キリト・イン・ビーストテイマー (クジュラ・レイ)
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―アインクラッド 01―
01:黒の剣士と白き竜


「撃てッ!!」

 

 

 その声に呼応する形で、一匹の白き竜が火炎弾を放った。

 

 周囲を赤く照らす巨大な炎の弾丸は迷いなく真っ直ぐ飛んでいき、やがて前方にいる大型モンスターに直撃し、炸裂(さくれつ)。大爆発の後に衝撃波が大部屋に響き渡り、爆炎がモンスターを呑み込んだ。

 

 今のはどうだ――そう思った数秒後、巻き起こる爆炎の中から黒い影が躍り出て、爆炎は裂かれるようにして消える。

 

 中から現れたのは巨大生物だった。黒い鱗に身を包み、腕は翼と一体化している。矢じりのような頭部が特徴的だ。ファンタジー世界でワイバーンと呼ばれるモンスターこそが、それであった。

 

 黒きワイバーンの身体には今、無数の赤い傷のようなエフェクトが生じており、その頭上に出ている《HPバー》の残量は既に三本のうちの一本だけとなっていて、色は赤色へ変色していた。

 

 

「よし、あとちょっとで片付きそうだ」

 

 

 (つぶや)くと、頭の中に《声》が響いてきた。初老の女性のそれによく似た声色だった。

 

 

《そうだな。だが、気を抜くなキリト。最後まで何をしてくるかわからぬぞ》

 

 

 《声》に(うなづ)き、キリトは目の前に再度視線を送った。前方にあるのは凶悪そうな面構(つらがま)えの飛竜の姿で、キリト達に向けて明確な敵意と怒気を含んだ視線を向けてきている。激昂(げっこう)しているようだ。

 

 あれをキリト一人だけで倒さなければならないというのであれば、無理も(はなは)だしかっただろう。だが、キリトの周囲には仲間達がいる。これまで苦楽を共にし、目の前にいる飛竜のような大型モンスターを何度も相手取り、その都度勝利してきた強者達。

 

 その中で最も頼りにしている仲間の(うなじ)に、キリトは(またが)っている。狼の輪郭(りんかく)を持ち、全身を白金色の甲殻と毛並みに包み込み、背中からは天使のそれを思わせる大きな一対の翼。(ひたい)からは聖剣に似たデザインの角を生やしているドラゴン。

 

 普通なら仲間にする事ができないどころか、敵として戦うしかできない存在の項が、今のキリトの居場所であった。

 

 よく見てみれば、目の前の飛竜同様に《HPバー》が一本出現している。その残量は先ほど回復を使ったのもあってか、最大値付近になっていた。これくらいならばあまり心配する必要がない。

 

 確認したその時だ。対峙する飛竜が甲高(かんだか)い咆吼を放ち、勢いよく翼をはばたかせて部屋の上空へと飛び上がっていった。

 

 いかなる攻撃も届けられない高度まで飛ばれてしまった事に周囲の戦士、剣士達が悔しそうな声を出した直後、飛竜はその(あぎと)をかっと開き、口内に青白い光を発生させる。

 

 ファンタジー作品に登場するワイバーンやドラゴンは、口の中から火炎や雷のブレスを吐いたりする特殊能力を持っている。今現在戦っているあの飛竜も例外ではない。戦闘中に何度も口の中から青白い雷のブレスを吐いて遠距離攻撃を仕掛けてくる、厄介なモンスターだった。

 

 そして飛竜は今、安全を確保できる高さまで飛び上がり、そこからこちらをブレスで攻撃しようとしているのだろう。

 

 飛竜との戦いは長時間に及んでおり、仲間達の疲労も重なっている。そこにブレス攻撃を叩き込まれようものならば、どうなるかなど安易に想像がつく。

 

 

「リラン!」

 

《あぁ! しっかり掴まれ!》

 

 

 ドラゴンの名を呼びかけると、再度《声》が頭の中に響き、ドラゴンは咄嗟(とっさ)に身構えた。ごうごうという炎が燃えているような音がドラゴンの口から聞こえてくるようになり、熱風が顔に当たってくるようになる。

 

 数秒後、上空を飛んでいる飛竜の口が再度開かれ、その体内から青白いビームが(ほとばし)った。同刻、キリトが乗るドラゴンも咢を開き、火炎を収束させる事で作り出した灼熱のビームブレスを放ち、飛竜のビームを迎撃した。

 

 ビームの先端同士がぶつかり合い、人間で言う鍔迫(つばぜ)り合いが起こる。猛烈な熱風と閃光が襲い掛かってくるが、キリトは信頼するドラゴンの項にしっかりと(つか)まって耐えた。

 

 稲妻と灼熱、雷と炎。二つの属性攻撃の攻防によって部屋の中全体が震動し、熱風による嵐が吹き荒れる。キリト達人間では到底起こせそうにないぶつかり合いを制そうとして来ているのは、敵対している飛竜の方だった。

 

 飛竜の放つ稲妻光線は止む事を知らず、(むし)ろ時間が経つごとに出力を増してきて、こちらの灼熱光線を押し返して来ている。キリトに跨られるドラゴンも飛竜の力に驚いているようで、必死に出力を上げようとしているようだが、やはり飛竜の方が確実に押してきていた。

 

 生命の危機を感じているがゆえの底力だというのだろうか、いずれにしても、このままではこちらが押し負けてしまいそうだ。

 

 

「そこッ……」

 

 

 その時だ。静かであるけれども確かな強さを持つ声が耳に届けられ、飛竜の顔に爆発が起こった。

 

 唐突に顔面を爆破された飛竜は悲鳴を上げて体勢を崩し、ブレスの照射を中断して落下。轟音(ごうおん)と共に地面へ激突し、大きな震動を起こす。

 

 それを見送ってから振り向いてみれば、剣や槍を構える仲間達の中に一人だけ、弓を構えて矢を放った後の姿勢を作っている少女の姿が認められた。彼女の攻撃が追い詰められたリランを助け、飛竜を地面へ撃ち落としてくれたのだ。

 

 少女は一旦身構えを解くと、キリトに向かって叫んできた。

 

 

「キリト、リラン! 叩き込んで!!」

 

「シノン、ナイスだ!」

 

 

 少女の言葉をしかと受け取ったキリトは、礼を言って前方へ向き直った。

 

 高高度から落下したというだけあってか、飛竜は地に伏せて動きを止めている。その《HPバー》はごく(わず)かであり、皆で一斉攻撃を仕掛ければ、仕留められる状態だった。

 

 これ以上ないチャンスタイムだ。

 

 

「リラン、いくぞッ!!」

 

 

 主人の声を受けるなり、リランは地面を蹴り上げて一目散に飛竜へと向かった。同刻、周りの仲間達も倒れ伏した飛竜へ向かって走っていく。その中で最も早かったのはやはりリランで、二秒もかからないうちに飛竜へ辿り着いた。

 

 だがその時だ。飛竜はいきなり起き上がって、更に後ろ脚だけで立ち上がり、翼と同化した前足で殴り掛かってきた。当然狙いはリランであり、その項に乗っているキリトもまた狙われていた。

 

 

「!!」

 

 

 しかし今度は予想できていたのか、リランは同じように後ろ脚だけで立ち上がり、強靭(きょうじん)な前足で飛竜の腕を受け止めた。自分達の何倍もある身の丈と質量をもつ巨大生物がぶつかる事で生じた、重々しい音と震動がリランの身体(からだ)(かい)して腹に飛んできた。

 

 

「ぐッ……!」

 

 

 あまりの震動に手を放しそうになったが、そこでもう一度力を込めて掴まる。目の前にあるのは恐ろしい形相をした飛竜の顔だった。だが、飛竜は両手をリランに掴まれているせいで身動きが取れず、足元をがら空きにしている。

 

 それをいち早く理解したのだろう、周囲から大きな声が飛んできた。

 

 

「動きが止まった! 今がチャンスよ!!」

 

「そこだ! 全員で攻撃して止めを刺せ!!」

 

 

 周囲の戦士、剣士達を率いる栗色の長髪の少女、青い髪の騎士の叫びが響くと、周りの剣士達は、がら空きになった飛竜の足元へ一斉に飛び込んだ。間もなくその手に握られる武器に光が宿され、ありとあらゆる必殺技が繰り出されて、飛竜の足元が斬り刻まれる。

 

 足元で虹色の光の爆発を起こされた飛竜は瞬く間に体勢を崩し、リランとの攻防に押されて(ひざまず)く。《HPバー》の残量はあと数発の攻撃で(から)になるくらいの残量となっていた。

 

 その光景を目の中に入れた次の瞬間、頭の中に《声》が届けられてきた。

 

 

《キリト、最後の一撃を叩き込め!!》

 

 

 リランの《声》に呼応してキリトは立ち上がり、背中の鞘に仕舞っていた片手剣を引き抜いて構え、そのままリランの項を蹴り上げてジャンプする。向かう先はリランに抑え込まれている飛竜の頭だ。

 

 宙を舞い、飛竜との距離が縮まると、飛竜の金色の瞳と目が合った。その禍々しい目と目の間、眉間に狙いを定めて、キリトは剣を構える。次の瞬間、剣は金色の光を纏った。

 

 

「はあああああああああッ!!」

 

 

 飛竜の頭部に到達するのと同時に腹の底から咆吼し、渾身の力を込めて突きを放った。音速に等しい速度で突き出された黒き刀身が、深々と飛竜の眉間(みけん)に突き立てられ、金色の光が炸裂する。

 

 

 単発重攻撃片手剣ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。

 

 

 その炸裂が完全に終わる頃、飛竜は甲高い悲鳴を上げたが、それを途中で途切れさせて硬直する。丁度仲間達も攻撃をやめており、部屋の中は静寂(せいじゃく)に満たされていた。

 

 やがてキリトが剣を引き抜き、リランの項に戻ると、飛竜の身体は白みがかった水色の光に包み込まれてシルエットとなり、爆発。無数の大小ばらばらのポリゴン片となって消えた。

 

 戦場であった大部屋に静けさが取り戻され、誰もが声を出さないでいると、それまで飛竜のいたところに《Congratulations!!》という、ボスを倒した事を褒め称える文字列が盛大な効果音と共に表示された。

 

 そのエフェクトを目にした周りのプレイヤー達が一斉に勝鬨(かちどき)のような歓声を上げ始めると、キリトはリランの項に再度跨る形で座った。ボスを倒す際に力を込め過ぎたせいなのか、それとも無事にボスを倒す事ができた事の安堵(あんど)なのか、溜息が出てくる。

 

 周りの戦士達は声を合わせて喜んでいるが、流石にもうそんな体力さえも残っていないように感じてならない。

 

 

「キリト」

 

「キリト君、リラン!」

 

 

 そんなふうにして疲れていると、下の方から声が届けられてきた。一緒に勝利を掴み取った仲間達がリランの足元付近に近付いてきていた。

 

 確認したキリトはリランに伏せるよう指示。従ってくれたリランが地面に腹を付けると、するりとその項より飛び降りる。間もなく仲間達はリランの足元に辿り着き、キリトを迎えた。

 

 その中の一人である、青い髪と騎士を思わせる装備を身に着けた青年がキリトへ声掛けしてきた。

 

 

「キリト、お疲れ。今回も相変わらずの戦いっぷりだったな」

 

「ディアベル達こそお疲れ。今回もナイスファイトだったよ。死んだプレイヤーもいないみたいだから、最高だ」

 

「そう言ってもらえると嬉しいが、やっぱりキリトとリランの力があるこその勝利だったと思うよ。お前とリランのコンビネーションは戦況をひっくり返すんだ」

 

 

 青髪の騎士ディアベルに言われたキリトは、胸の中に嬉しさを抱く。

 

 だが、こうしてボスモンスターとの戦いで犠牲者なしで勝てるのは、第一層から戦い続けているディアベルの指示や作戦があったからこそだ。何よりリランの力を最大限に開放するには周りのプレイヤー達の力が必須である。自分とリランの力だけが勝利を導いたわけではないのだ。

 

 それをディアベルに伝えようとしたその時だ。伏せるリランに声掛けしていた少女がキリトの傍へやってきた。

 

 

「お疲れ様、キリト君。今回もキリト君とリランは大活躍だったね」

 

 

 栗色の長髪に、美しさを感じさせる琥珀色(こはくいろ)の瞳。白と赤を基調とした戦闘服に身を包み、腰には気高さを放つレイピアが(たずさ)えられている。今回のボス戦に参加したプレイヤー達を率いていたその人の顔には今、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 キリトは同じような笑みを浮かべ、返答する。

 

 

「そう言うアスナこそ大活躍だったじゃないか。今日はいつもより指示とか作戦が()えてた気がするよ」

 

 

 キリトにアスナと呼ばれたその少女の表情は更に柔らかくなる。実際彼女の指示のおかげでプレイヤー達は的確に立ち回り、飛竜と戦う事ができていた。戦死者が居なかったのは、ディアベルと並ぶアスナの指示のおかげであると言えるだろう。

 

 それに、アスナ自身のレイピア(さば)きも、飛竜に確かなダメージを与えてくれていた。

 

 

「なんだかキリト君とリランが一緒に居てくれると心強くて、指示を上手く出せる気がするの。キリト君とリランには、皆を強くする不思議な力があるんじゃないかしら」

 

「そんな事はないよ。俺とリランが上手く戦えるのは、皆が居てくれるおかげだ。皆が居るから俺とリランも戦えるのであって。それに、俺達だけじゃヤバかったところもあったしな」

 

 

 アスナは「そうだね」と言って笑み、キリトの後方を見た。誘われるようにキリトもまたそこを見る。

 

 リランと組んで飛竜と戦った際の危機。それは飛竜とのブレスの撃ち合いになった時だ。あの時は途中でとある攻撃が飛竜に飛んでこなければ、そのまま負けていた可能性が高かった。

 

 その戦いを勝利に導いてくれた存在、一番の功労者(こうろうしゃ)と言える人が、キリトの背後方向に立っていた。――それをすぐさま見つけ出し、キリトはその人の(もと)へと赴く。

 

 緑と黒を基調とした軽装を纏い、白い鉄製の胸当てを付けていて、背中に大弓を背負っている。黒い髪をショートヘアにして、白いリボンで結わえた房が顔の両脇で細く流れていて、頬が隠れているように見える。

 

 そんな特徴を持つ少女に向けて声をかけようとしたが、先に少女の方が声を出してきた。

 

 

「キリト、大丈夫だった? さっきは危なそうに見えたのだけれど……」

 

「あぁ、危ないところだったよ。シノンの攻撃のおかげで助かった。ありがとうな」

 

 

 シノンと呼ばれたその少女の顔に、微笑みが浮かぶ。普段は猫を思わせるような、鋭い光を蓄えた瞳をしているシノンだが、今のその瞳は穏やかなものとなっていた。

 

 

「なんだか二人が負けそうに見えたから、咄嗟(とっさ)に攻撃してみたのよ。まさか届くとは思ってなかったけれど」

 

「えっ、あれって自信無かったのか」

 

「えぇ。もしかしたら届かなかったかも」

 

 

 シノンから告げられたまさかの事実に驚いていると、大きな足音が背後から聞こえてきた。先程まで飛竜に立ち向かい、ビームブレス合戦を繰り広げた張本人であり、キリトの大切な《使い魔》であるリランがやってきていた。

 

 

《だが、シノンの遠距離攻撃に助けられたのは事実だ。何がともあれ、礼を言うぞ、シノン》

 

 

 リランの持つ唯一のコミュニケーション手段である、頭の中に響く《声》。それを受け取ったのだろう、シノンはリランに顔を向けて「どういたしまして」と言って笑んだ。

 

 直後に、リランの隣にディアベルが並んで、キリト達に話しかけてきた。

 

 

「さてと、ボス戦も無事に終わったわけだし、早く次の層に進んで、街をアクティベートしに行こうぜ」

 

 

 ディアベルが言う頃には、他の仲間達は部屋の最奥部にある、開かれた大扉の中へと進んでいた。

 

 そうだ、俺達は戦いに勝利して次の層への道を開けたのだ。次の層に行かず、ここで立ち止まっていては時間が惜しい――キリトと同じ事を思ったように、アスナが続けて声掛けしてきた。

 

 

「次の街、どんなところだろうね。早く見に行ってみましょうよ」

 

「わかった。ひとまず、先に進むとしようか」

 

 

 周囲へ呼びかけが通じたのを確認すると、キリトは仲間達と共に大部屋の奥へ向かい、その先の扉をくぐった。

 

 ボスを倒したキリト達を待ち受けていたのは、中世ヨーロッパの街並みという言葉がそのまま当てはまるような外観の、大きな街だった。

 

 この世界に来てからは何回か見たような光景だが、完全に同じかといえばそうではなく、ちゃんと新鮮さを感じさせてくれるもので、是非(ぜひ)とも転移門のアクティベート後に観光してみたい。キリトは当初、そう思った。

 

 だが、その時既に空は茜色に染まっており、街のところどころには夜の(とばり)が落ち始めていた。時刻は十八時。観光をするには時間が足りないし、何よりボス戦の後だから、疲れていて観光どころではない。やったところで疲れが増すだけだろう。

 

 そう思っていたのはキリトだけではなく、周りの仲間達もそうだった。第六十層の街の転移門の開放が済んだという報告を受けるなり、早速その転移門を利用して、それぞれの住居へと帰っていった。

 

 結局彼らと同じ行動をとる事になったキリトもまた、多くの人々で(にぎ)わっている第六十層の街の中を抜けて転移門へ赴き、自分の住居――帰るべき場所が存在する、第二十二層へと転移した。

 

 大事な《使い魔》であるリラン、そして大切な人である、シノンと共に。

 

 

 そうして転移した先にあるのが、敵モンスターの存在しない、平穏な第二十二層の森の中。その一角にあるログハウスが、この世界でのキリト達の家である。

 

 三人一緒になって我が家に帰ってきて、それぞれの部屋着に着替えると、さっそくシノンを中心とした夕飯の準備が始まった。しかし、そこでキリトとリランはしばらく暇する事になった。キリトとリランの料理スキルはそんなに高くないため、やれる事も、作れる料理も少ない。やったとしても失敗して、食材を駄目にするだけだ。

 

 だから結局、料理はスキルが最も高いシノンに任せる事になった。キリトとリランのやった事といえば、何が食べたいかを伝え、それを作るための食材アイテムをシノンに差し出したくらいだ。

 

 後の食材の調理、料理、盛り付けは結局全てシノンが行い、キリトとリランはテーブルで料理が出来上がってくるのを待っているだけだった。

 

 そうしてキリト達の許へと並べられてきたのは、ビーフシチューだった。第二十二層の気象設定がそうだったのか、空気がひんやりとしているような気がして、シノンに「温かい料理を作ってほしい」と頼んだのだ。

 

 それを(こころよ)く受け入れてくれたシノンが作ってくれたビーフシチューは、濃厚な味わいとコク、様々な食材が合わされたような見事な旨味が溶け出ている、まるで高級料理店で出されるようなものであった。

 

 一口食べただけで、心地よい温かさと深い味わいが冷えた身体にしみ込んでくるような感じがして、口に運ぶのを止められなかった。

 

 メインディッシュがあまりに美味しいためか、同時に出されてきたサラダもバケットもあっという間に食べられてしまい、短時間のうちに至福の一時(ひととき)を終えたのだった。

 

 

「いやー、食った食った。ボス戦後のシノンの料理は本当に格別だよ。これがあるから頑張れる」

 

 

 一息吐いていると、隣の方向から頭の中に向けて《声》がした。これまで聞こえてきていた初老の女性のそれではなく、少女を思わせるような声色だ。

 

 

《同感だ。シノンの料理を食べれば、どんな疲れでも吹き飛ぶぞ》

 

 

 つい先程まで料理が乗っていたが、今は空になっている皿などの食器が並んでいるテーブルの一角に、一匹の小竜の姿。全体的な形は昼間のボス戦で活躍したキリトの《使い魔》であるリランのそれを小さくしたようなもので、人間の肩に乗れるくらいの大きさになっている。

 

 非戦闘時や街中にいる時に見られる、小さくなった姿のリランを視界に入れながら、キリトはうんうんと頷く。

 

 

「それにしても、今日はシノンに助けられっぱなしだったよ。特にあの時の遠距離攻撃。あれがなかったら――」

 

 

 話しかけても返事は来なかった。

 

 キリトはシノンと向き合って座っているので、声が聞こえにくいという事はないはずだし、夕食の時も普通に話しながら食べていたものだ。

 

 急に返事がなくなったというのにはキリトも不思議に思い、

 

 

「シノン?」

 

 

 目を向けたが、そこできょとんとしてしまった。

 

 キリトの向かいに座るシノンは今、座ったまま目を閉じて、こくん、こくんと頭を揺らしていたのだ。耳を澄ませば穏やかな寝息が聞こえてくる。

 

 これでは返事のしようがないだろう――キリトは納得しながら、うたた寝するシノンを見つめた。

 

 シノンは強いボスモンスターを相手にしたうえに、キリトとリランの危機に素早く気が付き、フォローを入れたりしてくれた。ずっと気を張らせたままだったのは確かだろう。

 

 そして帰ってからも料理を作ったりなどして、動きっぱなしだった。それで身体の暖まるビーフシチューを食べたものだから、眠くなってしまったのだろう。

 

 普段の彼女からはなかなか想像する事の難しい、可愛らしい寝顔を眺めること十数秒後、キリトはリランに静かにしているように指示。大きな音をたてないようにしながらテーブルの上の食器を全て重ねて手に持ち、シンクへ持っていった。

 

 洗浄コマンドを起動すると、食器が使う前の綺麗な状態に戻った。確認してストレージの中に食器を仕舞うと、キリトはダイニングへ向かった。大きな音をたてないように、そっと。

 

 シノンの隣まで静かに歩いたところで、キリトはようやく、うたた()するシノンへ声をかけた。

 

 

「……シノン」

 

「……ん。んん……?」

 

 

 シノンは頭を縦に揺らした後にゆっくりとその目を開き、小さな声を漏らしつつキリトへ向き直った。その顔はとても眠そうなものだ。そのままテーブルの方へと顔を向け、首を傾げる。

 

 

「キリト……? あれ……お皿とかは……?」

 

「俺が全部片付けておいた。だから大丈夫だよ」

 

 

 シノンは半分寝ているような様子で、顔を上げた。すまなそうな表情が浮かべられている。

 

 

「ごめんなさい……なんだか急に眠くなってきちゃって……手間をかけさせちゃったわね……」

 

「いいよ。今日はボス戦があったし、シノンも活躍してくれたからな。ゆっくり休もう」

 

 

 眠たそうで愛らしさを感じさせるシノンに手を伸ばすと、彼女は小さく微笑みながらその手を握ってきて、椅子から立ち上がった。彼女だけが持つ温もりが手を介して全身にじんわりと広がってくるのと同時に、肩にリランが飛び乗ってくる。

 

 部屋の明かりを消して階段へ向かい、シノンに気を付けながら上がっていく。そうして到着したのが、いつも使っている寝室だ。一階と同じログハウスの景観で、ベッドが二つ、ランプの乗る台を隔てて壁沿いに設置されている。

 

 既に深夜のように暗かったが、青白い月明かりが窓から差し込んできていて、真っ暗ではなかった。

 

 二人の様子を見ながらベッドへ近付くと、リランが一番乗りでベッドの枕元へ降りて丸くなった。リラン特有の寝る時の姿勢だ。

 

 それに続く形で、シノンを自身の使っているベッドへ導こうとしたが、そこでシノンは小さく声を出した。

 

 

「……今日、あなたと一緒に寝てもいい……?」

 

「うん、いいよ。寒いし、一緒に寝よう」

 

 

 眠そうなシノンが微笑んだのを見て、その身体を支えてやりながら、リランが先に寝ている自分のベッドへと寝転がった。まもなくシノンが静かに寝転んで来ると、その身体の上に布団を掛ける。

 

 寝具を被されたシノンは少しだけぎこちない様子でキリトの胸元へ寄り添ってきて、静かに深呼吸をした。

 

 

「キリト……温かい……」

 

「シノンも、すごく温かいよ」

 

「私……あなたと出会えて……本当によかった……」

 

「俺も、君に出会えて本当によかったよ。君がいなかったら、俺はこんなふうに暮らす事もなかったと思う。本当、君に出会えてよかった……」

 

 

 シノンの言葉、仕草、声、体温。その全てに愛おしさを感じ、キリトはシノンの髪の毛をそっと撫でた。シノンは気持ちよさそうな様子を見せると、穏やかな寝息をたて始めた。

 

 その穏やかで落ち着いた寝息を聞きつつ、キリトは目を閉じた。

 

 こうしてシノンが自分の傍で寝ているというのは、今でも奇跡に感じている。その奇跡の始まりは、全ての切っ掛けを作ってくれたのは――人間ではないけれど、人間のように心を持ち、キリト達と分かり合うドラゴン、リランだ。

 

 リランとの出会いが全ての始まりであり、そこから様々な出会いや出来事が広がっていったのだ。そう思ったキリトは、そっと枕元で眠る姿勢を作っている小竜に手を伸ばし、その身体を撫でた。甲殻のごつごつとしたそれと、動物の毛特有のふわふわとした触感が手に広がってくる。

 

 その手触りに心地よさを感じるのと同時に、意識がゆっくりと消えていき、キリトは深い眠りの中へと吸い込まれていった。

 

 



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02:白き狼の竜

          ◇◇◇

 

 

 この世界は現実ではない、仮想現実世界であり、ゲームの中の世界だ。

 

 

 この世界を構築するゲームのタイトルは、《ソードアートオンライン》。

 

 《ナーヴギア》という専用ハードウェアを装着して、全100層、層が用意されている《超大規模浮遊鋼鉄城アインクラッド》に脳の五感の全てをダイブさせてプレイするという、これまでになかったフルダイブ型MMORPG。

 

 このフルダイブというのは、即ちゲーム機を起動してコントローラーを握り、ボタンやスティックで操作をするのではなく、実際にゲームの中に脳の五感を飛ばして、プレイする形式の事だ。プレイヤーは飛び込んだ先で、見聞きする事は勿論、歩いたり走ったりジャンプしたり、味を感じたり出来る。

 

 実際にゲームの世界の中に飛び込む事が出来る――今まで存在しえなかったこの謳い文句は、日本全国のゲーマー達を歓喜させて《ナーヴギア》の購入に走らせるには十分で、《ナーヴギア》は全国の家電量販店やゲーム販売店で1万本売り出されたが、ゲームの中へ飛び込みたいという欲求を持ったプレイヤー達の手によって瞬く間に完売してしまった。その速度は、過去に販売されたゲームソフト、ハードを上回り、平成の歴史に残るような完売速度だと言われた。

 

 そして、それを手にしたゲーマー達は歓喜しながら、このゲームの中へ飛び込んだ。もう一つの現実世界、アインクラッドの中へと。勿論俺もその一人だった。

 

 

 

 こんなとんでもない世界を作り上げたのは、もとはたった一人の男だった。

 

 

 その男の名は茅場(かやば)晶彦(あきひこ)。元々中小ゲーム開発会社でしかなかったアーガスを最大手と言われるまでに成長させた張本人である、若手天才ゲームデザイナー兼量子物理学者。そしてこのゲーム、《ソードアート・オンライン》の開発ディレクターであり、《ナーヴギア》の基礎設計者でもある、よくいうトンデモ科学者。

 

 俺は一人のゲーマーとして彼にとても憧れていた。彼が出ている雑誌は必ず買っていたし、インタビューの内容を暗記できるくらいにまで読み直したりもした。

 

 

 だけどその茅場は、裏でとんでもない事をやっていた人物だった事が後々発覚した。しかもこのゲームの中でだ。

 

 ゲームを楽しんで、ログアウトしようとしたその時に、ログアウトボタンが無い事に俺達は気付いて、酷く混乱した。そしてどうなっているんだ、どうすればログアウトできるんだという声は随所から上がり、ゲーム全体に広がろうとしたその時に、俺達はある広場にかき集められ、そこで茅場が今どんな人物になっているのか、そして茅場が何を始めていたのかを、本人から直接思い知る事になった。

 

 

 ログアウトできなくて困っている俺達に、茅場は言った。

 ログアウトできないのが、このソードアートオンラインの本来の仕様である、ログアウトしたければこの城の最上階である100層に辿り着き、そこにいる最終ボスを撃破し、このゲームを、クリアするしかない。

 

 もしその途中で体力をゼロにされた場合、ナーヴギアから高出力の電磁波が発せられ、脳を焼切り生命活動を停止させられる。ただ一回も死ぬ事なく、体力をゼロにされる事なく、第1層から第100層まで上がり続けろ、と。

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺達は絶望と恐怖に、瞬く間に侵食された。ゲームマスターからの、憧れの人である茅場晶彦からの死刑宣告にも似た宣言。本来楽しむためだけのゲームが、いつの間にか自分達の命を握り締めていて、いつでも握り潰せる状態になっていたという宣告。

 

 そういえば、茅場はインタビューの時にこんな事を言っていた。「これはゲームではあるけれど、遊びではない」と。なるほど、それはこういう意味だったのかと、俺は酷い混乱の中で、妙な納得感を得ていた。そして、憧れの茅場が一万人のプレイヤーをデスゲームの中に閉じ込めて殺せるようにした、とんでもない殺人鬼に変貌した事をまざまざと感じた。

 

 

 だけど俺は、もう混乱していなかった。確かにこのゲームを始めた瞬間から、このゲームはもはやゲームじゃなくて、もう一つの現実なんじゃないかと思っていたからだ。そしてそれは、茅場晶彦本人によって肯定された。この世界はもう一つの現実、いや、現実そのものとなんら変わらないんだ。

 

 だけど俺達はいるべき世界はこの世界、茅場晶彦の作り出したアインクラッドではなく、現実世界だ。現実世界に帰るにはこのゲームをクリアするしかない。

 

 ――ゲーマーとしての意志に突き動かされたのか、現実に帰りたいという欲求に駆られたのかは今でもわからないけれど、とにかく俺はこのゲームをクリアしたい、クリアしてみせるという思いに駆られて、混乱しているプレイヤー達を跳ね除けて、フィールドに出たのだった。

 

 

 そんな日々を続けて一年後付近。2023年12月24日。

 

 

 雪が積もった森の中を、足跡を付けながら、俺はトボトボと歩いていた。

 

 これより数時間前くらいに、俺はこの35層の迷いの森の中に入り込んで、あるアイテムを落とすボスと戦い、勝利を収めた。ボスが持っているアイテムは、《還魂の聖晶石》。このゲームで死んだプレイヤーを生き返らせる力を持つという道具。

 

 俺はこのアイテムを求めてここに来る前に、大事な人を失った。俺の慢心と不注意が招いた事柄で、大切な人が五人も死んだ。いや、死んだんじゃない。俺が殺したんだ。

 その中に、このゲームを終わらせるまでずっと守ってやると誓った人も入っていた。

 

 その人は死ぬ間際に俺を見つめて、何か言葉を発した。死ぬ間際に言う言葉だ、きっと悪罵か呪詛か何かに違いない。しかし、どんな聞くに堪えない呪詛でも悪罵でもいいから、その言葉を、声を聞きたくて、プレイヤーを蘇らせる事が出来る道具を俺は必死に探して、それを手に入れる条件を満たすために、周りのプレイヤー達の悪罵を受けながらレベルを上げ続け、ついにこのイベントに辿り着いた。

 

 

 ――結果、何もかも無駄だった。傷だらけ……多くのダメージを受けながらボスを撃破し、手に入れたアイテムである《還魂の聖晶石》の説明欄には、そのプレイヤーが死んだ十秒間にのみ効果を発揮すると書いてあった。

 

 効果は十秒間……守りたかった人が死んだのはおよそ半年前。だから、もう使ったところで効果はない。冷酷な説明文を読み上げた後に、俺は思わずそのアイテムを叩き付け、剣で斬り捨て、破壊しようとしたけれど、そこまでには至らずに、結局回収した。

 

 もう何もかもが嫌になって、獣のような咆哮を上げて、転げまわった。その後に、何もかもが虚しく感じるようになって、やがて俺は街を目指して歩き出したのだった。ここにいたところで、虚しさに襲われるだけだったから。

 

 俺の守りたかった人は、死ぬ間際に何て思ってたんだろう。俺への無数の恨みかな。罵詈雑言かな。それとも千通りの呪詛か何かかな……。

 

 そんな事に頭をいっぱいにしながら、薄らとした意識の元、鬱蒼と静かな森の中を歩いていたその時、辺りの静寂を破って大きな音が響いてきた。身体が大きな獣が、腹の奥底から出すような声。これは、モンスターの咆哮か。

 

 

(モンスター……?)

 

 

 確かにここはモンスターのいるエリアだから、モンスターの咆哮が聞こえてきても不思議ではないが、こんな声を出すモンスターなんかいたっけか。

 

 ぼぉっとしながら辺りを見回していると、今度はただならない気配を感じた。俺は索敵スキルを常人よりも上げているから、モンスターのいる場所に行くと、モンスターが放つ独特の気配というものを感じ取る事が出来る。

 

 ……けれど、気配がかなり強い。こんな気配を放つのは、中ボスクラスのモンスターくらいだ。すぐ近くに、それくらいのモンスターがいるのかもしれない。けれど、何でこんな時にそんなものが?

 

 背中の剣の柄に手をかけて周囲を見回すと、声の主をすぐさま見つけた。

 

 

 俺から見て右方向の森の奥に、明らかに周りのそれとは違う雰囲気を放つモンスターが、俺に目を向けながら、じっとしていた。

 

 容姿の方へ視線を向けてみたところ、それは、全身を周りの雪のような真っ白な毛に包み込み、背中から大きな翼を生やし、狼のそれに酷似している凛とした輪郭を持ち、人間で言う額の辺りから大きな剣を模したような形をした角を生やしている、四足歩行のドラゴンだった。

 

 

「狼の、ドラゴン……?」

 

 

 これまで、このアインクラッドで一年ほど暮らし、実に様々なモンスターを見てきたし、ドラゴンも数種類見て戦って来たけれど、あんな姿のドラゴンを目の当たりにしたのは初めてだ。モンスターの情報も時折情報屋のところに並ぶけれど、あんなドラゴンがいるなんていう情報が並んだ事はない。いや、ひょっとしたら俺が見てない間に入っていたかもしれないけれど。

 

 

「なんだ、あいつは……」

 

 

 ドラゴンはゆっくりとその足を運ばせて、俺に歩み寄ってきた。どんどん見た事のないドラゴンの顔が近付いてきて、思わず背中が凍りそうになる。

 

 俺はもうドラゴンに慣れきって、ちょっとやそっとのドラゴンじゃ驚いたり、ビビったりしないけれど、このドラゴンは明らかに風格が違う。――いや、雰囲気から姿まで、何もかもが普通のドラゴンとは、一線を画している。だけど、見た感じモンスターである事に代わりはない。きっと、俺を襲うつもりでいるんだろう。

 

 思考を巡らせていると、白き竜は俺の目の前にまでやって来た。ぶるぶるという人のそれとは全く違う呼吸の音が耳に届いてきて、顔を上げれば狼の瞳とほとんど同じ形をした紅い目と俺の黒色の目が合う。

 

 

 そろそろ、次に噛み付きか鋭い爪による引っ掻き、または口からの炎が来る。このゲームに登場するドラゴンは火炎、爪と牙による攻撃をメインとしているから、間違いなくそんな攻撃を仕掛けて、俺を殺そうとして来るだろう。

 

 俺は守るべき人を守れず、蘇生できるアイテムを求めて、狂っていた道化のようなものだ。いっその事、こいつの炎で焼かれて、爪や牙に斬り裂かれて死んでもいいかもしれない。こいつだって、俺に攻撃できるチャンスを伺っているはずだ。

 

 今に攻撃してくるはず。戦闘体勢になって、攻撃を仕掛けてくる……はずなのに、俺の目の前にいる白き竜はいつまで立っても攻撃してくる気配を見せなかった。じっと俺の事を見つめて、動かず息をしているだけだ。

 

 

「……?」

 

 

 攻撃してこない。モンスターであるはずなのに、敵である俺を攻撃してこない。

 

 もしかしてこいつはモンスターじゃないのか。それとも、これは何かのイベントだろうか。イベント情報は腐れ縁の情報屋からいくつか集めているけれど、このゲームのイベントは数えきれないほど存在しているから、まだ見つかっていないのもあるだろう。

 

 これはその類か?

 未知の竜に遭遇する事で起きる、何かしらのイベントか?

 

 

 そう思っていても、何も起こらない。

 じっと白き竜は俺を見つめたまま、動かない。

 

 襲ってこないという事は、何かのイベントで間違いないみたいだけれど、何がトリガーになっているのだろう。……もしかして、俺が何かしらのアクションを起こせば、イベントが起きるようになっているのかもしれない。

 

 

(なら……)

 

 

 俺は剣を引き抜いて、振り被った。試しに攻撃してみれば、きっと何かしらの反応を返してくれるだろう。もしかしたら激昂して襲い掛かってくるかもしれないけれど、その時は相手をしてやればいい。歯が立たないくらいに強いなら、そのままやられてもいいのだ。

 

 

「よっと」

 

 

 いろいろ考えながら剣の刀身を白き竜の頭にぶつけてみたところ、がんっという音が森閑とした周囲に鳴り響き、石のように硬いものにぶつけたような手応えが帰ってきた。頭も毛に覆われているけれど、相当な石頭だったようだ、こいつは。

 

 けれど、白き竜は何の反応も返さない。ダメージを受けている様子もないし、そもそもこの竜にカーソルを向けても何も映らない。だから間違いなくイベントの類だろうけれど、どうなってるというのだろう。それとも、一回じゃ足りないのか。

 

 再度剣をぶつける。剣が石頭にぶつかる時のがんという音が静寂に包まれている周囲に数回響き渡っていく。それでもなお、目の前にいる白き竜は動く気配を見せない。

 

 これじゃないならなんなんだ――と思ったその時に、白き竜の身体は急に右方向へ傾き、そのまま大きな音を立てて倒れ込んだ。震動が余程大きかったのか、周りの樹木に降り積もった雪が落ちて、白き竜の周囲に雪煙のエフェクトが舞い、一瞬姿が隠される。

 

 

「ちょ、なんだ!?」

 

 

 思わず驚いて倒れ込んだドラゴンに目を向けたところ、ドラゴンはまるで意識を失ったように目を瞑ったまま、動かなくなっていた。いや、動かないのは変わっていないけれども。

 

 

「あれ……」

 

 

 HPがゼロになると、水色のシルエットになって爆散するのがこの世界でのモンスターであって、それに例外は存在しない。……はずなのだけど、白き竜は倒れているにも関わらず、一向に爆散もしなければ水色のシルエットにもならない。まるで意識を失ったように、倒れ込んでいるだけ。

 

 こんなの、普通ではありえないから、イベントと考えて間違いないだろう。だけど、何なんだ、このイベントは。

 

 

「お、おい……」

 

 

 胸の中に奇妙な興味が湧いてきてつい、雪に倒れる竜に声をかけた。

 その時、竜はゆっくりとその瞼を開き、首を上げて、歯を食い縛るような表情をした。ようやく動き出した、攻撃が来るかと思って剣を構えていたその時。

 

 

《ぬうむ……痛い。痛いではないか》

 

 

 いきなり《声》が聞こえてきて、俺はびくりとしてしまった。初老の女性のような声色だったが、近くにそんなプレイヤーも、NPCもいない。そもそも今の声は、耳に届いてきたのではなく、頭の中に響いてきたような感じだった。そう、まるでテレパシーのようなものだ。

 

 何が発信源なのかと思った直後に、再び頭の中に《声》が響いた。

 

 

《全く、出会い頭に剣をぶつけるとは何事ぞ。敵と味方の区別をしてほしいぞ》

 

 

 再度、俺は周りに広がる森の中を見回した。やはりプレイヤーもNPCもいない。いるのは俺とこのドラゴンだけだ。そして《声》が聞こえてきた時からは、俺は一言も喋っていない。となると、この声の主は……。

 

 

《おい、こっちだ。我を無視するつもりか》

 

 

 ドラゴンへと視線を戻す。先程まで倒れていたせいか、顔に雪をくっつけているのだが、よく見ると、そこら辺にいるドラゴンとは全く違う表情を、目の前にいるドラゴンはしていた。……これは、呆れ顔だ。

 

 

「お前……の……声なのか」

 

《我以外に何がいるというのだ。この場にいるのは我とお前だけ……そうなれば答えは簡単に割り出せよう。それとも、竜が人語を話すのは意外だったか?》

 

 

 俺は思わず片手で頭を抱えた。そうだ、この世界はゲームの中……だからドラゴンが喋っても変な事は一切ない。というか、ドラゴンそのものも高い知能を持つ存在として描かれる事が多いから、こいつもそういう設定の元作られたクチだろう。

 

 

「悪い。最近疲れてて、当たり前のことが当たり前じゃないように感じてたみたいだ」

 

《そうなのか。ところで、突然問をかけるようですまないが、冒険者よ》

 

「なんだよ」

 

《何か食べる物はないか。腹が減ってしまっていてな……》

 

 

 思わず「はぁ?」と言ってしまう。会って早々食い物を求めるなんて――。

 

 その時に、俺は気付いた。そういえば、まだVRMMOが開発されておらず、据え置きや携帯機がゲーム業界を仕切っていた頃。戦うはずのモンスターが餌を求めてきて、餌を与えるとそのモンスターが主人公の事を気に入って、仲間になってくれるっていう形式のRPGがあった。

 

 そしてこのゲーム……《ソードアート・オンライン》もデスゲームではあるものの、そういうゲームとかの形式を参考に作られているはずだ。

 

 その証と言うべきか、目の前の白き竜はモンスターであるにも拘らず、俺にこうやって餌を求めてきている。つまりこのイベントは、()()()だ。

 

 

(餌……か)

 

 

 とりあえず何かないかと思ってポケットに手を突っ込んだところ、硬い何かが手に当たった。掴んで取り出してみたところ、それは球体状の小さな結晶だった。

 

 その名は《還魂の聖晶石》。さっき手に入れて幻滅し、破壊したくなったアイテムであり、大切な人を蘇らせてくれなかった、今となってはゴミに等しい物。

 

 誰かに渡したら使ってもらえるかもしれないけれど、そもそもこのゲームでの死因は大概がモンスターとの戦闘。そして、モンスターとの戦闘で仲間がやられた時には大体混乱してしまって、行動を起こせない。やられた時に咄嗟にこのアイテムを使える者はほとんどいないはずだ。なので、誰かに渡したところで、何かが変わるとは思えない。

 

 食ってくれるかどうかはわからないけれど、食ってくれればこの忌まわしいアイテムは消えるし、こいつの腹を満たす事も出来る。食ってくれなければ、持ち前の食材を渡してやるだけだ。

 

 

「これでいいかな」

 

《うむ。なかなかいい物を持っているではないか。それを与えてくれるのだな》

 

 

 一応、《還魂の聖晶石》はレアアイテムだ。一瞬迷ったけれど、持っていても後々役に立つとは思えない。捨てたり破壊したりするよりかは、こいつの腹の中に入れた方がまだましだろう。アイテムだってそっちの方が本望のはず。……まぁ、使い道を思いっきり間違えているけれど。

 

 

「与えるよ。ほら、食べるといいさ」

 

 

 ぽいっと、俺は《還魂の聖晶石》をドラゴン目掛けて投げた。ぽーんと宙を舞ったレアアイテムを、ドラゴンは少し目を輝かせながら見つめた後に、その口を開いた。

 

 

《感謝する》

 

 

 ぱくり、とレアアイテム《還魂の聖晶石》はドラゴンの口の中に呑み込まれた。ドラゴンがさぞかし美味そうにモゴモゴと口を動かす度に、ゴリゴリというくぐもった音が聞こえてくる。間違いなく、今レアアイテムである《還魂の聖晶石》は、このドラゴンの栄養に変わっている。

 

 やがてドラゴンは噛み砕いた結晶を呑み込んだような仕草をして、溜息のような呼吸をした。直後に、また頭の中に声が聞こえてくる。

 

 

《美味かったぞ……我によくぞ、こんなにレア物を与えてくれた》

 

 

 ドラゴンの発した言葉に驚く。こいつ自分の食った物がレアものだったって事がわかるのか。

 

 そう思った瞬間、突如として、俺の目の前にいるドラゴンはぐっとその身を起こして立ち上がり、空高く咆哮した。かと思えば、急にその身を光らせ始めた。あまりに強い光に俺は目を閉じて、腕で目を覆う。

 

 光は五秒ほど続いた後に収まって、五秒間の間に起きた事を確認しようとドラゴンへ視線を戻し、驚いた。

 

 

「お、お前……!」

 

 

 ――白き竜の姿が、若干変わっていた。

 

 全身が毛に覆われていたというのに、足の爪付近、腹部、尻尾など、ところどころの毛が抜け落ちて、代わりに鱗と出来かけの甲殻に覆われ、頭部の耳の上部に小さな金色の角が生えている。そして、体格も若干ではあるものの、大きくがっちりしたものに変わっているような気がする。

 

 それでも身体の大半が毛に覆われているし、大まかな部分は変わっていないから、割り出せた答えはただ一つ。

 

 

「し、進化した……のか……?」

 

 

 姿を変えた白き竜は俺の事を再度見つめて、《声》を送ってきた。

 

 

《感謝するぞ冒険者よ。おかげで力が戻ってきたようだ。この恩……お前の友となる事で、返させてもらおうぞ》

 

「俺の、友だって?」

 

《そうだ。我はこれからお前に使役される存在である《使い魔》となろう。そしてお前は我の主となるのだ》

 

 

 その時に、俺はずっと頭の片隅に残しておいた情報を頭の中全体に広げた。ここアインクラッドに生息するモンスターの中に、プレイヤーを襲わない個体がいるらしく、更にそのモンスターに遭遇した際に餌を与えるなどの行為を施し、飼いならし(テイミング)する事によって、そのモンスターを旅の仲間に出来る事があるらしい。

 

 その飼いならしに成功した者の事をプレイヤー達の間で、《ビーストテイマー》と呼ばれる。……んだけど、まさかこれが《ビーストテイマー》のイベントなのか。

 

 

「お前が俺の《使い魔》になって、俺が《ビーストテイマー》になるって事か?」

 

《《使い魔》と《ビーストテイマー》……お前達の間ではそういう事になっているのだな。まぁ、ズバリ言えばそういう事だ》

 

 

 モンスターをテイムする事が出来た者はごく僅かと聞く。つまり俺は数少ない《ビーストテイマー》になろうとしているわけだけれど……そもそも、《ビーストテイマー》になったところで、《使い魔》が弱ければあまり意味がない。

 

 このドラゴン、見た目は強そうに見えるし、石頭だし、進化したけれど、本当に強いのだろうか。もし弱かったら、身体がデカいだけの役立たず……デクノボウだ。

 

 思わず悩んで、腕組みをすると、ドラゴンは物事に気付いたような表情をした。

 

 

《さてはお前……我が強いかどうか見定めておるな》

 

「当たり前だろ。弱い奴を連れて行ったら、すぐに死んでしまう。それじゃあせっかくテイムした意味もないじゃないか」

 

 

 その時、ドラゴンの後方から、もう一度咆哮のような音が聞こえてきた。何事かと目を向けてみれば、そこには手に棍棒を持った一匹の猿人、《ドランクエイプ》の姿があった。そういえば、この森も圏内ではないから、モンスターは普通にいる。

 

 

「敵か……」

 

 

 先程までドラゴンに叩き付けていた剣を構えて、戦闘体勢に入る。ここから索敵をかけたところ、《ドランクエイプ》のレベルは俺よりも低い。が、それでもあいつらはこの層で最も強いから、あれを倒すには十回近く攻撃を仕掛ける必要があるだろう。

 

 考えを回したところで、猿人はそれに答えるか如く俺達に向かって突っ込んできた。どすどすという大きな音を立てながら雪を踏み、一気に迫り来た猿人に向けて、ソードスキルで迎え撃とうとしたその時、ドラゴンがいきなり頭を上げた。

 

 

 直後にドラゴンの口の中は炎に包み込まれ、ドラゴンが頭を下げて口を開いた瞬間、大きな火球となって、爆音と共に猿人に放たれた。

 

 猿人は突然飛んできた火球を避ける事が出来ず、衝突。火球は炸裂して、爆炎を放出しながら爆発し猿人はその中へと呑み込まれた。

 

 轟音と共に衝撃波が発せられ、赤く照らされた雪が吹き飛び、その光景に唖然としてしまう。

 

 爆発。このアインクラッドのプレイヤーでは起こす事の出来ないものだ。いや、ソードスキルの中には爆発のようなエフェクトを伴うものもあるけれど、本当に爆発をするわけでも、モンスターを木端微塵にするようなものではない。

 

 思わず猿人のところに目を向ける。猿人は爆発に呑み込まれた際にポリゴン片になって爆散していたらしく、既にいなくなっていた。文字通り、爆発四散、木端微塵。

 

 

 このアインクラッドの中で、本当に爆発を起こす事が出来るのは、火を扱うドラゴンのブレスだけだ。ひょっとしたらもっと沢山あるのかもしれないけれど、今知る限りではそれだけ。それが今、俺の目の前で、しかも俺と話していた相手が、やった。そして、爆発によってモンスターを、この層で最強のモンスターを、一撃で木端微塵にして見せた。

 

 

《どうだ、これが我の力ぞ。これだけの力があれば、お前の旅も少しは良いものとなるはずだ》

 

 

 俺はゆっくりと、ドラゴンの方へ目を向ける。

 

 少しどころじゃない。とんでもない力だ。気配を感じた時から、とんでもない気配だとは思っていたけれど、まさかモンスターを一発で消し飛ばすような力を持っているなんて。

 

 これだけ大きな力があれば、アインクラッドの攻略は更にプレイヤー側が優位になり、クリアも……プレイヤーの解放も早く出来るかもしれない。

 

 それにこれだけ大きな力……ドラゴンという大きくて心強い味方がいる事を他の攻略組に見せてやれば、その士気をあげる事も出来るかもしれない!

 

 

「本当に、本当に俺の《使い魔》になってくれるのか、お前!?」

 

《そう言ったであろう。それとも、我を《使い魔》にするのは嫌か?》

 

 

 いや、攻略だけじゃない。そもそも、これだけ大きな力を持つ者が味方になれば、守りたい存在を、守り続けられるかもしれない。これだけの沢山のメリットがあるし、使わない手はないかもしれない。

 

 

「嫌なわけがない……使わせてくれ、お前の力を。あっ、だけど……」

 

《なんだ》

 

「俺の旅は強いモンスターとの戦闘の繰り返しになるぞ。そうなったらお前、俺について来れるのか」

 

 

 ドラゴンはぶすっと鼻を鳴らした。

 

 

《何を言うか。この我を誰だと思っておるのだ。我は……》

 

 

 そこで《声》が止まった。同時にドラゴンの動きもフリーズしたかのごとく動かなくなる。

 

 

「お、おい?」

 

 

 俺の声に反応したのか、ドラゴンは意識を取り戻したように俺と目を合わせて、《声》を送りつけてきた。

 

 

《思い出せぬ》

 

「へ?」

 

《我は……我の名前は何だったか、思い出せぬ》

 





 ――補足事項――

・◇◇◇→キリト視点

・□□□→その他視点



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03:竜の名

《我は……我の名前は何だったか、思い出せぬ》

 

「覚えてないのかよ」

 

《ううむ……我にはちゃんとした名前があって……ちゃんとした何かしらの役割があったような気がするのだが……それが何だったのか思い出せんのだ》

 

 

 これは、俺がこいつに名前を付けさせるためのイベント運びか。

 

 こういうイベントが起きた時に、仲間になってくれる無名のモンスターに名前を付けるのも、ゲームの醍醐味の一種だ。だからこういうイベントをやる事によって、俺に名前を付けさせる――。

 

 

《……何か考えているようだが、我の推測によれば、お前が我の頭を叩きまくったおかげで、名前を含めた記憶が全て飛んだらしい》

 

「ちょ、俺のせいなのか!?」

 

《冒険者。我に名を与えよ。我の事をずっとドラゴンと呼ぶつもりでもなかろう?》

 

 

 確かに、犬や猫に『犬』や『猫』と言う名前を付けるのは無粋だから、ドラゴンにドラゴンなんて名前を付けるのも無粋というものだろう。というか結局、俺が名前を付けなきゃいけないのか。

 

 まぁ、本当にそうなのかはわからないけれど、こいつの記憶喪失の原因は俺の攻撃によるものだそうだし、いきなり攻撃を仕掛けた俺も悪かったわけだし、それでもこいつは仲間になってくれるって言ってるから……やっぱり俺がやるべきだろう。

 

 

「わかったよ。えっと……じゃあ……」

 

 

 ふと、頭の中を検索して、いくつかの単語を見つけ出し、こいつに当てはまりそうな名前になるかどうかを考える。そもそもこいつは俺が今まで見てきたモンスターの中ではかなり強い方だから――

 

 

「じゃあ、ゴジラなんてどうだ」

 

《……ゴジラ? 我はゴジラなどという名前が合う見た目をしているか》

 

「じゃあ、キングギドラとか」

 

《その竜は金色ではないか? 我の身体は白いぞ》

 

「じゃあモスラ」

 

《そもそも竜ではなかった気がするが》

 

 

 さっきから名前を上げる度にナチュラルに反応を返してくる。こいつ、随分と高度なAIとやらを積んでいるらしい。やっぱりテイミングできるモンスターはAIから違うみたいだ。

 

 

「じゃあ間を取ってガメラとか」

 

《……》

 

「嫌か」

 

《嫌だ。我は怪獣ではないぞ》

 

 

 この無名竜は昔やってた怪獣映画に出てくる怪獣の事を知っているらしい。テイムモンスターの事はまだよくわかっていないけれど、やっぱりテイムモンスターに搭載されるAIは並大抵のものではない、随分と凝った作りのAIであるらしい。

 

 

「そうか……じゃあ……」

 

 

 ふと、ドラゴンの最大の特徴について俺は考えた。こいつは記憶喪失になっていて、まるで初期化されたうえに、再起動したかのような状態の奴だ。初期化、再起動。再起動……?

 

 確か再起動は英語で『リブート』、『リスタート』……IT用語まで行けば、『リラン』。

 

 

「リラン……リランなんてどうだ?」

 

 

 リランと呼ばれて、ドラゴンの表情がハッとしたようなものに変わる。

 

 

《リラン……聞き心地がいいな》

 

 

「気に入ってくれたみたいだな。じゃあ、お前の名前はリランにしよう」

 

 

 リラン。それが、これから俺の《使い魔》になるこのドラゴンの名前だ。

 

 そう言った瞬間、俺の目の前にウインドウが現れた。何かを入力する欄と、キーボードのような欄がある。――これは、文字を入力するウインドウだ。

 

 

「ここに、リランって入れればいいのか」

 

《そうらしいな》

 

 

 如何にも早く名を付けて欲しがっているドラゴンを横目に見ながら、俺は考え付いた名前をウインドウ内に入力した。スペルは再起動の英単語と同じ、《Rerun(リラン)》。

 

 入力を追えて決定キーを押すと、ウインドウは一回閉じて、再度開いた。

 

 そこには俺とは違うステータスが表示されており、名前の欄に目をやると、そこにあったのは《Rerun_The_SwordDragon》の名前と、《Lv:75》の文字だった。

 

 どうやら、最初に見えた《Rerun_The_SwordDragon》の《The_SwordDragon》というのがこいつの種族名であり、俺はこれの前に《Rerun》という名を加えたらしい。そして一緒にレベルを目の当たりにし、俺と同じくらいにこいつのレベルが高いのが、意外に思えた。

 

 顔を上げてリランの方へ目を向けると、リランの頭上に緑色のカーソルが出現し、左上に《Rerun》の文字と《HPバー》が見える。

 

 

「これで……俺はお前の主人、《ビーストテイマー》になったわけか」

 

《そういう事だ。我が名はリラン。そして我が主人の名は……》

 

 

 その時、俺はようやく気付いた。リランに名前を与えたはいいが、出会ってから今この時まで、リランに俺の名前を教えていなかった。

 

 

「ごめんリラン。言い忘れてたな。俺は、キリトだ」

 

《キリトか。呼ぶ時は何がいい。『主人』がいいか。『主』がいいか。それとも『ご主人様』がいいか》

 

「……普通にキリトって呼んでくれ」

 

 

 リランは頷くような仕草をした。

 

 

《承知した。只今より我はキリトの友となり、いかなる敵も障害も、はいじんに変えてくれようぞ!》

 

 

 高らかに宣言したリラン。だけど、何かが違う。いや、何かを間違えている。

 

 多分、「はいじんに変えくれようぞ」の部分に違和感があるんだ。こいつは炎を吐けるから、きっと「灰燼(かいじん)に変えてくれようぞ」って言いたかったんだろう。

 

 

「それを言うなら、灰燼に変えてくれようぞ、だろ」

 

《……そ、そうであるな》

 

「大丈夫か、お前の頭」

 

《お前に叩かれた時の衝撃がよほど大きかったようだ》

 

「結局俺のせいなのか」

 

 

 リランが俺に顔を向ける。狼のような輪郭をしている割には、表情がはっきりしているのがわかった。

 

 

《だが、お前についていけば、恐らくいつか記憶を取り戻せようぞ。お前の旅を、我の記憶を取り戻す旅にもする》

 

「なんだよそれ。でも、お前は俺のせいで記憶を失ったみたいだし、そういう事にするよ。戦闘になったら、さっきみたいにしっかりサポートしてくれよ」

 

《戦闘だけではない、普段からサポートさせてもらうよ》

 

 

 俺はふとリランの姿を目に入れた。

 

 リランの身体は普通のドラゴンよりも一回り程大きくて、とてもじゃないが街に入れそうじゃない。でもこいつは俺の《使い魔》で、俺は《ビーストテイマー》だから、こいつには圏内へ、街の中へ入れなければならない。まさか俺が圏内にいる間に、こいつを圏外へ放っておくわけにもいかないし……。

 

 

「そういえばリラン。お前は俺が街の中に入った時はどうするんだ。お前の身体じゃ、街の中は窮屈すぎるぞ」

 

《その点においては心配がないらしい》

 

「は?」

 

《とにかく我を連れて街の中へ入ってみろ。ほんの少しだけ残っている記憶に、我は街の中へ入っても大丈夫だとある》

 

「そういうけれど、プレイヤー……っていうか、冒険者は俺一人だけじゃないんだぞ。そして、みんなが《ビーストテイマー》っていうわけでもない。街の中にお前みたいにデカいドラゴンが出てきたら、大騒ぎだぞ」

 

《それも大丈夫なようだ。とにかく、もうここに用事はあるまい。街とやらに戻ってみよう》

 

 

 『灰燼』を『はいじん』に間違えていたリランの言葉はどうにも腑に落ちない。ボケてこんな事を言っているかもしれないが、もしかしたら本当のことを言っているのかもしれない。

 

 もし街に入れなかったり、街の中で明らかに嵩張るような事になったなら、その時は圏外へ連れ出した方がいいだろう。

 

 どうなるか予想が付かないが、このゲームではいつもの事だ。リランがこうして俺の《使い魔》になってくれる事だって予想外だったのだから、もうしばらくは何が起きても驚かなさそうだ。

 

 

「わかったよ。それじゃあ、街に戻ろうか」

 

《了解した》

 

 

 そう言って、俺は行きの時にはいなかった、《使い魔》リランを連れて、街へ歩き出した。

 

 

 

          ◇◇◇

 

 

 

 

 静かな森を抜けて、クリスマスムードに賑わう街に通じる門を抜けたところで、俺は振り返った。ちゃんと、リランが門を通る事が出来たのかと思ったからだ。……だけど、そこにリランの姿はなくて、俺は思わず驚いてしまった。

 

 まさか、来る途中ではぐれてしまったのか。いや、それでもリランの足音は門を通る直前まで聞こえていたし、気配もあった。だからいなくなるなんて事はないはずだ。

 

 

「あれ、リラン? リランどこ行った?」

 

 

 戸惑いながら周囲を見回していたその時、

 

 

《そんなにデカい声を出す必要はないぞ、キリト》

 

 

 またもいきなり《声》が頭の中に響いてきて、俺はびっくりしてしまった。しかし、頭の中に響いてきた声は、リランの年老いた女性のような声色ではなく、俺と同じくらい……十五歳くらいの少女の声色によく似ていた。リラン以外に、念話(テレパシー)が使える奴がいたのかな。

 

 それとも、俺が《ビーストテイマー》になったから新しいイベントが起動したのか。

声の根源を探してみても、それらしきものはやはり見当たらない。

 

「なんだこの声……」

 

《我だ、キリト》

 

 

 俺の名を知っているし、我と言う一人称を使っている……これは、リランだ。だけど、どこを見てもリランの姿は見当たらない。見えている物と言えば、深夜付近になっているにもかかわらず光を放ち続けているクリスマスツリーと、露天商のNPC、道行くカップル同士くらいだ。どこにも、あのドラゴンの姿はない。

 

 

《こっちだキリト。お前から見て右方向の下だ》

 

 

 直接呼ばれて、その方向に視線を向けたら、目が点になった。そこにあったのはリランのあの猛々しくも美しいドラゴンの姿ではなく、あのドラゴンをデフォルメして、マスコット化させたような小動物の姿だった。大きさは、目測から考えるに、俺の肩に丁度のれるくらいの大きさだ。

 

 その小動物はリランと同じ紅い目で、俺の事をじっと見ていた。

 

 

「な……なんだこの小動物……」

 

 

 小動物はその翼を広げて宙に舞い上がり、落ちない周期で羽ばたきながら、俺の顔の前をホバリングした。

 

 

《我がわからぬか。お前の《使い魔》のリランだぞ》

 

 

 《声》が、この小動物から響いてきたような気がする。そしてこの喋り方といい、俺の事を知っているといい……まさか、これがあのリランなのか!?

 

 

「お、お前、リランなのか!?」

 

 

 思わず指しながら言うと、小動物はしっかりと頷いた。

 

 

《そうだとも。姿が変わっているから、驚いておるな》

 

「な、なんでそんな姿になってるんだよ。あのドラゴンのお前はどこに行ったんだ」

 

 

 小さくなったリランは周囲を見回しながら、呟いた。

 

 

《我の記憶にあったものは、どうやらこれの事を差していたようだ。我は、圏内へ入り込むと身体が縮んで、圏内に居ても嵩張(かさば)らない大きさになるらしい》

 

「なるらしいって……もうなってるだろ」

 

《そうだ。これならば、お前の肩に乗るかして、お前と共に居続ける事が出来よう。周囲の冒険者達もこの大きさの我ならば、驚く事もあるまい》

 

 

 いや、驚くよ。これまで肩に小型モンスターを乗せているプレイヤーが街を通った事なんてなかったんだから。さぞかし、珍しいものを見るような目で見られる事は間違いない。

 

 頭を掻きながら、リランに返す。

 

 

「街にいる間はその大きさになる事はわかった。移動の際は俺の肩に乗るのか」

 

《そうさな。流石にずっと羽ばたいているのも疲れる。街の中にいる間に疲れて、戦闘で本気が出せないなど、本末転倒であろう》

 

「俺はお前を乗せて歩くんだが……まあ、肩に乗ってれば盗難される事もなさそうだしな。じゃあ、これから宿屋に行くぞ、リラン」

 

《承知した》

 

 

 そう言って、リランは俺の肩にぴょんっと飛び乗った。剣などとはまた違った重みが肩にかかるが、まるで、腕を肩をかけられているような感じで、嫌な重さでもなかった。それに、こいつが毛皮に覆われているモンスターであるおかげなのか、不思議と暖かい。

 

 

「いくか」

 

 

 俺はリランを肩に乗せたまま、宿屋の方へ向かっていった。丁度道行く人々もほとんどいなくなっており、俺の肩にリランが乗っているところを見られる事も、騒がれる事もなく、俺は平然と宿屋の中へ、そして個室へ入る事が出来た。

 

 その時に、どっとこれまでの疲れが来て、俺は椅子に飛び付くように座った。同時にリランが軽く羽ばたいて、俺の目の前にある机に飛び乗る。

 

 

「人に会わなくてよかったな……会ってたら、今頃大騒ぎだ……」

 

 

 目を手で覆うと、頭の中にリランの《声》が響いてきた。

 

 

《そういえばキリト。我の記憶が正しければ、お前は我と出会う直前まで落ち込んでいるように見えた。お前、我と出会う前に何かあったのか》

 

 

 そこで、俺はようやく、あの森に訪れていた理由を、そしてそこで起きた事を実感した。そうだ、俺のやっていた事はすべて無駄だった。蘇生アイテムは手に入ったけれど、効果はなかったし、大切な人を蘇らせる事など、出来なかった。最後の言葉だって、聞けなかった。それに、あの森に入る前に、俺は大事な友人と別れた。

 

 そいつはこのゲームが始まった時から一緒で、俺の事をすごく心配してくれていたのに、俺はその友人を突き飛ばすように、かけてくれた言葉を全て無意味にするような態度をとって、別れてしまった。

 

 散々だ。経験値に飢えた愚か者として蔑まれ、笑われながら経験値を積んでレベルを上げたのに、結果は無意味な蘇生アイテムを手に入れた事と友人を失った事と、喪失感に襲われた事。蘇生アイテムだって、リランの腹の中に消えた。

 

 ……あ、リランっていう使い魔を手に入れて、《ビーストテイマー》になったな、そういえば。なんだったんだ、俺のやってた事は――そんなふうに考えていると、《使い魔》リランの《声》が聞こえてきた。

 

 

《キリト。何があったか、話せるか》

 

 

 俺は手を目から逸らして、机に目を向けた。凛とした顔で、背中に月明かりを浴びている小竜の姿がそこにあった。

 

 

「お前に話してどうするんだ」

 

《我はお前の《使い魔》だ。そして、これから主人であるお前を支えていくつもりでいる。あの時のお前は苦しんでいたように見えた。そして今も尚、苦しみ続けている。その苦しみの原因を、教えてほしいのだ》

 

 

 随分言葉達者に言うが、言ったところで理解できない事はわかりきっている。こいつはまるで生きているように動くし喋るけれど、結局は命令を実行する事しか出来ないただのAIだ。俺の話を聞いて理解できるわけがないし、言ったところでAIに組まれた反応を返すだけだ。

 

 これだってきっと、俺が《ビーストテイマー》になったから発生している《使い魔》とのイベントの一種で、《ビーストテイマー》になる事が出来れば誰にでも起こるようなイベントだろう。

 

 感じ取り、共感し、考えて答えを出す――そんな人間みたいな事が出来るわけがない。

 

 

「お前に話したって意味はない。だから、話したくないよ」

 

《話したくないか》

 

「話したくない。だから、話さないよ」

 

 

 リランは少し悲しそうな表情を浮かべて、《そうか》と小さく呟いた。だけど、何故なのか、気分が妙に落ち着いている。

 

 それに、森を訪れてボス戦をこなした後のあの時、俺は完全に脱力、意気消沈して、もう死のうかとすら考えていた。なのに、あの森でリランと出会った時、そして話した時は、平常に戻れていたような気がする。――友人とはろくに話が出来なかったのに、リランとは普通に話が出来ていた。

 

 そして、今またその気持ちが帰って来ているのに、あの時のようにそこまで沈み込んではいない。寧ろ、心の中が少し暖かい気がする。こいつ、本当になんなんだ。これが、《ビーストテイマー》のイベントなのか?

 

 

《ならば、お前が話したくなった時に聞くとしよう。我はこれで休むから、お前も休むといい》

 

「あぁ、寝るといいさ」

 

 

 そう言って、リランはベッドの方へ飛んでいき、丸くなって、寝息を立て始めた。そうだ、あいつは所詮はAIなんだ。だからあいつに話したって理解できるわけがない。俺のみに起きた事なんて、理解できるはずがないんだ。

 

 俺はリランから目を逸らし、ふと考えに耽ろうとした。……その時に、いきなり聞き慣れない音が聞こえてきて、俺とリランは周囲を見回した。リランの音なのかと思ったけれど、耳を澄ませばアラーム音である事がわかった。

 

 その音の発生源……音が大きくなる方角に顔を向けたところで、ウインドウのそれと同じ、黄色いボタンのようなものが浮かんでいるのを見つけた。そしてそれこそが、アラーム音の発生源だった。

 

 

「……これは……」

 

 

 指を動かして、ボタンを押してみると、細長いウインドウが現れたが、そこに書かれている文字を見て、俺は思わず唖然としてしまった。

 



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04:聖竜連合

 2023年 12月25日 

 

 俺はリランを連れて、宿屋を出た。胸の中に、これまで感じた事が無いくらいに、強い意志が湧いてくるのがわかる。

 

 俺はリランという大きな手に入れた。俺の力とリランの力があれば、きっとこの世界に生きる全てのプレイヤーを守りながらこの城を突破し、現実に帰る事が出来るはず。俺とリランでこの世界を生き抜き、ラスボスを倒してこの世界を終わらせる。そこまで辿り着くまでに、犠牲者は極力少なくし、共に戦ってくれる仲間を助け、守る。

 

 もう誰も死なせやしない。

 

 ――そう思って宿屋を出たまではよかった。出て早々、俺はそこら辺の男女問わないプレイヤー達に囲まれて、身動きが取れなくなった。何事かと近くのプレイヤーに尋ねてみれば、昨日の夜に小さなドラゴンを連れている俺を見たという情報があって、それが真実かどうかを確かめるために、プレイヤー達は集まって来たそうだ。昨日の夜はこっそり動く事に成功して、誰にも見られていないと思っていたが、どうやらどこかでしっかりと見られていたらしい。

 

 それに、この層で《ビーストテイマー》が生まれたというのが皆の一番の驚きだろう。6000人以上のプレイヤーが生きるこのアインクラッドの中で、《ビーストテイマー》になれているプレイヤーはほんの十数人程度らしい。だから《ビーストテイマー》になった俺は、かなり珍しい、というか激レアの存在だ。その姿を一目でも見ようと思って、こうやって集まって来たという事だろう。

 

 

 そしてそのプレイヤー達は、俺の肩に乗るリランを見て、驚きと喜びなどの交えた声を出して目を輝かせた。リランはこれまで見つかっていない新種のモンスターであるのもあるだろうけれど、そもそも今のリランの姿は小動物そのもので、例えるならば背中に大きな翼を生やした、子犬とドラゴンの幼体を合わせたような姿をしている。

 

 男性プレイヤーは見た事のないうえに襲ってこないモンスターの姿に驚きと喜びの声を、女性プレイヤーは子犬のような愛らしさを放つ小竜に「かわいい~!」という黄色い声を上げる始末。

 

 更に可愛いもの好きが多い女性プレイヤーの多くが俺の肩のリランにぺたぺた触り出し、リランはプレイヤー達に甲高い鳴き声を、俺に《声》で悲鳴を上げる。

 

 

《こ、これ、やめぬか!》

 

「はは、無理だと思うぜ。それにしても、これだけ人が多いと……」

 

 

 あまりの人だかりにボス戦の会議が行われている広場まで行けそうにない。これはボス戦会議不参加になってしまうか。

 

 ボス戦会議で、この層のボスの情報共有が成されるから、ボス戦に参加する時は絶対に出なきゃいけない会議だというのに、プレイヤー達の壁のせいで身動きが取れない。どうにかできないのか。

 

 そう焦ったその時に、人混みの中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

 

「すいません、退いてください。道を開けてください!」

 

 

 現実世界で言う救急隊員が野次馬を退ける時のような声を耳にして、俺とリランは声の主のいる方向へ目を向けた。

 

 そこにいたのは、藍色の鎧を身に纏い、腰に片手剣を携えた、いわゆる騎士の成り立ちをした青色の髪の毛の、俺よりも年上と取れる男性の姿だった。

 

 青色髪の騎士の姿を見るなり、俺は声を上げる。

 

 

「ディアベル!」

 

 

 騎士はハッとしたような顔になって、俺を呼んだ。

 

 

「キリト、話は本当だったのか!」

 

 

 ディアベルの顔は真っ直ぐ、俺の肩に向けられていた。そこにあるのは、今は縮んでいるけれど、《使い魔》であるリランの姿。どうやら、この男(ディアベル)も周りの人間、もしくはギルド団員から話を聞いてここへ来たようだ。

 

 だが、ディアベル程の男が来てくれたならば、話がしやすい。ディアベルは、毎回ボス戦に参加している奴であり、毎回エリアボスの討伐会議を開いている奴でもあるのだから。

 

 

「ディアベル! ちょっとすまない! 集まってるみんなにも、後々情報屋アルゴあたりに情報を流すから、それでこいつを理解してくれ!」

 

 

 俺は咄嗟に走り出すと、リランを眺めているディアベルの腕を掴んで、プレイヤー達の壁を突き破った。そしてそのまま慌てるディアベルを横目に見ながら走り続けて、街の路地裏へと駆け込んだ。プレイヤーの気配や視線が完全に感じられなくなったところで、俺は立ち止まった。

 

 後ろを見回せば、いつの間にか方から外れて羽ばたいているリランと、リランをじっと見つめて居るディアベルがいた。顔には混乱とも呼べる表情が浮かんでいる。

 

 

「えっと、キリト」

 

《キリト、この男は何者だ》

 

 

 同時に二人から話しかけられて、俺は腕組みをした。ひとまず、両方に両方の説明が必要だから、今は新しく仲間になったリランに、ディアベルの事を話す事にしよう。

 

 ディアベル。このデスゲームが始まった一か月後に、ボスの情報を掴んで、プレイヤー達を集めて軍勢を組み、迷宮区に突入し、ボスを見事に討伐して見せたプレイヤーだ。これだけでも相当立派であると言えるけれど、それだけじゃない。

 

 ディアベルは元々俺と同じベータテスター上がりで、ボスとの戦い方やレベリングの方法などを知り尽くしており、尚且つそれをガイドブックとして配布していた者の一人だった。

 

 ボス戦の最中、元から持っていた知識を使って、流れるような指示と号令でプレイヤー達を支え、連ね、1層のボスを撃破した、優れた技術を持つ功労者。

 

 現在はギルドを組み、《聖竜連合》という大ギルドのリーダーとして多くのプレイヤー達をまとめ上げて、ボス戦などに挑み、戦果をあげて上層を解放する事に成功している、このゲームの中では有名人だ。

 

 そんなディアベルのが開いている作戦会議に、俺は参加しようとしていたのだけれど、ディアベル自らがこちらにやって来てよかった。

 

 これらをリランに話すと、リランはうんうんと頷いて、《わかった》と言ってくれた。どうやらディアベルの事がわかったらしい。

 

 そんな俺とリランを見つめて、ディアベルは目を丸くしていた。

 

 

「こ、これが《使い魔》……テイムモンスターっていう奴なのか」

 

《そうだ、我と同じ竜の名を持つギルドの長よ》

 

 

 ディアベルは突然驚いたような顔になって、周囲を見回した。

 

 

「どうした、ディアベル」

 

「今、女の子みたいな声が聞こえてきたんだが……しかも、頭の中にだ。へ、変な事を言っているみたいだけど、本当なんだよ」

 

 

 俺はリランに目を向けた。リランはこの通り念話(テレパシー)で話が出来る奴だが、どうやら念話が通じるのは俺だけじゃなかったらしい。こいつはどんなプレイヤーとでも念話で話ができるようだ。

 

 そして今、ディアベルが聞いている《声》の正体は、

 

 

「ディアベル、それなんだが……その声の主はそいつだ」

 

 

 俺がリランを指差すと、ディアベルは大きな声を上げて驚いた。

 

 

「えぇぇぇ!? こいつ、喋れるのか!?」

 

「正確には念話で喋るんだが。ちゃんと話も理解できる奴だ」

 

「そ、そうなのか……」

 

 

 恐る恐る、ディアベルはリランに話しかけた。

 

 

「俺はディアベルだ。よろしくな、キリトの《使い魔》さん」

 

《リランだ。キリトとは昨日の夜に出会ったばかりだが、大体事態は把握できている》

 

 

 ディアベルは驚いたような顔をして、軽く頭を下げた。今の声は俺にも聞こえていたから、二人同時に念話したらしい。

 

 

「よろしくな、リラン」

 

《こちらこそ》

 

 

 ディアベルは腕組みをして、俺に言ってきた。

 

 

「それにしても、お前は運がいいんだか悪いんだかよくわからないな。いつの間にかこうやって《ビーストテイマー》なんていうものになってしまうんだから」

 

「俺だって何でこいつがいきなり現れたのかわからないんだ。でも、強かったから仲間にしたんだ」

 

「そうなのか。だけど、どう見たってこのサイズは小動物だぞ。こんなのが、強いのか?」

 

 

 まぁ今のリランを見れば、小動物にしか見えなくて、強いなんて言われても説得力皆無だろう。だが、圏内から出したリランは本当に強い。それこそ、雑魚モンスターは一撃で木端微塵にするし、ボスモンスターとだって戦えるだろう。自分の強さに自身があるのだろう、胸を張るような動作をして、リランが《声》を出す。

 

 

《我を圏内から出せば、お前達は腰を抜かすだろう。まぁ期待しておれ》

 

「そ、そうか……」

 

 

 ディアベルはリランから俺に目を移した。

 

 

「しかし、リランがいるという事は、お前はもうソロプレイヤーじゃなくなったんだな」

 

「まぁそういう事になるな。今は《ビーストテイマー》だから、確かにソロプレイヤーじゃない。まぁこいつはプレイヤーじゃなくてテイムモンスターだが」

 

 ディアベルは髪の毛をぐしゃっと掻いた。

 

 

「もとはと言えば、俺がお前をソロプレイヤーにしたようなものだけれどな……あの時俺が何とか言っておけば、あんな事には……」

 

 

 ディアベルの顔に、すまなそうな表情が浮かび上がる。

 

 俺は今までギルドに入ったりパーティを組んで戦うような事はなかった。それには、第1層の戦いが深くかかわっている。

 

 

 あの戦いは、ディアベルの優秀な指揮のおかげで勝てた。しかし、同時に二人ほど犠牲者が出てしまった戦いでもあった。ディアベルは事前に自分がベータ―テスターである事を公表しており、他のプレイヤー達からあまり良い扱いを受けていなかったが、第1層の作戦会議や、ボス戦でのベータテスターである事を生かした優秀な指揮などで、その評価を大きなものにし、ボス戦が無事に終わった時には一同がディアベルを胴上げするような事にまでなった。

 

 ……まではよかったのだが、一同がボス部屋を去ろうとした際に、ボス戦に参加していた一人、キバオウという男が突如としてディアベルを批判を開始した。ボス戦で殺された二人はキバオウの仲間だったらしい。

 

 キバオウはディアベルの作戦は穴だらけだった、ディアベルの作戦がもっとしっかりしておけば仲間は死ななかった、ベータテスターのくせに欠陥のある作戦を立てるクズだと、身も蓋もない批判をした。

 

 それだけならまだしも、ベータテスターなんだからもっといい情報を持っているだろう、それを自分達非ベータテスターに教えないのは何事だ、良いものを独占するつもりかなどの更に身勝手な批判を開始し、その場に集まるベータテスターは出て来いと、仲間と声を合わせてブーイングを始めてしまった。

 

 結果、ディアベルの指揮によって纏まっていた者達は疑心暗鬼に陥り、誰がベータテスターなのか、そうじゃないのかを探し始めた。

 

 明らかにキバオウの自分勝手な批判とベータテスターに対する偏見でしかない。なのに、皆はそれぞれがベータテスターなのかそうじゃないのかを疑い始めて止まらなくなった。

 

 混乱を鎮めるのは、ベータテスターであるディアベルじゃ出来ない。まるでディアベルがベータテスターである事を逆手に取ったような、謀略のような批判。それを鎮めるにはどうすればいいかと考えたディアベルが考えたであろうその時に、俺は行動を起こした。

 

「ディアベルは優秀でありながらクズである、俺なんか他のベータテスターの誰もが辿りつけなかった層まで登り刀スキルを使う敵と散々戦いまくった、情報屋なんか目じゃないくらいの情報を沢山持っている。俺が情報を明かしておけば、あの二人は死ななかっただろうけど、苦戦するお前らを見ているのが面白かったから、教えなかった」

 

 と、キバオウ一味及び共に戦ってくれたプレイヤー達に叩き付けるように言ってやった。――勿論そんなのは嘘だが、連中はあっさりとそれを信じ、批判の矛先をディアベルから俺に移し、俺を「チート野郎」だとか「チートベータ―テスター」だとか「略してビーター」だとか、散々批判した。

 

 その隙に俺は手に入れた黒いコートを身に纏い、戦場を後にした。その時からだ、俺が「ビーター」と蔑まれて誰も寄り付かなくなり、ソロを余儀なくされたのは。

 

 その後、ディアベルはベータテスト時に手に入れた情報の全てをガイドブックとして公開し、信頼を取り戻した後にギルドを結成。まるで階段を駆け上がるように上の層を解放しまくって行った。

 

 この辺りはまだリランにも話していないから、今度聞かれるような事があったなら、話そう。

 

 

「いやいや、あの時悪かったのは明らかにキバオウだ。感情が高ぶっていたんだろうけれど、ディアベルを批判するのは間違いだったよ」

 

「だけど、俺のせいで二人も死者が出たのは間違いないよ。だけど、お前は俺を批判から逸らすために、わざわざ自分から汚れ役を買って出てくれた」

 

 

 ディアベルは聡明な男でもあった。

 

 次にディアベルと再会したのは30層のボス戦作戦会議の時だ。ディアベルは作戦会議の最中に俺を見つけるなり驚き、作戦会議を終えた後で俺に近付いてきて、いきなり謝罪とお礼をしてきた。ディアベルは1層での俺の行為を、汚れ役をわざと買って出たと見抜いていた。

 

 その後、俺をボス戦に参加させてくれて、無事に戦い終えた後には、俺を聖竜連合へ誘ってもくれた。だけど、聖竜連合の中にはもちろんビーターである俺をよく思わない連中が沢山いる。

 

 もし、俺を組み入れたなら、聖竜連合の中にも波紋が広がってしまうと思って、俺はそれを断り、あくまで協力関係という形にした。こうした点から、俺はずっとソロプレイヤーで居続けた。サチ達と、そしてリランに出会う前までは。

 

 

「あれでよかったんだよ。おかげでお前は今や大ギルドを率いるリーダー……みんなの希望の象徴だ」

 

「そうとは言えないよ。寧ろ、俺はお前に沢山助けられている。お前に日の光が当たらないのが、悔しいよ」

 

《なるほど、縁の下の力持ちという事か、キリトは》

 

「そういう事だよ。それでディアベル。お前、何で俺のところに来たんだ。何か用事があったんだろう?」

 

 

 ディアベルははっと何か思い出したように、言った。

 

 

「あぁそうだった。実は俺も、竜を連れているお前を見たってギルドの団員達から聞いてさ、思わず来てしまったんだ。まさか、本当だったなんて思ってもみなかった!」

 

「え、それだけのためか!?」

 

 

 ディアベルが首を横に振る。

 

 

「いや、そうじゃない。今回のボスは確実にお前の力を借りなければ難しいかもしれないと思って、来たんだ」

 

「俺の力を?」

 

 

 ディアベルは路地裏の外の方へ目を向けた。

 

 

「これからボス討伐組の作戦会議が始まる。それに参加してもらいたいんだけれど、いいかな。それに、リランもだ」

 

《我は構わぬ。それに、今回のキリトの目的はボスを討伐する事だったようだから、丁度いいのではないのか》

 

 

 ディアベルが目を丸くする。

 

 

「そうだったのか、キリト」

 

「まぁな。……変な視線を浴びるかもしれないけれど仕方ない。ボスの作戦会議場所まで連れて行ってくれ、ディアベル」

 

 

 ディアベルはわかったと言って、路地裏を出た。その後を追って、俺とリランもまた路地裏を出て、広場の方へ向かった。

 

 そこにはすでに多くのプレイヤーが集まっており、ディアベルの到着を待ち望んでいるような表情を浮かべていたが、肩にリランを乗せた俺が姿を見せるなり、驚きの表に変えた。そりゃそうだろう、ディアベルに続いて、《ビーストテイマー》が姿を現すんだから。

 

 一斉にざわつき始めたプレイヤー達の前に立ち、ディアベルは《ビーストテイマー》の出現にざわついているプレイヤー達と聖竜連合の人々を落ち着かせて、いつもどおりの作戦会議を開始した。

 

 《やはり聖竜連合という大ギルドを率いるリーダー、プレイヤーに指示を出すのには慣れているのだな》とリランが小言を呟いた直後に、ディアベルはクエストをこなしてNPCからボスの情報をもらったプレイヤー達からもらったであろうボス情報、更に偵察班を向かわせて手に入れさせてきた情報の全てをまとめたものを、俺達に話し始めた。

 

 ボスの名は《The()_Hecatoncheir(ヘカトンケイル)》。多腕を持つ仏像のような姿をした巨像型ボスであり、多腕を利用した連続攻撃と範囲攻撃が脅威になるだろうと推測されている。どれほどの強敵になるかは未知数だが、少なくともこれまでのボスよりかは圧倒的に強いだろうと思われているそうだ。

 

 

節目(クォーターポイント)か……だから俺に招集を描けたわけか」

 

《その節目(クォーターポイント)というのは何だ》

 

 

 クォーターポイント。それは100層を4分割した際に、1、25、50、75層に当たる層の事であり、アインクラッドの節目として、ボスが異様に強いポイントの事を差す言葉だ。普通、ボスモンスターはフィールドのモンスターを巨大化、強化したものがほとんどで、フィールドモンスターとの戦いに慣れておけば善戦できるんだけど、クォーターポイントのボスはそういったモンスター達からは一線を画すほどの強さと能力を持っている。

 

 既に俺達はクォーターポイントと呼べる層での戦いを経験していて、その時は25層の時だった。25層のボスはフィールドにいるモンスターを強化したものではなく、圧倒的な能力と攻撃力を持つ、二種類の武器を所有する双頭の巨人で、俺達攻略組に甚大な被害を与えた。

 

 それこそ、勝てたのは奇跡だったようなものだ。この層での戦いのせいで、《アインクラッド解放隊》という部隊が攻略組から離れた。

 

 このように、他と比べて攻略が難しく、犠牲者を簡単に出してしまうのがクォーターポイントだ。前のクォーターポイントから数えて25層目の50層。強力なボスであってもおかしくはない。というか、ボス情報から察するに強力なボスが待ち構えている事は間違いない。

 

 

《厄介なボスが待ち構えているという事か。そこで、お前はこの者達を守りながら戦う事になるのだな》

 

「そうだよ。みんな大事な命だ。あんな事を繰り返さないためにも……全力でいかせてもらわないとな」

 

 

 俺はリランの方へ目を向けた。元の姿に戻った時のリランは雑魚モンスターを一撃で木端微塵にするくらいの力がある。あの力を駆使して闘えば、ディアベルも、聖竜連合のみんなも守る事が出来るかもしれない。

 

 

「お前の力、借りるぞリラン。きつい戦いになるだろうけれど……」

 

《問題ない。巨像など我が炎で消し炭に変えてくれる》

 

 

 得意げに笑む白き竜の顔に、俺は不思議な安心感を覚えた。

 こいつと一緒ならば、次のボスモンスターだって、怖くないはず。リランの力を使って戦い、50層を突破する。それが今回の戦いの目標だ。

 

 

「頼んだぜ、相棒」

 

《任せよ。お前こそ、死ぬでないぞ》

 

 

 俺はリランに頷いた。それと同時にディアベルが、今日の11時に出発するという号令を俺達にかけて解散を命じた。俺は次戦うボスの事を考えながらリランを連れて、回復アイテム調達のために街へと歩いた。

 

 




次回、ボス戦。


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05:動き出す六腕巨像 ―50層主との戦い―

 俺はリランを連れて、聖竜連合やその他のプレイヤー達とレイドを組み、50層のボス部屋へと向かっていた。圏内から圏外へ出たところで、リランは元のドラゴンの姿に戻り、周りのプレイヤー達は腰を抜かすように驚いた。

 

 ディアベルも同じように驚いたが、その圧倒的な強さを持っているようなリランの見た目に、こんなに強そうなやつが仲間になってくれたのかと歓喜した。リランはそもそも、そこら辺のモンスターならば火炎ブレスで一撃で木端微塵にするから、強いんだけど。

 

 そういえば、リランの名前は《Rerun_The_SwordDragon》と言って、まるでボスモンスターのような名前になっている。見た目も周りのドラゴン達とはかけ離れているから、クォーターポイントのボスモンスターに似てない事もない。まさか、クォーターポイント級のモンスターなのか、リランは。そして俺は、クォーターポイントのボスモンスターを《使い魔》にしたようなものなのだろうか。

 

 《ビーストテイマー》は本当に謎が多い。いや、俺が知る限りでは、アインクラッドで最も謎なシステムだ。正直言えばこのリランだって喋ったり、俺の心を見透かしているような事を言ったり、話をちゃんと聞いてくれたり、それこそまるで人間のようだ。

 

 そんなリランがどすどすと音を立てて歩くさまを見ていると、俺に目を合わせて、《声》を送ってきた。

 

 

《どうしたキリト。ボス戦とやらが不安なのか》

 

「あぁいや、そういうわけじゃないんだ。ただ、今回はお前を連れての初のボス戦だし、ボスもとんでもなく強いかもしれないんだ。だからお前を危険に晒すような事になるかもって」

 

 

 リランは俺に顔を近付けて、口角を上げた。

 

 

《不安になるなキリト。我の強さをお前だって見ただろう。あれだけの力ならばそうそうやられまい。この層の攻略とやらもすんなりといけるはずだ。だが、心配してくれるのは素直に嬉しいぞ》

 

「確かにお前は強いけれど……もしボスがそれ以上に強かったらって思ってしまうんだよ」

 

 

 リランの顔から笑みが消えて、真顔に変わる。

 

 

《さては、我の力を見縊(みくび)っておるな? 我は強いぞ》

 

「そりゃわかるよ。お前は強い。だけどお前が死んでしまうんじゃないかって、不安になるんだよ」

 

 

 リランは横顔を俺に近付けた。

 

 

《キリト。お前は、いや、我らは立ち止まってはならぬ。この鉄の城を終わらせるために進むしかないのだ。進むには戦うしかあるまい。その戦いでもし、我が死ぬのが怖いならば……》

 

 

 リランはこつん、と俺の顔に頬を擦り付けた。リランの毛で顔が暖かくなる。

 

 

《我をその剣で守れ。さすれば、我はこの爪と牙、そして炎でお前を守ろう。これなら、どうだ》

 

 

 そう言われても、胸の中から不安が消える事はなかった。ぐもぐもと立ち込めて、消えない。そんな俺からリランは顔を離して、目を合わせた。

 

 

《お前は今まで一人で戦い続けた。そのせいで、自分の力と仲間の力を信じる事が出来ないでいるな》

 

「俺が一人で戦っていたから……?」

 

《そうだ。お前はずっと一人だった。感覚的には、お前はまだ一人でいるのだろう。だが勘違いするなキリト。お前にはもう我と仲間がいる。それにあのディアベルという男だって、お前の仲間だぞ。お前はもう一人ではない……いや、一人だと思い込んでいただけだったのだ》

 

 

 リランは俺に顔を見せた。そこは、柔らかい微笑みが浮かんでいる。

 

 

《心配するなキリト。我は強い。過信してもらっては困るが、信じてもらえるくらいの力を持っている事だけは確かであると自負できる。それに、お前の周りにいるのはこの鋼鉄の城の修羅場を何度も潜り抜けてきた猛者達だ。そんなに不安にならなくても大丈夫だ、何とかなる》

 

 

 思わずリランの名前を呼ぶ。

 

 確かに俺は、今までずっとソロプレイヤーとして戦っていたし、ずっと一人だった。いや、ギルドに入って一人じゃなくなった時もあったけれど、その時は上手く馴染む事が出来なかった。ひょっとしたらだけど、それは、俺一人で戦っているつもりになっていたからなのかもしれない。

 

 そして今この時を迎えるまで、リランやディアベル達が一緒に居るのに、その感覚が薄かった。

 

 

《お前はもう一人ではないのだ。そして皆、お前の力を信じている。ディアベルも、その仲間達も、そして我も》

 

「俺の力を信じてる……?」

 

《そうだ。皆、お前の力を信じているし、期待している。次のボス戦は、その期待に応える戦いだ。お前は一度過ちを犯して、それを無事に乗り越えた。その点からも、お前は他のプレイヤー達よりも強いはずだ》

 

 

 俺は、強い……か。確かに俺は、リランという力を得たし、レベルも他の連中と比べて高い部類に入る。様々なモンスターの行動パターンを知っているし、武器スキル熟練度も高いし、剣技も使いまくったおかげで威力が倍増している。

 

 

《だから心配するな。立ち止まりそうになったら、我が背中を押してやる。進み続けろ、キリト。そして、過信はするなと言うが、周りの者達、我、そしてお前自身の力を信じるのだ。さすればお前はどんな困難の壁すらも乗り越えるであろう》

 

 

 リランの穏やかな微笑みを見ながら、その《声》を聴いていると、どんどん心の中の不安が消え去り、落ち着きと静寂、そして今までほとんど抱く事のなかった自身が湧いてくるのを感じた。

 

 そうだ、俺にはもうリランがいるし、ディアベルも、そのギルドの仲間達もいる。彼らは皆、このアインクラッドの修羅場を何度も潜り抜けてきた優秀なプレイヤー、猛者達だ。何でこんな単純な事に気付けなかったんだろう。

 

 

「俺はもう、一人じゃないんだな……」

 

《ようやく気付いたか》

 

「あぁ。気付く事が出来たみたいだ。ありがとう、リラン。またお前に助けられたな」

 

 

 リランはフッと笑い、また俺に頬を擦り付けた。

 

 

《全く、世話のかかる主人だよお前は》

 

「はは、悪かったよ、使い魔に世話を焼かれる《ビーストテイマー》で」

 

 

 その時、リランが何かを思い付いたような顔になって、俺と目を合わせた。

 

 

《そういえばキリト。お前は朝になったら元気になっていたが、我が眠った後に何かあったのか》

 

「あぁ。元気になれる出来事があったよ。だけど、それを話すのは、俺が話したくなったらでいいかな」

 

 

 リランは目を一瞬見開いて、すぐに微笑んだ。

 

 

《構わぬよ。お前が話したくなったその時に、話すがいい。だが、お前が元気になったのが、我は素直に嬉しいぞ》

 

 

 俺はリランから身体を離すと、少し進んで先頭まで行き、周囲に気を配りつつ、ギルドの仲間を率いながら歩いているディアベルの隣に並んだ。

 

 

「ディアベル」

 

「なんだ?」

 

「俺とリランでお前達を守る。絶対に、誰一人死なせやしない。だけど、俺達だけじゃ難しいかもしれないから、お前とそのギルドの力、信じさせてくれ」

 

 

 ディアベルは一瞬目を見開いたけれど、すぐに強気な笑みを顔に浮かべる。

 

 

「あぁいいともさ。これでも俺達はレベリングを積んで、物理的も精神的にも強くなっている。次のボス戦で、強くなった俺達の力を披露してやるよ。それになんだろうな」

 

「なにが」

 

「今日は何だか調子がいいんだよ。クォーターポイントに行くかもしれないのに、全然怖くないし、相手がどんなに強くても、上手く戦えそうな気がするんだ。これまでないくらいに、自信があるんだよ、今回。これはみんなも同じみたいでさ」

 

 

 ディアベルが俺の顔に目を向ける。

 

 

「きっと、お前がいてくれるおかげだ。ここまでソロで潜り抜けてきたとんでもない猛者であるお前がいてくれているから、みんなも俺も安心して戦えそうなんだ。だから俺達の力を頼ってくれると同時に、お前の力も頼らせてくれ。キリト、少し早いが、お前に言っておくよ」

 

 

 ディアベルが顔をこちらに向けて拳を握った。

 

 

「勝とうぜ!」

 

 

 俺はそれに答えるように、ディアベルの拳に自分の拳をぶつけた。

 

 

「決まってる!」

 

 

 俺がもう一人じゃない。そう気付いたおかげなのか、俺の足はいつもよりも軽くなり、第50層へ続く道、迷宮区をすらすらと進んだ。

 

 

 

               ◇◇◇

 

 

 

 俺達は迷宮区の最深部、ボス部屋の前に辿り着いた。扉を背にしてディアベルが立ち、その後方に俺とリラン、聖竜連合の皆、その他のプレイヤー達が武器を構えて並んでいる。

 

 

「みんな、俺から言える事はただ一つ。勝とうぜ! そして生きて現実へ帰るぞ!」

 

 

 ディアベルの言葉に「おぉっ!」とみんなで声を上げ、腕を突き上げた。それを確認したディアベルは振り返り、ボスの待ち構える部屋の扉に手を当てた。プレイヤーの接触を感知した重い石扉は大きな音と振動を起こしながら横へ開き、ボス部屋を露出させた。

 

 

「全軍、突撃! 目標はヘカトンケイル!!」

 

 

 ディアベルを筆頭に俺達討伐隊はボス部屋の中へと駆けこんだ。が、すぐさまその足を止めてしまった。入って早々、本当に仏像のような青銅色で、身体のところどころに光を放つ模様を浮かばせ、肩、背中から巨大な腕を生やした、全長10メートルはあるだろう巨像が、俺達の目の前に立ち塞がった。

 

 いきなり出迎えてきた巨像に俺達は思わず慄き、それぞれの武器を構えた。巨像の頭の上にカーソルが出現し、その左上に四本の《HPバー》、その上に赤い文字でヘカトンケイルという名前が表示される。

 

 索敵スキルがクォーターポイントボスの存在を示す、ただならない反応を示している。間違いない、こいつはこれまで戦ってきたどのボスよりも……強いやつだ。

 

 

「怯えるな! 陣形を組んで、出方を伺え!」

 

 

 ディアベルが指示を飛ばし、指示を受けた者達は一斉に広がって巨像を取り囲む。恐らく、あの腕による攻撃が、あいつの主な行動パターンであり、最大の武器なのだろう。それにかなり重そうな見た目をしているから、攻撃力と防御力、共に桁違いだ。……あの重そうな巨腕に押し潰されようものならば、ひとたまりもない。

 

 そう思った直後に、巨像がようやく動き出し、六本の腕を力いっぱい伸ばした後に、振り下ろした。どぉんという重々しい轟音が鳴り響き、近くにいたプレイヤー達が大きく吹っ飛ばされる。驚いて目を向けてみれば、攻撃を受けたプレイヤーの《HPバー》が緑から黄色、そして赤に変色してしまうほどの量へ凄まじい速度で減少しているのが見えた。

――一撃で、瀕死状態だと!?

