 

 相手のペースに飲まれそうになった一夏だったが首を大きく横に振って集中を取り戻す。

 ここで勝負を決める。

 零落白夜を発動し、無防備なセシリアめがけて突撃した。

 

 なおもセシリアは恥じらいのポーズ。

 

「このままわたくしを倒して、動けなくなったわたくしをいたぶるつもりでしょう! エロ同人みたいに!」

「俺、もうコイツと戦いたくないんだけど……」

 

 何故か逆転ムードの一夏が涙目になっていた。攻撃できないまま時間が過ぎて一夏は自滅し、試合はセシリアの勝利に終わる。

 その後、セシリアが代表の座を辞退。無事、一夏がクラス代表となったのだが――

 

「一夏さん! 今日も特訓ですわ!」

「やだよ! 『わたくしを斬って!』なんて要求に応えるのが何の特訓なのかわけわかんねえ!」

 

 苦労は絶えないようだ。



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鈴ちゃんの最後の切り札

 その衝撃は地震大国とされる日本に住む人でも慣れないほどの揺れを引き起こした。

 IS学園の誇る最新技術の結晶、ISバトルを競技たらしめているアリーナの防御シールドが突き破られた。

 立ち上る黒煙。巻き起こされる砂煙。観客は明らかな異変を見せつけられ、避難を促すアナウンスを引き金として騒然となった。

 とうに観客の目など向いていないアリーナの中には2人の操縦者がいた。

 1人は唯一の男性操縦者である1年1組クラス代表、織斑一夏。

 もう1人は中国代表候補生である1年2組クラス代表、凰鈴音。

 先ほどまで試合をしていた2人だが突然の異変により状況把握に専念する。彼らの視線は否応なしに砂煙の中にある巨大な影に集まっていた。

 

「な、なんなのよ、アレ……」

「乱入者ってところだな」

 

 不法侵入者だとすれば、アリーナを突き破られた事実がある。それが意味することを知っている鈴は動揺を隠せない。対して知識に乏しい一夏は無知故の平常心で敵を見据えていた。

 再三の撤退命令が2人の頭に響く。だがそれは侵入者の放置を意味する。その手に力があった一夏は決断した。

 

「俺が戦う」

「バカ、アンタは退きなさい!」

 

 一夏の命令無視。鈴はそれを咎める。しかし鈴自身も命令違反をする気でいた。一夏が無事に撤退するまで敵の目を引きつける囮となろうとしていた。

 彼の参戦は鈴の思惑を否定する。だからこそ鈴は躍起になって一夏を説得しようとする。でも、無理だった。

 たとえ考えなしのバカであろうと、惚れてる男の決意に満ちた目は鈴を折れさせるに十分な力があったのだ。

 

 未知数な敵。一夏が無人機と判断した敵との戦闘は試合とは一線を画する。エネルギーのあるうちは試合と同じでも、エネルギーが尽きて試合終了というわけにはいかない。

 つまり、敗北は死を意味する。

 逆を言えば勝利が相手の死を意味することもある。一夏がそのような見当違いな配慮をしていたのを聞き、鈴はバカだと思いつつも不思議と納得していた。自分のことより他人ばかりを気にするのは1年前に別れたときと何も変わらない。自分の知っている彼なんだと確信できたことが嬉しかったのだ。

 

 ――絶対にコイツを死なせたりしない。

 

 鈴も覚悟を決める。2人だけで未知の敵を倒せるとは思っていない。だがそれでも時間を稼ぐと決めた一夏を応援したい。そして、一夏にも無事でいてほしい。その全てを実現すべく、鈴は戦いを続ける。

 敵は長い腕の異形。殴りつけてくる格闘攻撃の他、腕部に開いている砲口から特大のビームも放ってくる。一夏は射撃を掻い潜れず、鈴の衝撃砲は敵の装甲を打ち破れない。

 2対1でも火力差は歴然。そして、事は起きた。

 

「一夏っ!?」

 

 隙があった。それは一夏だけでなく鈴にもだ。既にエネルギーが尽きかけていた一夏の白式は敵の裏拳が直撃すると地面へと落下していく。

 戦闘不能。こうなってしまうとISの絶対防御が働く保証はない。

 敵の巨大な腕は先端を一夏に照準する。このタイミングでアリーナを突き破ったビームを当てられてしまえば一夏の命が危ない。

 

 まだ援軍は来ない。だからこの危機を乗り越えるには自分がなんとかするしかない。

 

「うあああ!」

 

 叫ぶことで自らを鼓舞する。双天牙月を携えてがむしゃらに敵に飛び込んでいく。

 敵は油断とは縁遠い無人機。鈴の行動を正確に把握しており、一夏への攻撃を中止して迎撃に当たった。双天牙月と拳が打ち合わさり、双天牙月が一方的に打ち壊される。

 

「まだまだァ!」

 

 使えなくなった双天牙月を放り捨てる。そもそも双天牙月はサブウェポンでしかない。甲龍の本領は衝撃砲にこそある。

 両肩の龍咆に加え、両手の崩拳も一斉に開いた。

 至近距離の一斉射撃。命中の手応えもある。だが――

 

 敵はまだまだ健在だった。装甲で固められたフルスキンは絶対的に甲龍と相性が悪い。

 反撃のビームが鈴の両脇を掠める。肩辺りに浮いていた龍咆のユニットが貫かれて完全に破壊される。崩拳は予備武器の意味合いが強い。メイン火力を失って勝てる相手ではなかった。

 実質的に武器を全て失ったも同然。一夏は戦闘不能で、援軍がくる気配は未だない。

 

 このままでは鈴も一夏も殺される。

 何か抵抗する術はないのかと必死に思考を巡らせた。

 

 思い出した――

 

 

『いいか、凰。甲龍には切り札がある。その威力はシールドエネルギーが満タンのISを一撃で打ち倒せるほどのものだ。だが極力使用しないことを推奨する』

 

 

 甲龍を渡されたとき、開発主任から言われたこと。

 曰く、甲龍にはリミッターが仕掛けられている。つまり、甲龍は全性能を引き出せていない状態ということだった。鈴自身、ISバトルをする上で何らかの制限を意図的に仕掛けることもあり得ると考えていたため特に抵抗なく受け入れていた。

 開発主任が言うには確かなデメリットが存在するという。その具体的な内容を鈴は知らない。ただ、全てを(なげう)つ覚悟さえ示せば、イメージインターフェースが勝手にリミッターを外してくれることだけは知っている。

 リスクはある。それでも今使わずしていつ使うのか。

 

 ――たとえ、あたしの体が千切れてでも……目の前の敵を倒す!

 

 この戦いにかかっているのは自分の命だけではない。敗北は自分のみならず一夏をも危険に晒す。

 もしリミッターを外した反動で自分が死のうとも一夏だけは守れる。

 だったら――もう何も怖くない。

 

「来い! これが最後よ!」

 

 両腕の崩拳を突き出す。覚悟は決めた。あとはリミッターが外れた衝撃砲が作動し、敵を破壊するはず。

 力押しで勝てるという開発主任の言葉を信じて鈴は真っ向勝負に出た。

 だがそんな鈴の覚悟は無人機である敵にも届いてしまっていた。2mを超える図体に似合わない俊敏な機動力であっという間に鈴の背後に回り込む。

 もう鈴は攻撃した後。崩拳の向いた正面に敵の姿がなかった。

 

 ……あたしじゃ無理だったの……?

 

 スローモーションのように動く世界の中、鈴は自分の攻撃の失敗を悟った。

 

 だが鈴は勘違いをしていたのだ。

 

 崩拳は起動していない。空間を圧縮する影響で空気が流れるが、鈴の正面ではなかった。

 風が撫で、鈴のISスーツのスカートがピラリとめくれる。

 鈴の臀部(でんぶ)で急速に空気が圧縮されていた。鈴が概要を把握していない切り札は衝撃砲の強化などではなく、龍咆、崩拳に続く第3の衝撃砲の使用制限を解放することにあったのだ。

 メイン武器である龍咆と比較しても規模がまるで違う強大な力が収束し――解き放たれる。

 

 後に開発主任は語る。

 イメージインターフェースを用いたからこその弊害。龍咆は肩から撃つという仕様のため、本来のスペックを引き出せていなかった。

 といっても衝撃砲自体が本来の威力を出せないことはない。全てはイメージインターフェースが原因である。装備を経由する際の損失さえ抑えれば最大威力の発射は可能だ。

 つまり、現状でも低コストで高威力を発揮でき、連射もできる理想の武器として運用できないことはない。

 

 

 ただし、衝撃砲は尻から出る。

 

 

「バッカじゃないの!? 不可視だ(見えない)から誤解されるじゃない!」

 

 その正体に気づいたときにはもう遅い。

 後ろをついた敵、ゴーレムの顔面に衝撃砲()が直撃した。大きくひしゃげるほどのダメージを受け、長い両腕が破損部を庇うように覆う。

 まるで両手で鼻を押さえているようだ。

 

「やめて! 臭くて鼻がもげそうみたいなジェスチャーはシャレになんない!」

 

 タイミングの問題であろうか。ゴーレムに与えられたダメージは極大であり、シールドエネルギーを残らず吹き飛ばしていた。

 ゴーレムは鼻を押さえながら、気を失うように地面へと落下する。

 

 鈴の完全勝利だった。

 だが呆然と立ち尽くしている鈴を見て勝者と称える者はいない。

 

 

※崩山パッケージで使用すると黄土色した(もや)の視覚エフェクトが付きます。

 



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シャルロットの反抗

時系列は2巻の前です。


 あの人に呼び出された。いつもは部下の人が通達してくるだけなのに珍しい。2年前に僕を引き取って以来、直接顔を合わせたのは3回だったか。今回はたぶん半年ぶりくらいに会うことになる。

 これで実の父と娘なのだと思うとつい笑ってしまう……笑えないよ。

 

 母と2人で暮らしていた僕の生活は母の死と共に大きく変わらざるを得なかった。今よりも子供でどちらかといえば世間知らずだった僕一人だけで生きていけるなんてことはない。頼れる親戚もなく、途方に暮れていた僕を迎えに来たのは初対面の男性だった。

 彼は僕の父親らしい。母からは「父親はいない」と聞いていたからてっきり死んだものだとばかり思っていた。まさかあのデュノア社の社長が僕の父親だなんて思いもしなかった。

 でも今更実の父とやらが出てきても嬉しくなんかない。僕の好きだった母が死んだ。その代わりになんて誰にもなれないし、母が死ぬまで一度も来なかった父親なんて軽蔑しかできない。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、彼が父親面をすることはなかった。

 

『デュノア社専属のIS操縦者となれ』

 

 そう、彼は僕のことを娘としてではなく道具として欲していた。

 父親としてでなくデュノア社の社長として僕の前に現れただけだったんだ。

 

「はぁ……」

 

 本社の会議室を前にして漏れる溜め息。

 おばさんの居る実家の方に呼び出されるよりはマシだと思うけど、気が進まないことには変わらない。

 用件の想像が付かないことが一番のネックだ。今日まで僕は従順に会社のために働いてきた。失敗なんてした覚えはないし、逆に褒められるほどの成果を挙げたこともない。

 ……尤も、社長が何を考えているのかなんて僕が知る由もないか。

 

 ノックして名乗ると「入れ」とだけ返答が来た。

 重苦しいものが肩に乗ったまま躊躇いがちにドアノブに手をかける。

 

「失礼します」

 

 意を決して入室。不安を表に出さないように無表情の仮面を被ることは忘れない。

 社長室でなく会議室に呼ばれた理由は簡単だった。社長の呼び出しではあっても1対1で話をするとは言ってない。入り口を囲むようにしてコの字型に並べられた席にはデュノア社の幹部ばかりが座っている。どうやら僕はこの場における主役であったようで、全員の目が僕に向けられていた。

 

「来たか、シャルロット」

「ご用件は?」

 

 さっさと終わって欲しい。不躾だと思われていいから続きを促す。

 僕とこの人は親子である前に雇用主と労働者の関係だ。ビジネスライクにいくのが最も気楽だった。

 

「お前に仕事を任せたい。我が社の命運を握る最重要なものだ」

「え……?」

 

 社長の目は本気だ。だからこそ僕は無表情の仮面を落としてしまった。

 僕はデュノア社にとってただの使い捨ての道具に過ぎないはずなのに。

 

「僕が、ですか?」

「ああ。これはお前にしかできない仕事だ。受けてくれるな?」

「もちろんです」

 

 元々僕には断る選択肢が存在していない。返答は決まっていた。

 だけどどうしても気になった。今までISを動かすことしかしてこなかった僕に改まって仕事を頼むだなんて普通じゃない。

 だから僕は自分から質問する。

 

「一体、僕は何をすればいいのですか?」

 

 社長は目を閉じて一度深く頷く。会議室の沈黙が今から話される仕事の重大さを予感させた。

 重い、重い口が開かれる。僕がこれから為すべき使命がついに明かされる。

 

「IS学園に男として転入してもらう」

「無理です」

 

 即答した。今までひたすらに従順で、殴られても口答えしなかった僕でも反射的に口走るくらいには頭がおかしい。

 

「何を以て無理だと決めつける?」

「だって僕、女ですよ!?」

「そんなことは百も承知だ。だから男装しろと言っている」

「どう考えてもすぐにバレるじゃないですか!」

「心配するな。何も問題はない」

「どこが!? もしかして僕って男っぽいんですか!?」

 

 今まで僕は男扱いされたことは一度もない。体型も一般的な女性の枠に収まっていて、むしろ男だとするとひ弱だ。

 社長にだけ言っていても埒が明かない。せっかくなので同席している幹部たちにも救いの目を向けてみる。

 

「娘さんのおっぱいがこの任務における大きな障害なのは我々も同意するところだ」

「息子の嫁にしたいくらいには可愛い」

「私の嫁でも構わない」

「今からでも遅くありません。シャルロットちゃんの水着写真集に方針転換しましょう、社長」

 

 うん、抗議の声が上がったのはいいんだけどね。言ってることがIS関連企業の幹部って感じじゃないね。

 とりあえず流れは僕に来たはず。畳み掛けよう。

 

「たしかに二人目の男性操縦者となれば注目はされます。ですがその分、嘘のバレる危険性が高まりますし、その際のリスクは絶大です」

「ほう。それで?」

「身体検査程度でバレてしまう嘘がIS学園に通じるわけがありません!」

 

 なんでこの程度のことがわからないのかなぁ……だから会社の経営が傾くんじゃないの?

 だけど社長の表情は崩れない。

 

「身体検査の手筈はどうなってる?」

「既に影武者を使った公開検査を仕組んであります。学園内に協力者を忍ばせ、入れ替わりの算段もついています。また、念には念を入れて轡木十蔵氏をシャルロットちゃんの下着3着で買収しておきました」

 

 いつの間にか数が減ってた理由はそれか!

 

「一度検査を通れば二度目はどうとでも躱せる。反論はあるか?」

「あるよ! 操縦を見るってことはISスーツでしょ!? 女だって一目瞭然だよ!」

「そう、その通りだ!」

 

 おや? 社長が何故か僕の発言を肯定した。

 

「先程もチラッと話題に出たが、この任務の最大の障害は想定よりも発育の良かったシャルロットのおっぱいにある」

「真面目な顔して『おっぱい』なんて言わないで!」

「娘のおっぱいが大きいのは大歓迎だが男装するには邪魔だ」

「まさかこのタイミングで初めて娘扱いされるとは思ってなかったよ! 最低だよ!」

「かと言って娘の立派なおっぱいを切り取るわけにもいかない。性転換手術は私のプライドが許さない。おっぱいは宝だ」

「そこは嘘でも『娘の身を案じて』とかにしてよ!」

 

 社長の厳しい顔つきがドヤ顔に変わる。

 

「そこで私は開発部門を総動員して貧乳化ISスーツの開発を進めた」

「いや、総動員はおかしいでしょ!? ISを作ろうよ! 第三世代が必要だって言われてたじゃん!」

「その結果を報告してくれ」

 

 社長に促されて開発の部長が起立する。

 

「半年におよぶ研究の末、我々はついにEカップをAカップに縮小するISスーツの開発に成功しました。Cカップ如き、平らな洗濯板にしてやりますよ」

「このプロジェクト半年前からやってたの!? 織斑一夏が見つかったのってまだ1ヶ月前の話だったよね!?」

「篠ノ之博士の協力を得られるとは思っていませんでした。まさか量子変換にあのような使い方があったとは」

「あり得ない名前が出てきた!? 行方を眩ませてる人とどうやって連絡をつけたの!? と言うかその人脈を使って他に作るべきものがあったでしょ!」

「では早速試着してみてくれ」

 

 言われるままに新開発のISスーツに着替えてきた。

 僕の胸はどこかに消えてしまったかのように平坦になっている。ボディラインにも手が加わっていて腰つきに丸みがなくなりスレンダーになっている。

 悔しいけど、男と言われたら納得してしまう体型になってしまっていた。

 

「着心地は良いだろう?」

「…………」

 

 体が軽くなってる。今まで着てきたISスーツよりも上等なのだと僕の体は語っている。

 僕は無言で肯定するしかなかった。

 

「あとはシャルロットが男を演じ切れば問題ない」

「待ってください!」

 

 まだだ。まだ僕は全てに納得するわけにはいかない。

 

「IS学園への転入は国の推薦を意味します。政府が許可するのでしょうか?」

「そう、その件でも話があった。今日からお前は代表候補生として登録されることとなった」

「動きが早過ぎるよ! 試験も受けてないのに代表候補生になれるとかおかしくないですか!」

「何を言っている? 『デュノア社が隠していた男性操縦者がいます』と言ったら向こうからお願いしてきたぞ」

「そうだった! 男性操縦者扱いなんだから確保が優先されるんだった!」

「もう憂いは無いか? なければ今日から男として過ごしてもらう」

 

 考えろ、シャルロット。このまま言うことを聞いてしまえば身の破滅だぞ?

 僕にこの苦境を切り開く力を貸してください、母さん……

 

 そうだ、母さんだ! 僕には母さんと過ごしてきた過去がある!

 

「……今からどう男に見せかけても、どう男として振る舞っても、僕は女として過ごしてきました。この顔を変えないのなら僕に女性疑惑が出てくるのは避けられません。そうなったとき、僕の過去が調べられてしまう」

 

 探せばいくらでも穴が見つかる。こんな付け焼刃の杜撰(ずさん)な計画で誰も彼もを騙しきれるはずない。

 僕の今までの人生が僕の嘘を否定する。

 

「止めましょう。この嘘はデュノア社を滅ぼすことになります」

 

 一番は自分がやりたくないということだけど、あくまで会社のためと訴えて中止を促す。

 戸籍を弄るくらいは平気でやってそうだけどどうしても粗は出てくる。ジャーナリストが改竄の跡を見つけてしまえばデュノア社は文字通り終わる。確率の高いハイリスクを負うのは経営者として間違っている。

 だというのに、社長は全く顔色を変えなかった。

 僕の声は……娘の言葉はそれほどまでに小さいものだということなのだろうか。

 

「過去か……たしかに私はお前を迎えに行くまでお前と関わろうとしてこなかった。その時代のことまで私が改竄するのは難しい」

 

 僕の想定とは違う言葉に驚きを隠せない。顔に出ていないだけで、僕の言葉が届いたのだろうか?

 

「シャルロット。お前に言っておかなくてはならないことがある」

「は、はい!」

 

 社長が真っ直ぐ僕を見つめてくる。愛人を多く囲っていて隠し子がかなりいると噂されている人物だが今だけは真摯に見える。

 今までは道具扱いされていると思ったけど、今だけは娘と思ってくれている。

 そんな気がした。

 

「戸籍上のお前はシャルル・デュノアという男になっている」

 

 気がしただけだった。

 

「もうそこまで話が進んじゃってるの!? いくらなんでも気が早過ぎる!」

「待ちなさい。私がやったわけではないのだ」

 

 ……は?