 

 

「まさか、あんなに強いのかよ……!」

 

 

 やはり、圧倒的な戦闘能力を持つボスが立ち塞がるクォーターポイント。ここはそれであり、あのボスは最強だ。一度にあんなダメージを与えてくるあの巨像を俺達プレイヤーの力で倒すのは骨が折れるどころか、下手すれば即死する危険な戦いであるのは間違いないが、立ち止まるわけにはいかない。上手い事作戦を立てて、何とかするしかない! 絶望している暇など、俺達にはないんだから。

 

 それに、俺達――いや、俺には昨日手に入れた大きな力がある。リランという、大きな力が。いきなり頼る事になって少し不甲斐無いが、初めてあの力を皆に見せてやった時には、皆が大いに喜んで希望を抱いてくれた。この絶望しかなさそうな戦いにも切り札があるという事を、教えてやらなければ。

 

 

「リラン、いくぞ! 俺とお前の力であのボスを……」

 

 

 そう思ってリランを見つめた瞬間に、俺は言葉を失った。つい先程までそこにあった狼のドラゴン、《The_SwordDragon》の姿はそこになく、代わりにそれがデフォルメされたような小動物の姿があった。

 

 圏内にいる時の姿に、リランがなってしまっている。

 

 

「り、リラン!?」

 

《な、何なのだ、これは!》

 

「ど、どうしたんだよそれ! 何でお前縮んでるんだ!?」

 

 

 リランが焦った様子を見せる。

 

 

《わ、我にもわからぬ。この部屋に入ってあの巨像との戦いが始まった瞬間にこうなったのだ。何なのだ、これは! どうすればいいのだ!?》

 

 

 リランも何が起きているのかわからないらしい。

 

 それは俺もだ。リランの力をあの巨像にぶつけるつもりでいたのに、リランが縮んでしまっていては話にならない。リランがあんなじゃ火を吐く事も出来ないだろうし、近付いたら巨像の腕に潰されてしまうのが関の山だ。いきなり、あると思っていた切り札を失っていた!

 

 

「ど、どうすりゃいいんだよ!? お前、何かわからないのかよ!?」

 

《わからぬ! 我も何故こうなったのか、主人のお前なら何かわかるのではないか!?》

 

「わかんねえよ!」

 

 

 そう言ったその時に、俺達の耳にディアベルの声が届いた。

 

 

「どうしたんだキリト! 何を大喜利みたいなことをしてるんだ!?」

 

 

 多分ディアベルもリランを使った戦いを考えていたはず。そして今、リランの力が使えなくなったという事はその作戦が総崩れした事を意味する。まずい、ディアベルにこの事を伝えなければ!

 

 

「ディアベル、リランが縮んだ! 圏外に出た時の姿から、圏内にいる時の姿に戻ってしまってるんだ!!」

 

「な、なんだって!?」

 

「だからすまない、リランを使った作戦は使えない!」

 

 

 ディアベルは俺と縮んだリランを一目見て驚き、咄嗟に巨像へ目を戻した。巨像は暴れ狂い、立ち向かってくるプレイヤー達を自慢の六本腕で払い除けている。攻撃を受けたプレイヤー達は瞬く間に瀕死状態と言えるまで《HPバー》の残量を減らして、地面に倒れ込む。

 

 ポーション系統のアイテムを使っているのか、《HPバー》が自動で回復していっているが、その速度は明らかに遅い。あれでは回復しきるまで長時間逃げ回る必要があるし、回復しきったところで巨像の攻撃を受ければ元のレッドゾーン送りだ。

 

 更に回復を待ちきれずに焦って攻撃を仕掛ければ反撃にあって、巨像の超高火力の前に《HPバー》を消し飛ばされ、殺されるのがオチだ。これでは、圧倒的不利な消耗戦を強いられて、壊滅させられる。何か、作戦を立てなければ。

 

 

「どうするべきだ……どうするべきだ!?」

 

 

 巨像まで近付いて観察しようにも、図体がかなりでかいから攻撃範囲も広い。更に攻撃力も高いから、下手に近付けば即死の危険が伴う。近付いて観察すらも出来ないなんて、本当にどうすればいいんだ。これじゃあ、みんながやられる。

 

 思っていたその時に、戦場に響き渡る声があった。

 

 

「ヘカトンケイルの攻撃は重い。だがあいつ自身は鈍重な上に、攻撃は単純でパリングで防ぐ事が可能だ。更にあいつの腕は破壊可能部位、攻撃を仕掛けて潰す事が出来れば、あの圧倒的な破壊力を持つ攻撃を封印できる!」

 

 

 驚いて、俺とリランで声の方向に目を向ける。

 

 

「ここは結晶類(クリスタル)無効エリアじゃないから、負傷者は後退し、回復結晶やポーションを駆使して回復しろ! 攻撃を仕掛ける者はまず相手が攻撃してくるのを待って、攻撃を受ける寸前でパリングを繰り出して攻撃を弾き、隙を作れ! そこに後衛部隊がスイッチし、一斉にソードスキルによる攻撃を仕掛けて、腕を破壊! 更にスイッチして攻撃手段を失った本体を狙え!」

 

 

 ディアベルの流れるような指示だった。第1層から優秀な指示を見せていたディアベルが、リランを使わない作戦を咄嗟に立てて実行している。

 

 しかも内容を聞く限りでは、あの巨像の動きを素早く見極め、その特性や特徴を解析し、それを理解したうえで練られた作戦だ。作戦通りに巨像の腕に目を向けてみれば、《HPバー》と《Left_arm01》といった名前と番号が出ている――あれは、破壊可能部位だという証拠だ。

 

 ボスには必ずと言っていいほど、破壊可能部位というものが存在しており、それを破壊する事によって長時間、攻撃や動きを封じる事が出来る。あの巨像の強力な攻撃もその類で、あの腕を破壊されればできなくなる行為なのだろう。

 

 まさかあんなに敵の動きや特性を素早く見極める事が出来るなんて、流石は聖竜連合のリーダーと言うべきなのか。

 

 

 そう思っていた束の間、負傷者が後退すると同時に後衛が前に出て、巨像の迫り来た腕にパリングを仕掛けた。それは六本の腕全てに一斉に起こり、巨像は大きくバランスを崩してその場に跪いた。そこへ後衛のそのまた後衛がスイッチし、巨像の腕にそれぞれの武器が持ちうるソードスキルを発動させ、炸裂させた。

 

 腕を斬られた巨像は悲鳴を上げ、腕の《HPバー》は大きく減少する。……かと思えば下がっていた後衛部隊が攻撃した部隊とスイッチして、更にソードスキルを腕にお見舞い。二度に渡るソードスキルの炸裂を受けて、忌まわしい巨腕はポリゴンの欠片となって爆散する。攻撃と防御を兼ね揃えた武器を失って、巨像は文字通り丸裸になる。

 

 

「すげぇ……ディアベルの奴、ここ最近でもっと技術を上げている……!」

 

 

 その時に、俺は自分の《HPバー》に見覚えのないものを見つけた。

 

 ゲージだ。《HPバー》でも、ソードスキルを発動させるためのエネルギーを可視化させている《SPバー》でもない、第3番目のゲージ。色は青色で、今のところは10分の2ほど溜まっている。SAOを始めた時にはこのようなものがあるとは聞いてもないし、今までなかったのに、今になってこんなものが現れている。これは、なんなんだ。

 

 

「今だキリト! 丸裸になった巨像を叩く!」

 

 

 いきなりディアベルの指示が届いてきて、我に返る。そうだ、今はボス戦だ。こんな事を考えている場合じゃない。ゲージの事は後で考えよう。

 

 剣を構えてリランから離れ、地面を蹴り出してディアベルと並んで走り出す。

 

 武器を失った巨像が出来そうな事と言えば、あの巨体を生かした踏みつけくらいだろう。踏まれればかなりのダメージを負わされそうだが、踏み付けなど攻撃の内に入らない。そしてあの巨像だって、胴体を斬られればただじゃすまないはず!

 

 

「うぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

 高らかな咆哮を上げて俺とディアベルは突撃する。そして予測通り、迫り来た俺達を踏み潰さんばかりに巨像はその足を上げて、俺達目掛けて踏み込んだ。巨像の大きな足が真上に来て降りてくるのを見計らって俺達は咄嗟に横方へ走り出し、巨像の足を回避。

 

 巨像の足は俺達がつい先程までいた場所を轟音と地震のような振動を立てたが、思い切り地面を踏み込んだせいで、その動きが止まる。その隙を突いて、俺は左方向から、ディアベルは右方向から、巨像の脇腹目掛けてソードスキルを発動させる。

 

 

「だああッ!!」

 

 

 突属性片手剣ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》が俺とディアベルから放たれ、光を纏う剣が巨像の脇腹に三回音を立てて食い込む。ごぉぉという巨像の悲鳴と共に、今まで減る気配を見せていなかった巨像の《HPバー》が大幅にその量を減らす。脇腹が弱点か、こいつは!

 

 

「後衛部隊、俺達とスイッチだ! こいつの脇腹を叩け!」

 

 

 咄嗟に声を出してバックステップすると、下がっていた者達が一気に突撃してきて俺達と代わるように巨像の脇腹を陣取り、一斉にソードスキルを発動させた。集まって無数と言えるほどの数の斬撃と突撃、打撃を一気に受けて、巨像の《HPバー》の1本目が消し飛び、2本目も10分の5付近まで減少し、黄色に変色する。やはり弱点を突いたから、効いた!

 

 

「これなら……いける!」

 

 

 そう呟いた直後に、俺は気付いた。先程から気になっていたゲージが、いつの間にかその量を大幅に増やし、もう時期満タンになろうとしていた。先程よりも増えているという事は、今の行動の中にゲージを増やす要因があったという事だけど、俺がやったのは攻撃とソードスキルの発動だ。まさかこのゲージは攻撃またはソードスキルの発動で増えるものなのか?

 

 

《気を付けろ、キリト! 巨像の攻撃が来るぞ!》

 

 

 リランの《声》に我に返ったところで、俺は我に返って、巨像の方へ顔を向けた。いつの間にか巨像の腕が復活し、巨像はまるで4足歩行のような姿勢になって、顔を俺達に向けている……が、その口は大きく開いていて、微弱ながら光っている。

 これは、クォーターポイントボス特有の、第二形態だ!

 そしてあの開いている口はまさか、と思った瞬間に巨像の口の中は大きく光り出す。

 

 

「みんな、離れろ!!」

 

 

 嫌な予感を感じて皆に声をかけた瞬間に、巨像は光を放った。

 強い光に呑み込まれて、俺は思わず目を覆った。

 




リラン、縮んで戦えない。謎のゲージの正体とは。


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06:竜の力 ―50層主との戦い―

 迂闊だった。巨像が第二形態になった瞬間、あいつは口からビーム光線なんてものを吐き出して、俺達を一薙ぎした。

 

 流石に巨像がビームを撃って来るなんて思ってもみなかったせいで、ディアベルを含めた大半がビーム光線の餌食となり、吹っ飛ばされた。間一髪、俺とリランは十分に距離を取っていたためにビーム光線を浴びずに済んだが、浴びた連中は皆、体力を大幅に減らして死にかけていた。いや、もしかしたら死んだ奴もいたのかもしれない。

 

 何にせよ、巨像の放ったビーム光線を浴びた奴らに、まともに立ち上がっている奴はいない。……一気に形勢を逆転させられてしまった。

 

 

「こ、こんな……!」

 

 

 直後、ビームを吐き出して邪魔者を一掃した巨像が、六本の腕と脚を使って動き出し、身体をディアベル達が倒れているところに向けた。どぉん、どぉんと大きな音と振動を立てながら、気絶してしまっているのか動けずにいるディアベル達に巨像は詰め寄っていく。死にかけのディアベル達を踏み潰して、止めを刺すつもりだ。

 

 

「……!!」

 

 

 頭の中に映像がフラッシュバックする。

 

 守りたいと思って、ずっと一緒に戦っていたのに、死んでしまった大切な人の姿。その人がモンスターに斬られて死亡する瞬間の、僅かな笑みと口の動きが鮮明に浮かび上がる。そして、その光景とほぼ同じ光景が今、俺の目の前で繰り返されようとしている。

 

 俺の目の前で、俺の事をわかってくれたディアベルとその仲間達が、巨像に踏み潰されそうになっている。体力が減って動けないうえに、あの巨像の攻撃力だ。踏み潰されれば、確実に死ぬ。

 

 また俺は、大切な人を失うだけなのか。

 こうして、失われる瞬間をただ見ているだけしかないのか。

 俺に出来る事は、何もないのか。俺は、誰も守れないのか。

 

 ――いや、そうじゃない!

 

 心の中で叫ぶと同時に、俺は既にディアベルの前に立ち塞がり、迫り来ていた巨像の腕を剣で押しとどめていた。大きな衝撃が襲い掛かり、潰されそうになる。だけど、ここで退いたら、ディアベル達が殺される。

 

 

「もう、繰り返さないッ!!」

 

 

 叫び、俺は力いっぱい剣を振るい、巨像の巨腕を押し返した。轟音と衝撃波がボス部屋内に響き渡り、巨像の身体がディアベル達から離れる。が、それと同時に巨像のターゲットが俺に向く。

 

 もう誰も死なせやしない、誰一人犠牲を出させない。そう心に誓い、押し返したまではいいけれど、俺一人であの巨像を倒す事は出来るのだろうか。俺一人の火力で、あの巨像に致命傷を与えられるのか……そう思った直後に、俺は謎の青色のバーに着目した。

 

 いつの間にかゲージが右端に辿り着いて、バーを満たしている。急に表れていたり、ゲージが溜まっていたり、一体何なんだこのバーは。こんなもの見た事が無いし、何に使えばいいんだ。

 

 

《キリトッ!!》

 

 

 戸惑う俺の頭の中に《声》が響いた直後に、それまでほとんど動く事のなかったリランが俺の目の前に躍り出た。その時に、俺は思わず目を見開いた。小さな竜であるリランの身体が、いつの間にか満タンになっているゲージと同じ色の、炎のように揺らめく光を纏っている。

 

 

「リランお前、身体が……!?」

 

《キリト、我が名を叫べ! さすれば、我は元の姿を取り戻せるようだ!》

 

「なんだって!?」

 

 

 リランが元の姿に戻るという事は、あの姿になれるって事だ。だけど、何で急に――気にするよりも先にリランは《声》を放つ。

 

 

《いいから叫べ! このままではディアベル達が死ぬぞ!!》

 

 

 言われて、俺は思わず今置かれている状況を再確認した。そうだ、今俺達はあの巨像に殺されようとしている。だけどあの巨像を倒さなければ次の層に行く事は出来ないし、何よりこのままではディアベルが、みんなが殺されてしまう。

 

 名を叫べば、リランが元の姿に戻るなんてわからないけれど、迷ってる場合じゃない!

 

 

「リラン――!!!」

 

 

 俺の声がボス部屋に再度響き渡った直後、リランはその翼を力強く羽ばたかせて、部屋の上空部へ舞い上がった。かと思えば、リランの身体は強い光を放ち、目の前が一気に真っ白になる。まるでリランが進化した時のような光に目を瞑り、腕で顔を覆う。しかし光は瞬く間にその強さを弱めていき、やがて消え果た。何が起きたと思って腕を顔から離したその時に、俺は思わず驚いてしまった。

 

 俺と巨像の間に、一匹の竜が君臨していた。狼のような輪郭の頭を持ち、甲殻と白い毛に身を包み、背中からドラゴンの翼という言葉から連想されるものを生やし、額から剣のような形状の角を突き出させている、ある時まで見つける事のなかったドラゴン。

 

 その名は、《Rerun_The_SwordDragon》。俺の《使い魔》、リランの本来の姿。

 

 

「リラン、お前、本当に元に……!!」

 

 

 突然元の姿を取り戻したリランに声をかけると、リランは俺の方に横顔を向けて《声》を放ってきた。

 

 

《キリト、我が背に乗れ! この巨像を共に打ち砕こうぞ!!》

 

 

 俺が、リランの背に乗る? ドラゴンの背に乗るなんて、RPGじゃよくある話だけれど、俺とリランもそれに適応されているっていうのか。

 

 

「そ、そんな事が出来るのか!?」

 

《出来るとも! さぁ、我の背に飛び乗れ!》

 

 

 俺は頷き、地面を蹴り出してリランの真横まで走り、更にそこで地面を蹴り上げて宙へ舞い上がり、そのままリランの背に着地し、跨った。視界が5メートル近く高くなり、前方の巨像と目が合う。リランの背は毛に覆われていて、生物的な温もりを感じる。

 

 俺はかなり前からドラゴンの登場するRPGなどで遊んでいるが、ドラゴンなどを見る度に、こいつらの背中はどうなのか、背中に乗って飛んだらどんな気分なのか、体験してみたい、乗ってみたいなどと無邪気に考えていた。これはきっと、ゲームをプレイする者ならば誰でも思う事だろう。でもその都度、ドラゴンなんか現実にはいないから、考えたところで叶わない願いだと思って諦めていた。そしてそれは、誰しもそう思うだろう。

 

 だが、俺は今リランに乗っている。ドラゴンの背に跨り、ドラゴンライダーになって敵モンスターと対峙しているという事を自覚して、胸が思いきり高鳴っている。

 

 まさか、ドラゴンに乗れる時が来るなんて――思わず興奮して、リランの背を軽く叩くと、リランの《声》が聞こえてきた。

 

 

《興奮するのは結構だがキリト、今がボス戦である事を忘れるな!》

 

 

 その言葉に、俺は我に返った。そうだ、今は興奮している場合じゃない。今はクォーターポイントのボス戦であり、ディアベル達が窮地に陥っている時だ。俺が何か失敗すれば、ディアベル達が死ぬ。彼らを死なせないためには、目の前の巨像をリランと共に撃破する。

 

 ドラゴンの背に乗っている事に感動し、興奮している場合なんかじゃない!

 

 

「わかった。いくぞリラン!!」

 

 

 俺の声を受け取ったリランはそれに答えるが如く咆哮し、巨像を牽制した。

 

 それを挑発と受け取ったのか、巨像はリランに狙いを定めて口を開き、光を溜めはじめる。ビーム光線でリランを吹き飛ばすつもりだ。

 

 

「拙い、避けろ!」

 

 

 リランは俺の指示を無視してその場に踏みとどまった。身体の下でリランの筋肉がまるで俺の剣を構成している鋼の如く硬化したのがわかった。更にリランの毛が逆立ち、尻元に当たるような感じが来る。筋肉を固くして、毛を逆立てて……これがリランの戦闘体勢なのか。それにこれ、どうなってるんだ、というか何をするつもりだリランは。

 

 

《心配無用……!!》

 

 

 リランがそう言った瞬間に、巨像がビーム光線を吐き出した。轟音と閃光を放ちながら極太のレーザーがリラン目掛けて迫り来て、一気に目の前が眩しくなる。

 

 

「拙いッ……!!」

 

 

 リランが吹き飛ばされる――そう思ったけれど、いつまで経ってもビーム光線が直撃するような感覚は来ない。そればかりか、顔に猛烈な熱気が流れてきて、何だか熱いうえに、ゴオオオオオという激流同士がぶつかっているような音が耳に届いてくる。何が起きてるんだと思って目を開けたその時に、俺は更に見開いた。

 

 巨像の光線が、リランと俺から離れた位置で止まっている。いや違う、リランがなんらかのものを放射してぶつけ、巨像の光線を俺達から離れた位置で押し留めているんだ。

 

 熱と光と暴風が吹き荒れる中、リランの口元に目を向けてみれば、リランの放っている物は猛烈な熱を含んだ灼熱の光線である事がわかった。こいつ、火炎弾を吐けるだけじゃなくて、炎を光線のようにして吐き出す事も出来るのか。

 

 顔を動かして目の前を見てみれば、そこに広がるはこれまでは考えられなかった光景だった。

 

 このゲーム、《ソードアート・オンライン》での戦いは、基本的にプレイヤーとモンスター、またはプレイヤー同士が繰り広げるというのが常識だった。しかし今は、最前線である50層ボス部屋内、その中にいる俺の目の前で、これまで一切考えられなかった、「モンスター同士の戦い」が繰り広げられている。

 

 誰がこんな光景を想像したっていうんだ。そしてこのゲームを作り出した張本人である茅場は、この光景を構想したうえで、《ビーストテイマー》なんてものを作り出したのか。

 

 あまりの光景に頭の中が痺れさせてしまっていると、リランは声を交えて灼熱の光線の出力を上げた。リランの口元からの熱風は更に強くなり、巨像の吐き出す光線が一気に遠のき、そのままリランの光線は巨像の口元へ到達。

 

 リランの光線の直撃を受けて無理矢理起こされ、巨像は四足歩行のような形態から元の二足歩行のような形態に戻った。直後、リランは俺に《掴まれ》という指示を送り、いきなり巨像に向けて走り出した。

 

 同時に、ソードスキルを発動させたかのようにリランの剣状の角が紅い光を纏う。

 

 

《スピニングブレード!!》

 

 

 巨像の目の前まで辿り着いたところで、リランは身体を思い切り一回転させた。目の前に広がる世界がぐるりと回り、強い遠心力がかかってリランの背中から射出されそうになるが、俺は力いっぱいしがみついて耐え切った。

 

 リランの身体が止まった時に巨像の方へ目をやれば、巨像の《HPバー》はその残量を大きく減らして、赤く染まっていた。そして巨像の身体に、斬られた証拠である紅い大きな切り傷が出来ている。やはり今のは、リランのソードスキルだったらしい。まさか、ソードスキルまで使うのかこいつは。

 

 そう驚いた瞬間に、巨像が体勢を立て直し、六本の腕全てでリランに殴りかかった。この巨像はクォーターポイントのボスであり、更に攻撃力も恐ろしく高い。

 

 そんなのに六回分も攻撃されたら流石のリランでも耐え切れない。

 

 

「リラン、避けろ!!」

 

 

 しかし、リランは俺のいう事を聞いてくれなかった。迫り来る六つの拳を見ながら、再度角を光らせながら羽ばたいて上空へジャンプ、《声》で叫んだ。

 

 

《ドラゴニックアヴァランチ!!》

 

 

 リランの身体がぐぉんっと動き、身体が宙に浮きそうになるのをリランの毛にしがみ付く事で防ぐ。直後に、空気が切り裂かれる音と、重い何かが引き裂かれるような音が耳元に届いた。リランが安定した時に目を向ければ、迫っていたはずの巨像の腕が全て切断されており、部位破壊状態になっていた。

 

 巨像の《HPバー》のゲージは、数ビットくらいになっている。

 

 

「追い詰めたのか……!?」

 

 

 直後、リランの《声》が頭に響く。

 

 

《キリト、止めはお前が刺せ!》

 

「お、俺が止めを刺すのか!?」

 

《そうだ! 巨像はもう動けぬ! お前が真っ二つにあいつを切り裂ければ、この忌まわしき戦いは終わるぞ!》

 

 

 確かに巨像は弱り切って、動き出す気配すら見せていない。いや、多分動き出せはするだろうけれど、その前に攻撃を仕掛ければ、何もさせないまま倒す事が出来るだろう。

 

 だけど、俺がやっていいのか。ボスを倒せば確かにこの戦いは終わるし、俺達は次の層に進む事が出来る。しかし、俺が止めを刺すという事はこのボスの持つ経験値の大多数を皆から奪い取り、ラストアタックボーナスも俺がもらう事になる。この戦いの功労者はディアベルのはずだ。

 

 そもそもなんで俺に止めを指名するんだこいつは。これだけの力があるならボスに止めを刺す事だって出来るだろうに!

 

 

「何で俺を指名するんだ? お前でも出来るだろ!?」

 

《どうやら我はボスを弱らせる事は出来ても、止めを刺す事までは出来ないらしい。我はあいつの体力の全てを吹き飛ばすつもりでソードスキルを放ったが、オーバーキルにはならなかった。だからお前が止めを刺すのだ!》

 

「なんだよそれ!」

 

《迷っている場合ではないぞ! お前がやらなければ、巨像が動き出してディアベル達を踏み潰すぞ!》

 

 

 ここでも迷っている暇はなしか。ラストボーナスを持って行ったクソッタレと言われそうな気がするし、蔑まれそうな気がするけれど……ディアベル達の命が失われるよりかはマシだ。

 

 忌々しい巨像に、止めを刺す!

 

 

「やってやるッ!!」

 

 

 そう言って俺はリランの背を蹴り上げて上空へ飛び上がり、巨像の頭上で剣を両手で握り締める。真下に広がるは、プレイヤーを数名殺したであろう、多腕を失った巨像と、その足元の近くで倒れ込んでいるディアベル達。そのディアベル達さえも殺そうと動き出す巨像に向けて、剣ごと急降下する。唐竹割り。勿論そんなソードスキルはないけれど、巨像に止めを刺すには十分だ!

 

 

「ぅおあああああああああああああッ!!!」

 

 

 雄叫びと共に剣を振りおろし、忌まわしき巨像を頭から真っ二つに斬り下ろす。そして地面に勢いよく着地して、剣が巨像の身体を斬り抜けた瞬間、ズバァッという大きな音が鳴り響き、巨像の動きが止まった。

 

 かっと顔を上げれば、巨像の身体の中心に真っ赤な線が出来ており、そこから巨像は真っ二つに分かれ、横方向の地面に倒れ込もうとした瞬間に急停止して水色のシルエットとなり、膨大な数のポリゴン欠となって大爆散した。

 

 終わった。50層のボス、ヘカトンケイルは死んだ。

 

 ヘカトンケイルが聳え立っていた場所に目を向けてみれば、《congratulations!!》というボスを撃破した事を褒め称える文字が出現している。そして、俺の手元を見てみたところ、アイテムを入手したウインドウが姿を現し、その中に《エリュシデータ》という見た事のない名前が浮かび上がっていた。

 

 どうやらこれがラストアタックボーナスのようで、詳細を見てみたところ片手剣である事がわかった。

 

 

「なんとか、なったか……」

 

《やったな、キリト》

 

 

 振り向けば、いきなり無茶ぶりをしてきた張本人であるリランが降りてきていた。

 

 

「やったなじゃない。いきなり俺に止めを刺せとか言い出すもんだから、わけがわからなくなったぞ」

 

《我だって止めを刺せなかった事に驚いたのだぞ。だがしかし、よかったよ》

 

 

 リランの顔に安堵の表情が浮かぶ。

 

 

《ありがとうなキリト。今回、生き残ってくれて》

 

「お前こそありがとう。お前の力が無ければ……」

 

 

 その時、それまで倒れていたディアベル達が続々と起き上がり始めた。どうやら意識を取り戻したらしい。俺はリランを連れて、ディアベルに近付き声をかける。

 

 

「ディアベル、大丈夫か!?」

 

 

 ディアベルは少し気分が悪そうな表情を浮かべながら俺とリランを交互に見つめた。

 

 

「キリト、リラン……あいつは……ボスはどうなった」

 

「ボスは倒した。戦いは終わったんだよ」

 

 

 ディアベルは頭を掻きながらステータスウインドウを起動し、閲覧した。

 目の動きを観察したところ、その目は《経験値バー》に向けられている。ボス戦での経験値は、ラストアタックプレイヤーに多く割り振られはするけれど、基本的に戦闘に参加している全員に入るようになっている。

 

 

「本当だ。さっきよりも経験値が増えている。ボスは倒されたんだな……」

 

 

 ディアベルはウインドウを閉じて、弱弱しく微笑んだ。

 

 

「そして、最後まで戦ってくれたのは、お前かキリト」

 

「あぁ。正確にはリランだよ。ディアベル達が気を失った後にリランが元の姿に戻って、俺と一緒に戦ってくれたんだ。ボスの体力を大幅に減らしてくれたのもリランだし、俺に攻撃のチャンスを与えてくれたのもリランだ。今回はリランに助けられっぱなしだったよ」

 

「そうか……だが何にせよ、無事に戦いを終える事が出来てよかったよ」

 

 

 直後、ディアベルは何かに気付いたような表情を浮かべて、マップウインドウを開いた。恐らく、生き残ったプレイヤー達の数を数えているのだろう。あれだけの攻撃に晒されたんだ、生き残っているのが何人かは俺も気になる。

 やがてディアベルはハッとしたような顔をした後に俯き、ウインドウを閉じた。

 

 

「《聖竜連合》のメンバーの内……5人死亡している。5人、あの巨像に殺されたようだ」

 

 

 思わずぎょっとする。まさかそんなにやられていたなんて。いや、でもおかしくはないかもしれない。あの巨像は腕だけでも凶悪な攻撃力を誇っていたのに、ビームまで吐いた。腕の攻撃を受けて体力を減らされている時に、ビームに呑み込まれたと考えれば、死んでいてもおかしくはない。

 

 死者は出さない。そう思って戦っていたのに、結局死者が出てしまった。

 

 

「このチート野郎!!」

 

 

 いきなり罵声が聞こえてきて、俺、リラン、ディアベルは声の方向へ目を向けた。

 傷付いた聖竜連合の者達、ディアベルの仲間達が徒党を組んで、明確な敵意を俺に向けているのが見えた。

 

 

「お前、そんな大きな力を持っておいて、今まで隠してやがったなぁ!!」

 

「よくも仲間を見殺しにしやがったな!!」

 

 

 そうだ、彼らからすれば俺は彼らの中に死者が出るまでリラン……ボスを押し返せるほどの力を隠していたように見えるはず。俺はどうしてリランがあんなふうになっていたのかわからなかった。が、そんな事を言ったところで彼らには言い訳にしかならない。思わず、頭の中に第1層でキバオウ達に罵声を浴びせられた時の事がフラッシュバックする。

 

 

「このチート野郎め! ラストアタックボーナスまでもらいやがって!」

 

「よこせよそれ! ついでにそこにいるドラゴンも捨てろよ!!」

 

「お前のせいで、仲間が死んだ!!」

 

 

 多分、仲間を殺されたショックで感情的になっているのだろう。自分でも暴言を吐いているのはわかっているだろうけれど、仲間を失ってしまったのが、救えなかったのが悲しくて、悔しくて、何かにぶつけられずにはいられないのかもしれない。もしかしたら俺が都合よく解釈しているだけなのかもしれないけれど、やはり悪罵は胸に突き刺さる。

 

 わからなかったとはいえ、俺はリランを元に戻すタイミングが遅すぎた。もし、リランをもう少し早く元の姿に戻す事が出来ていれば、彼らの仲間を死なさずに済んだかもしれない。死亡者を出さないままこのボス戦をクリアできたかもしれない。彼らの言っている事は何一つ間違っていな――。

 

 

「見苦しいぞお前達!!!」

 

 

 いきなり怒鳴り声が鳴り響き、その場は静まり返った。声の根源を探して顔を向ければ、そこにあったのはディアベルの姿だった。

 

 

「ディアベル……」

 

 

 ディアベルは俺に悪罵を向ける者達に身体を向けて、怒鳴り付ける。

 

 

「俺達は生きてるんだぞ!? あんな危険なボス戦の最中気を失ったっていうのに、生きてるんだぞ!? これを誰のおかげだと思っているんだ!!」

 

 

 ディアベルの言葉に悪罵を発していた者達は黙り込む。

 

 

「確かにキリトのドラゴンはボスの体力をあっという間に削り、致命傷を与えるような奴だ。まさに、ズルをしてる……チートのような奴だよ。だけど、その力を使ってキリトは何をした? 俺達から何かを奪ったか? 違うだろ! 俺達を助けてくれたんだ! もし彼らがボスを倒さなければ、俺達はあの巨像に殺されていた」

 

 

 静寂を取り戻したボス部屋の中、ディアベルの声は続けられる。

 

 

「尊い犠牲は出てしまった。だが、それ以上の犠牲が出ないようにキリトはドラゴンを使って俺達を守った! その事を棚に上げて、犠牲が出てしまった事にばかりに目を向けて、ラストアタックボーナスを寄越せだの、ドラゴンを捨てろだの……俺達は聖竜連合だぞ! 守ってくれた奴にいちゃもんをつけたり、謝罪を求めたり、物をぶんどろうとするのは、ならず者の集まりの《軍》のやり方だ! 《軍》かお前らは!!?」

 

 

 ディアベルの声が少し静かになる。

 

 

「違うだろ。正直言って、俺はこの戦いを生き残れるかどうか不安だったぞ。そしてあいつがビームを放った時にはもう駄目だって思ったさ。だけど、俺達はこうやって生き残った。生きて、50層ボス面を突破する事が出来た。これは彼らの力があったからだ。

 力ある彼らを責めるのではなく、その力で守ってくれた事を、ボス戦を無事に突破させてくれた事に感謝しようぜ」

 

 

 ディアベルは悪罵を述べていた者達に顔を向けた。

 

 

「仲間の死亡は、俺の指揮力、戦闘力不足が招いた結果だ。謝罪が欲しければ俺が謝るし、強いアイテムが欲しいなら俺が持っているのを渡す。そしてもっと強くなれる訓練メニューとか戦術を考えるし、効率のいいレベリング方法も見つける。

 仲間が死んだのが辛いのもわかる。誰かに八つ当たりしたくなるのもわかる。大きな力を持っている奴が羨ましいのも痛いほどわかる。だけど、今はひとまず、俺達を助けてくれたキリトとリランに感謝しよう。尊い犠牲になってしまった5人の葬儀は、次の街で開こう」

 

 

 それまで悪罵を放っていた者達は口を閉じて、すまなそうな表情を顔に浮かべた。

 そして何より、ディアベルの言葉に口が開いたまま閉じなくなってしまった。まさか、俺を庇ってくれるなんて。

 

 そう思っていた時に、ディアベルは振り返って俺に歩み寄り、小さな声で言った。

 

 

「行くぞキリト。次の街をアクティベートしよう」

 

 

 俺はただ頷いた。

 リランが俺に顔を近付け《声》を送ってきた。

 

 

《お前と我を守ろうとしてくれたのだろうが、少々乱暴な言い分だった。ディアベルも含めて、今回の事をきちんと皆に説明しようぞ。それに、ディアベルに礼を言わねばな》

 

 

 俺はもう一度頷き、ディアベルの後を追って歩き出した。

 次の層は、51層。

 




次回、とうとう「あの娘」が登場。


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07:アルゲードの街

 50層ボスを打ち倒した俺達は、無事に51層の街へと辿り着いた。しかし、それでも犠牲者が5人も出てしまったためディアベル達は一旦本部へ戻り、巨像に殺された5人の葬儀を行う事になった。けれど、その前に俺はディアベル達にリランの事と、そして今回の戦いの事の真実を話す事にした。

 

 あくまで推測でしかないけれど、俺の《HPバー》の下部に現れていたゲージは俺が敵に攻撃をする度に増えて行き、右側まで来たところで、俺がリランの名を叫ぶ事によって、リランが元の姿に戻るという仕組みらしい。

 

 

 そもそもリランはボス部屋に入った時に小さな姿になっていたため、ボス部屋に入ると姿が制限されて、ゲージを溜める事で姿の制限を解き放ち、戦闘を開始できるという仕組みだろうと推測し、皆に話した。

 

 みんな素直に聞いてくれて、そう言う事情があったのかと、ひとまず納得してくれたのには驚いた。普通だったら俺の話を疑うところだろうけれど、やはり事前にディアベルが思いきり怒った事が大きかったようだ。またイザコザが起こらなくて、本当によかった。

 

 

 話が終わったところで、俺はディアベル達と別れたが、その時に聖竜連合の一人が、俺に話しかけてきた。何でも、俺を糾弾した事の詫びがしたくて、アイテムを一つ渡したかったらしい。そしてそれは、ボスが倒された後のボス部屋で見つけたアイテムなんだそうだ。

 

 そんなものはいらない、お前が持っていてくれと言ってやったが、プレイヤーはこれを渡さなきゃ謝った気になれないといい、ほぼ押し付ける形で俺にアイテムを渡してきた。もう引き下がる様子が無かったのでアイテムを受け取り、生き残ってよかったと言ってやったところで、そのプレイヤーは俺に軽く頭を下げて、ディアベル達と共に聖竜連合本部へ向かっていった。

 

 いきなり手渡されたよくわからないアイテムを手にした後に、俺はリランを連れて一旦50層の街に戻り、その中を歩き出したけれど、考える事をやめられなかった。

 

 

 俺はリランという大きな力を得る事が出来た。だけど、それでもなお5人もの死者を出すような戦いをしてしまった。それが心残りで、思い出すだけで胸が痛むような気がする。あの戦いは、本当に犠牲者を出さなければならない戦いだったのだろうか。

 

 俺の考えを察したのか、リランの《声》が頭に響いてくる。

 

 

《気に病むなキリト。お前に他の者達を守れとは言ったが、全てのプレイヤー達を守る事は出来ぬ。いちいち気に病んでいたら、お前が精神をすり減らしていくだけになってしまう》

 

「じゃあどうすればいいんだよ。俺はもう、誰も死なせたくない」

 

《お前と我が力を合わせたとしても、守れない者は出てくる。ならば、この者だけは守りたい、こいつの事だけは心の底から守ってやりたいと思える奴を探せばよいのだ。そうすれば、必然的にその周りにいる者達も守れるようになるだろう》

 

「心の底から守りたい者? なんだよそれ」

 

 

 リランが俺の肩から飛び立ち、目の前に躍り出る。

 

 

《心の底から守ってやりたい、こいつだけは絶対に守り切ってこの世界を脱したいと思えるような奴はおらぬか》

 

 

 言われて立ち止まり、俺は思考を巡らせた。

 

 守ってやりたい人と言えば……ギルド《風林火山》のリーダーであるクラインと、フリープレイヤーでありながら、ほぼ毎回フロアボスとの戦いに参加してくれて、他のプレイヤーを守るような戦い方で周りから厚い信頼を得ているエギルだ。

 

 クラインはどんなことになろうと俺の事を見捨てたり、見損なったりする事なく俺の事を信頼してくれている友人だ。49層のフィールドボス戦で見捨てたつもりだったが、50層クリア後にクラインは俺に向けてメールを寄越しており、その中身は俺の勝利を祝い、お前の事だけは決して見捨てないという内容だった。

 

そこの事から、俺はクラインにも見捨てられていない事がわかった。だから、俺はクラインの事を守りたいと思っているのだろう。

 

 エギルはディアベルと同じように、第1層での俺の振る舞いを汚れ役を買うための演技だった事を見抜いており、俺の事を信頼してくれている大人だ。それにエギルは周りのプレイヤー達の育成にも手を入れており、厚い信頼を重ねている人物でもあるから、このアインクラッドから外してはならない人物だと思っている。

 

 エギルも守り切って現実に返してやりたい。……男ばっかりだな、俺が守りたいって思える人は。

 

 

「男ばかりだけど、今のところは二人いるよ。クラインとエギルという奴だ」

 

《その二人は今どこにいるのだ》

 

 

 俺は連絡先ウインドウを開いてクラインとエギルを探す。

 二人の居場所を示す箇所に視線を送ると、二人ともこの層にいる事がわかった。まぁせっかくボスが倒されて街がアクティベートされたんだから、来るんだろうな。

 

 

「丁度二人ともこの街中に入るみたいだけど……会うのはエギルとだけがいいかな」

 

《む? それは何故だ》

 

「クラインは小規模ギルドのリーダーなんだよ。だから周りの連中との打ち合わせだとか、そういうのがあるはずだ。エギルは基本フリープレイヤーだから、会おうと思えば会える」

 

 

 リランが納得したような表情を顔に浮かべる。

 

 

《ならばエギルに会いに行くといい。お前の話が通じる相手なのだろう》

 

「そうするつもりさ。ほら、いくぞリラン」

 

 

 声をかけるとリランは俺の肩に戻り、俺は歩みを再開してエギルのいる場所を目指した。しばらく歩いていると、エギルの居場所を示す反応が強くなってきたが、周りを見たところで少し驚いた。ここは、商業区だ。エギルは基本的にバトルオンリーのプレイヤーのはずで、商業区なんかにはほとんど縁のなさそうな奴なのに。

 

 

「意外だな……エギルが商業区に来てるなんて」

 

 

 呟きながら更に歩くと、目的の人物の姿が見えた。180cmほど長身で背の筋骨逞しい体格で肌が褐色、更にスキンヘッドで髭面という強烈な要素を大量に含んだ容姿。間違いなく、俺が第1層から信頼を置いているプレイヤー、エギルだ。あの動きは、何かを組み立てる準備か?

 

 

「おい、エギルー!」

 

 

 声が届いたのか、エギルはこちらを振り向いた。

 そして、驚いたような表情を顔に浮かべて手を振ってきた。

 

 

「キリト!」

 

 

 周りのNPC達にも少し目をくれながら、エギルの目の前まで俺は走る。

 

 

「エギル、お前も50層に来てたんだな」

 

「あぁそうだとも。聞いたぜキリト、お前が50層のボスをぶっ倒したんだってな。とんでもなく強いボスでもぶっ倒しちまうんだから、本当にお前は恐ろしい奴だよ。でもまぁ、Congratulations、だな」

 

 

 第1層から気になっているが、エギルは英単語をかなり滑らかに口にする。エギルの見た目から察するに、きっとアメリカ辺りから移り住んできて長い人なのだろう。

 

 そして俺がボスを倒したという情報は、いつの間にかエギルの元にまで届いているらしい。十中八九ディアベルまたは聖竜連合の誰かが流したんだろうけれど、これならきっとクラインの元にも情報が行っているだろう。

 

 

「まぁ、とんでもないボスだったけどな。おかげで、5人も死者が出てしまった」

 

「5人? 5人で済んだのか!?」

 

 

 エギルが突然驚いたものだから、俺まで驚いた。

 

 

「いきなりどうしたんだよ」

 

「お前知らないのか? 血盟騎士団の集めた情報によれば、50層ボスは死者が20人以上出される可能性を孕んだ大ボスだって公表されてたんだぞ。それをお前、たったの5人の犠牲で終わらせたっていうのか? 4分の1だぞ?」

 

 

 あのボスが、死者20人以上出す危険性を孕んだボスだって? そんな情報は聞いていない。というよりも、ディアベルと一緒に進んで、そのまま勝ってしまったようなものだったから、情報は最低限のものだけしか持って行っていなかった。おかげであいつにビームを吐かれて5人も死者が出たんだ。

 

 だけど、俺達が勝利した最大の要素は、俺の肩に乗っているこいつのおかげだ。

 

 

「それはだな……」

 

「って、なんだそいつは?」

 

 

 言う前に、エギルは肩に乗る相棒に気付いた。まぁ、今まで俺の肩にいなかったんだから、驚いて当然だな。それにまだ、紹介すらもしてないから、自己紹介させないと。

 

 

「35層で出会った俺の《使い魔》だよ。名前はリランっていうんだ」

 

 

 エギルはさぞ興味深そうに肩のリランに着目する。その目はまるで、これまで見た事が無い珍しいものを見るような無邪気なものだった。

 

 

「これは……新種か? それに《使い魔》という事はお前、《ビーストテイマー》になったっていうのか?」

 

「そうだ。俺は攻略組が49層を攻略してる時にそいつと出会って、《ビーストテイマー》になったんだ」

 

《そういう事だ。我が名はリラン。よろしく頼むぞ、エギル》

 

 

 エギルはまた驚いたような顔をして周囲を見回した。この反応は、ディアベルと同じ反応だ。

 

 

「な、なんだこの声は。今、頭の中に声が……何を言っているかわからねえと思うが、本当だぜ?」

 

「あぁそれはリランの《声》だ。こいつはちゃんとした意思を持っていて、念話という頭の中に直接話しかける形で喋る事が出来るんだ」

 

 

 エギルがリランを注視する。

 

 

「しゃ、喋れんのかそいつは!?」

 

「あぁ……っていうか、えらく驚いているなエギル。《使い魔》なんてこんなものなんだろう。こいつがでかくなって、50層のボスと張り合ったんだよ」

 

 

 エギルが眉を寄せて混乱したような表情を浮かべ、俺に話しかけてきた。

 

 

「ちょ、ちょっと待てキリト。お前の言っている事、俺が聞いてきた《ビーストテイマー》の情報から滅茶苦茶離れてるぞ」

 

「え?」

 

《どういう事だ》

 

 

 エギルはひとまず中に入ってほしいと言って、近くにある店屋のような建物の中に入り込んだ。その後を追って入り込んでみると、そこは本当に店屋のような内観だった。いや、店屋。まだ商品とかは並んでいないけれど、NPCのいない店屋だ。だけど、ここの事を聞くのは後でもいい気がする。今は、《ビーストテイマー》について知りたい。

 

 

「それでエギル、《ビーストテイマー》の情報と俺が食い違っているっていうのはどういう事だ」

 

 

 エギルが気難しそうな表情を顔に浮かべる。

 

 

「そいつだよ、キリト。そのリランとかいう奴が、今まで聞いてきた話に出てくる《ビーストテイマー》から離れまくってやがるんだ。そもそもキリト、まずはリランについて教えてくれないか。今はそれを確認しなければどうともいえない」

 

 

 今まで俺は、あまりリランの事を深く他人に話そうとは思ってこなかった。そしてリランのような奴が、《使い魔》のデフォルトだと思っていたけれど、どうやらそれは違うらしい。それにエギルは信頼できる奴だと熟知しているつもりだから、話してやってもいい。

 

 

「わかった。リランは……」

 

 

 俺はリランと出会った時の事や、リランの特徴、そしてリランを連れたボス戦の事を全てエギルに話した。そしてそれを聞き終えたエギルは、さぞ目を丸くした。

 

 

「なるほどなぁ……やっぱり俺の情報からは離れてやがる。そして、名前の由来はIT用語の《Rerun》か。如何にもお前らしいな」

 

「そんな事はどうでもいいさ。それで、お前の知ってる《ビーストテイマー》の情報ってどんなのなんだよ。俺はその辺りの情報を詳しく知らないんだ」

 

 

 エギルは凛とした声で、俺に《ビーストテイマー》の情報を話し始めた。

 

 まず、《ビーストテイマー》になるための条件は存在しておらず、極稀に戦闘を仕掛けてくるはずのモンスターが友好的な態度をとって来て、その際に餌を与えるなどして飼いならす事に成功すると、そのモンスターがプレイヤーに懐いて《使い魔》となり、懐かれたプレイヤーは《ビーストテイマー》となるのが一般的らしい。

 

 そしてその《使い魔》は基本的に大した力を持たない小動物型のモンスターしかならず、また同族のモンスターを倒し過ぎると《ビーストテイマー》のイベントが発生しない、そして何より、《使い魔》は喋らない。

 

 これらが、《ビーストテイマー》やその周囲にいるプレイヤー達から聞いた情報だとエギルは言った。

 

 

 確かに、俺のリランとはかなり離れている情報だ。リランは本来の姿は、俺が背に乗れるくらいのドラゴンだし、ボスと張り合えるくらいの大きな力と高い知能を持っているみたいだし、こいつ以外の《The_SwordDragon》を見た事が無いし、何よりリランはプレイヤーと同じように自分で考えているかのごとく喋る。

 

 

「それ、本当なのか? そうなると、リランはかなり一般的な《使い魔》から離れてるじゃないか」

 

「だから言ってるんだよ。それに、こいつはどういうAIを積んでやがるんだ? こんなに俺達の事を理解したような話をしたりするのは、NPCのAIですらあり得ないっていうのに」

 

「俺にもよくわからない。というかわからない事だらけだよ、こいつに関しては。イベントで出てきているようには見えないし、AIのルーチンからは外れたような行動取ってるしで」

 

 

 リランの顔に顰め面が浮かぶ。

 

 

《……それは我を悪く言っているのか、キリト》

 

「いやそうじゃないよ。お前は俺達が見てきたモノの中で一番個性的だって言ってるんだ。それにお前には助けられてるから、悪く言うつもりはないさ」

 

 

 その時、俺は思い出した。イベントによるものなのか、そうじゃないのかわからないけれど、リランは記憶喪失になっていて、この旅を記憶を取り戻す旅にすると言っていた。今50層に辿り着いたわけだけれど何か思い出しただろうか。

 

 

「そういえばリラン、何か思い出したか。お前記憶喪失なんだろう。ここまでに何か思い出した事はないのか」

 

 

 リランは首を横に振った。

 

 

《ないな。わかった事と言えば、お前がボスとの戦いを続けていると我に力が戻り、元の姿を取り戻して戦闘が出来る事くらいだ。その他は、思い出せておらぬ》

 

 

「そうか。一体どうすればお前の記憶を取り戻せるやら……」

 

「やれやれ。お前は運がいいのか悪いのかわからない奴だなキリト。運よく《ビーストテイマー》になれたかと思えば、よくわからない奴が《使い魔》になっちまったなんて。だけど、お前の話が本当なのだとすれば、お前はとんでもない力を得たって事だな」

 

「あぁ。リランの力は大きくて強い。今後フル活用出来れば、ボス達をバッタバッタ倒して先に進み、この世界を早く終わらせる事が出来るかもしれない。この、デスゲームを。そして、今後は死者数を大幅に減らす事も出来るはずだ」

 

 

 エギルが頷き、リランを見つめる。

 

 

「そうだな。リランの力があれば、俺達の戦力は必然的に上昇し、ボス戦でも死者が出なくなるな。リランの力を使って、他のプレイヤー達を守りつつ戦う事が出来るんだから。だがそれにはお前の技術も必要だろう」

 

 

 エギルと同じ考えだった。50層のボスとの戦いは、リランの力に振り回されていた方だった。リランの大きすぎる力を操る事が出来ず、リランに勝手に攻撃させてソードスキルを放たせて、ボスを追い詰めた。あの時はよかったけれど、俺自身がリランの力を制御できなければ、今後はリランをボスの攻撃に晒す事になるかもしれない。

 

 ボスは時々あんなふうに強い奴が出てくる事もある……リランだってちゃんと《HPバー》があるのだから、攻撃によってダメージを受けるし、ゼロにされれば死ぬ。リランの力で皆を守るつもりだけど、俺がリランを制御できなければ、意味がない。

 

 リランの背に乗って指示を出し、ちゃんとした動きをさせてボスに着実に攻撃し、尚且つ皆を守る。それが出来なければ、きっといつか(つまず)く。躓く事は、死を意味する。

 

 

「そうだ。さっきの戦いは、リランを暴れさせていただけだった。あんなんじゃいつか、リランの方がやられる時が来る。どんなにリランが強くても、いずれやられる」

 

 

 リランが驚いたような顔をする。

 

 

《何を言っておるのだキリト。我はあれだけの力があるのだ、この先のどんな敵だって蹴散らせるぞ》

 

「それはお前がそう考えているだけだよ。この鉄の城のボス達は、層を進む毎に強くなっていくんだ。お前の力は確かに強いけど、あんなほぼ戦法無しの戦い方じゃ駄目だ。いつか、お前が負ける時が来る。負けたら、死ぬんだぞ。

 現にお前は、俺が避けろとか言ったのに、聞いてくれなかったじゃないか。もしあれがお前でどうにもできない攻撃だったらどうするつもりだったんだよ」

 

 

 リランの言葉が詰まる。

 

 

「俺は確かにお前の力を信じてる。だけどあんなに無鉄砲に戦ってたら駄目だ。

 お前の主として命ずるぞ、リラン。次からは出来るだけ俺のいう事を聞いて戦ってくれ。俺も索敵や敵の動きの解析の技術の底上げを行うから」

 

 

 リランはどこか腑に落ちないような様子を見せたが、やがて俺と目を合わせた。

 

 

《……あれで我はお前を守っているつもりだったのだが、お前が言うならば仕方あるまい。

 次からはお前の指示を受けるようにしよう。信用できる指示を頼む》

 

 

 意外と素直に聞いてくれて、俺は少し驚いた。頑固そうな口調をしているけれど、中身は意外と素直な奴だ、こいつは。

 

 

「お前の力はボス戦を除く圏外で発動できるみたいだし、そこでモンスター達と戦って、訓練しよう。技の発動タイミングや特徴、お前の機動性だとか攻撃力を掴む事は出来るから。今後ボス戦での、お前のドラゴンの姿発現は、俺とリランが一体になるような感じが重要なのかもしれない」

 

《そうかもしれぬな》

 

 

 それまで話を黙って聞いていたエギルが笑む。

 

 

「なるほど、『人竜一体』といったところか。確かにそれが一番いいだろうな。リランが大きな力を振るい、その力をキリトが制御する」

 

 

 『人竜一体』か。なかなかいい響きだ。

 そう思った時に、俺はあのゲージの事を思い出した。そういえばあのゲージには名前がないし、正式名称もわからない。それでも名前は必要なはずだから、エギルの発現からとって……。

 

 

「それじゃあ、俺の《HPバー》の下に出たゲージの名前は、仮にだけど、『人竜一体ゲージ』にでもしよう。そして、ボス戦でお前が元の姿に戻って俺が背に乗っている状態は」

 

《『人竜一体』か。うむ、悪くない》

 

「気に入ってくれたか。それじゃあ、これからは名前負けしないようにやっていくぞリラン。とりあえず、この層のモンスター達で訓練を積もう」

 

《承知した》

 

 

 リランが頷くと、俺も思わず頷いた。直後、エギルが言ってきた。

 

 

「分けのわからない奴をテイムしたみたいで心配だったが、どうやら余計だったらしいな。お前の相棒はいいやつだ。話を聞いてくれるし物わかりもいい……下手な人間よりも良く出来てるかもな」

 

 

 思わず全くだと言ってしまった。リランは厳格な喋り方をするけれど、根はいい奴だ。今の話だって何か反論してくると思ったら、自分の行いに反省点があった事に気付いて呑み込んでくれた。今ならば、《使い魔》がリランでよかったと思える。

 

 それでも、リランが何者なのかは突き詰めて行かないと。この学習能力が何なのか、自分で考える事が出来ているような感じは何なのか、全て解き明かしていかないと。

 

 

「さてとエギル。そういえばなんでここにいるんだ?」

 

「どういう事だ?」

 

「なんで50層に来たんだって聞いてるんだよ」

 

 

 エギルは事情を話した。何でも、エギルは一旦攻略から離れて商人プレイヤーとなり、この層で故買屋を開く事にしたらしい。そしてこの建物が、これからエギルの商いを行う店になるそうだ。

 

 

「お前、商売を始めるのか」

 

「あぁ。そのための準備もとっくに終了してる。あとは開店するだけだ。

 もしよかったら今後、お前も利用するといい。不要な武器やアイテムを手に入れたりしたら、買い取ってやるよ。少なくとも周りのNPCどもの店よりかはな」

 

「そっか。考えておくよ」

 

 

 事情を把握した後に、俺はリランを連れて、フィールドでの訓練をするために街の出口を目指して歩き出した。――はずだったのだが、いつまで経っても裏路地から抜け出せない。というか、入り組みすぎててどれが裏路地で、どこが表通りなのかわからない。

 まるで、迷路の中に入り込んでしまったみたいだ。

 

 

「なんだよこの街、どこがどこなのか全然わからないぞ」

 

猥雑(わいざつ)なところだな。これでは街を抜けた時には夕暮れ時になっていそうだ。とにかく今は裏路地にいるようだから、広場を目指した方がいいだろう。広場に行けば、地図くらいはあるはずだ》

 

 

 リランの言葉を聞いて、俺は頷いた。街の地図は基本的に広場の方にある。フィールドに通じる門を探すよりも、まずは広場に向かう方がいいかもしれない。

 

 

「わかった。ひとまず広場を目指すとしよう」

 

 

 リランを肩に乗せて、俺はしばらく歩きまわった。エギルの店から出て40分程経っただろうか、歩き回り続けて、ようやく俺とリランは広場に辿り着いた。もう、フィールドに出る前に疲れ切ってきってしまって、とても訓練どころではない。周りを見てみれば、プレイヤー達の姿がない。どうやらみんなこの街の迷路の中に入り込んで、抜け出せなくなっているらしい。

 

 

「何なんだよこの街……広すぎるだろ……」

 

《妙な店も沢山あったな。とりあえずこの街で宿をとる時にはその店の雰囲気に気を付けた方がいいだろう。明らかに入ったら出て来れなさそうな宿屋があった》

 

「同意する。寧ろ、ここは本当に攻略のために寄る時だけで、寝泊りする時は他の層へ飛んだ方がいいかもしれない。ていうか、如何せん広すぎるんだって。いや、広いのはいいけど入り組みすぎなんだって」

 

 

 でも、広場の転移門近くを見てみれば、ちゃんと地図がある。あそこを見れば現在地がどこなのか、そしてここからどこへ向かえばいいかわかるはずだ。地図の通りに進めば、迷路を答え合わせするかのごとく進む事が出来るはずだ。

 

 

「とりあえず地図を見に……」

 

 歩き出したその時、リランがいきなり俺を呼び止めた。

 

 

《キリト》

 

「なんだ」

 

《空を見ろ。なんだかおかしいぞ》

 

 

 言われて、俺は空を眺めた。

 50層の空は真っ青で、雲一つない。今日の気象条件は快晴らしい。のだが、妙だ。その空の一部に妙な光がある。あれは……転移のテレポートの光か? かなりそれに似てる気がするんだけど……。

 

 

「あれは転移結晶でのテレポートの光じゃないか?」

 

《あんな高いところに転移する者がいるものか。そもそも転移の光とは色が違うではないか》

 

 

 確かに、転移をする時には青と白の光が出るけれど、あの光は、黒と赤の光だ。まるで色調が逆になってしまったかのような色の光、勿論あんな光が出る現象は知らない。

 

 

「何なんだ、あの光……」

 

 

 その時だった。赤と黒の光が一気に強くなり、まるで空に穴が開いたような形を作った。そしてその穴から、何かがゆっくりと降下する。その形は人に良く似ている――いや、人間だ。空の穴から、人間が出てきた。

 

 

「お、おいあれは!」

 

 

 俺が言った直後に、穴は閉じ、穴から出てきた人は重力に引っ張られて落ち始めた。ここは圏内だから落下ダメージはないだろうけれど、精神的なショックを受けるのに間違いはない。思わず落ち来る人の真下へと走り出して、「間に合え!」と口の中で呟く。

 

 そして、本当に間一髪のところで俺はスライディングし、落ちてきた人を受け止めた。ぐっと腕にかかった重みに耐えて、受け止めた人を地面にぶつけないようにする。走行とスライディングのスピードがなくなって止まったところで、俺は一息吐いた。

 なんとか受け止める事に成功したらしい。

 

 

「よかった……」

 

 

 後ろからリランの《声》が聞こえてきた瞬間に、リランは俺の隣まで高速で飛んできた。

 

《キリト、無事か!?》

 

「あぁ、何とかな。それよりもこの人だ」

 

 

 俺は受け止めている人に目を向けた。

 黒と緑と赤の三色で構成された少しだけ露出度の高い衣服を身に纏い、白い片胸当てを付けている、耳が出るくらいの長さで、耳の前で髪の毛を白いリボンで纏めた黒いショートヘアの、俺と同い年くらいに見える女の子だった。

 

 




キリト&リラン、人竜一体を目的に。
そしてついにメインヒロイン登場。


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08:降ってきた少女

 突如として、空から女の子が降ってきて、抱き止めた。その瞬間、俺は思わず昔にあった「親方ー! 空から女の子がー!」なんていう台詞が登場するアニメ映画を思い出した。そんな事はどうでもよくて、俺とリランは少し焦りつつ女の子を見つめていた。

 

 

「この子、一体何なんだ……?」

 

《空から少女が降って来るとは、よくある話ではあるが……どうも様子が違うらしいな》

 

 

 空から女の子が降って来るなんてゲームではベタベタな事だが、どうも違和感がある。いや、そもそもこの女の子がNPCだったならばただのイベントの発生だと考えるだろうけれど、この女の子はどうもそうじゃないらしい。NPCにカーソルを合わせれば、NPC○○と言ったように表示されるのだが、この娘にカーソルを合わせてもNPCの文字は表示されない。――この娘はNPCではなく、プレイヤーだ。

 

 ひとまず、意識があるかどうか確認するために女の子の身体を揺する。

 

 

「お、おい君。大丈夫なのか」

 

 

 女の子は答えを返さない。ぐったりとしたまま、俺の身体に寄りかかっているだけだ。かなり深い気絶に入り込んでしまっているらしい。

 

 

「駄目だ、意識がない」

 

《ひとまずはどこかへ運んだ方がいいだろう。いつまでもここにいるわけにはいくまい》

 

 

 俺は女の子を所謂お姫様抱っこの状態からおんぶの状態に変えると、そのまま立ち上がった。女の子の身体はそこそこの重さがあったが、一度使った大剣系武器と比べた時には、もしかしたら大剣系武器の方が重く感じるかもしれない。

 

 

「そうしよう。けど、どこへ運ぼうか」

 

《宿屋にはこの世界の住民しかおらぬ。先程のエギルの店に運べばいいのではないか。あそこはエギルの住所だ》

 

「なるほど、この子を寝かせられるベッドはありそうだな。エギルにはちょっと迷惑かもしれないけれど、背に腹は代えられない。行くぞリラン」

 

 

 俺とリランは女の子を背負ったまま地図を確認し、エギルの店がある方角を特定した後に入り組んだ迷路の中へと戻り、そしてエギルの店の前に辿り着いた。もっと時間がかかるんじゃないかと思っていたが、僅か5分ほどで着く事が出来て驚いた。どうやらエギルの店は広場から比較的近い場所にあったらしい。

 

 戸を開けてカランコロンという音を聞きながら、再び店に入ると、エギルが驚いた様子で視線を向けてきた。

 

 

「お、おいおいキリト、どうしたんだよ」

 

「エギル、空から女の子が降ってきた」

 

 

 エギルの目が丸くなった。いや、点になったと言った方が正しいか。

 とにかくエギルは事情が理解できないような顔をして、俺に再度問うた。

 

 

「えっと、その昔あったアニメ映画みたいな展開はどういう事だ。空から女の子が降って来たって事は、NPC関連のイベントか?」

 

「いや、そうじゃないんだよ。この娘を見てくれ」

 

 

 そう言って俺は降って来た女の子をおんぶからお姫様抱っこに持ち替えて、エギルに見せた。カーソルがNPCじゃない事に気付いたのか、エギルはまた驚いたように言う。

 

 

「この娘……NPCじゃなくてプレイヤーじゃねえか!」

 

「そうなんだよ。街を歩いていたらいきなり空から降って来たんだ」

 

「空から女の子が降るってのはアニメとかゲームじゃベタベタな展開手法だけどよ、NPCじゃないならどういう事なんだ? 転移結晶とかを使って転送されても、上空に飛ばされる事なんかないぞ」

 

「そうなんだよ。そのありえない事に巻き込まれたせいなのか、この娘はずっと気絶したままなんだ。このまま放っておけないから、お前のところで寝かせてくれ」

 

 

 エギルが腕組みをする。

 

 

「おいおい、俺のベッドを使わせるってか? 宿屋でいいだろう?」

 

《宿屋にはお前達のような《プレイヤー》はおらぬ。この者はプレイヤーであるから、プレイヤーが面倒を見てやるべきだ》

 

「他の連中はどうなんだよ」

 

《ディアベルならば今葬儀の真っ最中でそれどころではない。勿論周りの連中もだ。他の者達に当たろうにも迷惑がるものばかりに違いない。頼れるのがお前だけなのだ》

 

 

 エギルは渋々眉を寄せた。

 

 

「出来ないわけじゃないが……というか、面倒はお前が見ろよキリト。まさかこの娘を放っておいてどこかへ行くつもりはないだろう」

 

 

 確かにこの娘がどうしてここにやって来たのかは気になるし、そもそも何であんな事になったのかなど、わからない事だらけだ。だから情報を聞き出したり、この娘自身が何者であるかを理解するまでこの娘の傍を離れたくないけれど、俺は見ての通り、リランを連れていて、尚且つこのリランの力はアインクラッド全体にまで広がっている事だろう。

 

 今のところ、ディアベルに協力している関係ではあるけれど、そのうちディアベル達と肩を並べるギルド、《血盟騎士団》が動き出してくる頃合いに違いない。

 

 《血盟騎士団》は、ディアベル達《聖竜連合》と同じギルドで、SAOの中で最強と言われているくらいの実力のあるギルドだ。数は50人程度で、《聖竜連合》よりかは少ない方だが、団員の一人一人が一騎当千と言わんばかりの実力者ぞろいで、更に団長である 《ヒースクリフ》はこのアインクラッドで最も強いのではないかと言われるくらいの猛者だ。

 

 そしてその《血盟騎士団》の傾向は、強い者、実力のある者を団員として迎えるというものだ。

 

 もし俺とリランの情報が《血盟騎士団》に流れ込んだなら、《血盟騎士団》の者達は俺をスカウトしに来るだろう。とくに副団長は攻略の鬼と呼ばれるくらいに攻略を急いでいる人物であり、強きもの、この城を攻略を短くする要素を含むようなものは、真っ先にスカウトするらしい。

 

 リランはまさしくそれに当てはまっているだろう。

 

 

「いや、もしかしたら駆り出されるかもしれない。リランと、それを操る俺を求めてくる奴らが、現れる」

 

「《血盟騎士団》か。確かに彼らならば真っ先にお前を求めるだろうな。まさか、滅茶苦茶強いボスをたった5人の犠牲で倒してしまうなんて、あいつらは考えてもみなかっただろうからな。ましてや《血盟騎士団》は攻略を急ぐ集団……軍みたいなならず者の集まりじゃないけれど、リランとそれを操るお前の力を見れば貪欲に欲しがるだろう。喉から手どころか身体を出す勢いでな」

 

「その通りだと思う。だけど、俺はリランをただの攻略のための要素にはしたくない。リランはこうやって俺と一緒に戦って、俺の事を、色んな奴の事を考えて理解してくれる仲間だ。それをただのモンスター狩り、ボス狩りの道具にしようとはしてもらいたくない」

 

 

 俺は抱えている女の子に目を向ける。

 

 

「それに、俺はこの娘が何なのか、どうやってここに来たのかが知りたい。それまでには、血盟騎士団とかその辺りの連中には見つからないようにしないとな」

 

 

 エギルがくるりと店の二回の方へ身体を向ける。

 

 

「まぁいいさ。早く来いキリト。ひとまずその娘を寝かせてやろうぜ」

 

「あ、あぁそうだった。いこうリラン」

 

 

 そう言って、リランに指示を出して歩き出したその時、俺の耳元にエギルでもリランのものでもない小さな声が聞こえてきた。声の下方向は目の前の下部、抱きかかえている女の子からだった。何だか視線を感じて目を下に向けてみたところ、女の子の黒色の瞳と俺の黒色の瞳が合った。

 

 

「あ……」

 

 

 思わず声を漏らした瞬間、女の子はいきなり驚いたような表情を浮かべて、更に怒ったような表情に変えていきなり俺に殴りかかった。その瞬間に犯罪防止コードが働いて、俺と女の子の手の間に紫色の壁が出現、女の子の攻撃を防いでくれたが、女の子は俺の腕から飛び降りて、数歩後ろに下がり、身構えた。

 

 その顔や姿勢から明確な敵意を感じ取るのは容易かった。

 

 

「お、おいおい……」

 

 

 この様子を俺達の前から見ていたであろうエギルが俺の隣に並び、女の子に声をかける。

 

 

「た、確かに初対面の小僧にお姫様抱っこなんかされていたら混乱する事はわかる。だが落ち着いてくれひとまず!」

 

 

 女の子は「うぅ」と喉を軽く鳴らした後に交戦体勢を解除した。でも、顔は相変わらず怒ったままだ。よほど俺に抱かれていたのが嫌だったらしい。多分俺の声は聞いてもらえないだろうと思った直後に、エギルが女の子に再度声をかけた。

 

 

「俺の名はエギルだ。それで、こっちの黒ずくめがキリトだ。とりあえず、何であんな高所から降って来たのか、教えてくれないか」

 

 

 エギルがやんわりと話しかけても女の子は怒ったまま、口を閉ざしている。更にエギルが事情を話し始めた。

 

 

「あんたがこいつに抱かれていた理由は、高所から落ちてきたあんたを地面に衝突させまいと受け止めた結果なんだ。だから悪気なんて更々ないんだよ」

 

 

 女の子は一瞬きょとんとしたような表情を浮かべて、もう一度怒っているような顔をして、俺に声をかけてきた。

 

 

「……それって本当なの。私を助けようとしてくれたって」

 

 

 俺は頷いて見せた。流石に悪気があってお姫様抱っこをしていたつもりはない。そんな事を考えてあんな事をしていたならば、リランが俺の顔を丸焼きにしてるか、尻に噛み付いているかのどちらかだ。

 

 

「そんなつもりはないよ。でもよかったよ、目が覚めて」

 

 

 女の子は喉をもう一回鳴らして、目を半開きにする。

 

 

「そうなの」

 

「そうだよ。それで、君は何であんな事になってたんだ?」

 

 

 女の子の表情が困っているようなものに変わり、更に片手で頭を抱える。

 

 

「……あれ……そういえば私なんで……?」

 

 

 俺とエギルで目を点にする。そして、俺の頭の中でリランと初めて出会った時の光景がフラッシュバックした。あの時、リランも確かこんな事を言っていて、記憶喪失である事を告げてきた。まさか、この娘も?

 

 

「ねぇ、私が空から落ちて来たって本当なの? 全然信じられないんだけど……」

 

 

 女の子が再びジト目になる。

 

 

「それに、あんた格好からして怪しいんだけど。何よ、その全身黒ずくめ。何かアニメのコスプレかしら」

 

「コスプレじゃないよ。これはだな……」

 

 

 直後、女の子は驚いたような顔をした。目線の先を確認してみれば、そこにあったのは俺の背中の鞘に収まっているついさっき手に入れた剣、エリュシデータだった。

 

 

「それ、剣じゃないの。そんなものを持ち歩いてたら通報されるわよ、銃刀法違反で」

 

「じゅ、銃刀法違反? 標準装備だけでGMに通報されてたら攻略できなくなるよ。というかここにそんな法律なんか……」

 

「GM? 攻略? あんた何を言ってるの?」

 

 

 思わず首を傾げた。

 

 何だか話が噛み合ってない。それにこの娘の反応も妙だ。剣を見て銃刀法違反、GMや攻略という言葉に混乱したりなど、SAOプレイヤーにしては妙なリアクションを取り続けている。まるで、SAOプレイヤーじゃないみたいだ。

 

 

「そういえば、ここはどこなの?」

 

 

 女の子の問いかけにエギルが答える。

 

 

「ここは第50層アルゲードの街の、俺の店屋の中だよ」

 

「50層……アルゲード? そんな地名なんかあるの」

 

 

 やはり、話が全然噛み合ってない。俺達の話が、まるで通じていないようだ。そして、リランの時にすごくよく似ている。この娘は、記憶喪失なのかもしれない。

 

 

「なぁ君。さっきから君の様子が俺の記憶喪失の仲間によく似ているんだけど、まさかここに来た前後の事とか、覚えてないのかな」

 

 

 女の子は何かを考え込んでいるような表情を浮かべて、軽く下を向いた後に顔を上げ、首を横に振った。

 

 

「わからない……なんだか、よくわからない……」

 

 

 やっぱりだ。この娘は、リランと同じ記憶喪失だ。

 

 

「記憶が、無いのか?」

 

 

 女の子が頷いた。

 

 

「ここに来た理由だとか経緯だとか、そういうものが一切思い出せないのよ。その前の事だって何も思い出せない。頭の中が濃霧に襲われたみたい」

 

 

 やはりリランと同じだ、この娘は。同じような状態のリランは、この娘の事が分かるのだろうか。

 そう思って周囲を見回してみたところ、リランの姿はなかった。

 

 

「あれ、リラン?」

 

 

 小さな声でリランを呼ぶと、背中がもぞもぞする感じが来た。何事かと思って少し慌てると、リランの《声》が聞こえてきた。

 

 

《我ならばコートの下のお前の背中にいる。この者の前に出たら混乱しそうだから、隠れさせてもらうぞ》

 

 

 この背中の温かさは、リランだ。そしてリランの言う通り、この娘の前にリランを出したら、混乱を深めるだけに違いない。

 

 

「わかった。頃合いになるまで隠れててくれ」

 

《そうさせてもらう。それとだ、この者がお前達と同じプレイヤーであるというのだけは確かだぞ。そして、お前達が置かれている状況を彼女が理解できていないようならば、彼女を一人にさせるのは危険だ。生死にかかわるぞ》

 

 

 やはり、リランもそういう事がわかるらしい。こんなSAOプレイヤーなのかそうじゃないのかわからないような言動を取っている女の子をフィールドに投げ出したら、間違いなくモンスター達にやられてアウトだ。

 

 俺はもう一度小声でわかったと言い、女の子に顔を戻した。

 

 

「なぁ、いきなりこんな事を申し出て悪いんだけど、君は俺としばらく一緒に居てくれないか。君に現在状況の説明をしたい」

 

 

 女の子は怒ったような表情で俺の事を睨んでいたが、やがて表情を少しだけ柔らかくした。というよりも、無表情に近い。

 

 

「……どういう事なのか、話して」

 

「わかった。ひとまず、君の名前を教えてくれないかな。俺は、さっきも言った通り、キリトだよ。もしかして、名前も憶えてないとか?」

 

 

 女の子は渋々口を動かした。

 

 

「名前は憶えてるわ。私の名前は、朝田(あさだ)詩乃(しの)

 

 

 朝田詩乃……朝田?