 

「お前は生まれてからずっと戸籍の上では男ということになっている」

「どうしてそんなことに!?」

「意図的に決まっているだろう」

「一体、誰がそんなこと――」

 

 言いかけて気付く。『誰がしたのか』ではなく『誰にできたのか』という視点で見なくてはならない。

 答えは1人しか出てこなかった。

 

「母さんっ!?」

「あれは男の子を欲しがっていたからなぁ……まさかこんなことになっているとは」

「そんな理由で!? でもちゃんと女の子らしい服を着せられてたし――」

「自分の息子に女装させるのが夢だと言っていた」

「母さあああん!」

 

 僕はその場にがっくしと項垂れる。

 

「以前のお前を知っている者はお前のことをシャルロットとしか認識していない。私の息子であるシャルル・デュノアとは顔が少し似ている別人だと扱うことだろう。公的な記録でお前は生まれた時からシャルルであるし、調査をしたところで裏付けが取れるだけだ」

 

 だからか。だから僕にしかできない仕事だったんだ……

 

「もう異論は無いな? この計画の成否はお前の演技にかかっている。IS学園に入学して織斑一夏に接触し、データを盗んでくるんだ」

 

 あれ、おかしいな……絶対に間違ってると言えるんだけど、どうして僕はこの人たちを論破できないんだろう?

 やっぱり母さんの裏切りが一番大きな要因だ。僕の精神的なダメージもね。

 もう外堀が埋まってる。これも僕の運命だと思って受け入れるしかない。諦めた。

 

 だけど一つだけ言わせてほしい。

 

 この会社はもうダメだ。



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それと便座カバー

 大浴場を使えると喜んでいた一夏と喜びを共有することはできなかった。シャルルはその感情の正体を知らぬまま、怒りに似た感情ということで誤魔化し、1人で部屋へと戻る。

 頭の中が一夏のことで埋まっていた。後先のことなど考える余裕などなく、自分を落ち着かせるために無意識のうちにシャワー室の扉を開いた。

 

「はぁ……僕、どうしちゃったんだろ」

 

 顔から熱い湯を浴びると悩みも霧散していくようだった。一夏が山田先生と話している姿をみているだけでモヤモヤした気持ちは次第に消えていく。数分のシャワーでシャルルは気持ちをリセットでき、これでまたいつも通りのシャルルとして一夏の前に顔を出せることだろう。

 心なしか気分も高揚したシャルルは何の気なしにシャワー室を出た。今の彼女は意識を思考に集中しており、周囲の音が全くと言っていいほど拾えていない。だから脱衣所でもある洗面所にいる存在に気づかなかった。

 

「い、い……いちか……?」

 

 

  ◆◇◆

 

 

 一夏とシャルロットが向き合って座り込んでいる。シャルロットは男装をやめて、気楽なジャージ姿であった。

 一夏に裸を見られてしまった。これまで2人目の男性操縦者と偽っていた事実を、任務のターゲットに知られてしまった。まだ白式のデータを盗めていない。成果のない自分を父が許すとはとても思えなかった。

 ただ喪失感だけが胸を埋めていた。一夏に説明をしなければと考える一方で、これからの自分を想像すると何もする気力がなくなる。

 

 しかし、一筋の光明が見えた気がした。父の言葉を思い出したのだ。

 

 ――もしターゲットにバレたとき、これを実行しなさい。

 

 父はこの事態も想定していた。何をバカなことをと思ったものだが、背に腹は代えられない。藁にもすがる思いで父から伝授された対処法の実行を決意する。

 頭の切り替えはできた。あとは父の言うとおり、何食わぬ顔で最後まで押し通すのみ。

 

 

「お茶でも飲むか?」

 

 無言に耐えきれなくなった一夏が言う。事情を話すにしても何かきっかけがいるだろうという配慮だ。シャルロットは笑顔を作って答える。

 

「う、うん。もらおうかな。それと便座カバー」

「いや、それはやらねえよ。ちょっくら淹れてくる」

 

 一夏は半ば逃げるように電気ケトルを取りに行った。水を入れてスイッチをONにしたところでふーっと息をつく。頭の中は気まずい思いでいっぱいだった。シャルロットの発言について考える余裕はない。

 湯飲みに茶を入れて一夏が戻ってきた。シャルロットはというと正座をしたまま、ほぼ全く動いていない。一夏が彼女の目の前に湯飲みを差し出したところで慌てた様子で動き出した。

 そのとき、一夏とシャルロットの指が触れた。

 お互いが異性を意識している状況。追い打ちをかけるような刺激で2人とも反射的に手を引っ込める。その反動で茶が大きく揺れ、中身の熱々の茶が一夏の右手にかかった。

 

「あっちぃ! 水! 水っ!」

「ごめん! 大丈夫、一夏? それと便座カバー」

「何の心配してんだよ!? とりあえずすぐに冷やせばなんとかなる」

「ちょっと見せて。それと便座カバー」

「今、言うことかぁ!? 俺に頼まれても困る!」

「赤くなってる。ごめんね、一夏。それと便座カバー」

「同列で謝られてる!? お前にとって、俺って何なの!? むしろ便座カバーの方が何だ!?」

 

 一夏の抗議は虚しく宙へと消える。パニックになっていたシャルロットは強引に一夏の手をひっつかむと洗面所へと移動し、水をため込んで浸らせる。

 

「すぐに氷もらってくるね! それと便座カバー」

「氷だけでいい!」

 

 一夏の叫びは混乱したシャルロットには届いていない。そして混乱したシャルロットは今の自分の姿格好を失念している。一夏はそのことに気づいた。

 

「待て待て! そんな格好で出てったらマズいだろ!」

 

 幸いだったのはシャルロットがまだ一夏に引っ付いていたことだった。そんな格好という言葉は耳に入り、シャルロットは自分のジャージ姿を見下ろす。男装していない今、女子の象徴ともいえる胸がはっきりと浮き出ていた。

 シャルロットは自分の体勢にも気がつく。右手の様子を後ろから確認するためとはいえ、胸を後ろから押しつけている。

 

「その……離れなくていいのか? さっきから胸が……当たってるんだ」

 

 一夏の頬がお湯のかかった右手並に紅潮していることにも気がついた。赤は一夏からシャルロットに伝染する。頬を赤らめたシャルロットが飛び退くように離れ、胸元を両手で覆い隠した。

 

「心配してるのに……一夏のえっち。それと便座カバー」

「新手の悪口か何かか!? めっちゃ侮辱されてる気がする!」

 

 何はともあれ場の空気が和んだ。

 シャルロットは一夏に全ての事情を打ち明ける。一夏は全て聞いた上でシャルロットに学園に残る道を示した。

 何もかもが解決し、シャルロットに笑顔が戻ったところで一夏はずっと聞きたかったことを口にする。

 

「ところで、何で『それと便座カバー』なんて言ってたんだ?」

「あ、あれはね。もし一夏にバレたら語尾につけなさいって。この秘策でどうにかなるって、父が僕に授けたんだ」

 

 もう親子の縁を切ったらいい。そう思った一夏だった。

 

 

 

【おまけ】

 

 VTシステムによる暴走事件の後。シャルルがシャルロットとして改めて転入手続きを済ませた直後に嫉妬に狂った鈴が衝撃砲で一夏にジャレてきた。

 その危機を救ったのは何を隠そう、ラウラ・ボーデヴィッヒである。彼女はシュヴァルツェア・レーゲンの特殊武装であるAICを使って一夏の身を守った。

 

「助かったぜ。っていうかもうIS直ったのか? 早いな」

 

 VTシステムを止める都合上、ラウラのISは完全に破壊された。他ならぬ一夏が破壊したのだ。だからこそ気になるのも仕方がない。

 ラウラはやや動揺した様子で答える。

 

「コアはかろうじて無事だったからな。予備パーツで組み直した。それと便座カバー」

「そのIS、便座カバー使われてんの!? 便座カバーってスゲ――」

 

 ツッコミを入れざるを得なかった一夏だが最後まで言い切れない。唐突に胸ぐらを掴まれた一夏はラウラに引き寄せられ、その唇を奪われる。

 誰もがキョトンとする中、ラウラは頬を赤らめたまま宣言した。

 

「お、お前は私の嫁にする! それと便座カバー!」

「どちらも尻に敷くものでございます……誰が上手いことを言えと!?」

 

 ちょっとだけ一夏が楽しそうだった。




※一応補足しておくと『尻に敷く』は夫が妻の言いなりになってることを指します。嫁という言葉自体とは何もかかっていませんが、嫁扱いされてるのが男なので成り立ちます。


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魔法の言葉

ISとACのクロスオーバーが流行ってるそうなのでやってみた。


 学年別トーナメントのルールが急遽変更された。クラス対抗戦において外部からの侵入があったことを考慮し、有事の際に出場者で対処がしやすいようにという配慮であるという。

 言いたいことはわからないでもない。ただ、納得したくない者がいた。1年1組、篠ノ之箒である。

 

「くっ……なぜこうも上手くいかぬのだ……」

 

 自室に戻った箒は机に突っ伏して唸る。ここ最近の出来事を振り返ってみれば思い通りにならないことばかりだ。

 学年別トーナメントで優勝したら一夏と付き合える。勇気を出して取り付けた自分だけのはずだった約束が何故か生徒たちの間に広まってしまっている。

 そしてルール変更。個人戦のトーナメントだったはずなのにタッグマッチとなってしまった。正直に言ってしまえばこちらの方が痛手だった。

 

 ……私に誰と組めというのだ。

 

 真っ先に思い浮かべた一夏は同じ男であるシャルルと組むと宣言している。そもそも約束した手前、一夏の力を借りて優勝するのは間違っているとも考えていた箒にとっては誰か女子と組まれるよりは精神衛生上は好ましい。

 一夏が選択肢から外れると残る身近な選択肢としては寮の部屋が同じ鷹月静寐か剣道部員の四十院神楽のどちらか。しかしながら両名ともとっくにパートナーを見つけている。

 他にいないかと探してみても、誰も見つからなかった。参加できないことはないが、当日になって即席のタッグを組まされることになる。それでは連携の確認はおろか、まともな作戦も立てようがない。

 自分1人で相手タッグをまとめて相手にするだけのつもりで臨まなければならない。1対1でも勝てないかもしれない相手もいる中で、このルール変更は絶望的な追い打ちだった。

 

「せめて私自身の技量を上げねば……しかし、練習するだけの時間がない」

 

 箒はあくまで一生徒。専用機持ちとは違って、学園側から機体を借りなければ練習は出来ない。しかしこの時期、空いている練習機などあるはずがなく、大会までの授業以外の練習機会は1回あればいい方だった。

 やる前から諦めそうになった。

 ――そんなときである。

 部屋の入り口が勢いよく開かれた。

 

「話は聞かせてもらったよ、箒ちゃん!」

「帰ってください」

 

 入り口に立っているのは箒の姉、篠ノ之束。

 箒はそんな彼女の姿を見ることなく軽くあしらう。どうやって入ったのかは問うだけ時間の無駄だと悟っている。

 

「そんな冷たいこと言わないでよー。久しぶりに会った仲良し姉妹でしょー」

「寝言は寝ていってください。そろそろ通報しますよ?」

「そんなこと言っちゃっていいのかなー? 練習時間が欲しい箒ちゃんのために束さんが人肌脱ごうと思ったのに」

「え? それはどういう……」

 

 机に突っ伏したままだった箒がガバッと跳ね起きる。束は満足げに頷いた。

 

「専用機をすぐに用意することはできないけど、練習させることくらいはお手の物なんだよ」

「練習できるんですか!?」

「お、目の色が変わったね。じゃあ、週末に神社まで来て。外泊願いも忘れずに」

 

 束からの提案は週末の短期合宿。IS学園の外でISを展開してもいいのかと考えたが、気にするだけ無駄だと思い直す。

 束の手が加わっていて、学園やIS委員会がISの起動を確認できるとは思えない。要するにバレなければいい。

 

 

 

 時は過ぎ、いよいよタッグトーナメントの当日となった。

 束の元には2回ほど通った。その結果をまだ実感はしていないが、確実に経験にはなった。束の指導を受ける前と後では打鉄の扱い方のキレが変わっている。ISだと思うように動かせなかった剣も今では体の一部も同然となった。

 今の箒は自信に満ちている。結局パートナーが見つからなかったのだが、もうこの際どうでもいいことだった。即席のタッグでも自分が強ければそれでいい。

 

「私1人でいいさ。私1人だからといって絶対に勝てないわけじゃない。自信はあるんだ。だから私1人でも問題ない。私1人で……」

 

 訂正。パートナーが見つからなかったことにショックを隠せていなかった。『私1人』と口に出す度、胸にグサグサと突き刺さっていてじわりと涙が浮かんでいる。

 トーナメント表が発表される。自分の名前は1回戦の第1試合。対戦相手はよりによって一夏のペア。

 そして、自らのペアはラウラ・ボーデヴィッヒとなっている。単独の強さは鈴&セシリア組を単機で圧倒したことでわかっている。1人で戦うことも覚悟した箒にとって頼もしいパートナーであると言える。

 ただ、同時にショックでもあった。

 

「私はアレと同じくらい孤立しているのか……」

 

 真実はたまたまあぶれただけなのだが、クラスに溶け込もうとすらしない問題児と同じ扱いに思えて箒はまた一段と自虐の念を強める。

 もしかすると、自分はぼっちなのではないか。

 思えば、束の元での練習の間もずっとそんなことばかり考えていた。

 

「いかん! このような雑念があっては勝てるものも勝てない!」

 

 アリーナのピットまで全力疾走する。深く考えすぎないようにと。

 

 ピットには既に銀髪黒眼帯の相方がいた。ラウラは箒を一瞥すると一言も声をかけることなくアリーナへと入っていく。

 走ることで孤独感を忘れることが出来ていた箒だったが唐突に寂しくなった。

 

「私は……私は……」

 

 試合とは関係なく心が折れそうになる。そんな自分に気がついて……腹が立った。

 

「私はそんな弱くない!」

 

 打鉄を装着してアリーナへと入る。

 相手は一夏とシャルル。味方はラウラ。ただし気分的には専用機持ち3人全員を相手にするようなもの。

 1回戦から酷い組み合わせにされたものだと苦笑いする。決まってしまった者は仕方がないと腹は括った。

 負けるつもりはない。対戦相手だけでなくラウラにすらも。そして完全勝利して一夏との約束を果たす。それができるだけの努力はしてきた。

 

 ――叩きのめす。

 

 一夏とラウラが同時に同じ言葉を発してせめぎ合う。完全に箒とシャルルを蚊帳の外にして盛り上がっている。

 目の物を見せてくれる。そう意気込んだ箒の前にシャルルが立ちはだかる。

 

「相手が一夏じゃなくてゴメンね」

「気にするな。順番が変わるだけだ」

 

 ただ1人、スペックの劣る量産機であるはずの箒だがその顔には余裕が窺える。

 シャルルからアサルトライフルが撃たれる。箒を大きく動かす為の牽制であるが、箒は足を止めたまま。刀の切っ先を少し動かすだけで弾丸の軌道を逸らしてみせる。

 

「え、嘘っ!?」

 

 焦った箒が飛び込むところへのカウンター。そう思い描いていた戦闘プランが一瞬で崩壊する。

 箒は腰を落ち着けて慎重に歩を進める。体勢を崩せないまま接近戦をするとシャルルでも圧勝は難しい。それどころか今の箒に接近戦を挑めば返り討ちに遭う危険性すらある。

 一夏と立てた作戦に支障がでる。焦りを覚えるのはシャルルの方だった。

 対する箒は代表候補生相手に戦えている事実に安堵する。先ほどまで沈んでいた心も軽い。あまりにも広くなってしまった寛容な気持ちのまま、思わず呟いた。

 

「ありがとう、姉さん」

 

 無茶な我が儘に付き合ってくれた姉に感謝の言葉を漏らす。直接はまだ言えなくても、少しは距離が縮まったとそう思えた。

 

 ……このまま何事もなければ良かった。

 まさかこの一言が全てをぶち壊しにするだなんて誰も考えられなかったことだろう。

 妹の孤独感を紛らわそうとしたマッドなとんちんかん博士の好意がここまでの全ての努力を水の泡とする。

 

「ありがとウサギ~」

 

 何か出てきた。

 ポンという軽い破裂音の後、白い煙とともにアリーナに出現した謎の生物。それは王冠を被ったバレリーナ姿のウサギだった。タラコ唇が異様な間抜け感を醸し出している。

 箒もシャルルも戦闘の手が止まる。それどころか距離を取っていた一夏とラウラすらも固まっている。

 一夏は突然の乱入者に過敏に反応してのこと。

 一方、ラウラは乱入者に釘付けになっていた。

 

「かわいい……」

「お前のセンス、スゲーな。ある意味で」

 

 一夏たちがなぜか仲良く謎の生物を見守る。

 ここでしばらく呆気にとられていたシャルルが我に返った。

 

「これも箒の武器? 良くわからないけど倒さなきゃ!」

 

 十分に混乱したままだった。シャルルはアサルトライフルとショットガンを乱射する。狙いだけは正確無比であり、無数の銃弾がウサギに命中する。

 しかし、ウサギがバレエのようにその場でスピンするだけで全て弾かれてしまう。

 

 戦闘が再開したことでどこからともなくBGMが流れ出す。まるでスーパーロボットが出撃しそうな曲だった。

 ウサギが身を屈めた後で勢いよく空へと飛び上がる。三頭身の体を十字に広げるとぬいぐるみのようだった体に線が入り、機械的にパカッと割れる。大きな側頭部が上方に開いて肩パーツとなると、体だった部分が真っ二つに割れて肩に接続され腕となる。同時に耳部分が後頭部ごと頭の下にまでグルリと回ってくると下半身と脚に変形する。腕からはどこから隠していたのかとツッコミを入れたいくらいに立派な手が姿を現し、頭に被っていた王冠が引っこ抜かれるように飛び出してくると人型ロボットの顔がそこにあった。王冠にあった丸い穴に青いクリスタルがはめ込まれ「え~し~♪」と音声が発されると顔の方にもカメラアイに光が灯る。そして力強いポーズを取って全てが完了した。

 

「え……何これ……?」

 

 折角動き出せていたシャルルもあまりの出来事に呆気にとられる。そんな彼女が咄嗟に反応できることはない。

 人型ロボットとなったウサギがイグニッションブーストでシャルルに近づき、強烈なパンチをお見舞いする。まともに食らったシャルルはアリーナの端まで吹き飛ばされ、壁に激突させられた。

 

「シャルルっ! くっ! よくもやってくれたな!」

 

 我に返った一夏がラウラに雪片弐型を向けなおす。まだラウラはウサギだったロボットを見つめていた。

 

「……かわいくなくなった」

「おーい、そろそろ帰ってこーい」

 

 なにやらショックを受けているようだ。一夏は不意打ちを食らわす気になれずついつい声をかけてしまう。

 一方、シャルルがやられる一連の流れを唖然としたままの箒はまだ口をあんぐりと開けていた。

 

「こ、これは一体……」

 

 状況についていけていない。そんな箒を見かねたのか、全ての元凶が動き出す。

 

『箒ちゃんが寂しそうだったから、束さんが頑張ってみちゃった♪』

 

 テヘッと会場のアナウンスを利用して束が説明する。つまり、箒は合宿中に束の改造を受けてしまっていたということだった。

 その内容を束は端的に告げる。

 

『やったね、箒ちゃん! 挨拶する度、友達が増えるよ!』

「おいバカやめろ!」

 

 丸っきり公開処刑。箒は戦うことなくその場に崩れ落ちてしまった。

 試合は箒&ラウラ組の反則負け。

 唯一の救いは一夏が箒を必死に慰めてくれたことだろうか。

 やったね、箒ちゃん!




……なんだこれ?