 

 

「ちょっと待った。それは現実世界の名前(リアルネーム)じゃないか? それを名乗るのはマナー違反だよ」

 

 

 詩乃は首を傾げる。

 

 

「リアルネーム?」

 

 

 その時に、俺は気付いた。どうやら、詩乃はこの時点でわからないらしい。

 

 

「キャラクターネームを教えてほしいんだ。右手を振ると、ステータス画面が出てくるから、そこで確認できるよ」

 

「右手を振る……それで……え、なにこれ」

 

 

 詩乃は右手を振り、出てきたステータスウインドウを見て驚いた。

 やっぱり詩乃はSAOプレイヤーではないんだ。プレイヤーなら、こんな反応なんかしない。

 そして詩乃はウインドウに目を向けて、やがて小さく呟いた。

 

 

「『シノン』……それが私の名前みたい」

 

「なるほど、シノンか。よろしくな」

 

 

 詩乃改めシノンは小さく頷いた。

 

 

「よろしく」

 

「それでシノン、今からこの世界の状況を説明するけれど――」

 

 

 言いかけたその時、エギルが何かに気付いたように俺達に声をかけた。

 

 

「あ、すまないキリト! もうすぐ開店時間なんだ。だから説明は他のところでやってくれないか」

 

「え、そうだったのか。何で早く言わないんだよ」

 

「お前達が突拍子もなく現れるからだよ。とにかくここは借り出せない。追い出すようで悪いが、出て行ってくれ」

 

「そうかいそうかい。わかったよ」

 

 

 俺はシノンの方へ顔を向けた。とりあえず、シノンとリランを別なところへ案内しなければ。広場を探して歩いている時に、雰囲気が良さそうな喫茶店を見つけた。そこへ案内して、この世界の事とかを話そう。というか、まだリランの事も紹介してないから、そこでリランの事もひっくるめた世界の事を話そうと思うが、やっぱりビックリしそうだよな……。

 

 

「何をしてるのよキリト。エギルが迷惑がってるから、早く出て行きましょう」

 

 

 シノンの声で我に返り、俺は頷いた。

 

 

「あ、あぁそうだな。それじゃあエギル、一応この場を貸してくれてありがとうな。繁盛する事を期待してるぜ」

 

 

 そう言って、俺はリランをコートの中に隠したまま、シノンを連れてアルゲードの街へ出た。

 

 



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09:少女と竜

 俺はシノンを連れて、アルゲードの猥雑な街並みを進み続け、先程見つけた喫茶店の中へと入り込んだ。何だか怪しげな街並みと打って変わって喫茶店の中は随分と御洒落で、雰囲気の良いところだったので、シノンに世界の事を話すにはちょうどいいと思った。

 

 NPCの案内を受けて空いてる席に座り込み、適当な飲み物……コーヒーを二つ頼んだ後に、シノンの方へ目を向けると、辺りを興味深そうに見回しているシノンの姿があった。

 

 

「これが……現実の世界じゃないなんて……」

 

 

 本当にそう思う。このアインクラッドの中は所詮ゲームの中のはずなのに、ダメージを受けてHPがゼロになったら死ぬし、飲み物や食べ物を口にすれば味を感じるし、何より広がっている風景もまるで現実世界のような質感や立体感がある。

 

 ここはゲームの中の世界なんですなんて言われても、外部からやって来た人は認識しにくいに違いない。それくらいに、この世界は現実感で溢れている。いや、もう一つの現実だ、この世界は。

 

 

「さてとシノン。これからこの世界について話そうと思うんだけど、いいかな」

 

 

 シノンは俺に顔を向けて、頷いた。

 

 

「えぇ。話して頂戴」

 

 俺はシノンに、この世界の仕組みの事、アインクラッドの状況の事を全て話した。途中、シノンは何度も驚いたり、目を丸くしたり、眉を寄せたりしたが、とりあえず話を全部聞いてくれた。話が終わった後すぐに、シノンは不安そうに言った。

 

 

「《ソードアート・オンライン》……どこかで聞いたような気がする。そして、あくまでゲームであるから、好きな時に入れて好きな時に出れるようになっているはずだったけど、管理者に現実への鍵をかけられて出られなくなってしまったわけね。終わらせたかったら、誰でもいいからクリアしろと……」

 

「そう。この世界から脱出するにはこのゲームをクリアする……この城の天辺である100層に辿り着く事なんだ。そしてこの城の攻略は今現在は50層まで完了している。次は51層のボスを倒して52層に進むんだ」

 

「それで、この世界でHPがゼロになったら、現実でも死亡する……」

 

「そうだよ。だから君には一つだけ約束してほしい。――俺と一緒にいてくれ。もし俺と行動が共にできない場合は、街から勝手に出たりしないでくれ。頼むよ」

 

 

 シノンは軽く溜息を吐いた後に、頷いた。

 

 

「わかったわ。流石にフィールドに飛び出して命を落とすのはごめんだから、あんたに従っておくわ」

 

「ありがとう。随分無茶ぶりをしたと思うけれど、飲み込んでくれたみたいでよかったよ」

 

 

 とりあえず、シノンの事はあまり心配がなくなったようだ。そう思った時に、シノンがまた目を半開きにして俺の事を睨むように見つめてきた。

 

 

「ところでキリト。あんたの後ろ姿を見てた時に、あんたの背中がもぞもぞと動いてたんだけど、あんたの背中どうなってるのよ」

 

 

 その時に、俺はようやく背中の温もりが何だったのかを思い出した。そうだ、世界の事を話したはいいけれど、頼もしい仲間の事はまだ話していなかった。シノンが見たら吃驚仰天するだろうけれど、この世界で生きていく以上は逃れられない。

 

 

「それは俺の仲間だ。リラン、もう出てきていいぞ」

 

 

 直後、俺の背中から鳥が羽ばたくような音が聞こえてきたと同時にコートがふわりと浮かび上がった。かと思えば、俺とシノンの間にあるテーブルにちょこんと白い竜が姿を現し、シノンは大きな声を上げて驚いた。

 

 

「わぁっ!? な、なにこれ!?」

 

 

 やはり、SAOプレイヤーじゃない人の反応だと苦笑いした後に、俺は言った。

 

 

「こいつが俺の相棒、リランだ。この世界、ゲームの世界ならではの仲間だよ」

 

 

 シノンは両手をテーブルにつけて、俺と自分の目の前にいる小竜をまじまじと見つめる。

 

 

「こ、これがあんたの仲間? これって、なに? ドラゴン?」

 

《《ソードドラゴン》というらしいぞ》

 

 

 リランの《声》が頭の中に響いたと同時に、シノンはまた悲鳴を上げて周囲を見回した。……とりあえずリランに話しかけられた人はこんな反応をするようだ。まぁ、最初は俺もその一人だったわけだけど。

 

 

「ちょっと、何よ今の声。頭の中に直接……」

 

「それがリランの《声》だよ。リランは念話(テレパシー)で俺達に言葉を伝えてくるんだよ。頭の中に《声》が聞こえてきたら、それはリランの《声》だから、安心していいよ」

 

 

 シノンは「そうなの!?」と言って俺を見て、すぐにリランへ視線を戻した。

 

 

「は、初めましてリラン。私は、シノン……」

 

《ずっとキリトの背中で聞いていたから、わかるぞ。随分と大変な目に遭ったようだな》

 

 

 シノンは目を丸くする。

 

 

「あんた、私の言葉がわかるの?」

 

 

 リランは手で耳の付近を掻いた。

 

 

《わかるとも。我はこの世界にいる全ての者の言葉がわかる。こんな見た目をしているが、言葉が通じないなどという事はないぞ》

 

 

 シノンはきょとんとして、まじまじとリランを見つめた。

 

 

「……この世界ってよく出来てるわね。こんなのさえも、人の言葉を理解して、話が出来てしまうんだから」

 

 

 いや、そうじゃない。リランは……特別すぎるんだ。普通のNPCですら、俺達とまともな会話をするのは難しいのに、リランはまるでプレイヤーのように人の言葉を理解して、自分で考えて答えを出しているかのように、滑らかに喋る。そして他の《ビーストテイマー》も、こんなテイムモンスターを連れている事はないと、エギルが言っていた。

 

 リランはよく出来過ぎている。せめて、他の《ビーストテイマー》に出会う事が出来れば、何かわかるかもしれないが、エギルにも俺にも《ビーストテイマー》の知り合いはいないから、その辺りはどうしようもない。でも知らずにはいられないから、いずれは何とかしないと。

 

 

「まぁとにかくリランはいい奴だし、戦闘面でも強い力を持ってる。俺達を助けてくれる頼もしいドラゴンだから、友達にでも――」

 

 

 言いかけたその時、シノンは両手をリランの頬や身体に伸ばし、さわさわと触り始めた。そしてその目、手つきは、まるで愛玩動物を愛でるかのように穏やかなものだった。

 

 

「これが……ゲームの中のモンスター? 信じられないわ。こんなにふかふかで……可愛いのに」

 

 

 思わず驚いた。今までリランは他のプレイヤーに触られる事を嫌って、触ろうとしてくるプレイヤーとかからは逃げる傾向にあったのに、シノンからは逃げようとしない。それどころか、尻尾をテーブルに垂らし、翼を閉じている。どうやら、落ち着いているらしい。

 

 

「リランが逃げ出さないなんて……」

 

 

 思わず、撫でられているリランに話しかける。

 

 

「リラン、お前大丈夫なのか。あんなに人に触られるのを嫌がっていたのに……」

 

《大丈夫だ。それにキリト、この者の事は信じていい。それくらいに、この者は穏やかだ》

 

「そんな事までわかるのかよお前」

 

 

 シノンが再び目を半開きにして俺とリランを交互に見つめる。

 

 

「なに? 私に言えないような事を脳内会話?」

 

「いやいやそんなんじゃないよ。ただ、こいつは俺以外のプレイヤーに触られる事をあまり好んでない奴なんだけど、シノンに触られて平気そうにしてるのが不思議に思えてさ」

 

「へぇぇ……リラン、私に触れて平気なの?」

 

 

 リランが俺とシノンに《声》を送る。

 

 

《平気だとも。お前は手付きが良い。ここではないところにいた時には、動物を飼っていたりしたのではないか》

 

 

 シノンはリランから手を離した。徐々に、その表情が曇る。

 

 

「駄目、思い出せない。やっぱり、思い出せないわ」

 

《それは我も同じだ、シノン》

 

 

 シノンはきょとんとして、リランと目を合わせた。そういえば、リランも同じ記憶喪失であると、シノンに告げていなかった。

 

 

「リランも、こうして俺と旅をしているけれど、実は俺と旅する前にも何かあったらしいんだ。けれど、それを思い出せないでいる。シノンと同じ、記憶喪失なんだ」

 

 

 シノンは意外そうにリランを見つめた。

 

 

「あんたも私と同じ、記憶喪失なのね。というかゲームの中ならよくある話か」

 

《我はキリトとの旅を、記憶を取り戻す旅にしている。キリトと旅を続けて、この城を昇り続けていれば、いつしか真実に辿り着く。そう読んでいるのだ》

 

「なるほど……あんたにはそんな事情があったのね」

 

「そういう事。といっても、この城を昇るのは俺達だけで十分。シノンは街にいるだけで結構だよ」

 

 

 シノンが軽く溜息を吐く。

 

 

「そんなに釘を刺さなくてもわかるわよ。流石に自分の命を軽々しく投げ打つつもりはないから安心して頂戴」

 

 

 流石に、シノンみたいな戦闘慣れしていない人にフィールド、ましてや迷宮区やボス戦に出てもらうのは危険すぎる。そんな事になったらモンスターに襲われて、一発アウトがオチだ。窮屈だろうけれど、シノンには街にいてもらわないと。

 

 そう考えていたその時に、リランが振り向いて《声》をかけてきた。

 

 

《キリト。せっかくだからお前、家を持ったらどうだ。毎回宿屋に泊るよりも、ずっと有意義な生活が出来るようになるはずだ》

 

「なんだよ藪から棒に」

 

《お前はシノンの面倒を見ると言っていた。シノンは見ての通り、あらぬやり方でこの世界へ迷い込んでしまったようなもの……この世界の通貨(コル)を持っているとは思えぬ》

 

 

 そういえば、シノンのステータスをあまり教えてもらっていなかった。レベルはどれくらいなのか、コルはどれほど持っているのか、ひとまず確認しなければ。

 

 

「シノン、いきなりですまないが、ステータスウインドウを開いてくれないか」

 

「え、何よ急に」

 

「一応君のレベルや所持物を確認しておきたいんだ。なんやかんや行って君もこの世界の住人の一人になったわけだからさ。頼むよ」

 

 

 シノンは軽く喉を鳴らした後に右手を動かし、ステータスウインドウを開いて見せた。席を立ち、シノンの背後に回って、俺はウインドウの中に表示されている数値に着目した。名前のところにはシノンが言っていた通り《Shinon》とあり、レベルのところには《Lv:55》、武器は《短剣》、コルには1000とあった。

 

 《Lv:55》という点を除いては、所謂SAO始めたての状態、完全な初期状態だ。ちなみにシノンは何らかの理由で短剣を装備してSAOプレイヤーになったらしく、防具も短剣の性能を生かしやすい軽装備だった。

 

 

「レベルは55か……随分と高めだけど、俺達よりは低いな。それに所持金も1000となると……宿屋に泊り続けるのも難しいな」

 

《そうであろう。だから家を買った方がいいだろう》

 

 

 俺はシノンから少し離れて、自分のステータスウインドウを開いた。

 

 《Lv:75》に片手剣使い、所持金2500000コル。レベルアップを狙って雑魚を倒したり、クエストをこなしていたせいか、いつの間にか所持金がとんでもない事になっている。これくらいあれば、安い家を買ってもお釣りがくるな。

 

 

「うん……家は買えるな。この層の安い家でいいかな」

 

《この層のか? ここは猥雑で居心地が悪くないのか》

 

「昔通ってた電気街によく似てるんだよ。ここまで来るのは確かに大変ではあったけれど、居心地が悪いわけじゃない。それに来る途中で空き家を沢山見て来たから、そのうちの一軒をもらう事にしよう」

 

《……我はもっと穏やかなところが良い》

 

 

 思わず首を傾げる。

 

 

「穏やかなところだって?」

 

《そうだ。こんな物々しいところに住んだら気がおかしくなりそうだし、お前自身にも悪影響が出そうだ》

 

「じゃあどこがいいんだよ……」

 

 

 言おうとしたその時に、俺はふとこの城の22層の事を思い出した。

 

 このアインクラッドの22層は、アインクラッドで最も穏やかな場所であると言われている。その由来は、フィールドモンスターがどこにもいない事だ。

 

 あの層だけは次の層へ続く階段である迷宮区を除いてフィールドモンスターが存在していない、穏やかで暖かい、針葉樹と湖が美しい階層だ。しかも22層には人がほとんどおらず、攻略を急ぐ者達も大して気にせずに先に進んでしまったから、住んでいるプレイヤーも少ないから何かあっても騒ぎになる事もないし、ちょっかいをかけてくるような連中もいない。

 

 リランの言う穏やかなところとは、まさに22層の事だろう。あそこならば、フィールドモンスターがいないから羽を伸ばせるし、戦闘が出来ないシノンも出歩く事が出来る。幾つものメリットが見つかるから、住むなら22層がいい。

 

 それに、前に攻略に訪れた時にログハウスが売られているのを目にした事がある。湖が見渡せて、辺りは針葉樹林付きのドデカい庭みたいなものだからリランも元の姿のままゆっくりできるし、フィールドモンスターがいないので危険もない。

 

 あの家を買えば、いいかもしれない。

 

 

「それなら22層はどうだ」

 

《22層?》

 

「そうさ。あそこならフィールドモンスターがいないからゆっくりできるし穏やかだ。そして、シノンが出歩いても大丈夫。ここみたいに物々しくないし物騒でもないぞ」

 

「そんなところがあるの、キリト」

 

 

 自信満々に頷いて見せる。

 

 

「あるよ。だから、住むなら22層がいいと思うんだけど……シノンとリランはどう思う?」

 

 

 シノンが軽く手を組む。

 

 

「私は賛成よ。フィールドモンスターが出ないなら、私でもフィールドを出歩けるっていう意味だしね」

 

《我も賛成だ。お前達とだけ過ごせるところが欲しいぞ》

 

「そういう事だったのか。よし、そうと決まったら早速22層に出かけよう。下見とログハウスの値段の確認だ」

 

 

 そう言って席を立った直後、俺はがやがやというくぐもった音が耳に響いてきている事に気付いた。外の方で、一騒ぎ起きているようだ。この音にはシノンとリランも気付いているらしく、窓の外の方に釘付けになっている。

 

 

「何の騒ぎかしら」

 

《年末年始の祭り……ではないようだな。まるで事件か何かが起きたような感じだ》

 

 

 確かに今は12月25日、もうすぐ年末年始のイベントが始まる頃合いだが、そんな感じの騒ぎ方じゃない。リランの言う通り、事件か事故が起きた時のようなざわつき方だ。明らかに、この店の外で何かが起きている。

 

 

「何だろう……」

 

 

 思わず呟いた直後、華やかな喫茶店と、物々しい街中がつながるドアが勢いよく開かれて、人が一人、店の中に入り込んできた。その入り込んできた人の姿を見て、周りにいるプレイヤー達は硬直したようになり、俺もまた、似たような反応をしてしまった。

 

 入り込んできたのは、栗色の長いストレートヘアで、美しく整った顔立ち、大きな明るい茶色の瞳で、すらりとした身体を白と赤を基調とした騎士風の戦闘服で包み込み、腰に白銀の細剣を携えた女性だった。

 

 そう、このアインクラッドの攻略に励んでいるならば知らぬ者はいない、アインクラッド中最強のギルドである血盟騎士団の副団長を務める攻略の鬼。

 その名を、俺は思わず呟いた。

 

 

「閃光のアスナ……!」

 



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10:閃光の副団長

 SAOプレイヤーならばたじろいでしまう人物がその姿を現した瞬間、店の中はまるで凍り付いたようになり、周りのプレイヤー達も動きを止めてしまった。

 

 現れた人物とは、閃光のごとき剣捌きで、攻略の鬼と言われるくらいの攻略推進派、血盟騎士団副団長アスナだった。そしてアスナは、その剣先が見えないくらいの速度で剣技を繰り出し、どんなボスも瞬く間に駆逐してしまう力の持ち主である事から、《閃光のアスナ》の別名で呼ばれている。

 

 

「《閃光のアスナ》……」

 

 

 思わずその名を呼んでしまったが、俺は何となくアスナがここへやって来た理由が既に分かっているような気を感じていた。いや、今から恐れていた事が、絶対に起きて欲しくなかった事が起ころうとしている。そしてそれを、あのアスナが起こそうとしているような予感と気が頭の中で渦を巻いていた。

 

 

《あの者は……》

 

 

 リランの《声》が俺の頭に届いた瞬間、店の中を少し見まわしていたアスナは、とうとう俺の方へ目を向けてきた。彼女の明るい茶色の瞳は、宝石のように美しく感じたが、どこか脆さと弱さも感じられた。

 

 アスナは店の中を何も言わずに歩き、俺の目の前までやって来た。その眼光はまるで狩りを行う狼のように鋭かった。

 

 

「……貴方が、50層のボスを大した犠牲を出さずに倒して見せた《ビーストテイマー》ね」

 

「それをどこで知ったんだ」

 

「聖竜連合の人達が謳歌していたのを耳にしたのよ。竜を駆る《ビーストテイマー》が、わたし達が大勢の犠牲を出すであろうと予測していたボスを、いとも簡単に倒して見せたってね」

 

 

 やはり、聖竜連合の連中から聞き出したようだ。多分ディアベルではないだろうけれど、その部下達である事は想像するに容易い。

 

 

「そうだとして、何の用で来たんだよ」

 

「貴方はどうやらソロプレイヤーのようね。悪い事は言わないわ。貴方を血盟騎士団にスカウトします。そして、その竜の力をわたし達に見せて頂戴」

 

 

 来た。聞きたくなかった言葉。血盟騎士団にスカウトするという勧誘。

 今は何も言っていないけれど、この人が腹の中で何を考えているのか、どういう目的をもって俺にこういってきたのかはすごくよくわかっている。

 

 リランを、ボス狩りの道具にしに来たんだ。

 

 

「随分藪から棒だな。俺がその《ビーストテイマー》じゃないかもしれないのに。仮にそうだとして、あんた達は俺に何をしてもらいたいんだ」

 

 

 アスナの表情が険しくなる。

 

 

「貴方、わかって言ってるの。貴方の持つ力がどんなものなのかを、そして貴方が50層のボスを打ち倒したのが、どれだけ重要な事なのかを」

 

「だったら何なんだ。俺がボスを倒したのが、そんなにすごい事なのか。俺は大した力も持ってないし、ただ普通にボスを倒しただけだ」

 

 

 アスナは首を横に振る。

 

 

「いいえ、聞いた話では、貴方は竜を召喚してその背に跨って操り、ボスを倒したとの事よ。竜を召喚して操ってボスを倒すなんて、このアインクラッドでは前代未聞の出来事であるのは貴方もわかるでしょう」

 

「そりゃそうだね。モンスターとモンスターの戦いなんて、見た事が無いよ」

 

「それを貴方が行ったと聖竜連合の人々は口にしていたし、話を聞いてみれば、そう話してくれたわ。それも、全員がね。一人や二人が言っていたならば嘘かもしれないけれど、全員がそう言っていたのであれば、真実である可能性が高いわ」

 

 

 相変わらず引き下がる様子を見せない。――よほどリランの力に興味があるようだ。いや、攻略の鬼と呼ばれる人なら当たり前か。

 

 

「じゃあ、俺をスカウトする理由は? 俺がもし竜を召喚するスキルを持っているプレイヤーだとしたら、俺をスカウトする理由は何なんだ」

 

 

 アスナの眼光が更に鋭くなる。

 

 

「貴方の力をアインクラッドの攻略のため、全てのプレイヤーの解放のために役立ててもらうわ。貴方ほどの力があれば、攻略は今まで以上にスムーズかつ効率的なものになるわ。当然、クリアまでの時間も短くなるでしょう」

 

「なるほど、竜の力を効率化のために使え、と」

 

「そういう事よ。さぁ、わたしと一緒に血盟騎士団の本部へ来なさい。召喚する竜も連れてね。貴方の事は団長も見たがっているのだから」

 

 

 団長とはヒースクリフの事だ。

 

 なるほど確かに、あのヒースクリフならば、俺の力に興味を示すだろう。そして、誰一人リランが生きている事を、ちゃんと意志を持っている事を知らない。リランを、ただの兵器とかと同じように扱っているんだ。いや、これからそうするつもりだ。

 

 リランを、アインクラッドの攻略のためのボス狩り兵器にするつもりなんだ。

 

 だけど、同時にこの人達はリランが小さくなっている事を知らない。多分、聖竜連合の奴らは元の姿に戻っている時のリランの事を血盟騎士団の連中に話したんだ。リランがいないと言っても、通じるはず。

 

 

「断るよ。今そいつはいないし、第一そいつの意見も聞かなきゃいけない」

 

「そんなものは必要ありません。貴方がその竜の飼い主であるならば、竜は真っ直ぐに飼い主の指示に従うのが普通です。聞いたとしても、無視します」

 

 

 リランの意見を無視。その冷たい言葉を聞いた瞬間、胸の中に怒りが込み上げてくるのをまじまじと感じた。やっぱりこの人は、リランをボス狩りの道具に……。

 

 そう思った瞬間、それまで黙っていたリランが《声》を送ってきた。

 

 

《それは聞き捨てならないぞ》

 

 

 気を張り詰めさせていたアスナは突然混乱したように周りを見回した。今の《声》は、どうやら俺だけじゃなく、アスナにも送ったものだったらしい。

 

 

「今の声は……」

 

《こっちだ》

 

 

 アスナはテーブルに座っているリランに目を向けて、眉を寄せた。

 

 

「これは、何」

 

《我がキリトの《使い魔》であるリランだ。恐らく、お前が目当てにしてきたモノだ》

 

「この声は、あんたのものなの」

 

《そうだとも。そして我こそが、キリトと共にボスを打ち倒した竜だ》

 

 

 アスナが腕組みをして俺に目を向ける。

 

 

「なるほど、貴方の竜はこうやって喋る竜だったのね」

 

「そうだ。こいつにはちゃんと意志があるし、心もある」

 

「心? そんなものはこの世界の住人にはないわ。この世界は所詮、デジタルデータの集まりでしかない。貴方の竜だって、結局はただのデジタルデータ……AIを搭載した3Dモデルでしかないわ。だからどんなにぞんざいに扱ったとしても嫌がらないし、疲れない」

 

 

 やはり、それがプレイヤー達の一般的な意識らしい。どんなものも、結局はデジタルデータでしかないだの、3Dモデルでしかないだの。いや、そう思うのが普通なんだろうきっと。現に俺だってリランに出会うまではそんな考えしかなかったから。

 

 そのせいなのか、アスナの言動がかつての俺の酷似しているように見えてきた。しかし、そんな考えを突き破るが如く、リランががぅっと吼えた。

 

 

《先程から聞き捨てならない事ばかり口にするな》

 

「黙りなさい。私はあくまで事実を言ってるだけよ。もっとも、それがあんたの理解できる事なのかはわからないけれどね」

 

 

 リランは俺に顔を合わせた。

 

 

《キリト、追い返せ。決してこの者の要求は呑むな》

 

 

 俺は最初からそう考えていた。リランをただのボス狩りの兵器にするわけにはいかない、させないって。

 

 話を聞く限りでは、この血盟騎士団の副団長は、リランの心を否定して、更にリランをただの兵器としてボス狩りに向かわせるつもりだ。

 

 そんな人の要求を呑むわけにはいかないし、第一リランはそんなものじゃない!

 

 

「副団長。俺は血盟騎士団にはスカウトされないし、こいつをあんたの言う効率化のためだけの道具になんかしない。俺も攻略はするけれど、効率化だとかそういう事は全部あんたらで好き勝手にやっててくれ。少なくとも、俺はそんな事に参加するつもりは微塵もないよ」

 

 

 アスナがキッと俺の事を睨んだ。目の中に燃えたぎる怒りの色が見えた。

 

 

「あんた……自分の言っている事がわかっているの。あんたが血盟騎士団に参加すれば、あんたの力はより多くの人に認めてもらえるわ。そしてあんたの力がボスをいとも容易く倒せば、この世界の終りが早くなる。プレイヤー達が、早く現実に帰れるのよ。早く現実に帰りたい、もしくは他の人達を早く現実に帰してやりたいとか、貴方はそう思わないの」

 

 

 確かに、俺もそうは思う。この世界にはいまだに6000人ものプレイヤー達が閉じ込められていて、解放される事を望んでいる。その望みを叶えるために、こうやって攻略を急いできたわけだし、その過程で、リランっていう大きな力を得た。

 

 その時は、リランの力を使ってガンガン攻略していこうと考えたけれど、ボスを1体倒しただけで、いや、リランと一緒に戦っただけで、リランがちゃんと考えを持っている事を、心を持っている事を、そして俺達と同じように疲れたり感じたりする事が出来る事を知った。何より、俺やみんなを守りたいと言う意志を持っている事が、よくわかった。

 

 そこで初めて、リランの力はガンガン使うものではなく、寧ろ敬いながら、労ってやりながら使うものである事を知り、同時にリランが俺達の正真正銘の仲間になってくれる奴だという事を理解した。

 

 

 だけど、アスナの言っている事はリランは心を持たないからどんなにぞんざいに扱ってもいい、ただの道具として使うべきだという、暴挙にも等しい事だ。

 

 いや、確かにそう思うかもしれない。こうやって俺達の事を理解しながら話してくれるモンスターなんてリランくらいで、しかもリランが出てきたのは昨日。これまでアスナがリランのような奴に出会っているとは考えにくいため、こう言いだすのは当たり前なのかもしれない。

 

 だけど、それでもリランの言葉に耳を傾け、その内容を理解する事は出来るはずだ。

 

 

「思うよ。ここにいる沢山のプレイヤー達が、一刻も早く現実に帰る事を望んでいる。だけど、そのために心ある奴をぞんざいに扱ったり、蔑にするのは、なんか違うと思うんだよ」

 

「ちょっと意味が分からないわ。この世界に、このゲームの世界に心を持ったデータなんかない。それは貴方もよくわかっているでしょう。この世界は所詮ゲームなの」

 

「そうだよ。だけど、そういう事を考えないで、少しだけでいいからリランの言葉に耳を傾けてくれ。少なくとも、リランはあんた達に利用される事を望んではいない」

 

 

 アスナは腑に落ちないような顔でリランを睨んだ。直後に、リランの《声》が頭の中に響き渡る。

 

 

《散々な良いようだな、アスナ。何故にお前はそこまでこの世界からの脱出を求める。現実世界とやら何があるというのだ》

 

「あんたに教えたところで理解できるわけがないわ」

 

《出来るとも。我はお前達の言葉がわかるし、内容を理解する事も出来る。そして、我にはお前が鎖の付いた首輪を付けられているように見える》

 

 

 アスナの目が一瞬丸くなり、すぐに戻った。何か図星になるような事を言ったらしいが、どの部分がそうなのかまではわからなかった。

 

 

「変な事を言わないで頂戴。たかだか、プレイヤーに使われるだけの《使い魔》のくせに」

 

《お前には我がそのようにしか見えぬか。我はただの《使い魔》ではない、このキリトの相棒だ》

 

「なら、あんたは黙っていなさいよ。結局、あんたを動かせるのはこの人だけなんだから、この人とだけ話をするわ」

 

《キリトにはお前の要求は呑むなと言っておいた。例えキリトがお前の要求を呑んだとしても、我はお前達の効率化とやらのために戦うつもりは毛頭ない。

 第一、そんなに焦ったところで何が変わる。一時的に速度が上昇するだけで、結果は少しも変わらぬ。下手すればただ犠牲者を出すだけかもしれぬぞ》

 

「わたしが焦っているとでも言うの」

 

《言う。お前は何かに追いかけられ続けている。それから逃げ切るために、狼に追われる羊の如く焦っている。ここにはお前を追いかける者など何もないはずだ》

 

 

 アスナはぎりっと歯を食い縛り、リランを怒鳴りつけた。

 

 

「《使い魔》がわたしに説教しないで頂戴!! そして貴方、いいからわたしに従いなさい! 今すぐに血盟騎士団に入って、戦いなさい!!」

 

 

 俺はじっと怒るアスナの眼光を見つめていたが、その頭の中で、まさにリランの言うとおりだと思ってしまった。この怒り方は、明らかに何かに焦っている時のような怒り方だ。いや、この人の心の奥底にあるのは怒りじゃなくて、恐怖だ。リランの言う通り、何かに怯えているから、怒っているんだ。

 

 リランと一緒に居たせいなのか、そうじゃないかはわからないけれど、それだけがわかる。この人は、怒ってるんじゃない。怯えてるんだ。でも、どうやったらそれを吐き出させる事が出来るかまでは、咄嗟に思い付かない。

 

 こういう事は本人から直接聞き出すのが一番いいんだけれど、今頭に血が昇っているであろうアスナに多分言ったところで聞いてくれないだろうし。

 

 いつもの知りたがりが発動して、気になって仕方がないけど、今のところはどうしようもない。でも、アスナの要求を呑む事はどうしてもできない。

 

 

「ごめん、その要求は呑めないよ。悪いけど、俺は血盟騎士団にも入らないし、手を貸すなら本当に困っている人だけだ。あんた達血盟騎士団はアインクラッド最強と呼ばれるくらいの実力者集団。そんな人達が、クォーターポイントはともかく普通の攻略に困っているようには見えない。だからその要求は呑めないし、俺もリランも血盟騎士団の所有物にはならないよ。実力者が欲しいなら、他を当たってくれ。俺はこう言ってたって、ヒースクリフって人に伝えておいてくれ」

 

 

 アスナは俺とリランを交互に見つめて、拳を力いっぱいに握り締めていた。が、すぐに手を戻して、何も言わずに背を向けて、店の中を出て行った。

 

 そこで、店の中の人々が一斉に溜息を吐き、呼吸を取り戻したような仕草をした。いきなり俺とアスナが口論になったのが、息苦しく感じられたのだろう。

 

 

「やれやれ、なんとか撃退出来たか。また突っかかってきそうな気はするけれど」

 

《……あの者、やはり気になるな。何かあるというのは間違いなさそうだ》

 

「俺もそう思う。でも、俺からアプローチしたところで何の反応も返しそうにないな」

 

《いずれ、また接触した時にでも聞き出そう。あの者は、確実に苦しんでいる》

 

「あぁ。それだけはよくわかるよ」

 

 

 リランとの会話を繰り広げた後に、テーブルの方へ目を戻して、ようやく俺は先程まで誰と話をしていたのかを思い出した。俺は途中からアスナとの口論になってしまったけれど、それまではシノンと会話をしていたんだった。

 

 そしてそのシノンはというと、目を点にして俺とリランの事を見ていた。

 

 

「あ、ごめんシノン。ずっと君の事を無視してしまっていたよ」

 

 

 シノンはハッとして、首を横に振った。

 

 

「あ、こっちこそごめんなさい。何だか攻略だのゲームだの、よくわからなくて、付いていけてなかった」

 

「悪かったよ、シノンにわからない話をしてしまって。でも、さっきこの世界の事についていろいろ話したけれど、俺達の口論で何かわかった事はあった?」

 

「わかった事と言えば、この世界から逃げ出すために必死になっている連中がいる事と、そのためにリランの力を使おうとしている連中がいる事、そしてこうして私達と話が出来るリランには心があるって事かしらね」

 

「そういう感じだ。というか大体わかってるじゃないか」

 

「大体わかってたわよ。それで、次はどうするのかしらキリト。口論する相手がいなくなったなら、話を元に戻すべきだと思うんだけど」

 

 

 そうだ、俺達はこれから居を22層にするつもりだったんだ。そして、今から22層に下見に行くんだった。

 

 

「そうだったな。よし、今から22層に行こう。そこで、買える家がないかどうか検証しよう」

 

 

 シノンは頷いて立ち上がり、リランも俺の肩に乗った。そのまま二人を連れて静まり返った店を出て、猥雑な街中を歩き、その最中、竜を連れているのをめずらしがったプレイヤー達に声をかけられたけれど、俺は大して気にせずに、進み続けた。

 

 そして、50層の転移門に来たところで俺達は22層に転移した。

 

 

 

           ◇◇◇

 

 

 

 22層の村の中に転移して、更に村の中から出て、針葉樹林と湖に囲まれた草原に出てみると、リランとシノンは息を呑んだ。どこを見回しても光り輝く緑と、森を構成する濃い緑、そして湖と空の青の三色だけ。三色しかないのに、とても美しく感じると言うのは、初めて22層を訪れた時からだ。

 

 

「どうだよ。この層なら、のびのびと出来そうだろう」

 

 

 元の姿に戻っているリランが、目を輝かせながら周囲を見回す。

 

 

《こんなに広く、美しいとは。これならば我が羽を伸ばしても問題がなさそうだ》

 

「それにここは敵モンスターがいないんだ。だからシノンも安心していられる――」

 

 

 シノンの方を見て、思わず驚いてしまった。シノンが、完全に景色に見惚れている。

 

 

「シノン?」

 

 

 シノンは小さく口を動かした。

 

 

「……綺麗な場所……ここが、ゲームの中だなんて……」

 

 

 やっぱりみんな言う。俺も最初はそうだった。

 

 普段は石畳の上を歩いているけれど、ここには基本的にそんなものはなく、あるのは草原と湖と森だけ。単純なのにこれ以上ないくらいの開放感があり、どれも光り輝いているように見える。そして、吹いてくる風も暖かくて心地が良い。この層を本当にまじまじと見つめていると、この世界がゲームの中の世界である事を忘れてしまう。

 

 

「だから、住むには最高の場所だろう。確かこの辺にログハウスが売られてるはずだから、早く見つけに行かないと」

 

「そうね。ここに住むんなら、私は大賛成だわ。家の中身にもよるけれどね」

 

「そうか。気に入ってもらえてよかったよ。そんな変な中身の家なんかこの世界には基本的にないから安心してくれ。さ、いくぞ」

 

 

 俺は二人を連れて、美しい22層のフィールドを歩き始めた。いつもの石畳とは違う、柔らかい草原を踏みしめ、暖かい日の光と穏やかな風を見に受けながら。

 

 そしてひときわ大きな湖の近くまでやって来たところで、俺はそれを見つけた。二階建の紺色の屋根のログハウス。ここだ、前に攻略に訪れた時に見つけたログハウスは。そして、まだ誰にも買い取られていない。

 

 

「ここがよさそうだな。値段もそこそこしそうだが」

 

「買えるの? こんな家を」

 

「買えるとも。ゲームの中だからな」

 

 

 そう言って、ログハウスに接近し、その値段を確認したところで、俺は思わず硬直してしまった。家の値段は2500000コルで、俺の所持金は2512300コル。とほとんど同じ値段だった。いや、買える事は買えるんだけど、これ買ったら有り金が12300コルになってしまう。12300コルなんて、今のところの最前線である51層に売られている武具防具すら買えないし、宿屋に泊ってもすぐに尽きてしまう。

 

 家を買うなんて金溜めれば楽勝だろうと思っていたけれど、まさかこんなに取られるとは思ってもみなかった。これは流石に手を伸ばすのは、難しいかもしれない……。

 

 

《おいどうした。購入しないのか》

 

「そ、それがなリラン。金が足りなくなるんだよ。いや、買えるんだよ。買えるんだけど、買ってしまうと金がほんの少ししか残らなくなるんだ。この額じゃ、最前線の店の道具すら買えなくなっちゃうよ」

 

 

 リランはどすどすと音を立てながら俺に近付き、俺の手元に表示されているウインドウをまじまじと見つめた。その後に、ぐるると息を鳴らす。

 

 

《なるほどなるほど、2500000コルか。そしてお前の残金は2512300コル。本当に有り金を全てする値段だな》

 

「そうだろ。これだけの値段すると、本当に51層の武具とか防具とか買えなくなっちまうよ」

 

 

 リランは俺を横目で見つめた。

 

 

《武具防具は必要なかろう。現にお前が装備しているのは他の者達と比べて高性能の防具であるし、剣も先程のボス戦で優秀なものを手に入れたようではないか。それに、お前の持っている大量のモンスター達の素材を全てを売り出す、またはクエストとやらに使用すれば、すぐさま元は取れるはずだ》

 

「お前、いつの間に俺の所有物を見てたんだよ。それにそんなのわからないぞ。確かにモンスターの素材は沢山持っているけれど――」

 

「ねえキリト」

 

 

 急に声が聞こえてきて、俺はその方へ目を向けた。そこにいたのは、腕組みをしてこちらに呆れの目を向けているシノンの姿があった。

 

 

「あんた、どうするつもりなの。この家、買うの、買わないの。買わないなら違う方法を考えなきゃいけないんだけどね」

 

 

 思わず「うぅっ」と言ってしまう。もしここで家を買わなければ、シノンを窮屈な街の中に閉じ込める事になるし、のびのびと過ごしてもらえないし、リランも羽を伸ばす事が出来なくて、窮屈な思いをさせる事になるだろう。だが、ここで家を帰ってしまえば、俺の防具とかそう言うものが買えなくなる……。

 

 どうすればいいのかわからなくなりそうだったが、頭をフルスロットルで回し、ここで家を買うメリットとデメリットを比較してみたところ、明らかにメリットの方が多い事に気付いた。

 

 宿屋に泊るのが無理ならば、攻略が進んだら一気にここまで戻って、寝泊りすればいいわけだし、持っている防具も良性能だからしばらく買わなくてもよさそうだし、そして何より魔剣クラスの剣がボス戦の終了時に飛び込んできた。

 

 今はSTR(力の値)が足りないから使えないけれど、その辺りは鍛えればいいわけだから、別にいい。そもそもこの剣が使えるようになれば、きっと長い事使って行けるだろう。

 

 

「わかった、わかったよ。ここはリランとシノンの意見を尊重して、有り金のほとんどを使う! この家を、購入だッ!!」

 

 

 そう言って俺は、購入ボタンを押した。同時に、所持金の大部分の数字が消し飛び、家のロックが解除された。

 



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11:少女の記憶

シノン回


              ◆◆◆

 

 

 目を開けると、私はいつの間にかベッドの上に寝転んでいた。いつの間にか白くて軽い服を着ていて、周りに白衣を身に纏った人達が忙しなく騒いでいる。これは、病院かしら。私はいつの間に病院なんかに来たんだろう。

 

 真上の方を見てみると、大きな白い機械が姿を現した。本当に大きくて、私の上半身をすっぽりと覆ってしまうくらいの大きさだ。でも不思議と、その機械には覚えがあった。何度か、利用していたような。でも、何のために使っていたのかまでは出てこない。

 

 声が聞こえてきた。女の人の声で、マイクを越しているような声色。

 

 

「それでは詩乃さん、メディキュボイドの使用を開始します。そのままでお願いします」

 

 

 何も言わないでいると、大きな機械が音を立てて、私の上半身をすっぽりと覆った。直後に私の目の前は真っ暗になった。

 

 でも、そのすぐ後に不思議な光景が私の目の前に広がった。

 橙色の光のラインがところどころに走っている、真っ黒な空間。そして目の前にはいくつかのモニタのような、四角いウインドウが出ている。そう、SF映画とかそういうものに登場するサイバー空間だとかVR空間だとかそういうものでよく出てくるような光景。

 

 何でこんなところに飛ばされたのと思った直後に、私は答えを導き出した。

 そうだ、私はメディキュボイドを使って、VRに入り込んだんだ。そしてここは、VRに入った時に一番最初に訪れる場所。キャラクターだとか、ネームだとか、そういうものを決めて、アバターを作成する場所だわ。

 

 そう思っていると、女性の声が聞こえてきた。さっきの人ではない、コンピュータ音声によく似た声。その声は、私にアバターを作成してくださいと言う指示を送ってきた。直後に、私の目の前に水色の光で構成された入力ウインドウが出現する。

 

 ウインドウの中には既に一つの単語が出現している。

 

 《Shinon(シノン)》。

 

 自分で決めた覚えはないけれども、これが私のアバター上の名前らしい。性別は勿論女性だ。

 

 その辺りの事を把握し終えると、ウインドウは消えた。すぐさま女の人の声が聞こえてきて、カウンセラーが到着するのお待ちくださいと私に伝えた。もうすぐ、話を聞いてもらえるらしい。

 

 そう思っていたその時、突然地面が揺れ始めた。横揺れの地震のような揺れに思わず身体が不安定になる。ここはVRMMOの中……地震なんか起こるわけがないし、第一これはゲームとかそういうものじゃないから地震イベントみたいなものだって無いし……。

 

 考えていると、突如床が抜けた。いや、床が消えたと言うべきかもしれない。

 とにかく、いきなり揺れ始めた床が消えて、私は黒いVRの海の中へ落ち始めた。ひょっとしたら吸い込まれているのかもしれないけれど、私の身体は闇の中に引っ張られ続けた。私は悲鳴さえも上げれず、ただ黒い空間の中に落ちて行った。

 

 落下していくうちに意識がどんどん薄くなり、やがて目の前が真っ暗になった。

 

 

 

              ◆◆◆

 

 

 

「ッ!!!」

 

 

 思わず飛び起きて、最初に広がっていた光景は、如何にもログハウスの中と言ったような光景だった。でも、夜中に目覚めてしまったらしく、周囲を見回しても暗い。明るいところと言えば、月明かりが差している窓くらいだ。

 

 周りをもう一度見渡してみれば、隣のベッドでぐっすりと眠っているキリトと、小さくなって、そのうえに乗る形で眠っているリランの姿があった。その様子から察するに、物音を立てても起きそうにない。

 

 

「何でこんな時間に起きたんだか……」

 

 

 呟いて、もう一度ベッドに横たわって目を瞑ったけれど、一向に眠気が来なかった。完全に目が覚めてしまっている。まるで、朝目覚めた時と同じみたいに。多分こうしてても眠る事は出来ないだろう。

 

 

「ちょっと出歩いてこようかしら。どうせ、フィールドモンスターもいないわけだし」

 

 

 もう一度呟いた後に、ゆっくりとベッドから降りて、音を立てないように歩き、階段を降りて、外に出た。戸を開けた途端に、冷たい夜風が吹いてきて、寒くなった。身体を見てみれば、下着も当然の格好だった。……道理で寒いわけね。

 

 私はウインドウを開いていつもの服を着用して、家の裏手に回った。キリトが家を買った後に気付いたのだけれど、この家の裏手に回ると、目の前には広大な湖が広がっている。下からでも見れるし、勿論二階からでも楽しめる。

 

 見えるのは湖だけじゃない。草原も、針葉樹林といったこの層を象徴するものの全てが、この家の裏手から見渡せるようになっている。何とも、いい家を選んだんだ、キリトは。

 

 

(いい景色……)

 

 

 空を眺めてみれば、白く輝く月が見える。でも、あれは現実にある月じゃないし、この夜空も、草原も針葉樹林も、湖も、この世界そのものがVRでしかない。

 

 さっきの夢のおかげなのか、記憶が戻ってきている。どうやってこの世界に迷い込んできたのか、そもそもこの世界に来る前に何をしていたのかを。

 

 

「私は、病院からこの世界に迷い込んだんだったわ」

 

 

 ふと呟いたその時に、後ろから足音が聞こえてきた。私のものじゃない、草を踏みつけるような音。振り向いてみれば、そこにあったのはいつもの黒いコートを羽織っておらず、目を少し頻りに擦りながら、少し眠たそうにしているキリトの姿だった。

 

 そう、この世界に迷い込んでから最初に出会って、今まで一緒に居る、キリト。

 

 

「キリト」

 

「どうしたんだよシノン。こんな時間に外に出て」

 

「夜中に目が覚めちゃって、そこから眠れなくなったのよ。そういうあんたは何をしに」

 

「音が聞こえてきて、目を覚ましたらシノンがいなかったから探しに出たんだ。いくらフィールドモンスターがいないとはいえ、夜中に勝手に出て行かれたらびっくりするよ」

 

 

 どうやら、私の事を心配してここに来たらしい。というか、あの時音を立てずに動いたつもりだったのだけれど、キリトの事を起こしてしまっていたらしい。

 

 

「ごめんなさい、起こしちゃって」

 

「別に気にしてないから大丈夫だよ。ところで隣座ってもいい」

 

「別に構わないわ」

 

 

 そう言ってやると、キリトは「そっか」と言って歩み寄って来て、私の隣に座った。

 そうだわ、キリトは私の記憶について興味があるようにしているような感じがあった。一応、記憶の一部が戻ってきた事を教えておこうかしら。

 

 

「ねぇキリト、私、記憶を取り戻したみたいなの。話していいかしら」

 

 

 そう言った瞬間、キリトはかっと目を開けて私の顔を見つめてきた。

 

 

「本当なのか、シノン」

 

「えぇ。今から話すね」

 

 

 私はキリトに、思い出す事が出来た記憶の話を始めた。

 

 

「私がこのゲーム、《ソードアート・オンライン》を知ったのは、テレビやネットのニュースでよ。沢山の死亡者が出て、首謀者がまだ逮捕されてない、平成史上最悪のサイバー事件として取り扱われてる」

 

「なんだって。という事は、君はナーヴギアをどこかで手に入れて、それを使ってここに来たのか? このゲームには基本的には、フルダイブ機能がないとは入れないようになっているんだけど」

 

 

 ナーヴギア。ニュースによると、茅場という人が所属する会社が開発、販売したフルダイブ機能を搭載しているVRMMO専用ハード。そして、ソードアート・オンラインはそのナーヴギアでのみプレイできるゲームであり、「人類はとうとう完全なる仮想空間の実現に成功した」なんていう謳い文句の元、販売されていた。

 

 けれど、それはソードアート・オンラインがプレイヤーを殺害するゲームである事が判明した後に販売停止になり、全ての家電量販店からその姿を消した。

 

 

「ナーヴギアなんてとっくに販売停止になってるわ。多分、私をここに招いたのは病院にあったメディキュボイドね。ナーヴギアと同じくフルダイブ機能を搭載した大掛かりな装置。キリトは知ってるかな、VRMMOがナントカコントカ療法にいいとか言って、医療面でも使われてるのよ。麻酔薬の代わりだとか、精神治療にどうとか」

 

「へえ、VRMMOは病院でも使われていたのか。てっきり娯楽オンリーかと思ってたけれど、そうじゃないんだな」

 

「そう。私はカウンセリング用のVRMMOを病院で使ってね、アバターを作成してカウンセラーを待っていたのよ。あ、勿論このVRMMOはソードアート・オンラインじゃないわよ。無難なVRMMOね」

 

 

 キリトの眉が寄る。

 

 

「えっ、じゃあなんで君はここにやってきたんだ? 君がやっていたのはSAO(これ)じゃないんだろう」

 

「何でここに飛ばされたのかは、私にもわからない。アバターを作成して待ってたら、急に床が抜けて落っこちて、次に目を覚ましたらあんたの腕の中」

 

「SAOが、君をここに引きずり込んだとでも言うのか」

 

「そう考えるのが妥当ね。多分今頃病院は大騒ぎよ。私がいつまで経っても目を覚まさないって。私がSAOのプレイヤーになってしまったって」

 

 

 キリトが困ったような表情を浮かべる。

 

 

「そうだろうな。メディキュボイドを使ってSAOじゃないアプリケーションを起動したら、SAOに呑み込まれてしまったなんて、誰も想定出来っこない。それにしても、君は何故そんなものを使ってたんだ」

 

「えっ?」

 

「メディキュボイドとか、そのナントカコントカ療法だよ。どうしてそんなものを使っているんだ。それにカウンセラーとか……何かあったのか」

 

 

 そうだ。私は何でメディキュボイドなんて使ってたんだろう。メディキュボイドを使ってアバターを作ったってのはわかるんだけど、どうしてそんな事をしたのか、そもそもどういった経緯でメディキュボイドを使ったのかまでは思い出せない。ここが肝心なはずなのに、どうでもいい事ばかり思い出して、重要な事はまだ霧がかかったままだ。

 

 

「それがわからないのよ。メディキュボイドを使ってVRに入り込んだのはわかるんだけど、どうして入り込んだのか、どうしてメディキュボイドを使わなきゃいけなかったのかまでは思い出せないの。ここがすごく肝心なはずなのに、ここだけが何故か思い出せなくて……」

 

「なんだ、そこはわからないのか。でも、メディキュボイドを使ってここに入り込んでしまったのがわかっただけでも、一歩前進だな」

 

 

 実はそうでもない。ここが本当にあのSAOの中だってわかったという事は、ここが本当にデスゲームの中であるという事がわかったって事なんだから。ニュースによれば、SAO内でHPがゼロになって死亡すれば、現実世界のプレイヤーの脳を、ナーヴギアが焼き壊す。それは私も変わらない。

 

 私がこの世界でHPをゼロにされれば、病院のメディキュボイドが、私の脳を焼いて殺す。いや、メディキュボイドは確か、ものすごい出力のある機械だったから、あれがもし電磁パルスモードに入りでもしたら……。

 

 考えたら、お腹の底から震えが来た。多分、現実世界だったら吐いてる。

 

 

「……ッ」

 

「シノン、どうした?」

 

「ねぇキリト、この世界で、HPがゼロになったら、本当に死んでしまうのよね。じゃあ、私も……」

 

 

 突然、手が暖かくなった。何だろうと思ってみてみれば、キリトが私の手を覆っていた。

 

 

「大丈夫だよ、シノン。君の事は俺が守る。俺が最後まで守り切って、君を現実世界に返す」

 

 

 思わず、目が点になってしまった。まさか、こんな台詞があのキリトの口から出てくるとは思わなかったし、いやそもそもこんな臭い台詞を、ゲームとだとかアニメだとかドラマだとかに登場しそうな臭い台詞を言う事が出来るなんて。

 

 

「あんた、それ本気で言ってるの」

 

 

 そんなの冗談に決まってる。でなきゃこんな臭い台詞は……。

 

 

「悪いけど本気で言ってるよ。俺はもう誰も死なせたくないんだ。君だって、その一人だし、君は俺のところに落ちてきた。だから最後まで見届けて、守り切ってやりたいんだよ」

 

 

 どうやら、本気で言っていたらしい。その証拠と言うべきなのか、彼の黒色の目は本気の色というか、嘘を言っているような人間の目をしていなかった。この人、本気で私を守りたいとか言っている。こんなに臭い台詞を吐いて、しかもそれを本当に実行してしまいそうな目つきをしてる。

 

 

「馬鹿じゃないの。そんな事言って……私なんて、戦えもしないし、あんた達の足手まといにしかならないかもしれないのに……」

 

「それでも構わない。君がいてくれるだけで、俺はそれでいいんだ」

 

 

 キリトの言い分は全くよくわからない。この人は全く普通じゃないし、寧ろかなりの馬鹿だ。馬鹿だからこんなセリフを言ったりできるんだわ。でも何故か、何故だか、その言葉には異様な説得力と暖かさがあった。

 

 この人を信じてみたい、この人は信じれる、根拠もないのにそんな事を思える。

 

 

「……そう。なら、あんたの言葉に甘えてみようかしら」

 

「信じてくれるのか」

 

「えぇ。あんたの言葉、何だか信じられるのよ。それに、あんたが悪人だなんて思えないし。だから、あんたの事、少しは信じてみようとは思う。でもねキリト」

 

 

 キリトは「え?」と言って首を傾げた。

 

 

「私、記憶を少し取り戻したおかげで、何を目指していたのか、何を目的にしていたのかも思い出す事が出来た。私は、強くなりたい」

 

「強くなりたい、だって?」

 

「えぇ。ここにいるって事と、レベルがあるって事は、私は強くなる事も出来るんでしょう。それに私にも、こうやって短剣っていう武器がある。

 私は、強くなる事を願っていたわ。それがどうしてなのかは思い出せないけれど、私は強くなりたい。物理的にも、精神的にも」

 

 

 キリトは驚いたような顔で私を見つめていたけれど、しばらくして口を開いた。

 

 

「強くなりたいって……このゲームは遊びじゃないんだぞ。そんな軽々しく言えるようなものじゃないよ。それに、今だって君みたいな初心者が入り込めるような状況じゃ」

 

「誰だって最初は初心者でしょ。どんな科学者も、どんなプレイヤーも、知識ゼロの状態から始まる。あんただって、このゲームを始めた時は初心者だったんでしょう」

 

「そ、そうだけど」

 

「なら、あんたが私に技術を教えてほしい。あのアスナっていう人の話によれば、あんたは周りの人が吃驚するくらいの実力者なんでしょう。そんなあんたから鍛えてもらえば、強くなれる。そんな気がするけれど」

 

 

 キリトが考え込むような姿勢になる。

 

 

「クォーターポイントはないから、周りの連中に攻略を頼んで、君の鍛錬に付き合う事は出来ると思うけど……本当にやる気なのか君は。もしかしたら死ぬかもしれないんだぞ」

 

 

 あ、この人やっぱり馬鹿だわ。早速自分で言った事を忘れてる。

 

 

「そんなのやってみなきゃわからないし、私は死なないわ。だって、キリトが守ってくれるんでしょう?」

 

 

 キリトはハッとして、苦笑いした。

 

 

「そうだったな。君は、死なないね。俺と……リランが守るんだから」

 

「そういう事よ。だからお願いキリト。私に戦う力を与えて頂戴。ある程度教えてもらえれば、後は自分で何とかできるから」

 

 

 キリトは私の目をじっと見つめていたけれど、すぐさま軽く溜息を吐いて、言った。

 

 

「わかったよ。君の要求を呑み込もう。君を鍛える事で、俺も何か得られるかもしれない。だから、強くなるなら一緒だ。一緒に強くなっていこうぜ、シノン」

 

 

 何とか、キリトは私の言葉を聞いてくれた。アスナの時みたいに跳ね返されるんじゃないかと思ったけれど、そうじゃなくてよかった。

 

 

「了解よ。じゃあ朝方から始めたいんだけど、まずはどこからやるの?」

 

 

 キリトが考え込むような姿勢を再度取り、呟くように言った。

 

 

「まず1層まで戻って、そこから始めよう。あそこにはレベル1,2の敵がわんさかいるから、攻撃されても大したダメージにはならない。そこであらかた戦い方のコツとかを教えるから、大体よくなってきたら2層、3層と上げて行こう。俺達もそうやって強くなってきたから、シノンもそれで行けるはず」

 

「わかったわ。じゃあ、大晦日である31日までに50層まで辿り着きましょう。それなら、キリト達と同じくらいになるでしょう」

 

 

 キリトの目が点になる。

 

 

「えっ、君はそんなハードスケジュールで行くつもりなのか? 今日は26日……31日まで5日くらいしかないぞ。君が1層から初めて51層まで行くという事は、一日10層駆け上がる事になるぞ。かなり無理があると思うんだけど。というか、あまり現実的じゃないというか……」

 

「いいのよそれで。51層っていうのはあくまで目標であって、いけるところまでいければそれでいいから。目標が高ければモチベーションも高くなるし」

 

「そ、そうかぁ……じゃあ、ものすごいハードスケジュールだけど、それでいいんだな」

 

「構わないって言ってるでしょ」

 

「わかったよ……それでいこう。でも、本当に51層に辿り着けるかどうかはわからないから、辿り着けなくても怒らないでくれよ」

 

 

 ふふんと笑って見せる。

 

 

「どうって事ないわ。さぁ、お願いねキリト」

 

「わかりましたよ、シノンさん」

 

 

 キリトはそう言って、深々と溜息を吐いた。

 その時に、私はふとある事を思い出して、キリトに声をかけた。

 

 

「あ、そうだわキリト。気になってた事があるんだけど、聞いていいかしら」

 

「なんだ?」

 

「あんたが連れてるあのリランだけど……あれって雄なの? それとも雌なの?」

 

 

 キリトはきょとんとした。

 

 

「リランの性別が気になるのか?」

 

「えぇ。あれ、如何にも雌雄がありそうな形だし。あんたは知ってるんでしょ? リランが雄なのか雌なのか」

 

 キリトはまたまた考え込むような姿勢を取った。

 

「そういえばあまり気にした事が無かったな……あいつの性別ってどっちなんだろう。雄なのか、雌なのか……」

 

 

 思わず驚いてしまった。キリトはどうやら、リランの雌雄を知らないらしい。

 

 

「あんた、飼い主のくせにペットの雌雄すら知らないわけ?」

 

「あぁ。その辺りの事はあまり深く考えた事が無かったから……リランが起きたらステータスを確認してみるよ。きっとわかるはずだから。でも雌だと思うな、俺は」

 

「何でそう思うのよ」

 

「あいつの《声》、どう考えても女性のものなんだよ。デカい時はちょっと年取った女性の《声》だし、小さい時は本当に女の子みたいな《声》。シノンもリランの《声》を聞いてるからわかるだろ?」

 

 

 確かに、大きい時のリランの《声》はおばあちゃんまで行かないけれど、年配の女性みたいな声色で、キリトの肩に乗れるくらいの大きさの時は女の子みたいな声色だ。これはつまり、リランが雌である事を示す事だと思うけど……。

 

 

「そうね……リランは、雌かぁ……」

 

「まぁ、リランが起きたら確認してみるけどさ。(メィル)なのか(フィメール)なのか。というか、何でそんな事を聞いたんだ」

 

「ただ単に気になっただけよ。深い意味はあまりないつもりだけど。でもあれが雌なら、雄はどんな姿をしてるのかしらね。」

 

 

 キリトがログハウスの方へ目を向ける。

 

 

「あまり変わらないと思うけれど。あいつ、ドラゴンだけど哺乳類みたいな姿をしてるし」

 

「そうとは限らないんじゃない。現実のカブトムシとか、雄と雌で全然形が違うじゃない。リランの種類もきっとカブトムシみたいに全然姿が違ったりするんじゃないかしら」

 

「そんなものかなぁ。何にせよ、あいつの雄が存在するなら見てみたいな」

 

 

 そんな他愛もない話を繰り広げていると、急に眠気が来て欠伸が出た。吹っ飛んでいた眠気が今更になって戻って来たらしい。

 

 

「ごめんキリト、何だか急に眠くなってきた」

 

「そりゃよかったよ。さ、早く眠りに戻ろう。今日の昼からは鍛錬なんだから」

 

 

 私は頷き、キリトと共にログハウスの中へ戻った。

 何故だかはわからないけれど、強くなるんだ、私は。

 




◇◇◇ → キリト視点の事

◆◆◆ → シノン視点の事

□□□ → 第三者視点の事


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12:強くなる少女

         ◇◇◇

 

 

「はぁぁぁぁッ!!」

 

 

 蒼い光を纏う短剣による一撃がシノンより放たれ、青い毛並みの猪の額に炸裂した。強い衝撃を伴う一閃を受けた猪は大きく吹っ飛ばされて、やがて水色のシルエットとなり、ポリゴン片となって爆散した。戦闘を追えて、シノンは短剣を鞘の中に仕舞い込み、一息つく。

 

 俺はシノンに鍛錬を頼まれてから、昔懐かしい1層まで下り、そこにいる雑魚猪と交戦を開始した。鍛錬を開始した時は、とても懐かしい気分を感じた。このゲームを始めて間もない頃、完全なルーキーだったクラインを猪と戦わせて、戦い方などをレクチャーしたのだ。その時は、クラインはどんくさく動いたり、猪にどつかれたりして俺を笑わせて見せたものだった。

 

 きっとシノンもそんな感じだろうと思って、猪と戦闘をさせてみたが、そこで俺は度肝を抜かす事になった。シノンは素早く動いて猪の突進攻撃を回避し、その隙を突いて猪の横腹に攻撃を仕掛け、更にソードスキルも放つというコンボを披露して見せた。

 

 結果、シノンは一撃も猪の攻撃を喰らう事なく、猪を撃破した。まさか、ここまでシノンが玄人顔負けの動きと身のこなしを見せるとは思っても見ず、俺もリランも空いた口が塞がらなかった。

 

 

「な、なんて動き……」

 

《あれが初心者の動きか? 少なくとも、どこかで実戦を積んだような動きだぞあれは》

 

 

 リランの言う通りだ。あれは明らかにどこかで戦闘経験を積んだような動きだ。いや、そうじゃないかもしれないけれど、そうじゃないのだとすれば、恐ろしい運動神経と動体視力だ。シノンはもしかしたら、人並み外れた動体視力や判断力を持ち合わせているのかもしれない。

 

 

「なに、また私に内緒で脳内会話かしら」

 

 

 シノンの声で我に返り、俺は手を振る。

 

 

「そうじゃないよ。シノンの動きがすごくて、見惚れてたんだ。とても初心者の動きに見えなくてさ」

 

 

 シノンは短剣を引き抜き、手元でくるくると回して見せた。

 

 

「今のが1層の敵なの? 動きも遅くて、すぐに見切れるような奴じゃない。あんなのを倒したって強くなった実感がないわ」

 

「そりゃそうだよ。ここいらの敵はプレイヤーに動き方とかを慣れさせるために、弱いんだ。確かに戦っててもあまり面白くないかもな」

 

 

 シノンは短剣を再度鞘に仕舞い込んで、両手を腰に当てた。

 

 

「じゃあ、階層をある程度すっ飛ばしましょう。しばらく上がって行っても、同じような敵しかいないんでしょ」

 

「そうだな。しばらく上がっていっても猪やら蜂やら、本当に動物的な奴しかいないな。ワンランク上を求めるなら、緑色のリザードマンがいる5層くらいまで上がる必要があるかも」

 

「じゃあ5層まで駆け上がりましょう。そこにもっと実感の沸く敵がいるなら、そいつらと戦うわ」

 

 

 シノンの目を見てみると、その眼光は燃えるように揺らいでいた。やる気に満ち溢れている人間の眼光だ、あれは。あれくらいのやる気があるなら、1層で練習を続けるのはあまり上策とは言い難い。シノンの言う通り、5層まで一気に飛んでもよさそうだ。

 

 

「仕方がない。確かに1層に留まっていてもあまりいい成果は得られそうにないな。5層まで一気に飛ぼう。というかこれなら本当に年越しまで50層に辿り着きそうだ」

 

 

 俺は呟いた後にシノンとリランを連れて、1層の街……はじまりの街まで戻る道を歩き始めた。しかしその道中、いきなりリランが《声》をかけてきた。

 

 

《なぁキリト、少し気になっていた事があるのだが》

 

 

 リランの《声》で俺も重要な事を思い出した。そう言えば、リランの性別がどちらなのか確認したいと思っていたし、シノンも言っていたんだった。だけど、リランが気にしてた事も気になる。

 

 

「俺もお前について気になってた事があるんだけど、まぁいいや。お前から話してくれ」

 

 

 立ち止まって振り返ると、リランは頭を下げた。

 

 

《お前が昨日聖竜連合の一人からもらっていたアイテムは何だ。何か、重要な物資に見えたが》

 

 

 そうだ、昨日聖竜連合の一人が俺に謝罪するためにアイテムを一つ渡してきていた。何でも、あの巨像を倒した後の50層ボス部屋で見つけたそうだが、ボス部屋にアイテムが落ちていたなどという情報はあまり聞かない。

 

 アイテムウインドウを呼び出し、連合員からもらったアイテムを探してみたところ、見慣れない名前のアイテムが存在している事に気付いた。その名は、「ヘカトンケイルの腕」。ヘカトンケイルと言えば50層ボスの巨像の事だな。

 

 

「ヘカトンケイルの腕……こんなもの手に入れた覚えがないから、多分これだな」

 

 

 そのアイテムを指で押し、具現させてみたところ、ウインドウから白い光に包まれた塊が出現して、俺から少しずつ離れて行った。そして俺達から1メートルほど離れたところで一気に巨大化し、リランの角から尻尾までの長さと同じくらいの大きさになって止まり、地面にどすんっという重々しい音と衝撃を齎して落ちた。そしてその巨大な何かが覆っていた光が弾けると、光に包まれていた物の正体が明らかになったが、俺達は思わず声を上げて驚いた。

 

 青銅色の石のような固い質感で構成された腕。それはまさしく、あのヘカトンケイルの腕のうちの一本だった。

 

 

「これ、あの巨像の腕じゃねえか!」

 

「な、なによこれ。何かの腕に見えるけど……」

 

 

 興味深そうに見つめているシノンの横で、俺は気付いた。シノンはあの巨像が倒された後にここに来たから、巨像の事は知らないんだ。

 

 

「50層ボスの身体の一部だよ。50層のボスは、多腕の巨像だったんだ。だけどなんでこんなものが出て来たんだ。何かの素材かな」

 

 

 考えても用途が見当たらない。いや、もしかしたら武器や防具を作るための素材かもしれない。こういうゲームには、ボスとか敵モンスターの素材から武器や防具を作るというのが付き物だ。このアイテムもきっと、武器や防具を作るための重要素材……。

 

 

《キリト、このアイテムを我に与えてくれぬか》

 

「え? お前に与えるだって?」

 

《これはあの時の巨像の腕だが、同時に強い力を感じるアイテムだ。これを我が手にすれば、我はもっと強くなれる。そんな気がするのだ》

 

 

 その途端、リランと初めて出会った時の事が頭の中でフラッシュバックした。

 

 そうだ、リランは進化するドラゴンで、俺と初めて出会った時も、アイテムを口にした事によって姿を変えた。リランがこう言っているという事は、これが、ボスがドロップしたリランの進化アイテムなのだろうか。確かにこういうゲームでは、アイテムを与えられる事によって進化するモンスターが登場すると言うのは珍しい話ではないけれど。

 

 

「わかったけど、お前、これが食えるのか。石のように硬そうで、お前の歯も欠けちまいそうだぞ」

 

《心配ない。それでは、このアイテムはもらっていいのだな》

 

「あぁ構わないよ。それでお前が強くなるなら、俺は止めないよ」

 

《感謝する》

 

 

 そう言ってリランはヘカトンケイルの腕に喰らいついた。一見すると硬そうだったが、リランに噛み付かれると石のような腕はまるで肉のように柔らかく変質し、リランは軟化したヘカトンケイルの腕をぶちぶちがつがつという本当に肉を食っているような音を立てて喰らい始めた。

 

 俺達が目を点にしている中、リランは食事を終えて、聖竜連合の一人からもらったアイテムは蘇生アイテムのようにリランの栄養に変わった。

 

 

「美味かったか?」

 

 

 尋ねてもリランは何も答えない。かと思いきや、突然リランは空高く咆哮し、強い光にその身を包んだ。あまりに強い光に俺とシノンは目を閉じて、腕で目を覆う。これは、進化だ。リランは進化する時に強い光を纏って姿を変える。あの時と同じ、進化の光だ。

 

 リランを覆う進化の光は5秒ほど続いた後に消え果て、俺とシノンはすぐにリランに目を向けたが、そこで驚いた。

 

 リランの身体の至る所から毛が抜け落ちて、脚部、腕部、手、足、首がまるで雪のように真っ白に輝く鱗と甲殻に包み込まれ、逆に腹と背、胸、顔には白い毛がそのまま残っており、太腿の背後からも毛が生えて、耳の上部に生えていた角はその大きさ、長さを増している。更に翼は形はそのままだけど、最も外にある部分がまるでブレードのように鋭利なものに変化している。尻尾もまた、まるで剣が装着されたかのように鋭利な物へと変わっていた。

 

 狼の輪郭を持つドラゴンという点は変わっていないが、リランの姿は先程とは別のものに変化を遂げた。

 

 

「嘘……姿が変わって……」

 

 

 進化したリランの姿に驚いているシノンを横目に見ながら、俺はステータス画面を開き、リランのステータスを確認した。レベルは75のまま動いていないけれど、リランの能力値はその全てが進化する前と比べて格段に上昇しており、この進化で相当強くなった事を俺に実感させた。

 

 そして名前のところに目を向けてみれば、リランの名は《Rerun_The_SwordDragon》から《Rerun_The_BladeDragon》に変化していた。なるほど、今のリランの姿は前のリランの姿の上位種というわけか。まぁ進化するドラゴンなら当たり前だけど。

 

 

 そこで俺はシノンとの会話を思い出して、目を泳がせた。そうだ、リランの性別はどっちなんだ。リランは確実に性別のある種族だ、だから隈なく探せば、性別がどちらなのかわかるはず。そう思っていると、俺は思わずきょとんとしてしまって、ある部分に釘付けになった。

 

 リランの名前を示す部分である《Rerun》、リランの種族を示す部分である《Rerun_The_BladeDragon》の下に、性別を示す文字があった。そこに出ている言葉は、《Female》。《Female》という事は女性……即ち、雌だ。シノンの、そして俺の思っていた通り、リランは雌だった。

 

 

「シノン、リランの性別がわかったぞ! 雌だ!」

 

 

 シノンはこっちに目を向けた。

 

 

「あ、そうなの。っていうか、この状況を説明しなさいよ。何でリランの姿がこんなふうになっちゃったわけ?」

 

 

 そう言えばシノンにはリランが進化する竜だって事を教えるのを忘れていた。これからのために早急に説明しておかないと。

 

 

「リランは何らかの条件を満たす事によって、進化するドラゴンみたいなんだ。前に進化した時も、俺がアイテムを渡す事によって起きたから、多分今回もそれだろう」

 

「進化するドラゴン……ゲームとかだとよくある事ね」

 

 

 話をしていると、リランはそっと首を動かして俺とシノンを見つめてきた。

 

 

《力が漲ってくるような感じがある。我はどうやら強くなったようだな》

 

「どうやらもなにも、強くなったんだよ。お前は進化したんだ」

 

 

 リランは首を動かして自分の身体を舐めるように見つめた。

 

 

《進化……お前と初めて出会った時に見せたな。まさか一日後にまた進化できるとは思わなんだ》

 

「今回は条件が良かったんだろうきっと。次に進化できるのはいつになるだろうな。というか、お前が進化する要因はやっぱりアイテムによるものなのか」

 

 

 リランは俺に目を戻す。

 

 

《そうだな。我が力を得られるのは、お前達がアイテムと呼ぶものの中でもレアで、尚且つ我の力に反応するものらしい。ただ何も考えずにレアアイテムを口にしたところで我は力を得る事は出来ないだろう》

 

 

 腕組みをして、頷く。という事は、レアアイテムの中にはリランを進化させる要因を含んだものがあり、それを得る事によってリランが進化するようになっている仕組か。

 

 

「となると、今後お前を強くするには、お前を進化させる要因を持ったアイテムを手に入れていくという事になりそうだな。そしてそのアイテムの名は、「進化要因」って言ったところか」

 

《そうさな。いや、もしかしたらこの城を昇る毎に、我は強くなるようになっているのかもしれぬな……》

 

 

 思わず首を傾げると、リランは言葉を続けた。

 

 

《お前が先程寄越したアイテムはあの巨像を倒した事によって出現したアイテムだったそうではないか。もしかしたらだが、我の進化要因はお前達がボスと呼ぶ存在を倒せば手に入るものなのかもしれぬ》

 

「確かに……そう考えるとあの巨像があの腕をドロップした事も頷けるな。じゃあお前が強くなりたいと思った時には、ボスに挑む必要があるという事か。いや、レベルアップでの能力値の底上げは可能だけど、上位種の能力値には敵わないから結局は上位種に進化するほかないって感じか」

 

《そういう事だな。だからボス戦があるならば我も参加させてくれ》

 

 

 リランが強くなるには、レベルアップの他に進化要因を手に入れて進化する手段があり、進化の方がレベルアップと比べて圧倒的に能力値が上昇するし、見た目も変化する。うん、昔あったゲームによくあった事例だな。

 

 考えていると、リランは苦笑いしながらシノンに《声》をかけた。

 

 

《同じだな、シノン。我もお前も強くなる事を願っている。けれどお前達が羨ましい。お前達はレベルアップや経験でどうにでも強くなるのに、我は進化要因などというものを手に入れなければ強くなれぬ》

 

 

 シノンは首を横に振った。

 

 

「そんな事ないと思うわ。あんたは確かに進化要因ってのが必要になってるみたいだけど、あんたは私達よりも強いし、私達と同様に経験を積む事が出来るわ。だってあんたには心があるわけだし」

 

 

 リランの顔が笑顔になる。

 

 

《そう言ってもらえると心強い。共に強くなろうぞ、シノン。そしてキリトも》

 

「そうだな。俺も学ぶ事がまだまだ沢山あるし、強くなりたいって思ってる。そうじゃなきゃみんなを守ってこの城を終わらせる事なんか出来やしないからな」

 

 

 シノンが腕組みをして、リランを見つめた。

 

 

「リランもこうして強くなったわけだし、私も早く強くならないと。キリト、早く5層まで行きましょう。そこでペースを上げて鍛錬するわ」

 

 

 いきなり歩き出したシノンに驚き、俺とリランはその後を追った。その後ろ姿を見ながら、俺はシノンについてふと頭の中で考えた。

 

 シノンは強くなる事を求めてこうして鍛錬を始めたわけだけれど、それがどうしてなのか本人も思い出せないみたいだし、俺も何なのか予測できない。だけど、シノンの戦っている様子を見ると、何か大きな意志に突き動かされているように見えてくる。

 

 強くなりたいっていう大きな意志を心の奥底で持っていて、それに突き動かされながらシノンは短剣を振るっているように、俺は思える。

 

 

 強さが欲しいという大きな意志なんてものは、普通の日常生活では抱けないようなものだし、それにシノンはメディキュボイトを使ってカウンセリングを受けるはずだったのに、この世界に来たと言っていた。

 

 どうしてメディキュボイトを使うに至ったのか、どうしてカウンセリングを受ける事になったのか、シノンも気にしているみたいだけれど、俺自身もいつもの知りたがりが発動して気になる。シノンの過去に何があったのか、正直なところ気になって仕方がない。たとえそれがSAOのマナー違反であっても。

 

 近頃、知りたい事が沢山出てきて困る。でも、それもきっとシノンと一緒に居ればいつか分かりそうだし、リランの正体だって、この城を昇り続けていればわかるような事だろう。

 

 

(まずは、シノンの鍛錬だ)

 

 

 そう心の中で呟いて、俺はシノンの隣に並んで歩き始めた。

 

 

 

         ◇◇◇

 

 

 5層のリザードマン達の巣で、俺達は再度鍛錬を開始したのだが、そこでも俺は驚かされる事になった。

 

 薄暗い洞窟の中、シノンはターゲットにしていたリザードマンを素早く見つけていきなり戦闘を開始した。その時はリザードマンが先制攻撃を仕掛けたのだけれど、シノンはリザードマンの攻撃を猪の攻撃を避けた時のようにいきなり回避した。

 

 更に、リザードマンが剣を横に振れば後方に回避し、縦に振れば側面にフロントステップ。リザードマンの攻撃を一撃も受けずに動きを読み、次にどう出るかを常に考えているような動きを俺達に見せつけてきた。

 

 そしてシノンの動きに苛立ったリザードマンがソードスキルを放った隙を突き、鎧の間目掛けて短剣を食い込ませる。鎧の間を突かれて弱ったところにシノンは更にソードスキルを叩き込み、リザードマンを見事に撃破してみせた。

 

 リザードマンは猪や蜂とは違って初心者なら結構苦戦する相手だから、シノンも苦戦するんじゃないかと思っていたが、全然そんな事はなかった。シノンはリザードマンすらも軽く倒すくらいに高いバトルの潜在能力を持っている。ちゃんと取り組んでいるし、呑み込みだって早いし、更に動体視力なども他の連中と比べて著しく高い。

 

 いや、下手すれば俺よりも動体視力が良く、高いポテンシャルを持ち合わせているのかもしれない。そのくらいに、シノンの戦闘能力のセンスは光り輝いている。

 

 

《強いなシノンは。少なくとも他のプレイヤー達と比べて、目覚ましい動きを見せている。思った以上に、戦闘に向いているようだな》

 

「あぁ、それは間違いないよ。リザードマンはプレイヤーならまず一回は苦戦するような相手なんだけど、シノンは全く苦戦せずに倒して行ってる。かなり戦闘のセンスが高いと断定してもいいだろう」

 

 

 ただ一つ気になっている事がある。それはシノンの動きというか、攻撃している時の感じだ。シノンはどこか、武器が手に馴染んでいないような動きをする時があり、猪と戦っている時から今までずっと引きずり続けている。

 

 もしかしたら、本当は短剣が合ってないのかもしれない。それでもメイスや槍、大剣などと比べれば肌に合っているはずなのだが、やはりどこか向いてないところがあるようだ。

 

 

 一体何がシノンに適合している武器なのか……そう考えたその時、シノンが突然脱力したようにへたり込んだ。思わず驚いてシノンの元に駆けつけ、声をかける。

 

 

「大丈夫か、シノン」

 

 

 シノンの顔に目を向けてみたところ、シノンの顔は若干蒼くなっていた。

 

 

「ごめんなさい。何だか急に力が入らなくなって……ゲームの中だから、疲れないはずなのに……」

 

 

 このゲームは確かに肉体を使わない。けれどその代わりに脳をフル稼働させているから、普通にやり続けていれば疲れてしまう。それにシノンは早朝から真昼まである今までずっと戦い続けていた。こんな過酷な戦闘を繰り広げれば、疲れて当然だ。

 

 

「このゲームは脳をフル稼働させるゲームだ。ぶっ続けで戦ってたから、疲れが来たんだよ。外に出て休憩しよう」

 

 

 シノンは小さく「わかった」と言って、立ち上がった。シノンとリランを連れて外に出てみると、暖かい光と風が身体を撫でてきた。アインクラッド第5層は本日、良好な気候設定のようだ。これなら、十分な休息がとれそうと頭の中で呟き、リザードマンの洞窟から離れて平原部に行ってみたところ、リランが《声》をかけてきた。

 

 

《キリト、シノン。休むならば我に寄りかかるといい》

 

 

 そう言って、リランはその場に座り込んだ。確かにリランの毛は温かく、もふもふとしていて触り心地もかなりいい。寄りかかって昼寝でも出来たら、暖かい布団に寝転がっているみたいでさぞかし気持ちがいいだろう。疲れているシノンには尚更効果的なはずだ。

 

 

「休ませてくれるのか、リラン」

 

《いいとも。まだ鍛錬を続けるのだろう。休んだ方が良い》

 

「わかったよリラン。ありがとう。早速寄りかからせてもら――」

 

 

 そう言ってリランの身体を見たその時に、俺は思わず目を点にした。俺が寄りかかるよりも先に、シノンが既に座り込み、リランに寄りかかる形で眠っていた。……どうやらシノンでも居眠りはするようだ。まぁ戦い続けていたから当然か。

 

 

「あはは……まさかシノンに先を越されているなんてな」

 

《シノンはずっと戦い続けていたからな。戦った事もろくにないと言うのに、本当に健気だ》

 

「同意するよ。それじゃあ、俺も一緒に休ませてもらうよ」

 

 

 そう言って腰を下ろし、リランの身体に寄りかかろうとしたその時、シノンの口元から声が漏れた。

 

 

「ん……誰……あなたは誰……」

 

 

 思わずきょとんとして、シノンに目を向けた。徐々にシノンの顔が苦悶の表情に変わって行く。

 

 

「そうだ……あれは……見たくない……見たくないよ……」

 

 

 夢を見ているようだ。だが、この表情と言葉から察するに、あまり良い内容ではないのは確かだ。

 

 

「私、私はどうすればいいの、どうすれば、いやだ、たすけ、だれか、たすけて」

 

 

 徐々に助けを求めるような声に変わり、俺は思わず焦ってシノンに声をかけた。

 

 

「お、おいシノン、大丈夫か?」

 

「いやだ……いやだ、いやだ……」

 

 

 声をかけても起きてくれないし、シノンの顔に汗が浮かんでくる。これは、少し拙い。

 

 

「シノン、起きるんだ、シノン!」

 

 

 思わずシノンの身体に手をかけて揺すったその時に、シノンはハッと言って目を開けた。

 

 



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13:記憶の断片

 いきなり悪夢に苛まれ始めたシノンに声をかけてやっても、シノンは起きる気配を見せてくれなかった。そこで身体を試しに揺すってやったところ、そこでようやくシノンは目を開いてくれた。

 

 

「シノン、無事か?」

 

 

 シノンは何が起きたのかわからないような顔をしつつ、俺の目を見つめた。

 

 

「キリト……?」

 

「あぁそうだ。大丈夫か? 酷く(うな)されてたみたいだけど」

 

 

 シノンはリランの身体から起き上がり、片手で顔を覆った。

 

 

「なんか、すっごく悪い夢を見てた気がするんだけど、なんだっけ、思い出せないわ」

 

「もしかして、君の記憶に関する夢なんじゃないのか」

 

「そうかもしれない。でも、夢の中では思い出せてたみたいなのに、起きたら思い出せなくなった。何の夢見てたんだっけ、私は……」

 

 

 ふと、俺はシノンを見つめつつ考えた。シノンが眠っている時の苦悶の表情は尋常なものではなかった。明らかに、これ以上ないくらいに恐ろしい夢を見ていた事が窺える。シノンはもしかしたら、それを夢に見るくらいに、過去に恐ろしい目に遭ったのかもしれない。

 

 ……シノンはそれが何なのか気になって入るみたいだし、俺も気になっているけれど、果たしてそんな記憶を取り戻すべきなのだろうか。シノンが本当に過去に恐ろしい目に遭っていて、その記憶を失っているのであれば、思い出さない方がシノンにとっていいんじゃないか。

 

 

「なぁ、シノン」

 

「なによ」

 

「もしかして、それが君の記憶なんじゃないのか。その恐ろしい夢が、君の記憶」

 

 

 シノンが頷く。

 

 

「そうなのかもしれないわ。だけど、駄目だわ。急に思い出せなくなっちゃった」

 

「思い出さなくていいんじゃないかな」

 

 

 言うと、シノンは片手を顔から話し、目を丸くして俺を睨んだ。

 

 

「何言ってるのよキリト」

 

「そう言うけどさ、君が魘されている時の表情は尋常じゃないくらいに苦しんでたんだよ。もしそれを思い出したら、君は想像以上に苦しい思いをするかもしれないんだ。だから、思い出さない方がいいんじゃないかって……」

 

 

 シノンはきょとんとしたような表情を浮かべて、しばらく俺の事を見つめていたが、やがて空を見上げて、深く溜息を吐いた。

 

 

「確かに、その通りかもしれない。私はきっとろくな目に遭ってないんだわ。そしてそれを夢に見て、苦しんでいた。思い出したら想像以上の苦しみに襲われるかもしれない……あんたの言う通り、思い出さない方が吉なのかもしれないわ」

 

 やはりシノンもそう思っていたらしい。わざわざ苦しむ道を選ばなくたって生きて行けるはずだし、シノンもシノンのままでいられるはずだ。……そう思ったその時に、シノンは顔を俺と合わせた。

 

 

「だけど、断るわ」

 

「えっ」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいけどね、思い出さない方が苦しいのよ、私は。

 心の中はずっともやもやしたままだし、自分が過去に何をしたのか、何があったのかが気になって仕方がない。

 そんな思いをして生きていくくらいなら、どんな苦しみが待っていようとも、思い出した方がいいに決まってる。だからあんたの言う事には従えない。私は、記憶を取り戻す事を選ぶわ、キリト」

 

 

 思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。

 

 シノンは恐れなかった。普通の人なら、記憶の中に酷いものがあった場合、思い出す事を拒否するはずなのに、シノンは自分からその苦しみに飛び込もうとしている。そうしなければ、記憶を取り戻せない事により苦しむだけだからと言って。こんな判断は、常人に出来るような事なのだろうか。いや、多分できない。

 

 シノンは、強い。だから、こんな事を言い出せるし、強くなろうと思えるんだ。

 

 

「……君は強いよ。どんな苦しみが待っていようとも、立ち向かっていこうと思えるんだから」

 

 

 シノンの顔が穏やかなものに変わる。

 

 

「それはあんたもでしょキリト。あんただって苦しみに立ち向かう事を恐れてないじゃない」

 

「え、俺そんな事してたっけ」

 

「してるわよ。HPをゼロにされれば本当に死ぬゲームなのに、みんなを守ろうと思って、恐ろしい敵モンスターに果敢に戦っていってるみたいじゃない。それに、周りから見れば厄介者にしかならないはずの私を、最後まで守るなんて事も言い出した。多分だけど、普通の人じゃこんな事は出来ないと思う。キリトも強いと思うわ」

 

 

 俺は頷いて、空を見上げた。俺が皆を守るだとか、シノンと一緒に居るだとか、そういう事を出来るのは他の人よりも強いからと言われた。だけど、その強さはまだまだ発展途上なはずだ。シノンもそうだけど、俺ももっと強くならないと、他のプレイヤーも、シノンも、そしてリランも守れない。

 

 

「俺も強い、か。だけど、今の強さじゃ到底満足できそうにないな。君やリランと同じように、俺ももっと強くならないとな」

 

「それは私も同じ。私も、もっと強くなる事を選ぶわ。キリト、リザードマンはもういいから、次の敵がいる場所に行きましょう」

 

「そうだな。次は8層まで駆け上がろう。そこで剣と盾持ち、槍持ちのスケルトンと戦うんだ。そいつらは結構手応えあると思うし、戦えば腕が上達すると思うよ」

 

「わかったわ。休憩終了、8層へ向かいましょう」

 

「よし、行こうぜリラン。次は8層だ」

 

 

 リランは《承知した》と言って立ち上がった。そういえば、さっきからずっとリランは黙っていた。普通なら一言二言口を挟んでくるっていうのに。

 何だか珍しいなと思って立ち上がったその時、リランは俺達に《声》をかけてきた。

 

 

《キリト、シノン。辛くなったら我を頼れよ》

 

「なんだよ急に」

 

《なんでもない。ただ、辛くなっても一人で抱え込もうとするでないぞ。お前達には我がいる。その事を忘れるな》

 

 

 シノンがクスリと笑って、リランの身体を撫でた。

 

 

「忘れないわよ、あんたほど常識はずれな存在の事を。寧ろあんたを忘れるって事の方が難しいと思うわ」

 

 

 確かにリランは俺達プレイヤーと同じように喋るけれど、姿形は特徴的な部分をいくつも持っているドラゴンだ。他のプレイヤー達を忘れてしまったとしても、リラン程の奴ならば、忘れる事はそうそうないだろう。