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激闘の果てに医務室で……

 タッグトーナメント1回戦の第1試合。

 一夏&シャルルVSラウラ&箒の注目の試合は最終局面を迎えていた。

 早々に箒が脱落した後、2対1という不利な状況でラウラはシャルルのシールドピアースをまともに受けてしまったのだ。

 連続して続く炸裂音の度に大口径の杭が密着状態で打ち付けられる。離れた位置からの射撃よりもISに対して有効な打撃を浴び、シュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーは枯渇寸前となった。

 勝敗は決した。誰もがそう思った瞬間にそれは起きた。

 

「あああああ!」

 

 ラウラが絶叫する。同時に発された電撃がシャルルの体を大きく吹き飛ばす。

 何が起きたのか。少なくとも通常のISバトルでは考えられない反撃を受けたことは事実。

 多少の混乱を抱えたまま、一夏とシャルルはラウラを見た。

 

 そこには……ただ異様だけがあった。

 

 シュヴァルツェア・レーゲンがどろどろに溶けていく。硬い金属製だとばかり思われていたISが半液体状になって操縦者であるラウラを飲み込んでいく。

 濁った漆黒は闇そのもの。未知そのものがまるでモンスターのように蠢いている。

 誰も説明できないまま、黒い塊は粘土細工のように1つの形を作り上げた。

 黒い全身装甲(フルスキン)のISのような何か。

 ラウラを象ってはいるものの元となったシュヴァルツェア・レーゲンの面影はどこにもない。手にしている武器も違っている。

 雪片。一夏にも見覚えのあるIS用の刀だった。

 ラウラの振るう剣を大きく飛び退いて回避する一夏。やや大げさな挙動だったのはその脅威を知り尽くしているからこそ。一夏は彼女の動きに見覚えがあった。

 

「ふざけんなっ! それは千冬姉のだ!」

 

 エネルギーが底をつく。だからといって一夏の戦う意志が挫けることはなかった。

 許せない。その一心でまだ立ち向かう気でいる。非常事態だからと箒が止めてきても聞く耳は持たない。そもそも前提が間違っているのだ。

 『やらなければならない』のではなく『やりたいからやる』。

 自らの尊敬する姉を模倣する存在をただひたすらに許せなかった。まだエネルギーに余裕のあったシャルルから譲ってもらい、一夏は右手だけの限定展開でラウラと対峙する。

 右手だけの白式は一夏を保護してはくれない。攻撃されても全て素通し。当たりどころが悪いと即死、良くても重傷は免れない。

 ISバトルが競技として成立するための操縦者保護機能を放棄して、残された機能を全て攻撃に回した。

 普段の一夏ならばこのような目に遭わずにすむ方法ばかり考える。

 今回は難しいことを考えずとも戦わなくていい道が用意されている。

 それでもこの場に臨む理由は一夏がやりたいから以外にはない。

 

 雪片弐型が姿を変え、日本刀を模した形となる。一夏にとって扱いやすいように白式が判断した結果だった。

 白と黒。刀を向け合う姿は鏡像のようで、互いを対照的に映し出している。

 黒は千冬と同じ剣技を使う。

 対する白は千冬から習い、箒からも学んだ剣技を使う。

 習熟度で言えば圧倒的に黒の方が上。だが白には黒にはない意志が宿っていた。

 黒の剣は正確で速い袈裟斬り。一夏が目指すものと遜色ない見事なものだが決定的に足りていないものがある。

 

「形だけで剣が振れるかァ!」

 

 そもそも剣同士の戦いは技量だけで成立するものではない。駆け引きのない剣など玄人でなくとも対処できる。

 一夏が横一文字に斬り払い、黒い雪片を弾いた。

 単なる防御では終わらない。雪片弐型は黒い雪片を打ち払った反動により止まった。これを利用し、すぐさま腕を真上に振り上げる。

 

「これで終わりだァ!」

 

 二の太刀は一夏の方が速い。一夏はその確信の元に振り下ろした。

 だが本人の呼吸をトレースできていないとは言っても、今のラウラの剣の技量は織斑千冬そのものである。この程度ではまだ決定的な隙とは言えなかった。

 一閃。互いに防御を考えない、攻撃のために剣を振り合う。

 先に届いたのは一夏。雪片弐型の輝く刃はラウラの頭を捉えた。黒いISにピシリと大きく亀裂が入り、真っ二つに割れる。中から現れた眼帯すらないラウラと一夏は目が合った。そのまま眠るように気を失う彼女を一夏は雪片弐型を投げ捨ててまで抱き留める。そうでなければ彼女を受け止められなかった。

 

「……まぁ、ぶっ飛ばすのは勘弁してやるよ」

 

 あまりにも弱々しくなっていたラウラを前にした一夏はそう呟いた。許せないとしか思っていなかったはずでも、目の前で助けを求めている者を責めるような残忍さは持ち合わせていない。

 腕の中で眠るラウラに優しく微笑みかける一夏。その額には脂汗が浮かんでいた。呼吸もひどく荒い。

 

「一夏ァ!」

 

 箒が駆け寄ってくる。その声を聞きながら、一夏の意識は次第に遠くなっていった。

 ラウラと抱き合うその場所には血溜まりが出来ている。

 一夏の左腕は肩から先が無い。

 

 

 

 目を開けると眩しいくらいの照明があった。寝そべっている一夏を照らす明かりには容赦がなく、顔を右に向けることで刺激を避ける。

 

「ハロー! お目覚めのようだね、いっくん♪」

 

 そこには水色ワンピースの上から白衣を羽織っている束の姿があった。

 

「なんで、束さんが――いっ!」

 

 事態を把握できない一夏だがこのまま寝ていてはマズいと体が反射的に動く。起きあがろうとしたところで左肩辺りの激痛に襲われた。

 一夏は思い出した。ラウラとの戦いで左腕を失ってしまったのだ。

 

「まだ応急措置しかしてないから動いちゃダメだよー」

 

 まともな返答があり、尤もなことだと納得した一夏は大人しく寝台の上で寝ていることにした。

 落ち着いて深呼吸すると少しだけ頭に冷静さが戻ってきた。どうやら大怪我をして手術ができる場所に運ばれたらしい。束がいるのも医者の代わりということだろう。

 ……それって変じゃね?

 

「束さんって医療に詳しいんですか?」

「ISを造るよりは簡単でしょ。大丈夫大丈夫」

 

 比較対象としてISが持ち出されたために一夏は強烈な不安を覚える。

 

「俺、腕が切れてるんですよ!? そんな簡単に――」

「ふっふーん♪ この束さんにかかればどんな怪我もイチコロなのだ!」

「患者をイチコロにしちゃいそうですよ!」

 

 ハッキリと不安要素を言ってやった一夏だが束はアッハッハと笑うだけ。

 

「束さんは天才だからね。こうしてちゃんと材料も用意してるのだー!」

「だー、じゃないよ!? そもそも材料って言い方が不穏すぎる!」

 

 束が右手に取り出したのは透明でぶよぶよした何か。まるで生き物のように蠢いている。

 

「この束さんお手製の“ST○P細胞”があれば、たとえ片腕欠損でもたちまち治っちゃうぞ!」

「絶対それ危険ですよね!? あと、違う意味でも危ない!」

 

 束は左手の指を1本立てる。

 

「今ならなんと! おまけでもう1本ついてくる!」

「お得感なんてねーよ! 片腕だけ2本とか、ただの化け物になってんじゃないですか!」

「さすがはいっくん。目の付けどころが違うねー。そう、左右のバランスは大事!」

「この人、反対側も増やす気だ!?」

 

 一夏の叫びは聞き流され、束は手袋とマスクをして準備完了。

 部分麻酔が投与されて一夏は身動きが取れなくなった。

 

「とにかく時間が勝負だから急いでオペにとりかかるよ!」

「やめて――いやああああ!」

 

 一夏の絶叫がIS学園に響く。

 

 

 翌日の朝。一夏は三面六臂(さんめんろっぴ)になっていた。

 しかもロケットパンチができる。



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良くある寝言

 チュン、チュンと朝の訪れを鳥の声が告げている。窓から差し込む柔らかい日差しは夏に入る前ということもあってまだ優しさすら感じる暖かさを内包していた。

 気持ちの良い朝には違いない。だけども春眠暁を覚えず。こうした気持ちの良い空気こそ微睡みの時間をグダグダするのが楽しかったりもする。

 などとぐーたらなことを考えながら布団にくるまろうとすると掛け布団が妙な引っかかりを訴えた。床にでも落ちてベッドの端にでも挟まっているのだろうか。目を開けたくなかった俺は手探りで掛け布団を手繰り寄せる。

 

 ふに。

 ふにふに。

 

 はて? 布団にしては妙な感触があった。温度は人肌と程度。柔らかさも同様だ。

 あ、これかなり抱き心地がいい。

 

「ん……」

 

 俺でない声がする。いい加減、異常が起きていると思い直して俺は目を開ける。

 目の前にラウラの顔があった。

 

「うわあああ!」

 

 一気に目が覚めた。

 無意識とはいえ俺はなんてことをしたんだ!?

 ってかここ、俺の部屋だよな!? なんでラウラがいる!?

 

 混乱した頭で状況を分析する。ここは俺の部屋で間違いないから、俺が寝ぼけてラウラの部屋に上がり込んだわけじゃない。だから入り込んだのはラウラの方。俺は何も悪くない。

 自分に非が無いとわかれば落ち着くのは早かった。あとは可愛らしい侵入者を叩き起こすべきだろう。まずは奪い取られた掛け布団を剥ぎとる。

 

「うわあ!」

 

 慌てて掛け直した。

 ラウラの奴、なんで何も着てないんだよ!?

 良く見たら眼帯もいつもの黒いのじゃなくてフリル付きのピンク色だし!

 

 結構大きな声を出してしまったんだけどラウラはなおも気持ちよさげに眠り続けている。本当なら俺が気持ちよく微睡んでいるはずだったのに台無しだ。

 もう起きてしまったものは仕方ない。今更二度寝する気にもなれない俺はまだ眠り続けているラウラを起こすために布団越しに肩を揺すろうと手を伸ばす。

 

「やめろっ! 触るなァ!」

「え!? え? え?」

 

 鬼気迫る声を上げられて俺は伸ばそうとした手は停止せざるを得ない。今のラウラの格好も合わさってまるで俺が悪いみたいに感じられる。

 右手が宙をさまよい右往左往。しかし続く罵声の1つもないことに気がついて落ち着きを取り戻した。ラウラはまだ眠りこけている。

 

「なんだ、寝言か……」

 

 箒みたいに勘違いで暴れられたら困ったけど、その心配はいらないようだ。

 それにしても寝言にしてはやたらとハキハキしてたな。一体どんな夢を見てるんだろ?

 折角だからこの寝言を聞いてみることにした。

 

「そのサンドイッチに触るんじゃない!」

 

 えらく必死に何を言っているんだか。

 どうやらサンドイッチを誰かに取られそうになっているようだ。よっぽど好きなのかな?

 

「食べちゃダメだ! 一夏!」

「俺かよ!?」

 

 サンドイッチ泥棒はまさかの俺だった。ラウラの中では俺は食いしん坊キャラにでもなってるのか?

 それにしても、つい最近まで仲が悪かったけど今では夢の中で食い物の取り合いをするくらいには気を許してもらってるみたいで良かった。夢の中の俺、グッジョブ。

 

「そのサンドイッチを作ったのはセシリアなんだ!」

「マジで何やってんの、俺!? 死ぬ気か!」

 

 全然グッジョブじゃねえ!

 そもそも喧嘩じゃなかった。ラウラは俺を助けようとしてくれてるだけだった。いつの間にか優しい子にクラスチェンジしているようで胸が暖まる。

 しかしセシリアのメシマズをもうラウラは知ってるのか。意外とコミュ力があるのかもしれん。

 

「衛生兵! 衛生兵ェ!」

「間に合わなかったか……さらば、夢の中の俺」

 

 そこで起きた惨劇が目に浮かぶようだ。あれって本当に口の中で暴力的な味が暴れ回るんだよな……

 

「えっ、教官? 何故ここに!?」

 

 おっとまさかの千冬姉の参戦だ。実際の千冬姉ならしれっと「医務室に運べ」だけで済ませそうだけど、もう俺は何が起きても驚かないぞ。

 

「白雪姫の結末ですか? 知ってはいますが……え、そんな!?」

 

 ラウラに何言ってんだよ、千冬姉。それじゃ俺がヒロインみたいじゃないか。

 そんな冗談みたいなことを真に受けてキスでもするつもりなのだろうか。唐突にキスしてきたり『嫁にする』とか言ってきたりと前歴があるからやりかねない。

 でもたぶん外野に変な入れ知恵された末の勘違いだと思う。いつか本当に好きな人ができるといいな。

 

「え? 私でなく教官がするのですか!?」

 

 何やってんだよ、千冬姉! って千冬姉本人じゃないのか。ややこしい。

 ラウラは千冬姉を何だと思ってるんだ?

 

「シャルロット! ISの展開をやめろ! 教官に力で敵うわけがない!」

 

 シャルに何やらせてんだよ……ラウラはシャルをどうしたいんだよ……

 

「何を興奮している、クラリッサ!」

 

 ……誰? いよいよ夢らしいカオスさが増してきてる。少なくともIS学園にはいない人のはずだし。

 

「教官!? なぜ口づけするだけなのに服を脱ぎ始めるのですか!? おやめください! 皆が見ています!」

 

 うん……まるで悪酔いしたときの千冬姉だ。滅多にないけど。

 

 と、ここまで俺はラウラの寝言を聞くのに集中していたから気づかなかった。

 俺の部屋の扉が開けられる音。

 背後まで寄ってくる足音。

 ついには肩に手が乗せられるまで気がつかなかった。

 

 振り向くと、俺の真後ろに笑顔の箒がいる。満面の笑みと呼ぶに値していて、箒のこんな顔を俺はIS学園に入学してから一度も見てない。

 

「ところで一夏。私に何か言うことはあるか?」

「えと……不法侵入はやめろ?」

「なるほど。叫び声を聞きつけてきた私が悪者扱いか。そうかそうか」

 

 そういえばやたらと大声を出してしまったな。しかしここIS学園の寮はやたらと防音がしっかりしてるから外には漏れないんじゃ……

 

「あの、箒さん? 左手に持っているものは何でしょうか?」

「刀匠、明動陽(あかるぎ よう)の晩年の傑作“緋宵(あけよい)”だが、そんなことはどうでもいい」

「いや、俺にとって死活問題なんだけど……」

 

 どこかで『笑顔は威嚇行動』なのだと聞いたことがある。今の俺は身を以てそれを痛感しているところだ。

 

「では聞こう、一夏。お前はラウラに手を出したな?」

「そんなはずないって」

「問答無用! この状況で白を切れると思うな!」

「聞く耳持ってねえじゃねえか!」

「全裸で寝ているラウラを見てニヤニヤしていたくせに!」

「お前、いつから見てたんだよ!?」

 

 もしかしなくても俺を起こしにでも来てくれたんだろうな。でもタイミングが悪いというか、誤解なんだ。わかってくれそうにないけど。

 

「うるさいぞ……」

「あ、ラウラ! 良かった。箒に現状を説明してくれ!」

 

 今にも箒は左手の鞘に納まっている真剣を抜き放とうとしている。とりあえず箒の注意もラウラに向いていて、かろうじて止まってくれていた。

 あとはラウラ次第。

 

「色々と……激しかったな」

「あかん! まだ寝ぼけてらっしゃる!」

「さて。証言も得られたところで……過ちは正さねばならんな?」

「俺は間違ってない。白式を使ってでも生き残ってやる!」

「では織斑先生に全て報告しておこう」

「告げ口はやめて! それは殴られるよりもキツい! あと、誤解だからな!」

「ほう。ところで、私は今から朝食に向かうのだが一夏はどうする?」

「付き合うよ」

 

 結局、朝食の間説得することでわかってもらえた。なぜか楽しそうだった辺り、最初から俺は箒に騙されてたのかもしれない。

 

 昼頃になってからラウラに聞いてみた。なんとなくだけどずっと気になってたんだ。

 

「そういや、千冬姉が脱いだ後にどうなったんだ?」

「何をバカなことを言っている? 寝言は寝て言え」

 

 ごもっとも。



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コミュ障とSっ気令嬢

 IS学園の1年生には臨海学校が行事として含まれている。一言で臨海学校とは言ってもIS学園のそれは生徒が学ぶ場ではなくISの試験場という側面が強い。初日こそ海で自由に遊んでいた生徒たちだったが2日目以降は各企業の試験に付き合わされることとなる。中でも専用機持ちたちは別メニューが課せられていて一際忙しくなること間違いなかった。

 1年生には一夏も含めて6人の専用機持ちがいる。そのうち一夏と面識のない1名は諸事情で臨海学校自体に参加していない。

 一般生徒が量産機である打鉄を運んでいる中、5人の専用機持ちは織斑千冬の前に集合している。しかしまだ本題には入らずに千冬は打鉄を運んでいる一般生徒の中の1人を手招きした。

 

「篠ノ之。お前もこっちに来い」

 

 専用機持ちでない篠ノ之箒が呼ばれた。一夏たちが揃って首を傾げる中、呼ばれた当の本人は当たり前であるかのように「はい」と平静そのもので駆けてくる。

 

「お前には今日から専用――」

 

 箒が呼ばれた理由について千冬が告げようとしたその瞬間だった。

 

「ちーちゃ~~~~~~んっ!」

 

 ズドドドとコミカルな砂煙を上げながら近くの崖を駆け下りてくる人影があった。斜面ではなく崖であり、走れるような場所ではないのだが細かいことは置いておこう。なぜと問い始めたら『ISとはなんぞや』という疑問にまでつながってしまう。

 

「無駄に騒々しいぞ、束……」

 

 額を押さえて呆れを隠さない千冬が乱入者の名前を呟く。IS学園においてはその名前を知らぬ者のない有名人、ISの開発者にして篠ノ之箒の姉、篠ノ之束である。妹よりも放漫な胸を大きく揺らしながらウサ耳マッドサイエンティストが地面を大きく蹴って今跳び立つ。

 大きく手を広げ、千冬の胸へと跳んでいく。千冬は侮蔑の色を帯びた鋭い視線を向けてから右手を伸ばした。

 ガシッ。

 千冬の右手にすっぽりと束の顔面が収まる。鷲掴みだった。そして加えられる圧迫。こころなしか束の顔に指が食い込んで見える。

 

「痛いぐらいの愛が重いよ、ちーちゃん……」

「少しは静かにしろ。それでお前への愛はなかったことになる」

「つまり騒々しい束さんを愛してるってこ――」

 

 束が言い切る前に千冬は右手に力を込めて返事をする。

 

「あー、あとちょっとで違う世界に飛んでいけそうな気がする~」

 

 余裕すら感じさせる声に千冬は行動の無駄さを感じ取ったのか束を解放する。

 自由になった束は即座に箒の方へと顔を向けた。

 

「箒ちゃんも久し振り。おっきくなったね、箒ちゃん。特におっぱいが」

「殴りますよ?」

「殴ってから言ったぁ……日本刀の鞘ってすごく硬いんだよぅ」

 

 涙目になった束が痛そうに頭を押さえてしゃがみ込んだ。

 一夏が心配そうに声をかける。

 

「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫! いっくんもおっきくなったね! 特に――」

 

 束の視線が一夏の顔から下に移った瞬間、箒が刀を抜き放つ。

 

「斬りますよ?」

「ものすごく痛い!? 峰打ちでも流石にひどいよ、箒ちゃん!」

 

 脳天にギャグみたいなタンコブを生やして抗議の目を向けるも箒はツンとそっぽに向くだけ。傍目からでは血のつながった姉妹のやりとりとは思えないくらい一方通行な関係に見えた。

 織斑と篠ノ之。2つの家の内輪ネタが繰り広げられている。当然、この臨海学校の中心だったはずの代表候補生たちも呆気にとられるばかり。困惑する生徒たちを見かねた千冬が提案をする。

 

「束。部外者でないのならば、うちの生徒たちに自己紹介でもしてやってくれ」

 

 瞬間、笑顔が張り付いたまま束がフリーズした。

 

「束? どうした?」

「えーと……そうそう! 今日は箒ちゃんの専用機を――」

「だからその前に挨拶くらいしろと言っている」

「そ、そんな時間の無駄は避けるべきだよ、うん!」

 

 なぜか慌て始める束。千冬のアイアンクローをくらっても、箒の峰打ちをくらっても平然と余裕をかましていた人物とは思えないくらい目が泳いでいて落ち着きがない。

 

「……まだ治ってなかったのか」

 

 千冬は頭を抱えた。その様子を見て一夏は気づいた。束は千冬・箒・一夏以外と口を聞かないばかりでなく視界に入れようとすらしていないのだと。

 どうやら雰囲気が悪いらしい。妙な方向に空気を察したセシリアが挙手をしながら一歩前に進み出る。

 

「ご高名はかねがね承っております、篠ノ之博士。もしよろしければわたくしたちにISについてご教授願えませんか?」

 

 暗に自己紹介はしなくても大丈夫ですよと言っている。ついでにISの開発者の話を聞きたいという下心もあったりはしたが、概ね場の空気を変えようとしてのことだった。

 しかし――

 篠ノ之束は飛び上がるように驚いた後、素早く千冬の背中に隠れてしまった。

 