 

 

「俺も同じ意見だ。リランを忘れるのは難しすぎる」

 

《そうか。ならば我も安心出来る》

 

「頼りにしてるぜ、相棒。それじゃあ、次は8層だ」

 

 

 俺はシノンとリランを連れて街へ戻り、8層へと進んだ。この調子ならば本当に5日で50層に辿り着いてしまいそうだ。いや、きっとシノン程意志の強い人ならば、本当に50層に辿り着けるだろう。

 

 

 

            ◇◇◇

 

 

 

 アインクラッド22層 ログハウス 午後7時

 

 俺達は修行を終えて家に戻ってきた。シノンの成長はやはり目まぐるしく、多彩な武器を装備したスケルトンさえも、あっさりと撃破してしまった。それでもなおシノンの強い者との戦いを望む意志は止まらず、その後も10層、13層、17層、21層、22層と上がってきて、ここまで辿り着いてしまった。

 

 その間にもシノンは多彩な敵と戦ってその動きや節、行動パターンや立ち回りなどを身に付けて行った。それこそ、まるで強さを求める事こそが全てのように。そうした結果、予想を遥かに上回ったこの層まで来てしまったわけだ。

 

 これなら明日明後日にでも50層に辿り着いてしまいかねないし、シノン自身も急成長を遂げたかのごとく、もう攻略組に居てもいいんじゃないかと思えるくらいに強くなっていた。レベルだって1上がって、56レベルになっている。

 

 俺とリランは75レベルのままだが、そもそも攻略組の中でこのレベルに達している物はディアベルやアスナと言った精鋭、本当に極少数で、他の者達を見てみても、最も高くて65レベル、低くてシノンと同じ56レベルくらいだ。

 

 シノンは既に攻略組に迫ってきているし、強さの方はもう攻略組の中層グループに追いついているんじゃないかと思えるくらい。

 

 

「すごいなシノン。まさか一日でここまで登ってしまうなんて」

 

 

 シノンが飲み物を口にしながら椅子に寄りかかる。

 

 

「低層の敵は手ごたえがないのよ。21層まで来たところでようやく若干の手ごたえが出てきたような感じよ。21層まで来たところで、敵のレベルは23くらいでしょ」

 

「まぁね。この城の層の数と、敵のレベルはほぼ同じなんだよ。一層上がる毎に敵のレベルも一つずつ上がっていくような感じだ」

 

「そうなると、私のレベルは既に56層の敵を相手にしてもいいくらいになっているわけね。じゃあ次はもっと高いところに行ってもいいんじゃないの」

 

 

 いや、そうでもないのが現実だ。実のところ、45層を超えた辺りから、敵の行動パターンにイレギュラー性が出てくるようになり、45層でしかないはずなのに敵のレベルは50とか52とかがざらになっている。

 

 層を上がる毎に、その層+1から7までの不規則な数字が敵のレベルになりつつある。だから自分のレベルが層の数よりも大きくても、その層の敵に苦戦を強いられる事も珍しくない。

 

 

「実はそうじゃないんだよシノン」

 

 

 シノンは目を丸くして、俺に目を向ける。そこで俺はこれまでわかっている事をシノンに話した。

 

 

「敵のレベルはその層プラス1から7までのどれかになってる、ですって?」

 

「あぁ。だから45層付近まで行ったところで、敵のレベルは君のレベルである56に追いつきかけ。目標の50層まで来たところで君は敵のレベルと同じになるんだ。だからあまり油断は出来ないんだよ。まぁ少なくとも40層までは君のレベルの方が高い計算だから、どうにかなるだろうけれど」

 

 

 シノンは溜息を吐いた。

 

 

「なら早く50層まで行かないとね。そこまでくれば、強くなったっていう実感が沸くでしょうし」

 

「君は怖くないのか。敵が強くなるんだぞ。下手すれば命を奪われるかもしれないのに」

 

 

 シノンは表情を険しくして、飲み物を口元から離した。

 

 

「怖いと言うよりも、見たいが強いわね。強い敵はどんなものなのか、見てみたい。それになんだか、怖くないのよ、そういう事を言われても」

 

「何故だ。普通のプレイヤーなら自分のレベルに敵が追い付かれる恐怖を抱くと言うのに」

 

 

 シノンはふっと鼻で笑って表情を和らげた。

 

 

「普通じゃない人と普通じゃないドラゴンに守られているからよ。あんたとリランのレベルは75レベル……56レベルの敵なんか相手じゃないくらい高いし、それにあんた達の戦闘技術は私よりもはるかに高いんでしょう。そんな人達が守ってやるって言ってるんだから、安心以外に何を抱けばいいのかしら」

 

 

 確かに、俺とリランのレベルは75レベル、50層の敵なんか目じゃないくらいに強いし、何より俺はシノンに何かあったらすぐさま駆け付けるつもりでいるし、そもそもシノンが修行をしている時は常に近くで監督をしている。

 

 もしかしてシノンの調子が良さそうにみえるのと、シノンが妙に軽やかに動いて力を振るえるのは、俺とリランという存在が近くにいるからか? 俺がシノンの立場にいるのであれば、確かに安心を抱いて戦う事が出来る。強い者が出てきても近くにいる仲間と手を合わせて戦う事が出来るんだから。

 

 

「もしかして君が恐れずに戦っている理由って……」

 

「あんた達が近くにいるからかもね。あんた達が守ってくれるって言ってるし、常に身構えてくれているから、私はどんな敵も恐れずに立ち向かっていけるんだわ。この調子なら、50層の敵も怖くない」

 

 

 思わず驚いてしまった。あの時、シノンの事は俺が守るって言ってやったけど、まさかそれがシノンに安心感を与えて、敵を恐れず戦う力を更に与えているとは思ってもみなかった。

 

 

「そうだったのか。だからシノンの調子は良かったんだな……」

 

「何よ、まるで私があんなふうに戦うのは予想外だったみたいに」

 

「予想外だったんだよ。まさか君があんなふうに戦うなんて、全然考えてなかったんだ。それに、俺とリランがいるって事、そんなに重要だったなんてのも、思ってもみなかった」

 

「それもこれもキリトとリランが近くにいてくれたおかげよ。これからもお願いね、二人とも。私はまだまだ進むつもりでいるから」

 

「了解ですシノン殿。しっかりサポートさせていただきますんで、ご安心下さい」

 

「よろしい」

 

 

 そう言って、シノンはぐっと飲み物を飲み干したが、その様子を見ながら、俺は心の中で考えた。

 

 そうだ、俺はこれだけのシノンを安心させる事が出来ている。もしかしたら社交辞令か何かかもしれないけれど、何も知らなかったシノンを守りつつ、力を付けさせる事が出来た。これからもっときつくなるだろうし、攻略の方の危なくなるだろうけれど、シノンの事は守っていかないと。

 

 心の中で決めたその時に、シノンは何かに気付いたような顔になった。

 

 

「そうだわキリト。今日はここまで付き合ってくれたお礼に、何か作ってあげるわ」

 

「え。何か作るって」

 

「料理よ。昨日少し思い出したんだけど、私は料理が作れるみたいなのよ。せっかくキリトがキッチンが付いている家を買ってくれたんだから、キッチンを生かして、料理を作りたいわ。キリト、何が食べたい?」

 

 

 思わず苦笑いをした。確かにこの世界で食材を使って料理をする事が可能だし、それを食べる事も出来るんだけど、この世界での料理は料理スキルに依存しており、料理スキルを上げておかないと料理したって「でろでろなもの」や「コゲ肉」みたいなものが出来上がってしまう。

 

 シノンは現実世界では料理が出来ていたみたいだけど、残念ながらこの世界では料理スキルが無ければどうにもならない。俺も少し興味を持ってあげた事はあるけれど、結局中途半端な90ポイントまでしか上げられず、途中でやめてバトル系統の方にポイントを回す事になった。

 

 

「気持ちは嬉しいんだけどシノン、それはちょっとかなわないんだ」

 

「え、なんで。私料理できるよ。それとも私の料理が食べたくないとか」

 

「いやいやそういうわけじゃない。この世界の仕組みの一つに、料理は料理スキルがないとできないようになってるっていうのがあるんだ。だから、シノンが料理を出来るかどうかは料理スキルがあるかどうかを見ないと何とも言えない」

 

「何よそれ……何その完全なるスキル頼みは。スキルなんて戦闘だけだと思ってたのに」

 

「とにかくスキル表を開いてみてくれ。そこに料理っていうのがあるはずだ」

 

 

 シノンは渋々了解してスキル表を開いた。椅子から立ち上がってシノンの背後に回り、一緒にスキル表を確認してみたところ、驚くべき数字がそこにあった。シノンの料理スキルの値に、300という俺よりも高い数字が現れている。300ほどあればとりあえず料理をする事は可能だ。

 

 

「何でこんな数値が……だけどこれだけあれば大体の料理は作れるな」

 

「そうなの。じゃあ試しにカレーを作ってみようと思ってるんだけど、どうかしら」

 

「カレーか。それなら300の料理スキルでも実現可能だ。やり方はわかるか」

 

「わからないわね。というか食材とかも、どう使えばいいかもわからないし。というか食材はあるの」

 

 

 俺はアイテムストレージを確認した。シノンと共にこの城を駆け上がる最中に、寄り道をしていくつかの食材を手に入れておいたのだ。今ある中でもカレーの食材は揃っているし、味を向上させる「+α」素材もいくつかある。

 

 十分に料理できそうだが、問題はシノンが料理の仕方を知らないうえに、俺自身も煮込み料理とかが出来るくらいにまで料理スキルを成長させる事が出来なかったから、どうすればいいのかわからない。気になるけれど、どうすればいいのかわからない……。

 

 

《いっその事マニュアルのようなものを探してみたらどうだ。料理のやり方とかもそこに書いてあるかもしれんぞ》

 

 

 リランの《声》が聞こえてきて、俺はハッとした。そういえば、一応ウインドウの中を探していくと、取扱説明書だとかそういうものがあるんだった。確かその中にスキルに関する分厚い説明書があったはずだから、それを捲れば見つかるかも。

 

 

「シノン、ウインドウを開いて説明書を探してみてくれ。スキル関連の詳細が書かれてる説明書があるはずなんだ」

 

 

 シノンは早速ウインドウを開き、その中を隈なく探し始めたが、すぐさま反応を示す。

 

 

「あったわ。スキル解説書……目次……料理スキルについて……調理……レベル上げ……ふぅーん」

 

 

 何やら勉強でもしているかのような雰囲気を醸し出してマニュアルを見つめているシノン。俺でも一番最初はあんな感じにマニュアルを眺めたものだが、その時の事を思い出せるくらいにシノンの様子は俺に似ていた。

 

 それから間もなくして、シノンは俺に振り返って来た。

 

 

「やり方わかったわ。あんたの言う通り、今の私のレベルならカレーくらい簡単に作れる。材料持ってるなら、キッチンに出しておいてくれないかしら」

 

 

 言われるままキッチンに向かい、ウインドウをダブルクリックして食材達をキッチンのテーブルの上に出現させると、一緒にトレーが付いてきて、食材達はトレーの上に載っていた。なるほど、SAO内で真面目に料理をする時はこんな感じなのか。

 

 テーブルの上の食材達をまじまじと見つめていると、シノンがウインドウを開きながら、片手に調理ナイフを持って歩いてきた。

 

 

「へぇーっ、現実世界のカレーの作り方は結構手順があるっていうのに、この世界のは随分と簡略化されてるのね。というか簡略化しすぎじゃないかしらコレ」

 

 

 シノンは調理ナイフを手に、俺が用意した食材達をぽん、ぽんと軽く叩いた。直後、食材達はまるで包丁で調理されたかのごとく、一口サイズと言える大きさに変わった。

 

 そしてシノンは近くにあった金属製の鍋を持ちこんで、水を張り、続けてトレーの中に入っている食材を鍋の中へ投入し、更にカレーの元となる香草などを適量放り入れ、このログハウスに搭載されていた薪オーブンにそそくさと運び込み、ウインドウをちらと見た後に、煮る時間を設定した。

 

 まるで川のような流れ作業にリランと二人で目を丸くしていると、シノンは一息ついた。

 

 

「つまらないわね。カレーを作るっていう作業も結構楽しいのに。やっぱり簡略化しすぎだわ」

 

 

 その口ぶりは本当に現実で料理をしていたような口調だった。どうやらシノンが記憶を若干取り戻しているというのは間違いではないらしい。

 

 

「キリト、カレーの食材はあったけれど、お米は? まさかカレーだけ食べるわけじゃないでしょ」

 

「あ、うん。米も大量に取っておいたから、使ってくれ」

 

 

 そう言って、俺は現実世界の米に該当する食材を呼び出した。直後にシノンは同じ金属製の鍋のようなものを持ってきて米をその中に流し入れ、水を張って、今度は竈の中へと入れて、調理開始ボタンをクリックした。その後で、両手を腰に当てて溜息を吐いた。

 

 

「お米も磨ぎいらずなんて、ずいぶんと簡単、というか簡単過ぎね。さ、これで準備が終わったわ」

 

「今のって、何をやってたんだ。全部マニュアルどおりか?」

 

「えぇそうよ。随分とご丁寧に書いてあったから、わかりやすくてよかったわ。でもこの世界の料理は簡略化しすぎててつまらないわよ。多分私以外に料理をしている人も同じ事をぼやいてると思う」

 

 

 そうなのかと苦笑いしてしまう。あの短時間でマニュアルを読み漁るなんて、何という読書力なんだろう。多分だけど、シノンは戦闘力だけじゃなくて、読書力と女子力も高い。色んなものが、とにかく高いんだ。

 

 

「あ、しまった。リランのご飯はどうすればいいのかしら。犬はカレーなんて食べられないけれど……」

 

《我は犬ではないから、お前達と同じものを頼む》

 

 

 シノンは驚いたようにリランを見つめる。

 

 

「あんたカレー食べるんだ、そのなりで」

 

「まぁさっき巨像の腕を食ってから驚く事でもないかな」

 

 

 リランはふんと鼻を鳴らす。

 

 

《でもまぁ、シノンの料理の腕に期待するとしようぞ。だが、どのようなものが出来上がるか不安ではある》

 

「そんなものは作らないから安心して頂戴。というか、ここでそんなものを出したら、せっかく修行に付き合ってくれるあんた達に申し訳が立たないわ」

 

「そうだな。シノンの料理は安心して食べられる。うん」

 

「わかったなら、食器を用意して頂戴」

 

 

 俺は頷いて、近くにある食器棚に手を伸ばした。

 



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14:少年の思い

          ◆◆◆

 

 

 この世界での料理は非常に簡単なものだった。いや、簡略化され過ぎている。だってものの数分でカレーが出来上がってしまったんだもの。だけど、それでよかったと思ってる。キリトとリランはさぞかし美味しそうに私の作ったカレーを食べてくれたんだから。でもキリトとリランがカレーを食べている時は、少しがっついているように見えた。よっぽど美味しい物を食べないで生きてきたのかしら。

 

 そんな事を思いながら、作ったカレーを食べてみると、私はその味に思わず驚いてしまった。所詮はゲームの中だから、作ったカレーだって偽者、本物の味はしないはずだって思っていたのに、作ってみたカレーをスプーンで口に運んだ時に感じた味はちゃんとカレーの味がした。

 

 

 ご飯の味も、野菜と肉の味も、ちゃんと感じた。まさか味をちゃんと感じる事が出来るなんて思ってもみなかったから、キリトとリランがカレーにがっつくさまを横目に見ながら、私は驚きつつ食べ進めた。

 

 その後の後片付けもすごく簡単だった。空になった鍋や皿を指でぽんとクリックするだけで水洗いでもしたかのように綺麗になるんだから、やった作業と言えば食器や調理具を元の位置に戻したくらい。

 

 

 洗剤とスポンジで擦って汚れを落とし、水洗いし、布巾とかで水を拭いたりしなければならない現実とは大違いと言えるくらいに、簡略化された作業だった。勿論キリトやリランに手伝ってもらう必要もなかった。

 

 後片付けを終えて、テーブルの方に目を向けてみると、キリトが椅子に寄りかかったままうたた寝をしているのが見えた。カレーを食べて満足し、眠気を感じたんだろうきっと。

 

 それに、キリトは私が戦っている最中、ずっと武器を構えて、いつ出て行かなければならないかと言っているみたいに気を張り巡らせていたみたいだから、その疲れもあって眠くなったんだろう。その割には、戦い続けた私があまり疲れていないのが不思議だった。

 

 

 音を立てないように近付き、小さいくせにソファに座っているリランの隣に並んで座った。

 

 

「キリト、寝ちゃったね」

 

 

 頭の中にリランは《声》を返してくる。

 

 

《こいつはお前が戦っている最中、ずっと武器を構えて、お前に危険が迫ってこないかどうか、気を張り巡らせていた。恐らくその疲れが出たのだろう》

 

「それ知ってるわ。戦ってる時に横目で見たらわかった」

 

 

 そういえば、キリトは私の事を守るなんて言って、今日の戦いの時もずっと武器を構えていたけれど、キリトはどうしてこんなに、私を守る事に必死なんだろうか。リランはキリトといるの長いみたいだから、知ってるかな。

 

 

「ねぇリラン」

 

《なんだ》

 

「キリトはどうして、私を守ろうとするの。私なんて、会って数日程度の人でしかないはずなのに」

 

 

 リランは私の顔を見た後に、キリトに顔を戻した。

 

 

《我にも何故、この者が他人を守るように戦い始めたのかは、わかっていない》

 

「あんた、《使い魔》のくせに知らないんだ」

 

《我は所詮《使い魔》だから、キリトの事はあまり深く知らない。だが、キリトは我に出会う前に、酷く落ち込んでいたのだ。その翌日に、キリトは何故か活力を取り戻して、仲間達を守るような戦いを繰り広げるようになっていた。理由を聞いても、話したくなったら話すというばかりでな。何があったのか、わからぬ》

 

「だから、私を守ろうとするの」

 

《キリトはもう誰も死なせないと誓っている。その誓いの中に、シノン、ディアベル、エギル、我と言った仲間達の全てが入っているのだ。キリトがお前が戦っている時に気を立てていたのは、お前に危険が迫らないかどうかを見張り、いつでもお前を守れるような体勢をとっていたからなのだろう》

 

 

 何だか胸がざわめき始める。キリトが「俺が君を守る」と言った時、あれは冗談か何か、またはただのかっこつけかと思っていたけれど、リランの話と今日のキリトの体勢から考えるに、そうじゃないというのがわかった。

 

 キリトは本当に私を守るつもりでいるんだ。

 

 

「そう、だったんだ。だからキリトは……」

 

 

 リランは私に顔を戻した。モンスターの見た目をしているというのに、その表情は険しいものであるというのがわかった。

 

 

《キリトはお前を守る事に必死であるし、お前以外を守る事にも必死だ。肩に力が入りすぎているから、ちょっとした事柄で疲れて、このように眠ってしまうのであろうな。何か、キリトを安心させてやる方法があればいいのだが……何もずっと張りつめた弓のようになっていなければならないなどという事はないというのに》

 

 

 その時に、私は閃いた。

 

 私は強くなりたくて、キリトの修行を頼んでいた。強くなりたいっていうのはきっと私自身が望んでいる事なのだろうけれど、私がキリトに並ぶくらいに強くなれば、キリトが誰かを守るために必死にならなくて済むようになるかもしれない。私が強くなってキリトの隣に並べば、キリトが気を張る必要もなくなるし、キリトに守られなくても、戦えるようになる。

 

 そしてキリトと一緒に進めば、この城が終わるのも、みんなが解放されるのも早くなる。

 

 

「私が強くなればいいんだわ」

 

《なんだと》

 

「だってそうでしょう。私がキリトに並ぶくらいに強くなれば、キリトだってきっと安心して戦えるようになる。キリトの肩に力が入ってるのは、きっとキリトに不安があるからだと思うのよ。私が強くなれば、キリトの不安だって取り除ける」

 

 

 リランの顔が困ったようなものに変わる。

 

 

《確かにそうではあるが……というか、お前が強くなるという目的は変わっておらんだろう。何故それを改めて言う》

 

 

 私はリランからキリトに目を向け直した。その顔は口が半開きになっている、少し間抜けな寝顔だった。

 

 

「気付いたのよ。私は自分のためだけに強くなろうと考えてたけれど、多分そうじゃない。私が強くなって得をするのは、きっと私だけじゃなく、キリトもそう。だから私は明日から、ううん、今日から私自身とキリトのために強くなろうと思う」

 

《うむ、正論であるが、いきなりであるな。キリトのために強くなるなど……》

 

 

 私は思わず腕組みをする。

 

 

「私のせいで負担を抱えている人がいるっていうのが許せないだけよ。だからこれからは私が強くなってキリトの負担を無くす。ううん、キリトを追い越してやるんだから」

 

 

 リランはずっと私の事をおどろいたような目で見つめていたけれど、そのうち顔を穏やかなものに変えて、小さな声を送ってきた。

 

 

《結構だ。ならば我もそうしなければならぬな。シノンが強くなった傍らで我が弱くて、キリトの不安を煽ってしまうなど、あっていいはずがない。我らは強くあらねば、だな》

 

「あんたは私よりも強いからいいじゃないの。レベルだって私より高いし」

 

《いや、我も強くならねばならないのだ。そうでなければキリトの《使い魔》は勤まらぬし、いざとなった時にキリトを守る事が出来ぬ。そうあってはならないのだ》

 

 

 リランは首を横に振った。さっきから見ていると、本当に人間と話しているのと変わりがない。今は小さなドラゴンの見た目をしているし、外に出れば大きなドラゴンに姿を変えるけれど、中身はまるで人間のよう。

 

 

《それに、我はもっとキリトの事が知りたいところだ。今のところ分かっている事と言えば、守る事に囚われ過ぎて肩に力が入っている事と、意外と軟弱な精神を持っている事と、妙に知りたがりな部分がある事だ。中々の知識欲を持っておるよ、キリトは》

 

 

 リランの言葉に、私は思わず首を傾げてしまった。

 

 キリトとリランは私と出会った時から一緒に居たけれど、その口ぶりから、あまり長い間一緒に居るわけじゃないように思える。

 

 

「そのくらいしかわかってないの? あんた達ってどれくらいの付き合いなのよ」

 

《まだ出会って3日程度だ。お前が降ってきた前の日の夜に我とキリトは出会った。だからキリトに関しての知識はお前と同じくらいであるな》

 

 

 リランとキリトの関係はまだ3日前後という事実に、私は驚きながらも納得してしまった。まだ出会って3日の関係だから、リランはそんなにキリトの事に詳しくないんだわ。

 

 

「そんなしか経ってないの!? てっきり1年くらい一緒に居るんじゃないかと……」

 

 

 リランは苦笑いして見せた。

 

 

《そこまで長く一緒におらぬよ。だがその1年間……というよりも、この城の攻略が始まった時から、キリトはずっと一人でいたようだ。どんな時も一人で戦い、切り抜け……その末に我とお前に出会ったようなものらしい》

 

 

 思わずキリトに目を向けた。キリトによれば、この世界はソードアート・オンラインという名のデスゲームの中。HPがゼロになれば現実のナーヴギアに脳を焼き殺されて死ぬゲーム……こんな中に一人でいるなんて、すごく辛いはずなのに、キリトはここまでやって来た。

 

 いくつもの修羅場を、たった一人、剣を握って潜り抜けて来たんだ。

 

 今はすごく間抜けな顔をして寝ているように見えるけれど、そう思うとようやく見つけた安心出来る地で、力を抜いて休む事が出来て、嬉しがっているように見えてきた。

 

 

「やっぱり強いんだね、キリトは」

 

《強いが、脆くて弱い。この者には、支えてやれる存在が必要だ。我はそれになるつもりでいるよ、少なくとも》

 

「そんな、ドラゴンの身で?」

 

《そんなものは関係ない。我はお前達の言葉がわかるし、キリトの気持ちもわかる。なのにキリトは我を不思議がるのだ。どうして言葉がわかるんだとか、気持ちがわかるんだとか》

 

 

 いや、キリトの気持ちはわかる。キリトから聞いた話によれば、この世界にいるドラゴンとかは全てNPCであり、喜怒哀楽があるように見えるけれど実際に感情を理解しているわけではなく、言葉に合わせて反応を返しているだけらしい。

 

 だからNPCには基本的に心はないんだけれど……リランはそれに逆らっているかのような存在らしい。

 

 リランは私達を理解しているような喋り方をするし、今もこうして心がわかるとか言っている。キリトから聞いたNPCの話とは、全然違うNPCだ。キリトはリランが本当にNPCなのかって疑っていたけれど、本当にそう思う。このドラゴン、本当にただのNPCなのかしら。

 

 

「まぁ多分だけど、この城に入り込んでからのキリトが出会って来たのと、あんたがあまりに違うからじゃないの。それにあんた、記憶がないんでしょ、私と同じように」

 

《そうだ。だから我はキリトについていくのだ。キリトについていけば、きっと我は記憶を取り戻す事が出来る。根拠はないが、そんなふうに感じるのだ》

 

「私もそうかも。キリトについていけば、いつか思い出せる……そんな気がする」

 

 

 リランは笑みを浮かべて、私の事を見つめた。

 

 

《お互い、キリトについていくとしようぞ。そしてキリトの負担をなるべく減らせるように、強くなっていこう》

 

「えぇ。そのつもりだわ」

 

 

 やっぱり、リランがNPCだなんて思えない。リランはきっと、何か特別な存在なんだわ。それが何なのかまでは、この世界に入りたての私じゃわからないけれど、多分リランは特別な何かなんだわ。そうでなきゃ、私達とこんなに話が出来るわけない。

 

 

《ところでだ、シノン》

 

「え、なに」

 

《お前、記憶を取り戻しかけた時に苦悶していたように見えたが、大丈夫なのか》

 

 

 言われて、今日の昼ごろに記憶を取り戻しかけた時の事を思い出した。キリトによれば、私は汗を掻いて、もだえているような顔をして魘されていたらしい。夢の中で記憶を取り戻していたみたいなんだけど……やっぱり駄目だ。思い出そうとしても思い出せないし、どんな夢を見ていたのかもわからなくなってる。

 

 

「大丈夫よ。記憶を取り戻しかけて、また忘れたみたい」

 

《そうか。キリトが心配していたからな、思い出さない方が良いのではないかと》

 

「何よ、あんたまでそんな事を言い出すの。っていうか、聞いてなかったの? 私は記憶を取り戻さない事は選ばない。どんな苦しみが待ってても、取り戻すつもりよ」

 

《それはわかるぞ。だがな、お前にも無理をしてもらいたくないと我は思うのだ。辛くなるような事があったら、出来るだけ我に相談してもらいたい》

 

 

 思わず、リランの紅い目をじっと見つめてしまった。てっきり、キリトに飼われているペットでしかないと思ってたけれど、やっぱりリランはそんなんじゃない。でも、結局リランが何なのかはわからない。だけどわかる事は一つだけ。

 

 リランは、信用できる。

 

 

「そうね。辛くなるような事があったなら、あんたに相談する事にするわ。理解してもらえるかどうかまではわからないけれどね」

 

《理解できるように努力しよう》

 

 

 私はリランの頭を軽く撫でた。ふわふわとした手触りが気持ちよく感じられた。

 

 

「もうじき年が明けるわね。それまでに50層に辿り着くつもりだけど、その後はどうしようかな」

 

《その辺りはまたキリトと相談すればよい。ただ、新年祭とやらには参加せず、静かにしていたいな》

 

「同感。キリトもそういうの好きそうじゃないから、大晦日も新年も、ここで静かにしていましょう」

 

 

 私はリランの頭に手を置いたまま、うたた寝をしているキリトを見つめた。その顔は間抜けというよりも、安心している顔だと思えた。

 私は強くならないと。私自身のためにも、キリトのためにも。

 

 

 



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―アインクラッド 02―
01:迷いの森へ


 2024年 1月5日

 

 俺とシノン、リランの三人は街の方で行われていたアインクラッドの新年祭に参加せず、ログハウスで静かに過ごしていた。シノンの方は十二月三十日で目標の50層に辿り着き、三十一日は朝から昼時まで五十一層の敵でレベリングを行い、レベルを二つほど上げた。ついでに俺もレベリングを行い、レベルを七十八まで上昇させた。同時に、リランもだ。

 

 レベルは少し低いかもしれないけれど、シノンの戦闘技術はもはや攻略組に匹敵するほどのものとなり、次回のボス戦から攻略組に参加して戦う事になった。シノンは十分に強いからそれくらいやってもいいんじゃないかという気になっていたから、丁度よかった。

 

 色んな事を話し合って、決めた後に正月が来て、俺達は攻略を休んで、しばらく二十二層でゆっくりしていたのだが、元旦の翌日に街へ出かけたところ、大晦日にボス戦攻略が終了し、五十二層の街が解放されたという報せが来ていた。

 

 ラストアタッカーは血盟騎士団のアスナ。攻略の鬼と呼ばれるアスナが、大晦日も休まずに血盟騎士団を率いてボス戦に挑み、ボスを倒したそうだ。アスナはそのまま次の層のボス戦もやろうとしたそうだけど、他の者達に止められて、攻略を一旦停止したという。

 

 新聞のような形の情報記事に書かれているアスナの名前を見たところ、リランが反応を示して、何やら気難しそうな顔をした。アスナが気になるのかと尋ねてみても、《お前が過去を話さないのと同じだ。話したくなったら話す》と言って跳ね除ける一方で、何も答えてくれなかった。

 

 

 何がともあれ、次のボス戦は五十二層。

 五十二層のボスが、シノンが初めて相手にするボスになるだろう。何が起きるかわからないから、十分に気を付けて行かないとと、俺は思っていた。

 

 しかし、その3日後である1月3日にもう一度街に出たところ、またボスが倒されたという報せが入って来ていた。確認してみたところ、聖竜連合でも血盟騎士団でもない小規模ギルドが、ボスを倒して次の街を解放したらしい。

 

 このアインクラッドにはディアベルが率いる聖竜連合、ヒースクリフが率いる血盟騎士団、シンカーというプレイヤーが率いるアインクラッド解放軍という三つのギルド勢力が存在しており、攻略をするプレイヤーのほとんどがこれのどれかに所属しているのだけれど、クラインが率いる風林火山のような、三大勢力のどれにも属さない、小規模ギルドも多少存在している。

 

 そういう人達は、三大勢力が時に驚くくらいに実力が高かったりして、三大勢力が何もしてない間にボスを倒す事もあるから、今回もそのパターンだろう。

 

 しかし、そういうギルドはあまり情報屋の情報に乗ったりしないため、あまり明るみに出る事はないし、何よりそういう人達は情報を公開される事をあまりよく思っていない。

 

 だからボスを倒したとしても、聖竜連合や血盟騎士団、軍のようにその名が報じられたりする事は、そんなにない。

 

 

 そんな話を聞いて、シノンは俺に、「この人達もギルドを作ったりしてるんだから、あんたもギルドを作ったらどうなのよ」と言って来たけれど、俺はそんな事はできないと言って断った。

 

 ギルドを率いる人達は団員を纏める、一種のカリスマや指揮力を持っているからああいう事ができるのだけれど、俺にはギルドの経営者になれるほどのカリスマも、団員を混乱させる事なく動かす指揮力もない。それにずっと少人数で戦って来たから、ずっとそれを続けて行きたいと言ってみたところ、シノンは少し腑に落ちない様子を見せながらも頷いた。

 

 

 しかし、「俺だってアインクラッドに閉じ込められたみんなを解放してやりたいと思っていないわけではないから、勿論攻略は進める」と言ってみると、シノンは納得したような顔をして頷いてくれた。みんなが動いているからと言って、動かなくていいわけがない。

 

 正月が終わったら、シノンのレベリングも行いつつ攻略を進める。そう決めて5日を迎え、攻略に出かけるためにログハウスを出ようとしたその時に、いきなりログハウスの中にノックの音が響いてきた。

 

 

「おい、黒の剣士さん、いるんだろう!?」

 

 

 慌てた男の声色だった。黒の剣士というのは、黒ずくめの服装をしていて、とても強いという特徴の元、つけられた俺のあだ名のようなものだ。

 

 見知らぬ男の声に反応して、リランが俺の肩に乗り、毛を逆立てた。

 

 

《気を付けろキリト。お前を狙いに来たのかもしれん》

 

「そんな声色じゃない。でも用心するに越した事はないな。リランは入ってきた奴に《声》をかけないで、俺とシノンにだけ《声》をかけてくれ」

 

 

 そう言ってリランとシノンに警戒を促しつつ、扉を開いてみると、そこにはいかにも声の通りと言うべきの、少しやせつつも背が高く、貧相な鎧を着こんだ男性プレイヤーの姿があった。兜を装備していないため、頭部が全て露出していたが、その顔色はどこか青白かった。……相当な恐怖を感じた時の、プレイヤーの顔だ。

 

 

「俺が黒の剣士だが……どうしたんだよあんた。顔が真っ青だぜ」

 

「た、頼む。俺の仲間の仇を、ギルドの仲間の仇を取ってくれ」

 

「ギルドの仲間の、仇? 待てよ、話が読めない。一体何があったから、そんな事を言い出しているんだ」

 

 

 青白い顔の男は事情を説明してくれた。何でも、この男はシルバーフラグスという5人の小規模ギルドのリーダーであり、攻略組に追いつくべく、元旦早々38層でレベリングをしていたところ、タイタンズハンドと呼ばれる《犯罪者ギルド》の襲撃に会い、仲間を全て殺されてしまったらしい。ここまで聞いて、シノンが驚いたように言う。

 

 

「そんな……プレイヤーがプレイヤーを殺したっていうの」

 

「言い忘れてたけれど、ここではそんなに珍しい話じゃないんだ。プレイヤーがプレイヤーを殺害するなんて事は。そう言う事をした連中は犯罪者ギルドって言われるようになるんだが……この人は、それにやられたんだ……」

 

 

 しかし、タイタンズハンドなどという名前をギルドは聞いた事が無い。恐らく聖竜連合や血盟騎士団の影に隠れて、暗殺活動を行っているような汚い連中だろう。小規模ギルドならば、大規模ギルドの事しか情報が公開されない事を良い事に、好き勝手できてしまう事さえあるのだから。

 

「仲間を殺されたのはきついな。それで、俺にどうしろって」

 

 

 青白い顔の男の目に、涙が浮かんだ。

 

 

「お願いだ……そいつらを全員とっ捕まえて……牢獄に入れてほしいんだ」

 

《仲間を殺されたのに、犯人を牢獄に入れるのか。何故殺そうとしないのだ》

 

 

 リランの《声》を代弁するように、男に俺は言う。

 

 

「仲間を殺されたんだろ。殺さなくていいのか」

 

「殺さなくていいんだ。この世界で死ねば、本当に死んじまう。だから、仲間は殺されちまったけれど、そいつらの事は殺さないでほしいんだ。牢獄に入れるだけでいいんだ。

 頼むよ黒の剣士さん……最前線にいる攻略組に朝から晩まで頼んでも、誰も受けてくれなくて……情報屋の情報を頼って、あんたのところに辿り着いたんだ。お願いだ、仲間の仇を取ってくれ、お礼ならいくらでもあげるからよぉ!」

 

 

 ついに泣き出した男は、俺の肩を弱弱しく両手で掴んだ。それだけで、この男が震えている事がわかるし、涙が流れだしている男の瞳は揺らいでいた。

 

 だけど、復讐したいと伝えている色は浮かんでおらず、寧ろ優しい光が瞬いているように見えた。

 

 この男は、優しい奴なんだ。優しいからこそ、犯人を殺さずに牢獄に入れてくれと言っている。そのタイタンズハンドとか言う犯罪者ギルドは、こいつの仲間をこいつの目の前で殺して、この男の心を踏みにじったんだ。

 

 そう考えると、その犯罪者ギルドの事が許せなくなってきた。いや、犯罪者ギルドは殺人を行うならず者の集まりだから、許せないのは元からだが。

 

 

「わかった。その依頼を受けてやる」

 

 

 俺の宣言に、シノンが驚いた。

 

 

「本当なの、キリト。本当に、犯罪者ギルドと戦うの」

 

 

 シノンの言葉に答えを返すよりも先に、男が懐に手を入れて、俺に差し出してきた。青い色の結晶。これは回廊結晶だ。

 

 

「依頼を受けてくれるんなら、これをそいつらに使ってくれ。俺が全財産をはたいて買った、回廊結晶だ。出口は牢獄に繋がってる」

 

 

 思わず、目を見開いてしまった。この青色に輝く結晶状アイテムがこの男の全財産。そして行先は黒鉄宮の牢獄。

 

 やはりこの男は、犯罪者ギルドの連中を殺そうとは考えなかったんだ。もし少しでもそういう事を考えたなら、ここに回廊結晶はなく、男は更なる強い装備を身に着けて、タイタンズハンドとか言う犯罪者ギルドを襲っていたはずだから。

 

 

「わかったよ。こいつを使って、犯人達を牢獄送りにしてやればいいんだな。あんたの望み、叶えてやるよ」

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 

 男は俺から手を離して、土下座するように礼を言った。この男にここまでやらせなければならないような事情を作ったような連中は、即座に捕まえねば。でないと、更なる悪事を繰り返し、周りのプレイヤー達に危害を加えかねない。

 

 だから早急にこの依頼を達成して、牢獄にぶち込んでやるべきだが――。

 

 

「それはいいんだけど……そいつらは一体どこにいるんだ。あんたが襲われたのは38層だよな?」

 

「そうだけど……実はどこにいるかまでは付き止められなかったんだ。仲間がチャンスを作ってくれて、俺はその隙に脱出したから……あいつらがどこにいるのなんて……わからないんだぁ……」

 

 

 男の言葉を聞いて、リランが(しか)め面をする。

 

 

《どうするのだ。どこにいるのかがわからなければ、付き止めようもないし、牢獄へぶち込み様もないぞ》

 

 

 リランと一緒に困ろうとしたその時に、男は何かを思い出したような顔をして、声を上げた。

 

 

「そ、そうだ。ロザリアっていう女だ。あいつがいい稼ぎ場所があるって言って俺達のギルドに突然加わって、その女に導かれるまま行ってみたら、襲われたんだ。しかも、俺達が持ってたレアアイテムとかも全部取りやがって……」

 

「ロザリアだって? その人はグリーンプレイヤーだったのか?」

 

「あぁそうだ。でもあいつは、グリーンプレイヤーの皮を被ったオレンジプレイヤーだ! あいつが、あいつのせいで……」

 

 

 犯罪者ギルドと言っても全員が犯罪者プレイヤーであるわけじゃない。中には、グリーンメンバーが街で獲物となるプレイヤーを探し、パーティを組み、待ち伏せポイントに移動させて、仲間の犯罪者プレイヤーで袋叩きにして殺すという卑劣な手段を取る事もある。多分そのロザリアというプレイヤーもそのクチだろう。

 

 だが、名前がわかっているのが幸いだった。プレイヤーの名前さえわかれば、街のプレイヤー達等に聞き込みをして、見つけ出す事もできない事もない。それにそのロザリアというプレイヤーは、これまで何回も獲物を見つけるために街に出没しているはずだから、見つけるのも難しくはないはず。

 

 

「名前を知っていてくれてありがとう。ロザリアとその仲間達を見つけ出して捕まえ、黒鉄宮の牢獄の中に送り込んでやる」

 

「いいえこちらこそ……お願いします……!!」

 

 

 男はもう一度土下座をしてみせたが、俺はすぐに顔を上げてくれと言って、男を立ち上がらせた。その後に、特に何も言わずに話を聞いていたシノンに声をかけた。

 

 

「シノン、リランを連れて行って来るけれど……一人でレベリングできるか?」

 

「問題ない。あんただって今まで一人で戦ってたんだから、私だって一人で戦う事くらいできる。でも、万が一何かあると拙いから、ちょっと低いところで修行させてもらう。45層以降にはいかないつもりだから、安心して行って来て」

 

 

 出会った頃とは比べ物にならないくらいに強くなったシノンの瞳に蓄えられた光は、心強さと信頼を与えるものに代わっていた。今のシノンならば、一人になっても戦えるだろう。

 

 一人にしてしまうのはちょっと気が引けるけれど、流石にオレンジギルドという凶悪な集団との戦いに巻き込むわけにはいかない。それに、彼女の目当てのものである経験値も、オレンジギルドが相手では手に入らないから、シノンには別なところで修行させておくべきだ。

 

 

「心強いな。やっぱトレーニングとレベリングしたから、余裕が違うね」

 

「私の方は大丈夫だけれど……あんたの方は本当に大丈夫なの。オレンジギルドと戦うとなると、下手すればモンスターと戦うより危ないんじゃ……」

 

「大丈夫さ。リランもいるし、それにタイタンズハンドとかいう連中が攻略組より強い連中だとも思えない。どうって事なく終わるよ」

 

 

 出会った頃には見せる事のなかった、心配の表情を顔に浮かべているシノンに、リランが《声》をかける。

 

 

《心配するな。いざとなれば『人竜一体』して蹴散らせばいいし、それでも止まらぬようならば……地獄で鬼に許しを乞わせる事としよう》

 

「地獄で鬼って、怖い事言うわね。でも、リランがいるなら大丈夫そうね。レベリングのついでに色んな街を廻ったり、料理のスキルアップとかもやっておくつもりだから」

 

 

 シノンの料理という言葉に思わず反応を示してしまう。レベリングと休みの間にシノンが作ってくれた料理はどれも絶品で、俺もリランも夢中でがっついてしまうような代物だった。それのレベルアップバージョンが依頼を終わった後に待っていると考えたら、頑張らざるを得ない。

 

 

「よし、ちょっと張り切ろうか。でも、ロザリアを見つけるのは時間がかかりそうだから、仲間の仇が打てるのは結構後になるかもしれない。それで大丈夫か」

 

「大丈夫です。やってくださるだけで、十分です!」

 

 

 懇願する男に俺は「街まで一緒に行こう」と、シノンには「何かあったらメッセージで頼む」と伝えた後に、レベルアップによる数値上昇で使えるようになった50層ボスのドロップアイテム、《エリュシデータ》とコート状防具《アンダーエージェント》を装備して、いかにも黒の剣士と呼ばれそうな服装になった後に、男とリランを連れて小さな村のような規模である二十二層の街へ行き、男を三十五層の街へ送り届けた。

 

 そして、情報を集めるべく三十五層の街を歩き始めたが、相手はたった一人のプレイヤーであるため、情報を集める事さえも難しそうだ。街行くプレイヤーを見たって、男女ともにたくさんいるし、どれがどれなのかわからなくなりそうになる。

 

 

「さてと、情報収集開始だが……どこから攻めるべきか」

 

《ロザリアという女か。それだけの情報で見つけるのは困難であろうな。情報屋に何か手がかりがあるかもしれぬから、頼ってみる価値はある》

 

「じゃあひとまず情報屋のところに行ってみよう」

 

 

 

           ◇◇◇

 

 

 

 どうせロザリアの情報なんかないと思って、情報屋を尋ねてみたところ、その情報の中に驚くべきものがあった。この層に、シリカという有名人プレイヤーが来ており、そのシリカとパーティを組んだプレイヤーの中に、ロザリアという人物がいたそうだ。

 

 シリカというプレイヤーが有名人である事はその時初めて知ったんだけれど、もっと驚くべき事は、その人が俺と同じ《ビーストテイマー》であるという事だ。

 

 そしてあの男によると、ロザリアは獲物としたプレイヤーを付け狙うタイプの犯罪者プレイヤー。有名人、しかも《ビーストテイマー》であるシリカなど、格好の獲物と考えるに違いない。

 

 シリカに接触する事ができれば、ロザリアの情報、もしくはロザリア自身に遭遇する事ができるかもしれないし、依頼からは外れるけれど、俺以外の《ビーストテイマー》の話を聞く事だってできるかもしれない。

 

 そう考えた俺はリランを連れて、三十五層北部に広がる迷いの森に踏み込んだ。この森は攻略組ではない中級者達がレベリングやアイテム探しを行うのに最適な場所と呼ばれている。だけど、俺とリランにとっては、そんな事よりも重大な思い出が、ここにはある。

 

 

「ここだったな、リランと出会った森は」

 

 

 俺の声にリランが穏やかな表情を顔に浮かべた。

 

 

《そうであったな。去年の12月に、お前とここで出会ったのだった。といっても、まだ1月の5日だ。まだ出会ってそんなに経っていない》

 

 

 リランと出会った時は驚きの連続だった。いきなり見た事が無いドラゴンが出てきて、戦闘体勢を取ったら何もしてこなくて、逆に攻撃を仕掛けてみればいきなりぶっ倒れて、喋り出して、腹が減ってるから何か寄越せとか言って来て、アイテムをあげたら進化して、そして俺の《使い魔》になるとか言い出して、俺は《ビーストテイマー》になって……。

 

 とにかくこいつと出会った時は、これまで想定してなかった事がたくさん起こってわけがわからなくなった。それでも、あの時リランにレアアイテムを投げた事や、《ビーストテイマー》になった事を後悔してはいない。

 

 

「まさかこんなに頼もしい奴が仲間になってくれるなんて、思ってもみなかったさ。そういえばリラン、記憶の方はどうだ。何か思い出せたか」

 

 

 隣の狼竜はどすどすと歩きつつ、首を横に振った。その顔に注目してみれば、曇り空を思わせるかのような困った表情が浮かべられている。

 

 

《駄目だな。何も重要な事は思い出せておらぬ。姿は二度も変わり、強くはなったが……記憶の方は全くと言っていいほど進展がない。強いて言えば、お前達の話している事が進化する度にわかるようになったような……そんな感じだな》

 

「なんだって。俺達の言っている事がわかるって事は、マニュアルだとか、ソードスキルだとか……そういうのがわかるって事なのか」

 

《あぁ。何故かは知らないが、そういうのが近頃わかるようになってきたのだ。お前達と共に生活をしているせいなのかもしれないが……やはり我には何か重要な記憶というものがあるらしい》

 

 

 リランは言葉達者に喋り、俺達の言葉や会話を理解したうえで喋っているようなそぶりをいつも見せているけれど、リランは結局はこの世界の住人であり、NPCでしかない。NPCでしかないという事は、AIなのだけれど、こいつはまるで心を持っているかのように自分で考えて言葉を発しているようにしか思えない。

 

 この世界のAIは本来、設定された数多のパターンに従って言葉を返していており、そのおかげで、まるで心を持って生きているかのように喋る事ができる。だけど、元々はパターンに従って喋っているだけであって、考えたり、心を持っているわけじゃない。だから12月の末に閃光のアスナが言っていた、「この世界の住人に心はない」という言葉は正しい。

 

 

 リランもその一つでしかないはずなのに、リランはまるで本当に心を持っているかのように考え、悩み、そして答えを出しているかのように喋る。俺達の心も、言葉も理解したうえで、会話をしているようにしか思えない。

 

 これはリランが仲間になってくれた時からずっと気になっている事柄なんだけど、この答えはいつ見つかるのだろうか。そしてリランの失った記憶というのは、一体何なのか。本当に気になる事だらけで、是非とも解き明かしていきたい。

 

 

「まぁ、お前の記憶は俺も気になってるから、いずれ見つけるとして……お前は死んでも一応は大丈夫になったぞ、リラン」

 

《何を言っているのだ。我は死なないぞ》

 

「いや、お前にも生命力ってものはあるんだから、それがなくなれば死んじゃうんだ。だけど、どうやら《使い魔》蘇生アイテムという物が存在しているらしくてさ。それをお前が死んだ三日後に使えば、お前を生き返らせる事ができるみたいだ」

 

《我は死なぬと言っておるのに。その情報は先程の情報屋で見つけたのか? 何やら興味深そうに読んでいるように見えたが》

 

 

 そのとおりだ。ロザリアの情報を探している最中に、《ビーストテイマー》への情報っていうのが先に目に止まって、夢中で読んでしまった。そしたら、プネウマの花という名の《使い魔》蘇生アイテムが、47層の思い出の丘ってところで手に入る事はわかった。

 

 この事を話してやると、リランは納得したように頷いた。

 

 

《なるほど。ならばそのアイテムは手に入れておくべきなのではないか。今後我の身に何も起こらないという保証はないだろう》

 

「そうだな。これからの戦いはもっと厳しいものになるだろうし……万が一お前がやられた時の事も考えて、ロザリアを牢獄に入れた後にでも行ってみよう。それにあそこは……シノンが喜びそうな場所だ」

 

《なに。それはどういう……》

 

 

 その時、リランは途中で言葉を区切って、森の奥の方へ顔を向けた。その表情は何かを伺うようなものに近い。

 

 

「どうしたんだ、リラン」

 

《……森の奥から気配を感じる。お前達同じプレイヤーだ。それに、我と同じモンスターの気配も一緒に感じる。プレイヤーの数は1に対しモンスターの数は3。そして、モンスターはかなり強いもののようだ》

 

 

 まるで索敵スキルを使ったかのような報告に、俺は思わず目を見開いたけれど、すぐさまそんな事をしている場合じゃないと気付いた。プレイヤーの数1に対してモンスターの数は3。モンスターが雑魚ならどうって事ないけれど、モンスターの気配が強い物の気配とあるならば、そのプレイヤーが遭遇している敵はこの層で最も強い敵であるドランクエイプだ。

 

 

「それって、かなり危機的な状態じゃないか!?」

 

《違いない。我が背に乗れキリト。プレイヤーに死んでほしくないと思っておるならば、助けるぞ! ……オレンジプレイヤーかもしれぬが!》

 

「そいつが悪人かどうかの確認は後でいい! ひとまず助ける!」

 

 

 俺はジャンプしてリランの背に飛び乗った。ボス戦では「人竜一体ゲージ」を溜める事でできるようになるけれど、ここはただのフィールドだから「人竜一体ゲージ」を溜めなくてもできる。リランの背に跨り、しっかりと掴まったと同時にリランは地面を蹴り、筋肉を激しく動かしながら一気に走り始めた。

 

 耳元に風を切るびゅうびゅうと言う音が鳴り響き、身体が激しく揺らされる。辺りを見回せば、いくつもの大木が通り過ぎて行く。リランの走る速度はプレイヤーの全力疾走の何倍も早く、尚且つその身のこなしは軽かった。その証拠に、先程から一度も気に激突したりしていない。

 

 まるで現実世界のジェットコースターに乗っているかのような錯覚を覚えたその時に、リランは《声》を上げた。

 

 

《見つけたぞキリト! 100メートル前方に猿人が3匹、その奥にプレイヤーが1人いる! 見たところ危機的状況だ!》

 

 

 言われるまま風に耐え、前方に目を向けてみると、本当にリランの言っているとおり、3匹のドランクエイプと1人のプレイヤーの姿が確認できた。

 

 プレイヤーは追い詰められているのか、地面に座り込んで動いていないように見える。そして、ドランクエイプ達はその手に持っている棍棒で、プレイヤーを叩き潰そうとしている。あのままじゃ、やられる。

 

 

「リラン、ブレス攻撃であいつらを吹っ飛ばせ!!」

 

 

 思わず指示を送ると、リランはその口を大きく開き、身体の奥から炎を迸らせて、火球を三つ発射した。三つの火球は空気を切り裂きながら猛スピードで直進し、すぐさまドランクエイプ達の背中に直撃、爆発。

 

 今まさに追い詰めたプレイヤーに殴りかかろうとしていた3匹の猿人は爆炎に呑み込まれて、ポリゴン片となって爆散した。それのほぼ直後に、リランは猿人達に襲われていたプレイヤーの元に辿り着き、俺はすぐさまリランから飛び降りて、地面に座り込んだまま動かないプレイヤーに近付いた。

 

 ――黄色を基調とした鎧服を着て、明るい茶色の髪の毛を、赤い髪留めで短いツインテールにしている、赤茶色の瞳の女の子だった。

 



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02:もう一人の《ビーストテイマー》

 助け出したプレイヤーは、俺の事を無視して、地面に落ちている水色の光を放つ羽を手にして、急に泣き出した。ひとまず無事ではあったけれど、何かあったのは間違いなかった。

 

 

「その羽は、どうしたんだ」

 

 

 女の子は嗚咽を混じらせながら、静かに答えた。

 

 

「……ピナです。あたしの大事な……友達だったんです……」

 

 

 恐らくピナというのは、この女の子の相棒……即ち《使い魔》の事だろう。この女の子は《ビーストテイマー》だったんだ。そしてその《使い魔》は多分、あのドランクエイプ達の攻撃を受けてやられてしまったんだろう。

 

 もう少しリランの攻撃が早ければ、いや、俺がもっと早く行動起こしてリランに速く指示をしておけば、こんな事にはならなかったような気がしてきて、胸の中にやるせなさが込み上げてきた。

 

 

「すまなかった。君の友達を助けられなかった……」

 

「いいえ、あたしが馬鹿だったんです。一人で森を抜けられると思いあがってたから……ピナが……」

 

 

 女の子は首を横に振った後に、俺とリランに顔を向けた。その顔は、涙でぐちゃぐちゃになりかけていた。

 

 

「ありがとうございます、助けていただいて……」

 

「だけど……君の《使い魔》は……」

 

 

 その時、背後に佇んでいるリランから《声》が聞こえてきた。

 

 

《キリト、あの者が持っている羽……あれにあれを使うのではないか》

 

「あれにあれって?」

 

《お前が話していた《使い魔》蘇生アイテムだ。今まさにそれを使う時であろう》

 

 

 その時に俺はハッとした。そうだ、情報屋から仕入れた《使い魔》蘇生アイテムを手に入れて、この娘に使ってやれば、この娘の《使い魔》を蘇らせる事が出来るかもしれない。思い付いた俺は、女の子の前に跪いた。

 

 

「その羽にアイテム名は設定されてないかな」

 

 

 女の子は何かに気付いたような表情を浮かべて、手に持っている羽を人差し指でとん、と叩いた。小さなウインドウが羽から浮き上がり、名前が現れた。《ピナの心》という、アイテムが女の子の《使い魔》、ピナのものであった(しるし)

 

 ピナの心という言葉を目にした女の子は再び泣き出しそうになり、少し慌てて声をかけなおす。

 

 

「泣かないで。心というの名前のアイテムが残ってるなら、まだ蘇生できる可能性はあるよ」

 

 

 女の子はそっと顔を上げて、俺と目を合わせた後に、小さく口を動かした。

 

 

「本当ですか」

 

「あぁ。47層にある思い出の丘っていうフィールドダンジョンの最奥部にある、プネウマの花っていうのが、使い魔蘇生アイテムなんだ。それを君のそれに使えば、《使い魔》は生き返るんだよ」

 

 

 女の子の顔がぱあと明るくなった。かと思えば、すぐさま元に戻って、肩が落ちた。

 

 

「47層……あたしのレベルじゃ、届かないよ……」

 

 

 俺は思わず腕組みをして、小さく唸り声を漏らした。

 あの情報によると、47層の思い出の丘に、プネウマの花という《使い魔》蘇生アイテムが存在しているそうなのだが、この《使い魔》蘇生アイテムはイベントによって手に入るものであり、《ビーストテイマー》が赴かないと、プネウマの花は出現しないらしい。

 そう考えたその時に――頭の中にリランの《声》が響いた。

 

 

《おいキリト。何を悩んでおるのだ。お前は《ビーストテイマー》であろうが。この少女の代わりにプネウマの花とやらを持って来る事は出来るだろう》

 

 

 あっ、いけない、いけない。そういえば俺は《ビーストテイマー》だったんだ。リランがいると言うのに、時折自分が《ビーストテイマー》である事を忘れる。多分、長らくソロプレイヤーをやっていたせいだろう。

 

 

「わかったよ。君の代わりに俺が行って来る。俺も同じ《ビーストテイマー》だから、47層に行ってイベントを起こせる。それを君のところに持って帰って来て――」

 

《待て、キリト》

 

 

 もう一度リランが割り込んできて、俺は言葉を止める。

 

 

《恐らく、この少女がシリカだ。《ビーストテイマー》であり、あの男のいうロザリアという女が狙っていた者だ。ここでシリカを放置すれば、我らが離れた時に、ロザリアに殺害される危険性がある》

 

 

 俺はもう一度ハッとした。確かに、シリカというプレイヤーは《ビーストテイマー》であり、少女であるという情報だった。そして、この35層で犯罪者プレイヤーロザリアとパーティを組んでいて、ロザリアがターゲットにしている可能性が高い人物。

 

 今のところこの娘以外のパーティメンバーの姿はないが、リランの言う通り、ロザリアが未だにターゲットにしている可能性は高く、ここでこの娘を放置すれば、ロザリアが凶刃を向けて、この娘を殺害してしまうかもしれない。だけど反対にこの娘をここで保護しておけば、ロザリアが襲い掛かって来た時にこの娘を守る事が出来るし、何より姿を現したロザリアを捕まえる事が出来るかもしれない。

 

 

 ――まぁこれらはあくまで、この娘がシリカであった場合だけど……そうでなくても、この娘には《ビーストテイマー》について聞きたい事が沢山ある。ようやく見つけた、俺以外の《ビーストテイマー》なんだから。

 

 それになんだか、この娘の事は放っておけない。だってこの娘……。

 

 頭の中に浮かび上がった事を全て纏め上げて話そうとしたその時、女の子は立ち上がっていた。

 

 

「ありがとうございました。あたし47層に行ってきます。そこで、ピナを生き返らせるアイテムを取ってきます」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。君のレベルはいくつだ。思い出の丘は、割と高難易度ダンジョンなんだぞ」

 

 

 女の子は俺から目線を逸らして、ステータスウインドウを呼び出した。

 

 

「あたしのレベルは、44レベルです。それでも、ピナを放っておくわけにはいきません――」

 

《馬鹿者。そんなレベルで47層の高難易度の場に行くなど、自殺行為だ。お前の《使い魔》と同じ末路を辿るつもりか!?》

 

 

 女の子に《声》をかけていなかったであろうリランが一歩踏み出し、《声》を出した。

 急に聞こえた《声》に女の子は戸惑い、周囲を見回したが、すぐさま俺以外の声の主の方に目を向けた。……どうやら俺の背後の白い竜が喋っている事を察したらしい。急に喋ると混乱するから、なるべくプレイヤーに話しかけるなって言ってるのに。

 

 だけど、本当にリランの言う通りだ。

 

 

「……《使い魔》を助けたい気持ちは、俺も《ビーストテイマー》だからわかるよ。だけど君のレベルじゃ、思い出の丘に行くのは自殺行為になりかねない。俺も、一緒についていくよ」

 

 

 俺は素早くアイテムウインドウを開き、《イーボン・ダガー》、《シルバースレッド・アーマー》、《ムーン・ブレザー》、《フェアリー・ブーツ》、《フロリット・ベルト》と言った、攻略の最中で手に入れた、強くてレアだけど俺では使えない装備を、女の子の元へ送信した。目の前にアイテムが並んだウインドウを目にした女の子は、きょとんとする。

 

 

「この一式を装備しておけば、5、6レベルぶんは底上げできるよ。俺と俺の《使い魔》も一緒に行くから、案外すんなりといけそうだ」

 

「えっ」

 

 

 女の子は驚きながら、送ったアイテムをまじまじと見つめた。多分、こんなアイテムを見た事が無いのだろう。俺も、こんなレアアイテムが攻略の最中に手に入るなんて思ってもみなかったから、正直驚いていた。そして、アイテムを受け取るボタンをクリックして、アイテムウインドウを閉じた後に、女の子は小さな声で言った。

 

 

「ありがとうございます。あの、なんでここまでやってくれるんですか。あたしなんて、赤の他人のはずなのに……」

 

 

 思わずぎくりとする。君が犯罪者ギルドに狙われているからと素直に言いたいところだが、そんな事を言ったら多分怯えさせるだけだろうし、かといって、放っておけなかった理由の一番の理由を口にしたら、笑われてしまいそうだしなぁ……。

 でも、怖がられるより、笑われる方がまだましだ。

 

 

「……君が俺と同じ《ビーストテイマー》だからっていうのと……もう一つあるんだけど、笑わないかな」

 

「笑いません」

 

 

 女の子の引き締まった表情を見た後に、俺は片手で顔を覆い、放っておけなかった最大の理由を口にした。

 

 

「……似てるんだよ。君が、うちの妹に」

 

 

 横目で見てみると、女の子はきょとんとしたような顔をしていた。しかし、すぐさま俺との約束を破って笑い始めた。やっぱり笑われてしまったが、女の子は嫌な笑い方をしていなかったため、そこまで気は悪くならなかった。

 

 

「さてと……いつまでもここにいるわけにはいかない。早く街へ帰ろう。えっと……」

 

「シリカです」

 

 

 思わず目を丸くしてしまった。やはり、この女の子がシリカだったんだ。リランの言っている事は、当たっていた。《ビーストテイマー》だと聞いていたから、てっきり俺と同じくらいの歳の娘かと思っていたけれど、想像以上に、年下だ。まぁそんな事はどうでもいいんだけれど。

 

 

「俺はキリトだ。それで、こっちのでかいのがリラン。よろしくなシリカ」

 

 

 握手するつもりで手を差し伸べると、シリカは一瞬きょとんとしたような顔をしてすぐに笑顔に戻り、その手を伸ばし、俺の手をしっかりと握ってくれた。

 

 

「よろしくお願いします、キリトさん」

 

 

 俺はシリカと数秒手を握り合った後、街に向けて歩き出したが、その道中でシリカはリランの事を見つめて、小さく呟くように言った。

 

 

「それにしても驚きました。キリトさんも、こんなに大きな子をテイムする事が出来たプレイヤーだったんですね」

 

「あぁ。リランとはここで出会ったんだけれどな。こいつがまた癖のある奴でさ」

 

《お前ほど癖のある奴ではないと思うぞ》

 

 

 リランが《声》を響かせると、シリカは驚いたような顔になって、周囲を見回した。毎回恒例の、リランの《声》を聞いたプレイヤーがやる行動だ。

 

 

「キリトさん、聞こえましたか」

 

「何が?」

 

「今、女の人の声がしたんです。それに、さっきもあたしを叱るような声がして……キリトさんは聞こえませんでしたか?」

 

 

 やはり、あの時のリランの《声》はシリカにも送られていたようだ。あまり他のプレイヤーに話しかけると、混乱させて、騒ぎを起こすかもしれないから、話しかけるのはやめろと言っているのに、たまにいう事を聞いてくれないんだよな。

 

 

「その《声》の正体なら、すぐそこにいるよ」

 

「え、どこですか」

 

「こいつだよ。君が聞いていた女の人の《声》っていうのは、リランの《声》なんだ」

 

 

 俺が隣をどすどすと音を立てて歩く白き狼竜に指を向けると、シリカは「え?」と言ってリランを見つめた後に、大きな声を出して驚いた。

 

 

「えぇぇ――!!? これが、その子の《声》!? その子、喋れるんですかぁ!!?」

 

「そうだけど……何でそんなに驚くんだ? 君の《使い魔》は喋らないのか?」

 

 

 シリカは慌てたまま頷いて、俺に顔を向けた。

 

 

「喋りませんよ! あたしの《ビーストテイマー》友達の中にも、《使い魔》が喋ったなんて言いだした人はキリトさんを除いて一人もいませんでしたよ! 一体、どうやって喋ってるんですか、そもそも、なんで《使い魔》が喋れるんですか!?」

 

《おい、少し慌て過ぎではないか、シリカ》

 

「うわ、また喋ってきたぁ!!」

 

 

 慌て犇めくシリカに思わず苦笑いしてしまう。

 

 

「お、落ち着いてくれシリカ。やっぱり、《使い魔》が喋るなんて事はないんだな」

 

 

 俺の声にシリカは若干落ち着きを取り戻し、先程よりも小さな声で言った。

 

 

「《使い魔》は喋りません。喋らないはずなんですが、リランちゃんは喋ってますね。これは一体どういう事なんでしょうか。喋れるモンスターなんか、いないはずなんですけれど」

 

 

 やはりシリカも、リランのような《使い魔》は見た事が無いらしい。確かに考えてみれば、モンスターが心を持っているかのように喋り出すなんてありえない話だけど、リランはこうして喋って、思いを伝える事が出来ているんだからな。エギルの言っていた通り、リランは他の《使い魔》とは違うんだ。

 

 

「ひとまず宿屋まで行こうか。そこでリランの事を話すから、シリカも《ビーストテイマー》について教えてくれないか。俺、《ビーストテイマー》になったばかりで、わからない事だらけなんだ」

 

「はい、そういう事なら任せてください」

 

 

 シリカは笑みを浮かべて、頷いてくれたけれど、その笑みには不思議な信頼性があった。シリカならば、《ビーストテイマー》についてちゃんと教えてくれそうだし、代わりにリランの事を教えてやってもいい。それくらいにシリカの事は信頼できると感じられる。

 

 こんな人に出会ったのは、シノン以来だな。

 

 

「よかった。それじゃあ、宿屋に急ごうか」

 

「はい!」

 

 

 

       ◇◇◇

 

 

 

 俺とシリカは迷いの森を無事に抜け、35層の街に戻って来る事が出来たけれど、街に入った瞬間リランの大きさが俺の肩に乗れるくらいのサイズになった事にシリカはまた驚いて、リランは圏外と圏内で大きさと声色が異なるという事を教える事になった。同時に、シリカの《使い魔》であるピナは、圏内のリランくらいのサイズだと教えてくれた。

 

 

「そうか、ピナの大きさはこれくらいなんだな」

 

「はい。でも本当にびっくりしました。まさかあのリランちゃんがこんなに小さくなってしまうなんて。圏内に入ると小さくなる《使い魔》も、《ビーストテイマー》友達の間では見た事が無いです」

 

《先程から我を異端のように言うな、お前達は》

 

「いや、異端のようじゃなくて、異端なんだよお前が」

 

 

 リランはぐぅと言って黙り込んだ。

 しかしまぁ、リランは本当に何者なんだろう。シリカによれば、こんなふうに喋ったり、小さくなったりするような《使い魔》はいないらしいんだけれど。本当にリランが何者なのか、気になって仕方がない。勿論、シリカが知っているであろう《ビーストテイマー》についてもだ。

 

 しかし、リランはすぐさま口を開き、《声》を俺達に告げた。

 

 

《22層に近い場所にあるからか……牧歌的な佇まいの良い街だ。さほど大きくはないが、居心地は悪くない》

 

 

 もの珍しそうに周りを見つめるリランを不思議がったのか、シリカが意外そうな顔をしてリランに声をかける。

 

 

「へぇー、リランちゃんはそんな事までわかるんですか。すっごく頭がいいんですね」

 

「頭が良すぎて困る時の方が多いけれどな」

 

《キリト、お前先程から我の悪口のような事ばかり言っておるな。あまり悪口を言うようならば、お前の項に噛み付いてやらんでもないぞ》

 

「悪かったよ。お前の牙が項に食い込んだらマジで死にそうだからやめてくれ」

 

 

 そんな他愛もない会話をしながら歩いていると、どこからか男性の声が聞こえてきて、俺達は立ち止まった。誰の声かと思って周りを見回したところ、近くにいた男性プレイヤーの二人組がシリカに向かって駆け寄ってきた。

 

 

「随分遅かったねシリカちゃん。夜までかかったから、心配してたんだよ」

 

「今度パーティー組もうよ。どこでも好きなところに連れて行ってあげるからさ」

 

 

 シリカは軽く苦笑いして、頭を下げる。

 

 

「ご、ごめんなさい。気持ちはとても嬉しいんですが、しばらくはこの黒の竜使いの人と組む事になったので……」

 

 

 そう言って、シリカは俺のコートの袖を両手で掴んだ。直後に、男性プレイヤー二人組のジリジリとした光線のような視線が襲い掛かってきた。多分だが、有名人であるシリカを独り占めしているように見えて、憎たらしいんだろう。

 シリカはもう一度男性プレイヤー達に謝ると、そのまま俺のコートの袖を引っ張ったまま歩き出し、俺もそれに合わせて歩き出す。

 

 

「人気者だな、シリカは」

 

「いいえ。マスコット代わりに誘われてるだけです。それなのに、竜使いシリカなんて呼ばれて、いい気になって……それで、ピナを……」

 

 

 人気者と呼ばれるシリカの瞳からは、また涙が零れていた。やはり《使い魔》であるピナを死なせてしまったのが、辛かったのだろう。いや、辛いに決まってる。《使い魔》はこんなにも頼もしくて、暖かい存在なのだから。

 俺は思わずシリカの頭に手を伸ばし、そっと髪の毛を撫でた。

 

 

「心配ないよ。必ず間に合うから。いや、間に合わせるから」

 

《そのとおりだ。我もお前の《使い魔》を見てみたいし、お前が心から笑っているところを見たい。そのためにも、お前の《使い魔》は最優先で助けよう》

 

 

 リランが俺に便乗するように言うと、シリカは涙を拭いて笑んだ。

 

 

「はい。信じてます、キリトさん」

 

 

 そっとシリカの頭から手を退けた直後、シリカは事柄を思い付いたような顔になって、俺に尋ねてきた。

 

 

「そういえばキリトさん、ホームはどこにあるんですか。あたしがよく泊まっている宿はこの層の宿なんですけれど」

 

「22層のログハウスに住んでるよ。だけどもう夜だし、今日はここに泊まる事にしようかな」

 

「本当ですか! この宿のチーズケーキがすごく美味しいんですよ。早く入って食べに行きましょう!」

 

 

 だけど、22層の家にはシノンがいる。帰って来ない俺達を不審に思うだろうから、ちゃんと連絡しておかないと。そう思うと、現実世界で帰りが遅くなったりした時に、妹や母にメールしていた時の事を思い出した。

 

 

「シリカ、ちょっと待っててくれ。メッセージを送らなきゃいけない」

 

「そうですか。じゃあここで待ってます」

 

「ありがとう。すぐ終わる」

 

 

 俺はメッセージウインドウを開くと、素早くキーを打って「今日は35層の宿に泊まっていくから、22層には戻れそうにない。夕食も休眠も自分でやってくれ」と入力し、宛先をシノンの元へ設定した後に、送信ボタンをクリックしてウインドウを閉じた。

 

 

「待たせたね。それじゃあ、宿屋に行こうか――」

 

「ってあれ。シリカじゃないの」

 

 

 いきなり前の方から声が聞こえてきて、俺とシリカは目を向けた。黒と赤の禍々しい色合いの戦闘服を身に纏い、癖のある血のような紅い髪の毛の、他のプレイヤーとは明らかに異なる雰囲気を持つ女性の姿がそこにあった。周りには女性が引き連れているのであろう、銀色の鎧を着た男性プレイヤーが3人ほどいる。

 

 

「ろ、ロザリアさん」

 

 

 ロザリア。その名前を聞いた瞬間に、あの男の青ざめた顔と言葉が浮かび上がった。あの男は仲間をタイタンズハンドという、ロザリアが団員またはリーダーを勤めているであろう犯罪者ギルドに殺害された。そのロザリアが、目の前にいるこの女だとわかると、深い怒りが心の中に湧き出てきた。

 

 だが見たところロザリア以外の犯罪者メンバーの姿はなく、周りの男達もロザリアの仲間ではない事がすぐにわかった。ロザリアだけが、目つきが違うのだ。

 

 今まで俺は何人かの犯罪者プレイヤーを見てきたが、どいつもこいつも決まってギラギラとした眼光をしていた。――目の前にいるロザリアの目は、それらと同じギラギラとした眼光を放っている。グリーンプレイヤーでありながら、悪人の目をしているのは、犯罪者ギルドをやっている証拠だ。まさかいきなり目標に遭遇してしまうなんて。

 

 その時、俺の背中がもぞもぞとして、中から《声》が聞こえてきた。リランが隠れたらしい。

 

 

《落ち着けよキリト。ターゲットはこいつだが、こいつらの仲間ごと捕まえねば意味はない。我らがロザリアを知っている事を、悟られるな》

 

「わかってるよ。だけど、やっぱりシリカを狙ってるのは間違いなさそうだ」

 

 

 ロザリアに聞こえない声の大きさでリランに言葉を伝えると、ロザリアはヒール独特のカツカツという足音を立てたながら、俺達の元へ近付いてきた。

 

 

「なんだ、森から脱出できたの。よかったわねぇ……って、あのトカゲどうしちゃったの?」

 

 

 シリカは何も言い返さない。やがて、ロザリアの口元に薄笑いが浮かび上がる。

 

 

「あら、その様子はもしかして……」

 

 

 厭味ったらしく笑むロザリアを、シリカはきっと睨みつけた。

 

 

「ピナは死にました。だけど、絶対に生き返らせます!」

 

 

 ロザリアは「へぇーえ」と言って、腕組みをする。

 

 

「って事は思い出の丘に行くって事よね。でもあんたのレベルでどうにかできる場所なのかしら」

 

「そんなにレベルの高いダンジョンじゃないよ」

 

 

 シリカとロザリアの間に割り込み、シリカをコートで隠す。

 ロザリアは俺を値踏みするかのような目で、嘲るように笑んだ。

 

 

「あんたもその子にタラし込まれたわけ? 見た感じそこまで強そうじゃないけど」

 

 

 ロザリアの薔薇のような色合いの目と、俺の目が合う。やはり、ギラギラとした嫌な目つきをしている。もう、これ以上こいつと話したところで、からかわれるだけで進展しないだろう。

 

 

「いこうシリカ」

 

 

 俺はシリカの肩を軽く掴んで、宿屋の方へと歩き出した。後ろからロザリアの声が聞こえてきたような気がしたが、俺とシリカは振り向く事なく歩き続けて、やがて35層の宿屋、《風見鶏亭》に入り込んだ。

 



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03:花の園

 風見鶏亭のチェックインを済ませて、一階のレストランで食事をする事になった。前菜といえる軽食を食べ終えた後に、シリカは軽く溜息を吐き、愚痴をこぼすように言った。

 

 

「なんであんな意地悪言うのかな……」

 

 

 シリカがロザリアの事を思い出しているのはすぐにわかった。そしてなぜ、あんなふうな態度を取ったり意地悪をしたりするのか。それはこれ以外のMMOならば理由はわからないでもない。

 

 

「シリカはMMOをやるのは、SAOが初めてか」

 

「はい」

 

「どんなプレイヤーでも、アバターに身をやつすと人格が変わる奴は多いんだ。その中でも、進んで悪人を演じたり、他のプレイヤーを攻撃するようになったりしてな。恐らくロザリアさんもそのクチ……だと思ってたんだ」

 

 

 シリカの目が少し見開かれる。物事が、あまりよくわかっていない時の目つきだ。

 

 

「というと?」

 

「このゲームはデスゲームだ。それはわかるだろう?