「な、なんだよ、君は! 束さんには金髪の知り合いなんていないんだよぅ!」

 

 声だけは大きいがまともに相手の顔も見ていない。千冬のスーツを掴むその手は怯えて震えている。

 またしても呆気にとられる一同。束の事情を知っている一夏たちも何も言えずにいた。そんな中、セシリアだけは顔に笑みが浮かぶ。

 

「これは失礼しました。わたくしはイギリスの代表候補生、セシリア・オルコットと申します」

 

 わざわざ千冬の側面に回り込んで恭しく一礼する。ギョッとした束は慌ててセシリアとは反対側に逃げて叫ぶ。

 

「アイ キャント スピーク イングリッシュッ!」

「いや、日本語だから……」

 

 つい一夏が口を挟んだが、もう一夏の声が束に届いていない。完全に束はテンパっている。

 何を隠そう、束は対人恐怖症を抱えている。「箒ちゃん、ちーちゃん、いっくん以外は人間として認識してないもん」と強がっているが、その3人以外とはまともに会話もできない事実を彼女なりに言い訳しているだけだった。

 事実を知らないセシリアはわけもわからないまま拒絶だけされた形となっている。これはフォローを入れざるを得ない、と一夏は彼女の方へ振り返る。

 

「セシリア。別にお前が嫌われてる訳じゃな――」

「……かわいい」

 

 ショックを受けているという予想に反してセシリアは恍惚とした表情を浮かべていた。

 彼女の考えてることがわからなかった一夏だったが、それはいつものことだと思い直し、本人が凹んでいないのなら別にいいやとスルーする。

 

「ところで姉さん。頼んでいたものは……」

 

 箒が尋ねる。瞬間、千冬の左腕に縋りついていた束の両目がキュピーンと光り、テンションも帰ってくる。

 

「ふっふっふ! もちろん出来てるよ! 箒ちゃん専用機、その名も“紅椿”! 展開装甲をふんだんに使用することで燃費以外の全性能が現行のISを上回る第4世代型ISだよ!」

 

 第4世代型ISという言葉が出て誰もが言葉を失った。現状のISは先端を走る国の専用機でも第3世代の試験運用段階である。束の発言はそれを時代遅れだと断言したようなもの。

 静まりかえる一同。気を良くした束は頭上に右手を掲げ、人差し指で天を指す。

 

「さぁ、大空をご覧あれ!」

 

 餌を待つ雛鳥のように皆が一様に空を見上げていた。束に現行ISの何もかもをバカにされてる事実がありながら、誰もが束の言う第4世代型ISへの興味を隠せなかった。

 しかし待てども待てども空には何も変化がない。当の本人も首を傾げている。

 

「あれ……もしかして、くーちゃんが手筈通りにやってくれてない……?」

 

 にわかに騒がしくなり、束の呟きは喧噪に消えた。

 混乱した場にしゃしゃり出てくる人物はまたもやセシリア。彼女は生徒たちの思いを代弁する。

 

「あの、まだでしょうか?」

「ひゃっ! べ、別に失敗したとかじゃないんだから! か、関係ない奴に見せるのもどうかなって思い直しただけなんだから!」

 

 今度は箒の背中に隠れて全方位に言い訳を始める束。誰もISの開発者の発言に対して虚言妄想の類だとは疑っていなかったのだが、挙動不審っぽく見えてしまってポツポツと疑いの目に変わりつつある。

 セシリアは楽しそうにニッコリと微笑む。そして生徒の一部の声を代弁する。

 

「第4世代型ISなどという話は実物がないととても信じられませんわね」

「あ、あるよ! ちょっと手違いがあって来ないだけだもん!」

「手違い? 先ほど『失敗ではない』と仰っていませんでしたか?」

「そ、それは……言葉の綾だよ!」

 

 言動が一貫していないために信頼は落ちていく。

 しかし失望ではなくより楽しげにするセシリアが言葉を重ねる。

 

「結局のところ、第4世代型ISはあるんですか? ないんですか? あるとしたら、それは篠ノ之博士の想像の中だけではないでしょうか?」

 

 とても失礼な内容の質問だが束には言い返すための物証がない。言葉少なに子供じみた反論をするしかなかった。

 

「第4世代型ISは、ありまぁす!」

 

 若干、語尾が丁寧語になるくらいテンパっていた。セシリアは笑顔のままうんうんと頷く。

 

「はいはい。そういうことにしておきます。実物を楽しみにしていますわ」

「箒ちゃん! 私、この金髪、嫌い!」

「ところで、姉さん。私の専用機は?」

「うわーん! 箒ちゃんもいじめてくるよぅ!」

 

 束は来たときと同じようにドドドドと砂煙を上げながらものすごいスピードで走り去ってしまった。

 

 完全に予定が狂った千冬だったが何事もなかったかのように装備の試験を再開する。

 説明の最中、セシリアの隣に立った一夏は彼女の呟きを聞いてしまった。

 

「篠ノ之博士はとても楽しい方でしたわ」

 

 

 この後、米軍のIS“銀の福音”が暴走して日本に向かってくる事件が発生した。

 迎撃に当たった専用機持ちたちの内、やたらとブルーティアーズばかりが狙われていたがその理由は誰も知らない。

 



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ピクルスを抜いてください

「学年別トーナメントで私が優勝したら付き合ってもらう!」

「付き合ってもいいぞ。買い物くらい――」

「一夏のバカァ!」

「あべしっ!」

 

 などというやりとりがあったのが5月の話。

 篠ノ之箒にとっては一大決心の告白だったのだが想い人である織斑一夏にはまるで届いていなかった。

 鈍感の一言で片付けられればどれほど気楽であっただろうか。『付き合う』→『買い物』と連想されてしまっているのは一夏にとって箒は女子の範疇でないのかもしれない。少なくとも箒はそう感じてしまっていた。

 

 しかし箒も篠ノ之家の娘。このようなことで凹んでいるような惰弱な精神を持ち合わせてはいない。

 箒はちゃっかり一夏と2人で街に買い物にやってきていた。

 つまりはデート。熱くなってきた6月末の気候も手伝って、ノースリーブの私服にも気合が滲み出ている。一夏が服装について全く言及してこなかったことに若干腹を立てたが2人きりになれただけまだマシだと自分に言い聞かせた。

 

「箒って意外と洋服を買ってるんだな」

「意外とは何だ。私が剣ばかりでファッションに興味がないとでも思っていたのか?」

 

 箒の私服を買って回った後、ようやく服の話題をしてきたかと思えば期待外れな内容だった。たしかに一夏の前では和装ばかりだったがそれしか知らないわけでもない。いつまでも古い感性の人間だと思われているようで箒は軽くショックを受ける。

 一夏とのデートだというのについつい箒の口からは溜め息が漏れる。恋愛感情以外にだけは鋭い一夏はめざとく箒の不満を察し、1つの提案をするに至った。

 

「ちょっと小腹が空いたな。そこに寄って行こうぜ?」

 

 先に店まで決めているような計画的なデートでもなかった。こうして外食するのもデートらしいし、一夏が誘ってくれたことは箒にとって喜び以外の何物でもない。

 箒の目は輝いていた。一夏が指さす先を見るまでは。

 

「ハンバーガー……だと……?」

「どうした、箒?」

「め、珍しいと思ったのでな。一夏がこのようなジャンクフードを食べようだなどと……」

「まあ、頻繁には食いたくないけどたまにはいいだろ」

 

 普段は健康が第一と言って回っているくせにこういうタイミングに限って意見を曲げてくる。一夏が自分の信条を無視するときは決まって他の誰かを優先しているときなのだと箒は良く知っている。今の場合だと不機嫌な箒に気を使っているのだろう。

 気を使われていると知っているため、箒は一夏の提案を強く断ることができない。内心で泣きそうになっているのだが、できる返事は1つしかなかった。

 

「で、では行くとしよう」

「あ、ああ」

 

 気が進まない箒だったが折角一夏が誘ってくれたのだ。首を傾げている一夏の左腕を引っ張って半ば強引にハンバーガーショップへと入っていく。

 ……大丈夫だ。店に入ったからといって“アレ”を食べなくてはならないわけではない。

 冷静になった箒は今の状況に何も問題がないと自分に言い聞かせた。

 

「いらっしゃいませー」

 

 自動ドアをくぐると店員が満面のスマイルで出迎えてくれる。今は列がなく一夏と箒はすぐに注文できそうだ。

 2人並んでレジの前に立つと、一夏はレディファーストだと言わんばかりに箒に手を差し出した。

 箒はメニューに目を移すことなく高らかに宣言する。

 

「ピクルスを抜いてください」

「何からだよ!?」

 

 ちっとも冷静ではなかった。箒は完全にテンパっている。

 何を隠そう、箒はピクルスが大の苦手だった。しかしそれを今まで一夏の前で話したことはない。普段から一夏の前で強い自分を演じていた箒が嫌いな食べ物があるとは言えなかったのだ。

 今の箒の頭の中には「ピクルスを食べたくない」という事柄しか存在しない。そしてできれば一夏には知られたくないとも思っているのだが既に手遅れである。

 

「ピ、ピクルスを抜いてください……」

「涙目になるほど嫌なのかよ!? だったら最初からピクルスの入ってないメニューを頼めばいいだろ!」

 

 店員と言葉のキャッチボールすらできてない箒に代わって一夏が前に出た。フィレオフィッシュなら問題ないだろうということでフィレオフィッシュのセットを注文。折り返し店員が確認をする。

 

「ポテトはSサイズ、Mサイズ、Lサイズがありますが……」

「ピクルスを抜いてください……」

「違う! サイズを聞いてるんだって!」

「Gカップ」

「何のサイズを口走ってんの!? そうじゃなくてSかMか――」

「ドM」

「ミドルサイズのMだよな? 性癖とかじゃないよな? というわけでMサイズでお願いします!」

 

 これ以上話を続けるのは危険だと察した一夏が強引に箒の分の注文を終わらせた。ドリンクも勝手にMサイズのウーロン茶にしている。おそらくは箒の好みから外れてはいないだろうと予想してのことだった。