 

 今、俺達の頭の上に出ているカーソルはグリーンだけど、殺人などの犯罪を行うと、オレンジ色に変色する。そしてこの殺人を犯した事のあるプレイヤーは殺人者(レッド)プレイヤーと呼ばれるんだ。

 

 従来のゲームならば悪人を気取り殺戮の限りを尽くすなんて言う遊び方をする事が出来た。だけどこのゲームはプレイヤーが死ねば、現実でも死ぬようになってる。遊びで済まされない仕様……そのはずなのに、アイテムを奪ったり、殺人を犯したり……取り返しのつかない事を繰り返す奴があまりに多い。

 

 出会った相手に意地悪をしたり出来るような余裕なんかないはずなんだ。ロザリアさんだって、あんな事をしている場合じゃないはずなのに……」

 

 

 これまで見てきた犯罪者プレイヤー達の姿や情報が頭の中いっぱいに広がって、腹の奥底から怒りが込み上げて来てたまらなくなる。気付けば、ぎりぎりとコップを握り締めていた。

 

 

「きっと、この世界で悪事を働くような奴は、現実世界でも性根の腐り切った奴だって、俺は思ってるよ」

 

 

 こんな命がかかっている状況なのに、ゲーム感覚で人を殺す連中の顔が浮かんできて、思わず手に持っているコップを握り潰しそうになる。やがてコップを本当に握り潰しそうになったその時に、手が急に暖かくなった。

 

 シリカがテーブルに乗り出して、俺の手をその両手で包み込んでくれていた。目の前に目を向ければ、真剣そのものになっているシリカの顔があった。

 

 

「キリトさんはいい人です。あたしを助けてくれたんですから。それに、きっとキリトさんがいい人だから、リランちゃんっていう《使い魔》が一緒に居るんだと思います!」

 

 

 シリカの言葉は耳を通じて心の中に流れ込んでくるような気がした。同時に、それまで頭の中に浮かび上がっていた犯罪者プレイヤー達の言動や話し、情報が一気に消えてなくなり、心の中に立ち込めていた嫌なもやもやと怒りがすっと晴れて行くのを感じた。

 

 

「《使い魔》を失った君を慰めようって思ってたんだけど……俺の方が慰められてしまったね。ありがとう、シリカ」

 

 

 思わず笑んでしまった瞬間、シリカは突然顔を赤くして俺から手を離し、自分の席に戻って忙しなく周りをきょろきょろし始めた。

 

 

「あ、あっれぇ、ご飯まだですかねえー、すみませーん、ご飯まだですかー?」

 

 

 俺とリランは目を点にしながら、じっとシリカの事を見つめていた。

 

 

  ◇◇◇

 

 

 夕食を終えて部屋に戻り、俺はベッドに横になった。時刻の方を確認してみれば、午後8時を回っている。

 

 

「中々の夕食だったな」

 

《あぁ。特にシリカの推していたチーズケーキは絶品であったな》

 

 

 黒パンとビーフシチューという簡素なものだったけれど、シリカがおすすめしていたデザートのチーズケーキは、まるで高級ケーキ店のそれを思わせるかのように、まろやかで美味しいものだった。俺はその味に軽く驚いてしまったけれど、それよりも驚いたのは、リランもそれを食べた事だ。

 

 

「まさかお前がチーズケーキを食べるなんて思ってもみなかったよ。たまに人間みたいだよな、お前って」

 

 

 ベッドの枕元に横になっている、カレーもチーズケーキすらも食べる白き小竜がフンと鼻息を鳴らす。

 

 

《我は竜だぞ。人間ではないが、まぁ考えている事や食性は人間に似通っているのかもな。それよりも、あのシリカは随分と良い事を言ったものだ》

 

「何が?」

 

《お前が悪者ではないという言葉だ。お前を見ていると、我も本当にそう思う。お前は決して悪人ではない。だから、我はお前についていこうと思ったのだろうな》

 

「お前までそんな事を言うのかよ。嬉しいけどさ」

 

 

 リランが俺に顔を向ける。

 

 

《もしお前が悪人であったならば、今頃お前は地獄で鬼に許しを乞いている頃だろう。そうではないという事は、お前は悪人ではないという事だ》

 

 

 リランは非常に言葉達者だ。それに語彙も沢山あるみたいで、話せばいろんな言葉を返してくる。でもたまに地獄で鬼とか、恐ろしい言葉を言って来る事もあるから時々怖くなる。

 

 

「シノンも言ってたけど、たまに怖い事を言うなお前。あまりそういう言葉は使うもんじゃないぜ」

 

《そうさな。こういう言葉は心底腹が立った相手にだけ言うとしよう。今のところは確認出来ないがな》

 

 

 リランは上半身を起こし、隣のシリカの泊まる部屋の方に目を向けた。そこで《声》も止めるものだから、思わず不思議になって、俺はリランに声をかける。

 

 

「どうしたんだよ」

 

《いや、シリカは大丈夫かと心配になってな。あいつはずっと《使い魔》と共にいたはず。きっと《使い魔》のいない夜は今日が久しいに違いない》

 

「……それもそうだな」

 

 

 見たところ、シリカはピナという《使い魔》を大事にしていたように見えた。そうでなきゃピナを失ってあんなに悲しむわけがないし、わざわざ47層に出向いてまで生き返らせようなんてしないはずだ。けれど、今晩はピナがいない事に変わりはない。……大事な友達が傍にいなくて寂しいだろう。

 

 

「シリカ、寂しがってなきゃいいんだけど……無理だよな」

 

 

 そう言ったその時、ドアをノックする音が聞こえてきた。《こんな時刻に客人だろうか》とリランが言った直後に、俺はベッドから立ち上がって出入り口のドアに近付き、戸を開けた。すぐに、薄着を身に纏った明るい茶色の髪の女の子……リランとの話に出てきていたシリカの姿が目に映った。

 

 

「シリカ。どうしたんだ」

 

 

 シリカはぎこちなく、呟くように言った。

 

 

「えっと……47層の事とか教えてもらいたくて。あたし、47層まで赴いた事が無いので、どう進めばいいのかなぁって、気になって……」

 

「あぁそうか。君はまだ行った事が無いのか。じゃあ説明するけれど、階下に行こうか?」

 

「いいえ、出来ればこの階でお願いします。他の人に盗み聞きされたら悪いじゃないですか」

 

「それもそうだな。じゃあ部屋に入って。47層について説明するよ」

 

 

 シリカが頷いたのを確認すると、俺は一歩後ろに下がり、シリカを部屋に招き入れた。そしてシリカを近くの椅子に座らせて、その隣に椅子を持って来て座った後に、俺はアイテムストレージから小物のようなアイテムを取り出し、テーブルに置いた。

 そのアイテムを静かにクリックすると、アイテムの上部に水色の光の球体が姿を現し、シリカの目は輝きを宿した。

 

 

「うわあ、綺麗……!」

 

「このアイテムはミラージュスフィア。一度行った事のある層の構造とかを確認できるアイテムで、言わば立体地図といえる代物なんだ。それで今映っているのが、47層の構造だよ」

 

 このアイテムを手に入れたのは、ごく最近だ。ミラージュスフィアなんて言うよくわからない名前で、何のためのアイテムかわからずに起動させたら、こんなものが出てきて驚く事になったのは記憶に新しい。

 シリカが目を輝かせる中、俺は立体地図に手を入れて、説明を始める。

 

 

「この中心にあるのが47層の街。ここから一気に離れて、奥に進んだところにあるのが思い出の丘で、その一番奥にあるのがプネウマの花だ。だけど俺の記憶が正しければ、この途中に少々手ごわいモンスターがいるんだけど……まぁ俺とリランがいるからどうにでも――」

 

《キリト、盗聴だ! 部屋のドアの前で聞く耳を立てている者がいる!!》

 

 

 いきなりリランの《声》が聞こえてきて、俺は驚いたと同時に、ドアの方へ目を向けて、索敵スキルを展開した。リランの言う通り、ドアの外からプレイヤーの気配を感じ取る事が出来た。

 

 

「そこにいるのは誰だ!!?」

 

 

 椅子から立ち上がり、ドアに向かって走り出し、力強くドアをこじ開けて周囲を確認する。宿の廊下のどこにも人影はなかったが、耳を澄ませてみれば人が走り去るような音が聞こえてきた。やはり、誰かに盗聴されていたようだ。

 

 

「くそ、聞かれた上に逃げられたか……」

 

 

 後ろから、シリカの不安そうな声が耳に届く。

 

 

「どうしたんですかキリトさん。急に立ち上がって」

 

「拙い事になったかもしれない。部屋の外に盗み聞きをしている奴が居たんだ。情報を、盗まれた」

 

「えぇっ。で、でも他のプレイヤーはドアの向こうの音を聞く事が出来ないはずじゃ……」

 

 このゲームにおいて、宿屋のドアの向こうの音は、他のプレイヤーは聞く事が出来ない仕様になっている。しかし、数多のスキルの中で、聞き耳スキルというものを上げておけば、その仕様を無視して、部屋の向こうの声を聞く事が出来るようになる。

 

 

「恐らく聞き耳スキルを上げているプレイヤーだ。聞き耳スキルを上げておけば、ドアの向こうの声も聞けるようになる……そんなスキルを上げてる奴なんかいないと思ってたが、そうでもないらしい」

 

 

 あのプレイヤーには47層の情報を聞かれてしまった。恐らくだが、犯人はあの集団の一人だろう。シリカが47層に向かうが故に、聞き耳を立てていたに違いない。

 

 

「シリカ、明日は用心しよう。何が起きてもいいようにしておくんだ。だけど、不安にはならないでくれ。俺が君をプネウマの花の元まで無事に送り届けて、ピナを生き返らせてやるから」

 

 

 振り返ると、シリカはきょとんとしていたのが見えた。聞き耳スキルを上げている奴が居て、盗み聞きされていた事に余程驚いているのだろう。……その割には少し顔が赤いけど。

 

 

「わ、わかりましたキリトさん。明日はよろしくお願いします」

 

「うん。ところで、これからまたメッセージを送るから、ちょっと待っててくれ」

 

 

 俺はそう言った後に、メッセージウインドウを起動して、ホロキーボードで文字を打ち込み始めた。宛先は勿論、俺にタイタンズハンドの討伐を依頼してきたあの男。

 

 内容は、明日、タイタンズハンドとの戦いになるだろうというもの。恐らくだが今の奴はタイタンズハンドの輩だ。奴らは47層でシリカを狙い、姿を現すはず。その時こそが、奴らを捕まえて牢獄へ入れてやるチャンスであり、あの男の依頼を達成する時だ。それにあいつは全財産をはたいて回廊結晶を買ったと言っていたから、何か金目になりそうな土産を持って行ってやらないと。

 

 

 色々考えながらメッセージの入力を完了し、宛先をあの男のところへ向けて、送信ボタンを押すと、送信しましたと言う文字の書かれたウインドウが出現し、すぐにホロキーボードとメッセージウインドウごと消えた。

 

 明日は間違いなく厄介な事が起こる日になるだろう。シリカの身に危険が及ばないように、シリカの事をしっかりと守ってやらないと。

 

 そう思って振り返ったその時に、俺の目は点になった。いつの間にかシリカがベッドに寝転んで、すやすやと寝息を立てていた。しかもその腕でリランの事をしっかりと抱き締めており、そのリランもまたぐっすりと眠りに就いている。

 

 

「ありゃ……寝られたか……」

 

 

 寝顔を見てみると、とても安心して、心地よさそうなものだった。本当なら起こして部屋に行かせるべきだろうけど、ここまでよい寝顔をされていると、流石に起こし難い。それにシリカの事だから、部屋の方はしっかりと鍵を閉めてやってきているだろう。開錠スキルなんてものは持ってないし、シリカの事はここで寝かせるしかない。

 

 

「……」

 

 

 シリカはリランの事をしっかりと抱いて、気持ちよさそうに寝息を立てている。きっとリランのフカフカが、シリカの《使い魔》であるピナのフカフカに似ているんだろう。今晩は《使い魔》がいないせいで、寂しくて眠れないのではないかと、リランの言葉を聞いて心配に思っていたけれど、いつの間にかリランがそれを解決していた。

 

 ……俺のベッドはなくなってしまったけれど、シリカの寝顔を見ると、そんな事はどうでもよくなった。今日は床で寝よう。現実世界ならば変な姿勢をして寝ると筋肉痛に襲われるけれど、この世界はゲームの中だから筋肉痛なんてものはない。

 

 

「仕方ないや。このまま床で寝よう」

 

 

 俺は横になる寸前、シリカの頭にもう一度手を乗せた。きっと明日、この娘の命は狙われる。いや、タイタンズハンドの目的が殺戮にあるのか、レアアイテムの強奪にあるのかどうかまではわからない。けれど、確実にシリカは明日危険に晒される事になるだろう。

 

 

「何があっても……守ってやるからな……」

 

 

 小さく呟いた後に壁を軽く叩いて、照明を消し、眠りの中に俺は転がり込んだ。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 朝方に突然聞こえてきた大きな声で俺もリランも起床した。何事かと思って身構えてみれば、そこにいたのは顔を真っ赤にしたシリカの姿だった。シリカにどうしたんだと尋ねてみたところ、首を振って何でもないと答えられ、どうして叫んだのかまでは聞かせてくれなかった。

 

 何だかよくわからない朝を迎えたけれど、シリカも俺もぐっすり眠る事が出来たらしく、昨日よりも調子がよく感じられた。これなら47層も問題なさそうだ。

 

 

 1階に降りて朝食を摂り、チェックアウトを済ませて宿屋から出ると、俺達は隣にある道具屋に行き、ポーション類を購入。これから冒険に出かけて行くであろうプレイヤー達と、徹夜で戦い続けて疲労しきっているプレイヤー達を横目に見ながら転移門へ向かい、47層の街へと転移した。

 

 

「うわああ!!」

 

 

 47層に辿り着くなり、シリカは悲鳴のような喜びの声を上げた。

 47層の街の転移門周辺は、色とりどりの花々で満ち溢れていた。円形広場と細い通路が設けられているが、その他はすべて赤い煉瓦で囲まれた下段になっており、その中では無数の草花が咲き誇っている。まさに極彩色の乱舞、《フラワーガーデン》。

 

 

「この層は通称フラワーガーデン。街だけじゃなくて層全体が花に覆われてるから、プレイヤーの間じゃかなり人気の高い層になってるんだよ」

 

 

 シリカは頻りに花の揺れる様子を見たり、その香りを嗅いだりしていた。そして気が済んだのか、やがて立ち上がって、周囲を見渡し始めた。今度は何を気にし始めたんだろうと思った直後に、シリカは振り返って「早く行きましょう」と言って歩き始めてしまった。その時の顔が少し赤くなっているように見えたが、気のせいだろう。

 

 俺は慌ててシリカに追いつき、花に覆われた47層の道を歩き続けていたが、そのうちシリカが俺に声をかけてきた。

 

 

「あの、キリトさん」

 

「なんだい」

 

「あたしに似てるって言う妹さんの事、話してもらってもいいですか」

 

 

 思わず目を見開いてしまう。ここアインクラッドで、現実世界の事を尋ねるのは基本的にはタブーだ。理由は色々あるけれど、この世界を現実と同じ世界だと思い込ませ、死に対する感覚が麻痺するのを防ぐためだと言われている。

 

 俺だって、他の誰かに現実世界の事柄を話す気にはなれないし、絶対に離さないつもりでいる。……だけど何故だか、シリカには、妹の事とかを話してやってもいいという気を感じていた。その後に、俺の口は動いた。

 

 

「妹って言ったけれど本当は従兄妹なんだよ。生まれた時から一緒だったから、妹の方は知らないはずだけど……そのせいなのかな、距離っていうか溝を作っちゃって……。

 それから、祖父さんが厳しい人でさ。俺が八歳だった時に、俺達を無理矢理剣道に通わせたんだよ。だけど俺はどうもそれに馴染めなくて、2年で辞めてしまった」

 

《無理やりやらせるのは感心せぬな。お前がそんな行動をとったとしても、何ら不思議ではないかもしれぬ》

 

 

 俺は思わず下を向く。

 

 

「そしたら祖父さんはブチ切れて、俺の事を散々殴りまくったんだけど、その時に妹が泣きながら割り込んできて、自分が二人分も頑張るからって殴らないでって庇ってくれたんだ。その時からだな、俺がコンピュータにのめり込んで行ったのは。一方妹の方はぐんぐん剣道に強くなっていって、全国大会で上位クラスまでいくようになってた。あいつがあれだけ打ち込んでくれたんだ、祖父さんもさぞかし満足だったろうな」

 

 

 俺は途中で首を横に振った。頭の中に剣道着を身に纏った妹の姿が浮かび上がり、剣道で活躍してる時の光景がフラッシュバックする。

 

 

「だけど、俺はそんなあいつに引け目を感じた。あいつにだって、もっとやりたい事があったんじゃないかって……途中で剣道を投げ出した俺を恨んでたんじゃないかって、そんな事を考えてたら余計にあいつを避けるようになっちゃって……」

 

 

 シリカは何も言わずに俺の事を見つめていた。

 そんなシリカの瞳から目を背けつつ、俺は呟くように言った。

 

 

「君を助けたくなったのは、そんな妹への罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。結局は俺の自己満足みたいなものさ。巻き込んでごめんな、シリカ」

 

 

 そこでシリカは俺の目の前に躍り出て、首を横に振った。

 

 

「妹さんは、キリトさんを恨んでなんかいないと思います。きっと心の底から剣道が好きなんですよ。そうでなきゃ、全国まで行けるわけがありません」

 

 

 シリカの言葉を聞くと、昨日のように胸の中が暖かくなり、心の中に広がっていた後悔の気持ちが消え去っていくのが感じられた。頭の中と心の中がスーッとすると、俺は思わずシリカに笑んだ。

 

 

「君には慰められてばかりだな……ありがとうシリカ。そうだな、そうだといいね……」

 

 シリカは一瞬俺から顔をそむけた後に、もう一度顔を向けて、にっと笑ってくれた。

 直後、リランが俺の隣に並んで、《声》を送ってきた。

 

 

《これだけ言ってくれるのだ。この者の事は守るぞ、キリト》

 

「あぁ、勿論さ」

 

 

 俺はリランの顔に手を当てると、シリカの隣に並びながら、目的地である思い出の丘に急いだ。何が起こるかはわからないから、慎重行かないと。

 

 




今のところ原作沿いなので、原作で出てきた台詞を多数使わなきゃいけない事もあるから原作の大幅コピーにならないか不安になる。


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04:『音無しの声』

 シリカが嫌がる触手系植物モンスターを俺とリランで退けて思い出の丘を突き進んでいると、途中でシリカが戦闘に加って、敵に大きなダメージを与えて倒すようになり、ぐんぐん経験値を獲得して、レベルを一つ上げて見せた。やはりシリカにこのダンジョンの敵を相手にさせるのは効果的だったらしい。

 

 そんな事をしながら更に奥へと進むと、やがて遥か地平線の彼方まで花畑が広がっている、空中の花園と言えるような絶景の場所に辿り着いた。いきなり広がってきた絶景にシリカが見惚れている中、俺はここが思い出の丘の頂上である事に気付く。前方に目を向けてみれば、不思議な形をしたオブジェクトのような岩が設置されている。

 

 あれがプネウマの花の発生する場所に違いない――そう言おうとした直後にシリカが岩目掛けて走り出し、俺は慌ててその後を追って、やがてシリカが岩の目の前まで行ったところで立ち止まった。

 

 大切な<使い魔>を失ってしまった<ビーストテイマー>が近付くと、岩の天辺に光が発生し、やがてそれは花の蕾の形を作り上げて、弾けた。白い色の蕾の花が突如出現した事に驚いていると、花は鈴のような音と光の粒を発生させながら、開いた。

 

 その花にシリカが手を伸ばし、優しく包み込むと、花より下の部分が音を立てずに消え、シリカの手の中には愛らしい白い花が持たれていた。

 名前を確認してみれば、プネウマの花。間違いなく、<使い魔>の蘇生アイテムだった。

 

 

「これは……いや、これがプネウマの花か……」

 

 

 シリカの中を覗き込んで、リランが《声》を送る。

 

 

《美しい……これが死した我らを蘇らせる花か》

 

「やったなシリカ。これでピナは生き返るぞ」

 

 

 シリカはこっちに振り向き、満面の笑みを浮かべて、頷いて見せた。

 

 

「キリトさん、リランちゃん、ありがとうございました。おかげで、ピナを生き返らせれそうです」

 

 

 シリカの笑みを見ていると、何だかこっちまで嬉しさが込み上げてきた。やはり同じ《ビーストテイマー》であるからなのかな。

 

 しかし、ここはこれでも高難易度ダンジョン……ここでピナを蘇らせるのは少々危険だろう。

 

 

「ピナを蘇らせるのは街に戻ってからにしよう」

 

 

 シリカは花をアイテムストレージに仕舞い込んで、もう一度頷いた。

 その後、俺達は来た道を戻り、やがて川に架かる橋の近くに差し掛かった。それまでのシリカの足取りはとても嬉しそうなもので、見ているこちらまで嬉しくなってくるようなものだったが、その思いは橋の上に通りかかったところで、消えた。

 

 先程から、索敵スキルで俺達以外のプレイヤーの気配を察知する事が出来ている。そしてその気配は今、前方の木の陰に集中していた。……何者かがここら辺まで俺達を付け回し、最奥部から帰ってくるのを待っていたんだ。

 俺はシリカの肩に手を乗せて歩みを止めさせ、シリカの前方へリランと共に出て、声を出した。

 

 

「そこに隠れているのは誰だ。出て来いよ」

 

 

 俺の声が周囲に軽く響き渡ると、木の陰から俺達の前方へ移動した人影があった。それがはっきりとしたその時に、後方のシリカが驚いたような声を上げる。

 

 目の前に現れてきたのは、赤と黒の禍々しい戦闘服に身を包み、血のような紅い髪の毛を派手にカールさせ、手に十文字槍を持った女性プレイヤー……昨晩街で出くわしたロザリアだった。

 

 

「へぇー、私のハイディングスキルを見破るなんて、大したもんねアンタ」

 

 

 ロザリアはにっこりと笑った。

 

 

「その様子だと、プネウマの花を入手できたみたいね、おめでとう。それじゃ、その花

をこっちに渡してもらおうかしら」

 

 

 ロザリアの表情が悪人の笑みに変化したのにシリカがまた驚く。

 

 

「いきなり何を言い出すんですか!」

 

「やっぱりそんな事だろうと思ったよ。ロザリアさん……いや、犯罪者ギルド「タイタンズハンド」のリーダーさん」

 

 

 ロザリアの表情が一瞬驚いたようなものに変わり、すぐにまたいやしい笑みに変わる。

 

 

「へぇ、そんな事知ってるんだ」

 

「知ってたさ。あんたはこの前、シルバーフラグスっていうギルドを襲って、リーダー以外の4人を全員殺害し、更にその所持品から金まですべて奪い取ったそうじゃないか」

 

 

 ロザリアが髪の毛をいじり出すと、シリカが後方から俺に言う。

 

 

「で、でもロザリアさんのカーソルはグリーン、犯罪者の色じゃないですよ」

 

 やはりシリカはロザリアが悪事を働いているのにグリーンであるという仕組みが理解できていないらしい。普通ならばなかなか気付けないような事だから、当然か。

 

 

「簡単だよシリカ。あいつはパーティの中に潜伏して、メンバーを待ち伏せ地点(キルゾーン)へ誘い込み、犯罪者の仲間を使って殺すっていう手法を取っているんだ。だからあいつのカーソルはオレンジ色にはならない」

 

 

 頭の中に俺に依頼をしてきた時のあの男の声と顔色が浮かび上がる。最前線の攻略組に仇討ちを頼んだけど何度も断られて、最終的に俺の元へ辿り着き、仲間の仇を討ってくれと頼んできたあの男――仲間は殺されたが犯人は殺さないでくれ、牢獄に入れてやるだけでいいと言って、回廊結晶を渡してくれた優しい男。

 

 

「シルバーフラグスのリーダー……あいつは最前線の攻略組に朝から晩まで仇討ちしてくれる奴を泣きながら探していたんだ。そして、最終的に俺のところに依頼しに来た。あんたに仲間を殺されたあの男の気持ちがわかるのかよ」

 

 

 ロザリアはふんと言って首を横に振った。

 

 

「わかんないわよ。というか、馬鹿じゃないの。そんなにマジになっちゃって。

 ここで人が死んだら現実でも死んじゃうなんて証拠はどこにもないじゃない」

 

 

 そんなわけがない。現にこの世界で死んだ奴は本当に現実でも死んでいるんだ。確かにここじゃ確かめようのない事柄だけど、これを最初の街で茅場晶彦自らが言った上に、シノンが現実で人が死んでいる事を教えてくれた。

 

 このゲームは遊びじゃない、本当のデスゲームなんだ。なのにあれを嘘だと思い込んで、こいつらは悪事を働き、その過程で人間の命を平然と奪っている。

 

 

「それにぃ、自分の心配をした方がいいんじゃないの」

 

 

 ロザリアがぱちんと指を鳴らすと、近くの木立が揺れて、陰から如何にもガラの悪い装備をした男達が10人ほど姿を現した。カーソルを見てみれば、1名を除いて全員犯罪者の色であるオレンジだった。そしてその唯一のグリーンカーソルの男こそが、昨日俺達の話を盗み聞きしていた犯人である事が、すぐにわかった。

 

 

「なるほど、そいつらがあんたの仲間って事か。昨日の話を盗み聞きしてたのは、そこのグリーンの奴か」

 

「そうだよ。全く番狂わせだよアンタもシリカも。本当はシリカを含めたパーティを嵌めて身ぐるみ剥いでやるつもりだったのに、シリカの奴途中で抜けやがってさ。もう一度キルゾーンに嵌めるために近付いてみればアンタがいるしで……だけど高収穫だわ。シリカの持ってるプネウマの花はとんでもなく高く売れる……結果オーライね」

 

 

 ロザリアがうんざりした様子で言うと、近くの男の一人が俺の事を睨み、何かに気付いたような顔をした。

 

 

「ちょ、ちょっと待て。黒い服装に立て無しの片手剣、そして背後にいる狼のような姿をしたドラゴン……まさかこいつは、《黒の剣士》!?」

 

 

 男の声に、周りの連中が反応を示す。

 

 

「《黒の剣士》って、あのベータテスト上がりのソロプレイヤーか!? 途中からドラゴンを駆ってボスモンスターをなぎ倒してるっていうあの!?」

 

「ろ、ロザリアさん、あいつすごくヤバい奴ですよ!!」

 

 

 戸惑う男の達の声を跳ね除けて、ロザリアはいきなり笑い出した。

 

 

「攻略組かぁ! それじゃあレアアイテムも金もたんまり持ってる事だろ! それにいかに攻略組とドラゴンとはいえ、これだけの大人数に敵うわけない! お前達、ぶっ殺して身ぐるみ剥いじゃいな!」

 

「そ、そうだな! ボスに挑むという事は攻略組、レアアイテムとか金をたんまり持ってる奴だ! すげえ美味しい獲物じゃねえか、やっちまおうぜ!!」

 

 

 ロザリアの言葉を受けた男達は勢いづいたかのように曲刀や直剣を構えて、興奮した様子で俺とリランに斬りかかってきた。

 

 そして最初の一撃を皮切りに、次々と俺とリランに男達のソードスキルが炸裂する。だけど、カーソルを合わせた時に確認できる男達の簡易ステータスを目に入れたところで、動く必要はない事に気付き、リランにも動く必要はないと伝えた。

 

 

「おらあああ!!」

 

「死ねえええ!!」

 

 

 動かない俺達に、男達は興奮した様子でソードスキルを放ち続ける。相手を攻撃する事に快感を覚えているらしく、どの男にも邪悪な笑みが浮かんでおり、この男達を率いている張本人であるロザリアに目を向ければ、嘲笑するかのような表情を顔に浮かべてこっちを眺めている。

 

 目だけを動かして、左上に表示されている<HPバー>に着目した。ゲージは確かに男達の攻撃を受けて減ってはいたが、すぐにまた満タンの状態に戻った。じっと見ていれば、減る、全快する、減る、全快するを無限に繰り返している。

 

 特に何も考えないまま命の残量を眺めていると、やがて周りの男達は息を切らし、攻撃をやめた。その顔には冷や汗と戸惑っているかのような表情が、いつの間にか浮かんでいた。

 

 

「なんだよ、こいつとドラゴン……攻撃しても死なねえ!」

 

「どうなってんだ、どうなってんだよ!?」

 

 

 首筋を摩りながら、口を動かす。

 

 

「一斉攻撃したところで与えられる最大ダメージは10秒あたり400が限界か。俺のレベルは78、体力の最大値は14500……俺の装備してる自動回復スキルがもたらす回復量は10秒で600だから、何時間攻撃し続けても終わらないな」

 

 

 俺は振り返り、リランの命の残量に着目する。俺と同じで、あれだけ攻撃されたにもかかわらずゲージは全快のままだ。

 

 

「そっちのドラゴンにも全く同じスキルが備わっている。レベルは俺と同じ78、体力の最大値は俺よりも多い65900。自動回復スキル付きで10秒毎の回復量は1700だ。そっちは尚更攻撃しても倒せないな」

 

 

 周りを囲む男のうちの一人がぼやくように言う。

 

 

「そんなのありなのかよ!?」

 

 

 その言葉に、胸の中に怒りの気持ちが溢れてきて、噛み付くように俺は言った。

 

 

「あぁありだとも。たかが数字が増えるだけで無茶苦茶な差が付く。それがレベル性MMOの理不尽さっていうものなんだ。お前達の数字よりも、俺の数字の方が上回っている時点で、もう勝敗は決していたんだ」

 

 

 懐の中に手を入れて、あの男から受け取った最後の品、回廊結晶を取り出し、周りの連中に見せつける。

 

 

「これは俺に依頼をしてくれた男が全財産をはたいて買った回廊結晶、行き先は黒鉄宮の牢獄に設定されている。全員これで牢獄の中に飛んでもらうぞ」

 

 周りの連中が委縮する中、ロザリアの方へ目を向けてみると、何やら余裕そうな表情が顔に浮かべられていた。それも、如何にも悪人の笑みというべき卑しい物。

 

「随分とズルいじゃないか黒の剣士さん。そんな能力を持って、そんなドラゴンまで引き連れてるなんて。でも、ズルい事には注意しないとねェ?」

 

「何?」

 

 

 そう言った瞬間に、背後から悲鳴が聞こえてきて、俺とリランは振り返ったところで思わずぎょっとした。俺達の戦いを後ろの方で見ていたシリカを、タイタンズハンドの仲間と思われる男が武器を添えて拘束していた。

 

 

「し、シリカ!!」

 

 

 首元を絞められ、更に短刀を首筋に向けられて、シリカは恐れ戦いているような表情をしていた。その後ろで、男が邪悪な笑みを浮かべている。

 さっきから索敵スキルを発動させていたから、プレイヤーの接近はわからないわけないのに、なんであの男に気付けなかったんだ。もしや、ロザリア以上のハイディングスキルを持っていたのか……!?

 

 

「動くなよ? こいつがどうなってもいいのか?」

 

 

 まさかこんな手段に出てくるなんて。こんな方法を使うのはアニメとかドラマの悪人だけだと思っていた。

 俺とリランがいればシリカを最後まで守る事ができると思っていたけれど、それが迂闊だった。こんな事ならシリカに転移結晶を持たせておくべきだった。いや、持ってたかもしれないけど、今じゃ使えないか……。

 

 

「キリ……ト……さん……」

 

 

 か細い声で、シリカが俺の名を口にすると、男がナイフをシリカの首元に仕向ける。

 

 

「おっとお前も動くなよ。首をすっ飛ばしてやるぞ?」

 

 

 首筋に軽くナイフをあてられて、シリカの身体が一気に恐怖で縮こまり、瞳から涙が零れ落ちるのが見えた。同時に、水が湧き出して満たすように心の中が怒りでいっぱいになって、今にもシリカを拘束する男に襲い掛かりそうになったが、急に動けなくなった。

 周囲を見てみれば、いつの間にか2人の犯罪者プレイヤーの男が俺の腕を拘束していた。

 

 

「さぁ《黒の剣士》さん、持ってるアイテムを全部吐き出しな。シリカと一緒にいたんだから、シリカの命が惜しくないわけないでしょ。シリカに死んで欲しくないなら、所持金アイテム全部差し出すんだ」

 

 

 ロザリアが余裕そうに言うと、シリカを捕らえる男も言い出す。

 

 

「お前もだぜ。お前もアイテムを全部吐き出すんだ。余計な事をすればその場で首を飛ばしてやる」

 

 

 シリカは声を出さずに泣きながら、ガクガクと震えていた。俺もこんな卑怯な事をされて、ガクガクと震えながら怒り出しそうな感じだが、それを無理矢理押さえ込んでいる。

 

 俺の敏捷性ならすぐにでもシリカを助け出せるかもしれないが、今は男達に拘束されているから、この男達を振りほどく必要がある。そして振りほどいて、シリカのところへ行く間に、シリカは首をはねられてしまうだろう――下手に動く事は出来そうにない。かといってこのままじっとしていたらアイテムを奪い尽くされてしまう。

 

 

 それにこいつらは容赦を知らず、プレイヤーを攻撃する事に快感を覚えているような狂った連中……アイテムを奪った後にシリカを殺すのは間違いない。怒りに任せて動いても、冷静になって動かないでいても、シリカは殺されてしまう。

 

 

(なんとかしなければ……だがどうやって!?)

 

 

 歯を食い縛りながらこの状況を打破する作戦を頭の中で考えるが、それよりも先にシリカを守れなかった上に、タイタンズハンドを見くびっていた事への後悔が頭の中に広がった。

 どうしてこんなことを招いてしまったんだ。

 どうして俺とリランでどうにでもなるなんて考えたんだ。

 これじゃあまるであの時と同じじゃないか……。

 

 

《キリト、シリカ、耐えろ!》

 

 

 そんな思いが渦巻く頭の中に、いきなり初老の女性のそれのような《声》が響き渡った。直後に俺は《声》の発生源である使い魔に顔を向けたが、次の瞬間、俺の使い魔である狼竜は口を開き、咆哮したが、その声は竜のそれとは思えないような声だった。

 

 まるで金属音、大音量のモスキート音などに獣の甲高い悲鳴のような声と狼の遠吠えを混ぜたような、耳から入り込んで全身を駆け巡り、脳に突き刺さる超音量の不快音。その波は周囲の花を揺らしながら、思い出の丘全体に広がり、俺達の耳の中、脳の中に容赦なく入り込む。

 

 音の波の中心部付近にいた俺は、超音量の不快音に脳を揺すられているような感覚に襲われ、耳を塞ごうと、思わず拘束されている腕を動かそうとしたが、いつの間にか腕が自由に動かせるようになっている事に気付き、すかさず俺は両手で耳を塞いだ。

 

 何が起きたのかと思って俺を拘束していた男達を見てみれば、皆光のない目をして地面に倒れ込み、身体をぴくぴくと小刻みに動かしていた。耳を塞ごうとしていた形跡が見られたため、どうやらこの音をまともに浴びて気を失ったらしい。

 

 

 そのままロザリアの方へ向いてみれば、ロザリアは掌で耳を塞ぎ、下を向いていた。恐らくあまりの音にその場を動けなくなっているんだろう。俺を攻撃していた連中もロザリアと同じように耳を塞ぎ、その場を動く事が出来なくなっている。

 

 一方シリカの方へ視線を向ければ、シリカは目を瞑って耳を力を込めた両手で塞いでいた。――後ろの男は立ったまま白目を剥いて硬直している。ナイフを持っているうえにシリカを拘束していたから、耳を塞げなかったんだ。

 

 リランのこの異様な声でタイタンズハンドのほぼ全員が無力化できている事がわかると、リランは叫びながら俺に《声》を送ってきた。

 

 

《今だキリト、叫び声をやめた瞬間にシリカを掻っ攫え!!》

 

 

 リランの《声》がしっかりと頭の中に響いた直後に、リランの叫び声は止まった。それから1フレームにも満たない時間の間に俺は駆け出し、シリカの元へほぼ一瞬で到着。白目を剥いて硬直している男をシリカから引きはがし、自由になったシリカの身体を両手で抱き締め、男達から離れた位置へ走った。

 

 更にその直後、リランはいきなり走り出し、動けなくなっているロザリアの身体に噛み付いた。そのままロザリアの下半身を口の中にすっぽりと入れて、その身体をがっちり拘束し、どすどすと勢いよく駆けて俺の元へ駆け寄ってきた。

 

 俺はシリカを抱いたまま片手で剣を抜いて盗賊団達目掛けて構え、リランがロザリアを口の中に入れたまま盗賊団に顔を向けると、口の中のロザリアが抵抗を始めた。

 

 

「こ、この、なにするんだよ、離せ!!」

 

 

 ロザリアは手に持っていた十文字槍を短く持って、リランの顔を刺し始めたが、リランは全くと言っていいほど動じなかった。何度ロザリアが刺そうとも、リランのHPゲージは減る、全快するを繰り返す。

 

 

《貴様らのリーダーの身は預かったぞ。こいつがどうなってもよくないならば、余計な事はせずに回廊結晶で牢屋に飛び込むのだ》

 

 

 リランの発した声を聞いて、残された盗賊達は震えあがる。シリカを拘束し、恐怖を与えまくった盗賊団への怒りが、胸の中から喉へ、そして口へと昇ってきて、やがて言葉として出た。

 

 

「逃げるなよ。こいつは火を吐いて攻撃する事も出来るんだ。もしここで逃げ出そうとしたら、お前ら全員焼け死ぬぞ。勿論最初に死ぬのはお前らのリーダーだ!」

 

 

 盗賊達はガタガタと震えあがったが、ロザリアがリランに噛まれたまま反論を始める。

 

 

「わ、アタシ達の中にはグリーンもいるんだぞ! グリーンを攻撃すれば、アンタがオレンジになるんだよ!?」

 

 

 リランがその言葉に答えた。

 

 

《貴様らは我が殺す。我はあくまでキリトの《使い魔》だ……我が貴様らを殺したとしてもキリトの手が血に汚れるわけではない。キリトは貴様らの言うグリーンのままだ! さぁどうする、焼け死ぬか? それとも牢屋に飛び込むか?》

 

 

 盗賊達は何も言わずにリランの言葉を聞いていた。もう抵抗しても無駄だという事に気付いたらしい。

 俺は剣を仕舞い込んで、回廊結晶を掲げて叫んだ。

 

 

「コリドー・オープン!」

 

 

 俺の号令と共に回廊結晶は砕けてなくなり、目の前の空間に蒼い光の渦が出現した。行先は黒鉄宮の監獄エリアだ。

 

 その光の渦の中に、タイタンズハンドの者達は――気絶した仲間達を抱えて、何も言わずに飛び込んで行った。俺達の話を盗聴していたグリーンプレイヤーのその中に消え、残すはリランの口の中に囚われているロザリアだけになった。

 

 

「なんだよ、なんだよ、あんな能力をもって、こんなドラゴンを連れて、本当にチート野郎じゃないのアンタは!!」

 

《チート野郎……ズルをする者か。貴様らのような、卑劣でズルする事に快感を覚えているような連中がそのような言葉を使うとは、滑稽だな》

 

 

 リランは腕をばたつかせるロザリアを銜えたまま天高く顔を上げて、そのまま回廊目掛けて勢いよく振り下ろした。直後に、リランの口に捕えられていたロザリアは解放され、投槍の如く超高速で光の渦の中へと消えて行った。その直後に回廊そのものも消えてなくなった。

 

 一気に周囲が静かになったが、鳥の声もしてこなかった。リランの咆哮がダンジョン全体に響き渡り、音を浴びた動植物が一斉に黙り込んだのだろう。……まさに『音無し声』だ。いや、耳を澄ませば川のせせらぎと風で花が揺れる音くらいは聞こえてくるから、完全に音がなくなったわけじゃない。

 

 俺はシリカの方に目を向けた。シリカはじっと俺にしがみ付いたまま、動いてくれなかった。……とても、可哀想な事をしてしまった。

 

 

「ごめんなシリカ……怖かっただろう」

 

 

 シリカは何も言わずに頷いた。

 

 

「俺の不注意のせいで……あんな事になってしまって、本当にごめんな、シリカ」

 

 

 シリカは首を横に振った。そこで、ようやく閉じていた口が開いた。

 

 

「助けてくれて、ありがとうございますキリトさん。本当に、ありがとうございました」

 

 

 俺は思わず、シリカの身体を抱き締めた。小刻みに、震えたままだった。

 

 

「でも、すみません……怖さが抜けません……身体が思うように、動いてくれなくて……頭の中に何度もあの時の事が繰り返して……」

 

 

 そりゃそうだろう、あんな目に遭ったんだ、怖くて動けなくなるに決まってる。

 しばらくは動かないでいた方がいいだろう――そう思った直後、リランがいきなりシリカの背後に回って、一気に身体を低くした。

 

 

「リラン?」

 

 

 リランは何も返さずに軽く口を開け、前歯でシリカの項に、静かに浅く、噛み付いた。

 思わず吃驚して、俺は声を上げる。

 

 

「な、何やってんだリラン!?」

 

 

 リランは何も返さずにシリカの項に噛み付き続け、やがて離した。直後、シリカがどっと体重をかけてきて、俺は踏みとどまった。何事かと目を向けてみれば、シリカはいつの間にか眠りに就いていた。それも、どこか安心しきったような寝顔をして。

 

 

「あれ、シリカ……?」

 

 

 そこでようやく、リランの《声》が返ってきた。

 

 

《……お前達の言葉で言う『おまじない』を施した。これでもうシリカは大丈夫だ。起きた時には、もう恐怖にやられる事はなくなっているよ》

 

「なんだよそれ」

 

《とにかくもうここに用はない。35層の宿へ戻るぞキリト。宿に着く頃にはシリカも目を覚ますだろう》

 

 

 俺はいまいち腑に落ちない気持ちのままシリカをおんぶし、街の方へ歩き出した。

 ひとまずあの男の依頼は完了、シリカのプネウマの花入手も上手くいった。そろそろ前線……というか22層のシノンのところに戻らなきゃいけないけど、何か忘れているような気がする。それが何なのか思い出せないまま、俺はシリカを負ぶったまま、歩みを進めた。

 



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05:安住の場

みなさんお待ちかねであろうキリシノ回。


 35層の街に辿り着く頃には夕暮れになっており、宿屋に入って俺の部屋に行き、ベッドにシリカを寝かせた時に、シリカは意識を取り戻した。

 

 

「シリカ、大丈夫か」

 

 

 シリカはむくっと起き上がり、少し寝ぼけているような目をしながら俺達を見つめた。

 

 

「キリトさん……リランちゃん……?」

 

「そうだよ。よかった、ちゃんと目が覚めたみたいだな」

 

 

 シリカは頭を軽く掻き、呟くように言う。

 

 

「あれ、あたしどうしたんですか……ここはどこですか……」

 

《ここは35層の宿屋だ。お前はタイタンズハンドを退けた後に眠ってしまったのだ。どうだ気分は》

 

「……あれ?」

 

 

 シリカがきょとんとして、何かを思い出したような顔になる。

 

 

「どうしたんだシリカ」

 

「あたし……すごく怖い思いをしてました。だけど、今はもう平気です。あんなに怖かったのに、もう何ともありません」

 

 

 俺は目を見開いた。気を失う前、シリカはとても怖がって震えていた。その時にリランが項に噛み付くと、シリカは急に眠り出したのだ。しかもリランによれば、目を覚ました時怖さが無くなっているの事。本当なのかよくわからなかったが――本当に恐怖を克服できている。

 

 

「本当なのか? あんなに怖い思いをしたのに、もう平気なのか」

 

 

 不思議がる俺の隣に、ミニサイズになっているリランが並ぶ。

 

 

《きっとキリトにおんぶされてここまで来たからだろう。キリトの背で眠る事によって、安心する事が出来たのだ》

 

 

 シリカは驚いたような顔をして、俺に視線を向けた。

 

 

「あたし、キリトさんの背中で眠ってたんですか!?」

 

「あ、あぁそうだよ。あそこで眠ってしまったシリカを、ここまで運んでくる時におんぶしてた」

 

 

 シリカは身を縮めて黙り込んだ。あれ、もしかしてそんなに嫌だったんだろうか。

 そう思ったその時に、シリカは深く溜息を吐き、言った。

 

 

「きっと……そうなのかもしれません。キリトさんがずっとあたしを守ってここまで運んでくれたから、怖くなくなったなのかもしれません」

 

「そうなのか?」

 

「きっとそうです。意識を失ってはいたけれど、キリトさんの背中が、とても暖かかった憶えがあります。あの暖かさを思い出すと、何だか安心出来るんです。あの暖かさに包まれてたおかげで、もう、あの時の怖さは感じなくなりましたし、思い出しても怖くなくなりました」

 

 

 シリカは俺に身体を向けて、頭を軽く下げた。

 

 

「キリトさん、ありがとうございました。あたしを守ってくれて、あたしを思い出の丘まで連れて行ってくれて、本当に、ありがとうございました」

 

 

 シリカが顔を上げてにっこりと笑むと、心の中がとても暖かくなった。なんというか、役に立てて、シリカを無事に守れてよかったという、複数の安堵と嬉しさが混ざり合ったような暖かさだった。

 

 

「俺もシリカに何度も慰められた。おかげで、かなり調子が良くなった気がするよ。だけど、そろそろ前線の方に戻らないとだな。正月休みっていうのが欲しくなって、攻略を停止してたから……」

 

 

 シリカが「あっ」と小さく言う。

 

 

「そうでしたね。キリトさんは、攻略組でしたね」

 

「……黙っててごめん。教えたら、君を怖がらせるんじゃないかって思ってたんだ。それに、ロザリアの事もだ」

 

「ロザリアさんの事?」

 

「あぁ。俺はロザリアが君を狙っている事を初めから知ってたんだ。でも、これを教えたら君が尚更怖がるかと思って、あえて教えなかったんだ。そしたら、あんな目に君を遭わせてしまった」

 

 

 シリカは「そうだったんですか」と言った後に、椅子に座る俺の手を柔らかく包み込んだ。手の中が一気に温かくなる。

 

 

「でも、助けてくれたのが、一緒に行ってくれたのがキリトさんで本当によかったって、あたしは思います。もしキリトさんじゃなかったら、ロザリアさん達と出会った時点で、もう駄目だったかもしれないから……キリトさんが一緒で、本当によかったです。ありがとうございます、キリトさん。あたしの事を守ってくれて」

 

 

 シリカは笑みを浮かべた後に、手を離した。

 

 

「あたし、ピナを生き返らせた後に、レベルを上げて、いつかキリトさんに追いつきます! だからキリトさんは戻って、最前線で戦っている人達の助けになってあげてください。キリトさんとリランちゃんの力は、みんなを助けるための強さだと思うから……」

 

 

 相変わらず、シリカの言葉は胸の中を暖かくしてくれた。そうだ、最前線にも、守ってやりたい人たちが沢山いる。シリカの事も心配ではあるけれど、今は最前線に向かって、みんなの事を助けてながら、この城の攻略を進めないといけない。さもなくば、シリカのようないい人が、このゲームから解放されるのが遅くなってしまう。

 

 

「……わかったよシリカ。俺はこれから最前線に戻る。もし君が攻略組に加わってくれるようならば、その時は肩を並べて一緒に戦おう」

 

 

 シリカは元気よく「はい!」と言って、にっこりと笑った。

 その笑顔を見届けた後に、俺はシリカを部屋に残して宿屋へ出て、35層から22層へ戻った。

 

 そして、22層の街で依頼をしてくれたあの男と合流。ロザリア達を無事に牢屋に閉じ込める事が出来た事を告げると、男は泣きながら礼を言ってくれて、持っているアイテムを渡そうとしてきたが、俺はその全てを拒否。何もいらない、全て自分のものとして使ってくれと言って全てを断ると、男は頭を下げて呑み込んでくれて、これからは攻略組を目指すと言い、転移門へと消えて行った。

 

 その様子を見たリランが俺の肩で呟くように言う。

 

 

《あの男は大丈夫だろうか。攻略組を目指すのはそう簡単な事ではあるまい》

 

「大丈夫さ。あいつはきっとまた仲間を作ってギルドを結成できるだろう。それより、シノンは大丈夫だったのかな。シノンはずっと一人で戦ってたみたいだけど」

 

 

 リランは俺の家がある方角へ顔を向ける。

 

 

《うむ。シノンの気配を我らの家から感じる……ちゃんと生きておるな。精神状態も良好だ》

 

 

 思わず目を見開く。確かに、俺もメッセージの送信先を見ればプレイヤーのいる層が把握できるけれど、層のどこにいるだとか、精神状態はどうだとかまではわからない。

 

 

「お前、そんな事わかるのかよ。つくづくお前はわからない事だらけだなぁ」

 

《我にもよくわからぬのだ。だが、我らが留守にしている間にもシノンは無事だったのだ。それに話によればシノンは料理を作っているそうではないか》

 

「おぉそうだったな! 一日ぶりのシノンの絶品料理を堪能しなきゃな」

 

「残念だけど、まだ準備も何もしてないから、帰ったところで何もないわよ」

 

 

 俺達はビックリし、慌てて振り返った。そこにあったのは、今まさに会いに行こうと考えていたシノンの姿だった。

 

 

「し、シノンさん」

 

 

 シノンは呆れた様子で腰に両手を当てる。

 

 

「まさかあんたと帰りが一緒になるなんてね。犯罪者ギルドの討伐はうまくいったのかしら? っと、あんたが生きてるんだから、うまくいったか」

 

「あぁ、何とかなったよ。またリランに助けられたから、今日はリランに思いっきりお礼をしてやらないと」

 

 

 シノンは「そっか」と言った後、リランに手を伸ばし、その頬を軽く撫でた。

 

 

「リラン、いつもキリトを助けてくれてありがとうね。今日はリランのためにシチュー作ってあげるわ」

 

 

 次の瞬間、リランと一緒にげっと言ってしまった。昨日の晩御飯も風見鶏亭のシチューだったから2日連続のシチューだ。

 

 

《し、シチューか。シチューなのか》

 

 

 リランの妙な反応にシノンは首を傾げた。

 

 

「どうしたの。シチューは嫌かしら」

 

《そういうわけではないのだが……》

 

 

 その時に俺は、シノンの簡易ステータスを見てある事に気が付いた。シノンのレベルはまた上昇し58レベルになっている。たった1日しか開けていないのに、2レベルも上がるなんて、一体どんな事をしたのだろうか。

 

 

「君、レベルが上がってるじゃないか。一体何をしたんだ。俺達のいない間に戦闘をやりまくったのか?」

 

 

 シノンは何かに気付いたような顔をした後に、俺の事を睨みつけた。

 

 

「キリト、何であんなものを私に教えなかったのよ」

 

「あんなものって?」

 

「クエストよ。あれクリアすれば経験値が入るようになってるんじゃない。なのにあんたってば戦闘しかレベルを上げる方法が無いみたいに戦闘ばかりさせて……」

 

 

 このゲームのクエストは、特定のモンスターを倒す、特定のアイテムを納品する、特定の行動をとる事によって達成されるものがほとんどだが、クエストの報酬はコルやアイテムだけではなく、経験値も含まれている。

 

 しかもクエストの達成によって手に入る経験値は時に戦闘で手に入る者を凌駕する事もあるため、クエストを達成する事によるレベリングも推奨されている。今までシノンに教え忘れていたけれど、こうやってレベルを上げる方法もあったんだった。

 

 

「って事は君のそのレベルの上がり方は……」

 

「クエストをやりまくったのよ。採取に出かけたり、モンスターの討伐をさせられたり、何だかよくわからない条件を達成したり。おかげでレベルが2つも上がったうえに、なかなかいい物も手に入ったわ」

 

 

 そう言って、シノンはアイテムウインドウを出現させ、ソートさせた後にある一つのものをクリックし、手の上に呼び出した。蓋のされた小さな壺のようなアイテムだ。

 

 

「これは、なんだ?」

 

「どの層だったか忘れたけれど、小さな村で受けられる「逆襲の雌牛その弐(トゥ)」っていうクエストを達成したら手に入ったの。味見してみたら、味のないクリームだったわ。ちなみにこれもう一つ手に入ってて、もう一つの方は本当に甘い物だったわ」

 

 

 その名前を聞いて、俺は思わず第1層の時の事を思い出した。まだこのゲームが始まって間もないころ、俺は第1層にある小さな農村に寄ってクエストを受けたんだった。その時のクエスト名は「逆襲の雌牛」。暴れ回る雌牛型のモンスターを討伐する内容で、これをクリアした事で手に入ったのは結構高めの経験値とそこそこのコル、黒パンに付けるとかなり美味いミルククリームだった。

 

 その弐(トゥ)とあるから、シノンがやったのはそれの続編といえるクエストなんだろう。クエストが無数にあるこのゲームではそんなに珍しい話じゃない。

 

 

「なるほどなぁ……あのクエストの続編が出てたってわけか」

 

「手に入ったのはクリームだけじゃないの。雌牛の肉っていう中々良質な食材も手に入ってね。あんた達はお肉料理が好きみたいだから、ビーフシチューを作ろうって思ったんだけど……なんかあまりいい反応をしなかったわね、あんた達」

 

 

 俺は思わず首を横に振る。

 

 

「そんな事ないさ。寧ろ君の作るシチューが食べてみたい」

 

《我もだ。良質な食材が手に入ったというからには、食べないわけにはいかない!》

 

 

 シノンは軽く溜息を吐いた後に、歩き出して、俺達を通り過ぎた。

 

 

「そうと決まったら、早く帰るわよ」

 

「了解です、シノン殿」

 

 

 俺達はそそくさと、湖から少し離れたところにある我が家に向けて歩き出した。しかしその途中でも、俺は頭の中に何かが引っ掛かっているような気がしてならなかった。 何かをするつもりだった――何か重要な事をするつもりだったけれど、何をするつもりだったのかが頭の中から出てこない。

 

 

「なんだっけなぁ……思い出せないや」

 

《どうしたのだキリト》

 

「いや、俺何か重要な事を忘れてる気がするんだよ。でもそれが何だったのか全然思い出せなくてさ。なぁ、俺って何を忘れてるんだっけ」

 

《そんな事を我に聞かれても困るぞ。シリカにプネウマの花は渡したし、仇討を達成した事を報告したし、何も忘れていないのではないか》

 

 

 その時、俺は頭の中で何かが光ったような感覚を覚えた。そうだ、シリカだ。シリカに関する、何か重要な事を忘れているんだ。だけどシリカに関する何だったかまでは結局思い出せない。

 

 ……そもそもシリカは有名プレイヤーだった。有名になれた理由は周りのプレイヤー達よりも年下であった事と、ピナという《使い魔》を使役する《ビーストテイマー》であるから……。

 

 

「あ――――――――ッ!!」

 

「ちょっと、何!?」

 

《どうしたのだ!?》

 

 

 思い出した。《ビーストテイマー》に関する情報だ。シリカは唯一近付けた《ビーストテイマー》だったから、《ビーストテイマー》に関する事柄や情報を沢山聞こうと思っていたのに、ピナの蘇生とロザリア達タイタンズハンドの事で頭がいっぱいで、忘れていた。

 

 せっかく俺以外の《ビーストテイマー》と近付く事が出来たのに、なんという不覚。今更聞きに戻ろうにも夕暮れだし、シリカはもうピナと一緒に居るだろうから水を差す事になりそうだし……何でこんな重要な事を忘れていたんだろう。

 

 

「いっけない、肝心な事を聞くのを忘れてた……今更戻ったところで聞けるわけがないし……」

 

「どうしたのよキリト。何を聞き忘れてきたのよ」

 

 

 その時、リランが何かに気付いたような《声》を出した。

 

 

《む、キリト。お前当てにメッセージが来ているようだぞ》

 

 

 俺は目の前に視線を動かして、少し驚いた。いつの間にか、メッセージが届いている事を示すウインドウが出てきている。差出人は、シリカだった。

 

 

「シリカからだ……」

 

 

 指先で軽くウインドウをタッチすると、その大きさが拡大されて、内容が一気に表示された――。

 

 

 キリトさんへ。

 キリトさんのおかげで、ピナを無事に生き返らせる事が出来ました。それからキリトさんの事を沢山ピナに話したんですが、その中で、キリトさんがまだ《ビーストテイマー》になったばかりで、《ビーストテイマー》について詳しくないと思って、《ビーストテイマー》の情報をまとめた簡易マニュアルを添付しておきます。攻略に忙しくない時にでも読んでください。ピナを生き返らせてくれたお礼です。

 

 あたしもレベリングを頑張っていつかキリトさんのところに追いつきますので、キリトさんも頑張って前線の皆を支えてください。今のところキリトさんが初の《ビーストテイマー》の攻略組なので、きっとみんなの希望になれるはずです。これしか言えませんけれど、キリトさん、頑張ってこのゲームをクリアしてください。

 あと、あたしは基本的に35層にいますんで、時々寄ってくださいね。

                                シリカより

 

 

 シリカからの手紙だった。ピナを生き返らせる事に成功したという一文を目にして安堵したが、その後にメッセージの下部に表示されている添付物に、俺は思わず目を輝かせた。まさかシリカから聞きそびれた情報を、マニュアルのような形にして送ってもらえるとは思ってもみなかった。

 

 

「……あ……ありがたい……」

 

「……なに叫んだり、一人で目を輝かせたり、泣きそうな顔になったりしてるわけ」

 

 

 顔を上げれば、目を半開きにしたシノンとリランが見えた。

 

 

「いや、仇討するついでに出会って助けたプレイヤーから贈り物が来ててさ。それが俺の欲しかったものだったからついつい舞い上がっちゃって」

 

「へぇ~……まぁ人脈が広がったのはいい事ね。それに欲しい物も手に入ったんだからよかったじゃない。というか、いきなり大きな声を上げるもんじゃないわよ。何事かと思って武器を抜きそうになったわ」

 

《我も敵が来たのかと思って身構えてしまったぞ》

 

 

 思わず頭を掻いた後に二人に謝る。

 

 

「悪かった、悪かった。それじゃ、早く家に帰ろう。俺も色々あって疲れたから」

 

 

 シノンが腕組みをする。

 

 

「あんたの事見てると思うけど、トラブルに巻き込まれる不遇体質よね。仇討然り、攻略然り、リラン然り、そして仇討に行ったかと思えばほかのプレイヤーに巻き込まれたり……」

 

 

 言われてみればそうだ。俺はまずこのデスゲームに巻き込まれて、その途中でリランと出会って、リランの力に振り回されて、メディキュボイドを使っていたはずのシノンと出会って、シルバーフラグスの仇討を頼まれて、シリカに出会って、そしてまた攻略に戻らなければならなくなっている。

 本当に、トラブル続きだけど、そんなに悪い気は感じていない。

 

 

「そんなに悪い事ばかりじゃないよ、いい事も確かにあった。リランっていう最高の相棒と出会った事と、そしてシノンと出会って一緒に暮らせるようになった事とか」

 

 

 シノンがきょとんとする。

 

 

「私と出会って、一緒に暮らせるようになった事?」

 

「そうさ。知ってると思うけど、俺は今までずっとソロプレイヤーだった。今になって思うけど、俺はずっと寂しいって思ってたのかもしれない。その証拠に、もうソロプレイヤーに戻りたくないって心の中でずっと思ってるんだ。だから、俺はシノンとリランに出会えて本当によかったと思う」

 

 

 思っていた事を全て言うと、シノンは目を丸くして、やや俺から顔を逸らした。

 

 

「……私も……最初に……えたのが……なたで……よかった」

 

 

 シノンが僅かに口を動かしたのが見えたが、声があまりよく聞き取れなかった。

 

 

「え、何て言った」

 

 

 シノンは顔を俺の方へ戻した。夕日が差しているせいか、顔が赤く見える。

 

 

「早く帰りましょうって言ったのよ。あんたさっきからお腹空いたみたいな事言ってるじゃない」

 

 

 なんか違う事言っていたような気がするが、そう考えた瞬間に腹の方から音が聞こえてきた。シノンの言う通り、すっかりお腹が空いている。

 

 

「それもそうだな。料理お願いします、シノン殿」

 

「ほら、早く行くわよ」

 

 

 俺は頷き、シノンの隣に並び、我が家目指して歩き出した。

 

 

 ほんと、この二人に会えて、よかった。

 そしてこの二人こそが、俺が今、最も大切だと思える存在だ。

 

 

 

            ◇◇◇

 

 

 22時 ログハウス

 

 俺は寝室のベッドに入った後、シリカからもらったマニュアルを読み耽っていた。シリカは俺よりも年下に見えたから、纏め方もあまり上手じゃないんじゃないか思っていたけれど、その想像を打ち破るかのごとく、マニュアルは綺麗にまとめられていた。といっても、マニュアルというよりも《ビーストテイマー》に関するメモに近いのだが。

 

 

 

 《ビーストテイマー》になれる条件。――普通、このSAOではモンスターに遭遇するとその場で戦闘になるが、遭遇しても戦闘にならず、モンスターが興味深そうに寄って来る事がある。その時にモンスターに餌に該当するアイテムを与える事で、そのモンスターは餌を与えてくれた相手に懐き、《使い魔》になり、その時点でプレイヤーは《使い魔》を使役する《ビーストテイマー》となる。

 

 しかし、《ビーストテイマー》は狙ってなれるものではない。

 《ビーストテイマー》になるにはモンスターと戦闘ではない遭遇をする必要があるが、これ自体が極めてまれであり、《使い魔》にすること狙って遭遇を図っても戦闘になるのが基本的であるらしい。

 

 更に同じ種族のモンスターを倒し過ぎると、その種類が《使い魔》になる確率は下がり続けるらしく、《使い魔》にしたいモンスターと、戦闘ではない遭遇イベントを起こすには、出会う、逃げる、出会う、逃げるを延々と繰り返す必要がある。

 

 しかも《使い魔》に出来るのは大した力を持たない小動物サイズの弱いモンスターに限られている……はずだったが、熊型や馬型のモンスターを使役する事に成功した《ビーストテイマー》が現れたため、小動物型でなくても使役が可能である事が証明された。

 

 しかし、その確率はモンスターが大型に近付くにつれて低くなっていき、大型までくれば、もう使役できる確率は0.5ほどのものとなり、ドラゴン型やワイバーン型のモンスターに至っては使役不可能といえるだろう。

 

 そして《使い魔》は主につき従い、回復技や妨害技などで主を支援する。

 《使い魔》のHPがゼロになった場合は、「○○○の心」というアイテムがドロップされ、3日以内に47層の思い出の丘に出現するアイテム、プネウマの花を使用する事によって《使い魔》を生き返らせる事が出来る。ただし3日を過ぎてしまうと、「○○○の心」は「○○○の形見」というアイテムに変質してしまい、蘇生できなくなってしまう。

 

 

 途中まで読み進めて、俺は思わず首を傾げた。やはり、リランのような強い奴は使役できないらしい。しかも、どこを見ても《使い魔》が喋るなんていう情報もない。

 

 リランは確かに俺の《使い魔》だ。なのに、リランはドラゴン型ですごく強いし、人竜一体なんて事も出来るし、何より喋る。そして小さくなったりデカくなったりする。このメモには書いていない事ばかりが当てはまっている。

 

 

「……やっぱり、書いていない。リランは何なんだ」

 

 

 このゲームで培ってきた知恵や情報は少ししかないし、リランのような奴も観測されていない。だから俺がリランのような《使い魔》を手に入れた第一人者だ――それ故リランについては俺が解明していくしかないのだが――やっぱりわからない。

 

 シリカによれば、リランみたいな奴は誰も使役できてないみたいだし、シリカも喋る《使い魔》は初めて見たと言っていた。しかも《ビーストテイマー》自体がよくわかっていない存在であるらしく、情報は常に足りていない。リランみたいな特殊な物であれば、尚更だ。

 

 

「そういえば……リランは」

 

 

 記憶喪失だと言っていた。これまで、リランの記憶喪失はイベントによるものだと思っていが、近頃それすらも疑わしく思えるようになってきた。

 そもそも、リランがただのNPCだとは思えないんだ。喋るし、強いし、心があるみたいに思いを伝えてくる。こんなのはSAO内のNPCではあまり考えられない。

 

 もしかしたらリランは何かしらのイレギュラーな存在なのか……? SAOのNPCではない、何か特別な存在――それこそメディキュボイトでこの世界に飛ばされてきたシノンのような。

 

 思わず、シノンの隣で眠っている小竜に目を向ける。まさかリランは……何かしらの要因でドラゴンの姿になったプレイヤーなのか。シノンみたいに記憶を失って、自分はドラゴンだと思っているけれど実はドラゴンのアバターに身をやつしている人間みたいな……考えたら頭の中が余計にこんがらがって来て、わけがわからなくなった。

 

 

(とりあえず考えるのはここまでにしておくか)

 

 

 シリカからもらったウインドウを閉じ、布団を捲って寝転がろうとしたその時、横方向から声が聞こえてきた。

 

 

「キリト」

 

 

 少し驚いて目を向けてみれば、隣のベッドで眠っていたシノンが、いつの間にか目を覚ましていた。独り言で起こしちゃったかな。

 

 

「ごめん、起こしてしまったかな」

 

 

 シノンは寝返りを打って、仰向けの姿勢になった。

 

 

「寝てなかったのよ。だからあんたの独り言、全部聞いてた」

 

「そ、そっか」

 

 

 シノンはどこか、悲しそうな表情を浮かべた。

 

 

「ねぇキリト。もし、私が記憶を取り戻して……」

 

「取り戻して?」

 

「私が壮絶な過去を持っている人だってわかったら、それでもあんたは私と一緒にいるつもりなの」

 

「壮絶な過去? 何か思い出したのか」

 

 

 シノンは頷き、俺の方に顔を向けた。

 

 

「……昨日、あんた達がいなかった夜、一回寝た時に何かを思い出しかけたのよ。だけど、すぐに目が覚めてまた忘れちゃった。夢の内容も忘れたんだけど……なんだかすごく怖い思いをしたような気がしてならないの。またそんな夢を見るんじゃないかって……」

 

 

 思わず目を見開いてしまった。シノンが、これまで見せた事のない、とても不安そうな表情を浮かべている。普段クールなシノンがあんな顔をするっていう事は、余程恐ろしい夢を見たんだろう。そしてそれは、きっとシノンの記憶……。

 

 

「このSAOじゃ、他人のリアル事情を聞くのはマナー違反っていう事になってるんだけど……俺は正直、君の過去が気になってるんだ」

 

 

 シノンの目が見開かれる。

 

 

「私の過去が気になる?」

 

 

「というよりも……変な事を言ってるって思われるかもしれないけれど、君の事をもっと知りたいっていうか……なんていうか……君はきっと、自分だけじゃどうにもならなくなるような事にぶつかりそうな、そんな気がするんだ。だから、そんな時が来てもいいように、君の事をもっと深く知って、その時が来たら力になってやりたい……そう思ってるんだ」

 

 

 シノンはきょとんとした顔で俺の事を見つめていた。……心の中じゃ、何言ってんだこいつとでも思ってるんだろう。

 そのままシノンから目を逸らし、窓の外に広がる、月光で輝く湖を見つめていると、後方から声が聞こえてきた。

 

 

「それ、本気なの」

 

「変な事言ってるって、思わないのか」

 

「思うわ。滅茶苦茶変な事言ってる。なのに、何故か信じられる」

 

 

 驚いて、シノンの方へ顔を戻す。シノンは身体を起こして、こっちに顔を向けていた。

 

 

「いきなり降ってきた私を住ませるとか言って、家を買ったり、私の事を守るとか言い出して本当に守ってくれたり……私が壮絶な過去を持ってるかもしれないって言い出せば、力になりたいなんて言い出して……ものすごく変だわ、あんたは」

 

 

 シノンの言葉が心に突き刺さるような感覚が走り、肩が一気に重くなる。そんなに変な事を言ってたのか俺って……。

 

 

「でもね、それと一緒に、あんたって本当に不思議だわ。あんたの事を何故か信じられるのよ」

 

「えっ」

 

「あんたの言葉って、何故か信じられるし、あんたの傍って何故か安心出来るし、心地がいいのよ。

 私がレベリングしてる時も、あんたはずっと肩に力を入れて、私に危機が迫ってこないかどうかを見張っててくれたし、私が料理を作れば素直に美味しいって言ってくれる。私が安心して戦闘が出来るのも、料理を作ろうって思えるのも、あんたが近くにいるおかげだから……そう思うのよ」

 

 

 シノンの顔に微笑みが浮かぶ。

 

 

「ねぇキリト。もし、あんたの言うそれが現実になる時が来たら、あんたは本当に私の傍にいてくれて、力になってくれるの」

 

 

 先程からシノンの言葉を聞いていて、俺は心の中が暖かくなるのを感じていた。

 

 まさかここまでシノンに頼られているとは思ってもみなかったし、俺の力というのがここまで信頼されているとも、思っていなかった。

 

 ここまで信頼されてるとあれば、いや、たとえ信頼されていなかったとしても、シノンの力にはなってやりたいと思っていた。だから、答えは一つだ。

 

 

「勿論、なるよ。というか、今言ったじゃないか。君の力になるって」

 

「そうだったわね」

 

「それだけじゃないよ、シノン」

 

 

 シノンが「えっ」と言う。

 

「これは俺がリランに言われた事なんだけど……君は一人じゃないんだよ。俺もいるし、リランもいる。だから何かあっても、一人で抱え込まないでほしいんだ。もっと、俺達を頼ってほしいんだよ。記憶の事でも、このゲームの事でも、何でもさ」

 

 

 シノンは数回瞬きをした後に、またふっと笑った。

 

 

「……それ、私もリランから言われたわ。もっと自分達の事を頼りなさいって。私ってそんなに人の事を頼らなそうに見えるわけ?」

 

「いや……君は見た目以上に大人びてて……人に頼らずに生きていきそうな、そんな人に見えるから……」

 

 

 シノンは苦笑いする。

 

 

「まぁ確かに人にあまり頼らないようにはしてるけれど、あんた達の事を頼りにしてないわけじゃないから安心して頂戴。私だけじゃどうにもならなくなったら……その時はあんた達に頼るわ」

 

「そ、そうか」

 

 

 まさかリランが同じことを言っているとは。俺達って考えてる事が似てるのかな。

 その直後、シノンは軽く欠伸をした。

 

 

「何だかあんたと話してたら眠くなってきたわ。ほら、あんたも早いところ寝た方がいいわよ。明日は53層の攻略なんでしょう、私を入れた」

 

「そうだな。とりあえず読み物は終わったから、これで寝るよ。おやすみ、シノン」

 

 

 シノンは頷き、布団の中に滑り込んだ。

 

 

「おやすみキリト。……信じてる」

 

「えっ」

 

 

 シノンは寝返りを打って、そのまま寝息を立て始めた。

 今何かを言ったような気がしたけれど……なんだろう。まぁいいや。

 

 明日はシノンを加えた攻略だ――レベリングに勤しんでいるとは言え、不慣れなシノンを守ってやらないと――そう思って、俺はベッドの布団の中に滑り込み、目を閉じた。

 



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06:副団長との衝突

後半グロ(?)シーン有り。苦手な方はご注意を。


 俺達攻略組は53層を突破すべく、まずフィールドから攻略を行う事になったのだが、ボスの情報を手に入れるには特定のクエストを達成する、フィールドボスを撃破すると言った行動が必要であったため、俺とシノンとリランの3人はフィールドボスの撃破に回され、53層のフィールドに存在する村の片隅の建物の中で作戦会議に参加していた。

 

 少し暗い洞穴のような建物の中、周りを見てみれば大勢のプレイヤーが集まっており、聖竜連合のリーダーであるディアベルとそのメンバー達、風林火山のクラインとその仲間達、そこら辺の小規模ギルドの皆とそれを支援するつもりであろうエギル、そして血盟騎士団員数名とその副団長であるアスナの姿が確認できた。中でもアスナはまるで作戦を仕切っているかのように、部屋の中央に位置する大きなテーブルの上でこの層の地図を広げていた。

 

 これから何が始まるんだ、自分達は何をすればいいんだ、そういった言葉がプレイヤー達の口から飛び交う中、アスナは周囲を見回しつつ、まるで裁判所の裁判長が「静粛に!」と言うのを真似するかのようにテーブルを叩いた。

 

 

「作戦会議を開始します。私達攻略組はフィールドボスの討伐を任されてここへやってきたわけですが……フィールドボスはある特殊な作戦の元撃破したいと考えています」

 

 

 一同のざわつきが止み、一斉にアスナに注目する。

 

 

「……フィールドボスをこの村の中へ誘い込み、NPC(村人)を襲っている間に撃破します」

 

 

 アスナの作戦の内容に一同は驚きの声を上げ、リランの《声》が頭に響く。

 

 

《まさか……この村をモンスターの手で壊滅に追い込むつもりなのか!?》

 

 

 リランの言葉を代弁すべく、挙手する。NPCといえど、この世界の住人だ。消滅すれば……死ぬ。

 

 

「待ってくれ! NPCはどうなるんだよ! この村には沢山のNPCがいるんだぞ!」

 

「モンスターの狙いはNPCに向いて、私達への注意が疎かになるでしょう。その隙を突いて倒します」

 

 

 つくづく思ってはいたけれど、やはりこの人はNPCがちゃんと生きている事を認識していない。リランの時もそうだったから行ってやったけど、全くと言っていいほど学んでくれてない。

 

 

「だから待ってくれ! 襲われたNPCはどうなるんだって言ってるんだよ」

 

「NPCは殺されてもリポップします。問題ありません」

 

「問題だらけだよ。NPCの連中はあれでも――」

 

「――生きてる、とでも?」

 

 

 アスナの言葉にさえぎられたが、俺は思い切り頷いた。

 

 

「あぁそうさ。NPCはあれでも生きてるんだ。もしNPCを殺させる作戦に出るなら、俺はその作戦から降りるよ」

 

 

 アスナは表情を変えないまま、口を動かす。NPCを死なせる作戦は、別にどうとも思っていないらしい。

 

 

「本作戦の指揮は私が取っています。私の言う事には従ってもらいます、竜使いキリトさん」

 

 

 アスナは続けて、俺に身体を向ける。

 

 

「貴方の持つ竜の力はとても強大よ。もしこの村を守りたいとか思ってるんなら、その竜の力を使ってフィールドボスを撃破して頂戴。願わくば、そのまま53層のボスも撃破してもらいたいところよ。貴方なら容易いでしょう」

 

 

 心の中に怒りの感情が込み上げてくる。やはりこの人は、リランをボス狩りの道具に使うつもりでいるんだ。勿論、リランの気持ちも心も無視している。

 

 ここの中の怒りを少しだけ言葉にして吐き出そうとしたその時、隣に入るシノンが腕組みをしつつ、口を開いた。

 

 

「リランはボス狩りのための道具じゃないわ。リランをそこら辺のNPCと一緒にしないで」

 

 

 アスナの目がシノンに向けられる。

 

 

「貴方は?」

 

キリト(コレ)の付き添いよ。ついでに言えばその《使い魔》の気持ちがわかる人」

 

 

 アスナの目線がシノンの上の方へ向く。恐らくレベルと体力ゲージを見ているのだろう。

 

 

「Shinon……レベル58。そんな低レベルでこの層の攻略に来たの」

 

 

 アスナとシノンに間に手を入れて、半身でシノンを隠す。

 

 

「シノンの実力はお墨付きだ。彼女ならこの層の敵やボスと互角に戦えるよ。だから足手まといにはならない」

 

「この層の攻略メンバーは、最低でもレベル60だって言っておいたはずだけど」

 

「2レベルほど低いけど、シノンの実力はレベル65以上だ」

 

 

 アスナがぎりっと歯を食い縛ったその時、聖竜連合のリーダーを務めるディアベルが割って入ってきて、アスナの方へ声をかける。

 

 

「二人とも、喧嘩はやめてほしい。俺達がやるべきなのは、攻略会議を進める事のはずだ」

 

 

 ディアベルの言葉に俺は口を閉じる。続けて、ディアベルはアスナに目を向ける。

 

 

「それとアスナさん、貴方には悪いけれど、俺はキリトやシノンさんの意見に賛成だ。俺達はキリトとその《使い魔》に命を救われた事がある。キリトの《使い魔》をぞんざいに扱ったりするのはやめてほしいんだ。……こいつはただのNPCじゃないんだよ」

 

 

 アスナはディアベルに顔を向ける。

 

 

「NPCなんてどれも同じよ。そしてそれが味方であるならば、本物の人間である私達のために尽くすべきだわ」

 

「確かにそう思うかもしれない。だけど一回冷静になってキリトの《使い魔》と接してみてくれよ」

 

 

 アスナは首を横に振った。

 

 

「そんな必要はありません。私達が急ぐべきは攻略を進める事だけ。NPCと交流を図る事ではないわ」

 

 

 断固として認めようとしないアスナ。よもやここまで頑固に認めてくれないとは。

 

 

「……駄目だわ、これ」

 

 

 いきなり、腕が引っ張られるような感覚が走る。目を向けてみれば、引っ張っているのはシノンだった。

 

 

「お、おいシノン、どうしたんだ」

 

「逃、げ、る。ここにいたところでリランを道具に使われるだけ。出て私達だけで攻略を進めるわよ」

 

 

 シノンはそのまま俺の事を引っ張り続けて、ついには外へ出てしまった。後ろに目を向ければ、徐々に小さくなっていく洞穴と、それにじっと顔を向けている白い狼竜の姿。

 

 

「お、おいリラン、どうしたんだよ」

 

 

 リランは俺を横目で見つめてきた。

 

 

《すまぬキリト、本日の攻略は我抜きでやってくれ。我はお前のところから少し離れる》

 

 

 思わず声をあげて驚く。使い魔がビーストテイマーから離れる事なんて出来るのか。そんな事はシリカがくれたメモには勿論書いてなかったし、そもそもいきなり俺のところを離れるなんて唐突過ぎる。

 

 

「ま、待てよリラン、お前、勝手に離れるなって!」

 

《夜までには戻る!》

 

 

 そういってリランは翼を広げ、大きな音と風と共に飛び立ち、53層に広がる空へと去っていった。シノンと二人でぽかんとして、思わず口を半開きにしてしまう。

 

 

「……リランって、結構自由(フリーダム)なのね」

 

「いやいや、そうじゃないから。明らかに命令違反したから」

 

 

 俺は咄嗟にマップウインドウを開き、リランの反応を探したが、どこにもリランの反応を示すアイコンは存在していなかった。上空まで行かれてしまったせいで、探知できなくなってしまったらしい。

 

 

「まずいな……リランの居場所が完全にわからなくなったぞ」

 

「それでも、リランはこの層からは出られないはずよね? リランはあんたの《使い魔》でしかないはずだから、あんた無しで転移門を使えるわけがない」

 

 

 それは間違いないだろう。リランは俺の《使い魔》であり、プレイヤーではないから転移門を使ってこの層の外へ出る事は出来ないし、空を駆けたところでアインクラッドの外に行く事も出来ないはずだ。

 

 だから、この層にいれば、そのうちリランが戻ってくるのは間違いないのだが、如何せんどこへ行ってしまったのか、また何の目的のために俺の元を離れてしまったのかわからない。

 

 とにかく今現在リランの事は当てにならないから、攻略は俺とシノンの二人きりでやる事になるだろう。本当は皆と組んでやるつもりだったけれど、あそこまで派手に出て来たんじゃ、戻り難い。

 

 

「仕方がない……リラン抜きで攻略をするとしよう。まさか《使い魔》がここまでフリーダムな存在だったとは思ってもみなかったけれど」

 

「それもそうね。でも、リランはどこに行ってしまったのかしら。ちょっと気になるわ」

 

 

 多分だけど、リランがこの層の上空へ消えたという事は、高度が下がってくれば再び捕捉できるようになるはずだ。その時を待って、気付かれないように接近すれば、リランが何のために俺から離脱したのかがわかるはず。

 

 ……俺よりも強力な索敵能力を持っているリランに接近したら気付かれそうだけど。

 

 

「気付かれそうだけど……ちょっと追いかけてみようか。あいつが高度を下げれば、捕捉できるようになるはずだから」

 

「盗み聞きするようだけど……リランの行動は気になるから、それをやってみましょう」

 

 

 シノンが賛同してくれた事に思わず驚く。シノンの事だから、リランの事は放っておきましょうって言うかと思ってたのに。

 

 

「随分と乗り気だな、シノン。これから攻略もしなきゃいけないっていうのに」

 

「攻略しながらリランを探ればいいわ。普段あんたに付いて離れないリランが、あんたから離れて行ったって事は、何かしらの事があったって意味。ひょっとしたらだけど、何か記憶に関する事を思い出したのかもしれないわ」

 

 

 そうだ、リランは記憶喪失だったんだ。そしてそのリランが突拍子もない行動に出たという事は、リランの中で何かが起きたという事。リランの一大事といったら、失った記憶を取り戻したという事に違いない。

 

 

「リランの記憶か……不謹慎だけど、次の層以上に気になってる事だ、それ」

 

「でしょう。だから攻略とレベリングをしつつ、マップウインドウに気を配り、リランがどこに現れるか確認していましょう。それでリランの反応を確認できたら……」

 

「隠蔽スキルを使いつつリランに接近、何があったかを確認する、だな」

 

 

 その時、俺は気付いた。そう言えば、シノンのスキル構成はどうなっているのだろう。隠蔽スキルの事を言っているけれど、俺よりも上げているようには見えないし。

 

 

「だけど、君のスキル構成はどうなんだ。俺はリランの目から逃れられるくらいに隠蔽スキルを上げているからいいけれど、君はそこまで隠蔽スキルを上げているわけじゃないだろ?」

 

 

 シノンは何も言わずにスキルウインドウを展開し、「ん、」と言って指差した。――ここを見なさいと言う意思表示だ。

 

 その意思に答えるようにシノンのスキルウインドウを覗き込むと、そこに隠蔽スキルに数字が割り振られているのが確認できた。しかし、その数値が俺よりも高かった事に、思わず驚いてしまった。

 

 

「いつの間に隠蔽スキルなんて上げてたんだ……」

 

「あんた達が見てない間に上げておいたのよ。気配を消せる力があるなら、時に便利じゃないかって思ってね。このゲームのモンスターに不意打ち(ハイドアタック)は有効でしょう」

 

 

 確かに気配を消しておけば、モンスターの不意を突いて倒す事は出来るな……というか、隠蔽スキルの一般的な使い方はモンスターから逃れたり、不意打ちしたりする事だ。

 

 

「なるほど、用意周到だな。確かにこれだけあればリランに見つかる事もないと思う。準備OKだ」

 

「なら早速攻略に出かけましょう。ここでじっと待っているわけにもいかないし。リランの気配を見つけたら、そこへ向かう」

 

 

 俺は頷き、リランのいないフィールドを久しいと思いながら、歩き始めた。

 しかし、リランは本当に何をしに行ったやら。

 

 

 

 

            □□□

 

 

 

 一方、こちらはアスナ。

 

 作戦会議を終えた後、アスナは苛立ったままフィールドへ赴いた。仲間達や他のギルドの者達を全て跳ね除け、完全にソロの状態でNPCが暮らしている村を抜けて、倒すべきフィールドボスを探したが、その道中も、アスナの心の中は曇ったままだった。

 

 何なんだ、あの集団は。

 どうしてNPCに心があるなんて言い出すんだ。

 

 NPCなんてただのプログラムの塊でしかないし、心なんかあるわけがない。なのにあの集団は、あの竜使いの竜には心があるからぞんざいに扱わないでくれなんて言い出し、ボスを狩るためだけの道具にするなと言い出す始末だ。

 

 あれだけ大きな力があれば、このゲームの終わりは早くなる。現実に早く帰れるようになる。あれはきっと、この世界に残された最後の希望、現実に早く帰るための道具なのだ。

 

 そのはずなのに、何故あの集団はそれを否定し、早く帰ろうとしないのだろうか。この世界なんて偽りでしかないはずなのに。

 

 

「どうして……どうしてみんな揃って私の邪魔ばっかり……!」

 

 

 いつだって邪魔ばかりだ。大学に行くための受験を控えているというのに、デスゲームなどというものに閉じ込めた挙句、攻略のための道具を攻略に使うななどといいだす。これを邪魔や遅延と呼ばずに何と呼ぶと言うのだ。

 

 

「本当にもう、何なのよ、何なのよ……」

 

 

 いや、邪魔をしているのはこの世界だけではない。本当の邪魔をしているのは、本当の邪魔は……。

 

 考えていると余計に腹が立ってきて、モンスターなどで発散したいと思い始めたアスナは細剣を抜き、周囲を確認する。

 

 

「どこなのよ、どこなのよフィールドボスは! 早く出て来なさい!! 村を襲って、隙を晒して私に倒されなさい!!」

 

 

 思わず叫ぶと、その声は周囲の岩山に木霊した。特に返事のようなものは返って来なかった。まぁ人間(プレイヤー)以外で言葉を真に理解出来る者などどこにもいないから、当然と言えば当然だ。それでも、何の反響もないという事実はアスナの中に更なる怒りと焦りを作り上げる。

 

「何よ……何なのよ!! 出て来なさいよ!!」

 

 

 身体の中の怒りを搾り出すように叫んだその時に、近くの岩山が少し崩れ、大きな何かが地面を踏むような音が聞こえてきた。音に導かれるようにその方向へ目を向けてみれば、そこにいたのは直線的に伸びる長い角を頭から生やし、青紫色の鱗と甲殻に身を包んだ、プレイヤーの4倍くらいはある、翼を持たない巨大なドラゴンだった。翼を持たないから、トカゲやワニに見間違えるが、頭の形と角でドラゴンであると判別できる。

 

 思わずその姿に驚いた直後、ドラゴンの頭の上に《NM:Battle_Lizard》の名前と、3本の《HPバー》が出現した。NMと付くのはネームドモンスター、即ちフィールドボスである事を意味する。探していた相手が、自分から姿を現してくれた事にアスナは驚きつつも感謝した。

 

 

「ようやく現れてくれたわね……」

 

 

 青紫の竜はその大きな口から吐き出すように咆哮した。威嚇または牽制のつもりなのかもしれないが、この世界の全てが偽物のである事を知るアスナは、何も感じずに細剣を構える。

 

 

「黙りなさい」

 

 

 思い切り地面を蹴り上げて、青紫の竜と距離を詰め、その首筋目掛けて突きを放った。早く現実に帰りたいという一つの思いだけを抱いて細剣を振るい続けた結果、手に入れた閃光の如し剣捌きが、青紫の竜の首筋に容赦なく連続で当てられる。

 

 青紫の竜は痛みを感じているかのように悲鳴を上げて、大きく後退したが、アスナは剣の動きを止める事なく、寧ろその剣に青鈍色の光を宿らせて、叩き込む。閃光の如し速度で放たれる10連続突攻撃ソードスキル《オーバーラジェーション》が炸裂し、青紫の竜は悲鳴を上げる隙すらもなく、《HPバー》を大幅に減少させる。

 

 もしこの青紫の竜が本物の命だったならば、攻撃する事を躊躇ったかもしれない。だが、青紫の竜はAIを組み込まれた3DCGモデル――ただのデータの塊でしかなく、しかも倒したところで一時的にこの場から消えるだけで、またリポップする。そんなデータの塊を倒す事に躊躇いなど必要ない。どんなに非道な行動も、こいつらの前では許されるのだ。

 

 

「これで、消えなさい!」

 

 

 青紫の竜に攻撃させる隙すらも奪って攻撃を叩き込み続け、とどめの一撃としてソードスキルを放とうとしたその時、突然地面が揺れ始め、アスナはソードスキルの発動を中止してしまった。

 

 ここは浮遊城アインクラッド、地面から離れているはずだから、地震などありえない。ではこの揺れは一体何なのか――そう思っていると、揺れは強くなり、ついには立っていられなくなった。

 

 地震ならば地鳴りが聞こえてくるはず――耳を澄まそうところで、強い耳鳴りが音を遮り始めた。腹の奥底から吐き気が突き上げてきて、吐きはしないけれど吐きそうになる。その時ようやく、アスナは揺れの原因が地震ではなく、自分自身にある事に気付いた。

 

 

(あ……れ……)

 

 

 目線を前に向けているのに、上、右、左上、右下とバラバラな方向に動き、視界が若干暗くなる。力が入らず、手先から細剣が地面へと落ちる。倒すべき青紫の竜に目を向けても、その姿はまるで分身しているかのように数多く見え、しかも若干霞んでいる。

 

 

「何……これ……」

 

 

 揺れながら霞んでいる青紫の竜が、咆哮しているかのような姿勢を取ったところで、揺れが一気になくなり、耳鳴りが消えた。続いて意識がはっきりした次の瞬間、目の前に竜の開かれた口が見えて、アスナは思わず目を見開いた。

 

 眩暈を起こしている間に、青紫の竜は怒り狂って、攻撃を仕掛けてきていたのだ。頭の中で次の行動を考えようとした次の瞬間に、青紫の巨大蜥蜴の息が顔にかかると、アスナの身体は蛇に睨まれたかのように硬直した。

 

 武器を持って反撃する――どう考えても間に合わない。

 回避する――口の攻撃よけられても突進そのものは回避できない。

 

 これまで迫って来る事のなかった危機。いつも跳ね除けていたものがとうとう牙を剥いて襲ってきた瞬間、アスナは反射的に目を瞑った。そして、作り物の巨大トカゲの歯が頭の先に当たろうとしたその瞬間、猛烈な音と風が吹き付けてきて、アスナは一気に後方へ吹っ飛ばされた。

 

 

 地面を数回転がって止まったところで、朦朧とした意識の中、アスナは顔を上げる。そこで、アスナは青紫の竜の攻撃を受けそうになった時よりも酷く驚いた。ちょっと目を離した隙に、これまで見た事が無い光景が繰り広げられていた。

 

 自分を襲おうとした青紫の竜に、どこから現れたのかわからない、白い毛と甲殻に身を包んだ狼のような輪郭を持つドラゴン型のモンスターが襲い掛かっている。しかも青紫の竜の身体は炎上しており、苦悶の悲鳴を上げていた。その身体を抑え込むように白き竜は跨り、腕と脚でがっちりと掴み、人間で言う項の部分に噛み付いている。

 

 これまで、SAOでの戦いと言えば、人間とモンスターとの戦いが普通だった。今、目の前で行われている戦闘はモンスター同士によるものという、普通ではないものだ。昔あった怪獣映画さながらの戦いに、アスナは頭の中が痺れたようになった。

 

 

 アスナが目を丸くして見つめる中、追い詰められていた青紫の竜は身体の炎を揺らす事で消し去り、白き竜の足に噛み付きかかった。鋭い牙が食い込み、血が飛ぶように紅い光のエフェクトが白き竜の足に起こり、「ごぅっ」という鈍い声を上げたかと思えば、白き竜は仕返しと言わんばかりに青紫の竜の頭に噛み付いた。

 

 白き竜の牙は熱を帯びていたのか、噛み付いた部分にジュウウという肉が焼けるような嫌な音と、白い煙のような小さなエフェクトが発生。青紫の竜はもう一度咆哮して白き竜の足を離した。アスナは思わず「あっ」という声を上げる。

 

 すかさず、白き竜は青紫の竜の顎に両腕で掴みかかり、身体を起こして2足歩行の状態になり、翼を広げて地面に尻尾を付けてバランスを取ると、暴れる青紫の竜を抑えつけて、無理矢理上を向かせてその口をこじ開けさせた。

 

 かと思えば、白き竜は思い切り息を吸い込んで胸を膨らませ、一気に顔を青紫の竜の口の中へと向けた――瞬間、白き竜の口の奥から灼熱のビーム光線が迸り、青紫の竜の口の中、身体の中へと飛び込み、貫いた。青紫の竜が絶命した瞬間を目にしたアスナは口を両掌で塞いだ。

 

 そして白き竜の攻撃が終わると、青紫の竜は白目を剥いて力なくぶらさがり、やがて青白い欠片となって爆散、消滅した。直後に、白き竜は元の4足歩行の姿勢に戻った。

 あまりの光景に言葉が出ない。一体何が起きたのかすら、わからない。

 

 

「な……なに……?」

 

 

 小さく口を動かしたその時、白き竜はその顔をアスナに向けた。

 その時にようやく、アスナは白き竜が何者であるか、気付いた。

 

 白い毛と甲殻に身を包み、狼のような輪郭を持ち、剣のような角を額から生やした紅い目の竜。それはまさしく、あの《黒の剣士》の《使い魔》だった。

 




次回、アスナ回。
キリトと結ばれない世界線のアスナを変えるのは、何なのか。


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07:『本当の』副団長

        ◇◇◇

 

 

「こっちだ! こっちにリランが現れた」

 

 俺はシノンを連れて攻略を中止し、ある一点を目指して走っていた。マップウインドウをこまめに確認していたところ、気配を消していたリランの反応が再び現れたのだ。リランの反応が確認されたのは、俺達がいた洞穴周辺から西の方角にある岩山地帯。

 

 この事を伝えると、シノンは「お出ましね」と言って攻略を中止し、マップ上にリランを確認する事の出来ている俺を頼りに移動を開始した。

 

 きっとリランは何かを思い出したんだ。そして記憶を失う前に何をしていたのか、または何をするつもりだったのかがはっきりして、それを確認できる場所へ飛んだに違いない。リランの記憶については、彼女の《ビーストテイマー》として知っておく必要がある。いや、知らなければならないはずだ。

 

「それにしても、なんたってこんな方角にリランは姿を現したのかしら。リランが気になるものとか、何かあるのかな」

 

「わからない。だけどリランに何かあったのは間違いないんだ。だから早くリランのところに行って、それが何なのか確認しないと。あいつの主人としてね」

 

 シノンが横顔を見せた。表情は笑みが浮かんでいる。

 

「そう言えばリラン、あんた事とこう言ってたわね。あんたは手間のかかる主人だって」

 

「それ、もうリランに言われてる。《使い魔》に世話を焼かれる《ビーストテイマー》だって。……精進しないとな、《使い魔》に世話を焼かれないように」

 

 シノンはふふんと言って顔を逸らした。

 そうだ、リランに世話を焼かれる《ビーストテイマー》であってはならない。寧ろ、世話を焼かない程度に、共に進みあうのが《ビーストテイマー》と《使い魔》の関係であるはずだ。リランに世話を焼かれないように気を付けて行かないと。

 

 そんな事を考えながら走り続けていると、リランの反応が近くなってきた。もうすぐリランのいる場所に着くと思ったその時に、シノンが何かに気付いたように立ち止まった。俺もすぐさま立ち止まり、振り返る。

 

「どうしたんだシノン。いきなり立ち止まって」

 

 シノンはシッと言った後に小声で言った。

 

「物陰に隠れて。リランの近くに誰かいるわ」

 

「何だって。一体誰がリランの近くにいるんだ。っていうか君、ここからそんな事がわかるって事は、索敵スキルを……?」

 

「細かい事は後で話すから今は身を隠しましょう。隠れながら慎重に近付くのよ」

 

 ひとまず俺は頷き、シノンの後を追って物陰に隠れた。そして二人で小刻みに物陰に隠れながら前進を続けていると、リランの気配がすぐそこまで来た。そのまま物陰から少しだけ顔を出したその時に、俺達の目に白き竜と人影が映り込み、人影はすぐにその正体を明かした。

 俺の《使い魔》であるリランと一緒に居たのは、血盟騎士団の副団長、アスナだった――。

 

 

        □□□

 

 

 突然現れた白き竜の姿にアスナは大いに驚いてしまった。まさか、NPCをぞんざいに扱う自分を攻撃しに来たのか。NPCを利用としようと考える自分を殺しに来たのか。それとも、あの黒の剣士の目障りになったから、排除しに来たのか。

 

 考えを回そうとしても、思い付くのはそんな事ばかりだ。いずれにせよ、こいつは自分の事を攻撃しにきたに違いない。こいつの大きさから考えても、人間は丁度いい餌のような大きさなのだから。

 

「あんたは……何をしに来たのよ。あのソロプレイヤーに何か言われてきたわけ」

 

 白き竜は何も言わずにこちらを見つめているだけだった。当然だ、NPCはプレイヤーのように複雑な思考をしたり、自分で考えて答えを出したりする事は出来ないようにできている。話しかけたところで陸な答えを返す事は出来ない。

 返せるものといえば、制作時に設定された、相手の言葉に対応した答えだけだ。

 

「まぁ聞いても無駄か。あんたは人間みたいに喋る事は出来ないんだもんね」

 

《我が名はリランだ、血盟騎士団副団長、アスナ》

 

 いきなり《声》が聞こえてきて、アスナは思わず驚いて周囲を見回した。

 いや、聞こえて来たのではなく、頭の中に響いたという方が正しいかもしれない。

 

「今の声は……あんたの《声》?」

 

 白き竜は目を閉じつつ頷く。

 

《そうだ。お前が散々馬鹿にしているNPCの《声》だ。我はこれを使って他の者達と意思疎通が出来るのだ》

 

「便利な機能をお持ちのようね。流石はゲームの中の住人ってところかしら。それで、私に何の用事をもってここへ来たのかしら、《使い魔》リラン」

 

 リランは少し怒ったような表情を浮かべる。

 

《お前は何故このような事をしたのだ。我の到着が遅れていたら、お前は確実に致命傷を負っていたぞ。フィールドとはいえ、ボスに一人で挑むなど、自殺行為に等しい》

 

 この前、あのソロプレイヤーと出会った時にも、こうやってこの竜に説教をされた。あの時の苛立ちがアスナの中でフラッシュバックされ、今現在、心の中に起こり始めた苛立ちと結びつく。

 

「あんたに説教をされる筋合いはないわ。NPCのあんたと……話す必要なんか私にはない。さっさと立ち去って頂戴。私はこのアインクラッドの攻略を進めなければならないのだから」

 

 リランは表情を変えずに、更に声を響かせる。

 

《アスナ、お前は何故にそこまでして攻略を進める。先程お前はふらついていたではないか。あれは休まないプレイヤーによくみられる症状だぞ。何故お前は戦う? 何故、この城の頂上を目指す?》

 

 言われて、頭の中に様々な事柄が蘇ってきたのをアスナは感じた。

 しかしそれを話すつもりになれず、アスナは白き竜から目を逸らす。

 

「現実世界にやり残した事が沢山、あるからよ。といっても、あんたにはわからないでしょうけれど」

 

 リランは首を横に振る。

 

《いや、わかるとも。話してみろ》

 

 アスナは思わず驚き、リランの宝石のように紅い瞳を見つめる。このNPCは、まるで自分の話を、自分達の置かれている状況を理解したように答えを返してくる。それこそ、自分自身で考えて言葉を紡いでいるように。

 

「いいえ、あんたに話したところで理解なんかされない」

 

《何故お前はそう言い切れるのだ。さてはお前、我が言葉を理解できない者であると思っているな?》

 

「えぇそうですとも。あんた達なんてただのプログラムを抱えた3DCGモデルじゃない」

 

 リランの眼光が鋭くなる。

 

《そのただのプログラムとやらに、お前は殺されかけていたわけなのだが》

 

 アスナはキッと白き竜を睨みつけた。

 白き竜の《声》は続く。

 

《もう一度聞こう。お前は何を残してきたから、ここからの脱出を、この城からの生還を望んでいるのだ》

 

 アスナは拳を握りしめる。

 帰りたい理由――それは両親の元へ帰りたいからだ。自分には有名な大学に行き、優秀な人材にならなければならないという道がある。なのに、こんな場所に閉じ込められてしまったせいで、それが危うくなっている。もしこのままここに居続けたら、両親の期待する道から逸れる事になる。没落、する事になる。そんな事になるくらいなら、死んだ方がましだ。

 

「あんたなんかに何がわかるのよ。優秀な人材にならなきゃいけないっていう目標を持った人の気持ちなんて……わからないでしょうに」

 

 リランがどこか驚いたような顔になったが、すぐにまた元の表情に戻る。

 

《なるほど、お前は優秀な人材にならなければならないのか。それは何故だ?》

 

「は?」

 

《何故お前が優秀な人材にならなければならないのかと聞いているのだ。我はお前がそこら辺にいる人間達と大差ないように見える。そんなお前が優秀な人材にならなければならない理由は何なのだ。そもそも、それは何のためなのだ》

 

 アスナは心の中に大きな怒りが込み上げてくるのを感じた。

 

「あんたに話したって理解できないって言ってるでしょ。これ以上聞き込んでこないで」

 

《そうはいかない。このままお前の事を放っておいたら、お前は壊れてしまう。お前が壊れてしまうのが、我は恐ろしいのだ。何がお前を駆り立てるのだ。何がお前を、擦り減らすのだ?》

 

 次の瞬間、アスナの中に現実世界での出来事や、今置かれている状況が、水が湧き出てくるように広がってきた。そしてそれはとめどなく広がり続け、アスナの中に溢れた。

 

 アスナは実業家の父と、学者の母の間に生まれ、物心ついた時から両親の期待を強く感じながら育って行った。両親はともに己に厳しい人だったが、アスナは両親に優しくされていた。そんな二人の顔を見る度に、もしもこの人達の期待を裏切ってしまうような事になったら、どんな顔をされてしまうのだろうかと、不安になっていた。

 

 それはきっと、自分よりも先に生まれた兄も同じように思っていた事だろう。

 兄もアスナも揃って、両親が選択した私学の学校へ通わされ、何一つ問題を起こさず、学年上位の成績を常に保ち続けた。その中でもアスナは兄が大学へ行くために家を出て行った後、複数の習い事をこなしていた。いや、どちらかといえば習い事をさせられていたに等しかったかもしれない。

 

 実際成績上位だったけれど、アスナは習い事に行く事をあまり楽しいと感じず、行きたくないと感じる時も多かったけれど、両親の期待を裏切りたくなかったから、我慢して行き続けた。

 

 そんな両親の介入は友人関係にまで及んだ。アスナが何気なく喋ったりすると、両親は途端に駄目だしし、自分達が認めた友人以外とは交流するなと言い出して、アスナの友人を限定した。

 

 そんな生活を送り続けるアスナはいつしか、自分は首輪と腕輪を付けられて、自分の行きたくない方向へずるずると引きずられ続けていると感じるようになった。いざとなれば、首輪と腕輪も、繋がれている鎖も断ち切る事が出来るけれど、その鎖を断ち切ってしまえば、そこに待っているのは両親の失望と絶望。外せば迫ってくる物が怖くて、鎖を斬る事は出来なかった。結果、自分は首輪と腕輪を付けられたまま、檻の中へと引きずられ続けるしかないのだ――そう思っていた。

 

 その時からもう、アスナは両親の事を良い物とは思わなくなった。だけど、その期待を裏切るのが怖いと言う感情はアスナの中からは消えず、結局両親に従って行動を続けた。しかし、兄が父親の会社に就職を決めて、ナーヴギアというゲーム機を手土産に帰って来た時に、勉強を続けるアスナの気持ちに綻びが生じ、兄の持ち帰ってきたナーヴギアという機械を使ってみたいという欲求が生まれた。

 

 ナーヴギアの話は既に父親を通じて聞いていたが、初めてその名前を聞いた時には、何の興味も示す事はなかった。しかし、それが完全な仮想現実を再現するゲーム機であるとわかった時には、自分の中に衝撃が走ったのを今でも覚えている。

 

 完全な仮想現実、即ち現実ではないもう一つの世界にプレイヤーを誘うという宣伝文句が、その時のアスナにはとても口当たり良く感じられた。一度でいいからこことは違う世界、両親に支配されていない世界を見てみたい――しかも何の偶然だったのか、アスナの兄はSAOサービスが開始された日に海外へ出張へ出かけてしまった。

 

 アスナは一日でいいからナーヴギアを使わせてほしいと兄に頼み、ナーヴギアを装着し、この世界へと降り立った。

 

 それが運のつきだった。ゲームを初めて、現実世界の自分ではない自分になれている事に興奮を覚えた直後、虚ろな空に姿を現したこのゲームの製作者である茅場晶彦は、このゲームはデスゲームである事を告げた。そして、ゲームがクリアされるまでこのゲームから出る事は出来ないと、プレイヤー達に叩き付け、消えた。

 

 周りのプレイヤー達が絶望や恐怖に打ちひしがれていく横で、アスナの頭の中は現実世界の事でいっぱいになった。明日までに片づけなければならない数学の課題があるというのに――あれが提出できなければ、教師から何と言われるかわからないし、両親からどんな目で見られるかもわからない。早く帰って終わらせないと。

 

 きっとデスゲームなんて嘘だ。1日2日と経てば対抗策が練られて、脱出できるはず……そう考えたアスナは宿屋に籠り、脱出される瞬間を待ち続けた。しかし、1日2日どころか、1週間、2週間経っても救いの手は伸びて来なかった。

 

 その時ようやく、アスナは外部からの救いはない事に気付いた。そしてすぐさま、アスナは頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 はじまりの街の部屋の一つから一切出ず、来る日も来る日も壁を叩き付け、狂ったように叫び、泣き喚く。今まで積み重ねた何もかもが、足元から崩れて行くような錯覚が、常にアスナを襲い続けた。

 

 きっと両親は自分の命なんか心配していない。ゲーム機に閉じ込められて自分達の敷いたレールから外れた娘に激しく失望しているだけだろう。そして友人達は受験に参加できない自分を悲観し、嘲笑し、失望しているに違いない。そんな考えは徐々にアスナの中に濃縮されていき、やがて臨界を迎えた時に一粒の黒い雫になって、アスナの心の中へと落ちた。

 

 その瞬間から、アスナはある事に気付いて、宿屋から出て、マニュアルを読み漁って装備を整えた。助けを待っていても何も変わらないならば、自分がこの世界を終わらせるしかない。――そう思ったアスナは来る日も来る日も休まず戦い続け、レベリングとスキルアップに打ち込んだ。

 

 そうして、攻略の鬼《閃光のアスナ》は生まれたのだった。

 

 

 しかし、そんなアスナの心は日に日に擦り減っていった。いや、あの時落ちた黒い雫から広がった黒い水に、侵されていったと言った方が正しいのかもしれない。

 

 無事にゲームを終わらせる事が出来れば、確かに現実に戻る事が出来る。だが現実に戻れば、待っているのは失望した親の顔と、首輪と腕輪と鎖を付けられる気持ち悪い日々。かといって終わらせなければ、いつまでもこの気持ち悪い偽者の世界に閉じ込められたままで、更には気持ち悪い他のプレイヤー達が「流石閃光のアスナ」「貴方が居なければ攻略が進まない」などと言い出す。

 

 攻略を進めなければ、いつまでのこの気持ち悪い世界に閉じ込められたまま。

 だけど現実に帰れば気持ち悪い親が、自分を縛り付けてくる。

 

 どっち道、待っているものは気持ち悪い。

 世界も、NPCも、プレイヤーも気持ち悪い。

 現実も、両親も、友人も、気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 

「気持ち悪いのよ、みんな揃って!!!」

 

 いきなり叫んだアスナに、リランは思わずびくりとする。

 アスナは下を向いたまま、訴えるように怒鳴る。

 

「ナーヴギアを付けてゲームを起動してみれば、殺されれば死ぬだの、死にたくなきゃクリアしろだの! この世界から出たいと思って行動を起こせば攻略の鬼だの、《閃光のアスナ》だの、血盟騎士団の副団長だの、私に頼らなきゃクリアできないだの言いだして!!」

 

 アスナは髪の毛を力強く掴む。

 

「そもそも父さんと母さんも嫌なのよ!! 何もかも忘れて勉強しろだの、許可できない人と関わるなだの、お前のためを思っているだの、何でもかんでも決め付けて、私の言葉なんか、ろくに耳を傾けてくれなくて、私の事なんか完全に無視して、エリートでいろだなんて言って、何でもかんでも縛り付けて、押し付けてぇ!!

 

 私が、私がいつそんな道に進みたいなんて言った!? いつ、何でもかんでも縛り付けてくださいなんて言った!? いつ、私を檻の中に閉じ込めてくださいなんて言った!? 攻略してくださいだの、攻略の鬼だの、指揮を取れだの、勉強しろだの大学行けだの、私が好きじゃない人と結婚しろだの、期待に答えろだの――」

 

 アスナは大きく口を開き、叫んだ。

 

「私に全部押し付けないでッ!!!」

 

 アスナは膝を付き、何度も首を横に振る。その度に、瞳から涙が弾ける。

 

「私はエリートでいたいわけじゃない! 私だって嫌な事いっぱいあるよ! 勉強だけしかできないのも嫌だし、友達と遊んだり、お喋りしたりできないのも嫌、エリートが通う大学にだって行きたくない! 好きじゃない人と結婚だってしたくない! 全部押し付ける母さんと父さんなんか大嫌いよ!!!」

 

 アスナは首を振るのをやめたが、その瞳からは止まり事無く涙が流れ続けた。

 

 リランは何も言わずに、閃光のアスナと呼ばれた娘を見つめていたが、やがて音を立てないように歩き、娘のすぐ前まで来たところで、その大きな掌でアスナの頬に触れた。

 

《……ようやく吐き出した……いや、ようやく姿を見せたな、()()()()()()

 

 アスナはきょとんとし、白き竜を見上げた。

 

「えっ……?」

 

 アスナはリランの目を見つめた。水晶のような紅い瞳が鏡のようになっていて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった自分の顔が見える。

 

《いい顔になったぞアスナ。それがお前だ……本当のお前だ。出てくるまで時間がかかってしまったが、お前はようやく閉じ込めていた殻を破ったのだ。そして我に、全てを話してくれた。

 お前は親の期待に応えようと必死だったのだな。だが、同時に親に支配されていて、嫌だったのだ。それが、お前を焦らせ、お前の行動を狂わせていた原因だ》

 

 リランは優しい《声》をアスナに送る。

 

《お前は本当は、我らが見てきた『閃光のアスナ』のような人物ではない。ずっと自分を抑圧し続けて、『閃光のアスナ』を演じていたようなものだ。そして抑圧し続けていた本当の自分は、ずっとお前の中で悲鳴を上げ続けていた。さぞや辛かったろう》

 

 アスナは拳をぎゅっと握って俯いた。膝元に涙が落ちる。

 

「大嫌いだった……父さんも母さんも……何でもかんでも縛り付けて……そんな現実、帰りたくない……でも、いつまでもここにいたいわけじゃない……だけど……閃光のアスナとか、そんなふうに呼ばれるのは嫌……」

 

 リランは軽くアスナの頭の上に手を乗せた。

 

《残念だがそれは叶わない。お前達はいずれにせよこの城から脱出し、現実世界に帰らなければならない。だが……この世界を気持ち悪く感じなくなる方法と、現実世界で親の支配から解き放たれる方法なら、我は知っている》

 

 アスナは白き竜を見上げる。

 

「なに……?」

 

 リランはアスナから目を逸らし、周囲を見回した。

 

《一つは、この世界も世界である事を認識する事だ。お前は散々気持ち悪がって、偽者の世界であると言っているが、決してこの世界に楽しみや美しさが無いわけではない。お前は『閃光のアスナ』になっていたから、それに気付けなかったのだ。だからアスナ》

 

 アスナが首を傾げると、リランはアスナに目を向け直した。

 

《一旦攻略を休んで、今一度この城を散策してみろ。特に22層がお勧めだ。お前ならばきっとこの世界の美しさや楽しみを見つけられる。この世界が生きている事を、知る事が出来るはずだ。もし、それでも駄目だと思ったならば》

 

「思ったなら?」

 

 リランは獣の顔で笑んだ。

 

《我が主人の元へ来い。22層に我が主人の家がある。そこで我が主人と接すれば、きっとお前はこの世界が生きている、人の生きる世界である事を実感できるはずだ。あいつはこの偽者の世界でも、懸命に生きているのだから》

 

 その言葉を聞いた瞬間、アスナはハッとした。足元で、これまでとは違う何かがガラガラと音を立てて崩れて行ったのを感じた。この世界でも、懸命に生きている人がいる。現実世界で一日無駄にするのではなく、この世界で一日積み上げて行く――そんな考えの人間がいるとは、思ってもみなかったし、考えた事もなかった。

 

《そして、現実世界で親の支配から解き放たれる方法はただ一つ。彼ら顔面目掛けて私に全部押し付けないでと言い放ち、彼らを失望のどん底に叩き落とすのだ。そしてその後にお前がこれまで心の中に溜め込んでいた事を全て話す。そうすれば、きっとお前への束縛を両親は止めるだろう》

 

 アスナは首を横に振った。この世界が生きている事を実感するのはわかったが、現実世界での両親への対応は非常に難しく感じた。

 

「やめないよ。特に母さんは、絶対にそんなの認めてくれない」

 

《ほぉ、またいい事を聞いた。お前を束縛していたのは母親か。その様子だと、母親も『閃光のアスナ』と同じなのだろうな。ならば……心の奥底まで疑って、揺さぶってやるのだ》

 

「揺さぶる?」

 

《そうだ。お前の母親に問いかけるのだ。何故このような事をするのか、なぜこのような事を強いるのか。こんな事をしても自分は嬉しくない。嬉しくない事を強いて、どう思っているのかなど、我のようにひたすら揺さぶり続けてみろ。さすれば、隠された己が姿を現す。丁度お前のようにな》

 

 その時、アスナは気付いた。そう言えば確かに、母親の心を揺さぶったり、どうしてこういう事をするのかと疑ったり、聞き込んだりしたことはない。リランの言っている事は、自分を束縛から解放するだけではなく、母親の心を知るチャンスを作るかもしれない。

 

「そういえば、そういう事やってない……」

 

《ならばやってみろ。効果覿面(こうかてきめん)なはずだ》

 

 リランの言葉を聞いていたところ、心の中が暖かくなっていくのを、アスナは感じた。今ならば本当にこの世界の事を純粋に受け止められて、現実世界に帰ったら、親の鎖を断ち切る事が出来るような、そんな気がする。

 今までにいない自信が、心の中に溢れている。これも、この竜のおかげだろうか。

 

《さてとアスナ、フィールドボスは我が倒した。お前はこのまま周りの攻略組を無視して戻り、22層へ向かうといい。今日の22層の気象は最高の陽気だ。散策をするにも、散歩をするにも適している》

 

 アスナはリランに声をかける。

 

「貴方は? 貴方はこれからどうするの」

 

《我はこれからキリトの元に戻ろうと思うが……どうした》

 

「22層へは、貴方と一緒に行きたい。貴方ともっと話がしたいの。こんなふうに言うのは、何だか違和感があるんだけど……」

 

 リランは目を丸くしていたが、そのうち何かを思い付いたような顔をして、頷いた。

 

《いいだろう。ただし、その前に一つだけ、お前にやってもらいたい事がある》

 

「なに?」

 

《写真を持っていないか? 写真があるならば、我に見せてほしい》

 

 そう言われて、アスナはアイテムストレージを探った。確か装備を一式揃えた時の事をずっと覚えていたくて、撮っておいた写真があったはず――そう思って探していると、案の定、2023年の日付がされているスクリーンショット写真が見つかった。呼び出してみれば、今ある装備をそろえ、細剣を構えた自分の姿が映っている写真である事がわかった。

 

「これかしら」

 

 リランは写真を見るなり、頷く。

 

《おぉ。それだ、まさに丁度いい。

 では、それを思い切り上に投げてくれないか》

 

「上に投げる? なんで?」

 

《良いから投げるのだ》

 

 アスナは今一腑に落ちない気持ちのまま、写真を上空へ投げ付けた。ふわっと風に乗って空高く舞い上がった写真にリランは顔を向け、いきなり口を開いた。次の瞬間、青紫の竜に止めを刺す時に使ったビーム光線と同じものがリランの口内より発射され、アスナの投げ付けた写真に直撃。アスナが上を見上げて、思わず目を点にして呆然とする中、写真は灼熱ビーム光線に呑み込まれて、消えた。――一体何がしたかったのだろうか。

 

《これで、『閃光のアスナ』は死んだ。今いるお前は『閃光のアスナ』ではなく、アスナだ》

 

 アスナはリランに顔を向ける。

 リランはにっと笑った。

 

《これからは『閃光のアスナ』としてではなく、『ただのアスナ』として生きるのだ。お前に攻略の鬼などというものは似合わない》

 

 アスナはようやくリランの行為の意味に気付き、頷いた。

 

「それじゃあ、一緒に行って、22層に」

 

《いいとも。今日だけ、我はお前の《使い魔》になろう、アスナ》

 




アスナの真実。『閃光のアスナ』の死。

世界を拒んでいた血盟騎士団副団長の心を開いたのは、ある<使い魔>でした。
そして次回、アスナがリランを道具扱いしようとしていた理由が判明。


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08:副団長の休息

           ◇◇◇

 

 

 アスナとリランが22層に移動したため、俺達もその後を追って、22層に赴いた。

 俺達はアスナのリアル事情を盗み聞きしていたわけだけど、まさかアスナがあんなふうになっていた原因がアスナの現実にあった事、そしてアスナ自身が現実に帰る事を好意的に思っていなかったなど、思ってもみなかった事が沢山あった。

 

 更にアスナの本当の気持ちが聞けた事と、リランの手によって閃光のアスナが死亡した事など、驚くべき事がたくさんあって、なんだかわけがわからなくなってしまった。

 

 しかしその最中で、俺はアスナがリランを道具扱いしようとしていた理由がわかったような気がした。恐らくだが、アスナは現実に帰りたいという気持ちを抱いていた事と、『閃光のアスナ』、即ちデスゲームを終わらせた英雄なるべく、リランの力を使おうと考えていたに違いない。

 

 実際リランの力はとても大きくて、俺達が苦戦するボスモンスターとでも互角に戦う事が出来る。この力を最大限に使えば、あっという間にこの城を登り詰めて、クリアしてしまう事が出来るだろう。そして、そんな力すらも容易く使いこなし、このデスゲームをクリアして見せた英雄……そんな肩書きと実績が、アスナは欲しかったのだろう。

 

 話を聞く限りでは、アスナは心が壊れかけるまで戦い続けたそうだが、そんなアスナの精神状態が正常であるとは言い難い。きっとゲームの中でも活躍し、誰にも使いこなせない力を使いこなしてデスゲームを終わらせれば、両親の期待に答える事が出来る――頭の中が混乱しきって、そんな事を考えるようになっていたのだろう。

 

 心が壊れかけてしまうまで両親の期待に応えようとしていたアスナならば、やってしまいかねないし、考えかねない。そして、この世界はただのゲームであるという考えと結びつき、アスナはリランを欲し、道具として扱う事を推し進めた。――ただの推測ではあるけれど、こんな形なのだろう。

 

 

「暖かくないんでしょうね、アスナの両親って」

 

「暖かくない?」

 

「えぇ。現実の事を聞くのはマナー違反だけど、アスナの話を聞く限りではそう思えるわ。アスナの親は、アスナの事なんか心配してなかったんだと思う。いえ、アスナに色んな事を押し付けていたのは、きっと優等生アスナという存在を作り出したとして、自分の名声や実績にしようとしてたからなんだと思う。それこそ、アスナがリランを道具扱いしていたみたいに。……結局は自分の事しか考えてない、冷たくて卑しい人間よ」

 

 

 シノンの言葉はどこか的を射ているように感じた。

 自分達の大事な娘のはずなのに、その娘すらも自分達の実績や名声を上げるための道具として利用しようとしていた。娘の意見なんか断固無視して、自分達の名声を上げるための行動をとらせ、娘が辛そうな顔をしている横で、上がっていく名声をほくそ笑みながら見ていた。

 

 ――これもまたただの推測だけど、アスナを利用して名声を得ている両親の顔、そんな両親に逆らう事が出来ずびくびくとしながら、身体の至る場所を鎖で縛り付けられ、泣いているアスナの姿が容易に想像できた。

 

 

「そこまでして……自分の事のためにアスナを利用する理由って……?」

 

「アスナの話によれば、アスナのおかあさんが原因みたいね。きっとアスナのおかあさんが、今死んだ『閃光のアスナ』みたいな人なんでしょう。そして、おかあさんもまた、『閃光のアスナ』のように自分を偽って生きているような人……きっと、アスナみたいに心を擦り減らしてしまっているんだわ」

 

 

 今回はリランがいたからアスナはどうにかみたいだけれど、リランはあくまでこの世界の住人であり、現実に出る事は出来ない。もしリランを現実へ出す事が出来れば、アスナの母親の心を開かせる事が出来るかもしれないのに。

 

 

「もし、アスナが両親の期待に応えるのをやめたら、現実でもアスナは『閃光のアスナ』じゃなくなれるんだよな。何とか出来ないかなぁ……別にエリートじゃなきゃ生きていけないような世界じゃないのに」

 

「……もしかして、アスナの事が気になってるの?」

 

 

 正解っていえば正解だった。何故かは知らないけれど、アスナにはあんなふうに生きてもらいたくない、もっと自由奔放な生活を送ってもらいたいという思いと願いが、心の中で渦巻いていた。

 

 

「何でか知らないけれど、あの人には苦しい一生を送ってもらいたくないんだ。まぁ、これは君にも言える事なんだけどさ」

 

「私にも?」

 

「うん。君はなんだか、今まで苦しい思いをしてきたっていう感じがあるっていうか……多分、苦しい事にならなきゃ、あんなふうに夢に苦しむ事だってなかっただろうからさ。

 もし、現実の事を思い出したら、話してくれないかな。少しでも、君の力になってやりたいんだ。前にも言ったけど」

 

 

 シノンは目を丸くしていたが、やがて俺から顔を逸らした。

 

 

「何言ってんのよいきなり。もしかして、リランがアスナをあんなふうに出来たから、その真似がしたいわけ?」

 

 

 そうかもしれない。今のリランとアスナを見ていた時、俺はアスナの力になってやれなかった、アスナの事に関して完全に無力だった事を痛感した。無力なままでは、きっとまた、俺はもう起こしたくない事を繰り返すに違いない。

 

 すぐ近くにいてくれて俺の事を信じてくれるシノンの力になってやりたい――そうすれば、きっと俺もシノンのように強くなれる。繰り返したくない事を繰り返さない強さを手に入れられると、そんなふうに考えていた。

 

 

「そうじゃない。まぁ確かに《ビーストテイマー》の俺よりも、《使い魔》のあいつの方が活躍してるっていうのは癪だけれど、あいつばかりが何でも出来てしまうところか見てると、俺は無力なんじゃないかっていう不安に駆られるんだ。

 あいつは俺に、「お前は無力じゃない、お前は強いんだよ」って言ってくれるんだけど、それでも不安になるよ」

 

 

 俺はシノンから目をそらし、顔を下に向けて、広がる地面を見つめる。

 

 

「嫌なんだよ、無力である事を突き付けられるような事になるのは」

 

「あんたは無力なんかじゃないよ、キリト。寧ろあんたは凄く強いわ」

 

 

 シノンの小さな声に、思わずその方へ顔を向ける。

 

 

「あんたは強いから、リランを使う事が出来てるのよ。きっとあんたが弱かったら、リランを使う事は勿論、ボスに勝ち続ける事だって出来なかったはずよ。それが出来てるって事は、あんたは強いって事に他ならないと思うんだけど、何か違うかしら」

 

 

 思わず目を見開くけれど、どうにも腑に落ちないような気を感じる。俺が強いから、リランを使えているというのは本当だろうか。いや、リランが俺の仲間になってくれたのは、きっとあの場に俺だけがいたからだ。

 

 たまたま俺があそこに居合わせて、レアアイテムをリランにくれてやったから、リランは《ビーストテイマー》のイベントに従って仲間になってくれただけ。リランが仲間になってくれた事が俺の強さに関係しているとは思えないけれど、それでもシノンの言葉はどこか暖かく感じられた。

 

 

「わからない。だけど、そう言ってもらえると、嬉しいよ」

 

 

 シノンは後ろで手を組んだ。

 

 

「それにねキリト。私はあんたを無力な奴だなんて思ってないわ。あんたの強さは間違いなく大きなものだし、そのおかげでちゃんとみんなの事を守れているわ。それに、もしあんたが無力だったなら、私はとっくにフィールドで死んでたかもしれないから、私がこうして生きてるのはあんたに力があったおかげだと思うわ。リランじゃないけれど、自分をそんなふうに言う必要はない」

 

 

 もう一度、シノンの口から紡ぎ出された言葉を耳にすると、心の中が更に暖かくなっていくのを感じた。そして不思議と、自分にもちゃんと力があるように思えるようになった。

 

 

「ありがと、シノン。もう少し自分の強さに自信を持つとするよ」

 

 

 シノンは俺と顔を軽く顔を合わせた後にそらし、呆れたような声を出した。

 

 

「……何でもかんでも一人でやろうとしすぎなのよあんたは。あんた一人じゃ出来る事にも限度ってものがあるわ。もう少し、自分に出来る事と出来ない事の差というのを自覚して頂戴。リランはああやってアスナの心の氷を解かす事が出来たけど、あれをあんたも出来るなんて保証はないし、あんたも出来なきゃいけないなんて事もない」

 

 

 そういえば、俺は今まで大事な事はなんでも一人でやろうとしていたような気がする。リランにも、シノンにも、その他の仲間にも頼らないで、一人で物事を成し遂げられると、そう思い込んで行動していた。今までソロプレイヤーで居続けた弊害なのかな。

 

 

「そして……もう少し私に頼るって事を覚えてよ。私だって、出来る事くらいあるんだから」

 

 

 その時、もう一度俺はハッとした。確かに、今までシノンには色んな事を教えるばかりで、あまり頼ろうと考えた事はなかった。強いて言えば、シノンに頼って事と言えば、食事を作ってもらう事くらいだ。

 

 

「何だシノン、もしかして、今まで頼ってほしかったのか」

 

「……私だって無力じゃないわ。私だってあんたの力になる事くらいできるんだから……もっと頼ってよ」

 

「それじゃあ、明日のボス戦、一緒に戦ってくれるか? 料理を作ってもらったり、一緒に居てもらったりするのはいつもやってるからさ」

 

「いいわよ。ボスモンスターとやらがどんなものなのか気になるし、ボス戦はいずれにせよ経験しておかないといけないから。その代わり、あんたにフォローしてもらいたいところだけど、良いわよね?」

 

「勿論さ。シノンをフォローしつつ、戦うよ。シノンには死なれたくないから」

 

 

 シノンはフッと笑った。

 

 

「それは私も同じだわ。あんたに死なれたらそれなりに困るし、私もあんたを守りつつ戦うとするわ」

 

 

 俺は軽く頭の中でシノンと一緒に望むボス戦の事を考えた。ボスモンスターは協力ではあるけれど、俺達が居なくても倒されるくらいの強さだから、シノンでも戦うこと自体は可能だろう。流石にまたクォーターポイントが来るような事はないだろうから、そこそこ安心して戦えそうだ。

 

 といっても、シノンにとっては初めてのボス戦、しっかりとサポートしてやらないと。

 

 

「さてと、リランはこの層のどこへ行ってしまったのかしら。この層は敵がいない代わりに結構広いから、リランを見つけるのも一苦労ね」

 

 

 シノンの言葉に答えるようにマップウインドウを開くと、すぐさまリランの反応を見つける事が出来た。リランはどうやら、俺達の家の近くにある草原にいるようだ。リランの傍にプレイヤーの反応があるので、アスナも一緒に居るのだろう。

 

 

「リランなら俺達の家の近くにいる。アスナも一緒みたいだよ」

 

「どんな話をしているのかしらね。私達はマナー違反でもあるにもかかわらず、アスナの現実での話を盗み聞きしてしまったわけだけど。というか、本当に私達、リランに気付かれなかったのかしら」

 

「え? 俺達は隠蔽スキルを使ってたから、ばれてないだろ」

 

 

 シノンが腕組みをしながら俺を横目で見る。

 

 

「そうとも限らないんじゃないかしら。リランは現に、あんた以上の索敵スキルを持ってる。私達の隠蔽スキルなんか、とっくに見破られてるかもしれないわ」

 

 

 確かにリランの索敵スキルは俺以上のものになっているから、並みの隠蔽スキルなんか簡単に見破ってしまう。それこそ、リランの索敵スキルがあったからこそ、シリカとの会話を盗み聞きされている事を把握できたわけだし。

 

 

「そうかな。だとして、アスナと話してる最中に俺達に呼びかけなかった理由は?」

 

「……ひょっとしたら、アスナの話を私達も聞くべきだと思われたのかもしれないわ。実際、アスナはボス戦とか、戦闘とかやり過ぎなまでにやってたわけだし、その実情が悲惨なものだったってわからせるつもりだったのかもしれないわ。それに……」

 

 

 シノンは俺から目をそむけて、前方に視線を向ける。

 

 

「それに?」

 

「アスナは何かとあんたに突っかかってたじゃない。リランをボス狩りの道具にしようだとか、血盟騎士団に入って武力貢献しろとか言って。そんなアスナの素性を、私達に聞かせたかったんだと思う。まぁ、本当の話は本人から聞いてみないとわからないけれどね」

 

 

 本当の話は、リランの口から聞かなければ確かにわからない。とにかく今はリランと合流するべきだろう。――そう思いながら歩き続けていると、村を出て、少し暗い森林地帯に入り込み、やがてそこを抜けて草原に出たが、目の前に広がる草原の中央部にいきなりリランの姿が見えて、今まで姿を隠して行動をしていた俺達は思わず驚いた。

 周りの遮蔽物はなく、姿を隠すのは難しい。

 

 

「やばっ、隠れるところない!」

 

 

 思わず焦ったその時に、聞き慣れた《声》が頭の中に響いた。

 

 

《隠れる必要はないぞ。来い、キリトにシノン》

 

 

 リランの《声》だった。どうやら、既に気付かれていたらしい。

 

 

「やっぱり、私達に気付いてたのね、リランは」

 

「あぁ、やっぱりリランから隠れるのは並大抵の事じゃないな」

 

 

 そう言ってシノンを連れて、俺は草原に寝転んでいるリランに近付いたが、そこでシノンと揃って目を丸くしてしまった。寝転ぶ、というよりも座り込んでいるリランの背中に凭れ掛かって、アスナが眠っていた。それも、これまで見て着たアスナからは想像が付かないくらいに、穏やかな寝息と寝顔で。

 

 

「アスナ、寝てるな」

 

《そうだ。この層を軽く歩いていたら、急に眠気を訴えてな。今日はぐっすりと眠れそうな気候だったから、昼寝させてやってるのだ。間違っても起こそうとするでないぞ》

 

 

 とても安らかな顔をして寝息を立てているアスナを見つめつつ、シノンが腕組みをする。

 

 

「ねぇリラン。その様子だと、あんたとアスナが一緒に居た時から、私達が傍にいた事に気付いてたみたいね」

 

 

 リランがフッと息を吐き、横目で俺達を見る。

 

 

《お前達も意地汚い事をするものだ。我を尾行して隠蔽スキルを使い、我とアスナの話を盗み聞きしているのだから。まぁ、そのおかげでお前達はアスナに気付かれなかったわけだし、貴重な話を聞く事が出来てよかっただろう》

 

 

 それは確かだ。まさか色々俺達に突っかかってくるアスナに、あんな現実が待ち受けていたとは思ってもみなかった。

 

 

「アスナのすごい素性を知る事が出来たな。この人自身、何をしたらいいのか、もうわからなくなってたんだろうな」

 

《我の力を使えば確かにこの城の攻略を早く進める事が出来る。しかし攻略を終わらせた後に待っているのは親に束縛された現実。そこから逃げ出そうとしても周囲が異様なまでに期待してしまっているから、結局攻略を進めるしかない。

 この世界に生きる事も出来ず、現実世界では息苦しく生き……混乱してしまって当たり前のところに、この者はいたのだ》

 

 

 シノンの表情が曇る。アスナの心の中がそこまで荒んでいたとは、思ってもみなかったのだろう。

 

 

「ひどいものね。『閃光のアスナ』なんて呼ばれたくなかったのに、周囲はそう呼んで……ひょっとしたらだけど、アスナは血盟騎士団の聖像(イコン)にでもさせられてたんじゃないかしら。あれだけの戦闘集団を纏めるには、やっぱり導く人みたいなのが必要のはずだし」

 

 

 俺は思わず首を傾げた。確かにアスナは血盟騎士団の副団長という地位にいるけれど、血盟騎士団のボスはヒースクリフだ。だから血盟騎士団の聖像または導く者はボスであるヒースクリフで、アスナはそうじゃないはずなのだが……。

 

 

「でも、血盟騎士団のトップはヒースクリフだぜ? アスナが聖像なんて事はないだろ」

 

 

 シノンが横目で俺の事を見つめる。

 

 

「あんた、ヒースクリフがボス戦に出て来たって話聞いた事あるの」

 

「えっ」

 

「ここ数日のボス戦とか攻略の戦況を聞いてると、血盟騎士団が出てきてもそれを率いていたのはいつもアスナだった。正月の時にもあったでしょ、ボスのラストアタッカーがアスナだったって。アスナの話はよく聞くけれど、血盟騎士団を率いているボスであるヒースクリフの話は聞かない。

 聖竜連合のボスのディアベルは団員達に混ざって戦ってるから、あいつがボスだってわかるけれど、ヒースクリフはほとんど戦場に出てこない……これって、ほとんど血盟騎士団のボスはアスナになっているようなものじゃない?」

 

 

 考えてみればそうだ。俺達が休みを取っていた間にも攻略が進んだけれど、その時参加していた血盟騎士を団を率いていたのはアスナだったし、主に攻略を進めていたのもアスナだった。肝心な血盟騎士団の首領であるヒースクリフは全く出て来ず、血盟騎士団の本部に籠ったままだ。

 

 普通ならヒースクリフが戦場に赴いて戦うはずなのに、全く出てこないでアスナに周りの連中の指揮や、攻略を任せきりにしていた。それこそ、アスナの嫌がっていた押しつけをやっていたんだ。

 

 

《そう言えば、先程アスナが話してくれたのだが……キリト、お前の事だから忘れていないとは思うが、あの巨像はわかるな?》

 

「巨像……50層のボスの事か。あのボスがどうかしたのか」

 

《あの巨像と我らが戦った後に、血盟騎士団は我らの支援をするべく50層ボス部屋に向かったらしい。その時に、お前達の話すヒースクリフはいたそうで、50層ボスはヒースクリフを中心に攻略される予定だったらしい。それを我らが倒した事に、ヒースクリフはさぞ驚いたそうだ。勿論アスナもな》

 

 

 あの巨像は確かに強かったし、死亡者が出てしまうような戦いだったが、その戦況を俺とリランの『人竜一体』がひっくり返し、勝利を導いた。多分血盟騎士団も動き出すような戦いだったんだろうなとは思っていたけれど、血盟騎士団はヒースクリフを中心とした作戦を立ててあの巨像に挑むつもりだったのか。

 

 

「でもその後、ヒースクリフが戦場に出て来たって話は聞かなくなったな。どうなってるんだ」

 

「きな臭い……っていうのは間違いないけれど……ただ一つだけわかるのは」

 

 

 シノンの方へ目を向ける。シノンの見ていたのは、リランに横たわって眠っているアスナだった。

 

 

「そのヒースクリフも、閃光のアスナっていう虚像を作り上げて、アスナの心を擦り減らすのに一役買っていたって事ね」

 

 

 それはそうだ。彼女はあんなに戦う事を、誰かに従わされることを嫌がっていた。なのにヒースクリフは自分の組織の戦闘や指揮などの激務を副団長のアスナに押し付けて、何もしていなかった。やった事と言えばクォーターポイントの戦闘の作戦を立てて、戦おうとしただけだ。

 

 

「確かにヒースクリフもアスナの親と同じような感じだ。それだけじゃない、ヒースクリフは血盟騎士団を率いるボスのはずなのに、自分からは何もしなかったんだ。全部アスナに押し付けて何もしなかったんだよ」

 

「だけど、わかったところでどうしろってところね。まさか血盟騎士団の本部に乗り込んで抗議するわけにもいかないし、抗議したところで聞いてもらえないのは間違いないしょうし」

 

「だよなぁ……それでもアスナはあぁやって攻略だけが全てじゃないってわかってくれたし……閃光のアスナはこのアインクラッドから消えた。もう、攻略の鬼になる必要なんかなくなったはずだ」

 

《それは間違いない。閃光のアスナを失ったアスナが、血盟騎士団にどのような影響を与えるのか、少々興味深いと思わないか》

 

「思うな。いきなり鉄仮面みたいだった人が表情を取り戻したりしたら、そりゃ驚くだろうな連中は」

 

 

 シノンが腕組みしながらアスナに目を向ける。

 

 

「さてと、突然心を入れ替えた副団長の姿に、団長のヒースクリフはどう思うんでしょうね。少なくとも驚きはするだろうけれど、また役目をアスナに押し付けるのかも」

 

 

 それは変わらないだろう。アスナが今までいろんな役割を引き受けてくれてたんだから、それをいきなり変えるのはヒースクリフでも出来ないはずだ。だが、アスナ派の考えはリランのおかげで根本から変わったみたいだから、何でもかんでも攻略優先、効率優先とはならないだろう。

 

 そもそも彼女があんなふうになっていた影響の一つにヒースクリフがいるんだから、いきなりアスナが考え方を変えて血盟騎士団が混乱する事になっても、ヒースクリフがアスナを責める事は出来ないはずだ。まぁろくにボス戦にも出てこないでいるくせに、余裕綽々な様子を見せる事で有名なヒースクリフが慌てる事なんか早々ないと思うから、そこまで混乱しないかもしれない。それはそれで、なんかむかつくけれど。

 

 

「ところでこの人はいつまで眠っているつもりなんだろう。お前、平気か」

 

《我は平気だ。そもそもこいつは今まで休まずに戦い続けてきた悲劇の戦士だ。いや、休まずに戦い続ける事を、現実でもこの世界でも強いられ続けてきた娘だ。この娘と先程会った時にも、疲れ果てて眩暈を起こしていたからな……いずれにせよ、こいつはじっくりと長い間休む必要がある》

 

「そうだな。アスナはずっと戦い続けてきた……そろそろ休ませてやらないとだな」

 

 

 シノンが少し困ったような表情を浮かべる。

 

 

「だけど、この人が抜けた攻略の穴は誰が埋めるのよ。この人が抜けたって、攻略が続けなきゃいけないし……」

 

 

 リランの顔がシノンと俺に交互に向く。

 

 

《それならばお前達がやればいいだろう。お前達、特にキリトは我を《使い魔》とする《ビーストテイマー》……周りの者達が一斉に希望と期待を寄せている存在だ。シノンはまだ周りの連中よりもレベルが低いけれど、意志と判断力は並大抵のものではなく、強者といえる。お前達で次のボス戦に参加し、ボスを打ち倒せばいいのだ》

 

「簡単に言ってくれるけれど、私だってボス戦は初めてなのよ。というか、何であんたボス戦から外れるような事を口にしてるの」

 

 

 リランはアスナに顔を向ける。

 

 

《アスナが、22層を廻るのは我と一緒がいいと言っているのだ。だからひょっとしたらだが、次のボス戦には出られないかもしれない。我もさすがにこんな状態のアスナを一人にしたくはないしな》

 

 

 心の中に焦りが徐々に生まれてくる。俺はずっとボス戦はリランありきで進めるつもりでいたし、リランの力を使ったうえで、シノンを、みんなを守るつもりでいた。

 

 

「おいおい、まさかそのままアスナの《使い魔》になるつもりじゃないだろうな? 俺だってお前がいないと困るぞ」

 

《それはないから安心しろ。だが、お前に頼みたい事はある。我にお前から離れていい日を作ってほしいのだ》

 

「お前が俺から離れていい日?」

 

《文字通り、我がお前から離れて別行動をとる日を作ってほしいという意味だ》

 

 

 俺からリランが離れるという事は、その日リランを使って攻略が出来なくなるっていう意味になるはずだけど……。

 

 

「まぁお前もそうやっていろんなことを考えられるから別行動をとるっていうのもありだとは思うけれど、お前がいない間はどうすればいいだ。まさか、攻略を休めっていうのか」

 

 

 リランが答えるよりも先に、シノンが言う。

 

 

「いいんじゃないかしら。あんただって別にやりたい事があるみたいだし、それにキリトだってアスナと似たような状態だったじゃないの」

 

 

 リランからシノンの方に目を向けると同時に、シノンがその口を再度開く。

 

 

「あんただってずっと攻略に勤しんでばっかりで、あまり休んでないみたいじゃない。それに皆を守るとか言って、常に気を立ててるし、リランの事だって酷使してる。あんたも時折しっかりした休息を取るべきだわ。それこそノーリランデーみたいな。リランが休むって言った時はあんたも休むみたいにね」

 

 

 言われてみれば、俺は戦闘以外特にやりたい事を見出せず、ずっと攻略のためにダンジョンやらフィールドやら迷宮区やらに飛び込んで数多くのモンスターを倒しまくっていた。

 

 休まない事だって多かったし、リランが仲間になってからも正月まではほとんど休まずに戦い続けていた。まぁ、このあたりはシノンが強くなりたいって言ったからやったようなものだけれど、それでも俺はあまり休まずに今まで戦い続けていたかもしれない。

 

 

「確かにあまり休まないで戦ってはいたな……」

 

「そうでしょう。だからあんたにも休む日は必要よ。あんたは攻略の鬼じゃないし、戦いに明け暮れる日々を送っていいわけでもない。今回のリランの要求はあんたも呑み込んでおくべきだと思う」

 

 

 凛と澄んだシノンの声は心の奥底まで響いた。きっとだけど、シノンはどうやら俺の事を心配してくれているらしい。それにひょっとしたらだけど、もしかしてリランも俺が休まずに戦い続ける奴だと見抜いたうえで……?

 

 

「君にそう言われたんじゃ、断れないな。わかったよ、ノーリランデーを承諾してやる。ただし、あまり攻略が切羽詰ってる時とかはやめてくれよな」

 

 

 俺の許可をもらって、リランは本物の犬のように目を輝かせる。

 

 

《恩に着るぞ、キリト。それと、もう一つあるのだ》

 

「今度は何だよ」

 

《アスナが我を貸してと頼んできたら、断らないでほしい。アスナは思ったよりも甘えん坊で寂しがりなやつでな》

 

 

 リランの提供した情報に思わず驚いてしまう。まさかアスナは攻略に勤しむ事でそんな素性までも隠していたなんて。っていうか、アスナが俺にリランを貸してと言ってきたら、その日はノーリランデー、即ち俺の休暇という事になる。俺の休暇はアスナによって決定されるって事か……?

 

 

「アスナにお前を貸すって……アスナはそんなに信じられる相手なのか」

 

《そうだとも。アスナは悪人ではないし、やましい事を考えているような奴でもない。だからアスナの事は信じても大丈夫だぞ》

 

 

 シノンが再度口を開く。

 

 

「リランが言うなら、そのとおりかもね。ここは一つ、アスナを信じて、リランを貸し出していいようにしたらどうかしら、キリト」

 

「君まで、アスナを信じられるのか」

 

「そもそもリランは火を吐く事が出来る。もしリランがアスナに悪用されるような事があるならば、リランはアスナを火達磨にして殺すと思う。だからアスナにリランを任せても大丈夫でしょうし、それに私も、アスナが悪人だとは思えないわ」

 

 

 俺はそっとアスナの寝顔を覗き込んだ。無邪気でとても穏やかな寝顔と、安心しきっているような寝息。確かに悪人がこんな寝顔をするかと言われたら、首を横に振ってしまうし、何よりアスナは俺に突っかかって来はしたけれど、俺を罠に嵌めたり、騙したりするような事はなかった。

 

 それにアスナもまた、この世界に閉じ込められて心を傷めた人間の一人で、その傷を癒さず、むしろ悪化させながらここまでやってきてしまったような人だ。それがリランによって癒されるならば……貸し出してやってもいいかもしれない。

 

 

「しょうがない。わかったよリラン。時々、アスナのところに行っていいぞ。それで、アスナに呼ばれたら行ってもいい」

 

 

 リランはフッと笑い、頷いた。

 

 

《ありがとう、キリト》

 

「その代り、アスナの事しっかり見てやってくれよ」

 

 

 リランが《あぁ》と答えたその時、リランの凭れ掛かって眠っていたアスナの目が開き、ゆっくりとその身体が動き出した。皆の視線が一斉に集まる中、アスナは何が起きたかわからないような顔をして周囲を見回し始める。

 

 

「あれ……」

 

 

 まるで本当にじっくり眠って目を覚ましたかのようなアスナに、声をかける。

 

 

「おはようございますアスナ姐さん。よく眠れましたか」

 

 

 アスナはぼんやりとした顔でこっちを眺めていたが、すぐに意識がはっきりしたような表情を浮かべて立ち上がった。

 

 

「な、あ、あんた、あんた達は!」

 

 

 シノンが腕組みをしながら苦笑いする。

 

 

「リランの飼い主とその連れよ。ゆっくり休む事が出来たみたいじゃない」

 

 

 アスナは俺とシノンとリランを交互に見まわした後に下を向き、やがて顔を上げたかと思えば、俺に歩み寄ってきた。まさか寝顔を見られた事に起こったのかと思ったその時に、アスナの口が小さく開いた。

 

 

「……貴方の《使い魔》にはすごく助けられた……お礼にご飯作らせて」

 

「はい?」

 

「お礼に、ご飯作らせて頂戴!」

 

 

 



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09:仲直り

「ほんっとに、ごめんなさい、キリト君!」

 

 

 

 俺達はアスナを家に招待し、要求通りアスナに料理を作らせたが、そこで驚くべき出来事に出くわした。アスナの料理スキル熟練度が既に最大値に到達し、カンストしていたのだ。

 

 スキル熟練度は、スキルを使用する度にほんの少しずつ上昇していくようになっており、最大値に達させるには気が遠くなるほどの数のスキルの仕様と時間が必要になる。てっきりアスナの事だから戦闘以外のスキルなんか上げてないって思ってたけど、酔狂にも料理スキル熟練度を上昇させ続け、最大値に到達させていたとは。

 

 俺ですら、片手剣スキルと索敵スキル、武器防御スキルの三つをカンスト、隠蔽スキルを700以上といった戦闘系のカスタマイズにしているのに、アスナは戦闘をこなしながらも料理なんて言う職人スキルに情熱を注ぎこんでいたのだ。馬鹿じゃないのかといいそうになってしまったけれど、何とか言葉を呑み込んで黙った。

 

 そして、どうしてアスナがリランと一緒に居たお礼に料理を作るというのを選んだのか、わかった気がした。料理ならば俺もリランも、そしてシノンも味わう事が出来るから、よい選択だ。

 

 やがてアスナをログハウスに招待し、キッチンに案内したところで、アスナは自分が作れる料理をウインドウに表示し、俺達に見せつけてきた。

 

 料理スキル熟練度最大のアスナの作る料理は本当に色とりどりで、カレーやシチューなどの家庭的な料理から、タコスなどのメキシコ料理、ソーセージを使ったドイツ料理、様々な食材を用いて作る貴族風なフランス料理、高級料理店で目にするようなイタリア料理、果ては蕎麦や寿司や味噌汁などの和食まで、もう万能料理店を開いてもいいんじゃないかと思えるくらいに、メニューもレパートリーも豊富だった。

 

 料理スキルを上げるとここまでできるのかと、シノンはアスナに瞠目しっぱなしだった。

 

 

 俺とシノンとリランの三人は目を丸くしながらアスナの料理メニューを聞き、とりあえず和食を作ってみてくれと注文。承ったアスナは普段シノンが使っているキッチンを一時的に占拠し、非常に慣れた手つきで調理を開始した。

 

 そしてそれから20分も経たないうちに、キッチンのテーブルに座った俺達の前に、見慣れた和食がアスナの手によって2つ運ばれてきた。

 

 三種類の魚の刺身と山葵醤油、豆腐と葱と和布(ワカメ)の味噌汁、白飯、漬物、そして金色の卵焼き。まさに遥か昔から続いてきた日本の食文化の象徴といえるメニューに俺の目は輝き、心の中に懐かしい感じと感動が湧いて出てきた。

 

 

 この世界に閉じ込められてからは、黒パンやシチュー、カレーライスとかこんがり肉とか、そういった西洋のメニューしか食べてこなかったから、こういう完全なる和食の姿を見るのは1年ぶりだ。

 

 ……その横で、「何でそんなに目を輝かせてるのよ」と、SAOに入り込んでまだ間もないシノンが目を半開きにしていたが、それすらも気にならないくらいに、俺はこの和食の姿に感動していた。この感動はきっと、ずっと和食から遠ざけられていた者しかわからないものだ。

 

 

 ――いただきます。両手を合わせて唱えた後に端を取り、アスナの作ってくれた、SAO初の和食の内、刺身に醤油と山葵を付けて口に運ぶ。

 

 山葵のつんとした香りと、魚の脂の味、そして醤油の香ばしい味が、舌と鼻を突き抜けた瞬間、あまりに懐かしい香りと味に思わず泣きそうになった。今まで洋食の味しか感知していなかった味覚センサーが、懐かしき和食の味を感知して震えているように感じた。

 

 このゲームでは基本的に洋食だから、和食を作ろうとするのはとても難しいと聞いていた。いや、そう言っていたのはシノンなのだが、シノンによると、料理のための調味料は素材の配合によって作る事が出来るが、どうやっても洋食用の調味料にしかなってくれないものらしい。

 

 

 だから醤油や山葵といった和食に使う調味料を作るのは無理ではないかと言っていたが、アスナはそれさえも再現してしまっている。

 

 これが料理スキル熟練度カンストのプレイヤーだけが成せるものなのか、そう尋ねると、アスナは答えてくれた。なんでも、この醤油や山葵の味のする調味料は、調味料を作るべく様々な素材を配合し続けた結果、偶然生まれたものらしい。本人も醤油や山葵の味が恋しくなり、無我夢中で配合を続けた結果、生まれてくれた醤油と山葵の味にさぞかし感動したそうだ。

 

 他にも、マヨネーズやウスターソースなど、和食にも洋食にも使える調味料を開発する事に成功し、これらを使った料理を再現する事も出来たそうだ。

 

 

 そんな話を小耳にはさみながら和食を食べ進めていると、その横でシノンが、その調味料の作り方を教えてくれないかと依頼。アスナは快く承り、シノンに様々な調味料の作り方が書かれたメモのコピーを渡した。

 

 これでまた和食が食べられるわよ、そうシノンに言われて、俺の心は躍った。が、それよりも驚きだったのは、あんなに堅苦しかったアスナがやんわりと接してくるようになったという事だ。

 

 

 多分前までのアスナじゃ、こんなふうに料理を作ってくれる事もなかっただろうし、シノンの頼みも引き受けてくれなかっただろう。やはり、閃光のアスナはリランによって死に、元のアスナになったんだと、よくわかった。

 そして、懐かしき和食を堪能し、完食したその時に、アスナは俺にいきなり頭を下げた。

 

 

「ほんっとに、ごめんなさい、キリト君!」

 

「い、いきなりどうしたんだよ」

 

「わたし、君とリランに戦ってほしいって思ってた時、完全に君とリランの気持ちを無視してた。自分の事ばかり、攻略の効率ばかり考えてて、あんなひどい事を言っちゃった……」

 

 

 多分、リランと初めて会った時の事を言っているんだろう。まぁあの時のアスナは様々な柵に身体を縛り付けられ、追い詰められていたんだ。あんな事を言ってしまっても、無理はなかったのかもしれない。

 

 

「大丈夫さ。俺達だってせっかくの攻略のための力を振るわずにここまで来てしまった。俺達が攻略に参加していれば、きっともっと早く上の層まで行けていたはずだ。俺達は攻略をさぼってたようなものだ」

 

「そんな事ないよ。キリト君はリランに心がある事をしっかり理解したうえで、リランに無理させないようにしてた。私はそれを蔑にして、君達に戦え、戦えって……」

 

 

 シノンがテーブルに肘をつく。

 

 

「まぁ確かにあの時のアスナの言動は褒められた物ではなかったわ。だけど、アスナがあぁなってた原因を作ったのは全部外部。あんたは周りの連中に操られていたようなものじゃないの」

 

 

 アスナの目が丸くなり、俺とシノンに交互に向けられる。

 

 

「え、キリト君達もあの時の話を聞いてたの?」

 

 

 思わず二人でびくりとしてしまった。そうだ、あの時は隠蔽スキルを使って、ひっそりこっそり盗み聞きをしていたから……アスナは俺達が聞いていた事を知らないんだった。

 

 

「ごめんアスナ。実はあの時のアスナとリランの会話、俺達も聞いてたんだ」

 

「ど、どうやって? あの時、周りを見ても誰もいなかったし、リラン以外の気配は感じなかったのに」

 

 

 その時に、俺はアスナの欠点を見つけた。アスナは戦闘能力関連のスキルと料理スキルを上げていたけれど、その代わりに索敵スキルや隠蔽スキルを上げたりしていなかったんだ。結果、アスナはあの時の隠蔽スキルを使う俺達を見つける事は出来なかった。

 

 

「隠蔽スキルを使って隠れていたのよ。まさか本当に気付いていなかったなんて」

 

 

 シノンが苦笑いすると、アスナの顔が少し赤くなった。

 

 

「ず、ずるいよ貴方達―!」

 

「だけど、君の本当の気持ちが聞けて良かったよ。どうして俺達の力を使おうとしていたのか、君がどういった経緯であんな行動に出がちだったのか……アスナもかなり辛い目に遭ってたんだな」

 

 

 アスナはきょとんとした後に、俯いた。

 

 

「このゲームがデスゲームだって言われた事と、帰らなきゃ父さんと母さんの期待に応えられないって事、でも父さんと母さんのところには帰りたくないって事と……もう色々あって、わけがわからなくなってた。気が付けば、攻略に赴いたり、攻略の事以外考えられなくなってたりして、もうぐちゃぐちゃだったわ」

 

 

 リランが俺の肩に飛び乗り、顔をアスナに向ける。

 

 

《言っただろう、もう親の期待に必要以上に答える必要はないと。お前の両親はお前に失望しているのではなく、自分の名声が無くなってしまう事に失望しているのだ。それこそ、自分の名声を上げる事が出来るならば、お前そっくりの女性型ロボット(ガイノイド)でもいいわけだ。そんな親に、従う必要などない》

 

 

 アスナは首を横に振った。

 

 

「そうじゃないの、そうじゃないのリラン。父さんは、そんなふうじゃないの」

 

 

 思わず首を傾げる。父さんはそうじゃない?

 

 

「それってどういう事なんだ」

 

「父さんは、私にエリートじゃなくてもいいって言ってくれてるの。でも、それを無理矢理押さえつけてるのが母さんなの。母さん……ものすごくエリート思考で、何でもかんでも縛り付けて……時には父さんさえも……」

 

 

 シノンの顔が曇る。

 

 

「という事は、あんたをあんなふうにして、あんたを混乱させる原因を作ったのはやはりあんたのおかあさんだったのね。話を聞く限りそんな事だろうとは思ってたけれど」

 

「でも、母さんもすごく辛い目に遭ったみたいなのよ。母さんは学者だけど、出身は農家で……親戚が集まる時とか、すごく蔑まれたり、馬鹿にされたりしたみたいなの」

 

 

 アスナが母親の素性すら話し始めた事に思わず驚く。このアインクラッドでは家庭の事などを話したりするのはNGなのだが……多分アスナもずっと心の中に仕舞い込み続けて、話せる相手を探していたに違いない。ここは素性とか家庭の事を話すのはNGだという事はやめて、素直に聞こう。

 

 

「つまり、そういう連中を見返すために、君の母さんは君の事をエリートに?」

 

「多分そうだと思う。アスナがアスナのおかあさんみたいな有名人になれば、アスナを育てたアスナのおかあさんも再評価される。天才を生み出した天才として……もう蔑まれる事も、馬鹿にされる事もなくなる……そう考えてるんじゃないかしら」

 

 

 アスナが「そうなのかもしれない」と答える。

 やはり、アスナの母さんも閃光のアスナみたいに苦しんでいる人なんだ。蔑まれたり、馬鹿にされるのが嫌で、そういう連中を黙らせるためにアスナをエリートに育て上げようとしているんだ。アスナの権利や気持ちを完全に無視して。

 

 

《くだらぬ。アスナはアスナだ……母親の名声を上げるための道具ではないのだぞ》

 

「きっとそういう事も見えなくなってるんだろうな……それこそ、この世界を見れなくなっていたさっきまでのアスナみたいに」

 

「子が子なら、親も親ってところね」

 

 

 アスナが顔を上げて、不安そうな表情を浮かべてリランに声をかける。

 

 

「ねぇリラン。この状況どうにかならないのかな……母さんが苦しんでいるところも見たくないけれど、このままエリートで進むのは、正直嫌」

 

《お前がエリートでいるのが嫌だと思っているのは身を持って理解しているよ。それに、お前はエリートであらねばならないとか言うのは、お前の母親の独り善がりだ。独り善がりは、いつか身を滅ぼしてしまうだろう》

 

 

 ふと頭の中で思考を巡らせる。アスナの母さんの状態はきっと、閃光のアスナと同じような状態だ。蔑まれたくない、馬鹿にされたくないという一心で、アスナをエリートにする事に必死になりすぎて、周りを、娘の事を見る事が出来なくなってしまっている。あの嫌がりようを見るに、アスナはエリートでいる事を心底嫌がっているし、何よりこのままじゃアスナはまた心を擦り減らしてしまう。

 

 それだけじゃない、アスナの母さんだって、そんな事を考えていたら、心を擦り減らしてしまう一方だ。どうにかしてやめさせてやらないと、いつか両者の持たない日が来る。

 

 

「どうにかアスナの母さんを止めないとだな。だけどどうするんだ。周りの意見も聞かないでアスナにそういう事を強いてるって事は、かなり頑固だって思えるぞ」

 

「確かに、母さんは頑固かも……そうそう人の話を聞いたりしないし……」

 

 

 シノンが困ったような表情でリランに顔を向ける。

 

 

「アスナはリランの手でなんとかなった。ナーヴギアがあればこの世界に入り込んで、リランに会う事が出来るから、アスナの母さんをどうにかこの世界に入れ込んで、リランに会わせればうまくいきそうな気がするけれど」

 

「ナーヴギアはもう発売中止で、この世界に入り込む方法はないんだろう。それにリランがこんなふうな形をしている限りは、話を聞いてくれるのも難しいんじゃないか? アスナの母さんは、自分の名声向上のためのアスナをこの世界を通じて失ったわけだからさ」

 

 

 シノンが「そうよねぇ」と言って椅子に大きく寄りかかる。

 だけど確実にアスナの母さんは止めないと駄目だ。アスナの話を聞く限りじゃ、アスナの母さんもいつか壊れてしまう日が来る。

 

 

《だが、お前はもうこの世界を偽り……まぁ偽りの世界ではあるかもしれないが、この世界を感じる事が出来るようにはなったはずだ》

 

 

 アスナは頷き、リランの背中に手を当てる。

 

 

「本当にそのとおりだわ。今日22層を貴方と歩いたけれど、この世界ってここまで輝いているものだったのね。そして貴方はそんなに豊かな心を持つ存在だった」

 

 

 アスナの顔がリランから俺に向け直された。

 

 

「そんなリランと一緒に、貴方はこの世界を生きていたのね、キリト君」

 

 

 確かに俺もこのゲームが始まった時には、この世界なんかただのデータの塊でしかないと思っていたけれど、人の死に直面した事と、リランと出会って一緒に過ごした事で、この世界はもう一つの現実であり、この世界の住人達ーー俺達プレイヤーを含めたそれはこの世界でしっかりと生きている事を実感した。

 

 

「まぁアスナの言ってた事は真実だった。この世界は確かにゲームだし、周りのものだってただのデータの塊でしかないよ」

 

「でも、製作者は言っていたね、このゲームはゲームだけど遊びじゃないって」

 

「そうだ。だからここで死ねば現実でも死ぬことになるし、リランが死ねば、リランと同じ奴は現れない。痛みも感じないし傷を負ったりする事もないけど、疲れるし、こうやって料理を食べて味を感じる事も出来るんだ」

 

 

 シノンが頷く。

 

 

「これはもう生きているのと同じだと言えるわね。同時に、この世界に存在するものを蔑ろにするような事をしてはいけないと感じ取る事が出来るはずよ」

 

 

 アスナはリランの背を撫でつつ、この世界の存在を蔑ろにしていた事を思い出しているように、悲しそうな表情を浮かべる。

 

 

「私はずっと自分の事ばかり考えて攻略に打ち込んでいたわ。私が攻略の鬼だとか、閃光のアスナとかそういうふうに呼ばれてたのはきっと、独り善がりに狂っているように見えていたからなんでしょうね」

 

 

 いや、アスナが攻略の鬼と呼ばれていたのは、アスナがまるで鬼教官の如く攻略を進めていたからで、閃光のアスナって呼ばれてたのは、アスナの剣捌きがあまりにも見事なものだったからであって、別に皮肉や侮蔑の意味はなかったはずだが。

 

 だけど、自分の事ばかり考えて攻略を進めようとする閃光のアスナは先程リランの灼熱ビームを浴びて死んだから、もうどこにもいない。

 

 

「だけど、閃光のアスナは死んだ。アスナはこれからどうしたい?」

 

 

 アスナの顔が夕焼けに染まる窓の外へ向けられた。

 

 

「やっぱりこの世界にいつまでもいるわけにはいかないから、攻略は続ける。だけど今までみたいな超ハイペースとかはやめるし、もっとこの世界を楽しみたいわ。わかってもらうのには時間がかかるかもしれないけど、血盟騎士団のみんなにも、この世界をもっと感じてもらいたいって思ってる」

 

 

 アスナの目からはあの鋭い眼光は消え去り、代わりに穏やかで優しい光が蓄えられていた。声色もどこか柔らかく感じる。もう、アスナは攻略の鬼じゃなくなったんだ。

 そんなアスナを見つめながら、シノンは苦笑いした。

 

 

「だけど、さっきまで攻略の鬼だったアスナが急に穏やかになって帰ってきたら、血盟騎士団の連中もビックリして混乱するでしょうね」

 

「いや、混乱していいんだよ。血盟騎士団は攻略組の中でも強力な存在だったけれど、代わりにどこかぎすぎすしてあまりいい雰囲気とは言えなかったんだ。アスナがこの雰囲気を持ち込んで行けば、血盟騎士団の連中もアスナみたいに明るくなるはずだ」

 

 

 アスナが急に困ったような顔をして言い出す。

 

 

「血盟騎士団の雰囲気をよくする努力はするわ。だけど、わたしこれでも不安な事が結構あるの。ねぇキリト君、あんな事を言った上に、我儘を言うようで本当に悪いんだけど……」

 

 

 その時、俺は先程のリランの話を思い出した。なるほど、これがノーリランデー設立のお願いか。アスナの不安を取り除くべく、俺からリランが離れて一時的にアスナの傍にいる。

 

 確かに今、アスナの心の中は大きく変化した事で新たな不安を産み出しただろう。そこでアスナの心を大きく変化させたリランを傍につけて、セラピーをさせる。

 

 

「リランを貸してほしいんだろう? 話はリランから聞いてるから、アスナが欲しくなった時に言うといいよ。一日くらいリランを貸してやる」

 

「え、リラン、キリト君に話してたの?」

 

 

 リランは頷いて見せる。

 

 

《あぁ。お前が我に寄りかかって眠っている最中に、キリトとシノンに話しておいたし、キリトにもすでに許可を取っておいたのだ。もし我が必要なったら、その時は我はお前の傍へ行こう》

 

 

 アスナはうんと頷いた後に、俺の方へ目を向け直す。

 

 

「でもキリト君はどうするの。リランのいない間は、キリト君の戦力は大幅に下がっちゃうわけだけど……」

 

 

 アスナにノーリランデーの事を話そうとしたその時、シノンが割り込むように言った。

 

 

「リランがあんたのところに行った時は、キリトも攻略を休む事にしたのよ。名付けてノーリランデーってね。リランがいない間はキリトも休暇。キリトはこう見えて無理しながら攻略をしてたからね。休ませてあげなきゃいけないのよ。アスナもキリトにしっかり休んでもらいたいって思ってるなら、週1感覚でノーリランデーをやってあげなさい」

 

 

 アスナは軽く驚いたような顔をした後に、俺に言う。

 

 

「そういえばキリト君はギルドに所属しないでここまでやってきたんだもんね。キリト君の活躍の話はよく小耳にはさんでいたけれど、キリト君はちゃんと休んだりしてたの。休まないで攻略を続けてると、眩暈みたいな症状が出る時があるんだけど」

 

 

 思わずぎくと言ってしまった。リランとシノンと出会ってからはそんな事なくなったけれど、完全なソロで攻略やレベル上げに望んでいた時は、眩暈のような症状をよく起こしていた。――あれって休まなかったまたは休みが足りなかったから起きた事だったのか。

 図星を突かれた俺を見て、シノンが軽く溜息を吐く。

 

 

「キリト……あんたその様子だとほとんど休まないで攻略に望んでたでしょ」

 

「あはは……全く持ってその通りでして……」

 

 

 シノンは少し怒ったような顔をした。

 

 

「キリト、ノーリランデーの時は本気で休みなさい。あんただって周りの人達の希望なんだから、戦闘中に眩暈を起こしてぶっ倒れるなんて事は絶対に避けなさい。というか戦闘中にそんな事になったら死んじゃうでしょうが」

 

 

 頭の中に、眩暈を起こして動けなくなった隙を突かれて敵にやられる瞬間が容易に想像される。確かにそんな死に方は絶対に嫌だ。

 

 

「……わかったよ。休むさ、しっかり休むさ」

 

 

 シノンは俺から顔を逸らし、小さく口を動かす。

 

 

「その約束しっかり守りなさいよ。……っしょに……てあげるから……」

 

 

 最後の部分がよく聞きとれなくて、首を傾げながら聞き返した。

 

 

「え、なに?」

 

「しっかり休みなさいって言ったのよ。あんたはただでさえ休み不足なんだから」

 

 

 そう言って、シノンはぷいとそっぽを向いた。明らかに違ったような気がするけれど、聞いても話してくれなさそうだから、まぁいいや。

 

 

「しかしまぁ、このゲームの製作者はそんな大層な事を言ったのね。『これはゲームであって、遊びではない』なんて……」

 

 

 アスナがきょとんとした様子でシノンの方へ顔を向ける。

 

 

「あれ、シノンも聞いたでしょう。はじまりの街で、開発者が自らこのゲームの事を伝えた時に……」

 

 

 シノンが首を傾げる。

 

 

「え、聞いてないけれど……」

 

 

 そうだ、アスナはシノンがメディキュボイドを使ってここに来た事を知らないんだった。だからシノンはこのゲームに関する知識は浅いし、このゲームで何が起きたかも熟知していない。

 

 

「実はシノンは最初からこの世界にいたわけじゃなくて、途中から入って来たっていうか、そんな感じなんだよ。だから周りのプレイヤーと比べてレベルも低いし、知識も浅い。だけど戦闘のセンスは思ったよりも高いみたいだから、攻略組に加えても問題ないと思うぜ」

 

 

 アスナが「そうだったの!?」と驚くと、シノンは頷いた。

 

 

「本当はこういう事を話すのはマナー違反だけど、私達はアスナの話も聞いてしまったから、これでお相子よ。それに私、記憶が飛んじゃってるのよ」

 

「き、記憶が飛んでる……?」

 

「えぇ。この世界に来た時のせいのなのか……どうしてなのかよくわかっていないけれど、肝心な事を思い出せないでいるのよ。こっちとしては一刻も早く思い出してしまいたいところなんだけど」

 

 

 アスナの顔が悲しげになる。

 

 

「そうだったんだ……そうとも知らずわたしは攻略攻略って……」

 

「だからそんなに自分を責めなくていいって。とにかくシノンのバトル関連のポテンシャルはかなり高めで、周りのプレイヤー達と比べても劣らないくらいだから、明日のボス戦に参加させようと思ってるんだよ。シノン自身も乗り気だしね」

 

 

 アスナはシノンの方へ顔を向ける。

 

 

「本当に大丈夫なの? ボス戦は思ったより危険なものなのよ」

 

 

 シノンがフッと笑う。

 

 

「危険を怖がっていたら、この城の突破なんて出来ないわ。明日のボス戦から逃げるつもりないから、よろしく」

 

「でも、シノンは初めてのボス戦だから、誰かにフォローしてもらいながら戦った方が……」

 

 

 俺が二人の間に入るように言う。

 

 

「そこで俺とリランが入るんだよ。俺とリランでシノンをフォローしつつ戦うから、問題ないよ。アスナはアスナの事を考えて戦ってくれ」

 

 

 アスナは小さく「え」と言った後に俯いて、やがて顔を上げた。

 

 

「そっか……そうなんだね。わかったわ。明日のボス戦はよろしくね」

 

 

 そう言ってアスナは立ち上がり、窓の外の方へ再度顔を向けた。

 

 

「さてと、そろそろわたしは帰るとしますか。今度はわたしの家に来て頂戴ね、キリト君にシノンにリラン」

 

 

 続いて俺とシノンも立ち上がる。

 

 

「わかったよ。今度向かうとする」

 

 

 直後、アスナは俺に音無く歩み寄り、耳元で囁くように言った。

 

 

「……色々話してくれたのはリランだったけれど、今までずっとこの世界の事を呼びかけてくれててありがとう、キリト君」

 

 

 思わず目を見開いたそのすぐ後、アスナは俺のところから離れた。驚きながら振り返ると、ログハウスの中にアスナの姿はもう、なかった。いつものメンバー構成に戻ったログハウスの中で、俺は小さく呟く。

 

 

「行っちゃったか……もう少し話がしたかったところなんだけど」

 

 

 シノンが出口の方を見ながら、続けて呟く。

 

 

「でもよかったじゃないの。アスナが本来のアスナに戻れて。これでもうあんたに突っかかって来る事はなくなったと思うわ」

 

 

 その時、俺はシノンの声色に違和感を感じた。シノンは感情の強い娘なのか、苛立ったり怒ったり、悲しんだり笑ったりすると声色が変わる。――今のシノンの声色は、苛立っている時のものによく似ていた。

 

 

「シノン、怒ってるのか?」

 

 

 シノンは首を横に振った。

 

 

「別に怒ってないわよ。怒ってなんか、いないわよ。アスナに怒る要素なんか、どこにもないんだから……」

 

 

 明らかに声は怒っていた。しかし聞いたところで何も答えそうにないので、俺はシノンに深入りするのを止めた。でも何で怒っていたんだろう、シノンは。

 




アスナとの和解、柔らかくなったアスナのせいで血盟騎士団の混乱。
そして次回、ボス戦及び急展開。


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10:少女を連れて ―53層主との戦い―

 俺達はアスナと和解した翌日に、53層のボス部屋へ向かった。攻略組に狩られたせいなのか、ほとんど敵モンスターのいない53層を通り抜けてボス部屋に来てみれば、ディアベル達聖竜連合、アスナ率いる血盟騎士団、他の攻略組小規模ギルドの皆が集まっていた。

 

 意外にもそこにクライン率いる風林火山、ボス戦に頻繁に参加してくれているエギルの姿はない。クラインは今回のボス戦が乗り気じゃなかったのか、エギルは店の経営で忙しくて来れなかったんだろう、多分。

 

 

 そして心を開いたアスナが率いる血盟騎士団、ディアベル率いる聖竜連合の皆はじっとアスナを見たままぽかんとしてしまっていた。まるでアイドルのように視線を集めるアスナの方へ目を向けてみれば、少し険しい顔をしてはいたが、この前みたいな鋭い眼光はなく、昨日のような穏やかで柔らかい光が浮かんでいる。何より、雰囲気も非常に柔らかく、優しく感じられる。

 

 

「皆さん、今日は集まってくださって本当にありがとうございます。今回もこれまでと同じ、レイドを組むセオリーでボスを討伐します。なぉ、ボスの攻撃を受けて負傷した場合はボスの隙を見て回復結晶やポーションを使い、体力の回復を優先してください」

 

 

 いつもどおりな作戦概要を説明した後に、アスナは周りの連中を見回す。

 

 

「なお、命の危機に瀕した場合は、転移結晶での素早い脱出をお願いします。逃げ出したり、撤退する事になったとしても、わたしは責めません」

 

 

 アスナの言葉に一同は驚いたような声を上げ、今までアスナの言葉を聞いてきたであろうディアベルが口出しをした。

 

 

「ま、待ってくれアスナさん。貴方は今まで逃げ出すのは許さないとか言ってませんでしたっけ? 戦闘中に転移結晶を使うなんて論外だとか言って……」

 

 

 アスナは「あっ」と小さく言った後に拳を握りしめ、その場で頭を下げて叫ぶように言った。

 

 

「みんな、今までごめんなさい!」

 

 

 ディアベルを含めた全てのギルド団員が、アスナの言葉に目を見開く。

 アスナは頭を下げたまま続ける。

 

 

「わたしは今まで無茶な作戦を立てたりして、みんなを危険に晒していました。あれらはすべて、わたしの独り善がりでした。ですからもう、あんな作戦を立てたりするのはやめます」

 

 

 アスナは頭を上げて、きょとんとしているギルド団員達に訴えるように言った。

 

 

「命あっての物種です。だからみなさん、これからは命を軽快に擲つような真似はやめて、危なくなったら脱出してください。ボス部屋は結晶無効エリアではないので、大丈夫です。わたし達のやるべき事はこのアインクラッドを攻略する事ですが、最優先すべきは生きて現実に帰る事です」

 

 

 鬼教官がいきなり優しくなったような、天変地異に等しきアスナの変化に、一同の驚きは止まらなかったが、やがて「どうしたんだアスナ様」「何だか優しくなったぞ」「俺こっちの方がいいなぁ」などの声が上がり始めた。

 

 

「これからボス戦へ挑みますが、わたしから言える事はただ一つだけ……と言っても聖竜連合のディアベルさんと同じ事ですが……」

 

 

 アスナは力強く、声を迷宮区へ響き渡らせた。

 

 

「勝って、生きて帰りましょう! 次の戦いも生き残る事を、約束してください! どうか、お願いします!」

 

 

 アスナがもう一度頭を下げると、ギルド団員達は静まり返った。重いんだか重くないんだかわからないような沈黙が辺りを覆ったが、やがてその沈黙を、一つの拍手が破った。

 

 拍手をしていたのは血盟騎士団の団員の一人だった。しかし、すぐにその団員に続くように周りの血盟騎士団、ディアベルを含めた聖竜連合のみんな、小規模ギルドの者達が続々と拍手を始め、ボス部屋の前は乾いた拍手喝采の音色に包み込まれた。――みんな、アスナの考えに賛同してくれたんだ。雰囲気も、これまで見たいなギスギスした感じはなくなり、暖かくて力強い物へと変わったような気がした。

 

 その様子を見たシノンが、安堵したように声を出す。

 

 

「届いたわね、アスナの気持ち」

 

「あぁ。変化した副団長を、皆は受けて入れてくれたんだな。というか、今までがあまり受け入れたいと思えない形だったのかもな」

 

 

 俺の言葉を聞いた後に、隣にいるリランが溜息を吐くように言う。

 

 

《なんとかなったか。血盟騎士団の連中に爪弾きにされるのではないかと思っていたのだが、そうならなくてよかったよ》

 

「お前、そんな事を心配してたのかよ」

 

《当たり前だ。人間は変化に弱くて、急に変化したものには拒絶反応を見せるのが普通だ。アスナの事も急な変化ととらえて拒絶すると思っていたのだが……》

 

 

 シノンがふふんと笑む。

 

 

「そんなに心配しなければならないような人じゃないわよ、アスナは。これまでやって来た事を反省して、これからはもっといい方法を取っていくって言っておけば、大抵の人は呑み込んでしまうものよ。アスナみたいに本来は、いい雰囲気の人なら尚更ね」

 

 

 確かにアスナが生来持っている雰囲気や感じは優しく、柔らかく、何より暖かい。あの雰囲気を受け入れたくないと言い出す人間はそうそう居ないだろう。血盟騎士団や周りのギルド連中の反応は当然と言えるものなのかもしれない。

 

 

「さてと、そろそろボス戦だけど、シノン、ボス戦の概要はわかるか?」

 

「だいたいわかるわ。でも、リランはボス戦に入ると縮んでしまって、大幅に弱体化するんでしょ。そしてボス戦中にリランの姿を戻すには、あんたがボスに攻撃を仕掛けてゲージを溜める」

 

「そうそう。リランが元に戻り、俺がその背に跨った状態を人竜一体っていうんだけど、どうやらゲージを溜めればボス戦の間ずっと人竜一体をやっていられるわけじゃないみたいなんだ」

 

 

 これはあの巨像と戦った時に気付いたんだけれど、人竜一体ゲージを溜め込んで最大にし、人竜一体になった時から、ゲージは徐々に減っていた。今までプレイしてきたゲームのセオリーから考えれば、このゲージが空になるとリランとの人竜一体は解除されるんだろう。

 

 この前の戦いはゲージが空になる前に倒したからそうはならなかったんだろうけれど……それならば人竜一体をやっている間にボスを極力弱らせる、または倒すまで持っていくのが、ボス戦時の鍵になるだろうな。

 

 そんな事を考えていると、シノンが呆れたような様子で言う。

 

 

「流石に無制限に使えるわけじゃないのね。変なところで手が込んでるって言うか」

 

「全くだ。開発スタッフ達がちゃんとしたゲーマーでもあった事がよくわかるよ」

 

《何にせよ人竜一体は無制限に使えるものではないという事か。だとすると、迅速にゲージを溜めて解放し、人竜一体中も迅速に行動し、ボスを弱らせる事がボス戦クリアの鍵となりそうだな》

 

 

 そうだ。ゲージを溜めるには結局俺が攻撃をしなきゃいけないから、ボスの出方を伺い、行動パターンを読んで一気に攻撃を仕掛ける……ボスの動きを極力読む戦い方をしなきゃいけなさそうだな。

 

 

「敵の動きを読むのは得意だから、なんとかなりそうだが……問題はシノンだな。シノンがどこまで戦ってくれるか、またはどこまで戦えるか」

 

 

 シノンの顔に小さな怒りが浮かぶ。

 

 

「馬鹿にしないで頂戴。私だってしっかり戦えるんだから。他人の事よりも、あんたは自分の心配を優先しなさい。あんたは人竜一体っていう他の人じゃ出来ないような事が出来るんだから、あんたは間違いなくみんなの切り札よ」

 

 

 確かに俺とリランの人竜一体は他のプレイヤーには出来ない事だし、前のボス戦ではクォーターポイントであるにもかかわらず、ボスを一気に弱らせる事が出来た。人竜一体は間違いなくプレイヤー達がボスモンスターを圧倒できる最後の切り札のようなものだ。

 

 

「そういうけど、リランは大丈夫なのか。人竜一体は主にお前が力を振るうわけだから、お前に無理をさせる事になるかも……」

 

 

 リランは首を横に振り、微笑みを顔に浮かべた。

 

 

《大丈夫だ。我の事よりも、お前は他の者達の事を、そしてシノンの事を最優先に考えろ。お前のボス戦での役割はプレイヤー達を守り、死亡者を極力減らし、プレイヤー達を無事に現実とやらに帰してやる事であろう。我の事を気にしてくれるのは嬉しいが、そのエネルギーは他の者達へ向けろ》

 

 

 リランの微笑みを見ながら《声》を聞いていると、身体の中が少しずつ暖かくなっていくのを感じた。そうだ、俺はもう誰にも死んでもらいたくないし、誰かが死ぬ瞬間も見たくない。それを防ぐには、俺とリランの力を最大限に振り絞り、みんなを守りつつ戦うしかない。

 

 

「そうだったな。今回のボス戦も頼んだぜ、相棒」

 

《任せろ》

 

 

 リランの顔はボス部屋へと向けられたが、その姿はとても頼もしく感じられた。

 今回はリランを加えてから2度目のボス戦、シノンに至っては初めてのボス戦だ。何が起きてもいいように、覚悟して臨まなければ。

 

 周りの一同が武器を抜くと同時に、アスナとディアベルがボス部屋の扉を開いた。ごごごという大きな音と振動と共に巨大な石扉が開かれ、53層主への道が開かれるや否、アスナは細剣を、ディアベルは片手剣と盾を引き抜き、叫んだ。

 

 

「全軍突撃!!」

 

「交戦開始だ!!」

 

 

 二人の号令に「おぉぉー!!」と声を張り上げ、その場に集まるすべてのギルド団員、竜を連れた俺達は、洪水のようにボス部屋へと流れ込んだ。ボス部屋に入り込んだ瞬間に、大きなドラゴンだったリランの姿が圏内にいる時の小竜へ変化する。

 

 そして、俺達の目の前には、ほぼ全身を銀色の装甲に包み込み、白銀に輝く大剣を手に持った、青色の目で、全長5メートルはありそうな、巨大な人狼が立ち塞がった。

 

 一同が身構えた直後、人狼の頭の上に3本のゲージと名前が表示された。《Wolfang_The_WereWolfload(ヴォルファング・ザ・ウェアウルフロード)》、ウェアウルフ達のボスであり、ここ53層のボスだ。

 

 

「人狼か……リランと同じだな」

 

 

 肩に乗る小さな狼竜は悪態を呟く。

 

 

《貴様など我の足元にも及ばぬわ。さぁ、やるぞキリト!》

 

 

 同族嫌悪なのか、自信満々に言うけど、結局俺が攻撃しないとリランは元に戻れないんだが。

 そう言おうとしたその時に、シノンが少し驚いたように言った。

 

 

「……あれがボスモンスターなの? 思ってたのとなんか違う」

 

「思ってたのって……君はボスモンスターを何だと思ってたんだ」

 

「てっきり見ただけでこっちを圧倒してくるような、独特な見た目をしているんじゃないかと思ってた。見当違いだったみたいね」

 

「はは、そんなのが毎回ボス戦に出てきてたら、今頃俺達誰も生きてないって」

 

 

 思わずシノンに苦笑いした直後、巨大な人狼はその口を開けて、高らかに咆哮した。その声は本物の狼の遠吠えに近かったが、リランの咆哮や、リランだけが使えるであろう、モンスター、プレイヤー、その他オブジェクトの動きを完全に封じる『音無し声』を聞いた後の俺からすれば迫力不足に感じられた。

 

 そして俺は、咄嗟にこれまで戦ってきたモンスター達の事を思い出す。

 人狼の持つあの武器は大剣。使うスキルは両手剣スキルだと推測できるが、同時に少しだけ厄介だ。両手剣スキルは片手剣スキルをカンストさせる事によって出現させる事が出来るレアスキルだが、レアスキルなりの特徴を持っている。――ソードスキルを放つ度に、己を強化する特殊効果(バフ)が同時に発生する点と、ソードスキルはどれも範囲攻撃かつ高火力であるという点だ。

 

 

 特殊効果スキルは俺達も使う事が出来るけれど、両手剣ソードスキルは発動と同時に特殊効果も発生するようになっている。どんな特殊効果が発生するのかはソードスキルによって異なっているが、大体は自分自身を大幅に強化するものがほとんどだ。

 

 それに俺達が特殊効果スキルを発動させる時には、必ずと言っていいほど硬直が発生するのだけど、両手剣はソードスキルを放つだけで特殊効果が付与され、硬直はソードスキルだけで済む。

 

 

 ソードスキルの発動によって自信を強化する力を持つ両手剣使いの人狼。あの巨像と比べたらどうってこないかもしれないけれど、厄介な相手である事に変わりはない。幸い特殊効果は《HPバー》の上部に表示されるようになっているから、何があいつに付与されているか理解できるけれど、用心して戦わない手はない。

 

 

「両手剣使いだ! 気を付けろ、自分を強化する効果を持つソードスキルと範囲攻撃を飛ばしてくるぞ!」

 

 

 俺が考えていた事を、既にディアベルが皆に号令していた。

 第1層の時から、ディアベルは常に相手の動きを呼んだり、剣を持つ敵が放つソードスキル、その特性についての調査や研究を怠らなかった。今回もまた、俺達が少し休んでいた間に情報を収集し、特性を理解し、作戦を立てていたのだろう。その姿はまるで、部下を思いつつ困難に立ち向かう優秀な司令官。

 

 そしてその声を受けた聖竜連合の皆は、両手剣ソードスキルを使うであろう人狼に対応できる布陣を瞬く間に組み、戦闘体勢を取った。まるで機械の流れ作業のような聖竜連合の立ち回りに、ディアベルの指揮力と作戦の綿密さが50層の時よりも上昇している事が一瞬でわかる。

 

 その声に続くように、アスナの方からも声が上がる。

 

 

「相手は両手剣使いです。範囲攻撃に気を付けて、常に後退できるようにしておいてください! 攻撃を受けたら後退し、体力ゲージに注意してください! 体力ゲージが危なくなったら後衛と交替し回復、回復アイテムは沢山持っていると思いますが、体力ゲージが本当に危なくなったり、回復が追い付かなくなった場合は転移結晶を使って脱出してください!」

 

 

 嫌がりながらやってはいたけれど、流石は血盟騎士団を率いる副団長。ディアベルにも劣らない適切な指示で、白と赤を基調とした戦闘服や鎧を身に纏った騎士達はディアベル達のそれとは違う陣形を組み立てて、人狼からの攻撃に備え始めた。

 

 しかも騎士達の装備は片手剣や細剣だけではなく、槍や両手斧、片手棍、人狼と同じ両手剣まであるので、様々な攻撃を仕掛ける事も、そして人狼からの攻撃にも対応できそうだ。攻略速度よりもプレイヤー達の生存率を上げる事を優先するようになったようだ、アスナは。

 

 アスナとディアベルの指示を受けたプレイヤー達が行動を開始した直後、アスナがようやくこちらに顔を向けて口を開いた。

 

 

「キリト君とシノン、リランは遊撃! モンスターの隙を突いて攻撃を繰り返して!」

 

 

 ようやく飛んできたアスナの真っ当な指示。

 確かに今回は前衛と後衛がしっかりと別れているため、どちらかに混ざって攻撃を仕掛けるよりも、完全に独立して行動した方が戦略的にもよさそうだ。だが、結局前衛が既に攻撃を開始しているため、前衛に混ざって戦う事になるだろう。

 

 そしてピンチになったら、すぐさま後衛と交代して回復する――遊撃と言ってもアスナとディアベルの率いるギルド団員の前衛部隊と同じ行動だ。

 

 

「わかった。シノン、隙を見て攻撃するぞ!」

 

 

 シノンが頷いたのを確認して短剣を引き抜いたのを確認した後に、俺は背中の鞘からすっかり愛用の剣となっている《エリュシデータ》を抜き、シノンと並んで人狼へと走り込んだ。俺達が前衛部隊の背後に辿り着いた直後、人狼の大剣は水色の光を宿し、その刹那に人狼は身体ごと大剣を二度振り回して、集まっていたプレイヤー達を一気に吹っ飛ばした。

 

 

 主に敵に包囲を打ち破る際に使う事を勧められている、身体を回しつつ全方位を薙ぎ払う両手剣ソードスキル、《ブラスト》。人狼は両手剣を使うプレイヤーと同じく、敵の包囲を破るために使ったわけだが、吹っ飛ばされたプレイヤー達の体力ゲージは10分の6くらいの位置まで減ったところで止まった。

 

 クォーターポイントではないためなのか、さほど攻撃力が高いわけでもないらしい。そして、ソードスキルを放った代償の硬直を受けて、人狼の動きは止まる。

 

 

「隙だらけだ!」

 

 

 俺とシノン、攻撃を回避したのであろう血盟騎士団の連中は一斉に人狼の元へ向かい、目を泳がせて人狼の、鎧に守られていない部分を探り当てる。鎧は人狼の全身を包み込んでいて、一見どこにも薄い部分が無いように見えたが、丁度足と腕、腰といったよく動くの関節の後ろに、動きを阻害しないための鎧に守られていない薄い部分があった。ここが、こいつの弱点だ!