 やれやれと一夏は一息をつく。

 一夏にしてみるとツッコミを入れながらも箒に対して若干の引けめを感じていた。知らなかったこととはいえ箒の苦手な食べ物のある場所に連れてきてしまったのだ。きっと提案した一夏に対して箒が気を使ったのだろう。気を張ってここまでついてきた彼女を一夏は微笑ましく見つめる。

 

「ご注文は以上ですか?」

「あ、俺のも頼まないと」

 

 店員に確認されてハッと気が付いた一夏は自分の分の注文を始める。

 特にこだわりのあるメニューがあるわけでもなかったので適当に。

 

「チーズバーガーセットで――」

「ピクルスを抜いて下さい」

「俺のからも抜くなよ!? 俺は普通に食べるっての!」

 

 絶妙なタイミングで箒の独り言が入ってしまった。

 

「チーズバーガーのピクルス抜きですね?」

「いや、抜かなくていいです!」

「パティを抜いてください」

「勝手に肉まで抜くなよ!?」

「チーズバーガーセットのハンバーガー抜きですね?」

「おい、こら、店員! お前が遊び始めたら収拾がつかねえ! チーズバーガーからハンバーガーを取ったらスライスチーズしか残らねえだろ!」

 

 スマイルを崩さない店員は話を先に進める。

 

「あなたはSですか? Mですか?」

「ポテトの量を聞いてるんじゃないのかよ!?」

「ドM……」

「箒も変なことを答えなくていいから! ポテトはLで」

「なるほど。SやMなどという枠組みに収まらない、と」

「店員チェンジして! もっとまともな人、出てきて!」

 

 一夏の叫びに応える者はいない。

 

「ドリンクはどうされますか?」

「あー、じゃあ適当にコーラのLで」

「ピクルスを抜いてください……」

「箒……いや、今は何も言うまい」

 

 一通りの注文が終わって店員が確認を取る。

 

「フィレオフィッシュとポテトMとウーロン茶Mのセット、チーズバーガーのピクルス抜きとポテトLとコーラLのピクルス抜きのセット。以上でよろしいでしょうか?」

「いや、だからピクルスは抜くなって!」

「わかりました。ピクルスは入れておきます」

 

 そう言って店員が奥に注文を伝えに行った。番号札を受け取った一夏たちはテーブル席に座って待つことになる。

 対面に座った箒が胸に手を当てて軽く深呼吸をしていた。どうやらテンパっていたのが落ち着いてきたらしい。

 一夏は思っていたことを口に出す。

 

「知らなかった。箒がピクルス苦手だったなんて」

「幻滅したか? 口では偉そうなことばかり言っておきながら食べ物の好き嫌いなどがあるだなど、滑稽にも程がある」

 

 箒が自嘲気味に溜め息を漏らす。テンパっていたのも一夏に知られるのが怖かったからで、今回の件はそれが災いしていた。

 

「いや、俺は箒のことを前より好きになったけどな」

「え……」

「この世に完璧な奴なんていない。千冬姉だって私生活はだらしない方に分類される人だしさ。完璧な人間を自称する奴を俺は好きになれない」

「情けない女がいいのか?」

「違う。知らない人のことを深く好きになるのは難しいってことだ。俺にしてみれば弱点のない人なんてのはいなくて、弱みを見せない人ってだけ。弱みを見せてくれないのは警戒されているようなものだから距離を感じるんだよ」

 

 一夏の言葉が箒の胸に刺さる。ピクルスのことを話せなかったのは正しく一夏を警戒していたようなもの。少なくとも箒の中に「一夏に嫌われるかもしれない」という一夏への不信感がたしかに存在した。

 一夏は弱点の1つが露呈した箒のことを前よりも好きになったという。その言葉は箒の胸の内を少しは軽くした。しかし浮かれることはできなかった。

 箒は他にも弱さを抱えている。一夏に打ち明けていない漠然とした不安が胸中を渦巻いている。

 専用機を持っていない自分が今後も一夏の傍にいていいのかばかり気にしている。それを隠しているのは、一夏との距離をさらに開くものなのではないのか? そう思ってしまう。

 

「お、バーガーができたみたいだ」

 

 注文したハンバーガーを店員が持ってきた。心ここに非ずといった様子でフィレオフィッシュの包みを開けた箒は口に運ぶことなくじーっと見つめる。

 

「安心しろって、箒。ピクルスは入ってないから」

「あ、ああ……」

 

 一夏に促されて意識が帰ってきた箒はフィレオフィッシュにかぶりつく。

 たしかにピクルスは入っていない。でも今の箒にはまるで味がわからなかった。

 

 一夏は箒の顔色が悪いことを察している。病気でなく単純に悩み事があるのだと思い至っている。しかしそれが何かまではわからず、下手に口を出すよりも箒が自分から打ち明けてくれることを待つことにした。そのうち話してくれるだろうと楽観的に考えていたのだ。

 

 チーズバーガーとポテトを食べながら、一夏はコーラを口にする。

 瞬間、一夏は急激に顔を青ざめた。すぐさま手を挙げてレジの店員を呼ぶ。

 

「すみません……コーラからピクルスを抜いてください……」




箒ちゃんの苦手なものがピクルスと聞いてのネタ。
Gカップというのは公式設定でなく私がテキトーに言っているだけです。


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バカには見えない

私はバカでありたい。


 IS学園の臨海学校は新型装備のテストを目的としている。初日こそ自由時間を与えられて遊んでいた生徒たちであるが、2日目以降はIS学園の生徒としての本分を全うするため活動する。

 ビーチに集められた生徒たちは例年であればすぐに装備の試験を開始しているところだ。しかし今年は織斑先生に集合をかけられて待機している。

 

「篠ノ之。お前には今日から専用――」

 

 生徒の中の一人を名指しで呼びつけようとした。その瞬間――

 

「ちーちゃ~~~~~~~~ん!!!」

 

 篠ノ之束がコミカルな砂埃を巻き上げながら崖を爆走してきた。

 唐突なIS開発者の出現に生徒たちは驚きを隠せない。

 とは言っても彼女たちの大半は篠ノ之束の顔を知らないはず。

 そう、皆が驚愕しているのは決して彼女が篠ノ之束だったからではなかった。

 

 砂埃が大人しくなったとき、全員の目に飛び込んできたのは一糸纏わぬ篠ノ之束の裸体であったのだ。

 要するにとんでもない痴女が現れたに等しい。

 そして、この場には男性がたった一人だけ存在している。

 

「一夏、歯を食いしばれェ!」

「え、何――ぐはぁ!」

 

 箒の咄嗟の一撃が一夏の顔面を捉えた。5mほど砂浜を転がったところでピクピクしていたかと思えば、やがて一夏は動かなくなる。

 完全なとばっちりであるが、彼の悲劇は周囲には完全にスルーされてしまっていた。

 

「束ェ!」

「ん? どうしたの、ちーちゃん?」

「どうしたもこうしたもあるか! 服くらい着てこい!」

「え、着てるよ? もしかしてちーちゃんにも見えてないの?」

 

 千冬の指摘に対して首を傾げながら何も無いはずの中空を触る束。不審に思った千冬は彼女に近づいて同じ場所に手を触れてみる。

 不可視の布がそこにはあった。

 束は『ちーちゃん()()見えない』と言った。つまり、条件を満たせば見える服がそこに存在している。故に束は裸ではないということらしい。

 

「まさか、束……今日のファッションのコンセプトは……?」

「裸の王様!」

 

 実際のお話では服など存在していなかったのだが、束にとっては細かい話らしい。とりあえず彼女は持ち前の技術によって“バカには見えない服”を作り上げてしまったのだ。

 

「今回は展開装甲とかも応用したから手がかかってるんだよ!」

「技術の無駄遣いにもほどがあるぞ……」

「折角ちーちゃんにだけ見てもらおうと思ったのに、まさかちーちゃんにも見えないなんて思わなかったよ」

「それは私のことをバカにしていると見ていいか?」

「あ、そっか! バカの基準が束さん以下に設定してあったから仕方ないね」

「いや、この場においてお前は誰よりもバカだと断言してやる」

 

 青筋を浮かべた千冬の右手が束の顔面を掴む。

 加えられる圧迫感。

 束は人とは思えない奇声を発した後、動かなくなった。

 

「……山田くん。このバカに服を貸してやってくれ」

「あ、はい」

 

 そうしてこの場は収まった。

 

 とりあえず専用機を持っていない一般生徒たちは山田先生に連れられて当初の予定であった装備の試験をするために移動した。

 残されたのは千冬と専用機持ちたち。早々に復活していつもの不思議の国のアリスの服に着替えた束はここに来た本来の用件を始める。

 

「さあ、大空をご覧あれ!」

 

 束の一声に応じて空より落ちてきたのは紅のIS。名を紅椿。

 篠ノ之箒の専用機として束が自ら作り上げた世界最高のISである。

 

「さあ! 箒ちゃん! 早速装着してみようか!」

「……では、お願いします」

 

 素直に束に従う箒。それもそのはずでこの専用機は彼女が望んだもの。一夏の隣に立つために欲した純粋な力だ。

 紅の武者鎧が箒に装着される。フィッティングとパーソナライズをすると、このISが持っている力の大きさが箒の手にも伝わってくるようだった。

 

「よしっ、完了! 流石は束さん! 仕事が早い!」

 

 全ての準備が完了。

 紅椿の機能、全て良好。

 ()()()()、起動。

 

 ――そうして紅椿が全ての機能をオンにした瞬間だった。

 

 箒の纏う紅椿が、彼女のISスーツごと見えなくなる。

 

『えっ……?』

 

 箒本人はまだ気づいていない。

 束にだけは紅椿が見えている。

 しかし他の人間から見れば、箒が全裸で宙を浮いているようにしか見えない。

 注目の集め方に異変を覚えた箒は自らの身体を見下ろしてしまう。

 

 

「あー、酷い目に遭った」

 

 運命のいたずらか。

 さっき気絶させられていた一夏がこのタイミングで目を覚ます。

 そんな彼の目に飛び込んできたのは、篠ノ之箒のあられもない姿。

 

 箒と一夏の目が合った。その瞬間――

 

「きゃああああ!」

 

 悲鳴とともに繰り出されるISパンチ。

 哀れ、一夏はお星様となる。白式がなかったら即死だった。

 

 後に篠ノ之束は語る。

 いっくんが誤って宇宙に放り出されても大丈夫。そう、ISならね。



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