 

 

「みんな、装甲の薄い部分を突け! 関節の後ろ側だ!」

 

 

 アスナやディアベルを意識して叫ぶと、俺に付いてきた者達の狙いは人狼の鎧のない部分に向けられた。直後に、皆の武器は一斉に光を宿して、それぞれの高火力ソードスキルを人狼の弱点へ放つ。度重なる衝撃と斬撃。切断、打撃、刺突の三つからなる異なる属性攻撃を鎧で守っていない部分に受けた人狼は痛みを感じているかのような悲鳴を上げ、命の残量である《HPバー》の残量を大幅に減らした。

 

 やはりここが弱点のようだ――そう思った瞬間に人狼は体勢を立て直して両手剣に水色の光を宿らせ、素早く振り上げた後に、上段斬り下ろし攻撃を放った。両手剣ソードスキル《アバランシュ》……高い火力を持つがブラストと比べて威力も攻撃範囲も狭いソードスキルだ。

 

 

 恐らく弱点を攻撃された事で憤怒し、思わず放ったようなものだったのだろう。その証拠に人狼の放ったソードスキルを受ける直前で全員が防御体勢を取って凌ぎ切り、俺達は素早く後退した。体力の方に目を向ければ、全くと言っていいほどゲージが減っていない……丁度ジャストガードしたと言ったところか。俺達の方は完全に無傷だ。

 

 そしてまた、人狼はソードスキル発動による隙を俺達に見せつけた。せっかく作ってくれた隙を使わない手はない――そう思いながら俺は人狼の懐に転がり込み、弱点になっている装甲の薄い部分目掛けてエリュシデータに光を宿らせる。

 

 

「せやぁぁッ!!」

 

 

 獣の咆哮のような声を上げながら、剣を横方向から思い切り人狼の弱点へ叩き付け、そのまま斬り抜ける。範囲攻撃に分類される水平斬りソードスキル《ホリゾンタル》の炸裂を受けて人狼は大きくその姿勢を崩し、その場に跪いた。すかさず、俺は背後を向いて呼びかける。

 

 

「シノン、スイッチ!」

 

 

 その声が軽く響いた直後、俺の隣をびゅんっと人影が駆け抜けて行った。俺と一緒に戦う事を選んでくれたシノンであり、その手に握られている短剣は蒼い光をその刀身に宿している。

 

 まるで忍者のような速度でシノンは人狼の弱点付近に辿り着き、鋭い声を上げながら、短剣を人狼の関節の背後へ突き刺し、そのまま引き裂くように抜く。鎧の間を突いて防御力ダウンのマイナス効果を相手に付与する短剣ソードスキル《アーマー・ピアス》だ。

しかもソードスキルが直撃したのは鎧の薄い部分――本当に名前通りの攻撃になっていた。

 

 

 更に今の攻撃はクリーンヒットしたようで、人狼の《HPバー》は目に見えて減っており、早くも1本目が既に消滅していた。残すは2本。こっちはアスナとディアベルもいるパーティだ、負ける様子はない。

 

 一方、俺自身の《HPバー》の下にある人竜一体ゲージに目を向けてみれば、まだ10分の1くらいしか溜まっていなかった。恐らく俺があまり攻撃していないのが原因なのだろうけれど、これじゃあ溜まりきる前にこの人狼が力尽きる。

 

 かといって俺一人に攻撃させてくれと言って周りの連中が聞いてくれるわけがないし、アスナとディアベルが「自殺する気か!」と怒るだけだ。リランには悪いけれど、今回は人竜一体せずに倒す。

 

 頭の中で考えていると、アスナが細剣を構えて走り出し、シノンに呼びかけた。

 

 

「シノン、スイッチするわよ! 下がって!」

 

 

 アスナが近付き、スイッチの号令をかけたが、シノンはその場から動かずに再度身構えた。短剣には橙色の光が宿されていて、次にシノンは光を纏う短剣を力強く振るった。(むげんだい)を描くように敵を切り裂く、5連続攻撃ソードスキル《インフィニット》が人狼の弱点に再度直撃し、《HPバー》が目に見えて減少する。そしてシノンはソードスキルを発動させた代償として硬直するが、スイッチの一言も口にしない。

 

 いったい何をやっているのか、どうするつもりなのかと思ったその時、シノンの考えている事がわかったような気がして、胸の中に冷たい風が吹いてきたような錯覚を感じた。シノンは何でも自分一人でやろうとするような、危なっかしい部分がある娘だなとは思っていたが、実際のシノンは俺が思っている以上に危ないものだった。

 

 シノンは今、あのまま一人で攻撃を続けて、ボスを倒すつもりだ。

 

 

 勿論戦闘に関するポテンシャルが高いとはいえ、まだレベルが若干低いシノンにそんな事が出来るわけがないし、何よりもうすぐ人狼の体勢が建て直されるはず。急いでシノンを逃がさなければ、人狼のカウンターの直撃を受ける事になる――その時の光景が安易に想像出来て、悪寒が背中を突き抜けた。

 

 思わずシノンに呼びかけようとした次の瞬間に、人狼が体勢を立て直し、両手剣を構えた。高らかに振り上げられた人狼の両手剣は水色の光を宿し、先程から痛い攻撃を仕掛けてくるシノンに向けられて勢いよく振り下ろされた。

 

 

 ついさっきプレイヤー達に防がれ、または回避されてほぼ不発に終わった《アバランシュ》が、逃げ遅れたシノンに炸裂した。人狼の刃が直撃した瞬間に、シノンは防御態勢を取ったようだったが、人狼の持つ巨大な剣の前では、シノンの小さな剣による防御など紙に等しく、脆く崩れ去った。

 

 

「シノンッ!!」

 

 

 人狼の両手剣ソードスキルを受けたシノンの身体はまるで風に吹かれた紙のように大きく吹っ飛ばされ、宙を舞った。俺は咄嗟に剣を仕舞い込んでシノンが落下するであろう地点へと急ぎ、落ちてきたシノンを抱き止めるが、抱き止めた時にシノンは何も言わなかった。

 

 

 人狼の刃をその身に受けたシノンのHPバーはその残量を大幅に減らしており、色は危険を意味する赤に変色していた。人狼の弱点に攻撃をクリーンヒットさせたときのように、シノンもまたクリーンヒットをもらってしまったようだ。

 

 しかも、ダメージを受けた部分に表示される赤いエフェクトが頭に集中しているのが確認できるため、運悪く頭に攻撃をもらってしまい、衝撃と痛みに似た不快感を思いきり強く受けて、気を失ったようだ。それでも死んではいないため、当たり所はよかった方らしい。

 

 

 シノンが攻撃を続けた事の影響か、人狼は怒り狂い、周りにいるプレイヤー達に片っ端から攻撃を仕掛けるようになっていた。プレイヤー達は迫り来る人狼の剣を立てや武器で防御したり、死に物狂いで回避行動を続けているが、いくら高レベルの攻略組の連中でも相手は高火力が自慢である両手剣スキル、立て続けに攻撃されたら一溜りもないはず。このままじゃ、死人が出てしまう――!

 

 

 この状況を覆すにはどうすればいいのか。俺がリランに乗り込んで、モンスター同士の決闘を繰り広げる、『人竜一体』という一発逆転の切り札が俺達には残されているが、果たしてあの人狼の猛攻を潜り抜けて攻撃を続けて人竜一体ゲージを溜め込む事が出来るのか。

 

 クォーターポイントの時のボスほど恐ろしくはないけれど、それでもあいつの攻撃を立て続けに受けたら、それこそクォーターポイントのボスに攻撃されるくらいのダメージを追い、やられてしまう。どうにかして、あの猛攻を潜り抜けるか、または動きを止めるかをしないと。

 

 

 そのためには、誰かにあの人狼を引きつけてもらう必要がある。ここにはアスナもディアベルもいる。彼女達は攻略組の中でも群を抜いて強いプレイヤーであり、レベルが俺と同じくらいにまで迫っているようなプレイヤーだ。一か八か、彼女達に人狼を引き付けてもらい、その隙を突いて俺が攻撃を行い、『人竜一体』を発動させる。

 

 

「アスナ、ディアベル! 頼む、ちょっとの間だけでいいからその狼を引き付けてくれ!」

 

 

 アスナとディアベルは「わかった!」「任せてくれ!」と言って周囲のプレイヤー達に声掛けし、5人一組の簡易パーティを即席で作り上げて人狼を攻撃。怒りを誘って俺達から完全に狙いを逸らさせてくれた。その隙に俺は近くにいる3人のプレイヤーに俺が離れている間、気絶しているシノンを守ってくれと指示。

 

 3人の了解を得ると、俺は大きく後退してシノンを寝かせ、応急処置アイテムである回復結晶をシノンに向けて使用。シノンの《HPバー》がその量を戻し、緑になるまで戻ったのを確認したところで、安堵を抱きながら立ち上がった。その直後に再度剣を抜き、ディアベルとアスナのチームを狙う事に夢中になっている人狼の背後目掛けて地面を蹴り、一気に人狼へ接近する。

 

 

 そして人狼のすぐ傍にまで辿り着いたところで、剣に光を宿らせないまま人狼の足関節の後ろを斬り付けた。ソードスキルを使っては、硬直を受けて隙を晒してしまうえに、遅延(タイムラグ)を作ってしまう。今は攻撃を当てて、とにかく攻撃を当てて、人竜一体ゲージを溜め込む事だけに集中するんだ。そして、リランを元の姿に戻し、一気に形勢逆転する!

 

 

「はああああああッ!!」

 

 

 早く、もっと早く――!

 心の中で叫びながら、いつもの何倍も速度で剣を繰り出す。ソードスキルを使わずに攻撃を放っているためなのか、脳の回路が灼き切れそうになるけど、構うもんか。こいつはシノンにあれだけの重傷を負わせたんだ。リランと同じくこの世界に生きている存在だとしても、許せない!

 

 上、右、左、右下、左上、突き。何も考えず、ただ斬る事だけに身と心を任せていると、頭の中が燃えているように熱くなり、剣先がまるで閃光のようになって、目視できなくなった。しかし、人竜一体ゲージがとんでもない速度で上昇しているのが確認できたため、攻撃がちゃんと当たっている事だけはわかった。

 

 きっと、フレーム単位で人狼に攻撃が炸裂しているのだろう――普通のプレイヤーならば目玉が飛び出してしまいそうなくらいに驚きそうな事だけど、それさえも俺はどうでもよかった。

 

 

 まだ遅い、もっと早くだ、脳が焼き切れたっていい――心の中で咆哮しながら剣を繰り出し続けていると、自らの命の残量を視覚化したものが表示されている下が紅く光り輝いた。人竜一体ゲージが最大まで溜まり、狼竜が元の姿に戻れるようになった事を告げる合図だ。

 

 その時に俺は人狼への攻撃を停止し、思い切り地面を蹴り上げて後方へ下がったが、人狼は狙いを俺へ戻し、怒りに身を任せて両手剣で斬りかかってきた――が、つい今まで剣先が閃光のように見えていた俺には、まるでスローモーションで動いているかのよう遅く見えた。

 

 

「うるせえよ」

 

 

 ゆっくりと迫ってきた大剣に軽く剣を振るい、その剣先にそっと触れた瞬間、火花のエフェクトと金属同士は衝突したような音が散って、人狼の大剣は全く違う方向へ急加速し、そのまま地面に激突した。プレイヤーの姿のない地面は大きく砕けて、土煙のエフェクトが舞い、人狼の動きはほぼ完全に静止する。

 

 

「リラン――――――ッ!!!」

 

 

 俺の呼び声に答えるかのごとく、俺の背後で強い閃光が起こり、次の瞬間に俺と人狼の間に白き甲殻と毛に身を包んだ、額から生える剣が特徴的な狼竜がその姿を現した。ようやく元の姿に戻れたことを歓喜するかの如く、狼竜リランが咆哮すると、俺は咄嗟にジャンプしてその背に着地し、跨り、片手に剣を、片手にリランの剛毛を握る。

 

 人が竜の背に飛び乗り、一体の生物のようになって戦う『人竜一体』。周りの連中はモンスターの背にプレイヤーが乗っているというこれまで見た事が無かったような光景に唖然としていたが、もうそんな事さえもどうでもいい。今はこいつを、倒す!

 

 

「やるぞリラン!」

 

《任せろ!》

 

 

 リランが咆哮しなおした瞬間に、人狼も同じように方向でこちらを牽制してきたが、リランは無視。身体に力を込めて奥底から灼熱を昇らせ、三回火球として発射する。ドラゴンなら基本的に持っている、火炎弾ブレス攻撃。

 

 三つの火球の接近に驚いた人狼はその場で剣を立てて防御姿勢に入ったが、リランの発射した火球は人狼の剣に触れた瞬間に炸裂し、大爆発を引き起こした。爆炎と衝撃波のエフェクトがボス部屋内を明るく照らし、人狼の近くにいたプレイヤー達は一気に人狼から離れる。

 

 多分リランの攻撃に巻き込まれないようにと思って離れたんだろうけど、そのおかげで、俺とリランと人狼の一騎打ちに等しい状況が丁度良く作り出された。これなら心を置きなく暴れられる!

 

 

 その思いを感じ取ったのか、リランは力強く吼えて地面を蹴り上げ、人狼に勢いよく飛びかかった。轟音が耳に襲い掛かり、身体の下でリランの筋肉が鉄のように固くなる。完全にリランが交戦体勢に入った証拠だ。

 

 次の瞬間、リランはその鋭い爪で人狼の鎧に斬りかかった。が、人狼の鎧はリランの爪よりも堅かったようで、ガキンという金属音と共に弾かれた。まさか、人狼の鎧はリランの爪を超える強固さを持っているのか。

 

 

 いや、リランの爪は魔剣聖剣クラスの切れ味を誇っているから、人狼の鎧ごときに負けるはずはない。恐らく回数か威力が足りてないんだ。それに今まで人狼の弱点を狙って攻撃を続けていたから忘れていたけれど、まだ人狼の破壊可能部位を見つけていない。

 

 

(きっと……!)

 

 

 恐らくだが、人狼の破壊可能部位はこの鎧だ。この鎧にも耐久値が設定されていて、それをゼロにする事によってこの鎧を剥がせるようになっているはず。そうでなきゃ、こいつの鎧の防御力はゲームバランスを崩しているものになる。

 

 

「リラン、ブレス攻撃をもう一度だ! 今度は火球じゃなくてビームで!」

 

 

 号令を受けたリランは再び息を大きく吸い込み、やがて吸い込んだ息を叩き付けるように人狼へ放った。同時にリランの身体の奥から灼熱のビームブレスが迸り、ほぼゼロ距離で人狼の鎧に直撃した。

 

 リランの口と、ブレスの着弾点である鎧から吹き荒ぶ熱風に耐えつつ人狼へ目を向けてみれば、人狼の鎧の上に《HPバー》が出現しており、先程俺が人竜一体ゲージを溜めていたときのような速度で減少して、すぐさまゼロになった。

 

 

 直後、ガラスが割れるような不快音と共に人狼の身体を守っていた鎧はポリゴン片となって消滅。灰色の毛皮に包まれている本体が露出する。――人狼の防御力はほぼゼロになり、全身が弱点となった。

 

 同時に人竜一体ゲージに目を向ければ、残量は半分くらいになっていた。やはり、あまり長続きはしないもののようだ。そして肝心の人狼の体力は既に2本目を消滅させて、赤く変色するくらいにまで減っていた。

 

 多分人竜一体はもうすぐ解除される。それまでに人狼の体力を削りきって残り僅かにし、人竜一体では止めをさせないようになっているため、人竜一体が解除された直後にアスナとディアベルの力を借りて人狼に止めを刺す!

 

 

「ぶちかませリラン! ソードスキルだッ!!」

 

 

 リランは力強く羽ばたいて人狼から一旦離れ、空中で体勢を一瞬で立て直して急降下。風を切り裂きながら頭の剣に強い光を宿すと、そのまま人狼に球接近し、身体を思いきり動かした。

 

 

《ドラゴニックアヴァランチ!!!》

 

 

 リランは身体ごと剣を振り回し、全身弱点となった人狼に斬りかかった。上、右下、左上、下と5回ほど連続でリランは人狼を切り裂き、人狼の悲鳴が周囲に響き渡る。リランの容赦のない攻撃に、人狼のHPバーは本当に瞬く間に減り、やがてあと一撃で止めを刺せるくらいの残量になった。

 

 同時に消費され続けていた人竜一体ゲージの残量が本当にごくわずかになり、間もなくリランの背から振り落とされると思ったところで俺はリランの背中からアスナとディアベルに声をかける。

 

 

「アスナ、ディアベル! 人狼に止めを刺すぞ!」

 

 

 二人への号令をした後に、俺はリランの背から飛び降りて地面に着地。次の瞬間にリランは再び小竜の姿へと戻り、人竜一体ゲージが空になった。そんな事も気にせずに、俺はアスナとディアベルの元へ走り、二人と並んだところで一斉に人狼に向かって走り出す。

 

 直後、人狼は最後の抵抗と言わんばかりに回転斬りソードスキル《ブラスト》を放ち、俺達を吹き飛ばそうとしてきたが、迫り来た両手剣にディアベルが攻撃を仕掛けてパリング、人狼の両手剣を大きく弾き飛ばした。

 

 

 間髪入れずにアスナがディアベルの背後から飛び上がり、人狼に向けて急降下、ソードスキルの発動準備に入って剣を光らせたが、それと同時に俺は地上から人狼の懐へ潜り込み、同じようにソードスキル発動準備に入った。

 

 

「だぁぁぁぁぁッ!!」

 

「はぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 二人同時に咆哮しながらソードスキルを発動させ、刺突と切断の両属性による止めを、人狼に刺した。二つのソードスキルを一度に受けた人狼の《HPバー》はついに消え去り、人狼自身は負けを認めたような咆哮を上げながら地面へ倒れ込む。そして轟音を立てながら地面に激突した瞬間、人狼の身体は水色のシルエットに変わり、すぐさま無数のポリゴン片となって爆散した。

 

 ボス部屋からボスが姿を消すと、辺りを静寂が包み込んだ。が、すぐさま高らかな効果音と共に《Congratulations!!》という文字が浮かび上がり、辺りはボス戦を乗り越えた者達の歓声に包み込まれた。

 

 

 俺はすぐさまマップ画面を開き、この場にいるプレイヤーの数と、戦闘が始まった時のプレイヤーの数を照らし合わせた。――今いるプレイヤーの数は、戦闘が始まった時の数と変わりなかった。死亡者……ゼロ。

 

 

「なんとかなったか……」

 

 

 プレイヤー達が歓声を上げる最中、安堵を感じて溜息を吐くと、アスナとディアベルが慌てて駆け寄ってきた。ボス戦が終わったっていうのに、何を慌てているのかと思った瞬間に、俺は思い出した。

 

 そうだ、シノンは、シノンはどうなったんだろうか。回復結晶を使っておいたからHPをゼロにされた可能性は極力低いはずだけど。

 

 

「シノン、シノンは!?」

 

《シノンならこっちだ》

 

 

 アスナとディアベルのように慌てながら周囲を見回したその時に、頭の中にリランの《声》が聞こえてきた。

 

 そしてその《声》に導かれるままリランを探したところ、ボス部屋の壁側の方に、小さくなったリランと、地面に仰向けになったまま動かないでいるシノンの姿が見えて、俺は咄嗟に駆けつけた。

 

 

「シノン、大丈夫か!?」

 

 

 シノンの身体を抱き上げたが、ぐったりとしたまま目も開けず、何も返さない。HPは安全圏内だけど、気を失ったままのようだ。ここまで深く気絶するという事は、よほど頭に強い衝撃を受けてしまったという事だろうか。まぁ確かにあの人狼はあれでもボスモンスターで、他のモンスターよりも強い固体だから、頭に攻撃を受ければ気絶してしまいそうなものだけど……。

 

 

「なぁリラン、シノンさんは大丈夫なのか。さっき、ボスモンスターの攻撃を諸に頭に受けてたみたいだが……」

 

《体力は安全圏内であるし、状態異常にもかかってない。完全に健康そのものであるが……意識が戻らぬという事は、やはり頭への衝撃によって深く気絶してしまっているという事だろう。何にせよ、いずれ目を覚ます》

 

 

 リランの言葉を受けて俺達は安堵する。攻撃を受けてしまった時のシノンの頭は、赤いエフェクトですごい事になっていたから、もう駄目なんじゃないかと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。だけどあれが現実だったらと考えるとぞっとする。

 

 このゲームはデスゲームだけど、あぁいう事が起きた時だけ、ゲームの中の世界でよかったとつくづく思う事がある。今回も、本当にゲームの世界でよかった。

 

 直後、アスナが提案するように言った。

 

 

「キリト君はこの後すぐに転移門に行って、シノンと一緒に22層に帰った方がいいわ。22層の家の中なら、安心してシノンを寝かせられると思うし」

 

 

 確かにシノンをこのままここで寝かせておくのも、精神衛生上あまりよくなさそうだ。それに、シノンが気絶する前に取った行動の理由も、そしてシノンが頭に攻撃を受けて何かしらの悪影響を受けていないかも気になる。

 

 

 しかもシノンはあまり人前で重要な事を話したがらない性格だから、ここで目を覚ましたとしても何も話そうとしないに違いない。アスナの言う通り、22層に戻るのがよさそうだ。

 

 

「わかった。とりあえず上の層を解放して転移門を使えるようにしよう」

 

「そうしましょう」

 

 

 俺はシノンの事を負んぶしてリランを連れ、アスナとディアベルの心配そうな視線を浴びながら、その二人と共に、そそくさとボス部屋の先にある街への入り口を目指して歩き出した。

 

 次の層は54層。だけどその前に22層に帰らなきゃ。

 




次回、大進展。


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11:暴かれた記憶Ⅰ

         ◆◆◆

 

 

 目を開けると、そこに広っていたのはアインクラッドじゃなかった。何故なら、アインクラッドはファンタジー世界で、道路もビルもないからだ。なのに今、目の前に広がっているのは小さなビル状の建物が建ち並ぶ商店街のような風景。ちらと見るだけでも、ここがアインクラッドじゃないって事がわかったけれど、どうして私はこんな場所にいるのだろう。いや、そもそもどうやってこんな場所に来たんだろう。

 

 もしかしてゲームがクリアされて、私は現実に帰ってきたのかな。どう見たって現実の世界だけど……なんだろう、どこか懐かしく感じるし、更に言えば人が一切いなくて、静まり返っている。人のいない街なんてありえないし、どう考えたっておかしい。

 

 

「ここは……なに? なんで懐かしく感じるの……」

 

 

 人も車も通らない街を眺めていると、少し遠くから声が聞こえてきた。声に誘われるままそこへ目を向けてみたところ、こっちに歩いてきている二つの人影が確認できた。

 片方は大人の女性で、もう片方は11歳くらいの女の子。仲良くしながら歩いているのが確認できたから、多分親子なんだろう、あの二人は。

 

 だけど妙だ。私は、あの二人の事を知っている気がするし、更に言えばあの女の子がもっと妙だ。服装は桃色の上着と白色のスカートだけど、髪の毛と目の色が私と同じ色なんだ。それにどこか、顔付も私に似ている気がする。

 

 一方女性の方は私に似ているわけでもないけれど、はっきりとした見覚えはあった。けれど、見た事があるって感じるだけで実際誰なのかはわからない。

 

 

 よくわからないけれどどこか気になる親子。その二人がどんどんこっちに近付いてきているのがわかると、胸の中が急にひんやりしてきて、止まらなくなった。あの二人に見られてはいけない、あの二人に見つかってはいけない――そんな気持ちに突き動かされて、私はすぐそばにある路地裏に隠れた。

 

 

「あぁそうだわ、これからちょっと銀行に寄らなきゃなんだけど、詩乃、待ってられる?」

 

 

 母親であろう女性からの声だった。

 詩乃? 詩乃は私の名前だけど、あの女の子の名前も詩乃って言うのかな。というか、なんなのあの女の子は。顔から髪、目の色まで私と同じで、名前も私と同じ詩乃だなんて。

 

 

「大丈夫だよ。ちゃんと本を持ってきたから、おかあさんが終わるまで待ってられるよ」

 

 

 女の子の声だった。本を持ってきたって事は読書が好きな子なのかしら。私も読書するのは好きな方だけど、まさかそこまであの子は同じなの?

 

 二つの足音が大きくなってきた。心臓がドクドクと音を立てて、歪な鼓動を全身に行き渡らせる。その音の大きさは、まるで喉の辺りにまで心臓がせり上がってきたみたいだった。

 

 見られたくない――そう思っているのに、私は親子が通りすぎるのを確認できるであろう路地の隙間から目を離す事が出来なかった。気配を消そうとしても、心臓が激しく動いているせいで、息が荒くなっている。こんなんじゃ、気付かれてしまう。気付かれたら……どうなる?

 

 良くわからない不安に駆られながら、じっと表通りを見つめていると、ついにあの親子の横姿が私の目の中に映し出された。どこかで見たことがあるような気がしてならない女性と、私と同じ名前と特徴を持っている、少し小さな女の子。そのどこか楽しそうな様子を見ていると、大きな音をたてる心臓のせいで熱くなった胸の中が、まるで氷を入れられたように一気に冷えた。

 

 異様な親子は路地裏に隠れる私に気付く事なく通りすぎていった。息が荒くなっていたから気付かれると思ったけれど、そうでもなかったらしい。

 

 

 私は慌てて路地裏から表通りに戻り、あの親子が通って行った方角に目を向けた。親子は表通りを数歩歩いたところで、隣接している建物の中に入って行ったのが見えて、私は慌てたまま追いかけ、その建物の前に辿り着いたところで、身体を建物の方へ向けて、店の看板を見上げた。

 

 緑の背景に白い文字で「真王(しんおう)銀行」と書いてあった。あの女性が言っていた銀行は、この銀行の事を差していたらしい。建物の規模から考えて、あまり大きな銀行でもないみたいだ。

 

 そして、目を看板から自動ドアの方へ向けて、私は思わずぎょっとした。ガラスの自動ドアの向こうに、あの親子の姿がある。

 

 母親の方は窓口で係員と何か話をしていた。恐らく、何らかの書類発行の手続きを行っているだろう。一方娘の方は近くにある椅子に腰を掛けて、母親の手続きが終わるのを待っているように見える。その他の客の姿は確認できないので、あの二人だけが銀行の客として存在している状態のようだ。

 

 

「……」

 

 

 入ったら見つかってしまう。貴方は誰だと疑われて、どうにもならなくなってしまう。――そう思い続ける心に反して、私の身体は銀行の中へと入り込もうと、足を進み始めた。止まって、止まってと心の中で叫んでも身体はいう事を聞かない。そしてそのまま自動ドアの前まで来ると、ガラスで出来たドアは音を出さずに開き、私の身体は私の心に反して銀行の中へと入り込んだ。

 

 普通、銀行に人が入り込めば、係員が『いらっしゃいませ』の一言くらいは言う。だけど、銀行の人は私に向けて何一つ言わず、テーブルに置かれている各自の仕事や、電話などに没頭していた。そればかりか、私が入ってきた事に気付いてすらいないように見える。いったい、どうなっているの。

 

 

「なんで誰も気付かないのよ」

 

 

 あの女性の方に目を向けてみる。女性はずっと係員と話をしながら、ボールペンで紙の必要事項を記入する事に集中している。相変わらず私に気付いている様子はない。

 

 

 一方女の子の方に目を向けてみれば、足をぶらぶらとさせながら本を読んでいた。何の本を読んでいるのか気になって、表紙の方に目を向けてみたけれど、タイトルが削り取られているような感じなっていて、よく確認する事が出来なかった。それでも、見た感じ3文字で、表紙に鹿の絵が書いてあり、尚且つかなり厚い本であるというのがわかった。あれは多分、小説だろう。

 

 そして女性と同じように、私の存在に気付いているような感じはない。本を読む事に夢中になっているのだろうか。

 

 そもそもこの銀行の様子はどこかおかしい。普通、銀行に人が来て何もしていないのであれば、流石に係員が不審に思って声をかける。だけど個々の係員達は私が何もしていないにもかかわらず、ずっと自分の仕事に没頭していて、声の一つもかけてこない。まるで私がいる事をわかっていない、もしくは私の事が見えていないみたいに。いや、もしかしてこの人達は本当に私の事が見えてないのかもしれない……そうでなきゃ、こんなに無視をするはずがない。

 

 

「あの、すみません」

 

 

 思わず係員達の方へ声をかけたその時、私の時には何の音も立てなかった自動ドアが、キィという音を立てて開いた。

 

 誰か入って来たんだろうか、そう思って振り返ってみると、そこには黒い帽子と黒い革のジャンパーを着て、灰色の長ズボンを履き、手にボストンバックを持った、痩せた中年男性の姿が見えた。……けれど、すぐさまその男性の様子がおかしい事に、私は気付いた。

 

 黄色く変色した白目の真ん中で、穴が開いてしまったかのような、大きな黒い瞳孔が激しく動いていて、そのうえ、口元から唾液が流れ出てぽたぽたと床に垂れている。まるでシューティングゲームか、またはそれを題材にした映画とかで出てくるゾンビのようだ。こんなの普通の人間のやる事じゃない――明らかに何らかの異常が彼の中で起きているのがわかる。

 

 

(なんなのよ、あれ)

 

 

 周りに目を向けてみれば、あの女の子も本から目を離してゾンビのような男に目を向けていた。流石に人がゾンビみたいに歩いていたら変だと思うよね。

 

 そう思いながら目を再度男に向け直した直後、男は足早に女性のいる窓口の方へ向かっていった。その時の足音に気付いたのか、女性が振り返って男と目を合わせた瞬間、男はいきなり女性の方に掴みかかり、そのまま突き飛ばした。女性は地面に倒れ込み、「痛っ」という悲鳴を上げた。直後に、私は女の子と合わせて「あっ!」と声を上げる。

 

 

「な、なにを……」

 

 

 女性が言いかけて顔を男に向けた瞬間、男は窓口のカウンターに置いてあった、女性の記入していた紙を下敷きにする形でボストンバックを置き中から黒っぽい何かを取り出した。――それはこの日本では警察や自衛隊以外持つ事が許されていないはずの、拳銃だった。

 

 

 だけど、あれが本物の拳銃であるはずがない。普通の人なら、拳銃を手にする事なんて出来ないはずだもの。

 

 あれは多分、玩具店に売っているようなエアガンやモデルガンの類だ。でもなんでそんなものをここで取り出して、人に向ける……? 脅す事は出来るかもしれないけれど、もしモデルガンだって気が付かれたら捕まる……。

 

 咄嗟に頭の中で考えを回していたところ、それまで何も言う事が無かった男が急に声を張り上げた。

 

 

「こ、こノ鞄ニ金を入レロ、警報ぼタんヲ押スなよォ!?」

 

 

 随分と呂律の回っていない、掠れた声だった。続けて男は喚く。

 

 

「金ダ、かネを入れロ、アるだケ全部ダ! 早クシろぉ!!」

 

 

 その時ようやく、私はあの男が銀行強盗である事に気付いた。そして銀行強盗が、モデルガンで人を脅せるなんて思って、あんなふうに向けるわけがない――あの拳銃は本物だ!

 

 直後、私と同じようにあの拳銃が本物である事を悟った男性局員が札束をテーブルの下の方から取り出して男に差し出した。

 

 男がその札束を局員から奪い取った瞬間、いきなりズドンっという破裂音のような大きな音が鳴って、私は耳と目を塞いだ。耳が痺れて、強い耳鳴りが起きてすぐに止まった。

 

 音が止んだ事に気付いて両耳から手を離し、顔を上げると、それまで男に金を渡していた男性局員がぐらりと倒れ込んだのが見えた。その時、男性局員の手が近くの書類を巻き込んだらしく、多数の書類が宙を舞った。男は興奮した様子で、銃を持つ右手をがたがたと震えさせながら、甲高く叫ぶ。

 

 

「ボ、ぼ、ボタんを押すなっテ言ったダロうがぁ!!」

 

 

 まるで呂律が回っておらず、文字に直せば、平仮名、片仮名、漢字が出鱈目に混ぜ合わされているようなものになるであろう声色だった。もう、あの男はまともじゃないんだってすぐにわかる。

 

 鼻から妙な匂いが感じられる。これは、花火の匂い? いや、火薬の臭いだ。あいつが銃を撃ったからこんな臭いがするんだ。

 続けて男は、男性局員の近くにいる女性局員に銃口を向けて、叫んだ。

 

 

「お、おイお前、こっチニ来て金を詰メろ」

 

 

 女性は軽く手を上げて、首を小さく振るだけで何もしなかった。いや、怯えてしまって何もできないんだ。そりゃそうよ、あんなふうに拳銃を向けられてしまえば、誰だって怯えて動けなくなる。

 

 多分、ここの職員の人達は銀行強盗に対する訓練をしていたのかもしれないけれど、拳銃を持った銀行強盗なんかに出くわせば、そんな訓練の成果なんて全然出せなくなる。寧ろ、訓練通りの行動をとれる人の方が数少ないだろう。そしてそんな人はこの場にはいない。あの女性局員も、怯えて動けなくなるタイプの人だ。

 

 

「早くしロ! 早くシネェと、もう一人、もうヒトリ、撃ツぞォ!!?」

 

 

 男は身体を半回転させて、客のいるスペースに銃を向けた。そしてその銃口の先にいたのは、あの子の母親である女性だった。

 

 女性は何が起きているのかよくわかっていないような顔をしていたけれど、すぐさま女の子の方へ顔を向けて、これ以上ないくらいに大きな声で叫んだ。

 

 

「詩乃、逃げてぇッ!!!」

 

 

 女性の声が頭の中に響いた瞬間、いきなり視点が変わった。目の前にあの女性と、銃を持った狂人の姿が見える。背が小さくなったように感じたけれど、これはあの女の子の視点? 私はあの女の子に乗り移ったの? いや、そんな事はどうでもいい。

 

 あの女性は大切な人、そしてあの狂人はその銃で女性を撃ち抜こうとしている。そんなの絶対に許さない。

 

 ――私があの人を守らないと。頭と心の中に声が響き渡り、その声は私の身体を突き動かした。

 

 私は手に持っていた本を放り投げて一目散に男へ走り、男の銃を持つ手に思い切り噛み付いた。あまり鋭くないはずなのに、私の歯は力強く男の手に食い込み、男は驚愕したような声を上げて、私の身体を振り回した。

 

 

 そのうち、私の口は男の手から外れて、身体に何かにぶつかったような鈍い痛みと衝撃が走った。近くにあったサービスカウンターに激突してしまったみたいだけど、私はもうそんな事さえも気にならなかった。

 

 あいつは私の身体と一緒に、切り札である銃も手放していた。そしてその銃は今、私の目の前に転がって来ていた。これを失えば、あいつだってそこら辺の人間となんら変わらない。

 

 

 私は無我夢中であいつの切り札を拾い上げた。ずっしりと両腕に響いてくるような重さと、あの狂人が握っていた際に付着した手汗と熱で、まるで生き物を抱えているような気分になった。だけど、それと同時に私はある事に気付いた。

 

 あいつはこの銃で局員を撃って、動きを止めた。あいつと同じ事をあいつにやってやれば、あの女性を狙うあいつの動きを止められるはず――その事に気付いた私は見よう見まねで拳銃を構えて、男に向けた。直後、男は発狂したような咆哮を上げて私に飛びかかってきた。

 

 

 狂人の身体が覆い被された事により、身体に重さがかけられて、視界がうす暗くなり、顔に悪臭を放つ息が、耳に奇声が、腕に握り締められる痛みが襲い掛かってくる。文字通りもみくちゃにされてしまってわけがわからなくなりそうだったけれど、指が上手く銃の引き金に引っかかっている事だけはわかって、私は咄嗟に引き金を引いた。

 

 

 ズドンッという猛烈な音が耳に鳴り響いて耳鳴りに変わり、両手から腕、そして肩へ強い衝撃がかかった。空気が熱くなって、顔にむわっとかかる。

 

 多分こんな銃を11歳の私がまともに使えるわけがない。こんな銃を撃った暁には、その反動エネルギーに肩をやられるだろう。けれど、この狂人が寸前に私の手から銃へと手を移していたおかげで、反動エネルギーのほぼ全てが狂人の手に吸い込まれ、私はなんともなかった。

 

 

 その直後に男は「グぇ」という奇妙な声を上げて私からよろよろと後退した。男の、黒いジャンパーの腹部に赤黒い円が素早く広がっていくのが見えて、男は必死になってそこを抑えつけている。その指の間から、毒々しい血が一筋流れていた。腹の中の太い血管を、やられたんだ。

 

 

 動きが、止まった……? そう思ったのも束の間、男は腹から手を離して、もう一度私に襲い掛かってきた。男の、毒々しい赤色に染まった手が見えて、傷口から何かが飛んできて手にかかったのを感じ取った瞬間腹の底から震えが来て、すぐさま両腕に伝達されて、私はがたつく指でもう一度引き金を引いた。

 

 

 もう一度ズドンという炸裂音が鳴り響き、反動エネルギーを受けた銃は思い切り跳ね上がって、私の肘と両肩に強い痛みを与えた直後に私の身体を引っ張り、カウンターの壁に激突させた。鈍い衝撃と痛みが全身を駆け巡り、息が詰まる。

 

 意識をしっかりさせて目の前に視線を送れば、そこには今度こそ倒れ込んでしまった狂人の姿があった。そして更によく見てみてみれば、狂人の背後にある壁に小さな風穴が空いていて、更に狂人の肩に同じような形の穴が開き、血が流れ出ていた。銃弾は狂人に命中した後に壁に突き刺さったらしい。

 

 

 今度こそやった? そう思った瞬間に男は発狂しきった怒りの声を上げて立ち上がろうとした。

 そんな、まだやる気だなんて――一気に顔が青ざめてしまったのが自分でわかり、胸の中の心臓がもう一度強く脈打ち始める。

 

 こいつをここで止めないと、女性も私も、ここにいる全員この狂人に殺されてしまう。本当に、こいつを止めないと……!!

 

 

 そう心の中で唱えた直後に、男は血に塗れた手を私に向けて伸ばしてきた。心の中が一気に恐怖と恐慌でいっぱいになって――破裂した。

 

 

「嫌ぁぁッ!!」

 

 

 恐怖の破裂と一緒に、私は引き金を引いていた。3度目の破裂音が銀行内に木霊し、衝撃で私の身体はもう一度サービスカウンターに叩き付けられた。背中に強い衝撃が走り、息が詰まったと同時に吐き出された。

 

 

「ぼふっ、ごほっ」

 

 

 激しく咳き込んでいても、あの狂人の声は聞こえないし、何も来ない。

 急に静かになった狂人の方へ目を向けてみれば、狂人の額に風穴があいていて、動かなくなっていた――そう思ったすぐ後に、狂人はどたっと音を立てて床に倒れ込んだ。そしてそのまま……動かなくなった。

 

 

 やった。

 ついにやった。

 ついにあの狂人を止める事が出来た。

 大切な人を、守る事が出来た。

 

 

 強い安堵が心の中に満たされて、恐怖も恐慌も姿を消した。

 やったよ、悪い奴を倒したんだよ――そう思ってあの女性に目を向けて、その顔を確認した。

 

 女性の顔には驚愕して、何がなんだかわからなくなっているような、目の前の現実が信じられなくなっているかのような表情が浮かんでいた。

 

 

 何で、何でそんな顔をしているの。私は悪い事なんかしてないのに、何でそんな顔をしているの。私の身体がなんだかおかしいの?

 確認するために、私は顔を落とした。

 

 両手に赤黒い血がべったりと付いていて、赤黒く染められた両手で、私は拳銃のグリップをしっかりと握っていた。

 そして、目の前には頭に風穴を開けた男が一人倒れている。

 

 

「あ……」

 

 

 自分のやった事がわかって、叫ぼうとした次の瞬間に、女性が立ち上がって、私の身体を思い切り抱き締めて、大きな声を出して泣き始めた。

 

 その声を聞いた瞬間に、また視点が変わった。いや、戻ったと言った方が正しいのかもしれない。

 

 その証拠に、目の前にあの女の子が、手を血塗れにして銃を握っている女の子が座り込みながら、女性に抱き締められてボーッとしている光景が見える。

 

 

 違う。女の子じゃない。

 

 あの女の子は他人じゃない。

 

 あの女の子は、私だ。11歳の時の、私だ。

 

 そして私を抱き締めているのは、私のおかあさんだ。

 

 

 両手を見つめてみると、赤黒い血で毒々しく染まっていた。

 そうだ、これが私の手だ。()()()()()()だ。

 

 全部思い出した。

 

 私は、

 

 私は、

 

 銃で人を殺したんだ――。

 




原作との相違点

1:詩乃と母親が訪れたのが郵便局ではなく銀行になっている。

2:詩乃の母親が精神年齢逆行を起こしていない。


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12:暴かれた記憶Ⅱ

          □□□

 

 

「うわあああぁぁぁあああぁぁぁああぁぁぁあああああッ!!!」

 

 

 いきなり上の階から聞こえてきた悲鳴に、キリトは大いに驚いて、思わずに手に持っていたカップを床に落とした。

 

 声色から察して、それが二階で寝ているシノンの叫び声である事に気付くのに対して時間はかからず、キリトはログハウスの二階に続く階段へ顔を向けた。

 

 

「今の声はシノンだよな!?」

 

《シノン以外に何がいるのだ! シノンの身に何かあったに違いない、急ぐぞ!》

 

 

 キリトは頷きながら、肩にリランを乗せて階段を駆け上がった。普段はそんなに音を立てずに昇る階段だが、シノンの身に何かあったとあればそんなふうに気を使うわけにはいかないし、何よりそんな気になれない。

 

 階段を上がり切り、寝室の扉を蹴飛ばすように開けると、部屋の奥にあるベッドで叫び声を上げながら痙攣しているシノンの姿があった。キリトはびっくりしてシノンに駆け寄り、声をかけた。

 

 

「シノン、シノンどうしたんだ、シノン!?」

 

 

 キリトの呼びかけにも答えず、シノンは大声を上げつつ足をばたつかせて目元を両手で覆ったり、髪の毛を掴んで引っ張ったりを繰り返していた。これまで見た事のないシノンの動きに、キリトは混乱しながらも声をかけ続ける。

 

 

「シノン、おいシノン!」

 

 

 頭に攻撃を受けたせいで、意識に何らかの障害が発生するようになったのだろうか。いや、それはない。確かに衝撃を受けたもしれないけれど、ボスモンスターの攻撃による衝撃で、意識がおかしくなったり、発狂したりする精神障害が起きたなんて報告は未だにないし、攻撃を受けて気を失った人がそんなふうになったところだって見た事が無い。

 

 いったい何がシノンをこんな事にさせたのか、シノンは寝ていただけなのに、どうしてこんな事になったのか。ぐちゃぐちゃになりつつある頭の中に、リランの《声》が再度響いた。

 

 

《キリト、シノンを抑えつけろ! 項に我が接する事が出来るようにするのだ!》

 

「項!? なんで項なんだ!?」

 

《いいからシノンを抑えつけるのだ! それで項に我が行けるようにしろッ!》

 

 

 何がなんだかよくわからないまま、キリトはのた打ち回るシノンの身体に腕を伸ばした。ばたついているシノンの足が腕に当たり、一筋縄ではいかない事を察したキリトは素早くシノンの身体を抱き締めて固定した。そしてそのまま起き上がらせて、リランに合図する。

 

 

「リラン、これでいいのか!?」

 

《いいぞ!》

 

 

 リランはキリトからシノンへ、そしてその背後へ回り込み、シノンの項に狙いを定めて、噛み付いた。小さいとはいえ、鋭い竜の歯は、容易に少女の項へと食い込んだ。

 

 その直後にシノンの叫びも暴れも止まり、やがて動きさえも止まった。まるで糸が切れてしまった人形のように動かなくなったシノンに、キリトは恐る恐る声をかける。

 

 

「シノン……?」

 

 

 キリトの呼びかけに答えたのか、シノンはゆっくりと顔を上げた。しかしその顔はどこか虚ろに、そして疲れ切っているように感じられて、キリトは静かに息を呑んだ。

 

 そしてキリトが話しかけようとしたその次の瞬間に、シノンはその口を小さく開き、か細い声を出した。

 

 

「キ……リ……ト……?」

 

「あ、あぁそうだよ。すっごい声を上げて、しかもパニクってたから、びっくりして飛んできちゃったよ」

 

 

 キリトはシノンの身体から手を離した。現実だったら汗をびっしょりと掻いているのだろうが、その代わりと言わんばかりにシノンの顔は青ざめていた。

 

 

「シノン、大丈夫なのか。君は頭にボスモンスターの攻撃を受けてそのまま気を失ってしまっていたんだが……」

 

 

 その時にキリトは思い出した。

 

 そうだ、シノンはあの人狼との戦いの際、一人で人狼の弱点に貼り付き、まるで一人だけでボスを倒せると言わんばかりに攻撃を仕掛け続け、アスナとのスイッチも忘れてソードスキルによる隙を暴発し、人狼から攻撃を受けて、気絶したのだった。

 

 あんな警戒に命を投げ打つような行動は、このデスゲームであるソードアート・オンラインでは言語道断だ。何故あのような行動に走ったのかを問わねば。

 

 

「そうだシノン。寝起きで悪いけれど、何であんな行動をとったんだよ。あんな、一人で突撃して、一人で戦い続けて、それで重傷を負って気を失うような事になったんだぞ」

 

 

 シノンは何も言わずにただ下を向いていた。正確に言えば、キリトの腹の辺りを注視しているように見えるが、その瞳にキリトの身体は映っていなかった。

 

 これまでシノンと接してきた結果、シノンは真剣に話を聞く時はちゃんと顔を見て話すようにしているのがわかったのだが、シノンは今それをやっていない。

 

 即ちキリトの問いかけに答えるつもりはないと言う意思表示だった。だが、シノンがそんな状態でも、キリトはシノンがいい加減な態度を取っているとは思わなかった。

 

 シノンの、光で溢れている黒色の瞳から、光が全て消え去っているのだ。様子が明らかにいつもと違う事にキリトは気付き、首を傾げつつ尋ねる。

 

 

「……シノン、本当にどうしたんだ。何だか、様子がおかしいぞ。どこか具合が悪いのか」

 

「思い……出した……全部……思い出した……」

 

「え?」

 

 

 シノンはこのSAOにやって来た時から記憶が欠如していて、大切な事を思い出す事が出来ずにいた。いや、思い出す事は出来るのだが、思い出したとしてもすぐに忘れてしまう、思い出しても忘れるというのを延々と繰り返しており、結局全く記憶を取り戻せずにいた。

 

 そのシノンが思い出したと言ったという事は、文字通り戻りそうで戻らなかった記憶が、ようやくシノンの元に戻ってきたという事を意味する。

 

 

「そうか、思い出したのか。ボスモンスターに攻撃されたショックかな?」

 

「多分ね……」

 

「そうか。なら思わぬ幸運だな。ところでシノン、それって話せるのか」

 

 

 シノンの目がいきなり見開かれて、身体がびくりと動いた。そして、表情は何かを恐れているかのようなものへと変貌を遂げる。

 

 

「シノン、どうした? そんなにひどい記憶だったのか?」

 

 

 シノンは顔を思い切り下に向けて、俯いた。何も言おうとしてくれないシノンに痺れを切らしたキリトが再度声をかけようとしたその時に、シノンはまともな言葉を口にした。

 

 

「ごめんなさいキリト……まだなんだか気分が優れないの……休ませてくれない……?」

 

 

 あまりに蒼褪めているシノンの表情は、キリトに体調不良である事を伝えるには十分すぎるものだった。これまで一切見た事が無いくらいに蒼褪め、酷く虚ろな目をしているシノンと話をするのは流石に気が引けて、キリトは思わず頷いた。

 

 

「わ、わかったよシノン。無理させてごめんな。何か欲しい物とかあるか? あるなら持って来るけれど……」

 

 

 キリトに向き直る事なく、シノンは蹲ったまま首を横に振り、絞り出したような声を出した。

 

 

「……休ませて……」

 

「わかった。ゆっくり休んでくれ」

 

 

 そう言ってキリトがベッドから降りると、シノンは再びベッドに横になり、かけ布団に全身を潜らせて、そのまま動かなくなった。

 

 キリトはシノンの様子が気になって仕方が無く、このままこの部屋に居ようと思ったが、リランに《出て行くべきだ》と提案されて渋々納得。リランを連れて音を立てないように歩き、階段を下りて、1階に赴いた。

 

 時間は既に午後6時を回っており、普通ならばシノンが夕飯を作り出す時間だが、肝心なシノンが休んでしまっているため、夕食は用意されていなかった。

 

 しかしキリトは、夕食が無いだとかあるだとか、そんな事はもう気になっておらず、頭の中は既にシノンの事でいっぱいになってしまっていた。

 

 

 先程のシノンの顔は尋常ではなかった。明らかに思い出したくなかった事を思い出してしまったかのような、思い出した記憶に絶望しかなかったみたいな、そんなふうに感じられるような表情と顔色、そして目つきだった。

 

 どうしてあんな顔になってしまったのか、いや、そもそもあのシノンにあんな顔をさせる記憶とはどんなものなのか、正直なところ気になって仕方が無かったが、知識欲に反して、キリトはシノンに話しかけたいとは思わなくなっていた。

 

 知りたいという意識はあるが、今はシノンを休ませてやりたい、シノンを一人にさせてやりたいという思いが先行して、キリトの知識欲は鳴りを潜めていた。

 

 

「だけどどうなのかな」

 

《何がだ》

 

「シノンの記憶だよ。シノンは記憶を取り戻す事を求めていた。だけどあの様子じゃ、良い記憶を取り戻せたようには思えないよ」

 

《確かにな。多分いい記憶も思い出せたのだろうが、悪い記憶の方がそれを塗り潰してしまったのだろう。本人が望んでたとはいえ、絶望の記憶を見せられてしまっては堪えるであろうな。一体何を思い出したのかまでは流石にわからぬが》

 

「でもきっと、すごく辛い記憶を取り戻してしまったんだって思うよ。……だけどなんだろう、俺も知りたかったのに、今じゃ何だかシノンに声をかけたいなんて思えない」

 

 

 リランは静かにキリトの肩に乗って、上を見上げた。そこは二階の寝室の位置だった。

 

 

《何にせよ、突然記憶を取り戻し、しかもそれが辛い記憶であった事に一番苦しんでいるのはシノンにほかならぬ。今はシノンが望むままにしておいてやろう。この家の中は圏内だからHPが減るような事もないから安心だ》

 

 

 キリトは頷いて、同じように天井を眺めた。

 

 今日一日はシノンをそっとしておいてやるべきだ。そしてそれは夜寝る時になっても変わらない。今日はシノンにあの部屋を独占させておいて、自分達はこの部屋で眠る事にしようと、キリトは考えた。

 

 この部屋にだってソファというベッドにもなる家具が置いてあるし、アイテムウインドウを開けば毛布を出す事だって出来るから、寒さだって平気だ。

 

 

「今夜はここで寝るとして……夕飯はどうするかな」

 

《街まで行って何か食べる……わけにはいかぬな。シノンを一人だけにするのは危険だ》

 

 

 キリトも同意見だった。シノンの事はそっとしておいてやるとしても、流石にこの家に一人だけにするのは危険だ。夕飯はここで摂るしかない。

 

 キリトは咄嗟にアイテムウインドウを開き、食材タブを更に開いてソートした。焼けば香ばしくて美味な魚が多数確認できて、キリトはうんと頷く。

 

 

「そうだな……夕食はこんがり魚で済ませよう。焼くくらいなら俺の料理スキルでも出来るし、お前だって嫌いじゃないだろう」

 

《こんがり魚か。悪くはない。焼く際には塩を振るといいかもしれぬ》

 

「流石に生のまま食べるつもりはないよ。シノンの分はどうしようか」

 

 

 リランはもう一度二階の方に向き直ったが、すぐさま表情を曇らせた。

 

 

《用意はしておくべきかもしれないが、あの様子を見る限りでは、食欲があるとは思えぬ。無理に食べさせたところで、あの様子では吐いてしまいそうだ》

 

 

 確かに今のシノンは風邪をひいてしまった時の人間によく似ている。いや、風邪を引いたわけではないだろうけれど、食欲は皆無になっている事だけはキリトでも分かった。

 

 

「そうだな……ひとまず夕食は用意しないでおくか。食べたくなったら自分から降りてくるだろうし」

 

《その時はお前が作れよ。シノンは何でも一人でやろうとするから、食べ物が欲しくなった時には自分で作り始めてしまうに違いない》

 

「わかるよ。今はシノンに無理をさせないようにしないとな。と言っても、このまま降りてこないんじゃないかって気もするけれど」

 

 

 リランは再度二階の方へ目を向けて、どこか悲しげな表情を顔に浮かべた。

 

 

《寝る前に確認しに行った方がいい。起きていないかもしれないが、それでも彼女に変化がないか心配だ》

 

「同意するよ。さぁ、とりあえず飯にしよう。ボス戦の後だから、腹が減った」

 

 

 キリトはそう言った後にテーブルの上に、食材である大きめの川魚を2つ呼び出し、更にシノンに頼まれて購入しておいた塩を呼び出して川魚に使用、そのまま料理コマンドを呼び出して加熱を選択した。

 

 直後、川魚が自然発火したかのように火に包み込まれ、鎮火。生だった川魚は、表面に狐色の焼き色がついた、香ばしい匂いを放つ焼き魚になった。

 

 キリトの料理スキルならば、一応はこのくらいの料理をする事は出来るが、食材のランクが上がったり、さらに上の料理を作るとなると失敗して、コゲ肉やコゲ魚になってしまう。なので、これがキリトの出来る料理の限界だ。

 

 リランは何かに納得しているような顔をして、キリトに言う。

 

 

《うむ、上手に焼けたではないか》

 

「これが俺の料理の限界だけどな。もっと美味しい料理が食べたいなら、シノンかアスナに頼まないと」

 

《なぁに気にはしない。さて、いただくとしよう》

 

 

 キリトは頷き、焼き魚に突き刺さっている棒を握り、自分で調理した焼き魚を口に運んだ。続けてリランも焼き魚にかぶりつき、音を立てないようにして食べ始める。その様子が狼竜ではなく犬みたいに見えて、キリトは思わず笑いそうになってしまったが、何とか腹の中に押し込んで、焼き魚を食べ進めた。

 

 腹の中に仕舞い込んだ笑いは、焼き魚の香ばしい匂いと、塩と魚の脂が混ざり合った味への感動で瞬く間に消えてしまった。

 

 二人で夢中になって食べ進めると、焼き魚は僅か数分で頭と背骨だけになってしまい、やがて水色のシルエットとなった後にポリゴン片となって静かに消えた。本当に僅かな時間で済んだ夕食になってしまって、キリトはどこか拍子抜けだなと思い、苦笑いする。

 

 

「やっぱりシノンやアスナの料理と違って、すぐに終わっちまうな」

 

《仕方あるまい》

 

 

 そう言う反面、キリトは料理を大して気にしなかった。料理を食べ終わった直後に、まだ眠っているであろう、あるいは起きているかもしれないが動けないでいるシノンの事が気になって仕方が無かったからだ。キリトの意識がここではなく、シノンに向けられている事は、リランもまたすぐに気付いたらしく、声をかけてくる。

 

 

《心配か、シノンが》

 

「うん。やっぱり駄目だな……シノンの事が気になって仕方がないよ」

 

《見に行ってみるか。音を立てないように》

 

 

 キリトは頷いて立ち上がり、リランを肩に乗せて一階のリビングと二階を繋ぐ階段に足をかけて、音を立てないように全身の力を抜いて、一段一段上がった。そしてシノンがいる寝室の前まで来ると、これまでと同じように、なるべく音を立てないように戸を開いて中を確認した。

 

 先程よりも部屋の中は暗くなっていたが、月明かりが窓の外から差し込んできて青白く染まっており、森の中のように静寂に包まれていた。

 

 その中でキリトはシノンを探して周囲を見回したが、シノンが普段使っているベッドの布団が盛り上がっている事に気付いて、シノンがあの時から何も変わっていない事を悟った。

 

 こういうとき、布団の中に物を入れてあたかも人が隠れているようにしている可能性も疑われるけれど、索敵スキルを展開したら、プレイヤーの反応が返ってきたため、そうでない事もわかった。

 

 

(変わり無しか)

 

 

 キリトは静かにドアを閉じて、足音をなるべく立てないように階段を下りて、リビングに戻った。そこでリランが肩から降り、椅子に座る。

 

 

《シノンはあのまま眠ってしまったようだな》

 

「あぁ。だけど、かなり心配だ。あんなふうに叫んで、髪の毛を引っ張ったり足をばたつかせたりするって事は、よっぽどひどい物を見たって事だろ。あのまま寝たって事は、またそんな夢を見て……」

 

《そうかもしれぬが……どうとも言えぬ。ひとまず明日の朝になったらもう一度声をかけてみよう。今日よりも具合がよくなっているかもしれぬし、悪くなっているかもしれぬが、どのみちあのままではシノンは苦しむ一方だ。何とかして解決策を考えてやらなければな》

 

 

 シノンが苦しむところは若干見てきたつもりだが、あんなふうに激しく苦悶するところは初めて見た。普段クールなシノンがあんなふうになってしまっているという事は、もはやただならぬ異常や異変が彼女の中で起きてしまっているという事だ。

 

 いつまでもあんな風に苦しめておくのはシノンにとって良いわけがないし、何より見ているこちらも胸の中が締め付けられるような気になる。

 

 何とかして、シノンの口から思い出した事を聞いて、それの解決策を考えてやらねば。シノンの記憶を知りたいという知識欲よりも、シノンの事を何とかしてやりたい、シノンの苦しみを取り除いてやりたいという気持ちが、キリトの中では大きくなっていた。

 

 だが、どのタイミングで聞き出すかが問題であるとキリトは思った。あぁ見えてシノンは口が堅かったり、自分一人で出来そうだと判断した事は貫き通そうとするような、頑固な部分があったりする。

 

 だからあのシノンの口から話を聞く、思い出した事を聞くと言うのは至難の業だろう。そもそも聞き出そうとしてもシノンは絶対に口を割らない可能性だって十分に考えられる。

 

 

「どうするかな。シノンはあぁ見えて頑固だからなぁ……抱え込んでいるものを話させるのは、すごく難しいだろうな」

 

《その時は我に任せろ。……と言いたいところだが、あいつは見ての通りの状態だ。我であっても聞き出すのは難しいであろうな。それでもいずれはあいつの心は治療せねばならない》

 

「心を、治療?」

 

 

 リランは驚いたようにキリトに目を向ける。

 

 

《お前まさか、気が付かなかったのか? 今、シノンは心に重傷を負っているのだぞ。記憶を思い出した事によって、今まで傷が無かった心に、深い傷が出来てしまったのだ。だからあんな反応をしたり、我らから離れようとしたりしたのだ》

 

「いやいやそれはわかるよ。俺達が行った時に叫んだりしてたのも、心に傷が出来たからなんだろ。だけどさ、俺達でどうにか、というかお前でどうにかできるものなのか。確かにお前はアスナの心の(シガラミ)を解き放ったりしたけれど、アスナの時とはわけが違うはずだぞ」

 

《そうだ。今回はアスナの時とは大違い、我一人でどうにかなるような事柄ではないのかもしれぬ。そこで、今回はキリト、お前の力も借りる事になるかもしれぬ》

 

 

 キリトはきょとんとして、リランの赤い瞳を見つめた。自分にはリランのように人の心を開くような特別な才能もなければ交渉が出来るわけでもない。

 

 

「俺の力? 俺なんか役に立たないだろ、お前みたいに交渉が出来るわけでもないし、相談を聞く事ができても、本当に仲のいい人くらいだぜ」

 

 

 リランは呆れたような表情を浮かべて、溜め息を吐く。狼竜のはずなのに、その動作や表情は人間のそれに酷似していた。

 

 

《何もわかっていないのだな。お前はシノンからかなり信用されている人物なのだぞ。そして唯一、シノンが心を開いている相手なのだ》

 

「俺が、シノンが心を開いている相手? そんな馬鹿な。シノンは俺にも結構きつい事を言ってくるし」

 

《シノンがお前に記憶の事を話したりしたのは何故だ。お前にほぼ三食料理を作ってくれるのは何故だ。全部お前に心を開いているからだ》

 

 

 キリトは大いに驚いて、これまでのシノンの行為を思い出した。シノンは時々きつい事を言ってくるが、それでも記憶を取り戻したら話したいと言ってくれて、さらに三食料理を作ってくれていた。それはシノンが心を開いていたからと考えると妙に納得できた上に、何故シノンと過ごす日々が楽しく、そして暖かく感じられたのかもわかった。

 

 シノンが心を開いてくれていたから、シノンと過ごす日々がこれまでのアインクラッドで過ごしてきたどの日々よりも輝いているように、そして心地よく感じられ、シノンに危険が迫ってきたら守ってやりたいと思っていたのだ。

 

 

「そうだったのか……だから俺は……」

 

 

 キリトが理解した事をとっくの前に理解していたように、リランは溜め息を吐いて、穏やかな表情をした。

 

 

《だから、シノンを立ち直らせる鍵はお前なのだ、キリト。最初は我がアプローチを仕掛けるが、恐らくアスナの時のようにはいかない》

 

「そこで俺の出番って事か。確かにシノンは俺の大切な人だ。大切な人があんなふうに苦しんでいるところなん見たくない。シノンの事は、しっかり支えてやらないとだな」

 

《そういう事だ。アプローチは明日に行うから、しっかりやるのだぞキリト》

 

 

 しかしその時、リランがシノンにアプローチをかけるというのが、キリトは急に腑に落ちなくなった。

 

 リランは確かに人から事情を聴いたりするのが得意だろう。だが、シノンから本当の事を聞き出すのは、リランではなく自分がやりたい。

 

 自分がもっとも心を開いている相手と聞いたせいなのかはわからないが、リランがそれを行うというのを呑み込む事が出来なかった。

 

 

「リラン、それは最初から俺にやらせてくれないか」

 

 

 突拍子もないキリトの言葉に、リランは目を見開いて驚きの声を出す。

 

 

《何を言っているのだ。できるのか、そんな事が》

 

「わからない。だけどシノンは俺に心を開いてくれているのに、そのお礼をまだしてやってない。シノンから本当の事を聞き出して、本当のシノンの事をわかって、受け入れてやる。それが、俺に出来るシノンへのお礼だと思うんだ」

 

 

 キリトは椅子に座るリランの小さな両肩に手を乗せた。

 

 

「だから頼むリラン、俺にやらせてくれ」

 

 

 リランは何も言わずにキリトの暖かな光を蓄える瞳を見つめていたが、やがて頷いた。

 

 

《……わかった。お前に任せよう。ただし、もしシノンがお前の事を拒否したら、我が交代する。それでいいな》

 

「構わない」

 

《了解したぞ。お前からシノンに近付いてみろ》

 

 

 キリトはリランと同じように頷き、笑んだ。

 

 

「ありがとうリラン。恩に着る」

 

《やれやれ、お前は本当に手間のかかる主人だ》

 

 

 キリトは苦笑いして使い魔の頭をぽんぽんと叩いた。

 

 

「悪かったよ、使い魔に世話を焼かれるビーストテイマーで」

 

 

 そう言った直後、キリトは急にふらつき、意識が少しだけ遠退いたのを感じた。これは眠気だろうか。

 

 確かに今日はボス戦でこれ以上ないくらいに脳を使ったような気がする。それから休みなしでシノンの事とかを考えていたから、その反動が出たのだろう。

 

 

「まだ七時位だけど、もう寝るか」

 

《そうさな。お前も我も大いに戦った。もう休むべきだろう》

 

 

 キリトは二階で眠っているであろうシノンの方へ顔を向け、小さく「おやすみ」と呟いた後にソファに横になり、毛布をアイテムウインドウから呼び出して身体にかけた。

 

 ソファを叩いてポップアップメニューを展開、消灯ボタンを押して部屋の明りを消してリランにおやすみと一声かけ、目を閉じた。そして、そのまま眠りの中に転がり落ちるまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

          ◆◆◆

 

 

 

 目を覚ますと、真っ暗で何も見えなかった。妙に温かく感じたので、布団にくるまれている状態のまま眠ってしまっていたらしい。

 

 布団を捲って周りを確認してみれば、そこはキリトと一緒に暮らしているログハウスの二階、いつもの寝室。灯りが付いていないので暗かったが、窓の外からは月の光が差し込んできている。時間を確認してみれば夜の11時。何とまぁ半端な時間に目を覚ましてしまったと思った。

 

 その直後、意識がはっきりしてきたところで、すぐさま失われていた記憶が、忌まわしい記憶が頭の中全体に広がってきた。

 

 私が人殺しである事を叩き付けてくる記憶、誰とも一緒に居てはいけないという証拠、どこにも居場所なんかないっていう証明。

 

 

「私は……ここに居ちゃいけない……」

 

 

 身体を起こしてベッドから降りる。近くにある、いつもキリトが使っているベッドを確認してもキリトの姿はない。私と部屋が同じなのが嫌で、どこかに行っちゃったのかな。

 

 でも、丁度いいや。どこかに出てるなら、見つからずにこの家を出て行ける。それでも、何もなしに出て行ったら流石に悪いよね。何か書き残して行こうかな。

 

 いや、別にそんなものは必要ないか、私の言葉なんて聞けるものじゃないだろうし、血が付いた私の手で書かれた文字なんかも見たくないに違いない。

 

 

「早く、出て行こう。気付かれる前に……」

 

 

 足音を立てないようにして部屋を出て、同じく音を立てないように階段を下りたところで、私はぎょっとした。リビングのソファで、キリトとリランが毛布を被って眠っていた。やっぱり私と一緒に居るのが嫌で、こんな場所で寝たんだ。そうだよね、人殺しと一緒に寝たくなんかないよね。

 

 でも、本当にこの二人に助けられた。記憶を失っている間も、キリトはずっと守っててくれたし、リランだっていろんな話を聞いてくれたし、料理だって美味しいと言って食べてくれた。

 

 だけど、それももうおしまい。私の記憶を知ったら、この二人だって離れて行くはず。キリトだって私の事を嫌いになって、忌々しいって思うようになるだろうし、守るのだってやめるだろう。いや、もうやめてくれて結構だ。どうせもう、この二人に会う事だってないんだから。

 

 頭の中がキリトやリランとの思い出と、人を殺した記憶でぐちゃぐちゃになる。もう、自分で何を考えているのかすらわからなくなりそう。こんな誰にでも忌まれて、頭の中をぐちゃぐちゃにして、手を血塗れにしたまま生きてるくらいなら……いっそ……。

 

 

「ごめんねキリト。私、いくね」

 

 

 私はもう会わない人と竜に別れを告げ、もう帰って来ないログハウスを出た。

 

 いくなら、最前線に行けばいいかな。最前線なら敵が強いだろうし。いや、それでも53層の方がいいかな。53層なら沢山のウェアウルフ達がいるし。

 

 まぁどこでもいいけれど……決めた。53層に行こう。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 ドアが開き、閉じられる音でリランは目を覚ました。一体誰が来たのだと思って周りを見渡しても、入って来たであろう人物の姿はない。

 

 ではキリトが出て行ったのではないかと思って探してみれば、すぐそこのソファでキリトは眠っていた。

 

 

《誰が……?》

 

 

 嫌な予感を感じながら、リランは索敵スキルを展開し、ログハウス内にシノンの気配があるかどうか確認した。

 

 ――シノンの気配はログハウス内になく、とても遠いところで確認できた。

 

 

《シノンッ!!!》

 

 




――今回を読む上での小ネタ&全体の補足――

◇◇◇→キリト視点

◆◆◆→シノン視点

□□□→第三者またはその他視点


今回のシノンの目にはハイライトが無い。シーンをイメージする時にでもどうぞ。


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13:少女の過去と、思いと

        ◇◇◇

 

 

《起きろ、起きるのだキリト!!》

 

 

 いきなり頭の中に響いた《声》と、何かに頭をド突かれるような感覚で俺は夢の中から現実へと戻ってきた。いや、正確に言えば現実ではないのだけれど。

 

 思わずうなり声のような声を出しながら目を開けると、リランの顔があった。

 

 しかし、リランの顔はどこか焦っているような感じで、汗を掻いているように見えた。窓の方へ目を向けてみればまだ夜だし、そもそも部屋の中だってまだ暗い。多分時間帯は深夜だろうけれど、リランはこんな時間にどうしたっていうのだろうか。

 

 

「どうしたんだよリラン……まだ外は暗いじゃないか……っていうか夜中だろ……」

 

《早く目を覚ませキリト! シノンが、シノンがここから出て行ってしまった!》

 

 

 その一言で、俺の意識は完全に覚醒する。シノンは記憶を取り戻して多大なショックを受けた後であるため、外に出るのは危険だと思っていた。そのシノンが外に出てしまったなんて。寝ている間を突かれたか。

 

 

「なんだって!? それは何時頃だ!?」

 

《お前を起こす直前だ! 我らが眠っている間に、ドアを開け閉めする音が聞こえてきて、シノンの気配がこの家から感じられなくなっていた。シノンが外に出てしまったのだ!》

 

 

 やはり俺達が眠っている間を突いて、シノンは外に出て行ってしまったらしい。だが、俺よりも強力な索敵スキルを使う事が出来るリランならば、シノンがどこへ行ってしまったのかわかるはずだ。

 

 

「リラン、シノンの位置はどこだ!? まだそんなに遠くにはいってないはずだろ!?」

 

 

 リランは少し動きを止めた後に、街の方角へ顔を向けた。

 

 

《拙いな……シノンの奴は転移結晶を使ったらしい。反応がもうかなり遠くなっている……これは、五十三層か!》

 

「五十三層!? 五十三層はまだ攻略されたばかりで、敵のレベルがかなり高い層だぞ! いくらなんでもシノン一人じゃ危なすぎる!」

 

《いや、だからこそシノンは向ったのかもしれぬ……とにかく急ぐぞキリト! 早く行かねば取り返しのつかない事になるかもしれん!!》

 

 

 頭の中に、あの時の光景がフラッシュバックする。リランと出会い、ディアベルと再会し、そしてシノンと出会った時から、もう繰り返さないと決めた光景。まだ二人には話していないけれど、俺が絶対に繰り返すものかと思っていると同時に、繰り返す事を恐れている記憶。

 

 もしシノンと合流できて、記憶の話を聞く事が出来たら、シノンに話すべきだろう。流石にいつまでもあの事を黙っているわけにはいかない。

 

 だがその前にやるべき事はまずシノンを見つける事だ。それにシノンが向かって行った場所は五十三層――シノンのレベルもそこそこ高いとはいえ、あそこにいる人狼型モンスター達はかなり強い方だ。もし囲まれて一斉攻撃を仕掛けられようものならば、瞬く間にやられてしまう。

 

 

「あぁ急ごうリラン!」

 

 

 俺はリランと共に外を出て、咄嗟にアイテムウインドウから転移結晶を召喚、青色の透き通った結晶を手にして転移と唱えた後に、二十二層の街の名前を更に唱える。

 

 次の瞬間、俺とリランの身体は蒼い球場の光に包み込まれ、目の前が真っ白になったが、それから一秒も経たないうちに、目の前に広がる風景が二十二層の街の転移門前に変わり、小さくなったリランを肩に乗せて転移門に接近。転移門に触れて五十三層の街の名前を唱え、再度転移した。

 

 

 そしてシノンがいると思われる五十三層の街中にやって来て早々、俺達はずぶぬれになった。今日の五十三層の気象設定は風の吹かない大雨になっていたようだ。 

 

 普通なら、酷い雨だと思うだけだけど、記憶を取り戻したシノンがいると考えると、まるで雨がシノンの嘆きのように感じられた。そして何より、こんな大雨に負けて進まないわけにはいかない。

 

 雨宿りも傘もいらない、今はこの層のどこかにいるであろうシノンを見つけなければ。早急に。

 

 

「リラン、五十三層にやって来たわけだけど、シノンがどこにいるかわかるか」

 

 

 リランは何かを感じ取るような姿勢を取って目を閉じ、すぐにまたその目を開いた。

 

 

《ここから出て北の草原だ! そこにシノンの気配を感じられる。同時に……多数のモンスターの反応もだ!》

 

 

 やはりシノン、モンスターと接触していたか。そしてその数が多いと来たら、すぐさま駆け付けなければシノンの命が危ない。

 

 

「くそっ、急ぐぞ! 街を出たらお前に乗る!」

 

《了解した!》

 

 

 俺はリランを連れたまま、雨宿りや傘を使って雨を防いでいるプレイヤー達の注目を少しだけ集めながら、土砂降りの五十三層の街を駆け抜けてフィールドに出た。

 

 そこでリランの大きさが元に戻った事を確認すると、走りながらリランの背中に飛び乗り、しっかりと掴まった。次の瞬間にリランは雨で滑りそうになっている地面を、いとも簡単に滑らず蹴り上げて走り出した。

 

 まるで台風のような風と激しい雨が顔を打ち付けてきて、遠くに見えていた木や岩が凄まじい勢いで通り過ぎていく光景を目にしたその時、改めてリランの走行速度というものが俺達よりもはるかに速い事を自覚する。

 

 

 雨を浴びながら二人で草原を駆け続けたところ、草原の奥の方で、座り込んでいる人影が見えた。雨に負けないように目を凝らしてみれば、人影の正体は《HPバー》が赤の領域に到達している、見覚えのある後ろ姿のプレイヤーで、更にその前方には複数のウェアウルフの姿が確認できる。

 

 

「あれだ、シノンだ!!」

 

 

 人影は間違いなくシノンだ。暗くてわかり辛いけれど、雨に濡れている黒髪と、赤と黒と緑を基調とした戦闘服。そして何度も見てきた後ろ姿。

 

 その命が今、危険に晒されているとわかった瞬間に、俺は()()()()()()()()を叫んでいた。

 

 

「詩乃――――――――――――ッ!!!」

 

 

 

 

         ◆◆◆

 

 

 

 ログハウスを飛び出した後、私は五十三層に辿り着いた。月が出ていた二十二層と打って変わって五十三層には大雨が降っていたけれど、丁度良く感じられた。

 

 これだけの大雨が降っていれば、プレイヤーが外に出る事もないだろうし、フィールドにだって人は出てこない。これなら誰にも邪魔される事なく、モンスターに会う事が出来る。

 

 いや、誰も邪魔なんかしないよ、人殺しがこんな雨の中を歩いてフィールドに向かって行ったって――そんな事を考えながら街を出てフィールドに行き、雨で濡れきった暗い草原の中を進んでいると、ウェアウルフの群れに丁度良く遭遇できた。

 

 ウェアウルフ達はずぶ濡れの私を見つけるなり、獲物を見つけられた事に喜んだような顔をして武器を構えてきた。やっぱり私を出迎えてくれるのは、モンスターとか、そういう人間以外のものだったんだ。

 

 

 いつもならモンスターを見つければ武器を構えるけれど、私はもう武器を持とうという意志さえ抱く事が出来なかった。

 

 もうなんだっていい。こんな忌々しい記憶に襲われ続けて、色んな人から罵声を浴びせられて、忌み子扱いされ続けるくらいならいっそ……。

 

 そんな私の思いを感じ取ってくれたかのように、ウェアウルフ達は片手剣を構えて私を囲み、次々と私の身体を切り刻み始めた。

 

 ザクザクザクという、肉に刃物が食い込むような音と、痛みに似た不快感が起きて、私の命の残量である《HPバー》が瞬く間にその量を減らし、警戒状態を示す黄色へ、そして警告状態を示す赤色へと変色する。

 

 

 命の残量が減っていく――普通の人なら悲鳴を上げて怖がるような光景だ。記憶を取り戻す前の私だってそうだった。だけど、今の私にとっては、どうでもよく感じられる。

 

 このまま減って、無くなってしまえ――そう思いながら命の残量を見続けて、やがてその残量が無くなろうとしたその時、

 

 

「詩乃――――――――――――ッ!!!」

 

 

 雨の音に混ざって、急に後ろの方から、私を呼ぶ声が聞こえてきた。しかも、この世界SAOの中では呼ぶ事が禁止されているはずの、本当の名前で。

 

 誰にも私の本当の名前なんか教えていないはずなのに……一体誰が?

 

 そう思った瞬間、私を切り刻んでいた剣の動きが突然止まり、同時に数ドットにまで減っていた命の残量の減少も止まる。

 

 何が起きたの――そう心の中で呟いた瞬間に、私の真横を大きな何かが通り過ぎていって、髪の毛が一瞬ぶあっと上がり、背中に水滴が大量にぶつかった。後ろを確認しても何も確認できず、再び目の前に視線を戻したところで、私は思わず驚いた。

 

 

 つい先程までは、私の目の前には黒い毛並みのウェアウルフ達がいたけれど、今あるのは白い毛並みと甲殻に身を包んで、頭の辺りに人間の頭髪のような毛、額から大きな剣を生やした、狼の顔のドラゴンだった。しかも、入れ替わってしまったかのようにウェアウルフ達はいつの間にかいなくなっている。

 

 

「……あんたは……リラン……?」

 

 

 私の声に反応するかのように、リランの背中から何かが飛び降りて、私のところへやってきた。

 

 その人は、黒いコートを身に纏った、黒髪で黒い瞳の男の人。もう会わないって決めてた、キリトだった。この雨の中を駆けてきたせいで、頭の先から足の先までずぶ濡れになってしまっている。

 

 

「あんたは、キリト……」

 

 

 キリトは何も言わずに懐に手を突っ込んで、中から緑色の結晶を取り出して「ヒール」と唱えた。次の瞬間、緑色の結晶はキリトの手元で砕け、光になって消え去り、一秒も経たないうちに私の命の残量は一気に増えて右端に到達。安全圏内を示す緑色に戻ってしまった。

 

 なんでよ。もう少しで命の残量がなくなるところだったのに。もう少しで、忌まれる人生が終わると思ったのに。なんで邪魔をするのよ――。

 

 

「よかった。間に合って……」

 

「なんで。なんで来たのよ」

 

「なんでって……そっちこそなんでいきなり出ていったりするんだ。ボス戦の時といい、今といい……突拍子もない行動が多すぎるよ」

 

 

 私はこれまでの自分の行動を振り返って居た。あの時、ボス戦の時にあんな風な行動をとったのは、ボスからの攻撃が頭に当たれば、記憶を思い出せると思ったからだった。

 

 私はこれまで、眠る度に記憶を思い出しかけて、夢から覚めると同時に忘れると言うのを繰り返していた。

 

 もう少しで思い出せそうなのに、思い出せないという気持ち悪さが嫌になったその時に、私は思い出した記憶の断片から、衝撃を受けて記憶喪失になり、同じく衝撃を受けて記憶を思い出すなんていう話を導き出した。

 

 私の記憶も、衝撃が加われば、思い出すかもしれない――だからだ、あんなふうな行動をとったのは。だけどそれは思いっきりマイナスに出てしまった。

 

 まさか、自分が過去に人を殺していたなんて言う記憶を思い出す事になるなんて。

 

 こんなの、誰が予測できたというのだろう。いや、誰も予測できやしない。

 

 

「頭を思い切り叩かれれば、記憶を取り戻せるんじゃないかって思ったからよ。そして案の定、私は記憶を取り戻す事が出来た」

 

「……そのショックで、俺達の(もと)を飛び出したって事か」

 

「えぇ。思っていたよりも……記憶はとんでもないものだったわ。おかげで、生きるって事に絶望しか抱けなくなった」

 

 

 キリトの目が見開かれる。

 

 

「どういう事なんだ、それは。一体君に何があったっていうんだよ」

 

「話せばあんたは逃げ出すわ、私から。知りたがりも大概にして頂戴。あんただって今に、私の事を忌み子扱いするようになるわ」

 

「忌み子って……そんなのわからないよ。何があったか、話してもらえるか、シノン」

 

 

 雨でびしょ濡れになっていても、キリトの目には柔らかい光が浮かんでいるように見えた。だけど、この光はきっと、この話を聞いた直後に失われる。そして、私の事を突き飛ばすんだ。触るな、人殺しって言って。

 

 でも、キリトにこのまま黙っていたくない、キリトに話したいという気持ちが私の口を動かした。

 

 

「……いいわ。誰もいないし、話したげる。かなり細かいところまで、話したげるけれど……あんたは、そういう細かい話とか平気なの」

 

「聞くのはすごく慣れてる。寧ろ、細かいところまで聞かせてほしいんだ」

 

 

 私は溜息を吐いた。多分この人はもう引き下がるつもりはないらしい。私の話を最後まで聞き終わるまで、この人はどこにもいかない。

 

 そして、私の話が終わった直後にこの人は私を忌まわしいと思って逃げ出す。その時までは、一緒に居られる。

 

 

 

「……わかった。あんたに、思い出した事を全部、話してあげる。

 

 

 私はね、人を殺したんだ。勿論ゲームの世界だとかそういうものじゃなくて、現実世界でね。

 

 私、おかあさんとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの三人で暮らしてて……おとうさんは私がまだ赤ちゃんだった頃に病気で亡くなって、おとうさんの顔は知らなくて、ずっとおかあさんと私で暮らしてきたんだ。

 

 おとうさんを失ったおかあさんは、それでも私の事を本当に愛してくれた。小さい頃から絵本とか読んでくれたし、子守唄だって歌ってくれた。おかあさんはすごく健気だったんだよ。だからかな、物心ついた時から、いざとなった時は私がおかあさんを守らなきゃって思うようになったのは。

 

 

 勿論、おかあさんはそんな事をしなくたっていいんだよ、気持ちだけですごく嬉しいよって言ってくれたけれど、私はそれをやめる事は出来なかった。いざとなった時は、絶対におかあさんを守るって思って、生きて来たんだ。

 

 でも、そんなおかあさんを裏切ってしまうような出来事が、私が十一歳の時に起きたんだ。

 

 そもそも私、ずっと友達と遊ぶような事はしてこなくてね、学校が終わったらすぐに帰って、図書館から借りてきた本を読むのが日課だったのよ。アンタに料理を作ろうとした時にマニュアルをすごい速度で読んで把握する事が出来たのは、多分そんな積み重ねのおかげ。いつの間にか、本を高速で読む事が出来るようになってたのね。

 

 それに、いつもはおかあさんが私の事を守ってくれているけれど、いざとなった時はおかあさんを守らなきゃなんて思ってたせいなのか、外からの干渉がすごく嫌で、上履きを隠した男子を殴り飛ばした事もあったわ。……そういう時は妙にスカッとしたのを覚えてる。

 

 私はおかあさんが大好きだった。おかあさんは私をずっと愛してくれた。本当に、可愛がって育ててくれた。

 

 だけど、そんなおかあさんを裏切るような事を、やってしまったのが同じ十一歳の時。

 

 東北の方の小さな街の銀行で起きた強盗事件があったのよ。報道は、犯人が拳銃で局員を一人撃って、自分は銃の暴発に巻き込まれて死んだなんて事になっていたけれど、あれは嘘。本当は私が殺してたんだ。その場にいた私が、おかあさんを守りたい一心で、強盗から拳銃を奪って撃ち込んでやったんだ。結果として、その強盗を殺した。

 

 その後で気付いたんだけど、歯は二本も折れてたわ、両手首を捻挫してたわ、肩を脱臼させてたわで、ほぼ全身傷だらけだったのよ。でも、身体の怪我なんかすぐに治す事が出来た。

 

 その後の事は結構よく覚えてる。まず強盗を殺した後に、おかあさんに抱き締められてた。おかあさんは泣きながら私の事を抱き締めて、何度も何度も「ごめんなさい」って謝ってた。その後、警察の人が来て、私に銃を差し出すように言って、私を救急車に乗せて病院まで運んだ。その時、おかあさんがずっと傍にいてくれた。病院のベッドに入れられて、色々な診察をされても、ずっとおかあさんは傍に居てくれた。

 

 診察が終わった後で警察の人が聞き込みに来ても、「詩乃が銃で強盗を殺したのは殺したかったからじゃない、私を守るためだったんです。詩乃は悪くないんです」って何度も何度も訴えてくれた。

 

 警察の人もそこら辺の事はわかってたみたいで、私に声をかけて「君は悪くない、君がやったのは正当防衛だ」と言って、私は無実だって教えてくれた。ちなみにその時にわかったんだけど、銀行強盗の男は薬物中毒者で、錯乱状態にあったそうよ。

 

 でも、そんなふうに言われても、私の心に出来た傷は癒されなかった。そして、その傷は容赦なく私に牙を剥いた。

 

 それから毎晩、毎晩、事件の光景が夢に出てきた。銃を撃った時の反動だとか飛び散った血の感じ、男が血を出しながら倒れる瞬間。全部ひとつ残らず、眠る度に夢の中で再現されるようなった。何度も何度も叫びながら飛び起きて、渡された洗面器に何回も吐いたのをすごく覚えてる。――そしてそれは、夢に見た後に限らなかった。

 

 あれからね、銃器に類するものっていうのかな、とにかく銃器に関連したものを見るだけであの事件の事をはっきり思い出すようになっちゃってね、とんでもなく強いショック症状にとかいうものに襲われるようになっちゃった。

 

 病室のテレビを見てて、ドラマに映った拳銃を見ただけで、息の仕方がわからなくなったり、身体が動かなくなったり、時間とか季節とか、今どこにいるのかとかわからなくなったり、吐き気に襲われて吐いたり、酷い時には気絶したりした。そのせいで、私はドラマとか映画とか見れなくなって、それがわかった途端、入院期間は思い切り伸びて、診察を受けるところも、精神科の方に移された。

 

 私はあの事件をきっかけに、心的外傷後ストレス障害っていう病気になってた。入院してる間も、退院した後も、すごく沢山カウンセリングを受ける事になった。勿論、一人だけじゃなくて複数のお医者さんにね。みんな私に良くしてくれたけれど……でも、私はその人達を信じられなかったんだ。処方された薬だって素直に飲んだけど、やっぱりそういう人達は私に「大変だったね、辛かったね、解るよ」とか言うだけで、何一つわかってくれやしなかった。

 

 私のやった事が善だったのか悪だったのか、教えてほしかったのに、誰一人それに答えられる人なんていなかった。

 

 

 事件の後、私の扱いは忌み子だったわ。人殺しだの、殺人者だの、殺人に関する言葉を何でもかんでもぶつけてきてね。勿論、ニュースとかでは私の事なんか一切報道されなくて、犯人は銃の暴発で勝手に死んだ事になってたんだけど、恐ろしいのが地方の小さな市の噂の力よ。まるで油に火が付いた時みたいに私が殺した事が伝わって行ってね、みんなにばれてしまったのよ。

 

 ……おかあさんは「そんなの無視すればいい、貴方はニュースで報道されるような殺人者達とは違う、貴方は私を守るために戦ってくれたのよ」と言ってくれて、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんもそういうふうに言ってくれた。事件前と同じように、私の事を愛してくれたんだ。

 

 でも、その愛を私は素直に受け取る事っていうのが出来なくなってた。おかあさんも、お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、きっと心のどこかで、こいつは何て事を仕出かしたんだ、こいつはとんでもない忌み子なんだって思ってるに違いない――そう思うようになって、抱き締められても、冷たく感じるようになった。

 

 小学校の連中はずっと私を忌み子扱いしてきた。それもあってか、私はもう故郷に居る事自体が嫌になって、東京の中高一貫校に進んだの。そうすれば、もう誰も苛めてこないってわかったからね。でも、それが続いたのは一年くらいで……三年目には私に喝上げしたりして、苛めて来る連中がいっぱいいたわ。

 

 勿論そこに熱とか暖かさとかそんなものは感じない。

 

 小学校の連中も、中学校の連中も、カウンセリングの医者も、おかあさんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも冷たい。私にとって、世界は北極だとか南極だとかの極寒と変わらなくなっちゃった。

 

 どこにも、私に居場所なんてなかったのよ。そりゃそうよ、人を一人殺しておいて、何も罰を受けないなんておかしいもの。いや、きっとこれが私への罰だったんだわ。お前は人を殺した。これからお前は極寒の世界で暮らしていけっていう、罰だったのよ。

 

 そう思ってたせいなのか、未だにおかあさんを守ろうって思っているせいなのか、私は強くなろうって考えるようになってた。強くなればこの極寒の世界も耐えられる、それに、もし自殺なんてものを選んでしまったら、殺したあの男が浮かばれないような気がしてね。

 

 でも、それでも私はあの時あの男を殺した事を後悔してない。その事を証明したいっていうのもあって、私はずっと強くなる事を考えてきた。

 

 そんなある時だったわ。おかあさんが私に東京の大きな病院にいる精神科の先生に相談してみたらって言って来てね。

 

 私は半信半疑でその病院の先生のところに行ってみたんだけど……その先生との出会いは衝撃だったわ。なんていうか、他の先生と比べてすごく砕けていて、ふんわりした様子で話を聞いてくれて……それこそ、友達みたいにね。私、その人になら何でも話す事が出来た。トラウマの事とか、銃の事とか全部。

 

 その先生は友達みたいにやんわりしながら話を聞いてくれて、受け入れてくれて、色々してくれて、そして最後に私にメディキュボイドの使用を提案してきた。現実世界だと話せない事も多いだろうから、VRの世界に行ってそこで話をしようって言ってね。それで私は、メディキュボイドを使ったのよ。

 

 

 そして、私はSAOに巻き込まれた。

 

 

 こんなところよ」

 

 

 一気に話し続けたけれど、キリトは一切私から目を離さずに、ずぶ濡れになりながら話を聞き続けていた。でも、今までの経験から察するに、これからキリトが何を言うのかはわかるような気がする。

 

 

「わかったでしょう。私は殺人者なのよ。どこにも居場所のない、ううん、どこにも居ちゃいけない殺人者」

 

「…………君は」

 

 

 キリトはようやく口を開いた。口の中に雨水が入って行くけれど、気にせずに喋り続けた。

 

 

「君は死ぬ気はないって言ったよな。だけど、今の君は明らかに死のうとしてたよう見えた。それは何故なんだ」

 

 

 私が死のうとしていた理由。これまで私はどんなに発作が辛くても死のうとは思わなかった。

 

 何もかもなくなってしまうのが怖かったのか、それともおかあさんやおじいちゃんやおばあちゃんを悲しませるのが嫌だったからか。それもあるけれど、私がこのまま死んだらあの男も浮かばれないって考えてたのが一番か。

 

 でもさっきまで私は死ぬ気だった。死ぬ気満々だった。それは……

 

 

「……もう、疲れたからよ」

 

「疲れたって何に」

 

「裏切られる事によ。私は今まであんた達と一緒に暮らしてきた。この事を話したらきっとあんた達も私の背中を突き飛ばす。私の居場所を無くす。

 おかあさんとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんっていう居場所さえ失って、私の居場所はどこにもなかった。そしてまた、私は居場所を無くそうとしてた。どこにも居場所がなくなるっていう事が、もう嫌だったのよ」

 

「…………」

 

「でもねキリト。今はもうそんなふうに思わないわ。発作的に死のうなんて考えたのかもしれないけれど、今はもうそんなんじゃない。元から私は一人でいる事に慣れてる。どこにも居場所なんてなくたっていいのよ。

 だからもう、私は一人で生きていける。一人で生きて、一人で戦って、一人で死んでいく。きっとそれが私の運命だったのよ。あんたともう一回会えたおかげで、再確認する事が出来たわ」

 

 

 立ち上がろうとした次の瞬間、キリトは濡れた手で私の肩に触れた。嫌な感覚が走って、振り払う。

 

 

「触らないで」

 

 

 キリトは首を横に振った。

 

 

「君は間違ってるよシノン。人が一人で死ぬなんて事はないんだ。人が死んだ時には、他の人の中にいるそいつも一緒に死ぬんだよ。俺の中にだってもうシノンはいるんだ。シノンが死んだら、俺の中のシノンだって死ぬんだ」

 

 

 キリトは雨に濡れながらも光り続けている瞳で訴えてくる。

 

 

「それにシノン、君は根本的に勘違いをしてる。君は自分の居場所はどこにもないって言ってるけれど、あのログハウスで、俺とシノンとリランの三人で、今まで暮らしていたじゃないか。これのどこが、居場所が無いんだよ」

 

 

 キリトは続けて、私の両肩に手を乗せた。

 

 

「シノン……言わせてもらうけれど、君に居場所が無いなんていうのは嘘だ。君が居場所が無いなんて言うのは、君が勝手にそう思い込んでるだけだ!」

 

 

 何を言うのよ。私に居場所が無いのは私が勝手にそう思い込んでるから?

 

 どうせ、私の事を蔑んでるくせに、私の事を殺人者だって罵ってるくせに。

 

 

「いいえ、私に居場所なんかないわ。こんな私に、居場所なんてないのよ」

 

「そんな事ない」

 

「そうよ」

 

「そんな事はない」

 

 

 言っても言っても、キリトは頭ごなしに私の言葉を否定する。そのうち、心の中から軋むような音が聞こえてきて、言葉になって出て来た。

 

 

「そうね……確かにこの世界にはあの家があるから、居場所があるって言えるかもしれない。だけど、現実世界に帰ればなくなるわ。私の居場所はここにあっても、現実世界にはないのよ!」

 

「そんな事はないよ」

 

「そうよ!」

 

「そんな事は、ないよ!」

 

 

 心の中の軋む音がどんどん大きくなり、やがて何かが崩れるような音に変わった。次の瞬間、心の中から胸へ、そして喉から口の中へ思いが上がってきて、かつてない言葉となった。

 

 

「何でそんなふうに言えるのよ! そこまで言うなら、そこまで言うならッ……」

 

 

 

「なら、あなたが私の居場所になってよ!! あなたが、一生私を守ってよ!!!」

 




原作との相違点

1:詩乃の父親が病死している。癌以外。

2:詩乃の精神治療の専属医のようなものがいる。

3:詩乃が東京の中高一貫校に進学している。

次回大幅に進展。そしてキリトが……?


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14:少年の過去と、思いと

          □□□

 

 

「なら、あなたが私の居場所になってよ!! あなたが一生私を守ってよ!!!」

 

 

 シノンは目の前が一気に歪んだの感じた。一瞬目の中に雨が入ってきたせいだと思ったが、すぐさま雨ではなく涙によるものだというのを理解する。心の中に溜め込んでいた感情が溢れ出し、次々と言葉になってシノンの外へ放出される。

 

 

「何も知らないくせに、何も出来やしないくせに勝手な事言わないで! あなただって、あなただって、私の事を忌むべき存在だって思ってるくせに、本当はそんなふうに考えてるくせに! それとも何よ、そんな事思ってなくても、出来るの!?」

 

 

 シノンは拳を握った。あの男から奪った銃であの男の頭を撃ち抜き、血で塗れた手。顕微鏡で見てみれば、銃を撃った際に飛び散った火薬が入り込んでほくろになっているのがわかる、呪われた手。――人殺しの手。

 

 

「この、この、人殺しの手を、あなたは握れるの!? あなたは握ってくれるっていうの!?」

 

 

 叫んだ次の瞬間、頭の中で無数の罵詈雑言が鳴り響き始めた。「触るな人殺し」「忌み子」「触んなよ、血が付くだろうが」。そう言われて何かに触れたりするのを禁じられ、常に罵られ続けた思い出が頭の中で何度何度も鳴り響いた。

 

 そしてもう一度大きく「触んな人殺しの忌み子」という言葉が鳴ろうとした瞬間、頭の中に響いていた罵詈雑言はいきなり止まった。頭の中が完全な静寂に包み込まれる。手の方に妙な感覚があり、目を向けてみたところ、シノンはきょとんとしてしまった。

 

 

 キリトに向けて、キリトの胸を叩こうとした手が――人殺しの手がキリトの目の前で止まっている。

 

 キリトの手に掴まれて。

 

 

「え……」

 

 

 キリトはシノンの手をじっと眺めた後に、掴んでいないもう片方のシノンの手に自らの手を差し伸ばして掴んだ。

 

 それからシノンの目の前まで持って来ると、胸の前でシノンの手を合わせ、その上から自分の手を覆い被せた。雨に濡れて冷たかった手が、急に()()()()()

 

 

 シノンは言葉を出す事が出来なかった。誰にも握ってもらえなかった呪われた手を、キリトが今握っている。血が付くのも構わずに、自分の手で、忌み子の手を暖めている。

 

 これまでほとんど見る事のなかった光景に口をぱくぱくさせていると、キリトの口が開かれた。

 

 

「忘れたのか、シノン。君が夜中に目を覚まして、家の外に出てた時の話を。俺は君を守るって、必ず現実に帰してやるって約束したはずだ。たとえ君がどんな人物であっても関係なしに」

 

 

 そういえばそんな事を言われた。

 

 以前、シノンが悪夢で起きて、ログハウスを出ていた時。キリトが追いかけてきて、そんな事を言って居た。

 

 俺が君を守る、君を必ず現実世界に帰すと、約束してくれた。

 

 最初は馬鹿じゃないのと思ったけれど、時間が経つにつれ、キリトが本当にそれをやろうとしてくれている事がわかり、信じられるようになった約束。

 

 

「あんたは……まだそれを……でも、私は人殺し……」

 

 

 キリトは手に力を込めてシノンの手を握りながら、首を横に振る。

 

 

「君は今まで俺の事を信じてくれていた。俺のために色んな事をやってくれたし、戦闘の時だって俺と一緒に戦ってくれたし、俺が君を守るっていう言葉を信じてくれていた。なのに俺はそのお礼を、何一つしていなかった。何も君に返していなかった」

 

 

 キリトはシノンの手を離すと、いきなり自分の装備である黒いコートの留め具を外し、手に持って、シノンの身体に被せた。突然コートを羽負わされて、シノンは目を丸くするが、同時にシノンの身体に雨が染み込まなくなる。

 

 続けてキリトはシノンのコートの中に手を入れて、シノンの肩を素手で掴んだ。

 

 

「その要求を呑み込むよ、シノン。俺が君の居場所になる……俺が一生君の事を守る。このSAO内は勿論、現実世界に帰ってもだ。ずっと君の傍に居続けるし、ずっと君の事を守り続けるよ。君が殺人者だとか、そういう事は関係ない」

 

 

 シノンは何も言わずにキリトの言葉を聞き続けていた。やがてキリトは軽く下を向く。

 

 

「俺の命は君一人のものだ、シノン。君のために使うし、君の事を守り続ける。そして現実世界に無事に帰すし、現実世界に帰った後でも君を守り続ける……最後の一瞬まで一緒に居よう。だから、だから……」

 

 

 キリトはきょとんとしたままのシノンの身体を引き寄せ、そのまま力強く抱きしめた。雨で冷たくなっていた身体が、シノンの体温で暖かくなる。

 

 

「もう、自分には居場所が無いだとか、そんなふうに言わないでくれ」

 

 

 キリトの胸の中で、シノンはようやく正気に戻った。先程からキリトの言葉だけが、頭の中に響いていて、それ以外の声が聞こえてこない。そしてキリトは、血塗れだった自分の手を握ってくれて、こうして抱き締めている。いや、考えてみればSAO(ここ)に来る前、母に数回抱き締めてもらった事はあるが、何度抱き締められても氷のように冷たく感じた。

 

その時と同じように、キリトに抱き締められている……抱き締められるのは同じのはずなのに――キリトの胸は雨に濡れているにもかかわらず、とても暖かかった。

 

 

「あたたかい……」

 

 

 呟いた瞬間、シノンは心の中から熱い何かが溢れ出したのを感じた。そしてそれは心から腹の中へと落ち、胸へ、喉へ上がり、そのまま上がり続けて目の高さまで来たところで、大粒の涙となって溢れ出た。

 

 

「なんでよ……おかあさんも、みんな……氷みたいに、冷たかったのに、なんで、あんたは、()()()は、こんなに、こんなに……」

 

 

 シノンはキリトの胸にむしゃぶりつき、叫んだ。

 

 

「こんなに、暖かいのよぉ!!!」

 

 

 そのまま、シノンは大きな声を出して泣き出した。これまでほとんど感じる事のなかった暖かさに包み込まれたまま、まるで幼児の時のように、大きな声でガタガタ震えながら、泣き続けた。その途中で、キリトは囁くようにシノンに言った。

 

 

「カウンセラー達と同じような事を言うかもしれないけれど……話してくれてありがとうなシノン。今までずっと、頑張ったな」

 

 

 キリトは片手を背中から頭へ伸ばして、髪の毛を静かに、優しく撫で始めた。確かに今まで、カウンセラー達に「辛かったね、解るよ、大変だったね」とは言われてきたが……どのカウンセラーも同じ事を言うだけで、「頑張ったね」とは言ってくれなかった。それを、温もりを与えてくれているキリトが言い出して、しかも髪の毛を撫でてくれてるものだから、シノンの涙は余計に止まらなくなってしまった。

 

 シノンはこれ以上ないくらいに声を張り上げて、キリトの胸にむしゃぶりついたまま、泣き続けた。泣き声は雨音に負けないくらいに大きかったが、雨によってかき消され、そんな遠くまで響いてはいかなかった。

 

 

 シノンはしばらく泣き続けて、やがて雨が弱まると同時に泣き止んだ。リランはその場から離れず周りを見張り続け、キリトはずっとシノンの事を抱き締めて、動かずにいた。

 そして、キリトがシノンのびしょ濡れの髪の毛を撫でつつ、声をかけた。

 

 

「落ち着いたか」

 

 

 シノンは何も言わずに頷いたが、すぐさま口を開けて「もう少しこのままでいて」と伝えた。キリトは静かに「わかった」と言って動こうとしなかったが、シノンは続けて言った。

 

 

「ねぇキリト、あなたは何で、私を守ろうって思ったの。ずっと気になってたんだけど」

 

 

 その時、キリトの目つきが変わったのをシノンは感じた。その目つきはどこか、思い出したく無いような事を思い出したようなものに似ていた。

 直後に、それまで沈黙を貫いていたリランの《声》がキリトとシノンの頭の中に響く。

 

 

《我も気になっていたところだ。そろそろ、話してもいい頃なのではないか、キリト》

 

 

 キリトは軽く下を向いた。シノンを守ろうと考えていたのにはちゃんとした理由があったけれど、どれもリランやシノンに話す事なくここまで来た。だが、今シノンが自分の事を詳しく話してくれて、自分の事を良くわからせてくれた。これに何も返さないわけにはいかないし、このまま引き下がってしまったら、ずっと話せないかもしれないような気を感じていた。

 

 

「……実のところ、俺も君と同じなんだ、シノン」

 

「あなたが、私と同じ?」

 

「そうだよ。俺も……俺も、人を殺してしまった事があるんだ」

 

 

 キリトの口から放たれた言葉に、シノンとリランは目を見開いた。二人の驚きの注目をその身に受けながら、キリトは続ける。

 

 

「その事について詳しく話すつもりでいるけれど、この雨の中でいいかな。正直なところ君やリラン以外には聞かれたくないんだ」

 

 

 シノンは何も言わずに頷き、リランもまた同じように頷いて相槌をうつ。

 

 

《いいだろう。誰にも聞かれたくないならば、我らだけがいるここで話すがいい。我らは雨など気にせぬ》

 

「私も同じよ。話してみて、キリト」

 

 

 キリトは頷き、リランに目を向けた。

 

 

「これはな……リランと出会う前の事なんだ」

 

 

 

          ◇◇◇

 

 

 

 俺は、前に一度だけギルドに所属していた事があるんだ。その名前は《月夜の黒猫団》。五人で経営されている小規模ギルドで、現実世界で仲のいい部活のメンバー同士で結成したものだったらしい。そのギルドに俺は一度助けられた事があって、その恩返しのために所属する事になったんだよ。

 

 だけど、その時の俺のレベルは既に60代に入り込んでいて、他のみんなのレベルは30くらいだった。60代の奴が来たなんて思われたくなくて、俺は自分のレベルを偽ってみんなに教えたんだ。結果、みんなは俺のレベルが自分達と同じくらいだって勘違いして、俺の事を慕い始めたんだ。

 

 

 《月夜の黒猫団》はまるで部活動か何かのように柔らかくて、温かい場所だったよ。みんな仲が良かったし、完全な部外者である俺にも良くしてくれた。そのおかげなのかな、俺は月夜の黒猫団がすごく居心地よく感じて、出来ればこのまま攻略組まで持っていきたいと思ったんだ。そうすれば、攻略組のギスギスした雰囲気を変えて、更に生存率を上げられるって思った。俺は彼らに付き合って、全員のレベル上げに協力したよ。

 

 

 だけど、その中に一人だけ、戦う事に怯えていた人がいたんだ。名前はサチ。紺色の髪の毛が特徴的な、少し臆病な女の子だった。

 

 その人は本格的なレベル上げを兼ねたダンジョン探索に出掛ける前の夜に、俺に言ってきた。「戦うのが怖い、死ぬのが怖い、二人でどこかに逃げよう」って。

 

 その時、サチを儚いと思ったのかはわからない。でも、俺は急にサチの事を守りたいって思うようになったんだ。それから俺は何があっても、サチの事を守るって決めて、その事をサチに話したんだ。

 

 そしたらサチは泣くのをやめて、笑ってくれた。「キリトと一緒なら怖くない」って言ってくれて、戦う事を恐れなくなってくれたんだ。俺が守ってくれるから安心だって言ってね。俺も何があってもサチを守りたいって再度思って、ダンジョン探索に臨む事にした。

 

 

 その次の日、《月夜の黒猫団》のリーダー、ケイタって言うんだけど、そいつが資金がたまったので《月夜の黒猫団》のアジトとなる家を買おうって言い出した。俺達は大賛成して、ケイタを住宅街に送り出した後に、宝箱を探してダンジョンに潜り込んだ。

 

 そしたら、俺を除く全員がダンジョン内で死んだ。宝箱を開けると結晶無効エリアになる部屋の罠に引っ掛かって、出てきた無数のモンスターに袋叩きにされてな。

 

 

 そもそもそのダンジョンは、《月夜の黒猫団》が行くにはレベルの高い場所だったんだ。でも、彼らは手練れである俺がいるからどんな事になっても大丈夫だなんて言って、無理矢理入り込んでしまったんだ。それに俺自身も、レベルの高さから思い上がって、何が起きてもなんとかなるって思っていたんだ。だから、彼らが少しレベルの高いダンジョンに挑んでも大丈夫だ思ったんだ。

 

 結果、彼らは死に、サチもモンスターに叩き斬られて死んだ。俺は何とか生きようと思って、その場にいたモンスターを全滅させてダンジョンを脱出したんだ。

 

 守ろうと思ったサチは俺の目の前で死んだ。いや、そもそも俺がレベルを偽っていなかったら、彼らは俺を加える事なく、通りすぎていったかもしれなかった。俺がレベルを偽ったりしたから、無駄な死人が出て、守ろうと思っていたものも失った。

 

 

 だけど、俺は死ぬ間際のサチが何かを言っていたのを見ていた。せめてその言葉だけ聞きたい、守れなかったサチにもう一度逢いたいなんて思って、クリスマスのイベントで手に入る蘇生アイテムを求めて、レベル上げを死に物狂いでやった。

 

 でも蘇生アイテムはプレイヤーが死んでから10秒間しか効果を持たないものだった。サチ達が死んでからは、既に半年も経過していた。結果、俺はサチを生き返らせる事も出来なかった。

 だけどその時なんだ、リランと出会ったのは――。

 

 俺はひとまず話をやめた。目の前では、目を見開いているシノンとリランの姿があって、二人ともさぞかし驚いているような感じだった。そりゃそうだ、目の前にいる人が、ギルドを1つ壊滅させたことがあるなんて話をすれば驚くに決まってる。

 もう喋りかけて来ないかもしれない――そう思ったその時に、シノンが口を開いた。

 

 

「だから、あなたは私やみんなを守ろうとするの。月夜の黒猫団の時みたいなことを繰り返したくなくて……?」

 

「そうだよ。彼女達を死なせてしまったっていう罪悪感を癒したくて、せめてあんな光景を繰り返したくないって思って、俺はみんなを守ろうと戦ってたんだ。はっきり言ってしまえば、俺の独り善がりさ」

 

 

 シノンは軽く声を出して黙り込んだ。が、すぐさま口を開いて、再度言葉をかける。

 

 

「それで、残ったリーダー、ケイタって人はどうしたの。仲間を失って、その後は?」

 

 

 思わずぎょっとしてしまう。サチの死も、周りのみんなの死も、俺を苦しめるのには十分なのに、ケイタに関しては必要以上のものと言える。一番、思い出したくない事だ。

 

 だけど、シノンは自らの手で人を殺してしまった事を俺に話してくれて、最後まで話し続けてくれた。俺もまた、最後まで話してやらなきゃ駄目だろう。このまま黙っているわけにはいかないのだから。

 

 

「ケイタは……サチ達が死んで、俺一人だけになった時にアインクラッドの外周付近で会ったんだ。周りの皆が居なくなってる事に戸惑ってたけど、全員死んだ事を伝えたら、何もかも失ったような眼になったよ。そしたら、何をしてきたと思う」

 

「何をしてきたの」

 

「ケイタはブチギレて俺に襲い掛かって来たんだ。このビーター野郎とか、人殺しとかほざいてな。それで、俺の事を外周部へ……アインクラッドの外へ落っことそうとしてきたんだよ。押し込んで、俺の身体を外周部へ投げるつもりだったんだろうな。そりゃそうだよ、だって信頼してた仲間が全員死んで、しかも新しく入ってきた奴がまさかのビーターで、レベルを隠してダンジョンに入り込んでたなんて言われれば、誰だって我を忘れて怒るさ」

 

《だがお前は生きているぞ》

 

 

 俺は頷き、全てを話した。

 

 

「取っ組み合いになって、ケイタに首を掴まれて、そのまま外周部に落とされそうになったその時……すごい形相と力で襲い掛かってくるケイタが恐ろしくなって……俺は思わず力を込めて身体を回したんだ。多分、ケイタからの拘束を解こうとしたんだと思うよ。そしたら……俺を掴んでいたケイタの身体が柵を乗り越えてさ……俺の身体を離して……そのまま……」

 

 

 以前、シノンにはアインクラッドの外へ行ってしまうとどうなるかを話した。アインクラッドの外に身を投げてしまうと、そのまま虚空へと落ちて、死亡するようになっている事が、このゲームが始まって間もない頃に発覚している。アインクラッドの外周から身を躍らせた場合、高所落下という死因をはじまりの街にある生命の碑に書かれ、名前に横線を引かれるようになっているのだ。

 

 ケイタがその後どうなったのかを悟ったように、シノンは目を見開いた。

 

 

「じゃあ、そのケイタって人は……!」

 

「あぁ……俺が本当に殺しちゃったんだよ」

 

 

 俺を落とそうとしたのに、まさか自分が落ちるなんて思ってもみなかっただろう。落ちて行った時のケイタの何が何だかわからないような顔は今でもよく覚えている。多分、ケイタはアインクラッドの外周に落ちているのが自分である事に最後まで気が付かず、無数の破片となって散っていたのだろう。

 

 しかも恐ろしいと思ったのは、ケイタが俺のせいで落ちて行ったにもかかわらず、俺のアイコンはグリーンのままだったという事だ。どうやら転落死は、プレイヤーの手で意図的に引き起こされても、事故扱いとなってしまうようになっているらしい。リランやシノンと出会ってから、ずっと心の奥底に封印してきたつもりだったが、話を始めた瞬間から、頭の中が月夜の黒猫団が壊滅した瞬間や、ケイタを振り落して殺した時の映像のフラッシュバックでいっぱいになってきた。

 

 

「あれから君みたいに月夜の黒猫団の皆が死んだ瞬間、ケイタを落とした時の瞬間が、何度も夢に出てきてさ。でもよかったんだよ、5人ものプレイヤーを殺した俺には、丁度いい罰だったんだ。ここら辺は、君と同じだね、シノン」

 

 

 シノンは唇を震わせながら、小さく言った。

 

 

「じゃあ……あなたはどうやってその記憶を乗り越えたっていうの。私と接してる時は、そんなふうじゃなかったじゃない」

 

 

 俺はシノンが着ているコートに目を向ける。だけど、見ているのはシノンでもコートでもない。

 

 

「サチが、俺にメッセージを残しててくれたんだよ。もし自分達が死んだとしても、それは俺のせいじゃないってね。そのおかげで、俺は立ち直れたし、もうあんな事を繰り返さないって意気込みで戦いに臨む事が出来るようになった。だけど……そもそもサチだって、俺が止めておけばあんな事にはならなかったし、それに、ケイタの場合は……」

 

 

 続きを言おうとした次の瞬間、リランの《声》が頭に響いた。

 

 

《事故だ》

 

「え?」

 

 

 シノンと二人で声の発生源に目を向ける。全身ずぶ濡れで、普段ふかふかの毛がべったりと甲殻や肌に貼り付いてしまっている

 

 

《ケイタはお前を突き落すつもりで襲い掛かった。確かに激情に駆られてはいただろう。だが、だからと言ってお前を突き落とそうとしていい言い訳にはならない。その結果、お前に抵抗されて落ちて行ったのだ。事故死と考えるのが妥当だろう。もう少し冷静に考える事が出来れば、死ななかったかもしれぬな》

 

「そ、そんな……」

 

《お前だって悪気があってやったわけではあるまい。もし、ケイタに少しでもすまないと思う気持ちがあるならば、ここで立ち止まらず、この城を終わらせるために踏み出す事を選ぶべきだ。そして、彼らの分も生きるよう考えるべきだ。ケイタの死だのサチの死だの、月夜の黒猫団の亡霊に付き纏われているように生きる事を、お前を立ち直らせたサチが望んでいると思うか?》

 

「そうじゃないと思う……」

 

 

 リランはそっと微笑んだ。

 

 

《ならば前を向けキリト。月夜の黒猫団は「思い出」だ。過去に思いを馳せるだけでは、未来に生きていく事が出来なくなる。彼らの死の元を辿れば、この世界そのものに要因があるのだ。この城が終わらない限り、サチのような犠牲者が出続けるであろう。お前は、サチ達のような犠牲者を出したくないのだろう? ならば、過去に囚われず、今を生きるべきだ。今、お前の目の前には何がある? そしてそれをどう思っている》

 

 

 俺はリランから目の前にあるものに目を移した。そこにあったのは、びしょ濡れになっているシノンの顔だった。俺の元にいきなり降って来て、俺の言葉を信じてくれて、俺に心を開いてくれたたった一人の女の子だ。そして今は、俺がこの世界で最も守りたいものだ。

 

 

《お前は今さっき答えを出して、シノンに言ったはずだ。それを実行する事だけを考え、実行して行けるように努力するのだ。我も、全力で手助けする。

 何ならもう一度言ってやろうか? お前が今やるべきだと思っている事は――》

 

 

 それよりも前に、呟いた。

 

 

「シノンと一緒に居て、シノンを守る事。この世界でも、現実に帰っても、ずっと。

 そしてこの城を脱出し、現実世界に帰ろうとしている皆を、なるべく死なせず、守り通す事だ」

 

 

 リランはフッと笑ってみせた。

 

 

《わかっているではないか》

 

 

 俺は頷き、そっと目を閉じた。心の奥底で、月夜の黒猫団の皆の姿が見えた。

 俺のやった事は許されないし、もう彼らに償う事も出来ない。だからせめて、もう彼らのような犠牲が出る事を防ぐべく生き、過ちを繰り返さないと誓う。もう絶対に、繰り返したりしない。

 

 そう思うと、彼らがどこか微笑んだような気がした。

 

 

「キリト」

 

 

 月夜の黒猫団の姿が一つの呼び声に寄って消え去り、俺は目を開けた。

 目の中に再びシノンの姿が映し出される。

 

 

「キリトも色々な目に遭って……辛い思いをして来たのね。でもあなたは辛い目に遭ったりすると、全部抱え込んでしまう。誰にも言わず、誰にも気付かれないようにしてしまう。

 あなたは私にとても重要な約束をしてくれたけれど、一緒に私からも、約束してほしい事があるわ。もう、全部一人で抱え込もうとするのは止めて。あなたが私の傍にいるって事は、私があなたの傍にいるのと一緒なんだから……苦しくなったら、私に言ってほしい。私も一緒に、向き合うから」

 

 

 急に手が暖かくなった。さっきまで、俺がシノンの手に被せていた手を、今度はシノンが覆っていた。

 

 

「あなたが私に、居場所が無いわけじゃないって言ってくれたのと同じように、あなたにも、居場所が無いわけじゃないわ。あなたはもう、ソロプレイヤーじゃないんだから。

 この世界でも、現実世界でも……ずっと。あなたが傍にいてくれるなら、私もあなたの傍にいるんだから。……だからもう、自分ではどうしようもなくなるまで、物事を抱えるのはやめて」

 

 

 こんなにずぶ濡れになっているにもかかわらず、シノンの手はとても暖かく感じられた。そしてその温もりは、俺の手を通じて全身に広がり、心の中にまで伝わってきた。

 

 俺はシノンにの傍にいると言って、それを誓った。だけどそれは、同時にシノンが俺の傍にいてくれるという意味でもあったんだ。そんな簡単な事にすら、気付けなかったらしい。

 

 

「……俺はかつて、サチを守るためにこの命を使うとおうとした。だけど、だからと言って君がサチの代わりである事は絶対にないし、そんなふうにも思わない。今、俺の命は君のものだ。君のために使うし、君を守り続ける。君が倒れそうになった時は君を支えて、最後の一瞬まで一緒に居る……この世界でも、現実世界に帰っても」

 

 

 俺はシノンの目を見つめた。

 

 

「でもそれと同時に……君は俺の傍にいてくれるか? 俺と一緒に、いてくれるか。俺が折れそうになった時に、支えてくれる……かな」

 

 

 シノンはこれまでにないくらいににっこりと笑った。

 

 

「……うん」

 

 




原作との相違点

1:事故扱いとはいえ、キリトがケイタを外周部へ振り落としている。

2:キリト×シノン。繰り返す、キリト×シノン。


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15:After_The_Rain

新展開早々のキリシノ回。


 俺達はシノンを連れ戻し、本当の事を聞いた後に、すぐさま22層へと転移して、着替えて眠った。あんな雨の中探し回っていた事と、そもそもボス戦の後だった事、色んな事を吐き出してスッキリした事など、様々な物事が重なって、ぐっすり眠る事が出来た。

 

 そして、ようやく眠りから覚めたその時の時間は朝の8時半。いつもより30分遅い起床だった。そういえば、アラームをセットして寝るのを忘れてしまっていた。というか、ぐっすり眠っていたいと思ったから、アラームをセットしないで寝たような気がする。

 

 ぐっと背伸びをして、軽く身体を動かしたその時、左手に何かが当たったような感覚が走った。俺一人だけが使っているベッドなのに、何かあるのかと思って目を向けてみたところ、俺は驚いてしまった。いつもは一人で使っているベッドに、シノンとリランが寝転んでいた。それも、かなり深く寝入っているようで、俺の手が当たったくらいじゃ起きる気配も見せなかった。

 

 

「シノン……」

 

 

 そういや、昨日は疲れに身を任せて、シノンと一緒に眠ったような気がする。別にそんな事はどうでもよかったのだが、シノンはいつも俺よりも早く起きているのに、俺の方が先に起きているという状況が、どこか不思議に思えた。

 

 シノンは歳の割に大人っぽくて、どんな状況でも基本慌てる事なく対応する事が出来る。このデスゲームに放り込まれた事を知った時も大して混乱する事なかったし、まるで歴戦の勇者のよう落ち着き払っていた。あの時シノンに混乱されていたら、どうしようもなかったなと今でも思う。――そんなシノンの寝顔は年相応か、それともそれ以下に見えて、意外だと思えた。

 

 俺はそっと手を伸ばして、シノンの髪の毛に触れた。まるで絹か何かのように柔らかく感じられる。

 

 これまで、シノンはただの仲間でしかなかったけれど、今となっては誰よりも大切な存在、誰よりも、優先的に守りたいと思える人だ。そして……俺が初めて、愛おしいと思える人。今こうして寝顔を見ているだけで、胸の中に愛おしさが込み上げて来て、心の中が暖かくなる。きっとシノンは、俺にとって温もりそのものなんだと、つくづく思う。

 

 

 だけど、そんなシノンには痛々しい過去が有り、今も尚それに苦しめられて居て、心にどこか危うい部分が出来てしまってる。今までは一人でどうにか支えて来たけれど、とうとう一人だけじゃどうにもならなくなってしまった。だから、俺が一緒に居ると同時に、シノンの事を支えてやらなければならない。だけどそんな事はとっくの前に心に誓っていた事だから、何を今更と言いたいところだ。

 

 

「ずっと一緒に居てやるからな……シノン」

 

 

 そう呟いて、手を離したその時に、シノンが小さな声を口の隙間から漏らして、その瞼を静かに開いた。

 

 

「おはようシノン。ぐっすり眠れたか」

 

 

 シノンは俺と目を合わせた後に起き上がり、手で口を押えながら軽く欠伸をした。そして、少し眠そうな顔をして、俺に言う。

 

 

「おはようキリト……今何時……?」

 

 

 俺は近くにあった時計を手に取って、シノンに見せつけた。文字盤は朝の8時35分を指示している。普段のシノンからすれば寝坊の時刻だな。

 

 

「朝の8時35分。シノンは普段7時半頃に起きてるから、大分寝坊したみたいだな。まぁ別に何か予定とか学校があるわけじゃないからどうでもいいはずだけど」

 

 

 シノンは軽く頭を抱えた後に、少しだけ微笑んだ。

 

 

「なんだろう、久々に、ぐっすり眠れたような気がする。嫌な夢とかも見なかったし」

 

 

 シノンは以前、思い出しそうで思い出せない記憶が夢に出てきて、あまりぐっすりと眠る事が出来ずにいた。だけど昨日、記憶をようやく取り戻して、しかもその記憶の内容を俺とリランが受け入れた。そのおかげだろう、シノンがぐっすりと眠る事が出来たのは。何がともあれ、よかった。

 

 

「それはよかったじゃないか。俺もなんだかぐっすり眠る事が出来たような気がするよ」

 

 

 直後、シノンは髪の毛を軽く触りながら苦笑いする。

 

 

「でも変な感じね。あんなにびしょ濡れになってたのに、風邪引いたりしないんだから。普通、あんなにびしょ濡れになってしまえば、次の日は必ず風邪をひくものよ」

 

「確かにな。だけどこの世界はゲームの中だから、風邪を引いたりする事ないから便利だよ。まぁその分、死んだら本当に死ぬわけだけど……」

 

 

 直後、いきなり背中が少し重くなった。見てみれば、シノンが頭を乗せてきていた。まるで、俺に体重を預けているような感じだ。

 

 

「だけど、暖かさは本当よ。本当に温かく感じるし、すごく安心できる。とくに、あなたのは」

 

「……そうだな」

 

 

 確かにこの世界はゲームの世界であり、茅場晶彦が自分の欲望のために造り出した世界だ。だけど、ここに生きているものは本当に全て生きていて、温もりも冷たさも本物だ。以前からそんなふうに感じてはいたけれど、ここ最近、いや、リランとシノンに出会ってからは、それをより強く感じるようになった。

 

 俺達を閉じ込めてはいるけれど、「この世界がゲームではあるが、遊びではなく現実である」という茅場の謳い文句に、今なら頷ける。文字通り、俺もシノンも、そしてリランもこの世界で生きているのだから。

 

 やがて、シノンが頭を離して俺に声をかけてきた。

 

 

「さてと、朝ご飯にしようかしら。何が食べたい?」

 

「別に何だってかまわないけれど……()()()()、玉子のサンドイッチがいいかな」

 

 

 その時、シノンはいきなり吹きだした。

 

 

「キリト、あなた今なんて言った?」

 

「え、玉子のサンドイッチがいいかなって」

 

「その前よ」

 

「そうさな、玉子のサンドイッチが……」

 

 

 シノンは軽く笑い出す。

 

 

「あなた、リランみたいな事言ってる。リランはそう言うじゃない、「そうさな」とか、「であるな」とか」

 

 

 無意識で言ったつもりだったけど、そうさなはリランがよく使う言葉、というか口調だ。いつの間にか、無意識のうちにリランと似た言葉を口にするようになってしまったらしい。ペットは飼い主に似るっていうけれど、俺が《使い魔》に似てしまった。

 

 

「ペットは飼い主に似るっていうけれど……」

 

「あなたの場合、《ビーストテイマー》は《使い魔》に似るね」

 

 

 次の瞬間、腹の奥から笑いが込み上げて来て、笑い出してしまった。それに誘われたかのようにシノンもまた声を出して笑い出した――が、すぐさまその笑いは、頭の中に響いてきた《声》のせいで止まってしまった。

 

 

《何がペットは飼い主に似るとか、飼い主はペットに似るだ。我はキリトのペットではない!》

 

 

 驚きながら、シノンのすぐそこで寝ていたリランに目を向ける。リランはもう起床しており、少し怒った様子で俺達の事を睨んでいた。

 

 

「り、リラン起きてたのか」

 

《起きていたとも。少なくともキリトが起きた直後にな。全く、我をペット扱いするでない!》

 

 

 それもそうだ。リランは俺もペットじゃなく、《使い魔》であり、仲間であり、大事な相棒だ。こいつには何回も助けられているから、その時の事を思い出すとあまり頭を上げる事が出来ない。

 

 

「ごめんリラン。そうだな、お前はペットじゃなくて俺の相棒だし、俺達の大事な仲間だ」

 

 

 リランの顔から怒りが消える。

 

 

《わかっているならばそれでいいのだ。さてとシノン、今日の朝食は玉子のサンドイッチか》

 

「そのつもりだけど……リランもキリトと同じメニューでいいんだ?」

 

《構わぬよ。我も同じものを食べよう》

 

 

 毎回思うけれど、リランの食性って一体何なんだろう。狼みたいな輪郭をしてはいるけれど、身体はドラゴンだし、背中からは翼が、額からは剣が生えてる。狼みたいな顔をしてるから、食性は狼、即ちイヌ科の動物と同じなんじゃないかと思ったら、犬が食べてはいけないはずのネギとか味の濃いものとかに該当する食べ物を食べても平気な顔をしているし、むしろ美味そうに食べる。

 

 だから、イヌ科の動物のそれとは違う食性の生物である事は間違いないんだけど、本当にゲームの中だから、何でもありだ。

 

 

「そうか。ならシノン、今朝は玉子のサンドイッチとコーヒーにしてくれ」

 

「了解よ。それじゃあ早く着替えて下に行きましょう」

 

 

 その時、リランが何かを思い付いたような仕草をして、シノンに顔を向けた。

 

 

《シノン、我は紅茶で頼む》

 

 

 思わず二人でリランに目を向けてしまう。

 

 

「お前、紅茶が好きなのか」

 

 

 リランは首を傾げながら俺達に目を向ける。

 

 

《なんだ? 我が紅茶を飲みたいと思ったら変なのか》

 

 

 シノンは頷いた。

 

 

「えぇ。まさかそんな事を言い出すなんて思ってもみなかったわ。食べ物どころか飲み物すらも人間の食性に近いのね、リランって」

 

《さては、我をそこら辺の狼や犬と一緒に考えておったな? 我は見ての通り狼に近い見た目をしてはいるが、歴としたドラゴンなのだ。

 食べる物が違ったところで、別に驚くべき事ではないだろう》

 

 

 いや、狼みたいな見た目をしてたら、食性も狼に近いものだって思うのが普通だと思うよ。狼みたいな見た目をした生物がネギとか味の濃いものとか食べてたら誰でも驚いてしまうって。そんな事を思いながら、俺はリランに言った。

 

 

「まぁお前は本当に不思議な奴だから、いちいちツッコミを入れていたらきりがなくなる。こいつが紅茶を飲むのはとりあえずそういう事にしておこう」

 

 

 シノンが軽く腕組みをする。

 

 

「あんたは雌だから、女性よね。女性は確かに紅茶を好んで飲むような気がするから……あんたが紅茶を飲みたいって思っても別に不思議な事はないって事か」

 

《そういう事だ。さぁ早く下へ行こうぞ》

 

 

 そう言ってリランは軽く羽ばたいて舞い上がり、俺の肩に飛び乗った。慣れた重量感が肩にかかり、俺はどこか安心を覚える。

 

 

「よし、それじゃあシノン。いつもどおりお願いな」

 

「任せておいて」

 

 

 シノンと一緒にベッドから降りて階段を下り、俺達はいつもどおりのリビングに赴いた。けれど、シノンの雰囲気が少し変わったせいなのか、リビング、というかログハウス全体が少し明るくなったような気がする。

 

 シノンは俺にリビングで待つよう言い、キッチンへ向かっていき、俺はリビングに行ってソファに座ったが、そこからキッチンに目を向ければ、料理をしているシノンの姿がすぐに捉えられた。

 

 全てを打ち明けてすっきりしたシノンの後ろ姿。戦闘服ではなく、明るい緑色を基調としたパーカーと、裾がひざ上まで切り詰められている白い色のズボンという完全に力が抜けきったような服装。そんなシノンの後ろ姿を見ていると、不思議な安心感を覚えた。きっと、シノンの肩に乗せられていた荷が下りて、更に俺の事をもっと信じてくれるようになった事が理由だろう。

 

 そんなシノンに見惚れていると、頭の中に再びリランの《声》が聞こえてきた。

 

 

《シノンの動き、どこか軽やかだと思わぬか》

 

 

 シノンに気付かれないような小声でリランに答える。

 

 

「思う。昨日までと比べて、すごく足取りも軽やかだし、何だか雰囲気も明るくなったような気がする」

 

《シノンの身体には昨日まで沢山の錘が付けられていた。だがキリト、それをお前が外したのだ。お前が彼女の記憶を受け入れた事によってな》

 

 

 そういうけれど、そもそもシノンだって俺の事を受けて入れてくれた。俺はギルドを一つ壊滅させてしまったと言うのに、シノンは悪罵をぶつける事も、離れる事もなく、俺の事を受けて入れて、こうして一緒に暮らす事を選んでくれた。「俺が君を守る」って言っても、俺が過去を打ち明けた際に、彼女が俺に幻滅して離れていってしまう可能性だって十分にあったし、シノンだってそういう行動をとる事だって出来たはずだ。だがシノンは俺から離れる事はなかったし、より一層心を開いてくれたような気がする。

 

 

「シノンだって、俺の事を受け入れてくれたよ。それにリラン、お前だってそうさ。俺がギルドを一つ潰した事のある人殺しだって言った時に、俺の事を消し炭にする事だって、お前には出来たはずだぜ。それで、シノンの《使い魔》に転属する事だって出来た」

 

《確かにお前がギルドを潰し、サチ達を死なせてしまったという事実は、正直我も驚いた。だが、お前は自分のやった事を認めて、こうして前を向いて生きる事を選んだ。仲間を失った、死なせてしまったという事実を受け入れて身体に刻み込み、前に進み続けようとしていたから、我はお前を攻撃しようとも、離れようとも思わなかったのだ。もしお前が言い訳でもしていたならば、攻撃をしていたかもしれない》

 

 

 リランは俺に顔を向けた。そこには微笑みが浮いている。

 

 

《お前が月夜の黒猫団の皆を死なせてしまった事実は覆らないし、彼女達に直接償いをしてやる事も出来ない。だが、前を向いて生きる事と、彼女達の死を、そして彼女達のような犠牲を出すような過ちを繰り返さない事を、忘れるな。きっとこれが、お前に出来る彼女達への償いだ。そしてお前がそれを忘れずにいるならば、我はその背中を押し続けよう》

 

 

 そうだ。俺のやった事は覆らないし、死んでしまった彼女達には償いは出来ない。だけど、いつまでも彼女達の死に囚われているわけにはいかないし、何よりそんな事を彼女達が、サチが望んでいるとは思えないし、そんな事では、きっとまた同じような過ちを繰り返す事になるだろう。もう、あんな事になるのは沢山だし、もう俺は何も失いたくない。――そして、決して失いたくないものが、今俺の横と、目の前にある。シノンとリラン、その命だ。

 

 シノンの方は現実に戻っても一緒に居たいと思うし、一生かけて守ってやりたいと思っている。リランの方は……この世界が終わってしまった時に別れる事になってしまうかもしれないが、リランとも最後の一瞬まで一緒に居たい。最後の時を迎えるまで、絶対に失わないたくない。

 

 

「わかったよ。なぁリラン」

 

《どうした改まって》

 

 

 俺はリランの頭に手を乗せた。柔らかい感触が手を包み込む。

 

 

「お前も……最後の一瞬まで一緒に居ような。最後の、最後の時まで……」

 

 

 リランは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさま笑みを浮かべた。

 

 

《何を言うか。我は死なぬよ。お前が無事にこの城を脱出する時まで、お前の《使い魔》としての使命を全うしよう》

 

「あぁ、頼むよ相棒」

 

 

 直後に、シノンが声をかけてきて、俺達はその方を向いた。そこには玉子のサンドイッチが乗った皿を両手に持ったシノンの姿があった。

 

 

「二人とも、出来たわよ」

 

 

 シノンの声に答えた直後に、俺は、シノンに声をかけ返した。

 

 

「シノン、ちょっと皿をテーブルに置いて、こっちに来てくれないか」

 

 

 シノンは首を傾げた後、俺の指示通りテーブルに皿を置いて、目の前までやってきて立ち止まった。

 

 

「どうしたのよキリト」

 

「ちょっと手を出してくれないか?」

 

「手? なんでまた?」

 

「いいからいいから」

 

 

 シノンはどこか不思議そうな顔をして、俺に向けて手を差し伸ばしてきたが、その腕を掴んで、一気に自分の方へ引っ張った。シノンが驚きの声を上げながら、俺の身体に飛び込んで来たところを俺はしっかりと受け止め、すっぽりと抱き締めた。柔らかいシノンの匂いが鼻に流れ込み、優しい温かさがじんわりと身体に伝わる。

 

 

「ちょ、ちょっとキリト、どうしたのよ」

 

 

 シノンの焦りの声を受けながら、俺は静かに言った。

 

 

「君の場合は二回目だけど……最後まで一緒に居ような、シノン。ずっと、ずっと、一緒に……」

 

「あ……」

 

 

 シノンの声から焦りが消えて、やんわりとしたものに変わった。

 

 

「うん。一緒に居てね、キリト。でも……」

 

「え?」

 

「人前でこういう事をするのはやめてね? 流石にこれを人に見られるのは恥ずかしいわ」

 

 

 思わず苦笑いしてしまった。

 

 

「いやいやしないよ。君と二人きりの時だけにするさ。攻略は、これまでと同じようにいこう」

 

 

 シノンはもう一度頷いた後に、小声で俺の耳元に囁いた。

 

 

「……信じてるわ、キリト」

 

 

 俺はシノンと同じように頷いた。そして、心の中で改めて決心した。

 

 こんなにも愛おしい命を、こんなにも俺の事を信じてくれる人を、絶対にこの世界には奪わせない。

 

 最後まで……守り切ってやるんだ。そして最後まで……一緒に居るんだ。この娘の支えに、なってやるんだ。

 

 

 




この話の小ネタ

After_The_Rain→「獣の奏者エリン」のエンディングテーマ。




次回からは攻略へ戻ります。そして、シノンのあのスキルがとうとう発生?


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―アインクラッド 03―
01:特殊スキル《射撃》


4月最後の更新。


 俺達は朝食を終えた後、ひとまず攻略を進めるべく54層に赴く事にした。今度はどんな層が待ち受けているのか楽しみにしながら行ってみたところ、俺達は少し驚く事になってしまった。54層はほとんど陸地が無く、空中を浮かぶ回廊のようなもので構築されている、空中神殿のような層だった。俺達の目の前には回廊と通路が広がっていて、そこには高い柵が設置されている。

 

 

「うっひゃぁ。まさかこんなに早く空中神殿みたいな層に出くわすなんてな」

 

 

 シノンが近くにある柵から顔を下に覗かせた。が、その顔は少しずつ青くなっていった。

 

 

「これは……高所恐怖症の人が来たら卒倒ものね。っていうか、高所恐怖症じゃなくても怖いかも。全然下が見えてこないわ」

 

「そりゃそうさ。この層は完全に空の上に作られているんだ。だから間違っても柵の外に押し出されないように注意しないとな。落ちたら即死だ、多分」

 

 

 多分、この柵の外はアインクラッド外周部と同じ扱いだ。落ちたらその場で死んでしまうような即死トラップと言っても別に間違いではない。何とか用心して、落ちないように進まないと。まぁそんなに落ちるようになってたらただの理不尽ゲームになってしまうからそんな事はないだろうけれど。

 

 そんな事を考えていた俺にリランが《声》を送る。

 

 

《大丈夫だ。もしお前達が落ちたとしても、我が咄嗟に飛び出して救い出してやる。吹っ飛ばそうとして来る敵に用心する必要はあるが、心配しなくてもいい》

 

 

 いや、どう考えてもリランが飛び出して辿り着く前に俺達が死亡判定エリアに辿り着いてしまうだろう。リランの言葉はありがたいし、その行動力も頼もしい限りだが、多分それは当てにならないだろう。

 

 

「まぁそういう事にしておこう。だけどそんな簡単に吹っ飛ばされて放り出されたりしないだろう。もし簡単に吹っ飛ばされて落ちるようになってたらクリアできないっての。ただでさえデスゲームなんだから」

 

 

 シノンが納得したような顔をする。

 

 

「確かにそんな簡単にプレイヤーを殺す仕掛けを作るほど、開発陣も鬼畜ではないでしょうね。それにあなたの話に出てくる茅場って人も、そこまでの狂人ではないでしょうから」

 

 

 いや、はっきり言ってしまうと茅場晶彦は狂人だ。

 ナーヴギアとフルダイブゲームという素晴らしいものを作り出したかと思えば、その真実の姿は、中にプレイヤーを閉じ込めて、そこで死ねば現実でも死んでしまうような事になるゲームと装置だったのだから。

 

 こんな装置を作ろうと思えたのは茅場晶彦が狂人であったからであり、並みの人間ではこんなのを作ろうとは思わないだろう。だがそうだとしても、茅場は流石に安易にプレイヤーを死なせるような仕掛けは作りはしない。

 

 

 随分と昔にやたらプレイヤーが死にまくるRPGがあったけれど、あれはデスゲームじゃないからできるわけで、デスゲームであんな仕掛けを作ったらそれこそ完全無欠の外道、プレイヤーへの死刑宣告そのものだ。このゲームは確かにデスゲームではあるが、茅場本人の口から死刑宣告ではない事が明らかになっているため、そんな簡単に死ぬ仕掛けはないだろう。

 

 

 そんな事思いながら柵の上の方へ手を伸ばしたその時に、俺は思わず驚いた。手が何かにぶつかったような感覚と共に空中で止まった。まるで、透明な壁があるように。

 

 

「なんだこれ」

 

 

 もう一度手を伸ばすと、やはり壁に触ったような感覚と共に手が止まった。試しに拳を握って叩く仕草をしてみたところ、音はしないが何かをノックしたような感覚が手に走った。あ、これはそういう事か。

 

 

「あ、これ大丈夫だ」

 

「何がよ」

 

「柵の上に……というか柵に見えない壁がある。これで落下を防いでくれるようだな」

 

 

 シノンは首を傾げながら柵の上に手を伸ばした。やはり俺と同じように柵の外に出る事なく、手が止まった。

 

 

「本当だわ。見えないけれど、確かに壁があるわ。これなら落下死はないわね」

 

 

 流石茅場晶彦。このゲームは理不尽そのものだが、ちゃんとデスゲームを考慮したうえでの仕掛けが作られている。

 

 

「そういう事だ、リラン。いざとなった時のお前の助けは必要ないよ」

 

 

 リランはしょんぼりした顔をして、俯いた。

 

 

《我は役に立たぬのか……》

 

 

 だけど、こんな大空をリランの背に乗って飛ぶ事が出来たなら、とても気持ちいいだろうなとは思う。ドラゴンの背に乗って空を飛ぶなんてのは、ゲーマーの憧れだったし、叶わない願いだった。それがこの世界で叶うとわかったんだから、興奮極まりない。……残念ながら見えない壁があるせいでこの層を飛ぶ事は出来ないみたいだが。

 

 

「今度22層の空を飛んでくれ。あそこなら迷宮区の上部までは高度制限がないみたいだし、敵もいないし気象設定もいいから快適だろう」

 

 

 シノンが何かに気付いたようにリランに言う。

 

 

「あぁそっか、リランはドラゴンだし翼があるから、空を飛んでいく事も出来るわけね。確かにあんたの背中に乗って飛んだら気持ちよさそう。攻略がひとまず落ち着いたら、22層のフライトをお願いできるかしら?」

 

 

 リランは顔を上げた。

 

 

《別に構わぬよ。我も近頃飛ぶのはボスと戦っている時だけになっているような気がしているからな。お前達が望むのであれば、この城の空を駆けよう。まぁこの層は無理のようだが》

 

 

「それは仕方がないよ。さぁ、行くとしよう」

 

 

 俺の声に二人は頷き、俺の後ろに着いた。それを確認した後に、俺は空中回廊を歩き出したが、しばらくした後に、ある事に気付いた。53層のボス戦の時の事だ。

 

 あの時、シノンが突撃してソードスキルを撃ちまくっていたが、やはり動きにどこかぎこちなさが混ざっているように感じられた。いや、それ以前から、シノンの短剣裁きはぎこちないというか、手に馴染んでいないような感じがあった。

 

 このゲームには片手剣、大剣、曲刀、刀、両手斧、槍、片手棍、短剣の9種類の武器があるが、扱いはどれもプレイヤーの持つポテンシャルが大きく影響する。あるプレイヤーが片手剣を握って戦うとぎこちなさが出るが、逆に槍を持って戦ってみると安定したなんて話は日常茶飯事だ。

 

 

 シノンにはきっと別な武器に適応しているポテンシャルがあるに違いない。だけど、シノンが片手剣を握っても馴染まなさそうに見えるし、その他の武器もそんな感じがする。一体何がシノンに適応している武器なのか。もしかしたらそんなものは存在しておらず、シノンはずっと馴染まない短剣で戦うしかないのか。そんなふうに考えていたその時に、考え事の中心部にいたシノンの声が耳に届いてきた。

 

 

「あれ、キリト。ちょっと足を止めてくれるかしら」

 

 

 その言葉通りに足を止め、振り向く。そこで、シノンはスキルウインドウを開いたまま立ち尽くしていた。

 

 

「どうしたんだよ」

 

「ちょっとこれを見てほしいのよ。スキルウインドウを開いたらこんなのが出てて……」

 

「え?」

 

 

 シノンの言葉に導かれるようにその隣に並び、ウインドウの中を確認したが、その次の瞬間に俺は少し驚いた。シノンのスキルウインドウの中に、これまで見た事のない名前が出現している。その名は、《射撃》。

 

 

「《射撃》……? なんだこれ」

 

「私もわからない。ウインドウを開いたら、いつの間にかこんなのがあったのよ」

 

 

 このゲームには実に沢山のスキルが存在しているが、その中でも射撃スキルなんて聞いた事はない。似たようなスキルに遠距離攻撃を若干強化する投擲スキルっていうのがあるし、俺も取得しているけれど《射撃》っていうのはそれの上位スキルだろうか。

 

 だけどそんなものが存在している事は情報屋にもないし、そもそもそのスキルに上位版が存在する意味とはなんだろう。このゲームは文字通り身体を動かしてプレイする事を前提に作られたゲームだから、遠距離攻撃なんてのは充実してないはずなんだけど。

 

 

(待てよ?)

 

 

 俺は頭の中で閃いた。いや、思い出したと言った方が正しいかもしれない。

 

 以前この城を昇っていた最中に、弓矢を使うゴブリンとリザードマン、ウェアウルフを見た事がある。普通、あいつらは俺達と同じ武器種を装備して、俺達と同じソードスキルを放って来るものだけれど、弓矢を装備した奴らのスキルは俺達とはかけ離れたものだったし、この城で唯一の遠距離攻撃とスキルだった。

 

 あいつらだけが持っていた弓矢……あれを「射撃武器」と言わないでなんと言う。

 

 

「まさか、弓矢のスキルかこれは!?」

 

「弓矢のスキル?」

 

「そうだよ。以前、ここの攻略をしてた時に、弓矢を装備して遠距離攻撃を仕掛けてくる敵に出会った事がある。あいつらだって弓矢っていう武器を装備して、それ相応のスキルを使っていたはずだから……もしかしたらこのスキルは、プレイヤーが弓矢を装備できるようになるスキルなのかもしれない」

 

 

 シノンの目が少しだけ見開かれる。

 

 

「って事は、私は弓矢を装備できるようになったって事?」

 

「多分そうだと思う」

 

 

 その時に、俺は気付いた。今まで武器屋に寄っても片手剣、大剣、曲刀、刀、両手斧、槍、片手棍、短剣の9種類の武器しか見受けられず、弓なんて装備が売られているところなんか見た事が無い。もしシノンのこのスキルが弓矢に関連するものなのだとしても、確かめる手段はどこにもない。

 

 

「でも駄目だな……アイテムとしての弓がないと、装備できるかどうか確認できない……」

 

「あ、あったわ」

 

 

 思わず驚いてシノンに顔を向け直す。シノンはいつの間にか左手でアイテムウインドウも開いていて、アイテムをソートさせていた。更にその顔には驚いたような表情が浮かべられている。それこそ、まるで俺のように。

 

 

「何があったんだよ」

 

「弓よ。昨日までなかったのに……いつの間にかアイテムウインドウの中に現れてるのよ」

 

「なんだって?」

 

 

 スキルウインドウからアイテムウインドウに目を映し、シノンが指差す部分に注目する。そこに表示されていたのは「ホワイト・ボウ」という見た事のないアイテム名。ホワイト・ボウ……「白い弓」?

 

 

「ホワイト・ボウだと。なんだこれ」

 

「私にもわからないわ。だけど、明らかに他のアイテムとは違う感じがする」

 

「これが、いつの間にか現れていたアイテム?」

 

「そうよ。それにこれ、短剣と同じように装備できるみたいなのよ」

 

 

 普通、いつの間にかアイテムウインドウにアイテムが追加されているなどというのはあり得ない。もしかしてシノンが射撃スキルを取得したから、その特典みたいなものとして自動出現したのだろうか。そんな事はあり得ないはずだと思っていたが、そうでもないらしい。

 

 直後、シノンはホワイト・ボウをクリックして目の前に召喚した。そして召喚時の光が弾けると、本当に弓が姿を現した。シノンは恐る恐る手を伸ばして弓を手に取ったが、シノンと一緒に俺とリランも弓に注目する。白樺のような色をした、文字通りの「白い弓」。目にする時は主にモンスターとの戦闘の時だけで、こうしてまじまじと弓を見るのは初めてだった。

 

 

「これが……弓……」

 

「えぇ……弓ね……」

 

 

 二人でしばらく見つめていると、リランが《声》をかけてきた。

 

 

《なるほど、シノンはこれで戦う事が出来るようになったわけか》

 

「えぇ。これを装備する事が可能になってるから、今日からはこれを装備して戦う事が出来るわ。試しに装備してみようかしら」

 

「試しにも何も、装備してみたらどうだよ。それで、是非とも感想を聞きたい」

 

 

 シノンはわかったと言って装備ウインドウを展開し、白き弓を装備して見せた。これまで短剣しか握ってこなかったシノンが弓矢を構えた姿はどこか新鮮に見えたが、そもそも、これまで俺は弓矢を装備したプレイヤーという物を見た事が無かった。

 

 いや、シノンのスキルが出てくるまで弓が装備可能であるなんて事すら知らなかったし、見た事なかったから、俺の目の前に広がっている弓を装備したシノンの姿は、アインクラッド史上初の光景だ。

 

 シノンは弓を軽く眺めた後に、弦を引く動作をした。次の瞬間、シノンの手元に矢が出現し、ソードスキルが発動する時に発生するような光が纏われる。その姿はテレビでたまに見るアーチェリーの選手のように感じられた。そしてあの光は、射撃スキルによるものなのだろうか。

 

 そう思った直後に、シノンは広がる空に弓を向けて、弦を離した。光を纏った矢はシノンの手から離れ、ほとんど黙視できない速度で空気を切り裂き、空の彼方へと消えて行った。飛んで行った矢の軌跡を眺めながらきょとんとしていると、シノンが一息吐いた。

 

 

「なるほどね。これは短剣を使うより気持ちがいいわ」

 

「これはすごいな。今まで見た事のない攻撃だ。それこそ……リランのブレス攻撃みたいだ」

 

 

 リランは頷いた。

 

 

《確かに我の行う攻撃に良く似ているではないか。遠距離攻撃が出来る者が二人もいれば、敵を接近させずに倒す事も出来そうだな》

 

 

 今までは接近または接近してきた敵を武器で攻撃、即ち近距離攻撃しか出来なかった。だけどシノンの弓矢は敵を遠距離から攻撃し、敵に接近させないまま倒す事が出来る代物だ。これは革新的、いや、アインクラッドのプレイヤー達が度肝を抜かすような出来事だぞ。思わず腹の奥底から興奮が湧き出てくる。

 

 

「すごい……すごいぞこれは! こんなスキル、便利以外に何があるっていうんだよ!」

 

「あ、でもキリト」

 

「なに」

 

 

 シノンはどこか残念そうな顔をしていた。

 

 

「ごめん、期待させてるところ悪いんだけど……この武器使えないわ」

 

「え、なんで?」

 

 

 シノンは白き弓をぽんとクリックして、ウインドウを呼び出した。数値のところを見てくれという意思表示として、指差す。シノンの指先に表示されている数値に目を向けた次の瞬間に、俺は驚きと落胆を覚えた。――この弓の攻撃力、とんでもなく低い。

 

 

「な、なんだこの数値! 低すぎるぞ!?」

 

「そうよ。私が使ってる短剣の五分の一くらい威力が低いのよ。こんなんじゃこの層の敵と戦う事なんて出来ないし、戦ったとしてもまともなダメージを与える事が出来ない。思いの外、ガラクタだったわ」

 

 

 ほんと、ガラクタレベルだ。白き弓と聞いて結構な数値なんだろうなと思ったけれど、この数値は第2層の武器屋に売られている武器並みの数値だ。こんなもの、54層を冒険する俺達の役になんか立つわけない。

 

 

「なんだよこれぇ……せっかく珍しいスキルが出たから期待したのに……」

 

「こんなの使えるわけがないわ。どこかで別な装備を手に入れる必要があるけれど、そんなものがどこにあるかしらね」

 

 

 俺は頭の中に残る各層の武器屋のラインナップを思い出したが、どれもこれも片手剣や大剣、曲刀や短剣や槍ばかりで、弓矢があったようには思えない。もう一度戻って各層の武器屋を確認するっていう方法もあるかもしれないけれど、そんな面倒くさい事に時間を使うのもなぁ……。

 

 そう思って顎に手を添えた瞬間、俺はふとある事柄を思い出した。そういえば、このアインクラッドには鍛冶屋スキルというものが存在していて、それを熟練する事により商売を出来るようになったプレイヤーが営んでいる鍛冶屋がある。

 

 

 そこで武器に研磨や強化を行う事によって、攻撃力などを上昇させる事が出来るのだが、時折素材を投入する事によって全く別なうえに強力な装備に武器が生まれ変わる事がある。しかもそういう装備はだいたい第1層や2層でドロップするような、54層では役に立たなくなった者が多い。もしかしたら、シノンの弓を鍛冶屋に持って行けば、全く別で、強力な弓に生まれ変わらせる事が出来るかもしれない。

 

 

「シノン、いい方法があるぞ」

 

「なによ」

 

「これを鍛冶屋に持って行ってみるんだ。このゲームは弱い武器も時に強い武器に化ける事があるような強化仕様になってるから、もしかしたらシノンのこれもそうかもしれないんだ」

 

 

 シノンが白き弓をまじまじと見つめる。

 

 

「なるほどね、このままでは使い物にならないけれど、強化すれば使えるようになるってわけか」

 

「そういう事さ。攻略はしなきゃいけないけれど急がなきゃいけないものでもない。ここはひとまず街に戻って、鍛冶屋がいないかどうか探して……あ」

 

 

 その時ふと思いついた。アスナだ。

 アスナは《閃光のアスナ》だった頃に数多くの敵を倒してレベリングに勤しんでいたが、同時に剣だって擦り減らしていたはず。このゲームに存在する武器は敵を切ったりする毎に耐久値が減って行き、ゼロになると壊れて消費されてしまう。

 

 その耐久値を回復させて長持ちさせてくれるのが鍛冶屋なのだが……アスナの武器は武器屋に売っているような量産型ではなく、ラストアタックボーナスみたいなレアアイテム。しかも長い間使っているように見えたから、専属の鍛冶屋に武器の手入れを頼んでいるはずだ。

 

 アスナに頼めば、鍛冶屋を紹介してくれるかもしれない。

 

 

「よし、アスナのところに行こう」

 

「アスナのところに?」

 

「あぁ。アスナの使っている細剣は、随分と長く使っているものだ。アスナもきっと鍛冶屋であの剣を手入れしてもらってる。あとはわかるな?」

 

 

 シノンが何かを思い付いたような顔になる。

 

 

「あぁそうか、アスナに頼んでその鍛冶屋に私の弓を強化してもらうって事ね」

 

「そういう事。それにアスナだってリランと会いたがってるはずだ」

 

 

 リランが街の方に顔を向ける。

 

 

《確かに近頃はお前達に付きっきりでアスナの元に行っていないかもしれぬ。そろそろアスナも我に話したい事が出て来たかもしれぬから、アスナのところに行くのは我も賛成だ》

 

「だろ。だから一旦攻略は中止してアスナのところへ行こう。それで鍛冶屋を紹介してもらうんだ」

 

 

 シノンは頷き、弓矢を折りたたんで背中にかけた。シノンの弓がそういうふうに変形する事を知った後に、俺達は振り返って来た道を戻り、そのままアスナがいるであろう血盟騎士団本部へと転移した。

 




次回、ヒロインの一人が登場。


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02:鍛冶屋の少女

5月最初の更新。


       ◆◆◆

 

 キリトの提案を受けて、私達は血盟騎士団の本部に赴き、アスナを探したけれど、どれだけ隈なく探しても、アスナを見つけ出す事は出来なかった。一体どこにいるのか気になって、近くの団員に尋ねてみたところ、アスナは本部を出てこの層の街に出かけていると聞いた。

 

 何だ、最初から街を探せばよかったじゃないかというリランの呟きを耳にした後に、私達は本部を出て街を探し回った。そしてそこで、ようやくアスナに出会う事が出来た。

 

 私は早速弓矢の事をアスナに教えて、更に鍛冶屋がどこかにいないかを尋ねた。

 するとアスナは丁度鍛冶屋のところへ武器の研磨を頼みに行くところだったらしく、丁度いいから一緒に行こうと言ってくれた。私はそれに賛成してアスナに付いていこうとしたけれど、その時にアスナが、キリトとリランには付いてこないでほしいと言って二人を跳ね除けてしまった。

 

 

 一体どうして二人が抜ける必要があるのかと私が尋ねる前に、キリトとリランは「54層に戻って攻略を進めておく」と言ってそそくさと私達のもとを去って行ってしまい、私はアスナと二人きりになってしまった。アスナはリランにすごく懐いていて、リランと沢山話をしたいんじゃないかと思っていたから、アスナの言動はどこか不思議に思えた。

 

 どうしてリランと話をしないのだろうと考えていると、アスナは私を連れて本部のある層を離れ、48層の街に転移した。なんでも、この街の一角に、アスナの親友である鍛冶屋がいるらしい。鍛冶屋っていうから男の人がやっているのかと思っていたけれど、私達と同い年くらいの女の子だとアスナから聞かされたものだから、驚いてしまった。

 

 

 アスナみたいな凄まじい剣士が、実は料理スキルをマスターしていたり、剣技の時点でもうかなり強いキリトが、リランっていう更に強い相棒を持っていたり、男の人がやるような鍛冶の仕事を私達と同じ年の女の子がやっていたりと、この世界のプレイヤー達は奇想天外なのが多い事を、私は改めて思い知ったような気がした。

 

 

 そして、その鍛冶屋が女の子だと聞いて、どこか安心したような気も感じた。鍛冶屋の人がむさ苦しい男の人だったら、ちょっと嫌だなと思っていたから。そしてその女の子がどんな子なのか考えながら、街中を歩いていたその時に、アスナが声をかけてきた。

 

 

「ねぇシノン、聞きたい事があるんだけど……」

 

「なによ、改まって。もしかしてリランの事かしら」

 

「ううん、リランの事じゃなくて、その飼い主っていうか、キリト君の事についてよ」

 

「キリトについて? 何か気になった事でもあったの」

 

 

 アスナはどこかぎこちなく言った。

 

 

「その……単刀直入に聞くようで悪いんだけど、キリト君とシノンってどういう関係なのかなって思って。ほら、貴方達って同じ家で暮らしているじゃない。その……どういう関係っていうか、どういう事があってああいう事になってるのかなって思って」

 

 

 あぁそうか。アスナは私がキリトとどういう関係なのか、知らないんだった。

 

 ん?

 

 っていうか私とキリトって一緒に暮らしてて、それでもお互いが好き……これって……。

 

 考えていたら、私は顔が思いきり熱くなったのを感じた。多分、顔がかなり赤くなってると思う。私達は、私とキリトは一般的に言う、恋人関係だ。

 

 キリトとずっと一緒に居たからあまり自覚していなかったけれど、私達はいつの間にか恋人同士になってたんだ。

 

 キリトやその《使い魔》であるリランには、キリトが恋人であるって話せる。だけどアスナや他のプレイヤー達に話そうとすると、恥ずかしさや気難しさが心の中から胸の中いっぱいに込み上げて来て、言えなくなってしまう。

 

 とりあえずアスナにはキリトと恋人同士になったなんて言わないけれど……それでもキリトと一緒だったらばれるだろうなぁ。

 

 

 もういい。とにかく今は同居人って言っておこう。多分後々ばれるだろうけれど、その時はその時でいいんだ。

 

 

「キリトとはただの同居人よ。ほら、私は最初からこのゲームの中に居たわけじゃないから、熟練者のキリトと一緒に居るのよ。そうすれば、生存率を少しでもあげられるからね」

 

「つまり、キリト君とはそんなに特別関係じゃないって事ね?」

 

「そのとおりよ。あいつなんてすごく朴念仁で、何考えてるのか全然わからなくて困るわ。だけどその強さは信頼できるものだから、一緒に居るだけ。あいつと一緒に居る、っていうか一緒に戦ってくれるっていう代わりに、私はあいつに料理を作ってやってるのよ」

 

 

 アスナは「ふぅん」と言った後に目の前の道路に目を向けた。

 

 

「でも、キリト君は優しくていい人よ。リランをあんなふうに使おうとした私ですら、最初から何事もなかったかのようにしてくれたし、その行いとかを許してくれたから」

 

「……そうね。()()()が優しいのは間違いないと思う。だからね、一緒に居ても悪い気がしてこないのは。というか、優しくなかったら一緒に居ようだなんて思えなかったかもしれない」

 

 

 アスナの顔がこっちに向いた。

 

 

「シノンはどうなの。キリト君の事とか好きだったりする」

 

 

 言われて思わずぎょっとし、アスナの顔を見つめてしまった。キリトの事が好きで、キリトとはもう恋人同士なんだって悟られないようにしようとしていたのに、早速尋ねられるなんて思ってもみなかった。

 

 どう答えよう。流石にいきなりキリトの事が好きだなんていうわけにはいかないし、というかアスナの事だから、私の事を既に気付いているかもしれないけれど。

 

 っていうか私……色々あの人に言ってはいるけれど、面と向かって好きだって言った事ない気がする。私に好きって言われたら、あの人はどんな反応をするのかな、いや、どんなふうに受け取ってくれるのかな。

 

 だけど、これらの事もアスナに話すべきじゃない。

 

 

「馬鹿を言わないで。あの人……あいつは単にお人よしなだけよ。好きとかそんなふうには思ってない。だから、そんな事聞かれたって面白い反応とか出来ないわ」

 

「そうなんだ。シノンがずっとキリト君のところにいるから、てっきりキリト君の事が好きなんじゃないかって思ってたんだけど……まぁいいわ」

 

 

 やっぱり見抜かれてる。

 

 というか当然よね、歳が近い男女が同じ屋根の下でずっと長い間暮らしていたら、恋人か夫婦だと思うのが自然だ。でも本当に私がキリトの恋人である事には気付いていないみたいだから、ひとまず誤魔化せたみたい。

 

 

「ところでアスナは最近どうなの。キリトに時折リランを貸してほしいなんて言ってたけれど」

 

「あぁそれね。リランとはあの時結構話をしたからしばらくはいいかなって思ってたのよ。だけど、やっぱりリランに聞いてもらいたい話は沢山あるから、そろそろ借りたいかな」

 

 

 アスナはやはりリランの事が気に入っているらしい。多分その関係でキリトにも興味を持っていたとか、そんな感じなんだろうな。

 

 いや、まさかとは思うけれどアスナにも私みたいな気持ちが……?

 

 

「だからもう少ししたら、キリト君のところに行こうと思うんだけど、シノンの方は大丈夫? リランが居なくなると困る事とか、ある?」

 

 

 アスナの言葉で我に返り、私はアスナの顔を再度見直した。アスナの顔は純粋無垢というか、キリトの事とかを考えているようなものではなかった。アスナがキリトを好きでいるなんて事は、私の思い違いだろう。何考えてんだか。

 

 そう言えばキリトは近頃攻略ばかりに勤しんでいて、まるで休んでいない。そろそろノーリランデー……休暇が必要なはずだ。

 

 

「別にリランが居なくなって困る事なんかないし、そもそもリランがあんたのところに行くときは、キリトは休暇を取る事になっているからね。あいつも散々攻略に勤しんでいるから、そろそろ休ませてやらないといけないわ。休みなしで戦い続けたら、いつかあの時のあんたみたいになりかねないからね」

 

 

 アスナがどこか不安そうな顔をする。

 

 

「確かに、あの時はリランの助けが無かったらって考えたらぞっとするわ。あんな事にキリト君がなったら、それこそ大問題だし、私は凄く悲しい。だからそんなふうにならないために、キリト君も休みを取った方がいいわ。攻略が遅れるだとか、そういうのは動ける私達が何とかするから」

 

 

 そうだ。キリトはとりあえず休んだ方がいいんだ。今までずっと一人で戦い続けて、リランと私が加わってもなお戦い続けているんだから。そろそろゆっくり休まないと、持たなくなってしまうだろう。

 

 

「帰ったら無理にでもキリトを休ませるとするわ。それで、あんたのところにリランを行かせましょう。でもひとまずは、鍛冶屋に行かないとね」

 

 

 アスナは目の前にもう一度顔を向けた。風景はいつの間に圏内ではあるものの、街外れになっている。話している間に住宅街とかから抜けちゃったみたい。

 

 そして目の前にぽつんと、水車が備えられている煙突付きの一軒家が確認できた。

 

 

「あれが私の親友が経営してる鍛冶屋だよ。名前はすっごく単純に『リズベット武具店』」

 

 

 リズベット武具店。すごく安直で単純な名前だとは思うけれど、分かりやすく感じた。そしてリズベットっていうのがアスナの親友の名前なのかしら。

 

 

「リズベット武具店? っていう事はリズベットがアスナの親友の名前?」

 

「そうよ。話しやすい子だからすぐに打ち解けられると思う。ほら、早く行きましょうシノン。私もシノンの弓を強化したらどんなものが出来るか興味あるわ」

 

 

 アスナはいきなり私の腕を掴んで走り出した。とくに抵抗しないまま走り続けて武具店の中に入り込んだところでアスナは私の腕を離した。入って最初に見えてきたのは部屋中に陳列された長剣や両手斧の数々だった。

 

 現実も店ならば、入った時に金属の独特な匂いがしてくるものだろうけれど、そういう設定をしていないのか、私の嗅覚センサーは全くと言っていいほど反応をしなかった。そしてアスナがごめんくださいと一声かけると、直後に店の奥から人が出てきた。

 

 

 赤を基調としたスカート付きの服に白いエプロンを身に付けた、少し癖がかかった明るい桃色の髪の毛の女の子だった。歳は私達とさほど変わらないように見えたので、私はその女の子こそが、アスナの言う親友のリズベットだとすぐに理解した。

 

 

「いらっしゃいアスナ。って、そっちの見慣れない人は?」

 

 

 アスナはにっこりと笑って私とリズベットを交互に見つめた。

 

 

「今日はリズに紹介したい人がいて、来たのよ。新しく出来た私の友達でね」

 

 

 リズベットと目が合った。そもそも私はアスナと友達になった覚えはないけれど、アスナの中ではもう私は友達らしい。まぁアスナはいい人だってわかったから、友達であっても悪い気はしない。いや、むしろ心地よい。そしてアスナは、武器を見るのと同時にリズベットに私を紹介したかったみたいだ。

 

 

「初めまして。私はシノン」

 

「よろしく。あたしはリズベット。この店――」

 

「リズベット武具店だっけ。鍛冶屋をやっているそうじゃない」

 

 

 リズベットがきょとんとしてアスナの方に顔を向けた。私がリズベットが鍛冶屋である事を既に知っていた事に少し驚いたらしい。

 

 

「何だ知ってるんだ。っていうか、アスナが教えたんでしょう」

 

「いいじゃないの。リズは腕の立つ鍛冶屋なんだから、鍛冶屋って紹介されて悪い気はしないでしょう」

 

「まぁそうだけどさ。っていうか意外ね、アスナにあたし以外の友達が出来るなんて」

 

 

 アスナの眉が寄った。

 

 

「ちょっと何よその言い方は。まるで私が友達作るの下手くそみたいじゃない」

 

「いや、だってそうじゃないの。実際あんただってここ最近まで迷宮攻略ばっか考えているような顔してたじゃない。だけど最近はそんな事もなくなって、なんか余裕で満ち溢れてるような感じになったわね」

 

 

 リズベットとアスナの会話は本当に穏やかなものだと思った。きっとリズベットはアスナがあんなふうになってた時でも、アスナの傍にいる事を、アスナの友達である事を忘れたりしなかったんだ。そして、アスナが迷宮攻略ばかりを考えなくなった理由はリランにあるんだけど、リズベットがリランを見たらどんな反応をするのかな。その辺りはどうでもいいか。

 

 だけど、アスナにもちゃんとした仲間がいてよかった。ちょっと入り込み辛く感じるけれど。

 

 

「最近はすごくいい事があったし、何よりとてもいい人に出会ったのよ」

 

 

 リズベットの顔にからかうような笑顔が浮かび上がる。

 

 

「おぉ!? もしかして彼氏が出来たとか!? その彼氏のおかげで迷宮攻略が全てじゃなくなったとか!?」

 

 

 アスナは顔を赤くして首を横に振った。

 

 

「そんなんじゃないわよ! 出会ったのは女の人! すごく話を分かってくれる女の人! その人に出会ったおかげで、迷宮攻略が全てじゃないってわかったのよ」

 

 

 リズベットがどこか残念そうな顔をした。多分アスナに彼氏が出来たと思って胸が躍ったんだろう。

 

 そしてアスナが今女の人に出会ったって言ってたけれど、リランはあれでも《Female》、つまり雌。だから女性と言っても差し支えない。……姿は人間じゃないけれど。

 やがて、リズベットは両手を腰に当てて、どこか安心したような表情を顔に浮かべた。

 

 

「まぁよかったじゃないの。あんたと来たら寝ても覚めても迷宮攻略みたいな顔で、張り詰めすぎじゃないかって思ってたくらいだからさ。あんたの雰囲気が柔らかくなってよかったと思うわ」

 

 

 リズベットの顔が私に向けられる。

 

 

「あんたも、迷宮攻略がメインじゃなくなった余裕綽々のアスナに惹かれて、友達になったの?」

 

 

 そういうわけじゃないけれど……でも今のアスナはかなりいい雰囲気を放っているから、そう言ってもあながち間違っていないのかもしれない。

 

 

「そうじゃないって言ったら嘘になるわ。だけど、前からアスナはどこか放っておけないところがあったっていうか。それで友達になったのよ。リズベットもそうでしょう」

 

「まぁね。それにいくらアスナが迷宮攻略が全てな人じゃなくなったとしても、放っておけないのは変わらないからね」

 

 

 アスナは顔をまた赤くして、私とリズベットを交互に見た。

 

 

「もう二人して私を手間のかかる人みたいに言ってー!」

 

 

 いや、実際アスナは手間のかかる人だと思う。もしあの時リランがアスナの心を開かなかったら、今でも閃光のアスナは生存していただろうし、下手したら迷宮攻略の最中に死んでいたかもしれない。閃光のアスナを消したリランとキリト、そしてそんなアスナと友達で居続けていたリズベットは本当に大手柄だわ。

 

 直後、リズベットは何かに気付いたように言った。

 

 

「あぁそうだ。アスナ、ランベントライトの方はどう? この前研磨したばっかりだから、耐久値はそこまで減ってないでしょ」

 

「うん。私の方はリズが作ってくれた上に、何度も研磨してくれてるから大丈夫よ。やっぱりリズの作ってくれたものは違うわ」

 

 

 思わず驚いてアスナの腰に携えられている細剣に目を向けた。あの剣はリズベットが作った剣だったんだ。道理で店屋では見ないなと思ったわけだわ。そんな私に、リズベットは顔を向けて、不思議な笑顔を見せる。

 

 

「まぁ知ってのとおり、あたしは鍛冶屋をやってる。もし武器を見てもらいたいとか、研磨してもらいたい、強化してもらいたいとか思ったら、色々やってあげられるわよ。その様子だと、あんただって攻略を進めているプレイヤーみたいだしね」

 

「そういうのわかるんだ」

 

「わかるわよ。これでも沢山の攻略組プレイヤー達の武器を見たり強化したりしてるからね。どんなプレイヤーが攻略に赴いていて、どんなプレイヤーがそうじゃないのか、一目見るだけでわかるわ。それで、シノンは前者」

 

 

 私の身体を見るだけで、攻略に赴いているプレイヤーかどうかわかるなんて、流石は鍛冶屋というべきなのかしら。

 

 

「それじゃあ見てもらいたい装備があるんだけど、いいかしら」

 

「いいわよ」

 

 

 私はリズベットの許可を受けた後にアイテムウインドウを呼び出し、自動出現したはいいけれど使い物にならない白い弓を召喚し、リズベットに見せつけた。リズベットは白い弓を見て目を丸くした後に、驚きが混ざったような声を出した。

 

 

「ちょ、なにこれ、弓?」

 

「そうよ。これが私の武器なんだけど……」

 

「確かに強化カタログに弓っていうのがあって、これ何なんだろうなとは思ってた。だけど使える人が現れないからどうなってんのかなって思ってたわけだけど……あんたが使い手だったのね、シノン」

 

 

 やっぱり今まで弓矢使いが現れた事はなかったらしい。必然的に私が最初の弓使いで、リズベットが初めて弓を取り扱う瞬間だろう。